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『中国の赤い星』以前の毛沢東のイメージについて 石川禎浩 中国共産党
『中国の赤い星』以前の毛沢東のイメージについて 石川禎浩 中国共産党の指導者として、毛沢東の容貌や経歴があきらかになったのは、1936 年にア メリカのジャーナリスト、エドガー・スノーが陝西省北部の共産党根拠地を取材し、翌年 にその成果を世界に向けて報道したことがきっかけである。それまで、毛沢東は相棒の朱 徳とともに、極悪集団「共匪」を率いる謎の指導者であった。ただし、誤りだらけではあ ったが、毛の伝記や肖像が皆無だったわけではない。国民党による情報封鎖によって、中 国国内では共産党にかんする報道は厳しく制限されてはいたが、国外ではソ連やコミンテ ルンが中心となって、1930 年代はじめから、中国革命の指導者として、毛沢東が肖像付き で紹介されるようになっていった。当時の毛の肖像は、国共合作時期の 1927 年に国民党幹 部とともに写した集合写真を拡大・トリミングしたものから派生したものであった。他方、 そうしたモノとはあきらかに異なる肖像も日本やアメリカでは流布していた。中でも注目 すべきは、日本の外務省情報部が 1937 年 8 月に官報に記事付録として掲載した山高帽をか ぶった太った毛沢東像である。この写真を提供したのは、同情報部嘱託にして戦前日本の 共産党研究の第一人者・波多野乾一ではないかと見られる。ただし、実はそれより早く、 エドガー・スノーの取材記事は、かれが撮影した毛沢東の肖像写真とともに、日本の民間 雑誌『改造』などに発表されていた。また、前述の官報の記事は、スノーが上海の英字紙 に発表した記事のデータをそのまま流用していた。つまり、日本の官憲側は、スノーの取 材内容を知りながら、あえてスノーの撮影した真の毛の肖像を採用しなかったことになる。 日本における毛イメージは、このような情報の操作から生まれたのであった。