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12 研究所昔語り:東京文化財研究所の礎と黒田記念館

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12 研究所昔語り:東京文化財研究所の礎と黒田記念館
TOBUNKENNEWS no.27, 2006
Column 2
研究所昔語り:東京文化財研究所の礎と黒田記念館
東京文化財研究所が現在の建物に移転したのは 2000(平成 12)年のこと。それまで研究所職員
は、現在の黒田記念館と、東京国立博物館西門の右手にあった建物とに分かれて仕事をしていました。
洋画家黒田清輝の名前を冠した黒田記念館が当所の所屋であったのは、今日の当所へとつながる組織
が、黒田清輝の遺言と遺産によって誕生し、その遺言と遺産によって建てられた黒田記念館で活動が
始められたからです。
黒田清輝は 1924(大正 13)年 7 月 16 日に死去しますが、それに先立ち、樺山愛輔、久米桂一郎、
打田伝吉立会いのもとで、遺産の一部を美術奨励事業のために用いるよう遺言します。1893(明治
26)年にフランス留学から帰国し、19 世紀後半のフランスにおけるサロンの絵画と印象派風の光の
表現を受容した新たな画風をもたらした黒田清輝は、官立美術展や美術家全体の団体としての国民美
術協会の設立と運営に深く関わり、当時はひとつもなかった公立美術館の設置を政府に働きかけるな
ど、日本における美術の社会的位置を確立することにも尽力しました。遺言執行人となった牧野伸顕、
樺山愛輔、福原鐐二郎、正木直彦らは、そうした黒田の遺志を汲んで、次の事業を行うことにします。
1 美術に関する基礎的調査機関として美術研究所を設けること。
2 黒田清輝の作品を陳列し、その功績を記念すること。
3 前 2項の目的を達するために適当な建物を造営すること。
4 事業成立のうえは一切これを政府に寄附すること。
美術奨励事業の具体的な内容を、美術に関する基礎的調査機関とする案は、この遺言の具体化が模
索されている最中の 1925(大正 14)年に、欧州留学を終えて帰国した美術史家矢代幸雄によって
もたらされました。矢代は東京美術学校教授として欧州へ留学し、ルネッサンス研究で著名であった
バーナード・ベレンソンに師事して、英文の大著『サンドロ・ボッティチェルリ』の刊行を終えて帰
国しました。矢代は正木直彦校長に復命する際、同著執筆にロンドンのロバート・ウィットコレクシ
ョンが大変役立ったことをのべ、このような「写真を主とする美術図書館」の社会への貢献度の高さ
黒田記念館(開設当時)
晩年の黒田清輝
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TOBUNKENNEWS no.27, 2006
を説いて、日本においても同様の機関が必要であると述べました。この案が黒田の遺言執行人の採る
ところとなり、美術研究所の構想が出来上がったのです。
1927(昭和 2)年 10 月に、上野公園内に耐震耐火延 1,192 ㎡の半地階 2 階建の建物 1 棟を起工、
翌年 9 月に黒田と東京美術学校で同僚であった建築家岡田信一郎の設計になる黒田記念館が竣工しま
した。赤褐色のスクラッチ・タイル張りの同館は、黒田が留学時代から親しんだ 19 世紀後半のヨー
ロッパの美術館建築を手本とした設計になっています。2 階に設けられた黒田の画業を顕彰するため
の黒田記念室は天井からの天然採光を取り入れた窓のないギャラリーで、『智・感・情』『昔語り』ほ
か黒田家のご遺族から寄贈された作品、樺山愛輔寄贈による『湖畔』などが当初から展示されて毎週
木曜日の午後に公開されてきました。また、記念室の向かいの「陳列室」と呼ばれた部屋では、小さ
な企画展覧会も時折開催され、一般公開され、関連する講演会も開催されました。1 階には東洋で初
めての美術図書館が設けられ、日本のみならずアジア・ヨーロッパの美術品の写真と関連する文献資
料が閲覧できるようになっていました。国立の西洋美術館や近代美術館すらまだなかった時代、美術
研究所は展示館であり美術図書館・資料館として活気ある場を提供したのです。
黒田記念館には、遺言執行人であった牧野伸顕、樺山愛輔、『湖畔』ほかの作品のモデルとなった
黒田照子夫人は勿論のこと、黒田の画友久米桂一郎、藤島武二、弟子にあたる和田英作、岡田三郎助
などが、しばしば訪れたことが残された写真などでわかります。
また、1930(昭和 5)年 6 月に創設された当初の美術研究所が帝国美術院附属であった関係から
昭和初期には同院の会議が黒田記念館 2 階で行われており、美術界を牽引する主要作家たちが集まる
場でもありました。
今日の東京文化財研究所の事業の礎はこうして築かれ、戦後、幾度かの組織改変を経ながらも、文
化財の基礎的研究を根幹として、歴代の所員・研究者によって76年の蓄積を重ねてきたのです。
現在の黒田記念館
(企画情報部・山梨絵美子)
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