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カボチャと韓国語のホバッ

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カボチャと韓国語のホバッ
高崎経済大学論集 第52巻 第1号 2009
119∼125頁
〈研究ノート〉
カボチャと韓国語のホバッ
朴
福
美
Japanese“kabocha”and Korean“hobak”
Pak Pogmi
はじめに
カボチャは日ごろ目にし、食べているもの以外にも大きさや形、色もさまざま、テレビなどで見
て驚くことがたびたびある。今はスーパーでも売っているズッキーニもカボチャの一種で、80年代
にはもっぱら、イタリア料理に使われる食材という印象が強かった。そのころ私は韓国で生活して
いて、ほとんど韓国人と同じ生活をしていたが、エホバッという、形はきゅうりに似て、生食しな
い食材を使っていた。カボチャとはあまり似ていない味と形だったが、何しろ日本語に翻訳すると
「幼カボチャ」だから、カボチャの種類であることは理解していた。そして使っているうちに、こ
れはズッキーニというものではないかと思うようになった。韓国では大きくて丸いカボチャよりは、
ズッキーニのほうがはるかに身近で、しゃれた食材などという印象はまったくなかった。何しろナ
ズナが市場で売っていたりして、「ところ変われば品変わる」というが、野菜ほどそれを実感した
ことはない。
ズッキーニもそうだが、カボチャ自体がそれほど古い食材ではないという。原産地が中米から南
米北部の熱帯地方で、東アジアの多湿地帯から温帯北部に多く栽培される種であり、日本への渡来
はカボチャ類の中で日本カボチャが最も古く、16世紀に豊後国にポルトガル船が伝えて、その後各
地に栽培が広まったという。
カボチャにはまたトウナス、ボウブラ、ナンキンなどの別名がある。カボチャはカンボジアに生
じたものと考えて名づけられ、ボウブラは長崎へカボチャを伝えたとき、ポルトガル語でウリ類を
アボブラaboboraというので、それがなまったものといわれている。トウナス(唐茄子)は、果形
がナスに似ているため中国から渡来したナスという。
本当にわかりやすく、語源に関しては一般的にこれが定説みたいな状態である。しかしもう少し
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高崎経済大学論集 第52巻 第1号 2009
詳しく、各地のカボチャの方言を見ると総数111もある。注1)その中に四国の一部にチョウセン、
岡山、鹿児島でチョウセンサツマなどという別名がある。
「南瓜」という漢字表記が示すように外来物の名称に、地名+種類名 の命名法がよく使われる。
南方の瓜も理解できるが、カボチャは最初カボチャ瓜と呼ばれ、後に瓜が省略されてカボチャとな
った注2)というから、チョウセンは朝鮮瓜という別名もあったと考えられる。カボチャが朝鮮半島
の名称に由来する可能性はあるかもしれないと、この考察を進める。
Ⅰ.既存説 カボチャ ボウブラ ナンキン についての疑問
a.カボチャ
天文2年の1541年、ポルトガル船が大分に漂着し、寄港地のカンボジャから種をもたらしたとい
うので、カンボジャがなまってカボチャになったと説明される。貿易のために長崎に寄港したポル
トガル船という場合もある。きちんと年代まで入って実証的だし、つじつまもあっている。しかし
難破であれ貿易であれ、ポルトガル人は自分たちを有利な立場におくためにカボチャの種を持ち出
したはずなのに、寄港地のカンボジャの名をことさら、なぜ持ち出したのだろうか。彼らは互いの
利益を目的に、武力ではなく、言葉で交渉し解決する商人ではなかったのか。
カボチャをはじめ、トウガラシ、ジャガイモ、トウモロコシなどがコロンブス以後世界に広まっ
たというのだが、それなら東回りで広まったはずで、カンボジャよりもポルトガルのほうがカボチ
ャの栽培では先輩格と見なければならない。ポルトガル語でカボチャをuma abobora ウマ アボボ
ラというらしい。アボボラは瓜類をいうのだから、通訳者は当然「ウマ瓜」と通訳すべきだろう。
ウマ瓜とはできすぎの名称ではないか。
もう一つ、カボチャ原産国の南米をコロンブス以後に侵略、征服したのはスペインで、カボチャ
をポルトガルにもたらしたのはスペインということになるが、スペイン語で現在カボチャはカラバ
サーとかカブテーだそうだ。音の共通性を言うならばこちらのほうがそっくりだ。
音韻面でも疑問がある。カンボジャの「ン」がなぜ落ちたのか。「ン」音は、神田、新宿など地
名や姓名に限らず、日本語に珍しくもない子音なのに、なぜ聞き落としているのだろうか。カボチ
ャ系の名称は20余個を数えるが「ン」のつくものは一つもない。
別名;アバチャ、アボチャ、オカブ、オカボ、カーボー、カッチャ、カブス、カブチ、カブチャ、
カボ、カボェチャ、カボチ、カモウッ
1 「日本植物方言集」日本植物友の会 八坂書房 p.58 別名は全てここのものを引用する
2 「語源辞典」吉田金彦 編著 東京堂出版 p.65
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カボチャと韓国語のホバッ(朴)
b.ボブラ
aboboraはポルトガル語で瓜類をさすというから、カボチャの説明をするのにこの単語は必要だ
ったろう。しかしuma aboboraはカボチャに相当するウマが重要であって、ウリ類に相当するアボ
ボラのほうが重要ではない。ウマ瓜と翻訳できるはずなのに、覚えやすいウマが落ちてアボボラが
残ったのが不思議だ。
何よりも納得できないのはaboboraの「a」母音を落としていることだ注3)。「ア」は母音のなか
でも強いから明確で聞き取りやすい。カボチャの別名中に「アバチャ」「アボチャ」があるが、こ
れはkabochaの頭音である子音「k」を落とした結果で、それでも母音は拾っている。母音は聞き
取りやすいことがこれでも理解できる。
ボブラ系の名称は40個余りで別名の半数ちかいが、母音+ボブラという形もまた、一つもない。
c.ナンキン
ナンキンは中国の都市名、南京と説明される。ポルトガル船の寄港地というわけだが、寄港地の
名前を尊重し自国のウマアボボラを強調しなかったかは、カボチャの場合と同じく大きな疑問だ。
日本カボチャに関しては中国と日本のものはとてもよく似ていて、相互に交流があったということ
は確かだ注4)という。したがってこれはほとんど同時期に伝来されたらしい。漠然と外来物という
イメージとしては南京よりは唐のほうがわかりやすそうに思えるのだがどうだろうか。ナンキンに
関係がありそうな別名をあげる。
別名;キンカン、キンクヮ、キント、ナリキン、ナンカン、ナンキ、ナンキン、ナンキンウリ、
ナンクヮン、ナンバイコ、ナンバン
これらの別名を見ると、ナンキンが果たして中国の都市、南京を指すのかといっそう疑わしくな
ってくる。南京が江戸時代にそれほど親しい地名だったのだろうか。すでに中国は清朝の時代であ
るが、長崎の出島には相変わらず唐船が貿易していたのだから、中国は庶民にとってはまだ唐だっ
たと思われる。唐系の名称は15個ほどある。
唐系別名;トーウリ、トーガン、トンガン、トンキン、トナス、トーナス、トフラ、トーブラ、
トンボラ
「唐瓜」を音+訓で読むとトーウリ、音+音で読むとトークヮ、ト−ク、トークェなどと読める
3
「日本語の起源」 大野晋 岩波新書289 p.85∼86に、「英語で笑うことをラフという。日本語では昔、ワラフといった。
だからこれは共通な単語である、というのなども、誤りである。勝手にワラフのワを取り去って比較してはならない。……
中略……単語の比較で大切なことは、同じ形をしているものを発見することではない。音韻の対応を発見することである。」
とある。
4 「日本の食文化」第四巻 魚・野菜・肉 雄山閣
蔬菜・果実の中国および日本における渡来と受容の歴史について 渡辺 正 p.144
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高崎経済大学論集 第52巻 第1号 2009
が、実際はトーガン、トンカン、トンキンなど読まれたことが伺われる。ン音で終わるものが多い。
クヮ、クェなどの合成母音で終るのが落ち着かず、「ン」に変化したのではないかと思われる。
「南瓜」は中国名で、朝鮮にもあるが知識階級の人たちが使った漢字表記だろうと思われる。日
本では現在はカボチャと訓ずるが、その昔はボウブラと訓じていた注5)。訓音を知らないとまずは
音で読むはずで、唐瓜を参考に南瓜を音+音で読んでみるとナンカン、ナンキ、ナンキン、ナンク
ヮン、ナリキンになるのではないだろうか。瓜音はすべてカ行音で読まれ、トー系と似た構成とい
える。
南京とナンキンは偶然に音が一致した可能性が強い。偶然の音の一致は南京だけでなく、別名ト
ウガンは冬瓜、キンカンは金柑と漢字表記できる。
Ⅱ.韓国語ホバッhobakkから、日本語のボウブラ、カボチャへの音韻変化
韓国語のホバッは漢字で「胡朴」と表記される。胡は日本語でも胡麻・胡椒でおなじみの、中国
西方の外国を示す。朴は夕顔・フクベ・瓢箪などウリ類の固有語パク音を漢字に写したものだから、
音+訓 読みの単語だ。
a.ホバッ→ボブラ
ボブラ系の別名は111個の中40個余りで、西日本に多い。ポルトガル船の難破や長崎の出島の貿
易に結び付けられる由縁だろう。しかしこれらの地はまた古代から朝鮮半島と深く結びついた地で
もある。
別名;ボー、ボークヮ、ボーブーラ、ボーフラ、ボーブラ、ボーブリ、ボーボロ、ボグラ、ボッ
バ、ボフラ、ボボラ、ボルバ、ボンタン、ボンボラ
ホ-バッの頭音ホが日本語では「ボ」に濁音化し、バは日本で母音の違う「ブ」に変化している。
促音のツがラ行音に変化している。金沢庄三郎博士はh/k相通、k/r相通が日鮮両語に共通する
音韻上の原則といわれている。濁音にし、ホバッの促音ッ[k]に、k/r相通を適用するとbobarボバルとなる。r閉音節は日本語では母音を加わえて安定した発音しやすい音に変化する。整
理すると、
ho-bak濁音化→bo-bak(k/r相通)→bo-bar(rに母音添加)→bo-ba-ru
ホバッ ボバツ ボバル ボバル
ボバルがさらに①濁音化や清音化、②長音化、③母音変化の要素が加わってボブラ系の別名ができ
ている。
5 「古事類苑50」p.628 吉川弘文館
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カボチャと韓国語のホバッ(朴)
b.ホバッ→カボチャ
「胡」を韓国ではho ホと読み、日本ではコと読む。同じハ行音でも韓国語のh子音は日本語の
ハ行音と違って息の量が多い。韓国語のh子音は日本ではカ行音になることが多い。例を挙げると、
韓ハン・かん、漢ハン・かん、湖ホ・こ、戸ホ・こ、画ファ・が、火ファ・か 等、韓国ではh子
音、日本ではカ行音の漢字は上げればきりがない。金沢庄三郎博士のh/k相通は単に韓国語と日
本語の関係ではなくて、韓国語内でも日本語内でも相通という意味だ。すると朝鮮半島のホバッか
らカボチャに変化したというよりは、
ホバッ(朝鮮)→ボブラ(日本)→カボチャ(日本)
の変化も考えられる。実際ボブラの名称のほうが先行し、「江戸では享保年間(一七一六∼三六)
までは南瓜(一名カボチャ)を売っていない」注6)とあるから、ボブラ名から200年ほど過ぎてか
ら現れたのがカボチャという別名ということになる。
ためしにハ行音とカ行音をハ・カ・ハ・カと繰り返してみると、カ音は舌根が上がって鼻から息
が漏れるのをふさいでいるが、ハ音はカ音ほどに力が入っていないことがわかる。ハとカはこのよ
うに微妙な力の差のみだから、しばしば入れ替わり相通といわれる。ホバッ→ボブラにしろ、ボブ
ラ→カボチャにしろ、語源をホバッとすれば音韻変化は合理的に説明できる。
二音節目の「朴 bak バッ」が「ボチャ」になっている。バとボは母音が違うだけだから問題は
促音ッがチャになったことにある。促音はk/r相通でカボラとなる。整理すると、
ho-bak(h/k相通)→ko-bak(oとaの母音交代、k/r相通)→ka-borカボル
金沢博士はrが又、y/j/n/tと相通であるといわれる。するとka-borはka-bojとなる。子音が最
後に来ると日本語は母音が加わる。整理すると、
ka-boj(音節末にa添加)→ka-bo-ja(清音化)→ka-bo-cha
カボジャ カボチャ
以上の説明よりも、促音ツはタ行音であり、同じタ行音のチャに変化したというほうが、理解し
やすいかもしれない。kとtは違う子音だが、日本語の促音ではk子音が表現できない。タ行音で
説明しやすいのは日本語内でボブラ→カボチャの変化がおきたという傍証になるかもしれない。
ボーブラもカボチャも韓国語ホバッから変化してもよいことを説明した。日本にもハ行音はある
が、韓国のh子音と日本のハ行音は微妙に異なり、その微妙さをある人はホを濁音にし、ある人は
カ行音に聞いたことになる。韓国音をカタカナやアルファベットで表記してもそれはあくまでも近
い音としてあげていて、そのくらいは誰もが頭では理解しているのだが、それでも語源を考えると
きにはこれが音の変化への理解を邪魔したりする。
6 「たべものの語源辞典」清水桂一 東京堂 1980年 p.37
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高崎経済大学論集 第52巻 第1号 2009
c.その他
長崎の南松浦にボッタ、ボッダ、ボッハ、ボッパ、ボッペの特徴のある別名が記録されている。
ホバッの促音ツが拾われているらしいのは、111の別名のうちこの4例のみだ。朝鮮半島とは言葉
の面でも関係が深いのかもしれない。ホバッは息の子音hから始まる。h子音はすぐ前で聞けばわ
かるだろうが少し離れると聞き漏らし易い。語中にあれば時間だけは感じるのだが頭音では時間も
感じにくい。そのため落とし易い。又はホ、バがどちらもハ行音であるところから縮約されて一音
のみのボとなったと考えられる。促音を拾ったので、ラ行音への転換はない。しかし促音で終わる
単語は忌避されるので、タ行音のタ、ダが添加されている。ハ、パ、ペ音の添加はボ音と同じハ行
音である。子音調和というべきか。整理すると、
ホバッ(ホ、バ縮約))→ボッ(安定、調和した音の添加)→ボッタ、ボッハ、ボッペ等
又、キンカン、キンクヮ、キントがある。ナンキンのキンと同じ音を持つが、キンクヮには「金
瓜」の漢字を当てたい。日本も韓国もカボチャは冬至の行事食だが、韓国では粥にして食べる。こ
のホバッは抱えきれないほど大きくて黄色い。金の漢字を当ててもよいと思われる。日本でも九州
では糸瓜のような形をした黄色いカボチャや、円く黄色いカボチャがあって、これらはネットで写
真を見ることができる。キンカンが金柑のはずはなく、金瓜キンクヮの音便、キントは金唐かもし
れない。
Ⅲ.終わりに
カボチャとボーブラは音感がかなり違う。だからカンボジアとアボブラという、性格をことにす
る説が出たのだろう。しかし韓国語のホバッを中心にすると、ボブラもカボチャもつながってく
る。
コロンブスの「新大陸」発見は1492年、ポルトガル船は1541年。豊臣秀吉の朝鮮出兵は1592年の
5年間、1597年の2年間である。このとき大量の兵士が朝鮮半島を縦断し、大量の男女が捕虜とし
て朝鮮から日本に連れてこられた。日本人がポルトガル人と接触する機会と、朝鮮人と接触する機
会には雲泥の差がある。トウガラシもコロンブス由来の作物だが、日本から朝鮮に伝わったとも、
朝鮮から日本に伝わったとも言われる。どちらにしても秀吉の朝鮮出兵ごろの話らしい。カボチャ
が50年で地球を一周したか、百年で一周したかはわからないが、ポルトガル人が来朝してカボチャ
を伝えたという記録の最古は天文11年(1542)だという。現物と名称の移動が常に行動を共にする
とは限らないだろうし、現物の渡来の現場を確認することはこの情報の発達した現代においても難
しい。一方、名称のほうはある程度の追跡は可能だから、この小論はあくまでも名称についてのみ
のものとする。朝鮮半島の名称を採用したということは、そのころの日本人が朝鮮人を知識のある
人と認めて、丁重な態度で接していたことをうかがわせる。
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カボチャと韓国語のホバッ(朴)
語源を考えるときに別名を考察することが欠かすことができない。しかし江戸時代に生まれたカ
ンボジャ説やアボボラ説は別名の考察がかなり難しかっただろう。封建体制の統治下で、方言は情
報統制のための手段でもあったという。限られた人のみが別名を研究する機会はあったかもしれな
いが、そういった場合あまり批判される機会もないだろう。カンボジャやアボボラがあまりに音韻
が似ているために、現代でもそのまま受け入れられているが、私は別名の検討から批判を加えてみ
た。
(パク ポンミ・本学非常勤講師)
参考文献
「世界有用植物事典」植物編 平凡社
「日韓古地名の研究」金沢庄三郎 草風館 昭和60年
「花と樹の大事典」 植物文化研究会編 木村陽二郎監修 柏書房
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