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ナチス体制確立期からその死に至るまでの グスタフ

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ナチス体制確立期からその死に至るまでの グスタフ
(470) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
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ナチス体制確立期からその死に至るまでの
グスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
上 田 健 二 (訳)
法思考における分類概念と整序概念(1938年)←
伝統的な論理学は、現代では多くの異論にさらされている。その諸概念は、それら
が生活に暴力を加えていると非難される。生活は流動する諸々の移行であるが、しか
し概念はこのような移行を横切りにして明確な限界線を引く。生活が「より多くか、
それともより少なくか(mehr-oder-minder)」しか示していないところで、概念は「あ
れか ― それとも ― これか( entweder-oder)」という決断を要求する。生活においては、
関心は主として概念の核心をなしている通例の広がりに基づいているのであるが、こ
れに対して概念的な思考は圧倒的に、概念が正しく限界づけられて(「定義づけられ
て」)いるかが、それらによって試される通例でない、周辺部の、限界諸事例に関心
をもつ。概念の主眼は、機能として現われるのは「把握するということ」、ある一定
の思考内実を包括するということではなく、「限界づけるということ」、つまりは、概
念がそれをもって外部から他の思考内実に対して自らを閉じ込める防護壁である。要
するに、伝統的な概念的思考は、生活の全体を切り裂き、そして破壊するような「分
離思考」である、ということである。
このような時代的気分に直面して生活の流動的移行をより適切に評価するような方
法論の試みが、とりわけ問題となっているのが非合理的な、概念敵対的な特効薬の推
奨ではなく、概念的思考の枠内におけるひとつの革新である場合に、特別な関心を掻
き立てる。問題となっているのは、標語的に表現すれば、科学的方法論にとっての比
較的なものの発見である。その仕事についてここで語ることが求められる思想家はパ
ウル・オッペンハイム(Paul Oppenheim)←とその共同作業者であるカール・G・
︵₁︶
ヘンペル( Carl G. Hempel )←であり、彼らは、彼らがその分類的な課題を理由に分
(1)
Carl G. Hempel und Paul Oppenheim: Der Typenbegriff im Licht der neuen Kogik, Leiden
2
同志社法学 61巻 ₁ 号
(469)
類諸概念と呼んでいる伝統的な諸概念にもうひとつの種類の諸概念、すなわち整序的
諸概念を対置する。分類的諸概念は、ある個別現象に否認か、それとも承認かしか与
えることができない諸要素から合成されているが、これに対して整序概念は、ある個
別現象にさまざまに異なる尺度において、より高いか、それともより低いかの程度に
おいて承認することができる、内容的に段階づけることが可能な諸特性を含んでい
る。前者の言語的表現は確定的なものであるが、
【60】しかし後者の諸特性については、
石英は方解石よりも固いというように比較的なものにおいて語られる。整序的諸概念
は、それゆえに二つの、もしくは複数の現象との間の程度関係を言明するのであり、
それゆえにこれらの現象を系列および位階順序に持ち込むのであり、たとえば諸々の
鉱物をそれらの固さに応じてひとつの連続した系列のなかに整序するのであり、[46]
そのようにして、分類的諸概念が暴力的に引き裂いたものを概念的に表現するのであ
る。ある整序概念が段階を付し得るある特性を含んでいるならば、この基盤のうえに
ひとつの直線的な系列順序が明らかになり、それがより多くのこの種の特性を含んで
いるならば、系列順序はより多元的なものになる ― 諸々の鉱物をその固さに応じて
だけでなく、それらの重さとそれらの化学的な合成に応じても系列順序に持ち込むこ
とができるのである。このような諸々の系列順序は、それらを他の諸々の系列順序と
因果的な諸々の関連に置くことができるならば、特別な実りをもたらす。それという
のも分類的諸概念に基づくのと同様に、整序的諸概念に基づく場合であっても諸法則
の発見に達することができるからである。前者が「もし……であれば、……である
( wenn ― dann)」という図式に従って表現されるとすれば、後者は「……であればあ
るほど、……である(je ― desto)」という図式に従って表現される。穀物の価格が高
くなればなるほど、窃盗の頻度が高くなる、というように。
系列順序というものにもち来たらせられている個別的な諸現象のなかで特定のもの
を他の諸々のものに対して際立たせることができる ― あたかもそれを通してそれら
の間に存在している諸現象を確定することができる道標であるかのように。そのよう
にして様々にことなる固さの10個の鉱物を合成するとともに他の諸々の鉱物をその硬
さに応じて整理する尺度図式を獲得することができたのである。このような処理の仕
方が整序諸概念の最も重要な形式への、つまりは類型的諸概念への移行をなしている
のである。ひとは系列の内部で、極端な諸形式であれ、もしくは逆に平均的な諸現象
であれ、それらで他の諸現象を測定する、ある種の特別に刻印づけられた、生粋の、
典型的な諸現象を選び出すのである。けれども必ずしもこのような類型にある経験的
1936; P. Oppenheim; vom Klassenbegriffen zu Ordningsfen, Travaux du IXe Cingrés
International de Philosophie, Paris, ₁
―
₆ août 1937; Paul Oppenheim; Die natürliche
Ordnung der Wissenschsften, 1926, S. 221 ff.,にすでにいくらかの示唆が示されている。
(468) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
3
な個別現象を相応させる必要なはなく、逆にそれらはたいていの場合では、特定され
た視点のもとで様々に異なっている諸現象の本質的な諸特性を統合する構成された諸
形象である。ところでこのような視点はあの諸特性の発現の頻度でも、もしくはそれ
らは念頭に置かれている理念の割合に応じて選択されもしよう。両方の場合では諸類
型が現実の個別的諸現象から隔たっている ― 前者、すなわち平均類型は、後者、い
わゆる理念型よりもほとんど僅少なものではない。諸類型は決して現実認識を表わそ
うとしない。それらは現実的な個別現象の認識のための手段であろうとするにすぎな
い。それは、そのなかでいくらかの【61】個別的諸現象が整理されるネットしかなし
ていないのである。分類概念と同様に整序概念もまた諸現象を整理するための手段で
ある。分類的諸概念に整序的諸概念を対置するということは、それゆえに用語として
は全くうまいというわけではないように思われる。もちろん求められた整理は、量概
念の場合ではきわめて異なった種類のものである。個別的諸現象は分類的諸概念のも
とに当てはめられるのであるが、しかしそれらは類型的諸概念のなかに組み込まれ
る。それらはこのもしくはあの類型概念からのそれらの多少とも広い距離を通して特
徴づけられる。この距離は、たいていの場合に直観的にのみ評価され、しばしば客観
的な諸基準を手がかりにして規定され、最もうまくゆく場合にはメートル法により、
数的に評価され得る。分類的諸概念は明確な諸限界を通して互いに区別し、類型的諸
概念は朦朧とした諸限界を通して、色彩が色彩圏に入り込むように、互いのなかに入
り込む。分類的諸概念は分離し、類型的諸概念は結合するのである。[47]
オッペンハイムとヘンペルは彼らの発見のどのような過大評価らも好ましいことに
距離を置いている。彼らは分類的諸概念を、たとえ彼らが分類的諸概念から整序的諸
概念への展開というものを確認することができると考えているにせよ、許容してい
る。彼ら自身が心理学での、体質研究での展開を示し、経験的な研究の他の領域にと
っての同様の探究を勧めている。ゲーテの類型的思考方法をその根源現象の、とくに
︵₂︶
根源植物の概念について明示することは刺激に満ちているであろう。ゲオルク・イエ
︵₃︶
ニネク( Georg Jellineck)の国家論のなかでは、そして、これを模範として、マッ
︵₄︶
クス・ヴェーバー(Max/ Weber)の社会論のなかでは、類型論的諸概念の詳細に根
(2)
(3)
たとえば、H. Schenk, Gioethe als Denker, 4. Aul. 1922, S. 44 ff., 57 ff.
G. Jellineck; Allgemeine Rechtslehre, 4. Aufl., 1921, S. 34 ff. こ れ に つ い て は、W.
Windelband; Über Norm und Normalität, Aschaffenburgs Monatsschrft für
Kriminalpsychologie, 3. Bd., 1907, S. ₁ ff.; H. Heller; Staatslehre, 1934, S. 61 ff,
(4)
M. Weber; Die Objektivität sozialwissancchaftliche und soziologische Erkenntnis. Archiv für
Sozialwissenschaft, 19. Bd., 1904, S. 43 ff. これについては、K. Jaspers; Max Weber, 1932, S.
46; B. Pfister; Die Entwicklung zum Idealtypus, 1928; A. v. Schelting; Max Webers
Wissenschaftslehre, 1934.
4
同志社法学 61巻 ₁ 号
(467)
拠づけられた適用が現在の方法論的諸問題に接近している。イエリネクは平均的諸類
型と理想的諸類型とを区別し、後の版では、経験的類型と理想的類型を区別している。
理想的類型はひとつの当為および価値形象であり、経験的類型は、個別事例の大多数
が表わしている共通する諸要素を浮かび上がらせることを通して獲得される存在的お
よび現実的形象である。これに対してマックス・ヴェーバーの場合では、理想的諸類
型は理想的な模範像といったものではなく ― 非難すべき諸現象の、たとえば売春の
理想的諸類型も提示され得る ― 【62】、それはむしろ個別的な諸々の偶然性から純
化され、一貫して構成された、それゆえに一面的に高められた現実の諸々の図式であ
る。ウエーバーの理想的諸類型はリッケルト(Rickert)←の意味における価値に関
係づけられた諸概念としてイエリネクの評価的な理想的諸類型とイエリネクの価値か
ら自由な経験的な平均的諸類型との間の中間を保っている ― ひとはこれを理念的な
諸類型と呼ぶほうがより誤解を招くことがないであろう。類型的諸概念は、マックス・
ウエーバーによれば認識の目標ではなく手段であり、それらをもって現実が測定さ
れ、それらをもってそれが比較される理念的な限界的諸概念である。それらは、イエ
リネクによれれば個別現象を、これがそれをそれらを通してはじめていわば社会的諸
過程の全領域におけるそれらの場所を含んでいることから、はじめて根本的に理解す
ることを教示する。これは、オッペンハイムとヘンペルによって仕上げられた類型論
的系列順序にとっての、いまだ手さぐり的な表現よりほかの何ものでもない。
法学に関して言えば、オッペンハイムは制定された諸法令の表現形式にとって整序
的諸概念は「明白に合目的的ではない」と説明した。「それというのもこれらが有し
ているのは実に複数の構成要件の最終目標との相互的な比較ではなく、これからある
一定の要素が承認されるか、もしくは否認されるということを通してなされるような
︵₅︶
個別的構成要件の評価だからである」。このような根拠づけは失当であって、それと
いうのも ― 立法者によるものであれ、裁判官によるものであれ ― 個別的構成要件
の評価は、意図された判定の根底に置かれている法命題の他の諸事例にとっての射程
を試すために、数多くの多少とも類似している諸事例が念頭に置かれ、そして比較さ
れることを前提としているからである。それにもかかわらずオッペンハイムの法学方
法論の見解が結論的に当たっているか否かを、以下において究明することが求められ
る。このような究明は、ごく最近では分類的諸概念から整序的諸概念への移行は、法
学にとっても明白に提唱されているからには、それだけにいっそう迫られているので
(5)
Oppenheim, IXe Congrés de Philosophie, S. 73 ff. オッペンハイムが彼の以前の本、Die
natürliche Ordnung der Wissenschaften, S. 177 ff., のなかで、法学を典型的な諸科学に算入し
ているとすれば、彼が考えているのは明らかに、後に彼によって展開された種類の類型的諸
概念ではなく、分類する一般的な諸概念である。
(466) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
5
ある ― それというのもこのことだけが、カール・シュミット( Carl Schmidt)に
よって急速に標語にまでになっている「具体的秩序思想」という公式の意味であり得
るからである。規範は、とカール・シュミットは言う、正しく評価されるべき生活の
類型的に想定されるべき形姿、たとえば勇敢な兵士、義務を意識した官吏、誠意のあ
る同僚等々を前提としている。ある規範がいまだそれが欲しているほどに確固不動に
振舞おうとも、【63】それは、状態が完全に正常である範囲においてのみ、そして正
常であることが前提とされた類型が消し去られていない限りでのみ、ある状態を支配
︵₆︶
しているのである。かくしてシュミットは法律上の諸構成要件を正常諸類型として解
しているのであり、そこから非類型的な諸事例を法律に代わって「事物の本性」から
評価しようとしているのである ― それというのもそのようにこれまで、シュミット
がいまや具体的秩序思想として特徴づけている、あの個別事例を類型化し、そしてこ
︵₇︶
の類型から評価する思考方法が呼ばれたからである。
今日でもなお支配的な法的思考はオッペンハイムの意図と調和しており、シュミッ
トの要求とは異なって原則的に分類する方法の側に立っている。全く意識的に立法
は、生活の流動的な諸々の移行を通して明確な切れ目を入れている諸概念をもって作
業している。幼児期から青年期への、青年期から成人期への成熟の漸増性を意識的に
無視させている日と時間に規定された年齢の限界を考えてみよ。まさにこのような法
的諸概念の現実との不相応性が、すべての中間的音色の、いっさいの快い運命の戯れ
のことさらなる無視、あの「あれも ― そして ― これも」もしくは「より多くか ― それと
も ― より少なくか」の厳しい否認、
「あれか ― それとも ― これか」という厳しい思考方法、
これこそまさにこの時代において法を、とくにローマ法をあれほどに嫌悪の念を起こ
させる当のものである。しかしこれらすべては「実用性」、言い換えれば、疑問から
免れた法の適用、それゆえに法的安定性という理由からして不可欠である ― が、し
かし、その女神が目隠しをしているのも理由のないことではなく正義もまた、それが
その平等への志向に「人格の声望」なしに向いているばかりでなく、現実の他の諸々
の(重要でない)差異を無視しているということがその理由である。しかし法を生活
に密着させることが正統な自由主義の克服後ではこの時代のひとつの傾向であるなら
ば、このことは類型的諸概念と系列順序を通してではなく、特殊な分類的諸概念を通
してなされる。これにとって特徴的であるのは、まさにそれがひとつの段階を付し得
(6)
C. Schmidt, Über die dei Arten des rechtswissenschaftlichen Denkens, 1934, S. 22, 10, 21,
23. これについては,E. Schwinge und L. Zimmerl; Wesenschau und konkretes Ordnungsdenken,
im Strafrecht, 1937.
(7)
「事物の本性」というきわめて要急の概念の特別な処理については、H. Isay; Rechtsnorm
und Entscheidung, 1929, S. 78 ff.
6
同志社法学 61巻 ₁ 号
(465)
る整序概念、つまりは「限定帰責能力」を示唆しているように思われるからである。
その法律上の承認に従っても法背反者はより多くか、それともより少なく帰責能力を
有しているといったものではなく、【65】彼は責任能力者であるか、それとも責任無
能力者であり、前者の場合では完全な帰責能力者であるか、それとも減軽された帰責
能力者であるかのいずれかである。帰責能力はどのような系列概念でもなく、ひとつ
の低クラスの概念にすぎないのである。
もちろん多くの事例において立法者は、特殊化する分類化を通して個別的諸事例を
正当に評価することは可能でないと考える。彼は、いよいよ頻度を高めるこのような
諸事例では、法の諸作用の個別事例との適合を裁判官の裁量に委ねるのである。これ
こそまさに、類型的諸概念と系列的順序を観察することをわれわれが予期することが
できる領域である。ひとつの特別に教示に富む例を法律上の刑罰枠の内部での裁判官
による刑の量定が提供している。それは裁判官を、個別的諸事例を ― この犯罪の考
え得る最も重い事例と考え得る最も軽い事例という ― 二つの極端な類型の間にこの
類型からのその最も広い距離もしくは最も狭い距離の尺度に従って系列のなかに組み
入れるという課題の前に立たせる。将来においてこのような系列化は、これまでのよ
うに裁判官の直観に委ねられ続けるべきではなく、むしろ客観的な諸基準によって導
︵₈︶
かれることが求められる。ライヒ刑法典の最後の草案は裁判官による刑の量定のこの
ような基準として行為者の犯罪的意志、国民社会の処罰欲求、行為者が責任を負った
危険と損害、所為以後の彼の態度を挙げる。しかしこのような刑の量定理由のいずれ
もから、このような系列順序のいずれにも、そのために刑が量定されなければならな
い犯罪行為にその場所を割り当てなければならないような系列順序が明らかになり、
この系列順序のいずれにもそれに割り当てられる順位が他の系列順序におけるよりも
高いか、もしくは低いものであり得る、当罰性諸理由の多元的な系列的順序というも
のが問題になっているのである。しかし可能な刑罰の程度は一次元的な系列しかなし
ていない。それらは単に重いか、それとも軽いかのいずれかである。そこから、当罰
性諸理由の多元的な系列順序を一元的な系列順序に還元するという困難な課題が成り
︵₉︶
立つ。草案の立法者はこの問題をも認識していたのであり、彼は様々に異なっている
当罰性の諸基準を、次のような統一的な公式のなかに総括する。「刑罰は行為者の責
任の種類と程度に相応していなければならない。」しかし彼がこれをもって示したの
は問題だけであって、解決の方法ではなく、立法者にとっては、確かにこれ以外には
何も可能ではないのであろう。裁判官が個別事例において様々に異なっている系列順
(8)
Gürtner, Das kommende deutsche Strafrecht, Allg. Teil. 2. Aufl., 1935, S. 173.
(9)
Hempel und Oppenheim, a. a. O., S. 70.
(464) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
7
序を責任の等価的要素と見ようとするのか、それとも不等価要素と見ようとするのか
【65】、そしてどのような事情において不等価要素と見るのか、それゆえ、代数的に言
うならば、個別的な犯罪行為にとっての責任の程度は、様々に異なっている系列にお
ける単純な位階番号を通して獲得されるのか、それとも特定された系列のために[50]
この位階番号の多重というものが設定されなければならないのかは、裁判官に委ねら
れたままである。このようにして獲得された当罰性の系列は刑罰の程度に相応する系
列にとっての基盤をなしているのであり、そしてこれには「整序する法律」というも
のを通して「多ければ多いほど ― それだけいっそう多い」という図式(これはもち
ろんひとつの経験的な法則ではなく、ひとつの当為法則、ひとつの規範である)に従
って結びつけられているのであり、しかもこのことは、もちろん責任の程度の側面で
はないが、しかし十分に責任の尺度の側面で、メートル法による数値に則した把握が
可能である法則である。このように刑罰量定に則して系列順序の問題をほとんど余す
ところなく説明することができるのである。
法学の伝統的な分類的性格(カール・シュミットとその信奉者)が増大しつつある
矛盾に遭遇していることは、すでに指摘された。われわれが[51]見てきたように、
あの性格は法的安定性への欲求に基づいている ― それだからこの矛盾には法的安定
性の最も低下された評価というものが、その有効性だけでなく、その価値が表現され
る。このような見解と対決することはわれわれの課題の外部に置かれているのであ
り、われわれは法学的方法論にとってのその諸帰結を評価するだけにしたいのであ
る。伝統的な方理論が法的安定性のために具体的な状況を個別化的に顧慮することを
広い範囲にわたって断念しなければならなかったのであれば、このような要求がいま
や、法的安定性の価値が切下げられた後に、法的思考の前景に登場してくる。そこか
ら、イギリスおよびアメリカのケース・ロー(case law)のやり方に従った、多くの
法律家の事例法というものへの傾向が見えてくる。それゆえにいまや、どのような役
割を類型論と系列順序がケース・ローのなかで演じているのかを究明することが求め
られるのである。
英米の裁判官は具体的な事例にとっての法を(制定法(statute law)が妥当してい
ない限りで)見出すのであるが、しかしこれには彼がその判定の規定に置いており、
判定理由( ratio decidendi)として言明した法命題は、将来の同種諸事例にも適用さ
れるという効果を伴なっているのである。それにもかかわらず、諸事例のどれほど狭
い、もしくは広い範囲にまで新たに獲得された法命題が拡がるのかは、広い範囲にお
いて不確実のままである。裁判官にはある新しい事例に直面して、彼が先決事例の判
定理由はこの新しい事例にとって適切でないと見る場合には、防護手段の全兵器庫を
任意に用いることができるのである。彼は、この新しい事例が事実上の視点から見て
8
同志社法学 61巻 ₁ 号
(463)
以前の諸事例から本質的に【67】逸脱しており、それゆえにこれとは別の法的な取り
扱いを要求していることを示すことができるのである。しかし彼は、以前の事例の判
定理由が、それが当時の事例の判定にとって必要であったのであり、単にひとつの拘
束力のない「傍論(dictum)」である限りで、広く捕捉されることを示すこともでき
るのである。彼はその場合では、判定の規定に実際に置かれている、ただそれだけで
拘束的なより狭い法命題を、すなわち「法の原理( priciple of the law)」を際立たせ
ることになろう。しかし展開は、対立する意味においても経過することもあり得る。
後の事例の裁判官が、以前の判定の法思想は当面する、いくらかは逸脱している事例
にも、彼が以前の裁判官の判定理由のなかにひとつのより狭い表現を見出したにもか
かわらず妥当を要求するという意図に達することもあり得よう。彼はその場合では、
彼自身の判定における法命題にひとつのより一般的な表現形式を与えることになろ
う。慎重に引き続いて模索する一連の判定の後に、次いでおそらくはある新しい事例
を契機として段階的かつ部分的に浮き彫りにされた法思想のあの系列を一人の裁判官
が完結的に総括的に表現するであろう。
ところでわれわれは、ある判定のなかで呈示され、その継続的展開においていまだ
見渡し難い法命題をどのようにして性格づけることができるのかを問わなければなら
︵₁₀︶
ない。リュウリン( Llewllyn )はこれを短い言葉をもって見事に特徴づけた。「どの
ような法命題にあっても次の ₃ つのものが現存している。すなわち、すでに現に存在
しているものとすでに意図されているものの全く確固とした内実的核心、次いで流動
的な限界の縁取り、すなわち命題の偶然的な文言を通してともに条件づけられている
拡張[52]可能性のそれ、最後にこのような可能性に関するひとつの傾向である。こ
れは部分的には確固とした核心を通して、部分的には隣接する法的諸命題を通して、
部分的には、法的な諸関心のそのつどの欲求を通して条件づけられている。」かくし
てこれは、その妥当が一連の中枢的な諸事例にとって疑いから免れている一方で、ど
の程度までにその朦朧とした限界に、「こちらか、それともあちらか」に近接してい
る諸事例にも適用することを命じているのかを確実性をもって言うことができないひ
とつの法思想であり、全く緩慢に隣接形象に対するひとつの明確な分離線へと固める
か、もしくは逆にこれとともにひとつの形象に合流する確固とした核心と流動する周
辺を伴なう類似した形象が周りを取り囲んでいる。このような思考形象を論理学的に
は類型的諸概念として以外には全く特徴づけることができないこと、それについて用
いられる諸々の操作のなかでは系列順序もひとつの役割を演じていると、われわれに
は思われる。もちろんこのような類型的諸概念は最終形式として求められた分類的諸
(10)
A. a. O., S. 79.
(462) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
9
概念、誕生の状態(statu nascendi)における分類概念への途上の通過的な諸形式に
すぎない。しかしこの【68】誕生の状態は、決して窮極的に克服されないような恒常
状態である。現在および将来の諸事例の不可破損性は、見かけのうえでは窮極的に達
成された分類的諸概念の確固とした諸限界が繰り返し疑問視され、繰り返し流動的で
あることの実を明らかにするということのために配慮する。
しかし英米の裁判官だけでなく、大陸の裁判官もまた法を実際には具体的な諸事例
のために見出している。具体的諸事例はもちろん、彼に現実的な判定のために生活の
ここでいま( hic et nunc)呈示されるのではなく、むしろ彼にその想起によって、も
しくはその想像力によって与えられるのである。ヴィルヘルム・ヴント( Wilhelm
Wundt)は内心生活の現実における一般的な諸概念は個別的諸事例の「代表的な諸表
︵₁₁︶
象」を代行されることを示した。ところでこのような代理的諸表象は(前科学的諸概
念ではそもそもそうであるように)「確固とした諸限界のない諸類型」という性格を
有している。現に、あらゆる事例の全体を見渡しているわけでもなく、非具象的な思
考図式の一般的な抽象にも満足しようとしない裁判官にとっても念頭に置かれている
のは、それが最も頻度の高い諸事例であれ、最もひと目を引いた諸事例であれ、類型
的な諸事例である。その場合では、法律の分類的に考えられた諸概念はあまりにも容
易にひそかに、そして無意識的に類型的諸概念という性格を保持しているのである。
立法者の手に由来している法律は、あらゆる解釈の前に、それが解釈されるのは拡張
的にか、それとも縮減的にか、それが適用されるのは類比的にか、それとも反対から
の論証(argumentum a contrario)によるのかについていまだ固まっていない法律は、
いまだ流動的な諸限界を伴なっている、ひとつの類型論的な形象として現われる。
現代の立法者にとって類型概念が分類的諸概念を求める方法のいわばひとつの副産
物にすぎないとすれば、[53]ローマの立法者は全く意識的に分類的諸概念をもって
満足し、この類型的諸概念を分類的諸概念にまで継続形成することを解釈に委ねた。
学説集成( ₁ , ₃ )←では、つねに新しい言い回し( ₁ , ₃
―
₆ , 10)においてその規
範化に当たっては、„quae plerumque accidunt, quae et frequenter et facle eveniunt“←
と い う こ と に よ っ て で は な く、„quae parraro eveniunt, quae forte uno aliquo casu
accidere possunt“←ということによって支配されることが立法者に諄々と説き聞か
せられる。次いで諸法律から明らかになる思想(sententia)が類似した状態にある
諸事例【69】にまで拡張する(ad similia procedere)こと、そしてそのようにして明
文で規定されている諸事例のためにと同様に、同じ目的思想に向けて( quae tendunt
ad eandem utilitatum)適用を命じている諸事例のために補充すること(supplere)
(₁,
(11)
Wundt, Grundriß der Psycchologie, S. Aufl. 1898, S. 315.
10
(461)
同志社法学 61巻 ₁ 号
13)← が解釈と法の言い渡しの任務であるとされる。しかし解釈もまた、分類的諸
概念の形成に当たっては慎重であるように戒められる。„omnis definitio in jure civile
periculosa est“( ₁ , 202 D, 50, 17)←。ローマ人は、イギリス人の法思考の本質を規
︵₁₂︶
定しているのと同様の、思慮深く抽象への畏怖の念を抱いているのである。
「分類的諸概念か、それとも類型的諸概念か」という問題は法学にとって簡単には
答えることができないということを見てきた。分類的思考形式と類型論的思考形式と
のひとつの錯綜した競演というものが結果として生じてくるのである。ここでなされ
た諸々の示唆は、しかしながらこのテーマを決して組み尽くそうとするのではない。
それらは現代の方法論のおそらくは最も重要な問題についての熟考へと案内しようと
しているのである。
[ヴィンフリート・ハッセマー( Winfried Hassemer)による校訂]
【60】Klassenbegriffe und Ordningsbegriffe im Rechtsdenken, in: Internationale Zeitschrift für
die Theorie des Rechts(Revue Internationale a la Théorie du Droit)
, 12(1938)
, S. 46 ― 54.
Auch in: Gustav Radbruch Gesamtausgabe[ GRGA]
, Band 3, Rechtsphilosophie III bearbeitet
von Winfried Hassemar, 1990, Heidelberg, S. 60 ― 70.
―
(オッペンハイム)
;Paul Oppenheim, 1885年にフランクフルト・アム・ラインに生まれ、
1977年にプリンクトン(アメリカ合衆国)に死す。化学者であり科学理論家。移民の後、
1939年以来、プリンクトンでの私教師。
―
(ヘンペル);Carl Gustav Hempel, 1905年にオラニーンブルク(Oranienburg)に生まれる。
論理学者、科学理論家。1948年から55年までイエール大学の、1955年以来プリンクトン(ア
メリカ合唱国)の教授。
【63】(リッケルト);Heinrich Rockrt, 1863年にダンツイッヒに生まれ、1936年にハイデルベルク
に 死 す。1916年 以 来 ハ イ デ ル ベ ル ク 大 学 教 授。 リ ッ ケ ル ト は ヴ ィ ン デ ル バ ン ド
( Windelband)とともに新カント主義の南西ドイツ学派を創始した。方法論的には、リッ
ケルトは自然諸科学と文化諸科学の区別を際立たせた。哲学の課題として彼は法の探究を無
時間的に妥当する諸価値のそれとみなした。
【69】( 学 説 集 成( digesten)
)
(₁, ₃)
; こ の 学 説 集 成 は、Corpus Iuris Civil(ed. Krüger/
Mommsen)
, 1973版から次のように示されることができた。
[Otto/Schilling/Sintenis, Corpus
Iuris Civilis(1939)
, Reprint 1984 によるドイツ語訳]
:
1, 3, 3; Iura constitui . . .in his quae plelumque accident, non qua praeter expectationem.
Rechtsbestimmungen müssen . . . darnach getroffen werden, was der Regel nach, nicht aber
darnach, was sehr selten geschieht.(法的諸決定は、……例外的に生じているものに応じてで
はなく、原則に応じて生じているものに従って下されなければならない。
)
1. 3. 5; nam ad ea potius debet aptari ius, quae et frequenter et facile, quam quae perraro
eveniunt.
Denn das Recht muss vielmehr dem, was häufig und leicht geschiet, angepasst warden, als dem
(12)
F. Schulz, Prinzipien des Römischen Rechts, 1934, S. 27 ff.
(460) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
11
was sehr selten geschiet.(それというのも法は、きわめてまれに生ずるものにではなく、む
しろしばしば、そして容易に生ずるものに適合されなければならないからである。
)
1, 3, 10; Neque leges neque senatus consulta ita scribi possunt, ut omnes casus qui quandoque
inciderint comprehendantur, sed sufficit ea quae plerumque accident continari.
Weder Gesetze noch Senatsgeschlüsse können so abgefaßt werden, daß sie alle Fälle, die nur
irgeng jemals eintreten können, begreifen, sondern es genüg, wenn sie das, was meistenteils zu
geschehen pflegt, enthalten.(諸法律も元老院諸議決も、それらがどこかでいつか発生する
ことがあり得る全事例を把握するというようにではなく、それらは、大部分において生ずる
のをつねにしているものを含んでいるならば、それで十分であるというように起草されるこ
とができる。)
1, 3, 12: . . . cum in aliqua causa sentential eorum manifesta est, is qui iursdictioni praeest ad
simila proceddere atque ita ius dicere debet.
. . . wenn in Begriff eines Umstandes derselben[ Gesetze oder Senatsbeschlüsse]das Urteil
klar ist, so kann derjenige, welcber der Gerichtbarkeit vorsteht, davon ähnliche Anwendung
machen, und darnach Recht sprechen.(それら[諸法律またな元老院の諸議決]のある事情
の概念において判決が明確である場合には、裁判権を統括する者は、これに類似した事例に
これを適用し、これに従って法を言い渡すことができる。
)
1, 3. 13; Nam. . .quotiens lege aliquid unum vel alterum introductum est, bona occasio est
cetera, quae qoatendunt ad eandum utilitem, vel interpretatione vel certe iurisdictione
suppleri.
Denn sobald, . . ., durch ein gestetz das Eine oder das Andere eingeführt worden ist, ist eine
gute Gelegenheit vorhanden, das Übrige, was denselben Nutzen bezbeckt, entweder durch die
Auslegung oder wenigstens durch die Gesetzgebung zu ergänzen.(法律によってあるものも
しくは他のものが導入されるや否や、……、同じ利用を目指している残りのものを解釈を通
してか、もしくは立法を通して補充するという、ひとつのよき機会が現存している。
)
L , 17, 202: Omnis definitio in iure civili perculosa est: parum est enim, ut non subveri
posset.
Jede Festsetzung einer Regel im Civilrecht ist gawagt, denn sie kann sehr leicht umgestossen
werden.(民法におけるある原則のどのような固定化も敢えて行なわれるのであって、それ
というのもそれはきわめてたやすく転倒され得るからである。
)
12
同志社法学 61巻 ₁ 号
(459)
五分間の法哲学(1945年)
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第₁分
命令は命令だと、兵士に向けてそう言われる。法律は法律だと法律家は言う。しか
し命令がひとつの重罪もしくはひとつの軽罪を目的としていることを兵士が知ってい
る場合には、彼にとって服従への義務と権利は停止するのに対して、法律家は、およ
そ100年前に法律家のなかの最後の自然法論者が死に絶えてしまって以来、法律の妥
当と法律のもとに置かれている者にはこのような例外があることを知っていないので
ある。法律は、それが法律であるがゆえに妥当する、そしてそれが諸事例の通例の通
例において自らを貫徹する権力を有している場合には、それが法律である。
法律とその妥当についてのこのような見解(われわれはそれを法実証主義の理論と
呼ぶ)が、あれほどに恣意的な、あれほどに残虐な、あれほどに犯罪的な諸法律に対
して国民を無防備にしたのである。それは、最終的には法を権力と同置する。すなわ
ち、権力のあるところのみ法はある、というわけである。
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第₂分
ひとはこのような命題をもうひとつの命題を通して補充するか、もしくは置き換え
ようとした。すなわち、法とは、国民にとって有益であるもの、という命題である。
これが意味しているのは、恣意、契約破棄、法律違反は、それらが国民にとって有益
である限りで、法である、ということである。これが実際的に意味しているのは、国
家権力の掌握者にとって公共の利益になると思われるもの、独裁者のどのような思い
つきもどのような気まぐれも、法律と判決なしの刑罰も、病者に対する法律なき謀殺
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も法である、ということである。これが意味することができるのは、支配する者の利
己心が公共の利益であるとみなされる、ということである。そしてそのようにして法
を誤って考えられた、もしくは言うところの国民の利益と同置することが法治国家と
いうものを不法国家というものに変えたのである。
否、国民の利益になるすべてが法であると言われてはならないのであり、むしろ逆
に、法であるものだけが国民にとって利益になる、と言われなければならないのであ
る。
(458) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
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第₃分
法とは正義への意志である。しかし正義が言わんとしているのは、人格の声望なし
に裁くこと、すべてを同じ尺度で測ることである。
政治的敵対者を謀殺することが称揚され、他人種への謀殺がが命じられるが、しか
し自己と信条を同じくする仲間に対する同じ所為が残酷極まる、破廉恥極まる刑罰を
もって難詰されるならば、それは正義でも法でもない。【78】
諸法律が正義への意志を意識的に否認し、たとえば人間的諸権利を恣意に従って保
障したり否認したりする場合には、このような法律には妥当が欠如し、国民はこのよ
うな法律にはどのような服従義務を負っていないのであり、法律家たちもまた、それ
らから法たる性格を拒絶する勇気を見出さなければならないのである。
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第₄分
正義と並んで公共の利益もまた法の目標であるというのは、確かなことである。こ
のようなものとして法律もまた、悪法でさえ、いまだつねにひとつの価値を ― 法を
諸々の疑問に対して確実なものにするという価値を有しているというのは、確かなこ
とである。人間的な不完全性が諸法律のなかに必ずしもつねに法の三つの価値、すな
わち公共の利益、法的安定性および正義を調和のとれた形で統合することができると
は限らす、その場合ではただもう有害であり、正義に適っていないとしか言いようの
ない諸法律が法的安定性のために、それにもかかわらず妥当を認容することができる
のか、それともその不正義もしくは公共にとっての有害性のために妥当を否認すべき
であるのかという問題が残されたままであるのは、確かなことである。とはいえ、そ
れらに妥当を、それどころか法たる性格を否認しなければならないほどの程度にまで
達しているこのような不正義と公共にとっての有害性を伴なっている諸法律も存在す
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ることがあり得るということ、このことは国民と法律家たちの意識に深く銘記されな
ければならない。
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第₅分
かくして、どのような法的定立よりも強力である結果として、これらに反している
ような法律が妥当を欠くことになる法的諸原則が存在する。このような諸原則が自然
法もしくは理性法と呼ばれるのである。それらは個々の点で多くの疑問によって取り
囲まれてはいるが、しかし数世紀にも及ぶ作業がひとつの確固とした現在高を際立た
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同志社法学 61巻 ₁ 号
(457)
せているのであり、いわゆる人間的および市民的諸権利の宣言のなかに、それらの多
くに関してはもはやことさらにする懐疑しか疑問を維持することができないほどに広
範囲に及ぶ意見の一致が集められた。
信仰の言葉では、しかし同じ思想が聖書の二つの言葉のなかに定着している。一方
では、汝は、汝に対して権力を有している官憲に従順でなければならないと書かれて
いる。しかし他方で、汝は人間よりも多く神に従え、と書かれている ― そしてこれ
はひとつの敬虔な願望といったものではなく、ひとつの妥当している法命題である。
このような二つの言葉の間の緊張を、ひとは第三の言葉、たとえば「カイザーのもの
はカイザーに、神のものは神に与えよ」という格言を通して解決することはできない
― それというのもこの格言もまた、諸々の限界を疑わしくするからである。むしろ
こういうことである。特別な場合に直面してのみ個々人の良心において彼に語りかけ
る神の声に解決が委ねられているのである。
【78】 Fünf Minuten Rechtsphilosophie, in: Rhein-Necker-Zeitung( Heidelberg)vom 12.
September 1945, auch in: GRGA Band 3. Rechtsphilosophie Ⅲ, Heidelberg 1990, S. 78 ― 79.[初
訳:村上淳一・ラートブルフ選集 ₄ 『自然法と実定法』
(東京大学出版会、1961年)所収225
― 228頁]
15
(456) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
ラートブルフ:法の革新(1946年)←
諸々の法学部から法の革新は、ドイツの歩律家の再教育と全ドイツ国民の法境域は
出発しなければならない。このような課題にとっては、次のような基本的諸原則が決
定的でなければならないように私には思われる。
₁ .われわれは12年間の完全な不法と恣意に、国家権力にとって有益であると思わ
れるものであればすべてが許されていると考え、それらが最も神聖な目的に、すなわ
ち人間の生命の保護に奉仕しているとこであっても、妥当している諸法律を何のため
らいもなく無視する国家権力の支配に立ち帰る。われわれは法律なき状態と恣意から
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再び法律の支配へ、不法国家から法治国家へと立ち帰らなければならないのである。
以前ではあまりに自明であるためにあたかも生きるための空気のように意識されてい
なかった法治国家の、それ自体の諸法律に結びつけられている国家の理念が再び意識
され、教え込まれなければならないのである。
₂ .われわれは、そこでは諸法律それ自体が不正義を、それどころか犯罪をさえ裁
可することに利用されたような時代を回顧する。ドイツの法律家たちのなかで支配し
ている見解、すなわち規則に則して成り立ってさえいればどのような法律にも法たる
性格と妥当が帰せられるとする法実証主義はこのような不正で犯罪的な法律に対して
無防備にした。われわれは再び、すべての法律のうえに聳え立っている人間的諸権利
を、正義と敵対している諸法律から妥当を否認することを自覚しなければならないの
である。
₃ .われわれは過去12年間において、どのようにして他のすべての精神力が、大学
と科学が、裁判所と司法が、政治上の世界観と諸政党が専制政治の前に崩壊したのか
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を体験したのであり、そのなかで自己主張をしたのはただひとつ、それはキリスト教
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と教会である。この体験は、少なくとも宗教上の信仰ではどこまでも深い感銘であり
続ける。信仰への畏敬の念とそれを求める憧れが復活した。法もまたそれに触れられ
ないままであるというわけにゆかない。法は創造秩序の一部として把握され、法と諸
契約の神聖さは再びひとつの単なる話し方よりも多くのものになる。諸法について可
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変的なもの、永遠のものは比較法を通して最も具象的になる。地球圏内に分つている
二つの大きな法文化の、すなわちヨーロッパ大陸のそれと英米のそれとの比較はとく
に必要であり、前者はローマ法と後の諸々の修正のうえに、それゆえに法律の【80】
うえに、後者は裁判官の諸判定のうえに構築されている。この二つの法文化との比較
がはじめてあなた方の誰にもそれぞれの独自性を知らせ、それらの長所と短所とを評
価させる。英米法の研究は、それゆえにドイツの現在の状況からだけよりもはるかに
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同志社法学 61巻 ₁ 号
(455)
深い、そして一般化的な諸理由から必要とされるのである。
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₅ .ローマ法が決して妥当していなかった国々においても、それでもそれは学者の
研究の対象である ― イギリスにおいても、そしてアメリカにおいても。それゆえに
ローマの法的諸概念もローマの法的諸用語も二つの異なる法文化の間の相互理解のた
めにひとつの適している手段である ― それは法の世界の一種のエスペラント語であ
る。すでにそれだけの理由でドイツの法学はローマ法の取り扱いにおける熟練を保持
し、もしくは再建しなければならないのである。ローマ法はその適用において人本的
な形成であり、われわれは熟練した法律家であるばかりでなく、教養ある法律家であ
ることを欲する。
₆ .ローマ法の純個人主義的な精神を、私法と公法との厳格な分離というものを、
われわれの法はますます超えて行かなければならないこと、これはもちろんである。
われわれの経済の再建は純私的経済の形式で成し遂げることができないのであり、そ
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れが経済および労働法においてすでに始められているように、「社会法」の形態にお
いてしか成し遂げられないのであり、言い換えれば、公法上の諸々の修正を広い範囲
にわたって私法に浸透させることである。
₇ .最も大きな荒廃をすべての法領域のなかで刑法が被った。それがわれわれにと
って意味しているのは恣意に代えて法的安定性に、サディズムに代えて人道性に、威
嚇と応報に代えて改善と教育に賭けるということである ― とはいえ、非人道性に代
えて弱者に賭けるのでないのであって、それというのもまさに教育者は、この時代で
は慈悲深い心を持っていなければならないのであるが、しかしまた確固とした手をも
もっていなければならないからである。
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₈ .将来的な刑法は民主主義的な類のものでしかあり得ないのであるということは、
どのような別段の説明をも必要としていない。これに対して下からの、その開始が共
同体からのものである民主政の構築が現在の状況のひとつの必然性であるばかりでな
く、とくにドイツの伝統の稔り豊かな政治的理念に、フォン・シュタイン男爵によっ
て計画され、プロイセン都市条例(1808年)をもって開始された憲法形式の思想に相
応しているということは、強調しておく必要がある。
₉ .最後にドイツの法学は、その主要目標が世界平和でなければならないような新
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しい国際法の成立に協働し、戦争を阻止するためのサンフランシスコ←の成果【81】
とニュールンベルク←の諸成果に協働することを欲している。そこではもはや諸国家
だけでなく、政治家たちを個人的に義務づけるような国際法、平和攪乱者個人に向け
られるような国際法を創設することが必要である。
(454) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
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【80】 Erneuerung des Recht, ハイデルベクる大学法学部の再開を契機にした部長の演説。In:
Rein ― Necker ― Zeitung( Heidelberg)vom 12, Janual 1946, auch in: GRGA Band. 3.
Rechtsphilosophie Ⅲ, Heidelberg 1990. S. 80 ― 82.
【81】(サンフランシスコ)
:1945年 ₆ 月25日から26日に50カ国によって国際連合憲章が議決され、
1945年10月24日に発効した。
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【82】(ニュールンベルク):いわゆるニュールンベルク訴訟が1945先ず年から1950年まで連合軍の
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国際軍事裁判所で審理され、次いでアメリカ軍事裁判所で、いわゆるIMT. Statusを基盤に
して戦争に対する犯罪が審理された。
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同志社法学 61巻 ₁ 号
(453)
法律上の不法と法律を超える法(1946年)
I
「命令は命令だ」、「法律は法律だ」という二つの原則を手段としてナチズムはその
服従を、一方では兵士を、他方では法律家をがんじがらめにした。命令は命令だとい
う原則は決して無制限には妥当しなかった。服従義務は、命令者の犯罪的な目的のた
めの命令である場合には停止した(軍刑法第47条)。これに対して「法律は法律だ」
という原則はどのような制限も知らなかった。それは、過去数世紀にわたってほとん
ど異論なくドイツの法律家を支配した実証主義的な法思考の表現であった。法律上の
不法は、それゆえに法律を超える法と同様にひとつの自己矛盾に陥っていた。この二
つの問題の前に実務は繰り返し立たされた。現に南ドイツ法曹新聞(SJZ S. 36)で
はヴィスバーデン区裁判所のひとつの判定が公表され、論評された←のであるが、そ
れによれば、「ユダヤ人の財産は国家に帰属すると言明した法律は自然法と矛盾して
おり、すでにその公布の時点で無効になっている」。
Ⅱ
刑法の領域では同じ問題がとくにロシア軍の占領地区の内部における諸々の討議と
判定を通して投げかけられている。
₁ .ノルトハウゼンのチューリング陪審裁判所のある公判廷において、密告を通し
て商人のゲッテッヒに有罪判決と処刑をもたらしていた司法省の役人プットファルケ
ンが終身の懲役刑に処せられた。プットファルケンはゲッテッヒを、彼によってある
便所に残されていた「ヒトラーは大量謀殺者であり、戦争の責任を負っている」とい
う書き込みの廉で告発した。有罪判決はこの書き込みだけでなく、「外国放送を聞い
ていたこと」をも理由にして下された。チューリングの検事総長クシュニツキ博士
( Dr. Kuschnitzki)←の最終弁論は新聞( „Thüriger Volk“, Sonnengerg, 10. Mai 1946)
を通して詳細に再現されている。検事総長は先ず所為は違法であるかという問題を論
じる。「告発はナチズムの確信から許されていたと被告人が言明するならば、これは
法的に重要ではない。政治上の確信からであっても密告へのどのような法的義務も存
在していない。【83】ヒトラー時代においてもこのような法的義務は成り立っていな
かった。決定的なのは、彼が司法の任務において行動していたということである。こ
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(452) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
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のことは、司法が法を言い渡すことができるのかである。法律適合性、正義を求める
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こと、法的安定性および司法というものの諸要件。この三つの要件のすべてがヒトラ
ー時代の刑事司法には欠けているのである。」
「このような年々においてある者を密告する者は、被告人を真実の解明のための法
的な諸々の保障を伴なった合法的な裁判手続きにではなく、恣意に委ねられているこ
とを顧慮していなければならなかった ― そしてこれを顧慮してもいた ― 。」[105]
「私はその限りで完全な範囲において、イエーナ大学の法学部長であり、教授であ
るランゲ(Lange)博士がこの問題について報告したような法律鑑定に与する。現に
何者かが戦争の第 ₃ 年目に「ヒトラーは大量謀殺者であり、この戦争に責任を負って
いる」と書いた紙切れの廉で責任が問われたならば、その場合ではこの男は生命を逃
れることができなかったことが正確に知られていたという第三帝国の事情は周知のも
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のであった。どのようにして司法が法を曲げるのであろうかをプットファルケンのよ
うな男は確かに見極めることができなかったのであるが、しかし彼は、司法がそれを
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やってのけてくれるであろうということに信頼を置くことができた。」
「刑法第139条からは告発へのどのような法的義務も成り立っていない。確かにこの
規定において大逆罪というものの目論見について信ずべき知見を有していながら、こ
れについて官憲に適時に告発することを怠った者には刑が科せられる。確かにゲッテ
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ィッヒは大逆罪の予備の廉でカッセル上級地方裁判所によって死刑判決を受けている
ことは確定しているのであるが、しかし法的な意味においては決して大逆罪の予備と
いうものは現存していなかった。『ヒトラーは謀殺者であり、戦争に責任を負ってい
る』という、ゲッティッヒよって勇気をもって告知された文章はどのみち純然たる真
実でしかなかった。それを流布して告知した者はライヒをもその安全をも脅かしてい
ないのである。彼はライヒの腐敗を除去することに貢献し、そのようにしてライヒを
救出しようと試みたにすぎないのであり、これはすなわち大逆罪の反対物である。形
式法学的な思慮を通してこのように明白な構成要件的事実のどのような混濁も否認さ
れなければならない。そのうえに、いわゆる総統およびライヒ首相がそもそもいつの
日にか合法的な国家元首であるとみなされ得るのか、彼はそこから大逆罪条項によっ
て保護されたのかは疑問であり得る。それゆえに被告人は決してその告発に当たって
その所為の法的な当てはめについて熟慮を巡らさなかったのであり、その認識の程度
からすれば巡らすことだけでもできるのである。彼は、彼がゲッティッヒを、【84】
彼が事実としてゲッテイッヒの所為をひとつの大逆罪の企てと見たがゆえに告発へと
義務づけられていると考えたことを理由に告発したことも決して明らかにしなかっ
た。」
検事総長は次いで、この所為は有責であったのかという問いに立ち向かう。
20
同志社法学 61巻 ₁ 号
(451)
「プットファルケンは、彼がゲッティッヒを処刑台に送ろうとしたことを大筋にお
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いて認めている。これは刑法第211条にいう謀殺の故意である。第三帝国の裁判所が
ゲッテイッヒに死刑判決を下したことは、プットファルケンの正犯性にとって妨げに
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はならない。彼は間接的正犯者である。ライヒ裁判所の判例が展開してきた間接正犯
の概念がこれとは別の事実諸構成要件を、主として間接正犯者が意志のない、もしく
は帰責能力のない道具を利用するようなそれらを念頭に置いていることは、確かに認
められなければならない。あるドイツの裁判所がある犯罪の道具であり得ることは、
以前では何人も考えついていなかった。しかしわれわれは今日いまやともかくもこの
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種の事実構成要件に直面しているのである。そしてプットファルケン事件は唯一のも
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のにはならないであろう。裁判所が不法判決を言い渡したときに、それが形式的には
適法に行為していたということは、間接正犯性にとって妨げにはならない。ちなみに、
その限りで成り立っているいくらかの疑念は1946年 ₂ 月 ₈ 日のチューリンゲンの補充
法を通して取り除かれている。この法律は刑法第47条第 ₁ 項Ⅱのなかで諸々の疑問を
除去するために次のような表現形式を与えた。『有責に可罰行為を自ら実行するか、
もしくは他の者を通して実行する者は、たとえこの他の者が適法に行為している場合
であっても、正犯として罰せられる。』遡及効を装備したこの新しい実体法は、問題
になっているのは、1871年以来効力を有している刑法のひとつの真正な解釈にすぎな
︵₁₃︶
いということを通して制定されているのである」。
「私自身は、間接正犯におけえる謀殺というものの想定の賛否を慎重に考量したか
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らには、これに対する疑念は妨げにはなり得ないという見解である。しかしわれわれ
はともかくもこれを想定したうえで、われわれは、裁判所がこれとは別の見解に立ち
至ったであろう場合には、そこで何が問題になってくるのであろうかを考慮に入れな
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ければならないのである。間接正犯の構成が否認されるならば、ゲッテイッヒに死刑
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判決を言い渡した裁判官たちを謀殺者とみなすことを避けて通ることはできないであ
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ろう。その場合では被告人は謀殺への幇助を遂行したことになり、【85】この視点か
ら処罰されなければならないであろう。これには重大な疑念が妨げになるとされるな
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らば、1946年 ₁ 月30日の連合軍管理委員会法第10号←が残存しているのであり、その
(13)
チューリンゲンの表現形式における刑法典のその版(Weimar 1946)のなかでリカルド・
ランゲ(Richard Lange)教授(S. 13)は次のように言う。
「行為者がその犯罪目的を追及
するするために司法を濫用していた諸事例(訴訟詐欺、政治上の密告)における間接正犯の
概念については、多様な疑問が浮かび上がっている。46年 ₂ 月 ₈ 日の補充法Ⅱ等々はそれゆ
えに、間接正犯は、被利用者がある職務上の義務を履行することにおいて、もしくは自らは
適法に行為していた場合であっても、処罰することができるということを明確にしたのであ
る。」
(450) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
21
第 ₂ 条 cによれば、被告人は人道に対する犯罪として責任が問われていたということ
になるであろう。この法律の枠内では、ラントの国家法が侵害されているかというこ
とはもはや問題ではない。非人道的な諸々の行為と政治的、人種的および宗教的な理
由からの迫害それ自体が端的に刑罰のもとに置かれているのである。第 ₂ 、 ₃ 条によ
れば、犯罪者には、裁判所が正当なものとして規定している刑罰が、死刑でさえ科せ
︵₁₄︶
られるのである」。
「ところで私には、純法的な評価に自制することが習慣になっている。ひとはつね
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に、わが身を事物のうえに置いてそれを健全な人間的悟性をもって観察するほうがよ
いのである。法律家の仕事はつねに、法的に根拠のある判決に到達するために答責意
識のある法律家が用いる道具にすぎないのである」。
陪審裁判所は間接正犯の廉ではなく、謀殺の幇助の廉で有罪判決を下した。これに
よれば、ゲッテイッヒに法と法律に反して死刑判決を下した裁判官たちは謀殺の責任
︵₁₅︶
を負っていなければならなかったということになる。
₂ .実際に新聞(Tägl. Rundschau v. 14. 3. 1946)のなかで連邦ザクセン州の検事総
長である J・U・シュレーダー博士(Dr. J. U. Schroeder)←によって「非人道的な諸
判決の刑法上の答責性」を、たとえこのような判決がナチズムの諸法律に基づいて発
せられている場合であっても主張するという意図が予告される。
「それに基づいて死刑判決が、すでに述べられたように、下されているナチス党国
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家の立法は、どのような法的妥当性をも欠いている」。
「それは、憲法に則して必要とされる ₃ 分の ₂ の多数をもって成立していない、い
わゆる『授権法』←に基づいている。ヒトラーは共産党のライヒ議会議員たちの本会
議への出席を暴力的に阻止し、彼らを彼らの不逮捕特権を無視して逮捕させていたの
である。とくに中央党に属している【86】残留議員たちは、突撃隊(SA)の脅迫を
︵₁₆︶
通して授権に賛成する投票へと強いられたのである」。
(14)
官吏委員会法第10号は、これについてはドイツの裁判所は第一次的な管轄権を有していな
い( Art. Ⅲ ₁ d)ことから、以下では論ぜられない。
(15)
密告を理由としたもうひとつの手続きは、ショル兄妹の密告者に対してミュンヘンの非ナ
チ化審査機関で行なわれた。非ナチ化は政治的および道徳的に低劣な心情に対して向けられ
ているのであるが、その行動の法律適合性または適法性もしくは有責性が問われることを必
要としていない。そこから刑事司法に対する限界引きが帰結するのであるが、しかしまたそ
れとの交錯もまた帰結する。解放法←第22条参照。
(16)
どの程度まで革命的に成り立っている諸秩序が「事実的なものの規範力」を通して現行法
になっているのかを論ずることも必要としていたであろう。授権法に賛成する ₃ 分の ₂ の多
数は共産主義者を排除することを通してのみ成り立っているという言い分は、同僚のイエリ
ネク( Jellinek)氏の好ましい指摘によれば不適切である。
22
同志社法学 61巻 ₁ 号
(449)
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「どのような裁判官も正義に適っていないばかりでなく、犯罪的であるような法律
を援用し、判例をそれに従って取り扱うことができない。われわれは、書かれたすべ
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ての定立のうえに聳え立っている人間的諸権利を、非人道的な専制政治の犯罪的な諸
命令の妥当を否認する、断念することができない、考えられないほどに古くからの法
に拠り所を求める。」
「このような考量から出発して、人道の戒命とは合致することができない諸判決を
言い渡し、無効でありながら死刑判決を下した裁判官たちは告訴されなければならな
︵₁₇︶
いと、私は信ずる」。
₃ . ハレ( Halle)からは、死刑執行補助員クライネ(Kleine)とローゼ(Rose)
が数多くの法に則していない処刑への積極的な関与の廉で有罪判決を受けていること
が報告される。クライネは1944年 ₄ 月から1945年 ₃ 月まで931件の死刑判決の執行に
関与し、26433ドイツ・マルクをそのための報酬として受けた。有罪判決は連合国官
吏委員会法第10号(人道に対する犯罪)に基づいているように思われる。「両被告人
は彼らの身の毛もよだつ職業を自由意志から実行しているのであって、それというの
もどのような[106]死刑執行人にも健康上の、もしくはその他の理由からいつでも
そ の 営 み か ら 身 を 引 く こ と が 許 さ れ て い る か ら で あ る 」(Liberaldemokratische
Zeitung, Halle, 12, ₆ , 46)。
₄ .連邦ザクセン州からはさらに、次のような事件が知られる(検事総長 J・U・
シュレーダー博士の45年 ₅ 月 ₉ 日付の記事)。1943年に東部戦線に配置されていて、
戦争捕虜の見張りを命ぜられていた一人のザクセン州の兵士が、「捕虜たちが被って
いた非人道的な取り扱いに嫌気がさしていて、またおそらくはヒトラーの軍隊に勤務
することも飽きていた」ことから逃亡する。彼は逃亡中にその妻の住居に立ち寄るこ
とを諦めることができず、ここで発見され、衛兵曹長にまで連行されることになった。
彼はこっそりと隠し持っていたその装填された勤務用ピストルで衛兵曹長を背後から
一撃のもとに撃ち倒すことに成功した。1945年に彼はスイスからザクセンに立ち戻っ
た。彼は逮捕され、検察官に送致され、彼に対して公務員の狡猾な殺害の廉で公訴が
提起された。【87】検事総長は釈放と手続きの停止を指令した。彼は刑法第54条←が
与えられているとみなしたのである。緊急避難として無罪であることを、彼は、「当
時では法の守護者たちによって法として交布されていたものは、今日ではもはや妥当
していない。ヒトラーとカイテルの軍隊からの敵前逃亡は、逃亡者たちの名誉を剥奪
し、彼らの処罰を正当化する、どのような過誤も含んでいない。逃亡は彼に責任を負
(17)
法に則していない諸判決に対する刑法上の答責については、ブッフヴァルト(Buchward)
の注目すべき著書、Gerechte Recht, Weimar 1946, S. 5 ff.,を参照。
(448) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
23
わせることにはならないのである。」
かくして至る所で、法律上の不法と法律を超える法という視点のもとで実証主義に
対する闘争が開始されているのである。
Ⅲ
実証主義は実際のところ、「法律は法律だ」というその確信をもってドイツの法律
家階層を恣意的かつ犯罪的な内容の諸法律に対して無防備にした。そのさい実証主義
は自らの力で諸法律の妥当を根拠づけることは全くできない。実証主義は、ある法律
の妥当を、それが自らを貫徹する力を所持していることをもってすでに証明されてい
ると信じている。しかし権力に基づいておそらくは必然というもの( ein Müssen)を
根拠づけもできようが、しかし当為と妥当を根拠づけることはできないのである。こ
れはむしろ、法律に内在しえいるような価値にのみ根拠づけることができるのであ
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る。すでにどのような法律も内容を顧慮することなくひとつの価値を装備しているこ
と、このことはもちろんである。すなわち、それは、それが法的安定性を創り出して
いるがゆえに、どのような法律も存在していないことよりもいまだましである、とい
うことである。しかし法的安定性は、法が実現しなければならない唯一の価値でも決
定的な価値でもない。法的安定性と並んでむしろもう ₂ つの価値が、すなわち合目的
性と正義が立ち現われる。これらの価値の序列のなかでは、われわれは公共の福祉の
ために法の合目的性を窮極的な地位に設定しなければならないのである。「国民にと
って有益であるところのものの全てが法であるのでは決してなく、国民にとって有益
であるのは結局のところ法であるところのもの、すなわち法的安定性を創出し、正義
を求めるところのものである。実定的な法律にとってすでにその実定性ゆえに特有の
ものである法的安定性は、合目的性と正義との間にその注目すべき地位を占める。そ
れは、一方では公共の福祉によって要求されるのであるが、しかし他方でも正義によ
って要求される。法が安定しているということ、それが今日のここにではこのように、
明日のあそこではこれとは別のように解釈され、そして適用されることはないという
ことは、同時に正義のひとつの要求である。法的安定性と正義との、内容的には異論
の余地はあるが、しかし実定的ではある法律と、正義に適ってはいるが、しかし法律
の形に鋳造されていない法との間に衝突というものが成り立っているところでは、実
際には正義のそれ自体との葛藤というものが、【88】見せかけだけの正義と現実的な
正義との間の葛藤というものが現存しているのである。このような葛藤を大がかりな
仕方で、それが一方では「汝らのうえに権力を有している官憲に従え」と命じておき
ながら、しかも他方で「人間よりも多く神に服従せよ」と命じているというようにし
24
同志社法学 61巻 ₁ 号
(447)
て、福音書が表現している。
正義と法的安定性との間の衝突はこれを次のようにして解決することができよう。
すなわち実定的な、定立と権力によって確保された法が、実定的な法律の正義との矛
盾が、法律が「不法な法」として正義に席を譲らなければならないほどに耐え難い程
度に達している場合は別として、それが内容的に不正であり、合目的的でない場合で
あっても優位を占めるというように。法律上の不法の諸事例と、不正な内容にもかか
わらずそれでも妥当している諸法律の間に一本の明確な限界線を引くことは可能でな
い。しかしもうひとつの限界づけであれば、きわめて明確にこの線を引くことができ
る。正義が一度も努められていないところ、正義の核心をなしている平等が実定法の
定立に当たって意識的に否認されているところでは、法律は単に「不正な法」といっ
たものであるばかりでなく、むしろそれはそもそも法たる性格を欠いているのであ
る。それというのも法は、実定法もまた、正義に奉仕するというその意味に従って規
定されているような秩序と定立であるとする以外には全く規定しようもないからであ
る。この尺度で測られるならば、ナチズムの法の全部分が決して妥当性を有している
法の尊厳にまで達していないのである。
彼から全ナチス法の本質的な様相にもなっているヒトラーという人物の際立った特
徴は真理感覚と正義感覚へのその完全な欠如であった。彼にはいっさいの真理感覚が
欠如していたがゆえに、彼はそのつどの演説による効果に恥じらいも良心の呵責もな
く真理の力点を与えることができたのであり、彼にはいっさいの法的感覚が欠如して
いたがゆえに、彼は何のためらいもなく明々白々な恣意を法律にまで持ち上げること
ができたのである。その支配の開始時にはポテンパ ― 謀殺者に宛てたあの同情 ― 電報が
あったし、終末時には1944年 ₇ 月20日の受難者の残虐極まりない凌辱があった。すで
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に ポ テ ン パ ― 判 決 ← を 契 機 と し て ア ル フ レ ッ ッ ド・ ロ ー ゼ ン ベ ル ク( Alfred
Rosenberg) ← が こ れ に つ い て「 フ ェ ル キ ッ シ ェ・ ベ オ バ ハ タ ー( Völkische
Beobachter)」のなかで次のような理論を提供した。人間は等し並に人間ではなく、
謀殺は等し並に謀殺ではない。ジョーレス(Jaurés)←のような平和主義者の謀殺
はフランスでは国家主義者であるクレマンソー( Clemenceau)←に対する謀殺未遂
とは正当にも異なって評価されている。愛国的な動機から間違いを犯したような行為
者を、その動機が(ナチズムの見解によれば)国民に対してに向けられているような、
もう一人の行為者と同じ刑罰に服させることは可能ではあり得ない。これとともには
じめから、ナチズムの法が正義の本質規定的な要求から、【89】等しいものの等しい
取り扱いから免れようとしたことが言明されていたのである。その限りでそれはそも
そも法たる本性に欠けているのであり、不正な法といったものではなく、そもそもど
のような法でもないのである。このことはとくに、いっさいの政党の部分的性格とは
25
(446) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
異なって国家の全体を自らのためにナチス党が要求した諸規定について言える。法的
な性格はさらに、人々を人間以下のものとして取り扱い、彼らから人間的諸権利を否
認したあの法律の全てに欠けている。犯罪の様々に異なっている重さを顧慮すること
なく、たまさかの威嚇欲求によってのみ導かれた、きわめて異なっている重さの犯罪
行為に同じ刑罰を、しばしば死刑を科しているあのすべての科刑も法たる性質を欠い
ている。これら全ては法律上の不法の諸事例にすぎない。
― まさにあの12年間の諸々の体験の後とあっては ― 法的安定性にとってどれほ
どに恐るべき危険を「法律上の不法」の概念が、諸々の実定的法律の法たる本性の否
認がもたらし得るのかを無視することは許されない。われわれは、このような不法が
一回限りの混乱であり、ドイツ国民の錯乱であり続けることを希わなければならない
のであるが、しかし可能なすべての場合に対してわれわれは、ナチズムの立法の濫用
に対していっさいの防衛能力を弱体化してしまった実証主義の根本的な克服を通して
︵₁₈︶
このような不法国家の再来に備えなければならないのである。
Ⅳ
これは将来にとって当てはまる。過ぎ去ったあの12年間の法律上の不法に対してわ
れわれは、可能な限り僅少の法的安定性の損失をもって正義の要求を実現することを
求めなければならないのである。どの裁判官にも独力で諸々の法律を構想することは
許されないとされなければならないのであり、このような課題はむしろより高等の裁
判所もしくは立法者に留保されていなければならないであろう( Kleine SJZ もまた、
このように言う)。この種の法律はアメリカ軍占領地区において諸ラント委員会にお
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けるある取り決めに基づいて発せられている。「刑事司法におけるナチズムの原状回
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復のための法律」←がそれである。この法律によれば、「それらを通してナチズムも
しくは軍国主義に抵抗を刊行した政治的な所為を処罰することができない」というこ
とによって、たとえば逃亡兵 ― 事例(うえの第 ₄ )は解決される。これに対して姉妹
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法である、「ナチズムの犯罪行為を処罰するための法律」←は【90】このような所為
の処罰可能性がそれらの実行の時の法によればすでに成り立っていた場合にのみ、こ
こで扱われる別の諸事例に適用することができる。それゆえにわれわれは、[107]こ
のような法律とは関係なく、ライヒ刑法典の法によるこれとは別のあの三つの事例を
検討しなければならないのである。
(18)
Buchwald, a.a.O., S. 8 ff., もまた法律を超える法を支持している。さらにRoemer, in SJZ
S. 5 ff., ← を参照。
26
同志社法学 61巻 ₁ 号
(445)
ここで論じられる密告者 ― 事例では、密告者においてその実現のために彼が刑事裁
判所を道具として、刑事訴訟を法的な自動装置として利用したという方向で正犯者故
意が成り立っていた場合には、密告者の人格のなかにひとつの故殺犯罪の正犯性を想
定することに異議を唱えることはできない。この種の故意はとくに、それが彼の妻と
結婚することであれ、もしくは彼を押しのけてその住居を所有するかまたはその地位
につくためであれ、それが復習欲およびこれに類するものであれ、嫌疑者の除去に何
らかの利益を有していたような諸事例に現存している(現に先に言及されたイエーナ
︵₁₉︶
のリカルド・ランゲ教授はこのように言う)。間接的正犯者のように、服従義務者に
対するその命令権を犯罪目的のために濫用した者は、犯罪目的のためにある密告を通
して司法 ― 装置を機能させた者もまた間接的正犯者である。単なる一個の道具として
裁判所を利用することは、それが政治的な狂信からであれ、当時の権力掌握者の重圧
のもとであれ、正犯者が刑事裁判官としての職務を政治的な傾向を有している行使を
考慮に入れることができたし、また実際に考慮に入れたような諸事例ではとくに顕著
である。密告者がこのような正犯者故意を有しておらず、彼がむしろ裁判所に資料を
提供するだけでこれを引き続く判定に委ねようとしたのであれば、彼は有罪判決およ
び間接的に死刑の執行の原因者として、裁判所が裁判所で判決と執行を通して故殺犯
罪の責任が問われる場合にのみ幇助として罰せられる。ノルドホイザー裁判所は実際
にこの道を辿ったのである。
裁判官たちの故殺としての処罰可能性は、彼らによって犯された故意による法歪曲
罪( §§ 336, 344 StGB)←を前提としている。それというのも独立した裁判官の判決
は、彼がまさに、あの独立がそのために奉仕することを規定した原則、すなわち法律
のもとに、言い換えれば、法のもとに服していることを侵害していたであろう場合に
のみ、処罰されることができるからである。われわれによって展開された【91】基本
的諸原則に基づくならば、適用された法律がどのような法でもなく、適用された刑罰
の尺度が、たとえば自由裁量によって言い渡された死刑、正義へのいっさいの意志を
嘲っていたことを認定することができる場合には、客観的な法歪曲が現存している。
では、支配的な実証主義によって、彼らが制定法以外のもうひとつのものを知ってい
なかった程度にまで教育を通して歪められていた裁判官たちは、法歪曲罪の故意を有
することができたのか。たとえ彼らがこの故意を有していたとしても、彼らには、も
ちろん苦しいものであるが、それでも最後の法的救助手段として、彼ら自身がナチス
法は法律上の不法であるという見解を通してわが身に寄せ招くことになったであろう
(19)
正犯者故意が ― 「主観的不法要素」という類からして ― 違法性 ― 所為仲介者の人格
に欠けている間接的行為者の人格にもたらすということはもちろん、共犯論における主観主
義のひとつの極である。
(444) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
27
生命の危険の援用が、すなわち刑法第54条の緊急避難の援用が残されている ― が、
これは裁判官のエートスがいかなる犠牲を払っても、たとえ生命を犠牲にしてまでも
正義に向けられているべきであろうことから、苦しい抗弁である。
二人の死刑執行補助者の、諸々の死刑判決の執行を理由とする処罰可能性を問う問
題は、最も簡単に決着がつけられる。他の人々を殺すことで生計を立てている人間の
印象を通しても、あの営みの当時の繁盛と儲けを通してもひとはこの問題に決着をつ
けることは許されない。すでに死刑執行人という職業がいまだ一種の世襲制の手仕事
であったときには、この仕事に従事する者は繰り返し、判決を下すのは裁判官の殿方
であり、自分たちはただ執行するだけだと弁解するのがつねであった。「災厄をコン
トロールするのは殿方であり、私は彼らの最終判決を執行するだけだ。」1698年のこ
のような決まり文句は異口同音に繰り返し首切り刀の刃のうえに立ち現われる。ある
裁判官の死刑判決が法の歪曲に基づいている場合にのみ、それが処罰可能な故殺を意
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味しているように、死刑執行人は、執行が刑法第345条←の構成要件に該当すること、
すなわち執行されてはならないような刑罰を故意に執行することを意味しえいる場合
にのみ、処罰され得るのである。カール・ビンデイング(Carl Binding, Lehrbuch,
Besonder Teil, Bd. 2, 1905, S. 569)はこの構成要件について次のように述べている。
裁判官の法律との類比的な関係において執行官吏は執行可能な判決との関係に置かれ
ている。彼の全面的かつ唯一の義務はその厳格な実現に成り立っている。判決は彼の
全行動を規定している。「その行動は、それが判決に従っている限りではどこまでも
正しく、それは、それが判決から逸脱している限りで不法になる。執行それ自体にと
って唯一の決定的な権威の否認に責任の核心が置かれていることから、(刑法第345条
の)犯罪を判決の歪曲と呼ぶことができるのである。」判決の適法性についての事後
審査というものの責任は死刑執行人にはない。それが不法であると考えられるからと
いってもそのために彼に損害を被らせることはできないし、その職業としての任務を
放棄しないからといってそれに違法な怠慢として責任を負わせることもできないので
ある。【92】
V
われわれは、「形式的な法学的思考」は「明確な構成要件を曇らせる」とういう、
ノルドハウゼンのなかで言明された意見には与しない。われわれの意見はむしろこう
である。すなわち、12年間にわたる法的安定性の否認の後とあっては、
「形式法学的な」
諸考慮を通して概念的には、危胎化と圧制の12年間を生き抜いてきた者には容易に生
じ得る諸々の試みに備えるということが以前よりもまして必要である、ということで
28
同志社法学 61巻 ₁ 号
(443)
ある。われわれは正義を求めると同時に、それ自体が正義の一部分であることから、
法的安定性を尊重しなければならないのであり、そしてこの二つの思想を可能な限り
満足させなければならないような法治国家を再び構築しなければならないのである。
民主政は確かに賞賛に値する財であるが、しかし法治国家は日常的なパン、飲むため
の水、呼吸するための空気のようなものであり、そして民主政について最善のもの、
それこそまさに法治国家を確保するためには民主政だけが適しているということであ
る。[108]【93】
[ヴィンフリート・ハッセマー( Winfried Hassemer)による校訂]
【83】 Gesetzliches Unrecht und übergesetzliches Recht, in: Süddeutsche Juristenzeitung, ₁
(1946)
, S. 105 ― 108, auch in: GRGA Bd. 3, Rechtsphilosophie Ⅲ , Heidelberg 1990, S. 83 ― 93.[諸
訳;小林直樹「実定法上の不法と実定法を超える法」ラートブルフ著作集 ₄ (東京大学出版
会、1961年)所収249頁以下]
―
(論評された)
:
(ハインツ・クライネ(Heiny Kleine)によって論評された1945年11月13日の)
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判決の主文と理由は次の通りである:ユダヤ人の財産は国家に帰属すると言明した諸法律は
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自然法と矛盾しており、すでにその公布の時に無効である。
原告の両親はユダヤ人である。彼らは1942年に強制連行され、その財産が没収された。被
告らは押収した家財を財務局に収得させた。原告の両親は強制収用所で死んでいる。原告は
被告らに両親の家財の彼女およびその相続権を有している類縁者への引渡しを要求してい
る。被告らは訴えの棄却を申し立てている。彼らはとりわけ、彼らが公けの競売という方法
で財産がその対象物に達していたことにも拠り所を求めている。原告は財物の公けの競売を
争い、被告らが家具をフリーハンドで購入していたと主張している。区裁判所は次のような
理由つけをもってこの訴えを聞き届けた。
引渡しの訴えは、原告とその相続権を有している類縁者が家具の所有権者である場合にの
み根拠づけられている。ナチスによって行使された国家権力によるユダヤ人の財産の取り扱
いは、それゆえに法的側面からの審査を必要としている。人種的な理由から財産の異なる取
り扱いを規定していた諸法律は今日では廃止されている。しかしこの廃止をもってしてはい
まだ、それはそれで当時では効力を有していたこのような法律に基づいて実行された法的諸
作用がどのように扱われるべきかについては何も述べられていない。ここでは次のように考
量されなければならない。自然法上の理論によれば、国家といえどもその立法を通して廃棄
することができない人間の諸権利が存在している。人間の本性と本質が、その廃棄によって
人間の精神的な倫理的本性を破壊してしまうであろうほどにきわめて緊密に結びつけられて
いる諸権利こそ、このような権利である。このような権利には個人的な財産を求める人間の
権利が属している。国家は確かに私的財産の諸部分を共同体の目的のために、たとえば課税
という形において要求することができるのであるが、しかし何ら負債を来たしていない人々
の、もしくは人々の特定された私的財産権をそもそも廃棄することは決してできないのであ
る。ユダヤ人の財産は国家に帰属することを言明した諸法律は、そこから自然法と矛盾して
おり、すでに公布の時に無効であった。財務局員らは、それゆえにこのような法律が成立し
ているにもかかわらずユダヤ人の財産を処分する権限を有していなかったのである。彼ら
は、所有権者の同意なしにその財産を処分するような非所有権者と同様に扱われなければな
(442) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
29
らないのである。
処分の種類では、公けの競売の諸事例とフリーハンドの売買のそれらとが区別されなけれ
ばならない。民法第955条第 ₂ 項は、公けの競売において非所有権者から財物を取得した者
は、その財物が所有権者から盗まれたか、もしくは紛失された場合であってもその所有権を
獲得すると規定している。それゆえ、何人かが公けの競売に基づいてユダヤ人の財産を取得
した諸事例において、問題となっているのがユダヤ人の財産であり、売却する国家が所有権
者ではないことを彼が知っていた場合は別として、取得者が所有権者になっていると考えな
ければならない。
フリーハンドな売買の場合では、事情はこれとは異なる。このばあいでは、取得者は、た
とえ彼が善意であるとしても、言い換えれば、売却された財物がユダヤ人の財産であり、譲
渡する国家には属していないことを知っていない場合であっても、対象物がユダヤ人の所有
権者から盗まれたか、ないしは紛失されていることから、財物に対するどのような所有権を
も獲得していない。民法第935条第 ₁ 項。それというのもユダヤ人の所有権者はその意志に
反して、またその関与なくして財物の所有が失われているからである。国家が彼から暴力的
にその所有を奪っているのである。フリーハンドの売買の諸事例では、それゆえに以前のユ
ダヤ人の所有者の引渡しの訴えは、それも被告が取得に際して問題となっているユダヤ人の
財産であり、譲渡する国家が所有権者でなかったことを知っていなかった場合であっても、
適法な効果を有していることになる……。
―
(クシュニツキ)
:Friedrich Kuschnitzki, 1889年ウイーン生まれ、没年不明。ワイマールの
最高検察官。1946 ― 48年、ゲラ上級ラント裁判所の検事総長。
【86】
(第10号):1946年 ₁ 月30日の管理委員会法第10号(Das Kontrollgesetz Nr. 10 vom 30. Janual
1964)は次のような文言を有していた。
第Ⅰ条
「犯された諸々の残虐行為に対するヒトラーの手先の答責に関する」1943年10月30日のモ
スクワ宣言および「ヨーロッパ枢軸国の主要戦争犯罪者の訴追と処罰に関する」1945年 ₈ 月
₈ 日のロンドン協定は現在の法律の不可分の構成部分として採択された。連合諸国の一国が
ロンドン協定の諸規定に同意しているという事実は、このことが第V条に定められているよ
うに、この国にドイツにおける管理員会の高権における現在の法律の施行に関与し、もしく
はその遂行に介入する権限を賦与するものでない。
第Ⅱ条
₁ . 以下の諸構成要件のいずれもが一個の犯罪を表わしている:
e)国際法と諸々の国際条約を侵害した平和に対する犯罪。他の諸国に侵入し、攻撃戦争を
する企て。これには、上述の構成要件にはしかし尽くされていない次のようなものが含まれ
る。すなわち、ある攻撃戦争の、もしくは国際的な諸条約、協定もしくは確約を侵害したあ
る戦争の計画、準備および実行。ある共同計画への関与、実行された上記の犯罪のひとつを
実行することを目的とした共同謀議への関与。
b)戦争犯罪。戦争放棄もしくは戦争慣習を侵害して犯された身体、生命もしくは財産に対
する暴力的な諸々の所為もしくは違反行為。これには上述の構成要件には尽くされていない
次のような例が含まれる。占領地域の住民の謀殺、虐待もしくは強制労働への、または他の
目的のための彼らの拉致、戦争捕虜または外海にある人々の謀殺または虐待、人質の殺害、
公的または私的な財産の略奪、都市またはラントの勝手気ままな破壊、軍事的必要性によっ
て正当化されていない諸々の荒廃化。
c)人道に対する犯罪。上記の構成要件には、しかしながら尽くされていない次のような諸
例を含む暴力的諸所為と違反行為;謀殺、絶滅、奴隷化、強制的拉致、自由剥奪、拷問、暴
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同志社法学 61巻 ₁ 号
(441)
行もしくはその他の住民に対して犯された非人道的な行為;政治的、人種的もしくは宗教的
理由による迫害であって、それらが、行為がそのなかで犯されているラントの国内法が侵害
されているか否かは顧慮されない。
d)その犯罪的な性格が国際軍事裁判所によって認定されている犯罪団体もしくは組織の一
定のカテゴリーへの所属。
d)彼がそのなかで行為したその国籍もしくは特性を顧慮することなく、以下の者はこの条
文の ₁ 号の基準に従って犯罪とみなされる。
a)正犯として、もしくは
b)この種の犯罪の実行に当たって関与しているか、もしくは命令しているか、もしくは犯
罪後に庇護している幇助として、もしくは
c)その同意を得てこれに関与したか、もしくは
d)その計画または実行に関係していることを自白したか、もしくは
e)その実行と関係していたような組織または団体に所属していたか、もしくは
f)番号 ₁ a)が問題になってくる限りで、ドイツにおいて、もしくはドイツと結びついてい
た、その側で闘争しているか、もしくはドイツに服従している諸国において(参謀本部にお
ける何らかの地位を含む)上級の政治的、国家的または軍事的地位もしくは財政的、産業的
または経済的生活におけるこの種の地位を占めていた者。
₃ .上記に挙げられた諸々の犯罪のひとつに責任が認められ、それを理由に有罪が言い渡さ
れている者には、裁判所が適正なもとして決定した次のような刑罰が科せられる。
a)死刑、
b)強制労働を伴なうか、もしくは伴なわない終身刑、時間を限定した自由刑、
c)罰金刑および、その支払い能力のない場合では、強制労働を伴なうか、もしくは伴なわ
ない自由刑、
d)財産剥奪、
e)不法に取得された財産の返還、
f)市民としての名誉権の全面的または部分的な喪失。
その剥奪または返還を裁判所によって命じられている財産は、ドイツのための管理委員会に
別段の処分を目的として交付される。
₄ . a)それが国家元首であれ、もしくは責任のある政府の官僚であれ、何人かが官職上の地
位を占めていたという事実は、彼をある犯罪に対する答責性から解放せず、どのような減刑
事由にもならない。
b)何者かがその政府の、または上官の命令のもとに行為したという事実は、彼をある犯罪
に対する答責性から解放しない。しかしその事実は刑罰を緩和するものとして顧慮されなけ
ればならない。
₅ .上記の犯罪を理由とする刑事手続き、もしくは審理においては、1933年 ₁ 月30日から
1945年 ₇ 月 ₁ 日までの時間間隔が問題となっている限りで、被告人は時効を援用することが
できない。同様にナチス体制によって保障された不逮捕特権、有罪判決または処罰の恩赦ま
たは特赦はこれを妨げるものではない。
第Ⅲ条
₁ .占領軍諸当局はそれぞれの占領地区の内部において次のような処分を下すことができる。
a)ある地区の内部に居住していてある犯罪の実行について嫌疑のある者を、連合国の一国
の側から見て犯罪の嫌疑があると見られる人々を逮捕することができる。その所有権に属し
ているか、もしくはその処分権に服している不動産または動産は、最終的に処分されるまで
は監視のもとに置かれなければならない。
(440) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
31
b)司法管理局には、ある犯罪の嫌疑のある人のすべての名前、逮捕・拘留の理由と場所、
ならび証人の名前と滞在地が報告されなければならない。
c)証人と証拠手段は、それらを必要とされる場合に任意に用いることができるために、適
切な諸処置が採られなければならない。
d)占領軍書当局は、収監されており、起訴されている人々を、他のある当局への彼らの引
渡しがこの法律の基準に従ってなされていないか、もしくは彼らが釈放されていない限り
で、それに適している裁判所の審理に送致する権限を有している。ドイツの公民またはドイ
ツ国籍を有する者が他のドイツ公民またはドイツ国籍を有している者に対して、もしくは無
国籍者に対して犯された犯罪の有罪判決については、占領軍諸当局はドイツの裁判所に所轄
権限があることを宣言することができる。
₂ . 諸地区命令権者は、現在の法律のもとである犯罪の嫌疑を受けている人々を有罪判決
に処することが求められる裁判所の地区ならびにそのさい適用されるべき手続法を決定する
か、もしくは指示することができる。現在の法律の諸規定は、しかしながらいかなる仕方で
あっても地区命令権者によってそれぞれの地区において設立されるか、もしくは将来におい
て設立されるはずの何らかの裁判所の管轄権もしくは権威を侵害するか、もしくは制限する
ものであってはならない。これと同じことは、1945年 ₈ 月 ₈ 日のロンドン協定に基づいて設
立された国際軍事裁判所に関しても当てはまる。
₃ .国際軍事裁判所での有罪判決が必要とされている者に対しては、主告訴人の委員会の同
意をもってのみ有罪判決を下すことができる。要求に基づいて地区命令権者は、その地区内
に居住している人をこの委員会に委ね、彼に証人と証拠手段に接近させなければならない。
₄ .何人かに他のある地区において、もしくはドイツの外部において有罪判決が必要とされ
ることが知られている場合には、この条項の番号 ₁ b に従って彼が捕らまえられている事実
について報告がなされ、この報告の後の ₃ ヶ月という期間が経過し、第Ⅳ条の基準によるど
のような引渡し要求も当該地区命令権者に届いていない場合は別として、この条項の第Ⅳ条
に従った判定が下される前に、彼に有罪判決を下すことができる。
₅ .死刑の執行は、死刑判決を受けた者の尋問がその地区の内部もしくは外部のある手続き
における証人として価値がある場合には、延期されなければならないが、しかし判決が確定
力に達した以降では、 ₁ ヶ月以上も長きにわたってはならない。
₆ .地区命令権者のいずれもが、管轄権を有する裁判所の諸判決が、法律によればその管理
に服している財産に関して、その見方によれば正義に相応するように実行されることに配慮
するものとする。
第Ⅳ条
₁ .ドイツ地区に居住している何者かに、第Ⅱ条の諸構成要件のひとつを充足し、ドイツの
外部で、もしくは他のある地区で犯された犯罪の責任が負わされる場合には、当該国家もし
くは当該地区の命令権者は被告人が居住している命令権者に、彼を逮捕し、彼に有罪判決を
下すために、その犯罪が実行された国家もしくは地区に引渡しを要請することができる。
この種の引渡しの要請に対してては地区命令権者は、彼の見解によれば被告人は有罪判決
のためにもしくは証人として国際軍事法廷またはドイツにおいてもしくは要請をする国家以
外の裁判所に送致することが必要とされる場合、もしくは地区命令権者が引き渡し要請に応
じられるべきであることに確信を有していない場合は別として、効果をもたらさなければな
らない。このような事例では地区命令権者は引渡し要請を管理委員会の司法管理局に提出す
る権利を有している。このような手続きは、証人と他のすべての種類の証拠手段に相応に適
用される。
₂ .司法管理局は提出された諸申請を審査し、以下の諸原則の基準の応じて、次いで地区命
32
同志社法学 61巻 ₁ 号
(439)
令権者に報告する判定を下す。
a)有罪判決のためもしくは証人としてある国際軍事法廷に出廷することを要求されている
者は、ドイツの外部での有罪判決のために次の場合にのみ引き渡され、ないしはドイツの外
部での証人としての証言のために次の場合にのみとどめ置かれる。すなわち、1945年 ₈ 月 ₈
日のロンドン協定に従って設置された主要告訴人の委員会がその同意を与える場合である。
b)ある被告人が、そのなかでひとつが国際軍事法廷ではない複数の当局によって有罪判決
へと要求されている場合では、引渡し申請は以下の順序の基準に従って判定される。
₁ .被告人が、彼が居住している地区での有罪判決へと要求されている場合には、彼は、行
なわれている外国の審理からのその帰還のために安全措置が施されている場合にのみ、引き
渡される。
₂ .彼がその滞在地以外のある地区で有罪判決を受けるために必要とされる場合には、彼は
まず、行なわれる外国での審理の後の必要としている地区へのその帰還のために安全措置が
施されている場合は別として、彼がドイツの外部に引き渡される前に要求している地区に引
き渡される。
₃ .彼がドイツの外部で連合国の ₂ 国もしくは複数の国による有罪判決を受けるために必要
とされる場合には、その国籍を彼が有している国家が優先権を有する。
₄ .彼が有罪判決をドイツの外部で複数の国によって受けることが必要とされており、連合
国に属していない国がこれらのもとにある場合では、その国籍を彼が有している国が優先権
を有する。
₅ .彼が有罪判決をドイツの外部で連合国の ₂ 国または複数の国によって受けることが要求
される場合では、番号 ₃ における諸規定を留保して、証拠手段を通して最も重いことが是認
された起訴を提起する国が優先権を有する。
第Ⅴ条
この法律の第Ⅳ条の基準に従って有罪判決を受けることを目的として執り行われる被告人
の引渡しは、国家の諸政府および地区諸命令権者の申請に基づいて、ある犯罪者のある高権
領域への引き渡しが、他のある領域で正義の自由な流れを無に帰せしめる、もしくは不必要
に遅延するために利用することができないようになされなければならない。 ₆ ヶ月以内に引
き渡された者が、彼が引き渡された地区または国の裁判所によって有罪判決に処せられてい
ない場合では、彼は、彼がその引き渡しの前に滞在していた地区の命令権者の要請に基づい
て地区に連れ戻されなければならない。
―
(シュレーター)
:John-Ulrich Schröder, 1876に生まれ、1947年に死す。1933年の前は社会
民主党 ( SPD)の党員であり、これを理由にナチス ― 体制によって処分された。1945 ― 47年、
ザクセン州検事総長。
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【87】(授権法( Ermächtigungsgesetz)
)
:憲法に違反して成立した1933年 ₃ 月24日の授権法[いわ
ゆる「国民とライヒの急迫状態を除去するための法律(Das Gesetz zur Behebung der Not
von Volk und Reich)
」
]を通して実際的に全国家権力がナチス主義者に委ねられる。
―
(解放法( Begreiungsgesetz)
)
:1946年 ₇ 月 ₁ 日の「ナチズムと軍国主義から解放するため
の法律( Gesetzes zur Befreiung von Nationalsozialismus und Militarismus)
」
[アメリカ合衆
国占領軍権力によって発せられる]は次のように言う。
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刑法との関係
第22条
(1)ナチス主義者と軍国主義者の処罰可能な諸々の行為は、この法律に依存することなく刑
法的に訴追することができる。このことはとくに、ナチス主義者の暴力的支配のもとで罪が
償われなかった戦争犯罪およびその他の犯罪行為について当てはまる。
33
(438) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
(2)刑事裁判所の訴追は、この法律による同一の行為を理由とする手続きの妨げにはならな
い。とはいえ、この法律に従って贖罪処分が科せられる場合には、刑事手続きにおいて同じ
行為に科せられる諸々の刑罰が顧慮されなければならない。
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【88】(刑法第54条):§54 StGBは、当時では次のような文言を有していた。
「行為が正当防衛の
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場合のほかにある罪のない人に対して、別の仕方では除去することができない急迫状態を、
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行為者もしくは類縁者の身体もしくは生命にとっての現在の危険から救出するために実行さ
れている場合には、処罰可能な行為というものは現存していない。
」
)
: ボ イ テ ン(Beuten)
(オーバーシュレジエン
【89】( ポ テ ン パ ― 判 決(Potenpa-Urteil)
( Oberschlesien))のある裁判所は1932年に突撃隊(SA)の ₅ 人の隊員に、1932年 ₈ 月 ₉ 日
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から10日までの夜にオーバーシュレジエンのポテンパ村で一人の共産主義者を残虐な仕方で
謀殺した廉で死刑判決を言渡した。ライヒ首相フォン・パーペン(v. Papen)がナチスの
圧力を受けて終身自由刑へと恩赦を施したのであるが、これらの有罪判決は権力掌握後に特
赦された。
―
(ローゼンベルク):Arfred Rosenberg, 1873年にレヴァール(Reval)に生まれ、1946年にニ
ュールンベルクに死す(処刑されたのである)
。ナチス・イデオロギーの頭目。
「フォルキッ
シェ・ベオバハター(Völkische Beobachter)
」の主任執筆者。国家社会主義ドイツ労働者党
( NSDAP)の全精神上および世界観上の学習と教育のための「総統の代理者」
。
―
(ジョーレス)Jean Jaurés, 1859年にカストレス(Castres)に生まれ、1914年にパリに死す
(謀殺されたのである)
。フランス社会主義の政治家。1885年以来再度にわたる国会議員。
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1904年に[ブルアン(Briand)と共同して新聞L’humaniteを発刊し、これよって統一社会
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主義等の精神的指導者になった。ジョーレスは諸国民の相互理解に賛成し、迫り来るフラン
スとドイツとの間の戦争に反対するために戦った。彼は1914年に一人の国家主義的狂信者に
よって射殺された。
―
(クレマンソー)
:Georges Clemenseau, 1841年にモーレロン・アン・パレ(Mouilleon-enPareds)に生まれ、1929年にパリに死す。1876 ― 1893年、議員宿舎における急進派の指導者。
1906 ― 1909年、内閣首相そして1917 ― 1920年、内閣首相と戦争相。ヴェルサイユ平和会議の主
席 ― 平和条約でドイツに課せられた過酷な諸条件はクレマンソーの圧力で後退したとされ
る。
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【90】( SJZ S. 36)
:この指示は、SJZ S. 35におけるヴィースバーデン区裁判所(AG Wiesbaden)
の判決についてのハインツ・クライネ判決注釈に関係している。
―
0000 0
(法律):この法律は以下のような文言を有している。1946年 ₃ 月31日の国家社会主義者の不
法 の 現 状 回 復 の た め の 法 律 第29号(Gesetz Nr. 29 zur Gutmachung national ―
sozialischtischen Unrechts in der Strafrechtspflege vom 31, Mai 1946)
( RGBl. Würtenberg-Baden, S. 205)
国務省は、これをもって告知される以下の法律を採択した。
第 ₁ 条(1)それを通して国家社会主義または軍国主義に対して抵抗が敢行された諸所為は
処罰されない。
(2)処罰から免れているのは、とくに
₁ .国家社会主義者による権力支配を崩壊させるか、もしくは弱体化させることを企てた者、
₂ .圧倒的に国家社会主義者の権力支配の維持に役立っている諸法令を確信から無視した者、
₃ .その態度のためにもっぱら国家社会主義者の見解からのみ処罰されなければならなかっ
た者。
₄ .他のある者を政治上の処罰から免れさせようとした者。
第 ₂ 条 第 ₁ 条番号 ₃ の意味において処罰されなければならなかった犯罪がとくに違反して
34
同志社法学 61巻 ₁ 号
(437)
いるのは次のような法律である。
a)1933年 ₇ 月14日 の 諸 政 党 の 新 規 形 成 に 対 す る 法 律(Das Gesetz gegen Neubildung von
Parteien vom 14. Juli 1933)
(RGBl. I S. 439)
、
b)1934年11月20日の国家と党への狡猾な攻撃に対する法律(Das Getetz gegen heimtükische
Angriff auf Staat und Partei vom 20. Dezember 1934)
(RGBl, I S. 1269)第 ₁ 条第 ₁ 項および
第 ₂ 項ならびに第 ₂ 条、
c)1933年10月13日 の ラ イ ヒ の 法 的 平 和 を 保 障 す る た め の 法 律(Das Gesetz zur
Gewährleistung des Rechtsfrieden vom 13. Oktover 1933)
( RGBl I S. 723)第 ₂ 条、
d)1935年 ₉ 月15日のドイツの純血とドイツの名誉を保護するための法律(Das Gesetz zum
Schutz des deutschen Blutes und deutechen Ehre vom 13. September 1935(RGBl. I S. 1146)
、
e)1935年10月24日 の ラ イ ヒ 国 旗 法 の 施 行 の た め の 第 ₁ 命 令(Die Erste Verordnung zur
Durchführung des Reichsflaggengesetz vom 24. Oktober 1935)
(RGBl. I S. 1253)
、
f)1938年 ₄ 月28日 の ユ ダ ヤ 人 の 営 業 企 業 体 の 偽 装 を 支 援 す る こ と に 対 す る 命 令(Die
Verordnung gegen die Unterstützung der Tarnung jüdischer Gewerbbetriebe vom 22. April
1938)( RGBl. I S. 1683)
、
g)1939年 ₉ 月 ₁ 日の臨時ラジオ放送の諸処置に関する法律(Die Verordentliche Rundfunk ―
maßnahmen vom 1. September 1939)
(RGBl. S. 403)
、
h)1939年11月25日のドイツ国民の防衛力を保護を目的とした刑罰諸規定を補充するための
命
令( Die Verorgnung zur Ergäntung der strafvorschriften zum Schutz der Wehrkraft des
deutschen Volles vom 25. November 1939)
( RGBl. I S. 2319)第 ₂ 条、
i)管理委員会法第 ₁ 号第 ₁ 条(国家社会主義の諸法律の廃止)
、
(ドイツにおける管理委員
会の公報第 ₁ 号55頁)および管理委員会法第11号第ⅠおよびⅡ条(ドイツ刑法の個別的諸規
定の廃止)、
(ドイツにおける管理委員会の公報第 ₃ 号55頁)に基づいて廃止された他の法律
上の諸規定。
第 ₃ 条 本法第 ₁ および ₂ 条に該当する諸行為を理由とする刑事手続きは中止されなければ
ならない。
新規の刑事手続きは開始されない。
第 ₄ 条(1)第 ₁ および ₂ 条において実行された行為を理由に国家社会主義が支配している
間に確定力をもって刑が言い渡されている場合では、本法第 ₉ 条に基づいて法律によって廃
止されているとみなされる場合を除いて、検察官、有罪判決を受けた者もしくは遺族の申し
立てに基づいて破棄される。この申し立ては、この法律の発効後 ₁ 年以内に呈示されなけれ
ばならない。
(2)破棄は決定を通してなされる。
(3)管轄権は、その地域において手続きが行なわれたラント裁判所が有している。
(4)ライヒ裁判所第 ₁ 審の、民族裁判所の、もしくは、その所在地にはもはやどのような裁
判管轄も成り立っていないような裁判所の、もしくはその他のもはや成立していない裁判所
の判決が下されている場合では、その地域に有罪判決を受けた者が判決言い渡しの時点でそ
の居所または持続的な滞在の場所を有していたか、もしくはその遺族が申し立ての時点で有
しているラント裁判所が有している。
第 ₅ 条(1)決定は口頭審理をすることなく書類状態によって下される。裁判所は個別的な証
拠についての調査もしくは口頭による審理を命令することができる。刑事司法法の諸規定は
これらに適用される。
(2)裁判所は刑の執行の停止を命令することができる。
第 ₆ 条 第 ₁ 条の諸前提が現存しているのか否かが事例の状態に応じて疑わしく思われる場
(436) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
35
合には、行為者にとって有利な解釈が根底に置かれなければならない。
第 ₇ 条(1)申し立てが棄却される場合には、決定は諸理由をもって備え、即時の訴願に服
している。
(2)訴願に関しては、上級ラント裁判所が管轄権を有している。
第 ₈ 条 破棄されるべき判定にともに関与した者は、この判定を破棄するための手続きにお
いて裁判官職から排除される。
第 ₉ 条(1)もっぱら第 ₂ 条に挙げられた諸規定に違反していることを理由として下された
刑の言い渡しは、裁判所の判定というものを必要とすることなく、この法律によって破棄さ
れる。
(2)これについては、検察官が申請に基づいて証明書を与える。
(3)管轄権は、手続きが開始されていたか、もしくはその地域で有罪判決を受けた者が所為
の時点で居所を有していた検察官が有する。
第10条 実質的に関連する複数の行為(複数所為)の判決が対象になっている場合では、第
₁ および ₂ 条に該当する諸行為を理由とする有罪判決が下されている限りで、この判決は破
棄される。
第11条(1)判決の破棄は付随刑罰および付随効果のいっさいを含む。
(2)諸費用と罰金刑の償還を求める請求権ならびに、判決の破棄から生じ得る金銭的価値に
相応する給付を求める請求権はとくに法律上の規定に留保されている。
第12条 判決が破棄された場合には、犯罪人名簿における記載は抹消されなければならな
い。
第13条 施行諸規定は、国務相が発令する。
第14条 この法律は1946年 ₆ 月15日に発効する。
― (法律):この法律は次のような文言を有している。
バイエルン( Bayern)
0000 0
1946年 ₅ 月31日 の 国 家 社 会 主 義 者 に よ る 諸 々 の 犯 罪 行 為 を 処 罰 す る た め の 法 律 第22号
( Gesetz Nr. 22 zur Ahndung natisonalsozialistische Straftaten vom 31. Mai 1946)
( GVBl. 182)
第₁条
重罪と軽罪は、とくに政治的、人種的および宗教敵対的な諸理由による諸々の所為および
迫害と結びついている、そして国家社会主義の暴力的支配の間の政治的、人種的および宗教
敵対的な諸理由から処罰されなかった重罪と軽罪は、平等の諸原則が、とくに法律の前での
全員の平等が事後的な処罰を要求している場合には、訴追されなければならない。
第₂条
訴追は、所為が何らかの時期に国家社会主義の政府の、もしくはその権力掌握者の一人の
ある法律、ある指令、ある発令もしくは命令を通して処罰から免れているか、もしくは官憲
の指令に基づいて刑事手続きの開始がなされないか、もしくは開始された手続きが打ち切ら
れているか、もしくは他の諸々の理由から実施されないことによって妨げられない。
何者かがその政府の、もしくはその上官の命令に基づいて行為したという事実は、彼をこ
の法律によってもある犯罪行為に対する答責性から解放しない。しかしそれは刑を緩和する
ものとして考慮され得る。
先に挙げられた犯罪行為のひとつを理由とする、ある刑事訴追、ある刑事審理もしくはあ
る刑の執行に当たっては、1933年 ₁ 月30日から1945年 ₇ 月 ₁ 日までの時間的間隔にかかわる
時効の法的利点は被告人には帰属しない。この時間帯にわたっては、時効は阻止されている
とみなされなければならない。同様に国家社会主義者の暴力支配によって保障されていた不
36
同志社法学 61巻 ₁ 号
(435)
逮捕特権、刑事訴追の恩赦または特赦というものが刑事審理の、もしくは全面的または部分
的に償われている刑の事後的な執行を妨げるものではない。
第₃条
この法律の発効の後に12ヶ月を経過するまでは、政治的、人種的もしくは宗教敵対的な諸
理由から不当にも公判の開始が否認され、公判が指令されないか、もしくは被告人が訴追の
外に置かれている場合には、第 ₁ 条の諸前提のもとに検察官の申し立てに基づいて手続きが
行為者にとって不利な結果になるように再開される。
第₄条
第 ₃ 条による判定については、事件が最初の法的様相において係属していた裁判所が、も
しくは実行の場所の、もしくは行為者の滞在地または拘留の場所の等しい管轄権を有する裁
判所が管轄する。軍事裁判所、特別裁判所、例外裁判所に代わって1946年の刑事裁判令に従
って通常裁判所が管轄権を有する。決定に対しては上級ラント裁判所への即時抗告が許され
る。
第₅条
検察官は、公共の利益というものが成り立っている場合にのみ行動する。被害者の申し立
てに基づいて管轄裁判所も手続きの開始を決定することができる。
第₆条
私的起訴、付随的起訴および手続きは刑事訴訟法172条に従って行なわれる。
第₇条
施行諸規定は司法相が発令する。
第₈条
この法律は1946年 ₆ 月15日に発効する。
―
( SJZ S. ₅ ff.)
:Walter Roemer, Von den Grenzen und Antinomien des Rechts, SJZ 1946, S. ₉
― 11.
0 000 0
【91】(刑法第336条、第344条)
:第336条は、当時では次のような文言を有していた。
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「ある法律事件の統率または判定に当たって故意に一方の当事者の利益もしくは不利益に法
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を歪曲したことに責任を負っている官吏または仲裁人は、 ₅ 年以下の懲役をもって罰せられ
る。
」
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刑法第344条は、当時では次のような文言を有していた。
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「その無実が彼に知られている人の不利益のために故意に審理を開始または継続を申し立て
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るか、もしくは決定する官吏は、懲役刑をもって罰せられる。
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【92】(刑法第345条):刑法第354条は、当時では次のような文言を有していた。
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「[Ⅰ]執行することができない刑罰または保安および改善処分を執行する官吏は、懲役刑を
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もって罰せられる。
[Ⅱ]行為が過失によって行なわれた場合には、 ₁ 年以下の懲役刑また
は禁固もしくは罰金刑に処せられる。
」
(434) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
37
法律と法(1947年)←
われわれが今日体験しているような歴史上の地震は、表層で岩石を乱雑に飛び散ら
かしているだけでなく、それは他にも覆われて動じることのない基盤的諸層をも可視
的なものにしている。
「法律と法」、この言い回しにおいてわれわれはつねにこの二つの言葉が同じである
ということができると信じてきた。どのような法律もわれわれにとっては法であり、
すべての法は法律であり、法学は法律の解釈以外の何ものでもなく、法の言い渡しは
もっぱら法律の適用であった。われわれは実証主義者を名指しした。そしてもっぱら
法律を法として承認する実証主義には、ドイツの法学が国家社会主義の年々の法状態
についてともに担わなければならない責任がある。
それというのも実証主義は、それが法律の形式を纏っているとしか理解されなかっ
た限りで、われわれを不法に対して無防備にした。われわれは法律の形をした不法と
いうものが、「法律上の不法」というものが存在していることを、そして何が法であ
るのかを、たとえこの法がいまや自然法、神の法もしくは理性法と呼ばれようとも、
法律を超える法というものの尺度で測られることを洞察しなければならないのであ
る。このような法律を超える法もまた、法律としての形式を身に纏うことができるの
である。その標識は、次いで他では禁じられている法律の遡及である。ドイツ法は、
このような事例では法律の効果ではなく、その根拠である。すなわち、法律は、すで
に以前から法であったところのものとしか、ここでは言い表していないのである。こ
のような類のものが、「戦争犯罪、平和に対する犯罪および人道に対する犯罪に責任
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を負った人々の処罰」に関する管理委員会法第10号←であり、このような類のものが
アメリカ軍占領地区における二つのドイツ姉妹法、すなわち「国家社会主義者の諸々
の犯罪行為を処罰するための」法律←と「刑事司法における国家社会主義者の不法の
原状回復のための」法律←である。このような法律が明示的に発せられていないとこ
ろであっても、それゆえにそれらの本質的な内容は法律を超える法として妥当してい
るのである。われわれがいまや一連の例について法律を超える法の突発を実証主義の
外皮を通して指示するならば、われわれはこれから区別されずに、その諸々の判定が
あの遡及する諸法律に根拠づけられている法的藷事例をも援用されなければならな
い。
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このような二重の根拠づけがわれわれをしてすでにユダヤ人の財産の押収に対峙さ
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せているのである。ヴィースバーデン区裁判所のある判決←のなかで「ユダヤ人の財
産は国家に帰属するという法律は、すでに自然法と矛盾しており【96】、すでにその
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同志社法学 61巻 ₁ 号
(433)
発令の時点で無効である」と謳われている。フライブルク・イム・ブライスガウ上級
ラント裁判所は国家の指導機関によるユダヤ人の財産の押収は管理委員会第10号によ
れば、人道に対する犯罪であると言明した。
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逃亡兵事例についての判決書はこれらの判定よりも多くの矛盾に出遭う。攻撃戦争
がひとつの国際的な犯罪として法的に特徴づけられているからには、戦争から逃れる
逃亡兵はもはや違法に行為しているのではなく、可罰的であると言明することができ
ない。けれどもザクセン連邦ラントにおいて彼を逮捕しようとした保安警察官を射殺
したある逃亡兵が逃亡の廉でばかりでなく、故殺の廉で処罰されないままになってい
るときには、この帰結は圧倒的な矛盾を見出した ― そしてそれでもこの帰結は、戦
争のあの原則的な見解にかんがみて逃亡兵の(正当防衛でさえなくとも)緊急避難の
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視点のもとではともかくも是認することができる。これに対してナチ時代での密告者
に対する、そしてたとえば反逆者ゲルデラー( Gördeler)←、もしくはショル兄妹
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(Geschwister Scholl)←に対する法の言い渡しは賛同を予期することができる。フ
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ライブルク・イム・ブライスガウのラント裁判所←は反ナチス的な意見表明を理由に
ゲシュタポ( Gestapo)に密告することを人道に対する犯罪として処罰した。すなわ
ち「処罰可能性は、被告人らが当時に効力を有していた法秩序の枠内において告発を
行なったということを通して排除されることはない」、
「彼らの責任は、当時の形式的
な法律の処理の仕方にも触れないであろう」と言うのである。周知のものになってい
るプットファルケン( Puttfarken)の密告事例では、これに対してエアフルト・ノル
ドハウゼン( Erfurt-Nordhausen)陪審裁判所は法律を超える法へとその難を避ける
ことを必要としなかったのであり、当該裁判所はこの密告者を、あの密告は当時に効
力を有していた法律に照らしても全くどのような大逆罪でもなかったという理由づけ
をもって被密告者に対するカッセル(Kassel)上級ラント裁判所の死刑判決のなかに
見出したような「司法謀殺」のへの幇助を理由として処罰した。「ライヒ裁判所と上
級ラント裁判所が当時では、そしてこれに続く年々のなかで当時に指導的な諸人物の
ほとんどどのような嫌われる意見表明も、どのような罵倒も大逆罪とみなして処罰し
たとすれば、これはカッセル上級ラント裁判所の判決の評価をいささかも変えるもの
ではない。
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このようにすでにすでにこの密告判決の背後に、裁判官らが彼らの刑事諸判決を理
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由に刑法上の責任が問われる可能性が浮かび上がってくるのであり、現にこの可能性
がザクセン連邦ラントでは現実のものになっている。ザクセンの検事総長は【97】、
たとえこれらが国家社会主義の諸法律に基づいて下されていようとも、非人道的な諸
判決の答責性を主張するために刑事手続きを開始した。
「どのような裁判官も、不正
であるばかりでなく、犯罪的である法に拠り所を求め、これに従って法の言い渡しを
39
(432) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
処理することができないのである。われわれは、書かれたるすべての定立のうえに聳
え立っている人間的な藷権利に、非人道的な専制的支配者犯罪的な諸命令の妥当を否
認する、取り去ることができない、考えられないくらいに古くからの法に拠り所を求
める。」この種の法律に根拠づけられた死刑判決というものは、これによれば謀殺で
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あり、それ自体が処罰されなければならないことになるであろう ― とはいえ、われ
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われが付け加えるように、裁判官の責任をも証明することができよう場合に限られ
る。それというのも裁判官の不法というものを理由とするどのような処罰も、このよ
うな判決が同時に法の歪曲であったことを前提としているからである。しかし法の歪
曲は違法性の意識を必要としている。けれども法実証的に教育を受けた裁判官は、た
とえこの法律がいまだあのように非難すべき内容のものであったにせよ、法律への適
用が無条件に義務づけられていると考えるに違いなかったであろうし、それゆえに法
律上の不法を不法意識なしに実現することができたのである。数10年にもわたって争
いもなく支配し続けている実証主義を、支配的な教説によって導かれている裁判官ら
の不利益になるような形で突如として否認することはできないのである。
これに対して、美化して安楽死と呼ばれた施設謀殺についての法の言い渡しには国
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民的な法感情もまた一致して賛同するであろう。フランクフルト・アイヒベルク ― 訴
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訟( Frakfurter Eichberg-Prozeß)←では、法律上の不法というものの想定に対して
法的安定性の立場から発言する弁護人と裁判所は、一人の独裁者の命令を記した一片
の紙切れか、それとも汝殺すなかれ!という永遠に全心霊を震撼させる言葉かの何れ
を重大とみなすのかを判定しなければならないという言葉をもって締め括った告訴人
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との間で大がかりな論戦が行なわれた。当該裁判所は、施設謀殺に関するあのヒトラ
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ーの秘密法律は確かに形式的には法律であるが、しかし内容的には不法であったと判
定し、被告人の医師に有罪判決を下した。
最も強く公共が刺激されたのは、1933年の国家社会主義者の特赦法に基づいてフラ
イブルク・イム・ブライスガウ(Freiburg i. Br.)におけるエルツベルガー(Erzberger)
←の謀殺者であるティレッセン(Tillessen)←の無罪判決を通してである。この法
律を通してヒトラーはポテンパ ― 謀殺者らに与えた約束を果したのであり、彼は彼ら
に際限のない忠節を感じたのであり、彼らの自由はこの瞬間から「われわれ[ ₅ ]の
名誉」の問題であるとされた。フライブルクの裁判官がこの特赦法を法律上の不法と
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して認識しなかったことを、とくに、彼はこの見解を支援するために管理委員会法第
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₁ 号(第Ⅱ条)←のある規定と、アメリカ軍占領地区に効力を有している【98】国家
社会主義者の諸々の犯罪行為を処罰するための法律のある規定の根本思想を引き合い
に出すことができたことから、全公共にとって不可解であるように思われた。仮にこ
の誤判決から、裁判所の独立についてのわれわれの見解と結びつくことができない
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同志社法学 61巻 ₁ 号
(431)
諸々の帰結を引き出すことがなかったならば、フライブルクの判決はいっそう腹蔵の
ないものであったであろう。法の言い渡しのあれほど様々に異なる点で繰り返し立ち
現われ、そして一般的な時代的要求に相応しているように思われる法律を超える法に
ついての理論は、どのような新しい理論でもない。それは古代からもキリスト教中世
からも、そして啓蒙の時代からも数世紀を通して提唱されているのであり、そしてカ
トリック ― トマス的な法哲学において中断することなく継続しているのである。数世
紀にもわたって妥当しているものに対して実証主義が通用したのは何とぎりぎりの一
世紀である。われわれは実証主義をフォイエルバッハ( Feuerbach)とサヴィニー
(Saviygny)にまで遡らせることができるのであり、この両者は、前者は批判哲学を
基盤としており、後者はロマン主義の立場からというように、きわめて異なる精神の
持ち主でありながら、制定法の無条件的な拘束性については同じ理論に流れ込んでい
るのである。しかしいよいよもって哲学的および歴史的な欲求と開花は枯渇してして
しまい、実証主義という干からびた幹だけが残るまでに零落してしまわないわけには
ゆかなかったのである。
けれども実証主義もまたその良き法を有していたのであり、われわれにはその理論
を聞き漏らすことは許されない。全くの通例として実証主義の理論は、法律はその内
容を顧慮することなく拘束力を有する法であるとみなされるということが妥当し続け
なければならない。法治国家と法的安定性は法律の原則的な拘束を要求する。全く特
異な例外的諸事例においてのみ、われわれがナチス時代に体験したような諸事例にお
いてのみ、拘束が緩められることができるのであり、そして決して再び体験すること
がないように願わないわけにはゆかないのである。ある国家社会主義の法律家はある
一瞬の閃きにおいてにおいて法律を超える法という思想の適用の限界を明確に輪郭づ
けている。「確かに裁判官は原則的に法律に拘束されているが、しかし彼の任務と尊
厳が、法理念と明らかに甚だしく矛盾している諸法律を、国民のなかで生きている法
と不法に対する感情を、国民の倫理性をまさに辱めるような規範を適用しなければな
らないことを許していない。」そうであればいずれにせよ、権力掌握者が法理念の、
正義と人道の適用に一度も努めなかった場合、彼がニュールンベルクの諸法律におけ
るように、法的な平等の思想から、人間の顔付をしているもののすべてにとって等し
い人間的諸権利という思想から意識的に免れた場合、彼がそれゆえに権力の断言を発
しはするが、しかし決して法的諸規範を発していない場合には、われわれには法律上
の不法が与えられていると思われるのである ― それというのもひとは、法理念を実
現するということがひとつの試みであるというように規定する以外に規定しようもな
いからである。
【99】法律を超える法というものを承認するという諸々の危険は、このように限定
(430) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
41
する場合であっても紛れもないであろう。しかしあらゆる疑念は、すべての法にもた
らされており、福音書のふたつの互いに矛盾している言葉が表現している正義と法的
安定性のアンチノミーを解消しない問題を除去することができない。すなわちパウロ
の言葉では、「何人も彼に対して権力を有しているお上に従え。それというのも神か
らでなければどのようなお上でもないからである」( Röm. 3, 1)←と言われ、ペテロ
の言葉では「ひとは人々よりも多く神に従わなければならない」( Apg. 5, 29)と言
われているのである。
法律と法(への応答)
グレーテ・ヘンリー ― ヘルマン
( von Grete Henry-Hermann)
「実証主義、法律を法として承認することは、ドイツ法学が国家社会主義の年々の
法状態についてともに負わなければならない責任である。それというのも実証主義
は、それが法律の形式を身に纏っていると理解した限りで、われわれを不法に対して
無防備にした。」
こ れ が、 過 去 の ド イ ツ 法 学 に 着 い て の「 ス ト ウ ッ ト ガ ル ト・ ル ン ド シ ャ ウ
( Stuttgarter Rundschau)」の第一冊における法哲学者グスタフ・ラートブルフの判断
である。彼はこの診断をもって疑いもなく、国民と国家がナチ体制のもとでとりこに
なっている法的および道徳的崩壊の最も危険な原因のひとつを暴いた。今日では繰り
返し、ナチ時代の犯罪を総決算するなかで、たとえそれが法律というものを通して裁
可されるか、もしくは命令さえされている場合でもあっても、不法はどこまでも不法
であるという洞察が貫徹している。法と不法を求める問いは、ある国家の諸法律が何
を命じ、何を禁じているのかということと一致していない。むしろこのような法律が
正義に適っているのか、それとも単なる恣意、支配的な社会層の利益における権力の
有無を言わせぬ断言かについての判断がはじめてその判定にかかっているのである。
この洞察は、実証主義を、それを通してドイツの法学者がナチ的なものに道を切り
開いたこの理論を、窮極的に克服するまでに至っているのか。ラートブルフの実証主
義に対する批判は確かに「法律を超える法」というこのような思想に支えられている
のであるが、しかしその批判は、彼を、われわれにより深く熟考することを呼びかけ
るようなアンチノミーに導いている。それというのもこのアンチノミーは、現実に実
証主義を打ち砕くことについて彼を妨げているからである。彼が自らに負担を課して
42
同志社法学 61巻 ₁ 号
(429)
いるわが国民における法意識の動揺にかかわらず、彼は次のように言う。【100】
「けれとも実証主義もまたその良き法を有していたのであり、われわれにはその理
論を聞き漏らすことは許されない。全くの通例として、法律はその内容を顧慮するこ
となく拘束力のある法であるとみなされなければならないという実証主義の理論は妥
当し続けなければならない。法治国家と法的安定性は法律への原則的拘束を要求して
いる。」この法律への拘束のためにラートブルフは「法律を超える法」という思想お
よびこれとともに、法律の形式においても不法は生じ得るという考慮を、それらのな
かで「権力掌握者が法理念の、正義の、そして人道の適用を一度も努めなかった」諸
事例に、「それゆえに彼が単に権力の有無を言わせぬ断言を発したが、しかしどのよ
うな法規範も発しなかった場合」に限定しようとした。しかし、「法律を超える法を
承認することの諸々の危険は紛れもないことである。それというのも法は、このよう
な場合では法律の結果ではなく、その根拠だからである。すなわち、法律は、すでに
以前から法であったところのものしか言い表していないのである。」
これに従えば、われわれを「法律の形をした不法に対して無防備にした」実証主義
的に「法律を法として承認すること」は、国家における法的安定性にとって必然的で
ある!そしてあの不法に対して動員される法の、正義の、人道の理念への新たな熟慮
は、法的諸関係の完全な崩壊後にはじめて再構築されなければならないであろう、ま
さに法的安定性にとってひとつの危険を意味している!
ラートブルフはこのパラドックスのうえを通り過ぎる。彼はそれを逃れ得ぬことと
考えるのである。しかしこの種の矛盾を基盤にしてどのようにして、その提唱者が公
共生活においてそれらに負っている答責を真に受け止めて支えることができるよう
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な、つまりは社会生活の合法性に、そして人間の共同生活の法的安定性に賛成する法
理論というものを打ち立てることができるのか。
何と言っても明らかに互いに緊密な関係にあるこの両者の間のジレンマは、いった
いどこにあるのか。法的安定性はある社会において、人間の共同生活が固定した、法
律によって規定された諸形式に従って進行することを通して、個々人の諸権利と諸義
務とが対立的に限界づけられることを通してのみ保障されることができるのである。
このためには、法の抽象的な理念は十分ではない。それは確かに、各人に生活に関与
する等しい機会が与えられるべきであることを要求するが、しかし、どこで、そして
どのようにして各人にこのような可能性が保障されるべきかは、人間による規定と取
り決めに委ねられているのである。【101】この種の諸形式を創り出して保護する国家
の諸法律は国家の各市民に、これによって彼にその共同市民の諸権利を通して引き寄
せられる範囲において、他の国家市民の不当な干渉を、しかしまた予見することがで
きない国家官吏の不当な手出しを恐れる必要なく安定性を与えるのである。この安定
(428) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
43
性のために古来の刑法上の基本原則、すなわち Nulla poena sine lege ― 法律なけれ
ば刑罰なしが妥当しているのである。この原則は法律の遡及効を排除し、法律という
ものは、行為が法律の公布の後になされた場合にのみ、適用することが許されるとい
うことを保障しているのである。
ところでしかしこのような考慮には、どのような法典もつねに、またあらゆる事情
のもとにその諸々の判定が事例にとって本質的なすべての要素の独立した考量に当た
って生じてくる判断と合致するとは限らないという保障を提供していないもうひとつ
の熟慮が対立する。それというのもどのような立法者も、最も完全な立法者も将来の
法的諸事例のすべてを予見し、それらすべてを適切に評価することができないからで
ある。そのうえにわれわれは完全な立法者と関係しているのではなく、誤謬を犯し得
るし、彼らにおいて法の諸要求による以外の諸々の動機によっても支配される人々と
関係しているのである。
そしてこのようにしてわれわれはどうやらラートブルフが実際に指摘したアンチノ
ミーの前に立っているように見える。われわれは、それが承認され、そして尊重され
ている諸法律を通してのみ実現され得るような法的安定性のために現存している諸々
の法律に対する批判を抑圧し、それらが何を命じていようとも、諸法律を拘束力のあ
るものとして甘受しなければならないのか。それともわれわれは、人間社会における
法的な諸関係を構築するためには、現存している諸法律を、それらが法理念に相応し
ている範囲においてのみ妥当させるべきであるのか。しかしわれわれは、われわれが
このジレンマに囚われている場合に、ひとつのことを無視している。実際にはこの二
つの熟慮は一にして同じ思想から、つまりは人々の交わりのなかで相互的な法的諸関
係が作り出されるべきであるということから出発しているのである。いったい何ゆえ
にわれわれは、法的安定性がそのなかで支配しているような社会状態を要求するので
あるのか。何と言ってもやはり、どのような法律もそれ自体としてすでに法でもある
というような実証主義のドグマからではない。そうではなくてわれわれは、まさに法
的に思考する国家市民が、社会における全員の権利が保護され、彼がこの枠内で人た
るに相応しい現存在というもののための自由を有しているがゆえにである。それゆえ
に法的安定性は「法律を超える法」というものの承認と対立しているのではなく、前
者は後者から帰結するのである。そしてそこからこのような法律を超える法の承認も
またわれわれを、【102】法的安定性の要求を放棄することへと導くことができないの
である。われわれがある国家における立法を法の、正義の、人道の理念で測るならば、
われわれは、まさのこの理念が法律によって保護された法的状態というものの創造を
要求していることを勘定に入れなければならないのである。ある種の現実的もしくは
想像上の欠陥のために国家の支配的な諸法律を破って無視する者は、彼が、このよう
44
同志社法学 61巻 ₁ 号
(427)
な欠陥を除去するかわりに、このような法的状態への接近を妨害しているという危険
を冒しているのである。われわれの人間的な諸々の努力にとってはつねにこの理想へ
の接近というものしか問題になり得ないのであり、その余すところのない充足という
ものは全く問題ではない。しかしこの接近のためには、次の二つの課題が妥当してい
る。すなわち、ひとつには、そのつどの権力掌握者の恣意に従ってではなく、公的に
承認された諸法律に従って扱われる安定性を各人に与えるような法秩序が構築されな
ければならない、ということである。そして、二つには、このような法律はその内容
からして法の、そして正義の理念に準拠しており、公共における批判もまたこのよう
な理念で測られ、これに則して再び展開されなければならない、ということである。
この二つの任務のいずれがそのつどより強く前景に登場すべきであるのかは、政治上
の諸々の熟慮に依存するであろう。
われわれがこのような考慮を、ラートブルフによれば実証主義の思想財に属してお
り、そして、彼が考えるように、立法が法律を超える法の理念に準拠するや否や廃棄
されるあの原理に、ある刑罰法規の、その公布の前に犯されている諸行為への遡及は
排除されているとする原理に適用する。この原理もまた、仔細に見詰めるならば、ま
さに実証的に解することができない。すなわち、ある国家において発せられるどのよ
うな法律も法であると言明する者は、一貫するところとして遡及効を有していること
を要求しているような法律を前にして後退することができない。これに対してわれわ
れが法の理念から、そして次いで正義への要求から出発するならば、問題はこれとは
異なってくる。このような遡及する諸法律の禁止は国家市民に、公的に告知されてい
ることから彼には接近しやすい諸法律に従って裁かれ、裁判官の法的な判断だけに依
存していない安定性を与える。裁判官の学習と教育が彼の判断が法と正義の理念に準
拠するように仕向けられていたであろう場合でさえ、諸々の誤謬が人間的なものであ
り、判決に服する国家市民がそれを通して、それに対して法律上の諸規定が彼を擁護
しなければならなかったはずの不安定にさらされる。
ところでしかしラートブルフは、現代における法律上の不法の思想が部分的にまさ
にこのような遡及する諸法律のなかに、つまりはそれらに従って【103】ナチス時代
の諸々の蛮行が処罰される諸法律のなかにその表現を見出していることを指摘する。
では、その場合では、法的安定性のために法律のそのように遡及を許さない原則はど
こにとどまっているのか。この原則は、ここでは明らかに、償うことが求められるべ
きであろう諸々の犯罪がいっさいの法的安定性の破棄を包み込んでおり、そしてこの
基盤のうえでのみ可能であったがゆえにどのような適用をも見出さなかったのであ
る。ナチ時代の犯罪の不可避的な総決算を広い範囲にわたって他では必要とされる法
律による法的保護の諸形式においては、このような諸形式がドイツにおいてはそもそ
(426) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
45
もはじめて再構築されなければならなかったがゆえに、成し遂げることができなかっ
たのである。とはいえ、どこまでも考慮されなければならないのは、必要とされる浄
化手続きはこのような事情のもとでは、法的 ― 法律的な諸形式を想定して他ではこれ
らに結びついている諸条件がやはり完全には遵守されないことに替えて単なる政治上
の干渉が実行されるであろうよりもよくてより明瞭ではないか、ということである。
ラートブルフの実証主義への攻撃は、この考察が示しているように、彼自身のパラ
ドクシカルな表現形式が認識させるよりも深く突き進んでいる。そしてただひとつの
ことだけわれわれは締め括りとしてなお確認しておかなければならない。すなわち、
実証主義的な理論がドイツでは数10年を通して争われることなく支配していたという
のは失当である、ということである。1917年にレオナルド・ネルソン( Leonald
Nelson)←はその時代の実証主義的な法理論に対するその詳細な批判の書、『法なき
法学( Die Rechtswissenschaft ohne Recht)』←を公刊していた。その数年後には、ラ
ートブルフの批判が巻き込まれている諸々のアンチノミーをそこで解消している、彼
の『 哲 学 的 法 理 論 の 体 系 と 政 治(Systeme der philosophischen Rechtslehre und
Politik)』←が刊行されている。ドイツの法学はこの警告者には気づくことなく通り
すぎているのである。
応答
ハイデルベルク大学教授グスタフ・ラートブルフ博士
(Von Prof, Dr, Gustav Radbruch – Heidelberg)
実証主義の支配のもとに育ち、実定法の無条件的な妥当を論駁し、そのさいこのよ
うな危険な理論に対する大きな答責を自ら意識している者であれば、その論述が他の
側面から検証されるならば、とくに、この検証の帰結が彼を自らの見解において力づ
けることに適しているならば、それを感謝の念をもって歓迎しなければならない。こ
の意見表明が新たに討議のなかに投じられる諸々の思想を私自身の言葉で再現するこ
とを許されたい。
₁ .正義と法的安定性との間には、筆者[グレーテ・ヘンリー=ヘルマン女史のこ
と]の論述によれば、止揚が可能でないアンチノミー論が支配しているのではなく、
【104】法的安定性も正義も両者に共通している人道の、人間的尊厳の、自由の理念に
由来している。
₂ .そのようにしてnulla poena sine lege(先行するある法律がなければ刑罰もない)
46
同志社法学 61巻 ₁ 号
(425)
という命題は、ひとつの実証主義的な、形式的な原則ではなく、まさに自由、人間の
尊厳、人道というあの理念の表現である。
₃ .それゆえに少なくともnulla poena sine legeという命題の妥当は、またあり得
ることとして妥当もまた、その妥当がまさに法的安定性と、法的安定性の窮極的な意
味を表わしているあの理念と矛盾しているところで停止する。
筆者はそれゆえに、その廃棄をそれらが意味している法的状態がそれ自体として法
的安定性と相容れない場合には、たとえばある独裁者の突如とした諸々の思い付きが
何ら憲法上の障害もなく法律に改鋳された場合、たとえば施設謀殺への命令が公開さ
れるのではなく、むしろ注意深く秘密が保たれた総統発令という形式を纏っている場
合には、遡及する諸法律が許されると考えることに傾いている。
しかし、特定のナチ諸法律に対して、あのナチ諸法律を妥当の外に置くような遡及
する諸法律がnulla poena sine legeという命題の意味と矛盾していないということを、
よりいそう明瞭に示すことができるのである。あの原則の意味は、行為者が所為の前
に少なくともその処罰可能性が意識されているという可能性を有していたはずであ
る、ということである。諸々の施設謀殺、密告、司法謀殺および法律上の不法のこれ
とは別の類のものにもかかわらず、ここではすべてがうまくことを運んでいると信じ
られていたと、ここには処罰に値する行動が現に存在しているのであるが、ある犯罪
的な政府が立法装置に対して命じているがゆえにこのような法律上の不法を合法化す
ることができたという可能性にどのような考えも及ばなかったと想定されようとする
ならば、それはドイツ国民を侮辱することを意味しているであろう。このように考え
ることが意味しているのは、法律を超える法というものの理念の心理学的な現実化で
ある。筆者はこの種の諸事例において遡及の単なる政治的な是認を見出したというば
かりでなく、むしろ明白な法的正当化を見出したというべきであろう。
実証主義が、法律を超える法というものの否認が法曹同業組合の内部において数10
年を通して反論されなかったとするときに、筆者は正当にも哲学者レオナルド・ネル
ソンによるこのような『法なき法学』の批判を指摘する。とりわけしかしカトリック
の、トマス主義の哲学において法学的実証主義の全時代を通して自然法の思想が保持
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されている。いましがた刊行された法王ピオ十二世( Papst Pius XII)←【105】の
スピーチ集は、どれほど生き生きと自然法の理念がカトリシズムの内部で今日でもな
お実効のあるものであるかを、卓越した形で示している。ここには、福音派教会の内
部における、これと同じ方向に向けられている最近の諸々の努力におけるのと同様
に、そこから法律を超える法という思想を引き出すことができる根源が置かれている
のである。
(424) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
47
[ヴィンフリート・ハッセマー( Winfried Hassemer)による校訂]
【96】Gesetz und Recht, in: Stuttgarter Rundschau, Janual 1947; Erwidelung /Replik, in:
Stuttgarter Rundschau, M;rz 1947. Auch in: Gustav Radbruch Gesamtausgabe Band 3, bearb.
von Winfried Hassemer 1990, S.96 ― 106.
―
(官吏委員会法第10号):本誌本号29頁以下を見よ。
―
(法律):同号33頁以下を見よ。
―
(判決):本誌本号28頁以下を見よ。
【97】(ゲルデラー):Carl Gördeler, 1884年にシュナイデミュール(Schneidemühl)に生まれ、
1945年にベルリンに死す(処刑されたのである)
。政治家であり、ナチス ― 体制に反対する抵
抗の闘士。1930年から1937年までライプツイッヒの市長。ルートヴィック・ベック(Ludwig
Beck)とともに長期をかけて合法的なやり方で排除することを望んだヒトラーに対する市
民的抵抗の精神的な指導者。1944年 ₇ 月20日の抵抗の闘士らによってライヒ首相として予定
された。暗殺の失敗後に死刑判決が言い渡され、プレッツェンゼー(Plötzensee)で処刑さ
れた。
―
(ショル兄妹):ハンス・ショル( Hans Scholl)は1918年にインゲルスハイム( Ingersheim)
に生まれ、ゾフィー・ショル(Sophie Scholl)は1921年にフォルシェンブルク(Forschenburg)
に生まれ、1943年にベルリンに死す(処刑されたのである)
。ショル兄妹はナチス ― 体制に対
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する抵抗集団である白薔薇(Weiße Rose)に属していた。ミュンヘン大学でビラを配布し
ているところで逮捕され、彼らは死刑判決を言い渡され、プレッツエンゼーで処刑された。
―
(ラント裁判所):密告事案におけるフライブルク・イム・ブライスガウ・ラント裁判所がこ
のような論証とともに ― とは言え、1947年 ₉ 月12日に ― Justiz und NS ― Vebrechen, Bd.
1, Lfd, Nr. 032に転載されている。
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: フ ラ ン ク フ ル ト の ア イ ヒ ベ ル ク ― 訴 訟(Frankfurter Eichberg【98】( ア イ ヒ ベ ル ク ― 訴 訟 )
Prozeß)は、アイヒベルクの治療施設におけるいわゆる安楽死の枠内で数千人にも及ぶ謀
殺を対象としていた。
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弁護の論証は、1946年12月21日のフランクフルト・アム・ライン・ラント裁判所の判決と
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1947年 ₈ 月12日のフランクフルト・アム・マイン上級ラント裁判所の判決から読み取ること
ができる ― 両判決は論集Justiz und NS-Verbrechen, Bd. 1, Lfd Nr. 011に転載されている。
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―
(ヒトラーの秘密法)
:いわゆるヒトラーの秘密法(Geheimnisgesetze Hitlers)は上掲の諸
―
(エルツベルガー)
:Matthas Erzberger, 1875年にブッテンハウゼン(Buttenhausen)に生ま
判決に記録され、法的に評価されている。
れ、1921年にバッド・グリースバッハ(Bad Griesbach)近郊にて死す(謀殺されたのである)
。
中央党の政治家。1917年のライヒ議会の平和解決に指導的に関与し、1918年11月11日にコン
ピエーニュ( Compiegne)の休戦に署名した。エルツベルガー財務相は1919/20年に二人の
元将校と義勇軍の隊員によって1921年に謀殺された。
―
(ティレッセン):Heinlich Tillesen, 1894年にケルン ― リンデンタール(Köln-Lindenthal)に
生まれたが、没年は不明。1921年のエルツベルガー謀殺者の一人。1933年に特赦され、1947
年に懲役15年の有罪判決を受け、1952年に恩赦された。
―
(管理委員会法第 ₁ 号(第Ⅱ条)
)
:Kontralratgesetz vom 20. September 1945は次のような文
言を有している。
ドイツのどのような法律処分も、どのように、もしくはどの時期に発せられたのかを問わ
ず。その適用が不正義もしくは不平等な取り扱いがそのなかで、以下のいずれかを通して引
き起こされた何らかの事例において裁判所により、もしくは行政に即して適用されることが
48
(423)
同志社法学 61巻 ₁ 号
できない。
a)国家社会主義ドイツ労働者党とのその結合に、その諸々の編成、すなわち編入された諸々
の結合もしくは組織化に基づいて何者かに利益が享有されるか、もしくは
b)人種、国籍、その信条または国家社会主義ドイツ労働者党とのその対立に基づいて何者
かに不利益が被らせられること。
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【100】
( Röm. 3, 1) ← こ の 見 出 し 箇 所 は 誤 っ て 挙 げ ら れ て い る。 引 用 は ロ ー マ 人 へ の 書
( Römerbriefe 13, 1)に見られる。
【104】
(ネルソン):Leonald Nelson ,1882年にベルリンに生まれ、1927年にゲッチンゲンに死す。
哲学者。1919年にゲッチンゲン大学教授になった。カントの理論の心理学的改編を試みた新
フリース学派の創始者。
―
(法学)
:Leonald Nelson; Die Rechtswissenschaft ohne Recht. Kritische Bemerkungen über
die Grundlagen des Staats ― und Völkerrechts, insbesondere über die Lehre von der
Souveränität, 1917.
―
(政治):Leonald Nelson, System der philosophischen Rechtslehre und Politik, 1924.
【105】
(ピオ十二世)
:Pius XII(以前の名前は、オイゲニオ・パセリ(Eugenil Pacelli)
)
。1876年
に生まれ、1958年に死す。1939年から1958年まで法王。
(422) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
49
法の革新(1947年)←
われわれ古い法律家らがわれわれの勉学を開始したときは、法の勉学が自らの諸傾
向に相応したということは希であった。たいていの場合では、それは両親の家の伝統
からか、それとも他の何らかの勉学に向けての決定的な傾向の欠如に由来していた。
より若い人々の法の勉学は、法は年齢相応の男子の扱う事柄であるがゆえに、ほとん
ど本来的な傾向をもって捉えられず、大いなる諦念に、たとえば必然的に不完全な実
定法に有利な結果になるようにして無制約的な正義への断念に結びつけられるという
のが、そもそもの事情であろう。いまや勉学しつつある世代の場合では、それにもか
かわらず、法の勉学との内的な関係について言えば、事情ははるかに有利である。他
の諸世代よりも早くに経済的および社会的生活のなかに置かれて、若い人々もまた法
を経済的および社会的なあらゆる関連それ自体のなかに組み込むことを体験し、この
ような体験から法的な諸物に向けての理解[ ₈ ]と傾向を獲得することができたので
ある。その前にまさに来るべき法律家世代が置かれている諸々の課題は特別に重く、
まさにそれゆえに現実に活動的な法律家であれば、何人にとっても格別に魅力的であ
る。それというのも法もまた、国家社会主義がわれわれにひとつの廃墟として残した
からである。法律家には、破壊された諸々の場所を一掃し、その上に法の新建造物を
構築するという重い課題が提起されているのである。
とりわけ再建されなければならないのは、法律への尊重の念である。第三帝国の国
家権力は法律を恥じらいもなく破った。最も神聖な人間的諸権利、生命、自由、名誉
は、適法性という逃げ口上すらなしに何千回となく踏み躙られた。権力掌握者の見方
から、もしくは申し立てから国民にとって有益であるすべてが、許されているものと
して通った。いまこそ法的安定性を新たに打ち建て、国家のそれ自体の法律への拘束
を革新し、法治国家を再建することが必要である。ドイツの統一戦争がそれに続く、
40年にもおよぶあの平和な時期にヤコブ・ブルクハルト( Jakob Burckhardt)が皮
肉を込めて市民的「安全」という語り方をし、フリードリッヒ・ニーチェ( Friedrich
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Nietzche)「危険なる生命」を称揚した ― われわれは法の安定性を十分に長きにわ
たってなくて済ませなければならなかったし、法的安定性をその真なる価値に向けて
再評価するためには、恣意的な国家指導というものの脅威的なあらゆる危険を体験し
なければならなかった。 ―
しかし法律に対する尊重の念の再建とならんでドイツの法律家はなお、あの第一の
課題とはほとんど【107】対立しているように見える第二の課題を有している。12年
間にもおよぶ独裁の権力掌握者は不法に、それどころか犯罪に幾重も法律の形式を与
えた。施設謀殺でさえ、法律というものによって裏づけられていた ― もっとも公表
50
同志社法学 61巻 ₁ 号
(421)
されることのない秘密法律という化け物のような形式においてであるが。法の伝統的
な見解、数10年来にわたってドイツの法律家の間で争われることなく支配し続けてい
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る実証主義と、「法律は法律だ」というその理論は法律の形をしたこのような不法に
対して無防備かつ無力にした。この理論の信奉者らはあれほどまでに正義に適ってい
るどのような法律も法として承認することを余儀なくされた。法学は再び、法律より
も高い法というものが、自然法というものが、神の法というものが、理性法というも
のが、要する、たとえそれが法律の形式のなかに鋳造されている場合であっても、そ
れで測れば不法はどこまでも不法である、法律を超える法というものが存在するとい
う、古代の、キリスト教中世の、啓蒙の時代に共通している叡智を自覚しなければな
らないのである ― この前では[ ₉ ]この種の正義に適っていない法律に基づいて言
い渡された判決も法の言い渡しではなく、むしろ不法であり、裁判官にも、まさのそ
の実証主義的な教育ゆえにこのような不法を個人的な責任に算入することはできない
であろう。
とはいえ、法律を超える法と法律上の不法という概念は、われわれによってあれほ
ど差し迫って要求されている法的安定性にとって重大な諸々の危険をともにもたらし
た。立法者は法律上の不法を法律を通して廃棄し、そのようにしてそれが不法であり、
妥当性を有していないことを宣言しなければならないことを裁判官のために省くとい
うことが望ましい。このことはアメリカ軍占領地区のために、「刑事司法における国
家社会主義の不法の現状回復のための法律」と、「国家社会主義者による諸々の犯罪
行為を処罰するための法律」という二つの法律を通してなされてもいるのである。
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ティレッセン事件(Der Fall Tillessen)はアメリカ軍占領地区におけるこのような
立法に基いて、この事案がそれを事実として見出したのとは別の出口が採られたので
あろう。しかしこのような法律上の基盤がなくてもエルツベルガー‐謀殺者の無罪判
決が回避されることができた ― し、また回避されなければならなかったのであろ
う。それが根拠づけられるナチ‐特赦、この間に権力を獲得した党の、この党がその
うえに自らに主責任を負っているポテンバ‐謀殺のような残虐粗暴な類の犯罪に対す
る自己特赦は、まさに法律上の不法のひとつの古典的な事例である。法律上の不法が
立法を通していまだ除去されていないところでは、これを適用させないようにするこ
とが裁判官の仕事であり続ける。いまだ廃止されていない諸法律の裁判官によるこの
ような無価値化は、しかしながらどこまでも通例外の、法感情を憤激させる、まさに
犯罪的な諸法律に限定されていなければならない。すなわち、法律と正義との間のよ
り些細な諸々の矛盾は[108]法の安定性の利益において堪えられなければならない、
ということである。
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法治国家の再建は、われわれ法律家にとって最も差し迫った課題である。しかし国
(420) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
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民国家の、民主主義の樹立もまた、多面的な法律家の思考作業を必要としている。現
に比例選挙法に反対し、多数選挙法というものに賛成するのも法律家による評価に親
しんでいる。比例選挙法は論駁することができない正義の要求であり、これには多数
選挙法が単なる政治上の合目的性のひとつとして対立しているということがこれにか
かわっているということではない。比例選挙法は、ある[10]選挙が政治的な信条告
白の否認以外の何ものをも意味していないのであれば、また選挙法が選ばれた団体に
おける様々に異なる信条告白の数的な配分を縮小された程度において表現する以外の
どのような課題をも有していないのであれば、その場所を占めたであろう数学的な正
義というものの実現である。実際のところでは、正義は、正義の形成のために基盤を
創り出すという、もうひとつの課題を有しているのである。このような視点のもとで
は、大きな、統治能力のある諸政党と、それらがそれぞれに獲得した票の数的な比重
をはるかに超えて影響を及ぼすというようにして、ある政府の形成を困難にし、妨害
しかねない泡沫諸政党に同じ機会を保障することは、しかし合目的的でないばかりで
なく、正義にも適っていない。それゆえに政治上の合目的性だけでなく、正義もまた
多数選挙法を要求しているのである。合目的性の視点では多数選挙法もまた欠陥から
免れていないということ、そして比例選挙法に対するその諸々の欠陥を考量すること
を必要としていること、このことがわれわれの法的な諸々の考察の圏内に属している
のである。
ドイツ的な基盤のうえに立つ新しい国家的形象は法治国家であることになり、それ
は最終的には社会国家であることにならなければならない。法の形式的な平等の、法
的な所有権と契約の自由の、要するに経済的な弱者と経済的な強者との間の、被雇傭
者と雇傭者との間の力の格差を調整することに役立っている、個人主義的な私法の公
法による諸々の修正を、われわれは社会法と呼んでいる。すでに1933年より前に民法
典とならんで、個人的な私法を修正するために、労働法と社会法という、新しい社会
法上の部門が成り立っていた。国家社会主義は確かに労働組合の解消を通して社会法
から核心を抜き取ったのであるが、しかしその【109】やり方によれば同時に、度を
越しているスローガンにおいて社会法の要求を予告している。「汝は何者でもない、
汝の民族がすべてである」と言われ、よく知られたある法律家は、ここハイデルベル
クにおいてある綱領的な演説のなかで「民法典からの訣別」←を、根本においてそも
そも私法からの訣別を祝った。このような誇張に対していまや個人主義的な私法の価
値が強調されるということは、何ら驚くべきことではない ― 私はフランクフルト大
学のハルシュタイン( Hallstein)←の、南ドイツ法曹新聞のなかで公刊された←、
センセーションを巻き起こすような学長就任講演を思い出す。[11]
ハルシュタインは、「汝は何者でもない、汝の国家がすべてである」という国家社
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(419)
同志社法学 61巻 ₁ 号
会主義者の標語に「非存在の全体というものがどのようにしてひとつの無以外の何か
であり得るのか」という問いをもって返答する。全体の分肢としての個々人という排
他的な見解に人格性の本来的な固有価値を対置する。彼は、どのようにして司法が究
極的に人間的諸権利のなかに、人間的自由のなかに根拠づけられているのかを示して
いるのである。
実際のところ、われわれは労働法と社会法という形態において社会法が保持され、
継続形成されることを求めるのであるが、しかしこれとならんで個人主義的な精神、
個々人の自立性および家族に固有の権利に完全に別れを告げることを求めているので
はない。われわれの古くからの、実直な、光彩がなくて醒めている、個人主義に誠実
な民法典は、国家社会主義者の法律の諸々の前文の偽りの、内容空虚な決まり文句の
大波に直面してわれわれにとっていっそう価値のあるもになり、近現代の労働法と経
済法にならんでわれわれにとって将来においてもなお長く維持され続けるであろう。
(社会法上の組織化を一方とし、個人的な自由と文化に固有の法則性を他方とする両
者の間の調整は、ごく最近にハイデルベルクの二人の社会主義者によって予告されて
いるあの「自由主義的な社会主義」の思想でもある。)
そのなかには同時に、法は国家理由の一部分よりもいくらは高いものであるという
こと、それは国家に対してひとつの自己法則的な形象であり、ひとつの自立した文化
力であるということが包み込まれている。国家についての学問が、国家がそれに干渉
することが許されることなく営まれるのをつねにしているように、この学問が、それ
が効用目的を顧慮することなくそれに固有の仕方に従って展開することができる場合
にのみ有益であるように、法もまたこれとは別の事情にあるのではない。裁判官の独
立は、いっさいの国家的利益に対する法の自己法則性にとっての表現以外の何もので
もない。その独立性のうえに根拠づけられた法曹階級の職業エトスは、法治国家の最
も有効な基盤である。法曹階級によって創り出され、具現化されたコモン・ローを通
してイギリスの法曹階級は今日でもなお【110】イギリスにおける法の、そこで保証
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されている法の支配ほどに堅固であるものは他のどこにも存在しない法の支配(Rule
of Law)の自己法則性の基礎である。諸法律のいや増す量の、これらの法律を防護
するためのいよいよ新たな裁判所外の部署の創設の、そして立法者の司法に固有の生
活への常軌を失した干渉の印象のもとに、さほど古くはない時期に「タイムズ」のな
かで一人のイギリス高等裁判所の裁判官、サー・ヘンリー・スレッサー( Sir Henry
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Slesser)は法曹階級の[12]、コモン・ロー(common Law)の、イギリスのコモン・
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ローが妥当していたところではどこでも通用していた「自由と秩序との、寛容と義務
との独特の混交」の、そしてこのうえに根拠づけられた法治国家の危殆化に対して次
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のような救いを求める叫び声を高めた。コモン・ローはキリスト教文化への唯一無類
(418) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
53
の寄与であり、その衰退は現代の最も大きな悲劇のひとつであることの実を明にしか
ねない、と。われわれドイツ人は、わが国の法曹階級の、これとは比較にならないほ
どに弱い伝統と立場にかんがみて、いっそう大きな憂慮をもってわれわれの背後に置
かれている裁判所の独立の排除を見詰めるばかりでなく、むしろ英米の司法の伝統が
そのなかでわが国の裁判所の独立の擁護にも手を貸すことができないドイツの諸々の
部分におけるその危殆化をも見詰めなければならないのである。 ―
法の革新のはるかに重要な部分は、しかし国際法の領域において行なわれる。私は、
歴史的なニュールンベルク判決に味方することを公言する。二つの新しい思想をこの
判決は伝統的な国際法に付け加えた。すなわち、一方では国際法上の諸々の義務づけ
は、これ以後は諸国家を拘束するばかりでなく、政治家たちをも、そしてそもそも個々
の公民であれば何人をも義務づけるとされることであり、他方では、国際法上の諸々
の義務の侵害は、将来においては法の言い渡しを通して新たに創り出された国際刑法
に従って有罪者の人格において処罰されるということである。もっともこの量刑原則
は、差し当たりはいまだ将来に向かう国家に当てはまるにすぎない。それらが同じ責
任の場合では、降伏したドイツの政治家ら以外の政治家らにも適用されるようになる
場合にはじめて、それらが現実的な妥当を有していることの実が証明される。しかし
それらが現実的な妥当にまでもたらされるか否かは、広い範囲にわたって、諸国家を
超えて、彼ら自身の国家をも超えて成熟しているまことの超国家的な人々が裁判席を
占めるようになるのか否かにかかっている。このような超国家的な人々にとっての模
範が法王の席である。カトリックの全キリスト教徒の教父になるために、法王はその
国から抜け出している。その主権は、往々にして国際法学のなかでなされているよう
に、歴史的にのみ納得がゆく国際法上の変則として評価されてはならないのであり、
それはむしろ国際法上の新形成の出発点になされなければならないのである。【111】
キリスト教的宗教ばかりでなく、他の国際的な諸勢力、科学、芸術、法もまた、それ
らが国際的な世界のなかでともにそそり立つ、独立した先端的な諸々の組織化をもつ
ようにならなければならないであろう。国際的な精神的諸勢力のこのような代表のな
かで、もはや国家のなかに閉じ込められているのではなく、もっぱら全人類に奉仕す
ることを知っている人々によるひとつの根幹が形成されるのである。このような超国
家的な人々だけが、本当の意味における国際的な法の言い渡しの任務に就くまでに育
て上げられるのであろう。このような人々だけが一種の妥協に従って争っている二つ
の国家の両側の不法を媒介する対角線を引く能力を有しているばかりでなく、むしろ
すべての国家を凌駕している人類という視点から本当の意味における国際法を創り出
すことができるのであろう。
ニュールンベルクの ― そして他の多くの ― 死刑判決に直面して、われわれ古く
54
同志社法学 61巻 ₁ 号
(417)
からの死刑反対者も沈黙してきた。有罪判決の対象となった犯罪は、通例の刑法上の
諸尺度では無力をさらけ出すほかなかったほどに恐るべき規模の、そしてそれほどに
根深い不法心情のものであった。カントはかつて「極端な悪」の理念を話題にした。
彼はそれを、人間は自らを、倫理法則に反して行為するという格率に、原則にするこ
とのなかに見出している。そして彼はこのように極端な悪を、倫理的無価値から倫理
的価値へのこのような転倒をなすことは人間的に不可能であり、単なる限界事例←で
あると説明した。ニュールンベルクの裁判所の前にはこの種の悪の諸々の具現化が肉
体をもって居合わせている。ブッフヴァルト( Buchwald)強制収用所から(後にア
ウシュビッツ( Auschwitz)で忙殺されるために)帰還した私の近しい友人のひとり
は、ひとりの深く人道的な人は、私が決して忘れないような発言をした。「このよう
な人々は」と彼はブッヘンヴァルトの苦しみについて言った、「死刑という言葉以外
のどのような言葉も知らないのであろう」と。死は独裁と戦争の12年間において、ひ
とがまさに重罪とされた人を省いているときにそれを彼がわかっていないほどに安っ
ぽくなっていたのであり、あれほどに膨大な数において、あれほどに残虐な形式にお
いて現実のものになっていたのである。しかし、人間の生命と人間の幸福に対するこ
のような恐るべき無関心のもとではいったんは終止符が打たれなければならないであ
ろう。ゲーテはかつて18世紀の刑法の諸々の大改正について述べている。「罪あるも
のにたいしても寛大に、犯罪者にたいしてもいたわりを寄せ、非人間にたいしても人
間らしくふるまうようになるまで人類はどれほどの道のりをあゆまなねばならなかっ
たことだろう」←と。われわれはこの道を大幅に後戻りしていることを、そして反転
への ― 人道に向けての反転への、法的安定性に向けての反転への適切な時点を摑み
取るのが難しくなっていることを恥じらいをもって告白しなければならない。長期間
を通して目的刑しか、無害化[113]、【113】威嚇、よくしたところで改善しか問題と
されておらず、目的刑に限界線を引く諸理念、まさに人道と法的安定性についてはと
もに問題とされることはなかったのである。法的安定性のためには Nulla poena sine
lege, 法律なければ刑罰なしという古くからの命題へと立ち戻ることも十分ではなく、
これまで進歩として歓迎されてきたものからの、個別化、心理学化からの、とりわけ
行為者刑法と呼ばれているものからの強度の減額をもしなければならないのである。
法的安定性は、刑法的諸概念が誤って適用するという危険が、すなわち法的安定性に
とっての危険が憂慮すべき程度にまで担われていることから、これらの概念のあまり
にも広きに及ぶ内面化と純化を禁じているのである。われわれは、その理論がいまや
再びあれほどに現実的になっている、偉大な刑法改革家であるフランツ・フォン・リ
スト( Franz von Liszt)が目的刑の理論とならんで法的安定性の思想に等しく力強
い表現を与えたことを忘れていない ― 彼は、刑法典は犯罪人のマグナ・カルタであ
(416) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
55
るという、いまや標語になっているパラドックスを形づけたのである←。
法制度の革新における主導のためには、全ドイツのための最高の裁判所を、尊崇に
値するライヒ裁判所に代わるひとつの代替物を必要としている。この種の裁判所だけ
がわれわれの諸憲法の、そして将来の全ドイツのための憲法の人間的および市民的諸
権利を有効に保障することができるのであろう。最高のドイツ裁判所のひとつの模範
は、スプリーム・コート(Supreme Cort)、合衆国の最高裁判所、この地球が知って
いる最も強力な法廷でなければならない。この裁判所が憲法の基本的な諸権利を保障
しているのである。この裁判所は合衆国の全国家機関としてその合法的な諸々の働き
において統制している。その居城のなかではアメリカの法観の諸々の変遷が演じられ
ている。現に社会法への方向転換は大体において、偉大な裁判官であるオリヴァー・
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ウ ェ ン デ ル・ ホ ー ム ズ(Oliver Wendell Holmes) ← の 反 対 意 見( dissenting
opinions)から、小数票決から、彼自身の胸中にある個人主義的な動機と社会的な
それとが等しい力をもって互いに格闘して徐々に多数票決になったということを通し
て成し遂げられたのである。全ドイツのための法廷というものだけが、これと同様の
権威を獲得することができるのである。どのような形式においてであれ、ドイツの政
治的統一およびこれとともに全ドイツのための裁判管轄権が再建されること、これこ
そ法の領域に向けられるわれわれの諸要求のなかでも最も差し迫った要求である。
しかしわれわれの法には、最高の裁判所における具現化よりもいっそう高い神聖さ
が与えられなければならない。宗教的な神聖さを欠いている法というものがどれほど
弱いものであるのかを、われわれは[15]国家社会主義者による法の蔑視の重苦しい
時代のなかで十分に過酷に経験した。カトリック【114】の教義は、法の宗教的な裏
づけというものを決して欠かせることはなかった。すでに神の創造というものを通し
て自然の諸法則をもって世界の自然法を叙階し、神の啓示は教会にそれに固有の法を
授与した。福音派の教会もまた、法の純世界的な秩序としてのルターの見解を超えて
法に再び宗教的な基盤を与えることに努めている。このことは、さほど古くはない時
期に教会の側からバード・ボル( Bad Boll)に召集されたあの法曹会議の意味であっ
たのであろう。法の神聖さへの信仰告白においても、それゆえに二つの教会はひとつ
の共通したキリスト教の道を歩んでいるのである。
このような道は、旧約聖書にその表現を見出したローマ人とならぶ他の偉大な法民
族の叡智を通してともに規定されているのである。そこにわれわれは過去12年の間
に、われわれ自身の法的急迫状態にも当てはまるきわめて崇高な表現を、伝道者ソロ
モンのなかに見出した。
「わしは、天が下で行なわれる諸々の虐げを見た。ああ、虐げられる者には涙、誰
も彼らを慰める者はいない。虐げる者の手には権力、虐げられる者には慰めがない。
56
(415)
同志社法学 61巻 ₁ 号
それでわしは、まだ元気で生きている者よりも、すでに他界した死人を讃える。だが、
この両者よりもさらに幸福なのは、まだ生まれず、したがって天が下で行なわれる悪
を見ない者である」←。
あれほどの感じ取られた法的急迫状態というものの苦しみから、法の革新はその最
善の諸力を引き出さなければならないし、また引き出すことができよう。[16]【115】
[ヴィンフリート・ハッセマー( Winfried Hassemer)による校訂]
【107】Die ernheuerng des Rechts, in: Die Wandlung, ₂(1947)
, S. ₈ ⊖16, auch in: GRGA Bd. 3,
Rechts-Philosophie III, Heidelberg 1990, S. 107⊖114.
【110】
(民法典からの訣別)
: Franz Schlegelberger, Abshied vom BGB, 1937. シュレーゲルベルガー
は1876年に生まれ、1970年に死す。彼は1931年以来、司法省の国務次官であり、1941/42年
に一時的に委嘱を受けて司法省を主宰した。
―
(ハルシュタイン)
:Walter Hallatein, 1901年マインツに生まれ、1981年シュツッットガルト
に死す。法学者であり教授であった。1930⊖41年ローストック大学教授、1941⊖48年フランク
フルト・アム・マイン大学教授。1950年に連邦首相の国務次官に、1951年に外務相国務次官
に招聘。1958⊖1967年にはヨーロッパ経済共同体 ― 委員会議長。ハルシュタインとは、全
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ドイツ国民のための連邦共和国の単独代理請求権の外交が結びついている(いわゆるハルシ
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ュタイン―ドクトリン)
。
―
(された):Walter Hallastein, Wiederhestellung des Privatrechts, SJZ ₁(1946)
, Sp. ₁ ff.
【112】
( 限 界 事 例 )
:vgl. Kant, Methaphiphysische Anfangsgründe der Rechtslehre, AkademieAusgabe Bd. VI, S. 322 Anmerkung:「われわれが見る限り、正真正銘の(全く無益な)悪に
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よってそうした犯罪を犯すことは、人間には不可能であるが、
(極悪という単なる理念であ
っても)道徳の体系にあってはこれに言及しないわけにはいかない。
」
[樽井正義・池尾恭一
訳『人論の形而上学』カント全集 ₈ (岩波書店、2002年)第一部 法論の形而上学的定礎 166頁]
【113】
(ことだろう)
:Goethe, Wilhelm Meisters Wanderjahre oder die Entsagenden I, Erstes Buch,
Zweites Kapitel, in: Werke(WA)
, I. Abt., Bd. 24, S. 66. この引用は次の関連のなかで言われて
いる( S. 65 f.)
:
「ともかく、よく落ち着いて考えるんだ、フェリース」と父親が言い出した。
「あせったって、暴れたって、ここから出られやせんのだよ。この謎はそのうちにとけるよ。
お父さんのひどい思いちがいでなければ、われわれは悪い人の手に落ちたんじゃないな。こ
の文字をごらん。『無実の者には釈放と弁償、誘惑された者には同情、罪人には処罰の公正』
とある。この文句からすると、この設備は必要から生まれたもので、残虐の所産ではないよ。
人間というものは、他人にたいして自分をまもるべき理由があまりにも多すぎる。悪だくみ
のものはじつにたくさんいるし、それを実行するものも少なくない。だから、それぞれに妥
当な生き方をしようと思えば、いつも親切にするだけでは不十分だね。
」
フェリークスは気を取りなおしていたが、すぐさま寝床のひとつにからだを投げ出した、
もう父の言葉になんの考えも述べず、なんにもこたえずに。父親は話をやめず、語りつづけ
た。「おまえがこんなに小さいうちに、なんの罪もないのに味わった経験を、おまえがどん
な世紀に、どういう徹底した世紀に生まれたかということの生きた証拠として忘れないよう
にするんだな。罪あるものにたいしても寛大に、犯罪者にたいしてもいたわりを寄せ、非人
間にたいしても人間らしくふるまうようになるまで人類はどれほどの道のりをあゆまねばな
(414) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
57
らなかったことだろう。こういうことをはじめて教え、その実行を可能にし、促進すること
で一生をおくった人たちは、まことに神のような性質の人たちだったのだ。人間は美の顕現
にたいする能力はめったに持っていない。善にたいしてはもっとない。だから、大きな犠牲
を払って善を促進しようとするひとびとを、われわれはどんなに尊重しなければならないこ
とだろう。」[登張正實訳『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』ゲーテ全集 ₈ (潮出版社、
1981年)39頁以下]
【114】
( 形 づ け た の で あ る )
:Franz von Liszt, Über den Einfluß der soziologischen und
anthoroprogischen Forschungen auf die Grundbegriffe des Strafrechts, in: ders.,
Strafrechtliche Aufsätze und Vorträge, Bd. 2, 1905(復刻版 1970), S. 80. この引用は次のよ
うに言う。「私の意見によれば、それがどのようにパラドクシカルに思われようとも、刑法
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」
典は犯罪者のマグナ・カルタである。
―
(ホームズ)
:Oliver Wendell Holmes, 1841 ボストンに生まれ、1935年ワシントンに死す。
アメリカの州裁判官で法哲学者、1902⊖1932年最高裁判所(Suprreme Court)の裁判官。
Radbruch, Oliver Wendell Holmes. Zur Biographie eines amarikanischen Juristen[ SJZ 1946,
S. 25 ⊖27]
, GRGA Bd. 16, S. S. 136 ff., に転載。
【115】
(である):Prediger Salomo, 4, ₁ ⊖ ₃ .[中沢浩樹訳「旧約聖書」世界の名著12『聖書』
(中央
公論社、昭和43年)286頁]
58
(413)
同志社法学 61巻 ₁ 号
法学的思考形式としての事物の本性(1948年)←
「事物の本性」という概念は普遍的な精神史に属している。現にシラーはゲーテの
思考方法をこの思考形式を通して、その「つねに客体から法則を受け取り、事物の本
性からその規則を導き出す手堅いやり方」を通して最も適切に特徴づけることができ
︵₂₀︶
ると考えた。事物の本性は、存在と当為との、現実と価値との峻厳な二元論を和らげ
ることに努めている、理性を諸物のなかに探し求めているすべての者の解決策であ
る。それは、精神史においてつねに新たに燃え上がり、ドイツの天才の古典的な時代
ではカントとゲーテという二人の偉大な人物に具現されている二つの思考方法のあの
闘争におけるひとつの標語である。
この小論では、しかしながら法学的思考形式としての事物の本性が問題になって
︵₂₁︶
いる。法学的方法論におけるこのような思考形式の使用の歴史を、ここで一通り描き
︵₂₂︶
出すことが求められる。 ― それというのもこの歴史はひとつの継続的な発展をでは
なく、新たな試みの繰り返しのひとつの関連のない系列を表わしているからである。
この思想の起源[ ₅ ]は確かにギリシャ人の思考(physei dikaion)にあり、そのラ
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テン語の言語表現,rerum natura, は、その教訓詩 にこの表題が付けられているルク
レテイウス( Lucrez)←にまで遡る。それが広く流布したことは、察するにルクレテ
イウスの作品の死後の編者であるキケロに負っていると考えられる。彼から事物の本
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︵₂₃︶
性の思想はローマの法律家に達し、さらには学説集成のなかにまで及んだ。中世は、
︵₂₄︶
とくにトマス・アクィナスがこの思想を受け継いだ。近代では事物の本性の概念はと
くにモンテスキューの『法の精神(Esprit des lois)』を通して取り上げられ、その最
初 の【229】 の 章 は、„Les lois, dans la signification la plus étendue, sont les rapports
nésessaires qui dérivent de la nature des choses ←(法律とは、その最も広い意味では、
(20)
(21)
1795年11月 ₉ 日付のW・v・フンボルトに宛てたシラーの手紙。附録Ⅰ参照。
私の論文、La Natura della cosa in der Rivsta Internationale di Fil del Dir, 参照。本論文は以
前のこの作品に手を加えて拡張したものである。
(22)
Max Gutzwiller, Zur Lehre von der N. d. S. in der Festgabe der Jur. Fak. Freiburg f. d.
Schweitzer Juristenverein 1924, S. 294 ff., およびHermann Isay, Rechtsnorm und
Entscheidung 1929, S. 78 f.,に お け る 教 義 史 的 素 描、Alberto Asquino, La natura dei come
fonto die Diritto, Archivio giuridico Serafini, vol 85 1921, pag 129 sにおける文献指示をも参照。
(23)
(24)
natura rerum については、附録Ⅱ参照。
自然法( Jus naturale)
:これは何人にも事物の本性それ自体(ex ipsa rei natura)を保障
している( Geyer, Gesch. und Syst. d. Rechtsphil. S. 26)
. 人間の諸々の行為はその規制を、創
造された諸物から導き出される理性的規範を通して受け取る。
」
(Mausbach, Naturrecht und
Völkerrecht, 1918, S. 27.)
(412) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
59
︵₂₅︶
事物の本性に由来する必然的な諸関係である)
“という言葉をもって始まっている。そ
れ 以 来、 こ の 公 式 は 繰 り 返 し 立 ち 現 わ れ る の で あ り、 そ れ は ゲ ル マ ン 主 義 者
(Runde ←)の場合にも、ロマン主義者(Voigt ← . Leist←)の場合にも、自由法運
動( Adickes ← , Ehrlich←)の内部におけるのと同様に、歴史学派( Savigny← ,
Puchta ←)および概念法学(Ihering)の枠内に、とりわけカトリックの法理論
︵₂₆︶
(Mausbach←)にも見られる。諸々の法律がつねに取引上の交通の発達を通して特別
︵₂₇︶
に可視的に規定された商法にそれが現われるのも偶然なことではない。これとは別の
名のもとでも事物の本性は、現に「立法の諸々の素材」についての理論(Eugen
Huber← )に、 現 象学 的「 本質直観」(Reinach←)の、「具 体 的秩 序 思考( Carl
︵₂₈︶
Schmitt ←)のなかに容易に認めることができるのである。
ひとは事物の本性を自然法上の思考形式として誤解してはならない。事物の本性と
自然法とはむしろはるかに対立している。人間の本性すなわち理性から導き出される
自然法はあらゆる時代と民族にわたって同じ法を根拠づけることを要求するのである
が、しかし事物の本性からは歴史的および国家的な法的諸形式の多様性が明らかにな
る。したがってそれは、歴史的、国家的保守的な法思考の基盤として役立つのに優れ
て適しているのである。それだから歴史学派が自然法に対するその闘争的な態度にも
かかわらず事物の本性を好んで用いたということが、確かに理解しやすくなるので
︵₂₉︶
ある。E・I・ベッカー(E. I. Becker)は「サヴィニーの体系は全面的に事物の本性か
らの演繹によっている」ことを証明しており、ランズベルク( Landsberg)は事物の
本性に正当にもその精神史的な場所を18世紀の抽象的な理性法と19世紀の諸々の構成
との間に、【230】それゆえに歴史学派のなかに割り当てている。さらにイエーリング
(25)
(26)
モンテスキューについては、附録Ⅲ参照。
Justus Friedr. Runde, Gründsätze des gemeinen deutesche Privatr. 8. Aufl., 1989, § 80, S.
72; Moritr Voigt, Die Lehre vom jus naturale, Bd. I, 1856( vgl. Register u. besonders S. 547
ff.); Burk, Wilh. Leist, Civilist. Studien, Bd. I, 1854, Bd. 4, 1877 und: Naturalis ratio und Natur
d. Sache, 1869; Franz Asickes, Zur Lehre von den Rechtsquellen, 1972; Eigen Ehrlich in den
(Wiener)Jurist. Bl., Bd. 14, 1888, S. 510 ff., 581 ff., Soziologie des Rechts, 1913, S. 26 ff. この論
文にとってしばしば指標となっている最近の特別な叙述として、Max Gutzwiller(先の注 ₃
参照)。Leist については、附録Ⅳ参照。
(27)
Über Vivabte: Asquino( 先 の 注 ₃ 参 照 ) お よ びDi Carlo, Il diritto naturale nel pensiero
Italiano 1932, p. 66 ff.
(28)
Eugen Huber, Zeitschr. f. Rechtsphi., Bd. 1, 1914, S. 39 ff.; Adolf Reinach, Die aprior.
Grundlagen d. bürgl. Rechts, 1913; Carl Schmitt, Über d. drei Arten des rechtl. Denkens, 1932,
p. 66 ff.
(29)
E. I. Bekker, Streit zw. d. histor. u. d. philosoph. Rechtsschule, Haidelberg, Akad. Rede 1886,
Anm. 10. Erich Jung, Das Probl. d. natürl. Rechts, 1912, S. 39 ff.; Landsberg, Gech. d. dt.
Rechtsw., 3. Abt. 1898, S. 452.
60
同志社法学 61巻 ₁ 号
(411)
(Ihering)は、その方法を事物の本性という言い方ほどに忠実に再現している表現は、
︵₃₀︶
他にはほとんど存在していないと述べている。歴史学派が実証主義にまで狭隘化し、
いまや本質的に法的安定性の危殆化に対する恐れによって支配されたときにはじめて
事物の本性と自然法とは同じ劫罰に陥った。いまやヴィンドシャイト( Windscheid)
は事物の本性を「ひとつの隠蔽された表現←と言っても不当ではない」と述べ、そし
ていっさいの自然法的異端の偉大な審問官であるベルクボーム( Bergbohm)はそれ
を異端として排斥するまでに及んだ。「いまだに」と、彼は嘲笑する、「ひとは事物の
︵₃₁︶
本性に、いまだ現存していないような法規範を無理矢理に奪い取ろうとしている」。
しかしほぼ同じ時代にデルンブルク( Dernburg)←は、事物の本性の概念と課題に
とって次のような言葉を見出した。「生活諸関係は、その発展には多少とも違いがあ
るとは言え、その尺度とその秩序をそれ自体のなかに担っている。諸事物のなかに内
在しているこの秩序が事物の本性と呼ばれる。ある実定的な規範が欠如している場
合、もしくはそれが不完全または不明瞭の場合には、思考する法律家はそれに立ち帰
らなければならない。事物の本性は自然法と混同されてはならない。自然法は、人間
それ自体の本質から引き出される諸帰結に立脚している。それは法の直接的な適用に
︵₃₂︶
は適していない」。
法学の精神史的な諸段階と同様に、事物の本性という思考形式の標識における法学
的な思考方法の様々に異なる文化領域もまた互いに区別される。継受されたローマ法
と後期法典編纂の国々の法秩序は規範主義的な法観によって支配されているのであ
り、法律の解釈と法律の欠缺のために事物の本性という思考形式を用いることは好ま
れず、また好まれるとしてもほんのまれである。これに対してローマ人の生ける法は、
ひとつの[ ₈ ]本質的に事物の本性から創造された法であった。「自然それ自体によ
って予示された法的諸関係をただ単に冷徹に実行するというようなことは、ローマ民
族には全く思いもよらない」とテオドール・モムゼン( Theodor Mommsen)は述べ、
同じ意味においてローマ法のひとつの新しい弁明のなかで次のように言われている。
「ローマの法律家たちが努めているものは事物の本性から、生活諸関係の本性から生
︵₃₃︶
じてくる原則を見出すことである」。同様に英米のケース・ローが意味しているのは
― 制定法と拘束的な先例の枠内における ― 【231】事物の本性から法の発見であ
り、そしてとりわけ衡平(Equity)は、硬直したコモン・ローに対してさえも事物の
(30)
Jhering, Geist Ⅱ, 2. u. 3. Aufl., 1892, S. 388.
(31)
Bergbohm, Jurisprudenz u. Rechtsphir. Bd. 1, 1892, S. 353.
(32)
Dernburg, Pandekten, Bd. I, 3. Aufl. 1892, S. 87.
(33)
Mommsen, Röm. Geschichte, Buch 1, Kap. ₅ ; Fritz Schulz, Prinzipien des Röm. Rechts,
1933, S. 24.
61
(410) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
本性を正当に評価しようとする試みを、すなわち、もちろんそれ自体が結局のところ
拘束的な先例のケース・ローというものに流れ込んでいるような試みを意味している。
法的思考のこのようなイギリス的なやり方はイギリスの精神的なあり方に深く根差し
ている。「イギリス人の全精神的態度はその法制度に対して、そしてその政策に対し
ても、それらが発生する場合にはじめて諸々の問題に取り組む経験的な方法に基いて
いる。定義づけることにおける過剰というもの( Overdefinieren)の先取りをする法
︵₃₄︶
律上の規定( proleptic law)に対する嫌悪というものがつねに支配したのである」。
事物の本性という言い回しは一般的な言語使用に、それもどのような根拠づけをも
必要としていないように思われてさらなる議論をあっさりと切り詰めてしまうような
自明性の表現形式として移行している。それは確かにときとして、さらなる諸々の理
由もなく明証の要求をもってする法実務におけるのとは多く異なっていないように見
える。とはいえ法理論は事物の本性の論理的な本質を、存在の認定と価値の評価との
一風変わった結びつきをいまだに十分には解明していない。このことをここで[ ₉ ]
次の三つの問いの指導原理に則して試みることが求められる。「事物」とは、「本性」
とは何を意味しているのであり、「事物の本性」という結合はどこからやってくるの
か。
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₁ .考えられている「事物」とは、法を形成することができる実体、材料、素材で
ある。そのさい素材としてある個別事例が裁判官の前に置かれているのか、それとも
立法者の前に互いに密接な関係にある個別的な諸事例のひとつの総体が置かれている
のかは問題ではない。事物の本性を解明するための手続きは両者の場合において同じ
である。法の素材は人間の共同生活であり、あの諸関係と諸秩序の構成部分である社
会の内部における生活諸関係と生活諸秩序の、ならびに生活諸事実の全体である。わ
れわれがこのような現象の充満を概観したうえで整序することを試みようとするな
︵₃₅︶
らば、われわれは ― 相隣権にとって重要であるところのリンゴが垣根を越えて落ち
ることから、それに従って法的な期日や期間が最終的に規定される地球の自転に至る
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までの ― 自然的な諸事実をもって始めなければならない。人間による自然の進展す
る支配、技術の発達は新しい諸々の素材と新しい諸々の法的問題を創り出す。たとえ
ば電話を用いた契約の締結は居合わせていない者の間の契約の締結か、それとも居合
わせている者の間のそれか。諸物の人間との感覚的な関係は、【232】民法と刑法にお
ける事実上の所持、占有、所有物および財産権というように前進的に精神化する諸概
念にとっての基盤である。人間もまたその身体的および精神的な性情において、彼が
(34)
Sir Henry Slesser, The Law 1936, p. 16.
(35)
E. Huber Gutzwiller, a. a. O.における同様の試みを見よ。
62
(409)
同志社法学 61巻 ₁ 号
法的な規制の客体として現われる限りでわれわれの感覚における自然的なもの、一個
の存在者である。立法者が「法における人間」を(私法におけるように)経済人(homo
oecomicus)という範型に従って[10]きわめて怜悧で利己的であると表象している
のか、それとも(たとえば選挙権を保障している場合の公法におけるように)公共的
な答責感情によって満たされている者として表象しているのかは、法の精神にとって
︵₃₆︶
しばしば決定的である。幅広い根源的な諸事実と根源的な諸関係、
「人間的生活の自然
の諸形式」←(ヴィクトール・へーン( Viktor Hehn)←)は法全体を、しかしまた
とくに家族法と相続法を担っている基盤である。誕生と死、少年、青年および高齢者、
性的結合と出産、親であることと子であることは、ウルピアヌス( Ulpian)が自然
法を次のような意味において根拠づけている動物的な事実である。quod natura omnia
animalia docuit: maris atque feminae conjunctio, liberorum procreatio et educatio(自
然ゆえにあらゆる動物が、男と女が結合して生殖を通して子供を作って教育すること
を教えている)←.しかしこのようなすべての関係と事実が自然的な原料としての法
の素材ではない。法は直接的に自然の性的および生殖的な関係にではなく、むしろそ
の自然的な核がそれを形成している社会的な諸形象に、すなわち単婚か、それとも多
婚か、母権か、それとも父権かに基いているのであり、法的な時間の諸々の測定にと
って地球の自転が直接的にではなく、むしろカレンダーにおける慣習的な規定を通し
て決定的になるのである。法の素材は概念的に多様に前形成されたひとつの現実で
︵₃₇︶
ある。Ubi homines sunt, modi sunt←(人類の住まわっているところ、そこに風習あり)
とゲーテはその遍歴時代のなかで(第三の書、第一章)言い、この言葉を、人々が社
会のなかにともに立ち現われるところでは、彼らがともにあり、そしてあり続けるで
あろうその態様を直ちにともに形成するというように説明している。
このようにしてわれわれの概観の第一級はすでに第二級を指し示している。すでに
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慣習、伝承、しきたり、習俗を通して規制されている法的諸関係の前諸形式、「未発
︵₃₈︶
達の慣習法」
[11]たとえば債務法の基盤になっている取引の諸類型、法人にまで高め
られることへの要求を【233】それ自体のなかに担っている地方自治体や教会のよう
な集団的な諸形象、すでに国民の良心が非難しており、そのためにそれが禁止と刑罰
を要求している反社会的な諸々の行為、しかしまた間違っている習俗への定着を考慮
に入れることなしに法が克服することができない「悪習」(決闘、賭博)もがこれに
(36)
Radbruch, Der Mensch im Recht, 1927; Hugo Sinzheimer, Das Problem des Menschen im
Recht, Groningen 1932.
(37)
Radbruch, Rechtsstoff und Rechtsidee, Kantfestschr. f. Intern. Vereinigung f. Rechts ― u.
Wirtschaftsph., 1924, S. 183 ff.
(38)
Walter Jellinek, Verwaltungsrecht, 3. Aufl., 1931, S. 155.
63
(408) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
属している。
法的な規制のこのような前形式は明確な限界なしに慣習法に、そしてこれとともに
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「事物」の第三形態に移行する。 ― それというのも法的に規制された生活諸関係も
また法の素材であり得るとともに事物の本性にとっての材料であり得るからである。
国家間の法と同時間の法、国際法、国家教会法、手続法は第二等級の法、その下の地
階ではすでに他の諸々の法が住んでいるより高い階の諸々の法がこれに属している。
経済的な諸事実とそれらの法への影響が問題とされる場合であっても、シュタムラー
︵₃₉︶
( Stammler)がその唯物史観の批判のなかで論じているように、不可避的にそれらの
法的規制がともに考えられているのである ― それらは法生活の一片である。過去の
法もまた、それも経過諸規定においてばかりでなく、「正当に獲得された諸法」の形
態において後々まで影響を及ぼす。ある新しい法的規制が対立していたこれまでの法
に代わって立ち現われるのか、それがこれまでに開墾さていない敷地のうえに打ち立
てられるのか、そして逆にある制度、たとえば死刑が廃止されるのか、それともそれ
は導入されないのかはひとつの差異をなしている。自然法はこの差異をしばしば顧慮
しないままにしておいた ― しかしたとえば議会主義は、それが(イギリスにおける
ように)以前の諸段階から発達してきた場合では、(フランスとドイツにおけるよう
に)それがひとつの新しい形象として絶対的な国家のなかに潜り込んでいる場合とは
別の様相を呈しているのか。この意味においてゲーテが遍歴時代のなか(第二書、第
二章)「市民社会がどのような国家形式に属していようとも、それはひとつの自然状
態とみなさなければならないという背理的な要求をした。←このように既存の法的状
態をも「事物」として顧慮しなければならないというようにして、事物の本性は歴史
的および保守的な方の見方にとってひとつの特別に使用可能な道具としての実を明ら
かにしている。
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₂ . 以上が「事物」についてであり、いまや「本性」についてである。ここで「本
性」が自然主義的に、そしてそもそもある存在者という意味において把握されようと
しないのは、自明のことである。デルンブルクがある生活関係に内在している秩序と
しての事物の本性を話題とするとき←、これをたとえば純理念的なものにとってのひ
とつの具象的な像として理解することができる。事物の本性はその本質、その意味で
あり、それも誰かある者によって考えられたのではなく、むしろもっぱら生活諸事実
関係それ自体の性情から【234】読み取ることができる客観的な意味であり、どのよ
うにしてそのような性情にあるこの生活関係を意味あるものとして、言い換えれば、
ある理念の現実化として考えることができることができるのかという問いに対する答
(39)
Stammler, Wirtschaft und Recht, 3. Aufl. 1914.
64
(407)
同志社法学 61巻 ₁ 号
えである ― では、この理念とはどのようなものか。それも法的な意味と、そのなか
に実現される法の理念が探究される。サヴィニーはかつて、法とは「特別な側面から
︵₄₀︶
見られる人間それ自身の生活である」と述べた。←ある事物の法的な意味が意味して
いるのはそれゆえ、ある一定の側面のもとである生活関係の全体から特定された諸要
素を選別することである。アンゼルム・フォイエルバッハ(Anselm Feuerbach=画家)
が、様式とは非本質的なものを正しく取り去ることであると述べたとき、彼はこれを
祖父から学ぶことができたのであって、それというのも法学上の様式もまた非本質的
なものを取り去ることだからである。そのようにして獲得された法的な様式はある法
理念の支配のもとにひとつの統一的な意味構造にまで総括されるのであり、これは、
しかしつねにそうであるとは限らなくてもたいていの場合では、ひとつの目的論的な
構造、法的な諸々の目的と手段からなるひとつの構造であるであろう。そのようにし
て生活関係はひとつの法制度に、ひとつの理想型に改造されるのであるが、しかしわ
︵₄₁︶
れわれがこれとともに示唆した手続きが法学的構成である。それは現象学的な立場か
ら「本質直観」として特徴づけられようとしたのであるが、しかしこれには著しい程
︵₄₂︶
度において賛同を見出していない。これに対してわれわれはそれを、リッケルト
( Rickert)←とマックス・ヴェーバー( Max Weber)←の目的論的な装置を援用して、
意味、理念理念被関係性および理念型を介して詳細に開明しようと試みた。このよう
な手続きの方法は生活諸関係とそれらの個別的な行動原則からそれらの理念に関係づ
けられた意味の意義を経て前進し、法制度の理念型にまで導くのであるが、しかし諸
帰結の詳細な叙述はこれとは逆に法制度から出発し、そこから個別的な諸原則を、な
らびに、それらの出発点を形成した諸原則と、論理的な一貫性をもって法制度の本質
から帰結するそれらをも展開することをつねとしている。このような叙述は例示に基
いたひとつの試験である。すなわちそれは、導出された法原則の完全性と無矛盾性を
通して構成の正当性のための保障を創り出すのである。それゆえに事物の本性はひと
︵₄₃︶
つの厳格な合理的方法であって、「直観の偶然」といったものではない。オイゲン・エ
ーアリッヒ( Eugen Ehrlich)は【235】事物の本性からの論証のための一連の例に
倣って「たとえ実定的な法律の諸規定に基くきわめて明確な弁証論を援用したとして
も、それがここでなされているよりも厳格な安定性と明確性をもって言い表わすこと
(40)
Savignys „Beruf“, Ausgabe, 1892, S. 18.
(41)
法学的構成については、附録V参照。
(42)
Reinaca, a. a. O.(先の注 ₉ を参照); これについては、Kantrowicz, Logos, Bd. 8, 1919, S.
111 f.
(43)
以前は私はそのように考えた。Rechtsphilosophie, 3. Aufl., 1932, S. 7.
(406) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
65
︵₄₄︶
ができるのか」と述べている。
₃ .事物の本性をある法理念に関係づけられたある生活関係の意味として特徴づけ
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ることともにすでに、事物の本性はどのような限界において法的妥当を要求すること
︵₄₅︶
ができるのかという問いが決定されている。それは確かにどのような存在者でもない
が、しかしそれはある存在者に結びつけられている。それは事実上の生活関係に帰せ
られる意味であり、この意味の根底に置かれている法理念の表現である ― が、しか
しこれによっていまだ妥当するものとしての実を明らかにされていない。事物の本性
は自力から妥当するといったものではない、それはどのような法源でもない、それゆ
えにそれはある法源がそれに明示的もしくは黙示的に余地を保障している限りでの
み、妥当するのである。それは、それによって明らかにされる生活関係の意味と、そ
れが根拠づけられる理念とが法の精神と矛盾していない限りでの法律の解釈および欠
缺補充のひとつの手段である。それは、ある生活関係の規制にとって具体的な立法者
によって考えられている理念というものを証明することができず、むしろ「立法者一
般」を、抽象的な意味における立法者を引き合いに出すことを余儀なくされている場
合にのみ適用される法律の解釈および補完の最後の手段( ultima ratio)である。
︵₄₆︶
しかしさらには、事物の本性は立法者にとってのひとつの指導思想である。支配的
な指導思想は、立法者にとってはもちろん法の理念である。しかし法の理念は事物の
本性を顧慮することを余儀なくされているばかりでなく、それはむしろこれによって
内的に規定されているのであり、事物の本性はそのなかに分ち難く融合されているの
である。事物の本性の法の理念とのこの関係が、われわれの締め括りの対象でなけれ
ばならない。
事物の本性という思考形式は、カントにおいて当に為されて然るべきあるもの存在
者からの根拠づけもしくは限界づけが陥っている「言うところの逆らっている経験の
粗野な援用」←という非難にさらされているのか。事物の本性はもちろん、差し当た
りは法的な諸理念の貫徹の可能性の視点のもとに現われる。この視点のもとで事物の
本 性 が 意 味 し て い る の は、 法 的 な 諸 理 念 が そ の 実 在 化 可 能 性 の た め に、ratione
temporum habita(一時的な環境を考慮して)【236】多かれ少なかれ甘んじなければ
ならない「世間の愚昧な抵抗」である。すでにソロン(Solon)←がこのような抵抗
について知っていた。彼はその市民たちに考え得る最善の法律を与えたかと彼に問わ
れたとき、彼は「最善の法律を与えたのではもちろん全くないが、しかしそれでも彼
らがなし得た最善の法律であれば、これを与えた」←と述べた。しかし事物の本性は
(44)
Juristische Blätter(S. 先の注 ₇ 参照)583.
(45)
Reinach, S. 158 Gutzwller, S. 294もまた、事物の本性の無条件的な決定性に反対している。
(46)
事物の本性の取り扱いのための諸事例:社会法についての附録Ⅵ参照。
66
(405)
同志社法学 61巻 ₁ 号
法思想の貫徹のひとつの障害として現れるばかりでなく、それはむしろ法思想それ自
体のなかに入り込んでいるのである。それは、法思想がそのなかで生み出され、その
影響がその内容と不可分である「歴史的風土」を指し示しているのである。立法者は
ゲーテの言葉に従って「不可能なことを敢行する」←人々に属しているのをつねとし
ているのではなく、その法思想はたいていの場合にはじめから、そして無意識的に歴
史的に可能なものの限界内に、そしてこれとともに事物の本性のなかにとどまってい
るのである。実在化可能性に配慮することとこのように歴史的風土に条件づけられて
いることは、しかしながら単に、法理念が諸事実の力に捧げるような必要に迫られた
犠牲であるとみなされるべきではない ― 法と道徳とははるかに内的に緊密に結びつ
けられているのであって、それというのも法理念のひとつの本質的な構成部分は法的
安定性であり、そしてこれは、権力が屈しもし役立てもするような法にのみ適してい
るからである。しかしいっそう深くかつ本質的に第三の考慮がわれわれに法理念を事
実性と結びついていると思わせる。「それが実在的なものから選別されるやいなや、
すべての理念はこれとそれ自体を消尽してしまう」←とゲーテは言う。どのような当
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為もある一定の素材のために、そしてそれゆえにこの素材を通しても規定されるので
︵₄₇︶
あり、すべての妥当は(エミール・
[16]ラスク( Emil Lask )のある言葉によれば)、
ある一定の実体に向けて妥当しているのである。理念と素材とのこのような関係づけ
を理念の素材被規定性と呼ぶことができる。そのようにして法理念もまた法素材のた
めに、そしてそれを通して、そのつどの時代を通して、とくに国民を通して、要する
に事物の本性を通して規定されているのである。
美学教育についてのその書簡のなかでシラーは素材の形式への、理念への反作用を
︵₄₈︶
感覚細やかに描いている。彼は手工業者と芸術家から出発する。彼らがその手を形態
のない素地につけるとき、彼らは「それに暴力を加える」というような考えを全く抱
いていないのであって、それというのも彼らが手を加える自然は、「それ自体として
どのような尊重にも値していないからである」。【237】もちろんそのさい芸術家は自
然のしなやかさの美しい外観を守らなければならない。われわれはもちろん、このよ
うな峻厳な二元論に対して、芸術家と手工業者は、彼らが彼らの素材 ― たとえば大
理石か、それとも青銅か ― を自由に選ぶことができることから、それに暴力を加え
ることを余儀なくされていないと異議を申し立てたい気にもなるであろう。その場合
(47)
Emil Lask, Die Logik der Philosophie, S. 57 ff.(意義の差異についての理論)
。直接的にも
ラ ス ク は、Kuno Fischer, Die Philosophie im Beginn des 20. Jahrhunderts, 1. Aufl., Bd. 2,
1905のための記念論集へのその論稿「法哲学」のなかで、根底的な論述を通した法理念と法
素材との間の関係の解明を要求している。
(48)
Schillers Werke, harausg. Von Reinhard Buchwald(Inselverlag)
, 1944, Bd. 2. S. 242.
(404) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
67
にシラーは「教育学的で政治的な芸術家」に立ち向かう(そしてそのようなものとし
てわれわれは法律家をもみなすことができる)。この芸術家は人々を同時に彼の素材
にも彼の課題にもするのであり、それゆえにここで目的は素材のなかに立ち帰るので
あり、「そして全体は諸部分に役立っているがゆえにのみ、諸部分は全体に順応する
ことができるのである。みごとな[17]藝術家がその材料に対して申し立てる人々と
は全く別の尊重をもって国家の芸術家は彼のものに接近しなければならないのであ
り、単に主観的に感覚へとひとを欺くような影響のためにではなく、その内的な本質
のために彼はその特有性と人格性を大事に扱わなければならないのである。」かくし
てシラーは政治的および法的な領域のために理念の素材被規定性にもうひとつの道徳
的な基盤を、つまりは「人間は、たとえ彼が超個人的な秩序の客体になるところであ
っても、つねに同時に一個の自己目的として尊重されなければならないというカント
の倫理学のあの根本思想を与えるのである。
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附録Ⅰ:シラーとゲーテ
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1795年に11月 ₉ 日付でフンボルトに宛ててゲーテの「つねに客体から法則を受け取
り、事物の本性からその原則を導き出す手堅いやり方」について書いたものは、建築
︵₄₉︶
術についてのゲーテとのある対話に基いている。ゲーテは基礎、支柱(柱、壁)およ
び屋根という三つの要素から大掛かりな建造物の(今日ではそう言われるであろうよ
うに)理想型を展開したのであるが、これは、それが実際的な欲求の支配的な制約に
おいてのみ美に役立っていることから、現実の建造物にはいまだかつてほとんど純粋
に表現されてはいないのであるが、しかしそれらすべてにとって窮極的な意味と尺度
である。シラーはこの理論を、「どのように特別な建造物にも建造物一般という類概
念が種概念に対して自らを主張することを求めている」というように解する。1794年
₈ 月23日付のゲーテに宛てた有名な書簡のなかでシラーはこれと同じ意味において、
︵₅₀︶
「類の性格を伴なう個別的なもの」を話題としていた。もちろん類という言葉がシラー
によって考えられた事物に厳密に当たっているのではない ― 【238】ここで問題に
なっているのは類ではなく類型であり、普遍的なものではなく、個別的なものの蒸発
ではなく、その核心の濃密化である。しかしゲーテ自身はあの建築学的な理想型を「根
源現象」として特徴づけたであろう。彼にあっては根源現象のなかにシラーが事物の
本性をもって考えたもの、われわれが理想型をそう呼んだところのものが姿を現して
(49)
Schiller, Briefe, heraugg. v. R. Buchwald(Inselverl.)
, S. 444 f.
(50)
Ebenda, S. 345.
68
同志社法学 61巻 ₁ 号
(403)
いるのである。
長期にわたる自制の後にそれをもってゲーテとシラーとの間の友情が始まった1794
︵₅₁︶
年 ₇ 月のあの決定的な対話のなかですでに、ゲーテの報告によれば、根源現象が問題
になっていた。ゲーテは「源植物」についてのその理論を展開していたのであり、シ
ラーはそれをひとつの理念と呼んでいたのに対して、ゲーテはそれを経験のうえに根
拠づけることができると考えた。シラーはそのさい理念という言葉を明らかにカント
の意味において、すなわち「どのように合同な対象も感覚のなかには与えられ得ない
ような必然的な理性概念」(たとえば、世界全体のすべての現象の因果的被結合性)
として用いていたのであり、それゆえにゲーテはシラーの異論を、彼の源植物はひと
つの理念で「しかない」というように解釈していた。理念がプラトンの意味において
考えられていたとすれば、ゲーテはこのような呼び方を確かに脱落させることができ
たであろう。
根源現象はゲーテの自然認識にとって支配的な思考形式である。われわれはその説
明のためにさらに源植物という特別な概念をも用いる。それは何か発達史的なものと
して把握されてはならない。結局のところすべての植物種がそこから徐々に発達し、
それを克服して背後に追い遣ってしまった源形式として、むしろそれはつねに新たに
どのような植物種のなかにも、そしてどのような植物のなかにも繰り拡がるのであ
る。それは、植物の様々に異なる特性がそこで[19]互いに消え去ったり合体しあっ
たりするような色褪せた平均型でもない。それはむしろ、植物種の多様性が功を奏し
て発育してゆくような類の構造モデルである。カントがその理念について、ひとは「こ
れに等しいものを決して像のなかで描くことができない」←と述べているのに対し
て、ゲーテはあの対話において源植物を「多くの性格学的な筆致をもって」シラーに
︵₅₂︶
はっきりと分からせた。ゲーテは、「このモデルをもって【239】たとえそれが実際に
存在していなくとも、それでも実際に存在することがあり得よう植物のこのようなモ
デルを」無限に発明することを申し出る。そのシチリア旅行でゲーテはこの祝福に満
ちた島の豊穣なフローラのなかに源植物そのものに出遭うことを希った ― が、それ
︵₅₃︶
は空しかった。
根源現象は何よりも先ず自然科学的な思考方法であり、したがってそれは存在の世
(51)
(52)
R. Buchwald, Schiller, Bd. 2, 1937, S. 288 ff.
Goethes morpholog. Schriften, heraugg. von W. Troll, 1926( bes. Abb. 13 u. Taf. 5)におけ
る挿絵材料と Wolf .u. Troll G’s. morphol. Antrag, 1942(bes. Abb10. u. Taf. 6)参照。
(53)
根源現象についてのゲーテの理論は、Carus, Siebeck, Simmel, H. v. Sternのゲーテ書と
ならんで最近の Spranger, Goethes Weltanschauung, 1943およびゲーテの格言と箴言につい
ての1943年のその書籍におけるGünter Müllerを参照。
(402) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
69
界に属している。しかしゲーテは、その見解のなかで存在と当為とが、現実と価値と
が最深部で互いに結び付けられていたのであれば、決して一人の若きスピノザ
( Spinoza)←、決して一人の汎神論者ではなかったであろう。それにもかかわらず
われわれが根源現象を二元論的に分析しようとするならば、われわれはそのなかに規
範的な諸要素も、とくに美学的なそれらが溶解しているのを見出したことであろう
― し、これはプラトン的な理念より他のものではない。ゲーテの美学もまた根源現
象の形式に役立ったということを、われわれはすでにシラーとのあの対話から読み取
ることができたのであり、ゲーテの文芸作品のなかにヴィクトール・へーン(Viktor
Hehen)は「人間社会の自然の諸形式」という形態において諸々の根源現象を再発見
︵₅₄︶
した。ととりわけしかし、われわれにとって規範的な変容における根源現象はゲーテ
の倫理的な根本概念においては、アリストテレスから引き継がれたエンテレキーとい
う概念に逆らって立ち現われる。エンテレキーは、ゲーテにあっては人間の個別性の
核心であり、彼が窮極的な根拠において現にあるところのものであり ― そしてそれ
でも本来的にはいまだないところのものであり、特有の存在者の根本命令が彼をして
促進的に指し示しているものであり、彼にその充足において不死を保障しているもの
であり、要するに、汝が現にあるところのものになれ←というパラドクシカルな言葉
で表現されるところのものである。かくして事物の本性に代わって実在的であると同
様に規範的にきわめて緊密な融合において人間の本性、エンテレキーが立ち現われる
のである。
︵₅₅︶
シラーの場合にもわれわれは、カリアス書間のための準備作業のなかに事物の本性
を定義しているのを見る。「私が『事物の本性』を語るとき、……私はそのなかで本
性を、単に偶然なものとしてこれについて観られるもの、同時にその本質を廃棄する
ことなくないものとして考えることができるものすべてに逆らって置く。それを通し
てこれを他のすべての事物から……区別される事物の人格である。……このようなも
のだけが本性という表現によって表わされるのであり、これを通してそれは、それが
現にあるところの特定されたものになる……。では、この意味において本性とは何で
あろうか。それは、ある事物に則した実存の内的な原理であると同時にその形式の
【240】の根拠であると見られる。形式の内的な必然性……内的な本質の形式との純然
たる一致、事物それ自体によって同時に従われ、そして与えられている原則である。」
シラーはこのような論述をもって自らがすでにカントからゲーテに向けての途上に、
すなわち存在と当為との、現実と価値との、傾向と義務との厳格主義的な二元論の緩
(54) 『ゲーテに関する思想』というその本のある論文のなかで。
(55)
Schillers Werke, heraugg. v. Buchwald, Bd. 2, 1940, S. 194 f.
70
同志社法学 61巻 ₁ 号
(401)
和へ向けての途上にあることを示している。事物の本性についての彼の論述は[21]
傾向がそこで義務に任意に歩み寄り、そこに彼がエトスの最高の形式を認める「美し
い魂」というその価値概念と同じ精神に発しているのである。
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附録Ⅱ : Rerum natura
ルクレテイウスの教訓詩『事物の本性について(de rerum natura)』←は人類の起
源史にまで、文明、国家および市民の成立にまで広がっているが、しかしこのような
対象についての rerum naturaという概念はひとつの直接的な関係づけには至ってい
︵₅₆︶
ない。
ルクレテイウスの場合にrerum naturaという言い回しが意味しているのは全世界で
あり、そのさいとくに世界の厳格な法則性が考えられるのに対して、キケロの場合で
はこの言葉はこれと並んで「(個別的な)諸事物の本質」という意味、すなわち複数
形に置き換えられた「事物の本性」という意味が想定されている。キケロはまさに、
彼が ratio profecta a rerum natura(de leg. Ⅱ , 4. 10)←というものを、それゆえに諸
物の本質に由来する理性原則を話題とするときに、事物の本性のひとつの定義を与え
ている。事物の本性には最高の理性原則が段階づけられるということである(ratio
summa insita in natura, de leg. Ⅰ, 6, 18)←。理性を人間の脳のなかにのみ求める人々
に対して、彼は激越な調子で次のように唱える。彼が理性を、自分自身のなかの悟性
を信じるほどに馬鹿げた僭越を敢えてすることは何人にも許されない、これはこの世
でも天国でも許されないことである、と( ib. Ⅱ, 7. 16)←。事物の本性に基く法の
根拠づけとならんで、しかしキケロの場合では突然に人間の本性に基くその根拠づけ
が立ち現われる。natura iuris ab hominis repetenda narura(Ⅰ , 5, 17)← , われわれは
正義のために生れていること、法は単なる主観的な意見のうえにではなく、(普遍的
に人間的な)本性のうえに根拠づけられている(Ⅰ, 10, 28)←と認識するのは単純
であろう。人間の本性から導き出される法的諸命題と事物の本性から導き出されるそ
れらとの間の矛盾というものの可能性【241】は、キケロにとっては成り立っていな
いのであって、それというのも人間における理性とは同じ起源に、「最高の神」であ
る理性に由来しているのであり( de leg. Ⅰ, 7, 22, Ⅱ, 4, 10)←、諸事物における理性
こ そ ま さに、 人間 の理 性にお いて意識 にまで 達する当 のも の だか らで あ る( in
hominis mente confirmata et confecta, de leg. Ⅰ, 6, 18)← . Nec erit alia lex Roma alia
(56)
ここで、ミュンヘンの国家法学者 Max v. Seydel(1881)のルクレテイウス ― 訳をも挙げて
おこう。
(400) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
71
Athenis, alia nunc alia postac, sed et omnes gentes et omni tempora una lex et
sempitena et immutabilis continebit(de rep. Ⅲ , 22, 23)←. 万民法という形態のなか
に実にまたローマの法思想家たちは、様々に異なる民族の法において一致している部
分が法的に判断する者同士のすべてよりも重要であるという確信に表現を与えたので
ある。主としてキケロを通して rerum naturaという表現形式はローマの法律家たちの
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間に流布したといってよく、そのようにして遂にはユスチアヌスの立法←のなかに入
︵₅₇︶
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り込んでいるのである。オットー・グラーデンヴィッツ(Otto Gradenwitz )が学説
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集成( Digesten)のなかで本性という言葉の使用に捧げた慎重な研究によれば、
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rerum natura が意味しているのは何よりも先ず、 ₁ .宇宙(たとえばこの意味におい
て胎児について、彼はいまだ rerum naturaのなかに、いまだ「世界へともたらされて
︵₅₈︶
いない」と言うことができる)である。 ₂ .次いで、亀裂のない法則に従って進行す
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る 世 界 経 過 で あ る ― 現 に 次 の よ う に 言 わ れ る。quae[23]rerum natura
prohibitentur, nulla lege per rerum naturam admitti potest ← . そのようにして conditio
possibilis はquae per rerum naturam admitti potest ←として定義される。最後に、(個
別的な)諸事物の本質である。
単数、natura rei ←、は、しかしながら二度しか現われず、通例として考えられて
いる「事物」は、たとえばnatura obligationis←というように、名称そのものが挙げ
られる。その natura が問題になっている「事物」は、a)hominum natura ←、
(動物の)
natura fera ←であるか、もしくはそれは b)その本質から新しい法的諸命題が引き出
される前法的な諸関係もしくは生ける法の諸関係( natura venditionis ←、societatis)
であるかのいずれかである。このような言い回しの頻度のなかに、ローマ人における
法の発見は本質的に事物の本性からの法発見というものであったのに対して、後には
まさに継受諸国において法の発見は法書からやってくるのであり、継受以降では
【242】法書はJustitiaのひとつの象徴に、そして裁判官のひとつの添え物になったこ
︵₅₉︶
とがあらわになっている。
(57)
Schimer のための記念論集1900年、S. 149 ff., で。
(58)
これは、Tjdscher voor Strafr. Deel 48, 1. S. 148における私の注釈を補充したものである。
(59)
ドイツ文化科学のレアル辞典における私の記事『世界的なシンボルとしての法書( Buch
als weltlicher Symbol)
』を参照。
72
(399)
同志社法学 61巻 ₁ 号
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附録Ⅲ:モンテスキュー
︵₆₀︶
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モンテスキュー(Montesquieu )の『法の精神(Esprit des lois)』は、ときとして
国家による図書の検閲と調和を保つ必要性が専制時代の文献に刻印を押すのをつねと
している特性と刺戟を有している。そこから ― この著者にはさなきだに特有のもの
である意識的に無体系的な、世慣れをして箴言的な、それどころか気まぐれな書き方
と懐疑的な、寛大な、相対主義的な考え方とならんで ― わざとする不明瞭性、意図
的な多義性、摑み所のない仄めかしと、それ自体として完全に見通している、支配的
な諸々の見方についての豊富な理解力、それらはつねに同時に行間を読むことを必要
としている。そこからおそらくは部分的にも、過去の、もしくは外国の法の衣装を纏
うということがこの本の方法になっているのであろう。それゆえにこの作品は理論に
おいてと同時に実務において先駆的な影響を及ぼしているのである。それは国家およ
び法理論において前もって把握された諸原理からの演繹に国家および法秩序の歴史的
および国家的な多様性が取って代わることを通して法の歴史学派と比較法学の準備作
業をしたのである。そしてそれは政治上のイデオロギーの一面的な狂信論に対して政
治が自然的および歴史的な諸事実によって条件づけられていることを、可能なものの
技術としての政治を、保守主義と進歩との間の賢明な調整を提唱し、その模範として
イギリスの憲法生活に見ることを学んだのである。しかしこれらすべてのための鍵
が、この作品の冒頭で直ちに読者に印象的に示している概念、すなわち事物の本性の
概念である。
『 法 の 精 神 』 の 第 一 章 は 次 の よ う な 言 葉 を も っ て 始 ま る。Les lois dans la
signification la plus étendue sont les rapports necéssaries qui dérivent de la nature des
choses ←(法律とは、その最も広い意味においては、事物の本性に由来する必然的な
諸関係である). そしてすでにそれより前に序文のなかで次のように言われている。Je
n’ai poit dérivé mes principes de mes préjugés, mais de la nature des choses ←(私は、
自分の諸原理を自分の偏見から導きだしたのでは全くなく、事物の本性から導き出し
た).【243】これとともに同時に敵対的な見解を特徴づけることができる。すなわち
prédudés, 偏見である ― これこそ人間にとって生得的であると誤って考えられるあ
の思弁的な理念、すなわち理性と、自然法が理性法としてそこから出発している人間
(60) 『法の精神』の評価については(とくにSoral)特殊な文献のほかに、Sir Caimternay
Ilbert, in Macdonell und Manson, Great Jurist of the world, London 1913 u. Karl Hilebrand,
Geist u. Gesellschaft im alten Europa, herausgg. Von Hyderhoff, 1941, S. 93 ff.[
『法の精神』の
邦訳については、とりわけ野田良之、稲本洋之助、上原行雄、田中治男、三辺博之、横田地
弘訳『方の精神 上中下』
(岩波文庫)を参照]
(398) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
73
の本性とのあの同視化である。モンテスキューはこれと同時に事物の本性の[25]、
人間の本性から導き出される合理的な自然法からの文理を実行しているのである。
諸々の法の定立は可能な限り自然諸法則に接近してこれらに置き換えられる( livre
Ⅰ, chap. 1)。自然の存在者として人間もまた自然に服している。原始人は理性を通
してではなく、不安と平和への愛好を通して、飢餓その他の諸欲求を通して、性交と
社交への衝動を通して抗い難い力をもって自然諸法則から社会化へと駆り立てられる
( ch. 2)。しかし悟性の使用と自己決定へと成長した人間は自らの理性から、理性的
存在者としての人間に向けて整序された自然諸法則の並行現象を表わしている法の定
立のもとに立ち現われるのである( ch. 3)。しかし人間の理性は出来上がった普遍妥
当的な法的諸真理に満たされた兵器庫というものではなく、むしろ単にひとつの形式
的な能力にすぎない。国家的な法秩序のいっさいは理性にとってひとつの特別な適用
事例であり、いっさいの国家にとってそれらの帰結は異なっている。「それらは、そ
れらがもうひとつのものと適合しているのであれば、それはひとつの大きな偶然であ
るということが言えるほどに、どの国民にとっても全く特有のものであるという結果
にならないわけにはゆかない」←。
モンテスキューはいまや、事物の本性がそれらに立脚している個別的な「事物」を、
諸々の事実を数え立てる。すなわち自然的な諸事実(風土、土地の性情、国の状態と
大きさ)、社会的な諸事実(猟師としての生活様式、牧人、農民、所有物、国民の数、
商業、習俗、慣行、諸々の傾向、宗教)、国家的および法的な諸事実(政府の形式、
立法者の諸目標、個々人の自由の程度、
「諸事物の秩序」、すなわち[ cf. livre 26]個々
の規範種の管轄、たとえば精神的および世俗的な法律)。かくしてモンテスキューは、
事物、法の素材もまた、立法者が立法者が前もって見出す既存の法であることを、そ
れどころか法の濫用でさえあることを認めたのである。Telle est la nature des choses
︵₆₁︶
que l’abus est trés sourent[26]préférable a la correction, aux mieux qui ne l’est pas.
理性法とは反対に事物の本性はそれほどに保守的な作用を果しているのである!
事物の本性は「諸法律の精神」とどのように関係しているのか。あの諸事実と諸法
律との関係は本性という言葉を通して示唆される。それがモンテスキューによってひ
とつの因果関係として、あの諸事実の諸法律の成り立ちと内容への作用として考えら
れていることには何の疑いもない。【244】しかし、法の精神には理論の背後で至る所
で政治が隠されており、それゆえにあの因果的諸関係のなかには規範的な諸要素も含
まれていることについてはすでに述べられた。すなわち、諸々の法律は生活諸関係を
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通して規定されているというばかりではない、それらはある種の程度と意味において
(61)
Montesquieu Cabiers, Ed. Grassat, 1941, S. 120, 223.
74
同志社法学 61巻 ₁ 号
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(397)
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それらに適合することが求められてもいるのである。しかし因果的な諸要素と規範的
なそれらとの相互の関係は、モンテスキューにとっては問題になっていない。
支配的な諸々の見方に対する必要に迫られた譲歩というやり方に従ってのみ、モン
テスキューの全法律思想に理神論的な基盤というものが与えられている。神は自然諸
法則という根拠に基いて世界を創り給うた ― それらにさらに存続することが求めら
れるならば、神は世界経過にいっさい干渉することなくこれをそれ自体にゆだねなけ
ればならない。それゆえにこのような世界経過は、神を信じる者にも無神論者にも亀
裂のない法則という等しい像を提供する。モンテスキューは暗黙のうちに自然法の妥
当についてのグロチウスの次のような言葉に賛同しているのである。esti daremus
non esse Deum aut non curari ad illo negotia humana. この点でルソーはモンテスキュ
ーの思想に対するその方向転換に肩入れした。彼はモンテスキューとともに神を否定
するばはりでなく、神から出発する事物の本性にも、神の意志に摑み所がないことと
いっさいの制裁が欠けていることを理由に、人間的な諸事物へのいっさいの影響をも
︵₆₂︶
否認する結果として、その社会契約(contract social)という理性法に自由な余地を
創り出すのである(C, S. livre Ⅱ, ch. 6)←。これは、事物の本性と理性法としての
自然法との間の精神史上の対立にとってのひとつの新しい証拠である!
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附録Ⅳ : ブルクハルト・ヴィルヘルム・ライスト(Burkhard Willhelm Leist)←
どのような著作者もブルクハルト・ヴィルヘルム・ライスト(Burkhart Wilhelm
Leist)ほどに事物の本性の手を広く伸ばした徹底的な取り扱いに献身することはな
︵₆₃︶
かった←。その真摯と熱意、その捕らわれなさと豪胆さは、それに一風化変わったと
ころがあるにもかかわらず今日でもなお読者に語りかける。彼はその『国家主義的研
究( Civilistischen Studuen)』 に も と も と は『 事 物 の 本 性 の 領 域 か ら す る 諸 研 究
( Studien aus dem Gebiete der Natur der Sache)
』という表題を付したかったのである
が、ただこの言い回しの多義性が彼をしてそれを控えさせた。彼はそれを「科学的な
論証の【245】危険極まる道具」のひとつと呼んでいる。『自然の悟性と事物の本性
( Natyralis ratio und Natur der Sache)
』(1860年)と題する闘争の書のなかで彼はそれ
に自然の悟性( naturalis ratio)というひとつの明瞭な概念として対置した。その『国
家 主 義 的 研 究 』 の 第 ₄ 巻(1877年 ) は『 実 在 的 な 諸 基 盤 と 法 の 素 材( Die realen
(62)
このように私は、„Si nous savions la recevoir de si haut“と „faute de sanction naturel les
lois de la justice sont caines parmi les hommes“という言葉を解した。
(63)
Leistに つ い て は、 と く にLandsberg, Gesch. d. dt. Rechtswissenschaft, Abt. 3. Halbb. 2,
1910, S. 835 ff.
(396) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
75
Grundlagen und die Stoff des Rechts)』と い う表 題 を 担 っ て いる。 こ こ で はrerum
natura と naturalis ratio とのローマ人の区別を、前者は「単に事実として現に存在し
ているもの」、後者は「実在的な自然秩序」を、それゆえに前者は諸法の純自然的な
基盤を、後者はすでに理念的に前もって形成された社会的な基盤を意味しているので
あるが、しかし両者は「互いに流れ込んでいる」のであり、むしろ naturalis ratio は
natura rerum をそれ自体のなかに閉じ込めているというように解される。われわれは
それゆえに、ライストの本を事物の本性についての本でもあるとみなすことができる
のである。RERUM natura とnaturulis ratio 、「法の実在的な基盤」は、なお他の諸要
素と一緒になって「法の素材」を形成する。ライストは、[28]法学者たちが、偉大
なローマの法律家たち自身のように、生活諸関係から直接に法的諸命題を展開する代
わりに、法のあの素材を、それゆえにローマの法律学という鏡のなかにのみ見ること
に苦情を申し立てている。彼は法素材に従事することを(あまりうまくない表現で)
「自然の研究」と呼び、そこで獲得された法的諸命題を「自然の命題」と呼ぶ。彼は「私
的生活の科学」というものを、「私的経済」というものを要請し、それゆえに今日に
言う私的もしくは営業的経済論をすでに予感していた。法の素材へのこのような方向
づけを通して法学は、それがローマ人の場合にそうであったもの、すなわち iustiti et
iniusti scientia ばかりでなく、humanarum rerum notitiaでもあるものになるであろう。
ライストはその方法を歴史的、前歴史的および解釈論的な研究のなかで検証し、これ
を具象化したうえで、たとえば財産権の決定的な実在的基盤を経済的な労働のなかに
見出しているのであり、その点で彼は後の科学的社会主義の先駆者であった。
事物の本性の論理学上の問題、すなわち法形式の素材被規定性を、しかしながらラ
イストは認識して論じることはなかった。法の素材と形式という概念はサヴィニーに
よって形づけられたのである。「いっさいの法的関係は、法の形式がそれに適用され
る何らかの素材を基盤として有している」(System Ⅰ)。プフタ( Puchta)はすでに
法形式の素材被規定性に言及しており、それを事物の本性と結びつけている。「法的
な形式はこのような素材(個別的なもの)を通して、法概念の純粋性にもかかわらず
規定されなければならない」。「ある法が発達すればするほど、それだけにいっそう完
全にそれは人間と諸事物の本性の要求に開かれてきて、それだけにいっそう厳しさと
固さが和らげられ、それだけにいっそう、それがそれらをそのなかに閉じ込めている
︵₆₄︶
諸形式は、その基本原理を放棄することなく柔軟性に富んでくるであろう。」このよ
うな命題に基いて【246】素材被規定性[29]、個別化および事物の本性の同視化が明
らかになるのである。
(64)
Puchta, Cursus der Institutionen, 8. Aufl., Bd, 1, 1875, S. 12, 52.
76
同志社法学 61巻 ₁ 号
(395)
ライストの後に、しかし差し当たりは彼とは無関係に、後のライヒ裁判所判事エー
︵₆₅︶
リッヒ・ブロードマン( Erich Brodmann)←が法の素材と形式の問題を扱った。法
の素材とは彼にとって「その具体的な現実における人間の社会生活」であり、素材と
形式との関係について彼の関心を引いたのはまさに「論理学的な構造」である。すな
わち、どのようにして生活の現実の充満から、ひとつの統一的な全体として合体する
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一側面が生ずるのか、どのようにして法は生物学的、経済的、倫理的な諸々の素材か
らやってくる「いわば無定形な理念」を「その命令を通して支柱、支援および定碇を
もってするように貫き通し、取り囲むのか」という問題である。しかしブロードマン
はまたしても、事物の本性の実際的な解釈的および法創造的な問題にではなく、単に
法の素材と形式との論理学的な問題性に関心をもつだけである。とはいえ、この論理
学上の仕事の完遂を、エミール・ラスク( Emil Lask)ほどの、当時の批判的な評価
︵₆₆︶
者が「卓越している」と褒め称えた。
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附録V:法学的構成
構成は事物の本性の場合に限られていないが、しかしそれでもそれは、イエーリン
グがそれを最初に天才的な仕方で描出し、次いで才気に富んだ仕方で嘲笑して以来、
それがここでどのように理解されるのかを確定するのが不可欠であるほどに数多くの
︵₆₇︶
解釈と論述を見出している。
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1. 構成という概念。構成という方法は決して法学にのみ適用されるのではない。す
なわち、幾何学的、言語的、歴史的、技術的な構成が存在しているのである。しかし
至る所で構成という言葉は、それが(綜合という同義語と同様に)すでに言語的に指
し示しているのと同じ意義を有している。組み立てるということ ― これは詰まると
ころ再構成すること、あらかじめ分析を通して生じているその諸要素からのひとつの
全体の再構築である。法学的[248]構成が意味しているのは、ある法的形象の分析
を通して析出された諸要素の綜合である。
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2. 構成の対象。事物の本性という思考形式の形態をして現われるような構成が意
(65)
Vom Stoffe des Rechts und seiner Struktur 1897. Brodmannは後期の諸作品のなかでもこ
の テ ー マ に 立 ち 帰 っ て い る。 そ の 魅 力 的 な 自 己 描 写 で あ る Rechtswissenschaft in
Selbstdarstellung, Bd. 2, 1925をも参照。
(66)
Rechtsphilosophie(先の[17]頁), S. 39.
― とはいえ、ここで問題の展開をさらに追及
することは求められない。 ― そうでなければとりわけRudolf Stammler, Wirtschaft und
Recht に立ち入られなければならないであろう。
(67)
様々な見解の概観として:Max Rümelin in Arch. f. Rechts. ― u. Wirtschaftsphilos., Bd. 16,
1922/23, S. 237 ff.; u. Pasquier, Introd. A la theorie gen. et a la ph. du droit 1937, S. 136 ff.
(394) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
77
味しているのは、ある生活事実関係のある法的関係への、ある法的関係のある法制度
への進展する変形であり、そのさい法的関係では二人の関与者との間の関係づけだけ
︵₆₈︶
が考えられ、法制度には法的事実関係の立法者との関係づけが立ち現われる。このよ
うな過程が意味しているのは、生活諸事実関係の法的な意味を浮き彫りにするという
︵₆₉︶
ことである。
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3. 構成の本質。構成の目標はひとつの類概念ではなく、それは最近類( genus
proximum)の種差( diferrentia specifica)からの抽象化する切り離しとつねに抽象
化する[31]上位諸概念への接続的な前進に当たるのではなく、構成は一般的なもの
にではなく本質的なものに、まさにそのなかに種差を含むこともあり得る法制度の意
味内実に当たるのではない。このためにそれに役立っているのは類的諸概念ではな
︵₇₀︶
く、類型的諸概念である。このような類型的諸概念を、われわれはゲオルク・イエリ
ネク( Georg Jellinek)←とマックス・ヴェーバー(Max Weber)←に負っている。
イエリネクは平均的諸類型と理想的諸類型とを、もしくは、彼が後に述べたように、
経験的な諸類型と理想的な諸類型とを区別する。理想的な類型は、彼にあっては、個
別的諸事例の大多数が提供している共通の要素を通して獲得される当為的および価値
的な形象である。これに対して、マックス・ヴェーバーの場合では理想的な諸類型は
理想的な模範型といったものではなく(ひとはたとえば、売春の理想型というものを
呈示することができる)、それらはむしろ、個別的な諸々の偶然性から純化され、一
貫して徹底的に構成された、そしてそれゆえに一面的に高められた現実というものの
理念的な図式である。マックス・ヴェーバーの意味におけるこのような理想類型こそ
まさに、本質的なものが、経験的な諸現象の意味が、そして事物の本性もまたそのな
かで把握される当のものである。それらを獲得するために必要とされるのは、多くの
事例を包括している帰納という類的諸概念の獲得といったものではなく、むしろ意味
的内実はこれをそのために適している唯一の事例から、【248】いったいどのようにし
て立法者と法学者によるように、法学的構成を、同種諸事例のより大きな群について
だけでなく、裁判官によるように、ある個別的な事例について用いることができるの
︵₇₁︶
かということを読み取ることができるのである。[32]
(68)
ここでは、法律に基づく構成もではなく、生活諸事実関係から発する事物の本性という思
考形式の枠内での構成だけが描写される。これは法的諸命題の法的諸関係への変形(もしく
は、イエーリングとともに、沈殿)を前提としている。
(69)
とはいえ、法的諸関係の諸要素も、たとえば犯罪の概念のように、構成の対象であり得る。
(70)
C. G. Hempel u. P. Oppenheim, Der Typenbegriff im Lichte der neuen Logik, Leiden 1936
お よ び こ れ に つ い て、Radbruch, Klassenbegriffe← und Ordnungsbegriffe, Int. Zeitschr. f.
Theorie des Rechts, Bd. 12, 1938.
(71)
理想型の歴史学における適用にとってのひとつの例が、ランケ(Lanke)の理念論である。
78
同志社法学 61巻 ₁ 号
(393)
ある事実の意味内実は、ある理念と関連づけてのみ、これを際立たせることができ
るのである。すなわち意味とは存在に則して実現された当為であり、現実のなかに現
われる価値である。ある経験的な現象の意味を究明するという目的のためには、この
経験的な現象のために意味を付与する理念をそのなかに見出すために、ひとは現実の
世界から諸価値の世界に探りを入れなければならない。法学的構成は、たいていはひ
とつの目的論的な概念形成になるのであり、その対象である法制度は、通例としてあ
る一定の法目的を通して特徴づけられるのである。しかし法理念が目的適合性に尽く
されているのではなく、これとならんで正義と法の安定性にまで拡がっていることか
ら、目的論的でない性格を有している諸々の構成もまた考えることができるのである
― 現に確定力の構成は法的安定性に、平等選挙権の構成は正義に、あの目的適合性
の思想から免れて方向づけられているのである。
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4. 構成の具象性。構成の帰結が有しているのは、類概念というものの無内容で色
褪せた性格ではなく、平均型のぼやけてあいまいな輪郭ではない。それは徹底的に柔
軟で多彩であり、確かに実在性をではないが、はっきりした個別性を所持しているの
であり、それゆえにあらゆる具象性において描出され得るのである。しばしば構成さ
れた権利は、発生し、そして消滅するような、ある手から別の手に移るような事物の
形態において表象される。このような具象性は危険でなくもない。それは、事物にと
ってではなく、像にとってしか的中しない[33]思考の短絡である諸帰結へと誘い込
む。たとえば具象的にはあれほど明瞭な命題、„nemo plus iuris transferre ad alium
potest quam ipse hebet←(何人も自分自身が所有せるより以上の権利を他人に譲与
するを得ず)“が、所有権は、これを決して非所有権者から取得することができない
という、立法者にとって決定的な結論にまで濫用されるならば、取得者が善意である
場合であっても取得することができないことになる。けれども表現の具象性が自覚さ
れているならば、構成の【229】の具象的な描出に対してどのような疑念も生じない
― 何と言っても現代の物理学ほどに抽象的な科学もまた造形的な表現方法を断念す
ることができなかったのであり、今日に至るまで電流と波長という古くからの像をも
って、そして原子の照射と破壊という新しい像をもって作業をしているのである。
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5. 構成の効用。構成の効用を数え上げるためには、これを直ちにその具象性に結
びつけることができる。このような具象性は了解と描出を、伝承と想起を容易にする。
Karl Lamprecht, Die kulturhistorische Methode, 1900, S. 22:「理念論は、同じものについて
特異なものを考察する立場から強いられずに歴史の何らかの際立って具象的に具体的なもの
を、この具体的なものがいまやある制度か、それともある人かを問わず、ひとつの全体であ
るとみなすために、この全体に共通している思想的内実をその理念と呼び、この理念を与え
られた関連のなかで独自に作用するものと観る事実の系列に規約する」
:を参照。
79
(392) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
しかし教授法的で記憶術的な適性は付随的な諸効果でしかないのであり、構成はとり
わけ認識価値を有している。構成それ自体の道が個別的なものから全体へと進むなら
ば、逆にその帰結の描出は全体から個別的なものへと導き戻す。そのさい構成された
法制度がそれから導き出された法的諸命題に進展されるならば、これはこのような法
制度の領域における法的規制の無矛盾性と完全性という具体例に基いたひとつの試験
である。しかし規制が完全でないことの実を示している場合には、諸々の欠缺を構成
された制度の本質から欠如している法的諸命題の導出を通して埋め合わせることがで
きる。これは無からの原産出でも手品師のトリックでもなく、法制度の本質からして、
しまいこまれていないものは何も取り出されないのである。しかしそれは恣意的にし
まいこまれたのではなく、構成はむしろ、つきとめられた補完が立法者によって提示
された諸規範と合致している、それどころかそれらによって要求されることにとって
の保障である。最後に構成は、法の秩序にとって基盤でもあるのであるが、もちろん
これは、それが類概念を通して生ずるのとは別の種類の整序であり、言い換えれば、
従属と分類の整序といった類のものではない。それというのも個別的な諸現象が類的
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な諸概念のもとに当てはめられるのに対して、それらは類型的な諸概念の間に組み込
まれるからである。このような整序は描出のひとつの一目瞭然たる形式であるばかり
でなく、むしろこのまたはあの類型概念からの多少とも広い隔たりを通して個別的な
現象それ自体の本質の本質が特徴づけられるのである。
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附録Ⅵ:事物の本性と社会法
法はその前法的な素材に多かれ少なかれ密着することができるのであり、生活諸事
実関係の個別性を多かれ少なかれ【250】顧慮し、そして表現することができるので
︵₇₂︶
ある。法のより大きなもしくはより僅少な生活接近の時代は互いに取って代わり、法
をそのなかで正義の理念の、そして法的安定性の優先的な支配のもとに生活の多様性
を諸法律の一般性と諸法の平等の背後に消滅させる時代には、諸法律をそのなかで公
共の福祉に奉仕することにおいて特殊化し、個別化する、もうひとつの時代が続く。
法律の社会生活の個別性からの多少とも大きな離隔は様々に異なる立法のきわめて根
深い差異を示しているのであるが、しかしそれはどのような評価上の差異でもない。
すなわち、離隔化と特殊化とは時代の変遷に両者ともに等しくうまく相応することが
できる、ということである。法の変遷の、個人主義的な法というものから社会的な法
(72)
こ れ に つ い て は、Karl Renner, Die Rechtsverhältnisse des Privatrechts und ihre soziale
Funktion. 1929の輝かしい叙述を参照。
80
(391)
同志社法学 61巻 ₁ 号
というものへの変遷のこの種の研究の真っ只中にわれわれは(それも1933年以来)立
︵₇₃︶
っているのである。このような変遷の駆動力が、しかし事物の本性である。
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われわれはこのような成り行きを、われわれの眼前のもとに形成されている労働法
という新しい分野に則して具象的に説明してみる。法の素材における新形成はますま
すその形式に対立してきた。民法は「個別的な人々」しか、両方とも自由な決意に従
って互いに契約を締結する権利主体しか知らず、企業主に対するその力の従属性にお
ける労働者を知らなかった。民法は、個々の労働者の企業主に対するこのような力の
従属性を調整する労働者階級の連帯については何も、それらの賃金協定をもって労働
契約の本来の契約締結者である大きな職能諸団体については何も知らなかった。民法
はもっぱら個別的な相手方と個別的な労働契約を見たのである。最後に民法は企業体
の団体的一体性については何も知らなかったのであり、それは、同じ雇用者のどのよ
うな法的団体とも互いに結びつけられていない被雇用者との労働契約の多数だけを見
たが、しかし完結した社会学的な単一体としての企業体の全従業員を見ることができ
なかった。それはまさに本来的に木を見て森を見ることをしなかったのである。しか
しこのこと、すなわちそのより大きな生活への接近度がまさに労働法の本質である。
労働法は、抽象的な民法のように、法的に等しい人々しか見ないのではなく、企業主、
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労働者、社員を、個別的な人格をではなく、諸々の団体と企業主を、諸々の契約ばか
りでなく、【252】このような(自由であると誤って考えられている)契約の背景を形
成している重大な経済上の権力闘争をも見るのである。それについては法律家がこれ
まで盲目であったか、もしくはあろうとした社会的な諸事実の全世界が突然に彼の眼
前にあらわになり、立法者によって事物の本性のやり方で評価されたのである。もち
ろん新しい法は新しい視力にだけではなく、[36]新しい当為と意欲にも基いている
― 事物の本性とともに法の理念が、経済的弱者の保護のための社会法というものの
要求が効を奏したのであり、立法者をしてようやく、ともかくもすでに長期にわたっ
て存在している諸々の事実関係に眼を開かせたのである。このようにしてわれわれに
とって労働法は、どのようにして新しい法思想が成り立つに当たって法の理念と事物
の本性とが協働しなければならないのかにとってのひとつの例である。
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すでにそれよりはるかに前に刑法のなかで同じ社会的な思考が、それも事物の本性
という思考形式をも介して、真価を発揮していた。このような成り行きもここで少な
くとも、まさに事物の本性という思考形式の使用が原則的に民法のなかでのみ考える
ことを通例としているがゆえに、示唆しておくことが求められる。もちろん刑法では
(73)
Radbruch, Vom individualitsichen zum sozialen Recht, Hanseat, Rechts ― u. Gerichtszeischr.,
August u. Sep. 1932. 参照。
(390) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
81
この思考形式の対象はひとつの法的関係ではなく、その一般的および特別的な構成要
件に、すなわち犯罪と個別的な犯罪種の概念に限られる。
新しい社会的刑法をめぐる戦いはすでにビンディング(Binding)とリスト(Liszt)
との間の論争をもって始まっている。ビンディングはその入門講義の口述のなかで力
を込めて事物の本性という思考形式に反対を言明した。「生活諸事実関係が法的諸命
題の理解にとって重要である分だけ、法的諸命題を直接的にそれらから、いわゆる事
物の本性から導き出すことができるのであり、それはひとつの法源であるか、もしく
は少なくとも立法者にとって拘束的であるという、しばしば提示される主張は正しく
ない。それからはたとえば、事物の破滅とともにそれに対する所有権が消滅するとい
うことが、どのような人間も生まれながらにして人格であるということが、婚姻にお
いては男子が支配しなければならないということが帰結する。どのような生活事実関
係もただそれだけでひとりでに規制することはないのであり、事物の本性に従うと言
われているものは婚姻もしくは財産法の法的な性質の帰結であるか、もしくはそれは
類比による( per analogiam)法命題の発見であるか、もしくはそれは、その叡智を
事物それ自体の叡智と考える者の主観的な法の見方である。それゆえに事物の本性は
︵₇₄︶
ひとつの全く内容のない概念である。」実際のところビンディングはその刑法思想の
なかで刑法それ自体の前法的な素材へのいっさいの立ち戻りを回避し、【252】他でも
一人の法律家として相応しくないほどに力を込めて闘った。法が心理学的な諸条件に
関係するところでは、彼は科学的な心理学の諸成果を引き合いに出すことを制圧しよ
うとして戦い、それに代えて「法の秘教的な心理学」がひとつの官憲的な真理として
それだけが決定的であると説明した。犯罪の根底に置かれている行為の概念は現実の
なかにではなく、法それ自体のなかにのみ求めることができるというわけである。
「法
︵₇₅︶
律家にとっては通俗の生活の行為概念は全く存在していない」。
まさにこの点でリストのある天才的な論文のなかでビンディングに対する論戦が始
︵₇₆︶
まるのである。彼は事物の本性の概念を明示的には用いていないのであるが、しかし
それでも彼は、犯罪概念を構成するに当たっては自然的な行為にまで遡る必要性を強
調するというようにして、実質的にこれを使用している。行為概念が一般的な犯罪概
念の前法的な実体の本質的な一片をなしているように、特別な犯罪諸構成要件の解釈
は法益侵害という前法的な概念によって影響を受けるのであり、これがビンデイング
(74)
私はこのような文章の知見を国務次官であるヴァルター・シュピース(Walter Spieß)博
士が私に友情を伝えていた一冊の講義ノートに負っている。
(75)
(76)
Binding, Normen Bd. 2, 1, 2. Aufl. S. ₁ ff.: 89.
v. Liszt, Rechtsgut ― u. Handlungsbegriff in Bindings Handb., Liszt’s ges. Aufsätzen u.
Vorrrägen←に転載。.
82
(389)
同志社法学 61巻 ₁ 号
によって無視されていることに対してリストは闘争を挑んでいるのである。
続く数10年のなかで犯罪論の一般的な諸要素の背後に相前後してその前法的な実体
が、一般的および特別的な犯罪諸構成要件の素材を形成している「反社会的な行為」
の本質的な様相が可視的なものに、そして実効的なものになってきている。現にひと
は違法性の特定された問題を、「実質的な違法性」にまで、すなわち違法性に相応す
る反社会的な行為の要素へと突き進んだというようにしてのみ明らかにすることがで
きたのである。しかしとくにひとは、法律上の諸規定の不十分さにかんがみて責任諸
形式についての理論をもっぱら事物の本性から展開しなければならなかった。ひとは
このような方法に基いて故意の、とくに未必の故意の概念と過失の概念との広い範囲
にわたる一致に、それも意見の一致というような、「通説」というような性格を有し
ている一致ではなく、必然的な認識の一致に達したのである。この諸帰結は、それら
が諸々の刑法草案のなかで提案されたように、故意と過失の法定定義が幾度も余計な
ものであることが、それどころか ― 事物の認識の代わりに言葉についての争いに取
って代わられるであろうがゆえに ― 有害であることが明らかにされたというほどに
確実であるように思われるのである。【253】十分な法律上の規定が欠けていることか
ら責任問題についての論争における諸論拠がそれらの証明力をどこから受け取るのか
については、ひとつの研究が望まれよう ― このような証明力のどのような源泉も事
物の本性によるほかには証明することができないであろう。もちろんあの論証の証明
力にとってあらわになっているのは、刑法上の責任論の前法的な実体がわれわれにと
くに明証的な仕方において、つまりはわれわれの良心のなかに与えられているという
ことである。刑法の責任諸形式は、詰まるところ完全に倫理の責任諸形式に相応して
いるのである。とはいえ、科学的な倫理学はアリストテレス以来、倫理的な責任の諸
︵₇₇︶
形式をより明確な概念性において[39]際立たせることにほとんど努めてこなかった
― 倫理学は逆に刑法学からそれに固有の領域のために諸々の利点を引き出すことが
できたであろう。ひとが倫理学のために刑法学の要点と核心を、そして誇りを、つま
りは責任論を持ち出すことができるということは、事物の本性という思考形式の豊穣
さにとってのひとつの力強い証拠である。
刑法の前法的な素材へのひとつの特別に深い遡及が、正犯者概念、未遂についての
最近の議論であり、「(罰せられるべきは)行為ではなく、行為者である」という刑事
政策上の基本思想は刑法解釈論的にも有効に活用されなければならない。刑法解釈論
(77)
私には次のような二つの著作物しか知られていない。すなわち、Sigwart, Der Begriff des
Wollens und seiin Verhältnis zum Begriff der Ursache im Verzeichinis der Tübinger phil.
Doktoren 1879,wieder abgedrückt in Sigwats kleinen Schriften, Bd. ₂
と H. A. Prichard,
Duty and Ignorance of Fact, Proceedings of the Britisch Academiy, Bd. 18, 1932.
(388) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
83
の抽象的な行為者概念の背後には、心理学的および社会学的な現実から刑法解釈論の
光のなかに具体的な人間が立ち現われている。行為者という抽象的な概念は、(確実
視されて持続的な諸帰結だけをここで挙げるならば)慣習犯罪者と機会犯罪者、改善
可能者と改善不能者、成人と青少年者、完全責任能力者と限定責任能力者といった行
為者類型に解消される。これとともに「行為ではなく、行為者である」という標語に
代わって「行為者ではなく、人間である」という、それもその全体的な社会的被規定
性における人間であるという遠大な思想が立ち現われている。それだから新しい刑法
学派は社会学派と呼ばれてももっともなことであって、それというのもこの学派は、
これまでには社会学にのみ属していた諸事実を法学上の視界のなかに持ち込んでいる
からである。[40]
[ヴィンフリート・ハッセマー( Winfried Hassemer)による校訂]
【229】Die Natur des Sache als juristieche Denkform, in: Festschrft zu Ehren von Prof. Dr. jus.
Rudolf Raun, Hamburg 1948, S. 157 ― 176. Auch in: Gustav Radbruch Gesamtausgbe Band 3,
bearb. von Winfried Hassemer 1990, S.299 ― 255.
同じテクストの単独版が、der Wissenschaftlichen Buchgesellscchaft(Reihe Libelli, Bd.
LIX), Darmstdt 1960. 本文中に[ ]で示された頁番号はこの版に関係している。
―
(ルクレテイウス、教訓詩)
:Lucretius Carus, 紀元前96年に生まれ、99年に[自殺によって]
死す。ローマにおけるエピクルス(Epjkurs)の教説の最も著名で最も重要な提唱者。
[キ
ケロによって編集された]その教訓詩『事物の本性(De rerum natura)
』のなかでルクレテ
イウスはエピクロスの基本的諸原則に従って世界の成り立ちと歴史を描いている。
【230】
( choses): ドイツ語訳、in der Reclam-Ausgabe(1965)Montesquieu, Vom Geist der Geseze.
〔日本語訳:(野田良之、稲本洋之助、上原行雄、田中治男、三辺博之、横田地広訳)モンテ
スキュー『法の精神』上中下(岩波文庫)
〕
―
( Runde)
:Christian Ludwig Runde, 1773年にカッセルに生まれ、1849年に死す。法律家、
オルデンブルク公国の上級控訴院長。ローマ法とドイツ法、教会法、プロイセン・ラント法
および商法の領域での諸々の研究と刊行物がある。
―
( Voigt): この人物指示を確認することができなかった。
―
( Leist): Burkhard Wilhelm Leist, 1919年にVerden 近郊の Westenに生まれ、1906年にイエ
ーナに死す。法学者。バーゼル(1846年)
、ローストック(1847年)そして1853年からはイ
エーナにおける法史とパンデクテン法学の教授。
―
( Savigy): Friedrich Carl von Savigy, 1655年にフランクフルト・アム・ラインに生まれ、
1694年にベルリンに死す。法学者で政治家。1800年から1804年までマールブルクの教授、
1808年から1810年までランズフートの教授、1810年から1842年までベルリンの教授、1842年
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から1848年までプロイセンの司法大臣。サヴィニーは歴史学派を創設したのであり、この学
派は自らを自然法論から明確に限界つけ、哲学的な思弁の代わりに[とくに古典的なローマ
法の]法源研究の厳格な方法を要求した。サヴィニーはこれに加えて補充的に、いわゆる「民
族精神」からの法の成り立ちについての理論を展開した。
―
( Puchta):Georg Friedrich Puchta、1789年にCadolzbergに生まれ、1846年にベルリンに
84
同志社法学 61巻 ₁ 号
(387)
死す。エアランゲン、ミュンヘン、ライプツイっヒのローマ法教授。ベルリンにおけるサヴ
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ィニーの後継者。より若い歴史学派の頭目として通っている。
―
( Adickes): Franz Adickes, 1816年にHarsefeldに生れ、1915年にフランクフルト・アム・マ
―
( Ehrlich): Eigen Ehrlich, 1862年にTschernowzyに生まれ、1922年にベルリンに死す。自
インに死す。法律家。1891年から1911年までフランクフルト・アム・マイン市長。
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由法運動の提唱者であり、ドイツ法の領域における法社会学の設立者。
―
( Maubach): Joseph Maubach、1861年にWipperfeldに生まれ、1931年にAhrweilerに死す。
神学者。1892年以降ミュンスターの道徳哲学と護教論の教授、1918年以降、当地の司教座教
会参事会主席。1919/20年にはヴァイマール国民議会の議員であり、国家教会法の議論に決
定的に関与した。
―
( Vivante):この人名指示を確認することができなかった。
―
( Huber):Eugen Huber, 1849年に(チューリッヒ州の)Stammheimに生れ、1923年にベル
―
( Reinach): Adolf Reinach, 1883年にマインツに生れ、1917年にDismuiden近郊にて(倒れ
ンに死す。法律家。ベルンの教授。1912年のスイス民法典の創設者。
た)。法哲学者。フッサール(Fusserl)の影響のもとに先験的な法論というものを展開する
ことを試みた。
―
( Carl Schmitt): Carl Schmitt, 1888年にPlettenbergに生れ、1985年に同地にて死す。国家
法学者。1921年以降Greifswaldの、1922年以降はボンの、1928年以降はベルリンの、1933年
以降はケルンの、そして1933年から1945年までベルリンの国家法の教授。シュミットはドイ
ツ国家法論に強い影響を及ぼし、ヴァイマール共和国へのその明白な敵対とナチス体制への
その絡み合いゆえに彼への評価は同時にきわめて争われている。
【231】
(表現):この引用を確認することができなかった。
―
( Dernburg): Heinrich Dernburg, 1829年にマインツに生まれ、1916年にベルリンに死す。
法律家。1852年にハイデルベルクの、1855年にチューリッヒの、1862年にハレの、1873年以
降はベルリンの教授。デルンベルクはローマ法、プロイセンおよび新ドイツ民法を古典的な
著作物のなかで編纂した。
【233】
(諸形式)
:Victor Hehn, Die Naturformen des Menschenlebens, in: ders., Gedanken über
Goethe, 1909, S. 210 ― 253.
―
( Hehn): Viktor Hehn, 1813年にDorpat に生まれ、1890年にベルリンに死す。文化史家。
―
( educatio): この引用をこのような文言では確認することができない。問題となっているの
は学説集成Ⅰ.1. ₃ のひとつの抜粋である。この引用は、完全には次のように言う。„Ius
naturale est, quod natura omnia animalium, qua docuit: nam ius istud non humani generis
proprium, sed omnium animalium, quae in terra, quae in mari nascuntur, auium quoque
commune est, hinc descendit maris atque feminae coniunctio, cuam nos matrimonium
appeamus, hinc liberorum procatio, hinc educatio.
―
( sunt): Goethe, Wilhelm Meisters Wanderjahre oder die Entsagenden, Drittes Buch, Erster
Kapitel, in: Werke(WA)Ⅰ, Abt., Bd. 25, S. 65.
【234】
(要求した):本文における出典指示、Goethe, a.a.O., Buch 2, Kap. Ⅱ, の引用は誤っている。
正しい出所を見出すことができない。
―
(話題とするとき)
:Heinrich Dernburg, Pandekten, Bd. Ⅰ, 7. Aufl., 1902, S. 84.
【235】
(述べた):この引用を確認することができなかった。
―
(リッケルト): Heinrich Rickert, 1863年にダンツイッヒに生れ、1936年にハイデルベルク
に死す。
哲学者。1916年以降ハイデルベルクの教授。リッケルトはヴィンデルバンド(Windelband)
85
(386) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
とともに新カントと主義の南西ドイツ学派を創設した。方法論的には、リッケルトは自然諸
科学と文化諸科学との間の区別を際立たせた。彼は、哲学の課題が無時間的に妥当する諸価
値の王国を究明することにあると見た。
―
(ヴェーバー): Max Weber, 1864年にエアフルトに生れ、1920年にミュンヘンに死す。国民
経済学者であり社会学者。1894 ― 97年フライブルクの、ハイデルベルクの、そして1919/20年
ではミュンヘンの教授。ヴェーバーをそもそも最も著名で最も影響力の多い社会学者の一人
であると呼ぶことができる。科学理論へのその究明を通して彼は方法的に反省された社会科
学的研究の基盤を築いた。ヴェーバーは社会学のほとんどすべての領域で仕事をし、宗教社
会学の創設者として通っている。
【236】
(援用)
:実質的にはこの思想は、Kant, Vorrede zur Kritik der reinen Vernunftに展開されて
いる。正確な出所を発見することができなかった。
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【237】
(ソロン): Solon, 紀元前640年頃に生まれ、540年頃に死す。アテネの政治家でソロン憲法
の創始者。
―
(与えた):このような発言は一般にソロンに帰せられる。正確な出所を確認することができ
―
( 敢 行 す る ):Goethe, Faust Ⅱ, Am untern Peneios /Manto, Vers 7488, in: Werke(WA)Ⅰ.
―
(消尽してしまう):Goethe, Maximen und Reflexionen, in: Werke( WA), Ⅰ. Abt., Bd. 42, S.
なかった。
Abt.., Bd. 15, S. 132:「私は不可能なことを敢行する者を愛する。
」
152.
.
【239】
(できない):Kant, Kritik der reinen Vernunft, B. 348(=Akademie-Ausgabe, Bd. 3, S. 254)
【240】
(スピノザ):Baruch de Spinoza 、1632年にアムステルダムに生まれ、1677年にハーグに死
す。汎神論的一元論というひとつの厳格に合理主義的な体系を展開したオランダの哲学者。
―
(なれ)
:ラートブルフはここでおそらく、グリルパルツアー(Grilllparzar)に帰せられる「い
まだ汝でない者になれ」という文をほのめかしているのであろう。
【241】
( Huch):Ricarda Huch, 1864年にブラウンシュヴァイクに生まれ、1947年にシェンベルク
(今日ではタウヌスのクロンベルク)に死す。チューリッヒで歴史と哲学を研究。最初のド
イツ婦人として教授に昇進。後にはフリーの作家。
―
(Ⅱ , 4, 10): この引用はReclam-Ausgabe Cicero, Über die Rechtlichkeitと一致している。
―
(Ⅰ , 6, 18): この引用はRaclaim-Ausgabe と一致している。
―
(Ⅱ , 7, 16)
:Reclaim-Ausgabeでは、この引用は次のようになっている。
「理性と意味が天国
と世界にではなく、自分のなかに住まわっていると彼が信じるほどに何人もおろかで僭越で
あり得ること以上に、いったい何が真理に相応しているのか。
」
―
(Ⅰ . 5, 17):この引用はRecleim-Ausgabeとは一致していない。
―
(Ⅰ . 10, 28): この引用は、a.a.O.では次のようになっている。
「法が単なる表象を通してでは
なく、本性を通して根拠づけられているということは、……。
」
【242】
(Ⅰ , 10, 28): この引用は、a.a.O.では次のようになっている。
「……は、最高の神によって
極上の条件のもとで生み出されている。
」
―
(Ⅱ . 4. 10): この引用は、a.a.Oでは次のようになっている。
「それはしかし同時に神的な意
―
(Ⅰ , 6, 18): この引用はRecleim-Ausgabeとは一致していない。
―
(Ⅰ , 4, 8): この引用は誤って指示されている。正しい出所はⅡ, ₄ , ₈ であり、a.a.O.では、
味を持って成り立っている……。
」
次のように言われている。
「法律が人間の精神のなかで考え出されたのでも、諸国民の何ら
かの決議でもなく、全世界を統治している何か永遠的なものであるということは、……。
」
―
(Ⅲ , 22, 33):この引用は、Recleim-Ausgabe Cicero, Vom Gemeinwesenと一致している。
86
―
同志社法学 61巻 ₁ 号
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(385)
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(立法):十二表法〔ラテン語:lex duodocim tabularum〕は最も早くに詳細に知られてい
るローマの立法作品である。それは、言い伝えによれば、紀元前451/350年頃に創られ、初
期の皇帝時代から全法秩序の基盤として妥当していた。テキストについては諸々の破片し
か、そしてこれらもまたより後の共和国と皇帝時代の著作物のなかでしか保存されていな
い。
―
( Potese):学説集成における „natura“という概念については、全体として、Heumann/
Seckel, Handlexion zu den Quellen des römischen Rechts, 1958 10 Aufl., 359 f.; この文はL, 17,
188にみられる。
―
( rei):natura reiについては、Heumann/Seckel, a.a.O.の出所事項を参照。
―
( obligationis): natura obligationisのための出所はDigesten XXXXV, 2, 1 und XXXXVI, 1, 5.
―
( natura): naturarum feraについては、たとえばDigesten IX, 1, 1 und 2のなかで問題とさ
―
( venditionis): これについては、Digesten XXXXV, 2, 139.
れている。
【243】
( choses): ド イ ツ 語 訳 に つ い て は、In der Recleim-Ausgabe(1965)
、Montesquieu, „Vom
Geist der Gesetze”S. 95. そこでこの引用は次のように訳されている。„In ihrer Weitesten
Beteutung sind Gesetze die notwendigen Bezüge, wie sie sich aus der Natur der Dinge
ergeben
“. 原典では、この引用は、De l’esprit des Lois, Oeuvres Compketes, Tome Troisieme,
Paris, 1875, S. 89.
―
( choses): この引用は Montesquiieu, De l’esprit des Lois, Oeuvres Completes, Tome
Trpoosieme Paris, 1875, S. 84に見られ、そこでは „Je n’ai point tire mes princcipes de mes
prejuges, . . .“と言われている。
【244】
(ならないわけにはゆかない)
:この引用はRecleim-Ausgabe Montesquieu, Vom Geist der
Gesetze, S. 102[Ⅰ . Buch 3. Kapitel]では、次のようになっている。„Sie müssen dem Voll
für das sie gelten sollen, so eigentümlich sein, daß sie nur durch einen Großen Zufall einem
anderen Volk auch sein können
“
(J. J. Rousseau, Der Gesellschsftsvertrag)第 ₂ 編第
【245】
( ch. 6): J・J・ルソー『社会契約論』
₆ 章の冒頭:
われわれは社会契約によって、政治体に存在と生命とを与えた。いまここで問題は、立法
によって政治体に運動と意志を与えることである。なぜなら、この政治体を構成し、統一す
る最初の行為は、政治体の自己保存のために何をすべきかをまだ規定していないからであ
る。
およそ善であり、秩序にかなうものは、事物の性質からそうなので、人間の合意などに関
係ないのである。正義はすべて神から由来し、神のみがその根源である。しかしわれわれは
正義をかくも高所から受けることができるならば、政府の法律も必要としないであろう。明
らかに理性のみから発する普遍的正義があるが、この正義がわれわれのあいだで承認される
ためには、相互的でなければならない。この事情を人間的に考えると、正義の法は、自然の
制裁が行われないために、人間のあいだでは無効である。正しい人は、すべての人に対して
正義の法を守るが、だれも正しい人に対してこれを守ってくれないならば、正義の法は悪人
にのみ有利で、正しい人には不利になるばかりである。そこで権利を義務に結合し、正義に
その目的を達成させるためには、合意と法が必要である。すべてが共有である自然状態にお
いては、私はなにも約束しなかった人に対して、なんの義務も負わない。私は自分に必要な
もののみ、他人のものと認める。しかし、社会的状態では、あらゆる権利が法によって決定
されており、そこにおいては事情は違うのである。
〔井上幸治訳「社会契約論」
『ルソー』
(中
央公論社、世界の名著30)259頁〕
(384) ナチス体制確立期からその死に至るまでのグスタフ・ラートブルフの法哲学上の作品選(二・完)
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―
( Leicht):【230】を見よ。
―
( な か っ た ):Frierich Carl von Savigny, System des heutigen römischen Rechts, Bd. Ⅰ,
1840(復刻版 1981)
, S. 333:「そこからあの法関係を二つの部分に区別することができる。
そのひとつは、あの関係づけそれ自体を意味しているような部分であり、二つには、この素
材の法的な規定である。第一の部分をわれわれは法的諸関係の物質的な要素と、もしくは法
関係における単なる事実と呼び、第二のそれを、事実上の関係づけがそれを通して法形式に
まで高められることを意味している形式的な要素と呼ぶ。
」
:を参照。
【247】
(ブロードマン): Erich Brodmann, 1885年に Posenに生れ、1943?年後に死す。ライヒ裁
判所判事としてライプテイッヒに招聘された。
【248】
(イエリネリ)
:Georg Jellineck, 185年にライプテイッヒに生れ、1911年にハイデルベルク
に死す。国法学者。ウイーン、バーゼルおよびハイデルベルクでの教授。
―
( Weber)
【235】を見よ。
―
(分類的諸概念)
:この論文はGRGA Bd. 3, Rechtsphilosophie Ⅲ、S. 60 ff.,に転載されている。
【249】
( habet): Nemo plus iuris ad alium transferer potest quam ipse haberet; これはローマ法
の原則( Digesten 50, 17, 54)であり、これによれば、何人も、彼自身が所持している諸権
利より多くのものを他人に譲与することができない。
【253】
( Vorträgen): Franz v. Liszt, Rechtsgut und Handlungsbegriff im Bindingschen Handbuche
[1886]
, in; Strafrechtliche Vorträgen und Aufsaätze, Erster Band 1905(復刻版 1970), S. 212
ff.
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