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社会における生命保険と互酬性に関する考察

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社会における生命保険と互酬性に関する考察
社会における生命保険と互酬性に関する考察
田中 隆
(大阪産業大学経営学部非常勤講師)
I.はじめに
本稿の目的は、生命保険の受容における象徴的要素として、相互扶
助の概念と前近代社会における普遍的な互酬性について論じ、生命保
険の受容の背景を、主に社会学的観点から、考察することである。
生命保険は、当初、消費者や社会からの強力な反発や無理解を受け
たが、その後の普及拡大において、「相互扶助」として受容され、そ
して生命保険業界は巨大産業となり、今日の姿を確立した。
本稿では、生命保険の受容における消費者と社会の認知や解釈に対
する影響要素として、文化的・宗教的背景を伴った前近代社会におけ
る互酬性の存在に着目し、受容に関する影響について議論を試みる。
Ⅱでは、日本や米国等における生命保険への反発や不明瞭な発展を
紹介し、生命保険が社会において「相互扶助」として受容され、機能
としての生命保険が相互扶助として解釈されてきたことを指摘する。
Ⅲでは、前近代の共同体社会における儀礼や聖性の共有からの信頼
関係に依拠した原生的契約の特質が、人的紐帯を構築する一方で、互
−269−
社会における生命保険と互酬性に関する考察
酬性における贈与交換の根底要素を占めていたことを指摘する。
Ⅳでは、原生的契約と財貨取引的契約が相容れない性質であり、贈
与交換が原生的契約の延長線である一方、生命保険を社会や消費者が
互酬性の概念を重ね合わせて認知し、受容した構図を指摘する。
生命保険の普及においては、互酬性に内包される相互扶助が象徴化
し、生命保険会社においても相互会社形態が出現した。しかしながら、
この現象に関する近年における議論は、必ずしも豊富ではない。
本稿では、生命保険普及の象徴的要素として、文化的・宗教的背景
に裏打ちされた前近代社会における互酬性の存在に着目し、生命保険
の社会への受容に果たした影響についての考察を試みる。
Ⅱ.社会における生命保険の受容
本章では、日本や米国等における生命保険への反発や不明瞭な発展
を紹介し、生命保険が「相互扶助」として社会に受容され、生命保険
が機能ではなく、相互扶助として解釈されてきたことを指摘する。
1.初期の生命保険と社会の反応
生命保険の普遍化までには、困難な道程を経験しなければならない。
日本を初め、生命保険の普及過程は、その困難の克服でもあった。
近代保険の生成は、社会経済的過程の「後追い」とされるが、日本
における保険の概念は、社会経済の近代化過程の開始とほぼ同時に移
入された(水島,2002)。しかしながら、保険の概念が存在しない日本社
会で、近代化の象徴的なシステムである生命保険の移入は、普及にお
いて困難をもたらした。特に日本社会においては、「死」に対する「積
れ」からの呪術的な言霊現象(田村,2006;田中,2004)1)、「掛け捨て
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社会における生命保険と互酬性に関する考察
嫌い」としての確率的思考の不在(水島;高尾,1998)、契約観念の未消
化(川島,1967;水島,1995)等の文化的障壁の存在が観察された。現在の
日本は世界有数の保険大国であるが、貯蓄性目的の普及(田村,1995a)
から、日本的保険(田村,1990)としての現象が寄与したことは周知であ
る。
近代化先進国の英国や米国においても、生命保険の発展は順調では
なかった。まず18世紀の英国では、1774年の賭博保険禁止法を契機と
して、本来的な生命保険への修正が計られた(Clark,2002)。英国では、
生命保険が賭博という目的で社会に受容され、本来的な普及が立法に
より形成されたのである。一方、米国における初期の生命保険は、社
会から有害とされて強烈な反発を受け、1840年代まで生命保険の普及
が滞っていた(Zelizer,1979)。当時の米国における生活保障は、隣人
と縁者による相互扶助集団によるものであり、当時の生命保険は、父
や夫の喪失を小切手で保障する機能故に、冒涜的だとされた
(Zelizer)。
これらの現象は、保険自身や諸概念に対する社会からの想像であり
(Baker and Simon,2002)、保険の発展には、社会的規範と共に、個人
間や個人と社会間の関係の変遷が付随するが(Ewald,1991)、当時の各
国においては、共通して生命保険が本来的な姿で認知されなかった。
そして当時の社会や人々の観点から、生命保険が本来的でない意味で
認知・解釈され、歪曲された利用や、反発を受けたりしたことが観察
される。すなわち、社会や消費者の生命保険に対する認知や反応は、
社会的コンテクストから、多大に影響を受けることが確認されるので
ある。
日本社会への保険受容における不明瞭で本来的でない発展と、英国
や米国での歪んだ発展や反発は、生命保険が社会に受容される際の困
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社会における生命保険と互酬性に関する考察
難を再認識させる。この現象は、保険者側の意図と、社会と消費者の
認知や想像とのミスマッチによるものであり、この現象こそが、生命
保険への拒絶や歪んだ普及をもたらすことになる。さらに、この種の
現象は、生命保険に対する認知や解釈と社会的コンテクストとの密接
な構図を再確認させるものであり、生命保険が社会や消費者からの影
響を強く受けることが再確認されるのである。
2.生命保険の受容と相互扶助
先進国における生命保険普及の遅延は、文化的変数による抵抗であ
るとされる(Zelizer)。すなわち革新的事象と文化的価値の関係の両立
により、生命保険の受容における正当性が付与される。そして価値と
両立し得ぬ革新の受容には、新しい事前的価値が必要となることから
(Zellzer)、特に生命保険に対しては、文化的障壁に対応する価値が必
要となる。ここでの価値が、「相互扶助」や「相互主義」等といった
概念であった。
現在も、生命保険には、相互扶助や「助け合い」等の概念が援用さ
れている。例えば生命保険文化センター(2001)は、消費者向けに、生
命保険が大勢の人による「助け合い」や「相互扶助」の仕組みで成立
していることを説明している。事実、相互扶助の理念が存在したとし
ても、経営実態への反映が不明瞭な日本の生命保険企業(田村,2006)
においても、相互扶助や相互主義は象徴的な意味を示している。特に
日英においては、相互主義に象徴された互恵的要素が、近代保険の確
立期に向けて稀薄化するが(水島,1994)、近代保険の萌芽期から成立時
期における互恵的要素の存在は、見逃せない現象である2)。
米国においても、生命保険に関して相互扶助的な概念が援用された。
生命保険に対する反発が強烈であった米国では、生命保険は19世紀後
一一272
社会における生命保険と互酬性に関する考察
半まで経済的印象を回避し、未亡人や孤児の救済等の道徳的な価値を
前面化し、自己犠牲的な贈与として販売されたのである(Zelizer)3)4)。
これらの現象では、生命保険に対する反発がまず見られ、その後の
事前的価値を付与しての社会からの受容が見られる。この過程は、価
値を伴う社会的革新に対する倫理的価値の付与を意味し、この価値に
は、相互扶助や贈与といった看板が付与されていた。
生命保険は、経済合理的な生活保障手段であり、機能としての現実
の生命保険に対して、理念としての相互扶助に対する稀薄感は否定で
きない。しかしながら、相互扶助や贈与としての生命保険の社会や消
費者からの受容が、生命保険の発展の道筋において確認されるのであ
る。この現象から、社会や個人の生命保険に対する認知や想像に作用
する背景要素を分析することで、「相互扶助」としての生命保険の社
会において存在し得る理由が、明確化されるのである。
注1) この一連の議論については、田村(2006)や田中(2004,2006)を参
照のこと。
2) 水島(2002)によると、火災保険や生命保険等の家計保険分野におい
て、近代保険の成立期においては、利潤動機よりも相互扶助意識が前面
化するケースが少なからず存在する。それらは、互助意識という点に関
する限りでは、ギルド等の前近代的共済との共通性を有している。だが、
資本主義の体制原理の下に市場行動を展開していく中で、この種の保険
施設は生存や発展のために、自ら体制原理に順応することを要求され
る。制度理念として構成員の相互扶助を掲げる相互会社においても、現
実の体制原理への順応が要求されることになる。
3) zellZer(1979)によると、生命保険業界は、道徳的な倫理と慈善性
を強調し、宗教的に正当化された家族の生活保障という利他的なアプロ
ーチを展開した。そして巨大な生命保険業界が形成されると、生命保険
における投資面を強調する販売方法にシフトした利己的なアプローチ
が選択される一方で、慈善性と経済的機能性という相反する表看板が掲
げられた。
−273−
社会における生命保険と互酬性に関する考察
4)19世紀半ばの米国で相次いで誕生した相互会社の設立動機は、高い所
得と社会的地位を求める企業者の個人的欲求によるものであり、多額の
資本を持たない企業者の達成可能な「手段」として、相互会社形態が選
択された(水島,1975)。この時期は、1840年代まで生命保険の普及が滞
っていた(Zelizer)時期と入れ替わっていることから、相互扶助や相
互主義の理念が形骸化し、米国で生命保険が確立され始めた時期である
とも推測されるのである。
Ⅲ.前近代社会と互酬性
本章では、前近代の共同体社会における儀礼や聖性の共有からの信
頼関係に依拠した原生的契約の特質が、人的紐帯を構築すると共に、
互酬性における贈与交換の根底要素であったことを指摘する。
1.前近代社会と原生的契約
生命保険の受容には、「互酬性」における相互扶助の概念が選択さ
れた。この概念は、前近代の共同体社会に普遍的な概念であり、共同
体社会自体の分析から、参考要素が提供されることになる。
基本的に前近代の共同体社会では、社会成員達の共通した諸信念と
感情の総体である「集合意識5)」が諸成員の感情や行動を拘束して、
個人意識が集合意識に覆われ、この感情は宗教的・伝統的感情を含め、
生活の隅々にまで浸透していた(Durkheim,1989)。そして共同体社会
において宗教は不可分とされ、神聖な事物と関連する信念と行事との
連帯的な体系、教会と呼ばれる同じ道徳的共同体社会に帰依する全て
のものを結合させる信念と行事であった(Durkheim,1941)。この共同
体における宗教的儀礼の主要機能は、社会的連帯の強化と創造である。
274−
社会における生命保険と互酬性に関する考察
特に「血」の儀礼と「婚姻」は中心的な位置を占め(Durkheim1941,
1942;Parsons,2002)、呪術的要素を伴った宗教的儀礼が執行されてい
た(Weber,1976)。
共同体社会の紐帯は、人々の間に結ばれる原生的な「身分契約」や
「兄弟契約」により成立する(Weber,1974)6)。ここでは、当事者が別
の霊魂を自分の中に引き入れ、「血」を介する呪術的儀礼による霊魂
の創造という手続きが選択される。また共同体社会における「婚姻」
も兄弟関係に類似する(Weber)。この婚姻は契約であり
(Durkheim,1989)、呪術的・宗教的儀礼を伴う最も本源的な「要式契約」
である(巻口,2004)。要式契約とは、契約成立に儀式を伴う古代の契約
類型であるが、この契約では、絶対的権威を有する儀式の下での呪術
的文言や伝統的形式が当事者達を拘束して、契約を神聖化し(巻口;
Durkheim,1974)、呪術性を伴う紐帯が指向される7)。そして、契約当
事者達の拘束的な「聖性」の共有により、契約上の信頼と公正が創出
された。この儀式において、契約を神聖化させるのは当事者ではなく、
当事者の活動を拘束する伝統的な一定の行為や言葉である
(Durkheim)8)。その意味で「宣誓」は、兄弟契約や要式契約の普遍的
形式であり、人々の関係は、呪術的儀礼を介して確立され、この構図
が共同体における紐帯となる。
共同体内の人々の連帯性は、集合意識下での呪術的な儀礼から紐帯
を志向する傾向を有し、これ以外の関係は、共同体から他者として扱
われる。すなわち、前近代の人々の紐帯は、共通に信念化・観念化し
た儀礼や聖性の共有からの原生的契約により成立するのである。
−275
社会における生命保険と互酬性に関する考察
2.原生的契約と贈与交換
原生的契約からの紐帯を基盤とした前近代の共同体社会、特に未開
社会においては、互酬性における贈与交換が普遍的であるとされた。
互酬性とは、行為としての贈与や交換を総体として規定する関係概
念であり、贈与と交換は互酬性により規定される(伊藤,1995,1996)9)。
また田村(2006)によると、互酬性は、人と人の間、集団と集団の間(村
落や親族等)、呪術者と依頼者の間、神と人との間、人と自然の間等の
未開社会のあらゆる関係を支配し、また労働の交換から結婚、食物と
獲物の配分、病気や死等に際した援助まで生活の全ての部面に及ぶ「相
互的奉仕と義務の体系」であり、「一つの普遍的な行動準則」とされ
る。ここでの大多数の経済行為は、双方を平等に利する相互主義的な
贈与と返礼による、贈与の連鎖となる(Malinowski,1984)10)。
贈与においては、与えた質や量と共に、交換における敬意と自発性
に表面化する当事者達の態度等も、贈与交換の維持に重要となる(巻
口)。この贈与交換に要求される条件から、単なる交換とは一線が画さ
れる。まず相互交換であるポトラッチ(potlatch)は、婚姻からの家族
間の結合から結ばれた親族間で始められ、クラ交易(kulaling)は親密
な部族間で行われることが原則であり、日常と異なる時間と場所にお
いて、儀式的に執行される(Mauss,1973)。このクラやポトラッチ等の
贈与交換には、儀礼や敬意が強く意識されていた一方で、原生的契約
も介在し、親密や信頼が構築された者同士で成立していたのである。
一方で贈与交換は、原生的契約に内包された聖性にも拘束される。
Durkheim(1974)は、霊や人格等が宿った聖物が交換内容を決定する契
約形態を「要物契約」と呼称するが、ここでは交換当事者ではなく、
聖なる目的物に宿った霊・社会・人格が、交換内容を決定していた(巻
口)。マオリ族の贈与交換では、「ハウ(hau)」として宿った霊により、
−276−
社会における生命保険と互酬性に関する考察
交換物が聖性を抱き、その拘束的な影響から贈り物が一カ所に滞留せ
ずに、互酬性的な贈与交換が継続される(Mauss)11)。ここでの契約にお
ける物的対象には、そのもの自体の提供と共に、返礼を強制する聖性
としての特殊な効力が当事者に認知され、観念化されている12)。
このように、要式契約同様に要物契約としての贈与交換には、交換
当事者同士の信頼の構築と儀式が要求される。この契約には当事者達
に義務が存在する(Mauss)ことから、儀式的な契約による拘束的な聖性
の共有からの信頼が、契約当事者達の中で作用していたのである。
兄弟契約や要式契約、要物契約には、原生的契約としての共通性が
存在する。前近代社会の人的紐帯の構築や贈与交換においては、儀礼
や信頼関係、観念としての聖性の共有が成立条件となり、原生的契約
の特質が人間関係の構築と贈与交換に浸透していたのである。
注5) この集合意識は時間的・空間的に拡がる性質を有する一方で、この集
合意識と対立すると個人は処罰を受ける(Durkhelm,1989)。そして巻口
(2004)によると、法と宗教は末分離で揮然一体であり、社会の集合的諸
感情により法が裏打ちされる。
6) 兄弟契約とは、人々の法的な全資格、相対的な地位と社会的な行動様
式とを変更する内容の契約形態である。「兄弟」になることは、具体的
な諸目的のために諸給付を与え合うことを期待せずに、人が従来とは質
的に別の存在になることを意味する(Weber,1974)。
7) ここでの儀式は、文化人類学的に儀礼を意味するが、儀礼とは呪術・
宗教的な観念に基づいて、文化的に組織・定型化された宗教的象徴行為
とされる(村武,佐々木編,1991)。また同 一の所作、行動の反復性が儀礼
の象徴であり、変更は許容されない一方、権威と伝統への同調が儀礼の
基本であり、同一に繰り返されることに意義が存在する(江測,2000)。
8) 聖なる場所での非日常的儀式の共同体験から、当事者には共同性と契
約上の信頼が生じ、契約上の公正が維持されることから、契約には儀式
が必要とされた(巻口)。儀礼的行為は共同体の構成員に不自由を強いる
一方で、彼等の間での連帯や安定が維持される(巻口)。
277
社会における生命保険と互酬性に関する考察
9) 互酬性は贈り物を贈り、受け、返礼をする義務(Mauss,1973)とも指摘
されるが、贈与と交換は強くもつれ合い、特に「贈答文化」の日本社会
においては、互酬性が強く働いている(伊藤,1996)。
10) アメリカ北西岸等に住むインディアンにおける祝宴での歓待や老体品
の贈与である「ポトラッチ(potlatch)」、メラネシアのトロブリアンド
諸島群全域で、貝殻の腕輪や首輪を部族間で交換する「クラ交易
(kulaling)」、ニュージーランドのマオリ族の贈与交換等が、代表例と
して指摘されている(Malinowski,1967;Mauss)。また、古ゲルマン人社
会の贈与慣行の存在も指摘されている(阿部,1991)。
11) 「ハウ(hau)」の存在は、贈り主への返礼を義務化し、怠ると不幸が
生じるとされる(Mauss)。荻野(2006)は、ハウを恩に近い概念とし、贈
り物には贈り主の「まごころ」がこもっており、受け手の恩義を感じさ
せ、それが返礼を誘導すると指摘する(荻野)。
12) 交換の物的対象は人格・魂・生命を有すると信じられ、その集団的な
信念の下で、物の霊を通じて互酬性が維持されていた(巻ロ)。一一一方で
Godelier(2000)は、この種の聖物には、社会関係における内容や意味を
内蔵し、抽象的価値で統合されていることを指摘している。
Ⅳ.生命保険と互酬性
本章では、原生的契約と財貨取引的契約が相互に異質であり、贈与
交換が原生的契約の延長線である一方、生命保険に対して、社会や消
費者が互酬性の概念を重複させて認知し、受容した構図を指摘する。
1.財貨取引的契約と原生的契約
前近代社会における兄弟契約と贈与交換としての要物契約が、原生
的契約の特質を内包している点で共通している一方、近代社会におけ
る大抵の「契約」は、原生的契約における性質を帯びていない。
近代社会では、職業上の分業化と専門化が進行する過程で諸機能相
−278−
社会における生命保険と互酬性に関する考察
互の「協同」が不可避となることから、「交換」と「契約」が増大し、
稀少な契約関係も増大する(Durkheim,1989)。この増大する諸機能の専
門化と協同を対象とする契約では、専門性や機能性が特徴となる
(Durkheim)。さらに契約が量的に変化するのと同時に、質的な変化が
伴われる(Durkheim,1974)。また要物契約と要式契約が衰退し、契約当
事者の意思の合致が契約内容に重要とされる「諾成契約」が発展し、
さらに当事者の誠意による「誠意契約」へと発展する(Durkheim)13)。
保険契約等の財貨取引に特有な契約類型は、この種の契約である
(Durkheim,1989)。
Weber(1974)によると、財貨取引に特有な契約類型は「目的契約」と
定義される。専門化と協同を示す契約(Durkheim)は目的契約に近似す
るが、この目的契約は、経済的要素を主とする具体的な諸給付や諸効
果の招来のみを目的とし、関係当事者の信頼性には考慮しない契約で
ある。ここでの経済的交換は常に自己の家の仲間以外との交換であり、
外部の無縁者や兄弟関係のない者との交換である(Weber)。経済交換を
初めとする「交換」は目的契約の原型である一方で、当事者達に新た
な仲間や資格を不要とする合意であり、原生的契約のような儀礼に基
づく聖性の共有による信頼性を必要としない契約である。すなわち、
この交換は本質的に共同体と共同体との間の関係であり、一方の共同
体にとっては外部者や異邦人との関係となる(岩井,1985)。これは、共
同体内における伝統と倫理の聖化に基づいた相互扶助的な経済行為
と、共同体外の無軌道な営利衝動による営利行為との使い分けと、両
行為の並存(Weber,1955;大塚,1984)を明示している(図表1,a)14)。
−279−
社会における生命保険と互酬性に関する考察
(図表1)原生的契約と財貨取引的契約における諸要素と領域の変化
a.前近代社会の構図[原生的契約と財貨取引的契約が厳密に区分]
原 生
li的 契 約
財 貨 取 引 的 契 約
1
[
贈与交換,相互扶助 l (
原生的契約 の延長)]
(
共同体内の構成員,聖性の共有,信頼性)
(
共同体外の余所者,機能,俗性)
b.近代以降の構図[原生的契約の以前の領域部分と財貨取引的契約の拡大領域が重複]
原生的契約l 財貨取症的契約(機能,俗性)
l
[贈与交換,相互扶助]l[贈与交換,相互扶助(以前)]:
(領域縮小) l(象徴,聖性) :
(領域拡大)
…− ‥− ‥1 − ‥ ・
(共同体の崩壊)l (共同体の崩壊,異質な諸個人の依存)
l
(聖性の共有,信頼性)
(聖性と俗性の重複)
注.Durkheim(1941,1942,1974,1989)、Weber(1955,1974,1976)等の指摘を参考に作成。
近代における諾成契約は、現在の契約に近似し、当事者達の信頼性
を要求するが、この種の契約が、信頼性が根本的に見出されない日的
契約であることは、看過し得ない点である。この財貨取引的契約の増
大が、異質な契約が並存していた構図に流入する近代の現状から、生
命保険における相互扶助としての概念が、象徴化されるのである。
280−
社会における生命保険と互酬性に関する考察
2.財貨取引的契約と贈与交換
近代における財貨取引的契約の増大と、原生的契約と財貨取引的契
約との差異は、財貨取引的契約と贈与交換との比較を可能にする。
モノの取得目的から、貨幣による他人同士の交換は「市場交換」、
モノの取得よりも、義務や儀礼として、社会関係に伴う友人や親族間
等でのモノの贈り合いは、「贈与交換」とされる(山本,1996)。この指
摘から、原生的契約の性質の有無が決定的な要素として表面化する。
婚姻等の要式契約や兄弟契約の強力な拘束力は、聖性の共有による
儀礼や宣誓によるものである。要式契約や要物契約においての契約当
事者の誠意や意図は、考慮の余地が少なく、呪術的な文言が契約当事
者を拘束する(Durkheim,1974)。この文言は契約当事者の欲望に作用す
るのではなく、人間を相互に結び、人間を神に結び付ける点で、二重
に人々を結び付ける(Durkheim)。仮に、要式契約より希薄でも、要物
契約としての贈与交換は、同様な構図の延長に位置することになる。
贈与交換である要物契約、人的紐帯を形成する要式契約・兄弟契約
を拘束する共通性は、契約当事者達の上位に位置して、儀礼と宣誓に
より共有される拘束的な聖性であり、この聖性の存在は、人々の信頼
性の観念化に多大に影響している。すなわち契約当事者達の上位概念
である聖性を、儀礼や宣誓から共有することにより、強力な信頼性を
構築することが可能となる15)。この要素が欠如した契約行為において
強力な信頼性を望むことは、そもそも困難なのである。つまり、互酬
性における贈与交換は、原生的契約の性質を含み、その延長であるが
故に、成立可能であることが確認されるのである(図表1,a)。
一方、市場交換に顕著な財貨取引的契約は、当事者間の利益が原動
力であり、原生的契約に見られた儀礼による聖性の共有とそれによる
信頼性の構築等は、本来的に希薄である。すなわち契約当事者にとっ
281−
社会における生命保険と互酬性に関する考察
て、強力な拘束を伴う聖性の共有の不在は、根本的に財貨取引的契約
における信頼性の構築を困難にする構図をもたらしているのである。
以上のように、原生的契約の性質が存在する構図は、信頼性の程度
を決定的に作用する。現在まで婚姻等の慣行や儀礼が継続しているこ
とからも、宣誓と儀礼による聖性の共有という観念は、無条件に近い
信頼性を提供する。すなわち、原生的契約に要求される性質や諸条件
から信頼性が構築されることで、贈与交換が成立するのである。
3.生命保険と互酬性における相互扶助
財貨取引的契約と贈与交換との差異は、生命保険と互酬性との比較
にも援用可能であり、両者の差異と社会における構図が自明となる。
前近代社会では、何らかの社会集団が存在し、その相互扶助の表れ
として「保険的活動」が存在する(田村,1980)。前近代社会における保
険的活動や相互扶助活動は、この社会集団により共有される「連帯感」
や「信頼」に基づく援助行動の一環であった(田村,2006)16)。この相互
扶助の前提となる信頼性は、原生的契約の性質から延長されている。
つまり前近代の保険的活動は、贈与交換に近似することになる。
近代社会では、自足性が縮小した異質な諸個人が自らの生存を保障
するた捌こ他者への依存度を高めることで、必然的に契約が生じ、当
事者は相互に利益を交換し、依存し合う関係となる(Durkheim,1989;
巻口,2004)。この構図において、相互扶助や贈与交換は縮小し、原生
的契約の延長である相互扶助の領域に対して、「決定的」に、財貨取
引的契約が流入する(図表1,b)。この状況は、共同体の近代化におけ
る崩壊からの「生と死」の経済的意味の出現(田村,1995b)を意味する。
ここで「近代的保険」が登場するが、この保険団体は保険企業の顧客
データのみに存在する擬似的集団であり(田村,2006)、不特定多数の構
−282−
社会における生命保険と互酬性に関する考察
成員同士に信頼性は存在していない。すなわち相互扶助とは、顔が見
える未成熟な生活保障である一方で、生命保険とは、顔の見えない精
緻化された生活保障であることが確認されるのである。
生命保険制度は、機能的な生活保障システムであり、信頼性の存在
が条件となる相互扶助の要素は稀薄である。しかしながら、文化を内
包した社会的コンテクストに置かれている個人の解釈が上述の通りに
なるのかは、別の問題である。ある生活様式に固有性を付与するのが
文化の決定的な特質であるが、諸文化とは、人間と事物との意味付け
の秩序であり、人間は自ら考案した意味体系や象徴に従って生きてい
る(Sahlins,1987)。つまり、文化により体系化された生活様式を、人
間は認知し、意味付けて、行動に移行することになる。この構図は現
代社会でも継続しているが(Sahlins)、原生的契約や贈与交換の近似性
と、原生的契約が現代でも消滅し得ない現状から、原生的契約の観念
は強固に体系化された意味体系や象徴として存続することになる17)。
原生的契約と財貨取引的契約が対立する構図、近代における財貨取
引的契約の増大、原生的契約の観念と社会における意味体系や象徴の
存続は、生命保険に対する社会や個人のミスマッチを必然的に発生さ
せる。ここで、価値と両立し得ぬ革新の受容には、認知と参照要素の
倫理や価値との不一致からの正当性を喪失させないために、新しい事
前的価値が必要となる(Zelizer,1979)。ここで宗教的要素を背景とし、
道徳的権威と功利的・道具的利害追求である「聖」と「俗」に対して、
社会の安定性の中心である聖に基づく信念が根本となって、認知が道
徳に参照、包括されることになる(Durkheim,1942;Parsons,2002)。
「聖性」を伴う原生的契約と「俗性」の財貨取引的契約の特質から、
両契約は対立する構図となる。共同体社会内部では聖性が重視され、
余所者に対しては俗性で構わない使い分けが可能となるが、近代にお
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社会における生命保険と互酬性に関する考察
ける共同体社会の崩壊から、聖性と信頼性による相互扶助は縮小し、
俗性の財貨取引的契約である保険契約に依存する状況が出現する。し
かしながら機能は必要であるが、原生的契約の観念と社会における意
味体系や象徴の存続は、俗性と認知される機能に対して、聖性の道徳
からの包括と正当化を必要とする。すなわち拡大された俗性の財貨取
引的契約部分に対して、原生的契約の性質を重複させて認知・解釈し、
聖と俗が調和した「意味付け」が要求されることになる(図表1,b)18)。
互酬性における相互扶助や贈与交換は原生的契約の性質を内包し、
前近代社会からの観念も存続させてきた。ここで異質な俗性の財貨取
引的契約に対する相互扶助の観念の重複から、社会や消費者への受容
が容易になる帰結が見出される。この観念は、生命保険の受容に関し、
棄却され得ない要素であることを確認させてくれるのである19)。
生命保険の相互扶助としての受容と普及は、前近代からの意味体系
として継承された原生的契約の観念からの社会や人々への影響によ
る。生命保険の社会的解釈も、社会や個人からの認知や意味付けから
回避されないが、機能としての生命保険を原生的契約の観念から意味
付けし、象徴化することで、前近代社会において「異物」である生命
保険の受容が可能となったのである。
注13) 周知の通り、保険契約は諾成契約であるが、Durkheim(1974)が説明す
る「諾成契約」や「誠意契約」は、近代における契約形態全般の推移に
対応した総称であると解釈される。この近代における契約は、以前の契
約形式とは異なり、当事者の意思に合意されるだけで、契約は義務を伴
うものとされて承認され、誠意に発するものとされる(Durkheim)。
14) 前近代の共同体社会における人々の贈与交換と共同体外の営利性の交
換に分離した経済と倫理の二重構造は、日本においても共通している
(大塚,1984)。また小田(1994)によると、市場交換は「その場限り」の、
「義理」や「恩」を生じないモノの交換であり、近代以前においては、
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社会における生命保険と互酬性に関する考察
市場交換は限られた場面のみの交換であったと指摘される。
15) 婚姻のような要式契約は、契約当事者より優越した道徳的権威が契約
に関与することで、契約当事者の悪意に委ねられずに、高度な道徳的価
値をもたらす(Durkhelm)。諾成契約等では、当事者間の誠意が存在した
としても、契約当事者の悉意に委ねられる構図から、契約における信頼
性は、原生的契約よりも不明瞭で、希薄になることを余儀なくされる。
16) ギルドのような信頼によって擬集した集団が存在することで、集団内
での「信頼」の表象として保険的な活動が可能となる(田村,1980)。ギ
ルドの保険的活動は、集団内における「一方的援助」であり、内在的機
能によるものである。その保険関係は「人の関係」を基礎として、ギル
ドの性格等に規定され、「物の関係」である近代的保険集団とは異なる
(田村)。ギルドの保険的活動も、特定集団における原生的契約の延長線
上にあることが確認される。
17)リスク認知におけるコンテクストは、最上位の文化的背景、社会・政
治的慣習、知覚的・感情的要素、情報処理過程におけるヒューリスティ
ックの順で重層する(Renn and Rohrmann,2000)。この構図から、集合意
識に覆われていた共同体社会における原生的契約の観念は、意味体系を
継続させて、近代社会と人々の認知や意味付けにも影響を与えていたこ
とになる。
18)生命保険とは異なり、損害保険について、この種の正当化は必要ない。
海上交易に従事する商人達の活動は共同体的規制の外に存在し、海上危
険については商人相互間の取引による利潤獲得の手段としての危険負
担が指向された(水島,1994)。すなわち中世ベニスの商人のように、共
同体内の原生的契約の維持と、共同体外の余所者に対する使い分けが
(岩井,1985)、人とモノに関する損害保険契約においては可能であり、
損害保険には原生的契約の性質を重複させる正当化は不用である。すな
わち、原始的海上保険が前期的保険の性質を内包していても、相互扶助
意識による共済的施設には内包されていない非共通性(水島)から、原生
的契約の観念的な重複が不必要だった保険と、必要とした保険との差異
も、表面化されるのである。
19)18世紀の米国の慈善的側面を強調した、古来の身分制的な非営利のフ
ラターナル組合の契約が拡大した現象は(ZellZer,1979)、生命保険を相
互扶助的に認知し、意味付けする社会や人々の観念の存在を確認させて
くれる。フラクーナル組合は、民族、宗教、職業等の共通点を有し、儀
式による感情的な紐帯で結合された集団であった(田村,1977)。ここで
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社会における生命保険と互酬性に関する考察
は相互扶助が自然となり、保険も友愛感の延長であったが、保険会社化
への方向性の転換により、社会集団としての機能が終rした(田村)。相
互扶助が儀式による信頼性を有する限定構成員のみで有効である一万、
保険会社化の要件を整備することは相互扶助からの決別であり、象徴と
して相互主義が存在しても、両者は厳密に相容れない形態なのである。
Ⅴ.むすび
本稿では、生命保険の受容と普及の象徴的要素として、前近代社会
において普遍的な互酬性における相互扶助の存在に焦点を当て、主に
社会学的観点から、文化的背景との関連も含めて、考察を試みた。
まず、日本や米国等における生命保険への反発や不明瞭な発展を紹
介し、生命保険が相互扶助としての価値を付与されて社会に受容され、
現在までの生命保険の象徴とされていたことを指摘した。次に、前近
代の共同体社会における儀礼や聖性の共有からの信頼関係に依拠した
原生的契約の特質が、人的紐帯や互酬性の概念における贈与交換の根
底要素であったことを指摘した。そして、原生的契約と財貨取引的契
約が相容れない性質であり、贈与交換には原生的契約の性質が内包さ
れる一方、生命保険を社会や消費者が互酬性における相互扶助の概念
を重複させて認知して、意味付けし、受容する構図を指摘した。
初期の生命保険は社会的な反発を受け、次に社会や消費者への受容
において、互酬性における相互扶助が象徴化した。この現象は、原生
的契約と財貨取引的契約の特質が相容れず、前近代からの原生的契約
の意味体系を継承した社会や人々の観念が、財貨取引的契約の生命保
険に重複され、価値化された構図を提示していたのである。
生命保険と社会や消費者の関係については、文化的・社会的背景等
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社会における生命保険と互酬性に関する考察
を念頭に置いた背景要素の分析が要求されるが、この作業を継続して
いくことは容易ではない。しかしながら、この困難な作業の継続こそ
が、生命保険と社会や消費者における複雑な問題に対して、適切な基
本戦略を構築し得るための理解を可能にするのである。
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