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2012年3月 - bicoid

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2012年3月 - bicoid
March - 2012
bicoid NOTE
Nobuyuki OKAHISA
120301:0059
風呂場のフーコー
『フーコーの振り子』と書くと長編小説っぽいのに『振り子のフー
コー』と書くと絵本やアニメっぽくなる現象について、犠牲を躊躇わ
ずその本質を突き止めようとするならば、おそらくフーコーに思いを
巡らせる際に我々の頭のなかに起きる、ある種の振動運動に由来する
はずだと睨んでいる。
本を携えて浴室に向かったはずが、気がつけば湯船の中で意識を
失っていた。
夢の中の僕は、焦げ茶色の羽をまとった蛾だった。町外れの人気の
ない古びた建物の中、ひたすら薄暗い非常階段を地下へ地下へと逃げ
ていた。背後からは、回転速度を間違えてレコード盤を回したみたい
に、奇妙なピッチで共産党の街宣車の騒音が鳴り響いていた。
最下層まで辿り着いたとき、目の前には事務所の入り口みたいな簡
潔なドアがあった。それを発見した僕はようやく胸を撫で下ろしたの
だけど、次の瞬間、蛾はドアのノブを回せないことに思い至って絶望
感に包まれた。
目を覚ましたときには温かな水面が唇にあたっていて、浴槽のふた
の上で両手で支えていたはずの参考書は、水没する寸前といった危う
いバランスを保っていた。そしてなんの脈絡もなく、二週間前にコー
ヒー豆を買った際のレジの女性の表情を思い浮かべた。
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120302:0153
降って湧いたはなし
夕方にとつぜん降って湧いた作業のため、21時に帰宅して
食事を済ませてからコンピュータに向かった。コーヒー二杯
の休憩を挟み、思ったより時間がかかったけれど先ほど終
了。
ところで「降って湧いた」という言葉の由来は、「天から
何かが降ったため、地から何かが湧いた」という因果関係を
あらわすものではない。天から降ることと地から湧くことが
同時に起きるような、「思いもよらない現象に出会うこと」
をたとえて言うのだ。たとえば、ただなんとなくの惰性で他
人の日記を読むためにウェブサイトを訪れて、頼んでもいな
いのに強引にことばの由来を聞かされるような状況を指す。
いや、それは違う。惰性ってあんまりだ。
3
120307:0015
もうテレフォンは使えない
その日の夕方。だらしなくスーツの前を開いたままの僕
は、唐沢寿明さんに心酔または傾倒して家庭用インターネッ
ト回線のプロバイダをeo光に変えたので、NTTとOCNに解約
の電話をかけた。
受付が午後五時までなので、仕方なく仕事の落ち着いた時
間帯に席を外させてもらって連絡したら、三つの部署をたら
仕事中にからからと乾いた音が聞こえたので床に目を落と
い回しに転送されたあげく、最後のボスに「ではここで、ご
すと、スーツのボタンが外れていた。午後から人に会う用事
自宅の光回線の差し込み口の形状を教えて頂けますでしょう
が幾つかあったので、けっこう困る。
か?」と高難易度なカルトクイズを出題された。知らない。
動揺を悟られぬよう、頼りになる後輩N嬢に「裁縫道具な
ど持っていませんか」と丁寧に言葉を選んでメールしたとこ
ろ、「ミニハサミならあります」と自信みなぎる残念な返信
が届いたので、心がちぎれそうになった。
気をとりなおし、近くに座る後輩K嬢に「あのー、裁縫道
具とかない?」とフランクに問うと、彼女は礼儀として数秒
の留保を挟んだのち「ないですね」と微笑をくれた。「まさ
かとは思うけど」と牡蠣フライ定食のA君に尋ねてみると
そんなものは知らない。たとえ光回線に限らずとも、世の中
のあらゆる差し込み口に関して僕がこの手につかんでいる事
実はあまりに心もとない。
先方の「いかがでしょう?」という台詞だけが響き、やが
て沈黙が訪れる。みのもんた的な静寂がじりじりと二人の間
合いを詰めるのを察知し、僕は冷静に「テレフォン」とライ
フラインの使用を宣言しようとしたけれど、すでに通話中で
あり不可であった。
「持ってるわけがないです」と即答。期待しているわけがな
い。
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「……そうか、ミニハサミ!」と午前中に後輩が張ってくれ
た伏線を回収しようとしたけれど、まるで伏線になっていな
い。「調べておきます」とだけ答えを残して、静かにうなだ
れる男がそこには居た。
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120308:0704
午前三時のジャーナル
早めに就寝して午前三時に起床。iPad & iPhone用にあた
らしいiPhotoがリリースされていたので、試しに購入。
コンピュータで閲覧するにはやや間延びするけれど、ちゃ
んとMobile Me時代のギャラリーに相当するのも作れて楽し
い。近々、iCloudの管理画面からもジャーナルを編集できる
ようになるのだろうか。
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120312:2311
あと、周囲の環境音に混じって聞き取りづらいけれど、僕
あちら側の人
の「広井王子?」のボケは店内に響き渡るくらい大爆笑を呼
んでいます。周囲の環境音に混じって聞き取りづらいけれ
ど。
聞くに堪えない品質だったら途中でやめてしまう可能性大
なのですが、とりあえずお暇な方はお付き合いください。
土曜日の夜、皆がなんとか都合がつきそうだと言うので、
村上君の家に近い安価なレストランに集合した。ドリンク
バーの仕組みがよくわからなかったり、日付を回る頃にも関
わらず帰宅する素振りをみせない家族連れが隣の席に居たり
と、終始異様な雰囲気ではあったものの、とりとめもなく会
話は続く。
せっかくなので収録してみたけれど、これまでのPodcastに
比べ随分とノイジーなので、きっと参加者以外には話の流れ
が掴めないと思います。一応簡単に説明しておくと、四分を
過ぎたあたりで村上君を覗く三人が「なにこれ……」と絶句
しているのは、遅れて登場した村上君が皆に黙ってNikon
D7000 18-200 VR II レンズキットという「あっち側の人が
買うカメラ」を購入していたからです。なにこれ。
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120317:0949
に立ち寄っていたら、あやうく三台目を手にするところだっ
自制心
た。
昨日はどのニュースサイトを見てもiPad、iPad、
iPad……。たしかに心を動かされそうになったけれど、なん
とか自制してヨドバシカメラに立ち寄ることもなく帰宅。
先日西宮で集まって以来、地元の男四名+バス釣り師匠で
あるサトちゃんとの連絡だけのためにPathをふたたび使い始
めた。入浴を終えた頃、そのサトちゃんが僕たちへの予告な
しに購入した新しいiPadの写真を送って来たので、一同驚
愕。
「せめて予告ぐらいしておこうよ……」と半ば呆れつつ、僕
も予告なしに購入したそれの写真を送り返して、一同から冷
たい視線をあびることに成功。自制心もなくヨドバシカメラ
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120319:0720
ずもないので、意表をついて二台購入して一台は奥様にプレ
使命
ゼントすることにした。僕の書くあらゆる文章は、前後の文
脈を矛盾させるためにある。
といった話は脇において、購入動機の四十パーセントくら
いは、mkinoさんが始めた面白そうなことを追いかけるため
なのでした。
iPadを所有して何が変わったか、と改めて自問してみる
と、とくに何が変わったというわけでもない。ただ単に、に
やにやしている時間が増えただけである。それも劇的に増え
ただけである。あと、たまに無意識に「わー」とか「そう
か……」とか声に出す回数が増えたくらい。
もともと、僕はあまり購入するつもりはなかったのだ。と
ころが三週間ほど前のある日、奥様の母上がiPadの購入を検
討しているという話を聞き、「……ああ、そういう事なら
ば、これはもう、僕自身が体験した実態を報告するしかある
まい」と考えるに至ったのだ。わりと都合よく。
そうはいっても、数ヶ月前にコンピュータを新調したばか
りの我が家に高価な電子機器を導入するような余裕があるは
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120321:0716
ずいぶん落ち込んでいたので、「名前からいえば、ウマの
馬と竜と
仲間と言えなくもない」と付け加えて、のぼせる手前まで丁
寧な説明をした。
部屋を片付けるつもりがあまり変化なく、三通のメールに
返信を書くはずがほとんど進まず、コーヒーを飲んで玄関の
電球のワット数を想像していたら、いつしか休日が終わって
いた。
入浴中に、不意に息子が「カメってサカナ?」と尋ねてき
たので、「魚じゃなくてトカゲの仲間。トカゲとかワニと
か」と返事をすると、「じゃあタツノオトシゴは?」と重ね
て質問があった。「……あっちは魚。まぁ、意外だとは思う
けど」と答えた。彼は目を見開いてしばらくのあいだ絶句
し、「タツってリュウでしょ。リュウはサカナだったの
か……弱そうだ……」とぶつぶつと言い始めた。
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120323:0638
子供たちに自慢するために『太陽系』というアプリを買っ
太陽系を買う男
た。このiPad本体も、どうせあと二年もしたら子供にあげる
のだから(=どうせ僕が新型を買うのだから)、64GBにす
れば良かったなぁとやや後悔。
午前五時半に布団を出て、コーヒーを飲んだ。息子の幼稚
園はもう春休みに入っていて、娘は今日が修了式だ。たぶん
遅くまで目を覚まさないだろう。台所の窓から雨の音が聞こ
えて、はじめて今日の天気を意識する。近くのどこかの家
で、大きなシャッターを上げる音が聞こえる。
ありのままの自分ってなんだろう、と考える行為は、結局
ちらかったままの僕の部屋ってどうだろう、と考えるのと似
ている。どこから手を付けていいのかわからない。その命題
に取り組まなくても、生きていくうえで特別に大きな問題は
起きないように思える。「起きないように思える」あたりが
特に似ている。そして子供たちはまだ起きない。
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120325:1358
十数年ぶりに覗いたポスト
ちょっとした事情からSo-netに入会する事になり、十数年
ぶりにPostPetに触れることになった。
ブラウザのウインドウ越しにペットを飼う感触は、なんと
なく薄皮を隔てた関係性のようにも思える。So-netのメール
アドレスを積極的に使う機会はまず訪れないと思うので、こ
れでは単なるPetだけど。
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120326:2209
おなじ段ボール箱の奥からは、おそらく二十歳前後の頃に
River of Dreams
愛聴していたMDが二十枚ほど見つかった。
僕の家にあるケンウッドのMDコンポはある日とつぜん故
障し、なにかMDを入れるたびに、液晶画面に「BLANK
DISK」と表示して中身を強制的にフォーマットするという便
利機能を有しているので(言い換えれば致命的に故障してい
る)、これらもまた今さら聞き返すこともできない。
流れゆく時間のなかで、いつの間にか断たれてしまった繋
昨日は昼下がりに子供たちの自転車遊びにつきあってか
ら、部屋の掃除を再開。クローゼットの闇の狭間からわけの
わからないものがたくさん出土するけれど、それらのわけの
わからなさの元凶はおおむね僕にあるのだろうと推測。
がりの向こうに、必ずあったはずの情熱や衝動やその他のや
やこしい感情を思い浮かべる。思い浮かべてもどうしようも
ないのでピアノに向かい、まるで何かが弾けそうな気持ちで
鍵盤に指を置いてみる。もちろんなにも弾けない。
一番奥の段ボール箱からは、いっさい収納した記憶の無い
ビデオテープが数本出て来た。もはや再生用デッキのないこ
の家では中身を確認することさえ叶わない。ある意味では九
死に一生を得たといえる。表に貼られた生真面目なラベルに
よって高度なフェイクをしかけている辺りから判断すると、
中身はおそらく環境汚染問題か人権問題に関するシンポジウ
ムを録画したものであろうと推測される。
唐突に関係のない話を。
僕が最初に買った洋楽のアルバムは、ビリー・ジョエルの
『River of Dreams』だった。レジ前のガラスケースに比較
的高価な化粧品を並べている謎のレコード店、宝塚レコード
(通称タカレコ)で買ったのだ。その頃のタカレコでは、CD
を1枚購入するごとに文化祭で配られているようなわりと安
直な品質のサービス券をくれて、アルバムの場合、その券を
10枚集めると新婦か神父か新譜に交換してもらえた。
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思い出したついでに古い財布を開いてサービス券を探して
みたけれど、もちろん簡単には見つからない。見つかったと
ころでタカレコがもうない。
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March - 2012
bicoid NOTE
©2012 Nobuyuki OKAHISA
http://www.bicoid.com
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