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1 グローバル化と地域化が同時進行する世界経済の現状 いわゆる
Watanabe Yorizumi 1 グローバル化と地域化が同時進行する世界経済の現状 いわゆる「グローバル化」と呼ばれる現象の実体は国境を越えて移動する「モノ・サー ビス・資本・人」である。1958 年に関税同盟としてスタートした欧州経済共同体(EEC、現 (the Single 在の欧州連合〔EU〕) は、1993 年から市場統合をさらに深化させ「単一市場」 Market)を形成、4 つの要素の自由移動をさらに促進してきた。この EU の成功をお手本に、 今では途上国も含め世界中いたるところでこうした「地域経済統合」がひとつの潮流とし て定着している。経済統合の形式として最も多いのが貿易障壁(関税や非関税措置など)を (FTA: Free Trade Agreement)である。日本貿 相互に撤廃した国々が締結する「自由貿易協定」 易振興機構(ジェトロ)の調査によれば、2012 年 7 月の時点で世界には 221 件の FTA が存在 している。関税などの国境措置が低減し、国境そのものの意味が減少する一方で、各国は 競って FTA を締結しているというのが世界経済の現状である。 アジア太平洋地域においてもその傾向は顕著である(第 1 表参照)。この地域には約 40 件 にも及ぶ FTA があるが、とりわけ最近の動向として注目されているのが、 「P4」と呼ばれる 協定に端を発した「環太平洋パートナーシップ協定」 (TPP)の動きである。P4 はシンガポ ール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4 ヵ国が 2006年に始めたFTA であるが、アメリ カも 2008 年 2 月に投資と金融サービス分野にのみ参加することを表明し、その後 2008 年 9 月 に全分野での交渉に参加することで合意している。同年 11 月のアジア太平洋経済協力会議 (APEC)の際には主催国であったペルーやオーストラリアが参加の意向を表明し、P4 は P7 に拡大した。以前からアメリカは、1990 年代の「マハティール構想」など東アジアで「ア メリカ抜き」の市場統合が進むことには懸念を有しており、2006 年の APEC の際には (FTAAP)構想を提案してい 「APEC 域内の FTA」ということで「アジア太平洋自由貿易圏」 る。この P4 の動きが P7 になり、さらに P9 になるといったかたちで参加国は増加し、本稿執 筆の時点では 2013 年 3 月 15 日に交渉参加を正式に表明した日本を含めると 12 ヵ国が TPP 交 渉に参加することになっている。タイならびにフィリピンなども参加の意向を示しており、 今後、TPP はアジア太平洋地域における「クリティカル・マス」 (critical mass、全体の趨勢を 決定づけるような多数派)を形成していくことが十分考えられる。 このように世界経済は一方でグローバル化が進行するなか、他方では経済の「地域化」 (regionalization)が進み、同時にその「地域化」の差別性や排他性を克服するための地域横断 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 5 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から 第 1 表 アジア太平洋地域におけるFTA―TPP参加国のFTA締結状況(2013年5月現在) その他の参加国 P4 シ ン ガ ポ ー ル シンガポール P 4 そ の 他 の 参 加 国 備 考 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド チ リ ブ ル ネ イ ア メ リ カ オ ー ス ト ラ リ ア ペ ル ー ベ ト ナ ム マ レ ー シ ア ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ★ ● ★ ● ● ● ● ● ● ○交渉妥結 ○ ★ ● ★ ● ● ● ● ★ ★ ★ ● ● ★ ★ ニュージーランド ● チ リ ● ● ブルネイ ● ● ● アメリカ ● ★ ● ★ オーストラリア ● ● ● ● ● ペ ル ー ● ★ ● ★ ● ★ ベトナム ● ● ○交渉妥結 ● ★ ● ★ マレーシア ● ● ○ ● ★ ● ★ カ ナ ダ ● ● ● メキシコ ● ● ○ 日 本 ● ● 韓 国 ● ● 中 国 ● ● ● ● ○ ● 備考 カ ナ ダ メ キ シ コ 日 本 韓 国 中 国 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ○ ● ● ● ● ○ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● (注1) ●FTA発効済み。○FTA/EPA署名済み・未発効、 FTA交渉中、★TPP参加国。 (注2) ASEAN加盟国は、二国間でのFTAが発効していなくても、ASEANとしてFTAを締結する場合は「FTA発効済み」とする。 (出所) 各国政府資料、外務省資料より筆者作成。 型の市場統合が多層的に共存するという「制度構築競争」の様相を呈している。 本稿ではアジア太平洋地域における経済統合の現状分析を行ない、それが多国間の通商 体制にどのような影響を与えうるかを考察することとする。 2 世界経済におけるアジア太平洋地域の位置付け― 3 つのメガ・リージョン 2001 年 11 月に始まった世界貿易機関(WTO)の多国間貿易交渉である「ドーハ開発アジ ェンダ(DDA)」 、いわゆる「ドーハ・ラウンド」が停滞するなか、世界は FTA をはじめとす る地域経済統合に傾斜している。しかし、このような特定国間の協定はその締約国を関税 撤廃などで優遇するが、第三国に対しては結果的に差別的な貿易上の待遇を強いることに なる。そのため「自由・無差別・多角主義」を謳う WTO 体制において地域貿易取り決めは 「最恵国待遇原則」の例外として位置付けられてきた。その「例外」が今ではすっかり世界 経済の「主流」になった感がある。 今日の世界経済は 3 つのメガ・リージョンを「成長の極」として構成されており、それぞ れの極においては域内の統合がそれそれ異なるスピードで進化し拡大している(第 1図参照)。 第 1 の地域は地域統合が最も進んでいる EU を中心とする欧州地域である。1958 年に関税同 盟から出発し、単一市場を経て現在では経済通貨同盟(EMU: Economic and Monetary Union)を 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 6 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から 第 1 図 WTO体制と3つのメガ・リージョン WTO EU EFTA、アフリカ・カリブ海・ 太平洋(ACP)諸国、 スイス、ロシア Trans-Atlantic FTA →TTIP FTAA NAFTA ASEM 日本−EU FTA APEC → TPP アメリカ、カナダ、 メキシコ、CAFTA メルコスール 東アジア 太平洋同盟 ASEAN+3+インド+ オーストラリア・ ニュージーランド (RCEP) (出所) 筆者作成。 形成している。27 ヵ国の EU 加盟国のうち 17 ヵ国で単一通貨ユーロが使われており、ユーロ 圏の総国内総生産(GDP)は約 18 兆ドル(2012 年)である。EU がこの地域の核となってい るが、他にもスイスなどの欧州自由貿易連合(EFTA)諸国やロシアなどもこの地域に含ま れる。また、この地域について特筆すべきは EU 加盟国との歴史的つながりが強いアフリカ 諸国である。アフリカ諸国においても南アフリカ関税同盟(SACU)、南部アフリカ開発共同 体(SADC: Southern African Development Community)、東アフリカ経済共同体(EAEC: East African Economic Community)などさまざまな経済統合体があるが、いずれもまだ制度的に成熟した 段階にあるとは言えず、ここではアフリカ全体としてヨーロッパ市場に対する依存度が圧 倒的に高いことから、あえて欧州圏に含めることとした。 第 2 のメガ・リージョンは米州地域である。この地域は欧州に次いで統合が進行している 地域で、特にアメリカ、カナダ、メキシコからなる北米自由貿易協定(NAFTA)が重要であ る。人口 5 億人、GDP18 兆ドル(2012 年)とユーロ圏に匹敵する市場規模を有している。米 州にはアメリカをハブとするFTA が発達しており、中米 FTA(CAFTA)のほか、南米チリと の間にも自由化レベルの高い FTAが存在する。 さらに南米においてはブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ベネズエラ からなる南米南部共同市場(メルコスール)が関税同盟として 1994 年以来存在している。ま た、2012 年からはアンデス山脈の太平洋側の諸国であるコロンビア、ペルー、チリ、そし てメキシコが「太平洋同盟」 (Allianza Pacifico)という連合体を形成し、新たな取り組みとし て注目されている。 他方、南北両アメリカを包含する FTA として 2001 年に交渉が始まった「全米FTA」 (FTAA) はキューバを除く 34 ヵ国で交渉されたが、ブラジルの反対などで頓挫し、2006 年以降交渉 会合は開かれていない。 第 3 のメガ・リージョンは東アジアである。この地域における FTA 構想をめぐっては、中 国が 2004 年に提唱した東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓の「ASEAN + 3」と日本が 2006 年に提案した「ASEAN + 3」にオーストラリア、ニュージーランド、インドを加えた 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 7 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から 第 2 表 FTAAPを構成する3つの主要FTA 交渉の状況 日中韓FTA RCEP TPP 2013年3月に交渉開始、中 韓はすでに交渉中 2013年早期に交渉開始。 2015年の妥結を目指す 2013年中の交渉妥結を目指 す。2013年7月日本交渉参 加 約20兆ドル 34億人(16ヵ国) 約26兆ドル 8.2億人(12ヵ国) 中国とインドを内包する点 がメリットであり、困難な 点。発展水準の格差も難問 市場アクセス、ルールの両 面でハイレベルのFTAを目 指す。すでに15回の交渉 経済規模 約14兆ドル (GDP、人口、参加国数) 15億人(3ヵ国) 特徴・課題 相互に貿易の2―3割を依存 し合う。他方、政治的問題 が不安要因 (出所) 『日本経済新聞』2012年11月21日「対アジア連携、TPP軸に同時並行で交渉、実利狙う」等を参考に筆者作成。 「ASEAN + 6」の 2 つの枠組みが並存していた。しかし、2012 年 11 月の東アジア首脳会議 (EAS)で「ASEAN + 6」をもって新たな「東アジア地域包括的経済連携」 (RCEP: Regional Comprehensive Economic Partnership in East Asia)とすることで妥協が成立、2013 年の早期に交渉 を開始することで合意ができた。併せて日中韓の FTA(CJKFTA)についても交渉開始が合 意され、2013 年 3月に第 1 回会合が開催されている。 このように東アジアでは二国間の FTA ・ EPA(経済連携協定)に加えて広域の FTA が交渉 されつつあり、それぞれの枠組みへの参加国にも重複がみられることから、今後はそれら の広域 FTA への取り組みが重層的に行なわれ、相互に影響を与えながら展開していくこと になると予想される(第2 表参照)。 世界経済はこのように 3 つのメガ・リージョンから成り立っており、それぞれ EU のよう な経済通貨同盟や関税同盟、NAFTA などの FTA や日本の EPA など異なる統合のモデルを打 ち立てて互いに競争している。それぞれの地域間には、アジアと米州の架け橋として APEC があり、アジアと欧州の間にアジア欧州会議(ASEM)のような地域間協力の枠組みが存在 している。このような枠組みにより、それぞれの地域が内向き志向を強めて互いに排他的 になることを回避してきている。1930 年代の「ブロック経済」が互いに高関税を導入し、 為替の切り下げ競争をするといったかたちで行なった保護主義的な「近隣窮乏化政策」は 今のところ表面化していない。 さらにいずれの地域も WTO というグローバルな通商体制によってカバーされており、各 国は WTO の開放的で透明性の高い通商体制のルールを順守する義務を負っている。このこ とにより、地域統合が進化しても 1930 年代のような相互に敵対的で閉鎖的な「経済アウタ ルキー(自給自足経済)」に陥らないようになっている。世界貿易の基盤としての WTO をは じめ地域間協力の枠組みとしての APEC や ASEM は、このような一種の「安全装置」として の機能を果たしていると言える。 3 地域間 FTA としての TPP の特質とその重要性 (1) TPP の「広域性」 こうしたメガ・リージョンを包摂する枠組みの一つとして登場してきた TPP にはいくつか の特徴がある(1)。その一つは、TPP がアジア太平洋という広範な地域をカバーする「広域 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 8 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から FTA」であるという点である。そもそも FTA は、関税を撤廃し規制を緩和することで、モノ とサービスの市場アクセスを構成国間で相互に改善することを目的としている。第 2 次世界 大戦後の世界経済では 1960 年に創設された「欧州自由貿易連合」 (EFTA: European Free Trade Association)が初期の代表例であり、その後アメリカも 1985 年にイスラエルとの FTA を皮切 りに、1989 年には隣国カナダとの米加 FTA を締結、さらに 1994 年にはそれにメキシコが加 わるかたちで NAFTA が発効した。アメリカはその後もチリやコロンビア、さらには中米諸 国と CAFTA を締結して、アメリカがハブとなり、スポークで各国を結ぶいわゆる「ハブ & スポーク型」の FTA ネットワークを構築してきている。他方で地域統合のパイオニア的存 在である現在の EU も、先述のとおり、経済通貨同盟の形態で 27 の加盟国、約 5 億人の人口 を擁する一大経済圏を形成するに至っている。 EU の 6 次にわたる拡大と制度上の深化、そしてアメリカの FTA 戦略は多国間主義に基づ いた世界の貿易体制を大きく変化させた。第 2 次世界大戦後の国際貿易体制は、関税と貿易 に関する一般協定(GATT)の第 1 条に言う「無条件最恵国待遇」を原則として、加盟国間 で差別のない貿易を行ない、戦前の「経済ブロック」に繋がる危険性のある地域統合は 「無条件最恵国待遇」原則の例外と位置付けられていた。しかし、すでにみたように、現在 世界には約 221 件もの FTA が存在すると言われている。グローバル化の進行した現代の世界 経済にあっては、例外であったはずの FTA 等の地域取り決めがむしろ「主流」となり、 GATT の後継である WTO はドーハ・ラウンドが停滞していることもあり、国際組織として 弱体化しているのではないかと懸念する声も聞かれるようになっている。 このような状況のなかで広域 FTA としての TPP にはどのような歴史的意義があるのだろ うか。TPP は本質的には APEC(1989 年創設)の参加国・地域に開かれている。その数は 21 に及び、世界第 1 位の経済大国アメリカをはじめ、第 2 位の中国、第 3 位の日本、第 10 位の メキシコなどを含み、世界の GDP の約半分、世界貿易の約 4 割をカバーする重要な地域であ る。まだ中国や韓国は TPP に参加の意向を表明していないが、筆者はこれら両国も遅かれ早 かれ TPP に参加するとみている。日本が 2011 年 11 月に「参加へ向けて協議に入る」と明ら かにし、カナダとメキシコも参加の意向を表明したことで、いわゆる「クリティカル・マ ス」が形成されたからだ。現段階では TPP に消極的なインドネシアも、将来的には TPP 入り する可能性があり、中長期的には APEC 全域をカバーする FTA ができることになる。そうな れば、これはもはや狭い意味での「地域統合」 (regional integration)ではなく、東アジア地域、 (inter-regional integration)と呼ぶ 北米地域、中南米地域の太平洋側を包摂する「地域間統合」 べきものとなる。これは、現在進行形で市場統合が進んでいる 3 つの地域が広域 FTA という 「権利と義務の法的関係」で緊密に結ばれることを意味しており、狭隘な経済ブロックの閉 鎖性と排他性を乗り越えることができる可能性が拡がる。このことは国際貿易体制にとっ ては大きなメリットであり、そこに TPP の現代的意義が認められるのである(第2 図参照)。 (2) TPP の「包括性」 TPP の第 2 の特徴はそのカバーする分野の包括性である。TPP も FTA であるから、モノの 貿易については関税撤廃で市場アクセスをドラスティックに改善しようとする。サービス 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 9 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から 第 2 図 アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)―APEC域内FTA FTAAP FTTAP(ASEAN、 日中韓、NAFTA、ペルー、 チリ、香港、台湾、 ロシア、パプアニューギニア) NAFTA (アメリカ、 カナダ、 メキシコ) ASEAN+3(日中韓) ASEAN (インドネシア、 フィリピン、ベトナム、 タイ、 マレーシア、 カンボジア、 FTAA TPP ラオス、 シンガポール、 ブルネイ) メルコスール (ニュージーランド、 シンガポール、 (アルゼンチン、 ブルネイ、 チリ+アメリカ、 ウルグアイ、パラグアイ、 オーストラリア、ペルー、 ASEAN+3(日中韓) ブラジル、 ブラ ジル、ベネズエラ) レーシア、ベトナム、 マレーシア、 +3(インド、 オーストラリア、 ニュージーランド) カナダ、 メキシコ) ■ APEC参加メンバー:ASEAN 7ヵ国(ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイ、ベトナム、シンガポール)、 日本、韓国、中国、中国香港、台湾、メキシコ、パプアニューギニア、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダ、 ペルー、チリ、ロシア。 (出所) 外務省資料等をベースに筆者作成。 貿易についても、例外的に内国民待遇を与えられないサービス・セクターを具体的に例示 し、それ以外は原則的に外国のサービス提供者にも内国民待遇を与える「ネガティブリス ト・アプローチ」でスピード感をもってサービス貿易の自由化を目指す。しかし、TPP はこ のようなモノやサービスの自由化にとどまらず、さまざまな通商ルールを新たに作り出す 可能性を秘めている(第3 表を参照)。 TPP のルール交渉の項目には、 「政府調達」のように WTO に協定(政府調達に関する協定 「知的財産権」のように WTO に協定(知 〔GPA〕 )はあるが、参加国が限定的であるもの(2)、 的財産権の貿易関連の側面に関する協定〔TRIPS〕 )はあるが、その法的実効性(エンフォース 「投資」のように WTO に協定(貿易に関連する投資措置に関する メント)に問題があるもの、 協定〔TRIMS〕 )はあるが、その適用範囲に限界があるものが含まれている。これらの分野に ついては、まったく新しいルールを策定するというよりはむしろ現行 WTO 協定の規律をさ らに強化するか、ないしは参加国の幅を広げようとするものであり、 「WTO プラス」のルー ル作りと言えよう。衛生植物検疫措置に関する協定(SPS 協定)や貿易の技術的障害に関す る協定(TBT協定)もこのカテゴリーに入ってくるイッシューである。 他方、 「競争」 、 「環境」 、 「労働」については、まだ WTO 体制のなかでは議論が十分になさ れておらず、先進国と途上国との間で対立が生じやすいテーマであることから、そもそも WTO でのルール化ができていない分野である。TPP でなんらかの国際的ルールが策定でき 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 10 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から 第 3 表 TPP交渉分野一覧 分 野 内 容 1. 物品市場アクセス 関税の撤廃、非関税障壁の解消 2. 原産地規則 関税の減免対象の基準や原産地承認制度 3. 貿易円滑化 貿易手続きの簡素化、透明性の改善 4 .衛生植物検疫(SPS) 食品や動植物の安全を確保する措置 5. 貿易の技術的障害(TBT) 製品規格と適合性評価手続きに関する措置 6. 貿易救済 国内産業を保護する一時的措置(セーフガードなど) 7. 政府調達 公共機関の調達における内国民待遇の付与 8. 知的財産 知的財産の保護・取り締まり強化 9. 競争政策 競争法および同政策の強化・改善 10. 越境サービス 国境を超えるサービス貿易のルール 11. 商用関係者の移動 商用者の入国・一時的滞在のルール 12. 金融サービス 金融分野特有の定義やルール 13. 電気通信サービス 電気通信事業者の義務 14. 電子商取引 電子商取引のルールを整備 15. 投 資 国内外投資家の保護と紛争解決手続き、投資の自由化 16. 環 境 貿易・投資による環境基準緩和の禁止 17. 労 働 貿易・投資による労働基準緩和の禁止 18. 制度的事項 協定運用を協議する合同委員会の設置 19. 紛争解決 協定解釈をめぐる紛争解決の手続き 20. 協 力 不十分な国内体制の国へ人材・技術支援 21. 分野横断的事項 分野をまたがる規制の規定 (出所) 内閣府資料。 れば、それを次期WTO 交渉で多国間協定としてWTO 体制に組み込むことが考えられる。そ うすることで、TPP という広域 FTA の成果を WTO の多国間体制に還元できれば、TPP は新 たな多国間主義を生み出す母胎とさえなりうる。これらは現行 WTO を超えるという意味で 「メタ WTO」のルール作りと言えよう。 さらに TPP に特徴的なのが「分野横断的事項」 (the horizontals)という聞き慣れない項目で ある(3)。これには、主な項目として以下の 3 点が含まれる。 :新たな規制の導入に先立って、当事国の当局間で協議 ①規制の収斂(regulatory coherence) や協力を確保するメカニズムを構築することで規制の調和を図り、規制の各国間にお けるズレが貿易上の障害にならないようにする。 ②中小企業による FTA 活用の促進: FTA のメリットを十分に享受できていない中小企業 にも FTA が「使い勝手の良いもの」となるよう、TPP の各項目の規定内容をチェックし 改善する。 ③競争力の向上:貿易や投資にかかるコストを低減することで、FTA の下でモノやサービ スを輸出する企業の競争力を向上させるための方策を分野横断的に検討する。 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 11 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から このように、 「分野横断的事項」の問題意識としては、従来の縦割り型の分野別交渉では カバーできなかった複数の異なる分野にまたがる国内規制や FTA ルールを包括的に見直そ うということがある。具体的には、サービス分野と投資ルールの関係、政府調達とインフ ラ整備のための官民連携(PPP: Public-Private Partnership)との関係、中小企業や裾野産業の育 成と協力省庁との関係などが考えられる。 この「分野横断的事項」という交渉項目はアメリカが TPP 交渉に参加するようになって追 加提案された項目であるが、複数分野を同時に視野に入れた交渉が必要となり、その意味 でも「包括性」が著しく強化されていると言えよう。 (3) TPP の「戦略性」 「広域性」、「包括性」に加えて、第 3 の TPP の特徴は「戦略性」である。現在、TransPacific Partnership と略称されることも多いが、そもそも Trans-Pacific Strategic Economic Partnership であり、「戦略的」という言葉が入っている。ここで言う「戦略」とは何か? 一般的に「戦略」を定義すると次のようになる。 「戦略とは、①一定の政策あるいは目標の達成に必要な物理的実力あるいは心理的圧力につい て、②その行使あるいは不行使にともなう成否のリスク予測、費用効果比を総合的、長期的に 予測、判断し、③必要な指示、命令を与え、実行させ、最大限の成果を挙げうる天性および後 天的、自得的な英知と計画性をいう」 ( 『国際政治経済辞典』改訂版、444 ページ) 。 この定義を TPP に照らして検討してみよう。①に言う「一定の政策あるいは目標の達成」 とは貿易・投資の自由化を通じたアジア太平洋地域をカバーする経済圏、つまり FTAAP の 構築である。②のポイントはその「費用効果比を総合的、長期的に予測、判断」するとい う点である。そして③は「最大限の成果を挙げうる計画性」が重要な点である。戦術が戦 略を基礎として短期的に結果を導き出すためのテクニカルな方法論を問うものであるのに 対し、戦略はより長いタイムスパンのなかで中長期的な秩序と制度の「青写真」を描くも のである。では、TPP はどのような戦略的な青写真を描いているのだろうか? 1 枚目の青写真は、APEC の「強化」である。ここで言う「強化」とは各国の自由化努力 を法的義務として「バインド」する(縛る)ことである。そもそも APEC は参加国・地域の 自主的な自由化努力を束ねる協力の組織である。そこでは、WTO や FTA のような法的義務 は存在せず、自由化はあくまでも自主的努力と理解されている(4)。自主的努力ではその効果 は限定的であり、法的拘束力をもたせることでより確実かつ実効性のある自由貿易圏を構 築しようとしたのが、TPP を最初に始めた 4 ヵ国(P4)の思惑だった。発足から 20 余年を経 た APEC のさらなる存在意義を模索していたアメリカやオーストラリアもこの考え方に同調 した。それが現在の 9ヵ国(P9)のTPP である。 青写真の 2 枚目は「中国対策」である。昨年名実ともに世界第 2 位の経済大国となった中 国の存在感はアジア太平洋地域でも著しく増大している。幸い中国は 2001 年に WTO に加盟 しており、貿易の分野では多国間ルールに従うことを義務として受け入れている。しかし ドーハ・ラウンド交渉においては、非農産品市場アクセスの分野で自動車分野のセクター 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 12 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から 別関税撤廃に強硬に反対するなど、新たな自由化には後ろ向きの姿勢が顕著である。また、 ノックダウン・セミノックダウン(CKD/SKD)の自動車部品について 10% の部品関税の適用 から 25% の自動車関税の適用に切り替えて、WTO 紛争解決手続きで敗訴した事例が示すよ うに、現行の WTO 義務に対するチャレンジも後を絶たない。このような中国をどのように 新たな貿易自由化とルール作りの土俵のなかに組み込んでいくのか、これが TPP に与えられ た重要なチャレンジである。いたずらに敵視して中国をTPP から締め出すというかたちでは なく、むしろ中国を取り込んで「責任あるステークホルダー」としての中国にアジア太平 洋地域におけるより開かれた市場アクセスを提供する。その見返りに、知的財産権や競争 法、投資措置や環境といった分野で WTO より踏み込んだルールを受け入れさせる、このよ うな戦略が TPP の背後に見え隠れする。 第 3 の戦略的青写真は TPP を利用した WTO の建て直しである。WTO の下での最初の多国 間貿易交渉であるドーハ・ラウンドは 10 年経った今日でも決着していない。そのことをも って直ちに WTO 体制の存在意義を疑うのは早計であるが、交渉のフォーラムとしてのWTO には、今のままの交渉形式では限界があるのも事実かもしれない。そこでもしTPP 交渉が市 場アクセスにおいて高度の関税撤廃を実現し、新たなルール作りで一定の成功を収めれば、 その成果を WTO に持ち込むことが可能になる。いやむしろ TPP 交渉が進展すれば、それだ けでも欧州やアフリカなど他の地域を刺激して、市場アクセスやルール作りの新たな試み が始まる可能性が大きい。現に EU はアメリカとの「トランス・アトランティック FTA」 (TTIP: Trans-Atlantic Trade and Investment Partnership と呼ばれている)を再び検討課題に加え、こ れまでは後ろ向きであった日本との FTA についても交渉開始へ踏み出した。TPP が動き出し たことで、再びグローバルなルールとそれを支える多国間体制としての WTO の意義と有用 性が再認識される可能性は広がっている。 4 RCEP に期待される機能と日本の役割 (1)「ASEAN 中心性(ASEAN-Centrality) 」 東アジアにおける自由貿易の中核をなす ASEAN は、ASEAN 自由貿易協定(AFTA)で自 らの域内自由化を加速するとともに、域外に対しては積極的に FTA 政策を展開してきた。 ASEAN は中国や韓国とはモノの貿易を中心に FTA を実施に移しているが、日本とも二国間 EPA を締結していることに加え、カンボジア、ラオス、ミャンマーを含む ASEAN 全体と日 本との「包括的日 ASEAN 経済連携協定(AJCEP)」を 2008 年に発効させている。また、イン ドならびにオーストラリア、ニュージーランドとも 2010 年に FTA を締結している。さらに EU とも研究会の報告書をまとめる段階まで到達するなど、東アジア域外にも積極的に FTA 政策を展開している。なかでもシンガポールとタイは特に FTA に積極的で、シンガポール は米国や日本をはじめすでに 8 ヵ国・地域と FTA を締結、タイもインドとの枠組み協定締結 後、正式交渉に入っており、また、アメリカやEU、EFTA とも交渉中である。タイの自動車 部品産業は AFTA で ASEAN 域内に市場を拡大すると同時に、インドとの FTA を活用してイ ンド市場への市場アクセスも狙っている。 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 13 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から 東アジアのFTA は 1980 年代後半から本格化した日本からの直接投資に誘発されて、ASEAN 諸国や中国の工業化が進み、部品や中間製品の生産が行なわれるようになり、それが国境 を越えて域内で取引されるようになり、またそれが制度的な FTA を招来するかたちになっ ている。換言すれば、ビジネス先導型の事実上の経済統合(Business-driven de-facto economic integration)が次第に制度志向型の法律上の経済統合(Institution-driven de-jure economic integration) に移行してきたと言えよう。問題はその制度をどれだけ質の高いものにするかである。 ASEAN は東アジアにおける自動車部品やエレクトロニクス部品の「生産ネットワーク」 の中心(pivotal centre)となっており、その「事実上の統合」を複数の FTAの法的枠組みが重層 的に支えるというかたちになっている。その法的枠組みには大きく分けて 2 種類あり、ひと つは「ASEAN + 1」と呼ばれる ASEAN と域外国との FTA であり、もうひとつは「ASEAN + 3」 、 「ASEAN +6」と呼ばれるより広域の FTA構想である。 (2) 5 つの「ASEAN + 1」FTA ①ASEAN ・中国 FTA 2005 年に発効したこの FTA は、2010 年 1 月までに中国と ASEAN 6 ヵ国(ブルネイ、インド ネシア、マレーシア、タイ、フィリピン、シンガポール)が関税を撤廃し、残りの ASEAN 4 ヵ 国(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)は 2015 年までに関税撤廃を行なうことと規 定している。 自動車、二輪車、家電製品などセンシティブ品目の多くが「高度センシティブ品目」と なっており、関税撤廃のスピードは遅くなっている。2007 年にはサービス貿易についても 合意ができたが、その自由化のレベルは高くない。2009 年に投資協定も締結されたが、投 資保護が主体で投資の自由化は含まれていない。 ②ASEAN ・韓国 FTA 2007 年に発効し、2010 年 1 月に韓国と ASEAN6 ヵ国が関税撤廃を実現している。2007 年 にサービス貿易についても合意ができているが、その自由化のレベルは必ずしも高くない。 ケソン 北朝鮮の開城工業団地の製品に対しても適用される点で注目された。2009 年に投資協定も 締結され、投資保護のみならず、投資の自由化(設立前の最恵国待遇や内国民待遇)も入って いる。 ③ASEAN ・インド FTA 交渉は難航したが、2010 年に発効した。複雑な関税削減制度と低い関税撤廃率(約 75%) が特徴となっている。これはインド側の自由化に対する抵抗が強かったことが原因と言わ れている。一例を挙げると、原産地規則でインドは「関税番号変更基準(CTC ルール)」と 「付加価値基準」の両方を満たさないと原産地証明を付与しないとする「重複原産地規則」 を要求、対インド投資を行なう事業者にとって大きな負担となっている。サービス貿易や 投資は引き続き交渉されている。 ④ASEAN ・オーストラリア・ニュージーランド FTA 2010 年に発効したこの FTA は関税撤廃率も高く、サービス、投資、電子商取引、人の移 動など幅広い分野を含んでいるが、政府調達は入っていない。 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 14 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から ⑤ASEAN 日本包括的 EPA 二国間の EPA がないカンボジア、ラオス、ミャンマーの 3 ヵ国も含む包括的 EPA として 2008 年に発効した。累積原産地規則を入れることで、既存の二国間 EPA では捕捉しきれな かった部品や半完成品の ASEAN 域内の貿易にも対応できるようになったことに最大のメリ ットがある。サービス貿易と投資については引き続き交渉することになっている。 * このように 5 つの「ASEAN + 1」型の FTA が東アジアの貿易をカバーしていることはそれ 自体メリットが大きいが、同時にいくつかの問題点もある。ひとつは各 FTA の対象範囲や 関税撤廃率のレベル、関税削減のスケジュールに違いがあり、必ずしも「継ぎ目のない」 自由貿易圏になっていないという点である。特に農産品やその加工品、繊維や履物といっ た分野で依然として FTA の域外国に対して高関税による保護が存在し、 「東アジアが東アジ アを差別する」といった状況がみられる。また、原産地規則がインドの場合にみられるよ うに厳しいと FTA が利用できず、結局、サプライ・チェーンに支障をきたすということも 生じてくる。東アジア域内で操業している企業の負担や取引コストを軽減するためには、 さらに広域の FTA 構築が必要とされることとなる。そこで、 「ASEAN + 3」 、 「ASEAN + 6」 などの構想が浮上してくる。 (3)「ASEAN + 3」 、 「ASEAN + 6」 、そして RCEP ①ASEAN +3 ASEAN10 ヵ国に日本・中国・韓国を加えた協議体で、1997 年 12 月、マレーシアで開催さ れた ASEAN 設立 30 周年記念の首脳会議に日中韓の首脳が招待されたことを契機に、それ以 降年 1 回開催されるようになった。この 13 ヵ国の枠組みで FTA を実現しようとする構想が (EAFTA)であり、2004 年に中国が提案した。 いわゆる「東アジア FTA」 ②ASEAN +6 上記①にさらにオーストラリア、ニュージーランド、インドを加えた 16 ヵ国の経済関係 強化の枠組みとして2006年に日本が提案、 「東アジア包括的経済連携」 (CEPEA)として自由 貿易圏を目指すこととした。同じ参加国で 2005 年 12 月に EAS が開催され、2011 年からはロ シアとアメリカが参加することになった。 ③RCEP(東アジア地域包括的経済連携) 2011 年 8 月、上記①および②による東アジア自由貿易圏の構築を加速するとの観点から、 モノの貿易、サービス貿易、投資の 3 つの分野で作業部会を設立することを日中で共同提案、 これを RCEP として進めることを同年 11 月に ASEAN 首脳会議が決定、RCEP が誕生した。 その後、2012 年 8 月に経済大臣会合である「ASEANFTA パートナーズ会議」で RCEP 交渉の 基本指針と目的を採択し、同年 11 月、首脳会議でRCEP交渉の開始を宣言するとともに2013 年早期に第 1 回交渉を行なうことを決定した。また、同じタイミングで日中韓 FTA について も交渉開始が合意され、東アジア FTA の 2 つの柱である RCEP と日中韓 FTA が交渉開始へ向 け大きく動き出すこととなった。 前述の「RCEP交渉の基本指針」は、2011 年 11 月の「RCEPのためのASEAN枠組み」をベ 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 15 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から ースとして、これを ASEAN 以外の 6 ヵ国にも拡大適用するもので、あくまでも「ASEAN が 中心」という形式が踏襲されている。この基本指針は 8 つの原則と 8 つの交渉分野を定めて いる。 8 つの原則とは、① WTO との整合性確保、②「ASEAN + 1」FTA からの大幅な改善、③ 貿易投資の円滑化・透明性確保、④途上国への配慮、⑤既存の参加国間 FTA の存続、⑥新 規参加条項の導入、⑦途上国への経済技術支援、⑧物品・サービス貿易・投資および他の 分野の並行実施、である。 また、8 つの交渉分野とは、①物品貿易、②サービス貿易、③投資、④経済技術協力、⑤ 知的財産権、⑥競争政策、⑦紛争処理、⑧その他、である。このなかでも特に①から③は RCEP の中核と位置付けられているが、政府調達や環境は一部途上国の反対で含まれていな い(5)。 (4) RCEP と TPP ―補完か、ASEAN の分断か TPP は APEC のメンバー・エコノミーには参加の可能性が開かれている。しかし、当面は 中国やインドネシアはTPP 参加には積極的ではない。そこで中国やインドネシアが参加して いる RCEP と両国が参加していない TPP との間で一定の緊張関係があるのは事実だ。つまり、 TPP は ASEAN を分断するもので、ひいては東アジアを分断するものだとの見方が中国等に おいては根強い。ASEAN のなかでもカンボジア、ラオス、ミャンマーは APEC のメンバー ではないことに加え、インドネシアは参加しないと表明していることから、ASEAN10 ヵ国 のなかで TPP 参加 6 対不参加 4 という構図になる可能性もある。また、RCEP にはアメリカ は入っていないので、中国を中心とする FTA である RCEP 対アメリカを中心とする FTA であ るTPP という対立構造もパーセプションとしてはありうる。 しかし、実際はどうだろうか。まず、ASEAN は EU のような関税同盟ではないため EU が もっているような「対外共通通商政策」はなく、各国は域外国と自由に FTA を締結できる。 つまり、そもそも ASEAN には統一された通商政策はないわけだから一部の国が他の国ない しはそのグループと FTA を形成することは排除されていない。次に RCEP では後発の途上国 であるカンボジア、ラオス、ミャンマーの発展レベルを引き上げ、経済格差を縮小する役 割が期待されており、これらの諸国には関税撤廃やルールの適用において「特別にして区 別された待遇」 (Special & Differential Treatment)が適用される可能性がある。これに対し TPP では完成度の高い関税撤廃と野心的なルール作りが期待されており、基本的にはこのよう な対途上国特別対遇措置は認められていない。つまり、発展段階の遅れている後発途上国 にとってはいきなり TPP 参加は難しく、RCEP で自由化の準備段階を経験してから TPP へ進 む、といった段階的アプローチがより現実的と言える。このように RCEP は TPP の前段階と 位置付けることができ、両者はその意味において補完的と言えるのではないだろうか。 また、RCEP のもうひとつの特徴はインドが入っていることである。この点も両枠組みの 補完性を裏付けているが、インドが実際にどの程度までRCEP の広域 FTA にコミットしてく るかは未知数と言わざるをえない。日インド EPA などの交渉結果をみても、原産地規則の 分野で「付加価値基準」と「関税番号変更基準」の両方を満たすことを条件としたり、投 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 16 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から 資措置についても一部パーフォーマンス要求の禁止を拒むなど自由化に逆行する傾向がみ られたことから、RCEP でどこまで前向きになるか、悲観的にならざるをえない。インドの 参加により RCEP の合意内容に後退がみられるか、合意により時間を要するような局面も想 定される。インドは中国とのバランスをとる意味ではRCEP になくてはならない存在である が、貿易投資の自由化という観点からみると難しいパートナーであることも事実である。 TPP にインドが入っていないことは、TPP 参加国にとっては幸運なことかもしれない。 (5) RCEP と TPP の連結点としての日本 日本は RCEP ならびに TPP の両方にメンバーシップを有している。RCEP はもともと日本 が提案した「ASEAN + 6」であり、オーストラリア、ニュージーランド、インドの 3 ヵ国を 入れるよう主張したのは日本であった。ニュージーランドを除けば日本は RCEP のすべての 国と EPA を締結しているか、その途上にある。ニュージーランドとも TPP で結ばれるという ことになるから、日本は RCEP のなかにすでに相当深く根をおろしていることになる。その 日本が TPP で行なわれるルール交渉で達成されるであろう投資や競争、知的財産権などの新 たなルール作りの成果を RCEP の交渉において反映させることができれば、FTAAP へ向けて これらの分野におけるルールの調和化を図ることができる。 日本は ASEAN の 7 ヵ国とは二国間の EPA を締結しており、加えて ASEAN 全体とも包括的 経済連携協定(AJCEP)を締結している。そこでこれらの枠組みを活用して、RCEP におい て日本が後発 3 ヵ国の経済発展の底上げに成功すれば、そこから TPP へ「進級する」国も出 てこよう。こうして RCEP は TPP への準備段階を提供することとなり、そこで日本の貢献が 期待されるのである。 5 地域主義のマルチ化は可能か? 21 世紀型の FTA は 20 世紀型の FTA とは明らかに異なる様相を呈しつつある。20 世紀型 FTA が二国間、地域内のものであったのに比べ、21 世紀型のそれは複数国間、地域間のも のになりつつある。20 世紀型 FTA が関税撤廃志向型であったの比べ、21 世紀型のそれは国 内規制の緩和・撤廃に重点が移っている。いわゆる on the border から behind the border へのパ ラダイム・シフトが起きつつある。それは「目に見える貿易」 (visible trade)から「目に見え (invisible trade)へのシフトでもある。 ない貿易」 そのような転換が起きているなか、RCEP においても TPP においても「投資」 、 「競争政策」 といったテーマが取り上げられているのは興味深い。日中韓においては「政府調達」も取 り上げられる。これらのテーマは WTO のドーハ・ラウンドのなかでは道半ばで交渉から外 されてしまった項目である。このように一度は WTO の場で拒絶された交渉項目が広域の FTA では再度取り上げられ、途上国も温度差はあるにせよ、とりあえず交渉のテーブルに着 くことはきわめて意義深い。 思えば 1994 年にウルグアイ・ラウンドがまとまって以来、新しい多国間貿易ルールは成 立していない。しかし、世界経済は 1994 年以降も激動の波にもまれており、新興 5 ヵ国 (BRICS)に代表される新興国の台頭や、リーマン・ショック後の保護主義的傾向など、ル 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 17 活発化するアジア太平洋における地域統合― 世界経済および地域経済の観点から ール作りで対処すべき課題は山積している。WTO のドーハ・ラウンドが凍結状態にある今 日、アジア太平洋地域における広域 FTA が新たなルール作りを推し進め、完成度の高い市 場アクセスの改善を行なえば、日EUEPA や米 EUFTA などとの相乗効果やシナジー効果によ り、新たな多国間貿易体制へのインプットになることは間違いない。その意味において、 WTO 体制の再構築の可能性は、まさにアジア太平洋地域における広域 FTA の展開にかかっ ていると言っても過言ではない。 ( 1 ) TPP の詳細については、渡邊頼純(2011)を参照。 ( 2 ) 現在の TPP 参加 9 ヵ国で WTO の GPA に加入しているのはアメリカとシンガポールの 2 ヵ国のみ で、先進国のオーストラリアやニュージーランドも署名国ではない。 ( 3 ) 渡邊頼純(2011) 、170―171ページ参照。 ( 4 ) WTO や FTA ・ EPA ではいったん引き下げた関税率はそのレベルでバインドされ、緊急避難的な 場合を除いて再び引き上げることはできない。そのような約束をすることを「譲許」 (concession) と呼んでおり、バインドされた関税率は「譲許税率」と言う。APEC ではこのような譲許は行なわ れない。サービス貿易においても同様で、モノの貿易で言う「譲許」に相当するのは「約束」と 言われるが、法的拘束力をもった約束は APECでは行なわれていない。 ( 5 ) 馬田啓一(2013) 、25―48ページ。 ■参考文献 馬田啓一(2013) 「TPP と RCEP : ASEAN の遠心力と求心力」 『季刊国際貿易と投資』春号、25―48 ペー ジ。 渡邊頼純(2012) 『GATT ・WTO 体制と日本』 (増補2 版) 、北樹出版。 、 山澤逸平・馬田啓一・国際貿易投資研究会編著(2012) 『通商政策の潮流と日本― FTA 戦略と TPP』 勁草書房。 、文眞堂。 馬田啓一・浦田秀次郎・木村福成編著(2012) 『日本のTPP戦略―課題と展望』 渡邊頼純(2011) 『TPP参加という決断』 、ウェッジ。 渡邊頼純監修、外務省経済局EPA交渉チーム編著(2008) 『解説FTA・EPA交渉』 、日本経済評論社。 Baldwin, Richard, and Patrick Low(eds.) (2009)Multilateralizing Regionalism: Challenges for the Global Trading Systems, Cambridge University Press. Lim, C. L., Deborah K. Elms, and Patrick Low(eds.) (2012)The Trans-Pacific Partnership: A Quest for a Twentyfirst-Century Trade Agreement, Cambridge University Press. わたなべ・よりずみ 慶應義塾大学教授 国際問題 No. 622(2013 年 6 月)● 18