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エイズ相談・検査利用の 利益性と障害性の認知に関する質的分析

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エイズ相談・検査利用の 利益性と障害性の認知に関する質的分析
Yamanashi Eiwa College
エイズ相談・検査利用の
利益性と障害性の認知に関する質的分析
―自由記述式調査による探索的検討―
Perceived Barriers/Benefits of Voluntary Counseling and Testing for
HIV/AIDS:A Qualitative Study Based on an Open Question
Questionnaires
飯田 敏晴
佐柳 信男
Toshiharu Iida
Nobuo Sayanagi
要 旨
日本に暮らす青年のエイズ相談・検査を利用することの利益性と障害性の認知について,相談経験
及び相談機関の認知の有無,そして自由記述式回答を基に検討した。「エイズ相談・検査を利用する
ことによる利益性」に対する 156 名(男性 32 名,女性 121 名,MTF1名,FTM1名,FTX1名)
と,「エイズ相談を利用することによる障害性」に対する 98 名(男性 21 名,女性 77 名)の回答を,
質的分析法に基づいて分析した。利益性としては,
「情報や対処法獲得への期待感」
「専門家相談への
安心感」「感染拡大の予防」「物理的利便性」の4つに分類された。障害性としては,「開放すること
への抵抗感」
「エイズ恐怖」
「汚名への心配」の3つに分類され,さらに障害性が「特にない」という
カテゴリーも抽出された。エイズ相談・検査の利用を促進することを意図した介入時に,どのような
教育的メッセージを提供すればよいかという課題への示唆,そして今後の研究の方向性を論じた。
キーワード:エイズ相談・検査,ヘルスビリーフモデル,質的研究,援助要請
問題と目的
ヒト免疫不全ウィルス感染症(以下,HIV とする)の世界規模での感染拡大は看過できない現状で
ある。国際エイズ合同計画(UNAIDS, 2013)によれば,2012 年時点で報告された HIV とともに生
きる人々の総数は,およそ 3530 万人(3220 万人-3880 万人),年間での新規 HIV 感染報告人数は 230
万人(190 万人-270 万人)
,年間での後天性免疫不全症候群(以下,AIDS とする)関連死者数は 160
万(140 万-190 万人)である。そもそも HIV とは,1983 年にフランスで初めて発見・報告されたが
(HIV-1),それ以前にも存在していたという証拠はある。1950 年代にアフリカのコンゴで採取された
保存血清中に HIV の存在が確認されていること,さらには 1970 年代に流行したスリム病への関与が
指摘されてきた。少なくとも HIV は人の体液(血液,精液,膣分泌液等)を媒介として,人から人へ
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と感染が拡大していくウィルスである。
日本においては 1983 年に血友病患者が AIDS で死亡したという報告が初である。
この感染経路は,
血友病治療で使用されていた血液製剤(非加熱)に HIV が混入していたことによって起きた薬害であ
る。その被害者が国を被告とて「薬害エイズ裁判」として提訴(1989 年)
,和解(1994 年)に至った。
厚生労働省エイズ動向委員会(2014)の報告によれば,2013 年末時点での HIV とともに生きる人々
の報告件数は 15,812 件,AIDS 発症者の数は 7,203 件と計 23,015 件である。2013 年1年間に報告さ
れた新規 HIV 感染報告では 1,160 件(過去2位の報告数)
,AIDS 発症者の数(過去最多報告数)は
484 件と計 1,590 件である。いわゆる「いきなりエイズ」,すなわち自身が HIV に感染していること
を無自覚なまま生活し AIDS を発症して初めて自身の HIV 感染が判明する者の割合は,新規報告件
数に占める 30.4%
(前年 30.8%)
である。
主な感染経路として,異性間での性的接触が 194 件(17.5%)
,
同性間の性的接触が 780 件(70.5%)で,性的接触によるものが計 974 件(88.1%)である。全体の
84.9%(939 件)が国内感染である。年代別人口で 10 万対の発生数を比較すると,ほとんどの年代で
罹患率は上昇傾向であり特に 25-29 歳が顕著である。20 歳代の HIV 罹患率の高さへの早急な対策は
必要である。
HIV 感染の有無は検査を受けなければわからない。日本においては 1987 年に保健所等での無料・
匿名での抗体検査受検制度が開始された。厚生労働省エイズ動向委員会(2014)の報告によれば.2013
年の保健所等での HIV 検査件数は 136,400 件
(前年 131,235 件),
相談件数は 154,401 件(前年 153,583
件)であった。この数値は,どのような意味をもつのであろうか。日本人成人男性の生涯での HIV 抗
体検査受検率を明らかにしようとする研究がある(金子・塩野・コーナ・新々江・市川, 2012)。金子
ら(2012)の研究では国内の調査会社が保有するマスターサンプルから無作為に抽出した成人男性
1339 名(20 歳~59 歳)を対象とした調査を実施した。その結果,HIV 検査受検経験率は 10.5%であ
った。この経験率は海外のそれ(27.6%~41.3%)と比べると明らかに低いことを指摘した。わけて
も,2007 年時点での HIV 陽性者の補足率(すなわち,HIV に感染している人がどのくらいの人数が
存在し,HIV 検査の受検によってどの程度把握されているか,という推計)は 13%(橋本・川戸, 2008)
であるという数値を踏まえれば,早期発見に資する HIV 抗体検査あるいは相談の利用率向上を図るこ
とは喫緊の課題である。
ここで不可欠なのは,個人が HIV 感染症を自分自身の問題と捉え,その問題の対応をすることは1
人の力では困難であると捉え,自発的に専門家の助けを求める行動を促進しなければならないことで
ある。なぜならば,HIV 感染症の一つの特徴として,感染から AIDS を発症するまでに無症候性の期
間があるからである(この無症候性の期間は平均して 10 年である)。このような特徴から,この「自
発的(Voluntary)
」な行動の規定因を明らかにしていく必要である。そしてこの検討は,利用者の意
識・態度に応じた利用しやすいエイズ検査・相談体制の整備に繋がる重要な課題である。このような
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利用行動を促進するという命題に対して心理学が果たすべき役割は少なくない。
本研究が論じるのは,人が自身の HIV 感染を疑い,そこで生じた不安の解決及び感染の有無を知る
ために,病院(医師)
,保健所,電話相談機関といった各専門機関に援助を求めようとする行動である。
心理学において,この「助けを求める」行動を扱う研究分野として「援助要請(help-seeking)研究」
がある。当初は社会心理学がその中心であったが,今では,教育心理学,健康心理学,臨床心理学等
の様々な学問領域が取り組むべき問題に展開している。援助要請の生起要因は,大きく「ネットワー
ク変数」
「パーソナリティ変数」
「個人の問題の深刻さ」
「デモグラフィック要因」と 4 つの領域に分
類されている(水野・石隈, 1999)
。しかし先行研究の多さにもかかわらず,各要因と援助要請との関
連には一貫しない結果も多く,その知見は十分に統合された理論には至っていないことが指摘されて
いる(Rickwood, Deane, Wilson., & Clarrochi, 2005; 永井, 2010)。
日本における援助要請研究は,その援助を求めようとする問題として,主にメンタルヘルスに関す
ることに焦点をあてたものが多い。本研究で扱うのは,身体的問題および感染不安等に対する情緒的
な問題である。援助要請研究の近接領域に行動疫学や予防医学分野における受療行動研究がある。こ
の分野では主に医療施設の利用者を対象として,受診経路,受診動機などを尋ねることが多い。Becker
(1974)は,結核予防のためのエックス線受診の抑制因を明らかにするという公衆衛生学的命題に基
づいて,ヘルスビリーフモデル,という理論モデルを提起している。このモデルでは人の受療行動(健
康行動)の生起因として,罹患性(susceptibility)と重大性(severity)に関わる2つの信念と,受
療行動を実行することによる利益性(benefits)と障害性(barriers)の2つの信念の重要性を指摘し
ている。このモデルは,Rosenstock, Strecher., & Becker (1994)が HIV/AIDS にあてはめた検討
をしたことで,その後の世界各地で多くの研究が行われている。
たとえば,Vermerr, Bos, Mbwambo, Kaaya., & Schaala (2009)は,タンザニアにある大学の医
学部学生 186 名を対象とした質問紙調査を行い,
「エイズ相談利用に対する自己効力感」
「罹患性」
「重
大性」の信念が,エイズ相談意図を説明する上で有力な変数であることを見出している。さらに,Dorr,
Kreucebergm, Starathman., & Wood(1999)は,アメリカの大学生 111 名を対象とした質問紙調査
を行い,エイズ相談実行への「利益性」を高く見積もることが,エイズ相談の経験を予測する上で重
要な要因であることを報告している(Odds 比 : 1.61)。このような研究からは,エイズ相談・検査実
行への利益性を強調することがその利用に結びつくことが指摘されている(de Paoli, Manongi., &
Klepp, 2004; Dorr, Kreucebergm, Starathman., &Wood, 1999; Moges & Amberbir, 2011; Sass,
Betolone, Denton., & Logsdon, 1995; Zak-Place & Amberbir, 2004)。
このように,ヘルスビリーフモデルをエイズ相談・検査の利用促進にあてはめてそのモデルの有効
性を実証的に示した研究はいくつかあるが,日本の文化的文脈において体系的に行った研究は著者ら
の知る限り見当たらない。さらに,海外の諸研究においても,ヘルスビリーフモデルに基づいた各種
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変数の測定に研究者による違いがみられる。例えば,Dorr et al.(1999)の利益性と障害性の測定で
は,
「あなたは,HIV 検査を受けることは,どのくらい有益(障害性:
「困難」
)であると思いますか」
のように,HIV 抗体検査の受検の有益さ(あるいは困難さ)を直接1項目で尋ねている。一方で,
Vermerr, Bos, Mbwambo, Kaaya., & Schaalma(2009)の測定では,
「利益性」として陽性判明時に
治療を受けることが出来ること,
「障害性」としてエイズ相談を受けるための時間を割くことや,アク
セシビリティの悪さを尋ねている。このように先行研究においては各研究者で同じ概念を測定してい
るはずが,異なった意味内容で尋ねている。さらに,1つの変数を1項目ないしは2項目で測定して
いるが測度としての安定性という観点では検討の余地があると考えられる。さらに,研究者間で測定
方法が異なることは,研究結果を比較・統合させて論じることを困難とする。このようなことから,
多面的,包括的な「エイズ相談・検査を利用することの利益性と障害性」を明らかにすることは,エ
イズ相談・検査の利用促進のための予防的介入において,具体的にどのような予防的メッセージを啓
発することが有効なのかを検討していく上で不可欠である。
例えば,Apanovitch, McCarthy., & Salovey (2003)は,マイノリティの女性を対象として,エ
イズ相談・検査の利用促進に関わる心理教育的介入の効果を論じている。介入では「検査を受けた場
合-検査を受けなかった場合」
,
「良い結果が生じる-悪い結果を回避できる」という2×2の条件ご
との啓発効果を比較している。この結果,自分が感染している可能性が高いと感じている人ほど,エ
イズ相談・検査を「受ける場合」の「良い結果」に関するメッセージがエイズ相談・検査の利用に最
も影響を与えていた。このような研究は,エイズ相談・検査を利用することの利益性を強調した介入
の有効性を示すものである。
近年,日本での援助要請研究において,ヘルスビリーフモデルにおける「行動実行への利益性と障
害性」と同様の視点での調査研究結果が報告されている。永井・新井(2008)は,人の友人・知人へ
の相談行動の規定因を明らかにするために質問紙調査を行い,
『相談行動の利益とコスト尺度改訂版』
を開発している。永井・新井(2008)は,人が相談行動を実行することの利益性として「ポジティブ
な結果」と,障害性として「否定的応答」
「秘密漏洩」
「自己評価の低下」といった因子の存在を見出
している。さらに相談行動を回避することの利益性として「自助努力による充実感」
,障害性として「問
題の維持」という因子を見出している。Iida & Inoue(in preparation)は,この相談行動の利益と
コスト尺度改訂版をエイズ相談・検査場面に適用し検討している。原版の尺度の教示文と項目表現を
エイズ相談・検査場面に併せて変更した質問紙を作成し,大学生・専門学校生 230 名を対象とした質
問紙調査を行い,得られたデータに因子分析を行ったところ,原版の「ポジティブな結果」という因
子を構成していた項目はそれぞれの項目の意味内容に応じて「情報的サポートの獲得」と「情緒的サ
ポートの獲得」の2つの因子に分かれた。さらに相談行動を回避することの利益性と障害性に関する
因子は見いだせなかった。これらの結果は,原版の尺度が人の心理社会的な様々な悩みを解決してい
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くための他者への相談行動の利益性と障害性に焦点を当てて開発されたものであって,エイズ相談・
検査場面を想定したものではないことから生じた結果と考えられた。さらに,エイズ相談・検査の場
合,人の心理社会的な悩みとは異なり利用を回避するという行動に利益性は想定しづらい,といった
理由も考えられた。なお同研究では,HIV 感染を疑う架空の事例状況を呈示し,その状況下でのエイ
ズ相談・検査への相談意図と相談行動の利益とコスト尺度との関連を検討したところ,両変数の間に
正の相関が認められた。一方で,相関係数を乗じて得られる全分散に占める割合は,情報的サポート
との間で 6.76%,情緒的サポートとの間で 5.76%と低い値であった。 エイズ相談・検査利用意図を
約6%程度しか説明できないのである。以上のことから,予防的介入をより効果的にしていくために
は,エイズ相談・検査の利用に特化した「利益性」と「障害性」を明らかにしていく必要があると言
える。
本研究の目的は,ヘルスビリーフモデルに基づいた「エイズ相談・検査を利用することによる利益
性と障害性」をどのように認識していくかを,探索的,仮説生成的に検討することにある。さらに,
このような検討を通じて青年を対象としたエイズ相談・検査の利用促進を意図した心理教育の在り方
について論じたい。
方法
調査用紙
A4サイズ1枚の用紙を使用した。エイズ相談の相談経験を尋ねるために,対象者に「HIV感染に
関する悩みを保健所,電話相談,医師のいずれかの専門家に相談したことがあるか」について尋ね,
「A. 悩んだことがあるが,相談したことはない」,
「B. 悩んだこともなく,したがって,相談したこ
ともない」
,
「C. 相談したことがある」のいずれか1つに○をつけて回答してもらった。さらに全国の
保健所にあるHIV抗体検査の制度についての知識を尋ねるために,対象者に「全国の保健所では,HIV
に感染しているかどうかの有無を確かめる検査を,無料・匿名で受検することが出来ます(各保健所
で,曜日・時間は異なります)。あなたはこの制度は知っていましたか」と尋ね,「A.知っていた」,
「B.知らなかった」のいずれか1つに○をつけて回答してもらった。最後に,調査協力者の「エイ
ズ相談を利用することの利益性と障害性の認知」を尋ねるために,
「あなたが,HIV感染症に関するこ
とで悩み,保健所,電話相談,医師のいずれかの専門家にする場合,相談することで,あなたにとっ
てどのようなメリットがあると思いますか?あるいはデメリットがあると思いますか?それぞれの解
答欄に,自由にお書きください」と尋ね,エイズ相談を利用することの利益性と障害性を別々の解答
欄に記述してもらった。
対象および手続き
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関東甲信地域にある4年制私立大学1校における2つの講義を履修する大学生を対象として,2013
年 10 月と 2014 年2月に無記名によるアンケート調査を行った。なお,2つの講義とも履修し、重複
して調査に協力をした者はいない。2014 年2月までに 188 名分の回答を得た。当該講義が終了した
後,著者が履修者に調査の協力依頼をした。そして協力可能な者は教室に残るように伝えた。その際,
匿名性が保証されること,回答が任意であり協力しないことによる不利益が一切ないことを口頭で伝
えた。
また調査票回収は教室前方の出口付近に設置された回収場所に投函することで行う旨を伝えた。
さらに口頭で「HIV/AIDS に関するアンケート」であることを伝えた。
質問紙の表紙には,口頭での説明と同様に匿名性が保証されること,回答が任意であり協力しない
ことによる不利益が一切ないことが書かれてあった。また,調査協力者が調査内容に不用意に曝され
ることで不安が生じることを防ぐために質問項目を調査票の2枚目以降に載せた。調査票配布は口頭
での説明後,非協力者が退席したことを確認した後に行われた。
調査票回収時,調査協力者が HIV/AIDS に関する知識を得られるようにするために,回収場所付近
に,公益財団法人エイズ予防財団が発行する『これだけは知っておきたい!HIV エイズの基礎知識』
『受けましょう HIV 検査』を留置し,自由に持ち帰ることが可能であった。
以上により,合計 188 分の回答が得られた。この回答のうち,エイズ相談を利用することによる利
益性を尋ねる項目に対する有効回答人数は 156 名(全回答者における有効回答率 82.98%)であった。
内訳は,男性 32 名,女性 121 名,FTM1名,MTF1名,FTX1名,平均年齢 20.0 歳(Range:18
~24,SD: 1.61)であった。エイズ相談を利用することによる負担性を尋ねる項目に対する有効回答
人数は 98 名(全回答者における有効回答率 52.13%)であった。内訳は,男性 21 名,女性 77 名,平
均年齢 20.0 歳(Range:18~24,SD: 1.62)であった。
分析方法
分析は,グラウンデッド・セオリー法 (Strauss & Corbin, 1998)を参考にして,対象者から得ら
れた自由記述文を,特定の心理的テーマや出来事を反映する意味の単位に区切り,それらに記述的コ
ードをつけた。次にコード間の類似性に基づいてカテゴリーを生成した。
分析プロセスには,4人の分析者が関わった。まず,質的分析法の訓練を受け,自ら解析経験のあ
る2名の分析補助者(大学心理学専攻教員)が別々に自由記述回答の暫定的なコード化を行った。そ
の後,第二筆者が各コードと自由記述データを照らし合わせ,コード名が原文の意味から逸れていな
いことを確認し,必要に応じ第一著者と協議の上でコード名を修正した。その後,第一筆者と第二筆
者とでコード間の類似性に基づいてカテゴリーを作成した。
結果
エイズ相談・検査を利用することによる利益性
回答は,計 252 の意味単位に分けられ,コード化後,
9のカテゴリーに分類された。これらを統合して最終的に4つの上位カテゴリーを得た(Table 1)。
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Table 1 エイズ相談・検査を利用することによる利益性
上位カテゴリー
下位カテゴリー
回答例
正しい知識の獲得
(40)
正しい医学的な知識を学ぶことができる/知識を得ることで予防ができる。
/HIVの間違った知識が正される。/今、現在の治療法がわかる自分が勘
違いをしている部分があると思うので、それを解決できる
感染の確認
(33)
情報や対処法獲得への
期待 (122) 78.2%
専門的援助の獲得
(17)
治療が出来る/治療/発症しても進行を遅らせることができる。早く治療を
うけられる/病院などを場合によっては紹介してもらえる/相談することに
よって、他機関を紹介されて、事が進展する可能性がある。
対処方法の獲得
(32)
対策がしやすくなる。感染していた場合の対応を知ることができる。/気を
つけること等がわかる
プライバシーの保護
(7)
HIV感染症の悩みはなかなか身近な人に相談できないので、周囲の知り合
いにデリケートなことを伝える必要がない/匿名で受けることができ、悩み
があるのなら気軽に解消できていいと思う/プライバシーの保護
安心感
(102)
気が楽になる/自分一人で悩むよりはよいと思う/心が軽くなる/悩んで
いたことが解消される/1人でかかえこまなくなる
感染拡大の予防
(15)
パートナーことも守れる。周りの人に迷惑をかけずに済む/自覚することで
感染を広げることがない。/感染症を知ることができ、大切な人に感染させ
てしまうことを防ぐことができる/自分だけではなく相手のためにもなる
無料
(5)
無料でできるから、お金がない人でも、子どもでも出来る/無料で、自分が
どうなのか検査できるので、気軽にできる/無料なので、いつでも行ける
専門家相談への
安心感 (109) 69.8%
感染拡大の予防
(15) 9.6%
早期発見/病気の度合いがわかる/自分がHIVかどうか分かる。
物理的利便性
(6) 3.8%
移動コストがない
(1)
その場所に行かなくとも相談できてとても楽
Note: カッコ内の数字は人数である。
最多は『情報や対処方法獲得への期待』である(全回答者に占める割合:78.21%)。このカテゴリー
に分類された回答は,さらに4つの下位カテゴリーに分類された。すなわち,①「正しい知識の獲得」,
②「感染の確認」
,③「専門的援助の獲得」
,④「対処方法の獲得」である。1つ目の「正しい知識の
獲得」では,陽性・陰性の結果に関係なく,専門家と会い話すことで得られる医学的(科学的)知識
の獲得である。“しっかりとした説明を受ける”ことにより“HIV の正しい知識が正される”といっ
た回答である。2つ目の「感染の確認」では,検査を受けることで“自分が HIV かどうかが分かる”,
“病気の度合いが分かる”といった回答であった。3つ目は「専門的援助の獲得」である。この下位
カテゴリーは,検査によって HIV 陽性が判明した場合に“病院などを場合によっては紹介してもらえ
る”,
“早く治療が受けられる”といった回答が分類された。4つ目として「対処方法の獲得」である。
“対策がしやすくなる”
,
“気をつけることがわかる”といった回答が分類された。
2つ目に多い上位カテゴリーは『専門家相談への安心感』である(全回答者に占める割合:69.87%)。
このカテゴリーに分類された回答は,さらに2つの下位カテゴリーに分類された。1つ目は「プライ
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バシーの保護」である。2つ目は「安心感である」
。後者は,“自分一人で悩むとよりはいいと思う”
,
“気が楽になる”といった回答が分類された。
次の上位カテゴリーは『感染拡大の予防』である(全回答者に占める割合:9.62%)。ここでは“パ
ートナーのことを守れる”,
“自覚することで感染を広げることがない”といった回答が分類された。
最後の上位カテゴリーは『物理的利便性』であった(全回答者に占める割合:3.85%)。ここでは,
“無料で,自分がどうなのか検査できる”
,
“無料なので,いつでも行ける”といった保健所でのエイ
ズ相談・検査の利便性や,
“その場所に行かなくても相談ができてとても楽”といったアクセスのしや
すさに関わる認知について述べたものが分類された。
エイズ相談・検査の利用経験は,
「悩んだことはあるが,相談したことはない」は15名,
「悩んだこ
ともなく,したがって,相談したことがない」は140名,
「相談したことがある」は1名であった。
「知
っていた」は112名,
「知らなかった」は44名である。
エイズ相談・検査を利用することによる障害性
回答は,計 106 の意味単位に分けられ,コード化
の後,12 のカテゴリーに分類された。これらをさらに統合して,最終的に4つの上位カテゴリーを得
た(Table 2)
。このうち『特にない』という上位カテゴリーを抜いた3つの上位カテゴリーは,ほぼ
同数(=全体の3割弱)の回答頻度での分類であった。
まず『開放することへの抵抗感』である。この上位カテゴリーには,さらに4つの下位カテゴリー
が含まれる。1つ目は「自己開示への負担感である」
。例えば,
“話すことがつらい”,
“勇気がいる”
といった回答である。2つ目は「恥ずかしい」である。これは“その場にいくことが恥ずかしい”
,
“恥
ずかしくて,別人に知られたくないことが,なかなか口に出せないものだから”といった回答である。
3つ目は「相談することへの心理的抵抗」である。これは“なんとなく抵抗感がある”
“自分からだと
話しづらい”といった回答から構成される。4つ目は「時間的問題」である。例えば“手間・時間が
かかる”といった回答である。
次に『エイズ恐怖』である。この分類は,さらに2つの下位カテゴリーに分類された。1つ目は「知
識獲得による不安の助長である」。ここには“情報を知りすぎて不安になりそう”といった回答が分類
された。2つ目は「結果への不安」である。ここには“自分が感染症だとわかったときに不安が増す”,
例えば“残酷な現実を突きつけられ,心が弱る可能性”といった回答が分類された。
最後の上位カテゴリーは,
『汚名への心配』である。このカテゴリーには,さらに5つの下位カテゴ
リーに分類された。頻度が最も多いカテゴリーは「他者へ知られることへの恐れ」である。
“施設に行
くことによって,誰かに会ってしまうかも知れない危険性”,
“行くとこを見られて,陰でなにかうわ
さされている可能性がゼロではない”といった,不特定の他者からの反応を懸念する回答が分類され
た。次に「相談相手に知られることへの懸念」
「パートナーの反応への懸念」といった特定対象からの
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Table 2 エイズ相談・検査を利用することによる障害性
上位カテゴリー
下位カテゴリー
回答例
自己開示の負担 (10)
話すことがつらい/相談することで自己開示しなければならない為、心理的
負担がかかる/根本的に性交渉によって感染するため、場合によっては、
自分の交際関係を話すことになる。そういった関係が自分にとって心の傷
につながっていると、傷を抉りかねない/勇気がいる/
恥ずかしい (12)
その場に行くことがはずかしい/感染経路によっては、プライベートな内容
なので、恥ずかしいと感じる/恥ずかしくて、別人に知られたくないことが、
なかなか口に出せないものだから
相談することへの
心理的抵抗 (4)
なんとなく抵抗感がある/性に関することなので、相談しづらい/自分から
だと話しづらい
時間的問題 (4)
相談するために時間をつくらなければいけない/時間・手間がかかる/時
間があわないかもしれない/
知識獲得による
不安の助長 (2)
情報を知りすぎて、色々と気にしそう/悩みに対する不安が増すかもしれな
い
結果への不安 (29)
自分が感染症だとわかったときに不安が増す/結果を家族など周囲の人と
わかちあえず、1人で抱えることになること/結果を知ることにより、その後
の人生が大きく変わる/残酷な現実を突きつけられ、心が弱る可能性
他者へ知られることへの
恐れ (22)
施設に行くことによって、誰かに会ってしまうかも知れない危険性/行くとこ
を見られて、陰でなにかうわさされている可能性がゼロではない/他人に
知られる恐怖を味わう/自分が悩んでいるということがバレてしまう/親や
学校等に自分の汚点をしられなかねない
開放することへの抵抗感
(30) 30.6%
エイズ恐怖
(31) 31.6%
パートナーの反応への
懸念 (1)
汚名への心配
(31) 31.6%
偏見の懸念 (3)
不特定多数の人と性交しているのではないかと彼女に疑われる。
ある程度のプライバシーは守られるものの、偏見があり、患者さんの精神的
なケアまでは、相談の段階では出来ない/もし、相談したことが、周囲に知
られたら、理解のないからのパッシングを受ける場合もあると思います。/
偏見をもたれるのではないか。
相談相手に知られることへ
匿名性であるにしても、そんな相談を持っていると知られるのが嫌/相談し
の
た相手には少なくともわかってしまうので、あまり良い気はしない。
懸念 (3)
遊んでいる。チャライと思われるかもしれない/この人は不安なのかと思わ
相談者への反応への懸念 (2)
れる
特にない (14) 14.3%
特にない (14)
ない/HIVは自分自身ではなおせるものではないので、ないと思う/特に
思い浮かばない。
Note: カッコ内の数字は人数である。
反応を懸念する回答であった。最後に,
“遊んでいる”
,
“チャライと思われるかもしれない”とあるよ
うに否定的な評価を懸念する回答が分類された。エイズ相談・検査の利用経験は「悩んだことはある
が相談したことはない」は 10 名,
「悩んだこともなく,したがって相談したことがない」は 87 名,
「相
談したことがある」は 1 名である。
「知っていた」は 73 名,
「知らなかった」は 25 名である。
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考察
エイズ相談・検査を利用することによる利益性 エイズ相談・検査利用への利益性について,自
由記述での回答を求めたところ,①『情報や対処法獲得への期待』,②『専門家相談への安心感』,③
『感染拡大への予防』④『物理的利便性』の4つに分類された。
まず,上記カテゴリーの『情報や対処法獲得への期待』『専門家相談への安心感』について述べる。
永井・新井(2007)において,
「相談すると,悩みの解決法がわかる」
「相談すると,気持ちがすっき
りする」といった相談することによって得られることをポジティブに予測していることは,その後の
相談行動に肯定的な影響を与えていると報告した。この意味では,このカテゴリーがエイズ相談・検
査を利用することによって得られるポジティブな予測を表しているという意味では永井らの指摘と同
じ観点であるが質的には全く異なるものである。とりわけ,『情報や対処法獲得への期待』には,「正
しい知識の獲得」
,
「感染の確認」
,
「専門的援助の獲得」
,
「対処方法の獲得」の4つが含まれるが,こ
れらはエイズ相談・検査機関が専門機関であるがゆえに期待されたものである。エイズ相談・検査と
は,各国の検査・相談体制によって違いはあるが,共通することは,HIV の抗体検査と,その前後で
のカウンセリングである(Denison, O’Reilly, Schmid, Kennedy., & Sweat, 2008)
。日本で主に提供
される場所は保健所等である。そこでは,HIV に対する抗体の存在を調べることで HIV 感染の有無
を確認することが出来る。さらに,感染不安が生じたきっかけについての相談事項があれば保健師・
臨床検査技師等の専門職による個別カウンセリングが受けることが可能である。さらに結果説明時に
は医師による疾患や,今後の対応方法(医療機関への紹介等)について説明を受ける。また実施自治
体によっては,感染判明告知直後の心理的な動揺を軽減する専門家として臨床心理士等のカウンセラ
ーを配置している機関もある(派遣カウンセリング制度)。このため,サービス提供者側の視点からみ
て,上記のような期待に応じることは可能である。
一方で「感染の確認」に分類されたカテゴリーにおける記載内容には留意すべきである。ここには,
エイズ相談・検査を利用することで“病気の度合いがわかる”
“病気の進行”いった回答が分類された。
厳密に言えば,これは正しい認識ではない。エイズ相談・検査は利用者に HIV 抗体が存在しているか
どうかが明らかになるものであって,
“病気の度合い”,“進行”が分かるものではない。なぜならば,
HIV 感染から AIDS 発症までは無症候性の経過をたどり免疫細胞(CD4)が徐々に破壊されていく
ことに並行して HIV が増殖するという経過をたどるがゆえに,HIV 感染症の進行の程度は CD4の値
と HIV ウィルス量で評価されるからである。利用者のエイズ相談・検査に対する過剰な利用期待の生
起を避けたり,あるいは検査結果の意味を適切に理解したりするためにも,広報あるいはエイズ相談・
検査の利用前には,このようなことを説明していく必要があるだろう。
3つめのカテゴリーに『感染拡大への予防』が分類された。これは,万が一個人に HIV 陽性が判明
した際には,それを意識することでパートナー等への二次感染を防ぐことを利益性と回答したもので
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ある。この結果は,パートナーや性的交渉の相手の多くは,自身にとって重要な他者であるがゆえに
得られたものと考えられる。さらに,このような回答が得られた背景として,道徳性といった個人の
持つ「規範意識」による影響も考えられる。規範意識とは「判断・評価または行為などの拠るべき基
準(広辞苑)
」に関する意識である。この規範意識の形成には,大きく分けて,社会における基準とし
て「社会要因」として捉える立場と,個体の認知発達に由来する発達プロセスの一部である「心理要
因」に分けて捉える立場があるが,社会要因に関して言えば,パートナーへの二次感染拡大の防止は
社会から要請されるものである。すなわち,HIV 感染症の治療過程では,早期発見・早期治療が長期
生存及び二次感染拡大防止に有効な効果をもたらすことが明らかになりつつある。治療薬の進歩によ
って,抗 HIV 薬内服の進展により長期生存が可能となった(Lohse, Hansen, Pedersen, Kronborg,
Gerstoft,, Sørensen, Vaeth., & Obel, 2007)。さらには,2011 年には,抗 HIV薬の早期内服を開始す
る事が,パートナーへの二次感染を 96%予防する効果が実証されている(Cohen, Chen, McCauley,
Gamble, Hosseinipour, Kumarasamy, Hakim, Kumwenda, Grinsztejn, Pilotto, Godbole,
Mehendale, Chariyalertsak, Santos, Mayer, Hoffman, Eshleman, Piwowar-Manning, Wang,
Makhema, Mills, de Bruyn, Sanne, Eron, Gallant, Havlir, Swindells, Ribaudo, Elharrar, Burns,
Taha, Nielsen-Saines, Celentano, Essex, Fleming., & HPTN 052 Study Team, 2011)。また,HIV
抗体検査が陰性であった場合でも,エイズ相談・検査を利用すること自体が性的リスク行動の低減に
肯定的な影響を与えることが示されている(Lu, Liu, Dahiya, Qian, Fan, Zhang, Ma, Ruan, Shao,
Verumund., & Yin, 2013)
。一方,後者の心理的要因についても,パートナーに自身の感染の有無を
伝えることについては,一概には「伝える」ことがよいことばかりとは限らない面があり,検査・相
談場面あるいはその他の場面で話し合われるべき重要な課題である。
4つめのカテゴリーである『物理的利便性』については,中村ら(2006)や Kung(2003)が,人
が相談機関のアクセシビリティや利用時間といった相談利用に関わる物理的な知識を獲得することが,
心理社会的な問題を相談する際にその利用に結びつきやすいと指摘したことと同様の観点である。つ
まり,このような物理的利便性がエイズ相談・検査の利用につながる重要な要因となる可能性が高い
と言える。日本では,各地域の保健所等を活用してエイズ相談・検査窓口を開設することによって,
あるいは利用者が働いていることの多い時間帯をさけ夜間検査を実施することで,アクセシビリティ
を高めている。予防的介入時には,このような事実を強調して伝えていくことも重要であろう。
エイズ相談・検査を利用することによる障害性
まず『開放することへの抵抗感』について述べる。
HIV 感染予防の従来の研究ではコンドームの使用促進を意図して心理学的検討が多くされてきた。そ
の中でも近年注目を集めているのは,羞恥感情(embarrassment)である(樋口・中村, 2010)。コ
ンドームの適切な使用を羞恥感情が阻害するという前提である。樋口・中村(2010)が,羞恥感情の
発生因とコンドームの使用・交渉意図との関連について調べたところ,男女ともにコンドーム使用・
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使用交渉時の羞恥感情が行動意図を強く抑制することが示された。ただし,この羞恥感情の関与は,
男女で違いがあり,男性においては「社会的評価懸念(他者からの好ましくない社会的評価)
」が,女
性において「相互作用混乱」
(その場面におけるふるまい方がわからず混乱すること)がコンドーム使
用・交渉の行動意図に関与しており,それぞれの知見に応じた介入試案について論じている。 エイズ
相談・検査場面では,自身が HIV 感染を疑った事態(主に性行動)を相手に伝える。もし,樋口・中
村の知見をエイズ相談・検査場面において専門家に伝えるという行動に当てはめるならば,男性に対
してはエイズ相談・検査利用のための具体的な方法を,女性に対してはその相談場面でどのように伝
えるかという具体的な方法を強調することで,エイズ相談・検査の利用に結びつく可能性がある。し
かしながら,樋口・中村(2010)の検討では,コンドーム使用・交渉の行動場面を想定したものに限
定されており,今後エイズ相談・検査場面に応用可能かについて検討していく必要があるだろう。
さらに,Komiya, Good., & Sherrod(2000)は,人が心理学的な治療を求めることへのネガティブ
な態度を形成する要因として,情動的開放性(emotional openness)に注目した調査を行っている。
大学生 311 名を対象とした調査によって,情動的開放性に不快感を示すものがネガティブな態度を説
明する有力な要因となることを見出している。本研究で対象となった相談内容は,HIV 感染に関連し
た悩みでの相談である。つまり自身の性体験の暴露,あるいは話すこと自体が辛いといった内容であ
る。このような自身の個人的体験を他者に開放するという行動自体に不快な感情を抱いている可能性
もある。一方で,保健所等でのエイズ相談・検査は必ずしもそのような「開放」をしなければならな
いわけではない。予防啓発時,このような情報を伝達していくことでエイズ相談・検査利用への障害
性が軽減する可能性がある。また,エイズ検査・相談の利用前の予防啓発の段階で普段からパートナ
ーあるいは友人知人との間で,エイズ相談・検査の利用について話し合うことを勧めることも1つの
方法であろう。
2つめのカテゴリーとして『エイズ恐怖』が分類された。これは,相談をすることで,かえって不
安が助長されてしまうことへの恐れを示している。HIV が発見された当初,松本や神戸での「エイズ
パニック」に代表されるように,“アメリカから伝えられてきたエイズをめぐる科学的な最新情報,
WHO の発表した世界のエイズ流行と疫学データ,あるいは,エイズを発症した者のカポジ肉腫の写
真や死にゆく人々の声,これらの全てが不安を掻き立て(新々江, 2006)”たことは歴史的事実である。
さらに,実際の相談現場では,過度な感染恐怖を示したクライエントが強迫症状を示したという報告
もある(神村,1995)
。さらに,陽性告知時自体が,単に HIV に感染していることを知るだけではなく,
“本人の身体観や対人関係のあり方,生死に関する価値観などを揺るがす重大な出来事(矢永, 2004)”
でもある。前者については,強迫症状を伴う過度の感染恐怖に対しては,認知行動療法的な介入を有
効とする報告(神村, 1995; 岡本, 2006)がある。さらに,HIV の陽性告知についても,上述のよう
に派遣カウンセリング制度を活用することも重要である。このような体制が整っていることを広報時
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に伝えていくことは,結果としてエイズ相談・検査利用への障害性を軽減する可能性がある。
最後のカテゴリーは『汚名への心配』である。スティグマへの恐れが相談行動を抑制することは,
精神疾患や心理社会的な悩みに関する相談などにおいて指摘されてきた(Corrigan, 2004; 山本・飯
田・井上, 2008)。本研究において,このような障害性の存在が示されたことは,これまでの援助要請
研究における知見とも一致する。HIV/AIDS にかかわる問題は,ジェンダー,人種,民族,社会的階
層,性的志向,文化といった諸要素が密接に絡み合い,複雑なスティグマを呈している(Parker &
Aggleton, 2003)。伊藤・飯田(2009)は,米国心理学会データベースの PsycNET を利用して,
「stigma」
「prejudice」「stereotype」などをキーワードとした文献を収集し,近年の研究動向を調査した。そ
の結果,精神疾患に次いで,HIV/AIDS に関するスティグマに関する検討が全文献の第2位を占めて
いた。また,実際に,このようなスティグマへの恐れがエイズ相談・検査の利用を抑制するという報
告がある(Iida & Inoue, in preparation; Kalichman & Symbati, 2003; Visser, Makin., & Lehobyem
2006; Visser, Neufeld, Viller, Makin., & Forsyth, 2008)。今後,このような視点から,エイズ相談・
検査の利用との関連をより詳細に検討していきたい。
エイズ相談・検査を利用することへの利益性と障害性に関する包括的検討
本研究は,エイズ相
談・検査の利用を促進する教育的介入を考えていく上で,エイズ相談・検査を利用することへの利益
性と障害性に焦点をあてて検討してきた。これまでの検討内容を,予防的な視座に基づき一次的な予
防介入(予防啓発)
,二次的な予防介入(リスク集団への啓発)
,三次的な予防介入(利用者への啓発)
の水準でわけて述べる。ここで提示することは,エイズ相談・検査を利用することに利益性と障害性
に焦点をあてた予防的介入に必要と考えられる仮説を提示するものである。まず一次的な予防介入で
は,HIV/AIDS について関する包括的な知識(エイズ相談・検査を受けられる具体的な場所,時間,
費用あるいは,提供できるサービス内容などの説明も含む),HIV/AIDS に関するスティグマを低減
するような試みが重要である。これら2つの教育内容は,車の両輪であって互いに脅かしてはならな
い。知識偏重の教育は規範意識の形成にはつながるが,同時に規範から逸脱したものへの処罰感情に
もつながってしまう(飯田・いとう・井上, 2010; 大澤・池上, 2013)。断片的な知識ではなく,いか
にして包括的にまた効果的なメッセージが発していけばよいかについて実証的に検討していく必要が
ある。二次的な予防介入では,その対象は,現在リスク状態にある者に行われる。ここには,リスク
の高い性行動の経験者や,その利用を悩んでいる者(本研究で「悩んだことはあるが相談したことが
ない」と回答した者が一定の割合で存在したように)が含まれる。その場合には,エイズ相談・検査
が,必ずしも話しづらい問題についてはそれを話さなくてもよいことなどを伝えていったり,実際の
利用申し込みの仕方や相談の仕方について伝えていったりする必要があるだろう。また,陽性であっ
た場合をも考慮して,パートナーへの告知についても説明してもよいとも考えられる。三次的な予防
的介入では。対象はエイズを相談・検査利用者である。一次から二次までの予防的介入に基づいた説
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明に加えて,エイズ相談・検査の利用がその後の性的行動への影響を与えることなどを踏まえた介入
などを検討していく必要があるだろう。
本研究の問題点と今後の課題
本研究の問題点について3つ指摘したい。第1に,本研究での対象
は,青年期にある一般成人を対象としている。実際の利用者が認知する利益性と障害性は,今回の対
象者と異なっている可能性がある。第2に,本研究では「相談を実行することの」利益性と障害性に
ついて明らかにしようとしたが,一方で,永井・新井(2007/2008)が述べるように「相談を実行し
ないことの利益性と障害性」がある可能性がある。第3に研究手法である。自由記述による調査であ
ったが回答の意味内容が1つないしは2つに留まっており,回答者個人が持つ多様な「利益性」と「障
害性」を充分に把握してきれていない可能性がある。一方で,エイズ相談・検査を利用することの利
益性と障害性に焦点をあてた検討をし,ここで見出されたことは,従来の他の相談内容に焦点をあて
た援助要請研究での知見を比べると,エイズ相談・検査の利用をより明確に促進していく可能性があ
る,という点で有意義であったといえよう。今後,ここで提起されたような仮説に基づいて実証的な
検討をしてきたい。
結論
本研究は,青年が認知する「エイズ相談・検査を利用することの利益性と障害性」についてのパイ
ロットスタディである。検討の結果,エイズ相談・検査を利用することの利益性は,
「情報や対処法獲
得への期待感」
「専門家相談への安心感」
「感染拡大の予防」
「物理的利便性」の4つに分類された。さ
らに「エイズ相談・検査を利用することの障害性」は「開放することへの抵抗感」「エイズ恐怖」「汚
名への心配」に分類され,さらに「特にない」というカテゴリーが見いだされた。このような利用者
側の視点に基づいて,エイズ相談・検査体制の広報や予防的介入をしていくことは,エイズ相談・検
査の利用促進を考えていく上で重要と考えられた。
謝辞
本研究に対して貴重なアドバイスをいただきました,永井智先生(立正大学),木村真人先生(大阪
国際大学)に厚く感謝を申し上げます。調査にご協力いただきました皆様に深謝いたします。
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Perceived Barriers/Benefits of Voluntary
Counseling and Testing for HIV/AIDS:
A Qualitative Study Based on Open Question Questionnaires
Toshiharu Iida
(Faculty of Humanities, Yamanashi Eiwa College)
Nobuo Sayanagi
(Faculty of Humanities, Yamanashi Eiwa College)
Abstract
The aim of this study was to examine the perceived benefits and barriers to voluntary
counseling and testing for HIV among youths living in Japan. An open-question survey on the
benefits of voluntary counseling and testing for HIV was administered to 156 respondents (32
male, 121 female, 1 FTM, 1 MTF , and 1 FTX), and another on the barriers to such counseling and
testing was administered to 98 respondents (21 male, 77 female). Analyses were conducted based
on qualitative methodology. Benefits were sorted into four categories: 1) expectations of acquiring
information and means to cope, 2) confidence in counseling with experts, 3) prevention of
spreading the infection, and 4) convenience. Barriers were also sorted into four categories: 1)
reluctance to disclose, 2) fear of AIDS, 3) worries of being stigmatized, and 4) no reason in
particular. Implications on what kind of educational messages should be provided in
interventions promoting voluntary HIV counseling and testing and on future research directions
are discussed.
keywords:Voluntary Counseling and Testing,Health Belief Model,Qualitative Study, help-seeking
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