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講演資料(PDF:3222KB)
歴史に憩う橿原市博物館 企画展 「顔、カオ、かお―顔面表現の考古学」 講演会 2015.11.21(土) 古代人の顔と祈り 田中1973 小出1981 1) 人面墨書土器に描かれた顔-それは人か、それとも鬼神か- 2) 天平年間のパンデミック 3) 日々の病 4) 疫病神≒病原菌?古代と現代の病因論 水野1985 金子1985 水野1986 この顔に注意! 平川1986 巽 1993 高島1997 頭髪や 髭の表現 「長病人餓鬼まつりの事」(田中 1973 より転載) <悪 相> 推 定 さ れる 坩 へ の 気息 参考史料・習俗 祓い流し 結論 納入物 封入 『 呪 詛 重 宝 記』 疫病神除けの 古式 の呪 餓鬼 × ◎ 所載の近世習俗 術 ◎ 体 内 の邪 『延喜式』 ◎ 祓い (不明) 小石 気 ◎ 穢 気 ・病 『延喜式』 ◎ 祓い/疫病除け 胡鬼・餓鬼など 小石 気 ◎ 心 身 の罪 (不明) 『延喜式』 ◎ 祓い 穢 石 ・ 玉 、 餅 ◎ 罪 ・ 穢 、 『 延 喜 式 』 『西 胡鬼・行疫神 ◎ 祓い/疫病除け など 病・疫気 宮記』 庄 作 遺 跡 等 出土 国神(在地の神) × × 国神への饗応(招代) の墨書土器 道饗祭;国家 によ る疫 『 延 喜 式 』 『令 × (不明) × 義解』 病対策 東 日 本 出 土 の墨 本人 × × 国玉神への依代 書土器 人面の解釈 奈良文化財研究所 森川 実 太くいからせた眉 1 表1 人面墨書土器をめぐるおもな学説 <男 前> 田中勝弘1973「墨書人面土器について」『考古学雑誌』58-4 水野正好1986「鬼神と人とその動き」『文化財学論叢』4 小出義治1981「祭祀と土器」『神道考古学講座』3 原始神道期二 平川 南2000「古代人の死と墨書土器」『墨書土器の研究』 水野正好1985「招福・除災―その考古学―」『国立歴史民俗博物館研究報告』7 巽淳一郎1993「都城における墨書人面土器祭祀」『月刊文化財』12 金子裕之1985「平城京と祭場」『国立歴史民俗博物館研究報告』7 高島英之1997「墨書土器が語る在地の信仰」『歴史学研究』703 道饗祭(みちあえさい) ○よく居る場所 古代の河川跡・道路側溝(堀河)など ○土師器の甕(かめ)や坩(つぼ)に二面を描くことが多い。 <弱そう> ○生きていた時代 奈良時代から平安時代(8~9世紀) 1 3 2 4 12 15 25 ○現代の考古学者からは、「行疫神」、「厄病神」などと思われている。 28 図1 人面墨書土器の人相書き 29 13 16 26 銭 貨 5 30 人面墨書土器 14 土 馬 27 17 6 馬 形 人 形 33 31 図2 古代の祭祀具 18 法華寺 平 城 宮 1 一条南大路 東 大 寺 西 大 寺 一条北大路 5 7 34 6 7 37 8 元興寺 9 10 11 9 東六坊大路 18 19 六条大路 東四坊大路 17 大安寺 薬師寺 16 東五坊大路 五条大路 紀寺 13 14 15 39 38 10 40 20 東七坊大路 12 唐招 提寺 四条大路 36 興福寺 4 三条大路 32 19 8 2 3 二条大路 35 21 41 44 42 45 20 40 0 七条大路 東市 西市 21 22 23 1Km 43 46 11 24 22 25 八条大路 26 東三坊大路 図3 平城京における人面墨書土器のおもな出土地 東二坊大路 28 東一坊大路 27 朱雀大路 西一坊大路 西二坊大路 西三坊大路 西四坊大路 九条大路 23 24 48 47 図4 人面墨書土器百面相(1:6)1∼11:右京八条一坊十一坪(21)、13∼22:左京七条一条十四・十五坪 東一坊大路西側溝(19)、23・24:東堀河(26)、25∼29・32:左京五条五坊二坪(15)、30・31:左京三条一坊五・十二坪(8)、 33∼48:東堀河SD02(16) ( )内の数字は図3の出土地に対応 表4 写経生の病気(栄原 1987 による) 木釘 病 名 件数 木釘 4911 鉄釘 23.9 腹 病 8 9.1 瘡 腫 11 12.5 足 病 14 15.9 腰 病 2 2.3 胸 病 4 4.5 4911 頭 病 3 3.4 身 痩 ・ 不 堪 身力 ・身 疲痛 苦 3 3.4 目病・嗽病・気上 ・霍 乱 ・ 冷 病 ・ 享痛 ・咳 咽之 病・頭腹痛苦 8 9.1 不 明 14 15.9 合計 88 100.0 神護景雲4年8月11日 17-563 長江田越麻呂 本人 足病 不安立居・痺痛弥増 神護景雲4年8月2日 17-566 椋□部赤人 本人 赤痢病 神護景雲4年8月5日 17-565 赤染広庭 本人 病 坂合部浜足 本人 赤痢 田部国守 本人 霍乱 後家川麻呂 本人 不破友足 不得食 神護景雲4年8月6日 17-564 今 日 今 年月欠 20-62 本人 病 宝亀元年10月7日 17-561 坂合部浜足 本人 冷病 宝亀元年10月10日 6-108 岡大津 本人 赤痢病 宝亀元年11月25日 17-606/607 秦広人 本人 享痛作 宝亀元年12月3日 17-605 丸部大人 (息子の看病) 瘡病 宝亀2年1月5日 17-604/605 表3 『続日本紀』にみえる奈良時代の疫病流行 丸部大人 (息子の看病) 腫瘡 宝亀2年2月7日 17-602 年 西暦 丸部大人 (息子の死去) 腫瘡 宝亀2年2月10日 17-603/604 708 坂本東人 本人 足病 宝亀2年2月20日 17-603 和銅元年 秦忍立 本人 □病 宝亀2年3月13日 17-586 足病 宝亀2年3月28日 17-594 月 疫病の流行地 疫神祭等の実施 3月 山背・備前国 起居不得 身体腫疼不便立坐 和銅2年 709 1月 下総国 秦広人 本人 6月 上越・越中・紀伊国 民豊川 (妻女の看病) 病 宝亀2年3月6日 17-598 和銅3年 710 2月 信濃国 中臣丸公成 本人 嗽病 宝亀2年4月13日 17-572 和銅5年 711 5月 駿河国 漢部沙弥麻呂 本人 病 宝亀2年4月5日 17-575 和銅6年 713 2月 志摩国 氏部小勝 本人 赤痢 宝亀2年5月27日 17-581 733 三嶋子公 本人 下痢 宝亀2年6月22日 17-585 天平5年 (不明) 本人 赤痢 宝亀2年6月26日 17-583 (不明) 本人 病臥下痢 宝亀2年6月27日 17-583 坂上浄道 本人 赤痢 宝亀2年6月6日 17-582 占部忍男 本人 頭悪瘡 宝亀2年閏3月10日 17-587 (不明) 本人 身痩 宝亀2年閏3月1日 17-591 (不明) 本人 □病 宝亀2年閏3月21日 17-578 大友路麻呂 本人 内股瘡 宝亀2年閏3月22日 17-577/578 (不明) 本人 瘡 宝亀2年閏3月3日 17-590/591 中臣丸公成 本人 頭病 宝亀2年閏3月5日 17-590 天平7年 735 天平9年 737 天平 19年 747 天平勝宝元年 749 天平宝字4年 760 中宮御贖【延喜式 神祇一 四時祭上】 5月 尾張国 4月 大和国 左右京(平城京)および諸 12月 国に飢疫 大宰府管内にて 疫瘡 大発 7月 ★ (夏~冬に豌豆瘡) 大宰府管内諸国にて疫瘡流 4月 行 ★ 大和・伊豆・若狭・伊賀・ 7月 駿河・長門国に疫病流行 4月 紀伊国 3月 石見国 伊勢・近江・美濃・若狭・ 伯耆・石見・播磨・備中・ 3月 備後・安芸・周防・紀伊・ 淡路・讃岐・伊予国 4月 志摩国 〔尻より口より こく やまひ〕 〔か さ〕 天平宝字6年 762 7月 陸奥国 763 3月 壱岐島 桑内真公 本人 頭腹痛苦 宝亀2年閏3月7日 17-588 天平宝字7年 6月 摂津・山背国 764 (不明) 本人 腹病 宝亀2年閏3月8日 17-587 天平宝字8年 3月 志摩・淡路・石見国 770 楊侯穂足 本人 足病 宝亀3年10月21日 20-51 神護景雲4年 6月 京師 772 音太部野上 本人 足病 宝亀3年11月14日 20-51 宝亀3年 6月 讃岐国 桑内真公 本人 虫瘡(疥癬) 宝亀3年3月23日 6-289 宝亀4年 773 壬生広主 本人 右足并腰病 宝亀3年4月1日 6-312 宝亀5年 774 秦麻呂 本人 身病弥苦 宝亀3年5月11日 20-61 (不明) 本人 腹病 宝亀3年5月3日 20-61 美努石成 本人 腹病 宝亀3年8月13日 20-57 田部国守 本人 足病 宝亀3年8月20日 20-56 敢男足 本人 赤痢病 宝亀3年8月22日 20-55 大坂広川 本人 足病 宝亀3年8月23日 20-54 他田建足 本人 足病 宝亀3年8月27日 20-54 三嶋子公 本人 足病重并気上 宝亀3年8月6日 20-59 美努石成 本人 腹病 宝亀3年8月8日 20-59 ※ ★は天然痘であると思われる疫病(赤斑瘡・豌豆瘡)を指す。 三嶋子公 本人 足病 宝亀3年9月3日 20-52 秦正月麻呂 本人 赤痢 宝亀3年9月4日 20-53 中室浄人 本人 足病 宝亀3年9月5日 20-52 宝亀6年 775 京師四隅 ・畿 内十 堺にて疫神祭 5月 伊賀国 7月 2月 6月 8月 宝亀8年 777 2月 宝亀9年 778 3月 宝亀 11年 780 疫神を天 下諸 国に て祀る 天下諸 国に て読 経、疫気を攘う 疫神を畿 内諸 国に て祀る 疫神を五 畿内 にて 祀る 疫神を畿 内諸 堺に て祀る 疫神を畿 内諸 国に て祀る 3月 駿河国 5月 伊豆国 12月 【倭名類聚抄】 目病 腹張・下痢 図6 天然痘ウイルス (Wikipedia より) 天然痘の流行にかんする天平9年6月の太政官符【類聚符宣抄】 本人 刑部広浜 20-61 7月 但馬・伯耆国 瘡(かさ)と霍乱(かくらん) 大日古 年月欠 2月 讃岐国 図7 赤痢の季節 ( 栄原 1987 より転載) 年月日 17-563 吉村 昭『雪の花』(新潮文庫) 図5 正面全身人形(平城宮出土) 請暇解に見える病名と症状 神護景雲4年8月8日 重 病 受 死 依 死 廿 みぎ め やまいおこる 右 目 病 作 4907 坂 部 秋 □〔近 カ〕 4913 患者 % 21 赤痢・疫痢・痢病・下痢 2 表5 写経生の病気休暇(宝亀年間・奉写一切経所) 京内に おけ る巫 覡・淫祀の禁断 不能起居