...

彼の犬を保つために94

by user

on
Category: Documents
3

views

Report

Comments

Transcript

彼の犬を保つために94
曾學濟輕學綱 儲 隙
叢 論 癬:羅
保
山
彦
匡剛
叢
田
士口
論
波 動 内 在 性 の 分 析 ⋮⋮⋮⋮⋮ ⋮ ・
⋮p⋮ ⋮ 文 學 博 士 肯回
口
論
ド イ ツ 封 建 制 鯨嘲羅保 険 機 構 の 攣 容 ・
⋮ 緯濟 學士 佐
杉
波
附
録
宣
下請 制 工 業 に於 け る 最 近 の 愛 化 ・
・
⋮⋮ 細 濟 學 士 田
苑
堅
説
崎
報
財 閥 酌 人 コ ン ツ ェ ル ン に 就 て ⋮⋮⋮ ⋮ 輕 濟 學 士 大
彙
外 國雑 誌論 題
、朗
造
競
準
助
: 鯉溌墨博士 公判
東 亜 綜 合 髄 の 原 理 ⋮⋮⋮⋮⋮ ・
⋮・
⋮・
⋮:.
時
和
⋮ 韓濟 學 士 澤
聖 ト マ ス の法 と愛 に つ い て ・
.
:⋮・
⋮・
之
行
十
一
與
清
五
塚
川
永
華 興 商 業 銀 行 券 の機 能 ⋮⋮⋮・
⋮⋮⋮ ・
⋮ 、鯉 濟 學 士 徳
年
究
一
研
五 節
⋮ 経済 學 士 中
ナ チ ス杜 會 主 義 に於 け る 労 働 観 ・
⋮.
昭
巻.十
用
一 鵠
誠
﹂
ハル デ ン ベ ル クの 保 険 改 革 に つ.
い て一
佐
波
ド イ ツ封 建 制 末 期 に於 呵 る保 瞼 機 構⋮
の.
攣容
託 て奉
錘 容 裏 ・・この攣容 の程度壷 さとは保守 的響 考
の誓
宣
と紗 歩的新興勢力 の撃
あ バラ
﹁般 に 、 奮 い吐 會 経 済 樹 匿 が 新 し い有 力 な 思 想 の 批 判 の ま へに 立 つ 電 き 、そ れ は 容 易 に崩 れ る如 く 見 え て伸 々 頑 張 で あ・
る。 併 し 、
大きな波 に押さ轟
こ の プ ロ セ スは 本 稿 の 主 題 に 於 ても 少.
し も 異 る と こ ろ は な い℃
ン スが 、 これ を 決 定 す る。 だ が 、 客 観 的 事 態 の か や う な 獲 展 が 田.
て く る ま で に は 、 異 る 立 場 に 立 つ思 想 の 撃 ひ が 激 し く 阿 は さ れ な
け れ ば な ら 距。 -
ドイツ封建制末期に於ける保険機構 の塑容..
第五+巻
七九
第 一號
七九
、相 次 い で出 る と 、封建 王制 では あ頓 乍ら 中 世 的 な色 彩 は次第 にう す く な って来 た 。 これ は 、例 へば 十八 世 紀 プ ロ﹂
・
シ や國 王 の中 世的 職 人 組 合 に謝 す る傳統 的 な禁 屡 政策 のも た ら し た結 果 に於 て見受 け られ る。 と こ ろ で 、 これ を.
を そ の後永 く持 続 せ し めた ので あ る 。併 し、 ブ ラ ンデ ンブ ル ク選 睾 侯 ・フリ ード リッ ヒ 一世等 々 の英 偉 な君 主 が
農 村 地 方 の甚 だ し い破壊 が 農 民 を窮 乏 せ しめ 全 く隷 農 化 せ し め て、本 来 土 地 の上 に立 つ領 主 ・王 侯 の封 建 的 勢 力
ツ は ヨ ー ロッ パ の費 展 の大 道 か ら遠 く 切 離 され ヨ ー ロッパ の草 深 い田舎 に轄 化 し てし ま った 。長年 の戦 鑑 に よ る
ツ 全土 を極 度 の疲弊 にお とし込 ん だ 一六 一八 - 四 八年 の謂 はゆ る三十 年 戦 争 で あ った 。 こめ戦 争 のた め に、 ド イ
イギ リ ス 、
.フラ ン スに起 った 資本 主義 経 済 の喪 展 か らド イツ を著 し く 立ち 後 らし た 主 因 は 、周 知 のや うに ド イ
■
卓
ドイツ勢位
矩制末∼
期 に於ける保倫⋮
粥欄構の塑容
﹂
第五十智
八O
第 一號
八Q
本 稿 で問題 とす る火 災保 険 制度 に つ いて見 れ ば 蕩
、ブ ラ ンデ ンブ ルク選 果 侯 と そ の後纒 者 ブ リ ー ドリ ツ ヒ ﹂世 に於.
.
け る中 世 的 火災 ギ ルド かち.
一般 火 災 金庫.(
O①器・
半 周2道寄皿
器)樹 立.
への 一聯 の努 力 が さ う であ るβ併 し、.
これらの
努 力ま たは 計 聲 は容 易 には成 功 に導 か.
な か ったコ 人 民 に於 け る危 惧即 ち それ が王底 数富 の手段 であり 課 税 の別形
式 であ ると の疑惑 や反 射 の た め に 、 王侯 側 の ﹁荒 廃 し たる 商 業 と交易 と を建 直 し特 に ご.
の國 に信用 をも たぢ す制
度 ﹂ と いふ宣 傳 に も拘 ら す 、 そ れら は いつれ も成 立 す るに至 ち な か った 。 だ が 、ヒこ の失 敗 の由 因は 酒ま た 、.
それ
が プ ロシャ 全領 土 に封 七 て劃 一的機 構 を と ら う ど した こと に も存 し てみ た や う であ る コ事 實 、 アリ ード リツ ヒ 一.
世 が デ七〇 六年 に公表 した ると ころ の 一般 火 災全 席 制度 を 、 尋 七 一 一年 に 霊峰 止む 敷 く 累承 不 承贋 止 忙決 し た る
後 僅 か 数年 を経 過す る と 、軍 に そ の摘用 領 域 を これま で の如 き 全頻 土 の代 り に各 都 市 ・各 州 ・各 地 方 に 限り それ
ぞれ 小 規模 の公 膏 火災 保険 組 合 を設 置 す る ℃と ﹂した でと によ って、
、
一非 常 な成 功 を 牧 め て み るか ら であ る。 即 ち
忌.大 年・二・二流 是 設立さ膣 ・・レ・・禽 奏 保険組ム
唄・初め宅 て、・ン.・斐 州嘉 事 ステ
門...
-
、.
ツ チ ン市 ・.ケ.
一 二 ヒ ス ベ ル.、
ク市 等 々.
全 領 土 の 各 部 市 谷 地方 に引 続 い て 一七 九 四 年 ま で.
の間 に 同 じ や う な 組 合 が非
常 に多 数 設 け ら れだ の であ る。
・
・れたるも忽
忽
て.、
議 寒 備
襲
窃
聡
竃 拘象
、そ の機構 は著しく玉筆
成 る程 、 こ の組合 ぼ中 世 的火 災 ギ ルド から 著 し く 異 った形 式 を具 へて るだ 。併 し 、そ の代り に今 度 は 封建 君 主
の働きかけ によ って馨
義 を表 現し てみ た 。 それ は 先づ 一般 に人民 の糾 合 への加 入 を強 制 し てみ た ゆ 家屋 所 有 者 は 何 人 も こ の制 度 か ら免
れ るこ とは 出 来 な か った。.罹
.災 によ る人 民 の租税 滞 納 ま た は不 納 を 未然 に 防 止 し や う と の意 圖 に 出 た から であ
F.v.Liel)ig,DasdeutscheFeueτversicherungswesen,ユgロ,S.=8。
1)
6
奢
勢
を有 し て國 玉 も 百 を置 いてみ た若 干 の 地方 豪族
・てるたか・ 募 な・湊 。・た、・れら の公震 災艦 組
も の は 、當 時侮 り 讐
、こ窃 外も鐸 が租婁 除 の纏
カ
る 。た ビ こ の強制 加 人 の例 外 を 淳
で・ つ委
=
や う で あ って詫
で太 し喬
新 し い力 が こ肌 を根 葉
たド 多
題も竜奇
成 り の年 菜
慧
ら揺 が さう と し た の であ ゑ
人だ ち は 、 自 分 ら の詫
では な か っ
決定的なもの
した 。 だ が ・何 時 ま で も 考
先 づ 、 一七 八九 年 の フラ ン ス大 革 命 に 於 て
迄 の思想 に動 肇
帝 た る ナポ レオ
・ フ・ ンス の室 に輝
のち 皇
来た し?
つた の であ る。 だ か ら 、實 際 、彼等 は ・ ブ ラ ンス の執 警
・
琶,d正e6ffentlichenFeuervers正
合 は罹 災 後 の人民 が他 地方.
へ移 住 す るの を引 とめ る べく一1 勿 論 、 貨 時 悪流 行 の 火 災 乞食.
を防 止 す るた め に も
る 場 合 も あ るが 、 堂 島 の評票
は 多く の揚 △呈 國 の職 事 並 び に 御 料 局 (蓄 ㈹明
室
霧
を も課 し て みた。 更 に 、 鐘
身 の定 め
罹災 家 屋 の再築 霧
塁 ヨ..。
.評"、日..
) が當 って据 り 、 保険 金 額 は 被保 険 言
り
島
と←
これ た 。 そ し て、 保 険債 額 以 下に保 険 金 額 を定 め る こと さ へ許 され な か つ瓶コ
事肇
た 。 今 や大 裏
を 日 のあ た り 覧
フ.
ラン ス市 民 の絶 対君 主 への反抗 とそ の素 晴 ら し い成 果 た る特 撚階 級 の慶 止 ・農 民賦 役 の免許 ・第 三階 級 の政治
關與筆
明 に讃 歎 の聲 蓬
と き に も 、 方
﹂.
缶rdiegesamteVer5icl引erun已5一
sch■if【
翫enzuref。rm1eren,Ze
ehenmg5・Sozieし
く薪 レ 晃
ン ・ボ ナ パ ル ト の 軍 に よ っ て 一八〇 六 年 十 月 大 敗 を 喫 し 途 に ベ ル リ ン 城 ま で陥 落 せ し め ら れ た る
益
3)SchmidちS.84.
﹁
フ ラ ン ス の 自 由 を仰 慕 し ナ ポ レ オ ンを 熱 狂
`
八 一..篁 號
4)Schmidt,S.320・
で は フ ラ ン ス への 復 讎 忙 つ ぶ さ に 心 謄 を 砕 き つ ﹂ 、 他 方 で は 思 想 的 に
的 に崇 拝 し さ へ.し た 。 し か も 、 こ の崇 拝 者 の多 く は 特 に 最 高 知 識 階 級 に 見 出 さ れ た の で あ る 。
第五+巻
と こ ろ で ∵當 時 白 山主 義 思 想 に燃 え てみ た國 はド イツ と 地 つ堅き の フラ ン スば かり では な か った 。海 を距 て
。イッ封建制末期 に於け る保鴇 構 の馨
Wissenschaft,Bd.Io.S.83.
'
2)B.SchmidらDeτVersuchdesF面rstenHaTdenbeア
.
・
ド イ ツ封 建 制末期 に於 け る保 険棚 構 の受容
第 五 +巻
八二
第 ︼號
八二
近 く イ ギ リ スが あ っ た 。 そ こ で は フ ラ ン ス に於 け る ほ ど の大 革 命 こ そ 起 ら な か っ た が 、 學 問 的 艘 系 に 於 て は 寧 ろ '
フ ラ ン ス よ り 早 く 且 つ よ り 完 全 な 自 由 思 想 が 榮 え て み だ 。 ア ダ ム ・ス ミ ス と 彼 の記 述 看 た ち が そ の 中 心 で あ っ
髪
授 ザ ル ト リ ユウ 三 審
.
⋮ 。、.
・
。.
.
・
・,
)は ス 、
、
臭
<。
ロ 審口琴ゴぎ 口器目)は 特 に 政 治 科 學 歴 史
う であ る。 いま 、+ 八世 紀 から + 九世 紀 へか け て の同大 學 關 係 の學 者 思想 家
た 。 こ の新 し い波 も 當 然 ド イ ツ に 流 れ 込 ま す に は み な か っ た 。 そ し て 、 ド イ ツ で も 特 に ゲ ツ チ ン ゲ ン大 學 を 温 床
と し て自 由 主義 が鼓 吹唱 導 され 奪
思 想 の隆 興 に 大 に 與 っ て 居 り 、 黒
を 擧 げ て 見 る に 、 先 づ 、同 大 學 初 代 の 穂 最 た る ミ ユ ン ヒ ハ ウ ゼ ン (
Ω。.
一
口
畠
學 の奨働 にカ を 蓋 し自 由 霧
墨 説 を 基 本 と し た る著 書 に講 義 に そ の令 名 を 馳 せ 、 ま た 、 後 に ケ ー.
ニ ヒ スベ ル ク 大 學 教 授 で當 時 の 最 も 熱 烈 な る
ス ミス信奉 者 と し て著書 より も ス・
・
}ス 組 違 の講 義 を 通 し て 大 な る 影 響 を 與 へた と いは れ る ク ラ ウ ス ︹
O 胃 内.口
置・
)
も 、 ゲ ツ チ ン ゲ ン 大 學 に 學 び こ 嘱 で自 由 の.
新 し い空 気 に 若 く し て 接 し た 學 者 で あ る ﹄ な ほ 、 同 大 學 機 關 雑 誌 ゲ ツ
わ
チ ンゲ ン學 報 は 早 く よ リ ス ミ ス學 説 の 記 述 の た め に 多 く の 頁 が 提 供 せ ら れ て み た 程 で あ っ て 、 か く し て 、 同 大 學
で箆
ゲ ・ チ ンゲ ソ大羅
つ芝
あ
やう窺
く のは 、 ナ ポ ・ オ ・踊
下 にあ って+ 九 世紀 初 頭 の。
フ .シヤ
の自 由 正 義 思想 は軍 に當時 の學 界 だ け でな く實 践.
的 政 治 的方 面 にも 多大 の影 響 を 與 へたも のであ る。 と こ ろ で、
で
に 農 奴 解 放 等 の劃 紀 的 な 自 由 正 義 的 政 治 革 命 を 相 次 M で 断 行 し た シ ュタ イ ン 黛 ..
一同.
。
子。.
.、。ロ 望。一
口) と ハ ル デ ン
ベ ルク (
閑mユ ﹀・
碧 処 置四三曾9 ﹁
鵬
) と が 、 同 じ く ゲ ツ チ ンゲ ン 大 學 に 學 ん だ 政 治 家 で あ り 、 後 者 が 特 に 本 稿 に 於 け る
特 に多激 のイギ リ 久青 年學
中 心 人 物 た る が 故 で あ る。 尤 も 、 ハ ルデ ンベ ル ク が 同 大 學 に 學 ん だ の は ス ミ ス富 国 論 の刊 行 に 先 立 つ数 年 で は あ
る が、 當 時 の同 大 學 は 、 上述 の如 く ミ ユン ピ ハウゼ ン総 長 の學 問 的 指導 に よ って-
。
田 哲 二 署 、 濁 逸 経 済 思 想 史 、85-96頁
{)加
生 も入墨 も て居 り1
・
諸 大學 の うち でも 夙 に自 由 主義 精 御 漆 盛 ん であ った こと か ら、 彼 が在 學 中 及 び卒 業 後 同大
學 から この盛 んな新 思想 を 接 放 し 疫 であ らう てと は 十分 想 到 され得 る。 な ほ、後 述 す ると ころ の、 ハルデ ン ベ ル
ク首 相 の指 令 江 よ つてド イツ の 公菅 火災 保 険 組 合 改革・
に身 を も って常 た り多 年 に亙 っ て涙 ぐま し い苦辛 をな め た
顧 問官 ケ ー ラア ︹
閑壁 。﹁
)も そ の自 由 思祖 を就 中 上 記 のク ラ ウ スか ら 彊く 受 け た政 治家 であ 肋。
三
.併 しハ て のやう な新 思想 の先 達 にも 拘 ら す 、當 時 のド イ ツ の経 済 状態 は著 しく 封建 的 に と 璽ま って み た。租 税
そ の他 の形 式 に よ って封 建 君王.の宮 廷 に蒐 積 され た る亘 額 の資 金 は國曹 によ っ てま た は国 家補 助 の名 の下 に資 本
家 によ っ て生 産 に用 ひら れ たけ れ ども 、な ほ マ ニ ユフ アク テ ユー ル の域 を脱 す る こと は出 來 な か った。 從 っ て、
啓 蒙 的 政 治家 の新 思想 の方 が現實 より 数 十 年 も 先き を 走 っ てみ た。 例 へば 、上 記 の 一八〇 七年 、.⊥ 八 一〇年 の農
奴解 放 令 の如 き が そ の最 も著 し いも の であ った 。 こ ﹂で主 題 とし て取扱 はう みす る火 災 保 険 改革 案 も 亦 そ の例 に
洩 れ るも の でな か った。 併 し 、 般 的 にさ う は言 ひ得 ると し ても 、 資本 主義 繹濟 様 式 が全 く彼 等 のま へに展 開 さ
れ てる な か った わ 労 で はな い。 そ し て、 こ れ は生 産 様式 より も 商業 特 に保 険 繹瞥 の様 式 に 於 て主 張 す るこ とが 出
来 るやう であ る。
上越 し た やう に 、 ド イ ツ封 建 王制 下 の火 災保 険 は 當然 に官房 的 王庫 主 義 の経醤 に成 っ て人民 納 視 力 の維 持 ま た
は塘進 を主 要 目 的 と 七 て るた 。 と こ ろ で、 當時 のド イツ に 於 て は農 工商 業 は ﹁般 に未 だ極 め て幼 稚な 段 階 に あり
r
第 五十巻
八三
第 一號
八三.
人 々 の経 済生 活 は甚 だ軍 純 であ ったつ 從 っ て、動 産 は不動 産 に 比べ て 一般 人 の生 活 に 於 て遙 か に小 さな 意味 し か
型イツ封麓制山
木期に於ける保険機構 の趣㈲
容
﹁ r
2)Schmidt,S.92.
、
ド イ ツ封建 制末 期 に於 け る保険 機構 の麗 容
第 五十春
八四.
第 一號
八四
も つ て み な か っ た 。 これ が 、 先 づ 、 王 侯 の 強 制 保 険 の 針 卵 を し て 差 當 っ て不 動 産 に 限 ら し め 動 産 の領 域 に ま で揚
大 せ しめ な か った理 であ る。 だが 、 こ の理 由 に よ って のみ 、動 産が 公螢 保険 に探 入 れ られ なか った ので はな 炉。
か つた .夫
併 し 、・他 方 に 於 て 、私 的保 険 會 肚 の場 合 は事情 が可 反 り ち が ってみ た。
瞼 時代 ・伸 々容 易 に はド イ ツ に訪 れ ・甕
世 紀 剛劣
ド イ ツ動 覆
瞼 は磐
動 産 保 険 の要 求 す る技 術 的 困 難 に當 時 ㊨殊 に政 府 當 局 者 の保 険 に關 ザ る経 験 が 一般 に打克 ち得 なか った のでも あ
㍉
・・ は 言 へ、動 覆
ろ の不 動 覆
瞼 と併 せ て の動 覆
の弊竃 讐
Φ量 .呈
詫 たデζ
-ク領・峯
七 二。 年 臣
豊
国図書
動産 保 険 實 施-
の設 立 が 企圖
・ ・五世が 一七三九年上 一
月 七・蟹
Φ.
と U.}
ぎ
⋮ .Φ。 で竃 -
恥
酷
d
ロ
.
㎜皿
騨
麗β
糠
も
僑 92
島
㎎珊
帥田
ユ
盤
濫
盤
ぬ
に
㎎㎝
ロ ﹂眈細
Oヨ
賑
1
9監
認 虚,
義 甲
瞼 (但・加入災 民 ・畠 )の採 用 が あ った が、 ・れ は全 く失 敗 に締 し.
控 目 の 獲 畏 し か 見 せ な か っ た 。 先 づ 、 フ リ ー ド リ ッ ヒ ↓世 の 一七 〇 五 年 十 月 十 五 円 附 及 び 〇 六 年 六 月 ﹁目 附 法 規
に よ るき
て居 り 、 ま た 、 一七 二〇年 ヴ ユ ルテ ンベ ルク の人 たち によ っ て私的 保 険 會 肚-
され た が 、 これ も 實 現 を見 なか った 。實 際 、 十 八世 紀 前孕 に於 て動産 保 瞼 を 行 ってみ た も のと し ては 、精 々、 シ
の奏 養
エ レ ス ウ イ ツ ヒ ・ホ ル シ ユタ イ ン の ギ ル ド ぐ ら み の も の で あ る 。 こ のギ ルド と て も Y も と は 、.
不 動 産 保 険 ギ ルド
であ っ誘 ・、葺
を 命 令 し た 工め に 、 後 、動 産 保 険 に輻 向 し た も の な の で あ る 。 こ の ほ か に は 、 だ 穿 、 牧 師 ・
教 員 ・官 吏 仲 間 の ツ ン
δ 年 に 。・。曇
せら れ華 々し く 活動 七 て るた 。而 し て、 こ の企 業形 態 と企 業精 帥 は當 時 イギ リ スと 盛 ん に交 易 し てみ た ハ
例 へば ・宅
しか るに 、 海 の彼 方 のイ ギ リ スでは既 に十 八 世紀 前 牟 に不 動 産 保 険 のほ かに 動 産 保険 を螢 む 多数 の株式 會 杜
了 留 禦 動覆 瞼類似の古い懇 をそのま 菱 蟹 で行ってゐ黎 けであ勉
が 設立
●
饅 ・、粟
時のり .
フ ルク商 人 は 、 そ こ で籍
ソプ ル。 商 人を 通 し て今 やド ・ッ 八難
着
な ら し め やう と 考 へた。 あ
故 都 へ藷
的経 撃
積
む べ孟
以來1 - ハンブ ルク に 壌
瞼 が ・ ン・ ・から 輸 入
ンド ン へ崇
ら饗
け
個 の保 険會 肚
され た こと は極
・ ・と に よ って.、 9 ブ ル・を 外囲 企 蒙
ば せ乍 ら輸 入 され た の であ る。 聖
し た知墜
動覆
一七 六葦
に ・ つて特 に關 係 の大 馨
め て自 然 であ る 。か く し て、 +八 世紀 の後 半 に 入 ると 、一
まコ釜
皇
の
竺
七杢 ハ隻
の保険寵
ン,
・・ク隻 店 を作2
れ嘉
・てそ の後 室 ・イッに叢
叢
新 設 され るまでにな った。 そし て・他方また・イギ リ スの保
が創 設 され 、九 十年 代 に は これ ら の保 険 會 肚 は ハンブ ルク 以外 の各 地 に 支店 を 設 け るま でに 螢展 し 、更 に 十九 世
鷲
紀 にな る客 都市 来 店を有 する姦
馨
を 撰太 し つ ﹂あ った 。.
う に 、不
と こ ろ で、 てれ ら の私 的保 険 會 肚 は專 ら動 産 保険 に のみ 従事 す るも の であ った。 それ は 、上 述 し た や
陰縫
は、 それ が 用 ひ る と ・ろ の保険 技 術 特 に危 馨
馨
叢
は輩 純 繁
豪
・ も の であ って ・危 険籟
制は殆ん
は風 車 を動 力
慮
じ て定
・公費 災保険馨 椅 第 三
ら 除外 す る か発
初か
百 附 べ㌻
き な影 響 を
級 によ って保 険 料率 を 合 理 的 に定 め
動 産 保 険 の領 域 が加 入 強 制 の特 槽 を有 す る公 螢 火災 保 険組 合 に よ っ て堅倒 的 に 占 め られ て みた から であ る。 だが
併 し、 。れ ら の動 覆
険突
災 保 険組 合 の蕎
る と い ふ仕 方 を 通 し て、當 塒 全く 型通 ゆ に官 僚 的 にや っ てみた 公 螢保 険 組 合 の事 業 に射 し て非 常 に大
の
播
の何 倍 か を課 す ると規 定 (
例 へ竺 七九四年芳
。特集
し た の であ ・。 實際 、當 時 のド イ・ 公莫
し て通常 難
八五
瞼金 智
笙 號
ひ
Liebig,S.23-26.
淫
鋳
ど存 在 七な か った ξ 、つ て い ・程 であ 翼
と す.
る毒
八五
し て無 附係 に た 撮
第五+巻
分 捲 金 は危 険 の程 度 と 織
狸 於ける保監 構 の馨..
條) す ・位 のも ので あ った 。 保 瞼料 また は 馨
,イ ッ封建禦
1」ebig,S.26.27竃
4)
5)
ドイツ封建制秀
葉
合理在
方 に慰
に於け る保鴇 構 の馨
め られ てる㎞ ・.
この やう 董
蒙 的自 由主 義 恩愛
て私 的動 産保 留
と も に、 封建 王制 下 の火災 保 険 機讐
繋
第五+雀
八六
・ン華
八六
失 し莫
美 にも そ の費 用 を提 供 し な けれ
養
ろ の熱 烈
が 如何 に作 用
いた き
鵜
篁 號
す ・合 理 的 薪
的要 請 は 、ま へ窺
肚 の.搭
しな
を ナポ ・ オ ンに奪 は れ國 土 の墾
的 な動 揺 を 與 へる順 序 とな った。
し た か は ・吾 々 の容 易 に想 像 し得 ると ・ろ で あり 、 ・ の技術 上 の合 理 義
蘇
四
の侵 略 に遭 っ て政 治 の纂
金 を課 せら れ た・ し かも (.國 内 に駐 屯 し て贅 澤 の限 り 蓋
天 〇 六年 + 月 ・ ・ イ・ は ・・ ン壼
大趨
ン, ハルデ ンベ ル ・ ξ
ご 叢
蟹
への努力臭
の最 も よく 智
﹁
と
び 、後 暫 ぐ 自 里
シ 、ヵ ア ルケ イ ル ヘル ・.ヘルヂ イ ナ ンド 公
地 だり し ゲ ・ チ ンゲ ン.大 學 量
螢火 災保 瞼 の改 革 も こ の時 期 に ハルデ ンベ ルク に よ っ て企圖 され た ので あ る。
穿
ば なら なか った 。 し か る にV ド イツ 政治 家 た ち は こ の未 曾 有 の難 局 に鬼 す る に自 由 正義 思 想 を も つ てし庶 政 の大
丞
改 革 に着 手 ・ てる た ・ ・ の場 合 ・ ζ
こ ろで あ るが・ 本稿 の主.
勢
は ・.上 記 の やう に・ 潜・時 の啓 蒙 的離 間 の諜
進 國 イギ リ ・に遊 ん で新 思想 の中 に生 活 し 、蹄 ってか ら は芽
、ハルデ ンベ ㌻
菱
に 偉 才 を 見 出 さ れ て そ の 政 治 に 参 書 し 、 早 く も 教 育 制 度 の 正 統 派 教 會 よ ゆ の 解 放 を 企 園 し て み る。 後 、 プ ロ シ ャ
を なめ た・ そ の繁
思 湘胆は飽 くま でも封 建 的 難
から の自 由 を も つて國家 麗
の華
ある
國 王 フ リ ー ド リ ッ ヒ ・ヴ イ ル へ.
ル A の 下 に あ っ て 、 友 人 シ ュタ イ ン と 共 に 最 高 の 政 治 的 地 位 に あ つ で ナ ポ レ オ γ
支配 か ら の猫 立 に議
ヤに 誓
リガ に身 を逃 巽
・て
鴇
在す ・ ・壷
猜
、 ・ の間彼 の念 頭 に あ っ券
はた 璽フ ・
・ン 壼
の揉
と な し 、 一八 〇 七年 初 め て首 相 の任 に つ いたが 、そ の抱 負 の未 だ實 施 に至 ら ぎ るう ち にナ ポ レオ ン に追 放 され て
ニ
6)Schmidt,S.84,85.
﹂
り
`關 下 に あ る 祖 國 内 政 の改 革 で あ っ て 、 想 を 練 ゆ度 々国 王 に 建 白 書 を 邊 っ て 居 ゆ 、 そ の後 故 都 に 臨 ゆ 一八 一〇 年 シ
ュタ イ ン の あ と を 受 け て 再 び 首 相 の 任 に っき 愈 々 内 政 改 革 に 手 を 下 レ た の で あ る 。 彼 は 先 づ 國 家 の 蛮 民 のた め に
は ﹁何 人 も 自 己 の 個 人 的 力 、 自 己 の 資 本 、 自 己 の 手 、 自 己 の精 興 は 、 第 三 者 を 害 は ざ る 限 り 、 出 来 る だ け 自 由 に
(
耕 作 地 の 二分 の }ま た は 三分 の
活 用 し な け れ ば な ら ぬ ﹂ と の 一般 原 則 に 立 ち 、 ツ ン フ ト 並 び に 薔.
政治 形態 に 於 け る諸 猫 占 、 工場 彊制 法 、醸 造 強
制 法等 々 の、
撤 屡 嵩 地 租 免 除 特 椹 の贋 止 、 從 っ て、 螢 業 の完 全 な る自 由 、 農 奴 の 解 放
︼の返納 によ る残盤 土 地所 有権 の確 保)等 を 企 て た 。 か ぐ て 、 本 稿 の 鉗 象 と す る 公 螢 火 災 保 険 組 合 の著 し ぐ 封 建 的 な 機
構 も 當 然 彼 の改.
革 の手 から 遁 れ るわ け は な か った 。
同時 代 の革新 的 政治 家 で あり乍ら シ ュタ イ ンでな くし て特 に ハルデ ンベル クが公嘗 保 険 の改 革 に着手 した 理 由 とし ては、 シ ュタ
イ ンとち が って彼 が常 時 の公瞥 火災 保 険組 合 の内情 に つ いて詳 しζ知 ら な か った ことが 、却 って彼 を し てこ の難 問 題を 辰上 げ る勇
の
氣 をも た し めた も のと思 へぬでもな く 、 また 、彼 の首 相再 任 の }八 一〇 年が ド イ ツで特.
に火 災 損害 の大 であ った Σめ に、彼 を し て
む
よりよき火災保険制度 の必要を痛感 せしめた のとも考 へら拠るo
.
の政 治 上騰 郡 が 公螢 火 災 保 険組 合 の改革 に封 七如 何 に熱 心
Sじhmidt,S.86.
さ て、 吾 々は これ か ら ハ ルデ ンベ ルク をめ ぐ る當 時
Schmi{it,S.85.
に考 へそ の實 現 に努 力 した か に つ い て述 べな けれ ばな ら 粗。
八七
Schmidt.S.306.
先 づ 、 ハルデ ンベ ルクは 兎 も 角公 螢 火 災保 険 組 合 の封建 的 組 織 は 改革 すべ き であ る、改 革 す れ ば 必ず 大災 損害
八七
第 一魏
こ れ に封 し て 、 内 務 大 臣 は 顧 問 官 ケ ﹂ ラ ア を し て建 議 書 を 作 成 せ し め 且 つ 他 の顧 問 官 ホ 7 マ ン
に封 ず る建 物 所有 者 の支 出額 は少 く な り 得 る と確 信 し て、 一八 一}年 二月 九 日.内 務大 臣 に そ の改組 準 備 を と る べ
の
く 命令 した 。
第 五+巻
︹
踏。穿 解昌
昌) の参 考 意 見 書 を 添 へ て 、 早 く も 同 年 四 月 四 日 に首 相 に 上 申 書 を 提 出 し て み る。
ド.
イッ封建 制 末期 に於 け る保 険機 構 の趨}
容
AllgeコeineDeutscheBiographic,Bd.10.皿879,S.572-580.
1)
2)
3)
4)
・
ドイツ卦﹁
建制末期 に於ける保険}
灘︻
構 の塑容
笛㎝
五十審
八八
笥二 號一
八八
と こ ろ で 、 ケ ープ ア の こ の建議 書 は ハルデ ンベ ルク の保 険 改革 に と っ て本 質 的 な基 礎 を なす も の であ って 、大
要 次 の如 き主 張 を な し て み る。建 物所 有者 に謝 し て出来 る だけ 少額 の代 償 でも つ て出 来 る限り 大 き な 保障 を與 へ
る ことが 火 災保 険 の目 的 であ る。併 し 乍ら 、 こ の目 的 は 国家 の制度 によ って は決 し て完 全 に行 はれ 得 な い。種 々
の程度 の危 険 を精 確 に測 定 し 各場 合を 個 々の事 情 に懸 じ て填補 す るこ と は、實 にも っ て商 人的 思索 (
訂・ぎ ぎ号 ︹
竃
。雇需置 注8)のみ の能 く す ると こ ろ であ っ て、全 く 自 由 な契 約 椹 の存在 す る場 合 に のみ 、被 保険 者 は 火災 保 険 を確
に最 も 正確 に且 つ概 し て最 も 低廉 に受 入 れ る こ とが 出来 る。 併 し 、 理論 が こ のやう であ る にし ても 、目 下 の状 態
に於 ては 吾 々は、 現在.
の公醤 保 険 施 設を 全 慶 し て火 災保 険 を直 ち に自 由 な商 人的 思索 に委 ぬべ しと 建議 す る こと
は 出来 な い。 また 、現 在國 内 に 存 在 し て み る外囲 の保 険 愈 肚 を當 て にす るわ け忙 も いか ぬ。 實 際 は この やう な 私
的 保険 會 肚 を 一番 日
取初 に つく っ て置 く べ き であ った。 今 とな っ ては 、 こ のや う 叛會 砒 の設 立 に は損 害填 補 に 必.要
な 大資 本 の調達 に無 理 が 起 る、 殊 に 、極 度 の経 済 困 難 に際脅 し て資 本 の逼 迫 を告 げ て み る現在 の事 業 界 に は大 し
た 期待 をも っ こと は出 来 な い。 そ の他保 険事 業 に特 有 な困 難 も あ り 、も って、 泓 的保 険會 祉 に 射し ては 、 た じ、
國 の内 外 の安 寧 が得ら れ 國 民 の幅利 が櫓 進 し て保 険 企業 を敢 へてす る者 をし て有利 な條 件 に置 き得 る であ ら う時
セし
の 到 る のを 待 つのほ か 仕方 がな い。 かく し て、 公螢 火 災 保険 組 合 を 慶 止 し て見 た と ころ で 、私 的保 険 會 枇 が これ
に代 る だけ 十分 に興 っ てく るわ け のも ので は なく 、.徒 に多 敷 の建 物所 有 者 を 無保 険 に落 し入 れ 抵當 植從 って信 用
の基礎 を奪 ふ結 果 に導 く のみ で あ る。 よ っ て、國 家 と し て は 、 こ の.
や う な危 険 な状 態 に立 ち至 ら し めざ るや う 、
火 災 保 険 の便宜 しか も よゆ よき 便宜 を提 供 し てや ら訟 ばな ら ぬ。 こ ﹂に 、 現存 の公 螢保 険 組 合 の全 畷 で なく し て
の
改 革 が 問題 と.
な る。
'
こ のや う な 一般 原 則 に從 って 、 ケ ー プア の建 議 書 は 公螢 火 災 保 険組 合 に樹 し具 髄 的 に.吹 のやう な 改革 案 を立 て
﹂み る。
一、厨家 な るも のは 、差 當 り 且 つ韮 と し て各 個 人 の固 有 の権 利 に のみ 委 ね られ てみ る事 柄 に つ いては . 個 人 に
射 し た f後 見 人 とし て立 つだ け で よ い。 從 つで、 個 人 に射 し て保 険 加入 を強制 す べき でな い。保 険 加 入 を 個人 の
自 由裁 量 に 任 か す とす れ ば、保 険 金 額 に つ い ても 、そ れ が建 物 の實 質債 値 を超 え ざ る限 ヶ 、 これ を拘 束 す べき.
で
はな い。
二 、保 険 事 務 の許 す 限 り 、従 来 の群 小組 合 を統 合 し て 一組 合 の事 業 範 園を 出來 るだけ 摘 大 し なけ れ ば なら ぬ。
か う ず る こと は 、従 来 の組 合 が 屡 々陥 っ てみ た と ころ の填 補 金 の支 彿 不 能か ら琵 れ る こと ﹂な る。
三 、 これ ま で の公嘗 火 災 保険 組 合 は ﹁般 に危 険 の等 級 を 無 観 し て み る が、 今後 は被 保 険 建 物 を種 々 の階 級 に分
類 し 、 そ の最 近 の損 害 程 度 を 調査 しそ の不均 値 に相賞 す る各 様 の保 険料 率 を 設 け る合 理的 制度 を定 立 す る 必 要 が
、あ.る。
八九
第 一號
八九
Heエmer,S.99・
Schmidt,S.87-go.,
・四 、填 補 金 の支彿 を 迅速 なら し め るた め に 、從 來 の公螢 組 合 に於 け る如 き年 々 の既 叢 損 害 額 を 加 入者 敷 に頭 割
り に分櫓 せ し め る と い ふ賦 課 制 度 (
U8言 轟・
雌器 ヨ)を 慶 し て、 私 的 保険 會 肚 のや う に多 年 に亙 っ て徴 牧す べき年
第 五十巷
々の保険 料 を 算 定 し何 時 でも即 座 に少 く と も組 合 加 入 者 の四分 の ︼に射 し 支彿 ひ得 る額 を支 彿 準 備金 とし て保 有
の
す る やうな 組 織 に改 め なけ れ ば な ら ぬ。
ド イツ封建 制末 期 に於 け る保険鵬
蜘幽
縫⋮
の轡一
容
Schmid亡.S.86,87.
5)
6)
ぎ イ ッ封 建制 末 期 に於 け る保険 機構 の墾 容
第 五+春
光〇
第 ﹁號
九〇
以 上 が ケ ー ラ ア の建 議 書 の大 要 で あ る が 、 こ れ に 射 し て 参 考 意 見 を 上 呈 し た る ホ フ マ ン も 、 ﹁自 治 艘 は 自 治 燈
の 成 員 が 保 険 に よ っ て 自 ち を 貧 困 か ら 守 るや う 要 請 す る模 利 は な い 。 況 し て 、 国 家 は 国 民 に ζ れ を 強 制 す る 瀬 利
は な い。﹂と の 全 く 自 由 主 義 的 な 立 場 かち 、 ヶ ー ラ ア と 同 一意 見 に 立 ち 、 他 の諸 錨 に つ い て も ケ ー プ ア 案 に 贅 同 を
寄 せ て み る。 た 璽 、 ホ フ マ ン は 、危 険 等 級 制 に つ を 更 に 立 入 っ て具 腿 案 と し て、先 づ 保 険 地 庭 を 大 都 市 ・
小 都 市 ・村
落 等 に 分 ち 、 更 に こ れ 危 の各 地 庭 の 建 物 を 材 料 。建 築 様 式 ・特 別 危 険 等 に從 っ て 匠 分 す べ き で あ る と 述 べ て み る
め
だけ であ る。
五.
だ が 、當 時 のプ.ロシヤ政 府 要路 者 のす べ てが ハルデ ソベ ルク 、 ケ ーラ ア の保 険 改 革 案 に全幅 の贅 意 をも つ てみ
る の では な か った 。例 べば、ケ ー ラア案 に つ い て首 相 よ り批 判 を 求 め られ た司 法 大 臣 キ ルヒア イ ゼ ン.
︹
タ 内診ぼ凶
器・
)
の如き 、 そ の答 申 に 於 て、危 険 等級 制 の採 用 と群 小組 合 の秩序 あ る統 合 に つ いては ケ.
ープ ア案 を 支持 し て み るが
保 険 強 制 の撤 廣 に は反 封 の態度 を と って、 ﹁従来 存 在 す る 碾割 を艘 止 し て組 合 か ら の脱 退 を 認容 す る こ とは本 制
度 從 っ て本 制 度 に踏 み と fま っ てみ る關 係當 事 考 及び 債 灌考 の生 存 に害 があ る。 故 に これ を 許容 す べき では な か
ら う 。成 る程 今 日 の組 合 は本来 あ るべき 満 足 な欣 態 に は抉じ て 経 っ てる な い。 併 し 、 ζれ は、 私 見 に よれ ば 、組
合 の内 部的 機 構 の缺 陥 や 、ゲ マイ ン シャ フト的 な 力 に 依存 す る制度 のも つ 一般 的缺 陥 や に基 因す る の ではな い。
今 日 の逼 迫 せ る経 済 状 態 が ゲ マイ ン シャ フト的 な 力 を衰 へさし てみ るの であ る。﹂と の意 見 を表 明 し てみ る。
と ころ で 、兎 も角 公螢 保 険組 合 を 何等 か改 革 す るに は先 づ 現 状 の十 分 な 調査 が 必要 であ る、 これ な く し ては危
Schmidt,S,go-92
Schmidr,S.94-96
7)
エ)
r
一、.
瞼籟
制も馨
て轟
の統合も行はれ得な い皇 一
・倉 と になり、プ ・シや政府 は璽 肇
蓮
響
許 ・な 物L ・ の督 促 が な 詫
ルデ ン ・
ヘルク首 相 から 探 険 組 合 改革 の蕩
であ っ てよ泉
≡ 年 三月 三 具
の笙
着手 とし て鴎
叢
た 程 であ ったけ れ ど も 、容 易 に事 は藩
の
な
は そ の後 進 捗 し てみ な いや う であ .
・が 、本
公 螢 火災 保 険 組 合 に樹 し調 査 票 を配 布 し た のであ る。 だ が 、ψそ の後 の事 業 は意 の如く に は進 捗 を見 せな か った。
竪 瓦
件 は驚
,
空
節証
左
Sch皿idt,S.99.
か っ た 。 し か も 、 こ れ に 続 く 数 年 は 訂 由 戦 争 の勃 襲 (↓八 = こ年 五月)か ら ワ ー テ ル ・ウ の 大 戦 (一八 ︼五年 六月 )ま で
め て み る ・と に存 す ると な し 、從 っ て、今 や 必要 な ・と は例 ハば等 級 制 度.
に
濯 延 の理由 を 、鑑.ろ 、人 。が
全 く 政 治 的 不 安 のう ち に経 過 し た 。 全 国 民 は 一つ に な っ て た 望 外 國 支 配 か ら の 自 由 のた め に立 上 っ て み た 。 從 っ
て 、他 事 を 省 み る十 分 な絵 裕 を も つ てゐ 友か つ陀 。
制度 集
しか るに ・最 初 から.
本問 題 籔 烈 な開 心を も つ てみ た顧 問 官 ケー プアは 、水 嚢
當 初 よ り非 常 に完 全精 讐
し ても.
當 初 は 出 架 る だけ簡 軍 な 満 [般的 蓋 然 性 に從 ふ等 級 で甘 んじ 、も って將 來.
のよ り完 全 な も の へ移 るべ き で
あ ると確 信 い ・ 未 だ戦 塵牧 まら ざ る中 に あ つ で、 實 行 に移 し易 き具 艦 葡 改 革 案 の作 成 に孜 々ど㌧ 憎努 め 、 こ れを
り
八 一四年 十 二 月 十 八 日内 務大 臣 に上 呈 し た のであ る。蓋 し 、ζれ は ヶ ー ラァ が こ.
の場 合附 加 へて言 って み るや う
に 、内 務 大 臣 の 上 申 書 に 於 け る 根 本 観 念 が 元 來 彼 か ら 出 た の で あ っ て 從 っ て 彼 が こ れ ・
に射 し特 に責 任 を感 じた 曳
、
め で も あ る が 、 今 や 、 こ の 具 膿 案 を 中 心 と し て随 分 嚴 し い批 刹 が 反 封 の 立 場 か ら 展 開 さ れ た の で あ る 。 、
六
第 五巻
公瞥 火 災保険 組合 の具禮 的改 革 綱領 と見 ら るべき ケ ーラ ア案 は、 依然 と し て、 一、組 合加 入 の自 由 、 二、 群 小組 合 の統合 、 三、
ドイツ封建制末期に於け・保鴇 構 の馨
Schmidt,S.97,
SchmldらS.98.
2)
3)
4)
`
ドイ ツ封建制 末 期 に於 け る保険 機構 の塑 容
︻、組 合 は、 保険 の申 込 が あ・ た る場合 、 す べ て の建 物 ︹
火 薬 工場 桑 撃
等 級保険 料 の樹 立を そ.
り指導 原 則 とし てみ る。
關嚇 し てな 嘉
た景
欝
を 超ゆ ・保険 金警
物 の保険 はそ の気
減 す る権 利 (
勿 論、 保 険籍
・ て粗 食
第 五 +巻
九二
場等 々は例 外)に つミ
附 け ら鴛
・と を要 し・ も誼
慧
を有す 票
九二
け る霧
第 一號
裂
接
であ る・ 但し・集
合 を 脆退 せ んとす る毒
許 されな 戦)を 有 し、 且 つ、再建 す ・と否 と も畠
これに射 し 、 一般 の建 物所 有 者 は浸 の建 物 を火 災保 険 に附 す べき義 務 を負 はず 。 また 、各 人は 自由 に組 合 から 脱退 す る擢 利及 び保
債警
険 金額 轟
書
権 者 の許 可を 必要 と す る。 また 、後 見 人 ・財産管 理 人は 保険 債 額 ︼つば いに嘗 試建 物 を保隙 に附す る義 務 を有 す 動。
ハルデ ・ベ ル ク首 相 の藏
入営
加 入者 の叢
を響
羅
と港
って チ ルジ ・・協 約 (天 〇 七年 背
笙
年度 は
八嚢
組 合 を次 の =縞 合
っ・.
正常 保険 料 は誇
光旦 後 の王国領域 に限定 し、従 来 の叢
鐘
・組 合窒
よ つて出来 るだけ 多数 の加 入者 を確 保 し やう と の考 へに出 た の で
持 す べく求 め てみた か は、 ・の改 革 案 に捨 て・ 覆
、 ・港
思 ふ に、 ケー ラア が保険 加 入自由 の原 則 を探 砂乍 ら これ に右 の如 き除 外例 を 設け た のは、 無 保険 によ る不 動産 信 用 の崩壊 を大 に
戒 め鷹
ワサ
も あ る。 なほ、 ケー プ アが 如何 に肇
れ
案 の適 用範 園を 馨
従 来 の加 入 者全 部.
の組 合踏 みと 虻ま りを強 制 し てゐ.
る こと から でも判 明 され 軌〇
二、驚
芽
%
保 険金 額 に つき %
盈 ε と雰
(1 )リ ト ワ ニ ア . 東 西 プ ロ シ ャ の た め に ﹁組 合 ・
・⋮ ・⋮ ⋮ 主 要 管 理 所 は ケ ー 三 ピ ス ベ ル ク に
に 統 合 す る 。.
料 (
・ ・
婁
⋮ 主 要 管 理 所 は ベ ル リ ン に
ε と特別 倭
⋮ ⋮ ・⋮
(2 )シ レ ジ ア の た め に 一組 A口⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ⋮ ・・
⋮ ・
⋮ ⋮ ・
・⋮ ⋮ ・
主 要 管 理 所 は ブ レ ス ラ ウ に
瞼料 (
。.
。①ロ・
閏。﹃①毘Φ喜
(3 )ポ ン メ ル ン の た め に 一組 合 ・⋮ ・⋮ ⋮ ⋮ ⋮
三、保 険料 は 玉石
に類別 せ られ る。
等 級
5
Schmidt,S.30z.
保 険 金額 に っき%
㌦
6
Schmid.t,S.302,303.
等 級
1
%
画65/
2
7
L!55〆
】昌
8
3)S.chmidt,S,3エo.
1)
2)
4)
3
4
別1ん
5/
正常保険 料 は年 四 周軸岬
とす るが、特 別 保険 料 は組合 金庫が 何等 かの不 足を 来た し た る場 合 に限 り これを補 填 す みた めに 、内務 大 臣
これ を 見 るに、 改革 後 の公管組合 は等級 制度 を 採 用す るが、 そ の等 級 は ケ ﹁ラ ア の持 論通 り に趣 く簡 輩 にた に 八級だ け であ る。
の許可 を経 て徴 牧 され るも のに し て、 一保 瞼 年度経 過後 そ の必要 を認 め た ると きは 二月 ︻日 よ り +五日 ま で の間 に佛 込 まし め 勧。
蓋 し、 今後 に於 け るよ り先 金な も の へ獲 展 す る過渡 的制度 とし ては時 宜 を得 た も のと言 へやう 。 (た Ψ遺憾 な のは 、 こ の案 では保
険 料を た ㎏ 八級 に分 つた いけ で保険 料 が等 級 づけ ら れ る基 礎 た る建 物 の危 険 に ついて全 ぐ躙 れ てみ な いこと であ 勧。
) 次 に、 正常
特 別 の 二重保険 料 制度 を探 りた る こと も、従 来 全く維 瞼 び な い等級保 険 料制度 を採 用 す る場 合 に恐 らく 示 す であ らう支 彿填 補 金 の
の過渡 的 制度 と し て弾力性 に富 む無 理 のな い仕 組 であ ると 言 へる。
不足 分を 特別 保険 料 で補 は らと す 惹組織 で あ って.、従 来 の公誉 組合 が 一般
.にと って来 た賦課 制度 から新 式 の保険 料 制度 へ移 る場 合
四 、以 上 の三原 則 のほ かに、改 革 具儂 案 が提議 せ る重 要 規定 と し ては、 (a)保険 偵額 の五パ ーセ ント未満 の分損 に謝 して は組 合
は填 補 の責 に任 じな い。 (
イギ リ ス海 上保 険 の責 務 に於 け る謂 は ゆ る免責 歩合 を輸 入し た るも の.)。 (
b)填 補額 の牛 額 は 罹災後 穴 週
間 以内 に支辨 ひ、他 の牛額 は富 該 四半 年期 経過 後 六週 間 以内 κ芝彿 ふも のと す。組 合 も し こ の支梯 を 逓滞 し た るとき は 利子を支 扮
ふことを 要 す。 (こわ は ヶ ープ アが豫 てから填 補 の迅 速 を組合 の改 革 にと つ,
て重要 な 要請 とした る理 由 から 出 てみ る)
。 (c)係 争問
題獲 生 した ると 避 は仲裁 々到 の判決 に擦 ら し め る。 (これ も填 補 金文彿 を 出来 るだけ早 から し めるた め の規定 であ って 、判決 ま で
わ
の苧績 に長 期間 を要 す る正 式裁 判 を避 けた も の であ る)。 (
d )組合 は租税 ・
官 海 關 係手数 料 ・
郵 税 免除等 の特擢 を 有す る。
七
第 一號
九三
9 ⑦力
Schmidt,S.304-309・
青 々の これ ま で の叙 述 は公 管 火災 保 険 組 合 の改 革 を 断 行 し やう と す るプ ロ シャ政府 の側 だけ し か見 て みな いが
九三
Schmidt,S.305.gob・
これ と反 劃 の側 即 ち組 合 を直 接 間接 管 理 す る側 の事 情 はど う で あら う か 。 と ころが 、 こ ﹂で は改 革 に 射 し て次 の
や う に清 極 的 また は 反 抗 的態度 が探 られ た のであ る。
第五+巻
二 月 十 八 日 、 ポ ツ ツ ダ ム ・ブ レ ス ラ ウ ・ケ → = ヒ スベ ル ク 州 政 府 に 法 案 を 配 布 し 、
プ ロシ ャ政 府 は、 右 に概 述 し た るケ ー ラア 具罷 業 に つい て、 それ を愈 々實 行 に移 す ま へに各 州 政府 側 の意 潤 を
き く 要 あ り と し て 、 一八 一拳
ド イ ツ封 建制 末期 に於 け る保険 機 構 の樫容
Sch,.idt,5.305・
ド イ ツ封 建制 末 期 に於 け る保 険機 構 の攣容
第 五 +巻
九四
第 一號
九四
そ れ ぞれ の意 見 を[
求 めた 。 落 も、 こ の場 合 、草 案 看 た %ケ ープ ア の眞 意 とし ては ﹂寧 ろ こ の改革 は上 から の命令
と し て単 純 に 行 ふ べき であ って 、各 州政 府 の意 見 を求 めた り な ど す る こと は 徒 ら に仕 事 を 長引 か す結 果 に な るた
め にこれ を 希望 し て は みな か った の であ る。 從 っ て、 彼 は各 州 政府 の回 答 に劃 し ては最 大 六週 間 の期 限 を附 け て
欲 し い 士求 め た程 であ る。 併 し 、各 州 から の回答 は 、 ケ ー ラア が焦 々し て待 って みた にも拘 らす 、伸 々到来 しな
か つ光。漸 ︽日取初 に來 た のが同 年・
七 月十 四日 、 シ レジ ヤ のブ レ スラ ウ政 府 の答 申・
であ った が 、.
これ は内 容 極 く㎜
間
軍 で甚 だ徹 底 を敏 く も のであ っ穴 。 けれ ども 、
、
こ れ に よ っ て州 政 府 が 近 く 行 は ん とす る改革 に謝 し て如何 に考 へ
て る るか 璽略 々判 っ て來 た 。即 ち 、 ブ レ スラ ウ州 政府 は全 然 プ ロシャ政 府 側 と は反 封 の立場 に立 っ てる た。 答 申
書 は、 先 づ 、 ﹁過般 の戦 争 や敵 軍 Q劫掠 で ひ どく 疲弊 し て み る こ の際 ∴幾重 にも 亙 る や う な課 税 府 徴収 は見 合 は
せ ても ら ひ た い 、穏 當 でな い唱﹂と切 り 出 し 、 これ に続 い て新 法 案 の規 定 す る等 級 制度 亀管 理事 務 や に つ いて種 々
反 封意 見 を あか ら 遷 ま に具 棟 し た後 、最 後 に 、 ﹁シレ ジ ヤは火 災 保険 施 設 a改革 を それ 程 に求 め てみな い.。 少く.
と も 強 く これ を 欲 し て みる や う に は見 受 けら れな いσ 殊 に新 改草 案 に 計 る ど都 市 と 地方 とが 結 び つ いて合 冊 す る
の と のこ とで あ るが 、 人 々は 、 こ の や うな 新制 度 より も 従来 の古 い制度 の方 を 揮 び とり これ に満 足し やう と ﹁般 に
■・
Schmidr,S・3■
考.へ﹂
て る る 。Lと 結 論 を 下 し て み るd
皿.日 後 れ て ケ ー ぼヒ スベ ル ク 蜥 政 府 か ら の同 答 が 到 着 し た 。 これ は 、 前 記 ブ レ ス ラ ウ 政 府 の回 答 に較 べ る と 、
遙 か に よ り 大 な る重 要 性 を 有 し よ り 深 い 理 解 的 根 櫨 に 立 っ て な さ れ 且 つ 四 十 項 目 に 亙 る廣 汎 な も 吟 で あ った 。 伊
上 、 改 革 案 に 針 し て消 極 的 意 見 を 盛 っ て み る と い ふ 黙 で は ブ レ ス ラ ウ 政 府 の答 申 と 大 器 同 様 で あ っ た 。 即 ち 、 先
Schmidt,S.310,31エ.
1)
2)
づ 従来 の組 合 機 構や 法 規 が 改善 の飴 地を 有 す るこ とは 十分 認め るけ れ ど も 、 そ の改善 は組 合 の統 合 な し に行 ふ べ
一き であ る。 改 革 案 は組 合 の統 合 を非 常 に鹿 沢 な領 域 に ま で 及ぼ さう と し てる るが 隔 それ が失 敗 の道 を辿 る こと は
必定 で あ る。 次 に 、等 級制 度 を 設 く べき 必要 も大 に、認 め るけ れ ども 、法 案 に見 ら る ﹂保 険 料率 は ケ ー ニヒ スベ ル
ク の経 験 に 照ら す と安 富 を 訣 く 。 通常 保 険 料 率 が 除り 低 過 ぎ る。と れ で は恐 ら く ど の組 合 も立 っ て行 く ま い 。結
の
局 .通 常 保 険 料 の四 倍 も 五倍 も に及 ぶ特 別 保 険 料 を徴 牧 t なく てはな ら なく な る だら う 。 建 物 評債 に つ い ても法
案 通 り に 短 期 間 に完 了 せ し め る こ と は 不 可 能 であ 各 、 等 々 の反 鉗 意 見 を 陳 べ て み る 。 だ が 、 プ レ ス ラ ウ 政 府 の 高
歴 的 な 反 封 の 態 度 に 比 し て 、 こ ﹄ に ほ 著 し い 理 解 的 開 明 的 な 意 見 が 多 く 見 出 さ れ る 。 併 し 乍 ら 、 こ の答 申 に 添 へ
て 、 ケ ー ニヒ スベ ル ク 州 政 府 が 組 合 の實 際 に 現 に 捲 當 し て み る経 験 者 の 意 嚮 を 傳 へた い と て提 出 し だ る ヶ ー ニヒ
ス ベ ル ク ・東 プ ロ シ ャ ー般 地 方 火 災 保 険 組 合 総 理 事 ド ウ ナ (
∼ O爵 言 )氏 の 改 革 案 批 判 は 、 ケ ﹄ ラ ア 案 を 峻 拒 す る
地方 の保 険 料 率 を引 上 げ て一
のみ 行 はれ 得 る。 ま た 、法 案 の規 定 す る組 合 の管 理機 構 は徒 に事 務 を 煩雑
全 ぐ 激 し い態 度 を露 骨 に 示 し て み る 。 即 ち 、.北 づ 、 法 案 の要 請 す る都 市 と 地 方 と の統 合 は た 嘗 地 方 の犠 牲 に 於
て1
に し費 用 を嵩 大 せし め從 って保 険料 率 を 高 く す る がけ のこ とで あ る 、等.
々と實 例 を引 い て改革 案 を 組 香 し 、次 の
言 葉を も っ て結 論 と し てみ る。 ﹁地 方組 合 の管 理 は僅 な人 手 で も っ て簡 軍 に明 白 に貴 賓 に迅速 に秩 序 正 しく 行.
は
れ て居 り 、 そ こで は人 々.は 寓¢ユ5 。建ψ器 を重 ん じ てや っ てみ る。 從 って慈 善 的 目 的 が達 せら れ てみ る。 ⋮ ⋮⋮
の
九五
第 一號
.
九五
か から ﹁東 プ ロシャ ・リ ト ヲ ニア地 方火 災 保 険組 合 は国 王 によ っ て實 行 され てる る現 在 の組 織 のま 玉 に放置 さ る
第 五 +巻
べ き で あ っ て ハ こ れ を 新 し く 改 革 す る 必 要 は 毫 も な い と 主 張 せ ざ る を 得 な い 。﹂
下 イ 甥封建 制末 期 に於 け る保険 機 構 の攣容
3)SchmidらS.3s2-315.
4)SclllnidtンS.315-5【7,
穿
・謀 制末期に於 け藻 瞼羅
の馨
﹁
第五春
空ハ
笙 號
九六
最 後 に ボ ツ ツグ ム政府 の答申 が九 月 三 十 日 に到 着 し た 。 これ も 六十 八 項 目 に及 ぶ詳 細 且 つ根本 的 な意 見書 であ
った が 、内 容 は 大燈 ケ 一 員ヒ スベ ルク政 府 の それ と同 様 で あ った 。 先 づ 、法 案 に於 け る組 合 の続 合 に よ っ て新 し
く 生 れ る組 合 は除り に も擾 大 され 過 ぎた 事業 範 園 をも っこ と に なり はし な いか と の警告 を興 へ、 これ に封 ず る自
己 側 の意見 と し て、 組 合 の事 業 範 囲 は危 険 の種類 ・程 度 に 鷹じ てこれ を分 つ べき であ る。 例 へば 、都 會 と田 會 、
ま た は価 同 じく 都會 で も大 都會 と小 都會 と の間 に は避 け 難 い本 質 的 な危 険 の相 違 が横 って み る。組 合 の統 合 は こ
の本 質 的相 違 を 無視 し やう と す るも のであ る。 と主 張 し、 吹 に 、等 級保 険 料 制度 に つ いて は そ の必 要 と そ の確 立
の困難 さ と は十 分 これ を認 め るも のであ るが 、改 革 案 のそ れ は全 く都 會 加 入 者 に不當 の負 憺 を か け る やう に出来
て み る (この鮎 ヶー ¶
﹁ヒスベ ルク組合 の見方と正反封である)ゆゑ 、贅 同致 し難 い。 更 に、`新 法案 は再 建義 務 を免除 す る
と いふ の であ るが 、 これ は罹災 毎 に家屋 数 を減 少 せし め る 傾向 に導 く 。 この 傾向 は軍 に 一般 靴會 経 済 問 題 か ら だ
け でな く軍 事 的 關係 上特 に由 々し い問 題 を惹 起す 虞 が あ る。同 様 の趣 旨 から 新 法 案 が保 険 便 額 未満 の保 険金 額 の
取 極 め を許 容 し てみ る のも姿 當 でな い。 こ の ほか 、 ポ ツツ ダ ム政府 は、保 険 料 徴 牧 手績 ・建 物 評便 方 法 ・免 責 歩
コ
合 ・組 合管 理 事 務機 構 等 に つき ﹂ 々詳 細 な 批判 を與 へ夫 々野立 また は修 正意 見 を陳 べ て み る鵬 、更 にま た 、 丁度
ケ ー 昌ヒ ス ベ
`
ル ク 政 府 が な し た と 同 じ や う に 、 現 場 櫓 當 者 の意 見 を 参.
考 に供 し た いと て、 ク ー ル マア ク地方 火 災
保 隙組 合理 事 長 ホ ス (
♂ ︽。.
ゆ
)氏 の ケ ー プ ア 改 革 案 批 制 を 本 答 申 書 に 添 へ て 逡 っ て み る が 、 こ れ も 亦 、 改 革 案 に 封
ず る頗 る 峻 厳 な 反 射 的 態 度 を 露 は に 示 す も の で あ った 。 例 へば 、 改 革 案 に 於 て は 、 從 來 の 火 災 保 険 施 設 は 除 り に
も 小規 模 の組 合 に分 立 され 過ぎ てみ るか ら被 保険 者 へ の給 付 や 支彿 が困 難 ま た は歴 々不 能 に な ると 言 ってみ るけ
齢
5)Schmidt,S.3【7-324.
、
\
れ ども 、 これ 健全ぐ 正 じゃ な い鳳 ℃ のや うな 非難 ば吾 々實 際 憺當 者 の誰 に も當 ては まら な い。 少 く と も ク ー ル マ
ー ク州 蕾組合 に於 ては さ う であ る﹃.一八
.〇 六年 の 不幸 な る戦争 の初 ま るま で當 組 合 は規律 正 しく 且 つ迅 速 に損害
の填補 に當 っ てみ て 支辨 を後 ら した こ と など は 一遍 も な いっ更 に、.従 来 の建 物 は危 険 程度 に著 しく 均衡 を失 七 て
附 保 せ ら れ てる ると り こと であ る が、、
自 分 た ち は その や う な問 題 で保 険 契 約者 から 一度 も 苦情 を持 込 ま れた こ と
な どな いっ却 って、 改革 案 が合 理的 なも のと して 示 し て.
みる 等 級保 険 料 率 こ そ全 く ↓方 の側 に のみ 立 ち都 會 の事
の
.
情 を 全く 無 視 す る不 合 理 な作 成 であ.
る。 等 々、 一言 一句 み な ひ ど い反抗 的 態度 を表 面 に現 し て み る。
八
か やう に 州 政府 や 組 合 業 務憺 當 着 た ち か ら の答 申 は プ ロ.シや政府 に ど つて 一般 に不 利 で あ った が、併 し 、 そ の
軍 純な 高 歴 的乃 至 反 抗 的態 度 から 出 た批 判 を 別 と すれ ば、 改革 案 の包 藏 す る缺 陥 を 衝 いて み る顯 も あ り 、從 っ て
プ ロシ ャ政 府 當 局者 に射 し或 る問 題 で は確 に 反省 の観 會 を與 へた のであ る。 いま 、 こ恥 を 草案 者 の ケ ー プア の立
揚 に つ いて見 るも 、彼 は 一.八 = ハ年 六月 三十 日彼 の長 官 に 提 出 し た る畳書 に 於 て 、 ﹁州 政 府 及 び組 合 理事 長ら の
反 封意 見 を 検 討 し そ の申 出 で た る修 正個 所 のう ち 今後 の改 革 に つ い て本 質 的 な るも のあら ば これ を用 ひた い﹂ と
第 五+巻
九七
第 一號
九七
Schmidt,S.329.
述 べ てみ る程 であ レ 、
.例 へば 、組 合 の統 合 に關 し ても 内彼 は彼 の提 案 せ る組 合事 業 範 囲 を 必 ず し も完 全 と は 考 へ
す 計 雷 を攣 更 し て 番 い ﹂と さ へ 思 った ゆ.
即ち 、彼 は、 州 政 府 の.意 見 を幾 分 適 格 な も のと思 ひ、都 會 と田 舎 と を統
合 す る場 合 に は 、、
各 政府 別 に夫 々組 合 を 設立 しな く て はな らな い。 ま た 、.同 一州 にし ても 當 該 地域 に 一般 的 な建
.
築 様 式 に從 ひ 、例 へば 、大 都市 のため の組 合 、小 都市 のた め の組合 、村 落 のた め の組 合 と いふ 如く 数 個 の組 合 を
ド そツ封建制末期に於ける保険機構 の狸容
.
Schl皿idt,S.324-327.
6)
1)
■
ドイ ヅ封建 制 末期 に於 け る保険 機 構 の受 容
第 五 卜巻
九八
第 一號
九八
み
建 設 し な く は な ら ぬ だ ら う と 、 大 禮 ポ ツ ツ ダ ム州 政 府 の 意 見 に 近 い 考 へ方 を 示 す に 到 っ た の で あ る 。 と こ ろ が ﹂
コ
改 革 は 實 際 に は 容 易 に 實 現 に 向 は な か っ た 。 こ の 場 合 、 塾 ル デ ン ベ ル ク が 一八 一 一年 に抱 い て み た や う な 強 い 火
の
災 保 険 組合 改革 熱 を そ のま ﹂堅 持 し続 け てみ た か どう かは 遺憾 乍ら 知 る由 がな いが 、 最 初 から 本 問 題 に直 接 關 係
し て みた内 務 大 臣 ッ ユツ ク マンと顧 問 官 ケ ー ラ.ア と は ,改 革案 の根 本 法 則 は不 動 のも のと し、 可 及 的 に こ の線 に
滑 ふ ぺ.く そ の後 の永 い間實 際 運 動 に當 り 、 實 に幾 多 の苦 辛 を彿 ひ墨 力 した 。併 し、 反 対 側 の組 合 捲當 者 ら に於 け
の
る歴 史 的 所産 や慣 習 や に 鮒 す る頑迷 な固 執 と 、 公 共 の幅 利 のた め に私 益 を犠 牲 に供 す る襟 度 の狭 小 な る こ と 玉 に
よ って、組 合改 革 は著 し く手 間 取り 断乎 た る實 行 を屡 々阻 ん だ ので み る。 プ ・シ や國 一般 火災 保 険組 合 法 と州 火
切
災 保険 組 合 法 と が議會 に提 出 され た のは 、そ れ か ら實 に十 数年 も経 過し た後 のζ と であ った 。
併 し、 た と へ多 く の困 難 を伴 って みた と は い へ、個 人自 由 主 義 的 合理 主 義 思想 の護 展 と こ の思 想 を 罷 現 し て客
次・握 蛋 ・⋮
べ㌻
改革・⋮
外
、
郵
心
鼠
しては・
蕃 ・夢
観 的 に登場 し た イギ リ ス流 の動 産保 険制 度 のド イ ツ に 於け る進 展 と は、當 局 者 の貴 い努 力 と相 俟 っ て、各組 合 に於
・晶 性茅 ・ 組食
丙, 2 3
3 3 3
・3
9 3
"量 爵
鴫
・不奉
の都市 醤
・そ
そ・・
封建的・ 舞
制 は ・輩
鼠 鼠 3a S
す るに ・先 づ ・保 竪
一ヒ スベ ルク.ス・
アッチ ン・ブ レ ス・
7ウ等)を 例 外 と し て 、 プ ロ シ ャ の火 災 保 険 組 合 の大 部 分 に 於 て撤 贋 さ れ た 。 次 に 、
面 面岨 ㎜漁
果 を表 面 ・ 現 す やう にな った・ いま 、・れ を翳
等 級 保 険 料 制 度 は 主 と し て 地 方 の 各 組 合 に 於 て實 に種 々各 様 で は あ っ た が 、 三 級 乃 至 九 級 制 を と っ て 愈 々 樹 立 實
翫 翫 翫 且翫
) ) )) )
23 456
h h h d h
施 さ れ る に 到 っ た 。 そ し て 、 組 合 の統 合 、 こ れ は 最 も 後 れ て 寧 ろ 十 九 世 紀 後 半 に 入 っ て實 に 大 規 模 に 展 開 さ れ て
の
み る 、 こ れ が た め に 賀 に 約一一白 六 十 の 新 法律 ま π は 改 正 法.
が制 足 さ れた程 で あ る 。 これ ら の改 革 ま た は蛋 民 に っ
を有 力 な馨
それ だけ 、 そ の途 走
の啓 蒙 的 禽
謬
保魑
A・の改 革 嘆
遭 遇し だ け れ ど も 、 そ の後 は徐 窄
と し て起 つたド ・ッ 公 螢 盗
幾 多 の困 讐
九九
笙
號
それ が
ら震
提供 ?
九九
あ
。.
いて の考 察 は いグれ 他 の通常 な機會 に護 り . こ 玉では紙 面 の都 合 上 ﹂れ 以上 の救 述 を 避 け 掩 い。
か や う に・ ハルヂ.
ソベ ㌻
啓蒙 的 で時 流 に先 んじ て 無
を 辿 って行 っ た。 が 、 要 す る にそ れ が封 建 的 機構 から 個 人 主義 資 本 主義 的機 構 への獲展 過 程 に 於 け る中間 的存 在
と し て の意味 を も つべく 運 命 づ け ら れ て るた 限 り に於 て.、既 に 、當 然 の こと ﹂し }
﹂、.
二 つ の大 き な問 題 を そ の う
今 日.
に到 るも 現 に な ほ多 く の 困撃
ち に含 ん ℃ み る の であ った。 そ の 一は 、後 戻 した る 公螢 火 災保 険 組 合 が いま や私 的保 険會 祀 と 激 し い競争 に入 る
べく 約 束 づけ られ てる た と いふ ・と であ っ㍉ ・ ・ の問題 は覆
るβ そ の二 は 、・
資 本 主義 が生 成 過 程 に あ るとき こ そ、 私螢 保 瞼 が推 賞 され 、反 封 に、.
公螢 探 険 が 多く の非 難 に も
甘じ なく ては なら なか った が 、資 本 主 義経 済 が いま や高 度 蛮展 の段 階 に 入り それ 自膣 矛盾 を曝 露 し始 め ると、 今
度 は 、本 來 個 人主 義 的自 由 思 想 に基 いて出 て来 た と こ ろ の私螢 保険 に射 し て激 し い反 封 の聲 があ がり 、却 って 、
公螢 保 険 組 合 こそ最 も 望 ま し い形 態 であ ると の反 動 的 議論 を生 む や う に な った と いふ こ と であ る。 一八 八 一年 の
助
ア下 ルフ ・ワグ ナ ア の保 険國 螢 論 は こ の最 適例 であ っ て、 彼 は實 にそ の實 誰 的 根 嫁 を公 螢 火災 保 険 組 合 の統 計 資
料 に 求め 、そ の結 論 と し て私 的保 瞼 禽 肚 組 織 や等 級 保 険 料制 度 や に鉗 し て彼 の画 家 脱會 主 義 的 立場 から 全 ∠痛 烈
な非 難 の聲 を 浴 せ かけ.
て る る。 と こ ろ で、 こ のワグ ナ ア的 な 立場 から のこ の問 題 も 亦 、表 面 は 今 日 の ナ チ ス経 済
第 五 +巷
に於 ては 止揚 され 蓋 し てる ると は言 はれ っ﹂、 な ほ、 適 正保 険 料 率 の問 題な どに 闘嚇 し て 、決 し て全 面 的 解決 を
見す 淺 され た る重 要な 問 題 と し て吾 々に 示 され て み る の.で あ るぼ ,
ドイ ツ封 建 制末 期 に於 け る保険 機構 の攣 容.
・S・3・
甲ese・'・.P「cussen・.19.・
讐 ・s' ・…
。h。四ng。w_、1,、89,,・.、3,、
,・。。dd。,V。.,、
乙.27.。,S Lie
A.糊
詔9£ 響
夏 島,締
7)
8)
9)
10)
Fly UP