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時代はゲノム解析を駆使した 「テーラーメイド投薬 」へ

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時代はゲノム解析を駆使した 「テーラーメイド投薬 」へ
Special Features 1
進化する薬
巻頭インタビュー
構成◉飯塚りえ composition by Rie Iizuka
千葉大学大学院薬学研究院遺伝子資源応用研究室教授
斉藤和季
時代はゲノム解析を駆使した
「テーラーメイド投薬」
へ
最近、チンパンジーが食物とは明らかに異なる植物を口にすることが分かってきた。その植物には人間の
薬に使われている成分が含まれているという。つまり、薬の概念はヒト以前に存在し、そのほとんどは植
物由来のものが多い。さらに作用のメカニズムは不明ながら経験的に使用されているものも少なくない。
しかし、さまざまなゲノムの解析が可能になった現代、薬の仕組みも徐々に解明されつつあり、より効果
的な薬が開発されている。
薬の歴史は非常に古いものです。歴史的に重要な薬
れて救急車で運ばれたことがありますが、その時、モ
を振り返ってみると、例えば消炎鎮痛薬として初めて
ルヒネを注射されました。自分で使用したのは初めて
化学合成されたアスピリンという薬は、アセチルサリ
でしたが、痛みがさっと引くその薬効に感心した経験
チル酸という物質から作られています。サリシンとい
があります。
うサリチル酸の配糖体がヤナギの木に含まれており、
他にも、ペニシリンはカビ由来ですし、鉱物や動物
紀元前 400 年ごろに、ヤナギの樹皮を消炎のために用
由来の薬もあります。このように、薬は天然資源から
いたという記録もあるほどです。またエフェドリンは、
作られることが多く、中でも数として圧倒的に多いの
漢方でも生薬として使われている麻黄に含まれる有効
が植物です。
成分で、日本の薬学の祖ともいわれる長井長義が、麻
しかし同じ植物由来とはいえ、薬は、西洋と東洋に
黄からの単離抽出に成功しました。モルヒネもよく知
おいて独自の発展を遂げました。いずれも草の根や樹
られていますが、ケシから抽出されます。非常に優れ
皮といったいわゆる生薬を使います。
た薬です。私はイギリスに旅行していた際に腹痛で倒
偶然の発見の積み重ねが生薬になる
ちなみに生薬というものが何なのか、よく分からな
斉藤和季
(さいとう・かずき)
1977 年東京大学薬学部製薬化学
科卒業。同大学院薬学系研究科に
進学。82 年薬学博士号取得。85
年 4 月千葉大学薬学部助手。87
年ベルギー・ゲント大学分子遺伝
学教室博士研究員として植物分子
生物学および遺伝子組換え研究に
着手。千葉大学薬学部講師、教授
を経て、95 年 4 月より現職。2002
年よりかずさ DNA 研究所特別客
員研究員兼務。05 年より理化学
研究所環境資源科学研究センター
統合メタボロミクス研究グループ
ディレクターを兼務し、メタボロ
ミクス研究に本格的に着手。
2
いという声を耳にすることがありますが、それは生薬
が精製されていないからです。英語では「crude drug」
、
文字通り
「生の」
薬です。つまり生薬というのは、ある
単一の成分と薬効が一対一で対応するような薬ではな
く、さまざまな成分が含まれているのです。そしてお
腹が痛い時に、ある植物を口にしたら治ったというよ
うな偶然の発見が積み重なって記録されたものなので
す。
生薬というと漢方を思い浮かべる方も少なくないと
■『神農本草経』における生薬の分類
養うものであって、使い方次第で無毒にも有
上品
120
君
生命を養い無毒。
多服久服してよい。
甘草、人参、桂皮、柴胡
軽身益気、
不老長寿
中品
120
臣
性(体力)
を養う。
使い方次第で無毒
にも有毒にもなる。
病気を予防し疲労を補う
当帰、 薬、麻黄、 根、苦参
下品
125
佐使
治療薬。
有毒であり長期服用しては
ならない
大黄、附子、半夏、杏仁
上品に並ぶのは、食品にも使われるような植物。体を整えることに重きを置く
東洋的な思想が見える。
毒にもなります。病気を予防し疲労解消を助
けます。ここには、香りが非常に良く、婦人
病によく使われる当帰、花の 薬の根っこ、
先にも触れた麻黄や、風邪薬でよく知られて
いる 根が含まれています。
最後は下品。125 種ありますが「佐使」とい
思います。中国では、 1 世紀ごろ『神農本草経』という
われ、つまり召使いです。これは治療、治病薬である
書物が作られました。生薬の素材について書かれたも
とされています。有毒であって長期間、服用してはな
のですが、その後、これをもとに診断や治療の体系を
らない、病気になった時に使うものとされています。
記した
『傷寒雑病論』
(後に扱う内容に従って
『傷寒論』
例えば大黄という生薬は、現在でも便秘薬などに使わ
と『金匱要略』
)や『黄帝内経』が出ます。その後、明代
れているものですが、悪いものを食べてしまって、す
になると
『本草綱目』
という書物が記されます。生薬で
ぐに排泄したほうがいいというような時に使う生薬で
ある植物をどのように利用するかを著したものです。
す。また附子はトリカブトですし、他に下品に含まれ
英語で、生薬学は「pharmacognosy」といいます。
る半夏にも毒があります。アンズの種である杏仁(杏
「pharmaco」
は
「薬の」
、
「gnosy」
は、ギリシア語の
「知識」
核仁)には、シアン配糖体が入っているなど、やはり
の意である「gnosis」に由来します。つまり、現在「生
有毒な生薬です。
薬学」
とされている言葉の元々の意味は、
「薬の知識学」
薬への向き合い方が異なる東洋と西洋
なのです。かつて、薬といえば生薬を意味していまし
たから、薬の体系学、薬学自体がすなわち生薬学だっ
ここまで見て分かるように、
『神農本草経』
によれば、
たというわけです。それが成分を単離できるように
一番良いのは不老長寿を支えるものだということ。つ
なって、さらにその成分を合成するといった現在の薬
まり、根底には医食同源という考え方があります。現
学、薬理学という分野に発展してきました。
代の私たちが病気を治そうとして使っている薬はすべ
先述の
『神農本草経』
に話を戻しましょう。これは医
学と農業の祖とされる炎帝神農(伝説上紀元前 2700 年
て下品の薬であって、
『神農本草経』
の立場からすれば、
薬の最も望ましくない使い方だというわけです。
ごろ)
が著したとされています。ここでは薬を
「三品分
付け加えれば、東洋的な思想では日常的な摂生とと
類」といって 3 種類に体系化し、甘草や麻黄といった
もに、人間を全体として診て治療するという体系を
365 種の生薬を「上品」「中品」「下品」と分類していま
持っています。
東洋医学では、
実証とか虚証などといっ
す
(上表参照)
。
て、体をパーツで診るのではなく、いってみればその
まず上品というのは、上薬 120 種が含まれます。こ
人の持つ体質やその時の身体の様子など全体を診てい
れらは
「君」
と称して、薬の中で最も位の高いものとし
て位置づけられています。生命を養う、養命薬であっ
て、強い作用がなく無毒です。たくさん服用しても、
またずっと飲んでいてもよいとされるものです。それ
によって、身を軽くして気を養う、つまり
「軽身益気」
という効用が得られ、不老長寿を支える薬です。甘草
や朝鮮人参が知られていますが、他にシナモンパウ
ダーなどで知られる桂皮、それにセリ科の生薬で柴胡
などが含まれます。
中品というのは
「臣」
、真ん中の位です。性
(体力)
を
左から甘草、大黄、桂皮、薬用人参。
3
くというところがあります。
同じ 1 世紀前後、西洋では古代ギリシアのディオス
洋一辺倒だった薬学や医学においても、個体としての
コリデスが
『マテリア・メディカ』
を編纂しました。近
状態を重視する東洋的な考え方も導入され、
双方の
「い
年まで用いられた書物で、西洋における薬草学に最も
いとこ取り」をしようという方向を模索しているのだ
影響を与えたといってもいいでしょう。600 種の薬用
と思います。
植物について記載されており、内容にはアラビアやイ
創薬の歴史に劇的な変化が訪れた
ンドの文献に由来する記述もあります。
『神農本草経』
の西洋版といったところで、掲載されている植物にも
同じものがいくつもあります。
4
ることも見えてきています。ですからこれまでは、西
モルヒネの単離以降、 薬には生化学の時代が訪れ
ました。フレミングが 1928 年に青カビから抗生物質
しかし分類の体系は大きく異なります。東洋医学で
「ペニシリン」
を発見したことに始まり、ビタミンやホ
は、薬効で、生薬つまり植物を分類していましたが、
ルモン、抗体などのタンパク質といった生体成分を薬
西洋の場合、植物そのものの自然形態による分類が中
として利用するようになってきました。さらに 2000
心です。
『マテリア・メディカ』
では、花や葉の形を見
年代以降、ゲノムの解析によって、病気に関わる遺伝
て、それを区別、解析していくといった記述があり、
子を同定してその遺伝子の機能を増減させる薬物を使
西洋ではそれが植物学に発展していきました。
うというゲノム 薬や、コンピュータ支援による分子
もうひとつ西洋と東洋とでは薬への向き合い方も大
設計、多数の化合物を一度に合成するコンビナトリア
きく異なります。西洋では病気の治療に主眼を置いて
ル合成とハイスループットスクリーニングという 3 つ
いるので、例えばモルヒネのような効果の鋭い薬を好
の手法が開発され、 薬の歴史に劇的な変化が訪れま
んで使います。他方、東洋では先に見たように薬は病
した。
気にならないためのものです。ですから、薬に対して
またテーラーメイド医療というコンセプトが生まれ、
の考え方も異なり、東洋では、いってみれば多数の化
投薬においては、患者のゲノム情報から体質を判断し、
学成分を含んだ生薬を患者の状態に応じて組み合わせ
それに適した薬を処方するという方法を模索するよう
て使っていくという方向に発展した一方、西洋的な視
になってきました。私は、日頃から、薬学は非常に遅
点では、その植物に含まれる多くの化学成分中でいっ
れを取っていると感じています。いろいろな体型、体
たい何が有効なのかを突き詰めていく方向に発展しま
質の人がいるにもかかわらず、一般には
「大人」
であれ
した。ここには薬学に限らず、広く、分子メカニズム
ば処方される薬は、誰もが同じように毎食後1回飲み
に基づく西洋の要素還元主義が色濃く表れているとい
なさいなどと言われます。しかし、これはよく考えて
えます。
みれば一人ひとりのゲノムで規定されている代謝速度
例えばモルヒネは、未熟なケシの果実から分泌され
などを無視した処方の仕方です。アルコールの代謝を
た樹液を乾燥して精製させたアヘンに含まれる成分で
考えれば想像しやすいのですが、ビール 1 杯でほろ酔
すが、アヘンからモルヒネを単離することに世界で初
いになる人もいれば、日本酒を 1 升飲んでようやく酔
めて成功したのはドイツの薬剤師、ゼルチュルナーで
いが回ってくる人もいます。とすると薬の場合は、
「誰
す。この出来事は、近代有機化学の出発点といえるで
もがコップ 1 杯のビールを飲んで、同じ酔い方をしな
しょう。
さい」
と言われているようなものなのです。
ただし、現代ではこの要素還元主義は行き詰まりつ
今、カンプトテシン
(塩酸イリノテカン)
という抗が
つあるともいえます。要素に還元し、それを再構成し
ん剤では、その患者さんのゲノムの情報から代謝速度
ても、元通りにならないからです。病気の診断でいえ
を想定して投与計画を立てる研究が行われていますが、
ば、従来の診断では、胃がんだとしたらその部位しか
そうした研究はまだ本当に一部です。いずれは自分の
診ていません。各臓器の機械論的診断になるのです。
ゲノムの情報から、この人のこの薬の代謝能力はどの
しかし現代では、そのような診断に不都合が生じてい
くらい、この薬に対する感受性はどのくらい、という
Special Features 1
進化する薬
ことが分かり、処方にも生かされる
ようになるべきだと思います。
私の専門は、主に生薬をゲノムの
メタボロミクス、特に植物におけるそれを解明することは、薬のみならず、
さまざまな形で私たちの暮らしに貢献するものだろう。
■図1 植物メタボロミクスとは何か
観点から明らかにしようというもの
です。ある状況下の細胞内にある全
RNA を ト ラ ン ス ク リ プ ト ー ム
(transcriptome)
といい、また生体内
植物メタボロミクス
光合成に依拠した植物の
自立的な物質生産性
代謝物の網羅的分析
バイオインフォマティクス
他のオームとの統合解析
生存戦略に基づく植物の
化学的多様性
で酵素の作用で起きる化学反応に
よって作られる代謝産物(化学合成
新規遺伝子機能やネットワークの発見
新規生理活性物質や新規代謝経路の発見
細胞のシステム的理解、
システム生物学
作物や多様性資源植物への応用展開
物質)全体をメタボロームといいま
すが、現在、私は植物におけるこれ
らの研究をしています。 薬におい
て過去 30 年ほどのデータを見ると
新薬の 60% は天然からの化学成分、
あるいはそれを模したものです。中
でも植物由来のものが非常に多いこ
食糧
(2050年の人口90億)
ローインプット生産
健康機能の付与
バイオ作物の評価
医薬品
(60%の新薬が天然由来)
創薬リード化合物
ケミカルライブラリー
薬用・健康機能植物
工業・エネルギー
(脱化石資源・燃料)
バイオエネルギー
バイオリファイナリー
CO2削減
とからも、植物に焦点を当てる理由
は理解できると思います。
化学的多様性を備えた植物は薬の宝庫
では、どうして植物由来のものが多いのかというと、
2 つ目に、植物は微生物や昆虫、動物や人間など捕
食者となる外敵から身を守るべく、特異的な生物活性
の高い成分を生産するようになりました。動かない代
わりに化学防御という機構を発達させたのです。この
それは、植物における二次代謝物が、他の生物に比べ
二次代謝物によって、微生物や昆虫は近づかなくなり
て圧倒的に多く、その総数は 20 万から 100 万種ほど
ますし、人間でしたら二度と口にしない、となるので
もあると見積もられているからです。ヒトのメタボ
す。捕食者に何らかの刺激を与え、時には攻撃するた
ロームが 5000 程度であることを考えれば、植物の代
めのものですから、いってみれば毒性があるのです。
謝物の多さは推して知るべしです。
そして毒性があるというのは、つまり生物に作用して
ではさらに、どうして植物の代謝物がそれほど多い
反応を起こす非常に強い生物活性があるということに
のか、言い換えれば化学的多様性を持ってさまざまな
他ならないのです。そこで植物の二次代謝物は薬に利
種類の化学成分を大量に生成するのかといえば、それ
用できるということなのです。
は植物が
「動かない」
というユニークな生存戦略を採っ
たからです。
まず植物は、動かずに
「食料」
となるものを得るため
さらに、植物はそれぞれの種がユニークな二次代謝
物を生成します。
植物がすべて、
同じような毒性を持っ
た化合物を生成すれば、捕食者もその毒に適応してし
に光合成経路を発達させ、二酸化炭素などの無機物か
まい、攻撃を防ぐことはできません。ですから植物は、
ら糖、脂質、アミノ酸などの有機物を生産するようにな
そのゲノムの中に、他の植物とは違うユニークな化学
りました。例えば地球上で最も多いタンパク質は、一
物質を生成するというプログラムを持っているのです。
般によく耳にするようなコラーゲンでもケラチンでも
これはつまり同じように神経を遮断する物質だとして
なく、ルビスコといって二酸化炭素を固定する酵素タ
も、活性が異なるために作用も異なる物質だというこ
ンパク質です。いうまでもなく植物の光合成の仕組み
とです。これを人間の薬に置き換えてみれば、一方は
を司るタンパク質です。これを取ってみても、植物の
筋肉の動きを止める、他方は特異的に眼の神経を遮断
化学合成の活動が活発に行われているのが分かります。
するなどといった異なる機能を持っているということ
5
甘草特有の甘みを生むグリチルリチンは、グリチルレチン酸を中間体としている。グリチルレチン酸は、グルクロン酸部分を分離した構造になっ
ており、糖がついていない。グリチルレチン酸は、多くの植物に見られるβ - アミリンが酸化されて生成される。そこに関わる、CYP88D6 と
CYP72A154 という酸化酵素を発見した。
■図2 グリチルリチンの予想生合成経路
β-アミリン合成酵素
CHO
OH
11-オキソ-β-アミリン
H
O
2,3-オキシドスクアレン
H
O
HO
O
HO
H
HO
COOH
30
11
O
H
OH
3
HO
COOH
H
β-アミリン
H
HO
配糖化
O
H
GlcUA-GlcUA-O
グリチルレチン酸
H
COOH
グリチルリチン
CYP88D6が触媒する反応
HO
HO
CYP72A154が触媒する反応
は、この甘草に特有のグリチルリチンの化学合成の
になります。
そして植物の二次代謝物が持っている、生物活性が
強い、化学構造がユニークであるという特徴は、取り
も直さず、薬が持っているべき性質そのものなのです。
遺伝子を明らかにすることに成功しました
(図 2)
。
さらに、この酵素を酵母に入れてグリチルレチン酸
化学活性が強ければ、微量で神経を遮断することがで
を生成することにも成功したのです(図 3)
。β-アミリ
きますし、耐性が出ても、化学構造が多様であれば、
ンは、比較的多くの植物で見られますが、CYP88D6
他のものを探すことができます。
と CYP72A154 は甘草にしか見られない酵素だったた
希少成分をバイオテクノロジーで合成
め、グリチルレチン酸も甘草でしか合成されなかった
のです。逆にいえば、この酵素遺伝子を組み込むこと
これほど有用である植物の二次代謝物ですが、実は
でグリチルレチン酸を合成することができるのです。
有効とされている成分の合成過程が具体的に解明され
私たちは、少なくとも甘草という植物を使わなくて
ているものは、まだわずかです。私たちが行っている
も、バイオテクノロジーを利用してグリチルレチン酸
メタボロミクスという研究は、それを解明しようとい
を酵母から合成することができるということを証明し
うものなのです。次にその研究による成果を説明しま
たのです。
しょう。
また、メタボロミクスの研究によって、発がん物質
甘草という植物があります。中国東北部からスペイ
を解毒する酵素の働きを高める
「グルコシノレート」
と
ンに自生し、日本には自生しない、最も重要な生薬で
いう物質の生合成においてキーとなる遺伝子を発見す
す。主活性成分のグリチルリチンは、甘草の地下茎な
るなどといった成果もあります。これによって、がん
どから抽出されるトリテルペン配糖体の一種です。漢
予防成分を多く含んだ食物を作るなど、さまざまな可
方処方では実に 7 割に配合されており、抗炎症、抗肝
能性が期待されます。
炎作用もあることから医薬品や化粧品に幅広く用いら
こうして甘草のグリチルレチン酸は、どういった代
れています。それ以上に天然の甘味料として、食品製
謝系がどのように関わっているのか、前駆体にはどの
造の場面でも非常に需要の多い植物です。日本では甘
ようなものがあるのかということが分かったのですが、
草利用を 100%輸入に頼っていますが、現在、主要な
これは従来のような、グリチルレチン酸生成がどのよ
供給元である中国では、自国での需要が高まっている
うに行われるか、という命題のもとに行われた研究の
こと、また自生地の環境破壊が進んでいることから輸
成果ではありません。
「ターゲットがひとつだけでは
出を規制する動きが出始めています。
ない」
、つまり代謝物を網羅的に解析しようというの
*
私たちも参加したオールジャパンの研究チーム で
6
キーとなる CYP88D6 と CYP72A154 の 2 つの酵素の
がメタボロミクスなのです。いうなれば、甘草の中で
*
斉藤和季教授とともに、大阪大学大学院工学研究科の村中俊哉教授、關 光准教授、独立行政法人理化学研究所植
物科学研究センターの澤井 学特別研究員、東京工業大学理工学研究科の大山 清助教らの研究グループによる。
Special Features 1
酵母の中では、酵母自体が合成する 2,3- オキシドスクアレンという中間体からβ - ア
ミリン合成酵素、CYP88D6、CYP72A154 といった酵素をコードする遺伝子を入れる
ことによって、グリチルレチン酸が合成された。
進化する薬
■図3 グリチルレチン酸の酵母内での生成
起きていることをすべて解明しようというのがメタボ
場合もあれば自身で開発しなくてはならないというこ
ロミクスであって、生物のゲノム解析が進む中で、ポ
ともあります。さらに二次代謝物のデータベース構築
ストゲノム研究のひとつとして、昨今、注目されてい
と実物質ライブラリー、生物種ごとの代謝マップの完
る研究分野です。
成によって初めてオーム科学と見なされると考えてい
というのも、例えばシロイヌナズナは早くにそのゲ
ノム配列が 2 万 6000 と決定したモデル植物ですが、
実はそのうち半分以上は、配列から機能が推定されて
ます。
「メタボロミクス」
の可能性
いるのみで、実際に機能が証明されている遺伝子は十
メタボロミクスによって薬、広くは医療も大きく変
数%しかありません。いうなれば、ゲノムの機能はほ
化していく可能性があります。まず既存の薬について
とんど分かっていないということなのです。そしてそ
は、もとになっている物質をメタボロームの視点から、
の解明には、トランスクリプトーム(細胞内の全転写
作用メカニズムを広く議論していくことができますし、
物)
、
プロテオーム
(細胞内で生成される全タンパク質)
例えば、効果はあってもメカニズムが分からないとい
とともに、メタボロームといったいわゆるオーム科学
う薬について、患者のメタボロームを見ることで、ど
(網羅的生体情報に基づく科学)
が必要とされているの
ういう変化が起きているのかという議論はできるわけ
です。今後、メタボロミクスは、遺伝子の機能を同定
です。診断のためのバイオマーカーを見つけるという
するなど基礎科学の領域のみならず、医薬品成分、健
ことも可能になります。
康機能成分の生産や食糧の増産といった実生活にも大
きく貢献するものとなるでしょう。
伝承薬や民族薬など、薬効があるという可能性があ
りながら、そのメカニズムが分からないというものも
ただ、メタボロミクスで扱うデータは化学的に多様
今後メタボロミクスによる解明が進めば、薬の幅も格
です。そのため、DNA シーケンサーや DNA チップ
段に広がることとなるでしょう。先に西洋と東洋の薬
といった単一の解析技術がありません。多くの場合、
の歴史において、要素還元主義と全体システム主義に
ガスクロマトグラフィー、高速液体クロマトグラ
ついて述べましたが、ゲノム科学によってシステムを
フィーといった高性能分析分離システムに、高精度の
構成する要素が有限数に限定できた現代では、その要
質量分析機を組み合わせた装置を用いて解析を行いま
素の属性を解明して、システムとしての振る舞いを科
す。データ量も膨大なので、これまでとは異なるデー
学することができるようになりました。西洋と東洋の
タ処理が必要とされます。さまざまなデータ処理に必
「いいとこ取り」
がそうした形で実現しつつあるものと
要なプログラムなどは、機器メーカーから提供される
考えています。
(図版提供:斉藤和季)
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