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安らぎのありかー戦後50年にっぽん診断書

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安らぎのありかー戦後50年にっぽん診断書
﹁劉釧劉対
が東 京 ドー ムを 包み込 ん
。
﹁信 教 の 自 由 へ の 圧 迫
だ
に 憤 り を 感 じ る ﹂ ﹁宗 教 弾
。
男女
圧と は断 回戦おう ﹂
スタ ンド
が 代 わ る 代 わ る マイ ク を 手
、
に声を 領り上 げ
を 埋 め た 参 加 者 た ち が 一斉
。
に こぶし を 振 り 上 げ た 五
、
創価 学会 青 年部主 任 の
日
。
この よ う な 大 規 峡 集
一ス ト ップ ・ザ ・人 権 侵 筆 ﹂
柴会
会 は 一九 六 九 年 の 学 生 組 織
、
結成大会以来
工十 五 年 ぶ
。 ー
ロラ ビジ ョ
オ
つ の こと
ン に 学 会 員 で あ る サ ッカ ー
5万 5千 人 が参 加し た創
にし た
党 の 政 権 入 り を 初 め て可能
。
、
同時 に 危 機 感 を
細 川 連 立 内 閣 の 誕 生 で公 明
界 再 編 のう ね り は
る わ が 国 初 の 政 党 と し て公
。
明 党 が生 ま れ て 三十 年 政
、
昨年の
宗 教 団体 を 支 持 母 体 と す
対 立招 く集 票 力
価 学 会 青 年 部 主 催 の集 会
︱
︱
東京ド ームで5日
創価
学会
幸 蜂 び 融 迎赫 静 控略 印 独 な
、
他教団の反発を買
し
ば
、
学 会 は青 年 部 を 中 心 に
、
反発し
いま や 日本 宗 教 界
な どが 四月会に大 同団結
、
公然と学会批判をすれ
教 の神 社 本 庁 の 各 政 治 団 体
正佼 成 会
に 続 く 巨 大 新 宗 教 団 体 の立
、
、
霊友会 伝統宗
った い き さ つが あ る 。
展開し
戦後の宗教 界では
場 な ど で 展 開 さ れ てき た
、
﹁政 教 一致 ﹂ 批 判 が 国 会 の
。
、
強 め た自 民党 を 中 心 に 公
明 党 ・創 価 学 会 に 対 す る
第10部
の 流 れ は ﹁政 治 ﹂ を め ぐ っ
頭を 下げた
、
に
。
、
、
て 三分 さ れ る 形 に な った
に 反 応 し 闘 争 す る 魂 が 会 援 の た め そ の つて を た ど
、
。
、
﹁憲 法 の 峡 教 分 離 原 則 は
員 た ち の 底 流 に あ る 今 回 り 岐 串 県内 か ら わ ざ わ ざ
、
国 家 権 力 が 宗 教 に 介 入 す る の 事 態 に み ん な 燃 え て い 駆 け つけ て き た 熱 烈 な 創 価
、
。
こと を 禁 じ た 規 定 で 宗 教 る ﹂ と 説 明 す る 。
学 会 員 こう し た 光 景 は 県
。
の 側 が 政 治 に出 て いく こと
◇
内 各地 で見られた
。
。
を 縛 る も の で はな い い ま
﹁都 築 護 候 補 に ぜ ひ 一票
結 果 は 都 築 氏 の 圧 勝 ﹁学
。
の 国 会 論 議 は自 民 党 が 政争 を ﹂ 新 旧 の 連 立 陣 営 が 激 会 票 ﹂ が 大 勢 を 決 定 づ け た
、
の 具 に利 用 し 四月 会 も自 突 し た 九 月 の 参 院 愛 知 選 挙 と み ら れ て いる 。 名 古 屋 市
.
。
、
民 党 が 水 教 団 体 に た き つけ 区 再 選 挙 投 票 日 前 愛 知 の 四 十 代 の 男 性 会 員 は ﹁国
。
て 作 り 上 げ た も のだ ﹂ 創 県 北 西 部 に 住 む 主 婦 の も と 会 の 証 人 喚 間 要 求 な ど 、 池
、
、
一人 の 女 性 が 突 然 訪 れ
田 ︵大 作 ・名 誉 会 長 ︶ 先 生
。
女 性 と 主 婦 は を タ ー ゲ ット に し た 理 不 尽
価 学会 の 野崎 勲 副 会 長 は 言
。
以前
と思い
谷川 佳 樹 青 年 部 長
語気を強めた
い切 る
も ﹁牧 日常 〓 郎 初 代 会 長 が
ま た ま 一緒 に 入 院 し た
旧
な 動 き に対 す る あ だ 討 ち だ
、
必 死 に な った ﹂ と
。
連立勢力 が推し た都築氏応
岐 卑 市 内 の病 院 にた
。
戦 時 中 の 弾 圧 で獄 死 し た 歴
、
国家 の 介 入 に 敏 感
史から
>>①
の ロ ベ ル ト ・バ ッ ジ ョ選 手
︵イ タ リ ア ︶ ら の メ ッ セ ー
、
ジが大 写し にされ 午後七
、
時半 参加 者 全 員が青年部
、
秋を台 嶋
二時 間 の 集 会 は
。
終 わ った
、
こ の 四 日 前 の 一口 東 京
・
永 田町 の憲政記 念館 で開
か れ た 反 ﹁創 価 学 会 ,公 明
、
党 ﹂グ ル ー フ 四 月 会 の ﹁緊
。
卜
急 フ ォー ラ ム ﹂ 自 民 社
、
会
﹁選 挙
さき がけ 三党 の国会議
、
三分 ず つ
、
員 二十 二人 が 二
交 代 で壇 上 に立 ち
区 で創価 学会 から支援を受
、
、
最近 学会幹
け てきたが
部 から慎重 に行動 するよう
、
恐ろし い団体 と
に言わ れ
思 った ﹂ ︵安 倍 晋 三 衆 院 議
、
員︶
椎
﹁公 明 党 か ら 創 価 学
。
会を引 くと何 も残 らな い
、
宗教団体 が政党 を作 り
て い る ﹂ ︵白 川 勝 彦 衆 院 議
力 を 取 る こと を 憲 法 は禁 じ
員 ︶な ど と 対 決 姿 勢 を 鮮 明
。
にし た
「
「
政教分 離 違憲 」
か 弾圧」
か
会員の家庭 はド アの前
公 明党 の あ る 衆 院 議 員 に
、
よ ると 選 挙 で創 価 学 会 員
、
の住 む 団 地 を 回 る 際 分 刻
み で スケ ジ ュー ル が 決 め ら
、
れ
に 立 って 議 員 が 来 る の を 待
よ ろ し く﹂ と 握 手 し て
、
遅 れ る と 臨 り 場 で時
って い る 。 そ こ を ﹁よ ろ し
、
く
回り
、
党 も ま た 国 政 ・地 方 選 挙
。
で躍 進 を 重 ね た 布 教 と 選
。
挙 その歩 みほコ 一
人 三脚 ﹂
らし
、
ま
。
しかし
、
私 たち はい
何を心 のよりど ころに
、
﹁安 ら ぎ ﹂
し ていいのか
長 期 複 合 不況 の中 で
る
、
だ った よ う に も 見 え 他 県
か ら の ﹁応 援 部 隊 ﹂ 参 入 を
を 求 め て揺 ら ぎ続 け て い
。
、
バブ ル 経 済 が 崩 壊 し
、
世界
はじめとし た創価学会 の選
の先 行 き が 見 え に く く な っ
、
リ スト ラ の 掛
て い る 一方
挙 対 応 に は 強 い批 判 も あ
。
る
◇
け 声 と と も に 日本 的 な 家 族
、
東 京 ド ー ム 集 会 の 一時 間 主 義 集 団 主 義 が 崩 れ つ つ
、
。
、
、
半 前 公 明 党 は 党 大 会 で新 あ る い ま 明 治 維 新 敗
。新
党 移 行 組 と 残 留 組 に 分 戦 直 後 に 続 く ﹁第 二 の 宗 教
、
党 す る こ と を 正 式 決 定 し ブ ー ム﹂ が 起 き 政 界 再 編
。
、
た 創価学会内部 ではいま
に 伴 って 宗 教 が 時 代 の 前 面
、
。
にでてきた だが 宗教 は
公 明 党 一党 支 持 の 見 直 し が
。
進む
ほ ん と う に私 た ち の 不 安 を
ズ の締 め く く り に新 宗 教 や
、
﹁心 ﹂ の
﹁に っぱ ん 診 断 書 ﹂ シ リ ー
。
救 って く れ る の だ ろ う か
﹁自 民 党 支 持 も あ り
、
。
得 る よ う な こと にな れ ば
学 会 員 の熱 気 は 保 てな い
、
学会 も
伝 統 宗教 の現 状
選挙制度も変わり
そろそろ選 挙から解放され
。
問 題 を 探 って み た い
立 性 を 保 つか が 間 わ れ 続 け
。
X × X
戦 後 に つか ん だ 豊 か な 暮
日 次回から3面 に掲載
ても い い の で はな いか 六 谷
急成 長した
、
日
川青年部 長︶という冷めた
。
それで
戦後
声 も出 始 め て いる
、
、
もな お
新宗教 が巨大教団化し
本 の 政 治 動 向 ま で左 右 し か
ね な い 勢 力 に 膨 れ 上 が った
。
事 実 に 変 わ り はな い
靖 国 問 題 に象 徴 さ れ る よ
、
国家が宗教にどう中
計を 見な が ら待機 し ている
うに
地 元 役 員 か ら ﹁ピ ツ チ を 上
て き た 日 本 の ﹁政 教 分 離 ﹂
。
、
し か し 時 代 の大 き
、
巨大教 団がど こ
問題
な 変革 は
げ てく だ さ い﹂ と 巻 き が 入
。
るという
、
戦後
と い う 新 し い テ ー マを 突 き
まで政治 にかかわれる のか
びに合わせるかのように
付け て い る
、
大 衆 福 祉 ・恒 久
高度 経済成 長 の伸
、
剣 価学会 は会 員数を 飛躍 的
に増やし
平和を 掲 げて登場 し た公 明
、
﹁自 分 を 生 か し 社 会 に 東 献 し た い ﹂ ︱ ︱
︲
、
今 年 二月 大 手 商 社 一三菱 商 事 ﹂ の 社 員 四 人
。
″
が 宗 教 団 体 ﹁幸 柄 の 科 学 ﹂ へ 出 家 〃 し た
会 社 の 将 来 を 担 う ホ ープ た ち の い き な り の 転
。
身 ﹁な に が 不 満 で ﹂ ﹁よ く 家 族 が 許 し た な ﹂
、
、
驚 き を 隠 さ な か った が 当 人
と 同僚 た ち は
た ち は ﹁あ り が た く ︵本 部 ︶ 職 員 への 誘 い を
。
日本 経 済 最 前 線
受 け ま し た ﹂ と 喜 色 満 面だ
の企 業 戦 士 た ち が さ ま ざ ま な 宗 教 に ひか れ て
、
。
″
いる が そ の 心 に 何 が 起 き た の か ま る で 精
力 剤 〃 で も 注 入す る か の よ う に 明 代 人 を 活 気
。
づ け る 宗 教 の 姿 を 追 って み る
東 京 都 千 代 田 区 に そ び え る 高 層 の 紀 尾井 町
。
ビ ル そ の 四 階 フ ロア を 占 め る ﹁幸 福 の 科 置
。
大川
総 合 本 部 に は ズ ラ リ と O A機 器 が 並 ぶ
隆 法 主 宰 が 東 大 法 学 部 卒 の 元 商 社 マン で も あ
、
、
、
り 一見 商 社 と 変 わ ら な い が 宗 教 団 体 独
、
鋼 瞥 貿 易 都 主 事 だ った 松
。
〃
特 の 熱 気 〃 が 漂 って い る
、
﹁今 は 毎 朝 戻 ﹁国 も 頑 張 ろ う ﹄ と 目 覚 め
、
。
。
そ り ゃあ 幸 せ な 毎 日 で す ﹂ 三 菱 商 事
る
﹁四 人 組 ﹂ の 一人
島 弘 典 さ ん こ こ は あ っけ ら か ん と 言 って の け
、
。
る 商 社 マン 時 代 を 振 り 返 り
﹁銀 座 で 午 前
、
二時 こ ろ ま で 飲 ん で 歌 って い た あ の 時 間 と
。
お 金 は 本 当 に む だ だ った も っと 自 分 を 大 き
、
く 輝 か せ る た め に 使 え ば よ か った ﹂ と 悔 い
。
て いた
>>②
エ リー トた ち の 転身
薙題そ連彙生姥昌
送 別 会 を し て く れ た 同僚 の 十 七 人 の う ち
、
﹁自 分 の 夢 に 向 か って 生 き る な ん
十 四人 が
、
て す こ い な ﹂ と う ら や ま し が って い た が 松
、
島 さ ん は ﹁み ん な 余 裕 が な く て き ゅう き ゅ
。
う と し て い る 自 分 た ち の 夢 は 何 だ った の か
、
思 い 起 こじ て ほ し い ﹂ と 新 た な 功 活 力 源 ″
。
、
を 見 つけ フ ル 回 転 し て い る
。
﹁四 人 組 ﹂ の う ち 二人 は 海 外 出 張 中 も う
一人 の 食 材 流 通 部 主 任 だ った 蔵 原 徹 志 さ ん を
。
己も い う 衷 蚕社 も 同 僚 も ﹃三 菱 商 事 ﹄ と い
、
生き てい
。
う 名 誉 に 埋 没 し て し ま って い る 社 会 の た め
に 仕 事 を す る と こ ろ の はず な の に
これ か ら
。
妻のい
く 中 で の 時 間を 浪 費 し て い る よ う で す ﹂ と 冷
、 ″
出 家 ″ と と も に ﹁こ
、
ややか に見 ていたが
れ ま で自 分 の た め に 生 き て い た が
は 仏 の た め に生 き よ う と 決 意 し た ﹂
、
、
し て いる し 家 族 に も や さ し く 温 厚 に な っ
。
た﹂ と満 足そう
、
﹁幸 福 ﹂ と ﹁知 性 ﹂ を
﹁霊 ﹂ と ﹁科 学 ﹂
、
ー
巧 み に 緒 び つけ ニ ュ ウ エー プ の 宗 教 と 注
。
目 を 浴 び た ﹁幸 福 の 科 学 ﹂ ス タ ッフ に 国 立
、
、
、
大 学 教 員 宮 僚 マ ス コミ 関 係 者 商 社 マン
、
か つて の よ う な 勢 い は 見 え て こ
、
らが集まり
、
な いが
ー
い ま も エリ ト た ち の 参 入 が 続 き
。
い ま は 新 た な ﹁発 展 ﹂ の 時 期 だ と い う
間
:
:
°
遅
企 え
業 か
戦 ね
士 な
も しヽ
多 司
い 吾汚
│1福
東 の
京 科
と はな に か
教 エリ ー
、
﹁現 世 ﹂ を ト ップ
の 中 に 社 会 貢 献 の 受 け 皿を 見 いだ す の は 難 し
、
く
﹁超 人 的 な 神 ﹂ を 通 し て 幸 福 への 道 を 探
。
る し か な い の だ ろ う か 戦 前 の ﹁滅 私 奉 公 ﹂
、
への 反 省 か ら 戦 後 ひ た す ら ﹁私 ﹂ を 求 め 続
、
〃
け て き た 現 代 ニ ッポ ン に お い て 新 し い 公 〃
。
、
が 間 わ れ て い る ︵つづ く ︶
ようだ
を 突 き 抜 け た と こ ろ に 生 き が いを 求 め て い る
。
歴 史 を 積 み 重 ね て き た こ の ﹁現 実 ﹂
、
グ ル ー プ で 走 って き た も の の い つし か そ れ
話を聞けば
プ ラ ンナー
ト ﹂ こそ新時代 のト ッ
、
と いう 会 員 た ち の
よ う と い う 壮 大 な ロ マン
統 合 し て人 類 救 済 運 動 を 展 開 し
。
﹁宗
大 川 主 宰 を ﹁地 球 系 霊 団 の 最 高 大 霊 ﹂ が 降
、
、
臨し た存在 とし 諸宗教を 整 理
り も ﹁使 徒 ﹂と し て 生 き る こ と に 迷 い は な い
﹁日 本 の 政 治 家 や 企 業 家 た ち を 納 得 さ せ る
、
、
には 利 潤 と いう 言 葉 で 翻 訳 し な いと 難 し
。
い キ リ スト 教 も イ エス が 教 え を 説 い た と き
。
ー
は 新 興 宗 教 だ った 当 時 も ロ マ帝 国 に 優 秀
、
な 富 僚 が い た で し ょう が イ エス の 使 徒 た ち
。
が 残 し た 仕 事 に は お よ び ま せ ん ね ﹂ ﹁富 僚 ﹂よ
。
った 経 験 を 振 り 返 り な が ら こ う い って い た
え て 人 が 残 った の で は な い で す か ﹂
、
通 産 官 僚 だ った 会 員 は 国 際 交 渉 の 場 に た
。
、 ″
、
公 〃 と い う こと を 考
多 か った け ど 結 局
ょ
﹁明 治 維 新 って こ う い う 感 じ な ん で し う
、
。
、
ね 虚 栄 心 プ ラ イ ド 使 命 感 と いう さ ま ざ
ま な 動 機 で 時 代 の 荒 波 に ぶ つか って い た 人 が
死
=
つ さ を 己は ﹁退 職 す る と 聞 い た 時 は び っ
ん
子
。
、
、
で も い ま 主 人 は 毎 日生 き 生 き
くりした
働麟雛
学 一 言
L般
:
総 商 :
合 社 :
本 と :
部 見 :
都
千
代
田
区
で
界を また
孫8 塔だ卒でご言
つ く も か 八 社
懸け橋役
。
に 入社
。
知識を
った 。そ
、
いても
。
るだけ
衰 献 と な って い る の か ﹂ と い う 疑 間 が 深 ま っ
。
た
本 金 王
2
簿 仕を' と
三
洋 生 攻穐顧と3
方
:
一 た 三
社 世 ヽ 足 楽
会 に い 感 し 九 会 =
第1 0 部
│││││││││││││││││││││││││││││││││
﹁ ﹃生 長 の 家 ﹄ の 教 え を 企 業 理 念 と し な か
った ら 、 現 在 の ヤ オ ハン は あ り ま せ ん で し た
よ﹂
香 港 ・九 竜 半 島 を 望 む ビ ル 五 十 階 の 応 接
。
、
室 東 南 ア ジ アを 中 心 に十 六 カ 国 約 四 百 店
、
舗 ・事 業 を 率 い る 国 際 流 通 グ ル ー プ ヤ オ
所
、
。
和 国 一夫 代 表 侯 己 は こ う 語 る
ハン の 総 帥
生長
べ て の 宗 教 の 真 理 は 一つと す
つ該繁 討 す
、
る ﹁万 教 帰 一﹂ を 掲 げ 他 の 宗 教 を 否 定 し
。
な い か ら 目 立 った 対 立 を 招 く こ と は な い さ
ら に ﹁人 間 は 無 限 の 可 能 性 を 秘 め た 神 の 子 ﹂
。
。
﹁物 事 の 光 明 面 だ け を 見 よ ﹂ と の 積 極 思 考 が
グ ル ープ の拡 大 を 支 え てき た
香 港 の 新 興 住 宅 地 に あ る ヤ オ ハン 藍 田 店
、
。
午 前 十 一時 の 開 店 前 朝 礼 が 始 ま った 店 員
、
代 表 が マイ ク で ﹁ヤ オ ハン 宣 言 ﹂ と 叫 ぶ と
。
全 員 が 右 手 を 上 げ て ﹁オ ー ッ﹂
﹁⋮ 生 命 の 実 相 哲 学 の 正 し い 把 握 と た く ま
英 文 で ワ ン セ ン テ ン ス こと に 唱 和 し
ざ る 実 践 を 通 し て 全 世 界 人 類 に 貢 献 す る ⋮﹂
、
ヤ オ ハン が 発 祥 の 地 静 岡 県 に 一店 舗 し か
な か った 一九 六 五 年 に 作 ら れ た ﹁ヤ オ ハン 宣
。
言﹂だ
経済 と肩 組 み世界進 出
え
、
たあと
、
﹁社 歌 ﹂ の 合 唱
。
を向 いて祈 りのよう に唱
。
朝 礼 ほ 終 わ った
宣 言 に あ る ﹁生 命 の 実 相 ﹂ と は 生 長 の 家 の
。
聖 典 従 業 員 研 修 を 行 って い る ﹁国一
際教育
、
セ ン タ ー 香 港 ﹂ の カ リ キ ュラ ムを み る と 二
日 間 の 一般 社 員 コー ス で は 計 十 六 時 間 の カ
、
リ キ ュラ ム の う ち 接 客 な ど の サ ー ビ ス実 習
。
、
ほわず か 四十 五分 朝 礼 で は 生 長 の家 の
、
本 尊 と す る ﹁実 相 ﹂
祈 り の 儀 式 ﹁神 想 観 ﹂
の 掛 け 軸 に 向 か い 合 掌 し て 祈 る こ と に な って
。 ︵
いる
。
﹁ヤ
セ ン タ ー の 澤 丞 造 ・理 事 長 は い う
、
社員に
オ ハン は 宗 教 団 体 で は あ り ま せ ん し
薙
攀
軽
駆
翠
纏
翠
彊
店 員 が 手 を つな い で 行 わ れ る ヤ オ ハ ン の
。
朝礼
そ の 風 景 は 全 世 界各 店 共 通 だ
= 香 港 ・藍 田店 で
。
日本 の宗 教 風 土 に 根 づ い た 考 え 方 だ 生 長 の
、
家 の 教 祖 の 谷 口雅 春 ・初 代 総 裁 は 戦 前 か ら
、
、
﹁大
天 皇 崇 拝 者 と し て知 ら れ
の 日本 主 義
東 亜 戦 争 ﹂ に 関 し て ﹁ア ジ ア 解 放 の た め の 聖
。
戦 後 も 国 の丸 掲 揚 や
戦 ﹂ と位 置 づ け て い た
旧 憲 法 復 元 の 運 動 を 唱 え て い た 時 期 も あ った
、
、
が 現 在 政 治 に か ら む 運 動 は 一切 表 面 化 し
。
て いな い
、
い ま ヤ オ ハン は 中 国 で 大 規 模 な 出 店 計 画
。
を 進 め て い る 上 海 か ら南 京 ま で の間 に 百 産
、
以 上 を 開 店 し 五 万 か ら 六 万人 の 雇 用 を 見 込
。
、
ん でいる そ のため来年六月 には 上海 にも
。
国 際 教 育 セ ン タ ー を 設 置 す る 和 国 代 表 は ﹁谷
田先 生 ︵初 代 総 裁 ︶ は ﹃日 本 は 中 国 に 大 き な
。
恩 が あ る そ の 恩 返 し を し な け れ ば な ら な い﹄
。
と 話 し て い た 中 国 への 出 店 計
、
画 も そ の考 え か ら 出 てき た も
。
のだ ﹂ と 語 る
現 在 の 生 長 の 家 の 谷 口雅 宣 ・
副 総 裁 は ﹁侵 略 の 事 実 は 認 め な
。
け れ ばな らな い
﹃民族 解 放 戦
は ど こ ま で 通 用 す る のだ ろ う か
急 成 長 を と げ る 中 国 に お い て そ の ﹁日 本 教 ﹂
。
︵つづ く ︶
。
。
﹃生 長 の 家 に 入 れ ﹄ と も 言 って い ま せ ん
二年 だ社 長 に就 任 す る と徹 底 し た ヤ オ ハンの 争 ﹄な ど と い う 論 法 は 事 実 に 反 す る ﹂と 表 明
、
、
。
、
〃
ただ 無限 の可能性 親 孝 行 感 謝 と いう 生
谷 日副 総 裁 自 身 は 海 外 布 教 に も 熱 心 で 来 年
生 長 の家化 〃を 推 し 進め てき た
、
、
、
長 の 家 の 教 え の エ ッセ ン ス を 教 え て い る だ
﹁ヤ オ ハン の 教 育 は 言 菓 人 種 宗 教 に は 韓 国 台 湾 な ど ア ジ ア 各 国 に 講 演 旅 行 を 行
。
、
け ですよ﹂
関係 な い そ れぞ れ の国 で必 ず 実 績 を 上 げ て い 来 年 八 月 に は 香 港 で 生 長 の 家 国 際 大 会 を 一
、
。
。
一九 三 〇 年 静 岡 県 熱 海 市 に 青 果 商 ﹁八 百 い る し か も 生 長 の 家 は ﹃
万 教 帰 一﹄ を 教 開 催 す る 一
。
。
、
、
、
半 ﹂を 開 い た 和 国 家 は 生 長 の 家 の 信 者 だ った
え て いる キ リ スト 教 イ スラ ム教 仏 教
﹁万教 帰 一﹂ と いう 日本 的 風土 に根 ざし た 一
。
、
。
、
、
そ し て 六 神 道 ⋮ ⋮ あ らゆ る宗 教 宗派 を 超 越 し た教 宗 教 は い ま ﹁経 済 ﹂ の 後 ろ で 拡 大 し て い る
和 国代 表 自 身 も 大 学 在 学 中 に 入 信
働麟
第10部
和 田― 夫 代 表
﹁ぼ く の 新 し い 本 の 題 は ﹃死 は こ ん な に 気
。
、
読 ん だ ら 死 ぬ の が楽 し み に
楽なも のか﹄
な りますよ﹂
‘
丹 波 哲 郎 さ ん が ︵ あ の 鋭 い 目 で ジ ロ ッと に
、
。
、
突 いか け てき た い ま 霊 界 を レ ジ ャ
らみ
、
神 戸市 で
α波 音
丹波 さ ん は ﹁今 後
また
こんな ﹁霊 界 ﹂ ばや り に ひ たす ら沈黙 を続
九 州 から 誘 致 の声 ワ
、
。
霊 界 の フラ ン け て いる か のよ う な 伝 統 仏 教 そ の中 で ﹁お
、
。
を く ぐ る と 全 身 大 の鏡 にぶ つかる 鏡 に映 たち は ﹁死 ん で も怖 く な い
、
る自 分 の姿 を 通 し て ﹁結 局 神 は自 分 の中 に んだ な ﹂ ﹁霊 界 ってあ る の
。
いる ﹂と のメ ンセ ー ジを 送 る な にを バカな ︵ か も ﹂ と 無 理 な く 受 け 入 れ
、
。
と 思 いな が らも ひ ょ っと し た ら霊 界 は存 在 て いる よう
、
、
す る の か も と考 え させ ら れ る仕 掛 け と い い ﹁あ の世 ﹂ への 入場 料 と
。
制 作 費 ほ約 一億 五 千 万 円 し て時 と し て法 外 な お布 施
≡
、
。
、
﹁ 一キ ャー!﹄ ﹃あ あ 疲 れ た﹄ な ん て い が必 要な 伝 統 仏 教 の世 界 そ れ に比 べる と
、
、
。
、
う 娯楽 施 設 ではな く
﹃
あ あ よ か った ま ﹁霊 界 ら ん ど ﹂ の 入場 料 金 は定 額だ し 手 軽
。
。
た来 よう﹄と いう 施 設 にし た い﹂と 田中 さ ん で安 心 し て ﹁あ の世 ﹂ 体 験 が でき る
、
、
早 く も仙 台
が かか り
この構 想 に
、
「
商 品化 され る 霊界 」
。
チ ャイ ズを 目指 し た い﹂ と 意欲 満 々だ
寺 を新 し い文 化 拠 点 に﹂ と大 阪 市 天 王寺 区 の
、
これら の﹁霊 界 ﹂は い宗 教 的世 界 と いう よ り 浄 土宗 大運 寺 の秋 田光 彦 ・副 住 職 雀 と は 境
。
、
も いわ ば商 品 ち ょ っとし たプ ロジ ェク ト
、
事 業 で も あ り ﹁霊 界﹂ を 徹 底 し て消 費 さ せ 卯 雑 膨 理 歓 艶 駿 難 纂 羅 軽
。
。
。
″
よ う と し て いる だ が ↓ 生 命 は永 遠 で 霊 界 は いる 名 付 け て 劇 場 寺 院 ″ ロ ック も展 示
、
感 動 的 な と ころ です ﹂ と 言う 丹波 さ ん以上 に も カウ ン セリ ング もし な が ら宗 教 活動 を と
、
。
。
﹁奇抜 と いわ れ る か も し れな い
いう 構想 だ
雄 弁 に ﹁死﹂を 語 れ る宗 教者 は そう多 くな い
。
、
、
﹁私 は死んだ ら お 葬式 はし な い お坊 さ が 目 の肥 え た若 い人 たち に注 目 し てもら う
、
。
、
ん は大 嫌 いで 戒 名 も いら な い お通夜 に は た め に は 世 俗 の感 覚 に合 わせ て いか な け れ
。
ばな らな い現 実が ある ﹂ と危 機 意 識 を 抱 く
、
友人 や父 の ﹁死﹂を 語 った本 ﹁大 往
第10部
ー ランド した ﹁
化
霊 界 ら ん ど ﹂ を 神 戸市 内 に
。
、
、
計 画 中 今 月 下 旬 に は 東 京 ・池 袋 で 初 の
、
霊 界 を テ ー マに し た 舞 台 も 上 演 し
﹁私 は 霊
。
。
界 の 宣 伝 マン 俳 優 は そ の 手 段 な ん で す ﹂
、
、
渋 さ と重 厚 さ に に こや か さ を 加 え
﹁説 教
。
師 ﹂ と し て 一段 と 磨 き を か け て い る 一
と 目を 輝 か せ る
会 場 内 に 一歩 踏 み 入 れ る と
、
こ か で 生 か し た い と ず っと 思 って い ま し た ﹂
。
︱︱ 。
そ の計 画 案 を み る と
、
ふ わ っと し た
﹁ぼ く は 二十 歳 の こ ろ の 幽 体 離 脱 の 体 験 を ど
方
。
、
﹁ 自
占
ほ
社長各 う
身
も
私
い
霊界も信じて
、
いま せ ん よ と 言 いな が ら
﹁ 好きな
大
丹
波
﹂
。
さ ん の た め に 霊 界 を ビ ジ ネ ス化 し た い ﹂
一
、
設 計 担 当 の 国 中 健 さ ん 名 己= 神 戸 市 = は
ぇ
本
ざ
都 顛 確い ひ ”兼 抑 確 抑 ﹁輩 榊 座 一 の時 市葬 馨
この ﹁霊 界ら ん ど ﹂ の発案 者 は
丹 波哲 郎 さん
﹁幽 体 離 脱 ﹂ し た よ う な 錯 覚 を 誘 い
D
、
生 ﹂ で 百 万 部 突 破 と いう 岩 波 新 書 と し て は
、
ー
空 前 の ベ スト セ ラ に し た タ レ ン ト 永 六 輔
。
、
さ ん は も と も と 浄 土 真 宗 の 寺 に生 ま れ た
独 特 の 話 芸 で 庶 民 の ﹁死 ﹂ を わ か り や す く 語
。
、
り い ま で は 丹 波 さ ん の お 株 を 奪 う 勢 いだ
、
い つか ら 日 本 で は こ ん
だ けど
な に ﹁死 ﹂ に つい て 冗 者 に な っ
。
﹁死 ﹂ は タ レ ン ト の 芸
た のか
、
ちょ
と し て 消 費 し つく さ れ る よ う に
。
も見える
世 界 一の 長 寿 国 に な り
つと 退 届 の よう にも 思 える 世 紀太 ” 日本 人 に
と って ﹁霊 界﹂ は旅 と グル メ に加 え て格 好 の
。
ー
っ
遊 び の テ マに な ろ う と し て い る ち よ と
、
暗 く て お ど ろ お ど ろ し い あ の ﹁お ば け 屋 敷 ﹂
。
﹁地
の 世 界 か ら 光 あ ふ れ る ﹁霊 界 ら ん ど ﹂へ
、
﹁霊 界 ﹂ が 軽 く 語 ら れ る よ う に
獄﹂が消 え
、
﹁死 ﹂ は 薄 っぺ ら く な つて は
な った 分 だ け
。
い な い か か つ て ﹁地 獄 ﹂や ﹁死 ﹂を 通 し て ﹁生 ﹂
、
﹁死 ﹂ が 薄 っぺ ら く な っ
を 見 つめ て き た が
、
た と す れ ば 手 ツポ ン の ﹁生 ﹂ も ふ ん わ り 軽
。
く な って い る の か も し れ な い ︵つづ く ︶
確 輔 姫 期 以譲 馳 晦 拳 錦 斃 聯 駒 晩 噛 錬 狩 軸
︵
。
奥 の 院 への 参 道 に 異 様 な 墓 が 立 ち 並 ぶ ロケ
ット や 人 形 、 コー ヒ ー ッ ⋮ ⋮ 。
カ プ
会社のシ
ン ボ ル マー ク な ど を 墓 石 に あ し ら った 企 業 墓
。
だ
い わ ば ﹁天 国 への 企 業 進 出 ﹂ と も い え る
、
、
最近 その進出 ぶりが
。
ち ょ っと し た 実 変 が 起 き て い る
日本 独 特 の光 景 だ が
、
低護で
﹁長 期 不 況 の せ い じ ゃな い で す か ⋮ ⋮ ﹂ と
高 野山 の 霊 園 関 係 者 は おう よ う に 構 え て い る
、
。
、
そ う な のだ ろう か 四年 前 奥 の院 参道
が
の隣 接 地 に 造 成 じ た 中 之 橋 霊 園 に は企 業 墓 用
、
に 約 百 九 十 の 大 区 画 が あ る が 墓 を 造 ,た 企
。
。
業 は 五 社 だ け 大 半 は 売 れ 残 った ま ま だ
、
武 田 信 玄 織 田信 長 ら 戦 国 諸 大 名 の 墓 に交
、
じ って 企 業 墓 が で き た の は 昭 和 の 初 め か ら 。
、
その関
一九 六 〇 年 代 の 高 度 成 長 期 か ら 建 立 が 相 次
、
。
ぎ 現 在 ほ 百 基 以 上 五 三年 に 建 立 さ れ た 南
、
海 電鉄 ︵
本 社 ・大 阪 市 ︶ の 供 養 塔 は 歴 代 の
社 長 や 役 員 計 六 人 の墓 で取 り 囲 ま れ
係 は ち ょう ど 家 臣 団 の 墓 を 従 え た 大 名 の 墓 所
。
、
、
﹁む か し 大 名 い ま 会 社 な ん
に似 ている
です ﹂ と 国 立 民 族 学 博 物 館 の 中 牧 弘 允 助 教 授
。
翁 こ門 宗 教 人 類 学 = は 説 明 す る
企業
高度
成 長 期 の 日本 的 経
営 の特 徴 を 表 し て いる﹂
秋 晴れ の九 姉 二十 日、 高 野山 で行 わ れ た松
下 電 器産 業 ︵
本 社 ・大 阪府門 真 市 ︶ の物 故 者
。
、
、
慰 霊法 要 そ こに は 会社 幹 都 だ け でな く
、
、
労 組 代 表 O B会代 表 も参 列 し 会 社は 従 業
。
員 の ﹁人 生 共 同体 ﹂ でも あ る 松 下 電 器産 業
、
、
は 高 野山 の企 業 墓 の中 では 最 も古 い時期
。
の 三八 年 に建立 し た 当 時 長 っ 故 松 下
だ
社
た
、
幸之 助 氏 の強 い願 い に よる も の で
﹁企 業 は
。
、
悲 し みが あれ ば 家 中 で対 応
疑 似家 族 集 団
する のは当 然 A と幸 之 助 は考 え た の です ﹂ と
松 下氏 の側 近 と し て仕 え た P H P研究 所 の江
。
日克 彦 専 務盆 母は 語 る
てき た
第10部
﹁墓 に は 物
、
、
故 者 のめ い福 と 社 業 発 展 の 願 いが 込 め ら れ
。
社 員 は会 社 に対 す る 帰 属 意 識 を 高 め る
墓 と 終 身 雇 用 制 度 は 表 裏 一体 の 関 係 で
>>⑤
議 布捷 嘩荘禁頴
ノ 稲 そ 顛
薪
、
言宗 醍醐派 ︶ を 社 員 と し て抱 え 各事 業 所 で
、
は祭 事 を 重 視 し て 会 社 と し ての結 東を 訴 え
。
。
﹁宗 教 は心 の面 で人 間を 救 済 す る
'企
ブTム 去 った
業墓
私 たち は
、
水 道 の水 のよう に物 を
安 価無 尽 蔵 に生 産 す る こと で物 の
面 か ら人 間を 救 済 す る ﹂と いう ﹁水
道 の哲 学 ﹂を 経 営 理念 の根 幹 に掲
、
げ そ んな ﹁
松 下﹂ 教 は高 度 経 済
。
成 長 の シ ンポ ル だ った
、
、
だ が 衰 本社 本 位主 義 ﹂ は 豊 か さ の中 で
。
個 人 の反 乱 で少 し ず つ溺 れ つ つある 総 務 庁
、
総 労 働 者 に対 す る 転 職 希
統 計 局 の 調査 では
望 者 の割 合 は 、 調査 が始 ま った 五六 年 に は 五
・五% だ つた 、
が 高 度 成 長期 に 入 ってから は
。
、
四% 前 後 に減 少 し かし 八 七 年 に は九 や九
、
、
夕 九 二年 でも 九 ・五% の高 率 と な り 会 社
。
離 れ の傾向 を 頭著 に 示し ている
、
、
長期 複 合 不況 が 続 く中
﹁社 畜 ﹂ と
一方
ま で言 われな が ら ﹁会 社人 間 ﹂ とし て生 き て
き た人 た ちが ﹁リ スト ラ﹂ の掛 け 声 と 共 に切
。
り捨 てら れ る時 代 だ それ ま で ﹁信 仰﹂ の対
。
象 だ った 因蚕社 は永 遠 ﹂と いう 言葉 のも と で
、
約 百 八十 の 工場 ・事 業 所
海 外 三十 八 カ 国
趣向を凝 らした企業墓
。
墓 に象徴 される
。
﹁物
﹁会 社 ﹂ 信 仰 は 揺 ら ぎ つ つあ る = 和 歌 山
、
県 ・高 野 山 で を抱 え た松 下 も そ の例 外 と は いえな い
の面 から の人 間 の救 済 ﹂ が 国内 で はほ ぼ 達 成
、
され
﹁水 道 の哲 学﹂ は新 たな 節 目 を 迎 え て
。
、
、
いる 法 要 で 森 下洋 一社 長 各 eは 最 近 の
〃
経 営 環境 の厳 し さに触 れ た あ と ﹁ 松 下 の再
生 〃を 合 言 葉 に中期 再生 計 画を 成 功
り ぬく ﹂ と
す る ま で執 念 を も っ
て
や
、
幸之 助 氏
決 意 を 語 って いた o最 近
の著 書 や資 料 を そ ろえ た松 下資 料 館
、
松 下 の経 営 理念 を
を た び たび 訪 ね
。
は激 し い荒 波 に さら され ている さら に地 球 一
、
環境 問 題 や企 業 の社会 的 責 任 が 叫 ば れ ﹁い い 一
、
会 社 ﹂と は な に か が 改 め て問 い 直 さ れ て い一
、
る やサ ラリ ー マン そし て会 社 にと っての ﹁安
。
企 業 墓 の空 き地 は
ら ぎ ﹂ はど こに あ る のか
、
﹁日本 的 経 営 ﹂ の揺 ら ぎ を
そし て ﹁会 社 ﹂
。
︵つづ く ︶ !
信 仰 の 行方 を 示し て いる よう だ
、
娘 の こ と で 悩 ん で い て ⋮ ≡ ﹂ !
F 一 石 さ ん 片
垂 〓〓≡ 〓≡ 三≡ 三≡ 重三垂 三一
〓≡ 〓一
三十
三≡ 〓一
性≡ 〓≡ 三一
〓一
〓≡ 〓一
〓一
〓≡ 三重 壬≡ 王一
壬一
〓≡ 三一
〓≡ 〓一
〓一
三≡ ≡十
一
≡ 三一
三一
〓雲 三一
三一
〓〓 三一
一
≡ 〓一
〓三 〓一
〓≡ 室一
一
一
一
一
≡茎 ≡一
〓≡ 一
一
室 ≡一
〓一
〓≡ 至一
〓一
一
一
〓≡ 〓〓≡ ≡一
十
王≡ 三一
一
≡ 三一
三室 〓一
≡三
一
〓十
﹁最 近
そうなんですか﹂
﹁
方舟﹂は、社会的にも経済的にも自
一たうえで私神の言葉を生きるしかない﹂と語 鰯鱗麟田田瑠盤闘田日閲遡翻鞠器報韻翻嵐臨 いま﹁
カウンターをはさんで、家族のことを相談 一る。家族愛も、つまるところ親のエ
ゴに発し 髄盟田騒翻鉛総盟麗一口醜園麗麟需継鶴鰯即阻一
立した暮らしを続けているが、ただ共同生活
する客と、屈託のない突顔を振りまく女性た 一ている、というのである。﹁
親は子供に喜び 聞轡鶴醐中
翻畿盟麗網麟一一一﹄E麟翻盟田聞圏 が濃密すぎるせいか、脱落者もいない代わり
i 1 1 1 1 11 1 1 1 1 1 1 1 1 1l
血縁 家族 の束 縛 を のが れ て も
111111l
1 11111 、
H■ 1
HH !
。
を 見 つけ にく く な って いる のだ ろう
、
人 間 は 一・
、
、
。
。
天工の仕 事 を し 昨 秋 自 分 た ち の手 と 口を そ ろえ る会 員 た ち
﹁不 満 ほ﹂ と 聞 け ま の生 活 を 守 って いく でし よう 発表 が活 発
一
、
、
た教会 で暮 ら す女 性 十 九 人 はク ラノ で ば
﹁も っと 一筋 に聖 書 に描 か れた生 活を し にな った し 私 は集 会 の司会 を し て いる だ け 一
。
、
。
。
.
財 布 は 一つで 各自 が 必 た い﹂ と いう 求 道 的な 熱 意 が 返 って く る 竹 や か ら﹂ 今 後 の布 教 の拠 点 と し ての教 会 も
H
どし ている
11 1 l
宗教 学 ︶は ﹁方 舟 ﹂ か
、
。
、
。
家族より信仰を選び 再び集ま った 当時 ︵一
人のことを考えるこ 一一戦後 大家族制から核家族化していく中で︵
方舟﹂のように宗教法人登録
化庁調べ︶ ﹁
一得勘定もありません﹂ ﹁
、
九八〇年︶は 浪人中の息子が両親を金属バ 一とで自分の悩みが消えていく生活なんです﹂ 一家庭内での重心も次第に子供たちの教育など していない宗教集団を加えると、二十万をは
、
、
!
る 的 いま も 年 間 百前 後 の新 し
。
,
生 し て いる ︵つづ く ︶
樋
競
抑 “
.
﹁
菩提寺を持たない都市の住民に仏教の教 可
ゃ
”
一
守
一
寺
車
申
中
串
一
印
中
申
帥
中
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寺
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中
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ヰ
。
、
門 徒 が 減 った う え に 先 祖 崇 拝 を 支
”
浄
キ
確
中
車
中
呻
韓
の
中
”
ゆ
守
備
薙
〓
森
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態
卵
”
ゃ
W
に減 少
何 とか生 き ていくだ けの収
。
え て き た 家 制 度 も 弱 ま って 寺 の 収 入 源 の お 布
。
、
施 も 少 な く な った 相 出 さ ん が 十 六 年 前 大
、
阪府内 のカー用品卸 小売会社役 員を 辞め て
、
寺 を 継 いだ が 門 徒 が 約 百 軒 い た 地 区 で は こ
。
の 五 十 年 間 で 半 減 し た 同市 内 の 順 照 寺 住 職
の 芹 沢 大 演 さ ん 伏 こは ﹁残 って い る の は 六 十
。
歳 以 上 の人 だ け
入 し か あ り ま せ ん ﹂ と つぶ や く
過
過疎と
.
、︼
々
・
. . ︲ ︲
4
︲ ■ 一 ﹁
・
ヤ ヽ
“・
一
ヤi﹁ 一十一
イヽ
中
﹂
Eフ一 ▼ 一
代 で千葉 に行 き
派 に 限らな い
。
日蓮 宗 は 八
九 年 にまとめ た過 疎に関す
る 調 査 報 告 の 中 で ﹁宗 門 と
し て対 応 を と ら な け れ ば 、
全 国 の 日蓮 宗 五千 力 寺 は今
後 三千 力 寺 に 減 少 す る ﹂ と
ツ葬 式 仏 教 〃の実
個 人的 に参 姻 し や す
伝 統 宗 教 各 派 も ﹁家
、
、
の宗 教 から 個人 の宗 教 へ﹂ と 新 し い布 教 戦 略
、
。
を 練 っている が お ぽ つかな い
、
相 出 さ ん た ち の計 画 は 六 カ寺 の住 職 が交
、
、
布 教 に あた り 三年 間 で百
い新 宗教 のほ う に流 れ
の ﹁宗 教 浮動 人 口﹂ は
態を 浮 き彫 り に し た ” ﹁地 縁 ﹂ の 切 れ た都 市
五% ︶ を大 き く 引 き離 し
、
。
予測 住 戦も離 村 せ ざ る を 得な い状 況 だ 神
4
り
社 帽 仰も ﹁
村 の鎮 守 ﹂ から 浄 広 域 的 必 ﹁神
。
社 ﹂ の崇 敬 へと変 わ って いる
、
、
そ の 一方 都 市 に お い ても 伝 統宗 教 は新
し い住 民を 吸収 でき な いで いる 。曽 洞宗 が九
三年 に ま とめ た東 京 都 内 の壇 信 徒 アン ケ 下ト
、
調 査 に よる と 市 民が 寺 を 訪 ね る 理由 は ﹁葬
。
式 ・法 事 のお 願 い﹂ が ト ップ で七 五 ・三%
二位 の ﹁仏 教 の教 えを説 い ても らう ﹂ ︵
九・
、
>>②
軒 の問 徒 獲 得を 目標 に し ている 的問 徒獲 得 に
、
は葬 式 を 出 す のが 最 も 早 いが 相山 さ ん は﹁葬
第 10部
││││││││││││││││││││││││││││││││││││││││
オ
■﹁
と ヽ 一よ︰千≡ ヤ
ヽ
r 中 一 声︲,
い T↓∴
住 職 が いな くなり
、
廃 寺 にな つた
、
島根 県 内 の寺 の本 堂 跡 ︵
奥 は庫裏 ︶
反 対 運 動 だ った ず
ン 建 設 予 定 地 は 第 一種 住 居 専 用 地 域 で
寺は
、
建てら れるが 営利目的の大規模集会施設は
。
造れな い 地元自拾会長の加藤次郎さんを も
、
、
は ﹁
本堂があり 木や緑があり 境内で子供
P
が遊ぶイメージとは全然違う寺 住職の話に
、
。
は矛盾が多く 信用できな い セツモ ニーホ
ール ︵
葬儀会場︶に違いな い﹂と反発する”
、
﹁権威に頼らない象徴として 屋根がわらな
どもな い近代的な寺を設計してもら ,た﹂と
。
いう相山さんたちの考えが裏目に出た形だ
、
反対住民には ﹁
寺←葬式﹂さらに ﹁
葬儀
会場←住環境悪化←地価低下﹂というぬぐい
。
がたい先入観がある 反対住民約六百八十人
、
は千葉市議会に建設反対の陳情書を提出し
。
九 月 議 会 で 継 続 審 議 に な った
﹁葬
住 民 の疑 間 にう ま く 答 え ら れ
式 を ま った く や ら な い わ け に は い か
、
こち ら の 考 え が 十 分 に 伝 わ
な いし
、
らず
な い の が も ど か し い﹂ と 相 山 さ ん は
。
悩 ん でいる
、
式 は重 要だ が 葬 式 か ら 入る の は本 来 の宗 教
過 疎地 で の寺 の存 続 と都 市 で の新 し い布 教
、
。
ではな く 事 業 とし てやる つも り はな い お 活 動 と いう ﹁一石 二鳥 ﹂ の計 画だ が、 ﹁葬 儀
、
年 寄 り の買 い物 を 手伝 ったり 屋根 を 直 し た 会 場 ﹂ への嫌 悪 感 と いう 高 い垣根 が 立 ち はだ
、
り あるいはふイレ掃除に行き,その時に法 か っている 。壇 家 が な くな り 、後継 者 も いな
。
。
話や説教をしたい﹂と意欲を燃やし ている
くな って寺 が消 え か ねな い過 疎 地 そし て﹁蓄
。
提 寺 ﹂ を 求 め な い新 興住 宅地 いず れ の地 域
でも ﹁死﹂ を 地域 の共 同体 で弔 っていく こと
。
は難 し ぐ な 屯た
﹁死﹂ は週 疎地 で 3過 密 地
︲
。
でも ﹁
地 縁 ﹂ か ら 切 れか 津遊 け て いく
相出さんは勤めていた会社の株をすべて売
、
却し 千葉進出の費用約六億五千 万円をねん
。
、
出 寺の建設用地約 一
,
三〇〇平方肝も購入
。
した その地区内にはA宗派を間わず寺は 〓
、 っ
つもない”しかし ︱
′待 ていたのはい住民の
,
一
ャ , ギ 、 ︰′
r
︲
︲︲
︲︲
︲
I Ilf illllil111
式 仏 教 〃 と いわ れ る宗教 世 界 への批
d
対封封封判封封川川 ユ﹁胡﹁ ′ ヽ
対封
料対河 ヽ﹁= ⋮H
ヽ
。
・
。
⋮と っ
な てい る 判 でもあ る
。
、
一
の
﹁
サ
ザ
さ
エ
か
ん
の
﹂
作
る
者
均
長谷川 町 子さ ん が
、
ち の ﹁生前 葬 ﹂ を 一
一
言い残 し た無葬 式 のほか タレ ント の水 のと
、
町 田計 三さ 滝 子さ ん の生前 葬 に と ど ま らず 、友人 葬 、
音
ぃ業
行
、
さ り げな
!
﹁う ち で取り扱 って いる 水 子地 蔵 のほ ぼ 一
〇 〇 物 が中 国産 です よ﹂
大 手石材卸会 社 の貿 易部 課 長 は
寿
ノ 中
↑
霊
、
そ れ が いま 水 子 ビジ
⋮ネ スと し て世 界に網を
。
広 げ ている
。
中国南東部 の福 建 省 山 地 と丘陵 が広 が る
、
温暖な この地 で 子供 か ら中 年 ま での男 たち
、
数十人が 土 ぽ こり にま みれな が ら いか こう
岩を ひたすら削 り 続 け ている 的約 三日間 で、
。
高さ約 四五考 の水 子地 蔵 が完 成 ハンド メ ト
。
ドな の で、表情 は
千差 万別だ 六 体 一セ ット
、
で木箱 に詰 めら れ ト ラ ツク から コン テナ船
、
、
。
に乗 り換 え 横 浜 神 戸 の港
︱に 入 ってぐる
、
約十 年前 水 子地 蔵 の生 産 依頼 に中 国を 訪
。
れた 課 長は言う ﹁国内 で は石材 も職人 もな
、
く もう ほ とんど作 れな い でし ょう﹂ 。 こ の
、
。
六 百体 卸値
会社 が 年間輸 入する の は約 五
。
は五千 円程 度だ そう だ
。
埼 玉 県 ・秩 父 の 紫 雲 山 地 蔵 寺 約 十 四 万 平
、
一万 三 千 体 以 上 の 水 子 地
方 肝 の山 の斜 面 に
。
﹁水 子 の
霊 魂に対して︵養育を拒否
したことに対する償いをし
なければなりません﹂と説 一
く中そこで用意されている
、
のが 二十三万円▽十八万
円 ▽ 十 五 万 円1 1 と 三 ラ ン
。 ■
ク の水 子 地 蔵 だ
﹁
絶.
顎
早 死験時 な 控敗 や 数窪 籍 期 帥 蔵 記 敗船 餓 い
、
職 の故 橋 本 徹 馬氏 が 水 子を 供養 でき る 寺 が
、
。
ほ と んどな い と七 一年 建 立 水 子供 養 寺 の
。
元 祖 と自 任 す る 落 慶 式 に は当時 の佐 藤 栄 作
、
、
首相 を はじめ 国会 議 員 埼 玉県 知事 ら そう
・
。
そう た る顔 触 れ が出 席 し た 一
、
・
当 時 へ政治 の世 界 では 優生保 護法 を改 正
、
﹁経 済 的 理由 ﹂ によ る中 絶 を 禁 止 し て出
し
生 数 の減少 に歯 止 め を か け よう と の動 き が あ
、
出生拝が 二
絶⋮
愁
ば
セ 軽碍で 十
北 すれ
や比 や押 ⋮⋮
〇%ぐらい上がることがよその国の人 口政策 水 子供養 が続 く のか 。
。
、
七 〇 年 代 以降 の ﹁性 の解放 ﹂と いう 現 象 も
そし て中 絶 を 侮 いる意 識 が深 ま った ﹂ と 落 合
恵美 子 ・国際 日本文 化研究 セ ンタ ー助 教 授 は
.
一■
指 摘す る ↓ , ・
でわか っている 改正をめざす勢力にと って
音 から中 絶 は行 わ れ てきた が ヽ女性 が 産 む
.
、
子供 の数 が大幅 に減 って
﹁赤 ち ゃん﹂ への
。
、
関心 が高 ま った さら に﹁近代 医 学 の発達 で
、
早産 の子 でも生 き られ る よう にな り 社会 全
″
。
と みる生 命観 に変 わ った
体 が 胎児 も人 間 〃
、
昨年 は 三十 八万 件 と約
。
中 絶 を 罪 悪 とす る ﹁
水 子 のたた り﹂ は好都 合
。
だ つた 一
橋 本住 職 は もと もと ﹁政治 評論 家 ﹂
。
﹁水 子﹂ は極 め て政治 的 な 問 題 でも あ った
、
中 絶 の数 は 五 五年 の百
厚生 省 の統計 で は
十七 万件 をピ ー ク に
三割 ま で減 少 し ている
それな のに どう し て
第10部
蔵 が林 立 す る
、
寺 の パ ン フ レ ツト な ど に は ズ 水 子 の 霊 が ︶
各 家 庭 に 禍 す る こ と の 恐 ろ し さ ︱ ⋮ ﹂ と 、一
水
子のたたりを強 調す る 言葉が並 び
「
金 を生む 水1子iの
。
﹁産 む 産 ま な い を 選
。
約 一万三千体 の水子地蔵群 水子は何を
︱
語るのだろうか ︱紫 雲山地蔵寺 で
加 わ る のかもしれな い
択 す る の は 女 性 の権 利 ﹂ と いう 主 張 を 叫 び な
、
が ら も ど こ か 後 ろ め た さ が 残 る と いう 女 性
。
も 多 い さ ら に 高 度 経 済 成 長 期 後 の ﹁家 族 の
。
、
解 体 ﹂ も 重 な って く る 多 に な 夫 の 過 労 病
、
、
気 妻 た ち の神 経 症 子 供 た ち の家 庭 内 暴 力
⋮ な ど の問 と 、
ド・
題
人 工 中 絶 に よ る ﹁た た り ﹂
。 ・
が い つし か 結 び つ い た
、
水 子供 養 の寺 が 無数 に でき 女 性 雑 誌 が ﹁水
、
、
寺院 の広告を載 せ
子 のた たり﹂ を 特 集 し
燕都べ
籐
難
攀
簾
酢チ
生まれ か った子が金を
の社
ポ
生
エ
む
な
シ
リ
。
、
、
会 しかし 水子を供養すれば ﹁
中
過去 ︵
、
絶︶を 過去のこととして流し去ることがで
きる﹂というこの浄化の儀礼システムは、果
″
t
、
ー
ン
ズ
に
観
光
客
交 じ つて独身 女性 往 と が
。
、
水 子地 蔵 に線 香を 立 て ていた ﹁私 が 今 あ
。
の子 にし てあ げ ら れる の はこれだ け ︰≡
お参 りす る と気 持 ちが少 し落 ち つき ます ﹂
ヽ
、
﹁水 子﹂ 問 題 を 追
浄土 真 宗 の寺 に住 み
及し ている フリ ー ライ タ ー︵落 合 誓 子さ ん は
。
、
﹁ど んな 思 いを か け ても 石 はただ の
言う
。
、
石 た た りを もた ら す の は 死んだ 子 ではな く
、
生 き て いる人 間 た ち で それを 知 る ことか ら
。
しか
と
済
は
救
い
の
は
﹂
で
な
。
﹁た た り﹂ か ら逃 れ る ため の ﹁
供養﹂ ま
″
脅 迫 〃 のよう に ﹁安 ら ぎ﹂ を サ ー ビ ス
るで
。
し よ う と す る 水 子寺 そ れ に 依 存 し て いる 私
。
。
た ち こ の 循 環 は い つま で 続 く の だ ろ う か
.
■ 一
︵つづ く ︶
。
、
﹁こ れ イ ン ド の サ イ バ バ の 手 か ら 出 た 灰
ヂが”藤窮
﹁そ ん な も ん に
瑳 軽 棄 斡 庫韓 臨 解
。
十 月 のある昼下が り
体 に塗 る と 効 く そ う よ ﹂
︵京都 市右京区 の高雄
睡
竹 内 純 照 さ ん を と に 見せ た
。
⋮ ⋮ と 言 いた く な る 気 持 ち を 抑 え
﹂
頼 らんと
。
て 竹 内 さ ん は ﹁な に な に ﹂ と の ぞ き 込 ん だ
﹁ほ ん ま か ﹂ ﹁イ ン ド の に お い す る や ろ ﹂
そ
こ の 病 院 で法 話 活 動
京 都 の ﹁首 都 税 紛 争 ﹂
の 輔 却 狂 際 賄 藤 韓 初 諦 賊 聴 熊 立 い ・ 0 ︵旧
、
・京 都 仏 教 青 年 会 ︶ が
。
を 続 け て十 年 に な る
を き っか け に ﹁仏 教 者 も 社 会 的 に 広 が り の あ
。
鴻
。
いま
静髪熱
淋
鯛 議 証 駆 卯貯 藤 弊 佳
。
均
設勘
と いう ひ そ ひ そ声 が 聞 こえ てき ま し
、
十 七 宗 派 二十 八 人 の 僧 り ょが
類 範 帥 菱 義 輪 謡 藤濯ポ郭抑 立 義 蒙 動 的 従 範 い
、
か しら
たよ﹂
嚇輸範
、
座 禅 会 な ど を 開 い て いる
キ リ ス ト 教 系 の ﹁ホ スピ ス ﹂ に 対
ッ
長 寿 世 界 一の 記 録 を 更 新 し て い る ニ ポ
。
﹁死 ぬ に 死 ね な い ﹂ 延 命 医 療 への 疑 間 が
、
教窒
ン
深 まる中
し て 仏 教 系 の ﹁ビ ハー ラ ﹂ ︵サ ン ス ク リ ット
。
語 で 安 息 の 場 の 意 味 ︶の 活 動 も 広 が って い る
二年 前 に は 仏 教 系 の 末 期 医 療 施 設 が 新 潟 県 長
岡市 の長 岡西病 院 に初め て
、
設けられ 竹内さんたちの
① 呼びかけで 一現八八年に六
ミP 団体で発足した ﹁仏教と医
ェア・ 療を考える全国連絡会﹂も
、
二十団体 ・法人 個人会員
百六十人を抱える団体に成
病院 で
、
。
﹁仏 教を 理念 や 頭 で考 え る
で もや って いる
、
まず 行動 です 0 死 に直 面 し て い
ん の話 を 聞 い て ﹃安 ら ぎ﹄ を 得 る よ う にす る
。
ビ ハー ラは私自 身 が 深 い信心
の食 事 を 出 し
に出 会 う た め の体 験 学 習 な ん です よ ﹂
。
昨秋 か ら自 坊 で デ イ ケ アを 始 め た 手 作 り
、
、
ー
将 来 的 に は 訪 間 看 護 ステ
こと で は ⋮ ⋮
、
る 人 に僧 り ょと し て語 る よ り も まず 患 者 さ
の で はな く
カ ウ ン セリ ング な ど 患 者 の要 望 に応 え てな ん
入浴 や ト イレ の介 助 ︵ 食事 や車 いす の世 話
守 の小 川 真 理 子 さ んを と は毎 週 一回
。
ど ハー ラ﹂ は異 たし て ﹁葬 式仏 教 ﹂
長した ﹁
、
を 乗 り越 え 伝 統 仏 教 再 生 のき っかけ を つか
。
みう るだ ろう か
、
ミ ニ寺
﹁
﹁病院 で法 話 す るだ けだ った ら 一
。
院﹂ が 病院 に でき る だ け ではな いか お寺 さ
、
、
、
んが自 分 た ち と 一緒 に苦 し み 突 って 泣き
⋮
や って下 さる と 患 者 さ ん に思 わ れな く ては
⋮ れ そ んな 思 いで 、 ビ ハー 岐 阜 代 表 で坊
﹂
ラ
、
伝統 仏教 の ジ レンマ
働麟
第10部
││││││││││││││││││││││││││││
京 都 市 内 の病 院 で﹁数 珠 ま わし ﹂に 興じ る
ー
入院患 者 と 薄 伽梵 K Y O TO のメ ンパ
一
ト
に認 め ら れ て いる よう にビ ハ ラ の認知を 求
。
、
、
め 定 着 を 図 り た い﹂ だ が そん な 果 田 さ
、
ん の 一番 の悩 みは 病 院 や 在宅 ケ アに出 張 す
。
﹁友 人 に声 を か け て
る僧 り ょが 少 な い こと
。
、
、
も いざ とな ったら し ぶ ってしま う 目 の
・
前 で死を 迎 え て いる人 た ち にど のよ う に安 心
、
を 与 えら れる のか自 信 が な い と いう の です ﹂
、
・
そ の 一方 で 高 雄 病院 の中 村 仁 一 理 事 長
、
、
は﹁仏 教 が 長 年 先 祖 供 養 に徹 し てき た ため
。
人 々 の仏 教 への偏 見 や誤 解 は大 き い 死 の間
、
生き て いる人
際だ け の活 動 に は疑間 が あ り
率
間 に働 き か け る ことが 大 甥 ではな いか﹂ とャ
。
安 ら か な 死﹄ と
直 ほ問 いか け る さら に ﹁ ﹃
。
いチ 死 の画 一化 を 求 め はし な いか 医 療 費 削
ィ
減 の中 で宗 教 者 のボ ラ ン テ ア活 動 と いう 無
。
料 奉仕 に利 用 さ れる ﹂と も指 摘 す る
﹁な に も ビ ハー ラ活 動 を高 齢者 に限 定 す
るものではない﹂と竹内さん自身も自坊正
、
相談室を設置し 身近な人の死の悲嘆をい
やしていく心理療法の研究会も開 いてい
。
ょ
る 教 師 と 同 じ よう に僧 り ほ語 る のが 仕
、
、
、
。
ー
シ ョンを 設立 す る構 想 も あ る ﹁ビ ハ ラを 事だ が 人 々 を いや す に は 自 らを 抑 え 黙
、
って 耳 を 傾 け な け れ ば な ら な い ケ ー ス も 多
通 し て 今 あ る 社会 資 源 と し て の寺 を フル に
、
。
﹁お 前 は い った い 坊 主 な の か セ ラ ピ ス
い
活 用 する アイ デ アも生 ま れ てき ま す ﹂
。
ヽ
ト ︵治 療 者 ︶ な の か そ ん な 疑 間 が い つも 心
﹁ビ ハー ラ﹂活 動 は病 院 か ら地 域 ヘ
いま
っ
伝 統 宗 教 も そ の 原点 に 立 ち 返 て試 さ れ る と
。
き な の か も し れ な い ︵っづ く ︶
、
広が り さ ら に医 療 制 度 の中 に組 み込 も う と の 中 に あ り ま す よ ﹂
。
。
夏 く な った 老 年 期 自 分 が な ぜ 生 き て い る
いう 動 きも ある 在 宅 ケ ア ヘの関 心 の高 ま り
、
、
ー
さ られ
に応 え て 愛 知 県 の医 療 法 人 ビ ハ ラ浄土 真 の か ︵ そ れ ぞ れ が そ の 意 味 を 考 え せ
。
一
、
ビ ハー ラ僧 を 求 め る 時 代 に な った 宗 教 者 に 何 が で き る の か ︵
宗 の黒 田龍 雄 さ ん侯 己は
る 病 院 や家 庭 に派 遣 す る 活 動 を 展 開 し て い
。
﹁カ ウ ン セリ ング が 医 療 行 為 と し て正式
る
イ
よ
つ
と
や
り
す
ぎ
た
か
な
そ の広 報 室 長 と し て活 躍 し た
。
多 彩 な メ デ イア 戦 略 を 駆 使 し て 急 成
。
般 化 し てお り
球 は ひ と つの 生 命 体 で あ る と す る 考 え ︶ 時 代
、
未 来宗教を 形成する のは
への 対 応 を は か り
を 予見し
﹁エレ ク ト ロ エク ス と 高 い 霊 的 感 性 の 結 合
、
通信技術 の発達 によるガ イア ︵
地
の 期 待 を 機 関 紙 で こ う 語 って い た
阿 含 宗 は 新 時 代 の メ デ ィア ヘ
。
イ ベ ン ト 業 界 か ら 阿 含 宗 の 桐 山 靖 雄 ・管 長
、
に 引 き 抜 か れ た 一九 七 九 年 宗 教 は 広 告 業 界
。
に と って 手 つ か ず だ った サ ラ 金 の 広 告 が 載
、
り 始 め た 新 聞 を 見 て 松 沢 さ ん は ﹁宗 教 も 宣
、
、
伝 の や り 方 次 第 ﹂と 直 感 大 手 の 広 告 代 理 店
。
電 通 と 情 報 戦 略 を 練 った
﹁宗 教 を マス コミ
、
が 扱 い に く い の な ら イ ベ ン ト を 通 し て教 団
イ メ ージ を 売 り 込 め ば い い ﹂
、
毎 年 二月 京 都 ・山 科 で 小 山 の よ う な 護 摩
。
木 を た く 阿 含 宗 最 大 の イ ベ ン ト ﹁星 ま つり ﹂
、
!
、
新 聞 雑 誌 で 広 告 を 打 つと 効 果 ほ て き め ん
。
、
だ った 参 加 者 は 増 え 阿 含 宗 は す さ ま じ い
。
勢 いで 規 模 を 拡 大 し た
、
。
八七 年 に は 通 信 衛 星 に 着 手 米 国 の宗 教
、
界 で は 通 信 衛 星 や C A T V ︵有 線 放 送 ︶ な
ど 映 像 ネ ット ワ ー ク を 利 用 し た 布 教 伝 導 が 一
、
松 沢 正 博 さ ん 翁 己 ほ振 り 返 る
長した阿含宗
り組み
国内 の宗 教 教 団 と し て最 初 に通 信 衛 星 に 取
、
ア
戦
略
を
ち
今 を お い て他 に は な い ﹂
義 ﹂ と の批 判 も 出 た
。
桐山
、
管 長と の意 見 の食 い違 いが生 じ 松 沢 さん な
、
。
九〇 年喬 阿 含 宗 を 脱会 し た
、
﹁メデ ィアは知 名 度 関心 度 を 高 め る の に
、
。
、
は 強力な 手 段 だ が 広 告 と情 報 の スピ ー
、
。
ド
っ
ぎ
団
が
の
速
教
が
伴
か
実
力
わ
な
た
す
て
、
、
い つも 同じ話 で は通 用せ ず
教 祖 と は いえ
新し い情報 を 出 し続 け て いく の は大 変 です ﹂
。
宗 教 はも と も と ﹁情 報 ﹂ 産 業 で も ある 僧
、
の説 く教 えが 日か ら 口 へと伝 わり 人 々 の心
。
、
を と ら え て教 団を 形成 し た そし て新 聞 ラ
、
、
ジ オ テレビ か ら ニ ュー メ デ ィアを 使 い い
、
宗 教 団体 の衛 星利 用 は ﹁常 識 ﹂ にな り つ
ま
。
つある 創 価 学会 の衛 星中 継 は全 国約 八百 五
、
、
、
十会 館 五十 六 万人 の視 聴 が 可 能 で 天理 教
。
立 正佼 成会 も導 入 さ ら に ﹁ダ イ ヤルぱ ﹂ ︵
、
〃
﹁
パ ソ コン通 信 ﹂ も活 用 さ れ 神 々 の メデ
ィア ・ウ ォーズ 〃 が繰 り広 げ ら れ て いる ”
X X ×
、
﹁いろんな宗 教を 試せ ば い いが お かし いと
、
思 った ら ため ら わず にやめ る 勇気 を 持 て﹂
第10部
¬ 111111111111111111111111
メ
雲
デ
≡
画面 に あふれ る神 々
﹁前 世を 気 にする よ り
が 肝心 です ﹂
、
今を どう 生 き る か
パ ソ コン通 信 に流 れ て いる ある宗 教 フ ォー
。
﹁
ラム
宇 宙神 霊﹂ に心 のチ ャンネ ル を 合 わ
、
せ た フ ォー ラ ム主 学 者 の メ ッセ■ ジ が流 れ
。
いま で は ﹁神 サ マ と 即 座 に交 信 でき る だ
﹂
、
、
﹁
メデ ィアを通 せ ば
送 り 手 ﹂ 側 の教団
が
の ﹁教化 し た い﹂ と の思惑 と は別 にヽ そ の末
、
端 で あ く ま で個人 が ﹁教 え ﹂を 好 み で選 ベ
。
パ ソ コン の ﹁神 サ マ﹂ か ら の メ ッセージ
る
を それぞ れが人 生 に生 かせ ばよ い。
、
東 ソ コン通 信 で の会 話 は
人 間 の脳 と脳
。
余計 な 気
を ダ イレ クト に接 続 し て いる感 じ
ビデ オを 通 し た﹁教 え﹂でも 信 者 たち に は
︱
あ りが た い︱ 京都 市 の天理教堀川 分教 会
、
を 使 わず にだ れ と でも語 り あえ ます ﹂と 大
。
阪 の若 い フリ ー ラ イ ター は言 っていた パ ソ
、
まる で意識 が直 結
コンを 通 じ て語 り合 え ば
し て いる よう な ﹁意 識 通 信 ﹂状 態 にな る そう
。
、
だ そ の目 に見 えな い﹁意 識 通信 ﹂ の空 間 で
X X X
さま ざま な 目的 を持 つ ﹁神 サ マ﹂がう むめ い
。
て いる
、
通 信 衛 星 を 利 用 し て い る ﹁真 如 苑 ﹂ の 広 報
、
部 次 長 西 川 勢 二さ ん 翁 こ は ﹁通 信 衛 星 は 臨
、
場 感 が あ る と い って 実 際 の 行 事 に 集 ま ら な
、
。
く な る こと も あ る 宗 教 行 事 は茶 の間 か ら
。
ぼ ︱ っと 見 る も の で は な い 教 会 で 正 座 し て
。
メ デ ィア の 多 用 は 信
見 る も の です ﹂ と 言 う
者 間 の つな が り を 弱 め
﹁受 け 手 ﹂ の 側 が 教
。
﹁三 日 間 の 行 事
団組織 から離 れかねな い
て
、
現場 から 足が 遠 のかな いよう に し て い 一
だ った ら 通 信 衛 星 で 流 す の は 一日 だ け に し 一
。
情報化社会 に流 され て
松 沢 さ ん も 教 団 活 動 の ゆ く え に つい て 話
。
、
﹁宗 教 は 結 局
一人 ひ と り の 人 間 的 な
ます﹂
す
触 れ合 いから始 まる
いけ ば ︵ 教 団 の存 在 は 揺 る が さ れ て い く の で
.
はな い か ﹂
マル チ メ デ ィア社 会 に な って テ レ ビ 画 面 の
。
中 に 続 々 と 現 れ る ﹁神 サ マ﹂ メ デ ィ ア の 語 源
、
は そ も そ も ﹁霊 媒 ﹂ で も あ り テ レ ビ 画 面 は
。
、
ま た 新 し い ﹁神 棚 ﹂ に な って い く だ が 同
〃
時 に 膨 大 な 情 報 の 波 に さ ら さ れ て神 々 は 聖
、
″
性 ″ を 奪 わ れ い つし か 一つの 情 報 〃 に 変
。
わ って い く の か も し れ な い ︵つづ く ︶
。
さ わ や か な 風 が 吹 く 初 夏 エー ゲ 海 を 望 む
。
、
小 高 い 丘 の 白 い 家 台 所 で 私 ほ 子 供 二人 と
、
一緒 に 夕 食 の 支 度 を し な が ら 新 聞 記 者 の 夫
。
の 帰 宅 を 待 って い る 愛 情 に 包 ま れ た 幸 せ い
っぱ い の 日 々 。 そ ん な 平 穂 な ら し
暮
に突 然 の
。
、
﹁私 は 親 を 大 切 に し て き た だ ろ う
母の死
。
か﹂
。
い ろ い ろ な 思 い が い っぺ ん に 頭 の 中 を
、
。
目 頭 が 熱 く な った
X X
駆 け巡 り
⋮⋮
﹁現 世 ﹂
﹁私 も 前 世 を
こ れ が ﹁前 世 ﹂ の 私 な の か
。
の私 は 独 身 の社 会 部 記 者 こ L
見 て み た い ﹂ と 催 眠 療 法 を 行 って い る 横 浜 市
、
。
の セ ラ ピ ス ト 川 瀬 勝 さ ん 翁 己を 訪 ね た
。
、
六 畳 の和 室
﹁じ ゃあ こ こ で や り ま し ょ
。
、
う か﹂ い か に も 簡 単 そ う に 川 瀬 さ ん は ゆ
。
っく り と 語 り だ し た 。 ﹁肩 の 力 を
抜 いて ぇ
。
、
腰 の力 も 抜 き ま す ﹂ や が て脱 力 感 に 襲 わ れ
。
ま ぶ た が く っつい た ⋮ ⋮
﹁少 し 時 間 を 戻 し
。
て み ま し ょう 与 家 の 中 に は 何 が 見 え ま す か ﹂
の で きたい
i私の 前 世」
何 か 学 んだ こと があ りま
。
人 に 思 いや りと や
﹁は い
。
。
や
、
そし て自 分 の道 は自 分 で
。
。
素直 に言葉 が でた
の時 の自 分 を 実 体 験 す る こと
﹁あな た が 見 た も のが前 世 とお ぼ し き と こ
、
。
、
ろ でし ょう ﹂ と川 瀬 さ ん 催 眠療 法 と は
、
﹁
心 ﹂ の奥 底 に潜 む 傷を いやす ため に 催 眠
、
状 態 で幼 児 期 や前 世 に ま で意 識 を 飛 ばし そ
。
想 像 力を 集中
あ た り は真 っ暗 にな って いた
が て目を 開 け ると ︵ず いぶ んと 時 間 が過 ぎ
。
﹁そ の時 に別 れを 告 げ ま し ょう ⋮ ⋮﹂
切 り開 く こと です ﹂
さ し さを 持 つこと
す か﹂ と 闘 わ れ
な た は そ の人 生 で
、
。
、
時 が き ます ﹂ 母 の 死を み と った私 が今 度 は
、
。
ベ ッド に横 た わ り 夫 に みとら れ て いる ﹁あ
、
た が そ の世 を 去 る
﹁い よ い よ あ な
浮かぶ映 像が鮮 明
。
に な って い く
問 いに答えるう ち
、
ま ぶ た の裏 に
に
>>②
、
さ せ る と イ メ ージ が膨 ら ん で ﹁別 の私﹂ が
、
、
現 れ それを も う 一人 の私 が 見守 る と いう
。
、
仕掛 け
﹁前世 を み てワ ク ワ ク し 現在 の自
。
幸 せ に生 き る こ
分 を いやせ れ ば いい の です
とが 人 間 の最 終 目標 な の です から﹂ “
、
川瀬さんを訪ねてくる人たちの動機は 約
半 分 が人 間関 係 な ど の悩 み A約 三割 が ﹁面白
。
、
そうな の で﹂ と いう 遊 び 感 覚 二十 代 三十
。
代 の女 性 が 大 半だ 二回訪 れ た独 身 女性 を も
、
。
は ﹁物 事を 深 く考 え 憂 う つにな る の 前 世
、
を 体 験 し 想 像 や夢 の世 界 は無 限 に広 げら れ
。
、
る のが う れ し か った﹂ ・ ﹁前世 ﹂ を 旅 し て
。
﹁現世 ≡ に希 望を も った ようだ
、
× X 、
八九 年 夏 徳 島 の 三人 の少 女 の ﹁自 殺 む っ
。
、
少女たち は
こ﹂ は社 会 的な 波 紋を 広 げ た
、
。
ま ぶ た の裏 に も う 一人 の自分 を 見た これ
が﹁前 世﹂な のか ⋮= 横 浜 市 の川 瀬 さん 方 で
、
古 代 の 王女 の生 ま れ変 わり で 死 の直 前 ま で
、
、
﹁前 世 ﹂ が 見 られ る と解 熱 剤 を 飲
いけ ば
。
ん で倒 れた そ の そ ばに は ﹁前 世≡ への旅 を
。
、
誘 う 漫 画 が あ った 教 育 シ ステ ムが整 備 さ れ
、
な ん とな く 人 生 が 見え
﹁学 校 にも家 庭 に も
″
しん ど さ 〃を 感 じ ている﹂ 少 女 にと って、
﹁前 世 ﹂ は自 由 に物 語 が作 れ る逃 避 の場 にな
って いる ようだ 。
・
X ×
川 瀬 さん の家 を 出 て︵ す っか り 日の落 ち た
、
﹁い い体 験を し た﹂ とふ と 思
空 を見上げ て
った 。仕 事 に忙 殺 さ れ 、 これ ほど生 活 を ゆ っ
、
く り と 見 つめ た り 夢 を 描 く ことがな か った
。
か ら か も し れな い
.
ず っと 様 子を 見守 って いた 男性 カ メ ラ マ
。
ン雀 こも撮 影 しな が ら妙 な 気 分 に襲 わ れ た
。
。
と いう
﹁不 思議な 体 験だ ったな あ 高 校
、
、
時 代 の自 分 が 今 の自 分 に ﹃
お っち ゃん
、
何 怖 い顔 し て仕 事 し て いる ん や﹄ って語
。
二人 でぼ んや り と し
り か け てき た ん や﹂
・雀 紳 誇 斬髄 虹 揮 節 錠 ﹁前 世 ﹂ はおど ろお ト
、
ろし い﹁異 界﹂の イ メ トジだ っ!
﹁前 世﹂
たが
〃
体 験 は現 在 の自 分を 元気づ け てく れる 清 涼
。
剤 〃 のよう な も のだ った でも ︵ これ で ﹁前
。
世 ﹂を 見 た こと にな る のか 結 局 は自 分 の つ
。
、
く った空想 の世 界 に週 ぎな い と も思 った
、
ち夢 ﹂を 統 げな い
ニッポ ン の ﹁現世 ﹂ では t
。
、
若 者 た ち の魂 のあ り か が ﹁現 実 ﹂ か
のか
ら浮 遊 し た と こ ろに ある のか と思う と へ何 か
。
むな し い気 も し てくる ︵つづ く ︶
熱韻
当や
立
一
躯譲黎繹軽策姪 ﹂ い
つ
約 六 千 個が 売 れ
老 人 ま で広 く利 用 さ れ て いる
約十 五万 円
リ
一ス ャ
錠 帥 淀 梅 ″力カ イ筆 ヤ禁瞭 芳 い い財 証藤 一ギ ﹁
、
、
、
。
若者 主婦 ・
。
美術 家 の検 尾
、 っ .
、
・
の発売 元 八幡 書 店 の武 田察 元 社 長 が に
だ ぅ
﹁
.
ャ .
の
︼
︺
坤 中貯キ イ中 れ 中 申 中菊 枠中↓ 中神義 陀孝 体
。
︼
験 に挑 んだ 卜W
高 僧 が 長 い修 行 の果 て に到 達 でき る と いわ
。
れ た 霊陀羅 の世 界 いま では電気 的 な刺 激 を
、
ち ょ っと脳 に 与 える こと で 同じ よ うな 経 験
││││││││││││││││││││││││││
鮮
の不可思議で魅惑的なものが映し出される こ
。
とがある﹂とパ ンフレ ットに言葉を寄せる
、
﹁普段経験しな い視覚体験をする ことで
。
・
神や内的な宇宮が見える メガ プレィンも
教団や組織をとりはら って宗教の フ行〃を直
、
。
未知
に拡大する 何気な い日常の中 にすら 十
田□陽理題賜瑠餞盟溺田題
プ ︵
幻覚状態︶々
、
矮 小 な日常的自我は消失し 意識は多元的
遊 惑 覚 を と もなプ
︲
素 晴 ら し いトリ ッ
ダ ラ的 宇 宙 への浮 ・
忠則 さ ん は ﹁マン
>>①
体麟で ストレスを解消するメンタ
仮想環境、
、
ル ヘル スクラプが京都市内にあると聞き 訪
。
。
ロの前に広がる百巧 の特
ねた 薄暗 い部屋 ヤ
ー 。
大 三面 スクリ ン 映像に合わせ七席 のいす
。 ッド
、
ホンからは立体
が上下 前後に動く ヘ
3D︶音響が流れ、あたかも 面の中にい
︵
画
。
ィーで マ
ェ
るかのよう バ1
ヽチ ャル リアリテ
〃
目 と 耳 から刺 激 を受 け る と 頭 の中 が 劇 場 か
⋮ ⋮H 東 京 の八幡 書 店 で
にな る と いう が
、
。
ろを宗教に求める人たちがいる しかし 仮
想環境体験がスドレスを解消してくれるなら
。
ば、
宗教の﹁いやし﹂の機能も吸収していく
X
X ×,
自分の魂が抜け出て︵自分の肉体を見 つめ
る﹁
幽体離脱﹂感を味わうことはいまい ェレ
クトロ クスの発達で技術的に十分可能にな
ニ
ったという。ゲトム機器をセラピ■ ︵
精神療
法︶に応用しょうと検討しているゲーム機器
もし五百円払 って
メーカトの広報担当者は ﹁
っ
心が洗われるなら宗教団体にと て脅威でし
ょう﹂とも言 つていた。仮想空間で女性とデ
ートしたり、たらふく食べるとい った願望の
。
世界を楽しむことはすぐにも実現できる 林
、
ヨガ
、
チ ベ ット仏 教 など の修 行を 通
︱ チ ャル ・セ ック ス﹂ も 成 り 立 ち う る ” ⋮
バ一
を刺激してェクスタシーが得られれば、 ﹁
禅
し て獲 得 で き た ﹁超 感 覚 ﹂ の世 界 ”七 〇 拝
、 LS D
ド ッグ 薬 ︶ が流 行 し て
ど
︵
ラ
な
、
九〇年代 の
代
、
ャ
いま エレクト ロ ニク スによるバ﹁チ ル
サ イ ケ デ リ ツク文 化 が 広 が り
﹁現地 事 務 所 に宗 派 の記念碑 のような も の
を 建 てら れな いだ ろう か﹂
東南 アジ ア各 地 で活動 する NC O ︵
非政府
、
組織︶
﹁曹 洞宗 国 際 ボ ラ ン テ ィア会 ︵S V
、
A︶ ﹂ は い ま
﹁教 化 ﹂ か ﹁共 生 ﹂ か と いう
。
ジ レ ン マに直 面 し て いる
﹁曹 洞宗 ﹂ と いう
、
名 は つく も のの 宗 派 から独 立 し てす で に十
。
、
し かし 年 間 約六億 円 の活 動資 金 のう
、
三年
ち約 一億 五千 万円 が
今 も曹 洞 宗 を中 心 と し
。
記
た僧 り ょたち の募 金 でま かな わ れ て いる
、
。
そ の僧 り ょた ち か ら の声
念 碑 の話 は
﹁現地 の人 た ち に 寄 り添 いなが ら活動 し よ
、
、
記 念 碑 を 建 てる な ん て
う と し てき た のに
押 し つけが ま し く みら れ る ﹂
S V Aの バン コク ・アジ ア地 域 事 務 長、
所
。
秦 辰也 さん定 こは 困惑 し た 表情 でいう タ イ
、
の首 都 バン コク の南 部 港 に接 し た運河 地 帯
に バラ ックが 並ぶ 巨大 スラ ム﹁ク ロント イ名
、
ぬかる んだ道 の傍 ら で 焼 き鳥 やジ ュー スが
、
売ら れ 子ど も た ち は泥 ま み れ で遊 び 回る。
。
こ こに事 務所を 開 設 し て、
十 年 を 超 え る ﹁こ
れ ま で築 い てき た 住 民 と の関係 を崩 す こと に
。
な らな いか ︰⋮﹂ と 秦 さ ん は心 配す る のだ
。
″
布 教 と NC O活 動 国内 か ら の 教 化 要請 〃
、
と 現地 の人 々 と の ﹁共生 ﹂ の間 で、ボ ラン
。
テ ィアたち は立 ち往 生 す る
S VAの前 身 は、 曹 洞宗 が 一 八
九 〇 年 に結
。
成 した ﹁
曹 洞宗 東南 アジ ア難 民救 済 会 議≡
D
カ ンボ ジ
アから難
民が続出
し た こ
、
僧り
ろ
ょた ち が
ポ ト 時 代 に焼 か れ た児 童 書 の復 刻 に取 り 組 ん
人
ヽ
坤
Ⅵ
兼 神義ヤ 章地 納 錠数 第 際 り 転態わ ウ 荘 唯
。
人だ けだ バシ ヨク事 務 所 に は 日本 人 五人 と 、
、
、
タ イ人 五十 人 が いる が 信 仰対 象 は仏 教 キ
、
リ スト教 イ スラ ム教な ど さ ま ざ ま ”秦 さ ん
、
自 身 仏 教 徒 と い っても 浄土 真 宗 の門 徒 だ 。
。
秦 さ ん は NC O の役 割 に つい て こう 語 る
、
同時 に 日
救 い た いと 願う こと
貢献 のあ か し や
。
スラ ム街 に 建 設し た 保 育 所 で子 ども た ち の面
倒 を 見 る ポ ラ ン テ イアた ち = バ ン ヨク で
弁 務 富 事 務 所 が 難 民 救 援 金 の募 金 を 呼 び か け
た と き ハ 十 数 団 体 で 即 座 に 二億 八 千 万 円 を 贈
って い る 。 キ リ ス ト 教 系 団 体 か ら の 千 百
三 万
、
、
円 神 社 関係 か ら の 四 百 七 十 万 円 と比 べ る と
そ の 額 ほ 際 立 って い た ”
、
、
だ が 資 金 援 助を 超 え て
﹁布 教 ﹂ と し て
、
そ の国 の問 題 に かか わ り NC O活 動 の中 で
″
、
。
教 化 ″を 求 め れ ば 地 域 での 反発 を 招 く
S V Aの有 馬 実成 事 務 局長 は ﹁結 局 、 現地 に
″
、
教 え ″を持 ち込 む かど う か と いう判 断 は
、
現 在 世 界 のあち こち で発生 し ている宗 教 戦
。
″
争 と根 が 同じ 問 題な ん です
教 え かを持 ち
、
自 分 た ち が 正 し い﹄ と や れ ば 必ず
込ん で ﹃
。
、
衝突 が起 きる これ を どう 乗 り越 え る か は
、
記 念碑 の問 題 は
二十 一世 紀 の地 球 的 課 題 で
る のではな く
が大 切 でご
宗教教固はい膨大な集金能力を持ちハ中 で よう だ ↓ 一
千
。
も仏教系は強い 湾岸戦争後、国連難民高等
︵つづ く︶
NC〇 二百九 十 二団体 の う ち宗 教 系 は 約 二
私 た ち は アジ アの人 た ち と の ﹁心 の国 際交
。
割 NCO活動が始ま つた六〇年代には約五 流 ﹂ を 抜 き に は ﹁平 和﹂ も ﹁共 存 ﹂ もな い 。
、
、
″
割もあ ったが その比率は次第に減り ﹁
宗 地 球市 民的 活 動 と伝道 一 記念 碑 ︵ の0 く え
。
、
教﹂の色合いは薄れ つつある 一
は 日本 の伝 統 仏 教教 国 の姿 を 象 徴 し て いる
NCO活動推進センタトによると、国内の
と つな が る
き は し な いか ”ボ ラ ン テ ィアた ち は 日を そ
。
際 蓄 薩行 ﹂ と 位 置 づ け る そ の支 援運 動 の延 ろ え て いう 。 ﹁豊 か さ や人 間 の原点 を アジ ア
、
″
。
長と し て
教 化 ″の 要請 ヘ の中 か ら 学 ばな く てはな らな い 〃援 助 〃す
、
、
共 に生 き 共 に生 活 す る 姿 勢
社 会 的 貢献 を 目指 し た活 動
、
だ った が わず か 一年 半 で
。
終 わ った
﹁金 や毛布 を 贈
、
るだ け でよ いのか と の思
いが教 団内部 に広 が った か
。
ら﹂ と 関係 者 は いう
﹁も
、
っと地 に 足 の ついた活 動 を と
﹂ 宗派を 離 れ
本 に住 ん で いる人 々 と のパ イプ 役 と し て海 外
。
民間 ボ ラ ン テ ィア団体 の S V Aにな った
と のギ ャ ップ を少 な く し て いく のが NC O で
!
いま ︵活 動 ほタ イ 、 カ ンボ ジ ア、 ラオ スに はな いか﹂ 一
!
。
、
広 が る タ イ で は スラ ムに保育 所 を 開 設 し ︵
一方 ︹教 団 の慣 り よたち は S V Aの精 神
カ ン ボ ジ アに は印 刷 の専 門 家 を 送 ってポ ル ・ を ﹁蓄 薩 の心 は 、自 分 を さ てお い ても衆
生を
。
ボ ラ ン テ ィア活 動 は国
>>①
﹁き め細 かく現 地 の 要 求 に応 え
第神部
││││││││││││││││││││││││││││││││││││││1
悩 める宗 教系 NG0
しかし
。
。
、
タ イ 北 部 の 新 興 工 業 地 帯 ラ ンプ ー ン 県
、
そ の 郊 外 の 丘 の 中 腹 に 毎 朝 六 時 半 ﹁国 の 丸 ﹂
。
が 高 々 と ひ る が え る 日 本 の 巨 大 N G O ︵非
、
﹁オ イ ス カ 産 業 開 発 協 力 団 ﹂ の
政府組織 ︶
。
タ イ 農 林 業 研 修 セ ン タ ーだ 南 欧 を 思 わ せ る
。
白 壁 に赤 屋 根 の 事 務 所 棟 前 庭 に 三 本 の 鉄 製
、
、
、
ポ ー ル が 立 ち タ イ 国 旗 日 の 丸 オ イ スカ
。
、
族 の 三旗 が 揺 れ る そ の 下 日 本 人 と タ イ 人
、
の計 九 人 が 寝 食 を 共 に し な が ら 植 林 や 食 用
。
一日 の 始 ま
ナ マズ の 養 殖 な ど を 進 め て い た
。
、
N C O がな
り は ﹁国 旗 掲 揚 ﹂ か ら
ぜ ﹁日 の 丸 ﹂ な の だ ろ う か
ッ
日
長 ﹁ 本 人 スタ
中 作 予 つキ中 中 ︺ 串 ヤ
。
中野
ォ す からね﹂
良 子 オ イ スカ 会 長 は 東 京 都 杉 並 区 の 本 部 で 答
。
現地 では戦前 の日本軍を連想 さ
え てく れ た
農林など 四省 の認可を
。
事業総 額 は
せ る 日 の 丸 の 掲 揚 も ﹁日 の 丸 の 方 こ そ ︵軍 国
、
。
主 義 の︶ 被 害 者 な ん です む し ろ掲 揚 し て
。
良 い イ メ ー ジ に 変 え な く て は あ ん な に素 晴
。
ら し い デ ザ イ ン はな い ん で す か ら 日 の 丸 を
。
使 う こと は 日本 民 族 の た め で も あ る ん で す ﹂
、
、
外務
オ イ スカ は
、
受け
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
一
十
一
一
一
一
一
一
一
。
そして
﹁日 本 の 心 は ﹃天 皇 さ ん ﹄ が 象 徴 し て い る ﹂
民 族 の 遺 伝 子 が な せ る わ ざ です ね ﹂
人 が オ イ スカ 一透 盟 騒 謝 駆 鎗 紛 酸 戯繊鶴麟圏蘊盟□臣題踊踊顧鴎酸鶴 騨 懸 鴎 麟 鞭 植 林 用 の商 木 の生 育 を 見守 る オ イ スカ
等生 ﹂ と厚 い
。
。
、
しかしそのルージが 静 題昭 一L盤熙磁鋼野■■ 一
キ
一鍵鋼癒錫覇餡韻麟騨題鍵瀬臨鶴圏冨日 とも語る
信頼を寄せ る
、
、 ィ
・
岡県清水市に本部を置く信 饗隠iキ一
麓麟観醸騨〓〓一
鹸盟繊頸露翻鰹懸盟麗顕醸翻閣□圏回 四年前 フ リピン ネグロス島で オイ
︵っ 奔
濁
隅
モ
狂
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頬
離
華
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酸
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醸
麻
勅
韓
つ
懇
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鍵
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神
紳
鞭
打
車
韓
鰯
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鞠
鞭
職
韓
鞠
鰹
騨
鞭
醒
鞭
鞭
鞭
麟
鞭
醒
鞭
盟
四
口
一
題
申
”
〓
節
ヤ
。
ことはあまり知られていな 一
■■〓掛騒額播翻懇一森無輪麟顕園醸騒麗懸園踏臣巨日目田□麒 人民軍﹂に誘拐される事件があ った 当時︵
九 三年度︶を手が れているが
や農業指導など百三事業 ︵
。
、
オイスカは発足後 二十五年間で事業総額 ているのです﹂と確信をも って語る 戦後補
、
。
を 三十億に増畑させた 東南 アジ アに 二十 二 償の清算問題が アジ アの中 での﹁日本 の心﹂
、
ー
ッ
力所の研修センターを持ち 十四カ国で植林 の在り方を間うものとしてク ロ ズア プ さ
、
﹁援助﹂の現場 でなびく ﹁旧の
、
は 組 織 が き っち り 別 で す か ら 混 同 さ れ る と
。
、
宗 教 ﹂ と 言 い な が ら 海 外 に 足 場 の な か った 困 り ま す 私 た ち の 仕 事 は ︵日 本 が ︶ 孤 立 す
、
。
っ
小 教 団 は N C O と し て 世 界 へ乗 り 出 し た る こ と を 防 ぐ た め に 友 好 の き ず な を つく
、
。
い 大本教 ︵
現 ・大本︶の信者だ った中野興 ﹁父ほ最初から国際とか 宇宙を対象にし 日本市場向けのクワの葉 の生産に取り組んで
。
、
清水市︶に世界的 た教えを説 いていた 日本は戦争で負けたけ いた水野さんは ﹁無線機を持 ってクワ畑を見
之助氏が四九年 ﹁ここ ︵
、
、
、
っ
宗教が生まれる﹂という啓示で開いた新宗教 ど 心を開いて国際的にやれば負けな いんだ 回 っていたので 私を政府側のスパイと思
。
〃
。
、
。
、
だ オイ スカの中野会長は興之助氏の養女で と いう考えの持ち主でした 結成当時 アシ たよう です 地元 への 援助〃も彼らから見
、
。
、
。
二代目教主を務めた 宇宙の摂理そのものが アでは 少し天候が悪 いと餓死者が出た お れば 武力を伴わな い共産化防止活動になる
。
。
、
■
教団から んですから ︰﹂と振り返る
﹁教え﹂で 農業は天と地の産物でその ﹁
教 説教 ではこれは防げな いでし ょう ︵
、
、
。
とはいえ ﹁旧の丸掲揚は NCOとして
え﹂を具現するものとして重視する オイスカ ヘの転身は︶食べる ことを第 一に考 一
。
、
世界的 あまりに無神経 ではないか﹂ ﹁日本向けの商
五〇年代後半 一時は信者が約十万人に達 えた結果﹂と︵中野会長は説明する ﹁
。
、
し たが そ の後 は減 少 の 一途 今 は ﹁現状 を
。
信者 の家庭 で何 と か後 継 者 を
維 持 す るだ け
中村 国
出 し てもら う よう お 願 いし て いる ﹂ ︵
。
夫 ・教 団総 務 部 長 ︶ と いう 信 者 数 が減 少 に
、
転 じ た ころ の六 一年 興之 助 氏 は自 ら教主 を
、
、
辞 め オ イ スカ の 元 国 際文 化 交 友 会 を 結 成
。
≡
し た ﹁ つづK平
神という寛容さがあるじゃないですか↓現地卜
一︵
をと環縁ではあり揮ないず ・
じ
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離
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毎
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撃沖
襲難経購覇∽細
半 翔一
0部
一九 六 九 年 に 設 立 さ れ た
。
・
理事に石原俊 経済 同
・経 団
連会長ら
保 守 系 国 会 議 員 二百 二十
豊 田 章 一郎
、
昨年度 で約十 五億 円
、
友会前代表幹事
財 界 の大 物 が 並 び
神道系教 団 か らNGOに
。
﹁政権 復帰 は みな さ ん のお かげ みな さ ん こ
。
そ困 った時 の真 の友 ﹂ 世 界救世 教 の総 本 山 が
、
。
あ る神 奈川 県 ・箱 根 今 月 一日 教 団 が推 進
、
す る自 然 農 法 の収穫 を 祝う感謝 祭 が 開 か れ
ほ詰 め かけ た 約 一万
自
裁
小
副
総
の
渕
恵
三
民
党
。
これ に応 え て教 団 の
人 の信者 を 持 ち上 げ た
MO A派
川 合 輝 明総 長 は ﹁応 援 す る議 員 が 上 位 当 選 で
。
、
と あ いさ つ 感謝 祭
き る よう 日々 祈 り ま す ﹂
、
は来 春 の統 一地 方 選 の必 勝 祈 願 も兼 ね 三百
。
三十九 人 の地 方 議 員が 顔 を そろえ ていた 一
、
内 紛 で 三 つに分裂 し た 教 団内 で
。
﹁教 団が 目指
︵
主流 派︶ は都道 府 県 ごと に自 民 党 の救世 支
、
、
地 方 議 員 千人 以上 国会 議 員 百 五
部を 設 け
十 人 以上を 選挙 で後 押 しす る
、
教
団
か
ら
﹁票
﹂
と
い
つ
技
援
を
受
け
t・党
構
員
f 一
い
つ
。
す 病 ・争 い 貧 し さ の な い地 上 天 国 の 建 設
、
は 良 き 政治家 な し に は実 現 し えな い﹂ ﹁教
。
団 の石 原 新 二広 報 部 長 盆 尋は こう説 明す る
、
二年前 世 界 救世 教 の関 係 者 が 高知 県 の元
、
木益樹 ・自 民党 県議 侯 こら の紹 介 で 使 わ れ
も
こL
一
、
によ る自 治 体 への働
き かけ が 各地 で展 開
。
さ れ て いる ・
理想社 会 の実 現 に
、
政 治 に近づ く
。
優
人 工中 絶
、
の禁 上 を 目指 し
宗 教団 体
向け
>>①
こ の年
参 院 選 に比 例 区制 が 導 入さ れ
宗教
。
ック に し た
、
教
。
,の中に畳没できな い﹂が撤退の理由だ った
、
ヽ ﹁政治は理想を いくら叫んでも きれいごと
。
では何も進まな い世界だ った 宗教は晋遍的
、
なものだが 政治 は時代のすう勢 で驚くほど
。
。
っ
変わ ってしまう むなしさだけが残 た﹂
。
、
寺内さんは そう つぶやく 立正校威会の関係
者 も ﹁党 員 の少 な い宗 教 団体 を バ
候補 者 は当 落 ギ リギ リ のと ころ に置 か れ
。
団 が必 死 にな る よう に仕 組 ま れ てき た
いま多 く の教 団が 政 治 に
、
。
こ こ数 年 悪質 な宗
団体 は政治 に振 り回 さ れ てき た ﹂ と 語 る
、
にもか か わ らず
か かわ る 動機 はな にか
教 ビジ ネ スにから ん で宗 教 界 に対 す る 社 会 の
、
目 が 厳 しく な り 税 の優 遇措 置 の見直 しが 政
っ
とな⋮
本
家鞍連盟の斎藤嫌畝停
⋮
ー
たギ日
ヽ
・
指標題
に多額の政治献金をするなど政治的駆け引き
える世界救世教の推薦候補は当選確実な名簿
、
、
十位にランクされたのに対し 生長の家 立
、
正佼成会の推した候補は 二十 一 二十 二位に
。
、
順位引き上げのため
置かれ ともに落選 ﹁
自民党は候補者の名簿登載順位を党員 ・党友
。
の獲得数などによ って決めた 党員を多数抱
年
生 長 の家 が 政治活 動 か ら撤 退 し た のは 人 三
、
、
。
員 も 務 め た寺 内弘 子 さ ん含 と は ﹁先 生方 を 献
っ
身 的 に応 援 し てきた 私 た ち の苦 労 は何だ た
。
、
のか と 福 しく て仕 方 が な か った﹂ と 言 う
で廃 案 に
・
四 年 に政 治 緒社 生 長 の家 政 治
、
連 合 を 構 成 法改 正を 支 持 す る
。
衆 参 の自 民党 議 員 を 応 援 した
、
、
し かし 改 正案 は七 四年 参 院
、
。
同政治 連 合 職 員 で のち に参院 議
生 保護 法 改 正 に取 り組 んだ 生 長
の家 も そ の 一つ だ った ” 一九 六
教勢 拡大
権益 ・
統 一地 方 選 必 勝 祈 願を 兼 ね た世 界救 世 教 の
一
感 謝 祭 壇 上 は あ いさ っす る自 民党 の小渕
H 神 奈 川 県箱 根 町 で1
1 月1 日
副 総裁
危ぐ する
カネ と は 無縁だ
宗 教 は心 の豊 か さ
、
、
その
安 らぎ
。
優遇
務局 長 は ﹁課税 強 化 は国家 に よ る宗教 への介
、
。
、
入で
を 与 える のが 役 目 で
税 制 と は思 って いな い﹂と 力 説す るが
、
宗 教法 人な ど 公 益
公 益 性 と いう 優 遇措 置 の根 拠 を めぐ る 疑間 が
。
広 が って いる
今 年度 の税 制 改 正 で は
法 人 の収 益 事 業 から公 益 部 門 への寄 付 金 と し
て非 課 税 と な る割 合 が 三〇% か ら 二七 % に引
。
き下 げ ら れた 同連 盟 の当時 の幹部 は ﹁当 初
、
は 二五物 ま で引 き 下げ る と言 われ 政 治家 ら
。
を 回 って反 対 し た ﹂ と 証言 す る
国内 の伝 統 仏 教 守 院 の九割 以上 が 加 盟 す る
﹁全 日本 仏 教 会 ﹂ は来 年 一月を め ど に ﹁仏 教
。
総勢
仮 称 ︶ を 設 立す る
国会 議 員 懇話 会 ﹂ ︵
二百 人 以 上 の 国 会 議 員 が 結 集 す る と み ら
れへ白 幡憲 佑 事 務 総 長 は ﹁信 教 の自 由の 確
、
立 や仏 教 理 解 を 進 め る 一方 議 員側 の要 望
的
を 聞 く場 にな る ﹂ と 語る
、
。
票 ﹂を 教 団
政 治 と宗 教 政 治 家側 は ﹁
・
側 は ﹁権 益 保持 教 勢 拡大 ﹂を 求 め て互 い
、
っ
両者 の 関 係 はも たれ あ て物 事 を
に接 近 し
そ の社 会的 基 盤 そ
運 び が ちな 日 本 の精 神 風 土 を 色 濃 く 投 影 し て
、
。
いる だ が 教 団 あげ て の集票 活 動 に ついて
、
宗 教 団体 の目 的 か ら 逸脱 し て は いな いか と
。
良心﹂
の批 判 も出 始 め た これ ま で自 律 的 な ﹁
一政 治 と のも た れ
を 看板 にし てき た教 団組 織
、
あ いや税 制 論 議 を 通 し て
のも の に国 民 の ま な ざ しが 注 が れ だ し て い
﹁君
、
。
生 き と った ん か 同 窓 会 名 簿 は 不 明
に な っと った
死 し た と 思 っと った ぞ ﹂
勢 ち 一戦
、
伊 奈 教 酵 さ ん を この 耳 に 受 話 器 を
先月
、
社
同
く
搭
駆 穀 庫 類時 審 馳 旺 歎 韓 久 唯 確 地 海 幼 れ 熊 ”
、
。
国 立 療 養 所 長 島 愛 生 園 真 宗 大 谷 派 の寺 に
、
生 まれた伊奈さん は大谷大学 に進んだ が
一
、
九 四 三年 末 に学 徒 出 陣 先 で 発 症 四 七 年 に ハ
、
?
こ こに 隔 離 さ れ た そ
ン セ ン病 と 診 断 さ れ
、
れ以来
治 療法 は確立 され
、
日本
穀 中封弗理中車球串
伊 養所に入所してい
、
ん ハンセツ病は
﹁藤 井 善 ﹂ と い う 別 名 で 生 活 し
。
。
会 と は隔 絶 さ れ てき た
る 患 者 は約 六 千 人
で は も う 新 た な 感 染 者 は 発 生 し な い と も いわ
、
治 療 を 終 え た 患 者 は社 会 復 帰 で
そんな 中
伊奈さんが本名を
。
﹁家 族 に 迷 惑 が か か る ﹂ と
。
、
﹁不 治 の 病 ﹂ ﹁遺 伝 病 ﹂ と の 偏 見 が
、
故 郷 に帰
れ ているが
。
きな い
、
あり
れな いと いう
名 乗 る よ う に な った の ほ 五 年 前 の こ と
。
れ
の法 話 は衝 撃 的だ った
。
﹁ど う ぞ
お大 事 に﹂ 終 わ っていた それ ま
で
、
っ
① で の法 話 と は あ ま り にも違 て
。
﹁世 に捨 てら れ た のだ か ら
> いた
>
私 は世 を 捨 てる ﹂ と 無 理 や り思 い
、
込 ん でき ただ け に 伊 奈 さ ん は﹁心
八 八 年 に ﹁人
の中 で 抑 え て い た と こ ろを 突 か
、
。
反 発を 覚 え た﹂ と いう ・
、
長 年 の療 養 者 の願 いが 実 り
間 回復 の橋 ﹂と呼 ば れ る 邑久 長 島 大 橋 が完 成
。
し 、 愛 生 園が ある 島 と本 州 と が 結 ばれ た そ
、
玉光 さ ん は ﹁みな さ ん の人 間 回復な し
の時
八九 年
、
、
長 島 愛 生 国 内 の納 骨 堂
、
って も
。
園 で療 養 中 に 亡 く な
遺 族 が 遺 骨 の引 き 取 り を 断 る こ と が
、
自 分 た ち で弔 お う と 建 立 さ れ た
あ った た め
。
ことが ︵長 年 に わ た って続 けら れ てき た
。
、
昨年 八月下旬 そ
東 京 都 荒 川 区 の火 葬 場
こ で 一人 の男 が 弔 わ れ た
、
不法 滞在 中 の 三十
人 生 の 悲 し みを 凝 縮 し た よ
国 人 な ど 現 代 の 差 別 構 造 に立 ち 向 か え る の
、
。
か ど う か 日本 の差別 の現場 に踏 み込 む 宗
。
教 者 の姿 は まだ 少 な い ︵つづ く ︶
逆 に生 き る力 も 与 え た宗 教
ろ し い病 気 で はな いん で す﹂ ﹁ら い病 者
隔 離 の歴史 を は っき り させ てお か な け れ
。
、
ば 同 じ ことを 繰 り 返 す ﹂
、
、
し か し ハン セ ン病 や エイズ 在 日外 国 人
、
な ど さ ま ざ まな 差別 はも ち ろん 既 成 仏 教だ
。
けの問 題 で はな い 国 内 の仏 教 徒 は約 六 千 五
、
百 万人 を 数 え 私 たち も そ の差 別 意 識 か ら自
、
。
由 で はな い ハン セ ン病 者 を 差 別 ・隔離 も し
。
エイ ズや 在 日外
触 れる
、
伊奈 さ ん は いま 全 国 各地 で自 ら の体
。
験を 語 っている そし て エイズ問 題 に も
。
︰ 。
﹁正 し い知 識 を 持 って i 恐
。
、
う な 顔 だ った ﹂ と た め 患 を つい て い た
口を 大 き く 開 け
。
、
に 入 り そ の 二十 五 時 間 後 に 他 界 し た
、
日本 に 不 法 滞 在 し て いる タ イ 人 は 現 在 少
、
。
な く と も 五 万人 大 使 館 に よ れ ば 昨 年 は 六
。
、
十 人 今 年 は上 半 期 だ け で 四 十 五 人 が 死 亡
、
タ イ と 同 じ 仏 教 国 の 日 本 で 葬 式 を 挙 げ てく
。
れ る守がな い タイ人 男性 の火葬 に立 ち会 っ
、
た 浄 土 宗 僧 り ょ 戸 松 義 晴 さ ん を しは ﹁目 と
。
夕
く
一
︺
却
中
和
戒
中
印
中
守
葡
み
ヤ
〓
争
和
一
キ
”
﹁
弗
で ﹁みなさんが ことにおられることが国家の
評雛荘
繁饒萎轟麹
私 も目 り の家族 も人 間 ら しく
。
。
翌 年 から 本 名 を 名乗 った
伊 奈 さん は ひら め いた
、
に私 た ち 差別 し た 側 の人 間 回復 もな い﹂ と 話
、
。
﹁私 が 本 当 の私
し
にな る こと で
生 き て いける﹂
。
伊奈 さん の こ
。
﹁それ ま で
伊 奈 さ ん のお いでも あ る 同開 大 学 助 教 授
、
中 村 薫 さ んa 毎=仏 教 学=が
とを 知 った の は大 学 院生 の ころ
家 族 もず っと 隠 し て いた ん です ﹂
等と 救済 を説 く釈 尊 の教 えと は全く相反 する
だ に 残 る ﹁女 人 禁 制 ﹂ の ﹁聖 地 ﹂
、
り ハン セ ン 病 患 者 への 差 別 意 識 が 作 ら れ て
。
い つた ﹂ と 中 村 さ ん は 語 る
。
仏 教 に よ る 差 別 は ハン セ ン 病 に 限 ら な い
、
、
曹 洞 宗 真 宗 な ど 多 く の宗 派 が 被 差 別 部 落
。
の 死 者 に 差 別 戒 名 ・法 を つけ て い た い ま
名
。
人 間 の平
誕 窮譲諜され
舞錬
伊奈 さ ん と初 め て会 った中 村 さ ん は ﹁ただ 手
、
を握 り し め 涙 を 流 し た 出 会 いでし た﹂ と 振
。
り返 る 中 村 さん に と って仏教 と ハン セン病
っ
との
な
︺
﹁紳 勢 効 ︺ 錬峡 確 ﹁翻 穀 締租 兼 証璃 る 立
、
僧 り ょは ﹁
前世 の
ら い病 にな る﹂ と書 か れ
炉1酪
﹁こ こ 一 を 終 え て 無 念 と 思 い ま せ ん か
で
生
、
が間 われな けれ ば ︰⋮﹂
な ぜ隔離か
、
八 五年
愛 生 園 に 訪 れ た 真 宗 大 谷 派 の光 明
、
玉光順 正さん往 己
寺 ︵兵 庫 県 市 川 町 ︶ 住 職
ハ ンセン病 隔離 なぜ
│││││││││││││││││││││││││││││││││││││
、
﹁今 日 の 平 和 と 繁 栄 は 靖 国 神 社 に 祭 ら れ
。
て いる 英 霊 の犠 牲 の う え に 築 か れ て いる 英
、
。
霊 を 慰 霊 す る の は 国 家 国 民 の務 め だ ﹂ 東
。
京 ・九 段 の 靖 国 神 社 境 内 菊 の 花 の 紋 章 が 輝
、
く 神 門 わ き で 白 い帽 子 にネ ク タ イ 姿 の 七 十
、
代 の 男 性 が マイ ク を 握 り 団
体
の
参
拝
者 や家
。
族 連 れ に 向 か って 声 を 張 り 上 げ る 一
届の タ ス
。
太 平洋戦争 で
キ に は ﹁英 霊 に こ た え る 会 ﹂
ア ジ ア 各 地 へ出 征 し た 人 々 や そ の 遺 族 ら 約 百
、
二十 万 人 が 会 に 名 を 連 ね
﹁靖 国 神 社 の 国 家
。
護持 ﹂ を 毎 週 日曜 日 に訴 え 続 け て いる
、
国会 が太 平洋
来 年 の終 戦 五十 周 年 に 際 し
﹁侵 略
そ れ を 阻止 す る た め に
。
戦争を 侵略戦争と 認め る決議を出す のではな
、
いか と の危 機 感 か ら
会 で は 五百 万人 署 名 を 目指 し て い る
戦 争 と 認 め る こと は 戦 死 者 を 侵 略 に加 担 し た
、
。
浮 か ばれな い 戦友
者 と 見 な す こと に な り
た ち は ﹃靖 国 で 会 お う ﹄ を 合 言 葉 に 敵 陣 に 突
。
そ の 死 は 一体 何 だ った の か ﹂ と 元 大
。
佐 藤 博 志 さ ん を 己は 力 を 込 め る
、
撃した
、
尉
﹁靖 国 ﹂ は 戦 後
常 に 政 治 と宗 教 の 関 係 を
、
、
同時 に 日
考 え る ﹁バ ロメ ー タ ー ﹂ で あ り
太 平洋戦
本 が 行 った 戦 争 そ の も の を ど う と ら え る か と
o
いう 重 い テ ー マを 投 げ か け て き た
、
靖 国 神 社 は 戦 死し た 軍 人 ら の 霊を 英 霊 と
し て国 家 が 祭 る の を 目 的 に 一八 六 九 ︵明
治 二︶
。
年 に創 建 さ れ た 東 京 招 魂 社 が 前 身
D
、
温床 にな ったと し て 終 戦 直
、
連合 国軍総 司 令 部 ︵G H
後
>>①
Q︶ は 国家神 道 の解 体 と 靖 国
若 い世 代 へ の継承 模索
神 社 の国 家 から の完 全 分 離 を
、
命 じ 靖 国神社 は 一宗 教 法 人
。
と し て再出 発し た
、
し か し 日本 遺 族 会 な どを中 心 に ﹁靖 国復
、
活 ﹂を 望 む声 は絶 え ず 国営 化を 目指 し た靖
、
国神 社法 案 ︵一九 七 四年廃 案 ︶ 首 相 ・閣僚
。
の公 式参 拝 問 題 へと 連 な ってき た そ の賛 否
、
、
ほ思想 的対決 を 生 み 神 社 本 庁 生 長 の家 、
、
、
世 界 救世 教 が法 案 賛 成 派 日本 キリ スト 教 団
第10部
│ │ │ │ │ │ │千
T │l │l │l │l │l
め て国会 に提 出 さ れ た六 九 年 に ﹁キ リ スト 者
、
反対 運 動を 続 け
道 族 の会 ﹂を 結 成 し て以来
。
ている
戦 争 で亡 く し た 二人 の弟 は靖 国神 社
、
抹 消 の 要求 も 関 き 入れ ら れ て い
軍医 と し て中 国戦 線 に従 軍 し た小川 さ
に合 紀 さ れ
。
ない
ん は ﹁戦地 で私 が みと った人 の多 く が ﹃もう
。
キリ ス
戦 争 はやめ てく れ﹄ と 言 って死ん だ
護甍:
捨膏聾
暴貧墨
有 言
易 贅
日 る
︺
﹁
報 懐錬 鵡 雄 紛 時 茅 が た鞭 鞠 範 頓鞭 証 錬
。
閣僚 参拝 が続 き
。
双方
悪 い方 向
。
宗 教 の枠 を 超 え た問 いか け にどう 答 え る
、
平和な 長 い時 を 過 ごし てきた 私 た ち は
。
︵つづ く︶
課 題を 積 み残 し た ま ま にし ている
のか
の
かな け れ ば いけな い﹂ ︵
英 霊 に こた え る会 の
、
倉林 和 男事 務 局 長︶ と 戦 争 を 知らな い世 代
。
への精神 の継 承 に つい て模 索 が続 く ﹁靖 国﹂
、
ん︶
う 若 い人 に 訴 え ていく必 要 が あ る﹂ ︵
小川 さ
、
﹁若 者 に 日本 の本 当 の歴史を 教 え て い
そ れ ぞれ に ﹁二度 と侵 略戦争 を 起 こさな い よ
上方 では高 齢 化 の進 む 遺 族 たち
に向 か っている﹂ と 見る
た と こ ろだ
は ﹁靖 国 問 題 は終 わ り ではな く
。
、
遺 族 の会 実 行委 員 長 の 西川 重 則 さ ん会 七︶
、
始ま っ
月 議会 に提 案 さ れ る見通 し
愛媛 な ど十 二の県 議会 で 同様 の決 議案 が十 二
。
キ リ スト者
恵 を表 明 す る ﹂と の決 議を自 民党 単独 で可決
薩吹
る 戦 没者 追 悼 決 議 の取 り扱 いが焦 点 にな って
戦 五十 周年 国 民運 動 実 行 委 員会 ﹂ が 求 め て い
では
え て い る の は ア ジ ア 各 国 への 配 慮 か ら だ け
。
、
だ 違 憲判 決 も 高 裁 レ ベル の判 断 で 影響 力 ヽ
。
はな い﹂ と 強気 だ
。
終 戦 か ら 五十 年
﹁靖 国﹂ をめ ぐ る攻 防 は
。
新 たな 局面 を 迎 え よう と し ている 地 方 議会
、
靖 国神 社 な ど 三十 団体 で構 成 す る ﹁終
法 問 題 でな く
。
、
と 司法 か ら も疑 義 が 示さ れ た し かし 神 社
本庁 の打 田文 博 ・渉 外 部 長 は ﹁靖 国参拝 は憲
、
。
あ く ま で外 交問 題 参拝 を 控
こ 社 :
た のi
え 国
恒!
る 家
﹁来 年 の 敗 戦 五 十 年 こ そ 教 団 の 姿 勢 の 真 価
。
が 問 わ れ る と き で す 前 門 主 の ﹃消 患 ﹄ の 失
十1 。
効を宣言 し てほし い﹂
真宗遺族会事務
、
局 の 正 蔵 坊 ︵島 根 県 ︶ 住 職 菅 原 龍 憲 さ ん 各
。
告 こで い う ﹁消 息 ﹂ と
己は力 を 込 め て語 る ︶
、
、
は 浄 土 真 宗 本 願 寺 派 の最 高 権 威 門 主 が 門
、
末 に向 け て出 す 手 紙 の こと で 教 団 内 で は 教
。
典 な ど と 同 様 の 重 み を 持 つ 先 の 大 戦 中 の ﹁消
、
。
り 込 ん で いる
息﹂ は 戦意高揚
髪盟
﹁進 ン デ 身 命 ヲ 鋒 鏑 ニオ ト シ 一死 君 国 二殉
セ ン ハ誠 二義 勇 ノ 極 ミ ﹂ ︵昭 和 十 三 年 九 月 二
十 八 日︶
﹁身 爺 財 ヲ 献 ゲ テ 正 シ ク 聖 戦 ⋮ 完 遂 ス ベ キ
演劇
三人 と も 門 徒 で
誉 卜 謂 フ ヘキ ナ
浄土 真 宗 本 願寺 派 の末寺 で 見 つか った戦時 中
に在 る キリ スト教 徒 ﹂ に ﹁日本 の大東 亜 共 栄
こ のよ う に 雪聞 を う って各教 団 と も戦
に関 す る 理 想 抱 負 を 開 ら か﹂ にす る書 簡を 送
、
。
そ の案 を 賞 金付 き で募集 し て いる
るため
、
なぜ
争協 力 し てし ま った のか ” ﹁この ことを 開 確
、
時 流 に流 さ れ て同じ
、
宗 教 の戦
に押 さ え て いかな いと
ことを 繰 り 返 し てし まう ﹂ と 長年
争協力 に つい て研 究 し てき た 日蓮 宗 現 代 宗 教
、
研究 所 顧間
中 濃 教 篤 さんO e は指 摘 す る ”
、
日本 キ リ
戦 争 に対 す る教 団見 解 と し ては
谷 派が 八七 年
スト教 団 が 一九六 七 年 に ﹁責 任﹂ 告白 し た の
、
。
が 最初 仏 教 教 国 は 二十 年以上 遅 れ 真 宗 大
、
曹 洞宗 が 九 二年 に それぞ れ貢
等 を述 べ る こと﹂ ﹁戦 争を 完 遂 す る に はA た
った 一人 の、 違 った考 へを も つた人 が ゐ ても
任 表白 や アジ アの人 々 に対 す る謝 罪など を 行
っている 。 浄土 真 宗本 願寺 派 も九 一年 に、宗
い
し
難 範 ゆ頬 却 紳 車 一顛紳 髄酸 却 錬唯α 鱒
精神風土
んな 日本 的 ﹁体質 ﹂を 受 け継 ぐ 伝統 宗 教 教 団
。
の責 任 が間 わ れ て いる ︵つづ く ︶
ぞ って ﹁
大 法 要﹂ の 日程が 目自 押 しだ が
各教団 こ
、千
そ
﹁無 責 任 ﹂ 体 制 を 買 いたか のよう な 日本 的 な
、
。
来 年 の戦 後 五十 年 では
続い
も あり
結 果的 に戦 争 に協 力 し た ﹂と いうだ け の教 団
、
、
戦 争 協 力を どう 受 け とめ 教訓 化 し
だが
会 で 戦 争 協 力 への 反 省 決 議 を し た ほ
、
か 戦 後 育 ち の大 谷光 真 門 主 宿 とが 今
、
夏 全 戦 没者 追悼 法 要 で ﹁私 た ち の教
団 は戦 争 賛美 ・協 力 な ど さ ま ざ ま の過
。
ちを 犯 し ま した ﹂ と述 べ た
、
、
、ヽ
﹁政府 軍部 の圧力 に 屈 し
り は︶ 土 の忠 霊 に供
出 ま
﹁
︵
盆
郷
踊
ん
来
せ
﹂
。
教区 の 日
曜 学校 の運営 委 員 長を 務 め る 野 村 さ ん は ﹁太
ョツ
こう し た資 料 を も と にした報 告
書 ﹁戦時 下 の岐 阜 教 区 ﹂を 編 集 し た縁 覚 寺 住
、
。
、
﹁年 配 の方 に は
職 楠 真 さ ん倉 eは いう
、
と いう人 も い
る
戦 争 に積極 的 に協 力 し た の は仏 教 教 団 に限
私 た ち の世 代 と の橋 渡 し にな れ ば
冊 子が そ ん な人 と戦 争 を 知 ら な い
⋮
﹂
過 去 の ことを ほ じく りだ す な
。
、
だが
タを 受 け た
寺 ま で こんな ことを や ら せ た のか﹂ と シ
。
養 す る心 持 でお ど らし て下 さ い﹂
﹁
ふ
脚 部 雑 々 斐 譲 や帥 立ず 不 蘇聯警疎席 腔 い証 帥
。
らな い 日本 キ リ スト教 団 も ﹁大東亜 共 栄圏
の資料= 同 派 の岐 阜 教 区教 務 所 で
を 生るで ﹁国 のため に 死 んだ ﹂
人戒 名 ︵
法名︶
。
ことを ほ め た た えた 三七 年 の 日中戦 争 開始
、
、
﹁国威 宣 揚 将
に当 た っては 各 仏教 教 団 は
、
﹁法主 また は法
士提全を祈念﹂ ︵
曹 洞宗 ︶
、
浄土 真宗 本 願 寺 派 真
主 代 理 の皇 軍慰関 ﹂ ︵
、
﹁皇 軍 の武 運 長 久を 祈 願﹂ ︵
浄
宗大 谷 派 ︶
、
、
土 宗 ︶を 行 い 戦 争 で殺 し た り 侵 略 し た相
。
手 に対 す る視 線 はみら れな い
、
、
し か し 戦 後 五十 回 忌 の今 年 積 極 的な 戦
。
争 協 力を 反省 す る動 きが 広 が り始 め た 浄土
、
真宗 本 願 寺派 の岐 阜 教 区 で は 戦 争 を知 らな
い若 い世代 の僧 り ょた ち の協 力 で寺 に残 る戦
。
時 中 の資料 調査 が 行 わ れ て いる 岐 阜 県 池 田
、
町 の浄 妙 寺 僧 り ょ 野村 法 宏 さ ん各 0は土蔵
の中 でみ かん箱 一杯分 あ った戦 時 中 の教 団 機
リ﹂な どと裏側 に
。
刻 んだ
靖 国神 社 を 中 心
戦 争 協 力 は ﹁あ ら
別にして
にし
国
た
家
神
道は
へ
そ んな
>>①
ゆ る爺を 大 切 にす る ≡ 教 え の
。
、
仏 教 に はそぐ わな い だ が
各 教 団 と も 日清 ・日露戦 争時
、
から 従 軍し て死んだ 信 者 や
⋮
!
⋮
⋮
⋮
■一
率草⋮
⋮
一
円 徒 に は無償 で軍人 院 号 や軍 ,
戦後50年迎│え
賛美,協力"∵
教団 ヽ
講 談 に も 戦 意 高 揚 の ﹁美 談 ﹂ と
。
、
ナ リ ﹂ ︵昭 和 十 五 年 二月 十 一日 ︶
、
、
これ が 教 典 と 同じ 扱 い にな り 教 団 の 内 規
。
上 は 今 も ﹁生 き て ﹂い る そ こ で 菅 原 さ ん た ち
、
は ﹁消 息 ﹂ 矢 効 を 求 め る 署 名 運 動 を 起 こ し
。
教 団 の 下 か ら ﹁戦 争 責 任 ﹂を 問 い 直 し て い る
京 都 ・東 山 五 条 の 浄 土 真 宗 本 願 寺 派 の 墓
。
、
所 大 谷 本 廟 そ の 一角 に ﹁肉 弾 三 勇 士 之 墓 ﹂
。
が あ る 上 海 事 変 の 最 中 の 一九 三 二︵昭 和 七 ︶
、
年 二月 二十 二日 三 人 の 日 本 兵 が 鉄 条 網 破 壊
、
の た め 爆 薬 を 装 てん し た筒 を 抱 い て突 入 爆
。
、
死 し た 軍 は こ れ を ﹁死 を 覚 悟 の 行 為 ﹂ と し
、
、
映画
し て取 り 上 げ ら れ た
は 全 国 か ら 募 金 し て 墓 を 建 立 し ︵ ﹁宗 門 ノ 栄
第10部
││││││││││││││││││││││││││││││││││││││││
、
﹁地 下 室 で 私 は 空 襲 警 報 が 解 除 さ れ る の
。
を 患 を ひ そ め て 待 った そ し て 神 に 祈 り ま し
、
・
⋮ 。
た , ﹂ 十 一月 初 め イ タ リ ア と バ チ カ ン
で 開 か れ た ﹁第 六 回 世 界 宗 教 者 平 和 会 議 ︵W
、
C R P Ⅵ ︶ ﹂ に 旧 ユー ゴ ・ク ロア チ ア か ら
、
駆 け つけ た 詩 人 ベ ラ シ ック 女 史 は そ の 惨 状
。
を 生 々 し く 語 った 冷 戦 構 造 の 崩 壊 で 世 界 は
。
劇 的 な 変 容 を 遂 げ た 各 地 で 民 族 ・地 域 間 の
、
対 立 が 表 面 化 し そ の 紛 争 に ﹁宗 教 ﹂ 自 体 が
。
か ら ま って い る 例 は 少 な く な い
﹁宗 教 の 名
。
で 人 を 殺 し て は な ら な い﹂ バ チ カ ン で の 開
、
会 式 で ロー マ法 王 ヨ 舎 不 ・パ ウ ロ ニ世 は こ
。
、
う 訴 え た 宗 教 は い ま ど の よ う に 平 和 に寄
。
。
と り わ け 日 本 の宗 教 は
日 本 の宗 教 代 表 の 顔 ぶ れ が さ び し く な っ
。
これま で欠か さず この会 議 に参加 し た
﹁世 界 か ら の 参 加 者 の 熱 意 ほ 変 わ ら な い の
、
与 できる のか
に
た﹂
臨 済 宗 妙 心 寺 派 の 宝 積 玄 承 師 は ﹁日 本 の 宗 教
、
。
界 は い ま 転 機 で はな い か ﹂ と 問 いか け た
、
こ の 会 議 の 第 一回 は 一九 七 〇 年 京 都 で 開
、
、
、
か れ 日本 の 新 旧 仏 教 神 道 キ リ ス ト 教 な
。
ど の 主 要 教 団 が こ ぞ って 参 加 し た
﹁宗 教 の
相 互 理 解 と協 力 で 平 和 を ﹂ を 合 言 葉 に 五年 む
、
、
今 回 は イ スラ ム
と に開かれ
ユダ ヤ 教 徒 に
。
こ
く らんだ
。
と ころが
、
﹁
ヨ
立正
日本 の代 表 団 か ら い
、
つし か 伝 統 仏 教 教 団 が 減 り
﹁共 通 の場 ﹂を 求 め る 世 界 の宗 教 界
、
と 日本 宗 豹 界 の流 れ に は ﹁途ゴ ﹂ が 生 じ て
。
いる のだ 平 和 が 続 く 日本 の宗 教 教 団 に は 共
。
通 の場 ﹂ を 求 め る ﹁切実 さ ﹂ が 欠 け る のか
、
、
そ の 一方 今年 十 月 〓一
重 県 伊 勢 市 で は ﹁世
。
国 際 日本 文 化 研究 セ ンタ ー
、
、
創 価学 会
。
﹁世 界 の傷 を 癒 す ﹂を 主 題 にし た﹁世 界宗 教
1
者 平 和 会議 ﹂ 開 会 式= バ チ カ ンで1 月3 B
を 継 ぐ 日本 山 妙 法 寺派 の平和運 動
単 独 の積 極 的 な ﹁平 和 外 交 ﹂も知 ら れ て いる
いず れ に し ても 多 く
﹁ 教 の平 和 運 動 は多 様 化 に向 か って いま
宗
、
、 ト ッ
カ リ ク枢 機 卿
す ﹂ と語る の は
この度
。
に就 任 し た白 柳 誠 一師
の教 団 が 世 界 の ﹁平 和 ﹂ のため に心 を くだ く
、
姿 は 第 二次 大 戦 後 の新 し い光 景 とも い え る
中
て
、
戦 前 戦 中 の 日本 で 反戦 平 和 のため に身を 挺
、
し て抵 抗 し た 宗 教 者 は いても 教 団 の運動 と
。
教 団 は戦 後 に初 め て平 和
し て は見ら れな い
初 の 軽 鑑 彊 緋 経 難 葬 中旋 才 多
勢
山折哲雄 教授 は
、
び出 し て いる
く の教 団 が ﹁平 和 ﹂ を 掲 げ て独 自 に海外 に 飛
。
確 か に世 界 に学 び な がら 各 種
張だ け の場 にな る ﹂ と批 判 し
た宗 教 体 験 の共 有 によ る協 力 へ≡ と 訴 え た
、
、
神社本 庁 大 本 黒住教など神 道系教 団を
、
、
、
曹 洞宗 天 台 宗 など の仏 教 教 団 そ
、
る
中心 に
れ にカ ト リ ック教 会 が 参加 し
まれ
民族 派 的 色 彩 が みら れ る のも特 色だ
、
このほ か宗 教 の横 断 的な 平 和組 織 に は
叡 山 宗 教サ ミ ット の流 れ を く む ﹁世 界 平和 の
、
七 〇 年 代 ま で の ベト
比
大 会決 議 に ﹁民 族 文 化 を 守 る ﹂ が 盛 り込
。
、
教 的 な情 操 教 育 ﹂ の大 切 さを 強 調 し て いる
祈 り の集 い﹂ グ ル ープ
こ こで は ﹁宗
。
世 界 の生 々 し い紛 争 の現 実 に教 団 とし てど の
、
、
よう に対応 す る のか と いう こと より も 宗
、
個 々 の人 間 の
ナ ム戦 争時 代 に脚 光 を 浴 び た革新 系 の ﹁世 界
。
故藤 井 日達 山 主 の衣 鉢
仏 教 徒 会 議 ﹂ もあ る
日 本 の宗 教 が 世 界 でど のよう に受 けと め ら れ
る か へ は私 た ち 日本 人 の そ の精 神 の深 さ に か
。
か って いる ︵つづ く ︶
感 ﹂ ﹁共 苦 ﹂ の精 神 を 持 ちう る のだ ろう か
和
轄
﹁眸 却 ∽郷 夢 蘇 璃 キ 榔 つ雄 的 移 錬舞 触
。
。
戦 火 によ る も のだ け で はな い 飢 餓 と貧 困
。
、
差 別 と抑 圧 南 北世 界 の格 差 はむ し ろ拡 大 し
﹁平和 ﹂ の障 害 にな って いる と の報 告 も 聞 か
。
。
れ た 地 球 環 境 も生 き物 た ち も 傷 つい て いる
、
これ ら の問 題 に対 し て私 た ち は ど こま で﹁共
。
き つけ ら れ て いる よ うだ
来 の地点 に立 てる のか ” そ んな 課 題 が 突
。
族 や 国益 を 超 え
力 のあ り方 と し て ﹁祈 りな ど 霊 性 を も と に し
。
と もす れ ば自 己主
、
今 後 の宗 教 協
、
﹁霊性 ﹂を 見 つめ る 中 で他 人 と の共 感 理解
、
と いう の であ
を 深め て いく べ き で はな いか
。
宗 教 会 議 を 支 え てき た 日本 の宗 教 への評 価 は
、
。
高 く 一つの ﹁国 際 貢 献 ﹂ の姿 であ る ただ
、
﹁平和 ﹂を 唱 え る だ け に とど ま らず 民
本
、
普 通 性 を も った宗 教 本
﹁言 語 に よ る宗 教 協 力 は
全 体 テ ー マは ﹁二十 一世 紀 への新 し い世 界 秩
。
︱
序 を 求 め て 共 生 と祈 り﹂ 基 調講 演 を し た
界 連 邦 平 和 促 進 全 国 宗 教 者 大 会 ﹂が 開 か れ た
佼 成 会 な ど 幾 つか の 新 宗 教 組 織 が
。
突 出 す る 形 に な って き た 平 和 を
め ぐ って 具 体 的 な 課 題 を 語 り あ う
>>④
教 と いう 本 来 的 な 立 場 に立 ち
第10部
対 し て 初 め て バ チ カ ン が ﹁開 放 ﹂ さ れ た
れ は ﹁対 話 の 積 み 重 ね の 成 果 ﹂ と だ れ も が 認
、
国 際 的 な 宗 教 協 力 の 可 能 性 への 期 待 は ふ
め
「
に向けた 日本 の祈 り
平 和」
に し な い 日 本 と いう シ ス テ ム﹂ ︵毎 日 新 聞 社
。
﹁ ﹃こ の 人 生 は ど こ か お か し い﹄ と 多 く の
。
日 本 人 が 感 じ て いる そ れ は な ぜ か ? ﹂
、
﹁居 心 地 の 悪 さ を 感 じ て いる 人 の 数 は 驚
。
、
そし て こ の不満 は あ ら ゆ る 世
代
が消 え
経 済的 な場世 利 益
旧 本 人 は ひ た す ら⋮
終 戦 と と も に ﹁日 本 は神 の 国 ﹂ と いう 妄 想
、
中 で 日本 人 が生 き て いる
﹁偽 り の リ ア リ テ ィー ︵現 実 感 ︶ ﹂ の
そし
て
、
。
と いう の で あ る
学生 が こ れ ほ ど 多 い の か ? と た た み か け る
い の か ? な ん の 理 想 も な いと す ら 見 え る 大
。
ウ ォル フ レ ン 氏 は
ほ と ん ど の 階 層 に 広 が って い る ﹂ と いう
、
な ぜ 学 校 嫌 いの 子供 が 多
く ほど 多 い
、
刊 ︶ で こう 書 き 出 し て いる
を テ ー マに 開 か れ た 世 界 賢 人 会 議 ︵平 安 会 議 ︶
、
で エド ワ ー ド ・ヒー ス卿 ︵元 英 国 首 相 ︶ と
ヤ ン ・チ ェン ニン氏 ︵ニ ュー ヨー ク 州 立 大 教
、
、
授 ノ ー ベル 物 理 学 賞 受 賞 者 ︶ は 日 本 の 若
。
い世 代 に そ ん な メ ッセ ー ジ を 投 げ か け た た
、
だ ﹁悲 情 城 市 ﹂ な ど で 知 ら れ る 映 画 監 督 侯
。
孝 賢 さ ん ︵台 湾 ︶ は こ う 付 け 加 え た
、
﹁日 本 は 規 律 で 成 長 し て いる 国 だ が こ れ
、
。
は 長 所 でも あ り 短 所 で も あ り ま す 大 事 な
、
の は 日 本 の若 者 が ど の よ う に 元 気 を 取 り 戻
、
す か これ が 皆 さ ん の貢 務 です ﹂
、
一方 ベ スト セ ラ ー ﹁日 本 / 権 力 構 造 の 謎 ﹂
ッ
、
で 知 ら れ る ジ ャー ナ リ スト カ レ ル ・
ヴ ァン ・ウ ォル フレ ン 氏 は 近 著 ﹁人 間 を 幸 福
記 念 し て六 月
紀 に 至 っても 大 き な 支 え に な り ま す ﹂
。
平 安 建 都 一二〇 〇 年 を 迎 え た 京 都 そ れ を
、
﹁人 間 ・文 明 ・そ し て地 球 ﹂
、
。
、
﹁日本 の 一番 の 特 徴 は 規 律 で す これ が
、
日 本 に と って非 常 に プ ラ スに な り 二十 一世
│││││││││││││││││││││││││││││││││││││
を 求め
、
豊 かな高
度 消 費 社会 を 作り
。
、
だが 経
上げた
初 も う で の人 た ち で理 め つくさ れた明治神
。
日本 人 の ﹁信仰 ﹂ 心 のあ り かは ⋮⋮
宮
。
重 な って く る
ワー ド とし て ﹁智 ︵
英 知︶ ﹂ ﹁寛
、
容 ﹂な どが 挙 げ られ 侯孝 賢 さん
、
自 分 を 見 つめ る﹄ こ
は
﹁まず ﹃
先 の会 議 で は
﹁平 和 ﹂と ﹁安 らぎ ﹂を掲 げた
、
二十 一世紀 のキ ー
∈ ∋ ∈
様 な 価 値 観 を 受 け 入 れ る 社 会 を 築 く こと と も
時に
を 共 存 さ せ る フ ァジ ー ︵あ い ま い ︶ な 日本 の
。
﹁個 人 ﹂ の確 立 と と も に そ の ﹁共
精神 風土
、
生 ﹂ 感 覚 を 意 識 的 に 見 直 し 理 論 化 し て世 界
。
に 明 す べ き 時 な の か も し れな い そ れ は 同
説
、
、
国 内 に お い て も ﹁国 際 化 ﹂ を 進 め 多
張を 共 存 させ る 日本 のあ り方 は 二十 一世紀 に
積
ぉ
選百
醒蠣葬ン 碑陣
と 緊張を もたず
そし て世 界各地 の地域 紛 争 の背 景 に ﹁宗教 ﹂
、
﹁日本 の宗教 は発信型
対 立 が 見ら れる いま
。
、
、
ではな く 受 信 型だ った だ が 宗 教 が政治
、
、
、
神 道 仏教 な ど の理念 主
経済 の シ ステ ムを 阻
宗 教 が世 俗 化し て政治
、
済 成 長 を 支 え てき
。
省 の若 い富 僚 は こう も 言う
、
﹁これ から宗教 ほ 通 産省 の領域 に 入る で
。
、
し ょう 宗 教施設 や文 化 遺産な ど の管 理 は
、
文 部 省 に任 せ ても い いけ ど 精神 ビジネ ス産
、
業 と 見 たとき 私 たち の仕 事 にな ります よ﹂
、
だ が 若 者 の﹁元気 喪失 ﹂はそんな 形 で解決
、
。
はし な い 伝統 宗 教 の側 は 現代 的な 課 題 に
。
、
そんな 中 で 日
書 しな か った ためだ﹂ と 本 国際 日本 文 化 研究
。
セ ンタ ーの山折哲 雄 教 授 ︵
宗 教 学 ︶ は言う
﹁日 本 教 ﹂ を 支 え て き た 規
。
いえ る会 社主 義
﹁不 安 ﹂ が 漂 い
律 も 揺 ら いで き て いる
∈ ∋ ∈
、
、
戦 後 五十 年 私 た ち は 何 を 失 い ・
何を 得 た
。
、
現 代 日 本 人 の ﹁安 ら ぎ ﹂ の あ り か を
、
さ ら に ﹁こ こ ろ ﹂ を
。
用 ば か りを 重 視 し
デ スク は 池 田知 隆 ︵大 阪 学 芸 部 ︶
水 勝 ︵京 都 支 局 ︶
、
この シ リ ー ズ の担 当 は 横 山 真 佳 六編 集 委
、
、
員 ︶ 小 泉 敬 太 ︵東 京 社 会 部 ︶ 伊 藤 轡 永 ︵政
、
、
治 部 ︶ 三角 真 理 ︵大 阪 社 会 部 ︶ 鈴 木 敏 吾
、
、
︵大 阪 地 方 部 ︶ 西 村 浩 一 中 川 博 史 ︵大 阪
、
、
特 別 報 道 部 ︶ 小 林 一彦 ︵大 阪 学 芸 部 ︶ 清
。
、
福 岡総 局 ︶
重 里徹也 ︵
。
ま さ に 地 球 感 覚 で の ﹁こ こ ろ ﹂ の 開 国 が 求 め
。
ら れ て い る ︵お わ り ︶
本 人 の も っと 基 本 的 な 精 神 の ﹁軸 ﹂ み た いな と か ら ﹃
他 人 の 理 解 ﹄ が 始 ま る ﹂ と アジ ア の
。
。
と こ ろ で揺 ら ぎ が 生 じ て い る の で は な い か
立 場 か ら 語 り か け て い た 来 年 は ﹁国 際 寛 容
、
、
、
。
、
アジ アか ら 日
見る と 巨 な
動
﹁こ こ ろ ﹂ の あ り か
大
を
経
活
年﹂ 日本人 はまず
本
済
。
を 自 ら 見 つめ る こ と が 大 き な 課 題 の よ う だ
多 額 の 援 助 の 背 後 に 日 本 の ﹁顔 ﹂ が わ か ら な
、
。
い と よ く 聞 か さ れ る ビ ジ ネ ス の成 功 や 実
、
人 間 性 や道 徳 面 で の蓄 積
世 界 が 変 わ って 見 え る ﹂ と ば か り に 流 行 し て
れ て いる
明治維 新
に送 ら さ
られ
そ の 日本 は いま
、
、
い る 自 己 開 発 セ ミ ナ ー 的 若 者 の 心 は ﹁投 資 ﹂
。
の 対 象 に な って い る
通 産 省 も ﹁人 間 を い き い き さ せ る ﹂ 精 神 世
、
省 内 に 感 性 ビ ジ ネ ス研 究
界 への 関 心 を 寄 せ
、
脳 にや さ し い情 報 環境 な ど さ
。
通産
ま ざ ま な 産 業 開 発 の研 究 を 進 め て いる
会 を 発足させ
楊 撼
敗 戦 に 続 き ﹁第 三 の 開 国 ﹂
。
﹁相 本 のヽ
近 代 北 つ戒 功 ば
が い か に も 薄 く ︵ 精 神 的 にポ ッカ リ と し た 空
。
白 が 広 が って い る よ う だ こ れ か ら ど う 生 き
、
、
る のか 国際社会 でどう 責 任を と る のか と
、
、
間 わ れた時 どう 考 え てい いのか 価値 観 そ
。
の も の を 探 し あ ぐ ね て いる
、
国 際 社 会 で の責 任 を 求 め
よう にも見え る
新 興 の 宗 教 は ま る で 現 代 人 の ﹁活 力 剤 ﹂ の
。
、
さ ら に ﹁自 分 が 変 わ れ ば
が いを 求 め て新 新 宗 教 に 走 る エリ ー ト た ち ︰
≡
政 治 に深 く か か わ って き た 巨 大 教 団 ︵ 生 き
め ぐ る さ ま ざ ま な 風 景 を 見 つめ て き た
探 ろ う と 私 た ち は宗 教
のか
はほ と ん ど沈黙 す る ばか り
た ﹁日 本 教 ﹂ と も
、
>>④
集 団 への 規 律 の 下
、
で 若 い世 代 の ﹁元 気 ﹂ が 薄
、
れ て い る ” た ち は い っし
挑
か 動 物 園 の権 の 中 の 動 物 み た
い に な って き た の で は な い
。
、
か 豊 富 に食 料 を 与 え ら れ
、
厳 し い 天 候 か ら も 保 護 さ れ そ れ に 伴 って自
、
。
現 実 か ら も 浮 遊 し て は いな いA そ ん な
、
然
│!経済成長支 えた規律に揺 ら
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