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見る/開く - 茨城大学

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見る/開く - 茨城大学
ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)
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日本でのポー-6-昭和期<戦前:戦時>-3-
中村. 融
茨城大学教養部紀要(14): 51-66
1982
http://hdl.handle.net/10109/9746
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お問合せ先
茨城大学学術企画部学術情報課(図書館) 情報支援係
http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html
51
「日本でのボー6:昭和期〈戦前・戦時〉(3)」
中 村 融
Toe in Japan 6:Sh6wa Era−Prewar Days and Wartime(3)”
Tohru NAKAMuRA
前号に引き続いて,〈戦時〉のボー評論・研究について記す。昭和12年については既に
述べたので,昭和13年から20年の時期についてとなる。昭和13年には再刊を含めて6点ある
が,その中で興味をひく1つについて記す。ルイ・レイノ 難波浩訳『現代文学の危機』
(三笠書房)の中にボーが出てくるが,その箇所は第2編,第2章「技巧に向っての思い
きった転向」の中の「マラルメの本質一彼の野心一ポオ及び英国作家の影響一その詩論一
ポオ及びマラルメに於ける『技巧的なもの』」である。ボーへの関心の方向がこれでわか
る。なおi著者の原名はLouis Reynaudである。
昭和14年ではフラソスのボー評論の翻訳について詳述するが,その前にジ・一ジ・ムア
崎山正毅訳r一青年の告白』〈岩波文庫〉の中の第5章,第14章のボーへの言及を,その
著者故に記しておく。
ボーはアメリカでもイギリスでも余り読まれず,しかも誤解されているが,汝こそ我等の芸術的な
人生の重要部分である。
「仙女島」「沈黙」「エリオノー」はマネの書と綴織で美しく飾られた部屋の神秘的な霊である。
(前掲書,83頁)
私 私は純粋にして簡単なエドガー・ボーだ。お前がお前自身の穴を繕はないかぎり私の個性の
穴を繕はないでくれ。
良心 私はボーの霊感だよ。私は私を持っていることによって永久に残るのだ。しかもお前の霊
感は肉体から湧いたものだ。それ故肉体同様にかりそめのものだ。(248頁)
ボー評論の翻訳の1っは,グルモン 石川湧訳「ポウとボードレエルについての覚書」,
『文学的散歩』(春秋社)である。その原題は “Marginalia sur Edgar Poe et
sur Baudeldire”, ProηLεπαdθ8 L競θrαかθ8.1st ser.(Paris:Mercure de
France,1904)だが,上述の翻訳は手に入らず,原文も見られなかったので・Jean
Alexander, ノVア‘(1αひ‘亡s o/ Gθπε砿8 Edgαr ∠4〃απ Poθ απd εんe Frθηlch
Cr薦cs,1847−1924(Port Washington, N.Y.,1847)の中の英訳によってその
内容を記さざるを得ない。短文の集合で,各文に番号が付され,その最後は36だが,どう
52 茨城大学教養部紀要(第14号)
いうわけか9,28,32が無いので,33の短文から成りたっていて,13頁を占め,そのい
ずれもが著者の考えを簡潔に語る。冒頭の3文は,ボーの生きたアメリカの環境が特にポ
一に敵対していたわけではなく,それは他の国の作家達にも同様で,非常に知的な作家は
自らの環境を最悪と断ずるものだとし,作家の実生活と作品の間には必然的関係はいつも
あるわけではなく,ボーの実生活には異常なものは何も含まれていず,不健全な夢想家と
いうボー像は馬鹿げていて,ボーはその奇行にもか\わらず規則を好むと語る。所謂くポ
一伝説〉からボーを引き離し,様々な付着物を取り去ろうというのが著者の意図なのだろ
う。著者はこれから様々なことについて語るが,さめた眼で観察し,前もって思いこみも
敵意も無い。しかし冷たくはなく,語り口もおだやかだ。冷静な眼で眺めるとボーはこう
見えるという風で,これがこの論の特徴だし,取るべき所である。順をおって内容を辿り
たいが,話題がとんでいるので,共通と思われるものをまとめて紹介する。5∼8はボー
とボードレールの比較である。ボーの女性に対する態度をとりあげ,ボードレールの女性
観を記し,又大衆観,詩人論にふれ,両者の相違を述べる。間をおいて21∼26がまたこ
の話題だが,興味深いのはボーの死が1849年で,ボードレールがボーを衝撃と共に知った
のが1847年なら,何故ボーに手紙を書くのを思いつかなかったのかとの疑問を提し,ボー
ドレールの進歩,愛などについてのアフォリズムを引用し,ボーならどう考えるかと推測
している点である。この過程で著者はヴィリエ・ド・リラダンを比較の相手として度々引
き出しているが,著者はリラダンに深い共感を示しており,こ\から著者の立場がわかる。
以上の比較はボードレールというレソズを通してしかボーを眺めぬ傾向とか,そういう思
い込みを引き戻す効果がある。私に一番印象深いのは,
Baudelaire ls evi1, demonic−knows it, en】oys it,1s afraid of himself.
Poe, weak, sad and ill, has horror of himself;but he also has pity.
(前掲書,228頁)
という両者の人間論であり,
With so many resemblances, what a lot of differences between the
author of“Ulaume”, and the man who wrote, concernlng the
FZωrs(勉 mαZ. (228頁)
がこの話題についての著者の結びのようだ。次の10∼16は作品論と言える。10では「壕
の中の手記」の冒頭の,ボーの断定的で絶対的な言葉づかいと反論しようもない上から見
下したような高飛車な語調の効果を指摘し,次いで13ではボーの探偵小説の効果の因は,
その主題が“asound psychological observation”(223頁)と述べ,更に14∼16
は詩人ボーについて,ボーはこの上なく主観的な詩人で,冷静に創作したと自ら誇る恐怖
とそれを生む苦しみが彼の詩,彼の最上の物語のテーマで,詩の中でのみボーは彼の心の
奥底,著者の言葉を借りれば,“the feelings of deep tenderness that troubled
and bewitched his life”(224頁)を表わすと語る。ボーの詩の世界は〈夢想の世界〉
であり,彼の詩の理想は“the oratorical line, freely movlng, limpid, fiery”
(224頁)なのだが,そこには到達できず,〈皮肉な冷たさ〉がつきまとう,そしてそれ
は「創作の哲学」に出ているような彼の詩論と彼の本心との食い違いの故とする。ボーの
目ざす詩はテニスソの詩であると著者は考え,感情の自然な表現がこしらえごとのために
妨げられているとするのだ。ボーは近代文学の先駆者とする立場ではなく,あくまで1人
中村:日本でのボー6:昭和期く戦前・戦時〉(3) 53
の詩人として鑑賞するという立脚点だ。大分ボードレールの観方とは離れてくる。続く18,
19は「創作の哲学」批判だが,こ玉に著者の立場が一層はっきりと出てくる。著者は「創
作の哲学」は人々が最も進んで受け入れ,一番長い間信じこんでいたmystificationと
断ずる。(mystificationは,hoaxと同じく,適切な訳語が見出しにくい言葉で,「神
秘化,煙にまくこと,人をかつぐこと」など説明があるが,どうも不満で原語を記してお
く。)それがボーの創作の方法を我々に語ってくれるものでないのは,自らの創作経験に
照らしてみればわかることではないか,創作の大部分は予期せざるものが果してくれるの
であって,無意識の領域にあるものだと説く。これは著者の確信と言ってよい。「創作の
哲学」で述べられているボーの方式は非合理な前提に立っている,すなわち詩人はある思
想にまつわるあらゆる言葉の組合せを,引続いて短時間に想像できるという前提だ。そん
なことはあり得ず,“the principle of all verbal composition is the principle
of association of ideas, lmages, sounds−association and liking.”(225
頁)と説明する。主義,イデオロギーによるのでなく,自らの経験,観察という基盤を確
信して,そこから判断していくという著者は,モラリストと通ずるところがある。31では,
ボーは狂気かと問いかけ,ある意味ではそうだと答える。それは彼の飲酒に対する態度で
わかり,彼には“astrange mental malady, a paralysis of the will”(230
頁)があり,それを“the spirit of perversity”(230頁)と名づけて,物語の中でそ
れを研究しているのであり,ポーは自らの健康,知性,才能を自ら滅ぼしたのではないか
と文をとじている。35ではボーの所謂hoaxをとりあげ,それらを娯楽,心理的実験とし
ているのはさほど驚くにはあたらぬが,それらには“notoriety, billboards, bar
barous publicity, extravagant journalism”(232頁)へのアメリカ独自の好みが
うかぼえ,ボーはエマスン,ホイットマソより以上に代表的アメリカ人であって,彼には
実際的なところもあり,文学を奪われたら素晴らしい実業家,一流のプロモーターになっ
たろうと述べているのには驚かされる。ポーについてこんなことを述べた例を私は知らな
い。そしてその次に来る。
Baudelaire, who went on placing his faith in Edgar Poe, carefully
disguised that part of his character. (232頁)
という文は,ボードレールと著者が大分離れていることを示す。終りの36では,創造的精
神と批評精神とを対立させるのは馬鹿げていて,後者なしにはどんな創造もあり得ず,そ
れでは嘲る鳥のような詩人があるのみだとし,ボーの特色を最もよく表わす言葉は“a
great critical mind”(232頁)と結ぶ。もう一度ふりかえってみると,著者の自らの
経験・観察に照らしての独自の判断が魅力的で,項事にわたらず,肝要な点をとらえてい
るのにも感心する。このような,ボーにまつわりっいたいろいろな衣装を取り払ってみせ
るようなボー論は少なく貴重であり,教えられるところが多く,それに紹介されることも
少ない故に可成りの頁数をさいた。しかしこの論の形式からか,まとまりと展開に欠けて
いるのは残念だ。ボードレールが1821年生,1867年没,著者グールモソは1858年生,
1915年没だから,直後の世代に属する。次に述べるヴァレリーは1871年生,1945年没で,
時代が少し下がる。この少しの差は,彼等のボードレール観の相違に影響があるものだろ
うか。
次に,ポール・ヴァレリー 安士正夫・寺田透共訳「ボードレールの位置」,『ヴァリ
54 茨城大学教養部紀要(第14号)
エテ』皿(白水社)について記す。これは1924年2月19日,モナコでの講演で,訳は“La
situation de Baudelaire”, Rεひαθ(∫θFrαηcε(Sept。15,1924)によって
いる。ヴァレリーには主要なボー評論が3つあるが,これは昭和7年のrヴァリエテ』1
所載の「『ユウレカ』に就きて」に続いて2番目の翻訳で,ロマン派を脱して近代詩の源
流となるボードレールをフラソス詩の流れの中でとらえ,明快に而も魅力的に語り,ロマ
ン主義を古典主義と対立させ,見事に定義した近代詩論の古典と言うべき名論である。著
者はボーとボードレールは精神的双生児であると考えていて,ボードレールを語ることが
即ちボーを語っているという具合なので,ボーのみの箇所をとり出すのも気が進まぬが,
ヴァレリーが自らのボー像を直接に而も十分に語っているのがこの論の特徴でもあるので,
そこを中心に記す。冒頭にボードレールにとってのボーにふれ,ボー像を語る。その名文,
名訳を引用する。
詩歌の才に批判的知性が結びっくといふことは,異例の事情なのであります。ボードレールは,か
うした稀有の聯合に,一個肝要な発見を負うているのであります。彼は生来,官能的であり,又精
密でした,彼の感受性は,彼を,形式の繊細無比な探求に導くことを求めてやまぬものでありまし
た。しかしかうした天分も,もし彼がその精神の好奇に依って,エドガー・ボーの作品の中に,知
性の新世界を発見する機会に恵まれる資格がなかったならば,勿論,彼をゴーティエの好敵手か,
嵩蕗旅の優れた芸術家たらしむるに止まった事でせう。明徹の魔神,分析の天才,または論理と想
像力,神秘性と計算のこの上なく斬新な,この上なく心惹く結合の発明者,異例に向ふ心理家,芸
術上の資源を悉く究明し,利用する文学的技師が,彼の見るところではエドガー・ボーの中に現れ,
彼を驚歎させるのであります。これほど独創的な見解と,異常な約束は,彼を盤惑致します。彼の
才能はそのために形を変へ,彼の宿命もそのために華々しい変化を遂げるのであります。(前掲書,
125∼126頁)
そしてしばらくボードレールについて語ったあと一これは前述の如く,ポーと名前を入れ
かえてもよいのではないかと思われる部分があり,引用したくなるのだが一137頁から
143頁がボー論である。名文故に要約する気がせず,又その1部をそのま\引用する。
しかしながら,全く別の空の下に,己が物質的発展に心を奪はれ,いまだ過去に対しては無関心で,
自己の将来を組織し,いかなる性質の実験にも全き自由を委ねていた人民に取巻かれて,同じ頃,
一人の男が存在し,精神上の事象を,その中に含めて文学的生産を,詩歌創案の天文を与へられた
頭脳の中に,これほど迄に並び存したためしのなかった,それほどの明確さ,慧眼,透徹をもって
考察したのであります。エドガー・ボーに至るまでは,断じて,文学上の課題が,その前提に於て
検討されたことも,心理学の課題に還元されたこともなく,効果の論理ならびに力学が決然と行使
せられる分析を用いて手掛けられることもなかったのです。こ㌧に初めて作品と読者の関聯は,芸
術の現実的根擦として閲明せられ,呈示せられたのでした。(137頁)
これに続いて,ボーの分析は一般性を備えているために多産であり,こΣからいくつかの
文学様式の創始者たるボーが出てくると述べ,ボーをヨーロッパ文学に紹介したボードレ
一ルの努力を称え,両者はお互いに自らに無いものを与えあったのであり,ボーが与えた
のは「新しくて深い思想の全体系」であり,ボードレールはボーの思想に無限の拡がりを
与えたのだと説く。そして狭義の影響は軽く取り扱ってしまい,ボーの詩論の本質的影響
を語る。すなわち,ボーの「詩の原理」中の〈詩〉観に啓発され,ボードレールはそれを
自らの翻訳集の序文に取りこんでしまったというその特殊な一体感を述べ,ボーの考える
中村:日本でのボー6:昭和期〈戦前・戦時〉(3) 55
詩を説明する。詩の心理的条件を考察し,詩の実質は何かを調べ,poetic sentiment
の諸条件を分析して,eliminatiOn(排除,消去法)によって純粋詩を定義したのである。
ボードレールには,・La Genese d・un Poeme・と題する「創作の哲学」の翻訳が
あり,ヴァレリーも1889年の“Sur la Technigue Litteraire”の中で「創作の哲学」
を用いており,こちらの方がヴァレリー好みであろうが,「詩の原理」の方を用いている
のは興味をそΣる。それにはロマソ派の詩論に近い部分があるのだが,それにはふれてい
ない。これはボードレールを通して眺めたボーの流れの中にあるにしても,まさしくヴァ
レリーのボー像で,その鋭い分析と説得力は比類するものがなく,このボー論には我々を
酔わせるものがある。これに反論するにも,又賛成してその亜流とならぬのも非常に困難
である。その後のボー論に大きな影響を与えたのは当然のことで,その後のボーを近代文
学の先駆者とする観点に立つボー論の源はこ」にある。ボーにはボードレールの影がさし
ていたが,ヴァレリーの影も又大きくなる。この年には更に,『ボードレール全集 第5
巻』(河出書房)が刊行され,その中に小林秀雄訳,「ポオ論」が入っているので,まさ
にこの年はフラソスのボー評論の年と言ってよい。
次の昭和15年は,これに反して英来文学研究からのボー評論が多い。どうもこちらの方
が地味で,一目でわかる輝きとか魅力に乏しい傾きがある。広い視野でというより狭い所
での解釈と言うべきものが多い気がする。全体で11点を数えるが,大物は翌年にかけての
日夏臥之介r英吉利浪曼象徴詩風』2巻(白水社)の刊行だが,ナルダス・ハックスレー
上田勤訳「文学に於ける卑俗性」も,『作家と読者』(弘文堂)に収められ再び出ている。
これらは既に述べたので,佐藤清「PoeとKeats」,『英文学研究』49について記す。
初めに,「Bへの手紙」,「BαZZαdαπd O腕θrPoθms評」,「詩の原理」の概略を記
し,第1要素と第2要素の区別を設け,前者に美の感覚,天上の美への渇望を,後者に技
巧面や知性の強調,意識的製作などを含めて,ボーの詩論を整理しようとする。そして
「創作の哲学」の要約を記し,この論は第2要素について述べたものと解すべきで,ボー
は第1要素を否定しているわけではない,「マルジナリヤ」の中で述べられた意識と無意
識の間の心的状態は,詩作の発端たる精神状態であり,この記述においてはキーツに共通
するところがあると述べる。唯ボーの場合,第1要素について述べる時も分析を働かせて
おり,力点の置き方の相違があるとする。
ボーの詩論にはロマソ派的な面と意識的製作との近代文学的な面とがあり,それらをど
う整理するか,どちらに重点をおいてどちらをボーの本質とするかは,必ず出会う問題な
のだが,この論はその整理の試みであり一応の答えを出し,「創作の哲学」のhoaxか否
かの問題にも答えている。そしてボーをロマン派の詩論の流れの中で理解せんとするわけ
である。これは前年のヴァレリーの評論のボーを近代詩の先駆とする観方への反論とも受
けとれる。しかしボーの詩論を考える時,彼の書評等から関連箇所を取り出して,それら
からまとまった詩論を織りあげるというのは意外に難かしい。ボーの用語には奇妙な抽象
性があり,正体をとらえにくいからである。その中味をつかむには彼の詩と関連させなく
てはならぬと私は考える。それなのでこういう方法で十分かとも思うし,それに霊感と分
析的知性の共存を単に力点の置き方の相違で説明してよいのかとも思う。創造精神と批判
的知性との結合にこそ近代詩人の姿をみる観方と比すれば,いさ\か表面的ではなかろう
か。
56 茨城大学教養部紀要(第14号)
富田彬『米国批評史』〈英米文学講座〉(研究社)の関係箇所は,冒頭の2章,「ポウ
以前の批評」,「ポウ」である。これは昭和10年の佐久間原『アメリカ批評の研究』(研
究社)に続いて2冊目のアメリカ文芸批評についての著書で,米文学研究の整備の印しで
ある。第1章では実利と人間的価値,物的欲望と宗教的情熱という,アメリカ固有の相反
するものを総合したエマスソの重要性を説く。この章はWilliam Charvat,7加Or‘一
8‘π8 0/ノ1mθrεcαη Cr‘‘εcαZ 7んoπ8玩s 1810−1835(Philadelphia:Univ. of
Pennsylvania Press,1936)によって論を進めているようだ。そしてこのような社会
の主潮により,文学の実利的観点,すなわちdidacticismが生まれ,それが1810年か
ら20年の批評界だとし,これは清教主義の道徳的潔癖性と実利主義の握手と言えると記す。
そして1825年に変化があり,移民からできた国であるアメリカでは,自らの出た国に対す
る2重の心理から国民文学,移植された文化からの出発が主張されてくると続ける。これ
はボーの批評の背景であり,それを観る上での必須な知識であって,この章の説明は要を
得ている。本題である次の「ポウ」では,1820年から35年のアメリカ文学の主潮にふれ,
ボーのく芸術のための芸術〉の主張について述べる。ボーの中には卑俗な道徳観を持つ生
活人と芸術家がおり,この2者の分裂がこの主張の原因であるとする。これは独特の主張
で注目をひく。それからボーの伝記にふれた部分がくるが,そこでは酒や賭博にとりつか
れ,乱酔の果てに死ぬという具合の叙述で,反社会的,反道徳的人間像が出てくる。次に
didacticismへのボーの強い攻撃は,とりもなおさず当時の一般文化を敵にまわすこと
になったと語る。これはボーの恵まれぬ生活や,いろいろな争いを説明し,又彼の批評の
辛辣さの解説となるかもしれぬ。そして次の部分はボーの詩論のパラフレーズで,詩の創
造の世界の独立と自律性,審美感,審美的満足感,elevating excitement, unity
of effect, the tone of sadnessと解説していく。更にこの美を効果とみなす立場
を散文に適用して矩篇論が生じたとし,そこでplot論やemotionを入工的に創り出す芸
術手段の強調などを説き,結びは,
ポウの批評家としての価値は,ジャーナリストとしてまた理論家として,創造精神を道徳の束縛か
ら解放せんとした点にある。アメリカ伝統精神に深く染み込んでいる,前章で述べた,あのピュリ
タソ精神と俗物主義の根強い力を思う時,ポウの戦いが如何に悲壮であったか,彼の魂が如何に深
い孤独を味はねばならなかったかは,容易に推測されるのである。(前掲書,14頁)
となる。
この論のとるべき所は,当時のアメリカの思潮の中にボーをおいて理解せんとしたこと
だし,その独自性はボーの中の2分裂に〈芸術のための芸術〉の主張の源をみたことだが,
問題点もこΣにある。相反する2要素をボーにみるのは普通のことだが,その一方が卑俗
な道徳観をもつ生活人というのは,結びでのようにボーの批評家としての独自性を一方で
認めながら,アメリカの主潮に染っているのではないかと疑わせる。当時のアメリカとい
う背景にボーをはめこんで理解するにしても,まだ肌理は荒く,現在ならヴァージニアの
精神風土,当時の雑誌界などを詳しく述べねばならぬだろう。ボーをよく理解せんとする
より,著者のアメリカ及びアメリカ文学への観方からボーを眺め料理したという感じの論
で,ボーへの共感は薄いらしく,ポー専問家の論とは異なる。しかし佐久間氏のものに比
すれば大分こなれている感じがする。第1章はCharvatによっているが,第2章の脚注
にはW.C. Brownell, George C. DeMille, Margaret Altertonの著書が引用
中村:日本でのボー6:昭和期〈戦前・戦時〉(3) 57
されていて,文献も大分そろってきたのがわかる。しかしそれらからとったものを消化し
てその上で自らの確固とした意見を述べる点では,フランスのボー評論に及ばぬ感がある。
次の佐久間原『米国小説史』(研究社)では,皿「浪漫主義」の1「初期浪漫主義」の
14−15頁が関係箇所で,1頁半の短かいものである。その概略は,地方色の無い作家一
短篇を形式からA型,B型,内容から4つに分類一取材の範囲の狭さ一恐怖の効果と明
快な推理へのねらい一前者にっいては死を取り扱った作品が多く,その由来はボーの病的
心理と,コシック・ロマソスの影響一後者では鋭い分析とすぐれた想像力の合致が傑作の
故一ボーの功績は短篇という形式と探偵小説 とまとめられよう。これはどれも特に異論
は無く,文学史などのボーについての記述の常套と言えるだろう。
次には花田清輝,「探偵小説論」,r文化組織』(8日)にっいて述べ,探偵小説論の系
譜の中でのボーはどうかを記す。〈日本でのポー〉では一度は是非ふれておきたい話題と
思うからである。昭和55年に中島河太郎編,r現代推理小説大系 別巻2』(講談社)と
いう大変便利な本が出て,通史や年表で推理小説の歴史を一覧できるが,それに又その中
に推理小説評論が年代順に14篇収められている。それらを通読すると,ボーについて比較
的詳しく述べているものが3つある。そしてその記述には変化が見られるのである。それ
でこの機会に記しておぎたいし,その方が花田氏の論の理解も深まるだろうと思う。なお
引用の頁数はこの本による。
最初の佐藤春夫「探偵小説小論」,r新青年」(大正13年8月)は, 「探偵小説の本質とし
ては,論理的に相当の判断を下して問題の犯人を捜索することである。」(前掲書,15頁)で始まる。
しかしこれはまさに大枠で,この分類に入る作品にも当然面白いのやつまらぬのがあるわ
けで,探偵小説の魅力については何も語っていないに等しい。そこを説明する為に何かを
つけ加える,そしてこ\に探偵小説論の各々の特徴があるのがきまりなのだ。次に探偵小
説を2つに大別して,「その一つは実際家らしい頭脳が土台になった推理判断,もう一っは神経衰
弱的直感の病的敏感による。そしてそれぞれは各自に戦標の快感と怪奇の美とを加味されているそれ
が最も必要なのだ。」(17頁)と語る。この中の後半部がこの論の特徴だろうし,著者の本質
はこΣにあるのだろう。そしてそのモデルとなっているのがボーなのである。すなわち,
「ボーの諸作の他の探偵小説と著しく異なるのは,そのディティクターが,常に実際的敏腕家でなく,
暗欝な詩人的なことである。……この種の小説の一異彩である。」(16頁)とある。「黒猫」を犯
罪小説,「モルグ街の殺人」,「マリイ・ロージェー事件」,「盗まれた手紙」を探偵小説,
そして両者の要素をそなえたものとして「テルテルハート」,「アマンチェリードォの樽」,
「長方形の箱」,「M・ヴァルデマル事件の真相」をあげている。(作品名は現代の定訳
でなく文中の表示をそのまΣ引用する。)この論は筋道だった評論というわけではなく,著
者のイメージとその生き生きとした独特な表現に魅力がある。
次は,井上良夫,「探偵小説の本格的興味」,『ぶろふいる』(昭和11年11月)であ
る。これは前者に比して本格的評論と言えるだろうが,全体としておとなしくて,かえっ
て面白味に乏しい。冒頭の,「ポオ以降,探偵小説が主として取扱って来ているものは謎とその論
理的解決である。云い換えれば「犯罪を骨子とした謎の構成とその犯罪事件の探偵」に外ならない。」
(前掲書,34頁)は通常の出だしである。次に探偵小説のもつ本格的興味,すなわち論理
的な面白味を大別して,1 犯罪構成からくるもの一plotの面白味(ストーリイの探偵
的興味,推理的面白味)と,2 探偵からくるもの一探偵の推理の面白味,論理または
58 茨城大学教養部紀要(第14号)
推理そのものの面白味,とし,ボーにあてはめて,「犯罪構成より来る論理的進展の面白味,探
偵的興味よりもむしろ,解決の側に見られる論理の面白味なのである。」(35頁) と記し,更に41
∼42頁で詳述する。すなわち,「論理そのものとしてそれ自体既に興味深い推理というものは,案
外に少ないものである。・…・・私の知る限りでは,かΣる種類の推理の興味に富んでいるもの,長短篇
を通じ,鼻祖ポオの作物に及ぶものはないように考えられる。」と始め,「モルグ街の殺人」,「マ
リイ・ロナゼ」,「盗まれた手紙」のそれぞれについて,この観点から説明し,「作者のこ
うした論理的な推理,装飾的論理の魅力は,彼の作全般に濃い影を投げて,全く底深い,ユニークな
興味を織り出している。ポオの作に探偵小説として見るべきところ,学ぶべきところは,先ず以って
如上の点であるまいかと考えられる。」と結ぶ。その上になおボーの推理に心理的色彩のある
ことも指摘していて,この論でもボーが一つのモデルとなっている点に注意したい。しか
し佐藤氏の論と比較すると,力点の置き方,強調する面が異なる。これは著者の好みかも
しれぬが,著者は図式に則って説明しようと終始試みているようで,個々の作品の魅力を
もその筋道にあてはめて説明しようと苦労している。その一つが著者の言う探偵小説に必
要な難解度,すなわち読者が作品からうける難解度なのかもしれぬ。作品の文学性という
のはなかなか理屈にあてはめて整理し難いと思うが,それも探偵小説というジャンル内で
o
フ用語で行おうというのだから一層困難だろう。しかしこれが探偵小説論の正統なのかも
しれぬ。
次は本題の花田氏の論である。今日の探偵小説が単なる謎解きにすぎず,生気を失って
しまったのを怒り,その活力を取り戻すための提案をしているが,そのgoalは必ずしも
具体的ではない。しかしその提案のバネとなっているのがボーだし,あるべき姿の模範と
なっているのもボーなのである。重要な部分を引用しておく。
探偵小説の卑俗さは,殺人という野蛮な行為を主題とし,戦標や不安を盛りあげてゆく点にあるの
ではなく,逆にそういうものから逃避し,その切子硝子のように透明な,論理によってきざまれた
装飾的な世界を,次々と展開してゆく点にある。…… そこには,暴力もなければ,道徳もない。
対象に肉迫してよろめく分析もなければ,冷酷な計算もない。」(前掲書,56頁)
そしてこれは現実の犯罪の傾向を反映しているとして,更に現実の社会と現今の探偵小説
の傾向との関係を説き,ボーについて語る。
探偵小説というジャソルの創始者はポオであるといわれる。……かれはかれのエピゴーネンとは
リユーズ フエロンテ
ちがって,複雑な「偽計」を讃美することもなく,「惨虐性」の単純さを軽蔑することもなく一抜
群の分析的才能をもって,かれの探偵小説を書いた。そこでかれは,論理本来の機能のいかなるも
のであるか,縦横に示そうと試みたのである。作品の背後に,当時の社会的現実にたいするかれの
するどい批判精神の脈うっていたことに疑問の余地はない。…… いずれにせよ,かれの探偵小説
はレアリスチックであった。現実の非合理性を,かれは身をもって知っていた。そこでかれは,ま
すます合理的であろうとした。論理にたいする執着と,論理にたいする不信とは,ほとんどかれに
あって同一の状態を意味した。かれの論理は,明瞭に,今日の探偵小説の論理から区別されなけれ
ばならない。(56∼57頁)
すなわち非条理な現実に対面して,自らの限界に挑戦する本来の論理をボーに見て,現実
から逃避して割り切れるものだけを手際よく割り切ってみせる探偵小説を非難し,本来の
探偵小説とは,「それは血なまぐさい闘争の叙事詩であり,人間心理のもっとも激越野卑な,悪意あ
る情念の記録であり,不正なものに対抗して,一歩も後にひこうとしない凄烈な気暁の表現であり,
中村:日本でのボー6:昭和期〈戦前・戦時〉(3) 59
あらあらしい暴力の火花をちらす,戦標と不安にみちた世界の物語だ。」(59頁)と語り結ぶ。
日本に紹介されて以来,探偵小説との関係ではボーは安定した姿を呈し,探偵小説の一
つのタイプの典型として,又探偵小説の原型としてボーの作品が考えられてきたと言って
よかろう。しかし佐藤氏の場合,探偵デュパンのロデリック・アッシャー的な面が好まれ,
井上氏ではデュパソやルグラソの推理が,花田氏では探偵小説という枠を越えて,論理家
ボーが推賞されるという力点の変化が見てとれる。探偵小説から推理小説の名称の推移は
何時のことなのか,それに実質の変化が伴っているのか,花田氏の怒りもそれに関連する
のだろうかと疑問が続く。
次の昭和16年には16点を数え,ボー評論の数は前年に次いで多い。その中の5点につい
て述べるが,それらは前年と同じく英米文学者のボー評論である。最初に述べたいのは,
益田道三『エドガア・アラン・ポオ』〈教養文庫〉(弘文堂)についてである。大正15年
の野口米次郎,『ポオ評伝』(第一書房)以来久しぶりのポーについての著書である。所
謂〈新書〉版で173頁,7章よりなる。4頁の「序文」で,著者はそのボー像とこの本の
ねらいを簡潔に語る。ボーは日本に紹介されて久しいが,まだその全貌が知られているわ
けではなく,ボーはアメリカ文学の主流の外にある鬼才で,その時代に流行の道徳的教訓
詩を排除し,独自の詩風を持っと語り,評伝ではなくボーの作品を読んでの注目すべきい
くつかの面を取り上げたものとこの著書のねらいを述べる。最初の章,「ポウと英文学」
では,当時のアメリカ文学が英文学の出店の状態にあり,それに対してボーは国民文学を
強く主張したが,それにもかΣわらず英文学はボーの念頭を離れず,それは研αCたωood’S
.Mα8α颪πθへの関心にもうかゴえるし,英国で認められようとボーは計ったと説く。 そ
して書評その他でボーが英国の文学者に言及し,意見を述べている部分を,詩人,小説家
に分けて,その順に紹介している。こΣではボーの著作にわたってよく拾い集めていると
思うが,言及の度数,又は記述の長さがボーの関心やボーへの影響に直結しない場合があ
る。すなわち,かくれた部分をどうボーの作品から読みとるかということになる。たとえ
ばバイロンについてはそれ程長く述べてはいないが,ボーの初期の詩をみると,当時のバ
イロニズムの影がうかぼえる。しかしボーと英文学の関係をさぐっていって,本質的な関
係,すなわち影響ということになると,これは欠かせない。それにボーの場合,知識の出
所の問題がある。ボーの書評の際,雑誌掲載のその本の紹介か,その本の序文などから知
識を拾い集めている場合があり,直接なのか間接なのかということである。それに又,コ
一ルリッジの場合のように同じ作家についても意見が変ってくる場合の取り扱いなど,問
題は多い。このように英文学との関係をさぐると様々な問題が出てくるのだが,こ\では
ボーの著作から取り出した,英文学にふれている部分を,ボーの英文学への関心の証拠と
する以上に進まぬのは,〈時と所を得ざる天才ボー〉という観方への反証をあげるのが目
的だったと解すべきなのだろうか。この表に出たものを拾い集め,そこから判断を下すと
いう,いわばliteral readingがこの本の特色であり,それが利点と不満を共にもらす
というのは,この本全体に通ずるものであり,更にこれは英米文学研究からのアプローチ
に共通のものではないかと私は思っている。次章,「詩人と数学者」では,ボーの中には
一見相反する分析精神と創作精神があり,前者の所産が批評・評論であり,後者が詩・物
語を生んだのだが,この両者は詩人的性格によって統合される,すなわち一つの楯の両面
をなしている,そしてこの両者は同一の心性の両面として何の束縛も無しに活動している
60 茨城大学教養部紀要(第14号)
のだが,重点は創作精神,すなわち詩人にあると説く。ボーの中に相反する2要素の存在
を言うのはボー評論の常套だが,その両者の絡み合い,総合をどう考えるかが問題で,詩
歌の能力と批判的知性の結合という近代詩人像がその両者を最も本質的なものとみた解釈
だが,こΣでは詩人的性格によって統合されるとのみ記されていて,これがこの章の要点
だがこれだけでは説明不足の感がある。それから著者はこの両者をボーの短篇にあてはめ,
それぞれを「ベレニス」や「アルソハイムの地所」のような詩的,神秘的幻想小説と,推
理や謎解きの探偵小説に結びつけるが,この叙述の際に作中人物の言葉,意見をそのま玉
ボーに直結する点など問題があろう。3番目の「ポウの詩論」では,ボーの詩論を考察す
るための前提として,それが当時のアメリカの詩の主流たる道徳的教訓詩への抗議である
ことと,詩論の主なるものが発表されたのはボーの経済的困窮のためだという事情の2っ
をあげ,「詩の原理」の主意を,長詩,教訓を目指す詩の排斥として,詩的興奮,詩と真
実,心性の3分割,詩の本質,美,天上の美,rhythmical creation of beauty,詩
と音楽と解説していき,次に「詩作の哲学」について,長さ,印象・効果,美,調子・悲
哀,refrainの効果,美と死,美人の死などと語っていく。そしてボーの死・夜・さみし
さへの好みにふれ,それがイギリスのロマン派中の〈夜と墓の詩〉派の流れに通ずるとす
る。この点の指摘と,詩論考察の2前提がこの章の特色だろう。次の「ボーの催眠術小説」
は,先ず漱石のボーについての意見を引用し,大体において正当と認めながらも,ボーの
物語は多様であって,特殊な性格に限られているにしても性格抽写があると反論し,物語
を大まかに探偵物,幻想物,科学物,怪奇物と分類し,探偵小説だけでなく,科学物,す
なわち擬以科学小説もボーが創始者であると述べ,催眠術を扱った2作を解説し,実録か
どうかというアメリカ,イギリスでの反応を記し,この類の作品として風船旅行を扱った
作品をあげ,SFの先駆としている。通読して,ボーが流行のテーマをよく利用したこと
の指摘など興味深いのだが,ボーの科学知識の是非にっいてよりも,当時擬i以科学がどう
受けとられていたのか,ボーがか」る作品を書いた意図,すなわちhoax論議など記す必
要があるのではなかろうか。「詩人としてのポウ」は,2章,3章の合体の感があり,ポ
一は3分野で,すなわち詩人,物語作家,批評家として活動したが,本来は詩人で心の中
の詩人と数学者では前者に重点があり,それは彼の物語中の詩的人物によって証明され,
物語の特殊性も主観の外に踏み出せなかった故で,結局は詩人だと説く。詩人としての特
色と言えば,形式上からは短詩・音楽的効果を狙った詩であり,内容面から言うと,夢に
生きるロマソチストと言える。ロマソ主義文学とは憧憬の文学だが,ポーの憧憬の内容は
地上ではその反映しか見られぬ天上の美であり,達せざるものへの憧憬とそれに伴う悲哀,
そして悲哀が深まれば深まるほど憧憬も増すという独自の詩境が詩人ボーにあり,その世
界は現実とかけ離れた幻想の世界であると述べる。ロマン派の流れの中の独自の詩人とい
うボー像であり,これはボードレールのボーとも異なり,又ヴァレリーのボーでもないの
は勿論で,こ」に著者のボー像が一番はっきり出ている。
「ポウの作品とその自伝的部分」では,ボーの作品は非現実の夢の世界で,実際の心的
経験も象徴化されていて,自然主義文学の作品にあるように作家の外面的生活過程が写実
的に用いられることは殆ど無いが,そのような部分を拾い上げるとして,「ウィリアム・
ウィルスン」の学校や村の描写,「シンガム・ボッブ氏の文学と生涯」にみられるアラソ
家での生活,「鋸山奇諜」のシャーロッツヴィル付近の風景,「黄金虫」のサリパソ島を
中村:日本でのボー6:昭和期く戦前・戦時〉(3) 61
あげ,更にボーの自己描写とみられる部分,すなわち詩人的性格で夢想家という作中人物
をあげている。「アルンハイムの地所」のエリスソ,「ベレニス」の類の物語のく私〉等
である。前者は兎も角,後者は慎重に取り扱う必要があるのは再度述べておきたい。何故
なら〈ボー伝説〉の起源はこΣなのだから。ボーの場合には,自伝的部分の変型,象徴化
の仕方を考察した方が実りは大きいであろう。最後の「晩年のポウをめぐる女性」では,
ボーの詩を引用して苦しみに満ちた生活においても夢がボーを支えたと語る。夢の世界に
生きる詩人が現世で苦しむというロマンチックな解釈だ。ボーの心の中には理想の女性の
幻が常にあり,それと現実に出会う女性とをボーは絶えず混同していたと彼の晩年の女性
との関りを記しているが,これはボーの行為をよく説明してくれる。全体を通してみると,
広くボーの作品を読んで,その問題点をとらえているが,それらは更に深く広く拡がる可
能性があり,途中で止まってしまったという感じがするのは残念だ。literal reading
にしても更に進めると思うし,各章に説得力のある読みが散在しているが,それらがロマ
ン派の詩人という像で色付けられ過ぎているきらいのあるのを惜しむ。
伊藤整「ポウと読者」, 『日本の風俗』(7月)は,「アッシャア家の崩壊」の解説で,
後に「ポウ アッシャア家の崩壊」と改題され,伊藤氏の著者に収められ,繰返し出る。
’
奄゚はボーの生涯の簡単なスケッチで,次いでこの作品は神秘小説であり,又心理小説で
あるとして,物語の展開を追いながら著者の意見がそこにはさまれる。冒頭の風景描写は
一種の散文詩で,非日常の特殊な世界へ読者を導き入れ,それからロデリック・アッシャ
アの顔の具体的描写がくる。そして両者が相まって真感感,本当らしさが出てくる。そし
てclimaxへの集中のために作中にある物語が挿入され,架空の話であることを知りな
がら,その現実感にうたれる,仮定から出発して現実以上の力に達する芸術の1例で,
〈早すぎた埋葬〉というのは当時ありふれたテーマだが,ボーはそれに芸術的効果を与え
た,と説明していく。これは肝心の点をよくおさえた大変すぐれた鑑賞である。次の西脇
順三郎r英来思想史』〈英米文学語学講座〉(研究社)は,ボーについて述べた部分は少
ないが,それは独特のもので,内容豊かである。アメリカの人間観には霊的な面と民主主
義や自由を主張する面,個人的なものと国民主義,愛国的なものとの2面があり,後者が
アメリカの大勢だが,ボーは前者の代表である。又アメリカでは象徴的なものと科学的な
ものが混入した形態が発達し,その1例が『ユリイカ』であると述べる。米文学の最上の
作品の根底には清教徒的な考え方,すなわち倫理性という観点と 抽象的な考え方があり,
これが非人間的,分解的,化学的,機械的考え方につながり,ボーはこの流れの中にあり,
ボーの詩論などがこれにあたるので,ポーもアメリカの産物であると説く。こΣがこの論
のユニークさの第一点である。しばらく間をおいて再びボーにふれるが,その冒頭で『ユ
リイカ』について語り,前述の考えを例証する。次いで更にユニークな記述が来る。ボー
のロマン主義的傾向は19世紀第2期のロマン主義であるデカダソトの先駆をなすとして,
恐怖,戦懐,奇異なるものへの好奇心,内容を無視しての強い感情,感覚への好み,強烈
な効果,猟奇的な神秘主義,審美的な象徴主義と並べたてる。そしてボーの感覚の世界へ
の分析的好奇心は抽象的,化学的であり,ボーの美観は変態的でデカダントで,美に苦痛
と腐敗と死が混入していて,ボーが科学的でメカニズムを好んだことが,彼の詩論を野卑
にしていると批判する。そして直接人生観にふれず,形態,音,香り,情緒など抽象的要
素を取り扱うが,これが近代詩の考え方に通ずる,そしてボーは霊と意識を化学的に分解
62 茨城大学教養部紀要(第14号)
したのであり,芸術家よりもむしろ科学者であると説く。用語を初めとして独自のものが
あり,難解なところもあるが,パッサバッサと切り捨て,直戴に評価を下し,ボーの本質
にせまって,成程と思わせる所があり,独断的だが魅力的だ。その為か,短かい文にも拘
らず長々と述べてしまった。大ずかみなとらえ方も,日本のボー評論の常套を離れている。
この年の終りに,斎藤勇rアメリカ文学史』(研究社)と,rアメリカ文学の主潮』
〈英米文学語学講座〉(研究社)の中のボーについて記す。先ず前者だが,時代の傾向と
異なり,時事とかけ離れた興味からの創作と,ヨーロッパ文学の大きな影響をあげるが,
これら2つを先ずボーの特色と考えているらしい。次いで伝記だが,こ玉には現在の定説
と異なる点があり,又ボーの劣等感の指摘など,いかゴであろうか。続くボーの詩,詩論
について,〈詩の長さ〉についてのボーの主張を紹介しながら,1)αrα漉sεLo8‘につい
てのボーの意見は放言だと断じ,ボーの詩のword music,技巧の過剰,狭い範囲内で
魅力はあるが,不健全で病的性質,単調の感を与えること,同じ欠陥を持つ短篇小説,常
軌を逸した空想,短篇論の主要部分の引用,と続く。南部文学の中にボーを入れたなどの
特色はあるが,これは古くからある一つのタイプのボー像で,ボーに共感を抱かず,道徳
的な立場から非難する英米での傾向に通ずるところがあるので,当時のアメリカの主流の
立場から,そこから外れたボーを眺めていると言えよう。ロレソス的解釈の可能性などは
考慮の外らしい。書誌はきちんと全集を記しているが,H. Allen,恋rα∫θZ,%θLヴε
αηd 7εmθsoノ五L/1. Poθ2vols (N.Y.言Doran,1926)に, “The best
factual study of Poe’s Life”との評を引用しているが,これは現在の評価とは違
う。『アメリカ文学の主潮』では,ボーにふれる所は更に少なく,2章の終りにある部分
が一番長い。
彼の世界は夢幻界であって,現実とは恐ろしく離れている。彼がいかにすぐれた詩人であり短篇作
家であるにせよ,それは特にアメリカ的であるとは言へない。フランスの敏感な詩人の共鳴を得る
に値しても,ヤソキー種属を喜ばせる要素が乏しい。彼はかげろふの如く手にとろうとすれば消え
てしまひさうで,元気のよいアメリカ人とは大部距離が遠い。(前掲書,22頁)
更に34頁に,「霊妙な特性を有った詩人」との言及がある。著者は,アメリカの国民性を
“vitality+something”(16頁)とし,アメリカ文学の主潮として清教徒気質,開拓
精神,効率を重んずる精神をあげているが,それらとは相入れず,主潮から外れたボーを
描いていて,著者自身もそういう主潮に与してボーを眺めているようだ。
昭和16年を過ぎると,以後述べるべきものは少くなるので,この年が昭和10年代の山で
あり,一つの区切りとなる。17年には8点あるが,その中に野村章恒「タル博士とフェザ
一教授の療法」,「ポオのメランコリー」,「ポオの恋愛及結婚」,『精神病利解剖』
(三省堂)があるが,ボーにっいてのこのようなアプローチの例は,我が国では数少ない
ので,是非ふれておきたい。しかしそれも原物が入手出来ず,昭和44年刊の野村氏の著書,
『エドガア・アラソ・ポオ 芸術と病理』(金剛出版)の第2部,「ポオの詩と小説の観
照」の中に,「タール博士とフェザー教授の療法」と精神科療法の曲り角」と類以のもの
があるので,それによって記し,類推するとの不満な形をとらざるを得ないことをおこと
わりしておく。文芸作品に取材されている精神障害者の取り扱い方は,精神衛生思想の普
及度,そして文化の発達の尺度であるとの立場からこの作品を眺め,これは 「精神病院で
の閉鎖主義から開放主義への変り目における医師と患者関係,医療面の従事者の指導者である院長と
中村:日本でのボー6:昭和期く戦前・戦時〉(3) 63
患者の集団との間に起こったトラブルを戯画的に描いたユーモア小説」(前掲書,318頁)というジ
ヤンルに入るものと解し,精神病者の取り扱いの推移を述べ,ボーがこの作品を書いた当
時のアメリカでは, 「ピネルの思想によって精神病者に対する社会的関心が高まりかけていた時代」
(325頁)と説明し, 「この小説は,個人的病態心理から,社会的に精神病者を取り扱った特異な
一篇」(325頁) としめく」る。ボーの場合,当時の話題を巧妙に用いて作品を作るのは
事実にしても,それがストレートに時代を写しているかは考える必要があり,どんな意図
で,どんな効果を狙って,材料をどう料理したかを考察せねばならず,特にこの作品の場
合,satireとして読む読み方が近年提唱されている。例えばWilliam WhipPlb,
“Poe’s Two−Edged Satiric Tale”,1VCF IX(Nov.1954)などである。作品
と作者ボーとの関係は,ボーの全作品に関る大きな問題で,当然述べるべきことは多く,
特に精神分析的解釈には特に慎重さが要求される。なお野村氏の著書の巻末の「おわりに」
には,著者の立場がよくうかがえる部分があるので,それを引用して結びとしたい。
ポオの小説の素材のなかの医学的知識をさぐり,精神医学の歴史をあとづける手がかりとすること
は,ポオの作品の芸術性を味わうこととは自ずから別途であろう。しかし,ポオの小説の生み出さ
れた時代的背景をさぐりながら,人間性の性癖と行動の矛盾を辿って行って,生涯の精神病理学的
考証から天才を論ずる病跡学的方法はひろく理解され普及さるべきものではなかろうか。(420頁)
次の昭和18年の6点の中からは,ポール・ヴァレリー 吉田健一訳「rマージネリア』
抄」,『ポール・ヴァレリー全集第10巻 作家論(2)』(筑摩書房)について述べる。
ヴァレリーは“Marginalia”からその序文とも言うべき冒頭の1文(Dθ〃Locrα‘‘c
Eω‘θω,1844年11月),「表現について」(Grαんα㎜も1t4α8α2」πθ,1846年3丹),
「優越者の宿命」(So眈んεrπL琵θrαrツル1θssθπ8・εr,1849年6月)を材料にして,自
らのmarginaliaを作っているのだが,こ㌧にはヴァレリーの好み,考え方がはっきり出
ていて面白い。表題はボーがつけたものでなく,“Marginalia”の各文には表題は一
切ない。それで念のためその所在を記しておく。ハリスン版全集,『第16巻』の1∼4頁,
87∼90頁,165∼166頁である。第1文はヴァレリー好みで,2番目は前半が賛成,後半
は異をとなえ,3番目では不機嫌である。「ボードレールの位置」でのボー像がこ玉でも
存続しているが,ボードレールを径由せずに直接ボーと対面した場合の反応の1例として,
注目してよいかもしれぬ。ヴァレリーの厳密さ,正確さに耐えられるかどうかのテストと
考えてもよかろうし,又ヴァレリーとボーの相違が出ているとも見られようか。吉田氏に
は,「覚書』(芝書店,昭和10年)という“Marginalia”の抜粋訳が既にあるが,訳文
を比べてみると最初のものに多少の語句の修正があるが,他の2つは同一であった。この
『ヴァレリー全集 第十巻』には,ボー評論が3篇ともそろって入れられており,今後も
全集の再刊と共に繰返し出てくることになるので,それらにっいて書いておく。発表の年
月を記すと,rrユーレカ』を廻って」(“Au sujet d’E脚盈α”)は, E岬盈αの
ボードレール訳の新版への序文として1923年に書かれ,「ボードレールの位置」(“Sit一
uation de Baudelaire”は前述の如く1924年, rrマージネリア』抄」(“Quelques
Fragments de Marginalia”)は1927年冬,σo〃L醜θrcθ誌14号に発表された。
1923年というとヴァレリー52才で,彼の批評集,rヴァリエテ』5巻は,1924年から44 ,
年にかけて出版されている。3者は,それが書かれた事情にもよるのか語り口が異なり,
それぞれに特徴があるが,「『ユーレカ』を廻って」は真正面からの本格的評論であり,
64 茨城大学教養部紀要(第14号)
「ボードレールの位置」は力のこもった評論ながら,わかり易く解説的で「rマージナリ
ア』抄」では著者は少しくつろいでおり,それだけ著者の地が出ていると思う。この3番
目の評論にっいては前号で既に述べたが,これは昭和7年11月刊の『ヴァリエテ』の中島
健蔵・佐藤正彰共訳,「『ユウレカ』に就きて」と表題も異なり,訳文も可成り違っている。
全体として言うと,中島・佐藤訳は短かい文の積み重ねで,強い調子があるが,用語が難
解で,生硬の気味がある。それと比べて吉田訳はこなれた訳文で,語調も柔かくてそれに
なによりも理解し易い。その1例を引用しておく。
彼の所謂真理に到達せんが為に,ポナは彼の所謂「整斎」(COnSiStenCy)に援を求めている。此
の整斎に明確な定義を与えることはあまり容易ではない。作者も,定義するのに必要なものの総て
を自分の中に持ちながら,敢て定義しなかったのである。(中島・佐藤訳,前掲書127頁)
, , , , ,
│ウは彼が真理と称するものに到達する方法の基礎を彼が「一貫性」(consistency)と称してい
るものに置いている。此の一貫性を明確に定義するのは困難であって,ポウ自身もそれをして居な
いのである。併し彼はその為に必要な凡ての条件を備えて居たのだった。(吉田訳,前掲書82頁)
共に註はないが,『全集 第十巻』には巻末に書誌がある。 「ボードレールの位置」は,
昭和12年のrヴァリエテ』皿(白水社)と『全集 第十巻』とを比べてみると,前者は本
文のみだが後者には巻末に書誌があり,訳註が21つけられており,その最初は可成り長く
て,2頁以上にわたってボードレールについて記している。訳文は多少の語句の言い回し
の変更を除くと変りはない。戦後の昭和25年刊の『ヴァレリー全集 十一巻』にこれは収
められるが,訳註は7つに減って,その代り寺田氏による訳文中の一語句についての解説
がある。その調子,用語,句点の多用など,訳文は大体同じだが,言い回しに少し変化が
あり,多少整理したようだ。「『マージネリア』抄」は初出で比較の相手は無い。訳註は7
つ,巻末に書誌がある。次の昭和19年は1点のみ,20年は皆無なので,昭和10年代を締め
く\るのがこの『ヴァレリー全集 第十巻』の3評論と言っておく。
終りにこの時期をふりかえってみる。きちんと分類するのは難かしいが,強いて分けて
みると,単行本1冊,評論の翻訳6篇,詩と物語についてほ雲同数の10篇ずっ,後者は2
篇の探偵小説論,他は短篇論である。解説やボーに関する話題を扱った随筆とでも言うべ
きものがあるが,何しろ多いのはアメリカ文学論,文学史等でボーについて述べている場
合で,これが14篇を数える。その他,ボーとキーツ,ボーとボードレールという比較文学
的なものが3点出ているのも記しておくべきだろう。その中での収獲は何と言ってもヴァ
レリーの「ボードレールの位置」で,次が益田氏の著書である。注目すべきものとして,グ
一ルモン,伊藤氏,西脇氏の評論をあげておこう。更に再刊とは言え,日夏氏の著書の中
に,氏がポーについて書いたものがまとめられたのも落せぬ。前号での記述にのっとって,
詩人,物語作家,批評家とのボーの活動した3分野で考えると,詩人についての論が内容
的に印象深く,書評家ボーにっいての論は依然として殆ど見られぬ。更にロマン派の詩人,
デガダンの詩人,思想家という日本でのボー像に即して言うと,2番目のデカダンの詩人,
の強調は薄れてきたようだ。外国のボー評論の翻訳では,ボードレールの「ボー論」の再
録を含めて,ヴァレリーが2点,レミ・ド・グールモソが1点,他はアーサー・ラソサム
のボー研究の部分訳,オルダス・ハックスレーのボー論の再出とあるが,こう見てくる
と,これらの翻訳は,ボーに関しての評論だからではなく,その著者の方が関心をよんだ
中村:日本でのボー6:昭和期〈戦前・戦時〉(3) 65
ためであろう。このあたりの詳細は,「日本でのボー 2」の書誌を再読してもらいたい。
前12号の「日本でのボー 4」でこの時期の概観を既に書いたが,それを改める必要は
ないようだ。ボー評論の常連はこの時期以前に大体出揃ってしまい,この10年代というの
はその人達にとってはまとめ,或いは収穫の時期であり,そしてこの時期の山は昭和15,
16年である。その意味でボー評論の執筆者にも以前の時期程の多彩さは見られず,いろい
ろの分野の人々が入り混るというよりも,段々限られた分野の人々で占められ,分業化,
専門化がこΣにも表われてきたようだ。評論家・批評家が創作家から分れ,外国文学の研
究者,翻訳の専門家が生れてくるので,そういう人達の名前が多くなる。それに応じて,
共感を抱き自発的に,ポーにっいて書かざるを得ないという趣のものより,文学史,文学
評論等で取り上げざるを得ないというようなものが多く,そしてこの後者のボー記述が一
つの流れとなって存在し続けていくように思える。単なる言及とか,他からの所説をその
まΣ伝えると言ったものも見られる。中村光夫,『日本の現代小説』(岩波書店,昭和43
年)の中で,氏は昭和10年代について,「昭和10年前後から,戦争の局面悪化によって,文学者
の活動がほとんど停止される昭和19年ごろまでのほぼ10年が,めぼしい文学運動の欠除にもかΣわら
ず,わが国の近代文学史上,ひとつの収穫期といってよい。」(86頁) と述べ,昭和大正作家の
復活と昭和初期の文学運動から育った作家の成熟を語っているが,これはポー評論にもあ
てはまる気がするし,外国文学の影響にふれ, 「昭和時代には外国文学の紹介が,作家以外の
専門家の手にゆだねられ,外国の現代の名作がすぐに翻訳され,多くの読者をわが国においても得て
しまう結果,作家がその擾ねかえりの形で影響をうけることになり,彼の内面とのつながりはかえっ
て稀簿になる傾きを生じました。」(95頁) と語っているのも,以上で私が述べてきたこと
に通じよう。この時期について多くを語ってくれる大事件を年毎に記すと,昭和13年3月
国家総動員法成立,14年9月 ドイツ,ポーラソドへ侵入,第2次世界大戦開始,15年10
月 大政翼賛会創立,16年12月 日米開戦,17年6月 ミッドウェー海戦,18年9月 イ
タリア降伏 と続く。日米戦争が進むにつれ,英語は敵国の言葉として排斥されるように
なっていく。これらを考えれば,この時期の山が15,16年というのは,外的事情によると
ころが大であったのだろう。
次にボー評の相違にっいて記しておく。ヴァレリー,そしてグールモソのボー評論と,
益田氏を初めとする英米文学者の評論でのボーはまだ大分異なるようだ。後者はどちらか
と言うと,英文学の流れの中でボーをとらえんとする傾きがあり,ロマン派の特異な詩人
という評に近づいてしまう。ボー評価の場合,それぞれの観点からのみボーを眺め,相手
の長所で自らの欠陥を補っての総合は,提案されるにしても,そこへ達する道は遠いよう
だ。すなわち,前者の洞察や,広い視野に立ち,近代文学との関連でボーを理解せんとす
る傾向と,後者のボーをその生きた時代,環境に置き,原典にあたっての考察とが合体し
ないようだ。それにはそれぞれが相手の提出する問題に,自らの基盤から誠実に答えるの
が何より必要で,近代文学の先駆ボーという観方に対して後者が,ボーの詩論の評価につ
いて前者が具化的にどう答えるかだと思う。問題は,ボーの作品の病的性質をボーの不健
全な趣味や病的性格の所産と片づけるか,そうではなくて,表面下に入りこみ,そこをさ
ぐり,ボーの意図を読み,魂の探究という積極的意味を読みとるかが一つ,もう一つはポ
一の詩論をhoaxとして片づけるか,そこに真面目な意図を読みとるかだと私は思ってい
るが,これを論ずるのは当面の課題ではない。しかしこれについてはいつも書かずにはす
66 茨城大学教養部紀要(第14号)
まされぬ。フランスのボー評論と言っても,ボードレールとヴァレリーのものを除けば,
他に翻訳は殆ど無いのだから,考えてみれば少数の割には影響は大きいのである。その最
も重要なものが翻訳されたということにもよるのだろうか。日本ではこれらが大きな影を
〈日本でのボー〉に投げかけて,数多くの英米文学研究からのボー評論は,言葉数の多い
割には印象が薄い。それにしてもアメリカの本格的なボー評論の翻訳が出ないのは残念で
ある。間接的に紹介されてはいるが,直接の翻訳がなくては,アメリカでのボー研究の全
貌は伝えられまい。ボーの詩論の論議にも,「詩の原理」,「創作の哲学」の2篇が用い
られることが依然多い。紹介されてから久しいが,その全貌は知られぬとの益田氏の言が
あるが,この点でもなかなか進まぬ。全貌が知られなくても,何となくボーの通説が出来
ていて,もうボーは卒業との傾向があるのではないか。ボーの作品中の限定されたものと
外国のボー文献からの合成という傾きがあり,この点から見ると益田氏の著書は意義深い。
そう言えば,ボーのextravaganzaの類の作品がまともに取り上げられるのも,可成り
後のことだ。
これまでさまざまなボー評論を姐上にのせてきたが,果して正確に紹介し得たか,自分
に引きつけすぎはしなかったかと不安を覚える。そのような場合には,深く許しを請わな
ければならぬ。これで3回にわたった〈戦前・戦時〉のく日本でのボー〉を終るが,戦後
はボーの作品の翻訳は兎も角,評論,研究は大変な数で,今迄の形式をとったのではとて
も処理できぬと思う。10年毎に区切ってみるか,又概観を記すだけにとゴめるか,大分工
夫が要りそうである。 (終)
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