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第 5号 - 滋賀県

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第 5号 - 滋賀県
平成25年12月14日
【編 集 発 行】
【100年前の12月】
米大リーグのジャイアンツ・ホワイトソ
ックス合同の野球チーム来日、三田綱町
の慶應義塾グランドで模範試合を行う。
『滋賀の教師塾』事務局
第七期【第
5号】
「読書のすすめ」を体験するために
知っていますか。昔、京都河原町に丸善の支店があっ
たことを。駸々堂も京都書院もありました。河原町で洋
書を取り扱っていたのは、丸善だけでした。今ではアマ
ゾン。あっという間もなく自宅に届けられます。そのせ
いか、ドイツの古書店のカタログは、玩具や園芸用品等
の通信販売のようになってしまいました。
それでも本屋さんで、中身を確かめて購入する安心感
は、捨てがたいものがあります。著者と書名、ついでに
中身もわかっていれば、安心して地元の本屋さんに、取
り寄せを、お願いすることもできます。
子どもに読み聞かせるための「児童書」は、この方法
で揃えました。寝かしつけるはずが、お目々爛々となり
「もっと、もっと」とせがまれ、疲れ果てて読み手が寝
てしまったことが、何度かあるとのことです。
幼い時に読書の習慣を身につければ、大きくなっても
自分が経験していない世界、人生を、想像の世界の中で
とはいえ、体験することができます。この体験が、生き
る力を形成する牽引力になるはずです。
平成26年3月15日の第10回講座は、読書活動を
取り上げます。その準備として、下記の基準にあう3冊
を、今から用意しておいてください。
記
1 私の推薦する一冊
2 私の心に残っている一冊
3 児童生徒向け読み聞かせ指導に用いる一冊
【第六回教師塾開催について】
ー 生徒指導実践講座Ⅰ ー
◎日
時:平成26年 1月18日(土)
中高校 S&A 受付午前 9:00 開始 9:20
小学校 S&A 受付午後12:30 開始13:00
◎場
所:コラボしが21 3階各研修室
大津市打出浜2-1
◎交通手段:
JR・京阪電車膳所駅下車 徒歩20分
京阪電車石場駅下車
徒歩 3分
◎内
容
Ⅰ講 義:「学級経営の在り方」
講 師:彦根市立東中学校加藤三男 教頭
湖南市立三雲小学校首藤勲 教頭
Ⅱ班別演習
:「学級開き ーその手法と展開ー」
指導助言は、中高校5名及び小学校7
名の先生方にお願いしています。
Ⅲ全体会:講評 各教頭先生
事務局:「さわやかな接遇について」
講
実
義・・・4.5
習・・・4.6
(5段階評価)
【第4回講座 評価と感想】
私は、生まれも育ちも滋賀県ではないため、あまり詳しく滋賀県のことについて知りませんでした。今
回の講義を受けて、琵琶湖の由来、面積、住んでいる生物などを知りました。これから住んでいく上で、
環境保全などを意識していかなければならないとも改めて思い、また、もっと滋賀県について知っていこ
うと思いました。(中S男))
▼ 子どもたちは、様々なことに興味を持ちます。先生は子どもたち以上に興味を持ち、調べ、知識を身に
つけて、子どもたちに教えたり、一緒に考えてあげられることが大切だと思います。子どもたちに新発見
をたくさんしてもらうために、博物館などを利用して、学校の先生だけでなく、いろいろな「先生」に教
えてもらうことで、子どもたちの刺激になり、より良い環境で学ぶことができると思います。(小S女)
▼ 小学校の時にあったフロ-ティングでも、ヨシ笛作りをしたので、なつかしい気持ちになりました。ヨ
シがどのような場所に生えているのかや、どのような生き物と関わっているのかまで学ぶことができ、そ
れを知った上で笛を作ることができたので、勉強になりました。次は笛の作り方を教える側として、今日
の先生のように、楽しくわかりやすい説明をする工夫を考えたいと思います。(小S女)
▼ 子どもに体験させる際に、どう指導したら良いのかが学べました。実物を見せながら教える。鏡のよう
に反対向きにして示す、分かりやすい例えを使う、などです。また、音の鳴るもの(楽器など)を子どもに
持たせる時は、指示が通るよう、配慮しなければならないと、感じました。(小S女)。
▼ まず、先生の話を聞かせるテクニックを真似したいと思いました。「実習」となると生徒に話を聞かせ
る、伝えるということは難しいとおっしゃっていました。「3D琵琶湖作り」を体験して思ったことは、
「楽しくて、実際に自分でやってみたこと」というのは、印象に残り、理解も深まるということです。
「等高線」と同じ考えの「等深線」を描くことで、琵琶湖の立体的な形が分かると共に、授業だけでは
「等高線」を理解できない生徒が、分かるようになるのでは、と思いました。(高S女)
第5号のタイトルは、7期生宮本悠さんの揮毫によるものです
▼
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事務局長の独り言 48]
事務局長 寺村銀一郎
議会制度史から明治期の翻訳語を考える Ⅳ
英國議事院の議員についてー高位聖職者・諸侯・州長官
「大議會」が議事院に発展し、その「議者」は皆国王の臣下であって領主であるとの説明の後に
「千二百年代ジョン王ノトキ設立セシ法ニ據(ヨ)レバ 國中ノ大僧教師大諸侯ノ會スルハ一人毎ニ其
姓名ヲ掲ゲ之ヺ召シ 其他下等ナル貴族ハ土地ノ奉行ヨリ一般ニ之ヲ召スヲ例トセリ 是即チ英國貴
族合議ニ上下ノ別ヲ生ゼシ所ノ起源ナリ」といった文が続きます。
議者は councilor あるいは assembly member で、議員と現在は翻訳されていますが、council を評議会
と翻訳したら評議員となります。大僧は archbishop あるいは bishop のことで、大司教あるいは司教で
あると推測します。教師は教化師、おそらく abbot、現在は修道院長と訳されている言葉だと推測しま
す。大諸侯については magnate という言葉が出てきます。諸侯ならばこの当時のイングランドでは barons です。土地の奉行については、州 county の長官 sheriff か、hundred(州より下位の郡に相当か)の長
官 bailiff であったはずです。シェリフかベイリフかは、原文が入手できない状況では断定できません。
議員として、聖俗の大貴族は全員を集め、地方の中小貴族は代表として州の長官を召集していたことに
なりそうです。
英國議事院の議員についてー州の武士(騎士)の代表の参加
続いて、「ジョン王即位十五年 偶(タマタマ)事故アリテ 各州ノ奉行ニ命ジ 一州ヨリ武士四人ヅツ
ヲ召シタルコトアリ 之ヲ名代人ノ始メトス」
「武士」については、福澤諭吉氏の詳細な説明があります。
「武士トハ封建ノ世ニ當(アタ)リ帯刀ノ免許ヲ得テ軍役ヲ勤ムル者ナリ 英語 之ヲ『ナイト』ト云
フ 方今ニテハ全ク古風ヲ改メ 古(イニシエ)ノ武士ナル者ナシト雖モ 其名称ハ尚存セリ」
「ナイト」と記されているため、騎士 knight だとわかります。福澤諭吉氏が渡欧した1860年代
には、もう既に帯刀の風はなく「ナイト」の全てが軍役を負うこともありませんでした。
州の武士4人ずつが集められたことが「名代人」の始めであるとのことですが、この時には会議のた
めに召集されたのではなさそうです。おそらく州の騎士集団の名代・代表 representative として実情報
告のために集められたようです。騎士の多くは地方に土着して軍役代納金を支払うようになりジェント
リー(郷紳)化していきます(青山義信等編前掲書。中丸英起『名誉としての議席ー近世イングランドの
議会と統治構造』慶應義塾 2011 年。J.R.Maddicott 前掲書。A.Marongiu 前掲書。)
英國議事院の議員についてー選挙で選ばれた州の騎士代表、都市民の代表の参加
「第三世ヘンリ(一二一六年即位)王ノ即位四十九年 諸州ニ命ヲ下シテ 武士四人ヅツヲ選挙シ下
等貴族ノ名代トシテ會議ノトキ諸侯ノ坐ニ陪侍セシム 又其次年 議事院會議ノ命ヲ下シタルコトア
リ此時ノ召ニハ大小僧侶貴族ヲ始メトシ 又諸州諸郡ノ奉行ニ命ジテ 武家町人二名ヅツヲ選ビ又別
ニ五港ヨリ各四人ヅツヲ選挙セシメタリ(五港トハ「ハスチングス」「ロムニ」「ハイテ」「ドーウル」「サ
ンドウィチ」ヲ云フ常時繁盛ノ港ナリ)」
ヘンリー3世の即位49年は、1265年です。原文になかったのか、意図的なのか、この年の「議
事院會議」をレスター伯シモン・ド・モンフォール Simon de Monfort 等の改革派が主導した事は取り
上げられていません。国王ヘンリ3世と諸侯の中の改革派の対立が尖鋭化する中で、実権を掌握した改
革派のシモン・ド・モンフォールによる「シモン・ド・モンフォールの議会」が1264年から65年
にかけて開催され、65年には約23名の改革派諸侯、高位聖職者、各州の騎士の代表2名、ヨーク、
リンカーンとその他名称不明の都市 borough から各2名の市民代表、そしてイングランド東南海岸のサ
ンドウイッチ等の五港市 Cinque Ports から各4名の代表が、課税同意以外の広範な政治に関する意見を
求めて国王の名により召集されています。しかしその前例は、既に1254年にあったとされ、州や教
区で代表の選挙が行われていたとのことです(J.R.Maddicott 前掲書)。
「爾後諸州ノ人物ヲ選挙スルガ為 其奉行ヘ命ヲ下シタルハ 第一世エドワルト王ノ即位十八年千二
百八十九年ヨリ始リ 城邑ノ人物選挙ヲ命ジタルハ同二十三年千二百九十四年ヲ始メトシ 其以前ノ
事情ハ詳ニ知リ難シ」
「第一世エドワルト王ノ世ニハ一歳四次ノ會議ヲ為スノ例アリ 固ヨリ此會議ハ議政ノ趣意ニ非ズシ
テ只國王ノ私臣ヲ會シテ裁判刑法ノ事ヲ議スルノミナリシガ エドワルト王即位ノ二十三年後ヨリ國
法ヲ議定スルノ為 國内ノ貴族 名代人ヲ 會同シテ例年ノ會議ニ出席セシメ 時々國王ニ謁見セシ
コトアリ」
代表選挙を頻繁に行わせたエドワード1世は、広範な国民の支持を得るため、パーラメントを有効に
使った王であると評価されています。また、即位23年は1295年にあたり、模範議会(モデルパー
ラメン Model Parliament)が召集されたことで有名です。が、この言葉は1870年代に出版されたウ
ィリアム・スタッブス著『イングランド憲政史』(William Stubbs,The Constitutional History of England,
3.Vols.Oxford 1873-78 ) の中で使われたのが最初だそうで福澤諭吉氏は知らなかったことになりそう
です。パーラメントと聖職者会議の合同会議だとされています(青山吉信及び J.R.Maddicott 前掲書)。
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