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ふるさと・この道

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ふるさと・この道
高校講座
学習メモ
14
音楽 Ⅰ
講師:馬 淵 明 彦 ふるさと・この道
今回は、大正時代(1912 ~ 26)の唱歌から「ふるさと(故郷)」を、昭和初期の歌曲から「こ
の道」を歌ってまいりましょう。
■文部省唱歌とは
日本に西洋の音楽が入ってきたのは明治初期ですが、最初に作られた唱歌は、
明治 14 年(1881)に音楽取調係 ( 現東京芸術大学の前身 ) が編集した『小学
唱歌』全3冊に収められています。この唱歌は外国の民謡や讃美歌などの旋律
に日本語の歌詞をあてはめたものでした。しかし明治 35 年(1902)に教科
書国定の方針が定められ、明治 40 年(1907)には尋常小学校の唱歌が必須
教科になったため、文部省は作詩・作曲ごとに編集委員を任命して唱歌集の編
集を開始し、明治 43 年(1910)に『尋常小学校読本唱歌』を発行しています。
これ以降、著作権が文部省に帰属することになり、唱歌の作者名が伏せられ
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て「文部省唱歌」という呼び名が使われるようになりました。つまり文部省唱
歌とは、明治 43 年から第二次世界大戦の終戦(1945)までの間に作られた
匿名唱歌を指しています。終戦後は個人の著作権が認められるようになって作
者の名前が判りますが、文部省唱歌においては匿名のままにする作者も多く、
今なお多くの作品が作者不詳のまま残されています。
■「ふるさと(故郷)」
ていいち
文部省唱歌「ふるさと(故郷)」の作曲者・岡野貞一(1878 ~ 1941)は、
明治から昭和初期まで、現東京藝術大学である東京音楽学校の唱歌教育に力を
注いだ人で、また同時に文部省の教科書編集にも携わり、
「春が来た」「朧月夜」
「もみじ(紅葉)」「春の小川」など、皆さんもよく知っている唱歌を遺してい
ます。
たつ ゆき
作詞者の高野辰之(1876 ~ 1947)も同じく東京音楽学校の教授で国文学
者でもあり、文部省唱歌の編集委員を務め、作曲の岡野貞一とのコンビで優れ
た唱歌を作りました。
歌詞は次の通りです。
兎追ひしかの山、 小鮒釣りしかの川、
夢は今もめぐりて、 忘れがたき故郷。
つつが
如何にいます父母、 恙なしや友がき、
雨に風につけても、 思いいづる故郷。
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高校講座
学習メモ
音楽 Ⅰ
第 14 回:ふるさと・この道
こころざしをはたして、 いつの日にか歸らん、
山はあをき故郷、 水は清き故郷。 (元の仮名遣いによる)
高野辰之は信州(長野県)の出身ですが、この歌は、ふるさとを懐かしく思
う気持ちが素直に表現された詩と、郷愁を誘うメロディーが私たちの心をしっ
かりとらえると思います。
■「この道」
それでは次に山田耕筰作曲「この道」を歌ってまいりましょう。
こうさく
山田耕筰(1886 ~ 1965)はわが国で初めて世界的水準に立った作曲家です。
日本人として初めてアメリカやヨーロッパの一流オーケストラを指揮して自作
の交響曲や交響詩を発表しています。山田耕筰は生涯を通じて日本の音楽芸術
の基礎を築いたのですが、その範囲はまことに広く、器楽・声楽・オーケスト
ラ・室内楽・舞踏・文学・詩などの各分野の研究でした。
1922 年(大正 11 年)には北原白秋(1885 ~ 1942)と共に雑誌「詩と音
楽」を創刊して詩と音楽の融合を図り、日本語の高低アクセントと日本人生来
のリズム感を生かした近代歌曲様式を確立しています。
▼
山田耕筰は歌曲について、「それは詩と音楽が不可離不可分の関係におかれ
た芸術的な融合体を指すのだ。それをただ単なる音楽的見地から論ずることも
無理であり詩的観点からのみ吟味するのも誤りである。それはもはや詩そのも
のでもなく、音楽そのものでもない。・・・歌曲は音楽の世界に於ける一分野
をなすのだ。」と述べています。
詩と音楽の完全な融合体を実感するために、「この道」の詩を朗読してから
歌ってゆくことにしましょう。「この道」は北原白秋が札幌へ旅行したときの
印象を詩に作ったもので、白秋が「これは『からたちの花』の妹です。『から
たちの花』にもました美しい音楽を与えて下さい」という意味の言葉を添えて
山田耕筰に贈ったものです。
歌詞は次の通りです。
この道はいつか来た道、 ああ、さうだよ、
あかしやの花が咲いてる。
あの丘はいつか見た丘、 ああ、さうだよ、
ほら、白い時計台だよ。
この道はいつか来た道、 ああ、さうだよ、
お母さまと馬車で行つたよ。
あの雲もいつか見た雲、 ああ、さうだよ、
さん ざ
し
山査子の枝も垂れてる。 (元の仮名遣いによる)
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高校講座
学習メモ
音楽 Ⅰ
第 14 回:ふるさと・この道
山田耕筰は自作の作品解説の中で「この道」について次のように書いています。
「世の誰よりも母に愛され、世の誰よりも母に慈くしまれた私は、世の誰に
もまして母を思ふ心切である。『この道』を手にした私は、いとけなかりし日
を想ひ、あたたかい母の手にひかれて、そぞろ歩きした道を偲び、ありし日の
あはい追憶に耽らずにはをられなかつた。私は亡き母の愛にひたりながら、静
に『この道』を唄ひいでた。どうか母を慕ふ心をつれびきとして、この小さい
歌を唄つて下さい。」 (元の仮名遣いによる)
■まとめ
今回は、日本の心の歌=唱歌を取り上げて歌ってまいりました。言葉と音楽
が一体となって、深い感動を味わうことができたのではないでしょうか。
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