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私がこれからできること

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私がこれからできること
佳 作
「私がこれからできること」
学校法人新田学園
【愛媛県】
新田青雲中等教育学校
5 年 中下 諒子
2009 年の夏から 1 年間、私はアメリカにいた。アラスカに留学し、高校生活を送っていたのだ。今、
考えれば、あの一年間は私の一生を変えてしまった。そのくらい貴重で大切で濃い日々だったと思う。
留学中はある家族のところにずっとホームステイをさせてもらっていた。シングルマザーと中学生
の女の子。アメリカではそんなに珍しくない組み合わせだが、彼女たちは少し特別だった。お母さん
とその子どもである女の子は血が繋がっておらず、マーシャというその女の子はロシアから養子縁組
で引き取った子なのだ。
「自分の周り」では聞いたことのない海外からの養子縁組のことに驚く私にお
母さんはマーシャを引き取った当時のこと、彼女の生い立ちのことを話してくれた。
6 歳の時、アメリカに来たマーシャは当然英語も分からず、いつも何かに怯えたりその感情を怒りの方
向へ向けたりしていたそうだ。また、朝になったら、誰かに取られているからと夕食で食べきれなか
ったパンを抱いて寝たり、クローゼットの服一つ一つに指をさして、
「これは本当に私のなの?」と尋
ねたり・・・。孤児院での生活がどれほどひどいものだったのかが、容易に想像できる話ばかりだっ
た。だが、実はマーシャには今でも血の繋がった両親と兄がいて、みんな生きている。しかし、お父
さんは失業者、お母さんはアルコール中毒、上の兄は心臓病だった。当然、その両親に子ども 3 人を
養う財力などなく、他人の私が怒りで震えるほど悲しいことに、その親は生まれた時から健康だった
マーシャなら大丈夫と孤児院に捨てたのだ。
ロシアの孤児院には毎年 73 万人以上の孤児がロシアにいる。その中からマーシャが養子に選ばれたこ
となど奇跡に近い。しかも、毎年、15 万人の孤児が孤児院を出なければならないのだ。その内、5000
人が職を探し、6000 人がホームレスになり、3000 人が生活も犯罪に頼り、そして、およそ半分の女
の子は体を売ることを強要される。もし、今のマーシャのお母さんがマーシャの隣にいた子を養子に
選んでいたら、彼女は今頃・・・。想像するのも耐えられない。また、アラスカはロシアと近いため、
人口 4000 人という私が住んでいた小さな町にも多くマーシャのような子どもがいた。私が通っていた
高校の友達も 10 人はロシアから来た子だった。「もしかしたら、ちょっとでも何かが違えばここにい
るのは違う人で、私の友達は死んでいたのかもしれない。」
そして、次に思ったのが、「今、孤児院に居る人たちは私の親しい友達になったかもしれないんだ。」
この考えに至ったとき、私は急にロシアの孤児問題が恐ろしいくらい「自分の周り」のこと、とても
身近なものに思えた。ロシアだけでなく、孤児問題は世界中に散らばっているのに、どうして私は今
までそのことを思いもしなかったんだろう。家族や友達のことになって私はようやく世界の身近な存
在に目を向けた。
このことのおかげで、私には人生においての目標が3つできた。
一つ目は精神科医になること。マーシャや他の養子の子もそうだが、彼女、彼らには心に傷を負った
人が多い。それは、日本の孤児も同じだろう。私はその手助けをしたい。アメリカでは精神の病に対
する治療や対策が広く普及していて、学校に一人専門のカウンセラーがいるくらいだ。日本がそこま
で追いつくにはかなりの時間がかかると思う。
そこで、二つ目。精神科医として経験を積み、カウンセリング等の普及に貢献すること。そうすれば、
少しでも少年犯罪が減る上に、私が望む養子の子たちの多くの悩みを軽減させることもできると思う。
そして、三つ目。自分で孤児院を造ること。自己満足にすぎないかもしれないが、つらい経験をした
子供たちが少しでも安らげる場所を造りたい。
この3つの夢をくれた人たちのためにも、私は前に進む。
アメリカでの日々がその原動力を私にくれた。
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