...

父の遺品の整理 神奈川県 首藤ゆり 私は神奈川在住ですが、先日実家

by user

on
Category: Documents
23

views

Report

Comments

Transcript

父の遺品の整理 神奈川県 首藤ゆり 私は神奈川在住ですが、先日実家
父の遺品の整理
神奈川県
首藤ゆり
私は神奈川在住ですが、先日実家の父が亡くなり、後片付けや手続きのこともあり、こち
らに来て約2か月になります。
先日、父の書斎の書類を整理していましたら、
「戦争の思い出(死の悲しみ)」と題した手
記が出てまいりました。
大正10年生まれの父は、本籍は熊本市内ですが、生まれ育ちは京城(現ソウル)で、高
校からは内地で広島、大学を京都で過ごしました。
昭和18年学徒動員で、昭和20年8月末には特攻隊として出撃する予定でしたが、8/
15の終戦で死を免れました。その頃の話を私たち家族に語ることはほとんどありませんで
した。30年ほど前にひと言ポツリ「死ぬ覚悟をした。が、その気持ちは決してわかっても
らえるものではない…」と言った言葉が、今でも忘れられません。
昨年より私の娘たちが「おじいちゃんが私たちと同じ年頃だった戦前戦時中、どんなこと
を感じ、どんな想いで生きていたのか聞きたい」と言っていましたが、先月4/7に亡くな
り、その願いは叶いませんでした。しかし、あの世から約束を果たしてくれたかのように、
その手記が見つかり、とても不思議な気持ちでした。さらに、その中に出てくる原爆で亡く
なった高校時代の親友からの手紙もまた見つかりました。昭和20年5月16日の消印でし
たので、父はその方の形見として大切にこれまで手元に置いていたのでしょう。
この手記に出会うまで、私は父が胸の奥底にこのような気持ちをずっと抱いていたとは少
しも知らず、「広島に住んでいたけど、知り合いの人はきっと大丈夫だったんだろうな…」
などと軽く考えていました。深い心の傷、深い悲しみは人にはとうてい話せない…話したく
ない…複雑な気持ちだったのですね。子どもとしてとても申し訳ない気持ちでいっぱいです。
クマロクの中で「戦後70年」のコーナーがあり、私自身の体験ではないのですが、父の
この気持ちをもっと早く聴くことができれば…との後悔もあり、もしこの手記を一人でも多
くの方に読んでいただければ、父の供養になるのではと思い、投稿させて頂きました。
次頁は父・三島彦介さんの手記です。
戦争の思い出(死の悲しみ)
熊本市
三島彦介(故人)
どんなに記憶力の悪い者でも一生忘れることのできない厳しい記憶は、何といつても自分
の「死」の記憶であろう。これは決して誰でも楽しい思い出ではないと思う。戦争はとてつ
もなく多くの人に死を覚悟させる。死の覚悟は簡単にできるものではない。まず自分が納得
するまでに幾日もかゝる。私も安易に覚悟したのではない。人生の未練は限りなく強かつた。
最も楽しいはずの青春も、これからの人生もすべて諦めなくてはならない。人間は一部の人
を除いて臆病と聞いてきた。その通り、私も実感を体験した。生への願望と死の恐怖、この
二つは心を苦しめた。本当に戦争を悩んだ者はあまり語りたがらないと言う。楽しくないこ
とを思い出しても決して楽しくはないからである。私たちの青春時代は暗く死といつも対面
しているような時代だつた。そして戦後の食糧難、就職難、限られたことを除けば、ほとん
どが自分の恥ずかしい煩悩の思い出である。戦前の学校には留年というのがかなりあつた。
今の中学にはなく、高校でもよく/\のことでないと留年にはしない。当時留年の不安は成
績不良者には付きものであつたが、死の覚悟の葛藤に比べると足もとにも及ばない。戦争が
終れば、昔の苦悩は「悪夢」ということにする。子供や生徒たちに正直に話したら「臆病な
大人、だから戦争負けたんだ」と冗談に受取られて笑われたことがあつた。それ以後自分に
ついての戦争の話は好んではしない。戦争の思い出は日本の敗戦でしかも身から出た錆のみ
じめさが加わつて、今は「孤独の悪夢」としての思い出である。私自身の心の思い出には暗
い恥ずかしいことが多く、若い人たちと人生を語るとき理解してもらえない「断絶」のある
ことは淋しいことである。戦争は本当に人の心を切り裂く悪魔の恐ろしいメスである。
戦争はたとえ勝つても死傷者は出る。十五年戦争での死者は三〇〇万とも言われる。負傷
者は昔から死者の二倍は出ると言われるから、相当の人がまだ後遺症に苦しんでいるはずで
ある。私は国外には出なかつたが、傷を受けてそれが今も私を苦しめている。これが寿命を
縮める一因になるであろうと覚悟はしている。無事何とか仕事について六十近くまで生きた
ので、本当に運がよかつたと思つている。死んだ友だちのことを思えばまだ「しあわせ」と
思つているが、戦争は本当に目に見えないところにまで傷跡を残している。戦争時代の人は、
今は明るい顔をしているが、かつての悪魔の毒の爪あとに悩んでいる人も多いことを、若い
人は知つてほしい。
私の本籍は熊本だが生れと育ちは今の韓国のソウルである。小学校中学校はソウルで後は
内地で勉強した。それで小中学校の友だちで生死不明、ほゞ確実に戦士の「親友」が三人い
る。小学校の級友一人、中学校の級友二人である。引揚者なので探すことが難かしい。いろ
いろ生き残つた者で探したが分らない。死亡確認と行方不明とでは当事者の気持はやはり複
雑である。希望がもてるような持てないような悲しい思い出である。三人とも家はすぐ近く、
いつも親しく往来して家族の方とも親しかつた。今ごろ家族の方どうされているだろうか、
よく思い出す。中学の級友はフィリピンの激烈な戦線だつたから、ほとんど戦死は間違いな
い。内地の中学なら親族の方と連絡がつき生死は確められるのだが、外地育ちの私たちには
それができない。
「ふるさと」を小さい頃育つた思い出の土地とするならば、
「ふるさと」も
忘れさせられ、級友の生死も確められない内地育ちには分らない侘しさと淋しさが、いつも
私の胸の内にある。
私は中学を出て髙等学校は修学旅行で一番印象のよかった山紫水明の広島を選んだ。たま
たま下宿の隣りが級友の家で、それで彼とは特に親しくなつた。実に温厚で頭のいいスマー
トな青年だつた。親父も立派な方で広島髙等裁判所の判事をしておられた。私は幸い昭和十
八年広島を去つて京都に移り、そして熊本歩兵十三連隊に入営したから、原爆には遭わなか
つた。彼も親父も原爆にやられて半月程苦しんで二人とも亡くなつた。また座席がいつも斜
め前の級友も同じように亡くなつた。原爆で広島時代の親友を二人失つたわけである。八月
になると原爆の日、六日と九日は特に心が痛む。家族にも同僚にも暗い顔を今はしないが、
朝鮮時代の三人の級友と広島時代の二人の級友は、事ある毎に目の奥に浮かんでくる。昭和
二十年八月六日は兵庫県篠山市の航空通信部隊で私は陸軍兵士だつた。部隊長が強力な光線
爆弾が広島に投下され一発で広島市は全滅し、敵側は「原子爆弾」と称している、と言つた
とき、京都を去る際に隣り部屋の物理科の学生が原子爆弾の恐ろしさを語つていたことを思
い出して慄然とした。そんな馬鹿な兵器が、今すぐおいそれと出来るはずがない、たかをく
くつていた私には実に大きなショックだつた。こんどは一発で日本が滅びるかも知れない。
やがては、原子爆弾で人類が滅びるかも知れない。瞬間的に原爆の恐ろしさが頭の中をめぐ
つた。異様な悪魔の最大の杖が振り下ろされた実感そのものだつた。原爆を悪む気持はこの
とき既に固まつた。と同時に友人、知人、下宿のおばさんたち、どうなつただろうか気にな
つた。予想はやはり当つた。大ぜいの人が亡くなつた。下宿のおばさんたち一家行方不明で
ある。最近同宿だつた友人が原爆死亡者の名簿を調べたが名前はなかつたと言つてきた。し
かし全く手がかりがない。近いうちに関係者で調べて分らないときは、原爆犠牲者として供
養して差上げたいと会話し合つている。一発の原爆は私の心も強く大きく切り裂いた。二人
の親友の死はもちろん、お世話になつた下宿の方々のこと、家族の遺骨をせめて探しあてた
いと暑い夏を毎日泣きながら歩いた友人の話のことも聞いた。朝鮮時代、広島時代、楽しい
思い出もあるが、身近な人の亡くなつた思い出は、とても淋しく悲しい。戦争の空しさはい
つまでも消えることがない。
パスカルのパンセに「クレオパトラの鼻、もしこれが低かつたら地上の全表面は変つてい
たことであろう」とある。この章の内容を問題として取上げられることは少ないが、実に「人
間のむなしさ」の一面を論じている重要なくだりである。恋愛の馬鹿げた感情が大きな戦争
を引き起こす原因にもなりうるし、大ぜいの人たちが死ぬとまたその何倍という人たちが悲
しむ。パスカルも戦争と権力者の行過ぎの恐ろしさを客観的にむなしいことと論じた。戦争
中に若い時代を過ごした私たちは、パスカルの言う後の「悲しむ人たち」の群である。私の
妻の実兄もニューギニヤで戦死した。今はもう以前のように話はしないが、ときどきは感慨
深げに思い出して実兄の話をする。私は聞きながしているが、やはり私たちには戦争はまだ
終つてはいない、死ぬまで続くんだなあ、とひとり心の奥で思つている。また前任校で家庭
科の女先生と話していたとき、「小学校の同窓会は淋しい。男子のクラスメートは全員戦死
なの」とつぶやかれた。昭和四十年頃のことだが、実に大きなショックだつた。その夜は永
く寝つかれなかつた。戦争の本当の不幸を知らない人たちは心情は理解しても寝つかれない
ということはあるまい。戦争の深い傷跡はたくさんまだまだ残つている。私には女先生の笑
顔の奥の淋しい本当の悲しみが深く心にしみた。
Fly UP