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特集[ふるさと]

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特集[ふるさと]
【 ふるさと 】
my Spiritual home & my Birthplace
心をよぎる私のふる里
ふるさと
(長崎)
長崎人
愛犬家
26
両親から子どもに贈られる最初の贈り物は「名
私のふるさとは長崎です。大学入学を機に東京に
前」だという話を聞いたことがあります。そんな私
出てきたため長崎歴は18年ですが、私なりの視点で
の「両親からの最初の贈り物」には、「里」という
長崎を紹介してみたいと思います。
字が使われています。
いきなりですが、長崎といったら食です。「長崎=
どこへ行っても、自分の育った場所や周りの人た
かすてら、ちゃんぽん、皿うどん」というのが定番
ち、全てひっくるめて「ふる里」を忘れない人にな
ですが、実のところ(おそらく)地元の人はあまり食
るように、という願いを込めて贈ってくれたので
べません。(少なくとも私はほとんど食べませんで
す。
した。)お鍋のしめにちゃんぽん麺をいれるくらい
ふる里といっても場所に限ったものではないと思
でしょうか。というわけで、私がおすすめするの
います。その人にとって、心の拠り所になるような
は、「魚」です。長崎の魚は新鮮なのでどんな魚でも
ものは全てふる里だと思います。家族、友人、幼馴
おいしいのですが、一番のおすすめは「ヒラス」とい
染、恋人、またはその人たちとの思い出、思い入れ
う魚です。完全に私の好みが入っていますが、味は
のある本や音楽や映画、場所。そんな心の拠り所も
ブリに似て淡泊で、とにかくおいしいです。長崎に
「ふる里」に思えます。
行った際には是非食べてみてください。
先日、去年の夏に他界した祖母の家の掃除に行き
ちなみに、あまり知られていませんが、長崎では
ました。今はもう誰も住んではいませんが、まだ
マグロはほとんど食べません。理由はよくわかりま
所々に物が残されています。その中の一つに家族写
せんが、長崎の人(特に年配の方)の前でマグロをお
真があります。あちらこちらに飾られていて、火葬
いしそうに食べているだけで「これだから都会人
の時に寂しくないように祖母の棺の中に孫たちで随
は」と言われかねませんので気をつけてください。
分入れましたが、もうネガがないものなどは勿体無
その他、長崎といって思いつくことといえ
くて残してました。その写真の一つに私と祖父母3
ば・・・「軍艦島」
「グラバー園」
「出島」
「中華街」
人だけのものがあり、これはもらって行こうと思っ
「ハウステンボス」
「稲佐山」・・・等々多すぎて紹介
て写真立てのガラスを外しました。するとそこから
できないくらいたくさんの名所があります。なんだ
パラパラと写真が数枚出てきました。一枚しか入っ
か微妙だなと思われた方、その気持ちよくわかりま
ていないと思っていた写真立ての裏には、同じ年に
す。それならいっそのこと、私のふるさと長崎県西
撮られたであろうほかの写真が入っていました。
20
彼杵郡時津町にある「さばくさらかし岩」なんてど
年以上前のその写真が撮られている場所は、当時住
うでしょうか。簡単に説明しますと、ちょっとした
んでいた横浜のマンション近くの公園でした。懐か
逸話がある変な岩です。説明し始めると紙面が足り
しい場所です。優しく笑う祖父と楽しそうに笑う祖
ませんので、続きはwebでお願いします。
母と、お気に入りの洋服を着て笑っている私でし
最後に、長崎は九州の最西端にあります。「長崎
た。思わず、写真のみんなに楽しそうねと話しかけ
って九州のどこだっけ?」と聞かれることが多々あ
たくなる一枚でした。懐かしい人と懐かしい場所。
りますが、知らなかった方はこれを機会にぜひ一度
少し黄色くなってはいても、この写真もまた私のふ
長崎に行き、
る里です。
魚を食べ、
ここまで育ててくれた両親への感謝はもちろんで
長崎がどこ
すが、沢山の周りの人たちとその人たちとの時間
にあるか覚
が、作り上げてきた思い出が、かけがえのない人生
えてみては
のピースです。そんな、ありがとうと伝えなくなる
どうでしょ
人や思い出も「(心の)
ふる里」であると思います。
うか。
AUGUST 2014
※
「世界三大夜景」を載せてみました。
【 ふるさと 】
my Spiritual home & my Birthplace
滋賀県大津市
故郷に帰る理由
C.N
KM
帰省の際いつも「ふるさとに帰ってきたなあ」と
関東に来て一番驚いたことは、四方を見渡しても
実感するのは、新幹線を降りローカル線に乗り継い
山が見当たらないことです。関西出身の私は、これ
だ時です。私のふるさと、滋賀県大津市には、湖西
まで山が見える方向を北として方角を判断していた
線と言う路線が琵琶湖の西側を湖に沿うようにして
ようで、関東に住み始めて以降は方角が掴めずに見
通っています。私が高校生だった頃は、通学に毎日
当違いの方向に歩いてしまうことが多々あります。
利用していました。地上から数メートルの高さを走
いまでは東京タワーやスカイツリーなどのランドマ
るこの電車から見える景色は絶景です。滋賀のシン
ークに助けられて道に迷うことも少なくなりました
ボルとも言える広大な琵琶湖や、比叡山等の県をぐ
が、ふと無性に山が見たくなることがあります。
るりと囲っている山々が眺めます。高い建物があま
私の故郷は、山と海の間に拓かれた小さな瀬戸内
りないため視界を遮るものが無く、山から街を見下
の田舎町で、東京の自宅から実家までは新幹線や在
ろした時のように、電車の左右に広範囲の風景が見
来線、お迎えの車も含めて片道6時間以上の長旅を
えます。季節ごとの田んぼの様子の変化や、朝夕で
要する辺境の地です。カラオケもボーリングも無
変わる空と湖の色は、とても風情があります。
い、牛丼チェーンも見当たらない、居酒屋の閉店時
湖西線の景色の素晴らしさに気が付いたのは、大
間は21時、という普通の町にありふれているものが
学進学を機に上京した時でした。東京の電車の路線
何も無い町で、パチンコ以外に一体どこにお金が消
数や運行本数の多さは、ふるさとのそれとは段違い
費されているのか時々不思議になります。
です。ホームで電車を20分待つ、なんてことも無く
そんな町なので、大学入学を期に実家を出て都市
なりました。とても便利なのですが、地下鉄の窓か
に住むようになった後は帰ることも少なくなり、ち
ら見える真っ暗な眺めが、当時のホームシックに拍
ょっとした週末などに同窓会等のイベントや親孝行
車を掛けていました。高校時代当たり前と思って目
のために帰るぐらいのものでした。
にしていた景色は、価値あるものだったんだなあと
そんな私でしたが、最近はまとまった休みが取れ
実感しました。
る度に積極的に実家に帰るようにしています。かわ
以来、帰省して湖西線に乗った時は、スマホより
いい甥っ子と姪っ子が待っていることが一番の理由
も車窓からの景色を優先します。どこへ行くにも乗
ですが、それとは別に、故郷が持つ良さに少しずつ
った電車ですから、色々思い出もあります。湖西線
気付いてきたように思います。以前は何とも思わな
は乗るだけで懐かしい、温かい気持ちにしてくれ
かったのですが、近頃は小さい頃からずっと見てき
る、私にとって「ふるさと」を感じられる存在で
た山や川、海を見ると、自然と心が落ち着きます
す。
し、東京での日常を忘れてリラックスすることができ
ます。年齢を重ねて郷愁が強くなっただけなのかも
しれませんが、これが大人になったということなの
か故郷があるっていいなと改めて実感しています。
そして、東京に戻り東京タワーを見ると、反射的
に仕事頑張らねばと気合が入るのでした。
AUGUST 2014
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