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taikendan_101. [PDFファイル/85KB]

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taikendan_101. [PDFファイル/85KB]
「何故私を残して逝ったのですか」
あ つ こ(70歳代)
私の夫は10年前農薬を呑んで自らあの世に旅立った。
両親の横暴に耐え兼ねての覚悟の自殺であった。場所は物置。3代前に嫁いで来た方も姑の餘りにも
惨い仕打ちに耐え切れず首を吊って死を選んだと聞いていた同じ場所であった。何かの因縁かも知れな
い。
主人の両親は100年前の考えをしている人であった。昭和30年代、結婚式に丸髷を結って出席し、一
同の笑い者になったと言う話である。
「子供は何才になろうと親の言う儘になるのが当り前、家中で働いたお金も一銭残らず俺の物である。」
と言う考えを持っていた。
主人は両親の事を「死ぬ迄天皇陛下でいなければ気がすまないのだ。少しでも反対すれば気が狂った
様に怒り出し、自殺でも殺人でも行い兼ねない人間だから、もしそうなれば困るのは後の人だ。」と何時も
言い、黒を白と言われても唯黙ってそれに従うのみであった。昔は結婚も親が決めて気に入らなければ、
「家風に合わぬ」と、親が勝手に離婚させてお終いであった。主人もその通りである。
私と結婚する前に主人は親の決めた相手と結婚した。そして、相手のA子さんが妊娠3ヶ月の時に、主
人の母があれこれある事無い事、悪行をまくし立て一方的に離婚させたとの事である。そして、1年間農
業に従事して一生懸命働いたA子さんに対し、中絶の費用も一銭も出さず、「A子さんの行いが悪い。」と
言って、A子さんの生家から数万円を脅し取ったと言う話を聞いた。今の人には到底信じられない行為で
ある。中絶した胎児は男であったとの事である。私達夫婦には女の子1人きり授からなかった。
ある時主人が、「俺にはとうとう子供は女1人だけで男の子は授からなかったな。1人男の子を殺した罰
かな。」と淋しそうに言った一言は、今でも私の心の中に残っている。
友人と一緒に面白半分に占ってもらった占者には、「貴男は男の子を1人殺したでしょう。」と言われたと
か。その言葉も気になっていたのかも知れない。
主人がA子様と離婚したのは3月13日、主人が死亡したのはその5年後の同じ3月13日。A子様は一
方的に主人の母から離婚され泣く泣く中絶されたのだと思う。
主人はもしかすると水子の霊にあの世から招かれたのかもしれない。
何故これ程の仕打ちを両親から受けても主人は何事も言われる儘になっていたのであろうか。すべて
家の事、両親の事、長男として自覚のみを考えていたのである。主人の母は自分が悪者になるのは嫌
で、「主人が気に入らないで離婚した。」と、世間の人には言いふらしていたそうである。
何事も自分本位。悪い事はすべて私達夫婦の「せい」にして平気で嘘を付く両親。向き合って人と話す
事等出来ない人である。「すべて日本中で1番偉いのは俺である。」と言う考えで、自分が気に入らなけ
れば、2言目には「あの馬鹿奴等、貧乏人の奴等。」と、酷い仕打ちをする。話し合い等出来ない人であ
る。
何故、これ程の両親の仕打ちに耐えなければならなかったのか。
真面目に話し合いが出来なければ、他に方法はあった否である。でも主人が何時も口にしていたのは、
父親死後の相続の事であった。
数百年続いて来た農家。「両親の言う通りに行動していれば、相続は順調に行く。」と、信じていた夫で
あった。
働いたお金も全部両親が受取り、必要な車のガソリン代も私の持参した預金を当にする始末。私は黙っ
て主人にお金を渡していた。
相続対策の1つとして、私の事を「主人の父親の養子にする。」と約束して、主人の弟の家を建て終える
と、もうそんな約束は何処吹く風、「知らぬ存ぜぬ。」の一点張り。主人はその事で大分ショックを受けた様
である。
何故これ程迄、親から嘘を付かれなければならなかったのであろうか。
66才になっても何1つ主人にゆずらない両親、主人も我慢の限界を越えてイったのだと思う。
66才の3月11日の朝前に自殺者の出た物置で農薬を仰ってイった。幸い発見が早かったので私に「こ
れ以上勝手で我儘な親の面倒は俺には見られない。」と、私に初めて親を非難する言葉を残して。その
一言が聞けたのがせめてもの私の心の慰めであった。
救急車で入院し、先生方の努力も空しく主人は2日後にあの世に旅立った。
主人の死後1年で父親の相続が発生し、相続権の無い私は弟に宅地を取られ、2人で苦労して建てた
家を壊され、立退きを迫られ、当地に転居した。あの世で事の成り行きをどう見守っているのであろうか。
家に伝わる因縁、水子のたたりなのであろうか。50年近く働いた私の手許に残ったのは数百年続いた
家の位牌だけである。
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