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フランス革命戦争からナポレオン戦争へ

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フランス革命戦争からナポレオン戦争へ
フランス革命戦争からナポレオン戦争へ
― ドイツの戦争・軍隊・社会にかんする近年の研究か―
ら
丸畠宏太 い て も ま た、 あ ら た め て 歴 史 家 の 関 心 が 寄 せ ら れ る よ う に な っ た こ と
も、「新しい軍事史」の成果として見逃すわけにはいくまい。その代表
大戦の敗北で軍隊が解体された後にも、この分野は大学の歴史学の研究
事業の一部を継承したライヒ文書館にほぼ独占されており、第二次世界
ドイツにおける近年の軍事史研究の活況ぶりについては、もはや多言
を要することもあるまい。かつて軍事史研究は、参謀本部戦史課とその
本稿では以上のような軍事史の研究状況に鑑み、おもにフランス革命
戦争期、ナポレオン期について、とくに軍隊と戦争に焦点を当てた近年
一八四八年革命である。
邦 期 で あ り、 後 者 に つ い て は プ ロ イ セ ン 軍 制 改 革 や 解 放 戦 争、 そ れ に
1 はじめに
対象としては継子扱いの感が否めなかった。しかしながら、一九九〇年
の重要な研究を概観し、軍事や戦争の観点からこの時期の歴史像がいか
例が、前者についてはナポレオン期のライン連盟地域、それにドイツ連
代中葉から軍事史研究は歴史学界でにわかに活況を呈しはじめ、今日で
に塗り替えられつつあるかを検討する。革命と動乱の時代とも言うべき
(
は日常史、心性の歴史、ジェンダー史、さらには記憶の歴史や経験史、
一八〇〇年前後の時期は、暴力と戦争によって特徴づけられる時代でも
つある。
んに行われるようになった。こうした最新研究の成果を踏まえながら、
ある。その意味でも、この時代を検討するには軍事の視点が不可欠であ
(
文化史といった歴史学の最先端の分野にも軍事の視角が取り入れられつ
このように「新しい軍事史」は、伝統的軍事史が踏み込まなかった歴
史 学 諸 分 野 と 積 極 的 に 相 互 交 流 を は か り、 そ の 射 程 は 驚 く ほ ど に 拡 大
軍事の観点から一九世紀を再検討する視野と可能性について考えるきっ
( (
した。しかしながら、これと並行して、従来ほとんど軍事史研究の対象
かけとしたい。なお、対象となる研究はおもにドイツ語圏の研究者によ
り、ドイツではようやく近年になってそのような認識に立った研究が盛
とならなかったか、あるいはすでに論じ尽くされたとして軍事史からの
るもので、紙幅の関係から網羅的な紹介・検討は断念する。また、対象
19 フランス革命戦争からナポレオン戦争へ
(
新 た な 問 い か け が ほ と ん ど な さ れ な く な っ た 時 代 や 地 域、 テ ー マ に つ
(
となる著作は原則上一九九〇年代以降に発表されたものとする。
研究もほとんど見られなくなった。こうした状況に一石を投じたのは、
( (
連邦軍所轄の研究機関として一九五〇年代半ばに発足した軍事史研究所
が企画する各種の研究プロジェクトであった。本稿の関心から注目した
革期を中心とした一九世紀プロイセン=ドイツの軍事史に本格的に取り
したハンス・ロートフェルスや、ラインハルト・ヘーンのように軍制改
この傾向はやや後退気味になるが、それでも、クラウゼヴィッツ論を著
事の側面から描き出したのである。ヴァイマル期からナチ期にかけて、
ウ、ボイエンらの伝記を叙述することにより、改革期のプロイセンを軍
家 は、 時 代 精 神 を 体 現 し た 改 革 派 軍 人 シ ャ ル ン ホ ル ス ト、 グ ナ イ ゼ ナ
マイネッケ、マクス・レーマン、ハンス・デルブリュックといった歴史
じまった軍制改革と、一八一三年の解放戦争であった。フリードリヒ・
一八〇六年のイエナ・アウエルシュテットにおける対仏敗北を契機には
らの研究対象はもっぱらプロイセンに向けられ、その中心をなしたのは
帝政期のドイツでは、近代ナショナリズムの成立・発展と絡ませて、
ナポレオン期の戦争や軍隊に関心を寄せる歴史家は少なくなかった。彼
本論に入る前に、一九八〇年代ごろまでの研究史をごく簡単に眺めて
おこう。
地域の軍制の全体像、さらにはそれに大きな影響を及ぼした革命期フラ
マ帝国における軍制改革構想にはじまり、解放戦争に至るまでのドイツ
しかしながら、軍事の視角に立って、フランス革命勃発前後の神聖ロー
すれば、政治史や制度史中心の本書が色褪せて見えることは否めない。
らにはオーストリアにまで及んでいる。確かに今日の歴史学の水準から
を常に踏まえ、記述の範囲もプロイセンに留まらず、ライン連盟諸国さ
しての性格にも留意して、軍制と国制あるいは政治の動きとの相互関係
ールファイルはこの方針に忠実に沿い、またこのシリーズの『提要』と
歴史学全体の一分野として位置づけることを基本方針としている。ヴォ
ともに政治的に独自の影響力をもった勢力と理解したうえで、軍事史を
に影響を及ぼす存在として軍隊を位置づけ、それを政治の手段であると
ら一般兵役義務へ 一七八九年‐一八一四年」(第一巻・第二部)であ
( (
る。そもそも『ドイツ軍事史提要』は、国家全体の一部をなし国家生活
た全六巻からなる『ドイツ軍事史提要 一六四八年‐一九三九年』の一
部として、ライナー・ヴォールファイルが著した「絶対主義の常備軍か
2 一九八〇年代前後までの研究動向
組む歴史家は存在した。直接・間接にプロイセン学派の影響を受けたこ
ンスの軍制までも網羅的に描いた通史はドイツでその後あらわれず、本
( (
れらの歴史家は、軍制改革をドイツにおける国民国家建設の出発点のひ
書の価値はいまだ失われていない。
( (
とつととらえ、もっぱらそれ以前の時代との違いを強調することに終始
( (
いのは、研究所が一九六〇年代半ばから一九七〇年代末にかけて刊行し
(
( (
第二次世界大戦後のドイツでは敗戦の後遺症が尾を引いたこともあ
り、大学に基盤を置く歴史家による軍事史研究そのものが停滞に陥り、
3 新しい研究潮流を象徴するいくつかの共同研究
したのである。
(
(
(
ヴォールファイルの著作が世に出た一九六四年以降、この時期のドイ
(
プロイセン軍制改革をはじめとするナポレオン期の軍事問題に取り組む
(
ゲシヒテ第 7 号 20
(
(
であった。
一九七〇年前後からはプロイセンだけでなくライン連盟諸国の動向にも
そ の 間 に こ の 時 期 そ の も の へ の 歴 史 家 の 関 心 が 薄 れ た わ け で は な い。
果がナポレオンの軍事行動によって中欧にもたらされたことを重視し
民としての国民、国家の基本法としての憲法といったフランス革命の成
序 論 を 受 け て オ ッ ト ー・ ダ ン は、 身 分 制 の 桎 梏 の 打 破 や 自 立 し た 公
ツ 軍 事 史 に 正 面 か ら 取 り 組 ん だ 研 究 は 絶 え て 久 し か っ た。 と は い え、
着目した意欲的研究がつぎつぎと発表されたし、一九八〇年代の東西ド
た。いわば、戦争こそが新たな政治の地平を切り開いたというわけであ
(
イツにおけるプロイセン・ブームと前後して、改革期プロイセンを扱っ
る。続いてシュティーク・フェルスターは、一七九二年から一八一五年
(
た新たな研究も相次いだ。しかしながら、たとえばバーバラ・フォーゲ
にかけての戦乱が、ヨーロッパ世界と非ヨーロッパ世界が互いに影響を
(
ルの編集で一九八〇年に刊行されたプロイセン改革全般を扱った論集に
及ぼし合った、本当の意味でヨーロッパの枠を超えた最初の世界戦争で
(
こうした状況に変化が見られるようになったのは、まさに先に述べた
「新しい軍事史」が台頭しはじめた一九九〇年代中葉に入ってからであ
の諸力が統御され、これが結果として以後の時代に軍隊の規模と破壊力
独占が揺らいだこと、他方で、一般兵役義務の導入によりこうした人民
(
る。そこでまず、この時期以降にあらわれた一八〇〇年前後の動乱期の
を途方もなく高めたことを力説した。
(
の研究の方向性を見極めておこう。
以上の二論文はデュルファーの序論を補うかたちで、一八〇〇年前後
が戦争や軍事問題を起爆剤とした新時代のはじまりであるとする本論集
された。編者ヨスト・デュルファーによれば、本書のもととなった共同
件とその抑止の可能性を歴史的に問うことを目標に、一九八四年に結成
して刊行された『ドイツにおける戦争への備えと平和秩序 一八〇〇年
( (
―一八一四年』がそれである。このグループは、暴力が行使される諸条
軍事や戦争の視角からこの時代をテーマとした本格的論集は、ようや
く一九九五年にあらわれた。研究グループ「歴史的平和研究」の年報と
ステレオタイプ・イメージ形成に一役買ったことを明らかにしたヴァル
の動員を促しただけでなく、
「戦闘的男らしさ―弱々しい女らしさ」の
民衆に普及した叙事詩を分析することにより、それが民衆の解放戦争へ
争 に 直 面 し て の 宗 派 的 対 応 な ど に 取 り 組 ん だ 研 究 で あ る。 た と え ば、
は、同時代のオピニオン・リーダーや政治家の言説だけでなく、文芸・
(
(
( (
芸術作品にも見られたナポレオン経験とその受容のあり方、さらには戦
研究で基調をなしていたのは、
「ナポレオン時代ますます激烈の度を高
ター・パーペ論文、当時の戦争絵画から男らしさの理想像を読み取ろう
( (
める暴力にドイツはいかに対峙したか、また、こうした時代にいかなる
とくに目新しいものではない。むしろ問題関心や視角の点で興味深いの
の 基 本 的 姿 勢 を 示 し て い る が、 政 治・ 社 会 の 枠 組 み か ら の 考 察 自 体 は
(1
(1)研究グループ「歴史的平和研究」による共同研究
(
民軍隊や人民武装、さらにはゲリラの出現により従来の国家による暴力
軍隊・戦争を主要テーマとした重要な共同研究の成果を三つ挙げ、近年
(
軍制改革にかんする論考が含まれていないなど、当時の歴史家にとって
あったとした。さらに彼はクラウゼヴィッツに依拠しつつ、一方で、人
( (
この時代の軍事問題は関心の対象外であったと言わざるを得ない。
(1
としたハンス=マルティン・カウルバハ論文などは、当時盛んになりは
21 フランス革命戦争からナポレオン戦争へ
(1
(
(1
(1
考え方から新たな平和が構築されるに至ったか」という二つの問いかけ
(1
(1
(1
(1
国内では領邦教会やその聖職者が必ずしも国家・官憲に忠実でなかった
り、ヴュルテンベルクはこの時期に同盟関係を何度も鞍替えしたうえ、
もに組織された国土防衛軍を牧師が熱烈に支持したプロイセンと異な
直面しての教会、聖職者の心情を考察・分析した。解放戦争の開始とと
シュトリヒはヴュルテンベルクの聖職者の説教に着目し、戦争、動乱に
解き放たれたベローナへ」と表現している)
。この問いかけを受けて本
戦争の女神ベローナを援用して、この変容を「鎮められたベローナから
の対象となったのはなぜか、という問題意識であった(クーニッシュは
それから一世代も経たぬうちに戦争がナショナリズムと結びついて賛美
久 平 和 の た め に 』 に 代 表 さ れ る よ う な 平 和 論 が も て は や さ れ た の に、
クーニッシュら近世史グループの出発点にあったのは、一八世紀後半
には啓蒙の知識人たちによって戦争が批判的に論じられ、カントの『永
じ め た 男 性 史 研 究 に も つ な が る も の で あ る。 ま た、 ア ン ド レ ア ス・ ゲ
こともあり、国家にたいする教会の支持は一筋縄ではいかなかった。ゲ
共同研究は、ヴィルヘルム・ヤンセンが概念史的研究から打ち出したテ
(
シュトリヒはプロイセン以外の領邦に焦点を当て、しかも政治的・社会
ーゼ、すなわち「すでにフランス革命以前からヨーロッパ、なかんずく
(
的変革期であっても容易には変化しない宗教的心情にまで考察を踏み込
ドイツでは新たな戦争肯定論が形成されつつあり、それを根拠づけるた
( (
んでいるゆえ、一八〇〇年前後の画期を相対化させるような視点が含ま
れていることは、注目に値する。
めのさまざまな議論が展開されていた」こと、そして、革命期以降にな
ると「この議論に愛国心という要素が加わり、解放戦争を巡る論争に利
研究グループ「歴史的平和研究」が論集を刊行してから数年後に、今
度 は ヨ ハ ネ ス・ ク ー ニ ッ シ ュ ら お も に 近 世 史 を 専 門 と す る 歴 史 家 に よ
戦争肯定論を展開したJ・V・エムプサーの思想を取り上げ、愛郷心や
程を分析しようとした。たとえばヤンセン自身はこの論集で、啓蒙期に
用された」ことを共通認識として、これをさらに実証しつつ、アンシャ
る共同研究がもととなって、やはり一八〇〇年前後の時期を焦点に据え
の「国民精神」へと具体的に昇華したことを指摘している。
(
(
( (
公共心といった美徳が戦争を通じて養われるという彼の考えが、革命期
(2
以後の時代を見据えた方向性を示していたのに対し、この論集は近世史
(3)経験史の手法による共同研究
はやされた戦争や平和にかんする思想・言説の源流を、フランス革命以
ュービンゲン大学の特別研究領域プロジェクト「戦争の経験史 近代に
(2
前の時期に遡って探るという姿勢に貫かれている。少し先鋭的な言い方
をすれば、これら二つの共同研究は軸足は同じ時期にありながら、考察
のベクトルが異なっているのである。
刊行された論集『一八〇〇年前後の中欧における戦争と変革 近代への
( (
移行期における経験史』を挙げよう。この論集のもととなったのは、テ
家の手による論考が中心であることからも窺えるように、動乱期にもて
(2
最後に、一八〇〇年前後の動乱期の戦争、軍事をテーマにした共同研
究の最新成果として、ウーテ・プラーネルトの編集により二〇〇九年に
「歴史的平和研究」グループの論集が基本的にはこの動乱期を出発点に
(2
ン・レジーム期の戦争肯定論から革命期の戦争擁護論への移行・発展過
た論集『革命精神からよみがえる戦争 一八世紀末から一九世紀初頭に
( (
かけての戦争肯定的言説にかんする研究』が一九九九年に上梓された。
(2)近世史研究者のグループによる共同研究
(2
(1
ゲシヒテ第 7 号 22
編者プラーネルトは、従来のドイツにおける歴史記述ではフランス革
命と神聖ローマ帝国の滅亡をもって近世が終わり、ヴィーン会議から近
考察の主軸に据えられる。
歴史研究であり、その時代に生きた人々から見た出来事の「見え方」が
験がどう伝えられ、どのような解釈媒体がそこにかかわったかをも問う
をどのように認識し、経験へと消化したかを問うとともに、それらの経
よれば、経験史とは、特定の個人や集団が、特定の視野のもとで出来事
て研究が推進された。このプロジェクトを我が国に紹介した鈴木直志に
報告と議論であり、そこでは経験史という新しい歴史学の手法に立脚し
おける戦争と社会」の一環として二〇〇四年に開催された研究集会での
ながってはならないとしており、たとえば序論にあるように、一連の世
置かれるが、それがこの時期急激に変容する諸現象を無視することにつ
もとより、この論集がこの時期の新たな開始を軽視しているわけでは
ない。確かに本論集では、フランス革命以前からはじまっていた社会の
国民史的歴史観を相対化する必要があるとの問題意識に貫かれている。
本論集は、プロイセンとドイツ・ナショナリズムを中心に据えた従来の
を一種の不幸と受け止めていたという。この論文からも窺えるように、
よれば、彼らは戦争によって国民意識を覚醒されたというよりは、それ
域における教会政策や住民の宗派的心情を分析したホルスト・カールに
たとえば、ラインラントや後のベルギー、オランダとなる北西ドイツ地
(
代がはじまるのが通例であり、このいずれの時代観に従ってもその狭間
俗化政策によって宗教が社会構造的にその意義を喪失したことが、長期
消化し、後にそれをどう解釈したが問われた。この時期には、時代の枠
して、この時期の戦乱や政治的大変動をどう認識し、その経験をいかに
かに形成されつつあるかを検討する。なお、ここでは上述の論集に所収
具体的課題について近年の研究状況を紹介しながら、新たな時代像がい
ここまで、一八〇〇年前後の動乱期を軍事の視角から扱った近年の代
表的共同研究を概観してきたが、つぎにこの動向を踏まえ、いくつかの
4 戦争・軍事問題の諸相
長期的かつ連続的な変容過程の中にこの時期を位置づけることに重点が
(
となる一八〇〇年前後の時代を適切に描くことはできないのであるか
的に見れば個々人の信仰心に影響を及ぼさずにはおかなかったことにも
( (
ら、むしろこの時期を独自のまとまりをもったひとつの時代ととらえる
また、注意が促されているのである。
( (
必要があることを指摘し、革命と動乱、そして戦争に明け暮れた時代を
考察するうえで、経験史の手法がとりわけ有効であることを力説した。
そこで本論集では、この時期に変革の嵐がとりわけ長期的かつ強力に吹
き荒れたライン連盟地域に着目し、当事者である地域住民が国民意識の
組から見れば本格的近代化がはじまったものの、住民の文化的自己認識
の論文も検討対象とし、内容に若干の重複が生じることを断っておく。
に立てば、一八〇〇年前後は、少なくともライン連盟地域ではドイツ・
この時代を戦争史上の新たな出発点ととらえる立場の議論でキーワー
(1)戦争の性格の変化
それゆえ、制度や構造ではなく当時の行為主体である彼らの経験の視点
や心情的態度には昔ながらの解釈媒体を経た経験が刻み込まれていた。
ような新しい価値ではなく、宗教や伝統的な人間関係の絆を解釈媒体と
(2
(2
ナショナリズムの高揚期というにはほど遠かったと言わねばならない。
23 フランス革命戦争からナポレオン戦争へ
(2
げていることには異議を唱え、それは平時については当てはまることか
つつも、ベルがその特徴のひとつとして軍隊と市民社会の分離傾向を挙
これを受けてカーレン・ハーゲマンは、基本的にはベルの見解に賛同し
点から、ナポレオン戦争を「世界初の総力戦」と特徴づけたのである。
られ、ヨーロッパ全体はおろかその外部地域にも影響を及ぼしたという
軍隊が先導し、激しい愛国的・国民的プロパガンダによって動員がかけ
はナポレオン期の戦争を戦争史の広い文脈で論じた著書において、大衆
アメリカのディヴィッド・ベルが唱えた総力戦論が注目に値する。ベル
はその境界は曖昧であり、絶対主義の時代にも都市民兵のようなものが
であり、ここにそれ
い手である国民軍隊を構成するのは一般国民 Volk
以前の職業兵士からなる軍隊との決定的違いがあるとされるが、実際に
その先駆形態を求めることができるのである。たとえば、国民戦争の担
命期の戦争に見られる新しい要素の多くについては、それ以前の時代に
を単純に二分化するドグマと化してしまったとする。だが、実際には革
これが後の歴史叙述で、アンシャン・レジーム期の戦争と革命期の戦争
さに一九世紀の現象」であるとするクラウゼヴィッツの説を取り上げ、
を概念史的に扱ったマルティン・リンクの研究を取り上げよ
Volkskrieg
( (
う。リンクはまず、国民戦争を「文明化されたヨーロッパにおいてはま
ドとなるのは、まず総力戦と世界戦争であろう。前者については、近年
もしれないが、人々の経験世界の視野に立てば、さまざまなかたちで戦
地域によっては存在したし、旧プロイセンのカントン制度のもとで、兵
(
争に巻き込まれた地域では、むしろ戦闘員と非戦闘員の区別がつけ難く
役義務に就きながら一年の大半を本来の居住地で過ごした帰休兵にも民
ある。しかしながら、一七九二年にはじまる一連の戦争では、フランス
ば、七年戦争が世界最初の世界戦争と呼ばれるのにもそれなりに理由が
ア メ リ カ、 カ リ ブ 海、 西 ア フ リ カ、 イ ン ド な ど に も 及 ん だ 点 か ら す れ
世界戦争にこの時代の戦争の特質を見ようとしたのはフェルスターで
ある。彼によれば、欧州列強のすべてが参戦しただけでなく、戦場が北
戦」の特質を見出そうとした。
門軍人化が進んだのである。
兵士が一定期間兵営内で持続的に暮らすことにより、ある種の兵士の専
建設や専用演習地の開発で、軍隊はむしろ市民社会から隔絶をはじめ、
一九世紀に平時の兵役義務が定着するに至ると、閉鎖空間である兵営の
いえば、一般兵役義務の制度化による国民力の規律化がそれにあたり、
国民の諸力が結集されると、つぎにこの途方もない諸力に規律を与える
(
なり、一般市民が戦争から受ける影響の深刻さは革命期以前とは比べも
兵的性格が垣間見られる、というわけである。他方、大衆の動員により
( (
のにならないほど大きくなったとして、むしろこの点に「世界初の総力
が一七九八年にエジプトへの侵攻を開始して以降、戦争そのものが従来
リンクもまた、一八〇〇年前後の時代の画期性を認めることに吝かで
ない。しかしながら彼は、国民戦争に固有と言われる諸現象を歴史のよ
( (
の植民地獲得戦争の枠を超えて止めどもない膨張をはじめ、これがいわ
のである。リンクの研究はもっぱら概念史的手法を駆使しており、経験
段階が続いたことも忘れてはならない、とリンクは言う。プロイセンで
ば触媒となって世界各地の戦争を誘発していった。フェルスターはまさ
というのである。
( (
り 長 期 的 な 文 脈 に 置 く こ と に よ り、 そ の 画 期 性 を 相 対 化 し よ う と し た
(3
にこの点に着目して、一八〇〇年前後の戦争こそが世界初の世界戦争だ
(3
(2
史的手法によってこの時代を相対化しようとしたプラーネルトらと同様
(2
最後に、やはりこの時代の重要な軍事現象のひとつとされる国民戦争
(3
ゲシヒテ第 7 号 24
る視座を提供してくれるものとして、注目される。
に、新しいものと古いものが交錯する急激な変化の時代を複雑にとらえ
要求というかたちで国民の政治参加を促し、③戦時に備えて住民が思想
小ドイツ・レヴェルでドイツ全体の国民統合がはかられ、②一般選挙権
』と、
一八〇七年―一八七〇年 軍隊の刷新と「ローン改革」の神話
が あ ら わ れ た。 デ ィ ー ル ク・ ヴ ァ ル タ ー の 大 著『 プ ロ イ セ ン 軍 制 改 革
ら帝国創建期までの長期的視野に立ってこの改革を論じた意欲的研究
二〇世紀後半期にはほとんど歴史家の新たな関心を引くこともなか
っ た プ ロ イ セ ン 軍 制 改 革 に つ い て も、 近 年 に な っ て よ う や く 改 革 期 か
(2)プロイセン軍制改革をめぐって
これに対して、軍制改革をそれ以前の軍制との断絶か連続かの単純な
図式で把握することを避け、改革者の意図、当時置かれた状況への現実
のである。ヴァルターの考察の目は将来に向けられている。
社会を結合させた点で、まさに近代国民国家の先駆けをなすものだった
アンシャン・レジーム期では想像だにできなかったかたちで軍隊と市民
以上からも明らかなように、ヴァルターは一九世紀初頭の軍制改革を
プロイセン=ドイツの軍事史上の画期をなすものととらえる。それは、
市民社会の軍事化が進展するという、重大な結果をもたらしたのである。
的に動員され、④男子住民が軍隊内で社会生活を身につけることにより
彼の一連の論文である。タイトルにある「改革」が複数形 Reformen
で
あること、さらには扱われる時期とサブ・タイトルからも窺えるように
的 対 応、 改 革 の な か の 古 い 要 素 と 新 し い 要 素 の 交 錯 と い っ た さ ま ざ ま
(
、本書はシャルンホルストによる改革だけを独立して扱うのではなく、
な側面から、この時期を多角的にとらえようとしたのがミヒャエル・ジ
ては、この時代に特化した彼の他の論文も参照する。
た。ジコラはシャルンホルストの言説を綿密に検討し、彼が能力重視の
るものかとの論争があり、これにはドイツ帝国創建に至る発展のドイツ
(
一八五〇年代末からはじまるローン改革までを一連の軍制改革プロセス
コラである。こうしたジコラの姿勢がよくあらわれている例として、革
(
ととらえ、その出発点としてシャルンホルスト改革の意義を再検討しよ
命戦争、ナポレオン戦争がプロイセンの軍制改革に及ぼした影響にかん
ヴァルターは、一八〇七年から一八一四年にかけてのプロイセン軍制
改 革 が 兵 制 を は じ め 将 校 団、 参 謀 本 部 か ら 作 戦 指 導、 教 育 な ど に も 及
将校任用や兵士の待遇改善といった軍隊刷新の新機軸を革命期以前から
(
うというものである。このように、本書の持ち味は一九世紀後半に至る
する彼の考察に着目してみよう。改革事業については以前から、それが
(
までの長期的視野での叙述にあるが、ここではとりあえず、一九世紀初
革命フランスの成果の模倣か、あるいはプロイセン独自の伝統に由来す
ぶ、軍事のあらゆる分野にわたる包括的事業であったことだけでなく、
主張する啓蒙の将校であったことを確認しつつ、相次ぐフランスとの戦
(
頭の改革にかんするヴァルターの見解に焦点を当てよう。考察に当たっ
(
革命的とさえ言えるほどの革新性に満ちていた点でも空前のものであっ
争 を 通 じ て、 革 命 に 由 来 す る 動 機 づ け が フ ラ ン ス 軍 の 強 さ の 源 泉 だ と
(
たと力説する。その革新性とは、平時は短い兵役期間の普遍的かつ平等
徐々に認識するに至ったプロセスを追い、彼が道徳的熱狂やその背後に
的独自性を認めるか否かというイデオロギー的問題がしばしば絡んでい
な兵役義務が導入されたことであり、それが後世に及ぼした影響の範囲
ある共和政の生み出す団結力に注目しながらも、革命そのものには決し
25 フランス革命戦争からナポレオン戦争へ
(3
(3
(3
は狭義の軍事分野に留まらず、①まずはプロイセン・レヴェル、後には
(3
が導入されるきっかけとして、やはり一八〇六年の敗北の衝撃は不可欠
トン制と本質的に異なることを力説している。そして、この新しい兵制
し、むしろ一般兵役義務が普遍妥当性(=一般性)を旨とする点でカン
フランス革命の同調者の主張と見られかねないとの懸念によるものだと
ラはそれが、兵役の平等性に基づく新軍制計画が国王や保守指導層から
兵役義務の起源をカントン制に求める主張が見られる点について、ジコ
て好意を示さなかったことを明らかにした。また、改革者の言説に一般
は、これをどう受けとめたのであろうか。そして新制度にいかに抵抗・
であった。では、青天の霹靂のように新たな義務を課せられた現地住民
の圧力下で、兵役義務は最初から正式の制度として平時に導入されたの
を占めるライン連盟に組み込まれた諸国では、ナポレオンの直接・間接
たとは思われない。これに対して、人口でも面積でもドイツ語圏の大半
常体制の一環であったことにも、これまでそれ相応の注意が払われてき
ける一般兵役義務導入のきっかけが一八一三年の解放戦争開始に伴う非
は、従来ほとんど目が向けられてこなかった。しかも、プロイセンにお
馴化したのだろうか。
だったというのである。
という
ジ コ ラ は、 敵 と の 対 峙 に よ る 文 化 の 伝 達・ 転 移 Kulturtransfer
視角を取り入れることにより、軍制改革をより複雑な歴史文脈の中に置
こうした問題関心から一八〇〇年前後のライン連盟地域における民衆
の戦争・軍事体験を考察したのが、先に挙げたプラーネルトである。彼
女は大著『解放戦争の神話 フランスの戦争とドイツ南部 日常―認識
こうとした。シャルンホルストの著作を徹底的に読み込むことを基本に
した彼の伝記的手法は、今日の研究状況から見れば決して新奇なもので
(
はないが、特定のイデオロギーを廃してこの時代の史料を虚心坦懐に読
―解釈 一七九二年―一八四一年』で、フランス革命戦争期からナポレ
オン期における南ドイツ地域住民の「戦争の日常」体験を経験史の手法
(
み解くところから得られるものはなお多いことを、彼の研究は教えてく
で分析することにより、この地域の普通の人びとの目線に立てば、この
( (
れる。
義 務 の 導 入 と そ れ に よ る 住 民 の 規 律 化・ 国 民 化 が 問 題 と さ れ る と き、
原則上すべての男子国民に軍役を課す一般兵役義務の制度化もまた、
この時代を軍事史上の画期とする重要な指標と言える。とはいえ、兵役
したい。
義務の導入を住民がどう受けとめこれにどう反応したかという点に注目
のである。本書の議論は広範囲にわたるが、ここではとりあえず、兵役
ショナリズムの原点とするプロイセン中心の歴史観に異議を申し立てた
研究者の関心は相変わらずプロイセンに向けられることがほとんどであ
(
る。しかしながら、一般兵役義務が制度化されたところは一八七〇年代
ドイツ南部・西南部では、大半の領域がスペイン継承戦争の終結以来
八〇年以上にわたって戦渦に巻き込まれることがなかったこともあり、
(
に至るまでヨーロッパではプロイセンのみであり、原則上兵役義務の平
その地の住民は兵役をはじめとする軍隊・戦争への対応の経験がほとん
( (
等を謳いながら実際には兵役の代理や身分による免除を認める兵役制度
舞われ経済的に凋落した時代」であったとして、解放戦争をドイツ・ナ
時期は国民意識高揚の時代どころか、むしろ「一貫して戦争の災厄に見
(3
どなかった。このような生活空間に慣れ親しんできた彼らが、兵役義務
(3)兵役義務の導入とその影響――ライン連盟諸国への目
(3
のほうがむしろ当時のヨーロッパの標準であったという当然の事実に
(3
(4
ゲシヒテ第 7 号 26
た兵役を逃れるために市の有力者までもが協力して住民の兵役逃れに奔
市全体が兵役免除の特権にあずかっていたウルムでは、新たに課せられ
ないとして兵役拒否の運動が広がり、また、旧帝国直属都市として従来
心に、新しい支配者であるヴュルテンベルク王には忠誠の宣誓をしてい
ヴュルテンベルク領となったメルゲントハイムでは、周辺部の農民を中
したのは、当然のことであった。たとえば、ナポレオン下の領土再編で
というそれまで経験しなかった負担を課せられることに拒否的態度を示
に対する忠誠心があったのではないかと述べ、ナポレオン期のドイツに
しろ経済的収奪や軍事的徴発への憤りであり、その根底には伝統や宗教
る。また彼女は、ドイツ地域でフランスに対する不満や抵抗の理由はむ
世紀のナショナリスト歴史家が描いたような神話は実証に堪えないとす
プラーネルトは、ドイツ・ナショナリズムの起源は一八世紀にまで遡
るものが多く、しかも領邦ごとのナショナリズムが混在しており、一九
る反仏解放戦争の歴史像を経験史の視角から検討してみよう。
た。そこでつぎにプラーネルトの研究に依拠して、一八一三年にはじま
(
走したという。
ドイツでは解放戦争を讃えるトーンはプロイセンよりずっと穏やかであ
(
過程における住民と官憲の軋轢・馴化・協調の様子も描かれている。と
ライプツィヒ市およびその近郊地域の住民がこの戦いをどう経験したか
解放戦争のクライマックスとも言える会戦が勃発した当時(一八一三
年一〇月)のライプツィヒ一帯に目を向け、地元民の日記などを材料に
(
は い え、 本 書 で は さ ま ざ ま な 階 層・ 立 場 の 住 民 の 声 を 体 系 的 に 拾 い 上
を考察したのは、ハーゲマンである。戦場となった近郊地域では、住民
(
げ、これを分析するような方法がとられているわけではない。プロイセ
うした事例を挙げながら、戦争の経験と認識が都市と農村、社会階級、
下層民は財産をほとんど失うなど状況は悲惨を極めた。ハーゲマンはこ
再びプラーネルトに立ち戻ろう。すでに述べたように、彼女の主要な
問 題 関 心 は、 同 時 代 人 の 経 験 の 地 平 に 立 っ て、 一 八 〇 〇 年 前 後 を ド イ
復興も比較的速やかであった。他方、周辺地域の荒廃はひどく、とくに
大な被害を被ったが、入城した同盟軍のもとで治安はおおむね保たれ、
る住宅を日々目の当たりにした。市域部も同盟軍の攻撃を受けやはり甚
(4
さらには性差や家族の中での地位、年齢などによって異なることに注意
(4)戦争体験と解放戦争の神話
兵役義務の社会史研究が待たれるところである。
は繰り返される殺戮行為、散乱する兵士の死体、火を放たれて焼け落ち
のである。
(
はナショナリズムの高揚どころか、悲惨な体験以外の何物でもなかった
物資調達や宿営要求など大きな負担を強いられたこともあり、解放戦争
ったというし、敵味方に関係なく何度も軍隊が通過したこの地域では、
おける経験の多様性を考慮に入れることを主張した。実際のところ、南
(
プロイセンについても、一般兵役義務が制度として定着した一八一四
年以降、住民がこの義務にどう向き合ったかをある程度知ることのでき
る 研 究 は あ る。 ベ ル ン ハ ル ト・ シ ュ ミ ッ ト の 著 書『 軍 隊 と 国 家 統 合 一八一五年から一八六六年までのプロイセンとハプスブルク君主国 新
( (
領土における兵員補充政策 国家の方策と住民』がそれである。本書で
は、動乱期を経てプロイセンの新領土となったライン地方で住民が兵役
(4
ンについても、経験史的手法を駆使したナポレオン期、ドイツ連邦期の
義務を通じていかに国家に統合されていったかが解明されており、その
(4
ツ国民意識覚醒の時期とする古くからの見解に再検討を迫ることであっ
27 フランス革命戦争からナポレオン戦争へ
(4
たのである。
て戦われたこの時期の戦争の新しい性格を理解することはできないとし
を促し、こうした戦争経験の多様性を踏まえなければ、大衆軍隊によっ
戦争と軍隊、それにジェンダーの関係を総体的に把握する枠組みはほぼ
近 代 に お け る 軍 事 的 な も の と 男 ら(し(さ の 関 係 に つ い て は ウ ー テ・ フ
レーフェルトがすでに取り組んでおり、ハーゲマンにおいて国民国家、
基づく役割の違いなどについては、本質的相違はなかった。
などではフランスと異なっていたものの、戦時のジェンダー観やそれに
( (
(5)ジェンダーの視角
が、兵士として戦うのは男性、それを銃後で支えるのが女性というよう
移した。これが戦時におけるすべての住民の動員につながるわけである
悟 を も つ と い う、 い わ ば 公 民 = 兵 士 の 理 念 を 生 み 出 し、 そ れ を 実 践 に
的共同体の完全な構成員である公民がその共同体のために犠牲になる覚
を、互いに関連づけながら論じることであった。フランス革命は、政治
容、③人類学を普遍妥当性の根拠に極端に二分化されたジェンダー秩序
構築による住民の動員、②一般兵役義務の導入による戦争のあり方の変
扱 わ れ て き た 三 つ の 歴 史 現 象、 す な わ ち、 ① 国 民 的 ア イ デ ン テ ィ テ ィ
この著書でハーゲマンが試みたのは、ナポレオン期のプロイセン軍事
史にジェンダー秩序を組み込むことであり、それを通じて従来は別個に
べき業績はハーゲマンの大作『雄々しき勇気とドイツの名誉 プロイセ
( (
ンの反ナポレオン戦争期における国民・軍隊・性差』であろう。
一九九〇年代から徐々にあらわれていたが、この分野の金字塔とも言う
ジェンダーの視角からの歴史研究が盛んになるのと並行して、この時
期に見られる男性英雄像に取り組んだ歴史研究も、すでに述べたように
軋轢、馴化を、生活圏という具体的諸相の中でより精緻に分析すること
有の衝撃と近代移行期における社会の緩やかな変容過程との間の緊張、
経験史に立脚したこのような研究は、決してハーゲマンらの研究に疑
義を呈するという性格のものではない。それはむしろ、変革の時代に特
らしい発言に気遣う必要はなかったのである。
の側も一九世紀後半以降に見られるような、英雄的男性像を踏まえた男
たとはいえ、ならず者といった従来からの兵士イメージは根強く、将兵
い。この時期、兵役義務の導入によって住民の国防義務の基礎が築かれ
の恐怖の念をあからさまに語るなど、英雄的男性像はほとんど見られな
「意気消沈、臆病」を嘆き、兵士自身も死への不安や捕虜となることへ
討し、そこにあらわれる男らしさのイメージに変化が見られることを示
がユリア・ムルケンの論考である。彼女はナポレオンのロシア遠征に従
は、歴史現象をさらに複雑にとらえる必要性を訴えている。そのひとつ
(
(4
し た。 そ れ に よ る と、 遠 征 中 の 部 隊 で は 将 校 が 兵 士 の「 女 々 し さ 」 や
軍したドイツ人将兵の日記、記録類と彼らが後に書いた回想録を比較検
(
できあがった観がある。しかしながら、ここでも経験史に立脚した研究
に、動員は男女それぞれに固有の役割に基づき補完し合うかたちで実施
(4
により、後者の成果をより豊穣なものにすると言うべきであろう。
(4
されることとなった。この役割分担の根底にあったのが、啓蒙期にはじ
的役割を果たしたのである。プロイセンでは、政治体制、社会システム
して、兵役義務はまさに公民を男性化し男性を公民化するうえで、決定
まる男女の生理学的・自然的相違に基づくジェンダー秩序であった。そ
(4
ゲシヒテ第 7 号 28
(
(
国における戦争解釈と国民の使命 一七五〇―一九一四年』である。地
域的にも時代的にも広がりをもった本書は、近世史研究者による戦争肯
強調するかは、その時々の歴史家の問題関心や時代要請の違いにより、
ドイツ史研究において、一八〇〇年前後の動乱期を近代社会成立の画
期ととらえるか、それともナポレオン期をまたぐ大きな歴史の連続性を
の視野に入れて発展することが期待される。
三の変容期ととらえており、今後、この視角からの研究は現代までもそ
オンハルトはさらに、一九一四年から一九四五年までを戦争肯定論の第
5 おわりに――時代の連続論と断絶論を超えて――
以前からさまざまな力点で論じられてきた。ここでその研究動向を詳ら
定論研究を近代に向けて大きく拡大・発展させようとの試みである。レ
かにするゆとりはないが、近年では過去との連続性や緩やかな変化のプ
二 〇 世 紀 後 半 の 戦 争 ま で も 視 野 に 入 れ た フ ェ ル ス タ ー の 研 究 も、
一八〇〇年前後を画期としながら、それ以前の時代にすでに世界戦争や
(
ロセスを重視し、フランス革命やそれに続く諸現象、諸事件の画期的意
総力戦の萌芽が見られることを指摘しており、近世史の側に向けて研究
(
義を相対化する傾向が強い。本稿で扱った戦争や軍事の視点からの研究
の幅を広げる可能性を秘めている。日常史や経験史が台頭しているから
といって、国際政治のグローバルな視野をもった彼のようなスタイルの
りにも二〇世紀の出来事に引きつけて解釈されている」と批判した。そ
おいて一九世紀は「あまりに一方的に近世との繋がりが無視され、あま
いることに由来する研究組織の断絶を問題視し、その結果、歴史研究に
ヴェは、大学の歴史学講座が近世・近代の時代区分に沿って編成されて
たことである。
「新しい軍事史」の旗手のひとりであるラルフ・プレー
を新時代に向けての画期とする研究者の多くが軸足を近現代に置いてき
智は、この動乱期の研究に求めることができそうである。近世史研究者
考察する際に陥りがちな、目的論的解釈の誘惑にとらわれないための叡
るように思われる。我が国でも、近代以降の戦争や軍事問題を歴史的に
いかけを相手方が真摯に受けとめ合う姿勢も、ドイツでは定着しつつあ
一八〇〇年前後の動乱期について近世史と近代史それぞれの側からの問
ありきの姿勢に疑義を呈する点では共通している。その前提に立って、
本稿で検討した近年の諸研究は、いずれの立場・方法をとるにせよ、
かつての国民史的歴史観や、それに直接・間接に結びついた最初に結論
研究が軽視されてはなるまい。
のうえで彼自身は、一七六〇年代半ばから一八九〇年ごろまでを過渡期
と近現代史研究者の交流・協調を通じて、フランス革命戦争、ナポレオ
( (
ととらえることを提唱している。経験史に基づくプラーネルトらの研究
着実に進展しているのである。
ン戦争、解放戦争とそれに絡むプロイセン=ドイツ史観の脱神話化は、
むしろ問題なのは、少なくとも軍事史においては、過去との連続性を
重視する研究が近世を軸足とする研究者を中心に取り組まれ、この時期
優劣を論じてもあまり意味はなかろう。
にもこのことはほぼ妥当するが、ここで時代の連続説と断絶説の是非や
(5
もまた、過渡期の範囲に違いこそあれ、近世と近代の研究上の断絶を架
橋する試みと言ってよい。
29 フランス革命戦争からナポレオン戦争へ
(4
戦争肯定論の系譜を長期的視野に立って考察する研究もあらわれた。
イェルン・レオンハルトの大著『戦争肯定論と国民 ヨーロッパと合衆
(5
注
(
(
年の研究から」『西洋史学』第二二六号、一九九六年、三九―四五頁。
)軍
事 史 研 究 の さ ま ざ ま な 可 能 性 や 新 た な 射 程 に つ い て は、 以 下 の
Thomas Kühne / Benjamin Ziemann (hrsg.),
(
(
(
(
(
(
(
( )丸
畠宏太「下からの軍事史と軍国主義論の展開――ドイツにおける近
(
二 つ の 論 集 を 参 照 せ よ。
Was ist Militärgeschichte? Paderborn 2000; Christian Th. Müller / Matthias
Rogg (hrsg.), Das ist Militärgeschichte! Probleme - Projekte - Perspektiven,
Paderborn 2013.
(3) Friedrich Meinecke, Das Leben des Generalfeldmarschalls Hermann von
Boyen, 2 Bde., Stuttgart 1896/1899; Georg Heinrich Pertz, Das Leben des
Feldmarschalls Grafen Neidhardt von Gneisenau, 3 Bde., Berlin 1864/1869;
Hans Delbrück, Das Leben des Feldmarschalls Grafen Neidhardt von
Gneisenau, 2 Bde., 3. Aufl., Berlin 1908; Max Lehmann, Scharnhorst, 2 Bde.,
Leipzig 1886/1887.
(4) Hans Rothfels, Carl von Clausewitz. Politik und Krieg, Berlin 1920; Reinhard
Höhn, Revolution - Heer - Kriegsbild, Darmstadt 1944; ders., Scharnhorsts
ヘーンの著作で、後者は前者をもとにその内容
Vermächtnis, Bonn 1952.
を圧縮したもの で あ る 。
) Militärgeschichtliches Forschungsamt(hrsg.), Handbuch zur deutschen
畠「下からの軍事史と軍国主義論の展開」
、四二頁。
( )軍
事史研究所の研究機関としての性格については以下を参照せよ。丸
(
Militärgeschichte 1648- 1939, 5 Bde., Registerband, München 1964-1981.
( ) Rainer Wohlfeil, “Vom Stehenden Heer des Absolutismus zur Allgemeinen
Wehrpflicht (1789-1914)“, in: Handbuch(wie Anm. 6), Bd.1, Abschnitt II,
ヴォールファイル担当のこの部分は本叢書で最初に刊行された。
1964.
) Manfred Messerschmidt, Handbuch(wie Anm.6), Einleitung, S. III.
(wie Anm.12), S.17-38.
Elisabeth Fehrenbach, Vom Ancien Régime zum
Bernd Sösemann, "Die
Revolutionen in der Weltgesellschaft”, in: Dülffer (hrsg.), Kriegsbereitschaft
) Stig Förster, “Der Weltkrieg, 1792-1815. Bewaffnete Konflikte und
in: Dülffer (hrsg.), Kriegsbereitschaft (wie Anm.12), S.7-16.
) Otto Dann, "Mitteleuropa im Zeichen der napoleonischen Herausforderung",
) Dülffer, Einführung, in: ders. (hrsg.), Kriegsbereitschaft (wie Anm.12), S.1.
Herausgeber).
Friedensforschung, 1.Jg.) , Münster / Hamburg 1993, S.1 (Vorwort der
Konversion in Deutschland im 20. Jahrhundert (Jahrbuch für Historische
) Detlef Bald(hrsg.), Rüstungsbestimmte Geschichte und das Problem der
Hamburg 1995.
1800-1814 (Jahrbuch für historische Friedensforschung, 3.Jg.), Münster /
) Jost Dülffer(hrsg.), Kriegsbereitschaft und Friedensordnung in Deutschland
) Barbara Vogel(hrsg.), Preußische Reformen 1807-1820, Königstein/Ts. 1980.
319.
Gemeingeist und Bürgersinn. Die preußischen Reformen , Berlin 1993, S.281-
preußischen Reformen. Eine Bibliographie (1976-1992)“, in: ders.(hrsg.),
で 発 表 さ れ た 文 献 を 体 系 的 に 分 類 し て い る。
ゼーゼマンが一九七六年から一九九二年にかけておもにドイツ語圏
)プ
ロ イ セ ン 改 革 に か ん す る 最 近 の 研 究 状 況 に つ い て は、 ベ ル ン ト・
249.
Wiener Kongress, 4. überarbeitete Aufl., München 2001, S.213-227, S.235-
いては、以下を参照せよ。
)ラ
イン連盟諸国とプロイセンでの改革にかんする近年の研究動向につ
9 8
10
12 11
13
15 14
16
1
2
5
6
7
ゲシヒテ第 7 号 30
( ) Walter Pape, “‘Männerglück’. Lyrische Kriegsagitation und Friedenssehnsucht
zur Zeit der Befreiungskriege”, in: Dülffer (hrsg.), Kriegsbereitschaft (wie
Anm.12), S.101-126.
( ) Hans-Martin Kaulbach, “Männliche Ideale von Krieg und Frieden in der
Kunst der napoleonischen Ära”, in: Dülffer (hrsg.), Kriegsbereitschaft (wie
Anm.12), S.127-154.
( ) Andreas Gestrich, “Kirchliche Kriegsmentalität in Württemberg um 1800”,
in: Dülffer (hrsg.), Kriegsbereitschaft (wie Anm.12), S.183-201.
( ) Johannes Kunisch / Herfried Münkler(hrsg.), Die Wiedergeburt des Krieges
aus dem Geist der Revolution. Studien zum bellizistischen Diskurs des
ausgehenden 18. und beginnenden 19. Jahrhunderts, Berlin 1999.
( ) Kunisch, “Von der gezähmten zur entfesselten Bellona. Die Umwertung des
Krieges im Zeitalter der Revolutions- und Freiheitskriege”, in: ders., Fürst
- Gesellschaft - Krieg. Studien zur bellizistischen Disposition des absoluten
Fürstenstaates, Köln / Weimar / Wien 1992, S.203-226.
( ) Kunisch / Münkler, “Vorwort”, in: dies.(hrsg.), Die Wiedergewburt (wie
Anm.20), S.V.
( ) Wilhelm Janssen, “Johann Valentin Embser und der vorrevolutionäre
Bellizismus in Deutschland”, in: Kunisch / Münkler(hrsg.), Die Wiedergeburt
啓 蒙 期 の 戦 争 肯 定 論 に つ い て は、 我 が 国 で は エ
(wie Anm.20), S.43-55.
ムプサーに焦点を当てた鈴木直志の研究がある。鈴木直志「ベローナ
が解き放たれる時――啓蒙期ヨーロッパの戦争論と平和論」『史林』
第九三巻、第一号、二〇一〇年、七一―九七頁。
( ) Ute Planert(hrsg.), Krieg und Umbruch in Mitteleuropa um 1800.
Erfahrungsgeschichte(n) auf dem Weg in eine neue Zeit, Paderborn 2009.
(
(
(
(
(
(
(
)鈴
木 直 志「 ド イ ツ 歴 史 学 に お け る 戦 争 研 究 ―― 戦 争 の 経 験 史 研 究 補
遺」
、 福 間 良 明・ 野 本 元・ 蘭 信 三・ 石 原 俊 編『 戦 争 社 会 学 の 構 想 ――
制度・体験・メディア』勉誠出版、二〇一三年、二八一頁。
) Horst Carl, “Krieg lehrt beten - Kriegserfahrungen und Religion in
Nordwesteuropa um 1800”, in: Planert(hrsg.), Krieg und Umbruch (wie Anm.
24), S.201-217.
) Planert, Einleitung. “Krieg und Umbruch um 1800”, in: dies.(hrsg.), Krieg
und Umbruch (wie Anm. 24), S.11-23.
) David Bell, The First Total War. Napoleon’s Europe and the Birth of Warfare
ベルの総力戦論とそれを巡る論争について
as We Know It, Boston 2007.
は、以下の興味深い論考を参照せよ。西願広望「総力戦の文化史とフ
ランス革命の世界史的位置――文化史の危険性と可能性」
『青山学院
女子短期大学紀要』第六六号、二〇一二年、六五―七八頁。
) Karen Hagemann, “‘Unimaginable Horror and Misery’. The Battle of Leipzig
in October 1813 in Civilian Experience and Perception”, in: Alan Forrest
/ Karen Hagemann / Jane Rendall(eds.), Soldiers, Citizens and Civilians.
Experiences and Perceptions of the Revolutionary and Napoleonic Wars
1790-1820, New York 2009, pp.157-178.
) Stig Förster, “The First World War. Global Dimensions of Warfare in the Age
of Revolutions 1775-1815”, in: Roger Chickering / Stig Förster(eds.), War in
the Age of Revolution 1775-1815, New York 2010, pp.101-115.
) Martin Rink, “Preußisch-deutsche Konzeptionen zum ‘Volkskrieg’ im Zeitalter
Napoleons”, in: Karl-Heinz Lutz / Martin Rink / Marcus von Salisch(hrsg.),
Reform - Reorganisation - Transformation. Zum Wandel in deutschen
Streitkräften von den preußischen Heeresreformen bis zur Transformation der
31 フランス革命戦争からナポレオン戦争へ
25
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31
17
18
19
20
21
22
23
24
Bundeswehr, München 2010, S.65-87.
Michael Sikora,
( )ア
ン シ ャ ン・ レ ジ ー ム 期 に 見 ら れ た 民 兵 的 軍 事 組 織 や 兵 士 と 一
般 市 民 の 共 生 関 係 に つ い て は、 以 下 を 参 照 せ よ。
"Die französische Revolution der Heeresverfassung", in: Peter Baumgart /
Bernhard R. Kroener /Heinz Stübig(hrsg.), Die preußische Armee zwischen
Ancien Régime und Reichsgründung, Paderborn 2008, S.135-163, bes. S.137139.
( ) Dierk Walter, Preußische Heeresreformen 1807-1870. Militärische Innovation
und der Mythos der „Roonschen Reform“, Paderborn 2003.
( ) Dierk Walter, “Meeting the French Challenge. Conscription in Prussia, 18071815”, in: Harold D. Blanton / Frederick C. Schneid / Donald Stoker(eds.),
Conscription in the Napoleonic Era. A Revolution in military affairs?
London / New York 2009, pp.24-42; Walter, “Was blieb von den preußischen
Militärreformen 1807-1814?” in: Jürgen Kloosterhuis / Sönke Neitzel(hrsg.),
Krise, Reformen - und Militär. Preußen vor und nach der Katastrophe von
1806, Berlin 2009, S.107-127; Walter, „Reluctant Reformers, Observant
Disciples. The Prussian Military Reforms 1807-1814“, in: Chickering /
Förster(eds.), War in the Age of Revolution(wie Anm.30), pp.85-99.
( ) Sikora, “Scharnhorst und die militärische Revolution”, in: Kunisch /
Münkler(hrsg.), Die Wiedergeburt (wie Anm.20), S.153-183; Sikora, „Die
französische Revolution“ (wie Anm.32), S.135-163; ders., „Militarisierung
und Zivilisierung. Die preußische Heeresreformen und ihre Ambivalenzen“,
in: Baumgart / Kroener / Stübig(hrsg.), Die preußische Armee (wie Anm.32),
S.164-195; Sikora, „Scharnhorsts 1806“, in: Kloosterhuis / Neitzel(hrsg.),
Krise (wie Anm.34), S.47-64.
(
(
(
(
(
(
(
)フ
ランス革命期以前にドイツ・ナショナリズムの起源を求める立場に
Habsburgermonarchie 1815-1866, Paderborn 2007.
) Bernhard Schmitt, Armee und staatliche Integration. Preußen und die
Krieg und Umbruch (wie Anm. 24), S.111-135.
Rekrutierungsverweigerung im Süden des Alten Reiches”, in: dies.(hrsg.),
) Ute Planert, “Militär, Krieg und zivile Gesellschaft.
Vom Mittelalter bis zur Moderne, Göttingen 2000, S.159-180.
deutsche Südwesten im 1800", in: Werner Rösener(hrsg.), Staat und Krieg.
られた論文である。 Dies., "Staat und Krieg an der Wende zur Moderne. Der
つ ぎ に 挙 げ る の は、 プ ラ ー ネ ル ト の 主 張 の 骨 子 が 簡 潔 に ま と め
2007.
deutsche Süden: Alltag - Wahrnehmung - Deutung 1792-1841, Paderborn
) Ute Planert, Der Mythos der Befreiungskrieg. Frankreichs Kriege und der
München 2001.
Die kasernierte Nation. Militärdienst und Zivilgesellschaft in Deutschland,
Gesellschaft im 19. und 20. Jahrhundert, Stuttgart 1997, S.17-47; dies.,
Nationsbildung in Preußen-Deutschland”, in: dies.(hrsg.), Militär und
) Ute Frevert, “Das jakobinische Modell. Allgemeine Wehrpflicht und
のような包括的著作の発表が待たれる。
った著作を出すには至っていない。彼の手によるシャルンホルスト伝
争についてジコラはかなりの数の論文を発表しているが、まだまとま
)本
稿 注 三 五、三 六 に 挙 げ た よ う に、 一 八 〇 〇 年 前 後 の 時 期 の 軍 事・ 戦
Jahrhunderts, Frankfurt/M. 2007, S.61-94.
lernen. Feindschaften und Kulturtransfers im Europa des 19. und 20.
Heeresreform”, in: Martin Aust / Daniel Schönpflig(hrsg.), Vom Gegner
) Sikora, “Aneignung zur Abwehr. Scharnhorst, Frankreich und die preußische
36
37
38
39
40
41
42
32
33
34
35
ゲシヒテ第 7 号 32
Planert, „Wann beginnt der ‘moderne’ deutsche Nationalismus? Plädoyer für
ついては、とりあえずプラーネルトによる以下の論考を参照せよ。 Ute
Soldaten, Staatsbürger. Überlegungen zur historischen Konstruktion von
in: dies.,(hrsg.), Militär und Gesellschaft (wie Anm. 38), S.145-173; dies.,
München 2008.
(まるはた ひろと・敬和学園大学教授)
Nationsbestimmung in Europa und den Vereinigten Staaten 1750-1914,
) Jörn Leonhard, Bellizismus und Nation. Kriegsdeutung und
―五頁)
志訳『一九世紀ドイツの軍隊・国家・社会』創元社、二〇一〇年、四
(邦訳:ラルフ・プレーヴェ、阪口修平・丸畠宏太・鈴木直
2006, S.2.
) Ralf Pröve, Militär, Staat und Gesellschaft im 19. Jahrhundert, München
号、一七一―一九〇頁。
改革と一八〇〇年前後の連続性問題」『北大法学論集』第五五巻第五
せよ。ゲルハルト・シュック、権座武志・遠藤泰弘訳「ライン同盟の
)こ
の時期の過去との連続性と断絶の問題については以下の論考を参照
S.317-332.
und 20. Jahrhundert”, in: Planert(hrsg.), Krieg und Umbruch (wie Anm. 24),
Männlichkeit im napoleonischen Russlandfeldzug und ihre Umdeutung im 19.
) Julia Murken, “Von ‘Todesängsten’ zu ‘guter Manneszucht’. Soldatische
編『男の歴史』六五―八四頁。
)
訳 : フ レ ー フ ェ ル ト「 兵 士、 国 家 公 民 と し て の 男 ら し さ 」、 キ ュ ー ネ
(邦
Männlichkeit, in: Kühne(hrsg.), Männergeschichte (wie Anm. 46), S.69-87.
(
(
(
(
eine nationale Sattelzeit“, in: Jörg Echternkamp / Sven Oliver Müller(hrsg.),
Die Politik der Nation. Deutscher Nationalismus in Krieg und Krisen 17601960, München 2002, S.25-59.
( ) Ute Planert, “Conscription, Economic Exploitation and Religion in
Napoleonic Germany”, in: Philip G. Dwyer / Alan Forrest(eds.), Napoleon
and his Empire. Europe 1804-1814, New York 2007, pp.133-148.
( ) Hagemann, “Unimaginable Horror and Misery”, in: Forrrest / Hagemann /
Rendall(eds.), Soldiers, Citizens and Civilians(wie Anm. 29), pp.157-175.
Geschlecht in der Zeit der antinapoleonischen Kriege Preußens, Paderborn
( ) Karen Hagemann, Männlicher Muth und Teutsche Ehre. Nation, Krieg und
2001
( ) Karen Hagemann, The Military and Masculinity. Gendering the History of the
Revolutionary and Napoleonic Wars 1792-1815, in: Chickering / Förster(eds.),
War in the Age of Revolution (wie Anm. 34), pp.331-352; dies., “‘Heran,
heran, zu Sieg oder Tod!‘ Entwürfe patriotisch-wehrhafter Männlichkeit in
der Zeit der Befreiungskriege”, in: Thomas Kühne (hrsg.), Männergeschichte
- Geschlechtergeschichte. Männlichkeit im Wandel der Moderne, Frankfurt/
(邦訳:ハーゲマン「愛国的な戦う男らしさ」
、トー
M. 1996, S.51-68.
マス・キューネ編、星乃治彦訳『男の歴史 市民社会と〈男らしさ〉
の神話』、柏書房、一九九七年、四七―六三頁。
)
Frevert, "Das Militär als ‘Schule der
( )こ
の 問 題 に か ん す る フ レ ー フ ェ ル ト の 研 究 に つ い て は、 本 稿 注 三 八
に 掲 げ た も の の 他 に、 以 下 を 見 よ。
Männlichkeit’. Erwartungen, Angebote, Erfahrungen im 19. Jahrhundert",
33 フランス革命戦争からナポレオン戦争へ
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