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キューバ寸描、平和構築への意欲

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キューバ寸描、平和構築への意欲
2005 年度大阪大学人間教育科目「平和の探求」(05/13/05)
キューバ寸描、平和構築への意欲
湯淺精二
キューバは日本の三分の一位の国である。東部のグアンタナモに強大な米軍基地を抱えているが、全国
に散らばることなく局在させ軍事同盟関係にない点では日本と異なる。1898 年米仏戦争で勝利したア
メリカの全面支配がはじまり、1902 年の「独立」時に制定した憲法の中に屈辱的な「プラット条項」
を付帯させられ、アメリカの内政干渉と米軍基地永久使用権を米国に与えることになった。したがって、
グアンタナモ基地は 100 年以上も存在していることになる。ただ米軍をこの地域に局在させているのは、
1959 年 1 月 1 日に達成し、今日も益々成熟の方向にある社会主義革命の結果である。では、なぜ社会
主義国家でありながら米軍基地を抱えなければならなかったのか、大きな疑問である。これは冷戦時代
の「悪」の遺産あると思う。アメリカはキューバを以前のように支配しようと、その機会を虎視眈々と
狙っており、現在も艦隊がいつでも侵攻できるように周辺に配備し、米国のミサイルのいくつかは常に
ハバナに照準を合わせているといわれている。革命後、執拗なアメリカの侵略の盾になったのが旧ソ連
であった。1962 年 10 月、キューバにおける旧ソ連配備のミサイルをめぐって米ソの対決がおこったが、
旧ソ連のミサイル撤去により核戦争の脅威は回避された。しかし、キューバ抜きの米ソの駆け引き、そ
してその後の旧ソ連の対米協調路線により当事者であるキューバに大国旧ソ連の無理を押しつけるこ
とになった。その当時、カストロさんは、グアンタナモ米軍基地撤去、アメリカによる経済封鎖の解除、
そして再び侵略をさせない約束履行を提起したが、大国旧ソ連の政治的解決を当時の膨大な負債のため
に呑まなければならないこととなった。今日もそうであるが、このころから旧ソ連ないしその後のロシ
アの対米協調路線が開始されたのである。そのようなことで、基地撤去が焦眉の課題でありながら、あ
えて苦渋の選択となって今日に至っている。因みに、2003 年においてキューバは、およそ 5 兆円程度
の外国に対する借金があるが、そのうちロシアに対する負債 2.2 兆円であり、これが政策の実施の上で
大きな問題となっていると思われる。とりわけ、旧ソ連と新生ロシアに対する負債が上記の一連のかか
わりに陰を強く落として今日に至っている。同年の GDP と国家予算は、それぞれ 3.5 兆円と 1.8 兆円
(大阪市程度)である。グアンタナモの米軍基地に加え米国からの侵略の脅威に日々曝されながら、こ
の国はどのようにして生きているのであろうか?多分にノウハウがあるはずである。それは多分に次の
ような精神によって裏付けされているように思う。
かつて、チェ・ゲバラは、
「人間の評価は、その人がどのようなことをなし得たかということよりも、
その人が如何に崇高な目標に向かって如何に歩み続けたかである」という言葉を残して惨殺された。ま
た、
「最後の勝利の日まで(ハバナの目抜き通りに肖像と共に書いてある)」闘えとも言っている。2005
年メーデーのために全国的に配られた真っ赤のTシャツの背中に、カストロさんは「人間は正義こそ尊
ばねばならない」と書いた。人間の真の解放に向けて努力した人や、努力をし続けている人の姿は美し
い。少ない富を皆で分けること、科学こそが力であり、教育によってのみ人間は解放され発展すること、
平和で健康にそして安寧に生存することをお互いに保障することをこの国の是としていることは素晴
らしいことだと思う。小生の言うところの「絶対的生命観」の一部体現である。天まで真っ直ぐに生長
するロイヤルパーム(大王椰子)の木を国樹として愛し(もともと、キューバ独立運動の闘士であった
ホセ・マルティが 1800 年代後半に投獄と亡命を繰り返しながら「椰子より高く正義を掲げよ」と自由
1
な祖国を目指したことに起因しているのであろう?)、独立闘争の正義の象徴であるように天を向いて
反り返って咲く純白のニオイチョウの花を国花として愛でるこの国の発展に期待を寄せ支援をしたい
と思う人は多いことであろう。このキューバの地において、困難な実験によって見いだされる数々の発
見が、今後国際社会の平和構築の新たな実験を要請することであろう。核兵器廃絶、武器製造禁止、軍
事同盟の解体、軍備縮小解体の課題には日頃馴染んでいたが、キューバの平和構築の意欲を肌で感じた
のは初めてであった。「目からうろこが落ちる」所が随所に展開され、心躍る毎日であった。
とにかく多くの問題を抱えながらこの国は元気である。国家行政が、科学労働者組織などを介在させ
ることにより国民の意向に沿う形でうまく動いているように見えた。直接間接に国家行政を批判し討論
する機会が、見た限りにおいて、保障されている。これは、民主主義の基本であり平和の構築の強大な
エネルギーを創出することなる。国民が老いも若きも文化を共有し、継承発展させること、多民族共同
体の自由と平等そして博愛の貫徹、とりわけ、若者と女性が国家行政の担い手となっていることなど、
平和への着実な歩みであるように思える。
今回、ハバナ市で開催された「第2回国際ワークショップ:科学・環境・倫理・社会」に参加した機
会に、ハバナ市(ハバナ郡内にありが、首都であり別の行政区)とピナデルリオ郡(ハバナ郡の西)の
施設を見学することができた。前者は、会議が開催された国会、熱帯医学ペドロ・コウリ研究所、遺伝
子工学・生物工学研究所、総合体育施設、国立水族館研究所、海洋博物館、食糧資源生産供給総合セン
ターなどであり、後者は生物圏保全研究センターであった。以下順不同でメモをおこし記憶を再現しな
がら、平和を構築するためのキューバ流ノウハウを概観したいと思う。
1)科学労働者組織
複数の組織が存在するようであるが、全国科学労働者組合がまとめをしているようである(今回の会議
の組織の中心)。教育、研究、企画立案、普及の仕事を行っている。行政と組合との厳密な区別は無い
ようだが、詳細は理解できなかった。いずれにしても全国 15 行政区(ハバナ市特別区と 14 郡)にある
下部組織が国家および行政区の活動に参画しているようである。旧ソ連のように国家行政とは切り離さ
れた行政補完部隊としての「科学労働者組織」や「労働組合」とは異なり、行政=科学労働者組織の印
象を強くした。今回のワークショップには、各行政区から沢山出席し研究発表があり、さながら全国教
研のようであった。隔年程度の割合で、基礎科学の領域から食糧生産、森林・圃場研究経営に至るまで、
発表、討論が種々の形で求められているようである。いずれの施設を訪ねても、中身のある研究、企画、
経営の話を聞くことができ、科学研究やそれらの応用研究が国民生活の発展に生かされるべく企図され
ている印象を受けた。全てが目的研究ではないが、科学研究を国民生活ないし社会の発展に貢献させた
いという意志を感じた。この科学労働者組織が、国家と国民のメディエーターないしインターフェース
となっているようである。
2)行政のトップ
丁度メーデーにハバナ市に滞在していたので、30 度以上の炎天下でのカストロさんの一時間に亘る演説
をテレビで見た。暑いことと会場に行っても顔も見えないし、もらった真っ赤のTシャツを着てサボり
を決め込んだ。カストロさんは参加者にもみくちゃになるなど普通の人であった。つまり、この国には
「野」は存在しないように思える。今回のワークショップには教育大臣(工博)も討論に参加した。ワ
ークショップの成果はストレートに国の行政に反映されるし、国の計画立案やその実施をめぐって討論
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がなされていたことにも感銘を受けた。大臣は、森林生態からから遺伝子工学まで表面的には理解して
いるように思われたし、とりわけ国民に対するそれらの影響についての大枠は承知しているようであっ
た。大臣とコーヒータイムに同席したが、椅子が少なく大臣を含め2,3人が立つことになった。この
国はこれで何事も起こらないようである。大臣は学級委員のような存在の印象を強くした(ヴェトナム
も似ているように思う)。
3)科学的経営
人間の生活の安定と向上、平和にそして安全に生活をするために、科学的知識を導入しようとする意欲
を強く感じることができた。つまり、国民のための科学と技術のありようを多方面に亘って模索してい
る様子がよくわかった。訪問したどの施設でも、第一に研究創造活動を目指しているようであった。森
林保全においても、実験区を設置し実験と実践の相互連繋を見ることができた。
4)女性のリーダーシップ
今回の目玉の一つである。その国が平和つまりヒューマンであるかどうかはこれで決まる。今回の会議
の組織からまとめ、また会議の参加者に至るまでほとんどが女性で占められていた。勿論男性研究労働
者がいないわけではないが、今回の会議では「散見」されたのみであった。外国人参加者にわずかに男
性が多く、会議に「はな」を添えた!程度であった。日本でも以前、ウーマンリブなどといわれたこと
があったが、そのような話などは問題ではなく、行政的にそしてまた研究教育的に国家の中心として発
言力を行使しているようである。想像では、少なめに見ても、半数は超えている感じである。平和に向
かって驀進する力を感じた。今回訪問した施設では、熱帯医学研究所と体育総合施設以外、全てトップ
集団は女性であった。因みに、今回の会議のまとめの時にひな壇に着席したのは全て女性研究労働者で
あった。
5)高齢者が元気
55 歳が定年であるが、個人の希望によって働きたいだけ働くことができる。今回の会議のとりまとめに
奔走していた女性は 75 歳と聞いた。小生の通訳をしてくれた人の両親は 74 歳でハバナ大学の現役の先
生である。各人の働くことの意志を尊重し、またそれを鼓舞しているようである。
6)教育
9 年間の義務教育を含めて、教育は全て自由に受けることができ全て無償である。加えて、大学進学( 7
人の労働者のうち 1 人は大卒、大卒約 70 万人、労働者人口は約 500 万人、人口約 1,100 万人)につい
ては、国家の将来を担うということで、学費は勿論無償だがその上に奨学金が与えられる(貸与ではな
い)。1 年生:1 月 10 ペソ、2 年 20 ペソ、3 年 30 ペソ、4 年 40 ペソ、5 年(日本の大学院)50 ペソと
なっている。また、5 年生以上は自発的社会参加(教育、福祉など)が認められ、そのためにさらに月
30 ペソが与えられる。今回の会議の設営や通訳などもその種の仕事としてカウントされている。仕事内
容の選択調整は自由のようであるが、将来の職業のインターン的なものとして参加が奨励されている。
ただの手慰みに大学にいるものは誰もない。とにかく大学院まで卒業しても全て無償であるから、国家
のために働くのは当然であろう。現在全国に、小中校(一貫)約 9,500、高校約 2,000、大学 48、研究
施設約 1,700 が稼働している。日本の人口に換算すると約 10 倍が日本になければならない計算である
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から、国立大学は 480 必要となる(因みに、独立行政法人化以前の国立大学は 89 であった)。
7)病院、介護、年金
高度医療以外は無償。全国的に個人医療サーヴィスが配備されているという。全国規模で、病院 283(日
本の人口比にすると 2,830)、診療医療施設 440、簡易診療施設 166、健康管理センター1,521 が稼働し
ており、また、1,000 人住民に対して 6.7 医療健康管理ベッドと 1.4 社会福祉介護ベッドが提供されて
いる。さらに全ての国民は家族医療サーヴィス受けることができる。全国に約 7 万人の医師が全国民を
くまなく診療できるような体制である(157 人に 1 人の医師)。
介護は無償。年金は 55 歳(定年)以上働くと一様に平均月収程度受けとることができる。55 歳以降
を年金で自由に暮らすこともできるが、多くの人が自分の意志で自由に働いているようである。労働の
意欲を各自醸成することが奨励されている。つまり、この国では、働けば喰える(1%程度の失業者が
いる模様)。
8)外国人の研究機関への受け入れ
2004 年までに、ハバナ郡にある新設ラテンアメリカ医科大学では 24 カ国から約 8,000 人を受け入れて
いる。毎年、1,500 人程度を受け入れている。昨年度、19 カ国がラテンアメリカ、アフリカ 4 カ国、そ
れにアメリカ合衆国。卒業後は、それぞれの国で活動をすることが義務づけられている。勿論学費など
は無償である。驚きは、自国の学生の中に外国人を若干加えるのではなく、全て他国民の医学教育をか
ってでていることである。熱帯医学研究所では、37 カ国の留学生と研究者を受け入れ、世界的研究教育
の推進に貢献している。また、生物圏保全研究センターには、18 カ国から森林保全ワークショップやス
クーリングに参加している。これ以外にも多くの外国人学生や研究者がいるようである。いずれもが国
際的機関の援助や支援で運営されている。教育研究や学術の発展を足がかりに、国際的安定と平和構築
に進む意志を確認できたように思われる。
9)体育総合施設
若手共産党(young communist party)が経営している一級の体育総合施設(野球、サッカー、水泳、
テニスなどと屋内施設)。革命以前は白人専用の施設であったが、現在では全ての人が自由に使用でき
る。所長さん(35 歳でこの施設の最高齢者)のご両親はこの施設の隣で生活をしながら一生涯施設に入
ることができなかったそうだ。施設は極めて安価な料金で利用できるようである。ここで青年指導者が
育ち、また次の世代を養成していくシステムがうまく稼働していることに感心すると同時に、この国の
平和構築のためのエネルギーの継承と発展のありようの一側面を見たような気がする。ラテンアメリか
ら来る選手やコーチのスクーリングも行っているようである。
10)熱帯医学研究所
世界一の当該研究機関で約 150 人の研究労働者が働いている。ここでは、熱帯病予防医療のための研究
教育、医薬品開発が行われている、いわば国連傘下の施設とも見えた。先にも記述したが、ここには世
界各国(アメリカ、カナダ、EU、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ)からの留学生と研究生が、世
界第一線の研究と教育に取り組んでいる。
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11)国立水族館研究センター
海洋環境教育センターとしての機能と同時に、海洋資源調査や保全研究も行っている。初等中等教育機
関と環境教育において相互連携行いながら、大学生や研究機関のインターシップも行っている。一般市
民に対しても施設展示の公開、ショー、レストランなどの経営を行っている。
12)海洋博物館研究センター
サンゴ標本では世界のトップクラスとの説明があった。この国の建物には多くのサンゴ化石を含む石材
が使用されているが、ここではそれらの化石研究も行っている。いずれの教育研究機関もそうであるが、
この国では横の連繋(各研究機関の相互乗り入れ)が旺盛であるとの印象を受けた。外国からの研究者
や、とりわけラテンアメリカからの受け入れが多い。
13)遺伝子工学・生物工学研究センター
分子生物学、免疫学とワクチン、生物分子療法とその機構、動植物生命工学、タンパク化学、生物工学
全般、などの研究教育を行っている。組織のトップ集団は全員女性であり、講堂で説明を受けた後に訪
問記念撮影をしたが、総勢 30 人位に外国人を除けば「白二点」だった。勿論研究者には大勢の男性が
いたし、アジアやアフリカからの留学生や研究生も大勢いるようである。所長さんと小生の通訳と並ん
で、玄関に掲げてある巨大なゲバラの肖像の前で写真を撮った。満足!
14)食糧資源研究供給センター(名称は怪しい)
ハバナ市行政区、ハバナ郡行政区に対して多くの食糧をいわば産直で供給するために設置されているよ
うである。総合研究開発センターとして経営されている。ここで食べた作りたてのチーズともぎたての
各種野菜とマンゴーやココナツは大変美味であった。生産販売を行っていると聞くが、ハバナの人は毎
日食べることができるのかどうか聞く機会がなかったのが残念である。多分無理であろう。
15)生物圏保全研究センター
ハバナ郡行政区からその西側ピナデルリオ郡に入ったところにある広大な、丁度大阪の北摂地帯の 5 倍
程度の、大王椰子や松が茂る「ラサルコ山系」森林が当該場所である。ユネスコ世界生物圏保全区域の
登録を受けている所である。レンジャーを含めて屈強な女性研究労働者が圧倒的であった。勿論、所長
さんも活発な女性であった。この生物圏は、道路や水系の管理が徹底していることに加えて、驚きは住
民 900 人程度が一つの地域にコミュニティー(eco-community)として生活することにより、地域生物
圏環境を保全しようとするものである。コミュニティーには、学校、ホテル、図書館、競技場、劇場、
巨大河川プールなどがあり、コーヒー、レストラン、その他個人経営の店が政府の支援で安く利用でき
るようである。保全区域の裾野には昔ながらの住居を構える人もいるようである(居住意志が固い人は
一定の条件下で生活が保障されている)。しかし、ほとんどの人がコミュニティーに居住して、人間の
手の入らない生物圏保全区ができるという仕組みである。この地域は、かつてコーヒー商人が「黒人奴
隷」搾取と環境破壊の凄まじかった所であるそうだ。現在もその痕跡は歴史の証人として残してあるが、
それ以外は深い森林となっている。国樹の大王椰子と松の調和が実に見事な森林となっている。人間が
将来、100 年 200 年、健康に平和に生存し続けるためには、周辺環境から整備するという意味において、
人間生活の制限を自らの討論において解決していくことも必要であるように思う。その意味で、この実
5
験作業を評価したい。
<以下雑感>
16)文化の共有が素晴らしい
今回の会議のお別れパーティーが上記の食糧資源研究供給センターで開催された。9 歳から 74 歳まで
の参加者が同じ音楽でのパフォーマンスには感心した。老いも若きも同じリズムで盛り上がるのは実に
素晴らしい。一つの文化を共有し、そしてそれが少しずつ若い世代へと流れていく、いわば文化の継承
と発展の様子として受け止めることができる。これも平和の構築へ向けての作業の継承と発展のポイン
トと思われる。
17)「ゆっくり」には困った
今回の会議に際して、迎えの車は 30 分遅れ、会議は1時間遅れ、帰国の見送りに間に合わなくなった
からとタクシーが代わりに現れるなど、なにかとゆっくりであった。主催者が何かと小生を気にするも
ので、スワヒリ語では「ゆっくりやろうぜ」は「ポーレポーレ」と言うと言ったら、会議中ポーレポー
レが流行した。ラテン系の悪しき習慣なのであろうが、これだけは何とかして欲しいものだ。
18)兌換制度には参った
現在兌換システムが導入されて経済の立て直しが図られているようであるが、旅行者にとっては困った
問題である。しかし、それでも観光客は後を絶たないのであるから問題はないのだが?1 米ドルを 1 キ
ューバドル(新ペソ)となっている。入国時に米ドルからは 12%、カナダドルとユーロからは 8%の兌
換紙幣交換手数料を取る。現地価格では、1 米ドルが旧 25 ペソ程度であるから厄介だ。さらに、クレ
ジットカード(米国系は不可)使用には、およそ 12%(米ドル計算)の手数料が必要となる。最初のう
ちは家計簿なんぞつけて真剣に計算をした。とにかく参った。難儀な問題の一つであった。
19)町がきれい
町の至る所にトラッシュ車が置いてあり、とても道が綺麗で気持ちが良かった。建物は古いもの、保存
わるいもの、外装の色も色々だが、とにかく道の綺麗なこと、モニュメントやデコレーションが整然と
していることに旅人は和むのみならず、この国の中身を見せてくれているように思う。大変満足!
20)これは困る
喫煙の制限がされていない。ホテル、会議、レストラン、所かまわず喫煙だ。こえは実に困る。環境保
全を看板にすることと矛盾する。また、町には 1950 年代のアメリカ車が走っている。古いことに文句
を言うのではないが、安い燃料のせいで排気ガスが実に汚い。一方で、ユネスコの指定を受ける保護区
を維持することと、他方で環境を汚染することとが矛盾しなわけがない。国際社会の趨勢から遅れるこ
と甚だしい。時間にルーズなことと併せて早期の改善が望まれる。
(05/08/05)
レポート課題:「平和構築への君の提言」
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