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2章 情報テクノロジーと家庭生活 近年、日本社会の中にさまざまな情報

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2章 情報テクノロジーと家庭生活 近年、日本社会の中にさまざまな情報
2章 情報テクノロジーと家庭生活
近年、日本社会の中にさまざまな情報技術が浸透していくに従い、われわれ
の生活はさまざまなレベルで大きな変容を迎えている。この章は生活の領域の
一つとして、特に「家庭」というものに対象を限定したうえで、その変容と情
報化の関係について考えていくことを目的としている。
しかしながら、ひと口に家庭といっても、それは特に現代においてはさまざ
まな意味を含んでいると考えられる。第一に、家庭自体の変容が、過去十数年
の短い期間に非常に急激に生じているものであるため、そもそも家庭というも
のが何であるか、というアイデンティティそのものが疑問にさらされるような
状況が見られている。第二に、それにも関連するが、家庭というものが一個の
独立したものではなく、外部の社会とのさまざま関連を保ち、特に近年におい
てはより多様な面で、時には依存とも言えるほどの強い関係を見せているとい
う点がある。第三に、そのような関係の中で、家庭において営まれる生活行動
が 、「 生 活 シ ス テ ム 」と し て さ ま ざ ま な 関 連 を 見 せ て お り 、そ れ は「 ラ イ フ ス タ
イル」などと呼ばれる、一つの文化を形成しているという点である。特に近年
の 生 活 は「 情 報 生 活 」( 水 野 [ 1 9 9 6 ] )と も 言 え る よ う な 非 常 に 情 報 化 と 密 着 し た
側面を見せているといえる。
本章ではまず、情報テクノロジーと「家庭」という問題設定が現れてくる背
景として、特に戦後の日本社会において家庭が成立してきた状況について見た
うえで、テレビを中心とした情報テクノロジーがその中でどのような意味をも
っていたのかについて概観する。そして、その後の家庭における変容を見た上
で、それが新たに出現した他のメディアとどのような意味で関連を持って来て
いるのかについて見ていく。
1.情報化の対象としての「家庭」の成立とテレビ
▼独立した領域としての「家庭」の成立
日本社会における家庭と情報化の関係がより明確になったのは、第2次世界
大 戦 後 の 「 高 度 成 長 期 」 と 呼 ば れ る 時 期 ( 1950 年 代 後 半 か ら 1970 年 代 前 半 ま
で)にあった。それは、戦後社会の大きな流れである産業化や都市化の流れの
一つとして考えられ、他方で「三種の神器」と呼ばれるような耐久消費財の普
及の一つとして、情報機器が大きな意味を持っていたということによる。産業
構造など社会全体の流れとしてはすでに他の章においても触れられているので、
こ こ で は そ の 中 で「 家 庭 」を 成 立 さ せ て い る 様 々 な 要 素 に つ い て 行 為 者・時 間 ・
空間的な要素から見ていくことにする。
まず行為者の面として、特に高度成長期に見られるのは「核家族世帯」と呼
ば れ る 、夫 婦 と 未 婚 の 子 供 か ら な る 世 帯 数 の 増 加 で あ る( 図 2 − 1 )。こ こ か ら
戦後から現代にいたるまでの動きを一つの「核家族化」として見るのが一般的
であるが、この時期は特に親族世帯中の核家族が占める割合(核家族化率)が
増 加 し て お り 、 増 加 率 も 高 く な っ て い る 。 さ ら に 、 落 合 [1997]は こ の 時 期 の 核
家族世帯の人々に、近隣ネットワークへの依存が小さく、近隣ネットワークと
親族ネットワークの代替関係が見られることから、特にこの時期家庭を持った
世代に「家族関係の自立性」が意識されることになったとしている。
次に時間的な面として、家族のライフサイクルとしての画一化がある。特に
戦 後 高 度 成 長 期 に 結 婚 し た 昭 和 一 桁 生 ま れ の 世 代 か ら 出 産 の 時 期 が 20 代 に 集
中する傾向が強くなり、子供の数としてもこの時期から2人が大半を占めるよ
う に な っ た( 湯 沢 [ 1 9 8 7 , p 2 2 ] )。坂 本 [ 1 9 9 7 ] は そ こ か ら 、 結 婚 、出 産 、育 児 な ど
について全く同様のライフサイクルを持った家族を形成する画一的なライフコ
ー ス の 確 立 が こ の 時 期 に 見 ら れ た こ と を 指 摘 し て い る 。「 家 庭 」に 入 る 時 期 と い
うものが、多くの人々、特に女性に共通した期間として社会的に意識されてい
ったのが、この時期であった。
三つめは、自宅住居内での活動を中心とした日常的生活圏の確立である。こ
のことを端的に示すのが「専業主婦」という役割で、高度成長期に育児期にあ
っ た 1 9 4 6 − 1 9 5 0 年 生 の 女 性 の 就 労 率 は 、そ れ ぞ れ の 年 齢 層 の 育 児 期 の う ち で 最
も 低 い も の と な っ て い た( 図 2 − 2 )。逆 に 、家 庭 婦 人 に お け る 平 日 の 家 事 労 働
時 間 は 、 こ の 時 期 に 家 事 短 縮 型 の 家 電 製 品 が 普 及 し た に も 関 わ ら ず 、 1960 年 7
時 間 1 2 分 に 対 し て 1 9 7 0 年 7 時 間 5 7 分 と 、高 度 成 長 期 の 十 年 間 で 増 加 し て い る
(『 N H K 国 民 生 活 時 間 調 査 』)。一 日 を 通 じ た 在 宅 を 前 提 と し て そ こ で「 家 庭 生
活」を営む中心的な担い手としての「主婦」というものの性格づけが強まった
ことが考えられる。
以上のような流れの中で、行為者・時間・空間というそれぞれの側面につい
て 、「 家 庭 」と い う も の が 、そ れ ぞ れ の 間 で 画 一 し た 形 式 を 持 ち な が ら 、一 つ の
独 立 し た 領 域 と し て 成 立 し た の が 、こ の 高 度 成 長 期 で あ っ た と 考 え ら れ て い る 。
つまり、夫婦と子供二人という構成員で、それぞれの年齢に応じて一定のライ
フコースを歩み、それぞれの住居には日常生活を中心的にマネージメントする
主婦が存在する、そうした「家庭」が人々において画一的なイメージとして保
たれていたのであった。
▼
家庭の団らんとしてのテレビ
高度成長期におけるこのような「家庭」の成立を背景として、そこでの情報
行動の主役となったのは、テレビであった。この時期にテレビの視聴時間は平
日 で 1960 年 に 1 時 間 19 分 で あ っ た も の が 、 1970 年 に は 4 時 間 30 分 に な り 、
7 0 年 代 後 半 に ほ ぼ ピ ー ク を 迎 え た (『 N H K 国 民 生 活 時 間 調 査 』)。
このような中で、テレビが社会的にも家族団らんと結びついて考えられるよ
う に な っ た 。1969 年 の 調 査 で は 、テ レ ビ の 効 用 と し て「 家 族 の 団 ら ん に 役 立 っ
て い る 」と 答 え る も の が 62% を 占 め て い た 。ま た 、そ の 一 方 で 2 台 以 上 テ レ ビ
が あ る 家 庭 は 、1970 年 の 時 点 で 4 割 に 達 し て い た が 、そ の う ち 1 台 は「 メ イ ン
テ レ ビ 」と し て 中 心 的 に 見 ら れ て お り 、夜 間 に お け る 視 聴 率 と し て も 5 0 % 以 上
あ り 、も う 一 方 の「 サ ブ テ レ ビ 」の 15% を 大 き く 上 回 っ て い た 。 こ の 傾 向 は そ
の 後 10 年 経 っ て も ほ と ん ど 変 わ る こ と が な か っ た ( N H K 放 送 世 論 調 査 所
[ 1 9 8 3 ] 。)
このようなテレビをめぐる団らんは実際にはどのように行われていたのであ
ろうか。時期がやや後になるが、高度成長期を経た家庭におけるテレビ視聴パ
タ ー ン の 定 着 を 示 す も の と し て 、 1979 年 に 東 京 の 核 家 族 1141 世 帯 を 対 象 に 夜
間のテレビ視聴形態について調べた結果を見ると、実際に全員が一同に介して
テレビを見ている割合はテレビを見ている家庭に限った場合でもピークで 3 割
程 度 で あ り 、週 平 均 で 3 1 分 で あ る( N H K 放 送 世 論 調 査 所 [ 1 9 8 1 , p 8 4 ] 。こ れ に
はさまざまな要因が働いているが、特に平日の夫の帰宅時間が 7 時以降である
割合が 4 割を占めていることや、夜 9 時半に小学生の過半数が就寝することが
まず指摘されている。さらに、主婦については、一日を通じてテレビの視聴は
最も長く行われているものの、その大半は家事と並行した「ながら視聴」が占
め て い る ( 図 2 − 3 )。 1 9 6 0 年 以 降 の 視 聴 時 間 の 伸 び に つ い て も 、 成 人 男 性 に
つ い て は 一 時 間 拡 大 す る も の の 、そ れ 以 上 に 伸 び る こ と は な か っ た の に 対 し て 、
成人女性については高度成長期の間上昇し続けており、半分はラジオからの代
替ということが言えるが、それ以外は代替として考えられるものがなく、結局
その増加は、家事と食事に付随した時間としての「ながら視聴」から生じてい
ると見られている。また、積極的に選択してテレビを見ているかどうかにして
も、夜間における夫婦の視聴状況を、その時間に視聴している人の中での自分
が選択して視聴を行なっている人の割合で見ると、9時以前の時間帯はほとん
ど 夫 が 妻 を 上 回 っ て い る こ と が わ か る( 図 2 − 4 )。9 時 以 降 に は 妻 が 選 択 し て
視聴をする割合がやや高くなるが、ほとんどの場合は夫が上回っており、これ
はむしろ「母と子」や「妻のみ」といった形で、成人男性が入って視聴する割
合が低くなっていることから、実際には家族全員が参加するような視聴として
は行われていないことがうかがえる。
このようにテレビをめぐる団らんとは、家族が一同に介して積極的にテレビ
を視聴して一つの視聴内容を共有することではなく、食事を中心とした短時間
の間にあくまで家族が何かをしながらその場所を共有する中で付随的に行われ
ていたと考えられる。むしろ、家庭においてテレビは積極的に家族の注目する
対象であるというよりは、あくまで家庭でのコミュニケーションの「間」をつ
なぐようなものとして利用されていたと考えられる。
また、実態としてみたように、家族全員で視聴できるような状況にあったと
しても、視聴形態や内容の選択などに性差としての偏りが見られていた。同様
の傾向はイギリスの家庭においても観察されており、家庭における性役割関係
と の 結 び 付 き も 指 摘 さ れ て い る 点 で あ る ( M o r l e y [ 1 9 8 6 ] )。
▼イメージとしての「家庭」とテレビ
以上に見た例は、データとしてはテレビが視聴時間のピークを迎えた時期で
あり、家庭的なメディアとしての意味を失いつつあったものとして見ることが
できるかも知れない。それにも関わらず、同時期の調査でも依然として「テレ
ビ の お か げ で 家 族 が 和 や か に 過 ご せ る 」と い う 意 見 が 7 1 % を 占 め る( N H K 放
送 世 論 調 査 所 [ 1 9 8 3 ] ,p 9 2 )な ど 、当 時 の 人 々 に と っ て テ レ ビ は 団 ら ん の メ デ ィ
アとして非常に大きな意味を持っていたと見られる。それは実態としてこうし
た団らんが行われていたということとは別に、この時期までにイメージとして
の「家庭」とテレビというものが大きく定着していたことを示すものと考えら
れる。
そ の イ メ ー ジ の 典 型 と し て し ば し ば 挙 げ ら れ る の が 、「 ホ ー ム ド ラ マ 」と し て
の家族のイメージである。ホームドラマでは、和気あいあいとし、あらゆるも
のを皆で分かち合うような円満な家庭が理想のものとして描かれていた。ただ
し 、こ の よ う な ホ ー ム ド ラ マ の 原 形 は 、坂 本 [ 1 9 9 7 ] に よ る と 1 9 5 0 年 代 に 人 々 の
娯楽の中心となっていた日本映画のジャンルとして確立し、普及していった意
味 あ い が 強 い と い う 。 こ の 時 期 に 加 藤 [1957]が 実 際 の あ る 3 世 代 家 族 に お け る
コミュニケーションを観察した研究によれば、当時もっとも映画に接触してい
た の は 2 0 歳 の 四 女 で あ り 、彼 女 が オ ピ ニ オ ン リ ー ダ ー と な っ て 、よ く 見 て い た
ホームドラマを他の家族に見せるという例が紹介されている。彼女のような年
齢層がちょうどテレビの時代に実際に家庭を持った時、そのような理想として
の「家庭」は強い影響をもっていたであろうし、実際のテレビドラマの作り手
側もそうした映画とのつながりを強く意識していたのであった。このようなジ
ャ ン ル と し て の ホ ー ム ド ラ マ は 、ア メ リ カ 映 画 を 理 解 す る 形 式 と し て も 作 用 し 、
同時にアメリカのライフスタイルを日本的に取り入れる場合に大きく影響した
と 考 え ら れ て い る 。さ ら に 、そ の ア メ リ カ で は ち ょ う ど 1 9 5 0 年 代 に お い て 、テ
レビは第2次大戦によって混乱した家庭に対し、家庭の円満を取り戻すものと
し て イ メ ー ジ 化 さ れ て い た ( S p i g e l [ 1 9 9 2 ] )。
このようなホームドラマのイメージは、家庭そのものの理想像を示すととも
に、同じような「家庭をもつ人々」としての、高度成長期特有の社会意識とし
ての「中流意識」に代表されるような、人々の強い同一性を作り出すものとし
ても作用した。反面、このようなイメージの中で、女性に特定の役割が求めら
れ、実態としては行動面でさまざまな偏りを持ちながらもむしろその中での一
定の秩序を保った「家族団らん」としての一斉的な視聴のイメージが形成され
ていったと考えられる。
以上のように、高度成長の時期に成立した「家庭」を背景として、テレビ視
聴は「家族団らん」として位置づけられる中で視聴時間を延ばしていった。し
かしながら、そうした共同視聴においては全く同じ時間の中で視聴内容を平等
に分かち合っていたわけではなく、むしろ食事といった共同の行動を背景とし
な が ら 、そ れ ぞ れ に 偏 り を も っ た 形 で 行 わ れ て い た も の で あ り 、「 団 ら ん 」と い
うこと自体がイメージとして与えられ、その中で一つの共同性が作られていた
側面があることも指摘できる。
2 . 80 年 代 以 降 に お け る 「 家 庭 」 の 変 容 と テ レ ビ メ デ ィ ア
▼
80 年 代 に お け る 「 家 庭 」 の 成 立 条 件 の 変 容
前 節 で 見 ら れ た よ う な 「 家 庭 」 の 実 態 は 、 1980 年 代 に 入 り 、 大 き な 変 化 を 見
せていった。それについて、同じように行為者・時間・空間という側面から見
ていくことにする。
まず、行為者の問題として、高度成長期に見られたような「家庭」を成立さ
せる条件がそろわなくなっているという点がある。まず、核家族化という傾向
に つ い て は 、核 家 族 化 率 は 漸 増 は し て い る も の の 、普 通 世 帯 全 体 で 見 た 場 合 は 、
単 身 で 暮 ら す 単 独 世 帯 の 増 加 率 が 非 常 に 高 く な っ て い る 。 ま た 、 未 婚 率 が 20
歳代の女性で急激に上昇し、それに応じて結婚年齢も上昇している。出生率に
つ い て も 「 少 子 化 」 と し て 言 わ れ る よ う に 、 1970 年 代 後 半 か ら 低 下 を は じ め 、
80 年 代 に は 二 人 台 を 切 り 、 95 年 に は 1.47 人 ま で に 低 下 し て い る 。
その結果、人々は従来のような画一的な家庭についてのライフサイクルを共
有することができなくなった。未婚率の増加にともない、出産時期なども多様
化 し 、世 帯 人 員 と し て も 1 9 7 0 年 代 に か け て は 四 人 を 頂 点 と し て 山 型 を 先 鋭 化 さ
せ て い た が 、 80 年 代 に は 再 び 分 散 す る 傾 向 を 見 せ て い る 。
次に、空間の共有という点では、在宅時間の減少ということが挙げられる。
図2−5では男女別に年齢層での起床在宅時間を比較しているが、これによる
と、それぞれの年齢層において在宅時間は減少しており、男性ではいわゆる働
き 盛 り の 世 代 に お い て 減 少 が 大 き い が 、9 0 年 代 で は や や 停 滞 し て い る の に 対 し
て 、 女 性 で は 10 代 か ら 60 代 の 幅 広 い 年 齢 層 で い ず れ に 年 を 追 う ご と に 減 少 し
て い る 。特 に 女 性 の 2 0 代 と 3 0 代 は 減 少 が 激 し く 、2 0 代 で は 2 時 間 近 く 減 少 し
て い る 。 こ れ は 女 性 の 雇 用 率 が 全 体 的 に 上 昇 し 、 特 に 20 代 後 半 か ら 30 代 に か
け て の 労 働 力 率 が 上 が っ て い る こ と も 大 き く 関 係 し て い る 。共 働 き の 家 庭 で は 、
家事時間の大半が仕事時間に置き換わっており、自宅という空間で家事労働を
中心に生活という営む形態はかなり減少して来ていると考えられる。
以上のような側面で、高度成長期に「家庭」を成立させていたさまざまな社
会 的 条 件 は 80 年 代 以 降 大 き く 変 容 し て い る 。
▼
テレビの個人視聴化
このような家庭の変化は、家庭での情報行動としてのテレビ視聴にどのよう
な 影 響 を 与 え た の で あ ろ う か 。ま ず 、全 体 の 視 聴 時 間 と し て は 、確 か に 8 0 年 以
降 減 少 し て い た の で あ る が 、1 9 9 0 年 以 降 上 昇 し 、1 9 9 5 年 に は 過 去 最 高 の 視 聴 時
間となった。
そ の 中 で 、家 庭 で の テ レ ビ 視 聴 の 傾 向 は 、「 個 人 化 」と し て あ ら わ さ れ る こ と
が 多 い 。1970 年 の 調 査 で は テ レ ビ を「 ほ か の 人 と 一 緒 に 見 る ほ う 」と 答 え た 人
が 7 0 % で 、「 ひ と り で 見 る ほ う 」の 2 1 % を 大 き く 上 回 っ て い た の に 対 し て 、「 ひ
と り で 見 る ほ う 」 は 1993 年 の 時 点 で 41% を 占 め る よ う に な っ た 。 そ の 理 由 と
し て は 、ま ず テ レ ビ の 普 及 台 数 の 増 加 が 挙 げ ら れ る 。7 0 年 代 後 半 に す で に サ ブ
テレビとして家庭の中で2台目を持つ傾向が現れていたが、その後もテレビは
普 及 を 続 け 、9 0 年 を 境 に 1 世 帯 あ た り の 普 及 台 数 は 2 台 を 越 え た 。さ ら に 視 聴
を と り ま く 状 況 と し て 、1 9 9 2 年 に は テ レ ビ の リ モ コ ン の 普 及 率 が 8 6 . 5 % を 越 え 、
「フリッピング」と呼ばれるリモコンで頻繁にチャンネルを変える行動によっ
てより個人的な要求に即した視聴が行われるようになったということがある
( 戸 村 ほ か [ 1 9 9 3 ] )。
しかし、そのような視聴の変化は機器の普及や技術的な変化がもたらしたと
いうよりは、単身世帯の増加などのほかに、全体として生活行動それ自体が個
人 化 し て い る こ と が あ る と 考 え ら れ る 。矢 野 編 [ 1 9 9 5 ] に よ る と 、1 9 7 2 年 と 1 9 9 2
年 の そ れ ぞ れ で 行 わ れ た 生 活 行 動 の う ち 、「 一 人 き り 」で 行 わ れ た 活 動 の 時 間 を
比較すると、男女ともに全体として増加しており、生活の「孤独化」が指摘さ
れ て い る ( 図 2 − 6 )。 特 に 男 性 は マ ス コ ミ 接 触 の 占 め る 割 合 が 増 加 し て お り 、
その「孤独化」について平日と日曜日ともにテレビ時間の影響が大きいとされ
て い る 。自 由 時 間 全 体 が 拡 大 し た 中 で 、テ レ ビ の 時 間 の 占 め る 割 合 も ま た 3 6 %
か ら 4 0 % に 増 加 し た こ と も あ わ せ て 、全 体 的 な テ レ ビ 視 聴 時 間 の 増 加 は 、こ う
した一人きりの自由時間な中での増加によってもたらされたと考えられる。
▼
「家庭」を単位としたメディア行動の存続
以 上 に 見 て き た よ う に 、家 庭 で の 個 人 視 聴 は 確 か に 増 加 し て い る の で あ る が 、
そ れ は 必 ず し も 家 族 と し て の 視 聴 の 消 滅 を 意 味 し て い る わ け で は な い 。「 テ レ
ビ を ひ と り で 見 る 」 と い う 割 合 は 、 82 年 の 時 点 で 39% で あ っ た が 、 93 年 に お
い て も 41 % と 、 全 体 と し て は 大 き く 増 加 し て い な い ( 戸 村 [1991] ・ 戸 村 ほ か
[ 1 9 9 3 ] )。そ れ は 、世 代 に よ っ て「 ひ と り で 見 る 」と い う 傾 向 が 分 散 化 し て い る
ことによると考えられる。図2−7は、それぞれの時点での「ひとりだけで見
る 」 割 合 を 年 齢 別 に み た も の で あ る が 、 70 年 と 82 年 を 比 べ た 場 合 、 全 体 的 に
「 ひ と り で 見 る 」 割 合 は 上 昇 し て い る が 、 92 年 で は 、 30 代 と 40 代 の 男 女 と も
に 8 2 年 の 割 合 を 下 回 っ て い る 。3 0 代 の 女 性 で は む し ろ 7 0 年 の 水 準 に ま で 低 下
している。
こ の こ と は 特 に 3 0・4 0 代 と い う 家 族 を 持 っ た 世 代 に お い て は 、依 然 と し て 家
族としての共同視聴が多いという結果を示している。生活行動としても、ひと
り き り で 行 な う 行 動 の 増 加 が 見 ら れ る 一 方 で 、 同 席 者 が 「 配 偶 者 」・「 配 偶 者 と
子 供 」「 子 供 」で あ る 行 動 は 、男 女 と も に 増 加 し て お り 、こ う し た「 核 家 族 時 間 」
というものは男性有職者既婚で他の同席者がいる行動時間の合計に対して
4 5 % を 占 め る と い う( 矢 野 編 [ 1 9 9 5 ] )。つ ま り 、生 活 行 動 の 単 位 と し て の 家 族 は
むしろそれ自体が近隣や職場仲間との時間を切り捨てる一方で独立したものと
なりつつあり、そのような濃密化した時間の中でテレビ視聴が行われていると
考えられる。
このような行動単位としての「家庭」の存続は、他のメディアに関する行動
に も 影 響 を 与 え て き た と 考 え ら れ る 。8 0 年 代 後 半 か ら 普 及 し 、9 8 年 に は 世 帯 普
及 率 が 7 6 . 8 % ( 経 済 企 画 庁 『 消 費 動 向 調 査 』) に 達 し た メ デ ィ ア に 家 庭 用 ビ デ
オカセットレコーダー(VTR)がある。これは主に放映時間外に視聴を可能
にする「タイムシフト」や録画による選択的視聴やCMをとばすジッピングな
どの機能を持つことから、さらに自由な個人視聴の傾向を強めるものとして考
えられたのであるが、実際の利用率は高い普及率に比して非常に低いことが指
摘 さ れ て き た 。9 0 年 の 調 査 で は 毎 日 の よ う に 使 う 人 の 割 合 は 7 . 8 % で 、「 ま っ た
く 使 っ て い な い 」 と い う 人 も 35% を 占 め 、 そ の 割 合 は 88 年 よ り も 増 加 し て い
た ( 戸 村 [ 1 9 9 1 ] )。 ま た 、 生 活 時 間 と し て も 、 1 週 間 の う ち に 1 日 で も V T R を
再生している人は全体の8%に過ぎず、1 日の平均視聴時間は見ない人も含め
るとわずか 7 分であった。
こ の よ う な 状 況 に も 関 わ ら ず 、90 年 代 に か け て V T R が 普 及 し た の は 、や は
り家族関係の影響があり、特に幼児の視聴というものが大きく関連していると
考 え ら れ る 。 93 年 の 幼 児 ( 4 ∼ 6 歳 児 ) を 対 象 に し た 調 査 に よ れ ば 、 1 週 間 に
1 日 で も ビ デ オ を 見 た 幼 児 の 割 合 ( 行 為 者 率 ) は 63.5% に 達 し 、 ビ デ オ 視 聴 時
間 は 週 平 均 1 7 分 で あ り 、9 0 年 の 時 点 で も 1 0 歳 以 上 の 国 民 全 体 平 均 の 5 分 を 大
き く 上 回 っ て い た ( 白 石 [ 1 9 9 3 ] )。 9 7 年 で は 、 幼 児 の ビ デ オ 再 生 時 間 は 週 平 均
38 分 と な り 、 行 為 者 率 は 77% に な っ て い た 。
このことから、子供を持つことがまず一つの原因となってVTRの所有自体
が促進されてきたと考えられる。そのことは、世帯人数が上昇するにしたがっ
て、世帯あたりに対する所有数が増えるという傾向から確かめられる(図2−
8 )。 特 に 8 9 年 以 降 で は 単 身 世 帯 と 二 人 の 世 帯 で の 所 有 数 の 差 は 大 き く な い の
に対して、三人世帯や四人世帯になるにしたがって、所有数は上昇している。
これは世帯規模が大きくなるにしたがって所得が増加するので、それだけビデ
オを所有する余裕が出てくるように見えるが、同じ収入層について比較した場
合 で も 、や は り 二 人 以 上 の 世 帯 で の 所 有 数 の 方 が 単 身 世 帯 を 上 回 っ て い る 。( 例
え ば 1989 年 で は 年 収 250 万 円 か ら 300 万 円 の 層 で 、 単 身 世 帯 で は 1000 世 帯 あ
た り の 普 及 数 が 513 で あ る の に 対 し て 二 人 以 上 の 世 帯 で は 562 と な っ て い る 。
9 4 年 で は さ ら に 3 0 0 万 円 か ら 4 0 0 万 円 の 層 で 6 1 2 対 7 1 9 と な っ て い る 。)
単身世帯についてみた場合、男性のVTR所有率は二人以上の世帯における
普及率をやや下回る程度なのに対して、女性については、単身世帯での所有率
が非常に低くなっている。つまり、少なくとも女性に関してはVTR所有は能
動的なものではなく、家族関係が大きく作用して接触することになると考えら
れ る 。 90 年 に 個 人 を 対 象 に 聞 い た 所 有 率 で も 、 女 性 の 30 代 で 88.1% と 男 性 の
1 0 代 に つ い て 最 も 高 い こ と か ら も 、こ う し た 傾 向 が う か が え る 。こ の こ と は V
TR自体の所有が大きな性差を持っていることと合わせて興味深い。
しかしながら、こうした家族関係の影響はあくまで普及・所有において作用
していたものであり、実際の視聴行動は個人を中心に行なわれていると見られ
る。幼児の視聴に関しても、家庭にいる女性のVTR視聴の行為者率は一般に
低 く 、「 子 供 と 一 緒 に テ レ ビ を 見 て い る 」と い う 質 問 に 対 し て「 い つ も そ う し て
いる」という母親の割合は9%程度である。また、幼児が自分ひとりで再生す
る こ と も す で に 2 歳 で 2 7 % 、 6 歳 で は 6 9 % が 可 能 で あ り ( 白 石 [ 1 9 9 7 ] )、 幼 児
自身は見たい番組がなくてもテレビをつけるような「つきあい視聴」というも
のをほとんど行なわないことから、母親が家事にいそしんでいる間幼児が一人
で 好 き な 番 組 を ビ デ オ で ひ と り 見 て い る 、と い う パ タ ー ン が う か が え る 。ま た 、
普 及 率 で は す で に 90 年 代 に 入 っ て か ら 特 に 二 人 以 上 の 世 帯 普 及 率 が 頭 打 ち と
なっており、従来低かった女性の単身世帯だけで伸びていることから、今後は
個人的な利用を目的として普及する可能性も高い。
以 上 の よ う に 、 80 年 代 以 降 は そ れ ま で 「 家 庭 」 と い う も の を 成 立 さ せ て い た
さまざまな条件が大きな変容をむかえ、それにともなって家庭として行われて
い た テ レ ビ 視 聴 も 個 人 化 し て い く 傾 向 が 見 ら れ た 。し か し 、世 代 に よ っ て は「 家
庭」を単位とした視聴が行われており、それは「家族としての時間」の中で行
われていると考えられる。また、VTRの普及についても、世帯人数の増加や
幼 児 の 存 在 が 大 き く 、単 身 世 帯 で の 利 用 も 増 え て い る も の の 、特 に 8 0 年 代 に お
ける普及においては「家庭」というものが大きく影響していた。
3.現代における「家庭」の演出とメディア
▼
通信メディアの個人化
1 9 9 0 年 以 降 、家 庭 を 中 心 に 利 用 さ れ る 通 信 メ デ ィ ア に は 大 き な 動 き が 見 ら れ
た 。ま ず 、電 話 の コ ー ド レ ス 化 が 進 み 、94 年 で の コ ー ド レ ス 電 話 機 の 世 帯 普 及
率 は 3 1 % に 達 し て い る (『 総 務 庁 消 費 実 態 調 査 よ り 推 計 』)。 ま た 、 ポ ケ ッ ト ベ
ルと携帯電話が大きく加入者数を伸ばし、家庭内でも利用されることが珍しく
な く な っ た 。 フ ァ ク シ ミ リ も 90 年 代 後 半 に 伸 び を 見 せ 、 98 年 に は 世 帯 普 及 率
が 22.2% に な っ て い る 。
このことから、家庭にいながらそれぞれで家庭以外の他者とコミュニケーシ
ョンをとることが多くなり、その結果、家庭内の個人化がすすめられ、家族が
別 の 人 間 関 係 へ 拡 散 し て い っ て い る と い う 指 摘 も 見 ら れ る ( 奥 野 [ 1 9 9 6 ] な ど )。
しかしながら、実際の電話利用のデータから見ると、結婚を経過することで通
話 時 間 が 大 き く 減 少 す る 傾 向 が 見 ら れ( N T T サ ー ビ ス 開 発 本 部 編 [ 1 9 9 1 ] )、電
話利用の自体が家庭の環境の方から影響を受けている側面も指摘できる。家庭
と 電 話 と い う 関 係 で は 、女 性 に つ な が り が 強 く 、通 話 の 8 2 . 8 % が 自 宅 で 行 わ れ 、
また、特に専業主婦や有職の主婦は電話の発信回数が高くなっているが、男性
に関してはいずれも家庭での活動としては低くなっている。こうした傾向はこ
こ数年来大きな変化がなく、したがって、若い世代を中心に現在は電話が非常
によく利用されている一方で、その傾向が性別年齢を問わず拡大するかは不明
である。
ま た 、前 節 で み た よ う な 在 宅 時 間 の 減 少 な ど に よ り 、そ れ ぞ れ の 家 族 関 係 が 、
こうした通信でのバーチャルな関係によって代用されるという方向も見られる。
その日の用事を留守番電話で打ち合わせたりする「家族会議」を行なうなどの
日常的な利用のほか、単身赴任の家族と定期的な連絡を電話でとったり、それ
が 海 外 赴 任 の 場 合 は E - M a i l で や り と り す る 、な ど と い っ た こ と で あ る( ニ ッ セ
イ 基 礎 研 究 所 [ 1 9 9 4 ] ほ か )。こ の 他 に も 今 ま で 紙 の 形 式 で 行 な わ れ て い た「 家 族
新聞」という形態のコミュニケーションが、インターネットでホームページ化
されることにより、家族のコミュニケーションがさらにヨコのネットワーク化
をしていくという動きとしても見られている。これらは実際の件数としては少
なく、あくまでケーススタディとしてみられるものであり、ここではこうした
可能性を指摘するにとどめる。
▼
「家庭」の演出としての「年中行事」とメディア
現代における社会背景の変容に対する「家庭」の維持についてさらに見てみ
ると、従来の食事や団らんといった日常的な慣習の中での家族関係の確認に代
わって、より大きな時間的なスパンの中でイベント的に家族関係を確認すると
いう方向が見られている。それはいわゆる家族による「年中行事」というもの
として見られる。
全国からモニターを募集する形で行われた調査から、現代の家族によって行
わ れ て い る 年 中 行 事 の 実 施 率 は 表 2 − 1 の よ う に 表 さ れ る ( 井 上 ほ か [ 1 9 9 3 ] )。
これによると、現在でも家族によってさまざまな行事が行われていることが分
かるが、古い世代で多く、新しい世代で少ないという単純な関係にあるのでは
ない。確かに彼岸のような伝統行事ではそうした傾向も見られているが、夫婦
の行事と子供の行事に分けた上でそれぞれのライフステージにそって見ると、
バランスが世代によって変化していることがわかる。
その中から、ここでは旅行を例に見る。旅行は日帰りの行楽の場合など特に
実施率が高い行事の一つであり、また特に家族関係を前提とした行動ではない
た め 、他 の 関 係 と の 比 較 が で き る か ら で あ る 。図 2 − 10 は 、宿 泊 の 旅 行 の 同 行
者について時系列的な変化を見たものであるが、家族を同行する旅行の割合は
7 0 年 代 か ら 最 も 高 く 、8 0 年 代 に は や や 減 少 し た も の の 、近 年 に な っ て ま た 増 加
する傾向がみられる。それに対して、職場や学校などを単位とした旅行は年々
減 少 傾 向 に あ る 。日 帰 り の 行 楽 に つ い て は 、特 に 3 0 代 以 降 の 家 庭 を も つ 年 代 か
ら家族を同行する割合が非常に高くなる。多くの指摘にあるような家族の離散
化傾向とは逆に、こうしたイベントとしてはむしろ近年になって家族の比重が
高まっている傾向がうかがえる。
9 0 年 代 で は こ う し た イ ベ ン ト と し て の 家 族 関 係 に 関 わ る 形 で 、メ デ ィ ア が 普
及していると考えられる。特にそれを表しているのがビデオカメラの普及であ
る 。特 に 9 0 年 以 降 の 普 及 は め ざ ま し く 、そ れ 以 前 に 伸 び 悩 ん で い た 普 及 率 は 5
年 間 で 2 倍 に あ が り 、9 8 年 に は 3 5 % に 達 し て い る 。ま た 、普 及 を 世 帯 別 に 見 る
と 、V T R と 同 様 に や は り 世 帯 人 数 が 増 え る に し た が っ て 増 え( 図 2 − 1 1 )、ま
た 世 帯 主 が 30 代 で あ る 場 合 に 最 も 高 い 普 及 率 ( 61% ) を 見 せ て い る こ と か ら 、
特にその傾向は子供の有無によって大きく差が開いていると考えられる。
実 際 の ビ デ オ カ メ ラ の 利 用 に つ い て 聞 い た 調 査 ( 電 通 総 研 編 [1996]) に よ っ
て も 、購 入 目 的 と し て 特 に 割 合 が 高 い の は「 子 供 の 成 長 記 録 」と「 運 動 会 」で 、
こ う し た 目 的 は や は り 3 0 代 の 所 有 者 で 最 も 高 く 、続 い て「 旅 行 」が 広 い 年 齢 層
にわたって高い割合を占めている。ビデオカメラは日常的な使用頻度として見
ると生活行動時間としてはほとんど0に近いものであり、むしろこのような非
日常的な家族のイベントに利用されるメディアとして位置づけられていると考
え ら れ る 。同 じ 調 査 に よ る と 使 用 頻 度 は「 年 に 7 日 か ら 1 1 日 」と い う の が 3 4 . 8 %
で最も高く、週単位で利用しているものは5%に満たない。
し か し な が ら 、 ビ デ オ を 編 集 ・ 加 工 す る 人 の 割 合 は 25% 程 度 で 、 実 際 の ビ デ
オ視聴時間も前に見たように非常に低いことから、撮影された内容を見ること
自体はあまり意味を持っていないように思われる。むしろ、このような「ビデ
オ 撮 影 」と い う 一 種 の 共 同 作 業 を 通 じ て 、「 家 庭 」を 演 出 し 、家 族 関 係 を 確 認 す
るということ自体に意味があるのではないかと考えられる。これは単にビデオ
カメラの利用としてではなく、年中行事そのものが持つ意味としても指摘され
て い る 。 井 上 ほ か [1993]は こ う し た 見 方 を 「 家 族 劇 場 論 」 と 呼 ん で 、 そ の 要 件
として脚本、登場人物、演出家、舞台装置の四つを挙げているが、その舞台装
置の一つとしてビデオカメラが利用されており、むしろ現代の家族関係はそう
した形で非日常的に確認されることで成立しているのではないかと思われる。
この背景には、従来から日常的に見られた家庭での写真撮影があると考えら
れる。ヤコブスは家庭での写真撮影について、そのほとんどが一定したアング
ルとほぼ同じメンバー構成で撮影され、内容も年間を通じて繰り返されること
から、それが「家族をあらかじめイメージ化されたシンボルの体系に置く」も
の と し て の 役 割 を 持 つ こ と を 指 摘 す る( J a c o b s [ 1 9 8 6 ] )。年 中 行 事 は そ れ 自 体 が
問題であるというよりはシンボルとして意味をもつのであり、家族関係はそう
したシンボルとともに被写体として収まることで理解しやすいものになる。こ
うした一連の作業の中で家族は一定のイメージを持つものとして確認され、そ
のイメージがまた「家庭」を日常的な行動とは別の次元で作り上げることがで
きる。だからこそ、年に数回の機会であっても、いつでも再生可能なイメージ
としての「家庭」がそれぞれのメンバーを結び付けることができるのである。
▼
マルチメディアによるイメージの拡大
以上のように、家族関係の演出として現代における家庭でのメディアの位
置づけを見てきたわけであるが、そうした位置づけは、他のメディアにおいて
も展開していると考えられる。その一つが現代のマルチメディア化の担い手と
なっているワープロ・パソコンの利用である。
具体的な普及状況については他の章でも触れられているため、ここでは利用
実態を中心に見るが、まず指摘できるのが、家庭における位置づけとしてはワ
ープロ自体が現在までも普及の伸びを見せており、またパソコンの利用意向と
し て も ワ ー プ ロ が 上 位 を 占 め る な ど 、「 ワ ー プ ロ 」と い う 機 能 が 大 き な 意 味 を も
っている点である。また、ワープロの具体的な購入目的と用途では、年賀状な
どのハガキの文面作成・住所録・宛名書きというものが仕事関係の利用と並ん
で 高 い 割 合 を 見 せ て い る 。 中 村 [1996]も 指 摘 し て い る よ う に 、 ワ ー プ ロ が 家 庭
で利用されるようになった契機としての年賀状の意味は大きく、その背景には
「 家 庭 行 事 」 と し て の 意 味 が あ る 。 井 上 ほ か [1993]に よ る と 、 家 族 に よ る 共 同
作業として年賀状を作成することは版画や手書きの頃から見られ、現在は簡易
印刷機が主流になっているが、その流れの中でワープロの利用が組み込まれて
いったと考えられる。実際にワープロの日常的な利用を見ても、フルタイムの
層でも在宅率の高い時間ではほとんど利用されておらず、イベント的な利用の
意 味 は 大 き い と 思 わ れ る 。そ し て 年 賀 状 の 内 容 と し て も 、写 真 で「 家 族 の 肖 像 」
を載せることが非常に多いことは経験的にも明らかである。
こ の よ う な こ と か ら 、一 面 で は ワ ー プ ロ と い っ た 情 報 機 器 の 枠 を 超 え て 、「 家
庭」のイメージが展開する(投影する)場所としてこうしたメディアを考える
こ と も 可 能 で あ る 。イ ン タ ー ネ ッ ト に 関 し て は 、す で に ホ ー ム ペ ー ジ 上 で の「 家
族新聞」について見た通りであるが、より単純に家族の紹介であるとか、家族
の写真といった形でのホームページの内容として見た場合、それもまたかなり
普遍的なジャンルになっていることがうかがえる。こうしたメディアによる家
庭の演出は、家庭内での行事として完結しているのであれば、そのイメージの
共有は同じ家族に限定されるのであるが、このようなメディアによってより多
くの他者からのまなざしを得ることによって、より強いイメージになっている
ように思われる。また、マルチメディアとして、素材の写真からホームページ
の内容にいたるまで、共通に関わる対象が広がることは、家族のメンバー自身
のコミットメントを強めることになる。
4 . む す び に か え て :「 家 庭 化 」 す る 社 会
以 上 を ま と め て み る と 、戦 後 日 本 社 会 に お け る 家 庭 と 情 報 化 の 関 係 は 、「 前 近
代的なイエ制度からの解放→個人としての独立」という図式はもとより、家庭
が情報化によって単純に解体していった過程としてみることは難しく、むしろ
「家庭」というイメージを背景としたメディアの普及という形で情報化が常に
進行していった過程としてと見ることができるのではないだろうか。少なくと
も、統計の上では世帯の持つ力はそれぞれのメディアの普及において収入や景
気といったもの以上に非常に強い作用を持っていたことがわかった。それは、
現代において家庭が崩壊したという議論とはうらはらに、例えば女性が単身で
は所有する傾向が低かったVTRを、家庭を持つことによって所有するように
な る な ど 、「 家 庭 」は 現 実 的 な シ ス テ ム と し て は 今 も な お 、よ り 強 い 力 を 持 っ て
人々を情報化に向かわせていると見ることが出来る。
このことは、一面で「家庭」が非常に強いイデオロギーを持って人々を支配
していることを意味するかも知れない。シルバーストーンは現代の家庭につい
て、日々の生活におけるテレビやVTRといった情報テクノロジーの購入や利
用を通じて「家族」としてのアイデンティティを確認する過程があることを指
摘 し て い る ( S i l v e r s t o n e [ 1 9 9 6 ] )。 つ ま り 、 人 々 は テ ク ノ ロ ジ ー そ の も の を 消
費 す る の を 目 的 と し て い る の で は な く 、「 家 庭 」と し て 家 族 の 一 員 で あ る こ と を
確認するためにテクノロジーを消費しており、消費される(ものを作る)側か
ら見れば、その「家庭」のイメージに訴えることで消費を拡大することが期待
されるのである。さらにそうしたイメージの促進は、一方で性役割といったイ
デオロギーを拡大することになる。実際に日本の高度成長期において、急激に
消費が拡大したのは、女性が「家庭を守る」専業主婦としてひたすら家事にい
そしみ、消費を専門に行なう立場におかれたからであると指摘されることが多
い( 八 木 [ 1 9 9 7 ] )。一 方 で 女 性 が「 機 械 に 弱 い 」と い う イ メ ー ジ も 、そ う し た 構
造の中で女性がVTRといった特定のテクノロジーを専念して利用や操作をす
る 機 会 が 与 え ら れ な か っ た こ と に よ っ て 作 ら れ た と 考 え る こ と も で き る 。( そ
の一方でハイテク化していった電気釜や洗濯機が操作できることは「機械に強
い 」 こ と に は な ら な か っ た 。)
ただし、特に日本社会の場合、こうした家父長制的イデオロギーは表に立つ
こ と は 少 な く 、 む し ろ 家 族 的 「情 ( あ た た か さ ) 」の 部 分 と し て 、 戦 後 民 主 主 義
の「 平 等 」な 近 代 家 族 と い う 考 え と う ま く 両 立 し て い っ た と い う( 落 合 [ 1 9 9 7 ] )。
しかし、その「平等」はあくまで女性に画一的で限定的な日常生活行動を強い
ながら、それを束の間の「団らん」のひとときで覆い隠した上での「平等」で
あった。むしろ現在問題になりつつあると考えられるのは、こうした家庭のイ
メージの中で養われた「平等感覚」が、人間関係の多様で複雑な諸側面と、近
年の社会関係における複雑性が増加している事実について、それらを単純に均
質化して考えさせるように作用している点ではないだろうか。
しかしながら、こうした「家庭」のあり方を単にイデオロギーとしてとらえ
るのではなく、新たな人間関係を築くための一つの過程として積極的にとらえ
なおそうという「ファミリズム」の動きも見られており、現在の家族関係その
ものを一面的に批判することには問題がある。
むしろ今後必要なのは、単純なメディアによる家庭変容論ではなく、まず戦
後における「家庭」がどのように生きられていたのかを具体的な事例から明ら
かにすることにはじまり、それが具体的な側面としてどのように情報テクノロ
ジーに関わっていたのかを示すようなさらなるデータの収集と分析であること
を指摘しておきたい。
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