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東洋思想 - Fレックス LMS
東洋思想
第6回
後漢(2):後漢王朝の成立
課題フィードバック
1 なぜそれほどまでに讖緯を信じてしまうのか。
→当時は疑いようのない「常識」だったから。
「地球が丸い」と言っても、絶対に信じなかった時
代がある。
現代日本ならば、「民主主義」「自由平等」「人権思
想」などは疑いようのない「常識」。それを公然と否定
できるか?
1
課題フィードバック
2 「孝廉」などの徳目で人材を抜擢するという
が、それで本当に有能な人材が選べるのか
疑問。
確かにそのとおり。
しかし、当時の社会状況(ほとんどの民衆が文盲
で無学)で、広く優秀な人材を集めるために、どのよ
うな方法をとれば効果的かつ効率的にできるのか。
そう考えると、当時の社会を支配していた「儒教の
徳目」より適切な指標が見当たらないので、しかた
ない面がある。
【再掲】白虎観会議
建初4(79)
章帝の勅命により宮中の白虎観にて開催
目的(1):経典の異同とその解釈の統一
儒教の隆盛 → 今文・古文にわたる多数の学派発生
目的(2):建国以来流用してきた前代の諸制度を再確認
儒教の教義により権威付け …王莽色の除去
目的(3):古文学の長所の取り込み
古文の『春秋左氏伝』…君主権強化につながる解釈
→今文・古文の学者に議論させ、官学の今文学に
その長所を取り込ませる
2
【再掲】白虎観会議
建初4(79)
章帝の勅命により宮中の白虎観にて開催
会議の結論を上奏 →班固が編集
…『白虎通』
(『白虎通義』『白虎通徳論』)
解釈の根拠に緯書を盛んに利用
会議の結果
今文の公羊学派、絶対的優位に
仏教伝来
• 明帝伝説
『後漢書』卷88西域伝
「世に伝うらく、明帝 夢に金人の長大にして、頂に光明有るを見、
以て群臣に問う。
或るひと曰く:「西方に神有り、名を仏と曰う。其の形長 丈六尺に
して黄金色あり。」
帝 是において使を天竺に遣(つか)わして仏道の法を問わしめ、遂
に中国において形像を図画せり。」
明帝感夢求法伝説
史実かどうかは疑わしい
3
仏教伝来
4c
6c
前1c~後1c
前3c頃
前6c:仏教の発祥
仏教伝来
• 明帝伝説
『魏書』釋老志(6c半ば成立)
白馬寺建立伝説
『後漢書』と同様の記述の後….
(使の蔡愔と西域僧)白馬に経を負ひて至るを以て、
漢因りて白馬寺を洛城雍門の西に立てり。
洛陽の白馬寺
(伝68年建立)
史実としては「?」
4
仏教伝来
明帝の異母兄
• 最古の確実な記録
『後漢書』列伝32光武十王列傳・楚王英 「浮屠」
「英 少(わか)き時游侠を好み,賓客と交通す。 Buddhaの初期訳語
=「仏陀」
晩節に更に黄老を喜び,学びて浮屠の斎
戒祭祀を為す。」
明帝:「楚王は黄老の微言を好み、浮屠の
仁祠を尚(たっと)んで、3ヶ月の潔斎をして、
神と誓いをしたという。どうして罪の嫌疑が
あろうか。贖罪のために献上された品(絹)
は返却するので,伊蒲塞や桑門への布施
にせよ。」
「伊蒲塞」=「優婆塞」
…在家の仏教信者
「桑門」=「沙門」
…僧侶
仏教伝来
『後漢書』卷30下 襄楷伝 (桓帝代:146~167)
「又た聞くらく、宮中に黄老、浮屠の祠を立つと。此の道は清虚
にして,無爲を貴尚し,生を好みて殺を悪(にく)み,慾を省きて奢
を去る。
…或ひと言へらく、『老子夷狄に入りて浮屠と為れり』と。」
・「浮屠」は「黄老」と同列に扱われ祀られる神
・仏の性質を黄老神(老子?)とほぼ同一視
・仏を老子の化身と見なす説の存在
け こ
老子化胡説
西方から伝来した異民族の一神格として受容する段階
5
仏教伝来
江蘇省孔望山石刻
(後漢代の仏教遺跡)
老子像(道教)
仏 像
陝西省紅石峽の三教殿
孔子・釈迦・老子が並ぶ
6
後漢の西域経営
後漢の西域経営
トウ
• 外戚竇氏と匈奴討伐
• 竇皇太后…章帝の皇后、和帝の母
賢母の馬皇太后(明帝の皇后)死後、一族隆盛を画策
• 竇憲…竇皇太后の兄
権力闘争による陰謀画策するも露見
死刑を恐れて匈奴討伐を志願
予想外の大勝利!
外戚竇氏、国政を壟断
和帝、宦官鄭衆に協力を仰ぐ
⇒ 竇一族排除に成功
「内外分離」が奏功
謹厳実直な人柄
大功を誇らず→更なる信頼
宦官勢力の台頭
7
8
後漢の西域経営
甘英
高句麗
羌
長安
洛陽
周辺勢力の伸長
鮮 卑
9
班固(32-92)
• 字は孟堅
• 西域都護の班超は彼の弟
• 『漢書』全100卷
父班彪の後を継ぎ、前漢王朝の
歴史を記述。志の部分は妹の班昭
が補い、完成。
公羊学派の流れに属す
→内容に一部創作や願望混入
• 『白虎通』
• 「両都賦」等の作品:『文選』収録
王充(27-100?)
• 字は仲任
• 若くして班彪(班固・班超の父)に師事
• 地方行政の下級官吏となるも出世せず
→ 30才には官界を引退、故郷で教育と著述に従事
• 著書『論衡』
• 世界観 …王充の思想の基盤
「 気 」の思想
人に賞罰を与える超越者
人の活動との相互影響
などを強く否定
• 万物は「気」で構成される
• 「気」の運動は目的をもたぬ「自然」のもの
→万物は「自然」の働きによって存在・運動
10
王充の思想
• 迷信批判
• 天人感応説批判
• 陰陽五行理論を駆使した人の善悪と
自然現象との関連を一切否定
• 経書等に見える奇瑞譚への厳しい批判
奇異な現象を都合良く解釈し歴史の教訓にする経典や緯
書の教えに対し、矛盾を指摘
• 鬼神信仰批判
人が死後に「鬼神」と化すという「常識」の否定
• 孔子絶対視への批判
讖緯思想により極端に神聖視された孔子像の否定
王充の鬼神信仰批判(『論衡』論死篇より)
• 世間の信仰
• 人が死ぬと鬼になる
• 鬼は人の姿をしていて、知能を備える
• 鬼は時に人に語りかけ、危害を加える
• 反駁(1)
人が生きていられるのは、精気があるため
精気の拠り所は血管 …死ねば血管はが涸れて破れる
→精気消滅 →肉体は腐り、灰や土に ⇒ 鬼になどなれない
死して精氣が散ずるのは、袋に穴があき中身がこぼれるよう
なもの
→ 中身がこぼれたものが、元の形態を保つわけがない
11
王充の鬼神信仰批判(『論衡』論死篇より)
• 反駁(2)
• 天地開闢以来、今までに人はたくさん死んでいる
→人が死して鬼となるならば、その数は膨大
⇒道を歩けばそこら中に鬼がいるはず
• 反駁(3)
• 鬼がいたとして、それが死者の精神ならば…
衣服に精神はない。肉体と一緒に朽ちて消えるはず
⇒ 現れた鬼は裸でないとおかしい
王充の鬼神信仰批判(『論衡』論死篇より)
• 反駁(4)
• 人に知能があるのは、身に五常の気を宿すため
五常の気は五臓に宿る
五臓が朽ちてなくなれば、五常の気も散じてしまう
⇒ 鬼が死者の精神ならば、鬼に知能は備わらない
• 反駁(5)
• 言葉を発するためには口が必要。人に危害を加えるために
は爪や牙が必要。
• 鬼が死者の精神ならば、肉体がない=口や爪・牙はない。
⇒ 鬼がどうやって喋り、人を傷つけることができようか
12
王充の思想
• その他の思想
• 命定論
この世界=「気」の自然なる運動の産物
→ 人が関与・操作できない
=「天」の領域
人の幸不幸・寿命の長短
も「天」の領分
命定論と王充
※ 前期「研究の世界」発表資料より
命:人の行為の関与しえぬ領域
寿命
禄命
出生時の
「気」の厚薄
により定まる
必然の「命」
(貴賤貧富)
「時」のめぐ
り合わせ
偶然の「命」
無関係
その現れ方に
身を委ねる
しかない
無関係
性:人の善悪、能力、気質
教育・修練の有無・程度により結果が変化
人の主体性を
発揮すべし
人の行為の関与し得る領域
13
王充の思想
• その他の思想
• 命定論
「強弱寿夭の命」
「気」の厚薄
人が生まれた段階で
受けた制限
「正数」
現実世界
人の本来の
寿命
人の寿命は
まちまち
100歳
「所当触値の命」
「国命」(個人の命に優先)
「和気(聖人)の有無」など
生まれてから出会う外部要因
王充の思想
• その他の思想
• 頌漢論
• 漢王朝の正当性を主張
• その手段として「瑞祥」を利用
めでたい徴(しるし)
天人相関説や讖緯を否定する態度との齟齬
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王充の歴史的意義と評価
• 旺盛な批判精神
• 合理的態度に基づく「迷信」批判
…儒教そのものの批判にはあらず
• 「迷信」への激しい反発
…当時、儒教が神秘的思想を取り込んで神秘
化し、世の中に多大な影響を与えていたこと
の裏返し
王充の歴史的意義と評価
• 後世への影響
• 生前はもちろん、後漢代には注目されず
• 後世(六朝以降)、好事家に珍重される
• あくまでも儒家の傍流的扱い
現代中国
「合理主義的思想家」・「古代の唯物論的思想家」
として称揚、注目を浴びる
15
洛陽
會稽上虞
(現浙江省紹興市)
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