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第65号
率 θ◆ 傘 捧 鋳 率 苦 しみ に つ いて 一 … 一 博 藤 後 今 夏 も京教 セ ンタ ー奉 仕 、 者 学生 シオ ン会 と命 名 ︵ 、 ∽旨 ≡を 並 べ変 え て 摯 一 〓 、 と し た︺ の研修 会 を 六 甲 。 セミ ナ ー ハウ スで一 打 った 、 各 自 の問白 を 発表 そ の時 し あ って いる のを あ る種 の 。 感 動 を も って聞 いた や や も す れば今 時 の学生 は⋮、 こ の頃 の若 い者 は⋮、 と思 、 いが ち であ るが 若 い時 の 、 苦 し み 葛藤 は時 代 を越 え 、 て い つの時 代 も 同 じ も の があ る のだな と の思 いを強 、 ﹁私 と宗教 ﹂ の テ ー マが多 く話 さ れ たが 親 の価値 、 、 観 と の葛 藤 挫 折 を乗 り越 え る心 の遍 確 本満 を感 謝 、 へと転 換 し う る意 識 の変 化 等 々 熟 々と は え る発表 を 、 。 聞 い て いて は るか 四〇年 吉 の学生時代を思 いだした t 吉 本時 代 は第 イ が思 う ほど明 るく バ ラ色 に輝 くも の 。 、 ば か り ではな い あ る学生 が表 現 し た よ う に 古 年期 は ﹁ト ンネ ルの巾 に いる﹂ ような も のかも し れな い。 、 いま ま での向 分 を くず し 新 し い自分 を つく る時 期 に 、 。 あ た り 親 と の葛 藤 は避 け ら れ な いだ ろう ま た人 仁 、 。 経 験 の不足 か ら 失 敗 の経 験 も多 いだ ろう も とも と人 出 十在 と市 し み は切 り離 す こと の てきな 、 、 いも のと し て い つの時 代 でも ど このN にお いても、 。 人 々は持 し み の卜 に喘 ぎ な か ら■ き てき ま し た 一■ 、 怠 ま れ て いるよ う に見 え る本 学 の学生 も そ の心 の中 、 、 には それ ぞ れ人 には声 えな い問 題 を抱 え 占 し ん で 、 。 いると思 わ れ ます でき れは そ こか ら中 く抜 け出 し 。 、 た いと思 う でし ょう 感 覚 的 に不愉 快 だ し 何 の律 に くし た。 L 1994年 10月20日 発行 ニ ュー ス チ ャペル ・ 11)第 65号 松蔭女子■ 院大学 松蔭女 十学院短期大学 宗教 セ ンター 町 神Fi市灘区篠原1印母野t」 1 - 2 - 1 1994年10)j20日発行 も な らな いと 思 う でし ょう。 し か し、 これ は、人 を自 。 己自 身 に日 覚 め さ せ る契 機 にな ると思 います 順調 な毎 日 の生 活 の流 れを せき と め る障 音 にぶ つか り、 そ れを何 と か避 け よう と し ても、 ど う にも 避 け る こと が でき な いと わか った時 、 ま と も にぶ つか る ほか 。 、 な い でし ょう 単 に外 か ら来 る障害 は避 け え ても 内 。 両 的 な障 害 は簡 単 に避 けら れ な いと思 います それを こ ころ の葛藤 、 キ し みと し て、 自 分 の問 題 と し て受 け と め るとき、 自 己 をH 党 ませ、 白 亡白 身 にセ ち返 る こ と が でき る の です。 、 、 、 ■ 年期 は 一般 に内 向 的 な時 期 であ り 葛藤 古 し 。 、 みを 感 じ やす い時 期 と いえま す こ の時 に 自 こ の実 、 々 に日 貨 め る契機 と し て 苦 し みや葛藤 を マイ ナ スと う け とら な い で、 目 を開 い てそ の問 題 を引 き受 け る こ と によ って、 今 ま で のあ り か たか ら飛 躍 を な しと げ る こと が でき る の です。 か く し て、 単 な る自 然 的 ■物 の 、 、 段陪 を越 え て 本当 の意 味 で か け が え のな い白 芭自 。 身 にな る こと が でき ると いえ る でし ょう 、 ネ 敦 の問題 に関 与 し う る のは このよ うな 飛躍 を な し遂 げ た たま し い にお い てな さ れ ると思 いま す。 こ の 、 、 よ う に 青 年 期 にキ し み 葛 藤 を経 験 す る こと は、 貞 、 の内 こ に飛 躍 を な し遂 げ る契 機 であ り 神 か ら与 え ら れ た慧 み の試 練 と感 謝 し ても い い の ではな い てし ょう 。 か 、 わ た し のr よ 卜 の訓線 を軽 ん し ては いけ な い。 卜 に貢 め ら れ る とき 、弱 り栄 て てはな ら な い。 卜 は安 す るイ を 訓 練 し、 、 受 け いれ るす べて のr を 。 む ち打 たれ る の であ る ︵ヘブ ル人 への手 紙 十 二〓 五∼ 六師 ︶ 第65号 陀 ) チ ャベ ル ・ニ ュー ス 1994年10月20日発行 銀 河 ヨンクの大聖堂 清 私 が , マネ スク 彫刻 の焼高 傑 作 の 、 一つであ る ョン ク のタ ンパ ン ︵ 即 堂 尿口上 部半 円形 部 分 ︾ の浮 き彫 り 彫刻 の図 版 を初 め 囲 ま れ た そ の降 地 に立 つ聖 ︼ 前 の広 場 は こじ 、 、 んま りと し て い て 一番 瑞 っこ に立 っても 。 型せ を見 上 げ な け れば な らな か った r度 そ 、 、 の場 所 に 腰 を下 ろす のに打 って つけな石 が 。 注文 し た よ う に一 つ置 か れ て いた 私 たち は リ ュ ックを下 ろし て腰 か け た。 ほか の人 も こ こ に腰 を下 ろす のだ ろ う、 タ ンバ ンを見 る の 。 にr度 い い場 所 であ る モ ツク コー ム の図 版 、 で見 た あ の ﹁最後 の客判 ﹂ の タ ンバ ンがH 。 前 にあ った 私 は放 心 し た よう に見 つめ てい 。 た あ の大 学 院 の時 代 か らど れ だ け の歳 月 が 。 刷のタ ンパ ンには微 か 流 れ た こと だ ろ う ロ エ 、 にブ ルー の 色 のあ と が残 り そ の主 題 にも 彩 、 し 優 さ に満 ち て いる よ う に思 わ か か わ らず ヨンクのタ ン′(ン 子 芳 水 る 辿 を て寛 た のは い つの 頃だ っただろうか■ 、 多 分 大 ≡ 院 の学 t の頃 であ ったと 。 思 う それ は町 和 二十 年 代 の初 め の こと であ るが、 そ 。 の当 時 はま だま だ外 国 が遠 い時 代 であ った ヴ ェズ レー のタ ンバ ンや モ ワサ ック のタ ンパ ン、 そ の他 の多 く の”世 型堂 の時 高 を飾 る浮 き彫 り彫刻 や柱 頭彫 刻 の名 品 を、 モ ノク ロー 。 ムの図版 で見 た のも そ の頃 の こと であ ろう 、 石 造 の聖 堂 を 飾 る彫刻 それ も と く に , マネ スク の時 代 のも のは、 空 間 の祐 部 位 が象徴 的 、 意 味 を も つ建物 に支配 され 建物と 一体 にな っ 、 て いると いう のだ が 雪 草 な るも のを 実際 に 一度 も 日 の当 た り にし た こと のな い者 にと っ 、 て ロ マ ネスク彫刻 特 有 の素朴 な美 し さ や奇 、 に な魅 力 と いたも のが伝 わ ってきたとし ても 、 建 物 全体 に つい て のイ メ ージ に欠 け い つも 。 ピ ンと こな い隔 靴 の が残 った 感 抵 時 コ ンタ の聖 フォ ワ聖 堂 ︵ 十 二世 紀 ︶ に背 後 、 か ら近 づ いた私 たち は 建 物 正 面 に回 る ため ︱ 、 。 に広 場 に でた 広場 と い っても 山 ま た︱ ︱に ― コンポステラヘの道 (27)一 。 、 、 れ た そし て 折 りか ら の西 日が聖■ に映 え 、 双塔 が大 に向 か って伸 び る フ ァサ ー ドは ま 。 金 色 に瞬 い て いる よ う に寛 え た 心 のほ か ら 、 よ つふ つと 湧 き, り全身 を漠し てゆく歓 び に 、 私 はしば し自 分 を ゆ だ ねな がら 常 に不安 と 危 険 にさ ら され な が ら歩 き続 け た中 世 の巡 礼 、 たち には こ のタ ンバ ンはど のよ つに比 え た 、 。 のだ ろう と いう思 いがかすめ る 隣 に掘 わ っ 。 て いる Qも や は リユ 川方 を じ っと見 つめ ていた 以 前 に列 車 と バ スを乗 り継 い でこ こ にき た こ 、 と のあ る彼 女 が ﹁巡礼 道 教 会 は ほ ん のわ ず 、 か な距離 でも いいか ら 歩 い て アブ コーチす 、 。 べき です ね﹂ と ぼ つりと い った 奥 深 い山 間 にあ る コンクはも と もと 官的 な 、 地 と し てそ の起 源 は古 いが 修 道 院 が本格 的 。 に組 織 さ れ る のは九 世 紀 の初め のこと であ る コンポ ステ ラ ヘの巡 礼 道教 会 と し て、 ま れ に 、 み る策 栄 を 遂 げ る のだ が そ の時 期 は巡礼 の 。 、 最盛 期 と章な る す でにそれ以前 から アジ ャ 、 ンと いう と ころか ら ﹁ 聖 な る盗 み﹂ によ って そ の聖 造 骨 が移 され た ︵ 八六 五 年 な いし八 六 、 六年 ︶ 聖 フ ォ ワの信 仰 の地 と し て巡 礼 者 を 、 集 め ていた こと が そ の後 の繁 栄 を も た らす こと にな った。 聖 フ ォワはわ ず か十 二歳 た ら 、 ず で殉 教 し たと 伝 え ら れ て いる が タ ンパ ン にはを し出 さ れ た ﹁神 の手 ﹂ に ひれ伏 し て合 、 掌 し て新 る つ つま し やか な少 女 の姿 か刻 み 。 込 ま れ ている 、 私 たち は夕 食 を す ま せ てか ら 聖堂 に隣 接 。 す る回郎 跡 に い った や わら か い光 に照 ら し ︱ 、 出 され た聖 堂 と 回廊 は 黒 々と迫 る︱ ︲を背 に 。 浮 か び上 が つて いる よう に見 え る 聖 堂 と\ 雷 に出会 ったり、道を取 り違 えたりし こ た と の旅 が実 は終 わり ではなく、 まり 始 であると は思 っても みなか った。 ” ” 拡ル 々 慈凝ぴや ” 和貿実 棄 話 謂評 洵推忙雅嬢 ◎5 ︵ 美姉︵ 短大家政学科 7 朝鞠約と粒時 8 柳弛姉 子姉短杢 挙 謂 期改 隷鏑 鍵 森 子々 短褒 挙 科 謂 朝 双 辞 仁聴 ◎ 姉︵ 大実 洵櫛 時 磁 り 雅 6 ◎ ︲ 姉︵ 短大生活科 3 坤脚9 的転一ド 軸 舶彩嬢娩 ︶ 嬬 翁変文字科 謂郭 約発 醸櫛町 質 謂 鞘改 が期 筋 李 棄挙 ぁ っ っ 拘 杉 軸 韓 駒 確 3 兜 “ がつ 焼 ◎ 醜 射 吐 ︵ 噺 ↑ 幾 回 殉 廊 ︵ 大 学 実文 2 、 っ ﹁ 柳 岸 軸 9 約 卒 t 軸 慾 順 軸 緩 輸 米 テ ラ ヘ の た 私 ら た ウス ち 味 脇 拘 膝 争 ︺ 駒 傑 噴 和 一 ﹁ 舶 じ 巾 中 一 予 巾 れ 鞠 ” の 率 的 ] な 巾 中 巾 降 ネ れ 評 鞠 鞘品陥躙播鉄製対 7 ◎ ︵ 姉︵ 短 大 英 文 学 科 7 制 3 鞠と 澄 ほと んど人と出合ない道中をよくここ ま でや つ てこられたと思 う。感謝 の他 はな い。 き る こと が な か った。 そ のと き はま だ、今 回 ヨンク の空 ウ オワ理堂 9 軸約と 印 姓岸嗽 誌胞 5 ◎2 ︵ 伊 姉︵ 大 学 英 米 文 8 約 鞠 軸 , 3 卒 一 仰 勅輛 町 上 子 堕 轄 牌評 謂期没 部 確取 子 姉翁杢 挙 謂 親改 評撃 蕗 ◎6 ︵ 佐 姉︵ 大学国 文学科 0 騨麹期 o さ し 結 婚 ま れ た お k “ 駒 安 め 的 韓 中 悲 ” ︵ 父 謂 郷神 辞鄭雑嚇 箕交 学 用 栄貿実 葉 馬 胡期 約鶏様 浩姉 美貿大 輔軸 被 響雑薄 変 静 鞠韓 品雄響 抑 迪 ル ウ 拘 弛 的 轍 聴 碇 々 な 利 叩 蜘 駒 朝 時 “ 蜘 5 ◎ ︵ 子 0 姉 ︵ 短 大 取 飾 学 科 ◎ ︲ ︵ 子 7 姉︵ 短 大飾 学 と 鞠 鞠 科 8 洵 純 村 般 勢 卵 5 朝約 と 前 射 難 軸 昨 服 5 ◎ ︵ 言 姉︵ 短家 政 学 科 0抱 5 と 的 8 物 約 ド 約 犠 削 聯 大 . Q ﹃ 旅 の 中 ﹁ 浄 r 帥 中 キ , 一 中 的 争 ︻ 中 中 + ﹁ 1994年10月20日発行 チ ャペル ・ニ ュ ー ス (3)第 65号 八 月 二十 九 日から九 月 十 六 日ま での約 二 週 、 間 私 は桃 山 学院 大 学 の主 催 す る イ ンドネ シ 。 ア ・ワークキ ャ ンプ に参 加 し た 今 回 で第 九 、 回目 にな る このキ ャンブ の持 つ主 な目 的 は 。 ﹁アジ アの人 々の協 勧 から学 ぶ﹂ こと であ る 、 、 私 達 キ ャンパーは 全 日 程 のうち の十 日間 バリ島 北 丙部 に位置するブリンピンサリ村 にホー 、 ムステイしながら ムラヤと いう所 ヘワーク に 。 出 掛 けると いう 日 々を 過 ご した 短 い期 間 で 、 はあ ったが その中 で多 く の人 々と の素 晴 らし 、 い山 会 いがあり バリは私 にと って第 二の故 郷 。 の様 な々と一にな った 、 ホームステイ中 の生 活 は 極 め て規 則 正 し 。 いも のだ った 毎 朝 六時 一 削にはけたたまし い臨 、 、 の鳴 き声 で起床 七 時 か ら ア スラ マで朝 食 、 その後 トラ ックでムラヤ ヘ移 動 し 八時 半 から 、 午 後 五時 ま で ワークを し 村 へ帰 って来 て午 、 後 七 時 から アスラ マで夕食 そし て遅 くとも十 。 二時 には就 寝す る毎 日だ った 、 アる クマと い つのは 学校 に付 随 する寮 の様 。 なも のである 家 から学校 が遠 く て遠えな いヤ 、 供 や 時 には家 の経 済 的 理 由 から そ こに預 け られ ている子供 が 、 細 充を 離 れ て共 同 ■ 活 を 。 、 、 し、 そ こ ら に っ いる 私 達 は 朝 か て 学 校 通 、 一 はムラヤのそれぞ γ食はブ リ ンピ ンサリ 昼食一 。 れ のアスラ マでいただ いた 、 、 私 達 は 計 七 口間 ムラヤ の アスラ マで子 。 供達 と 一緒 に ワークを し た 青 々 の下 働 いて 。 、 流す汗 ほ爽 快 であ った 作 業 内 容 は 主 に宿 、 舎 の裏 側 の崖 を成 す ことと 庭 の凸 凹 をな ら 。 す ことだ った アスラ マには機 械 など 一切 な い 、 、 ので 数 人 が鍬 で上 を 崩 し それを 鉄 板 に の 、 。 せ 人 間 の手 から子べ とリレーさせて運 ぶ ワー クと休憩 をそれぞれ二十 分 交 互 に繰 り返す ペー スで作業 は進められた。 このベー スは 一覚楽 そ うだが、 休 憩 とは実 は名ばかり であ った。 と い う のも休 憩 時 間 にな ると 子 供 達 にわ っと 取 り 。 、 囲まれるから である 炎 天 の下 ワークも中 同 を過ぎると体 力 的 にかなりき ついと きも あ った i す一 姦 す f F 、 、 が この子 供と の交 流 の時 間が キ ャンパーの 。 一番 の楽 しみ であ った バリ鳥 内 では, 位 にランクされると いう ムラ 、 ヤのアスラ マも 日本人 としての目から見 ると 、 やはり どうお世 辞を言 っても十 分 な設備 であ るとは言 い難 い所 だ った。 親 元 か らも離 れ、 ムラヤの子供たちと共 に 第65号 “ ) ニ ュー ス チ ャベル ・ 1994年10月20日発行 、 寂 し いに連 いな いだろう に ア各 フマの子 供 達 、 は 本当 に元気 でたくまして、 そして心優しか っ 。 た そんな子 供達 と 日 に日 に仲良 くなれること 。 が嬉 しか った 特 に近 く の海 へ遊 び に行 って海 、 岸 沿 いを首 と手 を つな いで散 歩 したことが 思 。 、 い出 される 言 葉 は少 し ても 私 達 は心 から 。 通 じ合 え ていた ワークで疲 れ てプ リ ンピ ンサリ 全戻ると、 い 。 つも家族 が温 かく 迎 え てくれ た 毎 日熱 い紅 茶 と手 作 り のお菓 子を用意 し てくれたイブ ︵お 、 、 母 さん︶ 夜 帰 りが遅くな った私 を 眠 そうな 、 お父 さん︶ 顔 で起 き て待 っていてくれた本パ ︵ 、 食事を 作 って下 さ った アスラ マのイブ達一 ア ス ラ マの子 供 達、 村 中 の人 々が、 私 達 を 家 族 の 。 一員 とし て迎 え入 れ てくれた 、 そんな風 に バリの人 々 の安 情 にど っぶりと 、 浸 かり込 ん でいた私 にと って 彼 らと の別 れ は 。 、 大 変 辛 いも のであ った と同 時 に なかなか別 。 、 、 れを実 感 できなか った なぜなら 私 の中 で 、 村 の家族 の 一員 と し て毎 日を 過 ごす ことが あまり にも ﹁当 然な こと﹂ にな っていたから で 。 、 、 ある しかし い つも は実 顔 の子 供 達 が 日 を涙 でい っば いにし て近づ いて来 る のを見た氏 、 。 ﹁ああ もうお別れな のだ﹂ と全 身 で感 じた 涙 が堰 を切ち たようにあとからあとから流一 れ名 ワークキ ャンブは終 わ ったが、 私 達 の友 好 は これからが本当 の始ま りである。 協 働 から学 ん 、 。 だも のは 何 であ った のか隷を するとき だ パ リに ついても っと学 び、日本 についても っと知 っ 、 てもら い 更 な る相 互 理 解 を開 指 した い。 そ し てい つの日か、 バリの家 族 が住 む故 郷 へと必 らず帰 りたいと思 う。 犀藁 ぺ 誼 私 が今 回 この研修 に参 加 した最 大 の理由 は 、 フラ ンスと いう国を生 で感 じ てみた いと 思 って 夕である。 もち ろん、 の フラ ンス を いたか, 生 語 。 回 学 ん でみた いと いう気 持 ちもあ った 一と 一 、 ■ の時 に 第 二外 国 語 と し て フラ ンス語 を 学 、 んだが その時 は大 し て興 味 を持 たず力を入 れ 、 てやらなか った私 であるが せ っかく フラ ンス 語を学 べる機 会 があ った のだから このま ま終 わ 、 らせ てしまう のはも ったいな いと思 い直 し 二 。 回生 からは力 を入れ てやり直 し始めた 現地 に行 ってそ こでそ の言 語 を 学 ぶ のが語 、 学 修 得 の最 良 の方 法 と 言 わ れ て いるが ま さ 。 にその通 り であると思 う 語 学能力 はさておま、 私 のよう に大 し てフラ ンス語 の話 せな いよう な 、 者 でも 現 地 で学 ぶこと により自 分 の フランス 、 勉 強 意 歓をま 研体の学生 とモ ンベ リエの先生がた げ た人 々 の 汗 と涙 と 思 いが ひ し ひ し と伝 わ っ 。 てき た や でも 一番 印 象 に残 って 、 いる のは こ の町 が 宗 エグ ・モ ル ト の訪 間 で 。 ある 中■ネ 教 戦 争 に巻 き 込 まれ た 、 一 時 エグ ・ ンスタ ン ス モ ルト の コ 、 槽 は カトリ ック の修 道 女 を監 禁 す る場 所 と 。 な った 彼 女 たちはカトリ ックの信 仰 を プ ロテ 。 スタ ント ヘとな一 えるま で監 祭 された 糟妬呂︺・ 、 肉 体 的 音痛 のため に 信 仰 を変 える者 も いた 、 8 間自 の が マリー・デ ≡ラ ンと いう女性 は3 年 分 。 、 信 抑を変 えることなく監 禁 された この槽 は 、 0 壁 が非 常 に厚 く6 mも あ り 高 さ 4 mで容 易 。 に逃げ出す事 はできな い 冬 はと ても冷 え込 み 、 、 そう で 私 が ここを生 で見た時 マリー ・デ ュ ラ ンの信 仰 の深 さ、 忍 耐力 に感 動 させら れた。 。 それは想 像を絶す るも のであ った に違 いな い 、 授 業 は 一日 3時 間 で 先生 は実 い声 が特 徴 的 な フラ ンス人 の女 性 で私 たち にと ても親 切 に 。 、 教 え て下 さ った 毎 日宿 題 があ り と ても大 、 、 変 だ ったが 今 思 えば も っとし っか りや る べ きだ ったと反省 し ている。 授 業中 はい つでも、 街 に出 て現地 の人 と話 す 機 会 が持 てた時 は い 、 。 つても 自 分 の話学 力 を悔 やみました も っと 、 比Sが 流 暢 に話 せたら せめ ても っと く〓 やす●︼ あればどんな に楽 しいだろう⋮と何 度 思 った こ とか。 、 、 滞 在 法 は ヨンドミ ニアムのホテルで 私 は 3人 部 屋 で生活 をした。 食 事も自分 たちでスー 、 。 パーで材 料 を買 い 部 座 で作 った りし た 幸 、 か不幸 か 私 たち の部 目 には T Vが無 か った 、 、 ので 私 は毎 晩 友達 と 宿 題 をし た り 夜 遅 く 。 ま でトラ ンプをしたり喋 ったりだ った 普 段 は 言 えな い事を 話 したりと、 と ても有 意 義な楽 し 、 い時 間が過ごせ ま た交 流 を 一段 と 深 め る事 も出 来 て良 か った。 、 今 回 の研修 を通 し て 私 は今 ま で以 上 に フ ランス語 を勉 強 し ていきたいと思 うし、 自 分 の やりたい事を 残 り 一年 半 の学 生 生 活 で協 いの 。 残 らな いよう にやりた いと思 う 語 学を 学 ぶ の 、 は大 変 だけれど その分楽 し い事も い っぱ いあ 。 る 新 し い事 に挑 戦 す る事 は勇 気 のいる事 で 、 はあるけれど その後 には今 ま で以上 の喜 び が 。 待 っているのではな いだろうか フ ラ ッショ エ ー ス ソフト テ ニス部 ◎ 西 日本大学対抗 ソ フトテ ニス選子権大会 8、 2 9日、篤水県民総合運動 公園 コー 7月 2 トで開催。 準決勝 ○松蔭 3 11天 理大学 ヽ 、 .___,′デ 語 が いか に乏 し いかを 痛 感 し 。 すます燃 やす事 が できた 私 たちが勉 強 した モ ンペリ エ大 学 のあ る モ ン 、 ペリ エ市 は 街 の雰 囲気 がと ても のんび りし て 、 いて 歴 史 的 建 造 物 が多 く存 在 し ているきれ 、 。 いな町 である 私 たち の滞 在 したホテルは 町 、 の中 心 地 から離 れ ていたけれど バスを使 って 、 そこま で出 かける ことが出 来 と ても活 気 のあ 。 る場 所 で8 8 に入 りた い気 にな る 研 修 中 に 、 幾 度 か近 郊を 訪 間 した が そ の度 にそ の歴 史 、 。 の深 さ 凄 修 さ に心 を 打 た れた 当 時 の町 の 、 、 成 壁 など は 今 でもそのまま残 され ていて そ 、 2 高さ ・厚 さは言 うま でもなく それを築き上 …‐ ヽ 、 r… 1994年10月20日発行 ニ ュー ス チ ャペル ・ 65号 6)第 第65号 (6) チ ャペ ル ・ニ ュー ス 1994年10月20日発行 ︵フラ ッシ ュニ ュー ス5 ページ よ り続 く︶ 決 勝 〇松 蔭 3 10関 西外 国語 大 学 。 4 松 蔭 は 3年 連 続 1度 日 の優 勝 と な った ◎ 西 日本 学生 ソ フト テ 一ス選 手 権大 会 。 0、 9 日、 7月 2 開 催地 は右 に同 じ 2 2位 鈴木 ・山 根 組 ベ スト4 一 吊原 ・上 回組 な お優 勝 は天 理大 の回村 ・西 尾 組 ◎ 西 日本 学 , ン フト テ 一スシ ング ル ス選手 権 8 日、 9 日、 7月 2 開 催地 同右 2 準決勝 〇高原 ︵ 松 蔭 ︶4 10武 本 ︵ 松蔭︶ 決 勝 O松下 ︵ 松 蔭 ﹀4 11宇 治 ︵ 松蔭︶ 〇松 下 美 和 4 10高 原 朋子 。 な お松 蔭 は ベ スト8ま で独 占 し た ◎ 全 日本 大学 対 抗 ソ フト テ ニス選手 権 大 会 8月 8日と9 日、子 葉県長生型 りi町 サ ニー 。 テ 一ス コート で開 催 革決 勝 松蔭 3 12 日本 体 育 大学 決 勝 決 勝 ○ 高 原 ・上 回 5 1 1 田 村 ・西 尾 ︵ 天 理大 ︶ 。 松 下 ・涙 実 組 は ベ ス 高 原 ・上 回 組 は 優 勝 ト 4 と な った 。 ◎全 日本 学生 ソフトテ ニスシ ング ルス選手権 大会 3日同じ会場 で開催 8月 1 準決勝 O松下美和 ︵ 松蔭︶4 10鈴木佳恵 ︵ 松蔭 ︶ 決 勝 O松下美和 4 11寺村本 子︵日本体育大学︶ 。 。 松ド美和 は優勝 鈴木と恵 は ベ スト4 一 〓 ¨ス部 ◎全 日本学生 テ ニス選手権大会 ダブ ル ス準決勝 ︵ 松蔭︶0 12 ︵ 専修大学︶○ 訓諭 蘇翔 。 川崎綾 子 ・兼森妙 子組 は ベスト4 なお優 。 勝 は木村 ・藤井組 であ った なぎなた部 O松蔭 2 11国際武道大学 。 松蔭 は3年連続 3度目 の優勝を飾 った 演技 の部 準決勝 ◎全 日本学生 なぎなた選手権大会 8月 7 日、二重県宮競技場体育館 で開催。 団体 の部 準優勝 O松蔭 0 10︵ 代表者戦勝ち︾ 松山大学 決 勝 松 蔭 は2年連続 9度目 の優勝﹁山場 メ ンバー は高 原 ・上 口 ・中 山 ・和 日 ・大 歳 ・松 下 ,鈴 。 木 ・宇 治 の8名 であ った ◎ 全 日本学 生 ソ フト テ ニス選手 権 大 会 、 0 日∼ 2 8月 1 1 日 同 じ会 場 で開 催 金沢女子短大︶ O ︵ 松蔭︶5 10 ︵ 走臨 却綜 O 松 蔭 3 10天 理大 学 準決勝 〇高 原 ・上 回 5 13松 下 ・渥 美 ︵ 松蔭︶ 決 勝 二輪 ・大 西 2 13比 嘉 ・藤 原 ︵ 大 阪体 大 ︶O 。 三輪 悦 子 ・大 西泰 代 組 は準 優 勝 卓球 部 ◎ 関 西学 生 卓 球 秋季 リ ーグ戦 2 日∼ 9月 4 日、 8月 2 京都 市 体 育 館他 で開 。 催 O 松 蔭 4 12同 志 社 大学 O松 蔭 4 10立 命 常 大 学 〇松 蔭 4 12京 都 産 業大 学 O松 蔭 4 13天 騨大 学 松 蔭 2 14能 谷大 学 O リ ーグ 戦 4 日目 の時 点 で松 蔭 を追 っていた 、 、 龍 谷 天 理 が いず れ も 2敗 と な り 松 蔭 の優 。 、 勝 が決 定 し た 松 蔭 は最 終戦 で龍 谷 に敗 れ 、 完 全優 勝 は通 し たが 4勝 1敗 で念 願 の初 優 。 勝を果たした ◎ 全 国学 校 教 取 員卓 球 選手権 大 会 8月 3 日か ら 6 日ま で石 川県 小 松市 総 合 。 体富 館 で開 催 男 子 シ ング ル ス決 勝 川波 ︵ 松 蔭 ︶0 12斎 藤 ︵ 埼 玉 工大 戦 員 ︶○ 川 波 豊 選子 ︵ 本 学 電算 課 取 員 ‘卓 球 部 ヨー チ︶ は 2年 連 続 で明 大 の先 輩 で元全 日本 チ ャ ンピ オ ンの斎 藤 清 選 手 と の決 勝戦 と な ったが 、 。 今 年 は スト レート で敗 れ 準 優 勝 と な った 男 子 ダブ ル ス決 勝 蔭 ︲ ︲ 2 〇 ヽ ﹂ 賊 訓 熱 一 線 賊 イ 鋼 卵 十 期 一 川渡 選手 は例 年 通 り存 ︵たも つ︶ 選手 と組 ん 、 。 で決 勝 に進 出 し たが 準 優 勝 とな った