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第65号

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第65号
率
θ◆ 傘 捧
鋳
率
苦 しみ に つ いて
一
…
一
博
藤
後
今 夏 も京教 セ ンタ ー奉 仕
、
者 学生 シオ ン会 と命 名
︵
、
∽旨 ≡を 並 べ変 え て 摯 一
〓
、
と し た︺ の研修 会 を 六 甲
。
セミ ナ ー ハウ スで一
打 った
、
各 自 の問白 を 発表
そ の時
し あ って いる のを あ る種 の
。
感 動 を も って聞 いた や や
も す れば今 時 の学生 は⋮、
こ の頃 の若 い者 は⋮、 と思
、
いが ち であ るが 若 い時 の
、
苦 し み 葛藤 は時 代 を越 え
、
て い つの時 代 も 同 じ も の
があ る のだな と の思 いを強
、
﹁私 と宗教 ﹂ の テ ー マが多 く話 さ れ たが 親 の価値
、
、
観 と の葛 藤 挫 折 を乗 り越 え る心 の遍 確 本満 を感 謝
、
へと転 換 し う る意 識 の変 化 等 々 熟 々と は え る発表 を
、
。
聞 い て いて は るか 四〇年 吉 の学生時代を思 いだした
t
吉 本時 代 は第 イ が思 う ほど明 るく バ ラ色 に輝 くも の
。
、
ば か り ではな い あ る学生 が表 現 し た よ う に 古 年期
は ﹁ト ンネ ルの巾 に いる﹂ ような も のかも し れな い。
、
いま ま での向 分 を くず し 新 し い自分 を つく る時 期 に
、
。
あ た り 親 と の葛 藤 は避 け ら れ な いだ ろう ま た人 仁
、
。
経 験 の不足 か ら 失 敗 の経 験 も多 いだ ろう
も とも と人 出 十在 と市 し み は切 り離 す こと の てきな
、
、
いも のと し て い つの時 代 でも ど このN にお いても、
。
人 々は持 し み の卜 に喘 ぎ な か ら■ き てき ま し た 一■
、
怠 ま れ て いるよ う に見 え る本 学 の学生 も そ の心 の中
、
、
には それ ぞ れ人 には声 えな い問 題 を抱 え 占 し ん で
、
。
いると思 わ れ ます でき れは そ こか ら中 く抜 け出 し
。
、
た いと思 う でし ょう 感 覚 的 に不愉 快 だ し 何 の律 に
くし た。
L
1994年 10月20日 発行
ニ ュー ス
チ ャペル ・
11)第 65号
松蔭女子■ 院大学
松蔭女 十学院短期大学
宗教 セ ンター
町
神Fi市灘区篠原1印母野t」
1 - 2 - 1
1994年10)j20日発行
も な らな いと 思 う でし ょう。 し か し、 これ は、人 を自
。
己自 身 に日 覚 め さ せ る契 機 にな ると思 います
順調 な毎 日 の生 活 の流 れを せき と め る障 音 にぶ つか
り、 そ れを何 と か避 け よう と し ても、 ど う にも 避 け る
こと が でき な いと わか った時 、 ま と も にぶ つか る ほか
。
、
な い でし ょう 単 に外 か ら来 る障害 は避 け え ても 内
。
両 的 な障 害 は簡 単 に避 けら れ な いと思 います それを
こ ころ の葛藤 、 キ し みと し て、 自 分 の問 題 と し て受 け
と め るとき、 自 己 をH 党 ませ、 白 亡白 身 にセ ち返 る こ
と が でき る の です。
、
、
、
■ 年期 は 一般 に内 向 的 な時 期 であ り 葛藤 古 し
。
、
みを 感 じ やす い時 期 と いえま す こ の時 に 自 こ の実
、
々 に日 貨 め る契機 と し て 苦 し みや葛藤 を マイ ナ スと
う け とら な い で、 目 を開 い てそ の問 題 を引 き受 け る こ
と によ って、 今 ま で のあ り か たか ら飛 躍 を な しと げ る
こと が でき る の です。 か く し て、 単 な る自 然 的 ■物 の
、
、
段陪 を越 え て 本当 の意 味 で か け が え のな い白 芭自
。
身 にな る こと が でき ると いえ る でし ょう
、
ネ 敦 の問題 に関 与 し う る のは このよ うな 飛躍 を な
し遂 げ た たま し い にお い てな さ れ ると思 いま す。 こ の
、
、
よ う に 青 年 期 にキ し み 葛 藤 を経 験 す る こと は、 貞
、
の内 こ に飛 躍 を な し遂 げ る契 機 であ り 神 か ら与 え ら
れ た慧 み の試 練 と感 謝 し ても い い の ではな い てし ょう
。
か
、
わ た し のr よ
卜 の訓線 を軽 ん し ては いけ な い。
卜 に貢 め ら れ る とき 、弱 り栄 て てはな ら な い。
卜 は安 す るイ を 訓 練 し、
、
受 け いれ るす べて のr を
。
む ち打 たれ る の であ る
︵ヘブ ル人 への手 紙 十 二〓 五∼ 六師 ︶
第65号 陀 )
チ ャベ ル ・ニ ュー ス
1994年10月20日発行
銀 河
ヨンクの大聖堂
清
私 が , マネ スク
彫刻 の焼高 傑 作 の
、
一つであ る ョン
ク のタ ンパ ン ︵
即
堂 尿口上 部半 円形
部 分 ︾ の浮 き彫 り
彫刻 の図 版 を初 め
囲 ま れ た そ の降 地 に立 つ聖 ︼ 前 の広 場 は こじ
、
、
んま りと し て い て 一番 瑞 っこ に立 っても
。
型せ を見 上 げ な け れば な らな か った r度 そ
、
、
の場 所 に 腰 を下 ろす のに打 って つけな石 が
。
注文 し た よ う に一
つ置 か れ て いた 私 たち は
リ ュ ックを下 ろし て腰 か け た。 ほか の人 も こ
こ に腰 を下 ろす のだ ろ う、 タ ンバ ンを見 る の
。
にr度 い い場 所 であ る モ ツク コー ム の図 版
、
で見 た あ の ﹁最後 の客判 ﹂ の タ ンバ ンがH
。
前 にあ った 私 は放 心 し た よう に見 つめ てい
。
た あ の大 学 院 の時 代 か らど れ だ け の歳 月 が
。
刷のタ ンパ ンには微 か
流 れ た こと だ ろ う ロ エ
、
にブ ルー の 色 のあ と が残 り そ の主 題 にも
彩
、 し
優 さ に満 ち て いる よ う に思 わ
か か わ らず
ヨンクのタ ン′(ン
子
芳
水
る
辿
を
て寛 た のは い つの
頃だ っただろうか■
、
多 分 大 ≡ 院 の学
t の頃 であ ったと
。
思 う それ は町 和
二十 年 代 の初 め の
こと であ るが、 そ
。
の当 時 はま だま だ外 国 が遠 い時 代 であ った
ヴ ェズ レー のタ ンバ ンや モ ワサ ック のタ ンパ
ン、 そ の他 の多 く の”世 型堂 の時 高 を飾 る浮
き彫 り彫刻 や柱 頭彫 刻 の名 品 を、 モ ノク ロー
。
ムの図版 で見 た のも そ の頃 の こと であ ろう
、
石 造 の聖 堂 を 飾 る彫刻 それ も と く に , マネ
スク の時 代 のも のは、 空 間 の祐 部 位 が象徴 的
、
意 味 を も つ建物 に支配 され 建物と 一体 にな っ
、
て いると いう のだ が 雪 草 な るも のを 実際 に
一度 も 日 の当 た り にし た こと のな い者 にと っ
、
て ロ マ ネスク彫刻 特 有 の素朴 な美 し さ や奇
、
に な魅 力 と いたも のが伝 わ ってきたとし ても
、
建 物 全体 に つい て のイ メ ージ に欠 け い つも
。
ピ ンと こな い隔 靴
の が残 った
感
抵
時
コ ンタ の聖 フォ ワ聖 堂 ︵
十 二世 紀 ︶ に背 後
、
か ら近 づ いた私 たち は 建 物 正 面 に回 る ため
︱
、
。
に広 場 に でた 広場 と い っても 山 ま た︱
︱に
― コンポステラヘの道 (27)一
。
、
、
れ た そし て 折 りか ら の西 日が聖■ に映 え
、
双塔 が大 に向 か って伸 び る フ ァサ ー ドは ま
。
金 色 に瞬 い て いる よ う に寛 え た 心 のほ か ら
、
よ つふ つと 湧 き, り全身 を漠し てゆく歓 び に
、
私 はしば し自 分 を ゆ だ ねな がら 常 に不安 と
危 険 にさ ら され な が ら歩 き続 け た中 世 の巡 礼
、
たち には こ のタ ンバ ンはど のよ つに比 え た
、
。
のだ ろう と いう思 いがかすめ る 隣 に掘 わ っ
。
て いる Qも や は リユ
川方 を じ っと見 つめ ていた
以 前 に列 車 と バ スを乗 り継 い でこ こ にき た こ
、
と のあ る彼 女 が ﹁巡礼 道 教 会 は ほ ん のわ ず
、
か な距離 でも いいか ら 歩 い て アブ コーチす
、
。
べき です ね﹂ と ぼ つりと い った
奥 深 い山 間 にあ る コンクはも と もと 官的 な
、
地 と し てそ の起 源 は古 いが 修 道 院 が本格 的
。
に組 織 さ れ る のは九 世 紀 の初め のこと であ る
コンポ ステ ラ ヘの巡 礼 道教 会 と し て、 ま れ に
、
み る策 栄 を 遂 げ る のだ が そ の時 期 は巡礼 の
。
、
最盛 期 と章な る す でにそれ以前 から アジ ャ
、
ンと いう と ころか ら ﹁
聖 な る盗 み﹂ によ って
そ の聖 造 骨 が移 され た ︵
八六 五 年 な いし八 六
、
六年 ︶ 聖 フ ォ ワの信 仰 の地 と し て巡 礼 者 を
、
集 め ていた こと が そ の後 の繁 栄 を も た らす
こと にな った。 聖 フ ォワはわ ず か十 二歳 た ら
、
ず で殉 教 し たと 伝 え ら れ て いる が タ ンパ ン
にはを し出 さ れ た ﹁神 の手 ﹂ に ひれ伏 し て合
、
掌 し て新 る つ つま し やか な少 女 の姿 か刻 み
。
込 ま れ ている
、
私 たち は夕 食 を す ま せ てか ら 聖堂 に隣 接
。
す る回郎 跡 に い った や わら か い光 に照 ら し
︱
、
出 され た聖 堂 と 回廊 は 黒 々と迫 る︱
︲を背 に
。
浮 か び上 が つて いる よう に見 え る 聖 堂 と\
雷 に出会 ったり、道を取 り違 えたりし こ
た と
の旅 が実 は終 わり ではなく、 まり
始
であると
は思 っても みなか った。
”
”
拡ル
々
慈凝ぴや
”
和貿実 棄 話
謂評 洵推忙雅嬢
◎5 ︵
美姉︵
短大家政学科
7
朝鞠約と粒時
8
柳弛姉
子姉短杢 挙
謂 期改 隷鏑 鍵
森 子々 短褒 挙 科
謂 朝 双 辞 仁聴
◎
姉︵
大実
洵櫛
時
磁
り
雅
6
◎ ︲
姉︵
短大生活科
3
坤脚9
的転一ド
軸
舶彩嬢娩
︶ 嬬 翁変文字科
謂郭 約発 醸櫛町
質
謂 鞘改 が期 筋 李 棄挙
ぁ
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杉
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韓
駒
確
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兜
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噺
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大
学
実文
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﹁
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大
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文
学
科
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制
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鞠と 澄
ほと んど人と出合ない道中をよくここ
ま でや つ
てこられたと思 う。感謝 の他 はな い。
き る こと が な か った。
そ のと き はま だ、今 回
ヨンク の空 ウ オワ理堂
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軸約と
印
姓岸嗽
誌胞
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大
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謂 郷神 辞鄭雑嚇 箕交 学
用 栄貿実 葉 馬
胡期 約鶏様 浩姉
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輔軸 被 響雑薄
変
静 鞠韓 品雄響
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﹁
1994年10月20日発行
チ ャペル ・ニ ュ ー ス
(3)第 65号
八 月 二十 九 日から九 月 十 六 日ま での約 二 週
、
間 私 は桃 山 学院 大 学 の主 催 す る イ ンドネ シ
。
ア ・ワークキ ャ ンプ に参 加 し た 今 回 で第 九
、
回目 にな る このキ ャンブ の持 つ主 な目 的 は
。
﹁アジ アの人 々の協 勧 から学 ぶ﹂ こと であ る
、
、
私 達 キ ャンパーは 全 日 程 のうち の十 日間
バリ島 北 丙部 に位置するブリンピンサリ村 にホー
、
ムステイしながら ムラヤと いう所 ヘワーク に
。
出 掛 けると いう 日 々を 過 ご した 短 い期 間 で
、
はあ ったが その中 で多 く の人 々と の素 晴 らし
、
い山 会 いがあり バリは私 にと って第 二の故 郷
。
の様 な々と一にな った
、
ホームステイ中 の生 活 は 極 め て規 則 正 し
。
いも のだ った 毎 朝 六時 一
削にはけたたまし い臨
、
、
の鳴 き声 で起床 七 時 か ら ア スラ マで朝 食
、
その後 トラ ックでムラヤ ヘ移 動 し 八時 半 から
、
午 後 五時 ま で ワークを し 村 へ帰 って来 て午
、
後 七 時 から アスラ マで夕食 そし て遅 くとも十
。
二時 には就 寝す る毎 日だ った
、
アる クマと い つのは 学校 に付 随 する寮 の様
。
なも のである 家 から学校 が遠 く て遠えな いヤ
、
供 や 時 には家 の経 済 的 理 由 から そ こに預 け
られ ている子供 が 、 細 充を 離 れ て共 同 ■ 活 を
。
、 、
し、 そ こ ら
に っ いる 私 達 は 朝
か
て
学
校
通
、
一
はムラヤのそれぞ
γ食はブ リ ンピ ンサリ 昼食一
。
れ のアスラ マでいただ いた
、
、
私 達 は 計 七 口間 ムラヤ の アスラ マで子
。
供達 と 一緒 に ワークを し た 青 々 の下 働 いて
。
、
流す汗 ほ爽 快 であ った 作 業 内 容 は 主 に宿
、
舎 の裏 側 の崖 を成 す ことと 庭 の凸 凹 をな ら
。
す ことだ った アスラ マには機 械 など 一切 な い
、
、
ので 数 人 が鍬 で上 を 崩 し それを 鉄 板 に の
、
。
せ 人 間 の手 から子べ とリレーさせて運 ぶ ワー
クと休憩 をそれぞれ二十 分 交 互 に繰 り返す ペー
スで作業 は進められた。 このベー スは 一覚楽 そ
うだが、 休 憩 とは実 は名ばかり であ った。 と い
う のも休 憩 時 間 にな ると 子 供 達 にわ っと 取 り
。
、
囲まれるから である 炎 天 の下 ワークも中 同
を過ぎると体 力 的 にかなりき ついと きも あ った
i
す一
姦
す
f F
、
、
が この子 供と の交 流 の時 間が キ ャンパーの
。
一番 の楽 しみ であ った
バリ鳥 内 では, 位 にランクされると いう ムラ
、
ヤのアスラ マも 日本人 としての目から見 ると
、
やはり どうお世 辞を言 っても十 分 な設備 であ
るとは言 い難 い所 だ った。 親 元 か らも離 れ、
ムラヤの子供たちと共 に
第65号 “ )
ニ ュー ス
チ ャベル ・
1994年10月20日発行
、
寂 し いに連 いな いだろう に ア各 フマの子 供 達
、
は 本当 に元気 でたくまして、 そして心優しか っ
。
た そんな子 供達 と 日 に日 に仲良 くなれること
。
が嬉 しか った 特 に近 く の海 へ遊 び に行 って海
、
岸 沿 いを首 と手 を つな いで散 歩 したことが 思
。
、
い出 される 言 葉 は少 し ても 私 達 は心 から
。
通 じ合 え ていた
ワークで疲 れ てプ リ ンピ ンサリ 全戻ると、
い
。
つも家族 が温 かく 迎 え てくれ た 毎 日熱 い紅
茶 と手 作 り のお菓 子を用意 し てくれたイブ ︵お
、 、
母 さん︶ 夜 帰 りが遅くな った私 を 眠 そうな
、
お父 さん︶
顔 で起 き て待 っていてくれた本パ ︵
、
食事を 作 って下 さ った アスラ マのイブ達一 ア ス
ラ マの子 供 達、 村 中 の人 々が、 私 達 を 家 族 の
。
一員 とし て迎 え入 れ てくれた
、
そんな風 に バリの人 々 の安 情 にど っぶりと
、
浸 かり込 ん でいた私 にと って 彼 らと の別 れ は
。
、
大 変 辛 いも のであ った と同 時 に なかなか別
。
、
、
れを実 感 できなか った なぜなら 私 の中 で
、
村 の家族 の 一員 と し て毎 日を 過 ごす ことが
あまり にも ﹁当 然な こと﹂ にな っていたから で
。
、
、
ある しかし い つも は実 顔 の子 供 達 が 日
を涙 でい っば いにし て近づ いて来 る のを見た氏
、
。
﹁ああ もうお別れな のだ﹂ と全 身 で感 じた
涙 が堰 を切ち たようにあとからあとから流一
れ名
ワークキ ャンブは終 わ ったが、 私 達 の友 好 は
これからが本当 の始ま りである。 協 働 から学 ん
、
。
だも のは 何 であ った のか隷を するとき だ パ
リに ついても っと学 び、日本 についても っと知 っ
、
てもら い 更 な る相 互 理 解 を開 指 した い。 そ
し てい つの日か、 バリの家 族 が住 む故 郷 へと必
らず帰 りたいと思 う。
犀藁 ぺ 誼
私 が今 回 この研修 に参 加 した最 大 の理由 は
、
フラ ンスと いう国を生 で感 じ てみた いと 思 って
夕である。 もち ろん、 の フラ ンス を
いたか,
生
語
。
回
学 ん でみた いと いう気 持 ちもあ った 一と 一
、
■ の時 に 第 二外 国 語 と し て フラ ンス語 を 学
、
んだが その時 は大 し て興 味 を持 たず力を入 れ
、
てやらなか った私 であるが せ っかく フラ ンス
語を学 べる機 会 があ った のだから このま ま終 わ
、
らせ てしまう のはも ったいな いと思 い直 し 二
。
回生 からは力 を入れ てやり直 し始めた
現地 に行 ってそ こでそ の言 語 を 学 ぶ のが語
、
学 修 得 の最 良 の方 法 と 言 わ れ て いるが ま さ
。
にその通 り であると思 う 語 学能力 はさておま、
私 のよう に大 し てフラ ンス語 の話 せな いよう な
、
者 でも 現 地 で学 ぶこと により自 分 の フランス
、
勉 強 意 歓をま
研体の学生 とモ ンベ リエの先生がた
げ た人 々 の
汗 と涙 と 思
いが ひ し ひ
し と伝 わ っ
。
てき た や
でも 一番 印
象 に残 って
、
いる のは
こ の町 が 宗
エグ ・モ ル
ト の訪 間 で
。
ある 中■ネ
教 戦 争 に巻
き 込 まれ た
、
一
時 エグ ・
ンスタ ン ス
モ ルト の コ
、
槽 は カトリ ック の修 道 女 を監 禁 す る場 所 と
。
な った 彼 女 たちはカトリ ックの信 仰 を プ ロテ
。
スタ ント ヘとな一
えるま で監 祭 された 糟妬呂︺・
、
肉 体 的 音痛 のため に 信 仰 を変 える者 も いた
、
8 間自 の
が マリー・デ ≡ラ ンと いう女性 は3
年
分
。
、
信 抑を変 えることなく監 禁 された この槽 は
、
0
壁 が非 常 に厚 く6 mも あ り 高 さ 4 mで容 易
。
に逃げ出す事 はできな い 冬 はと ても冷 え込 み
、
、
そう で 私 が ここを生 で見た時 マリー ・デ ュ
ラ ンの信 仰 の深 さ、 忍 耐力 に感 動 させら れた。
。
それは想 像を絶す るも のであ った に違 いな い
、
授 業 は 一日 3時 間 で 先生 は実 い声 が特 徴
的 な フラ ンス人 の女 性 で私 たち にと ても親 切 に
。
、
教 え て下 さ った 毎 日宿 題 があ り と ても大
、
、
変 だ ったが 今 思 えば も っとし っか りや る べ
きだ ったと反省 し ている。 授 業中 はい つでも、
街 に出 て現地 の人 と話 す 機 会 が持 てた時 は い
、
。
つても 自 分 の話学 力 を悔 やみました も っと
、
比Sが
流 暢 に話 せたら せめ ても っと く〓 やす●︼
あればどんな に楽 しいだろう⋮と何 度 思 った こ
とか。
、
、
滞 在 法 は ヨンドミ ニアムのホテルで 私 は
3人 部 屋 で生活 をした。 食 事も自分 たちでスー
、
。
パーで材 料 を買 い 部 座 で作 った りし た 幸
、
か不幸 か 私 たち の部 目 には T Vが無 か った
、
、
ので 私 は毎 晩 友達 と 宿 題 をし た り 夜 遅 く
。
ま でトラ ンプをしたり喋 ったりだ った 普 段 は
言 えな い事を 話 したりと、 と ても有 意 義な楽 し
、
い時 間が過ごせ ま た交 流 を 一段 と 深 め る事
も出 来 て良 か った。
、
今 回 の研修 を通 し て 私 は今 ま で以 上 に フ
ランス語 を勉 強 し ていきたいと思 うし、 自 分 の
やりたい事を 残 り 一年 半 の学 生 生 活 で協 いの
。
残 らな いよう にやりた いと思 う 語 学を 学 ぶ の
、
は大 変 だけれど その分楽 し い事も い っぱ いあ
。
る 新 し い事 に挑 戦 す る事 は勇 気 のいる事 で
、
はあるけれど その後 には今 ま で以上 の喜 び が
。
待 っているのではな いだろうか
フ ラ ッショ エ ー ス
ソフト テ ニス部
◎ 西 日本大学対抗 ソ フトテ ニス選子権大会
8、 2
9日、篤水県民総合運動 公園 コー
7月 2
トで開催。
準決勝
○松蔭 3 11天 理大学
ヽ
、
.___,′デ
語 が いか に乏 し いかを 痛 感 し
。
すます燃 やす事 が できた
私 たちが勉 強 した モ ンペリ エ大 学 のあ る モ ン
、
ペリ エ市 は 街 の雰 囲気 がと ても のんび りし て
、
いて 歴 史 的 建 造 物 が多 く存 在 し ているきれ
、
。
いな町 である 私 たち の滞 在 したホテルは 町
、
の中 心 地 から離 れ ていたけれど バスを使 って
、
そこま で出 かける ことが出 来 と ても活 気 のあ
。
る場 所 で8 8 に入 りた い気 にな る 研 修 中 に
、
幾 度 か近 郊を 訪 間 した が そ の度 にそ の歴 史
、
。
の深 さ 凄 修 さ に心 を 打 た れた 当 時 の町 の
、
、
成 壁 など は 今 でもそのまま残 され ていて そ
、
2 高さ ・厚 さは言 うま でもなく それを築き上
…‐
ヽ
、
r…
1994年10月20日発行
ニ ュー ス
チ ャペル ・
65号
6)第
第65号 (6)
チ ャペ ル ・ニ ュー ス
1994年10月20日発行
︵フラ ッシ ュニ ュー ス5 ページ よ り続 く︶
決 勝
〇松 蔭 3 10関 西外 国語 大 学
。
4
松 蔭 は 3年 連 続 1度 日 の優 勝 と な った
◎ 西 日本 学生 ソ フト テ 一ス選 手 権大 会
。
0、 9 日、
7月 2
開 催地 は右 に同 じ
2
2位 鈴木 ・山 根 組
ベ スト4 一
吊原 ・上 回組
な お優 勝 は天 理大 の回村 ・西 尾 組
◎ 西 日本 学 , ン フト テ 一スシ ング ル ス選手 権
8 日、 9 日、
7月 2
開 催地 同右
2
準決勝
〇高原 ︵
松 蔭 ︶4 10武 本 ︵
松蔭︶
決 勝
O松下 ︵
松 蔭 ﹀4 11宇 治 ︵
松蔭︶
〇松 下 美 和 4 10高 原 朋子
。
な お松 蔭 は ベ スト8ま で独 占 し た
◎ 全 日本 大学 対 抗 ソ フト テ ニス選手 権 大 会
8月 8日と9 日、子 葉県長生型 りi町 サ ニー
。
テ 一ス コート で開 催
革決 勝
松蔭 3 12 日本 体 育 大学
決 勝
決 勝
○ 高 原 ・上 回 5 1 1 田 村 ・西 尾 ︵
天 理大 ︶
。
松 下 ・涙 実 組 は ベ ス
高 原 ・上 回 組 は 優 勝
ト 4 と な った 。
◎全 日本 学生 ソフトテ ニスシ ング ルス選手権
大会
3日同じ会場 で開催
8月 1
準決勝
O松下美和 ︵
松蔭︶4 10鈴木佳恵 ︵
松蔭 ︶
決 勝
O松下美和 4 11寺村本 子︵日本体育大学︶
。
。
松ド美和 は優勝 鈴木と恵 は ベ スト4
一
〓 ¨ス部
◎全 日本学生 テ ニス選手権大会
ダブ ル ス準決勝
︵
松蔭︶0 12
︵
専修大学︶○
訓諭
蘇翔
。
川崎綾 子 ・兼森妙 子組 は ベスト4 なお優
。
勝 は木村 ・藤井組 であ った
なぎなた部
O松蔭 2 11国際武道大学
。
松蔭 は3年連続 3度目 の優勝を飾 った
演技 の部
準決勝
◎全 日本学生 なぎなた選手権大会
8月 7 日、二重県宮競技場体育館 で開催。
団体 の部
準優勝
O松蔭 0 10︵
代表者戦勝ち︾
松山大学
決 勝
松 蔭 は2年連続 9度目 の優勝﹁山場 メ ンバー
は高 原 ・上 口 ・中 山 ・和 日 ・大 歳 ・松 下 ,鈴
。
木 ・宇 治 の8名 であ った
◎ 全 日本学 生 ソ フト テ ニス選手 権 大 会
、
0 日∼ 2
8月 1
1 日 同 じ会 場 で開 催
金沢女子短大︶
O
︵
松蔭︶5 10
︵
走臨
却綜
O 松 蔭 3 10天 理大 学
準決勝
〇高 原 ・上 回 5 13松 下 ・渥 美 ︵
松蔭︶
決 勝
二輪 ・大 西 2 13比 嘉 ・藤 原 ︵
大 阪体 大 ︶O
。
三輪 悦 子 ・大 西泰 代 組 は準 優 勝
卓球 部
◎ 関 西学 生 卓 球 秋季 リ ーグ戦
2 日∼ 9月 4 日、
8月 2
京都 市 体 育 館他 で開
。
催
O 松 蔭 4 12同 志 社 大学
O松 蔭 4 10立 命 常 大 学
〇松 蔭 4 12京 都 産 業大 学
O松 蔭 4 13天 騨大 学
松 蔭 2 14能 谷大 学 O
リ ーグ 戦 4 日目 の時 点 で松 蔭 を追 っていた
、
、
龍 谷 天 理 が いず れ も 2敗 と な り 松 蔭 の優
。
、
勝 が決 定 し た 松 蔭 は最 終戦 で龍 谷 に敗 れ
、
完 全優 勝 は通 し たが 4勝 1敗 で念 願 の初 優
。
勝を果たした
◎ 全 国学 校 教 取 員卓 球 選手権 大 会
8月 3 日か ら 6 日ま で石 川県 小 松市 総 合
。
体富 館 で開 催
男 子 シ ング ル ス決 勝
川波 ︵
松 蔭 ︶0 12斎 藤 ︵
埼 玉 工大 戦 員 ︶○
川 波 豊 選子 ︵
本 学 電算 課 取 員 ‘卓 球 部 ヨー
チ︶ は 2年 連 続 で明 大 の先 輩 で元全 日本 チ ャ
ンピ オ ンの斎 藤 清 選 手 と の決 勝戦 と な ったが
、
。
今 年 は スト レート で敗 れ 準 優 勝 と な った
男 子 ダブ ル ス決 勝
蔭
︲
︲
2
〇
ヽ
﹂
賊
訓
熱
一
線
賊
イ
鋼
卵
十
期
一
川渡 選手 は例 年 通 り存 ︵たも つ︶ 選手 と組 ん
、
。
で決 勝 に進 出 し たが 準 優 勝 とな った
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