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2010年特別号 (PDF:1.27MB)

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2010年特別号 (PDF:1.27MB)
2010年 特別号
発行 恵泉女学園大学キリスト教センター
特別号
卒業礼拝 奨励…………………………………………………………………………………1
卒業生感話………………………………………………………………………………………4
編集後記………………………………………………………………………………………12
卒 業 礼 拝 奨 励
「目の前に続くあなただけの道」
桃井 和馬
(写真家・ジャーナリスト)
人よ、何が善であり
主が何をお前に求めておられるかは
お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し
へりくだって神と共に歩むこと、これである。
(ミカ書6章8節)
これから新しい一歩を踏み出す皆様を前に、こうしてお話ができるこ
とを嬉しく思っています。私は写真家で、ジャーナリストです。昔の言
葉で言ったら報道写真家、フォトジャーナリストということができる仕
事をしています。これまで世界140カ国を回り、その中で、戦争、紛争、
そして地球が破壊される様子などを見続け、発展途上国を中心に25年あ
まり過ごしてきた計算になります。
写真を撮るのが私の仕事ですから、写真を撮らなくてはなりません。
しかし、写真を撮る前に、身の安全を確保しなくてはいけない。そのよ
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うな場所ばかりだったのです。途上国で仕事をするということは、まるで自分自身が「人生ゲーム」
の中に迷い込んでしまったような錯覚を覚えてしまうのです。
たとえば南米のペルーでは、山の中で盗まれた私のカメラが、1ヶ月後、1000キロ離れた街で売
られていることもありました。時には、アフリカでは兵士や警官から、銃を突きつけられてお金を
要求されたこともあります。万全を期して、撮影のための許可を取り、人を雇い、やっと本当に撮
影ができるという段階になった途端、現地で軍事クーデターが発生して、撮影そのものができなく
なったこともあります。
その度に、人生ゲームでいえば、
「一回休み」
「3コマ戻る」という悲しくなる現実と直面してし
まうのです。お金も、時間も、体力も気力も吸い取られる時間です。それをじっと我慢して、次に
やるべきことを考えるのです。
私は混乱した社会で仕事を続けています。いわばマニュアルの通用しない社会です。その中で何
が一番必要かといえば、それは、真っ白な紙の上に地図を描くように、自分で自分の進むべき道を
考え、地図を描き、自分の足で歩んでいくこと。このことが今、この時代に求められています。
私は娘が恵泉中学に入学したことをきっかけに河井道先生の書かれた『わたしのランターン』を
読ませていただきました。河井先生は新渡戸稲造との出会いが大きく人生を動かします。河井先生
はこの学校を設立する前、新渡戸稲造に勧められアメリカの女子大で勉強しました。その当時の時
代状況を考えると、女性のアメリカ留学が大冒険であり、真っ白な紙の上に地図を描く行為だった
のだと簡単に推測できます。
キリスト者であった新渡戸は、アメリカで長い間勉強し、教育の大切さを痛感していました。そ
して、教育を通じて、平和が築けると考えていました。現在、国連という組織があります。正式名
を国際連合といいます。その前身に国際連盟、と呼ばれる機関がありました。新渡戸は国際平和の
ために、連盟を立ち上げるために世界中を駆け巡りました。そして国際連盟の事務次官、つまりナ
ンバー2を1920年から26年の間務めたのです。
私は、かつて、戦争や紛争を追いかけ、死も目の当たりにしてきました。その中で人はなぜこん
なにも戦い続けるのかと愚かさを感じました。そして、今私は地球の自然を撮影対象としています。
それはなぜでしょうか。
飾ってある写真は南米のギアナ高地という場所で撮影したものです。本当に息を飲み込んでし
まうような自然と出会える場所です。なぜそのような場所が残ったかといえば、それはこの場所
が「世界遺産」に認定されているからです。周辺は資源採掘で荒らされていますが、ギアナ高地
だけは、厳しいルールの下で守られています。
世界遺産の認定は、ユネスコという国連の団体が行っています。ユネスコとは、United Nations
Educational, Scientific and Cultural Organizationつまり、国際連合・教育・科学・文化機関です。
ユネスコが設立されたのは1946年であり、ユネスコの活動を決めるユネスコ憲章をその前年1945
年の11月に国際会議において採択されました。1945年11月。まさにその時期とは第二次世界大戦が
終わって間もない時期だったのです。
ユネスコ憲章の全文にはこうあります。
「戦争は人の心で生まれるものであるから、人の心の中
に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じ
て世界の諸民族の間に疑惑と不審をおこした共通の原因であり、あまりにもしばしば戦争の原因と
なった」
。
第二次世界大戦は、世界で6千万人もの死者を出した人類の愚行です。そのような愚かな戦いを
繰り返さないよう、お互いがお互いを認め、文化を共有する。そのために教育を世界に広げ、その
ために、それぞれが持っている自然や歴史遺産を共有する。つまり、ユネスコが認定する世界遺産
とは、観光地の認定システムではなく、第二次世界大戦の反省から生まれた「戦争防止のためのシ
ステム」だったのです。そしてユネスコの理想を作ったのは、実は国際連盟のナンバー2だった新
渡戸稲造だったのです。そして、新渡戸の志は河井道先生にも引き継がれました。その中で、自然
との関わりが、恵泉の「園芸」となったのです。恵泉の「園芸」とは自然、地球の呼吸を知るため
の作業なのだとわたしは考えています。
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自然を見続けると、色々なことが分かってきます。海の水と、山の木もそして土も、それだけで
はありません。ほ乳類も、昆虫も、バクテリアまでがひとつのサイクルを作り、お互いが「助け」
、
「助けられる」関係の中で生きている、生かされていることです。人間はそのような自然を支配す
る存在ではありません。人間は自然の中でひとつの生命として、地球という大きな命の上で、生き
ることを許されているのです。ならば、今の時代、人間は人間同士で戦争をしている時間も、憎し
み合っている暇もないのです。それが自然を見続けると理解できるようになるのです。
そして、新渡戸の思想を引き継いだ河井道という女性が作った大学、恵泉の園芸も、世界の視野、
地球の視点で考えると、実はそのことを自分の肌で知るためにあるのです。
それに関係しているのが、今日選んだ聖書の箇所ミカ書6章8節です。 人よ、何が善であり、
主が何をお前に求めておられるかは、
お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し、
へりくだって神と共に歩むこと、これである。
この聖句は、昨年亡くなった日本を代表するキリスト教神学者小山晃祐先生がもっとも好きだっ
た箇所です。小山晃祐先生は、日本ではそれほど名前を知られていません。しかし、世界的に、
「コ
ウスケ・コヤマ」は本当に有名で、アジアやアフリカ、それだけでなく、欧米のキリスト者からも
高い評価を得ていました。彼は、ミカ書にあるように、
「何が善で、神様が何を彼に告げていたか」
を知っていた人です。だから日本国内で名声を求めるのではなく、世界の貧しい場所に出向き、人々
と共に歩み、寄り添い続けました。
彼は「神様の歩くスピードは時速5キロ」といっていました。つまり、それは人間の歩く速度と
同じ。神様は猛スピードで走り続けているのではありません。私たちの隣で、
一緒に歩いてくださっ
ているということなのです。貧しい人と一緒にいても、彼は威張ることはしませんでした。苦しん
でいる人と一緒にいても、一方的に励ますことはしませんでした。
彼の本には次のような言葉が残されています。
「一人の苦しむ人の前で、おろおろする神学こそ、真の神学である」と。そういう中で一緒に痛
みや苦しみを背負っていきたいと書かれておられました。これはまた、恵泉が目指す神学のあり方
なのかもしれません。
さて、
『わたしのランターン』に関係した話ですが、四国の山の中を3週間近く、一人で20時間、
長いときは24時間以上歩き、自分を追い込み、歩き続けている時のことです。日が暮れてからは
真っ暗になります。そこで頭につけた懐中電灯で足元を照らすわけです。私が一歩、足を前に出
すと、足元を照らす光も、一歩分だけ前に進みます。私が止まると、足元の光も止まるのです。
これこそが、私たちの目指すそれぞれの目標だと感じました。それだけではありません。私たち
が求める「平和な世界」かもしれませんし、
「神さまと人間」との関係のようでもあります。距
離は変わらないのに、ずっと寄り添っているのです。
真っ暗な中で、そのことに気づいたとき、それがあまりにおもしろくなったので、私は光をいじっ
てみました。光を顔の下から当てると、つまり、人間が神さまより偉くなってしまうと、人間は奢っ
てしまい、顔は怖くなります。お化けの顔です。
また、私が理想の存在になろう、私が神さまになろうと、頭のてっぺんから光を自分に照らすと、
周囲がまったく見えなくなってしまったのです。自分にだけ光を当てようとする人が身近にもいる
かもしれませんが、そうしてしまうと、周りはまったく見えなくなるのです。光は自分の3歩前を
照らさなくてはなりません。そして、自分の行く道をきちんと見守ってくれる存在であるべきだっ
たのです。
「あぁこれが河井先生の言う『わたしのランターン』なのか」と肉体の経験でわかった瞬間でした。
私たち人間は本当に弱い存在でいつも指針が必要、行くべき道を示されて欲しいと考えています。
きっと皆さんは在学中、この光に当たる存在に触れることができたのではないでしょうか。
新渡戸稲造、小山晃祐、河井道。この3人は皆、世界的な視野で活躍したキリスト者でした。そ
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3
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して地球規模で平和を考え、求め続けた人たちなのです。そして明日、この学校を卒業する皆さん
は、心と体にその平和の遺伝子を引き継いだ者たちなのです。
明日から皆さんは、また新しい地図の上を歩いて行きます。真っ白で何も書いていない地図です。
その上に、自分の頭で一つ一つ行く先を書き込んでいってください。自分の力で前に進んでいって
ください。そして、その横には必ず時速5キロで神さまが寄り添っておられることをどこか頭の隅
で覚えていてください。
皆さんには、何が善であり、何を神様が求めておられるかは、すでに告げられています。
正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと。
さあ、新しい出発の時です。
(編集 宇野 緑)
卒 業 生 感 話
日本語日本文化学科 五十嵐 希
明日、私たちはこのすばらしいキャンパスから旅立ちます。卒業を控えた今日、このようにみな
さんと時間を共有できること、そしてこの場で話す機会をいただけたことに感謝いたします。
みなさんは、この恵泉の裏山でホタルが見られることをご存じでしたか。昨年の夏、6月23日火
曜日、キリスト教センターでランターン作りの企画がありました。夕方暗くなった頃、突然誰かが
「ホタルを見に行こうよ」と言い出しました。すぐに関本先生が車でホタルが出ているかどうかを
確認しに行って下さいました。私は驚きました。そして、ワクワクしました。用事のあった人を除
いて10人くらいで畑のそばを通り、真っ暗な道を15分ほど歩いて行きました。きれいでした。感動
的でした。たくさんのホタルが飛び交っていました。その時、私は聖歌隊の1年生の金子陽香さん
と一緒でした。彼女には、視覚障がいがあります。ホタルの美しい光は見えません。一緒に行った
みんなと、何とかしてホタルの美しい光を見せたいと思いました。でも、どうして良いか分かりま
せん。と、その時、私の手に一匹のホタルがとまりました。そっと両手でホタルを包み、その美し
い光を見せてあげることができました。みんなで感動を共有できた一瞬でした。
4年間の学生生活を通して、私には心の拠り所が二つありました。一つはキリスト教センターで
す。キリスト教センターは、先輩・後輩関係なくいつでも開放されている場所です。学年を越えた
交流ができ、悩みや辛いことなど、多くの人たちが親身になって話を聞いてくれました。私が相談
にのることも数多くありました。そこで交わされた言葉の一つ一つはとても重く、心の底に響いて
いきました。
昨年の暮れも押し詰まったある日、就職のことで悩んでいた私は、暗い気持でキリスト教セン
ターを訪れました。自分がどのような仕事に就きたいのか、どのような仕事が向いているのか、い
や、もっと言えば、どのような人生を歩んで行ったらいいのか、まったく分からなくなっていた
からです。周囲には、もうすでに自分の進路を決めている友人も大勢いました。そんな時、キリ
スト教センターのスタッフのカードウェル・弓さんがじっくり話を聞いてくれたあとに、
「あなた
は、困っている人のお手伝いをするような、そんな仕事が向いていると思うよ」と言うのです。私
は、もともと人と争うことが好きではありません。でも、競争社会の中で人と争わない仕事など
見当たりません。もし、私を必要としている人がいるならなんとかお役に立ちたいと思っていた
のです。
そんな時、高田馬場にある日本点字図書館から採用試験の話が舞い込んだのです。私には、小さ
い頃から視覚障がいを持っている知り合いがいました。その人との関係で、点字を打つことも学び
ました。日本点字図書館にも見学に行ったことがあったのです。その人が、紹介して下さったので
す。私は応募することにしました。私が日本点字図書館に採用が決まった時、はるちゃんも喜んで
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くれました。障がいを持つ人々と共に歩み、少しでもお役に立てるよう、人生の一歩を踏み出す背
中を押してくれたのは、キリスト教センターだったのです。
二つ目の心の拠り所は、チャペルです。私は、聖歌隊に入るまでチャペルという所がどんな所な
のか知りませんでした。チャペルは「魔法の空間」です。なぜか、チャペルで歌うととてもすばら
しい声になるのです。私のパートは、アルトです。アルトは、歌の基礎となるパートです。ソプラ
ノやメゾの美しいハーモニーを壊さないように支えていかなければならない役割を担っています。
教室などで練習することもあるのですが、なかなかハーモニーがきれいになりません。それがチャ
ペルで歌うと不思議なことに美しい響きとなるのです。パイプオルガンの伴奏もすばらしいもので
す。初めてパイプオルガンの伴奏で歌った時、全身がしびれるような感動に包まれたことを今でも
よく覚えています。いやなことがあっても、辛いことがあっても、チャペルでみんなと一緒に歌っ
ていると、いつの間にか穏やかな心に戻っています。ソプラノもメゾもアルトもパイプオルガンも、
全部が一つに溶け合った時、神様にささげる歌になります。私の心を受け止め、支え、そして包み
込んでくれた「魔法の空間」
、それがチャペルでした。
中学生の頃から歌が好きだった私は、聖歌を歌うと聞いた時、聖歌というものがどういうものな
のか実感がわきませんでした。しかし、同期の仲間や先輩・後輩に恵まれ、共に一つの音楽を作り
あげ、完成した時、私にとって最高の宝物になりました。私たちだけではきれいな音楽は生まれま
せん。丁寧なご指導をして下さったヴォイストレーナーの渡辺玲子先生と辻本英恵先生、きれいな
パイプオルガンやピアノの伴奏をして下さった関本恵美子先生に心から感謝申し上げます。これか
ら先、もし歌う機会に恵まれたら、このチャペルで学んだことを忘れずに、歌っていきたいと思い
ます。
私の学生生活は、多くの仲間と共に学び、活動し、働いた4年間でした。ゼミでは、美術史を勉
強しました。そして、
「伴大納言絵巻の人物表現」というテーマで卒業論文を書きました。書き終
わるまで辛い道のりでしたが、稲本万里子先生の親身なご指導と、他のゼミ生のアドバイスのおか
げで、充実したものになりました。大学最後の集大成として卒業論文を完成させることができて良
かったです。
私にとって、多摩フェスティバルの実行委員をやったことも、大学生活の大きな励みになりまし
た。実行委員は2年間という短い活動ですが、そこで出会った先輩・後輩・同期の仲間はかけがえ
のないものです。
また、私は学内でのアルバイトも積極的にやりました。具体的には、園芸・健康診断補助・教務
課でのレポート受付などです。さまざまなアルバイトを通して、職員の方々と話す機会も増え、同
時に、裏方の大変さを知ることもできました。アルバイトは、多くの人たちとの貴重な出会いの場
となりました。
卒業式を明日に控えた今、たくさんの思い出が頭の中によみがえっています。
本当に恵泉に入学してきて良かったです。この恵泉でしか味わえなかったこと、この恵泉でしか
出会えなかった人、たくさんの思い出を忘れずに、社会という大海原に、恵泉の卒業生として胸を
張って出ていきたいと思います。
最後になりましたが、4年間お世話になりました先生方、職員の方々、先輩、後輩、友人のみん
な、ありがとうございました。
英語コミュニケーション学科 相澤 美希
恵泉女学園大学の門をくぐったのは2006年の春のことです。白いスーツを身につけ、これからの
大学生活に期待と不安を抱いていた当時を今でも鮮明に覚えています。本当にあっという間の4
年間でした。
そして、今4年間を振り返ると、楽しかったことや、新しい出会い、感銘を受けた言葉、また人
生について悩んで歩いてきた日々思い出します。また、その思い出を一つ一つ取り出してみれば、
4年間がこんなにも長かったのだと気付きます。そして、4年前と同様に、また新たなスタートラ
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インに立っているのです。
この4年間で私は、
「刺激的な出会いの場」をいくつも与えてもらいました。
まずは、英語との出会いです。高校の時から漠然と英語に興味があり、将来は英語に携わる仕事
に就きたいと考えていました。しかし、その気持ちとは裏腹に、英語に対して全くの自信がありま
せんでした。その中で恵泉での英語漬けの日々は、そんな私の不安など取り払い、意欲へと変えて
くれました。それがUC Davisへの海外研修です。肌に触れて多文化の生活を感じることで、吸収
することも多く、実りある時間を過ごすことができました。また、恵泉の先生方やホストファミリー
にはたくさんの手助けをしてもらいました。本当に感謝しています。
2年生になり新たな転機が訪れます。子どもが好きだった私は、自然と教職課程の履修を決意し、
中学校での参観実習、特別支援学校でのボランティア等、様々な出会いを経験しました。特に、2
年生のゼミでの児童英語教育の実践で行った、稲城市立の小学校での英語活動を主とする学習支援
活動が私の学生生活に華を咲かせました。初めて指導する者の立場に立ったことで、戸惑いや不安
でいっぱいでした。しかし、子ども達が見せるにたーっとした笑顔や、常に私たちを気遣い支えて
くださった先生方のおかげで、自分らしく教えるということにやりがいを持って活動することがで
きました。
楽しい活動だからこそ、準備には苦労しました。子ども達に楽しく英語を学んでもらいたいとい
う一心から仲間と一緒に放課後居残りをしたことや、念には念を入れてリハーサルをしたこと、今
でもよく覚えています。楽しいことだけではなく、大変なことを一緒に乗り越えてきた仲間がいた
からこそ、気持ちを強く持って活動をやり遂げることができました。
この活動の中で最も思い出に残っていることは、学芸会で子どもたちの成長に触れたことです。
英語活動をしているのに、なぜ学芸会?ということですが、英語活動の傍ら、朝から放課後まで子
どもたちと接する中で、ちょうど4年生のクラスで学芸会の準備に立ち合いました。初めは真剣に
取り組まなかった子ども、だんだん本番が近付くにつれて真剣な顔をして練習に取り組みました。
そして、子ども達からこのお面の作り方を教えてとアクションを起こすようになりました。台詞の
暗記や大道具づくりをみんなで協力して取り組み、一つのものを成し遂げる姿勢に、子ども達の成
長を見ることができました。同時に、自分自身も挑戦する大切さと、信頼し合える仲間と助け合う
大切さを子どもたちから学んでいることに気づかされました。
このように、未知の世界に思いこんで飛び込んでみる勇気が、刺激的な出会いへとつながってい
きました。これを導いてくださった岩佐玲子先生、活動を共にしてたくさんの時間を共有した仲間
たち、快く私たちを受け入れてくださった地域の方々、たくさんの方々の支えによって、今の私が
あります。
そして、今後に人生を左右する時期、就職活動の真っただ中に来ました。大学に入ってから必死
に勉強してきた英語や、学習支援活動で責任感を持って人を楽しませたり、挑戦したり、また絆を
作ることにやりがいを感じてきた経験から、客室乗務員になりたいと強く決意しました。夢が明確
になってからの私は、すがすがしい気持ちで突っ走るだけでした。恵泉で学んだことや、楽しかっ
たこと、時には辛かったこと、全てが私の自信となり、夢への後押しをしてくれました。そして幸
いにも夢が叶い、4月からは客室乗務員として今度は私がみなさんに夢を与える番になります。私
一人では決して叶えることができなかった夢を応援してくれた先生や友人、家族への感謝の気持ち
を忘れずに、日々精進しながら頑張ってまいります。
卒業という新たな門出にたった今、不安が全くないと言えば嘘になります。しかし、4年前のよ
うな漠然とした不安や迷いはありません。恵泉での4年間が私の財産となり、もし迷った時は背中
を押してくれるでしょう。これまでの4年間を振り返り、本当に恵まれた学生生活を送れたこと、
そして、たくさんの人たちに支えられて今の私がいるということをひしひしと感じています。これ
から社会に出ても、周りの人たちに助けられて生きているという感謝の気持ちを忘れずに、思いや
りの心を持って生きていこうと思います。
お世話になった先生方、大切な友人のみんな、そして、家族や親せきにも感謝しています。あり
がとうございました。
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文化学科 大塚 杏菜
お友達の方もはじめましての方もこんにちは。恵泉女学園大学四年の大塚杏菜です。
こんな風に自分の名前を名乗るのも今日明日で最後だと思うと、少し寂しいですね。まずは、卒
業礼拝でまた私の大好きなチャペルで、みなさんに語りかける機会を頂けたことに感謝します。短
い時間ですが恵泉で過ごした日々についてお話したいと思います。
みなさん、恵泉での四年間はどのようなものになりましたか?私は、毎日毎日忙しく過ごしてい
た気がするけれども、何もしていなかった気もするのです。何でもかんでもすぐに忘れてしまう私
ですが、最後くらいはちゃんと思い出してみようと思います。
恵泉での私の居場所はキリスト教センターでした。キリスト教センターに足を踏み入れたことが
ない人もいるかもしれません。キリスト教センターには学部・学科・学年関係なく様々な学生や先
生方が集います。私はハンドベルクワイアと学生宗教部シャロンに所属していたので自然とキリス
ト教センターを訪れる機会が多かったのですが、二年生の終わり頃には毎日用事がなくてもそこで
過ごすようになっていました。仲間たちとセンターでふざけあったり、時には愚痴をこぼしたり、
将来について、平和について、恋愛について、友情について、本当にたくさんのことを語りあいま
した。くよくよしている私を、おちゃらけている私をありのまま全て受け止めてくれる人がいる。
だから私はセンターが大好きです。
恵泉での学びで印象深いのは「平和」についてです。私はいつもセンターで理想の「平和」に出
会ってきました。それは別々の場所から集った人たちがお互いの垣根を越えて自由に話をしている
空間でした。聖歌隊のメンバーもタイワークのメンバーと、日文の人も英コミの人と、一年生も四
年生と。自分がどの学科のどの学年で、相手がどのサークルのどの学部だなんてこと関係なく、楽
しく一緒の時間を過ごしている。センターではそれが当たり前になっていたのです。
私は、それが全てではないと分かっていても見かけで人を判断しがちです。けれどもセンターで
関わった先生や友人たちは本当にさまざまな格好や考え方、生き方をしていて、私の世界を広げて
くれました。元気でたくましい先生、厳しい先生、面白くて優しい先生、第一印象が最悪だった子
も、怖くて近寄れないと思った子も、話しかけてみたら、抱きついてみたら、優しくて素敵な同じ
人間でした。
恵泉で平和について考える時、いつもセンターでの空気がこのまま世界中に広がればいいのにと
思います。誰がどこの出身だとか、肌の色が違うとか、信じるものが違うとか、足がないとか、目
が見えないとか、そんなこと関係なく笑いあって抱き合って対等に話せたらいい。子どもじみた現
実味のない文章だと思います。けれども私が考える「平和」とはそんな理想に各々が向かっていく
ことなのです。
「平和」へ向かう道こそが「平和」に繋がるのだと、信じています。
恵泉で私はどれだけ人は強く繋がりあっているのかを体の全部を使って実感しました。一生懸命、
人と向き合うことができました。やりたいことを好きなようにやらせてもらえました。本当に幸せ
に溢れた四年間を頂きました。
四月からは自分でも思ってもみなかった「勉強をする」という道に進みます。勉強なんて大嫌い
でコンプレックス満載の苦手分野に進みます。どうしてこんな道を選んだのだろうと嘆いていると
友人が言いました。
「それは、まだ足りないからだよ。
」成程、納得。人間と向き合うことを精一杯
やったあとは苦手な勉強にも向き合いなさいと、神様は用意してくれたのですね。
クリスチャンではない私ですが何か困ったり思い悩んだ時には聖書を開いてみようと思います。
そして恵泉で巡り会った大切な仲間たち、大きな器で受け入れてくれた先生方、ここまで育ててく
れた家族への感謝の気持ちを支えに新しい生活を乗り越えていきます。それぞれの道は違っても恵
泉を通して私たちが繋がっていられることを祈ります。
四年間、たくさんの人に迷惑をかけました。こんな私を怒ってくれたり、笑ってくれたり、励ま
してくれてありがとう。みなさん、大好きです。
最後は大好きなハンドベルの仲間たちと大好きなハンドベルの演奏でみなさんにありがとうの気
持ちを伝えたいと思います。本当に本当にありがとうございました。
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ム
イ
カ ン
大学院 人文学研究科 文化共生専攻 牟 煒晗
本日は、留学生の私をこの卒業礼拝という大切な行事においてお話をする機会を与えて頂きまし
たことを深く感謝申し上げます。
私は2001年10月に中国から留学生として日本に来ました。日本という国は中国から見て、先進
国かつ経済大国であり、中国では日本に追いつけ、追い越せという民衆の風習が強くあり、私も
日本に行ったら人一倍の努力をしなければならないという覚悟で留学を決心したことを思い出し
ます。また、日本に来てから、日本人とのコミュニケーションをどのように取れば良いかとても
不安でした。
私は今から6年前の4月に恵泉女学園大学に入学しました。入学試験で初めてこの大学に来た時
に、私の心に衝撃が走りました。入学試験ということで気合いを込めて来たのですが、恵泉のきれ
いなキャンパス、花や樹木、とても落ち着きのある雰囲気、また、親しみのある職員の方々の対応、
私は入学試験だということを忘れてしまいそうでした。入学した当初、留学生の私が授業において
日本人学生に迷惑をかけないよう、そして日本人学生と同等またそれ以上頑張らなければならない
という気持ちがとても強かったです。しかし、恵泉の先生方や友達などは私を留学生として特別視
をすることがまったくなく、とても温かい雰囲気で対応してくれました。
大学の4年間、私は日本、中国など国際交流のかけ橋となるため、日本語教育者になる道を選び、
日本語教員養成課程を修了致しました。この道を選ぶにあたっては、留学生が大学の授業をしっか
り身につけるために必要な日本語能力を高めるにはどのようにしたら良いか、自分が学生として学
習した日本語の学習方法を振り返って分析し、主専攻で日本語教授法などを習得した上で双方の問
題点を洗い出すことに力を入れました。また、日本語教育上目指すところに行きつくにはどのよう
な対策があるかを研究し、まず卒業論文で問題点を提起し、改善策などを提言致しました。そして
大学卒業時、いくつかの就職先がありましたが、先生方のご助言を頂き、大学院へ進学しました。
大学院で勉強したことによって、より一層の日本語教育の視野が広がりました。また、私の使命
と今後の日本語教育での役割が明確になりました。恵泉で学ぶことにより、自分が何をすべきなの
か、日々の一瞬一瞬に意味を作り出していくものであると知り、使命感を持って生きることがいか
に大切であるかを深く知りました。使命感を持って生きること、
それは今の時代を生きる若者にとっ
て最も必要な事のように感じます。自分が行うべき事は何か、自分に与えられた使命を模索しなが
ら生きていくことは、同時に生きる目標を探すことです。生きる目標は、人生の道標となり、それ
を見つけることで私達は自分自身の道を見失わずに生きることができると思います。このことは、
恵泉でキリスト教概論の授業で学ぶことができました。
大学院では、私は卒業論文の内容をより深く追求、研究し、具体的な提言ができるような研究を
行いました。私の研究した内容は今後の留学生受入にあたりとても有効なことであると自負してお
ります。また、今後恵泉に対して留学生の受入業務などに貢献したいと考えています。私の研究目
標に向けて先生方や周りの友達に協力、激励を頂き、無事に修士論文を書き上げ、卒業を迎えるこ
とになりました。
先生方、そして職員の方々、6年間本当にありがとうございました。先生方は温かい眼差しと大
きな心で私を見守って下さいました。勉強などの事
で悩んでいる時、忙しい中でも時間を見つけて、心
のこもった指導をして下さいました。私は恵泉で学
ぶ事が出来て本当に幸せでした。私はこの恵泉が大
好きです。恵泉を卒業することはこれから一生の誇
りです。
この恵泉の国際的へだてのない校風を、今後入学
してくる留学生に教えてあげたいと思います。この
使命は私の恵泉に対する恩返しになると思います。
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国際社会学科 中川 福絵
今日、このような日に、私が皆さんの前でお話をする機会をいただけるとは夢にも思っていませ
んでした。皆さんの前で何を話せば良いのか迷いましたが、私の4年間についてお話しさせていた
だきたいと思います。
この大学に入学したころ、私はこの大学に入って良かったのか、とても悩んでいました。受験し
た中でも志望度は低かったし、この大学で自分が勉強したいことがあるのか、授業についていける
のか不安でした。また、友達ができるのかと悩んだこともありました。けれど、園芸の授業で土に
触れてみたり、宗教について学んだり、世界に目を向けたりしていくうちに、たくさんの素敵な人
たちとの出会いがあり、いつの間にかここでの生活が楽しくなっていました。
私の周りには、自分のやりたいことに積極的にアタックして、前に進んでいく人たちがたくさ
んいます。そんな皆のことを私は尊敬しています。自分のやりたいことや、勉強したいことが明
確になくて、のんびりしていた私には、そんな皆がうらやましいと思うのと同時に、そんな自分
に焦りを感じていました。特に20歳という成人を迎えるにあたって焦りは大きく、こんな自分が大
人になって良いのか、自分は何がしたいんだろうかと毎日のように自問自答している時期があり
ました。焦りと不安でいっぱいだった私を心配して声を掛けてくれたのも、やっぱり周りの人た
ちでした。
「私も先のことで不安なことはあるよ。
」とか、
「自分のペースでじっくり考えて、自分
が良いと思うことに進めば良いんじゃないか。
」とか、いろんな方から助言をしていただきました。
私は、皆さんの優しさと温かさにふれて、それ以降手探り状態ではありましたが、自分がやりた
いことについてじっくり考え、前へ進んで行こうと考えるようになりました。
3年生を迎えるころから、私は徐々に変わったように思います。それまで受講していた山崎正氣
先生のゼミと、李泳采先生のゼミ、この2つのゼミを受講すると決めたことも、今までの私からす
れば大きなことでした。けれど、それ以上に中国短期フィールドスタディーへの参加を決めたこと
は、私の中で重大な出来事でした。正直、2年生の終わりごろまでFSというものに興味はありま
せんでした。しかし、学内に貼られていたFSの参加者募集案内のポスターの中にある「中国」の
文字を目にした瞬間、私の中に衝撃が走りました。自分でもよくわからないけれど「参加しなきゃ
いけない」そんな衝動に駆られ、私は申込用紙を手に、楊先生の研究室に向かっていました。
FSでやることの多くは初めてなことばかりでした。また、私が引き受けた仕事の責任と期待が
とても大きくて、辛くて苦しいと思うことも多々ありました。一年間、頭の中にあったのはFSの
ことばかりで、ただひたすら次に進むことに必死でした。それでも、この体験で学んだことには、
それ以上の価値がありました。現地に行ってみないとわからないこと、実際に聞いてみないとわ
からないことがたくさんあり、中国に行く前に抱いていた中国に対するイメージと、行った後の
イメージはかなり変わっていました。特に、現地で出会った中国の学生たちが、私の考えていた
以上に日本と中国の関係に関心を持ち、日本のことを考えていたことには驚きました。中国の学
生たちといろいろ話した中で印象に残っているのは、
「日本と中国の間には歴史のことなど様々な
問題があるけれど、これからは私たち若い人たちが、お互いのことを知り、認め合うことが、今
後の日中関係には必要だ」という結論を出したことです。このFSを通して自分の視野や考え方が
多様になり、
自分ができることや弱いところなどを知ることができました。今思えば、
FSのポスター
を見た時のあの衝撃も、私が通らなければならない道を示していたのかもしれません。
FSで培った力は、卒業論文の執筆にも活かされたように思います。自分から調査のために現地
に行ったり、直接お話を聞いたりすることができるようになったのも、いろんな経験をしたことで、
自分がだんだん成長していたからだと感じています。卒業論文は、書いても書いても終わらないし、
自分の考えをうまく文章にまとめるのも大変でした。それでも書き上げることができたのは、山崎
先生がいつも温かく見守り、指導していただいたおかげだと思います。
4年間振り返ってみれば、楽しいことばかりでしたが、こうやって時々立ち止まってはいろいろ
悩んだり迷ったりしていたことを思い出します。それでも、少しずつ前に向かって進んでいくよう
になったのも、いつも周りの人たちが与えてくれる力が、私を支えてくれたからだと思います。今、
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私がこうして皆さんの前に立つことができたのも、皆さんから刺激を受けて、自分自身が少しずつ
変わって成長できたからだと思います。
これから卒業した後もまだまだ沢山悩んだり壁にぶつかったりすると思いますが、ここで学んだ
ことや体験したこと、それからたくさんの人の温かさを忘れずに、前を向いて自分のペースで乗り
越えていきたいと思います。
最初は不安の中入学したこの大学でしたが、今では恵泉に通うことができて本当に良かったと
思っています。また、この大学で出会うことができたのが皆さんで本当に良かったです。4年間こ
の大学に通わせてくれた両親、そしてこの大学や皆さんに出会えたことに感謝します。本当にあり
がとうございました。
人間環境学科 碇 俊美
この4年間、緑が溢れ四季を肌で感じられるキャンパスの中で様々な人たちに出会いました。
私は1年生の初め、サークルにも入らず、バイトもしておらず、講義が終わったらすぐに家へ帰
るという生活をしていました。大学生活がつまらないとも思っていませんでしたが、恵泉に通って
いる実感、恵泉に来て良かったと思えるようになったのは、1年生の春休みに行った宗教委員会が
主催するタイ国際ワークキャンプに参加したことでした。先輩ができ、多学科の友人もできました。
そして、同じ学科でも、
「苦手そうだなぁ」と思っていた子とも、今は以心伝心で通じ合うくらい
の仲になりました。汗を流し、共に苦労を乗り越えることで、人と向き合うことをし、仲間の大切
さを感じました。
タイワークに参加して以降、大学の行事に積極的に参加していこうと思うこともできました。私
にとってタイワークは色々なきっかけを作ってくれたのです。
実際にはたまにしか行っていないのですが、私は礼拝の時間が好きでした。礼拝の時間は小中学校
でいう道徳の時間と同じという感覚があます。礼拝では先生方の経験、伝えたいこと、日々感じてい
ることなどを聞くことできます。そのことを自分に置き換えたり、時にはそのとき欲しかったアドバ
イスになったりする言葉もあります。何よりも聴きながら自分をみつめ直す時間をもてました。
恵泉では、礼拝以外でも自分をみつめ直す時間があります。高校までの授業ではテストのために
勉強をするという様にしか感じられませんでした。一方、恵泉では、具体的に私の受けた授業で言
うと、生活園芸、平和研究、キリスト教入門、マイノリティ論、持続可能社会論、有機農業、哲学、
土と文明、生活と色彩、花と生活、リハビリテーション、生け花、地域研究などなど、教養を高め、
どのように生きていくかを考えさせられる授業、すなわち自分と向き合い考えることが多いものば
かりでした。これらの授業は、格差のない人々の心が満たされる豊かさに繋がっていく学びだと私
は感じます。
恵泉の学生生活で培われてきたものによってできた、私の座右の銘をここで2つ発表したいと思
います。1つ目は、
「1人よりも2人、2人よりも3人がいい」力を合わせると言う事です。時に
は1人になりたい時もあります。しかし、お昼を食べるのも1人よりも2人、生活園芸の授業も2
人で助け合い、タイワーク中でのレンガを運ぶバケツリレーも大勢の人がいたからこそでき、アイ
ディアも人数が多いことにより良いものが生まれると思います。いくつものことが重なってそう思
えるようになりました。友人だって1人よりも2人、多い方が、人生幸せな気持ちで満ち溢れると
思います。信頼できる親友が何人かいればいいと聞いたこともありますが、私はそうは思いません。
私の見る限り恵泉の中で、友人の多い子は、みんな優しく感謝の気持ちを表し思いやりのある子ば
かりで、その子達は友人を通して新たな発見があると思います。苦難や壁にも誰かがいたからこそ
乗り越えられたということがたくさんあります。
私は近い未来、夢があります。10年後家族と一緒に農業で暮らしたいと思い描いています。現在
の農業は機械化がどんどん進み、限りある資源を多く使用しています。私の理想は無駄なエネル
ギーを使わずに、ひとりでも多くの人と共に、農業に携わり、収穫の喜びを味わいたいと考えて
います。そのような思いがあるので、ディズニーランドや駅で大勢の人たち見ると「この人たち
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一人ひとりが稲を1本植えれば田植え機なんて必要ないのになぁ」とも考えてしまいます。
もうひとつの座右の銘は、私たちは見えないもの、周りの人たちによって「生かされている」と
いうこと、太陽、空気、水、土、堆肥、そこに住む生物のお陰で、野菜などの作物が育ち、循環の
中で、私たちは生かされていることを生活園芸の中で五感を使い知りました。自然に感謝です。当
たり前と思ってしまう日々の生活、様々な人たちによって成り立っているということ、感謝の気持
ちを忘れずに、せめて身近な人には伝えられるように、過ごしていきたいです。
私はたまたま、この場に選ばれ、こうして、文章を考えお話していますが、選ばれなかったら、
今の気持ちを文章に残すことはなかったと思います。大したことは話していませんが、何年後かに
大学生だった私を思い出しながら読み返すのが楽しみです。皆さんも何か恵泉での学びを残してみ
たらどうでしょうか。10年後、楽しみになりませんか。
18歳から22歳の4年間、自分という土台があり、恵泉での学びと出会いが私を成長させてくれま
した。同じ場所に行っても興味を持つところは人それぞれ、同じ学びでも、将来どう活かすかはそ
の人次第だと思います。私は農業の道を歩んでいこうと思い、恵泉は私の背中を押してくれました。
最後に、貴重な機会を与えてくださり、どうもありがとうございました。
大学院 人間社会学研究科 平和学専攻 有馬 亜紀子
本日、皆さまとともに卒業礼拝を迎えられたことと、こうしてお話しをさせて頂く機会を与えら
れたことに感謝します。
私は2008年春に、恵泉女学園大学大学院に入学しました。その前の3年間はカナダのオンタリオ
州に留学し、幼児教育を専攻していました。大自然に囲まれたカナダでの留学は楽しく充実しなが
らも、当時3歳半の子どもを連れての生活は、たやすくはありませんでした。住んでいた町には電
車が無く、唯一の公共交通機関は40分に一度の市バスのみでした。バスはいつも大幅に遅れ、悪天
候で道が凍ると運休、タクシーも来ません。人生最初で最後のヒッチハイクも経験しました。
つらくなると、日本の家族に「途中で帰国をしたい」と泣き言を言いました。家族は「小さな子
どもを連れてたった一人では苦しいだろう、いつでも帰ってきていい。途中で諦めることもまた勇
気である。
」とよく言ってくれたものでした。しかしその後に必ず、
「でも、あなたが全てをやり遂
げて帰って来られるなら、何よりも嬉しく、誇りに思う。辛くてもやり遂げる姿を、子どもは必ず
理解してくれるもの。
」と付け加えました。この言葉が私の支えとなり、留学を無事に終えられた
ことは今でも感謝しています。
帰国後、大学院の生活では電車やバスの便もよく、帰り道にヒッチハイクをする心配もないこと
は、当たり前ですが、不便な生活の後ではとても有難く、研究に集中することができました。しか
し、少しの間日本を離れていただけで驚くほど日本の生活に馴染めなくなっている自分に気が付き、
つい最近まで苦労をしていたのも事実です。カルチャーショックを受けることはしばしばで、担当
教授である大日向先生には、ご迷惑をかけてばかりでしたが、いつも厳しく、そしてたっぷりの愛
情をかけて育てて頂き、2年は瞬く間に過ぎました。
在学中には、学部の授業にも参加させて頂きました。女性
が経済的な自立を実現し続ける大切さ、結婚・出産後も社会
とかかわり、職を持ち続けることの大切さを大日向先生の心
理女性学の授業で学びました。自らのこれまでの経験からも、
全くその通りであると思います。しかし、夫婦共働きで子育
てをすることは、簡単なことではなくお互いの理解と協力が
不可欠で、そうした意味で女性学は女性だけの学びではなく、
全ての人が「生き方」を学ぶための非常に重要な研究である、
と気づきました。
短期集中講座「イスラム教と世界平和」では、2年に渡り、
タイからお迎えした講師の通訳をする機会を与えて頂きまし
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た。私にとってなじみの薄かった宗教的思考や、イスラム教の知識を深めることができ、これまでメ
ディアを通じて抱いていたイスラム教に対するネガティブなイメージは、大きく変わりました。
修士論文はカナダのキンダーガーテン教育を題材に執筆しました。2009年3月に行った現地調査の
データは私の論文の主軸となり、必要不可欠な素材となりました。1 ヶ月の滞在中、日本の幼稚園と
は大きく異なるオンタリオ州のキンダーガーテン制度や、子ども達と教員の関わり方など、机の前で
は学べないたくさんのことを記録して持ち帰ることができました。この現地調査は恵泉会・同窓会給
付奨学金を受けられたことで実現できました。この場をお借りして、いま一度関係者の方々には心か
らお礼を申し上げます。
今思えば修士課程は、2年間でひとつの論文を終結する長距離走でした。スタート直後は先にある
ゴールも見えず、走る方向を定められないまま苦しい日々を過ごしました。頼りない私でしたが、大
日向先生は「あなたは必ずやり遂げます。
」と、いつも信頼して下さり、静かながらも力強く、つか
ず離れず先導して下さいました。2年前に私を引き受けて下さって以来、最後まで支えて下さったこ
とへの感謝と先生の教えを忘れずに、今後も成長を続けたいと思います。
先生方をはじめ、事務スタッフの方々や図書館のみなさまにも、いつも大変お世話になりました。
研究室では色々なことを話し合える仲間にも出会えました。仲間の存在なしでは、今日私がここにこ
うして立っていることは無かったと言えます。そして最愛の息子、有馬廉の存在なくしては、私の研
究が始まることすらあり得ませんでした。今日ここには来られませんでしたが、日々成長する姿に感
動する毎日です。
現在私は昨年、映画製作に関わったきっかけから、スタジオ管理会社の運営を始めました。映画や
テレビ番組の製作に携わり、今はドキュメンタリー映画の製作をしています。これまでの研究からは
少し離れていますが、キンダーガーテン教育の研究を始めてまだ間もないですから、今後も何かのか
たちで続けていきたいと考えています。
この2年間、恵泉でしか学べないこと、研究できないことを経験しました。たくさんの人々に支え
られながら大学院を修了することができたことを、心から嬉しく思い、感謝の気持ちでいっぱいです。
有難うございました。
あ り
ま
れ ん
編集後記
奨励をお引き受けくださった桃井和馬さんの
す。
」卒業礼拝にご参加くださった皆様にも感謝
お話は、ご自身の経験や、新渡戸稲造、小山晃祐、
です。
河井道を引き合いに出しながら、卒業生それぞ
宗教委員長 斉藤 小百合
れのマニュアルのない人生を、勇気をもって歩
んでいく指針を示してくださいました。休んだ
り、
戻ったりしていても「時速5キロ」で寄り添っ
ていてくださる神。その神と、
「へりくだって神
と共に歩」んで行こうではないか。卒業生たち
NEWS LETTER 特別号
の感話もまた、本学で培った豊かな賜物を証し
発 行 恵泉女学園大学キリスト教センター
〒206-8586 東京都多摩市南野2-10- 1
TEL 042-376-8285 FAX 042-376-8297
印 刷 電算印刷株式会社
発行日 2010年5月10日
された。それぞれの新しい場所で羽ばたいてい
かれることでしょう。まさにあなたがた卒業生
は、
「わたしたちの推薦状はあなたがた自身で
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