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那賀川中だより

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那賀川中だより
那賀川中だより
※
70年前 の 12月21日 に昭和南海地震が発生しました。その2年前の
12月7日にこれもまた大きな被害を出した昭和19年の東南海地震が起こり、前々回の
安政南海地震も12月24日で、たまたまの偶然かもしれませんが12月は地震・
津波避難について考える時と思います。
これは
特別号
校
訓
南海地震
『 いのちを大切に 』
避難訓練(12月7日)
今年2回目の合同避難訓練を実施しました。奇しくも 12 月 7 日は、昭和19年大規模
な東南海地震が発生した日でもあり、今年は昭和21年(1946年)の昭和南海地震か
ら70年目の節目の年でもあります。この避難訓練を通して、地震への備えと危機意識を
感じ取って欲しいと願っています。
インターネットの百科事典「ウィキペディア」から
1946 年(昭和 21 年)12 月 21 日
昭和南海地震 - M 8.0、被害
は中部以西の日本各地にわたり、死者 1,330
名、家屋全壊 11,591 戸、半壊 23,487 戸、
流失 1,451 戸、焼失 2,598 戸。津波が静岡
県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・
三重・徳島沿岸で 4 - 6 m に達した。室戸
・紀伊半島は南上がりの傾動を示し、室戸
で 1.27 m、潮岬で 0.7 m 上昇、須崎・甲
浦で約 1 m 沈下。高知付近で田園 15km2
が海面下に没した。道後温泉の湧出が 38
日間止まる。山口県美祢市(旧美祢郡別府
村、共和村)では秋吉台麓の厚東川沿いの
低地に「口径 1 - 11 m、深さ 1 - 5 m の堆
積地ドリーネが 150 余発生した」。この地震の 2 年前、1944 年(昭和 19 年)12
月 7 日には昭和東南海地震が発生している
92
年前
1854 年 12 月 24 日(嘉永 7 年 11 月 5 日) 安政南海地震 - M
8.4、死者千 - 3 千人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大
波高 11 m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が 106 日間
止まる。時間差でこの 32 時間前に安政東海地震(東南海地震含む)が発生し
ている。両地震による死者の合計は約 3 万人との説もある。余震とみられる地
震は 9 年間で 2,979 回記録された(『真覚寺日記』)。
147
避難開始から 中学生が
運動場への 1次避難完了
4分15秒
子どもセンターの園児が 運動場への 1次避難完了
5分30秒
2次避難場所 校舎3階への 2次避難完了
15分30秒
那賀川河口への津波到達予想時間 (23分)
災害は忘れたころにやってきます。備えや訓練は大切にしていきましょう。
年前
1707 年 10 月 28 日(宝永 4 年 10 月 4 日) 宝永地震(東海・東南
海・南海地震とされていた) - M 8.6、五畿七道諸国、東海地方から九州東部
の広い範囲が激震域となる。この地震の 49 日後に富士山が噴火し宝永山(火
口)ができる(宝永大噴火)。死者 2 万人余、倒壊家屋 6 万戸余。房総半島か
ら九州まで大津波が襲来し、大坂、土佐の被害が甚大であり、青龍寺や久礼で
は標高 25m の地点まで遡上した。道後温泉の湧出が 145 日間止まる。
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