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﹁純粋経済損失﹂に関する学説の検討

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﹁純粋経済損失﹂に関する学説の検討
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page269 2010/09/15 18:01
法律論叢 第八三巻 第一号︵二〇一〇・九︶
第1項 第2項 第3項 第1項 の見解
Benson
の見解
Cane
第2節 区別を積極的に説明しようとする立場
の見解
Atiyah
の見解
Stapleton
第1節 区別に懐疑的な立場
第3章 学説による分析
第3節 歴史的観点からの説明
第2節 利益の序列又は性質
第1節 水門論
第2章 責任否定準則を支える論拠
第1章 はじめに
目 次
︱︱イギリス法における議論を中心に︱︱
﹁純粋経済損失﹂に関する学説の検討
︻論 説︼
269
吉
本
篤
人
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page270 2010/09/15 18:01
270
――法 律 論 叢――
︵ ︶
第2項 第3項 第4章 まとめ
の見解
Witting
の見解
Gordley
第1章 はじめに
の責任成立に否定的な立場を採用する他の法域においても、類似の主張が見出せるものである。
拠を紹介する。本章で挙げる主張は、必ずしもイギリス法固有のものではなく、純粋経済損失という概念を用いてそ
最初に、純粋経済損失に対する過失不法行為責任を原則として否定すべき理由として、伝統的に主張されてきた論
第2章 責任否定準則を支える論拠
例法の変遷を学説がどのように評価・分析してきたかを検討することを目的とする。
を区別し、後者について特別な考慮が必要であると考えていることを指摘した。本稿は、前稿を受けて、イギリス判
前 稿では、事例群を用いて判例を整理し、イギリス判例法が過失不法行為法において物理的損害と純粋経済損失と
1
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――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
271
第1節 水門論
]に対する、不確
class
裁判官の説示が、し
Cardozo
]と総称される主張であ
floodgates argument
︵一︶純粋経済損失について過失不法行為責任を制限する論拠のうち最も重要なものは、制限がないと加害者の責任
が無限定となり、それゆえに不合理であるという主張である。水門論[
るが、裁判所がこの懸念を端的に表明したものとして、合衆国ニューヨーク州控訴院の
︵ ︶
ばしば引用される。すなわち、ネグリジェンス責任が認められると、被告は、
﹁不確定な集団[
︵ ︶
﹂
、と。この水門論には、三つの立場が存在する
定な期間における、不確定な量の責任に晒されることになるであろう
2
愕させる可能性のある責任は、被告に過失があったという程度の非難可能性とは均衡のとれないものになる、という。
第二は、責任が広範囲に亘るものになると、被告に過大な負担を強いることになる、というものである。被告を驚
れを克服することも可能なはずである。それゆえ、この立場の水門論の説得力は、単独では弱いといわざるを得ない。
足が理由であるというのであれば、それを増強するかあるいは集団訴訟といった訴訟法上の技術を用いることで、こ
しかし、紛争の全てが多大な時間と費用を要する裁判所に持ち込まれるというのは幻想であるし、もし裁判資源の不
込まれると、裁判行政上の混沌を来してしまう。裁判制度は、訴訟の数の点において対処できないであろう、という。
うな事態をもたらした場合、何百何千もの人々が経済的損失を被ることになる。これらの多数の訴えが裁判所に持ち
負わせることになってしまうというものである。被告の過失行為が、取引市場の閉鎖や公路の商業利用を遮断するよ
。
ことが既に指摘されている
・・・・
第一は、純粋経済損失の賠償を認めてしまうと、無限の訴訟を解放することになってしまい、裁判所に重い負担を
3
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page272 2010/09/15 18:01
また、どれだけの数の訴えが提起されることになるのかを、被告が事前に予測することも不可能である。例えば、被
告が直接被害者の所有する財物を毀損した場合、二次的損失を被る集団がどれほどの規模になるかは、その財物の利
用と関連して経済的利益を有する者の数に左右されることになる。
この不均衡な結果をもたらすことに対する懸念は、純粋経済損失だけに適用される固有の問題ではなく、例えば作
業員の僅かな過失が爆発事故を引き起こし、多数の死傷者が生じるといった大惨事を招いた場合にも、理論的には適
用が考えられるものである。しかしながら、この危険性は、純粋経済損失の事件の場合に遙かに高まると主張される。
経済的損失は遠く広範囲に伝達される傾向を強く有しており、ニュートン物理学は経済的な破滅が伝達される途上に
おいては適用され得ない。物理的損害は最終的に一応の落ち着き処を有しているが、経済的損失は重力や摩擦によっ
て伝達速度が低下させられることはない。この経済的損失が有する波及効果に由来する危険性が、責任制限的な立場
をとる理由である、という。
第三の立場は、純粋経済損失に纏わる現象は、現代における不法行為責任の拡大化傾向の一部であって、この傾向
︵ ︶
は引き続き制御されなければならない、とするものである。責任否定準則に例外を認めることは、準則の逆転をもた
たように加害者の僅かな過失が多数の死傷者をもたらす大惨事においては、被害者の数や損失の総額がいかに莫大な
︵二︶したがって、有意義な水門論というのは、第二の立場に関するものといわなければならない。しかし、前述し
という点に、直接応えるものではない。
する例外は認めるべきではないということになる。しかし、この立場は、責任否定準則がなぜ常に正当化されるのか
見解によれば、訴訟の洪水や不均衡な責任を課すことになる危険性が存しない場合であっても、責任否定準則を侵食
、とする。この
らしかねない手法であって、こうした不法行為責任の拡大化傾向に対しては抵抗しなければならない
4
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――法 律 論 叢――
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――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
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ものになろうと、不法行為法は救済を与えることを原則的には躊躇しないはずである。それゆえ、単に被害者の数や
︵ ︶
損失の総額が大であるということそれ自体は、説得的な理由ではない。真の理由は、数量の﹁大きさ﹂ではなく﹁不
第一及び第二の考慮が意味するところは、加害者となる者は、何者かが何らかの経済的損失を被るということを抽
とを、被告に対して求めるのは不公平でもある、という。
避するためには、責任否定準則が求められる。さらに、被告と契約関係にない者が有する営業上の期待を考慮するこ
ろか推測することすら不可能である。損害賠償に現実的な限定を課し、この意味で不均衡な制裁をもたらすことを回
と及びその範囲を予見するのに最適な立場にあるのは、通常は各々の原告であって、被告は予防措置をとることはお
第二は、個々の訴えの不確定性である。ここでも、典型的には逸失利益の場合が想定される。逸失利益が生ずるこ
るかは不確定であって、加害者となり得る者にとっての事前の計算可能性を著しく低下させる。
約外の連鎖によって、波及効果をもたらすものである。こうした波及効果によって生じる多重の訴えがどこまで起き
たらし、その喪失がさらに供給者の供給者に対して別の利益の喪失をもたらすというように、無限に続く契約又は契
た得べかりし利益の喪失が、原告に物やサービスを提供するはずであった供給者に対して得べかりし利益の喪失をも
の規模がどれほどかについて、事前に予測することは不可能である。さらに、経済的損失は、被告が原告にもたらし
交通量の少ない深夜か︶
、何台の自動車が渋滞に巻き込まれるか、渋滞に巻き込まれた者達が喪失した得べかりし利益
何らかの経済的損失を被ることが推測される。しかし、この道路トンネルの閉鎖がいつ起きるか︵混雑する時間帯か、
て、その自動車の瑕疵が、混雑する時間帯に道路トンネルを閉鎖するような事態を招いた場合、多くの道路利用者が
第一は、訴えの数が不確定であるという点である。ある製造者が過失により瑕疵ある自動車を製造した場合におい
。
確定性﹂にあるというべきである。これにも二つの意味が含まれる
5
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象的には予見可能であっても、その数や個々の事件における範囲を一定の確実性をもって具体的に予見することはで
きないので、もし経済的損失に対して広範囲に亘る責任を負わされたとするならば、誰もが過失行為によって計算不
可能なリスクを負わされることになる、という点にあるといってよいだろう。この立場の水門論は、説明としては概
]
wealth
ね首肯し得るところであるが、水門論自体が現実的な懸念であるかは経験的な調査を踏まえたものではなく、結局の
ところ推測的な主張であることは、注意しなければならない。
第2節 利益の序列又は性質
︵ ︶
列にしたがって保護を付与するものであって、
﹁人的価値に関心を有する法制度︵そして、法は社会の適切な価値観を
等々は、全て有益な利益である。しかしながら、これらは等しく有益な利益というわけではない。法は、諸利益の序
る。我々が有する法益、すなわち自由・身体的完全性・所有権・占有権・名誉・富・プライバシー並びに人格的利益
は、身体の完全性や物理的な財物と同じ水準で取り扱われないし、取り扱われるべきではないという主張がこれであ
水門論と並びそれを補強するものとしてしばしば説明されるのは、利益の序列に関する主張であ る。無形の富[
6
︵ ︶
反映するものと考えられる︶が、無形の富よりも有形の財物に対して、より厚い保護を与えるのは正当なことであろ
︵ ︶
﹂、という。
う
7
ある。そこには、裁判資源は有限であるがゆえに、法や裁判所が下位の利益を保護することで、上位に属する利益の保
の価値しか有しないとしても、法益である以上、それだけで直ちに保護を全面的に否定する理由にはならないはずで
が、法や社会が認識する価値観において最下位
この見解に対しては、次の疑問が浮かぶ。仮に無形の純粋経済利益
8
274
――法 律 論 叢――
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page275 2010/09/15 18:01
――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
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護が損なわれる恐れがあるのであれば、下位の利益の保護が否定されてもやむを得ないという価値判断が存するよう
に思われる。この点において、この主張は、裁判所の負担を理由とする水門論の第一の立場と結びついたときに、責
︵ ︶
︵ ︶
任否定の根拠となり得るものと評してよいだろう。水門論の根底には、経済的利益は物理的利益よりも保護に値しな
。
いという判断が存する、と主張する立場も見受けられる
︵ ︶
不法行為法の諸準則は、人身侵害又は物理的損害のために発展してきた歴史上の産物であるから、現在及び将来に
第3節 歴史的観点からの説明
といってよいと思われる。
てはならない、という。この見解は、前述した不確定性を理由とする第二の水門論の立場と、類似の方向にある見解
者の活動の自由を不合理な範囲にまで制限することになる。それゆえに、かかる利益に対する保護は、制限されなく
るものではない。外部から見て明らかでなく明確な輪郭も有していない利益に広範な保護を与えることは、あらゆる
はない。他方で、純粋経済利益は、個別の事例においても明確な輪郭を有しておらず、外部からその輪郭を判別でき
の事例においては明確な輪郭を有するが、その内容は事例によって異なり、外部から見て必ずしも判別できるもので
物に対する権利は、明確な輪郭を合理的に有しており、外部から見て判別できるものである。契約上の権利は、個別
。生命、身体、自由及び財
これと並び、利益の性質という別の観点から説明を試みたものとして、次の見解がある
10
9
は、イギリス及びドイツにおいて法の第一の目的は、
﹁常に﹂人的被害及び財物に対する物理的被害に対して保護を与
おいて、それを純粋経済損失に適用しようとすることは、端的に誤りであると主張する立場が存す る。例えば、 Kötz
11
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276
――法 律 論 叢――
︵ ︶
えることにあったのであり、少なくとも両国においては、純粋経済損失は歴史的な発展から取り残されてきたように
︵ ︶
、という。
ることは、破滅的なレベルの責任をもたらすであろう
との区別に懐疑的な立場と、区別を積極的に説明しようとする立場とに、大別することができる。
ギリス判例法の分析を行ってきた主立った学説を紹介し、検討を試みる。学説の立場は、純粋経済損失と物理的損害
前稿で検討をしたイギリス判例法の変遷に対して、学説はどのような見解を示してきたであろうか。本章では、イ
第3章 学説による分析
史的発展から取り残されていたとしても、それはおよそ一世紀程度であることは、一応踏まえておく必要がある。
られた二〇世紀初頭において、歴史的偶然により登場したとされる。仮に純粋経済損失に対する不法行為法準則が歴
済損失と呼ぶものについて賠償を認めていたという。純粋経済損失という概念は、概念法学的な手法が説得的と考え
経済損失という概念は、ローマ法においても自然法学派の議論にも見出すことはできず、事実、我々が今日、純粋経
の研究
によれば、一九世紀に至るまで、純粋
Gordley
14
13
しかし、こうした歴史認識には、疑問が投げかけられている。
︵ ︶
準則は、この情況外では機能し得ないのであって、予見可能性のテストを純粋経済損失の訴えに対して単純に適用す
、という。また、 Feldthusen
は、予見可能性にもとづいて物理的損害 に つ い て 発 展 し て き た 不 法 行 為 法 の 諸
思われる
12
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――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
277
の見解
Atiyah
第1節 区別に懐疑的な立場
第1項 ︵ ︶
論 稿である。 Atiyah
は、人身侵害は金銭によって真
Atiyah
]
policy consideration
的損失を被ったという場合を想定する。大体の場合、雇用主は法人であり、その被用者が負傷によって職に従事でき
挙げられる。被用者が交通事故によって負傷し、一定期間、職に従事することができず、これによって雇用主が経済
第二に、純粋経済損失のリスクは、物理的損害のリスクと比して、頻繁かつ容易に分散される負担であるという点が
することになる。
経済損失について訴えを提起する権利を与えると、今日一個の訴えしかないところに、何十何百もの訴え提起を助長
に派生的な経済的損失について救済を与えても、訴訟の増加をもたらすものではない。他方で、これ以外の者に純粋
考えている。物理的損害の事件においては、既に請求原因が存在しており、原告は訴えの権利を有している。この者
第一に、裁判所は、純粋経済損失の賠償を認めることで単一の事件から多重の訴訟が提起されることを防ぎたい、と
にあるのではないか、と指摘する。
という。それにもかかわらず、イギリスの裁判所が異なる扱いをする理由は、次の政策的考慮[
であることに鑑みると、財物に対する物理的損害と経済的損失とを法が区別しなければならない理由は明らかでない、
対し、財物の喪失や財物に対する物理的加害は財産的損失の一形態にすぎず、金銭によって完全に賠償され得るもの
の意味では賠償され得ないので、人身侵害と経済的損失とで法が異なる扱いをすることは理解に難くないが、これに
︵一︶この問題に関する先駆的な論稿は、一九六七年の
15
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なくなるというリスクは、雇用主が認識しており、事業を行うにあたって考慮する通常の危険である。疾病や負傷に
よって被用者が職を一時的に離れるというリスクは、第三者の過失によらずして生じる場合もある。どちらの場合に
も、この経済的損失は、事業を通じて分散され、一部は吸収されるものである。このリスクは、雇用主が属する産業
界全体が負担するものであって、最終的には、産業界が提供している製品やサービスを消費する消費者に分散される。
分散が容易な損失であるという事実は、この分野における全ての問題に答えるわけではないが、このことから、ある
者の物理的損害又は人身侵害から派生した経済的損失について、別の者に独立した別個の訴訟原因を与えることを否
定することは健全のように思われる、という。
]させ
channel
によれば、この問題に関する当時の判例法に満足できない理由は、経済的損失を被っ
Atiyah
第三に、金銭的損失が物理的損害から生じる場合には、全ての訴えを、物理的損害を被った者に集中[
るべきである、という。
た者の訴えを、人身侵害又は財物に対する物理的損害を被った者に集中させることができるか否かを決定するための
準則が、恣意的であるからである。当事者間のリスク配分を定めることを意図した契約条項が、第三者の責任をも規
]として訴えることを認め
trustee
律するというのは、誤りである。経済的損失を被った者が物理的損害を被った者でない場合には、法は、前者が後者
の名前を使って訴えを提起することを一般的に許容するか、後者が前者の受託者[
るべきである、という。
︵ ︶
第四に、そもそも経済的損失が物理的損害から生じたものではない場合には、賠償を認めるべきである。かかる賠
は、物理的損害と純粋経済損失とを区別することに疑問を呈する立場ではあるが、水門論の第一
︵二︶さて、 Atiyah
品を購入した消費者が経済的損失を被った場合に救済を否定する理由は確実に存しない、という。
事件︵事件5
︶のような過失による助言の場合に限定する理由はなく、過失により製造された商
償は、 Hedley Byrne
16
278
――法 律 論 叢――
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の立場、訴えの数が膨大になることに裁判所が対応できないという政策的考慮はあり得ることを、指摘しているわけ
である。しかし、それは訴訟の数の点において対処すれば足りるから、訴え提起を、物理的損害を被った者に集中さ
せるための法技術を用いることを認めれば、解決できるものと考えていたように思われる。したがって、純粋経済損
Atiyah
失についても救済を得ることは許されるべきであるが、それは、物理的損害を被った者の訴訟において実現されるべ
き、という立場といえようか。
純粋経済損失のリスクは比較的容易に分散可能なものであるという指摘は、おそらく正しいと思われるが、
︵ ︶
自身が述べるように、それだけでは決定的な主張ではない。また、 Atiyah
がこの時点において既に、物の瑕疵に起因
第2項 の見解
Stapleton
︵ ︶
は、 Murphy
事件︵事件 ︶後に発表された一九九一年の論稿
において、純粋経済損失がどのよう
Stapleton
18
が袋小路
Stapleton
]と呼ぶこの類型化の手法を採用したことが影響している、と主張する。事実の類似性にもとづく類型化の手
pockets
前の裁判官よりも慎重な姿勢を採るようになったのは、注意義務の存否を判断するにあたって、
に惹起されたかという事実の類似性にもとづく類型化の手法に対して、痛烈な批判を加えている。当時の裁判官が以
︵一︶
15
ネグリジェンス責任の拡大化路線に、一定の影響を与えたことが推測される。
︶について責任を否定する理由はないと指摘していた点は、 Anns
事件判決︵事件9︶における
する損失︵第Ⅲ事例群
17
事件︵事件 ︶が示すように、事実関係が複数の類型に跨る事件については、有効な手法とはな
法は、 Smith v. Bush
[
――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
279
されるべき事項であるという。純粋経済損失に対する責任が認められるためには、原告は、次の前提条件の全てが充
が当時示した政策的考慮は、以下に述べるとおりであり、これらは全ての経済的損失の事案において考慮
Stapleton
]に着目しなければならない、という。
り得ない。表層的な事実の類似性ではなく、政策的な関心事[ policy concerns
16
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たされていることを示すことによって、自己が保護に値する者であることを立証しなければならない。
不確定な責任の恐れがないか、制御可能であること。
保護のための代替手段が不十分であること。
その領域が、議会の行動に期待するのがより適切な領域でないこと。
義務の肯定が、原告が承認したリスク配分に関する積極的な取決めから回避することを許すものではないこと。
によれば、上記のうち一点でも条件が欠けるときは、裁判所は、純粋経済損失に対するネグリジェンス責
Stapleton
任を否定すべきということになる。しかし、これらは必要条件であって十分条件ではない、とも述べる。
四つの前提条件について、簡単に説明をしておきたい。 の関心事は、前述した不確定性を理由とする水門論の立
事件︵事件 ︶において
Muirhead v. Industrial Tank Specialities Ltd
は、不確定性を理由とする水門論は責任否定の根拠となり得ると考えており、この政
場と、軌を一にする。 Stapleton
事件︵事件7︶及び
策的考慮が、 Spartan Steel
純粋な得べかりし利益の賠償が否定されたこと、並びに
が充たされない場合、す
事件︵事件 ︶において目的の認識の有無が要件とし
Caparo
11
事件判決︵事件 ︶における
件である。この条件は、 The Aliakmon
卿の説示から導かれたものである。前稿
Brandon
手段が、他の場所において合理的に利用可能であった場合には、原告の訴えはやはり斥けられる。これが、 の前提条
が充たされた場合、すなわち不確定な責任の危険性がない場合でも、損失の危険から身を守るための十分な保護
助力してはならない、という。
なわち不確定な責任の危険性がある場合には、代替的な保護手段を有していなかった者達に対しても、不法行為法は
て加えられて責任が否定されたことを、完全かつ満足のいく形で説明するという。なお、
17
で指摘したように、同事件は、関係的経済損失︵第Ⅰ事例群︶の事件でありながら、水門論にかかわる懸念は何ら存
14
280
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――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
281
在しなかった。そこで、責任否定の理由として説示されたのは、原告らにとって十分に利用可能な救済手段が既に存
は、ここから を導き、これが
Stapleton
事件︵事件5︶の結論を説明するという。同事件は、
Hedley Byrne
在する場合には、ネグリジェンス法によってこれと並行する別の救済手段を認める必要性は存しない、というもので
あった。
傍論において、純粋経済損失に対するネグリジェンス責任の成立の可能性を理論的に認めはしたが、現実の事件の解
決としては、責任排除条項の存在を理由として原告の請求を棄却したものであった。同事件で問題とされた不実表示
は、銀行以外には原告にしか開示されておらず、同事件も水門論にかかわる懸念は存在しなかった事件である。しか
し、同事件の原告は商人であり、情報に対して対価︵約因︶を与えて契約を締結することで、契約法上の救済手段を
事 件 ︵ 事 件 ︶ の 結 論 も 説 明 す る 。 同 事 件 に お い て も 水 門 論 の
White v. Jones
十分に利用可能であった者である。それゆえに、同事件の原告の救済が結論としては認められなかったと説明するこ
とができる。また、この前提条件は、
点についての当事者間の明示的な了解事項を、不法行為法が注意義務を課すことによって潜脱することがあってはな
の前提条件は、原告と被告が交わした契約上の取引や、契約外のものではあるが誰がリスクを負担するかという
法圏に独特の主張のように思われるので、説明を割愛する。
容認できないであろう、という。この見解について筆者は論評する能力を有しないが、いずれにしてもコモン・ロー
の責任について議会が制定法を既に用意している場合には、これと並行する準則をコモン・ローが発展させることは
の前提条件は、コモン・ローと制定法、すなわち裁判所と議会との役割分担に関する考慮であって、例えば占有者
ころ、裁判所がどの程度の保護主義を適切と考えるかによって左右されることになる、と用心深く付け加えている。
は、この を充たすためのハードルがどの程度の高さに設定されるかは、結局のと
ないからである。但し、 Stapleton
懸念はないし、受遺者となるはずであった者が、事前に採り得る保護のための代替手段というのは、およそ考えられ
20
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page282 2010/09/15 18:01
らない、という主張である。この主張は、原告と被告が直接の契約関係にはないが、両者の間に中間的な第三者が存在
し、その者との契約によって繋がっており、この三当事者間において誰がリスクを負担するかという点について、明
確な了解事項が存する場合に機能する。典型例は、商人間の商品売買の契約連鎖がこれであり、さらには、建物の注
文者と元請人と下請人の関係がこれである。この主張は、原告が自らの不法行為法上の権利についてどのような制限
が課されることを容認していたかという点に関するものであるが、契約や契約連鎖がこの点について真に沈黙してい
は述べている。
る場合には、原告は自らがリスクを負担することを容認したものとはいえないと、 Stapleton
に
Stapleton
の見解は、イギリス判例法が、明示的あるいは黙示的に考慮してきたであろう政策的考慮に関わる
さて、 Stapleton
諸因子を抽出し、純粋経済損失に対する責任が認められるための必要条件を挙げるというものであった。
とって、純粋経済損失の責任否定準則が正当なものかどうかという観点は前面に出てくるものではなく、上記の四つ
の前提条件に表された政策的考慮こそが、純粋経済損失に対する注意義務の存否を決定づける因子ということになる
︵ ︶
の手法
のであろう。当時のイギリス判例法の説明としては、説得力のある優れた分析であると思われるが、 Stapleton
は、直接的にはイギリス判例法が採用するところとは、現在もなっていない。
が当時述べた必要条件は、その後さらに深化して、次のような立場を表すに至ってい る。
Stapleton
心事として、少なくとも五点が認められる。これらは、いかなる事実関係にもとづく事例においても、注意義務を認
へ追いやる手法に対して、規範的な正当化事由は存在せず、破棄されるべきものである。第三に、法が示す重大な関
は、不十分である。この点は、
﹁特別関係﹂という要件が存在することで明示されている。第二に、義務状況を袋小路
第一に、純粋経済損失に関して注意義務を確立するためには、原告に対する損失が予見可能であったというだけで
その見解を紹介しておきたい。
︵二︶ ところで、
19
282
――法 律 論 叢――
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めるための必要条件︵十分条件ではない︶として現れる。
することが可能であること︵例えば、一次的被害者︶
。
めることが可能であること。
]を追求していた者ではないこと。
self-interest
原告となる者の集団及び賠償請求される損失の総量が、 の方法によって定まることを、被告が合理的に確か
(2)
原告となる者の集団及び賠償請求される損失の総量が、規範的に正当と認められる基準を用いることで、記述
被告の競争者に純粋経済損失が生じるが、被告は正当な私利[
(2)(1)
(3)
事件︵事件5︶が提起したものとは、市場経
Hedley Byrne
(1)
事件︵事件 ︶
︶や、評価人が過失により不動産
リシタが過失により遺言の作成を怠ったという場合︵ White v. Jones
対して物理的損害を加えることで関係的経済損失を生じさせた場合︵第Ⅰ事例群︶には、 は充たされる。また、ソ
(1)
によれば、過失によって第三者の財物に
いう事実は、その行為を正当化する理由とはならない。それゆえ、 Stapleton
て他人の経済的利益に損害を与えたものかを、吟味しようとしている。被告にとって過失がより安価な手段であると
行為が正当な私利を追求する競争行為に付随したものか、あるいは正当な私利を追求するという積極的な動機なくし
なされず、ケースバイケースの手法によって検討される関心事の一つにすぎないという点である。裁判所は、被告の
済における被告の正当な私利追求を害しないという関心事は、もはや包括的な責任否定準則を正当化するものとはみ
の必要条件について、 Stapleton
は、次のようにいう。
例えば、被告が注意を払ってくれることに排他的に依存しているために、原告が特に脆弱な者であること。
原告が、適切な自己防衛の方法をとることができなかったこと。
(1)(5)(4)
20
した行為は、正当な私利を追求するという意味での競争行為に付随するものではないからである。
事件︵事件 ︶︶にも、 は充足する。これらの事件において、被告が為
を過大評価したという場合︵ Smith v. Bush
16
――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
283
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page284 2010/09/15 18:01
(3)
事件︵事件 ︶では、助言者たる会計士はその過失
団を区別する理由を述べるために腐心してきた。例えば、 Caparo
助言又は情報が提供される事例群︵第Ⅱ事例群︶において、イギリス判例法は、助言によって影響された被害者集
認可能なものでなければならないという関心事を表したものにすぎないと今や考えられる、という。
性の問題は、法律上は存在しない。すなわち、水門論の懸念は、責任の限界が規範的に正当化できる主張によって確
確定可能である場合︵すなわち、被告の立場にある者がこの集団の規模を確かめることができる場合︶には、不確定
う点を限定できる場合において、かつ、第二に、この規範的に正当と認められた集団がその数の点において合理的に
命的である必然性はない。第一に、法が規範的に正当と認められる基準にもとづいて、誰が訴えを提起できるかとい
伝統的なスローガンであったが、経済的損失の総量又は被害者の総数が不確定であるということは、訴えにとって致
及び の必要条件について。不確定性を理由とする水門論は、純粋経済損失に対する注意義務を否定するための
(2)
事件︵事件 ︶を、例として挙げている。
Spring v. Guardian Assurance plc
18
︵ ︶
は、 Weller & Co v. Foot & Mouth Disease Research Institute
この基準をどのように設定するかであるが、 Stapleton
果が社会には広がり続けるものであっても、不確定性を理由とする水門論の懸念は払拭されるというのである。問題は、
要するに、規範的に正当化可能な基準が原告集団を確認することを可能にする場合には、たとえ経済的損失の波及効
対象とされた者の請求が認められた
は、推薦状の
な基準によって確認可能な集団であれば責任が認められることは今や確立されているとして、 Stapleton
ものではない、と判示された。しかし、助言や情報の受領者として指定された者ではなくても、規範的に正当化可能
行為について、会社に対しては責任を負うが、会社の債権者や既存の株主あるいは将来の株主に対しては責任を負う
17
次的被害者﹂という概念であるという。被告の過失行為によって直接的に経済的損失を被った者、すなわち他の被害
事件
のような関係的経済損失︵第Ⅰ事例群︶においても、こうした基準による区別の候補として考えられるのは、
﹁一
20
284
――法 律 論 叢――
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page285 2010/09/15 18:01
――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
285
者が自ら被った経済的損失に反応すること︵例えば、契約を取りやめるといった行動に出ること︶で二次的な経済的
損失を被った者ではない者が、これであると述べる。
は、過失不実表示の事例群において、表示の直接の受領者だけに責任を限定する必然性はな
結果として、 Stapleton
の見解によれば、関係的経済損失︵第Ⅰ事例群︶におい
Stapleton
いし、関係的経済損失︵第Ⅰ事例群︶においても、被害者が財物に対する物権的利益を有していたか否かによって責
任を画する必要はない、と述べているわけである。
ても、経済的損失に対する包括的な責任否定準則は認められるべきではなく、直接的に経済的損失を被る﹁一次的被
害者﹂については、責任を認めてもよいということになる。
ら契約上の保護を確保することを阻害している場合には、たとえ原告と被告とを繋げる契約上の連鎖が形式的には存
の必要条件は、 の裏面というべきものである。画一的な市場条件が、被告又は契約連鎖の中間にいる第三者か
(4)
得に起因する経済的損失︵第Ⅲ事例群︶について責任を負わせることを可能にする、という。
阻害している場合には、建築家・評価人・鑑定人等の助言者だけでなく建築請負人に対しても、瑕疵ある不動産の取
不法行為法による救済を与えることが支持される。この考慮は、原告が適切な契約上の保護を得ることを市場条件が
よって自己防衛することが現実的に為し得なかった場合には、この者が契約や契約連鎖の当事者であっても、原告に
定範囲の商人が不法行為法に只乗りしようと試みることを、阻止することができる。第二に、原告がこうした方法に
とで、損失を過失ある当事者に適切に内部化できる場合には、注意義務を否定する方向に作用する。これによって、一
意味する。第一に、原告が強力な商人であり、被告又は契約連鎖の中間にいる第三者から契約上の保護を引き出すこ
己防衛の手段をとることができたかどうかという関心事に今や取って代わられた、という。このことは、次のことを
の必要条件について。純粋経済損失に対する救済は契約法によること が望ましいという主張は、原告が適切な自
(4)
(5)
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page286 2010/09/15 18:01
286
在していても、不法行為法による保護を否定する理由にはならない。
事件︵事件 ︶はこの例である。
Smith v. Bush
︶も、業務執行代理人の過失に対して、投資家たるネームがその保護を求めて交渉することを市場条件が阻害して
事件︵事件
うした市場における買主の脆弱な地位を認識することの重要性を示したものといえる。また、 Henderson
失のリスクに対して、買主が契約上の保護を得ることを阻害していたという点が重要であった。同貴族院判決は、こ
して、間接的に契約上の連鎖により繋がっていたが、この市場において用いられる標準書式契約は、鑑定における過
同事件において、原告である住宅の買主と被告である鑑定人は、中間にいる第三者︵貸主である住宅金融組合︶を介
16
い、という。
の手段を得ることが現実的に不可能であったという意味で脆弱な者であった場合には、不法行為責任が認められてよ
失︵第Ⅰ事例群︶においても、原告が第三者の財物の完全性に対して排他的に依存する以外に、自らを保護するため
告にとって現実的に可能であったかを吟味して判断されなければならない、ということになる。また、関係的経済損
群︵第Ⅲ事例群︶において一律に責任を否定するのではなく、当該市場条件に照らして契約上の保護を得ることが原
いたという観点から説明できる。この観点からは、イギリス法においても、瑕疵ある物の取得に起因する損失の事例
19
失であっても、その規模や範囲が規範的に限定可能であれば、その賠償可能性を認めてもよい。
たかどうかという基準によって区別する必然性はないという考えのように思われる。換言すると、たとえ純粋経済損
といえるかは疑問なしとしないが、少なくともイギリス判例法のように、財物に対する所有権又は占有権が侵害され
のいう﹁一次的被害者﹂という概念が有用なもの
由とはならない。問題はこの基準をどう定めるかであり、 Stapleton
きる基準によって原告の数及び損失の数量が限定可能であり、これを被告が認識可能である場合には、責任否定の理
の見解は、次のように深化したといえる。不確定性を理由とする水門論は、規範的に正当化で
︵三︶さて、 Stapleton
――法 律 論 叢――
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page287 2010/09/15 18:01
もう一点の深化は、自己防衛のための代替手段が他の法領域において見出せる場合には、不法行為責任を課すべき
でないという主張は、原告と被告との間に契約又は契約連鎖が存在する場合に形式的に適用されるべきものでなく、
原告が現実に代替手段をとることが可能であったかに着目しなければならないとする点である。これは、首肯できる
ところであり、当然の推移といってよい。この見解は、強力な交渉力を有する商人が、不法行為法上の救済手段に只
乗りすることを阻止する一方で、こうした交渉力を有しない脆弱な原告、端的にいうならば消費者に対して、不法行
為法による救済を与えることを正当化し得る。尤も、誰が脆弱な原告かという点は、そう簡単に判断できるものでは
事件︵事件 ︶における投資家たるネームは、契約上の救済を事前に交渉し契約条項とし
ない。例えば、 Henderson
の見解
Cane
︵ ︶
には、それが契約上の利益であれ契約外の利益であれ、イギリス不法行為法は過失による侵害からは保護しないこと
は、関係的経済損失︵第Ⅰ事例群︶を念頭に置いた上で、関係的利益[ relational interests
]が侵害される場合
Cane
第3項 ように思われる。
て挿入することが困難であった者であるのは確かであろうが、一般に脆弱な消費者といえるかは、疑問の余地がある
19
理解されるところとなっており、商業慣行を反映したものとなっている、という主張である。
事件判決
The Aliakmon
第一は、確実性と効率性である。関係的損失について責任を否定する準則は、長年に亘って確立し、よく認知され
。
を指摘した上で、これに対して従来挙げられてきた理由について、逐一検討を加えている
21
は、準則が古来のものであるということは今後も準
︵事件 ︶は、明確にこの点を説示していた。これに対して、 Cane
――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
287
て、それが商業界の考える公平と一致するとは限らないと指摘し、この主張を斥ける。
則が維持されねばならないということを意味するものではないし、裁判所は正義を実現するために存在するのであっ
14
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page288 2010/09/15 18:01
288
――法 律 論 叢――
第二は、被告が毀損した財物の所有者と原告とが契約関係にあった場合において、この契約が原告を保護するもの
でなかったときに、不法行為法によって被告を訴えることによって、原告が契約上の欠陥を埋め合わせることを許し
は、これらの主張の重大な欠点は、財物の所有者との契約におい
Cane
]﹂させる作用があり、これによって、訴訟コストを減少させる働きがあるという主張も、この
channel
てはならない、という主張である。責任否定準則の存在には、経済的損失の補償を財物の所有者を通じて得られるよ
うに﹁集中[
第 二 の 理 由 を 支 持 す る も の で あ る 。し か し 、
て、こうしたチャネリング条項を交渉することが、常に容易で安価なものであると考えている点にある、と指摘する。
が適切と考える立場は、不法行為法は関係的利益を保護すべきであるが、原告が、最終的には被告に責任が負わ
Cane
の見解に由来するものである。
Stapleton
されるような形で、契約によって自己を防衛することが合理的に期待され得なかった場合にのみ保護すべき、という
立場のようである。これは、前述した
第三は、いわゆる水門論の立場であるが、原告の数が大となることを理由とする水門論に関連して、裁判資源にとっ
て重荷となるという見解に対しては、集団訴訟という法技術を用いることで解決できること、事件の多くは裁判外の
和解によって解決されていること、さらに訴訟が多大の時間と費用を要することを考えると、この懸念自体が非現実
的であると指摘する。また、不確定性を理由とする水門論について、不確定性の問題は、関係的損失の場合に固有の
問題ではなく、この主張の核心には、経済的利益は物理的利益よりも保護に値しないという発想が存するように思わ
れる、と述べる。
第四に、関係的利益に対する責任否定準則を正当化する事由として、公平性の観点が挙げられる。すなわち、被告
の単一の行為は、極めて多数の人々の関係的利益を侵害することがあり得る。経済的損失は波及効果を有し得るので
あって、個々人の訴えはたとえ少額であっても、総計するとその規模は莫大なものとなり得る。この結果、単一の過失
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――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
289
は、この主張に対して、次のように疑問を呈する。第一に、法律上
Cane
行為によって被告が支払う損害賠償の総額は、極めて大きなものとなり、行為の非難可能性と全く釣合わないものと
なってしまうであろう、という主張である。
]に程度差は存在しないというのが、イギリス不法行為法の基本的な原則であること、第二に、人
のフォールト[ fault
身侵害や物理的損害の場合にも、非常に巨額の損害賠償が求められることがあるが、それがフォールトの程度と不均衡
であるがゆえに責任を限定すべきだという主張はなされないこと、第三に、会計士のような財務上の助言者は、潜在的
]の準則が、個々人の原告が賠償を請求し得る額を限
remoteness
な損害賠償額の規模について不満を述べることはあるが、巨額な賠償額がフォールトと不均衡であるとは提案されな
いこと、第四に、損害の賠償範囲を確定する遠因性[
定するための機能を果たしていること、以上から、この主張は独立した説得力を有するものではない、と結論づける。
は、次のように主張を変えると説得力を有するものになるという。原告となり得る者が多数いる場合
しかし、 Cane
において、各々の原告が被った損失は少額であるが、これを総計すると巨額なものになるという場合を想定する。こ
の場合に、商人である被告に責任が負わされると、被告は、この損失を一定の方法で分散させる可能性が高い。この
結果、当初比較的広く薄く分散されていた損失が、訴訟によって集計された後に再び分散されることになる。最初に
損失を被った者の多くがこの再分散の対象に含まれる場合、こうした手続は、多大な時間と金の浪費である。換言す
ると、損害賠償を求める多数の訴えについて訴訟を進めることは極めて費用のかかる方法であるが、これを進めるこ
とによって得られる純然たる効果は、損失分散という観点においては微々たるものでしかない。損失を最終的に負担
する集団が最初に損失を被った集団と全く異なる場合か、この集団の規模が相当程度異なる場合にのみ、損失移転の
費用は有意義なものになるであろう、と。
第五は、保険の可能性に関する主張である。第三者の財物に対して関係的利益を有する者は、この財物に対する物
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290
――法 律 論 叢――
は、この主張に同意しないと明言するが、その理由を次
Cane
裁判官が説示したような予備電源等のバックアップ手段を確保
Denning
理的加害から派生する経済的損失に対して、保険をかけることが合理的に期待される、という主張である。保険に限
事件︵事件7︶において
らず、 Spartan Steel
することが期待されるという主張も、これに含まれる。
のように述べる。仮にこの種の保険に関する考慮が、不法行為責任の範囲を決定するにあたって容認し得る根拠にな
ると仮定しても、この主張は、財物における物権的利益と関係的利益との区別について直接の関連性を有するもので
はないので、説得力のある論拠ではない。もし関係的利益について保険をかけることが合理的に期待されたというの
であれば、原告自身が所有する財物に対する加害から派生した経済的損失についても、同様に保険をかけておくこと
が合理的に期待されたと主張できるはずである。さらに、個人は事業者と比してこうした保険を取得する可能性が低
いにもかかわらず、責任否定準則はこれを区別することなく、全ての原告に適用されているという点も指摘される。
によれば、関係的経済損失︵第Ⅰ事例群︶の場面において責任の成否を左右する根拠は、第二
結局のところ、 Cane
の後半で示した論拠と、第四の主張を変更した立場だけということになりそうである。すなわち、原告が契約によっ
て自己を防衛することが合理的に期待され得なかった場合には、不法行為法は、関係的利益に対しても救済を与える
べきである。但し、原告となり得る者が多数いるが当初から損失が広く薄く分布している場合において、訴訟を通じ
て損失を集計しさらに再分散することが却って非効率となるときは、不法行為責任が否定されてもやむを得ない、と
いう立場といえようか。
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の見解
Benson
︵ ︶
第2節 区別を積極的に説明しようとする立 場
第1項 22
︵ ︶
︵一︶ Benson
は、裁判所が純粋経済損失に対する責任を否定してきた事例群から、次の共通点が見出せると主張して、
――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
291
の使用利益の保護を求めていた者ということができる。
15
償を認めると、実際より改善された状態の住宅について所有権を認めることになる。これは、原告の所有権が及ばな
であった。しかし、原告が現実に有していた所有権とは、瑕疵ある状態の物に対するものでしかなく、この損失の賠
が救済を求めた損失は、瑕疵のない状態での売却額との差額であり、原告は当該住宅について所有権を有していた者
次に、製造物又は建物の瑕疵に起因する損失︵第Ⅲ事例群︶の場合、例えば
事件︵事件 ︶において原告
Murphy
ことを制止できる法的立場にはない。この事例群における原告は、被告を排除し得る権利を有しない物について、そ
告は、たとえ原告の利益が侵害又は妨害されることになっても、被告がその物を適当と考える方法で故意に使用する
有権は、権利者の同意なくして他人がその物を使用することを排除する権利を与える。所有権も占有権も有しない原
は、この物について所有権も占有権も有していなかった者である。コモン・ローにおいて、物に対する所有権又は占
あり、これによって物の使用と結びついた利益の減少又は負担の増大をもたらすというものであった。しかし、原告
が被告の加害によって変更されると、原告が契約によって付与又は負担させられた使用に影響を与えるというもので
まず、関係的経済損失︵第Ⅰ事例群︶の場合において、原告が第三者の物に対して有する利益とは、その物の性状
責任否定準則の理由を積極的に説明しようとす る。
23
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page292 2010/09/15 18:01
292
い物に対してまで使用利益を認めることと同義である。したがって、この事例群における問題も、原告が被告を排除
し得ない物について、使用利益の保護を求めていた点にあると見ることができる。
は、裁判所が不法行為法による救済を認めることが困難であると考えているのは、次の点
以上の考察から、 Benson
︵ ︶
にあるとする。すなわち、
﹁原告は、被告に対して排他的な権利を欠いている物について、その物の使用利益を請求し
権や占有権に限られるものではなく、契約上の権利もまた被告を排除する権利となる場合がある、と指摘する。
﹂
、と。但し、原告は、当該﹁被告﹂に対して排他的な権利を有する者であれば足りるのであって、これは所有
ている
24
]である。原告の信頼を招いたのは被告であるから、原告が優位を手放したという事
something
]により禁止される。第一に、被告の加害行為があった時点において、原告が優位を維持又は取得する
estoppel
]を有していたこと、第二に、原告がこの権限の行使を妨げられる条件は、被告が
power
告がこの優位を享受するための排他的な権限を有していたことを、禁反言の法理により、被告は否定することができ
を、所有権や占有権のような排他的な権利と呼ぶことはできないが、被告による信頼招致行為があった場合には、原
は、この原告が有した優位
適切な注意を払って行動するか否かという点が唯一のものであったこと、である。 Benson
ための現実の効果的な権限[
反言[
実を、被告が主張することを認めるのは不公平である。したがって、被告は、二つの事実の存在を否定することを禁
が有したはずのもの[
できると仮定する。法の観点からは、この現実には手放した優位は、被告の表示を信頼した決定を行わなければ、原告
いう事例を想定する。原告が、被告の表示を信頼しなければ、その優位を現実に保持したであろうということを証明
]を手放すであろうことが予見可能であったと
告が提示した将来の利益のために、原告が現に有する優位[ advantage
裁判所が責任を肯定する理由を、次のように説明する。被告が、自分を信頼するよう原告を招致した場合において、被
は、第Ⅱ事例群に属する不実表示の場合に代表されるように、原告にとって正当な信頼があった場合に
︵二︶ Benson
――法 律 論 叢――
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page293 2010/09/15 18:01
︵ ︶
ないと主張する。この禁反言の分析を通じて、優位は、保護利益とみなされることになり、原告と被告との二当事者
25
]
﹂として現れる
、という。
quasi-property
︵ ︶
間においては、一種の﹁準物権[
26
論として妥当か否かという問題は、論理の貫徹だけでは判断し得ない問題であることも、留意されなければならない。
を行うが、この説明自体余計ではないだろうか。勿論、第Ⅲ事例群において製造者等を無答責とすること自体が、結
は、原告が現実に取得した所有権は、瑕疵ある状態の物に対する所有権でしかないという技巧的な説明
なる。 Benson
物を取得する前であることが通常であろうから、ほぼ常に被告は物の取得者に対して不法行為責任を負わないことに
により損失を被ったという場合︵第Ⅲ事例群︶
、瑕疵をもたらした製造者等の被告の加害行為があった時点は、原告が
害発生時ではなく、常に加害行為時にならざるを得ないはずである。これが正しいと仮定すると、瑕疵ある物の取得
排除し得る権利を有していたかによって不法行為の成否を判定するとした場合、その判定の基準時は、論理的には損
が主張するように、ある物について原告が被告を
ざるを得ない。但し、次の点は指摘できるように思われる。 Benson
の主張は精緻であり、禁反言という一般法理を用いている点を除けば、反論の難しい主張であることを認め
Benson
情をいう筋合いはなく、それゆえに不法行為法にもとづく救済を得ることもできないというのである。
にすぎない。そして、被告を排除し得る権利を有しなかった者は、被告の行為によって経済的不利益を被ろうとも苦
又は権限を有していたか否かが問題の核心であると主張する。所有権や占有権は、この被告を排除し得る権利の例示
は、ある物に対して被告が原告の不利益となる使用や加害をしたとき、原告が被告を排除し得る権利
に対し、 Benson
有権又は占有権を有しなかった者は、ネグリジェンスにもとづく請求権を有しない﹂との準則を説示してきた。これ
、イギリス判例法は、関係的経済損失︵第Ⅰ事例群︶において、
﹁財物に対して所
︵三︶さて、前稿で指摘したように
――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
293
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page294 2010/09/15 18:01
294
――法 律 論 叢――
第2項 の見解
Witting
︵ ︶
は、ネグリジェンス法が純粋経済利益に対する損害よりも物権的利益に対する損害について責任を認めるこ
Witting
とに寛容な理由は、次のように積極的に説明できるとして、この主張を自ら人格説[
]と呼んでい る。
personality thesis
すなわち、個人の人格は、部分的にはその個人が所有する財物によって構成されるものであり、それゆえ財物は、個
人が自己を構成し定義するための手段として不可欠なものと考えられる。これに対して、単なる抽象的な富の保有に
ついては、この主張は成り立たない。富は、財物の取得、並びに将来自己を構成し定義するのに役立つ活動及び経験
に参加することを可能にするが、富がこれらの物自体に変質するわけではないという事実によって、現実の財物の保
有と同等に重要なものと見ることは排除される。それゆえ、物権的利益の保護は、純粋経済利益の保護より優先され
の見解を極端に推し進めると、過失不法行為法だけでなく、不法行
Witting
為法全般さらには法一般が、無形の富の保有について保護を与えないという事態になりかねず、その結果、およそ貯
なければならないはずである。さらに、
する財物だけを保護するものであって、それ以外の利益は保護すべきでないというのであれば、その理由が説明され
過失不法行為法だけに認められる理由が必ずしも明らかでない。もし過失不法行為法が個人の人格ないしこれを構成
は、あくまでネグリジェンス法における物理的損害と純粋経済損失との区別を説明しようとしているが、この区別が
にいえば財力もまた、良かれ悪しかれその個人の属性の一つを為すことは否定し難いように思われる。また、 Witting
ないが、無形の富の保有が、個人の人格を構成するものではないといい切れるだろうか。個人が有する無形の富、端的
の人格を部分的に構成するものであり、その侵害は人格に対する侵害と同程度に扱われるという主張は理解できなくは
この見解に対しては、直ちに次の疑問が湧く。個人が現実に保有する財物︵例えば、装飾品や衣服等︶が、その個人
るべきである、という。
27
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page295 2010/09/15 18:01
――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
295
は、それでも不法行為
Gordley
蓄というものは法が保護するに値しないという結論に至る恐れがあるように思われる。したがって、筆者としては、
の見解
Gordley
の見解に俄に賛同することができない。
Witting
第3項 ︵一︶純粋経済損失に対する責任否定準則は、歴史的偶然により登場したと主張する
︵ ︶
法による救済には限定を置くことが必要であり、偶然により準則が採用されたという事実は、その準則が設定した限
]を侵害したからである。
commutative justice
]
この場合に、被害に対して完全賠償を求める準則は、最終的には、私の費用において蒐集家の脆弱性[ vulnerability
うな工場付近で掘削作業をすることは、壊れやすく高価な陶磁器の蒐集家とフラットを共同使用することと似ている。
は、 Spartan Steel
事件︵事件7︶の例を挙げて、次のように述べる。私がケーブルを切断したら閉鎖されるよ
Gordley
雑な方法ではあるものの、純粋経済損失に対する責任否定準則ではないか、という。
もある。この場合、交換的正義は、原告の賠償を一定の方法で限定することを要求する。この限定方法の一つが、粗
に原告に課した余剰リスクのせいではあるが、部分的には、原告が自らの利益のために自己に課したリスクのせいで
保有したり、そのような活動に従事したりすることがある。その場合、原告の被る損失は、被告が自己の利益のため
衡を是正しようとする。しかしながら、原告もまた、自己の利益のために、他人よりも損失を被る蓋然性が高い財産を
である。被告は自己の利益と引換えに、原告に対してリスクを課したものであり、それゆえに交換的正義がこの不均
被告は、自己が欲求することを為したあるいは為そうとしたという意味において、原告の費用において利益を得た者
責任や厳格責任において、被告が責任を負わされるのは、交換的正義[
は、純粋経済損失に対する責任否定準則は、次の準則の粗雑な適用ではないかと指摘する。過失不法行為
Gordley
定が誤りであるということを必ずしも意味しな い、と主張する。
28
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page296 2010/09/15 18:01
に助成を与えることになってしまう。損害賠償を認める場合には、裁判所が過失相殺の場合に現に行っているように、
被告の行為が原告に与えた余剰リスクと、原告の行為が被告に与えた余剰リスクとを比較しなければならない。非常
によれば、他の物に
に高価で脆弱な陶磁器に対する被害について裁判所がこのような比較をしない原因は、 Gordley
]の評価額及び脆弱性を算定しようとしない場合、責任否定準則
physical assets
比べてこの陶磁器という財産が、どれほど高価で脆弱かということを現実には決定することが困難であるからである。
裁判所が被告の加害した物理的財産[
に対して賛成する主張と反対する主張の両方が生じ得る。責任否定準則に賛成する主張は、原告の得べかりし利益の
評価額及び脆弱性は、物理的財産の評価額及び脆弱性に比して、個々人間において余りに相違がありすぎるというも
のである。原告が喪失した利益の額は予測可能性に乏しい。他方で、陶磁器の例が示すように、物理的財産の評価額
はいう。
Gordley
及び脆弱性についても相当程度の相違が存在する。したがって、幾つかの法域が、物理的損害と純粋経済損失との区
別を設けていないことは驚くべきことではない、と
は、次のようにいう。財務上の情報が、これに関
第Ⅱ事例群のうち過失不実表示に関する事件を挙げて、 Gordley
心を有する全ての者の利益のために用意される場合には、これらの者が害される範囲やその蓋然性は、その情報を利
用する者によって様々に相違するものとなる。この場合に提供者に責任が負わされると、誤情報によって最も甚だし
く害される者は、追加費用を払うことなく、他の者よりも大きなリスクを被告に対して負わせることになる。他方で、
特定の個人や一定の限られた集団の利益のために情報が用意される場合には、提供者は、自己が負担する余剰リスク
︵ ︶
に見合った額の報酬を求めることで、責任を負わされるリスクと均衡のとれた補償を受けることができる。ここでの
陶磁器を守る方法を助言した者に似ている、という。
は、誰かの壊れやすく高価な陶磁器を毀損した者と似ているのではなく、陶磁器の蒐集家から報酬を受け取って、
被告
29
296
――法 律 論 叢――
明治大学 法律論叢 83 巻 1 号: 責了 tex/yosimoto-831.tex page297 2010/09/15 18:01
の主張するところは、被害を受ける者によって相違が大きいがゆえに評価額及び脆弱性を算定することが困
Gordley
難な財産が害された場合に無限定に責任を認めると、被告にとって予測可能性が乏しいために、被告が受け得る対価
によれば、これは経済的損失の中でも
との均衡がとれないので、責任否定的に作用するというものである。 Gordley
特に逸失利益に顕著であって、逸失利益ではなく、誰が被っても概ね同額の費用を支出して損失を被ることになる場
合、例えば被告がパイプラインや橋を損壊したために利用不可となった場合において、利用者が代替輸送手段を得る
は、以上の準則を次の
ために支出した費用の賠償を、他国の裁判所が認めていることも説明できるとする。 Gordley
︵ ︶
ように記述する。
﹁ある者が、他人の脆弱性に助成を与えなければならないということがあってはならない。問題は、
﹂、と。
この準則を実務に移行させる方法が、容易には存在しないことにある
30
の主張において、もう一点特徴的な点は、損失に対する原告の脆弱性という観点を採り入れた点である。陶
Gordley
なく、被告が事前に予測不可能であるという点において算定が困難である、と述べているものと思われる。
の主張は、経済的損失の評価額の算定が一般に困難であるというのでは
て救済を与えることに躊躇しない。 Gordley
る逸失利益の正確な算定の方が、実のところは遙かに困難のはずである。それにもかかわらず、法は、後二者につい
経済損失に限った話ではなく、物理的損害から派生した経済的損失についてもいえることであるし、人身侵害におけ
の逸失利益を念頭に置くと、因果関係を確証することが困難な経済的損失というものは存する。しかし、これは純粋
者としては、経済的損失の評価額の算定は一般に困難であるという主張に対しては、俄に賛同し難い。確かに営業上
の主張に特徴的な点である。但し、筆
の均衡という観点から交換的正義という言葉を用いて説明するのが、 Gordley
することは、被害者によって相当程度異なり得るがゆえに難しく、予測可能性に乏しいという点である。これを、対価
の主張は、一部には、不確定性を理由とする水門論と通じるところがある。経済的損失の評価額を算定
︵二︶ Gordley
――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
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磁器の蒐集家の例が示すように、自己の脆弱性を放置していた者の損失について完全賠償を認めると、部分的に原告
は被告の費用において利益を得た者になるので、ここでも対価の均衡が崩れるという主張である。興味深い主張であ
るが、次の疑問が浮かぶ。第一に、工場付近において建築請負人が掘削作業を行うという例と、陶磁器の蒐集家とルー
が両者の例において、脆弱性を有すると考えて
ムシェアするという例は、本当に類似するものであろうか。 Gordley
いるのは、工場と蒐集家であると思われるが、ルームシェアの場合には当然、原告となる者と蒐集家との間に何らか
の合意が存在するのに対して、掘削業者と工場との間にそうした関係が存在することは、通常はないように思われる。
両者の類似性をいうこと自体が、疑問である。
第二に、もし脆弱性という観点が責任否定の根拠の一つであるとするならば、原告が自己の脆弱性を放置した者で
あればあるほど、裁判所はより強い理由で責任を否定しなければならないはずである。それにもかかわらず、 Smith
事件︵事件 ︶が示すように、裁判所は、脆弱性の極めて高い者に対してむしろ責任肯定的な判断を下してい
v. Bush
の見解は、原告が特に脆弱な者であるこ
Stapleton
べきであったという主張と類似のものが潜んでいるように思われるのである。
場合にも通じる主張であることを示してはいるが、根底においては、工場は電力途絶に備えて予備電源を自ら確保す
は、交換的正義という語を用いることで、純粋経済損失だけでなく物理的損害の
方向性を示すものである。 Gordley
は全く逆の
とを、純粋経済損失に対する注意義務を認めるための一つの条件としていた。この点において、 Gordley
はなく、この点において裁判所の結論を説明できない。前述した
の主張にそのような説明
ことが合理的に期待できなかった者は別であると説明することは可能であろうが、 Gordley
る。勿論、同事件では、消費者保護という別の要因が働いたと説明すること、あるいは脆弱性を緩和する手段を採る
16
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――法 律 論 叢――
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――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
299
第4章 まとめ
本稿での検討を簡潔に纏めておきたい。まず、イギリス判例法において純粋経済損失に対する責任否定準則が確立
したのは、ドイツ民法典において導入されたものと同じく、歴史的偶然であったとする主張があった。しかし、これ
を主張する論者自身も、純粋経済損失に対する不法行為責任には一定の制限が課されるべきであると考えており、責
任否定準則の無条件の撤廃を主張しているわけではなかった。
次に、前章において見たイギリス法の学説状況を窺うと、純粋経済損失と物理的損害との区別に懐疑的な立場と、こ
れを単一準則で積極的に正当化しようと試みる立場とがあることが分かる。しかし、筆者の見るところ、後者の立場は
いずれも成功しているとはいい難い。単一準則によって純粋経済損失にかかわる現象を全て説明しようとすること自
体に、無理があるのではないだろうか。他方で、区別に懐疑的な立場を採る論者も、責任否定準則を単純に撤廃すれば
よいと結論付けるものはなく、一定の政策的考慮によって、責任を否定すべき場合があることを認めている。純粋経
であっても、原告と被告が契約連鎖にある場合︵例えば、注文者︱元
Stapleton
済損失に対する責任否定準則を持たない我が国の不法行為法にとって示唆を与えてくれるのは、こちらの立場である。
例えば、区別に懐疑的な立場をとる
も、原告が契約によって自己を防衛することが合理的に期待できた場合、さらには、損失が当
Cane
請人︱下請人︶において、一定の交渉力を有する商人が不法行為法に只乗りすることは許されないとするし、同じく
区別に懐疑的な
初から広く薄く分布している場合において訴訟を通じて再分散することが却って非効率となるときは、責任を否定さ
れてもやむを得ないという立場のように思われる。区別に懐疑的な立場を示す論者であっても、予見可能性だけで単
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純に注意義務の存在を認めるわけにはいかないと考える場合が存することを、ここでは指摘しておきたい。
次に検討すべきは、学説の検討によって得られた各種の政策的考慮を、どのように法準則に記述すべきかという問
題であるが、紙幅の都合により、この点の研究成果の公表は他日を期したい。
︵明海大学非常勤講師︶
︵
︵
︵
︵
︶
4
︶
3
︶
2
︶
1
T Weir, A Casebook on Tort (9th edn Sweet & Maxwell, London 2000) 6.
Bussani and Palmer (n 3) 21–23.
J Stapleton, ‘Duty of Care and Economic Loss: A Wider Agenda’ (1991) 107 LQR 249, 254–256.
︶ 本稿において﹁前稿﹂とは、拙稿﹁イギリス判例法における﹃純粋経済損失﹄に関する序論的考察﹂法論八二巻一号二二七頁
︵
︶
5
注
︵
︶
6
を経て、ヨーロッパ不法行為法原則を打ち立てるに至っている。 European Group on Tort Law,
Loss (Springer, Wien 2004)
Principles of European Tort law: Text and Commentary (Springer, Wien 2005).同原則の第二 二〇一条︵回復されう
る損害︶︵ ︶項に、関連する原則が記述されている。 ibid 230.
Limits of Expanding Liability: Eight Fundamental Cases in a Comparative Perspective (Kluwer Law International,
The Hague 1998).なお、同グループの研究成果は、 W H van Boom, H Koziol and C A Witting (eds), Pure Economic
Liability: Keeping the Floodgates Shut (Kluwer Law International, The Hague 1996), J Spier and others (eds), The
M Bussani and V V Palmer (eds), Pure Economic Loss in Europe (CUP, Cambridge 2003) 16–18.
による比較法研究においてこのような視点が指摘されている。 J Spier and others (eds), The Limits of
Tilburg Group
計士を相手取って損害賠償を請求したものである。
Ultramares Corporation v. Touche, Niven & Company 255 N.Y. 170 (1931) 179.同事件は、公認会計士が作成した会
社の貸借対照表の内容が誤りであったという事件であり、この貸借対照表にもとづいて会社に貸付を行った債権者が、公認会
経済損失をめぐる議論を端緒として︱︱﹄
︵明治大学、二〇〇九、未公刊︶の一節を、要約して公表させていただくものである。
お、本稿は、前稿に引き続き、拙稿の博士論文﹃不法行為法による経済的利益の保護とその態様︱︱イギリス法における純粋
︵二〇〇九︶をいう。純粋経済損失の定義、引用する裁判例の概要及び事例群の意味については、前稿を参照いただきたい。な
︵
7
4
・・
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――「純粋経済損失」に関する学説の検討――
301
︵
︵
︵
︶
︶
︶
]の語は、本稿が参照した諸論稿においてもしばしば出てくるが、必ずしも明確に
pure economic interest
定義されずに用いられる印象がある。純粋経済損失を裏から言い換えたものであり、その利益に対する侵害が純粋経済損失を
︵
︶
︶ 純粋経済利益[
︵
︶
J Gordley, ‘Liability in Tort for Pure Economic Loss’ in J Gordley, Foundations of Private Law: Property, Tort,
2000) 10–11.
B Feldthusen, Economic Negligence: the Recovery of Pure Economic Loss (4th edn Carswell, Scarborough, Ont.
H Kötz, ‘Economic Loss in Tort and Contract’ (1994) 58 RabelsZ 428.
Bussani and Palmer (n 3) 23–24.
H Koziol, ‘Compensation for Pure Economic Loss from a Continental Lawyer’s Perspective’ in Boom (n 4) 144.
P Cane, Tort Law and Economic Interests (2nd edn Clarendon Press, Oxford 1996) 456.
もたらす利益という意味で用いられているものと思われる。本稿でもこの意味で用いる。
︵
︶
︵
︶ 本文における事例群のローマ数字も、前稿・前掲注︵
︶
P S Atiyah, ‘Negligence and Economic Loss’ (1967) 83 LQR 248, 269 ff.
︶ 本文における事件番号は、前稿・前掲注︵ ︶において付したものを用いる。
Contract, Unjust Enrichment (OUP, Oxford 2006) 278.
︵
︶
︶において付したものを用いる。
︵
︶
1
1
︶
︵
︵
︶
︶
︵
︵ ︶ [ 1966
] 1 QB 569.
同事件については、前稿・前掲注︵ ︶二四七頁を参照いただきたい。
︵ ︶
Cane (n 9) 454–458.
︵ ︶ これに属する見解として、 D Howarth, ‘Economic Loss in England: the Search for Coherence’ in E K Banakas (ed),
もあるが、紙幅の都合により割愛する。
Civil Liability for Pure Economic Loss (Kluwer Law International, Boston 1996)
531 (2002).
J Stapleton, ‘Comparative Economic Loss: Lessons from Case-Law-Focused “Middle Theory”’ 50 UCLA L. Rev.
Stapleton (n 5).
︵
︵
︵
8
13 12 11 10 9
14
19 18 17 16 15
22 21 20
23
25 24
ibid 453–454.
ibid 437.
of Tort Law (Clarendon Press, Oxford 1995).
P Benson, ‘The Basis of Excluding Liability for Economic loss’ in David G Owen (ed), Philosophical Foundations
1
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――法 律 論 叢――
︵
︶ 前稿・前掲注︵ ︶二八四頁。
︶
︵
︶
︶
Gordley (n 14) 280–284.
Thesis’ (2001) 21 LS 481.
ibid 284.
の誤りではないかと思われる。このため、
“defendant”
C A Witting, ‘Distinguishing between Property Damage and Pure Economic Loss in Negligence: a Personality
1
であるが、前後の文脈から判断するに
ibid 283.原文では “plaintiff”
本文では﹁被告﹂とした。
︶
︵
︵
︵
27 26
29 28
30
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