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「円安悪玉論」の検証と為替の政治学
みずほインサイト 日本経済 2014 年 10 月 21 日 「円安悪玉論」の検証と為替の政治学 みずほ総合研究所 調査本部 03-3591-1400 ○ 2014年9月に約6年ぶりの水準となる110円/ドル近辺まで円安が進行。貿易赤字の定着や食品価格の 値上がりといった状況もあって、「円安によるデメリットは大きい」との声が高まっている ○ 家計部門や企業部門の一部ではマイナスの影響もあるが、円安は日本経済全体にとってはプラスの 効果。円安によって実質GDPや経常収支は改善する見込み ○ 長期的に製造業の国内回帰といったメリットを活かすには、人手不足などへの対策も重要。米国の 金融緩和の終了を背景として、今後も円安が続きやすいことを踏まえた対応が必要に 1.はじめに ~110 円に迫る円安進行と「円安悪玉論」 2014年9月に約6年ぶりの円安水準となる110円/ドル近辺まで急速に円安が進んだことを受けて(図 表 1)、円安のデメリットを主張する「円安悪玉論」を目にすることが増えた。メディアなどで報道 される「悪玉論」は、①貿易赤字や海外生産の進展によって、従来よりも円安のメリットが薄れデメ リットが大きくなっているとするものや、②これ以上の円安は、家計や輸入企業がデメリットに耐え られないと主張するものが多く、③円安のペースが速すぎるためにデメリットがメリットを上回ると いうものもある。こうした「悪玉論」は、アベノミクス開始直後の円安進行時(2012年秋~2013年春 頃)には目にすることは少なかったが、その後に円安が輸出数量の増加や貿易赤字の改善などに結び ついていないとの認識が広がったことなどが影響して、今回の円安進行時には注目を浴びるに至った。 10月になってドル円相場がやや円高方向に戻していることもあり、「悪玉論」を目にする機会は若 図表 1 ドル円相場の推移 図表 2 (円/ドル) 130 2008年以来の 円安水準 120 短 期 長 期 110 100 90 80 70 05 06 07 08 09 10 11 12 (注)日次データ。 (資料)日経NEEDSよりみずほ総合研究所作成 13 14 円安のメリット・デメリット整理 メリ ッ ト デメリッ ト 【輸出型産業】 ・輸出金額の円評価額増加 による増収効果 【国内型産業】 ・輸入品に対する価格競争 力改善 【輸入型産業】 ・輸入コストの増加・収益 圧迫 【家計】 ・物価上昇による購買力 低下 【輸出型産業】 ・輸出先通貨での販売価格 引き下げによる価格競争 力向上・輸出数量増加 【国内型産業】 ・輸出産業からの生産波及 【製造業】国内回帰 【外資】対内投資増加 (年) (資料)みずほ総合研究所作成 1 【企業】海外進出のコスト増 干減っているものの、米国が金融緩和の出口に向かっていることに変わりはなく、為替相場は再び円 安のトレンドに回帰することが予測される。そのため、「悪玉論」についても再び活発に論じられる 可能性は高い。しかし、その声があまりにも大きくなれば、円安を前提とするアベノミクスの政策方 針にも影響を与えかねないことから、「悪玉論」の真偽を検証しておく必要があると考える。円安が 日本経済に与える実際の影響は、時間の経過に伴ってメリット・デメリットの双方が順次顕在化して いくものと考えられるが(前頁図表 2)、為替が円安に振れてすぐに現れやすいデメリットのみに目 を奪われれば政策判断の誤りにもつながりかねない。本稿では、円安の影響が顕在化する時間軸に沿 ってメリットとデメリット双方を整理し、総合的な視点で円安の是非を考察する。 2.短期的影響 ~円安の影響は総合すると現在でもプラス ( 1 ) 円安により貿易収支の赤字は拡大 現在の日本のような貿易赤字の状況下では、円安の進行直後(超短期)は全体としてデメリットの 方が現れやすいと考えられる。円安は外国通貨建てで契約された輸出入取引の円評価額を増加させる が、貿易赤字の下では輸入金額の評価増が輸出金額の評価増を上回りやすいためである。 具体的に、円安による輸出入金額の円評価額の変化を、2013年の輸出入構造をベースに試算しよう。 2013年の輸出金額は約69.8兆円だったが、そのうち円安によって円評価額が増える外国通貨建ての契 約分は64.4%(金額にすると約45.0兆円)となっている。他方、輸入金額についてみると、合計81.2 兆円のうち79.4%(金額にすると約64.5兆円)が外国通貨建てである。以上から、輸出入の契約価格 (契約通貨ベース)が変わらない超短期では、10%の円安は輸出金額の円評価額を4.5兆円増加させ、 輸入金額の円評価額を6.5兆円増加させることが分かる。総合すると、10%の円安による円評価額の変 化によって、貿易収支は約2.0兆円悪化する計算になる(図表 3)。 他方、円安進行から徐々に時間が経過すれば、企業は輸出数量を伸ばすために販売先国での価格を 引き下げる行動をとると考えられる。したがって、上記試算よりも輸出価格の伸びは抑えられるが、 輸出数量は増加すると見込まれる。輸入については、輸入価格の値上がりを受けて輸入数量を減少さ 図表 3 円安(10%)による輸出入金額の円建て評価額の変化 (円安直後の超短期的影響) (兆円) 100 90 円安による増加分 外国通貨建て 円建て 6.5 80 4.5 70 60 50 64.5 45.0 64.5 45.0 40 30 20 10 24.8 24.8 16.7 16.7 0 輸出金額 輸入金額 輸出金額 輸入金額 シミュレーション 2013年 (注)2013年の貿易構造をベースとして、円が他の外国通貨に対して10%減価した場合の円ベースの輸出入金額に与える影響を試算。 契約通貨ベースの価格や輸出入数量に影響が出る前の超短期的な影響。 (資料)財務省「貿易統計」などよりみずほ総合研究所作成 2 せる動きが出るほか、輸入取引条件の再交渉などによって、輸入価格の値上がりを一定程度抑制する ことも予想される。こうした円安進行後の企業行動などの変化(数カ月から2年程度の短期的変化)を 捉えるためにみずほ総研マクロモデルを用いたシミュレーションを行うと、10%の円安で輸出金額は 3.5兆円増加、輸入金額は4.2兆円増加し、貿易収支は0.7兆円悪化する結果となる(図表 4)。前述の 超短期的な影響と比べると、企業などの行動が変化することで貿易収支への悪影響は緩和することが 予想される。 なお、以上の試算結果の妥当性について、アベノミクスに伴う円安が始まった2012年末から足元ま でのデータを用いて検証しておこう。2012年10~12月期の貿易赤字(季節調整値)は年率8.3兆円だっ たが、直近の2014年7・8月には年率11.7兆円と、約3.4兆円拡大した(次頁図表 5。なお、2013年度下 期を中心に貿易赤字は顕著に拡大したが、これは消費増税前の駆け込み需要に対応した輸入増が影響 している)。この間に進行した円安はおよそ20%であるため、実際の貿易収支の悪化幅は超短期的な影 響の試算結果(20%の円安で約4兆円悪化)よりは小さいが、マクロモデルによる試算結果(20%の円 安で約1.4兆円悪化)よりは大きい。 マクロモデルを用いた試算結果よりも貿易赤字が拡大した理由を、輸出入それぞれの価格要因と数 量要因に分解して確認すると、輸入価格がシミュレーションよりも上振れたことが主な要因だ(次頁 図表 6)。輸入価格が上振れたのは、原発停止による火力発電の増強に伴い電力会社がLNG(液化天 然ガス)などの燃料の安定調達を優先した影響などが考えられる。当面は原発の再稼働が大きく進む とは見込み難いため、今後も上記マクロモデルによるシミュレーション結果よりも輸入価格要因が貿 易収支の悪化に寄与する可能性には注意が必要だ。 なお、 「円安悪玉論」においては、2012年秋からの円安にもかかわらず輸出数量が伸びていないこと が、貿易収支悪化の要因になっている(時間の経過とともに輸出数量が増加し、貿易収支が改善に向 図表 4 円安(10%)による貿易収支と経常収支の変化(試算) (数カ月から2年程度の短期的影響) (兆円) 5 輸入数量要因 (+0.1兆円) 4 輸出数量要因 輸出金額要因 (+0.9兆円) +3.5兆円 3 2 1 輸入金額要因 ▲4.2兆円 経常収支変化 (+0.8兆円) 第1次所得収支の 受取増 (+1.6兆円) 輸出価格要因 (+2.7兆円) 0 ‐1 輸入価格要因 (▲4.3兆円) 貿易収支変化 (▲0.7兆円) ‐2 第1次所得収支の 支払増 (▲0.2兆円) ‐3 ‐4 ‐5 貿易収支 経常収支 (注)2013年の貿易収支や経常収支の構造をベースに試算。貿易収支の変化はみずほ総研マクロモデル の乗数を用いて試算。第1次所得収支の受払額の変化についての試算方法は本文参照。 (資料)みずほ総合研究所 3 図表 5 貿易収支と名目実効為替レートの推移 図表 6 貿易赤字拡大要因の試算結果との比較 (2012年10~12月期⇒2014年7・8月平均) (年率、兆円) 10 名目実効為替レート(右目盛) 5 110 円 12 みずほ総研マクロモデルによる試算結果 高 10 実績 100 0 2012年 10~12月期 ‐5 ‐10 2014年 7・8月平均 貿易収支 ‐25 90 8 80 6 70 4 60 2 駆け込み輸入の影響など 40 12年10~12月期⇒14年7・8月平均 ・貿易収支:▲8.3兆円⇒▲11.7兆円 ・名目実効為替レート:▲20.2% 11/1 11/7 12/1 12/7 13/1 13/7 6.6 2.0 2.3 0.2 0 円 安 ▲ 0.3 ‐2 輸出数量 輸出価格 要因 要因 30 輸入数量 輸入価格 要因 要因 (注)1.輸出数量要因と輸出価格要因のプラスは貿易収支の改善要 因。一方、輸入数量要因と輸入価格要因のプラスは貿易収支 の悪化要因。 2.実績について、各要因の集計値と貿易収支の変化幅は、近似 計算による誤差の影響で必ずしも一致しない。 (資料)財務省「貿易統計」などよりみずほ総合研究所作成 20 14/1 11.7 9.6 6.1 50 ‐15 ‐20 (兆円) 14 (2010年=100) 120 14/7 (資料)財務省、日本銀行などよりみずほ総合研究所作成 かうという「Jカーブ効果」が出ていない)との批判もなされる。2000年代の景気回復期に比べれば、 輸出数量の伸びが高くないのは確かである。しかし、足元の輸出数量の伸びの鈍さは、為替以外の要 因による押し下げ効果も大きいと考えられ、必ずしも円安効果が出ていないためとはいえないだろう。 もともと、2010年頃から中国の過剰生産の影響もあって鉄鋼などの素材分野では輸出数量が減少傾向 にあり、現在もその影響は続いている。また、2013年末から2014年初にかけて、過去の円高期に計画 された自動車工場の海外移転の動きが進んだことも、輸出数量の抑制に働いたと考えられる。それで も、上記の検証結果によれば、2012年10~12月期から2014年7・8月にかけて輸出数量は+2.3%と、マ クロモデルによる円安効果のシミュレーション(+2.0%)並みに増加している。為替以外の要因によ って輸出数量が下押しされることで円安効果が見えにくくなってはいるが、「円安効果が出ていない」 とまで評価するのは妥当ではないだろう。 ( 2 ) 円安により第 1 次所得収支が増加し、経常収支は改善 以上のように、数カ月から2年程度の短期的な時間軸では、貿易収支については円安で赤字が拡大す る試算結果となった。もっとも、日本の対外取引は貿易だけでなく、対外投資から得られる収益など も国民の富の源泉として日本経済にプラスの影響を与えると考えられる。したがって、円安による日 本経済への影響を包括的にみるためには、貿易収支だけでなく経常収支まで含めて考える必要がある。 円安による経常収支への影響を試算すると、貿易収支は前述のとおり悪化するものの、第1次所得収 支(従来の所得収支)の改善幅の方が大きくなり、経常収支全体としては改善する結果となる。具体 的に試算過程をみておこう。まず、2013年の第1次所得収支は受取が約21.7兆円、支払が約5.2兆円で あった。これらのうち、円安によって円評価額が変わる外国通貨建ての割合は、受取については対外 4 資産の外国通貨建て比率である72.9%(データが入手可能な2012年末の値、対外負債も同様)、支払に ついては対外負債の同比率である30.3%と同じと仮定した。以上より、第1次所得収支のうち外国通貨 建て部分の金額は、受取が15.8兆円、支払が1.6兆円と試算される。これを用いると、10%の円安は第 1次所得収支の受取の円評価額を1.6兆円、支払の円評価額を0.2兆円押し上げることになる(前掲図表 4)。両者を差し引きすると第1次所得収支の円評価額は1.4兆円改善し、前述の貿易収支の悪化効果と 合わせると経常収支は0.8兆円改善する計算となる(なお、サービス収支や第2次所得収支の金額は小 さいため、試算上は変化しないものと仮定した)。 なお、貿易収支の場合と同様に、上記試算の妥当性を2012年末から直近のデータまでを用いて確認 しておこう。2012年10~12月期の第1次所得収支(季節調整値)は年率14.9兆円であるのに対し、2014 年7・8月平均は年率17.7兆円と、約2.8兆円拡大した。この間、名目実効為替レートは約20%減価した が、上記試算によれば20%の円安で第1次所得収支は約2.8兆円増加する計算となるため、実績はほぼ 上記試算に沿っていたといえるだろう。 ( 3 ) 円安は経済活動全体にとってもプラス 前述のように円安は輸出数量を押し上げる効果 図表 7 マクロモデルによる円安の影響試算 があるが、輸出数量が増加すれば製造業を中心に設 (単位:%) 備投資を後押しする効果も生じるだろう。こうした 円安 最終需要の増加は、国内で生産される付加価値(G DP)を増加させる効果がある。増加した付加価値 が所得として還元され、さらなる需要の拡大につな がることで、円安は経済活性化の好循環をもたらし ていくことになる。 みずほ総研マクロモデルを用いてシミュレーシ 5% 実質GDP 10% 15% 0.2 0.3 0.5 個人消費 ▲ 0.01 ▲ 0.03 ▲ 0.04 設備投資 0.5 1.0 1.6 輸出 0.6 1.2 1.8 名目GDP 0.3 0.6 1.0 国内企業物価 0.4 0.8 1.2 ョンを行うと、10%の円安は設備投資を1.0%押し 消費者物価 0.1 0.2 0.3 上げ、実質GDPを0.3%拡大させると試算される (注)みずほ総研マクロモデルによる試算。 (資料)みずほ総合研究所作成 (図表 7)。円安は、全体として日本経済の回復を 後押しするといえるだろう。 ( 4 ) セクター別にみると、家計や輸入型産業では円安はマイナスの影響も a . 家計部門では円安に伴う物価上昇がマイナスの影響。ただし、株高によるプラス効果も 以上みてきたように、経済全体では円安はプラスに働くといえるが、セクター別にみれば、円安の デメリットが大きく現れる部門もある。家計部門について、先ほどのマクロモデルによる試算(図表 7) をみると、個人消費がわずかながらマイナスの影響を受ける結果となっている。これは円安による輸 出数量や設備投資の増加が雇用者報酬の拡大として還元される一方、円安に伴う物価上昇が家計の実 5 質所得の目減りを招くためである。 実際、2012年末からの円安による輸入コスト上昇を販売価格に転嫁する動きが出る中で、実質雇用 者報酬の伸びは2013年半ば頃から停滞した(図表 8)。特に輸入割合が高い食料品などの非耐久財の価 格が大幅に上昇しており、足元の消費停滞の一因となっているようだ。 なお、家計部門の中でも、所得階層によって円安の影響は異なると考えられる。高所得者層では、 円安に伴う株高によって、キャピタルゲインが物価上昇の悪影響を上回る可能性があるためである。 所得階層別の実質消費の推移をみると、高所得者層は消費増税後も比較的堅調に推移しており、株高 の恩恵などが下支えしている様子が見て取れる(図表 9)。報道などでは、2014年夏場にかけて百貨店 での高額消費が消費増税後の落ち込みから回復したとの声もあり、高所得者層の堅調さを裏付ける動 きといえるだろう。 図表 8 実質雇用者報酬の推移 図表 9 (2012年=100) 110 (1995年・2012年=100) 104 103 実質消費の推移(高所得者層・それ以外の層) 今回消費増税時 (2012年~2014年) 前回消費増税時 (1995年~1997年) 108 106 104 102 102 100 98 101 96 高所得者層以外 94 高所得者層 92 100 90 Ⅰ 99 Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅰ 2012 Ⅱ Ⅲ 2013 Ⅳ Ⅰ Ⅱ 2014 Ⅲ (期) (年) (注)1.高所得者層は年間収入5分位階級別の第5分位の家計。 高所得者層以外は第1分位から第4分位の家計。 2.みずほ総合研究所にて実質化・季節調整を実施。 3.2014年第3四半期は7・8月平均。 (資料)総務省「家計調査」、「消費者物価指数」よりみずほ総合 研究所作成 98 Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ Ⅰ Ⅱ Ⅲ Ⅳ (期) 1995/2012 1996/2013 1997/2014 (年) (資料)内閣府「国民経済計算」よりみずほ総合研究所作成 b . 円安は企業業績全体にはプラスだが、一部の業種では深刻な悪影響 企業部門においても、業種別にみると円安の影響には差があると考えられる。一般的には、輸出型 産業は円安の恩恵を受けやすいが、輸入型産業はデメリットの方が大きいだろう。ただし、輸出型産 業においても、海外からの部品調達が多い業種では円安のメリットが抑制される可能性もある。他方、 輸入型産業のデメリットは、輸出型産業の輸出増に伴う生産波及効果によって相殺され得るだろう。 そこで、上記の直接・間接の円安効果を総合した上で、10%の円安が企業業績に与える影響を、産 業連関表を用いて業種別に試算した(次頁図表 10)。試算結果をみると、輸出型産業である加工業種 では輸出代金が大きく押し上げられるため、企業収益は約1.2兆円増加する計算となった。素材業種や 非製造業では、輸出代金の増加幅よりも輸入代金(直接支払分)の増加幅の方が大きいが、加工業種 などからの生産波及効果によってマイナスの影響は相殺される形となった。したがって、日本企業全 体としてみると、生産波及効果まで踏まえれば円安は企業業績にプラスであるといえるだろう。 6 ただし、業種別の詳細をみると、石油・石炭製品や非鉄金属、飲食料品、建設、対個人サービスで は、輸入代金の増加によるマイナスの影響が大きいため、生産波及効果を踏まえても円安は業績を下 押しする結果となった。特に石油・石炭製品や建設では10%の円安が営業余剰を20%以上減少させる 計算結果となる。2012年末から進んだ円安は現在までに20%を超えるため、これらの業種では円安が 業績に厳しい影響を与えていると考えられる。 図表 10 円安(10%)による業種別企業収益への影響 製造業・非製造業別 (兆円) 3.0 2.5 2.0 各業種別 (単位:億円) 生産波及効果 輸入コストの産業間の転嫁(純) 輸入金額の増加(直接分) 1兆2,052億円 輸出金額の増加 (16.6%) 業績 (営業余剰に 対する割合) 製造業 1.5 素材業種 1.0 2,546億円 (5.7%) 0.5 石油製品・石炭製品 鉄鋼 0.0 化学製品 ▲ 0.5 1,016億円 (0.1%) ▲ 1.0 非鉄金属 加工業種 ▲ 1.5 飲食料品 ▲ 2.0 素材業種 一般機械 加工業種 製造業 電気機械 非製造業 輸送機械 (注)1.2013年の貿易収支をベースに、円・ドルレートが10%円安になった場合の 企業収益への影響を試算。グラフ中の数値の括弧内は2010年の営業余剰 に対する企業収益の変化率。 2.輸出入金額の変化はみずほ総研マクロモデルによって試算。産業間のコスト 転嫁は、投入コスト増加分の50%を転嫁すると仮定。生産波及効果は、輸出 金額の増加による生産誘発額から輸入増加額と国内品の中間投入額を控除 した付加価値額。 (資料)財務省「貿易統計」、経済産業省「平成22年簡易延長産業連関表」よりみずほ 総合研究所作成 3.長期的影響 非製造業 建設 電力・ガス・熱供給 商業 対個人サービス 14,598 2,546 ▲ 167 2,023 653 ▲ 191 12,052 ▲ 2,028 4,104 2,389 7,399 1,016 ▲ 1,073 79 7,142 ▲ 853 12.4% 5.7% ▲ 20.6% 19.0% 5.1% ▲ 6.0% 16.6% ▲ 5.1% 41.9% 43.6% 85.9% 0.1% ▲ 23.1% 0.7% 5.1% ▲ 1.4% (注)試算方法や注意事項は左図と同様。 (資料)みずほ総合研究所作成 ~人手不足などへの十分な対応によって、円安のメリットはさらに拡大 以上では、円安進行後、数カ月から2年程度の短期間に生じる影響について、貿易収支や経常収支、 マクロの実体経済、セクター別の影響などを検討した。短期的な影響の結論をまとめると、円安は① 貿易収支の悪化要因になるが、第1次所得収支の黒字拡大効果の方が大きいため、経常収支にとっては 改善要因になること、②マクロ経済全体の回復を後押しする効果があること、③セクター別にみると デメリットが大きい部門もあり、特に石油・石炭製品や建設などでは深刻な業績圧迫効果が生じるこ となどがある。 一方、長期間にわたって円安が定着すれば、企業行動には、製造業の国内回帰や部品調達先の国内 サプライヤーへの切り替え、外資の対内投資拡大などの変化も一部で生じ始めるだろう。新興国の需 要拡大が続くとみられる中で、日本企業の海外進出のトレンド自体は続くと考えられるが、円安の定 着によって、国内立地が有利になる企業も一定割合は存在するとみられるためである。 これまでの状況を確認すると、2013年末から2014年初にかけては、自動車産業などで過去の円高局 面に計画された海外投資計画が進捗したため、工場の海外移転が一段と進むことになった。他方、日 本政策投資銀行の調査によると、2014年度の設備投資計画(大企業)は海外投資(2013年度計画:前 7 年比+25.9%⇒2014年度計画:同+2.0%)の伸びが大幅に縮小する一方、国内投資(2013年度計画: 同+10.3%⇒2014年度計画:同+15.1%)の伸びが高まっており、円安が国内工場の活用を促す効果 も徐々に出始めているようだ(ただし、2014年度の段階では国内工場の新設よりも、既存工場の稼働 率を上げるための維持・更新投資が多いとみられる)。 円安がもたらすと予想される企業行動のこうした長期的変化は、国内生産の増加などを通して日本 経済の活性化につながることは間違いないだろう。また、その効果の大きさも、円安の短期的なメリ ットを上回る可能性がある。ただし、人手不足などの供給制約がネックとなって、長期的な円安のメ リットを十分に享受できなくなるリスクには注意が必要だろう。また、円安には海外進出のコストが 増加するというデメリットもある。特に非製造業では、製造業のように輸出による海外需要の取り込 みが困難なため、外需の取り込みに要するコストの増加が避けられない。また、製造業においても、 マーケティング機能などの現地化の遅れにつながれば、海外市場でのビジネス機会を逃すリスクが生 じるだろう。 円安の長期的な効果を最大限に活かすには、国内の人手不足対策やサービス部門の海外進出支援な どの対応策が求められるが、対応さえ十分にできれば円安の定着による国内生産増加のメリットは総 じて大きいと考えられる。なお、こうした対応に時間がかかることも考えれば、長期的なトレンドと しては円安が緩やかに進むことが望ましいといえるだろう。 4.日米の政策スタンスからみた円安の持続性 ( 1 ) 「持続性」があって初めて期待できる円安効果 本稿は、2012年秋からと2014年夏からの2回にわたって段階的に進んできた急速な円安について、時 間軸の長短やセクター別の分析も踏まえたうえで、その影響を客観的に判断することが目的であった。 さらにいえば、その真意は、ややもすると「円安にはデメリットこそあれ、もはやメリットはない」 という結論に偏りがちな「円安悪玉論」に対して、それらが主張する悪影響は「局所的」・「局面的」 なものであることを指摘することであった。以前ほどのメリットは望めないまでも、円安のデメリッ トをことさらに強調するのは、やはり言い過ぎであり、むしろ以前ほどはメリットが見込めない現在 ........................... においても、 「円安の持続期間が十分に長ければ依然メリットを享受できる」というのが本稿のメッセ ージである。そのため、政策判断を誤らせかねない極端な「悪玉論」に自制を促すことと並んで、重 要なのは円安の「持続性」であるという視座を提供する意味も、本稿の分析結果には含まれている。 そこで以下では、本稿の最後に、しばしば議論となる「水準論」と、鍵を握る米国の「為替政策」 の観点から円安の持続性について考察したい。 ( 2 ) 「行き過ぎた円安論」の信ぴょう性 冒頭でも述べたが、QE3の終了を目前にした米国が今後出口戦略に移行するなかでは、米金利が 上昇する可能性が高く、そのため足元で一旦円安が一服したドル円相場も再び円安トレンドに戻ると 8 見ている。しかし、それが「行き過ぎた円安」であれば、ほどなくして調整されるのではないかとい う見方もあろう。為替相場の水準を判断する際にしばしば用いられる購買力平価と実際のドル円相場 (実勢レート)の推移を比較してみると、85年のプラザ合意以降大きく円高に振れた円相場は、90年 代を通じて購買力平価に収束するように推移し、足元では1割ほど円安にオーバーシュートしている と見ることもできる(図表 11)。そのため、購買力平価を為替相場の均衡水準とみれば、長期間にわ たって一段の円安が進むことはないと考える見方もあるかもしれない。 しかし、購買力平価を、オーバーシュートした為替が収束していく均衡水準と見るのとは逆に、為 替の変動が購買力平価に影響を与えるという関係になっていることも考えられる。ある財が日本では 10,000円で、米国では100ドルのとき購買力平価は1ドル=100円となるが、実勢レートが購買力平価よ り円安の1ドル=110円であれば、日本の10,000円の財は91ドルとなり同質の米国の財より割安となる。 そして米国の100ドルの財は11,000円と、日本の同質の財より割高になる。日本の輸出については、価 格を100ドルのまま据え置くだけで増益要因となるほか、国内品と競合する輸入財は価格競争力を失う。 その結果、企業収益の増加などを通じて日本の景気が押し上げられれば、インフレ率が上昇しやすく なり、購買力平価は円安方向に動きやすくなると考えられる。 また、より一般的な理解としても、円安局面では、輸入物価の上昇を通じて国内物価が押し上げら れることにより、購買力平価は円安方向に動く可能性がある。実際、購買力平価とドル円相場の関係 を見ると、90年代半ば以降はリーマン・ショック前後の時期を除いて、購買力平価がドル円相場に遅 れて変動しているように見える(図表 12)。したがって、実勢レートを購買力平価と比較して、今後 さらに円安が進む可能性は低いと考える必要は必ずしもない。購買力平価をマクロ経済的な貿易の採 算性指標と考えれば、日米間や第三国における日米の価格競争の面からは日本企業が一段とコストカ ットを行わなければならない必要性が軽減する水準、すなわち「3.長期的影響」 (7~8頁)でも述べ た空洞化の解消を促し得る水準に実勢レートが近づいたことを意味しているに過ぎない。 図表 11 ドル円相場と購買力平価 図表 12 (前年比、%) (円/ドル) 350 ドル円相場と購買力平価の関係 40 ドル円レート (月中平均、2014/10) 107.7 購買力平価 (73年 企業物価 基準、2014/9) 99.4 (前年比、%) ドル円レート 購買力平価 ( 企業物価基準、6カ月後の実績 、右目盛) 30 300 15 10 20 250 5 10 200 0 150 0 ▲ 10 100 ▲5 ▲ 20 50 ▲ 10 ▲ 30 ▲ 40 0 73 76 79 82 85 88 91 94 97 00 03 06 09 12 15 (年) ▲ 15 95 (注)ドル円レートの直近月の実績は、2014/10/20までの平均値。 (資料)Bloomberg、総務省、日本銀行、米国労働省、IMF 97 99 01 03 05 07 09 11 (注)ドル円レートの直近月の実績は、2014/10/20までの平均値。 (資料)Bloomberg、総務省、日本銀行、米国労働省、IMF 9 13 (年) ( 3 ) 「持続性」のポイントは米国の為替政策 円安の持続性を考えるうえでは、購買力平価への収束よりも米国の為替政策を考える方がはるかに 重要である。実際、過去の状況をみると、ドル円相場は概ね米国の為替政策によって主導されてきた ことがわかる(図表 13)。2000年代以降に焦点をあてると、サブプライム問題の発生からリーマン・ ショックへと発展した2007年以降は、大恐慌以来のバランスシート調整に直面した米国が量的緩和に よって実質的に通貨安政策を行ったために、ドル円相場は円高ドル安が進み、そして米国でバランス シート調整が進展した2013年からは量的緩和の縮小を通じて米国がそれまでの通貨安政策を転換させ たことによって、足元の円安ドル高につながったと考えられる。 以上を踏まえれば、今後については、米国が2015年から数年間の利上げ局面に入る可能性が高いた め、その間は円安が継続しやすいと考えるのが自然である。また日本でも、インフレ率が日銀の目標 としている2%に近づくまでは金融緩和が維持される可能性が高く、当面米国とともに実質的な円安ド ル高政策が続くことになると予想される。 そこで懸念されるのは、ドル高が急速なペースで進み、米国の産業界からドル高をけん制する動き 出てくることだ。幸いにして、今のところは米国の産業界からドル高に対する不満が顕在化し始めた 様子はないが、金融政策の正常化を目指すFRBの中からドル高に伴うディスインフレや米景気への 影響を懸念する見方が出始めるなど、急速なドル高に対しては警戒感もある。今後、ドル高に対する 警戒感が米国内で広がりを見せるようならば、米国の為替政策が変更されて日本経済が円安効果を十 分に享受できなくなることも考えられる。同様に、日本国内の極端な「円安悪玉論」によって日銀が 追加緩和の自由度を奪われることも円安維持の障害となる。日本経済が十分な円安効果を享受できる かどうかのポイントは円安の持続性にあるが、それは日米の為替政策、とりわけ米国の為替政策が鍵 を握っている。 図表 13 ドル円相場と米国の為替政策 (円/ドル) 400 ②1971年8月 ニクソン・ショック 350 ④1985年9月 プラザ合意 ①1949年~ GHQ、ドル円交換レートを 1ドル=360円に決定 300 250 ⑦2013年~ 米国金融緩和縮小に ドル安 ③1978年~ カーター政権ドル防衛策、 ボルカー・FRB議長による インフレ対応高金利政策 200 150 ドル高 ドル安 ドル高 ドル安 100 ⑤1995年~ ルービン財務長官による ドル高政策 50 ⑥2007年~ サブプライム問題顕現化、 ドル安転換 0 49 54 59 64 69 74 79 84 89 94 99 04 09 ドル高 (年) (資料)Bloombergより、みずほ総合研究所作成 [共同執筆者] 経済調査部 主任エコノミスト 市場調査部 主任エコノミスト 徳田秀信 井上 淳 [email protected] [email protected] ●当レポートは情報提供のみを目的として作成されたものであり、商品の勧誘を目的としたものではありません。本資料は、当社が信頼できると判断した各種データに 基づき作成されておりますが、その正確性、確実性を保証するものではありません。また、本資料に記載された内容は予告なしに変更されることもあります。 10