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賑わいのあるみなとづくり ∼ Only-Oneで日本一のみなと

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賑わいのあるみなとづくり ∼ Only-Oneで日本一のみなと
賑わいのあるみなとづくり
∼ Only-Oneで 日 本 一 の み な と ま ち を ∼
長崎港湾漁港事務所
◎松本伸彦
○濱崎正一
I.
はじめに
長 崎 県 に は 、 北 海 道 に 次 ぐ 長 い 約 4,200kmの 海 岸 線 と 390の み な と が あ る 。
言 う ま で も な く 、長 崎 や 平 戸 、口 之 津 は 、古 く よ り 海 外 と の 交 易 に よ り 栄 え
た み な と ま ち で あ る が 、他 の 地 域 に お い て も 、陸 上 交 通 網 が 整 備 さ れ る ま で
は、沿岸航路が交通の中心であり、みなとを中心としてまちが栄えてきた。
こ の よ う に 、み な と は 人 流 ・ 物 流 の 場 と し て 、ま ち の 繁 栄 、地 域 経 済 の 発 展
に大きな役割を果たしてきた。
一 方 、全 国 各 地 で あ る 一 定 の 社 会 資 本 が 整 備 さ れ た 現 在 、観 光 振 興・ 企 業
誘 致 な ど に お い て 地 域 間 競 争 が 激 化 し 、地 域 の 特 色 を 生 か し た 魅 力 あ る 取 り
組みが必要とされている。
本 研 究 で は 、古 く か ら ま ち の 中 心 と し て 栄 え た み な と を 舞 台 に 、地 域 の 特
色 を 生 か し 、そ の 活 性 化 に 取 り 組 ん だ 事 例 を 紹 介 し 、今 後 の 取 り 組 み に つ い
て提言したい。
II. 小 浜 港
(ア )
∼温泉でにぎわう日本一のみなとづくり∼
小浜町(小浜温泉)の概要
位置図
雲 仙 市 小 浜 町( 小 浜 温 泉 )は 、島 原 半 島 の
西 に 位 置 し 、橘 湾 を の ぞ む 海 岸 線 に 沿 っ て 旅
小 浜 港 マリンパーク
館 が 建 ち 並 ぶ 温 泉 街 で あ る 。大 正 ∼ 昭 和 初 期
に は 、長 崎 や 茂 木 、島 原 、天 草 と の 間 に 定 期
温泉街
航 路 が 、ま た 大 正 12年 か ら 昭 和 13年 に か け て
は 鉄 道 が 整 備 さ れ 、多 く の 観 光 客 が 訪 れ る よ
うになった。
小浜温泉は、奈良時代からの伝統を誇り、
そ の 熱 量 は 日 本 一 と 称 さ れ 、湧 き 出 る 豊 富 な
図 1 小浜温泉と小浜港
湯 量 で も 知 ら れ て い る 。さ ら に 、橘 湾 に 沈 む 夕 日 は 絶 景 と 称 さ れ 、歌 人 ・ 斉
藤茂吉も「海に沈む夕日」をモチーフに歌を詠んでいる。
このように、小浜温泉は観光資源が豊かな地域である。
(イ )
小浜港の概要
小 浜 港 は 、昭 和 35年 地 方 港 湾 と し て 指 定 さ れ 、本 格 的 な 港 湾 整 備 に と り か
か り 、 今 回 の 舞 台 と な る 港 湾 緑 地 ( 以 下 「 マ リ ン パ ー ク 」 ) は 、 平 成 8年 に
小浜港内の半分を埋め立てる形で、まちの中心部に整備された。
小 浜 港 で は 、 周 辺 海 域 で 漁 獲 さ れ た 水 産 物 の 陸 揚 げ ( 年 間 約 900ト ン ) の
ほか、マラソン大会や花火大会などのイベントが開催されている。
(ウ )
地域が抱えていた課題
500
みなとまちであり、全盛期(平成2
年 )に は 約 44万 人 の 宿 泊 者 数 を 有 し
た が 、 平 成 17年 に は 半 減 、 平 成 19
年 10月 に は 老 舗 ホ テ ル が 廃 業 す る
(千人)
437
小浜温泉は、観光を中心に栄えた
400
300
219
200
な ど 、観 光 産 業 の 低 迷 が 続 い て い る 。
地 元 住 民 の 多 く が 、旅 館 を は じ め
100
とする観光産業に携わっており、温
泉街の衰退と観光産業の低迷が大
0
平成 1
2
3
4
5
6
7
8
9 10 11 12 13 14 15 16 17 18
きな課題となっていた。また、町
図 2 小浜温泉の宿泊者数の推移
の 中 心 部 に 整 備 さ れ た マ リ ン パ ー ク も 、遊 水 池 の 水 も 枯 れ 果 て そ の 低 迷 を 象
徴するかのような印象を与えていた。
(エ )
地元住民との協働で計画立案
平 成 19年 12月 よ り 、 地 元 自 治 体 で あ る
雲仙市や小浜温泉観光協会を中心とする
足湯
地元住民と意見交換会を開催し、小浜温
泉の特徴である豊富な熱量と湯量をマリ
蒸釜
ンパークでアピールできないか検討を重
ねた。意見交換会では、足湯、蒸釜、湯
湯棚
雨竹、塩田、温泉スタンドなど、様々な
アイデアが提案された。
しかし、それらの施設は、配管や各施
図 3 整備計画パース
設の清掃、その費用負担など維持管理に
関 す る 課 題 が 山 積 み で あ っ た 。特 に 、湯 の 花 を 除 去 す る 配 管 清 掃 は 大 き な 課
題であり、源泉を近くに新たに掘
るなど、将来的なランニングコス
トを軽減する方策も検討する必要
が生じた。
課題の解決には、地元住民の温
表 1 みんなのふるさとふれあい事業概要
事業
主体
事業費
(千円)
主な内容
長崎県
63,000
足 湯 105m,蒸 釜 6基 ,東 屋 2棟
雲仙市
41,000
源 泉 1基 ,湯 棚 1式
泉 に 対 す る 豊 富 な 経 験 と 知 識 が 生 か さ れ 、源 泉 の 掘 削 や 維 持 管 理 費 に は 地 元
自 治 体 の 強 力 な バ ッ ク ア ッ プ 、清 掃 活 動 に は 愛 護 団 体 等 の 積 極 的 な 参 加 な ど 、
官民一体となった取り組みがその糸口となった。
こ れ ら の 検 討 や 課 題 解 決 に は 、約 1年 3ヵ 月 の 歳 月 を 要 し た が 、以 下 の よ う
な地域の特色を最大限に生かした施設計画を立てることができた。
①
日 本 一 の 熱 量 と 湯 量 を ア ピ ー ル す る 、源 泉 温 度 105度 に ち な ん だ 日 本
一 の 「 105mの 足 湯 」
②
源泉熱を用いて地元の農作物や海産物を蒸すことができる「蒸釜」
③
日本一の熱量と成長する湯の花を目で楽しむ「湯棚」
特 に「 足 湯 」は 、そ の 長 さ を 生 か し て 、絶 景 の 夕 日 を ゆ っ く り 楽 し め る 腰
掛け足湯やウォーキング足湯、ペット足湯を盛り込むこととした。
(オ )
ソフト事業との連携
地 元 雲 仙 市 が 中 心 と な っ て 企 画 さ れ た 平 成 22年 2
月 2日 の オ ー プ ン は 、 地 元 メ デ ィ ア は も と よ り 、 全
国版のニュースでとりあげられるなど大きな反響
と な っ た 。ま た 、足 湯 の 愛 称 も 公 募 に よ り『 ほ っ と
ふ っ と 105』 に 決 定 し た 。
そ の 後 、地 元 観 光 協 会 が 中 心 と な っ て 小 浜 温 泉 の
旅 館 と タ イ ア ッ プ し た 「 ほ っ と ふ っ と 105プ ラ ン 」
や 「 足 湯 deビ ア ガ ー デ ン 」 な ど が 次 々 と 企 画 さ れ 、
地 元 紙 や 旅 行 雑 紙 な ど に も と り あ げ ら れ 、雲 仙・島
原がセットになったバスツアーなども企画される
ようになった。
(カ )
利用状況とその効果
オ ー プ ン 以 来 、月 平 均 2万 人( 1日 最 大 3
図 4 旅行雑誌へ掲載
「九州じゃらん 5 月号」より
千人)を越える方々に利用されている。
これは、長崎ペンギン水族館や島原城に
匹敵する入場者数である。減少傾向にあ
った小浜温泉の宿泊者数も、施設利用者
の う ち 宿 泊 者 の 割 合 は 1/4程 度 で あ る が 、
前 年 比 1.0を 上 回 る よ う に な っ た 。
小浜温泉観光協会が実施したアンケー
ト 調 査 に よ る と 、利 用 者 の 約 7割 が 女 性 で 、
長 崎 県 内 が 7割 、 関 東 ・ 関 西 圏 が 約 2割 、
図 5 足湯の利用状況
「 3回 以 上 の リ ピ ー ト 」 は 約 7割 を 占 め る 。 こ れ ら
の方からは、「癒し」や「足が軽くなった」との
意見とともに、野菜販売などのサービス向上への
期待も寄せられた。
観 光 統 計 ( 平 成 20年 ) の 観 光 消 費 額 等 か ら 、 整
備 効 果 を 試 算 す る と 年 間 約 8億 円 と な る 。 こ の よ う
図 6 蒸釜の利用状況
及 び そ の 関 連 部 局 が 連 携 し て 積 極 的 に 事 業 を 推 進 し た こ と に よ り 、施 設 へ の
な効果の背景には、官民が協働で計画し、県・市
愛 着 が 生 ま れ 、整 備 後 の 積 極 的 な 施 設 の 活 用 と い う 結 果 に つ な が っ た も の と
考える。
III. 長 崎 港
(ア )
∼クルーズ客船でにぎわう日本一のみなとづくり∼
長崎の概要
1571年 、ポ ル ト ガ ル 船 が 来 航 し 、
小 さ な 岬 の 突 端 に 島 原 町 な ど 6町
( 人 口 約 2千 人 )が 形 成 さ れ た の が
長崎の始まりである。
位置図
松 が枝 国 際 観 光 船 ふ頭
大浦
鎖国時代には、「出島」が、海
外との唯一の門戸として、様々な
出島
文化、学問などを発信してきた。
安政の開港により、長崎港に面し
た大浦とその周辺の埋め立て、背
後の東山手・南山手の開発により
外国人居留地が造成されると、
図 7 長崎市街地と長崎港
様 々 な 商 業 、産 業 活 動 な ど が 営 ま れ る よ う に な っ た 。ま た 、キ リ ス ト 教 の 歴
史 に 深 い か か わ り を も つ「 日 本 二 十 六 聖 殉 教 者 天 主 堂( 通 称「 大 浦 天 主 堂 」)」
もこの頃建造され、現在それらが観光資源として多く存在している。
また、明治末期∼昭和初期にかけては、国内外から数多く船舶が寄港し、
長 崎 と 上 海 を 結 ぶ 定 期 船 も 就 航 し た 。昭 和 13∼ 17年 に は 、長 崎 港 の 乗 降 客 数
が 10万 人 を 超 え( 当 時 の 長 崎 の 人 口:約 20万 人 )さ ら に 交 流 が 盛 ん に な っ た 。
こ の よ う に 長 崎 は 、海 外 と の 交 流 の 中 で 繁 栄 し た み な と ま ち で あ り 、文 化
や歴史、それに関連する観光資源が豊かな地域である。
(イ )
長崎港とクルーズ客船
長 崎 港 周 辺 は 、観 光 資 源 が 豊 か な 地 域 で あ り 、昭 和 33年 の カ ロ ニ ア 号 の 入
港 以 来 、外 航 ク ル ー ズ 客 船 の 寄 港 が 相 次 い で い る 。平 成 18、19年 に は 、外 国
籍クルーズ船の寄港実績が日本一にな
っている。
平 成 16年 9月 に は 、世 界 の ク ル ー ズ 客
船 の 大 型 化 に 対 応 し 、 日 本 初 の 10万 総
トン級の施設計画を行い、その後の拡
張整備に合わせて、国際ゲートウエイ
機能の強化のため「長崎港松が枝国際
ターミナルビル」が計画された。
国際ターミナルでは、検疫、入国、
税関などの審査機能や、様々なインフ
図 8 クルーズ客船寄港時の賑わい
ォメーション機能も求められるが、第
一 に 長 崎( 日 本 )を 印 象 づ け る 大 切 な 空 間 で も あ る 。タ ー ミ ナ ル ビ ル 全 体 で
も 歓 待 を 表 現 し て い る が 、さ ら に 具 体 化 し た 空 間 と し て 、ま た 日 本 唯 一 の も
てなしを行う場として、歓待ギャラリーが計画された。
(ウ )
専門家の意見を踏まえた空間づくり(歓待ギャラリー)
歓 待 ギ ャ ラ リ ー の 具 体 に つ い て は 、ア ー バ ン デ ザ イ ン 専 門 家 会 議 に 諮 り 決
定 し た 。そ の 中 で 、歓 待 ギ ャ ラ リ ー は 乗 客 が は じ め て 通 る 空 間 で あ る こ と か
ら、以下のようなコンセプトで計画を行うこととした。
①
長崎(日本)への期待感を高めるアプローチ空間としての演出
②
わかりやすく、インパクトのある空間の演出
③
通過空間という特性を考慮した「見える映像(環境映像)」の演出
映像及び空間の一体感を表現するため、
映像設備はプロジェクターとし、国内唯
一 の 12面 マ ル チ ス ク リ ー ン ( 全 長 約 30m)
と LED演 出 照 明 、音 響 施 設 と が 連 動 す る 施
設 と し た ( 工 事 費 約 45,000千 円 、 映 像 ソ
フト込)。
映像ソフトは、入国審査待ちなどに体
験 で き る よ う 3∼ 5分 と し 3種 類 作 成 し た 。
長崎の美しい風景や名所、日本を感じる
季 節 映 像 、長 崎 の 文 化 の 集 大 成 で あ る「 長
崎くんち」を入港用に準備した。また、
図 9 歓待ギャラリー計画パース
通 常 ク ル ー ズ 客 船 は 朝 入 港 し て 夕 方 出 港 す る た め 、長 崎 の 夜 景 を 目 に す る 機
会 が な い 。“ も う 一 度 長 崎 へ 来 て ほ し い ”と い う 願 い を 込 め て 、長 崎 の 夜 景
を出港用に準備した。
音 楽 に は 、長 崎 に 縁 が あ り 海 外 の 方 々 に な じ み の 深 い 、プ ッ チ ー ニ 作 曲 の
オペラ「蝶々夫人(ある晴れた日に)」を採用した。
ソ フ ト 制 作 の 過 程 で は 、ク ル ー ズ 客 船 受 入 委 員 会 や 長 崎 市 観 光 部 局 な ど の
意見も踏まえ、乗客の方々が“長崎への期待感を高める”ように心がけた。
(エ )
利用状況とその効果
国 内 唯 一 の 空 間 と し て 整 備 さ れ た 歓 待 ギ ャ ラ リ ー は 、世 界 の ク ル ー ズ 会 社
へ の ポ ー ト セ ー ル ス に も 活 用 さ れ ”Beautiful”と 評 価 を い た だ い た 。 乗 客 の
方 も ギ ャ ラ リ ー 内 で 写 真 を 撮 影 さ れ る な ど 、期 待 感 を 高 め る 空 間 と し て 十 分
に 機 能 す る と と も に 、あ る 方 か ら は「 世 界 に 類 の な い 美 し い タ ー ミ ナ ル 」と
の意見も頂いた。
ク ル ー ズ 客 船 1隻 あ た り の 経 済 効 果 は 約 2千 万 円 と い わ れ て い る 。今 後 、指
定 管 理 者 と 一 体 と な っ て 、県 民 が も て な す 空 間 と し て の 活 用 を 図 る な ど 、ソ
フ ト 面 で の 取 組 み も 行 う こ と に よ り 、ク ル ー ズ 客 船 の さ ら な る 利 用 促 進 と 地
域の活性化を目指すことも必要である。
図 10 寄 港 時 の 様 子
図 11 ポ ー ト セ ー ル ス の 資 料
IV. ま と め
今 回 紹 介 し た 事 例 は 、専 門 家 の 意 見 や 地 域 住 民 と の 協 働 等 に よ り 、地 域 の
特 色 を 生 か し た ハ イ パ フ ォ ー マ ン ス な 施 設 が 実 現 し た も の と い え る 。特 に 小
浜 港 の 事 例 は 、社 会 資 本 ス ト ッ ク の 有 効 活 用 と 充 実 、社 会 情 勢 を 踏 ま え た 変
貌の必要性が、地域の活性化というアウトカム指標で示された例である。
し か し 、今 後 こ れ ら の 効 果 を 持 続 又 は 拡 大 し“ 賑 わ い の あ る み な と づ く り ”
を行うためには、以下のような取り組みが必要と考える。
① 官 民 一 体 と な っ た PDCAの 実 施 ( 継 続 的 改 善 )
② 運 用 面 に お け る 地 元 住 民 や 関 係 団 体 な ど と の 事 業 的 連 携( 効 果 促 進 事 業 )
③ 持 続 的 な PPP( Public Private Partnership) の 構 築
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