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「つばらつばら」

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「つばらつばら」
「つばらつばら」
茅花(つばな・ちばな)という言葉を国語辞典で調べてみると、チガヤの花穂・食
べられると書いてある。私たちの幼いころは、それをヅボとよんでいたように記憶し
ています。ヅボの元の名は茅穂(つぼ)だったのでしょうか、つばな、つばな、つば
な・・・と早口に繰り返し言ってみると、「づぼ」に聞こえてくるから不思議です。
端午の節句の食べもの、粽(ちまき)は現在、竹か笹の葉で包むのが普通ですが、茅
(ちがや)の葉で餅を巻いたものが始まりだとか。早春の田の畦、川の堤、あるいは
野原で、その柔らかな花穂を引き抜いて食べた記憶、遠い昔のそのような思い出を、
皆様もお持ちではないでしょうか?
食べてお腹がふくらむようなものでは無いのですが、万葉集の中に次のような歌が
あります。
わ
け
「戯奴がため我(あ)が手もすまに春の野に抜ける茅花そ召して肥えませ」
万葉集
わ
巻8
-
1460
きのいらつめ
紀女郎
け
「我が君に戯奴は恋ふらし賜りたる茅花を食めどいや痩せに痩す」
万葉集
巻8
-
1462
おおとものやかもち
大伴家持
紀女郎と大伴家持の間で詠み交わされた戯れの恋歌ですが、それぞれ現代風に訳せば
次のようになります。
「You のために私が春の野にでて一生懸命あつめてきた茅花ですよ、召し上がって少
しは滋養でもお付けなさいな!」
1460 番歌
「ご主人さまに、私は恋をしているらしく、賜った茅花を食べてみたのですが、痩せ
る一方です」
1462 番歌
わ
け
戯奴とは、幾つかの意味があり、その一つは第一人称の人称代名詞であって、謙遜
して自分のことを言う言葉・・わたくしめ。
からか
又、ひとつは、目上の者が目下の者に、親しみを込めて、そして半ば揶揄うかのよう
に言う語。
ここに出てくる紀女郎と大伴家持の間に主従関係は無いのですが、彼女は家持に対
して、いとも安易に戯奴と呼びかけ、そう呼ばれた家持も鷹揚に、腹を立てることも
なく明るく応じています。紀女郎のほうが家持より年上だったようですが、もし近く
に、この軽妙なやりとりを聞く人が、居たならば恐らく、笑いの渦を巻き起こしたに、
ちがいありません。また、聞く人の心を大いに癒したことと思います。
おおとものたびと
茅(ちがや)といえば家持の父である大伴旅人も望郷の歌のなかに、この植物のこ
とを詠んでいます。
あ さ じ はら
も
ふ
さと
浅茅原つばらつばらにもの思へば故りにし郷し思ほゆるかも
万葉集
巻3
― 333
大伴旅人
*しみじみと物思いに耽っていると懐かしい故郷のことが思われてならない。
たびと
これが333番歌の現代語訳です。太宰府の長官として九州に赴任した旅人は年老
いて、望郷の念を断ち難く万葉集のなかにいくつかの歌を残しています。、任地に同
行した妻を後年その地で亡くし、淋しさを酒で忘れようとしたのでしょうか、酒を讃
むる歌 13 首は有名です。
あさじ
ちがや
浅茅とは茅(ちがや)の異称で、浅茅原は 茅 の生えた野原です。つばらつばらは、
「つくづく、しみじみ」という意味です。
三月から四月に花穂をだす茅も、六月には穂が固くなって、もう食べることはでき
ません。でも群生した花穂が風にゆれる様子をみていると、大伴旅人ならずとも、こ
の草が私たちの心に、郷愁をもたらせる拠り所となってくれるかもしれませんね。
大伴旅人の万葉歌から名前の付いた「つばらつばら」という和菓子が京都にござい
ます。ふるさとの地に思いを馳せながら、一度お召し上りになりませんか?
森安俊郎
茅(ちがや)
記
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