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奈良学ナイトレッスン 第8期 教科書では教えてくれない奈良の歴史 ~第

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奈良学ナイトレッスン 第8期 教科書では教えてくれない奈良の歴史 ~第
奈良学ナイトレッスン 第8期 教科書では教えてくれない奈良の歴史
~第二夜 『万葉集』と言霊—名前のタブーに迫る~~
日時:平成 25 年 6 月 5 日(水) 19:00~20:30
会場:奈良まほろば館 2 階
講師:井沢元彦(作家)
内容:
1.言葉には霊力がある
2.名前を教えてはいけない
3.「ヒミコ」の正体は
4.現代人も言霊を信じている
5.言霊信仰と危機管理
6.歌の前の平等がある国
1.言葉には霊力がある
今回は『万葉集』を入口として、日本の歴史全体にわたってお話しすることになると思
います。
私は推理小説作家としてデビューしました。今から34、35年前です。最初の小説は、
柿本人麻呂がテーマでした。その頃は、「『言霊』は『げんれい』と読むのですか?」とい
う人が多かった。言霊(ことだま)は『万葉集』に載っている日本語のなかで最も古い言
葉の一つです。日本で一番の古典といえる『万葉集』に載っていて、しかも『万葉集』の
中心思想である「言霊」が読めないということです。これはおかしなことです。
小説は面白いお話であればいいのであって、極端なことを言えば嘘をいくら書いても構
わないわけです。それと全く反対の分野にノンフィクションがあります。ノンフィクショ
ンは嘘を書いてはいけない。少なくとも自分が真実だと確信することしか書いてはいけな
い。推測の場合はそう断らなければいけない。そういう分野です。
私が大学を卒業して報道記者になりました。ニュースはノンフィクションですから、で
たらめを伝えてはいけない。そのうちに、学校で教えられた日本の歴史というのは、本当
に日本人のことをきちんと教えているだろうかという疑問にぶち当たったのです。
今も小説、つまりフィクションも書いておりますが、書く量としてはノンフィクション
のほうが圧倒的に多いです。なぜそうなったかというと、歴史学者の先生、学校の先生に
も歴史がわかっていない人が多いのではと思ったからです。きちんと教えていれば、みん
な「言霊」を読めなければいけない。
1
キリスト教の基礎知識なしに西洋史を理解するというのは不可能です。あるいは、中東
の歴史を学ばれる方はイスラム教のことを少しは知っていないとどうしようもない。それ
と同じことです。
『万葉集』は日本で一番古い文学といってもいいし、神話といってもいい。
歴史を学ぶのであれば、その中心思想を表す「言霊」という言葉は、当然知っていなけれ
ばいけません。
「言霊」とはどういう意味か。これは読んで字の如し、「言葉に霊力がある」という思想
です。
「言葉は、単なる記号ではなく、実体そのものであり、物事を動かす力がある」とい
うことです。呪文という言葉もあります。たとえば有名な「開けゴマ」。こう言うとその言
葉に対応して岩の扉がぐぐっと開くわけですよね。つまり呪文というのは、単なる言葉や
記号ではなく、現実を動かす力がある。西洋の場合は、それは特別な言葉だけです。とこ
ろが日本人は、あらゆる言葉全てに、物事を動かす霊力、力があると考えていたのです。
もう一つ、私は井沢元彦といいます。元彦というのは私の名前です。名前というのは、
本人そのものではないですよね。ところが、万葉時代の日本人は名前と実体を同一視して
いた。同じものだと考えていました。
『万葉集』における最大の歌人と言われている柿本人
麻呂の歌です。
磯城島(しきしま)の
大和の国は
言霊の
助くる国ぞ
ま幸くありこそ
(巻13-3254)
次は、言霊という言葉は出てこないのですが、すべて言霊思想の歌です。『万葉集』を開
くと冒頭に載っているのがこの歌ですね。
篭(こ)もよ
家聞かな
み篭持ち
告(の)らさね
なべて 我れこそ座せ
堀串(ふくし)もよ
そらみつ
我れこそば
み堀串持ち
大和の国は
告らめ
この岡に
おしなべて
菜摘ます子
吾こそ居れ
しき
家をも名をも(巻1-1)
雄略天皇が春の野に出でたところ、篭(かご)と堀串(ふくし・スコップみたいなもの)
を持って若い乙女が春の菜を摘んでいた。野草摘みです。そこに行って雄略天皇は聞いた。
「家はどこか教えなさい。私はこの大和の国のすべてを支配する王である。だから家も名
も教えなさい」。これは、求婚の歌なのですね。女性に対して「あなたの名前を教えてくだ
さい」と言うことは、電話番号を聞くのとはわけが違う。
「私のものになりなさい」という
ことなのです。
あらたまの
年の経ぬれば
今しはと
ゆめよ我が背子(せこ)
すな (巻4-590)
2
我が名告(の)ら
「あなたとお付き合いしてだいぶ経ちましたけれども、どうか人前で私の名前は決して
言わないでください」という歌です。
玉かぎる岩垣淵(いわがきぶち)の隠(こも)りには伏して死ぬとも汝が名は告(の)
らじ
(巻11-2700)
「私がたとえ荒野で死ぬようなことがあっても、決して君の名前は口にしないよ」とい
う歌です。名前を口にすることはダメなのですね。ダメなのにやってしまったのが次の人
です。
思ひにし あまりにしかば
すべをなみ
我は言ひてき
忌(い)むべきものを
(巻12-2947)
「あまりにあなたへの想いが強いので、本当はいけないのだけれど、私は口にしてしま
った。あなたの名前を」という意味です。次も同じです。
畏(かしこ)みと
告(の)らずありしを
立ちて 妹(いも)が名告りつ
み越道(こしじ)の
手向(たむ)けに
(巻15-3730)
「告(の)りつ」は声に出して言うことです。「妹」は恋人のことです。つまり「絶対に
言ってはいけないことは知ってはいたのだけれども、旅の途中の峠でついついあなたの名
前を呼んでしまったよ」ということですね。なぜ言ってはいけないかというと、名前を知
られるということは、他人の支配を受けることになるからです。実はこの習慣、戦国時代
まで続いています。
2.名前を教えてはいけない
平安時代に紫式部という人がいます。本名は藤原○子さんなのですが、○の中身がわか
りません。女性の名前は、近親者や夫しか知らないものであって、通常はあだ名や称号で
呼んでいました。彼女につけられたのが紫式部というニックネームです。ライバルの清少
納言という人、清原元輔(もとすけ)さんという人の娘です。昔はお嫁に行っても姓は変
わりませんので、清原○子さんであったことは間違いないのですが、やはり名前がわかり
ません。宮中で少納言という役職があり、清原の出身なので「清少納言」と呼ばれていた
のです。
では、全くわからないのかというと、そうでもない。百人一首に紫式部の歌の次に載っ
ている人、この人は紫式部の娘で、この人は名前がちゃんと載っているのです。藤原賢子
(かたこ)。その理由は、彼女は出世して天皇の乳母を務めたからです。皇室に関わるよう
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な偉い女性になると、系図に名前が載ります。死んだ後は名前を書いてもいいわけです。
ところが、皇室や公家よりくだけているはずの武家の世界では、長く女性の名前はわか
らなかった。それで何が困るかというと、大河ドラマですね。昔、中村橋之助さん主演の
大河ドラマ「毛利元就」がありました。毛利家の彼の母の名前、彼の妻の名前、一切わか
りません。だから脚本家、あるいは原作者がつけたのですね。何度かドラマ化されている
武田信玄は、隣国の諏訪氏の諏訪頼重(よりしげ)を滅ぼし、その娘を自分の側室にしま
した。その側室が、のちに織田家に滅ぼされることになる武田勝頼(かつより)を産みま
す。勝頼は元々信玄の四男で、後継ではなかったのですが、長男が父親に嫌われて自殺し、
次男は早く死に、三男は目が見えないということで、四男坊である彼にお鉢が回ってきま
した。彼は武田家の当主になり、母親は当主の生母ということになります。にもかかわら
ず、系図に名前が載っておりません。仕方がないので学者は「諏訪御料人」と言います。
諏訪家出身の御料人(奥さん)ということです。今でも関西で「奥さん」という意味の「ご
りょさん」という言葉があります。しかしこれでは、大河ドラマにも小説にもならない。
山本勘助(かんすけ)と武田信玄と諏訪御料人の三つ巴の物語、
『風林火山』という小説を
書いた井上靖さんは、彼女を由布(ゆう)姫と名付けた。実は、当時彼が大分県の由布院
温泉でこれを書いていたからなのです(笑)。この名前にも著作権があるため、井上靖さん
の小説の映画化でないと、由布姫とは使えない。だから新田次郎さんは『武田信玄』を書
いたときに、武田信玄を書くならどうしても諏訪御料人を登場させなきゃいけないので、
仕方なく名前を変え、湖衣(こい)姫にしたのですが、未だに本当の名前はわかりません。
ところが、織田信長の家来の木下藤吉郎の奥さん、ねねさん、おねさんという人もいま
すが、前田利家の奥さん、山内一豊の奥さん、あるいは佐々成政の奥さん、彼女たちの名
前は全部わかっています。これはすごいことです。このあたりの時代から変わっている。
やはり、織田信長はたいしたものです。彼は内助の功というのを非常に評価していて、実
話でこういう話があります。信長が岐阜から安土に移転した際、大軍団で引っ越しが行わ
れ、城下町が出来た。ところが城下町の侍屋敷の一角から火事が起こります。昔は木造建
物ですから火事は禁物で、火の用心は実に大切なことだった。信長が原因を調べてみると、
その侍は今でいう単身赴任をしていたのです。岐阜にもめ事があって家族を残していた。
そこで彼を叱り飛ばして、「直ちに家族を呼べ!」と言ったという話があります。
信長より前の時代、北条早雲が子孫に対して『早雲寺殿廿一(二十一)箇条』という教
訓集を書きました。北条早雲は浪人から一国を乗っ取った人で、なかなかいいことを書い
ています。朝、お城に出勤したとき、いきなり上司のもとには絶対に行くな、と。まず、
朋輩や友人に上司の機嫌はどうかと聞いてから行けと。やっぱり苦労人ですよね。にもか
かわらず、女性については、
「女というものは浪費ばかりして家の中を散らかすものだから、
よくよく管理しなきゃいかん」ということしか書いてない。
これは明らかに世代の違いです。時系列的には、(血縁関係はないですが)北条早雲がお
じいさんの世代で、信長は孫の世代ぐらいです。そのぐらいの差がある。だから織田家と
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いうのはすごい。時代の常識を変えたのです。
しかし今でも名前に関するタブーは残っています。例えば、田中花子さんという方が現
代の日本にいたとします。私はいま、大学の客員教授をしているのですけれども、いくら
教授だからといって学生に「花子、そこのところを読んでみなさい」とは言わない。でも、
彼女がアメリカに行ったらどうですか? アメリカに行って、アメリカ人の教授から、「ヘ
イ、ハナコ、そこを訳してごらん」と英語で言われたとして、怒らないでしょう。文化が
違う。
我々日本人には、未だにファーストネームを気軽に呼んではいけないというタブーがあ
る。例えば山本太郎さんという課長がいたとして、誰か彼のことを太郎と呼びますか? 親
ぐらいですよね。ひょっとしたら奥さんも太郎と言うかもしれないけれども、部下がそう
言ったらまずい。上司でも言わない。つまり、名前というのは、滅多に呼ばれないです、
今でも。
江戸時代の名奉行と言われる遠山の金さんの本名は、遠山景元(かげもと)といいます。
しかしながら、景元と誰も呼びません。両親でも、子どもの頃はともかく、景元と言わな
いと思います。彼は役職としては江戸町奉行でした。奉行所に行ったら「お奉行さま」と
言われる。江戸城に行くと上司がいて、上司が彼を呼ぶ場合は官位で呼ぶので、
「左衛門尉
(さえもんのじょう)」という。彼が登城すると「遠山左衛門尉様、おなり」と言われます。
そして、老中や大目付は「遠山」と言えばいいわけです。誰も「景元」とは呼びません。
将軍だったら、
「景元」と呼び捨ててもいいのですが、将軍でも滅多に言わないでしょうね。
友人はどう呼ぶかというと、昔は便利で、呼びかけ用の名前があった。通称というのです
が、それは「金四郎」です。だから親しい人は金四郎と呼ぶ。
このように昔、特に武士は名前を二つもっていました。西郷隆盛は、西郷吉之介隆盛、
彼の弟分の大久保利通も一蔵という名前を持っていた。明治になったときに、西洋にもミ
ドルネームというのがあるのですが、生半可な西洋人の理解をした明治の日本人は、名前
が二つもあるのは近代的ではない、どちらかに統一しろということになりました。大体み
んな、呼び名ではなく、本名のほうを届けた。例えば遠山金四郎景元なら、景元を届け出
る。西郷の場合は隆盛、大久保の場合は一蔵ではなくて、利通を届けた。
もっとも世の中にはへそ曲がりがいて、こんな重々しい本名を付けるのがイヤだという
人が、有名な人で2人いました。1人は、江藤新平です。のちに佐賀の乱を脱して亡くな
ります。もう1人は、福沢諭吉です。福沢さんの本名は「範」という字ですが、これをど
う読むのか、みんな知らないのです。
実は西郷隆盛も、どちらか一つの名前を届けなさいというお触れが出た時に、西郷さん
はああいう人だからなかなか届けず、とうとう期限がきたが、本人がいない。そこで、周
りの人が「あいつの本名はなんだったっけ?」と話たところ、みんな知らない。そのうち
1人が思い出したのですね。あそこの家では代々「隆」を使うじゃないかと。そのうち誰
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かが、
「あっ!隆盛だ!隆盛に間違いないよ」というので、本人がいないのに隆盛で届けた
ら、あとで西郷さんぼやいたそうですね。「おいは、隆永(たかなが)だ」。でも、面倒だ
からそのままにしたそうです。
3.「ヒミコ」の正体は
さて、日本史の根本の部分、卑弥呼の話をします。実は、卑弥呼は卑弥呼という名前で
はないとうことです。卑弥呼という名前はどこに載っているかというと、中国の本に載っ
ているのですね。
中国は日本より早く文明国をつくりました。
『三国志』の諸葛孔明と日本の卑弥呼はほぼ
同じ時代の人物ですが、おそらく諸葛孔明はあの時代、今とほとんど変わらない中華料理
を食べ、石造りの城に住み、紙はまだ一般化していなかったので、竹簡(ちくかん)とい
う、お寿司を作る巻き簀を大きくしたような竹を束ねたものや、あるいは絹に字を書いて
いて、それが本や手紙だった。服もすでに完成しています。つまり中国では文明的な暮ら
しをしている。
比べて日本の卑弥呼は、おそらく、掘っ立て小屋に住んでいたと思います。伊勢神宮も
そうですが、掘っ立て小屋というのは、地面に木製の柱を突き刺しただけのものです。そ
うすると、雨水が入ってくるから傷む。腐りやすいのです。後に、仏教が入った時に仏教
式の建築として、礎石という石を組んで、そこに柱を立てるやり方が入ってきました。そ
うすると長持ちするわけですね。今から1500年くらい前の飛鳥時代のことです。ほと
んど同じ時代に完成したのが伊勢神宮と法隆寺。法隆寺は外国の最新式の建築技術で建っ
ている。だから1000年間崩れていません。いっぽうで、伊勢神宮は20年ごとに掘っ
立て小屋式を建て替えるという形で、リニューアルしている。どちらも捨てないという、
これが日本人の特徴でしょうね。
邪馬台国と言われている国から当時の魏に卑弥呼は使いを出して、魏の皇帝から、おま
えは感心だ、魏と親しい倭の国の王であると認めると、金印をもらったそうです。だから、
「親魏倭王(しんぎわおう)之印」というのが、今でもどこかの古墳に埋まっている可能
性があります。その魏の歴史「魏志」の中で倭人のことを書いた「倭人伝」、
『魏志倭人伝』
の中に「卑弥呼」が出てきます。当時の魏の人が使いに対して「あなたの国の一番えらい
人はなんていうんだ?」と聞いた時の答えが「卑弥呼」だった。今でも日本人も天皇の名
前を言うことはありませんよね。「あなたの国の一番えらい人はなんとおっしゃいます
か?」と聞いた時に、「天皇」と言うでしょう。つまり卑弥呼は、本名であるはずがない。
しかも、女性の名前はよりタブー視されていました。つまり「卑弥呼」は、地位や身分を
表した称号だということです。字は中国での当て字となるための意味は考えないほうがい
いです。「ヒミコ」という発音だけ考えましょう。
「ヒミコ」は、意味で当てるとどちらかだと私は思っています。「日御子」か、あるいは
火を祀る巫女の「日巫女」か。
『古事記』を読むと、天皇は太陽の女神である天照大神の子
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孫です。世界中の神話では、太陽神というのは男です。ギリシャ神話ではアポロンが太陽
の神で、アルテミスは月の女神。世界中どこへ行っても、太陽が男で、月あるいは大地が
女です。ところが、日本の神話だけは太陽神が女性になっている。なぜかというと、そう
いう人間が実在したと考えればいいと思うのですね。つまりそれは、ヒミコだろうと。
邪馬台国は九州か大和かという議論がありますが、私は、最初は九州にあったのが大和
に移転したと思っています。これは東遷説といいます。最近、あまりこれを唱える人がい
ないのですが、他ならぬ『古事記』に神武天皇は九州を出発して途中の国を征服して大和
に入ったと、書いてあります。先祖のことはできるだけいいように書こうという意識はあ
りますが、先祖は尊いため、実際にやったことをきちんと書こうという意識もあります。
九州から来たと書いてあるから、やはり九州は発祥の地であると考えたほうが、私はいい
と思います。ただ、卑弥呼の時代はどこにあったか、まだ九州にいたか、大和に入ってい
たか、という問題はあります。
大和朝廷と邪馬台国は同じものであると考えるのが普通だと私は思います。これは、言
霊から考えればそうなるわけです。「邪馬台国」をどう読むか。「やまたいこく」と学校で
習いましたよね。これを最初に読んだ人は本居宣長で、
「やまたいこく」と読んだ。だから
今でもそう読みます。では、「可楽」をなんと読みますか? 「からく」ですか? これは、
中国語で読むと「コーラ」です。
「可口可楽」で「コカ・コーラ」です。あるいは、
「平文」
さんという方がいらっしゃいます。これは「ヘボン」さん。明治学院大学の創立者。宣教
師で、ヘボン式ローマ字を考えた人です。ヘボンさんはアメリカ人で、本名はヘップバー
ンさん。キャサリン・ヘップバーンやオードリー・ヘップバーンと同じです。向こうの発
音で「ヘッバン」と言うのを、耳で聞いて「平文(へぼん)」の字を当てたわけです。
さて、「可楽」は中国語で読むと「コーラ」でした。「邪馬台国」の字、誰が最初に書い
たかというと、中国人です。だったら、当時の中国の発音で読まなければいけない。今我々
は、
「邪馬台」を「やまたい」と読みますけれども、それは日本の発音です。当たり前の話
なのですが、今から1700年くらい前の中国の魏の時代の発音で読まないといけない。
それで中国に行って、読んでもらいました。そのままの発音は書けませんが、私の耳には
「やまど」と聞こえました。だから「邪馬台国」は、
「やまどこく」なんです。大和朝廷と
邪馬台国は同じものか違うものかと議論するまでもなく、です。
そもそも、なぜこういうことになったかというと、卑弥呼は人の名前と学校で教えてい
るからです。でも、日本民族の古い信仰として言霊があると知っていれば、そんなことは
あるはずがないとわからなければいけない。
4.現代人も言霊を信じている
日本人として生まれると、知らず知らずのうちに、言霊信仰は頭の中にたたき込まれて
いる。すり込まれているのです。みなさん、言霊を信じている。
「言葉には実際に物事を左
右する力がある」と、信じているのです。
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例えば、季節もいいし、講演を野外でやることになって、皆さんが準備をしてくださっ
たとします。井沢元彦先生をお迎えするのに、記念のアーチを作ってくれて、みんな心を
込めて準備をしていたところ、1人だけへそ曲がりがいて、
「おれ、井沢元彦が大嫌いだか
ら、明日大雨になればいいんだよ」と言った。翌日、本当に大雨になってしまった。その
男はなんと言われますか?
「おまえが変なことを言ったから雨になったじゃないか」と非
難されます。けれど、よく考えてください。人間の言葉に気象をコントロールする力があ
りますか?ないでしょう、ないけれど、非難される。つまり、実は言霊を信じているので
すよ、皆さん。
そう言ってもなかなか納得はしないと思うので、世の中で一番理性的だと、ひょっとし
たら皆さんが信じているかもしれない報道の人たち。彼らがいかに言霊に左右されている
かというお話をします。
これは、新聞記事の内容です。2000 年のことです。
H2 ロケット 分担金支払い拒否で民事調停
宇宙開発事業団
運輸省の運輸多目的衛星「MTSAT」を搭載した国産の H2 ロケット 8 号機の打ち上げが
昨年 11 月、失敗した問題で、打ち上げを行った宇宙開発事業団が運輸省と気象庁を相手
取り、打ち上げ費用の分担金の残額 35 億円の支払いを求める民事調停を、東京地裁に申
し立てていたことが 15 日、分かった。運輸省側が打ち上げ失敗を理由に支払いを拒んだ
ためだ。失敗時の費用負担方法などが契約書に明記されていなかったことも大きな原因
で、第三者の司法に判断がゆだねられた。(2000 年 10 月 15 日
毎日新聞)
今とは多少、省庁の名前が変わっていますが、まず、何十億とかけて運輸省と気象庁が
気象衛星にも通信衛星にもなる多目的衛星を作りました。そして、種子島にあるロケット
基地を持つ宇宙開発事業団に対して、この衛星を打ち上げて軌道に乗せてくれと依頼した。
前金を払った。宇宙開発事業団はロケットを打ち上げたのですが、たまたま失敗して、衛
星が軌道に乗らず、宇宙の藻屑になってしまった。そこでもめたのですね。
宇宙開発事業団は、
「失敗したのは結果であり、とにかくロケットを打ち上げたのだから、
残金払ってください」と言う。運輸省と気象庁は、「そんなバカなことを言うんじゃない、
失敗した上にうちの衛星まで壊しておいて、残金払えとはとんでもない、絶対に払わない」
と言った。そこでもめて、結局裁判の場にもちこまれた。
日本以外では、アメリカでもヨーロッパでも、おそらく中国でも韓国でも、絶対にこう
いうことは起こりません。起こりうるのは日本だけです。なぜか。なぜもめたのだと思い
ますか?
理由は記事に書いています。「失敗時の費用負担方法などが契約書に明記されていなかっ
た」。こんなことは外国の契約書では絶対にあり得ない。ロケットの打ち上げは 100%成功
8
するものですか?
人間のやることですから、必ず失敗はあります。だから当然、失敗し
たときにはどうするかが世界中の契約書には書かれている。日本の契約書にだけ書いてな
かった。どうしてこうなったと思いますか?それは、言霊です。イヤなことは想定したく
なかったのですよ。落ちると言うと縁起でもないから、だから、落ちた場合のことを書い
ていなかった。
5.言霊信仰と危機管理
言霊は今でも日本人の心を支配している一種の信仰なのだということを自覚すれば、「あ
あ、これはひょっとしたら言霊に惑わされているかな」と思う。ところが、日本の歴史教
育に言霊はなかったのでみんな想定できない。
だから私は昔から言霊を脱却しないと日本はたいへんなことになると思っています。危
機管理、英語でいうリスクマネジメント。日本は世界一下手な民族だと言われています。
その理由は、言霊です。
危機管理とはどういうことですか?大地震や戦争、起こってほしくないけれど、可能性
がゼロとは言い切れない事態をあらかじめ想定して、対策を立てることですね。ところが、
日本人はそれを「縁起でもないこと言うんじゃないよ」となります。
昭和16年、日本が破局的な戦争に突入します。その2年くらい前に、海軍で最も優秀
な軍人、山本五十六(いそろく)は海軍の中枢である海軍次官でした。三国同盟締結後の
昭和15年、その時、近衛文麿首相だったと思いますが、
「君、アメリカと戦争したら勝て
るだろうか」と聞いた。山本さんはどう答えたか。
「半年や一年ぐらいは暴れてご覧に入れ
るけれど、その後はどうなるかまったく確信は持てない」。つまりこれは、負けるというこ
とですよ。でも、負けるとは山本五十六ですら言えない。負けると言ったら、海軍軍人の
くせに無責任だと言われるのです。どちらが無責任でしょうか。
海軍の上層部で一番優秀な頭脳を持つ山本五十六が、アメリカとやったら負けると判断
していることをマスコミは伝えなかった。縁起でもないことだから。山本さんが連合艦隊
司令長官にさせられたのは、実は左遷です。海軍次官は、海軍全体の方針を決める副社長
のようなものだけれど、連合艦隊司令長官は現場監督ですから。でもそれには理由があっ
て、このままでは国内の過激派に山本が殺されると。だから一番安全なのは、周りは海軍
で囲まれていて、しかも海の上にいる連合艦隊司令長官だということで、異動させたわけ
です。
中国は人口でいったら世界の中でも横綱です。日本はいくら強いといってもせいぜい大
関か、私は関脇くらいだと思うのですけれど、時々横綱を倒すくらいの力を持った大関だ
としましょうか。中国横綱と日本大関は中国大陸という世界一広い大陸で戦争をやってい
る。それなのに、こんどは世界で一番広い海である太平洋でもう1人の横綱であるアメリ
カと同時に戦ったのです。中学生だってそんなことしないでしょう。2人の強い敵がいる
ときは、1度に相手したりしない。個別にやるか、一方とは休戦するでしょう。しかし日
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本はそれをやった。当然、山本五十六は、それはダメですよ、と。勝てないというと無責
任だと言われてしまうから、「1年ぐらいは暴れてみせるけど、その先は保証できません」
と言ったのに、戦争を始めてしまったわけでしょう。
危機管理とはイヤなことを想定することです。だけど、イヤなことを想定するのは日本
人は一番苦手です。
先ほどの毎日新聞の記事でもそうです。ロケットは 100%成功するものではないとわか
っているのに、契約書に書いてなかったのだから。
では逆はどうか。我々日本民族は言霊に縛られているから危機管理が下手なのだ、とい
うことを逆に言えば、言霊に縛られていない他の国の人は、危機管理が簡単にできる。で
きるのです。これから実例をもってお話します。
危機管理の基本は「縁起でもない」ことを考えること。縁起でもないことを考えたくな
い、言いたくないというのはどういう場ですか?
皆さんが経験する日常の場として考え
れば、結婚式のようなおめでたい席だと思うのです。おめでたい席でイヤなことを言われ
たくないですよね。
西洋のキリスト教式結婚式の場面を思い浮かべていただきたい。一番古い伝統的な文言
だと、結婚式の誓いの文句は次のようなものです。
「あなたはここにいる女性○○さんを、良きにつけ悪しきにつけ、富めるときも貧しき
ときも、健やかなるときも病(やまい)のときも変わらぬ愛を誓い、死が2人を分かつま
で妻とすることを誓うや」
夫はイエスと答えます。次に、妻に同じことを聞きます。
「あなたはここにいる男性○○さんを、良きにつけ悪しきにつけ、富めるときも貧しき
ときも、健やかなるときも病のときも変わらぬ愛を誓い、死が2人を分かつまで夫とする
ことを誓うや」
双方イエスと答えたら、結婚成立です。
これをロマンチックなセリフだと思っていらっしゃいませんか?実は、これはロマンチ
ックの対極にある言葉なのです。これを日本の結婚式、披露宴に置き換えてみます。
「今日
は作家の井沢先生がお見えになっているので、一言、新郎新婦に対してご挨拶をいただき
たいと思います」よくあるシーンですね。
「本日はおめでとうございます。しかし、新婚生活というものは、必ずしも順風満帆に
いくとは限りません。例えば、ここにいらっしゃる新婦の○○さん、たいへん美人ではい
らっしゃいますが、結婚してみたら万引きの常習犯だったというようなことが、ないとは
言えません。あるいは、新郎の会社○○産業は一部上場で、今でこそ飛ぶ鳥を落とす勢い
ではございますが、リーマンショック以後、何があるかわかりませんので、あるいは倒産
ということもあるかもしれません。しかしながらそういう不幸がもしあったとしても、ご
夫婦は固く愛情を確認しあって前に進んでいっていただきたい」
と私が言ったら、
「なんでこんなヤツ呼んだんだ。塩をまいて追い返せ!」となるではな
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いでしょうか。
でも、先ほどのキリスト教結婚式の文言と、今私が言ったことは、内容的には同じなの
です。キリスト教式結婚式に、
「良きにつけ悪しきにつけ」、
「富めるときも貧しきとき」も、
「健やかなるときも病のとき」も、これらは「変わらぬ愛を誓い」にかかるのです。会社
が倒産したからといって、あるいは、結婚してみたらとんでもない女だったからといって、
それを理由に離婚してはいけないよ、と言っている。結婚という契約を崩さないためにあ
らかじめ悪いことを想定し、そういうことがあった場合も離婚はダメですよ、と言ってい
るのですね。さて、続きがありましたよね。
日本の披露宴の挨拶に戻ります。
「ところで夫婦というものは、それぞれ生物学的には別々の個体であります。同時に死
ぬということはまずございません。必ず死に別れることになりますので、それを想定して、
つれあいが亡くなった場合には、再婚してもいいということをここで決めておきたいと思
います」
と言ったらどうですか?「井沢先生は実に周到な方だ。そこまで言ってくれるのか」と
感心してくれる人は1人もいない。
「こんなヤツ、石をぶつけて帰せ!」ということになる。
先ほどと同じです。
「変わらぬ愛は誓うけれど、それはいつまで?」「死が2人を分かつまで」。逆に言えば
死んだら再婚していいということです。日本人は、それを定めてないからタイミングがわ
からない。
「未亡人」、嫌な言い方です。
「夫が死んだのにまだ死んでいない人」という意味
ですから。民法で女性は6ヶ月再婚してはいけないという定めはありますが、倫理の問題
ではありません。だから、なんとなくあやふやでしょう。
日本では、縁起が悪い言葉は一言も言わない。「切る」「別れる」は「忌(い)み言葉」
と言います。結婚式の式場においては、使ってはいけないのですね。
6.歌の前の平等がある国
悪い話ばかりで言霊とはなんて悪いことだと思ったかも知れませんが、しかし、いいこ
ともあるのです。
『万葉集』には防人(さきもり)の歌がある。防人というのは、国境警備
隊の最前線の下級兵士です。世界中では、国境警備隊の兵士といったら字が読めず、文芸
なんてまったく知らないというのが当たり前です。ところが日本では、万葉時代から天皇
と防人が同じ土俵で同じ形式で歌を詠んでいる、こんな素晴らしい国は世界中にありませ
ん。
今でも歌会始(うたかいはじめ)という儀式があります。お題を読み込んだ和歌を日本
中から、場合によっては海外から、歌に自信がある人が応募する。宮内庁でそれを選んで、
選ばれた人は正月に宮中に招かれ、天皇、皇后、皇太子、妃殿下と一緒に歌を詠む。
渡部昇一さんが言ったのですが、
「日本という国は、歌の前の平等がある国だ」。これはた
いへん、ゆかしい伝統ですね。文学的には言霊は大切で、言葉を大切にするということだ
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から、とてもいいことです。
余談ですけれど、「いろはうた」というのがあるでしょう?
いろはにほへと
て
ちりぬるを
あさきゆめみし
わかよたれそ
つねならむ
うゐのおくやま
けふこえ
ゑひもせす
[色は匂(にほ)へど散りぬるを
我(わ)が世(よ)誰(たれ)ぞ
常(つね)なら
む 有為(うゐ)の奥山(おくやま)今日(けふ)越(こ)えて 浅き夢見し 酔(ゑ)
ひもせず]
これは当時の「あいうえお」にあたるものを全部一文字ずつ使って、それで意味のある
歌をつくりあげている。
「いろはにほへと」は、花の色のように、盛りのときはきれいだけど、散ってしまうよ
うに、「わかよたれそ
つねならむ」私の身も浮き草のようで、必ずいつかは滅ぶだろう。
「うゐ」は、有為転変という言葉がありますが、世の中のいろいろな障害のことを山にた
とえた。山を越え、谷を越え、人生を生きてきて、その夢に酔うこともない、という非常
に仏教的な悟りの境地の歌ですね。それが文字を一文字ずつ使った歌になっていることが
すごいですね。
「いろは歌」には「ん」が入ってないんですね。そこで、明治時代になって新たな「い
ろはうた」が、萬朝報(よろずちょうほう)という新聞で募集して作られた。
「とりなうた」
というものです。
とりなくこゑす
に
ゆまさませ
みよあけわたる
ひんかしを
そらいろはえて
おきつへ
ほふねむれゐぬ もやのうち
[鳥なく声(こゑ)す 夢さませ 見よ明けわたる 東(ひんかし)を 空色(そらいろ)
映(は)えて
沖(おき)つ辺(へ)に
帆船(ほふね)群れゐぬ
靄(もや)のうち]
これ、全部一文字ずつ使っている。日本語はこういうこともできるのです。
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