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都市開発における地域住民への補償問題
都市開発における地域住民への補償問題 三島 1 広樹 張文忠研究員の講義と質疑 2007 年 12 月 29 日,我々一行は北京郊外にある,中国科学院地理研究所を訪問した.本稿でまず, 中国における戦略的地理学研究に携わる張文忠研究員の講義と質疑を紹介し,次にその中でも私が関 心を持った「都市開発における地域住民への補償問題」について,北京の事例に即しながら考察して いきたい. 張文忠研究員は,自身が都市計画に携わる身として,保護すべき地区をどう開発していくかという 問題に直面していることを述べられた.とりわけ,北京域内の什刹海歴史保護地区をいかに開発して いくかが今後の北京における都市開発計画での一つの課題だと述べられた. 張研究員は都市計画に携わる一方,什刹海地区で生じる住環境問題や商業誘致にも携わっており, 都市分析のための情報収集として積極的に住民へのアンケート調査などを実施しているという. 例えば,張研究員のお話によれば,ごみ収集の現状としては,ごみを収集する人材が確保されてお り,ごみ処理も環境負荷はともかく,ごみが処理される仕組みがすでに構築されている.張研究員は, その中で大量にごみを出す飲食店等の経営者と近隣住民との間で生じる問題や矛盾解消に尽力してい ることも述べられた. また,騒音問題が深刻であり,バー経営に際して使用するスピーカーの騒音で 近隣住民は頭を抱えている.興福館廊における文化の保存を目的とした,展覧会開催なども計画中で あることを述べられた. このように,携わる問題が多岐にわたるだけでなく,時には仲裁者としての立場も担うことの,責 務の重大さも述べられた. 写真 1 中国科学院地理研究所 1 写真 2 中国科学院地理研究所 2 ここで私が張研究員に質問した点は以下の内容である. 「都市計画に携わって実際に現地調査をする にあたって,住民へのアンケート等を実施することになるが,いかなる方法でどれくらいの期間や費 51 用を費やすのか」この問いに対して,張研究員は丁寧に回答してくださった.回答は以下の通りであ る. まず,調査の際のアンケート作成だが,これは張研究員自身が作成するという.そこで実際に現場 に行って,そこに住む住民,商業施設を含んでいる場合は経営者などを対象にアンケート調査を行う. アンケートの内容に「将来に対する認識」という都市計画に欠かせない視点が盛り込まれており,ま た「何人家族か」といった対象者の家族構成・職業といった内容も含まれている.張研究委員の話に よると,一つの調査プロジェクトで 1000 万元(1 億数千万円)を費やすこともあり,大規模に,また 調査内容が多岐にわたっていることも理解できた. ここで私が疑問に思ったのが,都市計画において,住民や経営者が移転せざるを得なくなったとき に行政は彼らに十分な補償をしているのか,またその補償が住民や経営者にとって十分なものなのか という点だった.それに対する張研究員の回答は「住民への補償は金銭面において十分なものだと認 識している. 」というところに留まった. 2 住民移転への考察 都市開発の際の住民移転は必ず起きる問題で,そこでの行政の対応が注目される.補償される金銭 や住居をめぐって,世界のいたるところで補償問題は起きている.円借款というかたちで国際協力に 貢献している JBIC(国際協力銀行)も住民移転で多くの問題を抱えている.金銭面での保障は十分で も,住居移転に非自発な住民にどうやってプロジェクトを理解してもらうのか,補償に不公平な部分 はないか,周到に開発準備してきたはずなのになぜ住民による反対運動が生じるのか. こうした住民移転の際に生じる住民や経営者への補償問題は,とりわけ発展著しい中国においても 直面している問題なのではないか,という問題提起のもと関連する文献やウェブサイトを漁ってみた. その中で,長江中流域における三峡ダム建設に際しての「強制移転」という問題を知ることができた. ダム建設に際して強制移転を余儀なくされた住民の数は,2007 年 12 月の時点で 140 万人にも及ぶ. こうした人々はさらに増加が予想され,また十分な補償が受けられないまま貧困層に転落していると いう(中国情報局 News) . こうした例を受けて,私たちが訪れた北京ではどういった状況なのか,という更なる疑問が浮かん だ.そこで以下にもう一つの例として,北京における住民移転の際の補償問題について検討したい. 3 北京における都市開発と居住環境の変化 1980 年代から 90 年代にかけて,政府は北京における都市開発に際して,住民に対して立ち退き を要請し新たな新居を購入することを奨励した.しかし,実際には費用負担の軽い公有賃貸住宅に住 み替える住民が多かった.このときの家賃は年平均で 10 元以下だった.以下の図は北京における立ち 退き移転世帯数を表しており,年毎の変動はあるものの,北京市が大規模な都市開発に着手している ことが読み取れる.詳細に見ると,2001 年から 03 年までの 3 年間の合計は約 22 万世帯に達し,90 年から 00 年までの 11 年間の合計を上回った. 52 図1 北京市における立ち退き移転世帯数 (『北京 50 年』,『北京統計年鑑』各年版より作成). ここで注目すべきは移転に際して, 「勝ち組」と「負け組」が存在するという点である.移転を余儀 なくされた住民の中でも高所得者の住民は,市街中心地部での生活を継続することができる.しかし, 低所得者の場合は先のような公有賃貸住宅に住み替えることはできても,次のステップとしての「戻 り入居住宅」の購入は困難といえる.吉冨(2004)によると,低所得者は十分な資金を得られること ができず郊外に移転せざるを得ない.通勤・通学・通院などに関して利便性が低下する. このように移転後における経済格差の発生を,都市計画に携わる者は見過ごしてはならないと強く 思う.実際,格差が生じることへの不安からか,立ち退きに抗議する騒動が顕在化している. 例えば,崇文区東花市では 2003 年4月に約 3000 世帯が立ち退きの対象となったが,期限から 1 年 以上経過した 04 年 7 月の時点でも 200 世帯が立ち退かず生活を続けているという.また,抗議が発展 して大規模な集団訴訟も起きており,事態は穏やかではない.(吉冨 2004) こうした例を紹介して私自身が感じたことは,住民への補償が金銭的に妥当だとしても,もともと 住民の蓄積している資産の大小や経済力でその後の生活が大きく異なるということだ. 4 北京における都市開発はどうあるべきか 章の見出しとして思い切ったことを題したが,問いの答えは難しい.なぜなら都市開発を計画・実 行する者にとっては十分な補償を金銭的にしているつもりでも,補償を受ける住民の貯蓄や経済力で 住民自身が不利益を被る可能性があるからだ.これに対する答えを探してもなかなか公平性ある答え は見つからないだろう.補償を更に厚くするということでは話が単純すぎる.では一体いかにして都 市開発を進めていくべきなのか,私なりの考えを背伸びすることなく述べてみたい. 私は住民移転の計画の際に更に綿密な調査が必要だと考える.国外援助機関は調査を現地企業に委 託するなどして,計画地区の文化的・経済的特徴を客観的にデータ収集できるような連携の構築がな されなければならない.JBIC が単独で事を運んではならない.実際,話を聞いた JBIC の方もそう言っ ており,現地 NGO に調査を委託するなど現地に根ざした都市計画がいかに大切であるかを教えてくだ 53 さった. 北京においては,私たちが訪問した中国科学院地理研究所といった,行政でありつつも地域に根ざ した調査ができる機関がすでにできているということは他の国々よりも一歩リードしていると感じる. この比較優位性を存分に活用し,住民への十分な対話と理解があれば,綿密な調査が実現し,北京に おける都市開発は円滑に進むだろう. ここで,少し広い視点で見るならば,都市計画に際しての環境問題にどう向き合っていくかである. 北京の中心部でも大規模な工事があちこちで展開され,開発が進められ,そこで汚染された空気が人々 の健康に悪影響を与え,住みやすさという都市計画の根本たる理念を欠いているように思う.実際, 温家宝首相は 2005 年 3 月 5 日に以下のように述べている. 「我々の目標は,人民に清潔な水を飲ませ, 清らかな空気を吸わせ,よりよい仕事と生活の環境を提供することである.」 今回, 中国科学院地理研究所を訪問したことは大変意義深かった.まだ形作られてはいない,しか し未来へのポテンシャルをもつ北京,ひいては中国の都市計画を行っている機関に訪問できたことは 私自身にとって意義ある体験だった.張研究員は北京の都市開発において,世界のいくつもの都市を モデルケースとして自身の研究に取り入れたと述べられた.こうして,また新たな都市北京が形成さ れていくのだろうと感慨深かった. 最後に,私はこの国に 10 年後ぐらいにまた訪れたいと強く思った.5 年でもいい.5 年だけでもこ の中国という巨大な国は大きな発展を遂げ,それに相応して大きく変わる都市の景観を我々は目にす るだろう.一部の人々は今の中国の発展はいつか減速するという.とりわけ日本人はこの大国に負け るのでは,アジア第2の経済国になるのではと不安を抱えている.そう考える人々には残念だが,こ の国は減速することはあっても発展が中断することはないだろうと思う.なぜなら,中国は広大な国 土,十分な人的資源,多様な文化といった一つ一つの特徴が魅力となり,世界中から注目を集めてい る.そして常に国内外でグローバル化の刺激を受け,環境問題という警鐘を鳴らされながらも, 「世界 の市場」になることを約束された国だからである. [文献] 吉冨 拓人 2004.『北京における都市再開発の進展と居住環境の変化』 住宅都市国際協力研究会. 中国情報局 News 「21 世紀の中国を見極めるセンス」藤村幸義(拓殖大学教授) http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=1219&f=column_1219_003.shtml 2007 年 12 月 19 日閲覧. 54