Land Recーamati。n and Land USe 。f Aーーuviaー Fans in Makin。 T
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滋賀大学教育学部紀要 人文科学 ・社会科学 ・教 育科学 No.37 p.p.69一 69 一89,1987 マ キ ノ町扇状 地 群 の 開発 と土 地利 用 一 百 瀬 川 ・石 庭 ・牧 野 扇 状 地 の比 較 地 誌 一 野 間 晴 雄 :Land Reclamation and Land in Makino Use of Alluvial:Fans Town, Haruo Shiga Pref. NOMA こ の う ち、牧 野 扇 状 地 は 、前 二 者 と異 な って 、 同心 円 状 の 高等 線 を した 典型 的 な 扇状 地 で は な 1. は じめ に 琵 琶 湖 を中心 と して 同心 円 的 な配 列 を とる滋 賀 県 の地 形 に お い て、 扇 状 地 は、 沖積 低 地 の地 山麓 の 崖 錐 ・麓 屑 面 的性 格 を持 っ て い るが 、 こ 形 要 素 の なか で は最 も高 い と ころ に位 置 し、外 れ も本 稿 で は扇 状 地 に含 め る こ とに す る。 いず 縁 の 山地 や 、段 丘 ・丘 陵 と明 らか な傾 斜 の不 連 れ の 扇状 地 も、 山 地 か ら流 れ 出 た河 川 が段 丘 ・ 続 に よ っ て 分 か た れ る。 しか し沖 積 低 地 や段 丘 陵 を通過 せ ず に、 扇状 地 に移 行 して い る の を 丘 ・丘 陵 は、南 部 や 東 部 に広 く、北 部 や西 部 に 特 色 とす るが 、 後 二 者 は支 流 が 作 る扇 状 地 で あ 狭 い とい う偏 りが 存 在 す る。 る。 図1に み る よ う に、 高 島 郡 マ キ ノ町 域 に は2 く、と りわ けマ キ ノス キ ー場 が 立 地 す る斜 面 は、 本 の:重要 な河 川 が 存 在 す る。 一 つ が百 瀬 川(幹 この小 稿 の 目的 は 、 こ れ らの 扇 状 地 群 の 自然 地 理学 的基 礎 を踏 まえ た うえで 、 開発 の歴 史 的 線 流 路 延 長12.0㎞ 、 流 域 面 積44.78瞳)で 、あ 過 程 や土 地 利 用 を概 観 したの ち、 著 しい 対 照 を と一 つ が 知 内 川(幹 線 流路 延 長17.5㎞ 、 流 域 面 みせ る百 瀬 川 と牧 野 扇 状 地 の 現 在 の土 地 利 用 や 積49.86k㎡)で そ こで の生 活 の一 端 を比 較 地 詩 的 に考 察 す る こ ももせ あ る。 い ず れ の河 川 も県 内 で は 比 較 的 短 少 な 河 川 で あ り、野 洲 川(流 長64㎞ 、 とで あ る。 この報 告 の元 に な った 調 査 は、 昭 和 流 域 面 積366kの 、安 曇 川(流 長52㎞ 、 流域 面積 61年7月28日 3111wi)な どの 主 要 河 川 に比 べ て 流 長 ・流 域 面 究 室 の 学 生 実 習 を兼 ね た 共 同調 査 で あ る(1)。 積 と もに一桁 小 さい。 しか し湖 西 南 部 の志 賀 町 成 果 の 一 部 につ いて は62年1月17日 の 比 良 山 麓 複合 扇 状 地 群 の諸 河 川 に比 べ る と一 た第32回 滋賀 大 学 湖 沼 実 習 施 設 の 講 演 会 で発 表 桁 大 きい 。 こ の2つ の河 川 が 作 る扇状 地 が 本 稿 したが 、 そ の後 の補 充 調 査 に よ って 新 た な知 見 で 対 象 とす る もの で あ る。 す なわ ち 、百 瀬 川 の を加 えた ものが 本 稿 で あ る。 作 る 百 瀬ll1扇状 地 、知 内 川 支 流 の堀 切 川(全 長 いしば 3.1km)が っ くる石 庭 扇 状 地 、 同 じ く知 内 川 の 2.地 ∼31日 にか けて 実 施 した 地 理 学研 に開 催 され 形 ・自然 災 害 と土 地利 用 概観 よきとも 支 流 で あ る釜 研 川(全 長4.0㎞)の 牧 野扇状地 で あ る 。以 下 の行 論 で は、 この 名称 を用 い る。 (1)湖 西扇 状 地 群 の性 格 た だ 、 後二 者 の名 称 は一 般 的 には あ ま り用 い ら 滋 賀 県 湖 西 地 方(2)は 、 東 に琵 琶 湖 、 西 に比 叡 ・比 良 山地 や 野 坂 山 地 が立 ち は だ か り、沖 積 れ て い る もので は ない が 、 扇 状 地 に立 地 す る集 平 野 の発 達 は安 曇 川低 地 を除 い て極 め て悪 い 。 落名 か ら私 が 仮 に命 名 した もの で あ る。 湖 東地 方 の 沖 積低 地 が 湖岸 に 向 か っ て扇 状 地一 1987年9月21日 受 理 。 滋 賀 大 学 湖 沼 実 習 施 設 業績303号 野間 70 一 、 ● . + 羅 贈 鋤. 。 離 蜘隠懸 .叢 叢 鷲翼謬 膿 白・ 状地の地形界 コ .●● 扇状地内 の小区分 → 槻 浄 堤防と天井川の鯛 幅 a 。 遜義甥d 唖 ・匡ヨ ・ 圃 ・醗 麹 ・ 工業団地 マキ ノ町 へ 明瞭な崖 、 ロコドノ 漣 晒、8. 陶 、 。下 開田 曜 石庭 . ろ ヲ ヴ ♂穿 上開田 一 字の下位 オーダーの 集落 ● b ロ ち コぼほ ロ ロ ロロ ロつりロ ロ コロ け 〃, そ・他・集落 X 嵩 O J G 切 、 ゆ \ 、。 7 ﹁ 貿一 ( ﹁ 、 ' 、 "! 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' 牧 野 …Q。 ∫ 蒼頭塚古墳 國 集落 コヘロ 知 Qd一. 川 Q QQQ.a一 Q Q'OQ Q QQ Q Qa q Q ・ ・ 上開田 q q◎. Q Q 圏 内 Q 喬諮 [コ ㌦・.・ 、. Q ・ Q 、 二・、Q.QQa 際1翼 蓋蘇 ジェー ン台風 での破堤箇所 、μ ∼ ∼・ ∼ 、 譜 へ ノ 蛭 曹 ` .ノ' ③・巴 ④ 響 ∵眠 iii蕪灘 認 綴1∫1 Q 森西 難懸 α 、 私淑⋮ ⋮ ⋮ '、 ⑥ 明治12年完成 の堤 Q 、望マ・ ぐ ⑤ 明治11年 までの堤 q ノ蟹 駆ロ コ α 騨1 ②黒川堤 ③ 高川堤 ④北 爆 志・ 、 醍醐 日 ααqこqq響 」`.n 轟 。Ω Y 燃編 ① 文化堤 ぜ遅 冨 q α Q . . q q q q O α q α q q α q 量 Q O Q q "・ △ α α α α q 古酬 び 欄 下開由 ・:・:・:窪1幸 く 、 蘇 ,㌔qQαq『 8虫q倖 ⊂ ≦)・ a1' 野 ★ 寺久保 画 q q・av...,覧 qq註 QQ.aQQ: 嶺 薩 破堤 頻発箇所 Q 、 点 熱 内湖 q α Q q一 川 α 匿"・ …"、'α 、,'。 . 鉦 一 1 `… ・ 井・ 沿 い ・ Q QQO. 騒 ・'1嬢 … 灘 ...i・:......:蕊 設 ・も '嘱 る一 孜qQQQQ '・(≧qQQQ ミ=,呈 … 乳驚燃 ∫ 醜 ▲ 戦 轍 QQ。QQ粘 ・一・・… … .辱 iii;」 ヒ瀬 杢..: .野 贈 轡 起 ・ 琶 窒縄 fir. a q(1QQqyv「:繭 … 鵯 蛇畠 購 一 琵 ・矯 鷲 ・… ト.\,鴨1.。' Q」Y、 …Q.Q.㌔ ゼ'・ 、. 瀬 川 。.. Y Y ﹂ YY ㌦ YY 、 マ O ' ●Y Y % , て Y メ Yv 歎 ㌦ .・ 8﹁一 N蕉 百 保 ∬Y㌔ ・.、 .'、..QQQ .阜 羅 ・ . ・・Y ヤ ん 曽至 新 %A Ll 〆 て ﹃ .、ピ . 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しば しば 沼 地 と化 した(15)。 は84m付 3)河 か れ る 可 能 性 を指 摘 す る に と ど め る 。 ⑦ は 、N 道 の屈 曲点 で 破 堤 が 頻発 し、 それ を 近 の 軟弱 層 を狭 んで 新 旧 の 扇 状 地 に分 防 ぐた め左 岸 を中 心 に堤 防 が強 化 され た 値 が 地 下3mま (図2の ① ∼⑤ な ど)。 り、 表 土 は 水 田 と な っ て い る 。 石 庭 扇 状 地 と の 4) 明 治期 以 降 も破 堤 は頻 発 す るが 、右 岸 間 の こ の 低 地 は 、2つ の 回 数 が増 加 す る。 してい な い部 分 で 、 百 瀬 川 本 川 の 河 床 上 昇 に よ 扇 状 地 の 地 下 の 構 造 に つ い て は、 ボ ー リ ン グ デ ー タが 乏 しい た め 、正 確 な状 況 は把握 で きて で か な り小 さ い 軟 弱 地 盤 で あ の 扇状 地 が完 全 に は連 続 る排 水 不 良 に な っ た軟 弱 地 盤 と思 わ れ る 。 ま た 、 現 河 床 の2地 点S1とSz(図1参 照) い ない が 、 今年 調 査 され た湖 北 バ イパ ス の工 事 で 、100個 の 礫 を ラ ン ダ ム に と っ て そ の 粒 径 を の た め の地 質柱 状 図 が入 手 で きた の で 、 既往 の 測 定 した 結 果 で も 、 長 径 の 平 均 はsill.2cm、 柱 状 図2つ を加 えて 、資 料 堤 示 の 意味 を込 めて 、 一応 の推 定 を して み た い(16)。 S211.3cmで 図3が その柱 状 図 を ま とめ た もの で 、 そ の 位 S2で40が あ る 。5∼10cmの 粒 径 にS,で38、 集 中 し、 と も に 粗 礫 質 と み な し て よ い。 置 は 図1に ×印 で 示 す 。 地 質 区分 は、 玉 石 が 混 扇 状 地 面 に 目 を移 す と、 北 半 分 と南 半 分 で は 入 した砂 礫 、 砂 、 シル ト ・粘 土 の3区 分 に私 が 土 地 利 用 に は っ き り と した差 異 が 存 在 す る 。 こ 編 集 し直 した。 ⑦ を除 い て どれ も玉 石 混 じ りの れ に よる と、 広 葉樹 を中心 と した平 地 林(当 時 砂 礫 質 が 大 部 分 を 占め る が 、 そ の 中 に帯 状 にN の凡 例 で は闊 葉樹)が 扇 状 地 の北 半 分 には圧 倒 値 の小 さい砂 や シ ル ト ・粘 土 か らな る相 対 的 に 的 に多 い が 、 南 半 分 は水 田 と桑 畑 にな って い る。 軟弱 な層 が み られ る。 この うち 、① の97m付 近 桑 は開 国 に よ って 生 じた外 国 か らの生 糸 需 要 に の 地下 水面 下 の シ ル ト ・粘 土層 が つ なが る と考 応 え る もの で あ る。 江 戸 時 代 か らの養 蚕 核 心 産 え る と、 そ れ よ り下 の 粗 い 礫層 は よ り古 い扇 状 地 で あ った東 浅 井 郡 ・伊 香 郡 に比 べ る と、 高 島 74 野間 晴雄 郡 は 後 発 地 域 で あ るが(17)、明 治 中 期 か ら栽 培 て い て 、百 瀬 川 扇 状 地 の場 合 ほ どは っ き り しは が 急 増 した。 郡 内で は最 も桑 栽培 が盛 ん に行 な ない 。事 実 、 百 瀬 川 の よ うな激 甚 な破 堤 災 害 は われ た の が 、 こ の図 にみ る旧 百瀬 村 で あ る。 最1 管 見 の 限 りで は、 ほ とん どな か っ た とみ て よ い 盛 期 と考 え られ る明 治36年(1903)に が 、辻 ・森 西 や 沢 は隣 りの百 瀬 川 の破 堤 氾 濫 し は 、春 蚕 266戸 、夏 蚕323戸 、 収 蔵 量427石 で あ り、 当 時 、 た 場合 に 、大 きな被 害 を受 け た。図1に 旧 河 道 ・ 2軒 に1戸 は 養 蚕 に従 事 して い た(18)。あ と一 浅 谷 と示 して お い たの は、 ほ ぼ 同 じ レベ ル で確 つ の顕 著 な土 地 利 用 が 水 田 で あ る 。百 瀬 川 の旧 認 され うる もの だ け に限 った。 そ れ をみ れ ば わ 流 路 と考 え られ る凹 地(周 囲 との 比 高 は約50cm) か る よ うに、 南 側 に相対 的 に比 高 の 低 い部 分 が に扇 状部 か ら連 続 的 な水 田 が 広 が って い る。 主 存在 し、水 田 と な って い る所 で は、 灌 漑 用 水 と 要 な流 路 は空 中写 真 か ら3系 統 確 認 さ れ る。 そ して 山 麓 の谷 水 を 利 用 して い る。 山 の 中 に は の 凹 地 を幹 線 水 路 が 流 れ 、 これ に よっ て用 水 が 緑 ヶ池 が 正 式2万 分 の1地 形 図 にす で に み られ 潤 沢 に得 られ る こ とが 、 水 田 にな って い る最 大 る。 また、 この 水 田 とは連 続 は しない が 、 辻 か の 理 由 で あ る。 取 水 地 点 は扇頂 部 よ り も上 流 の ら森 西 にか けて の 扇側 部 に も水 田 が み られ 、 い B地 点(標 高161m)で ず れ も谷 水 を水 源 とす る 。 こ れ らの 水 田 は明 治 、 そ こか ら百 瀬 川 本 流 に並 行 して流 れ て、 扇 頂 部 で南 東 に分 流 す る。 中期 に はす で に存 在 して い る。 現 在 の 百瀬 川 の河 道 は 扇状 地面 の著 し く北 に しか し開 発 過 程 の 詳 しい プ ロ セ ス に つ い て 片 寄 った位 置 に あ るが 、 か つ て の流 路 や地 下 の は 、資 料 不 足 の た め不 詳 で あ る。 平 安 時 代 は靹 構 造 か ら推 定 して 、 南 か ら次 第 に北 へ 変 え て い っ た もの と推 定 さ れ る(19)。土 地 利 用 も よ り 結 郷 に属 して い た と推 定 され 、 古 北 陸 道 が この 集 約 的 な水 田 か ら果 樹 、雑 木 林 と変 わ って い く。 説 も あ る(21)。また 斉 頼 塚 古墳 は こ の 地 方 の 盟 ..2,500分の1の 大 縮 尺 地 形 図 で2mご との等 高 とも ゆい 扇状 地 を横 切 り、石 庭 付 近 に靹 結 駅 を比 定 す る 主 の 墓 と され る 円 墳 で あ る(図2参 照)。 少 な 線 を微 視 的 に み る と、 南 半分 に よ り開析 を受 け くと も辻 村 の 享 保9年(1724)の た 凹凸 が存 在 す る。 これ に対 して 、北 は現 河 道 指 出帳 』に は 、元 禄5年(1629)・ と左 岸 側(沈 砂 地 付 近)が 膨 大 な土 砂 供 給 に よ っ の新 田検 地 に よ る下畑 や下 田が 記 載 され て い る て 大 き く張 り出 して い るの を除 け ば、 凹凸 の 少 こ とか ら推 定 で きる よ うに、 江 戸 時 代 中 期 に部 な い典 型 的 な 同心 的 等 高線 を示 す 。 分 的 な平 地 林 の 開 墾 が が扇 状 部 を中 心 に 行 なわ b)石 『辻 村 高 反 別 享 保2年(1717) れ た とみ て よい 。 また石 庭 の 北 の 扇 側 部 の 水 田 庭扇状地 知 内 川 の支 流 、堀 切川 に よ って形 成 され た 扇 も近 世 に開 か れ た よ うで 、水 源 と して は 青 谷 た 状 地 で 、扇 頂 部 に石 庭 の 集 落 が 、扇 側 部 に辻 驚 め 池(享 森 西 、 扇端 部 に は南 牧 野(大 字 は牧 野)・ 寺 久 る(22)。こ れ ら の た め 池 は 、 単 に渓 流 の 水 を引 保 ・醍 醐(大 字 は寺 久保)・ 蛭 口 ・沢 の 各 集 落 水 す る だ けで は不 安 定 な扇 状 地 の 水 田 開 発 の た が 立 地 す る 。百 瀬 川 の 扇状 地 に比 べ て 扇 端 部 は め に、 よ り恒常 的 水供 給 の機 能 を果 た した こ と loom前 は容 易 に推 測 で きる。 ひるぐち 後 とlomほ ど高 い だ け な の に対 して 、 扇 頂 部 の標 高 が185mと35mも 保 年 間 に はす で に存 在)に よってい 高 い。 扇 端 部 の しか し扇 央 部 は現 在 もな お雑 木 林 が か な り分 北 部 と知 内川 の細 長 い 谷 底 平 野 との 間 に はか な 布 し、 水 田 は 開 か れて い な い 。 こ こ に は周 辺 集 り明 瞭 な崖(比 高 約8m)に よっ て分 断 さ れて 落 の 区 有林 や学 校 林 、 個 人所 有 の 山林 な どが 混 い る。 最 大 長 は1.2km、 平 均 傾 斜75/1,000と 百 在 して い た。 いず れ もクヌ ギ や ナ ラ を主 体 と し 瀬 川 扇状 地 に比 べ る とか な り急 で あ る。 た 薪 炭林 と して 機 能 して い た もので あ る。 第 二 この 扇状 地 を流 れ る 河川 は 天井 川 に な って お らず 、 扇央 部 で の 伏 流 もな い 。 む しろ知 内 川 の 次 世界 大 戦 後 の食 糧 増 産 の要 請 に応 え る た め、 合 流点 付 近 で は下刻 が進 んで い る若 い 扇 状 地 で 'あ る(20) 。 旧河 道 に 当 た る もの は微 細 に み る と、 げ られ た。 しか しそ の後 の食 糧 事 情 の 好 転 で 、 か な り乱 流 して い た こ とが 空 中写 真 や 大 縮 尺 地 そ の高 度 利 用 が 県 や 町 ・一 部 地 主 に よ って 昭 形 図 か ら推 定 で きる が、 主 要 部 が 果 樹 園 に な っ 和30年 代 後 半 か ら考 え られ る よ う にな る。 この この 地域 の 開墾 が 計 画 され 、 国 に よ って 買 い上 開 墾 されず に長 ら く放 置 され て い た。 マ キ ノ町扇 状 地 群 の 開 発 と土 地 利 用 一 百 瀬 川 ・石 庭 ・牧 野 扇状 地 の比 較 地 誌一 75 直接 の 契機 は、 終 戦 直後 の 始 め られ た 国 の緊 急 は、牧 野 区 有 文書 に 『 寛 文6年 新 田 畑 検 地 帳 』 開 拓 事 業 が新 しい時 代 に そ ぐわ な くな り、昭 和 (1661)が 残 さ れ てい る こ とな どか ら推 定 して 、 17世 紀 ご ろ まで に平 地 林 を開 墾 した 新 田で あ ろ 36年(1961)に 新 制 度 のパ イ ロ ッ ト事業 の実 施 要 綱 が 定 め られ た こ とで あ る。 従 来 の 開 拓 制度 う と思 わ れ る(25)。また 周 囲 の 山 地 は牧 野 の 共 かい と異 な るの は、入 植:重点 主 義 で は な く、 既存 農 有 林 に な っ て い た ば な りで な く、 西 浜 ・下 開 家 の規 模 拡 大 に重 点 を置 くこ と、米 麦 以 外 の 主 田 ・上 開 田 ・寺 久 保 ・牧野5か 村 の 立 会 山が 存 要 食 糧 以 外 の 果樹 ・畜 産 ・野菜 な どを基 幹 作 物 在 し、 薪 ・柴 草 や ほ と ろ(若 芽)が とす る こ と な どで あ った 。 滋賀 県 で は泰 山寺 野 して 、 また肥 料 源 と して非 常 に重 要 な比 率 を 占 (安 曇 川 町:モ モ ・ク リ)・ 布 引(永 源 寺 町: め てい た 。 そ の ため 両 者 の境 や そ の 用益 権 をめ で む しょうの ク リ)・ 頓 宮(土 山:茶)・ 虫 生 野(水 口町: 生活 物 資 と ぐって の村 ど う しの 争 い もあ っ た(26)。 茶 ・苗 木 ・米)と な らんで 、 こ こが 県営 開拓 パ 生 業 と して は 、 かつ て は純 農 業村 落 の 色彩 が イ ロ ッ ト事 業 の 指 定 を受 け た(23)。昭 和37年 か 強 か った が 、 開墾 地 が 多 く地 味 は劣 って い る。 ら40年 に か け て68.8haを 対 象 と して 、 抜 根 開 しか し、 豊 富 な 山林 資 源 を利 用 した 炭 焼 きや 薪 畑 、 幹 線 道路 建 設 、 土壌 改 良 な ど を実 施 した の 炭 材 ・苅 安(27)採取 な ど は か な り重 要 な副 業 で ち、 ク リ を4万 本 植 栽 した。 経 営 ・維持 管理 は あ った。 北 牧 野 は 、 こ の集 落 を越 え て、 赤 塚 山 地 権 者 の 団 体 で あ る農 事組 合 法 人 「マ キ ノ果 樹 生 産 組 合」 を組 合 員145人 で 設 立 して行 な って い る(24)。 昭 和46年(1971)か (現在 、 ス キ ー場 の あ る 山)を かす め て 、福 井 あわがら 県 の 三方 方 面 にぬ ける 粟柄 峠越 えの 峠下 集 落 で もあ っ た が 、 徒 歩 で しか 越 え られ な い こ と も ら は、観 光 農業 へ の 脱 皮 を図 っ て、 観 光 果 圃 を開 設 した 。湖 西 線 が 開 通 あ って 、若 狭 方 面 との 交渉 は 、京 都 方面 との結 びつ きに比 べ る とず っ と弱 か った。 した昭 和49年 以 降 は 入園 客 が 年 間2万 人近 く訪 れ た こ と もあ った が 、交 通 の 不 便 さや他 の施 設 に乏 しい こ と な ど の要 因 で 、現 在 で は7,000人 前 後 に 減少 して い る。 ク リの収 穫 時期 との 関係 で 、 開 園期 間が9-10月 の約1カ 月 と極 め て 限 3. 百 瀬川 扇 状 地 南 部 の 農 業 的土 地 利 用 と湧 水 本 章 と次 章 は 、 扇状 地 の特 色 あ る土 地 利 用 に つ い て の実 態 調 査 を も とに した考 察 を行 な う。 定 され る こ と、 成 木 の 老 木化 に よ る収 穫 量 の減 (1)百 瀬 川 扇 状地 南 部 の農 業 的 土 地 利 用 少 、 共 同 経営 方 式 の ため 個 人 の経 営 意 欲 が も う 前章 で も言 及 した よ うに 、 百瀬 川 扇状 地 は現 ひ とつ 上 が らな い こ とな ど、課 題 も多 い 。 しか 河 道が い ま なお 膨 大 な 土砂 を吐 き出 して い る ア し近 年 は、 い も掘 りを同 時 にで きる よ うに した り、60年 か らは 各種 の果 樹 苗 を栽 植 して果 樹 観 クテ ィブ な扇 状 地 の 北 半 分 と、比 較 的鎮 静 して い る南 半分 で は土 地 利 用 が 大 き く異 な る。北 半 察 園 を計 画 す るな ど、滋 賀 県 が 推 進 して い る 自 分 は雑 木林 が い ま なお 卓 越 す るが 、 一 部 は 昭和 然 休 養 村 構 想 に呼応 して 、マ キ ノ町 観 光 の核 と 44年(1969)ご なる 「 土 に学 ぶ里 」(昭 和54年 開 始)の 重 要 な て別 荘 地 と して分 譲 され 、 簡 易 舗 装 道 路 が つ け 施設 の ひ とつ と して 、 そ の一 翼 を担 お う と して いる。 られ水 道 電 気 も一応 引 くこ とが 可 能 に な った 造 成 地が 沈 砂 地 の 北 にあ る 。 た だ、 入 居 者 はほ と c)牧 ん どな く、荒 れ放 題 に な って い る。 薪 炭 利 用 が 野 扇状 地 北 牧 野 は扇状 地 の 扇端 部 に あ り、 集 落 は標 高 ろ 、大 阪の 不 動 産 業 者 な どに よ っ 全 く省 み られ な くな った 現 在 、 こ の雑 木 林 は広 130一一140mに 位 置 す る。 付 近 に は製 鉄 遺 跡 や 後 大 な末 利 用 地 と して残 さ れて い る。 期 の 群 集 墳 が 存 在 す る 。 こ れ に対 して 、 西 牧 野 こ れ に対 して 、南 半分 は扇 頂 部 か ら扇 端 部 に は山 麓 に接 した 小 規模 な 扇状 地 に 、南 牧 野 は石 か け て連 続 して 農 業 的土 地 利 用 が み られ る。 わ 庭 扇 状 地 の扇 端 部 に位 置 す る た め 、北 牧 野 と は れ わ れ は こ の部 分 の 一 筆 ご との植 え付 け作 物 の 小 さ な地 形 レベ ル で は立 地 が異 な っ て い る。 し 調 査 を昨 年7月 か しいず れ も知 内 川 の 支 流 に よ って 涵養 され た の1土 地利 用 図 と して図 化 し、 さ らに デ ジ タ イ 水 田が 存 在 す る こ とは 共 通 す る 。 こ れ らの水 田 ザ ー とパ ソ コ ンに よ って 地 目別 ・作 付 け作 物 別 末 に実 施 した 。 結 果 は2,500分 野 間 晴雄 76 幕 嚢 「 ρ 「 「 」 「 「 「 F ρ 「 r ρ「 「 ' 79こ ・ 響' 層 r F 「 r 「 「 ' 「 ・ oヤ レ レ , ρ ' 「 b5 ,一` ' 鞭 :D b'` 、 乃ち .A ' 雛 轟 轟 轟 轟 轟 轟 ^o' " 冥 慎 ` 'ド 禽 、` ・ ド聖誕 ・り 霧 、 鰐 F パ 〆 鄭 躍 卿 魯 ダ 賛 " 〆 借 o㍉ . 嬬 『・顔こ㌔ ♂ ,/ 虞 ム rO 一'て 4一 占 ' 0 A 掲 翌 6 .蕪 襲 領 .茅 艮 ノ . 角、・ノノ 憾∴ ∴ 扁 4 = 認. k、 亀 ▼ 「 望L 、 ・ 7 轟 あ ` 4 4乙 ム ⊥ 。 ・ 繋1・ 藩 ㌧ ﹁ ム ' r籔 ㌦ み 凸 み 凸F西」 雪 篭 鉄 罰縄 盛 敏 ← ` 掃 ル ` 乱 ﹂ ム 凸 孟 ・ み ` & 凸 凸 、 占西 篭 ㌧ ↑ 、 ・ 、 馬 ﹂盛 o 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T ρル → " 遜 ㎡ 彊 ・"、 ….畷 ・ ・ 冒 u 闘 ■ ` 璽' トウモ ロコシ =3旨==:露 h 闘 ダイ ズ :===富=::=== 嘱 イテ ゴ 200. 100 0 脚i:i=≡ ;;;・== ロu 御 斥 マ τ , 直△ ▼,■﹁ 1 風 野 , 崇 マ .㌧ 」= ,99 トマ ト 彦 、 〈亀目別面積比〉 〈作物別面積比〉 ● 柿 、 と家 と ま う くわも キ 萩 園 ろ う こ り し 混 3.1 大, ア 庭 呈 柿 31 .1 稲 29.6 , S.0闘 ●● 23 作 .2 帯グラフは土地利用図からのデジタイザーによる計 測値を比率(%)に 直 したものである。現地調査は 1986年7月30日。 図4 要小路 モモ !.' 99、O 虞 o .} P ・E 直 A 竃 1 異議 り 異 属 冒i▼ 幽 豚.覧 ス u ,ρ ス 1 芽寵 層 ・ 巳 ≒ ・ 欝 ・'● 、` 議 ▲ 冒, 帆 響 眺 ゴ ρ o , 9.脚.、 ・ 購 ' 冒 r 、」 - i. … }i 民 吋o'凱 ll り 鱈 . 丁 、 … ピレ ζ4 ㌃娠 , ノ ∼ 帆 一 胃 %. 、 、 . 箪、 ,曳 賢 鳳亀 艮 、 r . 職 \ レ ず 国 … 輩、… 、 ・ / ﹁ ヤロ ヂ 賦し ノ 1 艇 ∼ い㌻ '箪 .解義. "ドげ風 ' 8へ U ',議 鶴 鳳'r 眺 訂 触 _._し ノノ 監;P'」 《、 ` 、隔 、 楓 .六 τ 匡i , ■ =雛 = 国 /一!6 尋 o.'.e:L幽 幽 田 " 百 瀬 川 扇 状 地 南 部 の農 業 的土 地 利 用 荒地 その他 11.4 12.9 ビニールハウ・ マキ ノ町扇状地群の開発 と土地利用 一 の 面 積 を計 測 し、 全 体(102.2ha)の め る 比 率 を計 算 した(図4)。 中で 占 土 地 利 用 と して 百瀬川 ・石庭 ・牧野扇状地の比較地誌一 77 樹 園形 式 を と り、 草 津 市 の 老 上 地 区(28)とと も に、県 下 で は最 も歴 史 の 古 い 産 地 とな って い る。 の ま とま りを考 慮 したた め 、南 半 分 は今 津 町域 そ の発祥 は 、大 正 初期 に岐 阜 県 の養 蜂 家 に よ っ を含 ん で い る こ とに あ らか じめ留 意 して い た だ て カキ の積 木 が もた ら され て、 これ を在 来 種 の きたい 。 台 木 に接 ぐこ と に よ り栽培 面 積 を増 や して、 商 い ち ば ん面積 と して 広 い の が果 樹 園 で 、35.6 品 化 して い っ た もの で あ る。 昭 和 初 期 の面 積 は ha、34.8%を 1.5ha、4-5名 (22.3%)が 占 め 、 次 に 水 田(29.9%)、 畑 こ れ に次 ぐ。果 樹 の89.2%、31.7 haは カ キで あ る こ とが 大 きな特 色 で あ る。 図 4を み る と、この分 布 は扇 央 部 に集 中 して い る。 扇 頂 部 よ りさ らに上 流 か ら取 水 した用 水 路 は 、 の 農 家 が 栽 培 し、 大 津 方 面 に 出荷 して い た とい う(29)。そ の 後 、 栽 培 農 家 は徐 々 に増 加 し、昭 和15∼6年 ご ろ に は面 積 は 7一 一8haに 及 ぶ。 肥 料 と して は こ の 扇 状 地 の あいば の 野 草 の ほか 、饗 庭 野 の 陸軍 砲 兵 演 習 場 の馬 糞 な 地 表 上 で 扇 端部 に接 続 して い るが 、 扇 央 部 を灌 ど も用 い た。 漑 す る だ けの水 量 に乏 しい 。 そ の ため 、 乏 水 地 戦 時 中 は食 糧 増 産 の 掛 け声 で果 樹 栽培 は どの で 粗 放 的 管 理 に も耐 え う るカ キが 作 付 け られ て 産 地 で も衰退 して い る。 しか しこ の 地域 で は 、 い る とみ て よい。 品 種 は圧 倒 的 に富 有柿(岐 阜 昭 和22年(1947)に 産)が 多 い 。 成 し、 県 農試 園芸 部 の指 導 で 増 植 を始 め 、 モ モ 水 田 の 分 布 は ミ ク ロ に み て も極 め て 興 味 深 い 。 旧 河 道 と考 えて よい 凹 地 を結 ぶ よ うに 水路 の栽 植 も試 み られ る。 県統 計書 で果 樹 の統 計 が 、23名 の会 員 で 研 究 会 を結 町村 別 に得 られ るの は ご く一 時期 に す ぎな い。 が 引 か れ て い るが 、 扇 頂 部 は連 続 的 な水 田 の 配 昭和25年(1950)の 置 が み られ る の に、 標 高120mを 県 全 体 の 集 団果 樹 園65.3町 の うち 、 深 清 水 の集 境 に して 、 そ カキ の 栽培 面積 をみ る と、 れ よ り低 い 扇央 部 で は、 水路 沿 い の耕 地 に の み 落 を含 む川 上 村 が17.8町 、 百 瀬 村 が100町 、 今 帯 状 に み られ る。 しか も、 この扇 央 部 で は ダイ 津 町 が16.7町 で 、 こ の3町 村 で 県 全 体 の6.8% ズ の転 作 が 多 く、一 部 に はカ キ を栽 植 して 果樹 を占め る に過 ぎな い。 しか し高 島 郡 だ け につ い 園 化 した もの もあ る。 転 作 は 農業 政 策 の 反 映 で て み る と72.4%を あ るが 、 個 々 の農 家 レベ ル で み れ ば、 よ り条 件 ル で は あ る が、 産 地 を 形 成 して い る とい え よ 悪 い土 地 を転 作 に だそ う とす る戦 略 を と る。砂 う(30)。昭 和31年(1956)に 礫 質 の 水 漏 れ の激 しい 百 瀬川 扇 状 地 で は、 通 耕 され て、 京 都 ・大 津 を 目指 した共 同 出荷 体 制 を 距 離 の 遠 い 、 よ り水 掛 か りが悪 い水 田が そ の対 し く。 しか し栽培 は こ の地 域 に と ど ま り、他 地 占 め てお り、 きわ め て ロー カ は果 樹 組 合 が 結 成 象 とな る。現 在 の扇 状 地 の土 地 利 用 は、 粗 放化 域へ の拡 散 はみ られ な か っ た。 して い って い る よ う に思 え て な らない 。 そ の な そ の ほか 面 積 は わず かで あ るが 、 この 扇状 地 か で 、 宅 地周 辺 に は なお イネ の作 付 けが み られ に卓越 す る畑 作物 と して は 、マ ク ワ ウ リ、 ス イ るが 、 これ は、 距 離 が 近 い こ とか らす る通 耕 の カ、 タバ コ、 トウモ ロ コ シ 、 ダ イズ 、 アズ キ な 容 易 さ と、 扇央 部 に比 べ て細 粒 の土 壌 に よ る。 '扇頂 部 か ら の用 水 は この 付 近 で 一部 が 伏 流 して どが あ る。 タバ コ(31)を除 い て 水 田 の 転 作 作 物 しまい 、 また水 量 も十 分 で は な い。 明 治 前 期 の 後 入植 した 新 田(大 字 は深 清 水)の 北 は畑 地 の 中 庄村 地籍 図 を みて も、 この付 近 は林 地 や 畑 地 区 画整 理 で あ り、 こ の一 帯 に ス イ カ ・マ ク ワウ と して導 入 され た もの で あ る。 第二 次 世 界 大 戦 にな って お り、 水 田 はみ られ な い。 リや飼 料 用 の トウモ ロ コ シが 多 い 。 次 に カキ につ い て検 討 しよ う。稲 作 が圧 倒 的 (2)扇 端 部 の湧 水 利 用 な滋賀 県 で は 、果 樹 栽 培 は微 々 た る もので あ り、 扇 状 地 の 末端 部 で の湧 水 とそ れ を契機 と した 技 術 ・設備 ・規 模 ・市 場 い ず れ を と って も貧 弱 集 落立 地 は よ く知 られ て い る。 しか し、個 々 の で あ る 。 しか し果 樹 の 中で は、 最 も栽 培 面 積 が 広 い の が カ キで あ る。 もと も とカ キ は宅 地 や農 集 落 内 で 、 どの よ うに湧 水 が 得 られ 、 そ れ が ど の よう な利 用 に供 さ れ るか 、 あ るい は 、1mか 地 の片 隅で 散 在 的 ・粗 放 的 に栽培 され た果 樹 で そ れ以 下 の オー ダ ーで の微 地 形 との 関係 な どに あ る。 しか しこ この カキ は当 初 か ら集 団的 な果 つ いて は、 これ まで ほ とん ど取 り上 げ られ て こ 野間 78 ● 湧 水 .○ 醐 場 ㊥ し ・ ・ ずノ 3 ﹁ ︾ ", " 、 \" βし ノ 、 ・ 、 , し ・ど o ト rし 蝕 像 羅鵜刷 ㍗ 巴 1覧 毒 鯉 「 x 1u .il「 ∴t …・1ヒ N 11 1財li h、il- 一 ∼ - 1 , 一 I l l ロコ ・ , マ、 3 l l- 担 μ 一.ρ ノ 鮭 虻焦 ﹂ こ ト ー '1 iii ρ そ 匿﹂ il・ 欄 し 、 .い﹁,2.・・乙 ..蒐ゴ 井 虐 藍 . 電 押⋮ / 廟 ㌔ 鴨 ハレ コ もミぽ ヨ 触 、 ﹂ ≠紅 ︻こ 鴨 潭 L " 層 〆 蝋葦 乏 、 .、.,L ℃剛劃 猛 ド メ の ﹂ ﹁ む 峯,燈 5ξ 』 ∠ 鎚 づ 謙麟 撒 ㌔ 一 印ゴ ︾ 昭, 噸 「 盤君 朝 、 署- ' 礁 ノ ゆ募 銀 ㍗戸 聖〆 デ唖 渚\覇 / ㍉ 娃 〆ノ 懸 図5 熱} こ [ 噛、・ /♪ 膨一 ノ ,, h つv 、 ﹂ ,乱 圃 一﹂" 旭r ︾ 、 M .露頭 ︾ 羅 鞍懸 努 謎 ㍉ 馬覧∼ ∫ ・'『''" 1 . , さ 一. 1臨 監 、 「 ゾ・ 野趣 樽 念 写戦 い ゼ 薫 .・ 曳噸 嫌臨 唾 ・ 雨気メ ㌍感 ξv'噛 、 夏 '一一㌦ ・∼望一 押"1'1馳 … ジ ︾ 曜 号 線 鮮 旦 ミ》 恢 八 「 1一 2 i 州 _」L 鑓 d・ 鳳 ト 一 1 6 1 ノ づ!・ 『 ㌧, ゾ. . & ﹁ 新傷 f 道 ・5ノ 〆 に .ヂ び ・' ご"㍉ 恕 ' .' 、 ト謡 搾 ・ 戸 ノ 国 酒 7・ ・…'"』' 転 『v ぢぬザ へ り 〆 ・・ ノ ]購 属 、、 裂 ヒヒ § 守{記 " コン 壽 ・ だ晒 先 ! 幽P.ノ. ゾ ト ﹁ 柵 ⋮ 一 ㌧ ノ7 ∼ 乱 ,- . モ乳 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い。 自然 に湧 出 低地 の連 続 的 な条 里 を灌 漑 した とみ なす の は難 す る水 を住 民 は シ ョ ウズ と呼 んで お り、 漢 字 を しい 。 これ らの条 里 水 田 の水 源 が 図5に み る よ 充 て る とす れ ば清 水 で あ ろ う。 しか しこの用 語 うな何 箇 所 か ら も湧 出 す る湧 水 を集 め た もの で は水 自体 よ り もそ の湧 出す る場 所 を指 し示 す こ あ る可 能 性 は極 め て 高 い 。 との方 が 多 い よ うで あ る。 周 りか ら土 砂 が 落 ち シ ョウズ は 個 人 の屋 敷 地 内 に湧 出す る こ と も た り崩 れ た り しな い よ うに、 石 組 に した もの も 多い 。 屋 根 の つ い た物 置 き棚 の よ う な洗 い 場 に あ る(図6)。 一 年 中 こ の水 は枯 渇 す る こ と は は台 所 用 品 が 置 か れ て お り、 食 器 や 野 菜 を洗 っ な い のが 特 色 で あ る。 こ れ に対 して 、 人為 的 に た りす る こ とに も用 い られ る。 シ ョウズ は屋 根 石 組 や木 枠 を作 っ て地 下 へ 掘 削 し、 地 下 水 を取 で覆 って 私 的利 用 す る ものが 多 い が 、 そ こで使 水 してい るの が イ ケで 、浅 層 地 下 水 を とる井 戸 用 した 水 は水 路 に よ って 下 流 へ 流 れ て い く。 の こ とを意 味 す る 。夏 は地 下水 位 が 下 が るた め 、 シ ョウズ が 流 れ る水 路 を カ ワ と呼 ん で お り、 そ 枯 渇 す るの が:普通 で あ る。 のな か に は 名前 が つ い た もの もあ る。新 保 の ゲ こ の シ ョウ ズ とイ ケ の 分 布 の 違 い は非 常 に は っ き り して い る。 対 象3集 落 にお い て 、 イ ケ ンシ ロウ カ ワ 、 中庄 の ボ ン ノ カ ワ ・シ ミズ カ ワ な どが そ れ で 、前 者 はそ の シ ョウズ を開発 した は シ ョウズ よ りも標 高 の高 い と ころ に位 置 し、 人 の 名前 と推 定 され る。 屋根 の 無 い洗 い場 は カ シ ョウズ が 水路 に よって 下 流 や他 の シ ョウ ズ と ワの 両側 が一 段 低 く階 段 状 にな って い た り、水 結 びつ い て い る の に対 し、イ ケ は孤 立 分 散 的 で 、 路 幅 が そ の部 分 だ け石 組 や コ ン ク リー トに よっ 個 人 所 有 が 一般 的 で あ る。 て 拡 幅 され て お り、洗 い場 と して 利 用 され る(図 また シ ョウ ズが 主 と して 集 落 よ り東 に位 置 す 8)。 こ こ で 洗 濯 した り、 収 穫 した野 菜 や 農 具 る湖 岸 の 水 田 の灌 漑 用 水 と して用 い られ る の に を洗 った り もす る。 新 保 の場 合 、家 の前 に あ る 対 して 、 イケ は飲 料 水 ・生 活 用水 と して の利 用 もの は 、個 人 利 用 され て い る が 、集 落 の東 端 に が 中 心 で あ る。 シ ョウズ の 分布 は新 保 で は標 高 あ る比 較 的 規 模 の 大 きい もの は 、共 同洗 い場 と 92-93mの 集 落 内 に、 中庄 ・大沼 で は89-90m して機 能 して い る。 また ここ に新 た な湧 出が み と約2mの 違 いが あ る。 これ は扇 状 地 全 体 が 北 られ る と こ ろ もあ る 。 この洗 い場 を共 同 ・個 人 に高 い こ とに 関係 して い るた め と思 わ れ る。 扇 の所 有 に関 わ りな く、 イ ケ と も呼 ぶ(35)。 端 部 の 張 出 しが 、 新 保 ・中庄 の あ い だ の荒 地 に 琵 琶 湖 沿 岸 の 集 落 で は 、水 道 が 導 入 され る ま な って い る大 字 の 境 界 付 近 で 最 も湖 岸 へ 伸 びて で 、生 活 用 水 と して 、井 戸 、 川 水 ・山 水 、 湖水 お り、 そ の両 側 の 少 し入 りこん だ とこ ろ に湧 水 な ど多 様 な水 源 が 、用 途 ご との 重 層 的 な利 用 が 地 点 が集 中す る。 と りわ け 、新 保 の湧 水 は沖 積 されて い た こ と を滋 賀 県 琵 琶 湖 研 究 所 の 共 同研 低 地 の な か の浅 い谷 状 の と こ ろ に分布 す る のが 究 は 明 らか に した 。 そ こで は伝 統 的 な用 水 利 用 等 高 線 との 関 係 か ら読 み とれ る。 図7に は新 が常 に排 水 とワ ンセ ッ トの もの と して 存 在 す る 保 ・中 庄 に お け る主 要 な シ ョウズ の 流 路 の水 準 しが な か った生 態 学 的 連 関 と、住 民 の きめ 細 か 測 量 結 果 に主要 地 点 を、A-Mの 記 号 を付 して な対 応 が 非 常 に強 調 さ れ て い る(36)。そ こ で事 あげ ちない おい た 。 この記 号 は 図5に 対 応 す る。 地 表面 か 例 と して取 り上 げ られ た マ キ ノ 町上 知 内 と海津 ら約60cm上 に水 面 が あ り、 どの付 近 か ら7月 末 東 町 は 、前 者 が 沢付 近 に湧 水 源 を もつ 前 川 とい の時 期 に湧 水が み られ るか が 読 み とれ る。 う小 河 川 、後 者 が 井戸 と湖 水 で あ り、 地 形 条件 集 落 か ら東 の湖 岸 低 地 に は ほほ正 南 北方 位 の もわ れ わ れが 取 り上 げ た3集 落 と異 な る。 そ こ 条 里 遺構 が 湖 岸 の 浜 堤 と旧 内 湖(33)にご く近 接 で 、 こ れ らを統 一 的 に理 解 す るた め 、 模 式 図 を す る と ころ まで存 在 した こ と は、 わ れ わ れ の地 提 示 して一 応 の 説 明 の筋 道 をつ けて み た い 。 マ キ ノ町 扇 状 地 群 の 開 発 と土 地利 用 百 瀬 川 ・石 庭 ・牧 野扇 状 地 の比 較 地 誌 81 図8 共 同 の 洗 濯場(新 保) 魔 i手 匿ヨ ÷ け \ ・・し、うず かわた _扇 、 凪 状地 一 書 罎羅 譲紅 な馳 洗 浄 用 や農 業 用 水 まで こ れ を用 い る こ とが で き いけ る。 洗 い場 は単 に 湧 水 の通 過 地 点 と して だ けで ↓ も ⊥ ・}=h くoo 頂 一 亙じ驚 自由度 が 大 きい 。 自然湧 水 の シ ョウズ を飲 料 水 蒜轟 轟 転ず 、 舞犠 距 離 で 講 l瀬1 な く、湧 水 が 湧 出 してい る と こ ろす ら存 在 す る。 た と え 井 戸 を掘 る と して も、 わ ず か に掘 り込 図9 水利 用 の模 式 図 ん だ り、管 を差 し込 ん だ だ け で 良質 の 水 が 得 ら 図9は 扇状 地 の 末端 に位 置 す る新 保 の よ うな れ る 。豊 富 な扇 状 地 末端 の湧 水 に よ って 、 極 め 集 落 と、 湖 岸 低 地 の な か ほ ど に あ る上知 内 、湖 て 個 別 的 な利 用 が 可 能 な 水 条 件 を内 包 して い 岸 に あ る海 津 東 町 をイ メ ー ジ して作 成 した もの る。古 川 彰 が 海 津 東 町 で取 り上 げ てい る よ うな で あ る。 伏 流 水 が ち ょ うど湧 出 す るA地 点 で は は っ き り した 形 の 池 仲 間3η に あ た る もの が 、 シ ョウ ズ と イ ケ と呼 ば れ る 井 戸 は わ ず か!∼ この3集 2mの る。 これ は葬 式 な どの 互助 組 織 で もあ り、 村 落 標 高 差 に よ って 、現 われ 方 に 違 い が生 じ 落 で は カ ワ タ仲 間 と呼 ば れ る もで あ るの で あ るが 、 どち ら も水 源 と して い る の は地 内 の 小 地域 集 団 と して も機 能 して い る。しか し、 下 の 浅 層 を流 れ て きた水 で あ る。井 戸 とい っ て 海 津 東 町 の よ うな イケ そ の もの に つ い ての 明 確 も、 しっか りした石 組 に よ って 数mも 掘 削 した な規 制 や意 識 は存 在 しな い 。集 落 内 の い た る と 被 圧 地 下 水 の 井戸 で は ない 。 小 さな 池 とわ れ わ ころ が ら じわ じわ と浸 み 出 る 地下 水 を い ろ い ろ れが 通常 もつ イメ ー ジ と して の 井戸 との識 別 し な用 途 にふ ん だ ん に用 い て い る の が、 こ この 地 が た い の が イケで あ り、 湖 岸 の 村Cで 域 像 と して 的 を射 て い る で あ ろ う。 も共 同井 戸 は同 じよ うな構 造 で あ る。 これ に対 して小 河 川 を利 用 す るBで は、 も し井戸 を掘 る と して も AやC地 点 の よ うに は容 易 には 水 は得 られ な い 4. マキ ノ スキ ー 場 の 開発 と民 宿 集 落 の 成 立 (1)マ キ ノ ス キ ー 場 の 開 発 と交 通 手 段 の 変 革 で あ ろ う。 む しろ表 流 水 をい か に有 効 に 、汚 染 牧 野 扇 状 地 に位 置 す る 集落 と して は、 北 牧 野 を最 小 限 に して用 い るか の た め 、 明示 的 あ る い だ け で あ る が 、 近 世 以 来 、 村(大 は暗 黙 の"水 利 用 のル ール"や 集落 内規 制 が 存 西 牧 野 ・南 牧 野 を 含 め た3集 在 した。 これ に対 して 、Aで の 水利 用 は か な り 大 字 牧 野 は 、 昭 和61年4月 字)と して は 落 で一 村 を なす 。 末 現 在 、 戸 数59、 人 82 野間 晴雄 口235人 で あ る。 寺 院 と4軒 の 細 木 姓 を除 け ば キ ー を楽 しんで 、 午後5時 すべ てが 青 谷 姓 で あ り、今 な お均 質性 が 高 い 集 津 に 向 か う もの で あ る 。京 都 ・大 阪 方 面 か ら休 に再 び海 津 か ら浜 大 団 とい え よ う。 日を有 効 に利 用 で きる交 通 機 関 と して た い そ う ス キ ー場 が 開 発 され る まで の牧 野 は、 近 江 盆 賑 わ っ た(44)。ま た 、 翌 昭和6年(1931)に 地 の 周 縁 部 に ど こ に で もあ る よ う な 水 稲 単 作 江 若 鉄 道 が 今 津 ま で 延 伸 され た の を機 会 と し と、周 辺 の 林 野 資 源 を活用 した薪 炭 で生 業 を営 て、 い っ そ うス キ ー客 が集 まる よ う にな る。 新 んで い た農 山 村 で あ った(38)。 生 の 太 湖 汽 船 は 京 阪 電 鉄 の 完 全 な 子 会社 で あ この 牧 野 の広 大 な村 有 の 山林 原 野 に 目 をつ け て 、 大正6年1月(1917)に 蛭 口 出 身 の西 庄 村 り、 江 若 鉄 道 も高 島郡 の地 元 資 本 を母体 と しな が ら も、 京 阪 の 息 の か か っ た ロ ー カ ル鉄 道 で 村 長 の井 花 伊 佐 衛 門 と、今 津 中学(現 在 の高 島 あ っ たか ら、 マ キ ノ ス キ ー場 は京 阪 電鉄 の資 本 高校)の 体 育 教 諭 で あ った寺 久 保 出 身 の広 井 親 に よ る交 通 手段 の 開発 で 、 急 速 に京 都 ・大 阪 方 之 助 が 、 伊 吹 山 で 京都 第土 中学 校 長 の 中山 再 次 面 の スキ ーヤ ーを集 め てい った とい え よ う。 郎 らが 滑 走 した の に刺 激 されて 、 牧 野 の 赤塚 山 太 平 洋 戦 争 中 は ス キ ー客 の足 も遠 の い たが 、 (現在 の 第1ゲ レ ンデ付 近)で 滑 走 した の が 最 初 とい わ れ る(39)。大 正14年2月(1925)に は 戦 後 は国 民 の レジ ャー と して ス キ ー が定 着 す る は なか で 、 戦前 に も増 して 賑 わ う よ うに な った 。 牧 野 で 大 阪朝 日新 聞の 後 援 で ス キ ー 競技 会が 開 交 通 機 関 と して は 、乗 り換 え を しな け れ ば な ら 催 され て い るが 、 参 加 者 は地 元 の小 中学 生 ・今 ない 船 や 江若 鉄道 に代 わ って 、 直通 バ スが 主 体 津 中学 の 学 生 が 主 で あ っ た(40)。た だ 当 時 は 交 とな る。 図10は 昭 和35年 か らの毎 年 のマ キ ノス 通 が不 便 であ り、 遠 方 か ら訪 れ る人 は ほ とん ど キ ー場 の 観光 客 数 の 推 移 を示 した もので 、 今 津 な か っ た よ うで あ る。 昭和4年(1929)12月 、 の 冬 季 の 降水:量を参 考 にあ げ て お い た。 降雪 期 片 仮 名 の 「マ キ ノ」 を冠 したマ キ ノ ス キ ー場 が 間 や 降雪 量 によ って 年 ご との ス キ ー客 の 変 位 が 正 式 に開 設 され る(41)。 大 きい の が 目につ くが 、特 別雪 の少 なか った 年 わ が国 へ の ス キ ーの 紹 介 は 、明 治44年(1911)、 を除 い て 、昭 和50年 ごろ まで は 、10万 人 ∼15万 新 潟 県 高 田市 にオ ー ス トリア の レル ビ少 佐 が 軍 人 で推 移 して い る。 戦 後 の ゲ レ ンデ スキ ーで は 隊訓 練 用 に導 入 した の が 最初 とい わ れ 、そ の 後 、 リフ トは不 可 欠 と な った が 、マ キ ノ スキ ー場 で おおわに 小 樽 、大 鰐 温 泉(青 森 県)、 五 色 温泉(山 形 県)、 は江 若 鉄 道 と大 字 の 共 同 出資 と して 、 昭 和31年 大 町 ・野 沢 温 泉(長 野 県)な どが 、 地 元 の 小 資 (1956)に 第1リ フ ト、39年(1964)に 第2リ 本 に よ って 、 大正 か ら昭和 初 期 にか けて 開 発 さ フ トが 開設 さ れて い る 。 れ る。 白坂 蕃 は この時 期 を ス キ ー場 開発 の 第1 しか し35年 に比 良 ス キ ー場 、37年 に箱 館 山 ス 期 と区 分 して い る が(42)、マ キ ノ ス キ ー場 も こ の時 期 に開 発 され た もので 、 関 西 で は兵庫 県 の 1万 人} 25 も歴 史 の 古 い ス キ ー場 の一 つ で あ る。 しか し戦 20 前 の有 名 ス キ ー場 が温 泉 地 に存 在 し、 しか も旅 15 館 業 者 な どの 地 元資 本 が 中心 と な って 施 設 を拡 10 い え ない 。 しか し昭和5年(1930)に 脚 は観 光 資 源 ・交通 の便 と もに良 好 で あ った とは 胸 神 鍋 山 ・氷 の 山 、滋 賀 県 の伊 吹 山 と な らん で 最 張 して い っ た の に対 して(43)、マ キ ノ ス キ ー場 船(も と太 湖 汽 船 系)と 湖 南 汽 船(京 阪 電鉄 系) が 合 併 した 新 生 の 太 湖 汽 船 が 、 浜 大 津 か らス キ ー 船 の運 航 を開 始 した 。 これ は午 前0時 に浜 700 600 5 500 o 400 S35 は 、 琵 琶湖 鉄 道 汽 (mm) 30 40 45 50 55 60 図10 マ キ ノ高 原 の 観 光客 数 の推 移 資 料 は滋 賀 県 観 光物 産課 調 べ の 各 年 度 「滋 賀 県 観 光 地 観 光 者 数統 計 調 書 」 な ど に よ る。 ス キ ー客 以 外 の観 光 客 も含 む。 × はデ ー タな し の 年 。 棒 グ ラフ は前 年12月 ∼3月 の4カ 月 間 大津 港 を 出航 して 、 早 朝 に 海津 に着 き、 そ こか の 降 水 量 の 累計 値 。54・55年 は 一 部 降 水 デ ー ら徒 歩 ま た はバ ス で ス キ ー場 に 向 かい 、 日中 ス タ欠 落 の た め、 記 入 を省 略 。 マキノ町扇状地群の 開発 と土地利用 一 百瀬川 ・石庭 ・牧野扇状地の比較地誌一 83 表1 観光客の季節変動 と宿泊者比率 (昭和59年度) 観 光 1年 延 人数 マ キ ノ高 原 うち宿 泊率(%) 261 28.1 びわ 湖 バ レー 396 うち宿泊率(%) 比良山 2.3 うち 宿 泊 率(%) (資料)滋 1337 2.1 客 数 (千人) 1-3月(%) 7・8月(%) 40(15.3) ,207(79.3) 10.5 72.1 265(66.9) 57(14.3) 1.7 5.1 133(9.9) 986(73.7) 3.8 2.0 賀 県 観 光 物 産 課 「昭 和59年 度 滋 賀 県 観 光 地 ・観 光 者 数 統 計 書 」、 1984 キ ー場(今 津 町)、40年 に比 良 山系 南 部 の打 見 (2)民 宿 経営 の現 状 山 ・蓬 莱 山 一 帯 に サ ン ケ イ バ レ ー(45)開設 さ れ わが 国 の ス キ ー場 の ゲ レンデ 拡 張 ・リフ トの る と、 京 都 ・大 阪 方 面 か らの ス キ ーヤ ーは 、 近 増 設 や宿 泊 施 設 の整 備 は、 昭 和30年 ご ろ か ら信 くてゲ レ ンデ が変 化 に富 む これ らの ス キ ー場 に 州 の ス キ ー場 を中 心 に進 み 、 ス キ ー 人 口 の増 大 殺 到 して、 マ キ ノス キ ー場 は観 光 客 数 で溝 をあ と相 ま って 多 くの ス キ ー客 を県 外 か ら集 め る よ け られ て い くこ と は否 め な い。 昭 和43年 で す で うに な る。 しか し、 マ キ ノの よ うな 日帰 り中 心 に び わ 湖 バ レー が1.6倍 、 比 良 ス キ ー 場(46)が 4.3倍 の観 光 客 を集 め てい る。 型 の都 市近 辺 ス キ ー場 の 場 合 、 しか もい わ ゆ る ベ タ雪 で、 滑 走 期 間 も110日 以下 とい う(47)、自 マ キ ノス キ ー場 で は、 年 間観 光 客 の大 部 分 が 然条 件 に必 ず し も恵 まれ てい ない と こ ろで は、 1∼3月 に集 中 す る。 ス キ ー場 と して は年 末 年 ス キ ー客 の伸 び 悩み が み られ る。そ れ に加 えて 、 始 の 滑 走 が 可 能 か どうか が 企 業 的 な ス キ ー場 経 平 均勾 配 が リフ トの あ る 第2・3ゲ 営 に とって 非 常 に重 要 とい われ る。 そ の点 マ キ 250/1,000あ る もの の、 貸 ス キ ー場 が 立 ち並 ぶ ノス キ ー場 の場 合 は 、標 高 が200m-300mと 山麓 の 第1ゲ か レ ンデ で は レ ンデ で は86/1,000と 非 常 に 緩 や な り低 い とこ ろに立 地す る た め、 不 安 定 な 要素 か で、全 くの 初心 者用 で あ る。リフ トも2基(総 が多 い。 昭 和54年 ご ろ か らの観 光 客 数 は漸 増 の 延 長575m)に 傾 向 に あ るが 、 これ は ス キ ー の客 の増 加 とい う 在 の ゲ レ ンデ ス キ ー場 と して は貧 弱 さは否 定 で よ り も、 夏 場 の 学 生 ・生 徒 の 合 宿 ・テ ニ ス ・ きな い(図11)。 す ぎず 、広 さ と変化 を求 め る現 キ ャ ンプ ・ハ イ キ ン グ な どの掘 り起 こ しを、 町 また 、近 代 的 ・大規 模 な宿 泊 施 設 は全 くな い 。 をあ げ て行 な っ た こ との 効 果 の 方 が大 きい。 そ す べ てが、 いわ ゆ る民 宿 タイ プ の 宿 泊 施 設 れ は表1に み られ る よ う に、 マ キ ノ高 原1年 間 (昭和59年)の お8割 は1∼3月 延 べ 観 光 客 数26万 人 の うち 、 な に集 中す るが 、7・8月 にも で(48)、61年現 在 、 北 牧 野 と西 牧 野 ・寺 久 保 ・ 石 庭 を あ わせ て27軒 が営 業 して い る。 地 元 の人 に よる経 営 が 大 半 で 、村 外 資 本 は入 って い な い 。 4万 人 、15%の 観 光 需 要 が あ る。 しか も宿 泊者 すべ て の民 宿 を対 象 に、 ア ンケ ー ト形 式 で 民 宿 の比 率 が 冬 期 で は1割 に過 ぎな いの が 、 夏 期 に 経 営 の 実態 を聴 き取 り した の で 、以 下 に そ の結 は7割 以 上 に及 ぶ こ とか ら も、 観 光 目的 の 多様 果 を分 析 す る。 化 が窺 わ れ る。 つ ま り、完 全 な冬 の 日帰 り中 心 27軒 の 内 訳 は 、北 牧 野 に19軒 、西 牧 野 に4軒 、 型 ス キ ー場 で あ った マ キ ノが 、こ こ数 年 の 問 に、 寺 久 保2軒 、石 庭2軒 で あ る 。 この うち通 年営 ス キ ー を中心 と しなが ら も、冬 ・夏 型 の滞 在 型 業10、 冬 ・夏季 節型11(う 観光 地 に脱 皮 しよ う とす る傾 向 が指 摘 で きる の 冬 の み 営 業4、 夏 の み営 業1で あ る。 西牧 野 は で あ る。 ゲ レンデ か ら も遠 く、民 宿 経 営 は後 発 で あ るた ち1軒 は春 も営 業)、 めか 、 通 年 営 業 の とこ ろ は ない 。 も っ ぱ ら山小 撫 懸鱗 . 野 間 晴雄 84 ㎞ 三歎 ll ◎>・ 一 蕊 ノ腰 航 謙7 ぶ 塁ク ぐ,' 9 臨 饗 【 コー ..、 ② ll ' や む ヴさ 魏 。 弩÷, し スキ_リフト ★ 隅一 鯵 型 ・ 一 民旧 仮 膚劇婁, 民摺 〔 織綾■婁, (1986年7月30∼3ユ 日 調 査) 一.. ,1[1 一・・:i・ 一 5…'… 瞑児輪設 0 100 200恥 一 ,駐 民宴 ,, ....∴ ロ ロ コ ロ ロ ロ マ 一・一一∴L… } ・ ・ .,1' 『 r。 = 縄躊 ﹁ 山 ﹃﹄ 自 塵 碧 1=:ゴ ・ し. 修 ㌶ 「 「@ .1㌦. ≠= 図11 マ キ ノ高 原 の 観 光 ・宿 泊施 設 表2 民宿 の得意客 の有無 屋経営が中心である。 しか しこ こ の民 宿 経営 の特 色 は、 そ の前 段 階 と して の 貸 ス キ ー業 と食 堂 経 営 に 求 め られ よ う。 これ まで み て きた よう に、 日帰 り中心 型 の スキ ー場 の た め 、 地 元 の人 た ちの 収 入 の 中心 は 貸 ス キ ー と、 第1ゲ 得 16.7 有 83.3 一 小 学校 27.5 意 レ ンデ に立 ち並 ぶ 食堂 ・休 憩 所 で の 飲 食 物 の 売 上 げ で あ った 。 毎 年宿 泊す 客 ( 内 訳 ) る よ うな常 連 客 は表2に み る よ う に、大 部 分 の 第 1位 で あ り、企 業 や一 般 客 が少 ない のが わか る。 戦 後 の マ キ ノス キ ー場 の平 均 的 な イメ ー ジ は、 非 常 に な だ らか な ス ロ ー プ と、 バ ス が 直 接 ス キー場 まで 進 入 可 能 で 、 ロ ー プ ウ ェー乗 り換 え 高校 ・大 学 10.0 ボ ー イ ス カ ウ ト ・YMCA 17.5 企業 17.5 一般 22 .5 その他 5.0 民 宿 で 持 って い るが 、 そ の人 数 の お お よそ の 内 訳 をみ れ ば わ か る よう に、 小 学校 が27.5%と (%) 無 (聴きとり調査 による概数 を合計 した数値か ら算出 した もの) 戦前 か ら民 宿 を経 営 して い たの は、 北 牧 野 で 6軒 にす ぎず 、 最 も古 い民 宿 の開 業 は昭 和3年 (1928)で あ る。 当 時 は ス キ ー小 屋 の 経 営 を村 の 必要 が な い利 便 さで あ る。 比 良 山 や び わ湖 バ 営 で行 な って い た よ うで 、 これ が 牧 野 の 冬 場 の レー に 比べ て 遠 距離 に あ りなが ら、永 ら く滋 賀 重 要 な副 業 に な っ て い た(49)。戦 後 の 開 業 で は 、 県 ・京 都 府 ・大 阪府 下 の小 学 校 の ス キ ー授 業 の 昭和30年 代 まで に12軒 で 、 昭 和40年 代 は3軒 、 場 と して親 し まれ て きた最 大 の理 由が こ れで あ 50年 代 に6軒 とな って い る。50年 代 に 開 業 した る。 そ の た め 、他 の ス キ ー場 に比べ て子 供 用 貸 もの は、 い ず れ も季 節 民 宿 で あ る。 ス キ ー の需 要 が 多 か った こ とは容 易 に首 肯 され 図12は 聴 き取 りに よ って 確 認 し得 た 限 りの 民 る。 宿 の開 業 年(一 部 の民 宿 で は1∼3年 程度のず マキノ町扇状地群の開発 と土地利用 一 ρ .、 l O ﹁ 畳 数156 ll ●ール 昌 ●●■ o l ■ ■ l 癬 85 キ ノ高 原 と して 、夏 の キ ャ ン プ・学 生合 宿 ・テ ニ o n スな ど を 目的 に した観 光 客 が 訪 れ る こ とを見 込 ん だ、 マ キ ノ町 観 光協 会 の強 い 働 きか け が大 き く作 用 して い る。しか しこの グル ー プの 多 く も、 l l ■ l o 百瀬川 ・石庭 ・牧野扇状地の比較地誌一 ヒュ ッテ(山 小 屋)・ 貸 ス キ ー経 営 の 経験 を10 ∼20年 も持 って い る とこ ろが 多 い こ とは特 記 さ l れ よ う。た だ、昭和61年 に石 庭 に 開 業 した の は、 100 一二77 ," O ● 〆 、 ●● ● . 一 ( ' ● 部屋 が すべ て洋 室 のペ ンシ ョ ン形 式 で あ る。 テ ニ ス コー トを4面 備 え た 、リゾ ー ト型 の もの で 、 経 営者 は東 京 出 身 の脱 都 会 派 で あ る(51)。 ' 田 ' ' ● ﹂ ノ リ ' 0 一 ノ へ ','ノ h r ㌦ 覧 . 、、暫竜馬 皿 、 ●50 ' るぺ'… ー ー ー 1-1 5﹂ 一一 ﹂一 p 唱、 ,・ 1;'。'一丁 マ唐 … ● . x 収 容 規 模 が90∼100畳 以 上 の 民 宿 は 、 収 入 の 8割 以 上 を依 存 す る専 業 的色 彩 が 強 い が 、ペ ン ロノ 曹 一 ノ 0 騒6稲1 5. .10』 15 20 25' 鉛 35 40 45 田 55 60 (年) シ ョンを除 いて 完全 に宿 泊 収 入 だ け に依 存 して い る とこ ろ は ない 。農 地 の保 有 も平 均 で95.1a、 ◎ 通 年 ● 冬 ・夏 口 冬 の み × 夏 のみ 先 発 の 第1群 の6戸 で は138.7aに 図12 マ キ ノ地 区 民 宿 の規 模 と開 業 年 及 ぶ 。第H・ m群 で は水 田 を完 全 に委 託 して い る もの もあ る (聴 き と りに よる。 ※ はペ ン シ ョ ン形 式 の もの) が 、 第1群 の家 で は 、宿 泊者 用 の飯 米 を自家 水 れが 存 在 す る)と 、収 容 規 模 ・営 業期 間 の 関係 田 で賄 って い る とこ ろが 多 い 。 世 帯 主 の 兼 業 と をみ る た め に作 成 した もの で あ る。 収 容規 模 は して は 、農 業 ・公 務 員 ・建 設 業 ・大 工 なで で あ 宿 泊用 の部 屋 の総 畳数 を指 標 と した 。 一 つ の例 るが 、民 宿 開 業 以前 の職 業 と して は、27戸 中23 外 を 除 い て、 大 き くは 図 中 に示 した よ う に、3 つ の グ ル ー プ に 分 け る こ とが で き る と思 わ れ 民宿 の働 き手 と して は 、女 性 の 比 率 が 約7割 る。 を 占め 、夫 婦 が 中 心 的役 割 を果 た して い る こ と 第1群 が昭 和 初 期 か ら第 二次 世 界 大 戦 終 了 前 が 多 い 。 た だ し、 繁盛 期 に は 臨時 雇 用 を27戸 中 まで に開 業 した先 発 グル ー プ と呼べ る もの で 、 24戸 で行 な っ てお り、 そ の9割 が女 性 労 働 力 、 収 容 規模 は1戸 を除 い て100畳 前 後(平 均105.7 それ も30歳以 上 が 圧 倒 的 で あ る。 ま た 、信 州 の 畳)で 、 通年 営 業 許 可 を と った もの が圧 倒 的 で ス キ ー民 宿 に み ら れ る よ うな 県外 の大 学 生 ア ル ある 。 第H群 は 開業 年 が 昭 和35年(1960)ま バ イ トは6人(13%)に で 戸 が 農業 と回 答 して い る。 す ぎず 、 マ キ ノ 町 内 か の後 発 グル ー プ で、 特 に30年 ごろ に集 中す るの らの通 勤 が87%を はス キ ー場 の整 備 、 と りわ け リ フ トの設 置 や 、 調 達 が3割 を超 え てい るの も興 味 深 い 。 スキ ー愛 好 者 の増 加 に よ る とこ ろが 大 きい と推 占め る。 また 、 親戚 筋 か らの 5. お わ り に 測 さ れ る。 この グ ル ー プで は、 現 在 も季 節 営 業 の民 宿 が 多 く、収 容 規 模 も第1群 に比べ る と小 扇 状 地 はそ の形 態 に非 常 に特 色 が あ り、 わ が 規 模 な もの が 多 い 。平 均 畳 数 は61.5で あ る。 ま 国 で は戦 前 か ら地 形 図 を も とに した地 形 計 測 的 た、 西 牧 野 ・寺 久保 ・石 庭 とい った ス キ ー場 か らは やや 離 れ た と ころ に も民 宿 が 開業 して い る 研 究 や土 地 利 用 を中心 と して、 多 くの す ぐれ た モ ノ グ ラ フ(地 誌)が 産 み 出 さ れ て きた(52)。 こ と も特 色 で あ る。 第 四群 は 昭和40年 以 降 の 開 また 、包 括 的 な文 献 目録 や 主要 扇状 地 の 地 形 的 業 に な る最 も新 しい 民 宿 で 、 い ず れ も収 容 規 模 基 本 数値 も、 わが 国 で の 扇状 地 の理 論 的 ・自然 は50畳 前 後(平 均48.8畳)と 小 規模 で、 部 屋 数 地 理 学 的研 究 のパ イ オニ ア 的存 在 で あ っ た村 田 の 平 均 も9.8で あ る 。 た だ、 こ の グ ル ー プ の な 貞 蔵 氏 の都 立 大 学 の 定 年 退 官 論 文集 『 扇状地一 か で 、昭 和50年 以 降 に開 業 した もの は若 干 性 格 そ の地 域 性』(53)に 収 録 され て い る。扇 状 地 と は、 が異 な る。 こ れ らの 民 宿 は、 滋 賀県 の 国民 休 養 日本 人 に と って、 非 常 に馴 染 み の深 い 、 また地 県構 想 を受 け て、 マ キ ノ町 が 自然休 養村 に指 定 形 単 位 が 相 対 的 に小 さ い、 扱 い や す い対 象 で され 、 各 種 の 施 設(5。)が 建設 されるなかで、マ あ っ た こ とは確 か な よ うで あ る。 86 野 間 晴雄 もっ とも、 世界 的 に み る と必 ず し も代 表 的 な その雑 木林 の粗 放 的 開発 の 一 方 法 が 、 百 瀬 川 地 形 で はな い よ うに思 われ る し、 た とえ存 在 し 扇 状 地 に お け る カ キ な どの 果 樹 と、石 庭 扇状 地 て も、 そ れ独 自 と して 研 究 の対 象 とな る の は 、 の ク リ園 で あ る。 い っぽ う、 よ り集 約 的 な土 地 比 較 的 少 な か った ので は ない だ ろ うか 。 ア メ リ 利 用 で あ る扇 状 地 の水 田化 は、 ひ とえ に 水 の確 カ合 衆 国 の乾 燥 地 の扇 状 地 が 、 岩石 の不 連 続 的 保 にか か って い るが 、 三 扇状 地 と も全 面 的 な 開 崩 壊 と堆積 プ ロ セス の コ ンテ ク ス トか ら注 目 さ 田 はい まだ な され てい ない 。百 瀬 川 扇 状 地 で は、 れ た の は 、 わが 国 で の 多彩 な先 駆 的研 究 よ り も 旧 河 道 を利 用 して 南 半 分 が 、石 庭 ・牧 野扇 状 地 30年 以 上 もあ とで あ る こ とな ど もそ の証 左 に な で は 扇側 部 が 、 近 世 に 開 田 され て い る。 な お ア る(54)。そ の 意 味 で も、 扇 状 地 は き わ め て 日本 クテ ィブ な状 況 を呈 す る これ らの扇 状 地 で も、 的 な研 究対 象 で あ った とい え よ う。 この部 分 的 な水 田 化 が 、 か な り早 くに行 わ れて しか し、 かつ て 隆盛 で あ った扇 状 地 の地 誌 的 い る こ とに こそ 、 もっ と注 目す べ きで あ る と私 研 究 は、 現 在 で は 『黒 部 川 扇 状 地 研 究 』 「砺 波 は考 えて い る。 散村 研 究 』 な ど一 部 の ロー カ ル な地 理 学 専 門 誌 を除 い て 、盛 んで あ る とは い い難 い。ま して や 、 こ の よ うな 比 較 的 類似 した土 地 利 用 であ った 三扇 状 地 の なか で 、 牧 野 扇状 地 だ け は、 な だ ら この 小稿 で と りあ げ た よ うな小 規 模 な扇 状 地 の か な傾 斜 を利 用 した ス キ ー場 と して 、 昭 和 初 期 場 合 、興 味 あ る地 理 的現 象 を内 包 しなが ら、 こ か ら違 った 歩 み を は じめ る。 ス キ ー場 そ の もの れ まで 一度 も本 格 的 に は記 載 さ れて こ なか った の 開発 と宿 泊 施 設 が 、 ほ とん ど大 字 牧 野 の 人 た もの が 多 い。 その 意 味 で は、 本 稿 は 落 穂拾 い か ちの 手 に よ って行 な わ れ、 外 部 資本 は 、 リフ ト も しれ ないが 、地 誌 学 の発 展 的 復 権 を願 う筆 者 の管 理 とス キ ー場 まで の ア クセ ス に 関 わ って い に と って は 、 そ れ以 上 の 意 義 を見 出 して み た い る だ けで あ る。 関西 の ス キ ー場 と して は老 舗 で 思 い にか られ る。4章 まで に述 べ た こ との ま と あ るが 、 ス ロー プ が な だ らか で 変 化 に 乏 し く初 め を兼 ね て 、 こ の地 域 の扇 状 地 の 地域 的性 格 を 心 者 向 きで あ る こ と、 中級 者 用 ゲ レ ンデ が狭 い 次 に若 干 論 じて、 結 び と したい 。 こ と な どの 理 由 で 、 ス キ ー客 は小 学 生 の 団体 が 本 稿 で 取 り上 げ た扇 状 地 は、 い ず れ も現 成 の 中心 で 、 伸 び 悩み は 覆 いか くせ な い 。 そ の打 開 もの で 、 開析 の度 合 い は小 さい 。 特 に 牧 野 ・石 策 が マ キ ノ高原 と して、 冬 季 以外 に も若 者 を集 庭 扇 状 地 上 の河 川 は、 滋 賀 県 の 河 川 と して は例 め る よ うな施 設 作 りであ り、 町 を中心 と して推 外 的 に天 井川 化 してお らず 、 扇 央 部 で も表 流水 進 され つ つ あ る。 そ れ は、 マ キ ノ町が 、京 都 と が み られ る 、 人工 の営 力 の 加 わ り方 が 小 さい河 の 結 び つ きの濃 厚 な滋 賀 県湖 西 地 方 に あ りなが 川 と いえ よ う。 しか し、百 瀬 川 扇 状 地 は土砂 供 ら、 大 津 や京 都 か ら も1時 間 圏 に は い らず 、町 給 域 が 古 生層 山地 で あ るの に もか か わ らず 、膨 の 活性 化 の道 を都 市 住 民 の 短期 滞 在 型 ・週 末 レ 大 な量 を扇状 地 面 に吐 き出 して きた 。 河床 幅 も ジ ャー基 地 と して位 置 づ け よ う と して い る こ と 最 大 で150Mに と も深 く関連 す る。 及 び 、潜 在 的 な水 量 も他 の2つ 主 の扇 状 地 の河 川 よ り もず っ と大 きい 。 しか し扇 央 部 で 伏 流 す る た め、 集 落 立 地 は扇端 部 に限定 され る。 豊富 な伏 流 水 が ご く浅 い 掘 削 で得 られ (1)主 な調 査 事 項 と して ば 、1)海 津 ・西 浜 ・知 内 の る し、 湧 水 を生 活 用 水 のみ な らず 、湖 岸 水 田 の 集 落 内部 の土 地 利 用 調 査 、2)高 島 郡 北 部(今 津 灌漑 用 水 と して も利 用 して い る。 町 以 北)の 条 里 地 割 の 検 出 とそ の 水 利 ・測 量 調 い っぽ う、 扇央 部 は いず れの 扇 状 地 もか つ て 査 、3)百 は広 葉樹 林 を中心 と した雑 木 林 で あ った と推 定 調 査 、4)マ キ ノ ス キ ー場 周 辺 の 民 宿 調 査 な どで され 、採 草 ・薪炭 資 源 と しての 価 値 しか なか っ あ る。1)に つ い て は、 小 林 健 太 郎 が 「高 島 郡 マ た。 燃 料 革命 以降 、 こ の雑 木 林 はス ギ の植 林 が 一部 で 行 なわ れ た が、 しい た け栽 培 の 場 所 を提 キ ノ町 海 津 ・西 浜 ・知 内 の 集 落 形 態 と土 地 利 用 」 と して 、2)に 供 す る以 外 に 大部 分 は 、 ほ とん ど有 効 な利 用 が の 条 里 遺 構 」、3)に され ない ま ま放 置 され て い る。 状 地 の土 地 利 用 と湧 水 」 と題 して 、61年 度 湖 沼 瀬 川 扇 状 地 の 土 地 利 用 と扇 端 部 の 湧 水 つ い て は高 橋 誠 一 が 「高 島 郡 北 部 つ い て は筆 者 が 「百 瀬 川 扇 マ キノ町扇状地群の開発 と土地利用 一 実 習 施 設 講演 会 で 発 表 した 。 また2)に つ いて は 「 条 里 縁 辺 地 域 に お け る 水 利 ・土 地 利 用 シス テ ム の歴 史 地理 的 研 究」(昭 和61年 度科 学 研 究 費 報 告 書 、 研 究 代 表 者 小 林 健 太 郎)に おいて、高 百瀬川 ・石庭 ・牧野扇状地 の比較地誌一 (7)籠 瀬 良 明 「自 然 堤 防 」 古 今 ・ 書 院 、1975、PP. 203-211 (8)水 山 高 幸 ・坂 口慶 治 「 石 田川 の 河 川 争 奪」(水 山 高幸 編 「 空 か らみた 自然景 観 橋 誠 一 ・小 林 健 太 郎 ・野 間 晴 雄 「高 島郡 北 部 の PP.60-61) 条 里 と水 利 」(PP.77-84)で (9)前 掲(5)の前 著 、PP.21-28 報 告 して い る ので 、 参 照 さ れ た い。 本 稿 は 上 記 の1)4)を 87 大 明 堂 、1982, ま とめ て (10)中 山 ・高 木 は 甲 府 盆 地 の13の 扇 状 地 の平 均 勾 配 一 論 文 に した もの で 、 扇 状 地 群 相 互 の 比 較 地 誌 を掲 げ て い る が 、 盆 地 底 の扇 状 地 を除 い て 、20 と銘 う ち な が ら、実 質 は1)4)が ∼35/1,000で あ り、 百 瀬 川 も こ の 範 疇 に 入 る と か な り異 質 の 内 容 を含 み、 厳 密 な 意 味 で の比 較 研 究 に な って い な い こ と を予 め お断 りして お きた い。 (2)こ こで い う湖 西 地 方 と は、 滋 賀 県 の一 般 的 区 分 考 え て よい(中 山 正 民 ・高 木 勇 夫 「微 地 形 分 析 よ りみ た 甲府 盆 地 にお け る扇 状 地 の 形成 過 程 」 『 東 北 地 理」30-2、1987、pp.99-101)。 に よ る範 囲 を示 す。 す な わ ち、 滋 賀 郡 の 志 賀 町 (11)前 掲(7)、pp,209-211 以 北 と高 島郡 の 全 町村 が 含 まれ る。 (12)前 掲(7)、PP.30-34、209-211 (3)大 矢 雅 彦 「沖積 平 野 にお け る地 形 要 素 の 組 合 わ (13)「 海 津 村 」 と 「 乗 鞍 嶽 」 図 幅 。 前 者 は 明 治43年 せ の基 本型 」、「 早 稲 田大 学教 育学 部 学 術 研 究』22、 の修 正 測 図 、 後 者 は42年 の 名 号 訂 正 した もの を 1973、 PP.23-43 使 用 した 。 (4)た (14)藤 原 敏 朗 「百 瀬 川 の 砂 防」 「 新 砂 防』115、1980、 とえ ば 高 等 学 校 の 教 科 書 出 版 社 に よ る読 図用 ワー クブ ック 「高等 地 理 作 業 ノ ー ト」(清 水 書 院) や 「 新 編 コ ンタ ー ワ ー ク」(帝 国 書 院)で は 、等 (15)「 高 島 都 誌』 に よ り一例 を あ げ る と、天 明年 間 、 高 線 をた ど っ た り、土 地 利 用 の着 色 に よ る扇 央 本 川 の 堤 防 が 土 砂 で高 くな っ た た め 、 石 庭 ・森 部 や 扇 端 部 の相 違 の 判 断 な どの作 業 に加 え て、 西 の 落 水 が 本 川 に落 ち ず 、 中 川 原 ・二 反 田(筆 集 落 立 地 の 理 由 と して の湧 水 、天 井 川 の 判 断 基 者 注:現 在 の 沈 砂 地 付 近)の 準 な ど を問 うて い る。 きた した の で 、延 長100年 間 の 木 樋 方1尺 の 物 を (5)水 山高 幸 「扇 状 地 に お け る 洪 水 ・土 砂 災 害 」(芦 pp.59-62 田 地 耕 作 に支 障 を 敷 設 した と い う。 これ か らわ か る よ うに 、 石 庭 田 和 男 編 「扇状 地 の土 砂 災 害 一 発 生 機 構 と防 止 扇状 地 との 問 で2つ の 扇 状 地 が 完 全 に合 体 して 軽 減一 、古 今 書 院 、1985、PP.9-28) い た の で は な く、 凹 地 が 介 在 して い た。 そ の た 同 「空 中 写 真 、 地 形 図 か ら読 み とれ る地 形 発 め被 害 は排 水 不 良 に よ る もの が 大 部 分 で、 直 接 達 史 な ら び に 地 形 の 変 遷 一 比 良 山 系 と くに 百 瀬 の破 堤 被 害 で な い。 川 、木 戸 川 を例 と して一 」 「 新 砂 防 』115、1980、 (16)近 畿 地 方 建 設 局 滋 賀 国 道 工 事 事 務 所 、 マ キ ノ 町 PP.52-59 役 場 建 設 課 お よび教 育 委 員 会 の 資 料 。 (6)田 村 幹 失 ・松 下修 治 ・伊 藤 克 己 ・酒 井助 太 郎 「 滋 (17)野 間 晴 雄 「 湖 北 蚕 糸 業 の 盛 衰 と邦 楽 器 糸 製 造 業 賀 県 の 古 生 層 と中 生 層 」(滋 賀 自然 環 境研 究 会 編 につ い て の 地 域 社 会 史 論 」 『滋 賀 大 学教 育学 部 紀 「 滋 賀 県 の 自 然」、 滋 賀 自 然 保 護 財 団 、1979、 要(人 文 科 学 ・社 会 科 学 ・教 育 科 学)」36、1986、 p.26 PP.152-156) 小 出 博 『日本 の 国 土 上 」、 東 京 大 学 出版 会 、 (18)滋 賀 県 「滋 賀 県市 町村 沿 革:史」1960、p.852 1973、PP.76-78。 こ の 書 の な か で、 小 出 は 志 賀 当 時 の対 象 地 域 周 辺 の 桑 畑 の 分 布 を み る と、 水 町 とマ キ ノ 町 の 扇 状 地 群 の よ う な小 規 模 の 扇 状 田 に な らな い よ うな 畑 地 ・堤 外 地 ・林 地 に 多 く 地 の場合、上流 山地の岩石 の物理的風化作 用が 作 付 け られ て い る の が わ か る。 災 害 の 型 、 扇 状 地 の 土 地 利 用 の 状 態 を 決定 す る (19)前 掲(5)の前 著p.26 重 要 な 因 子 で あ る こ と を 論 じて い る。 氏 は 、 マ (20)25,000分 の1土 地 条 件 図 「竹 生 島」1984で は、 キ ノ 町 の 扇 状 地 群 を、 志 賀 町 の 扇 状 地 群 よ り高 石 庭 扇 状 地 を台 地 下 位 面 、 牧 野 扇 状 地 を台 地 下 度 な 土 地利 用 形 態(そ 位 面 と 中位 面(ス い っ ぽ う、 百 瀬 川 扇 状 地 で は北 を緩 扇 状 地 、 南 れ は扇 側 部 ・扇 頂 部 付 近 に 水 田 が見 られ る こ と な ど)と して 捉 え て い る。 " キ ー 場 付 近)に 区 分 して い る 野間 88 晴雄 を 台 地 低 位 面 と して い る 。 これ ら は もっ ぱ ら絶 中庄 ・新 保 で の 聴 き取 りで は カ ワ タ とい う。 対 高 度 を 基 準 と し た もの で 、 成 因 を詳 し く考 慮 (36)鳥 越 皓 之 ・嘉 田 由 紀 子 編 「水 と人 の環 境 史』 御 した もの で は な い。 茶 の水 書 房 、1984、345pp. (21)藤 岡 謙 二 郎 ・田 端 与 利 男 「 靹 結 駅」(藤 岡謙 二 郎 編 「 古 代 日本 の 交 通 路4」 的 ア プ ロ ー チ」 滋 賀 県 琵 琶湖 研 究 所 、1987、202 156-159 PP・ 大 明 堂 、1979、PP. 地 域 環 境 プ ロ ジ ェ ク ト班 『 環境 問題 への文化 (22)マ キ ノ町 詩 編 さん 委 員 会 「マ キ ノ町 誌 」1987、 (37)古 川 彰 「 川 と井 戸 と湖 一 湖 岸 集 落 の伝 統 的 用 排 水一 」(鳥 越 皓 之 ・嘉 田 由紀 子編 「 水 と 人 の環 境 史」 御茶 の水 書 房 、1984、PP.242-247) PP.594-600 (23)滋 賀 県 史 編 さん 委 員 会 「 滋 賀 県 史 昭 和 編 第3 (38)ノ 」 ・牧 實 繁 「 牧 野 聞書」 『 近 畿 民 俗 』6、1951、 巻 』、1976、PP.148-149 (24)生 産 組 合 で の 聴 き取 りに よ る と、 組 合 員 の居 住 PP.2-4は 地 は 下 開 田 ・上 開 田 ・牧 野 ・石 庭 ・辻 ・森西 ・ れ た際 の 民俗 採 録 で あ る 。 冬 場 は ス キ ー客 で 賑 蛭 口 ・沢 ・寺 久 保 で 、 と りわ け 下線 部 の 地 権 者 わ い なが ら、 な お 近 江 の 周 縁 農 山村 の 一 般 的 特 が多い。 色 を保 持 して い る こ とが 記 さ れ 、 当 時 の 記 録 と 、 昭 和11年 に 木 村 憲 治 氏 と牧 野 を訪 (25)前 掲(22)、PP.595-600 して 貴重 な もの で あ る。 (26)前 掲(22)、 PP.703-704 (39)前 掲(22)、PP.1285-86 (27)苅 安(オ (40)前 掲(22)、PP.1285-86 ウ ミ カ リヤ ス)Miscanthus tinctoriusは ス ス キ に似 た 多 年 生 の イ ネ科 植 物 で 、 黄 色 の 染 (41)ス キ ー 場 の 開 発 年代 は 厳 密 に は初 め て そ の地 で 料 を とる 。 近 世 期 に は 京 都 ・大 津 の 染 物 業 者 へ 滑 走 を試 み た時 とは 異 な り、 な ん らか の観 光 資 出 荷 さ れ た 。 マ キ ノ ス キ ー 場 あ た りの 山 林 原 野 本 が投 入 さ れ た 時 が 適 切 と考 え られ るが 、 な か に 自生 して い た ら しい。 な か 当 時 の詳 しい 事 情 は は っ き り しな い こ とが (28)野 間 晴 雄 「 第 二 次 大 戦 下 の 草 津 」(草 津 市 史編 さ 多 く、 しか も功 労 者 を顕 彰 す る意 味 もあ って か 、 ん 委 員 会 『 草 津 史 第4巻 』 近 刊)に 老上地 区 初 滑 走 年 を開 発 年 とす る傾 向 が あ る よ うで あ る 。 の 果 樹 の 沿 革 を記 して お い た が 、 こ こ の場 合 と 牧 野 の 場 合 、 リフ トを江 差 鉄 道 とで 共 同 経営 す 同 じ く、 岐 阜 県 出 身 者 に よ っ て 始 め られ て い る る まで 、 ス キ ー場 に 関 して は外 部 資 本 が 入 っ て こ とは 興 味 深 い 。 い な い の で、 い つ を開 発 年 とす る か は 意 見 の 分 (29)前 掲(23)、p.324 'れ る と こ ろで あ る 。 筆 者 は 山小 屋 な ど の 整備 が (30)∼ 鼓賀 県 「滋 賀 県 統言十書 日 高禾025年度 」 され 、 「 マ キ ノス キ ー場」 と命 名 され た 昭 和4年 (31)タ バ コ は 昭 和28年(1953)に を実 質 の 開設 年 と した い 。 県 事 務 所 と農 協 連 が 導 入 を計 画 した の が 始 ま りで 、 旧 西 庄 ・百 瀬 (42)白 坂 蕃 「 本 邦 に お け る ス キ ー場 の 発 達 と立 地 お 村 域 で 栽 培 され て い る 。 よび 分布 に つ い て一Recreat正on Geography序 説 (32)こ の 分 布 図 に は個 人 の屋 敷 の 中 にあ る井 戸 は 含 ま れて い ない 。 (43)白 坂 蕃 「 野 沢 温 泉 村 に お け るス キ ー場 の 立 地 と (33)正 式2万 分 の1(図2)に 一」 『 学 芸 地 理 』29、1975、p.23 み え る川 上 村 沼 な ど 発 展 一 日本 に お け る ス キ ー場 の 地 理 学 的 研 究 の 内 湖 は い ず れ も村 有 地 で 、 戦 前 に周 辺 農 民 の 第1報 請 願 に よ って 埋 め 立 て られ て い る。 341-360 一」 「 地 理 学 評 論 」49-6、1976、PP. (34)前 掲(1)の う ち、 高 橋 誠 一 ・小 林 健 太 郎 ・野 間 晴 雄 「 高 島郡 北 部 の条 里 と水 利 」PP.77。84 (35)イ ケ の用 語 の 多様 性 は 、 一 面 で は こ この 湧 水 の (44)前 掲(22)、 PP.1086-89 豊 富 さ を物 語 って い る と もい え よ う。 一 般 に は (45)サ ンケ イ バ レー は登 山 用 エ ス カ レ ター(カ ー レー 洗 い 場 は カ バ タ(カ ワ の 端 の 意 味 か)と い う こ ター)を 設 置 す る な ど積 極 経 営 を行 な った が 、 とが 多 い が(た こ れが 故 障 続 きで 不 評 と な り、43年 に は名 古 屋 と え ば 、 大 槻 恵 美 「知 覚 環 境 と 野 沢 温 泉 村 「野 沢 温 泉 ス キ ー 場 史 」、1975、 500pp. フ ィー ル ドワ ー クー 琵 琶 湖 岸 に お け る 村 落 調 査 よ り一J「 人 文 地 理』39-1、1987、pp.45-48)、 (46)夏 期 の 登 山 ・ハ イ キ ング の観 光 客 数 を含 む。 び 鉄 道 に 買収 さ れ、 びわ 湖 バ レー と改 称 され た 。 マキノ町扇状地群の開発 と土地利用 一 わ 湖 バ レー で は登 山客 は1割 もな い が 、比 良 山 百瀬川 ・石庭 ・牧野扇状地の比較 地誌一 89 連 の 形 態 研 究 、 田 中 啓 爾 の 甲府 盆 地 の 地 誌 的研 究 な ど枚 挙 に い と ま な い が 、滋 賀 県 の 扇 状 地 は (47)白 坂 蕃 「ブ ナ帯 に お け る ス キ ー場 の立 地 と発 展」 か な り 典 型 的 な もの が 存 在 す る に も か か わ らず 、 (市川 健 夫 ・山 本 正 三 ・斎 藤 功 編 「日本 の ブ ナ 戦 前 の 研 究 で は ほ と ん ど 取 り上 げ ら れ る こ と が 帯 文 化 」 朝 倉 書 店 、1984、p.169に な か っ た とい え る。 最 深 積 雪 量50cm以 上 に分 布 す る ス キ ー場 の中 で 、 (53)矢 沢 大 二 ・門 村 浩 編 企 業 的 に成 立 す る の は100㎝ 以 上 で 、 スキ ー リフ で は お よそ3割 を 占め る。 よ る と、 年 間 『扇 状 地 一 そ の 地 域 性 一 』、 古 今 書 院 、1970、370pp. トが110日 以上 稼 働 す る こ と をあ げ て い る。 (54)Bull, W., B., The alluvial・fan environment, (48)27軒 の う ち、 民 宿 の営 業 を と;って い る もの が15 Progress in Physical Geography 軒 、 旅 館 と して登 録 して い る のが12軒 で あ る が 、 Rachocki, 旅 館 とい え ど も通 年 の営 業 が 民 宿 と異 な る だ け empirical approach, Jhon Wiley&Sons,1981, で 、 設 備 等 に は大 差 が な い 。 PP.5-8 A., Alluvial Fans:An 2-1,1977 Attempt at an (49)前 掲(38)、p.3 (50)〈 土 に 学 ぶ 里 〉 を キ ャ ッチ フ レー ズ に、 都 市 部 (付 記) に居 住 す る 学 童 に 自然 との ふ れ あ い を体 験 させ 現 地 調 査 や 資 料 収 集 に 関 して 多 大 の ご便 宜 を る た め の 諸 施 設 の 建 設 が 行 わ れ た 。 町 内 の既 存 図 っ て い た だ い た マ キ ノ 町 役 場 総 務 課 ・建 設 の 観 光 地 で あ る、 マ キ ノ 高 原 、 牧 野 民 宿 、 知 内 課 ・町 議 編 さ ん室 、 今 津 町 役 場 都 市 計 画 課 、 近 浜 海 水 浴 場 、観 光 栗 園 に 加 え て 、 知 内川 べ りに 畿 地 方 建 設 局 滋 賀 国 道 工 事 事 務 所 、 マ キ ノ町 民 新 たに 「 土 に学 ぶ 里 宿 経 営 者 の 方 々、 マ キ ノ 果 樹 生 産 組 合 に対 して 年 に オ ー プ ン させ 、 陶 芸 ・絵 付 け ・わ ら ぞ う り 厚 く御 礼 申 し上 げ ます 。 な お、 昭 和61年 夏 の 合 作 り ・焼 杉 細 工 な どの 創 作 実 習 の 場 の提 供 と指 宿 調 査 参 加 者 は下 記 の44名 で あ る 。 導 、多 目的 ホー ル 、民 家 移 築 な ど を行 な っ てい る。 卒 業 生 … 北 川 浩 志 ・藤 岡 高 史 ・山 本 修 嗣 ・鍬 こ れ らの施 設 の 間 は サ イ ク リ ング道 路 に よ って 田 英 夫 ・鍬 田 昌英 ・早 田 月 絵 ・ノ ト森 秀 章 ・村 川 研 修 セ ン タ ー」 を 昭和57 も結 ば れ て い る。 こ の プ ラ ンの な か で 、 マ キ ノ 喜 洋 ・今 井孝 代 ・日名 子 一 雄 ・山 口 昌伸 高 原 に は 、 キ ッ ン プ場 ・緑 地 広 場 ・野 外 活 動広 在 校 生 … 伏 木 敏 治 ・兼 山 英 泰 ・河 原 一 志 ・京 場 ・植 物 観 察 園 ・ち び っ こ 広 場 ・オ リエ ン テー 近 武 史 ・鈴 木 章 一 ・谷 博 之 ・橋 本 重 之 ・木 下 麻 リ ン グ場 ・学 習 農 園 ・水 あ そ び場 ・遊 歩 道 ・テ 子 ・高 山 昌 子 ・外 村 涼 子 ・玉 井 正 ・山本 毅 ・河 内 宏 之 ・田 中 孝 男 ・田濃 良 和 ・南 田 聡 ・村 木 一 ニ ス コ ー トな どが 設 け られ た 。 (51)こ の他 に 、 現 在 、 白谷 地 区 に2軒 、沢 地 区 に1 志 ・渡 辺 信 之 ・清 水 孝 子 ・西 村 成 美 ・下 村 文 軒 の ペ ン シ ョンが あ りぐ これ らは い ず れ もマ キ 宏 ・酒 井 ひ ろ み ・中川 まゆ み ・藤 橋 恭 子 ・萬 木 ノ町 以 外 か ら きた く 脱 都 会 派〉 の 経 営 者 で あ り、 昌 代 ・杉 浦 直 美 ・太 田 洋 介 ・辻 英 由 生 ・田 中 千 1軒 を除 き、 専業 ・通 年 営 業 で あ る。 草 ・鳥 居 紀 代 美 ・廣 岡 美 津 子 ・前 川 ふ さ子 ・向 (52)小 川 琢 治 以 来 の 砺 波 の 散 村 研 究 、 村 田貞 蔵 の一 出久美