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変動期のパーソナリティ形成 - Kyoto University Research Information

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変動期のパーソナリティ形成 - Kyoto University Research Information
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<論文>変動期のパーソナリティ形成 : 『ポーランド農民
』における生活史法
高山, 龍太郎
京都社会学年報 : KJS = Kyoto journal of sociology (1997), 5:
103-121
1997-12-25
http://hdl.handle.net/2433/192548
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
高山
103
変動期 のパ ー ソナ リテ ィ形 成
変 動 期 の パ ー ソ ナ リテ ィ形 成
『ポ ー ラ ン ド農 民 』 にお け る生 活 史法
高
山
龍太郎
は じめ に
近 年 、 生 活 史 を用 い た社 会 学 的 研 究 に対 す る 関 心 が 高 ま って い る 。 生 活 史 な どの 質 的 調
査 法 を多用 した社 会学 の研 究 は 、1920年 代 か ら1930年 代 に か け て シ カ ゴ大 学 で 最 初 の発 展
を遂 げ た 。 しか し、 こ う した研 究 ス タ イル は、 そ の 後 衰 退 す る。1950年 代 か ら1960年 代 に
か け て 、 ラザ ー ス フ ェ ル ドに代 表 され る統 計 的 調 査 法 とパ ー ソ ンズ らの 構 造 機 能 主 義 が 社
会 学 の 中 心 を 占 め 、 数 量 化 と理 論 化 の 傾 向 が 一 世 を風 靡 す る 。 生 活 史 な ど の 質 的 資 料 は 、
科 学 の 基 準 を満 た さ な い もの と して排 除 さ れ て い っ た。 だが 、1970年 代 後 半 に な る と、 社
会 にお け る個 人 の 具 体 的 生 活 に対 す る 関心 が 再 び高 ま り、 個 人 の 内 面 を と ら え る生 活 史 が
社 会 学 的 資 料 と して見 直 され る よ うに な る。1978年 に 、 国 際 社 会 学 会 に 「
伝 記 と社 会 学 」
とい う部 会 が 創 設 され 、 同 じ年 の 第9回 国際 社 会学 会 で 生 活 史 ア プ ロ ー チ に 関 す るセ ッシ ョ
ンが 開か れ た。 現 在 、 生 活 史 を用 い た社 会 学 的 研 究 が しば しば掲 載 され る雑 誌 と して 、 「伝
記 と社 会 学 」 部 会 が 発 行 す るL㌍
7加Jo群
πα'げCoπ'伽po7αryE∫
∫'or∼85/R6c〃54θ
り'8の他 に も、(∼πα"f4"昭 ∫odo'08y、
勧08roρyな どが 刊 行 さ れ て い る。
この よ うな 生活 史 を用 い た社 会学 的研 究 の復 権 を唱 え る とき、 必 ず 言 及 され る の が 、1918
年 か ら1920年 に か け て 出版 され た トマ ス と ズ ナ ニ エ ツ キ に よ る 「ヨー ロ ッパ とア メ リ カ に
お け る ポ ー ラ ン ド農 民 」(以下 、 「ポ ー ラ ン ド農民 」)であ る[例
3,中
野 卓 ・桜 井 編1995:7,谷
編1996:4]。
え ば 、Plummer1983:訳
書
単 な る 例 示 と して 生 活 史 が使 わ れ る こ と
は、 人文 ・社 会 科 学 の 歴 史 と と も に古 い 。 しか し、 一 定 の 理論 的 観 点 か ら生 活 史 を利 用 し、
理 論 と デ ー タの 統 合 を 目指 し た の は 「ポ ー ラ ン ド農 民 」 が 最 初 で あ る と い わ れ て い る
[AIIport1942:訳
書19]。 「ポ ー ラ ン ド農 民 」 の 研 究 ス タイ ル は 、1920年 代 か ら1930年 代 半
ば に シ カ ゴ大 学 で盛 ん に行 な わ れ た調 査 研 究 の モ デ ル と な り、 そ の 後 の ア メ リ カ社 会 学 の
流 れ に大 きな 影 響 を与 え た[中 野 正 大1997:3-37]。
最 初 の偉 大 な古 典 」[Coser1977:381]や
の 大 き い作 品 」[Fleming1967:325]、
実 際 、 「ア メ リ カ経 験 社 会 学 に お け る
「社 会心 理 学 にお い て五 本 の指 に 入 る 最 も影 響 力
「そ れ まで ア メ リカ の研 究 が な し得 なか っ た方 法 で 理
京 都社 会学 年報
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高 山:変 動 期の パ ー ソナ リテ ィ形 成
論 と デ ー タ を統 合 させ よ う と した とい う点 で 記 念 碑 的 な作 品 」[Bulmer1984:45]と
高 く評
価 さ れ て き た。
「ポ ー ラ ン ド農 民 」 の 出 版 以 前 、 社 会 に 関 す る理 論 構 築 とデ ー タ収 集 は 、 別 個 に行 な わ
れ て い た 。理 論 構 築 を担 っ たの は、19世 紀 後 半 の ア メ リカ にお け る、 ウ ォー ド、 サ ム ナー 、
ギ デ ィ ン グ ス 、 ロス とい った 社 会 学 者 た ち で あ る 。 彼 らは 、 まず 、 人 間 行 動 全 体 を説 明 す
る根 本 的 で単 純 ない くつ か の 原 理 を主 に思 索 を とお して 見 つ け 出 し[Faris1970:4=訳
書
24]、 こ れ らの 原 理 をい わ ば 社 会 学 の公 理 とみ な して 社 会 と人 間行 動 の 理論 を演 繹 的 に体 系
化 し よ う と試 み た 。 一 方 、社 会 に 関す る デ ー タ の収 集 を推 進 して い っ た の は、 社 会 調 査 運
動(socialsurveymovement)と
呼 ばれ る社 会 改 良 主 義 の色 彩 の 濃 い 一 連 の 社 会 問 題 の
調査 で あ る 。 これ らの 調 査 は、 都 市 の 住 民 た ち を取 り ま く住 宅 ・衛 生 ・犯 罪 ・貧 困 な どの
劣 悪 な環 境 を膨 大 な 資 料 に よっ て 明 らか に して い った[Faris1970:6-8=訳
書27-29]。rポ ー
ラ ン ド農 民 」 の 意 義 は 、 理 論 構 築 とデ ー タ収 集 とい う二 つ の 流 れ を統 合 して新 しい社 会 の
研 究 ス タ イ ル を確 立 した 点 にあ る 。
こ の よ う に、 「ポ ー ラ ン ド農 民 」 は 、 社 会 学 史 の 中で 重 要 な位 置 を 占 め て い る 。 しか し、
社 会 科 学 評 価 委 員 会 の 依 頼 に よ っ て 「ポ ー ラ ン ド農 民 」 を 検 討 し た ブ ル ー マ ー
[Blumer1979]の
指 摘 を始 め と して 、 「ポ ー ラ ン ド農 民 」 の もつ 方 法 論 的 な不 備 が い わ ば
「常 識 化 」 し、 言 及 され る こ とが 多 い 割 に は 、 実 際 に紐 解 か れ る こ との 稀 な 作 品 とな っ て
い る 。 こ れ は 、 一定 の理 論 的観 点 か ら生 活 史 を用 い た先 駆 的 業 績 で あ る 「ポ ー ラ ン ド農 民 」
に と って 不 幸 な状 況 と い わ ね ば な ら な い。 本 稿 で は 、特 に、2000頁 にお よぶ 「ポ ー ラ ン ド
農 民 」 にお い て約5分
の1を
占 め る ウ ラデ ク とい う ポ ー ラ ン ド青 年 の 自伝 を用 い た研 究 を
取 り上 げ る。 こ の 部 分 で は 、伝 統 社 会 か ら近 代 社 会 へ と い う変 動 期 に お け る一 大 衆 の パ ー
ソ ナ リテ ィ形 成 が 分 析 ・総 合 され る 。 以 下 、 トマ ス とズ ナ ニ エ ッ キ の議 論 を忠 実 に追 うこ
と に よっ て 、rポ ー ラ ン ド農 民 」 に お け る生 活 史 法 を検 討 して い きた い 。
1生
活史利用の方法論
「ポ ー ラ ン ド農 民 」 に お い て 生活 史 は 、社 会 的 パ ー ソナ リテ ィ論 と い う視 角 か ら研 究 さ
れ る 。 この 社 会 的 パ ー ソ ナ リテ ィ論 は、 「
分 析 」(analysis)で
は な く、 「総 合 」(synthesis)
と位 置 づ け られ る。 トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ は、 次 の よ うに 述べ る。 「
法 則 定 立 的 研 究 の理 念
が 、 社 会 の 中 で営 まれ て い る 意 識 的 な 生 活 の 全 体 を分 析 して 要 素 的 な諸 事 実 に分 け 、 こ れ
らの 諸 事 実 を一 般 法 則 に従 属 させ る こ とで あ る な らば 、 社 会 的 パ ー ソ ナ リ テ ィ論 の 理 念 は 、
個 々 の 諸事 実 か らす べ て の個 人 の 進 化 の 全 過 程 を再 構 成 す る こ とで あ る 。[ibid.:1836=訳
書91]」 。
Kyoto
Journal
of
Sociology
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高 山:変 動期 の パ ー ソナ リテ ィ形 成
これ に対 して 、 「ポ ー ラ ン ド農 民 」 の 冒頭 の 「方 法 論 ノー ト」 で は、 「分 析 」 が 強 調 され
て い る。 トマ ス とズ ナ ニ エ ツキ の 目指 す 社 会 理 論 は 、 分 析 に 基 づ い て 法 則 を導 き出 す 法 則
定 立 的 科 学 で あ る とい う。 彼 ら は 、社 会 的 生 成(socialbecoming)と
呼 ば れ る社 会 的 な
因 果 関 係 を解 明 す る た め に 、社 会 的 生 成 を一 つ の 原 因 と結 果 の 組 で あ る事 実(fact)に
し、 こ れ らの事 実 と事 実 の 関係 を体 系 化 す る こ と を目指 す[ibid.:36=訳
分解
書34]。 こ の事 実
に含 ま れ て い る さ ら に小 さ な分 析 単 位 が 、 「
価 値 」 と 「態 度 」 で あ る 。 よ く知 られ て い る よ
うに 、 「価 値 」(value)は
、 社 会 の客 観 的 要 素 で あ り、経 験 的 内容 と意 味 を も ち、 人 々 の 活
動 の対 象 と な る もの で あ る[ibid.:21=訳
(attitude)は
書21]。 一 方 、 個 人 の 主 観 的 要 素 で あ る 「態 度 」
、 個 人 の 意 識 過 程 を指 し、社 会 的 世 界 に お け る個 人 の現 実 の 活 動 も し くは 可
能 な 活 動 を 決定 す る[ibid.:22=訳
書21-22]。 そ して 、 こ の 「
価 値 」 と 「態 度 」 は 、 人 々
の行 な う具 体 的 な 「活 動 」(activity)に よ って 結 びつ け られ る[ibid.:22=訳
書22]。 個 人
が 「
活 動」 を行 な う際 に 直面 す る の が 「状 況 」 で あ る 。 「
状 況 」(situation)と は 、 複 数 の 価
値 と複 数 の 態 度 が 、 何 の 関 連 性 もな い ま まに 存 在 す る混 沌 で あ る 。 「
活 動 」 を行 な うた め に
は 、 この 混 沌 と し た 「状 況 」 に 秩 序 を与 え な け れ ば な ら な い 。 こ れ が 、 「状 況 の 定 義 」
(definitionofsituation)で
あ る。 「状 況 の 定 義 」 と は 、 具 体 的 な活 動 を行 な う た め に 、
あ る特 定 の 「
価 値 」 とあ る特 定 の 「態 度 」 を結 び つ け て 「活 動 」 を一 意 的 に決 定 す る 準 備
作 業 で あ る。 そ して 、 この 「状 況 の 定 義 」 に 基 づ い て行 な わ れ た 具 体 的 な活 動 を 、 「
状 況の
解 決」(solutionofasituation)と
呼 ぶ[ibid.:68=訳
書63]。 「
価 値 」 と 「態 度 」 とい う
社 会 の 客 観 的 要 素 と個 人 の 主 観 的 要 素 か ら社 会 的 生 成 の 因 果 関係 を明 ら か に し よ う とす る
「ポ ー ラ ン ド農 民 」 の方 法論 的 公 式 は、 次 の よ う に な る。 「
社 会 現 象 も し くは個 人現 象 の原
因 は、 け っ して 社 会 現 象 だ け で も、 個 人現 象 だ け で もな い 。 常 に 社 会 現 象 と個 人 現 象 の 組
合 せ で あ る 。 よ り正 確 な 用 語 で 言 い 換 え る と、 価 値 の 原 因 も し くは態 度 の 原 因 は 、 け っ し
て 価 値 だ け で も 、 態 度 だ け で も な い 。 常 に 態 度 と価 値 の 組 合 せ で あ る 。 」(強調 は原 文)
[ibid.:44=訳
書41]。
これ と は逆 に 、 「態 度 」 と 「価 値 」 とい う要 素 か らパ ー ソ ナ リ テ ィ とい う全 体 を 「総 合 」
す るの が 、 社 会 的パ ー ソナ リテ ィ論 で あ る 。 「総 合」 の研 究 で あ る社 会 的パ ー ソナ リテ ィ論
は 二 つ の 意 義 を もつ[ibid.:1836二
訳 書91]。 一 つ は 、法 則 定 立 的 な 社 会 学 的 一般 化 を検 証
す る補 完 的研 究 と して の 意 義 で あ り、 も う一 つ は 、 固 有 の理 論 的 ・実 践 的 関 心 と して パ ー
ソ ナ リテ ィの 進 化 を 明 らか に す る意 義 で あ る。
トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ の想 定 す るパ ー ソナ リ テ ィは 、 あ る安 定 した極 限 形 態 に 向 か って
常 に変 化 し続 け る 動 態 的 な過 程 で あ る。 そ の 極 限 に 向 か うパ ー ソ ナ リテ ィ進 化 の 経 路 こそ
が 、社 会 心 理 学 的総 合 の 中 心 的 な対 象 と さ れ る[ibid.:1837-1838=訳
書92]。 個 々 の パ ー
ソ ナ リテ ィの 進 化 は 各 々独 特 で あ る け れ ど も、 「類 型 的 な 発 生 の 系 列 」(typicallinesof
京都 社会 学 年報
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高 山:変
genesis)を
動 期 の パ ー ソ ナ リテ ィ形 成
認 め る こ とが で き る と い う[ibid.:1839二
訳 書93-94]。 「発 生 の 系 列 」 と は 、
「
態 度 一 価 値一 態 度 」 や 「
価 値 一 態 度一 価 値 」 の よ う に、 あ る価 値 の影 響 の も とあ る種 の態
度 が あ る 別 の 態 度 か ら発 達 して き た り、 あ る態 度 に よ っ て あ る価 値 が あ る別 の価 値 か ら発
達 して くる 際 の 諸 事 実 の連 続 を指 す 。 「発 生 の 系 列 」 が 類 型 性.を帯 び る メ カ ニ ズ ム と して 、
一 つ 目 に 、 パ ー ソナ リ テ ィ内 部 に安 定 した 諸 態 度 が蓄 積 され て くる と、 そ れ ら と適 合 しな
い 影 響 力 が 受 容 さ れ な い よ うに な る点 と、 二 つ 目 に 、 社 会 が 個 人 に対 して 一 定 の枠 組 を課
す 点 が 指 摘 され て い る[ibid.:1841-1842=訳
書95-96]。
トマ ス とズ ナ ニ エ ツキ に よれ ば 、 パ ー ソナ リテ ィは 「気 質」「性 格 」「生 活 組織 」 の 三 要 素 か
ら構 成 され てい る。 気 質(temperament)は
、 社 会 的 影 響 と は独 立 した 生 得 的 な態 度 の 集
合 を指 し、 本 能 的 で 生物 的 要 求 に対 処 す る[ibid.:1844二
訳 書98]。 一 方 、 性 格(charac-
ter)は 、 本 能 的 な 気 質 を基 盤 に社 会 的 影 響 を受 け て発 達 し、 意 識 的 な 反省 に よ っ て体 系 化
さ れ て い る[ibid.:1844=訳
書98]。 最 後 に 、 生 活 組織(life-organization)と
定 義 す る の に必 要 な 一 連 の諸 規 則 の こ とで あ る[ibid.:1852-1853二
は、 状 況 を
訳 書104]。
パ ー ソナ リテ ィに お け る性 格 と生 活 組 織 の 形 成 は 、 社 会 的現 実 に適 応 す る必 要 性 か ら説
明 され る。 トマ ス とズ ナ ニ エ ッ キ は 、 自然 的 世 界 と社 会 的 世 界 の 二 元 論 に 立 つ 。 両 者 を分
かつのが 「
意 味 」(meaning)で
あ る。 彼 らに よれ ば 、 人 間 は 、環 境 を意 味 に よ っ て解 釈 し
て い る 。 主 体 が 影 響 を受 け適 応 して い る環 境 は 、 「そ の 主 体 」 の世 界 で あ っ て、 科 学 の客 観
的世 界 で は な い[ibid.:1846-1847=訳
世 界 はて 「経 験 」(experience)と
書99-100]。
こ の よ う に 主体 に よ っ て見 い だ され た
呼 ばれ る。 した が って 、 気 質 的態 度 しか もた な い個 人 は 、
社 会 的 パ ー ソ ナ リテ ィで は な い 。 社 会 的 パ ー ソ ナ リテ ィに な る た め に は 、 社 会 的 な 意 味 の
観 点 か ら社 会 が 個 人 に課 す 要 求 に対 す る 適 応 の 方 法 と、 こ れ らの 社 会 的 意 味 を個 人 的 な 目
的 の た め に制 御 す る 方 法 を学 ば な け れ ば な ら な い 。個 人 に 課せ られ た社 会 的 要 求 を満 た す
ため に 、 諸 態 度 の 組 織 化 が 行 な わ れ 、性 格 が 生 み 出 され る[ibid.:1850-1851=訳
書102-
103]。 一 方 、社 会 的 現 実 を制 御 す る方 法 の 発達 は、 一 般 的 な状 況 の諸 図 式(schemes)で
あ る 生活 組織 を生 み 出 す[ibid.:1852-1853=訳
書104]。 以 上 を ま とめ る と、社 会 的 パ ー ソ
ナ リテ ィの発 達 に は、 次 の よ うな並 列 的 ・相 互 依 存 的 な四 つ の 過 程 が 含 まれ て い る。 「(1)
性 格 の 決 定 。 こ れ は 気 質 を基 盤 に して行 な わ れ る 。(2)生
活 組 織 の構 成 。 この 生 活 組 織
は 、 性 格 に含 ま れ て い る 多 様 な 態 度 が 、 多 か れ 少 な か れ 完 全 な客 観 的 表 現 を可 能 に す る。
(3)パ
ー ソ ナ リテ ィに課 せ られ る社 会 的 な 要 求 に対 す る性 格 の適 応 。(4)社
会 的組 織 に
対 す る個 人 の 生 活 組 織 の 適 応 。 」[ibid.:1863二 訳 書111-112]。
性 格 に お け る 諸 態 度 の確 定 性 の度 合 い と、 そ れ に対 応 す る生 活 組 織 にお け る 図 式 化 の度
合 い は 、 各 パ ー ソ ナ リテ ィ ご と に 大 き な相 違 が あ る。 こ れ らの 程 度 に よ っ て 、社 会 的 パ ー
ソ ナ リテ ィは 「フ ィリス テ ィ ン」「ボヘ ミア ン」「創 造 的 個 人」 の 三 類 型 に区 別 で きる[ibid.:
Kyoto
Journal
of Sociology
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高 山:変 動 期 のパ ー ソナ リテ ィ形成
1853-1856=訳
書104-106]。
フ ィ リス テ ィ ン(Philistine)は
、 性 格 に 柔 軟 性 が な く、生 活
組 織 に も柔 軟 性 の な い類 型 で あ る 。性 格 に お け る諸 態 度 の 組 織 が か な り固定 化 され て い る
の で 、 新 しい 態 度 が 発 達 で きな い 。 フ ィ リス テ ィ ンの 生 活 組 織 は 、 少 数 の狭 い 諸 図 式 か ら
構 成 され て い る ため 、個 人 の 要 求 や 関 心 は 限 定 され 、 外 部 の条 件 が 安 定 して い る場 合 に し
か機 能 しな い 。 次 に 、'ボヘ ミア ン(Bohemian)は
、 性 格 に お け る諸 態 度 の 組 織 化 が な く、
生 活 組織 に 柔 軟 性 の あ る 類 型 で あ る。 諸 態 度 の 組 織 化 の な い ボ ヘ ミア ンの 性 格 は 、 あ ら ゆ
る影 響 力 に 対 して 開 か れ て お り、 新 しい 態 度 の発 達 を排 除 しな い 。 ボ ヘ ミア ン の 生 活 組 織
にお け る 図 式 の 選 択 は、 そ の 時 々 の観 点 に依 存 して い る た め 、 行 動 は 一 貫 性 を もた ず 、 社
会 的 現 実 に 対 す る 適 応 性 も 一 時 的 な も の に 過 ぎ な い 。 最 後 に 、 創 造 的 個 人(creative
individual)は
、 性 格 に お け る諸 態 度 の 組 織 化 が あ り、 生 活 組 織 の 柔 軟 性 もあ る 類 型 で あ
る 。 創 造 的 個 人 の性 格 は 、 反 省 的 な 諸 態 度 が 生 産 的 な活 動 計 画 に規 制 され なが ら も変 化 す
る傾 向 を含 ん で い る た め 、 組 織 化 され て い る 一 方 で進 化 の 可 能 性 も も っ て い る 。 創 造 的 個
人 は 、 社 会 的価 値 が 不 変 で あ る とい う仮 定 に よ っ て で は な く、 い くつ か の 明確 な 目的 に し
た が って 修 正 ・拡 大 す る 傾 向 に基 づ き 自 らの 生 活 組 織 を築 く。 こ の た め 、新 しい 状 況 へ の
適 応 性 と関心 の 多 様 性 は 、 活 動 の 一 貫 性 と両 立 す る こ とが 可 能 で あ る。
2実
際の生活史の利用
トマ ス とズ ナニ エ ツ キ に よ る 実 際 の生 活 史 の分 析'・総 合 を検 討 す る前 に 、 まず 「ポ ー ラ
ン ド農 民 」 で使 わ れ た 生 活 史 の概 要 に触 れ て お きた い 。 彼 らが研 究 に用 い た生 活 史 は 、 ア
メ リカ に移 民 して き た ウ ラ デ ク ・ヴ ィス ニ シエ フ ス キ(WladekWiszniewski)と
いうポー
ラ ン ド人 青 年 が 書 い た 自伝 で あ る。 自伝 の 記 述 か ら推 定 す る と、 彼 が この 自伝 を書 き始 め
た の は1914年 の11月 末 で 、 彼 が30歳 の 時 で あ る(年 表 を参 照)。 したが っ て、 彼 は、1884年
に、 ポ ー ラ ン ドの首 都 ワ ル シ ャ ワ か ら西 に200キ ロ ほ と維 れ た カ リ シュ 州 の ルボ テ ィンで 生
ま れ た こ と に な る 。 農 民 出 身 の 父 は 、 ウ ラ デ クが 小 さ か っ た 頃 、 ル ボ テ ィ ンで 居 酒 屋 を営
ん で い た 。 家 は 裕 福 で あ っ た が 、次 第 に貧 し くな っ て い く。 ウ ラ デ ク の 兄 弟 は10人 お り、
ウ ラ デ クは 上 か ら5番 目で あ る 。 彼 は、14歳 の 時 、 ギ ル ド制 度 の も と、 パ ン職 人 に な る た
め に徒 弟 奉 公 に 入 る 。 い くつ か 奉 公 先 を変 え な が ら も 、一 人 前 の パ ン職 人 に な り、働 き始
め る。 しか し、 勤 め て い た パ ン屋 が つ ぶ れ た り、 仕 事 の ミス な ど か らパ ン屋 を変 え ざ る得
な くな り、 ポ ー ラ ン ド各 地 を 放 浪 す る。 パ ン職 人 と して の仕 事 を見 つ け る こ とは 困 難 を き
わ め 、 プ ロ シ ア の農 場 へ 季 節 労 働 に 出 か け る。 季 節 労 働 終 了後 、 ウ ラ デ ク は仕 事 を 見 つ け
る こ とが で きず 、冬 の ベ ル リ ンで 寒 さ と飢 え の た め 死 ぬ よ うな 思 い を す る 。 彼 は 、 ポ ー ラ
ン ドに戻 り、 軍 隊 に 入 る。 除 隊 後 、 巡査 とな り、 自分 のパ ン屋 を建 て る た め に お 金 を貯 め
京 都社 会学 年報
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高 山:変 動期 のパ ー ソナ リテ ィ形成
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ウラデ クの 年表
1884
iago
1892
1896
1897
1915
1918
0
6
8
1930
1936
1937
12
13
]6
1夏 冬
1900
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1901
1960
196]
1961
1962
1964
1969
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17
秋
1975
1975
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99 00
1 2
4
1902
1903
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18
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2026
2027
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21
Kyoto Journal
of Sociology
ユ フ ヨ ユ ヨ ぱり ン ヨ 06 06 06 0
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2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2 2
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1905
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2 2 2 2 2
7 8
20
2015
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2015
2019
2030
つ﹂ 5
1904
2011
2013
2013
パー ソ
出
幼少
基礎
カ リ シ ュ 州 ル ボ テ ィ ン村 で生 ま れ る
幼少
幼少
幼少
幼少
徒弟
基礎
学校 へ行 く
V/December.
基礎
隣 にD先 生 一家 が引 っ 越 して くる
基 礎'ベ
ラ ジ ア との 性 的 関係
基礎
ボへ
へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ ヘ ヘ へ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ
ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ポ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ポ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ボ ポ ボ
15
1937
1944
1953
1958
・経 歴
弟 弟 弟 弟 弟 弟 弟 弟 弟 弟 弟 弟 弟 入 人 人 人 人 人 人 人 人 入 人 人 入人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人 人
徒 徒 徒 徒 徒 徒 徒 徒 徒 徒 徒 徒 徒 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職 職
14
諫冬 列
1898
1899
ペ ー ジ
月
西暦
1997
実 家 が ル ボ テ ィ ン か らソ ン ポ ル ノ へ 引 越
床 屋へ徒 弟奉公 、外科 医助手へ徒 弟奉公
ソン禾 ル ノのD氏 のパ ン屋へ徒 弟奉公
結婚式 を口爽 にD氏 のパ ン屋 か ら逃げ る
父がD氏 の所 に荷物 を取 りに行 って くれる
トゥ レ ッ ク のW氏 の バ ン屋 へ 徒 弟 奉 公
父 が ト ゥ レ ッ ク に来 て 徒 弟 奉 公 の 条 件 を話 し合 う
ジ ョ ゼ フ が トゥ レ ッ ク のW氏 のパ ン屋 を や め る
トゥ レ ッ ク のW氏 の パ ン屋 で 大 怪 我 をす る
イース ターの休みに実家 へ帰 る
ブ ル ゼ ス ク のM氏 の パ ン 屋 へ 徒 弟 奉 公
M氏 が 親 方 で な い こ と が 判 明
実家へ帰 る
ソ ス ノ ウ ィ エ ッ クのK氏
ドー ラ と の恋 愛
の パ ン屋 へ 徒 弟 奉 公
徒 弟 奉 公 の修 了
17歳 の 時 、 ドー ラ との 恋 愛 が 終 わ っ た
コ ロの ユ ダ ヤ 人 の パ ン屋 で12週 間働 く
コ ロのK氏
の バ ン屋 へ 移 る(32週
間働 く)
無 様 な格 好 で 馬 に 乗 る
コ ロ の親 方K氏 が 病 気 に な る
コ ロ の親 方K氏 が 死 ぬ
コ ロ を去 る
実 家 に戻 る
ウ ー チへ 行 く(3ヶ 月 間 仕 事 をせ ず)
ジエ ー ル の パ ン屋 で4ヶ 月 間働 く
ウー チ に戻 る
ウー チ でWerkmeiSterの
冬 が近づ く
臨時の仕事 をす る
親 類 を訪 ね る
マ ニ ア の家 で 過 ごす
ウー チ で働 い て い た パ ン屋 が 売 却 さ れ て しま う
ウー チ か ら実 家 に戻 る
放 浪 の旅
ウー チ に戻 り、 パ ン屋 で5週 間 臨 時 の 仕 事 をす る
ワ レ ッ ク と ワル シ ャ ワ に 向 か う
夏 の リ ゾ ー ト地 ジ ヤ ブ ロ ナ で8週 間 働 く
ヴ ィ ル ノへ の 放 浪 旅 行(3週 問)
コ ウ ノへ の 放 浪 旅 行
グ ラ ジ ェ オ の パ ン屋 で 仕 事
グ ラ ジ ェ オ の パ ン屋 の 徒 弟 ス テ フ ァ ンの 鼓 膜 を 破 り逃 げ る
実 家 に戻 る
再 び放 浪 す る
次 兄 ス タ ッチ の 家 に寄 る
ク ツ ノのK氏 の ワル シ ャ ワ ・ベ ー カ リー で 働 く
パー ティ
K氏 が ウ ラ デ ク と結 婚 さ せ よ う と妹 を 連 れ て く る
日本 と ロ シ ア の 戦 争 が 切 迫 す る
ワル シ ャ ワ ・ベ ー カ リ ー を出 て い く
ク ロス ニ エ ウ ィス の パ ン屋 で 臨 時 の仕 事 をす る
ク ロ ス ニ エ ウ ィス を 去 る
109
高 山:変 動期 のパ ー ソナ リテ ィ形 成
ウ ラ デ クの年 表(つ づ き)
2096
2099
2129
2129
22
冬
1907
1-2
23
1908
2133
2134
2135
3
2]37
2144
2150
2
1909
8冬
24
夏
25
中 初
0 2
1 1
1911
) ,
26
ク ク
1910
3
クリ
1914
秋初
1
2202
2209
zzサ
2219
1
1
3
30
11終
り﹂
へ
∠
2
う一
1915
5
︹
∠
角∠
2
1 3
12
2223
2223
コ フ で過 ご
プ ロ シ アへ 季 節 労 働 へ 行 く
ベ ル リ ンで 死 ぬ 思 い をす る
ペ ル リ ン で2ヶ 月 さ ま よい 、 所 持 金 が 底 を つ く
ロ シ ア領 事 館 で 紹 介 して も ら っ た庭 園 で 働 く
実 家 へ 帰 り、 軍 隊 に入 る こ と を 非 難 さ れ る
軍隊へ行 く
パ ン屋 で ア ル バ イ トをす る
フィリ
フィリ
フ ィ リ
新 しい新 兵 が や っ て きて 、 そ の 教 育 係 に任 命 され る
ク ツ ノ のK氏 の ワ ル シ ャ ワ ・ベ ー カ リー で再 び 働 く
ク ツ ノ のK氏 の ワ ル シ ヤ ワ ・ベ ー カ リー をや め る
フ ィ リ
フ ィ リ
フ ィ リ
巡 査 に な る(1年2ヶ 月 働 く)
冬 が過 ぎ
夏が来 る
25歳 と の記 述
ヘ レ ナ ・Gに 結 婚 を断 わ られ る
フ ィ リ
フ ィ リ
フ ィ リ
フ ィリ
フ ィ リ
フ ィリ
フ ィリ
フ ィリ
両 親 と 共 同 で 店 を 開 くた め に 、 店 を 探 す
両 親 と共 同 で 店 を 開 く準 備 が 整 う
サ ドル ノ に 両 親 と共 同 で 店 を 開 く
フ ィ リ
サ ドル ノ で 最 初 の ク リ ス マ ス
ヘ レナ ・Pと 婚 約 し、彼 女 の 祖 母 に 会 い に行 く
ヘ レナ ・Pと 婚 約 破 棄
フ ィ リ
パ ペ フ とス タ ッ チ が サ ドル ノ に来 る
フ ィ リ
フ ィ リ
ア メ リカ の 姉 マ リ ア か ら手 紙 が 来 る
フ ィ リ
フ ィ リ
27歳 との 記 述
ス タシ ア との 結 婚 を あ き らめ る
フ ィ リ
サ ドル ノで2度 目の ク リ ス マ ス
両親
2220
2220
222]
'兄 ス タ ッチ の い るス トラ
ボヘ
ボヘ
フ ィ リ
軍事教練に行 く
ブ イ リ
マ リア か ら再 び 手 紙 が届 く
フ ィ リ
ア メ リカ に 渡 る
ル ドウ ィカ との 結 婚 を 勧 め ら れ る
親 メ メ メ メ メ メ メ メ メ メ
両 ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア
29
2171
2177
zisz
2185
2188
2194
2198
3 4 10
28
2165
2170
2170
ziss
2189
2192
27
1912
1913
2152
2153
2155
uss
2163
へ ヘ ヘ ヘ
ボ ボ ボ ボ
3
人 節 節 節 節 節 隊 隊 隊 隊 隊 査 査 査査査査 査 親 親 親 親親親 親親親
職 季 季 季 季 季 軍 軍 軍軍 軍 巡 巡 巡巡巡巡 巡 両 両 両 両両両 両両両
1906
フ ィ リ
フ ィ リ
フ ィ リ
フ ィ リ
フ ィ リ
フ ィ リ
フ ィ リ
フ ィ リ
フ ィ リ
ル ドウィカ をナイヤガ ラへ迎 えに行 く
パ ン屋 を解 雇 される
ル ドウィカ との結 婚式
姉マ リアの産後 の病気
自伝 を書 き始 める
息 子が生 まれ る
息子の洗礼式
新 しい アパ ー トへ引越
注
(1)ウ ラデ ク の 誕 生 日 は 夏 頃 と思 わ れ る
(2)明確 に年 齢 ・西 暦 が 記 述 さ れて い る が 、 前 後 の文 脈 か ら不 適 当で あ る と判 断 した所 が2箇 所 あ る
2037頁 「私 の18年 目 の 年 が 終 わ ろ う と して い た 。 」
2148頁 「1906年 は 、 と りわ け非 常 な 喜 び を覚 え る。 なぜ な ら、 後 数 日で 軍 隊 を除 隊 す る か らだ 。 」
略語
幼少=幼 少時代
徒弟=徒 弟奉公 時代
職人=バ ン職人 時代
季節=季 節労働者 時代
軍隊=軍 隊時代
巡査=巡 査時代
両親;両 親 との店 時代
ア メ嵩ア メリカ時代
パ ー ソ=パ
基 礎=パ
ボ へ=ボ
ー ソ ナ リテ ィ
ー ソ ナ リ テ ィ の基 礎 の確 立 期
ヘ ミア ン 型 パ ー ソ ナ リ テ ィ期
フ ィ リ=フ
ク リ=ク
ィ リ ス テ ィ ン型 パ ー ソ ナ リテ ィ期
リスマス
京 都社 会学 年報
第5号(1997)
高 山:変 動 期の パ ーソ ナ リテ ィ形 成
110
る。 ウ ラ デ ク は 、両 親 と共 同 で 食 料 品店 兼 パ ン屋 を建 て る が 、 両 親 か ら受 け た待 遇 の 悪 さ
か ら ア メ リ カ に 行 く決 意 を す る。 ア メ リ カ で 彼 は 結 婚 し 、 子 供 も産 まれ よ う と し て い た。
しか し、彼 はパ ン屋 の 仕 事 を失 い 、 再 び 困 窮 す る 。 彼 の 人 生 を仕 事 を 中 心 に して分 け る と、
「
幼 少 時代 」「
徒 弟 奉 公 時 代 」「パ ン職 人 時 代 」「
季 節 労 働 者 時 代 」「軍 隊 時 代 」「
巡 査 時代 」 「両 親
との店 時代 」「ア メ リ カ時 代 」 の8段
階 に な る。 これ ら を 、 彼 の パ ー ソナ リ テ ィ進 化 と対 応
させ る と、幼 少 時代 は 「パ ー ソナ リテ ィの 基 礎 の確 立期 」、徒 弟 奉 公 時代 とパ ン職 人時 代 は
「ボ ヘ ミア ン型 パ ー ソナ リ テ ィ期 」、 軍 隊 時 代 以 下 は 「フ ィ リ ス テ ィ ン型 パ ー ソナ リ テ ィ
期 」 と して理 解 で き る。 ウ ラデ クは 、 こ の よ う に波 乱 に富 ん だ 自分 の 人 生 を、 生 き生 き と
した 文 体 で描 い て い る。 彼 の 教 育 程 度 は小 学 校 レベ ル で 止 ま っ て お り、 ポ ー ラ ン ド語 と ロ
シ ア語 の読 み 書 き と算 術 が で きる 程 度 だ とい う。 しか し、 トマ ス とズ ナ ニ エ ッ キ は 、 ウ ラ
デ クの 文 学 的 才 能 を高 く評 価 して お り、 違 う道 を 歩 め ば 優 れ た作 家 に な っ た で あ ろ う と述
べ て い る[ibid.:1913-1914=訳
書151]。
自伝 を 書 く こ と に な っ た 事 情 は 、 ウ ラ デ クが 自伝 の 中 で 語 っ て い る[ibid.:22222223]。 ポ ー ラ ン ドか ら ア メ リカへ 移民 して き た後 、 彼 はパ ン屋 に勤 め る が 、結 婚 の 直 前 に
解 雇 され 、 しば ら くの 間 、 妻 の 収 入 で暮 ら して い た 。 しか し、 そ の 妻 が 妊 娠 し仕 事 を辞 め
な け れ ば な ら な くな る 。 そ の 時 、 ウ ラ デ ク は 、 トマ ス と ズ ナ ニ エ ツ キ が 出 した新 聞広 告 で 、
ポ ー ラ ン ドか ら来 た 手 紙 を一 通 あ た り10か ら15セ ン トで 買 い 取 っ て も ら え る こ と を 知 る。
さ っ そ く、 彼 は 、 家 族 か ら きた 手 紙 を売 りに行 っ た 。 こ の と き、 ズ ナ ニ エ ツ キ と面 識 を得
る。 彼 は 、 ズ ナ ニ エ ツ キ に 、 お 金 が な くて も妻 を出 産 させ て くれ る病 院 を紹 介 して 欲 しい
と手 紙 に書 い た。 ズ ナ ニ エ ツ キ か ら の返 信 で 、 お 金 に困 っ て い る よ うな ら ば報 酬 を出 す か
ら 自伝 を書 い て 欲 しい と ウラ デ クは依 頼 され たの で あ る。200枚 につ き30ド ル とい う約 束 で
あ っ た 。 お 金 に 困 っ て い た ウラ デ ク は 、 休 まず に 自伝 を書 き続 け た。 彼 は この 自伝 を3ヶ
月 ほ どで 書 き上 げ て い る[ibid.:1912=訳
書149]。
こ の 自伝 に対 す る トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ の 見 方 は 、 以 下 の通 りで あ る 。 まず 、 自伝 の 資
料 と して の代 表 性 で あ るが 、彼 ら は 、 ウ ラデ ク を 、 あ ら ゆ る 文 明 社 会 に お い て 人 口 の 圧 倒
的 多 数 を占 め て い る 文 化 的 に受 動 的 な 大 衆 の 典 型 的代 表 と位 置 づ け て い る[ibid.:1go7=
訳 書146]。 自伝 を書 い た ウ ラ デ クの 動 機 は 、 最 初 は 金 銭 的報 酬 で あ っ た が 、 す ぐに文 学 的
関 心 と自分 の 人 生 に対 す る 関 心 が 主 要 な 動 機 に な っ た と い う[ibid.:1912=訳
して 、 「自伝 の 誠 実 さ は疑 い得 ない 。 」[ibid.:1912二 訳 書150]と
書149]。 そ
、 ウ ラデ クが 意 図 的 に う
そ をつ く よ うな こ とは な か っ た と見 て い る 。 彼 か ら買 い 取 っ た 手 紙 な どが 、 そ の 判 断 の根
拠 と な っ て い る[ibid.:2226fn]。
明 確 な記 述 は な い が 、 こ の 自伝 は ポ ー ラ ン ド語 で書 か
れ 、 ズ ナ ニ エ ツ キ に よ っ て英 語 に 翻訳 され た もの と考 え られ る。 この 自伝 は312ペ ー ジ にわ
た って 掲 載 され て お り、 これ は 、 実 際 に ウ ラデ ク が書 い た分 量 をお よ そ半 分 に 縮 め た もの
Kyoto
Journal
of Sociology
V/December.
1997
111
高 山:変 動期 のパ ー ソ ナ リテ ィ形成
で あ る[ibid.:1912=訳
書149]。
トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ に よっ て 短 縮 さ れ た箇 所 は本 文 中
で は 「[]」で 示 され 、 そ の部 分 の 内 容 が 要 約 され て い る[ibid.:1912二
訳 書149-150]。 加 筆
は 、 語句 の 説 明 な ど最 小 限 に押 さ え られ て い る。 加 筆 の箇 所 も「[]」で示 され て い る。 した
が っ て、 この 自伝 は 、 ウ ラ デ ク 自身 の 表現 を最 大 限 に 活 か す形 で 収 録 され た とい え よ う。
ウ ラ デ ク本 人 の 記 述 を尊 重 す る 「自伝 本 文 」 に 対 して 、 トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ が 自分 た
ちの 議 論 を展 開 す る の は 「脚 注 」 と 「結 論 部 」 で あ る。 さ らに 、 「脚 注 」 と 「結 論 部 」 の
間で 「
分 析 」 と 「総 合」 とい う も う一 つ の 役 割 分担 を見 る こ とが で きる[ibid.:2227=訳
書151]。 脚 注 で 、 トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ は 、 ウ ラ デ クの パ ー ソ ナ リテ ィ進 化 を 「態 度 」 な
どの諸 要 素 に 分析 して い く。 脚 注 は 全 部 で234個 あ り、 長 さは 、 一 行 の もの か らペ ー ジ の 半
分 を占 め る もの まで 様 々 で あ る。 一 方 、 こ の 結 論 部 で展 開 され る の は、 脚 注 で 指 摘 して き
た 諸 要 素 を 、 再 びパ ー ソナ リテ ィ とい う一 つ の 全 体 に再 構 成 す る総 合 で あ る 。 この 結 論 部
は 、 自伝 本 文 に 続 い て18頁 に わ た っ て掲 載 さ れ て お り、 ウ ラ デ クが 経 済 的 な フ ィ リス テ ィ
ン型 の パ ー ソナ リテ ィに な る とい う発 展 過 程 が ま とめ られ て い る。
2-1パ
ー ソナ リテ ィの 基 礎 の 確 立 期
そ れ で は 、 自伝 の 文 脈 に沿 っ て 、 「脚 注 」 に よ る 注釈 を中 心 に、 トマ ス とズ ナ ニ エ ツキ の
「分 析 」 を概 観 して い く。
生 ま れ 故 郷 の 村 で14歳 ま で 過 ご し た ウ ラ デ ク の 幼 少 時 代 は 、 社 会 的 本 能(social
instinct)と 家 族 とい う第 一 次 集 団 に よ って パ ー ソナ'リテ ィの基 礎 が確 立 され た 時 期 と位 置
づ け る こ とが で きる 。 自伝 本 文 に続 く結 論 部 で 、 ウ ラ デ クの パ ー ソナ リテ ィ進 化 に 最 も重
要 な影 響 を 与 え た態 度 群 と して 「社 会 的 本 能 」 が 指 摘 され る[ibid.:2228=訳
書153]。 社
会 的 本 能 と は、 他 者 の 反 応 を考 慮 に 入 れ て 自 らの 行 動 を決 定 して社 会 生 活 を営 ん で い く と
い う人 間 に生 ま れ なが らに備 わ っ て い る性 質 で あ る。 こ の 社 会 的 本 能 の 具 体 的 な現 わ れ が 、
「応 答 を 求 め る 欲 求 」(desireforresponse>と
recognition)で
「認 知 を 求 め る 欲 求 」(desirefor
あ る 。 「応 答 を求 め る 欲 求 」 とは 、 他 者 を対 象 とす る 行 為 に対 して 肯 定 的
でパ ー ソ ナ ル な反 応 を 直接 的 に 得 よ う と す る 傾 向 の こ とで あ る。 一 方 、 「認 知 を求 め る欲
求 」 とは 、 そ の 対 象 に 関係 な く行 為 の 肯 定 的 な 評 価 を直 接 ない し間接 的 に得 よ う とす る傾
向 の こ とで あ る 。[ibid.:1882-83二
訳 書126-127]
トマ ス と ズ ナ ニ エ ツ キ は 、 ウ ラ デ クの 社 会 的本 能 に影 響 を与 え た 三 つ の 社 会 的組 織 を指
摘 して い る[ibid.:1925fn]。
一 つ は 、 彼 の 家 族 で あ る。 そ れ は 、 い くぶ ん 専 制 的 で 家 父 長
的 な核 家 族 だ とい う。 二 つ は 、 荘 園 の 村 に お け る 小 さ な諸 集 団 と諸 個 人 か らな る ヒエ ラ ル
キ ー で あ る 。 三 つ は 、 娯 楽 の 場 だ け で 出 会 う よ う な緩 や か な知 り合 い の サ ー ク ル で あ る。
こ の他 に も 、隣 に 暮 らすD先
生 家 族 や 、 教 会 の 司 祭 が 、 ウ ラデ ク に 影 響 を及 ぼ して い る と
京都社 会学 年報
第5号(1997)
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高 山:変
動 期 の パ ー ソ ナ リ テ ィ形 成
指 摘 され る。 こ の う ち、 と りわ け大 きな 影 響 を与 え た家 族 の 分 析 を見 て い こ う。
ウ ラ デ クの 家 族 は 、 彼 の 社 会 的 本 能 に 対 して ネ ガテ ィ ブ な 影 響 を与 え た。 ウ ラ デ ク は 、
家 族 か ら人 一 倍 愛 され た い と思 い な が ら、 自分 は愛 され て い な い と感 じて い る 。 彼 は 、 ク
リス マ ス の 時 、 自分 は他 の兄 弟 に比 べ て粗 末 な プ レゼ ン トしか も らえ な か っ た。 「
兄 は私 よ
り劣 って い るが 、彼 は両 親 に ど うお 世 辞 を言 うか をい つ も心 得 て 」[ibid.:1927]い
るか ら
だ とい う。 そ の 一 方 で 、 ウ ラデ ク は 、 母 親 と の甘 美 な思 い 出 を語 る。 家 族 か ら十分 な愛 情
を得 る こ と の で きな か っ た彼 は 、 ラ イ麦 畑 に穴 を掘 り、 そ の 中 で 一 人 空 想 す る の が 好 き で
あ っ た とい う。 と き ど き、 母 親 が 彼 を探 しに 来 て くれ た 。 そ の 時 、 ウ ラ デ クは 、 母 親 に 膝
枕 を して も らい 、 至 福 の 時 を味 わ う。 そ して 、 努 力 もせ ず に母 親 の 愛 情 を得 て い る他 の 兄
弟 に 、彼 は 嫉 妬 す る の で あ る[ibid.:1930]。
トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ に よれ ば 、両 親 の こ う
した偏 愛 が 、 ウ ラデ ク の応 答 を求 め る 欲 求 、 す な わ ち社 会 的 本 能 に作 用 し、後 に 「立 身 出
世 を し よ う とす る傾 向 」 を生 み 出 す と い う[ibid.:1927fn]。
「
徒 弟奉 公 を無 事 に終 え、 立
派 なパ ン職 人 に な り、 自分 の パ ン屋 を もつ 」 こ とが ウ ラ デ クの 目標 と な り、 こ の 目標 か ら
彼 の 諸 態 度 が 組 織 化 され て い く。 そ して 、 職 を求 め て ポ ー ラ ン ド各 地 を放 浪 して い る と き
も、 幼 少 時代 に家 族 の 影 響 力 に よ って 達 成 され た こ の態 度 の 組 織 化 が 、 ウ ラデ クの 完 全 な
解 体 を防 ぐの で あ る[ibid.:2237=訳
2-2ボ
書161]。
ヘ ミア ン 型 パ ー ソ ナ リテ ィ期
14歳 の 時 、 ウ ラ デ クは 、 徒 弟 奉 公 へ 行 くこ とに な る。 こ の 徒 弟 奉 公 の 時 期 に は 、 一 人 前
の パ ン職 人 に な る とい う 目標 か ら性 格 と生 活 組織 が 形 成 さ れ 、 同 時 に 、 後 の 放 浪 生 活 を特
徴 づ け る 諸 態 度 が 発 達 す る。
両 親 は 、 最 初 は ウ ラデ クの 将 来 に無 頓 着 で あ っ た け れ ど も、 あ る 時 、 家 業 を継 が せ よ う
と考 え る。 しか し、彼 は 、 そ れ に 耳 を貸 さな い 。 ウ ラ デ クが 家 族 の も と を離 れ て 、 徒 弟 奉
公 に行 こ う とす る要 因 と して 、 「新 しい経 験 を求 め る欲 求 」(desirefornewexperience)
が 指 摘 され て い る[ibid.:1944fn]。
両 親 の 意 向 を無 視 してパ ン屋 へ 徒 弟 奉 公 に行 こ う と し
た た め 、 ウ ラ デ ク は 、 最 愛 の 母 親 に 平 手 打 ち さ れ る 。 徒 弟 先 へ の 道 中 、 彼 は泣 き続 け た 。
そ して、 「ど ん な に つ らか ろ う と も、 徒 弟 奉 公 に最 後 まで 耐 え 、 後 に は パ ン屋 を建 て よ う。
そ うす れ ば 、 今 、 私 が 、 両 親 の 目 か ら見 て 、子 供 た ち の 中で 最 もで きの 悪 い 子 供 で あ った
と して も、 年 老 い た と き両 親 は 私 と一 緒 に暮 らす こ とが で き る。 」[ibid.:1946]と
決 意す
る 。 この 決 心 は 、 「応 答 を 求 め る欲 求 」 と 「認 知 を求 め る欲 求」 に基 づ い た もの だ と い う
[ibid.:1946fn]a
パ ン職 人 に な る まで の 修 行 生 活 は、 つ らい も の で あ っ た。 新 入 りに 課 せ られ る仕 事 は厳
しい 上 に 、 先 輩 の 徒 弟 た ち に い じめ られ る 。 この 時 期 、 ギ ル ド制 度 は衰 退 期 にあ り、 親 方
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Journal
of Sociology
V/December.
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111
高 山:変 動期 のパ ー ソ ナ リテ ィ形成
で あ る[ibid,:1912=訳
書149]。
トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ に よっ て 短 縮 さ れ た箇 所 は 本 文 中
で は 「[]」で示 され 、 そ の 部 分 の 内 容 が 要 約 され て い る[ibid.:1912=訳
書149-150]。 加 筆
は、 語 句 の説 明 な ど最小 限 に押 さえ られ て い る。 加 筆 の箇 所 も「[]」で示 され て い る。 した
が っ て 、 この 自伝 は 、 ウ ラ デ ク 自 身 の 表 現 を最 大 限 に活 か す 形 で 収 録 され た と い え よ う。
ウ ラ デ ク本 人 の 記 述 を尊 重 す る 「自伝 本 文 」 に 対 して 、 トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ が 自分 た
ち の議 論 を展 開す る の は 「脚 注 」 と 「結 論 部 」 で あ る。 さ ら に、 「脚 注 」 と 「結 論 部 」 の
間で 「
分 析 」 と 「総 合 」 とい う も う一 つ の役 割 分 担 を見 る こ とが で きる[ibid.:2227二
訳
書151]。 脚 注 で 、 トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ は 、 ウ ラ デ クの パ ー ソナ リ テ ィ進化 を 「態 度 」 な
どの 諸 要 素 に分 析 して い く。 脚 注 は 全 部 で234個 あ り、 長 さ は、 一 行 の もの か らペ ー ジの 半
分 を 占め る もの まで 様 々 で あ る 。 一 方 、 この 結 論 部 で 展 開 され る の は、 脚注 で 指 摘 して き
た諸 要 素 を、 再 びパ ー ソ ナ リテ ィと い う一 つ の 全 体 に 再 構 成 す る総 合 で あ る。 こ の結 論 部
は、 自伝 本 文 に 続 い て18頁 に わ た っ て 掲 載 さ れ て お り、 ウ ラデ クが 経 済 的 な フ ィ リス テ ィ
ン型 のパ ー ソ ナ リテ ィに な る と い う発 展 過 程 が ま とめ られ て い る。
2-1パ
ー ソ ナ リテ ィ の 基 礎 の 確 立 期
そ れ で は 、 自伝 の 文 脈 に沿 っ て 、 「脚 注 」 に よる 注 釈 を 中心 に、 トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ の
「分 析 」 を概 観 して い く。
生 ま れ 故 郷 の 村 で14歳
instinct)と
ま で 過 ご し た ウ ラ デ ク の 幼 少 時 代 は 、 社 会 的 本 能(social
家族 とい う第 一 次 集 団 に よっ て パ ー ソナ'リテ ィの 基礎 が 確 立 され た時 期 と位 置
づ け る こ とが で き る。 自伝 本 文 に 続 く結 論 部 で 、 ウ ラ デ クの パ ー ソナ リテ ィ進 化 に最 も重
要 な 影響 を与 え た態 度 群 と して 「社 会 的 本 能 」 が指 摘 され る[ibid.:2228=訳
書153]。 社
会 的 本 能 とは 、 他 者 の 反 応 を考 慮 に入 れ て 自 らの 行 動 を決 定 して 社 会 生 活 を営 んで い くと
い う人 間 に 生 まれ なが ら に備 わ っ て い る性 質 で あ る。 この 社 会 的 本 能 の 具 体 的 な現 わ れ が 、
「応 答 を 求 め る 欲 求 」(desireforresponse)と
recognition)で
「認 知 を 求 め る 欲 求 」(desirefor
あ る 。 「応 答 を・
求 め る欲 求」 と は 、他 者 を対 象 とす る行 為 に 対 して肯 定 的
で パ ー ソ ナ ル な 反 応 を直 接 的 に得 よ う とす る傾 向 の こ と で あ る 。 一 方 、 「認 知 を求 め る 欲
求 」 と は 、 そ の 対 象 に 関 係 な く行 為 の 肯 定 的 な評 価 を直 接 な い し間 接 的 に得 よ う とす る傾
向 の こ とで あ る 。[ibid.:1882-83=訳
書126-127]
トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ は、 ウ ラデ ク の社 会 的 本 能 に 影 響 を与 え た 三 つ の社 会 的 組 織 を指
摘 して い る[ibid.:1925fn]。
一 つ は 、彼 の 家族 で あ る。 そ れ は、 い くぶ ん専 制 的 で 家 父 長
的 な核 家 族 だ とい う。 二 つ は 、荘 園 の 村 に お け る小 さ な諸 集 団 と諸 個 人 か らな る ヒ エ ラ ル
キ ー で あ る 。 三 つ は 、 娯 楽 の 場 だ け で 出 会 う よ う な 緩 や か な 知 り合 い の サ ー ク ル で あ る 。
この 他 に も、 隣 に暮 らすD先
生 家 族 や 、 教 会 の 司 祭 が 、 ウ ラ デ ク に影 響 を及 ぼ して い る と
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変動期 のパ ー ソナ リテ ィ形 成
指 摘 さ れ る 。 この うち 、 と りわ け 大 きな影 響 を与 え た 家 族 の 分 析 を見 て い こ う。
ウ ラ デ ク の 家 族 は 、 彼 の 社 会 的 本 能 に対 して ネ ガ テ ィブ な影 響 を与 え た 。 ウ ラ デ ク は 、
家 族 か ら人 一倍 愛 さ れ た い と思 い な が ら、 自分 は 愛 さ れ て い ない と感 じて い る 。 彼 は、 ク
リス マ ス の 時 、 自分 は他 の兄 弟 に 比べ て 粗 末 な プ レゼ ン トしか も ら え な か っ た。 「兄 は私 よ
り劣 っ て い るが 、 彼 は 両 親 に ど うお世 辞 を言 うか をい つ も心 得 て」[ibid.:1927]い
るか ら
だ とい う。 そ の 一 方 で 、 ウ ラ デ ク は、 母 親 との 甘 美 な 思 い 出 を 語 る。 家 族 か ら十 分 な愛 情
を得 る こ との で きな か っ た彼 は 、 ラ イ麦 畑 に 穴 を掘 り、 そ の 中 で 一 人 空 想 す る の が 好 きで
あ った とい う。 と き ど き、 母 親 が 彼 を探 しに来 て くれ た 。 そ の 時 、 ウ ラ デ クは 、 母 親 に膝
枕 を し て も らい 、 至 福 の 時 を味 わ う。 そ して 、努 力 もせ ず に母 親 の愛 情 を得 て い る 他 の 兄
弟 に 、彼 は嫉 妬 す る の で あ る[ibid.:1930]。
トマ ス とズ ナ ニ エ ツキ に よれ ば、 両 親 の こ う
した偏 愛 が 、 ウ ラデ クの 応 答 を求 め る欲 求 、 す な わ ち 社 会 的本 能 に作 用 し、 後 に 「立 身 出
世 を しよ う とす る傾 向」 を生 み 出 す とい う[ibid.:1927fn]。
「徒 弟 奉 公 を無事 に終 え、 立
派 なパ ン職 人 に な り、 自分 の パ ン屋 を もつ」 こ とが ウ ラデ ク の 目標 と な り、 この 目標 か ら
彼 の 諸 態 度 が 組 織 化 され て い く。 そ して、 職 を求 め て ポ ー ラ ン ド各 地 を放 浪 して い る と き
も、 幼 少 時 代 に 家 族 の影 響 力 に よ って 達 成 さ れ た この 態 度 の 組 織 化 が 、 ウ ラ デ クの 完 全 な
解 体 を防 ぐの で あ る[ibid.:2237=訳
2-2ボ
書161]。
ヘ ミア ン型 パ ー ソ ナ リテ ィ期
14歳 の 時 、 ウ ラ デ クは 、 徒 弟 奉 公 へ 行 くこ とに な る。 こ の徒 弟 奉 公 の 時期 に は 、 一 人 前
の パ ン職 人 に な る とい う 目標 か ら性 格 と生 活 組織 が 形 成 され 、 同 時 に、 後 の 放 浪 生 活 を特
徴 づ け る諸 態 度 が 発 達 す る。
両 親 は 、最 初 は ウ ラ デ クの 将 来 に 無 頓 着 で あ っ た け れ ど も、 あ る 時 、 家 業 を継 が せ よ う
と考 え る。 しか し、 彼 は 、 そ れ に 耳 を貸 さ な い 。 ウ ラ デ クが 家 族 の も と を離 れ て 、 徒 弟 奉
公 に行 こ う とす る要 因 と して、 「新 しい経 験 を 求 め る欲 求 」(desirefornewexperience)
が 指 摘 さ れ て い る[ibid.:1944fn]。
両 親 の 意 向 を無 視 してパ ン屋 へ 徒 弟 奉 公 に行 こ う と し
た た め 、 ウ ラ デ ク は 、 最 愛 の 母 親 に 平 手 打 ち され る 。 徒 弟 先 へ の 道 中 、 彼 は 泣 き続 け た 。
そ して 、 「どん な に つ らか ろ う と も、 徒 弟 奉 公 に最 後 まで 耐 え 、 後 に は パ ン屋 を建 て よ う。
そ うす れ ば 、 今 、 私 が 、 両 親 の 目 か ら見 て 、子 供 た ち の 中 で 最 もで きの 悪 い 子 供 で あ った
と して も、 年 老 い た と き両 親 は私 と一 緒 に暮 らす こ とが で き る。 」[ibid.:1946]と
決 意す
る 。 この 決 心 は 、 「応 答 を求 め る欲 求 」 と 「認 知 を求 め る欲 求」 に基 づ い た もの だ と い う
[ibid.:1946fn]o
パ ン職 人 に な る まで の 修 行 生 活 は 、 つ らい もの で あ っ た。 新 入 りに 課 せ られ る仕 事 は厳
しい 上 に 、 先 輩 の 徒 弟 た ち に い じめ ら れ る 。 この 時 期 、 ギ ル ド制 度 は衰 退 期 にあ り、 親 方
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高 山:変 動 期 のパ ー ソナ リテ ィ形成
が 徒 弟 の福 利 を心 配 す る よ う な こ と も ない[ibid.:1951-1952fn]。
ウ ラ デ クは 何 度 か 徒 弟
奉 公 先 を変 え 、実 家 と徒 弟 奉 公 先 を往 復 す る 。 時 に は 、 実 家 に帰 りづ ら く、 知 り合 い の と
こ ろ を転 々 とす る こ と もあ っ た。 トマ ス とズ ナ ニエ ツ キ は 、 彼 の 中 に、 外 的 な要 因 の影 響
力 に よ っ て 「放 浪 的 態 度 」 に変 わ る 「変 化 し よ う とす る 先 在 的 性 癖 」 と 「冒 険 を求 め る欲
求」 が存 在 して い る こ とを指 摘 す る[ibid.:1954fn]。
奉 公 先 を次 々 と変 え て い た ウ ラデ ク
は 、 自信 を喪 失 して い た 。 だが 、 彼 は 、姉 マ リ ア の 名付 け 親 が 、 す で に何 人 か の 徒 弟 を一
人 前 に した こ とを思 い 出 し、 そ こで 徒 弟 奉 公 を終 え る決 意 を す る 。 「ボヘ ミア ン的 性 質 」 と
「安 定 した生 活 組 織 を 求 め る欲 求 」 の 葛 藤 に よ っ て 生 活 の 指 針 に一 貫 性 の ない ウ ラ デ クで
あ るが 、 こ れ以 後 、徒 弟 奉 公 を終 了 す る とい う理 想 か ら、 彼 の 生 活 は組 織 化 され る[ibid.:
1972fn]o
最 後 の 徒 弟 奉 公 先 で あ る ソス ノ ウ ィエ ッ ク で は 、 ウ ラ デ クの 生 活 態 度 が 一 変 す る 。 大 き
な工 場 主 の娘 ドー ラ との 恋 愛 が そ の 原 因 で あ る。 ドー ラ に 会 う以 前 、彼 は 、 男 の 友 達 と飲
み に行 っ た り、 ビ リヤ ー ドに 出 か け た り して い た 。 服 に も無 頓 着 だ っ た 。 彼 女 と知 り合 っ
た後 は、 ドー ラに 内緒 で 酒 場 に行 くこ とは 、 は ば か られ た し、服 装 に も気 を配 る よ うに な っ
た 。 パ ン を作 る仕 事 さ え、 う ま くい く よ う に な る。 トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ も、 「ドー ラ とそ
の 両 親 の 影 響 の 下 、 ソス ノ ウ ィエ ック に ウ ラ デ クが 滞 在 した こ と は 、 お そ ら く、 安 定 した
生 活 組 織 へ の 最 も近 い接 近 法 を特 徴 づ け る。 」[ibid.:1992fn]と
位 置 づ け て い る 。 ドー ラ
との 逢 瀬 を重 ね 、徒 弟 奉 公 の修 了証 も獲 得 し、 ソス ノ ウ ィエ ッ クの 生活 は 、 ウラ デ ク に とっ
て 満 足 い くもの で あ った はず だ 。 しか し、 彼 は 、 ソス ノ ウ ィエ ック を去 ろ う とす る 。 この
状 況 の 定 義 は 、 彼 の 生 来 の 「変 化 を求 め る傾 向 」 と 、 職 人 は 流 浪 す べ き だ とい う伝 統 と、
読 書 と親 方 の息 子 に よる ワ ル シ ャ ワ の話 の 三 つ の 影 響 を受 け て い る[ibid.:1998fn]。
こう
して、 ウ ラ デ クは 、 他 の農 民 階 級 の 人 々 と 同様 に 、 「恋 愛 へ の 関心 」 よ り 「経 歴 へ の 関心 」
を優 先 させ る。 だ が 、 そ の 一 方 で 、彼 の 「仕 事 へ の 態 度 」 は 、 「放 浪 の 傾 向 」 と結 び つ い
て い る た め に 、生 活 組 織 の基 礎 に な る こ とが で き な い[ibid.:2001fn]。
ウ ラデ ク は 、 一 人 前 の パ ン職 人 に な って か ら も、 放 浪 と定 住 を繰 り返 す 。 行 動 の 基 準 を
完 全 に社 会 に依 存 す る と い う典 型 的 な 農 民 の態 度 を もつ ウ ラデ ク は 、 衰 退 中 の ギ ル ドに 明
確 な社 会 的枠 組 を見 い だ す こ とが で きな か った 。 ウ ラ デ クは 、 「
安 定 を求 め る欲 求」(desire
forstability)と
「
新 しい 経 験 を求 め る欲 求 」 の周 期 性 に した が っ て 、 放 浪 と定 住 を繰 り
返 して い く[ibid.:2010-2011fn]。
ソ ス ノ ウ ィエ ッ ク を発 つ た ウ ラ デ ク は 、 コ ロ とい う町 に到 着 す る。 この 町 で は 、 悪 い 仲
間 との交 際 が 再 開 し、 か つ て の 生 活 に 逆 戻 りす る 。 パ ン屋 の仲 間 と酒 場 へ 行 く よ う に な り、
ウ ォ ッカ の 味 を お ぼ え た。 彼 の 生 活 が 一 変 した の は、 環 境 の 変 化 に よ って そ れ まで に獲 得
され た生 活 組 織 が 一 気 に捨 て られ て しま った か らで あ る[ibid.:2010-2011fn,c£2013fn]。
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変動 期 のパ ー ソナ リテ ィ形 成
生 活 組 織 は 、 客 観 的 に は社 会 的 環 境 に 根 拠 を もち 、 主 観 的 に は 社 会 的 本 能 に基 礎 を も つ 。
強 力 な社 会 的本 能 を もつ ウ ラ デ ク は 、 社 会 が 示 す 手 本 に簡 単 に従 っ て し ま う。 こ の た め 、
既 存 の 生 活 組 織 と一 致 しない 諸 図式 が社 会 に よ っ て課 され る と、 彼 は、 「フ ィ リス テ ィ ン的
生 活 組 織 」 も し くは 「ボ ヘ ミア ン的 分 解 」 へ と進 ん で い く。 ウ ラ デ ク の 意 識 に とっ て 生 活
組 織 は一 つ の 全 体 で あ り、 そ の 一 部 を拒 絶 す る こ とは 全 体 を 否 定 す る こ と に等 しい か ら で
あ る。
勤 め て い た パ ン屋 の 親 方 が 亡 くな る な ど して 、 ウ ラ デ ク は、 仕 事 探 しの放 浪 をせ ざる を
得 な くな る 。 ワ ル シ ャ ワへ 向 か う途 中、 ウ ラ デ ク は、 ワ レ ック とい う男 と道連 れ に な っ た。
ワ レ ック は 、放 浪 生 活 を 日常 化 し、 楽 しん で さ え い る 。 そ れ に対 し、 ウ ラ デ ク は、 定 住 し
て ま と もな仕 事 に就 く こ と を望 み 、 放 浪 生 活 に不 満 を感 じて い る 。 二 人 が 好 対 照 を な す 理
由 は 、 ワ レ ッ クが 最 初 か ら生 活 組 織 の 欠 如 した パ ー ソナ リ テ ィで あ る の に対 して 、 ウラ デ
ク は 、 い っ た ん 作 り上 げ られ た生 活 組織 が 二 次 的 に解 体 し たパ ー ソナ リテ ィで あ る か らだ
とい う[ibid.:2047fn]。
当 初 か ら生 活 組 織 の欠 如 した ワ レ ッ ク は、 外 部 の 基 準 に よっ て 自
分 の 生 活 を評 価 しな い の で 、 自分 の現 状 に比 較 的 満 足 して い る。 そ れ に対 し、幼 い 頃 の 家
族 の 影 響 力 や ソス ノ ウ ィエ ッ ク で の 生 活 に よ っ て 高 い 水 準 の 生 活 を組織 化 して い た ウ ラ デ
ク は 、 か つ て の 生 活 に対 応 す る考 え と習慣 を捨 て ない か ぎ り、 不 満 を感 じる。
ワ ル シ ャ ワ に も仕 事 は な い 。 ウ ラ デ クは 放 浪 を続 け る。 あ る 時 、 彼 は 、 先 生 を して い る
次 兄 ス タ ッチ の 家 に 立 ち寄 る 。 ス タ ッチ が 町 の 中心 的 人 物 で あ る こ と に 、 ウ ラ デ ク は 強 く
嫉 妬 す る 。 ス タ ッチ と同 じ よ う に人 々 か ら尊 敬 を勝 ち 得 るた め に、 彼 は 、 仕 事 を して お 金
を貯 め 、 自分 の パ ン屋 を始 め よ う とい う決 意 を新 た に す る の で あ る 。 トマ ス とズ ナ ニ エ ッ
キ は、 こ の 時 を 「お そ ら く、 こ れ は、 自分 の パ ン屋 を もつ とい う考 えが 、 明確 な実 際 的 な
目標 と して確 立 した 瞬 間」[ibid.:2078fn]と
評 して い る。 ウ ラデ ク は 、社 会 的 な規 制 に 同
調 す れ ば 、 強 固 な地 位 が 個 人 に保 証 され る こ と を理 解 してお り[ibid.:2078fn]、
人々の認
知 を得 る た め に 放 浪 か ら定 住 へ と好 み を変 え て い く。
しか し、 目標 達 成 へ の 道 の りは険 しい 。 ポ ー ラ ン ドで、 パ ン屋 の仕 事 を得 る こ と は難 し
か っ た 。 ウ ラ デ クは 、 当 時 、 急 速 な経 済 成 長 を 遂 げ つ つ あ った プ ロ シア へ 向 か う。 農 場 で
の季 節 労 働 は 、 つ らい もの だ っ た。3月
の 冷 た い 雨 の 中 、彼 は 仕 事 の最 中 に倒 れ て しま う。
こ の 時 期 の ウ ラ デ ク を支 え て い た の は 、 同 じ農 場 で 働 く人 々 か らの 社 会 的 認 知 で あ っ た
[2107fn]。 ウ ラ デ クは 、 読 み 書 きの で きな い彼 らの た め に、 手 紙 を書 い て や っ た り、 農 場
の 若 者 た ち に教 育 的 な 話 を して や っ た り した 。 家 族 と故 郷 か ら離 れ 、 慣 れ な い 仕 事 で 、 女
性 へ の 関心 も も たず 、 経 歴 上 昇 の 可 能 性 も ま っ た くな い け れ ど も、 自分 の優 秀 さ を認 知 し
て も らっ た 満 足 感 は 、 す べ て を相 殺 す る の に十 分 で あ っ た。
農 場 で の季 節 労 働 の シ ー ズ ンが 終 わ り、 ウ ラデ ク はベ ル リン に や って き た。 す ぐに仕 事
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変動 期 のパ ー ソナ リテ ィ形成
が 見 つ か る だ ろ う と い う予 測 は見 事 に はず れ 、 仕 事 は ま っ た くな い 。 ベ ル リ ン に到 着 して
二 ヶ月 が 経 ち 、 所 持 金 も底 をつ い た。 ウ ラ デ ク は真 冬 の 街 を さ ま よ う。 そ の 時 、 彼 は 兵 隊
の小 隊 に 出 会 い 、 軍 隊 に 入 る決 意 をす る 。 そ う す れ ば 、 放 浪 ・飢 え ・寒 さか ら解 放 され る
か ら だ。 ポ ー ラ ン ドへ 戻 る た め に、 ウ ラデ ク は ベ ル リ ンの 領 事 館 を訪 ね た。
2-3フ
ィ リス テ ィ ン型 パ ー ソ ナ リテ ィ期
ウ ラ デ ク は 、 社 会 が 個 人 に 課 す 規 制 を徐 々 に 受 け 入 れ る よ う に な り、 安 定 を志 向 す る 。
彼 のパ ー ソ ナ リテ ィ は、 ボ ヘ ミア ンか ら フ ィ リス テ ィ ンへ と移 行 して い'く。 トマ ス とズ ナ
ニエ ツ キ に よ れ ば 、 そ の 原 因 は二 つ あ る[ibid.:2243-2244二
訳 書167-168]。 一 つ は 、新 し
い経 験 を求 め る欲 求 の 枯 渇 で あ る 。 ウ ラ デ クの 階 級 の 人 間 が 接 近 で き る新 しい 経 験 は 限 ら
れ て い る た め 、 一 定 期 間 の 後 、 出 会 う経 験 は 新 鮮 さ を失 う。 も う一 つ の原 因 は 、 放 浪 生 活
に お け る数 え 切 れ な い不 快 な経 験 で あ る 。
フ ィ リ ス テ ィ ン化 の 徴 候 の 一 つ と して 、 ウ ラ デ クが 軍 隊 に 入 っ た こ とが あ げ られ よ う。
当 時 ポ ー ラ ン ドは ロ シ ア 領 だ った の で 、彼 が 入 隊 した の は 、 ロ シ ア の軍 隊 で あ る。 この 時
期 、 民 族 的 自 由 を 求 め る運 動 が ポ ー ラ ン ドで盛 ん で あ り[ibid.:2134fn]、
軍 隊 に入 る こ と
は、 人 々 か ら軽 蔑 され る こ とで あ っ た 。 現 に 、 ウ ラデ ク は 、 軍 隊 に 入 る こ と を家 族 に告 げ
た と き、 家 族 の 猛 反 対 に 会 う。 しか し、 「も しモ ス ク ワ の 連 中 が 私 を軍 隊 に 取 っ て くれ れ
ば、 そ れ は い い こ とだ 。 私 は 、 す で に 生 計 を得 る こ と に疲 れ て い る か ら さ。 世 界 中 を放 浪
す るの をや め るた め に 、私 は 喜 ん で 軍 隊 に行 くつ も りだ。 」[ibid.:2134]と
意 に介 さ ない 。
軍 隊 を除 隊 した 後 に就 い た 巡 査 の職 も、 同様 に、 ロ シア に よ る ポ ー ラ ン ド支 配 の 先 兵 と
み な され て い た 。 こ れ も、 ウ ラ デ ク が 社 会 に 望 む もの が 低 下 し た 証 拠 だ ろ う[ibid.:
2155fn]。 人 々 か らの 認 知 を 強 く期 待 す る ウ ラ デ クが 、認 知 よ りも生 活 の 安 定 を優 先 させ て
い る 。 この よ うに軽 蔑 さ れ る職 で あ る に もか か わ らず 、彼 は巡 査 を ま じめ に勤 め 、 自分 の
パ ン屋 を開 くた め に、 生 活 費 を切 り詰 め 、 副 業 に 精 を出 す の で あ る。
今 一 つ ウ ラ デ クの フ ィ リス テ ィ'ン化 を示 す徴 候 と して 、 トマ ス とズ ナニ エ ツ キ は 、彼 の
結 婚 に対 す る考 え 方 の 変 化 を あ げ て い る[ibid.:2150fn]。
ウ ラデ ク は 、結 婚 の 際 に 、妻 側
が 用 意 す る持 参 金 を 自分 の パ ン屋 を開 く資 金 に しよ う とす る。 彼 は 、 軍 隊 の 除 隊 後 、 か つ
て勤 め て い た ク ツ ノの ワ ル シ ャワ ・ベ ー カ リー とい うパ ン屋 に再 就 職 す る。4年 前 に勤 め て
い た と きに は 、結 婚 は ま った く彼 ρ考 慮 の外 だ った[ibid.:2091]。
そ れに 対 して 、軍 隊 の
除 隊 後 は 、 結 婚 す れ ば 金 が 手 に 入 る と考 え て、 親 方 の 上 の 娘 に プ ロ ポ ー ズ す る[ibid.:
2150]。 この 他 に も、 ウ ラ デ ク は 、結 婚 持 参 金 を 目当 て に 、 数 人 の 女 性 との 結 婚 を も くろ
む。
自分 の パ ン屋 を もつ とい う ウ ラ デ クの 目標 は、 両 親 と共 同 で 食 料 品 店 兼 パ ン屋 を 建 て る
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高 山:変 動期 のパ ー ソナ リテ ィ形成
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とい う形 で実 現 す る。 両 親 の 面 倒 を見 て い る とい う こ とで 、 彼 に対 す る兄 弟 た ちの 評 価 は
上 が っ た 。 しか し、 ウ ラデ ク は不 満 を つ の らせ る 。 父 親 が 自分 一 人 で 店 の 経 営 を行 な い 、
パ ン屋 が ウ ラ デ クの 所 有 物 で あ る こ と を認 め な い か らで あ る 。 しか も、 職 人 と して 彼 に給
料 が 払 わ れ る こ と もな い 。 ウ ラデ ク は 、 この 店 を 開 店 す る た め の 準 備 に 相 当 努 力 し、 蓄 え
て い たお 金 もす 桑 て使 い 果 た して い た 。 もは や 、 独 力 で 自分 の パ ン屋 を もつ こ とは不 可 能
だ。 この よ うな ウ ラ デ ク と両 親 の 対 立 は、 農民 家 族 とい う衰 微 しつ つ あ る 第 一 次 集 団 に お
け る世 代 の ギ ャ ッ プ と して理 解 で き よ う[ibid.:2173fn,2180fn]。
古 い 世 代 に属 す る 両 親
は、 家族 の 財 産 で あ る店 の 仕事 に給 料 を払 う必 要 は な い と考 え て い る 。 そ れ に 対 して 、新
しい 世 代 の ウ ラ デ ク は、 仕 事 に 見 合 っ た 金 銭 的 報 酬 を要 求 す る の で あ る。
一 つ の転 機 が 彼 に訪 れ る。 ア メ リカ に い る姉 マ リア か ら手 紙 が 送 られ て き た。 ウ ラ デ ク
は 、 か つ て の 「放 浪 の傾 向」 を復 活 させ[ibid.:2202fn]、
ア メ リカへ 行 く決心 をす る。 弟
の パ ベ フが ア メ リカ行 き に反 対 す る が 、 自分 の パ ン屋 を もつ 夢 を断 たれ た彼 は、 ポ ー ラ ン
ドの 生 活 に、 もは や 未 練 は な い 。
しか し、 ア メ リ カで の新 しい 生 活 も厳 しい もの で あ っ た 。 慣 れ な い ア メ リ カで の 職 探 し
は難 航 す る 。 だが 、 よ うや くパ ン屋 の 仕 事 も見 つ か り、 ウ ラデ ク は結 婚 をす る。1914年1
月28日 、 彼 が29歳 の と き で あ る 。 彼 は ポ ー ラ ン ドに い た 頃 とは うっ て か わ っ て持 参 金 の有
無 を問 題 に して い な い が 、 そ れ は 「彼 が 達 成 した成 熟 さ は 、 社 会 組 織 に 同 調 し よ う とす る
傾 向 に よ っ て 、 結 婚 を必 要 と した。 」[ibid.:2218fn]た
め で あ る。 結 婚 した もの の 、 パ ン
屋 を解 雇 され た ウ ラ デ ク の 経 済状 況 は どん 底 で あ っ た。 彼 は 、 金 銭 的 報 酬 の 約 束 の も と 、
こ の 自伝 を 書 き始 め た の で あ る 。
2-4ウ
ラ デ ク の パ ー ソナ リ テ ィ の総 合
以 下 、 トマ ス とズ ナニ エ ツキ に よ って 「結論 部」 で展 開 され た ウ ラデ クのパ ー ソナ リテ ィ
進化 の 「
総 合 」 を見 て い こ う。
彼 ら の結 論 は 、 ウ ラ デ ク のパ ー ソ ナ リテ ィが 、 ボ ヘ ミア ン と フ ィ リス テ ィ ンの 間 を往 復
し なが ら[ibid.:2240二
2241=訳
書166]と
訳 書163]、 経 済 的 な タ イ プ の フ ィ リ ス テ ィ ン に 向 か う[ibid.:
い う もの で あ る 。 彼 らは 、 まず 、 ウ ラ デ ク の気 質 的 態度 が 正 常 で あ る こ
と を確 認 す る。 ウ ラ デ ク は 、 生 物 学 的 に は 、 「フ ィ リス テ ィ ン」「ボ ヘ ミア ン」「創 造 的 個 人 」
の いず れ の パ ー ソナ リ テ ィに も な り得 た 。 した が って 、 彼 が あ る種 の パ ー ソナ リテ ィ類 型
に 向 か うの は、 社 会 的 な 要 因 に よ る もの で あ る。[ibid.:2227-2228=訳
書151-153]
ウ ラ デ ク の パ ー ソナ リ テ ィ進 化 を特 徴 づ け て きた態 度 群 は社 会 的 本 能 、 す な わ ち 、 応 答
と認 知 を求 め る欲 求 で あ る[ibid.:2228=訳
書153]。 ウ ラデ ク の 強力 な社 会 的 本 能 は 、.経
済 的 ・知 的 ・道 徳 的 ・性 的 関心 な どす べ て の 関 心 を従 属 させ て い る[ibid.:2234=訳
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書
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動 期 のパ ー ソナ リテ ィ形成
158]。 こ う し た最 も基 本 的 な諸 傾 向 に お い て 、 ウ ラ デ ク は、 第 一次 集 団 の典 型 的 な成 員 で
あ る[ibid.:2236=訳
書160]。 彼 は 、 自分 自身 の 力 で パ ー ソ ナ リテ ィ を組織 化 す る こ とが
で きず 、 社 会 環 境 の 継 続 的 な 助 力 を必 要 と して い る。 なぜ な ら 、 自分 の 社 会 的 本 能 の た め 、
ウ ラ デ ク は、 状 況 の 定 義 と生 活 組 織 の 図 式 を構 成 す る の に他 者 の 見 本 や 基 準 に頼 らね ば な
らな い か らで あ る。
この よ うな ウ ラ デ クの 社 会 的本 能 に働 きか け 、彼 の パ ー ソナ リテ ィ形 成 に最 も大 き な影
響 を与 え た の が 、 家 族 とい う第 一 次 集 団 で あ っ た 。 放 浪 生 活 に お い て 、 ウ ラ デ ク の 完 全 な
解 体 を防 いで い るの は、 家 族 に よる 初 期 の 組 織 化 で あ る[ibid.:2237=訳
書161]。 しか し、
そ の 後 は 、 衰 退 中 の ギ ル ドとい う恵 ま れ な い環 境 にあ っ た た め に、 個 人 的 な理 想 を発 達 さ
せ て い な い[ibid.:2238=訳
書161-162]。
ウ ラデ ク は 、 「完 全 な 同調 主義 者 タ イ プ の フ ィ リス テ ィ ン」 や 「
創 造 的 個 人 」 に な る可 能
性 も あ っ た 。 だが 、 そ う な らな か っ た の は 、 そ の よ う なパ ー ソ ナ リテ ィ進 化 に適 した社 会
環境 に彼 が 一 時 的 に しか接 触 しな か った ため であ る[ibid.:2238-2239=訳
書162-163]。
ウ
ラデ ク の 暮 ら した 社 会 環 境 は 、 パ ー ソナ リテ ィ形 成 を方 向 付 け る 強 力 で 一 貫 した 枠 組 に 欠
け て い る 。 自 ら の 力 で パ ー ソナ リテ ィ を組 織 化 で き な い 人 々 は 、 明確 な枠 組 の な い 社 会 に
お い て 、 容 易 に ボヘ ミア ン とな る[ibid.:2241-2242=訳
書166]。 同時 に 、 明確 な枠 組 を も
た ない社 会 は 、 同 調 を難 し くす るほ ど強 力 な要 求 を個 人 に課 す こ と もない の で 、個 人 が フ ィ
リス テ ィ ンに な る こ と も また 容 易 で あ る[ibid.:2243二
訳 書167]。 した が って 、 自伝 の 後
半 、 ウ ラ デ クが 、 ボ ヘ ミア ンか ら フ ィ リ ス テ ィ ンへ と進 化 した原 因 を社 会 環 境 に帰 す こ と
はで きな い 。 そ の 原 因 は 、彼 の 態 度 に 求 め な け れ ば な ら な い。 新 しい経 験 を求 め る欲 求 が
枯 渇 し、 「安 全 を 求 め る 欲 求 」(desireforsecurity)が
変 化 が も た ら され た の で あ る[ibid.:2243二
台 頭 して きた こ と に よ って 、 そ の
訳 書167]。
以 上 の議 論 を見 れ ば 、 ウ ラデ クの パ ー ソナ リテ ィ進 化 の 説 明 が 「価値 」(杜会 環 境)と
度 」(ウラ デ クの欲 求)の
「態
図式 に よ る 「総 合 」 に な って い る こ とが分 か るで あ ろ う。 「パ ー ソ
ナ リテ ィの基 礎 の 確 立 期 」 で は 、 家 族 とい う社 会 環 境 を基 準 に し て応 答 と認 知 を 求 め る欲
求が 彼 の パ ー ソ ナ リテ ィの 基礎 を形 成 した 。 「ボヘ ミア ン型 パ ー ソ ナ リテ ィ期 」 で は 、.衰退
中 の ギ ル ドが 明確 な社 会 的 枠 組 を与 え る こ とが で きな か っ た の で 、 新 しい 経 験 を 求 め る欲
求 に基 づ い て ボ ヘ ミア ン型 パ ー ソナ リテ ィが 発 達 して い る。 そ して 、 「フ ィ リス テ ィ ン型
パ ー ソ ナ リテ ィ期 」 で は 、 同様 に 明 確 な枠 組 の な い社 会 環 境 の も と、安 全 を求 め る 欲 求 の
成 長 に したが っ て 、 彼 は 、 社 会 の 規 制 を 受 け 入 れ る フ ィ リス テ ィ ン と な る の で あ る。
京 都社 会学 年報
第5号(1997)
118
高山
変動 期 のパ ー ソナ リテ ィ形 成
お わ りに
これ ま でrポ
ー ラ ン ド農 民 」 にお け る 生 活 史 法 を、.ウラ デ クの 自伝 を取 り上 げ て 紹 介 し
て き た。 社 会 的 パ ー ソナ リテ ィ論 の 観 点 か ら生 活 史が 分 析 ・総 合 され 、 見 事 に理 論 とデ ー
タが 統 合 さ れ て い る一 端 を示 す こ とが で きた か と思 う。 しか し、 理 論 とデ ー タの 統 合 は あ
く まで 手 段 に過 ぎず 、 彼 らの 最 終 的 な 目標 で は な い 。 最 後 に、 社 会 的 パ ー ソナ リテ ィ論 と
生 活 史 を組 み 合 わ せ る こ とに よ っ て彼 らが 提 示 しよ う と した主 題 を指 摘 して お き た い 。
トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キ の主 題 は 、 「伝 統 社 会 か ら近代 社 会 へ の変 動 期 に お け る個 人 のパ ー
ソ ナ リテ ィ形 成 」 と要 約 で き よ う。 彼 らの 研 究 は 、 「伝 統 的 な社 会 的 価 値 の 体 系 が 崩 壊 し、
未 だ 新 しい価 値 体 系 が 確 立 され て い な い状 態 に お い て 、 社 会 に 完 全 に依 存 す る とい う伝 統
的態 度 を保 持 して い る個 人 は、 どの よ う な パ ー ソ ナ リテ ィ進 化 をた どる の か 」 とい う問 題
関心 に貫 か れ て い る 。 そ して 、 彼 ら は 、 ウ ラ デ ク を 大 衆 の 典 型 と して み な して[ibid.:
1907=訳
書146]、 彼 の 事 例 か ら一 般 的 な 人 々 の パ ー ソ ナ リテ ィ形 成 を引 き出 そ う と して い
る の で あ る。
ウ ラ デ クが 生 きた 時 代 は 、 か つ て の社 会 の 諸 形 態 が 急 速 に 崩壊 し、 そ れ ら に代 わ る新 し
い 諸 形 態 が 依然 と して確 立 して い ない 変動 の時 代 で あ る[ibid.:2242二
す べ て の社 会形 態 が 「
放 浪 性 」(vagabondage)に
1904二 訳 書143]。
訳 書166]。 そ して、
向 か うと い う流 動 的 な社 会 で あ る[ibid.:
トマ ス とズ ナ ニエ ツ キ は 、 「ポ ー ラ ン ド農 民 」 の 中 で 「
集 団 の個 々 の メ ン
バ ー に対 す る既 存 の 社 会 的 行 動 規 則 の 影 響 力 の 減 少」[ibid.:1128]と 定義 され る 「
社 会解 体 」
(socialdisorganization)と
い う概 念 を提 起 す る が 、 こ の時 期 が ま さ に社 会 解 体 の 時 期 に
あ た る 。伝 統 的 な 集 団 の 影 響 力 か ら離 れ た 個 人 が析 出 さ れ 、 個 人 主義 が 生 ま れ る 。 こ の社
会 解 体 の状 態 にお け る 様 々 な社 会 現 象 が 「ポ ー ラ ン ド農 民 」 の研 究 対 象 で あ り、 そ の 一 つ
に ウ ラ デ クの 自伝 を用 い た個 人 の パ ー ソナ リテ ィ形 成 の 研 究 を位 置 づ け る こ とが で き る。
ウ ラ デ クの 初 期 のパ ー ソ ナ リテ ィ形 成 は 、 第 一 次 集 団 と社 会 的 本 能 に よる伝 統 的 な 方 法
に基 づ い て行 な わ れ て い る 。 だが 、 この 伝 統 的 方 法 を支 えて い た 諸 条 件 が 変 質 して し ま っ
て い た 。 農 民 社 会 で は、 応 答 と認 知 を求 め る欲 求 と第 一 次 集 団 に よる パ ㌣ ソナ リテ ィの形
成 は、 社 会 と個 人 の 間 に い か な る 矛 盾 も生 じさせ ない[ibid.:
.1881-1882二 訳 書126]。 個 人
の 利 害 関心 の す べ て は 、 社 会 の 利 害 関心 に従 属 して お り、 個 人 と社 会 は 調 和 す る 。 しか し、
衰 退 しつ つ あ っ た ウ ラ デ ク の家 族 は、 応 答 を求 め る彼 の 欲 求 に完 全 に応 え て くれ る わ けで
は な い 。 ウ ラデ クの 家 族 に対 す る 態 度 は 、恨 み と い くらか の 愛 情 と、 家 族 の 成 功 に 対 す る
む な しさ の 合 成 物 で あ る[ibid.:1927fn]。
彼 の パ ー ソナ リ テ ィ は、 ね た み を 基 盤 に ネ ガ
テ ィブ な 形 で組 織 化 さ れ て い く。
近 代 的社 会 に な る と、 こ う した伝 統 的 なパ ー ソナ リテ ィの 形 成 は稀 に な っ て い く。 第 一
Kyoto Journal
of
Sociology
V/December.
1997
高山
119
変 動期 のパ ー ソ ナ リテ ィ形成
次 集 団 の 外 部 の 世 界 と接 触 が 増 え る につ れ て 、 経 済 的 ・宗 教 的 ・知 的 態 度 か らパ ー ソナ リ
テ ィが 形 成 さ れ る よ う に な る[ibid.:1885二
訳 書128-129]。
こ れ に 対 応 して 、伝 統 的 な価
値 の 複 合 体 も、独 立 した い くつ か の 複 合 体 へ と 下位 分 化 し、個 人 は、 こ れ らの 価 値 の 複 合
体 すべ て を受 容 す る こ とを期 待 され な くな る[ibid.:1894-1895=訳
書136]。 これ ら の価 値
の 複 合 体 を体 現 して い る もの が 、 目的 を限 定 した専 門 化 され た 個 別 集 団 で あ る。 近 代 社 会
にお い て は 、 個 人 は複 数 の個 別 集 団 に所 属 して お り、 そ の 集 団 の 価 値 体 系 とそ れ に 対 応 す
る態 度 の 両 者 か らパ ー ソ ナ リテ ィ形 成 が 行 な わ れ る よ うに な る。 しか し、 ウ ラ デ ク は、 こ
う した変 化 しつ つ あ っ た社 会 の 条 件 に 適 応 す る こ とが で き なか っ た 。 あ ら ゆ る 関 心 が 社 会
的 本 能 に従属 して い る ウ ラデ ク は、 ギ ル ドに代 わ る個 別 集 団 を見 つ け 出 す こ とが で きな か っ
たの で あ る。
ウ ラデ クが 最 終 的 に達 成 した フ ィ リ ス テ ィ ン と い うパ ー ソ ナ リテ ィ は、 変 動 の 時 代 に適
して い な い 。 フ ィ リ ス テ ィ ンの 性 格 は か な り固 定 さ れ て い る た め 、 急 激 な 条 件 の 変 化 は 、
一 気 に彼 の性 格 を破 壊 して しま う[ibid .:1853=訳
書104-105]。
ま た 、 生 活 組織 に含 ま れ
る 図式 の 数 が 少 な い ため に 、 ま っ た く新 しい状 況 に出 会 う と、 フ ィ リス テ ィ ンは 、 完 全 な
混 沌 状 態 に陥 っ て し まい 、 彼 に 示 され る い か な る定 義 も受 け 入 れ て しま う[ibid.:1855=
訳 書106]。 ウ ラ デ ク に大 衆 の 典 型 を見 て い た トマ ス と ズ ナ ニエ ツキ は、 フ ィ リス テ ィ ン型
パ ー ソナ リテ ィが 大 量 に 出 現 した 社 会 の現 状 を、 お そ ら く、 危 機 と して 認 識 して い た だ ろ
う。 新 しい 状 況 に適 応 で き ない 個 人 は 多 くの 社 会 問 題 を引 き起 こす 。 新 しい状 況 を定 義 で
きな い個 人 は、 支 配 者 に よ っ て示 され た状 況 の定 義 を何 で も受 け入 れ 、 容 易 に操 作 され る。
こ う した フ ィ リス テ ィ ン に対 して 、 彼 らが期 待 を す る の は、 自分 の 能 力 に よ っ て 自 ら を
組 織 化 す る創 造 的 個 人 の パ ー ソナ リテ ィで あ る。 生活 組 織 の形 成 に は、 以 下 の 二 通 りが あ
る[ibid.:1871=訳
書118]。 一 つ は 、 出 来 合 い の 社 会 的 諸 図 式 が 外 部 か ら個 人 へ 与 え られ
る 方 法 で あ り、 そ の 代 表 は教 育 で あ る。 も う一 つ は 、 個 人 が 自 らの 力 で 状 況 を定 義 し、 そ
れ ら を フ ィー ドバ ック させ る こ と に よ っ て 諸 図 式 を形 成 す る方 法 で あ る 。 この 第 二 の 方 法
に よ って 主 に 生 活 組織 を 形 成 で き る個 人 は 、 創 造 的個 人 の パ ー ソナ リ テ ィ を発 達 させ る こ
とが で き る。 変 化 しつ つ 構 成 して い く とい う この 創 造 的 個 人 は 、 新 しい状 況 へ の 適 応 性 と
関心 の 多 様 性 と活 動 の一 貫性 を両 立 させ る こ とが 可 能 で あ る。
だ が 、 「ポ ー ラ ン ド農 民 」 が 執 筆 され た 当 時 、 フ ィ リス テ ィ ンが 多 数 派 で あ り、創 造 的 個
人 に な る こ とが で き る もの は少 数 で あ った 。 そ の一 因 と して 、16歳 か ら25歳 まで に個 人 の
態 度 が 十 分 に安 定 す る とい う静 的 な パ ー ソナ リテ ィを 前提 とす る教 育 学 と倫 理 学 の 方 法 が
挙 げ られ て い る[ibid.:1890=訳
書133]。
トマ ス とズ ナ ニ エ ツ キの 最 終 的 な 目標 は、 そ う
した従 来 の 方 法 に 代 わ っ て 、 社 会 心 理 学 の 方 法 を駆 使 して 新 しい社 会 にふ さわ しい パ ー ソ
ナ リテ ィ形 成 の 方 法 を見 い だ す こ とで あ る 。 「未 来 の社 会 の 課 題 は 、 自発 的 なパ ー ソ ナ リ
京都社 会 学年 報
第5号(1997)
iao
高山
変 動期 のパ ー ソナ リテ ィ形成
テ ィの 発 達 を 阻 害 す る障 害 物 を除 去 す る だ け で な く、 積 極 的 な助 力 を与 え 、 自発 的 なパ ー
ソ ナ リテ ィ発 達 の た め の 適 切 な方 法 を あ らゆ る個 人 に供 給 し、 静 的 な性 格 や 同 調 主 義 者 で
は な く、 動 的 で 継 続 的 に成 長 して 創 造 的 な パ ー ソ ナ リテ ィ.にどの よ うに な る か を教 え る こ
とで あ ろ う。 そ して 、 そ の よ うな 方 法 は 、 個 々 人 を社 会 心 理 学 的 に研 究 す る こ とに よ っ て
の み 見 い だ す こ とが で き るの で あ る。 」[ibid.:1906-1907=訳
書145]。
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京都 社会 学年 報
第5号(1997)
252
to their ancient ties and pre-modern
sentiments.
It is true that nations are the products
of modernization, but modernists fail to explain why many people believe in the continuity
from pre-modern
ethnic
Perennialist
called 'ethnies',
solidarities
as represented
to modern
nations.
by A D.Smith
suggests
that there are ethnic roots
the term coiled by Smith. 'Ethnies' determine,
and frames of modern nations.
to some degree, nature
It goes without saying that as the strategy of nation-
building, it is the national history and culture that the intelligentsia
as the modernists
pointed out. But in order to attain their goals, they had to mobilize
the basis of pre-existing
tachment.
and elites utilized,
collective
The perennialists
identities
which bring about people's
concentrate ' their attention
strong at-
on the pre-existing
conditions,
which determine both goals and means for each nation in the manipulation
of modern
nationalists.
The modernist
approach
can't explain
sufficiently
why ethnic conflicts
broke
out frequently in many part of the world after the cold war. Thus, as the perennialists
tried to show the reasons
genealogies
of modern
for these ethnic
conflicts,
the complex
to
nations.
It is not until we use these two approaches
deeply
we came to pay attention
and controversial
problems
that we could understand
more
of nations and nationalism.
The Formation
of Wladek
Wiszniewski's
Personality
Against
the Background
of Polish
and American
Society
in the Early-Twentieth
Century:
Life History
Method
in The Polish
Peasant
Ryutaro
Since
interested
the
in life
method
began
Polish
Peasant
that
critically
I shall
Kyoto
latter
review
Journal
half
of
1970s,
history
material.
1920s
at Chicago
in
in
uses
the
Europe
life
and
history
method
of Sociology
of
TAKAYAMA
many
sociologists
However,
University.
America,
in
first
W.
published
terms
using
V/December.
the
of
a life
1997
have
development
I. Thomas
in
a theoretical
history
again
in
and
1918-1920,
framework.
The
Polish
begun
of
the
to become
life
F. Znaniecki's
is
history
The
the
first
study
In
this
paper,
Peasant.
253
The theory of social personality
is the standpoint
when using life history.
The
task of the theory is to synthesize the entire process of personal evolution from elementary
causal facts.
consists
Thomas
and Znaniecki
of temperament,
of character
Philistine,
and life-organization,
Bohemian
Wiszniewski,
as a dynamic
and life-organization.
process which
Based on the definiteness
three types of personality
and the creative
The life history
Wladek
character
regard personality
are constructed,
namely,
individual.
used in The Polish
Peasant
is the autobiography
written by
a Polish immigrant
during , the early part of the 20th century.
We can recognize three stages in his life.
The first stage is the period of establishing
the basis of his personality
The second
by way of his social
is the Bohemian
the lack of a definite
period
because
social frame.
the desire for new experience
By studying Wladek's
instincts
and family background.
of the desire for new experience
And the third is the Philistine
gives place
to the desire
believe
life history in terms of the theory of social personality,
in every civilized
that the Philistine
society the enormous
passive mass which
majority of the population.
is not suited for life in the modern society.
to find a way to produce
to new situations,
period because
for security.
the authors show the typical personal evolution of the culturally
constitutes
a creative
pursue
and
individual
a diversity
who can adapt
of interests
and
They
They want
and be compatible
also maintain
a consistency
of activity.
Der
Automobil
Wille
and
Motorisierung:
zur
Modernitat
im
Daisuke
In
Dritten
diesem
Reich.
»Reaktionare
Aufsatz
Den
technischer
der
Nationalsozialisten
sollte
man
um
Aber
zur
an
die
sich
TANO
kulturelle
Grundzug
charakterisiert,
Modernitat.
den
es
kulturpolitischen
Modernitat«
and
Eher
geht
dieser
Modernitat
ambivalenten
Nationalsozialismus
des
d. h.
Begriff
nicht
Reichweite
als
der
Nationalsozialismus
Mischung
von
1st irrefiihrend,
einfach
Charakter
Motorisierung
als
der
hat
» reaktionar<<
Moderne,
J. Herf
reaktionarer
weil
der
sich
京都社会学年報
als
Politik
die
definieren
von
im
D.
Haltung
laBt.
Peukert
第5号(1997)
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