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上野千鶴子氏講演会「働く女はしあわせになったか」 [PDFファイル/81KB]

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上野千鶴子氏講演会「働く女はしあわせになったか」 [PDFファイル/81KB]
上野千鶴子氏講演会
「働く女はしあわせになったか
はしあわせになったか −雇用機会均等法から
から 30 年− 」
平成 26 年3月2日に、社会学者の上野千鶴子氏をお招きして講演会を行いました。
日に、社会学者の上野千鶴子氏をお招きして講演会を行いました。
日に、社会学者の上野千鶴子氏をお招きして講演会を行いました。テーマは「働く
女はしあわせになったか」。様々な調査研究やデータを取り上げ
様々な調査研究やデータを取り上げながら、日本における女性の雇用や
日本における女性の雇用や
今後への提言をお話いただきました。
今後への提言をお話いただきました。講演の様子をご紹介します。
上野千鶴子です。ようこそお越しくださいました。
上野千鶴子です。ようこそお越しくださいました。私は今年
65 歳。堂々と高齢者の仲
間入りをしました。65 歳って
って人生の3分の2を過ぎています。『女たちのサバイバル作
『女たちのサバイバル作
戦』を書いて、20 代の読者の方からコメントをいただきました。「電車の中でこの本
代の読者の方からコメントをいただきました。「電車の中でこの本の
あとがきを読んで、泣いちゃいました。自分よりも年長の女の人から、こうやってまとも
、泣いちゃいました。自分よりも年長の女の人から、こうやってまとも
に謝ってもらったことが一度もない」と。こんな世の中に誰がしたって、責任負わなきゃ
いけない年齢です。
―水俣を拠点に創作活動をしている、小説家・詩人の
水俣を拠点に創作活動をしている、小説家・詩人の石牟礼道子氏らと対談をした際のエピソー
石牟礼道子氏らと対談をした際のエピソー
ドを交えながら、話題は女性の
女性の社会参画へ。
40 年前、ウーマンリブ(女性解放運動)
(女性解放運動)が生まれました。フェミニズムはウーマンリ
フェミニズムはウーマンリ
ブの産物ですが、なぜリブが生まれたかと言うと、戦後日本で
リブが生まれたかと言うと、戦後日本で女の政治的平等は達成され
女の政治的平等は達成され
たのに、社会的・経済的平等は
経済的平等は一向に達成されないのはなぜ、なぜ女は政治的に同権なの
一向に達成されないのはなぜ、なぜ女は政治的に同権なの
にこんなにわりの悪いめにあいつづけるの、と根源的な疑問が沸いてきたからです。
にこんなにわりの悪いめにあいつづけるの、と根源的な疑問が沸いてきた
40 年経って日本の女性の地位は上がったか下がったかを考えると、GDPは世界3位。
年経って日本の女性の地位は上がったか下がったかを 考えると、GDPは世界3位。
人間開発指数も高いけれど、ここに
人間開発指数も高いけれど、ここにジェンダーを入れるとがくんと落ちて
を入れるとがくんと落ちて 58 位になって、
これにジェンダーギャップ、男女
男女格差を入れると 105 位。
何で測るかというと、女性が意思決定の場にいるかどうかです。若干増えたのは、自治
何で測るかというと、女性が意思決定の場にいるかどうかです。若干増えたのは、自治
体の首長。議員は市部では増えて
部では増えていますが、県や町村だとがくんと下がります。女性有権
県や町村だとがくんと下がります。女性有権
者の数は半分以上いるのに。
―上野氏が所属している日本学術会議のジェンダー研究者とともに、日本のジェンダー平等の再
上野氏が所属している日本学術会議のジェンダー研究者とともに、日本のジェンダー平等の再
点検を行ったことに関連し、
点検を行ったことに関連し、国連女性差別撤廃条約のお話に。この条約の日本政府の
。この条約の日本政府の進捗報告
とそれに対する国連の勧告から、国内法や日本の現状
とそれに対する国連の勧告から、国内法や日本の現状、問題点が浮かび上がります。
浮かび上がります。
そしてこういった課題の中で、一番生活に深刻な影響を与えるのは働くこと、と続きま
す。
お金がないと暮らせない。雇用機会均等法
お金がないと暮らせない。雇用機会均等法ができてから状況はよくなった
状況はよくなったでしょうか?
まわりを見渡すと、何も変わっていない。
まわりを見渡すと、何も変わっていない。80
年代に女がどんどん職場に入っていたのは、
後からふりかえると法律のおかげじゃなく
ると法律のおかげじゃなくて、景気がよかったから。なぜ労働法制は整備
て、景気がよかったから。なぜ労働法制は整備
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されたのに、女の雇用はこんなにわりが悪いのか。
ふりかえると、ウーマンリブの後、国連女性の 10 年*が始まって、99 年には男女共同
参画社会基本法ができて、国策になった。同じ時期には、85 年に雇用機会均等法と同時
に、労働者派遣事業法ができて、それから怒濤のごとく雇用の規制緩和が進みました。
*国連女性の 10 年…世界行動計画を実行するために定めた、1976 年から 1985 年までの 10 年間
のこと。この世界行動計画は、1975 年の国際女性年に、女性の平等・開発・平和への貢献のた
めのメキシコ宣言と共に採択された。
公共職業安定所、ハローワークが担っていた周旋業を、民間に解禁したのがこの年です。
改正に次ぐ改正で規制緩和が起きた。これを労働のビックバンといいます。
男女平等の法整備と労働の規制緩和は同時に進んできた。均等法は実は罰則規定もない
ザル法でした。正規雇用が崩壊し、派遣、パート、短時間労働、アルバイト請負が増えま
した。非正規雇用の増加です。
均等法は男女が同じ労働条件で雇用された時に、異なる処遇を受けているのは差別だ、
といえる法律。最初から雇用区分が違う―総合職と一般職、正規と非正規―なら、異なる
処遇を受けて当然ということで、昔は差別だと言えた事も言えなくなってしまった。それ
どころか、非正規に女性が増えた結果、均等法はできたけど、適用対象にならない女性が
膨大に増えた。男女合わせると非正規雇用比率はおよそ 4 割ですが、男性だけだと2割、
女性は6割近い。そして非正規雇用者のうち女性の割合は7割。新卒女子の半分以上が非
正規です。20 年前、不況が始まったころの非正規というのは、中高年のパートのおばさ
んたちだったのに、増えたのは若い女性たちだった。
80 年代に就職、結婚した人たちの子どもたちが今就活に乗り出しているが、その人た
ちは「私たちの時代はね」、と子どもに対して言うのは禁句です。世の中の常識は完全に
変わりました。
労働の規制緩和をもたらしたネオリベ改革から、女はトクをしたのかソンをしたのか…
むづかしい問いです。答はイエス・アンド・ノーですね。
イエスというのは、たしかに選択肢は増えました。総合職でもパートでも派遣でも自分
の働き方を選べる。残業のない働き方もできる。結婚してもいいししなくてもいい。私の
ような“おひとりさま”でも、数さえ増えれば怖くない。子どもを生まなくても、世間か
ら後ろ指さされなくなってきた。
一見ライフスタイルの選択肢は多様化していますが、何を選んでも自己決定・自己責任
になる。うまくいっても自分の努力と能力のせい、失敗したら自分の努力と能力が足りな
かったせい、とわが身を責めるしかない。
困った時代が来たと思いました。私たちの時代は女はまとめて差別されてた。だから、
手をつなぐことができました。
今の女たちは、立場が分断されて、他人を蹴落とす立場におかれてしまいました。
30 年経って、女性の労働力率は高くなっている。だから待機児童が増えているんです。
一刻も早く出産後職場復帰したい女が増えています。なのに、働きたかったのだけれど、
こんな働き方を望んだはずじゃなかったのに…と茫然自失する状態に私たちはおかれてい
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ます。
―川口章氏による研究を引用し、日本型経営といわれる終身雇用をはじめとした仕組みと、ベン
チャー型、改革型企業の仕組みの比較と経済学的な分析から、女性を積極的に活用することは
経済的合理性にかなう、とお話されました。
モノを買うときに誰が買うか、市場には男も女もいます。組織の内側に多様性をとりこ
まなかったら、モノを売るマーケットで負けます。これが日本の国内の競争だったら成長
産業と衰退産業がゆっくり入れ替わる構造転換になるでしょうが、そんなに甘くない。グ
ローバル企業と競争したら、日本は巨艦沈没。二度と浮かび上がれないでしょう。
―そして話は、会場、社会へのメッセージへ。
私は 3.11 のあと、若い人たちに、これからの日本を背負っていくのは君たちだよって
言わなくなりました。彼らにこんな重荷を負わせるのは無責任です。それよりも、どこで
もいい、世界のどこでもいいから、なんとしてでも生き延びてほしい。
お互いに手を取り合って、自分たちがどうやって生き延びるかという道を考えなければ
ならない。そういう時代がきました。2014 年の今の時期にこういうことを言うのは、今
なら制度も変えられるから。
この社会では、いつ誰が弱者になるかわからない。どんなに強い人もいつかは必ず下り
坂を降りていく。それが超高齢化社会です。
強者になろうとするより、いつ誰が弱者になっても安心して生きられる社会にすること
が、ずっとずっと大事だと思います。
ここのところ若い人たちについて、ショッキングなデータが出されています。若い女性
のあいだで「働くのはイヤだ」「専業主婦になりたい」という回答が増えた、と。
でも若い人たちに「どうなってるの、若い女たちは」と怒る前に、わが身をふりかえら
なければなりません。この女性たちは先輩の働く女たちを見て、こんなのやってられない
と学んだんじゃないか、もしかしたら私たちが“働いて生きる”、“女が仕事も家族も持
って幸せに生きる”っていうモデルを示してあげることができなかったからじゃないのか、
とふりかえらなきゃいけない時にきている。
子どもたち、孫たちがどこでどうやって生きていくのかを考えるときに、私たちにやり
のこしたことはまだまだたくさんあるんだってことを皆様方に考えていただきたいと思い
ます。
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