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絵画的空間の一考察 : 市場(いちば)のギャラリーと三角柱をテーマにした

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絵画的空間の一考察 : 市場(いちば)のギャラリーと三角柱をテーマにした
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
絵画的空間の一考察 : 市場(いちば)のギャラリーと三角柱をテーマ
にした絵画的作品について
Author(s)
井川, 惺亮
Citation
長崎大学教育学部人文科学研究報告. vol.56, p.1-16; 1998
Issue Date
1998-03-25
URL
http://hdl.handle.net/10069/5744
Right
This document is downloaded at: 2017-03-30T14:43:04Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
(
5
1
4日10・6
長崎大学教育学部人文科学研究報告
第5
6
号
9
-1
6(
1
9
9
7
)
絵画 的空 間 の一考察
いち ば
(
市場 のギ ャラ リー と三角柱 をテーマに した絵画 的作 品 につ いて)
井
川
慢
亮
は じめ に市場 にて
前号 で述 べ たよ うに, 昨年 5月 に数少 な くな って い る長 崎 洋 館 の, 旧 出 島神 学 校 で の作
品発表 を した。 今度 は打 って変 わ って, こち らも長 崎 で は数 少 な くな って い る市 場 (い ち
ば) の, その小 さな空 間で作 品発表 す る機会 を得 た (
写真①,⑥, ⑦ , ⑧ , ⑨ , ⑰ , ⑬ ,
㊨ ,㊨ ,㊨ ,㊨ )。 ど う して打 って変 わ って とい うのか と言 えば,前者 と後 者 は長 崎 市 内 に
あ りなが ら, あ ま りに も対照 的 だか らで あ る。 前者 の場 合 は歴 史 的 な事 物 や モ チ ー フを展
示 し,観光 的 な要素 が強 く出て い るため, どち らか とい う と県 外 の人 た ちが主 と して訪 れ
る場 で あ り,後者 は食 べ る ものを並 べ て売 って い る市場 で あ り, 日常 的 に利 用 して い る住
民 た ちの場 で あ るか らだ。
それか ら作 品発表 の場合 で は前者 の方 が洋館 で あ るが 故 に作 品 展 示 に相 応 しい場 所 で あ
ると一般 的 に言 われ るだ ろ う し,発表者 もその よ うに恩 うだ ろ う。 後 者 で は市 場 で あ るた
め作品発表 す るとい う事例 が あ ま りな く,一般 的 にみ て い ざ作 品 発 表 とな る と発 表 を た め
らう人 が 出て くる こと も確 か で あ ろ う。
つ ま り, 作 品 を展示 す るスペ ー スを この よ うな市場 に設 け るとい う発想 が もともとなか っ
たか らで あ る。 せ いぜ いJ
L、
あ る方 (
写真⑳ ) が店 の隅 っ こに お花 一 輪 を指 して飾 る ぐ らい
で あ ろ うか。 そ こに一抹 の安 らぎを兄 いだす程度 で あ ろ う。 私 に とれ ば さ さや か で は あ る
が, この安 らぎの空 間 こそ, 日本人 の心 で はな いだ ろ うか と思 う。
作 品発表 の場, 空 間 につ いて
作 品 の作 り手 は,一般 的 に作 品発表 の場 を考 え るとき, どん な場 を求 め るだ ろ うか。 や
は り願 わ くはギ ャラ リー空間 の設備 の整 った と ころで, そ れ を暗黙 の うち に想 定 して い る
と思 われ る。 例 えば美術館 とか, ギ ャラ リー とかで あ る。 と ころが近 年 , 作 品 設 置 で き る
空 間 な らど こで も構 わな い とい うア一
一テ ィス トたちが増 え て きた。 特 に野 外 で の作 品 発 表
はアーテ ィス トたちに芸術活動 と芸術創造 へ の大 きな意 味 と刺激 を与 え た とい わ れ て い る。
そ して別名 と して "オル ターナ テ ィブ ・スペ ー ス "とい わ れ る よ うに, "美 術 館 で もな
く, 商業 目的 の画廊 で もな い 「別 の もう一 つ の場所」 とい う意 味 で と らえて い る " (註 1)
と言 えばわか りやす いだ ろ う。 続 いて, "つ ま り,経 済 的 に不 安 定 な若 い芸 術 家 に は作 品
発表 す る場 が な い ことか ら, その場 を提供 す る実験 的 な芸 術 推 進 活 動 の基 地 , 企 画 と運 営
註
管理 が一体 とな った専 門施設 を さ して い る " (
2) との こ とで あ るが, 私 に は別 に専 門
施設 で な くて もよい。 ただ私 に と って の場所 さえ あれば それで充分 なので あ る。
アーテ ィス トの中 に は作 品発表 に関 して純粋 に美術 的 な立 場 に立 と う と努 力 して い る方
もい るだ ろ う し, あ るいは非常 に戦 略的 に行動 し, 作 品発表 をす る作家 もい るだ ろ う。
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0
井
川
憧
亮
私 の これ までの経験 で は最初 の ころ,作品発表 の話 が あ って も, 私 に は初 めか らギ ャラ
リー空間 を想定 す ることはなか った。 それ はギ ャラ リー経 営 者 , 美 術 評 論 家 , 美 術 館 の学
芸員,作家 の人達 か ら作品発表 を しないか とい う誘 いや依 頼 が あ り, そ れ に即 , 応 じる こ
と自体, それだ けで もあ りが たい話 であ った。 こう して発 表 の回数 が増 す毎 に, あ るい は
内容 を聞 いて い くうちに, グループ展 で は場所 につ いて の割 り当て の話 し合 い を して, 具
体 的 な作品発表 の場 を考 え るよ うにな った。 つ ま り, そ の場 に出向 き, 作 品発 表 の場 を吟
味す る。 私 はず っとこのよ うな機会 を得 て作 品 を発表 して きた。 そ こで は作 品発 表 は大 抵
の場合 ギ ャラ リーで あ り,美術館 で あ る。 そ して, 時 に は指 定 され た野 外 の場 で あ った り
す る。 長崎 に来 てか らは私 の研究室単位 で学生達 と一 緒 に作 品発 表 の場 を企 画 して活 動 を
展 開す るよ うにな った。
私 にと って 「なぜ市場 なのか」
ここで先 の旧出島神学校 と市場 とを見 てみ よ う。 作家 で あ るな ら県 外 内者 問 わず, だ れ
で も前者 のよ うな歴史 的 な建造物 での作品発表 を会場 にす るな ら,一度 で もい いか ら是 非 ,
そ こで作 品 を発表 してみたい と思 う場所 であ る。 それ はその歴史 的 な舞台 を背 景 にす れ ば,
自ずか ら作 品 を発表す ることに強 い意義 を感 じる場所 で あ るか ら不 思 議 で あ る。 鰻 り返 し
て言 えば,作 品 それ 自体 も大切 だが, む しろどち らか とい う とそ の場 が持 っ ウエイ トが大
き く左右 し,場所性 その ものに関心 が深 く関わ り, そ の こ とに意 義 を兄 い だ そ うとす る も
ので あ る。 従 って,作品 その ものに価値観 を問わな くて も, あ るい は極 端 な言 い方 をす れ
ば, その場 にた とえ合 わせ な くて も (
添 わな くて も, いわ ば花 を添 えて くれ る) この場 所
によ って作品 が高 め られ る。 その ぐらい利用価値 はあ る。 もち ろん作 品 は場 所 に よ って両
者 の関係 によ ってバ ラ ンスを保持 せねばな らぬか ら,結 局 の と ころ場 所 に負 けな い位 の,
とい うよ りその場 にマ ッチ した作 品作 りは当然必要 にな って くる。
次 に,後者 の場合 は市場 とい う日常 の生活空 間で もあ り, 買 い物 客 は食 べ もの を だ け買
いに来 て (
写真(
丑,⑦,⑧),偶然知人 と合 った り して, コ ミュニケー シ ョンが で き る場 所
で もあ り,土台 こんな ところは忙 しくて芸術作 品等 をか ま って くれ る場 所 で はな い。 もと
もとギ ャラ リー とい う場所 を持 たない, つ ま り時間的 な ゆ と りと空 間 を持 た な い場 所 で あ
ると一般的 に言 え よ う。
に もかかわ らず私 は,市場 の一 隅で是非作品発表 を して み た い とい う衝動 にか き立 て ら
れ る。 この市場 での作品発表す るにあた りチ ラシを作成 し, 配 布 した の で そ れ を そ の ま ま
転載 してみよ う。
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9
7
年 2月2
4日
井川
怪亮 (ちい さな うつわのなかで)
作品発表 につ いて
発 表 者 :井川 怪亮 (
S
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i
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KAWA)
,1
9
4
4
生 まれ
発表会場 :市場 のギ ャラ リー
絵画的空間の一考察
l
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発表会期 :1
9
9
7
年 2月2
4日 (月) ∼3月3
1日 (月)
9:
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0
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8:
0
0(日曜祭 日休 み)
会場住所 :長 崎市浜 口町 4-5 TEL0
9
5-8
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4-0
2
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4
ジャンル :絵画作 品,現代美術
タイ トル :絵 画 (
Pe
i
nt
ur
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)
材
料 :和紙 (
椿,雁皮), ス レー ト, シコクコピー シ,木皮, アク リル
(
絵 の具,水,筆等), タコ糸等
点
数 :和紙 3, ス レー ト5, シコクコ ピー シ 4,木皮 2
説
明 : 私 は,市場 とい う 「場所性」 の魅 力 に取 りつ か れ た。 長 崎 で は数 少
な くな って いる市場, それで も長 崎 ら しさを こ この市 場 に兄 いだす不
思議 さ。 その感動 は 日常性 とい うごくあ りふ れ た生 活 の香 り (負 , 野
菜,茶, うどん,漬物等 な どが ところ狭 Lと並 ん で い る) で あ り, ま
た コ ミュニケー シ ョンの場 と して も,私 はつ い うき うき して しま う。
芸術表現 の発表 の場 と して,一 般 的 な ギ ャラ リー といえ ば百 貨 店 の
中 とか,画廊街 のギ ャラ リー と して存在す る。 ところが, 今 回 の場 合 ,
市場 の中 に溶 け込 んだギ ャラ リーで あ り, 私 に と って あ ま り例 を見 た
ことが なか った。 それ故, それ こそ, 行 き通 う人 々 の中 に見 えか くれ
す るギ ャラ リーに作品 を展示 し, 人 々 に少 しで もな にが しか の潤 いを
感 じて いただ けるのな ら幸 いで あ る。
展示 の狙 い :通常 のギ ャラ リー とは違 うギ ャ ラ リー空 間 を どの よ うな展 示 表 現 に
す るかが課題 とな った。 そ こで私 は 日常 の空 間 と して の, また生 きた
空 間 と しての作品展示 を心掛 けた。 た とえ ば魚 屋 さん が魚 を, あ るい
は八百屋 さんが野菜 を並べ るよ うに, 私 は絵 か きと して作 品 を並 べ た
い とい う衝動 にか き立 て られ るのだ。 この よ うに美 術 は優 し くあ る も
の, ど こにで も存在 す る もの, ただ忘 れて はな らな い もの は, 品位 だ
けは保 つ ことで あろ うか。
結
果 : ギ ャラ リー以外 の回 りの様 々な店屋 さん か ら, あ るい は作 品 を見 て
い ると路地 が見 え る光景 と並 んで一 体 とな る場 所 もあ った りす る。 私
は この よ うに絵画 的 な効果 を生 み 出 して い る場 面 で作 品 を さ りげ な く
見 出す と, なぜか心 が踊 る。
この場所性 は,作 品作 りその もの につ いて例 えば画 面 の中 に形 や色 を ど こに置 くか とい
う問題 に も似 て い る し, また旅行等 で見 出す ピ トレスクな光 景 との 出会 い, そ れ を モチ ー
フ化 す るの と近 い感触 を覚 え る。 あ るいは食 べ物 を食 べ る と きで も同等 の事 が言 え よ う。
甘 い ものを先 に食 べてか ら後 か ら辛 いものを食 べ るとその辛 さ は ぐっ と辛 くな るよ うに,
食 べ方 の前後問で食 べ るその ものの素材感 が変化す る もの で あ る。 この よ うに時 とか場 に
おいて素材 その ものが変容 され るのであ る。 場所 の もつ意 味 は作 品作 り と大 い に関 わ って
い るので あ る。
私 は実際食 べ物 を買 いに市場 を訪 れた り,利用 した こ とはあ ま りな いが, 市 場 の もつ雰
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井
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慢
亮
囲気 と共 に正 しく日常 その ものの空 間 と場 を もっ この市場 は, 何 か し らん古 来, 人 々 の心
情 に残 る懐 か しさを含んだ風景 なのだ ろ うか。私 は是 非 と もそ こで作 品 を発 表 して み た く
な ったのであ る
。
市場 で作 品発表 を して (
註 3) (
註 4)
「あんな ところで作品発表 を しない方 が いい」と忠告 して くれ る人 が い た。 理 由 は 「あ
の場所 は食 べ物 を売 るところで あ り, また ゴタゴタ した場 所 で あ り, よ くそ ん な と ころで
作品発表 をす る気 にな った ものだ。 それだか ら, あん た は前 々 よ り人 か らも却 って変 な 目
で見 られて, や っぱ り馬鹿 に され るの は当 た り前 だ。早 い話 で言 って みれ ば, 現 代 美 術 は
市民権 を得 ないんで しょうな」 と。一応参考意見 と して受 け とめて い るが, 別段 , 気 に し
ないよ うに努 めて いる。 なぜ な ら私 が選択 した ことで あ り, む しろ私 に と って作 品 発 表 し
てみたい とい う場所 と思 ったか らであ る。他方 で は 「大学 で美 術 を指 導 して い る者 は も う
少 し権威 あるところでや らないとね。 例 えば美術館 の よ うな場所 で発 表 す るの にね -」 と
言 われ た り,続 いて別 の方 か ら 「それ に して も今回, この よ うな と ころで作 品 発表 した こ
とは勇気 あ ることで,何 か深 く感動 しま した」 と,逆 に褒 め られ た り ?も した。 作 品 発 表
を して いて,周 りの方 (
買 い物客) や美術愛好家 の方 々か ら 「頑 張 って くだ さい」 と声 を
か け られた。実際,作 品 を展示 してみ ると,作品越 しに向か いの店 や作 品 を取 り囲 む周 辺
の光景 とが醸 し出す空間関係 に絵画的 な空間 を見 出 した りす る。 そ して この ギ ャ ラ リーの
前 を横切 るお客 さん たち, あ るいは幼児 を抱 いて買 い物 に来 る ご婦 人 方 や ご年 配 の方 々が
ち らりと作品 に目を向 けて くれ る一瞬が ある。 それだけで も私 は嬉 しくな り, 何 よ り もあ
。
りが た く思 う 「美術 を理解 して い る」 な どと言 う方 々よ りもこのよ うにさ りげ な く見 て い
ただ き, その よ うな中で何か を感 じて もらい, あわ よ くば言 葉 を発 して くだ さる通 りが か
りの人が,私 を大 き く感動 させ, また励 みを与 えて くれ る。 この瞬 間, 絵 画 的 な思 い に触
れ,酔 って しま うか ら不思議 で あ る。
現在 もこの場所 は私 のゼ ミナール生 たちがず っと リレーを しなが ら,個展 ない しはグルー
プ展 と して作品 を発表 し続 けて い る。 こう した若 い世 代 の人 達 が この よ うな市 場 の場 所 性
を新 たな角度 か ら認識す ることは,世代 的 に もまた長 崎 に あ って とて も大 切 な ことの よ う
に思 う。
もう一 つの場所性 について
前 々号 の拙文 で爆心地公園の原爆落下 中心碑 (
三角柱) につ いて述 べ た と き, この場 所
性 に関す ることにつ いて触 れた。 このよ うな市場 (いちば) の場 所 は時代 の変 化 と共 に減
少化 の傾向 にあ る。 また旧出島神学校 のよ うな洋館 も同様 な現 象 にあ り, 私 た ちの手 で な
ん とか して これ らを保存 して いかねばな らない課題 が私 た ち長 崎人 と して あ る。 旧 出 島神
学校 は目下, 出島復元 (
註 5) で行政側が観光 のために も力 を入 れ, 保存 に も努 め て い る
が,市場 はど うで あろ うか。実 の ところ私 は心配 を して い るが故 に, 市場 とい う場 所 性 の
中 に ピ トレス クな絵画性 や絵画 の システムと しての空間 を見 出す と共 に, 私 はそ こに は ま
るで音楽 的な旋律 に似 たほどの ものを感 じるのだ。
で は 『原爆落下 中心碑 (
三 角柱 )』 ではど うなのか。 ここで は もう一 つ の場 所 性 を考 えず
にはおれ な い。なぜ な ら, これ まで述 べて きた洋館 とか市場 とか の場 所 は ど こか の地 方 や
絵画的空間の一考察
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3
都会 にあ るか も知 れ な いが, この 『原爆落下 中心 碑 (
三 角柱 )』 はただ一点地 で あ り, 絶 対
的 な メモ リアルな地点 で あ る。 別 の言 い方 をすれば よ くいわ れ る 「人 類 の負 の遺 産 と して
の もの」 と して人類 的 な場 所 で もあ る (
写真⑲,⑪)。
この よ うに場所性 とい う ものを考 えてみた とき, そ の場 に もの を お くこ とはそ の場 との
関 わ りを無視 す る ことが で きな くな るのだ。作品設置 の行 為 と場 所 選 び は切 って も切 れ な
い ほどの関係 が あ るのだ。私 は この よ うに場所性 との関 わ りを考 え な が ら作 品 作 りを して
い る。 つ ま り,作 品設 置 も制作行為 の延長 とな り, その ことは作品作 りその もので もあ り,
いわ ゆ る絵筆 を まだ動 か して い る状 態 なので あ る。
ところで, 『原爆 落下 中心碑 (
三 角柱 )』 撤去 問題 で は前 々号 の拙 文 で も報 告 した よ うに
市議 会 によ って不採択 とな ったに もかかわ らず,被爆 2世 の方 々 の粘 り強 い運 動 に よ り,
今年 2月初 め に長 崎市長 が 『原爆 落下 中心碑 (
三角柱 )』 撤去 せず, その ま まの状 態 で存 続
させ る意 向 を示 した (
註 6) (
写真⑲ 二
)
0
その後,私 は 『三角柱』 を絵 画 の モチー フあ るいはテーマ と して作品作 りに取 り組 ん だ。
その作 品 を今春 4月 に真木 ・田村画廊 において個展 を開催 し発表 した0
三角柱 を絵画 の テーマ と して
私 は これ まで 「絵画」 を制作 して きた。 つ ま り,「絵画」 その ものを制作 し展 開 して きた。
そ して, 具体 的 な モチ ー フとか, あ るいは特別 なテー マや タイ トル等 を掲 げて絵 画 制 作 を
行 うことはあ ま りなか った。 と ころが,今回の よ うに三 角 柱 を絵 画 の テ ー マ と した り, 辛
和 の メ ッセー ジ性 を打 ち出す ことは極 めて まれな ことで あ り, これ も長 崎 とい う場 所性 が
私 に必然 的 な テーマ と して迫 って来 たので あ る。
画廊会場 で は 『三 角柱』 を テーマ と した作品 を前 に して, 来 場 して くだ さ った お客 に私
は次 の よ うな コメ ン トを した。
1.爆心 地公園 にあ る 『原爆 落下 中心 碑 (
三角柱 )』 の撤去問題 につ いて, これ まで の経 緯
を説 明。
2.特 に戟後 1
0年 目に北村 西望氏 が 自 らの提案 で,平和 公 園 に 『平 和 記 念 像 』 が設 置 実 現
した同 じ頃,他方,長崎市 が爆心 地公 園 に恒久的 な意味 を込 めて爆心落下 中心碑 のモニュ
メ ン トの懸賞募集 を行 い,一等賞 と して 『三角柱』 が選 ばれ,設 置 された こと (註 7),
0年 とい うまだ まだ経済 的 に も貧 しさが続 く中 に, そ の抽 象 形 体 は造 形 的 に
また,戦後 1
も ミニマル アー トに も匹敵 し, ど こまで も形体 は シ ンプルで あ る こと。 そ して, 永 遠 を
象徴す る芸術 的 な静 ひっ さを も備 えてお り,祈 りの形 体 にふ さわ し く, 何 よ り も当時 で
ない と生 み 出せ な い リア リテ ィを もって い る こと等 を伝 え る。
3. この 『三 角柱』 の底面 (断面) が二等辺三角形 で そ の頂 点 が角度 300 で あ り, この角
00mで爆破 さ く裂 した点 を求 めた科学 的 な角度 とぴ った りと一 致 し
度 こそは原爆 が上空 5
て い る (お そ ら く作者 は この ことを知 って制作 した と筆 者 は推 測 す る) こ とか ら芸 術 が
科学 的 な根拠 に基 づ いて作 られ た作品 と して意義 のあ る芸術作品 で あると言 え る。
4.-等賞 に選 ばれた松雪好修氏 を報道 関係 を通 して調 べ て も ら った り したが, そ の方 の
消息 がっか めず , 現 在 の と ころ作 者 か らも名 乗 り出ず, 結 局 の と ころ当時 の新 聞 報 道
(
註 8) で しか作者 名 がわか らないのが現状 で あ る。 この ことが極 めて匿名 的 (註 9) で
1
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憧
亮
あ るが故 に, それ こそ平和 その ものに相 応 しく,正 し く象 徴 的 な もの と して, 私 は深 く
感動 して い る ことを話 す。
以上, 4つ につ いて語 った。作 品発表 の上 にお いて今 回 の よ うに言 葉 で語 りか け た ケ ー
スの例 はあ ま りな く,来場者 の反応 は今 回 の作 品 に メ ッセ ー ジ性 が あ った た め に, 私 の通
常 の作 品展 をす る以上 に理解 を示 して くれ た印象 が した。
三角柱 の作 品の素材 と形体 につ いて
この もと もとの三 角柱 は御影石 か ら成 り立 って い る。 この三 角柱 はその形 体 を仰 い だ り,
0
0が意 味 す る もの は何 か を探 る一 つ の方 法 と
見 た りす る もので あ る。 この三 角形 の角度 3
して,私 は物理 的 に この三角柱 の内部 に入 って見 る こ とで何 か を見 出 す こ とが で きな い も
のか と考 えて, そ こで この内部 に入 って行 け る "三 角 柱 "とい う もの を作 品 化 して み た の
であ る (
写真㊤ )。 この内部 に入 って行 け る作 品 を 2点制作 した。 なぜ 2点 に な った の か と
言 えば,一 つ は木材 で割 と重 さの あ る もの (これ は対 を なす作 品 とな るが そ れ を一 組 1点
と して, その一方 に鏡 を取 り付 け る) (
写真③ ,⑤,⑩,㊨ ,㊨ ,㊨ ,㊨ ) で あ り, も う一
つ は紙 で出来 た軽量 な ものを作 り (
写真②,④,⑭,⑲,⑳,㊨ ,㊨ ,㊨ ,㊨ ), 結 局 の と
ころそれ ら素材 の対比 的 な表現 を してみ たか ったか らで あ る。
前 者 の対 をなす作 品 は木材 を主体 に して,反転 す る空 間 を取 り組 み な が ら, この三 角 柱
0
0を生 か した立体作 品 を試 み た。 この対 をなす作 品 は
の角度 3
1つ は節 の あ る杉 板 (写 真
⑫,⑬,⑮,⑬) で構成 し, もう 1つ の方 は合板 で組 み, そ の 中 に鏡 を取 り付 け た (写 真
③,㊨ ).
こうす る ことによ り鏡 の有無 で よ り対 とな る立 体 作 品 を比 較 す る こ とに な る。 つ
ま り, 私 は杉 板 の場合, 節 目に刺激 されて, それ らを意識 的 に残 しなが ら着 彩 を した た め,
"目玉 "の あ る顔 (
生物 の, あ るいは人 間 の) の イ メ ー ジが浮 き上 が って くる よ うに見 え
る (
写真⑫,⑬,㊨ ,㊨ )。 これ に対 し, もう一方 の合板作 品 の鏡 は見 る人 を "自 らを見 る,
あ るいは見 え る '
'装 置 と した (
写真③,㊨ )。 この対 の三角柱 は室 内 に設 置 す るた め高 さ1
8
0c
mぐらいの大 きさ と した。
本来 この三 角柱 は二等辺三 角形 で あ るが, この対 とな る作 品 に は私 は, そ の ま ま の二 等
辺三 角形 とせず,二等辺 の一方 を長 くした。 この ことに よ って見 る方 は, この三 角 柱 の角
度 を見 るばか りで な く, 目玉 に出 くわ して, あ るい は, 鏡 に よ って何 れ も自身 を見 出 す こ
0
0を 2つ生 か して配置 す る)。 この長 い方 の一 辺 の壁 面 に木
ととな る (この作 品 に は角度 3
で組 み,短 い方 には不透 明 な ア ク リル樹脂 板 を用 いた。 これ は光 を通 す 作 用 を応 用 し, 特
に鏡 の設 置 で は不思議 な空 間 を醸 し出す ことにな った (
写真③,⑤,㊨ )0
美術 の結 び (
行方)
現在,長 崎 で は,落下 中J
L、
碑撤去 によ るパ ブ リック ア ー トの問 題 と諌 早 湾 干 拓 事 業 の問
題 に直面 し, 時 の大 きな流 れ の中 にあ る。前者 の落下 中心 碑 を行 政 サ イ ドは撤 去 す る こ と
で強硬 に推 し進 めて来 たが,結 果 的 には, 落下 中心 碑 の モ ニ ュ メ ン トは存 続 と し, 母 子 像
も併 せ て設 置す る こととな り,行政 サ イ ドは大 き く揺 れ た。 けれ ど も母 子 像 はパ ブ リック
アー トの厄介 な副産物 と して設 置 され たため,新 たな問題 を投 げ か けて い る。 後 者 は も う
一 つ重要 な出来事 で, それ は現地 で は1
0年前 よ り問題 視 され て きた 自然 と環 境 破 壊 の干 拓
絵画的空間の一考察
1
5
事 業 で あ る。 この何 れ も行 政 サ イ ドの主 導 型 が市 民 - の疑 問 視 - と ク ロー ズ ア ップ され て
きて い る証 しで あ ろ う。 今 こそ, 私 た ちが生 きて行 くた め の条 件 と権 利 と活 性 化 を求 め て
主 張 すべ き時 で もあ る。 一方 , やが て廃 れ て行 く洋 館 群 と長 崎 の風 物 等 の保 存 とそ して再
生 に向 けて, 何 れ も, 芸術 家 のみ な らず, 芸 術 を愛 す る方 々 や い わ ゆ る一 般 の人 々 が, よ
り良 い住 み やす い環 境 作 りに 目を向 け, 何 か を感 じ, そ して 貢 献 して 行 きた い と い う思 い
を寄 せ て きて い る こと も事実 で あ る。
私 は芸術 作 品 に関 わ る出来事 との 出会 い によ って, そ こか ら私 の絵 画 制 作 の 中 に大 い に
反 映 させて い くべ きだ と思 う。 なぜ な ら リア リテ ィは, い ま, こ こ に リア リテ ィ と感 じて
い る世 界 の中で初 めて獲 得 す る もので あ るか らで あ る。
芸術 の活動 にお いて, かっ て,私 が積 み重 ねて きた プ ロセ ス の 中 に, "そ もそ も芸 術 と
は 日常性 を超 え, いわ ゆ る俗 的 な もので な く, もっと高 尚 で , しか も妥 協 を許 さな い世 界
で あ り, そ して清 らか な世 界 で あ る "と思 い込 んで きた。 この よ うな先 入 観 が 寄 生 虫 の よ
うに, 現在 の私 の心 に も宿 って い る こと も確 か で あ り, この よ うな憧 れ はず っ と祈 りの よ
うに持 ち続 けて い る。 けれ ど もこの よ うな "もっと高 尚 で, 清 らか な世 界 で あ る "の悼 れ
はあ って も, それ は と りあえず, 目標 で しか過 ぎな い ことを長 崎 で生活 を して い く うち に,
学 生 や周 りの人 々か ら, あ るい は自然 か ら教 え られ, それ に気 づ いて きた。
そ して, 内 な る私 の世 界 を構築 す るに は,私 の五感 や , あ る い は私 が 私 で あ る こ と に気
が付 か せ て くれ る 日常性 を深 く掘 り下 げてみ る ことが, 当面 の私 の 芸 術 す る課 題 とな って
きて い る。 そ こに は さ りげな い私 の 日常 性 を通 して, 時 に は予 想 外 に迫 って 来 た 日常 の 中
に も芸 術 と して表現 で きる何 か が潜 在 して お り, それ らを も含 め て 制 作 し続 け て み た い と
思 う。
今 回 は長 崎 の風物 の一 つ で あ る市 場 の ギ ャラ リーで作 品 発 表 を す る こ とや, ま た, 落 下
中心碑 を テ ーマ に取 り上 げ, 作 品 の中 に メ ッセ - ジ性 を導 入 す る こ と に よ って, 私 は, 良
崎 にお け る美術 の役割 の一 つ で あ る再 生 を, そ して平 和 を実 現 しよ う と これ か ら も努 力 を
続 けて い くつ も りで あ る。
註
(
註 1, 2)朝 日新聞 '
9
7 4月 1
5目付
芸術の 「
場」与える寺院 遠藤保子著 よ り特 に""の印内を引
用
3)市場のギャラリーサイズ :WXLXH-2
3
8×3
9
1×2
2
4(
c
m)
(
註 4)長崎新聞 '
9
7 3月 8日付 市場に芸術作品展示
(
註
(
註 5) 日蘭交流4
0
0周年を言
己念 して長崎市が2
0
0
0
年を目指 して力を入れている。
(
註 6) 長崎新聞 '
9
7 2月 1日付
(
註 7, 8)長崎日々新聞
「中心碑」現地存続へ (トップの見出 し)各報道機関参照。
昭和3
1
年 6月1
4日付を参照のこと。
(
註 9) 芸術は本来,近代になってか ら,次第に人間性の芽生えとしての個人の自由を認め始め,特に
芸術では個性を全面に押 し出す ことが必要 とされたが,現代ではその個性に対 して,む しろ,
非個性であることの方に, より今 日的な側面を出 してきた。例えば,色そのものの原色は 1つ
の色の記号化であるが故に,非個性 となる。現代美術の非個性化の表現 として,例えば,版画
(シルクスクリーン)のように量産 され,それによって匿名性が帯びて来た。私 に とって は,
今回松雪氏の場合,文字通 り匿名性 となっており,その方がより芸術作品を作 ったというリア
1
6
井
川
憧
亮
リテ ィを感 じさせ る。 その ことによって もっともっと意義深 く捕 らえ, また, この匿名性 こそ
は平 和 そ の もの を象 徴 して い る と言 え る。
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