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魔導師は平凡を望む - タテ書き小説ネット

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魔導師は平凡を望む - タテ書き小説ネット
魔導師は平凡を望む
広瀬煉
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
魔導師は平凡を望む
︻Nコード︼
N9734BB
︻作者名︼
広瀬煉
︻あらすじ︼
ある日、唐突に異世界トリップを体験した香坂御月。彼女はオタ
ク故に順応も早かった。仕方が無いので魔導師として生活中。
本来の世界の知識と言語の自動翻訳という恩恵を駆使して異世界で
生きる彼女。ところが現実は厳しかった。
癖があるどころか乙女の夢をぶち壊す美形連中と異世界人の扱いを
知った彼女は痛感する。
﹁恋愛フラグは立たない、絶対に⋮⋮!﹂
1
⋮⋮保護された国は天才︵=非凡︶+異様に綺麗↓壮絶なマイナス
要素あり、という実力至上主義な国だった。
︱︱これは何の役目もなく異世界に辿り着き、これまでの知識をフ
ル活用して障害を取り除こうとする枯れた女性の物語である。
※基本的に主人公最強です。
2
登場人物︵ネタバレあり︶︵前書き︶
増えてきたので主なものだけ。
3
登場人物︵ネタバレあり︶
登場人物 ︵本編が進むごとに追加予定︶
※無駄に美形揃いなのは只でさえ主人公の世界に比べ整った顔立ち
の人が多い︵しかも西洋系︶上に、身分の高い人が多いからです。
特に貴族・王族は顔か家柄か能力で結婚するので美形率高し。
美人は三日で飽きるという法則が見事に発動しているので主人公は
相手が美形だろうと一般的な扱いです。
しかも異様に綺麗+有能=変人︵=壮絶なマイナス要素あり︶とい
う法則を信じています。
香坂 御月 ︵コウサカ・ミヅキ︶
年齢:26
趣味:料理とオンラインゲーム
外見:背中までの黒髪をポニーテール・大きな黒い瞳
気が付いたら異世界に居た不幸な人。
趣味は料理と家庭的だが、ゲームやアニメを地味に愛するオタク。
ただし、二次元と三次元の区別はしっかりつけるので夢見る女性に
はならなかった。
美人だが色々と枯れている残念な子。ヒロイン資質ゼロ。S属性寄
りの容赦なさ。
﹃知識﹄を何らかの形で利用する事と形にする事に関しては天才的。
発想や常識がゲーム基準なので異世界では微妙にズレている。
ゴードン
4
年齢:50
職業:医者
趣味:薬の調合
外見:灰色の髪と瞳のインテリ系
御月を拾った村医者。善人。魔法も使える。
御月の事情を理解し保護してくれた温和な先生。
以前は城仕えしており、その時の人脈を活かして王宮に伝がある。
ミヅキの報告は純粋な親切心からとった行動だが、これが苦難の幕
開けとなった。
ある意味、元凶。優しいお医者様は無自覚に鬼。
結婚していない所為か保護者を通り越してミヅキの父親を自負する
﹃この世界のお父さん﹄。
アルジェント・バシュレ
年齢:25
職業:白き翼隊長︵第二王子の親衛隊其の1︶公爵家三男。
趣味:自己鍛錬・己より強い者に挑む・ミヅキを構う
外見:長い金髪を首の後ろで縛っている・優しげな緑の瞳
淡い金髪に緑の瞳を持った美形騎士。常に穏やかな笑みを湛えてい
る。
白い騎士服が良く似合い、顔も性格も腕も良いので女性からの人気
は高い。
ただし、﹃自分より強い者に苦痛を与えられることに悦びを感じる﹄
という変態。
白き翼はこいつに選び抜かれた精鋭︵別名・同類︶揃い。
天は二物も三物も与えたようだが総合的にマイナス。
5
クラウス・ブロンデル
年齢:25
職業:黒き翼隊長︵第二王子の親衛隊其の2︶
趣味:魔導具の製作・情報収集・ミヅキと魔術談議
外見:片目を隠すような前髪・長めのショートカット
黒髪に藍色の瞳の美形騎士。常に無表情で感情が読めない。
黒い騎士服は似合っているが表情と相まって畏怖されることも多い。
その手に成る魔導具は隠密御用達、つまり趣味の情報収集=盗聴と
覗き。
その仕事振りは情報通を通り越して犯罪者。奴に探れぬものはない。
騎士というより職人。技術への冒涜は許さない。
白と同様に黒き翼はクラウスに認められた精鋭︵同類︶である。
エルシュオン
年齢:25
職業:イルフェナ国第二王子
趣味:貴族苛め・暗躍
外見:肩下くらいまでの緩くウェーブがかった金髪・利発そうな青
い瞳。
アルジェントとクラウスの飼い主。別名・魔王。自国以外はどうで
もいい最終兵器。
明るい金髪に青い瞳の天使の容貌ながら腹の中は真っ黒。
誰もが見惚れる笑みで容赦無く毒を吐き、生かさず殺さずする鬼畜。
彼の辞書に反省と敗北の文字はない。その原動力は愛国心である。
幼馴染のアルジェントやクラウスも止めないので軌道修正されるこ
となく今に至る。
6
表面的な性格は穏やかで聡明な国の人気者。
アベル・ディーボルト&カイン・ディーボルト︵騎士s︶
年齢:23
職業:騎士︵城勤め︶
趣味:鍛錬・スイーツ探し︵甘いものが好物︶
外見:明るい茶色の髪・同じ色の瞳
※双子なので色彩は同じ。アベルの方が若干長髪。
ミヅキに﹃助けてくれ﹄と縋ってきた騎士。当然の様に情けない。
しかし、仲の良い家庭に育った所為か面倒見がよくミヅキのことも
放って置けない。
力関係に敏感で危機察知能力は冗談の様に高いという一面も。
貴族ながら平民出身の騎士とも比較的仲良くできる為、情けなさも
愛されるべき要素となっている。
十分整った顔立ちなので密かに人気は高い。
※※※※※※
ゼブレスト
ルドルフ・イル・ゼブレスト
年齢:23
職業:ゼブレスト王
趣味:鍛錬・城下町の散策︵お忍び︶
外見:明るい茶色の髪に同色の瞳
ゼブレストの王。整った顔立ちで美形ではあるが近寄り難い感じは
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ない。
﹃ルドルフ﹄という個人としては親しみ易い性格で御月の親友。
国のトップとして十分な実力があるが冷酷な面を滅多に見せない為、
嘗められがち。
怒らせた時=最後の時である。
先代と違って実力や人柄を重視する傾向にあるので貴族に敵多し。
﹃一度見たり聞いたりしたことは忘れない﹄という特技がある。
アーヴィレン・クレスト
年齢:28
職業:ゼブレストの宰相
趣味:読書・仕事
外見:黒の長髪に灰色の瞳
ゼブレストの宰相。クレストは公爵家の中でも最上位で王族と血の
繋がりもある。
切れ長の瞳をした冷たそうな美形。実力至上主義。
﹃頭脳は時に剣に勝る﹄を地でいく人なので彼の報復は一部で恐れ
られている。
ゼブレストの最後の良心。胃薬がお友達な苦労人。おかん。
彼にとってルドルフとミヅキは﹃有能だけど手のかかる双子の弟と
妹﹄。
セイルリート・クレスト
年齢:27
職業:将軍
趣味:鍛錬
外見:青みがかった銀髪と薄い水色の瞳
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ゼブレストの将軍。アーヴィレンの従兄弟。現在ゼブレストで最強
の騎士。
変人並みの美貌を持つミヅキの護衛。側室達の餌。
穏やかな人柄で常に優しげな笑みを湛えているので近寄り難い感じ
はない。
男女共に好かれる好青年だが本音が見えないとも噂されている。
腹黒で容赦の無い性格。微妙に壊れている。紅の英雄。
エリザ・ワイアート
年齢:23
職業:侍女︵現在はカルリエド伯爵夫人︶
趣味:ルドルフ達の世話を焼く・鍛錬
外見:ウェーブがかった赤毛を一つに纏めている・明るい茶色の瞳
ルドルフの乳兄弟。
背が高く凛々しい感じの頼れるお姉さん。
ルドルフの乳兄弟で姉のような存在。
自分の事しか考えない姉に愛想を尽かし切り捨てた。
鉄拳制裁が当然と考える女傑。ミヅキの味方。
ミヅキを尊敬する変わった人。
おたま︵タマちゃん︶
出身地:城の近くにある沼
種族:カエル︵魔物︶
外見:緑の体に通常より小柄な体
ミヅキ発案の嫌がらせの為に仲間共々拉致されてきた。長個体。
オタマジャクシという呼び名がなかったので、そのまま名前になっ
た。
牙も爪も持たない種族には異様に知能の高い個体が生まれるが、お
たまはそれに該当。
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死にかけていたところをミヅキに救われ可愛がられたので親の如く
慕っている。
ぱっちりとした目の割と愛らしい外見だが、育て親の影響か敵に対
し容赦が無い。
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始まりの記憶と現在の心境︵前書き︶
暇潰しに読んでいただければ幸いです。
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始まりの記憶と現在の心境
人生にはアクシデントがつきものである。
今日まで平穏だからといって明日もそうだとは限らない。
⋮⋮そんなわけで。
気が付いたらファンタジーな世界に居ました♪
簡単に済ますなと言わないでくださいな。だって立眩みして次に
目を開けたら異世界です。
召喚された形跡も神様︵元凶︶との対話なんてものもなく森の中。
﹃テ⋮⋮テレポート? 超常現象か!?﹄なんて思ったのは一瞬で
した。
上を向いたら太陽らしきものが二個あるんだもの。地球じゃねえ
よ、明らかに。
呆然とする
←
現実逃避してみる
←
地面にしゃがみ込みのの字を書いて落ち込む
以上、こちらに来てからの私の行動。
人間、想定外の事態に陥るとよく判らない行動をするものだ。
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無情に時を刻む腕時計が妙に現実的。
とりあえず流行の﹃異世界トリップ﹄というやつじゃないかと自
分を無理矢理納得させました。
オタクとしてネット小説を読み漁り、ある程度の理解があるから
こその認識です。
何の知識も無く我が身に起これば普通はパニック起こすんだろう
な⋮⋮さっさと正気に返って今後を考えてるあたり私もどうかと思
うけど。
無駄に冷静な自分に可愛げのなさを感じ遠い目になったのは秘密。
夢見る乙女じゃなくてごめんよ、異世界。
オタクな若いお嬢さんなら異世界トリップに心躍らせてくれたか
もしれないね。
さようなら、文明生活。できれば近いうちに帰りたい。
まずは割り切って生きることに専念しよう。永住する気は全然無
いけど。
この際、お約束な逆ハー要素やチート設定なんてものが出てきて
も理解を示そうじゃないか。そんなものがあるならば、ですが。
﹁とりあえず人の居る所を目指しますか﹂
幸い近くに道らしきものが見える。辿っていけば村や町に着ける
だろう。
そう決めると私は生きるべく行動を開始した。さすがにこの状況
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で野宿は遠慮したい。
無駄に現実逃避してても事態は変わらないしね? とりあえずは
行動ですよ。
その後すぐに通りかかった馬車に拾われたのは幸運だった。
⋮⋮迷子と勘違いされたのだとしても。
そんな風に思っていた時期もありました。
今現在︱︱異世界滞在三ヶ月目に突入︱︱はそんなこと欠片も思
っちゃいませんが。
幸いにも魔力持ちだったので知識を活かして魔導師になりました。
人生何があるか判らんね。
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結論から言えば⋮⋮異世界トリップのお約束設定は一通りあった。
見付けてないのは最重要の帰還方法だけ。まあ、簡単な筈は無い。
あ、チート能力は﹃この世界にあるどんな言語も理解できること﹄
みたいですよ。
自動翻訳されるので意思の疎通に不自由は無いし、読むこともで
きます。書けないけど。
最大の強みが﹃この世界以外の知識を持っていること﹄なので基
本的に自分の実力勝負。
要は自分の知識をどう活かすかにかかっているんだな、これが。
小説みたいに﹃何もしなくても凄い力を秘めている﹄なんて甘い
ことはないようです。
現実は厳しいな! いや、普通に考えれば当然なんだけど。
問題は﹃お約束要素﹄が実在したことだった。
すなわち﹃異世界でチート能力使って逆ハー状態﹄。
面倒です、物凄く。全力で拒否いたします!
何故かって?
それらはあくまでも﹃物語﹄であるからこその素敵な設定なので
すよ。
普通に考えて現実では起こり得ないからね?
﹃読み手﹄から﹃物語の登場人物﹄になった時点でそれは現実なの
です、お嬢様方。
騎士様も王子様も勿論いらっしゃいますよ?
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日本にも皇族や自衛隊が居る如くファンタジー世界では当たり前。
居なきゃ困る。
魔法だってありますよ?
この世界ではそれが﹃当たり前﹄なんだから。
で、一体何が言いたいかと言いますと。
﹃夢は見るな﹄
はい、これに尽きます。
美形な王子様は居ました︱︱中身が魔王ですが。
美形な騎士様達も居ました︱︱腹黒かったり変態ですが。
逆ハー要素も十分です︱︱仕事の都合上野郎ども満載です。命の
危機もあるよ♪
⋮⋮羨ましいか、これ?
ふふ、平凡とか並って素敵な言葉だったんだな。まさか異様に綺
麗な顔とか有能さが変人の証明とは思うまい。
非凡︵=天才︶+絶世の美貌↓壮絶なマイナス要素あり。
この世界に来て学んだ事の一つですよ、これ。元々この世界の人
達って整った顔をしているけど、その中でも極上の類は地雷です。
いや、いきなり異世界に放り出された身としては生活保証される
だけマシですよ?
夢見るお年頃じゃない二十代後半としては現実問題として感謝し
てます!
だけど⋮⋮だけど!
これだけは言いたい!過去のトリップ経験者&今後経験する人達
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の為に⋮⋮!
美形が揃いも揃って関わりたくない性格してるって何の嫌がらせ
だ、コラァ!
恋愛要素満載? 見目麗しい男性達との素敵な出会い?
はっ! 厄介ごとがセットになった美形なんざ観賞用で十分です
! 少なくとも私には命懸けで愛でる趣味も貫く愛も無い。
私は庶民! 民間人!!
ゲームの世界なら村人Aです。メインキャラとの関わりなんてご
ざいません。
間違っても権力争いだの存亡の危機だのに関わるポジションには
いないのですよ。
そう、各種フラグ立ちまくり∼な彼等と関わりさえしなければ⋮
⋮!
︱︱これは何の役目もなく異世界に辿り着き、これまでの知識を
フル活用して障害を取り除こうとする枯れた女性の物語である。
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保護されました
﹁ほう、異世界人とは珍しい﹂
私を回収して村に連れてきてくれたゴードン先生︱︱この村のお
医者様だそうな︱︱はあっさりと理解をなさいました。
そう、実にあっさりと。
いやいや、もう少し疑おうよ。不審者でしょうが、どう見ても。
私の様子に何を思ったか察したのか、先生はお茶を勧めながら爆
弾発言をなさいました。
﹁この世界には稀に君のような異世界人が来るらしい。この村にも
昔から言い伝えられている﹂
何と! これまでにもお仲間がいらっしゃいましたか!
﹁あの森から見たこともない服や外見の旅人が現れるという伝承さ。
彼等は多くの知識をこの世界に授けたことから﹃狭間の旅人﹄と呼
ばれている﹂
﹁ハザマノタビビト?﹂
﹁彼等は確かに異世界から来てこの世界に存在した。だが、彼らに
ついて残っている記述はその功績のみ。いつからか﹃新たな世界へ
と旅立った﹄という説が生まれそこからついた名だ﹂
ああ、なるほど。
その後の詳細が不明ってことですね。
希望的観測では無事に元の世界へ戻っていてほしいけど、普通に
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行方不明とか十分ありそうです。
生活できてたなら墓の一つくらい残ってる筈。何があった、一体。
私がそんなことを考えている間も先生は何冊も本を開きながら説
明してくれている。
﹁魔法の幾つかも彼らが作ったとされているが⋮﹂
﹁魔法? あるんですか?﹂
﹁うむ、勿論あるぞ。君も魔力持ちだろう?﹂
⋮⋮。
⋮⋮。
⋮⋮⋮マジ?
かくり、と思わず首を傾げたのは条件反射ですとも、ええ。
でも先生は﹃何を今更﹄と言わんばかりに平然としている。
魔法ってあの魔法だよね?
オンラインゲームでは魔法職だったけどリアルで魔法使えるの?
ちょ、異世界一日目にしてこの展開ですか!?
﹁えーと⋮⋮その、私は魔法がない世界から来たんですが⋮⋮﹂
先生の表情が興味深げなものに変わった。
おお、好奇心が疼くのですね、わかります。
私も自分が魔力持ちと聞いた途端に試してみたくてたまりません
からね。
魔法使い⋮⋮何やら素敵な響きです!
﹁試してみるかね?﹂
﹁勿論です!﹂
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にやり。
意思の疎通はばっちりです。
先生、年相応の落ち着きが消えてますよ。確かお歳は五十間近で
したよね?
少年のごとく瞳が輝いて隠す気のない好奇心がとっても素敵。
︵自分に正直な人なんだろうなぁ⋮⋮正直過ぎて敵を作ってそうだ
けど︶
一瞬そんなことを考えたけど私個人としては好ましいですよ?
私としても異世界人という前提で相談できる相手に出会えて嬉し
い限りです。
この世界に居る間はできる限り貴方の知的探究心にお付き合いい
たしますとも!
でも、とりあえずは折角淹れて貰ったお茶を飲んでからにしませ
んか。
⋮⋮先生、逃げませんから落ち着いてくださいよ。
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魔法使いになってみよう
魔法︱︱存在しない世界出身の私からすればある意味憧れです。
幸い魔力はあるようなので︵高い方だと言われましたよ! ︶早
速チャレンジです!
ところが⋮⋮
﹁あれぇ⋮⋮?﹂
何も起こらない。別の世界から来た人間には無理なのか??
﹁ふむ⋮⋮詠唱に問題はなかったようだが﹂
首を傾げるゴードン先生。どうやら手順に間違いはない模様。
ちなみに魔法の手順は
魔力を集中する
←
魔法をイメージする
←
呪文を詠唱する
←
﹃力ある言葉﹄で発動
となってます。
最初聞いた時に何て危険なんだと思ったのは当然だと思う。だっ
てヤバくね?
魔力持ちが本を読みながら口ずさんでも発動可能じゃないかと。
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ところが先生曰く﹃力ある言葉﹄さえ口にしなければ大丈夫なん
だとか。
あとイメージすることも重要だそうな。
﹁発動しても認識できないほど魔力は低くない筈だがね?﹂
そうですねー、明らかな不発だと思います。
魔力が高い方だと判っているわけですし。
実はこの魔法というもの、生まれ持った魔力に威力が比例するら
しい。
なので魔力が低いとどんなに努力しても無理だとか。
発動していないのではなく、はっきりとした効果が現れないんだ
って。
まあ、魔力の宿った護符や魔石といったドーピングを施せばでき
るようにはなるみたい。
が。
その場合は制御がし難くなるという弊害がでるので注意が必要。
魔力不足は何とか出来てもコントロールする才能がなければどう
にもならないわけですか。
つまり身の丈に合った魔法を使え、と。
﹁詠唱は合ってた筈なんですが⋮⋮﹂
改めて開いたままの魔導書を覗き込む。
呪文は全てアンシェスと呼ばれる古代語で書かれているので詠唱
も勿論その言語。
教科書らしく上に共通語で読み方がふってあるので問題は発音か。
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﹁えーと⋮⋮﹃我が手に宿る力を糧とし一時の光を我が前に⋮⋮﹄﹂
﹁何だと!?﹂
あれ、先生が凄い顔でこちらを見た。訳して口にするのはまずか
った?
﹁読めるのか?﹂
﹁はい、異世界人の特権であらゆる言語がわかるみたいです﹂
これはお茶の時間に確認済み。チート能力万歳。今のところ全て
の言語問題なしですよ!
読むだけで書けないから覚えなきゃならんけど。
先生との会話も普通にできているので自動翻訳されていると推測。
私が話しているのは勿論日本語だけど、先生の言葉も日本語に聞
こえてるからね。
文字が違う以上は言葉も違うでしょうよ、絶対。
﹁今の言葉は光の初級魔法かね?﹂
﹁はい、そうですよ。﹃光の珠﹄ですね﹂
先生は何やら考え込んでしまいました。
あれー? これ、教科書にある内容だよね? 初心者用だよね?
でもその認識は間違ってたっぽい。
﹁実はな⋮⋮我々はその魔法を使うことは出来てもアンシェスは解
読できておらん﹂
﹁は?﹂
﹁古代の魔導国家アンシェスで使われていた言語らしいことからア
ンシェスと呼ばれているのだが⋮⋮それさえ正しいのか判っていな
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い。人の歴史全ての始まりであると解釈し創世語と呼ばれることも
ある﹂
﹁でも読み方は伝わってますよね?﹂
﹁アンシェスと交流のあった国が滅びて後、その生き残りが各地に
散らばり様々な国の祖となったと言われている。その頃なら解読で
きたのだろうな。滅びたとされる古代都市にもアンシェスからと思
われる技術が残っていたそうだ﹂
先生曰く、魔法だけでなく様々な方面にアンシェスの名残らしき
ものがあるのだと。
それが今でも十分使えるなんて随分と高度な文明を持った国だっ
たんだね。凄いな、アンシェス!
⋮⋮凄過ぎて他国はろくに理解できなかったんじゃないのかと思
ったけど言わない。
私は空気を読む子ですとも、ええ。
﹁つまり自分達で作ったわけじゃないから理解できず、意味も判ら
ないまま呪文としてそのまま伝わってきたと﹂
﹁必要なのは魔力と正しい発音だからな、言葉の意味までは理解で
きておらんのだよ﹂
意外な事実判明です。おいおい、魔法世界がそんないい加減でい
いのか!?
自力で問題を解かず答えだけ写したから理解できていない、なん
て学生の宿題じゃあるまいし。
呆れながらも本を眺めるうち⋮⋮ある可能性に思い至った。
︵⋮⋮ん? これはもしかして︶
とりあえず実験。﹃光の珠﹄なら明るいだけだから問題はないよ
24
ね。
では、早速。
パチン!
﹁な⋮⋮!?﹂
指を鳴らすと同時に目の前に輝く球体が出現しました。成功!
あ、お悩み中の先生に説明しなかったので驚いてる。
驚かせてごめんなさい。とりあえず説明しますか。
﹁あのですね、呪文って魔力制御の文面が大半なんですよ。﹃光の
珠﹄なら掌サイズくらいでしょうか﹂
掌に魔力を集中させる。見えないけれどそこには魔力があるはず。
﹁憶測ですが呪文の詠唱は術者本人の何割の魔力を使う、という意
味だと思います。最低ラインが設けられているので術者の魔力自体
が低ければ不発に見える﹂
意味の判らない呪文は魔力量の調整と制御の為。ならば必要なの
は明確なイメージ。
これなら私が魔法を使えなかった説明がつく。
だって私は﹃魔法のない世界﹄の人間。
魔法がないことが当たり前なんです。無意識の拒絶と言ったらい
いだろうか。
本来の世界で﹃出来ないこと﹄と知っているからこそ不発に終っ
た。
この場合は﹃何が起きるか想像できなかったから﹄ということで
25
しょう。
⋮⋮だから今私が成功させた﹃光の珠﹄も私の勝手な想像の産物
なんだけど。
指を鳴らしたのは単に切っ掛けというか合図。意味なし。
﹁そして﹃力ある言葉﹄はどれも魔法そのものを表しています。だ
から﹃力ある言葉﹄を紡ぐことで魔力が具現化するのではないでし
ょうか﹂
魔法とはどれも術者の魔力から成る物。光でも炎でも魔力が具現
化したものだということです。
ならば明確なイメージさえあれば魔力量の調整も﹃力ある言葉﹄
も必要なし。
起こる現象を最も強くイメージする切っ掛けが﹃力ある言葉﹄。
力ある言葉で魔法が発動する、と認識しているのだから。
﹁なるほどな。あらゆる言語を理解し魔法の原理を追及できる君な
らではの発想だ! だが⋮⋮﹂
そう言うと先生は難しい顔をして己の手を見つめた。
﹁おそらくこの世界の人間には不可能だろう。私も納得は出来ても
その方法で魔法は使えん。魔力を暴走させるのがオチだろうな﹂
﹁難しいですかね?﹂
﹁呪文に頼りきったこの世界の魔術師達は自分で制御することをし
ない。迂闊にこの方法を広めればとんでもないことになると思った
方がいい﹂
﹁試したり自分で魔法を組み立てる人はいなかったんですか?﹂
﹁魔法を自分で組み立てる連中は魔導師と呼ばれる。彼等は自分の
道を追及するばかりで地位や名声に興味を示さんからなぁ﹂
26
どうやら自分で魔法を組み立てられる人はとってもマイペースな
ようです。
一種の研究職なのでそれは元の世界にも通じるものがありますな。
﹁それに今まで学んできた知識がある限りそう簡単に認識が覆るこ
とはあるまい。君も魔法が使えなかっただろう?﹂
﹁確かに⋮⋮﹂
﹁思い込みと言われればそれまでだが、ある意味自己防衛本能なの
かもしれん。君は魔導師になるしかなさそうだがね﹂
魔術師すっとばしていきなり上級職の魔導師になったようです。
レベルが足りてないのにジョブチェンジしていいのか、私。
でもさっきの解釈で魔法が使えるなら私も色々とできるかもしれ
ない。
しっかりとイメージできていて魔力が足りてさえいれば思い通り
の魔法が使えるって証明されたからね!
基本的に魔力は﹃何かをする為の動力﹄と捉えた方が理解し易い
かもしれん。
自然治癒能力を爆発的に上げて治癒魔法、化学式からの分解・合
成も多分できる。これを利用して炎や水の魔法を使えば魔力消費も
少なくて済むんじゃないだろうか。
⋮⋮威力を間違えたら死にそうだけど。練習練習。
おお、何やら一気に魔導師っぽくなってきました!
大半が私しか使えないオリジナル魔法になりそうだけど、これな
ら十分生きていけそうです⋮⋮!
雑学と理系だったことが魔法世界で役に立つとは思わなかった。
意外です。
27
﹁君は異世界人というだけでなく魔術の面でも異端だ。できるだけ
周囲に溶け込むよう努力なさい﹂
はしゃぐ私を微笑ましそうに見ていた先生がふと表情を引き締め
て忠告してくれました。
暗に﹃妙なこと仕出かすんじゃねえぞ﹄と言っているように聞こ
えるのは気のせいでしょうかねー?
まあ、ある意味私は珍獣。野放しは危険。魔法世界も色々と制約
があるのかもしれないし。
今度詳しく聞いておこう。先生なら答えてくれる。
﹁当面は私のところで一般常識を学びなさい。何かあったら遠慮な
く聞くといい﹂
ありがとうございますっ!!
私の脳内で保護者認定されましたよ、先生。
御世話になります。
﹁まだ十代だろう。私を親がわりに頼ってくれると嬉しいね﹂
深々と下げた頭に降りかかる先生の御言葉は私にザクザク突き刺
さる。
ごめん、先生。私は二十代後半デス。
童顔で十歳は若く見られてるから今更ですけどねっ⋮⋮!
28
魔法について考えてみる
異世界に来てから早数日。
私⋮⋮無事に魔法が使えるようになりましたよー♪
あれから先生所有の魔法学校の教科書を貸してもらい、更に幾つ
かの魔法を先生に実演してもらって使えるようになりました!
見せてもらったのは所謂﹃補助魔法﹄と呼ばれるもの。攻撃系は
無し。
攻撃系の魔法は自分で組み立てた方が扱いやすいだろう、とのこ
と。
で、一時的に身体能力を上げる﹃強化﹄や解毒の魔法なんてのも
見せてもらった⋮⋮のですが。
これらは使えないんだな、私。
医者であり魔力持ちでもある先生が覚えておいた方がいいと言っ
てくれたんだけど。
身体能力強化なんて元の世界じゃ薬物を使ったドーピング、解毒
も解毒剤使用です。
何も無いのに魔力だけで成しえるっていうのは魔法世界だから可
能なんじゃないかと。
魔力を薬の代わりにしてると考えるのもちょっと違う気がします。
多分、本当に元の世界にあったゲーム内での効果じゃないかと思
う。
それに私が知ってる回復やら解毒の魔法って﹃HPという数値の
回復﹄や﹃ステータス異常の解除﹄なのですよ。
29
ここ重要。凄く重要。現実のような怪我を治すわけじゃないから
ね。
ゲーム内で毒を受けたとしても﹃毒という状態に定められたダメ
ージ﹄がHPに影響しているだけだろう。現実の毒とイコールじゃ
ございませんよ。
私が使うなら強化は魔力を体に纏わせて防御壁を作り防御力の向
上、攻撃力上昇は防御壁の応用で武器に纏わせた魔力のイメージを
﹃鉄﹄とか硬い物にすればいいんじゃないだろうか。
解毒は毒を体の外に抽出ってことになるかな。
他には重力を弄れば体を軽くさせることができるし、風と併用で
空中浮遊・飛行が可能。空中飛行は安定性の為に飛んでいる鳥をイ
メージしてるので透き通った翼付き。
﹃飛ぶ﹄=﹃翼﹄という安直発想の結果です、はっきり具現化し
ないのはあくまでも飛ぶ為のイメージに過ぎないから。若しくは精
神安定効果です。
現実問題として人間は普通飛ばないからそのままだとちょっと怖
いのだ。天使という存在を知らなければ難しかったかもしれん。
もう少し学べばまた違った解釈が出来るかもしれないけど、今の
ところはこんな感じかな。
それ以前に武器を扱えない気がするけど。包丁くらいなら何とか
なるのだが。
あと、ファンタジー世界で必須とも言える結界も勿論習得。
私の場合は結界のイメージが﹃全ての攻撃に対して﹄なので万能
ですよ。思い込みって凄いね! つまり意識すれば物理や魔力だけ
を弾くことも可能ということか。
⋮⋮まあ、万能結界は上級に該当するのでバレないようにしなさ
いと言われたけど。
ちなみに結界は魔力の編み方が複雑であればあるほど破り難いら
30
しい。
先生を感心させた結界は編物の知識がお役立ちです。この世界に
やった奴は居なかったのか。
そしてこの世界での結界習得にあたり私の魔法に関する予想はか
なり正しいと思った。
﹁結界とは魔力を編み上げ防御壁を作ると覚えるといい﹂
これ、先生のお言葉。
結界は物理と魔法によって違うけど、大抵は魔法防御に関するも
のだそうな。
これってさ⋮⋮水や炎に具現化してても実際には魔力そのものっ
てことだよね?
つまり見えている魔法はイメージを忠実に再現している幻覚のよ
うなもの。だから結界で防げる。
存在する治癒魔法は肉体を元通りにする為の﹃修復﹄。
﹃元からないもの﹄だからその状態が﹃正常な形﹄。
だから生まれつきの欠損や病気は治せない。
病気は病原菌が体に入ってはいるけど﹃元からの形﹄は損なわれ
ていないから意味が無い。
これがこの世界の一般的な治癒魔法。
ゲームの治癒魔法はHP回復だから怪我と体力の両方回復になる
んだろうけど⋮⋮そんなに都合のいいものはないと思った方がいい。
魔力で体力の回復はできないみたいだし。
何より⋮⋮これは﹃現実﹄なんだから。
何となくだけど、この認識で合ってると思う。これらに当て嵌ま
らないのが﹃狭間の旅人﹄製の魔法じゃなかろうか。魔法のある世
界から来る事もあっただろうしね。
31
中途半端に混ざってる所為で余計に謎の古代技術になったんじゃ
ないのかなー?
説明しようにも﹃そういうもの﹄としか言いようが無いだろうし。
技術的なものだと酵母パンや製紙技術が異世界から伝えられたも
のらしい。
味噌とか醤油がどこかに伝わってると良いな♪
で。
同じ世界から来た奴が作ったと思われる魔法が一個だけあった。
効果は見える範囲に居る対象を確実に手元に引き寄せるという微
妙なもの。
手が離せない時に近くの物を取る為に使われたりするそうな。
呪文︵翻訳︶は﹃くるしゅうない、ちこうよれ﹄、力ある言葉は
﹃殿の御言葉﹄。
⋮⋮明らかに同じ世界から来たんじゃね?
飛ばされた時代が古代なら今よりアンシェスは理解できた筈。
間違いなく、時代劇の台詞﹃苦しゅうない、近う寄れ﹄と思われ
る。
﹃どんな物にも阻害されず手元に引き寄せる﹄とあったので作った
本人以外は効果を一途に信じていたんだろう。
目に見える範囲で引き寄せるというかなり限定された説明文から
もわかるように制御に失敗する奴はまず居まい。
先生も誰にでもできるって言ってたしね、あはははは!
からかい半分に作って魔術師に伝えたら見事発動、残されちゃっ
32
た黒歴史ですか?
発動して﹃ごめーん、冗談だった♪﹄とか言えなくなったシロモ
ノですか?
呪文じゃなくイメージ重視って気付いてなかったから出来ちゃっ
たわけですね!
魔法少女系じゃなかっただけマシだよね♪
⋮⋮。
⋮⋮。
アンシェス解読できてやることがそれかぁぁぁっっ!!
もうちょっとマシな魔法残しとけやぁぁぁぁぁっっっ!!!
33
魔法について考えてみる︵後書き︶
感想やお気に入り登録ありがとうございます!
34
遭遇・実戦・フラグの予感
﹃人生にはアクシデントがつきものである﹄
この世界に来てそう思ったのは二度目です。
ついでに言うならフラグが立つことなんて望んでない。ゲームじ
ゃないのだ、命の危機など冗談じゃない!
大切なことなので二度言います。望んでません。
魔法を使える今となっては死亡フラグは叩き折れそうですが。
⋮⋮目の前の出来事って事故扱いでいいかな?
※※※※※
事の起こりは一時間ほど前。
隣村への往診に行く先生の御供で馬車に揺られてました。
先生の様に治癒魔法も使える医者は辺境の村においてかなり貴重
らしく、定期的に見回っているらしい。
村人達は下手な医者より薬草の知識はあるからそこまで深刻な医
者不足じゃないらしいけど。
35
﹁森のすぐ傍にある村が多いからね、基本的に自分で対処できてし
まうんだよ﹂
﹁じゃあ、何で定期的に見回りを?﹂
﹁手当てが出来ても治るまでに時間がかかるだろう? 村人にとっ
て農作業や狩りができない状況ほど怖いものはないんだよ﹂
生活できるけど豊かではない状況では働けない=飢えである。
金は無くても何とか生活できるが日々の糧はそうはいかない。
町と違ってろくに店などない自給自足の生活だからこその恐怖で
ある。
﹁そういえば村でも狩りや採取を叩き込まれましたっけ⋮⋮﹂
思わず遠い目になる私を先生は気の毒そうに見つめた。
うん、わかってますよ。生きる術を学ばなきゃならないってこと
も。
実の所、この世界で一番困ったのが狩りだったりする。
魔法があるから獲物をしとめる術は問題無い。
問題は⋮⋮その後の解体作業。
﹃女の子なら肉を捌けなきゃお嫁に行けないよっ!﹄
明るく笑って豪快に肉を捌いてゆくおばさんに教えてもらった数
日間。
兎に始まり最終課題は熊モドキでした。
今では血塗れの包丁見て悲鳴を飲み込んだのもいい思い出。
⋮⋮慣れることができて本当に良かった。
トラウマになって一々悲鳴あげてたら生きていけない。
36
ちら、と馬車内部に視線を向けると今朝狩ったばかりの熊が横た
わっている。
兎を探してたら出てきたんです、条件反射で氷結魔法撃った私に
非はない筈。
せっかくなので御見舞いとして運搬中。
状態維持の魔法がかけてあるから狩りたて新鮮ですよ! 多分、
今夜は熊鍋。
残りは保存食として干し肉にされるだろう。
﹁ところで女の人も熊を狩ることが普通なんですか?﹂
大変逞しいですねーと続けようとした私に先生は一言。
﹁いや、あいつが特殊なだけだ。普通は兎や鳥くらいだな﹂
﹁⋮⋮﹂
先生、さっきの気の毒そうな視線は任せる相手を間違えたことに
対して、ですか?
そんな話をしていた時だった。
﹁⋮⋮っ⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮い⋮⋮貴様⋮⋮﹂
進行方向から金属音と微かに人の声が聞こえてきたのは。
思わず顔を見合わせて馬車を止める。
さすがにこのまま直進して騒動に巻き込まれたくはない。
いや、熊を運搬中の馬車には誰も関わりたくないかもしれないけ
ど。
37
﹁どうしましょうねー⋮⋮﹂
﹁ふむ、旅人が襲われているなら助けなければならんが。しかし⋮
⋮﹂
﹁しかし?﹂
﹁私は戦闘に不向きでね﹂
申し訳なさそうな顔のまま私をじっと見る。
つまり私に闘えと。いえ、確かに熊殺し達成しましたけどね?
ひ⋮⋮人に向けて魔法使ったことがないけど、いいのか、な?
﹁大丈夫だ、制御は完璧に出来ている。死んでなければ私が治せる﹂
﹁体の一部が千切れたりした場合は?﹂
﹁自業自得だ!﹂
苦手と言う割には随分酷い事を言っていますよ、先生⋮⋮。
何だかこんな場面に慣れてませんか? 随分割り切ったお答えで。
ああ、でも。
私も助けられた一人、なんですよねー。
﹁わかりました、行ってきます﹂
声はかなり近い所まできている。
おそらくは馬に乗ったまま振り切れずに逃げ続けている状態か。
だとしたら、このままこちらの馬車に突っ込まれる可能性もある
わけで。
﹁よいしょっと。先生、ここで迎撃します。怪しい方を倒すので逃
げてる方を保護してください﹂
﹁了解した﹂
38
馬車を降りながら先生に言っておく。
かなり曖昧な言い方だがこの場合は仕方ない。
なにせ私達にはどちらが悪いのか判断が出来ないのだ、うっかり
追撃の邪魔をして犯罪者を逃すような真似は避けたい。つまり
﹃凶暴な方を黙らせるから大人しい方を捕縛してね﹄
という意味である。
保護=捕獲。同じ行動なのに温度差がありますね⋮⋮言葉って不
思議。
﹁じゃ、始めます﹂
片膝を着き地面に掌を着け、馬車の五メートルほど前に﹃罠﹄を
仕掛ける。
︵前方五メートルに結界展開、発動条件は物理攻撃に対して︶
結界とは守るだけではないのだ、地面に物理攻撃用のものを展開
したらどうなるか?
答えは簡単、上に乗った時点で﹃弾かれる﹄。
馬には気の毒だが全員一度吹っ飛ばされてもらおう。
踏み付ける程度なら盛大に転ぶくらいで済むだろう。
⋮⋮馬の下敷きにでもならない限り。
そして近づいてきた声の主達は。
﹁ぐっ﹂
﹁なっ⋮⋮!﹂
39
﹁しまったっ⋮⋮﹂
等と言いながら弾かれた。おお、悪戯が成功したような達成感!
そして被害者達の服装は綺麗に分かれていた。
二名は白いマントに青い制服? のお兄さん。
残り五名は誰が見ても普通じゃない全身黒尽くめに加え顔を隠し
ている。
﹁わあ、あからさま過ぎ! 誰が見ても怪しい人です、先生﹂
﹁本当に⋮⋮昼間からあんな目立つ格好で騎士を襲撃とは﹂
余裕ぶっこいてる師弟は本日も通常運転。
緊張感よりテンプレどおりの服装にちょっと感動。制服組は騎士
ですか。
先生の言葉には心の底から同意しますよ、お馬鹿さんですよね!
﹁はいはい、通行の邪魔ですよ? とりあえず大人しくしてくださ
いね?﹂
そんなことを言っているうちに立ち上がった彼等は戸惑った後に
それぞれの行動を開始した。
黒尽くめ戦隊︵勝手に命名︶は武器を構えてこちらを窺い。
騎士sは私に向かって走り寄ると縋りつき⋮⋮
﹁﹁助けてくれ!﹂﹂
ハモった。
先生の顔が引き攣ったのは言うまでもない。
そして私は。
40
﹁だ⋮⋮第一声がそれか、このダメ騎士どもがぁぁぁっっ!﹂
思わず怒鳴りつけ頭を叩く。
⋮⋮﹃助けてくれ﹄だと?
民間人・女の私に? 武器持ってないのは判ってるよね?
縋りつくどころか盾にしてるよねぇ?
乙女ゲームならフラグが立つ重要場面に何やっとるんじゃぁっ、
貴様等!!
これ、何かのフラグ? 死亡⋮⋮はしないだろうから恋愛フラグ
とか言わないよね?
吊り橋効果とかを期待するなら全力で叩き落しますよ?
騎士⋮⋮ナイト⋮⋮これが現実か。
嗚呼、ゲームや物語の設定は嘘吐きなのですね⋮⋮!
ギルド仲間の騎士はちゃんと仲間を守ってたよ!? ちょ、騎士
に憧れる皆様に何と言ったら!?
⋮⋮いやいや、こいつらがクズなだけという可能性もあるか。
﹁我々には任務が﹂
﹁礼はする!﹂
﹁縋りつくな、民間人を盾にするな、さっさと馬車に乗ろうとする
んじゃない!﹂
﹁﹁後は任せた﹂﹂
そんなことまで言い出す騎士sに先生は冷ややかな目を向けて呟
く。
﹁恥さえ知らんか、これは殿下にお伝えせねばなるまい﹂
41
ぴしり。
何故か固まった騎士s。
おやぁ? 先生、今何言ったの? いきなり固まっちゃったよ?
まあ、私は自分の仕事をしますか。
﹁放置しちゃってごめんね?﹂
﹁﹁﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂﹂﹂
あらら、全員に睨み付けられちゃった。
まあ、怒って当然でしょうね∼⋮⋮脚を凍結させて身動きできな
いようにしてるもの。
彼等は結界内部にいるから物を投げても自分に跳ね返るだけ。
はっはっは、口惜しかろう! 今は八つ当たりさせてくれ。
﹁とりあえず気絶してもらいます。歯を食いしばれ∼♪﹂
パチンっ!
﹃!?﹄
一回指を鳴らす。
同時に黒尽くめ達は目に見えない﹃何か﹄に鳩尾を殴られた様子
を見せ倒れていった。
圧縮された空気は十分痛いのである。
しかもどの方向から来るか見えないので防ぎようがなかっただろ
う。
そもそも空気という知識がないので理解できないに違いない。
﹁さて、お話ししよっか?﹂
42
にこやかー。
振り返り笑顔を向けた私に騎士sは更に顔色を悪くした。
騎士に憧れる乙女&野郎達よ、報復は任せろ。
お姉さんはこいつらをそのままにはしませんよ?
⋮⋮今後の為にも夢を壊すことは重罪なのだと思い知らせなきゃ
ね?
43
お説教とお仕置きは必要です︵前書き︶
前回の続きです。
44
お説教とお仕置きは必要です
﹁だからね、騎士だったらみっともない行動は慎むべきでしょ?﹂
にこにこと笑いながら正座する騎士sにお説教をする。
周囲の村人達は興味深そうに遠巻きにしながらも、同意するよう
に頷く者もいた。
現在地・ジェノアの村。
そこでは実に奇妙な光景が一時間ほど前から展開されていた。
※※※※※
あの後。
黒尽くめ戦隊を簀巻きにて馬車に放り込み無事に目的地に到着。
騎士sは腕を拘束したまま馬車に繋いで走らせた。
荷物がかなり増えたことに加え速度を落としたので問題なし。
先生も何事もなかったかのように振舞っていたので扱いには納得
していたと思われる。
だって荷物が増えたのに馬が可哀相じゃないですか。
荷物は勿論、簀巻き五個。物です、あれは。
⋮⋮騎士sよ、お前らの価値は労働する馬より低い。
人権など期待するな、大した距離じゃないから走れ肉体労働者。
そして村に到着してみれば騎士sと襲撃者はここでも迷惑をかけ
ていたことが判明。
45
﹁騎士様達は泊まっていた宿屋でも始終文句を言ってらして﹂
こんな辺境の村に何を期待していた、お前ら。
﹁そいつらが襲い掛かってきた時も俺達が皆を守ったんだ﹂
お疲れ様です。騎士sはさっさと逃げたんですね?
﹁何処に逃げたか言えと脅されて⋮何も知らないのに⋮⋮﹂
怪我人が増えたのはその所為ですね。無言で手当てをしている先
生が怖いです。
⋮⋮騎士s&黒尽くめ戦隊よ、覚悟はいいか?
﹁私も盾にされたんです。お説教くらい構いませんよね?﹂
少し騒がしくなるかもしれませんけど、と笑顔で告げた私は周囲
の賛同の元まずは騎士sに言った。
﹁まず膝を折って座ってくださいね。これは正座といって伝統ある
座り方です。次に両手を前に着けて頭を下げなさい﹂
所謂土下座というものです。謝罪をするならこれでしょう。
﹁俺達は騎士だぞ! そんな真似が⋮⋮!﹂
46
﹁できますよね?﹂
﹁貴族である我々ができるわけっっ﹂
﹁やれと言ってるだろ﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁⋮⋮。謝罪できない体になりたいなら期待に応えても⋮⋮﹂
びくっ!
いいんですよ? ⋮⋮と言い終わらないうちに騎士sは互いの顔
を見合わせて。
﹁﹁申し訳ありませんでしたっっ!!﹂﹂
勢いよく土下座すると謝罪の言葉を口にした。
人間素直が一番ですよ。騎士全体の印象を悪くしたくないなら今
ここで謝っておかなきゃならんのです。
騎士sよ、君達本っ当にわかりやすいね。
力関係の認識は間違いなく
私>>>>>︵超えられない壁︶>黒尽くめ戦隊>自分達
だろう。体に覚えさせるまでもなく納得していただけて何より。
え? 身分とかは気にしないのかって?
騎士が民間人より階級が上だと思ってますが何か?
騎士sが貴族らしいことも気付いてますが何か?
全部知っててこの扱いですよ、異世界トリップ経験者の私にとっ
て権力や不敬罪など恐るるに足りません!
知力・体力・時の運に魔法を加えて迎え撃たせていただきますと
も。
この世界の階級制度がどうなってるかよく判らんので個人の感情
47
優先です。無知はある意味最強。
そもそも二人が騎士として相応しい行動をしていれば説教なんて
必要ない。咎められたらそこを突付こう。
﹁さて、それではお説教しましょうか♪﹂
﹁﹁え゛﹂﹂
﹁え、だって今のは謝罪でしょう?﹂
やだなぁ、これからが本番ですよ?
同じ間違いを犯さないようしっかり理解させてあげますからね。
そんなことを話していると一人の村人が遠慮がちに声をかけてき
た。
﹁おい、あいつらはどうするんだ?﹂
﹁あいつら?﹂
﹁黒い連中﹂
ああ、すっかり忘れてました。居たね、そんなの。
でも、騎士sの任務内容聞くわけにもいかないから捕縛しておく
くらいしかできないんだよね。
どうしようか、と考えを巡らせてると解体作業中の熊が視界を掠
めた。
喜んでくれて何よりですよー、さくっと食料にしちゃってくださ
いな。
⋮⋮。
熊⋮⋮血塗れ⋮⋮。
うん、一個思いついた。
﹁熊の血を塗って一晩森に吊るそう﹂
48
ぽん、と手を叩きながら言った私に皆は首を傾げる。
ああ、私だけ納得してても意味ないか。
﹁襲撃者に結界・捕縛・治癒の魔法をかけて簀巻きにして血の匂い
を付けてから木に吊るして一晩放置﹂
﹁お前は鬼畜か!﹂
﹁魔法が掛かってれば死なないし大型肉食獣に突付かれる程度でし
ょ﹂
声を上げたのは騎士その一。やだなあ、安全ですよ? 怖いだけ
で。
ガラスの中に血の匂いをさせた奴等を入れておくようなものなの
だ。
ただ、匂いは遮らないから獣︱︱間違いなく肉食獣︱︱は寄って
くる。
逃亡防止の捕縛魔法で動けないけどね。現状維持の魔法も追加で
縄は切れないし。
じゃれ付かれて結界ごと叩き付けられる可能性もあるから常時治
癒魔法発動。
ほら、どこが鬼畜さ?
そう説明すると騎士その一は微妙な顔をして黙り込んだ。
﹁いや、しかし⋮⋮﹂
﹁もふもふな毛並の生物と戯れるなんて滅多にない経験でしょ﹂
﹁戯れる程度じゃないだろ⋮⋮﹂
﹁厳しさの中にささやかな楽しみを交える私の優しさが判らないと
?﹂
﹁いやいや、普通は大型肉食獣に襲われたら死ぬから! 楽しくな
いから!!﹂
49
﹁私に狩りを教えてくれたおばさんは食料扱いしてたけど?﹂
﹁どんな村だ、そんな猛者がいるなんて!?﹂
ああ、先生もおばさんが特殊とか言ってたっけ。でも今もそこで
解体されてるじゃん。
って言うか、あの熊を狩ったのは私だよ? 軟弱者め。
それに、と言葉を続ける。
﹁死人が出ていた可能性だってあるんだよ?﹂
﹁そうだな、怪我だけで済んだのは幸いだ。口封じの可能性もあっ
た﹂
先生の言葉に皆は口を噤む。
先生が来なかったら。私が居なかったら。
その可能性は誰もが考えたくないに違いない。
﹁まあ、その場合こそ鬼畜プラン発動ですが﹂
﹁鬼畜プラン? お前、これ以上酷いことを考えていたのか!?﹂
煩い、騎士その二。魔導師は頭脳労働なんだよ。
﹁基本は一緒。ただ吊るす縄に切れ目を入れて生と死の狭間を体験
できるドキドキの展開。状態維持は簀巻きにした縄のみ! 結界が
あっても丸呑みされたら意味無いよね﹂
﹁⋮⋮最悪だ、良心無しだ、この女﹂
﹁命の尊さを知る素敵な体験じゃないか、生還率五割だけど﹂
﹁お前、手加減という言葉を知らないのか⋮⋮?﹂
青ざめた騎士sが口々に呟き怯える中で先生だけが深々と溜息を
吐いた。
50
﹁ミヅキのやり方は過激だが、本来その役目をするべき連中が役立
たずだからな⋮⋮﹂
もっと言ってやって下さい、先生。騎士sはマジで役立たずです。
⋮⋮腹立ち紛れに正座で痺れてるだろう足を踏んでおきます。
51
お説教とお仕置きは必要です︵後書き︶
省きましたが、村到着までに二人のこんな会話もありました。
﹁ところでな、ミヅキ。﹃センタイ﹄とは何かね?﹂
﹁5人一組で戦う人達の事です、先生﹂
﹁ある意味正しいようだが、何か違う気が⋮﹂
﹁キメポーズとったり必殺技を披露してくれたら好感度あがりまし
たよ。見世物として、ですが﹂
﹁⋮⋮。そうか﹂
52
白騎士達がやってきた
﹁それで貴方達にも一度城へ来て頂きたいのですが⋮⋮﹂
淡い金髪に緑の瞳のとっても美形なお兄さんは先生と私にそう告
げました。
空気を読む子としては断れる雰囲気じゃなく、恋愛フラグを立て
たいお嬢様なら心の中でガッツポーズをとるような場面ですが。
﹁嫌です♪﹂
フラグを折りたい私としては自分に正直であろうと思います。
笑顔で言っちゃうぞ♪
⋮⋮誰がそんな場所に行くか、面倒な。
※※※※※
ジェノアの村で起きた襲撃事件に私と先生は結局数日の滞在を余
儀なくされた。
ゲート
先生の御友人経由で城に状況を報告したはいいが、辺境の村に転
移の門などあるはずもなく。
向こうからの手紙に
﹃迎えをやるからそれまで監視御願いね! 頑張れ♪﹄︵意訳︶
などと書いてあったが為に暫く留まる事になったのだ。
確かに村で連中を預かれというのは酷だろう。
53
ゲート
⋮⋮反対に私の滞在確定で連中は泣いてますけど。頑張れって何
を??
ゲート
ついでに転移の門の説明。
門は転移法陣を維持する為の魔力が必要とかで作れる個数が限ら
れているんだそうな。はっきり言えば動力源の魔石がかなり貴重な
のが理由。
必要な時に﹃エラー・御指定の転移法陣は作動していません﹄な
んて言われても困るしね。
当然、悪用されない為に警備や管理する人が必要なので全ての管
理は国が行っている。当たり前だが一般開放なんてされていない。
利用できるのは国が許可を出した者︵貴族が大半︶、もしくは城
お抱えの商人くらいらしい。それでも手続きが面倒だというから防
衛面も徹底されてるんだろう。
あ、手紙は一辺が三十センチくらいの正方形をした紙? に描か
れていた簡易版転移法陣︵先生所有︶を使って送ったみたい。
簡易版とつくだけあって必要な時だけ魔力を込めるもので﹃対応
する転移法陣へしか送れない﹄﹃容量制限あり﹄という互いに手紙
のやり取りをするだけのもの。
それさえ結構高価だと言ってたけど、村医者の先生が何故持って
いる。
え? 気にしませんよ、ええ。絶対に。
フラグは敵です、うっかり興味を示しちゃ駄目なんです!
そんなわけで冒頭の状態です。
お迎えに来たのは白い騎士服のお兄さん達でした。
あれ、青い制服って下っ端か見習いだった??
54
﹁ゴードン医師、お久しぶりです﹂
﹁やはり、お前さんが来たか﹂
﹁ええ、殿下直々に命じられまして﹂
そう言うと笑みを一層深めて優雅に会釈した。
わあ、外見含め理想的な騎士がいますよ、お嬢様方!
これで顔しか取り得がなかったら大笑いですが、連中を引き取り
に来たので﹃助けてくれ!﹄はないでしょう。
おお、村の女性陣が頬を染めてガン見してますよ!
どこかで恋愛フラグが立ったら見物させておくれ。
﹁ところで、そちらが魔導師殿ですか?﹂
﹁うむ。ミヅキ、彼はアルジェントと言ってな⋮⋮その、私の知り
合いであり今回の責任者だ﹂
こちらに向けられた笑みに軽く会釈する。
魔導師殿って何だ、一体。やっぱり色々報告されてましたか⋮⋮。
それに。
⋮⋮先生のこの人の紹介、色々すっ飛ばした感ありありです。
貴族じゃね? 特殊な立場なんじゃね? 警戒してもいいかな?
普通じゃない村医者の知り合いが普通の騎士とか思えないんです
が。
﹁アルジェントと申します。アル、とお呼びください。ゴードン殿
には見習い時代から大変御世話になったのですよ﹂
﹁見習い時代? 世話になった??﹂
﹁ゴードン殿は城に務めておられたのです。国一番の名医と名高か
ったのですよ﹂
﹁⋮⋮へぇ﹂
55
ああ、やっぱり宮廷医師でしたか。お約束な展開ですね!
そうなってくると当然⋮⋮
﹁今回の事、大変ご迷惑をおかけしました。それで貴方達にも一度
城へ来て頂きたいのですが⋮⋮﹂
でもね、お兄さん。
﹁嫌です♪﹂
私が貴方に名乗りもせず、宜しくとも言わない理由を察してくれ
まいか?
美形に釣られてフラグの巣窟に飛び込む自殺行為はしませんよ?
で。
﹁諦めてください﹂
﹁い・や・で・す﹂
﹁待遇は良いですよ?﹂
﹁村の生活で満足してます、平和が一番です﹂
﹁何でしたら気に入った貴族や騎士を傍に⋮⋮私でもいいですよ?﹂
﹁さり気に生贄モドキ献上しないでください、何その捨て身の勧誘﹂
只今攻防真っ最中にございます。
お互い笑顔ですよ? 表面上はにこやかにお茶してるようにしか
56
見えません。
うふふ⋮⋮うふふふふふ⋮⋮!
さっさと退けや、優男。
人間、諦めが肝心なんだぞ?
部屋の中には私と敵の他に先生と騎士s、白騎士が居ますが⋮⋮
誰も止める気配無し。
白騎士よ、お前らの隊長が勝手に貴族や騎士を交渉の駒にしてる
ぞ、いいのか?
先生、諦めた表情で明後日の方向を向くのはやめてください。
騎士s⋮⋮怯えた表情でこちらを見てる君達が一番まともに見え
るのは何故だろうね?
いい加減鬱陶しいです、時間の無駄です。
口で言って判らないなら実力行使しかないよね。
やる? やっちゃう?
決めたなら即実行ですよ! 時間は有限なのだからっ!
﹁何と言われてもお断りします。⋮⋮失礼しますね﹂
﹁⋮⋮っ! 待て、ミヅキ⋮⋮っ﹂
魔力の動きを察した先生が諌めようとするが無理である。
発動までの準備は既に整っているのだから。
先生の声が聞こえたような気がするけど気にしない♪
それに障害は実力で排除するものですよ、先生。 黒尽くめ戦隊
を沈めたこの腕で⋮⋮!
︵対象・白騎士、空気圧縮による衝撃波⋮⋮︶
対象を確認し、パチンっ! と指を鳴らす。
57
﹁﹁ぐっ⋮⋮﹂﹂
﹁な⋮⋮!?﹂
﹁一体⋮⋮何、が⋮⋮﹂
いきなりの衝撃に悶える白騎士達。腹部を押さえつつも何処か呆
然と痛む個所を眺めている。
おお、意識を失ってません。魔力はないみたいだけどエリートで
すか、彼等!
苦しむ表情も様になるって美形は得ですねー⋮⋮原因、私ですけ
ど。
優しく労わる気もないのでさっさと退場しますか。自業自得です
よ、騎士様達?
※※※※※※
ゴードンはミヅキの出て行った扉を眺めたまま深い溜息を吐いた。
実の所、ゴードンがミヅキを止めようとしたのは全く別の理由か
らなのだが。
ちら、と未だ蹲る騎士達に目を向ける。
気を失わなかったのは流石だが、彼等のダメージは大きいだろう。
暫くは立てまい。
だが。
﹁⋮⋮これが彼女の実力⋮⋮﹂
58
聞こえてきた呟きに思わず目を逸らす。
﹁素晴らしいです⋮⋮理想的ですよ⋮⋮!﹂
ほんのり頬を上気させて嬉しそうにするアルジェントと白騎士達。
状況を考えなければ恋する青年に十分見える。
状況を知っていればその発想に行き着くことはまずないだろうが。
実はこの青年、かなり特殊な性癖の持ち主なのである。
﹃自分より強い者に憧れる・戦いに喜びを感じる﹄ならば珍しくも
ないが、﹃自分より強い者と戦い痛めつけられる事に悦びを感じる﹄
奴はそうそういまい。
むしろドン引きされることうけあいである。
このイルフェナという国は昔から王族・貴族に実力者︵=変人︶
が生まれることが当たり前だった。
天才と何とかは紙一重という言葉を証明しまくってきたからこそ、
小国ながら永らえてきたのである。
城勤めでもしていれば今更な事実だが、民間人に馴染みはない。
功績のみ伝えられているので、偉人どもが変人揃いだったなどと
は一般的に知られていないのだ。
実力者である白騎士達も例外なくそれに該当し、察するに全員同
類か。
他にも色々な奴等がいたな⋮⋮などと遠い目になったゴードンは
不意に手をとられ現実に戻る。
手を握り締めているのは復活したらしいアルジェント。キラキラ
とした目が何だか怖い。
59
﹁彼女とお付き合いさせてください、ゴードン殿!﹂
﹁⋮⋮それは本人同士の問題だと思うぞ﹂
﹁ありがとうございます! これから努力することにします﹂
許可してない、許可してないぞ!?
そっとしておいてやってくれ⋮⋮と言おうとして止めた。
エリートである彼等に勝利することが可能な女性など、どれほど
いるというのか。
はっきり言って﹃不在﹄という答え一択だ。むしろ大勢居たら男
は要らない。
魔導師だったとしても呪文詠唱の時間がある限り負けるだろう。
ミヅキは詠唱無しだからこそ接近戦でさえ強さを誇っているのだ
から。
そんな彼等が漸く見付けた理想の女性︵=生贄︶を諦めるだろう
か?
⋮⋮無理だろう、拒絶の実力行使でさえ彼らは喜ぶ。
︵すまん⋮⋮初めから伝えておくべきだったか⋮⋮︶
ゴードンはひっそりミヅキに詫びた。変人どもに気に入られるな
ど気の毒にも程がある。
しかも彼等がまともであったとしても彼女にとっては迷惑以外何
物でもないのだ。
そんな中、騎士sは衝撃の事実に気絶したまま忘れ去られていた
という。
騎士s、意外とまともな家庭︵=凡人︶に育っていたようである。
60
城へ行こう、飼い主に会いに︵前書き︶
お気に入り入り登録ありがとうございます!
楽しんでいただければ幸いです。
61
城へ行こう、飼い主に会いに
翌日、麗しの白騎士様はにこやかに戯言をほざきやがりました。
相変わらず無駄に美形です、白い騎士服がお似合いですね!
背景も合わせるべく、さっさと城にお帰りくださいな。
﹁結婚を前提にお付き合いしてくださいませんか﹂
﹁⋮⋮は?﹂
不信感を露にしながら聞き返した私に非はない筈。
えーと、誰か説明ぷりーず?
でも、とりあえず。
﹁お断りします♪﹂
意思表示ははっきりしておきましょう。
⋮⋮だから手を離せ、見つめるな鬱陶しい。
そんなわけで絶賛現実逃避中です。
いやいや、おかしいだろう?
貴方との関わりなんて昨日の一件だけですよ、フラグを無視しち
ゃいけません。
任務ですか? 大変ですね。
ついに己の人生差し出してきたよ、この人。
そんな私に先生が︱︱アルさんに説明を求めるのは諦めました︱
︱気の毒そうに事情説明してくれた。
62
箇条書きにするとこんな感じ。
・アルジェント達は﹃自分より強い者に苦痛を与えられることに悦
びを感じる﹄という性癖の持ち主である。
・昨日の実力行使で彼等は理想の女性︵=生贄︶と確信した。
・自分達を一撃で沈める強さに拍手喝采、大興奮。嫁においで♪
・生贄確定ご愁傷様です。
⋮⋮。
⋮⋮。
嘘だろ?
ちょ、そんなので恋愛フラグが立っちゃう!? 立っちゃうの!?
地道な好感度上昇イベントとか何処行った!?
自分達の性癖ストライクなイベント経過で一気に好感度MAXで
すか!?
斬新過ぎる展開だな、おい。
嗚呼⋮⋮乙女ゲームの常識ってあてにならないのですね⋮⋮!
さすが生身の人間、想定外の事態です。
こんな特殊設定の美形が存在するとも思わなかったけど。
複数形ってことは白騎士は全員同類ですか、顔は良いのに残念な
奴らだな!
ふふ⋮⋮逃げよう。
そうだ、そうしよう。大丈夫、今なら何処だって生きていける気
がする。
さあ、家に戻って少ない荷物を纏めなきゃ!
﹁逃がしませんよ?﹂
63
﹁人の心を読まないで下さい﹂
﹁想われた事はあっても自分が想ったことは初めてなのです。絶対
に諦めません﹂
そりゃー、そうだろう。萌え所が顔や性格や地位なんてものじゃ
なく、凶暴さオンリーなんて。
言ってる事は一見まともな上に天が二物も三物も与えてるみたい
ですから、さぞモテたでしょうよ。
でも残念な部分で総合的にマイナスなんて世の中上手く出来てま
すね。
変態の妻なんてEDは絶対嫌です、私も諦めません。
﹁おい⋮⋮ちょっと来い﹂
あら、騎士sが手招きしてる。って言うか居たんだね、君達。
とことこと傍に寄って行くと何やら真剣な顔をしている。
そういや君達も整った顔立ちしてたんだねぇ、しかもよく似てる。
そう口にすると顔を顰めながらも答えてくれた。
﹁俺達は双子なんだよ。二卵性だからそっくりじゃないけどな﹂
﹁生まれる前から一括り⋮⋮﹂
﹁一括りって言うな! 苛めて楽しいか!?﹂
﹁現時点ではその普通の反応にとっても安らぐ﹂
﹁﹁⋮⋮。ああ、そういうこと﹂﹂
良かった、騎士sは普通の人だ。
騎士が全員あんなのだったらマジで泣いちゃうぞ。
で、本題に入りましょ?
﹁あいつは公爵家の三男だ、各地に影響力がある上にコネ狙いで協
64
力者になろうという連中だって沢山いる。逃げられないと思った方
がいい﹂
﹁何でさ? 身分も権力も障害にならないよ? 何なら国外逃亡で
も⋮⋮﹂
﹁旅券はどーするんだよ。国境越えられないだろ? ⋮⋮発行も絶
望的だと思うが﹂
パスポートが貰えないのは異世界人だからではなく、上からの圧
力なのですね⋮⋮!
ふっ、敵になるなら容赦しませんよ? 死ななきゃいいんです、
死ななければ。
何もしないと権力で私のジョブが﹃公爵家の三男の婚約者﹄にな
ってそうだもの。
魔導師です、私。地位や名声興味無しの特性バリバリですよ!
﹁⋮⋮一つだけ穏便に済ます方法があるかもしれん﹂
﹁え! 先生、それ早く言ってください﹂
﹁そちらも十分困難なのだよ。エルシュオン殿下に直接諭してもら
う﹂
ずざざざぁぁっっ!
騎士s一気に後退り。え、何その反応。そんなに怖いの?
﹁無理! 絶対無理! やめとけ、逃げた方がいい!﹂
﹁一度本性に触れたらアウトだ。危険な賭けはするな!﹂
﹁あ∼⋮⋮やはりあのまま成長されたか﹂
涙目の騎士sに事情を察したらしい先生。
おーい、仲間外れはずるいですよー。
65
﹁大変賢く愛国心に満ちた方なのだが⋮⋮その、賢い故に時として
非情になるというか容赦が無いというか﹂
言い難そうに言葉を選ぶ先生。オブラートに包んでもそれなので
すか。
﹁白騎士の主であるから報酬代わりに動いてくれる可能性はある﹂
﹁報酬?﹂
﹁あの方は実力至上主義でな、価値があると認める者にとっては良
き後見なのだよ﹂
なるほど。その殿下の保護下になれるなら身の安全は保障される
ってことですね。
しかも騎士sの怯え方からして滅多なことでは敵対しようとする
人はいないのだろう。
何をやったか気になる⋮⋮力技じゃないだろうし。
﹁アルジェントとは幼馴染だが個人的感情で贔屓する方ではない。
一度口にされた約束は必ず守ってくださるだろう﹂
なんだか厳しい条件を言い渡されそうな気がしますが、逃げるよ
り確実そうです。
ここは一度お会いしておいた方が今後の為にもいいかもね。
﹁わかりました。今回はその方に頼ることにします﹂
﹁そうか、私からも言ってお﹁決心してくださったんですね! 感
激です!﹂﹂
先生の言葉に割り込む弾んだ声、背後から回される腕。
66
こうなると条件反射で勿論⋮⋮
﹁近寄るなっつってんだろっ!!﹂
ドスっ! と音がする勢いで腹部に一発。正当防衛です、私は悪
くない!
⋮⋮が。
苦しむどころか妙に嬉しそうなその表情に己の間違いを悟る。
しまった! こいつは喜ぶだけだった!
しかも条件反射で何もせず魔法使っちゃったよ、報告されたらマ
ズくね!?
﹁っ⋮⋮つ⋮⋮やはり⋮⋮良いですね⋮⋮!﹂
﹃何がだ、何が﹄
皆の心の声は間違いなくハモった。正常な反応です。
⋮⋮おやぁ? 詠唱どころか指さえ鳴らさず魔法使ったことはバ
レてないみたい。
良かった♪ そのまま気付かないでいてくれ!
⋮⋮じゃなくって。
いーやぁぁぁっっ!!! 好感度上昇した!?
こいつを喜ばせてどうする、自分! 頭脳職のくせに私は馬鹿か!
私の学習能力よ、条件反射に勝っておくれ!!
そ⋮⋮そうだ、ライバル娘はどこいった。昨日はこれに見惚れて
た娘一杯いたじゃない!?
カモン、村娘! 今がチャンスだ! 傷に塩でも刷り込んでやれ
ば好感度上がるかもしれないぞーっ!
67
あ、傷も自分で付けなきゃ無理か。ちっ!
﹁あ∼⋮⋮とりあえず城に行く準備をするか﹂
ぽん、と肩に置きながら先生がそう言った。
ソウデスネー、今ハソレガ重要デス。転ガッテル生物ハ無視シマ
ス。
騎士sよ、生温い視線向けるの、やめい。
68
番外編1・村医者の話︵前書き︶
先生視点・本編2∼4くらいの頃。
先生が主人公の保護者になった経緯。
主人公は早くも順応し﹃リアル魔法使いだ、ひゃっほう♪﹄とかや
ってたわけですが。
69
番外編1・村医者の話
﹃私はこの世界の人間じゃないです⋮⋮異世界と言えばいいでしょ
うか?﹄
森で拾った迷子は多少の戸惑いを滲ませながらそう言った。
職業柄できるだけ平静を保ってみたが、抑えきれぬ好奇心を隠せ
てはいなかっただろう。
私が住まうラグスという村。そこに伝わる﹃狭間の旅人﹄の伝承
は実に興味深いものである。
﹃異世界﹄
﹃この世界では想像さえ出来ない技術﹄
﹃魔法さえ彼等が作り出した﹄
勿論、全てが正しいとは思えない。伝承とは誇張して伝えられる
ものなのだから。
だが、それがただの御伽噺ではないことは明確。
だからこそ私はこの出会いに感謝すべきなのだろう。
少女はミヅキと名乗った。長い黒髪に大きな瞳の美しい少女。
未だ十代であろう彼女は取り乱すこともなく淡々と状況を把握し
70
ようとしている。
やはり高度な技術をもたらすだけあって異世界人は聡明なのだろ
うか?
時折不安げな素振りを見せるが、貪欲に生きる為の知識を得よう
とする姿は実に好ましい。
自分は医者である。
職業柄、﹃生﹄に縋る者達を数多く見てきたつもりだ。
多くの患者達は突如見舞われた己の不運に嘆き、必死に足掻こう
とするも諦める者も多い。
怪我は治癒魔法で治してやれるのだが、病に対してはどうも諦め
がちである。
貴族ならば高価な薬を使うこともできるだろうが、民間人には手
が出ないものも多い。
そんな背景事情もあり、絶望した患者は泣いて取り乱すか諦める
者が大半だ。
だが、彼女は違った。絶望することも諦めることもしていないの
だ。
元の世界に戻る術など見つかっていない、そう聞いたにも関わら
ず。
魔法のない世界から来たということも実に興味深い。
いや、魔法のない世界にもかかわらず魔力持ちがいるということ
が。
最初魔法は使えないと思ったが、独自の発想で見事習得してみせ
たことも驚きだ。
⋮⋮魔法を成功させることによってこれまでの魔法に対する概念
をぶち壊してくれたのだから!
学会に発表すれば多くの魔術師達の注目の的になるだろう。
71
歴史に名を残すに十分な功績なのである。
だが、それは非常に危険なものであることも事実。
制御不能な魔法の被害は下手をすれば国一つが吹き飛ぶほどのも
のなのだ。
呪文詠唱による制御がない魔法を使いこなせる者がどれほどいる
というのか。
力に焦がれた愚か者が自滅するのは自業自得だが、本人だけでは
済むまい。
己が成したことに対し責任を持つことができて初めて﹃魔法を使
いこなす﹄と言えるのだから。
そう言った意味では魔導師こそ本当に魔法使いというのかもしれ
ない。
異世界の魔導師。そう在るしか生きる術がない哀れな異世界の少
女よ。
私は君の良き相談役であろうと思う。
せめて少しでも君が後悔しないように、この世界の知識と警告を
与えよう。
必然的に君はこの世界に﹃何か﹄を与えることになるだろうから。
仕方がないと割り切ってしまえる程、君は非情になれぬだろうか
ら。
私は君の紡ぐ物語を誰より心待ちにする読者となろう。
新しい知識と多くの驚きに彩られた物語が幸福な結末で終るよう
に。
必ず、君の味方であろう。
72
それこそが異世界に流されたという、君にとって不幸でしかない
事態を喜んでしまう私にできる唯一の贖罪なのだから。
73
番外編1・村医者の話︵後書き︶
この後、常識人筆頭として主人公の御守となります。
早くも主人公との間に温度差展開中。
74
番外編2・ある村娘の話︵前書き︶
本編6∼8くらいの村娘視点。
主人公の﹃あれだけいた白騎士狙いの村娘どこいった!?﹄発言の
裏事情。
彼等によって救いの手が無いばかりか外堀を埋められてました。
75
番外編2・ある村娘の話
その方はとても素敵な騎士様だったのです。
金の髪は白い服によく映えました。
緑の瞳もとっても素敵。
まるで御伽噺に出てくる王子様のようだと皆で噂しました。
そう、﹃御伽噺﹄。私は読み手でしかないのです。
ですから。
私は自分の恋を諦めたのだと思います。
※※※※※
その日は良いお天気でした。
怖いことがあったというのに、数日で元気になるなんて。
そんな自分に呆れつつも村の変わらぬ様子が嬉しかったのです。
そう在れたのは隣村から来てくださったお二人のお陰でした。
ゴードン先生は定期的に周辺の村を見回ってくれる優しい先生で
す。
﹃怪我が早く治るに越したことはない﹄
そう言っていつも治癒魔法を無償で使ってくださいます。
治癒魔法を使える医者は町に行けば仕事にあぶれる事がないと誰
かが言っていました。
76
無償で使うなど絶対にない、とも。
その先生が今回はもう一人連れてくると聞きました。
心待ちにしていたのですが⋮⋮恐ろしいことがおきてしまいまし
た。
襲撃犯は数日前に村にいらした騎士様を狙っていた暗殺者だった
そうです。
女の私にできることは逃げるだけ。
庇ってくれた叔父も怪我を負い、途方に暮れていた時に先生達が
到着したのです。
驚いたのはあの連中だけではなく、騎士様達も縛られていたこと
でしょうか。
先生にお聞きすると、同行していた魔導師様が倒してくださった
とのことでした。
⋮⋮耳を疑いました。
だって、魔導師様はどう見ても私と同じくらいの歳で背は私より
も低いくらいでしたから。
黒髪に同じ色の大きな瞳の小柄な魔導師様⋮⋮貴族の方なのかと
ひっそり思いました。
綺麗な方ですが、とてもお強いのでしょう。
騎士様達にさえ謝罪させお説教をしていたほどです、村長さんな
どは不敬罪がと呟いて卒倒していました。
魔導師様のおっしゃることは少々過激で⋮⋮尊敬するのと同じく
らい恐ろしかったです。
ですが、この方が守ってくださると思うと夜の闇に恐れることな
く眠りにつけました。
あの方は私達の為に怒ってくださった、優しい人ですから。
そして数日経ったある日、今度は白い騎士様達がいらっしゃいま
した。
77
先生達が城に知らせてくれたのでしょう。
お二人と何かお話をされていたようでした。
素敵な騎士様達に女性が騒がない筈はありません。
何とか話し掛けようとしている子もいましたが、全て挨拶程度で
切り上げられてしまっていました。
でも一人だけ。
美人と評判の村長の孫娘は随分と思い上がっていたのか、あまり
につれない騎士様に好きな方がいるのかと失礼にも聞いていたので
す。
城に勤める方であれば田舎娘など相手にされるはずはない、美し
いお姫様が相手ならば諦めもつくとでも思ったのか⋮⋮。
ですが、問い掛けられた騎士様達は幸せそうに笑ってこう言うの
です。
﹃あの黒髪の魔導師殿を想っている﹄
纏わりつく娘達を引き下がらせる為の嘘だったのかもしれません。
彼女はその言葉が真実だと思わなかったのか激昂し、あろうこと
か魔導師様を罵ったのです。
﹃魔力があるだけの、あんな女にどうして! 恐ろしい魔女のよう
なのに﹄
その瞬間、騎士様達から笑みが消えました。
思わず誰もが黙り込む中、金髪の騎士様がとても冷たい目で彼女
を見つめこう言ったのです。
﹃彼女は君の様に誰かの陰口など言わない。君は恩恵を受けた身で
ありながらそう言うのか﹄
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﹃彼女がやらねば誰が出来た? 何人が生き残れた? いい加減に
しろ、恥知らずども﹄
﹃これ以上、彼女を侮辱するならば⋮⋮貴族の権限をもって処罰す
る﹄
優しい方でした。いえ、優しい方だと思ってました。
ですが、私達に向けられた優しさは魔導師様を通してのものだと
悟りました。
魔導師様が守った者達だから。
あの方は誰かが死ぬことを嫌うから。
彼女の為に私達に優しく接したのだと、はっきりわかりました。
だって、騎士様の穏やかな言葉遣いも笑みも⋮⋮魔導師様に向け
るものは全て﹃本物﹄でしたから。
それを見て自分を見て貰えるなどと思い上がれるはずはありませ
ん。
騎士様達に纏わりつく娘は誰一人いなくなりました。
最後に村を出て行かれる時⋮⋮あの騎士様が楽しそうに魔導師様
に抱きついていました。
魔導師様は迷惑そうで、でも振り払うことはしていません。
前途多難そうですね、頑張ってください︱︱そんな思いで眺めて
いた私に騎士様は視線を向けると穏やかに微笑んでくださいました。
魔導師様に向けるものとは違っても、それは間違いなく本当の笑
み。
どうか、騎士様方⋮⋮魔導師様を御守りください。
そしてできるなら、幸せになってくださいませ︱︱︱
79
番外編2・ある村娘の話︵後書き︶
知らない方が幸せな真実もあります。
夢見る乙女は悪意無く主人公と騎士の仲を応援中。
80
お料理しましょ
青い空、広い平原。
馬に乗った騎士は凛々しく人は思わず足を止めて彼らを見るだろ
う。
⋮⋮人が居るならね。
現在、城への旅路である。
一度ラグスの村に戻って荷物を纏め、再出発という感じ。
村の皆は城へ行く事に驚きながらも喜んでくれた。
曰く、辺境の村ではまず満足な知識が得られない、危険だ、など。
私を案じてくれる人々の好意に深く感謝し、ささやかながら城か
ら貰った報酬︱︱あの黒尽くめ戦隊は賞金首だったらしい︱︱を全
額渡しておいた。
金は何かの時に必要になるかもしれないしね?
実の所、自給自足の村なだけに金はあまり蓄える必要はないのだ。
だが、何かの時にものを言うのは金である。持っていて損はない。
そう言うと皆は大層感激して黙り込んでしまった。
いいんですよ、皆さん。私が異世界に来て生き長らえたのは貴方
達のお陰です。
今後も何かあればご恩返ししたいと思います。
⋮⋮まあ、何を勘違いしたか白騎士連中が
81
﹃不自由はさせません、養いますのでご安心を!﹄
などとのたまい、微妙な空気にさせていたけど。
おい、感動の場面に何しやがる。
その後は少ない荷物を纏め村を後にした。
いや、荷物は結構な量になった。主に旅する間の食料で。
餞別に戴いた干し肉や蜂蜜︱︱砂糖は貴重だそうな。だが、高い
だけで手に入らないものではない︱︱調味料各種。
この世界の調味料は塩・砂糖・胡椒が基本なのでそれ以外の調味
料は本当にありがたい。
まあ、ここが香草が簡単に手に入る環境だからこそあったわけで
すが。
そして旅に出て現在に至るわけです。
﹁先生、あと何日くらいで着くんです?﹂
﹁ふむ、この分ならあと二日ほどだな﹂
沈む夕日をほけーと眺めつつ隣の先生に問うと即座に答えが帰っ
てきた。
うん、暇なのだよ物凄く。周囲に何も無いし。
本日の﹃お仕事の下準備﹄も終っちゃったしなー。
現在、私と先生、騎士sは馬車に揺られている。﹃旅は慣れない
と大変だから!﹄と言って渡されたマットに重力緩和の魔法をかけ
てるから快適です。
先生は言わずもがな、騎士sも驚いた顔してるけど無視。説明す
るなら﹃世界には引力といって∼﹄から始めなきゃならん。無理で
す、普通に。
82
そのマットは荷台部分に敷き詰めてあるので眠る時も当然快適。
騎士の皆さんには申し訳ない状況です。皆、笑って気にするなと
言ってくれるけどさ。
で。
あまりに申し訳ないので食事係を願い出でてみました。先生の強
い後押しによりめでたくお仕事ゲットです。
実はこれには個人的な事情もある。
この世界、何故か調理方法が基本的なものしかないのだよ。材料
はあるくせに。
酵母パンはあっても食パンや中に何かを入れたものは無し、調理
方法は基本的に焼く・煮るのみ。
⋮⋮パンがあってサンドイッチがないとは思いませんでしたよ。
パンは手で千切って食べるもの⋮⋮というか、パン自体が一つの
完成された料理だと思ってるみたい。
パンの食べ方がそれ一択なのです。他の料理も同様。なので料理
のバリエーションがとっても少ない。
どうやら異世界より伝えられた技術=最上級の法則が成り立つら
しく、応用が全くないらしい。
先生の家で居候させてもらう代わりに料理を作ったら感動されま
した。
作ったものがペペロンチーノとドレッシングをかけたサラダだっ
たんですが⋮⋮。
そこから料理の話になり驚愕の事実を知ったわけです。
おいおい、今まで料理人が召喚されたことはなかったのか!?
83
﹁そろそろ野営の準備をします。ミヅキ、申し訳ないのですが⋮⋮﹂
﹁はいはい、止まり次第準備しますよ﹂
そんなわけで本日も夕食の準備に取り掛かりたいと思います。
騎士さん達もなにやら嬉しそうです。
えーと⋮⋮君達貴族だったよね?
キャンプ並みの食生活を楽しみにしちゃっていいのかーい??
﹁美味しいです!﹂
﹁我が家のコックに迎えたいほどですよ﹂
﹁はあ⋮⋮喜んでいただけて何よりです﹂
それ以外どう言えと? な状況です。
本日のメニューは野菜スープとボリュームのあるサンドイッチ。
誰でも作れる簡単メニューですね、真に申し訳ありません。
サンドイッチの中身は薄切りして焼いた肉と玉ねぎとレタス、味
付けはマヨネーズと塩胡椒。どうせなら挽肉作ってハンバーガー作
ってみよう。城に着いたら厨房借りて作るか。
野菜スープは小さく切って乾燥させた携帯用野菜を鳥ハムと一緒
に煮込んだもの。
鳥ハムは鶏肉に塩と蜂蜜︵砂糖︶と胡椒を馴染ませてできるだけ
真空パックにして冷蔵庫に放置、二日くらい経ってから軽く煮て作
る簡単料理です。美味しいですよ!
肉に下味がついてるし、調味料がついたままの状態なので野菜と
煮込むだけで十分。
時間短縮の魔法を使ってるので短い時間で簡単調理。
84
この魔法って本来は植物などの育成に使われるんだそうな。ちな
みにこの世界の植物は生物と認識されていない。植物は植物なのだ。
この魔法、植物以外の生物にも使えるんじゃ⋮⋮と心配したけど、
例によって制御の中に﹃生物に使用禁止﹄的な言葉があって生物に
は無効です。
まあ、成長が一気にきたら体が耐え切れず死ぬわな。偉大なり、
古代人。
ちなみに私が﹃状態維持﹄だの﹃時間短縮﹄なんて特殊魔法を使
えるのは偏に映像化された状態で﹃それがどんな効果か﹄を知って
いるからだったりする。
はっきり言えば元の世界の映画やドラマの知識。
先生曰く﹃この世界にそれらがあったら魔術師は天才揃い﹄らし
い。確かに、魔法はその効果を理解することが重要なんだから最高
の解説書かもしれない。
イメージできなくて魔法が不発に終った人間がここにいるわけだ
し。
﹁時を留め現状を維持し⋮⋮﹂
←
﹁時ってどんなものですか?﹂
←
﹁⋮⋮︵説明に困る︶﹂
なんて状況が結構あるとか。明確な形の無いものを説明するのは
難しいよね。
いかん、脱線した。今は料理の話。
ああ、生肉をどうやって持ってきたかって?
密閉性の高い箱に状態維持と弱い冷却の魔法をかけて簡易冷蔵庫
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にしたので問題無しです。
電気や物がなければ魔法で応用ですよ、素晴らしいね!
肝心のパンは食パンの型と生地を事前に作ってあるので焼くだけ。
焼くというより周囲の温度を上げているので熱が均一に掛かるオー
ブンみたいな状態です。
パンの型は村で広めた時に予備と称して沢山作ったから一度に数
斤焼ける上に時間短縮が可能。凄いな、魔法! 元の世界より遥か
に便利じゃん! 今でこそ何の抵抗も無く平然と食べてるけど、最初は私と先生以
外は困惑してましたねー。
まあ、先生がいそいそと食べ始めちゃったから皆も手を付け出し
たんだけど。
そこからこの世界の食事事情の解説となったわけです。
下手すると辺境の方が食生活充実してるかもな、と思ったのは秘
密。
⋮⋮あそこまで喜んでもらうと﹃状態維持の魔法をかけて家に保
存してあったものを使った手抜き料理です﹄とは今更言い出せませ
んな。貴族の口に合うとは思わなかった。
先生、何も言わないでくださいよ。気付いてるのは貴方だけです。
騎士sよ、君らはパン生地作るのに協力させたからお代わり自由
だ、たんと食え。
出発前にパン生地大量生産する為に酷使したからね⋮⋮反省はし
てないが。
﹁本当に美味しいですね、ゴードン殿は毎日これを召し上がってら
したとは⋮⋮﹂
﹁居候生活なものでせめてもの恩返しです﹂
﹁この味付けは何でしょうね? 不思議な味です﹂
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﹁マヨネーズですか?﹂
﹁まよねーず? というのですか。是非作り方を教えていただきた
いのですが⋮⋮﹂
﹁いいですよ?﹂
﹁は⋮⋮え、いいのですか!?﹂
無理でしょうね、と続けるつもりだったんだろうか?
え、さすがにマヨネーズくらいなら構いませんよ? レシピ見れ
ば誰でもできるでしょう。
白騎士達の目が輝いてるってことは全員分書いた方が良いんだろ
うな。
⋮⋮ん? 騎士s君達も欲しいのかい?
あれ、そんなに凄いこと?
﹁ミヅキ、彼等が貴族だということは知っているな?﹂
﹁はい﹂
﹁彼等が知らないということはこの世界に無かったものということ
だ。逆に言えば貴族でさえ欲する価値のあるものだと覚えておくと
いい﹂
なるほど。私にとっては当たり前でもこの世界ではとんでもない
価値がある場合があるってことですね。
凄いぞ、マヨネーズ。お貴族様の食卓に並ぶ高級調味料になるか
もしれん。
とは言っても独占させる気なんてないので。
﹁あの、そのレシピはできるだけ民間にも広げて欲しいんですが﹂
﹁民間に? 勿論かまいませんよ。材料が揃うなら誰でも味わえる
ようにしたいですし﹂
﹁ありがとうございます!﹂
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よし、言ったな公爵家三男。
言質はとったぞ、忘れたとか言わせんぞ?
﹁しかし、何故?﹂
﹁どこかで新しい料理が生まれるかもしれないじゃないですか!﹂
﹁ああ、なるほど。階級や場所によって食事事情も異なるでしょう
しね﹂
ええ、全くそのとおり!
庶民の食事だろうと美味い物は美味いのです。貴方達を見て確信
しましたよ!
庶民の料理に拍手喝采する貴族、なんという下克上な光景!! 大笑いですね♪
⋮⋮とは流石に言えず、上機嫌のまま食事を再開しました。
そして問題が一つ。
﹁ミヅキ、他にも何か作っていなかったか?﹂
﹁⋮⋮﹂
あああああっ!
先生、このタイミングで言いますか。やっぱり見てましたか!
皆さんの目が輝きだしちゃいましたよ、期待しないでー!!
⋮⋮。
⋮⋮すみません、先生の無言の圧力に負けました。
バレた以上は仕方ない、さっさと出そう。
デザートのクレープ︵中身はカスタード︶を皆の目の前に出しな
がら私は﹃これも聞かれたらどーしよう?﹄などと考えてました。
だってねぇ?
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カスタードはともかくクレープって実演しないと理解できないと
思いますよ?
え、私もしかしてクレープの為に貴族の家たらい回し確定ですか
⋮⋮?
89
お料理しましょ︵後書き︶
興味のある方は﹃鳥ハム﹄で検索すると作り方が出てきますよ♪
︵作中では作り方の解説を若干すっ飛ばしてますが︶
サンドウィッチとサンドイッチ両方の言い方が在りますが作中では
サンドイッチにしてあります。
90
王子様は外見天使な魔王様︵前書き︶
沢山のお気に入り登録ありがとうございます!
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王子様は外見天使な魔王様
港と豊かな実りを有する王国イルフェナ。首都は港町ガルティア
である。
それは小国ながらも大陸に存在する多くの国にとって無視できな
い存在である。
一つは物流の面において。
港を介して各地へ運ばれる物の中でイルフェナは特に食料方面に
重きをおいて行われている。
日用品ならばともかく、飢えては生きていけないのだ。
特に贅沢に慣れた特権階級にとっては辛い話だろう。
次に外交面において。
有能な人材の多いイルフェナはその能力に比例する如く愛国心が
強い。
下手な真似をすれば簡単に隠し持った牙を剥き出しにするのだ。
切り札となる情報を幾つも握った上での交渉⋮⋮どんなに理不尽
だろうと受け入れる他は無い。
相手が仕掛けた事実さえ手駒に変えて報復されるので結果的にイ
ルフェナが正義となる。
最後に軍事面においての強さ。
イルフェナは軍事国家というほど力を入れているわけではない。
問題なのは王家直属の黒騎士団と白騎士団なのだ。
王族直属の親衛隊であり、その名の通り白と黒の騎士服を身に付
けた精鋭。
近衛とは扱いが別であり、現在のイルフェナの騎士服は基本的に
92
青を基調としたものである。
その成り立ちはガルティアが国として存在していた頃に遡る。
元々イルフェナはガルティアという長年に渡り友好関係を築いて
きた隣国があった。
王族・貴族の婚姻関係も深く、後継ぎに恵まれない際には隣国か
ら迎えたりするのだから仲の良さが知れるものである。
国の紋章も似ており、イルフェナが白い鷹でガルティアが黒い鷲。
民も第二の故郷と互いに口にするほどだったという。元は同じ民
族だったのかもしれない。
ところが二百年前に大陸全土を巻き込んだ大戦が起こり、防衛に
徹した二国もかなりの被害を負ってしまった。
大戦が終結したとはいえ元々小国だった二国はそのままでは潰さ
れると判断、民の承認を得た上でイルフェナに統合されることとな
った。
その際、イルフェナの首都をガルティアとし国の名を残すことに
したという。
イルフェナは白、ガルティアは黒の騎士服を纏っており、新たな
国として歩む際に青に変更されたが名残として一部に残されること
となった。
それが王族直属の機関である﹃白き翼﹄と﹃黒き翼﹄である。
実力だけを基準に選ばれた愛国者達の集団であり、最優先は主の
命。貴族でさえ干渉できない。
彼等は自分の持てるあらゆる権利と能力を使って主の命を叶える、
﹃国﹄の所有する最悪の剣なのだ。
⋮⋮彼等が動いた果てに手痛いどころではない被害を被った国は
少なくない。
これらが小国ながらもイルフェナが他国に一目置かれ、大陸にお
いて比較的強い発言権を有する理由である。
93
※※※※※※
﹁⋮⋮という国なのですよ﹂
﹁へー⋮⋮凄いんですね﹂
現在、客室にてアルさんにイルフェナについての講義を受けてま
す。
先生と騎士sは其々別行動で報告や挨拶に行っている。
なのでアルさんが私の護衛兼見張り。うむ、丁寧な解説ありがと
う。
﹁まさか城下町に入るなり聞かれるとは思いませんでしたが⋮⋮﹂
﹁いや、だって気になるでしょ﹂
城下町に入るなり思わず聞いちゃったんだよねー、私。
﹃よく狙われませんね? これほど豊かなのに﹄
ほら、豊かな国は狙われて滅亡フラグが∼というお約束ですよ。
港もあり作物も豊か、しかも小国とくれば、ねぇ?
後は姫とか主人公になりそうな人物がいれば完璧ですね!
ま⋮⋮流石に﹃滅亡フラグ立ってませんよね?﹄とは聞けません
がな。
その後、折角なので解説してもらい今に至ります。
そうか、天才・奇才な変人どもを敗北させることができなかった
から生き残ったのか。
94
あ∼⋮⋮確かにそれだけの功績を残してれば変人だろうと﹃よく
ある事﹄で済ませるね。
歴史的な背景にまで話が拡大するとは思いませんでしたよ。
二つの国の名残が白騎士と黒騎士。青い制服が一般的な騎士服で
したか。
そう、歴史ある精鋭部隊⋮⋮。
⋮⋮。
⋮⋮。
先祖達に詫びろ、お前ら。
﹁歴代の騎士達も似たようなものだと聞いていますよ?﹂
﹁私、何モ言ッテマセンヨ?﹂
﹁ふふ、今更ですからお気になさらず﹂
無駄に爽やかだな、おい。
思わずジト目になるも相手はにこやかなままだ。
うーん⋮⋮この人、内面見せないよね。特殊な面を除いて本音が
見えないや。
対人においてかなり有能なんじゃないだろうか。
自分の立場を利用することも戸惑わないだろうしねー。
村でも城へ招待する為に平気で貴族や騎士を差し出そうとしたも
んな。
絶対に敵に対して容赦無いよ。
⋮⋮私もこれに関しては同類だしね?
そうじゃなきゃ生きていけないでしょ?
﹁私からも伺って宜しいですか?﹂
﹁はい、どうぞ?﹂
95
﹁貴女は⋮⋮人を殺せますか?﹂
﹁⋮⋮﹂
アルさん、器用だね。目だけ笑ってませんよ?
﹁殺せるでしょうね、間違いなく﹂
﹁そうでしょうか? 襲撃者でさえ殺していないのに?﹂
﹁﹃殺せなかった﹄というより﹃必要がなかった﹄んです﹂
﹁ほう?﹂
﹁だって無駄でしょう? それに⋮⋮﹂
キィン⋮⋮という微かな音と共に一筋の氷結を行う。
氷の刃をアルさんの首筋付近に出現させて微笑う。
﹁無詠唱での魔法の危険性を私は﹃知っていた﹄。先生がいると
いっても治癒魔法程度で間に合わないことも﹃理解できていた﹄。
この二つと今の状況から考えてくださいな?﹂
﹁話してしまって良いのですか?﹂
﹁無駄でしょう、気付いている人の前で隠しても意味がない。私は
﹃自分を選べます﹄よ?﹂
そう告げてから氷を消すとアルさんは嬉しそうに笑った。
⋮⋮しまった、今の演出も萌え要素だったか!?
﹁嬉しいですね! 本当に貴女は期待以上の人です。⋮⋮これは絶
対に諦めきれませんね﹂
おーい、アルさーん!
話が全然見えてこないんですがー?
あと、最後の方は要らんからな?
96
﹁⋮⋮以上です。殿下、これで彼女への評価はお話した以上だと信
じていただけますか?﹂
﹁⋮⋮? 殿下??﹂
﹁エルシュオン殿下ですよ。⋮⋮申し訳ありません、ミヅキ。貴女
を試させて頂きました﹂
試すも何も⋮⋮この部屋には私達以外の誰もおらんがな。
もしや、盗聴? 魔法世界で盗聴ですか? できるの!?
今のは抜き打ちテストですか!?
﹁勿論だよ、アル。⋮⋮初めまして、異世界の魔導師殿?﹂
そう言いながら部屋に入ってきた人は黒い騎士を従えていた。
この人が殿下。黒騎士はアルさんと同じく団長だろうか?
おお、まさにテンプレどおりの王子様が目の前に!
緩やかなウェーブがかった金の髪に青い瞳、女性と見まがう美貌
⋮⋮幼い頃はマジで天使のようだったでしょうね!
ええ、天使の如き色彩と容貌なのですが。
⋮⋮。
王子様、微笑んでらっしゃるのに貴方は何故そんなに威圧感あり
まくりなのでしょう⋮⋮?
うん、子供が視線を合わせたら泣く。何て言うか雰囲気が怖い。
﹁大丈夫ですよ﹂とアルさんが頭を撫でてくれてますが⋮⋮そもそ
も﹃大丈夫﹄って言葉が出る方がおかしくね!?
緊張してるわけじゃないのは気づいてるよね!?
何か危険があるみたいじゃないのさ!?
97
﹁⋮⋮殿下、少し抑えてください﹂
﹁ああ、すまない。つい楽しくてね﹂
﹁楽しい⋮⋮?﹂
抑えるってのは魔力か何かだろうか。
黒騎士さん、気遣いありがとう。殿下、その楽しいってのは一体
⋮⋮?
﹁だってこんなに可愛く怯えるんだもの﹂
﹁私のことか! それは私の怯えっぷりのことですか!﹂
﹁うん♪ 資格十分だと証明した矢先にこれだしね﹂
﹁苛めっ子ーっ!! 悪魔だ、いや魔王だ、アンタ!﹂
最初から楽しんでたってことですね!
不敬罪? 知るか、そんなもの!
くすくす笑っていた殿下がおや、と更に笑みを深める。
え、今の台詞の何処におもしろ要素が!?
﹁うん、魔王って呼ばれてるんだ﹂
﹁は?﹂
﹁魔力が高過ぎてね? 普通の魔法も危険だし体に負担が掛かるか
ら使えないんだけど⋮⋮内包する魔力が威圧感を与えるみたいでね
⋮⋮﹂
⋮⋮。
リアル魔王様でいらっしゃいましたか。
天使の外見の魔王なんて斬新ですね。
角とか翼はないんですか?
世界征服は私が帰ってからにしてくださいね?
98
﹁折角だから私も色々利用してるんだよ﹂
だって楽しいじゃないか?
付け加えたように聞こえたのは気の所為じゃないでしょう。
魔力の所為だけじゃねぇ⋮⋮中身も魔王だ、この人。
わぁ⋮⋮流石イルフェナ、変人の産地です。
先生の話を聞く限り愛国者⋮⋮だけど鬼畜な王子様とか普通に居
るんですね!
思う事は自由なので心で叫んでおこうと思います。
勇者ーっ!! 属性・勇者の人何処ーっっ!!
ラスボスがいますよ、貴方の出番ですよーっっ!!!
たーすけてーぇぇぇぇっ!!
えー⋮⋮私、この人に御世話になるんでしょうか?
99
黒騎士さんは器用な人︵前書き︶
沢山のお気に入り登録ありがとうございます!
暇潰しに読んでいただければ幸いです。
100
黒騎士さんは器用な人
﹁十日後にゼブレストから迎えが来るから後宮破壊しておいで♪﹂
﹁⋮⋮は?﹂
﹁そうそう、表向きの立場は側室だけど我が国の後見がつくから権
力的に側室筆頭だよ﹂
王子様は天使の笑みを更に輝かせて問題発言しやがりました。
⋮⋮何故いきなり側室にならにゃいかんのですか? 魔王様。
いや、それ以前にね?
後宮破壊って⋮⋮早速世界征服の足掛かりにでもするおつもりで?
※※※※※
衝撃の対面後。
とりあえず自己紹介とこれまでのことを話し、ついでに白騎士何
とかしろやと御願いをしてみたのですが。
﹁じゃあ、こちらの御願いも聞いてほしいかな﹂
となったのです。
うん、それは理解できますよ。
ですが、私に犯罪者になれと?
国を傾かせて来いと?
101
明らかに処刑が待ってますよね?それ。
そんな空気を読んだのか王子様は更なる爆弾発言をなさいました。
﹁ああ! 大丈夫だよ。だって依頼者兼共犯はゼブレストの王と宰
相だからね!﹂
⋮⋮。
他国には自国を貶めたい願望を持った王様がいるんでしょうか。
いや、魔王様が王子をやってる⋮⋮逆だ、王子様が魔王な国はあ
るみたいですけどね?
﹁先代が無能過ぎてね、思い上がった貴族連中が娘を無理矢理押し
付けたんだよ﹂
﹁後宮閉鎖は駄目ですか﹂
﹁やろうにも貴族達の反発が凄いらしい。正妃もまだなのにってね﹂
﹁じゃ、さくっと毒殺⋮⋮﹂
﹁バレたら貴族連中が煩いよ?﹂
﹁人として駄目という理由じゃないんですね﹂
﹁うん。気にする価値がない人達だから﹂
私も酷いが王子様も十分酷いですな。
貴方も似たような立場なんだし、少しは理解を示す気は⋮⋮無い
んだろうね。
清々しい笑顔ですよ、良心の呵責は欠片もありません。
黒騎士さんも頷いてるあたり何かあったのか?
私の視線に気が付いた黒騎士さんは無表情のまま口を開いた。
﹁⋮⋮あそこの女どもが王妃になったら国が終る﹂
終る!?
102
﹁自分が勝つことしか考えていない。雌の集まりだ﹂
⋮⋮人としても扱いたくないんですか。
﹁クラウスには潜入して様子見してもらったし、情報を集めてもら
ったからね﹂
﹁情報収集? もしやさっきの盗聴⋮⋮﹂
﹁うん、黒騎士はそういった仕事が専門だよ? 音だけでなく映像
もあるし﹂
全部黒騎士達のお手製なんだよ! と魔王様は楽しそうに言った。
凄い技術ですねー、魔法を組み込んだ道具もあるんですか。
⋮⋮ん?
まて。おい、今何て言った?
映像⋮⋮隠しカメラみたいなもの?
それ、盗聴と覗き?
犯罪だろ!?
﹁それが仕事だ﹂
﹁堂々と口に出せることじゃないでしょ!?﹂
﹁ちなみに趣味も兼ねてる﹂
﹁なお悪いわっ!!﹂
わー⋮⋮さすが魔王の僕ですね。
趣味と実益を兼ねて堂々と犯罪行為ですか。
クールな雰囲気台無しですよ? ほら、自分を見つめなおせ?
﹁ちなみに詳細な報告はここまで可能だ﹂
103
ぴら、と何やらびっちり書き込んである紙を渡される。
えーと⋮⋮え゛⋮⋮?
﹃0700 起床 随分と機嫌が悪い。侍女に八つ当たり﹄
﹃0730 着替え 赤をメインにしたドレスを選択、相変わらず
濃い目の化粧﹄
﹃0800 朝食 メニューはパンとスープと果物﹄
⋮⋮。
⋮⋮。
ストーカーの活動報告書か何かでしょうか、これ?
しかも随分と詳しいですね? その場にいたんですか?
﹁⋮⋮犯罪者だ、ストーカーモドキが居る﹂
﹁行動を把握し詳細な情報を纏めただけだが﹂
﹁限度を知れ。人間、自分がやられて嫌なことはしちゃいけない!﹂
力一杯主張する私にクラウスさんは軽く首を傾げ。
﹁別に。自衛できなかった己の技量不足だろう?﹂
﹁駄目だ、自分が基準だこの人! アルさん、魔王様何か言ってや
ってください!﹂
出会って数分、すでに王子の呼び方が魔王様で定着中。
﹁黒騎士は有能だからねぇ、仕事を趣味にしてるのは些細なこと
だよ♪﹂
﹁クラウスは幼い頃からこうでしたから⋮⋮私達の行動はいつも
把握してましたし﹂
104
仕事で済ますな! 一見まともに聞こえるだろうが!
昔からって⋮⋮おかしいと思えよ、そんな子供!!
ん⋮⋮? ﹃幼い頃から﹄?
﹁もしかして三人とも幼馴染ですか⋮⋮?﹂
﹁うん﹂
﹁そうですよ﹂
﹁二十年以上の付き合いだな﹂
嗚呼⋮⋮変人三人組に誰も口を挟めなかったんですね⋮⋮!
矯正されること無く、すくすく成長したなれの果てがこれなので
すね⋮⋮!
﹁今何か凄く失礼なこと考えなかった?﹂
﹁気の所為です。悲しい現実なら思い浮かべましたが﹂
﹁そう﹂
先生が宮廷医師やめて村に引き篭もったのは変人どもに疲れたか
らじゃあるまいな?
白騎士は変態、王子様は魔王、黒騎士は犯罪者紛い⋮⋮。
﹁黒騎士⋮⋮一人居たら三十人は居そうですね、どこにでも湧きそ
う﹂
そう、某Gの生物のように。
実力者って事はきっと生命力も強い。
﹁へぇ⋮⋮?﹂
﹁おや⋮⋮﹂
﹁な!?﹂
105
思わず駄々漏れた本音に三人の表情が変わる。
あれ、声に出てた?
意味判っちゃった??
クラウスさん、初めて表情が変わりましたねー。
些細なことですが一矢報いた心境です。勿論、謝りません。
あれ、天使の笑顔な魔王様、上機嫌ですね?
﹁うん、君みたいに賢くて楽しい子が来てくれた事が嬉しいんだよ
♪﹂
⋮⋮。
⋮⋮。
魔力が強いと感情読めたりするんでしたっけ⋮⋮。
え、私早くも死亡フラグですか?
葬り去られちゃいますか?
﹁だから御願い聞いてね?﹂
笑顔で脅迫された私に抗う術はありません。
⋮⋮とりあえず頷いておきます。
どうなっても知らんぞ⋮⋮?
106
準備しましょう
﹃御願い﹄を承諾してから。
﹁最低限で構いませんので踊れるようになってください﹂
﹁⋮⋮宜しく御願いします﹂
厳しそうな講師の女性は視線で﹃やれるものならやってみろ﹄と
言っている。
ふ、原因はアルさんか。アルさん狙いの一人なのか。
アルさんもどことなく苦笑してる。
夜会があるからダンスが踊れないと困る、ということでまずはダ
ンス教室開催ですよ。
相手役にアルさんを選ぶあたり魔王様はよく判ってらっしゃいま
すね⋮⋮絶対に足は踏まん。
まずはお手本ということで講師組、嫉妬の視線を浴びつつ次に私
達です。
おお、睨みつけてますな! 私で気付くくらいだからバレてるぞ
ー、嫌われるぞー!
睨まれても仕事なので仕方ないんだけどねぇ?
﹁睨まれちゃいました♪﹂
じゃあ期待に応えてアルさんに寄り添って更に煽ってあげよう。
﹁大丈夫ですよ、私がいますから﹂
おお、アルさんもノリノリで抱き寄せてくれるじゃないか。目的
107
が判ってますね!
あ、講師組が足踏んだ。はっは、些細なおちゃめです。気にしな
いで下さいよ♪
で、次は私達。
ステップの解説もなく初心者にやらせようとするあたり性格悪い
な、講師。
相手の人は何か言いたげだけど口を挟むことは無い。
身分的なものか本人が怖いかどちらかと見た。
﹁できるだけで構いませんから﹂
﹁あー⋮⋮はい、努力します﹂
素敵な騎士様らしくリードとフォローをしてくれるようです。
ありがとアルさん、優しいね。
一応、初心者だと自己申告はしてありますよ。
そう、実際に踊るのはこれが初めてなのです。普通は無理です。
そんな私が踊れるわけ⋮⋮
﹁あ⋮⋮あら?お上手ですのね⋮⋮?﹂
︵⋮⋮踊れるんだな、これが︶
理由は私が廃人プレイヤーの一人だったオンラインゲームにある。
当時のオンラインゲームは殆どが仮想現実体感型でまさにゲーム
の中で生きている状態。
致命的な怪我こそ負わないものの、現実と変わらない体験ができ
るというものだった。
戦闘においての血の演出など年齢制限がかけられるようなものま
であるのだから。
その技術は軍事訓練などにも使用されているので﹃たかが疑似体
108
験﹄などというレベルではない。
故にゲーム内のスキルと言えども現実に身に付いてしまうものが
あるのだ。勿論、現実世界にあるものに限り、だが。
その中で﹃舞踏﹄というスキルがあったのですよ。普通は勿論使
わない。
ところがこれ、貴族以上のNPCと関わる場合は必須スキル。無
いと困る。
貴族の招待や国主催の晩餐会で人脈を作っておくと個人的に仕事
を任せてもらえたりするんだな。
当然、仲良くなるには上流階級の教養が必要になる。
ふ⋮⋮スキルレベル上昇の為に練習したのも良い思い出。
戦闘系ギルドの筋肉上等! なアニキ達も死んだ目になりつつ鍛
錬︵練習︶したと聞く。
そんな光景を見てしまった奴等も涙目だったらしいけど。何を考
えてたんだ、あの運営。
ま、結果としてスキル習得↓体で覚えて現実でも踊れる⋮⋮なわ
けです。
私が魔法にすんなり馴染んでるのもゲーム内で生活してたからだ
しね。
ただね⋮⋮このスキル﹃舞踏﹄は私にとっては黒歴史。
事情は男性キャラで登録したのに踊れるのが女性パートという理
由から察すべし。
自キャラが女性的な外見だったとしても寒々しい光景ですな。
意外な所で役に立ったからいいんだけどね⋮⋮うん。
﹁お上手ですね。これならば安心です﹂
﹁色々ありまして⋮⋮ええ、良かったです﹂
109
安心したように、けれどどこか残念そうなアルさんに曖昧に微笑
む。
深く追求しちゃいけません、特殊な環境でスキルとして習得した
なんて説明できません。
﹁上手な方に教わったのでしょうね。凄くやり易いですよ﹂
﹁ソウデスネ⋮⋮﹂
パートナーはβ版からの相棒でしたよ、良い奴でした。
事情があっただけでBLな関係じゃありませんよ、両方男ってい
う寒い状態でも。
誤解を招きそうな事態なだけに沈黙したいです。貝にならせてく
ださい。
﹁貴女のお相手を務められた方に嫉妬してしまいそうですね﹂
だから聞ーかーなーいーでー!!
※※※※※
次に必需品揃えるかー、ということになりました。
そりゃ、そのまま行くのは無理だろうよ。
ところが作るのは特注ドレスと装飾品だけだとか。
曰く、殺るか殺られるかの状態になるから魔法付加のドレスが必
須だそうな。
へー、物に魔法を定着させることってできるのね?
何でも魔力で描いた呪文を定着させるらしい。
﹃声﹄だと一瞬で消えるけど﹃文字﹄そのものを描くことによって
110
効果を持続できるみたい。
つまり術者が居なくても結界が張れるってこと。
普通、この世界の魔法は基本的にその場に術者が居なければなら
ない。
術者の魔力が元になってるから当り前ですな。手紙を送った簡易
版もこれに該当。
だけど結界や転移法陣みたく場に置いてくものも当然存在する。
例外として魔石に魔法陣や呪文を組み込んで持続させる手段がある
ってことですね。
他の魔道具も魔石が動力源となっている。つまり魔石=電池みた
いなものだろう。
魔石の質や術のレベルにもよるけど魔道具は値が張るらしい。製
作できる技術者が圧倒的に少ないんだそうな。
⋮⋮。
ああ⋮⋮そりゃ、そうだろうね。
まさに見て覚えろ・フィーリングで覚えろって状況なんだし。
説明されても魔力を使っての加工なんて理解できんわな。基本自
力で成功させるしかないんじゃなかろうか?
そしてもう一つが衣服そのものに魔力を帯びた特殊素材を使用し
た﹃魔術付加衣装﹄がある。
こちらは布そのものに魔力が宿る形なので魔石は必要ない。
身分の特に高い人達はこれを纏って暗殺を防ぐとか。
ただし⋮⋮高いんだとさ、これ。下手すると貴族の館が建つ。
で。
﹁ふむ、サイズは丁度いいな﹂
﹁⋮⋮﹂
111
サイズを計らせた記憶も無いのに試着させられました。
作った人? ⋮⋮クラウスさん率いる黒騎士達ですよ?
黒騎士達、どこまで器用なんだ。
普通の仕事もしてたってことは夜な夜な手縫いか、皆でお裁縫か
!?
﹃最初から魔導師だと言っておくから黒い方がいいね﹄という魔王
様のよくわからん一言で色は黒、胸元の開いたマーメイドラインの
デザインです。
そうか、魔女とかそっち系のイメージですか。悪の女幹部扱いな
のですね?
全力で悪役になりきってみせますよ! やることが後宮破壊だし
な。
そして幾つか作られる装飾品。折角なので自分でも製作。
そうそう、これは﹃魔法﹄ではなく﹃魔術﹄と言うのが正しいら
しい。
﹃魔法﹄だと全体を指す事になるけど魔道具に攻撃魔法は組み込め
ないからなんだって。
確かに、ターゲットが確認できないなら無理ですね。危険だし。
だから結界や解毒などの装備者に効果があるものだけってことに
なる。
他の理由としては職人としてのプライドらしい。
クラウスさん曰く
﹃術式を組み込む技術を誰でもできるものと思われるのは我慢がな
らない﹄
とのこと。魔術師と魔導師の差⋮⋮みたいなものか。で、私の作品
は。
名前:ヴァルハラの腕輪
112
製作者:ミヅキ
効果:治癒・毒分解・万能結界
元の世界でやってたオンラインゲームで装備してたもののレプリ
カですよ。材料が違うけど見た目だけ同じ。
装飾が施された銀の腕輪に魔石が一つ付いている程度なのであま
り目立たない。
魔道具の製作は﹃魔術定着・形成﹄の感覚でイメージすればでき
るっぽいね。
銀と魔石を魔力で加工し、その過程で付属効果を組み込んだから
生産スキルに近いかも?
使い方は魔石に所有者の血を一適垂らして健康な状態を認識させ
るだけ。これで毒をくらっても怪我をしても体力を消耗して自動的
に治癒や毒分解が発動してくれるようになる。
これは解毒や治癒というより﹃元の状態に戻す﹄という感じなの
で本人しか使えない。
本物はステータス上昇な上に毒・麻痺・睡眠無効という優れもの。
ギルドの生産職の最高傑作だった。
ステータス上昇なんて無理だし、毒も無効じゃなくて解毒効果か
⋮⋮うう、現実は厳しい。
形状・性能を理解している明確なイメージの産物でも自分が使え
ない魔法は無理でした。
この世界の解毒魔法が使えればよかったんだけどなー。だって一
気に毒が消えますよ? これを組み込んでおいたら﹃毒無効﹄にな
っただろう。
私ができるのは体から毒を抽出する転移の方法、もしくは毒を分
解して無害なものに変える方法のみ。仕込むなら毒分解しかない。
ちなみに﹃毒﹄を﹃本来体に無い異物﹄として扱ってるから薬物
全般対象ですよ。
ゲームに出てくるポーションや毒消しがリアルにあったら物凄い
113
価値があると気付いた今日この頃。
ところが。
﹁おい、これどうやった!?﹂
﹁え、普通に魔術付加させましたけど?﹂
﹁違う! 複数の魔術付加なんて聞いたことが無い!﹂
あれ∼? ないの? マジで?
ゲーム世界じゃ装備品のステータス上昇や複数耐性付属って珍し
くないけど。
﹁無理なんですか?﹂
﹁当たり前だ。属性や相性の問題があるから至難の業だな﹂
﹁魔法を重ねてかけるのは難しいってこと?﹂
﹁それもあるが⋮⋮重ね掛けすると上書きしたことになるんだ﹂
魔道具一個につき一種類ってことだろうか。
ふむ、これも本来ならありえないことなのか。
﹁だからこそ複数の魔術を組み込むという発想がない﹂
﹁なるほど⋮⋮﹃重ね掛けできない﹄っていう常識が邪魔になるん
ですね﹂
先生が言っていた﹃この世界の常識を持つからこそできない﹄っ
てことか。
私はその常識が無い上、ゲーム世界とはいえ実際に装備して実物
があると知ってるからできたわけね。
つまり迂闊にこの世界で作っちゃいけない、と。
おお、黒騎士さん達がじっくり見てますよ。
114
技術者が夢中になる価値があるのか、あれ。
理解しました。自分や特定の人達にしか作らないよ。
だからさ?
﹁あの⋮⋮いい加減に返してくださいな?﹂
﹁﹁﹁もう少し見せろ!!﹂﹂﹂
﹁⋮⋮。お好きにどうぞ﹂
研究・製作大好きな黒騎士達よ、それは私のだ。
帰って来てからでいいなら君達の分くらい作るからさ⋮⋮お仕事
しようよ?
115
準備しましょう︵後書き︶
主人公が魔法に限り万能系なのは想像の産物でしかないゲームの世
界を基準にしているから、というお話。
116
王様は苦労人︵前書き︶
お気に入り登録ありがとうございます!
暇潰しに読んでいただければ幸いです。
117
王様は苦労人
﹁ミヅキ、だったか? 俺がゼブレストの王ルドルフだ。ま、宜し
くな!﹂
魔王様からろくでもない﹃御願い﹄という名の命令を賜わって十
日後。
案内された客室にはやたらと友好的な青年がおりました。
明るい茶色の髪に同色の瞳の王様は確かに整った顔立ちをしてい
ますが、変人どもが無駄に顔が良いので普通に見えます。
魔王様と違って威圧感も在りません。
⋮⋮あれ?
立場的にはこの人の方が上のはず。
モブ顔とは言いませんが民間人に馴染めそうですね。
え、この人が後宮破壊計画を立てちゃった人??
※※※※※※
﹁初めに謝っておく。⋮⋮突然こんな話を持ってきて申し訳ない﹂
そう言って深々と頭を下げるルドルフ王。
おいおい、座ったままとはいえ王が簡単に頭を下げちゃマズイで
しょうが。
まあ、厄介事を持ってきた挙句に敬えなんて抜かしやがったら〆
るけど。
国の不祥事なのです、本来なら他国に協力なんて求めませんよ。
118
﹁聞いていると思うが、後宮に入り込み側室どもを滅ぼしてくれ﹂
﹁滅ぼすんかいっ!﹂
﹁すまん、つい本音が。適当に痛めつけて追い出すのが最善だな﹂
﹁その場合の私の罪状は?﹂
﹁絶対に奴等から仕掛けてくるから問題ない。あっても俺が握り潰
す﹂
武力行使大前提みたいです。いいのか、それで。
﹁実家を出してきた場合は? 厄介なんでしょう?﹂
﹁貴族なんて歴史のある家ほど表沙汰にしたくない部分があるのさ。
それも踏まえて家を潰す﹂
﹁⋮⋮殺る気ですか﹂
﹁勿論!﹂
最後の﹃勿論!﹄は親指を立てて大変いい笑顔ですよ。
どうやらかなりストレスが溜まっている御様子。
魔王属性じゃないっぽいのに容赦がありません。
バカ女どもよ、一体何をした? いや、実家もやらかしてるんだ
ろうけど。
呆れる私に何か思うことがあったのかルドルフ王は深く溜息を吐
き話し出した。
﹁⋮⋮後宮ってのはな、女の戦場なんだよ﹂
﹁まあ、そうでしょうね﹂
﹁綺麗に着飾って俺に媚びてもな、その裏でどんな事をしてるか判
ったもんじゃない﹂
﹁それは仕方がないんじゃ⋮⋮﹂
﹁だけどな!?﹂
119
ダンっ! と力一杯テーブルを叩くルドルフ王。
﹁派閥を作って陰湿なイジメや実家を巻き込んで泥沼な展開された
ら関わりたくねーよ! 俺を駒としか見てないしな。それに奴らを
養う金って国の金だぞ? 税金だぞ!? 無駄もいいとこだろ﹂
﹁王の権力でどうにかならなかったんですか?﹂
﹁無理。何せ俺を仕える主じゃなく、獲物と思って狙ってくる連中
だしな。出所のヤバイ媚薬とか既成事実を作る為の特攻とか日常茶
飯事だぞ?﹂
あれですか、本来の目的を忘れて自分が勝つ為に何でもありな状
態なのですか。
あ∼⋮⋮それは嫌かも。
寵を競うんじゃなく、獲物︵ルドルフ王︶を狩ることに全力投球
だもん。
普通の男なら女に嫌気が差すわな。
しかもルドルフ王って女が自分を取り合うことを自慢するような
タイプに見えないし。
﹁お気の毒です。その状況でよくぞ無事でしたね﹂
﹁ありがとう! 毒見や護衛を増やすことで何とか持ち堪えてる。
そして最近は弊害も出てきた﹂
﹁弊害?﹂
﹁俺の側近連中ってさ、全員若くて顔が良くて有能なんだよ。そい
つらがな⋮⋮﹂
﹁そいつらが?﹂
﹁女に希望を持てないとかで女嫌いになる奴続出。次の王の側近候
補は奴らの息子を狙ってるのに!﹂
120
それは笑えない。
王族は血を残すことが義務だから諦めもつくが彼等は違う。
長男だろうと子がいなければ兄弟の子に家督を継いでもらえばい
いのだから。
だが、その継いだ子が期待に応えてくれるかは怪しい。
父親が有能であれば息子を次代の側近候補として幼い頃から躾る
だろう。
今現在側近になれてるってことは教育方針も血筋の面も問題なし。
その最有力が消えるとどうなるか?
﹁わぁ⋮⋮次の王は側近集めから苦労が決まってるんですか﹂
﹁⋮⋮最悪の場合、留学させて側近候補を捕獲させるしかない﹂
﹁捕獲⋮⋮﹂
﹁有望株はどんな国だって手放したくないだろうしな﹂
ごもっとも。
ああ、それで滅ぼせって言ってるわけね。
次の世代の負担を少しでも軽くする為に目障りな貴族を潰して最
低限の環境を整えたい、と。
﹁そんな親心以前に俺が女嫌いになりつつあるが﹂
﹁いやいやいや、それ困る! ほら御役目でしょ! 義務でしょ!﹂
﹁実はな? もうさっくり滅亡させてもいいとか思っちゃう時があ
るんだよ。王制なくして民間の代表者に政を行ってもらうのもあり
なんじゃないかな∼と﹂
﹁え∼と⋮⋮お気持ちは理解できますが﹂
﹁そうか、賛成してくれるか!﹂
がしっ! と私の手を握るルドルフ王。
121
﹁賛成してません! 人を国の終焉を願う賛同者に仕立て上げるな
!﹂
﹁国は終らん! 新しい時代を迎えるだけだ!﹂
﹁他国との関係どーするんですか! 民間主導なんてことになった
ら侵略されるかもしれませんよ!﹂
﹁うっ⋮⋮!﹂
そう、思ってもできない事情がこれ。他国との関係悪化。
王族・貴族は横繋がりなのだ、他国との婚姻でその血は国外へと
流れている。
そんな奴等が正当な血筋だと大義名分を掲げて乗っ取りをしてき
たらどうなるか。
ルドルフ王は肩を落として深々と溜息を吐く。
﹁間違いなく負けますよ。後ろ盾の無い民間主導なんて﹂
﹁だろうなー、俺もそのことがあるから無理だと思ってる﹂
﹁外交どころか国の運営方針も最初は荒れるでしょうしねぇ⋮⋮友
好的な国も味方をするわけにいかないし﹂
﹁エルシュオン殿下が推すだけはあるな⋮⋮そのとおり。誰が好き
好んで英雄︵=生贄︶になるもんか﹂
﹁ああ、英雄譚に夢は見ない方なんですね﹂
﹁現実問題として無理があるだろ。憧れるのは現実を知る五歳まで
だな﹂
一番の問題、友好国が消える。
王制をとっている以上は民間主導の国を支持するわけにいかない
のだ、自分の国へ飛び火したら目も当てられん。
英雄譚では﹁その後、英雄達は新たな国を作りました云々﹂とあ
るが、現実は甘くない。
明確な﹃悪﹄である国を打ち倒した実績を持つ﹃正義﹄の英雄達
122
でさえ地盤固めに生涯を費やしているのだ。
よく英雄の恋人がどこぞの姫になっているのは彼女の持つ権限や
他国との繋がりを評価してのことじゃないかと思われる。
つまり政略結婚。取引ですよ、と・り・ひ・き!
夢を壊して大変申し訳ないが現実とはそんなものなのだよ、お子
様達。
余談だが私は幼き頃にマッチ売りの少女の感想を﹃お金って大事
なんだね﹄で済まし親を呆れさせている。
お金があれば辛い思いしてませんよ?
お金があれば現実逃避して幻覚見てませんよ?
それ以前にマッチ売ってないしね。ほら、話が始まらない。
現実的に捉えるか感情的に捉えるかの差で感想が大きく違う御話
ですね。
まあ、とりあえず。
﹁わかりました! 全力で馬鹿ども根絶やし計画に協力させていた
だきます!﹂
﹁感謝する! いやぁ、良い友人になれそうな気もするしな!﹂
﹁ああ、そう思ってくれます?﹂
﹁おう! あ、俺のことはルドルフでいいぞ。言葉遣いも身内だけ
の時なら普通でいい。これから戦友になるんだし﹂
﹁りょーかい。宜しくね﹂
硬く握手を交わして笑い合う。
護衛の騎士達が顔を引き攣らせてるがそんなことは無視。
後宮破壊計画の発案者と協力者︵実行担当︶に一般的な会話なん
て求めちゃいけません。
っていうかさ、ルドルフ王って多分私と同類だよ?
123
魔王様の友人やってる人ですよ?
お堅い王族様であるわきゃないよねー、それは。何を今更。
そんなわけで明日はゼブレストに出発です。
さて、どうなるかなー?
124
親友を得たようです
さて、やって来ましたゼブレスト!
﹃王が自ら出向き迎えた側室﹄となっているのでアホ貴族どもに顔
はバレてません。
何かした時点で﹁イルフェナの後見を受けた姫に対して云々﹂と
言い掛かりをつけて処罰する気満々ですね!
微妙に腹黒いよ、ルドルフ。
とりあえず、さっさと後宮の一室に陣取って協力者達の顔合わせ
です。
王宮?
貴族が御挨拶がてら偵察に来るから無理!
後宮は一部を除き女しか入れないのです、そっちの方がまだ安全
でしょ?
※※※※※※
﹁すまんな、もうすぐ来るから﹂
﹁いえいえ、足止めしてるから当然でしょ﹂
﹁理解があって何よりだ。ああ、それから俺の側近連中は宰相以外
は基本的に接触しないから﹂
﹁イルフェナの後見を受けた姫と側近全員が仲良しってのもマズイ
ものね﹂
﹁疑われる要素は無い方がいい。俺達は仲良く見えた方がいいだろ
うがな﹂
125
あれから色々と話し合い、今ではタメ口で話すくらいに仲良しで
す。
珍しかろうと手料理を振舞ったのも良かったのかも。
⋮⋮料理如きと侮ってはいけませんよ、お嬢さん方。
ルドルフは王族、警戒心なく食べるというのは相手への信頼の表
れなのです。
今回の事が片付いたら普通に遊びに行く約束もしてますよ。
そんなわけで準備段階から二人揃って殺る気満々です。
敗北? 失敗? 何それ、美味しい?
最後に嘲笑うのは私達ですが何か?
日当たりの良い一室には私とルドルフ、それと一緒に来た護衛の
騎士数名。
宰相を始めとする他の協力者達は貴族どもの相手をしてから来る
そうだ。
大変ですなー、気の毒に。
さて、今のうちにルドルフに渡しておかなきゃならんものがある。
私は荷物を探ると二つの品をテーブルの上に置いた。
﹁何だ、それ?﹂
ルドルフだけじゃなく護衛の騎士達も興味深そうに覗き込む。
﹁こっちの小さい方が通信用。この腕輪は私から友人へのプレゼン
ト﹂
﹁通信用?﹂
ルドルフは手にとって微かに目を見開いた。
対して騎士達は首を傾げている。⋮⋮そうか、イルフェナより魔
126
道具は普及してないのか。
﹁魔石に組み込んだ方陣を介して声を届けるんだってさ。念話が可
能って言ってた﹂
﹁へぇ⋮⋮こんなに小さくできるのか﹂
﹁改良しまくったんだって。身に付けるだけで対応する相手に声を
届けてくれるらしいよ﹂
見た目的にはシンプルなペンダントだ。
だがそれには黒騎士達の執念というか職人魂が込められている。
声を出さずに念話︱︱テレパシーですね︱︱で意思疎通できる優
れもの。
ルドルフの反応から察するに本来はもっと大きいものらしい。
もしくは声を届けるだけなのだろう。
﹁これで俺達の通話が可能ってことか﹂
﹁そう。基本的に離れてるから話を合わせたり協力する時用だね﹂
﹁わかった、奴等の目に付かないようにしよう。で、そっちは?﹂
ルドルフが指差す先には銀の腕輪が輝いている。
ふ⋮⋮よくぞ聞いてくれました!
﹁ヴァルハラの腕輪。私が作った非常識の片鱗﹂
﹁は?﹂
﹁異世界の魔導師製作の高性能魔道具です!﹂
にやり、と満足げに笑う。
ルドルフの方がヤバそうなんでもう一個作ったんだよねー、これ。
あ、勿論魔王様の許可はとりました。
ルドルフには墓の中まで持っていってもらいますよ。伝説のアイ
127
テムになりかねないし。
﹁魔石に血を一適垂らして健康な状態を覚えさせておくと薬物が体
内に入り次第分解される﹂
﹁解毒ってことか?﹂
﹁他には物理・魔術両方に対する結界、治癒魔法も⋮⋮﹂
﹁あ? ちょっと待て、それおかしいだろ!? 何で複数の効果が
あるんだ?﹂
ああ、やっぱりこの反応か。
うーん⋮⋮本当にゲームの世界って想像上だからこそ何でもあり
だったのね。
﹁私が作ったから﹂
﹁だから何で﹂
﹁﹃そういうもの﹄として組み上げたから! この世界に残せない
から墓の中まで持っていって﹂
﹁まさか⋮⋮禁呪﹂
﹁違う! あんた、私を一体どういう目で見て⋮⋮。異世界の知識
と私の努力の結晶なの!﹂
これは認識の違いだから説明できないんだよね。
﹃そういうもの﹄として受け入れてもらうしかない。
ルドルフ、今だけは素直な子になっておくれ。
お姉ちゃんは君が心配なだけなんだよー。
﹁結界はともかく治癒や解毒は体力を消耗するから気をつけて。あ
と、解毒は暫く時間がかかるからね﹂
﹁⋮⋮? 何だか普通の魔法とは違うな?﹂
﹁私が使えないからね。自分なりに組み立てた魔術しか組み込めな
128
いんだ﹂
﹁あ∼⋮⋮世界間での認識のズレってやつか﹂
﹁うん。あ、それ媚薬にも効果ありだから﹂
﹁高性能なのはわかるが、あまり高くても払えないぞ?﹂
﹁え、タダでいいよ? プレゼントって言ったじゃん、私が心配し
てるだけなんだし﹂
がしっ! とルドルフは満面の笑みを浮かべて私の手を握り締め
る。
﹁親友と呼ばせてくれ! お前、凄い良い奴だな!﹂
﹁⋮⋮あんたがどんな生活送ってきたか偲ばれるわね﹂
﹁心の友よ!﹂
どこぞの殺人的な歌を歌うガキ大将か、お前は。
いや、大喜びしてくれるのは嬉しいけどさ?
実のところ、これは﹃本来なら存在しない物﹄なので値段はつけ
られない。
これを参考に複数の魔術付加技術が解明されることもないので技
術料も発生せず。
しかも所有者にしか効果のない、一発芸に近いシロモノなのだ。
﹁そっか、お前技術者でもあったんだな。感謝する!﹂
いそいそと認証させて身に付けるルドルフを騎士達は暖かく見守
っている。
おーい、騎士。君達は護衛。
そんなに簡単に信じちゃっていいのかーい? 騙す気もないけど
さ。
129
そんな呆れが伝わったのか一人の騎士が疲れた笑みを浮かべなが
ら話し掛けてくる。
﹁感謝します、魔導師殿。本当に、本っ当に陛下はお気の毒でした
から﹂
﹁皆さんも妙に疲れてますね。⋮⋮普通ではない方面で﹂
うんうん、と騎士達は頷き合う。
拳に力が入っているのは気の所為じゃあるまい。
﹁我等とて語り尽くせぬ苦労をしてまいりました。今回の事は本当
に嬉しいのですよ﹂
﹁ああ、後宮破壊ですね﹂
﹁さくっとなどとは申しません。じわじわ血祭りに上げてやってく
ださいませ!﹂
﹁我等も全力でお手伝いいたします!﹂
﹁あのクズどもに報復を!﹂
﹁おう、是非ともやってくれ!﹂
⋮⋮。
⋮⋮どうしよう。
騎士達、目がマジである。
しかも﹃是非とも地獄を見せてやってください﹄と隠そうともせ
ず言い切ってますよ。
王への忠誠心だけじゃないよね!?
明らかに個人的な恨み辛みが混じってるよね!?
え、彼等にも活躍の場を用意した方がいい? 皆でやる?
って言うか、連帯感が半端ねぇな! そんなに嫌いか。
精神的にギリギリだったんかい⋮⋮まあ、そうじゃなきゃこんな
計画思いつかんわな。
130
﹁自分の為にも頑張ります﹂
﹁﹁期待しております!﹂﹂
ふ⋮⋮安心するがいい、皆の衆。私は魔王様の手先として役割は
きっちり果たす!
だってさ⋮⋮忘れてるみたいだけど。
任務完了するまで私も帰れないんですよー!? 泣き寝入りED
は無し!
命の危機より生かさず殺さずの魔王様の方が恐ろしいです。
うう、攻撃担当といえど民間人です、少しは労わっておくれ?
仮にも乙女⋮⋮
﹁あのエルシュオン殿下が絶賛してらしたとか﹂
﹁賞金首どもが本気で怯えて泣き出すほどの鬼畜さだとお聞きしま
した!﹂
﹁ミヅキ、鬼畜は誉め言葉だからな?﹂
⋮⋮。
あいつか。
奴が原因か、鬼畜魔導師とでも伝えたんかい、あの魔王様はぁぁ
ーっ!!
心当たりがありまくるだけに否定できんし!
ルドルフもよくわからないフォローするんじゃないっ!
131
協力者との顔合わせ
﹁遅くなりまして申し訳ございません﹂
優しげな声と共にドアが開き、部屋に新たな協力者が入ってきま
した。
一人は黒髪に灰色の眼をした綺麗なお兄さん。纏う雰囲気は冷徹
+殺意+苛立ちです。
見るからに切れ者という感じなこの人が宰相でしょうね。
ルドルフと同列一位の被害者と聞いてますよ。
あと一歩で冷酷さを習得しそうですが⋮⋮他人事ながら大丈夫だ
ろうか?
﹁ご無事で何よりです﹂
穏やかな口調の美青年が私達を認め安堵の笑みを浮かべた。
最初の声はこの人か。服装からして騎士なのでしょう。
青みがかった銀髪は長めのショート、水色の瞳は温かな印象を受
けます。
あれ、色彩的にこっちの方が魔王様より冷たく見える筈なんだけ
どな??
宰相も綺麗ですがこの人の顔はイルフェナの変人どもと良い勝負
ですね。
異様に綺麗+有能=変人︵=壮絶なマイナス要素あり︶
⋮⋮。
一瞬、嫌な予感が脳裏を掠めましたが忘れることにします。
132
ええ、ここはゼブレストですからね!
変人の産地じゃありません、ルドルフは普通ですから!
最後は赤毛のお姉さん。
男二人がかなり人目を引く容姿なので目立ちませんが、この人も
美人さんです。
背が高く凛々しい印象を受けますが、キツイ感じはしません。
頼れるお姉さん、といった感じ。この人もきっと有能なんでしょ
う。
﹁嫌な思いをさせたな。ミヅキ、彼等が最後の協力者だ﹂
ルドルフが彼等に労うような視線を向けた後、私に向き直る。
﹁まず宰相のアーヴィレン。基本的には俺と行動を共にしてるから
あまり協力者にはならないと思うが﹂
﹁初めまして、ミヅキ様。アーヴィレン・クレストと申します﹂
軽く一礼して視線を合わせられる。
あー、目が﹃役に立て、結果出せ﹄と言っている。
私も視線を逸らしませんよ、こういうものは目を逸らした方が負
けですからね。
﹁ミヅキといいます。貴方の視線に怯むような弱者を﹃演じる﹄つ
もりはありませんよ?﹂
﹁これは⋮⋮失礼を。そういう意味ではないのですが﹂
﹁お気になさらず。私は自分の役割を理解していますから﹂
そう、私が演じるのは女達の戦いに身を投じる健気なヒロインじ
ゃないのです。
133
ハイエナと化したアホどもを葬る為に魔王様より遣わされた配下
A。
上司も怖けりゃ我が身も可愛い、この世界の常識無視の魔導師な
のですよ!
魔王様とその配下どものバックアップがあって負けるとか許され
ませんから!
本音が駄々漏れしてる私の心を察したのか、宰相様は軽く目を見
開くと冷たい美貌に微かな笑みを浮かべました。
﹁さすがイルフェナですね。天才・鬼才の巣窟と言われるだけはあ
ると期待させていただきます﹂
おい、間違うな。
天才・奇才・変人の産地だ、あそこ。別の意味で普通じゃないか
ら。
⋮⋮ですが。
﹁頑張らせていただきますね﹂
にこり、と無邪気に笑い返しておく。
とりあえず今は夢を壊さないでいようと思います。
ごめーん、魔王様。私の行いで化けの皮が剥がれるかもー?
﹁そっちの騎士はセイルリート。護衛をしている騎士達の上司で一
応将軍だ﹂
﹁将軍? 随分と若いね﹂
この人が護衛の統括してるっぽい。
いや、でも二十代で将軍て若過ぎないか?
実力至上主義なら十分ありえるけど、それにしたってねぇ?
134
﹁セイルリート・クレストと申します。お察しの通り家柄を考慮し
ての役職ですよ﹂
﹁すみません、声に出てましたか﹂
﹁いえ。誰もが思って当然のことだと思いますし﹂
﹁ミヅキ、お前正直過ぎ﹂
﹁自分に正直過ぎてゼブレストへ島流しにされた私に言う?﹂
﹁⋮⋮。すまん﹂
ルドルフにはこれまでの事情を説明してあるので理解が早い。
他の面子は不思議そうに首を捻っているけど、言うつもりはあり
ません。
⋮⋮あれ、﹃クレスト﹄?
私の疑問に答えてくれたのはセイルさんじゃなく宰相様でした。
﹁セイルは実力を認められて将軍位についていますよ。でなければ
従兄弟といえど認めることは致しません﹂
﹁本当だぞー、ミヅキ。セイルは騎士連中に尊敬されまくってるか
らな﹂
⋮⋮その顔で騎士を目指したから自衛の為に強くなって気が付い
たら最強、とかいうオチじゃあるまいな?
野郎どもの憧れの的⋮⋮それは本当に尊敬だけか?
﹁ゼブレストの騎士達は皆努力を厭わないのですよ。私などすぐに
追い抜かれましょう﹂
﹁それ以上に努力して今の地位にいるんだろうが﹂
呆れ顔で﹁謙遜するな﹂と暗に告げるルドルフと頷く宰相様。
この二人が認めてるってことは家柄関係無しに実力者ってことか。
135
ならば私も先程の失礼な態度を謝罪しなければ。
﹁えーと⋮⋮失礼なことを考えてすみません﹂
﹁お気になさらず⋮⋮って、ミヅキ様!? 頭を下げたりなさらず
とも⋮⋮っ﹂
﹁いえ、私の気持ちの問題です﹂
ええ、私の気持ちの問題です。
勝手にBL的展開を想像して実に申し訳ない。
ごめん、マジですまんかった。心の中で土下座しておきます。
実力を疑う以上にこっちの方が大問題ですね! 気付かないまま
でいてください。
﹁ミヅキ様は誠実な方なのですね。貴女を御守りする任を与えられ
たことを光栄に思います﹂
﹁セイルは基本的にお前の護衛な。何かあったらセイルに言ってく
れ﹂
﹁護衛? セイルさんを私に付けちゃっていいの?﹂
﹁家柄と顔目当てでセイルにも寄ってくるから適任だ!﹂
明るく言い切るルドルフにセイルさんも苦笑している。
餌か。餌なのか、将軍。
宰相様ー、貴方の主が何か黒いですよー。
﹁適任ですね。本来ならばクレストに逆らうことは許されない身分
のものばかりですから﹂
﹁いくら騎士だって言っても家柄考えたら不敬罪だよなぁ?﹂
﹁それも踏まえて罪を重くするつもりです。頭の足りない輩には理
解できないでしょうがね﹂
136
⋮⋮宰相様も同類でした。しかも利用する気満々ですね!
空気を読んで貝になります、私。
﹁最後はエリザ。俺の乳兄弟で彼女がお前専属の侍女になる﹂
﹁エリザ・ワイアートと申します。宜しく願いしますね、ミヅキ様﹂
おお、笑うと更に美人度アップです!
リアルメイドさんですよ∼! 眼福です!!
ウェーブがかった赤毛を一つに纏めたエリザさんの瞳は明るい茶
色。是非とも着飾ったところを見てみたいものです。
内心大はしゃぎの私にエリザさんは笑いかけると﹁ところで⋮⋮﹂
と切り出してくる。
﹁ミヅキ様。厨房を使用なさりたいと伺いましたので隣室に簡易の
ものを御用意しましたが⋮⋮ご自分でお使いになるのですか?﹂
﹁ええ、そうですよ。毒殺を警戒して毒見を置くのも嫌ですし﹂
﹁それはそうですが⋮⋮﹂
﹁趣味なのでお気になさらず﹂
﹁ミヅキは料理できるぞ。あ、俺もこっちに来た時は頼む﹂
﹁了解。基本的に部屋にいる人全員分作るから﹂
エリザさんはまだ納得いかないようだがルドルフが後押ししてく
れる。
実はこれも事前に決めていたことだったりする。
護衛三人とエリザさん、そして自分なので問題なしです。
この国の料理は知らないけど食事事情改善も狙ってますよ!
それに⋮⋮毒が盛られるという状況ってやっぱり慣れません。
自分で作っていれば防げる事態なのです、自分の為にも自炊でい
きます。
137
﹁さすがに大変では?﹂
﹁材料はこの部屋に置くし、保存や冷蔵が可能な鍵付きの箱を持っ
てきてますから﹂
他にも調味料各種所持。この国の特産でもある乳製品もガンガン
使うつもりです。
そして帰る時にはこの国の特産物を詰めて持って帰る!!
この世界、移動や運搬が基本的に馬車なので腐り易い物は高い。
港があるイルフェナでさえ、バターやクリームは貴族の食べ物で
す。
逆にいえば酪農が盛んな国なら庶民にも手に入る。
どうりでスイーツ系が無いと思ったよ⋮⋮素材自体が高級品じゃ
無理ですな。
﹃特産物欲しい!﹄
﹃好きなだけ持って帰れ、ついでに何時でも融通しよう!﹄
こんな馬鹿なやりとりが公式の書面に書いてあるんだな、今回。
祝・高級食材無料で確保ですよ! まともに買ってたら破産する。
騎士sには﹃食い物に釣られて命を賭けるなんて馬鹿か、お前は
ー!!﹄と怒られたけどさ。
﹁ミヅキの料理は美味いし変わってるぞ? 期待してる﹂
﹁期待に応えられると思う♪﹂
異世界の料理ですからね、とは言わない。
レシピを幾つか残しておけばルドルフが率先して広めると約束し
てくれている。
﹁そうですか、ならば何も申しません。改めて宜しく願い致します﹂
138
﹁宜しく、エリザさん﹂
﹁エリザとお呼びください。貴女様の侍女ですので﹂
﹁そうですね、私の事もセイルと﹂
改めてお辞儀し合う私達をルドルフは満足そうに見つめていた。
仲良く過ごせそうです、こちらこそ宜しくね。
ええ、宰相様が主と私達を眺めながら微かに瞳を眇めていたとし
ても。
私達は﹃仲間﹄なのだから気にする必要なんて︱︱ない。
139
女の戦い?︵前書き︶
今回、暴力描写があるので苦手な方はご注意くださいね。
140
女の戦い?
﹁ミヅキ様の歓迎会を兼ねて茶会を催すので是非参加して欲しいと
我が主より賜わって参りました﹂
この台詞を聞いた瞬間、室温が一気に下がったと感じたのは私だ
けではあるまい。
﹁あら、それは一体いつなのかしら?﹂
﹁本日です﹂
﹁⋮⋮そう﹂
ふふ⋮⋮いい度胸じゃねーか。
笑みを貼り付けてはいても心の中ではブリザードが吹き荒れてま
すよ?
ぴしり、と扇子が軋んだのも気の所為じゃありません。
私はイルフェナの後見を受けている設定なのだがね?
格下が呼びつけるなんざ、命が惜しくないと思っていいんだろう
な⋮⋮?
唐突に言い渡された﹃お誘い﹄という名の﹃命令﹄にセイルでさ
え顔を歪める。
侍女は従うのが当然とばかりの態度をとっているから尚更だろう。
だが、それを許してやるほど私は優しくは無い。
141
﹁お待ちなさい﹂
用は済んだとばかりに退室しようとした侍女を引き止める。
怪訝そうな侍女に精一杯微笑んでやりながら、ほんの少し意地悪
を言う。
﹁貴女の主が呼びつけたのです、案内するのが当然というものでし
ょう?﹂
﹁⋮⋮わかりました﹂
舌打ちするのが聞こえますよ? 面倒だと顔に出てるのも駄目で
しょう。
でもね?
貴女はそれ以上に出来損ないなのですよ。
﹁貴女はあまり賢くないのですね⋮⋮﹂
﹁何かお気に障ることでも?﹂
﹁判らないからこそ﹃愚か﹄と言っているのですよ﹂
くすくすと笑う私に侍女は顔を顰める。
ねえ、侍女さん?
私は貴方達の行動を﹃私を呼びつける﹄と言ったのですよ?
王直々に遣わした護衛達の前で言った以上は言質を取られたも同
然なのです。
否定しておかねばとんでもないことになりますよ?
ま、教えてあげようとは思いませんけど。
﹁さあ、参りましょう?﹂
初戦といきましょう。
142
さあ、どうなりますかね?
﹃ルドルフー! 早くも呼び出しきたみたい﹄
﹃お、じゃあ俺も行くか﹄
﹃宜しくねー﹄
念話でルドルフを呼んでおくのも忘れませんよ。
今回は必要ですからね?
※※※※※※
うっわ、判り易いイビリの図!
お茶会の会場に着くなり即座に思っちゃいましたよ。
﹁歓迎いたしますわ、ミヅキ様。どうぞお掛けになって﹂
鮮やかに微笑みながら化粧が濃い女性が形ばかりの言葉を紡ぐ。
くすくすと笑っている連中が彼女の取巻きでしょうか。
ま、この状態で歓迎なんて言われてもねぇ?
席が無いじゃん、どうやって座れと?
一つの大きなテーブルに設えられた椅子に側室全員が座っている
状態ですよ。
私が座る場所はなし。これがやりたかったのか、こいつら。
まあ、私としてもここから観察させてもらった方が有意義です。
ぱっと見た感じでは主な﹃敵﹄は四人。
一人は今回の黒幕であろう金髪の人。これは家柄自慢のアホだろ
うな。
143
二人目は栗色の髪を結い上げた落ち着いた雰囲気の人。
三人目は赤い髪に緑の瞳が印象的な幼い感じの人。
この二人はあからさまな敵意を見せず、こちらの出方を伺ってい
る。
最後に銀髪に優しげな雰囲気の人。
何となく気にかかるから疑う方向で。
﹁その前にお聞きしたいことがありますわ﹂
にこり、と微笑んで今回の黒幕︱︱じゃなかった、主催者に声を
掛けると彼女は怪訝そうに応えた。
﹁え、ええ、何ですの?﹂
﹁私の部屋に遣わされた侍女は貴女個人に仕える者ですか?﹂
﹁いいえ、この後宮で働く者ですわ。私の身の回りのことを担当し
ていますが⋮⋮﹂
﹁そうですか﹂
その言葉に笑みを消すとテーブル付近にいた先程の侍女に対し
﹁この、愚か者!﹂
﹁ひ⋮⋮っ﹂
ガッシャーン!
手にした扇子︱︱強化済み・鉄扇モドキでも本来の重さしかない
︱︱で思い切り引っ叩き怒鳴りつけた。
テーブルに吹っ飛んで茶器を砕きつつ無様に転がる。
ああ、破片が側室連中に飛んで怪我しようがかまいませんよ?
だって今回は彼女達も同罪ですからね。
144
﹁ら⋮⋮らにぼなさいあす⋮⋮﹂
﹁何をするか、ですって? 貴女は自分のしたことさえ理解できな
いと?﹂
歯が折れたか顎の骨が砕けたか血だらけの顔で抗議する侍女に魔
力と共に視線を向けてやる。
これぞ魔王様直伝の﹃威圧﹄!あの人ほどの威力は無くとも怯え
させるには十分です。
実際、非難の声を上げようとした側室どもは顔を青くして黙り込
んでしまった。
﹁貴女は後宮勤めとはいえ仕えるべき主は陛下ですわ。このような
下らない茶番が行われるならば止めるべき立場でしょう! 先程の
態度や言葉といい、随分と思い上がっているようですね﹂
﹁わ⋮⋮わらひはイザベラ様の﹂
﹁それが一体なんですの? 私はイルフェナという﹃国﹄の後見を
受けた者です、侍女とはいえゼブレスト王の配下が私にそのような
態度をとればどうなるか﹂
当のイザベラ様や侍女は未だよくわかっていないようだが、何人
かの側室は事態に気付き顔を真っ青にした。
遅い、遅過ぎる!
参加した時点で無関係などとは言えないのだ、彼女達は。
﹁一貴族が国に勝るなどとお思いか? それともイルフェナはイザ
ベラ嬢の御実家より劣ると?﹂
﹁あ⋮⋮!﹂
﹁そしてその責任はルドルフ王が背負わねばなりません。勿論、イ
ルフェナが納得する対応をせよ、ということです﹂
145
﹁そのとおりだ。とんでもない事をしてくれたな﹂
場に加わった男性の声に振り向き礼をとる。
後見を受けていても最高権力者を前にそのままなどということは
ありえません。
貴族の常識です、これ。
なのに何で座ったままなのかな、側室どもー? 呆然としてる場
合じゃねぇぞ?
﹁お目汚し失礼致します。お騒がせしたこと、ご容赦くださいませ﹂
﹁いや、この状況を考えれば貴女の方が正しい。むしろ貴女への非
礼は俺こそ謝罪せねばなるまい﹂
﹁その御言葉はイルフェナに向けていただきたく思います。私とて
友好国を無くしたいとは思いません﹂
﹁そうか⋮⋮感謝する﹂
﹃よくやった! 俺もナイスタイミングだろ!﹄
﹃おいでませー♪ イビリ現場へようこそ!﹄
念話にて無駄に明るいやり取りしつつ、表面上は大変シリアスな
雰囲気ですよ。
あ、護衛の騎士達がひっそり親指立てて﹃グッジョブ!﹄の意を
表してる。
表情は沈痛な面持ちなんだが器用だね。
﹁ミヅキに対し﹃命令﹄できる奴など後宮にいないはずだがな?﹂
﹁お、お待ちください! 私は命令などっ!﹂
﹁黙れ。予定を聞かずに呼びつける? しかも嫌がらせ? 公爵令
嬢だとて許されることではない﹂
146
イザベラ嬢が必死に言い訳しようと口を開くがルドルフはばっさ
りと切り捨てる。
いや、イザベラ嬢? あんた、それ以前にやらなきゃならんこと
忘れてますよ?
気付いてないから私も嫌がらせの一つくらいやっちゃうぞ?
﹁嫌がらせにはなりませんわ、陛下﹂
にこり、と笑ってルドルフに寄り添う。
ついでに念話でルドルフに協力要請。
﹃お、嫌がらせ?﹄
﹃うん。話合わせてね﹄
﹃はっは! 任せろ﹄
﹁王自ら望み迎えた者が押し付けられただけの女と同列などありえ
ませんもの。席など必要ありません﹂
﹁それもそうだな、俺はこいつらの所に一度も通っていないし﹂
﹁ふふ、誰一人孕んでいませんものね。下らぬ血が混ざらず何より
ですわ﹂
﹁イルフェナの魔導師殿の見立てならば誰も反論できまいな﹂
その言葉に側室達が表情を変える。
馬鹿なことしたね? これで君達が﹃王の子を云々﹄とか言えな
くなったんだよ。
魔力持ちは人体に異物があるか判るのですよ、側室全員がここに
居る以上は懐妊している姫はいないことになる。
﹁魔導師ですからこのまま、とはいきませんね⋮⋮これくらいは受
けていただきませんと﹂
147
視線をテーブルの方へ向け魔力を集中させる。
狙いは椅子の足、木で出来ているから簡単に破壊が可能です。
目を眇め微かに首を傾げると髪飾りに付いた鈴が澄んだ音を立て
る。
チリ⋮⋮ン
その音と同時に響く破裂音。
突然の事に側室達は反応が遅れ一瞬呆けたような顔になり。
﹁ひっ﹂
﹁え⋮⋮!﹂
﹁きゃ!﹂
鈴の音と同時に弾けた椅子の足。側室達はそれを知る暇も無く体
がどさりと床に落ちる。
打ちつけた痛みに顔を顰める側室連中。おお、中には睨みつけて
くる奴も居ますよ!
ま、痛いだけだ。実に地味な嫌がらせです。
今回の本命はイザベラ嬢と後宮の侍女達だしね。
﹁これだけでいいのか?﹂
﹁ええ、私の個人的な方は。後は国同士のことですから私は干渉い
たしません﹂
﹁わかった﹂
暗に﹃魔王様に御願い﹄を匂わせる私の言葉に神妙な顔で頷くル
ドルフも鬼ですね。
ふ、イザベラ嬢とその実家は終ったな。
148
魔王様は愛国者なのだよ、国を貶められてただで済むはずが無い。
ルドルフも﹃国の為﹄という大義名分と共に更なる罪状を突きつ
け潰す気です。
﹁陛下⋮⋮っ、どうか私の話をお聞きくださいませ!﹂
復活したらしいイザベラ嬢がルドルフに縋ろうと駆け寄ってくる。
当然、騎士達はルドルフとイザベラ嬢を遮り剣を突きつけようと
動いた。
だが、護衛の騎士達が動こうとするのを制し、私に﹃行け!﹄と
ばかりに視線を寄越すルドルフ。
⋮⋮私は凶器扱いですか、そんなに痛めつけて欲しいのか。
ま、騎士だと叩き切るというわけにはいかないよね。
仲間達の期待を一身に受けルドルフの前に立つとイザベラ嬢を一
喝する。
﹁下がりなさい、この無礼者!﹂
﹁な⋮⋮貴女にそんなことを言われる筋合いはっ!﹂
ない、と怒鳴りつけようとしたのだろう。
だがその言葉より私が彼女を傷つける方が早い。
ザシュ⋮⋮と鈍い音が響いた次の瞬間。
﹁ぎ⋮⋮ぎゃあぁぁっ! 顔が、私の顔がぁぁ⋮⋮﹂
息を飲む側室達。
イザベラ嬢の顔が一瞬にして切り裂かれたのだから当然か。
実のところ怪我はそう深いものではない。自慢の顔を血だらけに
する、という一種のパフォーマンスなのですよ。
だが普段血を見ることがなく、重要な﹃顔﹄を潰されるという恐
149
怖に彼女達は支配されている。
⋮⋮血を拭われたら掠り傷ってわかるんだけどな、あと治癒魔法
あるじゃん。
とりあえず彼女達が気付かないうちにトドメを刺しておきますか。
﹁いい加減になさいませ? こちらはゼブレスト第一位の方ですの
よ。護衛の騎士達を見ても貴方達がどのように思われているか理解
できませんか﹂
騎士達は私の傍に控えたセイル以外の全員がルドルフの周囲に集
っている。
その意味するところは明白。つまり﹃敵﹄だ。
セイルは初めから私の傍でいつでも剣を抜けるようにしているの
で、私に近づいてきたら叩き切る気だったのでしょう。
将軍様、意外と気が短いですな。
それ以前に私は目の前で惨殺シーン見ても平気とか思われてるん
かい。
﹁側室と言えど王と王妃に仕える立場、無礼は許されません。それ
が敵と認識されるほどのことを貴女達はなさってきたそうね?﹂
﹁そんなことは⋮⋮﹂
﹁そうですわ! 私達は王をお慕いしています!﹂
﹁あら、媚薬を盛ることも﹃害する﹄ことに属するのですが? 睡
眠薬も同様、お心当たりの方が多数いらっしゃるはずですよね﹂
顔を両手で覆ったまましゃがみ込んだイザベラ嬢に近づくと扇子
で両手を叩き顔を向けさせる。
おお、いい感じに血塗れでスプラッタ!
﹁貴女達がしてきたことは王に対する侮辱ですわ。王の所有物如き
150
が何様のつもりですの﹂
﹁な⋮⋮!﹂
﹁ああ、ご自慢の御実家も同罪ですわね。そのような教育を施し、
協力さえしているのですから﹂
これが致命的にマズイのだと彼女達は理解していない。
私の役目は後宮破壊ですが、その最終的な決定権全てを握ってい
るのはルドルフ。
王を貴族連中が嘗めていることが原因なのだから、それも改善し
てしまおうという目論見ですよ。
私に対することも踏まえて証拠さえあれば家ごと潰すに十分です。
ぷちっとやっちゃってください、王様! 無能扱いした馬鹿ども
に今こそ制裁を!!
﹁ミヅキ、どうする? 全員処罰対象になるが﹂
﹁ふふ、今回の処罰はイザベラ嬢とその実家、そして後宮の侍女達
でよろしいですわ。だって⋮⋮﹂
笑みを浮かべたまま側室達に向きなおる。
ぽたり、と扇子から一滴の血が落ちて床に染みを作った。
演出ですよ、これ。扇子と共に握り込んだ小さな容器に血糊が入
っていて目薬みたく押すと出てくる仕掛け。
黒騎士製作の恐怖を煽るアイテムの一つです。
﹁魔導師が売られた喧嘩を放置するなどありえませんわ。皆様より
受けた宣戦布告に応じたいと思います﹂
﹁そうか、では負けた場合はその実家ごと責任を取らせよう﹂
﹁当然ですわ! 実家の協力の下に好き放題してきたのですから﹂
﹁⋮⋮さて、この茶番はもう終いだ。後始末は騎士達に任せよう。
折角抜け出してきたんだ、部屋に行っても?﹂
151
﹁歓迎いたしますわ、陛下﹂
青ざめたままの側室達を残したままルドルフと共に部屋を後にす
る。
私の腰に手が回っているあたり芸が細かい。
あれだけ﹃お前達は既に罪人、処罰するから覚悟しとけ?﹄と脅
しておけば自分から後宮を去ると言い出すか仕掛けてくるかどちら
でしょう。
このまま終らせなかったのは私の役割が後宮破壊だからなのです、
謝って済ませる選択肢なんて最初からありませんよ!
最低でも自分の馬鹿さ加減に死にたくなるほど追い詰めなければ
ルドルフ達の受けた精神的苦痛と釣り合いません。
その後︱︱
イザベラ嬢と侍女達は処刑、ロウベント公爵家は取り潰しとなっ
た。
彼等はかなりヤバイ事もやっていたらしく、他の悪事が露見する
前にということらしい。
まあ、歴史ある血筋な以上は醜聞塗れで潰したくは無いでしょう。
ルドルフとしても国の価値を落とすような真似は避けたいだろう
し。
悪事の証拠と聞いた時点で魔王様とその配下どもの暗躍が窺えま
すが⋮⋮火の無いところに煙は立たないよね、うん。
宰相様からは労いの高級茶葉が届き、騎士達との友情も深まった
ので私のやり方は間違っていないのでしょう。
そう、騒動の二日後に魔王様から﹃面白い見世物だった。もっと
152
やれ、鬼畜推奨︵意訳︶﹄という手紙が届くくらいには。
魔王様⋮⋮やっぱりこっちを観察して楽しんでたんですね!?
153
番外・事件の後に︵前書き︶
前回の後編というか後日談。宰相視点の話。
魔王様は裏で地味に活躍中。
154
番外・事件の後に
﹁何故⋮⋮何故なのです!? 娘が反逆者などとっ⋮⋮!﹂
必死に娘の無実を訴える男は確か下級貴族だったか。
だが、その程度の身分など処罰を覆す要因になりはしない。
何故なら⋮⋮娘が裏切り貶めたのは我がゼブレストの王なのだか
ら。
﹁貴様の言い分などどうでもいいことだ。証拠なら見せただろう﹂
手元にある魔道具に視線をやる。
イルフェナで開発されたという、音を残しておくものだ。
仕掛けられていた場所は新たに迎えた側室であるミヅキの部屋。
再生される音は実に不快なものだった。
﹃ミヅキ様の歓迎会を兼ねて茶会を催すので是非参加して欲しいと
我が主より賜わって参りました﹄
﹃あら、それは一体いつなのかしら?﹄
﹃本日です﹄
﹃⋮⋮そう﹄
他にもあるが今はこれだけで十分だった。
﹁お前の娘は侍女と言う立場にありながら随分好き勝手をしてきた
な? しかも﹃我が主﹄とは誰のことだ?﹂
﹁それはっ⋮⋮﹂
﹁イザベラに飼い慣らされる余り本来の飼い主を忘れるとは畜生以
155
下だな﹂
男は答えない、答えられるはずも無い。
この言葉こそ娘が愚かな証ではないか。
﹁ミヅキ様は即座にお気づきになられ不快を示されておいででした﹂
﹁だろうな。誰が王以外を主と呼ぶ間者に隙など見せるものか﹂
﹁ええ。それに御自分に向けられた嫌がらせなど気にも留めず断罪
しておいででした﹂
我ら騎士の出番などありませんでしたよ︱︱そう告げる男の表情
は明るい。
役目を奪われたこと以上に彼女が王の味方だったことが嬉しいの
だろう。
ミヅキ。イルフェナの﹃天才﹄が妹のように可愛いと告げる異世
界の魔導師。
いくら実力があろうとも唯一人だけ送り込むなど正気とは思えな
かった。
可愛いなら尚更に他の者も付けるべきだと進言した自分にあの王
子は笑みさえ浮かべて断言したのだ。
﹃必要ない。あの子なら大丈夫だ﹄
そう言われても素直に頷ける筈は無い。彼女の死がそのままイル
フェナとの国交断絶に繋がる可能性とてあるのだ、冗談ではない。
妥協案として将軍位にあるセイルをつけることにしたのだ。
セイル自身の実力とクレストの名があれば下手な真似は出来ぬだ
ろうと。
156
だが、予想は覆された。ミヅキにはそのどちらも不要だったので
ある。
苛められて泣くような真似はしないだろうと思っていたが、それ
以上に証拠も理由もなく魔術による皆殺しを狙っているわけでもな
い。
正論を叩きつける上での断罪、その怪我は恐怖を煽るだけのもの
であって命に別状は無い。
彼女は己が立場を利用し優位に立った上で結果と権利を王に差し
出したのである。
﹃貴方にお任せします﹄という言葉はトドメを刺せ、手柄を立てろ
と言い換えられる。
こちらとて証拠を揃えてあるのだから負けはしない。
だが、あの魔導師の功績があるならそれ以上の結果を出せるのだ。
そして策を仕掛けたのはミヅキだけではない。
側室には厄介な者も何人か居るが、今回は徹底的にミヅキの情報
を制限していた。
伝わっていたのは精々﹃イルフェナより新しい側室が来る﹄程度。
イルフェナの後見があると知っていたら茶会に出席しなかっただ
ろう。
ミヅキが魔導師だと知っていたら茶会に出席しなかっただろう。
そしてミヅキの背後にあのイルフェナの天才が控えているならば
間違っても敵にはなるまい。
﹃ささやかだけど協力してあげるよ﹄そう言って情報の制限を徹底
157
させたあの王子の思惑通りになったわけだ。
策に嵌った連中は見事イルフェナの後見を受ける者を侮辱し、国
家間の問題にまで発展した。
それ故に中々尻尾を掴ませない連中も攻撃に回らなければならな
くなった。
後が無いのだ、いつものように誰かの陰に隠れたままというわけ
にもいくまい。
唯一の望みはミヅキを敗北させ価値を認めさせることなのだから!
﹃如何でしたか? 合格点をいただけます?﹄
王と共に部屋から出てきた際、すれ違い様に囁かれた言葉。
⋮⋮正直、ぞっとした。
合格点? それどころか一人で奴等の喉笛を噛み切りそうじゃな
いか。
獰猛な獣のような警戒心を抱かせるわけではない、けれど牙を剥
いた時は手遅れとは。
似ている所など無い筈なのに、あの一瞬はエルシュオン王子と重
なった。
﹁お前の娘は我が王を裏切りロウベント公爵の間者となった。その
事実は覆されることは無い﹂
娘がイザベラに協力していた証拠は揃っている。
本人も公爵令嬢のお気に入りであることを自覚し、かなり尊大に
振舞っていたので証言も多い。
そして⋮⋮今回の当事者であるからこそ絶対に逃げられないのだ。
娘の実家も終わりだろう。この男が懇願するのは何も娘の為だけ
ではあるまい。
だから。
158
がっくりと頭を垂れた男に一欠けらの哀れみも見せず最終通告を
してやろう。
﹁処刑はイザベラと共に行われる。⋮⋮良かったな、自慢の主と共
に逝けて﹂
他国の者に咎を背負わせる我々が⋮⋮誰より血を被るのは当然な
のだ。
﹃あの子なら大丈夫﹄と言い切った王子の言葉はきっと正しいのだ
ろう。
159
小話集1︵前書き︶
本編・茶会騒動の関連話。
番外的なお話3つ。
160
小話集1
小話其の一﹃茶会にて舞台裏よりお送りします﹄
﹁⋮⋮という状況ですわ、陛下﹂
﹁最初からそれか。ミヅキには悪いことしたな﹂
連絡を受けて即座に茶会が行われている部屋へと急行したルドル
フ。
仕事中だった為、宰相や護衛も同行だ。
エリザから話を聞くにつれルドルフの機嫌は下降の一途を辿り、
宰相様に至っては殺気が駄々漏れである。
ミヅキには後宮問題としか話していなかったが、貴族も侍女もか
なり最悪といえるのが現状だ。
民間人であるミヅキならある程度は理解があり察してくれると思
ってもいた。
が。
まさか常識を疑われる行動を初っ端からとるなど誰が予想できた
だろうか?
イルフェナへの報告書を書かれようものならゼブレストの教育が
疑われるレベルである。
普通に考えても侍女とイザベラの行動は絶対おかしい。
161
公爵家に生まれて何故そんな行動を取れるのか。
イルフェナでそんな行動をとる馬鹿がいるとは思えず、ミヅキの
様子から察するに珍獣を通り越して害悪認定されたのだろう。
﹁で、エリザ。貴女はなぜミヅキ様の傍にいないのか?﹂
﹁ミヅキ様より﹃顔が売れる必要も無いし危険だから外に出ていて
欲しい﹄と﹂
﹁⋮⋮。危険?﹂
ちら、と扉に耳を着け中の音を聞いているルドルフに視線を向け
る。
騎士達も似たような行動をしているので大変間抜けだ。
中では一体何が行われているのだろうか。
﹁中にはセイルが控えているのだな?﹂
﹁はい、いつでも抜刀できるようにしておくと仰せでした﹂
抜刀!?
何故、側室主催の茶会で将軍自ら殺戮を行う準備がある?
あれか、暗殺者の集いにでも放り込まれたとか言いたいのか!
頭を抱える宰相様を他所にルドルフ以下数名は実に楽しそうに中
の様子を窺っている。
エリザが羨ましそうに見えるのは気の所為だ、気の所為。
と、その時︱︱
ガッシャーン!
162
何やら盛大に破壊音が響いた。鈍い音は人、だろうか⋮⋮?
恐る恐る視線を向けた先でルドルフは服に付いた埃を払い真面目
な顔を作って一言。
﹁じゃ、行って来る!﹂
顔と声の調子が合ってません︱︱などという前に騎士を引き連れ
颯爽と入室していった。
大変楽しそうで何よりだ。気にしたら負けだ、そういうことにし
てくれ。
宰相様は深々と溜息を吐くと壁に寄りかかった。
彼が今までとは違う意味で頭痛薬を常備するようになるまで、あ
と少し。
※※※※※
小話其のニ﹃半分は優しさでできています﹄
﹁⋮⋮こんな感じでいいかな?﹂
﹁お、良いんじゃね?﹂
ルドルフとミヅキは仲良しである。
その仲良し具合はお互いに﹃親友﹄﹃心の友﹄﹃悪友﹄﹃共犯者﹄
などといった言葉から察していただきたい。
たまに物騒な言葉が混ざっても気にしてはいけない、知らない方
が幸せなこともある。
年頃の男女、王とその側室という関係なのだが、そんな雰囲気を
163
微塵も感じさせない⋮⋮いや、無い。
二人揃うと色気の欠片も無いのだ、ミヅキの保護者が安心して送
り出すわけである。
ある将軍はこう言った。
﹁お二人が一緒に居ると和みますよね、とても楽しそうで。まるで
子犬や子猫が兄弟と戯れているようです﹂
ある護衛騎士は語った。
﹁戦場で背中を預けられる戦友って感じですよね!﹂
ある側室は怯えた。
﹁あの二人は何なのよ! 私もいつか殺されるわ⋮⋮!﹂
⋮⋮一体何をしてるんだ、お前ら。
特に最後。本来ならば寵を競い合う相手にすら恐れられるとは何
事か。
そんな二人は本日仲良く作業中。
﹁あの⋮⋮一体何をなさってらっしゃるのですか?﹂
お茶の用意をしつつエリザが遠慮がちに問い掛ける。
本来ならば侍女がそんな事をしてはいけない、だが彼女はルドル
フの幼馴染であり許されている。
﹁えーと、絵本作り?﹂
﹁絵本、ですか?﹂
164
﹁うん。絵の得意な騎士さんが居てね、描いて貰った﹂
テーブルには絵本の原稿だろう紙が何枚も広げてある。
幼い子向けなのか、ほのぼのとした可愛らしい絵柄だ。文字も大
きく読みやすい。
﹁まあ、孤児院にでも送⋮⋮﹂
送るつもりですか? と続く筈だった言葉は原稿を手にした途端
あっさり消えた。
﹃たのしいれいぎさほう︵楽しい礼儀作法︶﹄
︵一部抜粋︶
﹁みぶんとはぜったいです。おうのふきょうをかえばしょばつされ
てももんくはいえません﹂
﹃はじめてのおさそい︵初めてのお誘い︶﹄
︵一部抜粋︶
﹁みぶんのひくいひとからたかいひとをおさそいすることはしつれ
いにあたります﹂
﹃やさしいみぶんせいど︵優しい身分制度︶﹄
︵一部抜粋︶
﹁くにとはおうさまをちょうてんとしておうぞくのみなさまがさい
こういにあたります﹂
内容はともかく判り易い言葉で書かれている。
そう、幼児レベルの理解力が最適な。
165
﹁あいつら全然理解してないからな。同じ失敗を繰り返させるのは
まずいだろう?﹂
﹁まともに教育されてなかったんでしょ? これなら理解できるよ
ね﹂
﹁読んだら感想文書かせるか? それとも簡単な例題を出してみる
とか﹂
﹁折角だからそれを親御さんに見せてあげようね! 我が子の成長
の証だし﹂
﹁感動して泣き出すかもな!﹂
︵⋮⋮それは感動ではなく情けなさからくる涙なのでは︶
そう思っても口にしてはいけない。いや、出来ない。
お二人は優しさからの行動であって、先日のようなことを起こさ
ぬ為の措置なのだ。
無邪気というには微妙に悪意と蔑みと嫌がらせが混じっていたと
しても。
自分は侍女であり、二人の行動に口を出すなどあってはならない
のだから!
そう、沈黙は正しいことなのです!
無理矢理自分を納得させたエリザは何事もなかったかのように一
礼して仕事に戻った。
その後どうなったかは彼女の知るところではない。
ミヅキとルドルフの半分は優しさでできています。
ただし、残りの半分のお陰でその優しさも真っ白ではなく灰色で
す。
166
※※※※※
茶会騒動後、某国某殿下の執務室にて
﹁ほらね、やっぱり大丈夫だっただろう?﹂
遠方より届いた映像と音にエルシュオンは満足げだ。
実のところミヅキ派遣についてはゴードンを始めとする数名から
反対があったのだ。
まあ、当たり前といえよう。普通に考えるなら彼等の方が絶対正
しい。
ろくに教養もない娘を破壊工作員として派遣するなど誰が賛同す
るというのか。
実際に賛成派もエルシュオンを信頼するという者達であり、ミヅ
キを信じているわけではない。
﹁認識を改めるべきでしょうね﹂
苦笑しながらアルジェントは何名かの騎士達に視線を向ける。
気まずそうに視線を逸らす彼等を責めている訳ではない。彼等は
ミヅキの身を案じただけなのだから。
﹁あいつが簡単にやられるとは思えんがな﹂
﹁クラウス? 随分と信じているじゃないか?﹂
﹁あいつに持たせた俺達の努力の結晶が役に立たないなどありえん﹂
当然、と己が技術に自信を持つ黒騎士は言い切った。
167
実際に彼等の手に成る魔道具は高い評価を得るものばかり。
そんな彼等でさえ作り出せぬ魔術具を容易く作るミヅキへの評価
はかなり高い。
職人達の基準は常に己の才能であるようだ。
﹁ですが少々不愉快ですね⋮⋮﹂
すい、と瞳を眇めアルジェントが魔術具を見つめる。
﹁不愉快? 側室連中はあれが普通だったぞ?﹂
﹁違いますよ、クラウス。そんなゴミなど初めから視界に入れてま
せん﹂
白騎士、微妙に本音が漏れている。
素敵な騎士様の仮面を外すほど気に食わないことがあったらしい。
﹁彼は何故ミヅキの腰に手を回しているんでしょうね? 側室とい
う立場は形だけのもののはずですよね?﹂
﹁⋮⋮。お前、今全部見てたよな? だったら理解しろ﹂
﹁理解は出来ても感情は収まらぬものですよ﹂
﹁そんなに気に入ってるのかい⋮⋮﹂
エルシュオンもやや呆れ気味⋮⋮だが、同時に面白そうでもある。
幼馴染達から居心地の悪い視線を受けアルジェントは拗ねたよう
に顔を背けた。
まるで子供。いや、子供時代にさえ滅多に見られなかった光景で
ある。
﹁放っておいてください! 愛されてる自覚はありますから﹂
﹁ほう、どこがだ?﹂
168
﹁抱きつけば必ず報復の一撃が入ります。痛みはそのまま愛の重さ
です﹂
それは愛情表現ではない。
﹁お前ね⋮⋮そんなことしてると嫌われるぞ?﹂
﹁クラウス? 貴方も人の事は言えませんよね?﹂
﹁何だと?﹂
むっとした表情のままアルジェントはクラウスを見る。
クラウスは訳がわからんとばかりに首を傾げた。何故自分までそ
うなるのかと。
﹁彼女がゼブレストに留まりあの技術を利用されたら⋮⋮﹂
﹁奴等を殺してミヅキを取り戻そう﹂
即答。
黒騎士の惚れる基準は才能! とばかりに人格その他を無視した
お答えである。
技術︵術者含む︶への冒涜は許せないらしい。
尤も普通そんなことを言われて愛されていると感じる奴は居ない
だろうが。
﹁あの子は人気者だねぇ⋮⋮この際、君達二人の婚約者にでもして
おくかい?﹂
﹁御願いします﹂
﹁頼む﹂
﹁はは、検討しておくよ﹂
冗談交じりのエルシュオンの言葉にも即座に反応。
169
対するエルシュオンも随分と楽しそうだ。
内容はともかく室内には穏やかな空気が流れていった。
⋮⋮誰か止めてやれ。
一方その頃︱︱
ゴードンと騎士sは教会にて祈りを捧げミヅキの無事を神頼みし
ていた。
自国の魔王に気付け、保護者。
半分冗談といえどミヅキは婚約の危機だ。
170
小話集1︵後書き︶
時間軸的に一纏めなので連続更新にしてみました。
171
地道な活動も大事です︵個人的な理由で︶︵前書き︶
沢山のお気に入りと評価、ありがとうございます!
172
地道な活動も大事です︵個人的な理由で︶
茶会騒動も一段落したある日の午後。
罪人の処罰その他を伝えに来たルドルフ達とお茶してます。
つかの間の平穏ですね。
﹁⋮⋮という感じで一通り決着がついた。ロウベント公爵家は一応、
継承権七位持ってたんだがな﹂
﹁あれ、継承権あったんだ?﹂
﹁ああ。先王の妹が当主に降嫁している。イザベラもそれが自慢の
一つだったな﹂
﹁⋮⋮馬鹿?﹂
﹁そう思うよなー﹂
﹁⋮⋮﹂
確かに側室達の態度はとても王に対するものではない。
だからこそ、私は先日の茶会でルドルフの事を﹃ゼブレスト第一
位の方﹄と言ったのだ。
王という言葉で理解できないようなので明確な順位を突きつけた
のですよ。
﹃国﹄第一位=﹃国﹄において最高位にある存在
継承権一位は﹃王になるかもしれない人達の中で一番王位に近い
人﹄なので現時点で最高位にある王に劣る。
つまりゼブレスト第一位>王位継承権一位。七位ごとき足元にも
及びません。
元の世界でも調べれば﹃順位付けされた中で一番目の位置。筆頭
173
の位。最も優れた成績、または等級﹄という意味が出てくるのです、
これ以上判り易い表現って無いよね。
側室達が静かになったところを見ると一応は理解できたようで何
より。
⋮⋮幼児レベルの頭かい、とあの後全員で脱力しましたよ。教養
はどこ行った?
﹁ルドルフの方はこれで一応大丈夫なんじゃない?﹂
﹁女どもはな。逆に危機感を覚えた奴等の嫌味が増えた﹂
﹁⋮⋮﹂
今度は直接攻撃ですか。嫌味ぐらいじゃ処罰できないと判ってて
やるとは姑息な。
⋮⋮そうか、処罰できない程度の嫌がらせか。
﹁ルドルフ。ちょっと用意してもらいたいものがあるんだけどさ、
個人的理由で﹂
﹁おう、構わんぞ? 何をするんだ?﹂
﹁⋮⋮﹂
にこりと笑って御願いすれば実に爽やかに了承してくれる。
さすが親友です、最後の一言で普通の﹃おねだり﹄だと思ってな
いことがよく判ります。
湧き上がる悪戯心を抑えきれず笑顔のままルドルフに一枚の紙を
渡す。
暇過ぎて嫌がらせの一環として考えていたものです、お茶の時間
直前まで計画書を書いてました。
いや、嫌がらせというには些細なものなんですけどね?
まさかこんなに早く実行できるなんて⋮⋮!
あ、文字は魔力を指先に込めて文字を浮かび上がらせる自動筆記
174
ですよ。普通に文字を書いた場合、まだ読めない可能性があるので
す。さっさと一仕事終らせて習得せねば。
﹁ここに書いてあるものを御願い。使い道は計画書の通り﹂
﹁お前⋮⋮これ実行する気か﹂
﹁可愛らしい悪戯でしょ? 死ぬことも処罰されることもないと思
うよ﹂
﹁はは⋮⋮女って怖いこと考えるよな﹂
﹁やだなぁ、協力してる時点で共犯じゃない﹂
﹁⋮⋮﹂
言葉とは裏腹に大変楽しそうなルドルフ。遊び心は必要だよね!
周囲の人々も何も言いませんし止めません。前回のお説教が信頼
に繋がった模様。
﹁よし、明日には届けさせよう。片方は即実行させるがもう片方は
どうする?﹂
﹁用意できたらすぐに行動するよ。何かあったらそっちに行くから﹂
﹁わかった。いやぁ、明日から楽しみだな!﹂
﹁⋮⋮。あの⋮⋮﹂
﹁何?﹂
﹁何だ?﹂
﹁貴方方が仲が良いのは構いませんが、この状況は一体⋮⋮?﹂
そう言う宰相様の手には紙に包まれたクレープ︵クリーム+バナ
ナ+チョコ︶。
話に興じている私達だけでなく全員が食べていたりする。
﹁甘いもの食べてます﹂
﹁悪企みしてる﹂
175
﹁⋮⋮っ、素直なのは結構ですが! ミヅキ様は一体何を考えてら
っしゃるのかということですよ﹂
即答する親友sに宰相様はこめかみを引き攣らせた。
はっは、短気なのは良くないぞ? 甘いもの食べて落ち着け。
﹁暇だったから御菓子作って皆に試食させてる。生クリームが使い
放題な環境だからスイーツ食べたい﹂
生クリームが気兼ねなく使える環境なのです、今やらんでどうす
るよ!?
紙を巻いておけば汚さずに片手で食べられるものなので護衛の騎
士さん達も食べてます。
噛み切って食べる方法は貴族に向かないので皿に盛り付けた方が
いいかもね。
その割にはルドルフは普通に食べてるけど。庶民的な王だな、お
い。
なお、予想通り生クリームより輸入品のバナナの方が高かった。
国内で採れる果物にした方が親しまれるかもしれない。
﹁アーヴィ、いいじゃないか。これも我が国の菓子として伝えるん
だし﹂
﹁何ですって?﹂
﹁クリームが民間人でも手に入る環境だからこそ広めたいんだとさ﹂
ええ、この国じゃなきゃ無理だと思います。
スイーツを広めるならばイルフェナよりこの国ですよ、バターや
クリームが手に入り易いのですし。
自分が作った物以外のスイーツを食べることを諦めてはいません
よ!
176
﹁手軽に食べれて親しみ易い。どうでしょう、異世界の甘味ですよ
?﹂
﹁確かに⋮⋮我が国ならではでしょうが﹂
﹁国の特産物を活かすことは重要だと思いませんか? 私も嬉しい
です! 食べたいです!﹂
﹁ミヅキは最後の方が本音だけどなー﹂
ルドルフ煩い。本音をバラすんじゃない!
拳を握り熱く語る私に宰相様はやや引きながらも理解してくれた
らしい。
暫し考える素振りを見せた後、仕事用の顔になり頷いてくれた。
﹁わかりました。試しに広めてみましょう﹂
﹁ありがとー! 貴族用は今度デザートに作るから!﹂
﹁良かったな! 俺も楽しみだ﹂
元気良くハイタッチして喜ぶ私達に宰相様は深々と溜息を吐いた。
﹁何故あんなに仲が良いんでしょうねー、あの二人﹂
﹁良いことではありませんか、ミヅキ様がいらしてから陛下も楽し
そうですし﹂
﹁悪くはありませんが⋮⋮もう少し色気のある方向にならないもの
か﹂
﹁それは⋮⋮無理ではないかと﹂
177
宰相と将軍が揃って視線を向けた先には王と側室︵仮︶が楽しそ
うに話している。
内容が時々物騒な方向に行くのは些細なことなのだろう⋮⋮多分。
そんな宰相様が頭痛を催すような﹃可愛らしい悪戯﹄が実行され
るのは数日後のことである。
178
努力する方向が間違っています
ルドルフに﹃御願い﹄をした翌日。
私の元に一個の箱が届きました。送り主は不明です。
﹃⋮⋮馬鹿だ。本当に馬鹿だ﹄
その場にいた全員の心の声はハモったと思われ。
誰がやったか知りませんが、ここは後宮なのです。外からの品な
らチェックが入る上に無条件で持ち込めるのはルドルフのみ。他は
内部の犯行ですよ。
私が頼んだものはルドルフ本人が持ってくるのでこれじゃありま
せん。
敵・味方の行動を明確にする為に後宮のきまりを守っているので
す。勝手なことをしていると言われても困るしね。
で。
嫌がらせの基本、定番中の定番!
差出人不明の不審な小包!
しかも中からは微かにカサカサ音がするよ!
⋮⋮こんなもの馬鹿正直に開ける奴なんているわけねーだろ、普
通。
こんな嫌がらせが成功するのは物語の中だけですってば。
ゲームの中で生産職連中が作った罠に慣れた私がこんなものに引
179
っ掛かるはずはありません。
ファンタジー定番のミミックの方がまだ可能性があります。
今の私なら高性能な罠とか作れるかも? 今度試すか。
﹁これってさぁ⋮⋮﹂
﹁はい⋮⋮どうしましょう?﹂
﹁私が捨てて参ります﹂
うん、エリザも困るよね。つか、触りたくないだろう。
ここは申し出てくれた騎士さんに御願いすべきでしょうね。
とりあえず魔術で冷やすのでカサカサが聞こえなくなったらお願
いします。
虫だったら動かなくなるはず。
﹁あ、念の為中身の確認と報告御願いします﹂
﹁勿論です﹂
そう言った騎士さんが疲れたように溜息を吐くのも仕方が無いで
しょう。
誰だ、こんな嫌がらせが成功すると思ってる奴。
後始末をするのは護衛の騎士なんだぞー?
※※※※※※
﹁あらあら、陛下がいらっしゃるやもしれませんのに何処に行かれ
ますの﹂
180
好戦的な目をしながら話し掛けてきた側室は取巻きらしい何人か
を引き連れている。
えーと。
お前ら、反省って言葉を知ってる? 贈り物もこいつらか?
たった数日で行動を起こすなんて、猿の方が賢いと思われても仕
方ないよ?
不気味な贈り物という名の嫌がらせがあった日の午後。
後宮の構造の確認という目的の下、散策中です。エリザはお留守
番してもらってセイル他二人の護衛がついてます。
そうしたら中庭へ抜ける通路にて側室グループと鉢合わせました。
つーか、アンタ誰。
初めて言葉を交わす相手に名乗ることは基本ですよ?
閉じこもってたのは猛省したとかじゃないみたいですね、彼女達
は。
﹃猿の方が賢いんじゃ⋮⋮﹄などと思っていると挨拶代わりに嫌
味を言ってきます。
﹁リリーナ様のおっしゃるとおりですわ﹂
﹁そうですわ。あのような暴力沙汰を起こされては困りますもの﹂
﹁ずっとお部屋に引き篭もってらっしゃいましたものね﹂
﹁そのまま陛下をお待ちになればよろしいのに。夢中にさせるほど
の床上手なのでしょう?﹂
言いたい放題です。あの茶会はただの暴力行為でしかないんかい。
ふふ⋮⋮では私は貴女達の言葉を自分にとって都合のいい解釈で
受け取りますね?
つまり部屋に引き篭もって悪企みしてろと。
181
直接暴力を振るうのではなく悪質な嫌がらせで攻めろと。
ルドルフもそれを容認し推奨してると。
そして自分達が側室代表として﹃側室は反省していない﹄と伝え
てくれているわけですね?
ありがとう、側室の皆さん! 貴女達の後押しを受けて私はやる
気十分です。
ありがたく斜め上の解釈をさせていただきますとも。
後から意味が違うとか言い出しても反論は認めません。諦めろ?
将軍、無表情になる必要はありませんよ。言質をとりましたので
報告御願いします。
とりあえず会話を切り上げますか⋮⋮しつこそうだし。
﹁まあ⋮⋮何て品の無い﹂
扇子を口元にあてて眉を潜める私に側室達が怪訝そうな顔になる。
﹁貴族の姫たる者が床上手などと口にするなんて。どこの娼婦です
か、貴女達は﹂
﹁なっ!﹂
﹁ここは後宮ですのよ!? 貴女とて同じ立場ではありませんか!﹂
違います。⋮⋮と今は言えませんな。でもこんなのと同類は嫌だ。
そもそも娼婦の皆さんは生活の為にああいうことをしているので
あって貴女達とは違います。
彼女達を馬鹿にするつもりはありませんが、下町風の判り易い表
現として使用。ごめんよ。
182
すると穏やかな声で援護射撃がきた。
﹁ミヅキ様、我が国には﹃まともな﹄令嬢もいらっしゃいますよ?﹂
﹁そうですね、セイルリート将軍。騎士とはいえクレスト家の若君
の前で口にする言葉ではありませんもの﹂
﹃まともな﹄と強調するその言葉に側室達は顔を真っ赤にして黙り
込んだ。
発言者が麗しのセイルリート将軍ってのも重要ですね!
あのさ、それくらい気付こうよ?
女の園って言っても女性騎士のいないゼブレストでは護衛の騎士
も当然男性。
床上手云々と平気で口にする女がどう思われるかなんて考えれば
わかるじゃん。
﹁貴女達と同列に成り下がる気はありませんわ。二度とお会いしな
いことを祈ります﹂
﹁させませんよ。国の恥ですので﹂
それでは失礼しますね、と一言告げさっさとその場を離れる。
ちらり、と振り返った先で彼女達はまだ立ち尽くしていたみたい
だけど気にする必要無し。
セイルを前にして黙っただけなので反省などしていないでしょう。
私に対する悪口大会でも始まっているかもね。
﹁やはり彼女達でしょうかね、あの贈り物は﹂
﹁どうかな? 反省している素振りも無いし側室全員がそうだと思
っていいと思う﹂
﹁やはり無駄でしたか⋮⋮﹂
183
苦々しく呟くセイル。まあ、真面目に務めている人にとっては頭
の痛いことでしょうね。
私にとってはやり易くなって何よりです。
一々判別するより全員敵認定する方が楽ですって、絶対!
ターゲット以外を巻き添えにしても良心が痛みません。元からあ
るかも謎ですが。
ここが後宮である以上、私が側室ならば女同士の泥沼展開に発展
するところですがね?
私は側室ではないし、役目は貴女達を叩きのめすことなのですよ。
⋮⋮自分から出て行きたいと思わせる程度にね。
最後の一手は王に譲らねばなりませんし、彼女達を裁くのは国の
法なのです。
﹁とりあえず部屋に戻りませんか? 今後のこともありますし﹂
そう告げて部屋へと歩き出す私に騎士達も歩き出す。
それなりに収穫があったので部屋から出て正解でしたね!
さあ、部屋に戻って﹃可愛らしい悪戯﹄の準備をしますか。
その翌日から中庭は大規模な害虫駆除の為に幕を張られて立ち入
り禁止となったのだった。
184
女が大人しいとは限りません
﹁ミヅキ様、本当に大丈夫ですか?﹂
アーヴィレンが心配そうに確認してくる。
まあ、協力者がルドルフの信頼の置ける者達限定なので心配にも
なりますね。
後宮より味方が少ない上に何をしても大丈夫というわけではない
し。
大丈夫ですよ、個人情報の設定その他はルドルフがやってくれた
しね。
一番心配なのが迷子になることなので見取り図も入手しましたか
ら!
⋮⋮無駄に広いんだよね、王宮って。
中庭で害虫駆除が行われるという理由から側室達は数日を部屋で
過ごすよう言いつけられている。
私の部屋に乗り込んでくる可能性を考え扉に細工をしたので入室
は不可能。
ああ、開けようとすると水が降って来てずぶ濡れになるだけです
よ?
ただプライドの高い連中は自分のみっともない姿を誰にも見せた
くないだろうと思ってのことです。
私が見ていない状況でおもしろい展開にはしませんよ、笑い話の
タネは逃しません。
そして私は単身王宮のルドルフの執務室にお邪魔しています。
側室は基本的に後宮から出られないって?
185
大丈夫! 今の私はイルフェナから来た侍女ですから!
先日の茶会で不安を感じたイルフェナより送り込まれたという設
定です。
事前の情報規制が未だ継続中で顔バレしていないからこそ可能。
万が一、何か言われても﹃いざという時は影となるよう言い付か
っておりますので﹄と言い訳します。
影武者要員前提で送り込まれたから似てて当然ですよ、というこ
とですね。
﹁大丈夫ですって。無駄に貴方達に心配される方が不自然ですよ﹂
﹁ミヅキ、イルフェナから来たという話はしてあるからどのみち興
味本位で近づいてくるぞ?﹂
﹁だからいいんじゃない! 頭と地位で勝てないからって嫌味で優
位に立とうとする奴が目当てなんだから!﹂
今回のターゲットはルドルフに嫌味を言ってくる貴族なのです、
当然接触してくるでしょう。
来なかったら困るのでガンガン来て下さいな。
﹁お前の言ってきた条件で合うのはオルブライト伯爵家の長男ダニ
エル、もう一人はビリンガム公爵家の次男アシュトンだな。詳細は
事前に渡した資料のとおりだ﹂
﹁公爵家の方は次男なんだ?﹂
﹁長男はまともなんだよ。親に反発して俺の方についてるからビリ
ンガム公爵は弟に継がせたいらしい﹂
﹁そして現在長男は留学という名目で他国に飛ばされています。本
人はそこで人脈を作る気満々でしたが﹂
転んでもただでは起きない人なのか。頼もしいな、長男。
どうせならイルフェナに来れば面白い⋮⋮いや有意義な時間を過
186
ごせるのに。
そんなことを考えていた矢先、騎士が獲物の来室を告げた。
さあ、侍女としてお迎えいたしましょう? どの程度か楽しみで
すね。
﹁陛下、先日の件ですが⋮﹂
﹁御苦労、アシュトン。ああ、これは⋮﹂
その男は金髪碧眼のいかにも優男という感じだった。
イルフェナの美形連中に慣れた私から見ると七十点くらい? 女
にはモテるかもね。
話が終ると大人しく部屋の隅に控えていた私に顔を向け、値踏み
するような視線を向けられる。
﹁陛下、彼女は? 見かけたことの無い顔ですが﹂
﹁ああ、お前も話は聞いているだろう? 彼女がイルフェナから来
た侍女だ﹂
﹁⋮⋮へぇ?﹂
明らかに疑ってます的な台詞ですねー、はい、大当たりですよ。
腹の探り合いの始まりです、まずは微笑み返し一礼する。
﹁セレネ・ネームレスと申します﹂
御月↓月↓セレネ、ネームレスはそのまま名無しです。
この世界は貴族以上と平民の明確な差が名前。平民は名前のみ。
といっても騎士が貴族の最下級に該当するので全く手が届かないわ
187
けじゃない。
ただ近衛みたく家柄も考慮されるものや上級侍女は下級貴族以上
じゃないと無理らしい。完全実力主義のイルフェナが例外なのです
よ。
﹁セレネ殿ですか⋮⋮アシュトン・ビリンガムといいます。お会い
できて嬉しいですよ﹂
﹁ええ、こちらこそ光栄ですわ﹂
お会いできて嬉しいですよ、獲物其の一。
ナンパ師、詐欺師あたりが天職そうな顔立ちですね。女性関係が
華やかだそうで⋮⋮背後にお気をつけください。
﹁陛下は大層貴女の主がお気に入りなようですよ? 政務を疎かに
なさらなければ安心なのですが﹂
﹁あらあら、疎かにしていると決め付けていらっしゃるようですね
?﹂
﹁そう聞こえましたか?﹂
﹁ええ。口を慎まれた方が宜しいのでは? ⋮⋮貴方が王の執務室
で無駄口を叩けるほど親しいというならば別ですが﹂
︵訳:お前が王の行動を批判するなんざ不敬でしかないだろう、敵
認定すらされない雑魚が!︶
そんなことも判らないのか、と可哀相なものを見る目をすればア
シュトンは明らかに気分を害したようだった。
こいつはあれか、女に見下されるのが許せない人種か。
ルドルフの信用を落とす目的でしょうが同時にイルフェナの側室
を馬鹿にしてますよね?
﹃イルフェナの側室は王を虜にし政に支障をきたさせる愚かな女﹄
とも受け取れますよね?
188
⋮⋮私を王の足を引っ張る役立たずとぬかすか、私を無能扱いす
るほど有能か貴様は。
﹁そうですね、気をつけます。⋮⋮では、失礼します﹂
そう言うと不機嫌なまま足早に出て行く。⋮⋮根性無しめ、不利
を悟ったか。
上手く乗せて不敬罪というのも捨てがたいですが今回は私の楽し
みを優先させようと思います。
嗚呼、猫が鼠をいたぶるのはこんな気持ちなのでしょうか⋮⋮!
﹁大丈夫そうだな﹂
﹁⋮⋮そうですね﹂
ルドルフ、宰相様。生温い視線を向けないでくださいます?
私は貴方達の味方ですよー?
その後。
一人の騎士に王宮内を案内してもらいました。一応、全体的とい
う感じですが重要なのは人の集まる場所です。
侍女達の休憩室、厨房、貴族達の集まるサロン⋮⋮などなど。
娯楽の少ない環境らしく﹃イルフェナの侍女﹄はかなり皆さんの
関心を集めているようです。
騎士が傍に居る間は絶対に来ないと踏んでるので今日一日はじっ
くり観察できますね。
※※※※※※
﹁⋮⋮ぅ⋮⋮ひっく⋮⋮﹂
189
﹁⋮⋮ん?﹂
案内役の騎士さんが用事を済ませてくるというので庭園の木陰に
隠れて人間観察をしていた私に届いた微かな声。
泣き声でしょうかね? こんな場所で?
辺りを見回すと更に奥まったところにドレスらしき薄紫の布が見
える。
えーと⋮⋮一応話を聞きに行きますか。泣いている子を放置する
ほど外道じゃないのです。
﹁あの、どうかなさったんですか?﹂
﹁っ⋮⋮!﹂
びく、と怯えたように肩を揺らすとその女性は黙りこんだ。
いきなり背後から声をかけたのはまずかったか。
﹁わ⋮⋮私に関わらないでくださいませ﹂
﹁嫌です﹂
﹁な⋮⋮!﹂
﹁泣いている人を放置するような真似はしたくありません﹂
﹁憐れみなど必要ありませんわ!﹂
﹁憐れみではなく私が気になるからです。お気になさらず﹂
そう言うとその女性は虚をつかれたかのように黙り込んでしまっ
た。
⋮⋮貴女を放って置けないとか言った方が良かったんだろうか。
でも初対面の相手に言われても不信感しか抱かないよね。
とりあえず乱れた髪を整えてやるとその人も少し落ち着いたらし
く話してくれた。
190
﹁見苦しいところを見せてしまいましたわね⋮⋮﹂
﹁構いませんよ。で、何があったんです?﹂
﹁ふふ、遠慮のない方ね﹂
﹁自分に正直なので。聞いただけですから黙秘もありですよ﹂
無神経ということも理解してますよ。ですが、諦めたのか話し始
めてくれました。
茶色の巻き毛に青い瞳の気の強そうな顔立ちの美人さんです、笑
顔が見たいですね。
﹁私はエイダ・アットウェルと申します。⋮⋮お慕いしていた殿方
に振られてしまったのですわ。いえ、初めから遊ばれていたという
ことかしら﹂
エイダさんの話を要約すると。
エイダさんは以前から憧れていた男性と付き合えることになった。
だが、その男性の周りには常に女性の影が絶えず口論になることも
多かった。
そして浮気の証拠を突きつけた際に自分が﹃恋人の一人に過ぎな
い﹄とはっきり言われてしまったと。で、恋人関係解消になったら
しい。
﹁エイダさん、貴女が泣いていたのは﹃恋人に捨てられたから﹄で
すか? それとも﹃その程度に扱われて口惜しかったから﹄ですか
?﹂
﹁え?﹂
﹁いや、随分あっさり話しているので﹂
前者は只の女性としての感情、後者は貴族としての誇り高さです。
もう少し泥沼展開かと思いきや事実だけを話しているからね、こ
191
の人。
側室連中みたいな僻み、恨み、罵りが全くないのです。
そう言うとエイダさんは口元に手を当てて呆然とした。
﹁そうですわね⋮⋮口惜しいという感情が一番正しいような気がし
ます﹂
﹁クズだったんですね、その男﹂
﹁顔立ちは素敵ですし家柄も申し分なかったですわね。性格は⋮⋮
今となっては最低ですけど﹂
﹁つまり顔と家しか取り得がないくせに強気になっている国の恥さ
らしですか﹂
﹁え゛﹂
がし! とエイダさんの手を握る。
﹁いいですか、別れた言い争いも貴女が糾弾した側なんです。そし
て誰が聞いても貴女が正しい﹂
﹁は⋮⋮はい﹂
﹁そいつは人を平気で裏切る奴なんです、貴族令嬢として家を傾か
せる可能性がある不穏分子と手を切るのは当然です﹂
﹁それは⋮⋮確かに⋮⋮﹂
﹁振られたんじゃありません。貴女が捨てたんです! 最後に平手
でも見舞えば完璧でした!﹂
貴族としてそいつの行いも十分問題ありとみた。だって絶対多数
に恨まれてますよ?
拳で顔を歪めてやれば最高ですが、エイダさんには無理でしょう。
私? 勿論やりますとも。一矢どころか十矢は報いてみせますよ。
﹁そう⋮⋮そうね、私はアットウェル家の一人娘ですもの。そのと
192
おりですわ﹂
﹁跡取娘なんですか? だったら余計に良い仕事しましたよ!﹂
﹁ありがとう! 落ち着いて考えれば答えは出ていたのに⋮⋮私は
何を嘆いていたのかしら﹂
グッジョブ! とばかりに指を突き出すとエイダさんは綺麗に笑
った。
女性としての意識より貴族の跡取としての意識の方が高いんだろ
うね、エイダさん。
自分の納得できる答えを見つけられれば立ち直りも早いです。
その場のノリと勢いと洗脳紛いの強気発言も立ち直りには重要で
すよね。
﹁で、そいつの名前は? 野放しも嫌なので復讐といきましょう♪﹂
﹁手伝ってくださるの?﹂
﹁私もやることがあるのでついでに始末しちゃおうかと﹂
﹁始末!?﹂
﹁殺しませんよ? 心に深い傷を負わせるのが目的です﹂
﹁それならば⋮⋮。ああ、これが彼から貰った手紙ですわ。幸せな
思い出だと思っていましたが今となっては何て安っぽい言葉に騙さ
れていたのかしら﹂
差し出された手紙には﹃君に会えないのが辛い﹄とか﹃愛してる﹄
といった定番の言葉が書き連ねられている。
そして差出人の名前を見た瞬間、私は目を据わらせたのだった。
※※※※※※
その二日後。
193
﹁セレネ殿、少々お時間をいただきたいのですが﹂
明るい日差しの差し込む廊下で私は整った顔立ちの貴族に声をか
けられたのだった。
194
噂は怖い、噂を利用する奴はもっと怖い︵前書き︶
主人公以外の視点は小話にて書きたいと思います。
195
噂は怖い、噂を利用する奴はもっと怖い
﹁セレネ殿、少々お時間をいただきたいのですが﹂
そう声をかけてきたアシュトンに私は内心ガッツポーズをとりま
した。
よっしゃあぁぁぁ! 獲物釣れたー!!
※※※※※※
落ち着いて話せる場所に⋮⋮なんて言葉に付いて行ったら、その
部屋にはもう一人が待ち構えていました。獲物其のニよ、出迎え御
苦労。
ダニエル・オルブライトとアシュトン・ビリンガムですか⋮⋮手
間が省けて何よりです。
部屋に入る前にある魔道具をひっそり落として事前準備完了。王
宮内は比較的頻繁に人の往来があることも確認済みです。身の安全
というより計画を実行する上で必要、という意味ですが。
とりあえず扉を少し開けたまま部屋に入ります。
あら、お酒が用意されてますね? 私を酔い潰す計画でしょうか。
﹁何故そんなことを?﹂
﹁お二人の噂を存じておりますので⋮⋮要らぬ誤解は受けない方が
良いかと﹂
人気の男二人に部屋に連れこまれる女なんて令嬢方にとっては嫉
196
妬の対象にしかなりませんがな。
そう言うと二人は納得してくれたようです。
促されるままソファに座ると二人は話と言う名の探りを始めまし
た。
﹁ダニエル・オルブライト様とアシュトン・ビリンガム様ですか。
お二人が私にお話とは一体どのような?﹂
﹁ふうん。事前調査は済んでいるのか﹂
送り込まれた設定なら当たり前でしょうが。
私の呆れを無視して二人は話し始めました。
﹁セレネ、君はルドルフ王をどう思っている?﹂
﹁私からは何とも⋮⋮あまり情報がありませんので﹂
﹁イルフェナから来たのに?﹂
﹁だからこそ、ですわ。私が警戒すべきは側室の皆様であり、それ
以外は干渉できませんもの﹂
事実ですよ、これ。イルフェナ所属の侍女が他国の内情に口出し
するなどできるはずありません。
模範的な回答を述べた筈なのに二人は不機嫌を露にしています。
⋮⋮アホか、こいつら。
﹁色々と噂は聞いているだろう? 私達は君に友好的でありたいの
だが﹂
﹁お二人が多くの令嬢を弄んでいるということは聞きましたね﹂
﹁おやおや、随分と下世話なんだね﹂
﹁嫌ですわ、情報通だと誉めていただけているのでしょうか﹂
﹁何?﹂
197
怪訝そうになる二人に私はにやり、と笑ってやる。
﹁私、こう思いましたの⋮⋮お二人が令嬢達を相手になさるのはカ
モフラージュじゃないかと﹂
﹁ほう?﹂
﹁⋮⋮。否定なさいませんのね。確信いたしましたわ⋮⋮お二人は
特殊な性癖をお持ちなのだと!﹂
﹁﹁は?﹂﹂
時が止まる二人を尻目に私は拳を握って語る。
同時に袖に隠した魔道具のスイッチをオン! これでこの周辺に
は不自然ではない程度に声が漏れる筈。
声を拾う範囲を狭くしてあるので殆ど私の言葉のみですがね!!
︵※重要︶
﹁不思議に思っていたのです、麗しい令嬢方を振り続けるなど。で
すが、特殊な性癖をお持ちならば不自然ではありません。本気にな
る筈がないのですから﹂
﹁お⋮⋮おい?﹂
﹁幼女趣味だったのですね! 適齢期のお嬢様方に無関心なのも頷
けます!﹂
﹁違う!﹂
﹁何故そうなる!?﹂
﹁熟女萌えでしたか? 失礼しました﹂
﹁だから何故その二択なんだ!?﹂
反論してますが魔道具は私の声しかまともに拾ってませんよ。大
体、女好きは本当じゃないですか。
﹁素直になってくださいませ⋮⋮必ずや理解ある方がいらっしゃい
198
ますわ﹂
﹁いや⋮⋮だからな?﹂
﹁話を聞いてくれ?﹂
嫌です、聞く気はありません。
お二人を変態と広めることこそ我が使命ですよ!
それに⋮⋮そろそろ効いてくると思うのですが。
﹁お⋮⋮い、話を⋮⋮﹂
﹁何だ? 眠⋮⋮い﹂
二人の意識が朦朧とし出した事を確認し私は笑みを浮かべる。
座った時点で先生お手製の睡眠作用のある魔道具を仕掛けさせて
もらったのですよ。
仕込んであるのは靴なので自分で軽く踏めばいい優れもの。元々
自衛の為のものですしね。
ある程度近くに居る人間全てが対象ですから二人同時にお休みで
す。
話に気を取られていた事が敗因ですよ、御二方? 悪夢は音も無
く忍び寄るものなのです。
装備者の私には効きませんしね⋮⋮こんな使い方をしたことがバ
レたら怒られそうです。
﹁では、失礼しますね﹂
立ち上がり言葉だけ紡ぐと音を立てて扉を閉ざす。
朦朧とした意識に退室の挨拶と扉の音を記憶させるのです。これ
でいい訳には十分ですね。
勿論、私は室内にいます。裏工作はこれからですもの! 鍵をか
けて行動開始です。
199
﹁さあ、私に弄ばれてくださいな?﹂
まずは防音結界ですね。これ以降の音が漏れては計画に支障が出
ますから。
次にハンカチに睡眠薬を染み込ませ二人の顔にあてがう。これで
当分は起きません。
完全に眠ったら上着とシャツを脱がせて殴る蹴るの暴行です!
用意された部屋、酒、探りを入れるような発言⋮⋮無事に帰す気
だったとは思えないのでエイダさんの報復も兼ねて痛い目に合って
もらいます。二人の﹃お話﹄がどういう計画だったのか実に気にな
りますね。
気が済んだら治癒魔法をかけて完治。私の治癒魔法は対象の体力
を奪って回復するものなので適度な疲労感が残るのです、この追加
要素で悪戯に少々現実味を持たせることができるでしょう。
最後に服を適当に乱して脱ぎ散らかしたように偽造、体は二人と
もベッドに押し込んでおく。
重力緩和をかけておけば女の力でも二人を楽々運べるし、疑われ
たら﹃私の力では引きずらなければ無理ですが⋮⋮お二人の体には
引き摺った跡でも残っているんですか?﹄と言えば問題なし。
寝室への扉を少し開けて上着を挟むようにしておけば侍女の誰か
が見つけてくれるでしょう。
ほーら、BL的な情事風景︵未遂︶の完成! 今更、同性愛疑惑
が増えたところで構わないでしょうよ。
美形は無条件で絵になるって言うし?
振られた令嬢方も納得できる理由があった方が良いしね?
覚えの無い疲労感と現状から本人達も盛大に悩むでしょう。未遂
ですが。
200
ろくに着てないシャツとか散らかった上着から寒々しい状況を連
想して青くなりやがれ。
何より女好きなのに﹃幼女趣味﹄﹃熟女萌え﹄﹃同性愛者﹄とい
う三重疑惑が一生涯単位で付き纏うのですよ!
貴族としては辛かろう、屈辱だろう、今後の苦労を思うと涙が止
まりませんね!
⋮⋮笑い過ぎ的な意味ですが。
まあ、二人が誠実な人柄だったら噂が流れたところで誰も信じな
いでしょうけど。
⋮⋮。
それは無いか、絶対。話を聞く限り男女共に敵が多いみたいだし。
仕上げに酒の勢いの所為にすべくテーブルの上にグラス︵使用済
みっぽく偽造︶を二つと封を切った酒︱︱中身は窓から捨てて適度
に減らし偽造です︱︱を用意し。
窓を開け酒気の名残がなくとも不自然ではないよう換気を十分に
してから目薬で涙目を装いつつ、部屋を後にしたのだった。勿論、
落とした魔道具も回収。
ふ、白いカーテンが靡いてるのが良い感じ。これで戸締りの為に
必ず人は来るからね。
ルドルフに﹃女って怖い﹄と言わせた悪質過ぎる悪戯です、私の
努力が報われるといいな♪
その後、人の集まる場所で﹃ダニエル・オルブライト様とアシュ
トン・ビリンガム様のことなのですが⋮⋮﹄と相談の振りをしても
っともらしく状況説明、貴族のサロンで待ち構えていたエイダさん
に﹃思い出さなくていいのよ⋮⋮!﹄と抱きしめられた挙句、多く
の貴族に同情的な目で見られ。
ああ、事前に根回しを御願いしたのでサロンには二人に弄ばれた
201
令嬢の皆様が集っていました。自分が選ばれなかった理由を見つけ
た皆さんはとても優しかったです。
果ては休憩室に居た女官長に﹃ごめんなさいね⋮!﹄などと謝ら
れました。良心がちょっと痛みます。
⋮⋮熟女萌え発言で﹃私にもチャンスが﹄と聞こえたのは気の所
為ですよね、きっと。
魔道具を通して聞こえた声に反応した侍女により二人の密会現場
が見つかるのは暫く後のこと。
仕事の振りをして部屋に突撃した侍女さん達の根性と好奇心に拍
手喝采ですね!
盛大に目撃証言を広めちゃってくださいませー!!
※※※※※※
その後、執務室にて。
﹁貴女という人は⋮⋮﹂
そう言ったきり宰相様は黙りこんだ。やだなぁ、側室連中に苦労
させられた人の台詞とは思えませんよ?
﹁女って怖いよな。⋮⋮いや、こんなことはお前以外やらんだろう
が。何故思いつく﹂
﹁私の世界には腐女子とか貴腐人とかがいるんだよ﹂
﹁婦女子に貴婦人? それならこちらにも居ますが﹂
御二方、充てている字が違います。同じ読みでも意味が違います
よ、漢字って凄いね!
親戚には自分で薄い本とか出してる姉妹がいるので私はその手の
202
話題に事欠きません。
﹁大丈夫じゃない? ﹃私こそはお二人を救ってみせる﹄的発想の
肉食系お嬢様方もいるみたいだし﹂
﹁肉食系?﹂
﹁既成事実を作ろうと自分から襲い掛かる人達﹂
﹁﹁ああ、絶対いる﹂﹂
二人とも実感が篭ってますね。苦労が偲ばれます。
まあ、その特攻が成功したら﹃どんな人だろうと想い続けて立ち
直らせた一途な女性﹄として美しい愛の物語に仕立て上げれば問題
なし。
二人も噂を打ち消す為に愛妻家になるしかないから結果的に良い
んじゃないのかね?
﹁でね、これがトドメの品﹂
二人の前に大半が焼け焦げた紙を差し出す。
エイダさんに貰ったダニエルからの愛の手紙です、宛てた人がエ
イダさんじゃなくアシュトンになってますが。
﹁え、あいつらマジだったのか!?﹂
﹁ううん、名前だけ変えた﹂
﹁でもこれ奴の筆跡だぞ!?﹂
うん、それも正しいですよ。こんな事ができるのは異世界人だか
らでしょう。
手紙とは紙とインクの組合せ。だからそれを別々だと認識すれば
インクを別の場所に移し変えたりできる。
203
元の手紙から文字を拾って別紙にダニエル筆跡の﹃アシュトン﹄
の言葉を製作。紙の記憶を読み取って別紙に写すので部分コピーみ
たいなもの。
←
﹃エイダ﹄とかかれた個所のインクを除去。文面は使い回しらしく
宛名以外は﹃君﹄としか書かれていなかったので問題なし。別紙に
作った﹃アシュトン﹄という文字を移植。
←
証拠隠滅を図ったかのように適度に焼き完成。
製造過程はこんな感じ。魔力を﹃作業する為の力﹄として捉えて
いる私だからこそ可能ですね!
﹃インク︵文字︶を移動させる﹄﹃文字を転写する﹄という発想さ
えあれば誰でも可能なのです、要は魔力をどう使うか。
いやあ、悪戯の為に魔術が上達しました。目標があるって素晴ら
しいね!
﹁また技術の無駄遣いを⋮⋮。で、何に使えと?﹂
﹁元凶が私だから公の場で何か言ってくるかもしれないし先手必勝
で黙らせる﹂
﹁ああ、証拠があるとでも言うのか?﹂
﹁それもあるけど﹃事実はどうでもいいが日頃の態度がそう思わせ
た、王宮を混乱させた責任についてはどう思う?﹄みたいな感じで
日頃の態度も追求。不敬罪も十分適用範囲でしょ、あれ﹂
イルフェナの侍女がいるのに王へのあの態度は無い。ルドルフ達
が黙っていたのはあんな雑魚に割く時間が惜しかったからなのだ。
だから今後同じ事をさせない見せしめとして必要だと思うのです
よ。
まあ、王に噂どころか証拠を握られた以上は逆らう気は起きない
204
だろうけどね。
身分のある人間にとって醜聞は命取りなのです、ライバルの不幸
は蜜の味。
﹁頼もしいというか鬼畜というか⋮⋮あの人が単独で送るわけだ﹂
﹁上には上がいるものですね。側室達が可愛らしく思える日が来よ
うとは﹂
﹁いいんじゃないか? ミヅキにやられるか俺たちにやられるかの
差なんだし﹂
﹁法で裁かれる方がマシな場合もあるんですね⋮⋮﹂
微妙に気にかかる発言は無視しておこう。
やりたいことは終ったし次は後宮で事を起こしますよ。待ってて
ねー、側室の皆さん!
その後、王宮であの二人がどうなったかは私の知るところではな
い。
基本的に後宮生活だしね? 元凶は災いを残しひっそり消えるの
です。
205
噂は怖い、噂を利用する奴はもっと怖い︵後書き︶
たかが女と侮っていたことが二人の敗因です。
主人公だけでなく利害の一致した女同士の繋がりは恐ろしい、とい
う話。
206
小話集2︵前書き︶
小話其のニです。
王宮騒動の別視点と将軍が主人公に好意的な理由。
207
小話集2
小話その一﹃親友の御願い﹄
﹁ルドルフ様、先程から一体何をなさっておいでで?﹂
執務室で予算配分の最終案を確認していたアーヴィレンは不思議
そうに主を振り返った。
現在、ルドルフは何やら難しい顔をしたまま貴族達の名簿を捲っ
ているのである。
アーヴィレンやセイルリートに隠れがちだがルドルフは優秀であ
る。
特に彼は﹃一度見たり聞いたりしたことは忘れない﹄という特技
があり、冗談のような記憶力を誇っているのだ。
でなければ嫌味を言ってくる貴族連中を黙らせることなど不可能
だろう。
貴族の不正どころか調べ上げた性格全て記憶しているなど誰も思
わないのだろうし。
尤もその能力の所為でルドルフは人に対し一線を引くようになっ
てしまった。ミヅキは自分に正直過ぎる性格故に即座に仲良くなれ
たのかもしれない。
二人とも本能に忠実という点では似たもの同士なのだ、アーヴィ
レンは最近二人が仲の良い双子に見えて仕方ない。
﹁ん? ミヅキに条件付の貴族を差し出さなきゃならなくてな﹂
﹁﹃差し出す﹄!? まさか人体実験でもする気じゃないでしょう
ね?﹂
﹁お前、ミヅキを何だと思ってるんだ?﹂
208
﹁先日の容赦の無さを見ればそれくらいやりかねません﹂
勿論、それはルドルフの為だろうが。
アーヴィレンにとってミヅキは予測不可能な行動をとる人物なの
だ、現在の警戒対象ぶっちぎりの一位である。
しかも魔術はイルフェナに比べ格段に劣っているので対処の仕様
がない。
実のところ魔術オタクとも言うべき黒騎士達でさえミヅキに対し
ては打つ手なしなのだが。
﹁いや、本人曰く﹃可愛らしい悪戯﹄したいんだと。条件はこれだ﹂
ルドルフ曰くミヅキの出した条件とは。
・ルドルフの敵
・今後使えなくても惜しくない
・女性関係が華やかである
・多くの人に嫌われている
・できれば友人関係にある人物を二人
何故ここまで具体的な条件を出すのだろうか。
ついでに言うなら嫌な予感しかしない。条件の幾つかは﹃今回で
使い捨てOK!﹄と暗に言っているのだから当然だろう。
むしろ真面目に探すルドルフもどうかと思うのだが。
﹁いや∼、意外と難しくてな。できるなら全部叶えてやりたいし﹂
﹁何故そこまで﹂
﹁俺が楽しめるからだ!﹂
当然! と良い笑顔を向けるルドルフに思わず遠い目になるアー
209
ヴィレンだった。
ここ数年のことを思えば主が楽しそうなのは実に喜ばしいことだ
ろう。少しくらいは気晴らしも必要だ。
しかし。
ミヅキという魔導師が関わると途端に喜ばしいなどと言っていら
れなくなるのである。
そう、例えるならば強盗に襲われたとして悲鳴を上げて硬直する
のが一般人、悲鳴と同時に葬りかねないのがミヅキ。
現実にやりそうな性格と実力を持っているだけに笑えない。
本人が楽しむことを最優先にしてこちらにとっても望ましい結果
を出すので強く怒れないのだ、大変性質が悪い。
最近ではセイルリートが尊敬と好意を向けているようだ、何故そ
うなった。
﹁はあ⋮⋮ミヅキ様は一体何をなさるおつもりやら﹂
﹁ん∼? まあ、楽しみにしとけばいいんじゃないか?﹂
深々と溜息を吐いた宰相様にルドルフは曖昧な笑みを浮かべたま
ま明かそうとはしなかった。
それがささやかな悪戯心からなのか内容が内容なだけに明かした
くなかったのかは不明である。
その後﹃可愛らしい悪戯﹄が実行され、あまりの内容と芸の細か
さに宰相様が絶句したのはささいなこと。
ルドルフにとって獲物と称された貴族二人が心をボロ雑巾のごと
くズッタズタにされるのは単なる娯楽扱いだったということだろう。
性格まで似てきたようである。
そしてゼブレストには女を怒らせてはならないという教訓が貴族
210
達の間で静かに広まっていったのだった。
※※※※※※
小話其の二﹃世の中には敵に回してはならない生物が存在する﹄
その日。
アシュトン・ビリンガムとダニエル・オルブライトに人生最大級
の不幸が降りかかった。
︵⋮⋮ん? 俺はどうしたんだっけ⋮⋮︶
ぼんやりとする頭を無理に覚ましつつアシュトンはゆっくりと目
を開けた。
薄暗い周囲、見慣れない天井にベッドの感触、そして隣には暖か
くも硬い人肌⋮。
⋮⋮。
︵はい!?︶
女性と一夜を共にすることなんて日常茶飯事だ。自分を取り合う
女達の姿は自分を大いに満足させたし、それに嫉妬する男達の姿も
愉快である。
それは似たような生活をしているダニエルも同じであり、二人は
気の合う友人同士だと言えよう。
だが。
﹁起きろ! ダニエル!﹂
﹁ん∼? ⋮⋮煩い﹂
211
﹁状況を見てから言え、この馬鹿!﹂
男と同じベッドで仲良く眠る趣味は無い。それ以上に着衣の乱れ
は一体!?
アシュトンは目が覚めたと同時に酷い混乱に陥ったようであった。
冷静であればこの場に誰かを招き入れることになるような行動は
取らなかっただろう。
⋮⋮とりあえず対策として寝室に鍵をかけるなり、衣服を整える
ことを優先するべきなのだが。
見られたくないのに声を荒げてどうするのだ、馬鹿者。
そんな事に気付くこともなく、彼はダニエルを叩き起こしたのだ
った。
その結果。
﹁ちょ、お前⋮⋮っ、何でこんなことに!?﹂
﹁俺にもわからん!﹂
勝手に自滅して更なる混乱を招いたのだった。乱れた衣服の男に
ベッドで掴み掛かられれば混乱して当然だと言える。
尤も主な原因は二人がベッドから連想するものが情事に直結して
いたからなのだが。
更に現実味を持たせたのは体に残る疲労感。嫌な汗がどっと吹き
出てくる。
恐ろしい想像に二人して硬直してしまい、思わず顔を背け⋮⋮
﹁そうだ、あの女!﹂
我に返ったダニエルの言葉にアシュトンも漸く原因らしき存在を
思い出す。
212
⋮⋮現実から目を背けたかっただけかもしれないが。
﹁あの女と話をしていたら急に眠くなったんだ。畜生! あいつの
所為か﹂
﹁いや⋮⋮退室してなかったか? 扉が閉まる音を聞いた気が⋮⋮﹂
﹁あ⋮⋮そうだ、な。俺も聞いたような﹂
﹁彼女は小柄だったし、俺達を運べるのか⋮⋮?﹂
地味に賢い面があったようである。普通ならば喜ばしいが、この
場合では逆効果だろう。
迂闊に追求して逆に自分達が問い質されると困るのだ、部屋に誘
い込んだことを報告されたら厄介である。
どうせなら日常的にもう少し賢くあってほしいものだ。それなら
ばこんな報復を受けることはなかったのだから。
﹁とりあえず服を着ないか? 時間が判らない上にいつ人が来るか
⋮⋮﹂
そうアシュトンが言いかけたまさにその時。
﹁失礼しま⋮⋮っ! 申し訳ございません!﹂
﹁アシュトン様にダニエル様!? え、とんだご無礼をっ﹂
﹁え、あ、ちょっと?﹂
﹁い⋮⋮いや、これには深いわけがっ﹂
清掃に来たらしい二人の侍女は扉を開けると同時に声を上げバタ
バタと去っていく。
あまりの慌しさに言い訳する間もないほどだ。
その後二人により﹃私は見た! 噂の情事の現場﹄とばかりに彼
等にとって不名誉な噂が爆発的な勢いで広められていくことになる。
213
しかもそれは身分を問わず多くの女性に広まった為に伝言ゲーム
の失敗並に尾ひれが追加されていった。
呆然とする二人は気付かなかっただろう⋮⋮彼女達が実はかなり
前から隣の部屋に居たなどと。
状況証拠と現場を十分に堪能した彼女達は決定的現場を押さえる
べく、寝室の扉に張り付いて二人が目を覚ます時を待っていたのだ
った。
よって彼女達は二人が目覚めてからの台詞を全て聞いている。
状況証拠と二人の証言︵盗み聞き︶、そして乱れた姿で二人仲良
くベッドの上!
何より二人は廊下に漏れていた声を頼りにこの部屋を探し当てた
暇人⋮⋮しかも突撃した強者。
思い通りの収穫に彼女達は興奮したまま報告をしまくったのだっ
た。
神は二人を見放したようである。
※※※※※※
小話其の三﹃王宮生活の裏側で﹄
王宮にて﹃可愛らしい悪戯﹄という名の鬼畜作戦決行前夜。
ミヅキは後宮の自室にて準備に勤しんでいた。と言ってもミヅキ
自身は大して準備が必要ではない。後宮にイルフェナの側室が居る
214
ように思わせる工作のみだ。
自室の扉と連動した罠も仕掛け終わり、今現在は身に付ける魔道
具の選別中である。
﹁ん∼、侍女に華美な装飾は必要ないから殆ど置いていくことにな
るかな﹂
﹁大丈夫なのですか? 護衛がいるとは限らないのでしょう?﹂
﹁基本的に単独行動かなぁ﹂
国の後見を受けた姫という設定上、側室装備は色々と装飾品が多
い。
特に鈴の付いた髪飾りや扇子、イヤリングなどはもはや側室ミヅ
キのトレードマークと化しているので所持するわけにはいかないの
である。
﹁ミヅキ様、イヤリングは身に付けた方が宜しいのでは? ルドル
フ様と連絡をとることもあるのでは﹂
﹁いや、執務室に逃げ込む手筈になってるから大丈夫﹂
﹁しかし⋮⋮﹂
﹁都合よく王が現れる方が疑われるって﹂
実のところミヅキはルドルフ以外を味方と認識していない。彼等
はルドルフの味方であって、ミヅキの味方である必要は無いからだ。
故に身に付けている装飾品がどんな効果のある魔道具かを説明し
ていないのだ。侍女のエリザでさえ把握していない。
ミヅキ自身もルドルフと連絡を取る時に触れたりと紛らわしい動
作をするので、基本的に外さない装飾品が重要なものだと思われて
いる。
殆ど見える事がないペンダントが通信手段だということはルドル
フさえ知らぬことだ。対となっている魔道具が同じ形をしていると
215
は限らない、とわざわざ説明してあるのだから。
そんな割り切り方をしているミヅキだからこそ気付くことも多い。
味方という先入観がない者だからこそ事実だけを捉えられることも
ある。
﹁ミヅキ様、これはどういった魔道具なのですか?﹂
﹁ふふ、秘密! 判った時に驚かせることができるでしょう?﹂
魔道具に馴染みのないエリザが首を傾げながら尋ねてくるも笑っ
て答えを告げることはない。エリザもそれ以上尋ねることはないの
で基本的に魔道具の性能は不明のままである。
騎士達も興味深そうにするものの聞く権利などない為、装飾品が
魔道具であるということしか知らない。
﹁解毒効果のある腕輪と結界を張る指輪一個が精々かな。後はしま
っておこう﹂
﹁承知いたしました。私や護衛の騎士達はミヅキ様がいらっしゃる
ように振舞えば良いのですね?﹂
﹁うん、よろしく。基本的に夜はこっちに戻るから﹂
ミヅキにしか開閉できない箱に装飾品を放り込む。これで誰も手
出しできない。
すると、お茶を入れるべく立ち去ったエリザと入れ違いにセイル
が話し掛けてくる。
﹁楽しいことを考えておいでですね?﹂
﹁あら、遊び心と警戒心は必要ですよ? 私は弱いですから﹂
﹁貴女という人は本当に⋮⋮理想的な協力者ですよ﹂
216
いつもの穏やかな笑みを一層深めてただそれだけを告げると、ミ
ヅキの答えに満足したのかすぐに離れていく。
実力で将軍と言う立場になった彼だからこそ気付いたのか、徹底
するミヅキの行動が好ましいらしい。
人によっては味方を信じられないなど性格が悪い、と言うだろう
が現実的に捉えるなら当たり前の行動である。
⋮⋮ミヅキは民間人でしかないのだ、ゲームの中ではない﹃現実﹄
では最悪の状況を想定して動かねば容易く死ぬ。
﹁化かし合いの勝者は誰でもいいんです、望んだ結果さえ出せれば
ね﹂
必要ならば貴族だろうと騎士だろうと手玉に取ってみせますよ、
と呟いたミヅキにセイルは珍しくも声を上げて笑った。
困惑するのは戻ってきたエリザと状況の見えない騎士達のみ。
217
小話集2︵後書き︶
影の薄い将軍ですが、見るべきところはちゃんと見ている実力者。
外見と内面が一致しているとは限りません。
218
愛情は種族の壁を超えて
ある晴れた日。
その﹃生き物達﹄は可愛がってくれた人々に連れられて後宮の裏
庭へと移動した。
久々に解放された中庭では王主催の茶会に側室達が参加中。侍女
達も同行し後宮内に人影は少ない。
そして。
先日空いた部屋から﹃生き物達﹄は内部へと招き入れられ、各部
屋へと放り込まれていった。
可愛がってもらえばその分の愛情を返そうとするものである。
まるで刷り込みの如く言い聞かされた苦労話に﹃生き物達﹄は思
った。
︱︱﹃奴ら﹄は敵だ、自分達が役に立とうと︱︱
※※※※※※
﹁上手くいくか?﹂
﹁さあ? やってみなきゃわからない﹂
ルドルフの言葉にはっきりとした答えを返せない。
なんで茶会の主催者と私が呑気に部屋でお茶を飲んでいるかとい
えばルドルフなりの嫌がらせだ。
うん、始まって五分程度で私を連れて退席だもんね。今頃は悪口
大会と化しているだろう。
だから妙に騎士の数が少ないこともきっと気付いてないだろうね。
ま、餌として麗しのセイルリート将軍がいるから文句も出ないだろ
うけど。
219
﹁そいつを知ってると大丈夫そうなんだけどな﹂
ちら、と机の上に乗っている生物を見る。
すると﹃任せろ!﹄とでも言うように一声鳴いた。
﹁これが人間並みに知能が高いとは⋮⋮﹂
﹁いや、これ長らしいよ? 身を守る術を持たない種族には賢い個
体が生まれるらしいし﹂
﹁だからって人の言葉を理解したり他の個体を誘導したりするなん
て普通思いませんよ⋮⋮!﹂
今までの常識を覆す事態に現実逃避気味の宰相様。まあ、その気
持ちは判る。
私だってゲームのモンスターとかに使われてなきゃ、そんな発想
してません。
だいたい、私の世界に居たのはもっと小さくて知能低いから!
近くの沼から拉致されてきた幼生が掌サイズだった時は驚きまし
たとも。
傷ついていた個体を見つけて治癒し部屋で療養させてなきゃ知能
の高さに気付きません。
⋮⋮まさか自分の名前を認識して返事するとはね。さすがファン
タジー世界。
﹁一般的に女はそいつら苦手だとは思うぞ?﹂
﹁そうですね、好むという奇特な方はあまりいないでしょうし平気
なミヅキ様が特殊かと﹂
﹁だからな、ミヅキ?﹂
ルドルフは良い笑顔でぽん、と肩に手を乗せる。引き攣っている
220
のは気のせいだろうか。
﹁お前は何故そういうことを思いつく?﹂
﹁幼生を大量に捕獲してもらって護衛の騎士達に育てさせたこと?
中庭の池で飼育させたこと? それとも成体になった子達が側室
の部屋を中心にバラ撒かれようとしていることかな?﹂
﹁それもある。だが、傷ついた幼生を治癒して手懐けたり種族の壁
を超えて意思を疎通させたりすることも含む﹂
﹁⋮⋮。成せばなる﹂
ゲームではモンスターも仲間にできたし、これも大きさからして
魔物の一種なんじゃないかね? はいはい、王宮組は頭を抱えないの! 騎士達は楽しそうだよ?
ねー、元オタマジャクシで現在カエルのタマちゃんや?
くぇっ!
緑色の体につぶらな瞳のカエルは大きさの割に高い声で一声鳴い
た。
﹁会話できてるよな⋮⋮﹂
﹁騎士達の報告は正しかったわけですね⋮⋮﹂
深々と溜息を吐くでない、そこの主従! これは始まりに過ぎな
いのだよ?
※※※※※※
その後暫くして。
221
﹁キ⋮⋮キャァァァァァッ!!!﹂
﹁か、顔に、カエルがっ!﹂
﹁な、なぜ部屋の中に⋮⋮ヒっ!﹂
盛大な悲鳴が後宮各所で響き渡ってた。いやぁ、大パニックです
ね!
さあ、逃げ惑うがいい! 側室は勝手に後宮から出られないから
逃げ場なんてないけどな!
まあ、驚きも当然か。茶会が終って部屋に戻ったらカエル達がお
出迎えしてるんだから。
しかもカエル達は側室や侍女の顔を狙って飛びついているらしい。
⋮⋮報復か? 報復なのか? それとも騎士達への恩返しか、カ
エル達よ。
私はそこまでしろとは言ってないぞ!? ねえ、タマちゃん!?
くーぇっ!
そして満足そうに鳴くカエルが一匹。にやりと笑ったような?
思わず皆の視線が集中する。
﹁育ての親に似たのか、こいつは﹂
﹁どういう意味だ! 朝と夜に話しかけて餌やってただけだけど?﹂
⋮⋮尤もその餌は茹でた肉や野菜、パンといった雑食だが。
それでも育つのだからカエルの姿をしていても魔物なのだろう。
ルドルフはタマちゃんの頭を軽く撫でながらしみじみと呟いてい
る。
呆れてるんじゃなく感心してたのか、ルドルフ。あんたも懐かれ
てる一人なんだがね?
222
﹁騎士達の苦労話も聞かされていたみたいですからね⋮⋮この子達
にとっては敵に認定されているのでは?﹂
﹁ミヅキは何で敵認定されてないんだ?﹂
﹁王宮行く時に池の様子を見ていたからじゃない? この子を放し
にも行ったし﹂
﹁ところで皆さん⋮⋮﹂
いつも穏やかセイル君が欠片ほどの焦りもなく﹃ある可能性﹄を
口にする。
﹁あの大きさですと顔に張り付かれた場合⋮口と鼻を塞ぐ可能性も
あるのでは?﹂
﹁﹁あ﹂﹂
思わずハモった私とルドルフにセイルは﹁まあ、事故ですし構い
ませんよね﹂などと付け加える。
え、黒い。黒くなってますよ、猫はちゃんと被らなきゃ駄目です
って、将軍!
茶会会場に置いていったからストレス溜まりました?
﹁じゃあ、そろそろ騎士達に回収してもらう?﹂
﹁もういいのか?﹂
﹁ん? だって嫌がらせって言っても次の準備みたいなものだし﹂
側室達の部屋や後宮内にある仕掛けをすることが最大の目的です
よ。
カエルを放り込むくらいはできても部屋に入るのは無理だしね、
カエル回収の名目で側室や侍女を隔離し部屋に入り込んでバレ難い
所に仕掛けてくるのです。
223
﹁まだやる気なんですね、ミヅキ様は﹂
﹁向こうが仕掛けてきた以上は報復されて当然だろ? ミヅキ徹底
的にやれ、俺が許す﹂
宰相様、呆れの篭った目で見ても無駄ですよー? ルドルフが許
可した以上、正義は私にあります。
それに騎士達にも報復の場を与えてあげなければ気の毒じゃない
ですか!
そもそも反省しない連中が悪いのです、この﹃嫌がらせ﹄で厄介
な連中以外は脱落すると思うけどね。
﹁それでは回収と設置を御願いしますね﹂
さて、側室の皆様?
貴女達にダメージを与える方法は暴力だけではないのですよ?
むしろ精神的にくる物の方が何倍も性質が悪い上に利用できるの
です。
楽しみになさっていてくださいね!
⋮⋮カエル騒動もイルフェナの一部で笑いものになってるとは思
いますが。
私と計画を知っている騎士達はにこやかに微笑みつつ、ルドルフ
と宰相様を見送ったのだった。
余談ですが。
カエル達は回収後、生まれた沼へと戻されました。タマちゃん含
む数匹が自主的に育った池を選んでくれたので今後増えるかもしれ
ません。
良かったねー、ルドルフ? 強力な味方ができたみたいだよ♪
224
愛情は種族の壁を超えて︵後書き︶
別名、カエルの恩返し。
225
恐怖は作り出すものです
さあ、諸君。本番を始めようじゃないか。
今日から後宮に昼夜を問わず安息の時間などありはしない!
未知の恐怖に泣き叫び精神を擦り減らすがいい!
回避不可能な恐怖が後宮を支配するのだから!!
⋮⋮私達は生温く観察しつつエキストラとして参加ですよ。
魔王様が満足するよう頑張るんだよ∼?
※※※※※※
﹁あら、ミヅキ様じゃありませんの﹂
側室の一人が青ざめた顔をしながらも声をかけてくる。
おい、無理すんな? 祭りはこれからなんだぞ?
﹁昨日は一人だけ先に部屋に戻ってしまわれましたわね﹂
﹁ふふ、陛下に誘われれば応えるのが側室ですもの﹂
﹁あ⋮⋮あら、随分と寵愛されてますのね﹂
昨日寵愛されていたのはタマちゃんですがね。
おかげで私の関係者は被害ゼロですよ、賢い子です。
﹁え⋮⋮?﹂
口を開きかけた側室が突然呆けたような声を出し、少しずつ恐怖
226
に顔を歪めました。
私の後ろを指差し、瞳には涙が溜まっていきます。
﹁あら、どうなさいましたの?﹂
﹁如何なさいました、ナターシャ様﹂
あまりの様子に護衛の騎士達も彼女に声をかける。
﹁あ⋮あれ! い、いやぁぁっ!﹂
﹁どうしたのです? 私の後ろに何か?﹂
﹁来ないで!﹂
﹁⋮⋮こちらに何かいるのですね?﹂
﹁え? ミ⋮⋮ミヅキ様!?﹂
悲鳴を上げるばかりで話にならない彼女に私は今来た方向へと足
を進める。手で制したので護衛の騎士達はそのままナターシャの傍
に。
そして。
首を傾げてナターシャの元に戻り再び彼女に尋ねる。
﹁何もありませんわよ? 騎士の皆さんは何か見えまして?﹂
﹁いいえ。何も変わったところは﹂
﹁魔力持ちのミヅキ様でさえ何も感じなかったのですか?﹂
﹁⋮⋮え、そんな。た、確かに死霊が⋮⋮こちらに走ってきて。い、
今もミヅキ様を擦り抜けて来ましたのよ!?﹂
﹁ですが何も感じませんでしたわ﹂
﹁そんな⋮⋮﹂
呆然とへたり込む彼女には見えていたのだろう。
剣を振り上げこちらに向かってくるボロボロの騎士の姿が。
227
きっと聞こえていたのだろう。
恨むような批難するような怨念の篭った呻き声を。
そして私を擦り抜けて自分に向かってくる姿に心底恐怖したのだ
ろう。
ま、何でこんな詳しく知ってるかと言えば私達も同じ体験をして
いたからなんだけどね!
見えないよう、聞こえないよう振舞っていただけなのです。
作ったのは私ですしね? いやあ、上手い具合に発動してくれま
したよ!
私の自信作、楽しんでくれたかなー? ナターシャ様? ※※※※※※
﹁⋮⋮お前さ、後宮をどうするつもりなんだ?﹂
﹁死霊が昼夜を問わず徘徊するゴーストハウスかな♪﹂
﹁これ、誰でも見えるだろ﹂
﹁私と騎士達は見えない振りするから大丈夫! 実害は無いからル
ドルフ達も見えないように振舞ってね﹂
祭りに備えルドルフに事情説明中。呆れと諦めの表情してるな、
ルドルフよ。
実はホラーゲームも大好きです、私。
だから今回は元の世界の経験と知識を魔道具で立体映像化。
迷ったけど定番のゾンビをセレクトです、期待していてください。
﹁魔道具の映像って幻術と違って透けてるし、実体は無いんだが﹂
﹁うん、だから亡霊ってことにしようかと。二百年前の大戦で国を
228
守った騎士が側室達にキレて出てきたって設定なら私や騎士達が見
えなくても問題ないでしょ?﹂
﹁ああ⋮⋮そういう設定ならありなのか﹂
幻術は実力にもよるけど対象を惑わせるもの。ただし術者本人が
その場にいなければならない。だから今回はその必要の無い魔道具
を使って仕掛けまくってます。
魔道具の使い方として﹃記憶を映像化する﹄というものがあるの
ですよ、今回はそれを使用。
発動がランダム設定なので襲われるとは限りません。しかも一回
の発動時間が短かったりする。
だからこそ部屋にまで仕掛けてあるのです、恐怖は祭り終了まで
続きますよ⋮⋮!
元ネタは定番のホラーゲームですよ。主人公視点なのでアンデッ
ドが襲ってきます。透けてるけどね。
ふ、元の世界の素晴らしい技術を体験させてあげようじゃないか!
なお、時間短縮やら状態保存の魔法は記憶を映像化したところで
対象に何の変化もないので見ても理解できないらしい。物語を映像
化でもしない限り魔術の教科書には使えないようだ。難しいね。
﹁だがな、これって⋮⋮﹂
﹁あ、欠点は判ってる。だからカエルも使った﹂
ええ、元の世界の想像力の素晴らしさは﹃ある欠点﹄があるので
す。
それ故に先にタマちゃん達を使って精神を擦り減らさせる必要が
ありました。
騎士達に見て貰った時はっきり言われちゃったんだよね。
229
﹃アンデッドを知っている者ならば一瞬驚きはしてもすぐ偽物と気
付くと思います﹄
﹃こちらの世界では魔物ではなく、魔力で死体を操っているだけな
のですよ﹄
﹃こんなに動き回ることはありません﹄
⋮⋮そだね、私もホラー映画見る度に思ってたもん。
見せ場を作る為のものですよね。
走り回るほど元気な死体なんてねーよ、体の状態的に無理だろ!?
いっそスケルトンならまだ納得するかもしれない。骨だけだし。
人を襲ったり食べたりするなんて想像力の産物ですよね。
新しい死体だとろくに動かないよね?
動かせるほど傷んだ死体なら走り回れば崩壊するよね?
音に反応して襲い掛かるならまず動きの鈍い同胞同士の共食いだ
よね?
何故生きているもの限定で襲うのさ、おかしいじゃん!
己の疑問が正しいと証明される反面、このままじゃ使えないと痛
感しましたよ。
だからこそ﹃亡霊﹄扱いなのですが。
いやー、戦場跡のステージやっといて良かった! 騎士ゾンビじ
ゃなきゃ使えないもんね。
﹁映像だけじゃなく呻き声もある。凄いでしょ!﹂
﹁確かに凄い。ここまでやる根性が﹂
﹁ちなみにどの部屋も枕には必ず仕込むようにしたから確実に悪夢
230
を見るかと﹂
﹁お前は悪魔か﹂
魔導師ですよ? だからこそ可能なのです。
魔力は認識できないほど低くとも、どんな人も必ず持っているか
ら枕に仕込むのですよ。
だって、魔力同士は少なからず影響を受けますから。威圧がその
応用ですね!
魔石を枕に仕込まれれば少しは影響が出るってものです。
ついでに言うと仕込んだ映像はゲームオーバーでゾンビに食われ
るものですが。
﹁自分の欲望に忠実過ぎる連中だからこそ効果絶大でしょ。精神に
異常をきたすでしょうね﹂
﹁何でそんな真似を?﹂
﹁後宮そのものが呪われてるなら新しい側室も来ないから、かな﹂
私が行動しているのが後宮のみなので、人が減ればこれ幸いと新
しい側室を送り込まれる可能性がある。
﹃殺さず、法による処罰﹄に固執するのはこの為なのです、次々
送り込まれたらきりが無い。
⋮⋮だけど後宮から出てきた側室が明らかに精神に異常をきたし
ていたら?
恐怖に追い詰められた人がまともな精神状態と外見を保てるとは
思いませんね。
それを見た貴族達は自分の娘を送り込む事を躊躇うでしょうよ。
そう説明するとルドルフは何とも言えない顔になった。
231
﹁だけどな、それは間違いなくお前の所為にする奴が出るぞ? 魔
導師だと知れてるんだし﹂
﹁わかってる。これから殺される可能性を視野に入れて行動しなき
ゃね﹂
﹁狂った奴ほど怖いものはない、危険すぎるだろうが!﹂
珍しく厳しい表情をしたままルドルフが憤る。
うん、だけどね?
﹁私を狙えば問答無用で処罰、おかしくなっても後宮から出される
しその一族が精神異常者を出した家系と見られてかなり悲惨なこと
になる。私の狙いはそこ﹂
﹁死んだらどうするんだよ!?﹂
﹁そんなの私が弱いからでしょ? 誰かを死んだ方がマシな目に合
わせようとしている私が傍観者でいることなんて許されないし、覚
悟が出来てないほど馬鹿だと思うの?﹂
私を心配してくれてるってことはわかるよ、ルドルフ。でも、こ
れだけのことをするなら私もリスクを背負うべきでしょう。死んだ
場合は騎士達も何らかの処罰を受けるわけだし。
﹁俺の所為⋮⋮いや、俺の為なんだな﹂
﹁うん、国の為なら嫌だけど親友の為なら一緒に血を被ってあげる
よ? 私にとってこの世界で傍に居てくれる人以上に大切なものな
んてないからね﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
それは先生やラグスの村の人達や魔王様達も含まれている。
異世界に放り込まれた後の最初の選択って生き続けるか終らせる
かのどちらかじゃないのかな?
232
割り切って生き続ける道を選んだ私が常に望むのは﹃最良の結果﹄
。
だから罪悪感や恐怖があっても﹃敵﹄を切り捨てる事を躊躇わな
い。
﹁ま、見てなさい。私も騎士達も簡単に負けるつもりはないからね﹂
﹁そうですよ、陛下。貴方はお仕事に集中してくださいね。これで
も貴方に実力で将軍になったと言ってもらえる程度の強さはあるの
ですから﹂
ルドルフからそれ以上の言葉が無かったのは信頼しつつも納得は
できなかったからなのだろう。
身内には優し過ぎる王様ですね、だからこそ何があっても結果を
出そうとする味方に恵まれるんだろうけど。
※※※※※※
⋮⋮そんな風に和やかな一時を過ごす私達を他所に。
﹃厄介な人﹄はこの現象を逆に利用しようとしていた。
﹁ねえ、この恐ろしい出来事はあの魔導師の所為じゃありませんこ
と?﹂
﹁そうかしら⋮⋮﹂
﹁だって今までこんな事は一度もなかったじゃない﹂
扇子に隠された赤い唇がにやり、と笑みを刻む。
︱︱﹃彼女﹄の反撃はこれからなのだ︱︱
233
恐怖は作り出すものです︵後書き︶
たった一人放り出された異世界で与えられた好意は何より嬉しいも
のなのです。
﹃王﹄としてではなくルドルフ個人が主人公の味方であるように主
人公もルドルフの味方です。
234
上には上がいるものです
亡霊騒動から十日後︱︱後宮は見事にゴーストハウスと化してい
た。
その異常さに耐え切れず精神を病む者が続出する中、当然の様に
傷害事件も起こるわけで。
﹃やっぱり、あのイルフェナの側室が原因なんじゃ⋮⋮﹄
﹃聞きました? リゼット様が錯乱されてナイフを手に切りかかっ
たとか﹄
﹃恐ろしい⋮⋮魔導師など側室にするべきではなかったのよ!﹄
狙いどおりです!! でかした、私!
側室どもは元凶を私だと決め付けて毎日批難轟々ですよ。
よし、そのまま平手の一発でも見舞ってくれ。騎士に止められて
未遂に終るだろうけど。
理想は刃物なんだがね⋮⋮問答無用に殺害未遂で一族郎党終るか
ら。
証拠もなく国の後見を受けた者を害すればどんな言い訳も通用し
ません。
だいたい、私が幻術を使ってないことは宮廷魔術師が証明してく
れたでしょ?
私自身が探知に引っ掛かるわけ無いんだけどさ⋮⋮魔道具使って
るから。
ちなみに使っている魔道具自体は貴族以上が身に付けている護符
と同じ程度なので気付かれることは無い。後宮全体を覆うような大
235
規模な仕掛けなら引っ掛かるけどね、個別に仕込んでいるから大丈
夫!
それ以前にな⋮⋮個人でやるなら術者の魔力が持たないし、転移
方陣の維持に匹敵する魔石なんてそうそうある物じゃないんだが。
あまりにアホだと思ったのでルドルフには忠告しておきました。
あの魔術師無能過ぎ。
なお、魔道具が探知に引っ掛からなかったのは発動しない時間帯
を狙ったから。発動中は魔力が放出されちゃうからねー、一発でバ
レます。
ルドルフ自ら立ち合いたいと言ってしまえば王の都合のつく時間
帯での調査になるので、事前に協力要請済み。
ランダムで発動しているから判り難いけど一日のうち三回ほど全
く発動しない時間を設けてあるのです。計画に隙があっては台無し
ですからね、無断に細かく計画を練りましたとも!
そんなわけで計画は順調です。
※※※※※※
﹁ふふ、計画どおりね﹂
本当に順調です。どこぞの﹃厄介な人﹄が暗躍してくれているお
陰で﹃イルフェナの側室の所為﹄という噂が流れ、精神の均衡を崩
した人達が襲い掛かってくる日々です。
明らかに心を病んだ人は外見も言動もアレなので周囲の恐怖を一
層煽っている模様。
ま、隈のはっきり出た顔とか血走った目とかでヒステリックに叫
ばれれば怖いわな。
236
ありがとう、厄介な人!
自分で噂とか流そうと思ってたから手間が省けましたよ!
ルドルフ達には呆れられてますが、目的を思えば重要なことです
よ、これ。
自分でやるとかなり不自然だもの、不利になる噂を口にするなん
てさ。
﹁しかし本当にミヅキ様のみを狙ってきますね﹂
﹁この事態を利用して私を葬りたいんでしょ。他の側室を利用すれ
ば私が死ななくてもライバルが減るんだし﹂
﹁それで自分は結果のみを手にするわけですか。⋮⋮狡猾ですね﹂
﹁賢さは美点だけど狡賢いだけじゃ意味ないのにね﹂
嬉々としている私に比べセイル以下護衛の騎士さん達は苦い顔を
している。うむ、苦労をかけてすまない。
ただ、この計画以降残るのは皆それなりに考えて行動できる人の
みでしょう。
何人かは側室としてやっていける資質を持っていたはずなんだけ
どな。
後宮という場所で生き残るには立ち回りや情報収集、そして攻撃
の手を持つ事が明暗を分ける。
本来ならば後宮に君臨できる要素を持った彼女達が排除対象にな
ったのは偏に周囲がアホ過ぎたからなのだ。
自分が表に出ないならば回りの人間を使うしかない。
が。
それがまともな行動を取れない連中だったことが裏目に出て同類
認定されてしまったのだよ。不幸なことに。
237
王がアホな連中に呆れそういった行動をとらない彼女達に目を向
ける前に、側室全員が敵認定され本命が他国から連れて来られたの
だ、これには本気で焦ったことだろう。
⋮⋮連れて来たのは破壊工作員なのだが。
ついでに言うなら私には犯罪者モドキの情報量を誇る黒騎士達が
ついているので﹃彼女﹄の行動は筒抜けです。
尤も側室全員の行動から﹃彼女﹄の目的や狙いを推察し動くのは
私自身ですがね? 実力者の国は武器をくれてもどう使い勝利するかは本人次第なの
です、魔王様は飴と鞭使い。
﹁セイル、今現在脱落した側室はどのくらい?﹂
﹁そうですね⋮⋮明確な罪状がある者が四名、心を病んだ者が五名
ほどでしょうか﹂
﹁彼女達はもう後宮から出されているの?﹂
﹁はい。侍女に関しては数に入れていませんが全員時間の問題かと﹂
ふむ、そろそろ吊るし上げの時だろうか。
脳裏に茶会の時に見た﹃彼女﹄の姿が浮かぶ。栗色の髪を結い上
げた落ち着いた雰囲気の女性は内面に非常にどろどろとしたものを
燻らせていたようだ。
年齢的に後が無さそうだったよな⋮⋮などと考えるが、私を狙っ
た以上は女として後が無いどころか人生の先が無い。しかも諭して
行動させた側室達の一族郎党を巻き込んで。
﹁将軍、明日あたり一人行動に出る人がいるよ﹂
﹁おや⋮⋮お心当たりが?﹂
﹁うん。だからできるだけ人の多い場所で襲われてあげましょう﹂
亡霊に怯え昼間は中庭に面したサロンで過ごす側室達は多い。そ
238
こを断罪の場としましょうか。
﹁承知いたしました。必ずや御守りいたします﹂
﹁御願いね? 騎士の有能さを見せ付けてやりましょ!﹂
﹁ええ、勿論。陛下に安心していただきましょう﹂
呑気にお茶を飲みながらする話題ではない。けれど誰もが焦りや
危機感を感じていない。
私達は仕掛けた側なのだ、利用しようとする者がいるなら更にそ
れを利用してやろう。
さあ、一つの化かし合いに決着を。
これが本当の意味で後宮破壊の第一手。
※※※※※※ ﹁まあ、珍しい方がいらっしゃいますのね﹂
微笑みながら話し掛けてきたのは黒髪に緑の瞳の側室だ。確か⋮
⋮ヘンリエッタといったか。
サロンに側室達の姿は多い。当然、私に対する敵意の視線も多い
のだが、そんなことを気にせずに話し掛けてきた根性だけは誉めて
もいいかもしれない。
ちら、とそんなことを思うが改めて見た彼女の表情に余裕は余り
感じられなかった。
無理矢理貼り付けた笑みでさえ誤魔化せない狂気を宿した瞳は精
神的な疲労がかなりなものだと思わせた。
お嬢さん、そのまま外を歩いたら間違いなく騎士に職務質問され
ますよ? 雰囲気がヤバ過ぎです。
﹁ええ、何が起きているか一向に判らないのですけど部屋に閉じこ
239
もるばかりでは退屈ですから﹂
﹁⋮⋮相変わらず何も見えない、と?﹂
﹁私だけではなく護衛の騎士達も、ですわ。何を勘違いしたのか襲
い掛かってくる人の方がまだ現実的ですわね﹂
﹁ミヅキ様は魔導師でしょう? 何かお心当たりがあるのでは?﹂
﹁魔導師だからこそ無理だと言い切れるのですよ。後宮に絶えず死
霊を招くなど、どれほどの魔力が必要だとお思いですか? それに
⋮⋮﹂
一度言葉を切って周囲を見渡す。
﹁宮廷魔術師様も魔力は感じられないと断言なさったではありませ
んか。あの方を侮辱なさりたいなら別ですけど﹂
﹁⋮⋮っ!﹂
事実ですよ? 魔力の無い側室達より城に勤める魔術師の言い分
が重要視されるのは当然ですね。
そんな呆れを含んだ言葉は彼女の最後の均衡を崩したようだった。
﹁⋮⋮何よ、何よ、何なのよ! 貴女が原因じゃないのなら、貴女
だけが認められたとでも言うの!?﹂
﹁何に認められたかは判りかねますが⋮⋮王に望まれはしましたね﹂
首を傾げながら﹃事実﹄を言ってやると彼女から殺気が叩きつけ
られた。騎士達が動き始めるのも気付かず、その手は羽根の付いた
扇子を取り落とす。手に残ったのは一本の細いナイフ。
﹁あんたさえ居なければっ⋮⋮こんなことにはならなかったのにぃ
ぃぃぃ!﹂
﹁ミヅキ様、お下がりください!﹂
240
令嬢とは思えぬ言葉と喉を狙うナイフの鋭さに騎士達が私を背後
に庇おうとする。
だが。
﹁邪魔です、お退きなさい!﹂
﹁ひっ⋮⋮! あ、あああああっ!﹂
腕を振り上げたヘンリエッタの目を扇子で叩き彼女を押し退ける。
そしてナイフを落とし蹲る彼女を無視して﹃元凶﹄へと近づき喉元
に扇子を突きつけた。﹃彼女﹄は勿論、呆然としていた周囲の側室
達も動けない。ただ、私とヘンリエッタに視線を走らせている。
武器など持ったことが無い上に正気じゃないのです、狩りを覚え
た私にとって避けるなんて出来て当たり前。
当ったら間違いなく死ぬ熊モドキの一撃を避けて倒してましたか
らね!
﹁さあ、手駒は失敗しましたよ? いい加減終わりにいたしましょ
う?﹂
にこりと笑って栗色の髪の側室︱︱メレディスへと問い掛ける。
ざわめき始めた周囲の声に呆けていたメレディスは一瞬睨みつける
とすぐに儚げな落ち着いた表情を作った。
あのー、セイルとか護衛の騎士にもばっちり見られてますよ? どんだけ騎士を侮ってるんだ、この人。
﹁ミヅキ様⋮⋮気が立っておられるのですね。そのように皆を疑わ
ずともよいのです、大丈夫ですわ﹂
﹁あら、私は今まで私を襲った皆を煽った黒幕を断罪しているだけ
ですわ。皆様を疑ってなどおりません﹂
241
その言葉に周囲の側室達から批難が飛ぶ。
﹁まあ! 言い掛かりですわ!﹂
﹁そうです、メレディス様は貴女と違って人を労わることのできる
優しい方です!﹂
﹁貴女こそ一体何様のつもりですの!?﹂
﹁皆さん⋮⋮ありがとう﹂
涙を浮かべて笑みを浮かべるメレディス。
そう、これこそ彼女が厄介だと言われた理由。周囲の受けが異様
に良いのだ、誰もが彼女を信頼し相談事を持ちかけている。
だが、それこそ彼女の手口なのだ。優しい振りして腹の中は真っ
黒か。
﹁あら、証拠はありますのよ?﹂
﹁え⋮⋮?﹂
﹁フィリス様、セルマ様、リゼット様、カレン様そして⋮⋮ヘンリ
エッタ様。私を襲った方々ですけど全員、貴女と親しくなさってい
ましたね?﹂
﹁ええ。姉のようだと言って戴いていましたわ﹂
﹁彼女達が私を襲う前日、全員が貴女の部屋を訪ねているのは偶然
かしらね?﹂
メレディスを擁護していた側室達の声が止まる。
そう、﹃全員﹄。いくら慕われてようと全員が訪ねた翌日に行動
を起こすのは異常だ。
﹁偶然ですわ⋮⋮皆様とても怯えてらして﹂
﹁あら、怯えている彼女達に貴女がしたことはなんですの? ﹃魔
242
導師さえ居なければ﹄﹃ミヅキ様を殺さなければ﹄⋮⋮この言葉に
覚えがありますわよね?﹂
﹁⋮⋮っ⋮⋮﹂
﹁貴女は陛下を侮り過ぎですわ。ここまで騒ぎになったというのに
何の手も打たないなどと思っていましたの? 陛下は後宮の様々な
場所に亡霊を確認する為の魔道具を仕掛けたのですよ。見つかった
のは亡霊ではありませんでしたが﹂
﹁貴女は⋮⋮何故そこまで﹂
﹁私に襲い掛かった令嬢達に﹃ある可能性﹄があるということで調
査の協力を命じられたからですわ。標的にされた私は容疑者から外
されていましたから﹂
﹁貴女が仕掛けたかもしれないじゃありませんか!﹂
﹁無理ですわね、私に彼女達との接点は無い。﹃ある可能性﹄は共
にお茶を飲むくらいの仲でなくてはなりませんもの﹂
そう言ってやるとメレディスは真っ青になって口を噤んだ。
言い逃れをするのは勝手だけど全部バレてる以上いくらでも言い
負かすことができる。寧ろ今黙り込んだことで彼女は急速に味方を
失っているだろう。
自分の言った言葉どころか、王に全て知られていると悟りメレデ
ィスは唇を噛み俯いた。
そこへ追い討ちをかけるように騎士達が﹃ある物﹄を手にサロン
へと入ってくる。
⋮⋮見つけたみたいだね。 ﹁メレディス嬢、貴女の部屋から﹃アヒレスの毒﹄が見つかったの
ですが御説明を﹂
﹁何のことかわかりません﹂
﹁ご冗談を。この植物は我が国では栽培できません。貴女のお父上
が魔術を使って﹃個人的に﹄栽培していた以上、説得力はないかと﹂
243
﹃アヒレスの毒﹄というのは植物から作られる一種の麻薬らしい。
気分の高揚を促すかわりに副作用として精神崩壊を招く危険性があ
ることから全面的に使用を禁止されている。だが、娯楽に飢えた貴
族の中には手を出す者達も居るのが現実。
そして禁止された本当の理由はそんな自業自得のものじゃないの
だ。
精神的に追い詰められた者にこの薬を与え、暗示を繰り返すこと
である程度は操ることが出来てしまうのだから。
まず、恐怖の原因が私だと思わせた上で﹃殺さなければならない﹄
と思い込ませる。薬が切れれば再び恐怖を思い出し彼女の暗示が蘇
ってくるのだ、だから行動に移す。
側室達はイザベラ嬢の末路を知っているのだ、嫌がらせどころか
殺害未遂を起こせばどうなるか知っているはずである。正気ならば
絶対にそれだけはやらないでしょうね。
ちなみにこれは暗殺の手段として使われる手口らしい。実行犯で
本人に殺意があってもそれが作られたものとなると罪の取り扱いが
非常に難しくなってしまうことから、アヒレスの毒は所有しただけ
でも重罪だそうだ。
なお、こんな知識があるのは先生が持たせてくれた﹃薬草・毒草
全集﹄のお陰。
カエル達は﹃生物図鑑﹄からの知識ですよ、写真じゃなく絵だっ
たから大きさに気が付かなかったけど。
解毒魔法が使えないから毒の対処法と毒のある生物に気をつけろ
という親心ですね。
側室との泥沼展開には役立ちませんが、別方向で実にお役立ちで
したよ、先生!
244
﹁恐ろしい方ですわね⋮⋮慕ってくれた令嬢方を手駒に使った挙句、
家ごと破滅させるなんて﹂
﹁そうね⋮⋮貴女に手を出した以上は一族郎党終わりですもの﹂
﹁貴女も、でしょう?﹂
﹁ふふ、貴女を侮ったことが私の敗因ね﹂
﹁私は陛下の手駒でしたけど?﹂
﹁あら、所詮女は男に勝てないということかしら?﹂
力なく笑みを浮かべる⋮⋮なんてことはなく。メレディスは憎々
しげに私を見た。
あらあら、まだ気力十分ですね。上等だ、最後の喧嘩くらいかっ
てやる。
ルドルフ達を侮ったことが彼女の敗因だと言っているのに、どこ
まで彼等を見下せば気が済むのやら。
﹁だからねぇ⋮⋮私を負かした貴女が大嫌い!﹂
そう言うと隠し持っていたらしい子ビンの中身を呷る。ちっ、毒
を隠し持っていたか、この女!
メレディスは勝ち誇ったように笑った。このままなら確かに彼女
の勝ちだろうね、死ねば裁くことなんてできないのだから。
﹁ふふ、誰も私を処罰などできない! 私が負けるなんて認めない
わ!﹂
﹁うざい﹂
﹁⋮⋮え?﹂
どごっ!
245
﹁ぐ⋮⋮あ、あ、ぐえぇぇぇっ﹂
強化済み扇子で盛大に腹を殴り嘔吐させてやる。さあ、血を吐く
勢いで吐きやがれ!
ああ、側室どころかセイル以外の騎士が引き攣った顔をしてます
ね。
はっは、君達何を退いてるのかね? 毒を吐き出させるなんて基
本じゃないか!
大丈夫、ちゃんと解毒をしてあげるから。解毒魔法は使えずとも
毒を体外に出す事なら可能ですからね、私。
自分が毒を受けなきゃどんな毒だろうと対処可能なのだよ、楽に
は死なせん。いや、生きろ。
⋮⋮だいたい死にたきゃ即効性のもの使うべきじゃないか? 最
後に決め台詞言うだけの余裕があれば解毒されるなんて判るだろ?
賢いのかアホなのかよく判りませんな。
ついでに水を無理矢理飲ませておきますか。水差しから直接でい
いよね、もう。
解毒の為ですよ、ええ。嫌がらせじゃありませんとも! 完全に
毒が抜けたか判らないからね!
盛大に咽てる? 治療ですよ、治療。
﹁もう大丈夫でしょう? 私が解毒しましたから﹂
﹁ミヅキ様、後は我々が﹂
﹁お話は終っていません﹂
﹁は⋮⋮﹂
騎士達を無理矢理黙らせ未だ唸っているメレディスに向き直る。
内臓にダメージがあるかもしれないけど、治癒魔法をかけたので
そのうち治るでしょう。どうせ処刑は免れないんです、今死ぬか後
で死ぬか程度の差ですよ。細かいことは気にすんな。
246
だから今しか出来ないことをしておこうと思います。報復は今し
かできません。
﹁自分で責任を取ることさえできませんのね、呆れるばかりですわ﹂
﹁な⋮⋮何、を⋮⋮﹂
﹁貴女が死のうが手駒となった方達は処罰されますのよ? 皆様の
御実家とて許せる筈はありません﹂
﹃暗示を受けていた﹄と言っても殺意があり実行したことは変わ
らないのだ。その対象が私なのだから当然厳しい処罰になるだろう。
利用されたと言っても余罪があるのだから言い逃れの余地は無い。
﹁それなのに貴女は⋮⋮﹂
ぐい、とメレディスの髪を掴み上げ上を向かせる。
﹁何を逃げようとしているのです⋮⋮貴女は彼女達や陛下に一言の
謝罪さえしていませんわ。﹃負けるなんて認めない﹄? 人の陰に
隠れながら賢いつもりでいる卑怯者の雌ごときが何様ですか!﹂
﹁雌ですって!?﹂
﹁人として同列に扱えと? 馬鹿馬鹿しい! 貴女個人に何の力が
ありますの、何の価値がありますの、騎士達や陛下を格下に見るよ
うな思い上がった愚か者でしょうが、貴女は﹂
彼女の無駄に高いプライドを木っ端微塵に砕いてやる為の言い方
ですよ、これ。つまり﹃雌扱い=人間としても扱いたくない﹄って
こと。思い上がるのもいい加減にしとけ?
﹃私は協力者でしかないのです﹄って言ってるだろうが。
その他側室の皆様よ、それをしっかり覚えておいてね?
247
君達の証言で陛下の評判が上がるから。怒らせると怖いのは王様
ですよ、お・う・さ・ま!
私の評判はどうでもいいのです、重要なのは王の実力を認めさせ
ること。
⋮⋮あれ? 何故毎回女同士の愛憎劇に発展しないんだろ? 説
教しかしてないような?
﹁私達は陛下に仕える立場ですのよ。それを侮る? 貴女は女だか
ら負けたのではない、単なる実力の差ですわ。だって陛下は貴女を
雌と言い切る私ですら頭を垂れる存在なのですから﹂
﹁そんなの⋮⋮外交に関わるからでしょうっ!﹂
﹁何を言っていますの。誰にも媚びぬ、決して染まらぬ⋮⋮己を選
んだ者。それが魔導師ですわ。だからこそ全ては国ではなく私自身
の判断です﹂
お前など敵にすら値しない、そう暗に匂わせて笑みを浮かべた視
界の端に亡霊の姿が映る。
恐怖のあまり悲鳴を上げる側室達を他所にメレディスは口元を歪
める。
﹁どうせ幻覚なのでしょう? これが二百年前の英霊など⋮⋮!?﹂
そして。
亡霊はゆっくりと近づきメレディスの顔に朽ちた手が触れた刹那
︱︱
﹁ギギャァァァァァァッッ!!﹂
肉の焼ける嫌な音と共にメレディスの顔半分が焼け爛れたのだっ
た。
248
言葉も無く蹲るメレディスを見つめる側室達に目もくれず亡霊は
そのまま空気に融けて消える。
﹁一体、何事ですの?﹂
咄嗟にメレディスから遠ざけ私を腕の中に庇ったセイルに尋ねる
も首を傾げるばかり。見えていないのだから叫び声を上げたメレデ
ィスを警戒しただけなのだろう。
だが側室達にとって亡霊を別のものと認識するには十分だったよ
うである。
この後、亡霊改め二百年前の英霊達はゼブレストに新たな言い伝
えを残すことになった。
※※※※※※
﹁お見事でした。後は陛下に頑張っていただきましょう﹂
﹁そうだね。それ以前に事件の経緯を説明しなきゃ﹂
﹁陛下は亡霊が出てからこちらに一切関わっていませんからね﹂
部屋に戻りながらセイルと話しつつ今後のルドルフ達の苦労を思
う。
実はルドルフ、カエル騒動以降は魔術探知の時に来ただけで関わ
ってないんだな。
精神に異常をきたした奴が徘徊する恐れがあるので王宮組は関与
しないことになっている。
簡単な報告ならしてるけどアヒレスの毒については報告せず。宰
相様が一人胃を痛めている状態なのだ。
だからさっきの﹃陛下の指示云々﹄は嘘。薬について調べたり、
襲撃者を取り調べたりしたのはクレスト家だったりする。
249
実に勝手な行動だが、それ故に貴族達に悟られず動くことが出来
たのだ。
全ては陛下からの密命ということにする予定なので降って湧いた
事件にかなり忙しくなるだろう。
こっちだって薬物事件に発展するとは思いませんでしたよ、八つ
当たりはメレディス達に御願いします。
ちなみに最後の亡霊は私が直接作り出した幻覚だ。メレディスの
顔に触れるのにあわせて彼女の顔を焼いた。インパクトは十分だっ
たようで何より。
メレディスもまさか詠唱も無しに二つの術を同時に操るとは思い
もしないのだろう。あの後の彼女は酷く怯えていた。大人しく処罰
を受ける気になっただろうか?
その後。
予想通り﹃何これ、俺知らない! こんなこと命じてないぞ!?﹄
とルドルフが血相を変えて飛び込んでくるのだが。
事前に用意した夜食用パイを手渡し﹃頑張れ!﹄という言葉と共
に笑顔で追い出したのだった。
え、だってこれ以上は関われないしねぇ?
250
S属性な人々
薬物事件にまで発展した殺害騒動が一応の決着を見せた頃。
亡霊が﹃ゼブレストの英霊﹄と名を改めるに伴ってゴーストハウ
スは解除された。
魔道具も全て回収し、万一を考えて半分をルドルフに進呈。使う
機会が無いことを祈る。
⋮⋮﹃英霊﹄にいつまでも世話になってるわけにはいかないから
ね?
そんなわけで。
王宮組が多忙のあまり死にかけていることを除けば実に快適空間
です、後宮。
処罰対象者が多過ぎた事が主な要因だけど、それ以上に貴族がル
ドルフを恐れ出したことも原因だ。
どうやら、ついでとばかりに貴族達を一斉摘発しているらしい。
後宮は隔離された場所なのだよ、外部からの横槍さえなければ貴
族のお嬢様にできることは少ない。
私以外はもう二人しか残ってないしね、側室。
一気に減ったな、おい!?
※※※※※※
﹁ミヅキ様の魔術は普通のものではないのですか?﹂
251
のんびり読書していた私にエリザが問い掛ける。
⋮⋮ああ、ゼブレストって魔術にあまり馴染みがないんだっけ?
珍しいのか。
それとも例の英霊騒動を聞いたのかね? 基本的に部屋に残して
いるからね、エリザは。
﹁ん? 気になる?﹂
﹁はい。私の家庭教師をしていた人が魔術は詠唱が必須だと言って
いましたから﹂
普通はそれが正しい。治癒魔法程度ならゼブレストでも珍しくな
いだろうし、貴族階級なら其々の家で魔術師を雇っていても不思議
は無い。
エリザは魔術の基本的な事を聞いたことがあったのか。
﹁普通はね。でも魔導師なら詠唱を省略することが可能だよ?﹂
﹁やっぱり魔道具ですか?﹂
﹁そうだねぇ⋮⋮﹂
髪飾りに手をやるとチリン、と澄んだ音を立てる。その音にセイ
ルの瞳が一瞬細められた。
嗚呼、護衛と監視は紙一重。
無駄に鈴を鳴らしたら飛んできそうな反応の早さですね、将軍。
是非一度遊んでみたい⋮⋮いや、後が怖いから止めておこう。
あ、考えてることがバレたっぽい。き⋮⋮聞きたいなら話に混ざ
っていいんだよ!?
﹁魔道具を使えば無詠唱も可能、だと言っておくね。これ以上は秘
密﹂
252
﹁無詠唱? ミヅキ様は呪文詠唱を必要とされないのですか?﹂
﹁そういう場合もあるね﹂
必要としないどころか詠唱すると魔法が発動しません。
⋮⋮とは言えないねー、やっぱり。普通は逆だもん。
ついでに言うなら私の魔法は基本的に物理に該当するので魔法を
防ぐ=魔力結界の発想では意味が無い。普通の魔法とは扱いが違う
のです、世界間の認識のズレなんて説明できん。
言う気もないけどね。
と、そこへ︱︱
﹁失礼します。リューディア様がお茶を御一緒したいと申されてお
りますが⋮⋮いかがいたしましょう?﹂
﹁リューディア様? 側室の?﹂
﹁はい。珍しい茶葉が手に入ったので気分転換にどうかと仰せです﹂
思わずセイルと顔を見合わせる。
何それ。 思いっきり怪しくね? 絶対何か企んでいるに一票で
すよ。
いくら人が少ないからって亡霊騒動の中心人物に接触する奴がい
るかね?
﹁英霊に認められたミヅキ様と接点を持ちたいのかもしれません﹂
セイルがもう一つの可能性を口にする。
ああ、後宮での立場維持の保険として繋がりが欲しいってことね。
ま、どちらにしろありえんのだが。自分から行動した以上、さっ
さと退場していただきましょうか!
253
﹁リューディア様に伝えてくれる? 喜んでお受けいたします、と﹂
さて、リューディア様。 貴女の最後の策は保身ですか? 破滅ですか?
※※※※※※
暫くして二人の侍女を伴ったリューディア嬢が部屋を訪ねてきた。
おお、自分が足を運んでまで警護の騎士の多い私の部屋を選ぶと
は!
絶対何かありますねー。いいよ、退屈だから遊んであげよう。
侍女達が引いてきたワゴンに茶器一式が乗っているので本当にお
茶を飲む気はあるみたいだけど。
﹁ふふ、ご一緒できて嬉しいですわ﹂
腰まである赤い髪に勝気そうな緑の瞳の少女は嬉しそうに笑った。
そう、﹃少女﹄。リューディア嬢は十六歳、しかもそれ以上に幼
く見えるのだ。
美少女ということも含め一部の特殊な趣味の人には大人気かもし
れない。
が。
ルドルフが正妃に選んだら間違いなくロリコン一歩手前扱いされ
るだろうね、あいつ二十三歳で歳相応に見えるもの。
ただ、今まで後宮に残っている以上はそれなりに厄介な部分があ
るのだろう。
254
﹁そう言っていただけるとは思いませんでした﹂
﹁そう? 刃物を持った方に襲われても返り討ちになさるミヅキ様
ですもの。一度お話してみたかったわ﹂
﹁あら、ずっと部屋に引き篭もっていたと聞いていましたのに⋮⋮
随分と詳しいですね?﹂
﹁皆が色々と教えてくれましたもの! 正妃に一番近い方だって﹂
言葉とは裏腹に目は笑ってませんね、リューディア嬢。そんなに
敵意があからさまだと何かあると教えているようなものですよ?
﹁御歳の所為かしら? 随分と落ち着いてらっしゃいますのね﹂
﹁ええ、リューディア様とは一回り近く離れていますから。リュー
ディア様も淑女ならば落ち着かれませんと﹂
﹁あら、それはどういう意味かしら?﹂
﹁そのままですよ。挑発するもされるも愚かの極みですわ﹂
微笑ましいとばかりに笑みを浮かべて諭せば憎々しげな視線を向
けられる。
⋮⋮お嬢ちゃん、人の話はちゃんと聞こうね?
私が挑発するのは物事を有利に運ぶ為なのです、日頃からそんな
ことをすれば敵しか作りませんって。
そんな言い合いをしている間に侍女は私とリューディア嬢の前に
カップを置く。
香りは問題なし、お茶も同じティーポットから注がれている。怪
しいのは最後に一個ずつ入れられた角砂糖か。
﹁これは少し甘くして飲むお茶ですの。ああ、ミヅキ様ならば御存
知でしょうけど⋮⋮﹂
255
ちら、と私に挑戦的な視線を向ける。
﹁出されたお茶は必ず一口は手をつけなければなりませんわ。 甘
い物が苦手でもご容赦くださいね﹂
﹁勿論ですわ。甘い物も好物ですから御心配なく﹂
﹁そう! 良かったわ﹂
つまり﹃何か入っている﹄ということですか。騎士達の前で全て
用意し、自分も飲むことで疑う要素をなくそうとしているわけです
ね!
しかも、これって⋮⋮。
﹁あら。変わったお茶ですわね⋮⋮﹃眠りの森﹄を入れるなんて﹂
﹁な⋮⋮!?﹂
﹁お勉強不足ですわね? ﹃眠りの森﹄は確かに無味無臭ですがそ
の名のとおり美しい緑色が出てしまうのですわ。濃いお茶に入れて
も光に翳せばわかりますのよ? ほんのり緑がかっていることくら
いはね﹂
﹃眠りの森﹄はその名のとおり深い眠りに誘い殺す毒だ。苦しむ
こともなく眠ったまま死ぬので女性貴族の自害用ともいえるもの。
失脚やら家名を守る為やらで﹃誇りある死﹄を選ぶ階級が貴族な
のだ、だから所持していたとしても怪しまれ難い。
あまり恐れられない理由として﹃眠りの森﹄が遅効性の毒である
ことと解毒魔法があることが上げられる。
異常な眠気があったり、呼吸がおかしければ誰だって医者に見せ
るだろう。その時点で解毒魔法をかければ助かるのだから即効性の
毒に比べて警戒されないのだ。
ただ、使い方を考えれば十分脅威なのだが。
256
﹁今これを飲めば効果が現れる頃、私は既に眠っていますもの。今
は陛下もお忙しい時期ですし、私の眠りをわざわざ妨げる者など居
ないでしょう﹂
﹁私も同じお茶を飲んでいますのに? 言い掛かりは止めていただ
きたいわ!﹂
﹁あの角砂糖でしょう? 内部に毒を入れて外側を覆ってしまえば
良いだけです﹂
毒は本来液体なので砂糖と混ぜて固めたものを普通の砂糖で覆っ
たんだろう。あの砂糖を砕いたら内部は緑の二層構造になっていた
と思われる。
視線をセイル達に向けると何時でも動けるようにはしているよう
だ。ならば多少遊んでもいいだろう。
私は空のカップを一つ手に取ると片手を翳す。手にした毒入りお
茶から毒のみを空のカップへと転移させると毒の原液だろう緑の液
体が少し出現した。
へー、これが﹃眠りの森﹄の原液ね。メロンシロップみたいな色
をしてますよ。
これは証拠なのでエリザに渡しておく。もう言い逃れできんぞ?
さて、断罪タイムですよ∼♪
﹁お茶を一口でも戴くのがマナーでしたわね﹂
﹁え⋮⋮?﹂
﹁ミヅキ様!?﹂
慌てるエリザや騎士達を他所に冷めかけたお茶を飲み干す。呆気
に取られているリューディア嬢を尻目に彼女のカップに少々細工を。
さて。飲めるのかな、これを? 頑張れよ?
257
﹁大丈夫ですわ。毒はもう抜いてありますから。さあ、次はリュー
ディア様の番ですね﹂
﹁え、ええ⋮⋮な!?﹂
﹁マナーですものね? できますわよね?﹂
リューディア嬢のお茶は沸き立っていますけどね? 魔力を使っ
ているから冷めることもありませんよ?
さあ、どうする!?
﹁⋮⋮暫くお時間をいただけますかしら?﹂
﹁構いませんが状態維持の魔法が掛けてあるので冷める事はありま
せんよ?﹂
﹁あ⋮⋮貴女だって魔法を使ったじゃないですか!﹂
﹁リューディア様は毒を使われましたわね﹂
はっは、先手を打った奴が何言ってやがる。人を殺すのは何も毒
だけじゃねえぞ?
主の不利にお茶の支度をした侍女が水を手渡そうとするが先にカ
ップを投げつけて黙らせる。
ゴツ、と鈍い音がして蹲った。さらば、侍女其の一。
額が切れたかもしれないね、どうせ首も切られるから些細なこと
だけど。
﹁どうなさいました?﹂
﹁⋮⋮何で、貴女なのよ。今までずっと、思い通りになってきたの
に、どうして!﹂
﹁貴女の思い通りになるようお膳立てされてきたからでしょうね﹂
癇癪を起こしたようなリューディアの言い分に溜息を吐きながら
も納得する。
258
なるほど。こいつは典型的な我侭娘だったわけか。
親も散々甘やかして周囲に忠実で優秀な侍女を侍らせて。
自分が望めば何でも叶うと思わせてきたからこそ、一見優秀で実
はお馬鹿な子になったわけだ。
それが亡霊騒動で周囲の取巻きや侍女が居なくなり、本当に賢い
奴が消えたと。 中々に良い案だったけど、魔導師相手じゃやり返される可能性も
考慮しなきゃねえ?
そもそも解毒の魔道具を所持していたら意味無いじゃないか。そ
れくらいは探れ。
黙り込んでしまったリューディア嬢はなおも睨みつけている。
おお、未だ反省せずか。ならば私もそろそろ手を上げようと思い
ます。
﹁馬鹿な子を叱るのも年長者の務めですよね﹂
﹁え⋮⋮ギャっ!﹂
ドゴッと鈍い音と共にテーブルが引っ繰り返る。私の側から跳ね
上がったそれは反対側のリューディア嬢を直撃した。
これぞある意味伝統の技﹃ちゃぶ台返し﹄!
幸運にも沸いたお茶は掛からなかったらしい。ちっ!
本当はもっと軽いと思うけどね? この世界にちゃぶ台なんてな
いのだよ。
あと、自分でやっておいて何ですが結構威力あるみたいですね∼、
これ。
椅子ごと床にこけてテーブルに潰されてますがな、リューディア
嬢。
259
そんな彼女を助けることなく近づくと、顔を足で踏み付ける。
﹁いい加減になさいませ? 毒を盛るということは明確な殺意の証
明ですわ。殺人未遂という罪なのですよ﹂
﹁ぐ⋮⋮い、痛い、離しな⋮⋮さい﹂
﹁黙りなさい﹂
一喝し更に足に体重をかけてやると苦しそうに呻いて黙った。
侍女其のニよ、呆然とするのは勝手だけどセイルが後ろにいい笑
顔で立ってるからね?
動いたら命の保証ないぞ?
﹁貴女の何処が立派だというのです。誰かの功績を自分の物と思い
上がった結果が後宮ではっきりと出たでしょう? 陛下に見向きも
されないどころか、他の側室達にさえ存在を軽んじられて﹂
﹁わ⋮⋮私は!﹂
﹁一人では何も出来ないのに。努力するのではなく誰かを陥れて今
の立場に安堵するだけの下らない人。それが本当の貴女ではありま
せんか、リューディア様?﹂
私の情報が正しく伝わっていないのは亡霊騒動で彼女のブレイン
的存在がいなくなったからなのだろう。
でなければもう少し賢い方法を取るはずである。
彼女自身も賢い面はあるのだが、どうにも詰めの甘さが残るのだ。
だから反撃される。
﹁それから私と貴女の違いですが⋮⋮内面に関しては今の状態を見
ればご理解いただけると思いますので省略させていただきますね。
外見的なものに関しては﹂
260
一度区切って。ちらり、とエリザ他侍女の皆さんに視線を走らせ
る。
﹁胸の大きさでしょうか? リューディア様は全体的に細いですが
全く凹凸がありませんもの﹂
﹁なっ!?﹂
﹁全く成長していないと言いますか、年齢的なことを考えれば⋮⋮
望みがないかと﹂
そういうのが好みの人も居るでしょうが寂し過ぎます。ささやか
を通り越して無しですね。
ああ、顔を真っ赤にしても駄目ですよ、誰もフォローしないじゃ
ん。
この世界、胸パットなんてものはないのだよ。無い人はとことん
無い。
清楚系路線でいくならまだしも、派手な顔立ちだから余計に残念
な部分として映るのだ。ある意味、気の毒な人ですね。
私だってDはあるぞ? エリザ達はもっとあるし、側室達は胸を
強調するドレスを好んで着るぐらいのナイスバディな御嬢様方が揃
っていた。
⋮⋮。
気の毒になってきたから足は退けてやろう。
﹁煩い、煩い、煩い! 何よ、胸があっても美しくなければ意味が
無いじゃない!﹂
﹁顔が不自由でしょうか、私﹂
﹁う゛⋮⋮﹂
261
首を傾げ軽く周囲を見渡してみる。元の世界では﹃十人中八人が
振り返る美人﹄という友人の評価を貰ったんだけどな? ただし、
﹃中身を知って八人が去る﹄というプラマイゼロの評価が続いたが。
あ、騎士さん達が﹃お美しいですよ!﹄とジェスチャーしてくれ
てる。ありがとーう!
エリザはリューディアを可哀相なものを見る目で見つめ深々と溜
息を吐いた。
﹁リューディア様。大変申し上げ難いのですがミヅキ様はお化粧を
一切なさっておりません﹂
﹁え!?﹂
﹁作った顔が嫌いですから。必要な時はちゃんとしますよ﹂
食事は美味しく食べたいのです、私。料理するなら邪魔でしょ?
それに絶世の美貌知ってると自分がどういわれても平気になるよ
? その美貌が変人の証明とくれば一般的容姿で十分だと思えます。
ついでに言うならこの場で一番の美人はセイル︵将軍・男︶だ。
それは間違いない。
﹁ミヅキ様?﹂
﹁何でもありませんわ、セイルリート将軍﹂
美貌の将軍様、心の声を読まないで下さい。満場一致のお答えな
のに何故私だけが的になる。 そんなアホなやりとりをしている間にリューディア嬢は本格的に
泣き出してしまったようだ。
エリザ⋮⋮何を言ったのさ?
﹁はあ⋮⋮興醒めですわね。騎士の皆さん、彼女達の捕縛を御願い
します。エリザは先程の毒を証拠として渡してください﹂
262
﹁承知いたしました﹂
﹁あと、お砂糖も﹂
﹁心得ております﹂
目の前で行われた毒殺騒動なので皆やるべきことが判っている。
そしてリューディア嬢は後宮を去ることとなった。
※※※※※※
﹁ところでさ⋮⋮誰も教えてやらなかったけどいいの?﹂
﹁何がでしょう?﹂
﹁厚化粧していたところに怪我して更に大泣きしたから顔が凄いこ
とになってたんだけど﹂
リューディア嬢⋮⋮かなり厚化粧してたんだよね。そこへ机をぶ
つけて鼻血が出ている上に泣いたものだから顔がかなり凄まじいこ
とになっていた。
誰か教えてやれよ?
セイルに笑顔でお説教されているうちに連れてかれちゃったじゃ
ないか。
⋮⋮いや、あれは時間稼ぎだったのか? 実は美人発言を根に持
ってたのかよ、将軍様!?
話の流れを作ったリューディア嬢に対しお怒りだったのですか!?
その後。
そんな状態のまま王宮に連れて行かれたリューディア嬢はあらゆ
る人にドン引きされ。
﹃イルフェナの側室の美貌を妬んだ醜い側室が毒殺しようとした﹄
263
という噂がまるで事実の様に囁かれまくった挙句、法によって裁か
れ処刑されたのだった。
えーと、普通に毒殺失敗でよくね?
それ以前に﹃美貌の側室﹄って何!? そんな人居ないよ!?
264
小話集3︵前書き︶
小話集です。
騎士視点の話、側室視点の話、最後に残った側室の話。
265
小話集3
小話其の一 ﹃ある騎士の愛情﹄
後宮は今や女性達の悲鳴が響き渡る地獄と化していた。
ミヅキ発案の嫌がらせの為、カエル達は側室や侍女達の顔を狙い
飛びついているからである。
だが、騎士達はカエル達が本来は非常に賢く大人しい種だと知っ
ている。
幼生の頃から育ててきたのだから。
その強面の騎士︱︱エリックは物陰に隠れながらも周囲の状況を
窺っていた。
悲鳴を上げる馬鹿女などどーでもいい、彼は溺愛する﹃娘﹄を心
配していたのである。
その﹃娘﹄ことルーシーは背中に薄っすら赤みがかった雌個体で
ある。幼生の頃から遠慮がちで餌の時間も自分より仲間を優先させ
る、けれど誰よりエリックに懐いた大変優しい子だった。
通常個体にしては小柄なので体もあまり丈夫ではなかったのかも
しれない。
そんな子が作戦に参加する。
エリックは当然反対し、騎士仲間からも理解を得たが当のルーシ
ーが良しとしなかったのだ。
︵ルーシー! 危なくなったら助けてやるからな⋮⋮!︶
そんなわけでエリックは女達を助けもせずカエル達に目を光らせ
266
ているのであった。
騎士達の側室連中への好感度が知れるものである。
と、その時。
﹁キャアアァァァァァッ!﹂
一人の側室が悲鳴を上げながら飛びついてきたカエルを振り払い、
その上に倒れ込もうとしたのである。
その先には叩きつけられたルーシー。
﹁ルーシーに何すんじゃぁぁぁぁぁっ!!!﹂
エリックは叫びと共に飛び出し側室を突き飛ばす。本当は飛び蹴
りでも見舞ってやりたいが、さすがにそれはまずいだろう。
不敬罪や騎士の在り方をすっ飛ばし、愛娘の危機を救う父は鬼の
形相でルーシーを庇った。
びたん、という音と共に転がった物体は気にもとめない。
色々な意味で突っ込み所は満載だが、周囲にはカエルしかいなか
った。しかもカエル達は仲間の危機を救うように転がった側室へと
飛び掛り身動きが出来ないようにしていく。
﹁ルーシー! すぐに、すぐに助けてやるからな!﹂
硬い鱗も鋭い爪も持たない種族なのだ、叩きつけられれば十分な
ダメージになる。
ぐったりとしたルーシーを抱き抱えると周囲のカエル達が﹃後は
任せろ!﹄と言うように鳴いた。仲間思いの種族である。
その声に頷くとエリックはミヅキの部屋へと走り出す。
267
︵ミヅキ様ならば必ずルーシーを助けてくださる! カエル達は勿
論、タマ殿をあれほど可愛がっていらっしゃるのだから⋮⋮!︶
実際、ミヅキは側室連中よりカエル達への好感度の方が高い。長
個体である﹃おたま﹄をタマちゃんと呼び親の如く慕われているの
だ、カエル達もミヅキを主の様に思っている節がある。
普通なら考えられない﹃愛玩動物への治癒魔法﹄という行為もミ
ヅキならばやってくれるだろう。
そしてその期待は裏切られることがなかった。
﹁ミヅキ様! この子を助けてやってください!!﹂
バン! と扉をぶち開け走りこんできたエリックに部屋に居た全
員が驚く。だが、エリックの言葉と腕の中のカエルを見ると即座に
状況を理解したようだ。
ルーシーを受け取り治癒魔法を施すミヅキをエリックは尊敬の目
で見つめた。
カエルを膝に抱いてくれる女性がどれほどいると言うのか。
それどころか﹃この子はもう休んでいればいいよ﹄と言って頭を
撫で、﹃お見舞い﹄と言って高級品である果物を与えてくださるな
んて。
ルーシーもミヅキに対しては心地良さげに撫でられている。具合
も良くなったようだ。
﹁落ち着くまで部屋で預かっておくから他の子達の様子を見てくれ
る?﹂
ミヅキの言葉に否を唱えるはずも無い。ルーシーを一撫でして非
礼を詫びた後に退室する。
268
⋮⋮カエル達がミヅキを慕うのは当然だろう。あの種族は実に義
理堅いのだ、可愛がってもらえばそれ以上の恩を返そうとするのだ
から。
その後。
大半が生まれた沼に返される中、ルーシー他数匹が中庭の池に残
ってくれたのだった。
窺うようにエリックを見た後、頭を足に擦り付け一声鳴き池へと
戻っていくルーシーに男泣きするエリック。仲間が少なかろうとエ
リックの傍に居たかったらしい。
暑苦しい愛情を与えられただけあって慕われ方が半端無いのだろ
う。親思いの優しい娘である。
残ったカエル達は本日も幸せに池に暮らしている。
王が率先して可愛がり、時に宰相でさえ餌を与える姿が見られる
のはミヅキが去った後のことである。
※※※※※※
小話其のニ ﹃覚悟はあったか?﹄
冷たい牢獄に一人の女が捕らえられている。その顔の半分は布で
覆われ、髪も乱れたままだった。
顔の半分が焼け爛れていようと女は罪人なのだ。死ぬような怪我
ではない以上、治癒魔法など使われるはずも無い。
それ以前に彼女の罪は一族郎党死罪という重いものなのだが。
﹁何で⋮⋮私が負けたのかしら﹂
269
ぼんやりと呟く声にも力が無い。敗北したという事実は怪我以上
に彼女から気力を奪っていた。
己の惨めな姿も彼女のプライドを砕いたのだろう。
メレディスは伯爵家の娘だ。無駄に野心をちらつかせる両親と違
い、表面上は穏やかで誠実な人物を﹃演じる﹄祖父に一番可愛がら
れてきた子だった。その反面、両親に対しては愚かだと見下してい
た。
勿論、あからさまな事はしない。父親が自分を何も出来ない娘、
政略結婚の駒として考えていると知っていても﹃全てを理解してな
お従順な良い子﹄として振舞ってきた。
自分を傷つけたのは祖父が洩らした一言だけだ。
﹃お前が男だったなら﹄
祖父から見て息子は愚かに映っただろう。あからさまな敵意は敵
を増やし警戒されるだけなのだ。彼女の本質を知る祖父としてはメ
レディスが女であることが残念でならなかったに違いない。
懐に招き入れるほど信頼を得た上で自分の都合の良いように動か
す、ということが最良なのである。表立って動くなど的にしてくれ
と言っているようなものなのだから。
女であるメレディスは跡取にはなれはしない。どう足掻いても自
分は弟に劣るのだと突きつけられた気がした。
だから。
メレディスはずっと﹃理想のお姉様﹄を演じてきた。控えめで優
しくて誰よりも聡明で。味方という名の手駒を増やしながらずっと
牙をむく機会を待っていた。
そしてやっと手に入れたのが側室と言う立場だ。何人かを除けば
懐柔できる自信はあったのだ、だから後宮の一大勢力の頂点となる
270
ことは可能だった。野心を抱かず、また己が信頼できる相手ならば
側室達を纏めあげる存在として誰もが認めるのだから。
控えめにその立場を受け入れ、その在り方を王に認めてもらう筈
だった。
だが、王はメレディスを認めることはしなかった。むしろ警戒さ
れていたとすら思う。
あのイルフェナの側室には無条件で信頼を寄せているのに、だ。
﹁王に見抜かれるならまだしも、あんな女に負けるなんて⋮⋮!﹂
﹁お前が負けるのは当たり前だろう、﹃何もしていない﹄んだから
な﹂
﹁え!?﹂
突如加わった声に驚き顔を上げる。そこには王が美貌の将軍を伴
って立っていた。
⋮⋮本当に嫌味な人。顔の崩れた女の前にあの綺麗な顔を連れて
来るなんて!
﹁あら、ご機嫌麗しゅう?﹂
﹁化けの皮が剥がされた気分はどうだ? 女狐﹂
﹁ええ、悪くないわ。貴方こそ優秀なお気に入りが手駒になってさ
ぞ楽になったでしょうね!﹂
暗に﹃お前が有能なわけじゃない﹄と蔑むメレディスにルドルフ
は表情一つ変えない。むしろ哀れみすら感じられるほどだ。そして
淡々とした声音で話し出す。
﹁お前は本当に毒花だな。人を操り、周りを巻き込んで毒を撒き散
らす。しかも反省すらしない。お前の所為で破滅した連中に一欠け
271
らの罪悪感さえ抱かないのか﹂
﹁何を言っているの、手を下したのは彼女達じゃない! 私は⋮⋮
そうね、一つの道を示しただけだわ。選んだのは彼女達でしょう?﹂
﹁そうだな、だからこそミヅキはお前を徹底的に潰した﹂
メレディスの顔が憎悪に歪む。
﹁自分で選んだ末の結果ならば敗者だろう。だが、お前は舞台にす
ら上がらなかった卑怯者だ﹂
﹁な!?﹂
﹁事実だろう? 常に人に行動させて操ったと思い上がる愚か者、
自分が﹃できない﹄くせにそれを愚かと笑う弱者。まったく、お前
自身が成し得たものなどどれほどあるというのか﹂
﹁あの女だって何もしてないじゃない!﹂
よほどルドルフの言葉が癇に障ったのか、怒鳴り散らし激怒する
メレディス。
だがルドルフは目を眇めただけだった。
﹁あの亡霊騒ぎの魔道具を作ったのも策を練ったのもミヅキだぞ?﹂
﹁⋮⋮え?﹂
﹁騎士達は見えない振りをしていただけだ。ああ、その顔を焼いた
のもミヅキだ﹂
﹁な⋮⋮なんですって!? 詠唱なんてしてなかったじゃない!﹂
﹁無詠唱で同時に術を使ったそうだ。ついでに言うなら探知をした
時に引っ掛からないよう時間を調整したのもミヅキだ。何もしてな
いのは俺や騎士の方なんだよ﹂
無詠唱の魔導師という意味が判らぬほどメレディスは愚かではな
い。しかも王の言葉では魔術探知が行われることを考慮した上で亡
272
霊騒動を起こしたことになる。
格が違う。もはや化物レベルだ、そうはっきり思い知るくらいに
は。
﹁それにな? 俺は絶対にお前だけは後宮に君臨することも正妃に
なることも許さなかったぞ?﹂
座り込んで呆然としていたメレディスはルドルフの言葉にのろの
ろと顔を向ける。その顔に覇気はない。
﹁人の陰に隠れ操るばかりの卑怯者に人が付いて来るか? 偽りだ
らけで平然と味方を欺く奴に王の隣に立つことが許されると思うの
か? お前の全てが資格を失わせるに十分だったんだよ﹂
﹁お気付きでしょうか? ミヅキ様は襲い掛かってきた令嬢達には
誰一人として怪我をさせていません。﹃敵ではないから﹄と仰せに
なって﹂
﹁敵じゃ⋮⋮ない⋮⋮﹂
﹁そうでしょう? あの方は敵に報復はなさいますが、捨て駒ごと
きは相手にすらしません。それに何より王や我ら騎士を見下す貴女
を嫌悪しておられました。実力も無いのに何様だと﹂
セイルリートの口調は穏やかだが、笑みを浮かべた顔はどことな
く怒りを感じられる。彼もまた実力者なのだ、怒りを覚えぬはずは
無い。
﹁魔導師は誇り高い。敵だろうと実力者を尊び己が価値観が全て、
悪と罵られようと己が在り方を変えぬからな。さぞ不快だったこと
だろうよ﹂
﹁顔を焼き、英霊に見限られた国の恥曝しとまで言われるほどに貴
女を断罪なさったのはミヅキ様ご自身の判断。貴女と違ってあの方
273
は全てを一人で成し遂げ多くの血を被る覚悟さえできていました﹂
﹃多くの血を被る﹄という言葉にメレディスは首を傾げる。貴族
が失脚するのは別に珍しくは無い。だが、その様に二人は不快だと
いうように顔を歪めた。
﹁わからないのか。だから、お前は認められない、あいつに勝てな
い。結果だけを受け取ろうとした果ての破滅など誰も哀れまない﹂
﹁綺麗なままで受け取ることに慣れた貴女は自分の事だけしか考え
ない。だからこそ負けるのですよ﹂
男達からの言葉はメレディスの全てを否定しプライドを打ち砕く
に十分だった。二人の話が本当ならばこの計画が失敗した場合に責
任を取ることになるのは彼女一人である。それを承知で一人成し遂
げたというのか。では、﹃多くの血を被る﹄とは?
﹁今回の亡霊騒動で多くの者達が粛清されている。その命の重さを
背負う覚悟をしたミヅキと人の所為にすることで自分を保っている
貴様と。勝負になる筈がないだろ?﹂
﹁だからこそ私達は立ち止まるわけには行きません。我がゼブレス
トの為に返り血を被られたあの方に報いる為に﹂
﹁﹁だから貴女など要らない﹂﹂
そう告げられた言葉にメレディスは初めて涙を零した。女だから
ではない、﹃メレディス﹄という個人が不要なのだと突きつけられ
て。
※※※※※※
274
小話? ﹃ある令嬢の想い﹄
﹃イルフェナより参りました、ミヅキと申します﹄
そう微笑んで告げる彼女を見て初めて殺意というものを抱いた。
次に会ったのは茶会の席。下らない嫌がらせに付き合わされるの
も億劫だったけど、私以外の全ての側室達が参加するならば一人だ
け欠席するわけにもいかない。
泣くのかしら? それとも怒るのかしら?
そう思う程度であんなことになるとは思いもしなかった。
凛とした姿、毅然とした態度。 大きな瞳は怒りを宿して本当に
綺麗だった。
だけど。
ねえ、何故貴女があの人の傍に居ることが許されているの?
私はもはや近寄ることさえできないのに。
何故そんなに大切にされているのよ。
当たり前の様に寄り添う姿に、テーブルの下で手を握り締めるこ
としかできない私の何と惨めなこと!
私はきっと嫌な女なのでしょう。だからこそ、あの人に相手にさ
れない。
だからせめて敵となって彼女と向かい合う。
そうすれば貴方は私を見てくれるでしょう?
協力者だっているもの、簡単には負けないわ。
さあ、私と遊んでくださいな? ミヅキ様︱︱ 275
小話集3︵後書き︶
亡霊騒動では殆ど出番の無かったルドルフで断罪してみました。
276
英雄の条件
﹁ようこそ、イルフェナの側室殿?﹂
鉄格子越しに一人のふくよかな体型をした壮年の男が礼をする。
さすがに様になっているが場所が酷く不似合いだ。
どうせなら高笑いでもしつつ三流悪役の台詞でも吐いてもらいた
い。
顔立ち的にシリアスは似合わなそうだけどな。
えー、現在どこぞの牢獄に居ります。
誘拐、ということになるのかな?
※※※※※※※
事の起こりは後宮で最後に残った側室であるオレリア様からのお
誘いだった。
この人は茶会の時に﹃何となく気になる人﹄とチェックを入れて
たんだけど。⋮⋮はっきり言って良くも悪くも地味過ぎた。これ、
絶対に本人は側室になりたくなかっただろ!? って思うくらい。
周りにも馴染まず部屋に引き篭もってたからね、この人。亡霊騒
動で無傷だったのも部屋で祈りを捧げていたからだそうだ。うん、
それ大正解。見なきゃいいんだもん、あれは。
オレリア嬢自身は儚げな銀髪美人なんだが、悪い点が無さ過ぎて
追い出す要素が全くなかった。だから実家方面から潰すという手筈
になってたんだけど。
それで納得してたんだけどね?
277
オレリア嬢自身は何か思うところがあったらしく、部屋に一歩入
った途端どこぞに飛ばされました。足元に転移法陣仕掛けていたみ
たいですねー、やりやがったな、あの女。
まあ、転移法陣と言っても相対するものにしか送れないものだし
ね? おそらくは簡易版の拡張型程度のものなんだろう。だから一
方通行。先生、習った知識が別方向で役立ってます。 報復はいつでもできるし帰還どうしよっかなー、とか思ってたら
黒幕が目の前に居ました。
愚かです、私に顔を見せてどうする黒幕! ﹃お約束﹄どおりに
挨拶に来たりしたら私が王宮に戻った時点で人生終了です。
それとも脱出劇をこの後宮破壊騒動のクライマックスにして華々
しく散りたいとか言うんじゃあるまいな?
﹁⋮⋮というわけだ。貴女を利用させていただきますよ?﹂
﹁⋮⋮は?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮。まさか、今までのことを、一切、聞いて、いなかった、と
?﹂
﹁当たり前じゃありませんか﹂
アホな事を考えていた私も悪いですが、こういう場合って話を聞
いても聞かなくても大差ないよね?
だってどうせ返す気なんてないんだし。
だったら私がやる事は如何にして脱出するかの一択、ですよ! ついでに楽しむだけです!
﹁貴女という人は⋮⋮随分と余裕があるようだ﹂
278
あ、さすがに顔を引き攣らせてる。やだなー、細かい事を気にし
ていたら大物になれませんよ?
外見がタヌキ一歩手前なんだからせめて賢そうな顔しなさいな。
私? 余裕なんてありません、これからの脱出劇にわくわくが止
まりませんからね!
﹁さすがは後宮に君臨するどころか殲滅させる気だと噂に上る血塗
れ姫ですな﹂
企んだのはこの国の王ですって。殺るか殺られるかの後宮で陰湿
デスマッチが起こらなかったことなんてあるのか? つーか﹃血塗
れ姫﹄って何さ?
﹁まあ、いい。あなたが無関係な者を巻き込むのを良しとしないこ
とは調査済みです。ですから取引といきましょう﹂
﹁取引?﹂
﹁貴女の侍女であるエリザ・ワイアートの実家に刺客を忍ばせてお
ります。ワイアート夫妻の命が惜しければ貴女の身に付けている魔
道具を渡してもらいたい﹂
それは脅迫って言うんだよ。頭も悪いのか、こいつは。
呆れて目を眇めた私を相手は警戒したと思ったようだ。にやり、
と笑う。
﹁確か魔道具は扇子と髪飾り、そしてイヤリングでしたね。全て渡
していただきたい﹂
﹁あら、随分とよく御存知で﹂
﹁私にも色々と傳があるのですよ﹂
ふうん?
279
随分と具体的に知っているんですね?
後宮にいなければ知らないレベルの情報ですよ。ま、それくらい
のハンデは許してあげるけどね。
﹁わかりました。どうぞお受け取りくださいな﹂
﹁素直で結構。あとはゆっくりと寛いでください⋮⋮ああ、結界が
張ってありますから魔法は効きませんよ﹂
﹁あら、残念﹂
ま、無くても別に困らないしね。ここは一つ自分に酔ってる人に
花を持たせてやろう。
だって、ルドルフとの連絡は取れるし。取り上げられた魔道具は
そこまで重要じゃない。
⋮⋮そう思い込んでいるあたり協力者はやっぱり﹃あの人﹄か。
ごめんね、黒幕さん。彼女からの情報は多分殆ど役に立たないよ。
身に付けていた魔道具を鉄格子越しに受け取ると男は満足そうに
笑って出口らしい方角へと歩き出す。
⋮⋮あれ?
え、本当に行っちゃうの? 怒鳴りつけるとか優位な立場に饒舌になるとかしようよ、黒幕さ
ん! 折角の見せ場じゃないか。それだけでいいの!? つーかね、監視が居ても魔導師が相手だよ? 結界とかあっても
危険じゃね? 危機感持とうよ。
そりゃ、魔術師は魔法を封じられたら赤子も同然とか言われてる
けどさあ!
そんな心の声に気付きもせず男はさっさと退場していった。後に
残るは薄暗い牢に取り残された私と強面で無表情な見張りのみ。
⋮⋮。
280
つまらん。
早くも放置ですか、眼中にありませんか。タヌキのくせに生意気
な。
まあ、いいけどね⋮⋮一人で楽しむから。折角なので牢を探索し
ようと思います。
では、早速!
ふふ⋮⋮私が廃人プレイヤーだった﹃英雄達の戦争﹄ではついに
、牢獄! 犯罪者じゃなくても来る機会があるな
お目にかかれなかった幻の場所ですよ。
素晴らしき哉
んて⋮⋮!
スキル﹃探索﹄を魔法で再現できるからね、存分に楽しみますと
も。
このゲーム、運営から﹃戦乱﹄が告げられると国同士の争いにな
るのだ。つまり、対人戦。
ギルドに入っているなら拠点のある国、もしくは騎士団に雇われ
るといった感じで誰もがどこかの国に属するのだ。国から﹃○○砦
を死守せよ﹄とか﹃○○を攻略せよ﹄といったクエストが出され早
い者勝ちで受けられる。勿論、受けた場合はギルド全体の任務。称
号取得に関わってくるので個人・ギルド共必死です。
ギルドに﹃軍師﹄なんて役職が設けられていたことからもメイン
は戦乱だったと推測。策を練らないとあっさり負けるのです、ギル
ドに一人は戦略シミュレーション系が強い人がいないとちょっと厳
しいのだ。
レベルやスキルが全てではないという非常に珍しい設定だったこ
のゲームは一部のユーザーに大変受けた。何せリアルの知識や経験
がレベルに勝る事があるのだから。
そんな訳でこの時ばかりは日陰の頭脳職・探求者が地形の利用・
罠の成功率を上げる軍師として光り輝くのだったりする。罠の成功
281
率は軍師の知力が影響するので、大抵知力が一番高い人がなるので
す。私の場合は罠の成功率を踏まえた策が鬼畜評価に繋がりました
がね。
仲間達のお陰で条件が揃い探求者から特殊ジョブの賢者になった
のも良い思い出です。
そして気候や地理、戦略などを現実並に重要視することから﹃こ
れ、軍事訓練用だったんじゃね?﹄と言われてただけあって、戦乱
中に敗北すると捕虜として敵国の牢へ一日繋がれる。しかもこの状
態でスキルを使っての脱獄も楽しめるという無駄に細かい設定だっ
た。
私の所属ギルドは無敗だった為に入ったことがないのです、一度
は負けて見学しようというアホな企画まで持ち上がりました。
そんなお馬鹿さんの一人をリアル牢獄に放り込んだらどうなるか?
﹁ああ、やっぱり部分的に脆い場所ってあるのかあ⋮⋮﹂
薄暗い牢内で楽しそうに周囲に手を這わせる女に見張りが妙な顔
をしていたのは些細な事ですよ。
自分の姿がどう映ろうと問題無しです、だって脱出しなきゃなり
ませんからね! そんな感じで時は過ぎていった。
※※※※※※
︱︱王宮内ルドルフの執務室にて︱︱ ︵ルドルフ視点︶
282
﹁申し訳ありません。お叱りは如何様にも﹂
セイルリート含む護衛の騎士達が深く頭を垂れている。その先で
は俺と宰相が机の書類を裁く手を休めるどころか顔を上げることす
らしないで作業に没頭していた。
後宮サイドとはあまりに温度差のある光景だった。間違っても外
交問題に発展しそうな事態とは思えない。
﹁あのなー、セイル﹂
﹁はい、なんでしょう?﹂
﹁話を聞く限り転移法陣による誘拐だったわけだ。防ぎきれると思
うのか?﹂
﹁ですが、そのようなことは言い訳にしかなりません﹂
﹁じゃあ、次。ミヅキは大人しく誘拐される奴か?﹂
﹁⋮⋮﹂
誰もが沈黙した。さすがにそこで﹃それはいい訳です!﹄はない
だろう。
ミヅキは言葉だけではなく行動も自分に素直だ。凶暴とも言う。
﹁いいか、﹃ミヅキは自分で付いて行った﹄。それはあいつの﹃役
目上必要なこと﹄だ。だからお前達に罰則は与えられない﹂
﹁ですが!﹂
﹁騎士としてのお前達を否定してるんじゃない、お前達はミヅキに
付き合わされただけだ﹂
﹁それに貴方達を罰するとミヅキ様が盛大に怒り狂いそうですしね﹂
宰相の言葉に俺以外がはっとしたような顔になる。
ミヅキは元の世界の影響か基本的に平和主義だ。守れなかったか
283
ら処罰、などというこの世界の常識を押し付ければ間違いなく気に
するだろう。だからこそ、俺はミヅキに背負わせない方法を選ぶ。
﹁こんなところで頭を下げるよりやることがあるだろう? ﹃あい
つ﹄の監視とかな﹂
﹁⋮⋮心得ております﹂
﹁ミヅキが戻り次第、最後の仕上げだ。それまでは一切の情報を洩
らすな﹂
﹁セイル、貴方にはクレスト家当主より伝達があります﹂
アーヴィレンの言葉に俺は初めて手を止めセイルを見た。騎士達
は未だ顔を伏せたままだ。
アーヴィレンはこちらに顔を向け俺が軽く頷いた事を確認すると
言葉を続ける。
﹁場合によっては﹃紅の英雄﹄を向かわせる。以上です﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁では、行きなさい。くれぐれも貴族達に悟られぬように﹂
騎士達は一礼すると部屋を出て行く。その姿を見送った俺はアー
ヴィレンに問い掛けた。
﹁随分と思い切ったことを言ったな? いいのか、十年ぶりに﹃奴﹄
を出して﹂
﹁場合によっては必要になると判断したのでは?﹂
十年前。鉱山を所有するゼブレストは戦を仕掛けられたことがあ
った。表面的には酪農の方が目立つのどかな国だが、ゼブレストは
武器の元となる鉄鉱石の産地としての顔もある。
軍事に力を入れる国からすれば宝の山なのだ、その所為か割と戦
284
の多い国である。
だが、地形的に攻め難い事もあり決定的な侵攻を許したことは無
い。それが覆されたのが十年前の戦だった。
敵は魔術師に重きを置いての戦術をとったのだ。魔術に対し遅れ
をとるゼブレストにとっては最悪ともいえよう。何せ防ぐ術を殆ど
持たなかったのだから。
その戦況を覆したのが一人の傭兵と言われている。黒衣を纏い赤
い髪をした男はたった一人で魔術師達を葬り去りゼブレストを救っ
た後、功績を高く評価したクレスト家へと迎え入れられた。
情報の少なさから通称﹃紅の英雄﹄と呼ばれるゼブレスト最強の
騎士。その忠誠は当時騎士団長の地位にいたクレスト家当主に捧げ
られている。
﹁ミヅキの噂を聞いた所為かもな、血塗れ姫だったか? せめて英
雄扱いにしてやりたいんだろ﹂
﹁まったく、紅の英雄といい下らないことばかり思い付くものです。
結果だけを見れば彼等は感謝すべき者であり恐れるなどありえない
というのに﹂
﹁一人で成し遂げる実力者だからこそ怖いんだろうな﹂
英雄は孤独だと言ったのは誰だったか。実際は孤独どころか化物
扱いだ、そんな道を歩ませた自分は更に血塗られている。それでも
何も言われず恐れられることがなかったのは俺が﹃安全﹄だと思わ
れていたからに過ぎない。
﹁まあ、これからは俺も粛清王と呼ばれるだろうさ﹂
﹁徹底的にやってますからね、今回﹂
あの二人と同じ位置にいるのも悪くない。そう呟き俺達は笑みを
浮かべた。
285
286
英雄の条件︵後書き︶
あれだけ処罰者が連発すれば嫌でも発端が誰かはバレますよね。
主人公のやっていたゲームについての突っ込みは無しで御願いしま
す。
287
反撃開始
︱︱執務室にて︱︱ ︵ルドルフ視点︶
手にしていた手紙を机の上に置き俺は溜息を吐いた。
送り主は俺が最も信頼する配下の一人であり、姉のような存在だ。
そして現在、大変お怒りのようである。
原因はミヅキ誘拐を知らせたからなのだが。
﹁アーヴィ⋮⋮ミヅキとは別口で血の雨が降るかもしれん﹂
﹁ああ、彼女はやはり怒り狂っていますか﹂
﹁当然だろうな。しかもこっちに来るとさ﹂
二人揃って溜息を吐く。計画を壊すような真似はしないが我慢の
限界を超えたらしい。
ルドルフの為なら戦場だろうと同行するとまで言い切った忠誠心
は年月と共に更なる成長を見せている。嫁ごうとも色褪せることは
なかったらしい。
﹁それにな⋮⋮さっきミヅキから連絡が来たんだが﹂
﹁それは! 犯人は生きているのでしょうね!?﹂
﹁アーヴィ、ミヅキより犯人の心配か!? 気にする所はそこか!
?﹂
﹁ミヅキ様ならば無事だと確信しております。期待を裏切るどころ
か通り越して結果を出す方です!﹂
宰相様もいい加減学習したようである。良い方向で解釈するなら
実力を認めているのだろうが。
288
﹁それでな、ベントソン伯爵家の地下牢に閉じ込められているらし
いんだが﹂
﹁⋮⋮何故、そんな近場に?﹂
﹁近い方がバレ難いと思ったんじゃないいか? 転移方陣使ってる
んだから﹂
二人揃って微妙な顔になるのは仕方の無いことだろう。何故王都
の屋敷に居るのだ、しかも思いっきり自分の素性がバレる監禁場所
じゃないか、犯人は馬鹿なのか!?
余談だが転移方陣を使っての誘拐は遠方だったり秘密の隠れ家的
場所が一般的である。
﹁魔術結界の張られた地下牢に直接転移させられたらしい。一応は
考えてたんじゃないか?﹂
﹁⋮⋮ミヅキ様に魔術結界など意味があるのですか? あれは魔術
のみを弾くものだと記憶していますが﹂
﹁それ以前にあいつ万能結界組めるから解除もできると思うぞ?﹂
俺は腕に嵌っている腕輪を見た。規格外過ぎる性能に自分でも一
応調べはしたのだ。その結果、それが現時点ではイルフェナでさえ
作れないものだと判明し思わず拝んだりもした。
結界とは魔力によって作られた網のようなものだと聞く。それが
魔術を防ぐか物理攻撃を防ぐかは作った時に対象を指定することで
違ってくる。だがらこそ双方を防げる万能結界は組める技術を持つ
者が異様に少ない。
そんな物を易々と複数付加する人物ならば当然解除もできるだろ
う。
⋮⋮力技で破壊するかもしれないが。
289
﹁ミヅキ様を閉じ込めるならば魔力そのものを使えないようにしな
ければ無理かと﹂
﹁そんな技術は確立されていない。そもそも魔力で魔力不可の領域
を作り出すなんて愚かな発想だ﹂
﹁ですよね﹂
過去に唱えた者もいたらしいが、﹃封じる為の魔力まで消される
だろ、気付け馬鹿﹄で終ったらしい。そんな状態にしたいなら術者
の喉を潰せばいいのだから当然なのだが。
ミヅキの魔法が規格外なのは本人曰くゲームとやらの知識や経験
の賜物なのだそうだ。イメージ優先で作り上げているからこそ発動
しているに過ぎない、らしい。誰にも理解できない・世界の理を無
視した非常識なものばかりなのはその為と言っていた。
だからこそ自分が作った魔道具の製作技術は参考にはならない、
とも。
魔法が無いからこそ、憧れも相まってゲームとやらの魔法は﹃あ
くまで想像上の産物﹄という現実にはありえないものが多く登場す
るのだろう。それを現実にするミヅキもある意味凄いが。
﹁本人、現状を物凄ーく楽しんでたからな? 一応さっさと帰って
来いとは伝えておいた。仲間と共に手土産付きで戻るとさ﹂
﹁手土産ですか? 犯人を半殺しにでもしましたか﹂
﹁違うらしい。仲間は意気投合した奴らしいぞ?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
ミヅキと意気投合⋮⋮その言葉が何故こうも不安を煽るのだろう
か? 間違いなく、普通ではあるまい。
それ以前に二人ともミヅキを危険人物扱いである。泣く・助けを
求めるなど一般的な被害者の態度なんてするわけがない、あいつの
290
やる事は復讐だと信じてやまない。
﹁一応、セイルを迎えにやらせましょう﹂
﹁そうだな、ミヅキが破壊活動しててもセイルなら笑顔で説教して
引き摺ってくるだろう﹂
﹁では、呼んで参ります﹂
部屋を出て行くアーヴィレンを見ながら俺は思った。﹃早くも血
の雨が降りそうだ﹄と。
セイルを向かわせる事に微かに過ぎった不安に蓋をして。
※※※※※※
時間は少し遡り牢獄にて︱︱
﹁でね、探索っていうスキルを習得しておくと隠し通路とか見つけ
ることができるんだよ﹂
﹁へぇ、異世界って凄いんだな!﹂
牢内で何やってんだと思われるくらいほのぼのしてます。強面の
見張りさん、話せるじゃないか!
いや、あまりにも私の行動が奇妙だったらしくて話し掛けてきた
からさ? その行為の理由を熱く語ってみたのですよ。
結果、理解者を得ました。ダンジョンがあれば喜んで潜る冒険者
気質をお持ちのようです。
駄目な奴が増殖したとか言うでない! 探索に浪漫を求めて何が
悪い!?
291
﹁あのさ、何でこんな所に勤めてるの? 冒険者とか傭兵の方が良
くない?﹂
﹁⋮⋮俺も最初は騎士に憧れてたんだ。だけど戦争中じゃあるまい
し平民が騎士なんて無理だろう?﹂
﹁ああ、身分の問題ね﹂
﹁まあな。功績を立てられれば可能性があったんだけどな。紅の英
雄だって傭兵からクレスト家の騎士になったんだし﹂
﹁紅の英雄?﹂
﹁何だ知らないのか? 十年前の戦争で魔術師連中をたった一人で
全滅させて国を守った凄い人さ! 赤い髪をしていたから紅の英雄
って呼ばれてるんだ﹂
﹁強いんだねぇ、その英雄さん﹂
﹁おう! あの方がいなきゃこの国は終ったかもしれないしな﹂
見張りよ、英雄に憧れた果てが現状ではあまりにも切なくないか
⋮⋮?
憐れみたっぷりの視線を送れば﹃判ってくれるか!﹄と握手を求
めてきた。ええ、よく判りますとも。個人の実力以前に家柄で弾か
れるなんて気の毒にも程がある。
﹁おい! 貴様等こんなことをしてただで済むと思っているのか!﹂
硬く握手を交わす私達に無粋な怒鳴り声が投げつけられる。ちっ、
目を覚ましたか。
溜息を吐き振り返ると牢の内部に取り付けられた拘束具︱︱壁か
ら伸びた鎖に付いた手錠で手足を其々繋ぎ止めるアレです︱︱をガ
チャガチャと揺らす人物が喚いている。
﹁自分からこの牢に入ってきたんじゃない。﹃楽しいことに付き合
え﹄って﹂
292
﹁そうですよ、アロイス様。御自分で鍵を開けさせたじゃないです
か﹂
﹁う⋮⋮煩い!﹂
この男、アロイスはこの家の次期当主だそうな。つまりあのタヌ
キの長男。今のところ外見は人間です。
どうやら御父様からイルフェナの側室が捕らえられてると聞き足
を運んだ模様。馬鹿です、愚かです、﹃血塗れ姫﹄なんて異名をと
る女にのこのこ近づくなよ、この駄目人間。
見張りと盛り上がっている所に﹃楽しいことしたい﹄なんて言っ
て来たから、この楽しさを分かち合うべく拘束具を体験させてやっ
たんじゃないか。ついでに言うならここはお前の家だ、文句はそん
なものを備え付けた奴に言え。
﹁これのどこが楽しいことなんだ!?﹂
﹁えー? 私にとって﹃楽しいこと﹄でしょ? 何、囚人になりき
る為に痛めつけて欲しかった?﹂
﹁アロイス様、御自分の言葉の足り無さを自覚なさってくださいよ。
あれでは今の状況も文句言えません﹂
﹁そんな発想する連中は貴様等だけだーっ! さっさと外せ!﹂
﹁﹁楽しんでるくせに﹂﹂
﹁楽しんでない!﹂
﹁子供みたいにはしゃいでるじゃない﹂
﹁いい歳をして少しみっともないですよ﹂
怒るか喚くかしかしてないアロイスに私達は冷めた視線を送る。
え、私何か間違ったこと言ったっけ?
見張りに視線を向けると無言で首を横に振った。うむ、多数決で
293
私達が正しいことに決定。
あいつは一人で遊ばせておこう。
﹁話を戻すけどさ、強面だし、ガタイもいいから場所によっては牢
獄番も天職だったかもね﹂
﹁天職、か?﹂
﹁うん。ここは罪人というより都合の悪い人間を閉じ込めておくだ
けでしょ? だから誇りも持てない﹂
﹁⋮⋮。そうだな、本当に罪人相手なら良かったかもしれない﹂
﹁その罪人相手に一喝して黙らせる自分とか想像してみ? ああ、
脱獄を阻止するでも可﹂
﹁⋮⋮。悪人どもを一喝で黙らせる俺、脱獄阻止、尋問し口を割ら
せる⋮⋮﹂
﹁犯罪者に﹃捕まったら最後﹄と思われ恐れられる牢の番人ってど
うよ?﹂
いや、我ながら良い未来予想図だと思うのですよ。
この人に怒鳴りつけられたりしたら迫力あると思うし、英雄に憧
れるあたり正義の味方予備軍だと思うのです。戦場が無くても犯罪
はあるわけだし、誰もが恐れる牢の番人って割と格好良くないかね?
ほら、ゲームでも犯罪者に仕立て上げられた主人公のイベントボ
スになったりするし。
﹁⋮⋮良い、な﹂
﹁でしょう? これを機に私に付いてこのまま王宮行かない? 近
衛は無理でも騎士は狙えると思う﹂
﹁いいのか!?﹂
﹁イルフェナの側室を助け出した﹃正義の人﹄なんて十分な功績じ
ゃないの?﹂
294
うん、十分いけると思う。ゼブレストが無理でもイルフェナに連
れ帰れば魔王様に気に入られて問答無用で騎士になれると思う。⋮
⋮それが幸せかどうかは微妙だが。
理想はこの功績でルドルフに騎士にしてもらうことか。
﹁宜しく頼む! いえ、イルフェナの姫君。このリュカが必ずや王
宮までお連れします!﹂ ﹁宜しく御願いしますわ、リュカ。ついでにそれを御願いできるか
しら?﹂
ちら、とアロイスに目を向けるとリュカは力強く頷いた。と、い
きなり立ち上がって奥の牢に行きなにやら仕掛けを動かして何かを
持ってきた。
⋮⋮箱? こんな場所に?
﹁これにはベントソン伯爵が今まで横領した証拠や不正に得た利益
の証拠となるものが納められております﹂
﹁何故こんな場所に? リュカはどうして知っているのかしら?﹂
﹁こういったものが隠されるのは主の部屋などが多いらしいですが、
牢ならば誰も目を向けないからだそうですよ。それに﹂
にやり、とリュカは悪戯っ子の様に笑う。
ぬし
﹁俺ほどこの場所に詳しい奴はいません。⋮⋮見張りと言う名の主
でしたからね﹂
﹁ふふ、なるほど﹂
つまり職場のことで知らないことは無いと言いたいのか。そうい
や、アロイスを吊るした時も手馴れてたもんな。
さて、もうここに用はありません。いざ、脱出ですよ!
295
﹁お⋮⋮お前達、こんなことをし、うぐっ!﹂
﹁黙るがいい! 罪人の分際で姫様の耳を汚すとは何事か!﹂
﹁ひ⋮⋮ひぃ﹂
おお、早くも将来有望です! 反論を一撃を見舞うことで黙らせ、
一喝して怯えさせてますよ。
迫力も十分です、ルドルフにはこの光景を是非見せてあげよう。
十分採用可能と見た。
感心している間にもリュカはアロイスの手足を縛って担ぎ上げて
いる。
ああ、ルドルフに一言伝えておくか。無事だってことしか伝えて
なかったし。
﹃ルドルフー、今から仲間と一緒に脱出するから﹄
﹃は? 仲間? お前、牢で何やってたんだ﹄
﹃探索してた。 面白かった! 拘束具とかに人を吊るしてねー⋮
⋮﹄
﹃⋮⋮わかった、もう喋るな。楽しんだんだな。で、仲間ってなん
だ?﹄
﹃脱出の協力者。意気投合しました。ついでに手土産持ってきてく
れた﹄
﹃えーと意味が判らんのだが。とりあえず迎えをやるから早く帰っ
て来いよー﹄
﹃はいな、了解﹄
﹁それでは参りましょう。敵は私が引き受けますわ﹂
﹁はい! お手を煩わせるなど申し訳ございません﹂
﹁いいのです、それは貴方にしか運べないのですから。私は魔導師
ですよ? 敵に一矢報いなければ気が済みません﹂
296
﹁そうですね、姫様の腕の確かさは私も存じております﹂
リュカの前で結界をあっさり解いたからね。牢獄談議に興じる前
に邪魔なものは排除済みなのです。
だってスキル﹃探索﹄の邪魔だったんだもの! 邪魔するものは
さっさと排除あるのみです!
話しながら歩き私達は扉の前に立った。ここからは警備の者が出
てくるはずである。
まあ、ルドルフと通信してあるから外に出ればお迎えが来るでし
ょう。
リュカにも迎えが来ることを伝え、顔を見合わせて頷き合う。
さあ、脱出劇を始めましょう?
バン! という音を響かせてリュカが扉を蹴破る。通路には音に
驚いた男達が数名。
﹁邪魔です、命が惜しくば退きなさい!﹂
﹁こいつの首をへし折られたくなくば道を空けろ!﹂
台詞もやってる事も悪役サイドだよなーと思いつつ脱出開始です。
ええ、二人揃ってノリノリですよ! テーマは忠実な騎士と強気
な姫の脱出劇です。映画のワンシーンの如く向かってくる敵も良い
感じ♪
さて、迎えが到着するのと私達が殲滅するのはどちらが早いかな
ー?
297
血塗れ英雄と鬼畜姫
立ち止まり後ろを振り返る。通路には二人の男達が転がったまま
呻いていた。その手足がおかしな方向に曲がっている原因は私だが。
﹁どうなさいました?﹂
リュカが尋ねてくるが、彼自身も何となく違和感を感じて警戒し
ているようだ。今まで私が口にしなかったからこそ脱出という目的
を優先させていたのだろう。
﹁リュカ、この館の警備はいつもこの程度なのですか?﹂
﹁いいえ。私が知る限り少なくともこの十倍の警備兵はいますね﹂
地下牢を出た直後の通路には五人の警備兵が居た。だがその後は
使用人の方が多く、館の広さにしては明らかに警備がいい加減であ
る。
使用人も敵として問答無用で手足を折った私が言うのも何だが、
脱出し易過ぎるのだ。
なお、使用人達の命乞いを一切聞かなかった為に鬼畜呼ばわりす
る奴も居たが、そんな自分勝手な理由は笑顔で無視してやった。こ
の状況での先手必勝に何の問題があるというのさ。
私には使用人に扮した暗殺者や警備兵を見分ける能力はないのだ
よ。だから﹃敵﹄という枠に一括りするのは当然です。ついでに言
うなら私を﹃イルフェナの側室﹄だと知ってる時点で敵確定ですが
な、主の行いを知ってる訳だしね? ただで済む筈なかろう。
﹁もしかすると庭で待ち受けているのやもしれません。内部では集
298
団で襲い掛かることもできませんから。数で攻める気ならば考えら
れます﹂
﹁そうね。魔導師を相手にする以上、正面からぶつかろうとは思わ
ないでしょうし﹂
意外と考えているのだろうか。それにしては魔術師どころか魔力
持ちも今のところ遭遇してないぞ?
﹁考えても仕方ありません。そのまま玄関へ向かって脱出しましょ
う﹂
﹁宜しいのですか?﹂
﹁外への最短距離ですし、周囲を壊せばここの異常に気付く者も居
るでしょう。それに私達がこそこそする必要などあるかしら?﹂
私が転移させられたのを騎士達は見ているのだ、だから自分で訪
ねて来たという言い分は通らない。破壊活動しようが脱出の為なの
です、非は明らかにベントソン伯爵にある。
王宮から騎士が救出しに来るというのが王道だとは思いますが、
私は便宜上﹃姫﹄と呼ばれているだけであって本物じゃありません。
自力脱出です、自己防衛です、リュカという証人兼協力者を連れ
てそのまま王宮に駆け込み﹃至急お知らせしたいことが!﹄と告げ
る主人公的王道展開をやろうと思います!
﹁ありませんね。差し出がましいことを申しました﹂
﹁いいのですよ、リュカ。警戒すべきは本当のことなのですから﹂
リュカ君、順調に騎士らしくなってますね。良い傾向です。私が
普通じゃないだけで君の判断は正解ですよ?
目的が﹃姫を無事に王宮へ連れて行くこと﹄である以上は警戒し
299
過ぎることなんてないのだ、普通の姫に戦闘能力はない。身分的な
問題も踏まえて自分より強くとも、﹃姫﹄に役に立つことを求める
方が間違いだ。
今回は私が派手に己の正義を振りかざしたいだけなのです、映画
だと見せ場の一つですよ!
敵を蹴散らし堂々と出て行くシュチュエーションは一つの王道で
すね! しかし﹃圧倒的強さで敵を蹴散らす﹄という同じ行動にも
関わらず悪党サイドがこれをやると何故か非道扱いになる不思議。
今回は明らかに私達が正しいので、敵に対しての攻撃は周囲の支
持を受け﹃使用人にまで怪我をさせたのは仕方がなかった﹄で済ま
せられると推測。怖いな、正義って。
﹁さあ、参りましょう?﹂
﹁はい﹂
理解ある騎士に笑いかけると私達は再び歩き出した。
※※※※※※※
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮リュカ﹂
﹁言わないで下さいよ、俺も混乱してます﹂
リュカも思わず騎士モードから言葉遣いが戻っている。うん、こ
の状況は仕方ないと思う。
外へ続く無駄にでかい扉を開けたそこは︱︱紅の庭だった。
300
手入れされた庭を彩るのは鮮やかな赤い花⋮⋮などという平和な
ものではなく。
整えられた草花が不自然に赤黒く染まっているとか。
赤く染まっていることを除けば寝ているようにも見える、武器を
握ったままの男達とか。
水溜りのごとく点在する赤い血溜りとか。
どの死体も首を掻き切られての失血死じゃないだろうか。他に外
傷っぽいものが見当たらないし。
とどめは視界の端で最後らしい男達と切り合っている全身を紅に
染めた人。距離があるけど辛うじてゼブレストの騎士だとわかる。
赤いのは返り血を浴びたからか。
﹁凄ぇ⋮⋮全部一撃で殺してやがる﹂
﹁え?﹂
﹁少なくとも周辺の死体は全部喉狙いで殺されてます。一番確実で
腕がなきゃできない殺し方ですよ!﹂
ああ、確かに頚動脈をざっくりいけば死ぬわな。至近距離でざく
ざく切りまくったから盛大に返り血を浴びたのね。
で。
問題はそんなことじゃなく。
﹁あの人⋮⋮味方だと思う?﹂
﹁騎士ではあると思いますが⋮⋮﹂
これだよね。え、次は私達が標的だったりする?
301
どうやらこの人が来てくれたお陰で主な警備兵は庭に集ったらし
い。どのみち私達も確実に外へ出てくるのだから、双方を相手でき
る上に集団で囲む戦法が取れるこの場所は都合が良かったのだろう。
だが、思わぬ落とし穴があったようだ。たった一人と侮った侵入
者に全滅とは。
そんな事を考えているうちに最後の一人を倒した赤い人はこちら
に気づいたらしい。
﹁リュカ、私が相手をするからそいつ連れて王宮へ行って!﹂
﹁できませんよ!﹂
敵か味方か不明なのです、とりあえず私が相手した方が生き残れ
る気がする!
そんな思いも虚しく、その人物は私達に近寄りながら笑みを向け
た。
﹁お迎えに上がりましたが⋮⋮私と戦うおつもりですか?﹂
﹁え、セイル将軍? 色違いの偽物とかじゃなくて!?﹂
﹁色違い⋮⋮﹂
﹁2Pカラーとかかもしれないし! それなら悪党サイドでも納得
する﹂
実は双子とかクローンとか。無駄に色々設定のあった世界を知る
人間からすると一瞬疑います。
﹁ミヅキ様は私にどういった印象を抱いておられたのでしょうね?﹂
﹁腹黒い、地味に手加減なし、女じゃないのが惜しまれる美人﹂
﹁⋮⋮。最後のは否定させてください﹂
﹁よし、本物! お迎え御苦労!﹂
﹁⋮⋮貴女という人は﹂
302
正直過ぎる言葉に笑顔が引き攣ったような気がしますが気の所為
でしょう。この反応は間違いなくセイルです、良かった良かった。
微妙に笑顔が怖いのは気にしない! まずは身の安全が優先です。
﹁しかしまあ⋮⋮派手にやったわねー﹂
﹁私の顔を知っていたらしく、話し合い以前に切りかかってきまし
たので﹂
﹁喉を狙った? 頚動脈を切ると確実に死ぬわよ?﹂
﹁以前、魔術師を相手にした時に有効だと学びました﹂
﹁じゃあ、何故に顔はそれほど血を浴びてないのかな?﹂
﹁視界が塞がれると面倒でしょう? 他はともかくそれだけは避け
ますね﹂
﹁魔術師相手?⋮⋮この強さ⋮⋮まさか、紅の英雄!?﹂
セイルの言葉にリュカが反応する。
リュカよ、紅の英雄は十年前の人だ。本人なら紅の英雄は十代だ
ったことになるぞ?
そう言おうとした私の声は言葉にならぬまま、思わぬ人に遮られ
た。
﹁ええ、そうですよ。あの時、魔術師達を皆殺しにしたのは私です
から﹂
﹁は? マジ?﹂
﹁ルドルフ様の護衛として付いて行った際に敵の魔術師団が現れま
して。結果として殲滅という形に﹂
﹁⋮⋮もしや喉を狙うのって﹂
﹁詠唱させなければ魔術は発動しないでしょう?﹂
将軍、大正解。当たり前のことなのに魔法の威力を恐れるあまり
303
試す人が少ないのだ。
ついでに言うと接近されると魔術師は本当に無力。頭脳職なので
武器で対抗なんて真似はまずできない。しかも集団だった場合、味
方を巻き込む恐れがあるので迂闊に魔法も撃てないのだ。
﹁殺すことに恐怖も躊躇いも感じません。ミヅキ様でもやはり恐ろ
しいですか?﹂
軽く首を傾げてセイルは問う。いつもの穏やかな笑みを浮かべた
まま、髪からは命の紅を滴らせて。 さっきの受け答えからセイルが敵を殺す事に対して何の感情も抱
いていないのは確実だろう。殺すことに対する恐怖のない人物が確
実に相手を仕留める腕を持っている︱︱それこそ彼が英雄と成り得
た理由か。
だけどね、将軍?
﹁セイル、ちょっとこっちに来て﹂
﹁はい⋮⋮?﹂
池の傍に立ち手招きする私に首を傾げながらも素直に従うセイル。
そんな彼に私はにっこりと微笑んで。
﹁どうでもいいからさっさと血を落とせ!﹂
﹁え、あ、あのっ⋮⋮!?﹂
ばっしゃん!
魔法一発、セイルを池に突き落とす。
大丈夫、ある程度の深さはあるみたいだから! お前の事情はどうでもいいから、とにかく血を落とさんかい。私
304
達、これから王宮行くんだよ?
﹁ひ、ひ、姫様! 貴女は英雄に一体何を⋮⋮!﹂
﹁何って洗い流し?﹂
慌てたリュカが駆け寄ってくるが平然と応えてやる。
大丈夫、水に濡れれば水分ごと分離させることができるから。
実はこれ、魔法を学び始めた頃に見つけたクリーニング技術。一
度濡らして汚れを水に溶かして一緒に分離する方法なのです。これ
を職にして生活しようと思ったくらいだもの、安心の腕前ですよ。
﹁けほっ⋮⋮ミヅキ様、いきなりは、どうかと思いますよ﹂
﹁あら、一気に脱色したわね。じゃあ、池に沈めと言ったら従って
くれた?﹂
﹁遠慮します﹂
﹁脱色⋮⋮英雄を池に落とした挙句に色落ち扱い﹂
リュカ、呆然とするんじゃない。私は間違った事はしてないよ?
だってねえ? 血濡れで微笑んでる奴が出歩いてみろ、ふつーに
怖いぞ?
一体どこのホラーゲームかと言わんばかりです、間違いなく通報
沙汰。
﹁あのね、将軍。私は血塗れ姫なんて言われるほど容赦無いの、間
接的だろうと私は何人葬ったと思うの?﹂
﹁それは⋮⋮国の為でしょう﹂
﹁違う。この世界で生きなきゃならない私自身の為だよ。幾つの綺
麗事を並べたところで最終的にはそこに行き着く﹂
事実なのだ。ルドルフという個人と親友だろうとも利害関係の一
305
致で私はこの仕事を引き受けた。
間違っても国の為だの、友人の為といった感動的な言い訳を使え
ない。
﹁だから。純粋に国とか主の為に行動したセイルを怖がるなんてあ
りえない﹂
セイルは虚を突かれたかのように固まった。リュカも同じく。
﹁快楽殺人者ならば殺すか殺されるかのゲーム展開、敵として殺そ
うとするなら迎え撃てばいい、都合で殺されかけるなら全力で抗う
だけ。ねえ、そう割り切れる実力を持った私が何故怖がるなんて思
うの?﹂
﹁そう、ですね。貴女は⋮⋮そういう人でした﹂
﹁姫様、凄いです! そこまで言い切れる人は滅多に居ません!﹂
誉められている筈なのに誉め言葉に聞こえないのは何故だろう。
私は善人でも博愛主義者でもないのだ、敵に対して容赦しないの
は当然ですよ。
﹁申し訳ありません。貴女を見縊っていたようです﹂
池から上がり水を滴らせながらセイルは膝をつく。
﹁お迎えに参りました、ミヅキ様。遅くなり申し訳ございません﹂
﹁十分ですよ、セイルリート将軍﹂
言いながらセイルの水気を払ってやる。払った水が赤かったのは
気付かなかったことにしよう。
目の前にはいつもどおりの銀髪の青年が微笑んでいるのだから。
306
﹁英雄を跪かせるなんて⋮⋮貴女は神か!﹂
感動した! とばかりに尊敬の目を向けるリュカに私は首を振っ
て否定する。
﹁神じゃない、魔導師よ﹂
﹁鬼畜です﹂
⋮⋮。
おい、鬼畜って何だ。
胡散臭げな目を向けるとセイルはもう一度繰り返した。
﹁鬼畜です。敵には容赦なく、味方も時々突き落として楽しむ方で
す﹂
﹁おお、英雄さえ恐れ認める方なのですね!﹂
﹁ええ。今までを見て来た貴方なら理解できると思いますが﹂
﹁勿論です!﹂
ほう。そういう事を言うかね?
ならば期待に応えねばなるまい。鬼畜だからね?
﹁じゃあ、鬼畜っぷりを体験してもらいましょうか♪﹂
﹁﹁え﹂﹂
パチンと指を一つ鳴らし。
ばっしゃん!
セイルとリュカは池に突き落とされたのだった。
307
﹁ミヅキ様⋮⋮﹂
﹁ふふ、水も滴るいい男⋮⋮あら美人の方がいいかしら?﹂
﹁そうですよね、それでこそ貴女だ﹂
呆れたように呟くと肩を竦めて笑みを浮かべる。
⋮⋮。
えーと、将軍様? 突き落とされたのに何故にそんなに楽しそう
なのですか?
まさか、白騎士と同類とか言わないよ、ね?
308
帰り道の雑談
﹁⋮⋮で、何で﹃紅の英雄﹄の情報が制限されてるの?﹂
あれから二人の服を乾かし、現在は馬車で王宮へ向かう途中。
⋮⋮うん、側室が後宮から出てたら問題だよね、普通。姿をでき
るだけ見せないようにとの将軍の配慮です。
特別豪華な馬車ではないので目立ちません。身分を気にする必要
も無いので全員一緒に乗ってます。
アロイスは私とリュカの足元に転がってる所為で踏まれてますが。
必要ないよね、気遣いなんて。
で。
折角なので﹃紅の英雄﹄について英雄御本人に質問中。クレスト
家の騎士ってことになってるんだからクレスト家は情報隠蔽の協力
者か発案者とみた。なんで隠すのさ?
﹁私には少々事情がありまして。それもあって陛下の専属護衛とい
う立場だったのですが⋮⋮﹂
﹁専属護衛? 近衛じゃなくて?﹂
﹁クレスト家は王家の分家のようなものなのですよ。代々、宰相な
どの重鎮や将軍職に就き王を支える立場にあるのです。ですから正
規の騎士でなくとも王族の護衛に就くこともあります﹂
なるほど。クレスト家の当主は大物貴族として政治に参加し、そ
の血縁者は別の形で王を守る立場になるわけね。だから貴族連中が
クズでも王が無能でも国は何とかなったわけですか。
﹁王が戦場に行くなどできるはずもありませんし、視察という形で
309
ルドルフ様が戦場に赴かれたのです。まさか敵の魔術師団が接近し
ているなど思いもせず﹂
﹁ふーん⋮⋮情報操作された? 自国の貴族に﹂
﹁さあ? どうでしょう﹂
﹁ルドルフの親友としては許し難いわねえ?﹂
そんなタイミングで来るだろうか? だが、セイルは曖昧に微笑
むだけである。
ま、今でも生きてたら私が潰すけどね。もう居ないかもしれない
けどさ。
﹁魔法を撃ち込まれればルドルフ様もただでは済みません。逃げる
時間だけでも稼げればと思ったのですが、ルドルフ様の言葉にもう
一つの可能性を見出しました﹂
﹃魔術は詠唱が必要だろう? 途中で止めさせれば撃てないんじゃ
ないか﹄
﹁誰もが思い実行できなかったそうですが⋮⋮私は思いました。魔
法による攻撃が始まる前に喉を潰せばいいのではないかと﹂
それは賭けだったろう。見付からずに接近できれば確実に潰せる、
だけど。
﹁幸い、という言い方も妙ですが。敵の意識は我が軍に向いていま
した。当時、私は騎士服を着ていませんでしたから見付かっても逃
げ遅れた旅人程度の認識だったでしょうね。外見も相手の油断を誘
ったと思います﹂
﹁つまり今より華奢でその顔だったから女に見間違えられて懐に入
り込めたと﹂
310
﹁⋮⋮。不本意ながらそうだと思います﹂
そういう使い方もあるのか。美人顔って使えるな、おい。私がや
っても無理だと断言できるぞ!?
⋮⋮。
何となくムカついたので軽く頬を抓ってみる。笑顔のままなのが
敗北感を誘いますね!
⋮⋮リュカ、慰めてくれなくていいから。これと同系統の顔立ち
をあと三人程知ってるから!
全員、男だが。あれ、美女はどこいった?
﹁話を戻しますね。それで魔術師達が攻撃に移る前に喉を狙って切
りつけたんです。殺すというより声を出させない為という認識が強
かったですね﹂
﹁うん、それ正解。魔術師で術を複数制御できる人は多分居ないか
ら。詠唱中断して結界張ろうにも間に合わないし、そこまで近いと
味方を巻き添えにするから魔法も撃てないよ﹂
﹁ええ。ですから私は剣を振るうだけで良かった。元々、私は力押
しではなく素早さを活かし先制するタイプでしたから﹂
それで正確に喉を狙うってのも凄いんじゃなかろうか。リュカも
誉めてたし。
ちら、と視線を向けるとリュカは尊敬の眼差しでセイルを見てい
る。⋮⋮やっぱり。
﹁返り血を浴び過ぎた所為で私の全身は紅に染まっていました。ゼ
ブレスト軍からは紅い人物が魔術師を殺しているように見えたんで
しょう。一旦、川に入って血を洗い流し身支度を整えた時には既に
噂になっていましたよ﹂
311
﹃赤い髪に黒い服を来た男が魔術師達を全滅させた﹄
﹃あれは誰だ! 騎士じゃないぞ!﹄
﹃戦場に居るならば傭兵じゃないのか?﹄
﹁我が国は当時かなり追い詰められていました。もしここで﹃英雄﹄
が現れれば全てを押し付けてしまいかねない程に。それを憂えたル
ドルフ様と事情を知るクレスト家の御当主が噂を利用したんです﹂
﹃一人に押し付けるのではなく、我が軍が勝たねば再び攻められる
だけだ﹄
﹃セイルだと公表すれば貴族達の格好の的になるだろう﹄
﹁国を建て直さねばならない時に権力争いなど破滅を招くだけです。
王が押さえ込めればまだ何とかなったのでしょうが﹂
﹁ルドルフは年齢的にまだ政治に深く関われない。セイルの守りに
も不十分だったってことね﹂
﹁ええ。ルドルフ様は当時から王より国を守ってらっしゃいました。
これ以上の負担を掛けさせる訳にはいきませんでした。だからこそ
﹃紅の英雄﹄は作り上げられた﹂
﹁クレスト家に属するなら顔はバレないし、貴族からも守られるも
のね。ついでに国の立て直しに英雄は必要だったでしょう、民は英
雄譚が好きだから﹂
﹃英雄﹄という存在がもたらす価値を利用したのだ、セイル達は。
隠す事によってそれは更に価値を増す。
英雄に思いを馳せる人々の想像力は苦難を強いられる現状を大い
に慰め勇気付けただろう。
﹁で? セイル自身は人に怖がられるのが嫌だった?﹂
﹁私より周囲が気にしまして。私が躊躇い無く殺せるのは事実です
312
から﹂
何だか英雄本人は随分と淡々としているような。事情は知らんが
何処か歪んでいるような印象を受けるね、セイルは。
﹁その後私は正式に騎士となりました。誰も私を英雄だと思いませ
んでしたよ、年齢的なこともありますしね﹂
﹁立場無いもんね、騎士さん達﹂
﹁ええ。ですからミヅキ様のように気付かれる方の方が稀なのです
よ﹂
﹁例外ですか、私﹂
﹁本能というか野生のカンで血の匂いを嗅ぎ取る人は極々稀にいま
したが⋮⋮﹂
﹁あ、それ違う﹂
﹁え?﹂
﹁私が気付いたのは穏やか過ぎるから。誰からも印象が同じなんて
意図的にそう見せている以外無理でしょ﹂
えーと。ここまで言ってもらって何ですが、私が気付いたのって
﹃セイル=警戒対象﹄くらいですよ?
王宮で騒ぎを起こした時の情報収集でセイルが﹃誰にでも穏やか﹄
って気付いたんだし。
無駄に目敏いし、常に穏やかで内面見えんし、あの年齢で将軍で
しょ? 普通じゃないって!
何て言うか⋮⋮あれだ、ヤンデレキャラに近いヤバさ。あんな感
じ。
怒らせたらヤバくね?
うっかり気に入られたらヤバくね?
好意も敵意も一歩間違えれば惨殺ルートに行きそうな定番キャラ。
313
英雄事情を知った今となっては杞憂でしたけどね、これがマジだ
ったら全力でフラグ折らなきゃ命の危機です!
ツンデレは無害だけどヤンデレは怖い。リアルは絶対に求めませ
ん。
⋮⋮という異世界文化を語ってみたら二人に無言で冷たい視線を
貰いました。
特にセイル。微笑んだままなのが、いと恐ろし。
うん、ごめん。それは素直に謝ります。心の中では絶賛土下座中。
未だセイルに﹃自己防衛してたら最強の騎士になってた﹄という
BL疑惑を抱いたことを隠している身としてはこれ以上の秘密は要
らん。
その後。
﹁ああ、そろそろ着きますね﹂
﹁セイル、いい加減下ろして﹂
﹁いえいえ、折角ですからフラグとやらを立ててみましょう﹂
﹁私は側室⋮⋮﹂
﹁それは仮の立場でしょう? どうせなら英雄の恋人になってみま
せんか?﹂
﹁架空の恋人はお断りします﹂
﹁では、私が皆の前で求婚を⋮⋮﹂
﹁国中の年頃の娘さん達を敵に回せと!? 嫌がらせに自分を使う
の止めようよ!?﹂
﹁お二人とも⋮⋮状況と場の空気が合ってませんよ﹂
あれからセイルの膝に座らされております、私。
微笑みの将軍様、いつもより近い位置にあるお顔はとっても綺麗
314
ですがひしひし寒気を感じるのは何故でしょう⋮⋮?
怒ってますか、そうですか。
英雄様、心が意外と狭いのですね? どうせなら広い心を持つ大
物になってくださいよ。
リュカよ、怯えるくらいなら止ーめーさーせーてー!
﹁くっ⋮⋮! 二人でイチャつかないでくださいよ! 俺だって⋮
⋮﹂
おい、そこか。気にするのはそこなのか。
﹁私やミヅキ様を恐れない逸材だと思っていましたが、中々に楽し
い性格なのですね?﹂
﹁楽しくて頼もしい奴です、騎士志願者なので部下にどうですか?﹂
﹁私からも陛下に推薦しておきますよ﹂
リュカ君、騎士になれるみたいだよ? 良かったね! アロイス
に八つ当たりしてる場合じゃねえぞ、話を聞け?
⋮⋮ではなくて。
怯えてたんじゃなくて羨ましかっただけか。私と代わる? 英雄
様の膝の上だぞ?
﹁ミヅキ様?﹂
ごめんなさい。だから笑顔を向けるな、心を読むな、怖いから。
※※※※※※
﹁⋮⋮で? お帰りと言った方がいいか? それともその状況の原
因を聞いた方が良いか?﹂
315
﹁下ろせと命令してやって﹂
﹁面白いからそのままで﹂
﹁人が必死に帰ってきたのにそれかぁぁぁ!﹂
あれから。
裏方から後宮に入り︱︱誰か亡くなったり人目に付くと都合が悪
い時の為の入り口があるそうな︱︱誰も使っていない一室でルドル
フ達に迎えられた。
ええ、その生温い視線の理由も判っていますよ。将軍様にお姫様
抱っこされてるからですね!
﹁安心しろ、ミヅキ。その状況に誰も微笑ましさなんて感じてない
から。セイルに無理矢理引き摺って来られたんだろ? 今更じゃな
いか⋮⋮で、何をやった?﹂
﹁池に二回ほど落として脱色した﹂
﹁脱色?﹂
﹁赤い汚れを落としたの!﹂
すい、と宰相様が目を眇める。
﹁紅の英雄に会ったのですか﹂
﹁会ったよ? それが何か? ああ、事情は本人から聞いたから知
ってる﹂
それが? と首を傾げる私に宰相様は困惑したようだった。その
肩をルドルフが笑いながら叩く。
﹁ほらな! ミヅキなら大丈夫だって言っただろ?﹂
﹁しかし、ミヅキ様のこの状態は⋮⋮﹂
﹁ああ、それとは別件。セイルに美人だとかヤンデレ疑惑があった
316
とか言ったら怒って絶賛嫌がらせ中なだけ﹂
ね? とリュカに視線を向けるとリュカは大きく頷いた。
﹁自業自得です。将軍は貴女の玩具じゃないんですよ?﹂
﹁弄ばれたので責任を取ってもらおうと求婚したのですが。次点で
英雄の恋人の地位をお勧めしてみました﹂
﹁人聞きの悪い! 善人面して内面真っ黒なセイルが一方的に被害
者になるわけないじゃない!﹂
﹁おや、常に誠実であったと思うのですが﹂
﹁ミヅキ⋮⋮セイルが物凄く楽しそうじゃないか、正直に話せ?﹂
弄ばれた人間がそんなに楽しそうなわけなかろうが! ルドルフ
も煽るんじゃない!
⋮⋮あれ? 宰相様が固まっている。おーい、どしたの?
皆の視線が集中する前にルドルフは宰相様の肩を再度叩き我に返
らせる。お疲れなのだろうか、やはり。
﹁悪いな、俺達も疲れてるところにミヅキの誘拐があったんだ。し
かもセイルが冗談言うなんて珍しいものを見た所為で思考が付いて
行かないんだろ。な、アーヴィ?﹂
﹁え? ええ、セイルがそのように楽しげなのは初めて見ましたか
ら﹂
﹁寂しい奴ですね。鍛錬がお友達ですか﹂
﹁アーヴィは仕事が恋人だけどなー﹂
﹁ルドルフ様っ! ミヅキ様共々ふざけるのはお止めください!﹂
戻った。凄いな、ルドルフ。宰相様の扱いをよく判っている。
日常がそれではあまりに不憫では、などと声に出さず同情してい
るリュカよ、お前もそのうち同類だ。
317
ああ、そうだ。ついでに渡しておこう。
﹁ルドルフ、これ戦利品。⋮⋮リュカ!﹂
﹁はい。 陛下、これをお受け取り下さ⋮⋮!?﹂
ドン! とリュカをルドルフの方に突き飛ばす。
リュカはバランスを崩すも何とか持ち堪えてルドルフへ倒れ込む
のを防いだようだ。
ふむ、上出来。
﹁ミ⋮⋮ミヅキ様? 陛下に怪我をさせたらどうするんです!?﹂
﹁だから戦利品﹂
﹁ですから、お渡ししようと﹂
﹁戦利品? ああ、なるほど! こいつごと受け取れってことか!﹂
﹁うん。私と意気投合して脱出を手伝ってくれたのも、証拠を探し
て持って来たのも、そいつを拘束してここまで運んできたのもリュ
カだから。騎士になるには十分な資質でしょ?﹂
﹁紅の英雄と会って尚、変わらぬ態度をとれる人物ですよ。私から
も推薦させていただきます﹂
﹁ルドルフに対する忠誠も今ので十分でしょ? 普通なら倒れ込む
けど回避もしたし﹂
﹁部屋に入ってからの行動を見る限り素質十分と思われます﹂
そう、ここで私に対して怒るなら﹃王に怪我をさせるかもしれな
かったこと﹄に対してだ。間違っても自分が突き飛ばされたことに
対して怒っちゃ駄目なのだよ、優先順位があるのだし。
今まで一歩退いて会話にさえ加わらなかったのも騎士として正し
い態度。これまで仲良くしていようとも、こちらから問わない限り
会話に加わってはいけない。
最後に突き飛ばしたのは自分よりルドルフを優先できるか見る為
318
だ。
テストはこの部屋に入った時から始まっていたのだよ、リュカ。
誰も何も言わなかったからこそリュカ自身の対応が皆の目にそのま
ま映る。
でなきゃいくら将軍や私の推薦があろうとも騎士には認められな
いでしょ?
事前に念話していたルドルフだけじゃなく宰相様や護衛の騎士達
も納得したようだ。
実力での採用確定おめでとー、リュカ。
﹁ふむ、確かに。今はまだ粗いですがこれからに期待できそうです
ね﹂
﹁じゃあ、とりあえずセイルの部下ってことでいいか? ミヅキに
付き合える奴なら何処でも大丈夫そうだし﹂
﹁ほ⋮⋮本当ですか!? ありがとうございます!﹂
﹁セイルは厳しいからな、しっかり励めよ﹂
﹁はい!﹂
おお、宰相様も話に乗ってきた! ⋮⋮人材不足だもんなー、今。
有能な人材はいくらでも欲しいというのが本音だろうよ。胃薬は足
りてますか、宰相様。
と、そこへ澄んだ笑い声が響いた。
﹁ふふっ、楽しいわね! 陛下、ずっと私を仲間に加えてくださら
なかったことを恨みますわよ?﹂
﹁ああ、済まないな。 カルリエド伯爵夫人﹂
騎士達の陰に隠れるようにして立っていた女性が笑い声を上げて
いる。ベールを被っているから顔までは判らないけどルドルフと親
319
しげな様子だ。
加えて私の現状に何の疑問も抱かないのですね、いいのか?
唐突な紹介にぱちくりと瞬きをした私に対しセイルは何やら腕に
力を込めたような?
女性はゆっくりと私達の前に進み出ると優雅にお辞儀をした。
﹁初めまして、ミヅキ様。お噂は聞いておりますわ﹂
﹁えーと。こちらこそこんな状態で申し訳ありません﹂
﹁構いませんわ。貴女が悪いのではなく、その男が悪いのですもの﹂
あら、珍しい。セイルに対し良い感情を持っていないようです、
カルリエド伯爵夫人は。
セイルも穏やかな微笑の影に黒いものが見え隠れしているね。仲
が悪いのか?
それにこの声って⋮⋮。
﹁いい加減になさいな、セイルリート将軍? 女性の体に無闇に触
れるものではありませんわ﹂
﹁おや、淑女とは言い難い貴女に言われるとは﹂
﹁あらあら、いっそ貴方もドレスを纏えば宜しいのに。きっとお似
合いよ?﹂
﹁御冗談を。貴女も相変わらずですね、嫁ぎ先の苦労が偲ばれます﹂
⋮⋮。
冷戦をするなら私を放してからにしてくれないだろうか?
困ってルドルフ達を見ると宰相様共々首を横に振った。諦めろっ
てことかい。 ﹁ごめんなさいね、下らない事に気を取られてしまったわ。私は︱
︱﹂
320
一通り嫌味を言い終えるとカルリエド伯爵夫人はゆっくりとベー
ルを取った。
321
二人の幼馴染
主の居ない部屋で一人の侍女が佇んでいた。
部屋の外には騎士が控えているだろうが、室内にその姿は無い。
彼等は主の護衛なのだから当たり前である。
誘拐騒動があったからこそ、念の為に護衛がつけられているに過
ぎないのだ。
ひっそりと溜息を吐き、想い人を思い浮かべる。
彼は昔からとても優しく頼りになる人だった。成長と共に道が分
かれ滅多に会うことはなくなってしまったが、時折見かける姿に恋
心を募らせていった。
なのに。
何故、彼女はああも簡単に彼の傍で笑い合うことを許されたのだ
ろう?
役目など関係なく仲睦まじい姿に、事情を知らぬ誰もが﹃あの方
ならば﹄と思っただろう。
宰相や将軍でさえ彼女が彼の傍に居ることを受け入れているのだ、
認めぬ筈は無い。
私はずっと昔に失ってしまったのに。
私はあの人達に受け入れられることはなかったのに。
醜い嫉妬だろうと私は後悔などしてはいない。
家族を嘆かせようと私は最後まで足掻いてみせる。
一瞬、﹃彼女﹄の他者を圧倒するような瞳を思い出し背筋を凍ら
せるが、震えを無理に押さえ込む。
322
大丈夫。
私は悟らせてなどいない⋮⋮いいえ、気付く筈は無い。
だって、私は﹃彼女に危害を加えてなどいない﹄のだから。
だから﹃彼女﹄が戻った際には、誰より心配したといわんばかり
の憂い顔を喜びにかえて迎えるのだ。
﹁ミヅキ様がお戻りになられたそうです。王宮で休んでおられるそ
うですよ﹂
﹁⋮⋮! わかりました! すぐに、すぐに参ります!﹂
さあ、いつもの演技を。
喜びの仮面を貼り付けて迎えに参りますわ、ミヅキ様︱︱
※※※※※※
﹁エリザ!﹂
彼女が中庭へ足を踏み入れた途端、名前を呼び抱きついてみる。
ちら、と視線を走らせると騎士達が後宮への道を塞ぐように動い
ていた。さあ、これで逃げ場は無いよ?
中庭にはいつもより多くの騎士が配備されているし、王宮への道
は勿論塞がれている。
余計な邪魔が入ることを考えて中庭に誘導したのです、ここなら
罠も仕掛けられないしね。
﹁ミヅキ様⋮⋮! ああ、よくぞご無事で!﹂
心底安堵したとばかりに涙を浮かべて抱きしめるエリザに私も笑
323
みを浮かべる。
⋮⋮ふ、ちょろいな。
包囲網を気付かせない為に感動的な場面を演出しただけですよ?
彼女は自分の演技に必死で周囲の様子には気付いていないみたい。
お互いに大変白々しい行動ですねー、まあこれからが本番なわけ
ですが。
﹁ねえ、エリザ? 聞きたいことがあるんだけどいい?﹂
﹁はい、何なりと﹂
﹁そう。⋮⋮貴女はだあれ?﹂
﹁え?﹂
私の言葉に笑みを困惑に変えて首を傾げるエリザ。騙す気なら一
瞬だろうと凍りつくのは命取りですよ?
一方私は変わらない笑みを向けたまま更に問い掛ける。
﹁ルドルフの乳兄弟だった貴女は侍女としてずっと仕えてきた。そ
う聞いてるけど間違いは無い?﹂
﹁はい。ずっとお仕えしてまいりました﹂
﹁嘘吐き﹂
抱きついていた腕を離して一歩後ろに下がる。
﹁貴女の侍女としての行動は粗があり過ぎる。精々、貴族令嬢が行
儀見習の為に侍女になった程度。何年も王に仕えてきた侍女として
はありえない﹂
﹁それは⋮⋮乳兄弟ですのでルドルフ様が見逃してくださって⋮⋮
っ﹂
﹁ありえない﹂
﹁え?﹂
324
﹁ルドルフは王としての自分を優先させている。宰相様も将軍も護
衛の騎士達でさえ﹃個人﹄ではなく﹃立場﹄優先。一人だけ特別扱
いなんてあるかしら?﹂
事実である。ルドルフは気さくだが自分にも人にも厳しい。
私の考え方、受け答え、そして能力。それら全てから判断した上
で﹃親友﹄と言ってくれてるんだよ。
判り易く言うなら﹃ルドルフとしてミヅキを信頼する﹄以上に﹃
ゼブレスト王としてイルフェナからの協力者を評価する﹄というこ
とだろうか。個人の事情より立場優先は当り前。
魔王様はそれができないような相手を認めることは無いぞ? 民
間人に結果を出すことを求める人ですよ!?
﹁では、問題点を。侍女は主達の会話に入ったりしない、主に必要
なこと以外の質問を投げかけたりしない。いくら親しくても不敬に
当るしね、私がイルフェナに報告の義務がある以上は侍女として接
しなければならないはず﹂
﹁ですが、ミヅキ様は相手をしてくださったじゃありませんか﹂
﹁私はね? でもルドルフって私と会話することはあってもエリザ
と話したっけ?﹂
﹁あ⋮⋮!﹂
それは無い。用を言いつける事はあっても個人的な事は話してい
ない。
﹁次。情報を聞き出して他者に流すことは厳禁﹂
﹁⋮⋮騎士達も私が知っている程度の情報は知っている筈ですわ﹂
頑張りますねー、意外としぶといです。
でもさ? 今の台詞は騎士達への侮辱だぞ? ああ、騎士達が殺
325
気立ってきた。
﹁彼等が情報を流すことは無いと言い切れるよ? だって⋮⋮カエ
ル騒動の時に側室達は誰も知らなかったでしょう? もし知ってい
たら体調不良とでも言って部屋に引き篭もっていたでしょうね﹂
﹁そ⋮⋮それは﹂
事前に知っているなら部屋にいれば良かったのです。それを誰も
しなかったということは﹃何が起こるか誰も知らなかった﹄から。
王宮での悪戯と平行して行われたのでエリザは何を企んでるか具
体的に知らなかったんだよね。
﹁私は初めからルドルフ以外を信じていたわけじゃない。だから行
動を起こす度に全ての人を試していた。騎士達は幼生を育てさせた
ことから、宰相様は薬物事件から、貴女は侍女としての行動と情報
を与えることから﹂
薬物事件は最初クレスト家止まりになっていた。だからその後の
行動で十分判断できる。
私経由でルドルフにも伝えられるのだ、意図的な隠蔽工作をすれ
ばすぐに判る。
﹁私達は⋮⋮信じていただけなかったのですか﹂
﹁当たり前でしょう? 貴方達はルドルフの味方であって私の味方
じゃないもの。それに私を監視していたのだからお互い様﹂
﹁え?﹂
﹁将軍は私が信じていないことも、試していることも、わざと嘘の
情報を与えていることも気付いていたけど?﹂
後ろを振り向くと美貌の将軍様が無害そうな笑みを向けてきた。
326
﹁私もこの国の騎士である立場を優先させております。それらはミ
ヅキ様の行動を見ていれば気付くとは思いますが﹂
﹁それに対してお怒り?﹂
﹁まさか。貴女の役目を考えれば当然のことでしょう。警戒心が強
く賢い理想的な協力者だと思いますよ﹂
でしょうね。むしろやらなかったら無能の烙印を押されていたと
思う。
その過程を経て今は仲良くしてるけどね? あの状況ではお互い
が認め合うまで気を許すなんてありえないでしょうが。
私としても魔王様の監視の目があるのです、真面目にやりますと
も。
笑いを取ることも評価に繋がってるっぽいけどな⋮⋮!
﹁扇子にイヤリングに髪飾り⋮⋮これが魔道具だとベントソン伯爵
は知っていた。覚えてるよね? 貴女が聞いてきたんだし﹂
﹁⋮⋮ええ﹂
﹁これが決定打。あの時の事は護衛の騎士達が覚えているだろうし、
ベントソン伯爵との会話も記憶を見せれば十分な証拠となる。さあ、
もう逃げ場は無いよ。もう一度聞くね?﹂
にこり、とできるだけ無邪気に笑ってやる。
﹁貴女はだあれ?﹂
﹁⋮⋮﹂
答えられないか。それともまだ負けを認めたくないのか。
でも、そんな態度に我慢が出来ない人も来ているんだけどねえ?
そして予想通り私達の会話に一人の女性が割り込んできた。⋮⋮
327
どうなっても知らんぞ、私は。
﹁彼女はアデライド・ワイアートですわ、ミヅキ様。今はカルリエ
ド伯爵夫人となった私、エリザの双子の姉にして次期ワイアート家
の当主です﹂
﹁⋮⋮! あ⋮⋮貴女はどうしてここに⋮⋮!﹂
﹁貴女が私を攫わせてからすぐにルドルフ様が助けてくださいまし
たの。お久しぶりですわね、お姉様?﹂
エリザ︱︱いや、アデライドは割り込んだ声に体を竦ませると初
めて動揺を見せた。まあ、彼女の中では未だにエリザは監禁されて
る筈だから当然か。
近づいてくる本物のエリザは顔の造りこそアデライドと同じだが、
誰の目から見ても怒り狂っている。
﹁私に成り代わってルドルフ様に随分と御迷惑をお掛けしたようで
すわね? 妹を監禁などという馬鹿げた思考にも呆れましたが、挙
句にイルフェナの姫誘拐に協力? いい加減になさいませ!﹂
﹁貴女に何がわかるのよ! ルドルフ様の傍にいることを許された
貴女にっ!﹂
﹁黙りなさい! 私はルドルフ様に﹃御仕えしている﹄のです。貴
女はただ焦がれた相手の傍に居たいだけではありませんか! 立場
が違うのです、同じに考える方がどうかしていますわ﹂
お? ルドルフが好きだったの? アデライドは。
⋮⋮。
ここに来て初のコイバナですか!? 愛憎渦巻く泥沼展開ですか!? ⋮⋮ライバルが居ないけど。
328
後宮に来たのに全然その手の展開来ないんだもん、説教しかして
なかったし。
いいぞ、もっとやれ! 気分は昼ドラ見る主婦ですよ。
﹁ミヅキ、ちょっとこっちに来い﹂
﹁えー⋮⋮﹂
﹁良いから来い。何だ、その楽しそうな顔は﹂
﹁初の愛憎劇にわくわくしてます。邪魔をしないで下さい﹂
﹁⋮⋮失礼しますね﹂
手招きするルドルフに返事をしつつも拒否したら将軍に抱き上げ
られて運ばれました。
え、またこれですか。折角、面白くなりそうなのにー!
降ろされたらルドルフが腰に手を回して固定してくるし。動くな
ってことかよ。
その間にも姉妹喧嘩はヒートアップしているようである。
近くで見たい。むしろ煽りたい。
﹁アデライドはな、未だに俺を幼馴染としか見ていないんだよ﹂
﹁は?﹂
﹁俺とワイアート姉妹は幼馴染なんだが、アデライドはワイアート
家の当主、エリザは俺直属の部下としての侍女になったんだ。その
時点で道は分かれたのにまだその頃と同じだと思っている節がある﹂
﹁ちなみに姉妹の道が分かれたのは何歳の時?﹂
﹁十歳くらいだな﹂
﹁⋮⋮。アデライドに同情できない。そりゃ、エリザは怒るよ﹂
現在、彼等は二十三歳。十三年も侍女という名の直属の部下をや
ってきた以上は忠誠心・能力共にルドルフに認められているんだろ
う。エリザも十分そのことは理解している筈。
329
姉が己が責務を放棄したことも。
自分のこれまでの努力が﹃行儀見習の侍女﹄程度だと思われたこ
とも。
主であるルドルフに迷惑をかけたことも。
全てが許し難く、同時に情けないのだろう。
自分のことしか考えていない姉に怒り心頭なわけですね、だから
あの状態か。
あ、エリザが平手打ちしてる。怪我は治してあげるから好きなだ
けおやり。
﹁俺がこの計画を立てた時わざとアデライドに知らせるようにした
んだ。結果、エリザを拉致して監禁し自分が成り代わるという暴挙
に出た﹂
﹁幸せな頭をしているんだね、できるわけないじゃん﹂
﹁まあな。エリザは直に助け出して元々決まっていた婚姻をさせた
んだ。一番安全だしな、ワイアートは子爵、カルリエドは伯爵で身
分が上だ。その奥方を拉致したことになるから⋮⋮﹂
﹁姉妹だろうと言い逃れできないってことか﹂
﹁そういうこと。アデライドとしては妹に対しての行動だと思って
いるし、ワイアート夫妻も姉妹喧嘩の延長ということにしかねない
からな﹂
﹁じゃあ、ワイアート家はアデライドの味方?﹂
﹁いや。アデライドは見聞を広めるために留学をしていると思って
いる。滞在予定の場所経由で定期的に家に手紙を出すよう指示して
あったから家に居なくても不思議は無い﹂
330
アホだ、誰だって成功するとは思わんぞ普通。個人の問題じゃ済
まないだろう、どう考えても。
それに本物のエリザにしても疑問に思う行動があるんだが。
﹁あのさ、侍女の規律に主の情報を洩らしちゃいけないってあるよ
ね?﹂
﹁あるぞ?﹂
ルドルフ、良い笑顔だな。私が言いたい事を気付いてるよね? お前が主犯か。
﹁じゃあ、アデライドが中途半端に情報を持ってるのは以前からル
ドルフ公認で嘘を交えて流したから?﹂
﹁勿論!﹂
﹁うわあ⋮⋮恋愛対象以前の問題か﹂
信頼されてないんだね、アデライド。しかも直属の部下であるエ
リザを侮辱されてルドルフも怒ってるから処罰もかなりキツイもの
になると推測。
では、私もこの際だからささやかな報復をしましょうか。いいよ
ね?
﹁アデライドさーん! こっち向いて♪﹂
﹁え?﹂
﹁お?﹂
﹁あら、ミヅキ様?﹂
アデライドだけじゃなくほぼ全員がこっちに注目する。
おお、アデライドが睨みつけてきますよ! ルドルフが抱き寄せ
てるように見えるもんね、羨ましかろう、口惜しかろう!
331
﹁ルドルフ﹂
にこりと微笑んで腕をルドルフの首に回し。
﹁なっ!﹂
ルドルフの頬に唇を押し当て視線のみアデライドへ。
ルドルフも急に頭を引かれたから私を抱き締めるような体勢にな
っている。
いーじゃん、頬にキスくらい。
﹁貴女じゃ一生かかっても、触れるどころか傍に居ることさえでき
ないわ﹂
抱きついたまま挑発的な笑みを浮かべてやる。
ルドルフの傍に居ることさえできない女にとって、今の私は嫉妬
の対象だろう。
さあ、存分に羨むがいい! 這いつくばって許しを乞えなんて言
いませんよ、指を咥えて見てやがれ。
﹁⋮⋮お前はそういう奴だよな﹂
﹁ふふ、今更。痛い目にあわせるよりこうした方が効果的だと思う
の﹂
お互い小声で会話を交わす。演出ですとも、協力しなさいって親
友!
疲れたように言うルドルフも私の意図を理解しているのだろう。
腕はそのままだ。
何人かが顔を赤くしてるけど気にしない! 332
﹁さすがは鬼畜姫。人の触れられたくない部分を的確に抉るのです
ね﹂
セイルよ、後で覚えておけ。
333
人形の反逆
盛大な姉妹喧嘩がエリザの圧勝に終わり一段落して。
アデライドは騎士に拘束され退場していった。トドメを指したの
が私とルドルフだった気がしないでもないが。
エリザが﹃自業自得です﹄と大変いい笑顔で言っていたので誰も
口出しはしなかった。
つーか、アデライド⋮⋮騎士達を敵に回したのは自分の発言だぞ
? セイルでさえ﹃叩き切るなんて優しさが必要でしょうか﹄なん
て言っていたくらいだし。
まあ、私は宰相様にやり過ぎだと怒られていたわけですが。
いいじゃん、頬へのキスは親愛の証だぞ? 側室扱いなんだから
問題ないって。
アデライドはルドルフ直々にかなりキツイ処罰を言い渡されてい
た。
﹁バラデュール男爵家に嫁げ。ああ、ワイアート家はエリザの子に
継がせる気だから心配するな﹂
好きな男の口から他の男へ嫁げ、ですよ。アデライドにとっては
死ぬより辛いかもしれない。
いくら格下の男爵家だろうとアデライドのしたことを考えたら甘
過ぎる処罰だ。後宮破壊によって潰された家にとって十分特別扱い
に見えるだろう。あくまで内々に済ませる処置なのである。
尤もバラデュール男爵家には事の次第を告げてあるだろうから今
後おかしな真似はできないだろうけど。
334
ワイアート家を潰さず、エリザにさえ迷惑をかけない方法を選ぶ
なら﹃乳兄弟﹄という特別扱いに縋るしかない。だが、それはアデ
ライド以外にとっての恩情だ。ルドルフの手で殺されるなり処罰さ
れた方がまだマシだったろうね。
だからこそルドルフは最も苦しめる扱いにしたのだけど。
﹁お前はエリザの誇りを踏み躙りワイアート家に反逆の汚名を着せ、
更には俺を裏切った。だからこそ、簡単に死ぬなど絶対に許さない﹂
そう言いきったルドルフの顔は嫌悪しか感じられなかった。幼馴
染という関係に甘んじて許されると信じていたアデライドの希望を
打ち砕いて。
﹁貴女にとって陛下はルドルフという個人でしかないのね﹂
﹁え?﹂
﹁貴女ほど陛下の努力や犠牲にしてきたものを軽く考えた愚か者は
いないってことよ﹂
﹁貴様は我々の策によって王妃の成り手が無ければ自分に話が来る
と思っていたようだが、その可能性は皆無だ。側室にすら選ばれな
かったのはワイアートの次期当主だからではない﹂
﹁幼馴染という関係だろうと特別扱いされることはありません。貴
女は無駄なことをしたんですよ﹂
ルドルフの側近であるエリザ、宰相様、セイルの最後の言葉の重
さを彼女が理解できる日は来るのだろうか?
幼馴染だろうと信頼できないなら切り捨てるのが王ですよ? ルドルフを﹃王﹄と思わなかった奴が皆に嫌悪されるのは当たり
前だぞー、アデライド。
﹁で、断罪すべき人がもう一人居るんだけどエリザはどうする?﹂
335
一段落ついた後に思い出すのは誘拐事件の元凶ですよ。
なんだっけ⋮⋮銀髪美人だけど良くも悪くも印象に残らない地味
な子。
﹁私はミヅキ様の侍女なのでしょう? 喜んでお供しますわ﹂
﹁そう、宜しくね﹂
﹁ええ﹂
にこやかに笑い合う私達。仲良くなれそうですね。
﹁なあ、あの二人を相手にしてオレリアは無事だと思うか?﹂
﹁誘拐事件の主犯ですから哀れむ必要はないかと﹂
﹁人としての尊厳は⋮⋮﹂
﹁では体を張って止めてください﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
何を物騒なこと言ってるかなー? やられたらやり返す、これ常
識。
あの人魔道具持ってるみたいだし、拳で語り合うどころか殺し合
いじゃね?
﹁エリザ、これ身に付けて﹂
﹁これは⋮⋮?﹂
﹁万能結界付加の指輪。あの人、何するかわからないよ﹂
﹁ありがとうございます﹂
そんなやりとりにセイルは剣の柄に手を添えながら呟いた。
﹁武力行使は確定なんですね。私も加わりたいと思います﹂
336
﹁セイル⋮⋮お前までやる気なら誰がミヅキを止めるんだ﹂
オレリア嬢、命のカウントダウン開始。
※※※※※※
﹁オレリア様をお連れしました﹂
騎士に挟まれてオレリア嬢は中庭へとやって来た。綺麗なんだけ
ど感情があまり表れないから人形みたいな印象なんだよね。﹃居る﹄
というより﹃有る﹄に近いというか。
どんな用件で呼ばれたか判っているだろうに無表情ですよ。
﹁⋮⋮お戻りになられましたのね、ミヅキ様﹂
﹁ええ。セイルリート将軍が迎えに来てくださいましたので﹂
一応側室ってことになってるから姫モードです。これからのこと
を思えば上品ぶっても意味が無い気がしますがね。
エリザは私のすぐ傍に、セイルはいつでも私を抱き抱えられる状
態です。
⋮⋮誘拐された時のこと気にしてたのかい、将軍。
﹁ど⋮⋮して﹂
﹁え?﹂
﹁どうして貴女が選ばれるの?﹂
呟くように問い掛けてくるオレリア嬢。無表情でやるな、怖いか
ら。
その声に反応し、エリザは後方へセイルは剣の柄を握りつつ私の
腰に片腕を回す。
337
早くも戦闘態勢のようです。ちょ、セイル叩き切るなら私を放し
てくれない? 返り血浴びますよ、このままじゃ。
じーっとセイルに目で訴える私と微笑んだまま抱き寄せるセイル。
わざとですね? 間違いなくわざとですよね?
私が不安がって縋るような女じゃないと知ってるだろうが。
一見、騎士が姫を守っているように見えますが違います。捕獲で
す、これ。
乙女ゲームは嘘吐きです。巻き添えは嫌だって言ってんだろ、離
しやがれ!
⋮⋮。
離す気が無いようなのでこのまま続行。うう、事情を察した皆さ
んの視線が痛い。
﹁私に選択権はありませんわ﹂
﹁選ばれた、と?﹂
﹁ええ﹂
私の答えにオレリア嬢は初めて表情を動かした。憎悪の所為か綺
麗な顔を醜く歪めて叫び出す。
﹁なんで貴女がっ⋮⋮貴女がセイルリート様に守られているのよ!﹂
⋮⋮。
⋮⋮は? なんですと?
今、何て言った? この御嬢さん。
ああ、皆固まってますねー。斜め上過ぎるだろ、この展開。
﹁え、誘拐までしておいて別人狙い!?﹂
338
﹁何て趣味の悪い⋮⋮!﹂
﹁なんで、なんで貴女が選ばれているのよぉぉぉぉっ!﹂
怒鳴り声はオレリア嬢、その他が私とエリザ。即席でもさすが主
従です、息ぴったり。
エリザってば本当にセイルと仲悪いんだねぇ。
ではなくて。
ええ!? 目的はセイルなの!? 将軍様が目当てだったんです
か!?
側室になっておいて何言っちゃってるのさ、姦通罪とかになっち
ゃうじゃん!
ルドルフのことかと思って選ばれたって言っちゃったよ!?
﹁おや⋮⋮﹂
﹁うーん⋮⋮可能性としてはあるよな﹂
セイルも意外って顔してますね、ルドルフは腕組みして呟く程度
ですが。
あの、ルドルフ? 一応、目の前で奥さんの一人に﹁他の男が好
きです!﹂って言われたんだがな? ﹁ルドルフー、こういう場合ってどうなるの?﹂
﹁セイルが欲しいなら降嫁させてやるぞ﹂
思わず素に戻って聞いた私に淡白な御答えが返ってきました。
おーい、それでいいのか? ⋮⋮ああ、そう。要らないの。
﹁⋮⋮だ、そうです。将軍様お返事をどうぞ!﹂
﹁お断りします。彼女が自分に必要だとは欠片も思いませんので﹂
339
にこやかな笑顔で拒絶しやがりましたよ、この男。
空気読め。もっと他に言い方があるだろうに煽ってどうする。
﹁何故守られているか、という質問に対してですが。⋮⋮仕事だか
らですよ﹂
﹁セイルは俺の命令でミヅキの護衛の任についている。そこに個人
の感情はないぞ?﹂
そうですね、私もそう思います。頷いちゃうぞ、セイルに引っ付
かれたままだけど。
つーか、他にも護衛の騎士がいるんだからセイルの事情も察しよ
うよ?
﹁何を言っているのよ! あんなに大事にされて、笑顔を向けられ
て⋮⋮!﹂
﹁微笑みは標準仕様だし、本当の笑顔の時はろくな事を考えてない
よ?﹂
﹁今だって抱き締められているじゃない!﹂
その言葉に周囲は私を気の毒そうな目で見る。
これ捕獲ですって。そもそも恋愛感情なら人前で抱き締めるか?
だが、私の反応を将軍様はお気に召さなかったようだ。嫌な感じ
に笑みが深まる。
﹁そうですね、折角ですのでこの場で求婚してみましょうか﹂
﹁え゛﹂
﹁おい!?﹂
﹁待ちなさい、セイル!﹂
340
皆の声を聞かずに一度離して私の手を取ったまま跪く。
やめれ! 一体、何を言う気なのさ!?
﹁お慕いしています﹂
火に油を注ぐでない! オレリアの目の前で何言ってるのさ、嫌
がらせにも程がある!
この嫌がらせは﹃私達に対して﹄だろうね。ええ、それくらいは
察せますよ!?
﹁ルドルフ様﹂
﹁な⋮⋮何だ?﹂
ルドルフもやや引き気味に応えているあたり何を言い出すか予想
がつかないのだろう。
頑張れ! 多分、皆の期待を一身に背負っている⋮⋮筈!
﹁ミヅキ様を妻に戴きたいのですが﹂
﹁えーと、それはだな⋮⋮﹂
﹁十年前の功績では足りませんか?﹂
﹁そ⋮⋮それはっ﹂
紅の英雄出してきたー!! ちょ、それトップシークレット! 脅迫ですよ、脅迫!
オレリア以外が内心絶叫する中、ルドルフから視線を私に戻し手
に口付けて一言。
﹁愛しています﹂
油どころかガソリンを投下するか、貴様。
341
その後の対応としては
一・にこやかに拒絶
二・そのまま受けてオレリア嬢討伐
さあ、どっち!?
この状況で言うってことはオレリア嬢を怒らせて先に手を出させ
たいんだろうけど。
⋮⋮うっかり頷くと私もヤバそうな気がするのは何故でしょう?
﹁空気を読んでくださるんですよね?﹂
﹁言葉を覚えるな、私を利用するな﹂
﹁こんなに想っていますのに⋮⋮どこが至らないのでしょう﹂
﹁腹黒くてS属性の恋人は精神衛生上良くないと思うんだ﹂
﹁同類じゃないですか、ミヅキ様と﹂
﹁私は鬼畜属性を隠しません、恥じることも反省も無し﹂
﹁⋮⋮更に酷く聞こえるのは気のせいでしょうか﹂
悲しそうに目を伏せると立ち上がって抱き締めてきましたよ、こ
の男。
この状況は私の言葉や据わった目を隠す為のものだよねぇ?
私にオレリア嬢の的になれと? 口角がつり上がったの見えたぞ?
ああ、オレリア嬢の殺気がひしひしと⋮⋮!
﹁許さない⋮⋮私はもう想うことさえできないのに﹂
涙を流しながら片手を胸元に充てる。しまった、魔道具か!
さすがに状況を察したセイルが腕の中に閉じ込める形で私を庇う。
万能結界だから攻撃は届かないだろうけど、オレリア嬢って魔法使
えるほど魔力あったっけ?
342
﹁死ねばいいのに!﹂
叫びと共に炎が私とセイルに向かってきた。まるで生きているよ
うに私達を取り囲むけど熱は一切届かない。
ふうん、これが貴女の魔法ね。
﹁申し訳ありません、ミヅキ様。詠唱されていれば防げたのですが﹂
﹁魔道具だから警戒しても無駄だよ。それにしても⋮⋮このままじ
ゃオレリア嬢はただじゃ済まない﹂
﹁それはどういう?﹂
﹁この魔道具の性能による。自分で使った魔法なら力尽きれば消え
るけど⋮⋮﹂
魔道具について習った時、黒騎士達に言われた言葉を思い出す。
﹃魔道具は本来攻撃魔法は付加できない。対象を認識できないから
な﹄
﹃自分と繋げて攻撃魔法付加の魔道具を使うこともできるが制御は
本人がしなきゃならん﹄
﹃もし、魔法に不慣れな者が長時間の制御をした場合、そいつの精
神にかなり負担がかかる﹄
﹃精神崩壊する場合もある。気をつけろよ﹄
﹁魔道具を使っているってことはオレリア嬢は単独で魔法を使えな
いってことでしょ? 制御しきれるかどうか﹂
﹁精神崩壊した場合は?﹂
﹁暴走する。魔道具の魔力が尽きるまで﹂
オレリア嬢⋮⋮貴女は私達どころかルドルフでさえ巻き添えにす
343
る気ですか?
役目的にも個人的にも、それは許しませんよ?
﹁セイル、私が行くからちょっと離して﹂
私の言葉にセイルは表情を険しくさせる。
仕方ないでしょ? 魔法勝負だったら私しかできないんだから。
﹁私の為に争ってくださるのは嬉しいですが﹂
﹁それはない。 私が気に食わないだけ。やられたらやり返すのが
礼儀なの﹂
﹁やれやれ⋮⋮少しは合わせてくださっても宜しいでしょうに﹂
肩を竦めると諦めたように腕を緩めた。
溜息吐きたいのはこっちだっつーの! 何時の間に騎士様争奪戦
になった。
一人の男を巡って争う修羅場ですか? キャットファイトをやれ
と?
絶世の美人︵男︶を巡って争うとかポジション間違えてませんか
ね? 争ってはいませんけど。
﹁オレリア嬢∼? そろそろ黙ろうか?﹂
﹁貴女なんて、貴女などに⋮⋮!﹂
﹁頭冷やせ﹂
ぱちん、と指を鳴らす。狙いはオレリア嬢の頭、上から水が降っ
てくるなんて思うまい。そして怯んだ隙に本命の魔道具を破壊する。
魔道具って魔石を壊しちゃえば役に立たないしね、魔石をピンポ
イントで狙えばオレリア嬢も無事でしょう。
まあ、頭を冷やせ。報復はこれからだ。
344
思ったとおり止んだ炎に笑みを浮かべるとセイルの前に立ち周囲
に無数の氷の破片を浮かべる。綺麗な光の欠片は皮膚を容易く切り
裂く冷たい刃。
﹁魔法で攻撃したなら同じく魔法で報復を。覚悟はいいか﹂
﹁く⋮⋮貴女、なんて、選ばれただけじゃない! 自分でなにもし
なかったくせに⋮⋮!﹂
﹁選ばれる価値があったことを誇って何処が悪いの? 価値の無い
自分を正当化して八つ当たりする馬鹿に言われたくないわね﹂
﹁なんですって!﹂
オレリア嬢の目は血走っている。精神崩壊とはいかないけど正常
な判断はできていないに違いない。
だからといって手加減してやるほど優しくはないのだけど。
﹁抗わなかったから側室になったんでしょう? 言われるままに抵
抗もせず﹂
﹁わたし、は⋮⋮っ﹂
﹁そのままでいれば良かったのに。振り向いてもらえないのは側室
だからだと自分に言い訳できたのに﹂
﹁私は側室などになりたくはなかった! 何も知らないくせに!﹂
﹁初めからセイルに相手にされてなかったんだよね? だから想っ
ていると気付かれなかった﹂
﹁う⋮⋮煩い、煩い!﹂
﹁そんな貴女だから﹂
ゆっくりと口を動かす。笑みを浮かべて告げてやろう。
﹁この国にもセイルにも必要とされない、愛されない﹂
345
音もなく氷の破片がオレリア嬢を切り裂く。一つの欠片は小さい
から傷が浅い分、無数の傷がつく。しかも地味に痛い。赤い糸を引
いたまま氷片は私の周囲に集い空気に融けた。
心の傷を抉ってあげるよ、オレリア嬢。覚悟はあったんでしょう?
だけど決定打は一番の被害者に譲ってあげる。貴女も彼にトドメ
を刺されるならば嬉しいでしょ?
顔だけでなく体中を朱に染めてへたり込むオレリア嬢をセイルは
いつもの微笑みで見つめる。
﹁オレリア様。私は貴女のことなどどうでもいいのですよ。貴女が
どれほど傷を負っても手を差し伸べる気はないのです﹂
﹁セ⋮⋮セイルリート、様。貴方はいつも優しかったのに⋮⋮﹂
﹁ああ、貴女に紅は似合いませんね。先程のミヅキ様は氷だけでな
く朱を纏ってとても綺麗だったでしょう? ただ惨めに汚れただけ
の貴女とは大違いです﹂
﹁私、は⋮⋮﹂
血塗れに綺麗も何も無いだろうに、わざわざ嫌な言い方するね。
ただでさえ誘拐事件を気にしているのに原因が自分とか⋮⋮。
オレリア嬢、セイルは絶対に貴女を許さないと思うよ? 騎士と
しても個人としても。 ﹁貴女は表面的な部分に憧れただけなのです。貴女の望む﹃セイル
リート﹄という男など存在しません。不愉快ですから名を呼ばない
で下さいね﹂
綺麗な顔の将軍は穏やかな、けれど何の意味も無い笑みを浮かべ
てオレリアに告げる。
それは彼女にとって最も惨酷なことだったろう。⋮⋮自分はセイ
ルにとって何の価値もないのだとはっきり言われたのだから。
346
そして彼女の狂気は終わりを告げた。
⋮⋮所詮、その程度だったのだ。
347
一段落した後に
中庭での騒動が一段落して。
現在、後宮の一室に私、ルドルフ、宰相様、セイル、エリザがテ
ーブルを囲んでいる。
護衛の騎士は部屋の外に待機しているので身内での話し合いです。
エリザは私が来てからのことを知らないし、私はアデライド関連の
事⋮⋮というかアデライドのことを知らなかったしね。
まあ、部外者には言えんわな。イルフェナにとっては私に対する
能力テストみたいな扱いっぽいし。気付かなくても役目は果たせる
から、という事みたいですが気付かなかったら魔王様にはお叱りを
受けると思います。
祝・説教回避。実力者の国の王子様が減点対象を見逃してくれる
とは思わん。
﹁本当にすまなかった!﹂
座ったままルドルフが頭を下げる。えーと⋮⋮何が?
首を傾げると宰相様が深々と溜息を吐きながら事情説明をしてく
れた。なるほど、説明役は宰相様に投げたか。
﹁アデライドのことです。本来なら知らせなければならなかった﹂
﹁ああ、そのこと。あれは私が気付くべきことじゃないの? それ
に最初から疑う要素しかなかったし﹂
﹁﹁え?﹂﹂
あら、皆さん声がハモった。ええ!? 私、そんなにお馬鹿に見
えました!?
348
﹁初めに顔合わせした時に宰相様達は遅れて来たでしょ? 貴族達
を足止めする為に﹂
﹁ええ。私とセイル、アデライドの三人ですね﹂
﹁まずそこからおかしい。何でルドルフの侍女がそっちに居るの?
侍女に足止め役なんて無理でしょ?﹂
いくら長年務めた侍女だろうと身分は絶対だ。貴族の抑制なんて
ことはできない。そして長年務めているからこそルドルフの傍に居
るべきじゃないの? 宰相様やセイルがそっちに居るんだから。
﹁だから聞かれたくないことがあるんじゃないかと思ってね。実際、
あの時間が無ければ私が彼女に知られること無くルドルフに魔道具
渡すなんて無理でしょ﹂
﹁つまり最初の時点でその三人は警戒対象だったわけか﹂
﹁うん。一番違和感があったのはアデライドだね。主の客に茶を出
すことさえ思い至らない侍女っているかな﹂
﹁あー⋮⋮いないな﹂
﹁私が自炊するって言った時も色々言ってきたでしょ? ルドルフ
達が薬を盛られた事さえあると知っているのに、何の対策もとらな
い方が不自然だと思うよ﹂
確かに普通の姫ならば料理なんてしない。だけど、私は姫じゃな
いのだ。﹃大変では?﹄なんて言ってたけど、あのまま任せて一服
盛られたりしたらどうするつもりだったんだろうか。
状況把握があまりにもお粗末なのだよ、アデライドは。守られる
側でしかないからこそ、その可能性に思い当たらない。ルドルフ達
や殺るか殺られるかの後宮生活を覚悟してきた私とは温度差があっ
て当然です。
宰相様だって一言も反対しなかったじゃないか、それが最善だと
349
判っていたから。
﹁で、後は全員さっき言った手段で試してアデライドを敵認定した
ってわけ﹂
﹁⋮⋮エルシュオン殿下がお前一人で大丈夫だと言い切った理由が
良く判るよ﹂
こっくりと私以外の全員が頷く。エリザに至っては尊敬の眼差し
だ。侍女の仕事面から判断したことが高評価だったらしい。一番怒
ってたっぽいからねぇ、彼女。
﹁私からも一つ宜しいでしょうか?﹂
﹁うん、いいよ﹂
﹁ミヅキ様は随分と平和な世界で生きていたと伺っていたのですが
⋮⋮何故人を傷つける事に躊躇いがないのですか?﹂
ああ、やっぱりそれは気になるよね。セイルの疑問はご尤も。ア
ルさんにも﹃人を殺せるか﹄って聞かれたしね。
手にしたカップから一口紅茶を飲む。気分を落ち着ける目的で入
れてくれたのかな、これって。
﹁私がこの世界で初めに保護された村ってね、自給自足なの。作物
以外は森で狩をするからそこで生きるなら狩りを覚えなきゃならな
い。だからこの世界の事を学ぶ上で必要事項だったんだよ﹂
﹁まあ、辺境の村ではそれが普通ですね。店自体あまり無いでしょ
うし﹂
﹁狩りが出来ない事は飢えに繋がる。だから知識と同じくらい重要
視されて徹底的に覚えさせられたの。勿論、狩りだけじゃなく、そ
の後の解体作業もね。血や殺す事なんて慣れないから最初は苦労し
たよ?﹂
350
だけどそれは﹃この世界で生きる﹄以上は必須だった。私を一人
養うくらいは大丈夫だと言ってくれたあの村の人達はそれでも私に
狩りを覚えさせたのだ。それはただ日々の糧を得るというだけでは
なく。
﹁異世界人である私にとってこの世界は生き難い。魔物だけじゃな
く盗賊に遭遇する事もある。そんな時に自分の身を守る術がなかっ
たら? 殺す事を躊躇ったりしたら? そう言った可能性を踏まえ
て﹃生きる術﹄を教えてくれたんだよ﹂
﹁なるほど。村人達は貴女に様々な意味での生きる術を教えた、と
いうことですか﹂
伝承の残る村なのだ、以前にも異世界人を保護した可能性は高い。
だが、保護した人物が生きていけなかった⋮⋮もしくは殺されたと
いうことは無かっただろうか。
私の様に平和な国に生きていたら血を見ることさえ拒絶する可能
性がある。誰かに守られるばかりでは生きていけない︱︱村人達は
それを知っているからこそ誰もが私の教育を手助けしてくれたんじ
ゃなかろうか。
﹁だから私はあの村の人達に感謝してる。殺すか殺されるかの状況
でも抗う選択肢を与えてくれたから。だから敵として現れた存在が
人だろうと戸惑わない。傷つけるのが嫌なら自分が殺されればいい
だけのこと﹂
﹁言い切りますね﹂
﹁言い切るわよ? 私は敵に先を譲ってやるような性格はしていな
い。力不足ならまだしも一瞬の躊躇いで負けたら絶対に後悔すると
判っているもの﹂
﹁その割にお前、器用なことするよな? オレリアの手当てをした
351
医師が誉めてたぞ? 血が出てる割に傷が浅く太い血管も切ってな
いって﹂
﹁脅す意味合いが強いもの。引っ叩いても余計に怒らせるだけ、で
も血を見ると一気に青ざめる﹂
﹁貴族の御令嬢は血を見る機会など滅多にありませんからね﹂
﹁それが自分だから余計に怖いのよ。後宮生活で学びましたとも﹂
﹁それは優しさですか?﹂
﹁違う。今後は取調べが待っているでしょう? 怪我を理由に時間
稼ぎをさせない為﹂ 私の応えにセイルは満足そうに頷く。彼等も王宮という場所で権
力争いという名の修羅場を越えて来ているのだ。綺麗事や偽善がど
れほど足を引っ張るものか身に染みているのだろう。
つーかね、ルドルフ? 人が話している時に一人でバタークッキ
ー食うんじゃない! それは私がさっきおやつ用に焼いたものだ、
シリアスな話をしてるのに何平然と食べてるのさ。
私の視線に気付いたルドルフは﹁美味いぞ?﹂と笑って見せた。
ああ、宰相様が顔を顰めてる。
﹁ルドルフ様、真面目な話をしている時にその態度はないかと﹂
﹁ん? ミヅキが自分を選べる奴だなんて初めから判っていた事じ
ゃないか。利害関係の一致でこの国に来たんだろ?﹂
﹁うん﹂
﹁だったら王として疑うのはその能力だけだ。結果を出せる人物だ
と判ってる以上は誰を殺してもその信頼は揺らがない﹂
﹁そうですわね。一人で何とかしろ、などという無茶な計画に乗っ
てくださっただけでなく結果を出しましたもの。能力的な意味での
信頼も十分ですわ﹂
⋮⋮ん? 能力的な意味での信頼﹃も﹄?
352
﹁そうだぞ、アーヴィ。元々ミヅキという個人は信頼してるんだ。
だいたい、綺麗事を言わないで﹃自分の為だ﹄って言い切る奴はそ
の結果にも納得してる。言い訳する気が最初からないからな﹂
﹁そういえば薬を盛られたりした割にイルフェナでも私の手料理食
べてたわね⋮⋮﹂
個人的な信頼は最初から揺らぎませんでしたか。それはかなり嬉
しい言葉だよ、ルドルフ。
﹁敵にならなきゃ何もしないわよ? それ以上に自分の立場を忘れ
て個人的な感情に走る奴なら友人としてもお断りだけど﹂
﹁当然だろ。俺だってお断りだ﹂
﹁はあ⋮⋮貴方達は本当に良く似てますよ。外見や態度で判断する
ととんでもないことになりますね﹂
え、宰相様。外見で判断できない人の代表は貴方でしょう?
ちら、とルドルフを見るとこっくりと頷いた。ああ、やっぱりそ
う思われてるのか。
﹁宰相様に言われたくないかな、外見冷徹で中身おかんな人に﹂
﹁おかん?﹂
﹁保護者やお母さん的ポジションの意﹂
﹁だよなー。文句を言いつつもフォローを忘れないし面倒見もいい。
お前、一度懐に入れると見捨てることをしないもんな﹂
﹁最初から身内が厳選されてるんですよ、アーヴィは﹂
﹁あら、ミヅキ様から見てもそうなのですね。どうりで宰相に対し
ての態度が砕けていると思いました﹂
﹁⋮⋮貴方達はっ!﹂
353
宰相様。自分から問題児の纏め役になっちゃってる時点で貴方は
立派に皆の保護者。頼れるみんなのお母さん。
皆の言葉に自覚があるのか仄かに赤くなってますねー、何て珍し
い。
﹁それでな、今回の報酬だが﹂
﹁報酬? 私個人のなんてあったの?﹂
﹁ああ。と言うか今回はお前の報酬しかない。ゼブレストでの戸籍
と旅券、あとは俺達の後見だな。これでこの世界での安全はある程
度確保されるだろう﹂
﹁⋮⋮何だか色々ありそうなんだけど﹂
﹁イルフェナからも同じ物を得られるだろう。⋮⋮あまり言いたく
ないが異世界人がこの世界で生きていく為には国の保護が必要なん
だよ。利用されない為にな﹂
それは知識を、ということだろうか。え、私の魔法ってこの世界
の人には理解できないけど?
首を傾げる私に皆は顔を曇らせる。
﹁欲しい知識を持ってる⋮⋮というか、この世界で利用できる形に
できるとは限らないと思うけど?﹂
﹁ああ、利用できるようになるなんてほんの一握りだろうよ。だが、
異世界人は無条件で力になると思っている奴も存在する﹂
﹁国の有する資源欲しさに戦を仕掛ける国だってあるんです。個人
を得ようと考えても不思議はないでしょう?﹂
﹁お前なら捕まっても自力で脱出してくるだろうけどな。それでも
二つの国に保護されていればかなりの危険を回避できるんだ。護り
はあった方がいい﹂
何と言うか⋮⋮随分とムチャクチャな発想だ。﹃役に立つ知識の
354
保有﹄ではなく﹃役に立つことをしろ﹄ってことだよね? ちょ、
監禁フラグが常に付き纏うってこと!?
﹁馬鹿だと思う。何、そのムチャクチャな考え﹂
﹁俺達もそう思う。だいたい、彼等の残した功績の数を考えれば極
々僅かだぞ?﹂
﹁捕まったら全力で逃げるわ、私﹂
﹁そうしろ。その可能性がある以上、お前の警戒心の強さと手加減
の無さが物凄く頼もしい﹂
﹁イルフェナとゼブレストを敵に回そうという国はあまりないと思
いますが⋮⋮気をつけてくださいませ﹂
﹁ミヅキ様、敵に情けは無用です。仕留めなさい﹂
どうりで警戒心や容赦の無さが誉められるわけだ。本人が無力で
危機感ゼロだとどうにもならないもん。
魔王様はそういった意識を植え付ける意味でも私にこの役を命じ
たのかもね。ま、国に戻れば判るけど。
何やら物騒なことを言った将軍様が居ますが⋮⋮え、宰相様も賛
成? マジで!?
﹁国民に手を出せば抗議・報復が当然だよな?﹂
﹁勿論です。民を思い遣るのは王の義務ですし、騎士としても剣の
振るい甲斐があるというもの﹂
﹁セイル、万一の時は暗殺でもなさいな﹂
﹁そのつもりですよ﹂
ああ、何だが皆が物騒な発想になっていく⋮⋮。
でも、それくらい注意しろってことだよね。皆の教育方針を考え
ると否定できん。
異世界で生きていくのは簡単ではないようです、やっぱり。
355
356
魔導師の帰る日
﹁⋮⋮以上が今回の詳細です﹂
王座に居るルドルフに報告する宰相様。報告、という形は取って
いても実際は全く事情を知らなかった貴族達に聞かせる為でもあっ
た。
さて、ルドルフの評価はどうなるかなー?
※※※※※※※
後宮に誰も側室が居なくなってから十日、ルドルフは粛清王と呼
ばれるほどに無能連中を家ごと潰していった。幾ら何でも早過ぎる
んじゃ? と思ったけど、以前から不敬罪にはじまり不正の証拠だ
の一歩間違えば反逆に該当するものなど十分過ぎる罪状があったら
しい。
何で今までそれが出来なかったかといえば偏に無能貴族どもが一
大勢力となっていたからに他ならない。
どんな国も一枚岩じゃないのだ、反発されまくれば強硬手段に訴
えることも出来ない。無駄に地位がある同類連中が擁護に回ってし
まうとかなり軽い処罰で終る可能性が高かったことから機会を窺っ
ていたんだとさ。
そういえば側室も無理矢理取らされたとか言ってたね⋮⋮まあ、
今となってはそれがイルフェナの介入を許す切っ掛けになったわけ
ですが。
国の後見を受けた側室が後宮破壊に勤しむなど予想外だったに違
いない。女同士の戦いというより権力闘争だったもんな、実質。寵
なんて競った記憶はありませんよ。
357
他にはルドルフを侮っていたことが原因だろう。先代が無能だと
聞いているからルドルフも同じに見られてたんじゃなかろうか? 警戒対象は宰相様の方だったらしいし。
だからルドルフがイルフェナまで来れたのね、なんて納得した。
普通は警戒するぞ? イルフェナだぞ? 変人と実力者の産地だぞ?
⋮⋮実際は魔王様のお友達だったルドルフ、地味に凄いな。
なお、リュカは牢屋番に志願するなり大活躍したらしい。捕らえ
られた貴族相手に一歩も引かずに一喝で黙らせ恐怖に陥れ。尋問の
際もリュカが出てくると震え上がってあっさり自供したというから
凄いものである。
貴族よ、リュカの基準は私やセイルだ。だから死なない程度の手
加減はするが貴族だからと畏まることはないのだよ。しかも取り立
ててくれたルドルフに対し忠誠心は常にMAX。
本人の強面もあり、罪人に対して常に威圧が発動していたんじゃ
ないかと推測。我ながら愉快な人を持ち帰ったものだ。
その頃、私が何をしていたかといえば。
ルドルフ達が大変楽しそうに仕事に追われる中、暇なのでエリザ
の嫁ぎ先に遊びに行ってました。領地の人達に﹃奥方様の友人﹄と
して混じり料理を何点か伝授、代わりに腸詰作りに参加させてもら
ってお土産を戴いてきましたよ!
お土産に貰った腸詰が状態保存の魔法が掛かった箱一杯、は貰い
過ぎだと思いますが。家庭ごとに微妙に味が違うからと其々自慢の
一品をくれたのだ、凄い量になるわな。
さすがに魔王様や白黒騎士連中の胃に確実に納まるだろうとは言
えなかったけどね。家庭の味が王族・貴族の口に入るなどと言った
ら卒倒されてしまう。
高貴な皆様にそんな物を食べさせていいのか? と思うのは当然
なのですが。
358
⋮⋮いいみたいです、手紙にも﹃御土産宜しく︵意訳︶﹄と書か
れていたから。間違いなく狙いは食い物だ、正確に言うならそれを
使った私の料理だが。
なお、腸詰は予想通り一種類しかなかったのでハーブを入れたも
のと胡椒を効かせたものを応用として紹介、ついでにホットドック
を広めてみた。
家庭料理として広まっておくれ。私がこの世界に残せる知識なん
てその程度。それが自分の為である事など言うまでもない。
大規模な粛清に王宮が慌しく動く中、私は呑気に過ごしていたの
だった。
︱︱後にここで作られる腸詰がゼブレストの名物の一つになるの
だがそれはまた別の話。
※※※※※※
﹁さて、これが今回の大規模な粛清の全容だ。証拠はいくらでも
提示できるぞ? 異を唱えるならば当然それなりの覚悟はあるのだ
ろうな?﹂
ルドルフの声にここ十日ばかりの出来事を思い浮かべていた私は
我に返る。ああ、漸くこの台詞まで来ましたか。どんだけ罪状あっ
たんだよ、馬鹿貴族ども。
裏方で待機中の私からすれば退屈極まりない時間ですよ。改めて
聞く事なんて無いしね。
﹁ミヅキ様、あと少しの辛抱ですわ。⋮⋮まったく、往生際が悪い
奴等だこと﹂
﹁エリザ、本性出てる。あと握り拳はやめようね?﹂
﹁あ⋮⋮あら、私としたことが。出来る限り優雅に振舞いませんと。
359
ところで⋮⋮﹂
私の服装に上から下まで視線を向け、残念そうに溜息を洩らす。
いや、そこまで残念がらんでも。この服装駄目ですか? 確かに
男装寄りなんだけど。
﹁本当にその服装でいきますの? 折角、侍女として着飾らせるこ
とができると思いましたのに﹂
﹁いや、着飾ってもそれなりにしかならないから。ドレスって動き
難いよ﹂
現在の私の服装はシャツにズボン、ケープの付いた裾の長い軍服
モドキ、ベルトに編み上げのロングブーツ。
ゲーム内で私が着ていたギルドの制服だ。黒一色に艶消しの銀ボ
タンという生産職拘りの品のレプリカ。
この世界の女性は基本的に足をあまり出さないので一般的な服装
でも動き難いのだよ。割とフレアになってるし、この服装なら通用
するんじゃね? と思って製作。見慣れた物なので簡単だった。
⋮⋮腕輪と同じ要領で作ったから製作過程を聞かれても困るけど。
縫い目が無いしさ。
こんなものを作った切っ掛けはルドルフにあったりする。追加報
酬として特殊素材を貰っちゃったのだ。
高価なんじゃ!? と慌てて返そうとしたけど
﹁ゼブレストにあっても魔術付加の技術が無いのにどうしろと?﹂
という御答えが返ってきた。そういや、宮廷魔術師もアレだったし
なぁ。
なのでお返しとして万能結界付加のペンダントを宰相様以下今回
の協力者全員分作ってみた。魔術に対抗する手段が少ないのだ、魔
360
法は弾いてやるから特攻して魔術師を倒してくれ。
皆に大変感謝されたので十分対価にはなったのだろう。狙われる
国って大変だね。
私の方も本物そのままの性能は無理でも万能結界・強化・重力軽
減あたりは組み込めたので服というより防具に近い。
監禁フラグが付き纏うなら用意しておくに越したことは無い。大
人しく言いなりになる気なんて欠片も無いぞ? 戦闘準備は万全に
しなければ。
⋮⋮個人的なことを言えばこの服装を知ってる人が居ないかな、
と思ったり。その場合は同じ世界の同じ時代から来たってことだし
ね。
﹁お似合いだとは思いますが、それは男装では?﹂
﹁細かいことは気にしない! 今後を考えて動き易い服の方がいい
でしょ﹂
﹁それはそうですけど⋮⋮﹂
諦めたように溜息を吐くとエリザは私を抱き締める。
﹁私はルドルフ様に忠誠を誓った身ではありますが、ミヅキ様の味
方でもありますわ。どうかそれを忘れないで下さいませ﹂
﹁ありがとエリザ﹂
﹁また領地の方に来て下さいね? 皆も楽しみにしていますから﹂
﹁うん﹂
笑いあって腕を離す。室内の声を窺うと貴族達の追及も終盤に差
し掛かったようだ。後は私がルドルフが認められる﹃一押し﹄をす
ればいい。
﹁それじゃ行きましょうか!﹂
361
﹁はい。お供いたします﹂
そうして私達は扉を開け王座へと歩き出した。
ギィと微かな音を立てて開く扉に、ルドルフに意見していた男も
ざわめいていた貴族達も静まり返ってこちらを見た。エリザを連れ
ているので無関係だとは思われないが見ない顔に戸惑いを隠せない
らしい。
侍女として潜入した時は侍女や令嬢方中心に会ってたから顔まで
覚えていないのだろう。
ルドルフに意見していた男の隣まで来るとにっこりと微笑んで。
﹁いつまで下らない事言ってるの? 失せろ!﹂
﹁なっ!?﹂
無礼な、とは言わせなかった。指を鳴らして腹に一発、後ろに吹
き飛んだ男は何人かを巻き込んで不様に転がる。
⋮⋮よし、誰も気を失ってないね? そのまま聞いてろ?
﹁ルドルフ何時まで付き合ってるの? 誰が聞いても反論の仕様が
無い罪状とその証拠なのに﹂
﹁すまんな。俺も何故反論できるのか理解に苦しむ﹂
﹁あの罪人どもの仲間なんじゃないの? 明日は我が身だからこそ
庇いたいのかしら﹂
ざわり、と周囲の貴族達に波紋が広がる。誰もが思っても口にし
なかった憶測は私から語られた。だから﹃気付かなかった﹄ことに
はできない。
362
さあ、どうする?
これで後ろ暗いことが無い貴族はルドルフの味方をせざるをえな
くなった。反論すれば処罰された者達と同類に見られるのだから!
飛ばされた男はゆっくりと起き上がり私を睨みつける。
﹁無礼な⋮⋮っ﹂
﹁あら、私が無礼なら貴方は無礼な上にこの国の反逆者よね﹂
﹁何を!﹂
﹁だって﹂
魔力を込めた威圧を貴族達に送ってやる。
﹁罪人たちを庇う理由ってそれしかないでしょ? 王の独断ではな
く明確な証拠と定められた法に基づく処罰なのに何故不満が出るの
よ? ゼブレストという国の歴史を否定することって誰だろうと許
されないでしょ?﹂
﹁歴史の否定だと!?﹂
﹁貴方の個人的な言い分を支持するなら今まで法によって処罰され
てきた人達は、潰された家はどうなるのよ﹂
﹁ぐ⋮⋮それは﹂
﹁それにね? 無礼というなら身分制度は理解できてる筈。なのに
貴方は王に対して刃向かっている。処罰覚悟で意見しても、自分の
言い分が聞き入れられないことを承知しているんでしょう?﹂
王が絶対者であるとは言わないが国の決定権と責任は王にあるの
だ。意見を無視されても仕方が無いのに何故無駄なことをしている
のか。
ルドルフとて言っていただろう⋮⋮﹃それなりの覚悟はあるのだ
ろうな﹄と。
363
﹁そのとおりだな。お前は自分の事ばかりで恥ずかしくは無いのか
? 先程からの言葉は自分を見逃してくれと言っているようにしか
聞こえなかったぞ?﹂
﹁黙らせちゃえば良かったのに。騎士だって王を軽んじられて怒り
狂っていたでしょ? エリザも同じだったし?﹂
ねえ? とエリザを振り返れば﹁当然です﹂と力強く頷いた。⋮
⋮宰相様、溜息吐かないの!
﹁それと彼女のことだがな⋮⋮﹂
﹁私はミヅキ。イルフェナの後見を受けた魔導師でルドルフの親友﹂
﹁親友!?﹂
﹁側室ではなかったのですか!?﹂
おお、予想通りのこの反応。で、王の言葉を遮ったことは無視で
すか。人の事無礼だ何だと言うならまずそこを咎めろよ。
﹁遊びに来たら勝手に勘違いして嫌がらせをしてきた馬鹿が居てね
? 私が個人的に報復するととんでもないことになるから一時的に
側室ってことにしたの。側室なら王の意見が優先されるでしょ?﹂
﹁本当に頭の痛い出来事だったな。お前が咄嗟に﹃側室扱い﹄を言
い出してくれなかったら今頃はお前とイルフェナの報復を受けてい
た﹂
﹁後見を受けている以上は報告の義務があるものね。私﹃個人﹄が
女同士の喧嘩をやってみたいから、と﹃我侭﹄を言い出したのよね
? それとも﹂
すい、と瞳を眇めて笑う。
﹁個人的な報復を望んでいたの? ああ、でもその場合って一族郎
364
党が報復対象か。家名を誇るってそういうことですもの﹂
﹁その発想やめろ。そいつらは国の法で裁かねばならない罪状があ
るんだ﹂
﹁判ってるって。だから後宮の馬鹿女達は個人として扱ったじゃな
い! いくら親友でも王としての言葉なら尊重するわよ﹂
﹃遊びに来たら側室に勘違いされて嫌がらせされちゃった。個人的
に報復すると色々面倒なことになるから﹁側室ごっこしたい! 泥
沼展開やってみたい!﹂とイルフェナとルドルフに我侭言ってみま
した。だからその期間は側室扱いで御願いね﹄
簡単に言うとこんな感じ。側室扱いしてたのも理由があったのよ、
みたいな? だからイルフェナの後見を受けた姫ってのも間違いじ
ゃない。
これは事前に決まっていたことだ。私が祖国へ帰る理由が無いし、
かと言って本当に側室をやる気も無い。後見を受ける意味でも仲の
良さをアピールしておこうというものなのだ。今後も遊びに来る予
定だしね。
ま、私に仕掛けるよう側室どもに仕向けたけど? 貴族どもよ、この国はルドルフによって報復を免れたんだぞ? 覚えておけ?
﹁別れの挨拶に来てみれば何時までもぐだぐだ言ってる奴は居るし
⋮⋮報復の片鱗を匂わせないと理解できないのかなあ?﹂
言葉と同時に室内を床から徐々に凍結させる。空気中に水を作り
出す要素は十分あるのだ、凍結ならばとても容易い。そしてこれ⋮
⋮一見怖いのだよ。足元から徐々に凍り付いていくからさ。
ぴしぴしと微かな音を立てながら凍り付いていく貴族達にもう一
度問い掛ける。
365
﹁ねえ、もう一度答えて? 貴方達は法による裁きを望むの? そ
れとも私個人の報復?﹂
﹁ほ、法だ! 法による裁きを望むからっ⋮⋮助け﹂
﹁煩い、聞かれたこと以外喋るんじゃない﹂
バキン、と音を立てて男の足元が砕けた。その光景に誰もが息を
飲み沈黙する。
ふん、この程度の恐怖で固まる奴が王に意見しようなんて思うん
じゃない。
側室連中を相手にした時に比べれば優し過ぎて不満が出るでしょ
うよ。
﹁ミヅキ? そろそろ戻せよ?﹂
﹁了解、王様。⋮⋮もう黙ったみたいだしね。でもこれだけは言っ
ておくわ﹂
指を一回鳴らして氷結の解除と蒸発を。そして更なる魔力を込め
てより重い威圧を。
魔力の影響かケープと服の裾がふわり、と浮かぶ。
﹁私はルドルフの味方なの。貴方達が貴族として王を諌めるのでは
なく、個人的な理由でルドルフを貶めた時は絶対に許さない。⋮⋮
報復を覚悟なさい。敵を野放しにするほど私は優しくはない﹂
静まり返る中、何の前触れも無しにもう一つの術を発動させる。
ボロボロの姿、けれど武器と防具を纏った騎士のスケルトン達が
音もなく私の周囲に現れると跪き深く頭を垂れる。
その光景にざわめく貴族達を無視しルドルフに向かって一言。
﹁じゃ、帰るわ。またね!﹂
366
﹁おう、またな﹂
短い別れの挨拶だけを残し軽く手を振ってそのまま扉へと向かう。
エリザは深く一礼し私を見送ってくれた。別れの挨拶は済んでい
るからこれ以上の言葉は必要ない。
役目を終えて私はイルフェナへと戻るのだから。
何時の間にか姿を消していた英霊達に誰からともなく呟く声が聞
こえた。
︱︱英霊達にさえ認められたイルフェナの魔導師、王の友、と。 ﹃ミヅキ、最後のは一体なんだ?﹄
﹃英霊達に認められた方がインパクトあるかな、と思って﹄
﹃貴族どもが本気で怯えてる⋮⋮と言うか尊敬を集めてるみたいだ
ぞ?﹄
﹃尊敬? 何で!?﹄
⋮⋮シリアスな展開にしておいて実に申し訳ないのですが。
あれ、ホラーゲームの敵側の勝ちモーションです。プレイヤーキ
ャラも骨。
噂が流れ過ぎて完全に英霊として定着したのか⋮⋮。
さて、荷物はもう運んでもらってあるし転移法陣でイルフェナへ
帰ろっと。
367
小話集4︵前書き︶
主人公が来る前のゼブレストと大戦の原因な過去話。
368
小話集4
小話其の一 ﹃究極の選択﹄
世の中には個人の努力だけではどうにもならないこともある。
叶えたくば誰かの助力を乞え!
ただし。
その相手を間違えれば待つのは破滅。
さあ、誰の手を取る?
その日。
ゼブレスト国ルドルフ王の執務室には宰相アーヴィレンを始めと
する、ルドルフ王の側近達が集っていた。
はっきり言ってしまえばその人数は少ない。口外できぬ内容の為、
信用できる者しか集めていないからだ。
﹁やはりイルフェナが最有力ですか⋮﹂
﹁かの国ほど確かな実力を持った協力者を期待できる国があるか?﹂
﹁確かに。特に我が国と友好的な上、おかしな工作もしてこないだ
ろうしな﹂
協力者と言っても簡単ではないのだ。様々な意味で条件が厳し過
ぎる。
前提として側室扱いになる以上は年齢、外見は勿論、欲を出さな
い人物でなければならない。
369
まず、国が不利益を被ることがない人物。
側室どころか王妃になる野心がある者は論外、あくまで協力者だ。
前提条件に組み込んであるので大丈夫だとは思うが、嫁いでも問題
の無い身分であれば実家が押し切る可能性がある。
スパイを送り込まれても困る。その場合は国交に皹が入るだろう。
貴族の手先であって国の預かり知らぬ事だろうと責任は国が背負
うのだ、外交問題に発展する。
次に能力。
はっきり言って馬鹿では困る。
側室としてある程度相応しい行動が出来、尚且つ側室どもと殺り
合える人物。
実家の権力に縋ってどうにかなるものではないのだ、本人の実力
がものを言う。
最後にルドルフの信頼を得ることができるか。
ルドルフはかのエルシュオン殿下と友人関係を築けるくらい優秀
なのだ。下心や打算は容易く見抜き、一度信頼を失えば二度と懐に
入れることは無い。
そうしてしまったのはこの国の現状が原因なのだが。
﹁ところで⋮⋮今更ですがイルフェナには該当する人物がいるので
しょうか?﹂
あまりにも厳しい条件におずおずと一人が声を上げる。
周囲も頷いていることからそれは誰もが考えていることなのだろ
う。
ルドルフは軽く頷くとエルシュオンからの手紙を手に取る。
370
﹁エルシュオン殿下が推薦する人物がいる。ゴードン医師の保護下
にある異世界の魔導師だそうだ﹂
﹁異世界の魔導師!?﹂
﹁ゴードン医師と言えば名高い名医ですね。大変博識で人格者だと
聞いています﹂
送られてきた魔道具を起動させると一人の女性が浮かび上がった。
黒髪・黒い瞳⋮⋮この女性が魔導師なのだろう。
だが。
﹁あの、何故熊らしき生物を狩っているのでしょうか⋮⋮?﹂
映像は女性が熊モドキを狩っているところだった。タイトルに﹃
狩りにも慣れました﹄とあることから成長記録か何かなのだろうか?
しかも楽々と狩りを終え皮を剥ぎかかっている。大変頼もしい。
﹁なんでも先日は﹃カーマイン﹄をマジ泣きさせたらしいんだが﹂
﹁﹁は?﹂﹂
何人かの声がハモった。ちなみに﹃カーマイン﹄はそれなりの勢
力を誇る暗殺者集団である。その姿は全身黒尽くめ。
﹁あの⋮⋮? それは、一体、どのようにして?﹂
﹁何でも逃げられないよう捕縛した挙句、結界を張って強化したロ
ープで簀巻きにして森に一晩吊るしたそうだ﹂
﹁何ともまあ容赦のない﹂
﹁しかも獣の血を塗った状態で﹂
﹁⋮⋮。それは本当に人の所業ですか?﹂
一般的にそれは鬼畜と言う。普通では思いつかない報復である。
371
﹁敵と認識したら容赦無いってことらしい。あと魔法は一ヶ月程度
で魔導師レベルだとさ﹂
﹁どんな天才ですか、それは!?﹂
この世界でそれは天才である。ただし、異世界の知識を持ってい
て活かす事ができれば可能だ。
女性は間違いなく知識を活かすことに関して天才ということだろ
う。度胸もあるようだ。
﹁どうする? イルフェナを信じてみるか?﹂
ルドルフの探るような視線に皆は顔を見合わせ頷く。それは了承
の証。
﹁最後の判断はルドルフ様にお任せします。ご自分で見極めてくだ
さいね﹂
アーヴィレンの言葉に皆は深く頷き、国の命運を賭けた計画に向
けて動き出したのだった。
※※※※※※
﹁⋮⋮と、いうことがあったんだよ﹂
﹁嘘ぉ!?﹂
そして現在。イルフェナの協力者ことミヅキとルドルフは呑気に
お茶していたりする。
緊張感など欠片もなく、計画も順調だ。
372
﹁あんた最初から好意的だったじゃない!﹂
﹁ん? その場で判断したんだぞ?﹂
﹁え∼⋮⋮それでいいのか、この国﹂
ルドルフから協力者要請までの道のりを聞かされたミヅキは盛大
に呆れた。
判断材料が熊殺しに暗殺者イジメ、果ては魔王様自身の推薦とく
れば当然か。
なお、唖然としたのはミヅキだけではない。
帰ってくるなりルドルフが﹃今度来る協力者は俺の親友だ!﹄と
言い出し軽いパニックになったほどだ。
アーヴィレンなどは魅了されていないか調べ出す始末である。
﹁貴方達は警戒心の強いところがそっくりですしね﹂
警護にあたっていたセイルがくすくす笑いながら二人を見る。
揃って首を傾げる様も大変微笑ましい、と思いながら更に口を開
く。
﹁お二人とも互いを無条件に受け入れていらっしゃるからこそ初め
から友人となれたのだと思いますよ﹂
立場は違っても二人の状況はとてもよく似ていただろう。
周囲を常に警戒し知識を得ることで自身を守っているのだ、同類
だからこそ受け入れ易い。
﹁食べ物で釣られたぞ、こいつ﹂
﹁容赦の無さを絶賛されたんだけど、私﹂
﹁⋮⋮え?﹂
373
その後、﹃物事を本能で判断する二人だからです﹄というアーヴ
ィレンの一言が正解とされたのだった。
ゼブレストは宰相様の気苦労と引き換えに﹃正しい選択﹄をした
ようである。
※※※※※※
小話其の二 ﹃魔導師というもの﹄
この世界において﹃婚約﹄は非常に厄介なものだと認識されてい
る。
それは偏にある魔導師が原因であった。
二百年前の大戦前後に存在した彼を人々はこう呼ぶ。
﹃優しき魔導師﹄、﹃世界の守護者﹄︱︱と。
男は手元の紙に目を落とし口元を歪ませる。面白いほど自分の筋
書きどおりに事が運んだのだ、無理も無い。
﹁本当に愚かな者ばかりで助かりましたよ。こんなに上手くいくと
は﹂
大陸全土を巻き込んだ大戦は終結したばかりである。その原因と
もいうべき﹃ある出来事﹄を二度と繰り返させないようにしなけれ
ば人はまた繰り返すだろう。
﹃彼ら﹄は何も悪くなかった。
374
この最悪の事態を引き起こしたのは扱えもしない力を望み無理に
手に入れた連中だ。
表に出せないからこそ、事実を知る者達は一層罪の意識を抱く。
﹃彼ら﹄︱︱異世界人は時折この世界にやってくる﹃旅人﹄だ。
別の世界からやってくる彼らのもたらす知識は実に興味深く、ま
た素晴らしいものだった。
慣れぬ世界で生きることに必死になりながらも、知識を授けてく
れる彼らとこの世界の住人達の関係は良好なものだったろう。
だが。
それを利用しようとする者達が居た。ある国の権力者達は彼等の
知識を侵略に利用しようとしたのだ。
これが国を守る為だったならばそこで終ったかもしれない。けれ
ど愚か者達が望んだのは大陸の統一だった。
魔術の様に人が使うならば強力なものほど多くの魔力を消費し魔
力切れを起こすだろう。では、それを道具で成し遂げられるように
なってしまったらどうなるのだろうか?
自分達以外は死ぬべきとも受け取れる発想である。だが、運の悪
いことにそれを実現できてしまう者が居たのだ。
その異世界人も初めからそんなことは考えていなかっただろう。
ただ、魔術を誰でも使えるようにと研究を重ねていたらしい。そこ
に目をつけられたのだ。
この世界で家族を得ていた彼は、家族の命には変えられぬと国に
言われるまま研究を成し遂げた。民間人でしかない彼に助け手など
あるはずはない。そうするしかなかったのだ。
アンシェスの技術を元にしたというその兵器によって多くの国が
375
被害を受け、その火種は大陸全土にまで広がっていった。争いは争
いを生む、それは当然のことだろう。
﹃製造方法が判ればどの国も使い出す﹄︱︱何故、そんな簡単な
ことに思い至らなかったのか。
唯一の救いは己が罪の重さに耐え切れなくなった彼が兵器の対策
を他国に流し、自分と共に国を滅ぼしたことだろう。散々使ってき
た兵器による自滅は他国に恐怖を抱かせ、武器を捨てることを選択
させたのだから。
だが、傷跡は深すぎた。大戦が終結しようとも滅ぶ国が出るほど
に。
だからこそ自分は異世界人と世界を守る為の﹃手段﹄を提案した。
今ならば賛同を得られる確信があったのだ。疲労している権力者達
は原因を知っているからこそ頷かせることができるだろうと。
それは異世界人に守護役を与えることだ、しかも複数の。
﹃二国以上からそれなりに身分の高い守護役を選出し婚約関係と
する。これならば争うことなく正当な言い分の下、知識の共有はさ
れる。一つの国が利用しようとするなら別の国が牽制すればいい。
守護役なので性別は問わない。
異世界人にしても生活する上で最低限の保護は必要だろう。婚姻
ではないのだ、悪い話ではあるまい﹄
尤もこれは建前で意図するところは別にある。﹃婚約﹄という罠
が権力者達の思惑を覆すのだ。
この世界において婚約は大した意味を持たない。貴族や王族は幼
い頃から婚約者が変わることなど珍しくはないのだ、一々気にして
376
いたらきりが無い。政治的意味合いを持つからこそ当たり前なので
ある。
だからこそ、互いに﹃破棄する権利﹄が認められている。一方的
なものでも成り立つように。
もう一つは﹃婚約は互いが了承した上のもの﹄ということ。今回
は複数の婚約者全てが頷かねば成り立たないということである。
そこが前提となっていることに愚か者達は気付かない。
まず、守護役に該当する婚約者。利用するようなら異世界人本人
が任を解いてしてしまえばいいのだ、煩い事を言うならば他の守護
役を頼ればいい。これで束縛されることはない。
守護役全員が信用できなければ他国へ赴き破棄した上で新たに婚
約を結ぶ。新しい契約が優先されるので完全に手が出せなくなるだ
ろう。
次に責任において。力を得ようとする者の中には弱みを握って脅
迫︱︱守護役に収まり知識の共有を強制してくる者も居るかもしれ
ないのだ。
見知らぬ世界に放り出された彼等が、命の恩人とも言うべき手を
差し伸べてくれた人々を見捨てるとは考え難い。
だが、世界が平穏である為には切り捨ててもらわねばならない時
もある。
その場合、異世界人﹃個人﹄が決断すれば槍玉に挙げられてしま
うが、守護役ならば﹃国の判断﹄になるのだ。個人ならば許せぬ人
々も国の方針ならば納得せざるをえない。責任は国にある。 この制度はあくまで﹃異世界人を護り、それ以上に世界を守る為
のもの﹄なのだ。
異世界人に対し高い評価をしながら放置していた国の対応が大戦
377
に繋がっている。この世界の事を背負うのはこの世界の者でなけれ
ばならない、そして異世界人も己が価値を知らなければならない。
それを認識させるための措置なのだ、だからこそ騙すような手を
使ってでも認めさせた。
一見、取り巻きが多く居るように見えて実は守護と監視を担って
いるだけなので、できるなら友人関係を築ける者を選んでくれれば
と思う。
﹁後は⋮⋮これより訪れる異世界人達が我らの良き友人であるよう、
我らの子孫が愚か者でないよう願うしかありませんね﹂
ひっそりと男は呟き、本当の意味で大戦の傷跡を忘れてしまうだ
ろう後世に思いを馳せた。 彼の提案した制度は多くの国に認められ、その実態が露見した後
も反故にされることはなかった。
自らも守護役に就いたとされる彼は友も世界も守ってみせたのだ。
378
小話集4︵後書き︶
主人公が存在する時代では大変美化されている魔導師の話。
実際は世界と友人の為に詐欺紛いの制度を認めさせた、賢いけど発
想がアレな人。︵=普通は婚約制度を利用しようとは考えない︶
他にも色々やったので魔導師が厄介だと言われているのはこの人が
原因。勿論、イルフェナ産。
この世界に来ても本当の意味でのハーレムは無理という、﹃お姫様
扱い﹄や﹃主人公扱い﹄に憧れる人々の夢を砕いた元凶。︵現実を
知らされますからね︶
白騎士が主人公を城に呼ぶ為の餌に使った﹃気に入った奴を云々∼﹄
はこれのこと。
379
婚約者=異世界人の御守役?
二ヶ月ぶりぐらいに帰ってきました、イルフェナ!
先生や騎士sに無事に帰って来た事を喜ばれつつ、ゼブレストで
の行動にお説教されました。
ええ∼? 別にいいじゃん?
どうせ一族郎党処罰確定だったんだしさぁ!
※※※※※※※
﹁お帰り。君は予想以上の結果を出してくれた。ゼブレストでも説
明があっただろうけど報酬は戸籍と旅券、それから私の後見だ﹂
﹁ありがとうございます﹂
戸籍の二重取得なんじゃ? とか思ったけど、異世界人にとって
戸籍はその国に身柄を保証される証明という意味合いになるらしい。
つまり国が保証人になるってこと。旅をする時に必須の旅券もこれ
で発行可能だそうな。
そのままだと不審人物ですからねー、異世界人って。
そんなことはどうでも良くて。
嬉しそうに魔王様は話しています。機嫌も良さげでやり過ぎとか
咎める気はないみたい。
⋮⋮。
え、それでいいの?
イルフェナの後見があることをいいことに散々やりたい放題でし
たが。
380
いいの? マジで!?
てっきり説教から来ると思っていたので意外です。
やっぱり楽しめる事も評価に繋がってましたか、そうですか。
私の様子が判り易かったのか、魔王様は苦笑する。
﹁怒ったりしないよ? 君は十分役目を果たしたのだからね﹂
﹁やり過ぎとか怒られると思ったんですが﹂
﹁彼等は法によって罰せられるゴミだからね? 君が気にする必要
はない﹂
えーと。
ゴミとか言いましたか、この人。
何か恨みがあるとでも言うんでしょうか? 王子様の発言にして
は問題ありですがな。
そんな私を無視して魔王様の爆弾発言は続く。
﹁でね? アルとクラウスが君の婚約者になったから﹂
﹁ちょーっと待てい! 何故いきなり婚約者!? どこからそうな
った!?﹂
﹁私の心の中で﹂
﹁横暴です!﹂
﹁でも見知らぬ相手よりマシじゃないかい?﹂
﹁⋮⋮はい?﹂
え、何どういうこと?
﹁まずはこれを読んでもらいたい。異世界人がこの世界で暮らす上
での決まりごとみたいなものかな﹂
381
ぴら、と一枚の紙を私の目の前に差し出す。
﹃異世界人のこの世界における位置付け﹄? 何これ?
差し出された紙を手にとってざっと目を通す。
ふーん、異世界人てやっぱり珍獣扱いかぁ。
﹁あの∼⋮⋮﹂
﹁何だい?﹂
﹁何故に婚約?﹂
﹃この世界で利用されない為に二つ以上の国から複数の守護役を
異世界人につけるよ。婚約者という立場になるから問題があったら
さっさと婚約破棄してチェンジしちゃえ! 国が信用できなかった
ら他国へ逃げて新しく婚約をしちゃえば手が出せなくなるよ︵意訳︶
﹄
簡単に言うと婚約の真相はこんな感じ。ある意味納得です、いき
なり放り出された状態だから保護者が居ないと生きていくのは厳し
いもの。
婚約とか言われたから驚いたけど、守護役っていう意味だったの
ね。
契約ではなく婚約にした意味もあったらしい。いや、婚約という
ものを利用して成り立っている、ということか。
でも、随分と異世界人優遇な措置だと思うのですが。
契約では駄目なのかね?
﹁婚約における﹃無条件の認識﹄を利用して定められたものだから
だよ。これを唱えた魔導師は異世界人を利用しようとする輩を嫌悪
していたみたいだからねぇ﹂
嫌悪と言われて妙に納得する。うん、確かに責任はこの世界の住
382
人達が背負うことになるだろう。
ただ、そこまで異世界人を特別扱いをしなくても良いような気も
するのだが。 だってこの守護役になると自分の結婚できなくないですかね?
アルさんとクラウスさんも中身はアレでも顔や家柄に群がる女性
は多そうだ。本人達はそんな連中に好意を持たなさそうですが。
はっ!⋮⋮私は盾か?
私の所為ってことにして逃げるつもりか?
魔王様って二人と幼馴染だっけ、それならば二人の逃げ道を確保
するくらいやりかねん!
﹁えーと、保護者として先生が居るので将来有望な若者を犠牲にす
るのはどうかと思います﹂
﹁二人のことを気遣ってくれるのかい? 優しいね⋮⋮で、本音は
?﹂
﹁女性達の恨みを買いたくありません!﹂
﹁取り繕う気は無いんだね﹂
﹁ここで綺麗事を言って婚約者になった場合はハイエナもどきの女
達と泥沼展開確実じゃないですか!﹂
ゼブレストは後宮っていう特殊な環境でしたからねー、日常でも
陰湿デスマッチが展開されるってどうよ?
負けるつもりはありませんが﹃婚約者の為に健気に戦った﹄とい
う脳内フィルター越しの評価をされて恋愛方面に話を持っていかれ
そうです。
そんなことになれば二人を狙う御嬢様方は更にヒートアップする
だけでしょう。
なに、その無限ループ。平穏な生活は何処へ行った!?
383
﹁残念だけど手遅れだと思うよ?﹂
﹁は?﹂
﹁アルが君に求婚したのは誰でも知ってるから﹂
﹁権力行使して止めろや、飼い主﹂
﹁クラウスも君の事を絶賛していたからねぇ﹂
﹁それ技術に対して。女として評価したわけじゃないから!﹂
人が派遣されている間に何やってるんだ、二人とも⋮⋮。
いや、でも変人ぶりを隠さないから誰だってどこを評価されたか
気付くんじゃ?
本人達も変人だし、二人を狙う人達はそこは許せるんだろうか。
﹁変人はこの国では珍しくは無いよ? むしろ実力者の証明だね﹂
﹁心を読まないでくださいよ、魔王様⋮⋮。評価された部分が判っ
ているなら嫉妬されませんかね?﹂
﹁どのみち二人に執着されてることは事実だから無理だろうね。そ
れに﹃我々に認められた実力者﹄という意味でも逆恨みはされるん
じゃないかな﹂
がっくりと首を垂れる。
そういえば変人の産地でした、ここ。変人=天才な認識だと凡人
からすれば羨む要素なのか。
ちょ、私も同類認定!? 類友ですか!?
頭を抱える私を綺麗に無視したまま、優しげな笑みを浮かべた魔
王様の追撃は続く。
﹁守護役で妥協しておいた方がいいと思うよ? この話を断ったら
アルに所構わず抱きつかれたり求婚されることになると思うから﹂
﹁張り倒して逃亡⋮⋮﹂
﹁アルは喜ぶだけじゃないかな、それ﹂
384
﹁⋮⋮﹂
その未来予想に物凄く納得した。うん、絶対にそうなるね。
﹁しかも惚れ込んでるから諦める選択なんて無いだろう。これはク
ラウスもなんだけどね。それに⋮⋮いくら優しくても公爵家の人間
だよ? 格下に譲るほどお人好しじゃないと思うけど﹂
﹁クラウスさんは!?﹂
﹁だからクラウスは認められてるんだって。ちなみにクラウスも公
爵家の人間だよ? 私達は幼馴染だって言っただろう?﹂
クラウスさん⋮⋮そんな家に生まれて何故職人に。
ああ、でも年齢だけじゃなく身分的な意味も含めて幼馴染として
引き会わされたんだね。
納得です、将来的に支える存在になるよう親世代からの思惑があ
ったわけですね。
単に類は友を呼んだのかと思ってました。誰も口出しできないか
らそのまま育って何処に出してもドン引きされる立派な変人に⋮⋮
﹁何かな?﹂
﹁ナンデモアリマセン﹂
さすが魔王様、私の発想を読むくらい容易いのですね∼⋮⋮では
なくて。 つまり他の候補は権力と﹃個人的な御願い﹄によって軒並み退け
られているってことかい。
何て性質の悪い連中だ。そんなことに権力や実力を発揮するんじ
ゃない!
385
諦めが悪いどころかロックオンされたら最後ですか。間違っても
﹃見初める﹄とか﹃一目惚れ﹄なんて可愛らしい表現じゃねえぞ?
何その執着ぶりは。
二人のことは嫌いじゃないよ、嫌いじゃないけどね!?
﹁大丈夫だよ。君に何かあったら私だけじゃなく、あの二人が動く
から﹂
﹁え、それって﹂
﹁愚か者はこの国に要らないよ﹂
﹁それは死亡フラグですか、それとも家の取り潰し⋮⋮﹂
私の言葉に魔王様は一切答えず、天使の微笑を深めただけでした。
背中に冷たいものが流れたのは気の所為じゃないと思います。
魔王様と幹部二人を敵に回してこの国で生きていけ⋮⋮るのかな?
﹁ゴミ掃除が終るまでお茶をどうだい? 報告の義務もあるよね?﹂
魔王様、わざとらしく足止め工作しないでください。
報告って⋮⋮ずっと面白がってこちらを見てたじゃん!? 手紙
も遣り取りしたし!
いや、だから手首を掴んで引き摺らないで下さいよ! 誰か止め⋮⋮侍女さん、﹁諦めてくださいませ﹂って笑顔で言わ
ないで!
下らない事を画策してる皆様、貴方達に危険が迫っているようで
す。
つーか、あの二人がこの場に居ないことを不思議に思うべきでし
た。
命は一つしかないんです、逃ーげーてー!!
386
婚約者=異世界人の御守役?︵後書き︶
逆ハーレムは人を侍らせる事を喜ぶ人種じゃないと成り立たないよ、
というお話。
︵役目があったとしても︶周囲の同姓から反感買いまくることを覚
悟しないと無理でしょう。
白騎士・黒騎士の家族の反応は次の話で。
387
魔王様の護りと教育方針︵前書き︶
前回の続き。
388
魔王様の護りと教育方針
唐突な婚約話の後。
魔王様に引き摺って来られた隣の部屋でお茶することになりまし
た。
内部で繋がってる扉を通ったので、その異様な光景は誰にも見ら
れることは無く。
魔王様⋮⋮天使の顔して力技やらかす人でしたか。
まあ、ここからが本当に話が始まるんでしょうけどね?
執務室なんて誰が入ってくるかわからない場所ではできないんで
しょう。
さて、何を言われるのやら?
﹁怒らないのかい?﹂
﹁へ?﹂
﹁君は怒っていいんだよ?﹂
⋮⋮? 何かあったっけ?
怒られる覚えは有りまくりだけど魔王様を怒るって一体何故。
首を傾げる私に魔王様は溜息を吐き﹃仕方のない子だね﹄と呟い
た。
ええ、何その可哀相な子を見る眼差しは!?
﹁君がゼブレストに行った理由だよ。付き纏っているアルを何とか
389
しろ、という条件だったと思うけど﹂
﹁ああ⋮⋮ありましたね、そんなの﹂
そういえばそうでした。
でも、あの時の城への連行ってアルさんの事がなくても強行され
てたよね。
さっきの﹃婚約と言う名の守護役任命﹄が目的だった以上は私に
拒否権なんてものはない。身分的に言っても民間人が貴族に楯突く
なんて真似は無理だろう。
騎士sを正座させて説教しただけでも村長さんが卒倒したのだ、
公爵家が出てきている以上は村人が私を庇うなんてことはできまい。
﹁あの時は自分の事しか見えてませんでしたからね。本来ならそん
な﹃取引﹄を持ちかけることさえできないでしょう?﹂
事実なのだ。異世界人だろうと民間人、王族相手に取引なんて真
似は出来ない。身分制度がよく理解できていない⋮⋮と言うか身近
に無かったからこその暴挙だろう。
逆にいえばこれを不敬罪にしてゼブレストに行かせる事もできた
筈。
﹁次。ゼブレストの報酬は私に関するものだけだと聞きました。な
らばあれは私だけに利益のあるものということになる﹂
﹁それは君が結果を出したからだろう?﹂
﹁そうですね、私が結果を出したから﹃私がゼブレストで味方を得
ることができた﹄んじゃないでしょうか?﹂
﹁⋮⋮﹂
報酬の内容を聞いて疑問に思ったのだ。私はイルフェナの駒だっ
た筈である、なのにイルフェナが得るものは何も無い。
390
⋮⋮﹃国﹄に大きな借りを作る機会なのに?
外交の一環というには明らかにおかしい。友好的な関係だろうと
何らかの打算がなければ後見なんてことはないだろう。
だが、私の為という仮説を立てると全てが納得できるものとなる。
いや、それ以外に説明がつかない。
ゼブレストで実力を認められたなら。
︱︱﹃敵に回してはならない﹄という実績になる。戦の多い国で
さえ恐れる存在を簡単に敵に回すだろうか。
後宮という隔離された、けれど権力争いの場で生き残れるなら。
︱︱国や貴族の在り方を学びつつ、身分や力が全てではないと知
ることが出来る。
協力者達と良好な関係を築くことが出来たなら。
︱︱﹃私個人﹄の味方を得ることができる。王族・公爵といった
人達への個人的な繋がりは間違いなく私を助けるものになるだろう。
﹁報酬以外に私が得たものは沢山あります。国の在り方なんて民間
人が知るわけが無い。学ぶにしてもまずその必要性を疑うから、本
当に理解するならゼブレストでの経験が必要だった﹂
ルドルフ達と接する機会が無ければ﹃王が命じればいいんじゃな
いの﹄と単純に考えていただろう。
だが、実際はそうではない。
ゼブレストとて明確な不正の証拠や王自ら法に基づく処罰の正当
性を主張するだけでは貴族を追い込めなかったのだ。ルドルフ達が
無能だなんて思わないし、私が彼ら以上だとも思えない。
391
﹃正義﹄と﹃最高権力者﹄が揃っても成し遂げられるとは限らな
い。
それがゼブレストで学んだことの一つ。王がよほどの暴君でない
限り主張を貫くなんてことは無理。
だから私がこの国で何の功績も無く後見を受けられたとしても間
違いなく庇いきれない。
魔王様とて王族なのだ、国か私ならば躊躇い無く国を選ぶ。そう
でなければならない。
﹁⋮⋮という感じで色々と推測してみました。だから謝るならば私
の方ですね。ごめんなさい﹂
座ったまま私は深々と頭を下げる。ここまでしてもらって感謝も
謝罪も出来なかったら人としてどうかと思う。
ついでに言うならアルさんが来た事も保護の一環だと推測。先生
だって言ってたじゃないか⋮⋮﹃お前が来たか﹄って。
お迎えだけなら白騎士を動かす必要なんてないだろう。だが、あ
れが護衛の意味だとしたら?
⋮⋮他の貴族の介入を防ぐ為に彼らが来たんじゃないか? 王族直属で公爵家の人間が率いる部隊に喧嘩を売る馬鹿はいない
だろう。ルドルフ達に散々言われたように拉致監禁の危険があった
ってことじゃね?
﹁君は賢過ぎて色々と苦労しそうだよね﹂
下げたままの頭を撫でる魔王様の声には感心と呆れが混じってい
るようだ。
訂正されないってことは正解でしたか。その為にかなり無茶をし
392
たんじゃないですか、魔王様?
﹁だけど、そこまで見透かされると少し腹立たしくもあるかな﹂
﹁え⋮⋮ちょ、押さえ付けないで下さいって!﹂
押さえつけたまま威圧しないでくださいってば⋮⋮そんな照れ隠
しは要りません! あれ、照れて魔力制御が甘くなってるだけ?
※※※※※※
﹁君がそこまで理解しているところに悪いんだけどね、アルとクラ
ウスの家族は守護役に就いた事を喜んでいるんだ﹂
﹁へ? 優秀な息子が結婚できないかもしれないのにですか?﹂
﹁うん。君を評価している事が半分、家庭の事情が半分って感じか
な﹂
あの二人に何かマイナス要素なんてあるんだろうか。
家督争いでも起きかけているとか? 優秀だけど長男じゃないな
ら争いのタネになるものね。
﹁いや、そんなことはないから﹂
﹁声に出てましたか。あれ、じゃあ一体何故?﹂
と、その時。ノックが響き三人の人が部屋に入ってくる。返事を
待たずに入ったってことは初めからここに来ることを指示されてで
もいたのか。
﹁初めまして、異世界の方。私はシャルリーヌ・バシュレと申しま
す。アルジェントの姉ですわ﹂
393
そう言ったのは弟と同じ色の髪と瞳をした美女。ただし、勝気そ
うな華やかな顔立ちなので印象は随分と違う。
﹁私はローラン・ブロンデル。こちらは妻のコレットだ。クラウス
の親として是非会いたかった﹂
﹁初めまして。ああ、お会いしたかったわ⋮⋮!﹂
コレットさんに抱きつかれながら見たローランさんは確かにクラ
ウスさんに似ている。クラウスさんに優しさを足したらこうなるか
もしれない。無表情なんだもんな、いつも。
そんなことよりも。
﹁あの、何故ここまで感激されてるんでしょう⋮⋮?﹂
魔王様ー、説明ぷりーず! ﹁三人とも、とりあえず座ってくれないかな。隣の部屋で今までの
話を聞いていたんだろう?﹂
﹁ええ、勿論ですわ﹂
﹁それって、何時ぞやの盗聴器⋮⋮﹂
﹁クラウスが作った物に感激するのは何年ぶりだろうか﹂
﹁そうね、ローラン﹂
⋮⋮クラウスさん? 貴方は御家族に一体何をなさったんですか?
いや、盗聴器に感激されても困るけど。
困惑を貼り付けたままの私に魔王様は何も言ってはくれない。御
家族に事情説明させるってことだろうか。
そんな雰囲気を察したのか、話し始めたのはシャルリーヌさんだ
った。
394
﹁ごめんなさいね? 私達、本当に嬉しいのよ。だって弟を手懐け
る事ができる人が現れるなんて思ってなかったもの﹂
﹁手懐ける⋮⋮﹂
貴女の弟は猛獣か何かでしょうか。変態だとは思いますが。見た
目と性格は良いだけに残念すぎるマイナス要素ですね。
﹁ええ! だってあの子は﹃自分を痛めつける強さを持った女性﹄
が理想なのよ? 世の中に何人要るのよ、そんな人﹂
﹁ああ、厳しいでしょうね﹂
無理じゃねーの? としか思わんな、それ。身分を考えると女性
騎士がギリギリだけど物凄く難しい。
そもそも女性騎士を認めてない国もあるだろう。ゼブレストには
居なかったし。
﹁お母様や私の様に痛めつける事に愛情を感じる性質なら簡単でし
たのに⋮⋮本当に誰に似たのかしら?﹂ ⋮⋮。
今、何か物騒な言葉が聞こえた。
﹁えーと、シャルリーヌさん? 貴女のご家族の愛情表現って⋮⋮﹂
﹁我が一族は元々武人の家系なのですわ。ですから命を賭けて向か
い合う瞬間を最も尊び、敵と認めた者に最大の感謝を示すのです。
力を向けることこそ愛ですわ!﹂
きっぱり言い切る美女は自信に満ち溢れ美しかった。内容はとも
かくとして。
395
その家族愛のなれの果てがアルさんじゃなかろうか? 本人の資
質もあるだろうけど。
愛情を暴力で示す家庭にお育ちになられたんですねー、アルさん。
しかも応戦すれば尚良し! ですか。
シャルリーヌさんの話が終るとブロンデル夫妻が話し出す。奥方
様、何故ハンカチを準備してるの!? ﹁我が家は魔力持ちが多く生まれる家系でしてね、クラウスは幼い
頃から魔道具製作に興味を持ち実に将来が楽しみでした。しかし⋮
⋮﹂
﹁あの子は魔術にしか興味を持たなかったのですわ。それも我が一
族の特徴と割り切ってもいました。ですが、妹の人形を直した時に
こう言ったのです﹂
﹃そのうち勝手に動く人形でも作るか。ああ、愛玩動物でもいいな﹄
﹁私達は初めて恐怖したのです⋮⋮この子なら確実にやる、と!﹂
﹁何故気付かなかったのか。魔術にしか興味が無いなら将来的に自
分の妻さえ作りかねないと!﹂
⋮⋮うっわぁ。そりゃ、引くわ。
迂闊に縁談勧めようものなら自主制作を開始しかねないもん、あ
の人。
魔術に対する興味と向学心と自己満足の為に遣り遂げるに違いな
い。
怖い。物凄く怖い。いい歳した男が人形遊び⋮⋮という言葉が浮
かびましたが飲み込みました。
涙を浮かべているこの御夫婦が気の毒過ぎる。追い討ちしては人
として駄目な気がする。
396
﹁この際、性別は問わないから人でさえあればいい! と本気で考
え出した時に貴女の話をクラウス本人から聞いたのです。あの子が
人に興味を持つなんて⋮⋮!﹂
﹁貴女の功績といい、先程の言葉といい十分な実力を持ち且つ聡明
であるようだ。貴女を逃したら次は無いと思っているのだよ﹂
﹁あの、私の場合は婚約って言っても守護役の意味なんですが⋮⋮﹂
﹁﹁十分です!﹂﹂
綺麗にハモった。そうか、そんなに深刻だったのか。
確かに﹃クラウスさんが興味を示す魔術︵を使い魔術談議の出来
る女性︶﹄だと条件が厳しいどころか無理だろう。魔導師を探した
ところで年齢や性別以前に存在が確認できない可能性が高い。
﹁だからね? 君の事情と二人の事情を考えて丁度いいかなって。
君に対しては二人の家族も実に好意的だし﹂
魔王様。事情は理解できましたが貴方が物凄く楽しそうなのが気
になります。
本当に私達の為、ですよね? 一緒に居させれば楽しそうとか考
えてませんよねぇ?
397
魔王様の護りと教育方針︵後書き︶
状況を理解すれば意見も変わってきます。
実力者の国なので自分で考え結果を出すことが当たり前。
魔王様は保護者だけど基本的に教師役。
398
守護役=婚約者=災厄
予想外の家庭事情暴露の後。
﹃うちの子を御願いね︵意訳︶!﹄
⋮⋮という台詞と共に御家族は退室していった。忙しいらしい。
アルさんのお姉さんも役職に就いているようだし、本当にこの国
は性別家柄関係無しに実力重視なんだと思い知らされますね。
まあ、お姉さん曰く
﹁私を女だと嘗めてかかった相手が涙目になる瞬間が物凄く楽しい
ですわ!﹂
とのことなので、御自分の趣味も兼ねているっぽい。愛の無い、結
果のみを求める交渉はどれだけ恐ろしいのやら。
私のゼブレストでの行いの数々も絶賛されることはあっても批難
されることはないとか。いいのか、この国。
﹁ゼブレストの事で君はこの国の実力者達に認められたと思ってい
い。煩いのは小物だよ﹂
﹁小物?﹂
﹁子爵・男爵あたりだね。実力があれば爵位を賜わることもあるか
らその位の立場はそれなりに多い。だけど実力者の血を引いた者が
優秀とは限らないだろう?﹂
﹁ああ、なるほど。爵位だけ残って気位が高い無能もいる、と﹂
﹁うん﹂
399
なるほど、実力者を尊ぶからこその弊害か。
外交させるなら対外的な地位が必要だから与えられるけど、騎士
みたく一代限りってわけにはいかないんだね。
﹁功績で爵位を与えられた家は、その後三代何の功績もなければ潰
れるけど﹂
⋮⋮さすが実力者の国、国内だろうと容赦なしです。
﹁逆に伯爵以上は昔からこの国の在り方が判っているから妙な事は
しないんだ。迂闊に手を出して報復されたら目も当てられないから
ね﹂
恐ろしさを身に染みて判っているってことですか。まあ、その場
合の報復って家名に連なる全てが対象だろうしねえ。
﹃実力で乗り切ってみせろ﹄ってことでしょうか。乗り切れば言
うだけはあると認められる、と。
﹁だからアルやクラウスみたいな家柄・実力共に申し分ない人物は
取り込もうと必死になるんだよ。君に手を出す愚かな連中もいるだ
ろうから気にせず報復なさい﹂
﹁私は民間人ですよ? 身分的に無理では﹂
﹁だからこそ、だよ。小物連中にしてみれば君は取り込み易い位置
にいるんだ。身分制度が完全に無視されているわけじゃないからね﹂
身分とかいらないです。お貴族様の一員になることにも憧れてま
せん。面倒だし。
しかも報復って私の場合って武力行使一択なのですが。だって権
力とか無いもの。
決闘とかするんでしょうか? 400
﹁アルやクラウスが君を特別だと吹聴したのもその為だよ。二人を
敵に回す意味を理解できない愚か者はそれでも居るのだろうけど﹂
﹁アホですか、公爵家を敵に回すなんて﹂
﹁単純に君が羨ましいだけの輩だろうからねえ。政治的な面に疎け
れば個人の感情で行動するんじゃないかな?﹂
つまり二人に憧れる御令嬢ってことですね。親が賢ければ説得す
るけど煽る奴も居そうですな。
﹁今度こそ女同士の泥沼展開でしょうか。勢い余ってマジ泣きさせ
そうです﹂
﹁やり返すのはいいけど自分からはやめなさい﹂
﹁はーい﹂
ぺし! と軽く頭を叩きながら魔王様が釘を刺す。
保護者として一応警告はするんですね。でも、止めないところが
素敵。
※※※※※※
﹁ところで。二国以上から守護役選出ってことはもう一つはゼブレ
ストですよね? 誰です?﹂
そういえば、と切り出すと魔王様は意外そうな顔をする。
﹁あれ? 聞いてないのかい?﹂
﹁ええ。守護役のことも聞いてなかったです﹂
﹁あ∼⋮⋮一応、この国に戻ってから聞いたほうが良いと判断した
401
のかもね﹂
まあ、いきなり派遣先から聞かされるよりはそう考えるかも。
でも今のゼブレストに守護役派遣する余裕なんてあるのかね?
そんなことを考えていたら魔王様が二通の手紙を差し出してきた。
﹁はい、これ君宛。ゼブレストから目標達成の報告と一緒に送られ
てきたんだ﹂
﹁⋮⋮私宛をわざわざ送ったんですか?﹂
﹁そう、何故か送られてきた﹂
何故だ。
ここで﹃言い忘れたことでもあったのね﹄なんて思うほど素直な
子じゃありませんよ。
ルードールーフー? 一体、何を隠してやがった!?
とりあえず開封してみますか。まずはルドルフの方から。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
無言で閉じた。一緒に見ていた魔王様も微妙な顔になっている。
うん、手紙といえば手紙だね。ただし中身が﹃ごめんなさい﹄で
びっしり埋まってるだけで。
人はそれを反省文という。書き取りでもいいかもしれないが。
だからここまでする理由って何!? 何があるの!?
宰相様からの手紙を見るのが怖くなってきたんだけど!?
﹁とりあえず宰相殿からの手紙を見てみたら?﹂
402
﹁そうですねー⋮⋮﹂
魔王様に励まされつつ宰相様からの手紙を開く。それにはこう書
かれていた。
﹃ミヅキ。何も告げずに後から知らせるようなことになってすまな
い。
これを読んでいるということは守護役について説明があったのだ
と思う。
だが異世界人、この世界双方の為にもこのような防衛措置は必須
なのだ。
そしてゼブレストからの守護役だが。
本人の強い希望という名の脅迫によりセイルとなった。諦めてく
れ。
誤解の無いよう言っておくが立候補はエリザを筆頭に協力者ほぼ
全員が名乗りを上げた。
勿論、私もだ。お前は本当に信頼を得ていたのだと嬉しく思う。
だが、紅の英雄を出されては我々としても退かざるをえない。下
手をすると命の危機だ。
オレリアの時の事を考えると非常に不安だが能力・家柄的には十
分だ。
イルフェナの守護役とも釣り合いが取れるだろう。時には妥協も
必要だ。
健闘を祈る。
追記 何かあったらすぐに逃げて来い。いいな?﹄
⋮⋮。
宰相様。事情は判りましたが不安は増しました。正直過ぎる内部
暴露感謝です。
いや、心配しまくる﹃おかん属性﹄が嬉しくはあるんですけどね?
403
守護役ってセイルなんだ⋮⋮まだ続いてたんかい、あの嫌がらせ。
求婚騒動やらかした後だったからルドルフは何も言えなかったわ
けですね!
あの﹃ごめんなさい﹄はこの所為かい。
うん、血濡れになりかけたよ? セイルに抱きこまれた所為で。
オレリアの殺意の的になったよ? セイルが求婚かました所為で。
腹の中は真っ黒だって本人自覚してるじゃん、私に平穏ってある
のかな!?
﹁セイルリート将軍がどうかしたのかい?﹂
﹁腹黒です、ヤバイ人です、野郎にしては美人過ぎます﹂
﹁⋮⋮。何があったか知らないけどもう決定してるから。後で詳し
く聞かせてね﹂
魔王様がとっても優しく、且つ楽しそうなのを視界の端に映しな
がら。
私は手にした手紙をぐしゃりと握り締めたのだった。
せめてものお返しにセイル充てに﹃絶世の美女﹄﹃男なのが惜し
まれる美人﹄﹃腹黒﹄などなど素敵な単語オンパレードの手紙を送
ってやりました。
即座に来た返事の﹃ありがとうございます。愛しい婚約者殿﹄の
文字に敗北感を覚えたのは秘密。
404
守護役連中と魔導師
婚約と言う名の守護役任命後。
ゼブレストから訪れたセイルを交えて当事者のみで顔合わせです。
四人が使うにしては広過ぎる部屋でお茶を飲みつつお話中。麗し
い男性に憧れる御嬢様方からすれば大変羨ましがられる状況ですが、
中身を知ってる私としては何も思うことはありません。
憧れ? 何それ美味しいの?
私は男どもより自作の紅茶シフォンケーキの味の方が気になりま
す。本日の自信作。
卵と小麦粉、砂糖に油。基本的にこれで製作可能な貴重なスイー
ツですよ! バターを使わない庶民のケーキとしてどうだろう?
﹁ふふ、その様子ではルドルフ様から何も聞いていなかったようで
すね﹂
穏やかな笑みを浮かべたまま腹黒将軍セイルはそう言った。
すっごく楽しそうだな、おい。そういうキャラだったか? 猫は
どうした?
﹁貴方がゼブレストの守護役なのですね。私はアルジェントと申し
ます﹂
﹁ちなみに﹃自分より強い者に苦痛を与えられることに悦びを感じ
る﹄という特殊な人です﹂
﹁クラウスだ。ほう、﹃あの﹄将軍殿か﹂
﹁こっちは魔術一筋の職人です﹂
﹁⋮⋮ミヅキ、詳しい解説ありがとうございます﹂
405
とりあえず自己紹介。既に顔を合わせたこととかあるだろうけど、
同じ立場としては初の顔合わせです。
名前だけしか名乗らず普通で通そうとするんじゃない。どうせバ
レるんだから。
挨拶と自己紹介は基本ですね! ついでに変人振りを晒して友好
を深めてはどうだろう。
ほら、類は友を呼ぶというし? 理解者になれるじゃん、お前ら。
﹁おや⋮⋮クラウス殿は私の事を御存知で?﹂
﹁ああ。英雄に連なる者、だろう?﹂
へぇ、クラウスさんは紅の英雄の正体を知っているんだ?
まあ、クラウスさんが知ってるってことは魔王様もアルさんも知
ってるだろう。十年前とはいえ魔術師の天敵みたいな働きをした紅
の英雄は要注意人物ってことか。
﹁なるほど。さすがはイルフェナですね。⋮⋮ミヅキも真実に自力
で到達しましたが﹂
﹁あれだけ目の当たりにしたら誰だって気付くと思う﹂
﹁それでも恐れず池に放り込むあたりが貴女ですよね﹂
煩いぞ、セイル。やっぱり根に持ってたんだな!?
丸洗いされたくらいで男がネチネチと⋮⋮。
あれ? 二人が沈黙してる??
﹁池に放り込んだ? 紅の英雄を?﹂
﹁うん、血濡れで近寄ってきたから﹃汚れを落として来い!﹄って
ぽいっと﹂
﹁盛大に落としてくれましたよね﹂
﹁それは⋮⋮何と言っていいのか﹂
406
正しいとも間違ってるとも言えず困惑するアルさん。
でしょうねー、こんなのでも一応他国にとっては英雄ですから。
下手に馬鹿にするわけにもいかんよな。
﹁ミヅキ、報告はどうした? そんなことは書かれてなかったぞ?﹂
﹁誘拐騒動の最中だったことに加えてどこまで言っていいか判らな
いからルドルフの判断待ちです﹂
﹁それについてはゼブレストの内情も関わってきますので報告を待
ってもらったのですよ。ミヅキの所為ではありませんし、エルシュ
オン殿下も納得されている筈です﹂
セイルの擁護にクラウスさんは一応納得したようだった。
彼等も騎士なのです、国のトップシークレットに関わるような報
告は上部の指示を仰ぎます。この場合はルドルフが魔王様に話をつ
けたのだろう。最終的には報告されると思うけど。
記載してしまえば報告書という形で残ってしまうのです⋮⋮
英雄を池に放り込んだなんて事実は記録として残せねーよな。
私がゼブレストに居たのも魔王様の独断っぽいし。
イルフェナ︵魔王様︶的にもゼブレスト的にも言葉のみで済ませ
たいことだろうよ。何より、本人がそれで納得してるのだから問題
視しなくてよくね?
そこで﹃将軍が迎えに行ったことにすればいいじゃん﹄とは誰も
が考えるだろうが、殺し方が英雄のやり方そのままなので絶対にバ
レるらしい。
宰相様もそれを考慮して﹃紅の英雄を向かわせる﹄ことをさり気
なく広めたんだとか。リュカ君への口止めもクレスト家が後見にな
ることで済んでいるそうな。
407
⋮⋮それ、取り込まれたって言わない? まあ、リュカなら憧れの英雄様からの﹃御願い﹄は無条件できく
だろうけど。
﹁紅の英雄か⋮⋮一度話を聞いてみたいと思っていたが﹂
﹁じゃ、どうぞ。今なら聞き放題でしょ﹂
﹁何?﹂
﹁え?﹂
﹁⋮⋮もしや紅の英雄が誰かは特定できていないのでしょうか﹂
﹁さすがに我々も十代でしたから情報が完全ではないのですよ。で
すが、今の話の流れですと⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
アルさんとクラウスさんの視線は自然とセイルへ注がれる。
あれ、本人だと思ってなかった? 私達がバラした!?
﹁まあ、二人には知っておいて貰った方が良さそうですしね﹂
﹁⋮⋮いいの?﹂
﹁隠すにしても協力者は必要ですし﹂
セイルは苦笑を浮かべると紅の英雄の真実について話し出した。
だいたい私が聞いた内容と同じ。
言っちゃっていいのかなー? いや、二人は信用できますけどね。
⋮⋮その功績って強さ・時の運・顔の三つが揃っていたからだと
思うんだ。
女に間違えられたことも暴露することになるけどいいのかーい?
※※※※※※※
408
﹁⋮⋮というわけで私がその本人なんです﹂
﹁なるほど。確かに貴方達のやり方は当時としては最善だったでし
ょうね﹂
﹁時には英雄譚が必要とはよく言ったものだな﹂
﹁⋮⋮﹂
結果として。
省いた。﹃女に間違われたから簡単に近づけた﹄事実は綺麗さっ
ぱりシカトされた。ついでに言うなら﹃余計なことは言うんじゃな
い﹄と目が語っていた。おのれ、折角の笑いのネタを。
でも魔王様が現在でもあの状態なので、変人三人組も昔は似たよ
うなものだったのかもしれない。中身は周囲を泣かせる勢いで美少
女とはかけ離れていただろうけど。
﹁ところでね、皆にはこれに同意してもらいたいんだけど﹂
話が一段落したところで一枚の紙をテーブルに置く。そこには彼
等を守護役にする上で守ってもらいたい事が箇条書きで書いてある。
・アルさんは﹃不用意に抱きつくな﹄
・クラウスさんは﹃生き物を模した魔道具の開発禁止﹄
・セイルは﹃基本的にゼブレスト在住﹄
この3つ。私にとっては重要です、これ。
﹁納得できません! これは毎日の癒しです!﹂
﹁私はその後必ず殴ってますが﹂
﹁そこがいいんじゃないですか!﹂
409
うん、そうだねー。君はそういう人ですね。だがな?
﹁女どもの視線が怖いです、抱きつかれて重いです、苦しいです﹂
﹁愛で乗り越えてください﹂
﹁人の話を聞けや。ついでに言うなら背後から抱きつかれる度に胸
を触っている状態ですが?﹂
﹁え゛﹂
﹁ほう?﹂
﹁おや、それは⋮⋮﹂
これには残りの二人も表情を変えた。
ええ、アルさんにそんな意図がないのはわかってますよ? でも
背後から抱きつかれると胸のあたりに腕が来るのだ、正面からだと
顔が押し付けられて苦しいです。
﹁お前、そういや﹃苦しいから離せ!﹄って怒鳴ってるよな﹂
﹁身長差って重要だと思う。あと、腕力。骨が軋む。仮にも白き翼
の隊長が女に張り倒されるってどうよ?﹂
この世界の人達は基本的に背が高い。女性の平均は百七十くらい
だろう。それにヒールの靴を履くから更に高くなる。これなら抱き
つかれても肩から顔が出るだろう。
対して私は百六十五なので女性としては小柄な部類になるのだ、
アルさんに抱きつかれると顔は完璧に埋まる。
色気のない話だが苦しいのだよ、実際。だから必然的に張り倒し。
⋮⋮それを狙って抱きついてる気がしないでもないけどな。
﹁一日一回くらいは許してやれ﹂
﹁じゃあ、それで妥協する﹂ ﹁わかり⋮⋮ました﹂
410
不承不承ながらもアルさんが頷く。うん、それでいい。一回くら
いならまだマシ。
男が落ち込んでも可愛くないぞ? まあ、ケーキでも食え。自信
作だ。
シフォンケーキを切り分けてやると食べだしたので気にはなって
いたらしい。
あら、子供の様に嬉しそうですねー。⋮⋮貴族よ、庶民のおやつ
に感動してどうする。
﹁俺の場合も納得できる事情があるんだろうな?﹂
﹁勿論。二百年前の大戦紛いを引き起こさせない為だよ。⋮⋮自分
の意志で動く魔道具は十分兵器になるからね﹂
﹁何だと? 俺はそんなことにはさせないが﹂
﹁技術は製作者の意図を離れて誰かに利用されるものだよ? 大戦
の兵器が魔道具の元になったようにね﹂
﹁⋮⋮﹂
実際、技術がどういう形で活かされてくるかは予測不可能なのだ。
製作者が生きているうちはいいだろうが、その後までは責任を持て
まい。
﹁私は生み出した技術に対し責任を持つべきだと思う。一歩間違え
れば﹃最悪の兵器﹄になる可能性がある以上は許すわけにはいかな
いよ。守護役を解除して徹底的に潰させてもらう﹂
﹁⋮⋮確かに興味本位で作って良い物ではないな。わかった、了承
する﹂
よっしゃあぁぁぁぁぁ! 動く等身大フィギュア製作断念!
ブロンデル夫妻ー、貴方方の憂いは晴らされましたよ! 魔道具
411
の嫁が来ることはなさそうです!
﹁私の場合、この要望ですと守護役の意味がないと思うのですが﹂
﹁うん、個人的な判断。ルドルフの方を助けてもらいたいしね﹂
﹁ですが、他にも騎士はいますよ?﹂
﹁クレストの名を持つ騎士はいないでしょう。将軍という地位も付
加価値があるしね﹂
ゼブレストは現在大規模な粛清後でかなり慌しい。狙われる可能
性は十分にあるだろう。
内部の貴族にしても色々と言ってくる奴がいるかもしれない。
そういった奴を問答無用に叩き切れるのがセイルなのだ、家柄的
にも不敬にはなるまい。
﹁貴女自身が介入することもできると思いますが﹂
﹁止めた方がいいね。私はイルフェナに連なる者だし、ルドルフが
他国に縋る者として過小評価されかねない。自国のことは自国の者
で。親友の政治手腕を疑ってはいないけど守りに関してはセイルが
要でしょう?﹂
﹁貴女は本当にルドルフ様の味方なんですね﹂
﹁そうよ? だから自分に出来る範囲で協力する。最善と思われる
環境を整える事と私との繋がりを明確にする事の二点がルドルフ達
にとって助けになるでしょう?﹂
守護役であるセイルをルドルフの傍に置くことで情報は得られる
のだ。それに必要ならばセイルは私を利用するくらいやってのける
だろう。
全面的に力を貸す必要などない、ほんの少し後ろ盾になっている
と匂わせる程度で十分なのだ。だからこそ、小物連中は必要以上に
怖がってくれる。
412
﹁望むのは最良の結果だと言い切る貴女らしい言い分ですね。本当
に危ない時以外はルドルフ様達を信頼すると﹂
﹁私は守られるだけでは何の解決にもならないと知っているの。そ
れに結果を出すのはこの世界の住人だよ﹂
﹁⋮⋮。本当にルドルフ様とよく似ておられる。判りました、です
が数日に一回はこちらに来ますよ?﹂
﹁うん、その時は﹃噂話﹄や﹃世間話﹄をしましょうか﹂
﹁⋮⋮はい﹂
溜息を吐きながらも満足げに頷くセイル。納得してくれたようで
何よりだ。。
﹃世間話﹄は別名情報交換という。大っぴらにはできないけれど
イルフェナにとってもゼブレストにとっても重要です。
噂にしては信憑性のあるものばかりですがね? それに私がそれらを聞き行動することによって事態が動くことも
あるでしょう。
強制的に動かすこともあるかもしれないけどね? 魔王様やルド
ルフには無条件で味方するから。
アルさんとクラウスさんも無言で聞いてるってことは意味を理解
できているのだろう。
﹁では、こちらからも一つ提案を。私とクラウスの名前も呼び捨て
てください。言葉遣いも普通に御願いします。距離があるようで寂
しいです!﹂
﹁そうだな、セイルリート将軍とは随分親しそうだが﹂
﹁そりゃ、ゼブレストで基本的に毎日一緒にいたからね。逆にイル
フェナの城には数日しか居なかったし。呼び捨てか⋮⋮公爵家の人
間てことが問題なんだよね﹂
413
抱きつかれて怒鳴りつけてる私が言うのも何ですが。
異世界人だろうと公爵家の人間を呼び捨てることって許されてる
んだろうか?
さすがに不敬罪とか言われるんじゃないのかなー? 公爵家って
この二人の家だけじゃないだろうし。
﹁私達が望むので心配ありません﹂
﹁俺達がそうしろと言っている。だいたい、お前の立場はエルシュ
オン王子の客人だぞ?﹂
⋮⋮。
え、そうなの? 初耳ですよ、魔王様!?
でも、婚約者って守護役の意味だから﹃王子の客﹄でも身分は平
民じゃないのかね。
セイルは既にルドルフを呼び捨てにしてるから、そのまま呼んじ
ゃってるけど。
てゆーか、気になる点ってそこ!? もしかして聞いてなかった
!?
私は今堂々と﹃これからも情報交換して有益なお付き合いしまし
ょうね﹄って言ったんだが?
色々考えてたと思った私が愚かなのだろうか。 顔で賢そうに見
えるタイプですか、アンタ等。 414
異世界人の立場
﹁今度来るバラクシンの使者が異世界人を連れてくるらしいよ﹂
﹁は?﹂
婚約騒動も落ち着き、私の部屋の完成祝い︱︱簡易厨房付きのか
なり広い部屋と寝室が白黒騎士連中の寮に用意されていました。私
の仕事は寮の厨房のお手伝いだそうな︱︱を食堂でやっていた時の
こと。
魔王様の爆弾発言に時を止めたのは私と騎士sだけでした。
あ、騎士sは私の護衛という名の下僕として魔王様から貸し出さ
れました。調理の手伝いをさせていたのがしっかり報告されていた
模様。一般騎士のままだけど一応昇進扱いらしいよ?
ではなくて。
ええ!? 異世界人って結構この世界に居たりするの!?
稀にって聞いてたから驚きですよ!?
﹁三年くらい前にバラクシンに保護されたらしい。もっとも今はバ
ラクシンの民だけどね﹂
﹁え?﹂
﹁結婚してるんだよ。だからもう異世界人って扱いじゃないんだ﹂
そういえば結婚すれば伴侶の国の民って扱いになるって言ってま
したっけ。
あれ、でもその人は特に狙われなかったのかな。
415
﹁その人は狙われたりとかしなかったんですか?﹂
﹁ミヅキはかなり目を付けられてましたけど﹂
同じ疑問を持ったらしい騎士s⋮⋮え、マジ? そこまで目を付
けられてたの?
アルとクラウスを見ると無言で頷かれた。ああ、これがゼブレス
トと魔王様の加護、公爵家子息様の﹃特別﹄発言の理由かい。
直接聞いたことはないけど、白黒騎士達は実家とコネを駆使して
色々とやってくれたらしい。その結果が、ここでの生活です。
ありがとねー、皆。それがどのくらいのものか判らないけど。一
応頭を下げておこう。
言葉のない感謝に騎士達は杯を上げ応えてくれた。
﹁我々が欲しただけですので御気になさらず﹂
﹁これからも美味い食事を御願いします!﹂
﹁素晴らしい技術を期待しています!﹂
⋮⋮素直で結構。私としても一方的に守られるよりも報いられる
事がある方がありがたい。
本日のメニューはガーリックラスクと各種付け合せ、お土産の腸
詰、野菜のチーズ焼き、から揚げ、サラダといった居酒屋定番品。
他にはサンドイッチとホットドック。これに各自持ち寄ったワイン。
こんなもので御礼になるなら安いものです、平穏は金では買えん。
私ができる数少ない事なので今後も期待してくださいな。そして
私の手先となって広めておくれ。
﹁狙われる要素が無かったって言った方がいいかな﹂
﹁へ?﹂
﹁君は魔導師だろう? だからこそ異世界人じゃなくても価値があ
るんだ。しかも異世界人だからこの世界の事に疎い分、利用しやす
416
いって思われたんじゃないかな?﹂
﹁﹁これを!? 無理でしょう!?﹂﹂
騎士s。双子だからってそこまでハモらんでもいい。まあ、私と
接した誰もが思うことですな。
先生も頷いてるあたり否定する気は無いのだろう。
﹁ミヅキ、あのように言われてますよ?﹂
﹁今更です、我が事ながら物凄く正しいと思います﹂
﹁自覚があるのか﹂
﹁ゼブレストの宰相は私が誘拐された時に犯人を殺してないか心配
してたらしいし﹂
﹁⋮⋮アーヴィレン殿は随分とミヅキを評価していたのですね﹂
﹁保護者筆頭でした。問題児のお説教担当者でもあります﹂
﹁お前、随分と世話になったんだな﹂
﹁ええ﹂
宰相様には足を向けて寝られないくらい世話になりましたとも。
胃薬の量を増やしたのは間違いなく私だ。
アルとクラウスも思い当たることが多々あるのか擁護はなし。
⋮⋮理解のある婚約者様方で何よりですよ。
﹁クラウス達がいるからこその情報、もしくは本人と直接接しなけ
れば知る由も無いだろう? まあ、今となっては我が国では無理だ
ろうね。ミヅキには報復を推奨してるし、敵になる人間が多過ぎる﹂
﹁敵に回してはいけない人々を理解してるんですね﹂
﹁この国ではそれが判らないと生きていけないよ﹂
貴族階級は、ということでしょうね。民間人も同じだったら怖過
ぎます。
417
﹁ってことは利用価値がなかった異世界人、ということですか﹂
﹁はっきり言えばそうだろうね。魔法も使えないし本当に保護され
ているだけ、という感じだったらしい﹂
﹁随分詳しいですね?﹂
﹁情報だけはね。だが、我が国が守護役を出さなかった時点で想像
つくだろう?﹂
にこり、と魔王様は笑うと私の頭を撫でた。
えーと、それは﹃国が守るリスクを負うだけの価値が無かった﹄
ということなのでしょうか。
私には将来有望な公爵子息様が二人ついてますよね?
セイルだって同じ立場の筈だ。あれ、中身を除けば物凄い豪華面
子だったりする!?
﹁ミヅキ⋮⋮お前は守護役以前にアルジェントに求婚されてるだろ
うが。セイルリート将軍も周囲の目も憚らず求婚したと聞いたぞ?﹂
﹁先生、アルはともかくセイルは嫌がらせです。しかも私だけじゃ
なく馬鹿女と王を含む諸事情をご存知の皆様の反応を見て笑ってま
した、あの野郎﹂
﹁そ、そうか。だが、事実ではあるのだろう? 守護役になった経
緯を聞いても十分本気だと思うぞ? お前の場合は本当に婚約者と
して捉えた方がいいんじゃないか﹂
﹁戻れなかった時対策ですか?﹂
﹁⋮⋮何故素直にもててると思わんのか、この娘は﹂
先生、溜息吐かないでくださいよ。アルも﹁是非!﹂とか嬉しそ
うに言うんじゃない!
そしてセイル⋮⋮お前、何感動的な話に仕立て上げてんだ? 違うだろ? あれのどこか感動的な求婚だ?
418
あまりの意地の悪さに当事者達は内心絶叫してたんだぞ!?
でも、この世界における価値か⋮⋮まあ無条件で保護っていうの
は虫が良すぎるでしょうね。
私だって今のところ料理のみだけど何かあったら手助けしますよ?
勿論、﹃部外者が出来る範囲﹄ということが前提だけど。イルフ
ェナとゼブレストならばそれ以上を求められる心配はなさそうだか
ら安心していられるんだけどね。
﹁君はこの世界に来てからの自分を誇っていいんだよ? 知識を形
にすることも結果を出すことも全て自分の価値なのだから﹂
﹁先生や村の人達が最初に色々教えてくれたからでは?﹂
﹁違うね。自分で現実を受け入れ行動することで君は味方を得た。
⋮⋮帰りたいと泣くことや守られるだけの生き方もあったのに﹂
﹁思い切ることが生きる為に重要だと思ったんです。生存本能と言
ってもいい。誰かに縋ったまま生きられるなんて思いませんよ﹂
﹁君は本当に冷静に現実を見てるよね﹂
実際、冷めているともとれる考え方が必要なのだと思う。
魔法を作り出すことにしても同じこと。魔法を使う上でのリスク
は先生から教えてもらったのだ、知った上で魔導師と名乗っている
のだから後は自己責任。
﹁でね、君の情報を得たバラクシンは﹃異世界人同士交流しては﹄
ってことで連れてくるらしいんだ﹂
﹁エル、その人物がミヅキと同じ世界から来ているとは限らないの
では?﹂
アルの疑問はご尤も! つか、それは誰だって思うんじゃないか
な?
419
魔王様もそれは思ったらしく頷いている。
﹁うん、そうだよね。それどころかミヅキとは生き方が正反対だか
ら会わせても仲良くなれるとは思わないんだ﹂
﹁そうだな、ミヅキは受身ではないしな﹂
﹁それだけではなく、この世界の事情も踏まえて行動できるからこ
そ評価されていると思いますし﹂
幼馴染三人組の言葉を総合するなら﹃百八十度性格や考え方が違
う﹄ってことですな。
この人達の事だからそれ以上の情報を掴んでいて口にしないって
ことだろう。
いや、言えないというのが正しいか。その人はそれなりの立場の
伴侶を得ているわけだし。
﹁会わなければいいんじゃないですかね?﹂
﹁それがね⋮⋮向こうが面会を希望してるんだよ﹂
﹁ミヅキの価値を知って繋がりを持ちたいのですね?﹂
﹁それ以外に考えられんな﹂
ええ∼、何さそれ。利用してるだけじゃん、その人。
それで喧嘩になったら責任は向こうが取ってくれるのだろうか。
いや、この場合はイルフェナがもてなす側だから私が我慢しろっ
てことですね。
空気は読める子ですよ、私。頑張って猫を被りますとも!
﹁ミヅキ、私やアル達も同席するから﹂
﹁大丈夫です! 無難に無能を演じるか言い負かして泣かせるかは
向こうの出方次第で臨機応変に対処します!﹂
﹁うん、頼むね﹂
420
そんなわけで帰国早々に自分以外の異世界人と接触する機会を得
たようです。
魔王様ー、今更ですが向こうを泣かせるかもしれないことに関し
てはOKなのですね?
実は嫌いなタイプですか? そういえばここは実力者の国でした
よね。
話を聞く限りバラクシンは私と繋がりを作る事ばかり考えている
ようですが。
実力者の国の皆様を怒らせる可能性がある人物ってバラクシンは
理解してるのかなー?
※※※※※※
一方その頃、バラクシン城内の一室で。
﹁本当! 私も連れて行ってもらえるの!?﹂
﹁ああ。アリサと同じ異世界人らしい。会ってみてはどうかと陛下
達が話をつけてくれたんだ﹂
﹁嬉しい⋮⋮! ありがとう、エド﹂
緩やかな癖のついた髪の、ふんわりとした印象の少女が一人の青
年に抱きついていた。
青年の名はエドワード。一年程前に宰相補佐に抜擢された青年だ。
抱きついている少女はアリサという彼の妻で異世界人である。何
事にも一生懸命で可憐という言葉がぴったりな少女は年齢的には成
人だ。だが、本人の性格と行動が彼女を幼く見せている。
421
﹁お友達になれるかしら?﹂
﹁さあ、どうだろうね? 噂では才女と評判だよ﹂
﹁凄いのねえ⋮⋮守護役の人も優秀なんでしょうね﹂
青年は妻の言葉に微かに苦い笑みを浮かべた。
実力者の国イルフェナ。自分にも他者にも厳しいかの国は妻がこ
の世界に来た際、守護役を出そうとはしなかった。
理由は明白である。﹃価値がないから﹄だ。
守られるだけの無能者は存在を背負うに値しないと無言の意思表
示をしてきたのである。
青年とて宰相補佐を務める身、妻に何らかの才を求めるような真
似はしない。彼女は女性としては男性を惹きつけるだろうが、個人
としてみた場合は考え方が幼過ぎる。幼さや無邪気さは政治では綺
麗事でしかないからだ。
国としても保護するなら何らかの利益を期待するのは当然だろう。
そこで今回の同行となったわけだ。彼女は何も知らずに国に利用
されるのだ。
﹁エド? どうしたの?﹂
﹁⋮⋮いや、なんでもない﹂
イルフェナの異世界人は彼女の味方となってくれるだろうか。
彼女の元守護役達は友人という立場を守ってくれてはいるが、そ
れ以上になろうとはしない。本当に﹃役割だけの関係﹄なのだろう。
好意的に思っても自分を犠牲にする程ではないということだ。
﹁優しい人だといいな﹂
﹁うん!﹂
そう、優しい人であることを願うしかない。彼女の現状を哀れん
422
で手を差し伸べてくれるような人であれば。
無邪気に笑う妻に一抹の不安を覚えながら彼はそう願った。
423
もう1人の異世界人
現在、イルフェナの客室にはバラクシンからの使者夫婦がおみえ
です。
迎え撃つ⋮⋮じゃなかった、お迎えするのは魔王様、今回の担当
者ヴォリン伯爵、アル、クラウス、セイルに私、他には護衛の騎士
数名。
正式な訪問な上、魔王様が王族なので近衛騎士の皆さんが警備に
あたってます。初めて見たな、そういえば。
で。室内の面子を紹介しておいて何ですが。
帰りたいです、マジで。
最初から問題行動するなんて予想外ですよ!?
ちょ、教育係は何やってたのさー!!!
ファンタジー系乙女ゲームの脇役ってこんな気持ちだったの!?
※※※※※※※
事の起こりは数分前。
外交に直接関係のない私と守護役連中が魔王様に呼ばれて部屋に
来た時から始まった。
外交として来る﹃ついで﹄に異世界人同士の交流を望むとの事だ
ったからね、関係のない私達は最初からその場にいるわけにはいか
ない。
部屋にはテーブルを挟んで魔王様と夫婦が座っている。魔王様の
背後にはヴォリン伯爵がいますねー⋮⋮ああ、外交の資料を手渡す
為にそこに控えてたんですか。今回は秘書のような役割なのですね。
424
﹁呼びつけてすまないね、ミヅキ﹂
﹁いいえ、バラクシンの方々が私との面会をお望みなのですから。
御世話になっている方の御願いを無下にするわけにはいきませんよ﹂
﹁そう言ってくれると助かる﹂
私と魔王様の発言は明らかに﹃迷惑だけど仕方ねー、イルフェナ
の顔を立ててるだけで望んでねー﹄をオブラートに包み損ねてます。
聡い人ならこれで退室を申し出る。実際、何人かは微妙に気配が動
いた。
部屋に入っても魔王様の許可なく座るなんて真似は出来ませんよ、
ヴォリン伯爵も立ってるし。 この場で一番偉い魔王様の許しを得て初めて着席できるのです。
着席できるのです、が!
﹁貴女が異世界の方? お会いできて嬉しいわ! さあ、早く座っ
て!﹂
⋮⋮。
何 故 お 前 が 許 可 を 出 す !? 親しいならまだしも初対面だよね? 一応、公の場だよね?
こんな発言をするってことは彼女が元異世界人か。ふんわりとし
た金茶の髪に大きな同色の瞳⋮⋮日本人じゃないな、モデルとかや
ってそうな美少女ではあるけど。
﹁アリサ、彼女を急かすものではないよ。イルフェナの皆様にも失
礼じゃないか。殿下、申し訳ございません﹂
﹁⋮⋮余程楽しみにしてこられたのだろう﹂
﹁はい! 私、自分以外の異世界人に会った事がなくって﹂
425
だーかーらーな? その人が謝罪してるのに何で元凶が何もしな
いのよ!?
空気読め? 常識外れにも程があるだろ? ついでに魔王様は﹃
許す﹄なんて一言も言ってないのだが。
え、なにイルフェナ嘗められてる?
来るのは王族じゃないって聞いてたけど、魔王様より格上ですか?
そんな事はないよね? 少なくともこの態度でそれはありえんぞ?
ちら、とヴォリン伯爵を見ると深々と溜息を吐いて軽く頷いた。
⋮⋮ずっとこんな調子だったわけですね?
にこりと笑いながら魔王様の傍に立つとアル達は魔王様に深く一
礼した。
﹁まあ、どうしたの? 遠慮せずお座りになって?﹂
﹁殿下、着席の許可をいただいても?﹂
﹁え?﹂
きょとん、とした顔になる美少女。説明はすぐにしてあげるから
今は無視です、無視。
﹁君は私の客人扱いだよ? それに呼びつけたのは私じゃないか﹂
﹁ですから、お伺いしております。国に属さぬ部外者であり、客で
あろうと民間人である私が王族の方と同席するなど不敬の極み。本
来は同席どころか同じ部屋に在ることさえ許されぬと知っておりま
すので許可を戴きたく思います﹂
﹁そうだね、個人的な場ではないものね﹂
﹁はい。その場合はそちらのヴォリン伯爵様にも着席の許可を与え
て頂きたく思います。この場で最も身分の低い私が座る以上は⋮⋮﹂
﹁勿論だよ。ヴォリン伯爵、君も座ってくれるかな﹂
﹁はい、お心遣い感謝いたします﹂
426
一礼してヴォリン伯爵は今まで立っていた場所に用意された椅子
に座る。それを確認して私も魔王様から一歩退いた位置に座った。
﹃同じ立場じゃない﹄のです、ヴォリン伯爵が一歩引いている以
上は私が近くに座るなんて真似できん。
アル達は私の守護役という立場を明確にすべく座った私の背後に
控えている。勿論、近衛騎士達の邪魔にならないような位置ですよ
? 仕事が違うのです、邪魔になってはいけません。
﹁随分と⋮⋮身分差を明確にしているのですね﹂
バラクシンの使者が呆れと賞賛が入り混じった声を洩らす。
対して魔王様は優雅に微笑み膝の上で手を組んだ。
﹁そうかな? 公の場である以上は当然だと思うけど﹂
﹁ですが、彼女は異世界人では? そこまで求める必要はないと思
いますが﹂
⋮⋮ほう。彼女の態度は国の甘やかしが原因か? 可能性が高い
ですねー、イルフェナでそんな事を言うなんて。
問題の人物は漸く自分の失態に気付いたのか顔を青ざめさせてい
る。
﹁本人に聞いてみればいいと思うよ? 何せ彼女は自分で学び身に
付けていくからね﹂
﹁⋮⋮。ミヅキ殿、でしたね。初めまして。私はバラクシンから参
りましたエドワード・カンナスと申します。こちらは妻のアリサ。
彼女が元異世界人です﹂
﹁初めまして、カンナス御夫妻。ミヅキと申します﹂
﹁ミヅキ殿は随分としっかりした態度をとっておられますが、そう
427
いった御生まれなのですか?﹂
﹁いいえ? 私は民間人ですよ。ですが、保護者である殿下やイル
フェナという国、そして守護役といえど婚約者という立場にある方
達がいる以上は彼らに恥をかかせぬよう心掛けるのは当然ではあり
ませんか﹂
実のところ異世界人の保護者に該当するのは守護役だったりする。
ある程度高い地位に居る彼等の婚約者という立場が異世界人の不敬
を見逃すことに繋がるからだ。
そりゃ、そうだよね。異世界人だろうと身分を無視した行動をと
られたら貴族からの反発はあるもの。婚約者も自分の連帯責任にな
るから見張るだろうし。
異世界人である以上はこの世界では平民なのだよ、下級貴族でさ
え不敬罪の対象です。
そんな状況を理解し彼等に感謝していれば私の行動は当然です。
学べる環境にあるのだから。
元の世界と同じ態度で王族・貴族に接していれば不敬罪一直線で
すよ? 見逃してもらえるのは﹃この世界の常識を知らない異世界
人だから﹄なのです。異世界人が偉いわけじゃない。
﹁恥、ですか?﹂
やや震える声でアリサが尋ねてくるので笑みを浮かべて返してや
る。
﹁ええ。異世界人は身分的には平民です、ただ常識が違うからこそ
見逃されているだけですから﹂
﹁君も最初はそうでもなかったよね﹂
428
﹁お恥ずかしい限りです。殿下に取引を持ちかけたこともありまし
たね﹂
魔王様の援護射撃に過去の経験を話すことで真実味を与える。恐
ろしい事実です、我ながら。
漸く自分達の至らなさに気がついたのか揃って沈黙してる夫婦。
旦那さん、君あまり外交経験がないだろ? 国が違えば物事の基
準も違うんだよ。
﹁アリサ様、一つお尋ねしたいことがございます﹂
﹁は⋮⋮はい、何でしょう?﹂
﹁日本という国を御存知ですか?﹂
﹁ニホン⋮⋮ですか? いいえ、聞いたことはありませんね﹂
﹃ジャパン﹄とか﹃大和﹄といった別の呼び方もあると口にしな
いのは偏に関わりたくないからですよ、うっかり反応されても嫌だ。
軽く首を傾げ、横に振るアリサ。どうやら知らないらしい。
よし、同じ世界の住人じゃない証拠としては十分だ。だったらも
う用はないよね?
ちら、とヴォリン伯爵を見ると手元に今までの会話を書き取って
いたらしい。おそらく魔道具での映像も保存されている筈。
よし、切ろう。ばっさり切り捨てよう。縋られても困ります、こ
んな怖い子無理!
いや、悪い子だとは思わないよ? だけどこの子は自分の立場を
考えない言動が多過ぎる。あれだ、乙女ゲームの健気で一生懸命、
綺麗事上等な主人公タイプに近いと見た。
乙女ゲームは恋愛に重きを置いた﹃物語﹄だからこそ可能なので
す。攻略対象が王族・貴族・騎士だった場合、現実では仲良くなる
429
以前に不敬罪確定ですがな。主人公が何らかの役目を与えられて呼
ばれた存在でない限り民間人扱いだし。
騎士に対してさえ敬称をつけるのが当然の世界でゲームと同じよ
うな言動が許される筈は無い。 理想論で外交は出来ないし、立場や状況を理解せず一方的に綺麗
事を押し付けるタイプだったりしたら最悪ですよ。懐かれるのは絶
対に嫌だ。 ﹁では、私と同郷ではありませんね。共通の話題は無いと思います﹂
﹁え⋮⋮で、でも、この世界に来てからの苦労は通じるものがあり
ませんか!?﹂
﹁私はこの世界に来て三ヶ月程度ですが、王族・貴族の皆様と接す
る機会がとても多かった。勿論、それに伴う礼儀作法も必要です。
ですが、アリサ様は随分と奔放でいらっしゃる﹂
﹁そ⋮⋮それは﹂
おや、旦那の方が必死ですか。
皆の予想通り異世界人であることを共通の話題にして私と繋がり
を作りたかったみたい。
はっは、冗談じゃねえぞ? 国ごとお断りだ!
﹁ああ、誤解なさらないで。国によって教育方針が違いますもの。
イルフェナは実力者の国ですから、どんな場においても最良の結果
を出せるよう学ぶ機会を与えていただけたのです﹂
﹁我々は学ぶ機会を与えはするが、どうするかは本人次第だ。厳し
かろうとミヅキは自分で選んだんだよ﹂
アリサにも旦那以外の守護役やその周辺の貴族がいた筈だ。
彼女が貴族階級に生きるなら必要な教養を、民間人として生きて
いくならそれに合わせた知識を。
430
何も無いというなら彼女は異世界人という特別扱いに甘んじてい
ただけなのだろう。
﹁はっきり申し上げる。私は今後アリサ様に関わる気は一切ありま
せん。今回の訪問は私と繋がりを持つ為なのでしょう? ですから
私自身の口からその可能性を否定させていただく。それが私からア
リサ様へ向ける唯一の優しさですわ﹂
﹁そんな⋮⋮ひどい⋮⋮﹂
傷ついた表情をする美少女に同情する者はいない。これがバラク
シンとの差だと知れ。
そもそも私はよく鬼畜扱いをされているのだが一体何を期待した。
打ちひしがれてる場合じゃねえぞ、よく聞いとけ?
外交問題にひっかからない異世界人の私だからこそはっきり言え
る言葉なんだからな?
﹁酷い? 利用しようとするそちらの方が酷いのでは? 初めから
頼る事を前提に友となれるほど愚かに見えるのでしょうか﹂
﹁そんなつもりはっ!﹂
﹁貴女にそのつもりがなくとも、国としてはそれを求めたのですよ。
貴族となった貴女にはそれに協力する義務もあります﹂
﹁⋮⋮私は利用されたんですか﹂
今度は被害者ぶってますねー、⋮⋮義務って言っただろ。その頭
は飾りか。
﹁いいですか、アリサ様。貴女の周囲に結婚を反対した方はいらっ
しゃいませんでしたか? 貴族となる以上は今までの様に奔放なま
まではいられません。多くの制約に縛られた立場になるからこそ反
対してくれていた人もいた筈です。それまでの生き方を変えること
431
になるのですから﹂
﹁それ、は⋮⋮﹂
﹁口煩く礼儀作法を身に付けるよう言ってくださった方だっていた
筈です。虐めではなく貴女を思えばこその言葉に応えてこられまし
たか﹂
実際は気に食わないという人が半分、何とかしようとした人が半
分というくらいだろう。
だが、彼女はさっきの私の言葉にさえ﹃酷い﹄と思う人なのだ。
多少口煩くされれば逃げていたんじゃないか?
﹁貴女の素晴らしい部分は民間人であれば周囲に容易く受け入れら
れたでしょう。ですが、貴女が選んだ場所はそのままでは済まされ
ません。御夫婦二人だけの時ならともかく、公の場できちんとした
態度を取れなくては許されませんよ?﹂
悪気も無く、国の思惑さえ彼女は知らなかっただろう。だが、そ
れも十分問題だ。
本来ならば国から命を受けて繋がりを作ろうと必死になる筈であ
る。それがない=国から期待されていないってことです。本当に保
護されてるだけだったんだね。
それに彼女は気付いているのだろうか。この場で私に発言を許し
ているイルフェナの優しさに。
私に発言させることで自分達は沈黙する、そうすれば私と彼女の
個人的な会話となる。
王族からの直接のお叱り回避ですよ、何らかの交渉だった場合は
十分不利になる要因です。
﹁カンナス夫妻、君達はもう少し外交というものを学んだ方がいい。
それから⋮⋮ミヅキに感謝するんだね。君達の愚かさを明確にし問
432
題点を挙げた上で、これ以上の不敬を止めたのだから﹂
﹁私達の態度⋮⋮いや、バラクシンの思惑も、ですね﹂
﹁そうだね。君は彼女を奥方にするならば相応しい態度と貴族とし
ての在り方を教えるべきだったと思うよ。甘やかすだけではそれが
当然と思い込んでも仕方が無い﹂
﹁はい⋮⋮わかりました。やはり、そうですよね﹂
﹁エド!? 一体どういうこと⋮⋮?﹂
﹁アリサ。後で話すから今は謝罪を。そしてミヅキ殿⋮⋮貴女には
アリサの夫として謝罪と感謝を﹂
﹁御理解いただけて何よりです﹂
立ち上がり深々と頭を下げるエドワードに、困惑気味に頭を下げ
るアリサ。
教育は大変そうですねー、でももう知らん。甘やかした責任を取
って頑張ってくれ。
﹁では、これまでとしよう。ミヅキ、お疲れ様﹂
魔王様の一言でこの場はお開きとなったのだった。
※※※※※※
﹁お疲れ様ー!﹂
当事者全員で寮に引っ込み遅めの昼食をとる。気分的には酒が飲
みたい。
当初の予定ではあの夫婦と一緒に取る予定だったらしいけど、ほ
ぼ全員が拒否したとか。
⋮⋮あの様子だと旦那はともかく妻の方は何かやらかしそうだも
んな。
433
﹁何と言うか⋮⋮この世界に留まる可能性があるなら甘やかすのも
考え物だね﹂
﹁あれは本人が無邪気過ぎるのも原因じゃないですかね?﹂
﹁無邪気過ぎる?﹂
﹁元の世界と差が大きければ大きいほど現実味が無いんです。彼女
が自分を物語の主人公として捉えていたらどうでしょう? 貴族達
は気を使ってくれて、素敵な守護者がいて、平民が思い描くお姫様
扱いだったんじゃないですか?﹂
民間人は貴族や王族の役割を知らないから憧れだけが先行してい
るだろう。だが、実際は色々とあるのだ。御伽噺だって王子様の結
婚で話が終ってるじゃないか。平民が王族と結婚しても一生苦労確
定だわな。現実を知っていたら絶対、憧れんぞ。
﹁なるほど、彼女は﹃民間人が抱く想像上のお姫様扱い﹄をされ続
けたからこそ結婚後もそれが許されると思ってたんですね﹂
﹁国が身の安全の確保のみで教育を放棄したこともあると思う。旦
那さんの方は心当たりがあるみたいだったし﹂
﹁実力重視の我が国より甘やかされていただろうしな、特に異世界
人だからと腫れ物に触るような扱いだったんじゃないか﹂
﹁そんな状態だった彼女に貴族らしくしろと言っても理解できませ
んよね、今まで許されていたんですから﹂
﹁結局、別の世界から来たみたいだし関係ないよ﹂
皆、同情する気はあるようだ。ただし、国と私が妥協する事とは
別件で。
本人も今回の事で気付いてくれれば間に合うんじゃないかな。
︱︱この後、思いがけない再会があるとは欠片も思わなかったん
434
だけどね。
435
もう1人の異世界人︵後書き︶
保護された異世界人の誰もが最初は理解できない自分の立ち位置。
身分制度のある環境で普段と変わらず振舞えるのは特別扱いだから。
気付くか気付かないかで周囲の評価は大きく変わります。
アリサは天然・悪気無しなので一番厄介なタイプ。
436
再会は突然に︵前書き︶
もう1人登場人物が増えます。
437
再会は突然に
バラクシンの使者夫婦と対面後。
あれからずっと寮で引き篭もり生活実行中です。会いたくないん
だもん、あの子と。
あの日彼女は客室に引き上げてから旦那様に叱られたらしい。
うん、叱られて反省するのはいいんだ。次に経験を活かせるから。
が。
﹃ミヅキさんにも謝りたい!﹄と言い出したんだそうな。これを
聞いて自分の選択は正しかったと痛感したね。
魔王様にも誉められたので自分は間違っていなかったと自信を持
って言えますとも。
私は﹃今後一切関わる気はない﹄と言ったよね?
許してくれるまで謝るとか言う気じゃあるまいな?
求められない謝罪を押し付けることはただの自己満足だって知っ
てる?
それで許さなかったら﹃ちゃんと謝ったのに酷い﹄とか言われる
可能性あるよね?
以上、私の勝手な想像ですが誰も疑い過ぎだと言わないんだな。
抱いた印象は一緒か。
438
うざい。物凄くうざい。
健気・素直・一生懸命がマイナス要素になるなんて思いませんで
したよ。
しかも本人は﹃私が悪かったんだから謝らなきゃ!﹄としか思っ
てないし。
本っ当に乙女ゲームの主人公のようです、彼女。
自分の主張ばかりで人の話を聞いてないのかよ!?
私の話と旦那の説教で学んだ事はありませんでしたか、無駄でし
たか。
旦那の方は知らんが、私は﹃国の恥になるから貴族に相応しい行
動をしろ﹄って言ったんだけどな? 勿論、しっかりと理由を説明
して。
バラクシンの常識がイルフェナ・ゼブレストと違うのかと思った
けど、そんなことはないらしい。
つまり、彼女が全然理解してないってことですね。いや、自分が
悪いことは理解したけどその後の行動が伴っていないというか。
さすがに勝手な行動をとられては困ると彼女は部屋に閉じ込めら
れているけど、護衛の騎士達に﹃ミヅキさんに会わせて﹄と御願い
をしてるから全部報告されてます。
おい、他所様の国でそんな勝手な行動が取れるわけなかろう。連
れ出したりしたら護衛は処罰されるんだぞ?
ただでさえ良い印象を抱いていなかった近衛の皆さんは更に怒り
を募らせているとか。
あ、これは先日の出来事が縁で話すようになった近衛騎士達から
の情報です。時々こちらに御飯を食べに来るようになったので、つ
いでに彼女の情報を伝えてくれます。
魔王様からの気遣いでしょうねー、これ。うん、絶対に王宮には
行かない。
439
てゆうかね、会ったら殴りそうです。視線を合せようものなら無
意識に威圧が発動しそうです。
そんな中、本日はもう一件他国からお客様が来ています。
こっちはヴォリン伯爵の古い友人だそうで私がお茶菓子を作るこ
とになりました。個人的に親しいから是非食べさせたいんだってさ。
まあ、こちらでは珍しい食べ物だもんね。
勿論、本人にも魔王様にも了承を得ているそうな。魔王様があっ
さり許可を出すなんて信用がある人なんだなあ⋮⋮あの夫婦とは大
違い。
︱︱そこでまさかの再会イベント発生とは思いませんでした。
偶然ってあるものですね⋮⋮!
※※※※※※※
彼女のことがあるので騎士寮の私の部屋に来てもらいました。同
席者はアル他数名の白騎士です。
彼女が抜け出してきてもいいように護衛がついてるのさ、参考に
したのは乙女ゲームの主人公の行動です。本当に来たらどうしよう
ね?
﹁ミヅキ、彼がグレン・ダリス氏だ。アルベルダの知将と言われる
方だよ﹂
ヴォリン伯爵はそう言って一人の男性を紹介する。四十代半ばと
いったその人は細身だが目付きは鋭い。
鋭い、のだが。
何故か私を見るなり目を見開き驚愕を露にする。
え、何!? まだ何もしてないよ!?
440
﹁お⋮⋮﹂
﹁お?﹂
﹁お前、ヴァルハラの関係者なのか⋮⋮?﹂
﹁え⋮⋮あのゲームの参加者!?﹂
﹁その服装、もしやヴァルハラの鬼畜賢者!?﹂
﹁誰が鬼畜か、私は敵に容赦が無いだけだ!﹂
﹁その反応、まさにそのまま! マジで本人か、中の人か!﹂
﹁⋮⋮アンタ、誰よ?﹂
﹁覚えてないか? お前に懐いていた獣人がいただろう﹂
﹁懐い、て⋮⋮レッド? え、嘘、レッドの中身!?﹂
﹁中身⋮⋮変わらんな、お前﹂
思い出した。居た。居たよ、確かに赤猫って呼ばれてた子が。
あれか!? 中身はこの人だったのか!?
⋮⋮再会は喜ばしいが中身に衝撃を受けているよ、お姉さんは。 互いを指差しながら声を上げる私達に付いていけない周囲は呆然
としている。そんな中、ヴォリン伯爵が遠慮がちに声をかけてきた。
﹁⋮⋮その、グレン? 君達は知り合い、なのか?﹂
﹁﹁あ﹂﹂
そういえば皆、居ましたねー。驚き過ぎて忘れてましたよ。
ちら、とグレンを見るとこっくりと頷いた。
﹁同じ世界の友人だよ﹂
﹁儂にとっては師匠ともいえるな﹂
﹁﹁は!?﹂﹂
私達の発言に今度は皆が混乱に陥ったのだった。
441
そーだよね、年齢的に向こうが上だもの。おかしいと思うわな。
﹁とりあえず座って話しませんか? ミヅキの作ってくれたお茶菓
子もありますし﹂
アルの一声でとりあえず落ち着いたのだった。
⋮⋮さすが貴族、素早く正気に返ってます。
とりあえず座って落ち着こう。どうせ説明するまで彼等も退かな
いだろうし。
※※※※※※※※
﹁まず、儂とミヅキは同じ世界で友人だった。それは判るな?﹂
﹁ああ。グレン、君は異世界人だったのか?﹂
﹁うむ。まあ、こちらに来た時の状況的に説明する暇もなかったか
らな﹂
ヴォリン伯爵は知らなかったようだ。アルが﹁アルベルダは内乱
で揉めた時期があったのですよ﹂と説明してくれる。
⋮⋮そうか、内乱真っ只中の国に来て巻き込まれたから守護役ど
ころか異世界人だと言い出す暇が無かったのか。
﹁ミヅキ、儂がこの世界に来たのは二十七年前だ。お前はどのくら
いだ?﹂
﹁二十七年前? 私は三ヶ月かな﹂
﹁やはりな⋮⋮同じ時代でも落ちた時間に差が出るのか。場所も一
定ではないようだな﹂
どうやらかなりの時間のズレがあるらしい。それならば高い技術
442
が過去に残されているのも頷ける。
いくらアンシェスの技術を参考にしたと言われていても﹃元を知
らなければ不可能な物﹄らしきものがあるのだ。
一番に上げられるのが風呂やシャワー、トイレなどだろう。魔術
も使われているのでこの世界の人との共同制作といった感じだ。ア
ンシェスで使われていたものの再現らしいが、私が不自由しない出
来である。
先生の所で見た本によるとこれを考案したのは﹃異世界の女性﹄
だそうだ。﹃大変綺麗好きだった﹄とのことなので現状に耐え切れ
なくて必死に生活の場を整えたと思われる。
現実問題として医療があまり発達していないこの世界、衛生的な
環境だけでも整えないと命の危機だったんじゃないのか。病気に対
する治療法が薬しかないのだ、高度な医療技術をもった時代から来
たのなら病に倒れる=死という認識だろう。
医者でもない限りできることは衛生環境の改善一択だ。結果とし
て病死する人が激減し、彼女は医学の本に必ず登場する存在となっ
ている。
﹁で、お二人は友人との事でしたが⋮⋮師匠、とは?﹂
アルが困惑気味に聞いてくる。知将といわれる人物が明らかに年
下の私を﹃師匠﹄呼ばわりすることに違和感があるのだろう。ヴォ
リン伯爵もそれが聞きたいとばかりに頷いている。
﹁私達の世界は仮想現実といって現実とは異なる世界で遊ぶ事がで
きる。そうだなー、仮の姿を作り出して物語の中に入りその世界で
生活することが可能って言った方が判り易いかな?﹂
﹁物語の中、ですか?﹂
443
﹁うん。現実とは違う空想の世界で過ごす事ができるって感じ。勿
論、自分の分身がね﹂
﹁⋮⋮なんとなくですが理解できました。では、その空想の世界で
御二人は友人だったわけですか﹂
﹁私もレッド⋮⋮いや、グレンも同じ軍師という立場だったから仲
が良かったんだよ﹂
﹁儂の方が後輩でな、所属する組織は違ったが拠点のある国は同じ
だから交流があった﹂
拠点が近いし敵対関係にもならなかったかったからギルドぐるみ
で仲が良かった。サービスが終了した今となっては懐かしい思い出
だ。
﹁それで師匠と呼ぶからにはミヅキが貴方に戦術を教えたと?﹂
﹁うむ。全てではないが実に参考になった﹂
﹁あのさ、グレン。それ実用的って意味だよね? この世界でも通
じたの?﹂
﹁勿論だ。お前とて軍事訓練用だったという噂は聞いたことがあっ
ただろう? 天候による影響を踏まえた策、地形の利用、自軍の情
報の把握、それに伴う戦略の組み立て⋮⋮十分この世界で儂の力と
なった。それは儂が知将と言われていることからも想像できるだろ
う?﹂
確かに妙にリアルな世界設定ではあった。レベルやスキルが勝利
に繋がる全てではない、あらゆる条件が多大に関わってくるゲーム
だったのだ。
何せ﹃戦乱﹄時には雨が降った後の戦場で土砂崩れを起こし、上
位ギルドを全滅させるという弱小ギルドがあったくらいだ。地形状
況を利用した知恵の勝利である。
そんな世界で有能な軍師だったのなら現実でもそれなりに通用し
444
ただろう。本人が更に努力した事と、この世界が非常にゲームの世
界と似ていることも大きな要因だが。
ただ必要なのは覚悟だった。ゲームと現実の一番の違いは﹃人が
死ぬこと﹄なのだから。 策を練ろうとも、それに伴う犠牲を背負えなければ味方の信頼は
得られず自分も罪の意識に苛まれるだけだろう。グレンが知将と呼
ばれる存在と成りえたのはそれらを超えてきたからだ。それは私が
敵を容赦無く切り捨てられることにも通じる。
アリサがそういったものに興味の無い生活をしてきたというなら
私達と比べるのは酷というものかもしれない。まあ、彼女は何かを
求められる環境ではなかったようなので現状は本人の状況把握の甘
さが原因だが。
﹁ミヅキの優秀さはそういった経験があったからなのですね﹂
﹁状況を把握し情報を活かす冷静さは培われたから確かにそういえ
るのかも?﹂
﹁しかし、知っているのが仮の姿だけの割にグレンはよく気付いた
な?﹂
ヴォリン伯爵が感心半分呆れ半分に尋ねている。
﹁そりゃあ、儂の知るミヅキはこの本体の性別を男にして髪と瞳の
色を変えただけだからな。何よりその服はミヅキ専用だったはずだ﹂
﹁あー⋮⋮ミヅキ、君が判らなかったのは﹂
﹁グレンは全然違う姿だったからですよ。年齢的には十二歳くらい
の大きな耳とふさふさ尻尾のショタっ子です﹂
﹁ショタっ子言うな!﹂
﹁事実じゃん。今は親父だけど﹂
445
﹁あの頃はぴちぴちの十七歳だった!﹂
グレン
姿だけでなく言動もショタと言われた所以なのだが。今の姿で言
うと大変痛々しいので黙っておこう。
名のとおり真っ赤な髪と目の可愛い子だったんだよなぁ。紅蓮が
本名だったのか。
﹁男性のミヅキですか⋮⋮見てみたい気がしますね﹂
﹁見れるよ?﹂
﹁何!? 是非見せてくれ!﹂
アルと話していたのにグレンが食いついてきた。何だか凄く必死
に見える⋮⋮異世界で寂しかったのか、やっぱり。
幻術で自分の記憶にあるキャラクターを見せるだけなんだけど、
見るだけなら十分だ。
亡霊騒動で試した技術が早速お役立ちです、人生何があるかわか
りません。
﹁えーとね、こんな感じ﹂
立ち上がって言葉と共に術を発動すると隣に見慣れた姿が現れる。
首の後ろで一つに縛った銀髪に緑の瞳、服はそのままだけど身長は
本体より十センチほど高くなる。
⋮⋮まあ、本体と造形は殆ど変わらないから単に髪形が変わった
色違いなんだよねえ。男性になるから若干違いはあるかもしれない
が女性的な外見だ。
﹁おお⋮⋮懐かしいな、あの頃のままだ﹂
﹁言葉も聞かせようか? ﹃久しぶり、グレン。また無茶して怪我
したりしてるのかい?﹄﹂
446
﹁お前に言われたくはないわ! ⋮⋮はは、よく言われたな﹂
﹁確かにこれならミヅキを見て気が付きますね、基本的に変わりま
せんし﹂
﹁﹃そうだよ? 言葉遣いはさすがに変えたけどね﹄﹂
男性としては高めの声はゲーム内のもの。記憶に残るそれはグレ
ンにとっては二十七年ぶりに聞く声だ。
微かに涙を浮かべ懐かしんでいるグレンを他所に皆はしきりに感
心し納得している。
⋮⋮ここに黒騎士連中が居なくて良かった。質問攻めにされてし
まう。
単に作り込むのが面倒だっただけなんだよな∼、無駄に美形率高
かったから自分が混ざろうとは思わなかったし。だけど、意外な所
で再会の手助けになったようだ。親しかったことも一因だろうけど。
ふと何を思ったかアルが立ち上がると﹃がし!﹄と私の手を握っ
た。
﹁どんな姿でも貴女なら愛せる自信があります! あの姿も十分魅
力的ですよ﹂
﹁⋮⋮そうかい。性別の壁は無視か﹂
﹁はい!﹂
⋮⋮。
無駄に爽やかに問題発言するなよ、私が殴るのを期待しているの
か?
アルよ、時々空気の読めない子になるのは何故だろうね?
﹁ミヅキ⋮⋮また厄介なものに好かれて⋮⋮﹂
グレン、その涙は懐かしんでるからだよね? 哀れんでるんじゃ
447
ないよね!?
※※※※※※
﹁ねえ、グレン。向こうで仲間が居たようにこの世界にも仲間がい
たんだよね?﹂
﹁⋮⋮ああ。内乱を共に生き抜いたかけがえの無い仲間がな﹂
﹁ただ生き残るだけじゃなく、ちゃんと笑えてた?﹂
﹁笑って怒って泣きもした。そうして今がある﹂
﹁そっか﹂
﹁また友人になってくれるか?﹂
﹁言われなくても友人関係継続中﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
再会と共に﹃理解者になれる友人﹄を手に入れたみたいです、私
達。
そして再会して早々に友好度を上げるイベント︵=厄介事︶があ
るとは予想もしていなかった。
原因? ⋮⋮例の彼女ですよ、別世界から来たあの子。
448
再会は突然に︵後書き︶
※ゲームについての突っ込みは無しで御願いします。
この世界で認められる異世界人とは知識を持っているだけではなく
﹃この世界で知識を活かし結果を出してきた存在﹄。
異世界人だから凄いというわけではありません。
アリサは自分をこの世界に合せるということを考えないのであの状
況。
それが2人との一番大きな差です。
449
本当の目的︵前書き︶
今回、主人公は出てきません。
450
本当の目的
︱︱バラクシン王城・ある一室にて
﹁やれやれ、貴族達も随分無謀なことをする﹂
溜息と共にテーブルのカップに手を伸ばした青年は深々と溜息を
吐いた。
青年の憂いも当然だろう⋮⋮この国の問題児に外交の一端を任せ
るなど。
エドワードは優秀だが、元々穏やかな性格をしておりキツイ事を
言うタイプではない。彼だけならば若干不安は残るものの、不興を
買うことなく役目を全うするだろう。
問題は彼の妻である。
一応、使者の一人とはなっているが実のところ単なる観光客でし
かない。
同行理由が﹃異世界人に会う為﹄というものなので要はイルフェ
ナの異世界人との接点にされただけだ。
本人は何も知らず無邪気に喜んでいたが、せめて役割だけでも教
えておくべきだったろう。 外交経験の浅い、立ち回りに不慣れな者と何も知らない異世界人
を送り出すなど何を考えているのか。
﹁ライナス様は反対されてましたからね﹂
﹁当たり前だろう! 身分制度さえ理解していない彼女は不安要素
過ぎるだろうが﹂
護衛の騎士の一人︱︱王子の幼馴染で友人のリカードが苦虫を噛
451
み潰したような顔で呟くと、ライナスは当然とばかりに大きく頷い
た。
傍に控えていた年配の侍女もひっそりと溜息を洩らす。主達の苦
労を知っているからこそ、諌めきれなかった自分が不甲斐無いのか
もしれない。
彼等の不安を煽っているのはエドワードの妻、アリサだ。
異世界人として三年前にこの国に保護された彼女は当初から酷く
無邪気で純粋だった。
見た目も愛らしく、不幸な立場ながらも明るく一生懸命な姿に周
囲の者達は挙って手助けをしていたものだ。
だが、それは間違いだったのだ。
助けるのも過ぎればただの甘やかしである。この世界で生きてい
かねばならないのならば最低限の知識は身に付けさせることが絶対
条件の筈だ。
言い方は悪いが彼女自身がバラクシンにとって価値はないと判断
された為、用意された婚約者達は最高位でも子爵だった。日頃の彼
女を知っていれば家に迎え入れようとする貴族はいまい。
⋮⋮いくら異世界人だからと全ての不敬が見逃されるわけはない
のだ、あの奔放さは害にしかならない。
エドワードが優秀だった為に今まで何とか取り繕われて来たのだ。
そもそも婚約者の中にも守護役として彼女を諌めようとした者が
いた。
その筆頭がリカードであり、年配の侍女達も今後婚姻する可能性
を考え躾てくれようとしたのだ。
だが、当の本人が厳し過ぎると逃げ出す傾向にあった為に未だ達
成されていない。リカードに至っては守護役を解任されているのだ
から。
452
﹃異世界人だからこそ許される特別扱い﹄だと現実を彼女に教え
る者は拒絶されれば手が出せないのだ、結果として彼女にとって優
しいことばかり言う者が周囲に残る。
⋮⋮それが本当に彼女を思ってのものか、利用しようとしてのも
のかは不明だが。
それに彼女が成長しなかったのも﹃異世界人だから利用できる﹄
と決め付け媚を売り続けた貴族達の所為である。高位に在る者達か
ら特別扱いを受け続ければそれが当然と思っても仕方が無い。
それなのに価値がないと思うや放置するのだからいい加減にして
もらいたいものだ。 エドワードに対してさえ、今までの様に泣いて反省すれば許され
ると思っているのだから手におえない。
だが彼女が一つ勘違いしていることがある。
異世界人優位である以上は﹃対処する術﹄を国とて用意している
のだ。
﹁今回の訪問はあの二人を試すものだ。エドワードは出来る限りア
リサから引き離すようになっている﹂
﹁エドワードは必死でしょうね、彼女が認められる最後の機会と思
っていますし﹂
そう、必死になるだろう。そう伝えてあるのだから。
﹃異世界人との繋がりを持てるのならば彼女に価値を見出せるだ
ろう﹄、と。
だが、実際は違う。2人を試す為に実力者の国と言われるイルフ
ェナへ向かわせたのだ。
﹁イルフェナの目は厳しい。彼等に認められなければ今度こそアリ
サの処遇を考えることができる﹂
453
王族同士は横の繋がりがあるのだ。今回はアリサのこれまでの態
度を諌める決定打として協力を仰いでいる。
他国に不敬を働く者が外交できるだろうか。
現実を知れば少しは思うところもあるんじゃないのか。
そしてエドワードも自分だけでは庇いきれない現実を知るといい。
﹁今回イルフェナから﹃否﹄と言われれば決定的です。徹底的に躾
られるか民間へ下るか。貴族連中もあの国を敵に回してまで彼女を
利用しようとは思わないでしょう。エドワードも思い知る筈です﹂
﹁イルフェナには異世界人も居るしな、違いをはっきりと見せ付け
られるだろう﹂
﹁確か守護役は全員公爵家の者でしたね。守護役抜きに公爵家は婚
姻を望んでいるとか﹂
﹁⋮⋮それも規格外なんだがな﹂
﹁一体どのような﹃教育﹄が行われたのでしょうね﹂
イルフェナは良くも悪くも実力が全ての国なのだ。そこで認めら
れる程になるまでに一体どのような教育が施されたというのか。
間違いなく﹃特別扱い﹄という甘やかしは行なっていないに違い
ない。徹底的に教え込むという﹃特別扱い﹄ならありえるのだろう
が。
外交で胃を痛める者が多く、敵に回したくないと言われる国イル
フェナ。その異世界人はよくぞそんな環境に馴染んだものである。
それだけで十分脅威だ。
﹁ま、全ては二人が帰って来てからだ。準備は既に整っているから
な﹂
﹁そうですね⋮⋮﹂
﹁何だ? アリサに対し思うことでもあるのか?﹂
454
﹁哀れだとは思います。あの娘は本来この世界にいるはずはないの
ですから﹂
﹁だが、自分にとって都合の良いことばかり受け入れ厳しい現実に
目を向けなかったのは彼女だ﹂
﹁わかっております﹂
彼女にも本当に心配し気にかけてくれる存在は居た。それを拒絶
したのは他ならぬ本人なのだから同情はできない。
民間に下れば意外と幸せに暮らせるかもしれないじゃないか。慎
ましやかに暮らす程度ならば面倒を見てもらえるのだから。
計画を知る者達は二人にとって良い方向に傾くことを心から願っ
た。彼等がアリサを案じていたことも事実なのだから。
※※※※※※※
︱︱イルフェナ・エルシュオンの執務室にて
エドワードはエルシュオンより手渡された手紙と告げられた言葉
に呆然としていた。
室内にはエルシュオンの他に黒騎士、そしてミヅキの保護者であ
ったゴードンが集っていた。
﹁これは⋮⋮事実なのですか﹂
確認と言うより否定を願う心を匂わせたエドワードも頭では理解
しているのだろう。
心当たりがあり過ぎるのだ、無理も無い。そもそも今回の訪問に
455
疑問を感じていたように見えた。
日頃のアリサを知っていれば貴族が何と言おうとも王が許可する
筈はないのだ。まして相手がイルフェナであるのなら。
﹁返事が必要かい? 君はその筆跡に覚えがあると思うけど﹂
﹁はい⋮⋮そう、ですね﹂
手紙の筆跡はバラクシンの王だ、見間違える筈はない。
そこに記された内容をエドワードが信じたくなかっただけなのだ
ろう。
手紙の内容はバラクシン王からの協力依頼である。
﹃この訪問はエドワードとアリサの二人を試すものである﹄
この一言で全てが判ってしまう。相応しい態度が取れない場合は
切り捨てられる、そういうことだ。
貴族達はアリサに価値を見出せる﹃最後の機会﹄だと言っていた
が、本当の意味は違った。
アリサに媚びていた貴族達はそう信じていたようだが、王を始め
とする忠臣と呼ぶべき者達は今後の扱いを決める﹃最後の機会﹄だ
と言っていたのだろう。
そしてエドワードも何らかの処罰を受ける。アリサを庇い続けて
結局は甘やかしたのだから。
だが彼はどこかで予想していたように身請けられる。
実際エドワードはこれ以上彼女を縛ることもあるまい、と思って
いるのだ。
﹁ミヅキはこの世界で生きなければならないと受け入れた後、実
に貪欲に知識を求めたよ。判らなければ何でも聞いた。周囲もそん
456
な姿を知っていたから生きる術を教えることを厭わなかった﹂
ゴードンは言葉を紡ぎながらも当時に思いを馳せる。
村で保護された初期はそれこそ民間の常識さえ知らなかったのだ。
話を聞く限り随分とこの世界と差があるように感じた。
だが、彼女はさっさと現実を受け入れ自分が生きる為の術と知識
を得ることに力を注いだのだ。本人曰く、
﹃泣き喚こうがどうにもならない、帰れないと判っているならやる
事はこれしかありません!﹄
だそうだ。この世界での生活をまず最初に考えたらしい。泣くだ
け時間の無駄だと言い切った。
⋮⋮大変逞しい発想である。一応、若い女性としてそれはどうな
のか。
﹁魔法に興味を持ったのもその一環だ。しかも通常の方法では使え
なかったから自分で組み立てるしかなかった。あの子は魔法を使う
なら魔導師になるしかなかったのだよ﹂
﹁ですが、簡単にできるものではないのでは?﹂
﹁そのとおり。だが、簡単に出来なくとも不可能ではない。そして
それが出来たからこそ、ミヅキは城に呼ばれた﹂
﹁魔導師は危険だ。我々としても放置しておくことはできないから
ね。だが、監視はしても飼い慣らそうとは思ってないよ﹂
都合の良いことを吹き込み味方につけることはできただろう。だ
が、魔導師ならばそのうち矛盾や自分の置かれた状況に気付く。知
識を貪欲に求める彼女のことだ、真実に辿り着くのは容易いだろう。
本人が﹃守られるだけの生活﹄を望まないのだ、どう考えても無
理である。
457
﹁﹃君は異世界人というだけでなく魔術の面でも異端だ。できるだ
け周囲に溶け込むよう努力なさい﹄⋮⋮私が保護した当初ミヅキに
言った言葉だ。あの子はそれを守っているから身分制度といった以
前は縁のなかったものも受け入れている﹂
﹁﹃最初はそうでもなかった﹄って言っただろう? 城に呼ばれた
時はあまり理解していなかった。生活の場を移した事で自ら学び馴
染む努力をしたんだよ。君の妻はそんな努力をしたのかい?﹂
貴族やその使用人達にとって身分制度など当たり前のことなのだ。
だから生活する上で相応しい行動を取れなければ目立つ。
それを危惧してアリサに身に付けさせようとした人達は必ずいた
筈である。彼女に好意的かは別として﹃場を乱す事を望まない﹄な
ら。
﹁初めから出来るなんて誰も思っていない。だが、拒絶されようと
彼女にその重要性を説いていたならば別の未来もあったんじゃない
かな? 前向きな子ならば理解できれば努力はしたんじゃないのか
い?﹂
﹁⋮⋮﹂
そう、努力はしただろう。そしてそんな姿を見せていれば周囲は
教師役となり、味方でいてくれたのかもしれない。
厳しいことを言われたと涙ぐむアリサを慰めるだけでなく、その
必要性をちゃんと伝えられていたら。
彼女に守護役を解かれた人物を知っているだけに、自分は単に嫌
われたくなかっただけなのだとエドワードは思った。
彼女が大切ならば嫌われようと泣かれようと理解させるべきだっ
たのだ。
458
それができなかったから主達の手を煩わせ、こんな舞台まで調え
させることになってしまった。
ミヅキに味方をして欲しいなどと思っていた自分を今は恥ずかし
く思う。彼女の拒絶は当然だ、そして﹃一切関わらないことが優し
さ﹄だという意味も理解できた。
⋮⋮比較対象を作らない為、だろう。
劣等感に苛まれる可能性を回避しアリサならではの良い部分を伸
ばすならそれが最適だ。
ミヅキの実力は本人の性格によるところも大きい。個人差がある
のだ、同じを期待するのは無理である。
すでに実績のあるミヅキが傍に居ることはマイナスにしかなるま
い。
﹁ミヅキには今回の事を伝えていない。異世界人として明確な比較
対象であった方がいいだろうしね﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
﹁公の場であることは伝えたから後は本人の判断だよ﹂
﹁今更ですが感謝いたします。ミヅキ殿にも本当ならば直接伝える
べきなのでしょうが、今は関わらない方が良いでしょう﹂
﹁そうだね。伝えておくよ﹂
エドワードが深く礼をし、顔を上げた時には表情に決意が宿って
いた。
感謝と謝罪と⋮⋮おそらく決別と。下される判断に否を唱えるこ
とはないだろう。
その時、クラウスが声を上げた。
﹁殿下。彼女が庭を散策するようですが⋮⋮﹂
459
その言葉にエドワードは拳を握り締める。そこに浮かぶのは失望
と怒り。﹃部屋を出るな﹄と言い置いていた筈なのだから当然か。
﹁殿下。彼女が抜け出そうとも護衛の騎士達に処罰を下されないよ
う御願いしたいのですが﹂
﹁いいのかい? 君の奥方はミヅキの所に向かうのかもしれないよ
?﹂
﹁ミヅキは騎士の宿舎に部屋を持っていますな、貴族の奥方が一人
で向かうことはありますまい﹂
ゴードンの言葉どおり普通ならそれはありえない。男しか居ない
宿舎に貴族の女性が許可なく向かえばどんな噂を立てられることか。
ミヅキは守護役の二人が基本的に宿舎で生活していることから部
屋を持っているのだ。そもそも貴族ではない上、職員扱いである。
実際に仕事をしているので問題にはならない。
﹁君の奥方がミヅキに謝りたいとあまりに言うからね? ﹃彼女は
騎士の宿舎にある自分の部屋から出てこない﹄って教えてあるんだ
よ。それを聞けば諦めるだろうと思ってね﹂
﹁おやおや⋮⋮殿下はいつからそれほど親切になられましたかな?﹂
﹁与えられた情報を元に行動することはミヅキもやっているだろう
?﹂
つまり自己判断に任せるということだ。今回の目的を考えれば罠
とも言える。
﹁御迷惑をお掛けします。私は一切庇いませんので﹂
﹁そうかい。君はちゃんと理解できるんだね﹂
﹁思い切るまで随分と時間がかかりましたが、陛下への忠誠は濁っ
460
ておりません。優先すべき物を今度こそ間違えはしません﹂
きっぱりと告げるエドワードに彼以外︱︱珍しくクラウスまで満
足そうな笑みを浮かべた。
それは1つの選択をしたエドワードを勇気付けるに十分なものだ
った。
461
本当の目的︵後書き︶
本人の努力次第で状況は随分と変わってきます。
﹃学び、馴染む努力をした主人公﹄と﹃馴染む努力をしなかったア
リサ﹄。
﹃体で学べ・結果を出せ﹄という教育方針の主人公とは差がついて
当たり前。結果を出せなければ今とは違った扱いになったでしょう。
462
ささやかな同情と彼女の過ち︵前書き︶
異世界人への教育も統一されるべきだった、というお話。
対応が違い過ぎると認識の差が生じます。
463
ささやかな同情と彼女の過ち
﹁ほう、やはり魔法は自分で組み立てたのか﹂
﹁あ、やっぱ試した?﹂
﹁うむ。だが、儂は元々魔力が低いらしくてな⋮⋮﹂
再会を喜び合ってからは自分達の状況報告です。
グレンは来て早々に内乱に巻き込まれ、うっかり口を出した策が
認められて軍師扱いになったそうな。
赤猫⋮⋮苦労したんだね。
お姉ちゃんは泣いちゃいそうだ。当時に戻って助けてやりたいく
らいだよ。
現代人がいきなり人殺し当たり前の戦争とかキツイわな⋮⋮。
まあ、今となっては私が魔導師であることに興味があるみたいだ
けど。
そっかー、試して挫折したか。私も詠唱しての魔術は無理だしね。
﹁多分ね、発音に問題があるんだよ﹂
﹁発音?﹂
﹁私達にとってこの世界の言語は自動翻訳されているでしょ? だ
ニホン
から聞こえている言葉と実際に言っている言葉が同じとは限らない﹂
ジャパン
判り易く言うなら英語で﹃日本﹄と言っても私達には﹃日本﹄と
聞こえるということだろうか。
自動翻訳も考え物ですねー。
﹁なるほど。そういうことだったのか﹂
﹁あくまで可能性の一つね。でも魔術を使えなかったことはグレン
464
にとって良かったと思う﹂
﹁何故だ?﹂
﹁特定の者だけが使える技術に頼っていたとしたら同じ結果は出せ
なかったと思うよ﹂
﹁⋮⋮。そうだな、そのとおりだ﹂
理由はゲーム内で私達自身が証明している。
﹃仲間と共に勝利を掴め﹄﹃不要な職業・スキルなどない﹄
運営が掲げるコンセプトを忘れてはいけないゲームだったのだ、
協力が必須だったのである。
それは戦闘には不向きだが付属効果が素晴らしい装備や罠を作り
出す生産職、普段は戦力外の探求者が軍師や秘伝書などの解読に必
要なことからも窺える。尤も生産職は素材の調達に他職の力を借り
ねばならず、知力特化の探求者に至っては戦闘は仲間任せだ。⋮⋮
個人が強いだけではどうにもならない設定だったのだよ、あのゲー
ムは。
そんな状況を知るグレンだからこそ、味方の個性を活かし勝ち抜
けたと思うのだが。
何より元不審者な魔術師は目立つ上に敵にも味方にも警戒される
だろう。
﹁特定の者に頼るようでは勝てなかっただろうな。勝てたとしても
﹃英雄﹄の存在は後々面倒なことになっただろう﹂
﹁内乱だと﹃英雄﹄が勢力のトップじゃなかった場合は揉める可能
性あるしね﹂
人の関心は目立つ方へ向く。国を纏め上げねばならない状況にお
いて民を惹きつける存在は王ただ一人でいい。
ゲームだろうと経験って偉大ですね。私達にとっては十分お役立
ちです。
465
と、そこへ騎士sの片割れが飛び込んできた。
﹁ミヅキ! お前ここから絶対に出るな!﹂
﹁はあ? 何でよ?﹂
﹁あの女がお前に会いたいって来てるんだよ!﹂
﹁⋮⋮。マジ?﹂
﹁おう! 今、カインが止めてるけど聞く耳持ちやしねぇっ﹂
室内が微妙な空気に包まれたのは仕方がないだろう。だって、そ
ういう状況だ。
﹁アル、ここって騎士寮だよね?﹂
﹁ええ﹂
﹁私は守護役が居ることに加え職員扱いだけど、基本的に女人禁制
だよね?﹂
﹁少なくとも女性貴族が訪ねることはありませんね、逢引以外は﹂
うん、そうですよねー。私もここに住む時に教えてもらったし。
許可を取って第三者を伴わない限り慎みのない女と言われてもい
い訳できませんよ? ついでに言うと住んでる騎士が誑かしたとかイチャモン付けられ
かねないんだけどなぁ?
わかってねえだろ、おいぃぃぃぃ! お前が不貞を疑われるだけ
じゃ済まねぇだろうがぁぁぁ!
﹁⋮⋮いいよ、会ってやろうじゃないの﹂
﹁ミヅキ!?﹂
﹁理解できないんだもの、もう知らない。ああ、全員ここに居てね
? おかしな噂の的にさせるわけにはいかないから﹂
466
﹁勿論ですよ。ついでに貴女を抱き締めて手を出させないようにし
ましょうか?﹂
﹁⋮⋮ヤバそうだったら御願い﹂
アルの言葉に頷いておく。ええ、その可能性が高そうです。
一応婚約者だから一見イチャついてても問題ないないだろう。ア
ルも怒ってるんだろうけど。
﹁ふむ、儂もここに居て良いかな?﹂
﹁グレン?﹂
﹁偶然居合わせた他国の者が証人になるだけだがな﹂
にやり、と笑う様はかつての赤猫と不思議に重なった。何となく
違和感が消えた気がする。
﹁うん、御願い﹂
﹁任せろ。儂にとっても知っておいて損はないからな﹂
﹁⋮⋮夕食のリクエスト聞いてあげる。材料があるなら元の世界の
料理を作れるよ﹂
﹁何!? では、オムレツとハンバーグとシチューを希望する!﹂
﹁お子様味覚か、それ二十七年前の好物? シチューはあるでしょ、
この世界に﹂
﹁煩いわいっ! 乳製品は滅多に食えんのだ!﹂
﹁⋮⋮了解﹂
そういえば材料が簡単に手に入らない状況だっけ。内乱で揉めて
たなら贅沢は禁物だろう⋮⋮乳製品はゼブレスト以外、貴族以上の
食べ物なんだし。
まあ、魚の煮付けとか味噌汁をリクエストされても困るんだけど
ね。
467
﹁じゃあ、彼女を私の部屋に招待しましょう。呼んできてくれる?﹂
﹁いいのか?﹂
﹁うん。私が招待したことにすれば多少はいい訳になるでしょう?
⋮⋮勝手に来た姿は見られてるだろうからイルフェナの反応は別
として﹂
護衛の騎士やこの寮の騎士達に迷惑がかからないようにする為に
はそれしかないだろう。
思いっきり後付けだけど私が異世界人だということも含め誤魔化
せないだろうか。
﹁⋮⋮わかった。真っ直ぐここに連れて来る﹂
そう言うと騎士s片割れは部屋を出て行った。残った面々は溜息
を吐いている。
そんな中、私は全く別の事を考えていたのだったり。
騎士s⋮⋮今更なんだけどカインって誰? 私、君達に名乗ってもらった事ないから名前を未だに知らんのだ
が。
※※※※※※※
﹁失礼します⋮⋮﹂
そう言いながら彼女が部屋に入ってきた時、私は彼女の為のお茶
を用意している最中だった。
状況証拠です、これ。もてなす準備がされていれば言葉だけだと
468
思われまい。
﹁どうぞ、お入りになって﹂
アリサを促しつつ自分も座る。座ったアリサが居心地悪そうにし
ているのも仕方ないだろう⋮⋮だって白騎士とかが居るもの。押し
かけたんだからそれくらいは我慢しろ。
﹁それで一体どのような御用件でしょう?﹂
﹁あのっ! 私、先日の態度がどれほど失礼か聞きました。ですか
ら、謝罪を⋮⋮﹂
﹁謝罪をしたいというならば何故ここに来たのです?﹂
﹁え? ですから謝る為に﹂
アリサの様子に私は深々と溜息を吐く。だめだ、﹃謝らなきゃ!﹄
という発想ばかり先に立って自分の行動がどう映るのかまで考えて
いない。
素直だし基本的に悪い子じゃないと思うんだけどな、本人の行動
力が悪い方向に出ちゃってる。この子はまず初めに﹃自分の行動が
周囲にどういう影響を及ぼしどんな結果を招くか﹄を教えるべきだ
ったんじゃなかろうか。
⋮⋮ん? この子、それを教えられているのか? もしや失敗し
たら本人叱るだけ?
行動を見逃されるのではなく、巻き添えを食った人達を処罰した
上で理解させれば良かったんじゃね? 数日反省させてから﹃今回
は異世界人だから特例として許された﹄とか言い出せば誰も被害受
けないし。
規則を教えても破った後にどうなるか知らなかったら重要性を理
469
解できないんじゃないのかな。わざと困らせて反応を楽しむタイプ
には見えないし。
これ、バラクシンの教育にも問題なくね? 場合によっては責任
追及は国にしたいです。
﹁アリサ様、貴女がここに来た事で﹃護衛の騎士の処罰﹄と﹃貴女
とこの寮の騎士達に不貞の疑惑が持たれること﹄と﹃バラクシンへ
の不審﹄という三つの可能性があるのですが。理解できてます?﹂
﹁な!? 処罰!? ⋮⋮わ、私は不貞なんてっ﹂
﹁ですが夫のある身で女人禁制の騎士寮に単独で来たならば、どん
な噂を流されても文句は言えませんよ? 当然、騎士達にも迷惑が
かかります﹂
﹁あ⋮⋮﹂
可哀相なくらい青褪めて震えだすアリサ。時間がないのだ、気の
毒だが一気に言わせて貰う。
﹁貴女は御自分が何をしたいか、という個人の感情を最優先にして
おられる。ですが、それは貴女の自分勝手に巻き込まれる者達を出
すということです。特別扱いは貴女だけなのです、彼等は処罰を免
れることは出来ません﹂
﹁わたし、は⋮⋮そんなつもりじゃ﹂
﹁﹃自分の行動がどんな結果を齎すか﹄ということをまず最初に思
い描いてください。その為に規則を知ること、貴族の常識を身に付
けることが重要なのですよ。知っていれば咎められる行動はとらな
いでしょう?﹂
言葉もなく俯くアリサに優しい言葉は掛けてあげられない。彼女
を哀れと思ってしまったら、今まで振り回されてきた人達はもっと
470
気の毒だ。
理解してくれ。成長の時だぞ? そしてバレないうちに部屋に戻
ってくれ。
だが。
不意に扉が開いた。﹃誰も通すな﹄と伝えていたにも関わらず。
私の御願いを無視する必要がある人なんて限られていて。
﹁アリサ殿? 貴女がこちらで騒いでいたと聞き足を運んでみれば
⋮⋮何をなさっているのかな? エドワードは部屋から出るなと言
って置いた筈だと言っていたがね﹂
まさかの魔王様御本人登場。
アンタ、普段は食堂に来るくらいで私の部屋までは来ないじゃん
!? いや、私が女だから変に噂されるのを避ける為なんだけどさ。
基本的に呼ばれない限り王宮には行かないしね。
ではなくて。
⋮⋮。
ごめん、皆。多分誤魔化し効かないわ。あの人相手じゃ無理。
自国にも他国にも厳しい国だから誤魔化そうとした私も説教コー
スかな。
﹁ミヅキ? 言い訳を一応聞いてあげよう﹂
﹁えーと、部屋に招いて一緒にお茶を飲みつつお話を﹂
嘘は言ってない。
﹁そうかい、嘘は言ってないみたいだね。では騎士寮に来るよう指
示したとでも?﹂
471
﹁さすがにそれは言ってません﹂
﹁だろうね、君は理解できているから﹂
なまじ住む時に色々説明を受けたから﹃知りませんでした﹄は無
理だわな。
溜息を吐いて肩を落とす私の言葉をアルが引き継ぐように話し出
す。
﹁殿下、彼女の護衛を務めていた者達はどうなさるおつもりですか
?﹂
﹁今回はミヅキも多少関わっているみたいだからね、謹慎程度で済
ませるよ﹂
おお、恩情が! 実力者の国だからもっと厳しいと思ってました
よ!
﹁それから。ミヅキ、誤魔化しはよくないよ?﹂
バレてましたか。
とりあえず護衛担当の騎士さん達がその程度で済んで何よりだ。
﹁さて、アリサ殿の言い分を聞こうか。ミヅキから貴女の行動がど
のような影響を与えるか聞いたんだろう?﹂
﹁はい⋮⋮申し訳ありませんでした﹂
﹁謝罪は一応聞いておく。が、勝手な行動をした事は国に抗議させ
てもらうよ﹂
﹁! ⋮⋮は、い﹂
弱々しく謝罪の言葉を口にするアリサは本当に儚げに見えた。だ
が、魔王様がそんな姿に哀れみを向けてくれる筈はない。
472
アリサを伴って部屋を出て行く魔王様の表情が何処となく満足げ
だったのは気の所為だろうか⋮⋮? ﹁あれで良かったのか? 盛大に叱るかと思ったぞ﹂
﹁いやぁ⋮⋮教育する方も問題があったんじゃないかと思って﹂
﹁問題?﹂
﹁﹃生まれながらの貴族﹄に教えるのと﹃奔放な民間人﹄に教える
のって同じやり方で理解出来ると思う?﹂
命に関わるような規則でない限り﹃叱られる程度﹄だと思い込ん
でも無理はない。まして甘やかす連中が居るのなら。
グレンも思う所があるのか私の言葉に頷いている。
﹁確かにな。だが、それで許されるものではないぞ?﹂
﹁うん。だから彼女は庇ってなかったでしょ? 基本的にこの国に
被害が来ないようにしただけ。彼女の処遇にも口出しする権利はな
いし﹂
﹃抜け出して騎士寮に来ること﹄が一番マズイので、精々﹃部屋
に押しかけようとした﹄という可能性を消しただけでは大して変わ
らないのかもしれない。⋮⋮私に説教が来るかもしれないが。
﹁国の教育にも問題がある、か。そういう考え方もあるのだな﹂
﹁甘やかしも問題ですけど、教え方にも問題あると思いますよ﹂
﹁君はどうしたのだね?﹂
﹁先生の所にあった礼儀作法の本とゼブレストに放り込まれて体験
学習です﹂
﹁体験学習?﹂
﹁身分制度や貴族社会の認識を利用して策に励みまして﹂
﹁ちょっと待て! 一体何をやったんだ!?﹂
473
﹁噂を流してある人物達を貶めたり、権力争いを身分という名の力
技で乗りきってみたり⋮⋮﹂
後宮では隙を見せると攻撃してきましたからねー、嫌味をちくち
くと。権力争いを勝ち残れば嫌でも最低限の自己保身は身に付くっ
てものですよ! 自分の行動も気を付けるようになるし。
⋮⋮あら、ヴォリン伯爵? 頭を抱えてどうなさいました?
魔王様達は楽しそうに聞いてましたよ? 権力争い上等・隙を見せるな、蹴落として上を目指せ! が貴族
社会じゃないんですか?
474
ささやかな同情と彼女の過ち︵後書き︶
※ゲーム内容への突っ込みは無しで御願いします。
主人公、バラクシンの教育にも問題があったんじゃないかと推測。
ただし、イルフェナを基準にしちゃいけません。
475
決断と多くの優しさ
﹁⋮⋮という訳だったんだよ﹂
アリサが寮まで襲撃してきた翌日、二人は国へ戻って行った。
魔王様にがっつり怒られたのかと思ったけど、今回の事情説明を
しただけだったらしい。
私も一切事情を聞かされていなかったので、本日魔王様の執務室
までお呼び出しです。
⋮⋮お茶菓子何か持って来いって言われたけど。今回はこれが誤
魔化そうとした事に対する罰だそうな。
以前、守護役と私で試作のシフォンケーキ食べたのバレてました
か。意外と甘い物がお好きなようで。
この世界に来てからスイーツを自主制作していた所為で身内系の
集まりのお茶菓子担当と化してますな、私。
﹁じゃあ、今回はあの二人を諌める為の訪問だったんですか﹂
﹁うん。自国では徹底的に判らせることなんてできないだろうから
ね。我が国が抗議という形をとれば庇うことなんてできないし﹂
﹁⋮⋮随分と手際がいいですね?﹂
﹁あの取り決めだと異世界人が好き勝手しても処罰は難しいだろう
? 国の者じゃないんだし。だから過去の出来事を踏まえて対策が
ちゃんとあるんだよ﹂
それを異世界人本人には知らせないわけですね。最終警告まで猶
予があるだろうし。
まあ、実際それくらいしないとマズイわな。利用価値のある異世
界人だと擦り寄る貴族が庇いそうだもの、﹃他国から抗議が来た﹄
476
っていう事実は処罰の大義名分になるだろう。
﹁エドワードの方は理解できたみたいだね。庇うだけが全てではな
いと﹂
﹁一応叱ってはいたんでしょう?﹂
﹁理解させるには至らなかったみたいだけどね。君が言っていたよ
うに教育にも問題はあったと思うよ﹂
昨日のあの騒動のすぐ後。
魔王様に一応異世界人の見解として報告しておいたのだ。
﹃自分の行動が周囲にどういう影響を及ぼしどんな結果を招くか﹄
を教えるべきだったんじゃね?
﹃奔放な民間人﹄に教えるのって﹃生まれながらの貴族﹄に教え
るのと同じやり方じゃ理解出来んぞ?
そもそも重要性を理解させるような事をしてました?
アリサが元の世界で貴族の様に制約の無い裕福な家に暮らしてい
たならば﹃ちょっと考えが浅いけど素直で反省もできる優しい御嬢
様﹄だったんじゃなかろうか。
嫌味の無い、誰からも愛されるような感じ。突飛な行動も理由を
聞けば誰もが本気で怒れなくなるような。
私の世界の平民だったらかなり善良な部類だろう。
﹁立場の認識のズレから互いに理解すべきだったんじゃないですか
ね?﹂
﹁うん、だから君の意見も向こうに伝えてある。どんな判断になる
かは判らないが﹂
向こうの状況を知らないものね、私達。
477
﹁一度問答無用に貴族社会で生活させればいいんだよ。無作法者と
苛められれば必死で身に付けるだろうし﹂
⋮⋮向こうもこちらの教育方針を知らないしね。
サポートがあったとはいえ、あの状況を勝ち残った私と比べるの
は気の毒と言うか。
ところで、魔王様? 貴方の教育方針はイルフェナのヴォリン伯
爵さえ吃驚なものだったみたいですが。
もしや、変人︵=実力者︶基準の教育でしたか、あれは。
※※※※※※※
︱︱バラクシン王城・ライナスの執務室 ︵ライナス視点︶
﹁⋮⋮やはりか。だが、これは﹂
﹁我々にも責がありますね。何せ異世界人からの言葉です﹂
私は深々と溜息を吐く。手にしたイルフェナからの報告書を見れ
ば当然か。
今回の事は兄である王より任され私の管轄となっている。正直な
話、王は二人に期待していなかったに違いない。だからこそ、見世
物の様な謁見の間での報告が必要ない私に任されたのだ。
﹁エドワード、アリサ。今回の事は今までの様に不問とするわけに
はいかない。度重なる叱責にも態度を改めなかったことで他国から
478
さえ抗議が来たではないか。我が国としても咎めぬわけにはいかん﹂
﹁⋮⋮はい。どのような処罰もお受けいたします﹂
エドワードの言葉にはアリサを庇う気配は無い。今まで必死に守
ってきた彼が一体どういう心境の変化だろう。
思わず近くに控えていたリカードに目を向けると彼も同じように
こちらを見てきた。
これは⋮⋮かなりキツく説教でもされたか。
イルフェナの責任者は確かエルシュオン殿下だった筈。彼の通称
は確か⋮⋮。
そこまで考えて私は二人に初めて哀れみの目を向けた。
⋮⋮この二人には荷が重過ぎるどころではなかったろう。﹃魔王﹄
とまで噂される人物が生温い追求で留めてくれる筈は無い。彼は手
加減という言葉を知らないのかと思うほど他国に厳しいのだ。
﹁ライナス様、発言をお許しいただけますでしょうか?﹂
﹁うん? ああ、構わんぞ﹂
﹁ありがとうございます。我々は婚姻関係を解消したく思います。
私は宰相補佐の立場を降り、アリサは我がカンナス家が所有する家
にて民間人として暮らさせたい。勿論、使用人や護衛はそちらの信
用の置けるものを付けていただきたく思います﹂
エドワードの言葉を事前に知らされていたのだろう。涙を耐えて
いる風ではあるがアリサに動揺は見られない。
だが、内容はこちらが想定していた以上に厳しいものだ。それを
自分から言い出すとは。
室内にはエドワードやアリサの他に当初からアリサの面倒を見て
いた年配の侍女、そして元守護役であったトリスタンも控えている。
彼らも私と同じく言葉も無いようだった。
479
﹁エドワード。あれほどアリサを庇っていたお前が一体どういう心
境の変化だ? できれば理由を聞かせてもらいたい﹂
﹁はい。我々は言葉を表面的なものでしか捉えていなかったことに
気付いたからです。⋮⋮厳しい言葉の中に隠された思いやりを無下
にしてきた、それだけではなく言葉をかけてくれた者達を冷たい人
だと思ってきました。それで十分な理由にはなりませんか﹂
﹁⋮⋮そうか。お前達なりに今までを振り返って自分で気付いたの
だな﹂
﹁ええ。貴族としても許されないことでしょう。ですからせめて自
ら去るのです﹂
二人に味方がいなかったわけではない。だが、厳しい言葉をかけ
る者を切り捨てる一方でエドワードとアリサは互いに依存していっ
た。まるで悲劇の主人公のようだ、と何度思ったことか。
しかし、彼らは物語を悲劇のまま終らせる愚か者にはならなかっ
たようだ。見守ってきた者としては嬉しい限りである。
﹁イルフェナに向かわせたことは正解だったようだな。何が気付く
切っ掛けであったのやら﹂
安堵の息を洩らし思わず口をついた言葉に反応したのは以外にも
アリサだった。
﹁エルシュオン殿下とミヅキ様⋮⋮異世界の方からの言葉があった
からだと思います。私、ミヅキ様に色々と教えていただいたのです。
何故貴族としての立ち振る舞いが必要なのか、奔放さが人にどれほ
ど迷惑をかけるのかを﹂
﹁ミヅキ殿は言葉こそ厳しいですが、常にアリサを気遣ってくださ
いました。最もそれが現れているのは﹃一切関わる事は無い﹄と言
480
い切ることで自分とアリサが比較される可能性を消してくれたこと
でしょう﹂
それは比較対象としてアリサを踏み台にすることを否定したとい
うことだろう。
アリサも頭が悪いわけではないのだ、納得できる理由さえあれば
理解し身に付けようとしたということか。
それは、つまり。
﹁私もお前達に謝らねばならないことがある。特にアリサ﹂
﹁は⋮⋮はい﹂
﹁イルフェナからの報告と今のお前達を見て確信した。⋮⋮アリサ
の教育は貴族相手と同じでは駄目だったのだと。今更だが謝らせて
くれ、必要な教育さえ与えず役目を放棄したことを。すまなかった﹂
﹁ラ⋮⋮ライナス様!?﹂
告げると同時に頭を下げる。そう、これは一度でもアリサを愚か
な娘と思ったことへの謝罪。
彼らがこれまでの行いを自覚したというなら我々も目を逸らして
はならないのだ。
﹁エドワード、アリサ。ライナス様がどうして貴方達に厳しかった
か判りますか?﹂
トリスタンが落ち着いた声で話し出す。
そうだな、今を逃したら話す機会など無いだろう。別に知らなく
ても良いのだが。
﹁この国は教会の持つ権力が大きい。政治の場においても度々口を
出してくることは貴方方も御存知ですね?﹂
481
﹁はい﹂
﹁この国は男児のみ継承権を持ちます。先王には現在の王が生まれ
てより長く次の男児が生まれなかったのです。ですから、ライナス
様がお生まれになった時は大きな喜びと共に不安も生まれたのです
よ﹂
﹁何故です? 待望の王子でしょう?﹂
アリサの疑問も尤もだ。だがエドワードは察したらしい。
トリスタンの言葉を引き継ぎ私は口を開く。
﹁兄上と私は歳が離れている。当然、兄上の子と私は歳が近くなる。
継承権は王の子の方が高いが私もそれなりに影響力がある立場だ。
⋮⋮継承権上位の王族が教会に付いたらどうなる?﹂
﹁あ!﹂
﹁過去、実際に王になれなかった王族が教会に付いたことで奴等は
権力を手にした。私にその気は無くとも貴族達の中には利用しよう
とする者もいるだろう。だから私は兄上に男児が生まれるのを待っ
て継承権を放棄した﹂
﹁ライナス様は幼い頃から御自分の身を守る為、それ以上に国を守
る為に誰より立派な王族であろうとしてきました。隙を見せる訳に
はいかなかった、少しの油断で自分だけではなく国も傾かせてしま
う可能性があったのですよ﹂
貴族達の中にも教会側と繋がりのある連中は大勢居る。そんな連
中にとって私は絶好の手駒に映ったろう。
何らかの形で王家と仲違いをさせ、教会側に付けようとする。そ
れこそ奴らの狙いだった。
兄は歳の離れた私を本当に可愛がってくれたし、正妃様も実の母
の様に慈しんでくださった。姉達もそれは同じだ。
だからこそ私は奴らの思惑どおりにはなるまいと誓ったのだ。継
482
承権の放棄だけでなく生涯を王家に尽くすという誓約がある限り私
は奴らの手駒にはならないのだから。
﹁アリサ。君にも利用される可能性があったんだ。誰かに守られる
だけでは絶対に守りきれない、自分の身は自分で守らなければなら
ない。リカードを守護役につけたのはそういった理由だ。必要以上
に厳しかったのも﹂
﹁そんな⋮⋮一言でも言ってくれれば良かったのに﹂
﹁君の傍には君を利用しようとする貴族が常に居ただろう? それ
に⋮⋮問題のある君でもエドワードとの婚姻が許されたのはそうい
った背景からだ。そんな話を聞いて君はエドワードを信じられたか
な?﹂
﹁⋮⋮﹂
アリサは力なく首を横に振る。そうだろうな、基本的にこの娘は
臆病だ。誰が聞いても政略結婚にしか見えない婚姻に不信感を抱く
のは当然だろう。
﹁過ぎた事だと言ってしまうには傷は深いがな。もう会う機会もな
いだろうが⋮⋮穏やかな人生を﹂
そう言って微笑む。リカードやトリスタンも同じく微笑んでいる
のだ、これは喜ばしい結末なのだろう。
だから他の可能性など夢見ることはない。
﹁ありがとう、ございます﹂
﹁あ、あの! 私どうしても言っておきたいことがあったんです!﹂
エドワードと同じように涙ぐみながらもアリサは綺麗に笑う。
483
﹁ずっと、ずっと心を向けてくださって⋮⋮ありがとうございまし
た!﹂
最初で最後の感謝の言葉と微笑みは。
きっと、我々の中に鮮やかに残るのだろう。
484
決断と多くの優しさ︵後書き︶
アリサはあれから魔王様にがっつり事情説明されました。
ただ叱られるのではなく、弊害を教えつつの説明はアリサに十分理
解させたようです。
そしてバラクシンにもちゃんと味方は居ます。
485
小話集5︵前書き︶
番外的な小話ゼブレスト編。
エリザとセイルは日記で互いの印象暴露。
486
小話集5
︱︱ある日、ゼブレストにて︵宰相視点︶
﹁セイル、少し聞いておきたいことがあるのだが﹂
イルフェナより戻ったセイルに私は席を勧めた。
長年の付き合いだからこそ判るのだが、セイルは妙に機嫌がいい。
楽しくてたまらない、といった方がいいだろうか。
﹁なんでしょう、アーヴィ﹂
﹁お前はミヅキを気に入っているのか?﹂
直球過ぎる質問にセイルは苦笑した。だが、幼い頃からセイルを
知る者からすればそれは天地がひっくり返るような出来事なのだ。
セイルリートの父親は私の父の弟にあたる。彼の印象は穏やかだ
が聡明な人物、といったところだろうか。
印象しかないのはセイルの両親が強盗に殺害されたからだ。
⋮⋮いや、それは表向きの理由に他ならない。
実際はクレストを疎んだ貴族が殺したのだ。セイルの父親は貴族
達の横領について調べていたのだから。
糾弾することは出来ただろう。だが、国王は完全に奴らに取り込
まれ口煩いクレストを疎む傾向にあった。
結局は強盗の所為で片付けられたのだ、当時の父の口惜しさを思
うと実に胸が傷む。
487
⋮⋮問題はセイルだった。
当時五歳という幼さだった彼は目の前で両親を殺されている。だ
が、元々穏やかというか物分りが良過ぎる傾向があったセイルは両
親の死にも取り乱すことなく受け入れていた。
普通に考えれば異様である。
我が家に引き取られ家族として育ちながらも、その違和感は薄れ
ることがなかった。
そして紅の英雄を祭り上げた時点で私は悟った。
セイルは⋮⋮人を殺すことに躊躇いが無いのだ。血の記憶は彼に
影響を及ぼさなかったわけではなかったのだろう。
実戦経験の無い騎士が初めにぶつかる壁が﹃殺す﹄ということに
対してだ。それは誰もが抱く恐怖だろう。
だが、セイルは躊躇わない。⋮⋮いや、血を好む傾向にあるのだ。
一歩間違えれば殺人狂になりそうな資質だが、セイルはそれを﹃
敵﹄に対してのみ向けている。
それを問うた時の答えも中々に壊れていたと思う。
﹃結果を求めることは大切だと思いますし、敵に容赦など必要あり
ません﹄
﹃私の世界はとても狭いのです。味方か敵か、それだけです﹄
﹃返り血さえ私を形作るものだと思いますよ﹄ ルドルフ様が﹃味方﹄で﹃主﹄の立場である以上、何も問題は無
い。
だが、家族としては少々複雑だ。言い換えればセイル自身は誰も
必要としないということなのだから。
﹃敵﹄か﹃味方﹄かに分類しているに過ぎないのだから己と対等
な者など存在しない。
表面的な部分に惑わされる者達もセイルの人間嫌いに拍車をかけ
488
た要因だろう。
だが。
先日の光景に思わず言葉を失った。
セイルが⋮⋮楽しそうだったのだ。感情を外に表すなど今まで無
かったことである。
ミヅキを迎えに行った筈なのに一体何があったのか。
ルドルフ様も内心驚いていたに違いない。表面には出さなかった
が。
原因はミヅキだ。それは間違いない。
﹁ミヅキの傍はとても生き易く楽しいのですよ﹂
﹁⋮⋮楽しい?﹂
﹁ええ。彼女の考え方は私とよく似ているけれど異なるもの。何よ
り本能的に私の狂気を悟っているでしょうに恐れません﹂
楽しそうに話すセイルに妙に納得する。確かに恐れないだろう。
あの娘は少々普通とは言い難い思考回路をしているのだから。
﹁血塗れた人間を前に﹃汚れているから﹄という理由で池に放り込
む人ですよ? 盲目的に私を信じている訳でもなく、外見に興味を
持つどころか利用できるものとして考える。予想外です、何もかも﹂
⋮⋮それもどうかと思うのだが。あれでも一応年頃の娘なのだか
ら、もう少し普通の反応をしてほしいものである。
﹁ですから。私がどれほど殺そうと対応は全く変わらないのです。
私が殺すのはルドルフ様の為だけだと言い切ってくれましたから﹂
﹁それは⋮⋮何とも﹂
489
﹁そこまで私の在り方を受け入れてくれる。気に入るには十分でし
ょう?﹂
確かにルドルフの味方と言い切る彼女ならばセイルに絶大な信頼
を置くだろう。セイルが居なければ自分がやってのけそうだ。それ
ほどにあの二人は仲が良い。
﹁それは執着とは言わないか? 気に入った玩具というか﹂
呆れを滲ませて問い掛ければ。
﹁ええ。そのどちらも当て嵌まると思います。ですが私がこれほど
執着する人間が今後現れるとは思えませんので﹂
嬉しそうに返してきた。無自覚にセイルの心を揺さぶる発言をし
てしまったミヅキにとっては何とも迷惑なことであろう。
何せセイルは普通ではない。怒ろうともセイル自身がそれを楽し
み更に煽るのだから手におえない。
﹁お前の﹃特別﹄になるということが今更ながら気の毒でならない
な﹂
溜息を吐きながらそう洩らせば笑みを深めることで肯定してくる。
本当に厄介だ。だが、セイルを正気に踏み止まらせる最高の枷で
あることは間違いない。
ミヅキと他の守護役達は振り回され苦労するかもしれないと少々
良心が傷む。
﹁特別といえば両親を失ってから家族でいてくれた貴方達もそうな
のですけどね﹂
490
⋮⋮本心からの笑みを見せながらそんな事を言わせる切っ掛けに
なったミヅキには申し訳ないが。
﹁そうか﹂
﹁ええ。﹃兄上﹄﹂
﹃弟﹄を心配する﹃兄﹄として現状を喜ばせてもらうとしよう。
結局は私もクレストでありセイルの家族であるのだから。
※﹃紅の英雄﹄を作り上げセイルを隠した理由の一端。家族が軌道
修正したので現在の状態に。
幼い頃の経験は後々まで影響を及ぼした模様。大事なのは極一部。
誰から見ても恋愛感情には見えないけれど、セイルにとっては一
応想い人扱い。
周囲も﹃殺人狂にならなきゃいいや、あの子なら半殺しにしてで
も止めるし﹄という発想。
ミヅキも﹃実力さえあればOK!﹄な守護役も普通ではないので
割と楽しく過ごしています。
※※※※※※
小話番外 ﹃エリザの日記﹄
﹃エリザ十二歳﹄
491
今日から正式にルドルフ様に御仕えすることになった。
侍女として、という扱いだけど護衛だって担ってみせるわ!
だって、私はこの方に御仕えすると決めたのだから。
内緒だけどワイアート家が敵になってもルドルフ様の味方をする
わ。
さあ、明日から頑張らないと。
﹃エリザ十三歳﹄
正式にセイルリートがルドルフ様の護衛に就いた。
アンタ⋮⋮騎士になるの遅過ぎない!?
先日の戦場でのことが原因なんでしょうけど、行動が遅いのよ!
ああ、私が男だったら騎士を目指したというのに! 悔しいった
ら!
剣の腕も判断力も申し分ないけど、何故か警戒心が疼くのよね。
しかも仮面みたいな笑みを定着させちゃってまあ⋮⋮この腹黒!
今この国はルドルフ様とクレストの皆様が支えているようなもの。
私も微力ながらお助けしなければ。
﹃エリザ十五歳﹄
ふふ⋮⋮あの男は一体何をしているのかしら?
ルドルフ様に実害がありそうなら事が起こる前に止めろってのよ!
﹃行動を起こさせてからの方が有利﹄?
﹃この程度でルドルフ様は潰れない﹄?
ふっざけんじゃないわよ! 何アンタが決め付けているのよ!?
492
結果だけを求めればアンタの言うとおりよ。だけどね!?
ルドルフ様だって感情があるの。
傷つかないわけないでしょ?
アンタの事、嫌いだわ。
﹃エリザ十七歳﹄
あの腹黒が年頃の娘さん達の憧れの的ですって。
へえ⋮⋮顔しか見られてないわね。
気の毒なんて言わないわ、自業自得よ。
だって、誰にも興味を持たず上辺だけの付き合いをしてきたんだ
もの。
あいつの事を見抜ける人なんているのかしら?
紅の英雄の事もあるし結婚は無理じゃないかしらねー?
あの男の狂気を垣間見て平然としていられる人って稀じゃないか
しら。
そういえば最近お姉様が鬱陶しい。
ルドルフ様のことについてなんて話せるわけないでしょう!?
⋮⋮ルドルフ様達に相談しておく必要があるわね。
馬鹿なことをしなければ良いのだけど。
﹃エリザ二十三歳﹄
先日漸く不肖の姉の事が片付いた。
まったく呆れて物も言えないとはこのことよ!
ルドルフ様はあんた如きに騙されるような方じゃないわ。
あの方の側近だって簡単に許すと思うの?
愚かという言葉がこれ以上ないくらいお似合いよ、お姉様。
493
ああ、それにしてもミヅキ様とはもっと早く知り合いたかったわ!
あれほど頼りになる方がゼブレストに居たかしら?
御自分を手駒に置き換え策を成功させる手腕と度胸にはただ敬服
するばかりだわ。
何よりあの方はルドルフ様の敵を許しはしない。
いえ、違うわね。御自分の敵でもあるからルドルフ様に害を成す
前に排除しているんだわ。
ルドルフ様も躊躇いなく親友と口になさるし⋮⋮エリザは安堵い
たしました。
漸く、部下ではなく対等な立場で話せる御友人ができたのですね。
嫁いだ今となっては願うことしか出来ないけれどミヅキ様ならば
きっとルドルフ様を助けてくださるでしょう。
﹃エリザ現在﹄
あ、あ、あの男は!
恥知らずにもミヅキ様の守護役に収まった、ですって!?
紅の英雄を引き合いに出して脅迫するなんて何を考えているの!
ミヅキ様⋮⋮どうか、どうか他の婚約者様方にお逃げください。
あの男は人に興味を持つことが今まで無かったのです、絶対に粘
着質ですわ!
顔と地位を除いても狂気一歩手前の愛情がどれほど鬱陶しいか。
⋮⋮ああ、ミヅキ様が怯えられるなど思ってませんわ。
間違いなく返り討ちにしてくださいますもの。心配などあの方の
強さを疑うようなもの。
でも隙を見て既成事実くらい作りかねませんわ。どうかご無事で
いてくださいませ︱︱
494
※考え方が正反対過ぎて地味に関係悪化×知り合った年月。エリ
ザはルドルフの幼馴染でもあるので、﹃ルドルフ﹄という個人を気
にする傾向があります。
実力を認めていても溝は深まるばかり。
セイルには本能的にヤバさを感じていますが、恐怖はなく仲間
意識も存在しています。
※※※※※※※
小話番外 ﹃セイルリートの日記﹄
﹃セイルリート五歳﹄
きょうからアーヴィたちといっしょにくらすことになりました。
とうさまたちがしんでしまったからです。
ぼくはみんながかばってくれたのでぶじでした。
とうさまはさいごにこういいました。
﹃いっときのかんじょうにゆらされてはいけない。ひろいしやをも
ちなさい﹄
とうさま、ぼくはとうさまのことばをわすれません。
ですが、とうさまたちのちのいろもわすれられません。
※セイルの両親は強盗に襲われ亡くなっています。
セイルは数少ない生存者の1人。
﹃セイルリート十三歳﹄
495
今日からルドルフ様の護衛につくことになった。
騎士ではない私は遊び相手兼護衛といったものでしょう。
ですが、ルドルフ様はとても聡明な方の様に思える。
その聡明さはとても⋮⋮危険だ。
私の両親の様に狙われる対象となってしまう。
御守りしますよ、ルドルフ様。貴方が今の貴方である限り。
﹃セイルリート十七歳﹄
ルドルフ様の視察を見計らったかのように現れた魔術師団。
はは⋮⋮我が国の貴族はここまで腐っているのか!
ですが、奴らの思い通りには絶対にさせません。
どれほど血を被ろうとも恐れられようとも。
私にとってそれらは私を彩るものでしかないのです。
穏やかな笑みの裏側で情報を引き出しましょう。
英雄を演じつつ殺戮者となってみせましょう。
それが私の選んだ生き方なのですから。
そう在ることで自分を保っているのですから。
⋮⋮そういえばエリザは私の狂気に気が付いているようですね。
にも関わらずルドルフ様に対する意見の相違で怒りをぶつけてく
る。
まったく⋮⋮猪ではないのだから感情で動かないでほしいもので
す。
﹃セイルリート二十五歳﹄
この頃、貴族どもがルドルフ様に側室を勧めているらしい。
正妃はともかく側室を持て? はっ、馬鹿馬鹿しい。
496
財政を圧迫する側室など望んでいないのに押し付けてくるとは⋮
⋮。
ルドルフ様やアーヴィはここのところ酷く疲れているようです。
一言。たった一言命じてくれさえすればいいのに。
貴方達の憂いなど全てを紅に染め上げて消して差し上げるのに。
私はきっと何処か壊れているのでしょう。
ですから。
気にせず命じて下さればいいんですよ、ルドルフ様。
ああ、最近エリザが毒を収集しているようですね。
元凶どもに怒りを燃やす彼女が動くのが先でしょうか。
こちらが不利になるようなミスをしなければいいのですが、あの
猪。
﹃セイルリート二十七歳﹄
ルドルフ様がイルフェナに協力を仰いだ後宮破壊。
派遣されたミヅキ様は随分と規格外な方のようですね。
あの方はルドルフ様以外信用してなどいないでしょう。
そして我々を常に試し見極めようとしている。
側室達からの攻撃さえ己の策に利用するなど本当に予想外ですよ。
策を練る時のあの方の笑みは本当に楽しげだ。
その策の果てにどれほどの命が消えるか判っていて手を抜くこと
が無い。
きっとその時からミヅキ様には深紅に染まる自分が想像できてい
るのでしょう。
だからこそ美しく見える。⋮⋮私にとっては。
﹃セイルリート現在﹄
497
紅の英雄も稀には役立つものですね。
ミヅキ様の婚約者という立場を手に入れられたことは大きな喜び
です。
あの方は朱を纏っても美しいだろうけど、それ以上に黒が似合う。
誰にも染めることができない、絶対の黒。誰も踏み込めない漆黒
は悪ではない。
恐れる者達は容赦無い彼女の策が最も犠牲が少ないと気付いてい
るのでしょうか。
あの方は優しい。それは間違いない。けれどそれ故に悪となるこ
とを厭わない。
だから私はミヅキ様も御守りしたいと思ったのです。どす黒い感
情で。
彼女の傍で共に血塗られるのはきっと楽しいでしょう。
何しろ彼女はルドルフ様の親友で味方。その性根はとてもよく似
ていらっしゃる。
私に気に入られた事を不運に思ってくださってもかまいません。
私の﹃特別﹄となったからには逃がしてさしあげられませんよ?
ミヅキ様︱︱
※微妙に壊れている人、セイル。ヤンデレ疑惑は微妙に正解。
﹃普通であること﹄を求めない彼女の傍ではとっても生き易い。
ヤバイ奴にある意味同類認定されたミヅキは不幸にもお気に入り
確定。
理由は﹃ルドルフの味方﹄であることと﹃敵に対する容赦の無さ﹄
。
498
小話集5︵後書き︶
ゼブレスト編にてセイルが﹃さくっと殺っちゃいましょう﹄な傾向
にある理由。まともな騎士であるはずはない。
宰相からの手紙は﹃うちの子を御願いね!でも無理だったら逃げて
おいで﹄という複雑な兄心でした。
エリザとセイルは本質的に合わない2人。
騎士として主を信じるセイルに対し、姉のような感情も混じってい
るエリザでは差があって当たり前。
499
ディーボルト子爵家の事情︵前書き︶
騎士s関連のお話です。
500
ディーボルト子爵家の事情
それは唐突な御願いから始まった。
﹁頼む! お前の力が必要なんだ!﹂
﹁俺達の家に来てくれ!﹂
﹁⋮⋮は?﹂
私の部屋に入るなり頭を下げた騎士s。
え、何? どゆこと!?
首を傾げた私の反応は当たり前だと思われる。いきなり何さ? ﹁あのさ、簡単でいいから理由を説明してくれない? 今アル達居
ないから外出許可必要だと思うし﹂
﹁それなら既に取ってある!﹂
ぴら、と目の前に差し出された紙には確かに魔王様直筆の外出許
可証でした。
なんだ、魔王様関係なら頭を下げなくても⋮⋮
﹁エルシュオン殿下には先に事情説明をしておいた。しかも引き受
けてやってくれと書いてある!﹂
﹁ちょ、本人への説明が後か! 順番逆でしょ!?﹂
﹁﹁あの人の方が怖い﹂﹂
いえ、確かに魔王様命令なら逆らいませんけどね?
色々御世話になってますからね?
騎士sよ⋮⋮アンタ等、力関係理解し過ぎ。身分とかの意味じゃ
501
なくて。
⋮⋮そういや、この二人って黒尽くめ連中からも逃げてきたよな
あ。追いつかれたとはいえ、村でも連中に見付かる前に逃げ出して
きたらしいし。危険察知能力が特化してでもいるのだろうか。
﹁わかった、わかりました! で、簡単な説明宜しく﹂
溜息を吐きつつ了承すると2人は明らかに安堵した表情になる。
えーと、騎士s? その御願いって破壊活動とかじゃないよね?
魔王様が許可したってことは国に関わるような事じゃないだろう
けど、別の意味では心配です。
面白がるんだもの、あの人。
﹁そうだな、じゃあ初めから話⋮⋮﹂
﹁その前に!﹂
言葉を遮り、聞いておかねばならない最重要項目を聞くことにす
る。
それは︱︱
﹁アンタ達の名前を知らないから名乗れ﹂
﹁﹁え゛﹂﹂
﹁今更だけど﹃騎士s﹄ってセット扱いしてたから知らんのだ﹂
﹁⋮⋮。名乗ってなかったか?﹂
﹁名乗った記憶があるかなー?﹂
﹁﹁ないな﹂﹂
うん、私も聞いた覚えないし。
じゃあ、会ってから二ヶ月は経ってるけど自己紹介から宜しく。
⋮⋮ゼブレストに居たとはいえ、特に不自由しなかった私達もど
うかとは思いますがね。
502
その後、﹃アベル・ディーボルト﹄、﹃カイン・ディーボルト﹄と
いう名を無事聞けたのだった。
改めて宜しくねー、騎士s。多分今後もこっちで呼ぶけど。
※※※※※※※
で。
二人が﹃家に来てからの方が納得できる﹄というので現在ディー
ボルト子爵家にお邪魔しています。
まあ、ここなら外出許可でるわな。
ちなみに目の前には騎士sと同じ色彩の美少女がいたりする。
﹁こちらが異世界の方ですか? アベル兄様、カイン兄様﹂
﹁ああ、今回の事を頼んである﹂
﹁引き受けてくれた以上は何も心配することは無いぞ!﹂
﹁本当? ありがとうございます﹂
微かに首を傾げた少女は明るい茶色の髪を揺らし、ふんわりと微
笑む。
⋮⋮かわいい。華奢な体と愛らしい容姿だけでなく雰囲気もほん
わかしていて良い感じ。
この子関係だとストーカーの排除とかだろうか。張り切って息の
根を止め⋮⋮はしないけどズタボロにしますよ!
﹁付き纏ってくる男でも湧いた?﹂
﹁何故そう思う?﹂
﹁法に触れず仕留めず排除を狙うから私に話を振ったんじゃないの
?﹂
503
﹁いやいやいや! お前、なんでそっち方向に行くの!?﹂
﹁権力無しであんた達に勝るものって強さだけだもの。で、ターゲ
ットは誰?﹂
﹁違うから! 平和的なことだから!﹂
﹁今後頼むかもしれないが今回は違う! 落ち着け!﹂
違うのかい。
でも強さで勝るってのは否定せんのだな、騎士sよ。 そんな馬鹿な遣り取り︱︱いつものことですね︱︱を呆気に取ら
れて眺めていた妹さんは楽しそうにくすくすと笑う。
﹁いいなぁ、兄様達。とっても楽しそう!﹂
﹁⋮⋮微笑ましく見えるのか、クリスティーナ﹂
﹁ええ、とっても!﹂
妹さんはクリスティーナっていうんだね。そうか、楽しいのか。
微妙な空気になる私達を他所に妹さんは私に向き直ると可愛らし
くお辞儀した。
﹁初めまして、クリスティーナと申します。お会いできて嬉しいで
すわ﹂
﹁初めまして、ミヅキです。異世界人ですよ﹂
にこやかに微笑み合う。
そんな私達の様子に騎士sは席を勧めると今回の﹃御願い﹄につ
いて話し出した。
﹁今回はクリスティーナの十五歳の誕生祝いの料理を作ってもらい
たいんだ﹂
﹁は? お抱えの料理人がいるでしょ? その人達を差し置いて私
504
が出張る訳にはいかないじゃない﹂
信頼関係に関わってきますからねー、これ。当主の娘の誕生会な
んて腕を振るう絶好の機会じゃないか。
だが、意外な所から援護射撃と懇願が来た。お茶の支度をしてい
た男性が振り返って声を上げる。
﹁いいえ! 今回は私どもがアベル様方に御願いしたのです。どう
か、どうかお力をお貸しください!﹂
﹁えーと?﹂
﹁あ、この人うちの料理長﹂
﹁デニスと申します。以後お見知りおきを﹂
﹁はあ⋮⋮ミヅキです。どうぞ宜しく﹂
深々と頭を下げたデニスさんに呆気に取られたまま挨拶を返す。
何故いきなり料理長が出てくる!? お茶の用意ってメイドさん
とかだよね!?
しかも物凄く必死なのが気になるのですが。
﹁私が初めからお話しますわ。まず、今回の原因は我がディーボル
ト子爵家とグランキン子爵家の不仲が発端なのです﹂
﹁グランキン子爵家?﹂
﹁当主同士が従兄弟にあたるのです。父は特に気にしてはいないの
ですが、エドガー叔父様はずっと父と張り合ってきたそうで﹂
﹁自分の子供にも俺達に負けるなってずっと言ってきた所為か、や
たらと敵対心が強いんだ﹂
﹁しかも見下す方向でな﹂
騎士sの補足に料理長さんは深く頷いている。そうか、家に属す
る者全てが敵対対象なのか。
505
あれ? でも騎士sって⋮⋮
﹁あんた達そんなに人と仲良く出来ない子だっけ? 騎士達の訓練
場で平民・貴族関係なく友人いなかった?﹂
騎士sの性格の賜物というか、貴族のわりに平民出身の騎士の友
人が多いのだ。差し入れと称し試作品を持っていくと大抵友人が傍
にいる。そのおかげで私も顔見知りの騎士が増え、言葉を交わすこ
ともある。
貴族というだけで嫌味を言われることもあるだろうに、何時の間
にか仲良くなってるんだとさ。実際に過去嫌味を言ってた現友人の
騎士から聞いたので間違いは無い。
思い出しつつ首を傾げる私に騎士sは嫌悪を露にして吐き捨てた。
﹁﹁奴等と仲良くするのは絶対に無理だ!﹂﹂
﹁ええと⋮⋮私もちょっと苦手です﹂
⋮⋮どんな生き物なんだろう、グランキン子爵家の皆様。
観察日記とかつけたら魔王様相手に笑いを取れるだろうか? 勿
論、珍獣扱いで。
﹁とにかく、それが前提です。そして私の誕生日に我が家で親族を
招いてささやかな食事会を開くことになりました。まだ社交界へ出
てはいないので極々身内だけなのですが、グランキン子爵家も話を
聞いて是非祝いたいと﹂
﹁つまりその席で見下して恥をかかせたいってことね?﹂
﹁そういうことだと思います。父や兄達ならば上手く切り抜けるの
でしょうが、私には荷が重くて⋮⋮﹂
そう言ったきり俯いてしまうクリスティーナ。
506
確かにこの子に嫌味御一行様の集中砲火はキツかろう。しかもそ
の日の主役だから逃げられないし。
﹁それだけじゃない。十五になったら社交界へのデビュタントもあ
るから余計にクリスティーナを潰したいのさ﹂
﹁醜聞を作って事前にバラ撒こうってこと?﹂
﹁ああ。しかも向こうにも十五になる娘が居る。これが嫌な女でな
⋮⋮﹂
だから余計に必死なのか。確かに比較対象があるなら余計に潰し
にかかるだろう。
どのみち社交界は他国に比べて壮絶な気がするけど。
﹁この国でそれを跳ね除けられなくて社交界でやっていけるの?﹂
﹁当分は信頼できるパートナーがつくから大丈夫だ! それに数年
経てば慣れる﹂
ああ、それなら大丈夫だね。とりあえず今はまだ﹃保護されるべ
き状態﹄ってことだし。
⋮⋮それに何時の間にか土下座してるデニスさんが大変気になり
ます。
騎士sよ、お前ら一体何を教えた!?
﹁わかった、引き受ける。あと、デニスさんいい加減それやめて﹂
﹁ほ、本当ですか!? ありがとうございます! 私、御嬢様が不
憫で不憫で⋮⋮!﹂
泣き出したデニスさんに唖然としてると騎士sに肩を叩かれた。
﹁クリスティーナは唯一の女の子だし、家族だけでなく使用人達に
507
も可愛がられているのさ﹂
﹁愛された子なんだねぇ﹂
﹁全員、クリスティーナが生まれた時から知っているしな﹂
そう言う騎士s改めお兄ちゃんsも可愛がっているのだろう。デ
ニスさんの涙を拭っている姿を見る限り、クリスティーナも彼らを
大事にして育ってきたと思われる。
まあ、まずは相手の情報収集からですけどね? さすがに一方的
に信じることはしないよ?
言うほど酷くなきゃ普通に料理を提供するだけでよし、何をどう
しても文句しか言わないようなら手を考えねばなるまい。
﹁大丈夫だって! 絶対に勝たせてあげるから﹂
﹁あの⋮⋮何故勝ち負けの問題になるのでしょう?﹂
﹁⋮⋮気分的な問題?﹂
﹁﹁そういうものだ﹂﹂
クリスティーナは無事に過ごせればいいと考えているようだけど、
穏便にはいかないだろう。
ちら、と視線を向けた先の騎士sが軽く首を横に振ったのだから。
それにさ?
そいつらが私に喧嘩売ってきた場合は私VSグランキン子爵家の
陰湿デスマッチが開始されてしまうのだが。
多分、魔王様はそれを見越して今回の事を許可したと思われる。
﹃黙らせろ﹄って意味ですよね、絶対。
誕生祝の席で騒動を起こすわけにもいかないし、本当に﹃黙らせ
る﹄ことが最善か。
508
さて、残り時間は半月ほど。
どうなりますかねー? 509
ディーボルト子爵家の事情︵後書き︶
ディーボルト子爵家は当主一家の人柄と元々成り上がり貴族だった
影響で使用人達も含め家族のような感じです。
510
傾向と対策︵前書き︶
今更ですが400万PV&70万ユニークありがとうございました
!
511
傾向と対策
デニスさんも落ち着き、改めて話し合い開始。
と言っても情報収集もしてないから何故私が呼ばれたかの事情説
明。
﹁グランキン子爵家の皆様はディーボルト子爵家に関係する全てが
気に入らないらしいのです。私が言うのも何ですが⋮⋮どんなこと
にでも嫌味を言ってくるのですよ﹂
溜息を吐きつつ遠慮がちに言うのはデニスさん。この話し方だと
使用人も嫌味の対象か。
同じ子爵ってこともあるだろうけど、ちょっと敵対心が強過ぎな
ような?
﹁どんな料理を出しても気に入らないだろうさ。だから比較対象が
無い異世界の料理なら大丈夫かと思ってさ﹂
﹁文句つけられても反論しようがあるだろ?﹂
なるほど。以前私が﹃異世界からの料理=最上級に認識されてる
から応用が無かったんじゃ?﹄とか言った事を覚えていたのか。
うん、納得。口に合わないってこと以外、文句の言いようが無い
もの。
それに白黒騎士連中が喜んで食べているから味的な意味でも問題
ないのだろう。
騎士連中にメニューを選ばせれば間違いは無いと見た。公爵家以
上の食生活を子爵がしているとは思えん。
512
﹁一応言っておくけど家庭料理レベルだよ? 普段、寮で作ってい
る程度﹂
﹁十分だ! あとは盛り付け段階で料理長達が頑張ってくれる!﹂
﹁問題ないと思うぞ? そもそもエルシュオン殿下でさえ時々食堂
に来るだろう﹂
﹁⋮⋮そだね﹂
マジなのです、これ。
妙にキラキラしてるのが居るな∼とか思ったら騎士達に混じって
ました。いいのかよ、王子様。
毒見とかいいの? と聞いてみたら﹁食事している騎士達が毒見
役がわりで十分じゃないか﹂と何とも鬼畜な御答えが返って来た。
一応、心配なので食べる前に解毒魔法使ってもらってるけどさ。
余談だが時々近衛のお兄さん達も来たりする。余計な事を言わな
い・聞かない・付き纏わない、を守っていれば友好的な態度で接し
てくれるのですよ。
近衛騎士は城で働く御嬢様方の憧れなんだそうな⋮⋮何があった
んだろ?
﹁で、連中の好物は? そのまま黙っててもらった方が楽だし﹂
﹁そうですね⋮⋮乳やチーズなどを使ったものでしょうか﹂
﹁乳製品ってことかな? じゃあ、メインはその方向で⋮⋮﹂
﹁いえ、全体的に﹂
はい?
まさか全皿乳製品をたっぷり使えとか言うんじゃあるまいな?
訝しげに視線を向けた先のデニスさんは遠い目になりながら頷い
た。
﹁そのまさか、です。あの方達は貴族という階級にとても拘ってお
513
いでなのですよ。ですから貴族ならではの物をとても好まれます﹂
﹁いや、いくら好物でも限度があるでしょ?﹂
﹁あいつら普通に食ってるぞ? 真似をしたいとは思わんが﹂
⋮⋮胃凭れとかしないのだろうか。クリーム系が連発すると飽き
そうだと思うけど。
アベルが﹃真似したいとは思わない﹄って言ってるからグランキ
ン子爵家が特殊なんだろうな。
なんて面倒な!
﹁あ、あの⋮⋮﹂
﹁ん? 何かリクエストがある?﹂
クリスティーナが遠慮がちに声をかけてくる。
やっぱりクリーム系オンリーの食事は嫌か。
だが、彼女はそういう意味で声をかけたのではなかったらしい。
﹁私⋮⋮あまりクリームが得意ではないのです﹂
﹁食べられない?﹂
﹁いえ、美味しいとは思うのですが食べ過ぎると気分が悪くなって
しまって﹂
﹁御嬢様はあっさりとした物を好まれますからね﹂
ああ、そりゃキツイな。
好き嫌いとかじゃなく、体に合わないんだろう。酒が好きでも弱
い人とかいるし。
じゃあ、結論はでましたね。
﹁んじゃ、クリスティーナに合わせよう。自分のお祝いに遠慮する
ことなんてないよ﹂
514
﹁で、でも⋮⋮﹂
﹁黙らせればいいんでしょ? 方法は幾らでもあるわよ﹂
彼等を﹃黙らせればいい﹄。それなら他はこの子に合わせるべき
だ。
私が﹃何を武器にするか﹄によって対策は幾らでもあるのだよ。
にっこりと笑った私にクリスティーナとデニスさんは首を傾げ。
騎士sは何故か顔を引き攣らせた。
﹁ミヅキ⋮⋮殺人は罪になるからな?﹂
﹁やらないよ﹂
﹁監禁も駄目だぞ?﹂
﹁その手もあったわねー、でもやらない﹂
﹁﹁何をする気だ!?﹂﹂
私の手が読めず必死になる騎士s。
安心しなさいって! ちゃんと招いた上で黙らせてやるから。
負ける気なんてありませんよ? 来た事を後悔させてやりますよ?
だって魔王様が﹃やれ!﹄と命じてますもの、配下Aとしては負
けられません!
⋮⋮絶対にこれ教育の一環だもの。今後の為にも必死です。
だからクリスティーナもデニスさんも気にしないでおくれ。良心
が痛む。
その後、クリスティーナはダンスの練習、デニスさんは夕食の仕
込みがあると部屋を出て行った。
515
頑張れよー、二人とも。こっちのことは心配しなくていいからね。
ここからは聞かない方がいいよ、君達。
さて、黒い話のお時間ですよー♪
﹁で。話は変わるけど、そいつらが何か仕掛けてきそうな気配はあ
る?﹂
﹁何でそう思う?﹂
﹁私を味方に引き込んだから?﹂
騎士sは危機察知能力に優れている気がする。騎士sの友人達曰
く﹃強運の持ち主﹄らしいので二人が魔王様に直訴してでも私に相
談したのは何らかの危機感があったからじゃないのかい?
それに﹃好物食わせて黙らせろ﹄なんて手軽な事態なら魔王様が
教育に使うわけはない。
タイトルを付けるなら﹃楽しい小物の撃退方法∼習うより慣れろ
編∼﹄。
今のところイルフェナでは何もやってないので実績作りは必須で
す。今回の結果は私にとってもプラスになるわけだし。
﹁⋮⋮一応血の繋がりがあるからあまり言いたくないんだが、グラ
ンキン子爵家は評判が悪いんだ﹂
﹁ほう?﹂
﹁しかも金はあるから財産目当てのご機嫌取り連中は居る﹂
﹁つまり金はあるけど人望はない、人脈はそれなりにあるけど評判
最悪ってことね﹂
﹁そうだ。だからどんな手を使ってくるか判らない﹂
516
おお、昔ながらの一般的な悪役です。惜しむべきは地位が子爵程
度なことか。こちらが向こうより低い立場だったらドラマのような
展開がなされるんだろうか。それはそれで予想し易い。
﹁向こうの娘は意地悪美少女ですか?﹂
﹁いや、普通。まあ貴族としては可も無く不可も無く、というくら
いだな。性格は悪いが﹂
﹁何故そんなことを聞く?﹂
﹁こういう場合、意地悪な美少女がお約束だから﹂
﹁﹁お前のいた世界はどんな所なんだよ!?﹂﹂
娯楽の溢れた世界です。
現実はどうか知りませんが昔からドラマや漫画の世界では割と王
道だと思います。
嫌な奴で終るか最後で和解するかの分岐はあるけどな。
﹁じゃあ、私が考えられる嫌がらせは全部警戒すればいいじゃん。
警戒し過ぎることは無いよ﹂
﹁確かに⋮⋮それ以外に俺達が思い当たるかもしれないしな﹂
では、一通り書き出してみますか。社交界へのデビュタントも含
めておくべきですね。
・娘と比較しての個人攻撃
・手を回して必要な物を手に入れられないようにする︵ドレス・
小物あたり︶
・デビュタント時のパートナーの略奪
・社交界で取り巻きを使ってのイジメ
・ドレスを汚す
517
⋮⋮こんな感じ? 本人を知らないから何とも言えないけど、と
りあえず王道展開は一通り。
おや、騎士sどうした? 難しい顔して。
﹁そうか、パートナーの略奪の可能性もあるのか﹂
﹁あれ? もしや今のパートナーはお気に召さない?﹂
﹁近衛騎士なんだが、俺達はどうも信用できないんだ。近衛になる
くらいだから十分優秀なんだが﹂
﹁逆にいえば女にもててるから思い上がっている可能性もある﹂
﹁あんた達がエスコートしてやったら?﹂
﹁俺達は連中にとって見下す対象なのさ、余計に言われ放題だ﹂
﹁見下す? 何で?﹂
﹁貴族の癖に平民と馴れ合ってるから、だと﹂
とことん見下し路線ですな。私はどんな扱いをされるのだろう⋮
⋮楽しみです!
私は下克上という言葉が存在した国の人間なのです、民間人が貴
族に勝つとか素敵じゃね!?
見下した人間に足蹴にされる屈辱を是非味わわせてやりたいです
ね!
﹁何を考えてるか想像つくが、とりあえず戻って来い﹂
⋮⋮話を戻して。
近衛になるくらいだから貴族なんだろうけど、お兄ちゃんsは警
戒してるのか。
話を聞くと今回一回だけのエスコート役らしい。まあ、近衛って
花形だから記念にはいいのか。
でも実力と人柄は別物ですからねー、王族への忠誠はあるけど個
人として成り上がりたい人もいるかも?
518
ここは騎士sの危機察知能力を信じるべきでしょう。騎士につい
ての知識は無いし。
﹁でさ、あまり言いたくないんだけど﹂
﹁何か気になることでもあるのか?﹂
﹁誕生日の半月後が社交界へのデビュタントってことはさ、誕生日
の報復をそっちへ持ってこられる可能性あるよね?﹂
﹁あるだろうな﹂
﹁確実にやる﹂
﹁それってさあ、こんな可能性もあるよねぇ?﹂
紙に書き出した箇条書きを一つ増やす。
それを目にした途端、騎士sの顔色が変わった。
・人を使ってあの子を傷物にする可能性
怪我なら治癒魔法で治ってしまうのだ、殺人を犯さないならばこ
の可能性も十分考えられる。
港町だから人の流れも多いし、犯罪の一つで片付けられる可能性
だってあるだろう。
まして評判の悪い連中なら喜んで協力する知り合いくらいいると
考えた方がいい。
クリスティーナ達には聞かせられない話だけど、警戒する必要は
あるのだ。
﹁警戒すべき、だろうな﹂
﹁これは女ならではの発想だ。よく気付いた、ミヅキ﹂
﹁警戒心が強いとは言われてるからね、可能性がある以上は気をつ
けた方がいいよ﹂
519
深々と溜息を吐く騎士sを他所に私は今後の計画を考えていた。
いやあ、貴族を相手にするって考える範囲が広がるね!
ああ、最後に嘲笑うのは私です。徹底的に妨害してみせますよ。
そもそも私が敵認定した時点でクリスティーナの事とは別件だし。
というか、私に勝っても元々彼女を守ってる人がまだ居るから相
討ちでも私の勝利。大事なのは結果です。
クリスティーナを護り優しく接するのは周囲の人々なのだよ⋮⋮
私とは役割が違う。
それに騎士sは無意識に私の使い方を理解してるんじゃないかね?
料理を作ると言うのも本当だが、頼みたいことはこちらだろう。
でなければ普通こんな話し合いなどする筈も無い。
最初に﹃力が必要﹄って言ってたしね、鬼畜認定の人間に期待す
るものなんて限られてますって。
私は﹃友人達﹄の期待に応えたいのです、私達と遊んでください
な? グランキン子爵様?
520
傾向と対策︵後書き︶
主人公にとって騎士sは良き友人です。
騎士sにとっても主人公は頼れる友人。
盾になって彼等の妹を守ることくらい頼まれればやってのけます。
521
類は友を呼ぶ
あれから。
とりあえず白黒騎士達に事情説明しておくかー、と思い寮に戻っ
てきました。
いや、だって私一応ここの職員扱いですからね? 一言言ってお
かなければマズかろう。
﹃魔王様の教育の一環で騎士s妹の誕生日のメニュー作りに協力し
つつ、悪役のグランキン子爵家を〆てきます。クリスティーナ嬢の
デビュタントまで警戒態勢が続くと思ってください﹄︵意訳︶
⋮⋮間違ってはいない。
私達とクリスティーナ達の間に認識の違いがあるだけで。
騎士sも怒らないあたり状況は理解できていると思われる。
﹁とても楽しそうなお話ですね?﹂
にこやかにアルが言えば。
﹁ほう、あの悪党ついに駆除されるのか﹂
クラウスが相変わらずの無表情で納得と言わんばかりに頷いた。
おいおい、本音が駄々漏れしてるぞ? 駆除って害虫扱いなのか、
既に。
﹁あれ、グランキン子爵家を知ってるの?﹂
﹁黒い噂が絶えない国の恥だな。金をばら撒いて周囲を固めている
522
所為で簡単に潰せなかったんだ﹂
﹁貴族同士の繋がりは厄介ですからね⋮⋮ですが、何らかの功績を
残さねば現当主の代限りで爵位剥奪の筈です﹂
﹁へぇ、だから余計に必死なのかね?﹂
﹁何かあるのか?﹂
﹁騎士sの妹さんと同じ歳の娘がいるから多分、社交界のデビュタ
ントに合わせて仕掛けてくる﹂
今回の娘のデビュタントはグランキン子爵家にとってある意味最
後の望みなのだろう。
騎士達の話から察するに爵位剥奪を免れる為に色々やってきたけ
ど全て実力者達に潰されてきた、というところかな。だから娘の評
価が高まる機会を逃せないに違いない。
それに加えて娘がどこぞの貴族でも捉まえてくれれば生まれなが
らの貴族の親戚である。その相手が国にとって重要な人物であれば
婿にとり、爵位剥奪回避も狙うとみた。
⋮⋮有能な人達がそんなに甘いとは思えないけどね?
何せアルもクラウスも私の話に目を眇めているし、周囲の騎士達
も不快感を露にしている。
ああ、言い忘れましたがここは騎士寮の食堂。﹃重要なお知らせ﹄
という名目で状況説明してます。
嘘は言ってないよ? 暫くこちらでの仕事が疎かになるもの。
情報暴露の手口が姑息? 嫌だな、白黒騎士達に貴族の子弟が多
いのは偶然ですって! ただ、﹃お家に帰って広めてくれたら嬉しいな♪﹄とは思うけど。
﹃何か情報があったら教えてくれんかな﹄とか期待するけど。
523
﹁それでこそこそ動いてたのか﹂
﹁何かあったの?﹂
﹁最近グランキン子爵家に人が出入りしてる。また下らない悪企み
かと思っていたが﹂
クラウスの言葉に黒騎士達は得意げな表情になる。⋮⋮盗聴でも
したのか、お前ら。
それにしても歪みねぇな、グランキン子爵! まさに悪役の鑑の
ような人ですね。
冗談紛いに騎士sと話してた展開が全部きたら指差して笑うぞ、
私。
というか、既に黒騎士に目を付けられてたのか。 ﹁大半が金で繋がってる奴等だな。援助でも申し出られれば断りき
れんだろうよ﹂
﹁貴族というのもお金が掛かりますからね﹂
﹁そんなもん?﹂
﹁ええ。世間体もありますし、歴史ある家を自分の代で没落させる
というのも受け入れ難いでしょう﹂
﹁援助と引き換えに婚姻関係を結ぶこともあるしな。社交界は情報
収集と品定めの場だ﹂
色々と大変そうです。怖い世界だ。
﹁観察眼に優れ、微笑みと話術で主導権を握れなければ社交界の華
とは呼ばれませんからね﹂
﹁お前の母親と姉もそう呼ばれてなかったか?﹂
﹁ええ、一体何人の男女が泣かされたのか⋮⋮﹂
⋮⋮お姉さん達も怖い人でした。
524
何をやってるんですか、シャルリーヌさん⋮⋮やはりS属性なの
ですね。
バシュレ家が女傑揃いなのか、公爵家はそれくらいじゃなきゃや
っていけないのかは知らないが。
男を泣かせる社交界の華なんて居るのかよ!? 絶対、振ったと
かじゃないよね!?
﹁えーと。とにかく仕掛けてくるのは確実ってことね﹂
﹁ああ。寧ろ派手に動いてくれれば処罰までもっていけるんだがな﹂
﹁派手に動く、ねぇ⋮⋮﹂
﹁ミヅキも参加した方がいいと思いますよ? 追い詰められている
ならば何を仕出かすか判りませんから﹂
﹁あら、いいの?﹂
﹁喜ばれると思います。会いたいと思っても貴女の行動範囲は限ら
れていますから﹂
﹁基本的に動き回らないからね、私﹂
﹁それもある意味正しい選択なのですが⋮⋮姉も貴女の手料理を食
べたいと零していましたよ。流石にここに来ることはできませんし
ね﹂
﹁じゃあ、今度ケーキ作って持っていく﹂
﹁約束ですよ?﹂
嬉しそうに微笑むアルに頷きながら今後の計画を思い浮かべる。
そんな背景事情があるなら誕生日ではなく社交界へのデビュタン
トを特に警戒すべきだろう。それを考えれば私も参加するという選
択肢があることはかなり幸運かもしれない。
参加が許されるなら近くに居た方がいいかもね。しかも実力者な
皆様が私の存在を認めてくれるならば、もう一つ打つ手がある。
金で繋がっているあたり向こうの味方に実力者はいまい。ならば
525
実力者達に予め﹃お祭りがあるよ♪﹄と教えておいたらどうだろう
か。
⋮⋮。
きっと楽しんでくれる! 行動範囲が限られている異世界人と接
する貴重な機会だし、興味のある人は見物に来るだろう。
何せ変人揃いだ、更に楽しむべく参加者になる猛者も出てくるか
もしれない。
向こうに付くという選択肢もあるけど、クラウスの言葉からして
その可能性は低い。変人どもは愛国者ばかりだと聞くから国の恥を
駆除することに躊躇いはないだろう。
嗚呼、何だがわくわくしますね! 可憐な御嬢様達が初々しく社交界の一員となる素敵な舞台の片隅
で私VSグランキン子爵の陰湿バトルが展開されるのでしょうか。
人気の無い所へ呼び出しての脅迫や暴力やイジメなんてのも展開
的にありかもしれん。
お約束どおり素敵なヒーローが助けに来るかもしれないしねー、
主に私を止めるために。今のところそのヒーローになれそうな常識
を持ってるのは騎士sくらいだけど。他は誰も止めないだろう。
まあ、何をやらかしても私は貴族ではないので痛くも痒くも無い。
ゼブレストでの行いが知られているなら今更だ。猫は不要。
素敵な紳士・淑女の皆様は生温い目で見守ってくれるでしょう⋮
⋮娯楽が少ないし。
見世物ですよ、み・せ・も・の! 面白おかしく噂されても被害
はグランキン子爵オンリー。
そのまま悪役の相手を私が引き受けていればクリスティーナは安
全だろう。後は本人の頑張り次第。
﹃離しませんよ、勝つまでは﹄﹃泣かぬなら泣くまでいびろう、
526
ホトトギス﹄という言葉を胸に足止め工作頑張りますとも!
⋮⋮と、熱く語ってみたら白黒騎士全員が私の協力者になりまし
た。お祭りに参加したいようです。
﹁初の共同作業ですね﹂
﹁お手並み拝見といこうか﹂
﹁﹁我々も協力しますよ!﹂﹂ 彼等が協力者ってことはあの人に許可を取らねばなるまい。
﹁と、いうことになってきました。許可して貰えるんですか、魔王
様?﹂
本日もキラキラしてる人が混ざっております。いや、ここは貴方
の親衛隊が居るから安全ですけどね?
﹁いいよ。ただし条件がある﹂
﹁条件?﹂
﹁君が指示を出すこと。彼等の立場や人脈を利用するのはいいけど、
策は自分で考えなさい﹂
なるほど、﹃協力者﹄としては許すけど其々が勝手に動くことは
許さないということですか。
⋮⋮。
好都合です⋮⋮!
貴族といっても彼等はかなり善良なのだ、﹃国の恥を駆除する﹄
ことはするだろうが﹃国の恥をできる限り痛めつけ徹底的に貶めて
駆除する﹄方法は取らないだろう。
527
非道? 敵に容赦など必要ありません!
鬼畜? 今更ですが、何か?
﹁了解しました! ﹃協力者﹄であればいいんですね﹂
﹁うん。だから誰かを意図的に関わらせたければ君が何らかの形で
接点を作るしかないね﹂
﹁こういう時って珍獣扱いは便利ですよね、興味を引かせることが
出来るし﹂
その言葉に魔王様は何もいわず笑みを深くした。ええ、そう言う
発想が大事ってことですよね。
ゼブレストの時みたく国の後見という圧倒的な権力は無い。だか
らイルフェナでは別のやり方じゃないと私個人の力は暴力しかない
わけです。意味無くそれをやらかしたら犯罪者一直線だがな。
私自身は何の権力も無い。だから協力者が必要。
協力者を得る手段は興味であり、利害関係の一致であり、私怨な
のです。
それに﹃最良の結果﹄を出せれば今後も良好な関係を築けるかも
しれないし?
﹁じゃあ、皆宜しく! まずは候補になってる料理の試食から御願
いします。あ、魔王様も参加しますよね?﹂
﹁おや、私もかい? 早速利用する気だね?﹂
﹁ええ。⋮⋮ちなみに今まで出したことが無い物も何品かあります
けど﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
528
お互い笑顔のまま固まること暫し。
﹁参加させてもらおう。食べた後に評価をすればいいんだね?﹂
﹁評価を書きやすいように専用の紙を用意してあります!﹂
﹁証拠か。考えたね﹂
﹁名前を書く場所もありますから﹂
﹁⋮⋮まずは私が新たな協力者の一人だね﹂
日頃から感謝してますよ、魔王様。
ですが。
今回の事はある意味貴方が持ってきたのです、傍観者でいること
は許しませんよ?
ここに来たのは貴方の意思なのです⋮⋮餌も用意してました、逃
がしません。
そんなわけで試食会場と化した食堂に料理が運び込まれていくの
だった。
初めから騎士達にはこの協力を頼むつもりだったけど思わぬ大物
が釣れたようです。
﹁なあ⋮⋮何かとんでもなく大事になってないか?﹂
﹁エルシュオン殿下に相談した時点である程度は覚悟してたが、な﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁﹁俺達、子爵家なんだけど!? 何で王族まで出てくるんだ!?﹂
﹂
私が説明する間、隅で静かにしていると思ったら双子は混乱して
529
いただけだった模様。
いいじゃん、クリスティーナ達の為なんだぞ?
それに、お祭りは盛大に皆で楽しむものですよー?
530
親友を誘ってみました︵前書き︶
親友=類友。国に不利益が生じなければ彼も当然協力者。
531
親友を誘ってみました
︱︱ある日、ゼブレスト後宮の一室にて。
久しぶりにやって来ました、ゼブレスト!
魔王様が転移方陣使用の許可をくれたので親友を巻き添え⋮⋮違
った、協力を仰ぐ為にお邪魔しています。
親友は身分が高いので、事前に私と魔王様から手紙を出し許可を
得ました。
ふふ⋮⋮まさかこんな繋がりがあるなんて夢にも思うまい。
グランキン子爵家よ、泣いて喜べ。
お前達の好物をゼブレストの最高権力者から譲り受けてやろう。
私の優しさに感激するがいい!
﹁⋮⋮でね、ルドルフから直接分けて貰ったっていう証明が欲しい
んだけど﹂
﹁おう、構わんぞ? 王族が使う紙に印付きで書いてやろう﹂
とっても楽しそうに期待以上の返事をくれるルドルフ。宰相様は
特に問題無しと思ったのか無言。
⋮⋮ええ、貴方の胃を散々痛めた元凶の﹃御願い﹄ですからね、
警戒して付いて来るのも判ります。
部屋には二人の他にエリザも居る。エリザは引継ぎをする暇が無
かったので、嫁ぎ先から許しを得て城に滞在してるんだと。
いきなり拉致↓救出↓安全の為に嫁げ、だもんな。後任が決まっ
ていたとは言えいきなりは無理だろう。
なお、ルドルフによると後任の子への指導項目に﹃ミヅキ様を敬
532
うこと﹄と追加されたとか。
事情を知っているとはいえ、私の顔まで知らないんじゃないのか
なー? ルドルフ達と仲良しってことだけ知っていれば敬う必要ないよ?
⋮⋮とか言ったら反論されました。
﹃ルドルフ様が御自分と対等な関係だと言っている以上は立場を
明確にすべきです﹄だそうな。
要は他国の人間だろうと身分が無かろうと無下にするな、という
ことらしい。さすがルドルフ至上主義者。
一応、粛清の協力者だということに加えて英霊騒動のお陰で私は
王宮内で自由に動けるのだが。
﹁あと、食事会の日にセイル借りていい?﹂
﹁⋮⋮何をする気だ?﹂
﹁守護役として傍にいてもらいたいだけだよ? ついでにルドルフ
達と仲良しだと証言してもらおうと思って﹂
にやり、と笑う私にルドルフも同じような笑みを浮かべ宰相様は
溜息を吐いた。
だって貴族ですらない異世界人が王族と知り合いだなんて信じな
いでしょう? きっちり証拠を揃えておきますとも、疑われること
前提で。
寧ろ疑って得意になった所を叩き落すことを狙ってます。落とす
なら高い所からの方が威力高いし。
﹁よし、許す。セイルには後で伝えておこう。喜んで協力すると思
うぞ?﹂
﹁うん、セイル本人も色々な意味で楽しむと思うわ﹂
﹁だろうなー﹂
533
セイルのことだから自身がクレスト家の人間だということを暴露
しつつ、微笑んで毒を吐くに違いない。嗚呼、綺麗な華には刺いっ
ぱい。刺どころか毒さえありそうだ。
﹁ミヅキ、一つ聞くがそこまでする必要があるのか? 相手は子爵
なのだろう?﹂
今まで黙っていた宰相様が首を傾げながら聞いてくる。
おお、宰相様の口調が通常モード&名前が呼び捨てに。めでたく
身内扱いになったようです!
⋮⋮ではなくて。
そうですね、子爵相手というだけならここまでする必要は無いと
思います。
でもね?
﹁典型的な悪役なんです﹂
﹁は?﹂
﹁金をばら撒いて足場を固めているから中々潰せなかったらしいん
ですよ﹂
﹁ああ、援助を受けた貴族達がいたのか﹂
﹁他にも黒騎士に目を付けられることは一通りやってるらしく、地
味に鬱陶しい存在なんです。なので今回、奴等を玩具に皆で遊ぼう
という方向に⋮⋮﹂
﹁待て待て待て! 何でそうなるんだ!?﹂
あら、宰相様随分慌ててますね。今更です、慣れたんじゃなかっ
たのかい。
仕掛けてくるのは向こうなのです、どう返そうと向こうが悪いん
ですよ? 正当防衛です。
534
﹁ディーボルト子爵家の娘さんのデビュタントに合わせて色々やら
かしそうなんですよねー、あの連中。他の人にも迷惑でしょう?﹂ ﹁まあ⋮⋮それはそうだが﹂
﹁自分達の為に平然と他者を貶める奴等が今後同じ事をしないとは
限らない。⋮⋮他国の人間だろうとね﹂
三人ともはっとした表情になった後に沈黙する。
そう、これが一番マズイのだ。後が無いグランキン子爵家はイル
フェナの貴族達からは相手にされていない。
ならば何処に目が向く? 当然、他国だ。しかも﹃実力者の国の貴族﹄として売り込むのは
確実だろう。間違いなく国の恥。
初めは報復される程度で済むかもしれないが、それが何時までも
続く筈は無い。そして問題はそこからだ。
逆にグランキン子爵家を利用してイルフェナの内部に入り込もう
とする者が出てくる可能性はないだろうか?
﹃足場を固めた頭の足りない野心家﹄は使い方によっては良い駒
になるだろう。本人達は気付かないだろうけどね。
黒騎士達の監視はそれを考慮してのものと思われる。グランキン
子爵家自体は小物みたいだし。
﹁今回の事は確かに私の友人達が言い出したこと。だけどそれに協
力するよう﹃命じた﹄のは魔王様︱︱エルシュオン殿下なんです﹂
﹁それは⋮⋮﹂
﹁私が今回の事に関しては﹃適任﹄なんですよ。何をやらかしても
不思議は無いし、白黒騎士達と繋がりもある。ルドルフ達との繋が
りという面も考慮されているでしょうね﹂
535
私は今、セイルに﹃とても楽しそうです﹄と言われた笑みを浮か
べているのだろう。
きっとそれは魔王様が天使の顔の下に隠しているものとよく似て
いる。腹黒とも言うだろうが。
御伽噺じゃないのだ、賢く民想いの王族は間違いなく別の顔を持
っている。そういう意味では魔王様はその典型。愛国者だからこそ
結果を出す為に惨酷になれる。
今回の事は私のイルフェナでの足場固めという目的もあるだろう
けど、そんな単純なものである筈は無い。
語らない部分まで悟り行動しろ、という魔王様なりの教育を兼ね
た粛清の一環だろう。
グランキン子爵は国に害を成す可能性のある存在として認識され
たということか。
恐らく騎士s以外は私を利用する今回の意図に気付いている。だ
けど騎士達は止めるどころか喜んで協力するのだ、彼等にとっては
それが当たり前なのだから。
﹁私が相手をすることで守護役達は強制的に巻き込まれる。遊びに
乗った協力者達も同じく。その﹃遊び﹄のついでに色々な悪事が発
覚したらどうなるでしょうね? 犯罪の現行犯にもなるかもしれま
せんし?﹂
私は国の決定など﹃知らない﹄から自分の遊びがどんな結果を齎
すかなんて﹃関係ない﹄。
金で繋がっている貴族の事など﹃知る筈がない﹄のだから﹃敵の
協力者﹄に報復するだけ。
その最中、﹃偶然﹄多くの貴族や騎士達の目にグランキン子爵の
悪事が発覚する。
そこまで公になって隠し通すことなど出来ないだろう。実力者達
536
からの糾弾も免れないだろうし。
﹁エルシュオン殿下は相変わらず容赦無いな∼﹂
﹁あの人それが標準仕様だからね﹂
﹁お前も相変らずで何よりだ、ミヅキ。判っていて派手に動くか﹂
﹁それでこそ﹃私﹄でしょ? それに⋮⋮今私が話したのは私個人
の憶測でしかないの。事実は違うかもしれないよ?﹂
﹁そうだな、お前が言った事で確実なのは﹃エルシュオン殿下の命
令で友人達に協力するから食材を譲ってくれ﹄ということだけだな﹂
﹁そうそう、私は国の決定なんて知るはずないもの。あくまで個人
の予想ね﹂
﹁相変らず殺伐とした発想してるよな、お前﹂
何を今更。そもそもルドルフだけでなく宰相様やエリザも呆れこ
そ浮かべてはいるが嫌悪は欠片も無いじゃないか。
ええ、魔王様の命令や騎士達から聞いた話を総合した憶測でしか
ありませんとも。
だけどセイルが守護役である以上はある程度話しておかねばなる
まい。放っておいても私と似たような推測をするのだ、だったら最
初から個人的な解釈を話して協力者に引き込んだ方がいい。
それに元々この面子と情報交換することは許可されているから問
題無し。今回ゼブレストに行くことも許されたから協力要請も予想
済みとみた。
騎士達も話されて困る内容のものは絶対に私に聞かせていないだ
ろう。金で繋がってる人物とか教えてもらってないし。
潰せないなら潰せるだけの舞台を整えればいい。
国に害を成すのならば排除を。
537
グランキン子爵家の危険性を考えればその発想に行き着くのは当
然。
彼等は国の中核に関わる者なのだからある程度の惨酷さを持って
いるし、在り方も理解している。間違っているとも思わない。
まあ、いつも試されてばかりだから魔王様も協力者に仕立て上げ
てみたけど。
稀に報復したくなるのです。ささやかだから許せ。
﹁ミヅキ様がそうおっしゃるなら止めはしませんわ。いえ、ぜひ私
にも協力させてくださいませ﹂
﹁あれ、いいの?﹂
﹁また仲間外れなんて酷いです! どうせルドルフ様も宰相様も協
力なさるのでしょう?﹂
﹁エリザ⋮⋮お前そんなに混ざりたかったのか﹂
﹁当たり前ですわ! ルドルフ様からの手紙の文面がとても楽しそ
うだったのですから﹂
そう言うとエリザは拗ねたように横を向いてしまう。姉のことが
あるから表舞台に出てこられなかっただけで協力したがっていたと
は聞いていたけれど。
単純に羨ましかったんじゃね? ルドルフは報告書じゃなく手紙
として伝えていたみたいだし。
﹁じゃあ、エリザの所で肉を分けて貰ってもいい? できれば城へ
納めるようなやつ﹂
﹁勿論です。伝えておきますので必要な時にお渡しできると思いま
す﹂
﹁では、クレスト家からチーズなどを提供するか。晩餐会の時の定
番だ﹂
538
﹁へえ、そういったものを作ってるんだ?﹂
﹁王族の口に入るものは基本的に信頼できる家の領地で生産される﹂
﹁と言うか、重要な所には信頼の厚い連中を置いておくのさ﹂
なるほど。
つまり内乱が起きても国を維持する為に必要な領地の領主は王を
裏切らないってことか。
逆に言えば王を裏切れば国からの食料供給その他が途絶えること
になる。それに気付かず事を起こせばじりじりと自滅していくこと
になるのだろう。
﹁あ、俺からはワインな。祝いの言葉を書いたカードを添えよう﹂
﹁宜しくー♪﹂
皆さん非常にノリノリです。あまりの豪華面子にディーボルト子
爵が卒倒しそうなので事前に暴露しとくか。
ああ、グランキン子爵が羨ましがる可能性大なのでちゃんと﹃私
の為に用意してくれた﹄と言っておくけどね?
民間人の私に高貴な友人が居るのだ、さぞ悔しがって敵意を私に
向けてくれるだろう。
﹁さて、後は食べながら話しましょ﹂
﹁そうだな、ミヅキの手料理も久しぶりだ﹂
﹁ここに居る間はずっと作ってたもんね﹂
現在地は後宮で私が使っていた部屋。当然、簡易厨房がそのまま
残されていたりする。
食材提供の御願いを手紙に書いたら﹃食事一回で手を打つ﹄とい
う御答えが返ってきたのだ。勿論、私が作るっていう意味で。
折角なので協力要請してみたら快く協力者になってくれた。あの
539
一件以来、私達は相変らず仲良しです。素晴らしき哉、利害関係の
一致も含む友情。
その後、物騒な話題も楽しみつつ久しぶりにあの頃と同じような
時間を過ごしたのだった。
※※※※※※※
﹁あ、言い忘れてた。エリザ、今回御土産持ってきたから領地の皆
へ持って行ってくれる?﹂
﹁領地の者達へ、ですか?﹂
﹁うん。塩と胡椒﹂
﹁まあ! 皆喜びますわ!﹂
海の近いイルフェナは塩が安い。対してゼブレストに海は無いの
で塩は結構高いのだ。
あれだけ世話になったのだから何かお礼をしなきゃな、と考えて
いたら先生が﹁塩や胡椒はどうか﹂とアドバイスしてくれた。喜ん
でくれたようで何よりだ。
﹁だが、あの量はやり過ぎじゃないか?﹂
﹁だよな、結構凄い量だったがいいのか?﹂
宰相様とルドルフにとっても予想外のものだったらしく唖然とさ
れたのだ。個人の御土産の量じゃありませんね、確かに。
いや、私だけじゃないんです。寧ろあそこまでの量になったのは
今後を見越してのことだと思うよ?
﹁いやー、実は御土産に貰った腸詰って白黒騎士達に大人気なんだ
わ。貴族の子弟多数だから最終的に商人が動く事態になってね⋮⋮﹂
540
塩は安い。そして金に不自由しない連中が多数。
結果として大量の塩と胡椒が用意されたのだった。当分困らない
ぞ、きっと。
﹁そんなわけで今後も定期的に購入したいです﹂
﹁あれくらいの量ならば事前に判っていれば大丈夫ですよ﹂
﹁ありがとう! あれは間違いなく﹃これからも御願いね﹄という
意思表示だから遠慮せずに受け取って﹂
ええ、受け取ってやってください。寧ろ他に思いつかなかった結
果です。
定期購入可能になったと知れば騎士達も喜ぶでしょう。
﹁あれは庶民の食べ物だと思うが⋮⋮﹂
﹁いーんだよ、アーヴィ。美味けりゃ問題無し!﹂
そのとおりだ、ルドルフ。宰相様も細かい事気にしないの!
541
親友を誘ってみました︵後書き︶
お祭り騒ぎの裏側には当然事情がありました。
前話で騎士達が情報を教えたのは魔王様の指示。事情を察するか否
かは主人公次第。
警戒心の強い主人公は魔王様の言葉をそのまま捉える事は絶対にあ
りません。隠された意味を推測しての行動が基本。
542
小話集6
小話其の一 ﹃お届け物です︵作業員付き︶﹄
﹁⋮⋮で、塩と胡椒を送ることにしたのかい﹂
﹁ええ、一番無難そうですし。ついでにゼブレストに行く許可くだ
さい。食材を仕入れてきます﹂
ここはエルシュオン殿下の執務室。
と、言っても今話しているのは非常に個人的なことだ。
﹃腸詰のお礼に塩と胡椒を送る﹄
元の世界なら非常に簡単なことだろう。何せ住所さえわかってい
れば宅配便に出すだけで届く。
ところが、そんな物などない異世界では実に面倒だったりする。
﹁転移法陣の使用は許可しよう。ただ贈り物はね⋮⋮他国だし、食
料である以上は一度調べられると思うよ?﹂
魔王様の言葉はご尤も。移動は馬車が基本なのです、道中何があ
るかわからない上に毒物混入でもされたら面倒なことになってしま
う。
いくら友好国でもそこらへんはきっちりしておかねばなるまい。
﹁元の世界に比べると不便ですねー、やっぱり﹂
﹁一番確実なのが転移方陣だけど利用者が限られているからね﹂
﹁⋮⋮身元のしっかりした商人や貴族でしたっけ﹂
543
﹁うん、そうだよ﹂
安全の為とは言え狭き門ですね。その時点で私はアウトですがな。
いや、個人なら双方の許可を貰ってるし何時でも利用可能ですよ
? 事前に許可を得ることが条件だけど。
これはセイルも同様。でなければ数日に一度来るなんて真似は出
来ない。
﹁一つ方法があるんだけど﹂
魔王様が徐に一枚の紙を取り出す。
何かの企画書、だろうか⋮⋮?
﹁黒騎士達がね、一度に大量の物資を送れるような簡易版の転移法
陣を開発したんだよ。大型の馬車一台分くらい﹂
﹁凄いじゃないですか!﹂
﹁ただし、一方通行で受け取る側にもそれを扱える魔力を持った人
材が必要﹂
﹁⋮⋮﹂
私に試せということでしょうか、魔王様。
﹁国内は大丈夫だったから他国でもいけると思うよ?﹂
﹁私の魔力の問題は?﹂
﹁十分だったみたいだよ﹂
おい、随分手際がいいな?
もしや機会を狙ってましたか、大量になったのはその所為ですか。
﹁君が先行して王の許可を得た後に、立会いの元で送る。どうだろ
544
う?﹂
﹁大丈夫だったんですよね?﹂
﹁勿論。私からもルドルフ殿に伝えておく。魔道具で連絡を取り合
えば送るタイミングも合うだろう﹂
そこまで言うなら安全ということだろう。何せ王族の言葉なのだ
から。
重量的に多少の負担は覚悟しなければならないだろうけど、命の
危機にはなるまい。
ただ、試す機会が無かっただけで。今回が絶好の機会なだけで。
⋮⋮好意から言い出してくれたのだと信じよう。
﹁では、それで御願いします﹂
﹁わかった。じゃあ、明日ね﹂
﹁早っ!? 荷物も準備されてたんですか!?﹂
﹁うん、自分の意志か命令になるかの差だね﹂
﹃だって君が自由に行けるのはゼブレストだけだろう?﹄
目がそう言っていた。
声は聞こえなかったけど、絶対これ仕組まれてたあぁぁっ!
﹁⋮⋮感謝するべきなのか怒るべきなのか迷いますね﹂
その言葉に魔王様は楽しそうに笑っただけだった。
私の意思は初めから関係なかったようです。
所詮は配下A、上の命令には逆らえません。
︱︱その後。
545
事情を知ったルドルフが自ら立ち会いたいと言い出し、家具など
が撤去された後宮の一室にて実行されたのだった。
大型の転移法陣が描かれた布に触れた時に力が抜けるような感じ
がしたので、あれが魔力を利用されているという状態なのだろう。
魔石の代わりが術者、維持するわけじゃないから負担も大きくな
いというものらしい。
送り先と送る側の双方から術者の魔力を使うということもあるだ
ろう。よく考えられている。
ただし、今のところ一回しか使えないんだってさ。他者に利用さ
れることを防ぐための措置だとか。
本当に馬車一台分送られてきた塩と胡椒によって後宮の一室は倉
庫と化し、ルドルフ達は技術に感心し。
同時に﹁個人の土産の量じゃないぞ?﹂と呆れていた。関与して
いない私に言うでない!
一方、私はといえば。
﹃これ、成功したってことは今後配達要員確定!? 受け取り側と
して送り込まれる!?﹄
などと思っていた。その予感が正しかったと知るのはまだ先のこ
と。
※※※※※※※
小話其の2 ﹃黒い人々﹄︵エルシュオン視点︶
︱︱ミヅキがゼブレストへ行っている同時刻・エルシュオンの執務室
546
﹁ミヅキがゼブレストへ向かったそうですね﹂
アルジェントが部屋を訪ねるなり口にする。
ペンを走らせていた手を止め友人の方を向けば、彼は苦い笑みを
浮かべていた。
珍しい、と思いつつ理由はしっかりと思い当たっている。アルは
ミヅキを巻き込むことに反対していたのだから。
﹁私達は強制したわけじゃないよ?﹂
﹁ええ、そうですね。﹃気付かない﹄という逃げ道も用意していま
したから﹂
そう、逃げ道はあった。我々が齎す情報から﹃本当の目的﹄に思
い至らなければいい。
しかし彼女がそれに気付かないほど愚かではないと思っているの
も事実。
今回はそれが粛清に繋がることから本来ならば無関係な彼女は利
用すべきではない。
だが、時間が無かった為にミヅキを協力者に引き込んだのだ。
﹁本来ならば我々だけで終らせるべきでした。その皺寄せが彼女に
行っている﹂
﹁そうだね、あの子なら自分の持てる手駒を活かして最高の舞台を
整えるだろう。逃がす気もなさそうだし﹂
﹁⋮⋮そうですね。様々な手段で相手の敵意を自分に集めて迎え撃
つのでしょう。そして結果を私達に差し出す﹂
﹁⋮⋮﹂
547
ミヅキに協力すると言っても実際は逆なのだ。ミヅキがこちらに
協力してくれているのだから。
特殊な立場にある彼女はとても動き易く、また警戒されていない
ことから行動を読まれ難い。本人もそれを知っていて動くので自分
達にとってかなり使い勝手の良い駒と言える。
勿論、仲間でもあるのだが⋮⋮自分達と共にある以上同じ扱いを
してしまいがちだ。
なまじ冗談の様に予想以上の結果を叩き出すものだから戦力外に
できないのだ。
﹁いっそ無能であれば良かったのにね﹂
﹁エル?﹂
﹁だってそうじゃないか? せめて魔力が無ければ彼女はきっと平
穏な村から出ることは無かった﹂
あの性格だ、魔力が無くても何とか暮らしていけただろう。
善良な村人達に囲まれ静かに暮らしていたに違いない。
いや、魔力があったとしても愚かであったならば魔法は使えず駒
としての利用価値もなかった筈だ。
﹁そして我々と会うこともなかった、と言いたいんですか、エル?﹂
滅多に聞くことのない冷たい声音に思わず意識を戻せば幼馴染が
冷たい笑みを湛えている。
⋮⋮まるで別人。だが、こんな一面も無ければ白騎士達の隊長な
どやっていまい。
公爵家出身ということもあるだろうが、アルジェントは誰にでも
当り障りのない態度と微笑みで接するのだ。
逆に言えば感情の篭った表情を見せた者以外はどうでもいいとい
うことなのだが。
548
﹁そうなっただろうね﹂
﹁⋮⋮御冗談を﹂
口元を歪めそう言い切るアルに内心溜息を吐く。
そして同時にあの子に想う。﹃気の毒に﹄と。
﹁彼女が彼女である限り結果は同じだと思いますよ? そうですね
⋮⋮仲間として共に在るか、箱庭で愛でられるかの差はあるでしょ
うが﹂
﹁飼い殺すには向かないと思うよ?﹂
﹁でしょうね、ですから望むように仕向けます﹂
くつり、と喉の奥で笑う幼馴染ならば本当にやるだろう。そうで
きるだけの権力を持っている。
昔からアルジェントは何かに執着するということがなかった。
だから多くの女性達に﹃理想の騎士様﹄と呼ばれていたのだ。⋮
⋮﹃個性﹄を感じさせないのだから。
まるで御伽噺の登場人物に憧れるようなものだったのだろう。そ
れで慕っていると言われても受け入れられる筈は無い。
それが今や容易く執着心を剥き出しにするとは誰が想像できただ
ろうか。
ミヅキに言えば大笑いされそうなほど彼女とその他への差がある
のだ。ただし、ミヅキはアルを﹃素敵な騎士様﹄とは思っていない
ようだが。
﹁あの子は本当に運が無いね﹂
﹁ええ、それは同意します。﹃私達﹄の仲間として受け入れられて
いることも含めて﹂
549
ああ、本当に可哀相な子だ。
馬鹿な連中があの子を羨んでいるけど、どこに羨む要素があるの
か。
見目麗しく優秀で地位のある守護役達⋮⋮それだけの人物が私の
直属になんてなるはずないだろう?
それにミヅキは気付いているのだろうか⋮⋮私達が﹃家名を名乗
らない﹄ことに。
アルも必ず﹃アルジェント﹄と名乗っており﹃アルジェント・バ
シュレ﹄とは名乗っていない筈だ。
翼の名を持つ騎士とは﹃家・血族・交友関係を捨ててでも国に尽
くす騎士﹄。だからこそ﹃国の所有する最悪の剣﹄と称される。
彼等は命を受ければ己が家族でさえ手にかける、主の命を最優先
にする存在なのだから。
そんな騎士に気に入られることが幸せだとでも?
﹁彼女はきっと誰の狂気を見ても変わらないでしょう。自分を選べ
なんて間違っても言わない、在り方の否定もしない、最良の結果を
出すことが最優先。本当に理想的なのですよ﹂
楽しげに笑うアルジェントに思わず同意する。確かに彼等に馴染
める女性なんて希少価値以外何物でも無い。
そもそも騎士を前に守られる発想が無い時点で普通ではないのだ
が。
﹁諦める気はないんだね﹂
﹁ええ。あの強さだけでも十分魅力的ですが、それ以外の要素も含
めて手放す気はありません﹂
暗に﹃方法があっても元の世界に帰す気はない﹄と告げるアルジ
550
ェントに今度は本当に溜息を吐くと珍しく声を上げて笑われた。
何となく悔しさを感じ、ほんの少しの報復を口にする。
﹁ところでね、アル。努力しないと嫌われなくとも相手にしてもら
えないよ?﹂
﹁難しいのですよ。彼女は普通女性が好むような物には見向きもし
ませんし﹂
﹁いや、そういうことじゃなくてね⋮⋮﹂
訝しげにこちらを見るアルに向かって、にこりと笑い。
﹁君達ってね、婚約者であっても﹃恋人﹄じゃないから﹂
ぴしり、と空気が凍った音が聞こえたのは気の所為だろうか。
﹁え⋮⋮?﹂
﹁いや、だからね? 婚約者って守護役の意味であって本当の意味
じゃないし﹂
﹁それは⋮⋮そうですが﹂
﹁どちらかと言えば保護者?﹂
﹁⋮⋮!﹂
なお、保護者=恋愛対象外という意味だ。
アルもその意味を察したのか固まった。実に楽しい。
﹁だって王族・貴族にとって婚約って利害関係の一致で結ばれるも
のが大半だろう? 君達は間違いなくこれに該当するね﹂
﹁私は求婚していますよ!﹂
551
﹁断られたって聞いたけど?﹂
﹁そ⋮⋮それは﹂
思った以上に動揺し悩み始めたアルジェントに﹃やり過ぎたかな﹄
と思わないではないけれど。
あの子の保護者としては逃げ道くらい用意してやりたいんだよ、
日頃のお礼も含めてね。
だから⋮⋮幼馴染だろうと容赦しないよ? アル?
※うっかりアルの地雷を踏んだ魔王様と保護者根性を出した魔王
様に返り討ちにあったアル。
白い変態は貴族らしく内面真っ黒。中身も素敵な騎士様なんて
御伽噺の中だけです。
二人のことなど綺麗に忘れて主人公は親友達と楽しくお食事中。
552
意外な繋がりと新たな協力者
﹁あら、ミヅキ様!﹂
﹁へ? あれ、コレット⋮⋮さん﹂
﹁まあ、母様でいいのよ?﹂
﹁勘弁してください。まだ結婚してませんから⋮⋮!﹂
ゼブレストで食材その他を確保し、イルフェナに戻った直後。
通りかかったコレットさんに捕まりました。クラウスの母上様で
す、この人。
にこにこ笑いながら話し掛けてくる彼女の勢いに負け、そのまま
捕獲されてブロンデル家へ招待されました。
穏やかでも公爵夫人、こういった手腕はお見事ですね。
まあ、私も伝えなきゃならない事があるからいいんだけどさ。
⋮⋮何かって?
魔道具の嫁製作断念の報告ですよ! これは伝えておかねば⋮⋮!
そんなわけでブロンデル家の一室にてお茶してます。
一言伝えておかなきゃなー、とか思ってたら魔王様への報告はも
う済んだって言われましたよ。
帰りは送ってくれるとのことなので問題無しとみなされたんだろ
う。クラウスの実家だし。
連れてきた強引さといい根回し良過ぎです、コレットさん。その
まま嫁一直線はやめてくださいね。
ああ、食材は明日にでも届けてもらう予定なので問題無し。
王から私個人に荷物が届くのだよ⋮⋮しかもしっかり記録に残る。
ちなみに言い出したのはルドルフだったりする。細かい所に気が
553
つくとは流石だな、親友よ。
﹁そう、そんな事情でゼブレストへ行っていたのね﹂
﹁ええ。黙らせるには最適ですから﹂
グランキン子爵家の嫌がらせ対策としてディーボルト子爵家に協
力してますよ、な感じで説明したらコレットさんは深く追求せずに
いてくれた。
ええ、そういうことにしておいてください。お互い口に出すのは
表向きの理由までですよね。
恐らくコレットさんも情報は掴んでいるのだろう。私に態々声を
掛けてくれたのも﹃ブロンデル家との繋がりを示す為﹄といったと
ころだろうか。多少強引ですが感謝です!
﹁アリエル様の御嬢様がもうデビュタントをなさるのね。早いもの
だわ﹂
﹁アリエル様?﹂
﹁ディーボルト子爵の奥方よ。数年前に亡くなってしまったけれど、
とても素敵な方だったの! 嫁いでからは頻繁に会うことはできな
かったけれど、手紙の遣り取りをするくらい仲が良かったわ﹂
そう言うとコレットさんは懐かしむように目を閉じた。
まあ、公爵夫人と子爵夫人では身分にかなり差があるもんな。そ
れでも本当に仲が良かったのだろう。
⋮⋮ん?
﹃素敵な方﹄って言った? しかも公爵夫人になるような人と仲
良しで?
﹁あのー、もしやアリエルさんて物凄く人気が有りました?﹂
﹁ええ! 伯爵令嬢だったけれど数多の縁談を蹴って恋愛結婚なさ
554
ったの。それがディーボルト子爵よ﹂
ほほう。﹃実家が伯爵家﹄で﹃大人気の御令嬢﹄ですか。
⋮⋮。
これが原因じゃね? グランキン子爵の異常な僻みって。
﹁グランキン子爵って自分が選ばれなかったから逆恨みしてるんで
すかね?﹂
﹁え?﹂
﹁あまりにも鬱陶しく嫌がらせ⋮⋮いや、ディーボルト子爵家を敵
視しているので﹂
うん、理由としては十分だ。後が無い以上は伯爵家の後ろ盾って
物凄く欲しかったんじゃないかな?
ところがアリエルさんが選んだのはディーボルト子爵。しかも恋
愛結婚だから個人として負けたわけです。
﹁そうかもしれないわねぇ⋮⋮確かグランキン子爵もアリエル様に
求婚していた筈よ。でも全く相手にされなかったわね﹂
ああ、やっぱり。
負け犬どころか勝負以前の問題かよ、グランキン子爵。
﹁アリエル様は下心のある者を嫌っていたから自分を見てくれる人
を選んだのよ﹂
﹁利用するような人は選考外だったわけですか﹂
﹁勿論よ。社交界に出ていれば人を見る目は養われるもの。アリエ
ル様はそういった人を見分けるのがとても上手かったから下手な野
心家は近寄ることさえできなかったわ﹂
555
⋮⋮騎士sの危機察知能力は母親譲りだったみたいですな。確か
な血の繋がりを見ました、今。
つーか、グランキン子爵って思いっきり自業自得じゃん。コレッ
トさんの話をそのまま信じるなら絶対にグランキン子爵だけは選ぶ
まい。
男として負けて、貴族として負けて、今度は逆恨みした挙句に私
達の玩具になるわけですね!
いやあ、ある意味なんて王道な悪役人生! そのまま悪役らしく
最後は断罪されて散ってください。
﹁まあ、そんな風に言っちゃ気の毒よ?﹂
﹁口に出てましたか。あまりに小物過ぎるので、もう少し捻りのあ
る理由が欲しいというのが本音ですが﹂
﹁無理だと思うわ、あの人達ですもの﹂
ころころと上品に笑うコレットさん、貴女もやっぱり実力者の国
の公爵夫人。さり気に言ってる事が酷いです。
持ち上げて落とす、慰めて貶すのがこの国の貴族の嗜みなのでし
ょうか。
﹁ミヅキ様、御願いがあるの﹂
楽しそうに笑っていたコレットさんは不意に悪戯っぽい表情を浮
かべた。
﹁アリエル様の御嬢様を食事会の後からデビュタントまで我が家で
お預かりしたいわ。お母様の思い出話を沢山して差し上げたいのよ﹂
﹁ここに、ですか?﹂
﹁ええ。アリエル様の代わりにドレスを誂えてあげたいの。こうい
う事は母親が一番頼りになるものよ?﹂
556
なるほど、友人の代わりに母親の役目をしてあげたいというわけ
ですか。
警戒しまくっている現状ではコレットさんの申し出はとてもあり
がたい。ここに居れば少なくともクリスティーナは無事だろう。
それに滞在理由としても十分だ。母親が亡くなっている以上、ク
リスティーナに助言できる人物が居ない。親族達は⋮⋮騎士sが私
を頼っている時点で除外すべきだろう。
﹁伝えるだけで宜しければ﹂
﹁十分よ。あちらの事情もあるでしょうしね﹂
彼女にとって亡き友人の愛娘のことなのだ、既に母親の心境か。
そして穏やかに笑うコレットさんの中では既に決定事項なのだろ
う。
だって公爵家から言われたら断れないもの。子爵家が拒絶なんて
できるわけない。
誰かに何か言われても無理を通したのは公爵家ということになる。
それに恐らくは私達が危惧していること︱︱クリスティーナが狙
われることだ、様々な意味で︱︱を同じように警戒しているのだろ
う。
彼女はクラウスの母親だ、情報収集に抜かりがあるとは思えない。
既に﹃お祭りがあるよ!﹄な情報は流れ始めている模様。騎士達、
仕事早ぇな!
﹁そうそう、シャルリーヌ様が貴女に会いたがっていたわ。できる
だけ早く会ってあげてね?﹂
﹁アルにも言われてますし、ケーキでも作って会いに行きますね﹂
557
﹁そうしてあげて﹂
にこり、と意味ありげに笑うコレットさん。⋮⋮どうやらシャル
リーヌさんも参戦するようです。
グランキン子爵よ、どんどん豪華面子になっていくんだが期待に
応えてくれるんだろうな?
私は貴方がどれだけ見せ場を作れるかという事のみ心配です。退
屈はさせないよね?
体どころか骨まで真っ白に燃え尽きる勢いで足掻いてくれたまえ!
グランキン子爵家の今後は欠片も心配していないし、気にする気
もないけどな。
﹁あ、私からもお伝えしなければいけない事があります!﹂
﹁まあ、なあに?﹂
﹁クラウスから﹃生き物を模した魔道具を作らない﹄と言質を取り
ました。誓約書は今度お渡ししますね﹂
ぴたり、とカップに手を伸ばしかけたコレットさんの動きが止ま
る。
﹁⋮⋮あの子がそう言ったの?﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮サインもしたのね?﹂
﹁説明したらちゃんと危険性を理解してくれました!﹂
ただし、私達の心配は﹃魔道具の嫁なんてヤダ﹄﹃動く等身大フ
ィギュア怖い﹄的なものでクラウスに言ったものとは違うけど。
﹁そう、あの子は理解してくれたのね﹂
558
しみじみと呟き目を潤ませ。
がしっ! とばかりに手を握られる。
﹁ありがとう⋮⋮! これで親として世間に顔向けできます!﹂
﹁そうでしょうねー⋮⋮﹂
思わず遠い目になりながらも同意する。
放っておいたら興味の赴くままに何を作るか判らないもの。その
才能があるだけに笑い話にはできまい。
未だ人に興味を持つかは謎ですが、魔道具の嫁は製作断念が確実
となったのですよ。快挙です。
﹁今度は私達が力になるわ! いつでも頼ってちょうだいね﹂
﹁ありがとうございます﹂ 既に今回十分力になってくれていますよ。
クリスティーナを御願いしますね?
その後はほのぼのと世間話をして過ごし、夕方になる前に送って
もらったのだった。
後日、偶然会ったブロンデル公爵からも感謝の言葉を貰うことに
なる。
どんだけ魔術大好きなんだ、職人よ。言う事を聞く基準も技術の
高さって⋮⋮。
※※※※※※※
559
﹁と、いうわけで! 今からこれ持って家で家族会議してこい﹂
﹁いや、何が﹃というわけ﹄なんだ?﹂
﹁帰ってくるなり唐突過ぎるだろうが﹂
寮に戻るなり騎士sを捕獲しコレットさんから渡された招待状と
いう名の命令状を渡す。
拒否権無しってある意味命令ですがな。身分制度って凄ぇ。
﹁だから一体これは何なん⋮⋮!?﹂
﹁はぁ!? ブロンデル公爵夫人からだと!?﹂
ああ、やっぱり固まるか驚くかだよね。予想通りの行動ありがと
う、騎士s。
﹁詳細は書いてあるとおり。たしかにコレットさんの申し出はあり
がたいと思う。⋮⋮色々な意味で﹂
﹁それは⋮⋮そうだが﹂
﹁メイドを連れて来てもいいって言ってるし、悪い話じゃないと思
うよ? お母さんの若い頃の話とか聞けるだろうし﹂
そう言うと騎士sは黙り込んだ。
元の世界のように思い出を残せるわけじゃないのだ、母親の思い
出を知る機会はかなり貴重だろう。
﹁それにコレットさんは私達が危惧していることを見抜いて申し出
てくれたと思うよ?﹂
﹁そう、か﹂
﹁クラウスの母親だし情報通でしょうね﹂
﹁﹁ああ、納得﹂﹂
560
それで納得するのか、騎士s。一体どんなイメージを持ってるの
やら。
まあ、Gの生物や犯罪者モドキに例える私の方が酷いような気が
するが。
﹁わかった。俺達もこれには賛成だ﹂
﹁父上達も納得してくれるだろう﹂
二人は溜息を吐くと何かを吹っ切るように顔を上げる。その顔に
迷いは無い。
﹁あ、そうそう。グランキン子爵が粘着質な嫌がらせしてくる理由
なんだけどさ﹂
ふと思い出した﹃原因﹄を彼女の能力を継いだらしい息子達に告
げる。
﹁あんた達のお母さんが振った⋮⋮というか相手にしなかった挙句
にディーボルト子爵と恋愛結婚したことが原因みたいだよ?﹂
﹁はあ?﹂
﹁伯爵家の後ろ盾と本人狙いで結婚申し込んだけど相手にされなか
ったんだってさ﹂
﹁﹁そんな自業自得な理由でか!?﹂﹂
﹁うん、他にもあるだろうけど爵位返上まで後が無い時だし逆恨み
したんじゃない?﹂
﹁﹁馬鹿だ﹂﹂
本当にな。
揃って呆れる騎士sに私も大きく頷いたのだった。
自分で功績成せよって思うよねえ、普通。この国は実力者の国な
561
んだしさ?
562
バシュレ家へ行こう!
﹁アル、シャルリーヌさんに会いたいんだけど予定聞いてもらえる
?﹂
﹁わかりました。姉上も喜ぶと思います﹂
こんな会話をしたのが騎士sを家族会議へと向かわせた直後。
そのお返事は夕食後に貰えました。
﹁明日で良いそうですよ﹂
﹁早っ!? 何か手を回した!?﹂
﹁私はこちらに居ることが多いので連絡手段があるのですよ。姉に
関しては⋮⋮待ち望んでいたからではないかと﹂
はしゃぎ過ぎです、シャルリーヌさん。
いえ、前回お会いしてからずっと会ってませんけどね? そこま
で喜んでいただくと何だか申し訳ないですよ。
これは気合を入れて手土産を作らねば!
﹁実家ですし、私が同行しますね﹂
﹁了解。仕事は大丈夫なの?﹂
﹁ええ。それに貴女に関しても仕事扱いなのですよ﹂
アルが微笑んで頷くということは本当に大丈夫なのだろう。
なにせアルは﹃私を連れて行く﹄という任務の為に自分を含め騎
士や貴族を平然と生贄に仕立て上げようとした前科がある。仕事人
間なのです、彼は。優先すべきは魔王様の騎士としての自分。
守護役といっても対象は最優先にならんのです。なってもウザイ
563
が。
休日でもないだろうに私に付き合うってことは大きな問題は起き
てないということか。
⋮⋮情報流してるみたいだし、何か裏で動いてると思ったんだけ
どなあ?
﹁今回は貴女の指示に従うだけですよ?﹂
くすり、と小さく笑い﹃何もありませんよ﹄とばかりに両掌を見
せる。
ちっ! 探りを入れたことに気がついたか。
﹁あら、そうなの﹂
﹁ええ。それにしてもセイル殿から聞いていたとおりですね﹂
ほう? あの鬼畜腹黒は何を言った?
しかも何時の間にか仲良くなってたんだよね、この三人。変人と
いう類友か。
首を傾げて先を促す私にアルはいつもの笑みを浮かべたまま続け
た。
﹁警戒心が強く仲間だろうと全面的な信頼はしない。特に︱︱﹂
一端言葉を切って若干の苦味を湛え。
﹁忠誠心の高い騎士はその対象となる。騎士として認めているから
こそ自分を最優先にしないと判っている、と﹂
﹁全面的な信頼をしないだけで信頼はしてるけど? それに﹃本来
はこの世界に居ない者﹄の為に自分の立場を疎かにするような人な
ら友人としてもお断り﹂
564
﹁判ってますよ。だからこそ我々は貴女が理想的だと思う反面、悔
しくもあるのです。物語の騎士のように一途であることは出来ませ
んから﹂
ほほう、そんな風に思ってたんだね。
だけどそれは仕方が無いと思っておくれ。勿論、理解してるだろ
うけど。
それにだな。
私のポジションは姫じゃないっての! そこからして間違ってる
ことに気づけ、騎士。
これ、重要。凄く重要。鬼畜と評判のヒロインが出てくる物語な
んて少女の夢を砕くぞ、普通。
それはともかくとして。
アル⋮⋮私はお前にまともな恋愛観? があったことに驚きだ!
方向間違ってるっぽいけど。
いや、殴られて好感度MAXより遥かにまともじゃないか! シャルリーヌさんに報告すべきでしょうか、これ。
﹁物語のヒロインって大抵お姫様でしょ? 現実的に見てあれは無
いから﹂
﹁まあ、それはそうなのですが⋮⋮﹂
ああ、やっぱりアルも理解はしていたか。ばつの悪そうな表情に
安堵です。
物語はあくまで﹃物語﹄なのだよ。全く無いとは言わないが、リ
アルに恋愛重視の王族とか騎士がいたら周囲は大迷惑。
反対されなきゃいいだろうけど、現実的な問題としてみると主人
公達の敵の方がまともな反応してる場合あるよね。
565
﹁一途さが幸せな結末に続いているとは限らないよ? それが周囲
が見えなくなる程に狂わせるものなら要らない﹂
そう言うとアルは苦笑して溜息を吐く。
﹁では努力しましょう。せめて必要な時に頼ってもらえるように﹂
﹁? 努力しなくても守護役に文句を言わない程度には信頼してる
けど?﹂
敵にならない限り友好的ですよ? 嫌なら逃亡してますって。
魔導師なのです、自力で脱出・逃亡可能。ゼブレストでも脱出劇
やらかしたしね!
⋮⋮ということをさらっと言ったら軽く目を見開いたアルに抱き
つかれました。
当然、瞬殺です。嬉しそうなのがムカつくな、この変態が!
なお、このことを先生に話したら呆れ顔で﹁それは﹃婚約者とし
て不満は無い﹄という意味だぞ﹂と言われたのだった。
そういえば守護役って婚約者という意味もあったっけね⋮⋮。
※※※※※※※
そして翌日。昼前にアルに連れられてバシュレ家へと赴きました。
ブロンデル家もそうだけど庶民には広過ぎるどころか美術館みた
いに見える御宅ですね。
当然、大勢の使用人達が居るわけで。
場違いな庶民に嫌味の一つや二つ言ってくるかな∼と思ってたん
566
ですが。
﹁まあ、アルジェント様。そちらが噂の魔導師様ですか?﹂
噂!? もしや日々アルを張り倒してるのがバレてますか。
﹁若様が女性を屋敷へ伴う姿が見られるなど⋮⋮﹂
アルには女性の姿どころか噂すら無かったということなのですね?
嬉し泣きらしきものをしている御爺さん、大変申し訳ないのです
が目的はシャルリーヌさんです。
﹁本当に良うございました。理想の女性が現れたと聞き私どもも本
当に嬉しゅうございます﹂
すみません、求婚は言われたその場でお断りしています。
寧ろ普通の反応だと思います。アルの言い分は絶対おかしい。
つーかね、アル?
お 前 は 一 体 何 を 話 し て い る !?
理想ってことはあれか、暴力沙汰か。それを御令嬢に期待するの
は無理だろ!?
じとーっとアルを睨んでみても元凶の白い変態様は嬉しそうに笑
うばかり。
嫌味を言われないのはいいけれど、嬉しくもありません。
喜ばれるってことはクラウスと似た事情でもあったんだろうか。
﹁すみません。ですが皆も喜んでいるので﹂
﹁何故﹂
﹁実は⋮⋮﹂
567
少し困ったような顔になると内緒話をするように私の耳に口を近
づけ。
え、何。何か大っぴらにできないような事情でもあるの!?
﹁持ち込まれる縁談を全て断っていたものですから。勝手に事実を
作り上げる困った方もいらっしゃいまして﹂
﹁⋮⋮嘘をさも本当の様に噂として広めたってこと?﹂
﹁ええ、貴族は醜聞を無視できませんから。クラウス達のお陰で嘘
だと証明されましたが﹂
まあ、大変。ゼブレストで似たような事をやらかした私にはとっ
ても耳が痛いお話です。
﹁私が自ら想い人だと公言する方がいる以上、そういった噂は流せ
ません。守護役としての立場もありますから﹂
﹁なるほど。ある意味最高の防御策になってるわけね﹂
そういえば魔王様も不満を持ってる令嬢がいるらしいことを言っ
てたっけ。
不満を持つだけで済んでいるのは噂を流そうと私に喧嘩を売ろう
と無駄だと判っているからなのだろう。
自分の醜聞にしかならないもんね、この状況で騒動起こしても。
﹁家の者達はそういった事情を知っているので貴女の事をとても歓
迎しているのですよ。私だけでなく姉上も気に入っていますから特
に﹂
﹁貴族って大変だね﹂
素直な感想を洩らせば﹁そうですね﹂と呟き姿勢を元に戻した。
568
まあ、それ以外言えんわな。
顔と家柄を考えると相当嫌な思いをしただろう。そう思うとこの
歓迎振りも怒れませんね。
﹁さあ、姉上がお待ちかねですよ﹂
ノックと共にそう告げるアルに今回の目的を思い出し、今更なが
ら﹃穏やかなお話﹄で済むのかなと思ったのは秘密。
長居をする気はないのでさらっと済ませますか。
﹁ミヅキ様! よく来てくださったわ﹂
﹁お久しぶりです、シャルリーヌさん﹂
シャルリーヌさんは本日も眩しい美人さんです。アルと合わせて
部屋の中が大変華やかになってますよ!
⋮⋮中身が少々残念ですが。S属性なんだよね、この人。
﹁あ、これお約束の昼食です。こっちはお茶菓子にでもどうぞ﹂
﹁嬉しいわ、覚えていてくださったのね。お茶の用意は出来ている
のよ、さあ座って?﹂
昼食の入ったバスケットは私、タルトはアルに持ってもらった。
堂々と公爵子息を荷物持ちにしてましたね、私。不敬罪は見逃して
ください。
促されるままに座るととっても素敵なティーセットが。高そう、
凄く高そう。
569
今更だけど公爵って確か貴族で一番上だよね。いいのか、手作り
お菓子が御土産で。
それ以前に向かいにシャルリーヌさん、隣にアルという羨ましが
られる状況です。庶民なのですが、私。
﹁これは何かしら?﹂
﹁持ち運びを考慮してサンドイッチ各種とミートパイです。御土産
の方は苺のタルトです﹂
聞きなれない言葉にシャルリーヌさんは首を傾げつつも目を輝か
せている。
サンドイッチも色々作ったから見た目にも楽しいのだろう。
若干興味がタルトに向いているけど女性は甘い物好きですしね、
これは異世界でも同じか。
なお、持ち運び易さ重視のセレクトです。この世界にパイやタル
トが無いみたいだから目新しいのもいいだろう。
まあ、イルフェナだからこそ作れるんだけどね。まず得られる食
材を確認しないといけないところが面倒だ。 ﹁タルトは午後のお茶の時間にでもどうぞ。お口に合えばいいので
すが﹂
﹁十分よ。ふふ、とっても楽しみ﹂
﹁そういえば午後にお茶会があると言ってましたね﹂
﹁ええ、そうなの。貴方達もどう?﹂
﹁遠慮します。立場的に無理です﹂
素敵なお誘いですが即お断りさせていただきます。
話題に入り込めませんし、優雅さの欠片も無い珍獣に素敵な午後
の集いは敷居が高過ぎです。
570
﹁まあ、どうして?﹂
﹁シャルリーヌさんは良くても他の方はどう思うか判りません。そ
れに私は民間人ですから身分的な意味でもよくないでしょう。醜聞
になるような事態は避けるべきです﹂
﹁そんなことは無いと思うけど﹂
﹁私がエルシュオン殿下の保護を受ける異世界人という点が十分マ
ズイと思います。アルやクラウス繋がりならまだしも全く関係のな
い方と接触することは要らぬ疑いを持たれる事になると思いますよ﹂
なまじ私が評価されているからこそ、ご令嬢達が何らかの下心有
りと噂されるかもしれん。もしくは白黒騎士達狙いとか。
僻み根性全開で煩く言ってくる御嬢様方は絶対に居そうだ。
そう言うと少々残念そうにしながらもシャルリーヌさんは納得し
てくれた。何故か満足げに見えるけど。
﹁わかったわ。相変らず物事を広く見ることのできる子なのね﹂
﹁だから言ったでしょう、姉上。ミヅキは断る、と﹂
得意げに笑うアルにシャルリーヌさんは悔しそうだ。
もしかしなくても私は試されたのか、な? あれ、説教フラグ回
避した?
公爵家って⋮⋮怖い所なんですね⋮⋮! 人で遊ばないでくださ
いよ。
﹁アルの言ったとおりだったわね。何だか悔しいわ⋮⋮そうね、ミ
ヅキ様一つお願いを聞いてもらえないかしら﹂
﹁御願い、ですか?﹂
﹁私の事はシャル姉様と呼んでくださらない?﹂
﹁は?﹂
﹁姉上?﹂
571
間抜けな声を出す私とアル。え、何でそうなるの?
だが、次のシャルリーヌさんの言葉にバシュレ家の愛を垣間見た。
﹁だってアルがミヅキ様と結婚できなくても私は姉様でいられるじ
ゃない﹂
﹁ああ、なるほど﹂
﹁あ、姉上!? ミヅキも! 何を言い出すんですか!﹂
バシュレ家の愛情表現、それは暴力。多分、精神的なものも含む。
これは弟に対する愛なのですね? 間違っても報復とかじゃない
のですよね?
まあ、どちらでも私には関係ない。シャルリーヌさんならば今後
も是非仲良くしたいのだから。
﹁判りました。これからも宜しく御願いしますね、シャル姉様﹂
﹁ええ! バシュレ家に嫁がなくとも仲良くしましょうね﹂
﹁喜んで!﹂
微笑み合い友好を深める私達とは裏腹に困惑と若干の怯えを纏わ
せたアル。
ふ、甘いなアル。女同士の繋がりは最強なんだぞ? 私だって女友達がいたっていいじゃないか! ⋮⋮出来ない理由
の大半が君達なんだしさ?
その後は楽しく食事をしていたので最終的には良い事だとアルも
判断したようだった。
いや、これ絶対弟に対する愛の鞭だと思うよ?
⋮⋮そして私達は目の前の美女が参戦して後、何をやらかすかを
572
聞きそびれたまま館を後にしたのだった。 その話題は回避されたんです。恐るべし、社交界の華! 573
バシュレ家へ行こう!︵後書き︶
お姉様が何を考えていたかは小話にて。
574
打ち合わせは重要です
食事会当日、ディーボルト子爵家には家人に加え私や守護役三人
が集っていた。
ディーボルト子爵に騎士sのすぐ上のお兄さん、クリスティーナ、
使用人の皆様。他にも兄がいるらしいけど残念ながら仕事で参加で
きないとか。まあ、双子の弟が騎士やってるくらいだから家の仕事
は兄担当ですね。
黒騎士情報では天才ではないけど努力型の秀才だとか。ディーボ
ルト子爵家は安泰な模様。
食事会は夜なので昼前に打ち合わせです。色々と準備もあるしね?
ですが。
冷え冷えとした空気が漂っているのは気の所為じゃありません。
ええ、私も発生源の一人ですがね?
原因は黒騎士達の努力の成果とも言うべき情報。
うふふ⋮⋮誕生日に堂々とパートナー略奪宣言かます気だったん
かい。
あと半月で新しい人を探せって難しいよね?
しかも最初から計画的だったみたいです。略奪じゃなくてパート
ナー予定の近衛もあちらの味方。
家の都合ってことにすれば逆らえないよね、確かに。
そーか、そーか、お前も同類か。ならば手加減は必要ないね。
十五歳の御嬢さんを弄ぼうとした罪は重いですよ?
私が女性恐怖症になる勢いで弄んでやるから覚悟しとけ。拒否権
575
は無い。
﹁いやあ、予想通りですね﹂
﹁予想より酷いだろうが。これが騎士のすることか﹂
にこやかなアルと呆れるクラウス。そうだね、予想より酷いけど
あまりにもありがちな展開なので馬鹿にするしかないよな。
予想通り過ぎて逆に笑えます。悪役には悪役なりの﹃お約束﹄で
もあるんだろうか?
ゼブレストでは斜め上の展開ばかりで新鮮でしたが、これが普通
か。
﹁その割には楽しそうに見えるのは気の所為か⋮⋮?﹂
アベルの突っ込みご尤も。気の所為じゃないよ、アベル君。どう
やって泣かせようかと考えているだけです。思いつく限りの報復と
言う名の嫌がらせを実行しようと今決めました。
﹁ふふ、楽しいよ? 今夜が楽しみね∼﹂
﹁ええと⋮⋮あの、私は大丈夫ですから危険なことはなさらないで
ください﹂
ショックを受けているだろうに私の心配をするクリスティーナ。
その姿にお姉さんの殺る気は益々上昇ですよ!
⋮⋮まあ、今夜はクリスティーナの誕生祝ということになってい
るので怪我人を出すつもりはない。
ただ、グランキン子爵一派が私の敵に認定されただけです。牽制
に留めますとも。
﹁アル、デビュタントのエスコート役を御願いできる?﹂
576
﹁ミヅキ様!?﹂
﹁おや、私で宜しいのでしょうか﹂
﹁寧ろ適任。私も参加予定だからこっちはクラウス御願い﹂
﹁構わないが⋮⋮何をする気だ?﹂
予想される事態だったので事前に話をしてあったのです。どちら
に頼むかは決めてなかったけどね。
この展開ならアルにクリスティーナを任せた方がいいだろう。何
があってもフォローできるし、クリスティーナを不安にさせるよう
な事にはなるまい。
﹁顔も家柄も性格もあいつより上で何より信頼できる。どう? 嫌
かな、クリスティーナ﹂
﹁不満などありません! ですが、ミヅキ様の婚約者をお借りして
しまうなどっ﹂
﹁気にしなくていいよ? 二人にエスコートされるわけにはいかな
いし﹂
そんな事をすれば注目の的です。白黒騎士の隊長二人を従えて︱
︱間違いなくそう見られるし、彼らもそう見えるようにするだろう
︱︱お姫様状態になった日には御令嬢の嫉妬が怖いです。
なお、何故元パートナーの顔を知っているかと言えば情報が齎さ
れた時点で見物に行ったから。訓練場に来るタイミングさえわかれ
ば偶然を装って観察できるしね。騎士達の情報網を嘗めてはいけな
い。
それに私とクリスティーナでは参加の目的が違うのだ。
﹁私達は別にやることがあるからクリスティーナは自分の事に集中
して?﹂
﹁別のこと、ですか?﹂
577
﹁ええ。ですから私は精一杯貴女をエスコートさせていただきたい
のですが、宜しいでしょうか?﹂
にこやかに告げる私とアルにクリスティーナは戸惑いつつも納得
したようだ。漸く笑みを浮かべて頭を下げる。
﹁わかりました。こちらこそ宜しく御願いします﹂
﹁はい、宜しく御願いしますね﹂
よし、アルに対して妙な緊張感もないようだ。これなら大丈夫だ
ろう。
クラウスに視線を向けると心得た、というように頷く。この場で
こちらの事情は明かせません、ディーボルト子爵家の皆様は自分の
事だけ考えて下さい。
騎士sもそのあたりは理解している所為か家族を説得している。
家族会議の場でこちらの面子を明かした際に気絶したらしいので、
今更気絶することはないだろう。
慣れてください、ディーボルト子爵。騎士sが私の護衛と言う名
のお付きになっている以上、今後も関わることになると思われます。
﹁ミヅキ殿⋮⋮本当に宜しいのか﹂
若干青褪めているディーボルト子爵がすまなそうに声をかけてく
る。隣に居るのは騎士s兄のヘンリーさん。お子さん達は全員母親
似らしいけど、ディーボルト子爵は見るからに誠実そうですね。
コレットさんの言っていたことは事実だったんだな、と納得です。
﹁こちらこそ好き勝手にやらせてもらってますから﹂
﹁いや、息子達が迷惑をかけているのだろう? その点は気にしな
いで欲しい﹂
578
息子達ってことは騎士sですか。確かに話を持ってきたのは騎士
sだけど魔王様がそれを利用してるからなぁ?
﹁友人ですし、日頃心労をかけまくっているのでお気になさらず﹂
﹁ほう?﹂
ええ、ゼブレストに行っている間は毎日先生と教会で無事を祈っ
ていてくれたみたいですから。
平民で魔導師、更に凶暴だと知っている割に粗雑な扱いはしない
しね、あの二人。大事な友人ですとも。
こちらの言い分にディーボルト子爵は少々驚いたようだが、すぐ
に嬉しそうに笑った。
﹁誰とでも仲良く付き合える所は母親譲りなのでしょう。本当にア
リエルが居ない事だけが残念ですよ﹂
⋮⋮グランキン子爵への拒絶も母親譲りっぽいですが。母親は居
なくとも母親譲りの危機回避本能が発揮されてこの状態です。母の
愛は偉大なり。
﹁今日は私達がいますし、デビュタントまではブロンデル公爵夫人
が責任を持って預かると言ってくれていますから御心配なく﹂
﹁ありがたいことだね﹂
﹁ところで聞いておきたいんですけど﹂
和やかな雰囲気に水を差すようで悪いけど聞いておかねばならな
い事がある。
﹁何かな?﹂
579
﹁今夜ここに来る親族達はグランキン子爵側ですか?﹂
﹁⋮⋮。何とも言えないね。ただ、基本的に無関心と言うか﹂
﹁傍観者なんですよ。どちらの味方にもならない⋮⋮いえ、有利な
方を向くといった連中です﹂
言い淀んだ子爵に対しヘンリーさんがズバっと言う。中々に思う
ところがおありのようですねー、ヘンリーさん。
ただ、私にとってはそう言い切ってくれる方が好都合です。
﹁では、最悪切り捨ててもいいと?﹂
﹁御自由にどうぞ。居なくても我が家は困りません﹂
﹁こらっ! ヘンリー!﹂
慌てる子爵の声も何処吹く風。ヘンリーさんは大変いい笑顔で言
い切った。思わず硬く握手を交わしたり。
重要なのです、これ。守護役連中は全員公爵家の人間。ならば今
回の事から繋がりを持とうとする輩が出るかもしれない。
その場合には勿論拒絶するけど、ディーボルト子爵家が敵視され
る可能性がある。
だから事前にどうするか聞いておきたかったんだけど、必要ない
みたいだね。良かった良かった。
約一名を除きいい笑顔で会話する私達に使用人達は引いてるけど
気にしない!
と、そこへ声をかける猛者が一人。
﹁ところで、ミヅキ。お前、今夜は何を作るつもりだ? 基本的に
料理人達に任せるんだろ?﹂
﹁うん、クリスティーナのお祝いならそうするべきでしょう? 大
丈夫、グランキン子爵家の分は私が作るから﹂
﹁あいつらの分だけ?﹂
580
﹁何を言われても私の責任でしょう? 異物混入されてもこの家を
責めることは出来ないよ﹂
カインの呆れ顔も何のその。後宮で毒を盛られたりしたから疑う
のは当然ですね!
死なない程度の毒だってあるのだ、注意するに越したことは無い。
疑うなら徹底的に。文句を言われても事件を仕立て上げられても
対処できる自信がありますよ!
レシピが存在しないだけなので一度教えればとっても手際がいい
のです、料理人の皆様は。
それなら純粋に祝いたがっているこの人達に作ってもらうべきだ
ろう。
﹁と言うわけで料理人さん達が頑張ってくれるよ、クリスティーナ﹂
﹁お任せください! 御嬢様﹂
殺伐としたお食事会は私とグランキン子爵一派だけでいいんです、
クリスティーナは楽しむがよい。
フォローは守護役連中がしてくれるから。
﹁メニューはねー、料理長の得意料理の魚介類のシチュー、トマト
ソースのロールキャベツ、カリカリベーコン入りサラダ、白身魚の
ムニエル、あとはメインに一品。パンは胡桃入りと蜂蜜入りの二種
にサンドイッチかな﹂
﹁奴等用はどうなるんだ?﹂
﹁それにチーズを入れる。基本的に見た目は同じようになるよ。ソ
ースやドレッシングを数種類用意して﹃お好みでどうぞ﹄とか言っ
ちゃえばかなり融通利くし﹂
ファミレスレベルの料理なのです、その他の発想もファミレス寄
581
り。
この世界にはドレッシングが無いし、個人の好みなんてのも不明。
だったら基本だけ作って後から希望を聞けばいい。
何せサンドイッチに戸惑う世界なのですよ⋮⋮日頃食べ慣れてい
るものから離れ過ぎると手をつけないだろう。
そういったことを防ぐ意味もあって守護役連中は食事の席につい
て貰う事になっている。
それに今回は誰が見ても材料が丸分かりなものばかりです。説明
すれば問題ないだろう。
﹁ちなみに同じ物を本日の昼食として魔王様に作ってきました﹂
﹁ああ、あの方は来れないだろうしな﹂
﹁暴言を吐けば吐いただけ魔王様の好みを貶めることになります。
ついでにゼブレストで生産される一級品も将軍の目の前で貶められ
ますね。どうよ? 死角はなかろう!﹂
﹁﹁悪魔か、お前は!?﹂﹂
私の言葉にぎょっとしてハモる騎士s。魔王様の意味が判らない
人々は首を傾げ、不幸にも理解できてしまった人達は固まった。
まあ、魔王様だけじゃなくグレンが来るから﹃折角だから食事で
もどうよ?﹄と言ってみたのが思いついた切っ掛けだが。先生も交
えて悪企みにはしゃぐ私達を見守っていておくれ。
なお守護役連中の反応は。
﹁エルの好物が入っている気がしますが⋮⋮そういう手もありまし
たね﹂
﹁あの調査の結果にエルの好みを反映させたのか。報告の義務があ
るから間違いなく耳に入るな﹂
﹁おや、私も報告をしなければならないのですが⋮⋮どうしましょ
うね?﹂
582
慌てていません。寧ろ面白がっています。
流石です、それくらいじゃなければ彼等の側近など無理ですね!
ええ、限りなく主犯に近い共犯者の皆様ですよ? どこぞの王族
二名は。
気分だけでも味わわせてあげなきゃ気の毒じゃない? 身分的な
もので参加できないんだからさ? ﹁やだなぁ、今回はお料理作るだけだよ? ただ、私達にとっては
これからが忙しくなるだけで﹂
﹁そして自分は最も楽しい場所にいるんですね﹂
セイルの言葉ににやり、と笑う。
私は食事の席にはつかないのです。給仕として参加。全体が見渡
せるベストポジションですよ!
様々な事態に対処する意味でもこの役割が最適だ。
﹁恐ろしいですね、貴女に見張られての悪事なんて﹂
﹁あら、﹃何もしなければただ給仕をするだけ﹄だよ? 何かした
ら対処って言ったじゃない﹂
﹁普通は何もありませんよね﹂
﹁普通はね。あ、でもあの近衛は後で〆る﹂
あんな騎士要らない! と言うとセイルは楽しそうに笑っただけ
だった。そしてアルやクラウスも止めなかった。
個人的な感情ですが、支持を得たようです。そうか、公認か。何
かあっても権力で揉み消してくれるというわけですね?
彼等は騎士なのだよ⋮⋮内心お怒りのようです。セイルの報告書
に書かれるということは国の恥確定ですね。
583
﹁しめ⋮る?﹂
﹁クリスティーナ! 気にしなくていいから!﹂
﹁純粋でいてくれ!﹂
きょとんとしているクリスティーナに騎士sが必死に言葉をかけ
ている。
おーい、騎士s。君達の私の認識はどんなものになっているか一
度お話ししようか?
584
夜の始まり︵前書き︶
軽く状況説明の話。行動するのは次話から。
585
夜の始まり
相変らず面白味の無い家だ、とグランキン子爵は内心嘲笑う。
口にこそ出しはしないが、その感情は表情に出ているのだろう。
華美な物など殆ど無く使用人達と馴れ合うような暮らしをしてい
るくせに、自分達より確実な未来を手に入れている憎らしい連中。
それがディーボルト子爵家に対する認識だった。
﹁御父様、クリスティーナはどんな顔をするのかしらね? ふふ、
楽しみだわ﹂
美しく育った自慢の娘がこっそりと囁く言葉に﹁今はまだ黙って
いなさい﹂と返すも口元に笑みが浮かぶ。
自分を全く相手にしなかった女によく似た娘を言葉と﹃事実﹄で
嘆かせてやろう。母親の罪は娘が償うのは当然なのだから。
いや、娘だけではない。あの男も生意気な息子達も屈辱と怒りに
顔を歪めるだろう。
ああ、本当に愉快だ! 兄しか頼る事が出来ない愛娘のデビュタ
ントで私の娘との差を痛感するがいい。
グランキン子爵は優越感に浸りながらも歓喜を隠すよう努めた。
全ては彼の思い通りに運んだのだから︱︱
が。
グランキン子爵は知らなかった。
586
見下しているディーボルト子爵家の双子が最悪の魔導師と繋がり
があることなど。
世の中、上には上が居るものなのだ。
彼の言う﹃計画﹄など彼女から見れば﹃悪党のお約束﹄程度でし
かない。
彼が只の悪党である以上、鬼畜には勝てない。容赦の無さが桁違
いなのだから。
彼女曰く敵に情けなど必要ないのだ⋮⋮﹃屈辱的な姿も優越感も
要りません、己が楽しむ事を最優先に弄ぶことこそ使命です!﹄と
いう碌でもない信念の元に行動するので回避不可。
﹃正義? 何それ美味しいの?﹄﹃動く理由がなければ仕立て上
げればいいじゃない!﹄という非常に個人的な感情の下、潰しに掛
かるのだ。ある意味災厄である、手におえない。
その鬼畜は彼のすぐ傍にいた。メイドの振りをしつつ、彼等の行
動をじっくり観察中である。
そして鬼畜予備軍な野郎どももディーボルト子爵とクリスティー
ナの傍で待機中。
グランキン子爵に騎士s並みの危機回避本能が備わっていたら確
実に逃げ出しただろう。
﹃ここは危険だ! 邪悪な思惑が渦巻いている⋮⋮!﹄と。
※※※※※※※
こちら現場のミヅキです。皆様、如何お過ごしでしょうか?
えー、現在グランキン子爵一家が玄関を通過中です。何を考えて
587
いるのか時々得意げに笑みを浮かべていますよ⋮⋮実に判りやすい
人ですね! キモイぞ、お前。 あ、娘の言葉もしっかり聞こえてます。小娘、得意になっている
のも今のうちだけだぞ? 守護役連中を見て悔しがるがいい! どんな顔をするのかしらね♪ 楽しみね♪ さっきのお前を真似
て言っちゃうぞ?
グランキン子爵一家が室内へと消えた事を確認し私も厨房へと向
かう。
ふ⋮⋮罠はもう始まっているのだよ、グランキン子爵。室内のあ
らゆる所に盗聴・盗撮の準備が整えてあるのです。
言質は取り放題ですよ。盛大に踊ってくれたまえ!
﹁ミヅキ様、準備は出来ております﹂
﹁皆様が揃い次第、始めるとのことでした﹂
﹁そう。では、今後私は基本的にあの部屋にいますから後は御願い
しますね﹂
﹁﹁はい!﹂﹂
使用人の皆様や料理人さん達の頼もしい声に見送られ、私も今回
の仕事場へと足を進める。
グランキン子爵家用の料理は既に製作済みなので、私が居る必要
はない。
解説係として料理の説明が表向き本日のお仕事です。食材の入手
先をバラすのは最後ですとも、逃げられても困る。
と、その時。
﹁こちらの食事会に招かれているのですが、部屋まで案内を頼んで
も?﹂
588
唐突に赤毛の青年が湧きました。あら、まだ招待客が残っていま
したか。
⋮⋮ん? こいつって⋮⋮。
﹁失礼ですが、お名前を確認させていただきたいのですが﹂
﹁ああ! アンディ・バクスターです。君は?﹂
﹁⋮⋮はい、確かに。それではご案内致しますね。皆様もう御揃い
ですよ﹂
﹁おやおや、役目に忠実だね﹂
わざと聞こえないように振舞ったら明らかに不快になった赤毛。
使用人の名前聞いてどうする。
ええ、役目に忠実ですよ? 女好きの近衛騎士もとい本日の獲物
リストでグランキン子爵と同列一位の獲物様?
貴女がクリスティーナにしようとした事を知っている身としては
気を抜くと殺気が駄々漏れしそうです。
⋮⋮思い知らせてやるから覚悟しとけ。
﹁美人でも面白味のない女は男を退屈させるだけだよ?﹂
﹁あら、私ほど退屈させない女は滅多に居ませんよ﹂
主に恐怖で。悪企みの犠牲者様達には退屈どころか泣いてもらい
ましたが、何か?
貴方を退屈させる気など欠片もありませんから御期待ください。
つーか、肩に手を置くな。
﹁やれやれ、嫌われたみたいだね。だけど⋮⋮﹂
手を振り払った私に肩を竦めて手を放す赤毛だが瞳には剣呑な光
589
が宿る。そしてにやり、と笑う。 ﹁きっと今夜は楽しいことが起こると思うよ? この家にとって、
ね﹂
﹁ええ、それは同感ですね。ですがそれは﹃私にとって﹄ですわ﹂
﹁何?﹂
訝しげに問い掛ける赤毛には答えず精一杯鮮やかな笑みを浮かべ
てやる。
悔しさも敵意も何も無い、ただ純粋に﹃楽しい﹄という笑みを。
﹁さあ、この部屋ですわ。どうぞ楽しい夜を﹂
﹁⋮⋮。ふん、強がっておけばいいさ﹂
そう言うとさっさと部屋に入っていく。
あらあら、悪企みって何も貴方達だけが想い付くものじゃないで
すよ?
それに⋮⋮今の貴方の言葉もしっかり録音されてますから。
共犯者発言どうもありがとう! ﹃事前に何か起こることを知っ
ていた﹄以上は巻き込まれただけなんて言い訳通じないよ?
※※※※※※※
﹁今宵は我が娘クリスティーナの誕生祝に集ってくれたことに感謝
する﹂
そんなディーボルト子爵の言葉と共に始まった食事会。席はディ
ーボルト子爵一家の隣に守護役連中、そして親族と続き端にグラン
590
キン子爵家と赤毛。
初めから徹底的に隔離です、何か言っても守護役連中で止まりま
す。
彼等は公爵子息なのだ⋮⋮慣れているのです。空気の読める子な
のです!
嫌味を言っても笑顔で反撃当たり前。さらっと受け流す術を十分
叩き込まれているのだ。
しかも服装は上質だが比較的シンプルな上、名乗らないので精々
﹃貴族階級の人﹄くらいの認識。
本来の身分を気付かせないよう仕掛けをしてあるのです。いきな
り公爵家が味方として出てきたら何もしないよね。
料理の方もディーボルト子爵が当初から﹃異世界の料理﹄だと言
ってくれたお陰で手をつけないということはないようだ。
ただ⋮⋮。
﹁ふん、珍しいという割には野菜の煮込みか﹂
﹁あら、ロールキャベツがお気に召しませんでした? グランキン
子爵様方はチーズがお好きとのことでしたので全ての料理に使って
みたのですが﹂
﹁なるほど、貴様が異世界人か。さすが庶民と馴れ合う奴等は高貴
な味などわからんな﹂
﹁ええ、理解できません。好ましく思わないと言いながらも綺麗に
完食される方のお考えなど﹂
﹁っ! 貴様⋮⋮﹂
﹁お口に合わないのでしたら残された方が宜しいですよ?﹂
グランキン子爵家︱︱主にグランキン子爵︱︱は何かにつけて愚
痴言いまくり。私は給仕らしく傍に張り付いてお相手しています。
まだ食材提供が何処かは明かしませんよ。バラすのは最後です!
なお、クリスティーナはかなり喜んで口にしているし、アル達と
591
の会話も弾んでいるようだ。
よし、そのまま別世界で過ごしてくれ。こちらは順調にグランキ
ン子爵の怒りをかっているのだから。
対してグランキン子爵の娘は守護役連中にかなり視線が行ってい
る。ところが彼等はクリスティーナ達と会話をすることはあっても
彼女に対して総シカト。大変大人気ないやり方で怒りを煽っている。
うん、この状況を見ても私達が善玉に見えないね。お陰でその他
の勢力は始終無言。
﹁あ、あの⋮⋮っ﹂
﹁クリスティーナ嬢、ミヅキが伝えた料理はお気に召しましたか?﹂
﹁はい、とても!﹂
﹁そうですか。後で彼女に伝えてあげてくださいね﹂
﹁私はグランキン子爵家の⋮⋮﹂
﹁ほう、いいワインだな﹂
﹁ええ、この年の物は中々手に入らないのですよ﹂
始終こんな感じ。娘よ、いい加減に悟れ。意図的に除外されてる
君じゃ絶対に無理だから。
そしてそんな状況を利用するのが守護役連中なのだ。
給仕に訪れる私の耳に内緒話を囁く・手や頬にさり気なく触れる・
見つめ合って微笑む。
こんな行動を色男三人から取られればグランキン子爵令嬢の敵意
や殺意は私一人に向くわな。勿論、私も彼女をチラ見して更に煽る
が。
ああ、物凄く睨み付けられてますね! いいぞ、もっとやれ。私
が許す。
それでクリスティーナという本来のターゲットを忘れてくれれば
尚良し! ですよ。
592
まあ、そんな状況にプライドの高い御嬢様が我慢できる筈もなく。
肉料理に移る前に報復に出たのだった。
﹁そうそう、クリスティーナ様のデビュタントは私と一緒の御予定
でしたわね? 今宵、私のパートナーを連れて来ていますの﹂
唐突にそう言いだすと赤毛に視線を向ける。
﹁クリスティーナ嬢、申し訳ありません。私自身としてはこちらで
御相手を努めさせていただく予定でしたが、家の方からこちらのア
メリア嬢をエスコートするよう言い付かりまして﹂
﹁そういうことですわ。ごめんなさいね? クリスティーナ﹂
悪いなんて少しも思っていない得意げな顔で謝罪を述べるアメリ
ア嬢。
赤毛もすまなそうな表情はしているが、表面的に取り繕っている
だけだろう。
対してクリスティーナは︱︱
﹁ふふ、判りましたわ。私にも新しいパートナーがいますので御心
配なく﹂
﹁え!?﹂
二人の思惑通り表情を曇らせる⋮⋮なんてことはなく。
楽しげに笑って承諾したのだった。
﹃クリスティーナ、あいつらは絶対にパートナー略奪について言っ
て来るでしょう﹄
593
﹃その時は﹄
﹃笑顔で承諾してやって。絶対に俯いたり泣いたりしないで﹄
﹃貴女にできる最大限の攻撃と守りは傷ついた様を見せない事なの
だから﹄
⋮⋮事前に私が教えておいたとおりに彼女はやってのけたのだ。 594
夜の始まり︵後書き︶
クリスティーナを守る事が最優先なので、ひたすらターゲットのす
り替えを実行中。
主人公に怒りの矛先が向くように誘導されていってます。
595
悪役と書いて玩具と読む︵前書き︶
赤毛&意地悪娘︵+母親︶VS愉快な仲間達。
どう考えても事を起こさせてから叩き潰す彼等の方が悪質。
596
悪役と書いて玩具と読む
﹁ふふ、判りましたわ。私にも新しいパートナーがいますので御心
配なく﹂
﹁え⋮⋮!?﹂
にこやかに告げられた言葉に得意げだったアメリアの表情が変わ
る。
すぐ顔にでるのは父親譲りですか、アメリア嬢?
﹁ま⋮⋮まあ、強がらなくてもよろしいのよ?﹂
﹁いいえ? 実は是非と言って下さった方がいたのです。アンディ
様に御願いした手前お断りしたのですが、このような状況ならば受
けさせていただきますわ﹂
にこにこと話すクリスティーナは一見何も気にしていないように
見える。だが、実際は傷ついている筈だ。最後までアンディを批難
しなかった子なのだから。
それに、これ以上話が長引けば﹃パートナーを奪われた可哀相な
子﹄に仕立て上げられかねない。
そろそろ参戦しましょうか。
﹁嬉しいわ! 受けていただけるのね!﹂
ぱちん、と手を鳴らし笑顔でクリスティーナの傍に行く。⋮⋮あ
あ、やっぱり震えてるじゃん、この子。
随分と無理をしていたようだ。
よく頑張った! 思わず抱き締めちゃうぞ。
597
﹁ええ、勿論。私も嬉しいわ﹂
﹁一緒に装飾品を選びましょうね!﹂
﹁はい!﹂
その装飾品は魔道具だが。
私と黒騎士の努力の結晶をプレゼントしますからね!
﹁⋮⋮おや、私を甲斐性無しにするおつもりですか﹂
﹁仕方ないでしょう。ああいった物は女性同士で選ぶ楽しみもある
のですから﹂
アルとセイルが会話に混じってくる。
そしてアルは立ち上がるとクリスティーナの手を取って。
﹁改めてお願いします。私に貴女をエスコートさせて戴けますか?﹂
﹁ええ。こちらこそ宜しく御願いします﹂
微笑み合う二人+クリスティーナに背後から抱きつく一匹︵=私︶
。
ある意味微笑ましい光景に異議を唱えたのは無視されていたアン
ディだった。
ガタン! と音を鳴らして立ち上がり睨み付ける。
﹁おい、ちょっと待て! お前は一体何なんだよ!?﹂
﹁煩いですね、黙っていなさい﹂
﹁⋮⋮いきなり出てきた挙句こっちの言葉を無視か? クリスティ
ーナ嬢、こちらの方は?﹂
先程の申し訳無さげな顔を一転させアルを睨みつけてくるアンデ
598
ィ。
ああ、やっぱり君は自分が馬鹿にされるのが許せない人種か。
自分が軽んじられる事もクリスティーナが傷つかなかったのも許
せないのだね? 私は貴様が心の底から許せない。自分勝手な抗議をしている君な
ら理解してくれるよね?
﹁あらあら、自分から裏切っておいて何てみっともない﹂
くすくすと笑いながら腕を解きクリスティーナを隠すように立つ。
アルも冷たい視線を彼等に向け、私の横に立った。
﹁貴方は自分から役目を放棄したのに何故憤るのですか? まさか﹂
一端切って挑発的な笑みを向け。
﹁御自分が惜しまれるような逸材だと思い上がっていたのかしら?
まさか、ねぇ?﹂
﹁そんな筈ないでしょう、ミヅキ。自業自得の結果にも関わらず不
満を言うなど﹂
﹃貴方にその価値はないでしょう?﹄そう暗に言い切った私達に
アンディとアメリアは更に怒りを募らせたようだった。
﹁な⋮⋮アンディ様は近衛騎士でいらっしゃいますのよ!?﹂
﹁ええ、知っています。それが何か?﹂
﹁御嬢さん、近衛というものは家柄と実力が無ければなれないもの
なんだが?﹂
﹁つまり馬鹿でもなれると言いたいんですね﹂
599
﹁何でそうなる!?﹂
﹁貴方が近衛になれているからですけど?﹂
今、貴族に生まれてそこそこ強い﹃だけ﹄で近衛になれるって言
ったじゃん。
自分で言ったことの意味もわかってないのか。
﹁それ以前に騎士ならば﹃誠実さ﹄と﹃責任感の強さ﹄を求められ
ますよ。信頼できない騎士などもっての他です﹂
﹁近衛でなくとも騎士ならば家柄など関係なく己が立場に対して誇
りと責任をお持ちですよ。騎士どころか人として最低の貴方には持
ち合わせないものですけどね?﹂
﹁こ⋮⋮この⋮⋮言わせておけば﹂
﹃笑わせるんじゃないよ、お坊ちゃん﹄
声に出さずに告げた言葉はしっかりと届いたらしく、アンディは
顔を赤くして私を睨み付けた。
やだなー、ゼブレストで散々殺意と敵意に晒されまくった私が怖
がるわけないでしょ。女は睨めば怖がると思ってるなんて、お馬鹿
さんなんだから!
アルも私も間違った事は言っていないし、一般的な認識です。近
衛ならば特に重要だろうが。
まあ、まともな騎士なら最初からこんなことに協力しないよね。
御自慢の実力とやらも勝ち負けならば私の方が強いぞ、多分。 ﹁これが近衛騎士とは国の恥だな﹂
一人ワインを飲んでいたクラウスが更なる怒りを煽る。
ちなみに彼はこれが素です。彼にとっては事実を言っているに過
600
ぎないのだから。
⋮⋮職人がクリスティーナのエスコート役に向かないのはこの所
為なんだよね。興味のない事は最低限しか行動しない上、良くも悪
くも正直なのだ。
一応、場の空気は読めるから普通にしていれば問題は無いけど⋮
⋮今回みたく明らかに敵認定されていると馬鹿正直に毒を吐く。
﹁貴様如きに一体何がわかる!﹂
﹁わかるぞ? 俺達も騎士だ﹂
﹁はっ! じゃあ所属と名を名乗ってみろよ!﹂
これが近衛騎士とか何かの間違いじゃなかろうか。いや、黒騎士
達の情報だから信じてますけどね。
どう見ても食事に来る近衛騎士さん達のお仲間には見えないぞ?
ちら、とアルに視線を向けるとやや苦笑しているようだ。何か思
い当たることがあるらしい。後で聞こうっと。
﹁いいんじゃない? そろそろバラしても﹂
﹁お前も! 一体何なんだよ、そいつらの仲間なんだろう!?﹂
﹁はい、お仲間ですよー。寧ろ私が居たから彼等はここに居ます﹂
異世界人の情報ってある意味制限されてるからね。特にこの国で
何かやらかしたわけじゃないし、私の姿を知ってはいても異世界人
と気付かない人が殆ど。だから会った事がないアンディが知らない
のも頷ける。
異世界人だと気付いても﹃ただそれだけ﹄という認識の人が大半
なのでゼブレストほど恐れられていないのだ。
だから今も異世界人の護衛程度にアル達は思われているのだろう。
そもそも子爵家に公爵子息が居るとは思わないよね。
601
﹁では、改めて自己紹介を。エルシュオン殿下の保護下で生活中の
異世界人ミヅキ・コウサカですよ﹂
﹁所属は黒き翼、クラウスだ﹂
﹁白き翼の隊長を勤めさせていただいております、アルジェントと
申します﹂
﹁ゼブレストにおいて将軍の地位におります、セイルリート・クレ
ストです﹂
言葉と共に彼等は幾つかの装飾品を外す。その途端、彼等の髪や
瞳が本来の色に戻った。
﹃近衛騎士ってことは最初からバレるよね。どうすっかなー﹄と
考えた末に色彩チェンジということになりました。アルとクラウス
って外見も噂になってるしね、だからそれを利用する。
﹃淡い金糸に優しげな緑の瞳﹄は﹃艶やかな漆黒に藍色の瞳﹄に。
﹃漆黒の髪に感情の見えない藍色の瞳﹄は﹃金髪と明るい緑の瞳
に﹄。
﹃青みがかった銀髪と薄い水色の瞳﹄は﹃深紅の髪と瞳﹄に。
いやー、予想以上に雰囲気変わって吃驚。眼鏡装備で更に別人で
す。
それに加えてかなり弱い幻覚作用の魔道具も付けているから顔を
正しく認識できないらしい。
勿論、雰囲気や口調までは変わらないから﹃親しい人間が正面か
らじっくり見れば本人と判る状態﹄だそうな。
席が離れている上に親しくないアンディには名前さえ名乗らぬ男
達が誰か判らなかったのは当然ですね!
まあ、そんな状態でも絶世の美貌は健在なのでアメリア嬢は見事
引っ掛かってくれたわけですが。
602
﹁な⋮⋮何故、貴方達がここに⋮⋮﹂
﹁何故って⋮⋮私が今日出された料理の一部を作ったからです。彼
等は私に付き合ってくれたんですよ﹂
嘘は言ってない。それに加えて他の用事もあるだけで。
まさか守護役が勢揃いしているとは思わなかったのか、アンディ
は酷く驚いて声が掠れている。
﹁関わりがないじゃないか!﹂
﹁ディーボルト子爵家の双子は私達の友人ですよ? 彼等はエルシ
ュオン殿下直々に私の護衛を命じられています﹂
その言葉に私達以外の視線が騎士sに向けられる。グランキン子
爵にとってはこれも結構なダメージでしょうねー、見下していた双
子が王族の信頼を受けているんだから。
アンディは⋮⋮あら、青褪めて黙っちゃった。
﹁﹃異世界人は魔導師﹄ということと﹃守護役が誰か﹄ということ
しか一般的に伝わっていませんから﹂
﹁なるほど、個人的な用事に付き合うほど親しいと知らなかったの
ね﹂
﹁ええ、溺愛していると知っているのは一部だけですよ﹂
﹁溺愛、ね⋮⋮﹂
アルがこそっと教えてくれた噂に微妙な表情になるのは仕方がな
いと思っていただきたい。奴等の基準は普通とは大きくかけ離れて
いるのだから。
とりあえずトドメは必要だよね!
﹁素晴らしい騎士達に囲まれて生活している私が貴方なんて相手に
603
する筈ないでしょう?﹂
﹁⋮⋮。ミヅキ、それはどういうことですか?﹂
﹁部屋に案内する時に肩に手を置かれたり名前を聞かれたりした。
相手にしなかったら不機嫌になって﹃この家にとって楽しい事が起
こる﹄って言ってたから計画的だね、これ﹂
﹁そ⋮⋮それ、は⋮⋮﹂
﹁ああ、安心して? ちゃんと録音済み。だから改めて言わせて貰
うわ﹂
アンディに向かってにっこり笑い。
﹁失せろ、クズ!﹂
﹁我々は彼女の婚約者でもあるのですが⋮⋮実に不愉快ですね﹂
私の言葉に加え美貌の将軍様がやや紅の英雄モードになりつつ冷
たい視線を送るとアンディは力が抜けたように椅子に座り込んだ。
漸く自分が何をしたか自覚したらしい。尤もそれは私達の敵にな
ったということであり、クリスティーナへの罪悪感は欠片も無いだ
ろう。
そして﹃婚約者﹄という言葉に反応し睨みつけてくるアメリア。
次は君か∼。いいぞ、何でも言え。
﹁婚約者といっても守護役の意味でしょう? 私だって知っていま
すわ!﹂
﹁何て図々しいのかしら。異世界人というだけで思い上がるなど育
ちが知れますわ﹂
母親の援護射撃に勝ち誇ったような顔になった彼女は次の瞬間凍
りつく。
⋮⋮うん、お前ら自分の顔を自覚しろ? 綺麗な顔×三に睨まれ
604
ると結構怖いからな?
思わず避難しようとしてアルに捕獲された私はそのまま抱きこま
れる。
目を逸らすな、騎士s! ヘンリーさんも何故か可哀相なものを
見る目をこちらに向けている。
本能的に喜ばしい状況じゃないのを悟りましたか。気付いちゃい
ましたか。
﹁逆だぞ? ﹃守護役だから婚約者になった﹄んじゃない、﹃婚約
者になりたくて守護役になった﹄んだ﹂
﹁我々は守護役となる前に彼女に求婚していますよ? 家の者達も
歓迎しています﹂
﹁血の繋がりのある者すら貶め悪びれる事も無い貴方達こそ育ちが
知れますね﹂
﹁爵位剥奪予定の子爵家が何様のつもりなんだか﹂
物は言いようですね、これだけ聞くと物凄くまともだ。個人の好
みが加わるとドン引きされるから言うなよ?
ただ、アメリアには一途な愛の物語に聞こえたらしく、復活する
なり睨みつけられている。⋮⋮君にとっては﹃爵位剥奪予定﹄の方
が重要な情報なんじゃないのかね。睨まれても私にどうしろってい
うのさ? クリスティーナは﹁物語みたいで素敵﹂とかうっとりしなくてい
いからね!?
﹁どうして⋮⋮そんな女に私の何処が劣るというのよ!?﹂
﹁劣るとかそういう問題じゃなくて必要とされるのが私というだけ
ですよ﹂
事実を正直に言えば更に怒りを募らせる母子。疑問に答えてやっ
605
たのに何故だ。
それ以前にアンディはどうでもいいのかい? ﹁ついでに言うならゼブレストの王は私の親友です。その繋がりで
今回の食材を王直々に提供していただきました﹂
﹁ゼブレストの者として証明いたしますね﹂
ぴら、と一枚の紙を取り出したセイルはグランキン子爵達へとそ
れを渡す。
苦々しい表情は紙の文字を追うに従って驚愕へと変わっていた。
﹁王だけでなく宰相も関わっているだと!? しかもクレストとは
⋮⋮﹂
﹁セイルは宰相の従兄弟ですよ﹂
﹁﹁な!?﹂﹂
﹁ふふ、怒ったりしませんよ? 最高級の食材さえ貶しまくった貴
方達の味覚が高貴な方々とは程遠いものだっただけですから。料理
もエルシュオン殿下の好物ですが、貴方達には合わなかっただけで
すよね?﹂
ええ、貴方達の口に合わなかっただけですよね? 個人差がある
もの、そんなことで怒りませんよ?
ただ、食材提供元が王族だから君達の今後に何らかの影響が出る
だけで。
自国の王族の好みを貶めるような奴等だとその王族本人に知られ
るだけで。
私自身は何も気にしないわ! 聞かれたら証拠映像付きで涙なが
らに解説するくらいですよ!
﹁ああ、でも一つだけ御忠告を﹂
606
﹁な⋮⋮何よ⋮⋮﹂
青褪めながらも気丈に言い返すアメリアにずっと思っていた事を
告げてやる。
﹁貴方達の好物⋮⋮乳製品ですが。栄養価がかなり高いので太りま
すよ? 御両親を見ればわかると思いますが﹂
カシャン⋮⋮とグランキン子爵夫人の手からフォークが皿に落ち
る。
﹁己を美しく保つ事も高貴な女性の嗜みですし、健康の面から言っ
ても重要です﹂
﹁見苦しい生き物など誰も傍に置いておきたくないと思うが﹂
それ以降、言葉は返って来なかった。
やっぱり世界を違えても体重の話題は女性にとって禁句でしたか。
でもクラウスの言葉が一番ざっくり心を抉ったような気がします。
職人よ、魔術以外に興味がないとはいえマジで手加減ないな。
607
悪役と書いて玩具と読む︵後書き︶
グランキン子爵は家族を盾に様子見してました。逃げられる筈はな
いのでそれは次話にて。
赤毛⋮⋮そこそこモテる・強いので思い上がっている。
意地悪娘⋮⋮自分の思い通りにならないと気が済まない御子様。
赤毛が近衛になれている謎は後程。
608
生かさず殺さず︵前書き︶
グランキン子爵VS愉快な仲間達。
トドメは刺さないけど何もしないわけじゃありません。
609
生かさず殺さず
ちら、とアンディに視線を向ける。⋮⋮もう何も言い返す気力
はないようだ。
一番最初の暴言といい、彼の態度は客としてのものではない。は
っきり言うなら彼は明らかにディーボルト子爵家を見下している。
考えられる要因としてはディーボルト子爵より身分が上、という
のが最有力だろう。
尤も彼の実家が、ということであり本人は近衛騎士なんだろうけ
どね。
目には目を。歯には歯を。
身分を重要視するアンディ君には最も効果的な報復だったろう。
自分で公爵子息に暴言吐いたんだから。
﹃知らなかった﹄なんて言い分は通りませんよ? 公爵家の権力
というものが想像つかないので、どうなるかは知らんがな。
まあ、アメリア嬢よりは現実が理解できているようで何よりだ。
あの子は相変らず私に敵意の視線を向けてるもんなぁ。 何でも
自分の思い通りになると考えている御子様って性質が悪いわ。現実
が見えてないもの。
個人的な感想を言うならアル達が君を選んだらロリコンだからな?
元の世界なら奴等は社会人の年齢、対してアメリア嬢は中学生。
犯罪です。
特殊な趣味でもない限り社会人が中学生を選ぶ状況はあまり無い
と思う。選んだ場合、お姉さんは今とは別の意味で守護役どもにド
610
ン引きだ。
悲嘆に暮れるどころか変態と離れられることを喜ぶあまり泣くか
もしれん。私は自分の身が可愛い。
﹁もう確認は宜しいですか? グランキン子爵殿?﹂
﹁⋮⋮ああ、十分だ﹂
セイルの言葉に苦々しく頷くグランキン子爵。目には一層、殺意
と敵意と怒りが宿っている。
だが、罵倒する事は無い。逃げ道を知ってるようだ。
﹃この状況下での逃げ道﹄︱︱それはグランキン子爵自身が暴言を
吐いていない事。
料理の愚痴は私個人に対するものだし、﹃個人の味覚の違い﹄で
誤魔化そうと思えば誤魔化せる。
赤毛は捨てるとして、アメリアは﹃子供の我侭﹄扱いして親が謝
罪しつつ宥めてしまえば強く怒れない。実際にアメリアはデビュタ
ントさえしていないのだから、そんな子供相手にむきになる方が大
人気ないだろう。
妻も同じく。叱って謝罪させてしまえば﹃よく知られていない異
世界人のことだから﹄ということで片がつく。
一言で言うなら未だグランキン子爵は決定的な失態を犯していな
いのだ。
王族の不興はかうかもしれないが元々重要な役には就いていなさ
そうだし。
﹁我が妻と娘が御迷惑をお掛けしました。どうか許していただきた
い﹂
﹁嫌です﹂
611
﹁⋮⋮﹂
﹁嫌です♪﹂
﹃⋮⋮﹄
﹃空気読め!﹄と味方以外から無言の圧力が来ましたが気にしま
せん。
え、許す・許さないって被害者が自由に選択できるよね?
許すわけ無いじゃありませんか、逃げるなんて!
﹁ミヅキ殿、貴女に言っているわけでは⋮⋮﹂
ないのですが、と顔を引き攣らせながら続けようとした言葉は守
護役どもに阻まれた。
﹁この場の決定権は彼女にありますよ?﹂
﹁ミヅキが許すというなら仕方ないだろうな﹂
﹁我々だけでなくルドルフ様も宰相もミヅキには甘いですからね⋮
⋮﹂
﹃重要なのは彼女です﹄と暗に言い切る彼等にグランキン子爵は
歯軋りせんばかりだ。
嘘は言っていないが事実でも無い。元から共犯者の上、魔王様の
命令なので許すという選択肢は無いのだ。
それに。
この場は私がグランキン子爵に敵認定されることが目的なのです、
ちくちくちくちく甚振ってやろう。
つーか、グランキン子爵よ⋮⋮自国の王子様の性格くらい把握し
とけ?
守護役達は御丁寧にも魔王様だけ省いたじゃないか、今。
612
つまり私が許しても国からのお仕置きはなくならないよ、という
こと。今この場で私が許しても魔王様の決定には逆らえませんから!
安堵させておいてデビュタント後に一気にくるわけですね? え
げつないですよ、魔王様。
逃げ道の先は檻の中。追い立ててるのは私ですが。
﹁呼ばれもしないのに嫌がらせする為に押しかけた挙句、全ての物
に嫌味全開な人を野放しになんてできる筈ありませんよ﹂
﹁私達はクリスティーナの誕生祝に﹂
﹁招待されていなかったのに無理矢理ねじ込んだんですよね? あ
と、祝いの言葉なんて一言も口にしてないじゃないですか﹂
﹁ぐ⋮⋮そんなことは﹂
﹁言ってませんよね、門からずっと張り付いていたのに耳にしませ
んでしたから! ああ、それからアメリア嬢がパートナー略奪を楽
しみにしていた事も聞いていました。本当に最低!﹂
﹃最低!﹄のところは良い笑顔で言うのがポイントです。ほれ、
何とか言え! ﹁貴女も相当性格が悪いようですな⋮⋮!﹂
﹁あら、性根の腐った生き物に好意的な態度で接する必要があるか
しら?﹂
﹁どんな事情があろうとも、もう少し可愛げがあった方がよいでし
ょうな!﹂
﹁世界を違えてさえ揺るがぬ鬼畜評価の私に一体何を期待してるん
だ、お前は﹂
﹁は⋮⋮? 鬼畜⋮⋮?﹂
いかん、つい本音が。
613
﹁ミヅキは変わる必要なんてありませんよ。そもそも何故貴方に合
わせなければいけないのでしょう?﹂
腹黒鬼畜な将軍様が無害そうな笑みを浮かべて言うとグランキン
子爵はあっさり黙った。
将軍というだけでなくクレストの者という認識が勝った模様。権
力に弱いようです。
セイルには堂々と﹃鬼畜のままでいてくださいね﹄と言われたよ
うに聞こえるけどな。
それにしても。
⋮⋮この程度でアル達が動けなかっただと? どうも腑に落ちな
い。
小賢しさはあっても権力行使すればあっさり撃沈するだろう。だ
とすると考えられる可能性は一つ。
︱︱こいつの背後に誰か居る。公爵﹃子息﹄では強行できない立
場の人が。
まあ、今は気にしても仕方ない。怒らせるだけ怒らせておくか。
私にはデビュタント時の余興として生贄を献上する役目があるの
です、ここで潰す事は出来ません。
だから手っ取り早く泣いてもらってこの場から去って貰おうと思
います! 赤毛の謎も気になるし。⋮⋮いや、気になるんだよ。実力者の国
だから特に。
﹁そうそう、貴方がディーボルト子爵家を異様に敵視する理由があ
りましたよねぇ? 元伯爵令嬢にしてディーボルト子爵夫人のアリ
エル様。彼女が原因だそうじゃないですか﹂
614
﹁な⋮⋮何を⋮⋮﹂
明らかに顔色が変わったグランキン子爵は夫人を気にしているよ
うだ。夫人も怪訝そうに夫を見ている。
おや? 夫人や娘は知らなかったのかな?
そうか、そうか、じゃあ是非とも暴露してあげよう! 素敵な愛
の物語だぞ?
﹁引く手数多のアリエル様はディーボルト子爵を選んで恋愛結婚し
たとか。貴方は全く相手にされないどころか嫌われていたそうです
ね。⋮⋮負け犬どころか選考外なんて無様ですね﹂
ざくっ! という音が聞こえたような気がしたけど気の所為です。
﹁御存知でしたか? アリエル様はとても人気のある方だけあって
﹃下心のある人﹄には絶対近づかなかったそうですよ。そりゃあ、
伯爵家の後ろ盾狙いの顔も頭も性格も悪い男なんて選びませんよね
!﹂
⋮⋮さらに﹃ざくざく﹄聞こえたような? 幻聴ですよね、幻聴
︵棒読み︶ グランキン子爵、人の口に戸は立てられぬものなのです。奥方ど
ころか奥方の実家にも伝わると思った方がいいですよ?
少なくとも白黒騎士達は知っています。噂をばら撒く手際も素晴
らしいと思います。
私に抜かりはありません。手加減も遠慮も無いです。
﹁そのとおりですが手厳しいですね、ミヅキは。我々も気をつけね
ば﹂
﹁あら、選ぶのは男性だけじゃないわよ? 女にだって選ぶ権利が
615
あるもの﹂
﹁そうだな、政略結婚でも無い限り拒絶はするだろう﹂
﹁そ、そんなこと、は⋮⋮﹂
アルとクラウスもグランキン子爵のダメージを労わることなく、
更に突き落とす。グランキン子爵に対する評価も否定していないあ
たりが素敵。
公爵子息が納得してる以上、きっぱり否定できないよね。ひたす
ら耐えろ。
﹁黒い噂が絶えず功績がなければ爵位剥奪の泥舟なんて乗りません
よね! だって⋮⋮﹂
ちら、と顔面蒼白のグランキン子爵に視線を向け。
冷や汗をかいているグランキン子爵は顔色を変えつつも私の視線
に気付き睨みつけてきた。
はっは、随分と余裕が無いようで。今夜は夫婦喧嘩勃発ですか?
楽しそうですね。
﹁魅力的な縁談ならアリエル様が断った時点で名乗りを上げる人が
絶対いるもの。いくら財力があっても御免ですよ﹂
﹁き⋮⋮貴様は! どこまで私を馬鹿にすれば気が済む!?﹂
﹁え、そんなことないですよ? 奥方の愛は素晴らしいと賞賛して
ます。そんな人に嫁ぐなんて愛がなければできませんよね?﹂
﹁⋮⋮!﹂
ふふ、反論できまい? さあ! 自分を選んで反論するか? それとも奥方を立てて頷く
か?
後の無い子爵にとって奥方の実家は簡単に蔑ろにはできなかろう。
616
どちらにしても﹃グランキン子爵家﹄の評判は変わらないから気
にすんな? 最低より下は存在しない!
﹁⋮⋮そのお話は一体何処でお聞きになられたの?﹂
顔色をなくした夫人が静かな声で尋ねてくる。おや、﹃異世界人
の小娘﹄扱いだった筈なのに言葉遣いが変わっています。
私に対する敵意を忘れている所を見ると彼女も色々と余裕が無い
らしい。
そっかー、確かに気になるよね。勿論、教えてあげますとも!
﹁ブロンデル公爵夫人ですよ。アリエル様の親友の﹂
﹁そ⋮⋮そう﹂
情報元は公爵夫人。嘘吐き呼ばわりできませんねー、これは。
まあ、調べれば判ることだしね? 隠してる様子も無かったから
知ってる人は多いんじゃないのかな?
⋮⋮ということをついでに教えてみたら完全に沈黙なさいました。
トドメになってしまったようです。
﹁夫婦喧嘩は壮絶かな♪﹂
﹁いいのか、あの程度で﹂
﹁逃げられても困るし、この騒動を面白おかしく話せばルドルフは
許してくれると思うよ? 国に迷惑が掛からないようにしなきゃね
?﹂
国に対する報告というより限りなく娯楽方向で受け取られること
だろう。
宰相様あたりは私達の玩具と化した事を哀れむかもしれない。 617
︱︱その後。
﹁今夜はこれで失礼させてもらう﹂
と悔しそうに言い放ち、グランキン子爵達は帰っていった。
去り際に﹁覚えていろ小娘⋮⋮!﹂と呟いていたのでめでたく敵
認定されたみたい。
捨て台詞まで﹃お約束﹄ですよ! どこまで悪役街道突っ走って
くれるか大変楽しみです。
またねー! グランキン子爵。裏工作頑張ってねー、こっちもや
るから。
なお、アメリア嬢はまだ未練がましく守護役に視線を送り、それ
以上に私を睨み付ける事も忘れなかったので彼女も仕掛けてくる可
能性がありそうだ。
構わないけど次は泣くどころじゃ済まないんだけどな?
そんな感じで悪役御一行は退場していった。勿論、アンディもだ。
ちらちらと未練がましく見てくるから
﹁貴方はそちら側の人でしょう?﹂
と言い切ってやった。反論は認めん。
寧ろ近衛騎士としても認めたくないので追い討ちとして馴染みの
近衛騎士達に伝えておこうと思います。
近衛騎士の在り方を憂う故の行動であって告げ口じゃありません
618
とも、ええ。 619
生かさず殺さず︵後書き︶
きっとこの後、家族会議。
620
夜は更けゆく︵前書き︶
VS親族。
給仕はしっかり見てました。
そして主人公も試されていた1人。
621
夜は更けゆく
グランキン子爵達が出て行った後の室内は非常に居心地の悪い空
気に包まれていた。
と、言っても私達は除いてだ。
まだやる事がありますからねー、あれで終わりじゃありませんよ?
﹁ところで、親族の皆様?﹂
私が徐に攻撃対象を変えると彼等はびくり、と肩を竦ませた。
﹁貴方達はグランキン子爵の味方でしょうか? 私達の味方ではな
いことは確信しましたが﹂
﹁そんなことはっ!﹂
﹁そ、そうだ! 私達は何も知らなかったんだ!﹂
﹁知らなかったことは関係ありませんけど?﹂
﹁﹁え⋮⋮?﹂﹂
﹃自分達は無関係だ!﹄とばかりに主張していた彼等は、虚をつ
かれたかのように呆けた表情になる。
﹁私達という﹃部外者﹄が居る以上はグランキン子爵を諌めるのが
当然では? 一族の恥ですし、貴方達はクリスティーナの誕生祝に
訪れていたのでしょう?﹂
本当に祝う気持ちがあるなら不快を示したり諌めるのが当然だ。
だが、彼等は何もしないどころか面白がるような素振りさえ見せ
ていた。
622
﹁何の為に私が給仕としてこの場に居たと思うんですか? グラン
キン子爵だけではなく、貴方達の態度を観察することも目的なのは
当然でしょう?﹂
﹃なっ!?﹄
心外だと怒りに顔を歪める者、動揺のあまり顔を引き攣らせる者
など反応は様々だ。
まあ、そういう反応するでしょうね。いきなり自分達に矛先が向
けられたんだから。
﹁それに⋮⋮お気付きですか? ディーボルト子爵は言葉を一切発
してはいません。おかしいと思いません? 愛娘の誕生祝の席をこ
んな状態にされているというのに﹂
﹁まさ、か﹂
﹁ディーボルト子爵は我々の協力者ですよ﹂
掠れた声に答えを返したのはアルだった。その言葉に親族達は顔
面蒼白となる。
翼の名を持つ騎士が﹃協力を依頼する﹄。それが個人的なことで
あろう筈は無い。
﹁ディーボルト子爵家の双子が妹の誕生祝を憂えていたのも、私に
助力を請うたのも本当。そして私が魔王様から﹃命令﹄されたのも
翼の名を持つ騎士達が﹃私に協力するよう命じられた﹄のも本当で
す﹂
騎士達は協力すると言ってくれたが、その時点での私達の認識は
あくまで個人レベルだった。
ところがその直後に魔王様から﹃彼等の立場や人脈を利用するこ
623
とを許可されている﹄のだ、しかもそれは私の指示の下という条件
で。
言い換えれば翼の名を持つ騎士達の指揮権があるということだ。
もっとはっきり言うなら﹃今回に限り騎士達に命令する権利が魔王
様直々に与えられている﹄。
あの人が個人的な理由でそんな事を許す筈が無い。そして騎士達
も従うのはそれが魔王様からの﹃命令﹄だからだ。
﹁私とディーボルト子爵家の双子は個人的な事情で動いていますが、
翼の名を持つ騎士達は命令で動いているということですよ。利害関
係の一致、と言った方がいいでしょうか﹂
﹁おや、そう考えた理由をお聞きしても?﹂
穏やかな笑みを浮かべたまま聞いてくるアルの目はいつか見たよ
うに少しも笑っていない。
クラウスは無表情だがセイルは⋮⋮明らかに面白がっているよう
だ。まるで﹃正解に辿りつけますか﹄と言わんばかりに。
﹁ただグランキン子爵だけを狙えば必ず巻き添えになるものが出る
でしょう。特にディーボルト子爵家は血の繋がりがある上、接触も
多いだろうから疑われる可能性も共犯に仕立て上げられる可能性も
ある﹂
﹁仲が悪いのでは?﹂
﹁接触が多いことが問題。表向き仲が悪い振りをしてた、なんて言
い出すかもしれないでしょ? それを証明すべき親族達は我関せず
で傍観している上に我が身可愛さで無言のまま切り捨てる可能性大﹂
私と守護役達は同時に親族達へと冷めた視線を向ける。言い返す
なんて真似は出来まい、今回もずっと﹃傍観していた﹄のだから。
624
以前アルが言っていた﹃貴族同士の繋がりは厄介﹄という言葉。
それは必ずしも味方としての繋がりを指しているわけではない。
下らない噂とて馬鹿に出来ないのだ、事実では無い醜聞に潰され
る事だって十分ある。
実際、ゼブレストでは﹃個人的趣向の下世話な噂﹄で約二名が大
変な事になっているのだから。⋮⋮発案・実行した私は反省など欠
片もしていないが。
仲が悪いからこそ最後の足掻きとして共倒れをしかねませんから
ね、グランキン子爵。
﹁だから今回の事は実に都合が良かった。私が関わる以上報告の義
務があるし、﹃命令で動いている﹄アルやクラウスも同様。身内だ
けの集まりなんて証言が役に立たないもの、だけど私達が介入すれ
ば別﹂
﹁だろうな。グランキン子爵を監視するという名目であちこちに魔
道具が仕掛けられている。証拠としても十分だ﹂
﹁私もいますしね。クレストの名を持つ者として証言させていただ
きます﹂
クラウスとセイルの追い討ちで親族連中は如何に自分達の行動が
マズかったか悟ったようだ。青褪める者、肩を落とし俯く者、申し
訳無さそうにディーボルト子爵に視線を向ける者。
⋮⋮見苦しく言い訳しないだけマシだろうか。これなら仕事を任
せてもいいかもしれない。
﹁全てはディーボルト子爵家の協力が必須となる。王族直々に協力
を求められ、愛娘の祝いの席をこちらの目的の為に差し出す者を疑
う人はいるかしら? 魔王様が特別扱いをした、と侮辱したいなら
別だけど﹂
﹁あの方がそんな事をしないのは周知の事実ですよ。貴女さえ駒の
625
一つとして扱われているのに﹂
﹁その駒が﹃信頼できる者﹄という意味なら悪くは無いわね。まあ、
何にせよ今回の事でディーボルト子爵はこちらの味方だと証明され
たから﹂
﹁信頼していますとも。ディーボルト子爵家を失う気は無いからこ
そ、今回の茶番です﹂
アルの言葉が決定打。クラウスもセイルも満足そうにしている所
を見ると間違ってはいなかったようだ。
若干顔を強張らせてはいるものの、ディーボルト子爵家一家は誰
一人取り乱したりはしない。
ごめんよー、ディーボルト子爵家の皆様。こんな判り難いやり方
する上司で。
今後グランキン子爵が駆除されても巻き添えを防ぐには確たる証
拠が必要だったみたい。親族連中には何の手も打っていないことか
ら察するに惜しくは無いのだろう。
一応、愛国精神溢れる王子様なので許してやってくれ。国の為と
いうのは本当だ。
そしてそれ以上に諦めておくれ、外見天使で中身が魔王だが正真
正銘この国の王子様なのだよ。
私にとって足場固めという意味もあるので﹃実力を示せ﹄ってこ
となんだろうけど、正解に辿り着けなかったらどうするつもりだっ
たんだか。
つーかね、セイル。お前、全部知ってただろ!? でなきゃ、魔
王様があっさり許可する筈も無いし。
先日ゼブレストに居なかったのは、私と入れ替わりでイルフェナ
にでも行ってたんじゃないか!?
626
内心セイルへの疑いありまくりな私の視界に放置されたままのワ
ゴンが映る。
肉料理の直前にアメリア嬢達がやらかしてくれたので、そのまま
になっていたんだよね。まあ、この状況としては非常に有効活用で
きるものなんだが。
⋮⋮使うか。本来は対グランキン子爵脅迫料理だったけど。
﹁⋮⋮そうですね、皆様がグランキン子爵の味方ではないと証明す
る術は残されていますよ﹂
﹁何!﹂
﹁お⋮⋮教えてくれ!﹂
﹁私達はあの人の味方じゃないわ!﹂
私の言葉に一斉に騒ぎ出す親族一同。事態を理解した今となって
は必死になるのも当然か。
﹁貴方達はこの場に﹃居た﹄んです。言わば証人。グランキン子爵
は今夜の事を被害者ぶって言いふらすでしょうね? それを止め、
事実を広める事が皆様の仕事では?﹂
﹁おや、彼等にとってはこちらが加害者かもしれませんよ?﹂
アルも意地が悪い。証拠が揃っている以上こちらに不利になる事
は無いのに敢えて﹃親族はこちらを加害者と認識しているかもしれ
ません﹄と言っているのだ。
良識を思いっきり疑ってます、公爵子息。信頼されてないねー、
君ら。
﹁そんな真似できるかしら?﹂
にこりと笑ってワゴンの上にあったものをトレイごとテーブルに
627
置く。白っぽい塊は謎の物体と思われているらしく、誰もが興味半
分不信感半分に見ている。
うん、そうですね。これ、知らないと元の世界でも訝しがられま
す。料理ですが。
﹁ミヅキ⋮⋮それは一体?﹂
セイルが皆の気持ちを代表するように疑問を口にする。他の人達
も視線で問い掛けてくるのが良く判る。
﹁塩釜焼き﹂
﹁シオガマヤキ? 料理なのですか?﹂
﹁うん。下味を付けた肉の塊と香草を泡立てた卵白と塩を混ぜた物
で覆ってから焼いたの﹂
﹁⋮⋮これは卵と塩でできているのですか﹂
﹁うん。硬いけどね﹂
指で軽く叩いたくらいじゃ凹みません。勿論これは食べられない。
セイルは軽く指で叩いて﹁確かに硬いですね﹂と不思議そうにし
ている。
インパクトは十分なこの塩釜焼きは味付けもこの世界の人にとっ
て違和感無く食べられるシンプルなものだ。
そしてその程度で﹃脅迫用﹄なんて物になる筈はなく。
上に布巾を乗せて念の為に手袋着用。
腕には強化魔法付きのブレスレット。
よし、準備完了!
﹁先程の話に戻りますね。⋮⋮私は貴族ではありませんし、グラン
キン子爵が言うように権力など持たない小娘です。ですが一つだけ
628
有するものがありまして﹂
﹁ふむ⋮⋮知識かね? 異世界より齎される知識は素晴らしいもの
だと聞くが﹂
﹁私が伝えられる事など料理のレシピくらいですよ! 異世界人だ
からではなく﹃私個人﹄という意味です﹂
一番まともそうな御爺さんが首を傾げながら告げる言葉に否定を
返しておく。
うん、これは本人の性格が物を言うと思うんだ。グレンやアリサ
は絶対にやらないだろう。
﹁ふふ、私は凶暴なのです。敵には容赦いたしません。そう、こん
な風に⋮⋮﹂
べきっ
﹃⋮⋮え?﹄
皆の心の声が一つになる中、笑顔のまま拳を振り下ろし塩釜にめ
り込ませる。中身は肉の塊です、加減はしてるし少しくらい凹んで
も問題無し!
なお、正しい食べ方は金槌で破壊するのが一般的です。拳ではま
ず無理。
﹁⋮⋮ミヅキ? それはそうやるものなのですか?﹂
﹁いいえ? 一般的には金槌を使う﹂
﹁何故、拳で﹂
﹁気分的な問題?﹂
きっぱり言い切って拳を退けると見事に皹が入っている。魔法っ
629
て凄いね、全然痛くないよ!
あら、事前に将軍が﹃硬い﹄と言った謎の物体への興味よりも拳
で破壊した私への恐れが現れてますね。良い傾向です。
﹁このように私は暴力で意思表示をする事が多々あるのです。もし
も敵となった場合には⋮⋮﹂
﹁⋮⋮場合、には?﹂
﹁死、あるのみ! 殺るか殺られるかの状況しか経験していないの
です。御覚悟を﹂
魔王様の真似をして笑顔で威圧を加えてみたら笑えるほど親族連
中の顔色が変わった。まさに音を立てて顔から血の気が引く状態。
倒れるのは家に帰ってからにしてくれ、迷惑だから。
普通に考えれば、殺したりできないことくらい判りそうなものな
んだけどな。そこまで考える余裕が無いのか。
ゼブレストでも思ったけど、貴族って守られるのが当然であって
武闘派は少ない。だから言葉だけじゃなく実行して見せれば効果的
かなと思っていたわけですが。
想像以上の効果です。怯えられています。
ああ、どうせなら赤毛をボコれば良かった! あいつだけ騎士だ
もの、女にやられたなんて絶対に口にしないだろうし。
治癒魔法もあるからアル達も笑顔で﹃なかったこと﹄にしてくれ
るだろう。
﹁貴方達がすべきことは﹃今夜の事を正しく広めること﹄と﹃翼の
名を持つ騎士達が動いている事を一切洩らさないこと﹄の二つです。
グランキン子爵達は私の付き合いでアル達が来たと思っているでし
630
ょうからね﹂
﹁なるほど。親族達に状況を説明したのは軽率な行動を慎ませる為
だったのか﹂
﹁後者が情報として流れたら彼等がグランキン子爵側だってわかる
でしょう? その場合は敵確定。連帯責任で全員ね﹂
﹁い⋮⋮些か大雑把過ぎないかね!?﹂
﹁今この場で敵認定しても全然問題ありません。それに連帯責任が
嫌なら互いに見張ればいいんですよ﹂
グランキン子爵共々さくっと駆除されても何とも思わないが、妨
害要素を減らしておくに越した事は無い。
現状では﹃グランキン子爵の味方ではない﹄という自己申告しか
ないのです、脅迫と共に﹃敵認定もありえる﹄という可能性を突き
つけておけば妙な行動はとるまい。見張り合っていれば動きがあっ
た時に自己保身から密告してくれるだろう。
首輪と鎖は付けておくべきですよね! そして﹃悪戯﹄をしたら
叱る、これ常識。
﹁さあ、皆様? 明日にはグランキン子爵が悪評を流すかもしれま
せんよ? 震えている時間などありますかしら?﹂
︵訳﹁あいつら野放しにしておくと君達の立場が悪くなるけどいい
んだね?﹂︶
ある者は絶句し、ある者は考え込む素振りを見せ。大半の者達が
青褪めて震える中、私の言葉は正しく彼等の頭の中に入ったらしく。
﹁失礼するっ!﹂
﹁我々もっ﹂
﹁ごめんなさい、非常事態なの!﹂
﹁おい、急げ!﹂
631
などなど一言ディーボルト子爵に言葉をかけると実に素早い動作
で帰宅していった。
今まで傍観してたんだから今回くらい頑張れよ? 働けよ?
﹁で、彼等が駆除の巻き添えになった場合はどうするのですか?﹂
﹁捨てる﹂
﹁⋮⋮働きを認めるつもりはないと?﹂
﹁自己保身からの行動でしょ、あれは﹂
セイルの言葉に素直に返したら私達以外が固まった。即座に復活
した騎士sは微妙な顔をしつつも擁護するつもりはないようだ。
⋮⋮何か間違った事を言っただろうか。それに私にはどうこうす
る権限ないし。
﹁とりあえず片付けたら誕生祝のやり直しをしません?﹂
﹁え?﹂
﹁だってこの屋敷には純粋に貴女を祝いたい人達が沢山居るでしょ
? クリスティーナ﹂
ディーボルト子爵達も私が誰の事を指しているのか理解したよう
だ。笑みを浮かべて大きく頷く。
﹁そうだね。ああ、折角だからアリエルの絵がある部屋にしないか
い? 家族用の食堂だから少し狭いがお祝いだからね﹂
﹁俺達は使用人達に声をかけてくるよ﹂
﹁そうだな、全員気になっているだろうし﹂
騎士sがさっさと行動を開始する。やはりこの食事会には思う所
が多々あったのだろう。
632
あの雰囲気で﹃お祝い事﹄って何の嫌がらせかと思うもの。
さあ、ここからは︵多分︶無礼講ですよー♪
赤毛の謎とかグランキン子爵の嫌がらせとか色々話を聞けそうで
す。
一番はクリスティーナのお祝いだけどね!
﹁クリスティーナ!﹂
﹁なあに? ミヅキ様﹂
﹁お誕生日おめでとう﹂
﹁はい! ありがとうございますっ﹂
笑顔で返して来る彼女に安堵する。傷つけられた上に殺伐とした
話が続いたけど、今は楽しそうだ。
良かった良かった。今回とは別に復讐計画まで必要かと思いまし
たよ。
﹁俺達が連名で抗議すれば家から叩き出される程度にはなりそうだ
が﹂
﹁それではつまらなくないですか?﹂
﹁やるなら居場所がなくなるくらいやりたいですね﹂
⋮⋮悪魔達の計画は聞こえなかった事にしますよ、ええ。どうせ
今回の一件が終ってからのことだもの。
そういえば魔王様が﹃どんなに優しくとも彼等は公爵家の人間﹄
って言ってたっけね。 633
夜は更けゆく︵後書き︶
根拠の無い噂だろうと馬鹿には出来ません。
ディーボルト子爵家、隔離成功。親族達は⋮⋮。
小賢しい悪役は巻き添えを作るので性質悪し。
634
何を聞いても気の所為・酒の所為︵前書き︶
赤毛の謎と今回の裏事情。
635
何を聞いても気の所為・酒の所為
あれから。
アリエルさんの肖像画が飾ってある食堂に屋敷中の人間が集い、
クリスティーナの誕生祝の宴となった。
人数が多いので立食形式だけど、皆で話したいならその方がいい
よね。
残っていた料理に私が作り置きしておいた誕生日ケーキ代わりの
タルトなどが並べられ、和やかな雰囲気に包まれている。
料理人が自発的に作っておいたクリスティーナの好物や、私が慰
労会用に作っておいた居酒屋メニューなどもあるので酒のつまみに
困る事は無い。
ルドルフ提供のワインもサングリアにしておいた1本を除き皆に
飲まれている。
女性用のカクテルなんて無いし、主役が飲まないのもどうかと思
ったので作っておいたサングリアはクリスティーナ含む女性達に好
評のようだ。
料理長から提供してもらった赤ワインでも作ってあるので二日酔
いしない程度に飲んでおくれ。
﹁そのまま味わった方がいいんじゃ?﹂と言う人も居ましたが。
⋮⋮お祝いだからいいんだよ。酒は皆で飲むものです。
それに高価な酒だと判ったら使用人の皆様は遠慮して飲まないだ
ろうしね。
﹁⋮⋮で? 酒も入った事だしそろそろ聞きたいなあ?﹂
ワイングラス片手にアルに問い掛ける。
うふふ、絶対に聞きたかったんだよね。事情を知ってると匂わせ
636
た以上は黙秘は認めませんよ?
﹁おや、何を?﹂
﹁赤毛が近衛になれた事情を聞きたいなあ?﹂
知ってるよね? と暗に聞けば穏やかな笑みが苦笑に変わる。
現在、周囲には守護役連中と騎士sにヘンリーさん。クリスティ
ーナとディーボルト子爵はアリエルさんの肖像画の前で使用人達に
囲まれている。
大丈夫、どんな事情を聞いても納得するから。
だって、﹃あれ﹄が近衛騎士ってだけで何かの冗談みたいだもの!
﹁聞いてどうするんですか?﹂
﹁とりあえず屋敷に居る人達に暴露する﹂
﹁何故﹂
﹁口に出せなくても心の中で嘲笑うくらいは許されると思う﹂
次に見かけた際には生温い視線や憐れみたっぷりの視線を送られ
る事だろう。睨むより余程ダメージがあると思いますよ? 使用人
に哀れまれるなんて。
﹁ミヅキ、お前はそれだけで済むのか?﹂
﹁ううん﹂
﹁﹁即答か!?﹂﹂
﹁一人くらい復讐する奴がいてもいいと思うんだ。立場的にも問題
無し﹂
﹁いやいやいや! あるから! 気持ちは物凄く判るが!﹂
騎士sよ、煩い。どのみちアル達の怒りをかってるから只じゃ済
むまい。それに魔王様に報告が行くから無事だとも思えませんてば。
637
﹁治癒魔法使えるし、騎士だから体力あるよね? 力尽きるまで付
き合ってもらうつもり﹂
﹁血はどうするんだ? 服に付くぞ?﹂
クラウスの疑問ご尤も。でもね、それって既に犯行前提の質問で
あって赤毛に対する優しさは無いよね?
赤毛よ、職人は復讐に賛成みたいです。心配する所が既に違いま
す。
﹁ああ、それならば大丈夫ですよ。私が以前、全身血濡れになって
いても綺麗にされましたから﹂
﹁⋮⋮綺麗に﹃された﹄?﹂
﹁ええ。池に突き落とされて、水と共に汚れを分離させたみたいで
す﹂
﹁そうか、では問題ないな﹂
﹁﹁納得しないでください!﹂﹂
セイルが実に愉快そうに過去の経験を話すとクラウスは頷きそれ
以上心配はしなかった。
それどころか﹁そんな方法があるのか﹂と呟いているあたり興味
はそちらに移った模様。
赤毛⋮⋮お前の扱いって⋮⋮。
﹁いやあ、楽しそうだねえ﹂
﹁兄上も煽らないで下さい!﹂
﹁いいじゃん、遅いか早いかの違いだよ。目指せ、完全犯罪﹂
﹁ミヅキ、物騒な事を言うんじゃない!﹂
﹁証拠隠滅って素敵な言葉だよね﹂
638
あら、黙った。いや、溜息を吐いて諦めた?
騎士s、いい加減色々と捨てろよ。常識的に生きてると私を含め
周囲の連中とはやっていけないぞー?
⋮⋮という慰めをしたら更に落ち込んだ。何故。
君達だって﹃助けてくれ!﹄と民間人でしかなかった私に縋って
きたじゃないか。何を今更。
﹁構いませんよ。お話しますが⋮⋮ミヅキの出番ははっきり言って
無いと思いますよ?﹂
﹁へ?﹂
﹁彼は相応の扱いをされますから﹂
くすくすと笑うアルの一言に、騎士sに顔を向けると勢いよく首
を横に振った。知らないらしい。 クラウスは無言でワインを飲み、セイルは興味深そうにアルを見
ている。
おやあ? 話せるけど極一部しか知らない事情、ですか?
﹁彼はね、おそらく﹃近衛試験に受かっただけ﹄なんですよ﹂
﹁⋮⋮家柄が受験資格で実力が試験で試されるってこと?﹂
﹁ええ、それが﹃正規の近衛騎士になる資格を得た状態﹄です。余
程大っぴらでない限り個人の性格や勤務態度など判りませんから﹂
つまりは一次試験突破ということね。赤毛が知らないって事は当
事者達には隠されているのか。
﹁近衛騎士は王族達の警護を主に担当するので、実力だけでなく人
柄も当然求められます。信頼できない者など傍に置いておく訳には
いきませんので。ですが、不適格とされてもそのまま部署移動とい
うことにはならないのですよ﹂
639
﹁何か警告されたり監視がついたりするの?﹂
﹁いいえ。基本的に一年間を近衛として在籍させ、先輩騎士達があ
る程度の期間監視します。その報告によって最終的な判断は各隊の
隊長が行なう筈です。ですが⋮⋮﹂
﹁ですが?﹂
﹁不適格とされるような人物でも近衛に所属していた事実は残りま
す。ですから、部署移動前に徹底的に性根を叩き直されるのですよ﹂
﹁﹁﹁うっわぁ⋮⋮﹂﹂﹂
限りなく棒読みで声を上げたのは私と騎士s。実力者の国として
は大変納得できる決まりですが、その実力者の皆様直々の躾も怖過
ぎます。
絶対、普通にお説教とかじゃないよね!? 性格改善ってそんな
に簡単じゃないよね!?
﹁今回の事はエルに報告されますし、間違いなく隊長達の耳に入る
でしょう。彼は挽回できるのでしょうかね?﹂
﹁アル、笑いながら言っても説得力無い﹂
﹁おや、失礼﹂
突っ込むも全然反省していないようだ。密かにお怒りだったらし
い。
おい、セイル。そこで﹁我が国にも取り入れましょうか﹂とか感
心してるんじゃない!
そんな人員割けないでしょうが、今の人手不足な状態だと。
﹁ミヅキ、どうしても復讐したければお前にしか出来ない方法があ
るぞ﹂
酒を飲んでいたクラウスの言葉に一斉に注目が集まる。
640
職人、一体どんな情報を隠し持って⋮⋮いや、そんなことはどう
でもいい。
﹁教えて欲しいな♪﹂
上機嫌で問えば肩にぽん、と手を置かれ。
﹁寮の食堂に来る近衛騎士達にこの事を教えてやれ。ついでに近衛
騎士に対して不審感を覚えたと言えば完璧だ﹂
⋮⋮よく判らない事を言われた。
近衛騎士さん達は仲良くしてくれるけど、個人的感情では判断し
ないんじゃないかな?
それにあの人達は違うと判っているんだけど。
﹁ああ、それは良いですね! 彼等も自分の立場に誇りを持ってい
る筈ですから、隊が違っても指導してくれるでしょう﹂
﹁彼等も憤る筈だ。民間人にさえ不信感を持たれるなんて耐えられ
ないだろう﹂
﹁ああ⋮⋮そういうことね﹂
なるほど。民間人にさえ失望されるような奴と同類なんて死んで
も嫌だろう。
手間をかけさせるようで申し訳ないが﹃指導﹄してもらうよう頼
んでおくか。
﹁わかった、話してみる。その方が赤毛も納得するよね﹂
﹁先輩騎士に恥かかせるとは思ってなかったろうな、あいつ﹂
﹁ミヅキが犯罪者になる心配も無さそうだし、それでいいんじゃな
いか?﹂
641
騎士sも納得したようだ。二人とも近衛の﹃指導﹄が楽なものだ
とは思っていないらしい。
まあ、普通はそう思うわな。実力者の国の近衛騎士って最強クラ
スだもの。徹底的に教育がなされるとなるとスパルタ教育は確実だ。
﹁ところで、ミヅキ。私も聞きたい事があるのですが﹂
﹁何? アル﹂
﹁今回のエルの思惑にどうして気が付きました? 貴女にそれらし
い情報は一切齎されなかった筈ですが﹂
あら、守護役連中も気になることがありましたか。
確かに﹃ディーボルト子爵家に協力する事﹄としか言われてない
もんね。
騎士sやヘンリーさんもそれは知らなかったらしく、先を促すよ
うに私を見ている。
﹁今回、魔王様は﹃彼等の立場や人脈を利用するのは構わない﹄っ
て言ってたよね?﹂
﹁ええ、確かに言いましたね﹂
﹁それ、おかしいから﹂
﹁え?﹂
驚きの声を上げてもアルはそれほど驚いてはいないようだ。
騎士sよ、首を傾げるんじゃない。よく聞けば理解できる筈だよ?
﹁﹃個人的な地位や人脈を利用するのは構わないけど、翼の名を持
つ騎士としての権限や立場は利用してはいけない﹄って言うんじゃ
ないの? 普通は﹂
642
翼の名を持つ騎士=国の所有する剣=国の意思。
個人的な貴族としての権限や身分に頼るのは構わないけど、翼の
名を持つ騎士という立場は絶対に使っては駄目だろう。にも関わら
ず彼等は翼の名を持つ騎士として動いている。
現在は魔王様が彼等を動かす権限を持っているというだけであっ
て、個人的に所有している私兵ではないのだ。
彼等だってそれは十分自覚している筈。そんな彼等を﹃使って良
い﹄と許可を出すという事は。
﹁アル達が私達の協力者ってことだったけど、本当は逆じゃないの
? 表立って動くには理由がないから﹃私の協力者﹄ということに
して﹃従った﹄。私が気付かなくても協力者として巻き込まれてい
れば十分だもの﹂
﹁ふふ、正解です。報告の義務がありますからね、貴女の行動に関
しては﹂
嬉しそうに頭を撫でられてもねえ⋮⋮。
ああ、騎士sとヘンリーさんが気の毒そうに私を見ている。ふ⋮
⋮いつもなんだぞ? これ。
私の保護者は教育係でもあるのです⋮⋮教育係様は常に生徒を試
します。近衛とは別の意味でスパルタです。
﹁それから、セイル。あんた最初から魔王様の協力者でしょ!﹂
﹁おや、何故でしょう?﹂
﹁内部事情に関わる以上、﹃何も知らない﹄なら権力を行使しても
絶対に関わらせないから!﹂
びし! と指差すとにこやかに﹁人を指差しては駄目ですよ﹂と
言いつつも否定はしなかった。
くそう、腹黒め。ジト目で睨んでも何処吹く風かよ。
643
﹁ミヅキがゼブレストへ来るのと入れ違いに訪ねるよう指示があっ
たのですよ﹂
﹁ルドルフ経由で?﹂
﹁ええ、ルドルフ様の指示で﹂
ルドルフ、お前も同類か。ま、前回の事があるから協力を求めら
れれば否とは言い難いんだろうけど。
﹁ルドルフ様は私をイルフェナへ向かわせる役を負っただけですよ。
それ以外は何もしていませんし、知りません﹂
ですから嫌わないでいてあげてくださいね、と続けるセイル。
⋮⋮安心しろ、それくらいで人を嫌っていたら私はとっくに魔王
様の所から家出している。
それに。
何かあるんじゃないかと疑問を抱き易いのは魔王様の教育方針を
ある程度理解しているからなのだ。
﹁あと、決定打。魔王様が優しい。これに尽きる﹂
﹃は?﹄
おお、全員が綺麗にハモった!
この言い分にはアル達も予想外だったか。
﹁あのね、あの人は身分制度を碌に知らない私をゼブレストに放り
込んだ人なの。﹃支援はするけど基本的に自力で頑張れ﹄っていう
教育方針なんだよ? 今回、至れり尽せりじゃない! 裏があるに
決まってる!﹂
﹁それは⋮⋮確かに⋮⋮﹂
644
﹁否定できんな﹂
﹁貴女は当初、ルドルフ様以外信頼していませんでしたからね﹂
どうよ、否定できまい!? ﹃自分達にも事情があるから手伝っ
てあげるね!﹄なんつー優しさ⋮⋮いや、甘さは持ち合わせていな
いだろうが。
民間人に結果を求める人なのです、あの人は。獅子が我が子を谷
底に落として這い上がってくるのを期待するような教育方針なので
す。
﹁⋮⋮ああ、あの人だもんな﹂
﹁疑うなって方が無理か﹂
騎士sよ、賛同ありがとう! 君達も今後一層巻き込まれると思
って覚悟しとけ。
※※※※※※※
﹁⋮⋮先程の話なのですが﹂
クリスティーナ達の元へ行ったミヅキ達に一瞬視線を向け、セイ
ルはアルに向き直る。
今現在、ここに居るのは守護役達だけだった。
﹁一部の近衛騎士達がミヅキに友好的、というのは一体?﹂
他にも何かありますよね? と半ば確信をもって尋ねるセイルに
アルとクラウスは顔を見合わせると苦笑を浮かべる。
645
﹁我が国の近衛はね⋮⋮かなり独身率が高いのですよ。仕事を何よ
り優先せねばなりませんし、女性に対し冷めた目で見る方が多いと
いうか﹂
﹁近衛は花形だからな、女どもは勝手に騒ぎ勝手に失望する﹂
﹁ああ、どこも同じなんですね﹂
近衛とは王族の護衛を担当するエリートである。家柄・顔・実力
が揃った者達に熱を上げる女性は少なくはない。
が。
言い換えれば﹃仕事人間﹄なのだ。﹃常に命の危機﹄﹃家族より
立場を優先﹄﹃自分以外の高貴な女性に跪く﹄という現実を受け入
れる貴族の女性がどれほどいるというのか。
親達もそれを知っているのだ、未亡人になりやすく放置される可
能性が高い男など娘の夫には選ばない。
また、彼等も女性の我侭な部分を見せ付けられることもあって期
待しなくなる。
憧れと現実は違うのだ。故に元から婚約者でも居ない限り独身の
まま過ごす事になる。現在の団長は運良く女性騎士の伴侶を得たが、
完全実力主義なので女性騎士は少ない。
ついでに言うなら騎士になるのは家を継ぐ可能性が低い者が多い。
自分より下の兄弟が居ない者も多かった。
﹁そんな癒しの無い彼等にとってミヅキは娘か妹のような認識をさ
れているのです﹂
﹁あいつは寮に住んでるからな。近衛の連中が時間外に食事を求め
てきても嫌な顔をせず受け入れるし、怪我をしていれば治癒魔法を
使う。頼まれれば差し入れを持っていくこともあるぞ﹂
646
﹁⋮⋮あれですか、﹃仕事を頑張る家族を労わるできた娘さん﹄な
んですね﹂
﹁そんな感じです﹂
﹁貴族にとっては家族の手料理を味わう機会などないだろう。数少
ない女性騎士達も似たような状態だな﹂
﹁王妃様付きの方達ですね﹂
﹁寮に食事に来る近衛の中に夫である騎士団長が居るからな。その
繋がりで知り合ったらしい﹂
実際、これは庶民と貴族の差なのである。庶民ならばミヅキの行
動は決して珍しいものではない。
ところが近衛騎士達は貴族で構成されている為、﹃当たり前﹄で
はないのだ。
白黒騎士達もミヅキの味方は多い方が良いだろうと敢えて教えて
いないので、好感度は勝手に上がってゆく。
尤もミヅキが騎士という存在に過剰な期待をせず、自分の立場を
弁えているからこそなのだが。
﹁なるほど。そんな﹃兄上達﹄にとって﹃妹﹄に失望されるのは耐
えられないでしょうね﹂
﹁同じ近衛としても許せないだろうがな﹂
﹁私達も詳細を聞かれれば﹃詳しく﹄教えて差し上げるつもりです。
⋮⋮ミヅキに勝手に触れた事も含めて﹂
自称・︵父︶兄達は特に怒るだろう。守護役達にさえ時々ちくり
と小言を言うくらいなのだから。
しかもアンディには再教育を行なうという名目もある。期間終了
までいびられ続ける事は確実だ。
﹁では私もゼブレストの自称・兄に伝えておきますか﹂
647
﹁おや、そちらにもいらっしゃるんですね﹂
﹁ええ、宰相が﹂
行動に呆れつつもしっかり保護対象にしている宰相ならば、表に
は出さずとも彼の実家に小言を言うくらいはするだろう。
そうセイルが付け加えると守護役達は意味ありげに笑い合う。
一見、にこやか・和やかに会話する彼等を眼福とばかりに眺める
メイド達に聞こえなかったのは幸いだったろう。
⋮⋮世の中には知らない方が幸せなこともあるのだ。
648
何を聞いても気の所為・酒の所為︵後書き︶
大変な仕事だからこそ労わってくれる人の好意が嬉しいものです。
主人公にとっては﹃気にかけてくれる近衛騎士さん達﹄。
庶民思考な主人公にとっては﹃お疲れ様です﹄という一言も当たり
前。
ただし、貴族にとっては騎士が守るのが当たり前。
649
小話集7︵前書き︶
時間的に其々が主人公と接触した直後くらい。
食事会以前に動いている人達が居ました。
最後の魔王&グレンのみ食事会の日。
650
小話集7
小話其の一 ﹃姫騎士達は笑う﹄︵シャルリーヌ視点︶
香りの良い紅茶に摘んできたばかりの薔薇の花。
テーブルにはティーセットにミヅキ製作の﹃たると﹄というお菓
子。
午後の一時を優雅に過ごす令嬢達はシャルリーヌの親しい友人達
だ。
﹁ねえ、シャルリーヌ様。アルジェント様はお元気かしら?﹂
一人の令嬢が悪戯っぽく問う。他の令嬢達も意味ありげに笑った。
弟の事を聞きつつも本当の目的は違う。切っ掛けを掴めず話の糸
口を弟に定めただけだ。
そして周囲の﹃よくやった! さあ話せ﹄と言わんばかりの期待
の篭った眼差しに苦笑する。
﹃あの子﹄について聞きたいならば普通に聞けばいいのに。
⋮⋮そう思いかけて内心首を振る。
無理だ。﹃あの子﹄の立場はかなり特殊な上、事情を理解できな
いお馬鹿な令嬢達から僻まれている。
私だとて気に入っているのだ、妙な探りを入れられれば当然警戒
するだろう。尤も、そんな真似をしないと判っているから私と彼女
達は友人なのだろうけど。
﹁ふふ、相変らずよ。楽しそうで何よりだわ﹂
﹁あらあら、噂の方のお陰かしら?﹂
651
﹁溺愛されていると一部では評判ですものね。 あのアルジェント
様が!﹂
くすくすと楽しげに笑う彼女達は純粋に会話を楽しんでいるよう
だ。﹃素敵な騎士様﹄と言われている弟も幼い頃から知っている彼
女達に掛かれば形無しか。
彼女達に﹃あの子﹄に対する負の感情が一切見られないことに安
堵しつつ、茶会への参加を断られてしまったことを残念に思った。
ああ、次は確実に誘わなければ。その為にはエルシュオン殿下に
頼んで弟を引き剥がしておく方がいいだろう。
貴族令嬢に良い感情を持っていない弟は﹃あの子﹄が関わる事を
嫌がるだろうから。
全く、何て心の狭い⋮⋮それに我が弟ながらあの過保護っぷりも
どうかと思う。
そんな事をしなくても彼女ならば相手を黙らせる事くらい楽勝だ
ろう。寧ろ弟は邪魔な気がする。
﹁実はね⋮⋮さっきまでアルとミヅキ様が来ていたのよ。この﹃た
ると﹄もミヅキ様が作ってくださったの﹂
﹁まあ! お会いしたかったわ!﹂
﹁シャルリーヌ様のことですから、お誘いするかと思いましたのに﹂
﹁それが断られてしまったの。ミヅキ様は物事を広く見る事のでき
る方だから﹃私達にとって良い事にはならないだろう﹄って。アル
も断る事を反対しなかったし﹂
ふう、とわざとらしく溜息を吐けば言葉の意味を悟った令嬢達は
思案顔になる。
確かにミヅキの言い分は正しい。正しいのだが。
私の態度から読み取るものがそれだけである筈は無くて。
652
﹁ずるいですわ!﹂
﹁そうよね、アルジェント様達だけ特別なんて!﹂
﹁アルジェント様、わざとですわね!? 見せたくないのですね!
?﹂
﹁やはり、そう思うわよね⋮⋮﹂
深々と溜息を吐き遠い目になる。やはり友人達もそう思うのか。
実のところ、ミヅキと弟の言い分にはか∼な∼り差があるのだ。
いや、はっきり言おう。弟は単に必要以上に関わらせたくないだ
けなのだ。
守護役でしかない﹃婚約者﹄と女友達ならばどちらを選ぶか? ⋮⋮当然、後者だ。自分の知らない間に親しくなるのが不安らしい。
まあ、その気持ちも判らなくは無い。
翼の名を持つ騎士である以上、ミヅキを利用しなければならない
事もあるだろう。しかも仕事が最優先、令嬢達の僻みとて弟達の所
為である。ついでに言えば性癖が特殊過ぎる。
嫌われる要素満載である。誰が恋人に選ぶというのだ、そんな生
き物。
嫁いでくれる可能性は低い。⋮⋮尤も弟から簡単に逃げられると
も思っていないが。
顔や家柄で全てを許せる人ならばともかく、ミヅキはそのどちら
にも興味が無さそうだ。あの守護役達を見ても顔色一つ変えず媚び
る事も無い。
冗談でも﹃好きな人が出来ました﹄とか言おうものなら笑顔で祝
福し何の未練も無く守護役を解任するだろう。
故に﹃姉様﹄呼びを願ったのだ。弟に過剰な期待は出来ないと悟
653
った以上は保険があるに越した事は無い。
それに、接点が無ければ作り出せばよいのだ。幸い、情報の幾つ
かは手にしている。
﹁ねえ、皆様? 半月後に夜会がありますでしょ? 私ね、ミヅキ
様のお役に立ちたいと思いますの﹂
その言葉に令嬢達は沈黙し一斉にこちらを見た。
全員が﹃どういうことだ﹄とばかりに訝しそうにしている。
﹁ディーボルト子爵家のクリスティーナ様がデビュタントなさるそ
うなの。⋮⋮ミヅキ様の﹃御願い﹄でアルがエスコートをすること
になるかもしれないのよ﹂
﹁あら⋮⋮﹂
﹁まあ、それは⋮⋮﹂
口には出さずとも﹃何らかの事情﹄を察したらしい友人達は無言
で話の続きを促した。
そもそもアルは滅多に夜会に参加しない。しかもエスコートがミ
ヅキの依頼ということは。
﹁彼女はブロンデル公爵夫人のご友人の愛娘だそうよ。デビュタン
トまでブロンデル公爵家で過ごすのですって﹂
﹁⋮⋮ふふ、下らない事をする方でもいたのかしら?﹂
﹁確か⋮⋮とても可愛らしい方だったわね。纏う空気が柔らかくて、
さすがディーボルト子爵の御嬢様と思ったわ﹂
﹁ミヅキ様も参加する御予定とのことよ。⋮⋮だけど﹃用事﹄があ
るらしいの﹂
その言葉に友人達の目がキラリと光った。
654
それに気がつかない振りをしつつ、にこやかに提案する。
﹁私ね、一度騎士になってみたかったの。清楚で可憐な蕾のような
姫を守る騎士に﹂
にっこりと笑って告げると一瞬の間を置いて歓声が上がった。
﹁素敵! その方を守って差し上げるのね?﹂
﹁ええ、私達は﹃先輩として﹄色々と教えて差し上げるべきだと思
うの﹂
﹁そうね、私も初めはとても不安だったわ。アルジェント様がエス
コートをなさる以上、不快な思いをするやもしれませんし﹂
﹁あら、そんな御馬鹿さんには少しお説教してあげなければ﹂ ﹁あらあら苛めて泣かせるの間違いじゃなくって?﹂
﹁初々しい姫君を御守りする姫騎士としては正しい行動じゃないか
しら﹂
﹁シャルリーヌ様、少し手加減して差し上げなくては姫に怯えられ
てしまいますわよ?﹂
楽しげに笑い合う彼女達は社交界を微笑みと話術で乗り切ってき
た猛者なのだ。貴族社会は綺麗なだけでやっていけるほど甘くは無
い。出会いの場であると同時に潰し合いの場でもあるのだから。
直接ミヅキの手助けをする事は出来ないが、彼女が気にかける子
を守ってやる事はできるだろう。
寧ろ自分達こそ初々しい姫君の騎士としては適任なのだ⋮⋮女同
士の嫉妬は後々まで響く。アルが付いているのはデビュタントの一
回のみということは次からが危ない。
自分たちが知り合いなのだとアピールし、関わらない方がいい人
物も教えておけば危険はかなり回避できるはずだ。
そのうち初々しい姫君も女だけの戦い方と守りを身に付けていく
655
だろう。 ﹁ブロンデル公爵夫人にお願いをしてみましょう。きっと事前に会
えるよう手配してくださるわ﹂
﹁そうね、ブロンデル公爵夫人も私達の味方でしょうし﹂
﹁楽しみですわね! ふふ、まるで物語のようですわ﹂
ミヅキが関わっているのは間違いなくエルシュオン殿下関連だろ
う。自分とてこの国の貴族なのだ⋮⋮﹃姉様﹄を少しは頼ってほし
いものである。
鎧の代わりにドレスを纏って、剣の代わりに毒を含んだ言葉を使
って。
決意を微笑みで隠し、可憐な姫君をあらゆる悪意から御守りして
みせましょう?
そう胸の内でひっそり誓うと﹃楽しい夜会﹄を思い口元に笑みを
浮かべた。
※※※※※※※
小話其の二 ﹃母親というもの﹄︵ブロンデル公爵視点︶
﹁⋮⋮というわけでクリスティーナ様をお預かりすることにしたの。
ふふ、楽しみだわ﹂
楽しそうに話す妻は大変若々しく、一見娘の成長を喜ぶ母親のよ
うである。
656
数年前に亡くなった友人の娘という事もあり既に母の心境となっ
ているようだ。
﹁アリエル嬢の娘さんか﹂
﹁ええ。昔の彼女に本当によく似ているのよ﹂
笑みの中に寂しさを滲ませるのは亡き友人を思い出しての事だろ
う。
妻にとっては大切な幼馴染であり親友だった女性である、彼女の
分まで母親としての役割を果たしてやりたいと思うのは当然か。
アリエル嬢は恋愛結婚をし、短いながらも幸せな生涯を終えた人
だ。貴族令嬢としてはある意味とても羨ましがられる人生だったろ
う。
ディーボルト子爵は誠実な人柄で家族の仲も良く、その子息達は
揃って優秀だ。際立った才能は無くとも多くの貴族達に受け入れら
れているのである。
これは功績によって爵位を賜わった家にしては実に珍しい事だっ
た。
民間人が貴族となれば思い上がっても不思議は無い。まして評価
された本人はともかく、その子や孫は民間人として生まれたにも関
わらず支配階級になるのだ。傲慢な者が多いのも事実だった。
﹃何の功績も無ければ三代で爵位返上﹄となっているのも、評価
された本人の功績に無能な者達が縋る事が無いようにする為のもの
である。
生まれながらの貴族は家名を背負うが、功績による貴族は実績に
よって家を永らえさせるのだ。この差は意外と大きい。
ただ、逆に言えばディーボルト子爵家のように認められる者もい
る。実力者を尊ぶ我が国ならではだが、一族が揃って優秀であれば
﹃実力者の家系﹄として無視できない存在となるのだ。
657
ディーボルト子爵にもう少し野心があったならば伯爵位を賜わっ
ていたかもしれない。善良な彼は望まないかもしれないが。
⋮⋮いや、実力者というならこのブロンデル一族も同じなのだ。
魔術に長けた一族を名乗る以上はそれなりの才を発揮せねばならな
い。
現に目の前で楽しげにしている妻も︱︱
そんな考えに沈んでいた私に執事が来客を告げてきた。
﹁奥様、アーベル様が面会を希望しておりますが﹂
﹁アーベル? それは生地を扱う商人じゃなかったかな、コレット。
確か我が家でも何度か仕立てさせた筈だが﹂
﹁ええ、ローラン。でももう二度と御世話になることはないわね﹂
ふふ、と可愛らしく笑う妻の言葉に刺を感じ僅かに片眉を上げる。
執事に視線を向けると何やら思い当たる事があるらしく、軽く溜息
を吐いた。
︱︱長い付き合いの彼の昔からの癖である。そう、妻に共犯者に
された時の。
﹁コレット? 私は何も聞いていないよ?﹂
﹁ええ、言っていませんもの。言う価値も無いことですわ﹂
﹁奥さん、私だけ仲間外れは寂しいよ?﹂
わざと困ったような顔を作ると妻は一層笑みを深めた。
これは⋮⋮怒っている。アーベルは一体何をやらかしたのやら?
内心ひっそりアーベルを哀れんでいるとコレットは大層大袈裟に
溜息を吐いた。
658
﹁だって酷いのよ? クリスティーナ様のデビュタント用のドレス
に使う生地をギリギリになって﹃用意できない﹄と伝えるつもりだ
ったなんて﹂
﹁⋮⋮それは酷いね﹂
﹁でしょう!?﹂
言葉どおりならばアーベルも悪気が無いように聞こえるだろう。
﹃ギリギリまで用意する努力をした﹄という意味ならば。
だが、妻が怒っているということは。
﹁商人としては失格ですわね? 客の情報を売るどころか嫌がらせ
に手を貸すなんて﹂
つまりディーボルト子爵家への嫌がらせに手を貸したわけだ。し
かもギリギリになって﹃用意できない﹄など悪質にもほどがある。
恐らくは生地だけでなくレースやリボンといった物も押さえ込ん
であるのだろう。
これではディーボルト子爵が手を尽くしても無理かもしれない。
男であるなら余計に気が回らないだろう。
﹁それで買った情報を元に娘のドレスを作らせる、という嫌がらせ
をするつもりだったということかな﹂
﹁ええ、恐らくは。相手が手に入らなかった物を自分が持っている
という優越感に浸るつもりなのでしょうね﹂
﹁全く、グランキン子爵はどうしようもないな﹂
﹁あら、クズと言って差し上げれば宜しいのに﹂
妻の口から出る言葉には容赦が無い。だが、それを諌めようとも
思わなかった。
659
敵視しているならば何故もっと堂々としたやり方で張り合わない
のか。十五歳の少女を傷付けて喜ぶなど誇り高い貴族のすることで
はないだろう。間違いなく誰もが嫌悪を浮かべる。
それに同調している娘も育ちが知れるというものだ。母親は確か
子爵家出身だった筈だがまともな教育はされなかったのだろうか。
﹁無理よ、あの方はアリエル様を敵視していた一人ですもの。素敵
な殿方に相手にされないのは自分の器量の無さが原因なのに、人気
のある方達の所為にして悪意を振りまいていた人よ?﹂
﹁おや、私の考えはそんなに判り易かったかな?﹂
﹁止める可能性のある人なんて生まれながらの貴族である夫人だけ
でしょう?﹂
そう言いつつも全く期待はしていなかったようだ。﹁変わらない
わね﹂と呟くあたり知っているのだろうか。
⋮⋮。
⋮⋮。
そういえばコレットも昔は色々と言われていた気がする。
そうか、グランキン子爵夫人は当時ブロンデル家の跡取娘だった
コレットにやたらと噛み付いてきた令嬢の一人か。
と言ってもコレットはにこやかにやり込め、逆に喧嘩を売ってき
た令嬢達は自身の評価を下げまくって嫁ぎ先を探すのに苦労したと
聞く。
本来ならば公爵令嬢に喧嘩を売るなどありえない。ありえないが
実力至上主義という国の特性か身分差は他国に比べ寛容である。
しかもコレットは容姿と巨大な猫のお陰で嘗められる事が多かっ
た。尤も、これは﹃家に頼らず己のみで返り討ちにせよ﹄という教
育の一環だったらしいが。
認められて友人となるか、負けて公爵令嬢に喧嘩を売った愚か者
となるか。
660
状況によって後の周囲の扱いが天と地ほど違うのだった。これは
利用しようと近づく男にも言えることだったが。
社交界の華とはある意味毒花なのだ、ましてしっかり躾られた公
爵家令嬢に敗北など許されている筈は無い。
当時散々泣かされたにも関わらず全く学習しないとは⋮⋮ある意
味あの両親を持った娘は不幸かもしれない。
親の失敗談を聞いて育つだけでも同じ轍は踏むまい。
﹁本当に困った人達ね。でも今回はミヅキ様達に譲らなくてはなら
ない事も理解しているわ。だから小物は私が引き受けてさしあげよ
うと思って﹂
可愛らしく微笑んではいるが目が笑っていない。唇の笑みが妙に
毒々しく映る。
﹁アーベル商会に通達しましたの。﹃ディーボルト子爵家のクリス
ティーナ様は我が娘も同然、下らぬ事を仕出かす商人など信用なら
ない﹄って﹂
﹁おやおや、それは慌てただろうね﹂
公爵家に拒否されたのだ、間違いなく死活問題になってくるだろ
う。
しかも今回は一方的に向こうが悪い。事情を知れば他にも今後の
付き合いを拒否されることは必至だ。
﹁ついでに﹃ブロンデル公爵家に牙を向くならば覚悟せよ﹄とも付
け加えましたけど﹂
﹁⋮⋮コレット﹂
661
⋮⋮死活問題どころか公爵家を敵に回してしまったようだ。商人
として終ったな、アーベル。
その割にブロンデル公爵を名乗る自分は今初めて聞かされたのだ
が。
これか、先程の執事の態度の理由は!? 私の立場は!?
﹁あら、きっぱり縁を切るならばこれくらい言わなければ﹂
﹁いや⋮⋮そうなんだけどね﹂
﹁野放しにすることで次の被害が出たら私は自分が許せませんわよ、
ローラン﹂
全く悪いと思っていない彼女を前にこれ以上の反論を諦め口を閉
ざす。
自分とて同意してしまうのだ、怒りを抱く彼女を止める事は不可
能だろう。
何せ彼女こそイルフェナにおいて最高峰の魔術師なのだ。口で勝
てるとは思えない。
⋮⋮そして優秀な魔術師だからこそ息子の才能の危険性に気付い
た。純粋さは時に破滅を招くのだと。
クラウスの才能は完全に彼女譲りなのだ。
外見こそ父親似だが内面は魔術特化のブロンデルの血が非常に濃
い。 師であり、母親である彼女ですら手を焼いた息子を手懐けるミヅ
キが﹃規格外﹄と言われても仕方あるまい。
しかも最近は息子が普通に見えてきた。ストッパーさえ居れば﹃
魔術至上主義︵ミヅキ談︶﹄程度の認識で済むらしい。
婚姻せずともそのまま保護者でいてくれ、というのが家族の出し
662
た結論である。
そんな負い目もあり、ミヅキの手助けをする事に異論は無い。特
にコレットは母親として感謝しているので容赦が無いのだろう。個
人的な意味もあることだし。
﹁もう新しい商人に話はつけてあるの。後はクリスティーナ様が我
が家に来てくださるだけよ﹂
﹁はいはい、判ったよ。ところで⋮⋮アーベルを待たせたままじゃ
ないのかい?﹂
﹁⋮⋮。居ましたわね、そんな人﹂
﹁忘れていたんだね?﹂
﹁ええ。興味が無いものですから﹂
にっこりと笑うその顔が何故か無表情なクラウスと被る。
そういえばクラウスも興味の無い事には無関心だった。確かな血
の繋がりを見た気がする。
﹁では、私も行こう。次は私の所に来るかもしれないからね﹂
﹁そうね! では参りましょう﹂
いそいそと歩き出す彼女の背にアーベルへの同情がない訳ではな
いけれど。
自業自得なのだから諦めてくれないか。⋮⋮妻と過ごす貴重な時
間を君の為に使ってあげるのだからね?
※※※※※※※※
小話 ﹃一方その頃、王城某所では﹄
663
エルシュオンの執務室の隣に作られた客室ではエルシュオンとグ
レンが向かい合って食事をとっていた。
メニューがグレンにとって懐かしいものばかりなのは調理した人
物が同じ世界の住人だからである。
懐かしくも美味い料理に舌鼓を打ち、一時の喜びに浸る。
⋮⋮喜びに浸るのだが。
﹁ミヅキはどうしましたかな? 食事に来いと言われましたが﹂
﹁ああ、ディーボルト子爵の屋敷へ料理を作りに行ってるよ。娘さ
んの誕生日らしい﹂
﹁ほう⋮⋮おや、ディーボルト?﹂
﹁ええ、貴方も会ったでしょう。双子の騎士達の実家です﹂
﹁ああ! あの二人でしたか﹂
グレンの脳裏にいつぞやの光景が思い出される。二人はミヅキに
とって良い友人なのだろうと思われた。
この世界に放り込まれた友人が親しい友を得たというのは喜ばし
い事である。何せ自分は住む国が違うので必ずしも力になってやる
ことはできないのだから。
﹁あの二人とミヅキは仲が良いからね⋮⋮妹もミヅキと友好的らし
い﹂
﹁そういう存在が近くに居るというのはありがたいことですな﹂
﹁おや、そう思われますか?﹂
﹁ええ。私も異世界人ですから孤独の恐ろしさを知っているのです﹂
周囲に知っている人が居ないというレベルではなく、自分が世界
においての﹃部外者﹄だという認識。
常識さえ違う未知の場所に放り込まれるというのは本当に怖かっ
664
た。
﹁ふむ、ディーボルト子爵家は今後もミヅキと付き合いがありそう
ですな⋮⋮これは何か贈り物をした方が良いでしょうか﹂
﹁ならば誕生日の娘に何か贈っては? 理由の無い贈り物は警戒さ
れるだろうしね﹂
﹁確かに。幾つになられたのですか?﹂
﹁十五歳とか言っていたかな﹂
﹁なるほど、ではペンを贈りましょう。これから手紙を書く機会も
増えるでしょうしね﹂
﹁それくらいなら受け取ってもらえそうだね﹂
食事をしながら交わされる会話は彼女の保護者と友人のもの。
のんびりと食事を楽しむグレンはディーボルト子爵家の状況が﹃
娘の誕生日を祝う食事会﹄等と言う微笑ましいものではなく、罠満
載の﹃馬鹿どもを弄ぶ会﹄と化している事など知る由もなかった。
事の詳細を彼が知るのは全てが終ってからである。
665
小話集7︵後書き︶
お姉様達のアルに対する評価は厳しいです。特に実姉。
きっとアメリア嬢VS姫騎士様達。
ブロンデル夫人は才女。気さくな人ですが﹃敵﹄になると怖い人。
口調が微妙に乱れるのはお怒り中だから。商人危うし。
公爵は優秀なだけでなく愛妻家。クラウスの顔はこの人そっくりな
ので、若い頃の夫人に敵が多かったのはこの人が原因。
666
襲撃と娯楽は紙一重︵前書き︶
目には目を。罠には罠を。
667
襲撃と娯楽は紙一重
﹁さて、説明してくれますよね?﹂
食事会の翌日、魔王様の執務室に呼ばれました。アルとクラウス
も一緒。
まあ、﹃予想は正解﹄だって言った以上は説明してもらわないと
動けんわな。
異世界人とはいえ民間人、下手な事をすると婚約者や保護者にも
迷惑が掛かります。そうなると絶対に﹃最良の結果﹄は望めないだ
ろう⋮⋮現に今、私を協力者に仕立て上げているくらいだし。
﹁自力で真相に辿り着くのは君らしいけど⋮⋮うん、辿り着いた理
由がね⋮⋮﹂
﹁御自分が今回に限り優し過ぎた自覚は無しですか﹂
﹁そんなに厳しいかな?﹂
﹁基本的に﹃武器をあげるから自力で狩って来い﹄という方針です
よね?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ええと⋮⋮一応、ごめん﹂
﹁今更ですから御気になさらず﹂
ええ、本当に今更ですとも。寧ろ過保護にされても不気味です。
御自分のキャラを考えてくださいよ、魔王様。
優しさ溢れる人物なら﹃魔王﹄で通じませんしね、普通。日頃の
行いって重要。
668
﹁まあ、そろそろ本題に入ろうか。君の推測どおり、今回は君に協
力してもらうしかない﹂
軽く溜息を吐くと話し出す魔王様。
おや、随分と苦戦しているようです。何て珍しい。
﹁グランキン子爵の背後に居る人物、ですか?﹂
﹁何故そう思う?﹂
﹁アル達が公爵家の人間だと知って簡単に黙るような三流悪役です
よ? あの人。それに今回のディーボルト子爵家関連で十分潰せる
でしょう﹂
そもそも後が無い。公爵子息様達が揃って﹃不愉快だ﹄と言って
しまえば本人達の人気も手伝って関わる奴は居まい。
昨日見た限り人望無さそうだし、親族連中も絶対に手を貸さない
だろう。
あ、親族連中は意外に良い働きをしました。早速グランキン子爵
が悪評を流そうとしたみたいだけど、その場で事実を突きつけられ
言い負かされたみたい。
事実を広める事と同時にグランキン子爵達を徹底的にマークして、
何か言い出したら即潰す方法をとったらしい。
確かに確実です、しかも参加者自ら正しい情報を提供するので逆
にグランキン子爵の立場が悪くなるだけですね!
⋮⋮今更っぽいけど。
﹁君の言う通りグランキン子爵だけならば問題は無い。だが、ある
人物がグランキン子爵を庇っている限り手は出せない﹂
﹁⋮⋮﹃庇っている﹄?﹂
﹁そう。長年国に尽くし、王や側近達の信頼も厚い人物でね。今回
の事が無ければ私達も信頼するだろう﹂
669
へえ? 魔王様達が信頼するってことは相当だ。
そんな人が何故﹃あれ﹄に味方してるんだろう? 価値があるよ
うには見えないけど。
そんな疑問が顔に出たのか、魔王様は深く溜息を吐く。
﹁うん、私達にもそれが判らない。だけど、彼があちら側に付いて
いる以上は手が出せないんだ﹂
﹁それは身分的な意味で、ですか?﹂
アル達は公爵﹃子息﹄なので本人達の身分は騎士だ。魔王様はあ
くまで﹃彼等の背後に居る人﹄であって、行動できるわけじゃない。
王族が権力を振り翳して強行するような真似をすれば、それに倣
う貴族が出てくるかもしれない。
悪の手本になるわけにはいかないのです。そうなったら﹃あの方
だとてやったではないか!﹄という言い訳に使われるのがオチだ。
﹁身分もそうなんだけど、どちらかといえば彼の実績と周囲の信頼
の方が厄介だね﹂
﹁その人に何らかの落ち度は無いんですか?﹂
﹁無いんだよね⋮⋮本当に今回の事は謎なんだ。王の信頼さえ得て
いる人物の言葉は無視できないし、彼が何らかの悪事に関わってい
る形跡も無い﹂
謎だ。何その状況。
逆に言えばグランキン子爵が増長したのはその人の所為だと思う
のだが。
﹁我々は既に警戒されているから絶対に隙を見せないだろう。唯一
の例外が君なんだよ﹂
670
﹁ある意味正しい表現ですけど、それ以前に相手にされていないと
思います﹂
﹁いや。グランキン子爵が必死になっているからね⋮⋮嫌でも君の
情報は入ってくるだろう。しかも君の情報は制限されているから知
ろうとするなら一度は接触するしかない﹂
﹁その接触が私にとって最初で最後の機会なんですね? 私がその
人を﹃捕まえる﹄機会であり、同時に向こうが私の評価を下す場で
しょう﹂
﹁そのとおり。少なくとも君は我々が用意した証拠でグランキン子
爵を追い詰めているわけではないからね、後はどれだけ興味を引い
て負けを認めさせるかだ﹂
﹁うっわあ、難易度高っ!﹂
接触するだけなら確実だろう。ただし、逃げられる可能性も十分
あるわけで。
話を聞く限り相当頭が回る人物のようですねー、立ち回りも上手
いとみた。
あれ、私って保護されている居候だった筈⋮⋮何故そんな面倒な
人の相手をする事に?
﹁どのみちグランキン子爵を何とかしない限りディーボルト子爵家
は今後も迷惑を被ると思うよ? というわけで頑張って﹂
﹁そこで﹃私達の為に﹄とか言わないあたり罪悪感はあるんですか﹂
﹁うん。でも結果を出す方が優先﹂
にこり、と天使の微笑で魔王様は鬼畜な発言をなさった。
でしょうねー。優先すべきは国ですよね、やっぱり。
優しさ全開の貴方なんて魔王様じゃありませんしね、期待はして
ません。
671
﹁苛立ち・葛藤・各種八つ当たりはグランキン子爵に向けたいと思
います﹂
﹁死なない程度に自由にやっていいよ。証拠さえ消しておけば追求
しないから﹂
それくらいは許されますよね? と暗に問えば頼もしい御答えが
返って来た。
いいのか、それで。しかも大変いい笑顔なのですが、実はお怒り
でしたか。
アル、クラウス。そこで﹃自分達は何も聞いてません﹄的な態度
をとってる以上は了承したとみなすぞ?
﹁何か問題が?﹂
﹁手伝って欲しい事があれば言え﹂
ああ、報復には賛成なの。しかも余計な事なのに無駄に協力的で
すね?
⋮⋮それ、騎士としてじゃなく個人的な感情じゃね? やっぱり
怒ってた?
﹁それから一応伝えておくよ。グランキン子爵を庇っている人物は
レックバリ侯爵。高齢で一見温厚だが嘗めて掛かると痛い目を見る
人物だ﹂
侯爵、ね。確か公爵の次に偉いんじゃなかったっけ。
高位の実力者か⋮⋮ま、やるだけやってみますか。
※※※※※※※
そんな会話があったのは数日前。
672
グランキン子爵は予想通りのクズでした。
﹁ぐ⋮⋮かはっ﹂
﹁な、何だ、こいつら。騎士といっても大した事無いんじゃなかっ
たのか!?﹂
呻いて転がる数名を焦りの表情で見る残り一名。こいつがリーダ
ーですかね?
﹁おいおい、弱過ぎるだろ﹂
呆れを滲ませながらも踏み付ける足に力を込める男性一人。
﹁仕方ない人達ですね、本当に﹂
手際よく拘束しながら時々痛めつける男性が一人。
彼等の共通点は﹃一般騎士の服装﹄をしていることと﹃髪と瞳が
明るい茶色﹄であること。
﹁お馬鹿に期待する方が間違ってますわ﹂
口調も服装もいつもとは違う上に、二人と全く同じ色彩の髪と瞳
になっている私が呟く。
そう、﹃全く同じ色﹄。
双子はともかく妹まで同じ、ということは滅多に無い。若干の差
は出る筈である。
それ以前に兄妹でも本人達でも無いしな!
673
あまりに単純に引っ掛かる襲撃者の皆様よ、少しは疑えよ。
冗談で仕掛けた悪戯にこうも引っ掛かると受け狙いかと思うじゃ
ないか。
いや、ウケ狙いでやってるのは私達の方なんだけどね!? 宴会
芸的なノリだし。
同じ位の背の一般騎士二人+小柄な女性+全員明るい茶色の髪と瞳
まさかこれだけの条件で身代わり可能だとは誰も思うまい。
襲撃を予想して身代わりやらかしたら見事大当たり!
﹃馬鹿だな﹄と思いつつも本物達に接触されても嫌なので娯楽の
一つにしてみました。
題して﹃クイズ! 私達は誰でしょう?﹄!
﹃参加にあたっての注意事項﹄
・男性騎士は同じ位の身長で相棒を決める
・魔道具で髪と瞳の色を変えること
・髪型は騎士sを参考に
・服装は一般騎士で︵貸し出し有り︶
私の場合は
・的になる時は貴族令嬢の装い
・同行の騎士達を﹃兄様﹄と呼ぶ
・基本的に攻撃しない
⋮⋮といった条件だったりする。完璧に遊んでます。
だって、寮とディーボルト子爵家の往復だけなのに毎日襲撃ある
674
からねぇ⋮⋮普通に拘束しても退屈だし、遊んだっていいじゃない
か。
なお、髪型や身長の関係で参加できない人は使用人に扮して御供
ということになった。
アルは先日のクラウスカラー+眼鏡で執事になっていたり。⋮⋮
楽しそうだな、公爵子息。 しかも非番の近衛騎士さん達︵食堂に来る人達です︶も混ざって
いたりする。
﹃一応身分詐称になるんじゃ?﹄と思って魔王様に聞いたら、あ
っさり許可がでました。
﹁襲撃されている以上、彼等を守るのも役目だよ﹂
という言葉と共に﹃ディーボルト子爵家の人間を警護せよ﹄とい
う命令が下った。これなら﹃囮として偽ってました﹄という言い訳
が立つ。
よし、これで正式に御仕事です。飛び入り参加した近衛騎士は﹃
お手伝い﹄ですよ、ええ。休日出勤扱いで給料出してくれとも御願
いしておきました。
遊んでいるようにしか見えない? 翼の名を持つ騎士の行動じゃ
ない?
私達の性格を知らなければ仕事に見えます! 気の所為ですよ、
気の所為。
ちなみに。
あまりにお粗末な襲撃者達を不審がっていたら、騎士達があっさ
り答えてくれた。
﹁足がつかないよう、ゴロツキを金で雇っているんでしょう﹂
675
⋮⋮なるほど。写真なんて無いし、下手に肖像画とか魔道具使っ
たらバレるだろうね。持っている人が限られるもの。曖昧な部分を
補う意味で数が多いのか。
それでなくても﹃ディーボルト子爵家に出入りしている明るい茶
色の髪と瞳の男女﹄と言っておけば外れは少ない。
使用人と貴族って明らかに違うし、あの家の使用人達は誰も明る
い茶色の髪をしていなかった。
特に騎士sは確実な的である。妹付きなら更に外れはあるまい。
此処ら辺が内部を良く知る者の依頼だと思わせる要素なのだが、
グランキン子爵は気付いていないだろう。⋮⋮お馬鹿。﹃一家に恨
みを持つ﹄という事と合わせて容疑者一直線だろうが。
尤も、それを予想し遊ぼうなどと言い出す奴が居るとは向こうも
予想外だっただろうけど。
単なる護衛としての同行だったら襲撃者達も襲わなかったかもね。
クリスティーナにはブロンデル公爵夫人が付いているから絶対に
大丈夫だとクラウスが言っていた。
ディーボルト子爵以下御子息達は仕事の都合と偽って同行者とい
う名の護衛が常に付いているので問題無し。
消去法で私達の﹃遊び﹄が成り立つわけです。
ああ、騎士s? 今も食堂の隅でいじけてますが、何か?
参加者達に癖などを研究されて落ち込んでますが、何か?
妹の為なんだから協力を惜しむんじゃない!
﹁⋮⋮こんなことで騙されるなんて。仮装じゃないか、これ﹂
﹁焦っているのかアホなのか良く判らん⋮⋮﹂
﹁暗殺目的じゃないから本職雇えないんじゃないの? 雇ったらバ
レるし﹂
﹁﹁だからって娯楽に仕立てることはないだろーがっ!!﹂﹂
676
煩いぞ、騎士s。人生にはちょっとした遊び心というものが必要
なのだよ。
八つ当たりの許可も出ていることだし、恥ずかしい失敗談が増え
ても今更じゃないか。存在自体が既に恥ずかしい人なんだしさ。
﹁あのな、俺達は血の繋がりがあるんだが⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ごめんなさい﹂
確かに嫌だ。そんなアホと血の繋がりがあるなんて。
でも報告の義務があるから魔王様は今頃大笑いしてるんじゃねー
の? と言ったら黙った。
まあ、元気出せよ。
﹁いいじゃん、犯罪者どもは捕獲次第﹃事情聴取という名の脅迫﹄
が行なわれてるから洗い浚い暴露してくれるし﹂
﹁お前、少しは暈して言えよ﹂
﹁暈したよ? 正しくは﹃待機組と飛び入り参加の近衛達が防音完
璧な部屋に襲撃犯達と共に篭って武器・魔法何でも有りの脅迫とい
う名の説教をしてる﹄だもの﹂
マジなのです。命惜しさと恐怖に自主的に話してくれるから事情
聴取とはなっているけど。
そんなに怖いかねー? ああ、でも先日の近衛騎士達直々の事情
聴取は怖かったらしく酷く怯えていた。やっぱり近衛だと慣れてる
んだろうか。
白黒騎士は娯楽の意味が強いもんね。事情聴取といっても温度差
がありそうです。
677
⋮⋮尤も襲撃者にはほんの少しこちらに協力してもらうつもりな
んだけどねー?
678
襲撃と娯楽は紙一重︵後書き︶
クリスティーナの居場所を探られても嫌なので襲撃されるまま実行
犯捕獲の日々。
ブロンデル公爵夫人が付いている上、屋敷の守りもあるのでクリス
ティーナは安全です。
679
そして舞台の幕が開く
﹁おやおや、随分とグランキン子爵は焦っているようじゃな﹂
手元の報告書に視線を落とし老人は呆れたように笑う。
実際に呆れているのだ。あまりにも御粗末過ぎるやり方に。
容易く手玉に取られたというのに、ただ悔しさのみを覚え未だ自
分達が強者だと信じて疑わない愚か者。
グランキン子爵家はもはやそうとしか言いようが無い。
﹃知らない﹄ならば仕方が無いと思うだろう。だが、彼等は実際
にやり込められている筈。
やり込めた本人を目にしたにも関わらず﹃何の地位も無い小娘﹄
という評価が変わらぬとは⋮⋮呆れて物も言えない。
﹁旦那様、本当に宜しいのですか?﹂
﹁ふむ。これくらいせねば親猫が外には出すまいよ﹂
﹁親猫、ですか?﹂
主の言葉に﹃親猫﹄に該当する人物を思い浮かべた執事は軽く首
を傾げる。⋮⋮﹃あの方﹄は猫と表現されるような可愛らしい方だ
ったか、と。
そんな執事の様子に老人は楽しげに笑った。
﹁子を持つ親猫そのままじゃろう? 自分の目の届く範囲では好き
にさせているが、悪戯が過ぎれば叱る。獲物の取り方や生きていく
術を厳しく教え、時に甘やかす。そして﹂
老人は1度言葉を切り苦笑を浮かべ。
680
﹁己が毛で包んで寒さや敵から護り、決して害させようとはしない。
似ておらんかの?﹂
﹁ああ、確かに。そう言われれば﹂
納得したとばかりに頷く執事を老人は苦笑したまま見つめた。自
分で言っておいてなんだが、やはり納得できてしまうのかと。
実際二人の言動を知る限り、猫と言うより魔獣か何かの方が合っ
ている。だが、外見だけ見れば猫と言った方がしっくりくるのだ。
そう、例えるなら見事な毛並の大型種と小柄で愛らしい黒猫。本
人達に知れたら怒られそうだが。
﹁しかし、子猫とは⋮⋮例えが的確過ぎますね﹂
﹁ほう、お前もそう思うか﹂
﹁ええ。子猫は牙も爪も弱い。知恵を使わねば生きられません﹂
﹁あれは弱くは無いはずじゃがな﹂
﹁ですが、必要な強さはそういったものだけではないでしょう﹂
執事の言葉は尤もである。戦場で求められる﹃強さ﹄と外交で求
められる﹃強さ﹄は違う。
そういった意味では﹃あの子﹄はある意味子猫に等しい。
だが身に付けねばならぬ物である事も事実なのだ。力で押し切る
事が出来ない場合は知恵で切り抜けるしかないのだから。
﹁心配かの?﹂
﹁旦那様が相手では当然かと﹂
﹁ふむ、それで潰れるようならそれまでよ。愛でられる道もあろう﹂
何処となく楽しげに話す主に執事はひっそり溜息を吐くと、これ
以上の会話を止めた。
681
どちらにせよ今更である。まして主の性格が少々⋮⋮いや、かな
り歪んでいる事も今更だった。
﹁ふふ⋮⋮久しぶりに楽しい夜会になりそうじゃの﹂
本当に楽しげな主の声に﹃旦那様が楽しそうならば構わないか﹄
と思う自分を自覚し、ひっそり浮かんだ哀れみを振り払うとメイド
にお茶の支度を命じた。
※※※※※※※※
うふふ⋮⋮うふふふふふ⋮⋮!
ああ、漸くこの日がやって来ました! ウザ過ぎる襲撃者達にも飽き﹃いっそグランキン子爵を〆に行っ
た方が早くね?﹄と口にして騎士達に宥められる日々よ、さらば!
いや、本当に退屈だったんだって。
良い事といえば襲撃者達=町のゴロツキが駆除され町の治安が良
くなったくらい。
と言っても治安は元々悪くは無い。港町だからこそ人の出入りが
激しく、どうしても外部から﹃そういった連中﹄が集ってしまうん
だそうな。出入りし易いもんね、確かに。寧ろ外部からの奴だから
こそ、この国の事を知らなかったのか。
船乗りさん達は海の男らしく気性が荒いし逞しいので狙われず、
町には騎士の巡回があるからおかしな真似はできない。
当然、そういった連中は金に困る。そんなわけで今回の襲撃者は
﹃仕事﹄として雇われ、犯罪をやらかしたわけですよ。
﹃金が貰えて罪には問われない簡単な御仕事です﹄
682
謳い文句はこんな感じだろうか。詳しい事情説明をされていたら
絶対に断るだろうし。
そもそも騎士s経由で報告され間違いなくお尋ね者ですよ? だ
って他の貴族も狙われる可能性あるんだから。
魔王様のお膝元で野放しはありえないだろうしねー、絶対に。
﹁貴族を狙って只で済むと思ってるわけ? ⋮⋮﹃事件を握り潰し
て逃亡させる事になっている﹄? 無理無理! その事件を広めた
いのに﹃なかった事﹄になんてするわけないじゃん! 捨て駒にし
て終わりでしょ、馬鹿じゃねーの?﹂
⋮⋮と大変素直に口にしたら呆然とした後に憤り出したので可哀
相に思い、元の世界の素晴らしい技術の一部を特別に堪能させてや
った。
ゼブレストで噂の英霊様達ですよー、凄いだろ!?
この世界には無い、滑らかな動きのアンデッドの幻覚ですよ!
悲鳴のような歓声を上げ続け、泣くほど感動したらしく最後には
土下座して感謝していた。それ以降は大変こちらに協力的になった
ようで何よりだ。
真面目に働くとも言っていたので再犯もないだろう。﹁次は無い﹂
とはっきり言っておいたのも良かったと思われる。
﹁感動が人を変えるって本当だね!﹂
﹁⋮⋮確かに人が変わったようだったな、恐怖で﹂
﹁自分達が手を出そうとした奴のヤバさに気がついたか﹂
などと騎士sに言われたけど気にしない! 先に手を出した向こ
うが悪いんです。
683
それに黒騎士達が大喜びしていたのは本当だ。
そんなわけで数日が過ぎ。
本日、クリスティーナのデビュタントでございます。現在、ブロ
ンデル公爵邸にて皆でお着替え中。
私の服装はゼブレスト用に作ったドレスの中から白いシンプルな
ものをセレクト。首には紫水晶が嵌め込まれた銀のチョーカー、髪
飾りとイヤリング。
一見、清楚で控えめセレクトです。目立つ意思無し! と言わん
ばかりの。
が。
別方面から見ると非常に価値のある一式だったり。
ドレス⋮⋮布は魔力付加素材の解毒魔法付き。レース等も全て魔
力を帯びており魔法に耐性がある。
チョーカー⋮⋮自作。万能結界・治癒魔法付き魔道具。
髪飾り⋮⋮睡眠と麻痺耐性の魔道具。
イヤリング⋮⋮クラウスとの念話用魔道具。
どうよ、この魔道具オンパレードの完全装備。
全ての装飾品はどんな事態にでも対応できるよう作られた魔道具。
重要なのは美しさじゃない、性能です! ドレスと装飾品は防具
です、防具。
いや、形はシンプルだけど綺麗だよ? 一見、魔道具に見えない
し。
全てが銀と水晶と魔石で統一されている揃いの一式は十分貴族の
装飾品。
そして一部を除きこれらを作ったのが黒騎士である事は言うまで
684
も無い。
﹃どんな攻撃を受けても大丈夫! これで貴女も戦場の華に!﹄
としか言いようが無い戦闘前提装備。
でも行く場所は夜会です。何処で間違ったんでしょうね?
まあ、クラウスと違ってこちらの世界の魔法全てに対応できるわ
けじゃないから仕方ない。
仕掛けられた攻撃が見えれば何とかなるけど、﹃見えないもの﹄
に対してはどうにもならないからね。
基本的に私の魔法は物理なのです、呪いとか状態異常だと対処で
きません。
無駄に金をかけて仕掛けてくる可能性がありますからねー、グラ
ンキン子爵は。
﹁お、珍しく化粧してるのか。髪も結い上げたな﹂
﹁うん、元の世界の化粧品持ってきてるからね﹂
騎士sの言うように薄くですが化粧してますよ、今日は。
この世界に来た時の所持品の中に化粧ポーチがあって本当に良か
った!
﹃汗にも水にも強い﹄という崩れ難いものなのでかなりお役立ち
です。
この世界のものより崩れ難い事は間違いない。
⋮⋮リューディア嬢、前に凄い事になってたもんな。﹃化粧は泣
かない為にする﹄っていう言葉は事実だと痛感したね、あれは。 ﹁ところで一つ聞いていいか﹂
﹁うん、なあに?﹂
﹁その状態は一体⋮⋮?﹂
685
﹁⋮⋮﹂
やや引き攣りながら聞かれた内容に思わず視線を逸らす。
うん、気持ちは判るよ。私も当事者でなければ見なかったことに
しますとも。
﹁ああ、うん⋮⋮猫好きが猫を愛でてる感じ?﹂
﹁﹁は?﹂﹂
﹁クラウスは本当に魔術が好きですからねぇ⋮⋮﹂
アルも苦笑しながら納得しているところを見ると事態を正しく認
識できているらしい。
騎士sよ、その答えが全てだ。寧ろそれ以外に正解が無い。
現在の私の居場所はクラウスの膝の上です。
椅子に座ったクラウスに抱き抱えられてます。本人は大変御満悦
な模様。
﹁私の身に付けている物は説明したよね? で、私は魔導師なわけ
だ﹂
﹁⋮⋮ああ、何となく判った﹂
﹁そりゃ、その状態にもなるか﹂
ドレス︵魔法付加︶+装飾品︵魔道具︶+中身︵魔導師︶↓職人
が溺愛
現状はこんな感じ。魔術大好きな人間にとっては大喜びな状態で
すね!
﹃返り血を浴びた時に鮮やかに見えた方が恐怖を煽る﹄という言
い分の下、白いドレスを作る奴が婚約者を膝に乗せたところで甘い
686
雰囲気なんてものになる筈はない。
ついでに言うならそのドレスが今着ている物だ。アルも勿論知っ
ているからこそ苦笑い。
職人に一般的発想は無いのだよ、騎士s。愛するのは人ではなく
魔術だ。
⋮⋮魔道具の妻は過剰な想像の域とは言えなかったかもしれん。
ブロンデル夫妻も涙目になるわな、そりゃ。
﹁素晴らしいな。やはり、お前は最高だ﹂
﹁⋮⋮台詞だけ聞いているとまともだよね﹂
﹁ええ、物凄く。クラウスを知っていると理由に思い至るのですが﹂
﹁ミヅキ、お前もよく平然としてるよな﹂
﹁一応その顔だぞ? 中身はアレだが﹂
﹁毎日見てるじゃん。それに別に私じゃなくても貴重な魔道具を身
に付けていれば興味は示すでしょう? 持ち主は無視されるけど﹂
褒め言葉は魔道具へ。どんなに着飾ってもクラウスが認める魔導
師でもない限り魔道具に負けます。
絶世の美貌ごときでは職人の魔術への愛情は揺らぎません。何せ
自分と幼馴染達で慣れている。
狙っている令嬢の皆様よ、本当にこれが素敵か?
中身は﹃魔術が服着て動いてたら迷わず求婚します﹄と言い出し
かねない変人なんだが。
なお、これは両親が案じていたので確実だと思われる。⋮⋮私も
そう思う。 その後。
支度の出来たクリスティーナが部屋に入るなり頬を赤らめ﹁まあ、
物語の恋人同士のようで素敵⋮⋮!﹂と物凄く純粋に言った直後、
687
誰もが真実を口に出来ず視線を逸らしたのだった。
夢見る御嬢様にこの現実はキツかろう。
︵誤解させたままで宜しく!︶
︵︵わかった!︶︶
︵夢を壊してはいけませんよね⋮⋮︶
⋮⋮などと私やアル、騎士sが目で会話していた等とは思うまい。
クリスティーナにとってアルもクラウスも﹃憧れの騎士様﹄なのだ
から。
私の婚約者に嬉々としてなりたがる時点で普通ではないと察して
ほしいものだ。
﹁アルジェント様は宜しいの?﹂
﹁私は毎日ミヅキを抱き締めていますから﹂
﹁まあ! ミヅキ様は愛されていますのね﹂
⋮⋮クリスティーナ。アルは抱き締めた後に私が張り倒すのを楽
しみにしているのだ。
普通とはかなり違った性癖のお兄さんなんだよ、君の目の前の生
き物は。
﹁俺、弟は普通の奴が良いな﹂
﹁俺もだ。顔も頭も平凡な奴ならまともな気がする﹂
騎士sよ、今からクリスティーナの恋人の心配をしてどうする。
でもその発想、私も思いっきり同意だ。あいつら見てるとそう思
うよね!?
688
そして舞台の幕が開く︵後書き︶
デビュタント当日、緊張感の欠片も無い主人公一行。
華やかな色彩が大半な中、主人公は﹃この装備なら目立つまい﹄と
思ってますが、隣の奴が目立つ上に愛でてくるので意味なし。
クリスティーナも目の前の出来事︵の幸せな解釈︶により不安を一
時忘れています。
689
﹃お約束な嫌がらせ﹄は相手を選べ︵前書き︶
あの二人を連れていたらこうなりますよね。
690
﹃お約束な嫌がらせ﹄は相手を選べ
華やかな世界の裏側は嫉妬に満ちている。そんなものは誰だって
予想がつく。
ふふ⋮⋮御嬢様方?
ゼブレストで側室を殲滅したと言われるほど手加減が無かった私
が、何の予想も対策もしなかったと思うのかね?
娯楽に溢れた世界の﹃お約束﹄は押さえてあるつもりだよ?
﹁ミヅキ、お前は悪魔か﹂
﹁酷いわ、カイン様! 可愛い可愛いクリスティーナの敵を事前に
排除するだけよ﹂
﹁その呼び方やめろ。⋮⋮いや、それはいいんだけどな。方法が﹂
﹁女の嫉妬は陰湿だよ? やられたらやり返す、これ常識。二度と
刃向かわないようにしなければ﹂
﹃対策﹄を話した直後に騎士sに悪魔認定されました。
失礼な奴だな、馬鹿はきっちり躾ないと報復してくるんだぞ。
なお、その対策も向こうが仕掛けてこなければ意味が無い。先に
手を出した方が悪いんですよ。
﹁ま、見てなさいって。絶対に会場に入る前に決着つくから﹂
だってこの二人目立つもの。しかも片方はあからさまに私を愛で
てますもの。
私としては目立った方が都合がいいけど、クリスティーナには酷
だろう。
691
﹁クラウス。私、間違ってる?﹂
﹁存分にやれ。何をしても許す﹂
﹁それ物凄く個人的な感情だろ!?﹂
﹁アンタ騎士でしょうが!?﹂
﹁⋮⋮。アル、何か問題があるのか?﹂
﹁いいえ?﹂
白騎士も止めるどころか同意しちゃってます。
もしかしなくても君達社交界嫌い? 集う奴等を人間として見て
いなくね?
⋮⋮自分で言っておいてなんですが。
君達、本っ当∼に﹃憧れの騎士様﹄ですか?
※※※※※※※
﹁まあ⋮⋮アルジェント様とクラウス様だわ﹂
﹁珍しいわね﹂
﹁隣の方達は一体どなたなのかしら?﹂
会場に入る前から敵意と好奇と嫉妬の視線がビシバシきてます。
やっぱりねー、来ると思ってたんだ。
二人とも貴族の装いしてますからね、黙っていれば非常に素敵で
す。中身は変人ですが。
そんな二人にエスコートされて注目されない筈は無いわな。
廊下を歩くだけでこれかよ。2人が大人気だってことを今更なが
ら痛感しますねー。
さあ、存分に羨むがいい!
692
その視線全てが私達にとって有利になるのだから!
なお、心配だったクリスティーナはそんな視線に全く気付いてい
ない。
寧ろ着飾った御嬢様方に目を輝かせていたりする。
この子は天然か。
﹁クリスティーナは呑気なところがあるからな⋮⋮﹂
アベルがぽつりと呟くのが聞こえたので本当に気にしていないの
だろう。
これで母親譲りの才能があれば安心だな。下らない中傷は気にし
ないし、嫌味を言っても自然にスルーするだろうから。
実害有りの場合のみ心配だが、これは私が潰せば問題無し。
⋮⋮ほら、早速。
ごきっ
﹁い⋮⋮痛あいっ! う、うう⋮⋮﹂
ぴしり、と周囲の空気が凍った。好奇の視線も囁きも一斉になり
を潜め驚愕が浮かぶ。
⋮⋮やり返されないと思っていたのか?
痛みのあまり蹲り呻く令嬢に冷めた視線を送りつつ、眉を潜める。
﹁あら、わざわざ足を出してくるから踏まれたいと思ったのですけ
ど﹂
﹁な、何を⋮⋮貴女がっ⋮⋮わざと、踏んだんでしょっ!﹂
﹁俺が抱き寄せて歩いているのに、か? 明らかに足を出して転ば
せようとしていたが﹂
693
﹁我々が騎士だということを忘れているのでしょう。それともその
程度見抜けぬと思っているのでしょうか﹂
Q:転倒させるべく足を出された! どうしますか?
A:そのまま骨を砕く勢いで踏み付けます
※騎士達から援護射撃付き
避けるなんて選択肢はありません。踏む一択です!
﹃ドレスの裾を踏んで破く﹄か﹃足を引っ掛ける﹄のどちらかが
来ると踏んでましたが、本当にやられると呆れます。
踏んで破く方は悪者になっちゃうから、足を引っ掛ける方にした
な。
ああ、靴はしっかり強化済みです。中は履き心地良いけど、外は
硬いから体重かければ骨に皹くらい楽勝。
実際は踏まれても平気なように強化したんだけど、思わぬ所でお
役立ち。
ガラスの靴という物が御伽噺の中にも登場するのです、靴は立派
な武器だと思います!
⋮⋮ガラスの靴って踏んだり欠けたりしたら十分凶器だぞ?
蹴っても痛いし、欠けた部分でザクっといったりする可能性・大。
何て恐ろしい物を履かせてるんだよ、魔法使い。
﹁言いたい事があるなら下らない嫌がらせなどせず言えばいいでし
ょう、みっともない。これが貴族の嗜みかしら?﹂
﹁とんでもない。淑女にあるまじき行為ですよ﹂
﹁そう。ならば淑女の皆様はこんな馬鹿な真似はしないのね?﹂
﹁当然だな﹂
694
素敵な騎士様達に﹃淑女はこんな真似しない!﹄と言い切っても
らえば。
﹁そ⋮⋮そうよね。あんな真似できないわ﹂
﹁なんてみっともない﹂
﹁育ちが知れますわ﹂
こうなる。周囲の人々は思い出したように口々に彼女に対し批判
的な事を口にし出した。
﹃立派な﹄貴族としては絶対に彼女の味方は出来ないわけです。
二人に失望されたくないっていう感情もあるんだろうけどさ。
﹁ふうん。色々言われるのは嫌だから治して差し上げますよ﹂
ぱちり、と指を鳴らして蹲ったままの女性の足を治す。突如無く
なった痛みに驚愕の表情を浮かべる彼女は﹃私が詠唱せず魔法を使
った事﹄に気付いているのだろうか。
﹁さ、行きましょ。下らない事に時間を取られてしまったわ﹂
﹁そうだな、行くか﹂
歩き出す私達に好奇の視線は尽きない。ただし、先程とは微妙に
違っている。
﹃あの女は容赦が無い﹄、﹃彼女達に手を出せば騎士達が黙って
いない﹄。
この二点が新たな情報として流れれば仕掛けてくる輩は随分と減
るだろう。素敵な騎士様達に嫌われては元も子もないのだ、表面的
な部分だけでも悪意を隠さなくてはならない。
火の粉が降りかかる可能性があるなら、初めから沈静化させれば
いいのだ。一時的なものであったとしても。
695
﹁クリスティーナ。私があげた魔道具は身に付けている?﹂
﹁え? はい、ちゃんと身に付けています﹂
そう言ってイヤリングを触る。勿論、私が作るのだから普通であ
る筈はない。
クリスティーナだからこそ必要になると思うんだわ、これ。
会場に着くと視線は尚一層! さっきの事が伝わるまでにまだ少
し時間がかかる。
暫くは盾としてクリスティーナと一緒に居るべきだろう。
﹁これは一体どんな効果があるんだ?﹂
﹁ん? 反射﹂
﹁反射?﹂
﹁直に判ると思うよ?﹂
さっきからクリスティーナを睨みつけてる御嬢さん達が居るから
ね。
私? 勿論、睨み付けられてますとも! ただし、私の場合は守
護役ということも知られているから必要以上の干渉は無いだろう。
そうなると狙われるのはクリスティーナだ。アルがどうにもでき
ないような手で仕掛けるとしたら⋮⋮。
そんな風に考えていると二人のお嬢さん達がこちらに近づいて来
ていた。その視線は明らかに好意的なものではない。
そして。
パシャン!
﹁あら、ごめんなさ⋮⋮きゃ!?﹂
﹁え!? い⋮⋮一体、何が!?﹂
696
嘲笑と共にわざとらしくクリスティーナのドレスにワインをかけ
た御嬢様達は次の瞬間、驚愕し固まった。
彼女の手には空になったグラス、そしてワインは自分が被ったの
だから。
﹁あらあら、判り易い苛めですね。本当にやる人がいるとは思いま
せんでした﹂
﹁何ですって!? 貴女の所為なの!?﹂
﹁いいえ? 貴女が彼女にワインをかけたから跳ね返っただけです
よ? グラスも貴女の手にあるし、貴方自身も謝罪していたじゃな
いですか﹂
﹁そ⋮⋮それは﹂
﹁それに私は貴女に感謝されるべきなのですけど﹂
すい、と瞳を眇め威圧と共にとっておきの事実を告げてやる。
理想的な行動を起こしてくれた貴女に感謝しているからですよ?
見せしめとしては十分だもの。
﹁クリスティーナ様に迷惑をかけず本当に良かったですね。貴女が
汚そうとしたそのドレスはブロンデル公爵夫人が彼女の為に誂えた
ものですから、きっと悲しまれたことでしょう﹂
﹁娘の様に可愛がっているからな﹂
その公爵夫人の息子の発言にざわり、と周囲に衝撃が走る。
本当にドレスを駄目にしなくて良かったなー、御嬢さん。あの人、
絶対に只では済まさないぞ?
私は﹃お約束な展開﹄を見せて貰ったから満足だが。
697
﹁それから先程の現象ですが⋮⋮私の作り出した魔道具の効果です
わ。向けられた攻撃をそのまま相手に返す、といえばいいかしら。
自業自得ですよね﹂
﹃お前達が仕掛けたからこうなったんだよ﹄と暗に言ってやれば
周囲の反応も手伝って真っ青になった。
ドレスを汚す事こそしなかったが、クリスティーナへの悪意は知
れ渡ったのだから当然か。
当然、公爵夫人の耳には入るだろうね。公爵夫人を怒らせた、な
どという噂が立てばとばっちりを恐れて離れる人も居るだろう⋮⋮
嫁ぎ先はあるのだろうか。
﹁まあ、随分と楽しそうね﹂
そこへ追い討ちをかけるように美女が声をかける。アルと同じ色
彩を纏った美女は状況を理解しているだろうに﹃楽しい事﹄だと言
って来た。
そして青褪めたままの御嬢様達に笑って告げる。
﹁この二人は私にとって妹同然ですの。貴女は一体何をなさってい
るの?﹂
﹁姉上⋮⋮﹂
﹁アルは黙ってらっしゃい﹂
﹁シャル姉様﹂
﹁なあに? ミヅキ様﹂
反応が全然違います。シャル姉様、大変判り易いです。
あ、シャル姉様の連れてた人達がクリスティーナを周囲の視線か
ら守ってくれてる。クリスティーナも楽しそうに話しているし、知
り合いだったのか。
698
﹁魔道具の性能を自身を持って試してくださったのですよ、その方﹂
﹁あら、下らない苛めに見えたのだけど﹂
﹁道化になってくださったんですよ⋮⋮多分﹂
﹃庇ってない! 突き落としてる、絶対!﹄
周囲の心の声が聞こえる気がしますが幻聴です。
シャル姉様&ブロンデル公爵夫人の連合軍にやられるか、私に突
き落とされるかの差ですよ。
それに忘れているみたいなんだけどさ?
謝ってないよね、君達。さっきの謝罪は口だけのものだしカウン
トしないぞ?
﹁結果だけ見ればクリスティーナは無事ですし、彼女達は自分の事
で精一杯のようですから今後一切近づかないでもらった方が良いか
と﹂
﹁あらあら、ミヅキ様はそれをお望みなのね?﹂
﹁ええ﹂
にこりと笑ってシャル姉様に頷くと私の意図を察したらしく、笑
みを深めて頷いた。
流石です、気付いてくださいましたか。
﹁わかりました。⋮⋮貴女達もそれでいいのね?﹂
﹁ええ!﹂
﹁し⋮⋮失礼します﹂
慌てて去ってゆく彼女達も後に続いた会話を聞いていたら戻って
きただろう。
699
﹁﹃今後一切近づかない﹄って﹃謝罪の場を与えない﹄という意味
もあるわよね?﹂
﹁ええ。だって嫌がらせをした事に関して一向に謝罪の意思を見せ
ないんですもの。逃げ道なんて必要でしょうか?﹂
﹁必要ないわね。私は﹃なかった事にする﹄とは一言も言っていな
いのだけど﹂
﹁ブロンデル公爵夫人もお怒りになるのでは? 私が魔道具を渡し
ていなければドレスが駄目になっていたのですし﹂
﹁そうね! ふふ、さすがだわ﹂
にこやかに交わされる会話に周囲の人々が絶句し怯えていたけど
問題無し。
やだなあ、私は魔王様配下の魔導師ですよ? それくらいの情報
は伝わっていますよね?
予想される﹃お約束な展開﹄を利用して敵を黙らせることくらい
してみせますよ?
謝罪できない以上は報復されても文句は言えません。謝っても許
されるとは限らないけど。
クリスティーナのドレスは淡い緑を基調とした少し落ち着いたも
の。
ピンクとか華やかな色と思ったら意外にも大人っぽく纏められて
いる。
コレットさん曰く
﹃アリエル様はデビュタントの時に少し背伸びしてみたくてこの色
を選んだの。可愛らしい色だと彼女自身の雰囲気もあってちょっと
子供っぽかったのよね﹄
700
という思い出の色だそうな。
クリスティーナも母の思い出話を喜び同じ色を纏う事にしたらし
い。
そのドレスはクリスティーナにとてもよく似合っている。このこ
とからもコレットさんの本気が窺えるだろう。
⋮⋮無事に済むとは思えんぞ、そんな気合の入ったドレスを汚そ
うとした奴は。
﹁ミヅキ様、私達がクリスティーナ様を御守りしますわ。どうぞ、
お仕事をなさってくださいな?﹂
﹁え?﹂
きょとん、とシャル姉様を見返すと悪戯っぽく微笑んでクリステ
ィーナを取り巻く人達を振り返った。
﹁私達、今日は可憐な姫君を守る騎士ですの。アルだけでは頼りな
いでしょう?﹂
﹁姉上⋮⋮初めからそのつもりでしたね?﹂
﹁私達だって参加したいのよ! ずるいわ、貴方達ばっかり﹂
呆れて溜息を吐くアルにシャル姉様は拗ねたように言い返す。
シャル姉様のお友達らしき人達に視線を向けると笑顔で﹃大丈夫
よ!﹄とばかりに頷いてくれた。
状況を判っていて助けてくれるんですか? 折角なので甘えちゃ
いますよ?
実際アル一人に任せるということに不安が無かった訳じゃないの
だ。
アルは目立つ。確実に仕掛けてくるだろうアメリア嬢だけではな
く、さっきみたいな御嬢さんもいるだろう。
アルが庇えば庇うほど敵を作ることになると考えなかったわけじ
701
ゃないが、とりあえずは今日を乗り切る事を優先させたのだ。
﹁姉様達にお願いしてもいいですか?﹂
﹁ええ、勿論よ! そのかわり今度はお茶会に参加してね? 彼女
達も楽しみにしてるわ﹂
﹁わかりました。お茶菓子を作って伺います﹂
﹁約束よ? 先日の﹃たると﹄もとても美味しかったし期待してる
わ﹂
報酬紛いを提示する事でこちらの申し訳無さを和らげてくれるあ
たりに優しさを感じますね。
アメリア嬢の事もあるし、ここは素直に御願いしておきますか。
シャル姉様達に任せておけば大丈夫だろう。クリスティーナも今
後の為に先輩達から学ぶべき事がある。
﹁やれやれ⋮⋮これでは私の出番は無いかもしれませんね﹂
﹁いいじゃないの。⋮⋮ミヅキ様、まだ大丈夫かしら?﹂
﹁まだ来ていないみたいです。絶対に来ますよ、私達の所へ﹂
﹁そう、絶対に来るのね﹂
暗に﹃何かやったのね﹄という含みを持たせた言い方だった。
ええ、やりました。半月ほど前に。今夜はトドメです。
﹁では暫くお話しましょう? ⋮⋮ところで﹂
ちら、と私の背後に視線を向け、お友達と同じように生暖かい目
になる。
皆さん事情を知ってるんですね、理解があって何よりです。 ﹁嬉しそうねぇ⋮⋮クラウスは﹂
702
﹁やっぱりそう見えますか﹂
﹁誰が見ても溺愛しているようにしか見えないわね。ブロンデル公
爵夫妻もさぞ喜ぶことでしょう﹂
御願いですからクリスティーナには言わないでやってください。
気付かない方がきっと幸せです。
703
﹃お約束な嫌がらせ﹄は相手を選べ︵後書き︶
嫌がらせは相手を不快にさせるものですが、
稀に自分の首を締めることになります。
そして目立つ割に見せ場の無い男ども。
704
悪役VS被害者代表︵仮︶︵前書き︶
どちらかと言えばレックバリ侯爵VS囮コンビ。
職人は地味にお手伝い。
705
悪役VS被害者代表︵仮︶
﹁そう、そんなことがあったのね﹂
なるほど、と頷いたシャル姉様とお友達の皆様。
グランキン子爵と親族達によって食事会の一件は噂として広まっ
ているのです、どうせなら当事者としてバラしておきます。
いや、流石に私達の仕事に関しては話せませんよ?
だけどアメリア嬢の相手をしてもらうなら話しておいた方がいい。
他にも噂に興味を持った人達が探りを入れてくるだろうしね、事
実を話しておきますよ。
﹁随分とグランキン子爵家の言い分と違うわねえ⋮⋮ミヅキ様が暴
れたみたいに言っていたようだけど﹂
﹁嫌ですね、私が暴れたらその程度じゃ済みませんよ﹂
﹁そうよね。アル達が守護役だという意味を判ってないのよね﹂
守護役とは私を守るという意味だけではない。何を仕出かすか判
らない異世界人から世界を守るという意味もある。
そもそも元になったのが二百年前の大戦の元凶といわれる出来事
ですよ?
見張り役に異世界人を押さえ込めるだけの能力がないと困るだろ
うが。
ちなみに私の場合はアル・クラウス・セイルという豪華面子なの
でかなり凶暴認定されていると推測。
と言っても一対一なら勝てても二人がかりになったら確実に負け
る。魔力を消費すると疲れるので、持久力の面から言っても白黒騎
士クラスに集団で襲いかかられたら負けるだろう。
706
魔法に関して規格外だろうと﹃最強﹄ではないのだよ、現実的に
考えると。
﹁グランキン子爵の言い分を信じている人っています?﹂
﹁いいえ? 他の参加者達が否定していたし、皆面白がってるだけ
だと思うわ﹂
﹁期待に応えてウケ狙いすべきでしょうか?﹂
﹁楽しそうだけどそこまでの人達かしら?﹂
和気藹々と話す私達に対し騎士sは腰が引けている。
﹁⋮⋮何であんな会話が平然とできるんだ?﹂
﹁アルジェント殿の姉上だからなぁ﹂
﹁姉上は殿下寄りの思考の人ですから﹂
﹁﹁ああ、納得﹂﹂
情けない男どもを放置しシャル姉様に﹃最重要事項﹄を御願いし
ておく。
ええ、とっても重要ですよ。
私はクリスティーナと一緒にいられませんからね! 是非御願い
しておかねば。
﹁アメリア嬢もそうですけど⋮⋮エスコートしている赤毛を〆てお
いてくれませんか?﹂
﹁赤毛? ああ、クリスティーナ様に酷い事をした出来損ないの騎
士ね﹂
﹁ええ、﹃今は﹄近衛らしいです。後で私も〆ますがこの会場で巻
き込まれた被害者を装いつつ近づいてくる可能性が高いので﹂
そう言うとシャル姉様がすうっと瞳を眇めた。
707
私の意図する事が判ったらしい。
﹁クリスティーナ様に謝罪して貴方達が手を出さないように仕向け
るからね?﹂
﹁可能性としては高いでしょう? ﹃被害者﹄であるクリスティー
ナが許してしまえば﹃その事に怒っている人達﹄は手が出せません
から﹂
クリスティーナは優しい子だ。謝られれば許してしまうし、私達
にも﹁謝罪したのだから許してやって欲しい﹂と言いかねない。
おそらく赤毛はそれを狙ってくるだろう。アル達を怒らせた自覚
があるのだから。
﹁個人的な感情で、という部分もあります。ですが、彼女の今後を
考えると﹃騙しても容易く許す﹄という印象を植え付ける事態は回
避したいです﹂
﹁そうね、一度そう思われると嘗められる可能性もあるもの﹂
自分でそういった輩をあしらえるならば問題は無いが、今のクリ
スティーナには無理だろう。
彼女は悪意を捉えなさ過ぎる。善良な部分が弱点になるだろう。
シャル姉様達もそれを十分理解しているからこそ今回傍に付いて
くれていると思われる。
﹁わかったわ。もしも来たら可愛がってあげましょう﹂
﹁わあ⋮⋮素敵な御姉様達に相手をしてもらえるなんて幸せですね﹂
﹁ふふ、ミヅキ様ったら棒読みよ?﹂
﹁羨ましさのあまりつい感情を忘れまして﹂
端から見れば美女達に囲まれているのだ、さぞ羨ましがられるこ
708
とだろう。
⋮⋮本人は泣きたいだろうけど。
喜べ、赤毛。近衛の躾や私の報復の他に美女達から遊んでもらえ
るみたいだぞ?
枯れ果てるまで遊んでもらえ。アメリア嬢の横に居る気力だけ残
っていれば十分だろ?
そんな話を和やかにしていた私達にクラウスが呟く。
﹁ミヅキ。来たみたいだぞ﹂
﹁⋮⋮逃げなかったのは褒めるべき?﹂
﹁逃げるという選択肢を思いつけなかったのではないでしょうか﹂
アル、穏やかな笑みを浮かべているのに辛辣だね。
でも同意だ。自分が負ける事を考えないから逃げ道を用意しない
んだもの。
それに悪役は最後にやられるという大事な仕事があるのだから逃
げちゃいけない。
私達にとってもレックバリ侯爵へ繋がる貴重な接点なのです、居
なきゃ困る。
﹁クリスティーナ﹂
﹁はい、何でしょう?﹂
﹁そろそろ私達は傍を離れるけど、アルやシャル姉様達が居るから
大丈夫だね?﹂
﹁⋮⋮! はい、大丈夫です﹂
可哀相だがグランキン子爵の悪企みは全て話してある。その大半
が自分に向けられた事に怯えようとも、警戒心を高める意味でも教
えておくしかない。
709
思わず軽く頭を撫でるとやや表情が和らいだ。
﹁いい? お化粧は泣かない為にするものなの。泣くと酷い事にな
るから絶対に泣けない。そして今貴女が身に付けている物は全て貴
女の為に作られた、貴女を想ってのもの。自分のすべき事はわかる
ね?﹂
﹁ええ。皆さんが守ってくださいますし、私がこの日を無事に過ご
せるよう心を砕いてくださった方達も居ます。何があっても俯く事
はしません﹂
そう言って笑った彼女は食事会で傷付けられた時とは別人のよう
だった。
これならば大丈夫だろう。
﹁それじゃ行って来ます!﹂
﹁アル、そちらを頼む﹂
﹁判りました﹂
軽く手を振り見送ってくれる視線を感じつつ、グランキン子爵の
元へ向かう。
グランキン子爵もこちらを睨みつけているからしっかり気付いて
いるのだろう。
さあ、悪役様? 私は正義の味方じゃないけど決着をつける為に
参りました。
⋮⋮この半月、散々襲撃しまくったからには覚悟ができてるんだ
ろうなぁ?
﹁楽しそうだな、ミヅキ﹂
﹁あら、クラウスにもそう見える?﹂
710
﹁ああ、獲物を見つけた魔獣のようだな。殺気は少し抑えろ﹂
﹁何で?﹂
﹁それだけで倒れるぞ、あいつらなら﹂
殺気が駄々漏れだったようです。
どうりで誰も近寄って来ない訳ですね! ギャラリーは歓迎です
よ!?
※※※※※※※※
﹁来たか、身の程知らずの小娘が﹂
﹁あら、泣いて逃げ出すと思っていましたのに﹂
バチっ! と火花が散ったのは気の所為か。
顔を合わせるなりこの台詞です、お互い殺る気な所は気が合いま
すね。
﹁それに招待がなければここに入れませんよ? 私達は理由があっ
てここに居ます﹂
興味深そうにこちらを窺っている人達もいることだし、ささやか
なヒントをくれてやる。
もし私達の﹃立場﹄を正しく認識していればグランキン子爵も何
らかの反応を示す筈。
が。
﹁ふん、婚約者としての顔見せか﹂
711
顔を歪めて睨みつけると﹃それがどうした﹄とばかりに見下され
た。
⋮⋮三流悪役だってことを忘れてました。マジでこの反応か。
ちら、とクラウスを見ると溜息を吐いて僅かに首を振った。職人、
相手がアホだからって会話を私任せにせんでおくれ。
脱力感一杯の私達なのだが、グランキン子爵との嫌味合戦は既に
開始されている。
﹁庶民らしい貧相なドレスだな!﹂
﹁魔力付加の布を使って術を込めた黒騎士製作のドレスが、ですか
? 技術の素晴らしさも含めてかなりな額になると思うのですが﹂
﹁く⋮⋮身に付けている者が下賎では意味が無かろう﹂
﹁貴方達も功績で爵位を賜わった元庶民ですよね? しかも貴方自
身は何の功績も無い無能だからこそ爵位返上になる可能性が高いじ
ゃないですか。私は結婚すれば公爵家の人間ですが﹂
﹁⋮⋮別に婚姻せずとも個人の功績で爵位を狙えるだろう、お前は﹂
﹁責任が生じるから興味は無いわね﹂
﹁き⋮⋮貴様等、言わせておけばっ﹂
﹁話題を振ったのはそちらです﹂
もはや子供の喧嘩レベル。ただし私の言っている事は﹃爵位狙え
るけど面倒だから欲しくない。貴族になっても無能過ぎて潰れる見
本が目の前に居るじゃん。庶民に逆戻りカウントダウン?﹄という
グランキン子爵にとっては非常に怒りを煽る台詞だ。
嫌味を言うなら自分が突付かれない話題を選べよ、自分の首締め
てどうする。
話を長引かせて誘い出そうにも興味を引かせるような話題がない
ね。いや、グランキン子爵に﹃恥をかかせた小娘﹄程度の認識しか
ないから、この程度の話しかできないのか。
これは﹃グランキン子爵側の人物﹄も見捨てて助けに来ないかな
712
ー? とか思った直後。
﹁ふむ、儂も仲間にいれてもらえんかの?﹂
人の良さそうな外見と穏やかな声、ただし妙に警戒心を抱かせる
人物が割り込んできたのだった。
私達と向かい合うような︱︱グランキン子爵を庇うような立ち位
置だ。
﹃ミヅキ、レックバリ侯爵だ﹄
﹃うそ、あれで釣れた!?﹄
﹃自分が相手をしたくなったんじゃないか?﹄
念話にて目当ての人物である事を教えて貰い、僅かに笑みを浮か
べる。
ほう⋮⋮このおじいちゃんがレックバリ侯爵か。お会いできて嬉
しいですよ、大物様?
レックバリ侯爵は浮かんだ笑みに気付いたのか苦笑し、﹁若いの﹂
などと呟いている。
ええ、血気盛んなお年頃です。グランキン子爵が拘束された後に
はこっそり血祭りに上げる気満々にございます!
ビク! とグランキン子爵が一瞬肩を竦ませたのは気の所為です
よね、きっと。
﹁御嬢ちゃん、随分とグランキン子爵を苛めているの﹂
﹁あら、苛めているなんて。言い返しているだけですわ。黙ってい
ると付け上がるんですもの﹂
﹁おやおや、勇ましいことじゃな。じゃがのう、甘く見ると痛い目
を見るぞ?﹂
﹁御忠告感謝します。ですが、この程度に負けるようでは私は今こ
713
の場におりません﹂ ﹁ゼブレストの血塗れ姫、だったかの﹂
何気なく呟かれた言葉に周囲が僅かにざわめく。
あらら、意外と伝わっていましたか。もしくはその情報を持って
いる実力者の皆様なのかね? この周囲は。
そんな状況など全く気にした様子の無いレックバリ侯爵の真意は
読めない。
意図的に情報を洩らしたのか、それとも只の知識として口に出し
ただけなのか。
うーん、やり難い人だな。敵意や悪意が全く無いから対策がし辛
い。
﹁⋮⋮そう呼ぶ方もいましたが、私は姫ではなく魔導師ですよ﹂
﹁ほほう、力を誇る者か﹂
﹁いいえ? 頭脳労働を得意とする個人主義者です﹂
﹁頭脳労働⋮⋮何とも地味な言い方じゃの﹂
﹁知識を蓄え活かす者ですから。どういった方向を望むかは時と場
合と個人の都合によりますね﹂
実際地味だぞ、魔術師や魔導師の役割って。
魔法創作は個人の趣味の域だし、戦力としても必ずしも最強では
ないわけで。
⋮⋮目立つんだよ、大きな力って。魔力探知で居場所も確実にバ
レるし。
詠唱するのが本来の魔法というものなんだから、敵が万能結界付
加の魔道具を装備して突撃してくれば倒されるだろう。接近戦向き
じゃないしね、基本的に。
なので城仕えの魔術師達の御仕事って防衛以外は基本的に知識を
活かした頭脳労働。
714
戦争が起きても自分を活かせる方法を考えないと役立たずです、
間違いなく。
⋮⋮という考えをつらつら述べたらレックバリ侯爵は感心半分呆
れ半分の微妙な顔になった。
夢を見ないで下さいよ、現実なんてそんなものですって。
しかしグランキン子爵は自分が忘れられている事が許せないのか
声を上げた。
﹁レックバリ侯爵、庶民の小娘など相手にするものではありません
ぞ!﹂
﹁その小娘相手に喧嘩を売って手も足も出なかったグランキン子爵
は貴族として出来損ないなのですね﹂
﹁何だと!﹂
﹁少しは頭を使ってください。とても退屈でしたわ?﹂
わざとらしく溜息を吐いてやるとグランキン子爵は顔を赤くして
怒りに震えた。
そしてクラウスがそれを更に煽る。
﹁嫌がらせも全てミヅキに読まれていたじゃないか⋮⋮本当に下ら
ない奴だな﹂
﹁く⋮⋮言葉が過ぎるのではないか? ブロンデル公爵﹃子息﹄殿
?﹂
﹁あら、クラウスは仕事で私と共に居るのですけど﹂
その言葉にレックバリ侯爵と周囲は軽く反応するがグランキン子
爵は相変らず気付かない。
⋮⋮自分をお貴族様だと誇るなら翼の名を持つ騎士だけでも覚え
ておけよ。
715
ついでに言うならアンタの奥方はクラウスにずっと見惚れている
んだが。
歳を考えろ? いい加減、周囲の御嬢さん達からの生暖かい視線
に気付け?
﹁少し静かにしておれ! 御嬢さん、あんたの狙いはグランキン子
爵か﹂
意外にも一喝しグランキン子爵を黙らせたのはレックバリ侯爵だ
った。
その印象は先程までと違い﹃人の良いおじいちゃん﹄から﹃腹黒
い狸﹄へと変わっている。
貴方には意味が判ったようですね、レックバリ侯爵。
ならばこちらも﹃御嬢さん﹄ではなく﹃彼等の協力者﹄として接
しなければ。
﹁それと貴方です、レックバリ侯爵﹂
﹁ほう、何故かな? 儂は何もしとらんが﹂
﹁ええ、貴方はグランキン子爵の後見紛いになっていただけで全て
はグランキン子爵が起こした事。ですが、貴方の存在があるからこ
そグランキン子爵が増長したのも事実でしょう?﹂
﹁それが罪というかね?﹂
﹁グランキン子爵が国に仇成す者ならば。彼は爵位維持の為に他国
の貴族と婚姻関係を望んでいましたが、それはイルフェナの内部に
足場を与える事にほかなりません﹂
﹁婚姻は普通ではないかね?﹂
﹁それは迎え入れた家が強い場合では? 庶民にさえ負けるグラン
キン子爵家に押さえる事ができるとでも? 貴方が背後に控えてい
て監視するならば別ですが、貴方は﹃何もしていない﹄﹂
716
レックバリ侯爵の笑みが変わる。逃げるのではなく、言葉遊びを
楽しむ大物悪役といったところだろうか。
グランキン子爵よ、悪役ならばこれくらい大物を目指さんかい!
素晴らしい御手本が居るのに何故三流のままなんだ、お前は。
﹁儂はグランキン子爵の味方ではないと言うつもりかね? これで
も面倒を見ているつもりじゃが﹂
﹁では﹃味方﹄だと言い切るのですか?﹂
﹁ふむ、そう思ってくれて構わんよ﹂
言ったな? 言質は取ったぞ?
﹁そうですか⋮⋮覚えておいてくださいね。それが報告した際の証
拠となりますから﹂
﹁ふむ⋮⋮ところでな? 儂はこれでも侯爵という立場にある。お
前さんの言葉は少しばかり不敬が過ぎんかの?﹂
﹁あら、御気に触りましたか﹂
﹁庶民如きに嘗められる謂れはないぞ?﹂
不敬と言いつつ目は明らかに面白がっている。
⋮⋮なるほど、今度は貴方が身分を盾にとっての攻撃ですか。
勿論、受けて立ちますとも。
﹁では私なりの責任をとりましょう。⋮⋮すみません、飲み物を戴
けますか?﹂
そう言って近くにいた給仕からグラスを受け取る。中身は白ワイ
ンなのか透明に近い液体だ。
﹁一体何をするつもりかね﹂
717
﹁少し離れてくださいね。⋮⋮これで、いかがでしょうか?﹂
そう言って受け取ったグラスの中身を頭から被る。
いやー、化粧品を元の世界の物にしておいて良かった! 備えあ
れば憂い無し。
謝罪を要求された場合、これと土下座しか思い浮かびませんでし
たよ。
﹁年頃の娘が夜会で水を滴らせる。いかがです? 許して戴けます
か?﹂
﹁では止めなかった俺も同罪だな﹂
何時の間にグラスを手にしていたのかクラウスも同じくワインを
被った。
周囲から女性の声が密かに上がる。遠くではクリスティーナが驚
いているようだがアル達が宥めているようだ。
流石に予想外だったのかレックバリ侯爵も目を丸くしている。
﹁う、うむ。何ともまあ、思い切ったことを⋮⋮﹂
﹁あら、私がどう思われようと今は重要ではありません﹂
﹁⋮⋮何?﹂
﹁私達は仕事で来ています。﹃翼の名を持つ騎士﹄と﹃その協力者﹄
として。先程の会話で﹃貴方がグランキン子爵の味方﹄である事が
証明されました﹂
﹁それがどうしたというんじゃ﹂
﹁翼の名を持つ騎士が動く理由は一つだけです。貴族ならば誰もが
知っている。そして貴方はグランキン子爵の味方⋮⋮即ち私達の﹃
敵﹄なのですよ。グランキン子爵がした事と無関係では済みません
よね?﹂
﹁随分と乱暴な言い分じゃの﹂
718
ええ、言い掛かりに近いと思います。
ですが誰も貴方自身が犯罪者だなんて言ってませんよ? ﹃悪党の背後に居る人物﹄=犯罪の黒幕じゃないのです。
騎士達の獲物はグランキン子爵と犯罪に携わった者達だけ。
私は彼等を庇っている貴方を﹃抑え込む事﹄が目的であって﹃罪
に問う事﹄が目的じゃない。
﹁ええ、乱暴です。ですがその一歩が無ければグランキン子爵に手
が出せない。貴方と言う存在があるから。それを崩す事が私達の役
目です。だって犯罪者の味方だと確信が持てれば貴方が庇おうとも
所詮身内の発言じゃないですか﹂
﹁ほう⋮⋮つまり儂が庇おうともその発言は切り捨てられるという
わけじゃな?﹂
﹁貴方の言葉を無視できなかったのは﹃無関係な第三者﹄だったか
らですもの。グランキン子爵の味方と公言した以上は単なる身内贔
屓でしょう? 元々悪事の証拠はあるんですから﹂
確かにグランキン子爵の悪事に手を貸したわけではない。しかし、
それこそが問題だった。
はっきりグランキン子爵の味方だと判っていれば罪人の身内とし
て庇う発言をしようが無視できる。
だが、それがグランキン子爵とは無関係で長年国に尽くした忠臣
の言葉であったならばどうだろう。
当然、無視できない。彼を知る王や側近達からの抗議は必至だ。
直接犯罪でもやらかしていれば別だが、国に尽くした実績がある以
上はそれなりに発言力と信頼を得ているのだ。
﹃あの者が庇うのならば何か根拠があるのではないか﹄
719
そんな発想に至るのが自然だ。レックバリ侯爵への評価が追及の
手を遮る壁となる。
同意の得られない一方的な追及では内部分裂を招きかねないのだ、
魔王様とて強行すまい。
そして翼の名を持つ騎士は国の所有する剣であることからも動く
事は出来ない。
だから私の協力が必要だった。異世界人はあらゆる柵が存在しな
いからこそ﹃誘き出す役﹄には最適なのだ。
貴族ではないから警戒されない上、多少強引な事をやらかしても
﹃異世界人だから知らなかった﹄で誤魔化せる。
加えて白黒騎士達が協力者になることで彼等の得た情報を駒とし
て使えるのだ。
そういった意味では私自身が魔王様の所有する﹃あらゆる法則を
無視できる最強の駒﹄なのだが。
﹁⋮⋮ふむ、あの王子の差し金か﹂
﹁やり方は私に一任されています。ですから﹂
すい、と瞳を眇め。クラウスは私を守るように腰に腕を回す。
それは﹃姫と護衛の騎士﹄ではなく﹃同じ役割をもつ騎士と魔導
師﹄だ。もはや私に嫉妬の視線は向けられていない。
﹁貴方を舞台の上に引きずり出す事ができれば十分です。先程の行
為は謝罪の意味もありますが、注目を集める意味もあります。⋮⋮
これほど周囲の関心を集めて言い逃れは出来ませんよね?﹂
﹁⋮⋮ふ、ははっ! やりおるな! じゃが、決定打が無いと思わ
んかね? このままでは儂は逃げ切るだけじゃぞ?﹂
﹁それに関してはこちらも手札がありますよ。⋮⋮グランキン子爵
もありますよね?﹂
720
話を振れば顔を真っ青にしていたグランキン子爵も最後の悪足掻
きとばかりに睨み付けて来る。
グランキン子爵の手札は間違いなくクリスティーナへの襲撃だ。
ディーボルト子爵家への脅迫材料であると同時に自身が犯罪者で
あることの暴露。周囲がどんな目を向けるかは想像に難くない。
﹁く⋮⋮いいだろう! せめてあいつらだけでも道連れにしてやる
!﹂
﹁あらあら、勝ったのは私ですよ?﹂
﹁生意気な女だな! 貴様にとってあいつらは所詮手駒か﹂
﹁どなたの事を言っているか判りませんが、手駒は私自身を含める
全てですけど? それに﹂
ぽたり、と透明な雫が髪から垂れる。軽く払い鮮やかに笑うと周
囲が息を飲んだ。それは一つの舞台のクライマックスを見守る観衆
のように見える。
﹁言ったじゃないですか? ﹃私が勝った﹄と﹂
721
悪役VS被害者代表︵仮︶︵後書き︶
グランキン子爵はやっぱり小物。
悪役の背後に居る人=犯罪の親玉ではありません。
粛清に待ったをかけていた侯爵が粛清対象の味方だと言った以上は
グランキン子爵と一纏め。
次話あたりに目的が出る予定。
722
悪役に勝つのが正義の味方とは限らない︵前書き︶
一応、今回の騒動の決着。
723
悪役に勝つのが正義の味方とは限らない
﹁言ったじゃないですか? ﹃私が勝った﹄と﹂ 笑って言い切った私に周囲は一瞬時を止める。
クラウスはある程度予想できているらしく無言。ま、情報通だし
ね。
﹁大口叩くじゃないか、小娘。自分が被害に遭っていなければ利用
するとはな!﹂
﹁あら、自分が被害者でも利用できるものは利用しますよ?﹂
何を言ってるんだ、と呆れた顔をすればグランキン子爵は一瞬言
葉に詰まった。
うん、貴様がやろうとしたことは最低だ。女性ならば絶対に隠し
ておきたい事だろう。
実際にクリスティーナが被害に遭っていたら絶対に利用しない。
だがね?
自分がそんな目に遭ったら泣くより復讐を考えますよ、間違いな
く。
私は﹃魔導師﹄なのです。報復する術があるのに泣き寝入りなん
て絶対にありえない。
しかも今は翼の名を持つ騎士の協力者。
優先事項は結果を出す事です。そうでなければ彼等に仲間と認め
られはしない。
魔王様の﹃配下﹄だと自称してるじゃないか、私は。配下が主に
724
守られるだけなんてありえないでしょ?
それに私はこの世界で既に二つの選択をしている。
一つは﹃生き続けるか、終らせるか﹄、もう一つは﹃人を殺せる
か、殺せないか﹄。
その二つに比べれば命の危機でも無い傷なんて比べ物にならない
くらい軽い。
⋮⋮﹃加害者﹄であることを選べた私が﹃被害者﹄になったくら
いで絶望するとでも?
﹁ふん、犬が!﹂
﹁美味い餌を求めて御主人様への恩さえ忘れる駄犬に言われたくな
いわね﹂
﹁何だと!?﹂
﹁はっきり言ってあげましょうか? 自分の利益を優先し仕えるべ
き主や国さえ平気で貶めるグランキン子爵?﹂
﹁貴様に何が判る!﹂
﹁判りたくないわね、爵位に固執するあまり貴族の在り方を捨てた
奴の言い訳なんて﹂
勿論、私が貴族の生き方をしているわけじゃない。
だけど翼の名を持つ騎士達や魔王様は確実に自分を犠牲にしてい
る部分がある。
彼等をあんたみたいに安っぽい貴族と同列にすることなんて絶対
に許さない。
憤っていたグランキン子爵も私の怒りを察したのかやや青褪めな
がら押し黙った。
レックバリ侯爵は⋮⋮どこか満足そうに眺めている。周囲の貴族
達意も半ば同意しているようだ。
実力者の国の貴族なのだ、思う所はあるのだろう。
725
﹁ふ⋮⋮ふん、いいだろう! ではとっておきの秘密を暴露しよう﹂
顔を引き攣らせながらもグランキン子爵は邪悪に笑う。
まさに悪役ですね、本当にお約束を外さない人だ。
﹁ティーボルト子爵家の双子とクリスティーナ嬢はこの半月、ゴロ
ツキどもに狙われていた筈だ。既に傷物だろう? クリスティーナ
は!﹂
ざわり、と周囲の貴族達が声を洩らす。
貴族にとって婚姻までの純潔は重要視されるものだろう。
ましてデビュタント前にそんな目に遭っていれば令嬢としての価
値は下がる。
しかも本人がこの会場に居るのだ、話題にならない筈は無い。
﹁どうして貴方が知っているの?﹂
﹁私が依頼したからな! 報告も受けている! 実際、ここ数日は
引き篭もって屋敷から出ないじゃないか?﹂
勝ち誇ったように笑うグランキン子爵に対しレックバリ侯爵は眉
を顰めている。
堂々と言う事ではない上に犯罪の暴露だ、しかも十五歳の女の子
に対して。
だが。
それに対し私は笑った。
グランキン子爵の切り札こそ私が用意した最大の駒なのだから。
726
﹁ふふっ! 皆様、聞きました? ここ半月のディーボルト子爵家
への襲撃はグランキン子爵の仕業だったそうですよ? 犯罪ですよ
ねぇ、これ﹂
﹁自白だな﹂
﹁そうよね、クラウス。主犯自ら犯罪を暴露したのよね?﹂
﹁な⋮⋮何がおかしい!?﹂
その問いには答えずグランキン子爵に向けてにやりと笑う。
﹁襲撃対象は﹃明るい茶色の髪と瞳を持った少女と騎士二人﹄でし
たっけ? ふふ、クリスティーナ様は食事会の夜からブロンデル公
爵家へ御世話になっているのですけど?﹂
﹁何!?﹂
﹁でなければ彼女のドレスをブロンデル公爵夫人が見立てるなど不
可能でしょう。貴方の依頼で生地を扱う商人も嫌がらせに協力して
いたんですから。それにドレスや装飾品製作に携わった職人達が証
言してくれます。ブロンデル公爵夫人も、ですね﹂
これはクリスティーナにとっても辛い事だろう⋮⋮あの子は報告
を聞いてさえ﹁そこまでするなんて信じたくない﹂と言っていたく
らいなのだから。
コレットさんがドレスを見立てたのは親心もあるけど、この期間
のクリスティーナの所在を証明する為でもある。
噂に潰されないよう、明確な証拠を作ってくれたのだ。証人は幾
らでも居るのでクリスティーナが無事なのだと貴族達とて知るだろ
う。
ごめんね、クリスティーナ。暫く好奇の視線に晒されるけど少し
我慢して。
﹁私、この半月とても退屈でした。だから一つの遊びを思いついた
727
んです﹂
くすくすと笑いながらグランキン子爵を見る私は間違っても断罪
者には見えない。
どちらかと言えば悪女、もしくは悪の手先といったところか。
﹁魔道具で髪と瞳の色を変えるだけで襲撃に遭うんですもの! ち
なみにクリスティーナ様の身代わりが私で双子の兄上の身代わりが
翼の名を持つ騎士達と一部の近衛の方達です﹂
﹁なっ!?﹂
﹁髪型を似せて同じ位の身長の二人に一般騎士の服を着てもらって
ディーボルト子爵家と城を往復しただけなのに、全部で五十人近い
ゴロツキが現行犯で捕獲されたんです。治安向上の役に立ちました﹂
﹁ほ⋮⋮報告は何だったのだ!? 確かに傷物にしたと⋮⋮っ﹂
﹁捕獲したゴロツキの代表者に﹃依頼主に目的達成を伝えろ﹄って
脅したんです。ああ、今は全員牢に入ってますよ﹂
﹁⋮⋮屋敷に、引き篭もったのは⋮⋮﹂
﹁そいつを依頼主の下に送り出した以上、﹃傷ついて屋敷から出て
こない令嬢﹄を演出する必要があるでしょう?﹂
翼の名を持つ騎士や近衛が簡単に負けるわけないじゃない、馬鹿
よねー⋮⋮と続けると流石にグランキン子爵も黙り込んでしまった。
自分の切り札が読まれた上のものだったのだから当然か。
﹁グランキン子爵。相手に悟られ難い罠とは﹃相手の罠を利用し、
尚且つ都合よく事が運んでいると思わせるもの﹄だと思いますよ?
貴方は自分に都合よく考え過ぎです﹂
﹁⋮⋮だから言っただろう? ﹃全てミヅキに読まれていた﹄と﹂
クラウスの言葉にがっくりと肩を落とすグランキン子爵。
728
クラウスは言ったじゃないか⋮⋮﹃全て読まれていた﹄と。その
言葉を無視して自滅したのは貴方ですよ?
よく悪役が最後に自爆を選ぶけど、本当にお約束な道を辿ったね。
自分で暴露しなければ貴族達に知れ渡る事も自分で自分の首を締
める事もなかったのに。
﹁魔導師、それだけではないのだろう?﹂
探るような表情をしつつ、レックバリ侯爵が話に入ってくる。
疑っているというより確信か。私の呼び方を﹃魔導師﹄にしてる
し。
﹁あら、やっぱり判ります?﹂
﹁流石に儂もグランキン子爵を庇うことなどできん。じゃが、儂も
敵だと言うならば他にも手札があると考える方が自然だと思わんか
ね?﹂
レックバリ侯爵の言葉に私は笑みを深める。
ええ、勿論そういう発想に行き着きますよね。
寧ろ私は白黒騎士が基準なので、そういう所は非常に念入りです。
やり過ぎとも言いますが。
﹁先程言った襲撃の条件を覚えていらっしゃいます?﹂
﹁うむ、﹃明るい茶色の髪と瞳﹄じゃったかな。﹃二人の男性と一
人の女性﹄ということもあるか﹂
﹁はい、その通り! ⋮⋮ゼブレスト王のルドルフは私の親友なの
ですが、彼も﹃明るい茶色の髪と瞳﹄なんですよねぇ?﹂
﹁⋮⋮は?﹂
﹁今回、ディーボルト子爵家の食事会の料理を担当するにあたり食
材を提供してもらいまして。それなのにグランキン子爵が貶めたり
729
するものですから、ディーボルト子爵が謝罪をしてくださったので
すよ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁お忍びですから紅の英雄と私が護衛を担当、ルドルフと紅の英雄
は一般騎士服を身につけてもらいました﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁そうしたら襲撃されまして。他国がゼブレスト王を狙った可能性
もありますし、お忍びという事からも正式な抗議は来てないのです
よ。ただ巻き込まれただけなら私個人の謝罪で許すとは言ってくれ
ていますが﹂
顔面蒼白という表現がぴったりですね、レックバリ侯爵だけでな
く周囲の皆様。
まあ、そうなるわな⋮⋮友好国の王を襲ったなんて外交問題にな
るもの。
実の所、ルドルフは﹃俺も参加したい!﹄という非常にアホな理
由で来たので自業自得である。
宰相様も知ってるし、表向きの事情は私が言ったとおり。よく許
したなー、と思っていたら﹃今までのゼブレストの方が余程危険だ
ったし、レックバリ侯爵が相手ならこれくらいは必要﹄という御答
えが返って来た。
ルドルフ曰く﹃襲撃の目的って傷物にすることだろ? 身代わり
とは言えお前がその対象になっているから怒り狂ってるんじゃない
のか﹄とのことだった。
⋮⋮そういえば身内認定者には厳しくも優しい﹃おかん﹄でした、
宰相様。
まあ、ルドルフも忙しい所為でお忍びも出来ずストレスが溜まっ
ていたみたいだが。
間違ってもこの場では言えんな、こんな裏事情。
730
﹁ルドルフは確かに温厚なのですけど⋮⋮流石に襲撃までされて黙
ってはいませんよ? グランキン子爵とその繋がりのある悪党ども
はどんな理由があれば許されるのかしら?﹂
﹁何とも⋮⋮大それた事を⋮⋮﹂
﹁貴方が自分に向けられた信頼や長年の功績を利用してグランキン
子爵達を庇っているのですから、私も自分の持つ繋がりを使ったま
でですよ?﹂
それに、と付け加える。
﹁貴方だって言っていたじゃないですか、﹃ゼブレストの血塗れ姫﹄
と。そう呼ばれるに至った経緯を知っていればこの繋がりは予想で
きるのでは? 彼等は信頼できない無能者に﹃ゼブレストの﹄なん
て付けませんよ﹂
私は現在、イルフェナに所属していることになっている。それを
態々粛清に関わったと公言する呼び方をしているのは、私の味方で
いてくれるからに他ならない。
ゼブレストでの繋がりがあるなら︱︱イルフェナである程度の扱
いは保証されるし、国の中核に組み込まれる事も無い。
危険視する者も居るだろうが、私が魔王様配下を公言し翼の名を
持つ騎士が守護役に就いている事から黙らせる事もできるだろう。
イルフェナで利用されず隔離状態にあるのはそういった事情から
だ。魔王様が庇えない部分をゼブレストが補ってくれている。
ルドルフ達もイルフェナの貴族達にそれを教える為に今回は動い
てくれたのだろう。 ﹁さあ、まだ何か言い分がありますか? 場合によってはゼブレス
731
トから正式な抗議がありますが﹂
﹁いいや。儂の負けじゃな﹂
﹁そ⋮⋮そんな! レックバリ侯爵ともあろう方がっ﹂
﹁いい加減にせんか! 全てはお前の自業自得だろうが! 最後く
らい己の非を認めたらどうじゃ﹂
見た目温厚な老人とは思えない迫力にグランキン子爵は顔を真っ
青にして黙る。
格好良いな、大物は! それでこそラスボス様です!
レックバリ侯爵、グランキン子爵はあれでいいんですよ? 三流
悪役の王道を突っ走る人ですから悪足掻きも重要なポイントです。
⋮⋮おや、レックバリ侯爵は何か勘違いしてるような。
﹁レックバリ侯爵ー、何か勘違いしてません?﹂
﹁ふむ、何かね?﹂
﹁グランキン子爵は犯罪者ですけど、貴方は違いますよ?﹂
その言葉に意外、と言わんばかりに目を見開くレックバリ侯爵。
あれ、私もクラウスも﹃庇うな大人しくしてろ﹄くらいしか要求
してないよね?
﹁儂を捕らえるには十分ではないかね?﹂
﹁貴方を糾弾する気はありませんよ? だって目的はグランキン子
爵ですから﹂
﹁何だと?﹂
﹁貴方が庇おうとどうにもならない状況に持っていくことが目的な
んです。実際、貴方は何もしていないじゃないですか﹂
﹁それはそうなのだがね⋮⋮状況的に何の処罰もなしというわけに
は﹂
﹁襲撃を指示したわけでなく、悪事を働いたわけでも無い。そもそ
732
も貴方に発言力があったのは国の信頼が厚い方だからです。何故庇
うに至ったかという状況説明はして頂く事になるでしょうが、それ
だけですね﹂
﹁随分と都合のいい解釈だな﹂
﹁都合が良くとも現実です。なまじ貴方自身の功績があるからこそ
共倒れにはなりません。私が望むのは最良の結果ですから、これで
いいんですよ﹂
そもそも魔王様が強行できなかったのは国がこの人を失う事を良
しとしなかったからで。
そう言うとレックバリ侯爵は微妙な顔になった。
うん、気持ちは判る。だって﹃隠居駄目、まだ働け﹄って言われ
たようなものだもの。
それに重要なことを聞いていないのです。
﹁貴方は国に忠誠を誓っていますか?﹂
﹁⋮⋮我が生涯、一度たりとも国への忠誠が揺らいだ事はない!﹂
﹁そうですか。ではこれが最良の結果ですね。貴方を失わず無駄な
者だけを排除できたのですから﹂
それが最良の選択だよね、とクラウスに視線を向ければしっかり
と頷かれた。
おお、合格点をもらえたようです。今回は説教回避か。
決着がついたついでに指を鳴らして私とクラウスが被ったワイン
を分離させ蒸発させる。
クリスティーナから少しでも興味を削いでおく為のパフォーマン
スです、これくらいは許されるだろう。
その目論見どおり周囲の視線は私に集った。珍獣であることも役
に立ちますね。
733
﹁ほう⋮⋮無詠唱か!﹂
﹁完全に無詠唱ではないですけどね﹂
嘘だがな。
レックバリ侯爵には迂闊な事は言えません。危険です。
そんな心境を察したのか、それ以上の追及はせず満足げな顔を向
ける。
﹁お前さんの見解を聞いても良いかね?﹂
﹁貴方が後ろ盾になることでグランキン子爵は増長し、更には表立
って動かなかった連中が彼と繋がりを明確にしました。餌、ではな
いですか? 貴方の役割は﹂
﹁どうせなら儂も纏めて排除して欲しかったがね﹂
﹁何故ですか?﹂
﹁儂は長く中枢に関わってきた。老いた者が何時までものさばるよ
り若く有能な者に譲るべきじゃろう。儂が居てはいつまでも保護者
がいるようなもの。頼る者が居なくなれば自分達でやるしかなかろ
う?﹂
﹃普通に引退したら頼ってくるから頼れない状況にし、餞別代り
に悪党を国から排除。ついでに自分に勝ったという功績をプレゼン
ト! 自信に繋げて今後を頑張れ﹄
簡単に言うとこんな感じだろうか。スパルタ教育と親心と国への
忠誠心が見事に混ざってますね。
⋮⋮ああ、周囲に俯いてる人達がいる。あれはレックバリ侯爵を
頼ってきた貴族達だろうか。
﹁えーと。それで言うと私は出て来ない方が良かったんでしょうか
?﹂
734
いや、間違いなく居ない方が良かったよね? あれ、余計な事を
しちゃった!?
だがレックバリ侯爵は笑って首を横に振った。
﹁いいや? お前さんが独断で動いたのではなく、エルシュオン王
子の配下としてじゃろう? ならば構わんよ﹂
﹁何故﹂
﹁あの方は儂の教え子の一人でな、配下に頼り切りになるような生
温い教育はしとらんよ﹂
⋮⋮爆弾を投下されたような気がします。
目の前の狸が魔王様の教育方針の元になったみたいです。
﹁え゛⋮⋮ ってことはあの人の考え方の元凶!?﹂
﹁元凶⋮⋮いや、それも正しいんじゃが﹂
﹁つまり魔王様の性格形成に大いに影響を及ぼしたと﹂
﹁い、いや。そこまでは儂の所為ではないと⋮⋮思いたい﹂
焦るあたり非常に疑わしいですね∼、狸様?
あれか、この人の教え子って考え方が似るか全く逆方向に行くか
の二択じゃね? 目を泳がせて冷や汗を滲ませる狸をジト目で見ていたらクラウス
が頭を撫でてきた。 ﹁原因が判ったところで現実は変わらないぞ?﹂
職人よ、事実だけを言うその口が今は非常に憎らしい。
まあ、狸は今後取り調べと言う名の説教&引退延期懇願タイムに
なるので今はよしとしよう。
ああ、一個だけ言っておかなきゃならない事があるか。
735
﹁レックバリ侯爵。一つだけ貴方の認識を訂正していただきたいの
ですが﹂
﹁⋮⋮何かね?﹂
﹁ルドルフは内面に私とそっくりな部分があるのですよ。私が牙も
爪も隠さぬならルドルフは必要な時以外は隠している、という違い
はありますが﹂
﹁今回の事も儂の首一つでは済まないと?﹂
﹁いいえ? 私は穏便に収めるつもりですよ? ですが、協力して
くれた友人の評価を見直してもらっても良いかと思いまして﹂
﹁⋮⋮魔導師は己が基準の実力至上主義な者が多いと聞く。今回の
事も含め、お前さんが親友と言い切り﹃粛清王﹄などと呼ばれる者
が認められんと思うかね?﹂
﹁ふふ、今後は無いでしょうね! 今この場で話を聞いていたのな
ら特に﹂
﹁やれやれ⋮⋮ついでに儂を利用するとは﹂
迷惑料としてそれくらいは我慢してください。
狸の首などいらないから今後も働け。
736
悪役に勝つのが正義の味方とは限らない︵後書き︶
狸はある意味勝者、ある意味敗者。
黒い子猫は﹃牙や爪が役に立たないなら植木鉢を落として攻撃する
ような性格﹄でした。
737
番外編・姫君と騎士達︵前書き︶
夜会でのクリスティーナ達。
アメリア&アンディVSお姉様達。
解説はやる事の無い白騎士でお送りします。
738
番外編・姫君と騎士達
︱︱夜会にてクリスティーナ達の場合︵アルジェント視点︶
ミヅキがクラウスと共にグランキン子爵へと足を向けた後。
纏わり付いていた好奇と恐怖を湛えた視線はやや弱まったように
思った。
と、言っても姉達が居るのだから完全には消えないのだろうが。
﹁残念そうね、アル﹂
やや苦笑しながら姉が尋ねてくる。
それほど顔に出ていたのだろうかと内心驚きつつ、苦笑するに留
める。
﹁それほど表情に出ていましたか?﹂
﹁そうね⋮⋮親しい人なら気付く程度には。だって貴方はいつも﹃
完璧な﹄笑みを貼り付けているんですもの﹂
﹁やはり二人に置いていかれるのは寂しいのですよ﹂
﹁ふふ、クラウスに嫉妬すると思わないあたりが貴方よね﹂
﹁仕事ですからね﹂
いや、実際は仕事でなくとも嫉妬などしない。寧ろクラウスが一
緒に居るならば安心するだろう。
それはセイルであろうとも同じであるし、二人も同じ答えを返し
そうだと思う。
739
﹁彼女は自分の事など全く気にしませんから。今も出来る限りの事
はしていますし﹂
それは全てクリスティーナを守る為である。貴族社会において尤
も恐ろしい噂という﹃化物﹄に対しての。
自分とてかなりの迷惑を被ったのだ⋮⋮子爵家、しかも漸く大人
になり始めた少女にとってどれだけ恐ろしいものか。
尤も今は表立って口にすることなどできはしない。
ミヅキが報復として実力行使することも、姉達やブロンデル公爵
夫人が味方に付いていることも周囲に知らしめたのだから。
好奇の視線ばかりはどうしようもないが、必要があればミヅキは
再び目立つ行動をとって周囲の注目を集めるくらいするだろう。
﹁そうねぇ、でもミヅキ様は弱くはないわよ?﹂
﹁⋮⋮放置されたまま忘れられそうな気がするのですよ。我々が﹂
﹁ああ⋮⋮確かに﹂
ありえそうね! と言いながらも楽しげな姉に少々恨めしげな視
線を向ける。
やはり姉の目から見てもそう思えるのか。
﹁執着は貴方達の一方通行ですものね。⋮⋮三人がかりで引き止め
ているから貴方達は仲が良いのかしら﹂
⋮⋮事実ではあるが、ざっくり胸を抉る言葉だ。姉は本当に容赦
が無い。
﹁そこは一途な愛と言って欲しいものです﹂
﹁あら、似たようなものよ。それに貴方達が綺麗なだけの感情を向
けているなんて思えないもの﹂
740
﹁おや、精一杯誠実であると思うのですが﹂
﹁確かに誠実ね、自分に対して﹂
﹁⋮⋮﹂
本当にこの姉は厄介だ。貴族としての自分を知るだけに簡単に騙
されてはくれない。
物語のように憧れをもって民間に伝えられる話が都合のいいよう
に歪められた物だと知っているのだから当然か。
⋮⋮﹃美しく優しい姫・王子様﹄﹃素敵な騎士﹄など物語の中に
しかいないのだから。
最終的な結果はどうであれ周囲を押さえ込むだけの手腕と立ち回
りができなければ利用されるだけである。
結果を出したからこそ国に名を響かせ慕われるような存在となり
うるのだ。
顔と家柄さえ己の武器⋮⋮政略結婚が当たり前の世界で何を夢見
ているのか。
﹁でも自分に素直な人は他にも居るみたいね。⋮⋮アル﹂
﹁判っていますよ。私はクリスティーナ嬢の傍に﹂ ﹁今回は私達に譲ってね?﹂
﹁⋮⋮ある程度は﹂
二人揃って向けた視線の先には見覚えのある少女と赤毛の青年。
と言っても、青年の方は乗り気ではないようだ。
先日の件と現状を見れば近寄るなどとは思わない筈なのだが⋮⋮
やはり何らかの契約があるのだろうか。
近づいて来る二人のうち一人は遠目にも判るほど不機嫌だった。
クリスティーナの現状が予想外だったことが原因だろう。
︱︱本当に⋮⋮自分に正直で、自分を世界の中心だと疑っていな
741
くて。呆れるほど愚かな人ですね。
ひっそりと溜息を吐いてしまったのは仕方のない事だろう。
※※※※※※※※※
﹁クリスティーナ様、来ますわよ﹂
ひっそりと姉が告げれば僅かに表情を強張らせるクリスティーナ。
自分に向けられた悪意を知っているならば当然の反応だろう。嫌
がらせ程度の可愛らしいものではなく性質が悪い犯罪の標的にされ
たのだから、実際に被害に遭っていなくとも恐怖は覚えるだろう。
﹁御安心を、姫様。我等が居りますわ﹂
﹁ええ。滅多な事では負けませんわよ﹂
﹁ふふ、本当ならば話し掛ける事さえできないのですけど﹂
次々に美女達から掛けられる言葉は表情とは裏腹に非常に恐ろし
い。
先程姉が言った﹃綺麗なだけではない﹄という言葉は社交界の華
と呼ばれる存在にも当て嵌まるのだ。
逃げ道はあった。だが、アメリア自身がそれに見向きもせず破滅
へと向かっているのだからどうしようもない。
アンディの方も己の言動が考えているものより更に悪い事態を招
くものだと気付いていないのだろう。
気付いていれば絶対にアメリアを止める筈だ。
尤もそれを態々教えてやる気も無いので、ここは姉達に譲って沈
742
黙すべきだろう。
自分の役割は﹃クリスティーナ嬢のエスコート﹄であって彼等へ
の攻撃ではないのだから。
そんな事を考えている間に二人はこちらへとやって来たようだ。
周囲も興味深げな視線を向けている。
﹁ごきげんよう、クリスティーナ﹂
表面上は笑みを浮かべ従姉妹に挨拶をしているように見えるが、
その瞳は憎悪に満ちている。
何一つ自分の思い通りにならなかった事への苛立ちがそのまま現
れているようだ。
少しでも隙を見せれば大喜びで攻撃してくるのだろう。
﹁ごきげんよう、アメリア﹂
﹁貴女もドレスを新調したのね。私もよ⋮⋮どう、似合っているで
しょう?﹂
そう言って自慢げに見せる淡いピンクのドレスは本来クリスティ
ーナが着る筈だったものだ。
その所為だろうか⋮⋮アメリアの言動もあって少々子供っぽく映
る。
顔立ちも雰囲気も違うのだから本来ならば自分に合ったものにす
べきだろうに、嫌がらせを優先させたのか。
その行動が事情を知る者達にはどう映るのかを考えていないあた
り、思考も子供なのだが。
﹁本当に素敵ね⋮⋮そのドレス﹂
﹁なっ!﹂
﹁商人に手を回して生地を押さえ込んだ挙句、デザインさえ自分の
743
ものにするなんて。絶対に真似できませんわ﹂
﹁な⋮⋮何故、それを⋮⋮﹂
﹁あら、どう思われるかを理解して身に纏っているのでしょう?﹂
﹁それに私達が目に入らなかったのかしらね? 貴女は身分をどう
いうものと思ってらっしゃるの﹂
﹁やめてあげなさいな。まだまだ理解できていない﹃お子様﹄なの
ですわ﹂
⋮⋮早くも姉達が動いたようだ。唖然とするクリスティーナを軽
く引き、少々後ろに下がらせ距離をとる。
この光景が注目されぬ筈はない。毒は遠ざけて⋮⋮いや、彼女達
から隔離させておくべきだろう。
素敵なお姉様達と思い込んでいるクリスティーナには今夜だけで
も夢を見ていてもらいたい。
どうせ本性は近いうちにバレるのだから。
それに普通ならば自分より高位の令嬢達と話しているクリスティ
ーナに声を掛けるなどという真似はしない。
親しければ別だが、間違いなく令嬢達の不興を買う。アンディも
まさかアメリアが令嬢達に挨拶もせず話し始めるなどとは思ってい
なかったのだろう。哀れだ。
﹁御存知? グランキン子爵に手を貸した商人は公爵家直々に注意
を受けたそうですわ﹂
﹁ブロンデル公爵夫人は大層お怒りだったとか﹂
﹁当然ですわね。信頼のない商人など居ても困りますもの﹂
次々に向けられる言葉にアンディは顔を青褪めさせる。⋮⋮知ら
なかったのだろうか。
しかもアメリアは悔しそうに唇を噛むばかりで状況に気付いてい
ない。
744
嘘でも噂でもなく事実なのだ、しかも主犯の一人なのだから否定
はできまい。
微かに聞こえる周囲の声はアメリアを批難するものが大半だ。尤
もそれは娯楽のような扱いなのだろうが。
﹁ああ、それからそちらの方? 確かアンディ様でしたわね? バ
クスター伯爵家の﹂
いきなり話を振られたアンディはビク! と肩を竦ませた。彼の
性格上ある程度は女性の扱いに慣れている筈なのだが、姉を相手に
それは通用しない。
﹁⋮⋮ええ。アンディ・バクスターと申します﹂
﹁そう。確かクリスティーナ様のエスコートを申し出ておきながら
家の都合でお断りした、ということだったかしら﹂
﹁そのとおりです。クリスティーナ嬢には大変申し訳ないことをし
ました﹂
申し訳なさそうな顔で軽く俯く様は一見誠実そうに見える。
整った顔立ちもあり、彼に好意を抱く女性ならばそれだけで信じ
てしまうだろう。
⋮⋮実際には全て最初から仕組まれていた事だったが。
それを知っている筈の姉が敢えて﹃家の都合﹄などという言い方
をするとは一体?
﹁ではバクスター家もグランキン子爵の一味ということですのね。
御子息本人が肯定しましたもの﹂
﹁な⋮⋮そんなことはっ!﹂
﹁あら、たった今そう仰ったじゃありませんか。ねえ、皆様?﹂
﹁ええ、確かに聞きましたわ﹂
745
﹁バクスター家がグランキン子爵と繋がりがあるなんて⋮⋮!﹂
なるほど。﹃家の事情﹄を言い訳にするなら﹃個人﹄ではなく﹃
家﹄をグランキン子爵一派だと吹聴する気なのか。
実際にバクスター家が関わっていたかどうかは不明だが、アンデ
ィ本人がそう言ったことで事実と周囲に認識されてしまっている。
バクスター家にとってグランキン子爵との繋がりなど悪評以外の
何物でもあるまい。噂を否定する為には息子に対し何らかの処置を
取る以外はないだろう。
どうやら相手に吼えさせて叩き落すという作戦らしい。噂を操る
術に長けた女性達は密かに周囲の反応に気を配りつつ、笑みを浮か
べたままだ。
そして﹃本日は騎士になりますわ!﹄と言い出す姉がここで追及
の手を緩めるなんて生温い筈はない。
﹁そういえば⋮⋮貴方は私の弟と敵対したと聞きました。確かに弟
は公爵子息であり、本人の身分は騎士ですが⋮⋮貴方も伯爵子息で
しかありませんよね? 侮辱される謂れはありませんわよ?﹂
それとも弟は騎士として貴方に劣るというのかしら︱︱と付け加
えた言葉に反論の声は挙がらなかった。
アメリアは何か言いたそうだが、当のアンディは顔面蒼白のまま
言葉も無い。
当たり前である。翼の名を持つ騎士の隊長が近衛に成り立ての騎
士より劣るなど絶対にありえない。
そんなことは貴族ならば誰でも知っている。
そして捉え方によっては﹃バクスター家がバシュレ家を見下して
いる﹄と言っているように聞こえる。
746
﹃身分的な意味でも騎士としても劣る﹄という現実を突きつけら
れアンディは頭を垂れた。
もう彼に反論は出来ないだろう。この会話も周囲に聞かれている
のだ、バクスター家を巻き込んでアンディの未来は暗い。
と、その時。
﹁え!? ミヅキ様!?﹂
クリスティーナの声にミヅキ達の方へ視線を向けるとミヅキとク
ラウスがグラスの中身を頭にぶちまけている。
ざわめく声の多さに周囲の関心の高さを知るが、距離がある為何
があったかは不明だ。
それに私の役割は彼等を補佐することではない。
﹁大丈夫ですよ﹂
﹁で⋮⋮でも﹂
﹁ミヅキとクラウスですよ? あの二人が考えも無しにやると思い
ますか﹂
﹁⋮⋮いいえ﹂
﹁では、今は気にするべきではありません﹂
判りますね? と暗に言い含めれば完全に納得は出来ないものの
落ち着いたようだ。
逆にアメリアは喜色を浮かべる。
﹁まあ! 何てみっともない! 下賎な庶民が口答えなどするから
ですわ﹂
先程までの報復とばかりにミヅキを貶める姿に姉達は嫌悪をあか
747
らさまにする。勿論、私も。
そうなった原因は一体誰なのか。
お前如きが下賎などという言葉を使うのか。
そんな言葉が聞こえて来そうなほど冷たい目で見られていること
が未だ理解できないのか。
﹁下らない人ですね﹂
﹁え?﹂
ぽつりと呟いた言葉は意外と響いたようだ。アメリアがきょとん
と視線をこちらに向ける。
ああ、本当に何て価値のない生き物。
﹁下らない人だと言ったのです。貴女の頭は飾り物でしょうか﹂
﹁な、ア、アルジェント様!?﹂
﹁気安く名を呼ばないで戴けますか、汚らわしい。人を貶め人を見
下す事しかできない罪人如きが一体何様のつもりなのでしょうね?﹂
次々とぶつける言葉にアメリアの表情が驚愕から絶望へと染まっ
ていく。
どうせ理解など出来てはいまい。精々、憧れの騎士に嫌われた事
に傷ついているだけだろう。
﹁そんな⋮⋮酷いです! 私は、貴方のことが﹂
﹁酷い? 貴女がクリスティーナ嬢にしようとしたことは何なので
す? 幸い防ぐことができましたが実行されていれば傷つくどころ
ではない! それとも自分の思い通りにならなければ陥れて蔑めと
育てられましたか﹂
恐らくグランキン子爵も得意げに犯罪を暴露しているのだろう。
748
だが、それが恐れるようなものではないと自分達は知っている。
何せ私もミヅキの計画に協力した一人であり、グランキン子爵邸へ
嘘の報告に行かせた時の監視役なのだから。
一時クリスティーナへと視線が注がれようとも無事である事は幾
らでも証明できるのだ。
だからクリスティーナ。貴女は堂々としていればいい。恥ずべき
事など何も無い。
アメリアも周囲から聞こえる声とグランキン子爵の様子に計画の
失敗を悟ったらしい。
もはや視線はアメリアにも注がれ始めている。⋮⋮これまでの彼
女の行動を見ていれば当然だろう。
﹁な⋮⋮のよ﹂
悔しげなアメリアの口から微かに言葉が漏れる。
﹁何で、あんたばっかり! 皆に⋮⋮アルジェント様に守ってもら
えるのよ⋮⋮!﹂
その顔に浮かぶのは憎悪。相変らず反省や謝罪といったものが思
い浮かばないらしい。
何よりアメリアは根本的な思い違いをしているのだが。
それに気付いているクリスティーナがアメリアの前に進み出る。
その表情はやや硬いがしっかりと前を向いていた。
﹁アメリア。貴女は思い違いをしているわ。人脈でも立場でもない、
最も簡単な事を﹂
﹁思い、違い⋮⋮?﹂
749
﹁私はデビュタントに向けて努力したわ。まだ拙いけれど家の名を
貶めぬよう、家族に恥ずかしい思いをさせないよう多くを学んだの。
貴女が努力したことは違うでしょう?﹂
やや幼い声だが服装の所為もあり、アメリアより年上に見える。
睨み付ける事などせずとも彼女はアメリアを圧倒した。
﹁手を差しのべてくれる方達は沢山居たわ。皆さんこう言ってくだ
さったの⋮⋮﹃自分も超えて来た道なのだから努力する姿を見れば
応援したくなる﹄って。それは私だけに当て嵌まるものじゃないで
しょう?﹂
﹁私には⋮⋮居なかったわ。誰も、誰も!﹂
未だ人の所為にしてはいるがクリスティーナへの一方的な憎悪は
幾分和らいでいる。
あの親が原因なのだ、そんな生き方しか知らずとも仕方がないの
かもしれない。
と言っても周囲の言葉に一切耳を傾けなかった彼女にも十分非は
あるのだが。
そろそろいいかと思い、私も口を挟む。
﹁当たり前じゃないですか。貴女が努力したのは嫌がらせなんです
から。誰が悪事に手を貸したいと思うのです?﹂
﹁え?﹂
﹁誰だって犯罪者になどなりたくはない。目先の利益に釣られる者
ならばともかく、家の名を貶める行為に手を貸す愚か者はいません
ね﹂
クリスティーナの纏う色は母の思い出、ドレスは母親代わりのブ
ロンデル夫人が見立ててくれたもの。
750
装飾はミヅキを筆頭に騎士達から贈られ、礼儀作法やダンスは姉
達に教えを受けた。
そして彼女の性格は家族と家族に等しい者達が共に作り上げた。
対してアメリアはどうだったろうか。
親からの愛情は与えられたが、その教育はあまりにも愚か過ぎた。
見下せば反感を買う、陥れれば憎悪を向けられる。
きっとそんな事も思い至らないに違いない。
いや、人に言われたとしても素直に受け入れる事などしなかった
だろう⋮⋮自分が被害者になったことなどないのだから。
﹁アメリア。私の事はどう言っても構わないわ。だけど私に手を差
し伸べてくれた方達を侮辱するのは許さない﹂
﹁許さない⋮⋮? 生意気なのよ、アンタ﹁お黙りなさい!﹂﹂
アメリアの発言を遮り姉が冷たい目を向けた。同時にクリスティ
ーナを後ろに下がらせ背に庇う。
﹁どこまでも人を見下す姿勢を変えないのですね。いいわ、貴女達
のやり方で我がバシュレ家がお相手しましょう﹂
﹁あら⋮⋮﹂
﹁まあ、シャルリーヌ様。そんな価値はありませんわよ?﹂
﹁姉上⋮⋮理解できぬ者に時間を割くだけ無駄ではないかと﹂
口々に掛けられる言葉は決してアメリアを労わるものではない。
﹃そんな価値などない﹄、そうはっきり言っているのだ。確かに
公爵家が出るまでもないと思う。
﹁人脈を使い、手を回して、グランキン子爵家を潰してあげますわ。
751
ああ、でも貴方達と違って犯罪者になるつもりはありません。貴方
達の犯した罪を徹底的に洗って糾弾するだけです﹂
貴方達のような反省する事さえ知らぬ罪人など我が国には必要あ
りませんものね! と楽しげに告げる姉の目は全く笑っていない。
グランキン子爵家は貴族をただの特権階級の様に思っているよう
だが、我が国においては同じだけの責任を求められる。
公爵家ともなれば責任の重さは桁違いである。跡取でなくともそ
の家に生まれた以上は背負うものがあるのだ。
そもそも姉が婿をとったのも公爵家の人間として国に貢献してい
るからである。
そんな姉を怒らせるとは。大変勇気のある、無謀な行為をしたと
言えるだろう。
⋮⋮まあ、アメリアの場合は礼儀を無視した挙句個人的に怒らせ
たので自業自得だが。
それにグランキン子爵家は公爵家が動かずとも間違いなく潰れる。
ただ自分達が妥当とする以上に罪は重くなる可能性がでてきただ
けだ。大した差はない。
﹁貴女が納得できるだけの罪状を突きつけて差し上げますわ。楽し
みになさっていて﹂
﹁わ⋮⋮私が悪いというの!? だって、クリスティーナがっ﹂
震えながらも非を認めないアメリアの姿に周囲の視線は嫌悪と同
情が入り混じったものになりつつあった。
あの親にずっとそうあるよう教育されてきた︱︱彼女にとっては
それが正しいのだ。
そう簡単に理解出来るものではないのだろう。
752
﹁これ以上の話は無駄ですわね。アンディ様? しっかりエスコー
トなさってくださいな﹂
﹁ま⋮⋮待って!﹂
恐らく初めて誰かに糾弾されるという立場に立ったアメリアを気
の毒と思わないではないが。
﹁いい加減口を閉じてくれませんか。耳が穢れます﹂
思った以上に冷たい声にアメリアは身を竦ませると押し黙る。同
情できる期間は過ぎているのだ、それに私は﹃誰にでも優しい騎士
様﹄などではない。
今回、私達も随分と不快な思いをしているのだ。
加えて本人が言い出した身代わりとはいえ、婚約者を傷物にしよ
うとした輩に向ける優しさなど無いわけで。
﹁アルジェント様⋮⋮もしかして、怒ってらっしゃいます?﹂
﹁ミヅキを巻き込む羽目になった我が身の不甲斐無さに怒りを覚え
ているだけですよ﹂
﹁確かに。ミヅキ様は何の関係もありませんでしたもの﹂
﹁我々が不甲斐無かっただけですので、御気になさらず﹂
そういうことにしておいてください、クリスティーナ嬢。 753
番外編・姫君と騎士達︵後書き︶
あの親に育てられたアメリアはそう簡単に改心できません。
彼女にとっては今までが﹃当然﹄でしたから。
アンディは事態の深刻さはともかく、一応理解できています。
お姉様達↓大はしゃぎ・でも逃げ道は用意
クリスティーナ↓ちょっぴり成長。
白騎士↓殆ど出番無し。役目は理解していても気持ち的には置いて
いかれた犬。若干拗ねてます。
754
番外編・保護者達の密談︵前書き︶
近衛騎士サイド。
時間的には食事会後。
755
番外編・保護者達の密談
﹁⋮⋮という事があったそうです﹂
﹁⋮⋮﹂
部下である騎士の報告に壮年の男性は厳しい表情をしたままだっ
た。
それは彼だけではない。室内に集っている彼と同じ隊に属する近
衛騎士達も同様だ。
彼等が纏っている深い青に金の飾りの付いた騎士服は近衛騎士の
ものであり、それだけで彼らがエリートなのだと知れる。
その中心人物は騎士団長を務めてもいる、王族の信頼厚い人物だ
った。
﹁ふ⋮⋮ふふ⋮⋮! 随分とふざけた真似をしてくれるではないか﹂
背後に何やら黒いものを背負った事で威圧感の増した騎士団長︱
︱アルバートは口元を笑みの形に歪める。
そう、間違っても笑ってなどいないのだ⋮⋮事実、目が据わって
おり顔の上部に影が出来ている。
子供どころか一般人、いや新米の騎士なら泣き出す迫力だ。
近衛騎士として感情を表に出さぬ彼にしては非常に珍しい事だと
いえよう。
尤も集っている数人の騎士は誰もその事を咎めようとはしなかっ
た。寧ろ同類である。
﹁アンディ・バクスター、ね⋮⋮表立って問題行動は起こしていま
せんでしたが﹂
756
﹁副団長、それ本気で言ってます?﹂
﹁いいえ? ﹃表立って﹄と言ったでしょう。報告によると誠実と
は言い難い人物です﹂
穏やかな笑みを浮かべた騎士が掛けた眼鏡に手をやりつつ報告書
を手渡す。
﹃知的な笑顔が素敵﹄と言われる人物だが、今はその笑みが作り
物めいている。
余談だが、この笑みの時は絶対にこれ以上怒らせるなと評判だ。
一年以上在籍している近衛騎士ならば誰でも知っている教訓とも言
う。
近衛にも頭脳派が存在するのだ、強さも必要だが強いだけが騎士
ではない。三十代で副団長を務める人物がただの優男である筈は無
いのだから。
更に言うならこの男の名はクラレンス・バシュレという。
バシュレ家令嬢にして恐るべき社交界の華︱︱シャルリーヌ・バ
シュレの夫だ。
夫婦揃って近衛に在籍する団長夫妻が最強夫婦と呼ばれるのに対
し、副団長夫妻は最凶夫婦と呼ばれている。
この二組の夫婦は互いの伴侶を最大の理解者といって憚らないの
だ⋮⋮つまり同類である。副団長の結婚には当時の近衛の誰もが恐
れ戦き﹃素直に祝福できない組み合わせ﹄﹃混ぜるな危険﹄と密か
に囁かれたとか。
﹁エルシュオン殿下もグランキン子爵を追及するつもりのようです
し、彼はこちらで引き受けてしまっても構わないのではないでしょ
うか﹂
﹁ほう⋮⋮クラレンスもそう思うか﹂
﹁ええ。このような人物が一時であろうと近衛に在籍するのです⋮
⋮躾られる覚悟は出来ているかと﹂
757
にこやかに告げる内容ではない。しかも言葉だけなら非常にまと
もな事を言っている。
まさに悪魔の一声、しかも団長の後押しに場は沸いた。否、彼等
はその一言を待っていた。
﹁当たり前ですよ! 恥です、恥!﹂
﹁そのような碌でもない人物は相応しくありません!﹂
個人的感情が立派な言葉の陰に隠れていようと気にする奴は誰も
居なかった。
実際、彼等は非常に個人的な感情の元に発言しているのである。
﹃あの子が近衛騎士に失望したらどうしてくれるんだ!?﹄
﹃俺達、あの最低野郎と同列に思われる? ちょ、ふざけんな?﹄
﹃このまま距離を置かれて﹁近衛騎士って最低!﹂とか言われたら
立ち直れん⋮⋮!﹄
一皮剥けばこんなものなのだ⋮⋮それでいいのか、近衛騎士。
尤も癒しの少ない彼等のオアシスと化している異世界の少女も﹃
できた御嬢さん﹄なのだが。
不快にならない距離を保ち、内面に踏み込んでくる事も過剰な理
想を押し付けてくる事も無い。
怪我をすれば労わり、嫌な顔一つせず美味い食事を出してくれる。
頼られ、勝手な理想を押し付けられることが常の近衛騎士達にと
って不快にならない女性は大変貴重だった。
女嫌いとは言わないが、彼等は一様に女性貴族に失望する傾向に
あったのだ⋮⋮現実なんてそんなものである。
758
そして現在、異世界の少女は彼等の﹃妹﹄的扱いになっているの
だった。今後も良好な関係でありたいものだ。
更に騎士団長夫妻はある野望を心に秘めている。
﹃是非あの子をうちの娘に!﹄ 実際、婚約者達が全員公爵子息ということから見ても貴族との養
子縁組は必須なのだ。
婚姻の際には一度貴族の家に養女に入り、そこから嫁ぐという形
になるのが一般的。
相手の男は騎士なのだ、しかも婚姻しようと今の状態は維持され
るだろう。決して悪い話ではない。
勿論、ここまでの考えに至ったのは理由がある。
そもそも団長夫妻は女の子も欲しかったのである。特に可愛い物
好きの妻にとっては夢だった。だが、立場上息子二人が限界だった
のだ。
その息子も必要な教育を施したとはいえ家族として接する時間は
他家に比べて圧倒的に少ない。
結果、自立心逞しいままに育ち全く性格の似ていない親子になっ
た。よくぞ捻くれず育ったものだと周囲に評価されている。
そんな前例があり、女の子が生まれたところで﹃可愛い﹄という
言葉が似合う子に育つのだろうか?
﹃無理。絶対想像とは違う方向に育つ﹄
﹃俺達が女になって可愛いと思える?﹄
互いの意見どころか息子二人に言われる始末。しかも実に説得力
がある。そんなわけで諦めていたのだが。
神は二人を見捨てなかった。性格的にも状況的にも文句無しの人
物が存在したのである。
759
今現在、夫婦の野望はミヅキに﹃父様・母様﹄と呼ばれる事。徐
々に信頼関係を築き養女に、という計画だ。
そして婚姻の際には夫婦揃って相手の男に﹃泣かせたら命は無い・
月に一度は里帰り﹄という要求を突き付ける事を夢見てもいる。
ミヅキにとってある意味最高に頼り甲斐のある親候補とも言える
だろう。
兄様呼びされたい一部の近衛騎士達は団長夫婦の野望を心から応
援中。
知らぬは本人ばかり、なのだ。外堀は徐々に埋まっている。
が。
事態は思わぬ方向に転がっていく。
次々に声を上げ﹃躾直し﹄に賛同する騎士が大半の中、一人の騎
士が呑気な声を出す。
﹁あ、言い忘れてた。俺、昨日あの子に﹃兄様﹄って呼んでもらっ
たんだ﹂
﹁﹁﹁﹁何だと!?﹂﹂﹂﹂
一斉に振り返り、その人物に殺気にも似た視線を向けるが当の本
人は何処吹く風。
この一見軽そうに見える人物、信じ難い事だが団長の息子なので
ある。
﹃あの二人から生まれてどうしてこうなった!?﹄と初対面時に
は誰もが首を捻るほど雰囲気は似ていない。
ただし、似ていないのは表面的な部分のみだ。若干十九歳で近衛
に配属される確かな実力を持ち、内面は⋮⋮。
﹁ディルク⋮⋮伝えたい事があるならば遠回しな言い方をしないで
760
くださいね﹂
﹁いやあ、随分と真面目な話をしているので個人的な話をするのは
どうかと﹂
﹁おや、貴方の事ですからタイミングを計っているのかと思いまし
たが﹂
苦笑しつつ副団長が告げると、ディルクはにやりとした笑みを浮
かべた。
一見親しみ易い彼は実はあまり性格がよろしくない。今の台詞も
より注目を集める事を狙ってのものだろう。
﹁実はディーボルト子爵家への嫌がらせって続いてるらしいんです
よ。で、クリスティーナ嬢は安全な場所に避難させてるらしいんで
すが⋮⋮身代わりを立てて襲撃者達を捕まえてるそうなんです﹂
﹁ほう。グランキン子爵が考えそうな事だな﹂
ディルクの言葉に騎士達は嫌悪を露にした。
そして更に爆弾は投下される。
﹁しかも襲撃者の目的というのがクリスティーナ嬢を傷物にするこ
とらしくて。双子の兄二人の身代わりは騎士達が引き受けてるんで
すが、クリスティーナ嬢の身代わりはミヅキなんですよね﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮。ディルク? この父にもう一度言ってはくれないか? よ
く聞こえなかったようだ﹂
﹁ですからー、傷物にしようと狙ってくる襲撃者達の脅威に我らの
妹が晒されてまーす!﹂
761
ディルクが笑顔で言い切ると同時にアルバートの手の中にあった
ペンが粉々に砕け散る。
だが、誰もそんな事を気にする者など居なかった。手の中にペン
があったら同じ行動をしていただろう。
﹁髪形が似ていて身長が近い騎士二人が兄役なんで昨日早速参加し
てきました。クズを〆る事が出来て更に妹に良い所も見せられる!
しかも半日兄様呼びです!﹂
そのまま手料理振舞ってもらいましたよ、最高の非番でした! と続けるディルクは楽しそうだが目が全く笑ってはいなかった。
寧ろ態々仲間達の怒りを煽るような言い方をするあたり悪意全開
である。
十五歳になったばかりの少女をそんな目に遭わせようとするだけ
でも嫌悪の対象なのだ、それが妹の様に思う存在ならばどうなるか。
当然、全員の目が据わった。敵意どころかもはや殺意だ。武器に
手を伸ばさないので一応自制心は残っているらしい。 ﹁ディルク⋮⋮その襲撃者達は捕らえてあるのだろうな?﹂
﹁ええ。あの騎士達が説教してるんで泣いてるかもしれませんが﹂
﹁そうか。⋮⋮仕事が終わり次第、様子見に行ってくるか﹂
﹁あ、俺ちょっと母上の所に寄ってくので休憩延長で宜しく﹂
﹁いいだろう。親子の会話だ、遠慮は要らん。じっくり、詳しく、
話して来い﹂
ゆらり、と怒りのオーラを纏わせたまま告げる団長にディルクは
﹁了解!﹂と告げると颯爽と部屋を後にする。
間違いなく女性騎士達にも事の次第を告げるだろう。残念ながら
彼女達は騎士寮へは行けないが、女ならではの情報網を駆使して味
762
方してくれるに違いない。
しかも更に襲撃者達の不幸は続く。
﹁では私は義弟に詳しい話を聞きに行きましょうか。妻もあの子を
気に入っているので、場合によっては襲撃者達に少々お説教をしな
くては﹂
﹁副団長の義弟というと⋮⋮﹂
﹁アルジェントですよ。義兄であり、騎士である私に情報提供は渋
りませんよね﹂
﹁仕事内容は無理では?﹂
﹁ああ、勘違いしないでくださいね? 私が聞くのは未来の妹を害
そうとしたクズの身元です。⋮⋮治安維持の為にお仲間ごと消えて
貰った方がいいですし﹂
にこやかに告げる副団長に反対意見を言える奴などいなかった。
知的な笑みがとっても寒々しい彼の言い分は騎士として正しい。正
しい、のだが。
近衛の仕事に治安維持は含まれていない。ついでに言うなら﹃消
す﹄という単語が非常に物騒だ。
﹁そうだ⋮⋮、忘れてました。アンディ・バクスターの件ですが、
夜会が終ってからにした方がいいと思います﹂
﹁何故だ?﹂
﹁妻がとてもやる気になっていまして。彼女の楽しみを奪うのはど
うかと思うのですよ﹂
今から再教育しては当日使い物になりませんしね、と続ける声は
いっそ優しげですらあった。
美女に甚振られた果てに待つのが鬼教官直々の性格矯正プランな
763
のだが誰も止めないし助けない。
さぞや問題児はズタボロになるだろう。
その後。
何人かは囮作戦に参加し、残念ながら不参加だった者は食事のつ
いでとばかりに説教に参加。
実力者の国のエリート達による説教は非常に恐ろしかったらしく、
襲撃者達は心の底から己の愚かさを悟ったのだった。
そして一時的なものだが城下町の治安がかなり良くなったにも関
わらず警備の者達は皆顔を青くして口を噤み、二度と彼等が出てく
る事が無いよう願ったという。
余談ではあるが。
団長の妻であるジャネットは今回の経緯を知るや盛大に憤り、家
では事件が終るまでタヌキのぬいぐるみが簀巻きにされて逆さ吊り
にされていたとか。
口に出さずとも、国の為だと判っていようとも、お母様︵予定︶
は大変お怒りだったようである。
764
番外編・保護者達の密談︵後書き︶
彼等の怒りの矛先は赤毛↓襲撃者↓グランキン子爵↓狸と伝染中。
狸に関しては納得できる部分もあるので実害無し。
765
子猫と狸の攻防・其の1
あの事件から数日後。
何故か目の前に狸⋮⋮いえ、レックバリ侯爵が座っています。
呼び出されたのは魔王様の執務室から繋がっている部屋なのです
が。
呼び出したのは魔王様なのですが。
何故でしょう⋮⋮﹃お話ししたいから﹄などという普通の展開が
待っているとは思えません。
引退延期を決定するまで多くの人に粘られた狸が多少萎れていて
も自業自得。
そしてその程度で狸が己の行動を反省する筈も無いというのが私
の見解です。
⋮⋮。
⋮⋮。
逃げていいかな、この状況。
﹁ふむ、それほど警戒せんでも﹂
﹁いえいえ、か弱いので自己防衛は重要ですよ﹂
﹁か弱い⋮⋮﹂
﹁何か? ああ、大人しくは無いですが﹂
﹁⋮⋮。その腕の中のぬいぐるみは﹂
﹁これですか? 先程近衛騎士のジャネットさんに貰いました。実
物に手を出さなければ罪にはならないと﹂
﹁⋮⋮﹂
766
﹁⋮⋮﹂
﹁すまなかった﹂
﹁あら、初めて謝罪の言葉を聞きました﹂
やはり腕の中の狸のぬいぐるみは効果絶大だったようです。
⋮⋮うん、何故かは知らないけど首に縄が巻き付いていて妙に首
が細くなっているんだよ。
誰が見ても﹃絞めたんじゃね?﹄としか思わないよね、これって。
まあ、後で縄を解いて綿を詰め直してやろう。流石に哀れだ。
つーかね、レックバリ侯爵。
近衛騎士の立場から見ても貴方のやり方は強引だったってことで
すよ。
一応庶民に該当している私を無理矢理引き摺り出すってどうよ?
騎士とは比較的友好的でも貴族とはかなり温度差があるのです、
大半の貴族にとって私の認識は﹃使えるか・使えないか﹄だろう。
後見を受ける以上その認識はある意味正しい。だから私は魔王様
の配下だと言っている。
そして現在の呑気な生活ができるのは魔王様の庇護とゼブレスト
の存在があるからだ。
レックバリ侯爵としては私を国の駒としても使いたい⋮⋮という
のが本音だったんだろうね。
そのままだと魔王様が絶対に表に出さないから。何だかんだ言っ
ても良い保護者です、魔王様。
勿論、レックバリ侯爵の狙いどうりにはならなかったわけだが。
﹁謝罪より理解していただきたいです。私は魔王様の駒にはなって
も国の駒にはなりません﹂
﹁ほう、何故かな? 国の後見を受けている筈だが﹂
﹁ええ。それはゼブレストも同様です。そしてゼブレストが﹃私個
767
人の味方﹄である限り、イルフェナの駒にはなりえないでしょう﹂
他国と深い繋がりを持つ人物を国の中核に位置付けるなんてあり
えない。
私がイルフェナに忠誠でも誓えば心強い繋がりに見えるだろうが、
現時点でその気は無いのだ。
ついでに言えばルドルフ達が困ったら私は当然味方する。良くも
悪くも中途半端な立場だからこそ﹃どちらの協力者にもなることが
出来、国の中核に組み込まれる事は無い﹄のだから。
しかも私は今回の事でルドルフという王を個人の人脈として見せ
付けている。
ここまでやったら国に取り込む危険性の方が重視されますって。
なお、逆の場合は私がイルフェナにおいて何の権力も無いので問
題視される事は無い。魔王様と守護役二人が優先するものが国だと
ルドルフ達も知ってるし。
そう個人的な見解を述べるとレックバリ侯爵は実に残念そうに溜
息を吐いた。
当たり前です、魔王様が必至に庇ってくれているのを理解出来な
いほどアホな配下でいるつもりはありません!
平穏な生活を維持する為なら努力を惜しみませんとも。
邪魔する奴はそれなりの扱いされても文句言うんじゃない。好感
度は重要です。
﹁やれやれ⋮⋮有能な若手を獲得できると思ったんじゃがな﹂
﹁お断りします。今いる人達を育ててください﹂
﹁⋮⋮レックバリ侯爵、もういいだろう? 貴方がミヅキと話した
いと言ったから場を設けたが、これ以上押し付けるようなら強制的
に切り上げさせてもらう。⋮⋮ルドルフ殿からの抗議も来るだろう
ね﹂
768
そういえばルドルフを襲撃しちゃったっけね。
本人が物凄く楽しんでいたから忘れてたけど、これもレックバリ
侯爵以下イルフェナ勧誘組を黙らせる手段か。
意外な所でお役立ちです、宰相様はここまで見越してましたか。
やっぱり国の中枢に居る人達と付け焼刃の私では格が違いますね。
絶対に勝てん。
﹁ふむ、では可哀相な年寄りの頼みではどうかね?﹂
﹁何方の事です? 多少萎びた狸なら居ると思いますが﹂
﹁⋮⋮狸とは儂のことかな?﹂
﹁あら、ご自分を狸だと思ってるんですか﹂
では今後狸様とお呼びしましょうか! と笑顔で続けるとレック
バリ侯爵は顔を引き攣らせた。
嫌ですね、狸様。夜会で私の性格はある程度理解できていたと思
うのですが。
魔王様どころか背後に控えたアルやクラウスが見て見ぬ振りをし
ているのだ⋮⋮私達がどういった感情を抱いているか察してくださ
いな。
もっと言うなら空気読め。この場で絡め取るような言い回しが通
用する筈なかろう。
﹁で、結局何が言いたいんです?﹂
﹁お前さんが﹃か弱い﹄などという冗談を言うのでつい釣られてな
⋮⋮﹂
﹁お話が無いようなので失礼しますね! 二度と会わない事を心よ
り願ってますから!﹂
﹁なっ!﹂
﹁お待ちください!﹂
769
笑顔で席を立ちかけるとレックバリ侯爵と控えていた執事らしき
人が慌てて止める。
ちっ! そのまま退場は無理か。
当たり前だが﹃か弱い?﹄発言で怒るような性格はしていない。
⋮⋮いや、実際に一般人並みの耐久性しかないから騎士に比べてか
弱いのだが。
貴族も嗜みとして剣術を習ったりするらしいので庶民の私はそれ
以下です。便利さに慣れた世界の人間は体力的な面で明らかに劣る。
﹁ま⋮⋮待て待て待て! 謝る! 話だけでも聞いてくれ!﹂
﹁話を聞いても﹃国に取り込まれることはない﹄事と﹃無理矢理関
係者にしない﹄ことを約束してくれるならいいですよ? 魔王様、
証人になってくださいね?﹂
﹁勿論だよ。証拠もあるから問題ない﹂
魔王様も笑顔で頷きクラウスを振り返る。軽く頷くってことは魔
道具で記録されてるって事か。
対してレックバリ侯爵は苦い顔になる。懲りない狸だな、いい加
減学習しろよ。
﹁はあ⋮⋮片方だけならばともかく、エルシュオン殿下も揃うと本
当にやり難いの﹂
﹁教育の賜物です。とにかく疑え、あらゆる事態を想定しろ、言質
を取られるな、ということが最大の自己防衛に繋がると学習してま
すからねー⋮⋮体験学習で﹂
﹁ああ⋮⋮それは確かに身に付くじゃろうな﹂
﹁身に付くどころか一歩間違えば死んでますよ!﹂
特にゼブレスト。ルドルフ達がブチ切れる環境でよくぞ生き残っ
770
たといえる。
寵を競うんじゃなくて命の取り合いだったもんなー、その分報復
には手加減と言うものをしなかったが。
仲間意識が強いのは偏に命の危機的状況を共に勝ち残ったからだ。
素晴らしき哉、戦場の絆。
⋮⋮などと言ったら執事さんには哀れみの眼差しで見られた。珍
しく狸様も似たような表情をしている。
さすがに一般人をいきなりそういった場に放り込むのは思う所が
あるらしい。
憐れみなんて要らないやい。そもそも魔王様の教育方針の元凶、
アンタじゃん!?
﹁やれやれ、その条件を呑もう。じゃが、お前さんならば話に乗っ
てくれると思うがの﹂
﹁へぇ? 魔王様かルドルフ関連ですか﹂
﹁⋮⋮? まさか。レックバリ侯爵! あの話は断った筈だ。蒸し
返す必要はない!﹂
あれ? 珍しく魔王様が声を荒げている⋮⋮ってアル、耳を塞ぐ
でない!
んん? 何か思い当たる事があるのか? 初めて見たぞ、そんな
様は。
とりあえずアルの手を引き離し話を聞きますか。
﹁あー、はいはい。話を聞くだけという約束もあるので黙っててく
ださい。アル、耳塞がないの!﹂
﹁ミヅキ、退室しなさい﹂
﹁魔王様?﹂
﹁君には関係がないことだ。聞く必要はない!﹂
﹁さすが親猫。子猫を危険に晒す真似はせんのだな﹂
771
本当に珍しい。ところで親猫と子猫って何さ? 状況的に魔王様
が親猫で私が子猫っぽいけど。
微笑ましそうな顔で見る前に説明してくださいよ、レックバリ侯
爵。
﹁事前に防ぐ術があるのに感情を優先して行動を起こさぬ者は愚か
だと教えた筈じゃがな?﹂
﹁それは手の中の駒でできる範囲の事では? 無関係な者を犠牲に
していいことではありません﹂
﹁王族としても同じ事が言えるかね?﹂
﹁言えますよ? 部外者だけに押し付けて自分達は安全な場所に居
るなど、何処の外道ですか﹂
⋮⋮。
意味が判らん。とりあえず私に﹃何か﹄をさせたいってことみた
いだけど、保護者な魔王様が前から突っ撥ねていたらしい。
アルやクラウスも魔王様と同意見らしく教えてくれる気はないよ
うだ。
当事者無視せんでおくれ、寂しいじゃないか。
﹁話が進まんの。⋮⋮ミヅキ、お前さん後々イルフェナとゼブレス
トに災厄が降りかかるならばどうするかね?﹂
﹁悪役が居るなら〆ます。災厄が起こる要因が判っているならば取
り除きますね﹂
﹁レックバリ侯爵!﹂
﹁この愚弟子が、黙っておれ! ⋮⋮それをお前さんが取り除ける
としたら? 命の危機になるほど危険じゃがな﹂
﹁状況によります。国がすべき事ならば傍観、私にしか覆せない状
況ならば行動でしょうか﹂
772
﹁その基準は?﹂
﹁国の評価と周囲に与える影響。幾ら私が結果を出してもそれが個
人に頼ったと言われ、国の評価を落とすならば動くべきではないで
しょうね﹂
淀みなく答える私にレックバリ侯爵はとても満足そうだ。逆に魔
王様は不機嫌そう。
間違ってないっぽいのに何故。
﹁では、話そう。異世界人よ、ある国の王太子妃と侍女を母国まで
送り届けてくれんか?﹂
﹁は?﹂
何それ。里帰りくらい普通にできるでしょ?
﹁実はな、その国の王太子は溺愛する寵姫が結婚前からおってだな
⋮⋮今も公の場にはその寵姫を伴っているそうじゃ。王太子妃は結
婚式以来、姿を見せておらん﹂
﹁その寵姫じゃ駄目だったんですか?﹂
﹁子爵家であることに加え浪費家らしくてな。王とその側近達が許
さなかったらしい﹂
﹁将来の王妃に相応しくない人柄なんですね?﹂
﹁恐らく許されなかった理由はそれじゃろうな。平然と国庫を圧迫
させるような女が民に尽くすとは思えん﹂
浪費女に恋する王子様ねえ⋮⋮財産狙いじゃないの? それ。
愛だと言うなら自分から身を引くとか慎ましやかに暮らして王太
子妃を立てるとかするだろ、普通。
それに王子もどうかと思う。そこまで愛に生きたいなら身分捨て
ろよ、どうせまともな王にはならん。
773
﹁うむ、儂もそう思う﹂
﹁声に出てましたか。ついでに言うならいい歳して﹃周囲の反対の
中、身を寄せ合って健気に立ち向かう恋人同士﹄な自分達に酔って
いる思考回路は普通に恥ずかしい。アリサ達を知っているから特に﹂
アリサからはあの後お詫びと事後報告の手紙が届いた。きちんと
理解した彼女は元が善良なだけあって非常にまともだ。
﹃一年後にはもう一度エドの奥さんに戻る予定だから家事を頑張
ってるの﹄と可愛い奥様な言葉があったので簡単な料理のレシピを
返事と共に送ってみた⋮⋮ら旦那様︵予定︶に大変好評だったらし
く。
今では料理指導係兼お友達として友好的な関係を築いていたり。
今後家庭菜園を作るそうだ。あの子やっぱり貴族階級が合わなかっ
ただけだったんだなぁ。
異世界人と貴族の組み合わせが現実を見ることが出来ているので
す、教育を受けた王族・貴族でこの行動ってどうよ?
﹁おお! まさにそのとおりじゃぞ? 咎める者は遠方に飛ばしと
るらしいからの﹂
﹁何故そんな駄目な生き物を野放しにしておくんです? それに反
対している王様に情報はいかないんですか?﹂
﹁あの国は正妃の生んだ男児に継承権が優先される。民に慕われと
る王妃様にまで影響が出るのは確実じゃからな、簡単にはいかんの
よ。情報に関しては⋮⋮お前さんが言うかね?﹂
﹁へ?﹂
﹁貴族でさえお前さんの情報はつかめんかったじゃろ、同じ国に居
るというのに。向こうは後宮の全てが敵であることに加え、王太子
の味方が周囲を固めているでな。それに後宮は王と王太子のみ持つ
事を許されているが⋮⋮基本的に不干渉なのじゃよ﹂
774
﹁王や王の命を受けた人でも、ですか?﹂
﹁うむ。主以外の子を身篭る可能性があるからの。それを利用して
王太子と周囲の貴族は嫁いで来た姫を虐げておる﹂
つまり情報の規制が徹底されている事に加え強制捜査もできない
から、不審に思っても行動に移せないわけか。
証拠がないのに一方的な叱責はできんな、王様でも。
悲恋に酔う王子様にとって周囲の貴族達は心強い味方扱いですか
⋮⋮普通にヤバそうですね、国の将来。
ところで。
﹁その国や王太子妃様はお気の毒だと思いますけどね、私が動ける
事じゃないでしょう?﹂
﹁いいや? 暫くすると間違いなく被害が来るぞ﹂
﹁何故﹂
首を傾げる私に対しレックバリ侯爵は大変いい笑顔で︱︱気の所
為か額に青筋を浮かべて。
問題発言をしたのだった。
﹁イルフェナには現在一歳になる王女が居る。ゼブレストもクレス
ト家に歳の近い姫と若君が居た筈じゃ!﹂
﹁⋮⋮﹂
読めた。うん、そこまで言われると私でも理解できる。
魔王様は溜息を吐き、アルとクラウスは僅かに顔を歪めている。
﹁⋮⋮。その碌でもない寵姫が子供を産んだらイルフェナやゼブレ
ストと縁組したいと言い出しかねないわけですね?﹂
﹁そのとおり! 王子を産めば間違いなく正妃にするじゃろうし、
775
我が子の後ろ盾を得るという意味ではイルフェナかゼブレストが狙
い目じゃろうな﹂
﹁駄目王子が王になったら国が傾きそうですね。共倒れは勘弁して
欲しいです﹂
﹁共倒れどころか踏み台にしかねんぞ? 何せ王の決めた婚姻にも
関わらず后を蔑ろにする奴じゃ﹂
﹁あれ、そっちから言い出して迎えた姫なんですか!?﹂
﹁そうじゃよ。寵姫の噂を知っておるからの、姫の方から言い出す
事はない﹂
ヤバくね? 普通に考えてそんな扱いしてたら抗議来るぞ?
最悪、宣戦布告されるかもしれないんじゃないのかな!?
﹁王達は余程あの寵姫を認めたくはなかったらしいの﹂
﹁ちなみに姫様達を母国に戻して穏便に済むんですか?﹂
﹁それはお前さん次第じゃな﹂
﹁はい?﹂
何でー!?
﹁君が証拠を持って無事に二人を連れ帰れば報告を受けたイルフェ
ナとゼブレストが介入できる。そんな事を公にされれば批難が集中
するだろう。結果的に全てを良い方向へ持って行けるんだ⋮⋮逆に
言えばそれまで我々が一切介入できない﹂
説明感謝です、魔王様⋮⋮随分と大事になってますね。
私がゴールまで無事に着ければ﹃姫の母国からの報告で事態を知
った国が抗議できる﹄と。
﹃うちの異世界人が行方不明なので捜索中︵不在の建前︶﹄
776
←
﹃他国からの報告で姫様の逃亡に手を貸してたことが判明︵初め
て知ったよ!︶﹄
←
﹃姫様の証言だけじゃなく証拠もあるようだ。王太子、お前どう
いうつもり?﹄
←
﹃縁談? ご冗談を! 王家の姫にあんな扱いする国なんぞ知ら
ん﹄
簡単に言うとこんな感じだろうか。私の報告からイルフェナとゼ
ブレストが初めてこの問題に介入できるってことね。
当事国だけだと絶対に王太子側が勝つもの。婚姻は互いの国が納
得してるし、嫁いでからの事を一切知らない姫の母国は事実を模造
されれば否定できない。当然連れ戻され次の逃亡の機会はないだろ
う。
こちらは善意と自国の利益を考えて姫様側に味方するって事です
か。確かに一番被害が少ない。
問題点としては王太子側も必死になるってこと。最悪、姫様ごと
消されます。
﹁さて、どうするかね?﹂
本当にどうしましょうねー? とりあえずもう少し詳しく聞いて
からかな。
777
子猫と狸の攻防・其の1︵後書き︶
情報を握っていても動けない場合があります。
レックバリ侯爵が主人公と接点を持ちたかったのはこの為。
決行可能と判断され狸は子猫に懇願中。親猫は不機嫌。
778
子猫と狸の攻防・其の2
さて、レックバリ侯爵の﹃御願い﹄のまとめをしてみよう。
内容:ある国の王太子妃と侍女の逃亡の手助け。
勝利条件:彼女達を母国へと無事に送り届ける。
敗北条件:逃亡失敗︵落命含む︶。
現時点での説明から得られた情報
・王太子には結婚前から浪費家の寵姫あり。
・彼女との結婚を反対され、王が連れてきた妃を認めておらず冷
遇。
・王は王太子とその側近達に︵現時点では︶口出しできない。
⋮⋮大体こんな感じか。
個人的な予想として
・王太子は身分を捨てるつもりはなく、悲恋に酔っている。
・寵姫は財産狙い。側近も王子の味方というより利を見込んで味
方している。
・王は王妃への影響を恐れ事態を内々に済ませたい。
・王太子妃の国は王太子の国に逆らえない状況。
引き受けていないから国の名前とか明かされていないけれど、力
関係は正しい予想だろう。
誰が王の言葉も聞かず寵姫溺愛の王子の下に姫を嫁がせるという
んだ。冷遇確定じゃん。
政略結婚はお互い様なのに、自分の事しか考えていない時点で王
779
太子にも期待できない。
状況的に普通に連れ帰るだけじゃ無理ですねー⋮⋮現状を覆せる
証拠の入手と舞台を整える必要があるわけか。
そこで私に話を持ってくるあたり認められていると思うべきなの
かね?
そもそも寵姫が后に相応しくなるよう努力するとか、王子が諦め
ていれば問題は起こらなかったわけで。
魔王様が関わらなくていいと言った理由が良く判りますね、あま
りにもアホ過ぎます。
王太子の国、自業自得だろ? 国の法があるっていうなら王妃ご
とばっさり切れよ。
身内に甘いくせに周囲には平気で迷惑をかける王も十分同罪です
って、これ。
まあ、そんな奴が王だからこそ今のうちに何とかしておこうって
考えになるんだろうけど。
﹁⋮⋮そろそろいいかね?﹂
﹁はい、いいですよ。これ以上考えてると王や王太子の暗殺まで考
えが及びそうですし﹂
﹁⋮⋮。物騒だがある意味同意できるの﹂
﹁ああ、やっぱり一度は考えましたか﹂
﹁うむ。少しばかり勝手が過ぎるじゃろ﹂
ですよねー!
勝手に自滅でもしてろって感じですよ。魔王様やルドルフを知っ
てるから全然同情できない。
他の王族は知らないけど、何よりも国優先でなきゃならないんじ
ゃないの? 義務だよね?
780
﹁国名は伏せるがこんな国じゃ﹂
執事さんが差し出してきた紙に目を通すと⋮⋮ある一箇所が目に
留まった。
﹁豊かな国というのは強い。まして国を守り通せるだけの力を持つ
ならば。今の王は野心家でもあるがの﹂
﹁⋮⋮あの国はね、土地に恵まれているんだ。食料事情で逆らえな
い国が幾つもあるんだよ。特に自給自足できない小国にとって民を
飢えさせない為には言いなりになるしかない﹂
﹁⋮⋮つまりレックバリ侯爵の﹃御願い﹄だけじゃなく、その点も
今まで通りにさせなきゃならないわけですね﹂
﹁そう。イルフェナは自給自足できているけど他国まで養うのは不
可能だ﹂
なるほど。だから魔王様としてはイルフェナだけじゃなく影響を
受ける国の事も考えてレックバリ侯爵の意見に反対なのですね。
下手に動いて姫の母国に対し警戒を強めた挙句に交易を制限され
たりしたら悲惨な事になりかねない。まして他国の事に気を使うよ
うな国じゃないみたいだし。
そうさせない為には私が何らかの交渉材料を用意しなければなら
ないわけで。
魔王様⋮⋮ちゃんと他国の事も考えられる人なんですね。アルや
クラウスが全面的な信頼を置いているのは幼馴染というだけではな
いとみた。
誇れる主ってのは素晴らしいものなのです、私も配下Aとして自
慢できます。
﹁だから向こうがイルフェナに話を持ってきた時点で対処した方が
781
被害はないと思うんだ。我が国ならばやり合えるからね﹂
﹁おやおや、一戦交える気かね?﹂
﹁必要ならば。最悪の場合、ですが﹂
﹁我々もエルに賛同しております﹂
﹁その場合は俺達が最前線を務めさせてもらう﹂
魔王様達の言い分も理解できるのか、レックバリ侯爵は少々困っ
た顔だ。
縁組を持ちかけられる可能性のあるイルフェナやゼブレストはそ
れでいいとして、姫様達の命は危ういもんな。
うーん⋮⋮立場と考え方によっては最善の方法なのか。まあ、何
もしなければそうなるだろうけど。
その点レックバリ侯爵の方法はピンポイントで私が恨まれる、あ
る意味私だけが迷惑を被る方法だ。
確かにレックバリ侯爵の﹃御願い﹄は難易度が高い。姫の母国の
事も含めれば更に難易度は上がるだろう。
しかも、私が異世界人でなければ成り立たないと言った方が正し
い。
異世界人はこの世界の事情など﹃知る筈がない﹄のだ、﹃誰か﹄
から逃げてきた﹃女性達﹄と一緒に行動しようと文句の言いようが
無い。
しかも追ってくる者達はその理由を明かせないのだから。
幼児︵=異世界人︶に本気で怒る大人︵=国︶など周囲に呆れら
れ評価を下げるだけだろう。
そもそも数ヶ月前に来た異世界人にしてやられたなんて絶対に言
いたくはないに違いない。
私の今までの功績は全て﹃協力者﹄としてのものなのだ⋮⋮個人
でやらかすなんて普通は信じない。しかも外見小娘。負けたら恥で
782
す。笑われます。
その事も踏まえ姫の冷遇の証拠さえ持っていれば交渉で全てを﹃
無かった事﹄にできる。他にも交渉材料があれば交易もこれまで通
り継続可能。そのあたりの交渉はレックバリ侯爵がやるつもりなの
だろうが。
そしてそんなことがあった以上、イルフェナとゼブレストに縁組
を持ちかけるなんて真似はすまい。強気で交渉とかできないもの。
﹃全てを良い方向に持っていける﹄と魔王様が言った理由は間違
いなくこれだろう。反対する理由は﹃私が恨みを買うから﹄だ。保
護者としては頷けませんね、そりゃ。
どうやら色々と理由があったらしい。と言うか私に話す必要がな
いことだしね、これ。
﹃将来的に縁談を申し込まれそうだから﹄なんて仮定でしかない
ことで言い争いも妙だと思ってたけど納得です。
まあ、私が興味を示した時点で裏事情まで話さざるを得なくなっ
たんだけど。
﹁レックバリ侯爵。貴方は何でそんなに必死なんです?﹂
ふと疑問に思ったことを聞いてみる。
いや、レックバリ侯爵も魔王様達の意見を全面的に否定してるわ
けじゃなさそうだしね?
何か理由がある気がするのだよ、どうも不自然というか。
そう言うとレックバリ侯爵は一枚の手紙を差し出してきた。読め
ってことだろうか。
内容は⋮⋮姫からの近況報告かな? 淡々と書かれているけど悲
惨です、これ極一部ってことだよね。 でも悲壮感はありません。そして何故か使用人宛ての一般郵便ぽ
いのが気になります。
783
王族・貴族って手紙用の転移方陣あるよね? 先生も使ってたし。
﹁儂はな、かの国の先王とは友人だったのじゃよ。王だけでなく姫
の教育に携わった事もある。だからこそ姫が簡単に弱音を吐かぬこ
とも知っておる﹂
﹁お姫様だからこそ打たれ弱いんじゃ?﹂
﹁あの国は王族は誰より国を守るものという意識が強くてな、王族
は皆一度は騎士団に入る事が義務付けられておる。姫だろうが徹底
的に躾られるから野営だろうと平然とこなすぞ﹂
﹁野営⋮⋮なんて逞しい﹂
﹁生活費くらい自分で稼いで何とかすると断言できるな﹂
自活できる王族ってのも何だが凄い。生き残る義務のある王族に
とっては必須なのかもしれないが。
⋮⋮そう言えば食料の面で頼ってるって言ってましたっけ。もし
かしたら元々贅沢をしない環境なのかもしれない。
そんな人が逃げ出す事を考えるなんて余程の事があったんだろう
か。
﹁姫は特に祖父である先王を尊敬しておってな、先王も末の子であ
る姫を可愛がっていたものじゃ。だからこそ儂に頭を下げてまで姫
のことを頼んでいった﹂
そこまで言うと一度言葉を切りレックバリ侯爵は執事共々深々と
頭を下げる。
魔王様達が息を飲むあたり初めて見た姿なんだろうか。
﹁頼む! あの子を助けてやってくれ。可能性がある以上、諦める
ような真似はしたくはない⋮⋮﹂
﹁それで私は危険な立場になるわけですね? 落とし所を見つける
784
と言っても恨みは買いますよね? 自分と、全く、関係ないのに?﹂
﹁判っておる。儂は全ての責任を背負いイルフェナから処罰を受け
よう﹂
﹁その為にイルフェナの中枢から離れようとしたんですか﹂
﹁引退した身ならば処罰もし易かろう。イルフェナ自ら儂の首を差
し出せばお前さんにまで被害は及ばん筈じゃ﹂
﹁イルフェナに勝ったという優越感から、ですよね?﹂
﹁うむ。交渉次第じゃが一度は痛い目を見せた事のある儂の首なら
ば価値があろう﹂
まあ、私は常に誰かの協力者なのだから﹃背後にレックバリ侯爵
がいました・騙されてお手伝いしただけです﹄という言い分は通る
だろう。実際、私にとって利益なんてないのだから。
何か言ってきたら首を差し出して向こうの機嫌をとる、と。
狸も人の子だったんですね∼、亡き友人との約束の為に命を差し
出すとは。
⋮⋮私も差し出されてる気がしますが。
レックバリ侯爵的理想
﹃異世界人を騙して友人の孫を救出したよ! ありえない王族冷
遇の証拠もあるし、小娘にしてやられた恥ずかしい出来事を黙って
いてやるから全部無かったことにして大人しく姫を手放せ。イルフ
ェナにも苦情言うな! それで足りないなら自分の首くれてやるか
ら良い子にしてろ﹄
魔王様の言い分
﹃下手に動くと姫の母国が大変な状況になるし今は静観。ただし
何か言って来たら行動するし、武力行使も覚悟してるよ! 無関係
な異世界人を犠牲にするなんてありえないから!﹄
785
二人の言い分を簡単にするとこんな感じかね。あれ、何か感動的
な要素が消えた!?
⋮⋮。
と、とにかく。
二人とも責任をとる事前提での意見だし、正直どちらが良いとも
言えない。
どちらにしろ争う事になるような気がするんだよね∼。直に同じ
事を繰り返しそうだし。
それに。
何故二人とも私が大人しく従うと思っているんだろうか?
﹁え∼、大変感動的なお話なんですが。レックバリ侯爵の言い分も
魔王様の言い分も私には関係ないです﹂
﹁そうだろうね、君はそれでいいん﹁ですからこの話に乗りますね、
利害関係の一致で﹂﹂
﹃は!?﹄
がば! と頭を上げ声を上げるレックバリ侯爵と執事さん。魔王
様達も声を上げて固まってます。
⋮⋮いや、貴方達の言い分は理解できるんだけどさ? 最初に私
の意思を聞こうよ?
﹁な、君は何を考えているんだ!?﹂
﹁放っておいても貴方達がこの国を守るじゃないですか。だったら
私は自分のやりたいようにやります﹂
﹁ミヅキ? 一時的な優しさで自分を犠牲にするのは良くありませ
んよ?﹂
﹁いや、姫様達に優しさを向けたわけじゃないし狸に同情もしてな
い﹂
786
﹁お前には関係ないだろうが﹂
﹁現時点ではないけど、個人的には願ってもない状況です!﹂
魔王様達は口々に言うけど聞くつもりはありません。
この機を逃したら次はないので邪魔しないで下さい!
﹁いや、その⋮⋮儂が言っておいて何だがいいのかね?﹂
﹁同情では動きませんが、利害関係の一致でならば大歓迎! あ、
最悪の場合は私ごとばっさり切り捨てちゃってください﹂
﹁いやいやいや! 全てを背負わせるわけにはっ!﹂
﹁個人的な事情なのでイルフェナに迷惑はかけられません。貴方の
事情は﹃ついで﹄なので気にすんな?﹂
個人的過ぎて誰もが吃驚な理由ですからお気になさらず。
でも非常に私らしい理由なのです。寧ろ私の性格を知っていれば
納得できます。
﹁⋮⋮。ミヅキ、理由を聞かせてくれないかな。保護者である以上
は簡単に許可できない﹂
﹁許可もらえなくても勝手に動きますよ。⋮⋮これです!﹂
テーブルに先程手渡された﹃ある国﹄についての資料を置く。
覗き込んで来る一同に先程からずっと見ていた部分を指差すと誰
もが呆れた視線を私に向けた。
﹃十年前にゼブレストに侵攻﹄
すいません、この一文を見た時から頭の中では復讐の文字がちら
ついてます。
そーか、そーか、ルドルフが死にかけ紅の英雄が誕生するに至っ
787
た元凶かい。
私が関わる隙を作ったのが運の尽きと思え?
それにさ。
ゼブレストに喧嘩売る国ならイルフェナも交渉だけで済むとは思
えんのだよ。
魔王様達もそれを危惧しているから﹃一戦交える事もある﹄って
言ってるんじゃないのかね?
もしかして以前に狙ってきた事とかあったりしません?
初めてこの国に来た時、私は﹃狙われやすい国﹄だと言って否定
されませんでしたよね?
788
子猫と狸の攻防・其の2︵後書き︶
其々思う所があって意見が合わない親猫と狸。
ところが子猫は斜め上の発想をしてました。
789
逃げるだけで済む筈は無い
うふふ⋮⋮うふふふふふふ⋮⋮!
ありがとう、神様!
この世界は国毎に祭ってる神が違うし扱いに差が有るからあまり
信じていないけど。
とりあえずイルフェナの海の女神に感謝しておこう。
慈悲深く優しい女神様らしいので﹃そんなことしてない!﹄と焦
るやもしれませんが、手遅れです!
結果的にイルフェナにとっても良い事ですよ、諦めてください。
まあ、さっさと話を進めましょうか。
大変良い笑顔でレックバリ侯爵の片手を両手で包み込み再度告げ
る。
﹁その話、引き受けますよ。姫達を必ず祖国へと送り届けて見せま
す﹂
﹁う⋮⋮うむ。何やら凄まじく頼もしく感じるのじゃが﹂
﹁その代わり条件を呑んでいただきます﹂
ぴ、と人差し指を立て。
﹁まず、策は私に一任させていただきます。あくまでも﹃偶然姫達
と知り合って逃亡に同行﹄という形で行きますから報告も常にとい
うわけにはいきません﹂
﹁国の手助けは不要ということかね?﹂
﹁下手に動けばイルフェナに迷惑が掛かりますよ。作戦内の行動以
外は控えるべきかと﹂
790
基本的に魔王様が動かせるのはアル達だ。目立つ。超目立つ。
顔が知れてる可能性もあるので囮以外に使えないだろう。
黒騎士には事前に働いてもらう事になるだろうし、白騎士はその
分、通常業務頑張ってくれ。
何より私の不在を誤魔化せるだけ誤魔化してもらわねばならんの
だ⋮⋮日頃あれだけ過保護なのです、彼等がイルフェナで普通に姿
を見せていれば異世界人だけが居ないとは思うまい。
﹁事前に黒騎士に魔道具を作ってもらう事になるので費用はレック
バリ侯爵持ちで宜しく﹂
﹁それくらいは構わんが、一体何をするつもりだね?﹂
﹁姫達のお手伝いですよ? 任務完了後に私の復讐が始まりますが﹂
﹁いやいやいや! 気持ちは判るが復讐はそれほど簡単ではないと
思うぞ?﹂
﹁今回の事を利用すれば可能です! 人は困難に挑戦するものです
よ!﹂
握り拳を作って断言する私に魔王様達は頭を抱え、レックバリ侯
爵と執事さんは拍手した。
うむ、ありがとう!
何だがノリと勢いに巻き込まれただけな気もするけど。
﹁それでは地図を見せてくださいな? あ、ついでに国の名前を明
かしてくださいよ﹂
﹁む? ふむ、もういいじゃろう。問題の国はキヴェラ、姫の母国
はコルベラじゃ﹂
執事さんが持ってきてくれた大き目の地図をテーブルに広げた。
元の世界の物に比べてかなり大雑把だけど、大体の形と位置が判
791
ればいいので問題無し。
国について簡単な解説が書かれた紙に目を通しながら地図を見る。
⋮⋮ああ、確かにキヴェラって国はでかいな。
海沿いにあるイルフェナは左にゼブレスト、中央にキヴェラとア
ルベルダ、右にバラクシンが接しているのか。
ただ、ゼブレストやバラクシンは海沿いに山があるから港は無い
みたい。海からはイルフェナの港を経由して周辺の国へ、という感
じなのだろう。
ん∼⋮⋮位置的な点から言ってもイルフェナとキヴェラって揉め
た事あるっぽいな。
﹁キヴェラってイルフェナ狙った事ありません?﹂
﹁何故そう思うかね?﹂
﹁野心家なら領土拡大と海の玄関獲得を狙いませんかね?﹂
﹁⋮⋮。ある、とだけ言っておく﹂
よし、手加減はいらん。今回はやられる前に殺ろう。
﹁コルベラってキヴェラに接している小国の1つなんですね﹂
﹁⋮⋮食料を別にしても逆らえん理由が判るじゃろう?﹂
﹁ええ、領土の広さが全然違いますし﹂
そりゃ、逆らえんわな⋮⋮戦力が圧倒的に劣るだろうし。無駄な
争いをするくらいなら大人しく要求をのむか。
キヴェラの大きさはゼブレストとイルフェナを足したくらい。た
だ、大半が平地でしかも食料を確保できるというなら住んでいる人
の数は全然違う。
つまり兵も多いということだろう。国の維持にも必要だし。
復讐が簡単ではない、と言う理由はこれだろうね。1人で乗り込
んでどうにかなるものじゃないもの。
792
が。
今回みたいに侵入するなら人の多さはこちらに有利だ。
ついでに言うなら私にとっても好条件ですよ。そんな国だからこ
そ負けを認めさせた時の屈辱は小さくない。
⋮⋮楽しみですね、本当に。 ﹁ミヅキ、物騒な事を考えてるな?﹂
﹁いいじゃない、クラウス﹂
﹁どうせなら洗い浚い吐け。止めたくらいで素直に従うとは思えん﹂
あら、流石に学習してますね。
しかも今回は﹃魔道具製作を頼む﹄って言ったから興味も湧いた
かな。
魔王様もアルも諦めモードとは言え私の考えが気になるようだ。
では、そろそろ私の考えを言っておきますか。
﹁まずキヴェラですべき事。婚姻の証明書の破棄と王太子妃冷遇の
証拠の確保、この二つを成した上で姫と侍女を逃亡させる。⋮⋮合
ってますか?﹂
﹁うむ﹂
﹁次。ここからが多分レックバリ侯爵の考えと違うと思うんですが
⋮⋮直接コルベラには向かいません。向かうのはゼブレストです﹂
﹁ほう?﹂
﹁⋮⋮理由をお聞きしても?﹂
侯爵と執事さんが同時に聞いてくる。
うん、そうですよね。遠回りになるもの。
私は地図に目を向け話しながら指先を這わせる。
793
﹁キヴェラからコルベラに向かえば必ず追い付かれます。まして逃
亡している私達には土地感が無い。山などに逃げ込んでも数に物を
言わせて山狩りされれば終わりです﹂
追跡者の数が多いというのは実に面倒だ。下手をすればそいつ等
を引き連れたままコルベラに到着してしまう。
⋮⋮事態を知らないコルベラの民はどう思うだろうか?
間違いなく必要以上の恐怖を抱き、事実を知ろうとするだろう。
その結果、国が一丸となって姫を守ろうとしたら戦争突入です。
しかもキヴェラの民は王太子妃の冷遇具合を知らない。
下手をすれば王太子の罪を隠して王太子妃を悪人に仕立て上げる
かもしれない。そして対外的にはそちらが﹃事実﹄となってしまう。
戦争を望まないから嫁いだのに自分が切っ掛けで戦争になる、な
んて事態は誰も望んでいない。
そう告げると皆は黙り込んでしまった。
そう、これが今回の一番の難点。何らかの策を練らない限りコル
ベラが犠牲になる。
﹁ですから。それも踏まえて私の復讐計画も発動です﹂
﹁何かあるのかい?﹂
﹁ええ、勿論。姫達が野営さえ平気だと判っているからこそ、です
よ﹂
指先をキヴェラに合わせる。まずはここからスタート。
﹁逃亡がバレればまずコルベラ方面に捜索の手が伸びます。ですか
ら敢えて逆のゼブレストを目指します。そしてゼブレストの転移方
陣を使ってイルフェナへ。ここで旅の準備を整えます﹂
﹁直接イルフェナを目指さないのかい?﹂
794
﹁距離があり過ぎます。とりあえず﹃国外脱出﹄を最優先にします
よ﹂
キヴェラは縦に長い形になっている。キヴェラを中心として反時
計回りにゼブレスト、イルフェナ、バラクシン、アルベルダ、カル
ロッサ、コルベラと続く。
﹁このような順で遠回りをしてコルベラを目指します﹂
キヴェラに隣接していないバラクシンも入れるのは一番手が回り
難いからだ。
キヴェラがバラクシンにまで追っ手を向けようとしてもイルフェ
ナかアルベルダを通過しなければならない。
事が事だけに転移方陣の使用は無いだろうし、私達にも状況確認
の時間が必要だ。
﹁なるほど。ゼブレストなら君は自由にイルフェナと行き来できる
し、バラクシンにはアリサが居る。⋮⋮友人を訪ねるといういい訳
にはなるんだね﹂
﹁アリサに一度遊びにきて欲しいと言われてるんですよね、実は。
グレンにも一度向こうで会いたいですし﹂
巻き込む、という心配は無い。キヴェラが事情説明するとは思え
ないし。
しかもアリサが関われば王家が出てくる。説明できない以上は関
わりたくなかろう。
こちらを罪人扱い⋮⋮という展開も予想されるけど、逆に私が異
世界人で魔王様達と繋がりがあるから﹃別人です!﹄と言い切れる
のだ。
捕獲するなら証拠が必要です。当然、正当な理由の下に守護役達
795
が出てくるので結果的にこちらの正当性を主張できる。
このルートでは追いかけて来るしかないのだよ、キヴェラは。
捕まっても連れて帰るまでに逃亡できるしね!
﹁何と言うか⋮⋮よく短時間でそこまで考え付くの﹂
﹁悪企みなら自信あります! 逃げるなら追っ手を弄びたい!﹂
﹁⋮⋮君ね、少しは悪い方向に考えないのかい?﹂
﹁ちなみにこれは基本プランなので今後私の個人的な目的を達成す
べく罠が追加されますが﹂
﹁お前さん、エルシュオン殿下以上に容赦が無いのじゃな﹂
何故呆れるのだ、狸よ。
頼もしいと言ったじゃないか、素直に喜べ。
﹁⋮⋮で? ここまで遠回りする理由は? ああ、お前の方の事情
な﹂
﹁ミヅキ? まさか貴女が﹃逃げるだけ﹄なんてことはありません
よね?﹂
あらあら、鋭い婚約者様達ですね。勿論、期待に応えちゃいます
とも!
にやり、と笑うと免疫の無いレックバリ侯爵と執事さんがビク!
と肩を振るわせた。
﹁罠と言う程の物じゃないわよ? キヴェラで入手した王太子達の
非道の証拠って魔道具に宿した映像と音声でしょ﹂
﹁まあ、そうだな。それが確実だ﹂
﹁だから。できるだけ多くの決定的な場面を編集して大量生産、通
行料代わりに其々の国へ置いて来ようと思って。勿論、キヴェラに
もね?﹂
796
﹁他国を巻き込むのか﹂
﹁やだなぁ、心配してると言って!﹂
くすくすと笑いながら言っても説得力は無いか。
でも心配してるのは本当ですよ?
それに﹃この世界の事﹄なのだから﹃この世界の人達﹄が足掻か
なきゃ。
﹁隠し通そうとした事態が民にバレたら混乱するわよね? 他国だ
って明日は我が身と思えば自国の手の者を向かわせて情報収集をす
るでしょう。当然、コルベラにも。⋮⋮誰が悪者になるかしら?﹂
﹁﹁﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂﹂﹂
まあ、皆無言になっちゃって! でもこれが一番確実な方法です
よ?
コルベラが他国を頼れなかったのは﹃自国に見返りを要求されて
も困るから﹄だ。
では、見返り⋮⋮と言うか他国にとって無視できない事態だった
ら?
コルベラに着いた時点で王太子からは逃れられる、そして寵姫は
王太子妃にしたくない。
結論:次の犠牲者が他国から選ばれる。
しかも王太子どころか国そのものが信頼できないと判っているか
ら政略結婚の意味もない。
一方的に王族の姫を取られて終わりですよ、誰が味方するんだ。
﹁自分達が迷惑を被りたくない国はコルベラに味方するでしょうね。
唯一の被害者がいるもの、その﹃事実﹄を盾にしてキヴェラの要求
797
を突っ撥ねるでしょうよ。思い上がった国を牽制する意味でも周辺
の国は結束するんじゃない?﹂
ちなみにこれはあくまでも姫の自由を確保する為の策なので私の
復讐とは別物だ。
だって、他国に頼るだけだと﹃私の復讐﹄にはならないしね?
﹁キヴェラも私達が逃げてる間に考えればいいんだよ、どうするの
が最善なのか﹂
﹁それが君の優しさかい?﹂
﹁ある意味優しさで、ある意味惨酷さです﹂
﹁はあ⋮⋮無事に戻ってくるんだよ﹂
﹁無事かは約束できませんが結果は出します﹂
﹁いや⋮⋮そういうことじゃなくてね? 守護役達を誰が抑えるん
だい﹂
﹁ミヅキ、生きて戻ってきてくださいね? あまりに長く留守にす
るようなら勝手に婚姻届を出しますから﹂
﹁それって違法⋮⋮﹂
﹁一時的に法律を変えればいいんです!﹂
﹁ミヅキ。どのみちお前が死ねば守護役に就いている俺達もただで
は済まん。同じ墓に入るくらいは許せ﹂
﹁えー⋮⋮﹂
﹁儂が言うのも何じゃが、無事に帰って来てくれ。主に国の為に﹂
お手並み拝見といきましょう? キヴェラの皆様?
798
逃げるだけで済む筈は無い︵後書き︶
姫の事が最優先なので保護者達に言って無い事も当然あります。
この世界の部外者らしく﹃利用できるものは利用する﹄ミヅキに侯
爵はやや引き気味。
博愛主義者じゃないので敵認定の人達には優しくありません。
アリサとグレンも巻き込むと言うより情報を与える意味合いが強い
です。
799
自分に素直なのは良い事だ
あれから。
レックバリ侯爵がドン引きする程の勢いで話した計画は無事採用。
魔王様達も半ば諦めから私の意思を尊重してくれた。
いいじゃないですか、イルフェナの為でもあるんですよ?
このまま放置して戦争になったら私もアル達に付き合って最前線
に行くだろうし。
そもそもこんな事になった事情を周辺諸国が知ればキヴェラへの
不審と嫌悪は嫌でも高まる。放っておいても何時かはドンパチやら
かしそうですね。
しかも、今回は完璧にキヴェラが悪い。ならば圧倒的な支持を得
られる今回こそ絶好の機会だと思うのです!
姫様もコルベラも気の毒じゃないか。
今後の犠牲を出さない為にも勇気ある行動は必要ですよ?
まあ、私としては意味が少々異なるのだが。
正義? 何それ美味しいの?
建前って重要だよね!
同じ敵を相手にする者同士仲良くしようじゃないか!
姫達に同情するのも、国の今後を憂う気持ちも勿論ありますよ。
でも一番は復讐。
最優先事項は復讐。
思い上がった国に怒りの鉄槌を! 駄目人間と言う無かれ。人として当たり前の感情なのです!
800
知力と魔力を尽くして貶めてやるから首を洗って待っていたまえ。
何せ元の世界にはこんな名言があるくらいだ。
﹃最初の一撃で戦いの半分は終わる﹄
判り易く言うなら先手必勝。素晴らしい言葉じゃないか。
つまりキヴェラで後々まで響くような事を起こすべし、とな。
ふふ、最初は派手にやってやろう。逃亡生活は地味だしな!
﹁なあ⋮⋮ミヅキは一体何を書いてるんだ? えらく楽しそうだが﹂
﹁さあ? あいつのことだから完全犯罪の計画書だったりしてな!﹂
﹁ちょ、それ笑えないだろ!﹂
⋮⋮そんな風に和やかに話していた騎士sが事情を知って止めに
来るのは夕食後のこと。
勿論、私が頷く筈も無く。
﹁何で逃亡の手伝いが国と一戦交える方向になるんだよ!?﹂
﹁必要だから。それから﹃一戦交える﹄んじゃなくて﹃貶める﹄が
正しい﹂
﹁なお悪いわっ! それ絶対お前の個人的趣味だろ!?﹂
﹁趣味と周囲の期待と後々の事を踏まえた上での素晴らしい試みで
しょうが!﹂
などという遣り取りが展開されたのだった。
これ姫の自由を確保する為の計画であって復讐部分はまた別にあ
ることは話さない方がいいかなー?
※※※※※※※
801
﹁⋮⋮というわけで記録用魔道具の製作を御願いします。数は三十
個ほど﹂
﹁随分多いな?﹂
﹁ばら撒き用が大半です。目指せ、有利な展開﹂
﹁判った。お前なら有効活用するだろう﹂
﹁ありがとー!﹂
さすが職人、話が早いです。
寧ろ魔道具あってこその作戦なので私が関わる事以外は乗り気。
そもそも逃亡中に護衛が付けられない⋮⋮というか私が護衛扱い
になるのでその辺の負担を心配していると思われる。
でも多分大丈夫だぞ?
普通のお姫様と侍女なら負担になるだろうが、向こうは野営も平
気で脱走計画を立てる人達だ。
それ以前に命の危機になりつつも一年生き延びてきたのです、そ
んな環境の中二人だけで生活できていた時点で何の心配も無い。
私も短いとは言え後宮生活を送っていたのだよ。迂闊に手を出せ
ない奴が相手なことよりも盗賊や魔物の方がよっぽど楽。
しかも逃亡の先には自由が光り輝いている。私の前にはその先に
復讐のスタートラインが。
手に手を取って目指しますとも、コルベラを!
⋮⋮いや、実際には追っ手を蹴散らしながらかもしれんが。
﹁ミヅキ⋮⋮追っ手をあまり嘗めない方がいいぞ? 数で攻められ
れば明らかに不利だ﹂
﹁ふふ、大丈夫。対策は勿論考えてあります!﹂
﹁対策?﹂
﹁うん、今は秘密﹂
802
ええ、ばっちり考えてありますよ。
逃亡だけでなく私個人の事情的にも重要です。抜かりはありませ
ん。
こちらの協力者は先生。先生もキヴェラには色々と思う所がある
らしく復讐自体は賛成みたい。
師弟初の共同作戦です。心が躍りますね⋮⋮!
立案・実行は私ですが事前準備は先生。互いの長所を活かして遣
り遂げてみせますとも。
なお、先生が魔王様達ほど心配していないのは村での一ヶ月を知
っているからだ。
⋮⋮馴染むのが早かったとはいえ、色々と苦労があったのだよ。
当時に比べたら今の私は﹃何処へ出しても必ず無事で帰ってくる﹄
程度には安心できるらしい。
﹃嫁ぐなら心配な事この上ないが、逃亡生活ごときで音を上げるよ
うな軟弱者には育てとらん!﹄
という御言葉を戴いた。時々サバイバルな生活でしたからねー、
あの村。
普通は逆だ、とか言ってはいけませんよ。事実です。
魔王様達の女性基準って戦う力の無い人だからねえ⋮⋮どうして
も過保護にはなるだろう。
﹁ゴードン殿が関わっているなら大丈夫だろうが無理はするなよ﹂
﹁わかった﹂
ええ、無理はしませんよ。
803
ただ、先生や私はクラウス達と危険の基準が大きくずれているこ
とは黙っているけど。
寧ろ﹃頑張って来い﹄な意見であることも黙っているけど。
クラウスの信頼を壊すようで口に出来ませんでしたが。
⋮⋮先生、レックバリ侯爵の甥でした。レックバリ侯爵のお姉さ
んが医師と恋愛結婚したんだと。その夫婦の子供が先生。
あの狸の血筋ですよ? 真面目で誠実でも﹃それだけ﹄である筈
ないじゃないか。
どのみち一度はイルフェナに戻るのです、お説教はその時でいい
よね?
※※※※※※※※
﹁これが旅券だよ。二人の分もあるから向こうで渡してくれ﹂
﹁了解です、魔王様﹂
執務室に呼ばれるとアルと共に魔王様が待っていた。
仕事の合間に旅券を整えてくれたらしい。偽造じゃないぞ、私の
分に限っては。
ざっと目を通すと私は先生の弟子ということになるらしい。嘘は
言っていない。
姫と侍女は元貴族という扱いだ。
⋮⋮確かに宮廷医師の弟子と元貴族なら繋がりがあると言えるだ
ろう。友人で通す予定だし。
﹁生まれや育ちは不意の言動に出たりするからね、功績で貴族にな
804
ったけど続かずに爵位返上ということにすれば疑われないだろう﹂
﹁つまり﹃生まれた時は貴族だったけど成人するまでに平民に戻っ
た﹄ということですね﹂
﹁そう。我が国の制度は知られているから問い合わせが来たとして
も上手く偽造できる。爵位返上はそれなりに居るからね﹂
実力者の国だからこそ認められる事も多い。だけどその後が続か
ない家もかなり居るって事か。
一見偽造し放題だと思うけど、そのあたりの管理はしっかりされ
ているのだろう。
﹁それからこれは髪と瞳の色を変える魔道具だ。⋮⋮本当に君の分
はいいのかい?﹂
﹁ええ、必要ありません。髪色だけで私が的になれば他の二人から
注意を逸らせますし﹂
姫は黒髪・緑の瞳だそうな。だから二人には印象を変えるよう金
髪に青い瞳になってもらう。
イルフェナはどちらかと言えば明るい色彩の人が多いので違和感
は無い。
黒髪も特に珍しい色ではないけど、元の色そのままは止めた方が
いいだろう。
食事会の時に使った﹃顔を正しく認識できなくなる﹄魔道具と併
用で更に安全だ。
﹁ミヅキに注意を向けたとして、どうやって姫ではないと証明する
んです?﹂
﹁そうだね、言い掛かりをつけてとりあえず捕らえる方向にする可
能性もある﹂
805
アルや魔王様の心配ご尤も。
下っ端が来た場合、髪色だけで捕獲対象なんてこともありえるだ
ろう。イルフェナに問い合わせしてもらうのも面倒だ。
﹁料理を作ってみせればいいじゃないですか﹂
﹁﹁は?﹂﹂
﹁いや、だからね? 普通、姫どころか貴族って料理しないでしょ
?﹂
﹁ああ、そういうことか﹂
今回、持って行く荷物の中に村に居た頃から使っているフライパ
ンが入っている。
持ち手の部分に私の魔血石が付いた専用の︵ある意味︶魔道具で
す!
魔血石はその名のとおり血を特殊な方法で魔石と融合させたもの
だ。魔術師が自分専用の魔道具に埋め込んだりしている。
要は使用する魔力を術者本人から得ている状態になるってこと。
魔力持ちならば魔石の交換が不要になるのだ。
私に﹃繋げている﹄状態とも言う。だから魔力切れの心配も無い
し該当者以外は使えない。
前にオレリアが魔道具で攻撃魔法使ってた状態と同じですね。彼
女は魔力が無いみたいだったから魔道具に魔石も付いていたけど。
重力軽減作用で軽いし加熱も思いのままの自慢の品。逆に言うと
私以外にはそんな効果は無いただのフライパン。
ちなみに。
フライパンごときにこんな処置が施されているのは便利さだけで
はない理由がある。
当時魔法をイメージの産物だと知った私が強度を徹底的に高めて
806
しまったのだ。
あまり実感が無かった私は適当に強化、岩を砕いて無傷という恐
ろしげなフライパンとなった。
先生には勿論怒られましたよ、﹃この世界に無い物を作り出すん
じゃない!﹄と。
元に戻すにしても初期状態を認識しておらず、﹃この世界には無
い素材﹄となってしまった為に個人仕様のフライパンとなったのだ。
こんな強化ができると知られれば壊れない武器とか作らされるか
もしれないじゃないか。世界の為にも私の為にも沈黙します。
そんな非常識な出来事と先生のお説教を繰り返して今の私がある
訳だが。
﹁疑われたら獲物を狩るところから料理完成まで見せてやればいい
んですよ。姫か侍女だと思っているなら絶対に無理だもの﹂
﹁確かに無理でしょうね⋮⋮調理は出来ても獲物を捌くことができ
る人はあまり居ないと思いますし﹂
﹁アル、普通は無理だと思うよ。王族付きの侍女なら生まれは貴族
だろう?﹂
﹁そうですね﹂
二人とも頷き納得している。でしょうねー、血を見ると卒倒する
人多数ですから。
大物が出てくれれば一発で疑いは晴れるだろう。逞しさにドン引
きされるかもしれないが。
疑いが晴れて、気晴らしの料理もできて、美味しい物が食べられ
る!
我ながら良い考えだ。騎士sには﹃少しは食い物から離れろ﹄と
呆れられたけど。
﹁それにレックバリ侯爵の話だと姫達って野営も平気なんでしょ?
807
血を見たくらいじゃ気絶しないと思いますよ?﹂
元貴族という設定があるから料理が苦手でも不思議は無い。
悲鳴を上げたり気絶したりしなきゃいいのだ、レックバリ侯爵に
も聞いたけど大丈夫っぽい。
﹁レックバリ侯爵情報だと二人はそこそこ強いみたいだし、侍女は
治癒や解毒程度の魔法が使える。そこに魔術師として私が入って三
人旅⋮⋮と言ってもバランスはいいと思う﹂
﹁確かにそれなら女性ばかり三人の旅でも怪しまれないと思います
が⋮⋮﹂
アルは溜息を吐くと仕方ないという風に笑い、懐から小さな袋を
取り出して逆さにした。
袋から出てきたものはネックレスだろうか? 小さな宝石らしき
ものが十個くらい付いている。
﹁これを身に付けていてください。普段は見えないように服の下に﹂
﹁何これ? ネックレス?﹂
﹁ええ。路銀は用意してありますが予想外の事態という場合もあり
ます。宝石は一つずつバラして売ればそこそこの金額で売れるでし
ょう﹂
なるほど。資金の足しにでも賄賂にでも使えということか。
確かに宝石と言ってもかなり小さいものだから莫大な金にはなら
ず、しかも貴族ならば一つくらいは持っているから﹃貴族だった頃
の名残﹄として所持していても不思議はない。
いつもの軍服モドキにマントを羽織る格好で行くので服の下につ
ければまずバレないだろう。
808
﹁大した価値があるものではありませんが、人の命が買えることも
あるでしょう。遠慮なく使ってください﹂
﹁うん、ありがと!﹂
これ以上心配させるのもどうかと思うので素直に受け取っておく。
アルも安心したように微笑んだのでこれで良かったのだろう。心
遣いに感謝だ。
﹁ミヅキ。ルドルフ殿達には逃亡の事だけを伝えておく、というこ
とでいいんだね?﹂
﹁ええ、御願いします。アリサとグレンにも手紙を出しますし﹂
﹁君を案内するのは翼の名を持つ騎士達に属する商人達だ。何か必
要な物ができたら彼等を頼りなさい﹂
﹁⋮⋮はい﹂
イルフェナの諜報部隊か何かなのだろう。商人として様々な国を
回る彼らから得る情報も役立ちそうだ。
表立って動かない分、出来る限りの事はしてくれたらしい。
ならば私も結果を出さなければ。
ゼブレストへの侵攻だけではなくイルフェナも迷惑を被った事が
あるのだ、ただで済ます気は無い。
でもとりあえずは姫達をコルベラまで無事に送り届ける事が最優
先だ。
さて、支度を済ませてキヴェラへと行きますか!
809
旅は楽しむものです
転移方陣を使ってキヴェラへ入国後、馬車で王都へ向かいます。
王都には転移法陣の場所から馬車で数日かかるらしい。
で。
現在、馬車に揺られてます。
﹁キヴェラもここまででかくならなきゃ良かったんだろうねぇ﹂
商人さんがぽつりと呟く。
キヴェラって元々は小国が集まってできた国なんだってさ。活気
のある町は王都周辺に集中していて、後はそれなりの町の周辺に村
という感じ。
⋮⋮一つの国が他を吸収する形で国作ってないか、これ。あれだ
け広いのに一部に集中してるし。
イルフェナとガルティアみたく生き残る為に統合というより一番
力のあった国が纏め上げたと言うか、領土拡大していったと言うか。
昨日泊まった町の酒場でも仲良くなった小父さん・御爺さんが口
にしていたもんな。
﹃俺の爺さんのガキの頃はここまでデカイ国じゃなかったんだぞ?
だから城下町周辺と遠方に差があるのさ﹄
﹃そうそう、田舎は畑の方が多いもんなぁ。上の連中は攻め込まれ
ても民に被害が出ないように、なんて言ってるが実際は自分達だけ
が重要だろうよ﹄
﹃中央に住んでる奴等は生粋のキヴェラ人だからなぁ。国の中でも
810
差があるんだよ﹄
侵略なのか同意の上での合併なのかは知らないが、元々キヴェラ
だった土地が最優先ということらしい。
強国と言われる現在では内部で揉めてはいないみたいだけど。
なお、他国に接している領土は農業地帯らしく畑しかないので、
入国は比較的簡単に認められるらしい。あくまで比較対象が他国で
あって勿論放置ではないけどね。
馬車だと時間が掛かり過ぎるってことで他国からの商人は入国後
転移法陣を使うのが普通だとか。
ま、領土が広ければ侵攻されても主要な領地に辿り着くまでの時
間稼ぎができるわな。転移法陣は停止させちゃえばいいんだし。
その後は王都まで数日かかる上、砦も存在するので本格的な危険
は排除できると言うわけですね。幾つか村は見捨てる事になるだろ
うけど。
そして何となくこの国の兵力が充実している理由に思い至る。
総合人口は多いだろうけど、階級的に一番多いのは農民だろう。
そんな彼等の憧れの職業が兵士。逆に商人なんかは身元のしっかり
した人じゃないとなれない。
理由としてはスパイになりかねないから。隠された本音は財を蓄
えさせない為だろう。
領土が広い分、守備に回す兵は多いから他国よりも簡単に兵士に
なれる。
英雄に憧れたり農民生活が嫌な男は進んで兵士になるわけです。
命が惜しい奴や穏やかに暮らしたい奴は農民生活してればいいし。
その二択なら志願兵が多いのも納得ですね。昔のキヴェラは本当
にあらゆる意味で強かったんだろう。
その子孫達が先祖の遺産を武器にしちゃってるから現在の傲慢な
態度なのですが。
811
国が広くても豊かである為にはそれを維持できる兵力と食料が必
要なのです。その二つを兼ね備えたキヴェラに攻め込まれたら押し
返す強さと持久力が無い限り負ける。
余力のある方が強いよね、そりゃ。
﹁はっは、御嬢ちゃんはそういう感想を言うのかい﹂
﹁日頃の教育と個人の発想が殺伐としてまして﹂
﹁いやいや⋮⋮御嬢ちゃんみたいな子にさらっと言われると怖いね。
これが騎士様なら納得できる会話なんだが﹂
同行してくれている商人さん達と会話しつつ︱︱暇なのです、と
ても︱︱キヴェラについて情報貰ってます。
いや、一応下調べは済んでますよ? でも、実際目にして抱く感
想というものがあるじゃないですか。
⋮⋮復讐には必要です。敵を知る事は私の勝利への第一歩。
﹁⋮⋮御嬢ちゃん。今更だが止める気は無いかね? あんたの計画
だと王都に着いて数日後には別行動だ。そうなったらもう進むしか
ないんだよ?﹂
商人さん達の年齢は四十代くらい。自分の子供と被るのかとても
心配してくれる。
と言っても彼等が普通の商人だったなら、という前提だが。
この人達ってさ⋮⋮。
﹁平気です。私は﹃貴方達と行動できる﹄人間ですよ?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁皆さん翼の名を持ってらっしゃいますよね?﹂
﹁ほう。どうしてそう思う?﹂
﹁体の線の出難い服装をしていますし、私の会話に普通に返してい
812
ます。私は周囲に居るのが﹃彼等﹄なのでどうしても彼等寄りの話
題なんですよ﹂
だって﹃とにかく疑え! 情報を逃すな!﹄な教育されてますも
の。
普通の御嬢さんなら町や王都に期待しまくりな状況じゃないのか
ね。もしくは退屈するとか。
そう言うと商人さん達は笑みを僅かに深めた。商人の姿をしてい
ようとも翼の名を持つ騎士。会話も当然評価対象か。
﹁ふふ、面白い嬢ちゃんだ。そうとも、武器には相性があるっても
んさ。俺達は情報を扱う﹂
﹁ですよね。私も魔法は使えても武器は扱えませんし﹂
﹁おや、そうなのかい?﹂
﹁この細腕でどうしろと? 力尽きますよ?﹂
﹁⋮⋮。お前さんフライパンで獲物を仕留めてなかったか?﹂
﹁嫌ですね∼⋮⋮台所を預かる女の最強装備はフライパンと包丁で
す!﹂
胸を張る私に商人さん達は微妙な視線を向ける。⋮⋮いいじゃな
いか、別に。
どんな世界でもそれは共通です。ついでに言うなら調理に集中し
ている時に襲ってくる輩は一撃見舞われても文句言えません。
今回はそれが草トカゲ︱︱野営での貧しい食生活を補う味方・美
味でご馳走扱い︱︱だったが為に夕食の一品に変化しただけで。
ちなみに私は虫とかじゃない限りは抵抗なし。美味けりゃいいん
です、美味けりゃ!
でも食用だと聞いてもカエルだけは獲物扱いしない。タマちゃん
達を愛してるからな。
あれだけ尽くしてくれる種族とは友好的な関係でありたいです。
813
つーか、あの種族は懐いている人が飢餓に陥ればリアルに﹃私を
食べて! ︵食料的な意味で︶﹄をやりかねない。
﹁さて。着く前にもう一度確認といこうじゃないか。御嬢ちゃん、
足りない物はないかね?﹂
﹁えーと⋮⋮薬各種、記録用魔道具、旅券、乾燥させた野菜と海草、
野菜の種各種、調味料、フライパン、完全防水の布⋮⋮多分大丈夫﹂
﹁⋮⋮。初めはともかく途中からおかしいよな、絶対﹂
﹁ああ。干し肉や水はギリギリで揃えるとしてもなあ﹂
そうですね、私だからこその荷物だと思います。一般的な旅の荷
物は薬と旅券と乾燥野菜くらい。干し肉は増えるけど。
でもちゃんと考えてありますよ? 野菜の種⋮⋮地面があるからその都度時間短縮魔法を使って栽培。
調味料⋮⋮必須アイテム。
フライパン⋮⋮追っ手対策と美味しい御飯の為、時々武器。
完全防水の布⋮⋮雨が降った時のテント代わり
ほら、ちゃんと必要な物ですって! 雨の対策まで万全じゃない
か。
ちなみに水は魔法で作り出せるので持ち運びはなし。干し肉も基
本現地調達するつもりなのでそこまで必要は無い。
着替えと風呂も﹃一度ずぶ濡れになってから汚れを分離﹄といっ
た裏技が可能なので問題無し。勿論、気分的なものもあるので宿に
着いたらちゃんとした風呂に入るけど。
﹁御嬢ちゃんは本っ当に規格外だよな。発想からして違うと言うか﹂
﹁駄目ですかね? 最初は村に住んでたので役立ちそうな魔法から
手をつけたんですけど﹂
﹁ああ、それで妙な魔法が使えるのかい﹂
814
商人さん達に呆れられてますが今更です。感心するのは先生と黒
騎士連中くらいだろう。
まあ、微妙な顔の商人さん達の気持ちも判らんでもない。そもそ
も魔法に対する認識が違うのだ。
一般的に魔法は攻撃や医療方面の認識が強いだろう。使えない人
からすれば憧れとも言うかもしれない。
でも、私の場合は﹃如何にして快適な生活を送るか﹄が最重要だ
ったが為に妙な魔法を使ったりする。
元の世界は便利な道具に満ち溢れていたのです、イメージはバッ
チリですとも!
それに逃亡ルートは村や町が結構ある上に馬車も通っているので
野宿はそこまで多くは無いだろう。
キャンプだと思えば十分楽しめますよ。
基本逃げるだけなんだから少しくらい楽しみがあってもいいじゃ
ないか!
﹁⋮⋮何だか色々と間違っているような気がするが頑張れ﹂
﹁ありがとうございます! その後に控える私の個人的事情の為に
全力を尽くしたいと思います﹂
﹁いや⋮⋮とりあえず無事にコルベラに着くことをだな﹂
﹁そんなのは当たり前でしょう?﹂
問題はコルベラに迷惑を掛けることなく姫の自由を獲得すること
ですね。
私には﹃如何にして相手を徹底的に黙らせて泣かせるか﹄と変換
されてますが。
ふ⋮⋮言葉って不思議ですね、同じ出来事を指してるのに。
ふと手元の地図を見る。
大まかなルートに線が引かれ、別の紙には注意点が書かれている。
815
同じく覗き込んだ商人達は逃亡ルートにある町などを思い浮かべ
たのか、面白そうな表情だ。
﹁しっかし、逃亡しているとは思えん道だよな﹂
﹁こそこそするから目立つんですよ。堂々と旅人してきます﹂
﹁堂々とするなよ、逃亡者﹂
ぴし! と軽く頭を叩かれる。
口ではそう言っても何処となく楽しげだ。
﹁世間的には﹃気の毒な姫様を助ける健気な異世界人﹄ですよ。こ
の世界の常識なんて知りません﹂
﹁健気⋮⋮、ね﹂
﹁というのは建前で実際は﹃全てを理解した上で騙される追っ手を
嘲笑い弄ぶ魔導師﹄です﹂
﹁は!? そこまで変わるのか!?﹂
﹁いやいやいや! 落ち着こうぜ、御嬢ちゃん!?﹂
﹁落ち着いてますよ? 目指せ、大物悪役﹂
﹁さっくり殺っちゃ駄目だからね!? 小父さん達と約束してね!
?﹂
商人さん達が慌てているけど、私はこれが普通です。
大丈夫、魔王様達もとっくに諦めてるから貴方達の責任にはなり
ません!
それに安心してください、﹃さくっと﹄なんて簡単には済ませま
せんよ?
じわじわと自分達の無能っぷりを痛感しつつ上司からは叱責、な
んて目に合わせた方が楽しいじゃないですか!
﹁ねえ、聞いてる!?﹂
816
慌てる商人さん達の声に重なるように聞こえてきた﹁そろそろ着
くぞ﹂という声に。
私は楽しげな笑みを浮かべた。
817
悲劇の主人公⋮⋮?
﹁無茶な事を頼んで本当にすまない。感謝している﹂
﹁⋮⋮。オ気ニナサラズ﹂
そう言って隣の女性共々頭を下げた人を何ともいえない眼差しで
見つめる。
えー、現状に頭が付いていきません。
呆れていいのか、突っ込むべきなのか非常に判断に困ります。
只でさえ広い部屋は殺風景を通り越して物が無いとしか言いよう
の無い状態だ。
あくまで庶民の私の感覚で﹃広い﹄のであって、身分に釣り合っ
てはいないだろう。ここに普通なら家具が置かれるんだし。
でも一番の問題はですね⋮⋮私が此処に居ることだと思います。
後宮って一般開放なんてされてないよね!?
町で落ち合って普通に入れるなんて思わなくね!?
現在。後宮の一室にお邪魔しています。
町で侍女さんと会って何の苦労もせず入り込めるってどうよ!?
※※※※※※※※※
⋮⋮いや、確かに正面から入ったわけじゃない。
緊急の時に使われるらしい秘密の通路を使ったけどな。こちらの
方が問題な気がする。
勿論、教えられたわけではないらしい。暇過ぎて色々調べている
うちに偶然見つけてしまったんだと。
818
見つけた方を褒めるべきでしょうか、これ?
それとも秘密の通路がある部屋とは思わず彼女達を押し込めた奴
を阿保だと笑うべき?
﹁一般的な出入り口さえ見張っておけば後宮から出ることができ
ない、などと思っているのでしょう。愚かですわ﹂とは侍女さんの
お言葉。
ついでに言うならこの部屋の周囲は警護の騎士どころか侍女さえ
居ない。
騎士は命令ゆえの態度︱︱それでも問題だ︱︱だろうが侍女は明
らかに見下して馬鹿にしているのだろう。呼んでも来ないな、絶対。
冷遇通り越して放置です。町に行き放題な筈ですね⋮⋮!
おい、私の計画の難所が一気に減ったんだが!?
今回の件で一番難しいのって最初だろ、どう考えても。
人目を忍んで接触・後宮に侵入し、姫の部屋に匿ってもらおうと
思ってたよ?
え、何この予想外の展開。イルフェナで練習までしてきたのに!?
﹁うふふ、ミヅキ様の思う事は尤もです。イルフェナを基準に考え
ていれば驚くのも無理ありません﹂
﹁そうだな。私達はこれが一年続いているからいつもの事だが、呆
れるのが普通だ﹂
﹁えー⋮⋮、驚くと言うか、呆れると言うか。個人的な感想を言う
なら﹃この国終ったな﹄と﹂
﹁まあ、やはりそう思われるのですね!﹂
819
ぽん、と手を合わせて微笑む侍女さんは同志を得たとばかりに嬉
しそうだ。
⋮⋮。
ええ、ヤバイと思います。
今はともかく次の時代になったら絶対に傾くだろ、これは。
いくら自分の後宮内とはいえ、よくぞここまでできるものだと心
底思う。
きっと王太子が﹃目に付かないよう隅の部屋でも与えておけ・警
護の騎士も侍女もいらん!﹄とか非常に個人的な感情で発言し、周
囲も﹃どんな扱いをしても王子が許すから﹄という勝手な解釈をし
た結果なんだろう。
もしくは﹃誰かが世話をすればいいや﹄と全員思っていて結局誰
も行動しないとか。
でなければここまで酷い状態にはなるまい。食事すら碌に運ばれ
て来ないってどうよ? 運ばれて来ても毒やら虫やらが入った物な
のでどちらにしろ食えんらしいが。
﹁餓死しても下手をすれば骨になるまで気付かれないと思います
わ﹂とは侍女さん談。
私のお迎えも昼食を買いに来たついでだそうな。慣れた足取りに
それが日常なんだな、と私でも気付く。
⋮⋮問題が発覚すれば王子も騎士も侍女も罰を受けると考えろよ。
この結婚を決めたのは最高権力者の王だろうが!
教育を受けた身としては突っ込み所があり過ぎです、魔王様。
放置されたお陰で二人は意外と平和に過ごしてたみたいです。良
かったねー、レックバリ侯爵&コルベラの皆様! 尤もこの二人だからこそ餓死もせず生きてこれたと思うけど。
820
おいおい、どーこーが﹃悲恋に酔ってる王子様﹄なんだよ。
寧ろ主人公をこっちの姫にして﹃自分勝手な我侭王子とその一派
に苛め抜かれながらも祖国を想って耐える姫と忠実な侍女﹄とかに
した方が絶対一般受けするって!
顔だけで状況の見えてないアホ王子・財産狙いの寵姫・寵姫に気
に入られようと苛めに荷担する侍女・無能な騎士。
ほら、向こうは悪役オンパレードじゃん! 誰が見ても悲劇の主
人公はこちらです。
あれ、何だが証拠集めも楽勝な予感。
⋮⋮まあ、﹃ヒロイン﹄ではなく﹃主人公﹄なんだけどね、姫の
印象は。
﹁ところで。今更なんだが改めて自己紹介をしないか? 友人同士
という設定なのだろう?﹂
﹁そうですね。あ、これお二人の分です。元貴族という設定なので
多少ボロが出ても誤魔化せます﹂
姫の言葉に頷きつつ、荷物から旅券を出し二人に渡す。事前に自
分の設定を確認してもらわねば。
今は必要の無い旅の荷物は商人さん達に預けてあるので、滞在す
る宿で合流した時に受け取ればいい。
なお、彼等には三人で一部屋という条件で取った一室の偽装工作
を御願いしている。
姫失踪後にいきなり宿を取ると怪しまれるから、事前に泊まって
いたということにすべく最初に一部屋取ったのだ。
侍女さんと合流直後にマントだけ羽織らせて部屋確保・宿の女将
に﹁もう一人居るんですよ∼﹂な会話をしつつ鍵を受け取り、それ
を商人さん達へ。
適当に明かりをつけたり、食事を運んでもらったりしておけば怪
821
しまれまい。商人達が良く利用すると言う宿は基本的に人で溢れて
いたのだから。
﹁では、私から。イルフェナのレックバリ侯爵から派遣されてきた
異世界人でミヅキといいます。魔導師ですよ﹂
魔導師、と言う言葉に軽く目を見開く二人を無視してぺこりと頭
を下げる。
魔導師って魔術師の上位職だもんなぁ、異世界人がなるとは普通
思わんだろう。
﹁私はコルベラ王の末子、セレスティナだ。今回は旅券に記されて
いるようセシルと呼んでくれ﹂
﹁私はエメリナと申します。私の事もエマとお呼びくださいね﹂
﹁じゃあ、私もミヅキと呼び捨てで。友人設定ですから言葉遣いも
普通にした方がいいかも﹂
﹁そうだな、旅の間は対等な扱いの方がいいだろう﹂
頷き合っている二人にとってこの設定は問題無しらしい。
これもちょっと予想外です。逃げる為とは言え﹃旅の間は同行者
と対等な関係﹄という設定に難色を示すかと思ったんだよねー、実
は。
いや、王族・貴族って身分を気にするしね? それが普通だし?
いきなり庶民と対等で、と言われたところで無理があるんじゃな
いかと。
﹁色々と迷惑を掛けると思う。悪い所ははっきり言ってくれ。でき
るだけ馴染む努力はしよう﹂
そんな事を言って更に頭を下げる始末。彼女が王族などとは誰も
822
思うまい。
そして侍女さんも同じ気持ちらしく頭を下げている。
﹁気にしないでください﹂
﹁しかし⋮⋮﹂
﹁大丈夫です!﹂
きっぱりと言い切ると彼女達は顔を見合わせ安心したように微笑
んだ。
ええ、マジで大丈夫だと思います。多分、貴女達の方が私より常
識寄り。
何があっても気にしない・深く考えないという方向で御願いしま
す。
それに。
﹃姫はともかく侍女は色々煩いだろうな﹄と思っていました、ご
めんなさい。
心の中で土下座中なので許してください、御二方。
﹁ところで。その寵姫はどんな女なんです? 私の中では既に財産
狙いの浪費女で媚びる術に長けた印象なんですが﹂
寵姫個人に関してはあまり知る必要無いけど、一応聞いておく。
冷遇の証拠に大きく関わる以上は彼女も無視はできない。
すると二人は暫し首を傾げ。
﹁大体そんな感じじゃないか? 私が持ってきた装飾品も目立った
ものは自分の物にしたようだし﹂
﹁は?﹂
﹁大半は取り上げられてな、隠し通路越しに耳にした侍女の噂話に
﹃やっぱりエレーナ様が持つ方がお似合い﹄という言葉があった﹂
823
馬鹿か、その女も侍女も。王家の姫から﹃取り上げる﹄?
﹁予め幾つかは身に付けて隠し持っておりましたの。それを売って
この一年生活してきたのですわ﹂
﹁事前に情報を仕入れておいて良かったと心から思ったな﹂
﹁ええ、本当に﹂
⋮⋮こちらも怒る事無く平然と話しているし。こんな事で怒って
いたらやってられねぇよ、ということだろうか。
﹁外見は⋮⋮﹂
そう言いかけたセシルは何故か一瞬言い澱み私を見る。
ん? 何か問題が?
﹁髪の色は栗色、瞳は青だったと思う﹂
﹁外見は姫様よりミヅキに近いですわねえ﹂
思わず、ぴし! と固まる。
なんですと!?
﹁王子の好みなのだろうが⋮⋮気の強そうな大きな瞳に華奢な体、
といった感じか﹂
﹁王子相手に上目遣いで媚びてますわね﹂
﹁ああ、似てるんじゃなくてそういう意味ですか﹂
﹁ミヅキに媚びる雰囲気は無いから外見的な意味で、ということだ。
不快に思ったなら謝る﹂
﹁いえ、御気になさらず。私の場合は単に種族的にこの世界の人よ
り小柄なので、必然的に上目遣いになるだけですから﹂
824
﹁だろうな。ああ、言葉遣いは普通でいいぞ?﹂
内心同じ世界から来てたらどうしよう、とか思っちゃいましたよ。
要は﹃目が大きく勝気な子悪魔系﹄と言う感じだろうか。
⋮⋮。
ゼブレストのリューディアあたりが王子の好みド・ストライクな
んじゃね? 胸ないけど。
何故に暗殺未遂なんてやらかしたんだよ、リューディア嬢!
王子を誑し込む事を条件に釈放して送り込めば良かった、畜生!
彼女なら必ず寵姫と陰湿デスマッチをやらかしてくれると確信で
きる! 若さも野心も十分、足りない頭は私が付いていって補えば問題無
しだったじゃないか!
嗚呼、折角の面白くも惨酷な泥沼展開が⋮⋮っ!
愛憎劇の果てに自滅が狙えるかもしれなかったのに⋮⋮っ!
﹁⋮⋮? どうかしたのか?﹂
﹁いえ、物凄く惜しい人を亡くしたなと﹂
﹁﹁?﹂﹂
頭を抱えて後悔しきりの私に揃って首を傾げる二人。
改めて彼女達の容姿に目を向けると二人ともかなりの美形なんで
ある。
侍女さんは栗色の髪と明るい茶色の瞳を持つ優しげな美人さんだ。
雰囲気も顔立ちも柔らかい、おっとりした女性。ただし、内面は
825
違うらしい。
今も﹁私、毎日日記をつけていましたの!﹂と嬉々として見せて
くる日記は報告書紛いに一日の出来事が綴られている。
うん、十分冷遇の証拠になりますね。冷静に書かれている分、怒
りが透けて見えます。
どうせなら丸々複製して一冊置いていきますか。絶対、大事にな
ると思うぞ?
姫⋮⋮セレスティナは緩く波打つ黒髪を無造作に首の後ろで一纏
めにしている。
切れ長の瞳は深い緑。言葉遣いも彼女の雰囲気に良く合っていた。
はっきり言おう。﹃可愛い﹄という単語は欠片も似合わない。
﹃綺麗﹄﹃凛々しい﹄﹃男装の麗人﹄という単語がとってもお似
合いだ。
﹁エマ。セシルは祖国に居る時に男性だけじゃなく女性からも人気
なかった?﹂
﹁勿論ありましたわ! 今より背は低かったのですが、凛々しさに
憧れる侍女も少なくありませんでしたもの﹂
﹁あれ? 背があまり高くなかったの?﹂
﹁ああ。私達の国は成長期が遅いと言われているんだが、私は更に
遅くてな﹂
﹁今のミヅキより少し高いくらいでしたわね、ここに来た時は﹂
そんな彼女は今は間違いなく私より十センチは高い。伸び始めた
頃に嫁がされたということか。
まあ、元の世界でも身長って伸びる期間の個人差あるしな。食糧
事情も人種も違うだろうし。確かセシルは今年十八歳だったか。
﹁ついでに言ってしまいますが、王子は姫様の顔を知らないと思い
ますわ﹂
826
﹁え? 嘘でしょ?﹂
﹁絵姿も碌に見ず焼き捨て、婚姻の時もベールを上げる事さえして
いませんもの。勿論こちらに通うことなどしていませんし﹂
﹁背の高さも随分変わったからな。そもそも町で見かけた時も一切
気にした様子は無かった﹂
﹁公の場に出たのは婚姻の時のみですもの。民が姫様の顔を知らず
とも不思議はありません﹂
﹁だからこそ町を出歩いても旅人としか思われなかったんだがな﹂
﹁ふふ、町の住人ともそれなりに顔見知りになれましたしね﹂
﹁そうだな。ああ、ミヅキ。行動を起こす前に一緒に酒場に行かな
いか? マスターの料理は美味いぞ?﹂
何でしょう、この逃亡に有利な展開は。
真面目に考えてたイルフェナの協力者一同が脱力しそうなんです
けど。
その日は話を程々に切り上げ私は宿へ帰りました。
防音魔法を施した部屋で簡単な状況報告をした時の商人さん達の
反応は推して知るべし。
ま、とりあえず明日から婚姻の誓約書の破棄と証拠集めを頑張り
ますか。
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悲劇の主人公⋮⋮?︵後書き︶
リューディアは﹃S属性な人々﹄に出てきたゼブレストの側室。
彼女が生存していればキヴェラ乗っ取りルートでした。
828
誓約書を奪え
あれから。
姫達と無事に合流できたので、とりあえず今後の行動の優先順位
を決めました。
何だかセシル達は放って置いても大丈夫そうなので、私は婚姻の
誓約書を入手するということに。
いや、証拠集めより簡単そうだし?
後宮では嫌がらせもなく放置されてるしね?
下手に私が侵入して怪しまれるより証拠を入手次第、即逃亡でき
るようにした方が良いだろう。
なお、セシル達の無事を確認・親睦を深める目的で夕食は毎日一
緒に取る事になった。
夕方、エマと待ち合わせて後宮内のセシルの部屋で御飯です。手
料理振舞っちゃうぞ。甘い物も任せとけ。
で。
本日、神殿に侵入してみようと思います。
見取り図は商人さん達から貰ったので迷子になる心配も無し。
顔どころか存在を認識できないようになる魔道具︱︱職人達の手
作りですよ、当然︱︱装備、一日居る可能性もあるので軽食と水も
持ちました。
気分は遠足。おやつ無いけど。
なお、この魔道具は実用性がかなり低いらしい。
﹃見えなくなる﹄というか、﹃気にしなくなる﹄という感じ。ス
829
テルスとか隠密スキル程度なんだそうな。
なので気配に聡い人︱︱騎士や傭兵みたいな人︱︱や魔力の気配
に聡い人︱︱魔術師ですね︱︱は﹃何となく気付く﹄らしい。
⋮⋮うん、そんな人達相手に使えないならあまり意味ないね。気
配を消せる人の方が余程お役立ちです。
今回は平和ボケした神殿の皆様相手だからこそ有効なのだ。
だってあの神殿に盗むような物なんて無いじゃん? 警備自体あ
まりしてないよね。
これが国宝紛いの物を安置しているなら別だが、それは目的の場
所じゃないのである。
あくまで﹃結婚式を行い誓約書を保管する場所﹄が私の目当てな
ので、人の出入りが多い上にそれ以外の用事がない。
恋人達の憧れの場所だそうですよ⋮⋮人気の結婚式場扱いかい。
記念の護符を売っているあたり﹃観光スポットかよ!?﹄と激し
く突っ込みたい。
元の世界でも土産物を売って運営資金にしている修道院とかある
けどさ。
人々にとって重要な施設なら寄付とかあるよね? 国からも支援
されてるよね⋮⋮?
まあ、神聖な場所と分けて存在しているからこそ簡単に忍び込め
るのだが。もう一個の国宝紛いを安置してある神殿は基本的に立ち
入り禁止だしね。そちらは王族とかの婚姻に使われるんだそうな。
そして神聖な場所過ぎて誓約書の保管場所とか余計な部屋が無い
らしい。だから侵入が楽な方で済むんだけどさ。
それ以前に﹃誓約書を盗もう﹄などという不届き者は居まい。盗
んだところで精々婚姻の証拠隠滅くらいなのだ。金にならん。
望まない結婚ならば窃盗も十分考えられる⋮⋮と思うのは当然な
のですが。
830
そんな状況ならば新たに誓約書を作り直されるだけだろう。だっ
て﹃結婚を強制されて強行された﹄のだから。盗むだけではなく状
況を覆さない限り同じ事をされて終わりです。
無駄な事をするより駆け落ちでもした方が確実だ。実際、年に何
回かあるらしい。
で、私の場合。
目的の物が一応王族関連なので重要なものには違いないのですが。
逆に言えば別扱いしてあるから探すの楽なんだよね。
勿論神殿に最低限の防衛魔法はあるだろうけど大抵解除できるし
な、私。
魔力を﹃何かを成す為の力﹄として認識することを肯定してくれ
た先生に感謝です。色々と間違った解釈をしてるっぽいけど無駄に
万能。特にこういった解除系に関しては編物を解くような感覚なの
で問題無し。
結界系統の魔術は魔力量よりも構造が重要らしいからね∼、単純
なものだと楽勝です。
用が済んだらお詫びにできるだけ複雑なものを施しておいてあげ
よう。
逃亡がバレた際に婚姻の証拠として突きつけたくても解けなかっ
たら時間稼ぎになる。
お詫びじゃなくて嫌がらせ? 誠意が無い?
そんなことはありません。他の王族の分もありますからね!
王太子以外の誓約書が紛失しちゃったら大変じゃないですか!
831
⋮⋮これで解けなかったら黒騎士達と大笑いしてやりますが。
というわけで。
本日、遠足⋮⋮もとい誓約書の奪取に行って参ります!
﹁嬢ちゃん⋮⋮何だか色々と不安なんだが﹂
﹁気の所為ですよ、気の所為。恐れていては何も始まりません!﹂
﹁いや⋮⋮遠足って何だ、遠足って﹂
﹁軽食を持って日帰り程度で行なわれる行事です。ほら、間違って
ない﹂
﹁あのな、﹃侵入﹄とか﹃犯罪﹄とか判ってるか? 捕まったらヤ
バイんだぞ?﹂
﹁つまり﹃バレなきゃOK! 気付かれなきゃ犯罪にはならない﹄
ということですね?﹂
﹁違うから! そこまで前向きな言い方にしなくていいからな!?﹂
﹁一体何なの、この子⋮⋮﹂
商人さん達が呆れたり脱力したり虚ろな目になっていたのは些細
なことです。
いつものことだから気にすんな?
大丈夫、そのうち慣れる! 人は順応する生き物ですよ?
騎士sにできたことを貴方達ができない、なんて誰も思ってませ
んよ!
※※※※※※※※※
﹁姉から結婚前に是非一度見ておけと勧められまして﹂
832
﹁まあ、そうなのですか。どうぞゆっくり見ていってくださいね﹂
入り口付近で声をかけてきた女の人︱︱神官なのか巫女なのか只
の職員なのかよく判らん︱︱と軽く会話を交わし内部へ。
中には下見に来たのかそれなりに人が多い。今日は結婚式が続け
てあるらしく特に人が集っている。
⋮⋮ええ、そういう日を狙いましたから。
皆に祝ってもらうという意味もあってか、そういった情報は結構
出回るのだ。
基本的に元の世界の結婚式と変わりは無いみたい。誓約書へのサ
インもそこで行なわれてから保管庫へ運ばれるので付いて行けば辿
り着く。
さて、魔道具を身につけて行動開始です。人の少ない奥まった場
所へ足を踏み入れても認識されないので問題無し。
一番の問題は中で迷子になって出られなくなることですからね!
見取り図は出て来る時に重要なのです。
普通は逆だろうけど妙な構造になっていた場合、私には道を正確
に戻る自信などない。窓を開けて出てくるわけにもいかないしね。
侵入の形跡が残ってしまう。
それに他にもやるべき事があるので迷子になりかねないのだよ。
そんな事を考えつつ付いて行ったら何だか重厚な扉の前で職員の
足が止まった。
掌を扉に押し付けるとほんのり光ってカチャリと鍵が外れる。
へぇ、あんなものもあるんだ? もしかして鍵を解除できる人が
決まっているんだろうか。
予め認識させておけば登録された人以外は鍵を開けられない、と
いうものならば警備らしい人が見当たらないのも頷ける。
扉が開いた後、職員は部屋に入った。当然、私に気付いた様子も
ありません。
833
無防備なことに扉を開けたままだったので私も便乗。ひっそり中
に入ったら扉付近で待機です。
暫くすると扉がゆっくりと閉まった。なるほどー、閉める必要な
いのか。
で、目的地にあっさり着いたわけですが。
一度内部に入ったら職員が去るまで大人しくしていた方がいいだ
ろう。即行動は当然できないけど、安全確保の為にも暫く空気にな
っておきます。私は置物、気にすんな。
職員が完全に去ってからが本番ですよ。部屋からという意味では
なく、廊下の足音が聞こえなくなる程度には。
閉じ込められる状態になるからこそ、次に人が来るまでの時間は
安心して探せるというわけです。
結婚式が多い日を選んだのはこの為。侵入するのに有利という面
もあるけどね。
仕事を終えた職員は何時の間にか閉まっていた鍵を先程と同じよ
うに扉に掌を当てて解除し、部屋を出て行った。
一定時間で自動的に閉まるらしい。その後ゆっくりと足音が遠ざ
かり、やがて聞こえなくなった。
では、探索開始です。と言っても部屋の一番奥にある扉がそれっ
ぽいけどな!
当りをつけた扉から小部屋に入り込むと予想通り王族の婚姻の歴
史発見。別格だと見つけ易いですね!
御丁寧にも年代別に整理され、しかも最近の物は判り易い位置に
置いてある。特に一年前の王太子。
結界を解除し、薄いガラスのような素材の間に挟まれていた誓約
書を取り出し目を通す。
834
うん、これだ。簡単に目を通しただけだけど日付とサインから間
違いは無いだろう。
⋮⋮。
王太子⋮⋮お前物凄く投げやりにサインしただろ? 如何にも﹃不機嫌です!﹄と言わんばかりの文字に少々呆れる。
王族だろ、お前。政略結婚当たり前な階級だろうが。
呆れつつも、ふと違和感を感じ手にした誓約書に眼を落とす。
⋮⋮おやぁ? 魔力を帯びてるみたいです、紙の分際で生意気な。
そういえば﹃重要な契約書は特殊な紙を用いる﹄って前に聞いた
ような。
紙の強度の事を言っているのかと思ったけど、﹃違えられないよ
うな制約がつく﹄ってことだったのかな。
おそらく紙自体も簡単に破棄できないだろうし、破れば署名した
人物に何らかの罰が与えられるとかいった術なのかもしれない。
﹃婚姻の証明書じゃなく誓約書だよ﹄と魔王様に訂正されたけど
マジで効果ありなものでしたか。
ほほう、さすがは王族の婚姻。簡単に破棄できないようになって
いるみたい。
が。
私、この手の対策は既に取得済みです。
悪戯の為に、ですが。好奇心と向上心は魔法上達に必須です。
いやぁ、人生何があるか判りませんね⋮⋮! では、﹃楽しい契約の破り方﹄講座いってみましょうか♪
用意するもの
・破棄したい誓約書、別の紙︵普通の紙でいい︶
835
やり方
・誓約書の消去したい部分︵この場合はサイン︶のインクを別紙
に移し除去。
血で認証されている場合も同じく。
ほら、あっさり完了。﹃術式が組み込まれた紙﹄に﹃直筆で名前
が書いてある事﹄が問題なので、名前だけ移動させてしまえばいい。
この世界にこんな魔法は無いので誰もできないやり方だけど。
ゼブレストで作った名前変換の直筆手紙と同じ手口ですね。バレ
れば大問題になること請け合い。
﹃インクだけ移動させる﹄って発想が無いからこそ誰も使えない
だけなのです、教えれば黒騎士あたりはすぐに使えるようになるだ
ろう。
魔力を﹃何かを成す為の力﹄として捉えている事も重要だけど。
さて、この誓約書は勿論持っていきますよ。
良かったなー、王太子。これで君はめでたく独身だ。
いや、婚姻の証拠はもう無いからずっと君は独身だった。バツイ
チとは言わん。
セシルも人生に汚点など残さなくて何よりだ。
ああ、王太子の名前はそのままにしておこう。誓約そのものが破
棄され効果を失っているのか、未完成のままなのかは判らんし。
イルフェナに戻り次第、黒騎士達に聞けばどうなっているのか教
えてくれるだろう。
そんな事を考えつつ認証式の扉の付近まで戻り、持ってきたサン
ドイッチを食べながら一休み。
その後は再び開いた扉からこっそり退室し任務完了。
後はふらふら歩き回って探索し、もう一つの目的﹃横領の証拠獲
得﹄を無事に済ませ宿に戻ったのだった。
836
事前に商人さん達から聞いていた情報ですよ、これ。
神殿とくれば﹃隠し通路・悪事の証拠・財宝﹄といった秘密が一
杯だと相場が決まってます!
探索スキル発動しつつ歩き回れば一個くらいは見付かるかな∼、
と思ってましたが大当たり。
牢獄より簡単でした。鍵の掛かった机の引き出しや戸棚に普通に
入ってたもの。
魔法が掛かっていない一般的な鍵は開けるんじゃなく一度分解し、
その後再構成すれば問題無しだった。発想を変えれば簡単だったの
ね∼、開錠。
⋮⋮何だか碌でもない技術のみ上達していくような気がしますが。
お粗末な警備体制も経費をケチっていることが原因みたい。愚か
だ。
まあ、とにかく。
私の手駒の一つになって貰いますよ、神殿の皆様?
神聖な婚姻の場での汚職事件はさぞかし人々の関心を引いてくれ
る事だろう。
もしくは責任者と取引して姫の逃亡に一役買ってもらっても良い
かもしれない。
﹃婚姻を交わしておきながら夫が率先して冷遇するとは何と情け
ない!﹄とか演説してもらってもいいんじゃなかろうか。立場的に
支持を得るだろうし。
王家に誓約書の紛失を責められても﹃そうなるよう仕向けた原因﹄
は王家の方だ。
さぞや責任の擦り付け合いな泥沼展開となるだろう。⋮⋮頑張れ。
837
その後。
迎えに来たエマと合流し再び後宮へ。本日の出来事を証拠と共に
話すと二人は暫し無言になった。
どうやら誓約書を奪ってくる事のみを想像していたらしく、誓約
の無効まで行なっているとは考えなかったらしい。
ああ、やっぱり誓約の破棄には特殊な手順がいるんだね。
﹁ミヅキ、君の実力を疑って悪かった﹂
﹁魔導師を名乗るだけはありましたのね⋮⋮申し訳ありません﹂
気にしないで良いよ、二人とも。
私の場合、思い込みと無知な所為でこの世界の常識が通じないだ
けだから。
そもそも正規のやり方なんて知らん。⋮⋮とか言ったら混乱させ
るだけだよねぇ。
838
誓約書を奪え︵後書き︶
家捜ししたらRPGの定番どおり色々発見。
予想外の主人公に商人さん達は気苦労多し。
839
後宮生活の裏事情︵前書き︶
前話の続き。
840
後宮生活の裏事情
﹁ところでさ、この世界の婚姻って全部こんなに物騒なの?﹂
ぴら、と奪ってきた誓約書を振り二人に問う。
いや、だって魔術で何らかの誓約を設けるなんて呪いに近くない
か?
するとセシルはゆっくり首を横に振る。
﹁いや。王族や貴族⋮⋮事情のある場合に限り、といったところか﹂
﹁あれ、無い場合もある?﹂
﹁ああ、勿論。王族の場合は基本的に有りだが、貴族の場合は必要
としない場合も有るんだ。あまり良い言い方ではないが政略結婚が
当たり前だとある程度は割り切っているからな﹂
﹁家同士の繋がりを明確にすることが重要ですからねぇ⋮⋮役目を
果たせば互いに干渉せずといった方達もおりますし﹂
つまり本人が納得していない場合や強行されるような状態の時と
いうことだろうか。
まあ、王族・貴族なんて政略結婚が大半だろうしね。その後も役
目さえ果たせばある程度遊ぶ事も許されているのだろう。
アルだって私を迎えに来た時、自分含め騎士や貴族を差し出した
もんな。他の白騎士達も止めなかったし。
彼等の階級では婚姻=契約といった意味が強いに違いない。
⋮⋮尤もイルフェナの騎士達を見る限り独身率は高そうだが。婚
姻しても仕事大好きな彼等の理解者でない限り夫婦の仲は冷めそう
だ。
シャル姉様の所は二人に共通の話題があることもあって円満なの
841
だろう。
何故か誰も二人を羨ましいとは言わないのだが。結婚願望自体が
殆ど無いのだろうか?
﹁じゃあ、これは王族の婚姻だからこその処置ってこと﹂
﹁それもある。私の場合は国のこともあって逆らえないが、王太子
にとっては忌々しい誓約だろうな﹂
﹁王命ですのに⋮⋮本当に自覚の無い困った方ですわ﹂
エマよ、くすくす笑いながら言っても全然困ったようには見えん
ぞ?
ついでに言うなら﹃絶対逆らえない状況だってことすら判らねえ
のかよ、頭の足りない男だな!?﹄と私の中で意訳されている。多
分、言いたい事は間違っていない。
﹁ふうん、この紙切れがねぇ⋮⋮?﹂
﹁状況によって込められる誓約は様々だな。何の対処も無く一定以
上離れると吐血したり、命に関わるものもあると聞く﹂
﹁ちょ!? それ、呪いじゃね!? 何その呪縛﹂
﹁似たようなものですわ。そんな誓約が付けられるという事は﹃何
があっても夫婦で居て貰わねば困る﹄ということですから﹂
﹁唯一許される別離が死別ということだろう﹂
﹁ワァ⋮⋮庶民デ良カッタナ、私﹂
﹁それくらいしなければ自分の立場も使命も忘れて好き勝手なこと
をする方もいる、ということですわ﹂
うーん⋮⋮非情な気もするけど対処法としては間違っていないか
も。
理由があっての婚姻なのに﹃納得できません! 逃亡︵駆け落ち︶
します!﹄なんてことをされたら国の面目丸潰れ。
842
賠償金や不利な条約など様々な場面で支障が出ること請け合い。
恋愛小説は恋人達が主役だからこそそういった事情を省くだろう
が、国単位で迷惑が掛かる。逃亡にしても同様。
まだ相手の国の奴と逃げてくれればマシだろうが、今度は責任の
擦り付け合いで泥沼展開勃発。 当事者は誰からも恨まれます。物語のように協力者は現れんぞ、
普通。
﹁そんな誓約ならば事前に本人達に伝えられるさ。己が命を惜しむ
気持ちがあれば絶対に逃げない﹂
﹁自分は大切にしますものね、そういう輩ならば﹂
﹁あー⋮⋮凄く納得しました﹂
それ以前に自活できるとは思えないから野垂れ死にコースだろう。
連れ戻されたとしても許されるとは思えんし。
﹁じゃあ、セシルの誓約は?﹂
今回は逃亡前提だし、放置されてるから﹃一定以上離れると云々﹄
ではなさそうだ。
まあ、セシル達が逆らえないからこそそういった不安はないのか
もしれないが。
そう言うと二人は顔を見合わせ。
﹁多分⋮⋮王と王太子に逆らえない、というものかと﹂
﹁確かにそう言われましたわ。面と向かって言われた場合のみ、で
しょうけど﹂
﹁⋮⋮? ﹃多分﹄?﹂
﹁状況的に確認しようが無いだろう?﹂
843
やや困った顔になりながら告げられた言葉に物凄く納得する。
そりゃ確認しようが無いな!
そうですねー、王太子自体ここに訪ねて来ませんよね! 王とも
会う機会がないし。
もしやここまで酷い冷遇もその誓約が原因だったりします? 王太子が﹃どんな扱いを受けても文句を言うな﹄と言ってしまえ
ば何もできませんものね。
セシルを公の場に出さないのって王に後宮の実態を問われると困
るから?
﹁セシルだけ? ﹃二人とも逆らえない﹄とかじゃなく?﹂
﹁我々の関係は対等ではなくキヴェラの方が上だからな。誓約に縛
られるのが私になるのは仕方ない﹂
﹁普通に考えれば姫様の方が逃げ出す立場ですもの﹂
﹁⋮⋮王太子の方を何とかした方が良かったんじゃ?﹂
それが一番平和じゃね? 個人的な感情はともかく。
それに﹃浮気をしろ﹄﹃逃亡しろ﹄なんて命令されたらどうする
のさ?
懸念を口に出すとエマが首を振り否定する。
﹁さすがにそれらを言い出す事はないでしょう。婚姻は王の決めた
ものですし、自分が不利になるようなことはなさらないかと﹂
﹁それに⋮⋮我々が知らないだけで王太子にも何らかの誓約がある
のかもしれない。憶測だが﹃逆らえない﹄とは﹃命令に従う﹄とい
うより﹃反発しない﹄という解釈ではないかと思っているんだ﹂
844
なるほどそういう意味か。しかも事前に対策はとられている可能
性があると。
よく考えればセシルが逃げたり浮気する事って王太子の恥だよね。
自分にとってマイナスになるようなことを命じる筈ないか。
そもそもセシルは逃げられる状況にないから嫁いだので、妙な行
動をとれば王太子に疑いの目が行くだろう。
⋮⋮それを逆手にとって廃嫡を狙っているのかもしれないが。
だって逆らえない人物に﹃王﹄が入ってるんですよ?
これ、何かあった時にセシルに証言させる為じゃね?
セシルはああ言っているが王に関してはそのままの意味で﹃逆ら
えない﹄ことだと思うぞ?
王太子にその事を告げておけばおかしな真似はすまい。﹃普通﹄
ならば。
状況的に試されてませんかね、王太子。
それに推測でしかないが。
﹃逆らえない﹄って誓約は妥協案として王太子から言い出したん
じゃないか?
正妃だろうが寵姫に逆らうな、日陰者でいろ的な意味で。
でなければ後宮のこの状態はありえまい。
結果として干渉無しという状況になっているのでセシルにとって
は良い事なんだけどさ。
⋮⋮何故寵を競ってもらえると思ったんだ、王太子よ。
845
﹁王太子に誓約があったとしても寵姫に味方をする者が居る以上は
何らかの抜け道を探すだろう。それに王太子は元々感情的になりや
すい性格らしく、押さえ込まれれば何を仕出かすか﹂
﹁寵姫の事を王に反対されてから益々頑なになっているようです。
今ではその事を口に出すだけで口論になるらしいですわ﹂ ﹁あれですか、﹃反対されればされるほど燃え上がる恋に酔う自分﹄
を否定されて頭にきてるんですね?﹂
﹁そうとも言う﹂
﹁ミヅキ、それに﹃立場と恋の狭間で苦悩する自分﹄も付け加えて
くださいませ!﹂
エマの言葉をセシルは反対しなかった。そうか、事実なのか。
つまり王太子の方に何かすると更なる反発必至、ついでに自分の
立場を捨てる事は無いと確信されてるってことかい。
王に逆らってでも貫く愛なら一番最初に王太子という立場が邪魔
になると思うのですが。
⋮⋮。
⋮⋮。
へたれな坊ちゃんだな、おい。一人じゃ何もできないって周囲に
知られてるってどうよ?
﹁安っぽい恋愛小説でも主人公は自力で苦難に立ち向かっていくも
のだと思うけど﹂
﹁あの方に期待するだけ無駄ですわ、ミヅキ﹂
で、結局セシルに耐えてもらう方向になったわけか。コルベラの
扱いが軽いな、キヴェラ王!
だけど、今のキヴェラ王や上層部はまともなんだとも思う。でな
ければ周辺諸国が恐れるとは思えない。
誓約にしても立場という首輪を外す心配の無い王太子より、セシ
846
ルが逆らう可能性を潰し更に利用しようとするのだから部外者とし
てできる限りの事はしているようだ。
干渉できなくとも﹃親﹄である以上に﹃王﹄としての立場をとる
人物は無能じゃないらしい。
厄介な人みたいですね、キヴェラ王は。だからこそ疑問も残る。
⋮⋮何故にあんなお馬鹿さんが育つんだろ? 重要な後継ぎなん
じゃね?
領土拡大とか外交に力を入れ過ぎて幼少時の王太子の教育を誤っ
たんだろうか?
尤も王太子の弟二人はまとも︱︱商人さん情報です︱︱らしいの
で王太子を教訓にして教育の改善が成されたみたいだが。
意外と可哀相な子かもしれません、王太子。でも同情はしない。
私の目的は国なのです、貶めるなら彼が狙い目だからな!
寧ろそのままの貴方を応援してる! ガンガン突っ走っちゃって
くださいな!
王太子様、私は自分のやりたい事が最優先の人間でございます。
今の私にとって鬼畜という評価は褒め言葉以外の何物でもありま
せん。
僅かな憐れみを抱くことなく狙わせていただきます!
落とし所を探ってキヴェラ王と一戦交えるより確実な方を狙うの
は当然!
弱点を狙うのって基本ですよね、基本。
そもそも貴方はもういい大人。まともな側近を排除したのも自分
847
の意志。
学ぼうとすれば学べた筈なのです。その環境を周囲は整えてくれ
ていた。
﹃優遇されて当然﹄という態度をとってきた以上は結果を受け取
ってもらわなければ。
﹃正妃の王子が継承権優位﹄といった国の方針も継承順位を明確
にする為のものであって、努力せずとも王になれるといったものじ
ゃあるまい。
彼がセシルを気に入らないのも劣等感からくる部分もあると推測。
だって自分が明らかに劣るもの。
小国だからこそ王族・貴族の対応一つで困った事態に陥るのだ、
そうならない為にしっかり躾られるのは当然。
魔王様もルドルフもその側近達も個人であることより立場優先・
常に努力の日々です。
それが普通なのだが、見下している小国の王女が認められること
も許せないのだろう。
絶対に言われたと思うんだよね∼、﹃姫は己が役割を理解してい
るというのに貴方は⋮⋮﹄って。 よし、それも突付こう。徹底的にプライドを砕いてやろう。
﹁⋮⋮で。王太子がアホなのは判ったけど寵姫に関しては?﹂
王太子については証拠集めも楽だろう。折角なのでもう一人の主
役・寵姫について聞いておこう。
⋮⋮が。
﹁前にも言ったように私が持ってきた物を取り上げたくらいだな﹂
﹁後は⋮⋮数日に一度、嫌がらせの食事を持ってくる侍女が居るく
らいでしょうか?﹂
848
はて?
後宮ってそんなに平穏な場所だったかな?
﹁貴族達から贈り物とか来なかった?﹂
﹁最初の頃は来ていたな。だが、寵姫が気に入った物を取り上げる
と知ってやめたらしい﹂
﹁良い意味での贈り物ばかりではありませんでしたもの﹂
んん? 贈り物と言う名の嫌がらせも無いのか?
﹁寵姫本人からは?﹂
﹁ありませんわ﹂
おやー? まあ、ここまで差がついてると安堵のあまり無関心に
なっているのかもしれませんが。
もしや意外に良い人だったりする? 頭が足りないだけで。
﹁私はここしか知らないが君は知っているのか?﹂
﹁諸事情でゼブレストで後宮生活を少々﹂
﹁どんな生活だったんだ?﹂
二人とも興味津々なようです。いいぞ、簡単に話してあげよう。
面白過ぎて物語として受けるレベルだぞ? ⋮⋮サバイバル的な
意味で。 ﹁えーと。前提として私には将軍含む護衛が常に三人付いている状
態ね。立場的には側室筆頭。で、食事は自炊。毒殺対策で﹂
﹁まあ、事情があったのならば頷ける状態だな﹂
﹁贈り物は貴族からは全部受け取り拒否。確認はされるけど大半が
毒物・虫・生き物の死骸といった嫌がらせ。内部の側室からも送ら
849
れてたかな。あ、そういうことをする奴は小物ね﹂
﹁物語そのままですわねぇ﹂
うん、奴等も御手本どおりにやっていたと思う。そのお陰で私達
から﹃馬鹿じゃね? 引っ掛かるかよ﹄と言われていたのだが。
﹁護衛の騎士達の仕事ぶりから暗殺者とかも居たと思う。侍女を使
ってというのもあったしね。気合の入った側室になると自分の手を
汚さず取り巻きを使って殺そうとしたり、堂々と毒殺しようとした
り﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁茶会を催して席が無い、なんて苛めに始まり陰口・殺気は当たり
前! そもそも武器になるような物を後宮に持ち込んでる時点で﹃
何しにきやがった、お前﹄と呆れる事多数。愛憎どころか愛なんて
無い、あるのは獲物を狩る欲望と殺意だけ、という感じ﹂
ちなみに。
セイル達が引っ付いてる状態でそれなので護衛の騎士が居なけれ
ばもっと凄まじい事になったと思われる。
何せセイルを付けた理由が﹃死んだら外交問題に発展!﹄という
ものなのだ⋮⋮宰相様、貴方の予想は何処まで凄まじいものになっ
ていたんでしょうね?
﹁そ⋮⋮それは大変だったな﹂
引き攣りながらも労わりの言葉をかけてくるセシルに笑みを返し。
﹁大丈夫、私自身がダメージ付きの罠みたいなものだから﹂
﹁﹁え゛﹂﹂
﹁殺るか殺られるかの状況な以上、負ければ只では済まないよ。最
850
終的に全員が家ごと処罰されてる﹂
﹁つまり勝ち残ったと﹂
﹁正しくは﹃生き残った﹄だね﹂
﹁何て頼もしい⋮⋮! 是非仲良くして頂きたいですわ!﹂
エマは大絶賛している。そうか、こっちのタイプなのか。
ええ、仲良くしましょうね! 多分、楽しい旅になると思うよ?
ただセシルは苦笑している。
﹁状況が明らかに違うな。⋮⋮こう言っては何だが、エレーナ殿が
私に辛くあたるのも仕方が無いように思うんだ﹂
﹁何で?﹂
﹁恋人にいきなり妻ができたんだぞ? しかも自分はどう頑張って
も妻になれないんだ﹂
﹁ん∼? それ、どういうこと?﹂
実はこれも不思議だった事の一つ。子爵家でも貴族出身だから側
室になるには問題ないよね?
ただ、セシルの言い方だと何か問題があるようだ。
﹁この国が小国を侵略する形で大きくなったのは知っているだろう
? 実際、生粋のキヴェラ人と他では差があるんだ。彼女の家は元
は侵略された国の貴族だからこそ寵姫にはなれても妻にはなれない﹂
﹁言い方は悪いですが寵姫は﹃お気に入り﹄や﹃愛人﹄という意味
だと思えば判り易いと思います。側室は妻の一人という解釈をしま
すから、彼女は無理なのです﹂
寵姫さん、中々に不遇の人なようです。キヴェラ優遇は貴族でも
変わりないみたいですね。
セシルも自分の意志で嫁いで来たわけじゃないから彼女に対し思
851
う事もあるのだろう。
﹁それに⋮⋮﹂
不意にセシルは言い澱み、躊躇った後に口にする。
﹁彼女の言葉は厳しくとも感情が伴っていない気がするんだ。気の
所為かもしれないが﹂
﹁姫様は騎士団に所属しておられましたから殺気や悪意には敏感で
すものね﹂
﹁嫌味な言葉だけってこと?﹂
私の言葉にセシルはこくり、と頷く。
﹁だから彼女は恋人が好きなだけかもしれないんだ。私に対しては
八つ当たりといった感じだろうか﹂
﹁確かに私と殺りあった連中とは違う気がするけどね﹂
彼女達はもっとギラギラしてた。もし寵姫が同じならば放置など
せず徹底的に嫌がらせをしているだろう。
それとも何か事情があるのだろうか。
よく判らんなぁ⋮⋮そうなると王太子が寵姫と結ばれる為には自
分の立場を捨てなきゃ無理ってことになる。
でも二人にその選択肢は無いっぽい。
﹁まあ、彼女の事は置いておいて。私達は自分の目的を果たす事に
専念しましょ﹂
とりあえず疑問を頭の隅に追いやって私はそう締め括った。
852
後宮生活の裏事情︵後書き︶
身近な王族が基準の主人公にとって王太子は評価低し。
キヴェラ王の思惑はほぼ主人公の推測どおり。ただし、色々と予想
外の事態が起きてます。
853
今は耐えろ、ひたすらに
﹁⋮⋮それでね、王太子様もエレーナ様もとっても素敵だったの!﹂
﹁憧れるわねー!﹂
﹁あんなに一途に想ってくれる恋人って中々居ないわよね!﹂
﹁まあ、そんなに素敵な方々なのですね﹂
現在、後宮の侍女さん達とお喋りしてます。
話題は勿論﹃憧れる恋人達﹄こと王太子様と寵姫さんですよ。
数日前から後宮に侍女の振りして潜入中。勿論、エマに侍女服を
借りて、だ。
念の為に魔道具装備して﹃はっきりと記憶に残らない﹄状態だけ
どね。
色々やらかしている大元は王太子でも細々とした事は侍女に聞く
のが一番です。
新人の振りして仕事を手伝い、その流れで色々聞いてます。
で。
現在、顔には出さずとも内心盛大に呆れております。
侍女さん達の頭の中って本っ当∼にお花畑ですな!
おいおい、恋愛小説の展開が現実でも同じ評価されると思ってい
るのかよ!?
それに恋に生きる王族って現実に居たらか∼な∼り性質悪いぞ?
普通に考えて王太子妃を蔑ろにするとかマズイだろ?
854
そもそも寵姫は王太子が庇うだろうが侍女は庇わないと思うぞ?
セシル達の話を聞く限り寵姫本人より侍女達の行動が問題じゃな
いのか?
侍女如きが王族に不敬を働いたら首切られても文句言えないって
常識だよね!?
マジで頭が痛い状況です、セシル達は放置されて良かったかもし
れん。
まあ、状況証拠として貴女達とのお喋りは記録させて貰ってます
から。
私は話題を誘導するだけで不敬に当る言葉なんて言ってませんよ
? 聞き役です。
証拠集めの為とはいえ、イルフェナが基準︱︱イルフェナでは個
人的に思う所があっても御仕事はきっちりこなす人しか城勤めなん
てできません。叩き出されます︱︱の私にとって不快極まりない環
境ですな。
後で笑い者にしてやるから覚悟しとけ。それ以前に罪人だが。
﹁ですが、王太子妃様もお気の毒ですね。かなり強引に連れて来ら
れたと聞いていますが﹂
では、セシルに対する不敬の決定打を話してもらいましょうか。
﹁それは⋮⋮そうだけど﹂
﹁でもエレーナ様がお気の毒だと思わない? あんなに想い合って
いる方に妻ができるなんて!﹂
﹁そうそう、つい﹃味方﹄しちゃうのよね! どうせ王太子妃様は
855
何もできないんだし﹂
⋮⋮ほう? 早くも自白ですか?
平然と口にするとは罪悪感の欠片も無いんですね?
ああ、頷いてる二人も同罪だからな?
もっと決定的な言葉が欲しいから更に掘り下げてみましょうか。
﹁味方? お労しく思うだけではないのですか?﹂
首を傾げて問えば侍女達は得意げな顔になり。
﹁鈍いわね、所謂﹃嫌がらせ﹄というやつよ!﹂
﹁ふふ、王太子妃様は一人しか侍女を国から連れて来られなかった
もの。私達がいなければ何もできないわ﹂
﹁王太子様に訴えようにも肝心の王太子様がお会いにならないもの。
会えたとしても聞き届ける筈はないわね﹂
﹁寧ろ私達を褒めてくださるかもしれないわ。﹃良くやった﹄って
!﹂
つまりこいつらの独断なのですね。上級侍女は貴族の娘なので親
からの指示の可能性もあるか。
ふむ、王太子本人が命じてない限り冷遇の証拠としては弱いな。
侍女が勝手にやっただけ、とか言われてこいつら処罰して終わり
の可能性もあるし。
少しで良いから﹃王太子もこの状況を知っていて放置﹄的な事を
言ってくれないかな。
﹁ですが、エレーナ様はどうお思いなのでしょう。素晴らしい方な
のでしょう? そんな行いをお喜びになるかどうか⋮⋮﹂
856
俯きながら言えば流石に侍女達も一瞬黙り込んだ。
ここでのポイントは﹃エレーナ様を労わる言い方をすること﹄に
ございます。
寵姫様を素晴らしい人だと想定した上で﹃そんな卑劣な真似を許
す方なのか﹄と言えば文句は出まい。
ただ﹃そんな真似していいの!?﹄な発言をすれば王太子妃寄り
の侍女と見なされ裏切り者扱いですよ。
仲間と言った覚えも貴方達に共感した覚えもありません。全体的
に見て私の発言は貴方達の行動に疑問を抱いています。
そんな事に気付きもせずに得意げに不敬を話すとは。
マジで終ってるんじゃないかな、キヴェラ。
﹁で⋮⋮でも! 私達はエレーナ様の為にやってるんだもの! 王
太子様だって判って下さるわ!﹂
﹁そうよね、王太子妃様の現状を王太子様や騎士達が知らない筈は
ないでしょうし﹂
﹁そうよ! こうしてエレーナ様を御守りしているんだもの、お二
人はきっと評価してくださるわ﹂
いい訳の様に言い合いながら侍女達は自分に自信を取り戻してい
く。
ちっ! 直接何か言われた事はないのか。追い詰めれば免罪符の
様に話す筈なので、どちらからも命令はされていないっぽい。
でも﹃王太子妃様の現状を王太子様や騎士達が知らない筈はない﹄
ねぇ。確かにそのとおり。
通常なら警備の騎士とか侍女が居る筈なのだ、﹃知らなかった﹄
=﹃放置の証明﹄ですな。
寧ろそんな状態が問題なので﹃報告されてない!﹄と言って来た
ら即座に﹃何故そんな状況にしておいた!﹄と追及される事請け合
いです。
857
王太子もここまで酷いとは知らなくても、それなりに聞いている
筈だ。それを放置しているんだから共犯扱いで良いよね?
警備の騎士・侍女共にゼロなんて王太子の指示があったとしか思
わんぞ、誰だって。
世話をする侍女はともかく、警備状況って報告されますよね?
侍女達もそう思っているから自分達の行動が認められていると信
じているんだろう。
否定するならキヴェラの騎士や侍女の質が疑われるだけです。国
全体の問題ですね!
王族の姫を見下しているからこそのこの状況、強国でもお前ら侍
女が王族より偉いなんてことはねえぞ?
これだけでも十分証拠になるけど⋮⋮どちらかといえばキヴェラ
が無能だという証拠のような?
ついでに言うなら侍女達が﹃エレーナ様の為﹄って声高に言って
いるから寵姫様の評価が下がっていくんだが。
侍女を使って嫌がらせをする女がまともな奴にどう思われるかな
んて判り切ったことでしょ?
⋮⋮まあ、王太子は評価するかもしれんが。
さて、そろそろ話を切り上げて次に行きますか。
﹁ああ、いけない。つい長話を。色々教えてくださり、ありがとう
ございました﹂
﹁え⋮⋮ああ! 私も言われていた事をやらなくちゃ! じゃあね
!﹂
﹁あら、結構話し込んじゃったわね﹂
﹁私達も仕事しましょ。エレーナ様に気に入っていただけなくなる
わ﹂
858
私の言葉を切っ掛けに其々が仕事に戻っていく。
その姿を眺めながら私は笑みを浮かべた。
﹁本当に﹃色々と﹄ありがとうございました﹂
嫌がらせは侍女達の独断でも﹃王太子妃に対し不当な扱い﹄をし
ていた事は事実ですから。
しかも侍女達に正しいと思わせるような言動を王太子がしている
わけだ。
これで王太子が問題発言でもしてくれれば完璧です。
ここの責任者って王太子じゃん? 王太子本人が嫌がらせを認識
しているにも関わらず放置しているなら責任逃れなんてできません。
一番問題だったのはキヴェラ王が冷遇の責任を寵姫と侍女に押し
付けて排除することですからね!
侍女達の言葉を聞く限り冷遇に荷担していたのは王太子のようで
すし、今後の狙いは王太子といきましょう。
⋮⋮逃がしゃしねぇぞ? 王太子様?
※※※※※※※※※
翌日。
どうも朝から侍女達がうろついていると思ったら王太子が来るら
しい。
﹃凄く格好良いの! 護衛騎士のヴァージル様も人気があるんだ
から!﹄とのことなので美形二人組み=王太子&護衛の騎士という
ことでいいんだろうか。
⋮⋮魔王様達を見慣れている私が﹃素敵﹄と認識できるか自信が
無いのだが。
よく考えれば高貴な方をじっくり見るなんて事ができる筈は無い。
859
と、いうわけで。
侍女服を着るだけでなく、神殿に侵入した時の魔道具フル装備で
出陣です!
掃除をする振りをしてあちこちに記録用の魔道具を仕掛けてきた
けど、一番良いのは私自身が証人となることですよ。
目的が寵姫な以上は短時間しか見張れ無さそうなので、廊下を歩
いている時は張り付いていた方がいいかもしれない。
尤も声を拾える程度の距離をとって、だが。
美形二人の顔を一目見ようと侍女達は用も無く廊下をうろついた
りするみたいなので、気配でバレる心配は無し。
御自分の人気を理解しているそうですよ? ナルシストかい。
そんなわけで侍女の皆さんに混ざってみようと思います。
﹁相変らず父上は頭が固い。伝統が全てではなかろうに﹂
﹁仕方ないですよ。歴史ある国とはそういうものです﹂
﹁だがな⋮⋮﹂
えー、現在尾行中。
王太子&護衛騎士の会話に溜息を吐きたくなるのを堪えておりま
す。
うん、﹃伝統が全てではない﹄ってのもある意味正しいとは思う
んだ。
でも貴方が王太子なのはその伝統があるからですよ? 正妃の第
一王子様?
隣の騎士も宥めるだけで王太子の気に触るような言い方はしてい
ない。
はっきり言ってやるのも優しさだぞ? さあ、勇気を出せ?
﹃貴方が我侭言っても王太子でいられるのは王妃様の息子だから
860
ですよ﹄って。
言ったら言ったで荒れそうだけどな!
で、王太子の外見。
金髪に青い切れ長の瞳、気が強そうと言うか俺様? な感じ。上
から目線な態度。
ある意味、物語に出てきそうな王子様。
護衛騎士︵仮・正しい立場が判らん︶
短めの赤毛に赤っぽい茶色の瞳。良く言えば陽気そう、悪く言え
ば女癖悪そう。
二人とも顔立ちは整っているし、王太子の方は綺麗系の美形さん
ですね。
黙って立ってるだけなら賢そうに見えるかもしれない。
⋮⋮だって会話が馬鹿っぽいんだもの。顔と血筋だけの男かよ。
そもそも私は魔王様とルドルフが王族の基準なのだ。二人なら伝
統を残しつつ新しく何かを取り入れていく事を話し合うだろう。
歴史ある国だからこそ古い物を認めつつも状況に合わせて国にと
って最適な行動をとるんじゃないのか?
過去ばかりに執着し現在を見れない王族は的確な政策など打ち出
せまい。
あと、御自慢の顔も守護役連中に劣るから。
精々、宰相様クラスじゃね? 慣れてるから見惚れる程じゃない
な。
それにしても赤毛の騎士か∼⋮⋮嫌な予感がするのは気の所為だ
ろうか。
そんな事を考えつつ二人に付いて行くと侍女達が仕事を装って廊
下に姿を現す。
一目見たいという乙女心ですね。でもその対象は貴女達の思惑に
861
気付いて優越感に浸る生き物なようですよ?
⋮⋮そんなことより私の気配に反応しろよ。もしやファンの一人
とでも思われてる?
﹁やれやれ⋮⋮侍女達は仕事してるんですかね? 貴方が気になる
ようですよ、ルーカス様﹂
﹁お前の方が目当てかもしれないぞ? ヴァージル﹂
⋮⋮。
どっちも要らん。はよ問題発言しろ。この時間がとっても苦痛で
す。
﹁そういえばイルフェナに異世界人が来たそうですよ? エルシュ
オン王子が後見になっているとか﹂
﹁あの﹃魔王﹄が? 面倒を見るようには見えないが﹂
﹁異世界人は意外と喜んでるかもしれませんよ? 顔は極上だ﹂
﹁はっ、所詮は小国。珍獣の躾とは暇なことだな。イルフェナの魔
王も大した事は無いんじゃないか?﹂
﹁どうでしょうね? 異世界人は目立った功績を出していないよう
ですが﹂
﹁その異世界人もただの迷い人なんだろう。使えない駒は要らん﹂
⋮⋮。
もしもし、御二人さん? 私、珍獣こと異世界人のミヅキちゃん。
⋮⋮今、貴方達のすぐ後ろに居るの。
この後は都市伝説と同じく滅殺すべきでしょうか、この二人。 ﹁噂ではゼブレストの粛清に関わったそうですよ?﹂
﹁異世界人が? ありえないな。大体、﹃粛清王﹄などと言われて
いても貴族に嘗められているお坊ちゃんじゃないのか?﹂
862
﹁手厳しいですね﹂
﹁異世界人がいきなりこちらの世界の政に関わったなどと信じる方
がおかしいだろう。それにゼブレスト王は今まで一切そういった話
が流れてこなかったんだぞ? 実際に手を下したのは別人じゃない
のか﹂
まあ、そういう考えもありますね。ある意味一般的思考だ。
でも事実なのです。魔王様の教育方針もルドルフも普通じゃない。
ついでに言うとルドルフは機会を窺っていただけで牙を剥く時は
最後の時だぞ?
自分を基準にしか考えられないなんて、お馬鹿さんなんだからぁ♪
⋮⋮後で覚えとけ。
﹁⋮⋮?﹂
﹁どうした?﹂
﹁いえ⋮⋮一瞬寒気がしたような﹂
﹁泣かせた女が恨んでるんじゃないのか?﹂
﹁酷いですね!﹂
ヴァージルは一瞬振り返りながらも私に気付く事無くまた歩き出
す。
軽口を叩きながら進む二人の様子から察するに側近であり友人と
いった関係なのだろう。
二人揃って気の所為で済ませるなんてどれだけ無能なんだよ。イ
ルフェナではありえないぞ?
﹁ああ、女と言えば王太子妃様はお元気でしょうかね?﹂
﹁知らんな、あんな女﹂
﹁噂では美人だって話じゃないですか。一度お相手願いたいもので
すね﹂
863
⋮⋮ちょっと待てや。扱いを知っていても王族ですよ、お・う・
ぞ・く!
お前如きが懸想するなんざ不敬の極み⋮⋮
﹁別に構わんぞ? 欲しいなら命じてやろうか? どうせ誓約で逆
らえないしな﹂
クズが居たー! 自分の正妃を娼婦扱いですか!? 貸し出しち
ゃうの!?
別の意味でビビる私を他所に二人は楽しげに会話を続けている。
﹁おや、それで俺は不敬罪ですか?﹂
﹁いいや? 向こうが誘ったということにすればいいだろう。身分
的にお前は王太子妃に逆らえないしな﹂
﹁はは、それでめでたく離縁ですか!﹂
﹁父上もそんな女を認めることはしないさ。エレーナが認められる
まで俺は諦めない﹂
なるほど、その為に小国の王女どころかコルベラ王家の誇りを踏
み躙ろうというわけですね?
格好つけてもクズはクズだと知れ。
貴様が恋愛小説の主人公になれない理由がよ∼く判った! 誓約をそんな風に使うなんてどんな国も吃驚でしょうよ。
証拠は押さえた。もういいよね?
と言っても逃亡準備があるのでセシル達にはもう暫く後宮に居て
もらわなきゃならない。
勿論、防衛面も話し合わなければならないだろう。
実行されればセシルも気の毒だし、キヴェラ王が事を内々に治め
864
てしまう可能性だってある。
今夜からセシルの部屋に泊めてもらおう。危険、超危険。
誓約なんざとっくに解除してるけど、男が部屋に入り込んだ時点
で不貞を疑われるのは間違い無い。
ここまでアホなのだ、実行しかねん。貴様等に信頼など欠片も無
い。 相変らずの会話を続ける二人を追う事はもうしなかった。
そんな必要などない。今の会話だけで十分だ。
後はセシルが無事だという証人に私がなればいいだけで。
その後。
セシルの部屋に戻るなり酒盛りを提案し。突然の提案に首を傾げ
る二人に魔道具に記録した証拠を聞かせた後、酒盛りは快く受け入
れられたのだった。同志よ!
エマに酒を頼み私は食材を買い込んでお料理です! 酒でも飲ま
なきゃ、やってられねぇよ。
散々飲み食いし、酒も程よく回る頃には﹃本当に夜這いに来るか
な?﹄﹃来たら別の意味で可愛がってあげよう﹄などという事も口
にできるくらい私達の心は広くなっていた。
実際に来なかったのが残念だ。さぞ素敵な思い出になっただろう
に。
そして楽しく飲み明かし友情も深まったところで私は魔王様達に
連絡を入れるべく、宿に戻ったのだった。
妙に商人さん達が怯えていたけど気にしない!
大丈夫、まだ殺ってないから! 楽しみは後に取っておくから!
※※※※※※※※※
865
﹃拝啓 魔王様
報告が遅くなってしまい申し訳ありません。
こちらは無事に姫と合流もでき、順調に下準備を進めておりま
す。
そういえば、この話が出た直後レックバリ侯爵を交えて
﹃次代がこれかよ、キヴェラも大概ヤバイよな。今のうちに手
を切っておく?﹄
などと冗談交じりに話した事を覚えておいででしょうか?
個人的な感想を言いますと予想以上です。下には下があるもの
ですね。
予想の斜め下の展開に世界は広いものだと遠い目になる日々で
す。
難関と思われた後宮への侵入も姫達が隠し通路を見つけてくれ
ていた事に加え、
部屋近辺の警備が笊を通り越して不在なのであっさり解決しま
した。
部屋で食事どころか酒盛りしていても誰も気にしないなんて大
らかですね。
ああ、姫の与えられた部屋が隅の家具の殆ど無い場所だったか
らかもしれません。
保護されている立場とは言え部外者の私が執務室にお邪魔する
時は魔王様の傍に
アルかクラウスのどちらかが必ず付いていますし、ルドルフに
してもセイルが
控えているのが当然と思っていたのですが⋮⋮違ったのでしょ
866
うか?
王族はそういうものだと近衛騎士の皆さんに習ったように思う
のですけれど。
王太子妃はこの国の王族と認められていないとでも言いたいの
でしょうか。
改めてイルフェナとゼブレストの騎士の質の高さを痛感してお
ります。
王太子の後宮でクズ騎士を寄せ集めたなどということは考えら
れませんし。
私はイルフェナとゼブレストしか知りませんが国によって常識
が異なるのですね。
ある程度は予想していましたが、救いようがありません。
冷遇の実態は侍女が王太子妃を見下し、寵姫に気に入られるよ
う独自に動いた
結果のようです。﹃愛し合う御二人の為﹄だそうですよ。
必要最低限の職務すら個人的感情で放棄する侍女など誰が信頼
するというのか。
﹃馬鹿じゃねーの?﹄という言葉を飲み込み、しっかり記録し
ておきました。
侍女が王族を見下すキヴェラの常識に頭痛を覚えましたが、そ
ういった教育がされ
ているのかもしれません。先行き不安な国ですよね、本当に。
王太子も黙認していますし、警備の面から言っても﹃知らない﹄
はありえません。
ですが、悪質な嫌がらせをされず放置だったことは喜ぶべきな
のかもしれないと
思います。王太子を〆たくなっても困りますし。
あ、姫には指1本触れていないそうです。顔も覚えていない可
能性ありだとか。
867
今後も触れる予定などありませんので御安心くださいとレック
バリ侯爵に伝えて
くださいね。うっかり私が殺ってしまう可能性の方が高そうで
す。
それにしてもキヴェラの王太子様はとても優秀な方なのですね!
証拠集めの際、正気を疑うような言葉を耳にしました。
﹃所詮、小国。イルフェナの魔王も大した事は無い﹄
﹃粛清王などと言われても貴族に嘗められているお坊ちゃんじ
ゃないのか﹄
この言葉を聞き、王太子様を過小評価していた自分を恥ずかし
く思います。
それほど、自信が、おありなのです。
これは知力を尽くして挑戦せよ、ということなのでしょう。
魔王様にすら及ばぬ事は重々承知しておりますが、私とて魔導
師を名乗る者。
歴史に残る偉大な先輩方に恥じぬ結果を出したいと思います。
何やら商人さん達が必死に宥めているので今回はこれで終らせ
て戴きますね。
ペン先を何本も折ったので心配させてしまったようです。
最後にこれだけは書いておきたいと思います。 死にさらせぇぇぇぇっっ、アホ王太子がぁぁぁっっ!
言葉が悪くなりまして申し訳ございません。
庶民ゆえの戯言と思っていただきたいのですが、現在の心境で
868
す。
では。
追記
私も乙女の端くれとして﹃おまじない﹄をやってみたくなりま
した。
我が故郷伝統の﹃おまじない﹄は藁というイネ科植物の茎のみ
を乾燥させた物
を人型にして対象の髪や爪を入れ、想いを込めて釘を打つと願
いが叶うという
ものなのです。
何処かに藁がありませんかね?
今なら殺れる⋮⋮いえ、成功すると思うのですが。
御存知でしたら情報をくださいね。 ミヅキ ﹄
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮。何だか筆圧が異常に強いんだけど。王太子は何をやったの
かな⋮⋮?﹂
﹁う⋮⋮うむ、姫に関しては安心したのじゃが﹂
送られてきた手紙には安堵したが、別の不安は増したようだ。寧
869
ろ色々と突っ込み所は満載だ。
わざとらしく一部﹃王太子様﹄などと書いているあたり込められ
た感情は真逆のものだろう。
今まではキヴェラという国が標的だった筈なのだが、これは間違
いなく王太子を狙っている。
後宮の現状も姫達と仲良くなったらしいミヅキには許し難いもの
だろう。 いや、確かに王太子の言動に問題があるよ?
でも﹃酒盛り﹄って何? 姫共々何やってるんだい?
目的を間違えてないよね? 目的は逃亡だからね!?
しかも追記に書かれているのは本当に﹃おまじない﹄か?
冷や汗を流しレックバリ侯爵共々、手元の手紙を見る。
⋮⋮。
何度見ても﹃死にさらせぇぇぇぇっっ、アホ王太子がぁぁぁっっ
!﹄という文字は気の所為ではないらしい。
アルやクラウスは﹃騎士の在り方を判ってますね!﹄﹃それでこ
そ俺達の婚約者だ﹄と絶賛しているが、ミヅキはただ批判するだけ
で済ます気などないに違いない。
二人は騎士である事に加え﹃殺してでも帰って来い﹄という考え
なのでミヅキの怒りは尤もだと理解を示し、頼もしく感じているみ
たいだが。
確かにミヅキが殺る気になっている以上は中途半端に平和的解決
をするより安心だ。ミヅキは敵に容赦しない。
そういった意味では安心できるが、やる気になっているのはグレ
ンに鬼畜賢者などと言われる人物だ。
870
その賢さが物凄く嫌な方向に活かされる事はまず間違い無い。
⋮⋮騎士と混ぜて教育したのは失敗だったのだろうか。
忠誠心よりも自分の身の安全を優先して欲しいのだが。
﹁そういえば⋮⋮ミヅキ様は最も苦労されている王と最も厳しいと
評判の殿下の御二人しか王族を御存知ないのでは? 御二人が基準
ですと王太子様は随分と厳しい評価をされそうですね﹂
﹁ああ、ルドルフ殿と私の事かい﹂
﹁ええ。自覚はあまりないようですが、基準がイルフェナでしょう
し﹂
今気が付いたとばかりに執事が口にすればレックバリ侯爵共々一
層黙り込む。 そして同時に深々と溜息を吐いた。
871
今は耐えろ、ひたすらに︵後書き︶
メリーさんの電話状態な主人公。怒りは深し。
そんな子に付き合える姫と侍女も普通ではありません。
872
行動開始は悪夢と共に
さて、冷遇の証拠も得た!
後宮の実態も十分把握できたし、王太子達が色々と誤魔化そうと
しても抑えこむ事ができるだろう。
何より魔道具の記録は冷遇の決定的瞬間とか発言だけじゃないの
である。
後宮から見える風景とか。
所々にあるキヴェラの紋章とか。
果ては歩き回って簡単な見取り図出来ちゃいましたよ、隠し通路
付きの!
人物だけなら幻覚だの偽物だの言われそうだけど、どう頑張って
も本物じゃない限り無理なものを映像として収めているのだ。
これで逃げ切れたら凄いな!
他国から確認の人が訪れれば証拠と照らし合わせて事実だと納得
してくれるだろう。
所々にある些細な物だからこそ映像が本物だと証明できる。
そしてここは後宮です⋮⋮関係者以外、侵入したり逃亡した本人
でなければ入り込める筈はないのだ。
建物自体を取り壊す事が唯一の逃げ道だけど、そう簡単には建て
直せまい。
ついでに言うなら﹃そんなものが証拠になるなどとは思わない﹄。
特に王太子。
ああ、﹃お馬鹿さんだから﹄なんて言いませんよ? 不敬罪にな
873
りますからね!
ただちょっと﹃普通より考えが浅く思考能力が乏しい上に自分の
感情に素直過ぎる幼児の心を持つ方﹄だからですよね!
良く言えば﹃素直﹄とか﹃純粋﹄で片がつきます。便利な言葉だ。
ちなみに証拠映像もダイジェスト版を製作してみました。
部分的な映像を繋げて一個の魔道具に収録する映像編集作業はと
ても楽しかったです。
通して見るとヤバさがより一層増すけどな!
﹃私は見た! 後宮内で起こっている衝撃の真実!﹄という何か
の特番のようなタイトルから始まる映像︱︱いきなり始まっても何
だか判らない可能性があるので文字入れしてみた。テレビを知って
いる私にとっては簡単だった︱︱はセシル達の部屋の状況から王太
子の暴言まで全部入れた。
セシル達が後宮から宿に移ったら城下町に流すつもりです。人々
の反応が楽しみですね!
商人さん達によって町のあちこちに設置される予定なので、全部
回収されるか魔石の魔力が尽きるまで流れ続けます。
これはゼブレストの側室達に悪夢を見せ続けたやつの類似品。人
は魔力を必ず持っているから眠れば勝手に上映されます。
大変嫌な目覚めになること請け合いですね! いつまで続くか判
らないけど民は王太子に対し不信感を持つだろう。
そして一般的な常識として城には結界が張られている。
当然、結界内部までは影響が及びません。
結論:事態の把握が一日遅れる。
何せ城の外で一晩眠ることが悪夢の条件なのだ、話を聞くのと直
874
接見る事の差はでかい。
それに内容が内容だけに一日あれば十分広まる。人の口に戸は立
てられませんからね!
更に言うなら滞在している旅人や商人達を巻き込む事によって噂
は広がるだろう。中には他国の手の者も居るかもしれないね。
何よりヤバさを感じた彼等が国外脱出を図るべく行動してくれる
ので私達も目立たない。
利用できるものは何でも利用しますとも。大いに混乱してくれた
まえ。
こう言っては何だが、住人達もある意味騙されているといえる状
態なのだ。
滞在中に色々と歩き回った結果判った事だけど民の反応は﹃王太
子様達も可哀相だけど王太子妃様もお気の毒﹄というものらしい。
王太子や寵姫のマイナス要素を隠す為に﹃結婚できない立場の女
性を一途に愛する王子様﹄が演出されたと思われる。
王太子の顔が御伽噺に出てきそうな王子様なのであっさり受け入
れられた模様。
ただし、婚姻は王が無理矢理決めたものという事も知られている
ので王太子妃に対しても同情的。
こんな人々が衝撃映像を見たらどう思うか?
恐らくは半信半疑に違いない。あまりにも今までの王太子のイメ
ージが違うし。
だからそれを事実だと証明するような騒動を起こす必要がある。
尤もその騒動を起こすのは私達じゃない。
勝手に起こしてくれる人達が居るのだよ、当然の事として。私は
それに便乗するだけです。
悪魔でも鬼畜でも好きなだけ呼ぶがいい! 私は反省も後悔もし
875
ない!
﹁嬢ちゃん⋮⋮一度ゆっくり小父さん達と話し合おうか。保護者を
交えて﹂
﹁え? 私の保護者なら誰に聞いても絶賛すると思いますよ?﹂
﹁いや、そりゃそうなんだがな? 何て言うか⋮⋮人としての方向
性に問題ないか?﹂
﹁最良の結果の為に犠牲は付き物ですよ。私は善人じゃありません
し﹂
﹁良心や一般的発想は⋮⋮﹂
﹁そんなもの初めから無い﹂
﹁﹁言い切るのかよ、それ!?﹂﹂
商人さん達が心配からそう言ってくれるのも理解してますよ? 騎士だって初めて人を殺した時は怖くて眠れないとか聞くし。
でも私の基準はイルフェナです。商人さん達は私を﹃一般人﹄と
いう括りに当てはめているけど、私の周囲には魔王様を筆頭に翼の
名を持つ騎士連中。彼等は自分達と同類と認めない限り一緒に御仕
事しませんよ?
商人さん達は今回初めて私と顔を合わせたので﹃話は聞いていて
も納得していない﹄のだろう。
情報を扱う彼等だからこそ扱いが慎重なのかもしれないが。
もしかしたら私以外の異世界人と接した事があるのかもしれない
ね。
﹁綺麗事重視・全てに対し優しさ溢れる人物なら彼等に馴染みませ
んよね﹂
そう言ったら何とも言えない顔をされ頭を撫でられた。
えーと?
876
私は元からこうであって﹃この世界で生きる為に変わった﹄とか
じゃないですよ?
﹁気の毒に⋮⋮あの若造達の好みど真ん中じゃないか﹂
﹁ああ、絶対これは逃がさねえよな。こんな女は滅多に居ない﹂
﹁そっちか! そこなのか!? 気の毒なのは!?﹂
﹁﹁他に何が?﹂﹂
同業者だからこそ世間的に言われているような﹃素敵な騎士様﹄
ではないと知っているらしい。
さすがアル達の先輩。後輩達の本質をしっかり把握しているよう
です。
と言うか。今、同類認定されませんでしたか、私。
⋮⋮。
私に特殊な性癖はありません。そこだけは否定させてください。 ※※※※※※※※※
﹁⋮⋮で、あんた達がミヅキの友達かい﹂
﹁ああ。ずっと引き篭もっていてすまないな。つい旅の計画に熱が
入ってしまって﹂
﹁はは、久しぶりに会えた幼馴染なんだろ? 話が尽きないのは当
然さ﹂
和やかに話しているのは宿の客とセシル。隣のエマ共々、金髪に
青い瞳になってます。
印象がかなり変わる上に顔を正しく判別できなくなる魔道具装備
877
で町を歩いても全然平気。
ただしエマによると﹃そのままでも多分大丈夫ですわ﹄とのこと
だった。
王太子が徹底的に公の場に連れ出さなかったから民は顔を知らな
いままなんだとさ。
二人は数日に一回来る毒入りの食事後に脱出してきました。これ
で数日は逃亡がバレないらしい。
勿論エマの日記は置いて来ましたとも!
家具の殆ど無い部屋のテーブルにぽつん、と置かれています。
報告書紛いに書かれた日記は数ページ読むだけで後宮の実態が知
れる素敵な出来です。
当然置いて来たのは中身を丸ごとコピーした方。オリジナルは私
達が持っている。
このまま逃亡するのも芸が無いと思い、ささやかな報復として神
殿︵神聖な方︶に寄贈される本の中に官能小説と共に数冊混ぜてお
きました。
何年かに一度図書室の本を整理してまだ使える物は神殿に寄贈す
るらしい。
正確には神殿の運営する施設に贈られるものだけど、﹃神殿から﹄
という事にする為に一度神殿預かりになるそうな。
神殿には﹃国から書物を戴いた﹄という事実が残り、神殿の運営
する孤児院には﹃神殿から本を贈られた﹄という形になるのでどち
らの評価も上がるわけか。
まあ、今回はそれを利用させてもらいましょう。
ふふ⋮⋮真面目な本の中身だけを変えたので本を開くまでバレま
せんよ。
流石に一度は傷みなどをチェックされるだろうし、バレるならそ
の時だ。つまり神殿の職員が発見する。
878
なお、一冊だけ当りがあったりします。⋮⋮騎士同士の恋愛物が。
この国の騎士は男性だけ。誰だ、こんなもの書いた奴は。
ちなみに持っていたのはエマ。ささやかな反撃を夢見て購入して
おいたらしい。
エマ曰く﹃普通に売られていまして店主が﹁最後の一冊﹂と言っ
ていましたの﹄とのこと。
つまり﹃複数あって他は売れた﹄ってことですね!?
個人的な意見を言うなら恋愛は個人の自由だと思うよ? ただ逆に言えば絶対に許せない人も居るってことで。
いや∼、王家は色々大変ですね! 盛大に神殿から批難されてお
くれ。
何せ、城から寄贈される分に混ぜておいたからな! 疑われるの
は城の住人です。
侍女服姿でうろついていた私に本の整理を頼んだのが運の尽き。
数日掛かると聞いたのでその日の夜に商人さん達の協力の下、個
人的な寄贈本を用意しました。
⋮⋮いきなり﹃官能小説何冊か手に入りませんかね?﹄と言った
時、商人さん達は暫し硬直していたが。
様々な意味で嘆かれつつも準備し、翌日こっそり混ぜておいたの
で城から寄贈された書物扱いです。
多少気の毒に思ったので真面目に労働してきたよ? 給金貰って
ないから奉仕労働です。
もう一個の神殿も横領の証拠の一部を提示し﹃王家の弱みでも握
らない限り無事じゃ済まないわねぇ?﹄と煽っておいたので、逃亡
がバレれば盛大に動いてくれると思われる。
別問題が大事になればなるほど横領程度は霞むもんな。自己保身
の為に頑張れ。
879
今後を予想し心の中で大爆笑している私を他所にセシルとエマは
他の宿泊客達とも言葉を交わしていた。
商人さん達の情報操作で私達の関係は幼馴染ということになって
いる。
ついでにセシルとエマが元は貴族だった事も話してあるとか。
説明した際に周囲は酷く同情したそうだ。え、イルフェナではよ
くある事らしいよ?
そんなわけで二人は殆ど顔を見せなかったにも関わらず﹃ずっと
宿に泊まっていたイルフェナ産の三人娘が漸く部屋から出てきた﹄
という﹃事実﹄が宿の人達によって作り上げられている。
勿論、私や商人さん達が工作しエマやセシルも時々姿を見せてい
た結果だが。
厨房を借りてお菓子やおつまみを作り皆に振舞ったのも好印象に
繋がったと思われる。
⋮⋮商人さん達が時々疲れた顔をして﹃年頃の娘って判らねぇ⋮
⋮!﹄と宿の隣の酒場で愚痴っていた事も真実味を持たせたのだろ
う。
その場に居合わせた娘を持つ商人達が涙を浮かべながら慰め合っ
ていたらしいので、私達を見る目が物凄く温かい。
﹃あまり小父さん達に心配かけちゃ駄目だぞ﹄と何人に言われた
事か!
お陰で妙に存在を知られています。主に私が。問題児的な意味で。
素晴らしい情報操作ですね! 誰も疑ってませんよ!
⋮⋮。
ごめん。それ工作じゃなくてリアル愚痴ですね、多分。
そんな感じでセシル達が宿にやって来た二日後。
キヴェラの王都では妙にリアルな悪夢が見られるようになったの
880
だった。
さあ、噂話大好きなおばちゃん達よ出番ですよー! まだやる事があるから私達はもう少し滞在してますがね。
※※※※※※※※※
﹁⋮⋮ねえ、アンタも見たのかい?﹂
﹁本当かねぇ、あの王太子様が﹂
目覚めるなり人々は噂する。
そして私は何食わぬ顔で話に混ぜてもらうのだ。
﹁あの∼、どうかしたんですか?﹂
﹁おや、あんた最近うちの店で見かける子だね?﹂
﹁ええ、そこの宿に泊まってるんです。何だか町中が騒がしくない
ですか?﹂
旅人設定な私は王太子様の顔なんて知りませんよ。いきなり噂に
混じると不自然です。
おばちゃん達は顔を見合わせると心の中で大喜びしつつも不安そ
うな顔で話してくれた。
微妙に隠し切れてないぞ、おばちゃんs。
噂を知らない子に話せるのが嬉しいようだ。噂とお喋りが大好き
なのですね。
﹁あんたは見なかったのかい? 昨日の夜に夢をさ﹂
﹁見ましたけど⋮⋮あれ、何で知ってるんです?﹂ ﹁あたし達も見たのさ! 本当なのかねぇ﹂
﹁えーと⋮⋮私、王太子様の顔を知らないので何とも。やっぱり本
人なんですか?﹂
881
首を傾げる私におばちゃん達は勢い良く首を縦に振る。
﹁そりゃ、あんな綺麗な顔は滅多にいないだろうよ﹂
﹁旅人じゃあ、知らないのも無理ないね。私達には王太子様に見え
たよ﹂
﹁え、じゃああんなに酷い事を言ったのは本物!?﹂
﹁どうだろうねぇ﹂
﹃噂としては本物の方が面白い、けれど事実だったら大問題﹄
今の所こんな感じに思っている人が大半のようだ。
だから少々冷静な意見を付け加えさせていただこう。
﹁あれ? でも王太子妃様なら侍女とか護衛の騎士が居ますよね?
そんな状況を許していたんでしょうか、全員が?﹂
﹁そういや不自然だね﹂
﹁確かに。バレたら自分達が処罰じゃないのかい?﹂
﹁おかしいねぇ?﹂
﹁王太子様に命令でもされていなきゃ無理ですよね﹂
私の言葉におばちゃん達は納得したように頷く。近くに居た人達
も聞こえていたらしく、しきりに頷いている。
⋮⋮よし。これで﹃冷遇は王太子の命令説﹄が出来上がった。
侍女や寵姫に責任を押し付けても王太子だけが知らなかったなん
て扱いにはならないだろう。
﹁教えてくださってありがとうございました。もう少し色々な人に
聞いてみますね﹂
﹁そうだね、あたし達も気になるし﹂
﹁何か判ったら教えておくれ﹂
882
情報交換の約束を取り付けつつ、二人は別の人達と話し始めてい
る。
商人さん達も色々な場所で情報操作に乗り出している筈だ。
ひっそり笑みを浮かべ私はその場を後にしたのだった。
とりあえず第一段階終了。次は﹃彼等﹄が行動してからだ。
まあ、この騒動を聞きつけて後宮に手が入れば夜あたりに動きが
あるかもしれないが。
さあ、王太子様?
他国を巻き込んだ盛大な喜劇の始まりですよ?
悲劇の主人公になんて絶対にしてやらないから覚悟しとけ?
883
行動開始は悪夢と共に︵後書き︶
商人達は官能小説を強請られ絶句。
その後、何をしたかを聞かされ酒場へ直行。
後宮から逃亡しても主人公達はまだ宿に滞在中です。
884
悪夢の先には更に罠︵前書き︶
前話の騒動の続き。
885
悪夢の先には更に罠
悪夢騒動開始初日。
朝には
﹁事実なのかい、あれは﹂
﹁けどよ、あんな状態が許されるわけねえだろ?﹂
という感じだった人々も夕方には
﹁王太子様は何をやってるんだろうねぇ﹂
﹁いくらこの結婚が気に入らないからって⋮⋮﹂
ここまで変化した。
いやぁ、情報操作って凄いね! 見事に﹃王太子が命じた﹄とい
う方向になってきてますよ。
実際、判断材料が﹃普段の王太子の態度﹄くらいしかないので必
然的にその方向になちゃったというのが正しい。
王太子は建前だとしても王太子妃をまともに扱っている場面を民
に見せておくべきだったのだ。
それなのに公の場には出さない上、寵姫溺愛なんて﹃事実﹄が民
に浸透していれば夢が﹃ありえない嘘﹄で切り捨てられる筈は無い。
私達がやったのは切っ掛けに過ぎないのです、放って置いてもそ
のうち誰かの口からは出ていただろう。
単に国の上層部が動く前に広めたかったのだよ。先手必勝です。
⋮⋮まあ、国の上層部がアホだとは思っていないからこその保険
なわけで。
886
噂を聞きつけた城の関係者から上層部の皆様も悪夢の内容を知る
事になり。
後宮に王の手の者が入ったらしく、その日の夕方には王太子妃の
逃亡が民間にも知られたのだった。
ああ、私達の仕業じゃないですよ?
民間へ﹃王太子妃様逃亡﹄の情報を流した奴がいたのだよ。
素晴らしいタイミングです、良い仕事し過ぎですよ⋮⋮!
ふふ、今のところ計画どおり。
尤も逃亡がバレただけで後宮の実態把握までには至っていないみ
たいだが。恐らく色々あり過ぎて全部を一度に把握しきれないんだ
ろうね。
ここで慌てて逃げるなんて真似しませんよ? バレない自信があ
りますからね!
寧ろ今日行動した場合は本人か関係者として目を付けられる可能
性が高い。
だって﹃騒動を起こして逃亡し易くする﹄なんて誰だって考えつ
くもの。数日ずらして行動した方が安全です。
しかも私達は以前から宿に泊まっているという設定だ。堂々と姿
を晒している事も含めて疑われる要素が少ない。
疑われるとしてもセシルじゃなくて私だしな。黒髪だし。
驚いた事に民は王太子妃の事を﹃コルベラから来た黒髪のお姫様﹄
としか知らないのである。
その少ない情報の黒髪ってのも結婚式の時にベールからちらりと
覗いた程度。
王太子夫妻の肖像画も王太子が拒否してるのか無し。
マジで城の職員達でさえセシルの顔が判らないんじゃね? と商
人さん達と賭けて⋮⋮いえ、疑っております。
887
だって、宿に滞在中の商人達にとっては完全に他人事だしねぇ?
重要なのは自分や仕事に関する情報なのです。帰国準備はすれど
も焦りは無いのだ。
キヴェラとしても下手に旅人を拘束すれば他国に不審がられるだ
け、それに商人達は国力の差を誰より理解している立場だからこそ
王太子妃の逃亡を手助けするということも考え難い。
王太子妃の逃亡の手助け=キヴェラの敵認定
こんな認識が成り立つ中で味方をする奴は居まい。故郷もヤバく
なるもの。
まあ、味方をするのが此処に居るからこそ逃亡は可能なのですが。
単なる利害関係の一致? 互いの目的が明確過ぎる素敵な関係じゃないか!
敵の敵は友と呼べ。利用し合って立ち向かえ!
さあ、キヴェラがムカつく皆さん御一緒に! コルベラ、若しくは姫個人と付き合いのある親しい人物ならばキ
ヴェラ入国直後から監視が付いただろう。
何せ王太子の態度が悪過ぎる。力関係が明白だろうと他国の王族
を平然と虐げる次期国王がどう見られるか。
周辺諸国の不満を押さえ込めるような技量を王太子が持っていれ
ば別だが、本人を見る限り無理だろう。
キヴェラ上層部としても現状は他国に知られたくないものだった
と推測。
そういった事情から察するに逃亡とは関係なくセシルの行動もあ
888
る程度は制限されていた筈だ。
セシルがレックバリ侯爵に宛てた手紙が転移方陣ではなく、民間
の普通郵便だったことからもこの予想は正しいと思う。
⋮⋮まあ、王太子がアホだったおかげでこちらに有利な展開にな
ったわけですが。
﹃必要以上に人と接触させず、外部との連絡手段を与えなければ
いい﹄﹃侍女が居なければ何も出来ない﹄くらいに思ってたんじゃ
ないだろうか。
上層部もセシルが何の行動も起こさないのは﹃監視されていて何
も出来ないから﹄だと思っていたことだろう。
監視とか管理といったマニュアルでも作ってやれよ、上層部。
セシル達も大概規格外だけど、理解していない王太子や周囲もど
うかと思う。
とは言え、簡単なのはここまでだ。これからはキヴェラという国
が相手。
この町から普通に逃亡しただけでは即座に捕まってしまうだろう。
なので彼等を足止めするような騒動を引き起こす必要があったわ
けです。
神殿からの批難、後宮事情の暴露、民からの追及とそれに伴う軽
いパニック。
城下町でこれだけ起これば私達を追いかける事よりも優先して鎮
圧にあたらなければならないだろう。
後宮事情の暴露だけでこの様です、少なくともゼブレストに到着
するくらいまではマークされまい。
セシル達の優先すべきものと私の目的は違う。
だけど、互いを利用し合うことで叶えられるものだ。
889
ルドルフの時と同様、利害関係の一致というのが私達の繋がりな
のだよ。
だからこそキヴェラにとっては完全に﹃警戒対象外﹄。特に異世
界人の私はね。
それこそレックバリ侯爵が最適と判断した理由だろう。能力・性
格的なものも含めて、だが。
と言っても仲良くなった事も事実。
今までセシル達を虐げてきた分くらいは報復してもいいよね?
キヴェラがどうなろうと構わないから引っ掻き回しますよ?
暫くの間は大変だけど頑張ってね? 上層部の皆様。 ⋮⋮ということを部屋でつらつら話したらセシル達には感動され、
商人さん達は遠い目になった。
﹁嬢ちゃん。小父さん達はここまでやるとは聞いてないぞ?﹂
﹁何か問題が?﹂
﹁無い。無いんだが⋮⋮知恵の使い方を間違ってないか?﹂
そうか? 確かに賢者って物語だと善玉ですね。少なくとも悪党
ではないような。
でも、今の私は姫を助ける主人公ポジションなので﹃正しい行い﹄
です。⋮⋮多分。
﹁気にしちゃいけません。これから酒場でイベント発生が期待され
るというのに﹂
﹁まだ何かあるのか!?﹂
﹁私が居る以上、そろそろ走り回る人達が出てくると思うんですよ
ね﹂
890
言いながら自分の髪を摘んでみせる。その動作に全員が私の言う
﹃イベント﹄が何か察したようだ。
﹁黒髪で年頃の女性は目を付けられるでしょうね? 顔が判らない
なら貴重な判断材料だし﹂
﹁ミヅキ、君が的になる必要は⋮⋮﹂
ない、と言おうとしたセシルの言葉を首を振って遮る。
﹁私にはあるから心配しないで﹂
﹁嬢ちゃん、今度は何だ? 言っとくが張り倒すのは駄目だぞ﹂
﹁え、酷い。暴力前提なんて⋮⋮﹂
﹁﹁嬢ちゃんならやる。かなりの確率で﹂﹂
力一杯頷く商人一同。既に期待する事は止めた模様。
﹁勿論やる。でも今はやらない﹂
﹁肯定するのかよ!? 否定しろよ、形だけでも!﹂
﹁形だけの否定も反省も意味の無い物だと思う﹂
言い切った私に商人さん達は深々と溜息を洩らした。
御安心下さい、この凶暴性が私の長所と周囲に認識されているの
です。
そもそもこれで白騎士に懐かれました。
﹁ふふ。さあ、酒場に御飯食べに行きましょ!﹂
﹁情報収集もできそうですわ。先程、宿に滞在している方達も酒場
に行くと言っていましたし﹂
﹁好都合ね!﹂
﹁ミヅキ、一体何をする気なんだ?﹂
891
首を傾げるセシルに私は笑って答えた。
﹁人が多ければ多いほど私に有利で、皆の娯楽になることだよ﹂
さて、参りましょう?
とっても楽しいイベントですよ? ギャラリーは大歓迎!
立ち上がり扉に手をかけた私にセシル達が声をかけてくる。
﹁⋮⋮ミヅキ。私達は自分の為、国の為に君を利用する。だが、君
と友人でありたいとも思う﹂
﹁互いの望む結果を出せるよう頑張りましょうね。私達は貴女の望
みが叶う事も願っていますわ﹂
﹁ありがと。絶対にコルベラに送り届けてあげるから﹂
女同士の友情ですね。
守護役どものおかげで女友達があまり居ないので嬉しい限りです。
⋮⋮商人さん? ﹃同類かよ!?﹄﹃止める人間がいねぇっ﹄っ
て嘆くのはやめてくれない?
※※※※※※※※※
夕方の酒場は一日で一番の賑わいを見せ始めていた。
酒目当てだけではない、情報収集がてらに食事に来る者も居るか
らだ。
本日の一番の話題は当然﹃夢で見た王太子妃の冷遇について﹄。
だって、旅人は王太子妃どころか王太子の事をあまり知らないし
ね?
892
情報を得ようと思うなら町の住人達と話し込むことになるのです
よ。
給仕のお姉さんに聞く限りいつもより賑やかなのは気の所為では
ないらしい。
私達も早速酒と料理を注文して近くの人達の話に混ざってます。
﹁しっかし、あれは酷いよなぁ﹂
﹁大丈夫なのかな、この国は﹂
あ、同じ宿に泊まっているお兄さん二人発見。自称・傭兵ですが
個人的には何処かの騎士じゃないかと思っていたり。
確かに魔物や盗賊退治を生業にする傭兵は珍しくないけど、雰囲
気が騎士達と何処となく似ているのだ。
会話も情報を聞き出すような物が多いし、商人さん達も警戒した
のか彼等と接しているのは主に私。
向こうも私がどう見ても一般人にしか見えないので気さくに接し
てくれている。 ﹁お兄さん達も来たんだ? 何か情報は仕入れた?﹂
﹁お? おお、ミヅキか! どうした、小父さん達の説教は終った
か?﹂
﹁何で知ってるのよ⋮⋮﹂
﹁お前が問題児だってのは宿で割と有名だったぞ?﹂
盛大に笑いながら大柄で人懐っこい感じのお兄さん︱︱ビルさん
はがしがしと私の頭を撫でた。
対して何処となく知的なもう一人のお兄さん︱︱アルフさんは苦
笑を浮かべたまま。
⋮⋮否定してくれないのかい、アルフさん。
じとーっと二人を居眺めていると﹁ま、ちょっと座れ。お兄さん
893
が奢ってやるから﹂と席を勧めてくれたので、セシル達に一声かけ
同じテーブルにつく。
﹁何がいい?﹂
﹁酒﹂
﹁⋮⋮御嬢ちゃん、酒ってのは﹂
﹁数年前に成人してます﹂
﹁﹁⋮⋮悪かった﹂﹂
何故ハモる。ちまいのは人種の差であって年齢的なものじゃない
やい。
ついでに言うなら君達の自己申告年齢が正しいなら私の方が上だ。
セシル達と同じか少し下くらいに見られる事が多いけど敢えて訂
正しなかった私も悪いが。
この世界の成人は一応十六歳。とは言っても十八歳くらいまでは
子ども扱いされる事も多いとか。
まあ、成長期だもんな。それくらいの年齢って。
やっぱりこの世界でも二十歳以上が大人と認識される年齢なんだ
ろう。
﹁で。それはどうでもいいんで何か情報ありません?﹂
﹁お前の小父さん達の方が詳しいんじゃないのか?﹂
﹁朝の騒動があってから帰国準備に忙しいんですよ、小父さん達。
早めに帰ることにしたって﹂
﹁そりゃ、そうだろうね。あの夢が事実なら大混乱になるかもしれ
ないし﹂
ですよねー! 誰が見てもヤバイよな、あれは。
同意しているとビルさんが声を潜めて話を続けた。
894
﹁しかも王太子妃は逃げたみたいだぜ?﹂
﹁情報早いね、ビルさん﹂
﹁此処に来る前に聞いたのさ、騎士どもが町を走り回って黒髪の娘
を探してるってな﹂
﹁うっわ∼⋮⋮やっぱりあの夢って事実だと見るべき?﹂
﹁だろうねぇ。でなきゃ逃げられないだろ、お姫様は﹂
あらあら、王太子妃様の逃亡を隠す余裕が無いみたいですね。
とりあえず民に知られても姫を捕獲することを優先してるのかね?
そんな会話をした直後。
﹁おい! ここに黒髪の娘が居ると聞いたんだが!﹂
ざわめいていた店内が一斉に静まる。それでも周囲でひそひそと
交わされる言葉から彼等がキヴェラの騎士だということが知れた。
騎士達は店内を見渡し、そのうち私に目を留め近づいて来る。
﹁君は⋮⋮﹂
﹁イルフェナ出身です。旅券見ます?﹂
ほら、と持ち歩いている旅券を渡すと騎士達は顔を見合わせて受
け取りすぐに返してくれた。
おいおい、騎士さん。姫の顔をマジで覚えてないのかよ!?
セシル達、そこに居るじゃん? 色違いになってて魔道具装備し
てるけどよく見れば判る程度だぞ?
﹁失礼した。我々はこれで﹂
そう言ってその場を後にしようとした騎士をそのままにするなん
てしませんよ?
895
さあ、イベント発生です!
﹁ちょーっと待った。何で騎士様達は王太子妃様の顔を知らないの
?﹂
﹁⋮⋮何?﹂
﹁おかしいでしょ、旅券を見て判断するなんて﹂
﹁何故、我々が王太子妃様を探していると知っている?﹂
﹁既に噂になってます。あんな夢の後に貴方達が走り回って﹃黒髪
の娘﹄を探したりしたから確実な情報として。⋮⋮で、どうして顔
を知らないんです?﹂
自分達の行動が噂を事実として広めたことに顔を歪めるも、私の
質問に無理に冷静さを取り繕う騎士達。
実際におかしいと思う人が大半だったのだろう。頷きつつ会話に
耳を傾けている人が多く店内は静かなままだ。
とは言え、向こうも城勤めの騎士。簡単にボロは出しません。
⋮⋮ビルさん、﹃俺そこまで言ってねぇっ!﹄な顔するの止めて
ください。
﹁我々は王の居城に詰めているからだ。王太子妃様の住まう後宮に
は近づけない﹂
﹁いや、ですからね? 王太子妃様付きの侍女とか後宮内の警備を
していた騎士が居るでしょ? 何で彼等の記憶を見ないのかなって。
魔道具を使えば記憶を他人に見せる事って可能ですよね?﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
小型サイズとか高性能とかじゃなければイルフェナでなくとも可
能だと聞いている。
事件が起きた際の目撃証言を虚偽ではないと証明する為に使われ
たりするらしい。
896
確かに魔道具は高価な部類なのだろうが、今回は十分深刻な事態
だろう。
⋮⋮私の様に﹃ホラーハウスって素敵!﹄で悪戯目的に使う奴は
居ないだろうが。
﹁顔を覚えている人が居ないってことはやっぱり夢は事実だったん
でしょうか? でなければ﹃お姫様﹄が簡単に後宮を抜け出せると
は思えませんし﹂
﹁内部に協力者が居たのだ!﹂
﹁じゃあ、その人は⋮⋮﹂
﹁共に逃げている!﹂
﹁何でその人を探さないんです? 協力者ってことは王太子妃様の
顔どころか潜伏先を知ってるでしょうに﹂
﹁ぐ⋮⋮っ﹂
ふうん? 一応頑張りますね。周囲の皆さんは疑ってるみたいで
すけど。
首を傾げて不思議そうに尋ねてくる外見・小娘に騎士達は言葉を
詰まらせる。
煽るのではなく﹃純粋に不思議に思っています! 教えて、騎士
様!﹄な状態に加え、周囲の反応からある程度は言い訳をしなけれ
ばならないと思っているようだ。
騎士達も夢の話は知っているのか、あくまで﹃王太子妃が逃亡し
た﹄という事だけに留めたいらしい。
では続いて参りましょ♪
﹁職人達に記憶を見せてもらうって言う方法もあるじゃないですか。
貴族令嬢でさえ一年間全くドレスを作らないなんてことありません
よ? 仕立て直しにしても﹂
﹁!⋮⋮行け!﹂
897
私の言葉に初めてその可能性に気付いたのか、即座に指示を出す
と一人の騎士が頷き店を出て行った。
気付いてなかったのかよ!? 中々に混乱しているようですねー、
城は。
内心呆れていると私と会話していた騎士が探るような視線を向け
てきた。
﹁⋮⋮君は随分と詳しいのだな?﹂
﹁そりゃ、元貴族の友人達がいますから﹂
﹁元貴族だと?﹂
﹁イルフェナって功績で爵位貰ってもその後三代何の功績も無いと
爵位返上です﹂
﹁ああ⋮⋮なるほど﹂
﹁イルフェナでは当然です。子供でも知ってますよ﹂
事実なので私への疑いは薄れたようだ。﹃子供でも知ってる﹄と
いうことに反応したかもしれないがね。
騎士達は自分達の焦りと視野の狭さに気付いたのか、当初とは違
った目で私を見ている。
疑い半分、残りは貴族のあり方を知った上で冷静な意見を言える
者と評価したと見るべきかな。
どうやら興味を持たせることに成功したらしい。
﹁君は聡いようだ。では君の意見を聞かせてくれないか?﹂
﹁不敬罪に引っ掛かるような内容になるので遠慮します﹂
﹁構わん。是非聞いておきたいところだ。私が責任を持とう﹂
ほう、言ったな?
そろそろ攻撃に移りましょうか。
898
﹁先程の事なのですが。この一年王太子妃様の為の予算が使われて
いたのでしょうか?﹂
﹁何⋮⋮?﹂
﹁ですから。予算の管理は国ですよね? 使われていない事に気付
いていなかったならば国が王太子妃様に対し無関心だったというこ
と。そんな風に未来の王妃を扱っていたならば﹃国が冷遇していた﹄
と思われても不思議はありません﹂
まず一つの可能性、と周囲に聞かせるように言いながら指を折る。
今探し回っている事から考えても国の上層部がそう思っていたと
考える人は少ないだろう。
民の王に対する評価は高い。後々困るような真似をするとは思わ
ないだろう。そもそも未来の王妃にと連れて来たのは王なのだ。
ただ、あくまで王太子妃の逃亡に伴い﹃他国がどう見るか﹄とい
うこと。
﹁次に予算が使われているにも関わらず冷遇が事実だった場合。こ
れって﹃王太子様が国の財を横領した﹄という事になりますよね?
それ以上に﹃国を騙した﹄ということでしょうか﹂
王太子様・犯罪者説の発動です。
実際、王太子が許可しなきゃならないので実行した奴も罪を問わ
れるだろうが王太子も無罪にはなるまい。
﹁この場合、夢の内容も非常に納得できるものになります。周囲に
人が居らず所有する物すら殆ど無い︱︱王太子妃様を選んだ王がそ
う扱えと言ったとは考え難い﹂
王を馬鹿にしてなどいませんとアピールしつつ王太子は犯罪者扱
899
い。
全ての元凶は王太子だと周囲に絶賛主張中にございます。
﹁確か⋮⋮﹃王太子様の後宮には一切手が出せない﹄んですよね?﹂
﹁ああ、そのとおりだ﹂
王が王太子妃の扱いに口を出せないのは王太子の後宮が独立した
ものであるからだと噂で聞いた。
ならばこの情報も周知のものだ。口に出しても問題は無い。
﹁でしたら全ては王太子様の責任だと考える者が大半では? 噂で
は王太子妃様はかなり強引に嫁がされたとか。ならば﹃その事情を
踏まえても逃げなければならなかった﹄と考えるのが普通ではない
かと思いますよ﹂
夢と噂で判断できるのはこの程度ですよね、詳しい事情を知らな
い部外者なんて。
そう続けると騎士達は一層表情を暗くして黙り込んだ。
民は愚かではない。自分で物を考え勝手に想像し、時に無視でき
ないほどのものとなる。
﹃部外者﹄でさえここまで予想するのだから自国の民の目はもっ
と厳しいだろう。
⋮⋮そう思ってもらうのが目的なんだけどね?
﹁職人さん達が王太子妃様の顔を知っているといいですねー﹂
﹁そう、だな﹂
返事を返しつつも騎士達とてその可能性が低い事など知っている
のだろう。
王太子本人を知っているからこそ、それ以外に返事のしようが無
900
いに違いない。
ごめんね、騎士様達。
国の上層部には姫の捕獲より騒動を治める事に集中してもらわな
きゃ困るのだよ。
それに。
私、王太子が個人的に大嫌いです。
徹底的にズタボロにしてやらぁっ! 覚悟しとけ?
その後、小父さん達に説教されたけど後悔はしてない!
なお、ビルさん達が傍に呼んだのは﹃お前も黒髪だから気をつけ
ろ﹄と忠告したかったんだそうな。
⋮⋮すまん、無駄に終った。
901
本人を見て判断すべし
︱︱王城・謁見の間にて︱︱ ︵ある近衛騎士視点︶
﹁まだ見付からんのか!﹂
苛立ちも露に王は報告に来た騎士を怒鳴りつける。
確かこの騎士は城下町の治安維持を担当する隊の隊長だった筈だ
が⋮⋮それでも見付からないとはどういう事だろうか。
彼等は良くも悪くも町を知っている筈である。
たかが女性一人︱︱しかも正真正銘王族の姫が︱︱見つけ出せな
いなど信じられるものではない。
よほど手の込んだ誘拐にあったか、共犯者が匿っているか。
確かに王太子妃様の境遇はお気の毒以外何物でも無い。
残されていた侍女の日記の内容を僅かに聞いただけでも絶句する
に十分だった。
寧ろ生きていた方が不思議だとすら思うほどに酷い。
王族の姫、しかも我が国の王太子妃たる方を何と思っているのか!
正義感に駆られた者やコルベラに恩を売りたい者ならば手を貸す
可能性もあるだろう。
だが、共犯になるにしても利点など無いに等しい。キヴェラ王の
怒りを買えば自分だけではなく一族郎党破滅が待ち受けている。
そんな危険な賭けをする者が居るとは思えず、最終的に姫と侍女
が逃亡したと考えられていた。
兵を町に放ち探せば容易く見付かるだろう、と。
王太子妃様と懇意にしている者が居なかったことからも逃亡の手
引きをした者がいたとは考え難かったのだ。
902
﹁申し訳ございません。黒髪の娘は何人か見掛けておりますが、ど
れも王太子妃様とは思えず﹂
﹁確認はしたのか?﹂
﹁はい。旅人には旅券を提示させるだけでなく、周囲の者にも滞在
期間などを聞き込んでおります﹂
そもそも追われている人物が警戒心無く姿を晒すなどありえまい。
それは私だけでなく王や騎士もそう思っているようであった。
﹁そういえば⋮⋮イルフェナに問い合わせた人物が居たな。あれは
どういうことだ?﹂
王の横に居た宰相がついでとばかりに尋ねる。
⋮⋮イルフェナ? あの厄介な国がどうかしたのだろうか?
宰相の僅かに期待を含んだ視線を受け、騎士は少々居心地悪そう
にしながらも淀みなく答える。
﹁我々の質問にも動じず、鋭い指摘をしてくる娘がいたのです。﹃
冷遇が国の意思と見られる場合がある﹄と。王太子妃様の予算の事
を言い出したのも彼女です。もしや間者かと疑いかの国に問い合わ
せたのですが何処にも不審な点は無く﹂
﹁その娘が王太子妃本人と言う可能性は?﹂
﹁ございません。本人ならば目立つような言動はしないでしょう。
逆に王太子妃様の顔が判らぬならば関わった職人達に聞けと助言す
るくらいですから﹂
確かに本人ならばありえない。間者にしても目を付けられるよう
な真似はすまい。
903
﹁だが、問い合わせる程度には疑ったのだろう?﹂
﹁はい。イルフェナの返答によれば彼女は魔術師であり宮廷医師の
弟子だそうです。指摘された事に関しても国の内情に全くの無知で
なければ気付くのが当然かと思われます﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
魔術師であるならば賢い娘なのだろう。しかもイルフェナという
実力者の国において。
しいて言うなら疑われるような指摘を容易く口にする事に幼さと
いうか未熟さを感じる。
尤もそれが彼女自身が王太子妃様でも間者でもないことの証明に
なったのだが。
外交でイルフェナと関わった者ならばそんな未熟者を手駒として
使うなど﹃ありえない﹄と言い切るだろう。
自分もかつて所詮貴族出身の﹃お飾りの騎士﹄だと甘く見て返り
討ちにあった苦い記憶がある。
身分よりも実力が全て︱︱あの国はそういう国だ。 そう結論付けたのは騎士だけでなく宰相も同じだったらしい。
期待したのか溜息を吐いてゆるく首を振った。
﹁まずいな⋮⋮﹂
それまで黙って聞いていた王が洩らした言葉に宰相は怪訝そうな
表情になる。
﹁その娘の話を聞いていた周囲の者達はどんな様子だった?﹂
﹁は? それは⋮⋮興味深げに聞いていたと思いますが﹂
﹁その者達が大人しく口を噤むと思うのか?﹂
王の指摘に誰もが顔色を悪くした。
904
⋮⋮それはそうだ、只でさえ夢が噂になり人々の関心が王太子妃
様の冷遇の真偽に向いている。
そんな状況で新たな火種とも言うべき可能性を知ればどうなるか。
民はより不安に駆られ城に疑惑の目を向けるだろう。
いくら﹃王太子様の後宮に介入できない﹄と言っても何処まで信
じるだろうか。
それ以上に明確な断罪を求め、最悪の場合暴動が起きる。
﹁あの娘は⋮⋮それを狙っていた、のでしょうか﹂
﹁それは判らん。だが、イルフェナが自ら仕掛ける事はないだろう
から可能性としては低かろうな﹂
﹁では⋮⋮﹂
﹁その可能性に気付かなかったお前達の失態であり、この一年あれ
に好き勝手をさせてきた我々の落ち度だ﹂
そうだ、その娘は切っ掛けでしかない。
今気付くか後々気付くかの差でしかないだろう。何れ誰かが辿り
付く可能性なのだから。
全ては⋮⋮﹃伝統を理由に全く動かなかったこちらの咎﹄。防げ
たにも関わらず防がなかった我々の罪を他者に押し付けるような愚
か者にはなりたくはない。
誰もが沈黙し顔を俯かせるのは立場は違えど自身の不甲斐無さゆ
え。
私もその一人として、深く後悔している。
﹃何故、咎められようとも王太子妃様の状況を確認しなかったの
か﹄と。
少なくとも公になる事だけは避けられたに違いない。
905
﹁姫を探す事は最優先だが民の不安を煽らぬよう注意せよ。必要以
上に旅人を疑ってもならぬ﹂
﹁陛下、それでは他国に現状を知られる事になりますが﹂
﹁ここまで騒ぎになった以上は隠し通すことはできん! 下手に拘
束すれば付け込まれる隙を作ることになろう。それに⋮⋮﹃誠意あ
る行動﹄をすることが先ではないか?﹂
苦いものを多分に含んだ王の言葉に誰も言葉を返す事は出来ない。
﹃誠意ある行動﹄とは事を起こした者達への断罪だ。当然、それ
には王太子殿下も含まれている。
あれほどの事を起こした自分勝手な王族を民が次期国王と認める
だろうか。
何より王妃様もただでは済むまい。正妃の生んだ第一王子という
肩書きがあの方を傲慢にした一因でもあるのだから。
﹁姫の捜索はこれまでどうりに。ルーカスを連れて参れ﹂
そう告げた王の表情は父親である以上に一国を担う者のそれであ
った。
その表情に密かに安堵する自分を自覚し目を伏せる。
例えどれほど殿下が言い訳をしようとも⋮⋮王が親子の情に流さ
れる事はないのだろう。
※※※※※※※※※
﹁旅券を提示してくれ⋮⋮よし、行っていいぞ﹂
町を出て行く旅人達の旅券を確認しつつ、目当ての人物が居ない
906
か目を光らせる騎士達。
大変ですねー、御仕事頑張って。
すぐ近くに居るのに気付かない君等に同情はしませんよ? 社交
辞令です。
﹁やっぱり滞在を切り上げた奴等が多いな﹂
﹁それは仕方ないと思うよ、ビル。封鎖されても困るし﹂
﹁確かに﹂
ビルさん達もすぐ近くで言葉を交わしている。
流石に夢だけでなく騎士達が走り回る状況になってくると危機感
が増したのか旅立つ人続出です。
私達が滞在していた宿でも大半が今日明日にでも街を出て行く筈
だ。
﹁つーかね、一人くらい﹃何故、王太子妃様が堂々と街中に!?﹄
とか言ってもいいと思わない?﹂
わざと騎士に聞こえるように言ってから髪を摘んでみせる。
如何にも残念そう・不満そうに言う私に商人さん達だけでなくビ
ルさん達までもが生温い視線を向けた。
﹁嬢ちゃん。姫ってのはな、気品に溢れてるもんだろ? お前の何
処にそれがある?﹂
﹁嬢ちゃん⋮⋮騎士様達も大変なんだからな? 冗談も程々にしと
け﹂
﹁えー⋮⋮酷いですよ、小父さん達﹂
﹁ミヅキ、お前本っ当に賢さが残念な方に向いてる奴だよな﹂
﹁ビル、言い過ぎ﹂
﹁奢ってやると言ったら迷わず酒を頼む奴だぞ? これは。下手し
907
たら不敬罪だろうが﹂
あら、中々に酷い言われようですねー⋮⋮騎士様達よ、なぜ其処
で視線を逸らす?
王太子妃と認めたくも疑いたくもありませんか、そうですか。
これでもゼブレストでは﹃血塗れ姫﹄と呼ばれているんですが。
⋮⋮。
容赦無しという意味だけど。粛清王の協力者的な渾名だからね、
あれは。
確かに私じゃ一年も大人しくしてるなんて真似はしませんとも。
数日後には報復が開始されて王太子と殺り合ってるでしょうね⋮
⋮!
それは別にしても一応私も年頃の乙女なのだが。
扱いが微妙に酷くないかい、皆さん?
同じ宿だった人達も納得と言わんばかりに頷くのやめてください
な。
ああ、騎士様達が可哀相な子を見る目で私を見ている感がひしひ
しと!
﹁でもさ、本当にどうするんだろうね? 私達はイルフェナに戻る
からあまり関係ないけど﹂
ちら、と後ろを振り返りつつ町を後にする。
町を出てしまえば自分の目的地方面の転移法陣を目指すので目指
す方向は其々違う。
ビルさん達ともここでお別れだ。
﹁俺達もアルベルダ方面だからなぁ⋮⋮コルベラに向かう連中は止
められるかもな﹂
908
﹁うっわ、迷惑!﹂
﹁そう言うな、必死なんだからさ。お前も小父さん達の言う事を聞
くんだぞ? 問題児!﹂
荷物を背負い直しビルさんがくしゃりと私の頭を撫でる。
何だかんだでお兄ちゃんな二人には構ってもらいました。ありが
とね。
でも、ごめんなさい。
今回の事を仕組んだのはほぼ私です。
酒場であれだけ目立てば絶対にイルフェナに問い合わせが行くだ
ろうと予想しての茶番は大成功。
旅券を見せれば﹃ああ、この子ね﹄的な視線と共に容疑者から除
外されます。
ついでに言うなら私が口にした事は盛大に広まった。酔っ払いと
町の住人の情報網を嘗めてはいけません。
まあ、本命もしっかり騙されてくれたみたいだが。
町の住人達の王への評価は高い。
いや、民の評価だけではなく他国からも警戒される人物が現在の
王なのだ。
下手に動いても誤魔化されてはくれないだろうと予想して﹃その
賢さを利用した策﹄を仕掛けさせてもらった。
賢王ならば私個人よりも﹃私が酒場で口にしたことが齎す影響﹄
を気にするだろう。
足元を危うくしたまま王太子妃の捜索を強行するような真似はす
まい。
それを証拠に騎士達は住民の不安を煽るような行動は避けている
909
ようだ。
質問を投げかけられれば声を荒げる事無く対処している。その落
ち着いた様に住民も不安を収めているみたい。
暴動を押さえる手段としては的確ですね。噂に踊らされる人が出
るのを防ぐ方向にしたのか。 力で噂を無理に押さえ込めば逆効果。兵の焦りも当然不安を煽る
事になる。
現状は﹃王太子妃の逃亡は事実だが既に対処していますよ﹄とい
った所だろうか。
中々やりますねー、さすが大国。
この分だと王太子含む冷遇に荷担した連中も見せしめの様に断罪
される可能性が高い。
それに私に関しても酒場での接触以上の事はしてきていない。
一般的とは言い難い可能性を口にした人物に不審な点でも在れば
拘束されるだろうが、イルフェナに問い合わせても旅券情報そのま
まです。
不当な拘束などしようものならイルフェナが介入してくると理解
できているのだろう。
他国から見たイルフェナの印象というものも重要だ。これまでの
歴史が国の在り方を証明している。
更に言うなら何らかの形で関わっているなら﹃自分が不利になる
ような事は口にしない﹄。
戦に興味の無い国 + いまいち頭の足りない身元のしっかりし
たお子様 結果として﹃こいつだけは違うな、あまりにも平然とし過ぎてい
る﹄という認識になるのだ。
910
何せ敵になるのはキヴェラという大国。幾ら何でも未熟な共犯者
を送り込む事は考え難い。
個人的な行動だとしても故郷さえ敵になる可能性があるのだ、無
謀過ぎる。
﹃イルフェナならばもっと優れた人物を送り込むだろう﹄
﹃間者にしてはあまりにも目立つ言動が多過ぎる﹄
﹃魔術師ならば髪や瞳の色を変える事位思いつく筈だ﹄
完璧過ぎれば疑われることこの上ないが、未熟な面を前面に出す
事によって逆に容疑者から外れるのだ。
上層部が有能だからこそ思いつく様々な可能性を想定した上で逆
方向を演じる。
ビルさん達との遣り取りも重要だ。必要以上に幼く見えれば﹃魔
術師でも未熟﹄という印象を騎士達に抱かせる事ができるのだから。
それに堂々と出て行く逃亡者など普通ではありえないのだよ。そ
ういった思い込みも私達には有利に働く。
天才・奇才・変人の産地を嘗めんなよ?
世の中には上には上どころか想定外な動きをする存在が居るんだ
からな?
寧ろ王が無能か小心者だったならば逆に疑われただろう。
聡いからこそ私の策に引っ掛かってくれたのだから。
そんなわけで私達は無事に王都を脱出したのだった。
911
※※※※※※※※※
﹁こんなに簡単にいくとは思いませんでしたわ﹂
エマが感心半分呆れ半分に言うのも御尤も。
セシルも頷いていることから同じ心境なのだろう。
馬車の中なので今回の事を話したところで問題はない。
﹁適切な対処をとれる人達が国の上層部にいたからだよ﹂
﹁何?﹂
﹁ああいった事態が起きた場合に取るべき行動や疑われる要素って
限られてるでしょ? 優先順位をつけられる人ならば今回の対応は
正解だと思うよ?﹂
一応説明するね、と前置きして指を折る。
﹁まず﹃民の不安を煽らない﹄。暴動が起きれば姫の捜索どころじ
ゃないし内部から崩れる可能性もある。キヴェラって国内でも差が
あるもの、火種が燻っている可能性は高い﹂
表に出ないだけで納得していない人々は居るだろう。何せ広い領
土は侵略行為の賜物だ。
﹁次に﹃他国に付け入る隙を与えない﹄。商人や旅人が運ぶのは情
報、不当な拘束をして抗議されれば事情説明をしなきゃならない﹂
﹁押さえ込むことはできないか? 相手はキヴェラだぞ?﹂
セシルの意見も正しい。だが、問題は﹃旅人﹄という括りにある。
912
﹁一国だけならね。でもあそこにどれだけの国の人間が滞在してい
た? 他国の人間という括りならばかなりの国からの抗議は必至。
拘束されなくても何れその可能性があるなら結束するんじゃない?﹂
栄えている町だからこそ商人や旅人は多い。
幾ら何でも滞在していた人達全ての国を敵に回すほど馬鹿じゃな
いだろう。
﹁それに旅人から今回の情報が他国に齎されるなら﹃焦りを見せず
冷静に対処する姿﹄を見せつける事も重要だと思うよ? こんな事
があっても落ち着いていられる国ってあまり無いもの。隠された情
報、若しくは手段があると見るでしょうね﹂
実際にあるかは不明だが。
そういった余裕を見せる事で介入を控える国もあると考えるべき
だろう。
キヴェラ王が恐れられているからこそ、そう見られるとも言う。
﹁最後に私について。イルフェナの間者にしては粗があり過ぎる言
動よね? ﹃わざとそういった姿を見せている﹄か﹃本当に未熟で
無関係﹄か。キヴェラを敵にするという事が前提ならば後者ととる
でしょう? わざわざ疑いを持たせる利点が無いもの﹂
﹁まあ⋮⋮それはそうだな﹂
﹁イルフェナがキヴェラに仕掛けるという事も考えられませんが、
それにしても腕の良い間者を送り込むと考えるのが妥当ですわね﹂
﹁だから上手くいったのよ。今回は賢さが裏目に出たというべきで
しょう﹂
そう纏めると商人さん達は複雑そうな視線を向けてきた。
913
﹁賢いのに⋮⋮能力だけなら本当に十分なのに⋮⋮!﹂
﹁何故、性格が残念過ぎるんだ。方向性さえ間違わなきゃ有望株な
んだがな⋮⋮﹂
﹁性格の悪さがキヴェラ王を上回っただけだと思います。向こうは
国を最優先に考えなきゃならないけど、私は奴等を陥れたい﹂
﹁ああ⋮⋮お前、ぶち壊したいだけだもんな﹂
﹁近々もう一件困った事が起きる予定です。大変だよねぇ、国を守
るって﹂
﹁追い討ちか。まだやる気なのかい、嬢ちゃんや﹂
﹁悪魔だ、悪魔がここに居る⋮⋮﹂
鬼畜と評判です。でも個人的には全然悪いと思ってません。
だって最終的に齎される結果に不満は無いもの!
今回ばかりは魔王様も呆れを通り越して頭を抱えてましたが、何
か?
商人さん達もいい加減色々と諦めようよ、楽しく生きようぜ?
﹁ところで。何故ここまでやるんだ? 彼等を見る限りもっと穏便
な策をとる予定だったみたいだが﹂
商人さん達に同情を滲ませつつ尋ねてくるセシルに私は笑顔で答
えを返す。
﹁個人的に王太子大嫌い。次点で王も嫌い﹂
﹁そ⋮⋮そうか﹂
﹁まあ、私もです。ミヅキの気持ち、よく判りますわ!﹂
判ってくれるか、エマ。
そうだよねー、大事に思う主を格下扱いされ続けた君なら理解で
914
きるよね。
思わず手を取り合い微笑み合っちゃうぞ、同志よ!
魔王様とルドルフを侮辱した事、許すまじ。
過去イルフェナとゼブレストに攻め込んだ分も含めて恨みは深い
と知りやがれ。
915
本人を見て判断すべし︵後書き︶
上層部の人間が直接主人公と会っていたならば違った結果になった
可能性高し。
916
守備兵達の災難
﹁じゃあ、そろそろ行くね!﹂
黒いローブを羽織り嬉々として荷物の点検を終えた私は居残りな
人々に声をかける。
現在地は転移方陣を越えた場所にある国境付近の村、その宿屋の
一室。
王都の近くの転移方陣から移動した国境付近にある村に一泊、そ
の後イルフェナとゼブレストの国境を目指すというのが一般的。こ
こはゼブレストの最寄り村なのでイルフェナへはもう少し距離があ
る。
ま、時間がかかるもんね。それでも転移方陣が使える分、かなり
短縮されている。
行きも国境超え︵両国で身分証明の確認︶↓転移方陣︵更に確認︶
↓王都近くの転移方陣着︵再び確認︶という非常に面倒なことにな
るのだが、暗殺者とかを防ぐ事を考えると仕方ないのかもしれない。
一応転移方陣の使用は﹃身分のしっかりした者限定﹄と言われて
いるのだけど馬鹿正直に信じないわな、そりゃ。
妙な行動される事を警戒してか転移方陣の近くに砦が設置されて
いるので、騒ぎを起こせば滞在している兵士さんがすぐ対処に訪れ
る素敵な環境です。
おかげで旅人が多くても治安が良く村といっても寂れた印象は無
い。ここを最後に私とセシル達はゼブレストへ、商人さん達はイル
フェナへ向かうことになる。
目的地が分かれた建前は﹃ゼブレストで食材買って帰るから﹄。
商人経由で買うと高いので、状態維持の魔法が使える魔術師︱︱
しかも趣味が料理︱︱が居るなら納得してもらえます。
917
実際、料理人が個人でゼブレストを訪れる事は珍しくないらしい
し。
﹁ミヅキ、何だか楽しそうだな?﹂
呆れる商人さん達とは違いセシルは興味津々だ。どちらかと言え
ば参加したいというのが本音だろうか。
エマも同様。
この二人、あの後宮生活を自分なりに乗り切ってきただけあって
精神的に逞しく好奇心が非常に強い。
連れて行けないのが実に残念ですね! 映像は魔道具に収めてく
るから帰りを楽しみにしててくれ。
﹁うん、すっごく楽しみ。師弟の共同作業だし?﹂
﹁ミヅキのお師匠様というと⋮⋮ゴードン医師でしたっけ?﹂
﹁そう。腕の良いお医者様ですよ﹂
狸の血縁者だが。
私が何をしても胃薬を必要としない、非常に大らかな人ですよ。
﹁嬢ちゃん、今更口出す気は無いが⋮⋮ゴードン先生の恥になるよ
うな事はやってくれるなよ?﹂
おや、商人さん達もゴードン先生の事は知ってるのか。
呆れながらも釘を刺してくるってことは﹃犯罪の共犯者にするな﹄
と暗に警告しているのだろう。
﹁大丈夫。何をするか先生は知ってるし、それを踏まえて共犯者に
なってくれました﹂
﹁⋮⋮そうか﹂
918
﹁ええ。本人に確認してもらってもいいですよ﹂
未だ複雑そうな表情だが、商人さん達はそれ以上言って来なかっ
た。
ええ、何を言いたいか判りますよ?
だって先生は﹃医者﹄ですから。
﹃命を救う側である医者﹄が殺戮に関わるなど許される筈は無い。
これまで築き上げてきた信頼を壊すことにしかならないのだ、世
話になった事があるなら私を止めるだろう。
が。
誰も殺戮なんざ望んでませんよ、寧ろ死んだら意味がねぇっ!
大量殺人? 私達が安易に犯罪者になるとでも?
殺すのは誰でも出来ます、弄ぶ事が目的です!!
師弟揃って﹃ざまぁ!﹄と嘲笑う事はあってもシリアス方向にな
ることは無い。
﹃頭脳は時に剣に勝る﹄⋮⋮いや、﹃頭脳は時に剣より性質が悪
い﹄と証明してみせますとも。 死なせませんよ? 生きて恐怖とその体験談を広めてもらわなき
ゃ困りますからね。
これ、重要。凄く重要。
今後に関わる重要なイベントを﹃ただの犯罪﹄なんてものにはし
919
ませんよ? ああ、騎士sが居たら全力で止めそう。
本能的な部分とこれまでの経験から﹃絶対に碌な事にならない﹄
と確信される。
﹁御心配なく。絶対に、そんな︵生温い︶展開には、しませんから﹂
﹁そ⋮⋮そうか?﹂
﹁はい﹂
にこりと笑って頷く私に何故か商人さん達は顔を引き攣らせ一歩
下がった。
あら、心の声が口に出てたかね?
﹁ところで、ミヅキ。どうやって砦まで行くんだ? 抜け出す姿が
絶対に目撃されるぞ?﹂
セシルの疑問は御尤も。
場所柄、村の出入り口には警備の兵が立っている。
勿論、対策を練ってありますよ。
﹁上から行く﹂
﹁は?﹂
﹁まあ、空中飛行の術まで使えるのですか!﹂
流石ですわ! と感心するエマには悪いが、それはこの世界の魔
術を基準に考えた場合だ。
私の使う魔法は基本イメージと知識の産物。なので普通とはちょ
っと違う。
体を浮かせる↓重力軽減、飛ぶ↓風を操る・オプションで翼、空
920
気抵抗↓結界で対応
この三つの同時使用でどうにかなる。
これ、逆に専門的な知識があると駄目だと思われ。﹃いい加減さ﹄
と﹃思い込み﹄が重要なのだ。
そもそもこの世界と元の世界が同じとは限らない。
酸素と水素で水、くらいの中途半端な知識だと無限に水が出せる
が、﹃どの程度の酸素と水素を組み合わせればどのくらいの水がで
きる﹄といった知識があるとその分しかできないだろう。
時間短縮による植物育成も実際はイメージどおりに成長させるも
のだと推測。
習う時に一度種から実をつけるまでを見せてもらった事が基準だ
からね⋮⋮﹃さすが異世界! それだけで育つのか!﹄という認識
です。
種から育てて元の世界と比較しない限り私の中では﹃それが正し
い﹄。
解毒魔法や治癒魔法みたく便利な魔法を使えなくなっても困るの
だ、だから先生も私の思い込みを正そうとはしない。
結果、自分で組み合わせて似たような効果を出すという状態に落
ち着いた。
故に﹃ある意味万能﹄。自分の魔力量と周囲への影響を考慮しな
きゃならない分、面倒とも言う。
自分で考え出せ・習うより慣れろ、を実戦しなきゃならんのだよ。
詠唱が使えないから仕方ないんだけどさ。
﹁エマが思ってるのと違うから。確かに普通に体を浮かせて飛ぶと
大変だろうね﹂
﹁はい? 何か違うのですか?﹂
﹁うーん⋮⋮説明は今度ね﹂
921
首を傾げる二人には悪いが意味不明な単語が多過ぎるだろう。
ついでに言うと﹃同じ世界の同じ程度の知識を持つ人﹄しか使え
ない気がする。
﹁ま、いいや。じゃあ行って来ます﹂
﹁気をつけてな﹂
窓から見た周囲は真っ暗とは言わないが元の世界に比べると格段
に暗い。
念の為に存在を認識できなくなる魔道具を持っているから、気配
を感じても人だとは思われないだろう。
それ以前に人は普通飛ばない。
窓から出て一度屋根へ、そこで目的の場所を確認する。
⋮⋮と言ってもやや遠方にそこしか明かりが無いから迷子になる
筈は無いけどな!
私は風の無い暗闇に身を躍らせ、とりあえず目的地を目指す事に
した。
※※※※※※※※※
︱︱国境付近の砦にて︵隊長視点︶︱︱
ふと違和感を感じ辺りを見回す。
薄っすらと出ていた霧は何時の間にか少しずつ濃くなっていくよ
うだった。
稀にだが霧が出ることもある。そうおかしなことでもあるまい。
副官とそう結論付けた筈だが何故か違和感が拭えないのだ。
霧はこんなにもじっとりと重く感じるものだったろうか?
922
いや、霧だけではない。何か⋮⋮胸がざわざわとして警笛を鳴ら
す。
兵士としてのカンなどと言ったら笑われるかもしれないが、意外
と悪い予感は当るものなのだ。
と、その時。
どさり、と重い音を響かせて何かが倒れた。視界は悪くなる一方
だ、目を凝らすより動いた方が早い。
﹁おい、どうした!﹂
⋮⋮その問い掛けに応えが返されるよりも早く似たような音が響
き部下達の慌てる声が聞こえてくる。
何だ? 何が起きた?
壁伝いに歩く靴先に倒れた﹃物﹄を見つけ呆然とする。
﹁おい! 一体何が起きた!﹂
﹁たいちょ⋮⋮からだ、が⋮⋮動かな⋮⋮い﹂
体が動かない? ⋮⋮この霧か? それとも砦を覆うほどの魔法
か?
だが、砦にも結界が張られている筈。ならば食事に入れられてい
たと見るべきか。 現に解毒の魔道具を身に付けている自分は何ともない。間違いな
く毒の類だろう。
﹁くそっ!﹂
部下を気遣うより己の失態に歯噛みする。
923
辺境の砦だろうが﹃侵入を許した﹄という失態を見逃してくれる
ほど甘くは無い。
せめて侵入者を捕らえる事ができれば。
そんな思いに突き動かされ侵入者が目指すだろう、自分の執務室
へと駆け出そうとした直後。
ドッガァァァァン⋮⋮!
霧の中に響く何か重い物が吹き飛ばされたような音。
そしてその後に続くのは。
﹃お邪魔しまーすっ! さあ、イベントの始まりだよ﹄
妙に明るい、少々高めな若い男の声が霧の中から聞こえてきたの
だった。
ああ、破壊されたのは門だったのか⋮⋮と誰かが絶望を滲ませ呟
いた気がした。
※※※※※※※※※
ふふ⋮⋮砦の内部は良い感じに兵が倒れてますね!
ま、解毒の魔道具を身に付けず霧の中にいればそうなるわな∼⋮
⋮すまんね、エキストラになってくれ。
大丈夫! 暫く痺れてその後は一日寝こけるだけだから!
人体実験済みだから安心していいよ!
ああ、私は解毒作用の魔道具持ってるから効かないからね。
砦に到着した私がやったのはひっそり結界の一部に穴を空ける事
924
だ。
そこから先生が調合した薬を霧状にして暫し待つ。
元々結界が張られていた砦を覆う形で特定の成分を通さないよう
にした結界を作り、その中に霧が発生している状態ですね。流れた
ら効果が薄れる。 稀に霧が発生する場所なのは確認済み。﹃霧が発生する条件﹄と
か解明されていなければ不審がられまい。
気付かれる事を警戒して一応門近辺を見ていたのだが、逃げ出す
奴は居なかった。一人くらい気付けよ。
⋮⋮尤も効果が出るまで建物の影に体育座りで待つ私も相当間抜
けだが。
先生、我等の腕の見せ所ですよ。映像はしっかり残しておきます
からね⋮⋮!
先生、名医と言われるだけあって調合の腕が凄いのだ。﹃こんな
感じで﹄と言ったら希望どおりのものを作ってくれたんである。
特に麻酔や睡眠作用のあるものは使う機会が多いから得意らしい。
調合された液体が効果そのままで霧になるのか? という疑問は
﹃魔法を使えばいいだろう﹄という一言で解消された。患者によっ
てはそういった使い方をするんだとか。
⋮⋮そういえばゲームのトラップにもありました、状態異常効果
の霧。あのイメージでやればいいのか。
とは言っても兵士だから耐性をつける訓練をしている場合がある。
なので魔王様公認で人体実験決行。哀れな獲物はバクスター家か
ら献上された。そういえば騎士だったね、赤毛。
バクスター家まで処罰しないという約束の下、事情聴取が終った
アンディ君は派遣されてきました。
イルフェナの騎士に効くなら大丈夫だろうという言い分の下に実
験を繰り返し、あっさり完成。
925
アンディ君は痺れてるか寝てるかのどちらかだったので、あまり
罰になってません。
今後は再教育が始まるし今は寝ておけとばかりに放置してきたの
で本人の感想は聞けなかった。今度聞こう。 なお、この薬の効果は﹃痺れて暫く経つと眠りに落ち一日は目覚
めない﹄というもの。
襲撃の証言をしてもらわにゃ困るのです、痺れていれば邪魔もで
きまい。
犯人の特徴をしっかり見てもらわなければならないので一時的に
ゲーム内の姿と声に変更。
幻影を出すのではなく自分の姿を﹃そう見える﹄ようにしている。
自分で幻影纏ってボイスチェンジャー使っているようなものだろう
か。 ただし、あくまで﹃そう見える・聞こえる﹄だけなので抱き付か
れたりすると一発でバレる。
⋮⋮実戦経験のある兵士相手だと﹃実態があるもの﹄と﹃幻影﹄
の区別がつく可能性があるんだと。危険だけどこればかりは仕方な
い。
隊長格は解毒の魔道具も持ってそうだしね、そのあたりも気をつ
けなきゃならない。
そんなわけで効果が出てきた頃を見計らい行動開始です。
霧の中、砦の門を破壊して現れた人物に倒れた兵達は恐怖を滲ま
せる。
気持ちは判るぞ、だって結界が張られていた筈だもんね? 霧を閉じ込める意味でも結界は張られたままですよー、一旦解除
して新たに張っただけ。
926
フード付きローブを纏った表情が見えない男? に突破された事
に加え身動きできない状況なのだ、怖かろう。
とりあえず明かりは幾つか破壊しておく。この後の演出の為です、
一人でイベントを起こすのも大変ですね。
﹃初めまして、キヴェラの犬ども? 我等の調合した毒の効き目は
如何かな?﹄
わざと煽るような言い方をすると目に見えて兵士の瞳に恐怖が宿
る。
ただ、騒動を聞きつけてやってきた人物達は目を眇めただけだっ
た。微妙に恐れてはいるようだが。
﹁貴様は何者だ。魔術師か?﹂
﹃あはは! まず聞くのがそれなんだ? 倒れた部下を心配しなく
て良いのかい?﹄
毒だと言っただろう⋮⋮そう続ければ男は口元を歪めて暗く笑う。
﹁代わりはいくらでもいるんでね。しかも容易く侵入を許した役立
たずだ、気にする必要があるとでも?﹂
﹃おやおや、捨て駒としか思ってないんだね。可哀相に﹄
私の挑発に隊長らしき男は平然と部下を切り捨てる言葉を口にす
る。
一応まだ聞こえてる筈だけどなぁ? ああ、頑張って睨み付けて
る人も居るし。
﹁で? 貴様は何者だ﹂
﹃⋮⋮私達は復讐者だよ﹄
927
﹁私﹃達﹄だと?﹂
その言葉には応えずフードに手をかけ一気に顔を晒す。不意に吹
いた風が霧を一瞬退け私の髪と顔が露になった。
薄暗い中、月明かりに照らされ流れる﹃銀髪﹄、瞳の色は﹃緑﹄。
女のような顔立ちでも声から﹃男﹄だと判る。
ただし魔道具の効果で﹃顔﹄は正しく認識できないが。
記憶に残すのは髪とか目の色です、あと性別。顔の造形じゃなく
インパクト重視です。
そこで﹃薄暗いのに瞳の色まではっきり見えるんだ?﹄と突っ込
んではいけない。私も思うがそこは場の雰囲気と勢いで流してくれ、
兵士達よ。
いいか、わざわざ演出してるんだからしっかり覚えておけ? 都合よく風なんて吹くわけないだろ? 呆けてる場合じゃねえぞ?
﹃月明かりに照らされた顔は云々﹄といったありがちイベントで
すよ、顔の出来には突っ込むな!
しかも﹃復讐者﹄は複数設定なのです。なので当然︱︱
ザシュッ
﹁え、う⋮⋮うわぁぁぁぁっっ!?﹂
﹁おい、どうし⋮⋮!?﹂
毒が効かない兵士達の腕や足が次々と切りつけられ血を滴らせて
ゆく光景に大半の者が驚愕し、次の瞬間には苦痛に顔を歪めていく。
そんな騒ぎの中、私は魔石の魔力を辿り魔道具を破壊していった。
928
これで彼等はそのうち立っていられなくなる。
音も無く彼等を切りつけた人物は両手に短剣を構えた少年。ちら
りと敵に視線を送ると霧に中に消えていく。
これも幻影。ゲーム内での記憶ですよ。ついでに言うと兵達の傷
は浅い。
気配がしないのは当たり前です、風刀で切りつけたのは私だもん。
無詠唱だからこそできる技。
幻影は如何にも﹃切りつけました﹄な動きをしていただけで攻撃
ができる筈も無い。攻撃を合わせただけです。 よく見ればおかしい事に気付くだろうが、霧の効果もあって今の
彼等には無理だろう。
そして私の周囲にも霧に隠れるように複数の幻影を出現させてお
く。
気配は無いのに聞こえてくるクスクスという笑い声、腕を組んで
立つ男、優雅に微笑む美女⋮⋮全部ゲーム内の仲間達の幻影です。
実在してるわけじゃないからお尋ね者になっても問題無し。割と
派手な外見の連中を選んだから別人が拘束される事もなかろう。
﹃油断し過ぎだよ? 私は﹃私達﹄って言ったじゃないか﹄
﹁く⋮⋮貴様等⋮⋮﹂
毒が効いてきたのか頭が回らなくなってきたらしい。
﹃影がないだろ﹄﹃一体どこに居た!?﹄﹃何でお前しか喋らん
の?﹄といった当たり前の疑問は綺麗に頭から抜け落ちているよう
だ。
辛うじて立っていた全員が膝を付き体が徐々に倒れてゆく。
嗚呼、悪役街道まっしぐらな私⋮⋮! 倒れてる兵の中に正義に
燃える主人公タイプがいればなお良かったのに。
929
﹃恨まれている自覚があるだろう? どうして報復する機会を窺っ
ていると思わないかな? ⋮⋮王都で面白い事が起きたみたいだか
ら便乗したんだよ。私達にも参加する権利があるだろう?﹄
﹁王都⋮⋮?﹂
﹃知らない振りかい? 王太子妃が逃げたそうじゃないか﹄
﹁﹁な!?﹂﹂
多くの兵が驚愕の表情を浮かべている所を見るとこちらまで情報
が伝わっていないらしい。
いや、隊長格は知っているっぽいな。通達されたばかりで兵にま
で情報が行き渡っていないか、王太子妃という立場を隠しているの
か。
それとも今はコルベラ方面や主要な町が重点的に探されていると
みるべきか。
まあ、転移法陣が使えなければ潜伏先どころか移動範囲は狭いの
だけど。
﹃それにしても簡単過ぎる。⋮⋮興醒めだね﹄
わざとらしく溜息を吐くと困惑が怒りに変わった。⋮⋮あと少し
意識を保てよ?
﹃私達の復讐ってね、君達みたいな雑魚で満足できる程度じゃない
んだ。他を狙った方が楽しめるかな﹄
﹁馬鹿に、する、のも⋮⋮いいかげん⋮⋮っに﹂
﹃事実だろう? 容易く侵入されて手も足も出ない役立たず﹄
君の言葉そのまま君自身にお返しするよ︱︱笑みを浮かべながら
そう告げると男は必死に睨みつけ立ち上がろうとする。
無理すんな? 寝転がっててもいいぞー、妥協して君に重要なポ
930
ジションやってもらうからな?
﹃これ以上此処に居ても無駄だね。⋮⋮ああ、これくらいはやって
おこうか﹄
そう言って片手を頭上に上げると魔力の影響を受けたローブと髪
がふわりと舞った。
そして振り下ろした直後、強い光と盛大な音と共に砦に亀裂が入
る。
光と音と振動、そして砦に付けられた人の力では成し得ぬほどの
亀裂。
それらから単純に連想されるものは︱︱落雷。
それまで何とか強気で居た者達でさえ目の当たりにした光景に絶
句し怯え始める。
﹃だから言っただろう? ﹃簡単過ぎる﹄って﹄
にやりと笑い背を向ける。未だ硬直したままの人々は私以外が消
えた事も落雷の不自然さにも気付かず呆然としたままだ。
種明かしすると﹃目も眩むほどの光﹄と﹃落雷の音﹄を同時に再
現して砦の一部を割っただけ。リアル落雷だったらこんなものじゃ
済まないって!
単に襲撃が夢ではなかった証拠として残しておくだけなので落雷
にする必要なし。
そもそも目で認識できるほど近くに居るなら危険です。気付かな
いままでいてください。
さて、最後の仕上げですよ!
いかにも﹃偶然落としました・気付いてません﹄な状況を装い折
931
り畳まれた紙を風に乗せて隊長らしき男の元へ送る。
男は必至にそれを握り締め、そのまま力尽きたように倒れ込んだ。
よし、離すなよ? 起きたらそれ持って中央に相談しろよ?
意識はあるのに体は動かない、しかも徐々に眠りに落ちる。全員
が完全に眠ったのを確認して私はひっそり退場です。
念の為に一度戻って彼がちゃんと握り締めているか確認して。
その後は結界を通常のものに張り直し退場。霧は集めて液体に戻
し、解毒した上でその辺に破棄。証拠隠滅です。
ふ⋮⋮これこそ今回最大の罠、題して﹃お約束どおりに事が進む
とは限らない﹄!
あれですよ、ゲームのオープニングとかにある﹃襲撃されるけど
手も足も出ず敗北、だけど犯人が残していった物をヒントに追いか
ける﹄的なイベントです。
﹃炎の中を高笑いしながら消える﹄という退場方法は﹃焼死する
奴が出ないのはおかしい﹄﹃砦全体に焦げた跡を残すのが面倒﹄と
いった理由により却下。地味な退場方法になりました。
ゲームなら主人公の旅は目覚めた所から始まりますね。似たよう
な展開の度に思うがそんなヤバイ奴をレベル一桁の主人公に追わせ
る王は鬼だと思う。
⋮⋮話を戻して。
実は折り畳まれている紙は一枚ではない。重ねて二枚あるのだよ。
紙に描かれているのはキヴェラの地図。ただし、キヴェラが周囲
の国を制圧する前の物と現在の物。
そして現在の地図には何箇所か赤で印が付けられ、その一箇所が
この砦だったりする。
932
これを見た奴はこう思うだろう⋮⋮﹃他にも狙われる砦がある、
奴等はそこに現れる﹄と!
昔の地図と復讐者という言葉から﹃犯人は滅ぼされた国の人間﹄
だと思いますよね?
複数の復讐者から﹃組織的犯行﹄を疑いますよね?
砦の状態から﹃強力な魔術師か魔導師がいる﹄と判断しますよね?
﹃奴等が王太子妃を匿っているかも﹄と疑ってくれれば最高です。
協力者の可能性が出た分、王太子妃の居場所が国内・国外どちらか
不明になってくる。
普通に考えるなら王太子妃って重要な駒になるしね、逃がすより
捕獲して利用すると考えるのが妥当。
それに国を守る事を優先するなら王太子妃の追っ手に有能な人物
や魔術師を使う事は控えるだろう。
紅の英雄に魔術師を殺されているのだ、数はそこまで居まい。そ
して魔法勝負になった場合を考え魔法が使える者は防衛に駆り出さ
れる。
結果として私達が有利に逃亡生活を送れるのだ、魔術師が居ない
だけでもかなり違う。
追っ手を嘗めるなと言われ続けたのです、ならば追っ手の数と質
を落とせば問題無し。
﹃国の警備﹄﹃復讐者への警戒﹄﹃国内での王太子妃捜索﹄﹃国
外逃亡した場合の追っ手﹄。戦力を分散させている事に加えて他国
では大っぴらに行動できないから私達でも逃げきれる可能性・大。
先生、私は見事遣り遂げて見せましたよ!
師弟二人で砦を一個無力化なんて土産話としても最適です!
⋮⋮一つ一つの行動は地味な上、魔術師レベルの魔法を複数使用
933
しているだけなのですが。
一番派手なのは門ぶち破りと砦の亀裂。後遺症も無いから人の被
害は切り傷だけ。
下準備頑張った! 裏工作頑張った! 悪役っぽく演技してみた
! 程度です、マジで。
魔道具使うか魔術師が数人いれば十分可能。どうにもならないの
が先生の薬。
一人でやるから色々と忙しかったのであって役割分担するなら難
しい事は無いのだ。
一人で演出・裏方・役者をこなした私は魔王様達に呆れられるこ
と請け合い。
でも一番笑いを取るのはキヴェラだ、それは間違い無い。
だって、この後の事は全然考えてないもん。待ち構えてても誰も
行かないよ?
先生との共同作業の為、追っ手の数を減らす為という目的なので
イベントはこれで終了。
散々コケにしておいて申し訳ないですが続きはありませんよ、ゲ
ームじゃないもの。
だから握り締めた紙に霧の影響が出てない謎とか粗は結構ある。
普通文字が滲んだり紙がへたる可能性あるよな⋮⋮あれは防水加工
してあるけど。
捨て駒発言によって兵士を退役する人続出、今回の事を人々に広
めてくれれば更に増える⋮⋮となってくれれば楽しいけどそこまで
は望むまい。
あくまでイベントです。目的が達成されただけでも良しとしてお
こう。
そして行きと同じ方法で帰った私を待っていたのは目を輝かせた
934
セシル達の﹃何をやったか教えてくれ!﹄という催促だった。
セシル達って何でも娯楽方向に考えるようにできてるからあの後
宮でも平気だったのね⋮⋮。
935
守備兵達の災難︵後書き︶
真面目に仕事をしているキヴェラ兵士の皆さんが知れば激怒しそう
なイベントですが主人公に罪悪感は皆無。
ノリ的に﹃盛大かつ悪質な悪戯しか選択肢の無いハロウィン﹄。
936
キヴェラ混乱の元凶、去る
﹁⋮⋮これにて上映会を終了いたします﹂
私の言葉にセシルとエマは惜しみない拍手を送り口々に絶賛して
いる。
イベントの詳細を聞きたがる二人に少し待って貰って映像編集し
た甲斐があるというものだ。
﹁実に面白い! 参加できなかったのが悔やまれるな﹂
﹁本当ですわ。ミヅキ、次は置いて行かないでくださいませ!﹂
なお、部屋にいる人達が見ていたのは例のイベントの証拠映像で
ある。
自分の視点だけではイマイチ状況が理解し難いので、騒ぎを起こ
す前に何箇所か仕掛けておいたのだ。
兵達は霧と異常事態で混乱していたので何の問題もなく仕掛ける
ことが出来た。
私達の周囲だけ妙に視界が良かったのは記録に必要だったから。
完全に霧が晴れたのは風が吹いた時だけだから基本的に薄暗いけど、
それなりに確認できる。 斜め上から︵敵対状況が判る︶、敵の後方から︵私の行動が判る︶
、そして私の記憶︵敵の状況が判る︶。
三方向からの視点切り替えで編集された映像は本当にイベントに
しか見えない。即ち娯楽。
私が絶賛悪役だけど。
937
隊長格がイマイチ主人公っぽくないけど。
ついでに言うなら私以外の役者さん達︵仮︶は未だ夢の中にいら
っしゃいます。
﹁さすがにセシル達はマズイでしょ。隠れて見るだけならともかく﹂
﹁それは理解できてるんだがな⋮⋮仮面を着けてミヅキの傍に控え
るとかどうだ?﹂
﹁今の私達でしたらその程度で大丈夫そうですわね﹂
﹁でも悪役だよ? あと本来王族って守られる立場でしょ﹂
﹁そちらの方が楽しそうじゃないか? それに今は逃亡者だ⋮⋮寡
黙な剣士とかどうだろう﹂
﹁向こうも善人には見えませんし、私も是非参加したいですわ!﹂
和気藹々と﹃次は参加したい!﹄﹃じゃあ、配役どうする?﹄と
語る私達に突っ込む奴は居なかった。
商人さん達、かぱっ! と口を開けたまま硬直中。
やだなー、神殿に潜入する時も﹃遠足﹄って言ったんだから﹃楽
しいイベント﹄と言えばそれ以上だと思ってくださいよ。
それにこれは今後を考えれば必要な事ですって!
ただ⋮⋮望んだ結果を出す為の方法が私の独断と偏見に満ちてい
るだけで。
それに凄くね? 実質二人︱︱実行犯は一人︱︱で砦を落とした
んだよ?
頑張った事を褒められても良いよね!? ﹁あー⋮⋮その、嬢ちゃん? 念の為に聞くが﹃それ﹄は何処だ?﹂
﹁あそこ﹂
指差しで窓から見える遠方の明かりを示す。
938
霧が晴れてるし明かりを全部壊したわけじゃないから場所の確認
は十分です。
⋮⋮外で寝てるけど役者さん達は風邪とかひかないだろうか。
まあ、一応兵士だし寒いわけじゃないから大丈夫だろうけど。そ
こまで責任持てん。
﹁で、この映像は⋮⋮﹂
パンフレット
﹁判り易いよう視点を切り替えて記録・編集してみました。詳細は
手元の解説書を御覧下さい﹂
﹁いや、演劇鑑賞とかじゃないから﹂
﹁そうは言っても魔道具の映像ですから現実ですよ? これ﹂
そう言うと商人さん達は頭を抱えて黙り込んだ。つまらなかった
かな?
私の演技力もとい悪人度が足りなかったのだろうか。やはり最後
の退場は華々しく﹃高笑いをしながら炎の中に消える﹄とかの方が
盛り上がって良かったかもしれない。
﹃高笑い﹄って悪役の定番だしな。お約束を外すべきではなかっ
たか。
﹁違うから! 嬢ちゃんが考えてる事と俺達が思っている事は全く
別!﹂
﹁違いましたか。じゃあ、何が不満?﹂
﹁不満はねえ。無いんだが⋮⋮﹂
﹁無いんだが?﹂
﹁﹁何で娯楽扱いなんだよ!?﹂﹂
あ、ハモった。他の人達は未だ硬直中。
この二人は私の御守役と化してるだけあって立ち直りが早いな。
まあ、とりあえずその疑問に答えてあげよう。
939
﹁個人的な趣向で﹂
﹁それで砦を落とすな! 兵士を弄ぶな!﹂
﹁真面目にやったらつまらないじゃないですか! キヴェラを嘲笑
う出来事の一つなのに!﹂
﹁⋮⋮本音はそれか? 解説書には﹃追っ手の数を減少させ質を落
とす為﹄って書いてあるぞ?﹂
﹁同じ結果を出すなら楽しくやりたい。死者も重傷者も居ないって
凄くないですか?﹂
﹁それは凄い、確かに凄い﹂
﹁だが人としては色々問題だろ? バレた時のキヴェラの屈辱と怒
りは半端無いぞ?﹂
﹁そこが重要なんじゃないですか! 私の掌で盛大に踊るがいい!﹂
ぐっ、と拳を固めて高らかに言い切る私を見て商人さん達は再び
言葉を失い。
﹁ミヅキはすっかり悪役がお気に入りだな﹂
﹁楽しそうで何よりですわ﹂
セシルとエマは微笑ましそうにコメントしていた。
ほら、商人さん。世の中は楽しんだ方が勝ちですよ?
防音魔法がかけられていなければ即座に通報されるレベルの事を
話している自覚は一応あります。
⋮⋮反省しないだけで。
※※※※※※※※※
翌朝。
940
朝食後に私達は其々の目的地へ旅立つ。ここからは別行動になる。
別行動になる前に渡したのは宿の厨房を借りて作った昼食です。
感謝を込めた最後の手料理ですよ。イルフェナでも会えるか判ら
んし。
イルフェナへはもう少し距離があるけど、私達は今日中にゼブレ
ストへ着く予定だ。
⋮⋮いや、昼過ぎには着くな。昨夜、夕食がてら訪れた酒場で知
り合った商人達が馬車に乗せてくれるから。
丁度ゼブレストへ向かう途中なんだってさ。小父さん達とも顔見
知りらしい。
情報収集を旅の目的としている所為か小父さん達は結構顔が広い
ようだ。
商人だから情報を集めていても不審がられないしね、諜報員が混
じってる場合も多いとみた。
それにしても料理好きをアピールしておく為に厨房を借りて作っ
たおつまみが移動手段に化けるとは。
人生何があるか判りませんね!
﹁じゃあ御願いします。これ本日の昼食です﹂
﹁はいよ。お、悪いな﹂
ギリギリお兄さんと呼べる商人さんが笑顔で荷物を受け取り仕舞
い込む。
兄弟二人で家の商売を手伝っているというハンスさんは弟のカミ
ルさんと二人で旅をすることが多いらしい。
彼等も王都から早々に脱出した人達なのだろう。すまんね、迷惑
かけて。
﹁何かあったら遠慮なく叩いてくれ。あの黒髪の子には遠慮すんな﹂
﹁は⋮⋮はたく? おいおい、女の子相手に手を上げるってのはな
941
ぁ⋮⋮﹂
﹁治癒魔法が使えるから大丈夫だ! 勇気を出さなかった果てに被
害が拡大したらどうするよ!?﹂
﹁はぁ?﹂
⋮⋮小父さん達、カミルさんに何を言い聞かせてるんでしょう?
やっぱり昨夜のイベントは私の危険度を一気に上げましたか。凶
暴認定されましたか。
⋮⋮。
商人達よ、安心するがいい。私の所属はイルフェナです。上には
上がいます。
親猫もとい魔王様には概ね従順ですとも、後が怖ぇ。
﹁予想外に早く着きそうだな﹂
セシルも漸くキヴェラから出られる事が嬉しいのか何処となく表
情が明るい。
エマは上機嫌を隠そうともせず荷物整理してたもんな、二人のス
トレスはそれなりに溜まっていた模様。
ゼブレスト王宮に着けば転移法陣で速攻イルフェナ行きです、も
う少し頑張ってください。
きっと狸⋮⋮いや、レックバリ侯爵が今か今かと待ち構えている
筈です。
多分、私はそのまま魔王様と愉快な仲間達の待つ騎士寮へ連行さ
れますが。
砦イベントは先生以外知らなかったからね∼⋮⋮説教が簡単に終
るよう祈っててくれ。
そんな事を思いつつ村を後にした。
別れ際の商人さん達の顔が非常∼に不安そうだったのは気の所為
だと思います。
942
が。
ゼブレストの王は私の親友でした。親友と書いて類友と読む。
宰相様に双子のようだと言われた片割れは私の行動パターンなん
てお見通し。
私が逃亡の手助けをすると知った以上、動かないなんて真似は当
然しなかったわけで。
キヴェラを無事に脱出しゼブレストの国境を越え。
当初の予定と違い私達が降りる事無く何処かに向かって馬車は進
む。
いや、ハンスさん達が妙に国境に詰めていた騎士と親しかったと
は思うよ?
しかも何処かで見た顔が警備に混じってる時点で疑いましたとも。
だって、私が知ってるゼブレストの騎士ってリュカを除いて全員
後宮騒動の関係者。彼等はルドルフの身辺警護を担う騎士、つまり
近衛です。
その後は何故か騎士に警護されて進む馬車の中、気分はドナドナ
される子牛。
﹁一体どういうことだ?﹂
943
セシル、警戒するのは尤もだが安心していい。これは間違いなく
ルドルフの差し金だ。
そう思っても納得させられる自信は無いから黙ってるけど。
セシルから視線を逸らしつつ、騙された事も事実なので近くに居
たカミルさんの腹に一発見舞っておきました。
⋮⋮。
小父さん達と同じかよ、お前ら。
商人にしては素晴らしい腹筋をお持ちです。互いに本当の姿を知
ってたっぽいですねー、これ。
﹁すまん。俺達も命令なんだ﹂
ほう。
流石です、親友よ。私が大人しく逃亡補助だけをするとは思って
なかったのですね?
万一を考えてサポート要員を派遣してくれてましたか。
もしや王都で起こした騒動だけでなく昨夜のイベントもバレてる?
でもね、これは間違いなく目の前の人発案の嫌がらせだと思うの
です。
﹁お待ちしておりました。頑張りましたね、ミヅキ﹂
連れて行かれた先、国境付近の砦で美貌の腹黒将軍様が待ち構え
ているなんて誰が思うかぁっ!
アンタ、ルドルフの護衛筆頭でしょ!?
﹁会いたかったですよ、ミヅキ﹂
喜びを隠そうともしない将軍様に周囲の反応は﹃顔を背ける﹄か
﹃驚愕﹄の二種類に分かれた。
944
顔を背けてる奴の一人が﹃すみません、逆らう勇気が無く⋮⋮!﹄
と呟いたのはどういうことだ。
⋮⋮一部は嫌がらせだと理解していたな? セイルよ、彼等に何
したの!?
お迎えは別の奴担当だったんじゃないか?
セイルは不信感一杯の私を物ともせず抱き締めると耳元に小さく
﹁大人しくしていてくださいね﹂と呟く。
そして笑みを浮かべ私を抱き締めている絶世の美形にセシル達は
見惚れる⋮⋮なんてことはなく。
﹁退け、嫌がっているだろう﹂
﹁しつこい殿方は嫌われますわよ?﹂
べりっと音がしそうな勢いで私を引き剥がすと背中に庇うセシル、
笑顔でナイフを構えるエマ。
どうやら本能的に将軍様のヤバさを感じ取ったらしい。
凄いな二人とも。普通の女は私に嫉妬の視線を向けてくるんだぞ?
勿論、セイルはそれを狙ってやる奴だがな。
セイルは二人の行動が予想外だったのか軽く目を見開くと気分を
害するどころか楽しげな笑みを浮かべた。
﹁ふふ、これなら大丈夫そうですね﹂
﹁何が、でしょうか?﹂
警戒心も露にエマが尋ねる。セシルは相変らず私を庇ったままだ。
姫様ー、嬉しいけどもう少し自分の立場を自覚しておくれ。立場
が逆です。
945
﹁貴女達ならばミヅキ一人に負担を強いることはないと判断した、
ということです﹂
﹁ほう? 私達を試したのか﹂
﹁当然です。我がゼブレストにおいては貴女達よりミヅキの方が重
要であり、個人的にも失えない存在ですので﹂
﹁それが本音か﹂
﹁ええ。貴女達も国とミヅキを比べれば当然国を選ぶ。そういうこ
とですよ﹂
あ∼⋮⋮セシル達を知らないから﹃王家の姫と侍女﹄っていう認
識が強かったのか。
もしもセシル達が普通のお姫様で足手纏いにしかならないような
ら何らかの手を打つってことだろう。
その選択肢にはセシル達を見捨てるというものも含まれていたに
違いない。
見極め役でしたか、セイルは。
てっきりいつもの嫌がらせかと思ってましたよ!
﹁⋮⋮。何か失礼な事を考えませんでしたか?﹂
﹁イイエ?﹂
﹁視線が泳いでいますけど﹂
﹁素敵な将軍様に見つめられて恥ずかしいだけですー。年頃の乙女
ですからー﹂
その言葉の割にはセシルの背に引っ付いてるから説得力無いけど
な。
そんな馬鹿な遣り取りを眺めていた二人は顔を見合わせると警戒
を解いた。
ええ、気にしちゃ駄目ですよ。いつものことだ、気にすんな。
それにゼブレストも最近色々あったから正直他国に構っていられ
946
ないというのが本音なのです。
ここまでしてくれるだけでも破格の扱いだろう。
﹁ほう? 貴女の口から﹃年頃の乙女﹄という言葉を聞く日が来よ
うとは﹂
これは期待に応えないといけませんね! と笑みを深めた美貌の
将軍様は私をひょいっとお姫様抱っこにし。
あまりの素早さに呆気に取られたセシル達を先導する形で馬車に
乗り込んだのだった。
少しでも危険を回避すべく城には裏口から入るらしい。
まあ、目撃情報は無い方がいいわな。貴族がキヴェラと繋がって
る可能性もあるし。
一泊していってくださいねと言う将軍様、何故そこで﹃以前作っ
てくださったパイが食べたいです﹄というリクエストがくるのでし
ょう?
宿代代わりに働けってことですか? ついでにキヴェラでやらかした事を洗い浚い吐けということです
ね?
そして特別に使用を許可された後宮に着くまで当然の様に将軍様
の膝の上でした。
運ばれる時もそのままですよ、前にも同じ事があったよね!?
⋮⋮待ち構えていたルドルフに﹃お前、またかよ!﹄と言われ笑
われたのは言うまでも無い。 947
キヴェラ混乱の元凶、去る︵後書き︶
個人としても王としてもルドルフが優先するのは主人公。
個人としては﹃友情﹄、王としては﹃重要性﹄。
948
一途な愛情・ただし時々黒い
城の裏手で馬車を降り。
現在私は後宮へと続く通路をセイルに運ばれてます。
荷物扱いです、嫌がらせです、羨ましければ代わってやる。
まあ、着くまでに確認しなきゃならんことがあるのだが。
﹁あ∼⋮⋮セイル? これ、直接後宮に行くんだよね?﹂
ちょいちょい、と髪を引っ張り尋ねるとセイルは頷く。
﹁そうですよ? 人目に触れない方が良いでしょう﹂
﹁タマちゃん達居るよね?﹂
﹁⋮⋮あ﹂
そういえば、と足を止めるセイルにセシル達も足を止め怪訝そう
な顔になる。
この二人、カエルは平気なんだろうか?
一般的に王族貴族な御嬢様方は苦手だと言っていたような。
﹁セシル、エマ。唐突に聞くけどカエルって平気?﹂
﹁は? カエルってあの水辺の生物か?﹂
﹁そう、そのカエル﹂
つぶらな瞳の賢い子達ですが魔物です。そして、でかい。
いきなり飛び付いてくることはないだろうけど、悲鳴を上げられ
ても大騒ぎになるだろう。
そもそも後宮の池でカエルが暮らしている︱︱飼われているなど
949
と言ってはいけない︱︱とは普通思わん。
だがセシル達はあっさり﹁平気だ﹂と答えてくれた。エマも大丈
夫そうだ。
いやぁ、良かった、良かっ⋮⋮
﹁淡白な味だが嫌いじゃないぞ? 野営の時に時々捌いたが﹂
﹁他の生き物より安全ですしね。食材として飼われているのですか
?﹂
﹁﹁え゛﹂﹂
後に続いた言葉に爆弾発言かました二人を除いて硬直する。
食⋮⋮材⋮⋮? ⋮⋮。
⋮⋮。
ちょっと待てぇぇぇ!? ﹃平気﹄って肉としてか!?
そっちの﹃大丈夫か﹄って意味じゃねーんだよ、お二人さんっ!
違うから! 食料じゃないから、あの子達!
﹁ああ⋮⋮まあ、そういう発想もありますね。コルベラは食糧事情
もありますし﹂
﹁食べないでやってください、賢くて飼い主想いの優しい子達なん
です⋮⋮!﹂
﹁あ? すまない、その⋮⋮愛玩動物って意味だったのか?﹂
周囲の状況に冷や汗を流しながら聞いてくるセシルに私はしっか
りと頷く。
﹁家族です。幼生の頃から可愛がってきた騎士達も私も泣くので池
に居る子達は食料扱いしないでやってください﹂
﹁大変賢い子達ですので、下手にその言葉を聞かせると自ら貴女達
950
の旅の糧になると意思表示しかねないのですよ﹂
溜息を吐きながら告げるセイルと私に周囲は賛同し、セシル達は
引き攣った顔になる。
そうだよなー、そこまで知能が高いとは知らないもんな、普通。
あれですよ、人が他種族に対し無意識にする﹃意思の疎通ができ
るか否か﹄という区別。
食うか食われるかの動物と人間の差とも言う。人間は姿が違って
も同じ言葉を話すなら食料扱いはすまい。
もっと簡単に言うなら自分に懐いてる愛玩動物を家族意識から食
い物扱いはしないということか。 ﹁そ、そこまで尽くすのか!?﹂
﹁やる。あの子達なら絶対にやる﹂
﹁我々の協力者になれるほどです。長個体は間違いなく人と同じく
らい知能が高いでしょう﹂
タマちゃんは長個体らしく他と比べるとあまり大きくはない。
ただしその知能はぶっちぎりで一位。下手すると人間よりも賢い。
少なくとも私の立てた策に自分達なりの改良︱︱側室達の顔を狙
えって指示は間違いなくタマちゃん発案だ︱︱をする程度の頭は持
っているだろう。
しかも長の言う事には絶対服従というくらい群として統制が取れ
ている。
意味を正しく理解できるタマちゃんに食料になるなんて言ったら
躊躇い無く自分を差し出しますよ、あの子達。
﹁⋮⋮わかった。君達の家族として扱おう﹂
﹁忠義者ですのねぇ、意外ですわ﹂
951
納得してくれたようで何よりだ。とりあえず悲鳴を上げなきゃい
いからね?
できれば可愛がってあげておくれ、おたまと愉快な仲間達を。
※※※※※※※※※
で。
とりあえず後宮到着。
﹁お前、またかよ! 今度は何やらかしたんだ!﹂
﹁うっさい、ルドルフ! 飼い主らしく番犬には首輪と鎖を着けて
おけ!﹂
﹁無理﹂
﹁即答かい﹂
﹁命は惜しい。あと精神的に疲れたくない﹂
セイルに抱き上げられたままの私を見るなり爆笑するルドルフ。
宰相様、溜息を吐くくらいなら貴方の従兄弟をどうにかしてくだ
さい。
﹁セイル? お前は客人を迎えに行った筈だな?﹂
﹁ええ。御二人を無事におつれしました﹂
⋮⋮おやぁ? 私が省かれてます。
二人を見極めようとした事を口に出さないのは納得ですがね、﹃
王族を試しました﹄なんて絶対言えん。
僅かに首を傾げた私に宰相様は﹃何も言うな﹄と目で告げる。
﹁ミヅキも御苦労だった。滞在していたお前を護衛に駆り出した事、
952
申し訳なく思う﹂
﹁⋮⋮いいえ? 御気になさらず﹂
﹁そうか﹂
ほほう、そういうことか。
首を傾げるセシル達に﹃後で説明するから﹄と小声で言ってルド
ルフに向き直る。
﹁二人の荷物を置きたいから部屋に行ってもいい?﹂
﹁ああ。エリザがお前の部屋で待っているぞ。話したい事があるそ
うだ﹂
﹁わかった、後でね﹂
事情説明はエリザがしてくれるらしい。ならばさっさと行った方
が良さそうだ。
ところでさ?
﹁いいかげん降ろせや、腹黒将軍﹂
﹁お断りします。愛しい婚約者に会えて喜んでいる私、にっ!?﹂
﹁へ?﹂
﹁え゛﹂
視界を掠めた一つの影。
妙なところで途切れた声を訝しく思う間もなく﹃びたんっ﹄とい
う音がしてセイルの手が緩む。
すかさず離れた私の目に映ったのは呆然としている周囲と。
くーぇっ
得意げに鳴くカエルを顔に貼り付けた将軍様。
953
タマちゃん⋮⋮こっそり近づいた挙句、腕組みしていたルドルフ
を踏み台にして飛びついたな。
それでこそ私が育てた子だ! でかした!
セイルは両手が塞がっていたから対処できずにああなったわけで
すか。
﹁タマちゃん、ナイス!﹂
﹁∼っ! ルドルフ様! 何、おたまに協力してるんですっ!﹂
﹁え、俺も悪いのか!? 腕を踏み台にされただけだぞ!?﹂
顔というか張り付いたカエルに手を当てながらもセイルの怒りは
ルドルフに向いたらしい。
さすがにカエルに怒りを向けようとは思っていないのか⋮⋮いや、
人間でもルドルフってセイルの主じゃないのか?
いいの? という気持ちを込め宰相様を見るも深く溜息を吐いて
首を横に振る。
﹁剣を振り回さなければいい。本気でルドルフ様に危害を加えるよ
うな事はしな⋮⋮﹂
﹁ちょ、セイル! 俺を狙う前にそれを外せ! な?﹂
﹁何をやってるんだ、セイルぅ!﹂
慌てて視線を向けた宰相様の怒鳴り声も何のその。将軍様、ルド
ルフを捕まえて何をする気だ。
いや、楽しそうで何よりですよ? ふざけ合うほど余裕が出来た
ってことじゃないですか。
以前の殺伐とした状況に比べればマシです。平穏ッテ素晴ラシイ
ネ。
954
そしてタマちゃんはセイルの狙いがルドルフに定まると自主的に
離れた。
そのまま私の足元に来て見上げるので﹁おいで﹂と腕を広げると
飛び付いて嬉しそうに鳴く。
くーぇっ! くぇっ
﹁セシル、エマ。この子が長個体のタマちゃん。正しくは﹃おたま﹄
﹂
二人に紹介すると私に抱っこされたまま、ぺこりとお辞儀。
相変らず空気の読めるカエルですね⋮⋮!
﹁た、確かにこれならミヅキ達の言っている事も頷ける﹂
﹁カエルがこんなに賢いなんて思いませんでしたわ⋮⋮﹂
まあ、それはそうだろう。タマちゃん達は人に育てられた影響も
多分にあると思う。
ほのぼのとする私達を他所に将軍様はお怒りのようだが気にしな
い!
元凶タマちゃんが居なくなったことで矛先はルドルフオンリー。
宰相様も早く行けと手で合図。
セシル達もこの騒動を目の当たりにした所為か呆然としながらも
私達の言った事を理解した模様。
じゃあ、今のうちに部屋に行くか。エリザも待ってるし。
﹁おたま! セイルを俺に押し付ける気かー!﹂
くぇっ
955
﹁ルドルフ様? あの子は人の言葉を話せませんので、その分の言
い訳を聞かせていただけますね?﹂
﹁ミヅキ! 助けろ!﹂
﹁無理﹂
﹁即答か!﹂
その後どう収まったかは知らない。
※※※※※※※※※
﹁お久しぶりですわ、ミヅキ様﹂
優雅に出迎えてくれた有能な侍女エリザは︱︱
﹁ほほほほほほっ! 愉快ですわ!﹂
放置してきたセイル達の現状を告げるなり高笑いする美女と化し
た。
そういえば仲悪かったっけね、セイルと。
﹁よくやりました。それでこそミヅキ様のカエルですわ﹂
くぇっ
タマちゃんもエリザに撫でられ誇らしげに胸? を張る。
タマちゃん、やっぱり顔張り付きは確信犯だったか。
セシル達は驚愕のあまり言葉も無いようだ。そりゃ、今までカエ
ルに対する認識が食料だったのだから当然か。
956
﹁エリザ。楽しそうなところを悪いけどゼブレスト側の状況説明御
願い﹂
﹁はっ! 私としたことが。申し訳ありません、すぐに始めさせて
いただきます﹂
﹁いや、楽しそうで何より﹂
﹁ええ、とっても楽しゅうございました!﹂
素直だな、エリザ。
まあ、後は勝手にセイルと毒舌合戦でも何でもやってくれ。
﹁まず、ミヅキ様の扱いについて。イルフェナよりコルベラの姫君
の逃亡を手助けすると連絡があった時点で偽装工作に動いておりま
す。キヴェラで過ごされた半月ほどはイルフェナとゼブレストに滞
在していた、ということになっていますわ﹂
﹁いつもみたいに後宮に泊まってたってこと?﹂
﹁はい。カエル達もこの部屋に毎日花を運ぶという行動をとってお
り、ゼブレストではミヅキ様がこちらに数日前から滞在していたと
認識されていると思ってくださいませ﹂
キヴェラに居た魔術師とイルフェナの異世界人は別人だという証
拠作りをしてくれたのか。
後宮に私個人の部屋があることは知られているから﹃血塗れ姫来
襲! 注意せよ!﹄とでも告げておけば顔見知り以外は近寄らない
だろうな。
前回の事から貴族に対して良い印象を持っていないと認識されて
いるし、﹃魔術の研究をしている﹄とでも言っておけば邪魔した場
合の報復を恐れて近寄る馬鹿は居まい。
カエル達の行動も私が居るのだと認識させる要因になった事だろ
う。私が来たら甘えるというのは周知の事実だ。
957
しかしカエル達よ⋮⋮花を咥えて部屋に通ったのか。大変だった
ろうに。
﹁同行していた者達は砦に待機していた影三人と共に町の宿屋で偽
装工作をしております。その後はイルフェナへ向かいますので疑わ
れる心配はないかと﹂
﹁それでさっきの宰相様の言葉になるわけね? ﹃ゼブレストに滞
在していた私は国外からの客を迎える為の護衛として同行した。客
人は二人﹄⋮⋮こんな感じ?﹂
﹁ええ、そのとおりです。コルベラの御二人には大変申し訳ないの
ですが、我等が優先すべき方はミヅキ様ですわ﹂
ゼブレストとしても﹃王太子妃が逃げてきました! 滞在してま
した!﹄な事実はマズイのだろう。
客人二人に該当する人物も既に話がついていると推測。徹底的に
逃亡者ではない証拠を仕立て上げたか。
事実、私達は﹃只の旅人﹄でいなければならないのだ、どんな国
においても。でなければ関わった全ての人が逃亡を手助けしたと言
われてしまう。
最悪の場合、王太子妃誘拐事件に仕立て上げられる。
今のキヴェラからすれば大変都合がいい展開です。嬉々として罪
を押し付けるだろう。
だからレックバリ侯爵は私に拘った。﹃逃げてきた姫達を何も知
らない異世界人が助ける﹄という設定が使えるから。異世界人なら
ば彼女達の正体を知る筈もないし、協力する利点も無い。
協力した事を追及されても﹃これまで会った事もないし、何も教
えてないのにそんな事情知る筈ないだろ!﹄で誤魔化せる。実際、
コルベラとの接触は皆無だ。
958
そもそも﹃異世界人は会う事を望まれない限り王族の顔なんて知
らないのが当たり前﹄だからね。魔王様の家族の顔も知らんぞ、私。
まあ、それが初期設定。私がお手伝いだけだった頃の話です。
今は私個人の目的もあるので表向きはイルフェナ幼馴染三人娘で
旅という事になっている。バレない限りそれで通す予定。
ルドルフ達はキヴェラから捜索依頼が来た場合﹃逃亡者達なんぞ
知らん﹄と言い張って誤魔化す気なのだろう。そんな連中うちには
来なかった、と。
犯罪者扱いで捜索依頼が来る可能性もあるのです。現に砦の兵士
達は﹃王太子妃の逃亡﹄は知らなかったみたいだし?
無関係を装っても国に捜索依頼が来たら動かないわけにいかない。
だから先手を打ったのか。
そしてキヴェラで騒動を起こす事も予測してあの二人を派遣した
と思われる。
さすがに王の親友だろうと個人的な事で国を危険に晒すわけには
いかない。友人として逃亡を手助けするというより国として﹃王個
人の最強の駒﹄である私を失わない為に手を尽くしているとみるべ
きか。
その一環としてイルフェナの異世界人の滞在期間を偽っている。
情報漏洩を警戒して極一部以外事実は知るまい。
⋮⋮こう言っては何だが、キヴェラに追及されても私だけは助か
る方法だ。﹃姫達は只の旅人の振りをして入国し、更に逃亡。手引
きした協力者は死亡﹄ということにして私は初めから無関係で通す。
﹁ミヅキ様のみを守り貴女達をキヴェラに突き出すことでゼブレス
トを守る、と言ったらどうなさいますか?﹂
探るようなエリザの言葉に二人は一瞬呆けたような顔になり。
すぐに安心したように笑った。何の打算も後悔も無い笑みで。
959
﹁そうか。ならば私達が捕らえられてもミヅキは助かるのだな﹂
﹁安心しましたわ。一方的に巻き込んでしまいましたもの﹂
﹁あら⋮⋮ミヅキ様に縋る気はないと?﹂
﹁ここまでしてもらえば十分だ。実際、﹃ミヅキは事実を隠した私
達に騙されて同行しているに過ぎない﹄のだからな﹂
﹁﹃旅券は身分を振り翳して取り上げました﹄もの。﹃被害者達﹄
には申し訳ないことをしましたわ﹂
セシル達の言葉を聞いていたエリザの目がすぅっと眇められる。
まるで二人を見極めようとするように。
エリザはセシル達に対し酷い事を言っている自覚があるのだろう。
だが、セシル達もそれが当然だと考える人種だ。
捕らえられた場合、二人は間違いなく私だけは助けようとするに
違いない。それを教える為に捕まった時の言い訳を明かしている。
逃亡した際に私と出会って利用する事を思いついた⋮⋮というこ
とにでもするつもりか。
ゼブレストの言い分
﹃キヴェラから来た三人はそのままイルフェナへ行った。イルフ
ェナの異世界人は元々滞在していたし、客人二人も元からの予定通
り。キヴェラから捜索の通達が来た場合? 協力するけど通達が来
る以前までは責任持てないし知らん﹄
セシル達の方針
﹃基本的にはミヅキから提示された幼馴染三人娘の旅。ただし、
捕獲されたら自分達が異世界人を騙して協力させたことにする。旅
券の情報と違う? 身分を振り翳して奪い取ったとでも言えば問題
無し。異世界人にも必要な事だと言い包めて納得させたとでも言っ
ておけ﹄
960
⋮⋮こんな感じだろうか。セシル達が目的の為には手段を選ばな
い権力者になってますが。
多少怪しくともキヴェラはセシルが戻ればいいから深くは追及す
まい。探られて困るのは向こうも同じ。
うん、一度話し合った方が良いな。特にセシル達。﹃もしもの場
合﹄を想定する事は重要でも自己犠牲は要らん。
ってゆーか、捕まっても逃げればいいじゃん? 諦めるなんて選
択肢は存在しません。
最終的に私は復讐が目的なんだから逃走中に追っ手とドンパチや
らかしても全然平気。
他国がキヴェラに味方するかもしれないけど、通過するだけなら
自国の被害も想定して全力で来ないだろう。
キヴェラって随分強気できたらしいからねぇ⋮⋮ささやかな報復
として見逃す可能性・大。
魔王様達にも﹃イルフェナに迷惑がかかるようなら切り捨てちゃ
ってください﹄と言ってあるしなぁ?
⋮⋮あ。セシル達に言って無いや、それ。
だったらイルフェナが責任を問われる事を回避する意味も含め自
己犠牲に走るか。
まあ、個人的な意見を言うなら今はそこまで考えなくてもいい気
がする。
キヴェラは未だ混乱中。おかげで今後の方針が不明なので他国も
動きようがない。
混乱に拍車がかかったのは私が砦を落とした所為だが。ルドルフ
達もこれは予想外に違いない。
﹁逃げるつもりも負けるつもりも無いわよ?﹂
タマちゃんを撫でながらそう言うと部屋に居る全員の視線が向け
961
られる。
﹁自分の言動には責任を持つべきだと思うの﹂
﹁ゼブレストとイルフェナでは捕らえられることは無いと思います
わ。ですが、その後は事態を察していようが何処まで味方してくれ
るか⋮⋮﹂
そう言ってエリザは目を伏せる。
うん、そうでしょうね。優先すべきは自国です。思う所があって
も捕らえて差し出さなきゃならない場合がある。
基本的に周囲は敵・自分達だけで切り抜けるという形になるだろ
う。
﹁セシル達を利用するのは私も同じなの。その為に二人には無事に
コルベラに着いてもらわなきゃならないのよ﹂
﹁利用、ですか? 何かありましたの? レックバリ侯爵からの依
頼で動いているということでしたが﹂
﹁あの王太子が気に食わない。綺麗な顔に一発入れるどころか心身
ともにズタボロにしたい、王も嫌い﹂
﹁は?﹂
﹁﹁ああ⋮⋮﹂﹂
首を傾げるエリザに納得した表情のセシル達。この際、飲み会に
発展した経緯を暴露です。
嗚呼、思い出す度に腹立たしさを通り越して殺意が⋮⋮!
﹁﹃粛清王なんて呼ばれても所詮は貴族に嘗められたお坊ちゃん﹄
なんですって、ルドルフは﹂
﹁⋮⋮まあ﹂
﹁﹃魔王と言われようとも大した事無い﹄んですってよ、私の保護
962
者様は﹂
﹁それはそれは。とても優れた方の発言なのでしょうね﹂
うふふふふふふふ⋮⋮!
微笑み合う私達の表情は表面的には笑顔だ。たとえタマちゃんが
空気を読んで貝になろうとも。
なまじ美人なだけにエリザの笑みは凄みを帯びた。さすが侍女と
言う名の側近。
﹁私も珍獣扱いでね? ⋮⋮ああ、別に怒ってないから。珍獣相手
に身分を振り翳すなんて愚かな真似はしないだろうし?﹂
﹁ミヅキ様もそのような扱いなのですか。さぞ、御自分の、責務を、
ご立派に、果たされていらっしゃるのでしょうねぇ⋮⋮?﹂
﹁え? 無能な上に最近冷遇しまくってた嫁に逃げられたけど?﹂
ピシっ! と微かな音がしてエリザが手にしていたカップに皹が
入った。
お怒りですね、エリザさん⋮⋮でも大丈夫。逃がす気はありませ
ん。
﹁だからね、負けるつもりは無いわ。アシュトン達だって許さなか
った私が許すと思うの?﹂
﹁このエリザが間違っておりました。御存分におやりなさいませ!
微力ながらお手伝いさせていただきます!﹂
﹁ありがと。私の方は良いからゼブレストを御願いね﹂
﹁勿論です﹂
私の手をがしっ! と握り締めるエリザに先程までの憂いは全く
無かった。その瞳に宿るのは期待一色。
963
セシル達もドン引きするどころか﹁そうなるよな﹂﹁あれは酷い
侮辱でしたわ﹂などと言い合って私達に理解を示している。
同志よ! 許せる筈ないよなぁ、﹃アレ﹄に馬鹿にされるなんざ。
﹁そのアシュトンとやらにはどんな手を使ったんだ?﹂
面白い事になったんだろう? と期待一杯に尋ねてくるセシルに
エリザ共々大変いい笑みを浮かべ。
﹁馬鹿二人に﹃幼女趣味﹄﹃熟女萌え﹄﹃同性愛者﹄といった三重
疑惑を仕立て上げてみました﹂
﹁ふふ。アシュトン・ビリンガムとダニエル・オルブライトの事で
すわね。私もお手伝いしたかったわ﹂
﹁ちなみに片方公爵子息。同性愛疑惑は情事の現場を仕立て上げた
ら有志の目撃者まで出た﹂ 欠片ほどの罪悪感もなく告げる私達に二人は顔を見合わせて。
﹁それは何とも﹂
﹁楽しそうですわねぇ﹂
心底楽しそうな反応が返ってきた。
エリザ、この二人こんな性格してるから。逃亡も多分かなり楽し
い状態になると思うよ?
964
一途な愛情・ただし時々黒い︵後書き︶
カエルは賢く黒く成長中。
キヴェラがどんな形で追っ手を差し向けるか不明なので、其々が事
態を想定して勝手に動いています。
故に微妙に噛み合ってなかったり。
※アシュトンとダニエルは﹃女が大人しいとは限りません﹄﹃噂は
怖い、噂を利用する奴はもっと怖い﹄に出てきた犠牲者。
965
被害者は誰?
あれから。
エリザに手伝ってもらいつつ料理の製作に勤しみ、夕食は関係者
全員が後宮のサロンに集合となった。
バイキング形式の食事なら余計な手間はかからないし、給仕もそ
れほど必要ない。
余談だが庭に面した一角には小さな池も作られ観賞用の魚が放さ
れているので、寒い時はカエル達をここに避難させるそうな。庭に
面している側は硝子みたいな素材になっているので庭が見える分カ
エル達も馴染み易かろう、ということらしい。
側室は当分来るなという意思表示も含まれている気がするが、そ
れ以上にカエル達が愛されているのだろう。
保護者が一杯で良かったねー、カエル達。私も安心だ。
⋮⋮話を戻して。
いや、絶対に認識の差があるから誤解を解いておくべきだと思う
んだ。
多分ゼブレストの皆様は私が当初思い描いていたとおり﹃悲劇の
姫君セレスティナ様﹄になっている。
うん、気持ちは判るよ? 私もそう思っていたし。
実際は﹃アホ王太子一派VS女傑連合﹄としか言い様が無いのだ
が。
個人的な事を言うなら寵姫が一番善良でまともだ。後宮での女同
士の戦いなんて珍しくも無いだろう。
966
⋮⋮悪役サイドのラスボスが実際は脇役通り越してほぼ部外者っ
てどうよ?
下手するとセシルの味方にしか見えんぞ、彼女の行動。少なくと
も貴族からの妙な贈り物は彼女のお陰で来なかったんだし。
こう言っては何だがルドルフ達が必死に私を守る術を考えてくれ
たのも事態をシリアス方向に捉えていたからに他ならない。
その解釈も正しい。正しいのだが⋮⋮実際はそこまで真面目にや
る必要はないと推測。
個人的な判断だが各国に捜索要請は来ないと思っている。犯罪者
扱いにしても﹃追っ手が向かうので邪魔しないで下さい﹄程度では
ないかと。
だって砦一つ落とした組織に狙われてるって暴露しなきゃならな
いもん。
大国としては﹃強者﹄の立場が揺らぐ失態ですぜ?
他国に捜索を要請するぐらいの大物犯罪者なら事情を詳しく伝え
なきゃならないわけで。
しかもそいつ等の狙いはキヴェラ。他国と手を組まれても困る。
私達は﹃只の旅人﹄でいなければならないが、表立って動けない
のはキヴェラも同じです。
砦イベントの目的﹃追っ手の質を落とす﹄って戦力分散だけじゃ
ないのだ、﹃使える手を減らす﹄という意味もある。
私が逃亡において一番厄介だとか考えたのが﹃従わざるを得ない
他国の介入﹄だからね、一番に罠として計画しましたとも!
騎士sが本能的に様々なヤバさを感じて忠告に来たけど笑顔で却
下。先生だって呆れながらも必要と認め協力してくれたしね。
それに王太子妃逃亡にしても現時点では他国にバレていると考え
るのが普通。その後の状況を隠す方向にした方が突っ込まれずに済
むだろう。
967
最終的にセシルがキヴェラに戻った時点で公表すれば﹃終った事﹄
として片付けられ、部外者にそれ以上の追求は出来まい。
ルドルフ達は私の行動とセシル達の事を知らないから﹃一般的な
対策﹄としてアリバイ作りとセシル達の見極めをしたのだろう。
普通なら必要ですね、普通なら。今回、誰も普通じゃなかっただ
けで。
尤も﹃イルフェナの異世界人は無関係﹄というアリバイ作りはコ
ルベラ到達まで正しい立場を隠しておきたい私にとって大変ありが
たいものだ。
アル達がイルフェナに居る事も含めて当分はバレないと思われる。
皆のお陰でイルフェナに迷惑が掛かる可能性が激減したからね。
素直に感謝だ。
セシル達にも事情説明して自己犠牲案は却下したので、ゼブレス
トで彼女達用の武器を譲ってもらおう。
捕まったら武力行使・強行突破という方向です。
⋮⋮とりあえずそんな感じで王太子妃冷遇の事実と私個人の予想
を関係者の皆様に暴露してみた。
ああ、勿論キヴェラでやった事や脱出するまでの状況も含めます。
どうよ、面白過ぎる展開だろ? 驚くがいい、ゼブレストの皆様!
信じられない事だが事実なんだぞ、これ。
※※※※※※※※※
﹁⋮⋮マジ?﹂
﹁マジ。嘘吐いてどうする﹂
968
私達以外が唖然としているのは当然か。
セイルはいつもの微笑を浮かべてはいるけれど、それが何処とな
く引き攣っているのは気の所為ではあるまい。
ええ、ええ! その気持ち、凄く理解できますよ!
私だって最初に﹃最難関・後宮へ侵入し姫と接触﹄が何の苦労も
無く済むとは思わなかったもの。
今回の救出組の誰もが通る道です、これまでの常識を捨ててくだ
さい。
﹁じゃあ、何か? 冷遇って王太子の言動が元凶で、擦り寄りたい
家の騎士や侍女が便乗したと?﹂
﹁そういうことだね。まともな人達は王太子の不興を買って遠ざけ
られたみたい﹂
﹁⋮⋮キヴェラ王が許すとは思えんが﹂
﹁後宮に限り完全に王太子の支配下ってことでしょう。王太子妃の
誓約に﹃王と王太子に逆らえない﹄ってあるから、セシルを使って
王太子をどうにかしようとはしていたみたいだけど﹂
﹁廃嫡の可能性もあったってことか?﹂
﹁多分ね。問題が起きたら公の場に呼び出してセシルに証言させる
つもりだったんじゃない? 立場的にセシルが自ら問題行動を起こ
すとは思ってないだろうし、ついでに後宮での事を聞けば王太子も
言い逃れできないでしょう﹂
問題が起きたのなら﹃必要な事﹄としてあらゆる言い訳を跳ね除
け王太子妃を召すことができる。
そして﹃誓約﹄が破られていない事さえ確認できれば王太子妃の
言葉に嘘は存在しない。
何より王に対し裏切りとも言うべき行動をとった王太子に未来は
無い。
969
﹁王太子を﹃一途な王子様﹄として民に印象付けているから廃嫡の
場合は﹃病に倒れ王太子の座を降りた悲劇の王子と付き従う寵姫﹄
っていうシナリオにでもしたんじゃない? 実質幽閉だろうけど﹂
﹁なるほど、それなら穏便に交代できるか﹂
﹁うん。罪人達は処罰、セシルも王の言葉には逆らえないから事実
は闇に葬られる﹂
﹁確かにキヴェラ王ならやりそうな事だ。それならば王妃を廃せず
に済む﹂
宰相様も私の予想に納得して頷いている。やっぱりキヴェラ王は
親であることより王であることを優先する人みたい。
無理に廃嫡にすれば王太子の事情を知らず王妃を慕っている民か
らの反発は免れない。
﹃正妃の男児が継承権優先﹄という伝統も反発を正当化すること
になるだろう。
とは言え、王太子の無能振りを大々的に晒す訳にもいくまい。そ
ういった事情を踏まえてセシルが連れて来られたのなら婚姻は王太
子にとって最後のチャンスだったと言える。
﹁キヴェラとしては内々に事を片付ける機会をお前に引っ掻き回さ
れたわけか﹂
﹁何と言うか⋮⋮姫様方といい、ミヅキといい、キヴェラは運が無
いのでしょうか﹂
セイルの言葉にほぼ全員が﹃あー、確かに運が無いな﹄という表
情になり。
ちら、と私を見たルドルフは盛大に溜息を吐く。
呆れか。呆れてるのか、親友よ。
だが、ルドルフの反応は皆と少々違ったらしい。
970
﹁ずるいぞ、ミヅキ! 何でそんな面白そうな事を俺に黙ってやる
? 親友だろ!?﹂
がしっ! と手を握り大変不満そうに力説する。
﹁あんた王でしょ。国守れ、国﹂
﹁お前に直接諜報員つければ良かった! 絶対、その方が報告は面
白かった!﹂
そうでしょうねー。ルドルフの所に来た報告って﹃王太子妃の逃
亡・王太子妃の冷遇と夢の疑惑・民の混乱と国の対策﹄くらいだろ
うな。
それ以上は当事者でない限り判らないだろう。何せ探りようが無
いのだから。
なお、上記の報告が私からの情報を加えると非常に笑いを誘うも
のになる。
・実録! 私は見た、王太子妃冷遇の実態!
・キヴェラ崩壊の序曲! 王太子の真実
・幸せの場の裏側 ∼神殿の汚職∼
・強国神話崩壊! 砦陥落!
一体何の特番だと思うタイトルですが、全て私製作の報告書と証
拠映像。内容を見なくてもある程度は中身の判るタイトルで纏めて
あります。
勿論、受け狙い要素も含まれてますが。
何が凄いって私の方もルドルフの方も嘘が一切含まれてない事で
すよ!
971
どちらも正しいのです、齎されている情報は。大丈夫か、キヴェ
ラ。
ちなみに砦イベントの映像はカエル達に大受けした。
娯楽が少ない世界なのです、事情を知らなきゃイベント紛いの映
像は斬新です。
でも人間達は呆れと驚きが前面に出てました。この行動はさすが
に誰もが予想外だったみたい。
宰相様もお小言を忘れて絶句し、将軍様は固まった。
ええ∼⋮⋮魔導師が参戦するならこれくらいは予想しようよ? 天災扱いじゃん?
少しはタマちゃんを見習え。あの子は純粋に私の強さを絶賛して
た気がするし。
ルドルフも難しい顔をして黙り込んでいたのだが、どうやら﹃楽
しそう! ずるい!﹄という意味だったようだ。
さすがだ、親友。あの側室達の獲物になっていただけあって滅多
な事じゃ動じないか。
﹁⋮⋮ミヅキ? 随分と色々やっているようだが、砦を落とすのは
やり過ぎじゃないか?﹂
﹁いいえ? キヴェラの戦力を分散させ追っ手の質と数を落とすと
共に周辺諸国へ表立って捜索の協力を依頼できないようにする為の
策ですよ?﹂
﹁何だと?﹂
怪訝そうな宰相様に私は笑って告げる。
そういや砦イベントの目的を話さずに娯楽として見せたっけ。
解説書にも﹃追っ手の質を落とし数を減らす為﹄としか書かれて
ないから、私が危険視される可能性を憂えているのだろう。
相変らず問題児の保護者ですね、宰相様。
972
﹁砦を落とすような組織が仕掛けてくるなら国を守る事を優先する
でしょう。しかも王太子妃逃亡の情報を得た国への対策に有能な者
を残さねばなりません。その王太子妃も匿われている可能性がある
から捜索は国外だけでなく国内に及ぶ。何より﹃強国﹄という認識
を揺るがす砦の陥落を外部に洩らすでしょうか?﹂
﹁⋮⋮確かに普通に逃亡するよりは楽になるだろうな。他国からす
れば逃げた王太子妃よりキヴェラの動向が気になるだろう﹂
﹁ですから、私達にとっては必要な行動なのですよ﹂
くすくすと笑いながら言い切る私はセイル曰く﹃とても楽しそう
な顔﹄なのだろう。
此処に居る全員が私の策の裏側にあるものに気付いている。
即ち︱︱キヴェラに対しては何のフォローもしていない。落とす
だけだ。
あの王と上層部ならば国が滅ぶ事は無いだろうが、今回の傷は深
いだろう。
﹁お前さぁ⋮⋮何でキヴェラがそんなに嫌いなんだ? それ、絶対
にキヴェラを困らせようとしてるだろ﹂
﹁あら、どうしてそう思う?﹂
﹁お前なら逃亡せずに交渉で姫をコルベラに連れ帰れたんじゃない
のか? 非は向こうにありまくるんだし﹂
あらあら。鋭いですね、ルドルフ。
確かにそういった方向に持っていくことも可能だったろう。
だけど。
﹁何でひっそり問題解決なんてキヴェラ王が喜ぶ事をしなきゃなら
ないのよ!﹂
973
﹁それはそうなんだがな﹂
﹁それに徹底的に痛い目に遭わせた方が確実でしょ? 私は素晴ら
しい諺に倣っただけ﹂
﹁コトワザ?﹂
﹁﹃最初の一撃で戦いの半分は終わる﹄。私にとってはキヴェラ脱
出までがこれに該当﹂
先手必勝とも言うが。今回のキヴェラに関してはまさにこれがぴ
ったりと当て嵌まるのだ。
後々まで響くような攻撃をせよ、との教えを無碍にはしませんと
も!
呆れ半分、感心半分のルドルフ達にエリザが笑って援護射撃をす
る。
﹁ふふ、我が主を﹃粛清王なんて呼ばれても所詮は貴族に嘗められ
たお坊ちゃん﹄などと見下す輩に手加減など不要ですわ。エルシュ
オン殿下を侮辱されたイルフェナの騎士達も黙ってはいないでしょ
う﹂
﹁そうね、私が許すなんて魔王様達も思っていないだろうし﹂
﹁⋮⋮。よ∼く判った。それが原因か﹂
納得、とルドルフが頷くと周囲の騎士達も深く頷き同意した。
何故それで納得できるんだ、ゼブレスト勢よ。
訝しむ私に宰相様が代表として答えをくれた。
﹁お前、自分はともかく親しい者達を不当に貶められる事は許さな
いだろうが﹂
﹁⋮⋮そうかもね?﹂
宰相様、解説しつつも溜息を吐いて心配してます。理解していて
974
も今回は危険が多い分、納得はできないのか。
相変らず﹃おかん﹄だな、宰相様。イルフェナの親猫様も貴方と
似たような反応するでしょうね。
ところでね?
﹁セシル、エマ⋮⋮話に加わって来ないけど一体何をしてるの?﹂
﹁おたまに食事させてる。意外と可愛いな﹂
そう言って一口サイズに作られたパイをタマちゃんの口に放り込
む。
カエル達、魔物らしく何を食べても平気らしい。勿論、毒も。
生物図鑑によると﹃常に体内で解毒魔法が使われている状態では
ないか﹄とのこと。
確かに爪も牙も無い最弱種族、生き残る為には何を食べても平気
なように体ができているのかもしれない。大変逞しいですね。
毒に強い魔物もいるらしいので、魔力を持っている魔物にとって
は珍しくない能力なのかも? 詠唱とかできなくても魔力は持って
いるんだし。
﹁私は暖かいうちに料理を戴いておりますわ。ミヅキ、今度教えて
くださいね﹂
セシルの隣ではエマが料理に手をつけている。
タマちゃんも御飯食べてたから静かだったのかい。二人に懐いた
ようで何よりだ。
それにしても二人とも。当事者のくせにマイペース過ぎです。
いや、私の同行者ならそれくらいの方がいいんだけどね。
975
被害者は誰?︵後書き︶
セシル達はキヴェラの犠牲者ですが、キヴェラは主人公の被害にあ
ってます。
﹃自分に素直なのは良い事だ﹄にて騎士sが本能的にヤバさを感じ
取り止めようとした計画は砦イベントでした。
976
罪と罰と罪人と︵前書き︶
キヴェラにて。今回主人公は出ません。
断罪と即座に彼等が処罰されなかった理由。
977
罪と罰と罪人と
︱︱キヴェラ・謁見の間にて︱︱ ︵キヴェラ王視点︶
床よりも高い位置にある王座から見る光景に内心溜息を洩らす。
視線の先には己が跡取の立場にある青年が硬く拳を握りしめ⋮⋮
けれど相変らず反省することなく、王たる自分の前に在る。
この期に及んでもまだ王太子にとって自分は父親でしかないのだ
ろう。
﹃愚かな﹄
恐らくは側近達でさえそう思っている。それは向けられる視線か
らも容易に知れた。
寵姫の事を抜かせばそれなりに仕事ができるからこそ、これまで
愚かと言い切ったことは無い。
ただし、あくまでそれは﹃与えられた仕事を片付ける事に関して﹄
だ。
精神的な未熟さは誰から見ても明らかだった。そしてそれは権力
者としては致命的だ。
特定の事に執着するあまり周囲が見えなくなる事。
苦言を呈する臣下の声に耳を傾けぬ事。
己が感情を優先し、その行動が齎す結果に責任を持たぬ事。
他にも多々あるが、この結果を齎した要因としてはこれらが挙げ
978
られるだろう。
王ではなくとも破滅するに十分な理由だ。
尤も﹃王太子﹄という地位とキヴェラが大国であることも愚かさ
に拍車をかけた要因だろう。
キヴェラ第二位の立場にある者ゆえに逆らえる者は少なく、その
権力に擦り寄ってくる者達も当然居る。
自己保身に走れば苦言を呈することはせず、気に入られたくば王
太子の愚かさを褒め称え協力さえした。
その結果、王太子は自分が有能で正しいと思い込み本物の忠臣を
遠ざけてしまった。
彼等こそ不興を覚悟で間違いを指摘してくれた者だというのに、
だ。
出切る限り拾い上げたが、それでも全てではない。諌めきれなか
った責任を感じ失意のままに自害した者とているのだ、彼等の親し
い者達はさぞ王太子に失望したことだろう。
﹃忠臣を切り捨てる傲慢で愚かな王太子﹄と影で言われるのは当
然の結果である。全ては本人が悪いのだから。
そうは言っても簡単に廃嫡などできる筈も無い。
長らく続く﹃正妃の男児が継承権優位﹄という伝統を覆せば今後
継承権争いが起きる事など容易く予想がつく。
大国の王という地位を得るべく、継承権を持つ王子とその母の一
族が一つの勢力となって争いを繰り広げるに違いない。そうしてで
も得る価値のあるものなのだ、キヴェラの王という地位は。
王太子の愚かさを誤魔化す為に民に植え付けた認識も廃嫡の邪魔
になり、抗議する民が出るだろう。
⋮⋮ルーカスが王位に就く事こそ国が荒れる始まりだと気付きも
せずに。
979
セレスティナ姫との婚姻は自分と重鎮達で決めた最後の恩情だっ
た。
姫は立場的に逆らえない事を理解できている。
寵姫がいようと正妃としての役割を果たすだろう。
あの姫は中々に聡明だ。ルーカスを立て、時に自分が泥を被りつ
つも国の為に尽力してくれたに違いない。
それが祖国の為かキヴェラの為かは判らぬが、そんな事などどう
でもいいのだ。
我々が望んだ結果を出し、表面的に﹃大国の王太子妃﹄を演じて
くれればよいのだから。
寵姫と離れられず、王太子としての立場を捨てる気の無いルーカ
スにとって最高の相手だったろう。
それを他ならぬルーカス自身が壊した。王命である意味さえ判ら
ずに。
王太子だろうとも王に跪く立場だと理解していなかったのか。
親子である前に主と臣下である、そこに個人の感情など挟む筈も
無い。
しかも王個人の独断ではなく、国の上層部の承認を得た政の一環
ともいえるもの。
逆らえば反逆罪に問われるなど明白ではないか! ⋮⋮いや、逆らうより余程性質が悪いだろう。そもそも我々がこ
れほどの事態に気付けなかった理由は⋮⋮。
﹁⋮⋮以上が王太子妃様付きの侍女エメリナの日記より事実確認が
取れましたこと、他は未だ調査中です﹂
﹁そうか。記されていた内容は正しかったか﹂
980
﹁はい。日記というより報告書のような形式で書かれています。お
そらくは事態が露見した際に証拠を集め易いよう考慮されたものか
と﹂
﹁それほどまでに細かく書かれていては言い逃れもできぬだろうな。
まして個人の感情で書かれた部分などないのだろう?﹂
﹁ございません。事実のみを書き記したのでしょう﹂
暗に﹃感情的になっていたならば目も当てられぬほど酷い言葉が
連なっていたでしょうね﹄と告げる宰相に報告書に目を通した側近
達は目を伏せる。
日記の内容を知っている上でこちらが派遣した調査団の報告書を
読んだのだ、内容が偽りでないと判っているからこそあまりの酷さ
に言葉が無い。
﹁それが偽りだと思わないのか!﹂
﹁思いません。我々の派遣した調査団も同じ⋮⋮いえ、それ以上に
酷い内容を﹃報告書﹄に認めております﹂
往生際悪く足掻くルーカスに更なる失望を覚える。報告の内容を
否定する事は﹃王の信頼する調査団が偽りを報告したと王太子自身
が非難する事﹄だと気付いていないのか。
これだけでも現在自分に付いてくれている諜報員達は代替わりと
共に離れていくだろう。
﹃どうせ信用なさらないのでしょう﹄という言葉と共に。
﹁ルーカス。儂は言った筈だな? ﹃この婚姻は王命である﹄と﹂
びくり、とルーカスの体が跳ね上がる。
⋮⋮情けない。格下と思い込んだ者にはあれほど高圧的に出られ
るというのに。
981
﹁お前の﹃我侭﹄を聞き入れ姫の誓約はお前の言うとおりにした。
さて、こちらに条件を呑ませておいて自分は役目を果たさぬなど⋮
⋮どういうつもりだ?﹂
﹁私はっ⋮⋮初めからエレーナ以外は娶るつもりはないとっ﹂
﹁いい加減にせよ!﹂
じろり、とルーカスを睨みつけ戯言を吐く口を閉ざさせる。
﹁貴様はどこまで儂を侮辱すれば気が済む? 本来、王命に譲歩な
どある筈はない。その我侭を叶えさせておいて﹃初めからエレーナ
以外は娶るつもりはない﹄? 王を謀ったというのか、お前は﹂
﹁謀ったなど!﹂
﹁では姫の冷遇はどういうつもりだ?⋮⋮いや、冷遇などという言
い方では生温い扱いか。王族の姫に囚人より酷い扱いをするのが貴
様の責任とやらか!﹂
﹁私は侍女達のした事に関与しておりません! 騎士達とて後宮の
警備は﹂
﹁愚か者が! こちらが後宮に関与できない以上、管理と責任はお
前に付随するものだろう!? それにな、ルーカス⋮⋮護衛の騎士
が王太子妃に付かないなどありえぬのだ。その権限を持つお前が命
じぬ限りな!﹂
﹁ルーカス様。我々にも御説明願えますでしょうか? 何故、王太
子妃様の予算が使われているにも関わらず王太子妃様の持ち物が増
えていないのでしょう?﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
﹁書類には貴方様の承認印がございます。記された職人に尋ねたと
ころ寵姫様以外にお会いしていないと申しておりました。これは国
の財を横領された、ということでしょうか?﹂
﹁これでも無関係だと言うつもりか、ルーカス? ばれなければ良
982
いとでも思っていたか!﹂
言い訳を全て潰され︱︱否、元からそんな言い訳など許される筈
も無い︱︱青褪めて唇を噛むルーカスの姿に責任を取るつもりなど
なかったのだと誰もが悟る。
寵姫優位であろうとも最低限の責任を果たしていればここまで酷
い扱いはされなかった筈だ。王太子妃の冷遇にはルーカス自身の愚
かさが直結しているのだから。
侍女や騎士達に﹃王太子妃は邪魔者﹄という態度を見せれば気に
入られようと動く愚か者が出るだろう。
それらの行動に処罰を与えなければ﹃後宮に限り許される﹄と思
い込んでも無理はない。
ただでさえキヴェラ優位の意識が根付いているのだ、ルーカスの
態度は騎士や侍女の職務怠慢に拍車をかけたに違いない。
そしてルーカス自身は己の行動が齎す影響や結果を何一つ予想し
ていなかったのだろう。
何の言い訳もせずただ謝罪するようならまだ救いはあったのだが
⋮⋮期待するだけ無駄だったか。
﹁ルーカス。お前は私の子だからこそ王太子という立場にあっただ
けであり、優秀さを認められたわけではないのです﹂
不意に響いた優しげな声は必死に涙を耐えているのか少し震えて
いる。
﹁お前はいつも﹃古き伝統が全てではない﹄と言ってエレーナ殿と
婚姻できぬことを嘆いていましたが、お前こそその伝統ゆえに王太
子でいられたのですよ。⋮⋮どれほど愚かであっても﹂
﹁は⋮⋮母上?﹂
983
隣に控えていた王妃が震える指先でドレスを握り締めている。
彼女とて責任追及を免れはしないが、それ以上に息子の愚行が情
けないのだろう。
﹁後宮では女同士寵を競う事など珍しくもありません。エレーナ殿
はその範疇⋮⋮いえ、随分と大人しい。彼女自身は裁くことなどで
きぬほど姫には何もしていません。持ち物を取り上げた事は咎めら
れるやも知れませんが、それが嫌がらせの回避に繋がった事も事実﹂
﹁母、上﹂
﹁ですが﹂
しっかりとルーカスと視線を合わせ。
その優しさに縋ろうとする息子を王妃として断罪する。
﹁お前の愚かさ故にそうもいかなくなりました。取調べを受けてい
る侍女達の多くが﹃ルーカス様の為﹄﹃エレーナ様の為﹄と口にし
ているのを知っていますか? 無関係というわけにはいかないので
すよ﹂
﹁侍女達は勝手にやったことでしょう!?﹂
﹁それでも。配下が成した事ならば主が責任を取らねばなりません。
寵姫であるエレーナ殿には何の権限も無い事は誰もが知っています
⋮⋮巻き込んだのはお前なのですよ﹂
事実だ。寵姫には何の権限も無い。精々、ご機嫌取りをして王太
子に口利きでもしてもらう程度だろう。
浪費癖にしてもルーカスが諌めるべき事なのだ。それが﹃当たり
前の事﹄なのだから。
﹁女同士の争いなど後宮では当たり前の事でしょう!?﹂
﹁王太子妃として相応しい扱いを受けていれば﹃後宮内での女同士
984
の争い﹄だったでしょう。いいですか、相応しい扱いを受けている
ことが前提なのです! それすら無くあのような扱いをするなど⋮
⋮誰が見ても邪魔な王太子妃を苛め殺そうとしたようにしか思えま
せん﹂
しかも王太子であるお前が主導となって。
そう付け加えて口を閉ざした王妃に労わりの視線を向けるも首を
振って不要だと返される。
ルーカスとしては﹃後宮内での女同士の争い﹄で片付けるつもり
だったのだろう。実際には寵など競ってはいなかっただろうが。
だが、事実がそれを許さない。
小国とは言え王族の姫、しかも我が国の王太子妃にあのような扱
いをしておいて無関係は通るまい。
誰もが沈黙する中、不意に王妃が立ち上がり跪く。
その手に王妃の証である指輪を乗せ、恭しく差し出した。
﹁陛下。此度のこと、このような愚か者を生んだ私にも責がござい
ます。その責を果たすべく私は王妃の座を退きましょう﹂
﹁母上!?﹂
﹁私が正妃でなければルーカスは王太子にならなかったでしょう。
王の器ではございません﹂
母親の口からはっきりと﹃王の器ではない﹄と言い切られ、ルー
カスは呆然とする。
視線を王妃に向けるとしっかりと見つめ返してきた。⋮⋮何故、
彼女の聡明さが受け継がれなかったのか。
﹁私とてかつては後宮でソフィア様やエリーゼ様と陛下の寵を競っ
た事がございます。その姿がルーカスには﹃当たり前の事﹄だと映
985
ったのでしょう。セレスティナ姫にした事を反省できぬほど﹂
﹁そのような事はございません!﹂
﹁そうです! 私達の誰より控えめだったではありませんか!﹂
王妃の傍に控えていた側室二人が涙を溜めながらも否定する。
王妃の座を退く事を伝えてあったのだろうが、彼女が己を卑下す
る事までは納得していないようだ。
過去に寵を競おうともそれ以上に共に国を支えた事が彼女達を良
き友人とした。二人の息子達もそんな姿を見て育った所為か国を支
える事を第一に考えている。
ルーカスも昔はそうだった。王太子という重圧に耐え切れず逃げ
るようになる前は。
そして一度逃げれば後は甘い言葉と温い道に逃げる事だけを考え
る。ルーカス本人の弱さ故に。
﹁私が退いた後はお二人のうちどちらかを正妃に据えてくださいま
せ。必ずや陛下の支えとなり尽くしてくださる方達です。それは陛
下御自身が御存知の筈﹂
﹁そうだな、二人ともよくやってくれている﹂
﹁はい。私も心安らかに罰を受ける事ができます﹂
穏やかに微笑む王妃は一度振り返り二人に笑みを向けた。だが二
人は顔を見合わせ頷き合うと王妃と同じように跪き頭を垂れる。
﹁陛下。我らこそ王妃の器ではございません。相応しいのは何方か
陛下御自身が御存知の筈﹂
﹁我等が代わりに罰を受けます。どうぞ得難い王妃を手放すような
真似はなさらないで下さいませ﹂
﹁⋮⋮そうか、お前達はそう思うのか﹂
﹁﹁はい!﹂﹂
986
王妃の行動も正しいだろう。彼女のみ何の咎も無しというわけに
もいくまい。
だからこそ、儂が手を下す前に自ら責任を取り王妃の座を退くと
いう。⋮⋮王の手を煩わせぬ為に。
だが、側室達の言う事も正しいのだ。彼女達は自分達が責任を肩
代わりすることで王妃と国を守ろうとしている。
そんな様を見せ付けられて何も思わぬほど愚かではない。
﹁ルーカス。お前は王太子妃を連れ戻せ。取調べが済み次第、追っ
手として後宮の警備に当っていた者達を使うがよかろう。王太子妃
の顔を知るお前達にしかできぬことだ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁ああ、連れ戻すにしても無理矢理ではなく誠意を持って帰って貰
うのだぞ? 全ての非は貴様にあるのだからな﹂
﹁判っております﹂
﹁では、行け﹂
一礼し退室しようとするルーカスの背に声をかける。
﹁お前には共に苦労してくれるような臣下は、友は居るか?﹂
﹁⋮⋮﹂
何も言わずに出て行くルーカスを何の感情も無く見つめる。
王妃達の姿に思うものはあったのだろうか。それともただ王太子
でなくなるという恐怖があるだけなのか。
﹁陛下⋮⋮﹂
﹁お前達も退室せよ。儂はお前達が失われる事は望んではおらぬ﹂
﹁ですが!﹂
987
﹁それを決めるのは民ではないか? ルーカスに猶予は与えた。全
てはそれからだ﹂
﹁⋮⋮はい。失礼いたします﹂
納得できなくとも王の言葉が絶対だ。王妃達は互いに支え合うよ
うにして退室していく。
その姿に彼女達とその息子達がいれば次代は保たれるだろうと確
信する。
これから国が揺らごうとも。
﹁宜しかったのですか?﹂
控えめに尋ねてくる宰相はルーカスへの責任追及が軽過ぎると感
じているのだろう。
それは側近達も同じだ。だが、王の采配に軽々しく口を挟もうと
はしない。
﹁儂は⋮⋮﹃許す﹄とも﹃無かった事にする﹄とも言ってはおらん
ぞ?﹂
﹁では、どのように?﹂
﹁今回の事に関わった騎士達は処罰しようにも家が煩かろう?﹂
﹁はい。近衛であることが災いし、また実家が商人達とも繋がりが
ある為に強く抗議されれば内部分裂を招きかねません﹂
ルーカスの後宮には側近になるような家柄、もしくはその価値の
ある家の者が集められていた。
王になる以上は彼等の家への繋がりは心強いものとなるからだ。
988
ただしルーカス本人が彼等の思惑に取り込まれること無く、忠誠を
受けた場合に限りだが。
周囲の者達が自らルーカスに従うならば己の実家の権力を主の為
に使うだろう。
だが、ルーカス本人が利用される側になると話は違ってくる。利
用される自覚があるならともかく、耳に優しい事ばかりを囁き続け
る彼等を信頼してしまえば傀儡と化すだろう。
今回はルーカスのみが断罪されるのではなく、家にも被害がくる
可能性があるのだから彼等も必死だ。
忠誠心ではなく自己保身や身内贔屓からの行動とは何とも情けな
い。
﹁追っ手として姫を連れ戻せば恩情を与える。そのまま逃亡するな
らば家ごと潰せ、王命を無視したのだからな﹂
﹁連れ戻した際の恩情とは?﹂
﹁本来ならば処刑が妥当だが終身刑に減刑し実家にまで罰は及ばせ
ん。ただし、今後は少しずつ中枢から遠ざかってもらうがな﹂
王の信頼は潰えるということだ。徐々に遠ざけてしまえば今回の
事もあり次代以降に取り入る事もできまい。
生粋のキヴェラ人が中央を追われるなど屈辱以外の何者でも無い
だろうが。
﹁誓約に関わった宮廷魔術師からは何と?﹂
﹁誓約は解けていないそうです﹂
﹁誓約書は?﹂
﹁結界も解除されていないと。ですが、結界を張った魔術師に連絡
がつかず未だ解除できていないようです﹂
誓約書の保管庫の結界が解けないという事に不安を感じるが、そ
989
れでも誓約そのものが解除されていないならば問題は無い。
重要なのは﹃それが有効である事﹄なのだから。
﹁ルーカスには姫がコルベラに戻り次第謝罪に行かせる。﹃キヴェ
ラ第二位の王太子﹄が﹃直々に赴き頭を下げる﹄のだ、これ以上な
い誠意だろう。﹃姫は王太子に逆らえない﹄しな?﹂
その言葉に側近達も言わんとしている事が理解できたようだ。
﹁その為にルーカス様を王太子のままにしておくのですね?﹂
﹁そうだ。もはやルーカスには期待しておらん。だが、﹃キヴェラ
が誠意を見せる﹄という事に関しては有効な駒だ﹂
﹁確かに誓約に縛られている姫ならばルーカス様に逆らいますまい。
当事者達が公の場で和解してしまえば他国にどれほど今回の事が騒
がれようと口を挟めませんからな﹂
﹁⋮⋮初めから連れ戻せると判っているからこそ、あれほど簡単に
済ませたのですか﹂
﹁それ以外に何がある? あれには何を言っても無駄だ﹂
切り捨てる発言にも側近達の非難は無い。寧ろ安堵の方が強かっ
た。
幾らこちらが全面的に悪かろうが大国の王が小国に頭を下げるな
ど出来る筈も無い。
ならば責任を取らせる意味でもルーカスに行かせるのが最適だ。
民も納得するだろう。
誓約を逆手に取って身分の保証など要求されても困るのでルーカ
スには伝えなかったが。
その後は王太子どころか王籍さえ剥奪するつもりだ。あれを王族
990
にしておくのは危険過ぎる。
かつてと同じ様に﹃責任を感じ身分を捨てた﹄とでも民に噂を流
せばいい。あの寵姫をつけてやれば幽閉だろうと文句は言うまい。
⋮⋮それほどの愛ならば何故身分を捨てなかったのかと思わない
でも無いが。
﹁ところで。砦を落とした﹃復讐者達﹄についての手掛りはあった
か?﹂
溜息を吐き思考を別件へと切り替えた儂に側近達も一様に表情を
変える。
対処法がある王太子妃の逃亡よりも余程厄介な⋮⋮敵。
数名で砦を落とし、しかも率いていたのは魔導師の可能性がある
という。
﹁いいえ。砦の警備兵達の証言により率いていたのは﹃銀髪に緑の
目をした女のような外見の男﹄だということのみです﹂
﹁それ以外に情報は?﹂
﹁ございません。ですが﹃退屈﹄だと口にしていたらしいので我々
の準備が整うのを待っている可能性もあります﹂
わざわざ待つだと?
それは自信の現れなのか、それともこちらの自信を砕きたいだけ
なのか。
どちらにしろ姿の判らぬ敵に警戒は必要だろう。
﹁では警戒を続けよ。それから他国からの干渉にも気をつけろ。此
度の騒動に便乗し仕掛けてくるやもしれん﹂
﹁御意に﹂
991
深々と一礼する宰相を見ながら未だ見えぬ敵に思いを馳せる。
老いた身に湧き上がる高揚感はかつて戦場に赴いた時にも感じた
ものだ。
奪ってきたからこそ、奪われるか。
だが容易くキヴェラは落ちんぞ、復讐者達よ。
侮る事無く相手をしてやろう。それも一興。
薄っすらと笑みを浮かべ胸の内で呟くとルーカスの今後を后達に
告げるべく謁見の間を後にした。
992
罪と罰と罪人と︵後書き︶
キヴェラではシリアス展開中。現状を考えるとそれが普通。
主人公サイドとは凄まじい温度差があります。
主人公が色々やってる所為でコメディ方向になってますが、状況だ
け見れば苦難に立ち向かっている⋮⋮筈。
993
お迎え=強制連行
さて、ルドルフ達の誤解も解けた。
という訳で!
一月ぶりにイルフェナに帰ります!
魔王様の説教あるだろうけど。
アル達に無駄に引っ付かれそうだけど。
まあ、今回ばかりは心配させた自覚があるので大人しくしていよ
う。
だって、やっちゃったものは取り消せませんからね!
砦イベントを筆頭に商人さん達が涙ながらの報告をしてると思い
ます。
さすがの狸様も絶句しているだろうと推測。
と言ってもセシル達は物凄く面白がっていたのですが。
レックバリ侯爵⋮⋮貴方のセシル像は一体幾つで止まっているん
だ?
一年でここまで逞しくなったとは思えないぞ?
その点に関して﹃私の悪影響﹄で済ますのはやめてくれ。私は無
実だ。
﹁じゃあ、帰るね。セシル達の武器ありがと﹂
﹁おう、気にするな。一般的なものだからゼブレストが関与を疑わ
れる事も無い筈だ﹂
﹁それを徹底的に強化したから伝説の武器くらいにはなってるかも﹂
﹁はは、﹃絶対に折れない・切れ味が落ちない﹄だったか?﹂
994
﹁うん。折れても新しい武器を入手できるか判らないしね﹂
セシル達の武器は私によって魔改造が施されている。
セシルの剣は強度や切れ味を上げてあるし、エマの短剣も同様。
足止めする程度の怪我なら外交問題になることもないだろう。自
己防衛の為であることに加え、セシルは王族なので向かってきた相
手の方が不敬罪でヤバい。
エマはナイフ投げもするみたいなので私の魔血石付きのナイフも
数本作って渡してみた。
大型の魔物とかにはこのナイフを起点に魔法を展開するという攻
撃方法がとれます。かなり小さい魔血石だしナイフにも強度が無い
ので完全に使い捨てになるけど、備えあれば憂いなし。
余談だが私はナイフ投げができない。ダーツ程度ならまだしもナ
イフになると無理だった。思い通りに飛ばないし上手く刺さらない
よ、あれ。
現実は甘くないですね、もう魔法一本で行こうと思います。
﹁ミヅキ様! これをお持ちください﹂
若干遠い目になった私にリュカが短剣を差し出してくる。
﹁ごめん、私、武器使えない﹂
﹁いえ、お持ちくださるだけでいいんです! 何かの時に役に立て
ば﹂
はて、一体どういうことだろう?
訝しむ私にリュカはやや伏目がちに告げる。
﹁これは俺の父親の形見なんです。十年前、親父は志願兵として戦
に参加し亡くなりました﹂
995
﹁形見なら持っていた方がいいんじゃない?﹂
﹁⋮⋮親父はルドルフ様の代になれば必ずゼブレストが持ち直すと
信じていたんです。﹁あの方が居るならこの国は守る価値がある﹂
と。今だからこそ俺はそれが正しかったと思います﹂
なるほど。
ルドルフは幼い頃から愚かな父親に見切りをつけ色々とやってき
たと聞いている。
先代は全く期待されていなかったが、ルドルフは国の未来を託せ
るほどに信頼を得ていたのか。
それがリュカが騎士に拘った理由だろう。
騎士という職業に憧れたのではなく、父親の想いを継ぎルドルフ
を守る側になることが望みだったのか。
﹁俺はミヅキ様に騎士となる切っ掛けを与えて貰いました。今、俺
の忠誠はルドルフ様に捧げられています。ですが、ミヅキ様もルド
ルフ様に準じて尊敬しております。お仕え出来ない分、どうぞこれ
をお持ちください﹂
﹁いいの?﹂
﹁はい! 何かの助けになれば本望です。親父も貴女様の役に立て
るならば喜ぶでしょう﹂
短剣は柄の部分にゼブレスト王家の紋章が浮き彫りにされていた。
恐らくは志願兵達に配られた支給品だったのだろう。それが遺品
としてリュカの手に残ったのか。 ﹁ありがと。じゃあ、遠慮なく。代わりにこれ持ってなさい﹂
短剣を受け取ると代わりに万能結界付加のペンダントを渡す。
本来はセシル達が﹃何も出来ないお姫様と侍女﹄だった場合に渡
996
す筈だった物だ。今は彼女達が守られるだけではないと知っている
のでヴァルハラの腕輪を渡してある。
魔術の複数付加を施したアイテムは信頼できる相手にしか渡さな
いようにしているが、二人ならば大丈夫だろう。
⋮⋮戦闘になったら私以上に突撃しそうな性格をしているんだも
ん。最初から装備を整えておきますよ。
性能の素晴らしさ以上に﹃ミヅキと御揃いか!﹄とはしゃいでい
たので単なる友情アイテム扱いかもしれないが。
ルドルフや魔王様達も持っているので﹃異世界人製・信頼の証﹄
とでも思っておくれ。私の愛情は効果付き。
﹁ペンダント、ですか?﹂
﹁服の下に付けてなさい。それ、万能結界を組み込んであるから。
シンプルだから問題ないでしょ﹂
﹁ちょ、ミヅキ様!? それ、物凄く高価な魔道具じゃないですか﹂
慌てるリュカに笑って先程の彼と似たような言葉を返す。
﹁私は常にルドルフの傍に居るわけじゃない。私の代わりにルドル
フを守りなさい。必要ならば盾となれ﹂
﹁⋮⋮っ! ⋮⋮はい! はい、必ずや盾となり御守りいたします
!﹂
自分勝手な事を言っているがリュカにとっては最上級の信頼を見
せた形になる。
それが伝わったのかリュカは感極まるとばかりに跪き頭を垂れた。
ルドルフの敵は未だ多い。だが、リュカなら期待通りの働きをす
るだろう。
何せリュカの忠誠は﹃ゼブレスト王﹄ではなく、﹃ルドルフ﹄と
いう個人に捧げられているのだから。
997
貴族の柵の無いリュカはルドルフにとっても有効且つ信頼できる
駒だろう。本人も駒となる事を当然と考える性格をしている。
﹃敵を倒す事﹄は身分的な問題もあり近衛などの仕事だろうが﹃
盾となる者﹄は多い方がいい。
﹁一応こちらでもキヴェラの動向には気を配っておく。ただ、追っ
手に関しては何も出来ないが⋮⋮﹂
﹁大丈夫。保護者の目が無いからって羽目を外し過ぎたりしないか
ら﹂
﹁うん、お前はそういう奴だよな。もう少し悲壮感とか緊迫感はな
いのか?﹂
﹁無い。弄ぶ未来にわくわくが止まりませんね!﹂
﹁ああ、うん⋮⋮とりあえず死なない程度に頑張れ﹂
﹁勿論! どっちかといえばイルフェナでの説教が怖い﹂
﹁よく判った! 納得した!﹂
ルドルフだけでなく宰相様まで深く頷き納得している。そうか、
同意するのかい。
⋮⋮魔王様、貴方は一体外交で何をやってらっしゃるのですか?
いえ、間違いなく報告後は説教ですけどね!?
﹁では、そろそろ行こうか。セシルにエマ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮。二人とも? カエルと戯れるのは今度にしなさい﹂
﹁む? わかった﹂
﹁残念ですわ﹂
タマちゃん他カエル達と戯れているのは実に微笑ましいのですが。
君達、本っ当∼に危機感ねえな? やっぱり一年間ストレス溜ま
998
りまくってたのか!?
キヴェラを出てから晴れ晴れとした表情なのは気の所為じゃなか
ったようです。
追っ手と交戦する可能性を話しつつ武器を渡した際、妙に目が輝
いていたので二人とも殺る気なのだろうか。
﹁随分と懐かれていますね。確かに彼女達はカエル達を嫌悪しない
のですが﹂
﹃八つ当たりとストレス解消を兼ねて交戦上等﹄という可能性を
考えていた私に二人の様子を眺めていたセイルが微妙な表情で言う。
⋮⋮うん、言いたい事は判る。誰もが口に出さないだけだよね。
姫様方よ⋮⋮君達、カエルを食料扱いしてなかった? 祖国に戻ってからの食糧事情は大丈夫ですか?
※※※※※※※※※
で。
﹁お帰り、ミヅキ﹂
転移法陣を抜けた先には笑みを湛えた魔王様。
お迎えに来るなんて聞いてませんよ。いえ、城のすぐ近くなんで
すけどね?
ル∼ド∼ル∼フ∼? 魔王様に直接連絡入れやがったな、何を言
った!?
999
﹁じゃ、行こうか。とても心配だったから早く話が聞きたくてね﹂
⋮⋮。
なるほど、それほど心配させたわけですね。
﹃さっさと行くぞ、この問題児。問題行動が多過ぎて生きた心地
がしなかったと商人達から聞いている。やらかした事を洗い浚い吐
け﹄︵意訳︶
本音はこんな感じでしょうか、魔王様。
笑顔が何だか怖いです。
﹁随分心配されているな。すまない、我々の為に﹂
﹁とても危険ですもの。本来ならば反対するのが当然ですわ﹂
セシル、エマ。
方向性は間違ってないけど、そんなに一般的な感覚の持ち主なら
﹃魔王﹄なんて呼ばれない。
﹁ミヅキ?﹂
﹁⋮⋮帰って来れたという実感が湧きまして﹂
﹁そう﹂
色々な意味でな。
ところで魔王様。小さな子にするみたく手を引くのは逃げないよ
うにする為ですよね?
⋮⋮。
親猫様ぁぁぁっ! 少しはアホな子猫を見逃してくださいぃぃぃ
っ!
品がよく、おりこうな血統書付きではなく本能で生きる雑種です。
1000
感情で生きる珍獣なんです!
﹁ああ、二人はレックバリ侯爵の所へ行ってあげてくれ。随分と心
配していたから﹂
フォロー要員まで遠ざけられたー!!
せ⋮⋮先生に期待しよう。あの人も今回は共犯だ。
そんなわけで現在、騎士寮の食堂です。
ここに居る人達は事情を知っているということだろう。白黒騎士
は全員居るみたいですが。
王族である魔王様が居るので仕事扱いです。サボリに非ず。
﹁で。随分と色々やったみたいだね?﹂
﹁えー、向こうが冗談みたいな状況でして。多分、王太子とその後
宮に働く連中のみですが﹂
﹁ほう﹂
うん、それ以外言えませんねー。誰だって信じないよ、あの後宮
の実態。
さすがに王太子が残念な奴だとは知っていたみたいだけど、予想
の斜め上を行く事実に誰もが言葉も無い。
ちなみに人数分コピーされた報告書が全員の手元にある。全部読
んでも俄かには信じられないだろうな、あれは。
⋮⋮ああ、やっぱり皆微妙な表情になっている。エリート騎士だ
もんね、君達。
1001
﹁キヴェラ王は何をやっていたんだろうね﹂
﹁あ、国の上層部はまともっぽかったです。単にこれまでの伝統と
か今後継承権争いが起こる事を想定して動けなかっただけかと﹂
﹁弟二人はまともな筈だけど﹂
﹁いえ、次の代だけじゃなくて今後。あと、王太子を﹃一途な王子
様﹄に仕立て上げているから民からの反発も予想されます﹂
﹁なるほど。誰もが納得する廃嫡の決定打が無かったわけか﹂
さすが王族、一応そこら辺に理解はあるらしい。
尤もイルフェナではそんな真似が許されないので自害か廃嫡・幽
閉させられそうだ。
公爵家以上に王族の責任は重いだろう。
﹁よく神殿へ侵入できたね?﹂
﹁警備兵が居ませんでした。横領の証拠を見るかぎり警備費をケチ
ってたみたいです﹂
﹁後宮へは⋮⋮﹂
﹁侍女の案内で普通に抜け道から入れました。姫が与えられてた部
屋って物置に見せかけた隠し通路の入り口だったみたいです。家具
が殆ど無いのも入り口発見に繋がったと思います﹂
﹁じゃあ、冷遇の証拠入手はどうやった?﹂
﹁侍女服着て顔が正しく判別できなくなる魔道具装備したら普通に
仕事に混じれました﹂
﹁民へは証拠映像を流しただけかい?﹂
﹁噂話に混じりつつ、王太子黒幕説を流して批難を王太子に向くよ
うに情報操作しましたが﹂
﹁⋮⋮﹂
イルフェナではありえない実態の数々に魔王様は頭を抱え沈黙し
1002
た。
﹃いや、ちょっと待って、それありえないから! つか、おかし
くね!?﹄という感じでしょうか。 気持ちは判りますよー、魔王様。誰もが通る道ですからね、それ。
イルフェナでやらかしてもキヴェラと同じ事態にはならないだろう。
﹁ミヅキ、貴女の事をキヴェラが問い合わせてきたのですが﹂
﹁ああ、それ。逃亡した姫を探して騎士達がうろついてたから﹃王
太子妃の予算の横領の可能性﹄を教えてあげたの。上層部が王太子
妃への異様な冷遇に気付かない可能性ってそれしかないでしょ﹂
﹁なるほど。一般人はそんな考えを持ちませんからね。で、目的は
?﹂
﹁迂闊に指摘する私を﹃未熟な魔術師﹄と印象付ける為、問い合わ
せさせて確実に疑いの目を逸らす為、そして周囲の人達に﹃諸悪の
根源は王太子﹄と認識させつつ噂を更に広める為かな﹂
アルの質問にも淀み無く答えますよ。全部計算してやってました
からね!
﹁で、お前はそれを何処でやった?﹂
﹁人の多い酒場。情報収集してる人達が沢山居たからよく広まった
と思うよ?﹂
にやり、と笑ってクラウスの問いに答えるとアル共々苦笑した。
どうやら﹃問い合わせ﹄が来た時点で何か派手な事をしたと思って
いたらしい。
ああ、ついでだからこれについて聞いておこう。
﹁クラウス。この﹃誓約﹄って解除したら術者にバレたりする?﹂
1003
ぴら、と差し出すのはセシルと王太子の婚姻の誓約書。セシルの
名前は抜いたけど紙には未だ魔力が篭っている。
クラウスは受け取ると暫し内容を確認し⋮⋮何故か顔を顰めた。
﹁おい、これ変だぞ。姫の名前が無い﹂
﹁あ、セシルの名前は抜いちゃった。誓約に縛られちゃうんでしょ
?﹂
﹁はぁ!?﹂
さらっと言ったらクラウスだけではなく黒騎士全員が驚愕の表情
になった。
あれ? 何かマズイことでも?
﹁抜いた、だと⋮⋮? どうやって?﹂
﹁え、転移の応用でサインを他の紙に移した。文字じゃなくインク
と捉えれば可能でしょ?﹂
﹁⋮⋮。普通は無理だ﹂
﹁え、そうなの!?﹂
意外な事実判明です。悪戯の技術が黒騎士にもできないとな!?
﹁いいか、こういった魔術が掛けられている物は重要なものばかり
だ﹂
﹁うん、それは聞いた﹂
﹁だからこそ﹃簡単に解けるようにはできていない﹄。いや、﹃解
呪せずに無力化する術が無い﹄んだ。解けば術者には判るようにな
っている﹂
おお! 言われてみれば確かに! あったら困るな、そりゃ。
ぽん、と手を打って納得すればクラウスは深々と溜息を吐いた。
1004
でも手は誓約書をしっかり握っています。お前達の玩具じゃない
からな、それ。
﹁私の世界だと不可能とは言い切れないから気付かなかった! そ
れ、ゼブレストで悪戯の為に開発したんだよ﹂
﹁悪戯⋮⋮﹂
﹁うん。偽物の手紙製作に使った。そっか、誓約そのものを解除す
るわけじゃないから﹃術はそのまま、名前が消えた人だけ誓約から
免れる﹄って状態なんだ﹂
随分と器用なことをやらかしていたみたいです。
重要だったんだ⋮⋮サイン消した、くらいにしか思わんかったぞ。
﹁ちなみに誓約のやり方って?﹂
﹁基本的には﹃行動の制限﹄の魔術に条件を組み込む。その段階で
対象者の血を一滴認識させる。これで個人が特定される﹂
DNA判定みたいなものだろうか。よく判らんが。
でも確かにこれなら偽造は出来ないね。
﹁次にその魔術を紙に定着させる。これで誓約書の完成だ。後は認
識させた人物に承諾のサインをさせればいい﹂
﹁紙に魔力があるんじゃなくて紙に魔術を定着させてたのか。それ
は承諾のサインがあって初めて完成?﹂
﹁ああ。二度手間だが確実に本人を特定する為には仕方ない。別人
がサインすれば拒否されるからな﹂
あれですか、婚姻拒否の家出でもされて本人が居ない時の替え玉
阻止か。
確かに誓約は﹃絶対に逃げられない状況のみ﹄使われるものみた
1005
いに聞いたけど。
ここまでされると逃げられんよなぁ、普通。セシルが助けを求め
たのも理解できるぞ。
﹁マジで呪いじゃん⋮⋮解呪するしか破棄できないでしょ、それ﹂
﹁そういうことだ。おそらく宮廷魔術師が関わっているだろうから
誓約は解けていないと思われているだろう﹂
ほほう、良い事聞いた。つまりこのまま持っていれば誓約書が見
付からなくても誓約の効果ありと思ってくれるわけか。
つまり﹃一度は完成してるから術はそのまま続行・セシルは誓約
から除外された状態﹄ってことですね。
よっしゃ! あいつはコルベラに姫が現れるまで絶対に王太子の
ままだ!
誓約がそのままな以上、有効な駒をキヴェラ上層部が手放すとは
思えん。元凶という事も含めパシリに使われるぞ、絶対。
寧ろそれしか使い道が無ぇ! もうセシルに対して効果が無い事を知っているだけに大笑いな展
開ですね⋮⋮!
﹁お前が規格外だとは思っていたが、技術だけでなく発想も非常識
だな﹂
深々と溜息を吐くクラウスに黒騎士達は深く同意する。
褒めてるのか貶してるのか判らないぞ、職人ども。
⋮⋮だから誓約書を手放せ、懐に仕舞おうとするな、帰ってから
なら幾らでも実演してやるから!
1006
﹁しかし、妙ですね。国が揺らいでいるからといってキヴェラ王に
しては動くのが遅過ぎます﹂
﹁追っ手のこと?﹂
﹁ええ。旅人全てを拘束する事はしないでしょうが、騒動の犯人を
容易く逃すとは思えません。他国に要請も出ていないとは﹂
﹁砦を落とされた事実がバレることを警戒してるからだと思うよ?﹂
﹁⋮⋮え?﹂
難しい顔をしていたアルは一瞬呆けたような表情になり。
﹁うわ!?﹂
即座に私を捕らえて自分の膝の上に確保した。隣に居たからって
素早過ぎだぞ、アル。
背凭れの無い簡易の椅子なので猫を抱き抱える如く、ひょいっと
いきました。
一気に拘束モードです。⋮⋮覚悟してたけどね、うん。
﹁ミヅキ、素直に答えてくださいね? 何が、あったのですって?﹂
﹁ゼブレスト国境付近の砦が数人の復讐者によって落ちた﹂
﹁⋮⋮で。事実はどういったものでしょう?﹂
信じてねぇな! 当たり前だけど。
若干引き攣った笑みが怖いですよ、アル。
何時の間にか魔王様や騎士達も無言でこちらをガン見してるし。
﹁えーと⋮⋮先生との共同作戦で追っ手の質と数を落とす為に﹂
﹁落とす為に?﹂
﹁キヴェラへの復讐者を装って砦を無力化してみました。重傷者・
死者共に無し、しかも今後他の砦を狙う事を仄めかしてあるから国
1007
の上層部が対応に追われていると思われます﹂
ね、と傍に控えていた先生に視線を向ければ﹃うむ! よくやっ
た!﹄とばかりに頷き親指を立てる。
師弟の共同作戦ですよ。罠を追加するって事前に言ってたじゃな
いか。
﹁ちなみに通称・砦イベント。証拠映像を見た姫達にも大受けしま
した﹂
﹁砦⋮⋮いべんと?﹂
﹁映像編集技術に感激される娯楽です。楽しく砦を無力化﹂
﹃娯楽って何!? 砦陥落は娯楽じゃねぇっ!!﹄
絶句した皆︵一部除く︶の心の声がハモった気がします。でも私
がやったのは﹃裏方﹄﹃演出﹄﹃役者﹄なので娯楽で間違ってませ
ん。それに砦の兵士の皆さんも役者さんですが、何か?
まあ、見て貰った方が早いので冷遇の証拠映像から一通り流して
みるか。
パンフレット
﹁では、キヴェラで起きたセレスティナ姫への冷遇の実態から砦イ
ベントまでを御覧下さい。詳しくはお手元の解説書に明記されてい
ます。質問は終了後にどうぞ﹂
言葉と共に固まったアルの腕から脱け出し魔道具その他を準備す
る。
この食堂、寮に生活するのが白黒騎士だけなのでちょっとした説
明会にも使われるのだ。つまり大型スクリーンもどきがあったりす
る。
若干透けていようが大画面って良いですね! 迫力が違いますよ!
1008
⋮⋮そんなわけで一通り妙なタイトル付きの証拠映像を見た皆様
は。
ある者は絶句し、ある者は頭を抱え、ある者は遠い目となり。
さらに約一名は﹃でかした! それでこそ私の弟子だ!﹄と大絶
賛。期待に応えられて何よりです、先生。
気持ち的には大真面目に復讐者対策をしているだろうキヴェラの
上層部を﹃あっさり引っ掛かってやがる! ざまあっ!﹄と嘲笑い
たい心境ですね!
﹁⋮⋮ゴードン? 君は知っていたのかい?﹂
﹁ええ。ミヅキも﹃罠を追加する﹄と言っていたではありませんか﹂
﹁だからって⋮⋮だからってねぇ⋮⋮! 止めなさい、幾ら何でも﹂
﹁死者も重傷者も居ませんよ、魔王様ー。目が覚めるまで一日放置
されてただろうから風邪くらいひいてるかもしれませんが﹂
﹁兵士なのだからそんな軟弱者などいないだろう。気にせんでいい
と思うぞ?﹂
﹁なら弄んだだけですね。問題無しです、先生﹂
﹁うむ!﹂
﹁いや、大有りでしょう!?﹂
﹁お前、出かける前に楽しそうに計画してたのはこれなのか!?﹂
﹁うん﹂
﹁﹁お前は一体何しに行ったんだよ!?﹂﹂
煩いぞ、騎士s。絶句から復活したら即突っ込みかい。
魔王様もいつもの天使の笑みを忘れて焦り・呆れ・脱力と大変忙
しそうですね。
やだなぁ、理由はちゃんと説明してあるじゃないですか⋮⋮個人
的な感情が多分に含まれてますが。
1009
それにしても今回は珍しいもの見たな。後でルドルフに教えてや
ろうっと。
﹁あの手紙が来た時点で諌めておくべきでしたね﹂
﹁諌めたくらいで聞くのか、こいつが﹂
﹁少なくとも我々の心境的にまだ救いはあったかと﹂
﹁ああ、自分に対する言い訳か﹂
アルやクラウスも諦めモードで話している。
二人とも、過去は変わらないんだぞ? 少しは前向きにだなぁ⋮⋮
﹁その原因の君が言うんじゃないっ!﹂
﹁痛っ!?﹂
ぺしっ! と魔王様に問答無用で頭を叩かれ威圧と共にお説教が
開始され。
妙に怖い笑みのアルに逃亡阻止の意味で膝の上に固定され。
クラウスに呆れと諦めと技術に対する期待の篭った視線を向けら
れ。
騎士sや白黒騎士達が頭を抱えていようとも。
私は反省なんて全然、全く、これっぽっちもしていなかった。
目指せ、キヴェラの災厄! 歴史に残る魔導師!
偉大なる魔導師の先輩方、私は遣り遂げてみせますよ!
※※※※※※※※※
1010
︱︱一方その頃、レックバリ侯爵邸では︱︱
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁いや、物凄く見事だったのですよ。ミヅキの手腕は﹂
﹁あれほど簡単に脱出できるとは思ってもみませんでしたわね﹂
騎士寮で繰り広げられる阿鼻叫喚の地獄絵図︱︱心理的なもので
体に被害は無いのだがダメージがでかい︱︱の縮小版ともいうべき
ことが起きていた。
取り乱していないように見えるのは映像を見ている二人が侯爵と
長年付き従った執事という年齢的に枯れた二人だからである。
単に若さが無いだけだ。
﹁な⋮⋮何と大胆な⋮⋮﹂
﹁これは⋮⋮その、予想外といいますか、予想以上と申しますか⋮
⋮﹂
ある程度の事には表情に出す事なく受け流せる二人が絶句。
姫の冷遇やキヴェラの騒動もそれなりに唖然としたが、まさか逃
亡の為と個人的な感情から砦を落とすなど誰が予想するだろう。
発想からして普通ではないと知っていても物には限度というもの
がある。しかも娯楽扱い。
解説書を見る限りその理由というか考えの深さが知れるが、何故
ここまで凝るのだろうか。
普通に考えて﹃娯楽が本命﹄と言われても仕方あるまい。現に姫
達は物凄く楽しげだ。
﹁姫⋮⋮随分と楽しそうですな﹂
1011
呆れと疲れを滲ませつつレックバリ侯爵が言葉をかければ、侍女
と顔を見合わせ楽しげに笑う。
﹁この一年、王族の勤めと割り切っても自分で思っていた以上に辛
かったようだ。今だからこそ思うことだが﹂
﹁私達は報復などするわけには参りません。ですから、ミヅキの起
こす騒動は胸がすく思いなのです。こう言っては何ですが、彼女が
我等の為に怒ってくれた事がとても嬉しいのですわ﹂
﹁そう、か﹂
﹁ああ。個人的な目的の為だけならあれほど派手な事はしないだろ
う。今こうして笑っていられるのもミヅキのお陰だ﹂
王族の姫があのような冷遇をされ続けるなど屈辱以外の何者でも
無い。それはそのままコルベラという国への見下しに繋がるからだ。
気楽に暮らしていたと言っても怒りは募っていたのだろう。そう
侯爵と執事は結論付け、改めて二人の境遇を痛ましく思った。
そのまま国へ戻ればそれらの感情は国へ伝染しただろう。滅亡覚
悟でキヴェラに一矢報いようとするほどコルベラという国は民と王
族の距離が近いのだ。
姫の婚姻も最終的には納得したが、姫本人が説得したに違いない
と思っている。
だが、と侯爵は楽しげな二人を見てその予想を否定する。
今の二人を見る限りその心配は無いだろう。逃亡生活とはいえ﹃
楽しい﹄という感情は事実、しかも既に十分な報復は成されている
のだ。
﹁そういえば⋮⋮ミヅキ様は﹃この世界で傍に居てくれる人以上に
大切なものなんてない﹄と仰っていましたね。もしや姫様方やコル
ベラの民の反応を見越してくださったのでしょうか﹂
﹁確かにその可能性はあるの。やっている事は随分と派手だが、そ
1012
れら全てに納得のできる理由がある。現にキヴェラも未だ身動きが
取れぬようじゃからな﹂
﹁﹃ゼブレストの血塗れ姫﹄と呼ばれるのも親友であるルドルフ王
の策に協力なさった故。あの方は友の為ならば御自分の評価など気
になさらないのでしょう﹂
しみじみと頷き合う侯爵と執事にセシルとエマは首を傾げる。
﹁﹃血塗れ姫﹄? ミヅキが、か?﹂
﹁正直、想像つきませんね。確か砦の兵士も死者や重傷者はいなか
った筈ですが﹂
﹁うむ⋮⋮少々意味が異なるのじゃよ。殺戮を好むのではなく﹃己
が策の果てにどれほど処罰される者がいようとも容赦せぬ﹄という
方針でな﹂
﹁ゼブレストでの粛清騒動に関わっているのです。かなりの数の家
が粛清対象になりましたから﹂
﹁恐らく今回は王太子だけでなく国に責任を取らせるつもりなのじ
ゃろう。殺すだけなら王都で魔法を連発すれば済むからの。その実
力もあるじゃろう、あの娘には﹂
なるほどと納得する二人にミヅキに対する嫌悪や恐怖は感じられ
ない。それだけ立場というものを理解しているのだろう。
尤も今回は﹃責任を取らせる﹄という対象が国である以上、キヴ
ェラにとっては少なくない被害が出るのだが。
溜息一つで言葉を飲み込みレックバリ侯爵はひっそりと目を伏せ
る。
﹁二人とも。⋮⋮ミヅキの良き友であれ。それが唯一にして何より
の礼となろう﹂
1013
︱︱あれでは敵も多かろう。護り手は多い方がいい︱︱
本音を胸の内で呟く侯爵に二人は躊躇わず頷く。
﹁勿論ですわ。私達もそう望むのですから﹂
﹁小国といえども王族だ。ルドルフ王やエルシュオン殿下ほどの力
はなくとも国が関わらぬ限り味方でいよう﹂
そう淀み無く口にする二人に侯爵は笑みを浮かべると、執事に合
図を送りやや冷めた茶を新しいものと取り替えさせた。
﹁そうか。⋮⋮さて、久しぶりに茶を楽しもうではないか﹂
漂う香りはかつて侯爵の友が好んだもの。茶葉はこの一時がこれ
からの逃亡生活の慰めとなってくれればいいと用意されたものだ。
目の前の姫が尊敬を向ける先代コルベラ王もこういった時間を好
んでいたと思い出し、侯爵は暫し過ぎし日に想いを馳せる。
﹁そういえば、まだ言っていなかったな。お久しぶりです、﹃もう
一人の御爺様﹄﹂
﹁御無沙汰しておりますわ、﹃先生﹄﹂
︵この笑顔を守ってやれたのなら、あの娘のやる事全てを支持して
やろう。親猫達が煩そうじゃがな︶
そんな決意は誰にも悟られる事無く。おそらくは説教をされてい
るだろうミヅキを思い、レックバリ侯爵は笑みを深めた。
1014
お迎え=強制連行︵後書き︶
商人達から報告を受けていても映像と本人から聞く悪戯の全貌は威
力絶大。
1015
暫しの休息︵前書き︶
イルフェナでの︵時々黒い︶和やかな時間。
1016
暫しの休息
お説教も無事終わり︱︱と言うか今更過ぎて諦めたという方が正
しい︱︱皆は仕事へと戻って行った。
私はそのまま食堂に残って料理人さん達のお手伝い。
﹃事情は知ってる﹄﹃頑張れよ﹄という言葉を貰ったので、キヴ
ェラは嫌いなのかと聞いたら意外な事実が判明した。料理人さん達
の何人かはキヴェラが滅ぼした国の出身らしい。
何でもイルフェナに隣接していた小国で﹃キヴェラに取り込まれ
るのは御免だ!﹄とばかりに親兄弟と亡命したんだとか。
その時、民を快く受け入れてくれたイルフェナに感謝して城勤め
を目指したらしい。
よく受け入れたな、イルフェナ。戦を仕掛けられた表向きの理由
にされたんじゃなかろうか、それ。本命は港の獲得だろうけど。
他にもキヴェラの支配を嫌って周辺の国へと流れた人達はいたら
しい。
﹁親父達も﹃最後まで残って祖国と共に死ぬ﹄って考えだったんだ
けどな、王様が﹃民が生き続ければ我が国が真の意味で滅ぶ事は無
い﹄って演説したのさ。国に残って生きるか逃げるかは状況次第だ
ったしな﹂
なるほど。
予想でしかないが、亡命があっさり叶ったのもその王様が事前に
話を通してくれていたからじゃないのか。
王に頭を下げられれば断る国は少なかろう。王族を匿えと言って
いるわけじゃないのだし。
しかもキヴェラの狙いは土地。亡命者の割り出しなどの余計な手
1017
間をかけるとは思えない。
﹁それでイルフェナに来たんですね﹂
﹁ああ。ゼブレストは元々戦の多い国だし、イルフェナはキヴェラ
と遣り合えるからな。子供や年寄りを連れた家族はイルフェナに来
た筈だ。⋮⋮勿論、残った奴等もいたんだけどな﹂
確かに一番安定してそうだ。しかもイルフェナって仕掛けられた
ら牙を剥くもの、さぞや盛大にキヴェラの手を噛んだことだろう。
翼の名を持つ騎士達の凶悪さが知られる出来事とかになってそう
ですね。
キヴェラが代々侵略による領地拡大をしてきたなら幾度となくド
ンパチやらかしてそうだ。
﹁だからな、理由はどうであれ俺達は嬢ちゃんを応援してる! さ
っきの説明会、俺達がここに居る事を許されたのは殿下が事情を御
存知だからだ﹂
﹁⋮⋮ああ、﹃絶対何かやらかしてるから聞いておけ﹄って感じで
すか﹂
﹁はは! まあ、そんなとこだ。まさか、キヴェラ相手にあそこま
でやってるとは思わなかったぞ﹂
﹁実はまだ半分なのですが﹂
﹁本当か!? ⋮⋮いやぁ、キヴェラは大変だな!﹂
大変と言いつつも上機嫌で頷く料理人さん、大変素直な方ですね
! しかも野菜の皮を剥きながらする話題じゃないのに誰も咎めま
せん。
これぞこの騎士寮の日常。この人達も武器持って闘えるだろ、絶
対。
1018
﹁ま、死ぬなよ。皆、悲しむからな?﹂
﹁死ぬ気は欠片もありませんよ﹂
﹁いや、嬢ちゃんは報復に熱が入り過ぎて自分を疎かにするタイプ
みたいだからさ?﹂
﹁⋮⋮気をつけます﹂
﹁そうしてくれ﹂
そんな会話をしつつ手伝っていたら料理長さんに携帯できる香辛
料のセットを戴いた。道中使えということらしい。
何やらご褒美を戴いてしまった模様。具体的な事は言わずに﹃旅
でも美味い物食わせてやれ﹄と言うあたり国への配慮を感じます。
そりゃ、城の料理人がキヴェラへの攻撃を勧めるなんてできんわな。
気分的には﹃やっちまえ!﹄といった感じだろうか。
ありがたく使わせていただきますとも!
キヴェラへの報復は貴方達の分も追加してより一層熱心にやって
おきますからね!
どちらにしろ互いに只では済むまい。
キヴェラは今の強国としての地位を保てないだろうけど、私も悪
評広まるからなー。
⋮⋮イルフェナとゼブレストさえ滞在できれば十分だけど。
グレンやアリサといった友人達は手紙を遣り取りできるし、用が
あれば訪ねてくるだろう。
⋮⋮。
うん、やっぱり問題無し。喜んでキヴェラの災厄と呼ばれよう。
そんな事を考えつつ、和やかに夕食の準備は整っていった。
※※※※※※※※※
1019
﹁⋮⋮で。何でここまで人が多いかな﹂
﹁良かったじゃないか、ここまで心配されて﹂
﹁そうだぞ、ミヅキ。居て当然の奴等以外に殿下を始め近衛やレッ
クバリ侯爵にまで心配されてたってことじゃないか﹂
﹁どっちの心配?﹂
﹁﹁お前を心配してたのは本当だが、一体どんな暴れ方をしてくる
か気になるじゃないか﹂﹂
息ぴったりだな、騎士s。心配はそこかよ。
尤もこの二人は危機察知能力が発揮された結果そう言っていると
思うけど。
いや、確かに危険と言えば危険ですからね。キヴェラだけでなく
周辺諸国も関わってくるからさ。
なお、騎士sの言葉どおり魔王様やレックバリ侯爵に近衛の皆さ
ん、今回に限りセシル達とその護衛として女性騎士達が騎士寮の食
堂で食事をしている。
要は﹃私がイルフェナに居ない事﹄を知っている人々だ。そりゃ、
いきなり姿を見せなくなれば気付くでしょうね、近衛の皆さん。
ここまで来ると当然立食形式にするしかないので、座って食事を
しているのは一部のみ。
⋮⋮食事を楽しみつつ情報交換をしている、というのが正しい状
況説明なのだが。
しかも騎士達︵近衛含む︶はキヴェラ王太子の暴言︱︱﹃魔王と
呼ばれようと大した事は無い﹄というアレです︱︱を知り大変お怒
りらしく私に好意的。
なので﹃困った子だ﹄とは言っても本格的に行動を諌めようとは
しない。
私達の心配のみです、キヴェラはどうなろうと知ったこっちゃね
ぇな! とばかりに総シカト。
1020
でも黒騎士達には呪術の講師役を拒否されました。教えたら心の
赴くままに﹃おまじない﹄を実行する事を危惧したようです。
仕方ないので目的の人物に会ったら行動で示そうと思います。
素敵な言葉だな、実力行使って。
﹁⋮⋮お前何を考えた?﹂
﹁秘密﹂
﹁秘密、じゃないだろ!?﹂
煩いぞ、騎士s。
君達の危機察知能力は本っ当∼に本能レベルで発動してるんだな。
でも言う事きかない。珍獣なので本能というか感情に忠実なので
す。
﹁殿下ー! こいつがまた物騒な事を考えてます!﹂
﹁止めてください!﹂
﹁またかい、ミヅキ⋮⋮。自分が死なないようにするんだよ?﹂
﹁はーい﹂
﹁﹁随分返事が違うな!? お前﹂﹂
親猫様です、魔王様です。私は配下A、とりあえずは従います。
それに。
魔王様、私の心配はしても止めて無いじゃん?
﹁相変らず無茶をするのう﹂
狸様がワイングラス片手に話し掛けてくる。先生も一緒だ。
共通の話題ができた所為か話し込んでいたらしい。先生は村に来
ちゃったから叔父と甥の会話は久しぶりなんじゃなかろうか。
1021
レックバリ侯爵、呆れたような言葉とは裏腹に大層楽しげですね。
セシル達が無事だった事が嬉しいのだろう。
﹁無茶と言うか⋮⋮つい本気を出しかけまして。それに砦イベント
は先生との共同作業ですよ﹂
﹁ほう?﹂
﹁それ以外は溢れる殺意をぶつける所をキヴェラに限定したら総合
的に気の毒な展開に﹂
無関係なキヴェラの皆さんは気の毒ねーと目を伏せて呟いたら、
先生は呆れた視線を向けてきた。
﹁ミヅキ、君は判っていてやっただろうが﹂
﹁バレました?﹂
﹁君が自分の行動の齎す結果を予想できなかったとは思えんからな﹂
やだなー、先生突っ込まないでくださいよ。
私の思考回路に慣れてないレックバリ侯爵が唖然としてるじゃな
いですか。
﹁待て待て待て! 八つ当たりであの状態だったとでも言うのか!
?﹂
﹁嫌ですね、手紙にも書いたじゃないですか! ﹃過小評価してい
た自分を恥ずかしく思います﹄って。ですから﹂
にこり、と笑い。
﹁本番はこれからですよね。必ずやコルベラ王の下で這いつくばら
せて⋮⋮いえ、心と体の底から反省させてみせますよ﹂
﹁体とは何じゃ、体とは!?﹂
1022
﹁細かいことを気にしないで下さいよ。それでもラスボスだった人
ですか﹂
﹁ら⋮⋮らすぼす?﹂
﹁叔父上、奴等に手加減などいりませんよ。ミヅキ、追っ手は半殺
しにしてもいいから証拠隠滅だけはきちんとするように﹂
﹁わかってますよ、先生﹂
﹁よし﹂
﹁﹃よし﹄じゃなかろうがっ!? 全く⋮⋮妙な所だけ姉上から受
け継ぎおって﹂
狸様、ボケないでくださいな。先生はとても正しい事を言ってい
るじゃないですか。
それに私はまだ王太子に一発も入れていません。
地位剥奪は元々廃嫡を狙われてたっぽいから起きても私の所為じ
ゃありませんよ!
セシル達の事も含めて十矢は報いてみせますからね!
そのまま雑談に興じる先生と狸様を放置し、ふらふらしてたら今
度は近衛騎士さん達に捕まった。
お久しぶりですね、皆さん。
ところで。
﹁ジャネットさんは一体どうしたんです⋮⋮?﹂
いきなり抱き締められ、そのままなのですが。苦しくない程度に
背後から抱き締めて無言です。
なお、ジャネットさんは数少ない女性騎士達のリーダー的存在で
近衛騎士団長さんの奥様だ。
凛々しく美しい毅然とした姿しか知らないので、無言で抱き締め
られると困ります。
1023
﹁あ∼⋮⋮騎士としては君の行動に納得できても、その、母親的感
情は納得できない部分もあってな﹂
言葉を濁しつつ団長さんが解説してくれる。
﹃うちには娘が居ないから特にな⋮⋮﹄と付け加えるあたり個人
的に心配してくれているのだろう。
厳しくも優しい女性ですね、ジャネットさん。
﹁帰ってきますよ、此処に﹂
﹁⋮⋮約束よ? 怪我をしたらすぐに治すのよ?﹂
﹁それは勿論。あいつらに負ける気なんてありませんよ﹂
そう言うとジャネットさんは悔しそうに顔を歪める。
﹁ああ、もう! 今ばかりは騎士じゃなければ良いのにって思うわ。
それなら﹃行っちゃ駄目﹄って言えるのに!﹂
﹁あはは、それだとジャネットさんと会う事も無かったですね。私
は基本的に此処で生活してますから﹂
実際、会う事さえ無かっただろう。
そもそも町で擦れ違ったくらいでは異世界人などと判らない。
﹃私が異世界人﹄で﹃ジャネットさん達が近衛騎士﹄だからこそ
今があるのだ。
﹁ミヅキ、折角だから﹃母様﹄とでも呼んでやれ。母親は子供を信
頼するものだろ?﹂
﹁ディルクさん﹂
﹁いいじゃないか、酒の席なんだし。息子の俺が許す! あ、俺は
兄様で宜しく﹂
1024
明るく言うディルクさんは驚くべきことに団長さん達の実子だ。
知った時は﹃似てねぇっ!﹄と言う言葉を飲み込んだにも関わら
ず騎士sから肩を叩かれた。誰もが思う事らしい。
思わず当時を回想する私にディルクさんは満面の笑みで促してく
る。
いや、だから貴方は本当に団長さんの息子ですか!? でも意外
と強引な人だから言うまで逃がしてくれそうにない気がする。
﹁ええと⋮⋮母様? 大丈夫だから心配しない、で!?﹂
がばり! と音がしそうな勢いで抱き締められる。
ディルクさんの嘘吐きー! より母の心境になって心配させただ
けじゃないかー!
﹁ええ! 必ず、必ず母様の所に帰って来るのよ?﹂
⋮⋮。
流石だな、息子。一応納得はしてくれたみたい。
おや? 団長さんが目頭を押さえているんだが⋮⋮目にゴミでも
入りました?
﹁くっ⋮⋮夢にまで見た光景が⋮⋮!﹂
﹁そうよね、アルバート。必ず叶えましょうね!﹂
﹁勿論だ、妻よ!﹂
⋮⋮? 頭の上で意味不明な夫婦の会話が展開されています。
事情を知ってるらしきディルクさんは笑みを浮かべたまま無言。
教えてくれる気は無いようだ。
﹁ミヅキ、ちょっとこちらに来なさい﹂
1025
視線を向けた先には魔王様とアルとクラウス。
三人揃うと悪企みしているようにしか見えないのは気の所為でし
ょうか。
ジャネットさんに放してもらって彼等の傍に寄って行くとブレス
レットらしきものが差し出される。
﹁これは城で働く者達の身分証明みたいなものだよ。医師や魔術師
の弟子でも見習い扱いと認められれば所持することが許されている。
身に着けていなさい﹂
﹁いいんですか、それ渡しちゃっても﹂
﹁問い合わせが来たし今更だろう? それにね、これを見せれば診
療所などで薬草の補充も受けられる筈だ﹂
なるほど。先生から貰った薬草や種はあるけど、他に必要なもの
ができたら国の施設を頼れってことですか。
確かに本職のアドバイスを受けつつ薬を貰えるならありがたい。
先生に色々習ってるけど本格的に医師を目指してるわけじゃないし
な。
それに身元のしっかりした医師を頼る事ができるというのも重要
だろう。
﹃身元のしっかりした医師を頼れる立場﹄ならば他国でもある程
度の扱いは保証される、ということじゃなかろうか。
そんな物を持ってる奴が逃亡者やってるとは思わんよな、普通。
﹁さすがに今回の事は王族限定で報告している。だがそれだけだ、
我々の手助けは無いと思いなさい﹂
﹁了解です﹂
﹁ただ一つ言うなら父上達は君の﹃悪戯﹄を非常に喜んだ。あの様
子だとキヴェラが仕掛けてきても喜んで迎え撃つだろうね﹂
1026
⋮⋮。
色々とキヴェラに対し思う事がおありだったようです。
まあ、キヴェラはイルフェナに喧嘩売った過去があるから良くは
思われていなかっただろうけど。
そういえばレックバリ侯爵から今回の話を聞かされた時も﹃喧嘩
上等! 迎え撃つ準備はできてます!﹄と言わんばかりじゃなかっ
たかな、魔王様達。
アル達も﹃我々も賛同してます﹄って言ってたよね? ムカつい
てましたか、実は。
尤もあれほど嘗めた事を言う王太子が何かの間違いで王に即位し
たら確実に攻め込まれそうだがな。
﹁前に仕掛けられた時は小国だと随分嘗めてかかってきたからね、
キヴェラは﹂
﹁見下された怒りがそのままなんですね?﹂
﹁そうとも言う﹂
その﹃前に仕掛けられた事﹄が一度じゃないんじゃなかろうか。
そういえば奇人・変人な実力者達は愛国者揃いでしたっけ。愛国
者達の怒りは随分としつこいみたいですね、彼等にも見せ場を譲る
べきなのだろうか。
まあ、国の方針としては﹃表立って応援できないけど敵対する事
は無いよ﹄ということだろうな。今回イルフェナはまだ何もされて
いないんだし。
いや、このままだと﹃一戦やる? やっちゃう?﹄的なノリで今
か今かと待ち構えてる人も居そうなんですけどね。
某天使な外見の人とか、白い人達とか、黒い人達とか。
﹁えーと⋮⋮報告と言う名の﹃私とキヴェラの攻防の記録﹄を楽し
1027
みにお待ちください﹂
﹁まだ殺る気なんですね、貴女は﹂
﹁アル、まだ戦いは始まったばかり。キヴェラは半分終ってるっぽ
いけど!﹂
自己申告しておく私にアルが苦笑する。でもやっぱり止めません。
白騎士様もお怒りの御様子。やはり映像の効果は絶大ですね!
﹁それからな、母がお前が行なった誓約の回避方法に非常に興味を
示している。帰国したら呼び出しがあるぞ、絶対に﹂
あの、それ﹃理解できるまで放さない!﹄ってことじゃないよね?
え、ブロンデル家にドナドナ確定ですか!?
ところで何故コレットさんがそれを知ってるのかなー? クラウ
ス。話しただろ、お前。
﹁というわけで。全部終ってからのお説教も残っているし、無事に
帰ってきなさいね﹂
にこやかに嬉しくない事告げんでください、魔王様。
そんな感じでイルフェナの夜は更けていった。
さて、明日から再び逃亡生活です!
1028
暫しの休息︵後書き︶
団長夫婦の謎会話は以前の番外編参照。
1029
御宅訪問は手土産付きで
︱︱バラクシンにて︱︱︵エドワード視点︶
﹁エドー! ちょっと出かけてくるねー﹂
玄関から聞こえたアリサの声に手を休め顔を出す。
﹁何処へ行くんだ?﹂
﹁ミヅキちゃん達を迎えに行って来るの。ついでにお買い物もして
こようと思って﹂
にこにこと上機嫌で話すアリサに私の口元に笑みが浮かぶ。
脳裏に浮かぶ異世界人の女性は二人が今の状態を選ぶ切っ掛けに
なったとも言える人だ。
色々と厳しい事も言われたが、全ては未熟な自分達を諌める言葉
だった。
エルシュオン殿下も彼女の行動を予測していたのだろう。
苦言が異世界人から言われたものなら﹃他国の不興を買った事に
はならない﹄。
勿論無かった事にはならないが、もしも直接王族・貴族から言わ
れようものなら間違いなく外交に響いたことだろう。
自分達を諌める役を王に頼まれたからと言っても、その失態を外
交に活かすことも可能だったのだから。
だが、エルシュオン殿下からはあくまでも﹃訪問の目的とミヅキ
が向けた言葉の解説﹄のみ。一方的に批難するのではなく、自分達
で理解し答えを出せるよう手を尽くしてくれた。
1030
それはミヅキも同じだった。ライナス殿下に宛てられた手紙には
異世界人ならではの視点ではっきりと﹃教育の仕方に問題あり﹄だ
と書かれていたのだから。
また例えが的確だったのだ。
﹃特権階級にある者は庶民の生活を知ってはいても即座に実行でき
るのでしょうか?﹄
﹃彼女が批難されるならば貴族の皆様は庶民の生活を問題なく送れ
なければなりませんよね?﹄
アリサが貴族階級の作法の必要性を理解しないと言うなら﹃庶民
の生活﹄を﹃知っている﹄お前達は実行できるんだろうな? と逆
の発想を突きつけて来たのだ。
はっきり言ってそれは無理である。何せ貴族は身の回りの事さえ
使用人に任せるのが常なのだから。
生活に伴う一般常識からして違うのだ、そもそもアリサは守護役
が婚約者と言う立場になる事も難色を示していたじゃないか。
﹁常識さえ違う事が当然か⋮⋮我々が庶民の生活に混ざれぬのなら
ばアリサを批難することなどできんな﹂
こちらの要求が一方的であったと痛感する文章に王でさえ溜息を
吐き自身の非を認める始末。これで下手に﹃できる﹄などと言おう
ものなら即座に﹃やって見せろ﹄と言って来るだろう事は明白だ。
﹃魔王﹄と言われるあの方ならば絶対に言う。それは誰もが確信
していた。
少なくともアリサを批難していたバラクシンの王族・貴族はこれ
でアリサに強い事を言えなくなった。
1031
誰だって自分の醜態など晒したくは無い、しかもそう言ってきた
のは実績も含め色々と物騒な噂のある異世界人。
批難するのではなく疑問と言う形をとってこちらが非を認める以
外無いような方法を提示し逃げ道を塞ぐとは、何と恐ろしい思考回
路の持ち主か。
﹃怖ぇぇ⋮⋮流石はあの国に認められた異世界人だ、容赦が無ぇ!﹄
﹃これ出来ずに異世界人を追及すれば馬鹿だと思われるよな? い
や、それだけで済むのか!?﹄
誰もが胸の内で呟き、噂の真実が垣間見えた瞬間だった。魔王の
保護下にあるのは伊達ではないらしい。
そもそも守護役が全員公爵家の人間と言う時点で絶対に普通じゃ
ない。裏を返せば﹃それほどの家の人間でなければ押さえ込めない﹄
と国に認められたということなのだから。
これにより多くの者が自分の視点でしか物事を判断していなかっ
たと気付き、我々に温情を願ってくれたらしい。
実際は自己保身に走った者が半分はいただろうが、結果として今
があるのだから感謝すべきだろう。
そんな事を考えつつ、今ではアリサと仲良くなったらしいミヅキ
を思い浮かべ﹁行っておいで﹂と言いかけ、ふと首を傾げる。
﹁アリサ。ミヅキ殿が遊びに来るのは数日後じゃなかったかい?﹂
﹁うん、本当はそうだったんだけどね。殿下が転移法陣を使わせて
くれたんだって﹂
﹁⋮⋮へぇ﹂
あの王子が個人的に可愛がっているとはいえ、そんな特例を許す
だろうか。
1032
﹃遊びに来るだけ﹄なのに?
思わず微妙な表情になるのは仕方が無いことだろう。あの人がそ
んな甘やかしを行なうなど考えられないのだから。
そしてふと脳裏を掠める﹃ある情報﹄。
⋮⋮。
⋮⋮いや、まさかね。
物には限度があると言うし、彼女がそんな危険な事に関わるなど
周囲の者達が許す筈は無い。
﹁エド?﹂
冷や汗を滲ませ浮かんだ疑惑を振り払う。
アリサと違い個人的な実力もある人物だが、彼女は周囲にいる者
達を大切にしていると聞いている。
彼等に迷惑が掛かるような真似をする事は無いだろう⋮⋮多分。
﹁あ⋮⋮ああ、何でもない。行っておいで﹂
﹁うん? じゃあ、行ってくるね!﹂
嬉しげに家を出て行くアリサの姿に自分の予想が杞憂で終る事を
願った。
まあ、彼女の事だからアリサが被害を受ける事だけは回避してく
れるだろう。
それでも一応連絡だけは入れておくべきだろうな。
そう決めると私は手紙を送る準備をするべく、その場を後にした。
※※※※※※※※※
1033
やって来ました、バラクシン!
数日かけて国境越えから⋮⋮と思っていたら魔王様の好意で転移
法陣を使わせてもらえた。
早いね! ショートカットですね! いいのかな、建前としては
個人的な旅なんだけど。
今日はアリサの所に泊めて貰う予定だけど、お料理教室を兼ねて
もう一泊できそうだ。
いや、料理ってさ﹃見て覚える﹄って事も重要なんだよ。説明に
困る事もあるし。
元居た世界が違うというのも要因となっているんだけどね。
﹁ミヅキ、これから会う人物は君の友人であり異世界人なんだな?﹂
﹁うん、そうだよ。私とは違う世界から来たみたいだけどね﹂
﹁まあ⋮⋮さぞ心細い思いをなさったでしょうに﹂
痛ましそうに呟くエマの言葉にセシルも同じような表情を浮かべ
る。
⋮⋮あれ? 私はそんな事全然思わなかったぞ? 色々と必死過
ぎて。
先生を始め周囲の人達が親身になってくれた事も大きいだろうけ
ど、普通はそうなのか。
﹁あ、でも結婚してるからもうバラクシンの人間だよ﹂
﹁まあ! それならば家族がいるのですね。良かったこと﹂
﹁私もエマが居てくれたからキヴェラでもやってこれたしな。家族
が居るというならば彼女も少しは慰められる事だろう﹂
えーと?
普通はそう言う発想なの? イルフェナでは誰も心配しなかった
1034
ぞ!?
落ち込んだ事もないけどな!
﹁⋮⋮? ミヅキは違ったのか?﹂
微妙な表情の私にセシルが不思議そうに問う。
﹁私自身が落ち込む事も無かったけど誰もそんな事は言わなかった
かな。どちらかと言えば﹃この世界で生きていけるよう逞しく育て
!﹄って感じで教育重視﹂
﹁ああ、イルフェナならばそうなのだろう。実際、その教育が今に
活きているのだろう?﹂
﹁うん、まあそうなんだけどね。育ち過ぎたような﹂
﹁気にしてはいけませんわ。私達は今のミヅキが大好きですわよ﹂
どうやら二人ともこの世界においての異世界人の扱いを知ってい
るらしい。
ゼブレストと同じく﹃捕獲されたら全力で抗え・敵は潰せ﹄とい
う方針を推奨してくれているのだろう。
⋮⋮感謝です! つまり反省の必要は無いと肯定してくれるわけですね?
﹃ガンガン突き進め﹄と応援してくれているのですよね!?
期待を込めて二人を見れば笑顔で頷いてくれた。⋮⋮友よ!
よし、この旅では私が何をしても許される。
護衛対象の許可が出た。異論は認めん。
それに多分その護衛対象達が嬉々として報復に混じる気がする。
﹁ところで。待ち合わせ場所は何処なんだ?﹂
1035
﹁ん? 転移法陣を出てすぐのとこ⋮⋮﹂
﹁ミヅキちゃん! 久しぶり!﹂
声と共に視界が埋まった。
セシルの言葉に応えを返そうとし、そのまま言葉が止まる。セシ
ル達も呆気にとられて思わず沈黙。
理由は簡単、既に来ていたらしいアリサが抱きついてきたからだ。
﹁ふふ、早めに来ておいたの。待ちきれなくって!﹂
楽しげに話すアリサは相変らず美少女です。笑顔が眩しいね! そして同時に向けられる複数の視線。
おおう⋮⋮美少女に見惚れていた男どもの視線が突き刺さる。
ふ、羨むがいい! 女同士の特権ですよ? 例外はエドワードさんだけだろうな、アリサの場合。
﹁アリサ、久しぶり。元気そうで何より﹂
﹁うん! ミヅキちゃんも元気そうで良かった﹂
だって、怪我とかしてそうなんだもの︱︱と無邪気に続いた言葉
に思わず視線を逸らす。
アリサよ、何故知っている? 心配しただけか?
怪我はしてませんよ、怪我は。大人しくはしてませんでしたけど。
ワイン被ったり貴族と一戦交えたり、騒がしいのはイルフェナで
は今更です。
﹁そちらの二人は一緒に旅をしているお友達?﹂
二人に気付き尋ねてくるアリサ。抱きつかれたままだけど、とり
あえず紹介しておきますか。
1036
﹁セシルとエマだよ。流石に一人で行動はさせてもらえなくてね﹂
﹁あ、そっか。まだ一年経ってないって言ってたものね﹂
納得してくれたらしいアリサには気付かれないよう、二人に目配
せする。
そう、﹃同行者﹄。異世界人のアリサならば護衛か何かだと思っ
てくれるだろう。
今回﹃一人では許されないから同行者を連れて行く﹄という説明
をしてあるのだ、気付かれない限りそれ以上を言うつもりはない。
エドワードさんあたりは気付くだろうから、その場合は説明する
けどね。
尤も今回の手土産には例の冷遇証拠映像が含まれてますが。
エドワードさんならきっと﹃正しい使い方﹄をしてくれることだ
ろう。
一応彼はまだ貴族の筈。情報として与えておくべきだと思う。
どうせキヴェラの騒動は噂として流れているのだ、詳しく知る切
っ掛けがあれば更に諜報員を動かして情報収集に努めると推測。
自己防衛に励んでください、今回守りまで手が回りません。
今回の事に興味を持ち、且つこちらの敵にならない国はコルベラ
へと問い合わせる筈だしね?
⋮⋮逆にキヴェラの味方になるならコルベラには接触すまい。今
回の事に対し﹃何も知らない・我関せず﹄な態度をとる事がキヴェ
ラにとって最良の対応なのだから。
あからさまにキヴェラへ媚を売らなきゃ何もしませんよ?
ただし、私の邪魔をしたら敵認定。手加減しねぇぞ。
1037
流石にあのままだと迷惑になるから、とアリサ達を促し歩きなが
ら周囲を観察する。
⋮⋮ふむ、転移方陣はいつもと変わらず使用できるし、警備の人
達も変に気負っている様子は見られない。町の人達にも特に変わっ
た様子は見られないし、警備の兵が増やされたと言う事も無さそう
だ。
どうやら﹃王太子妃逃亡﹄という噂は民間にあまり伝わっていな
いらしい。他人事なのであまり感心が無いとも言うべきか。
と、言っても上層部は情報を掴んでいるだろうと推測。それでこ
の状態なのだからキヴェラ寄りではないと思っていいかもしれない。
キヴェラに恩を売りたければ取引材料として捕まえようとするだろ
うしね。 ﹁⋮⋮それでね、ミヅキちゃんと仲良くなったの﹂
﹁見る限り今の生活は楽しそうだ、それは良い切っ掛けだったんだ
ろう?﹂
﹁ええ! 勿論﹂
﹁人の幸せは自分に合った環境あってこそのものですわ。きっとア
リサさんは貴族階級の生活が合わなかっただけなのですね﹂
﹁確かに。民間とは差があるからな、馴染むだけでも苦労するだろ
う﹂
私が周囲を観察している事を察したのか、セシルとエマが世間話
がてらアリサの注意を引いてくれている。
彼女達は特権階級ながらも民間への理解もあるからアリサにとっ
て話し易い人種だろう。仲良くなったようで何よりですよ。
﹁あ、ミヅキちゃん。お買い物していっていい? そ、それでね⋮
⋮﹂
1038
何故かもじもじと言いよどむアリサ。え、買い物くらい構わない
よ?
首を傾げる私にエマが笑って先を促す。
﹁ふふ、アリサさんはミヅキの手料理が食べたいのですって。ミヅ
キ、アリサさん達に手料理を振舞ったのでしょう?﹂
﹁ああ、うん⋮⋮確かに作った﹂
あまりにも魔王様直々のお説教が気の毒過ぎて。
二人が滞在した最後の一日は少しでも気分が浮上するよう、異世
界の料理にしてみたのだ。魔王様も快く承諾したあたり二人に対し
何か思う事があったのじゃないかと推測。
後に事情が判明した時には﹃お説教の為にイルフェナに来たとは
言え、少しは相手を選んでやれよ﹄とは誰もが思ったが。
何故イルフェナの人間でさえ涙目になる奴続出の魔王様に頼むの
さ。心が折れるだろ?
魔王様が﹁バラクシンへの報告にも君の言葉をそのまま書いてお
いたよ﹂と言っていたので国に対しても小言めいた事を言ったんじ
ゃないかな、あの人。勿論、私の言葉は魔王様への報告だったので
オブラートになど包まれていない。
向こうにそのまま伝えると判っていればもっと心が凍える⋮⋮じ
ゃない、心に響く文章を考えたのに。
ま、お説教常連の私としては仕方がない事と思いつつも二人に同
情したのだよ。特にアリサ。
アリサの世界も此処と大して変わらないような事を聞いたからデ
ザートとかも割と頑張ってみた。
そうか、気に入ったのか。それは何よりだ。
1039
﹁いいよ?﹂
﹁本当!? ありがとう!﹂
もてなす側なのに﹃料理作ってくれ﹄とは言い難いな、そりゃ。
それくらいなら全然構いませんとも。つか、普通の土産は食材だ
から好都合です。
﹁じゃあ、食べたいものってある?﹂
﹁えーとね、オムレツが食べたいな﹂
即答。しかもそれって最後の食事に出したよね?
何処から見ても卵焼きなので違和感無く食べられると思ったが、
お気に召したらしい。
﹁エドとね、今までの事を反省しながら食べた思い出の料理だから。
ミヅキちゃん、私にお説教ばかりしていたけど私達の為に御食事作
ってくれたんでしょ?﹂
﹁あ∼⋮⋮まあ、説教しかして無かったね﹂
それ以上の会話が無かったとも言う。接触する機会も普通は無い
しな。
﹁それで思い出したの。厳しい事を言って来る人達はいたけど、同
じくらい私を庇ってくれていたって。だって、庇ってくれていたか
ら必要な事を教えなきゃならないって思ってくれたんだもの﹂
﹁まあ、義務もあるだろうが自分の事だけを考えている輩なら関わ
らないだろうな﹂
﹁面倒事は避けますものね⋮⋮都合のいい時だけ擦り寄ってくるで
しょうし﹂
1040
どうやら魔王様の説教後は周囲の人の思惑も考えられるようにな
ったらしい。
アリサはイルフェナでは殆ど部屋に閉じ込められていたそうだか
ら﹃関わらないという選択がある﹄ということに気付いたのだろう。
誰だって嫌われ役になりたいとは思わない。ならば﹃嫌われ役﹄
を引き受けてくれた人達は自分にどんな感情を向けていたというの
か。
そこまで考え付けばアリサならば悪い方向には捉えまい。何せ彼
等の小言は全てアリサが困らない為であったのだから元が善良な分、
後は反省一直線。
劇的に変わるわけですね。その切っ掛けが慰める為に作った料理
とは⋮⋮何があるか判らんね。
まあ、判り易い例えではあったのだろう。﹃小言を言った相手﹄
が﹃自分達の為にわざわざ作ってくれた﹄のだから。
﹁だからね、ミヅキちゃんとお友達になれて凄く嬉しい。⋮⋮あ﹂
にこにこと話していたアリサの視線が野菜を売っていた店の一箇
所に惹き付けられる。
視線の先にはクリーム色した南瓜モドキ。中に種は無く外も中も
クリーム色で私の知る南瓜よりも甘味の強い野菜だ。
﹁ん? どしたの?﹂
﹁あのね、これ私の居た世界にもあったんだ。これで作ったスープ
が好きだったの﹂
懐かしそうに話すのは今は遠い家庭の味なのだろう。何処となく
寂しげな顔になっている。
1041
異世界人のみ認識されているが、野菜や魚など様々な物がこの世
界に来ているのだ。
根付かなかったものもあるだろうが、生態を変えたり他の種と混
ざったりしながら存在するものも多い。
だってイルフェナで梅干作ってるもの、私。しかも騎士寮の屋上
で。
つまり材料は全て在ったわけですよ、この世界に。
大きさや多少の味の差さえ気にしなければ十分代用できるのだ。
アリサの故郷の野菜も元の世界の物とだいたい同じなのだろう⋮
⋮少なくとも別物ではない。
﹁じゃ、これでポタージュ作るか﹂
﹁ぽたーじゅ?﹂
﹁えーと⋮⋮スープの一種﹂
どうせゼブレストの土産もあるし材料的には大丈夫。
アリサの言うスープがどんなものかは知らないが、これから﹃新
しい家庭の味﹄を作る事はできるだろう。
今は無理だがそのうち試行錯誤して自分で懐かしい味を再現する
かもしれないじゃないか。 ﹁ありがとう、凄く楽しみ!﹂
嬉しそうに笑うアリサから完全に望郷の念が消えたわけではない
だろうけど。
セシル達と笑い合っている姿が楽しそうな事も嘘じゃないから大
丈夫だろう。
1042
⋮⋮エドワードさんには﹃大事にしないと引き取りにきますよ﹄
と言っておくけどな。
アリサだって﹃実家に帰らせていただきます!﹄という台詞を言
う権利くらいあるものね? 逃げ場所は必要だと思うんだ。家族がこちらに居ない分、代わり
に私が味方になっても問題無し。
この分だとセシル達も出て来るだろうから、そんなことにならな
いよう頑張るんだよー?
※※※※※※※※※
﹁クシュン!﹂
﹁ん? どうした、体調不良か?﹂
﹁いえ⋮⋮そういうわけではないのですが﹂
鼻を啜りながらも何故か居心地の悪さを感じ、エドワードは周囲
を見渡す。
自分の家でそんな事をする必要など無い筈なのだが。
﹁殿下、さすがにそのままの名をお呼びする訳にはいきませんが⋮
⋮﹂
﹁ふむ? そうだな、ライズと呼ぶがいい﹂
﹁俺はそのままで。アリサから身元が知れても騎士というだけです
し﹂
もう一人の青年の言葉にライズと名乗る事にした人物は頷き、エ
ドワードは溜息を吐いた。
1043
報告だけで済ませる筈が何故こうなったのだろう?
大方、ミヅキに直接会ってみたいという理由が大半なのだろうが。
﹁彼女が貴方の顔を知っている可能性は低いですが、バレた時はど
うします?﹂
護衛の騎士︱︱リカードが主に問うが、彼の主は笑って首を振る。
﹁どうもしない。私は貴族のライズだ、友人の家を訪ねた先で﹃偶
然﹄異世界人に会う機会に恵まれた。それ以外の何がある?﹂
暗に﹃何があっても本来の立場は公表しない﹄と告げるライズに
リカードは沈黙する。
警戒が薄れたわけではなかろうが、それ以上は追及しない事にし
たらしい。
﹁さて、一体どんな情報を持ってきてくれるのやら﹂
複雑そうな家主を他所に、青年は実に楽しげに笑った。
1044
御宅訪問は手土産付きで︵後書き︶
親猫の配慮により転移法陣でバラクシンへ。
ただし、逆にその行動で気付く人は気付きます。
1045
魔導師が齎すもの︵前書き︶
興味本位で出てきた人は主人公にとって獲物でした。
1046
魔導師が齎すもの
人生なんて予想外の連続だ。
異世界トリップ経験者ならば必ず一度は思う事だろう。
勿論良い意味ではなく、多大なる諦めと割り切りを込めてだが。
で。
扉を開けると見知らぬ男性二人が御出迎えしてくれました。
服装からして絶対に使用人じゃありません。しかも片方は騎士じ
ゃないか?
あれー? 此処ってエドワードさん所有の家ですよね!?
しかもアリサが固まってるんだけどさ!?
﹁お帰り、アリサ。お邪魔しているよ﹂
にこやかに笑う男性とアリサは顔見知りらしい。
⋮⋮。
あの、エドワードさん?
貴方は何故、その人の後ろで溜息を吐いているのですか⋮⋮?
﹁ラ⋮⋮ライっ﹂
﹁おお! 後ろのお嬢さん達が君の友人なのだね。初めまして。私
はエドワードの友人でライズという。こっちはリカードだ﹂
なるほど、友人でその服装ってことは貴族か。異世界人にも普通
に接してくれる人みたいですね、少なくとも敵意は無い。
で。
1047
あからさまにアリサの言葉遮りませんでしたかねー、今。
とは言え、今話を合わせなければアリサ達が気の毒な事になりそ
うだ。ここは話に乗っておきますか。
﹁初めまして、ライズさん。イルフェナに保護されている異世界人
でミヅキといいます。彼女達はセシルとエマ。私の同行者で友人で
すよ﹂
﹁おや、君も異世界人か﹂
﹁ええ。アリサとは世界が違いますけどね﹂
とりあえず自己申告して注意を私に惹き付けておく。
﹃異世界人﹄ってこの世界における珍獣だからね、セシル達に注
意を向けない為にも公言しておいた方がいいだろう。
セシルは王族だけど小国の継承権を持たない末子ということもあ
って、あまり顔を知られていないらしい。
ならばキヴェラの騒動を知っている者は﹃それらしい人物﹄に当
たりをつけて接触してくるだろう。
会話で情報を引き出される・言動で身分がバレるという可能性が
一番高い。
だから基本的に私が会話を行なうということでセシル達と話がつ
いていた。あくまでも二人は私の同行者という立場を貫くことだろ
う。
﹁ほう⋮⋮﹂
﹁何か?﹂
﹁いや? 女性ばかりで大丈夫なのかと思ってね﹂
嘘吐けぇぇっっ! その探るような目は絶対にそんな事を思ってないだろうが!
なんて思っても表に出すなんて真似ができる筈もなく。
1048
﹁ふふ、御心配ありがとうございます。ですが、セシルもエマも十
分頼りになりますし何より私が凶暴です﹂
﹁凶暴⋮⋮﹂
﹁ええ! よく魔王様に叱られるのですよ﹂
﹁おやおや、随分と勇まし⋮⋮﹂
﹁﹃手緩い﹄と﹂
﹁﹁﹁え゛!?﹂﹂﹂
男性陣、一気に私の顔をガン見。
嘘は言っていません。だって私は﹃やられたら殺り返せ﹄と言わ
れてるし。
ちなみに﹃手緩い﹄と言われているのはあくまで私の報復が言葉
の暴力に留まっているからだ。
直接関わりがない所為かこれまでの嫌味は異世界人ということに
限定されている。ゼブレストにしろイルフェナにしろ﹃特別扱い﹄
されれば疎ましく思われるのは仕方ないだろう。
例を挙げるなら側室連中やグランキン子爵、その娘のアメリアだ
ろうか。
身分に拘る貴族は﹃異端者﹄に対し見下しがちだし、うっかり遭
遇すればアル達に憧れる御嬢様方の嫉妬の視線がビシバシ来ます。
日頃は隔離状態にあっても仕事でどうしても関わらなければなら
ない時があるのだ、魔王様にも最初から﹃下っ端貴族は煩いかも﹄
と言われているしね。
先日の騒動が起こるまで私の評価は﹃実績も無いのに有力な者達
が構う民間人﹄。私の情報が制限されている事もあって未だ正しい
評価をしていない貴族も多い、とはレックバリ侯爵・談。ま、煩い
奴が出て当然だ。
それに対しデビュタントの時みたく力技でやり返す事は少ない。
1049
だって守護役って国の決定だもの。普通、異議を唱えられる筈な
いでしょ?
それに構って来る人達に私が自分から近付いた事は無い。身分的
に受身です。
それを踏まえて魔王様は﹃やっちゃっていいよ﹄と言っているの
だ。実力者の国に馬鹿は要らん、と。
私がやるより国が出てきた方が納得できるだろうと思うのでその
まま放置してますが。面倒だもん。
でも当然ながら騎士達によって魔王様に報告が成されています。
その後はどうなったか知らん。
魔王様は私自身が手を下さない事を言っているのだ、﹃君は︵自
分が面倒だからって︶手緩い︵手段を取ってこちらの手を煩わせる
んじゃない︶﹄という意味です。
報復を推奨してるんだから保護者に丸投げすんな、ということで
すね!
⋮⋮という事を説明したら私をガン見したまま沈黙された。何故。
イルフェナでは当たり前みたいですよ? これ。魔王様が私だけ
にそう言っているとは思えないもの。
﹁そ⋮⋮それは何とも﹂
﹁冗談抜きに命の危機とかありましたからね∼、大抵の事は切り抜
ける自信ありますよ﹂
へらっと笑って言う私にライズさんは言葉も無いようだ。まあ、
私の教育方針はイルフェナでも吃驚なものだったみたいだから教育
係がある意味突き抜けていたのだろう。
私がそれに馴染んだ事も路線変更されない事に繋がったみたいだ
1050
が。お陰で狸様とも遣り合える人脈と実力が付きましたよ、親猫様。
だが、もう一人の男性はその状況に警戒心を強めたらしい。訝し
げに私を窺って来る。
﹁君は元の世界でそういう状況にあった、若しくは職業に就いてい
たのか?﹂
﹁いいえ?﹂
﹁では、何故そんな状況に馴染めるんだ?﹂
うん、それも当然の疑問だと思います。ゲームの世界で軍師やっ
てたから、というのは理解できないだろうね。こういう時って説明
に困るな。
リカードさんは敵意こそ無いけれど、私の感情の動きを見逃さぬ
ようじっと見つめている。
ふむ。⋮⋮この人はライズさん専属の護衛か近衛の可能性が高い
な。警戒の仕方がアル達そっくりですよ、リカードさん。
ならば下手に誤魔化すよりも事実を言ってしまった方がいいだろ
う。
﹁認識の違い、でしょうか﹂
﹁認識の違い?﹂
僅かに首を傾げるリカードさんに構わず言葉を続ける。
﹁私はこの世界に来た時点で一つの選択をしました。﹃生き続ける﹄
か﹃終らせるか﹄。常識さえ違う世界で生きていくのは簡単ではな
い、だからこそ割り切る事が必要だと考えたんです﹂
﹁極論だがそれは正しい判断だったろうな﹂
﹁ええ、正しかったと思います。だから異世界人の扱いを知ってい
る人達は私に多くの事を教えてくれました。知識も強さも﹃自分の
1051
生きたいように生きる為﹄には必要でしたから﹂
﹁⋮⋮﹂
この世界に来た異世界人が最も恐怖すべきものは﹃無知であるこ
と﹄だと思う。
必要な情報が無ければ自分の思いとは真逆の結果を招きかねない。
﹃そんなつもりじゃなかった﹄﹃知らなかった﹄と言っても結果が
出た後ではそれで済む筈は無い。
逆に言うなら都合の良いように操りたければ情報を制限して飼い
殺せば良いのだ。
魔王様達の行動は私の為以外の何物でも無い。だから私は彼等の
為に動く事を厭わないし躊躇わない。
﹁周りがどう思おうとも彼等の行動の意味を私自身が知っているの
です。ですから﹂
一度言葉を切り、笑みを向け。
﹁私が彼等を疑う事はありません。彼等は自分達が最優先にすべき
ものを隠しませんし、そうなった時を想定して私自身に教育を施し
ていますから﹂
﹁⋮⋮君が自分の意思で彼等に敵対する可能性も踏まえて教育して
いると?﹂
﹁そうですよ? 本当に﹃味方でいる﹄というのはそういう事じゃ
ないでしょうか。相手の信念を一方的に否定するような真似はしま
せん﹂
自分の身は自分で守れ。例えそれが親しい者達と敵対する結果に
なったとしても。
国として私を利用しなければならない状況になろうとも、彼等に
1052
従うか拒むかは私の自由。
拒めるだけの実力と実績があれば無理矢理従わされる事にはなる
まい。
敵対したとしても魔王様やルドルフは私に強さを与え力を貸して
きた事を決して後悔しないだろうし、私も彼等に協力した事を悔や
む事など無い。
そう締め括るとリカードさんだけでなく全員が黙り込んでしまっ
た。
シリアス展開ですが異世界人の現実ですぞ、これ。どれほど親し
くとも守護役がつく時点で﹃監視対象﹄なのだ、そうしなければな
らなかった過去がある。 魔王様の﹃自分で判断し責任を持てるようにする﹄という教育方
針は私が無知のまま利用される可能性を潰し、自分の行動が齎す結
果さえ想定して行動できるようにする為だ。
魔道具を考案した異世界人にそれが出来ていれば二百年前の大戦
は起きていない。監視する側としても味方としても罪を背負わせな
い為に自覚を促す必要があるのだ。
その為の強さを得る事も必要だと考えているからこそ、私が魔導
師である事を否定しない。
実際、今回は十分行動できてしまっている。村に居た状態では間
違いなく無理だったろう。
それにこの世界に来た異世界人の婚姻が異様に少ないのもそれが
原因だったんじゃないのかな。
特に歴史に名を残すような人達は誰も結婚していない。⋮⋮複数
の守護役達が居なければ守りきれなかったという事じゃないのか、
それは。
何年も暮らしていれば一般常識は身に付く筈だし、普通に生きて
1053
行くだけなら何の問題も無いだろう。
それだけでは平穏な生活が叶わない事情があったとは考えられな
いだろうか。
﹁教育方針以前に異世界人に対する認識が違った、ということかね
?﹂
﹁そうでしょうね。バラクシンがどういった扱いをしているかは知
りませんが、私は守られるだけの存在でいることを許されていませ
ん。イルフェナで私が関わった人達は一方的に利用する事をしない
ということでしょうか﹂
暗に﹃バラクシンにはそういった連中がアリサの周囲に居ました
よね?﹄と言ってやればライズさんは溜息を吐いて目を伏せた。
貴方と魔王様の違いをはっきりと自覚してくださいね? ライズ
さん。少なくとも魔王様はそういった連中を私に近寄らせませんで
したよ?
仕事の協力者になることもあるけど、私にとっても得るものがあ
る。単に利用しようとするだけならば私の行動全てに指示が出るだ
ろう。
何より異世界人として貴族と敵対させたのもゼブレスト以降なの
だ。それならば私も対処できるし、傍には信頼できる騎士達がいた。
必要ならば手を貸し結果を本人に出させる︱︱それこそが彼等の
﹃守る﹄ということ。
ゼブレストは私にとっては最高の教育の場だったのだろう⋮⋮何
せ国と王の後見があったのだから。多少の粗があってもフォローし
てもらえたし。
利害関係の一致ともいえるだろうが、逆に言うならそれだけ個人
を認めている事になる。それが私とアリサの決定的な差じゃないの
か。
囲って綺麗なものだけ見せていれば現実など理解しないし、個人
1054
として対等に扱われなければ互いを理解する事も無い。
イルフェナと同じ事をしろとは言わないが、アリサの成長を促す
ような事をしなかった︱︱その必要性を知らなければ重要だと気付
く筈は無いのだ︱︱バラクシンの上層部に彼女を批難する資格など
無い。
セシルやエマもアリサに寄り添い男性陣に厳しい目を向けている。
それが保護者としての義務を怠った事に対する批難⋮⋮なんてこと
はなく。
﹁ですから。今後アリサに何かあれば私達が黙っていません﹂
﹁ミヅキの言葉を聞いていた事、私達が証言しますわ。それでも変
わらぬならばその意思がないということでしょう。期待する事を止
めるまでです﹂
物凄∼く個人的な感情です。女同士の繋がりの怖さを知れ。
寧ろこっちの方が本命。国の事情なんざ知らねぇよ。
私の事情などどうでもいいんです、今後のアリサの幸せの為にし
っかり嫌味を言っておかねばな!
私の言葉を抉る勢いで心に刻んでおいてください。これでアリサ
に何かが起きたら盛大に無能扱いした上で引き取らせていただこう。
だから国の内情はどうでもいいよ。私達の敵になるかならないか、
それだけだ!
ちらり、と視線を向けるとセシルが頷いたのでイルフェナが駄目
ならコルベラが受け入れてくれるだろう。
民間に下ったとはいえ異世界人という事実はついて回る。保護者
がしっかりしてくれなきゃ困るのだよ、アリサには抗う術がないの
だし。
1055
﹁ミ、ミヅキちゃん達はそこまで考えていたんだね。何かをしても
らうばかりだった私と違って当然だよ!﹂
何やら涙目になって私に抱きついてくるアリサ。おお、役得! ⋮⋮ではなくて。
⋮⋮。
⋮⋮あれ? いや、私達が心配してるのは君の方だからね!?
﹁いや、あくまでも最悪の場合であって基本的に保護されたままで
敵対関係になる事はないからね?﹂
﹁でもでもっ! 私、異世界人がこの世界に馴染むのは凄く大変だ
って知ってるし﹂
アリサよ、それには﹃個人差﹄というものがあってだな。
人には向き不向きがあるように、私はイルフェナに合っていたの
だから問題ない。
そう言ってもいまいち納得できないのか、抱きつく腕の力が緩む
事は無い。
アリサ。さっきから男性陣︱︱特にエドワードさんがダメージを
受けているみたいだけど、気付いてる?
個人的には﹁ざまあっ!﹂と思っているけどな。今後の為にも現
実を知るいい機会だ。
﹁大丈夫ですわよ、アリサさん。ミヅキはイルフェナで楽しく暮ら
していますし、守護役の皆様から溺愛されていますもの﹂
﹁逆に言えばあの執着から逃れられるとは思えないな。彼等が敵対
するような事態になることを黙認するとは考え難い﹂
1056
待て、コラ。何故それを知っているんだ、セシル?
⋮⋮嫌な予想を真面目な顔して話してるんじゃねぇぇぇっっ!
物凄くありえそうだ。しかも有能な若手獲得に燃える狸様も混じ
る気がする。
アルか? セイルか? クラウスは⋮⋮そういう話題に興味なさ
そうだから狸か、情報源は!?
﹁そういえば⋮⋮あの騎士さん達はミヅキちゃんの事、凄く大事に
していたものね﹂
﹁そうそう、大丈夫ですよー﹂
﹁うん⋮⋮わかった。でも何かあったら話してね?﹂
﹁了解ー﹂
投げやりなのは許してください。納得させる為に否定できんのだ
から。
ところでな。
そろそろ家の中に移動しませんか? さっきから使用人さん達が
物凄く困った顔をしてるんだが。
アリサはエドワードさんを慰めてあげてください。落ち込み過ぎ
て浮上してきませんよ、あのままだと。
ほら、行くぞ野郎ども。男が暗い顔して玄関に屯してても異様な
だけだぞ? 鬱陶しいじゃないか。
⋮⋮という事を馬鹿正直に口にしたら益々落ち込んだ。軟弱者め。
※※※※※※※※※
気を取り直して客間に移動。
男性陣の落ち込みっぷりに内心大笑いです。
1057
アリサは慰めるけど彼等は放置。こちらも事情があるので鋭い事
を突っ込まれない状況は願っても無いことなのですよ。
﹁⋮⋮で。そろそろ落ち着きましたか﹂
﹁ああ。アリサには改めて謝罪をする事にしよう﹂
溜息を就きながら疲れた顔でライズさんが言う。
おいおい、貴族設定忘れてるぞ? その台詞はアリサの保護者の
王族のものじゃないのか?
まあ、生温い視線になりつつも今はスルーしてあげようじゃない
か。次は無い。
﹁そういえば⋮⋮先日キヴェラで起こった騒動をご存知ですか?﹂
ぴく、と男性陣が反応するけど気付かない振りをする。世間話で
すものね?
﹁偶々イルフェナの商人達が滞在していましてね、とても面白い夢
を見たそうですよ。その記憶を魔道具に記録してくれたので見る事
ができるのですが⋮⋮﹂
﹁見せてくれ﹂
見たいですか? というように相手を伺えばライズさんは即座に
乗ってきた。
興味が有る無しではなく﹃王族としては非常に重要な情報﹄です
からね、これ。
報告はされていても映像までは無い。予めそんな魔道具を用意し
ているイルフェナが怪しい事この上ないが、今は追及するより情報
が欲しいのだろう。
1058
﹁いいですよ? 妙に現実味のある﹃夢﹄だったそうですよ。まあ、
民の噂とその後の状況を聞く限り事実の可能性が高いとも言ってい
ましたが﹂
﹁なるほど、あくまで﹃夢﹄であると﹂
﹁ええ。それに確認は自分達の手でするべきものでしょう?﹂
私達が提供するのはあくまで夢で見た映像なのですよ。それを信
じるか否かは相手次第。
はっきり言うなら﹃諜報員を使って自分で確認御願いね。噂を伝
えただけだからイルフェナの所為にしないでね﹄ということだ。
反応を見る限りライズさんには言いたい事が伝わっているのだろ
う。他二人も大丈夫そうだ。
﹁それではどうぞ。そうそう、個人的なお勧めとしては登場人物以
外のものにも注目です﹂
﹁ふむ、どういうことだ?﹂
﹁だって映像の場所が特定できるでしょう? 私は知る筈ありませ
んが、見る人によっては﹃場所﹄と﹃事実だと確信できるもの﹄が
映っているかもしれませんし﹂
キヴェラ王家の紋章とか風景とか。建築構造なんかでも判るかも
しれないね。
私は知りませんよ! ええ、イルフェナでさえ城には魔王様の執
務室や訓練場くらいしか訪れませんからね!
訪れる時は必ず護衛兼案内役の騎士が付いているのだ、迷子にも
ならん。
ライズさんは面白そうに瞳を眇め、リカードさんは相変らず厳し
い表情を向け。
エドワードさんは⋮⋮片手で顔を覆って天井を仰いでいる。何さ、
1059
その反応は。
﹁じゃあ、どうぞ。驚くかもしれませんよ﹂
﹁⋮⋮? 驚く?﹂
首を傾げるライズさんを無視し魔道具を操作すると、魔王様達を
呆れさせた衝撃映像が始まった。
セシル達は映ってないから大丈夫! さあ、存分に脱力するがい
い!
その後。
アリサは純粋に﹁何この王子様、最低!﹂と憤り。
男性陣は大変微妙な表情のまま沈黙した。ああ、やっぱりその反
応かい。
﹁ミヅキ? これは事実なのかね?﹂
﹁信じるなら事実なんじゃないですか? 私は確かめる術を持ちま
せんよ﹂
ライズさんにそう返しつつもエドワードさんには疑惑の目で見ら
れてます。
ええ、そうですね。﹃私は見た! 後宮内で起こっている衝撃の
真実!﹄とかタイトル入れそうなの私しか居ないでしょうし。
リカードさんに至っては言葉も無いようだ。騎士が見るとダメー
1060
ジでかいみたいだからねー、あれ。
騎士達にとってはキヴェラが脅威として映っているのだ⋮⋮散々
警戒してきたものが一部とは言えあの状況、様々な意味で頭を抱え
るだろう。
﹁イルフェナでは映像がなければ信じなかったでしょうね。後宮内
のみとはいえ普通ならありえない事態ですから﹂
﹁た、確かに。だが、キヴェラ王がこのような事を許すとは思えな
いが﹂
﹁ですから王太子の後宮内のみってことでしょう。場所柄、容易く
踏み込めませんし﹂
後宮という場所に男性が居るのは好ましくはない。王だろうと強
行できないだろう。
それがあの状況に繋がっているので、多少強引だろうと行動して
おけよとは思うが。
﹁ああ、君の言いたい事も理解しているよ。しているのだがね⋮⋮﹂
﹁感情がついていきませんか。これまでの認識とかけ離れ過ぎて﹂
﹁ミヅキ殿⋮⋮﹂
﹁なんでしょう、エドワードさん﹂
﹁⋮⋮いえ、何も﹂
言いたい事は色々あるけどライズさんの手前言えないのですね?
此処に居るのが私達だけなら﹃友人同士の会話で只の憶測﹄で済
むけど、王族とその護衛が加われば﹃イルフェナの異世界人の危険
性﹄を仄めかす事になる。
アリサの事があるから悪い方向にはしたくない、ということだろ
うか。
1061
隠しても無駄だと思うよ? 今は混乱してるけどライズさんは気
付くだろうから。
落ち着いて考えれば怪しいのは誰かなんてすぐに判る。判らない
のは動機が不明ってことくらいだろう。
それにバラクシンに危険視されても何の問題もありません。
寧ろそういう存在がアリサの味方に居ると知れた方が個人的には
好都合。
得体の知れない生き物がイルフェナに生息しているのだと恐怖し
てください。私とアリサに何かしてきたら報復に出るからな?
﹁すまないが我々はこれで失礼させてもらうよ。明日また来るとし
よう﹂
﹁そうですね、その方がいいと思います。あ、これどうぞ﹂
差し上げますよ、と映像を記録した魔道具を差し出せば怪訝そう
な顔をされる。
﹁いいのかね?﹂
﹁ええ。まだ沢山ありますから﹂
﹁⋮⋮沢山?﹂
﹁だって﹂
にやり、と笑い。
﹁こんな面白映像、皆で楽しまなきゃ﹂
その言葉と含むものがある笑みにライズさんとリカードさんはび
くっ! と体を揺らした。
やだなー、ただの御土産ですよ? 皆さんで楽しんで欲しいとい
1062
う気遣いです。
﹁私は翼の名を持つ騎士達に囲まれて生活しているので﹃こんなも
の﹄でも何かの役に立つ事があるかもしれないと知っているのです
よ﹂
︵訳﹃変人どもでさえ吃驚の真実を提供してやるから後は自分達で
情報収集頑張れ。今からだとキヴェラの上層部が動いているから情
報規制や妨害があるかもしれないけど判断材料にはなるだろう。健
闘を祈る﹄︶
情報が映像で得られるって重要だと思うのですよ。見た人達は自
前の報告書も交えて楽しんでくれると思う!
それにそろそろキヴェラを脱出した旅人達とか国に帰ってると思
うんだよね。彼等からの話も聞くと一層信憑性を増すだろう。
そして疲れた表情のまま、二人は帰っていった。恐らくはあのま
ま報告に向かうのだろう。
﹁ミヅキ殿、貴女は一体何を考えているんだい⋮⋮﹂
﹁私達とアリサの穏やかな今後について?﹂
﹁ああ⋮⋮そう⋮⋮﹂
﹁あと個人的にキヴェラが嫌いですぅ!﹂
﹁ミヅキはエルシュオン殿下に懐いているものな﹂
無駄に明るく言うと深々と溜息を吐きエドワードさんは沈黙した。
ところでセシル。
レックバリ侯爵の影響ですっかり親猫として定着してないかい?
魔王様。
1063
魔導師が齎すもの︵後書き︶
主人公、アリサの今後の為に保護者達にお説教。
彼等は﹃個人的にエドを訪ねた友人﹄なので不敬罪に該当せず。
毒の無いアリサにとっては主人公の苦労話にしか聞こえてないので
保護者達に対する嫌味だと気付いてません。
1064
友情と一滴の裏工作︵前書き︶
エドワードの受難其の二。
戦闘終了は相手のライフが0になるまでです。
1065
友情と一滴の裏工作
二人が帰ってからも沈黙は続いていた。
エドワードさんは色々と思う事があり過ぎて。
アリサは肯定も否定も出来ない状態で。
セシル達は私の出方を待っている。
﹁アリサ、お茶淹れてきてくれない? エマに教えてもらうといい
よ﹂
﹁え?﹂
唐突な私の提案にアリサはきょとんと首を傾げる。
﹁エマってね、元貴族なんだけど侍女の仕事とかしてるんだよ。だ
からお茶淹れるのは上手いんだ﹂
﹁ああ! 確かに私がいるのですからアリサさんに教えて差し上げ
られますわね。御自分でお作りになった御菓子に合ったお茶を淹れ
る事もあるでしょうし﹂
エマが納得とばかりに手をパチンと鳴らし席を立つ。
﹁さ、参りましょう。⋮⋮ミヅキ、色々と茶葉を試したいので少々
遅くなっても構いませんわね?﹂
﹁うん、構わないよ。この状況じゃ話も無理でしょ﹂
﹁そうですわね。さ、アリサさん。参りましょう?﹂
﹁う⋮⋮うん。そうだね、気分を変える意味でも美味しいお茶と御
菓子はいいかも﹂
﹁お菓子はミヅキのお手製のクッキーがありますわ﹂
1066
﹁本当!? じゃあ、頑張って淹れなくちゃ﹂
﹁ええ、旦那様の為に美味しいお茶を淹れましょうね﹂
くすくすと笑いながら促すエマの言葉にアリサは赤くなる。
初々しいなぁ、癒されるなぁ⋮⋮!
アリサの中の優先順位はエドワードさんが最上位。誰が見ても﹃
旦那様大好き!﹄な状態です、大変微笑ましい。
それ以前に少々席を外してもらった方がいいのだ。
エドワードさんだってアリサに情けない姿はこれ以上見せたくな
いだろう。
エマは私の意図を読み取りアリサを連れ出してくれたのだ。
ついでに言うなら使用人達の印象を好転させる意味もあると推測。
今後を考えると不審人物として警戒されるのはあまり良い事じゃな
いだろう。
楽しげに﹁行って来るね﹂と部屋を出て行くアリサに手を振りエ
ドワードさんに視線を戻す。
相変らず落ち込んでますねぇ、エドワードさん?
﹁で。いつまで落ち込んでいるつもりですか? 今ならアリサは居
ませんよ﹂
その言葉にエドワードさんはゆっくりと顔を上げる。
﹁すまない。正直、理解したつもりになっていただけに思う事が有
り過ぎてね﹂
﹁理解する事なんてできませんよ? 本人じゃないんだし﹂
﹁ああ、判っている。だが、アリサについて何も考えていなかった
と思い知らされた﹂
1067
溜息を吐きつつも俯く事は無いようだ。それは同じ﹃異世界人﹄
という括りの私に直接話を聞く事ができる貴重な機会だという事が
理解できているからなのだろう。
基本的に私もアリサも自分が保護されている国から出ない。
そしてエドワードさんも今後外交に関わる事もなくなるので接点
は本当に無くなる。
手紙の遣り取りだと時間が掛かるしね、今しかないから互いに言
いたい放題の方がいい。
﹁アリサに会う前、セシル達が言ってたんですけどね﹂
徐に口を開く私をエドワードさんはじっと見詰める。セシルは私
に主導させ自分はフォローに回るつもりのようだ。
﹁﹃さぞ心細いだろう﹄﹃家族が居るならば慰められるだろう﹄っ
て。そりゃ、そうですよね。常識さえ違う世界に一人放り込まれれ
ば言葉が通じているとはいえ恐怖が常に先に立ちます﹂
右も左も判らないどころか子供でさえ知っている事を知らない状
態なのだ、その事実にさえ恐怖するだろう。
しかもアリサは外見的にも子供で通る筈は無い。
守護役連中が傍に居たなら、嫉妬から無知を嘲笑う奴が居なかっ
たとはどうしても思えない。
﹁次。アリサと手紙の遣り取りをするようになって気付いたんです
けどね、アリサって自分で行動する事を好むんですよ﹂
﹁自分で行動する⋮⋮?﹂
﹁料理をする、家庭菜園を作る、今だって﹃お茶を淹れる﹄という
行動を嬉々として行なっているでしょう? でもね、それって貴族
1068
としては良い顔をされませんよね﹂
﹁それは、まあ⋮⋮﹂
﹁きっと言われたでしょうね、﹃そのような事は私達がいたします﹄
﹃そのような事はお止めください﹄って。アリサからしたら当たり
前の事なのに叱られるんです、訳が判りませんよね﹂
﹁あ⋮⋮!﹂
エドワードさんも気付いたらしい。
セシルは首を傾げている。⋮⋮ああ、セシル的には﹃それの何処
が悪いんだ?﹄ってことだろうね。
コルベラって王族でさえ自分の事は一通りできるように教育され
てそうだもの。セシル達を見る限り、侍女は居ても茶を淹れるくら
いで叱られたりはしないだろうよ。
﹁あのね、セシル。貴族って侍女が身の回りの事をするのが当然だ
よね?﹂
﹁ああ﹂
﹁だから侍女達からしたら﹃人を使う側の方が侍女の真似事をする
なんてみっともない!﹄ってなっちゃうんだよ。加えてこの世界の
常識を知らないから無知って評価がつく﹂
﹁⋮⋮蔑まれるだろうな﹂
﹁うん、間違いなく。でも貴族の常識を知らなければ何が悪いのか
判らないし、これまで当たり前だった行動を改めろって言われても
習慣って簡単に消えないよ﹂
これは教育者側に非があるとしか言い様が無い。アリサを﹃貴族
の客人﹄扱いしているなら彼女のとるべき行動は﹃貴族の常識﹄に
当て嵌められてしまう。
最初から﹃異世界人はこの世界に対して全くの無知、しかも民間
人らしいよ!﹄と周囲に告げて理解のある人達で固めておけばフォ
1069
ローしつつ学ぶ機会を作ってくれた筈だ。
私は村の子供達から学ぶ↓先生に学ぶ↓ゼブレストに放り込まれ
る↓イルフェナ、という形です。
先生に学ぶ段階で﹃貴族以上と民間人では生活が全く違う﹄とい
う事を教えられているのだ。
だからっていきなり後宮破壊の実行担当にするのはどうかと思う
けど。
﹃一度貴族社会に放り込めば必死に学ぶ﹄って﹃池に放り込んで
命の危機になれば泳げるようになる﹄くらいの無茶な言い分ですぜ、
魔王様⋮⋮!
ここら辺は先生からの報告で左右されたと思われる。先生もその
後に鬼教育が待ち構えているとは思わなかったのだろう。
恐らく私がイルフェナで魔王様の客人という立場ながら騎士寮で
生活しているのは﹃貴族生活は無理・合わない﹄と判断されたから。
大丈夫なら守護役の実家預かりが妥当だろう。
最も安全な場所︱︱魔王様直属の親衛隊の住処︱︱である程度の
制限はあれど無理なく庶民ライフを送れ、という気使いです。騎士
なら自分の事は自分でするのが当然だしね、アルやクラウスから見
てもその方が都合がいい。
﹁ついでに言うなら民間人だと周囲に人が控えている事はないので
すよ。それ、監視されてるみたいです﹂
﹁できるだけ不自由させないようにと思っていたんだが⋮⋮﹂
﹁確かにありがたいと思いますよ? でも、そういう状況に慣れて
いない人間にとっては苦痛なんじゃないですか? 私の場合は騎士
寮で生活しているのですが、自分の部屋では一人でも壁一枚隔てて
親しい人達が居ます。必要ならば頼れる距離を保ちつつ個人として
も尊重されています﹂
1070
不自由させないように、という気遣いは正しいと思う。でもそれ
は貴族視点のものだ。
民間人がずっとその状態って物凄くストレスが溜まると思うので
すよ。
﹁エドワード殿。話を聞く限り貴方達のアリサへの接し方は教育と
いうより客人への対応のように聞こえる。民間に下った今、何の問
題も起きていないのならばアリサは学ぶ事は嫌いではなく努力もす
る子だということじゃないか?﹂
﹁ああ、そうだね。本当にそのとおりだ﹂
深々と溜息を吐くエドワードさんは本当に後悔しているのだろう。
控えていた使用人さんも俯いているってことは思う事があるってこ
とか。
ふむ、そろそろいいかな。
私はセシルに一度頷くとエドワードさんに向き直る。
﹁アリサは変わりました。だから貴方達も変わってください。まず
アリサがどういった生活をしていたかを踏まえて教育方針を決定す
べきだと思います﹂
﹁アリサ本人の能力に関係なく﹃異世界人﹄という事実の為に狙わ
れる可能性もある。彼女にも自覚を促すべきだ。今の彼女は自分を
﹃価値がない﹄と思っているだろうからな﹂
アリサは一度貴族達から見放されている。だからこそ危機感が薄
いだろう。
まあ、保護者があれだけ萎びていたので何らかの対策を取っては
くれるだろうけど。
1071
﹁わかった。君達に誓おう。私も後悔するのは一度でいい⋮⋮いや、
次は無いようにする﹂
顔を上げてはっきりと私達に告げるエドワードさん。
これならば同じ間違いは犯さないだろう。
が。
何事にも保険は必要だと思うのです。
﹁次は無い? 当たり前じゃないですか! 次にやらかしたら私達
がアリサを引き取りますから﹂
﹁ミヅキはイルフェナの騎士寮に住んでいたよな。アリサを迎えに
来ても普通に会いに行けるのか?﹂
﹁ううん! 無理! 魔王様の許可が必要だし、会いに来ても騎士
達が同席するよ﹂
﹁はは、近衛騎士も有志で来そうだな、﹃男が会いに来る﹄のだし﹂
﹁守護役どころか保護者が集合するんじゃない? 事情を知ってい
ても同じ事を繰り返した結果なら魔王様は簡単にアリサを渡さない
と思うよ、あの人親猫とか言われちゃうくらい過保護だから!﹂
ザックザックと残り少ないライフを削り取っておきます。
エドワードさんの顔色がどんどん悪くなっていくけど気にしませ
ん。 1072
いや、でも間違った事は言って無いよ? ﹃異世界人を守る﹄っ
ていう義務を放棄してたわけだしね?
次が無いどころかバラクシンの評価に繋がりますって!
﹁と、言う訳で! 冗談抜きに次なんてありませんから。頑張って
くださいね﹂
﹁ああ、アリサの保護者にも伝えた方がいいだろうな。ミヅキは敵
を黙らせる方法が暴力しかないのだし﹂
﹁攻撃されない限り仕留めないってば! 大丈夫、アリサは守りま
すよ。バラクシンに無能という評価がつくだけですから﹂
明るく楽しく碌でもないことを次々口にする私達にエドワードさ
んは今度こそ固まった。
やだなー、エマが居ないだけマシですよ?
それに。
馬鹿な事をしないよう、今のうちに釘を刺しておかにゃならんの
です。
だって、もうすぐキヴェラとドンパチやらかすじゃん?
事前に私がどういう人間か伝えておくのは優しさですよ? 国を相手に復讐計画を発動する問題児ですよ、貴方の目の前に居
るのは。
目標は自分の計画どおりに事を進めてキヴェラの災厄と事後評価
がつくことです!
今のうちに馬鹿な連中は押さえとけ!
﹁それでは! 私の凶暴っぷりを判ってもらう為に素敵な映像を御
覧下さいな。娯楽です、娯楽﹂
﹁ご⋮⋮娯楽?﹂
1073
﹁ええ! ちなみに私は役者・演出・裏方を担当、場所と出演者は
イルフェナ以外に提供してもらいました。あ、申し訳ないですが使
用人さんは部屋を出てくださいね、エドワードさんだけ特別にお見
せするので﹂
特別ですとも、物凄く!
さすがにこの映像をバラ撒こうとは思わない。もう砦の修復も終
っているだろうから証拠は当事者のみだろう。
だが、人の口に戸は立てられない。キヴェラの動向を探る上でバ
レるよう仕向けるつもりですよ、あの二人が明日も来るみたいだし!
だったら今のうちに﹃異世界人の魔導師凶暴説﹄を植え付けてお
くべきだ。
これで﹃異世界人の魔導師が王太子妃の逃亡に関わっている﹄と
いう可能性が出て来る。
あくまで﹃可能性﹄。ただし娯楽映像提供は﹃イルフェナの異世
界人本人﹄。
元々あった私の噂も手伝って絶対に無視できない状態になるだろ
う。そうなれば問い合わせ先はイルフェナ・ゼブレスト・コルベラ
の三国だ。
Q・今回のキヴェラの騒動は何が原因でしょう?
A・王太子妃だったコルベラの王女が冷遇に耐え兼ねて侍女と逃
走した。
Q・そんな事が王女個人に可能でしょうか?
A・普通に考えて無理。協力者も厳しい。
Q・では、そんな突き抜けた行動をとる御馬鹿⋮⋮いや、可能性
があるのは?
A・イルフェナの問題児もとい異世界人の魔導師ならやりかねん。
1074
魔導師=天災。しかもバラクシンにはその異世界人本人が﹃女性
二人﹄と訪ねて来ている。
ただし、ゼブレストとイルフェナのアリバイ工作があるので﹃事
実﹄とは認められない。あくまで疑惑のままだ。
疑惑だけでイルフェナとゼブレストに追及なんて真似は出来ない
ので、問い合わせ先は当事国のコルベラ一択。
キヴェラ寄りなら対外的に無関心を貫く筈なので問い合わせた国
は中立かコルベラ寄り。
姫の帰還は問い合わせがあった国に知らされるだろう。コルベラ
としても﹃心配してもらった側﹄として事の顛末を伝えねばならな
い。
結論・事の詳細が大変詳しく本来無関係の国にまで流出。
アリサの心配も本心だけど、私達の為の行動でもあるのです。バ
ラクシンを疑惑の発端にして今回の事を広める気満々です。
キヴェラよ、災厄が去った後もチクチク苛められるがいい。少々
強気な国なら今回の事を外交に活かすだろう。
直接攻撃を仕掛けるわけじゃなく、﹃案じてくれた国に誠意を見
せただけ﹄ですからね?
コルベラにもささやかながら復讐の場を与えてあげなければな⋮
⋮!
私一人が楽しむなんて真似はしませんよ。さあ、皆さんも御一緒
に!
なお、セシルとエマにこの計画を話したところ大変喜び協力を約
束してくれた。
⋮⋮うん、あの扱いに怒らない国って無いと思うんだ。一矢報い
る方向になったら目も当てられん。
1075
そんな思惑の元、砦イベントの映像を見たエドワードさんは。
﹁エド? 何だか涙目になってない?﹂
﹁アリサが自分の為に淹れてくれた御茶の味に感動してるんだよ﹂
﹁ふふ、頑張りましたものね﹂
﹁え、えと⋮⋮ありがとね、エマさん!﹂
﹃何も言うな﹄という私とセシルの無言の脅迫の下、アリサが淹
れてくれた美味しいお茶を堪能したのだった。
勿論、自分の記憶を映像に残すなと御願いしておきました。
残して上に報告しても良いけど共犯疑われるから止めとけ、と言
ったら物凄い勢いで頷かれた。
だって、明らかに映像を残す事前提で撮られてますもの。私自身
が映っている事も含め、﹃複数の視点=共犯がその場に居た﹄とい
う解釈もできる。
実際は記録用魔道具を使ったからなのだが、場所が場所だけに﹃
事前に仕掛けたのではなく共犯者の記憶を繋ぎ合せた映像﹄と思わ
れる可能性が高い。
さすがにヤバさを理解できてしまったようだ。単なる娯楽とは思
っていない。
大丈夫! あれは娯楽だ、記録とかじゃないから!
突撃して場所を︵強制的に︶借り、その場に居た人達に参加して
もらっただけ! 反論は認めない。
1076
その後、アリサと作った夕食は全員の心を非常に和ませ。
使用人達とも楽しげに話すアリサに私達は安堵したのだった。
エドワードさんも楽しげだったので何とか復活したらしい。良か
った、良かった。
※※※※※※※※※
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮エドワード﹂
﹁何も言わないで下さい。迂闊な事を言えば十倍返しで返って来ま
す﹂
﹁う、うむ⋮⋮﹂
翌日。
折角だからと昼食に招待された︱︱と、いうことになっている。
実際は気を取り直しての情報収集だ︱︱二人はやって来るなり固ま
った。
見た事も無い異世界の料理とアリサどころか使用人達と楽しげに
談笑する三人娘、そして何かを悟ったようなエドワード。昨日の状
況からは考えられない和やかな光景だろう。
﹃一体何があった!?﹄
恐らく二人の頭の中はこの台詞で埋め尽くされている。使用人達
に遠巻きにされてたもんな、私達。
アリサの護衛を兼ねているだろう人々から警戒心を取り除くのは
簡単ではない。
1077
﹁エドワード、これはどういう事だ?﹂
訝しげに尋ねるリカードは周囲の状況に納得できないようだ。
真面目だね、君。将来的にそれで足元を掬われる可能性があるか
ら気をつけた方がいいぞ?
大真面目に悪役に徹してくれる奴ばかりではないのだよ、世の中
は。
まあ、エドワードさんにこの状況を説明しろというのも酷ですね。
そろそろ助けてやろう。
﹁こんにちは、ライズさんにリカードさん﹂
飲み物を差し出しつつ二人に話し掛けるとあっという間に笑みを
作る。
おお、さすが王族です。いきなり敵意を向けるような真似はせん
のだな。
﹁ミヅキか。随分とこの家の住人達と仲良くなったようだね?﹂
﹁ええ! きっと皆さんもアリサに対して思う所があったからでし
ょうね﹂
﹁ほう?﹂
僅かに瞳を眇め興味深そうにライズさんは聞いてくる。
﹁この家の人達ってアリサに好意的じゃないですか? だからアリ
サ本人が私達と仲が良い事に加え﹃国なんぞ知らん、アリサだけは
守る﹄という意気込みを感じ取れば仲間意識も手伝って好感度は上
昇します﹂
彼等はアリサ以上に国を優先しなければならないから。
1078
だから自分達の代わりを任せられるような存在だと認識すれば好
意的になるのは当然。
アリサの御付きと言う名の教師役になっている中年の女性は﹃お
嬢様に何かあれば必ず連絡いたします﹄と約束してくれた。亡くし
た娘が生きていればアリサくらいらしく、娘の様に感じているらし
い。
﹁アリサの悪評を聞いていたのに実際はあの状態、疑問に思ってい
たところに昨日の私の説明で事情を理解したんですよ。元々アリサ
の努力を認め見守ってくれていた人達ですから私達の事も彼女を守
る手段の一つとして認識したんです﹂
﹁なるほど。仲間意識もあるがそれ以上に﹃奥の手﹄扱いか﹂
﹁でしょうね。私達にバラクシンの事情は関係ありませんから﹂
エドワードさんには心を抉る勢いで理解してもらったが。
使用人達とも話していたので今後は全員の協力の下、アリサの教
育が行なわれるのだろう。
﹁ところでね、ミヅキはキヴェラという国をどれくらい知っている
かな? 昨日君も言っていたように少々騒がしいのだが﹂
周囲の状況に納得したらしいライズさんは本日の目的を達成する
ことにしたようだ。
下手に暈して聞くより直球で聞いた方が早いと思ったらしい。リ
カードさんもライズさんの傍に控えながらこちらを伺っている。
昨日の映像はあくまでも﹃夢﹄であり、私達が知っているのは噂
に過ぎない。今日は確実な情報として私に振ってきている。
﹁そうですね⋮⋮国としては知っています。私はイルフェナ在住で
すから情報を少しは耳にしますよ﹂
1079
実行もしたけどな。﹃知っているか﹄と聞かれたので﹃知ってい
る・いない﹄で答えますよ。
﹁王太子妃が逃亡したそうだ﹂
﹁あら、確定したんだ? ではあの夢は事実だったのでしょうか。
あれ、でも誓約がありますよね?﹂
﹁ほう、誓約の存在を知っているのかね?﹂
﹁黒騎士達から聞きました! ﹃逃亡しようが誓約がある限り逃げ
られない﹄って﹂
事後解説でしたが。
嘘は言っていない。セシル達からもっと詳しい内容を聞いたけど。
﹁なるほど、イルフェナも逃亡したという噂くらいは掴んでいたの
か﹂
﹁そうみたいです。でも噂の域で事実と断定してませんでしたね﹂
﹁何故かな?﹂
﹁街の噂に過ぎないからですよ。あの冷遇が事実なら逃亡したと見
せかけた場合もあるんでしょう? それに捜索にあたっている騎士
達は随分と落ち着いていたそうですよ﹂
﹁キヴェラ王の罠という可能性か!﹂
﹁その可能性も疑っていたみたいです﹂
なるほど、と二人は頷いている。キヴェラ王は逃亡を簡単に許す
ような人だとは思っていないらしい。
王太子の評価が元々アレなので廃嫡狙いで問題を起こさせたとい
う見方も納得できるようだ。
⋮⋮私が言った事は嘘だけど。
1080
逃亡成功は私の性格の悪さがキヴェラ王を上回っただけです。
﹁実は逃亡には少し無理があると思っている部分もあるのだよ。侍
女も一緒だそうだ。キヴェラ相手に女性だけの逃亡というのは少々
信じ難い﹂
﹁へぇ、それは目立ちますね。高貴な方と貴族令嬢の侍女達で旅は
困難でしょうに﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮何か?﹂
﹁いや。そうだね、私もそう思う﹂
私も事実と嘘を混ぜて言ってますが貴方もやりますね、ライズさ
ん。
ライズさんはわざと言葉を足りない状態にして話題を振っている。
それに引っ掛かれば王太子妃の一行だと確信が持てる、といったと
ころだろうか。
王太子妃の逃亡が確実な情報なら疑いますよね、やっぱり。
﹃誓約の存在﹄⋮⋮重要な事だが解呪に関わったならば避けたい
話題。
﹃侍女も一緒﹄⋮⋮人数は言っていない。通常ならば王太子妃付
きの侍女は複数という認識。
﹃女性だけ﹄⋮⋮協力者の有無は不明。姫と侍女だけならば﹃逃
亡は困難﹄という発想が一般的。
良くも悪くも個人の意見は﹃一般的﹄な模範解答ですよ、私。そ
れ以外はイルフェナの見解を与えられた情報として口にしているだ
け⋮⋮という風に装っています。
私達が知っているのは王太子妃の冷遇と逃亡の噂のみ。ライズさ
んに聞く前まではそういう設定だ。
1081
イルフェナでは噂として聞いたけど今事実として知りました、と
いう感じですね。
迂闊に個人的な意見を混ぜようものなら即座に﹃どうしてそう思
う?﹄と突っ込まれるだろう。
警戒すべきは﹃当事者しか知らぬ情報を引き出される事﹄だから
ね、セシル達もさらっと流している筈だ。
昨日の﹃夢﹄はあくまでも冷遇の証拠映像と言われているもの。
それが事実かどうか﹃私達は知る筈がない﹄。
尤も⋮⋮あの映像を持って来たのが魔王様の命令という線も捨て
てはいないだろう。情報交換をして来い的な感じで。だから今私に
伝えたんだろうな。
躓く事無く言葉を返す私にライズさんは一度溜息を吐くと話題を
変えた。
これ以上情報を聞き出すのは無理だと判断したらしい。しつこく
尋ねてイルフェナにチクられても困る、といった部分も本音だろう
けどね。
﹁君はこのままイルフェナに帰るのかな?﹂
﹁いいえ? アルベルダの友人に会いに行きます﹂
﹁アルベルダ?﹂
﹁ええ。元の世界と違って時間がかかるので、今回は一度に友人達
を訪ねてしまおうと思って﹂
異世界人なので護衛とか許可が必要なんですよね、と続けると納
得したとばかりに頷かれる。
﹁基本的にイルフェナやゼブレストの限られた場所しか行かないの
で楽しみなんですよ﹂
﹁⋮⋮そうか。よき旅を﹂
1082
﹁ありがとうございます。ああ、そうだ。イルフェナを発つ前に聞
いたんですけどね⋮⋮﹂
ちょっと失礼、と背伸びして耳元に口を寄せる。
ライズさんは訝しむも抵抗はしなかった。
﹁む? 内緒話かね?﹂
﹃ええ、だって⋮⋮キヴェラのゼブレスト寄りの砦が落ちた、とい
う噂ですから﹄
﹁な!?﹂
思わず声を上げたライズさんに人々の視線が集まる。
﹁ミヅキ、何を言ったんだ?﹂
﹁内緒話だから秘密ー﹂
セシルの問いかけにわざとらしく返す。リカードさんは聞こえな
かったらしくライズさんを窺っている。
﹁ミヅキ、ちょっと隅へ﹂
ちょいちょい、と手招きしながら移動するライズさんの言葉に合
わせるようにリカードさんは私の腕を取り引き摺っていく。
﹁⋮⋮詳しく教えてくれないか﹂
﹁詳しくも何も今伝えた部分が全てですよ。何せ制圧された形跡は
ないみたいですし﹂
﹁何?﹂
うん、やっぱり食い付いて来ますね。その﹃奇妙さ﹄こそ興味を
1083
抱かせる重要なポイントです。
﹁一度落ちてそれっきりらしいんですよ。だから﹃誰が落とした﹄
のか不明なんですって。情報元は国境付近の村人らしいですよ? 兵の扱いの酷さに退役したとか﹂
﹁ふむ・⋮⋮﹃誰﹄というのは? 組織でなければ国が疑われる筈
だが﹂
﹁それがですね、﹃復讐者﹄と名乗ったそうです。挨拶代わりに一
発入れたみたいな感じなんでしょうかね?﹂
ライズさんもリカードさんも難しい顔で考え込んでしまっている。
確かにこれだけで状況を察しろという方が無理だ、退役した兵の
証言しかないのだから。
しかし、王太子妃の逃亡にも関わらずキヴェラが動かぬ事実に信
憑性が増す。
実際、王太子妃に逃亡されながら殆ど動かぬキヴェラを訝しく思
う人は多いだろう。
諜報員を向かわせる先は上層部の考えを探る意味も含め王都周辺。
だから﹃強国﹄という立場を揺らがせるような﹃噂﹄を掴ませる
為には誘導が必要だ。
イルフェナで聞いたところ、私がやらかした程度なら砦の修復は
容易いらしい。ならば証言という不確かなものが残っている証拠の
全て。魔道具で記憶を見せてもらうというわけにもいかないだろう
し。
﹃各地の砦に兵が増員されている﹄という情報も含めて是非真実
に迫っていただきたい。
そのまま逃亡したところでコルベラに味方は少ない。
1084
周辺諸国には﹃キヴェラに勝てる﹄と思わせる要素を掴ませる必
要があるのだ。
何より人から齎された情報ってだけだと素直に受け入れてもらえ
ない可能性がある。
自分達で必要な情報を得てもらわなければ困るのだ。
その切っ掛けになってもらいますよ! バラクシンの皆様?
﹁君は何故その情報を我々にくれるんだ?﹂
﹁アリサと私の為ですよ。周辺諸国が正しい情報を掴んでいれば混
乱はキヴェラだけで済みますから﹂
﹃だって、混乱が連鎖しても鬱陶しいでしょう?﹄
にやり、と笑ってひっそり告げる私に二人は一瞬顔を引き攣らせ。
﹁君は⋮⋮本当にイルフェナの魔王によく似た考えをするね﹂
﹁⋮⋮悪夢のようです。おい、そこは建前でも﹃無関係な人々が困
らぬ為﹄とか言わないか?﹂
﹁自分に正直なのです﹂
﹁つまり本音だと?﹂
﹁逞しいというか、よく躾られていると言うか⋮⋮﹂
﹁褒めても何も出ませんよ?﹂
﹁﹁褒めてない、褒めてないから!﹂﹂
何故ハモるかな? 二人とも。
でもこれでキヴェラの強国神話に皹を入れる事はできそうだ。
後は⋮⋮追っ手の皆さんがどう出るか、かな?
1085
友情と一滴の裏工作︵後書き︶
先生の﹃目立たぬよう努力なさい︵=﹃個人﹄を表に出すな︶﹄と
いう教えは様々な場面で活かされています。
災厄は地道に活動中。強国の認識を揺らがせたり、コルベラへ問い
合わせが行くように仕向けてます。
1086
ミヅキという異世界人
アリサ達と親交を深めた翌日。
私達はアルベルダへと旅立った。今のところ追っ手も無く平和で
す。
どうもライズさん達の反応を見る限りキヴェラは表立って動いて
ないっぽいな、砦イベントの威力って凄ぇ。
尤も、そうなったのは国の上層部が非常にまともな対応をしてい
るからだと思われる。
誓約という最強の切り札がある以上は復讐者達︵仮︶の事を優先
しますね、普通。
﹁いいんですかね、こんなに良くして戴いて﹂
﹁気にするな﹂
そう返すのはリカードさん。
彼は私が情報を齎した事に感謝し、アルベルダの国境まで送って
くれている。
更に破格な事にライズさんの口利きにより国境付近まで転移法陣
を使わせて貰えた。
ここまで来ると本来の身分が誰でも判る。隠してる意味あるのか
ね?
いや、ライズさんも私達が気付いていると思ったからこういった
手段をとってくれたんだろうけど。
﹁口止めか、口止め料代わりなのか﹂
﹁⋮⋮。すまない、答えられん﹂
﹁じゃあ、﹃これから忙しくなるから危険人物をさっさと他国に捨
1087
てて来い♪﹄的な感じ?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁無言は肯定ととるぞ、護衛騎士﹂
更に突っ込むと無言で顔を背けられた。
無表情を取り繕いながらも微妙に隠し切れていないね、リカード
さん。
駄目だな、そこはにこやかに﹃どうでしょうね?﹄位は言わない
と!
﹁まあ、ミヅキってば楽しそう﹂
﹁楽し⋮⋮!?﹂
﹁ああ、リカード殿をからかって遊んでいるな﹂
﹁二人ともネタばらししちゃ駄目!﹂
軽く睨むと楽しげな笑い声が返ってくる。
二人も楽しんでるみたいですね。類友達よ、君らも十分酷いぞ。
セシルとエマの援護射撃と言う名の突き落としにリカードさんは
今度こそ絶句した。
思わず勢い良くこちらを振り返るあたり会話はしっかり聞いてい
た模様。
﹁今更じゃないか﹂
﹁そうですわ。それにミヅキはリカード様の欠点を教えようとして
いるのでは?﹂
笑いながらも私を窺うエマの言葉にセシルも頷く事で同意する。
あらら、やっぱり気付いてましたか。
でも、この二人にも判るくらい判り易い欠点なんだよね。
言われた対象であるリカードさんは私に視線を戻しながらも内心
1088
首を傾げているようだ。
まあ、本人だと判り難いかもしれない。特別に教えてあげよう。
﹁真面目過ぎるんだよ﹂
﹁何?﹂
﹁考え方が硬過ぎる。お忍びであっても護衛という形を崩さないか
ら判る人にはライズさんの正体がバレるよ﹂
﹁自らの職務に忠実であるのは当然だが⋮⋮﹂
﹁うん、普段はね。でも御忍び中に同じ態度を取ってると目印にし
かならないよ? それに、ただの貴族に毒見役なんてつく?﹂
この二日間のエドワードさんとリカードさんの態度は実に判り易
いものだった。
まず口に入る物は何を出しても二人が先に手をつける。ライズさ
んは二人が口にしてから暫くして手を出す、という状態。
これは私が魔導師だから警戒されない為に解毒の魔道具を置いて
来た為だろう。
別に貴族が持っていても不思議はないけど、今回の設定は﹃友人
の家を訪ねた貴族﹄。毒殺の心配なんてしてませんよ、という意思
表示か。
自分の客人を紹介するくらい親しく、信頼しているのだと見せつ
ける意味もあったと推測。
加えて言うなら解毒の魔道具を常に身に付けていなければならな
いような立場の人間に軽々しく情報を口にするはずがない。⋮⋮普
通なら。
エリートコースから外れたエドワードさんの親しい友人で毒殺の
危険無い人物ならば国の中枢に関わっている等とはまず思われない
もんな。
⋮⋮という事を正直に言ったらリカードさんは落ち込んだ。
1089
まさか自分達の態度が立場を見破られる原因とは思ってなかった
らしい。
﹁リカードさんの態度ってさ、近衛の勤務態度そのままだからねぇ。
﹃御守りします!﹄って力一杯主張されると重要な人物は誰なのか
すぐに判るよ。気をつけた方がいい﹂
﹁こう言っては何だが、いっそライズ殿とは友人として接した方が
バレないと思うぞ? 見た目からして武術を嗜んでいそうなリカー
ド殿が危機を察する術に長ける事も抗う力がある事も不自然ではな
いのだし﹂
﹁ライズ様はどちらかと言えば文官寄りですものね。特に会話を先
導する事も含めて誤魔化しが効くと思いますわ﹂
流石ですね、お二人さん。
って言うか⋮⋮キヴェラで普通に出歩いていたしね、君達は!
そうか、そんな風に設定を作っていたのかい。それでバレなかっ
たのなら確かに効果はありそうだ。
セシルとエマの言葉は実に的確ですよ。確かにそれなら無理はな
い。
得意分野が違っても気が合う友人同士ならば互いの長所を理解し
ている。
危険が迫るならば武に長けた者が、会話を弾ませたいならば話術
に長けた者が担当する。
初めから﹃互いに無い物を持つからこそ気の合う友人なんですよ﹄
的な事を言っておけば大体の人は納得するだろう。
ついでに﹃自分を守る術がないので常に備えているんです﹄くら
い言っておけば解毒や結界の魔道具を持っていても怪しまれまい。
実際、そういう貴族は多いのだし。
1090
﹁そうか⋮⋮確かに思い当たる事はあるな﹂
﹁逆に言えば誰かに王族的な態度を取ってもらえれば、狙われた時
も対処できるんじゃない?﹂
﹁何?﹂
﹁あまり褒められたやり方じゃないけど囮にするってこと。幻覚系
の魔道具ならば姿を偽る事くらいできるでしょ?﹂
護衛に付いている人間がその対象以外を守るなどありえない。だ
からその対象が狙われた時に別人の安否を確認すればどうなるか。
当然、その時心配された人物が﹃本物﹄だと襲撃者は思い込む。
後は偽物だと思わせた本物の護衛対象を予め決めておいたとおり
周囲の人間から隠せばいい。
身代わりを危険に晒す人でなしな方法だが王族を優先するのは当
然なのです。リカードさんは自分が犠牲になる事は当然と考えてい
ても、誰かを犠牲にして守るという方法には思い至らないだろう。
﹁君は本当に民間人らしからぬ考え方をするな。それも教育の賜物
か?﹂
﹁そんなところです。私は善人ではないし、偽善者になるつもりも
ありませんよ﹂
そう返すとリカードさんは複雑そうな表情で黙り込む。
うん、私を信用する必要はないよ。君は自分の判断で自分の大事
なものを守っておくれ。
ただ﹃そういう方法﹄もあるってことだけ覚えておいた方がいい。
﹁何故そんな事を教えてくれるんだ? 君に何らかの恩恵があるわ
けじゃないだろう?﹂
﹁利点も恩恵も無いですね。ただ、ライズさん共々簡単に死んで欲
しくないってところでしょうか﹂
1091
﹁アリサの為か?﹂
﹁それもあります。ですが個人的にも惜しい人物ですよ﹂
にこり、と笑う。
私だけじゃなく、グレンの傍にも味方でいてくれた人達が居ただ
ろう。
ライズさん達はアリサにとって間違いなく﹃味方﹄だ。彼女の態
度を見てそう思う。
あれだけ周囲に怯えていた子が貴族や騎士相手に普通に接する筈
はない。
﹃利害関係無しに味方でいてくれる人達﹄を同じ異世界人である
私が好意的に見ても不思議はないでしょ?
私から情報を聞き出すという目的があるならばアリサを利用した
方が確実だ。
だが、彼等はアリサを巻き込もうとはしなかった。
それで十分ですよ、御二方。
﹁さて。そろそろ国境ですね。少し見物したいから先に行くね﹂
そう言って彼等を置いて一人先に行く。
大丈夫だとは思うが警戒するに越した事は無い。リカードさんが
同行している状態で追っ手が現れれば共犯を疑われてしまうだろう。
それは避けなければならんしね。
﹁気をつけてな﹂
セシル達も目的が判っているので敢えて追って来ない。
護衛が多少外れても問題無い旅だと示す意味でも過剰な心配をし
1092
ないだろう。
そして私は注意を国境へと向けた。
※※※※※※※※※
ミヅキの後姿をリカードは困惑した表情で見送る。
その表情にセシルとエマは時間稼ぎも兼ねて声をかけた。
﹁どうした、リカード殿﹂
﹁いや⋮⋮ミヅキ殿は恐ろしいのか優しいのか判らんと思ってな﹂
アリサの為に笑顔で脅迫してくるかと思えば有益な情報を惜しげ
も無く齎す。
目的の為に平然と他者を切り捨てる冷酷さを持ちながらも騎士に
助言する。
いっそ利点があるならばまだ彼女の行動に納得できただろう。
そう思うほどに彼女の言動はリカードにとって得体の知れないも
のに映った。
﹁難しく考える必要などありませんわ。ミヅキは自分に素直なだけ
ですもの﹂
﹁自分に素直⋮⋮?﹂
﹁優先すべきものを明確に位置付けている事は事実ですわ。ですが、
個人的な感情を殺す事もしないのです﹂
﹁最良の結果を出す事を常に考えてはいるだろうが、それ以外を疎
1093
かにする気もないんだ。それに一方的に与えるのではなく、手を差
し伸べた対象に結果を出させるという傾向にあるのは自分がそうい
った教育を受けたからなのだろう﹂
例えば今回齎された情報。
それを活かすも捨てるも情報を得た者達次第。ミヅキがした事は
﹃切っ掛け﹄に過ぎず、結果を出すのはバラクシンである。
アリサに関しても﹃教育の場を整える事﹄であって、全面的な守
りではない。
彼女と周囲の成長と自覚を促し、変わる切っ掛けとなっただけで
ある。
淡々と説明するセシルにリカードの中でミヅキに対する違和感が
消えていく。
そして二人の言った意味も理解できた。
﹁彼女の行動は⋮⋮利害関係の一致と個人的な思惑に分けて考えれ
ばいいのか﹂
﹁そういうことだ。全てを利害関係の一致で括ればあまりにも不自
然だし、逆に個人的な感情で括るにはどう考えても個人の範疇を超
えている﹂
﹁だからこそ気付かなければ非常に判り難いのですわ。本人もそれ
を判っていてそういった態度を取っていますし﹂
﹃思考が読めない﹄という事ほど恐ろしいものは無い。何せ対策
をとる事がほぼ不可能だ。
逆に圧倒的な力ならば簡単だったろう。﹃防ぐ﹄か﹃敵を倒す﹄
かの二択しかない。
﹁なるほど、それならば何となく理解できる。彼女なりの先読みさ
1094
れぬ為の防衛手段なのだな﹂
﹁そういうことですわ。ですから私達は彼女の行動が理解できずと
もミヅキを信じております。私達の味方だと言い切ってくれました
から﹂
そこにあるのは信頼だけではなく利害関係の一致も含まれる。
だからこそ疑う事はない。ミヅキの望みの為には自分達の望みが
叶う事が必須なのだから。
暗に何らかの事情があると匂わせたエマの言葉にリカードは訝し
げな顔になるも、エマはその微笑で答えを拒絶する。
それはセシルも同様だ。その様に二人が貴族階級以上の存在だと
リカードは確信する。
﹁きっと彼女は優しいのだろうな⋮⋮﹃友人﹄である君達の為に﹃
圧倒的な力﹄さえ平然と敵に回しそうだ﹂
﹁ふふ、そうですわね。きっとミヅキならばやるでしょう﹂
﹁⋮⋮。やるだろうな﹂
それで会話を打ち切ると三人はミヅキの待つ国境へと足を進める。
﹃知らなければ良い﹄のだ、これ以上の会話は必要ない。
﹁ああ、そうだ。これは俺の独り言なんだが﹂
不意に足を止めリカードはセシルとエマを振り返り。
﹁苦難に立ち向かう者に幸あらんことを。君達の﹃旅﹄が幸せな結
末に終るよう願っている﹂
贈ることができるのはその言葉だけ。
1095
それでも一欠けらの好意は確実に彼女達に伝わるのだろう。
その後リカードが﹃鬼畜﹄という言葉の意味を様々な意味で思い
知り、己が判断に再び悩むのは暫く経ってからのことである。
※※※※※※※※※
﹁こちらにどうぞ。じきにグレン様が到着されますので﹂
﹁⋮⋮﹂
国境を越える直前にリカードさんと別れ。
アルベルダの警備兵に旅券を見せた直後。
﹁貴女様は!? どうぞこちらに!﹂
そんな台詞と共に警備兵に詰め所の奥にある部屋に案内されまし
た。
茶も出され客人待遇です。一体何があった。
﹁えーと。私達は一般人なんですが﹂
あまりに普通とは言い難い扱いに訝しげに尋ねれば、警備兵は深
々と頭を下げた。
だから、私は、民間人だと⋮⋮!
﹁申し訳ございません、説明不足でございました。我々はグレン様
1096
より客人をもてなせと命を受けております﹂
あぁ∼かぁ∼ねぇ∼こぉ∼? お前が原因かぁぁぁぁっっ!
ビビるだろ!? 拘束されるかと思ったじゃないか!
それ以前に彼等は不審に思わなかったのだろうか? 知将と言わ
れる人物の客が年齢的にも身分的にも小娘なんて。
そんな感情が顔に出たのか、警備兵は笑って言葉を続けた。
﹁我々は元あの方の部下だったのです。新人の中には救われた者と
ています。グレン様からの頼みならば喜んで引き受けましょう﹂
﹁へぇ⋮⋮グレンは慕われてるんだね﹂
何気なく呟いた言葉に彼は大きく頷く。
﹁あの方は結果を出すだけではなく、民の視点に立ち物事を考えて
くださいます。そういう方が王の信頼を得ているという事がどれだ
け我らにとって救いとなるか⋮⋮﹂
﹁あ∼⋮⋮内乱があったんだっけ﹂
﹁はい。お恥ずかしい話ですが、ある王とその御機嫌取りでしかな
い者達の為に我が国は荒れました。それを共に苦労しながら国を建
て直してくださったのが今の国王陛下なのです﹂
詳しい事は知らないが色々と苦労があったのだろう。彼等にとっ
てそんな時代を終らせてくれた王は英雄であり、王を支えた者達は
敬愛すべき存在なのか。
まあ、グレン個人の苦悩を考えなければ理想的な側近の一人だと
言える。
何せ彼は元々庶民。その比重はどうしても近しい立場の民に傾く。
しかも異世界の知識を活かす術があるなら﹃手を差し伸べてくれ
た者達の為﹄に躊躇わず使うだろう。
1097
そこに善悪など関係ない。グレンもまた必死だっただけなのだか
ら。 ﹁いらっしゃいました!﹂
若い男性の声はどこか嬉しげだ。その言葉に釣られるように見た
先に友人の姿を見つけ笑みを浮かべる。
﹁久しぶり、グレン﹂
﹁よく来たな、ミヅキ。それから﹃護衛﹄の二人も歓迎しよう﹂
おいおい、一応私達の設定はイルフェナ三人娘なのですが。
他の人が聞いているのに、あんたの友人は護衛の付く立場だと教
えてどうする。
だが。
﹁グレン様。彼女は貴族階級の方だったのですか?﹂
﹁うむ、近衛騎士団長の娘だ﹂
はい?
初耳ですよ? いや、﹃母様﹄発言はあったけどね!?
困惑する私を他所にグレンと騙されている哀れな警備兵の会話は
続く。
﹁放っておけば親の背を追って騎士団に入ると言い出しかねんから
な、医師のゴードン殿に師事させて宮廷医師の弟子ということにな
っておる﹂
﹁こんな御嬢さんが騎士、ですか?﹂
﹁侮らん方がいいぞ? 魔術師だからな﹂
1098
﹁何と⋮⋮優秀なのですね﹂
⋮⋮もしもーし?
赤猫。お前、さらっと嘘吐いてるんじゃねぇよ。
ジト目で睨むと﹁お前の親から事前に手紙を貰っているぞ﹂と一
通の手紙が手渡される。
﹃ミヅキへ。
君の偽りの身分が宮廷医師の弟子になっている事は知ってるよね?
近衛騎士達がそれを更に疑われないようにする為に協力を申し出
てくれた。
聞いたように君は近衛騎士団長夫妻の娘という事になっている。
︵先日の﹁母様﹂発言もこの為らしいよ? 映像が記録されてい
るそうだ︶
近衛騎士達がそれを事実だと証言してくれるから安心なさい。
突き抜けた行動をしてもあの夫婦の娘という設定ならば誤魔化せ
る!
グレン殿には説明してあるから話を合わせるようにするんだよ。
﹄
⋮⋮。
魔王様。
貴方、面白がってイルフェナでは私達に黙っていましたね⋮⋮?
あの擬似親子な会話はこの仕込みだったのか!?
手紙を背後から覗き込んでいたセシル達も生暖かい視線を私に向
けている。
﹃あの保護者相手では大変だな﹄
﹃知らない間に御両親が出来ていたのですか﹄
1099
そんな言葉が聞こえてきそうな気がします。 ﹁とりあえず移動するか。色々考えるのは後にするのだな、ミヅキ﹂
﹁⋮⋮はーい﹂
促すグレンに従い馬車に乗り込む。
さて、グレン⋮⋮と言うかアルベルダはどういう方針なんでしょ
うかねー?
1100
ミヅキという異世界人︵後書き︶
﹃守り方﹄にも色々あります。
リカードは堅物設定。普通に遊びに来ていたら主人公の玩具確定。
1101
アルベルダの思惑
警備兵達に見送られ︱︱仕事はいいのかい、君達︱︱現在、グレ
ンの家へ向かう馬車の中。
セシル達は私とグレンの砕けた態度に呆気に取られてます。
まあ、そうでしょうね。一応、説明しておいた方がいいだろう。
﹁セシル、エマ。グレンは現在アルベルダに居るけど元は私と同じ
世界の人間だよ。ただし、私より二十七年ほど前のアルベルダに迷
い込んだけど﹂
﹁異世界人だと!? アルベルダに異世界人が保護されたなど聞い
た事は無いが⋮⋮﹂
﹁内乱でそれどころじゃなかったみたい﹂
﹁うむ、落ち着いた頃にはどうでも良くなっていてな。結局、その
まま戸籍を作ったから儂が異世界人ということはあまり知られてい
ないだろう﹂
﹁⋮⋮。それを﹃どうでもいい﹄で済ませるあたり、ミヅキの御知
り合いですわね﹂
グレン、早くも私の同類認定されたようです。
まあ、異世界人にとって国の保護は生命線に等しいから﹃生活で
きるし面倒だから無視﹄で済ませる奴もそうそう居ないのだろう。
⋮⋮内乱真っ只中に放り込まれたから苦労も命の危機もあった筈
なのだが。それ故に保護されていようがいまいが大差は無かったと
も考えられるけど。
﹁で、グレン殿とミヅキの関係は?﹂
1102
さすがに同郷意識だけではなかろうとセシルが尋ねてくる。
その問いに私とグレンは揃って首を傾げ。
﹁友人だよ?﹂
﹁師弟でもあるが﹂
﹁弟分の方が正しい気が﹂
﹁ふむ⋮⋮ヴァルハラの皆には随分と可愛がってもらったからなぁ﹂
﹁﹁⋮⋮はい?﹂﹂
当時の︱︱勿論ゲーム内での関係を口にするとセシルとエマが目
を丸くする。
﹁⋮⋮ミヅキの方が年上、なのか? しかも弟分?﹂
﹁元はね。だってグレンは十七でこっちに来たらしいし﹂
先程説明したのだが、やはり違和感が拭えないらしい。
﹃同じ時間からこちらに来ても違う時間に辿り着く事もある﹄な
んて今回で初めて判った事みたいだもの。いきなり﹃そういうこと
もある﹄とは理解できんわな。
特に私がグレンに対し普通に接している事も含めて時差がある友
人関係だとは思わなかったのだろう。
まあ、そうだよね。知り合いがいきなり年取って現れて尚、以前
と変わらぬ関係築けてますから、私達。
﹃馴染むのが早過ぎだ!﹄とは言われましたとも。
﹁それでよく御互いが判りましたわね。グレン様はかなり様変わり
されたでしょうに﹂
﹁グレンが気付いてくれたんだよ。ちなみに弟分という言葉から判
るようにグレンも頭脳労働派です。甘く見ない方が良い﹂
﹁それでもお前に勝てる気はしないがな﹂
1103
私の言葉にグレンは苦笑する。
いや、赤猫。それは以前のままだった場合の話だろ。
﹁現実で経験を積んでるから以前の様にはいかないでしょう。立場
も違うし状況によって変わると思うよ?﹂
軽く首を傾げて口にするもグレンはあまり納得できないようだ。
⋮⋮。
何かトラウマ作ったっけ? 私。
﹁いや、その⋮⋮お前が敵に対して容赦しないのは判っているんだ
がな? あの頃と違って個人で行動できる強さを持っているだろう
?﹂
﹁ああ⋮⋮そう言うこと﹂
日陰の頭脳職は後衛向きどころかほぼ戦力外。しかも防御力は紙。
特殊ジョブの賢者だろうとそれは同じ。﹃神の英知に到達した者﹄
という設定上、強力な全体魔法はあっても非常に使い難かったのだ。
威力が大きいものほど詠唱時間が長いという設定なので強力な全
体魔法を使う時は隙だらけ。詠唱中に攻撃を受ければ当然キャンセ
ル扱いなので使うリスクが高過ぎだった。護衛役必須です。
全ては﹃賢者なんだから使いどころも自分で見極めろ﹄という運
営様の方針なのだが。
﹃神の英知に片足突っ込んだはいいが、使用説明書が無いから仲
間に頼りつつ試行錯誤し自力でものにする職業﹄とは当時の仲間の
御言葉。強力な魔法を持っている=無条件に強い、ではなかったの
だ。
現在、私が有利に戦闘を行なえるのは無詠唱・複数行使可能とい
うことが大きな要因。威力のみで考えれば一つ一つは魔術師レベル、
1104
重要なのは魔法の威力ではなく適した使い所だ。 ﹁あの状態でさえ鬼畜だ悪魔だと呼ばれていたお前が魔法を手足の
様に操るのだぞ? どう考えても以前より攻撃の幅は広まっている
だろうが﹂
﹁それ私個人の功績じゃなくて私が目立ってただけなんだけど⋮⋮
まあ、個人で動けるようにはなったね﹂
﹁加えて保護者がイルフェナの魔王ときた。手におえん﹂
⋮⋮。
グレン、君は私に一体どういう印象を持っていたのかね?
いや、言われた事は思いっきり事実なんだけど。
﹁そんな訳でな、相変らず勝てる気がせんのだよ﹂
﹁ああ、そう。⋮⋮うん、色々な意味で納得﹂
﹁尤もそれがアルベルダに向くならば死力を尽くしてみせるがね﹂
にやり、と挑戦的な笑みを浮かべるグレンに対し。
﹁上等!﹂
私も同じような笑みを返したのだった。
互いに優先すべきは別のもの。
﹃重要なのは最終的に望んだ結果を出すこと﹄だと教えたのは私。
だから御互い手を抜くなんて事はしませんよ?
一方、思い出話に興じる私達の会話を聞いていたセシルとエマは。
﹁まあ、ミヅキってば以前から頼もしかったのですね!﹂
1105
﹁中々に面白そうな話だな。時間があったら詳しく聞きたいものだ﹂
ドン引きするどころか絶賛してた。寧ろ面白がっていた。
本日も平常運転です。それでいいのかよ、姫様と侍女。
※※※※※※※※※
で。
馬車の中で楽しく過ごした私達を待っていたものは。
﹁ようこそ、異世界の魔導師殿?﹂
好奇心を隠そうともしない小父様でした。豪快な性格らしく、呆
気に取られてガン見する私の態度を気にした様子もありません。
アンタ、誰。
⋮⋮。
⋮⋮。
ええ、現実逃避は良くないって判ってますよ。判ってますけどね
!?
転移方陣使ってグレンの館に来た段階で手回し良過ぎとは思った
けどね!?
通された部屋に近衛騎士連れた高貴な御方︱︱明らかに王族︱︱
が待ち構えてるとはどういうことだ、赤猫ぉぉっっ!
1106
﹁あ∼⋮⋮警戒するのは判るがグレンに殺気を向けるのは控えてや
ってくれ﹂
﹁警戒よりも散々勝手な事をしやがる赤猫を〆たいだけです﹂
﹁ああ、うん⋮⋮聞いていた通りの性格だな。とりあえず落ち着い
てくれないか。⋮⋮グレンも部屋の隅に逃げてないでこっちに来い
!﹂
﹁陛下、私に死ねと?﹂
﹁え、そこまでやるのか? 友人なんだろ?﹂
﹁友人だろうと生かさず殺さず手加減しないのがミヅキですぞっ!﹂
よく判っているじゃないか、グレン。
そこまで判っていながらこの状態だ。今更、青褪めようが冷や汗
流そうが﹃無かった事﹄にはしないからな?
護衛の騎士共々、私をガン見しているこの人はグレンの言葉をそ
のまま信じるならアルベルダ王なのだろう。
当たり前だが王様は側近の家だろうとそう簡単に訪れる事は無い。
私達の扱いはアルベルダ王が望んだから、ということなのか。
訝しげな視線を向けるとアルベルダ王︵予想︶は決まり悪げに頬
を掻いた。
そして。
﹁すまん! 俺がグレンに頼み込んだんだ﹂
謝った。
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
⋮⋮は?
⋮⋮。
ええっ!?
1107
謝っちゃったよ、頭下げちゃったよ!?
いいのかよ、王様!? 簡単に頭を下げちゃ駄目でしょ!?
思わぬ事態に警戒心も何処へやら。こちらも全員規格外だが更に
上手が居ましたね。
え、何この規格外見本市状態。守護役といい、私は規格外ホイホ
イか何かか!?
ってことは護衛の近衛騎士達も一見まともで内面ぶっとんだ人々
が︱︱
﹁いや、こいつらは普通﹂
﹁⋮⋮なんだ﹂
﹁期待に沿えず申し訳ない﹂
騎士達に期待の篭った視線を向けると、察したアルベルダ王︵予
想︶が否定の言葉を紡ぐ。
いえ、私が勝手に期待しただけですから御気になさらず。
騎士さん達も居心地悪そうな顔をせんでくれ、君達は何も悪くな
い。
とりあえずこの状況をどうにかしないとならないだろう。
どうやらある程度の情報収集はされているみたいだし?
セシル達の事までバレているかは判らないから基本的に私が話す
方向でいいだろう。
二人に目配せをすると改めてアルベルダ王︵予想︶に向き直って
一礼する。
﹁お初に御目にかかります。イルフェナで保護されている異世界人
でミヅキと申します﹂
﹁公的なものではないから楽にしてくれ。俺はウィルフレッド、ア
ルベルダ王だ﹂
1108
﹁ではこの場に限りウィルフレッド様と呼ばせていただきます。公
の場ではございませんので﹂
暗に﹃王様に会った事は無い、ということにするね﹄と告げると
察したらしい王は面白そうに笑う。
﹁ではウィルと呼んで貰おう。グレンも公の場以外ではそう呼ぶか
らな﹂
﹁了解しました、ウィル様。彼女達はセシルとエマです。私どもは
平民ゆえ呼び捨ててくださいませ﹂
﹁⋮⋮ほう? セシル殿にエマ殿、ね﹂
⋮⋮やっぱり二人を呼び捨てにはしませんか。平民だとは思って
ないね、王様?
セシルの本来の身分を知っていれば王であろうとも呼び捨てる事
は出来ない。身分はあちらが上だが、他国の王女を呼び捨てなど礼
儀に欠けるだろう。
本名ではないとは言え、あからさまに軽んじる事などできまい。
だからこれは引っ掛けの一つ。何の躊躇いも無く呼び捨てるなら
ば用があるのは私個人、それ以外ならば私達の正体は全てバレてい
るということだ。
﹁グレンに聞いていたとおり一筋縄ではいかんようだな﹂
﹁さあ、どのような評価を聞きましたのやら﹂
﹁会話に罠を張り巡らせ答えを導き出そうとする。⋮⋮貴女が聞き
たいのは俺がセレスティナ姫の事を知っているか否か、ではないか
?﹂
﹁さあ、どうでしょう?﹂
﹁今ので判らないか?﹂
﹁あら⋮⋮ウィル様はセレスティナ姫の事を知っているかと仰った
1109
だけではありませんか。そこで肯定するも否定するも貴方様の予想
が正しいと認めるようなものですわ﹂
笑みを浮かべてそう言うとこちらを探るような王の瞳に一瞬獰猛
な光が宿った。
﹃セレスティナ姫の事を知っているか﹄と聞いただけならば逃亡
する前の状態も当て嵌まる。
向こうはこちらが警戒するあまり、その質問に答えを返す事を期
待したのだ。掴んだ情報の確認も兼ねてまずは私達に喋らせようと
したのだろう。
王の質問も引っ掛けなのだ。﹃セレスティナ姫の事を知っている
か﹄とは﹃キヴェラの王太子妃が逃亡した事を知っているか﹄とイ
コールではない。
勝手にこちらが王太子妃の逃亡の事だと解釈して答える事を狙っ
ていたんじゃないのかね?
ちなみに王の質問にうっかり乗ると少々困った事になる。
この状態でいきなり他国の姫の話をするはずもないのだ、返事を
返した場合は﹃おや、何故コルベラの姫のことが気になるのかな?﹄
とでも言われて追及が始まるのだろう。
王太子妃の逃亡の事だと思ったと誤魔化そうとも、アルベルダが
得た情報と照らし合わせてチクチク追及されるに違いない。
どちらにしろ碌な事にならないので答えず暈す事が最良の選択で
すよ。
王はセシルを呼び捨てなかった。そして向けられたあの質問。
⋮⋮アルベルダは私達を逃亡中の王太子妃一行だと判っている、
ということだ。
1110
﹁はは! 中々に手強いな。腹の探り合いも楽しめそうだが今回ば
かりは時間が惜しい。こちらが折れるとしよう﹂
﹁宜しいのですか?﹂
﹁ああ﹂
そう言うと王は椅子から立ち上がり優雅に一礼した。
本来ならばセシルを前に出すべきだが、相手に正体がバレている
以上は護衛として壁になるべきだ。王もそれを判っているのか特に
私とエマを咎める事は無かった。
﹁ようこそ、セレスティナ姫。御無事で何よりだ﹂
﹁歓迎されている、と受け取って宜しいか?﹂
﹁勿論。滞在中は寛がれるがよかろう﹂
どうやら歓迎はされているらしい。
この様子では捕らえてキヴェラに突き出すということもないだろ
う。私達を捕らえるならば明らかに戦力不足だ。加えて王が人質に
なる可能性の方が高い。
暫くアルベルダ王を見つめていたセシルは深々と頭を下げる。
﹁御気遣い感謝いたします。ですが、どうぞ有事の際には御自分の
国を優先させてくださいませ﹂
﹁勿論そうさせてもらう。その場合は事前に一報入れさせる。﹃我
々が貴女達に気付かぬうち﹄に行かれるがよい﹂
﹃キヴェラが捕獲命令出してきたら連絡するね! だからこっち
が動く前に逃げてね!﹄ということか。
他人事ながらいいのかね、そんな事をして。 ﹁気にするな、魔導師殿。我等もキヴェラに対し良い感情は持って
1111
いないのだから﹂
﹁顔に出てましたか。まだまだですね﹂
﹁なに、我が国を案じてくれたのだろう? そういった面は好まし
いぞ﹂
くく、と低く笑う王は本当に楽しげだった。
そうかい、好意的なのはキヴェラが気に食わなかったからか。
情報を掴んでる上にグレンが居るのだ、私が起こした騒動だとい
うこともバレているのだろう。
褒美か。御褒美なのか、この扱いは。
気分的には﹃ブラボー!﹄という状況なのですね? 気分は喜劇
の観客か。
﹁さて。セレスティナ姫達には悪いが、用があるのは貴女達ではな
くそこの魔導師殿だ﹂
王は椅子に座り直しゆっくりと指を組む。私達にも着席を促し、
そして視線を私に向けた。
﹁まず誤解しないで欲しいのは俺の話を受けても受けなくても今の
扱いに変化は無い、ということだ﹂
﹁あら、随分良くしていただいていると思いますが﹂
﹁それ以上の物を用意しよう。報酬は︱︱我が国がコルベラの味方
になること﹂
すいっと瞳を眇めて王を見つめ返す。
相変らず楽しげな表情を浮かべてはいるが、口にした事は随分と
重い。
1112
﹁へぇ⋮⋮随分と思い切った事を仰いますね?﹂
﹁そうかもな。だが何時か起こる事態ならば貴女の居る今回が最良
の時ではないかな?﹂
﹁貴方の独断では通りませんよ、それは﹂
﹁議会の許可は出ている。アルベルダの総意と思ってくれて構わな
い﹂
ひらりと一枚の紙がテーブルの上に置かれる。
⋮⋮。
ざっと見ただけでも確かに承認されているっぽい。
だが︱︱
﹁貴方の承認印が無いように見えますが﹂
﹁こちらの条件を満たした場合のみ、ということだ。受けない、若
しくは失敗した場合は中立の立場を取らせてもらう﹂
﹁私個人はイルフェナの後見を受ける身です。迂闊な事は控えねば
なりません﹂
そっと目を伏せて制約のある立場だと告げる。
無理難題を言われても困るのだよ。防衛策は必要です。
魔王様には概ね従順だとグレンも知っているから﹃これ以上聞か
ない﹄という選択もできる筈だ。
﹁なるほど、貴女は警戒心が強かったな。すまん、言葉が足りなか
ったようだ。とりあえず内容だけは聞いて欲しい﹂
﹁⋮⋮判りました﹂
﹁感謝する。こちらの条件は﹃先日我が国に入国した団体を叩きの
めして欲しい﹄ということだ﹂
﹁は?﹂
1113
何だ、それは。
﹁妙に毛並の良いお坊ちゃん達が先日キヴェラからやって来てな?
﹃ある人物﹄を探してるらしい。尤もあまり大っぴらに動いてい
ると知られたくないのか国の方には協力要請が来ていないんだが﹂
ほう、追っ手か。グレンがわざわざ馬車で迎えに来たのはこれが
原因と見た。
でも他国に協力要請も無いってことは捨て駒っぽいな。本命はコ
ルベラで王太子が正式に謝罪する事だろうし、ついでに始末したい
奴等とか家とかあったんだろうか。
⋮⋮ん? ﹃始末したい家﹄?
もしや。
﹁そういう訳でな、場所は提供するから我が国に迷惑がかからない
よう痛めつけて欲しい﹂
﹁何故そんな事を?﹂
﹁気位の高い傲慢な連中に動き回られるのは鬱陶しい﹂
吐き捨てるように王が口にするとグレンが補うように口を開いた。
﹁あの国は一部に選民意識が根付いている。こちらがキヴェラを恐
れて口を出せない事をいいことに好き勝手しかねないのだよ﹂
ああ、納得。
つまり﹃選民意識のある連中﹄がアルベルダに来たということね。
⋮⋮。
王太子の親衛隊とか後宮警備の奴等じゃね? 追っ手になってる
の。
1114
﹃捨て駒﹄、﹃迂闊に始末できない家柄﹄、﹃毛並の良いお坊ち
ゃん﹄。
全てに当て嵌まりますよね、あの連中。
私がキヴェラ王なら間違いなく追っ手には奴等を選ぶ。身分だけ
は高い無能連中を処罰するチャンスだもの、彼等の実家も度重なる
失態に庇いきれないだろうし。
﹁あれほどの騒動を起こした魔導師殿ならば手があるのではないか
? 我々としては貴女の強さを知っておきたいという意味もある。
コルベラの味方になる以上はキヴェラに勝てるという確信が欲しい﹂
それが本音か。確かにコルベラに味方するならまずそれが最重要
だろう。
正義感で国を巻き込むことなどできないし、キヴェラに目を付け
られる危険性もあるから当然だね。コルベラの味方が欲しい私とし
てもその提案は十分魅力的だ。
だが、セシルはその提案を良く思わなかったようだ。
﹁ミヅキ、無理をするな。⋮⋮申し訳ないが私の方からお断りさせ
てもらう。友人を無闇に危険な目に合わせたくはない﹂
﹁⋮⋮友を選ぶ、と?﹂
﹁私が此処に居るのはミヅキのお陰です。どうしてそれ以上を求め
る事が出来ましょう? 我が国がやらねばならぬ事なのです、彼女
に頼る気はありません。降りかかる火の粉は仕方が無いとしても、
わざわざ火の中に飛び込む必要など無いと思います﹂
セシルの言葉に王もグレンも無言だった。
情報を得ているからこそ、セシルの言葉も納得できてしまうのだ
ろう。
1115
様々な幸運が重なったとは言え、キヴェラからセシル達を連れ出
すのはそれなりに大変だった。それはレックバリ侯爵がわざわざ私
に依頼することからも窺える。
⋮⋮依頼できる人材以前に連れ出せる実力を持つ者が居なかった
のだ。
私も砦イベントを起こしたり、魔王様やルドルフといった個人的
な人脈が無ければ厳しかっただろう。セシルもエマも捕まった場合
には自分達を犠牲にして私を助けようと決めていた。そんな二人か
らすればこの提案は受け入れられないものに違いない。
何より条件が厳し過ぎるのだ。﹃魔導師が一人で行なう﹄、﹃ア
ルベルダがキヴェラに抗議されぬような方法をとる﹄という二点が
絶対条件なのだから。
加えて言うなら下手なことをすればアルベルダが﹃復讐者達﹄で
はないかと疑われてしまう。
難易度が高いからこそ、あの報酬なのだ。セシルはそれらを察し
たからこそ断る方向にしたいのだろう。
だが。
﹁⋮⋮。一つ聞かせてもらえませんか? 追っ手の誰か一人でも立
場が判りません?﹂
﹁何? 立場というか⋮⋮旅券の情報を聞く限り騎士、それも近衛
じゃないかと思われるが﹂
﹁王太子妃の顔を知っている者達でしょうからな。後宮の警備に携
わっていた者達あたりではないかと﹂
﹁ああ! 確かに。そういや、王太子が我が国に来た時に同行して
た奴等な気がするな。映像を見れば判るぞ﹂
そこまでで十分だった。
ぎょっとしたセシルが私を振り返るがもう遅い。
1116
聞いた。
聞きましたよ、しっかりと!
﹁受けます♪﹂
﹁﹁へ?﹂﹂
がしっ! と王の手を握る。もう決めた。待ったは無し!
にっこりと笑って答えた私に王とグレンが間抜けな声を出す。
セシルとエマは慌てているけど手遅れです。
獲物が来たぜ、私の元へ!
﹁迷惑がかかるといけないので、できるだけ隔離された場所を御願
いしますね。ああ、殺しはしません。簡単に死ぬなんざ許しません
とも、ええ﹂
﹁ミ⋮⋮ミヅキ? 落ち着け?﹂
﹁うふふ! 落ち着いてるわよ、セシル。さて、どんな楽しい目に
あわせてあげようかな⋮⋮?﹂
﹁ミヅキ、お馬鹿さんを相手にする必要はありませんわよ﹂
セシルとエマが必死に止めさせようとしているけど止める気なん
てありません。
メインイベント前に奴等と遊ぶ機会を与えられるなんて気が利い
てるじゃないか。
王太子はともかく、後宮警備にあたっていた連中を〆るのは無理
だと思っていましたよ。
1117
神 様 、 ﹃ 私 の 為 ﹄ に あ り が と う !
﹁あ∼⋮⋮話を振っておいて何だが、何で喜んでるんだ?﹂
微妙な表情のまま王が尋ねてくる。
あ、ごめん。喜びのあまり存在忘れてた。 ﹁セシル⋮⋮いえ、セレスティナ姫の冷遇は御存知なのですよね?﹂
﹁あ? ああ、一応は﹂
﹁では噂の﹃夢﹄がどんなものかは御存知ですか?﹂
﹁報告で内容は聞いているが﹂
にこり、と笑って魔道具を一個取り出す。
﹁御覧になりませんか? 噂の夢。記録してありますから映像とし
て楽しめますよ﹂
﹁何故あるんだ、そんなもの﹂
﹁個人の趣味です! この楽しさを多くの人と分かち合いたいんで
すっ!﹂
ぐっ! と拳を握って力説するとグレンから生温い視線が向けら
れた。
﹁ほぉ、つまりそれにおまえが怒り狂っている原因があるというわ
けか﹂
﹁何だ、グレン。どうしてそう思う?﹂
尋ねる王にグレンは溜息を吐き。
1118
﹁陛下。ミヅキは基本的に実害が無い限り自分の事では怒りません。
興味が無いのです。ですが、それが自分の親しい者に向けられてい
た場合には⋮⋮﹂
ちら、と私に視線を向け。
﹁徹底的に報復します。それこそ冗談抜きに心が折れるまで﹂
﹁はは、何だ大袈裟な﹂
﹁大袈裟ではありません! ﹃ゼブレストの血塗れ姫﹄も過大評価
ではないと申し上げたでしょうっ!﹂
﹁⋮⋮マジ?﹂
﹁はい﹂
グレンの真剣な表情に王は顔を引き攣らせる。
やだなー、グレン。ゲームの世界じゃ死ぬとか大怪我がないんだ
から心を折るしかトドメを刺す方法が無いじゃない!
逆らってはいけない相手を心の底から理解させなきゃならないん
だから正しい行動ですよ?
それにしても王とグレンは随分と砕けた間柄のようだ。言いたい
放題ですね! まあ、グレンが居たからこそアルベルダは私に対して正しい評価
をしたのか。
⋮⋮鬼畜とか、悪魔とか。絶対に言ってるね、赤猫は。 ﹁では、御覧下さい。あまりの面白さに殺意が湧き上がりますよ﹂
﹁湧き上がるな、そんなもの!﹂
﹁煩い、グレン。良い子で見てなさい﹂
﹁あたっ!﹂
1119
ピシっ! とデコピンしてグレンを黙らせると、こちらに引き攣
った顔を向けていた騎士達が慌てて顔を背ける。
明日は我が身と察したようだ。安心しなさい、良い子にしてれば
お姉ちゃんは怒らない。
そして衝撃映像を見てしまった人達の反応は。
﹁ああ⋮⋮魔王を侮辱したのか﹂
王のその言葉が全てだった。
他の皆様はあまりの内容に言葉も無い。そして全員が疲れた表情
をしている。
グレンに至っては胸の前で十字を切っているのだが⋮⋮え、殺す
気はないよ?
﹁私、自分を恥じたのです。過小評価してしまったって。ですから
全力で事にあたらなければ失礼ですよね﹂
頑張らなくちゃ! と可愛らしく言えばアルベルダの皆様にドン
引きされた。
失礼な。努力するのは素晴らしい事だというじゃないか。
﹁と、いうわけで。とっても殺る気になってますので詳しいお話を
聞かせてくださいな?﹂
にこにこと上機嫌で先を促す私にセシルとエマは諦めたように深
く溜息を吐いたのだった。 1120
1121
アルベルダの思惑︵後書き︶
※ゲームに関する突っ込みは無しで御願いします。
セシルは主人公に負担が掛かり過ぎる事を危惧し、王の申し出を断
ろうとしました。
でも肝心の本人が大はしゃぎ。言う事を聞きません。
1122
恐ろしいものは⋮⋮
﹃奴等が次に滞在するであろう街の西に今は使われていない砦があ
る。そこを使って欲しい﹄
アルベルダ王の話は要約するとこんな感じ。今は廃墟だそうな。
何でも内乱の元凶だった先王が私腹を肥やしていた配下共々最後
に立て篭もった場所だとか。
キヴェラ寄りだし使えるんじゃないの? とも思ったけれど、先
王がキヴェラ王と通じていたという噂もあり内部構造その他がバレ
ている可能性があるから破棄したんだとか。
⋮⋮まあ、無能な王が治める国をキヴェラが放っておくとも思え
ないから何らかの繋がりがあったことは事実だろうな。
国を腐らせてから攻めた方が楽だもの。愚王ならばまともな人達
は処罰しちゃってるだろうし。
予想外だったのは現在の王が居た事、同志だけじゃなく民にも支
持を得た事、そしてグレンが居た事だろう。
﹃ちなみに砦を落とした時の功労者はグレンだ。砦を覆う形で煙を
充満させ中にいた奴等が出てきた所を狙ったんだ﹄
﹃煙は結界の意味が無い﹄なんてこの世界の人間は思いつかなか
ったんだろうな。普通は風向きにも左右されるし。
防ぐ事も可能だが、その場合は結界を作り出す時に煙を﹃物理攻
撃﹄と認識しなければならない。
炎などの触れれば怪我をするものならばともかく、煙が攻撃にな
るなんて思わなかったんだろう。攻撃魔法ならば防ぐ用意はしてあ
っただろうけど煙はどうする事も出来ません。
1123
魔法で風を起こしたとしても一時的に晴れるだけで続ければ魔力
が尽きるし、魔術師は数自体が少ない。逆に煙は燃やす物さえ用意
していれば民間人でも製作可能。持久力の差で負けたな、魔術師。
で、燻し出した所を狙って投石したらしい。その辺の石を使えば
武器も傷みません。相手が篭城していたからこそできた﹃短時間で
勝負がつき尚且つ武器も人も損なわない方法﹄ですね。
間違いなく元の世界の建物火災︱︱特番で放映された系︱︱が元
になったと思われる策だ。
私が砦イベントで使った薬の霧を煙に置き換えた状態ですね。や
っぱり使うよな、あの方法。
視界を塞がれ呼吸もままならない状況に陥った兵士など敵ではな
い。しかも話を聞く限り隠し通路からも煙を充満させたから逃げ場
が無かったと推測。
一番困るのが﹃愚王が生きたまま逃亡・もしくは行方不明﹄とい
う事態なので焼け焦げた死体にするわけにもいかなかったんだろう
な、本人確認が可能な状態で処刑なり遺体を晒すなりして確実に死
んだ事を広めなければ偽物を仕立て上げられかねないし。
﹃キヴェラを最後に頼って見捨てられたんじゃないか﹄とはグレ
ン談。場所的に可能性は高い。
アルベルダ王は事実を当然掴んでいるだろうけど、私達が部外者
なので明かせないのだろう。
そんな訳あり物件を提供していただきました。冗談抜きに人が死
んでます。
しかも獲物⋮⋮もといターゲットはキヴェラの騎士。
これはやるしかありませんよね⋮⋮!
題して﹃廃墟であった怖い話 in アルベルダ ∼二十七年目
1124
の復讐∼﹄。
ゾンビはゼブレストでやったので今回は学校の怪談をベースに恐
怖伝説を作り上げたいと思います。
キヴェラに恨みを持つ怨霊が生粋のキヴェラ人である騎士に恨み
を晴らすというシナリオです。
なお、話を合わせてもらう人々︱︱アルベルダ王の御忍びの協力
者達︱︱も用意してもらった。
ついでに役者さん達もゲットです。よし、これで私はオカルトハ
ウス製作に専念できる。
そう大まかに話したら問題発生。
﹁状況を見届けるべきだろう﹂
﹁というか俺達も見たい! 何だ、その面白そうなものは!﹂
台詞はそのままアルベルダ王御自身の御言葉です。
それでいいのかよ、王様。これ、私の見極めだろ?
そう思っていたらグレンに肩を叩かれた。
﹁娯楽が少ないのだよ、この世界﹂
⋮⋮。
既に娯楽扱いが決定したようです。セシル達も期待に満ちた目で
アルベルダ王と話していたりする。
﹁まあ、折角だからギャラリーが多い方がいいけど﹂
﹁だろう!? そう思うよな!?﹂
1125
⋮⋮グレンよ、お前もかい。
ま、娯楽が少ないってのも事実だ。特に国の上層部ともなれば趣
味に没頭する時間もないだろう。
廃墟も砦だけあって隠し部屋などがあるらしいけど、見学者の立
場上現場に居るわけにもいかない。
そんなわけで急遽グレンの館の一室にモニタールームが作られる
事になった。仕掛けられた魔道具の映像が映し出されるので酒でも
飲みながらお楽しみください。異世界の料理のアピールも兼ねて軽
食は用意しますとも。
尤も砦全体が使用されるので映し出される映像は複数になる。上
手く面白いものが映ってくれればいいのだが。
﹁ミヅキは向こうに居るのだろう?﹂
﹁うん。だからここでは本当に映像を見るだけになるよ。会話でき
るよう魔道具を持つから何か聞きたいことがあったら聞いてくれて
構わない﹂
﹁判った。基本的に儂がお前に話すようにしよう。お前の言葉をこ
ちらの全員に聞かせることは可能か?﹂
﹁できるよ。じゃあ、設定しておく﹂
﹁うむ、頼んだ﹂
ゼブレストで一度やらかしてるから手馴れたものです。あの後、
興味を持った黒騎士達の協力を得て更に楽しめるよう改良されてい
るのだ。電話がある世界の住人なので簡単ですね!
﹃皆で楽しめるようにする﹄という目的の元、ギャラリーの為に
他にも色々と無駄に開発されとります⋮⋮魔法を使えない白騎士達
が拗ねるから。
こればかりは魔法が主体になるので参加は諦めてもらうしかない
もんな。対貴族の場合は非常に有能なのだけど。
1126
﹁それじゃ役者さん達を借りて向こうで準備してきますね! 一度
戻って来るので、それまでに見学希望者を集めておいてください﹂
﹁ああ、判った。ミヅキ、役者といっても儂の館の使用人なんだが﹂
﹁こっちで調整するから問題無し! 幽霊騒動ならアルベルダの兵
士じゃないとマズイでしょ?﹂
幽霊映像製作に御協力いただくのです。他にもオカルト的な動き
をしてもらうし、映像を弄るからそれなりに見える。
そもそも映像に攻撃はできないので単に恐怖を煽る演出の一つで
す。多少の粗は問題無し。
ついでに王様が連れてた近衛の服装を借りた︱︱顔バレしても困
るので服だけ入手、強制的に脱がせた。些細な事で男が落ち込むな
︱︱ので騎士の幽霊も登場します。
﹁それよりも最初と最後を頼む人達は大丈夫?﹂
最重要とも言える立場の人を思い出しグレンに尋ねる。
奴等を砦に誘導する人と全てが終わった後に奴等を回収する人達
です。重要、凄く重要。
特に後者はオカルト体験した連中を現実に戻す役なので﹃通りか
かった民間人﹄と﹃通報を受けて調査に来た騎士団﹄という設定に
してみた。
選民意識満載の連中なので回収には騎士を使うけど、その他は民
間人を使うのでちょっと心配です。私達が姿を見せるわけに行かな
いから仕方ないんだけどね。
﹁問題ない。以前から色々と世話になっている連中でな、今回の事
も喜んで引き受けてくれた﹂
﹁⋮⋮﹃喜んで﹄?﹂
1127
﹁キヴェラが気に食わないのと単純に面白そうだから、らしい﹂
﹁あっそ。じゃあ、その人たちも見ててもらったら?﹂
﹁おお、そうしよう。喜ぶだろうな﹂
グレンの様子からして皆様ノリノリな模様。納得してるみたいだ
し、これなら大丈夫だろう。
頑張ってドッキリを成功させましょうね! ターゲットにネタば
らししないけど!
そんな訳で時は過ぎていった。
余った時間で軽食を何種類か用意したら皆さん酒を持参してまし
た。冗談抜きに娯楽として見る気満々なようです。
それじゃ、そろそろいってみましょうか。
⋮⋮ああ、私も役者として参加しますとも。
一人くらい攻撃判定がある﹃敵﹄が居ないと現実味に欠けるでし
ょ? 罠に追い込まなきゃならないし。
約二名が何か言いたげにこちらを見てるけど気付かぬ振りです。
役者さん達も映像だけで参加なので単独行動再びですね。危険な目
に遭うのは私一人で十分です。
﹁ミヅキ、ずるいぞ﹂
﹁参加したかったですわ⋮⋮﹂
⋮⋮。
私の心配じゃなくてそっちかよ、御二人さん。
セシル、エマ。そんな目で見ても今回はお留守番! 1128
※※※※※※※※※ ︱︱某所にて︱︱ ︵ある騎士視点︶
﹁⋮⋮い、おい!起きろ!﹂
﹁⋮⋮あ?﹂
﹁寝ぼけるな! いい加減に目を覚ませ﹂
苛立った声を上げる同僚に不快になりつつ身を起こし⋮⋮己が状
況に首を傾げる。
一本のロウソクが頼りなく照らす薄汚れた部屋らしき場所︱︱家
具など無い室内、床の冷たい手触りに倉庫なのかとあたりを見回す。
﹁⋮⋮何処だ、ここは﹂
﹁知らん! 俺も気がついたら此処にいた。他の奴等も同じらしい﹂
呆れたような口調に苛立ちを滲ませる男は額に手を置きながら必
死に今日の行動を思い出しているようだった。
自分達は王命を受け、逃げた王太子妃を追ってアルベルダに入国
した筈だ。
数日をかけて村や街に立ち寄り情報を集めつつ、王都を目指して
いた。こちらがキヴェラ王の命を受けた者ならばアルベルダも協力
を拒むまい、と。
確か宿で仲間達とアルベルダ王に謁見を申し込む手筈を話し合っ
ていた筈だ。その為にまずは繋がりのある貴族と連絡を取ろうとい
う事になったと思う。
⋮⋮。
⋮⋮。
⋮⋮そうだ、宿の主人だ。
話し合いの後、軽く酒を飲んでいた自分達は宿の主人の下らない
1129
昔話に付き合ったんだ。
﹃騎士様方、向こうに見える廃墟には絶対に近寄ってはいけません
よ﹄
﹃あそこは先王様達が最後に果てた場所。己が愚かさを最後まで認
めようとはせず、国を呪い、民を呪い、そして自分達を裏切った者
達を呪って死んだそうですから﹄
﹃噂では何処かの国に助けを求めたにも関わらず見捨てられたとか
⋮⋮﹄
﹃その怨念は今でも砦を彷徨っているそうです。それが手放さなけ
ればならなかった本当の理由だと聞いたことがあるのですよ﹄
人の良さそうな主人は何処か怯えながらも自分達にそう語った。
尤もそれを真に受ける奴等ではない。何を馬鹿なと笑い飛ばし、
それどころか酒の勢いもあって退治してやると豪語した奴もいた。
その様子に主人は顔を青褪めさせ、それ以上の事は口にしなかっ
た。
⋮⋮いや、最後に何か言ったような気がする。本当に小さな呟き
だったが。
﹃あ⋮⋮な⋮⋮え﹄
⋮⋮﹃哀れ﹄? いや、もっと長い。確か⋮⋮。
思考に沈んでいた意識は不意に肩を叩かれたことで浮上する。視
線の先には先程の同僚。
﹁とりあえず此処を出るぞ。誰か人がいるやもしれん﹂
1130
﹁人だと?﹂
﹁ああ。あのロウソクは俺達の誰が用意した物でもない。ならば最
低一人は俺達以外の人間がいるはずだ﹂
頼りない明かりを指さす同僚に納得したとばかりに頷く。確かに
そのとおりだ。
既に何人かは近くの部屋を探索しているらしい。俺が最後に目覚
めたということだ。
﹁あまりバラバラになっても困るが、ある程度は手分けした方がい
いだろう。俺達も行くぞ﹂
﹁確かに単独行動は控えた方がいいだろう。他の奴等がいない部屋
でも⋮⋮﹂
﹃う、うわああああぁぁぁっっ!﹄
﹃逃げろ! 早く!﹄
探すか、という言葉は突然の叫び声に遮られる。
顔を見合わせ、即座に部屋を飛び出た通路には似たような状態の
仲間達が何人もいた。
あの叫びを聞いて何事かと皆部屋を飛び出してきたらしい。
﹁何だ? 何があったんだ?﹂
﹁いや、わからん﹂
﹁突き当たりの部屋を調べてた奴等じゃないか、あの声﹂
口々に言うも誰もその場から動こうとはしなかった。いや、違う。
動けなかったというのが正しい。
騎士である以上、野営などは当然経験するし夜が怖いと泣く幼子
でもない。普通の闇を怖がる筈はないのだ。
1131
それがあの叫び声を上げる事態。好奇心で足を進めるほど愚かで
はない。
しかも叫び声を上げた者達は未だこちらに姿を見せてはいないの
だ。
ある程度は闇に目が慣れたとはいえ、暗闇に包まれた廃墟らしい
場所と現状は恐怖心を煽るに十分だった。
﹁⋮⋮。行くぞ﹂
誰に言うでもなく呟くと俺は目的の場所へと足を進める。剣の柄
を握り締めた手が嫌な汗を滲ませるが気にしてはいられない。
そして開け放たれたままの扉から内部を覗き込み︱︱
﹁な!?﹂
一瞬恐怖も忘れて絶句する。
背後から覗き込んでいた仲間達もあまりの光景に言葉をなくし呆
然としているようだった。
あまり広くない部屋の中は。
頼りなげに揺れる明かりに照らされた薄暗い場所は。
︱︱赤い霧で満たされていた。
﹁い⋮⋮一体何が﹂
言いながらも床に倒れている仲間達に視線を向ける。
苦しいのか誰もが顔や喉を手で押さえ、真っ赤に充血した目から
は涙が流れている。
1132
解毒の魔道具を身に付けているのだ、毒ならばこうはならない。
では、一体⋮⋮?
﹁⋮⋮っ、逃げろ! ここから出るんだ!﹂
誰かの声が切っ掛けとなり、動ける者達は思い思いの方角に駆け
出していく。
倒れていた仲間の縋るような視線から目を逸らし、必死に足を動
かす俺の耳に微かな声が聞こえた。
﹃裏切り者﹄と。
その声に俺は主人の呟きをはっきりと思い出していた。
﹃哀れで、愚かな、生贄﹄
それがあの宿で記憶に残る最後の言葉だったと。
※※※※※※※※※
︱︱某所・一室にて︱︱ ︵グレン視点︶
﹁⋮⋮。一体何だ、あれは﹂
映像を見ていた王が呆然と呟く。他の面子も無言で頷き同意する。
寧ろそれしかできない。
思わず溜息を吐いてしまうのは友人の性格が健在だったことが原
因か。いや、今回はそれが十分頼もしいのだが。
キヴェラの騎士達が滞在する宿の住人達は王の協力者だ。
滞在客もこちらの手配した事情を知る者達である。つまり獲物も
といキヴェラの騎士達以外は全員関係者。
1133
噂を流し廃墟に誘導という手段をとると関係の無い者まで興味本
位で来る可能性もあることから拉致したのだ。
実は宿で彼等に振舞われた酒は﹃口当たりは良いが弱い奴が飲ん
だら死ぬ﹄と言われているほど強いものなのである。性質が悪い事
にその酒は後から酔いが回ってくるので知らずに飲むと泥酔する羽
目になったりする。
一般的な解毒の魔道具は酒を毒とは認識しないのである。念の為、
潰れた隙に魔道具を剥ぎ取り廃墟に運んだ上で再び装着させたらし
い。
なお、魔道具は全員同じ形をしていたので非常に判り易かったよ
うだ。支給品を身に着けていた事が仇になるとは思うまい。
余談だが、魔道具を奪ったままにしなかったのは﹃酒が原因で死
んだら困るから﹄という事情によるものだ。命の危機になれば魔道
具の効果が現れるかもしれないから、と。
それだけだと思っていたが、今の映像を見る限り﹃毒ではない﹄
と思わせる意味もあるのだろう。
そして彼等が二日酔いにもならず目覚めたのは部屋にミヅキが作
った魔道具が仕掛けられているからである。目覚めた時には魔道具
の効果でアルコールが抜けているのでそこまで強い酒を飲んだ自覚
は無いに違いない。
﹃現実だと思ってもらわなきゃ﹄とはミヅキ談。酒の所為にする
ことは許さないらしい⋮⋮奴は悪魔か。
それにしても﹃最初の部屋が安全なのはお約束﹄とはどういうこ
とだろうか? あの赤い霧が関係しているのか?
﹁ミヅキ、少しいいかな?﹂
皆の視線を受けミヅキに事情説明を求める。映像に本人が出てい
ないことから隠し部屋で様子を窺っているのだろう。
1134
﹃はいはい、何が聞きたいのかな?﹄
﹁今の現象の説明を求む﹂
﹃ああ、赤い霧の正体?﹄
﹁うむ。毒ではないのならば何故あんな状態になるのだ?﹂
誰もが疑問に思うのはそこだろう。彼等は解毒の魔道具を身に着
けているのだから。
そして返ってきた答えは予想外のものだった。
﹃唐辛子を煮て成分を抽出後、限界まで塩を溶かしたものをそのま
ま霧にしてみました﹄
﹁⋮⋮はぁ?﹂
﹃目に入れば大変な事になるし吸い込めば鼻も喉も焼けるし咽る。
しかも色が赤いから薄暗い所だと不気味です﹄
実際はもう少し明るい赤なのだとミヅキは言っている。暗い場所
では赤黒く見えただけだと。
ああ、それであの部屋が安全だと言ったのか。⋮⋮いや、それ以
前に何故そんなものを作る事を思いつく!?
﹃イルフェナの料理人さん達に香辛料貰ったのを思い出してさ∼、
キヴェラが嫌いと言っていたから少し混ぜてみました。勿論それだ
けじゃ足りないから買い足して使ったけど﹄ そうかい、料理人達もそんなものに使われるなんて思わなかった
だろうな。
1135
﹃塩も唐辛子も所詮は調味料、毒だと認識されません。しかも﹄
﹁し⋮⋮しかも?﹂
﹃被害者連中の状態が普通じゃないでしょ? 怖さを盛り上げる演
出効果もありだ!﹄
﹁ああ⋮⋮確かにな﹂
先程の映像を思い出す。
うん、確かに異様だった。薄暗い中で真っ赤に充血した目をした
奴等に縋り付かれそうになったり、涙を流しながら苦しむ姿を目の
当たりにすれば怖かろう。
しかも原因不明。毒は無効だと知っているのだから。
﹃怪我でも毒でも無いから治癒魔法も解毒魔法も効きません。水で
洗い流すくらいしか対処方法無いんじゃない?﹄
確かに治癒魔法では治せそうに無い。彼等の魔道具もミヅキ製作
の魔道具の様に﹃健常な状態に戻す﹄というものでなければ効果は
無いだろう。
此処ら辺が異世界人との差だと言える。この世界の住人達は攻撃
に対する認識が酷く単純なのだ。だからこそ予想外の物を使えば意
外と成功する。
﹃本来は体内に無い物全般に対して﹄と認識しているミヅキの解毒
魔法ならば酒や調味料による被害も回復できた筈だ。
それを狙って策を思いつくかは性格の問題なのだが。
映し出された映像では未だに騎士達が蹲っている。最初の獲物と
なったことは気の毒だが、これ以上の恐怖を味わうことはないのだ
から幸運⋮⋮なのだろうか?
1136
室内では﹃痛みが引くまで大変ね﹄と明るく告げるミヅキの声に
何人かが戦慄していた。
誰もが﹃自覚ありか⋮⋮全てを理解している上でやってるのか、
こいつはぁぁっ!﹄とでも言いたげな表情だな。何だか顔色もよろ
しくない。
はっきり言おう、そのとおり! 軽く考え過ぎだ、お前ら。
ミヅキは敵に容赦などしない。治癒魔法が存在するのだ、死なな
い程度に身も心も甚振られる事だろう。でなければ鬼畜だ悪魔だな
どと恐れられる筈は無い。
そもそも魔王に馴染んでるじゃないか、あれは。
﹃元々、変質者対策みたいな感じで考えてたんだよ。元の世界にも
撃退スプレーとかあったでしょ?﹄
人体実験済んで助かったわ、効果有りだと魔王様に進言してみよ
うかな⋮⋮などと外道な発言を続けるミヅキに室内の誰もが絶句し
た。
人体実験ときたもんだ、挙句に騎士を痴漢扱い。しかも試作品は
改良を経てイルフェナに齎されるかもしれない。
恐怖する理由は人其々。頼むから敵対だけはしないでくれと願う
自分は悪くない。
現実だろうと鬼畜ぶりは健在、年月が経とうとも記憶と大して差
がないとはどういうことだ。
﹃思い出って実際の事より過剰に記憶するものだよな!?﹄と思
わず内心突っ込むが色々言いたい相手は現在廃墟の隠し部屋に篭っ
ている。
1137
これから次々と騎士達を襲う恐怖と言う名の悪戯にほんの少し胸
が痛んだ。
でも行動も同情もしない。自分だってミヅキが怖い。アルベルダ
も大事。
﹁あ∼⋮⋮判った。これからも頑張ってくれ﹂
﹃楽しみにしててね∼!﹄
通信を切る際の言葉にも元気一杯に返してきた。
⋮⋮どうしよう。マジで手加減とか考えていないかもしれない。
溜息を吐き振り返った室内の反応は物の見事に二つに分かれてい
た。
一つは﹃騒動大好き、もっとやれ!﹄な人々、もう一つはミヅキ
の行動に恐れ戦く人々だ。
前者にセシル殿とエマ殿がいるのは色々思う所はあっても許そう、
王が嬉々としてそちらに混ざっていることに比べれば些細な問題で
ある。
﹁⋮⋮陛下。少々はしゃぎ過ぎではありませんか?﹂
﹁そうは言ってもな、凄いぞ魔導師殿は!﹂
妙に目をキラキラとさせながらはしゃぐ中年親父は正直ウザかっ
た。
いい歳をして娯楽、しかも悪戯にはしゃぐ姿に頭痛を覚える。
アンタはこの国の王だろ、英雄だろ!
1138
心の声は側近の誰もが一度は思う事である。
まあ、ミヅキと今後も付き合いを続ける気ならこれくらいでなけ
れば神経が擦り切れるだろう。
ミヅキは﹃懲りない・めげない・リトライ上等﹄といった不屈の
精神の持ち主だ、繊細な奴が交渉などしようものなら落とし所を見
つける前に胃に穴が空いて倒れる。
﹁いやぁ、これからが楽しみだな!﹂
傍観者として無責任にも言い放った王に対し︱︱
﹁ええ、そうですね。敵となれば明日は我が身でしょうか﹂
﹁え゛﹂
﹁この騒動が終わった後の交渉、頑張ってくださいね?﹂
思わずちくりと言ってしまうのは仕方がないことだろう。
やれやれ、昔ならば間違いなく楽しむだけであったというのに。
面倒な立場になったものだと言いつつも口元に笑みを浮かべ、ミ
ヅキの勝利を願いグラスを傾けた。
1139
恐ろしいものは⋮⋮︵後書き︶
一番恐ろしいのは作戦を思いつく人。多分、娯楽扱い。
1140
仕掛け人は笑う︵前書き︶
裏方の人々と怪奇現象︵笑︶の解説。
1141
仕掛け人は笑う
﹁さあ、どれだけ頑張ってくれるかな﹂
呟いて他の映像に目を向ける。そこに映し出されていたのは必死
に逃げるあまり砦中に散らばったキヴェラ騎士達だ。
こういった場合は纏まって動いた方が安全なのだが、彼等には逃
げることしか頭になかったのだろう。
最初の一歩は大成功。
楽しかった。
物凄く楽しかった⋮⋮!
仕掛け人冥利に尽きる反応じゃないか、あの慌て振り!
思わず独り言を呟くくらいに期待してるぞ、君達! 元の世界じ
ゃ絶対ここまで驚かん。
と言うか、元の世界だと目に異常があったら即座に洗うしね。コ
ンタクトレンズ着用者なら目薬とか持ってるだろうし。
イベント名﹃おいでませ、オカルトの世界に! ∼始まりは赤い
霧∼﹄。ギャラリーの皆様にも楽しんでいただけて何よりです。
尤もこれは敵を混乱させる意味合いが強いだけなので、最初の部
屋に逃げ込めば自然に治る。恐怖を植え付ける演出ですよ、え・ん・
しゅ・つ!
この世界にホラーというジャンルが存在するか不明だったので﹃
貴方の知らない世界﹄への入門イベントを用意したのだ。気の所為
1142
とかで片付けられても切ないしな。
オカルトの本領発揮はこれからですよ?
ちなみに一部を御紹介。
怪談・定番どころ
・﹃段数が増えたり減ったりする階段﹄
※階段に幻覚系の魔道具を仕掛けるだけ。気付かない可能性もあ
るが、気付くと地味に不気味。
・﹃過去を繰り返す幽霊﹄
※当時を装った役者さん達の透けてる姿が砦の各所に現れる。な
お、役者さん達には暗い表情で﹃死にたくない云々﹄などと呟いて
もらったので絶望的な状況を共感できるかもしれません。
怪談・七不思議系
・﹃血の涙を流す肖像画﹄
※提供してもらった古い肖像画を更にボロくし、手を加えて視線
の向きを変えたり血の涙を流させたりした状態を記録後映像を編集。
扉を開けると﹃視線が動く﹄﹃血の涙を流す﹄の二つのパターンが
ランダムで発動。どちらでも最後は肖像画ごと消える。絵画の幽霊
が居てもいいじゃないか。
・﹃飾られた鎧が動く﹄
※古い甲冑内部に魔道具を仕掛け、周囲の動くものに反応し動く
ようにする。動きは鈍いがその分リアル。壊されても中は空っぽ。
1143
暗いし小さいので魔道具は多分見付からない。元ネタは動く人体模
型とかの﹃夜中に動くシリーズ﹄。
怪談・ゲームや映画系
・﹃ポルターガイスト﹄
※食堂・厨房にて発動。入ってきた人に向かって色んな物が飛び
ます。実は飛んでくる古い食器各種が安物の魔石を付けた即席魔道
具で﹃目印装着者に向かって飛ぶ﹄という単発命令の使い捨て。目
印は騎士が気絶している間に装着済み。イメージとしては磁石、悪
戯以外に使い道は無い一品。
・﹃壁から飛び出す無数の手﹄
※ゾンビ系にはお約束のトラップ。ただし今回は幽霊なので透け
ている。魔道具を仕掛けた範囲に人が入ると壁から無数の白い手が
突如湧く。なお、数箇所に仕掛けられており他には床や天井から出
て来る場合もある。
その他
・﹃浮かび上がる文字や手形﹄
※部屋に入ると手形や﹃逃げ場など無い﹄といった文字が壁に浮
かび上がり、それは徐々に部屋一面に増えてゆく。勿論、映像編集
で繋げてあるだけ。掃除も含めて一番手間が掛かった仕掛けかもし
れない。
⋮⋮こんな感じ。この他にもあることは言うまでも無い。
1144
娯楽の少ない世界なので単純なものでも意外と怖がってくれるみ
たい。特に幽霊系は完成後に役者さん達に見てもらったところ大受
けした。
腕だけ突き出させたり、不気味な動きをしたりと撮影中本人達は
意味不明だったらしい。映像編集後に見ると意味が判って﹃実に手
の込んだ悪戯だ!﹄と拍手喝采。昔は悪戯っ子だったんだそうな。
﹃今回の件が終ったら是非一度体験したい﹄と言われたので、使
用した魔道具を破棄する前に一度皆で楽しむ予定。
ホラーハウスは恐怖の館ではなく悪戯の館として認識された模様。
娯楽ですからね、楽しむのは良い事だ。
ちら、と目を向けた先にある映像では騎士達が叫び声を上げなが
ら逃げ惑っている。彼等は必死に恐怖と戦っているのだろうけど、
重要なことに気付いてないらしい。
動き回らなきゃ発動しないんだけどな、殆どの仕掛け。
自分達が行動した後に怪異が起きるとは思わないらしい。慎重に
行動していれば気付く筈なので、精神的にもガンガンダメージがい
っていると推測。少しは落ち着け。
追い込む為に私が徘徊予定なんだけど、この分だと勝手に全部引
っ掛かってくれるっぽいなあ?
一応用意しているのだが。⋮⋮ハロウィンのノリで。
﹃おい、ミヅキ﹄
どうすっかなー、と考えていたらグレンからお呼び出しが来た。
1145
そういえば向こうの反応はどんな感じなんだろ?
﹁何、グレン﹂
﹃これ、お前が出て行く必要あるのか﹄
無いっぽいですね、グレンさん。正直がっかりです、私。
﹁あまりにホラーゲームの世界を再現すると意味不明かと思って割
と定番を選んでみたんだけど﹂
﹃儂らにとってはな。既に何人か気絶者が出ているようだが﹄
﹁情けないねぇ、騎士の癖に﹂
﹃得体の知れんものだからな、これが魔物ならばまた話は違っただ
ろう﹄
この世界には魔物が存在する。それを踏まえて﹃幽霊﹄に拘った
のだ。ホラーゲームのボスキャラ系化物なんて出そうものなら恐怖
よりも闘志が勝っただろう。
彼等は一応騎士なのだ、闘う術があるのだよ。
何処に出しても恥ずかしい騎士の面汚し・思い上がった常識知ら
ずの御馬鹿さんだが闘えてしまうのである。幾ら何でも家柄だけの
無能に近衛だの親衛隊だのは務まらないだろう。
では何故そんな彼等がここまで恐怖しているのか?
答えは簡単、﹃この世界の常識には存在しない未知の生物だから﹄
だ。人が闇を怖がるのは何が居るか判らないから、というやつと同
じです。
特に映像が大半なので武器を振り回しても効果無し。最初からゴ
1146
ーストを出すと所詮ただの映像だとバレる可能性があったので、実
害ありの赤い霧を最初に使ったのだ。
あれで騎士達は出現する者達に対し﹃無害ではない﹄と認識した
からこそ、気絶者が出ているのだろう。逃げ場など無いと思い込ん
で。
﹁ん∼、それだとあそこまで怖がってくれないし﹂
﹃お前も怖がらんだろうしな﹄
﹁私? 食えるかどうかしか考えないわね﹂
﹃⋮⋮。何だ、そのサバイバルな発想は﹄
﹁辺境の村ではリアルに弱肉強食、食うか食われるかが日常です。
充実した食生活は狩りの腕にかかってます﹂
﹃そ、そうか。店など無いだろうしな﹄
﹁おう。徹底的に仕込まれましたとも﹂
グレンも当初はそれに近い生活をしていたと思うのだが。まあ、
年月が経っているから忘れていたんだろう。若しくは狩りの経験が
殆ど無いか。
私の場合は魔法が使えたから狩りが可能なのであって、魔法が使
えないグレンだと厳しいだろう。仲間内で作業を分担していたなら
頭脳労働担当でしょうな、赤猫は。
⋮⋮私の発想に恐れ慄いたとかではないと思っておこう。
﹁グレン。まともな精神状態にありそうなのは何人ぐらい残ってる
?﹂
﹃六名ほど、か。他は少々興奮状態に陥っているようだな﹄
頭を抱えて蹲っている奴や喚き散らした挙句に部屋に篭った奴は
除外か。一時間ほど経っているから精神的にも体力的にもギリギリ
なのが居てもおかしくはない。
1147
鍛えてると言ってもパニックを起こしつつ走り回る訓練なんぞし
てないだろうね、普通。
﹁んじゃ、そろそろ私が行きますか﹂
バサリ、と服の上から黒いローブを羽織る。
フード付きの黒いローブはすっぽりと足元まで私の体を隠す。そ
して手にはゲーム内で所持していた武器のレプリカ。幻影を纏って
彼等と対峙するので現実味を持たせる意味でも武器必須。
今回は結界を魔道具頼みにして演出の為に魔法を使おうと思いま
す! ﹃ミヅキ、彼等が最初の部屋に戻るみたいだぞ?﹄
﹁好都合ね! 簡易の転移法陣仕掛けてあるからすぐ行きます♪﹂
幽霊のお約束﹃気がつくと消えている﹄。今回はそれを実現すべ
く隠し部屋と何箇所かを繋いであるのだ。そして私自身も転移法陣
が組み込まれた魔道具を持っているので発動させればこの部屋に送
られます。
一々この部屋に来なければならないのは面倒だけど、対応する転
移法陣にしか移動できないのだから仕方ない。娯楽の為にここまで
の性能を実現させた黒騎士達の職人根性に拍手喝采。普通の転移法
陣と比べ移動できる範囲は狭いがこの悪戯には十分です。
現在この部屋には転移法陣が複数置かれている。この部屋経由で
数箇所に転移可能、幽霊役も意外と忙しい。
﹁じゃあ、行って来る! 最初の部屋付近に登場するよ!﹂
﹃おう、気をつけてな﹄
※※※※※※※※※
1148
︱︱グレンの館、ある一室︱︱ ︵グレン視点︶
ミヅキからの通信を聞くなり全員の視線は該当する映像に集中し
た。いや、これまでも中継映像に大騒ぎしていたのだ。恐怖と賞賛
が混じってはいたが。
﹁なあ、グレン。魔導師殿はどんな姿になってるんだ?﹂
王が映像から目を離さずに問う。⋮⋮そういえば聞いていなかっ
た。
ミヅキが所持していた武器を持つキャラクターというからには想
像つくのだが。マジであれなのだろうか。
﹁恐らくは⋮⋮﹃死神﹄だと思われます﹂
﹁は?﹂
﹁私達の世界で一般的な死神の姿は黒いローブに大鎌を持った骸骨
なのですよ﹂
ゲームのモンスターとしてもその姿は割と定番である。問題は何
故賢者専用の武器が死神の大鎌だったのかということだ。
あのゲーム、妙に現実的な割にファンタジーゲームにありがちの
﹃神の武器﹄という物が存在したのである。ただし、運営がそんな
物を素直に用意する筈はなかった。﹃神の力の片鱗を人間如きが簡
単に扱える筈は無い﹄という言い分の下、大変扱い難いシロモノだ
ったのだ。
死神の大鎌は装備すれば攻撃力が冗談の様に上がり、前衛職ほど
ではないが戦力にはなる。ただし防御力は相変らず紙。ミヅキ曰く
﹃敵より素早さが勝れば一発入る・劣れば死亡のデッド・オア・ア
ライブな武器﹄。しかも持っていると目立つという嫌がらせにしか
1149
思えない仕様だった。まあ、本来魔法職が手にする筈も無い物理攻
撃力を齎すのだから神の奇跡と言えば奇跡だ。
他の武器も似たり寄ったりのデメリット満載なので完全にコレク
ターアイテム扱いである。実際、ほぼ戦力外を自覚するミヅキ以外
に神の武器を使う奴は殆ど居なかった。
⋮⋮鬼畜評価の人間がそんな物を持っていたので﹃賢者って人を
捨てた悪魔とかの扱いじゃね?﹄という賢者人外説などというもの
が出たのは余談だ。
﹁で、何でそう思うんだ?﹂
﹁ミヅキの使用していた武器が大鎌なのです。尤も見た目重視で持
っていたのですが﹂
寧ろ目立って囮になるしか使い道が無かったとも言う。見た目だ
けは素晴らしいのだ、あれは。使い道が無いだけで。
当時を思い出し遠い目になりかけたが、ざわめきに意識をそちら
に向ける。映像に映し出されていたのは軽く鎌を振り回して待ち構
える黒衣の死神。幻影効果でローブから出ている顔も腕も骨だ。
予想通りの姿に頭痛を覚えつつ一応本人の言い分を聞いてみるこ
とにした。
﹁ミヅキ。何故その姿なのだ?﹂
﹃恐怖の館のラスボスに死神は駄目ですか﹄
﹁発想としては悪くは無い。しかしその武器はな⋮⋮﹂
﹃いいじゃん、インパクトあって。打ち合う事前提だからこのセレ
クトですよ?﹄
﹁なんだと?﹂
どうやら意味があったらしい。興味深げに聞いている面々の期待
に応えて続きを促すとミヅキはあっさりと口にする。
1150
﹃向こうは剣を使うもの。相手が打ち合った事が無いような武器を
使わなきゃ不自然さは誤魔化せないでしょ?﹄
﹁不自然さ?﹂
﹃うん。私はこれを振り回すけど攻撃は魔法で作り出した風刀でそ
れっぽく見せるつもり。実際には相手に刃は届かないだろうし、打
ち合えば刃が触れ合うから力を殆ど込めてない事がバレると思う﹄
確かに剣などの一般的な武器では相手に行動が読まれた挙句に素
人だと判るだろう。しかも今の話を聞く限り実際に打ち合うのでは
なく﹃魔法で弾いて打ち合っているように思わせる﹄という状態か。
今回の設定はオカルトなのだ、手ごたえの無さに一層不気味さは増
す。
他には不審な点を誤魔化す為に﹃彼等が相手をした事が無いよう
な武器を選んだ﹄ということだろうな。大鎌を振り回す人物なぞ自
分も聞いたことが無い。
ミヅキも現実では武器を扱える筈はないから﹃振り回せばそれな
りに見えて何となく凄そうな武器﹄にしたのだろう。恐らくは何ら
かの付属効果を付けていると思われる。
が。
果たして本っ当∼にそれだけが理由だろうか。
まともな事を言っているとは思うが、それなりに付き合いのある
自分からすれば少々用意し過ぎな気がしなくもない。大鎌の無い死
神というのも確かに威圧感に欠けるが。
そもそも物理攻撃なんて無くてもいいんじゃないか? オカルト
要素は魔法で十分出せるのだし。やらかしたところで獲物達がより
命の危機を認識し怯える効果がある程度だろう。
1151
思わず視線を向けた先にはコルベラの姫と侍女。ミヅキとすっか
り仲良くなったらしい彼女達によると今回の追っ手は後宮警備にあ
たっていた者達らしい。
⋮⋮。
嫌いか? 自らの手で一発かましたい程嫌いなのか、奴等が。
それとも見せ場の為にわざわざあんな物を製作したのか? この
短期間に!?
一度そう思えばそれが正解のような気がしてくる。いや、絶対に
正解だ。報復できる貴重な機会をミヅキが逃すとは思えない。
こっそり何してやがる、この駄目魔導師! これが終ったら置物
確定︱︱戦時中でもなく、あんなデカイ武器を持ち歩く馬鹿はいな
いだろう︱︱なんだから無駄な事をするでない! 資源は大事に使
わんかい!
⋮⋮などと思ったが口には出さない。沈黙は金だな、本当に。
呆れる自分とは逆にミヅキは大変楽しそうだ。見ている連中も興
味津々に映像に注目している。哀れな獲物は未だ来ないらしい。
﹁なるほど、イカサマだとバレない為に見慣れぬ武器にする必要が
あったのか﹂
﹃そういうことですー、あと死神には大鎌だと思いますー﹄
⋮⋮。
本音は後者ではなかろうか。映像の死神は大変楽しそうに見える
のだが。
ああ、元気良く大鎌を振り回すんじゃない。死神ならもっと畏怖
されるような態度をとれ、駄目骸骨。
1152
仕掛け人は笑う︵後書き︶
※ゲームに関する突っ込みは無しで御願いします。
恐怖演出の為に努力は惜しみません。そもそも打ち合う必要は無い
ので単に自分の手で一発見舞いたいだけ。
妙に元気な死神︵仮︶は次話にて参戦。
1153
恐怖の一夜の終わりには
︱︱さあ、キヴェラからの追っ手どもよ⋮⋮
楽 し い 時 間 の 始 ま り だ よ ⋮⋮!
ラスボスは動かず最後に控えているのが﹃お約束﹄?
悪戯しかしてない? やる事がせこい? 悪質?
問題ありません、私による私の為の一時ですから! 実際、盛大な仕掛けの一発を食らわすよりも小さな悪戯をちまち
まやらかした方が精神的なダメージがでかいのだ。﹃じわじわ怖い﹄
﹃不安を煽る演出﹄﹃決定的な打撃は最後﹄。これを目指してます。
日本のホラー映画って基本的に派手な演出が無く、じわじわと恐
怖が蓄積されていく物が多い。そして後味が悪いというか救いが無
い。
しかも日本のホラーは本当に対抗手段が無いのだ。登場人物が足
掻くけど元凶があまりにも強過ぎ、辛うじて逃げ延びたとかのラス
トで問題の解決になっていない事が多数。凄ぇな、日本の怨霊様。
海外産のホラーはどちらかと言うと派手な演出がされているので
物によっては﹃主要な人物以外の台詞って叫び声が一番多くね?﹄
1154
という状態なのだ。しかも人外だろうと闘えてるし。故に演出を滑
ると怖いどころか突っ込み所満載。
今回の場合、全員が怖がってくれないと困るので海外ホラー路線
は却下。怪談に見せかけた悪戯の方が手数が多いし、どれか一つは
怖がるだろうと期待しての試みです。
オカルト慣れしていないことも相まって怖がらずに警戒止まりの
可能性がある事を考慮してのセレクト。派手な演出だと一歩間違え
ば見世物ですな。
ま、今回は﹃足掻いても無駄と認識させ、心身ともに疲労させて
絶望に追い込んであげよう!﹄というコンセプトで計画しているの
ですよ。
﹃アルベルダが疑われない﹄という条件を満たす為には﹃明らか
に他国の仕業と見せかける﹄か﹃説明不可能な事態を引き起こす﹄
の二点しか方法が無い。自然災害だとアルベルダが責任を取らされ
る上に関与を疑われるので却下。
今回の騒動では他国と連携を取りたいので必然的に﹃説明不可能
な事態を引き起こす﹄という一択です。そして私が適任なのも当然
こちら。得体の知れない技術を持った魔導師ですからねー、私。
疑われても﹃それが魔法で可能か・若しくは使えるのか﹄という
証明が出来なければ私の否定を覆す事が出来ず確実に逃げられる。
楽しめるから、などという理由だけではない。一応あるぞ、他の
理由。
グレンはそこんとこ理解するように!
﹃ミヅキ、追い駆けるといっても奴等に付いて行けるのか?﹄
﹁ん? 移動は超低空飛行で体を浮かせるから問題無し。ローブも
長いから足元隠せてまさに滑るように移動するね﹂
1155
﹃それならば心配ないな﹄
﹁それに時々消えては逃げた先の部屋から現れたりする演出もする
し﹂
常に浮遊していれば床がある場所以外からも登場可能。⋮⋮逃げ
切れたと一息吐いた直後にひっそり上からとか。恐怖を煽る演出と
しても楽しくね?
﹃お前が転移魔法を使えないという事の方が驚きだな。できそうな
気がするが﹄
続いたグレンの言葉に微妙な表情になる。うん、浮遊を使えるな
らそう思っても無理は無い。イメージ重視で魔法を使っていると知
っているからグレンの言葉は尤もだ。
⋮⋮確かに転移もできるよ、一応ね。元の世界にテレポートとい
う御手本があったから。使えたら便利だと思って物で練習したから
ね。インクだって移せたし。
ただし﹃何処に移動させる﹄という明確なイメージが必要なので、
﹃親しい人の所に転移︵明確なイメージが浮かぶほど親しい人限定。
場所ではなく人を目印にする方法︶﹄、若しくは﹃目で見て位置が
判る範囲︵部屋の中程度の至近距離︶﹄の二種類しかできない。魔
王様の執務室とか物凄く限定された場所なら転移可能かもしれない
が。
確実なのは﹃お家に帰る︵自分の部屋︶﹄程度です。後は人が目
印だから何処に出るか判らないという大迷惑仕様なのでその人の上
に落ちる可能性もあり。もう一つは﹃魔力使わず自分の足で移動し
ろ﹄と突っ込まれる事請け合い。逃げようとした所を捕まえると言
う意味では使い道があるかもしれないが。
﹁色々と残念な状態なんだよ、それ。今度話す﹂
1156
﹃う⋮⋮うむ? 何だが大変そうだな?﹄
﹁気にしないで﹂
突っ込まないでおくれ、赤猫。現時点ではイマイチ使い道が無い
だけで、今後は重宝するかもしれないから。
まあ、転移自体が基本的に転移法陣使用なんだよね。浮遊やら飛
行が上級魔法と言われている事からも小物程度ならまだしも人を一
人移動させるには相当の魔力が必要なんだろう。何らかの補助無く
単独での使用は厳しいと見た。今度クラウスに相談してみよう。
﹃ミヅキ! 来るぞ!﹄
グレンの声に前方に注意を向けると確かに足音が聞こえてきた。
今まで残っているだけあってそれなりに慎重なようだ、周囲を窺い
ながら進みつつ何時でも剣を抜けるようにしているのだろう。
でなきゃ、ポルターガイストで撃沈してますよ。結構勢いあるん
だもん、あれ。
⋮⋮などと考えつつ前方から来る獲物、もとい敵の為に大鎌を構
えたのだった。フライパン同様に個人認証済みのマイ武器、私限定
で羽の様に軽い仕様の大鎌は全体に細かな装飾が施され刃がぼんや
りと深紅に光っている。
禍々しさ抜群です、これが賢者専用の武器って一体何の冗談だ。
誰からも﹃呪われてるだろ、絶対﹄と言われていたシロモノです
が、今回も重要なのは見た目。武器などリアルでは扱えないからゲ
ーム内で使っていた頃の動きっぽく振り回すだけだけですよ。
威力が判らないから気を付けてねー、キヴェラの皆さん!
1157
うっかりスパっといっても責任持たないからね?
※※※※※※※※※
︱︱廃墟・通路にて︱︱︵ある騎士視点︶
コツ、コツ、と足音が妙にはっきりと響く。暗闇の中に響く足音
は不安を煽って仕方ないが、これまでの経験から慎重に行かねばな
らないと理解できていた。
⋮⋮此処は一体﹃何処﹄なのだろうか。
何度も頭を過ぎる疑問に答えなど出る筈も無い。位置的な問題で
はなく、空間そのものが異様とでも言うべきだろうか。﹃何処﹄で
はなく﹃何﹄かと例えた方が正しい気がする。
しいて言うなら﹃恐怖そのもの﹄だ。それはじわじわと自分達を
飲み込もうとしているに違いない。
それは宙を舞いながら襲ってくる食器であったり。
歩けど歩けど終らない通路であったり。
部屋の壁一面に現れた不気味な文字であったり。
恐怖のままに剣で切りつけた不気味な鎧の中はただの空洞だった。
それまでゆっくりと動いていたにも関わらず、だ!
頭がおかしくなりそうだと喚いたのは誰だったのだろう。恐怖に
耐え切れず、意味も無く走り出していった者達が無事だとは到底思
1158
えなかった。それならば自分達はとっくに脱出できている筈なのだ
から。
﹁階段を降りても一階に辿り着けず、おまけに段数も毎回違う。⋮
⋮空間が歪んでいるとでも言えばいいのか? くそっ! 俺達は魔
術師じゃないってのに﹂
﹁窓から外に出ようとしても﹃弾かれる﹄しな﹂
﹁弾かれなくても近寄りたくはない。俺はあの瞬間に浮かんだ顔と
目が合った⋮⋮﹂
ぶるり、と体を震わせ顔を手で覆う同僚に同情的な目を向けるが
言葉が出てこない。自分も、見たのだ。窓どころか壁一面に浮かび
上がる巨大な顔が視線を動かす様を。
あれと目が合ったのならば恐怖はどれだけのものだったことか。
叫び声を上げへたり込もうとも軟弱などとは笑えまい。
﹁とにかく慎重に行動すべきだ。朝になれば状況も変わるだろう﹂
﹁⋮⋮朝になるのか?﹂
﹁⋮⋮。今はそう信じるしかない﹂
溜息を吐き同僚達を見回す。自分をいれても六人しか居らず他は
何処へ逃げたか見当もつかなかった。
⋮⋮逃げていればいいのだが。死体を発見してはいないからと自
分に言い訳するのもそろそろ限界だ。死体が残るような死に方をし
ているかも怪しいのだから。
そんなことを考えつつ角を曲がった先に︱︱﹃それ﹄は居た。
﹁な⋮⋮何だ、あれ、は⋮⋮﹂
1159
震える声だろうが出せただけマシだろう。それ程に視界の先に居
た﹃モノ﹄は異様だった。
同僚達も目を見開き凝視している﹃それ﹄は⋮⋮深紅に霞む大鎌
を携えた黒衣の骸骨、だった。
﹁アンデッド!?﹂
﹁魔術師が居るのか!?﹂
少なくとも知らぬ相手ではない。ただし、自分達の知るものと同
じであるならば。通路に佇む﹃それ﹄のようなものは見た事が無く、
どことなく普通とは違うような気がした。異質なのだ、存在そのも
のが。
アンデッド⋮⋮通常であれば魔力によって操られている骸である。
その動きは素早いとは言い難く、即座に警戒しなければならない相
手ではない。どちらかと言えば操っている相手の方が厄介なのだ。
この状況で出て来ると言うことは我々の動きは術者によって監視
されていたということか。まずいことに今の自分達には魔術師に対
抗する術は無い。少なくとも術者の姿を捉えられなければ打つ手が
無いのだ、居場所が判れば結界を張ったまま特攻するという荒技も
可能なのだが。
相変らず空洞の眼でこちらを見据え佇むばかりの骸骨にほんの少
し気が緩んだ。
そして。
それはすぐに驚愕と更なる恐怖を齎すことになった。
﹁え⋮⋮?﹂
呆けたような声を聞いたのは一瞬。ほぼ同時に響いた何かが叩き
1160
付けられる音に慌てて意識をそちらに向ける。
﹁おい、どうし⋮⋮﹂
隣に居た同僚に声をかけようとし⋮⋮最後まで言い終わることな
く絶句する。
ほんの一瞬だ。
瞬きをする程度の間だった筈。
それが。
何故、目の前に迫った骸骨によって壁に跳ね飛ばされているんだ
⋮⋮?
﹁逃げろ!﹂
ちらりと壁に崩れ落ちた同僚に目をやるが気にしている暇は無い。
気を失っている男一人を抱えて逃げられるような相手ではないのだ、
叫ぶと同時に来た道を走り出す。
﹁一体、どうしたと言うんだ!﹂
﹁判らん! 動いたと思ったら、いきなり目の前に﹂
﹁あんなに早く動けるアンデッドなど聞いたことが無い!﹂
1161
半ば恐慌状態に陥りつつも足を止める事は出来ない。
﹃恐怖﹄が確実に迫ってきているのだと、誰もが自覚していたの
だから。
※※※※※※※※※
よっしゃぁぁぁっっ! とりあえず一人、撃・沈!
大鎌を振り回してはしゃぐ死神だけど気にすんな。近づいた勢い
のままに横に飛ばしたら壁にぶち当たって気絶しただけです、治癒
魔法をかけておいたので死なないよ。悪夢は見てもらうが。
いそいそと﹃ナイトメア﹄と命名した小型魔道具を忍ばせる。ゼ
ブレストで側室にも使った悪夢を確実に見るやつですよ、更に小型
化され仕掛け易くなっていたり。
映像提供は私ですが作ったのは黒騎士です。奴等は今までに無い
玩具が大好きなのです、何時の間にか使い易いよう改良され、無駄
な技術がこの世界に浸透中。楽しそうで何よりだ。なお、今回が人
体実験紛いであることは言うまでも無い。
﹃ちゃんと発動する﹄﹃仕掛けた相手が気付かない﹄という重要
項目を確認の上、レポート提出が義務付けられてます。今回の件を
引き受けた直後にイルフェナに連絡を取って必要な物を送って貰っ
たのだ。
誘い文句は﹃人体実験のあてが出来たんだけど試したいのある?﹄
。 黒騎士達は嬉々として色々送ってくれましたとも! 一応状況を
伝えてあったので頼んだ物の他に﹃ナイトメア・試作﹄が送られて
1162
きたのだ。なお、魔王様からは編集後の映像を持ち帰るよう厳命さ
れた。見たいらしい。
まあ、頼んだ物が悪戯の要になっているから﹃成果を見たい﹄っ
てのも間違いじゃないんだけどさ。どうも面白そうだから、という
意味な気がしなくもない。
﹁グレン、彼等は何処に向かってる?﹂
﹃このままだと会議室方面だな。待ち伏せでもするか?﹄
﹁そうだね、追いかけられてると思っているみたいだし逃げ込むな
らそこかな﹂
ナビゲート役のグレンの言葉に一度隠し部屋へ転移し、そこから
更に会議室へと転移。基本的に転移できるのは立て篭もれそうな部
屋にしてあるので、会議室も当然転移可能。
広さがあるから逃げ易いし一番頑丈そうだもの、あそこ。これま
で罠があった部屋を除外するなら可能性があるのは会議室だろう。
ただし、その頑丈そうな部屋は今まで中から鍵をかけてあったのだ
が。
鍵を外し、閉じたままだと警戒して足が止まるので僅かに扉を開
けておく。これでそのまま駆け込めるからな、早く来い。
そんな事をしている間に近づいて来る足音が。どうやらあれから
ずっと走っていた模様。御苦労様です、こちらは既にスタンバイで
きてます。
バタンっ!
扉を勢い良く開けて駆け込んだ人々は。
目の前の光景に一瞬硬直し⋮⋮絶望に表情を染め上げた。
1163
比較的広い部屋にぽつんと置かれた古い椅子。私は扉の正面に置
かれたそれに腰掛け、肘掛に腕を置きながら彼等に向かって首を傾
げる。﹃ドウカシタノカ?﹄というように。
誰も何も言わない、動けない。
そんな中、私は軽く腕を振り更なる恐怖の演出を。椅子の両脇、
その床がまるで水面の様に波紋を作る。
そこから現れたのは︱︱
床に手を着き体をそこから引っ張り上げる赤い人型。
滴る朱を振り払いもせず、全身を現すと真っ直ぐに正面を見つめ。
⋮⋮同じタイミングで走り出した、アルベルダの、兵士の亡霊達。
﹁う⋮⋮うわぁぁぁぁぁぁぁっっ!﹂
自分達に向かって走ってくる異形に男達は悲鳴を上げると慌しく
部屋を後にした。
⋮⋮骸骨が椅子の肘掛をバンバン叩きながら声を殺して爆笑して
いた事さえ気付かずに。
※※※※※※※※※
︱︱グレンの館・ある一室︱︱ ︵グレン視点︶
1164
﹁あ、これ俺っす! こういう使い方するのかあ﹂
部屋にいた青年の言葉に映像に注目していた一同はその視線を青
年に向けた。
﹁おい、今のはどういう事だ?﹂
﹁えっとですね、魔導師様に﹃兵士の格好したままで池に浸かれ、
完全に浸かった状態から這い上がって正面向いて走れ﹄って指示を
受けたんすよ。色を変えるって言ってたけど赤く染まると亡霊っぽ
く見えるんすね﹂
役者こと使用人の言葉に皆が感心したような表情を浮かべた。つ
まり元はただのずぶ濡れ兵士だったわけだ。あの滴っていたのは血
ではなく、池の水なのだろう。波紋もそのままか。
実写のホラーゲームでは人物に赤や青の色を掛けて使用する場合
があったが、ミヅキはそれを映像に組み込んだのだろう。娯楽が豊
富な世界ゆえの知識である。
﹁ん? じゃあ、正面に走ったのはどういう意味が?﹂
﹁あいつら最後まで見てないんすよ。だから走り出した直後程度な
ら自分に向かって来るように見えてるんだと思います﹂
不審がられるようなら直前に映像を消せばいい。中々に面白い使
い方だと思わず感心する。
再び視線を向けた先では何があったのか三人ほど倒れていた。ミ
ヅキは彼等の背を跳ねるように踏み付けると再び滑るように部屋を
出て追跡を再開する。⋮⋮ん? 何だか妙な音が聞こえたような。
おい、駄目骸骨。少し目を離した隙に一体何をやらかした?
﹁おや⋮⋮この為でしたか﹂
1165
宿屋の主人を演じていた男がなるほどと頷く。
﹁踏み付けることにも意味があるのか?﹂
﹁はい、グレン様。魔導師様が浮遊の魔術を使ってらっしゃるのは
移動の為ばかりではございません。動物の骨を組み合わせて作った
奇妙な足型を裏に貼り付けた靴を履いているのです﹂
﹁は?﹂
﹁さきほど微かに硬い物が触れ合うような音がしましたでしょう?
足型を木炭で汚してあるので背を踏まれた者達には足型が付いて
いる筈です。勿論、この世界に居ないような異形の足型が﹂
﹃化物の痕跡か! つか、芸が細けぇな!?﹄
部屋に集った者達の心の声は間違いなくハモった。ただし当事者
達とセシル殿エマ殿は感心、その他は芸の細かさに絶句。王は⋮⋮
しきりに頷き賞賛している。キラキラとした目で見るなよ、親父が。
﹁いやぁ、魔導師殿は期待以上だな! できれば今後も仲良くした
いものだ﹂
﹁ふむ、証拠を残されては奴等も夢にはできないだろう﹂
﹁まあ、ミヅキってば楽しそう﹂
⋮⋮最後は聞かなかったことにしよう。どうもこの二人は現状を
娯楽と捉えているような。
ミヅキか、ミヅキの影響か? おい、どうやってコルベラ王に言
い訳するんだ!?
頭痛を覚え頭を抱えた隙に追跡は更なる展開を見せたようだった。
上がった声に映像に目を向けると通路でミヅキが最後の一人を追い
掛け回している。もう一人は逸れたか罠に掛かったか⋮⋮どちらに
1166
しろ脱落したのだろう。
が。
﹁ちょ、待て!?﹂
突如、何を思ったか持っていた大鎌を獲物めがけてブン投げた。
ドガァっと盛大な音と共に壁に亀裂が走り大鎌が突き刺さっている。
しかしその隙を逃す獲物ではない。間一髪、獲物は屋上への階段
に滑り込み上を目指す。
﹁おい、ミヅキ! 殺さないんじゃなかったのか!﹂
﹃あ、今の見てたんだ? うん、殺さないよ?﹄
﹁当ったら死ぬだろ!?﹂
﹃当らないよ、幻影だもん﹄
ほら、持ってるでしょ︱︱と映像の中の死神は大鎌を振る。⋮⋮
確かに壁から引き抜いてはいなかった。ではあの亀裂はどういう事
だ? 音がはっきり聞こえたが。
﹁今の、おかしかったな﹂
﹁そうですわね、先に亀裂が出来てから鎌が刺さりましたわ﹂
姫と侍女には見えたらしい。そういえばこの二人もそれなりに戦
えるのだったか。
﹁⋮⋮先に亀裂が出来たと言ってるぞ﹂
﹃そうだよー。風刀の衝撃波で壁に亀裂を入れて大鎌の幻影を合わ
せたの。私の位置からだとちょっと判り難いからズレるんだよねぇ﹄
1167
姫達の言葉は正しかったらしい。
﹃屋上に行って貰わなきゃ困るから下への道を塞いだんだけどさ﹄
獲物よ、お前の行動も読まれてるみたいだぞ。しかも誘導という
ことは絶対に何かある。
﹃やっぱさー、ラストは夜明けを頼りに屋上へ出て絶望するっての
が御約束だよね!﹄
⋮⋮。
獲物さーん、逃ーげーてー! 駄目骸骨が鬼畜発言かましてんぞ
ー!
ある意味予想通りの言い分にほんの少しの同情を持って映像の中
の男を応援する。最後って見せ場を兼ねてるから辛いよな!
﹁というかな、もう夜明けだぞ? 魔導師殿。そろそろ遊びの時間
はお終いか?﹂
﹃待機組に連絡御願いします。この人で最後なんで﹄
﹁そうか。いや、実に面白い見世物だった。最後も期待してるぞ﹂
﹃頑張りまーす﹄
何故かうちの王様すっかり馴染んでるんですが。え、もしかして
今後は友好的なお付き合い決定?
さらに駄目な奴になる気か、この親父は! 少しは真面目な側近
を労わりやがれ!
怒りに青筋を立てつつ視線を向けた先では獲物が端に追い詰めら
れていた。ミヅキよ、お前は悪魔か。周囲に無差別に氷結魔法を廻
らせたら逃げ場が無いだろ、どうする気だ。
1168
そして皆が見守る中、最後の時が訪れる。
男は夜明けを目前にしながら。
迫り来る恐怖に耐え兼ねて空へと身を躍らせた。これで終ると安
堵の表情を見せながら。
それこそ最後の演出に必要な行動だとは気付かずに。
ざわりっと空気が揺らぎ。
現れた無数の手が終わりに安堵した男の表情を再び恐怖に染め上
げ。
恐怖に抱かれたまま、男はゆっくり下降していった。浮遊魔法と
幻影を同時に使っているらしい。
絶対に使われたくない救助方法である。見ろ、奴は気を失ってい
るじゃないか。
そんな呆れと共に眺めていた娯楽は明けてゆく夜と一礼して消え
た死神を印象に残し終わりを告げたのだった。
予定ではこの後に回収部隊が奴等を保護する予定なのだが⋮⋮ま
ともな精神状態をしているのか疑問である。
﹃イベント終了ー! お疲れ様でしたー!﹄
妙に明るいミヅキの声に思わず口元に笑みが浮かんだのは⋮⋮気
の所為だと思っておこう。
1169
恐怖の一夜の終わりには︵後書き︶
イベント終了。後は後日談。
グレンは記憶と変わらぬ主人公に呆れ、脱力し。それでも懐かしさ
に嬉しくもあります。
1170
其々の後日談
恐怖の一夜が明けたその翌日︱︱
﹁お、これが映像で見た仕掛けか﹂
﹁事前に判っているからでしょうが、暗くなければそこまで怖くあ
りませんね﹂
﹁見せ方が重要ってことか。要は使い方なんだな﹂
自称・調査隊の皆様が例の砦を楽しく捜索中。解説書を片手に回
っているので驚く事はないみたい。
ちゃんと調査ですよ、調査。
だってキヴェラの騎士達を保護した手前、確認しなければなりま
せんからね。
ただし調査対象が﹃不審物・若しくは不審者や魔物﹄なので私の
施した悪戯各種は認識されないけど。
魔物でも不審者でもありません、どういう物か判っているから不
審物でも無い。
嘘は吐いてませんよ、一個もね!
報告書にも書かれるので嘘はいけません。あの連中をキヴェラに
送り届ける際には事情説明しなきゃならないしね。
なお、保護した直後の彼等は非常に大人しかったらしい。という
か大半が気絶してたから全員を収容できる宿へ直行。数日は貸切に
1171
なっているのでアルベルダの騎士達も事情聴取を兼ねて泊まる事に
なっている。
イベント終了後はあの場所から引き離す意味もあって回収を優先
したけど正解でした。奴等の為に用意した宿では目を覚ますなり騒
いだらしいから。これが外だと無関係な人達が何事かと思うだろう。
ま、予想通りだ。押さえ込めるアルベルダの騎士達も居るし、他
の客への迷惑も考えて貸切にしてあった事は英断ですね。
更に奴等は自分達が泊まっていた宿の事を聞くも、宿の女将に﹃
そんな宿は聞いたことが無い﹄と教えられ絶句していたとか。奴等
の行動の発端が宿の主人から聞いた話なので当然ですね。
ここで注目すべきはオカルトに遭遇したという事ではない。自分
達以外で唯一の証人が消えたという事なのだ。
お馬鹿さんだなー、ここで気付けばそのまま口を噤むという選択
もあっただろうに。
ちなみに女将さんは嘘を言っていない。だって宿じゃないもの君
達が泊まった場所。
国が所有する宿泊施設の一個なんだってさ。もっと言うならそこ
に集うのは諜報員達のみ。宿に見せかけた場所で旅人や商人の振り
をしつつ集うわけですね。
﹃宿﹄って言うから知らないと言われちゃうのだ、正しくは違う
もの。言葉は重要ですね、王に証言を求められても虚偽報告にはな
らんのです。間違って泊まろうとする人には満室だと答え別の宿を
紹介するので、管理人と事情を知る宿の経営者達との関係は良好だ
とか。今回も面倒な騎士連中を快く引き受けてくれましたよ、あの
女将さん。
まあ、私がそんな事を知って良いのかと思ったけれど
﹁何かの時に利用するかもしれないだろう﹂
1172
という王の大変意味深な御言葉に側近の皆さんが頷き問題無し。
⋮⋮確かに身分的に一般人の私が城や側近の館に気楽に行ける筈
はないですね。そういった繋がりを作ってくれたと言う事は信頼で
きると認めてくれましたか。
そんな事もあり奴等が事情聴取されている間、私達は廃墟に来て
います。回収と見学、もとい調査に。
私は事情聴取を盗聴しつつ皆さんの御供ですよ。怪我をするかも
しれないから引率は必要です。
で。
以下、現在絶賛盗聴中の彼等の会話。事情説明の所はかなりの興
奮状態だったので碌に聞いていない。煩いだけだし見てた方が詳し
く知ってますからね。
ちなみに落ち着いてるのは通報を受けて駆けつけた騎士達の一人
です。
﹃⋮⋮我々は奇妙な声が聞こえるという通報を受けてあの廃墟へと
赴いた。現在、他の者が調査中だが君達の言うような現象と言うか
⋮⋮魔物か? とにかく魔法の痕跡すら見当たらないと言っている﹄
﹃嘘だ! あれほどに強力な魔物だぞ!?﹄
﹃それ以前に君達の言っている事が正しいと証明することさえでき
ていない。何なら一度現場に立ち会ってもらえるとありがたいのだ
が﹄
﹃ふざけるな! あんな場所にもう一度行くわけないだろっ!﹄
﹃ならば我々の報告を信じてもらうしかないのだが?﹄
1173
呆れ一杯に相手をしている騎士さん、御苦労様です。奴等が﹃も
う一度行く﹄と言い出した時の為に私が砦に来てはいるけど、その
状態じゃ待機する必要なかったっぽいですね。
大鎌が刺さったように見えた壁の傷も直したのになぁ、恐怖演出
の為に。﹃馬鹿な!﹄とか言って混乱して欲しかったのだが。
現在、砦は簡易アトラクションと化しておりますよ。今日中には
全部撤去される予定なので楽しめるのは今だけです。 期間限定と
いう要素も加わって参加者達はとても楽しんでいるようだ。そうだ
よね、見ているだけってつまらないよね!
楽しみたければもう一度来てもいいぞー、キヴェラの騎士様?
﹃ところで何人かの衣服に付いていた足跡だがな、今のところ該当
する魔物がいない﹄
﹃アンデッドだと言っているだろう!﹄
﹃⋮⋮。そうだな、君達の言い分ではアンデッド、つまり骨だ。大
きさの違いはあれど大まかな種族を特定できる重要な証拠となる。
だが、該当する種族が居ない。人型をしている新種の魔物でもない
限り﹄
今回はアンデッド=骨。つまり事実ならば﹃生きている個体が存
在した﹄ということです。
奴等の証言を鵜呑みにすると人と別の何かが混じったような種族
か個体が存在しなければならない。しかもこの世界のアンデッドは
術者の操り人形。
発見されていない新種の魔物が存在しその骸を操った術者が居た
という事になるのだが、肝心の魔物の行動が首を傾げさせる要因と
なっている。
1174
﹃アンデッドって知能あったか? しかもそんなに動けたか?﹄
奴等の言い分はか∼な∼り∼無理があるのだよ、この世界の﹃常
識﹄からすると。加えて言うなら欠片もその証言を裏付ける物が見
付かっていないので信じられずとも仕方あるまい。骸を操る魔術師
の存在を疑う以前の問題です。
足型だけあっても精々﹃何か魔物が出た﹄程度なのである、﹃大
鎌を持った人型のアンデッド﹄という決定的な証拠にはならない。
キヴェラの連中は﹃自分の証言を全て信用させようとしている﹄
からこそ、部外者には受け入れられないのだ。
﹃魔物に襲われ錯乱した果てに幻覚でも見たのだろうか﹄と思わ
れるだけである。と言うか、そうとしか解釈のしようが無い。
あの死神の姿は一つで纏めれば異様でも、部分的なパーツの集合
体として見れば十分許容範囲という考えもあるのだ。
﹃黒いローブ﹄、﹃アンデッド﹄、﹃素早い動き﹄、﹃生きてい
るかのような動作﹄。騎士と言う立場にあるならば戦った事がある
敵にそういった特徴を持った者がいてもおかしくはない。
﹃錯乱し様々な記憶が混ざり合った結果に自分が作り出した幻覚
ではないのか?﹄
保護した直後の奴等の状態といい、その推測を否定できる要素は
少ない。
何せパニックになっていた事も相まって魔道具で見た彼等の記憶
が非常に断片的かつ混乱しているのだ。いくら経験していようと﹃
1175
本人がそれを正しく認識できていなければ証拠映像にはなりえない﹄
。
ちなみに記憶を映像化して見るという手段が確実な証拠とは言い
切れない理由がこれだったりする。
・記憶を映像化⋮⋮本人の影響をもろに受ける。本人視点で瞬き
あり。平面映像。
・撮影された映像⋮⋮幻覚・錯乱の影響は無いが幻影はそのまま
映る。平面映像。
・立体映像⋮⋮私の記憶+職人の技術の成果。ゴースト系悪戯に
は必須。幻術に近いが透けている。
こんな感じで欠点があるのだ。魔道具によって微妙に映像が違い
ます。
記憶を見る場合は本人が錯乱していたり、対象が幻影を纏ってい
たり、幻覚を見せられていたりするとそのままになるからね。
だから証拠の一つにはなっても確実とは言い切れない場合がある
のだと黒騎士達から教えられた。﹃他国が批難する切っ掛け程度だ﹄
と。
私は事前にこれを聞いていたのでキヴェラ後宮の内部や風景など
を冷遇映像に組み込んだのだ。冷遇現場だけでは確実な証拠とは言
えないから。
キヴェラは﹃映像程度なら誤魔化せる﹄と判断し、姫を連れ戻す
事で全て収まると王太子をコルベラに送り込むだろう。いくらアホ
でも誓約がある以上は絶対に勝てるのだから。
⋮⋮実はあの映像も罠なのだが。注目すべきは冷遇だけでなく﹃
映像が事実﹄と確信させる周囲の状況。
幻覚・幻影の映像に後宮内部の詳しい構造なんてものが映ってる
わけないだろー?
1176
魔道具の映像は確実ではないという思い込みが﹃十分事実だと認
識できる物が映っている﹄という可能性を隠すのだ。
これを話した時は商人さん達に﹃なんて性格の悪い⋮⋮!﹄と慄
かれましたが。
いや、だって狸様も証拠による姫の解放は難しいって思ってたか
ら逃亡に拘ったわけだし。誓約の事も含めて難易度は激高だったの
ですよ。
ちなみに逃げた後は死体を模造して姫の安全を確保するというの
が当初の計画だったそうな。他国がキヴェラを批難している隙に姫
が責任を感じ自害⋮⋮ということにしてしまえばキヴェラも沈黙せ
ざるを得ないというシナリオです。
悲劇の姫を演出して極一部以外を欺くつもりだったんですよ、あ
の狸。そんな計画なら私に﹃姫と証拠持ってコルベラまで逃げろ﹄
しか言えんよな、最低限しか計画に関わらせないのは優しさか。
魔王様達も薄々その計画を察していたけど切っ掛けが無い限り国
としては動けなかったのだろう。その切っ掛けに私が選ばれたから
反対したわけだ。無関係な素人使うんじゃない、と。
まあ、それくらいしなければ汚点の証人であるセシルは逃げられ
ないだろうけど。
現実問題としてキヴェラが恐れているのは王太子妃本人の証言だ。
国の恥というより他国に攻撃される要素という意味で。知れ渡れば
王太子を問題視する声も上がり内部も荒れるだろう。
その可能性を潰す為にセシルとコルベラを利用する。公の場で姫
本人が許してしまえばそれ以上の追及は誰にもできないのだから。
が。
1177
甘いぞ、キヴェラ。そんな事は私も承知しているに決まっている
だろう?
そっちがセシルを利用するつもりなら私は王太子を利用してやら
ぁっ!
冷遇映像は事実と確認できる部分があるので証拠になります。加
えて私は撮影者。
私自身が証人ですよ、しょ・う・に・ん! 魔道具の映像じゃね
ぇぞ、王太子妃を連れ出した張本人は無視できまい。
侍女として侵入した際の情報と共にコルベラ王の御前で色々と暴
露してやろうじゃないか。
映像の信憑性を盾に﹃噂になった夢ほど酷い状況ではない云々﹄
と言い訳してくるだろうからな、王太子は!
賭けてもいいが王太子は絶対に誠実に謝罪などしないだろう。
だからこそ、この策が活きる。キヴェラの不実さが公の場で証明
されるのだ。
視線の方が確実にいい場面を撮れるから記憶の方から大半の映像
を編集しましたが。
魔道具でも撮影してあるのです、若干位置がずれてたり場所が固
定されてるけど確認には十分ですよ?
キヴェラを油断させる為にその映像を使ってないだけで無いとは
言ってませんよ。何の為に模造を疑われる可能性のある個人視点の
映像を使ってると思うのさ。
油断させておいて落とす、これ常識です。誓約の事も含めて絶望
するがいい。
嗚呼、最高の舞台で奴の言い訳を打ち砕く時が待ち遠しくてなり
1178
ません⋮⋮!
⋮⋮話を戻して。
記憶を映像として見せる魔道具は﹃一般的に目撃証言が事実か否
かの判断に使う﹄って言ってたから虚偽報告を防ぐ程度の使い方な
んだろう。後は当事者視点で状況を知る為とか。
魔法だけに頼るなという教訓ですな、昔の人は偉大なり。
そして今回はこの欠点が実にお役立ち。黒騎士達から得た魔道具
の知識を別方向に活かしますよ!
私がとことん恐怖に拘った理由でございます。罠は一つに非ず!
ですよ。
恐慌状態にして記憶が証拠になりえない状態にしておけば説明不
可能な事態に一直線。
記憶だろうと証拠隠滅は重要ですしね。まともに見られる状態だ
ったとしても謎の死神の所為になるのでアルベルダは無関係。
映画ならば登場人物込みで周囲の状況も見えるから状況を理解で
きるけど、個人の記憶だと本人視点。まともに映像化できたとして
もオカルト慣れしていない無関係の人が状況を理解できるのだろう
か?
そして足跡は当事者達に現実だったと判らせるだけではない。そ
の後周囲を困惑させる要素としても必要だったので付けたのだ。ど
れほど探してもそんな魔物は見付からないしね、実在しないから。
獲物もとい追っ手達の今後も悲惨だろうな。
強制送還される以上は任務失敗、しかも錯乱した挙句に妙な事を
口走り、喚き散らして国の恥を晒した彼等の未来が明るいなどとは
思えない。
加えて捨て駒扱いだった場合、今回の事を﹃精神を病んだ﹄とい
1179
う事に仕立て上げて一族郎党排除されるだろう。その系統の病人を
出した一族は忌避される傾向にあるみたいだし。
キヴェラ王にとっても有益な事が癪に障るが、逆に言えば向こう
にも利があるからこそ突っ込まれないという利点がある。
一応本人達の記憶と証言も提出されるだろうが理解できる奴は居
ないだろう。ならばそれを利用しようと動く筈。
そんな事を思いつつ盗聴を止める。これ以上は無駄だ、ここに来
る意思がないなら聞いている必要は無い。
ところで。
私が居るのは廃墟の屋上なのですが。
﹁⋮⋮何やってんの﹂
視線を向けた先では例の足型にインクが塗られ、紙に足型が押さ
れている。しかも複数。記念の色紙か何かだろうか。
﹁あ、魔導師様も要ります? 殆ど破棄されるから足型だけでも今
回の記念にしようって﹂
﹁誰が?﹂
﹁陛下です﹂
マジか。
﹁見付かった足型を模造して近いものを作ってみたってことにする
から心配無用っすよ﹂
﹃証拠は一切残さず破棄﹄という私の言葉を覚えていたのか青年
1180
が慌てて付け加える。うん、それ重要だからね?
特にアルベルダがそういった物を所持するというのはマズイだろ
う。
﹁まあ⋮⋮確かに﹃証言を聞いて残っていた足型と同じ物ができる
よう模型を作ってみました﹄って言い分は通るだろうけど﹂
﹁ですよね! あれだけ﹃絶対に居た!﹄ってキヴェラの騎士様が
喚いているんすから。試しに実在したらどんなものになるか作って
みても不思議はないっす﹂
それで更に謎を呼ぶわけですね?
あれ、実在しないから目撃情報すら出ないもんな。不思議生物に
仕立てる為に左右で大きさを変えたりしたから誰が見ても﹃こんな
の居るの?﹄としか思わないんだよねぇ。
調査隊に始まり足型の再現、周辺の聞き込みと国としてはできる
限りの事をやったとキヴェラに言うつもりなのだろうか。
﹁難しく考えなくていいっすよ、魔導師様。裏方を知ってる俺達で
さえ奴等の言い分は信じられませんから﹂
﹁あれを信じろって方が無理だよね﹂
﹁無理っすね。それにあんな風に動く映像なんて初めて見たんで感
動したっす!﹂
﹁立体映像? ⋮⋮ああ、そういえば普通魔道具の映像は平面なん
だっけ。術者が幻術を使わない限りあんな風にはならないんだよね
?﹂
﹁ええ。イルフェナの技術者さんだからこそ可能だったんじゃない
すかね?﹂
確かに職人達は凄い。日々改良・開発に勤しんでるし、私が好き
勝手に騒動を起こせるのは彼等のサポートがあるからだ。
1181
﹃記憶を映像として見せる﹄と言っても一般的な魔道具では映像
が平面だし、ビデオカメラの様に撮影できる物も同様。透けてはい
るが見られる映像は二つともテレビみたいなものだと言えばいいだ
ろうか。
夢として見せる魔道具は人に作用して疑似体験というか記憶の持
ち主視点のような感じになるので、キヴェラでは王太子妃に同情す
る人が多かったと思われる。自分が冷遇されてるみたいだものね。
これらはこの世界では割と普及している。テレビなどが無い分、
魔術や魔道具という形で映像を伝える術が開発されているのだ。多
少高価でも手が届かないわけじゃない。
だからキヴェラで起こした夢騒動も内容が問題であって使われた
魔道具は特に珍しいものじゃないのです。魔道具の入手経路から犯
人が特定できないわけですね!
問題は私が良く使う﹃記憶を立体映像化させる﹄という物。私専
用のゴースト製作アイテムです。
これは製作可能な技術者が非常に限られる。というか黒騎士限定。
そもそも立体映像化させるという発想が無いのだ、使い道が無いか
ら。実体無いし透けてるから映像って判るしね、確認程度なら平面
映像で十分です。
ところが状況と映像化する記憶次第で十分過ぎるほどの脅威にな
るのである。というか、私がした。
ゼブレストであれほど騒ぎになったのは﹃動きの滑らかなアンデ
ッド﹄と﹃立体映像﹄という二つの技術が組み合わさったからだ。
でなければ貴族はそこまでビビるまい。英霊なんて信じなかっただ
ろう。
﹃異世界の知識﹄+﹃職人達の努力と技術﹄という組合せで多く
の悪戯は成り立っているのです。
英霊騒動の時に使った魔道具はその第一弾。それが後々まで使え
るものになるとは魔王様も想像していなかったに違いない。おかげ
1182
黒騎士達とも良好な関係を築けていたり。
そんなわけで今回は全て回収・破棄なのです。残ってたら絶対イ
ルフェナが疑われるから。
﹁いやもう、胸がすっとしましたよ! あいつらの顔ときたら⋮⋮
っ﹂
⋮⋮。何かキヴェラに嫌な思いでもさせられた事があるんだろう
か。妙に清々しい表情だぞ、青年。
それじゃ良い事教えてあげようかな。
﹁ちなみにね、あの連中が一番恥ずかしいのはこれからだ﹂
﹁は? まだ何かあるんすか?﹂
﹁だって﹂
一度言葉を切ってにこり、と笑い。
﹁いい歳した男、それも騎士が﹃お化けが怖い﹄って泣いて国に逃
げ帰るのよ? これ以上の恥、もとい笑い者にされる事ってあるか
しら?﹂
幼児の言い分紛いだが彼等の証言を事実と証明できないというの
はそういうことです。アンデッドだって本人達も言ってるので意味
的に間違ってはいない。
何より選民意識に凝り固まった奴等︱︱貴族とかですね︱︱が自
分が経験をしていない、常識の範疇外のことなど簡単に認めるだろ
うか?
絶対に軽蔑の眼差しで見る奴が出る筈だ。そんな情けない姿を他
国に晒したのだから。
そう教えると青年は尊敬の眼差しで私を見た。
1183
﹁凄いっす、魔導師様! 実在しない宿や足型、加えて悪夢! 最
後の最後まで容赦無さ過ぎっすよ! 鬼畜とは魔導師様の為にある
ような言葉なんすね!﹂
⋮⋮それは褒め言葉なのだろうか、青年よ。
そうして数日が過ぎ。
保護された後も盛大に魘されまくった彼等はアルベルダの兵士達
に連れられてキヴェラへと送られていった。
隈とかかなり凄い事になっていたし、精神的にもヤバげに見えた。
発狂するならキヴェラにしてくれ、迷惑だ。
と言ってもナイトメアは外されたのでもう悪夢は見ない筈。その
後までは責任持てないので知らん。
﹁いやぁ、実に楽しかった! あ、これ約束の物な﹂
楽しそうに笑っているアルベルダ王は実に軽∼い調子で書を渡し
てきた。⋮⋮確かに承認印まであるね。
とりあえずこれでコルベラの味方はイルフェナ、ゼブレスト、ア
ルベルダの三国。幾ら何でもこの状態で﹃今回の件を不問にしろ﹄
とは言えないだろう。
流出した情報を手に三国がキヴェラに待ったをかければコルベラ
に強硬手段はとれまい。建前的には正義と姫に対する憐れみ、本音
1184
はキヴェラ憎しの感情だが。
さて、これで一方的弱者の地位は脱しました。後は何をしよっか
なー?
﹁⋮⋮魔導師殿、まだやる気なのだな﹂
﹁嫌ですわ! 目標はキヴェラの災厄と呼ばれる事ですのに、この
程度で引き下がるなど偉大な先輩方に申し訳なくて﹂
﹁うん、言葉遣いは普通でいいからな﹂
﹁では御言葉に甘えて。王太子と王を〆るまで止めない﹂
﹁はは、素直過ぎるな﹂
﹁その割には楽しそうですね﹂
﹁当たり前だ! これほど楽しいのは久しぶりだぞ!﹂
にやりと笑った王に私も微笑み返す。周囲が呆れてる? 知りま
せんよ、見なかった事にします。
王様、中々楽しい人ですね。これからも良好な関係でありたいで
すよ、類友として。
グレンとか側近の人達が泣く気がするけど気にしない!
﹁さて、それではもう一つ俺の依頼を受けてはくれないか?﹂
﹁依頼、ですか?﹂
首を傾げセシル達を振り返るも二人も首を横に振る。何も聞いて
いないらしい。
そんな私達にグレンが一枚の紙を渡す。内容は⋮⋮馬車の護衛?
目的地はカルロッサ!?
﹁ありがたいですが、大丈夫ですか?﹂
﹁何がだ? 俺が御忍びの時に世話になってる商人がいてな、そい
つがカルロッサまで仕入れに行くというから護衛をつけようと思っ
1185
ただけだぞ? 最近は物騒だしな﹂
片目を瞑って﹃何か気付いても秘密ね!﹄なアピールをする王様
に呆れたように笑うグレン。
⋮⋮その物騒な出来事の元凶は私な気がしますが。
とりあえず素直に御礼を言っておこう。御恩返しは全部終ってか
らにしますよ。
三人揃って頭を下げると王は﹃気にするな﹄と言うようにひらひ
らと片手を振った。
﹁そろそろ下に来ている筈だ。道中気を付けろよ?﹂
﹁馬車を血塗れにはしないつもりですが﹂
﹁ああ、うん。魔導師殿はそっちか。大丈夫だ、奴は大抵の事は気
にしない﹂
グレンよ、﹃ミヅキは外見と性格が一致せんからなぁ﹄とはどう
いうことだ。側近の皆さんも納得するんですね、それに。
ジト目で周囲を眺める私をエマが腕を引いて促す。
﹁ミヅキ。そろそろ参りましょう﹂
﹁そうだな、早い方が迷惑を掛けないだろう。まだ彼等はキヴェラ
に着いていないだろうしな﹂
﹁そだね、行くか⋮⋮あ﹂
扉に向かって歩き出し⋮⋮言い忘れた事を思い出し振り返る。怪
訝そうな表情の人々に向かって深く一礼し。
﹁グレンの傍に居てくださった事、感謝いたします。この世界に居
るのは私だけですが、グレンの友人達の代表として御礼申し上げま
す。ありがとうございました!﹂
1186
﹁お⋮⋮おう、気にするな﹂
﹁それでは失礼します。⋮⋮グレン、またね﹂
それだけ言って今度は振り返らず退室し、部屋の外で待っていて
くれたセシルとエマに笑って告げる。
﹁行こう、カルロッサへ。コルベラはすぐそこだよ﹂
※※※※※※※※※
︵グレン視点︶
言いたい事だけを言って部屋を出て行ったミヅキに誰もが呆然と
していた。
⋮⋮まったく、あいつは。
最後の最後で予想外の事を仕出かしてくれた。
﹁⋮⋮なあ、グレン。お前、こっちへ来たばかりの頃よく言ってた
よな﹃家族はどうでもいいが家族のように接してくれた友人達に会
いたいから生き残る﹄って﹂
﹁⋮⋮ええ﹂
﹁魔導師殿はその一人か?﹂
﹁はい。幼い外見の私を構ってくれた筆頭ですよ﹂
仕事ばかりの両親に愛情など期待しなかった。だが、その寂しさ
を埋めるように始めたのがガーデニングやネットゲームだ。
必要以上に無邪気に振舞う自分に何かを察したのか、ヴァルハラ
の皆はよく構ってくれた。外見はともかく、本体は全員自分より年
上だったのだろう。
頭を撫でてもらう、抱きしめる、落ち込めば慰める、叱る、褒め
1187
る⋮⋮幼い頃から欲しかったものは全て彼等が補ってくれた。
﹃友人﹄というより﹃保護者﹄に近かったのだと思う。実際、自
分は別のギルドに所属していたのだし。
そして⋮⋮﹃赤猫﹄と呼ばれ過ごした日々は間違いなく異世界に
放り出された自分を支えてくれたのだ。
﹁当時のグレンのような悲壮感が無いので忘れていましたが、魔導
師殿も異世界に来たばかりですよね﹂
﹁まだ一年経っていない筈だ﹂
﹁やはり⋮⋮思うことはあったのでしょうな。あのような感謝の言
葉が出るのですから﹂
出会った頃は敵意ばかりを向けてきた男が随分と穏やかな口調で
言う。
異世界人。その言葉は想像以上に重いものなのだ。偶然が重なっ
た結果とは言え落ち着いた頃に打ち明けた際には、仲間達は挙って
隠すよう言ってきた。
それは本当に自分の為を想って言ってくれたのだとアリサやミヅ
キを見ていて痛感する。
﹁あの性格だと苦労しそうだよなぁ﹂
がりがりと頭を掻きながら言う王の表情は明るくは無い。その様
に同意するように思わず溜息を洩らす。
ミヅキは⋮⋮自分を偽らない。嫌な事は死んでも拒絶し、己が選
択に満足して逝くだろう。
だが周囲はたまったものではないのだ。﹃あいつらしい﹄と口に
しても誰が納得できようか。
﹁魔王と守護役達、そして翼の名を持つ騎士達が常に守っています。
1188
ゼブレストもミヅキの味方でしょう﹂
﹁だが他国が放っておくと思うか? 今回の事で魔導師殿は間違い
なくその名を知らしめるぞ?﹂
﹁それでも。自分で決めた事を覆すような真似はしないでしょう。
忠告するだけ無駄ですよ﹂
﹁だよなぁ﹂
無駄だ。ミヅキは異世界人だからこそ生き方を変えない。手放さ
なかった唯一のものが﹃自分﹄なのだから。
そもそも人が何か言った程度で変わるような性格をしているなら
自分は再会しても気付かなかっただろう。それほどにゲームでの性
格とブレがないのだ、友人関係も楽に続くわけである。
と、ノックが聞こえ返事を待たずに使用人の青年が入ってくる。
﹁失礼しまーす⋮⋮あれ、何でしんみりしてるんすか?﹂
場の雰囲気に首を傾げる青年に何でもないと首を振り用件を促す。
すると一つの袋を差し出してきた。
﹁魔導師様から頼まれてたんすよ、皆さんに渡して欲しいって。万
能結界付与のペンダントらしいっすよ﹂
﹁は? 魔道具か?﹂
﹁ええ、自分が貰った物と同じみたいっす。あ、グレン様はこれで
す﹂
そう言って装飾の施された腕輪が渡される。記憶に残るそれは。
﹁ヴァルハラの⋮⋮腕輪?﹂
﹁あ、そうっす! そんな名前でした。何でも効果は解毒・治癒・
万能結界で、解毒と治癒は﹃元の状態に戻す﹄状態だから血を一滴
1189
垂らせって言ってました﹂
銀色の、魔石がついた見覚えのあるそれは。自分にとって随分と
懐かしく、そして驚くべき効果を秘めたもので。
⋮⋮傍に居なくとも案じてくれているのだと判らせるには十分な
ものだった。
﹁はは⋮⋮忙しいのに何をやっているのやら﹂
呆れたように呟くが泣きそうな顔になっているのだろう。仲間達
は自分から不自然に顔を逸らしている。
﹁万能結界か⋮⋮こりゃ﹃グレンを宜しく﹄って意味なんだろうな﹂
﹁やれやれ、言われなくとも仲間ですのに﹂
﹁仕方あるまい。魔導師殿は今回殆ど我々と話す事が無かったのだ
から﹂
﹁確かに﹂
軽口を叩く皆の言葉はとても暖かく優しい。あの頃とは違っても
自分は確かにこの世界で居場所を築けたのだ。
﹁グレン。お前、凄い姉さんがいたんだなぁ﹂
王が呆れたような、何処か安堵するような口調でそう言ってくる
のに頷く。
﹁ええ。兄であり姉でもある、自慢の友人ですよ﹂
﹁おいおい、兄はないだろ﹂
﹁いいえ。それで正しいのですよ﹂
1190
自分にとってはゲームの世界も今の現実もミヅキに対する評価は
変わらないのだから。
ミヅキが自分を相変らず﹃赤猫﹄と扱うように。
そう返すと王はもはや何も言わなかった。ただ、渡されたペンダ
ントを何処か優しげな眼差しで見つめた。
ミヅキ。お前は気付かなかっただろうが、再会した時に﹃レッド﹄
と呼ばれた事が儂は泣きそうなほど嬉しかったのだ。
友との再会を生きる為の目標にはしたが、過ぎた年月にそれは無
理だと諦めてもいたのだから。
国を違えた今となっては何があっても味方でいるなどと言えはし
ない。それでも。
儂は⋮⋮もう一度会えた事を嬉しく思うよ、賢者殿。
※※※※※※※※※
︱︱数日後、キヴェラにて︱︱︵キヴェラ王視点︶
﹁⋮⋮で? そやつらはどうした?﹂
﹁病の可能性もありますし一所に留めております﹂
﹁連れてきたアルベルダの者と話したか?﹂
﹁はあ⋮⋮できることは全てしてきたと言っております。たしかに
提出された調査書に不審な点はありません﹂
﹃その調査書自体が困惑する内容なのですが﹄と宰相も困惑気味
に答える。当然だ、追っ手に仕立てた捨て駒がいきなり精神を病ん
1191
だなど信じられるものではない。
だが、アルベルダに不審な点が無いのも確かなのだ。
困惑を貼り付けたアルベルダの使者は調査報告を提出しつつも首
を傾げんばかりであった。
﹃こう言っては何ですが、彼等の言い分を確かめる術がありません﹄
﹃数日調査隊を廃墟に泊まらせてみたのですが、このような事態に
はなりませんでした﹄
﹃異様に賢いアンデッド⋮⋮でしょうか? それも目撃情報が全く
ありません﹄
﹃魔道具で見た記憶も非常に判り難い状態であり⋮⋮錯乱していた
可能性が高いと思われます﹄
実際に見た映像は無理矢理繋ぎ合せたようなものだった。視線が
忙しなく動く事に加え、ほんの一瞬異様に大きな顔のようなものや
皿? などが映り訳が判らない。
証言を纏めると大鎌を持った黒衣のアンデッドということになる
のだが、残された足型も首を傾げるシロモノだ。
これではアルベルダを追及する方が無理というものだろう。
﹁ふむ、先日の失態を気に病むあまり精神を病んだようだな﹂
﹁⋮⋮ええ、そのようですね﹂
わざとらしくそう言えば宰相はちらりと視線を向け微かに頷いた。
﹁これ以上の兵役は無理だろう。本来ならば処刑されてもおかしく
は無いが哀れだな﹂
﹁ではどうなさるおつもりで?﹂
﹁﹃精神を病んだ事﹄のみを公表しろ。誰もが納得するだろう﹂
﹁⋮⋮そうですね、元々精神的な疾患があったやもしれません﹂
1192
精神異常者を出した家の末路は悲惨極まりない。血を重要視する
故に一族郎党を﹃そうなる可能性がある一族﹄として見る者が多い
のだ。
縁談などは破談にされ、付き合いを絶つ者も出るだろう。
しかも今回は精神を病んだ事のみを公表し、そうなった原因は不
明のまま。誰もが先日の失態が原因だと噂するだろう。その噂が彼
等を更に苦しめる。
﹁結果的には処刑も終身刑も免れたのですから実家の願いは叶った
のでは?﹂
﹁そうだな。奴等を差し出した方が良かったと思うことは確実だが﹂
﹁選民意識のままに下らぬ事をするからです。王太子妃様にあれほ
どの無礼を働いてなお減刑を願い出るなど⋮⋮恥知らずな!﹂
吐き捨てるように口調を強めた宰相に側近達も同意する。当然だ、
そんな真似をして許されると思うなど我々を嘗めているとしか思え
ないのだから。
﹁例の復讐者達が介入した可能性は?﹂
傍に控えていた騎士団長が控えめに宰相に尋ねる。だが、宰相は
緩く首を横に振った。
発言を許可すると軽く頷き騎士団長に向き直る。
﹁全く無いとは言い切れん。だが可能性としては低いだろう。利点
がない上に被害者があの者達だ。個人的な恨みでも無い限りわざわ
ざアルベルダまで足を伸ばすかね?﹂
﹁⋮⋮確かにそれならば砦の一つでも落としたほうが力を見せ付け
られますな﹂
1193
﹁アルベルダも困惑している。下手にこちらから調査団を派遣して
復讐者達の事を感づかれたらどうする? そちらの方が厄介だ﹂
宰相の言葉は尤もだ。今の所大人しいアルベルダに付け入る隙を
与えるのは得策ではなかろう。
皆も納得したように頷き、それ以上の質問は上がらないようだっ
た。
﹁では、あの者達の処分はそのように。国内の警戒を怠らず、コル
ベラの動きも注意せよ﹂
﹁承知いたしました﹂
姫がコルベラに着きさえすればルーカスの件は片がつく。それま
でに今後の事を決めておかなければ。
深々と吐いた溜息に気遣わしげな視線が向けられるが気付かない
振りをしておこう。
儂はまだ強者であり続けると決めているのだから。
1194
其々の後日談︵後書き︶
主人公の悪戯は黒騎士達との共同作業。知識を提供し合うことで別
方向に成長中。成長の成果はキヴェラへの罠に活かされ、狸が計画
したものより凄まじいことになってます。
主人公に依頼が来た際の保護者の台詞﹁君が証拠を持って∼﹂とあ
るように望まれたのは姫の逃亡だけだったのですが、何時の間にか
主犯。
1195
一方、その頃イルフェナでは︵前書き︶
今回、主人公は出てきません。
騒動が起これば当然それを利用しようとする人も居ますよね。
別名﹃まともな国と色々ぶっ飛んだ国﹄。
1196
一方、その頃イルフェナでは
︱︱イルフェナ・騎士寮にて︱︱︵エルシュオン視点︶
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
騎士寮の食堂にてライナス殿下からの書状を読んでいたレックバ
リ侯爵は暫し無言だった。
ああ、その気持ちも判るよ。私も同じだったからね。
グレンを擁するアルベルダが今回の件にミヅキの存在を疑うのは
予想通り。それ以外にも魔導師の脅威を知る国がミヅキを警戒対象
にするのも仕方ないといえるだろう。
情報規制により大した情報は得られていない筈だが、それでも魔
導師ということは知られている。異世界人という事も大きい。コル
ベラとの接点が有ったなら協力者ではないかと疑われていただろう。
と、言うか状況の奇妙さからミヅキ以外に該当者が居ないという
のが本音だ。ミヅキを知る人物なら無条件で疑いを持つと断言でき
る。
逆に知らなければ﹃誰かは知らないがよくやった﹄程度で済むだ
ろう。そもそもキヴェラに対し不満を持つ国は多いのだから。
それこそ天災紛いの魔導師に喧嘩でも売ってくれないかとさえ思
っていた。過去を振り返る限り魔導師と呼ばれた存在に喧嘩を売っ
て只で済んだ事などない。
そういった意味ではミヅキは非常に安全な魔導師と言える。何せ
保護者の言う事は一応ちゃんと聞くし、理由無く自分から喧嘩を吹
っかけるような真似もしない。
使う魔術は日常生活を快適にしようとした故のものなので、人体
1197
実験や威力確認の破壊活動をすることもないのだ。
だが。 ミヅキ、君が教育を無駄にしない努力型の実力者という事も理解
している。
身内には可能な限り優しいということも知っているよ。
でもね?
個人、それも言葉で王族を怯えさせるなんて想像してないよ!?
あの娘は一体どういった方向に行くのだろうか。
どうも教育方針を間違えたような気がしてならないのだが。
そう、しいて言うなら⋮⋮凶暴な奴に武器の扱いを教えた、みた
いな? 上流階級にある者達の認識・在り方、交渉の仕方⋮⋮それらは彼
女自身の身を守る為に必要だったからこそ学ばせたのだ。勿論、見
るだけではなく本人が自力で習得するような体験学習で。
結果、彼女は見事に習得し現在では翼の名を持つ騎士達にとって
も頼れる仲間と化している。
そこまではいい、そこまでは。
問題は何故、バラクシンのライナス殿下が個人的に訪ねて来るか
ということだ!
﹁⋮⋮私の意向を確認していただけただろうか﹂
護衛の騎士を一人しか連れず﹃個人的な御忍び﹄としてイルフェ
1198
ナを訪れたライナス殿下はやや緊張しているようだ。
本来ならばこのような場所に招くのは適切ではない。だが﹃あく
まで個人的な御忍び﹄だと言い張る︱︱この時点で絶対におかしい。
他国まで足を伸ばす御忍びってどんなだ、しかも転移法陣の使用許
可が出ている︱︱ライナス殿下の意向に沿ってこの場所となった。
ミヅキがアリサの所を訪ねた直後である。どうせ原因はミヅキだ
ろうとレックバリ侯爵も巻き添え兼助言役に呼んでおいたが。
﹁一ついいですかな?﹂
﹁ふむ、何でしょう﹂
﹁これを読む限り貴方個人がミヅキの味方をするという事なのじゃ
が、国は何と言っておりますかな?﹂
ライナス殿下の訪問目的。それは﹃国が関わらぬ限り王弟ライナ
スはミヅキの味方になる﹄と保護者である私に明言すること。
確かに異世界人は価値があると認識されがちではある。実際ミヅ
キは価値があるだろう。
だが、それならば守護役を推せばいいだけだ。
それをせずに﹃個人的に味方する﹄などと言い出す理由。
つまりバラクシンはミヅキの信頼を得ていない。
守護役を推しても却下される、ということだ。
﹁兄上は⋮⋮王は承知しておりますよ。キヴェラの事もありますし﹂
﹁ほう?﹂
レックバリ侯爵の片眉が上がる。
﹁貴方は非常に微妙な御立場でいらした筈。王太子が立ち貴方自身
も継承権を破棄したとはいえ、王弟であり少なくない影響力を持っ
1199
ていらっしゃると思うのですがな﹂
レックバリ侯爵の言い分は正しい。一度王族として生まれた以上
は生涯王族なのだ。国が滅ばぬ限り何の影響も無いなどとは言えな
いだろう。
言い方は悪いが継承権が有ろうが無かろうが王の駒として政略結
婚という可能性もあるのだ。
加えて彼自身が国に仇成す事を防ぐ為、権力を持つ者達との繋が
りを極力避けるようにしていた筈。これを進言したのはライナス本
人だと聞いている。
王である兄の忠臣という立場を取っていた人物が﹃個人的に﹄な
どと言い出したところで信じろという方が無理である。
主の思惑の下に動いているのではないか、と。
遠回しに疑いを向けるレックバリ侯爵の言葉にライナス殿下は深
い溜息を吐いた。
⋮⋮何故か妙に疲れた顔をしているような?
﹁先日アリサの所で鉢合わせましてね、彼女と。勿論、身分は隠し
ておりましたが⋮⋮その時にアリサの扱いについてそれはもう、容
赦無く言われたのですよ。ええ、こちらが悪いのですよ。不敬には
なりません﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
何を言いやがった、あの娘は。
﹁具体的な内容は少々立ち直れなくなりそうなので省きますが、一
言で言うならこうでしょうね。﹃この無能!﹄と﹂
﹁それは⋮⋮何とも﹂
﹁おや、ミヅキがそう言ったのかな?﹂
﹁言われた方がマシでした。我々にも理解できるよう実に細かく異
1200
世界人として意見を述べてくれましたから﹂
反論しようがありませんでしたよ、正論過ぎて。そう言ったライ
ナス殿下は思い出したのか少し顔色が悪いようだ。
護衛の騎士もやや俯きがちなので何かしら言われたのだろう。
つまりアリサの扱いについてミヅキはじっくり詳しく意見を述べ
たと。
感情論ではなく、相手が反論できないような言い方をして追い詰
めたと。
じりじりと追い詰めばっきり心を折った、というわけだよね?
⋮⋮。
⋮⋮。
⋮⋮他所の国で何をしているのかな、あの馬鹿猫。
君は今現在、とっても重要な﹃御使い﹄の最中じゃないのかい?
内心顔を引き攣らせた私とは逆に、レックバリ侯爵は納得したと
言わんばかりに頷いている。
﹁ほほう! やられましたか、あの娘に。あれは本当に手加減とい
うか容赦を知りませんからなぁ﹂
﹁⋮⋮レックバリ侯爵も経験がおありで?﹂
﹁ええ。あの娘の恐ろしいところは最終的に望んだ結果を出すとい
うことでしょう。その為にはありとあらゆる人脈・物・噂に常識を
使いますから﹂
1201
敵になって初めて知るのですよ、﹃自分はまだ甘かった﹄と︱︱
そう言い切ったレックバリ侯爵にライナス殿下は更に顔を青褪めさ
せた。
ミヅキを認めているのか、それとも自分以上の外道だと言い切っ
ているのか判断しかねる微妙な言い方だ。
しかもそう断言しているのが外交上手のレックバリ侯爵。恐怖は
増したんじゃないのか、更に。
﹁手加減、されていたのでしょうか﹂
﹁いやいや、警告だったと思うべきではないですかな?﹂
﹁警告、ですか?﹂
﹁うむ、﹃次は無い﹄という意思表示とも言いますな﹂
しれっと笑顔で言い切る外道狸。
レックバリ侯爵、怯えてる人を更に追い込む貴方も立派にミヅキ
の同類だと思うのだが。
呆れた視線を向けるも何のその。嬉々として殿下を追い詰めてい
るようにしか見えないその姿に周囲の騎士達は揃って視線を逸らし
た。
⋮⋮ああ、﹃見なければ良い﹄ってことだね。君達もミヅキの味
方か。
どうもレックバリ侯爵は引退前提で動いてから﹃後の事なんて知
らない﹄とばかりに自由思考になった気がする。
もっと言うなら﹃ミヅキの味方をしていた方が面白い﹄とも思っ
ている節がある。
年寄りの娯楽に付き合わされるライナス殿下にレックバリ侯爵を
呼んだことを心の中で詫びた。
さすがに遊び過ぎではなかろうかと本題を切り出す。
1202
﹁侯爵、遊び過ぎだよ。幾ら本音を語らぬからといって相手は王族
だ﹂
﹁おや、はしゃぎ過ぎましたかな﹂
﹁⋮⋮どういうことです?﹂
訝しげに尋ねてくるライナス殿下に表面的には穏やかな笑みを向
ける。
﹁貴方がはっきり仰らないからですよ。要はこういう事でしょう?
﹃キヴェラの件を受け国は中立、貴方個人はミヅキの味方になる。
場合によっては貴方個人がコルベラに友好的な対応をし、他国との
関係を調整する﹄。キヴェラに追及されてもあくまで貴方個人の判
断、煩いようなら貴方を処罰し国に迷惑が掛からぬようにすれば体
裁は繕える。⋮⋮自ら捨て駒となられましたか﹂
﹁ミヅキの味方となる為に理由が必要だったのではないですかな?
アリサという異世界人への対応を恥じ、ミヅキの苦言という脅迫
に味方となる事を決めた。⋮⋮表向きはこのような感じでしょうな
ぁ、﹃貴方個人﹄ならば国が異世界人に屈した事にはなりますまい﹂
私達の言葉にライナス殿下は瞳を眇め沈黙する。﹃キヴェラの事
もあって王は承知している﹄と言ったのだ、ならばミヅキとの関連
性も当然考慮されていると言う事。
それを踏まえて今回の申し出をしたのならば、別の使い方も考え
たと思うのは当然だ。
僅かな動揺を見せるライナス殿下にその予想は正しかったのだと
実感する。
勿論、これで許すつもりなどない。我々さえ欺こうとしたのだか
ら覚悟はできているだろう?
﹁今の所確実な情報は﹃キヴェラの王太子妃が冷遇に耐えかね逃亡﹄
1203
という一点だ。協力者も逃亡した状況も逃走経路も不明、実に奇妙
だろうね﹂
﹁王太子妃様が姿を消された時はゼブレストに滞在していたそうで
すからな、あの娘。にも関わらず事実だと踏まえての対応なのです
から余程確実な証拠でもありましたかな﹂
﹁⋮⋮魔導師を警戒するのは当然では?﹂
﹁確かに。だが、それは実害あってこそのものだよ。ミヅキはこれ
まで存在した魔導師達のような事はしていない筈だ﹂
﹁そのような事を仕出かしたのならば国が責任を取らねばならない
でしょうな。⋮⋮仕出かしたのならば﹂
続け様に言葉を紡ぐ私達にライナス殿下は軽く唇を噛み黙ったま
まだ。彼はミヅキの味方をすると言えば容易く受け入れられると思
っていた節がある、だがそれが間違いだったと気付いたのだろう。
ここで簡単にライナス殿下の提案を受け入れるならば﹃今回の原
因はミヅキだ﹄と言っているようなものだ。
﹃国が関わらぬならば﹄という前提での提案に頷けば﹃国の為に
ミヅキをキヴェラに売り渡す﹄という可能性も出て来る。
一見、ミヅキを恐れて味方になりに来たように見えるが実際は探
りを入れに来たのだろう。
ミヅキがどういった決着をするのかは知らないが、バラクシンは
ミヅキがキヴェラと争っていると仮定してイルフェナやゼブレスト
に何らかの圧力を掛ける気かもしれない。
彼は王族であり王の忠実な駒︱︱キヴェラの味方でなくとも、優
位に立てる状況を逃すとは考え難い。
﹁貴方達は我々を随分と侮っているのだね。忘れているようだけど
ミヅキに教育を施したのは私だよ? 我が国が不利になるような展
1204
開を許すと思うかい?﹂
必要ならば我々はミヅキを切り捨てるよ、あの娘ならばそれを望
むだろうしね︱︱そう最後に付け加えるとライナス殿下は僅かに驚
愕を表し、そして諦めたように溜息を吐いた。
﹁まったく⋮⋮よく躾られていますな。あの娘も貴方達の対応を予
想していましたよ、それが当然だと﹂
﹁当然だね。自分の事に対し責任を持つ、最優先は国だとしっかり
言い聞かせたから﹂
実際はそこまで言っていない。だが、ミヅキはある意味権力者よ
りも割り切った考え方をする。
これはもう本人の性格だとしか言いようが無いのだ。グレンから
もそう聞いている。
﹁お帰りなされ、ライナス殿下。これは貴方個人の訪問ゆえ見逃し
ましょう﹂
穏やかに笑いながら促すレックバリ侯爵だがその言葉は非常に厳
しい。
﹃容易くあの娘を利用できると思うな﹄という警告を込めた言葉
にライナス殿下は目を伏せる。非はそちらにあるのだ、優しい言い
方をしてやる義理はない。
﹁今回の事をミヅキに話したら激怒すると思うよ? あれは賢い。
貴方の⋮⋮いや、バラクシンの思惑など容易く見抜く。そして報復
するだろう﹂
﹁国は関係ないと⋮⋮っ﹂
﹁ミヅキにそんな言い訳は通用しない。貴方の行動はミヅキを王太
1205
子妃の協力者だということを前提にしている。少しでも私達が認め
るような発言をすればイルフェナに圧力を掛ける気なのだろう? 義理堅いあの子が許すとは思えないね﹂
﹁あの娘は正義などどうでもいいのですよ。貴方が国の為にしたと
言うならその元凶である国をどうにかするのが最も効果的だと思う
でしょうな﹂
これにはライナスの護衛を務める騎士も絶句する。そうだろうね、
普通はそこまで極端な発想はしない。
だが、ミヅキは異世界人なのだ。外交をする立場どころか貴族で
すらないのだから自分が関わらぬ国など無関心もいいところだ。
そんな﹃個人﹄ができることなど﹃自分の能力による敵の撃破﹄
一択。単に選択肢が無いだけである。
⋮⋮自己保身を考えないミヅキならではとも言うかもしれないが。
﹁今回の事は貴方達が調べた情報を信じるべきだろう。我々も独自
に動いている。国が大事ならば他の事に気を取られている場合じゃ
ないだろう? ⋮⋮下らない事などするものではないよ﹂
暗に帰れと促すとそれ以上の言葉を紡ぐ事無く立ち上がった。こ
れ以上食い下がればこちらを不快にさせると判っているのだろう。
御忍びなのだから王族が見送る必要は無い。レックバリ侯爵共々
冷めた目で見送った。
そして。
二人を送る為に此処から出て行く騎士達の姿を視界の端に収めな
1206
がら傍に控えていた守護役に意識を向ける。
﹁⋮⋮で。どう思うかい?﹂
﹁キヴェラの件を利用して動く国があることは予想済みでしたが⋮
⋮随分と露骨な探り方でしたね﹂
﹁愚かだな。ミヅキにある程度接していれば最も怒らせる事が何か
判るだろうに﹂
﹁情報収集を兼ねて探りに来たと見るべきではないかね? 今は少
しでも情報が欲しいところじゃろ﹂
白と黒の守護役︱︱アルとクラウスはライナスの行動に随分と辛
辣だ。
まあ、方向性は間違ってはいない。国を守りたいと思うならばミ
ヅキとキヴェラのどちらにも傾ける状態にしておく事も仕方あるま
い。
レックバリ侯爵の言い分も一理あるし、他国がこの程度の行動を
することは予測済みである。
ライナスの失敗はそれを利用してイルフェナとの外交を優位に進
めようとした事だ。ミヅキが今回の件に関わっていると確証が得ら
れ次第、何らかの脅しを掛けるつもりだったと思う。
⋮⋮こちらを煽る為にわざとそう見せたのかもしれないが。
個人として﹃善人﹄であろうとも優先すべきは国なのだ。他国と
てそれは同じなのである。
それに対し批難するつもりなどない。気付き退ければよいだけな
のだから。
﹁ミヅキが怖いというのも本当だと思うよ。あれは相当言われただ
ろうね﹂
﹁ふむ、それは仕方ないのではないですかな? 恐らくは興味を抱
1207
いて接触し、身分を見破られ徹底的に言われたのじゃろう。ライナ
ス殿下はアリサ嬢の後見人を務めていると聞いておる﹂
﹁ミヅキは我々と生活していますからね、護衛の状況から本来の身
分を推測するなど容易いかと﹂
少なくともあの護衛に柔軟性というか誤魔化す気があるようには
見えなかった。
あのまま張り付いていたのならばミヅキはその主であるライナス
を警戒しただろう。只の貴族ではない、と。
﹁しかし随分と嘗められたものですね。確かに異世界人の保護は国
単位ですからミヅキが関われば責任を負うのは国ですけれど﹂
﹁外交に関わる一部だけが怖がられていたんじゃないか? 確かに
イルフェナは戦を好まず退けるだけだしな﹂
﹁ですが、それだけで守れる筈はありません。﹃表立って行動して
いないだけ﹄だと予想がつくのでは﹂
﹁﹃強さ﹄を単純に武力と捉えてるんじゃないか?﹂
幼馴染達の発言にその可能性が高いかもしれないと頷く。特にバ
ラクシンはイルフェナと争った事は無いから知らないのかもしれな
い。
だが、戦を好まない=大人しいではないのだ。基本的に興味が無
いだけで。
しかもそういった連中ほど国の危機には脅威と化すのが我が国の
特徴だったりする。
今回の訪問はキヴェラの件に便乗したものであり、イルフェナに
直接敵意を向けられたわけではない。﹃運良く外交において有効な
カードを得られれば﹄程度のものだったろう。
それ故の個人的な御忍びなのだ、公の場であったのならば国とし
1208
て抗議する。⋮⋮ミヅキが王太子妃の逃亡に関わっているという証
拠は何も無いのだから。
証拠があり、それが事実と証明されるならば保護している国とし
て何らかの折り合いをつけねばならなかったろう。
尤もそれは今後もキヴェラが強国であることが前提であり、我が
国が大人しくしていた場合に限るのだが。
ミヅキがバラクシンでアリサの対応について発言、この時ライナ
ス殿下と知り合う。
←
ライナス殿下はミヅキの賢さに対し脅威を抱く。同時にキヴェラ
の件においてバラクシンがどちらの味方も出来るよう利用する事を
思いつく。
←
バラクシン王に提案。集めた情報からキヴェラの王太子妃逃亡に
ミヅキが関わっている可能性に辿り着く。
←
この事を踏まえてイルフェナへ。イルフェナの保護者がこの事を
事実と認めれば外交において有効なカードとなる。
バラクシンは国の安全とイルフェナに対し優位な立場を手に入れ
る。
予想だがこんな感じだったのではなかろうか。相手がイルフェナ
でさえなければ、この通りになったかもしれないが。
いや、イルフェナがミヅキの関与を認める事が前提なのだから嘗
められていたと見るべきだろうか?
⋮⋮。
この策、ミヅキの性格が大問題だと思うのは気の所為か。ミヅキ
が大人しくしている筈が無いじゃないか。
そもそもキヴェラという国を獲物扱いしているのだからセレステ
1209
ィナ姫の事が片付いた後が本領発揮だろう。何せ逃亡をし易くする
為に砦を落とす魔導師だ、しかもその計画は出発前から練られてい
た。
絶対に何かやる気だ、キヴェラが無事である筈は無い。
バラクシンではどれだけ猫を被っていたというのだろうね、あの
子は。
ライナスももう少し別の話題を振ってみればミヅキの性格を理解
しただろうに。
﹁まあ、仕方なかろう。この策自体、姫が逃亡中であることが前提
じゃからの。何らかの形で決着がつけば口を挟めぬのは他国も同じ。
時間が無いあまりに焦ったということではないかね﹂
﹁キヴェラがイルフェナを狙うのは今更ですからね。今回の計画が
キヴェラに知られればイルフェナが一方的に責められる事になりま
すから脅迫材料にはなるのでしょうが⋮⋮まあ、エルや貴方が引っ
掛かるとは思えませんけど﹂
レックバリ侯爵の推測も正しいだろうが続くアルの言葉に皆が頷
く。
バラクシンは教会派と王家に割れているから、兄の力になりたい
ライナスの行動もある意味納得できる。自分が犠牲になる事前提な
ところも好意的に捉える要因だ。
﹁殿下⋮⋮そもそもミヅキの情報規制をしてる事が原因ではないで
すか? あいつの性格知ってたら絶対にこんな事を言い出さない気
がします﹂
﹁どう考えてもミヅキが黙っているとは思えませんよ、それ﹂
1210
これまでの見解を聞いていた双子の騎士達が口々に言うのも当然
か。
それは私も考えていた事だよ、双子。
﹁どうせセレスティナ姫の件でミヅキの事はバレるから丁度いいん
じゃないかな。上層部には事実が伝わるだろうし﹂
﹁それ以前に利用しようとする自国の馬鹿どもはお前さん達が押さ
えとるんじゃないかね?﹂
﹁おや、我々だけではありませんよ? ⋮⋮違うかい、セイルリー
ト将軍﹂
背後を振り返ると部屋の隅に深紅の髪と瞳をした一人の騎士が佇
んでいる。その身に纏うのはイルフェナの一般騎士のもの。
﹁当然です。ゼブレストでも動いておりますよ。あまり数は多くあ
りませんが、直接関わっていなければ恐怖も遠いのでしょう﹂
穏やかに微笑んではいるが言った事は随分と物騒だ。ミヅキはゼ
ブレストで危険人物認定でもされているのだろうか。
それ以前に﹃国が動いている﹄と明言した事からそういった連中
の排除を命じたのは王だろう。どうりでミヅキが気楽に遊びに行け
るはずだ。
﹁バラクシンは今日の事で沈黙し中立の姿勢をとるでしょう。ミヅ
キの味方をするには情報が圧倒的に足りませんし﹂
﹁そうだね、ミヅキも敢えて味方にしようとはしなかった⋮⋮と言
うか期待しなかったんじゃないかな﹂
﹁ライナス殿下は気付いていなかったようですが、ミヅキは警戒心
が強いですからね。アリサ殿の事さえ満足に対応できない国に期待
するだけ無駄と思ってそうです﹂
1211
セイルリート将軍の言葉に全員が頷いた。此処にいる者達は皆、
一度はミヅキに警戒されている。何らかの切っ掛けがない限り信頼
を寄せるということはしないのだ。
その判断基準も﹃実力﹄﹃方向性﹄といったものなのでミヅキ個
人の機嫌をとったところで好意に繋がる事は無い。
バラクシンはミヅキを未だ過小評価しているらしい。背後に居る
私が指示を出しているとでも思っているのだろう。
﹁アルベルダがコルベラの味方になるみたいだし、バラクシンは放
っておこう。カルロッサがまだ判らないが万一の時は何か弱みを握
ればいいよ﹂
双子が﹁殿下、それ非道ですっ!﹂と喚いてはいるけれど。
いいんじゃないかな、他には誰も気にしていないのだから。
そうして午後の一時は和やかに過ぎていった。⋮⋮盛り上がった
会話の内容はともかくとして。
さて、ミヅキ。
直接手助けできないけれど、煩い外野は押さえ込んであげるよ。
君はどんな決着を見せてくれるのかな?
だけど⋮⋮少しは自分を大事にしなさい。
私を含め君を案じている者も多いのだから。
※※※※※※※※※
︱︱翌日、バラクシンにて︱︱ ︵ライナス視点︶
﹁申し訳ありません。やはり見破られてしまいました﹂
1212
深々と頭を垂れる自分に王は﹁やはりな﹂と溜息を吐きつつも仕
方ないとばかりに首を振る。
﹁気にするな、ライナス。元より乗り気ではないお前に命じた俺が
浅はかだっただけだ﹂
﹁そのような事はありません!﹂
﹁事実なのだよ。あの魔王がそう簡単に入り込む余地など与えてく
れる筈は無い﹂
その言葉にエルシュオンの姿を思い出す。穏やかな笑みを浮かべ
てはいたが表面的なものだ、あの綺麗な笑みの裏で一体どんな事を
考えていたのやら。
﹁随分と可愛がっているという話だったが、やはり国とは比ぶべく
もないか﹂
兄の言葉に首を傾げる。
そうだろうか? あれは信頼していると言う方が正しくはないか?
﹁おや、違うのか?﹂
﹁はい⋮⋮私には信頼しているからこその態度に見えたのです﹂
﹁信頼? だが、異世界人の魔導師がキヴェラの一件に関わってい
るならば何らかの形で動こうとするものではないか? 見捨ててい
るようにしか見えないが﹂
ミヅキが本当に王太子妃の逃亡に手を貸しているというならば兄
の言葉は正しいのだろう。
﹃国を選ぶ﹄と言い切った魔王は可愛がっていようとも容易く切
り捨て国を守る。
1213
だが。
我々はミヅキが魔導師だという情報は得ていても﹃どのような術
を使うか﹄は知らないのだ。
もしも⋮⋮もしも、ミヅキがキヴェラに勝利できるような実力を
持つのならば。
イルフェナの保護者達から認められているのならば。
私を退けたのは﹃目的に専念できるよう余計な火の粉を払った﹄
という事ではないのか?
無論、これはあくまでも憶測に過ぎない。口にしたところで誰も
信じまい。
それほど簡単ならばこれまでに誰かがキヴェラの勢いを止めてい
るだろう。いくら賢くとも所詮は個人、権力もなく国の助力も期待
できないならば大国の前に潰される。
キヴェラだけではなくキヴェラを恐れる国からも敵と認定される
のだ、それが判らぬほどミヅキは愚かではないだろう。
﹁まあ、そのうち判るだろう。どんな形にせよコルベラとキヴェラ
は決着を着けるだろうからな。それにしても⋮⋮﹂
王は私を見て苦笑する。
﹁やはり、お前に謀は向かんな。素直過ぎる﹂
﹁は!?﹂
﹁敵意を向けてきた相手や利用しようとする者を受け流す術は培わ
れたというのに、その反動か自分が騙す事には向かなくなったな﹂
﹁⋮⋮陛下﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮。兄上﹂
1214
﹁うん、何かな? ⋮⋮たまには兄と呼んで欲しいものなのだがな
ぁ﹂
可愛い弟だというのに、と残念そうに続ける王に控えていた側近
の一人がひっそりと笑う。兄の親友であるあの男も自分にとっては
兄のような存在なのだ、未だに頭が上がらない。
己が不甲斐無さを恥じる自分を慰めてくれているのだろうが⋮⋮
からかいを多分に含む様にどうも素直になれなかった。
少々意地の悪い兄の言葉に溜息を吐き、同時にその言葉を理解し
て情けない気持ちになる。
ああ、そうだ。自分に謀など向かない。ましてアリサの事で世話
になった相手だ、どうしても罪悪感が邪魔をする。
それに⋮⋮アリサの為にミヅキと国の関係を拗らせたくはないと
思うのも事実だった。
﹁此度の件、我が国は中立の立場をとろう。だが、コルベラに書は
送れ。動きがあり次第こちらも動く事になろう﹂
王の言葉によって静観という決定が下される。
それが正しい事なのか否かを知るのはまだ少し先になりそうだっ
た。
1215
一方、その頃イルフェナでは︵後書き︶
主人公、お気楽平民ライフの裏側。守られている事は知っています
が、具体的に何をしているかは知りません。
バラクシンの思惑は保護者達の見解がほぼ正解。便乗し自国の利益
を求める行動はある意味当たり前。
ただし、主人公の保護者はそれを許すほど甘くはありません。仕掛
けられれば返り討ち。
1216
平穏な旅路⋮⋮である筈がない︵前書き︶
魔物が居る世界では当然こんなことも起こるわけで。
1217
平穏な旅路⋮⋮である筈がない
音を立てつつ荷馬車︱︱幌馬車というやつですね︱︱は進む。現
在、村へ向けて走っています。
ウィル様のお知り合いという商人さんはシェラさんという女性で
した。明るく豪快な小母様です。彼女の御好意で大して荷物の無い
馬車の中で呑気に過ごしていたり。
﹃あたしに聞かれたくない話とかあるだろ﹄という御言葉と共に
荷馬車の中に誘導されました。確かに自分達の周囲だけ一時的に防
音すればシェラさんは﹃馬車が音を立ててるから何も聞こえなかっ
た﹄という事にできますね。 魔物とかが出てこない限りは馬車で運ばれて行くだけの簡単なお
仕事です。しかも報酬出るんだとさ。
⋮⋮。
ウィル様、一体何処まで暴露してらっしゃるので? いいのか?
﹁漸くコルベラに帰れますわね﹂
エマは非常に嬉しそうだ。セシルも祖国が近づく事が喜ばしいら
しい。
﹁しかし、大丈夫なのか?﹂
﹁何が?﹂
﹁今更なんだが⋮⋮私の存在がコルベラを苦難に追い込むのではな
いかと﹂
そう言うとやや俯きがちになり表情を曇らせる。なるほど、それ
が帰国を手放しで喜べない理由か。
1218
確かにそのまま帰ればコルベラとキヴェラは間違いなく揉めるだ
ろう。普通に考えればコルベラが責められる側だが、今回の原因は
キヴェラにある。
泥沼展開一直線ですよ。ましてキヴェラでのセシルの扱いを知れ
ば絶対に手放さないだろう。
国の為に嫁いだセシルとしては自分が原因で祖国が苦難の道を歩
む事が許せないのだろう。争っても確実に負けるって判ってるもん
な、普通ならそこを気にするか。
﹁追い込まれないと思うよ?﹂
﹁え?﹂
﹁え、だってセシルの解放と同時に私が自分の目的の為に動くもん。
コルベラを相手にする暇無いと思う﹂
寧ろ自衛に努める暇さえないと思うのだが。
﹁大体さー、キヴェラの王都どころか後宮、一部城の中にまで入り
込んでたんだよ? 何もしてないわけないじゃない!﹂
﹁あら、城の中にまで入り込めたのですか?﹂
﹁うん。ほら、例の本の寄贈。あの手伝いに借り出されたから本の
回収とか虫干しの為に台車を引いて動き回ったんだよ、一階部分だ
けだけど﹂
キヴェラの城は一階に誰でも利用できる図書室があった。勿論、
城に入る事ができる立場が限定されている上での﹃誰でも﹄なのだ
が。
他には食堂といった﹃大して重要じゃない部屋﹄が大半。外部か
ら侵入され易いからでしょうね、きっと。
偉い人の部屋とか重要な部屋は上の階にあるらしく一般の侍女は
侵入不可。当然、一時的に派遣された侍女ごときでは居館に近づく
1219
事すらできない。
おそらくは近衛が重点的に配備されているのもそういった場所が
主なのだろう。一階では一般の騎士以外殆ど見かけなかったもの。
まあ、普通は堂々と仕事してたり判らなければその辺の騎士を捕
まえて聞いたりする奴が実は部外者だとは思うまい。
それに王太子の後宮から派遣されたのは本当なのだ⋮⋮後宮管理
の杜撰さのお陰です。
貴族令嬢な侍女様達は力仕事ともいうべき本の運搬や整理などや
りたくないのだよ。故に﹃新米ですので私が参ります﹄という立候
補は大変喜ばれました。こちらこそ感謝しておりますとも。
苦言を呈して遠ざけられた人達が沢山居るので﹃配属されたばか
りです﹄と言っておけば怪しまれません。誰か居なくなった分が増
員されたのね、みたいな?
﹁そういえば寄贈される本の中に官能小説を混ぜたと言っていたな﹂
ぽん、と手を叩きセシルが納得すればエマも思い出したのか同じ
ように頷く。
﹁確かにミヅキは侍女として数日労働していましたわ。あの時に何
かしたのですね﹂
﹁今はノーコメントで!﹂
にやり、と笑いながら言うと二人は笑みを浮かべたまま何も言わ
なかった。いい加減慣れたようです。特にエマは私が何かしたと決
め付けているあたり日頃の行いとか方向性に理解がありますね。
このヒントはゼブレストでエマに渡したナイフだったりする。
1220
Q:何故、都合よく魔血石なんて物を持っていたのでしょう?
A:残り物。
かなり小さい物だしそれだけでは使い道がないけれど、製作者の
一部として魔法の起点にはなるわけでして。
しかも魔石とはいえクズ石使用の為、強度が無いから一度使えば
壊れるのです。証拠隠滅も完璧! クラウスに聞いたところ意外な事に魔血石がこういった使い方を
された事はないらしい。
魔道具自体が高価なので普通はそれなりの質の魔石を使って作る
のが当たり前。だから自分の魔力を供給できる魔血石=自家発電可
能な充電池で長持ち、みたいな認識が一般的なんだとか。
魔血石の使い捨て仕様という発想が無いわけですね、私は使い捨
て前提なのでクズ石使って作ったけど。
それらを活かした切り札を事前に考えていたのだよ。相手は大国、
抜かりはありません。
詳しくは実行を待て! ⋮⋮実行は最終手段だから脅迫だけで使
わずに済むのが最善なのだけど。
と言うか、私の目的ってキヴェラへの復讐ですよ? セシル達の
事は狸の依頼。
ここまで好都合な状態で何もしてないわけないじゃん?
なお、アルベルダでグレン達に渡した魔道具の材料は必要経費と
称し狸様持ちである。一般的に出回ってる程度のものなので魔石そ
のものは大して高価ではないらしいが。魔道具って技術料が大半な
んだとさ。
⋮⋮話を戻して。セシル達が脱出するまで私も裏で色々やってた
わけですよ。
城というのは外部からの攻撃を防ぐ為に結界が張られている。そ
1221
れでなくとも見張りが各所に居るので普通に入り込む事は困難だし、
内部でそれなりの魔法を使えば当然感知されてばれる。
ただし、貴族以上は護身の為に魔道具を身に着けていたりするか
ら治癒や解毒程度の魔法ならば特別感知できない。
逆に攻撃系の魔法は魔力探知どころか派手な音するだろうしね、
間違いなく誰かが気付く。詠唱と言う名の意味不明な独り言も明ら
かに異様なので警戒されます。
加えて重要な場所には警備の騎士どころか魔法で何らかの対策が
とられているのが普通。これは神殿でも同じだった。
そんなわけで一度侵入してしまえば魔力持ちが普通に動き回った
程度では警戒対象にならないのだ。
そもそも入り込めたのは隠し通路使って後宮に居たからですよ。
直接城に⋮⋮というのはさすがに厳しいだろう。
内部に招き入れる隙を作った王太子様達の職務怠慢は重罪なので
す。あの連中、そこまで気付いてるんだろうか?
余談だが詠唱だけでなく﹃感知され易い﹄という欠点もあるので
個人を狙う暗殺に魔法はあまり使われないんだそうな。
気配に敏い人ならまず反応するってことだろうね、魔法があるか
らといって必ずしも優位な立場になるわけじゃないという現実です。
私が評価されている大部分が無詠唱・即発動という点。確かにこ
の欠点克服は普通なら厳しいだろう。
まあ、ともかく。
後宮経由での侵入は実に楽だったのですよ。碌でもない人々のお
陰です。
これで私がそれなりの動きをしていれば目立つのだろうが、私は
素人というか民間人A。分類は﹃簡単に押さえ込める存在﹄なので
す、高い所にある本を無理に取ろうとして肩を攣らせる奴が間者に
なれたら凄ぇよ。
1222
なお、その現場が大変微笑ましく周囲に見られ﹃無理をするな、
小さいんだから﹄等と言われたのでアホの子認定はされているかも
しれない。おのれ、﹃小さい﹄は余計だ。
﹁そうか。ミヅキがそう言うならそう悲観するものでもないかもし
れないな﹂
明らかにほっとした様子のセシルにエマも安堵したようだ。
そうだよな、この二人からしたら逃亡は仕方が無かったとは言え
祖国より自分を取った事になるんだから。
気にするなという方が無理だろう。一時でも忘れておくれ。
大丈夫! と二人に言い切りながらも私の内面は大変ブラックに
ございます。
案ずるな、君達の協力者は鬼畜が褒め言葉にされる珍獣だ。 キヴェラよ、私と楽しく遊ぼうぜ?
元々あったゼブレストの事や過去イルフェナに侵略かました事に
加えて王太子のあの暴言。許せる筈はありませんね!
それに加えてこれまで他国に高圧的な態度を取ってきたのだ、圧
倒的優位な立場を崩せば参戦希望者続出だろう。それを押さえる意
味でも私が確実な勝利を収めて決着を着けねばならない。
下手するとキヴェラの領土を狙って争いが起こる。それは色々面
倒なので避けなければ。
味方は欲しいが便乗して戦を起こされても困る。
﹃魔導師の決着に便乗し、それが元で不興を買ったら自国がヤバ
1223
い﹄⋮⋮そう思わせる事が最終的に必要になるのだ、後々の為にも
派手にいかなきゃならんのだよ。
まあ、大人しくしてくれない国には﹃静かにしていて欲しいな♪
何もしてない癖にハイエナ根性丸出しなんだからぁ! お馬鹿さ
んねっ﹄とお話すれば理解してくれると思う。なに、ちょっと痛い
思いをするだけだ。
﹁ふふ、ミヅキと話していると本当に大丈夫だと思えるから不思議
です。魔術の腕を知っているという点もあるでしょうけど﹂
﹁そうだな。ただ⋮⋮その割にこの世界の解毒や治癒の魔法が使え
ないというのが奇妙に思える﹂
﹁そうですわね。それは私も思っておりました﹂
﹁あ∼⋮⋮それは異世界人だからというのが大きいな。言葉が自動
翻訳されるのは生活する上ではありがたいけど、詠唱できないんだ
よ﹂
私の言葉にエマは首を傾げる。
﹁詠唱できなくともイメージでどうにかなると言ってませんでした
か?﹂
﹁うん、その現象を私が理解できるならね。私から見て奇跡としか
言い様が無い魔法は再現できないんだよ。しかも重視するイメージ
によっても効果や規模が変わるね﹂
私が魔法を使う上で重要なのはイメージ。勿論、この世界の魔法
もイメージが必要だがそれ以上に明確なイメージが必要になる。
光の珠とか使えるので魔力があればゲームの魔法に似た物も使用
可能だろう。それに現実の知識を加えるのでかなりの応用ができる
のだ。
﹃光の珠﹄も詠唱ならば誰が使っても同じ効果だが、私の場合﹃
1224
電球﹄﹃蛍光灯﹄﹃LED﹄などで変化があり、持続時間も調整可
能。特にLEDを至近距離で一瞬だけ発現させると良い目潰しにな
ります。
﹃加熱﹄も同じく温度調整が出来るのだ、元の世界では温度設定
あるからね。﹃魔法を手足の様に操る﹄と言われても否定はできな
い。全ての基本は魔力を﹃何らかの事を成す為の力﹄として捉えて
いるからだが。
そして元の世界が娯楽に溢れていた事も大きい。﹃転移﹄﹃幻影・
幻覚﹄﹃結界﹄なども映像化されていることにより﹃どのような現
象﹄か理解できている。魔道具製作もゲームの﹃アイテム生成﹄の
イメージに近い。
現実の技術面では未だ無理と言うものも御手本があるのだ、魔力
を何らかの事を成す為の力として捉えている以上は再現可能。逆に
専門的な知識があると制限が多いだろう。
私の使う魔法って﹃現実に可能か否かは別にして、元の世界の知
識を元に再現﹄というものなのだ。人の想像力というか娯楽のお陰
です。
誰でも理解できる最高の教科書が溢れているようなものなのだか
ら。
が。
﹃イメージどおり﹄とは良い事ばかりではないのだよ。
これ、ゲームの魔法をそのまま使うととんでもない事になるので
ある。
ゲームの魔法はMP消費量とそれに伴った攻撃力という﹃明確な
数値﹄が設定されている。相手の装備やステータスによっても変わ
ってくるだろう。そのダメージは数値で表され現実のような傷には
ならない。
だが、イメージは魔法の現象そのままの再現なのだ⋮⋮ゲームの
1225
ノリで使えば﹃使ったところで一見相手にダメージ無し﹄か﹃現実
になって惨殺事件に発展﹄の二択。
前者は魔法の効果に重きを置いた状態、後者は使った魔法の現象
に重きを置いた状態。
ゲーム内での怪我は数字で現される程度だからね、どの程度の怪
我を負うかなんて明確なイメージがあるわけない。だから体力的に
は変化があるかもしれないが、外見上は変化が見られないだろう。
逆に魔法の現象重視でイメージしてると初級魔法で人が死ぬ。大
問題はこっち。
普通に考えてみるといい⋮⋮魔法を受けた状態というものを。
炎が小さくとも服に引火するよね? 下手すると全身火傷を負う
よ?
小さい風の刃だろうと太い血管を切り裂かれれば死ぬだろ!? ゲームだからこそ誰もが簡単に人に向けて放てるのだ。武器によ
る技も同じく。いや、技は身体能力の都合上無理かもしれないが。
現実ではありえない動きとかあるし。
﹃人が死なない﹄⋮⋮それが現実との差であり、もっと言うなら
血の匂いや肉を断つ感触などは感知されない設定になっている。そ
こがどれほどリアルであろうとも﹃ゲーム﹄と認識される理由。
ゲームで慣れて現実で犯罪を起こされても困るのだ。その差があ
る限り、殺人を企てたとしてもゲームとの感覚の違いに恐怖を抱く
だろう。
私がラグスの村で狩りだけではなく解体作業まで覚えさせられた
のは生活面だけではなく、魔法を扱うからという理由もある。﹃生
物を殺す﹄とはどういうことか教える必要があったのだ。
﹃肉を断つ感触﹄﹃血の匂い﹄などといった﹃生物の死﹄を間近
に感じさせる事によって﹃生物を攻撃する事﹄への恐怖と責任を覚
えさせる。
1226
武器を扱うならば必然的に超える壁だろうが、魔法では実感し難
いのだとか。攻撃魔法で生物を殺し、そこで初めて自分が扱う物の
恐ろしさを知る魔術師も少なくないらしい。
特に私みたいなゲームの存在を知る異世界人はゲームと現実の差
に直面した時のショックは大きいだろう。何の心構えも無く殺人を
犯すかもしれないのだ、下手すれば発狂沙汰ではなかろうか。
そういった意味では詠唱とイメージの二つを重要視するこの世界
の魔法は安全性に優れているのかもしれない。制限がつく上に発動
しない可能性もあるのだから。
尤もこの世界の魔法はかなり不思議なものだ。詠唱を除いても理
解できるか怪しい。
この世界に来た当初は治癒魔法を﹃失われた部分を魔法で補う﹄
と思っていたので、人種どころか種族の違いかと思いましたよ。
﹃え、魔力で欠けた部分を補えるの!? もしや人型してるだけ
で別種族!?﹄と。
その後、私にも治癒魔法が効くと判り謎は深まった。もう﹃この
世界の治癒魔法はそういうもの﹄と思うしかない。
詠唱が使えない私にとって同じ事をやれという方が無理なのです
よ。ゲームの回復魔法ってHPという数値を回復させるものなんだ
から。
解毒魔法も似たようなものだ。先生に解毒の薬草とか教えてもら
って﹃ああ、やっぱりゲームじゃないんだから万能の解毒剤とか無
いのね、元の世界と一緒じゃん﹄と知った後に解毒魔法の登場。 元々古代から伝わっているものなので、先生にも﹃そういうもの﹄
としか説明しようが無いらしい。私は解毒魔法の存在を現実と思え
ないから使えないんだろうね。
ゲームの中の解毒って﹃毒という状態に定められたHPの減少を
解除するもの﹄なのですよ⋮⋮明らかに別物です。じわじわHPが
減る毒状態は呪いとかの方が近いだろう。
1227
複数の毒や解毒剤が存在=元の世界と一緒=解毒魔法はゲームの
中だけ、という認識が私の中で成り立っているのです。そんなわけ
で私の解毒魔法は﹃体内から異物を排除・浄化﹄というものになり
ました。
身体能力の強化も当然使えない。筋力だけ上がっても体が負担に
耐えられるのかという疑問が残る。それにゲームではステータスの
上昇という数値での認識なので現実に活かせる筈はないのだ。
常識に縛られるのは私も同じ。様々な場所で中途半端な知識が邪
魔をするとは思わなかった。 ⋮⋮という事を話してみたら二人は何となく理解したようだ。
完全に理解するには基礎知識に差があり過ぎるので無理だろう。
それだけでも十分です。
﹁確かに私が魔法を習った時にも講師に言われましたわ。﹃魔法を
覚える事と使いこなす事は別だ﹄と。訓練では人を相手にする事が
ありませんし、実際に攻撃手段として用いた時との差がありますも
の﹂
﹁あ、やっぱり言われた?﹂
﹁ええ。魔法は武器と違って人を傷つける認識が希薄ですから⋮⋮
生物を相手にして初めて現実と向き合うのでしょうね。恐怖や罪悪
感に負ければ明確なイメージなどできなくなりますし﹂
魔術師でなくとも使える魔法は治癒や解毒といった安全なものば
かり。﹃殺す﹄という壁を越えなければ魔術師など名乗れないとい
うことか。
まあ、得意不得意は別にして攻撃魔法の使用を拒否してたら居る
意味ないよな。護り専門ならそちらを特化させなきゃならないだろ
う。
と、いきなり馬車が止まる。思わず防音結界を解除し外に出て行
1228
こうとした私達にシェラさんの怒鳴り声が響く。
⋮⋮? 魔物が出たわけじゃないっぽい?
﹁危ないじゃないか! 一体何やってるんだい!﹂
顔を見合わせて出て行くべきか迷う私達を他所にシェラさんと誰
かの会話が聞こえてくる。
どうしよう。できるだけ出て行かない方がシェラさんも安全なん
だよな∼、私達の立場的に。
﹁すまない。だがこちらも急を要するんだ。もし複数の護衛を雇っ
ているなら貸してもらえないだろうか﹂
﹁はぁ? こんな村の近くで? 人手が必要なら村の連中に頼めば
いいじゃないのさ﹂
﹁村人では戦力的に劣る。戦闘を生業にしている者が好ましい﹂
⋮⋮何かがあって戦力になりそうな人材を欲しているのか。話し
方からすると盗賊か魔物か。声の主は若い男性のようだが随分と焦
っているようだ。
護衛と言っても表向きの理由なので実質戦力なのは私しか居ない
のだがね。
﹁ちょっとお待ち。こっちだってね、そこまで危険な旅じゃないこ
とを前提に雇ってるんだ。それをいきなり﹃貸せ﹄? 物じゃない
んだよ、護衛は!﹂
﹁勿論理解している。だが、このままでは囮となって引き付けた仲
間が死ぬ上に村も危うい﹂
﹁どういうことだい?﹂
﹁⋮⋮﹃森護り﹄が出た﹂
﹁それくらいで騒ぐんじゃないよ。あんた、貴族なのかい?﹂
1229
﹃森護り﹄⋮⋮こんな名前をしているのだが巨大蜘蛛である。大
きいもので全長二メートルほどにもなる黒い蜘蛛で名前のとおり森
の奥に住む。普通の蜘蛛と違うのは暗い穴に住み糸は吐かないとい
うこと。
名前の由来は森に住む魔物が主食だから。これが森の奥で魔物を
狩ってくれるので魔物の異常な繁殖が防がれている。
獲物認定されない限りは人と共存できる奴なのですよ、住み分け
ができているし。
何でこんな事を知っているかと言えば狩りの実習中に殺しかけた
事があるから。ビビるよね、普通。ゲームでも定番のモンスターだ
しさ。
条件反射で吹っ飛ばした所に狩りの先生こと小母さんからストッ
プが入り解説となったのだ。﹃それは倒しちゃ駄目!﹄と。
後にも先にも蜘蛛に治癒魔法かける機会なんてあれだけだろう⋮
⋮足とか取れなかったのが幸い。すまない、蜘蛛。悪気は無かった。
で。
このように共存できる蜘蛛が出た所で何故こんなに慌てているの
だろう。その名前が出た途端、セシルとエマも微妙な顔をしている。
﹃放って置けよ﹄というのが全員一致の思いだろう。
だが事態はそう楽観視していられるものではないらしい。
﹁普通の奴じゃない、倍以上ある﹂
⋮⋮マジで? リアル森の主にまで成長なさった蜘蛛さん居るの
!?
﹁それだけじゃない、村には討伐の為に騎士の一団が来ているんだ。
1230
⋮⋮到着したばかりで村の守りを優先するらしい﹂
﹁そいつは⋮⋮被害が出たってことなのかい?﹂
﹁まだ村人には出ていないらしい。⋮⋮死体が見付かってないだけ
だが﹂
それは旅人には被害者いたかもねってことでしょうねー、絶対。
食われて残骸が見付かったとか。騎士まで派遣されるってことは自
警団如きじゃ対処できないと確信したのか。
ああ、うん。これ私が行った方がいいかもしれない。村の近くで
出ている以上は馬車を襲う可能性もある。その場合、一番危険なの
はシェラさんだ。
﹁セシル、エマ。私が行くからシェラさんを村まで御願い﹂
﹁いいのか?﹂
﹁あの声の様子から嘘とは思えないし、馬車を襲われる方が厄介だ
よ。それに私なら対処できるから﹂
﹁確かに、そうなんだが⋮⋮﹂
﹁護衛を名乗っている以上は仕事をしない方が不審がられる。だか
ら村までは御願いね﹂
無詠唱に至近距離だが転移を使える私なら大丈夫だろう。結界も
張れるし治癒も可能。総合的に言って最適だ。
寧ろ二人の本来の身分を考えると無事でいてもらわなければ困る。
今出て来ないなら村までは大丈夫そうだ。村に着けば騎士団も居る
みたいだし。
それにあの人、妙に詳しいから村の騎士に頼まれて行動してる可
能性がある。村に滞在するなら恩を売っておくのも悪くは無いだろ
う。
﹁判りましたわ。村で合流いたしましょう﹂
1231
﹁そうだね、この道をそのまま辿れば村に着くみたいだし。宿の手
配をしておいて﹂
﹁判った。他には可能な限り情報収集しておこう﹂
優先順位のはっきりしているエマが私の考えを支持し、セシルも
とりあえずは納得したようだ。二人が頷いたのを確認してから馬車
を降り、話している二人の下へ向かう。
﹁シェラさん、私が行くよ。村が襲われても困るよね﹂
﹁ミヅキ、いいのかい?﹂
﹁警戒態勢が解かれないと足止めの可能性もあるんじゃない? 囮
の人も気になる﹂
シェラさんも心配しているのだろう。私の言葉に強く反対はでき
ないようだ。
ところが男の人は目を丸くして私を見ている。
﹁えーと⋮⋮御嬢ちゃんが護衛?﹂
﹁成人してますよ。ついでに言うならイルフェナ産の魔術師です﹂
ほらほら、とイルフェナで貰ったブレスレットを目の前にちらつ
かせる。
イルフェナの魔術師と聞いた途端に男性は安堵の表情を浮かべた。
実力者の国所属という事に加え、大物相手ならば武器を振り回すよ
り戦力になるのでそこを評価したのだろう。
﹁いや、済まない。頼みたいのはこの周辺の捜索だ﹂
﹁蜘蛛の討伐ではなくて?﹂
﹁一人じゃ厳しいだろう?﹂
1232
あ、そっか。一人で倒せるとは思ってないんだ。仲間がどうなっ
たか不明だし、蜘蛛も気になるから状況を知る意味も兼ねての捜索
なのか。戦闘になるかもしれないから戦える奴が必要だったのね。
﹁あまり奥には行きませんよ? 迷っても困るし﹂
﹁ああ、この道に戻れる程度でいい。さすがに奴もそう遠くまでは
行かないだろう﹂
﹁ちなみに蜘蛛に遭遇したのって何処?﹂
﹁⋮⋮此処だ﹂
その言葉にシェラさんと揃って固まる。
おい。もしや木が妙に倒れてるのは脇道じゃなくてそれが原因か
い。しかも村への一本道に出現ですか。
ああ、これはこの人達が正しい。こんな村の近くにそんな奴が出
るなら引き離そうとするもの。村に到着した騎士達だって守りを固
める方向に行くわな、そりゃ。
﹁理想はそいつと合流して倒す事なんだがな﹂
﹁強いんですか、その人。どんな外見なんです?﹂
﹁物凄く強くて美形だ! ただし⋮⋮脳筋だが﹂
⋮⋮。
何その残念設定。もしや守護役連中と同類か。
﹁それ戦闘狂とか強い奴が大好きってことじゃ﹂
﹁そうとも言う。だが強い。この場合は物凄く頼もしい、うっかり
戦闘に熱中して他の事を忘れてそうな気もするが﹂
言い切ったお兄さんは深々と溜息を吐いた。なにやら脳筋美形の
お陰で苦労しているらしい。
1233
ま⋮⋮まあ、生存率は高そうですね。シェラさんが微妙な顔で黙
り込んでるけど気にしない!
﹁じゃ、シェラさんは先に村に行ってください。私一人なら何とか
なりますから﹂
﹁気をつけるんだよ? 危なかったらすぐに逃げておいで﹂
そう言うと不安を若干残したまま馬車を走らせる。村はすぐ近く
だと聞いているから距離的に徒歩でも問題ないだろう。最悪、セシ
ル達の所に転移すればよし。
﹁悪いな。あ、俺はキースって言うんだ。宜しくな﹂
﹁ミヅキです。とりあえず御仲間さんを見つける方向にしますね﹂
﹁頼む﹂
茶色に近い金髪に青い目のキースさんはすまなそうに、それでも
嬉しそうに笑った。何だかんだ言っても御仲間さんが大事らしい。
﹁とりあえずこれ持っていてください。万能結界ですけど吹っ飛ば
された時は保証できません﹂
﹁了解。へぇ⋮⋮さすがイルフェナ。御嬢ちゃんみたいな子がねぇ﹂
予備のペンダントを渡すと感心したような表情になる。生存率を
上げる為だ、この場合は仕方ないだろう。
治癒魔法込みの奴は持ってないからなー、怪我するなよ兄ちゃん。
﹁じゃあ、手っ取り早くあの木が倒れた道を辿りますか!﹂
﹁へ?﹂
にこぉっ⋮⋮と笑いキースさんの腕を取り。そのままキースさん
1234
共々浮かび上がらせる。
人を連れて飛ぶのは初めてなんだよね、実は。折角だから実験台
になっておくれ。
大丈夫、基本的に私と同じ状態で飛べるから! 落ちても低空だ
し万能結界があるから死なないさ!
﹁ちょ!?﹂
﹁暴れないでくださいねー﹂
そのまま森の中を飛行で辿りだしたのだった。いいじゃん、獣道
紛いを歩くより早いしさ。 さて。迷子の脳筋美形さん、何処にいらっしゃいますかー?
1235
平穏な旅路⋮⋮である筈がない︵後書き︶
※大まかな設定しかないので魔法に関しての突っ込みは無しで御願
いします。
キヴェラでは﹃城内部に入り込んだこと﹄が重要でした。居館でな
くともできる事はありますよね。
1236
御利用は計画的に
薙倒された木々に沿って飛びながら状況を観察する。流石、蜘蛛。
隙間を擦り抜けた所為なのか、思ったほど酷く木が倒れてはいない
ようだ。
ただ、逆に言えばこの痕跡から正確な大きさが推測できないとも
言う。
普通の魔物のように薙倒して進むタイプならば残された爪の跡と
か通り道の幅で大きさの予想ができるのだが。
﹁倍以上って言ってましたけど、単純に三倍ほどと見ていた方がい
いかもしれませんね﹂
﹁あ∼⋮⋮確かに。俺もでかいって印象が強かったからなぁ﹂
至近距離で見れば恐怖と驚きの為に正確な判断ができない場合も
ある。よくあるのは実際の大きさより過大解釈をしている場合か。
寧ろ今回はその方がありがたいが、希望的観測は捨てた方が確実
だろう。倍の大きさなら木を薙倒す必要は無い。
足を入れた大きさだからね、﹃大きいもので二メートル﹄って。
脳筋美形が強いなら逃げるより倒すだろう。
つーか、脳筋美形地味に凄ぇな。死体も転がってないってことは
逃げ切ってるってことですよ。
絶対に普通じゃない。身体能力は一体どうなっているんだろうか
? いや、白騎士達も普通の騎士に比べて十分優秀なんだけどね? 1237
彼等は騎士として全般に秀でている︱︱勿論、貴族・王族相手の立
ち振る舞いや観察眼に黒騎士との連携、時には交渉等︱︱のでここ
まで特化してはいないだろう。
誤解の無い様言っておくが白騎士達は強い。結界の強度を測る為
にたまに協力してもらっているが二・三撃で壊されるのだ。クラウ
ス曰く、普通は此処まで脆くはないらしい。
魔道具の結界でも耐久度が限界に達すると一度壊れて張り直し⋮
⋮という状況になるので、この僅かな隙は無防備になるのである。
だから術者としては耐久度を知る事も重要。
尤も二重・三重に張ったところで奴等は平然とぶち抜くだろう。
一度はアルに体ごと吹っ飛ばされたもんな∼、瞬間的に力を出して
いるから常に重い一撃ではないらしいけど。
白騎士相手なら﹃攻撃は最大の防御!﹄を実践しない限り絶対に
負ける。更には魔術特化の黒騎士達がいるので翼の名を持つ騎士っ
てのは冗談抜きに﹃元凶狩って来い!﹄の命令で実行できてしまう
人々なのだろう。
﹁いやぁ、何て言うか⋮⋮御仲間さんは人間ですか?﹂
﹁言いたい事は判る。一応、人間だ﹂
そう言いつつも若干遠い目になってるのは何故でしょう⋮⋮?
﹁多分、身体強化の魔術を使ってるということもあるだろう﹂
﹁あれ、魔法が使えるならそこまで心配する必要無いんじゃ﹂
﹁それしか使えないんだ! あの脳筋は!﹂
⋮⋮。
何故、それで初級魔法の治癒が使えんのだ。おかしくね?
訝しげに見つめ返す私にキースさんは﹃その気持ち判るぞ!﹄と
強く頷きながら話を続けた。
1238
﹁俺も最初は冗談かと思った。だがマジだ。身体強化って要は自分
の能力の底上げだろ? ﹃自分の手で倒す﹄っていう括りになるか
ら速攻で覚えたらしい﹂
﹁それなら治癒とか解毒も覚えればいいんじゃ?﹂
﹁本人に覚える気が皆無だ。しかも戦ってる間は倒す事しか考えな
いから魔法なんて欠片も頭に無いぞ﹂
﹁いや、戦闘後とか空いた時間に怪我を治すとか﹂
﹁本人頑丈だからな∼、しかもヤバイ時は身体強化使ってるから治
すような怪我しないんだよ。治癒や解毒の魔道具を持っている所為
でもあるんだが﹂
なるほど、怪我をしないから必要性を感じないと。しかも治癒の
魔道具があるから些細な怪我は放っておいても治ってしまうわけで
すね。
随分と大雑把な美形だな、おい。いくら化物並に強くても頭の中
が残念過ぎるだろ。
﹁うん、俺もそう思う。綺麗な顔してるのが更に痛い﹂
﹁声に出てましたか。すみません、正直なもので﹂
﹁気にしなくていいぞ? 顔に見惚れて夢を見るより、最初から現
実を知って残念な生物だと認識された方が後から説明しなくて済む﹂
わぁ、キースさん良い笑顔!
これは顔と武勇で憧れる御嬢様方相手に相当苦労したと見た。つ
いついフォローしちゃうくらい仲良しだから御嬢様方との板挟みに
なるわけか。
試しに聞いてみたら遠い目をして﹁やっぱり、判るのか⋮⋮﹂と
呟かれた。
1239
﹁何て不憫な立場⋮⋮!﹂
﹁判るか。判ってくれるのか!﹂
﹁勿論ですよ!﹂
一見素敵な騎士でも魔術にしか興味無い残念な奴を知ってますか
らね、その類似品ともなればさぞ御苦労なさったことでしょう。 イルフェナは変人・奇人の産地だから理解があるし、クラウス本
人は公爵子息。子供の頃からあの状態なら誰も何も言わないだろう
⋮⋮今更過ぎて誰も期待しないとも言うが。黙っていれば普通に見
えるし。
最大の難点が﹃魔道具の嫁の可能性﹄というものだったので、そ
れが無くなった今は両親でさえ何も言わない。そもそもブロンデル
家自体が魔術特化の家柄だ。
その脳筋美形さんの立場が判らないが、貴族だった場合は大問題
だろうよ。いや、貴族でなくとも騎士なら目を付けられる可能性が
あるからヤバい。
それなりの身分の御令嬢を蔑ろにしたら即アウトだ。イルフェナ
のように本人の性格を﹃些細な事﹄としてスルーしてくれる筈はあ
るまい。フォロー要員必須だな。 ﹁とりあえず御仲間さんが無事である事を祈りましょう。自棄酒く
らいならば後で付き合います﹂
﹁⋮⋮ありがとなー、御嬢ちゃん﹂
何だか物凄く投げやりですが突っ込んじゃいけません。空気を読
みますよ、私。
そんな感じで獣道モドキを辿っていった。
1240
⋮⋮で。
暫く辿ったら多少開けた場所に出たんですが。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
二股に分かれてますね。これは片方が巣へと続く道、もう片方が
誘導された道なんでしょうか。
﹁村から遠ざかるってことは右か?﹂
﹁元から遠い場所に住んでて村の近くまで来たんじゃなくて?﹂
お互いの意見を言い合った後、どちらの可能性もありえると頷き
二人揃って黙り込む。
どうしよう、どちらともとれる。
これは素直に二手に分かれた方が良いかもしれない。キースさん
も私も戦えるわけだし、運がよければ闘う仲間をゲットできるとい
うことでいいんじゃないかな?
その前に少々気になる事を聞いておくか。
﹁キースさん、キースさん。別行動前に聞いておきたい事があるん
ですが﹂
﹁はいよ、何だ? ⋮⋮って御嬢ちゃん、別行動する気なのか!?﹂
﹁それが一番かと。さっさと行動しましょう、悩むだけ無駄っても
のです﹂
﹁そりゃそうなんだけどなぁ、こう⋮⋮もう少し怖がるとか﹂
﹁いえ全然?﹂
﹁あ、そう﹂
1241
普通のお嬢さんなら怖がるでしょうね。でも私は除外してくださ
い。エマやセシルも怖がらないと思います。
無理をしているのかと気遣わしげに聞いてきたキースさんは、平
然としている私にそれ以上言うのを諦めたようだった。
やだなー、イルフェナでは心配されても逃げるなんて選択肢は用
意されてませんよ。敗北なんて認められませんね、絶対。
﹁何か前兆はなかったんですか?﹂
いきなり巨大蜘蛛が出没したにしては騎士団の対応が早過ぎる気
がするのだ。
普通なら調査に来るか迅速な対応を迫らせるような明確な証拠が
必要なんじゃないのか?
私の言葉にキースさんは瞳を眇め﹁そっか、魔術師って賢いもん
な。気付くか﹂と呟くと私に向き直る。
﹁これはある意味、騎士団の恥だ。他言無用で頼む﹂
﹁無理です﹂
﹁即答かよ!?﹂
﹁だって旅の報告書出さなきゃならないもん!﹂
無茶を言うでない。どのみち私が関わっている以上は報告の義務
がある。
ただし今回は例外的に沈黙もされるだろうが。
﹁あ∼⋮⋮判った、それならば仕方ない﹂
ブレスレットを見せてある上に﹃報告書﹄という単語の登場でキ
ースさんは仕方なさそうに納得する。
うん、無理ですよー。私は貴方より魔王様の方が余裕で怖い。下
1242
手に隠して後でバレたら大変です。
﹁実はな、少し前までこの周辺には魔物が多かったんだ。異常繁殖
かと自警団や派遣された騎士達が数を減らして沈静化したんだが⋮
⋮﹂
﹁それって巨大蜘蛛から逃げてきたんじゃ?﹂
﹁だろうな。今だからこそ、そう思う。村の周辺にまで出てきたっ
てことは魔物の数を減らし過ぎたんだろう﹂
ああ、確かにある意味恥だ。魔物の異常繁殖だと決め付けて数を
減らした連中が悪いんじゃないのか、それは。
只でさえ餌が足りないのに更に獲物が居なくなって人を餌認定し
たんじゃないのか?
そもそも森護りは普通人を餌と認識しない。と言うか、食える事
を知らないのだ。
﹃食べる物が無いから仕方なく食べて餌認定、ついでに餌の密集
地帯発見﹄。それが今回の事件だろうな。
﹁一応は数を減らし過ぎる事がないよう注意する筈なんだが、今回
派遣されたのが騎士に成り立ての奴等でな⋮⋮。まあ、貴族子弟の
箔付け任務ってやつだ﹂
﹁そいつらの初任務になるだけあって簡単に倒せるから血気盛んな
ままに殺しまくったんですね。しかも村人からは英雄扱いされるし
気分も良かったでしょう。⋮⋮馬鹿だけど﹂
﹁そのとおり。だから今回の件では原因の一端である騎士団がさっ
さと方をつけるしかない。周囲の状況調査を怠っている以上は明ら
かに非がある﹂
こう言ってるってことはキースさんは騎士か。しかも責任を取ら
せる事が可能な立場らしい。
1243
その若い騎士達、絶対何らかの処罰を受けてるね。勿論、はしゃ
ぎ過ぎた御子様達に同情はしません。
普通、魔物の討伐などがあっても何か事情が無い限り全滅させる
ということはない。その地域に住んでいる以上は魔物も何らかの意
味がある場合があるからだ。凶暴な動物を餌にして数を減らす、と
か。
森護りもそんな名が付けられる位には人と共存できている。
ただし、生物である以上は例外というものが存在する。その場合
に限り討伐という形になった筈。
魔物の大量発生というのも事実なのだが、駆除する前に原因を突
き止めておく事も重要なのだ。それを怠った以上、バレれば騎士団
が原因と言われ批難されるだろう。
﹁それじゃ汚名返上も含めて脳筋美形さんに頑張って討伐してもら
いましょうか。お手伝いならしますよ﹂
﹁何?﹂
﹁キースさん達、騎士なんでしょ? 他にも﹃一見傭兵か旅人、実
は騎士﹄って人が居るんじゃないですかね﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁言葉にしなくて良いですよ。私が勝手に思っているだけですから﹂
﹁そう、か﹂
﹁ええ。じゃ、私はこっち行きますんで! 生きてお会いしましょ
ー!﹂
﹁は!? え、ちょっと、おい!?﹂
そう言ってしゅた! と片手を上げると体を浮かび上がらせ片方
の道を辿り出す。
一瞬呆気に取られ、次の瞬間慌てだしたキースさんはシカトさせ
ていただきます。
1244
キースさんに聞いておいて何ですが。 細けぇ事はどうでもいいんだよ。今やるべき事は蜘蛛滅殺の一択
なんだから。
さっさと蜘蛛狩り終らせましょうぜ、キースさん。
物語の主役は素敵な騎士様です、世間ではそれが求められている
んです⋮⋮!
私は目立たない脇役で御願いねっ!
※※※※※※※※※
﹃深い森の中、私は一人の美しい青年と出会った⋮⋮﹄
これだけ聞くと御伽噺にありがちな運命の出会いとやらに見えま
すね。あら、私ってばヒロインへとジョブチェンジ!?
⋮⋮何て現実逃避してる場合じゃなくて。
死にかけの美形なんて拾ってどうしろっつーんだよ!?
ちょ、待て! 死んでない? 死んでないよね!?
私の為にも死なないでくださいよ、蜘蛛討伐の功労者が居ないと
困るじゃないですかぁっ!
キースさんと別れてから暫くして再び開けた場所に出ました。何
でしょう⋮⋮明らかに戦闘した感ありありです。
追い着かれたのか仕掛けたかは知らないが蜘蛛と戦闘になった模
様。
そこまではいい、そこまでは。
1245
何で木の枝に貫かれたまま気絶してるのさ!?
見つけた御仲間さんは木の陰に隠れるように座り込んでいた。
かなり低い位置にあるしっかりとした枝︱︱太さは五センチ程度
なのだが硬いらしい。先端が僅かに体から突き出ている︱︱に肩の
下辺りを貫かれて気絶しております。多分この人が脳筋美形︵仮︶。
不幸中の幸いというか突き刺さったままだったから一気に出血は
しなかったみたい。他に目立った外傷は無いから致命傷は避けたの
だろう。
焦げ茶の髪はさらさら、体も騎士にしては細身の美形さん。
瞳を閉じた姿はまさにスリーピングビューティー!
⋮⋮。
ここは﹃心も姿も美しい御伽噺的ヒロイン﹄の出番じゃね? 相
手が脳筋な以上、そこから生まれる恋は一方通行になりそうだけど。
まあ、治療しないとヤバいからさっさと作業するけどさ。魔法使
いは裏方さん。
まず脳筋さんの体を重力軽減でかなり軽くしておく。次に枝の引
き抜き⋮⋮なのだけど一気に抜いて大出血されても困るので治癒し
ながら引き抜きます。気を失ってて良かった、ゆっくり抜くからか
なり痛そうだし。
引き抜くと同時に傷は完治。ついでに解毒魔法もかけておく。こ
れで内部が化膿する可能性も無いだろう。
で、問題なのが失った血。明らかに顔色が悪いので先生が持たせ
てくれた増血剤を飲ませて無理矢理効かせてみる。こういった物は
常に身に着けているし、私の治癒魔法は自己治癒能力を爆発的に高
めるものなので薬を体に吸収させれば効果覿面だろう。ただ、その
1246
代わりに体に負担が掛かるのだが。
ちなみに増血剤は口移しで強制的に飲ませた。そのまま気付かな
いでいてくれ。
﹁これ以上やりようがないよねぇ⋮⋮﹂
現在、脳筋美形さんを膝枕中。体温低下を防ぐ為に体周辺の温度
を上げ、血の匂いに誘われる魔物や獣が出ても面倒なので服とか血
の着いたものは洗浄した。
だからといって巨大蜘蛛の脅威が去った訳ではないのだが。
何らかの事情でこの場を離れてくれたからこの人が生きていられ
たのだ。餌を放り出した状態なので戻ってくる可能性は高い。
理想としては私がサポートしつつ、この人に巨大蜘蛛を倒しても
らうというのが最善だ。騎士達の面目も立つし私も目立たずに済む。
とは言っても、そのプランは少々厳しいかもしれない。顔色悪い
上に気絶しちゃってるもんな。目が覚めたとしても闘えるほど動け
るのか怪しい。
一時撤退も仕方ない、この人だけ村に置いて単独で蜘蛛狩りに行
くか? ⋮⋮などと考えていたら。
﹁⋮⋮だれ、だ⋮⋮?﹂
何時の間にかぼんやりと薄い紫色の瞳が見つめていました。あら、
見た目はクールビューティー。
無駄に色気を垂れ流してるのにギャラリーが私だけというのが大
変申し訳ないですね!
軽く腕を動かしている辺り怪我をした自覚はあるみたいです。意
識もはっきりしてるっぽい。
え⋮⋮本当に大丈夫なの? マジで? 1247
そんなにすぐ目覚めるようなダメージじゃないよね!?
などといった心の声を口にする訳にもいかず。
とりあえずここは無難に済ませてみましょうか。
﹁おはよーございます﹂
﹁⋮⋮おはよう﹂
アホな挨拶をしたら律儀に返してくれた。視線も今はしっかりと
している。
流石です、美形は見せ場を作らなきゃいけない法則でもあるんで
しょうか?
守護役連中並に綺麗な顔してるのが気になるけど、今はそんな事
を確認している場合ではない。
﹁キースさんが心配してましたよ﹂
そう言うと脳筋美形さんは瞬きを繰り返した後、思い出すように
目を閉じた。
﹁キース⋮⋮そうだ、蜘蛛を村から引き離そうとして⋮⋮﹂
﹁村は大丈夫みたいです。私は村へ入る直前にキースさんから蜘蛛
退治のお手伝いを頼まれたんですよ﹂
実際にはそこまで頼まれてはいないが、私の為にも騎士団の為に
もこの人に頑張ってもらう必要がある。
なに、蜘蛛を倒すことは変わらないのだから問題無し。
﹁怪我が治っているが﹂
﹁私が治しました。増血作用のある薬草を飲ませて魔法で一気に効
1248
かせたので暫くはだるいと思います﹂
﹁いや、それほどだるくはないな。⋮⋮すまない、迷惑を掛けた﹂
﹁御気になさらず﹂
ええ、気にしないで下さいな。
私は未だ膝枕されているという事実にさえ気付かない貴方を巨大
蜘蛛と闘わせようとしてますから。
﹁動けるようなら村に戻ります? それとも﹂
﹁奴を倒すまで戻る場所など無い﹂
建前的に尋ねた私の言葉を遮りきっぱりと言い切る脳筋美形。
よし、よく言った! 脳筋、もといヒーローならばそうこなくち
ゃな!
体を起こし周囲の状況を確認する脳筋美形に心の中で拍手喝采。
ではささやかながら贈り物をいたしましょう。
﹁剣貸してください。強化します﹂
﹁何? できるのか!?﹂
﹁魔改造するので墓の中まで持っていってくださいね﹂
﹁ありがたい! 蜘蛛の体が思った以上に硬くてこの剣では攻撃が
通らなかったんだ﹂
どうやら攻撃そのものはできていたらしい。﹃攻撃が通らなかっ
た﹄と言ってるから動きには付いて行けてたってことか。
ならば十分勝機はある。異世界産の技術でステータスアップと参
りましょ!
渡された剣を手にしてイメージどおりの改良を。強度、切れ味、
1249
重さあたりを弄れば良いかな。
本当はあまり重さを変えない方がいいと思うけど、今の状態で軽
々振る為には仕方ない。
⋮⋮家宝の剣とかじゃありませんように。
後はキースさんにも渡した予備の万能結界付加のペンダント。こ
れでかなり対抗できる筈。
﹁私は浮遊で蜘蛛の上空に居ますね。そこからならサポートだけで
なく蜘蛛の注意も引き付けられます﹂
﹁そんな事が可能なのか?﹂
﹁魔物って基本的に魔力に反応しますから魔法を使えば条件反射で
上を気にすると思いますよ﹂
マジです、これ。人間も魔力の流れを感知するけど魔物は野生の
勘も手伝ってそれ以上。
魔法で目を眩ませたり脳筋美形さんが避けきれない攻撃を引き受
けたりすれば蜘蛛の注意は上に居る私に向く。
ぶっちゃけて言うと﹃剣で切る﹄という行為で倒してもらいたい
のだ。私は魔法しか使えないので誰から見ても脳筋美形さんの手柄
になる。
﹁では俺は身体強化を施し蜘蛛を倒す事だけを考えよう﹂
﹁そうしてください。まず足を落として最後に頭を﹂
﹁心得た﹂
あっさり役割が決まって頷き合った直後︱︱
ギイィィィィィィッ
﹃何か﹄の妙に高い声が響き。 1250
蜘蛛って鳴いたかなー? つか、声大きくね? と首を傾げる前
に巨大蜘蛛が姿を現したのだった。
※※※※※※※※※
で。
現在戦闘中にございます。てか、脳筋美形マジで強ぇ!
以前のダメージがある筈なのに余裕で攻撃を避けるはしゃぎっぷ
り! 流石だ、脳筋! 私が無詠唱な事にも気付かず目の前の敵に集中
する君の扱い易さに、私は心の中で大絶賛。
﹁素晴らしいなぁ、この切れ味は!﹂
⋮⋮見た目クールビューティーの癖に目の色と言動がヤバイ方向
になってるのは見なかった事にしよう。
嬉しそうなのも気の所為だ。大丈夫、不憫な専属付き人が居るか
らちゃんと言っておけば問題無い。
私は自分の言葉どおり上からサポートとしてちまちま蜘蛛の注意
を引いています。
一瞬上を気にした隙に脳筋美形さんが足の付け根を狙ってざっく
ざっくと切ってますよ。二・三回切りつけると足がもげるので、残
りはあと四本。
上から見る限りは非常にサクサク切れてるので足を落とす作業は
順調な模様。やべ、切れ味上げ過ぎたか!?
勿論、私も空中から参戦。﹃お手伝い﹄の域を出ない程度に攻撃
してます。
蜘蛛の赤い目が苛立たしげな感情を伝える中、目を狙って氷結魔
1251
法を叩き込む。それを察した蜘蛛の足が鬱陶しげに氷を払い、意識
が反れた隙を狙って脳筋美形さんが他の足に切りつける。
連携は完璧です。御互い自分の役割しか考えてないし、私が上に
居るので仲間を気にする必要も無い。
元々ゲームでは後方支援だった上に見下ろす位置に居るから物凄
く判り易いのだ。
と、その時。
流石に疲れが見え始めたのか脳筋美形さんが膝をつく。当然、蜘
蛛は其処を狙って足を振り上げた。
⋮⋮が。
その足は届く事無く﹃何か﹄に弾かれる。
﹁危機一髪、かな﹂
﹁な⋮⋮一体何時の間に﹂
﹁転移魔法の応用で一瞬です﹂
蜘蛛はギリギリと力任せに結界を破ろうとするけど、結界は軋む
音を立てるばかり。少ない足で体を支えている分、力が削がれてい
るのだろう。
それに渡したペンダントの万能結界も発動しているから私のも含
めて二重に張られている状態だ。簡単には壊せまい。
現在の状況:膝を着く脳筋美形を背後に庇って結界を張り蜘蛛と
対峙する私。
元々結界を張っているのだ、転移だけなら十分間に合う。
ポジション的には﹃主役の危機を救う仲間﹄ですが、現実は﹃計
画成功の為にフォローに走る黒幕﹄にございます。
1252
ふふ、簡単に殺らせるものかよ。私の計画をおじゃんにしようと
は良い度胸だなぁ、蜘蛛の分際で。
そんな想いと共に笑みさえ浮かべて至近距離にある蜘蛛の牙と赤
い瞳を見る。すると野生の勘が働いたのか蜘蛛は一瞬動きを止め、
次の瞬間、全力で押し潰すように力を込めてきた。
殺るか殺られるかしかないのがよ∼く理解できているらしい。つ
いでに私の方が危険だということも。
餓えた蜘蛛にとって﹃私達を食らう﹄という事以外に生きる道は
無い。退けば餓えるし殺される、だからこそ生きる為に牙を剥く。
それは私達も同じ。そして目的がある私はそれ以上に生きる事に
貪欲だ。
絶対に未来は譲らない。ここで朽ちる気などないのだから。
﹁大丈夫? 暫く時間稼ぎしましょうか?﹂
﹁いや、もう十分だ﹂
﹁じゃあ、目を瞑って。肩を叩いたら行動開始ね﹂
﹁何?﹂
背後では訝しげに眉を顰めているのだろう。顔の印象と違って意
外と感情豊かだねぇ、君。
﹁一瞬だけ光度を上げた光の珠を出して目潰しします。すぐに消す
からその隙に残りの足を落として下さい﹂
本来は暗い穴の中に住む生物だ。強い光に耐えられるとは思えな
い。
1253
﹁それくらいなら大丈夫だ﹂
﹁足を落としたら即座に頭を。私は念の為に蜘蛛の内部へ氷結魔法
を撃ちます﹂
﹁了解した﹂
作戦会議終了。多分、蜘蛛の命も終了。
足を落としてしまえば後は楽なのだ。解毒の魔道具を持っている
みたいだし、体液に気をつけてくれれば問題なかろう。
ちらっと振り返り目を瞑ったのを確認する。準備万端、さあ最後
のトドメと参りましょう?
﹁それじゃいきますよ﹂ そう言って目の前にある赤い瞳に向かいLEDを意識した高光度
の光の珠を放ち即座に消す。蜘蛛が鳴き声を上げ、後ろに下がった
と同時に私は肩を叩いて再び上へと移動する。
下では蜘蛛が足を振り回していた。見えてないのが一目瞭然の動
きに脳筋美形さんは容易く足をかわすと残った足を切り落としてい
った。
蜘蛛が胴体を地に着け、それでも足掻こうと牙を剥くが二度三度
と切りつけられ終にその頭胸部を切り離される。
グロい⋮⋮などと言っている場合ではない。すぐに下りて最後の
仕上げをしなければ。
再び膝を着いて肩で息をする脳筋美形さんを他所に、即座に氷結
魔法を切断面から双方の内部へと行き渡らせる。
体の中身、体液すらも巻き込んで凍結させ体中に行き渡ったと同
時に内部で砕く。剣によって足と頭を落とされた蜘蛛の体は内部を
ずたずたにされ間違いなく息絶えた。
蜘蛛といえどもこれは﹃魔物﹄。どういった状態が本当の死なの
1254
か私には判らない。
ならばあらゆる可能性を私は砕く。
内部に卵があるかもしれない、再生して襲い掛かってくるかもし
れない、そして⋮⋮周囲に毒など撒き散らされれば村さえ危険に見
舞われる可能性がある。
だからどれほど惨酷だろうと容赦はしない。少しの可能性で事態
は容易く覆るのだから。
﹁お疲れ様﹂
﹁⋮⋮感謝する。君の力が無くば勝てなかった﹂
﹁御謙遜を。足も頭も切り落としたのは貴方でしょ﹂
最終的に死亡確認をするのは騎士団だろうが、傷の状態から彼等
は仲間が魔術師のサポートを受けて倒したと思うだろう。蜘蛛の内
部など解体でもしない限り判りはしない。切断面は氷で覆われてる
し最終的には焼かれるだろう。
傍目には切り口に氷結魔法を撃ったようにしか見えないのだから
記憶を見られても問題無し。
でかした! これで私は脇役決定。英雄は君だぞ、脳筋美形!
﹁えーと⋮⋮二人で倒した、のか?﹂
いきなり掛けられた声に振り返るとキースさんが呆然と二つに分
かれた蜘蛛の体を見ている。
﹁御仲間さんがね。私はサポート要員です﹂
﹁いや、それにしても⋮⋮よく倒せたな﹂
1255
﹁武器を強化したらザクザク切ってくれました!﹂
﹁ああ、うん。その様子が容易く想像できるな﹂
うんうんと頷いているキースさん曰く、もう一方の道は巣へと続
いていたらしい。念の為に焼き払った方がいいと村から騎士を呼ん
で来たんだそうな。
そうですねー、火事に対応できる人間が居ないと森の中で火を使
うのは危険です。蜘蛛の子供とか居て火がついたまま逃げ回られて
も困るもの。
で、騎士達に任せてからこちらに来てくれたんだそうな。倒して
いるとは予想外だったらしいけどね。
そうだ、キースさんにも脳筋美形さんの状態を伝えておかなけれ
ば。
﹁あのですね、キースさん。状況説明をしますとね⋮⋮﹂
そうして死体モドキ発見からこれまでの経緯を私に都合よく話し
た結果。
﹁ちょ、それであいつさっきから黙ったままなのか!? 闘い終わ
って気絶した!?﹂
﹁⋮⋮え゛?﹂ その言葉に後ろを振り返ると。
剣を抱き抱えたまま脳筋美形さんが転がってらっしゃいました。
すまん、気付かなかった!
慌てて抱き起こしたキースさんは暫く様子を見た後、﹁極度の疲
労だな。暫く起きんぞ﹂と安堵と呆れの混じった呟きを洩らした。
ああ、そりゃ疲労でぶっ倒れるでしょうねぇ⋮⋮。
1256
﹁はしゃぎ過ぎだ﹂
気力か。気力だけで戦っていたのか。
行事に大はしゃぎして翌日熱を出し寝込む子供かい、脳筋よ。
﹁とりあえず村に戻りますか。飛行するので御仲間さんはキースさ
んが背負ってくださいね﹂
﹁俺も村と往復して疲れてるんだがなぁ﹂
﹁じゃあ、私が横抱きで﹂
﹁すまん! 俺が運ぶ!﹂
素直で結構です。確かに私が脳筋美形をお姫様抱っこって視界の
暴力だわな。本人にとっても黒歴史確定だ。
そして浮かび上がりつつ、忘れないうちに一つの提案を。
﹁あ、城へ報告に戻るなら頭と足を一本持って行った方がいいです
よ。状態保存の魔法なら私が使えますし﹂
﹁何でだ?﹂
﹁こんなに巨大な森護りが居たなんて誰が信じるんです? 貴族は
自分で目にしない限り危機感抱きませんよ。そうだな∼、﹃これが
増えればより上質の肉を求めて貴い身分の方達が狙われるでしょう﹄
とでも言っておけば自己保身の気持ちから対策を考えてくれますね﹂
﹁御嬢ちゃん⋮⋮何故そんな事を思いつく?﹂
﹁必要な事は実力と証拠を元に脅⋮⋮いえ、進言するものです!﹂
﹁今、違う事を言いかけたな? 脅迫って言わなかったか!?﹂
﹁あらあら、何の事やら∼﹂
さあ、セシル達も心配してるだろうしさっさと帰りましょ?
1257
御利用は計画的に︵後書き︶
脳筋:名前さえ名乗っていない・知らない事に最後まで気付いてな
い。
主人公:面倒なのでわざと黙っているし聞かない。
目立つ事を避ける為に徹底的に脳筋美形を英雄に仕立て上げる主人
公。証拠も無いので﹃お手伝い﹄のままです。
1258
裏工作も忘れずに
村の入り口には騎士さん達が待機していた。キースさんの報告で
巣に向かった騎士ではないのだろうが事情は知っているみたい。
彼等は上から来た私達に唖然としていたが、キースさんとその背
に背負われた脳筋美形を認めると安堵の表情になった。
キースさん、騎士であることを誤魔化せてませんよ? 明らかに
彼等の仲間じゃないですか。
私の視線に気付いたキースさんは﹁ま、そういうことだ﹂と呟き
騎士達にも目配せする。ああ、気付いても黙ってろってことですね。
了解です。
﹁蜘蛛はどうなりました?﹂
﹁こいつとそこの御嬢ちゃんが倒した﹂
﹁﹁は?﹂﹂
キースさんの言葉に騎士達は揃って固まり。次に私に視線を向け
訝しそうな顔になる。
そだな、脳筋美形は絶大な信頼があるみたいだけど私は護衛です
ら頼りなく見えるみたいだし。
﹁魔術師なので。私は結界や治癒でのお手伝いですよ﹂
﹁ああ、そういうことか﹂
﹁私の記憶で良ければ後で見せますね﹂
魔法は詠唱を必要とするので動きの速い相手に至近距離から挑む
など自殺行為だ。例え脳筋美形が居たとしてもフォローしきれるも
1259
のではない。
彼等はキースさんが﹃倒した﹄と言ったから攻撃魔法でも撃った
と思ったのだろう。サポート役だと知って納得したみたいだが。
ええ、実際はめっちゃ撃ってます。しかも気を引く程度の手加減
した状態で。
リアル戦場では﹃手加減などして味方を死なせる気か!﹄と怒ら
れる行動ですね! でも今回は私や騎士達の都合もあるのでこれが
最善にございます。
⋮⋮こう言っては何だが蜘蛛を殺すだけならば私一人でも可能だ
ったろう。上から真空の風刀を連発して足や頭を切り落とせば良い
のだから。
ただし、それをやった日には事情聴取と言う名の捕獲が待ってい
る。﹃空中浮遊しながら﹄という時点で術の複数行使が問題視され
るのだ。色々理由を付けて取り込もうとしてくる輩も居るだろう。
﹃一般的な魔術師ができない行動﹄を﹃旅の魔術師﹄がやるべき
じゃないのだ。異様さが目立つから。
いくらイルフェナ産だと言っても間者か特殊な訓練を受けた者だ
と疑われる。そうなると国の通過が厳しくなるので地味なサポート
役に徹したのだ。脳筋美形よ、感謝する。
﹁巣は今焼き払っている。こいつは疲労で暫く起きないだろう。確
認されているのは一匹だけだが一応暫くは警戒しておいてくれ﹂
﹁わかりました﹂
他に大蜘蛛が居たら拙いので警戒体勢は続くらしい。騎士達は頷
くと私達を村の中へ招き入れてくれた。
1260
村の様子は⋮⋮思ったよりも落ち着いている。広場のような場所
に男達が集まって騎士達と同じく襲撃に備えているようだった。
﹁御嬢ちゃんはどうする? 一緒に宿屋へ行くか?﹂
﹁私は先に村人達に蜘蛛が倒された事を伝えておきます。⋮⋮あの
人達、あまり眠っていないみたいだし﹂
﹁そうか⋮⋮俺達が着くまで必死だったろうからな。そうしてやっ
てくれ﹂
﹁宿屋に連れが居る筈なので無事を伝えてもらえますか? あ、そ
れから一つ御願いが﹂
そう言って脳筋美形が未だ手放さない剣に視線を向け。
﹁それ、できれば破棄させてください。色々強化しちゃったので﹂
﹁そのままじゃ駄目なのか? 金は払うぞ?﹂
﹁楽しそうに蜘蛛を切る姿にヤバさを感じました。私は強化した術
者として責任を持たなければなりません。あと、そのままだと手合
わせで相手を剣ごとぶった切りますよ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁個人的に大切なものだというならば他の方法を考えますが⋮⋮﹂
これは私の記憶を見て貰えば一発で理解して貰えると思う。﹃お
前は戦闘狂か!﹄と誰もが突っ込むと同時にドン引きする雰囲気が
あったもの。誰も野放しにはするまいよ、あれは。
キースさんも何となくは理解できてしまったらしく暫し思案した
後に頷いてくれた。
﹁そういった物では無いが⋮⋮その言い分も理解できるな。よし、
俺の判断で君に渡そう。おい、離せ﹂
1261
そう言って剣を渡そうとし。
次の瞬間、脳筋美形は﹃嫌だ!﹄と言わんばかりに抱え込んだ。
﹁﹁⋮⋮おい﹂﹂
二人揃ってジト目になったのは仕方あるまい。キースさんは深々
と溜息を吐くと﹁俺が押さえているから引っぺがしてくれ﹂と依頼
してきた。
貴方は御世話係か何かなのでしょうか? 妙に慣れてらっしゃる
ようで。
﹁キースさん、しっかり押さえていてくださいね﹂
﹁思いっきりやれ﹂
﹁では失礼して﹂
剣を両手でしっかり握り脳筋美形の腹︱︱腹筋が見事なので痛く
も痒くもあるまい︱︱に片足を掛け。
﹁せぇのっ!﹂とばかりにキースさん共々力任せに引っ張ったの
ですが。
⋮⋮離さないでやんの、何この執着。抱え込むな、首を横に振る
な!
思わず無言になる私達に周囲で見守っていた村人達が声を掛けて
くる。
ああ、やっぱり見世物になってましたか。
﹁おい、何やってるんだ?﹂
﹁強化し過ぎた武器なので破棄しないといけないんですが⋮⋮この
状態です﹂
1262
視線の先には脳筋美形。誰がどう見ても眠っているのに﹃お気に
入り﹄を手放しません。
﹁確かにそのままじゃ危ないよな。よし、俺達も手伝おう﹂
﹁ありがとうございます!﹂
引き離そうとしているのが剣なので村人達も危険物だと認識した
らしい。お手伝いの申し出はありがたく受けさせていただきますと
も!
⋮⋮その後。
其々腕を三人がかりで引っ張り、漸く引き剥がしが叶った時には
全員で喜びの声を上げた。
この騒動のお陰でなし崩し的に私とキースさんは村人達に受け入
れられたようです。
つまり、それだけ大変だったんだよ! 達成感やら連帯感が湧く
くらいには!
ありがとう、村人達!
ありがとう、キースさん!
何時の間にか周囲で応援してくれたお子様達にも感謝だ!
﹁じゃ、俺はこいつを寝かせてくるわ﹂
﹁お疲れ様∼﹂
﹁兄ちゃんもちゃんと休めよ∼﹂
1263
皆に手を振りながら見送られ、キースさん達は疲れた顔をしなが
らも宿へ向かっていった。
そして私の手には魔改造された剣。今のうちにさっさと壊してお
くべきだろう。
﹁それでこれはどうするんだ?﹂
﹁あ、私が魔術師なのでそのまま破棄します﹂
興味深そうに私の手にある剣に視線を向ける村人達。彼等がこの
剣の凶悪さに気付く前にさっさと壊さねば。
破棄と言っても普通に使えなくするという意味ではない。﹃分解﹄
だ。欠片でも残ってたらヤバそうですもの。
この場合は﹃見た目は砂より細かい粒に変換・その状態で定着﹄
という感じか。全ての粒を何らかの方法で集めたとしても、その状
態に定着させておけば元の剣には戻らない。
原子という単語を知り、イメージ重視の魔法を使うからこその破
棄方法です。確か金属は原子が規則正しく並んで結晶を構成してい
るとかいう状態だった筈。
多少間違っていたとしても元の世界の中途半端な知識を元に再生
不可能なくらいの分解が可能だろう。そもそも異世界だしな、思い
込みでいける気がする。
何より証拠隠滅を完璧にせねば私がヤバイ。重要なのは其処だ。
﹁ちょっと離れていてくださいね﹂
村人達に一声掛けて手にした剣に集中する。剣が魔力を帯びてぼ
んやりと青く光り、その形が曖昧になっていき⋮⋮一気に空気に解
けて消えた。さらりと手から流れ落ち消えたものが確かにそこに在
った名残。
1264
﹁はい、お終い﹂
﹁すっげぇ⋮⋮今の魔法?﹂
﹁そうだよ! 元々私が手を加えていた武器だから可能なんだけど
ね。本当はこんなに簡単に出来ないよ﹂
﹁そっか、姉ちゃんが何か魔法をかけてたんだな!﹂
﹁うん、正解。だから解いたの﹂
興奮気味に話し掛けて来た御子様に嘘と本当を交えつつも気楽に
答えてやる。
これ、意外と重要です。下手に秘密にすると﹃理解できないけど
凄い事﹄だと認識され中途半端に噂になるのだ。その噂が更に改悪
されて妙な方向に行っても迷惑です。
でも、子供にさえ気楽に話せる内容ならば誰だって重要視しない。
理解できなくとも﹃村人だから難しい事が判らなかっただけ﹄で終
るのだ。実際、村人達は感心しつつもそれ以上の興味は無いようだ
しね。
よーし、これで証拠隠滅完了! 今の光景を見ていたところで再
生なんぞは不可能だろう。
達成感に笑みを浮かべているとセシル達が近寄ってきた。安堵の
表情を浮かべている所を見ると心配させてしまったらしい。
﹁ミヅキ、あの騎士と協力して蜘蛛を倒したと聞いたぞ﹂
﹁怪我はありませんわね? 少し休みます?﹂
﹁ああ、あの美形な騎士様が頑張ってくれたから怪我一つないよ﹂
ある意味本当です。裏で糸を引きましたが。
そして私達の会話を聞いていた周囲の村人達は﹃蜘蛛が倒された﹄
という情報に沸いた。あ、そっか説明まだしてないや。
1265
思い出し村人達に向き直る。
﹁今聞いたとおりです。他にも居る可能性は捨てきれませんが一匹
の巨大蜘蛛は倒しました。巣も他の騎士様が発見してくれたので焼
き払われているところです﹂
﹁本当か! 俺達が見たのは一匹だけだ﹂
﹁そうなんですか? じゃあ、大丈夫かな。ちなみにこれが討伐風
景です﹂
そう言って直接周囲の人々へ自分の記憶を見せる。私の記憶を白
昼夢として見るような感じなので夢を見せた時の応用で可能だろう。
魔道具の代わりを私が果たせばいい。
勿論、私に都合のいい超ダイジェストな場面のみです。内容は﹃
巨大蜘蛛と戦う騎士様﹄↓﹃苦戦する騎士様とサポート各種﹄↓﹃
勝利する騎士様﹄という絵本でもここまですっ飛ばしはすまいとい
う紙芝居的シロモノ。
人々が求めているのは英雄なのです、他は適当に脳内で補ってく
ださい。
﹁私は邪魔にならぬよう浮遊の術で上空に居たんです。時々降りて
蜘蛛の気を引いたり結界を張ったりはしましたが、倒してくれたの
はさっきの騎士様ですよ﹂
﹁いやいや、あんたも凄いだろう﹂
﹁あの蜘蛛を前にして騎士様を庇うなんてよくできたなぁ﹂
村人の皆さんは口々に褒めてくれますが、私の個人的理由からな
ので褒め言葉はいりません。しかも脳筋美形は騎士様として認識さ
れたようだ。
それから⋮⋮ごめんね、皆さん。少々貴方達を脅かさせてもらい
ます。
1266
﹁今回の事は大蜘蛛が居るにも関わらず魔物を減らし過ぎた事が原
因ですよね? ⋮⋮今のうちに謝罪してしまった方がいいと思いま
すよ﹂
﹁え?﹂
村人達は﹃謝罪﹄という言葉に首を傾げた。セシル達は何か思う
事があるのか黙って聞いている。
﹁増え過ぎた魔物の討伐を依頼したんでしょう? あの時に貴方達
が本来の魔物の数を正しく教えなければならなかったのに﹂
﹁ちょ、ちょっと待て! 俺達が悪いってのか!?﹂
表情を険しくさせた一人の男が詰め寄って来るが、私はそれに不
思議そうな表情で返す。同時に少々威圧を加えて村人達には不安に
なっていただこう。
﹁当たり前じゃないですか。いいですか、派遣された騎士はここで
生活していないから普段の状況を知らないんです。貴方達が止めな
い限りまだ多いと思って討伐し続けますよ﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
﹁勿論、派遣された騎士達の落ち度でもあります。貴方達としっか
り話をして討伐数を決めなければならないんですから。ですが、そ
れが元で巨大蜘蛛が村近辺にまで出没しました。⋮⋮多分、最初に
来た騎士達は何らかのお叱りを受けたでしょうね﹂
気まずげに顔を背けた男は私に詰め寄った時とは逆に顔色が悪い。
それは村人達も同じ。
﹃一方的に非がある﹄と言われれば怒るだろうが、﹃双方に非が
あるのに自分達だけ処罰を免れる﹄という状況ならば気まずく思っ
1267
て当然だ。しかも騎士としての処罰など彼等には想像もつかないだ
ろう。
何より威圧によって不安になっている彼等ならば罪悪感は増す。
そこを突付いて反省が必要だと思い込んでもらうのだ。
実際は派遣された騎士達がアホだった、というだけかもしれない。
とは言え、今後この話を蒸し返さないようにする為には﹃落とし所﹄
を明確にしておかなければならないだろう。今後の信頼関係にも関
わるし。
それを利用して国を混乱させようとする輩も居るのだ。私なら利
用するもの。
﹁ですから今のうちに﹃自分達も悪かった﹄と謝罪の意を伝えてし
まえばいいんです。勿論、貴方達だけが悪いわけじゃない。けれど
蟠りを残したままではこの村が騎士から良く思われない可能性があ
りますよね?﹂
﹁⋮⋮。そうじゃな、儂らも自分達の事を騎士様達に任せ過ぎてお
ったな﹂
穏やかな声に顔をそちらへ向けると白い髭のお爺さんがいた。
﹁村長さん⋮⋮﹂
﹁この娘さんの言うとおりじゃないかね? あの時、儂らはただ魔
物が減る事を喜ぶばかりじゃった。あの森護りは儂らの態度を怒っ
た山が遣わしたのかもしれんの⋮⋮人ばかりが住まう土地ではない、
と﹂
村長さんの言葉は何処かで聞いた昔話みたいだ。けれどこの地で
共存してきた事実がある彼等にとってはとても重い言葉だったのだ
ろう。誰もが俯き過去の自分を恥じている。
1268
﹁気になるなら謝っちゃえばいいんじゃないですか?﹂
﹁ふむ、そう思うかね﹂
﹁ええ。というか、騎士様達はさっきから私達の話を聞いてますか
らね。⋮⋮ってことで騎士様がた! 彼等はとても反省しているみ
たいですが貴方達はこれからも守ってくれますか?﹂
突然の問い掛けに肩を跳ねさせ周囲の騎士達がこちらを向く。聞
いてるのは判ってるんだ、さあお応えを?
﹁勿論だ。今回の事は我々騎士団にも非がある。⋮⋮すまなかった。
以前来た者達の代わりに謝罪しよう﹂
そう言って一人が村人達に頭を下げると他の騎士達もそれに倣う。
おお、庶民に優しい騎士様達だな!
その様に仰天しながらも、村人達も次々と頭を下げ謝罪し出した。
場の勢いって凄ぇ。
﹁いえいえ、こちらも悪いのです。その言葉を戴けて嬉しく思いま
す。どうぞ、魔物を討伐してくださった騎士様達にも儂らが詫びて
いたとお伝えくださいませんかな﹂
﹁了解した。彼等も自分の未熟さを知る良い機会となっただろう。
必ず伝える﹂
﹁お願い致します。図々しい御願いですが、宜しければ後程手紙を
受け取ってはくれませんかな? 村の代表として我々の感謝と謝罪
を動いてくださった皆様にお伝えしたいのです﹂
﹁勿論、引き受けよう﹂
﹁ありがとうございます﹂
再び村長は頭を下げる。これならば今後この件を蒸し返す輩が居
1269
ても大丈夫だろう。
それを見届けてから黙っていたセシル達と少々離れた場所に移り、
ひそひそと小声で事情説明。
﹁⋮⋮で、何故あんな事を言ったんだ?﹂
﹁今回の事が騎士団の恥として貴族に糾弾されない為。あとは他国
が仕掛けてくる場合の足掛かりを潰す為かな﹂
一番可能性がありそうなのは﹃貴族が騎士団を押さえ込む為の言
い分として使う﹄ということだ。
キースさんは魔物討伐に参加した騎士を貴族のお坊ちゃん扱いは
していたが嫌悪は感じられなかった。未熟だが仲間として認めてい
るから、今回は兄貴分が出てきたんじゃあるまいか。
だが、貴族の中には騎士如きと格下扱いする輩も当然居る。そう
いった連中にとって今回の事は目障りな騎士を処罰する良い機会だ
ろう。
つまり﹃適切な指導も出来ない無能・上に立つ資格無し﹄と糾弾
し、今回の出来事の責任を取らせようとするってこと。セシル達も
ある程度は察したのか頷いている。
﹁確かにそういう輩は貴族に居ますわね。見た感じでは騎士団は民
の味方のようですし、蟠りを解いておくのは良い事だと思いますわ﹂
﹁それに自分達から謝罪しただけでなく、魔物討伐の騎士達にも感
謝してるからね。いくら貴族が喚いても当事者達が﹃終った事﹄と
認識した以上、部外者のでっち上げにしかならないよ。互いに悪い
と認めてるし﹂
騎士を悪く言う村人が居ないのだ、糾弾されても﹃何の関係もな
い奴は引っ込んでろ!﹄で終る。つか、村人達は騎士の味方をする
だろうしね。あの様子じゃ金でも釣られまい。
1270
﹁個人的には面倒起こさないで下さいねって感じかな。ま、通行料
代わりってことで!﹂
﹁あらあら﹂
﹁ミヅキらしいな、完全に善意ばかりというわけじゃないのか﹂
苦笑しつつも咎めない貴女達に言われたくはございませんよ、御
二人さん?
これでも一応、脳筋美形への感謝があるのだ。都合よく利用させ
てもらったからには見返りを送らねば。それに私は基本的に騎士の
味方にございます。
ところでさ。
﹁⋮⋮視界の端に何処かで見た顔が居るのは気の所為かな?﹂
﹁気の所為では無いと思いますわ。私達も声を掛けたのですが別人
だと言われてしまって﹂
﹁それで諦めた?﹂
﹁いいや? ミヅキに任せた方が面白そうだと思って待っていた﹂
おや、期待されてましたか。それならば応えなければなりません
ね!
﹁ビルさーん! 御久しぶりー!﹂
﹁⋮⋮﹂
声が聞こえている筈なのに騎士がこちらを向く気配は無い。
ほう、無視か。いや、この場合は﹃別人だから自分が呼ばれてる
とは思ってない﹄という感じかな。
ふうん? じゃあ、もう一度呼んでみますか。
1271
﹁年齢より老けて見えることが気になってるビルおじさ⋮⋮﹂
﹁誰が老け顔のおじさんじゃぁぁっ! お兄さんと呼べ、この問題
児!﹂
﹁やっほー、元気ぃ?﹂
即座に反応し﹁しまった!﹂という表情を浮かべたビルさんはキ
ヴェラでお会いした時と全然変わらぬノリの良さ。
私の事を﹃問題児﹄なんて言うのはビルさんだけですからねぇ、
誤魔化せませんよ?
にこにこと手を振る私に対しビルさんはがっくりと肩を落とし。
﹁どうしてお前がここに湧いてるんだ、問題児⋮⋮﹂
﹁運命﹂
﹁そんな言葉で片付けるなっ! お前の場合は絶対に違うだろ!?﹂
失礼な。巨大蜘蛛の討伐に協力したじゃん、個人的理由からだけ
ど。
﹁ビル、その言い方は無いだろう。⋮⋮久しぶりだね、ミヅキ﹂
﹁アルフさんもお元気そうで﹂
すぐ傍から聞こえたもう一つの懐かしい声に振り返ると其処には
アルフさん。ビルさんが反応しちゃったから隠れるのを止めたな、
多分。
服装を見る限りカルロッサの騎士だったのか。
﹁セシルとエマも一緒なんだね﹂
﹁私達はミヅキの護衛兼旅仲間ですわ﹂
﹁楽しい旅だぞ? 貴方達も相変らず仲の良い友人同士なのだな﹂
1272
アルフさんに気付いていた二人はにこやかに返している。
と、いうことで諦めてくれない? ビルさん。
1273
裏工作も忘れずに︵後書き︶
脳筋美形と苦労人が居ない隙に裏工作に勤しむ主人公。
騎士にとっても良い事なので周囲の騎士達は諌められません。
1274
魔王の子猫は仲間と遊ぶ︵前書き︶
王太子の取り巻きVS主人公。
互いに獲物認定しているので正義なんて欠片もありません。
1275
魔王の子猫は仲間と遊ぶ
あれから。
蜘蛛の巣を焼き払った騎士達が戻り次第これからの事を決め直す
という方向になった。予想以上の大きさだった事に加え、倒した本
人である脳筋美形さんが目を覚まさないからだ。
思いっきり責任者じゃねーか、キースさん達。
ビルさん曰く﹃名の知れた騎士が出てくると余計に不安を煽るん
だよ﹄とのこと。騎士として動く連中は村人達の護衛が主な任務な
んだそうな。つまり旅人の振りした協力者達が蜘蛛討伐担当だった
ってことか。
その功労者である脳筋美形さんは極度の疲労で御休み中。寝てる
だけなので安心ですね。一時はマジで死にかけてましたから、あの
人。
村人達もこれまでの疲れが出たのか詳しい話は夜に、ということ
になり家へと散っていった。
で、私達は。
﹁さあ、お兄さん達に詳しいことを話そうか﹂
﹁ミヅキ? 嘘は吐いちゃ駄目だよ?﹂
宿の食堂で見張り以外の騎士様達に囲まれてます。
ちょ、私も功労者! 少しは気遣おうよ!?
1276
﹁知り合いの護衛で馬車に乗ってたらキースさんに蜘蛛討伐メンバ
ーとして捕獲されました。以上!﹂
﹁内容をすっ飛ばし過ぎだ!﹂
﹁それ以外に言いようが無いもん!﹂
冗談抜きにそれが全てだ。その後、個人的な思惑の下に色々裏工
作しただけです。
と言うかビルさん達の聞き方だとそれで十分じゃん?
﹁ビル、それは事実だ。御嬢ちゃんは俺が巻き込んだんだからな﹂
キースさんが口を挟むとビルさんはジト目で私を指差す。
﹁副隊長。こいつですよ、キヴェラで騎士達に情報を与えて弄んだ
問題児は﹂
﹁な!?﹂
ちっ、余計な事を。どういう報告を受けたのか知らないが、キー
スさんは驚愕の表情で私をガン見。
⋮⋮ビルさん? 貴方達は一体何を言ったのかな?
﹁弄ぶなんて人聞きの悪い! 噂から予想される展開を教えただけ
じゃない。聞きたがったのはあの人達だよ﹂
﹁確かにそうだったね。でもね、普通はあんな発想してないんだよ﹂
アルフさんも逃がしてくれる気はなさそうです。まあ、警戒され
ても仕方が無いか。
でも事実を言っても納得してくれるかは別なんだよねぇ。
だって﹃騒動起こすぜ! イベントだぞ、野郎ども私に付き合え
1277
!﹄という状態だったもの、気分的には。
混乱する国を更に混乱に陥れるべく待ち構えていたけれど、酒場
でイベントを起こしたのは向こうです。切っ掛け程度なのだよ、私
は。
考えを聞かせろと言ったのは向こうなのだ、聞かれなきゃ答えて
ないやい。
﹁そりゃ、私は宮廷医師の弟子ですから﹂
そう言ってブレスレットを騎士達に見せる。
﹁いくら実力者の国だからと言って身分が全ての傲慢な連中は居る
んですよ? 自分だけでなく患者を守る術が無くちゃ困るじゃない
ですか﹂
暗に﹃国の事情もあるから詳しい事は聞かないでね!﹄と告げる
言い方に騎士達は流石に口を閉ざした。
何処の国にもある身分の壁です。言葉でのバトルや腹の探り合い
は社交界だけじゃないのだ。
﹁あ∼⋮⋮御嬢ちゃんの腕は俺が保証しよう。あいつが生きている
のも御嬢ちゃんのお陰だしな﹂
﹁一応、診断書として怪我の状態と行なった手当てを一通り書いて
おきます?﹂
﹁いや、あいつの服の破れ方を見る限り御嬢ちゃんの言っていると
おりだと思う。生きてりゃいいんだ﹂
そう言ってキースさんは疲れたように、けれど安堵を滲ませて﹁
ありがとな﹂と呟いた。
1278
その様子に騎士達も警戒を解いたのか顔を見合わせて視線を緩め
た。
﹁わかった、今回の事はそれで納得しよう。だがな﹂
そう言ってビルさんは掌でがしっ! と私の頭を掴み。
﹁お前、イルフェナに帰るって言ってたよな? 何でここに居るん
だ?﹂
﹁ゼブレストで御土産買ってからイルフェナに帰ったよ?﹂
﹁ミヅキ。イルフェナからだとカルロッサまでもっと時間がかかる
よね?﹂
アルフさんの言葉に何を言いたいか悟る。ああ、なるほど。時間
的にキヴェラからカルロッサ方面を目指したと思われてるのか。
ならば事実を言っておこう。どうせ問い合わせればバレるし。
﹁コネを駆使して転移法陣使ってショートカットしまくってみまし
た!﹂
﹁は?﹂
﹁最初はバラクシンの友人の所に行ったんですけどね、そこからア
ルベルダにも用があるって言ったら転移法陣使わせてくれたんです
よ﹂
﹁⋮⋮。お前、どういう身分なんだ? 転移法陣なんて簡単に使え
ないだろ?﹂
﹁はい、旅券。詳しくはイルフェナまでお問い合わせ宜しくー﹂
ビルさん達の疑問も当然ですね! それを踏まえて私の仮の立場
が近衛騎士団長夫妻の娘になっているのだろう。
近衛には貴族しかなれない。しかも団長を務める人物ならば当然
1279
王の信頼も厚い。
さすがに連続して転移法陣を使わせてもらえるとは予想していな
かっただろうが、少なくともイルフェナとアルベルダは誤魔化して
くれる筈だ。
問題は私があの二人の娘ってことですよ。誰が信じるんだ、そん
な事。
誤魔化せるかなぁと考えているとセシルとエマが生温い視線を向
けている。
どうした、二人とも。その視線は一体何さ?
﹁大丈夫ですわ、ミヅキ。お兄様だってあれほど似てらっしゃいま
せんし﹂
﹁私達も聞いた時は衝撃的だったぞ﹂
⋮⋮。
そっか、私以上にディルクさんという存在が居るか。
どうやら二人もイルフェナで衝撃の事実を聞いたらしい。狸あた
りは面白がって伝えそうだしな。
﹁いや、そこまでしなくていい。御嬢ちゃんが俺達を助けてくれた
のは事実だしな﹂
いきなりキースさんが待ったをかける。
﹁副隊長、いいんですか?﹂
﹁そのブレスレットは間違いなく本物だ。しかも問い合わせろとき
てる⋮⋮本当か嘘かの問題じゃないんだ、問い合わせればイルフェ
ナはそう答えるってことさ﹂
1280
﹁⋮⋮。事実かもしれないし﹃そういう設定﹄になっている可能性
がある、ということですか。イルフェナがそう言いきればそれが﹃
事実﹄だと﹂
﹁そのとおり。どちらにしろ御嬢ちゃんの言い分が正しいのさ﹂
キースさんは中々に頭脳派らしい。イルフェナが背後に居るなら
私の言い分を嘘扱い出来ないと理解していたのか。
実際、ブレスレットを所持している以上は﹃国の意思で動いてい
る﹄という可能性もあるのだ。下手に突付いて険悪な状態にするよ
りも﹃私の言っている事を事実として受け入れる﹄という方向を選
んだか。
﹁ええ、どちらにしろ私が正しい事になりますね。ビルさん達だっ
て傭兵と身分を偽っていましたから﹂
﹁そういうことだ。それに俺は御嬢ちゃんを敵に回したくないね﹂
﹁あら、どうしてですか?﹂
軽く首を傾げるとキースさんは深々と溜息を吐く。
﹁村人達の誘導は見事だった。事実を混ぜながら罪悪感を抱くよう
に仕向けたんだろ? 互いに謝罪し納得してしまえば今後煽る奴が
出ても簡単には乗って来ないだろうよ。⋮⋮アルフに聞いたが騎士
団が貴族に追及される可能性を潰したそうだな?﹂
アルフさんは私とセシル達の会話を聞いている。そのまま報告さ
れたのなら言い逃れはできまい。
私はキースさんの言葉に一層笑みを深める。
﹁私は基本的に騎士達⋮⋮特に民を守る騎士の味方ですよ﹂
﹁そりゃ、良かった﹂
1281
ええ、本当に良かったです。これで最低な騎士だったら誘導して
キヴェラの追っ手にぶつけてますね。
いまいち状況が判っていない騎士さん達は後でアルフさんから詳
しく聞いてくださいね? 部外者なので詳しく口にするわけにはい
かないのだよ⋮⋮私にも報告の義務があるのだから。
事実を報告しても個人的な言葉まで報告するわけじゃないしな。
魔王様なら意図した事を判ってくれるだろうけど。
﹁とりあえず私の目的はカルロッサを抜けてコルベラへ行くことで
すよ。薬草のお勉強です﹂
﹁薬草? ⋮⋮ああ、カルロッサの国境付近からコルベラは薬草の
産地か!﹂
﹁そうでーす! 港町だから入手できる薬草は乾燥した物が大半な
ので直接生えている物を見て来いという先生のお達しです。現地調
達なんて可能性も十分ありですから﹂
カルロッサの北からコルベラは山が多いだけあって薬草が多く取
れる。コルベラの貴重な収入源だそうな。
宮廷医師の弟子ならば従軍する可能性もあるので﹃薬草を学ぶ﹄
という十分な理由になるのだ。
﹁そういや、あいつもしっかり治療されてたな。確か増血作用の薬
草を飲ませたとか言ってたし﹂
﹁とっさの判断が明暗分けますからねぇ、学んだ事が活かせて良か
ったです﹂
脳筋美形への対処を知るキースさんは納得したとばかりに頷いて
いる。彼等も騎士なのだ、口だけではなく実行した事実があれば十
分納得できるのだろう。
1282
結論として私達は只の旅人扱いになりました。ついでに途中まで
送ってくれるってさ。
危険人物扱いじゃないぞ。⋮⋮多分。
※※※※※※※※※
で。
そんな話をした翌日、騎士さん達の大半は蜘蛛の解体と運搬にお
出かけです。
村に残っているのは警備の為に騎士数名、私達、宿には脳筋美形
がスリーピングビューティーと化している。
⋮⋮一日近く経っても起きないな、やっぱり無理をさせ過ぎたか。
蜘蛛の脅威も去り平和にお留守番をしていた私達なのですが。
平和を乱す不届き者が唐突に現れたのだった。
﹁我々はキヴェラより遣わされた騎士だ! 黒髪の娘が居るならば
抵抗せずに差し出せ!﹂
何処の悪役だよ、お前等⋮⋮と呆れの眼差しを向けたのは私だけ
ではない。
入り口付近に居た騎士を押しのけ、村にやってくるなり偉そうに
のたまわったのはキヴェラからの追っ手だった。
今時いるんだねー、こんな典型的な悪役。他所の国で威張るなよ。
でも﹃黒髪の娘﹄って言われたからウキウキと出て行っちゃいま
す。
1283
獲物再び! 寧ろ今から私の独・擅・場!
⋮⋮セシルとエマが心配そうな振りをしつつ私に付いて来ちゃい
ましたが。なお、二人の言い分は﹃いつも外野でつまらない﹄とい
うもので恐怖は欠片も無い。
まあ、色彩が変わってるし顔も正しく判別できない状態だしな。
的は私か。
﹁貴様だけか? 小娘﹂
﹁黒髪は私だけですね﹂
じろじろと私を眺めると、その騎士は口元を歪めた。他の騎士達
も下卑た笑みを浮かべている。
話を通していないらしく、カルロッサの騎士達は抗議しようとし
てくれているけど押さえ込まれて動けないみたい。人数の差と⋮⋮
身分的に強く出られないのか。
﹁我々が追っている犯罪者に似ているな。一緒に来てもらおうか﹂
へぇ? 焦るあまり黒髪なら誰彼構わずに⋮⋮とかいうわけじゃ
ないみたい。
こいつらの視線がセシルとエマにも向かっていることから﹃遊ぶ﹄
口実が欲しいだけか。セシル達もそれを察したのか表情を険しくさ
せ嫌悪の視線を向けている。
﹃本物﹄であればそのまま連れ帰り﹃偽物﹄であれば名を騙った
とか言い掛かりをつけて自分達が楽しむわけね。
貴族として何不自由なく暮らしてきた彼等にとって追っ手生活は
1284
中々に我慢を強いられるものだったらしい。そんな生活も限界、貴
族としての横暴な部分が表面化してきたと言った所か。
い い よ ? 楽 し く 遊 び ま しょ ?
寧ろ感謝していますとも、口実を作ってくれたのだから。
でもいきなり攻撃はいけませんね。とりあえず良い子を演じて煽
りましょうか。
﹁あら、旅券はちゃんとありますけど? その罪状と詳しい特徴を
教えてくださいな﹂
﹁ふん、悪足掻きは後にしろ﹂
﹁⋮⋮おかしいですね? カルロッサの騎士を差し置いて確認もせ
ずに捕縛するなんて﹂
心配そうな顔をしているカルロッサの騎士に﹃大丈夫!﹄と微笑
み、一度言葉を切ってわざとらしく思案顔になる。
﹁まさか、女を調達したいだけなのかしら? 貴方達が本物の騎士
ならば犯罪者の追跡も国の許可を得ている筈。それが無いのならば
騎士の名を騙るならず者﹂
﹁貴様っ! 我らを愚弄するか!﹂
恐怖も無く事実を語る私に一人の男が激昂し剣を突きつけようと
する。
いや、お前これ事実だからな? 王命を受けた騎士でも他国で好
き勝手できないの、国の恥になるからやっちゃ駄目なの、常識でし
ょ?
馬鹿なのかと呟き、可哀相なものを見る目で見ていたら男達は更
に怒りを募らせたようだった。
1285
ただし何人かは優位な立場を自覚してか相変らず下卑た笑みを浮
かべているが。セシルとエマが穢れるから止めてくんね?
﹁愚弄しているのは貴方達でしょう? 騎士だと言うならば国の恥
となるような行動をしないでください。私は当たり前の事を言って
いるだけです。で、私が犯罪者だという証拠は? 貴方達の身分証
明は? カルロッサでの捕縛許可証は?﹂
﹁どれも無いんじゃないか? ミヅキ﹂
﹁ですわねぇ。どう見ても女性を拉致するならず者ですもの﹂
﹁モテそうに無いものね⋮⋮任務を口実に女性を好き勝手しようと
するなんて﹂
クズねー、と呟くと二人も賛同し頷いた。
セシルとエマも嬉々として挑発に加わってくる。エマから特に怒
りを感じるってことはセシルを侮辱した連中か何かなのだろう。こ
れは気合を入れて辱めねばなるまい。
﹁貴様等っ﹂
﹁まあ、待て。⋮⋮泣いて許しを請わせてやろうか? その二人も
中々の美人だしな﹂
﹁はは、上に乗って欲しいものだな! 気の強そうな女を泣かせる
のは楽しそうだ﹂
﹁おいっ! 勝手な真似は⋮⋮っ﹂
﹁黙れ。たかが民間人の為にこの国がキヴェラに刃向かうというの
か? ⋮⋮無理だよなぁ?﹂
目的を隠そうともしない連中の発言にカルロッサの騎士さん達は
顔色を変えて抗議しているが更に強く押さえ込まれ身動きが取れな
いようだ。
奴等の言葉から察するにカルロッサが泣き寝入りするしかないと
1286
いうのも事実なのだろう。どれほど理不尽だろうと国全体を危険に
晒すわけにはいかないのだ。
特にこいつらの実家はこの国に影響力を持っているとかそんな事
情もありそうだね。それが馬鹿息子達の横暴さに繋がっていると見
た。
村人達は嫌悪を浮かべながらも徐々に距離をとっていく。隙を見
て騎士達に知らせに走るつもりだろう。
⋮⋮キヴェラ上層部は意図的に反省させなかったっぽいな。若し
くは現状把握を自分でさせる事も処罰の一環か。
でなければここまで横暴に振舞える筈は無い。彼等は﹃罪人﹄な
のだから。
さて、そろそろ爆弾を投下しましょうか。これを見ても同じ態度
が取れるかなぁ? 私は軽く袖を捲りブレスレットをしっかりと奴等の目に晒した。
そして出来るだけ優雅に一礼する。
その姿に奴等が息を飲んだ気配がした。庶民がそんな事を出切る
筈がないのです、魔王様仕込みの礼儀作法は色んな所でお役立ち。
﹁イルフェナの宮廷医師ゴードン様に師事している魔術師、ミヅキ
と申します。師に命ぜられた旅ゆえ報告の義務がござますので、貴
方達の言動は全てイルフェナに報告させていただきます﹂
御覚悟を、と笑って付け加えると奴等も自分達の仕出かした事が
予想外の外交問題に発展すると気付いたらしい。しかもその相手は
カルロッサではなくイルフェナ。
カルロッサならば横暴な態度が可能でもイルフェナまで敵にする
のは拙いだろう。報復と称し必要以上に痛い目に遭わせる国なのだ
よ、イルフェナは。
1287
だから旅券見ろって言ったのに。お馬鹿さんだな!
私は一言も﹃民間人﹄とか﹃カルロッサの民﹄とは言っていない
のだから完全に奴等の落ち度だ。カルロッサ一国ならばキヴェラに
逆らえないのだろうが、イルフェナが味方するなら別だろう。
顔色を変え騎士達はリーダー格の男を伺う。そしてそいつは⋮⋮
更に凶悪な笑みを顔に浮かべていた。
﹁それがどうした? 報告をさせなければいいだけだ﹂
﹁へぇ、そう言う事を言いますか。貴方は権力で様々な事を揉み消
してきたんでしょうね? 証拠を残さないように﹂
﹁さあ、どうかな?﹂
得意げな表情はそれが事実だと言っているようなものだ。
ふうん? こいつは典型的な馬鹿息子か。おそらくキヴェラでも
権力を盾に好き勝手し、自分も騎士として暴力を振るって来たのだ
ろう。
王太子の親衛隊になれるような家だから潰せなかった、というこ
とじゃなかろうか。そもそも騎士って家を継がない奴がなるしね、
あの王太子の親衛隊なら残っているのは大半が同類だろう。
だからキヴェラ上層部も﹃要らない﹄と判断したんじゃないか?
こいつらを他国に放り出せば問題を起こすと﹃判っていた﹄から。
処罰する為に意図的に﹃罪人だと自覚させていない﹄。
他国に抗議されれば遠慮なく家ごと潰せるものね? やり手だな、
上層部。
1288
どうやら我関せず思考の比較的まともな奴がアルベルダには来て
いたらしい。グレン達が警戒してたのはこういう連中かい。そりゃ、
鬱陶しいよな。
でも私は敢えて彼等に感謝したいと思います。
ありがとう! これでカルロッサが味方してくれる可能性が高ま
った。
キヴェラ上層部がゴミ掃除に他国を利用するなら私は貴方達の策
こそを利用しよう。
﹁⋮⋮? 何故お前はそんなに楽しそうなんだ?﹂
私の表情に気付いた一人が怪訝そうに声を掛ける。やべ、楽しみ
過ぎて顔に出た。
まあ、良いか。それじゃそろそろ痛い目見てもらいましょうか!
﹁煩いのよ、発情期の雄が!﹂
﹁な!?﹂
腰に手を当て、いきなり見下した態度を取り始めた私に唖然とす
る奴等。それに構わず言葉を続ける。
﹁聞こえなかったの、お坊ちゃん? 実家の権力に縋って好き勝手
してきた典型的な馬鹿息子。そんなだから個人として女にモテない
のよ、男の底辺がっ!﹂
﹁な、な、な⋮⋮﹂
﹁だいたいねぇ、家柄が良いくせにモテないなんて本人に家柄でさ
えカバーできない致命的な欠陥があると言っているようなものなの
よ!? 頭も性格も悪い欠陥品の分際で国に迷惑かけるな、最低男﹂
1289
あまりな言葉にカルロッサの騎士達と村人達が唖然としてるけど
気にしない!
言われた本人達は怒りの為か顔色が大変面白い事になっているけ
ど私は笑顔だ。
悔しいかね、雑魚どもよ。私は楽しくて仕方が無い。
﹁貴様とて大した事はないだろうがっ﹂
﹁私は実力をあの国で認められてるけど? 国に恥をかかせたりも
しないわよ﹂
﹁女としては問題だろう!﹂
﹁別に? 婚約者居るし﹂
婚約者居る発言に奴等は衝撃を受けたようだった。一斉に言葉が
止まる。
⋮⋮あれ? もしや君達は居ないのか? ﹁余り者?⋮⋮いや、残り者かな﹂
﹁誰が残り者かっ!﹂
﹁あんた達。キヴェラの上層部だって馬鹿じゃないもの、家柄だけ
の無能とは婚姻関係結びたくないでしょ﹂
格下ならば希望者は居るのだろうが、妙に高いプライドから一定
以上の地位でなければ受け入れないだろう。まともな家がこいつら
と繋がりを欲するとは思えんしな。
そうか、そうか。負け犬として蔑んであげようじゃないか。
心の傷も抉る勢いで広げようね。どうせこの先なんて無いんだし。
︵私にとって︶楽しい思い出になるぞぅ、思い出して︵笑い過ぎ
の︶涙を流すくらいにな!
1290
それでなくとも既に会話が子供の喧嘩レベル。性犯罪者予備軍の
戯言よりはマシ程度。
周囲の微妙な視線に気付けよ、一応騎士だろ。
﹁そうそう、さっきの貴方達の言い分。﹃報告をさせなければいい﹄
ってのは私達も同じことだから﹂
にやりと笑い一歩前に出る。奴等は怪訝そうな顔になるもその余
裕は未だ失われてはいない。
﹁⋮⋮知ってる? 今この村近辺で巨大な上に人を食らう森護りが
出てるの。その討伐の為に騎士が派遣されてるって﹂
更に一歩近づく。奴等は何かを察したのか、やや困惑の混じった
視線を私に向け始めた。
この時点で対象への認識は完了。エマとセシルは何となく状況を
察し少々私から距離を取った。
﹁牙も足も普通の剣じゃ通らないくらい硬くてね? ⋮⋮食い千切
られた﹃残骸﹄だけが被害者達が存在していた証と言われても納得
できる状況なのよ。実際に騎士団が派遣されているから偽りとは思
われないし﹂
徐々に近づいて来る私に向けて奴等は警戒も露に剣を抜く。漸く
攻撃態勢に入ったらしい。
遅いね、イルフェナだったら今頃囲まれるか首に剣を突きつけら
れている頃だろう。
﹁それが、どうした﹂
﹁ふふ。例えば⋮⋮例えばの話ね? 身動きが取れないように捕縛
1291
して見付かった巣に放置して巣穴を塞いだら⋮⋮どうなるかな?﹂
きっと数日後には﹃何か﹄の残骸がちょっと残るだけね! と楽
しげに笑いながら言うと奴等は盛大に顔を引き攣らせ、続いて私へ
と殺気を向けた。
えげつない? やだなー、こいつらのレベルに合わせただけです
よ?
奴等は漸く﹃イルフェナの魔術師﹄が弱者ではないと悟ったらし
い。
実力者の国に属する以上は見た目で判断などしてはならないのだ、
外見すら利用して近づき隙を狙って喉笛を噛み千切るのだから。
少なくとも私や黒騎士は﹃魔術師は接近戦ができない﹄という常
識すら通用しない。
そんな人間が惨酷さを持ち合わせていない、なんてことはありえ
ないでしょ?
﹁く⋮⋮化物がっ!﹂
﹁褒め言葉ね﹂
﹁魔術師を狙え! あの女さえ何とかすればどうにでも⋮⋮っ!?﹂
その言葉が終るより早く衝撃波が奴等の喉・腕・股間を正確に捉
える。勿論、無詠唱を誤魔化す為に適当な魔方陣をエフェクトとし
て浮かび上がらせて。
奴等が痛みに絶句し転がった後は氷結を発動させ体を徐々に凍り
つかせてゆく。
ポイントは無言で行なう事です。何を考えているか判らなくて怖
1292
いから。
得体の知れないものへの恐怖が効果的だということは貴方達の御
仲間で実証済み。
そもそも叫んだ後に行動するなんて﹃お約束﹄な行動とるなよ、
気付かれるだろ?
会話で注意を引き付け、その隙に攻撃の手筈を整えるなんて古典
的な方法に引っ掛かるとは何て単純な⋮⋮絶対こいつら交渉ごとに
向いてねぇ。
﹁あら、あっさり終ってしまいましたわね﹂
﹁え、だって弱いもの。馬鹿だし﹂
﹁ミヅキ相手とはいえ、警戒する要素は幾らでもあったと思うが﹂
﹁権力にしろ暴力にしろ力押しで碌に頭を使ってこなかったんじゃ
ない?﹂
なお、彼等は未だに言葉も無く痛みに呻いている。アルベルダみ
たいに大掛かりな仕掛けとか作れないし、カルロッサ騎士の目があ
るから派手な事は出来ないのが残念だ。
⋮⋮その騎士達も今は奴等に憐れみの篭った目を向けてるんだけ
どさ。ええ、女の私には理解できない痛みですからね。手加減なん
てしちゃいませんとも。
﹁さあて、キヴェラの騎士様方?﹂
がつ、とリーダー格の男の顔を足で踏み付けにっこり笑い。
﹁私と遊んでくれるんですよね?﹂
その顔が恐怖に引き攣るのを眺め更に足に力を込めたのだった。
1293
紅の英雄に鬼畜呼ばわりされる私に慈悲なんて求めてないよねぇ?
※※※※※※※※※
︵キース視点︶
﹁⋮⋮。何だ、あれは﹂
蜘蛛の解体と運搬の為に部下達を引き連れて行った時は普通の村
だった筈である。
何故こうなった。いや、奴等は一体何をした。
﹁キヴェラの騎士達が彼女達に言い掛かりをつけて乱暴しようとし
たのです。情けないことに我々も押さえ込まれてしまって﹂
﹁で、それでどうして﹃あんな状態になる﹄んだ?﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
部下の口から聞かされた内容は十分怒りを誘うものだ。いくら大
国だろうとカルロッサは属国ではないのだ、そんな暴挙が許される
筈はない。
が。
現状は誰がどう見てもイルフェナ三人娘が連中を拷問紛いの目に
遭わせている。
何故こうなった。いや、それ以前にこの状態おかしくないか!?
奴等の代表格らしい二人は地面に跪き手をついて其々その背にセ
シルとエマが腰掛けている。
人間椅子といえば良いだろうか。特殊な趣味を持つ奴ならば美女
に乗られるのは嬉しいのかもしれないが。
1294
その他の連中はもっと奇妙だ。手足を縛られ角を上にした幾つも
の木材の上に膝を曲げて座らされ、その太ももには大きめの石が置
かれている。
もう一度言おう、何故こうなった。
﹁ミヅキを呼べ﹂
発案は間違いなくあの娘だ。ビル達が言っていた﹃問題児﹄とは
こういう意味なのか!
そのビル達はこの光景を見るなり﹃何やってんだぁ、あの問題児
はっ!﹄と叫び頭を抱えているのだが。
彼女達が無事なのは喜ばしいことなのに頭痛を覚えるのは何故だ
ろう⋮⋮。
﹁お帰り、キースさん﹂
宿で何かをしていたらしいミヅキが俺を見つけて声を掛けてくる。
その表情には陰りどころか怒りさえも浮かんでいない。あるのは無
邪気さだろうか⋮⋮そう、子供が楽しい遊びを見つけたような。
﹁説明を求む。こうなった理由じゃなく、こいつらの状況について
だ﹂
深々と溜息を吐き先を促すと嬉々として話し出す。
﹁私達に﹃乗って欲しい﹄って言った奴等は人間椅子に、その他は
村人達の安全を考えて拘束して簡単に逃げられないようにしていま
す﹂
﹁⋮⋮あれは普通の拘束じゃないだろう?﹂
﹁ある国に伝わる﹃そろばん﹄って言う拷問方法の応用ですよ。本
1295
当は体が角材に食い込むほど石が乗せられます﹂
﹁あ∼⋮⋮何でそんな真似を?﹂
﹁あの状態だと立ち上がってもすぐに動けません。逃亡防止を兼ね
てます﹂
一応意味はあったらしい。村人達の事も考えてくれたと感心すべ
きだろうか。
だが、感謝の言葉は続いた台詞に行き場を失う事になる。
﹁口で言っても理解できない、いい歳して国の法さえ守れない馬鹿
どもには躾も教育も調教も同じですよね﹂
⋮⋮。
⋮⋮何、そのぶっ飛んだ発想。つか、最後は絶対に同じじゃねぇ
っ!
﹁待て。少し落ち着こう、な?﹂
﹁え、落ち着いてますよ? やっぱり発情期の雄は去勢すべきでし
たかね?﹂
何の躊躇いも無いその言葉にキヴェラの連中は一斉に硬直し、怯
えた目でミヅキを見つめ。
俺にも﹃賢さの方向が間違っている﹄という意味が理解できてし
まった。
﹁無駄に医療の知識を発揮するなっ! 頼むから女がそう言う事を
軽々しく口にしないでくれ!﹂
﹁死にませんよ? ある国では宦官というものもありまして⋮⋮﹂
﹁いい! 説明しなくていいから、その発想から離れろ!﹂
1296
思わずミヅキの顔をガン見したのは話を聞いていたほぼ全員だ。
中にはかぱっと口を開けて唖然としている者まで居る。そうだな、
それが正常な反応だ。おかしいのはイルフェナ三人娘だけだな。
﹁そうですか? とりあえず彼等は体で判らせる方法を取っている
のであの状態です。既にイルフェナへの報告は終わりましたからカ
ルロッサも便乗して抗議した方がいいと思いますよ﹂
そう言うとセシルとエマを振り返る。エマは微笑み、セシルは両
手を広げてミヅキの行動を促し、それに応えてミヅキはセシルの膝
に横座りする。
小柄な体を支える男装の麗人と大きな瞳の美少女、ただし座るも
のは人間椅子。二人の行動が何とも残念な光景だ。
﹁重かったら退くよ?﹂
﹁いや、軽いぞ?﹂
﹁ふふ⋮⋮セシルならば鍛えていますから大丈夫ですわ。それに女
性に対し重いなんて禁句ですわよ﹂
セシルにとっては軽くとも二人分の体重を掛けられた椅子︱︱多
分、傷めつけられたと推測︱︱には少々負担だったらしく、ほんの
少し揺れた直後。
ガツ、とミヅキの足が椅子の頭を蹴りつけ、セシルは体勢が不安
定になったミヅキを当たり前の様に支えた。その顔に浮かぶのは何
処か獰猛な獣を思わせる冷たさ。
﹁椅子が動くな﹂
﹁あらあら、躾が足りなかったのかしら﹂
1297
椅子の役さえ満足にこなせないのに騎士を名乗るなど恥ずかしく
はありませんの? と付け加えるエマの表情もまた優しげな笑みの
中に冷たさが漂っている。
﹁本当に無能な方達﹂
﹁言っておくが我々はミヅキに劣るぞ? ミヅキは国に属する者の
証であるブレスレットを持つ事を﹃許されて﹄いるからな﹂
実力者の国。その言葉は極一部のみに当て嵌まるものだと思って
いた。けれどそれは間違いだったのだ。
見習いだろうと国に認められている以上は﹃その程度できなけれ
ばならない﹄のだろう。
﹁さて、自称キヴェラの騎士様方?﹂
ミヅキの声が何処か優しく、そして楽しげに響く。
﹁もしも貴方達が言ったように﹃国の命令﹄でなかったら⋮⋮キヴ
ェラからも国の恥として処罰されることを理解していますよね?﹂
﹁我々は⋮⋮王命、で﹂
﹁ええ、それが偽りだった場合は一族郎党処刑されても文句言えま
せんから﹂
﹁いくら王命だろうとも、これほど他国に恥を晒しては実家が庇い
きれないと思うがな﹂
﹁王太子妃様も逃亡されたとの事ですし、今は少しでも不安要素を
消したいとお考えなのではないですか?﹂
﹁ああ、捨て駒ね。任務に失敗すれば処罰できるもの﹂
﹁﹃バレなければいい﹄と思っていたようだが、キヴェラはそこま
で甘くないと思うぞ?﹂
1298
貴方達の行動は国に対する裏切りだものね! とばかりに続く言
葉責めに奴等の顔色も悪くなっていく。
甘やかされた貴族子息の典型のような奴等にとってイルフェナ三
人娘は最悪の敵だったらしい。
﹃何をしても許されるお貴族様﹄という思い上がった輩はどんな
国にも必ず居るだろうが、イルフェナだけは例外だ。あそこは上層
部にそんな馬鹿はいない。⋮⋮いや、存在を認められはしない。
ミヅキの報告を受け取った上層部は嬉々として外交に活かしてく
るだろう。
﹁あ、言い忘れてた!﹂
不意にぱちん! とミヅキは手を叩き。
﹁私の師匠はゴードン先生だけど、一番上の責任者⋮⋮というか上
司はエルシュオン殿下だから!﹂
⋮⋮笑顔で最凶とも言える事実を暴露したのだった。
エルシュオン殿下。類い稀な美貌を持つ、敗北知らずのイルフェ
ナの魔王。
﹁問題児⋮⋮お前、魔王殿下の配下だったのか﹂
﹁まだ見習いでーす! 目指せ、闘って交渉できる万能型の医師!﹂
それは既に医師じゃねぇよ、と突っ込んだのは俺だけじゃなかっ
たと思う。
どうやら俺達は随分とでかい幸運を拾っていたらしい。⋮⋮精神
的な疲労はありそうだがな。
1299
魔王の子猫は仲間と遊ぶ︵後書き︶
未だに﹃お貴族様﹄な彼等は他国の民間人の扱い酷し。彼等は騎士
というより貴族なので﹃権力を盾に好き勝手する権力者﹄。
カルロッサのみならば彼等の思い通りになってました。⋮⋮狙いを
つけた相手が悪かったのです。
1300
互いに利用し利用され︵前書き︶
騒動その後とキヴェラの対応。
1301
互いに利用し利用され
キヴェラの連中がマジ泣きしたところで一応この騒動は終了と言
うことになった。
ちなみに肉体的にというより精神的疲労による部分が大きい。暴
力によって傷めつけるなら暴行をキヴェラ側に追及されるかもしれ
ないが言葉なら問題無し。
いい歳した大人が﹃悪口言われました! 脅かされました!﹄と
言った所で説得力は無い。寧ろ冷たい目で見られて終わりだろう。
勿論、私達で精神をガリガリ削った所為なのだが言われて当然の
事をしているのはこいつらだ。
カルロッサの騎士達が何だか涙目だったのは気の所為ですよね、
気の所為。
﹁御嬢ちゃん⋮⋮イルフェナには手加減という言葉が無いのか?﹂
物凄く疲れた表情のキースさんの発言に私達は顔を見合わせ首を
傾げる。
﹁え、手加減してるじゃないですか﹂
﹁え゛﹂
﹁これがイルフェナだったら治癒魔法をかけつつ生かさず殺さずの
絶妙な暴力が振るわれて気力・体力共に消耗してますって﹂
﹁怪我は大した事ありませんしねぇ﹂
﹁⋮⋮? この程度で何か問題があるのか?﹂
事実を暴露する私に不思議そうなエマとセシル。そうか、コルベ
1302
ラも似たり寄ったりなのか。
そういえば食料不足の小国ながらもちゃんと国として残っている
ものね。厳しい環境だからこそ結束は固く、敵に容赦が無いのかも
しれない。それくらいじゃなければ守れないだろうし。
﹁⋮⋮手加減してたのか?﹂
﹁うん。この後の使い道を考えたら精神状態まともなままにしとか
なきゃ!﹂
精神錯乱してたから責任能力無し、なんて言い出されちゃうじゃ
ないですか! と笑顔で語ったら沈黙された。
はっは、重要な事じゃないか。言い逃れできんよう逃げ道は塞が
ないと!
キースさんは諦めたように溜息を吐くと気を失わせたキヴェラの
連中を納屋に押し込めるよう指示した。一々煩いし抵抗される事を
考慮してのことだろうが、問答無用に気絶させるあたりカルロッサ
の騎士達もお怒りなようです。
加えて奴等の言動から宿屋で一般人と一緒にしておくのは危険だ
と判断したらしい。
賢明ですね、発情期の雄どもは無駄に体力あるから暴れるかもし
れないし。
⋮⋮あ。良い事思いついた。
﹁キースさん、キースさん﹂
﹁ん? どうかしたのか?﹂
ちょいちょい、と服の裾を引っ張ると騎士達に指示しながらも話
だけは聞いてくれる。
1303
﹁あの連中、蜘蛛の一部と同じ場所に入れましょうよ﹂
﹁は?﹂
思わずこちらを振り返り怪訝そうな顔をするキースさんに素敵な
提案を試みる。
﹁蜘蛛の事は一応話してありますし、実物と御対面ってのは素敵な
思い出になると思います﹂
﹁⋮⋮。お前、食わせる云々って連中を脅してなかったか?﹂
﹁⋮⋮冗談に決まってるじゃないですか﹂
﹁おい、その間は何だ? 視線を逸らすな、舌打ちするな!﹂
キースさんは私の遊び心を察したらしく突っ込む。
脳筋美形の御世話係ゆえに細かい事に煩いのだろうか。お説教モ
ード発動のようです。何だよ、いいじゃないか。
その時、エマとセシルから援護射撃が入った。
﹁良い考えだと思いますわ。村には女性や子供達もおりますし、見
張りの騎士様達も人数を余計に割く手間が省けますわ﹂
﹁そうだな。そもそも持ち帰った蜘蛛は頭と足だけで既に死んでい
るのだろう? 危険は無いと思う﹂
実際、エマの言うとおりなのだ。蜘蛛が死んでいると言っても放
置はできないし、村の見張りもまだ減らす訳には行かない。暫くは
警戒体勢をとってこれ以上巨大蜘蛛が居ないかの様子見となるだろ
う。
キヴェラの連中が思いっきり予想外の敵なのだ、早い話が邪魔者
である。
﹃馬鹿野郎、手間とらせんなぁっ!﹄というのが騎士達の本音で
あることは間違い無い。
1304
﹁確かに⋮⋮それはそうなんだがな﹂
未だ迷っているのかキースさんははっきり頷いてくれない。まあ、
一応巨大蜘蛛は危険生物扱いだったしね。
キヴェラの騎士達も危険といえば危険なのでしっかり確保してお
きたいという気持ちも理解できる。何せ脳筋美形が未だ爆睡中だ、
最終兵器が無いに等しい。
実のところキヴェラの連中が逃げ出したら﹃狩りの時間だ!﹄と
ばかりに皆で楽しもうと密かに思っているので全然問題は無いのだ
が。
言ったら言ったで説教されそうですな、頭の固い人達に。遊び心
が判らん奴め。
まあ、とりあえずは平和的に拘束&監禁だな。大丈夫、協力者達
は私達の周りで話を聞いていたから。
﹁村人の皆さーん! 聞いていたとおりです、御協力御願いします
!﹂
﹁おう、任しとけ!﹂
﹁騎士様達に負担は掛けられねぇよなぁ﹂
﹁俺は娘が居るし嬢ちゃん達の意見に賛成だ﹂
﹁よし、さっさと放り込もうぜ!﹂
村人達は元気良く頷き合うとさっさと作業を開始する。村人さん
達、大変頼もしゅうございます。
ってゆーかね、彼等はキヴェラの騎士連中の脅しをしっかり聞い
ているのだ。その目的も含めて。
カルロッサの騎士でさえ押さえ込んで好き勝手しようとする奴等
1305
を警戒するのは当然なのです。
ついでに言うと彼等はこの村に住んでいるから森護りは共存種。
実物の脅威を知らなければ﹃死んだ蜘蛛ごときに騎士が怯えんじゃ
ねぇっ!﹄という心境なのだ。
シェラさんだって女性なのに﹃森護り程度で騒ぐな﹄ってキース
さんに言ってたしね。貴族とは認識が違うのですよ。
なお、そのシェラさんは城に連絡を入れに行く騎士と共に近くの
町まで行っている。
﹃放っておいて悪いね﹄と言いながらも怒りを滲ませた笑顔で出
発していきました⋮⋮アルベルダにチクるつもりだな、絶対。王様
きっと喜ぶぞ。
﹁ちょ、待て! 勝手な真似っ﹂
﹁ここは村人達の好意に甘えましょうって! 大丈夫、逃げないよ
う私も全力で協力するから!﹂
﹁それが一番凶悪だろうがっ!﹂
慌てて止めようとするキースさんには背後からしがみ付いて拘束。
酷いなー、傷ついちゃうぞー、年頃の乙女なのにー⋮⋮と棒読み
しつつもキースさんを押さえ込んでいたらエマとセシルが手伝って
くれた。
その光景と村人達の輝かんばかりの笑顔︱︱好き勝手された報復
も兼ねている︱︱に他の騎士達も顔を見合わせ村人達に手を貸し出
す。
ほらほら、キースさん。皆さんも納得してらっしゃるみたいです
よ? 多数決で私達が正しい。
細かい事は気にしない方向でいきましょうよ。何かあっても﹃証
拠隠滅﹄という素晴らしい言葉があるじゃないですか。
⋮⋮という事を押さえながら言ったら唖然とされた挙句﹃イルフ
ェナの女ってこんなのばかりかよ﹄と呟き頭を抱えられた。
1306
キースさん。
真に申し訳ないのですが、私達は誰もイルフェナ産じゃございま
せん。いや、イルフェナは多分似たような感じだろうけどさ。
コルベラも同じみたいですよ? しかもセシルは姫でエマがその
侍女ってことは貴族令嬢だ。
⋮⋮隣国だし婚姻も多いだろうから言わない方がいい?
その後。
キヴェラの騎士達は目覚めるなり
﹃う⋮⋮うわわあぁぁぁぁっっ!﹄
という叫び声を盛大に上げ。
その声を聞いた人々に﹃やっぱり貴族のお坊ちゃんなんだな﹄と
苦笑される事になる。
﹁あんな歳でもやっぱり男の子なのねっ! あんなにはしゃいで﹂
﹁童心に返っているのかもしれませんわね。幼い頃は貴族でも庭を
駆け回ったりいたしますし﹂
﹁私もよく兄達と遊んだな。ああいった遊びの中で学ぶことも多い﹂
⋮⋮などと平和に話していた私達の会話を聞きつけたビルさんは
物凄い勢いで振り返り、私に疑いの目を向ける。
何故だ。何その反応は。
1307
﹁問題児っ! お前、今度は何やらかした!?﹂
﹁え、酷い。今の会話の何処に問題が?﹂
﹁お前、さっき一人で納屋の様子を見に行ったよな? 騒動の中心
はいつもお前だろ!?﹂
ちっ、バレてる。
僅かに逸らした視線を肯定と取ったビルさんは私の肩をがしっ!
と掴み凄みのある笑顔を向けた。
﹁さあ、お兄さんに正直に答えろ。洗い浚い吐け﹂
﹁ビル、尋問じゃないんだから﹂
﹁騎士が簡単にあんな叫び声を上げるか!﹂
ビルさんの言い分、御尤も。自分も騎士だからそういう発想に行
き着くのか。村人達は蜘蛛に驚いたのかと笑い合っているがビルさ
ん達はそれだけが原因だとは思わなかったらしい。
そんな私達の様子にキースさんが片手で額を押さえながら近づい
て来る。
﹁御嬢ちゃん⋮⋮さ、正直に言え。怒らないから﹂
﹁怒られるような事をしてませんって﹂
﹁訂正しよう。さっき納屋で何をやらかした?﹂
頭痛を覚えつつも諦めというスキルを身に付けたようです、キー
スさん。さすが脳筋美形の世話人だけあって順応が早い。
﹁あいつらが納屋の床に簀巻きにされて転がされてたんで蜘蛛の顔
と向かい合わせになるようにしただけですよ。目が覚めると目の前
に巨大蜘蛛の牙とか目があります﹂
﹁ああ、それであの叫び声か﹂
1308
逃げようと動いた拍子に蜘蛛の近くに転がる事もあるのだ。私が
やらなくてもそうなった可能性はある。
それに直接危害を加えたとかじゃないわけで。
﹁迫力ある光景ですよね。普通ならば食われる直前くらいじゃない
ですか、あの位置から目にするのは﹂
キヴェラ騎士達の叫び声に納得しつつも微妙な表情のキースさん
にそう続けると、背後でビルさんとアルフさんがひそひそと会話す
る。
﹁酷ぇ。マジで酷くないか。そりゃ、叫ぶわ﹂
﹁ビル、ミヅキは一応被害者なんだから﹂
﹁それだけで済むのかよ、被害者なのに﹂
﹁⋮⋮あ﹂
ビルさんの発言に二人揃って私に向き直り。キースさんは再び私
をガン見する。
そのまま固まったキースさんを押しのけアルフさんとビルさんは
私に詰め寄った。
﹁で、他には? 何をやったのかな? ミヅキ?﹂
﹁問題児、隠すと為にならないぞ?﹂
﹁えっとー、おちゃめな悪戯として蜘蛛の牙に水垂らして来ました。
傍には﹃牙からの毒に注意するように﹄って張り紙して﹂
﹁悪質過ぎるだろうが、それはっ!﹂
﹁実害の無い恐怖演出じゃないですか。ついでに小さく﹃毒で融け
ました﹄的な跡を製作してより一層のリアルさを演出してあります
!﹂
1309
細かい所も頑張った! とばかりに胸を張る私に二人は絶句し、
キースさんは遠い目になった。
対してエマとセシルは﹁相変らず悪戯っ子なんですから﹂﹁手が
込んでいるな﹂と楽しげにしている。今までを知る二人にとっては
手の込んだ悪戯程度の認識らしい。これはもう感覚の違いだな。
しかし、カルロッサの騎士達はそうは思わなかったらしく。
﹁ミヅキ⋮⋮それは叫び声を上げて当然だよ﹂
﹁身動き取れない奴からすれば怖過ぎるだろう!?﹂
ぺしっ! とビルさんが私の頭を叩き、アルフさんは納屋に様子
を見に走り。
キースさんは⋮⋮
﹁御嬢ちゃん⋮⋮優秀なのは判ったから知恵の使い方と方向性を見
直そうか﹂
と何故か真剣な顔で言い聞かせようとしてきた。﹃保護者根性で
しょうか﹄とはエマ談。
年頃の娘さんが居るという納屋の持ち主さんも大変乗り気で悪戯
の許可をくれたんだけどなぁ? ﹁いいか、まず自分を基準にしちゃいけない。か弱い女子供にする
ようにだな﹂
﹁奴等は男で騎士なので問題ないですね﹂
﹁いや、それは﹂
﹁軟弱で頭が弱くて自分を守る力も無いのに騎士を名乗るクズとい
うならば考慮します﹂
﹁⋮⋮﹂
1310
黙った。さすがに﹁そのとおり、それでいいんだ﹂とは言えませ
んな。
キースさん、私は凶暴さを絶賛されてる異世界人です。お説教は
親猫だけで十分です。
※※※※※※※※※
そんな騒動があった数日後。
何故か村には城から派遣された宰相補佐様とイルフェナの騎士達
の姿があった。
﹁何故いきなり宰相補佐官が?﹂
﹁御嬢ちゃん提供の記憶を込めた魔道具を送ったらこうなった。奴
等の言動はさすがに許し難かったらしい﹂
キースさんの口調も何処と無く刺々しい。まあ、そりゃそうか。
奴等、カルロッサを属国紛いの扱いしてたもの。
いくら影響力のある家が関わっていようとも連中は所詮騎士。国
が抗議しなければなるまい。
宰相補佐になれるってことは補佐官様はそれなりの家出身なのだ
ろう。外交問題なのだ、対抗手段としてわざわざ送り込まれたと見
た。 ﹁アンタがイルフェナの魔術師? ふうん、盛大にやらかした割に
見た目は普通の小娘なのね﹂
栗色の長髪はさらりと靡き、細くて長い指には綺麗に整えられた
爪。お肌もしっかりお手入れされている美人さんです。
1311
ええ、細身で長身の美人さんなのですが。
﹁えーと⋮⋮すみません、性別はどちらで?﹂
﹁あら、素直じゃない。普通は面と向かって聞かないわよ、小娘﹂
﹁間違えた方が余程失礼です。自分より遥かに美人な男を複数知っ
ているので﹂
﹁⋮⋮性別も心も男よ。私は自分を磨く事にも全力なの。第一こち
らの方が自然でしょ?﹂
﹁物凄く納得できる御答えありがとうございます﹂
知的なインテリ美人は自分に合った美しさを追及した姿でしたか。
いや、確かにこの人の場合はこっちの方が似合う。
失礼な質問をした私に対して怒っていないところを見ると﹃相手
を油断させる方法の一つ﹄なのだろう。見下している相手ならば当
然隙も多い。マイナス要素になりがちの外見を特化させて武器の一
つに変えた成功例か。
⋮⋮奥方獲得は難しそうですな。理解者じゃない限りまず無理だ
ろう。
﹁何か失礼な事考えてない?﹂
﹁イイエ、何モ﹂
勘の鋭さも素晴らしいですね! 聞いた所によると三十代で次の
宰相確実な補佐官なんだそうな、頭脳も文句無しに優秀なのだろう。
アルベルダやコルベラは苦労しそうだなぁ⋮⋮おそらく外交強い
ぞ、この人。
﹁災難でしたね、ミヅキ﹂
聞き覚えのある穏やかな声が背後から聞こえる。ええ、私が驚い
1312
たのはこちらです。
振り返ると眼鏡を掛けた穏やかそうな美青年、その身に纏う制服
は近衛騎士のもの。
何故、貴方が此処に居るのでしょうか。近衛騎士団副団長様?
イルフェナからはクラレンスさんが自分の部隊を率いて御登場で
す。何故出てくるのさ、近衛騎士が。
私の表情からそんな疑問を感じ取ったのか、クラレンスさんはや
や苦笑しながら理由を話す。
﹁今回の事はキヴェラ側が隠蔽を仄めかした事もあり、カルロッサ
と共同で抗議することになったんですよ。問題を起こした者達がカ
ルロッサ側からは無視できない家の者のようですし、イルフェナか
らもそれなりの家の者が選ばれました﹂
クラレンスさんはシャル姉様の旦那様。つまり騎士といえど公爵
家の人間扱い。元々近衛は貴族しかなれないから連れて来た騎士は
実家がイルフェナ上層部の皆様か。
報告書だけじゃなく﹃実際に見て来い、我等の目となれ﹄という
意味だろう。
﹁ちなみに私とそこの宰相補佐殿は学友です。あんな外見ですが、
外交となるとそれはそれは陰険な手を使い相手を苦しめる悪魔です﹂
気を付けるんですよ、と付け加えるクラレンスさんの方が悪魔に
見えるのは何故だろう。そもそもイルフェナが人の事を言える立場
なのだろうか。
﹁ちょっと! クラレンス、アンタ随分と勝手な事を言うわね!?
1313
イルフェナにだけは言われたくないわよ﹂
﹁勿論、我が国にも同類は居ますよ? 私はこの子を心配している
だけですから﹂
﹁⋮⋮今回の事も随分と手際が良かったわね? まさか情報を掴ん
でいたのかしら?﹂
﹁時間が勝負の事もあるでしょう? 我々は常に最善を目指します
よ﹂
﹁手紙を送ったその日にアンタ達が派遣されるなんて思わないわよ
! 合わせる側の迷惑も考えなさい!﹂ どうやらイルフェナは何かあった時を想定してスタンバイしてい
た模様。これが他の国なら裏工作を疑われるのだろうが、イルフェ
ナなら有りなのだろう。
それにしても。
仲良しなのだろうか、この二人。私以外、若干引いている周囲を
他所に会話は続く。
﹁もうっ! 一体、その小娘は何なのよ? 馬鹿どもを拷問紛いの
手で泣かせたり近衛騎士と知り合いだったり﹂
﹁エルシュオン殿下が妹の様に可愛がっているゴードン医師の秘蔵
っ子です。ちょっとお転婆ですけど、とても頑張りやさんなんです
よ﹂
その言葉に宰相補佐様の顔が微妙に引き攣り、カルロッサの騎士
達は沈黙した。そして次の瞬間盛大にざわめく。
﹁﹃ちょっと﹄!? ちょっとお転婆ってだけで済むのか!?﹂
﹁⋮⋮誰か頑張る方向を修正してやれ﹂
﹁頑張りやさんという名の鬼畜なのですね、判ります﹂
1314
カルロッサの騎士様達よ、突っ込む所はそこかい。
そもそも善人だったら外交において結果なんて出せないだろうが。
﹁⋮⋮可愛がっている? 魔王殿下、が?﹂
﹁ええ。今回の事を見ても優秀さが判るでしょう?﹂
そう言うと今度は私に向き直る。
﹁貴女のご両親は今回の事にとてもお怒りでしたよ。﹃鼻と耳を削
ぎキヴェラに送り付ける﹄などと言っていましてね﹂
困ったものですね、といいつつもクラレンスさんは微笑ましげな
表情で私を見ている。
御両親⋮⋮ああ、団長さんとジャネットさんですね。確かにジャ
ネットさんは怒り狂えば実行しそうです。
狸のぬいぐるみ首絞め事件といい、身内には優しいが敵には容赦
無い人なのだろう。
﹁あはは、大丈夫ですよ。口だけで絶対に実行しませんから﹂
﹁おや、どうしてですか?﹂
﹁だって、外交に活かすならば下手に怪我させるのは拙いでしょう
? 相手を一方的に責める為にもこちらが追及されるような事はす
るべきじゃないです﹂
﹁ふふ、よくできました﹂
きちんとお勉強していますね、とクラレンスさんは私の頭を撫で
る。ただし、私達の会話に周囲はドン引きした。
ひそひそと小声で聞こえる会話は﹃何それイルフェナ超怖い﹄と
いう方向一直線。
そんなに驚く事かね? 鉄拳制裁しか理解させる術が無い馬鹿相
1315
手なのに、それをしないのは他に理由があるからに決まってるじゃ
ないか。
有効利用・仕掛けられたらそれを武器に変えて反撃、がイルフェ
ナですぜ?
﹁ああ、うん⋮⋮よく理解できたわ。怪我をきっちり治してあるく
せに心は随分と折られているようだから﹂
若干顔を引き攣らせながらも納得したのか、宰相補佐様が頷く。
報告書も当然読んでいるのだ、私が何をしたかなんて全て知られて
いる。
クラレンスさんは笑みを深めると拘束されているキヴェラの追っ
手達に視線を向けた。
﹁国としても彼等は許し難いですが、個人的にも許せるものではあ
りません。お説教を兼ねての事情聴取といきましょうか﹂
そう言って奴等の方へと歩いて行く。その手に持っているのは⋮
⋮乗馬鞭?
首を傾げる私にクラレンスさんが連れて来た近衛騎士が理由を教
えてくれた。
﹁副団長は普段から近衛の教育係を務めているのです。不適切な言
動をした者の再教育、という場合ですが﹂
﹁あの鞭は乗馬鞭を改良した物で体に跡が付き難いのです。勿論、
終れば治癒魔法をかけます﹂
﹁騎士は体を鍛えていますから簡単に痛がらないのですよ。民間人
と同じでは効果がありません﹂
解説ありがとう、騎士さん達。確かに体を鍛えていたら痛みに耐
1316
性がつくだろう。いい歳して引っ叩かれてのお説教なのだ、受ける
方も痛い以前に十分恥ずかしい。
そもそも帯剣しているのです、その状態で剣を出さないのだから
クラレンスさん的には虐待ではなく事情聴取。
イルフェナ的には日常らしいですね。硬直しているカルロッサの
皆様に馴染みが無いだけのことですよ、気にしちゃいけません。
⋮⋮ここは専門の人に任せた方がいいな。私相手だと怖がるだけ
で情報を聞き出せるか怪しいもん。
﹁私もカルロッサ側として見物するわ。随分と好き勝手な事を言っ
てくれたみたいだしねぇ?﹂
﹁おや、やはり貴方も随分とお怒りでしたか﹂
﹁当然よ!﹂
そう言って拘束されている連中に向き直り一枚の紙を見せつける。
﹁これはこちらからの抗議を受けたキヴェラから届いたばかりの書
状よ。これによるとアンタ達は罪人だそうね?﹂
﹁な、我々はっ﹂
﹁キヴェラはアンタ達の罪状を明確にし、謝罪してきたわ。﹃未だ
理解していないとは思わなかった。こちらの不手際を謝罪すると共
に抗議を重く受け止め其々の家を取り潰す﹄と書いてあるわね。御
自慢の実家はもう無いみたいよ?﹂
唐突に告げられた﹃事実﹄に追っ手達は呆然とし言葉もない。自
分達の地位はこの先も続くと思っていたのだから当然か。
元々罪人なのだろうが、王太子妃逃亡を事実と認めなければなら
ないので罪状は別のものだろう。
﹁これにより貴方達の取り扱いはカルロッサとイルフェナの二国に
1317
委ねられました。身内贔屓をしない、と言うより貴方達を恨んで害
する者が居るから国に置けないというのが本音でしょうね﹂
家が潰されたのならば関係する全てに影響が出る。恨みを持つ連
中に下手に騒動を起こされても困るし守る気も無いからそっちで処
分してくれ、ということだろう。
ふうん? カルロッサに好き勝手できる家なのに随分とあっさり
処罰が決まったねぇ?
やっぱり自滅を狙ってたみたいだな、キヴェラ上層部は。家を潰
す理由に二国からの抗議を使うあたり中々に性格が悪い。
上層部からの説明もされるだろうが納得させられるかは怪しい。
反発がカルロッサに向かう可能性も考慮し、防衛を兼ねてイルフェ
ナは近衛を出したのか。
イルフェナの近衛に喧嘩を売る馬鹿は居まい。逆恨みにしてもリ
スクが高過ぎる。
報告した時点でキヴェラの対応もある程度は予想できていたのだ
ろう。さすが実力者の国、先読みも完璧です。
﹁と言うわけで貴方達にキヴェラが関与することはありません。禁
止された薬物使用の果てに罪人とは﹂
﹁薬⋮⋮物?﹂
﹁禁止された薬物使用の罪を軽減する為に犯罪者捕獲の任務にあた
っていたのでしょう?﹂
﹁﹃精神的におかしくなっている場合もある﹄って書かれているわ
ね。こんな事を仕出かすくらいだもの、﹃精神に異常をきたしてい
る﹄とキヴェラが言い張るのも無理ないわ﹂
ほう。つまりこいつ等が何を口走っても妄想だと言い切るつもり
1318
か。今回の対応も﹃本来のキヴェラの騎士には関係有りません、こ
んな馬鹿な真似しませんよ﹄というアピールを兼ねてると見た。
⋮⋮。
キヴェラ上層部、性格悪っ! 捨て駒を更に利用するとか鬼畜だ
な。私もやるけど。
他国を巻き込んで使えない家を潰す理由を得るだけでなく、周囲
に誠実さをアピールかい。
キヴェラの不祥事は今のところ噂でしかないのだ、上手く世論を
誘導できれば王太子妃冷遇も﹃王太子一派の独断﹄として逃げ切る
事が可能だろう。
一見こちらに誠意を見せる裏で自分達もしっかり有利な方向に持
っていってるし。特に王太子の謝罪が控えている以上、誠実さアピ
ールは重要だ。
⋮⋮嫌な相手だな、お互いに。相手を利用しつつも自分も利用さ
れるなんて。
同じ条件でドンパチやらかしてたら勝つ自信ないぞ? 今回は向
こうが国を守る立場だからこそ逃げるだけの私が優位なのだから。
﹁言っておきますが、精神に異常をきたしていようが我々の追及は
緩みません。十分な証拠をミヅキが残しておいてくれましたので余
罪も含め裁かれます﹂
﹁安心なさい。きちんと法で裁かれるわ⋮⋮他にも心当たりがある
ならば別だけど﹂
﹁それでは事情聴取といきましょう﹂
そんなクラレンスさんの言葉を背に、私は彼等の食事を作るべく
宿の食堂に向かったのだった。
⋮⋮﹃見ちゃいけません﹄とばかりに近衛騎士に囲まれて。
1319
派手な音が聞こえてきたけど近衛騎士さんは誰もが﹃問題ありま
せん﹄と言い切っていたので死にはしないのだろう。
良い子になれよ、追っ手ども? 骨は誰も拾わないだろうけど、達者でな。
1320
互いに利用し利用され︵後書き︶
バシュレ家の婿再び。ちなみに﹁鼻と耳を∼﹂発言は団長の方。
彼等が異様に早く村に着いたのは報告を受けたと同時に村を目指し
たから。準備万端でした。
1321
コルベラ到着
﹁アンタ達の目的は薬草の勉強なんでしょ? 色々と世話になった
と聞いてるし、国境付近まで送ってあげるわ﹂
﹁へ?﹂
﹁こっちもイルフェナに借りを作りたくないのよ。受けて頂戴﹂
⋮⋮といった親切+感謝+外交事情という言い分の下、私達は送
ってもらえることになりました。馬車も上等な物でカルロッサの騎
士達が護衛に付く、なんて特別扱いで。
いや、現実問題としてキヴェラが逆恨みから仕掛けてくる可能性
があるからなんだけどさ。結構大きい家が潰れた原因が今回の事件
だから﹃カルロッサが大人しくしていれば!﹄と思う輩も居るので
す。
私達は当事者な上、一般の旅人では襲い放題なので﹃今回の御礼﹄
という事にして私達を護衛する方向になったんだと。なのでシェラ
さんとも村でお別れです。一緒に居ると危ないしね。
ちなみに村とか元追っ手連中はクラレンスさん達が睨みを効かせ
ているらしい。向こうが状況を正しく見ているならば何も起こるま
い。
村を襲撃したら即座にイルフェナが報復措置をとるのですね、判
ります。
個人的にはそちらも大変面白そうなのだが、今回の目的はセシル
達の逃亡。
聞き分けの良い子になって馬車に揺られておりますとも。⋮⋮後
で魔王様にどうなったか聞こう。
1322
﹁随分快適な旅ですわね﹂
エマが窓の外に視線を向けながら穏やかに言う。外の景色を見て
いるのではない、周囲を伺っているのだ。
護衛が居る利点としては守ってくれる人が居るということだろう
が、逆に重要人物が乗っている目印になる場合もある。護衛が居る
からと気を抜いてはいけない。
﹁⋮⋮そう思うなら何故お前達は物騒な事をしてるんだ?﹂
同乗していたキースさんがジト目で私とセシルを見る。
﹁え?﹂
私はせっせとクズ魔石に爆発系魔法を組み込み︱︱投げれば破裂
する小規模なもので不意をつく程度。爆発と言っても理科の実験レ
ベル︱︱簡易爆弾紛いを量産し。
セシルはひたすら剣の手入れをして襲撃に備えている。勿論、エ
マも投げナイフを標準装備。
﹃いつでも来やがれ、襲撃上等!﹄
誰を見てもそんな期待が透けて見える私達にキースさんは呆れて
いる。いいじゃん、正義はこちらにあるんだぞ。
﹁え∼? だって、これは確実に来るでしょ﹂
﹁何故そう思う?﹂
﹁ん? カルロッサが警戒してるから、かな﹂
1323
にぃ、と口元を歪めて笑う。
﹁民間人相手にここまで護衛を付けるなんて御礼としてもありえな
いでしょ。何らかの情報を入手してると見るべきだと思うよ﹂
キースさんは難しい顔をしたまま答えない。そして私は更に続け
る。
﹁次。キースさんが私達に同行し馬車に同乗している。村において
責任者代理みたいな立場の人がわざわざこっちに来る必要あるかな
? 私は﹃何かあった場合、上層部が信頼する者に報告をさせる為﹄
だと考えたのだけど﹂
キースさんは村にそのまま残るか城へ報告に行くのが普通だろう。
御見送りに知っている人を、なんて言っている状況じゃないのだか
ら。
話し終えるとキースさんは﹃まいった!﹄と言うように顔を片手
で覆い天井を仰いだ。
﹁御名答。俺達も早過ぎるとは思うが報復に動いたという情報が寄
せられた。ちなみにイルフェナからな﹂
﹁ああ、キヴェラを警戒していたならばそれくらいは容易いでしょ
うね﹂
黒騎士か未だキヴェラに潜入している諜報員だな、それは。
尤も私に伝えられない所を見るとカルロッサに任せろということ
なのだろう。若しくは﹃自力で何とかしろ﹄という魔王様のお達し
か。
どちらにせよ関係者にはなるから何もしないという選択肢は無い
のだけど。
1324
﹁狙われるポイントは幾つか抑えてある。その中で最も危険なのが
罪人の取り扱いが難しくなる国境付近だ﹂
﹁⋮⋮襲撃を受けても隣国へ逃げられれば追い駆けられないから?﹂
﹁そうだ。入国する手順がある上に管轄が変わるからややこしい事
になるな﹂
ふうん、そういう手を使う連中ですか。本人達が来るわけないか
ら、財力に物を言わせて暗殺者やならず者を雇ったのだろう。
それ系の組織に依頼すれば各地に散らばっている手駒が動くので
﹃距離的に襲撃は早過ぎる﹄なんて一般庶民基準の常識も通用しな
い。上からの命令さえ届けば良いのだから。
﹁俺達としてもある程度の報復は覚悟して⋮⋮って、御嬢ちゃん!
? 何やってんだ?﹂
﹁ん∼? 妙な気配がしたし、そろそろかなぁと⋮⋮﹂
どんな生物だろうとも魔力を持っているのだ、意識して探ろうと
思えば僅かだが動きを察する事ができる。
気配を読めない私の自衛手段ですよ。範囲が広かったりあまりに
も長時間やると疲れるけどね。
窓から顔を出しきょろきょろと周囲を見回していると視線を感じ
た。思わず口元に笑みが浮かぶ。
⋮⋮うふふ、ゼブレストで生きるか死ぬかのデスマッチを経験し
てますからね! 素人の振りして誘き出すことで先手を狙わせ、逆
にこちらが実質先手を取る手段を私は好むのだよ。 判り易く言うと﹃相手を煽って伸ばされた手を掴め、肉を切らせ
ず骨を断て﹄。
1325
先に手出しをさせないと、魔導師ということもあって私が悪者に
されかねんのだ。
状況証拠は大事です。私は被害者、正当防衛なのだよ⋮⋮!
で、仕掛けてきた先方がどうなったかと言えば。
べちっ! という音を立てて﹃見えない何か﹄にぶつかり、ずる
ずると下に滑り落ちた。
まあ、物を投げるより馬車の上に乗って内部への侵入を試みた方
が周囲の護衛と闘わずに済むものね。
が。
お馬鹿さんだなー、結界くらい張ってあるに決まってるじゃない
か!
轢かれるとグロいから道の脇に転がってろよ? そこまで面倒見
れん。
﹁皆さーん、襲撃ですよー!﹂
馬車が止まると同時に騎士達が剣を抜く。勿論、私達も飛び出し
ている。
﹁ちょ、お前達待て!﹂
﹁祭りですよぉっ! 全員速やかに獲物を捕獲せよ!﹂
﹁獲物!? 獲物って言った!?﹂
いかん、つい本音が。
襲撃者もとい敵ですね、敵。⋮⋮建前上は。
﹁私達もストレスが溜まっておりますの。よい運動ですわ﹂
1326
﹁漸くミヅキに貰った武器を試せるな!﹂
うろたえるキースさんを他所にイルフェナ三人娘は絶・好・調!
特に今まで出番の無かったセシルとエマは大はしゃぎ! うんう
ん、ストレスを溜めるのは良くないよね。
対して襲撃者達は嬉々として狩りに出た私達に戸惑っている。そ
の姿は全身黒尽くめ。
おお! 懐かしの黒尽くめ戦隊の御仲間じゃないか。昼間から怪
しさ全開の黒尽くめなアホっぽい連中!
しかもこいつ等は結構な犯罪組織らしく、捕獲すれば国からの御
褒美は確実らしい。
つまり賞金首。
捕らえれば報奨金が出る﹃生きた宝箱﹄。
現実において、ゲームのように倒せばお金が手に入る貴重な敵⋮
⋮!
﹁セシル! エマ! そいつら生きたまま捕まえよう! 賞金首だ
から換金できる!﹂
﹁何?﹂
﹁何ですって!?﹂
二人の目の色が変わった。僅かに動揺する黒尽くめ達に、より一
層の熱い視線を向けている。
コルベラは小国である。しかも食料は他国から買い入れている状
態であり財政は結構ギリギリだ。
そんな貧しい小国にとって金は何かの時に役立つ超重要アイテム。
1327
とっても素敵な御土産です。
この瞬間、私達の立場は逆転した。人は欲望に忠実なのだ。
狩られる獲物は襲撃者達です。﹃誰にも渡さん!﹄という意気込
みが二人から感じられ大変頼もしい。
カルロッサの騎士達がドン引きしてるけど気にしない! 騎士様
達がどれほど素敵だろうと目の前に御褒美を吊るされたセシル達は
獲物しか見えてませんよ。
人からの施しは屈辱でしかないだろうが自らの手で稼ぐ事には問
題無し。狸様も﹃自活できる姫﹄って言ってたもんな∼、これはス
トレス解消と実益を兼ねた素敵なイベントなのですよ!
﹁貴様等⋮⋮一体、何をっ!?﹂
困惑を浮かべる黒尽くめ達を切りつけながらセシルは不敵に笑う。
﹁黙れ、金。私達の懐を潤す高額賞金首を逃すと思うか?﹂
﹁大人しく私達に捕まりなさい!﹂
なお、鬼気迫る勢いの美女二人にカルロッサの騎士達は剣を抜い
たまま困惑している。
うん、その気持ちもわかるよ。誰だって護衛対象が襲撃者を襲う
とは思わないよね。
護衛が役目だろうが、その対象が嬉々として襲撃者達を狩り出し
ているのだ⋮⋮下手な事はできないし邪魔をすれば怒鳴られる。
騎士達は御仕事ができない状況になってますが、命令無視ではあ
りません。だって連中は敵に非ず。
1328
あれは獲物です。私達が狩る側なんです、私達がやりたいんです
⋮⋮!
襲撃犯としての扱いは我等が報奨金を貰った後にしてください。
大丈夫、今回は捕らえる以上の事はしないから。
勿論、私も参戦するけどな! ﹁二人とも、退いて!﹂
そう叫ぶなり数個魔石を投げる。魔法の気配を感じ取った黒尽く
め達が即座に対処すべく動くけど、破裂する魔石が攻撃の本命では
ない。
パチリ、と指を鳴らして空気圧縮による衝撃波を全方向から。破
裂した魔石に魔法を警戒し、その場に留まって防御体勢をとった連
中は予想外の衝撃波を食らい崩れ落ちる。
結界を張った者もいたようだが、それが魔力結界ならば攻撃は素
通りだ。私の攻撃は基本的に物理、魔法の気配をさせることで敵を
誘導し物理攻撃を仕掛けるという非常に防ぎ難い手なのである。
やだなー、魔石が攻撃の要なんて言ってないぞぅ。相手を警戒さ
せるフェイクに決まっているじゃないか、威力は期待できないんだ
から。第一、そんなヤバイ物を馬車内で作るものか。
これでも量産したのには理由があるのだ。使い道は大きく分けて
二通り。
其の一・本命の攻撃を当てる為のフェイク。
其の二・相手の動きを妨害し攻撃できないようにする。
実際の効果は軽い爆発なのだが、魔石に少量の小麦粉を転移で混
ぜてあるのだ。よって発動と同時に物凄く軽い粉塵爆発紛いが起き
1329
る。
勿論威力は殆ど無い。ただし受ける側からすると一瞬の炎と派手
な音に一般的な爆裂系魔法を連想し動きが止まる。
早い話が癇癪玉程度の扱いなのだが、狩りでは獲物を怯ませた隙
に攻撃というのは有効な手段だったのだ。特に大型種相手では攻撃
が止まるだけでも命の危機は回避される。
なお、これは対人において意外と有力な物だったりする。発動し
てなきゃ﹃害にならない物が投げられた﹄という程度なので投げて
も物理攻撃と認識されないのだ。実際、小粒で軽い魔石が当っても
痛くは無い。
発動して初めて結界が作用するのだが、そのときは既に結界内に
入り込んでいるわけで。
﹃投げたけど力が足りません﹄的状況を装い足元に滑り込ませ、
相手が警戒を解いた後に発動⋮⋮といった手も使える素敵アイテム
です。殺傷能力よりも隙を作る事を重要視して製作した自慢の一品。
今回はセシルとエマの見せ場ですからね。私はこれを投げて敵を
怯ませるだけで後はサポートです!
逃がさねぇぞ、黒尽くめ。五人で結構な額だったし、今回は倍以
上の人数が居る。ついでに組織の情報を聞き出せればもっと上乗せ
されるかもしれない。嗚呼、期待に胸が膨らむ。
私個人としても新作の実験ができて嬉しい限り。都合よく襲撃な
んて何て気の利いた連中だ!
転がった黒尽くめはカルロッサの騎士達が捕縛してくれている。
役目が逆だとは言ってはいけない。
これも重要な御仕事ですよ。見張りと捕獲は御願いね?
⋮⋮そんな感じで襲撃者達は狩られていった。表現が何だかおか
1330
しい気がするが事実だ。
場所も国境付近だったので少し歩けば国境、いよいよコルベラで
す。
﹁私達、暫くコルベラに滞在するから報奨金はコルベラ経由で宜し
く!﹂
﹁⋮⋮お前達、金に困ってでもいるのか?﹂
﹁備えあれば憂いなし。金は重要です﹂
﹁ああ、そう。逞しいことで﹂
村での生活を知る私からすればその答えも嘘ではない。と言って
も現在私は生活が保障されているし、寮の職員としての給料が出る
ので金には困らんのだが。
私の興味が食に向いている上に貴族女性が金を掛けるという貴金
属類には興味無し。
しかも日々の努力は寮の食事事情に反映されるので、余程個人的
なものでない限りは必要経費扱いされる事も多い。
結果として私に金は不要なのだ。全額コルベラ行きです。癇癪玉
の実用化実験させて貰ったから謝礼を払ってもいいくらいですよ、
人体実験なんて簡単にできないし。
﹁じゃ、色々お世話になりました! またねー!﹂
﹁お、おい。国境まで送るぞ?﹂
﹁私達ならば大丈夫ですわ。御仕事をなさってくださいませ﹂
﹁いっそもう一戦あっても良いくらいだな。やはり体を動かすのは
楽しい﹂
﹁そ⋮⋮そうか? 気を付けてな﹂
ぶんぶんと片手を振り笑顔で国境へ向かう私達に何処となく引き
攣った顔のキースさんが挨拶してくれる。
1331
⋮⋮最後の﹃気を付けてな﹄という言葉が﹃やり過ぎないように
な﹄に聞こえたのは気の所為か。
微妙な雰囲気のカルロッサ騎士の皆様に見送られ、私達は無事国
境を越えるべく歩き出した。
その後の襲撃は残念ながら無かった。ちっ!
※※※※※※※※※
そんな騒動も経験しつつ国境を越え、現在コルベラです。と言っ
ても国境を越えたばかりなので村や町は見えないし、ちょっと開け
た山道だ。
セシル曰く、医師などが修学の為に訪れる事も多いのでこの近辺
で騒動を起こす国はあまり無いらしい。
確かに何処の国を敵に回すか判らないもんな、カルロッサでの私
達みたいな場合もあるのだし。
だから襲撃があるなら国境を離れた後だと二人は言っている。
国境の警備兵さん達はセシル達を見て目を潤ませていた。慕われ
ている姫様なようです。
旅券を見せて通る際、私に対して深々と礼をしてくれたので私の
立場も理解したのだろう。安心しろ、君達の姫の敵は私が甚振り尽
くしてやるからな。寧ろ私個人の目的だ。
﹁あ、そうだ。今のうちに言っておくんだけどさ、キヴェラはそろ
そろ内部が落ち着いてると思うよ﹂
﹁あら、あの追っ手達を向かわせたのにですか?﹂
﹁だからこそだよ。どう考えても処罰が重過ぎるし対応も早過ぎる。
騒動を起こす事を待って準備されていたと思う﹂
﹁なるほど。つまり私の逃亡や復讐者による内部の混乱は抑えられ
たと﹂
1332
﹁そう見た方がいい。多分、他国も付け入る隙を見出せない状態じ
ゃないかな﹂
私が引き起こした騒動は間違いなくキヴェラを揺らがせた。つま
り他国にとってはチャンスだったわけですよ。
実際、ゼブレストやイルフェナではキヴェラは全く動いていない
と報告を受けている。
私達がバラクシンに滞在していたあたりまでは内部の混乱から身
動きが取れなかったのだろう。
だが、アルベルダやカルロッサには追っ手が向かわされ対処も物
凄く早い。間違いなく王太子妃の逃亡に便乗して邪魔な家の排除を
狙ったと思われる。
﹁大国だけあって上層部は優秀なんだと思うよ? 自国にとって不
利になるような出来事を逆に利用して望んだ結果を出してる﹂
﹁それは⋮⋮そうだろうな﹂
セシルも思う所があるのか私の意見に同意した。
自分に不利な状況だろうと希望的観測に縋っちゃ駄目なのです、
確実に結果を出せるよう厳しい目で冷静に見なければ。
﹁まあ、セシル⋮⋮というかコルベラに関しては大丈夫だと思うよ
? 証拠は十分だから心配しないで﹂
﹁しかし!﹂
﹁それに私にとってもキヴェラにとっても鍵は王太子。あいつ次第
でどちらにも傾くから﹂
実際、互いにとって最終兵器扱いだと思われる。いきなりまとも
になる筈はないから付け焼刃の王族的振る舞いを何処まで壊せるか
という事に賭かっているだろう。
1333
煽られて迂闊な発言をしてくれれば私の勝利はほぼ確定。キヴェ
ラとしても重要な場面なのでキツク言い含めてはあるだろうけど。
﹁あら⋮⋮? あれは﹂
エマが上げた声に会話を切り上げ前を見ると馬に乗った騎士達が
駆けて来る。先頭の人を目にするなりセシルは嬉しそうな表情にな
った。
﹁兄上だ!﹂
﹁へ? お兄さん!? 何で此処に!?﹂
やがて近づいて来た一団は馬を下りるなり私達を囲み、セシルは
黒髪の男性に抱きついた。
ああ、確かに似てる。王子様というより騎士といった感じの穏や
かな雰囲気の人だな。
﹁セレス、心配したよ﹂
﹁申し訳ありません、国の事を思えば我慢すべきでしたが⋮⋮﹂
﹁いや。元々反対していた我等を説得したお前が逃げ出すほどだ。
相当な扱いだったのだろう﹂
⋮⋮相当な扱いどころか間違いなく宣戦布告される状況でしたよ。
思わずエマを見ると﹃判っていますわ。全て報告しましょうね﹄
という風に頷いた。おお、殺る気だ。
﹁エメリナもご苦労だった。よくセレスを守ってくれた﹂
﹁勿体無い御言葉です﹂
セシル兄の言葉にエマは跪いて頭を垂れる。この状況では臣下扱
1334
いだから当然か。普通の対応なのに後宮侍女と比べると物凄く優秀
に見える不思議。
そして彼等の視線は当然私にも注がれる。
﹁レックバリ侯爵とエルシュオン殿下から手紙を貰った。君の勇気
に感謝しよう﹂
﹁御気になさらず。私個人の目的もありますので﹂
﹁それでも君は二人の命の恩人だ﹂
悪質過ぎる悪戯の数々を報告しても同じ言葉は貰えるのだろうか
? 滅茶苦茶個人的な感情に基づいた行動の最後はコルベラで王太
子を〆る事なのだが。
﹁これは君宛の手紙だ。エルシュオン殿下から預かっている﹂
そう言って懐から封筒を取り出す。受け取った封筒から手紙を取
り出して中身に目を通し⋮⋮口元に笑みが浮かぶ。
そんな私の様子にセシルは首を傾げた。
﹁ミヅキ? どうしたんだ?﹂
﹁喜べ、二人とも。カルロッサがこちら側に付いた。バラクシンは
一応中立だけど、もしもキヴェラの味方をしたら制裁を加えると脅
迫済みだってさ﹂
﹁脅迫!?﹂
﹁何かやったみたい。どうせ今回の事に私が絡んでいると踏んで軽
く探りを入れたんじゃないかな? 返り討ちにあったと思うけど﹂
﹁そうか、そういう可能性もあったのか﹂
﹁魔王様達は最初からそういった連中が出る事も想定内だったらし
いし、問題ないよ﹂
1335
何をやっているんだ、ライズさん⋮⋮負けるに決まっているだろ
う。国の命令だったかもしれないけどさ。
私と接触した人物でエドワードさんと護衛のリカードさんは除外
されるから、魔王様に接触したのは間違いなくあの人だ。
きっちり泣かせておけば良かったのだろうか。それで使い物にな
らなくなっても困るので手加減したのだが。
﹁どういうことだい?﹂
セシル兄が訝しげに問う。そっか、これまでを知らないから﹃こ
ちら側に付く﹄って意味が通じないのか。
とは言っても外でこれ以上の話をする気は無い。誰が聞いてるか
判らないしね。
﹁詳しい話はこれまでの報告と共にさせていただきますよ。コルベ
ラにとって有益な事だと断言いたしますね﹂
﹁兄上、ミヅキを信じてくれ。彼女はやると言ったら確実に結果を
出す﹂
﹁私からも進言させていただきますわ。信頼できる友人です﹂
二人の言葉にセシル兄はやや納得いかない顔をしつつも頷いてく
れた。
そうですねー、いきなり得体の知れない異世界人を信用しろなん
て無理⋮⋮
﹁私ばかりが仲間外れとは狡いよ、魔導師殿。楽しそうなのに﹂
⋮⋮。
もしや﹃面白そうな事なのに意味判らないなんて残念過ぎる! 狡い! 混ざりたい!﹄という意味でしたか。
1336
ああ、やっぱりセシル兄。妹さんと内面もよく似てらっしゃるよ
うで。
﹁とりあえず城に向かおう。皆が今か今かと待っているよ﹂
そんな言葉にそれ以上の会話を止め。私達は城へ向かったのだっ
た。
さて、旅はこれで終わり。後はお待ちかねの報復⋮⋮いやいや、
断罪タイムといきましょうか!
楽しみにしてますよ? 王太子サマ?
1337
コルベラ到着︵後書き︶
賞金首に対し壮絶に間違った認識を持つ主人公。
コルベラ上層部はイルフェナから連絡を時々受けていたので大体の
状況は知っています。
ただし、主人公の性格その他は知らされていないので評価は﹃姫の
境遇に同情し手を貸してくれた優しく勇気ある異世界の魔導師﹄。
1338
事情説明︵前書き︶
セシルに対する主人公の口調が今までと同じなのは本人に嫌がられ
た為です。
1339
事情説明
さあ、漸くコルベラに到着です!
⋮⋮と言っても民を混乱させない為にセシル達の帰還は城で働く
人達にしか知られていない。民にはセシルが逃亡した事すら教えて
いないらしい。
当たり前か。そんな事を知ったら民がキヴェラを許す筈無いもの。
セシルが嫁ぐ事に元々反対だったっぽいからねぇ、コルベラの皆
様。説得した姫本人が逃げ出すほど酷い状況だったと知れば怒り狂
うだろう。
まあ、あの扱いを許せる国は無いと思う。キヴェラ上層部もそれ
を理解してるから関係者の処罰をしているのだろうし。
で。
現在、城にて感動の再会となっているわけですが。
セシル⋮⋮お母様はだ∼れ? しかも意外と家族多いな!?
﹁本当に良かったわ。どれだけ心配した事か﹂
﹁行くべきではなかったのよ! 可哀相に﹂
﹁疲れていない? 貴女の部屋はそのままになっているからゆっく
り休んで頂戴ね﹂
﹁よくぞ無事で⋮⋮﹂
セシルは四人の女性に囲まれ口々に無事を喜ばれている。多分、
一人が王妃様で残りは側室だと思うけど⋮⋮全員﹃可愛い娘が帰っ
1340
てきた! 良かった!﹄な雰囲気全開なので誰がセシルのお母さん
なのか判らん。
仲が良いねぇ、君達。側室同士のいがみ合いとか権力争いが全く
無さそう。
﹁母上達はセレスの事をとても心配していたんだよ。唯一の女の子
だから﹂
﹁なるほど。何て言うか⋮⋮物凄く仲の良い御家族ですね﹂
﹁はは! 他の国と比べると確かにそうかもね。⋮⋮食糧事情もあ
るし、小さな国だから政略結婚を考えて王族は人数が多い方がいい
んだよ﹂
私達は幸いにも兄弟を亡くす事はなかったけどね、とセシル兄は
付け加えた。
⋮⋮無事に成長するか判らないし、場合によっては政略結婚の駒
になるってことか。
この国の王族って本当に民を守るという義務を当然の事と受け止
めているんだな。セシルもその気持ちが強いからこそ、キヴェラに
嫁ぐ事を国にとって最善と判断したんだろう。
逆らえば国がどうなるか判らないしな、他に援助してくれそうな
国との婚姻もキヴェラとの縁談を断った後では難しかろう。
そんな事情を聞いていたら今度は私が囲まれた。セシルよ、何を
言った。
﹁貴女がレックバリ侯爵の依頼を受けた魔導師様ですね。この子が
お世話になりました﹂
リーダー格らしい女性が代表して声をかけてくる。この人が王妃
様で確定、かな? ⋮⋮いや、全員シンプルなドレスなんだよ。美
女なんだけど!
1341
﹁私個人の事情もありますので御気になさらず。楽しい旅でしたし﹂
色々な意味で。
そう付け加える心の内を知ってか女性は笑みを深める。
﹁それでも。誰もが手を出せなかった事は事実です。動いてくれた
事に私達は母として感謝したいのです﹂
﹁⋮⋮非常に申し訳ない質問なのですが。何方がセレスティナ姫の
お母様でいらっしゃいますか?﹂
王太子妃になれるってことは普通ならば正妃の子の筈。ただし、
コルベラにセシル以外の王女は居ない。
と言うか家族構成が全然判らんのだ。セシル、解説ぷりーず!
﹁いや、私の母は幼い頃に亡くなっているんだ。だが、王妃様を始
め皆様が私の母になってくれてな﹂
セシルが何処となく寂しげに話す。すまん、既に亡くなっていた
のか。
気まずい雰囲気を察してか王妃様達がセシルの母親について懐か
しそうに話し出す。
﹁⋮⋮ブリジット様はね、とても優しく凛々しい素敵な方だったの。
今のセレスとそっくりよ﹂
﹁病で亡くなってしまわれたけど、自分が助からないと悟ってから
は﹃薬は私に使うより助かる者に与えろ﹄っておっしゃっるような
方だったわ﹂
﹁時々無茶な事を言い出すけれど自分の為だったことは一度も無か
ったわ。誰かを守るのが当然と考えていらしたみたい﹂
1342
﹁私達にとって今でも大好きな家族よ⋮⋮だからセレスが嫁ぐと言
い出した時も無理に押さえ込むことはできなかったの。ブリジット
様から受け継いだ気質そのままだったんですもの﹂
セシルは外見も内面も母親似らしい。それで盛大に心配しつつも
セシルの意思を尊重したのだろう。きっとセシルの母なら娘と同じ
行動をしただろうと妙に納得できてしまって。
﹁だから貴女にとても感謝しているの。一度はこの子の意思を尊重
したけれど二度と同じ真似はさせないわ﹂
笑みを浮かべてはいるが彼女達とてそれがどういう意味か判って
いる。それでもキヴェラに逆らうと決めているのか。
周囲に視線を向けると誰もが苦笑しつつもその選択に納得してる
事が伺える。諌める気は無いようだ。
だが。
﹁それは私の仕事なのですが﹂
﹁え?﹂
﹁私の仕事は﹃姫の逃亡を手助けしコルベラまで送り届ける事﹄で
はなく﹃姫の逃亡を手助けしコルベラに負担が掛からないようにし
た上で姫の自由を獲得する事﹄ですよ?﹂
狸様の当初の計画では姫の逃亡の手助けだけだったけど。
親猫様達にも色々言われているけれど。
現状では八割方が個人の思惑と復讐という超個人的要素で行動し
ております。
魔導師に手加減など無いのです、異世界人だろうと魔王様の配下
に敗北など許されていないのです⋮⋮!
1343
﹃負けるくらいなら最初から行動するな﹄くらい平気で言いそう、
あの人。そもそも止めるのを振り切って行動した私には敗北どころ
か何らかの結果を出さない限り説教が待っている。
王太子よ、貴様もギリギリの状況だが私も崖っぷちの状況なのだ
よ。お前を蹴落とした後に追い討ちで岩を落とすくらいは決定事項
に決まっているだろう!
﹁そこまでしてもらうわけには⋮⋮﹂
﹁いえ、自分の為なので﹂
﹁⋮⋮? よ、よく判らないのだけど﹂
﹁イルフェナの教育方針なんです。私に譲ってください﹂
﹁そ、そう? 判ったわ﹂
よっしゃぁぁっ! これで私が堂々と王太子を〆られる!
許可を出しつつも首を傾げるお母様達だがセシルは理解できたら
しく頷いていた。言いたい事が判ったらしい。
私の性格と魔王様の教育方針を知らないと理解できないでしょう
ね、これ。でも自分の意思で動いた以上は責任を持つというのは当
然なのです。
だから気にしなくていいよ、コルベラの皆様。キヴェラとドンパ
チやらかすのは私だ。
貴方達の分まできっちり〆ておくから期待してて?
さて、感動の再会も終ったし今度は事情説明ですよ。
とりあえず﹃王太子〆るのは私の義務だから譲って?﹄と御願い
はできたので後で協力を御願いしてみよう。
これまでの証拠映像と実績で頷いてくれればいいのだけど。
1344
﹁それでは皆様に冷遇の実態からカルロッサでの騒動までを見せた
いと思います。その前に﹂
言葉を切り、周囲を見回して。
﹁薄い手袋かハンカチを用意する事をお勧めします﹂
﹃は?﹄
﹁怒りを耐える余り爪で掌を傷付ける可能性がありますので﹂
その言葉に周囲は顔色を変え。エマは小声で﹁さすがですわ!﹂
と私の提案を絶賛した。
そういう光景だよね、あれは。ここまでセシル達の無事を喜んで
いるのだ、怒らぬ筈は無い。
ちなみにここは城の広間だったりする。しかも城中の人間がセシ
ル達の無事を喜び集っているのだ。
この場でいきなり﹃証拠映像見せますね﹄なんてやろうものなら
一気に宣戦布告ムードです!
それを回避する為に先に言質を取らせてもらいました。場の雰囲
気で一気に宣戦布告なんて事態になりかねないもの。
私の御仕事に対し許可を与えたのだからムカついても静観してい
てください。セシルが泣き⋮⋮はしないだろうけど困るだろうから。
﹁では、始まります。皆様、御覚悟を﹂
そしてある種の緊張感が漂う中、冷遇の実態からカルロッサでの
騒動までの映像公開が始まった。
⋮⋮その結果。
1345
多くの人が集っている筈の広間は静まり返り、その大半が無表情
という大変ホラーな状況へと変貌した。
怒り狂うどころか全員無言。喚き散らした方が絶対マシ。
う∼わぁ⋮⋮予想してたけどおっかねぇ! 美形が多いだけに怖
ぇ!
皆様、怒りが突き抜けているらしく表情を取り繕う事さえ忘れて
いる。
笑顔! 穏やかな笑顔作ってください、上流階級の皆様! そんな心の叫びも虚しく、侍女達でさえ﹃お労しい﹄と嘆く感情
はセシルの帰還前に流れ尽くしてしまったのか浮かぶのは怒りだ。
ああ、やっぱりな∼。怒らない筈ないんだよ、あれを見たら。
﹁まあ⋮⋮随分と素敵な体験をしたのね﹂
シン⋮⋮とした広間に冷たい声が響く。発声元は王妃様。
﹁うふふ⋮⋮魔導師様? 貴女、これを見た私達の反応が判ってい
たから最初に言質を取ったのではなくて?﹂
﹁さて、どうでしょう? 言った事は事実ですが、私は友人を悲し
ませたくはありませんよ﹂
﹁そう、貴女はセレス達の良き友人でいてくれるのね﹂
速攻で言質を取った理由がバレたが、不敬罪は不問にしてくれる
らしい。
1346
ええ、不敬罪云々と言われてしまえばアウトでしたとも。
﹁私達も娘が悲しむ事態は望みません。先程の言葉もありますから。
ですが﹂
一度言葉を切って、王妃様は視線をある方向に向け。
﹁この国の決定権は陛下にあります。それは納得してくださいね﹂
セシルもやや緊張した表情で父である王を見ている。いや、セシ
ルだけではなく全員が。
一見穏やかそうだが、小国を守ってきた王なのだ。外見そのまま
の評価な筈は無い。
﹁魔導師殿。我等が納得できる結末を用意してくれるのだろうな?﹂
それまで黙って私を見つめていた︱︱母親達が娘に構う分、私を
見極めようとしていたのだろう︱︱コルベラ王が静かに言葉を紡ぐ。
﹁勿論。世界を違えてさえ鬼畜と呼ばれる人間の報復が手緩いなど
と思われますか?﹂
﹁ふ、報告書とこれまでの映像を見る限りは随分と楽しい性格をし
ているとは思う。だが、貴女は敵を殺さないな?﹂
﹁死ぬ事は﹃終らせる事﹄と同じです。私が望むのはそれ以上です
よ﹂
そう、じわじわと続く終わりの見えない苦痛。
国や私の恐怖に怯えながら常に周囲に注意を払い続ける生活。
﹃さくっと﹄なんて優しさは私にはありません、利用価値が出る
かもしれないし。
1347
情け深いわけじゃないのだ。逆です、逆。
本心を綺麗に隠し笑みさえ浮かべて言い切る私をコルベラ王は見
つめ返した。そうして一つ頷く。
﹁良かろう! 我等は報復を魔導師殿に譲る。ただし、納得できぬ
結末ならば動くぞ?﹂
﹁御好きにどうぞ﹂
その言葉が決定打。
とりあえずはコルベラが宣戦布告をする事態は回避されたようで
す。セシルも安堵の表情を浮かべていた。
場の雰囲気も随分と穏やかになったらしく、ざわめきが聞こえて
くる。
﹁さて、魔導師殿には少々聞きたい事がある。時間をもらえるかな﹂
﹁はい、構いません﹂
即答に満足げに頷くコルベラ王。
さて、王様と対話しなければならないようです。
何を聞かれるかなー? あ、その前に。
﹁王様、お伝えしなければならない事が﹂
﹁ふむ、何かね?﹂
﹁近いうちにカルロッサからは賞金首の報奨金、イルフェナからは
私かセシル名義で多額の金が届くと思いますのでコルベラの財源に
どうぞ﹂
﹁は?﹂
1348
王は首を傾げ、セシルとエマも怪訝そうな表情を浮かべている。
ああ、二人は賞金首の報奨金しか気付いてなかったか。
﹁ミヅキ、報奨金は判るがイルフェナからの金は心当たりが無いぞ
?﹂
﹁あるよ? だって黒尽くめが襲ったのは私だもん、だからクラレ
ンスさんに引き渡されてるし﹂
﹁﹁⋮⋮あ﹂﹂
二人ともすっかり忘れていたらしい。思わず上げた声がハモる。
﹁キースさん、きっと﹃報奨金はコルベラに届けて欲しいと言って
いた﹄って伝えてるよ。クラレンスさんならそれがコルベラへの手
土産だと悟ってキヴェラから毟り取ってくれると思う﹂
﹁何故そう思うんだ?﹂
﹁キヴェラの対応の早さを見たでしょ。あれなら二度とおかしな真
似を起こさせないように依頼する金が無くなるまで毟り取ってイル
フェナに賠償金として渡すよ﹂
キヴェラとてこれ以上馬鹿な真似をされても困るのだ、毟り取る
という表現がぴったりなくらい盛大に財産を取り上げるだろう。そ
れならばキヴェラの懐は痛まない。
キヴェラがやらなくてもイルフェナが代わりにやるだろう。絶対
に実行する。
反省しているようには見えないもんな、事件の直後に報復なんて。
﹁ちなみにクラレンスさんはバシュレ公爵家令嬢シャルリーヌ様の
旦那様。どう考えても素直に賠償金払った方がいい﹂
下手するとイルフェナ精鋭陣が嬉々として出てくるだろう。その
1349
後にネチネチやられるより金を払って一度に終らせる方が絶対に傷
は浅い。
﹁お前達⋮⋮一体、何をして来たのだ?﹂
逃亡生活だった筈だろう、という呆れたコルベラ王の声が周囲の
笑いを誘う。
ええと。
逃亡生活というより単なる旅行で終りました。しかもイベント満
載で。 ※※※※※※※※※
あれから客室に通されました。侍女と護衛は会話に加わらないか
ら個人的に聞きたい事があると考えるべきだろう。
さて、何を言われるやら。
﹁気になっているのだが⋮⋮何故、魔導師殿はこの話を引き受けた
のかね? 君は何の被害も受けていない筈だが﹂
コルベラ王は純粋に疑問に思っているようだ。ある程度の情報は
伝えられているみたいだから復讐云々の事も知っているとみた。
まあ、普通に考えたら私怨で国を敵に回すとは思わないだろうか
らレックバリ侯爵に押し切られたとでも考えたのだろう。
﹁個人的に思う所があるのですよ﹂
﹁ふむ、ルドルフ王の為かね? 君達は親友だと聞いている﹂
﹁⋮⋮それも含む、とだけ言っておきます﹂
私がこの話に乗った当初の理由は十年前の復讐だ。だが、ある意
1350
味私もキヴェラの被害に遭っているのである。
後宮破壊は邪魔な側室連中を潰し家ごと断罪する為のものだった。
一度潰れれば家が簡単に再興できる筈も無い。しかも中には結構高
い地位の家もあった筈。
ルドルフはそれをばっさり切り捨てたのだ、粛清王と呼ばれるほ
どに。
⋮⋮おかしくないか? これ。
ルドルフとて王なのだから内部の結束や後ろ盾を得る意味でも側
室は受け入れるべきだと知っているだろう。
特に十年前に国が傾く事態になったというなら必要だと考えるの
が普通。それなのに一切側室連中に手を付けず側近共々完全拒絶。
日頃の国第一の姿勢を知る限り、そこまで嫌悪するのはちょっと異
常だ。
ここから考えられる可能性は単純に﹃側室達の実家に権力を握ら
せない為﹄だろう。もしくは﹃内部に居られると困る﹄から。そし
てそれ以外にも少々疑問な点がある。
侵略してきたのがキヴェラならばまず無能な貴族連中から潰し領
地を掌握していく方法を選ぶ気がする。
主要な領地じゃなくとも拠点にはなるのだ、そこを足掛かりにし
て内部に⋮⋮と考えるんじゃなかろうか。
あの上層部ならば数に物を言わせて攻め込むだけでなく、それも
狙う。足場を築いた上で侵攻した方ができる事は多いのだから﹃そ
こに気付かなかった﹄という可能性は低い。
ところが実際は無能貴族が領地共々無傷な上に十年後もしっかり
生存。家の立て直しに必死どころか側室を王に押し付けられる権力
を持っていた。
⋮⋮随分と余裕だな、おい? 十年前にかなり危ない状況だった
なら普通はもう少し大人しいだろうよ、余力が無いとも言うが。そ
1351
んなわけである仮説が立つ。
裏切り者だったんじゃね? 側室達の実家って。
奴等の領地は﹃偶然﹄被害を受けなかったと? ルドルフの視察
に敵の魔術部隊が﹃偶然﹄出てくるような内部筒抜けの状態だった
のに? 自分の領土を守りきれるほど有能だとは思えんぞ?
自己保身の行動しか取っていないならばその後は相当肩身の狭い
思いをしている筈なので野心を抱くどころではないだろう。領地に
引き篭もり状態でも不思議は無い。
ついでに言うなら野心満載のキヴェラが今現在何もしていないと
いうのも妙だ。退けられたから次の策として内部からの侵蝕を試み
た、とかじゃなかろうか。⋮⋮アルベルダの﹃噂﹄もあることだし。
ルドルフも当時はそこまで権限が無かっただろうし、決定権を持
つ王が無能では裏切りの証拠を提示してもどうにもならなかったん
じゃないかと思うのですよ。それが大規模粛清に繋がったんじゃな
いかと推測。
﹃証拠だけでは大した罪にできない﹄﹃無駄に地位がある奴が擁
護に回ると無理﹄という言葉は過去の経験から来ていた部分もある
んじゃないかね?
勿論、ルドルフ達は私に何も言っていないから全て私の憶測に過
ぎない。だが、国の内部事情という事に加え私が報復を考える人間
だと知っているから警戒して情報を渡さなかった可能性もある。
﹃やられたら殺り返せ﹄﹃報復は元凶が滅ぶまでです﹄くらいの
勢いで側室とやり合った姿を見ているのだ、依頼した仕事だけに限
定するなら必要以上の情報は教えまい。
セイルだって紅の英雄の裏事情を明かした際に侵略してきた国の
名を言っていない。それは私が元凶に気付く事を警戒したからでは
なかろうか。
1352
命の危機になったものね、私。ならばやる事は復讐一択ですよ?
手を下したのは側室やその実家でも黒幕に殺意を抱くのは当たり
前。
逃亡生活をする上でキヴェラを見る限り疑念は確信へと変わって
いる。だからルドルフ達の苦労の元凶に一矢報いたいという気持ち
もあるけど、私個人の報復というのも間違いじゃないのだ。
まさかルドルフ達も予想外の所から隠した筈の情報が漏れるとは
思わなかったに違いない。レックバリ侯爵にそんな意図は無かった
だろうが。
万が一、仮説が間違っていても私個人の復讐はコルベラ・イルフ
ェナ方面で残っているので問題無し。勿論ゼブレスト侵攻も許し難
い。
恨まれる要素が多過ぎて﹃言い掛かり! 側室騒動の黒幕じゃな
い!﹄とか言っても私の復讐は止まりません。止める気も無し。
私は間接的な被害者の一人としてもキヴェラに復讐したいのだ⋮
⋮現在はセシル達やイルフェナの事も要因になっている上、王太子
の存在がトドメである。
私は執念深いぞ、キヴェラ。お人形を使った﹃おまじない﹄を実
行しかける程度にはな。
嫌がらせに始まり、誘拐、毒殺、殺傷沙汰。ついでにアホ王太子
の魔王様達への侮辱。
ここまでやられて泣き寝入りなんてする筈ねぇよ。手駒が憎けり
ゃ黒幕まで憎い、しかも放置すれば今後も被害を被る可能性・大。
気合が入るってものですよ、嬉々としてレックバリ侯爵の話に乗
りましたとも。ずっと疑っていた黒幕に堂々と報復できる素敵な機
会を逃すものか。
1353
﹁⋮⋮何を言っても無駄そうだな﹂
﹁申し訳ありません。私が動く事が不自然に見える事は理解してい
ますよ﹂
﹁すまない。この国の人間は結束が固い分、閉鎖的な面もあるのだ。
セレス達とてそれは同じ﹂
﹁他者を警戒するのは王族として当然では?﹂
﹁怒らんのかね? ここまで手を貸しておいて信用せぬなど﹂
﹁怒りませんよ。国を守る上で当然だと思いますし、必要があれば
私を切り捨てる事にも納得します﹂
そう言いきるとコルベラ王は軽く目を見開いて言葉に詰まり。そ
の後に何の警戒もなく笑った。
﹁あの子が信頼する筈だ。セレスが心配していた⋮⋮﹃旅が終った
ら今までの様に接してくれないかもしれない﹄と。言い切るだけで
なく実行できる友人だからこそ失いたくないのだろうな﹂
﹁義務を優先したからといって嫌いになったりしませんよ? 身分
的なものは仕方ないと思いますが﹂
﹁そう思ってくれる者は意外と少ないのだよ。義務を最優先と理解
してはいても感情は付いて行かない﹂
そう言うと座ったまま深々と頭を下げる。
ちょ!? 侍女とか騎士が見てますよ、王様!
﹁王ではなく父親として感謝しよう。よくぞ無事にセレス達を送り
届けてくれた﹂
﹁楽しい旅でしたよ。あと、落ち着かないので頭を上げてください﹂
不敬罪的な意味で落ち着きません。この事が貴族とかに伝わった
1354
ら出入り禁止にされそうです、私。
護衛騎士が何も言わず表情すら変えないのがいと恐ろし。
漸く頭を上げたコルベラ王は笑みを浮かべたままなのだが。
﹁これからもセレス達の友人でいてやってくれ﹂
﹁それは勿論﹂
﹁ふふ、貴女のような友人ができたならばキヴェラの事も悪い事ば
かりではなかったということか﹂
それは別問題で御願いします。
どんなに良い要素があったとしても絶対に、絶っ対に手を抜きま
せんから!
1355
事情説明︵後書き︶
親猫からの教育は﹃常に疑え! あらゆる可能性を考えろ﹄という
もの。お陰でゼブレストでの側室騒動では後から色々と思う所があ
ったようです。
ちなみにキヴェラ黒幕説は正解。
1356
イベントは盛大に
感動の再会と報告、王様との御話が終わった後。
⋮⋮何故か私も今後の方針を決める会議に参加させられておりま
す。
セシルに捕獲され拉致られた、とか。
一応関係者なんだからと押し切られた、とか。
お母様一同も会議を見学︱︱参加はできないらしい。発言権が無
いってことですね︱︱とか。
突っ込み所満載です。いいのかよ、コルベラ!?
﹁⋮⋮閉鎖的って言ってませんでした?﹂
﹁うむ、部外者には閉鎖的だと思うぞ?﹂
﹁私は思いっきり部外者じゃないですかね? 私はイルフェナ所属、
参加しちゃ駄目、内政干渉よくない﹂
﹁はは! 当事者なのだから見学と助言程度は許そうじゃないか﹂
楽しそうに笑うコルベラ王に参加者の皆様は笑顔で私の存在をス
ルー。
﹃大丈夫! 自分達が気にしなければOK!﹄とばかりに平然と
しておいでだ。
﹁いいじゃないか、ミヅキ。どうせ何かするのだろう?﹂
1357
﹁するよ? だけど場を貸してもらうだけで何をするかを事前にコ
ルベラに伝えるつもりは無い﹂
きっぱりと言い切るとセシルは怪訝そうな顔になる。
ちなみに現在の私の居場所はセシルの膝の上。何時ぞやのように
横向きに座ってます。
立ってるって言ったのに笑顔で却下。今後の付き合いを考えてか
周囲への仲良しアピールに余念がありませんな、姫様。
⋮⋮。
誰か﹃姫様も女性なのですから﹄と突っ込めよ。
お兄さんしか居ないからって発想が男性寄りなのはどうかと思う
ぞ、セシル。
エマ曰く﹁セシルの言動は幼少の頃より変わってませんわ﹂との
ことなので、昔から凛々しく頼もしい男装の麗人キャラだったのだ
ろう。
⋮⋮それが王太子のコンプレックスを刺激したような気がしなく
もない。
王族どころか男性的な面で妃に劣っているという劣等感も冷遇に
拍車をかけたんじゃあるまいか。セシルって﹃姫﹄というより﹃王
子﹄なんだよね、思考回路が。
まあ、ともかく。
王妃様達でさえ見学しかできない状況で私を参加させることはで
きないというのがセシルの行動の原因なのだ。
ここで﹃姫の逃亡に手を貸した魔導師﹄が参加してしまえば﹃魔
導師は最初からコルベラと繋がりがあった﹄と言われてしまうだろ
う。黙っていればいいというものではない。
その対策としてこの場に居てもおかしくない当事者であるセシル
が私を連れているわけだ。
なお理由は﹃助けてくれた魔導師殿が傍に居ると安心できる﹄と
1358
いう、誰が聞いても嘘だと判るものだったりする。
逃亡生活では心の拠り所でした的な言い分は一般論としては納得
できますね。セシル本人を知ってると無理だけど。
そんなわけでこの状態なのですよ。
現状は教育番組にありがちな﹃人形とお姉さん﹄。それが一番近
い。
会議の会話を聞いていた﹃お姉さん﹄︵=セシル︶が﹃人形のミ
ヅキちゃん﹄︵=私︶相手に会話するという形ですね!
その会話を会議に参加していた人達が﹃偶然﹄聞いており、気に
なるならセシルに尋ねるという形式です。誰だ、この方法を考えた
奴。
そんなわけで私とセシルの会話に周囲は聞き耳を立てている。 ﹁何故だ? 打ち合わせをしていた方が良いと思うが﹂
﹁﹃知らない﹄って言い分は最強なんだよ、セシル。私が何かして
も﹃謝罪の場に当事者として参加させただけ﹄なら当然の事と誰も
が納得するでしょう。それ以外の事は私だけの問題になる。巻き込
むつもりは無いよ﹂
﹁しかし、我が国の事だぞ?﹂
﹁今はキヴェラに対し圧倒的に不利な立場でしょ? 只でさえキヴ
ェラにとっては屈辱的な状況だし、付け込まれる隙は作るべきじゃ
ない﹂
下手すると逃亡全てがコルベラの策略とか言ってきそうだしね、
と付け加えるとさすがにセシルも黙った。
確かに打ち合わせをしていれば私が何をしてもあまり驚く事は無
1359
いだろう。
だが、それを不自然に思われたら?
落ち着いている事に不信感を抱くのが当然だ。そうなるとコルベ
ラが一方的に被害者という認識が崩れる可能性がある。
﹃コルベラはキヴェラを貶める為に今回の事を画策したのではな
いか?﹄
証拠は無くとも大国の言葉ならば無視できまい。
アホ王太子だけなら何の心配も要らないが、状況を報告されれば
キヴェラ上層部がそう疑うかもしれないじゃないか。
現状はキヴェラが一方的に悪役なのだ、それを覆す要素を見逃す
とは思えない。
陰謀云々は私に対しては思いっきり正解なのだが、魔導師個人を
攻撃するよりコルベラを黙らせる手段として使う方が有効だとキヴ
ェラ上層部ならば判断するだろう。
﹃とにかく疑え、最悪の可能性を想定した上で勝つ方法を考えろ﹄
策を練る時の私の信条にございます。常にそう考えていれば想定
外の事態が起きても絶対に何処かで巻き返しが可能だと私は信じて
いる。
懲りない・めげない・リトライ上等! な不屈の精神で挑み最終
的に勝てば問題無し。
最後に自分が笑う為には柔軟な発想が必要なのだよ。頭脳労働と
はそういうものだ。
﹁⋮⋮ではコルベラが今後すべき事は?﹂
1360
軽く溜息を吐くとセシルは私に問い掛けた。
﹁多くの国から今回の事に対して問い合わせが来てるだろうから全
てに返信を。できる限り﹃詳しく﹄事情説明をした後にこう付け加
えるべきだと思う。﹃謝罪の場にお招きしましょう。判断は其々の
使者殿にお任せします﹄ってね!﹂
﹁他国の者を謝罪の場に呼ぶのか?﹂
﹁そう。王太子様が誠意ある行動をとるならばキヴェラの勝ち。事
実はともかくキヴェラへの批難は収まるでしょう。どう? これな
らコルベラはキヴェラに対して十分過ぎるほど誠意ある姿勢を見せ
ているでしょ?﹂
﹁確かにそれならば部外者を呼ぶ十分な言い分にはなるが⋮⋮﹂
そう言いつつもセシルは納得していないようだ。まあ、仕方ない。
セシル的には﹃何故コルベラが王太子の誠意を見せつける場を用意
しなければならないのか﹄といったところだろう。
周囲の人達の反応も微妙。普通に考えたらそうなるね。
だが。
﹁あの王太子が素直に⋮⋮いえ、まともに謝罪できると思う?﹂
﹁表面上は取り繕えると思うぞ?﹂
﹁だから煽る﹂
﹁は?﹂
セシルの言葉に頷きつつも、にやりと笑う。
﹁私も参加するんだよ? それにさ⋮⋮何の手も無くその場に居る
と思う?﹂
1361
王太子の性格はある意味非常に判り易い。煽れば簡単に乗ってく
るだろう。
問題は決定打ともいうべき失言を本人にさせることなのだが、こ
れは今までの旅で十分過ぎるほどカードが揃っている。
﹃キヴェラも私達が逃げてる間に考えればいいんだよ、どうするの
が最善なのか﹄
﹃それが君の優しさかい?﹄
﹃ある意味優しさで、ある意味惨酷さです﹄
セシル達は知らない、魔王様との会話。それが全て。
時間稼ぎの利点は逃亡側だけではなく、キヴェラ側にも当て嵌ま
る事なのだから。
﹁私がコルベラ側に願うのは二つ。一つは謝罪の場への参加、もう
一つはその際セレスティナ姫の傍にいる事。あとは⋮⋮個人的な御
願いなんだけど﹂
そう言ってからセシルの耳に片手を充てて口を近づけ内緒話。
怪訝そうな周囲の皆様を他所にセシルの表情が楽しそうなものへ
と変わる。
﹁それは楽しそうだな! 私も頼んでみよう﹂
﹁ふふ、これくらいは許されるよね﹂
﹁ああ、状況を考えれば不自然ではないな﹂
にこやかに微笑み合う私達に周囲は益々首を傾げた。
私に対する認識が甘いですねー、コルベラの皆様。これがイルフ
ェナなら即座に首根っこ掴まれて洗い浚い暴露させられてます。
つまり、そういう雰囲気。罠とか悪企みとも言う。
1362
年頃の御嬢さん達がきゃっきゃと楽しげに戯れるのとイコールで
はないのだ、私の場合。セシルも同類だが。
﹁父上、発言を許していただきたいのですが﹂
﹁う⋮⋮うむ、申してみよ﹂
妙に機嫌のいいセシルにコルベラ王は若干引きながらも発言の許
可を与える。
﹁では⋮⋮﹂
セシルの言葉を聞きながらも私は窓の外に視線を向けた。
山に囲まれているからこそ薬草類は豊富でも農作物は乏しいと聞
いた。⋮⋮農地が少ないってことだな。
でも山があるなら山芋とかありそう。筍とか。食べ物と認識され
ていないだけであるんじゃね?
今回の件が終ったら探しに行ってみようかなー? ﹁ミヅキ、どうした?﹂
﹁⋮⋮山を探索したいと思って﹂
﹁今回の事が片付いたら行こうな﹂
何となく考えている事を察したのか、セシルが生温かい視線と若
干の期待を向けてくる。
大丈夫、私にとって王太子への興味は山芋以下だがちゃんと葬り
⋮⋮はしないけど黙らせるから。
※※※※※※※※※
そんなわけで当日です。
1363
と言うかキヴェラの行動が予想以上に早かったのだ。
キヴェラは﹃あの馬鹿を何時までも王太子にしとくのはやべぇ!﹄
とばかりに姫帰還を知るや即座に訪問の打診をしてきた。物凄く納
得できます、それだけは同情しよう。
ちなみにそれが帰還から三日後のこと。普通は議会の承認を得た
りスケジュールを調整したり︱︱王太子の訪問なので他随行員含む
︱︱警備体勢の話し合いなど色々やることがある筈である。
特に警備に関しては次代の王となる人物なので重要だ。⋮⋮普通
なら。
つまりこの訪問は結構前から既に決まっていたと?
王太子の警備はいい加減でも問題ないと?
何かあったらコルベラの所為になるじゃねーかよ、ざけんな!
正式に謁見の申し込みがなければ大国の王太子様をお迎えすると
は思えませんな。
この事からもコルベラに対する見下しと誓約を盾に取る姿勢が透
けて見える。確かに国としては優位な立場にあるんだけどさ。誠実
さはゼロですぜ?
そして現在、私がどうしているかと言うと。
﹁⋮⋮お前は何をするつもりだ﹂
何故か宰相様に捕まっております。そうか、ゼブレストからは宰
相様が派遣されたか。
ちなみにイルフェナからは魔王様と愉快な仲間達、バラクシンか
らはライナス殿下とリカード君、アルベルダからは何故か王とグレ
ン、カルロッサからは宰相補佐様を確認済み。
他にも居るらしいけど、私が知ってるのはそれくらい。ちなみに
1364
情報源はセシル。
どう考えても見世物扱いです。一応、謝罪の場なのですが。
﹃国として信頼できる者を派遣されたし﹄とコルベラ王は告げた
らしいので、彼等は間違いなく其々国の代表。
カルロッサとバラクシンは一般的な人選かもしれないが、アルベ
ルダは完璧に見物だ。元気一杯のウィル様に比べてグレンが何だか
疲れてるもの。
皆様、別室にて情報整理の真っ最中ですよ。情報交換の場として
広い部屋も用意されているみたいだしね。
で。
私もそれなりの服装をしなければならないので与えられた客室に
いたのだが、支度が終って廊下へ繋がる扉を開けた先に宰相様。
⋮⋮ええ、偶然その場を歩いていただけだったみたいですがね。
問題児探索機能が備わっているとかではないだろう。
思わず扉を閉じようとする私に素早く反応、即座に捕獲されて部
屋に後戻り。
困惑していたコルベラの騎士さん達は宰相様が連れていたゼブレ
ストの騎士に﹁いつもの事ですから!﹂と笑顔で言われて沈黙した。
そんなわけで部屋には宰相様と私の二人だけ。
﹁当事者として謝罪とやらの見学を﹂
﹁本当にそれだけか!? いいか、ここはイルフェナやゼブレスト
じゃないんだ。勝手な振る舞いが許される筈なかろう!﹂
﹁酷いわ、おかん! 公の場だし、淑女として目覚めたとは思わな
いの!?﹂
﹁誰がおかんだ! お前にそんなものを期待する方がどうかしてい
1365
る!﹂
﹁酷っ!﹂
﹁日頃の行いを振り返ってから物を言え﹂
胸に手を当てて思わず視線を逸らしたら頭を鷲掴みにされた。宰
相様、私の扱いが地味に酷くね?
ああ、でも折角だから聞いておこう。
﹁宰相様、聞きたい事があるんですが﹂
﹁⋮⋮何だ?﹂
やや警戒しつつも話は聞いてくれるらしい。おかん、とりあえず
手を離せ。
﹁後宮破壊の裏事情ってさー、キヴェラが関わってるよねぇ? 側
室達の実家って裏切り者?﹂
﹁⋮⋮何のことだ﹂
﹁後から考えると実家ごと潰すのはやり過ぎかなって。それに十年
程度で側室達の実家があれほど余裕があるのは不自然じゃない?﹂
﹁⋮⋮﹂
一応聞いておきたかったんだよね、これ。宰相様、沈黙してるっ
てことは肯定と受け取るよ?
対して宰相様は探るように私を見ている。
⋮⋮あの、シリアス展開なのでいい加減手を離してくれませんか。
﹁お前、まさかそれが原因で今回の事を引き受けたんじゃなかろう
な?﹂
﹁さあ? レックバリ侯爵が姫を助けたかったのは本当だよ。その
為の事情説明で十年前にゼブレストに侵攻したのがキヴェラだと知
1366
ったんだけどね。今回の件でキヴェラがどういう国かも知ったし﹂
﹁あの、古狸⋮⋮余計な事を﹂
苦々しく呟く宰相様は余裕が無いのか珍しく暴言を口にする。
元凶の古狸は相変らず元気一杯みたいですよ。最近も魔王様とバ
ラクシン泣かせたみたいだし。
﹁後はゼブレストで一度も十年前の侵攻国に触れなかったり、国第
一のルドルフが国力の低下を予想しつつも側室達の実家を潰した事
から推測!﹂
そう続けると宰相様は黙り込んでしまった。まあ、コルベラで自
国の内情暴露なんてできんわな。
とりあえず私の予想は当ってたってことか? 細かい事情は知ら
んけど。
掴んでいた力が抜け、頭に添えられているだけになっていた宰相
様の手を外して立ち上がる。そろそろセシルの支度も済んでいる頃
だろう。
﹁じゃあ、そろそろ行くね。私も謁見の間にいるから後で﹂
﹁やはり今回の事はお前の発案か﹂
﹁賛同してくれたのはセレスティナ姫と王妃様一同だけどね﹂
﹁は!? おい、ちょっと待て!?﹂
慌てる宰相様の声を無視して今度こそ部屋を後にする。
うふふ⋮⋮楽しんでくださいね、宰相様! 私が言ったとおり賛
同を得られたからこそ実現しているのですから!
別にキヴェラが不利になるとかではない。寧ろ有利なことですよ?
さあ、王太子様? きちんと御使いできるかな?
1367
コルベラに到着した使者達には私からの御願いも追加させてもら
ったぞ?
﹃この度、我が国の提案に乗ってくれた事を感謝する﹄
﹃其々情報を得てはいるだろうが、その多くは噂に留まっている
ことだろう﹄
﹃我がコルベラが事実を語ろうとも全てを信じられる事は無いと
思っている﹄
﹃ゆえに其々信頼できる者達の目でキヴェラの誠意が真か否かを
確認してもらいたいのだ﹄
﹃だが﹄
﹃王太子殿下は他国の者の目があれば余計に気を張らねばならぬ
だろう﹄
﹃そこで出席者にある条件を飲んでもらいたい﹄
﹃服装は我が国が用意した貴族、もしくは騎士の装い﹄
﹃そして顔が正しく判別できなくなる魔道具の着用﹄
﹃誠意ある謝罪ならば他者の目が無くとも変わらぬ行動をとるだ
ろう﹄
1368
⋮⋮という﹃全員コルベラ関係者の装いで御願いね﹄というもの。
当日に御願いするのは情報漏洩を防ぐ為だ。
他国の目があれば演技も力が入る事だろう。では、コルベラだけ
でも同じ態度を取るのか観察しようぜ! という試みです。
重要ですよ? だって﹃キヴェラの王太子﹄が﹃コルベラ﹄に対
し誠意を見せる場面なんだから。
公の場での謝罪と言ってもキヴェラはコルベラに対し圧倒的に優
位なのだ、物凄く簡単な謝罪でも﹃謝罪した!﹄と言いかねない。
逃げ道は塞ぐ。これ、基本中の基本。
ついでに娯楽方向に捉えている皆様の好感度を上げるべくネタに
走ってみました。上記の真面目な文章の他に私からの提案そのまま
を別紙に書いて渡している。
そのタイトルは﹃王太子殿下を見守る会︵今回限定で設立︶につ
いて﹄。コルベラ王の真面目な文章を私なりの解釈で今回の事につ
いての御願いをしてみました。 大国の王太子が主役の﹃はじめての﹁ごめんなさい﹂﹄イベント
開催。
概要は幼児が対象の﹃大人が見守る中、初めてを成功させる子供﹄
的なもの。
微笑ましく見守りましょうね、お坊ちゃんを! ⋮⋮という内容︵意訳︶だったのだが、怒るどころかほぼ全員が
快く受け入れてくれたらしい。﹃姫の逃亡を手助けした魔導師から
の提案﹄というのも大きいだろう。
後はキヴェラに対して皆さん思うところがあったという事だろう
か。
噂では嬉々として受け入れたのがアルベルダ、頭を抱えたのがイ
1369
ルフェナとゼブレスト。唖然としたのがそれ以外だったとか。明ら
かに私の認識の差だな。
まあ、私の評価はどうでもいいよ。提案を受けて貰う事が重要だ
からさ。
良かったな∼、王太子。見守ってくれる大人達が沢山居て。誰も
助けないけど。
なお、この計画の時点で既に苛めに近いとはエマ談。その割には
楽しそうにしているね。
コルベラの人達もそれはそれは生温かく見守ってくれるそうだ。
彼等の怒りも下火になることだろう⋮⋮憐れみとか優越感的な意味
で。
﹁セシル、支度はできた?﹂
軽くノックすると話を聞いていたのか侍女さんが笑みを浮かべて
迎え入れてくれる。
奥の部屋から出てきたセシルも支度ができているようだ。おお、
美しいぞ! 侍女さん達が誇らしげになるのも判る気がする。
﹁今日は私がセシルの護衛ね﹂
﹁判っている。さて、どう出るかな?﹂
楽しげに笑い合い手を取る。
さて、王太子様。
互いに待ちに待ったイベントの始まりですよ?
1370
イベントは盛大に︵後書き︶
※魔王との会話は﹃逃げるだけで済む筈は無い﹄参照。
徹底的に王太子をコケにする気満々の主人公。
コルベラ勢が妙に好意的なのはセシルやエマに付随する形で身内認
定されたから。暗躍したのは姫と侍女。
1371
魔導師の掌で踊れ︵前書き︶
別名﹃頭脳労働職の本領発揮﹄。
1372
魔導師の掌で踊れ
﹁⋮⋮噂ほどではなくとも冷遇は確かに行なわれました。深く謝罪
いたします﹂
謝罪を述べ頭を下げる王太子。謁見の間には王族の他に主立った
貴族に近衛騎士、ひっそり他国の使者さんが存在。
私とエマはセシルのすぐ傍で護衛。王太子の言い訳を無表情で聞
いとります。
ふふ、﹃噂ほどじゃない冷遇﹄ねぇ? 誠意って言葉知ってる?
当たり前だが周囲の雰囲気は非常に刺々しい。王太子が連れて来
た側近達も居心地悪そうにしている。
無言の圧力を受けているだけでなく、自分達の方に圧倒的に非が
あると知っているのだから当然か。
王太子には一応きつく言って聞かせてあるのだろうが、内容が内
容だけに何時罵倒されてもおかしくはないのだ。
そうなってしまえば予想されたシナリオどおりの遣り取りで済む
筈はない。⋮⋮主に王太子が原因で。
頼むからさっさと済ませてくれというのが本音なのだろう。普段
は横暴な態度らしいからね、連中。
﹁⋮⋮ルーカス殿がこう言っているが、お前はどう思う? セレス
ティナ﹂
厳しい表情で王太子の謝罪を聞いていた王が娘に顔を向け尋ねる。
それに釣られるように王太子はセシルへと顔を向け、済まなそう
1373
な表情を作って歩み寄る。
﹁セレスティナ姫。私の至らなさをどうか許していただきたい﹂
しっかりと視線を合わせていても言葉とは裏腹に瞳に宿るのは苛
立ち。
誓約の内容を知らなければ宿る感情はともかく和解の構図なのだ
ろう。
﹁どうか再び私の手を取りキヴェラへと来ていただきたい。二度と
このような事は起こさせません﹂
﹃ここまでしてやってるんだから許すと言え﹄とばかりに跪いて
手を差し伸べる。
誓約に縛られる姫にこれを拒む事などできはしない。誓約を知る
側近達は答えを聞く前から安堵の表情を見せ、王太子にも余裕が感
じられた。
だが。
﹁馬鹿にするにも程がありますわ﹂
その言葉に王太子は呆けた表情になった。
﹁ひ、姫?﹂
﹁姫? 私が? 別の女に許しを請う男など誰が信用するというの
ですか?﹂
﹁な、貴女は⋮⋮セレスティナ姫ではっ﹂
﹁私は姫をコルベラまで御連れした魔導師です。私はあれほどの冷
遇をしてきたキヴェラを信用していませんの。王の許可を得て姫の
護衛としてここに居るのです﹂
1374
王が顔を向けた先には私・エマ・セシルの三人が居る。その中で
明らかに侍女のエマは除外されるが残りは服装が逆なのである。
セレスティナ姫はコルベラの近衛騎士の装いを。
私はコルベラで借りたドレスを。
魔導師が公の場に合った服を持っていなくてもおかしくはない。
借りました、ということだ。
私が所持しているドレスだと特殊素材・付加効果という意味でコ
ルベラにしては豪華なんだよね⋮⋮気付かれれば怪しまれる可能性・
大。なので却下。 私がセシルより前に出ていたから王太子は私の方を姫だと認識し
たのだろう。普通ならばそれは正しい。
だが、私は﹃キヴェラを信用していない﹄と言ったのだ。盾にな
るのは当たり前。
ちなみにセシルは髪や瞳の色を変えているわけじゃない。セレス
ティナ姫が騎士服を着ているだけなので﹃判らなかった﹄という言
い訳は通用しない。
﹁魔導師? 貴様、一体何をした!?﹂
﹁何もしていません。はっきり顔が見えていたにも関わらずセレス
ティナ姫と間違えたのは貴方様ですよ? それに今回の事はキヴェ
ラに非があると先程も認めてらしたのでは?﹂
﹁くっ⋮⋮!﹂
﹁私がここに居るのは王に許されたからですわ﹂
そうですよね、と王に視線を向ければコルベラ王はしっかりと頷
き返してくれた。
そもそも無関係な者がこの場に居る事を許される筈は無い。常識
1375
です。
﹁ルーカス殿? 貴殿は姫に謝罪するのではなかったか? それに
な、魔導師殿の同席は儂が頼んだのだ。当事者であるのだから当然
であろう?﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
﹁それとも﹂
王は一瞬その瞳を険しくさせ。
﹁何か不都合があるとでも言うつもりかな?﹂
﹁そんな⋮⋮そんなことはありません﹂
やや顔を青褪めさせながらも王太子は王の言葉を否定する。そう
だよなー、ここで﹃あります﹄なんて馬鹿正直には言えまい。
キヴェラとしては絶対に出てきて欲しくはない、冷遇の真実を知
る﹃逃亡を手助けした者﹄。
コルベラに居ることは当然としてもキヴェラに目を付けられる可
能性から公の場に出てくることはないと思っていたに違いない。
普通は報告だけですね。でも私は普通じゃないので問題無し。
﹁私は当事者として真実を語る義務がありますの。一度動いたから
には最後まで責任を持つのは当然でしょう?﹂
御理解くださいね、と微笑みながら告げるとキヴェラから来た人
々は揃って顔を青褪めさせた。
何の為にお前らの言い訳を聞いていたと思っているのだ。事実と
照らし合わせて追及する為に決まっているだろう?
先に奴等の言い分を言わせておけばそれが﹃キヴェラ公式の見解﹄
1376
となるのだ、公の場での正式な使者による謝罪なのだから。しかも
言った奴は王太子。
逆にこちらが先に言えば使者達からキヴェラの言い分を引きずり
出せなくなる。
こちらが提示した事への﹃個人的な反論﹄ではキヴェラを黙らせ
る事は無理だろう。王太子を切り捨てて新たな使者が謝罪に訪れる
だけ。そうなると同じ手は使えまい。
公の場で言質取られたらアウトだからね、今回は﹃使者達が勝手
な事を言った、キヴェラはそんな風に思っていない﹄と言っても無
駄です。
さあ、これで準備は全て整った。
キヴェラの嘘を正していきましょう?
﹁では、キヴェラで流れた冷遇映像を皆様にも御覧戴きたいと思い
ます﹂
そう言って魔道具を取り出すとキヴェラ勢は益々顔色を青褪めさ
せた。
﹁お、お待ちください! それは作られたものでっ﹂
﹁あら、私はコルベラの皆様にも等しく情報を公開すべきだと思う
のですが? それに偽りと証明されるならばキヴェラにとっても良
い事でしょうに﹂
﹁それは⋮⋮そうですが﹂
﹁いい、黙れ。⋮⋮魔導師殿、私からも御願いします﹂
声を上げた側近を黙らせ王太子は私に向き直る。魔道具の映像と
聞いて若干の余裕が生まれたのか、薄っすらと笑みさえ浮かべてい
1377
る。
﹁魔導師殿ならば御存知でしょう。魔道具の映像は﹃確実とは言い
切れないもの﹄だと。我々を信じるか、そのような物を信じるか。
コルベラの皆様に委ねたい﹂
目を眇めて王太子を見返す。
魔道具の映像の欠点を上げた上でコルベラに判断させるときたか。
そこに公正さなどありはしない。コルベラがキヴェラに対し否と
言えるかという脅迫だ。
﹁勿論ですわ。判断するのは私ではありませんもの﹂
頷き魔道具を操作する。
私がばら撒いた所為で他国の使者達にも見た者は居るだろう。知
っていても眉を顰めてしまう不快な映像は事実ならば許される事は
ありえない。
ふふ⋮⋮王太子様? 容易く縋れる手など相手も思い付くもので
すよ?
※※※※※※※※※
映像が終った後は誰もが無言。其々険しい表情をしてちらちらと
キヴェラ勢に疑惑の視線を向ける。
その中で余裕のある王太子と私は明らかに浮いている。王太子は
自分の勝利を確信してか口元に笑みを浮かべていた。
だがコルベラに問うべく口を開く前に、私が次の手を打つ。
さあ、これからが本番。
1378
﹁まずこれを御覧下さいませ﹂
そう言って傍に控えていたエマから一枚の紙を受け取り王太子に
渡す。
訝しげに受け取った王太子は目を通すなり驚愕の声を上げた。
﹁これは私の後宮の見取り図ではないか!﹂
﹁よく見てくださいね? 確かに後宮の見取り図なのですか?﹂
﹁間違い無い。⋮⋮どうやってこれを入手した?﹂
瞳に剣呑な光を浮かべて私を睨みつける王太子。
だが、私はそれに対し笑みを浮かべる。
﹁御認めになられましたね。それは入手したのではなく描き起こし
たものですわ﹂
﹁何だと?﹂
﹁先程の姫の冷遇映像より描き起こされたものなのです。つまり、
貴方様御自身があれは間違いなく後宮内だと認めたのですよ﹂
﹁な!?﹂
思ってもみない事を言われて絶句する王太子を他所に私は言葉を
続ける。
﹁確かに記憶を映像化する魔道具の映像は幻影や幻覚の影響を受け
るでしょう。ですが﹂
一度言葉を切って王太子の背後に視線を向ける。そこに居るのは
他国の使者達。
﹁それらは術者が明確に作り出さなければならない筈。つまり、後
1379
宮内部の見取り図を作り出せるほど正確な幻影などは後宮を良く知
る者以外無理なのです。極一部を再現するわけではないのですから﹂
﹁事前に侵入すれば可能だろう!﹂
確かにそれならば可能だ。
だが、私は軽く首を傾げて問い返す。
﹁どうやって、ですか? キヴェラの後宮には不審者を咎める警護
の騎士や侍女が居ないとでも? 間違いなく気付かれますよね、そ
のような事をすれば。人物が幻影であるというならば余計に目立ち
ますし﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
﹁⋮⋮ああ、確かに王太子妃様の周辺には侍女どころか護衛の騎士
さえ居ませんでしたが。先程も申しましたようにこれは私が姫をお
救いする際の記憶ですわ。言い忘れましたが魔道具でも撮影してあ
りますよ﹂
﹁く⋮⋮貴様っ﹂
﹁往生際が悪過ぎですわ。初めから正直に事実だったと話せば宜し
いのに﹂
にぃと唇だけを歪めて笑う。初めから魔道具に記録された映像も
あると言わないのは王太子本人に﹃冷遇映像はばっちり後宮内です﹄
と証言させる為だ。
当たり前だが﹃幻覚を見せていた﹄という言い分も通用しない。
幻覚・幻影共に王太子含む後宮丸ごと元になる映像の撮影に協力し
ていなければならないのだから﹃作られたもの﹄と言い張るなら協
力者ということになる。
ゼロから映像を作り出すんじゃないんだよ。別の場所で実際に起
きた事を元に﹃再現﹄するものなんだから。
1380
この場はキヴェラの王太子が謝罪する場なのである。偽りを言え
ば当然心象を悪くする。
誠実さとは程遠い言い訳とあの冷遇が事実だと判り、王太子の背
後では何人かが眉を顰めていた。
彼等だってここまで詳しく証拠を突きつけられれば只の噂などと
は思うまい。十分な判断材料になるだろう。
まずは一勝。さあ、続いて参りましょ!
﹁ああ、これだけは言っておかなければ!﹂
悔しそうな王太子を無視してコルベラ王に向き直る。
楽しげな私に王は僅かに片眉を上げたが厳しい表情を崩すことな
く顔を向けた。
﹁お伝えしなければならない事がございます、王﹂
﹁よい、許す﹂
﹁はい。先程、王太子様は私を姫と間違えました。民の噂話に﹃婚
姻の際にもヴェールすら上げなかった﹄というものがあった事を御
存知でしょうか?﹂
﹁ああ、確かにあったな。聞くまでもなく儂もその場に居た。事実
だ﹂
言い切られた内容に一つ頷く。花嫁の父である王からの証言なの
で偽りと疑われる事はない。
﹁姫や侍女の証言が有るとはいえ婚姻関係を一年結んだ以上は清い
結婚生活であると信じる者は少ないでしょう。ですが、一度でも体
を重ねていれば顔を知らぬなどありえませんよね?﹂
﹁勿論だ。何よりセレスティナと魔導師殿は全く似ておらん﹂
1381
﹁ええ、そのとおりです。ですから⋮⋮セレスティナ姫は未だ清い
御体ですわ。本当に、本っ当に宜しゅうございました﹂
人生の汚点となってしまいますものね! と力一杯いい笑顔で付
け加える私に王はしっかりと頷いた。
これ、超重要。他国の使者達をこの場にお招きする理由の一つで
すよ。
だって、キヴェラが腹立ち紛れにセシルを貶める嘘を吐くかもし
れないじゃん?
王様、頷いたのは﹃よくぞ証明した!﹄という意味か?
それとも﹃その通り! 人生の汚点は要らん﹄という同意?
まあ、声に出さないのは状況をしっかり理解できているからだろ
う。それなら暴言吐いたのは私だけになるからね。
他国の使者さん達もしっかり国に伝えるんだよ。セシルの価値に
響くからな!
﹁貴様、人生の汚点とはどういうことだ!﹂
﹁あら、甲斐性無しの汚れが着かなかった事が喜ばしいのは当たり
前じゃありませんか﹂
﹁甲斐性無し!?﹂
﹁王族・貴族の皆様は政略結婚が当たり前だと聞いています。しか
もこの婚姻はキヴェラ王が望まれたもの。恥ずかしくはありません
の? 立場に縋り権力を振り翳すくせに個人の感情を優先するなん
て﹂
﹁こ、この⋮⋮っ﹂
﹁セレスティナ姫の御顔すら御存知無いことから貴方様が姫に指一
本触れていないことが事実として証明されたのですよ。証明なさっ
たのは王太子様御自身です﹂
1382
王太子は怒りの余り言葉もないのか私を睨みつけている。
はっ! 甘いな、お坊ちゃん。自分の言動がどういう意味になる
のか少しは考えろ。
だいたい睨んだ程度で私がビビるか、魔王様の笑顔の方がよっぽ
ど怖ぇよ!
ゼブレストの側室でさえもっと気合の入った奴が居たぞ? 負け
る事を考えない御馬鹿⋮⋮もとい好戦的な連中だったとも言うが。
それにしても権力を振り翳さなければ人を黙らせる事さえできな
いとは芸が無いね、アンタ。
﹁私はエレーナに誠実であっただけだ!﹂
﹁貴方様の立場では婚姻に必要なのは義務であって愛ではありませ
んわ。嫌でも薬を使うなりして義務を果たすべきでしょうに⋮⋮必
要な事だと諌められぬ寵姫様も何と不甲斐無い﹂
﹁そのようなことを平然と口にする貴様とエレーナを一緒にするな。
女ならば少しは慎みを持ったらどうだ?﹂
﹁本来ならば言わずとも理解できているのが当たり前です。相応し
くない内容だと言う前に御自分の至らなさを恥じていただきたいわ
ね﹂
馬鹿ねー、と言わんばかりに大袈裟に溜息を吐いてやると今度こ
そ王太子は黙った。さすがに分が悪いと思ったらしい。
お馬鹿さんだな、王太子。私は﹃セレスティナ姫の純潔を証明す
る為﹄にこういった話をしているんだぞ?
お前が騒げば騒ぐほどこちらの正当性が認められるだけだ。
しかも﹃エレーナに誠実だった﹄って自分で証言したな?
周囲の皆様は私達の遣り取りから正しい情報を事実として拾って
1383
くれるだろう。
ついでに言うと﹃キヴェラの王太子は王命さえ無視し王族の義務
すら蔑ろにする﹄と公の場で明言してしまった事になるのだが。
気付いてないっぽいねー、あれは。頭を占めるのは私に呆れられ
た悔しさだけだろう。
大変判り易いですね。マジで煽り甲斐のある玩具です。
このまま自滅を狙ってガンガン行きますよ!
﹁そうそう、婚姻ですが。⋮⋮本当にそのような事実はありますか
しら?﹂
﹁なんだと?﹂
﹁誓約は﹃王太子妃は王と王太子に逆らえない﹄という一方的なも
のだったと伺っていますわ。セレスティナ姫は御自分の立場を実に
よく理解なさっておいでですから⋮⋮どのような目的で使われたの
でしょうね?﹂
﹁小国の王女ならば差があって当然だろう﹂
﹁いえいえ、そのような事を申し上げているのではございません﹂
軽く首を振り周囲に視線を向ける。
﹁王太子妃という役割を理解なさっている方を黙らせる誓約。御自
分に都合の悪い事を黙らせる為に使ったのではありませんか? そ
う、例えば﹃王太子妃の予算の横領﹄、﹃持ち物の殆どを取り上げ
食事すら満足に与えぬ冷遇﹄。これらをキヴェラ王に報告されては
拙いと考えたからこそ行動を制限したのでは?﹂
ざわり、と周囲がざわめく。
コルベラの皆さんは事前に知っているのだ、声を漏らしたのは他
国の皆様だろう。
1384
王太子は周囲に視線を走らせると焦ったように口を開く。
﹁何を根拠に魔導師殿はそのような事を?﹂
﹁私ね、これでも色々と調べたのです。政略結婚ですもの、ある程
度の冷遇は仕方がないと﹂
ふうっとわざとらしく溜息を吐き困ったように眉を顰める。
﹁私が後宮内にどうやって侵入したか御存知ないでしょう? 貴方
が姫に与えた部屋⋮⋮まあ隅の小さな部屋ですが。あれは隠し通路
への出入りの為の部屋でしたの。家具が殆ど無い事も発見に繋がっ
た理由だそうですわ﹂
﹁な!? ﹂
知らなかったのか王太子は声を上げる。
⋮⋮お前、避難経路は確認しとけよ。もしくはどの部屋にセシル
を押し込めたか知らなかったのか。
﹁驚かれたようですね。王太子様、今驚かれた事で貴方様が﹃姫の
待遇に全くの無関心だった﹄と証明されました﹂
﹁部屋を用意したのは侍女達だ!﹂
﹁ですから彼女達は貴方様の言葉に従い、後宮内で最も王太子妃に
相応しくない部屋を宛がったのではありませんか? 彼女達は隠し
通路の存在など知りませんもの﹂
実際、ある程度の立場でなければそんなものを知る筈が無い。
ついでに言っちゃうと隠し通路って城にも繋がってるからね? ﹃図書室の倉庫に繋がっている﹄という情報をちらつかせるだけで
事実だと証明できる。
ダンジョン、もとい隠し通路を探索済みなのは個人的な趣味です
1385
が。
﹁侍女のエメリナは必死だったのでしょうね。そこから町へ向かい、
身に着けていた装飾品を売って糧を得ていたそうですわ。確かに私
が滞在した数日、毒入りの食事が運ばれた程度でしたし﹂
﹁侍女達の職務怠慢だろう!﹂
﹁あら、嫌がらせを推奨なさっていらしたのに? それに⋮⋮王太
子妃様に良くすれば貴方様の不興を買い遠ざけられるのです、でき
るだけ関わらないようにするしかなかったのでは?﹂
﹁⋮⋮魔導師殿、一ついいか﹂
不意に王が声をかけてくる。
﹁そのような状態ですら事態が発覚しなかったのは何故だ?﹂
﹁御二人がそれなりに自活されていた事が原因の一つですね。他に
は﹃それに気付く者が居なかった﹄所為だと思われます﹂
﹁気付く者が居ない? 王太子妃ならば侍女の一人くらいキヴェラ
から付くだろう﹂
﹁居ませんでしたわ、その侍女すら﹂
コルベラ王の視線が鋭さを増す。
お父さん、抑えてください。貴方の娘の逞しさにも原因があるん
ですから!
﹁ほう⋮⋮全てはエメリナ一人がやっていたというのか﹂
﹁ええ。ですからこのような物を残していたのでしょうね。自分に
何かがあった時の為に﹂
控えていたエマから日記を受け取り王に差し出す。頷いた王に控
えていた御付きの人が日記を受け取って王に差し出した。勿論、既
1386
に内容は知っている。
単なるパフォーマンスなのです。王が﹃何か協力できるかね﹄っ
て言ったから。
折角なのでコルベラ代表として王太子にチクリとやる役を頼んだ
のだ。
日記を受け取ったコルベラ王はパラパラとページを捲り暫し目を
通すと口元を歪めた。
﹁⋮⋮。おやおや、冷遇などでは生温い表現ではないかね?﹂
﹁ええ、そう思います。ですから私は行動いたしました。これ以上
あそこに置いておけば間違いなく命に関わりますもの﹂
﹁そのようだな。さて、ルーカス殿? ここに書かれた内容は知ら
ぬでは済まされないと思うが?﹂
﹁私には⋮⋮報告がされませんでしたので。改めて謝罪いたします﹂
その言葉に周囲の視線は一層冷たいものとなる。
おい、王太子。﹃知らない﹄じゃ済まねーって今言われただろ。
とことん侍女達の所為にする気かい。
コルベラ王も当然その程度の言い訳で許す筈は無い。
﹁これはおかしな事を言う。貴殿は後宮の主としての役目を放棄さ
れていたと?﹂
﹁そのようなことはっ!﹂
﹁王、そのような事を言っても無駄ですわ。この会話をしている意
味すら気付いていらっしゃらないようですし﹂
クスクスと笑いながら王太子を﹃困った子ねぇ﹄とばかりに見る。
そんな私にコルベラ王は﹃仕方ない﹄と溜息を吐いて追及を止め、
王太子は怪訝そうに私達を交互に見つめた。
1387
﹁王太子様。貴方様がこの場にいらっしゃった目的があるように、
私にも目的が有りますの。⋮⋮貴方様の誠意を試し、冷遇が事実で
あると証明する目的が﹂
﹁な、に⋮⋮?﹂
﹁御自分の発言を思い返してくださいな? ﹃自分は知らない﹄?
﹃侍女達の職務怠慢﹄? 貴方様が誠意ある謝罪をするならば、
その者達の行動を把握し処罰をコルベラ王に伝える義務があるので
はありませんか?﹂
実際、これらは必須である。自分が関与していなくとも主として
謝罪する⋮⋮というのが今回の謝罪なのだから。
にも関わらず王太子は﹃自分はやっていない!﹄と繰り返してい
る。
これは本人が﹃誓約さえあれば何とかなる﹄と思っていたからに
違いあるまい。誓約を行使し、セシルに取り成させようという魂胆
が丸見えだ。最初でコケたが。
まあ、私が居なければそれで済んだだろうね。本人同士の和解が
成立しちゃうから。
﹁映像だけではなく王太子様御本人が冷遇を事実と﹃公の場﹄で認
めましたもの! これで噂に過ぎないという言い訳は使えません。
私達は﹃誰が行動したか﹄など興味が有りません、﹃冷遇が事実で
あるか否か﹄という事のみですわ﹂
﹁貴様っ!﹂
﹁ああ、貴方様も立派に冷遇の共犯ですわ。後宮の主としての権限
と誓約によって侍女達や姫の行動を制限していなければ成り立ちま
せんものねぇ? 姫はキヴェラ王自らがお連れになった王太子妃で
すもの、その状況を訴える事が可能ですわ。キヴェラ王にも誓約の
影響がありますし偽りは言えないでしょう﹂
1388
さて、王太子。これで﹃王太子は冷遇に関与してない﹄なんて言
えなくなったぞ?
ここが公の場であり各国の使者達が居る以上は私の言葉も当然伝
えられる。単なる魔導師の戯言じゃございませんよ、王太子妃逃亡
の当事者にして冷遇映像記録者本人の追及なのだ。
許す気なんて無ぇぞ? じわじわと包囲網を狭めてやろうなぁ!
一気に突き落とすなんて真似はしませんよ、逃げ道を探させてお
いて塞ぎます。
⋮⋮あ。何だか凄く楽しそうにしてる人が居る。アルベルダ王だ
な、多分。
気持ち的には﹃頑張るねー!﹄と手を振りたい心境です。きっと
振り返してくれるね、あの人。
さて、これまでの事をちょっとおさらい。
・冷遇映像が本物であり事実だと確認
・セレスティナ姫は未だ清い体と証明
・映像に映っていない部分の冷遇︵侍女・護衛の不在、日々の糧さ
え無い状況、王太子本人による後宮の主としての義務の放棄・誓約
を使った姫の行動の制限による隠蔽工作︶の証明
これくらいかな? 既に詰んでる気がするけど何か言い訳してく
るんだろうか。
王太子は絶賛私を睨み付け中ですよ! 困った子だなー、そんな
に遊んで欲しいのか。
⋮⋮。
1389
吼える駄犬を躾るのも重要だしな!
じゃあ、次いってみようかぁ!
﹁そうそう、その誓約ですけど。私、先程﹃本当にそのような事実
はありますかしら?﹄と口にしましたわね? それはこのような物
があるからなのですけど﹂
一枚の紙を取り出す。未だ折り畳まれたままのそれに王太子も周
囲も怪訝そうな顔になる。
見た目は只の紙だ。魔力を感知できない限りはね。
﹁﹃ある場所﹄から拝借してきましたの。ああ、勿論これを抜いた
後はきちんと﹃鍵﹄を掛けて来ましたから他に盗難などされていな
い筈ですわ﹂
﹁ふむ、魔導師殿? それは盗み取ったとは言わんのかね?﹂
﹁お借りしただけですわ。それに盗難届が出ていない物を所持して
いたところで処罰できません。訴える者が居ないのです、少なくと
も現時点では﹂
盗難云々の追及をされない為にも事前にこの会話は必要です。協
力者は勿論コルベラ王。
この場での最高権力者であるコルベラ王が納得してしまえば盗難
に対する追及は後回しにできる。って言うか用が済めば返す気だし。
﹁さて、王太子様⋮⋮貴方様はセレスティナ姫と本当に婚姻してら
っしゃいました?﹂
にこりと笑って折り畳まれた紙を開く。そこに在るのは王太子の
サイン。
それが何かを悟った王太子は驚愕に目を見開いた。
1390
﹁な、婚姻の誓約書だと!? 何故ここに!?﹂
﹁お借りしてきました、脱出の際に。王太子様はこちらに来る前に
確認してきたのですか?﹂
﹁い、いや。誓約は解けていないと宮廷魔術師が言っていただけだ
が﹂
﹁そのとおり。込められた誓約は未だ有効ですよ﹂
婚姻の誓約書にセレスティナ姫のサインは無い。コルベラ王に差
出すと頷いて受け取り軽く目を通す。
﹁ふむ。何処にも姫のサインは無いな﹂
﹁そんな筈はない! 誓約は成った筈だ!﹂
﹁だが、何処にも無いぞ? 確認してみるかね?﹂
御付きの手によって渡された誓約書を見た途端、王太子は小さく
﹁馬鹿な⋮⋮﹂と呟き固まった。
そういや誓約書は術を解除するしか術が無いんだっけ?
王太子は最終兵器を打ち砕かれて硬直してるようにしか見えない
けど驚きは無いのか。
﹁私、悪戯が大好きですの! セレスティナ姫をお救いする際、邪
魔でしたので少し弄らせて頂きました。ふふ、王太子様? セレス
ティナ姫に縋る思惑が外れて悔しいですか?﹂
﹁魔導師殿、どういうことだ?﹂
﹁キヴェラは誓約を利用するつもりだったということです。冷遇が
事実であろうが王太子妃である﹃証拠﹄がある以上は王太子様直々
の﹃謝罪﹄のとおり﹃許さなくてはいけない﹄のですから。当事者
達が和解してしまえば他国は口を挟めませんもの﹂
﹁なるほど、姫の自由を得る為だけに誓約書を奪ったのではないの
1391
だな﹂
﹁はい。これでセレスティナ姫が誓約に縛られることはありません。
婚姻の事実も消えますし良い事尽くめですわ﹂
にこやかに告げる私に王太子は射殺しそうな視線を向けたまま詰
め寄ってきた。その手には誓約書が握り締められている。⋮⋮いい
んだろうか、皺くちゃにして。
﹁良いわけないだろう! 貴様、神聖な誓約を何だと思っている!﹂
﹁国が決めた婚姻を蔑ろにし、その神聖な誓約さえ自分の為に使う
貴方様に言われたくはありませんね﹂
﹁この盗人が!﹂
﹁既に貴方様の手に返却されていますが? 盗難届も無く返却され
た以上は罪に問えないと思いますけど﹂
﹁く⋮⋮貴様ごときに、貴様の所為で⋮⋮!﹂
﹁公の場で見苦しい真似は止めた方が宜しいですよ? キヴェラの
顔としてこの場にいらっしゃる王太子様?﹂
コルベラの皆様が姫の冷遇映像にさえ動かなかったのは何の為だ
と思うのです? と付け加えると少々冷静さを取り戻したのか私と
距離を取った。
使者の皆さんはもはや厳しい視線を隠そうともしない。明日は我
が身かもしれないのだ、徹底的にキヴェラへの対抗手段を探し国へ
と持ち帰るだろう。
⋮⋮極一部の人達が私に対し厳しい目を向けているけどさ。
﹃大人しくするのはお前もだろう!﹄という突っ込みですか? 説教は後にしてください。
﹁誓約の無い状態でセレスティナ姫にお尋ねします。貴女様はどの
ようになさりたいのですか?﹂
1392
﹁私はコルベラの王女だ。キヴェラの王太子妃として在ったことも
そう扱われたこともない! あのような待遇でどうしてそう言える
のか理解に苦しむな﹂
﹁そうですよね。侍女以下の扱いですもの、大国の妃だというのに
は無理があり過ぎますわ。コルベラの王女がキヴェラに滞在してら
しただけですよね﹂
婚姻の証明が無いならば冷遇を理由に﹃実は王太子妃ではなかっ
た﹄という言い分が立つ。
寧ろこの扱いで王太子妃とか言おうものならキヴェラの体制その
ものが疑われるだろう。
もっと言うなら他国に強い不信感を植え付ける事ができる。即ち
⋮⋮﹃キヴェラは他国の王家ですら侍女以下と見なしている﹄と。
これを覆す要素は今のところ存在しない。王太子が不誠実さを暴
露しまくっているし。
少なくともこれでセシルは確実にキヴェラから逃げられる。﹃王
太子妃として嫁いだ﹄のではなく﹃コルベラの王女が滞在していた
だけ﹄なのだから。
王女への不敬を帳消しにする意味でもキヴェラはコルベラに強く
出れまい。
﹁ねぇ、王太子様? 私、この計画を思いついた時にある人にこう
言ってますの。﹃時間稼ぎをする事がキヴェラにとって優しさであ
り惨酷さです﹄って﹂
さあ、遊びはもう終わり。
優しく優しく終わりを告げてやろう。貴方には打てる手などない
1393
のだから。
﹁キヴェラが誠意を見せるならば姫の到着を待つ必要などないので
す。冷遇に関わった者全てを重く処罰し、セレスティナ姫を祖国へ
とお返しすると共にコルベラとの変わらぬ関係を明言し、貴方様は
誠心誠意コルベラ王にお詫びし国に処罰を仰ぐ。そこまでされれば
コルベラとて振り上げた手を収めますわ。そしてコルベラが納得す
れば他国も介入できません﹂
王太子は黙って聞いている。周囲も同様。
﹁キヴェラ上層部の皆様は欲張り過ぎなのです。一つの事を成すつ
いでに更に有利に事を進めようとする。罪人達の実家を潰す理由を
得る為・他国に誠実さを見せつける為にわざと罪を自覚させないま
ま追っ手とするように﹂
﹁⋮⋮最小限の行動で多くを成す事を目指すのは当然だろう﹂
﹁確かに政はそういうものですね。ですが、今回は誠実さを認めら
れる事が重要なのではありませんか﹂
キヴェラ上層部は有能だ。だからこそ結果を重視し過ぎたんだよ、
王太子。
今回必要だったのは結果じゃなく誠意なのだから、裏がバレれば
これ以上無い悪手となる。
﹁私、王太子様が嫌いです﹂
﹁何だ、唐突に﹂
突然の言葉に怪訝そうな顔をする王太子を表面上は笑みを浮かべ
て見つめる。
得体のしれない生物を前にした恐怖か、王太子の瞳には若干の怯
1394
えが見えた。
ああ、慣れない言葉遣いが面倒だ。そろそろ適当でいいか。これ
からの内容は不敬どころじゃないんだし。
﹁イルフェナのエルシュオン殿下を﹃魔王も大した事は無い﹄、ゼ
ブレスト王を﹃貴族に嘗められたお坊ちゃん﹄などと言って格下扱
いするのですもの。それなりの準備をしなければ勝てない相手と期
待しましたわ﹂
なのに⋮⋮と残念そうに溜息を吐く。
﹁実際は自分の感情を最優先する下らない方でしたのね。王族とし
ての権力を振り翳す事しかできない無能者、立場に対する義務を放
棄しその重要性さえ理解していない粗末な頭にがっかりです﹂
﹁な!?﹂
﹁時間は十分ありましたわ。事が起きた後どう行動するかによって、
人の本質や能力が見極められますの。王族としては信頼に値しない、
立場を理解できない、義務を怠り感情を優先するなど底辺を極めて
ますね。そもそも王族として立派に務めてらっしゃるならばこのよ
うな事は起きません﹂
﹁黙れ!﹂
王太子の怒鳴り声を一切気にせず私は言葉を続ける。
﹁次に個人として。他者を見下すくせに自分が見下されるのは許せ
ないとは何と幼稚な。本当に外交を担ってらっしゃったのですか?
それに大人ならば感情を切り離し場に合った態度をとるのは当然
なのですけど、それもできてらっしゃいませんね﹂
﹁貴様が煽るからだろうが!﹂
﹁容易く挑発に乗るなど愚かの極みですわ﹂
1395
きっぱり言い捨ててやると意外にあっさり黙った。まあ、沈黙す
るのが正解か。
一部の人々が唖然としてるけど無視です、無視。
ああ、魔王様が﹃それを君が言うかい!﹄とばかりに頭を抱えて
ますね。
監視が必要なアホ猫に期待しないでくださいよ。私は自覚がある
上での行動です。
﹁恋に生きてらっしゃるようですけど、何の努力もせず自分達の主
張ばかりを繰り返すだけの安っぽい恋愛劇など周囲の理解を得る事
はありません。現に支持者は貴方達に気に入られようとする野心を
持つ者ばかり。身分違いの恋? 立場に見合った態度をとる事がで
きない者同士の恋など反対されて当然でしょう! 迷惑を被るのは
周囲なのですから﹂
﹁エレーナを侮辱するな!﹂
﹁私が心の底から呆れているのは貴方様に対してです! 王太子様
がまともな行動をとらないばかりに寵姫様も同類に見られているの
ですよ﹂
寵姫の評価を下げたのが自分だと言われ何か思う所があったのか、
王太子は顔を青褪めさせた。
キヴェラでは﹃王太子妃に相応しくない﹄とは言われても個人的
にどうこう言われた事はなかったんじゃないか? そもそも貴族令
嬢は我侭・贅沢好きが珍しくないんだし。
それに寵姫さんの行動が謎なんだよなぁ、セシルを守っていたよ
うな気がしなくもない。
﹁最後に男として﹂
﹁ちょっと待て、何故そうなる!?﹂
1396
さすがに周囲はギョッとしたような顔になった。
え、私﹃王太子嫌い﹄って言ったじゃん? ならば徹底的にいき
ますよ?
﹁さっさと寵姫様を孕ませていれば正統な跡取りとしてキヴェラも
無視できません。周辺諸国に縁組の打診でもされれば後ろ盾を得る
という意味でも寵姫様の立場を揺るぎ無いものにできたでしょう。
⋮⋮で、現実は? 何年恋人ごっこをなさるおつもりで? 正妃に
見向きもしないほど熱愛しているのに?﹂
顔色の変化が実に忙しないですね、思い付きもしませんでしたか。
はっは、悩むがいい! 焦るがいい!
ここで否定すれば﹃寵姫が不妊﹄と言われ、黙っていれば﹃自分
が種無し﹄と言われることになる。
究極の選択だよなぁ、王太子様? 今後に関わるんだからさ。
実際は間違いなくキヴェラ上層部が動いていたと思われる。王太
子に手を焼く人達がこの可能性に気付かない筈は無い。
子供ができればさすがに二人の関係を無視できないのだ、寵姫の
出自はともかくとして。
しかも王太子は王命でさえ無視する人なのだから勝手に他国へと
縁組要請しかねない。
上層部を一切無視した行動をとれば最悪国が分裂する可能性もあ
るとは考えもしないだろう。
何より王太子はキヴェラ上層部を嘗め過ぎだ。
王太子は王妃の子である自分だけが次の王だと無条件に信じてい
るが、王子は彼だけではなくキヴェラ上層部はそう甘くは無い。
王子が他にも居る以上、廃太子にして弟王子を正当な後継ぎにす
1397
るという強行措置もとれるのだ。
さすがにそれは最後の手段だろうが、現時点でもできる事はやっ
ていると推測。
後宮に手が出せない以上は寵姫暗殺を狙うより子供ができないよ
う一服盛った方が確実だ。多分、盛られてたのは王太子の方だと思
うが。廃嫡の理由にできるから。
未だ悩んで答えが出せない王太子に冷めた視線を向ける者は多い。
少なくともこの場に居る人々は王太子や王太子の子と縁組しようと
は考えないだろう。
キヴェラでの扱いが怖過ぎる。下手すりゃ気付かぬうちに継承権
争いに巻き込まれてしまう。
これで王太子の後ろ盾候補は消えただろうねぇ。今後、外交的な
意味で王太子に側室を差し出しても利益は無い可能性が高いのだか
ら。
﹁これで判ったでしょう? ﹃時間稼ぎをする事がキヴェラにとっ
て優しさであり惨酷さ﹄という意味が。この場ですら誠意を見せな
かった貴方様に容赦など必要ありませんわ。王族として、人として、
男として。全ての意味で徹底的に貶めてさしあげます﹂
﹁魔導師殿は⋮⋮自分達が逃げている間にキヴェラが相応しい振る
舞いができるか否かを他国に判断させる為に遠回りをしたのか﹂
﹁そう思っていただいて結構ですよ。遠回りした方が逃げ易かった
事も事実です﹂
コルベラ王の問いに頷き肯定する。楽しげに笑えば私を知る一部
以外の人々が慄いた。
やだなー、キヴェラにもチャンスあげたんだよ。潰して自滅した
のは自業自得。
1398
﹃性格悪っ! 何その無駄な計画性。⋮⋮嫌い? そこまで王太子
が嫌い!?﹄
﹃え、さっき姫を救う為って言ってなかった? 誰だ、善意の魔導
師とか言った奴!﹄
口にせずとも感想はこのあたりだろうか。おおぅ、疑惑の視線が
ビシバシ突き刺さる。
逆に落ち着き払ったコルベラ王はひっそり親指を立てていた。決
着に納得していただけたようで何よりです、コルベラ王。
王太子の側近達は言い返そうにも私の反論を恐れて結局無言。十
倍返しどころか身の破滅が待っていると漸く理解したらしい。
﹃最悪の魔導師﹄? ﹃賢さは暴力より性質が悪い﹄?
ええ、自覚がありますとも! 魔導師は天災扱いだもの、今更で
しょ?
殺す事が無理ならば徹底的に。何の為に逃亡旅行の計画を組んだ
と思ってやがる。
あの王太子ならば絶対に恥を晒す! そう確信していたからに決
まっているじゃないか!
キヴェラで内情を知ってからは最短距離でもいけるんじゃないか
と思いました。短縮しなかったのは王太子様を知ったからに決まっ
てる。謝罪程度で済ますかよ。
予想外に優秀な上層部に計画の失敗を危ぶんだが、そこは国の内
部を乱すことでカバー。
これらは元から逃亡に必要だったから特に問題無し。当初より増
えただけだ。
1399
本当にお気の毒です、キヴェラ上層部の皆さん。自国が揺らいだ
状況では問題児一人に構っている訳にはいきませんからね!
﹁貴様⋮⋮許さんぞ。そんな口叩けなくしてやろう!﹂
﹁あら、貴方にできます?﹂
周囲の視線や囁きから、そして何より私の言葉から自分の失敗を
悟った王太子は公の場である事も忘れて感情のままに怒鳴りつける。
それに対し﹁できるの?﹂とばかりに挑発的な笑みを浮かべて返
してやれば口元を歪めて暗く笑った。
傍に控えていた王太子の側近が諌めようとするが遅い。
﹁これほどの侮辱許し難い! 我がキヴェラは貴様に宣戦布告する
!﹂
ざわめきが一気に静まる中、私はその宣言を笑みを浮かべて受け
た。
ねえ、王太子様?
私の獲物は⋮⋮最初からキヴェラという﹃国﹄なのですよ?
1400
魔導師の掌で踊れ︵後書き︶
※王太子が青褪めたのは王妃の言葉を思い出したから。
﹃逃げ場がなく従うしかない状況﹄なら周囲の同情を買えますが﹃
逃げ道があったのに自滅﹄では呆れられるだけですよね。
1401
踊った後には追い討ちを︵前書き︶
﹃おじいちゃんの御使い﹄が終れば自分の時間です。
1402
踊った後には追い討ちを
﹁これほどの侮辱許し難い! 我がキヴェラは貴様に宣戦布告する
!﹂
大国の宣戦布告に周囲は静まり返り、視線は当然私に集中した。
王太子の言葉とはいえ国第二位の存在なのだ、つい口を滑らせた
などとは言えはしない。
だが。
﹁⋮⋮宣戦布告? キヴェラが私個人に?﹂
﹁そうだ! キヴェラの王太子をここまで侮辱して只で済むとは思
うな!﹂
﹁あらあら、私は事実を述べただけですわ。それでも侮辱だと仰る
? 御自分に非があるというのに?﹂
﹁下賎の者が王族に逆らうなど許される筈は無いだろう。身の程を
知れ!﹂
相当頭に血が上っているのか王太子は身分を振り翳すばかり。い
や、ある意味正しいよ? ここが﹃キヴェラがコルベラに対し謝罪
すべき公の場﹄で私が﹃冷遇の証人﹄でなければね?
それらを重視するなら身分云々は口にすべきじゃないのだ、キヴ
ェラは権力を振り翳しコルベラを黙らせようとしていることになっ
ちゃうから。
そもそも私が提示した証拠・証言に不審な点があれば王太子の側
近が口を出しているだろう。それができない時点で負けを悟るべき
じゃないのかね?
まあ、それはどうでもいいんです。ここからは私の為の時間だか
1403
ら!
﹁ふふっ、本当に愚かな方﹂
くすくすと笑いながら王太子の後ろ⋮⋮他国の使者達に視線を向
ける。
﹁皆様、しっかり聞いておいてくださいね? ﹃キヴェラの王太子﹄
が﹃私個人﹄に対し﹃国として宣戦布告﹄したということを﹂
﹁なんだ、証人にでもするつもりか?﹂
﹁ええ! ⋮⋮﹃宣言をした時点で貴方様がキヴェラの王太子であ
る﹄ということがとても重要ですから﹂
﹁な、に?﹂
﹁あら、だって﹂
一度言葉を切り、にやりと口元を歪め。
﹁正式な決定権はキヴェラ王にありますでしょ? 後から﹃既に廃
太子された者の言葉ゆえ無効﹄などと言われてしまうかもしれない
ですし。まあ、ここが﹃公の場﹄であり﹃キヴェラからの正式な使
者﹄である以上はそんな逃げ道など許しませんが﹂
他国の使者達をこの場に潜ませた理由は幾つかある。﹃正式な謝
罪の場に証人として出席してもらうこと﹄と﹃こちらからの情報で
はなく自分達の目で確かめ判断してもらう為﹄。この二つはキヴェ
ラがコルベラに対して脅迫を行ない、事実を捻じ曲げて他国に伝え
る事を防ぐ為だ。
当然セシル開放の為でもあるのだが、その後の事も踏まえて手を
打っておかないと今回の事が実にキヴェラに都合よく情報操作され
る可能性がある。他国としても明確な証拠がない限り大国の言い分
1404
を無視できまい。
ところが今回はそんな真似が絶対にできない。国の信頼する使者
がコルベラからの提案で謝罪の場にいる事を許されたのだ、﹃コル
ベラは隠す気なんてないよ﹄という意思表示です。
これによりコルベラやセシルが不利になる情報が流れても疑われ
るのはキヴェラ。味方する国もないだろう⋮⋮自分達がコルベラの
立場になるかもしれないのだから。
まあ、それが一つ。もう一つの目的は私個人の為。
﹃王太子から個人への宣戦布告﹄が無ければ私は動けないのだよ。
保護されている国はイルフェナなのだ、私が喧嘩を売ろうにも当
然諌める義務がある。先に手を出せば責任追及はイルフェナにいっ
ちゃうので、どれほど憎くとも手が出せない。
そして同じくらい重要なのが﹃宣戦布告した時点で間違いなく王
太子だった﹄という﹃事実﹄。コルベラだけじゃなく他国の皆様が
正式な謝罪の場に居るからねー、キヴェラが﹃切り捨てた後だった・
王太子じゃないから無効﹄と言い訳しても通用せん。
これにより私個人がキヴェラと一戦交えるフラグが立つ。寧ろこ
れしか無い。
イルフェナを巻き込まず私個人がキヴェラとドンパチやらかす重
要なフラグですよ。私個人に喧嘩売ってきたのはキヴェラ。個人的
な報復ならば文句を言われる筋合い無し!
逆にイルフェナがキヴェラに﹃魔導師を煽るな、ボケェっ!﹄と
抗議することも可能なのだ、異世界人を保護し諌める側として。
私は証言者としての義務を果たしただけなのに、都合が悪いから
と喧嘩を売った王太子が一方的に悪い。それは他国の使者達も見て
いるから誤魔化しようが無いだろう。その流れに持っていくだけで
1405
は罪とは言わん。
嗚呼⋮⋮漸く来たぜ、待ちに待った瞬間が!
お人形に込める予定だった想いを本人にぶち当ててやろうなぁ?
﹁どういうことだ⋮⋮? 私が切り捨てられるなどっ﹂
﹁捨てた方が早いじゃありませんか。国を傾ける王族など不要です
し、キヴェラがそう甘いとは思いません。それに﹂
王太子にゆっくり近付き、にこりと笑った後。
﹁私が貴方様を〆ますから。勿論、キヴェラも﹂
﹁は? う、わっ!?﹂
一瞬呆けた王太子に構わずパチリと指を鳴らす。衝撃波は王太子
の両下腿を直撃し、膝から床に落ちた。
﹁つ⋮⋮貴様、一体、何を﹂
﹁私があんたの胸倉掴めないからに決まってるでしょ!﹂
痛みと驚きに言葉が切れ切れになっている王太子の胸倉を掴んで
堂々と言い切る私に周囲は別の意味で沈黙した。
いや、だって身長差があるからさ? 無駄に高い分は膝を着いて
もらわなきゃね?
﹁勝手な言い分を﹂
﹁あれほど言いたい放題言わせてあげたんだもの、次は私の番よね﹂
﹁な⋮⋮ぐ!?﹂
右手で胸倉を掴み、左手でドス! と拳を鳩尾に一発。
1406
私にとっては王太子の体は重い? 殴っても威力が無いだろう?
大丈夫! 手首には対象が軽量化されるよう設定した魔道具、拳
には空気を纏わせることで呻く程度の威力は出るから!
準備は万全です。これを見ても判るように最初からボコる気満々
でした。こいつに何を言っても無駄だと知っているもの、言い訳は
いいから直接殴らせろ。
﹁馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど本っ当にどうしようもない奴ね!
さすがは出来損ないと評判の王太子様だわ﹂
﹁何だと!? もう一度言ってみろ!﹂
﹁出来損ない、無能、王妃の子というだけで王太子の立場に居るキ
ヴェラの頭痛の種、甲斐性無し、悲劇の主人公を気取ったナルシス
ト、それから⋮⋮⋮﹂
﹁お、おい。増えてるぞ?﹂
リクエストに応え口にする私に他国の使者から突っ込みが入った。
なんだ、黙っててもちゃんと聞いてたのかい。
﹁事実ですから問題無しです!﹂
﹁貴様、調子に乗るのもっ!?﹂
﹁煩い、黙れカス!﹂
﹁カス⋮⋮﹂
﹁こいつの名前ってルーカスで合ってますよね? 略してカス。ほ
ら、嘘は言って無いし間違いでもない﹂
拳を入れて再び王太子を黙らせつつ、﹁内面も十分カスですよね﹂
と付け加えると反応に困った使者さんは沈黙し視線を逸らした。
皆さんの反応は﹃確かに﹄と頷く者、唖然としたまま未だ硬直中
1407
な者、頭を抱える者と大きく分けて三パターン。
はっは、細かい事を気にしていたら大物になれませんよ! 今は
ついでに嘲笑っておきましょうよ、キヴェラの王太子様をね。
﹁あ∼⋮⋮魔導師殿、貴女はそちらが本来の性格か?﹂
何処かで見たことがある赤毛の騎士が顔を引き攣らせながら尋ね
て来る。おお、セシルに御相手願いたいとかぬかしやがった騎士じ
ゃん。こいつも来てたね、そういえば。
﹁勿論。場に合った態度と言葉遣いは当然でしょう?﹂
﹁今はいいのか?﹂
﹁事前にコルベラ王に﹃場合によっては御前をお騒がせします﹄っ
て許可を得てるよ﹂
﹃ちょ、コルベラ王知ってたの!? 知ってて許可した? やっぱ
り怒ってた!?﹄
何人かの声無き叫びが聞こえた気がした直後、視線はコルベラ王
に集中した。王座には相変らず厳しい表情のコルベラ王。
﹁ふむ、娘が世話になったのだから多少の我侭は聞いてやらねばな
るまい﹂
﹁多少ですか、これが﹂
﹁コルベラ帰還までの報告を聞く限り大人しいと思うぞ?﹂
その言葉に一部以外は暫し硬直。そして。
﹁大人しい!? 大人しいのですか!?﹂
﹁え、嘘ですよね? ちょ、一体何やらかしてきたの!?﹂
﹁⋮⋮エルシュオン殿下、少々伺いたい事が﹂
1408
﹁アルベルダか? カルロッサか? 何処だ、被害に遭った国は!
?﹂
使者達、言いたい放題です。つーか、私が加害者的に言われるの
は何故だ。
ちなみにコルベラ王や上層部には旅の思い出をダイジェストで話
してある。カルロッサはあの事件の当事者であるセシルが姫だと事
前に聞いたらしく、使者がコルベラに着いた直後に報告と御礼を述
べていたから丁度良かった。
おそらく疑問を持った宰相補佐様にクラレンスさんあたりがばら
したのだろう。﹃魔導師が姫と侍女を連れ帰った﹄なんて聞けばタ
イミング的に誰の事か察するよね。
まあ、確かにちょっとはしゃぎ過ぎだったかもしれない。でもそ
の対象が﹃王太子の親衛隊﹄だと話したのでコルベラの皆様は拍手
喝采、誰にも咎められてはいない。支持を得たのは私、多数決によ
り正義とされたのも私、コルベラ内に限り異論は認めない。
と言うかカルロッサでの事件に至っては追っ手どもがリアルに犯
罪者なので自己防衛に過ぎない。問題にしようが無いのだ。
﹁なるほど。ついでに聞くがキヴェラの混乱もお前さんか?﹂
﹁勿論!﹂
やや呆れながらも確信を持って尋ねて来る騎士にいい笑顔で頷く。
すると再び王太子が暴れ出した。
﹁貴様の所為で我が国は迷惑を被ったのか!﹂
﹁あんたの所為でキヴェラは迷惑を被った挙句に私の付け入る隙を
作ったんだよ﹂
ドスドスと鳩尾を殴りながら︱︱意外と平気そうだ。殴る位置が
1409
ずれている事もあるだろう︱︱再び王太子に向かい合う。私の目的
はキヴェラだが王太子も大嫌いなのだ、これまでを思い返すと怒り
が湧き上がる。
﹁魔王様やルドルフをよくぞあそこまで格下扱いできたものだわ。
私の保護者と親友があんた如きに嘗められるなんざ、許せる筈ない
でしょ? ああ、そういえば私は珍獣だったかしら? ならば法で
裁けないわよねぇ?﹂
﹁ぐ、がぁっ⋮⋮いいかげん、に﹂
﹁反論は認めない。黙ってろ﹂
殴ると言っても軽いのだ⋮⋮言葉を封じ尚且つ数を打ち込みたい
から。気絶なんて許しません。
時々足が出るのは御愛嬌。見なかったことにしてねー、気付いた
人達。
ちなみに﹃ドレスは破れても構わないわ﹄とは王妃様談。セシル
⋮⋮本当に何を話したんだ。
騎士は暫く王太子と私の様子を眺めた後、諦めたような溜息を吐
いた。
﹁殿下、もう口閉じましょう。俺達の負けですよ﹂
﹁ヴァージル!?﹂
﹁冷遇は事実、その証拠も⋮⋮何より証言したのは殿下じゃないで
すか。しかも勝手に宣戦布告。逃げられませんよ、国からも魔導師
殿からも﹂
﹁気弱な⋮⋮我がキヴェラが侮辱されたのだぞ!?﹂
諦めの言葉を吐く騎士に王太子は暫し呆然とした後、騒ぎ出した。
うん、これは私も意外。思わず手を止め二人の遣り取りに注目す
る。
1410
⋮⋮これは﹃ある可能性﹄も思い過ごしじゃなかったっぽいなぁ?
﹁侮辱ではなく事実でしょう。第一、キヴェラを侮辱したのは貴方
です。ここが公の場だとあれほど言われていたというのに﹂
﹁私に耐えろと言うのか!﹂
﹁国の為ならば当然です。そもそも原因は貴方とその周囲の者達。
それに﹂
一度言葉を切って周囲を見回す。
﹁周囲の言葉が聞こえてないんですか? ⋮⋮魔導師殿、この場に
は他国の者が混じっているな?﹂
﹁そうよ? キヴェラの噂を聞いた国から問合わせが来るのは当然
でしょう? コルベラ王はキヴェラの姿も自分達の目で確認してほ
しいと許可を与えたのよ﹂
﹁お優しいことで。なるほど、誠意を見せれば事は収まったという
ことか﹂
﹁そうでしょうね、噂よりも事実の方が勝るのだから﹂
﹁だが、こちらが下手を打てば限りなく追い詰められる策だ﹂ 騎士はじっと私を見詰めた。私は無言。
﹁仕掛け人は貴女か、魔導師殿﹂
﹁⋮⋮当たり前じゃない。私は魔導師なの、それくらい﹃できなけ
ればならない﹄わ﹂
正解に辿り着いた騎士にそう言って笑う。実際はイルフェナの教
育の賜物なのだが、ここは飛び火させない為にも﹃魔導師だから当
然﹄と言っておくべきだろう。
﹁私も聞きたい事があるんだけど、いい?﹂
1411
﹁俺に?﹂
﹁そう、貴方に。貴方さ、後宮で私が背後に居た事に気付いたんじ
ゃない? 一度振り返ったものね?﹂
﹁⋮⋮何の為に黙っていたと?﹂
﹁王太子の口から冷遇の証言を導き出す為。あの時、随分と都合よ
く話題が変わったわ⋮⋮貴方の誘導によって﹂
私は基本的に騎士に囲まれて生活している。だからこそ後宮の騎
士の態度が許せなく思うと同時に奇妙に思う事があった。
⋮⋮親衛隊になるような騎士が素人の気配に気付かないなんてこ
とがあるのか、と。
私は姿こそ認識されずとも気配を消す事はできないのだ。これは
イルフェナでも後宮侵入において心配されていたことでもある。簡
単に誓約書を奪えたのも偏に警備の兵が居なかったからだ。
﹃⋮⋮?﹄
﹃どうした?﹄
﹃いえ⋮⋮一瞬寒気がしたような﹄
﹃泣かせた女が恨んでるんじゃないのか?﹄
﹃酷いですね!﹄
この会話の直後にセシルの事をヴァージルが口にしている。しか
も不義を仕立て上げるような話題で。
その後の会話が王太子の個人的な誓約の利用と冷遇の証拠に繋が
っているのだ、違和感を覚えるのが普通。
﹁あの後宮に侵入する目的なんて王太子妃の現状を探る事が最有力
でしょ、キヴェラにとってもコルベラにとっても﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ついでに言うと王太子がボコられてるのに動かなかったから。私
1412
が知る騎士は謁見の間だろうと主を諌めたり守ったりするのが当た
り前なのよね。本来なら私を怒鳴りつけるなりして主から引き離す
ものじゃない?﹂
﹁ヴァージル? まさか事実なのか?﹂
信じられないとばかりに己の騎士を窺う王太子にヴァージルは一
言。
﹁事実ですよ。できれば侵入者は王の手の者が良かったですがね﹂
あっさりと頷き肯定した。その表情は諦めが混じりつつもどこか
晴れやかだ。
﹁何故だ! 何故裏切るような真似を⋮⋮﹂
﹁俺が﹃キヴェラの騎士﹄だからです﹂
﹁お前は今まで私のやり方に一度も口出ししてこなかったじゃない
か!﹂
だからこそ信頼し傍に置いたのだと言わんばかりの王太子にヴァ
ージルは苦く笑う。
﹁仕方ないじゃないですか。そうするしか殿下の傍にいる術がない
んですから﹂
﹁な⋮⋮﹂
﹁これまでを思い出してくださいよ。苦言を呈した者を全て遠ざけ
てきたのは貴方でしょう? ﹃最後まで殿下の傍にいる﹄というの
が遠ざけられていった者達との約束であり、俺の騎士としての在り
方です﹂
つまり、ヴァージルは傍に居る為に王太子の言う事に従ってきた
1413
という事か。自己保身に走らないのは忠誠心というより王太子を止
めなかった責任を取る意味なのだろう。少なくとも彼は自分達のし
てきた事に言い訳をしていない。
﹁キヴェラの上層部は甘くありません。殿下が切り捨てられるのも
時間の問題だったでしょう。どうせならキヴェラ自ら断罪し膿を出
すべきだと思ったんです。貴方を含む一部を切り捨てれば国の憂い
は晴れるのだから﹂
忠誠は国に。我が主は貴方に非ず。
ヴァージルは暗にそう言いたいのか。処罰される中に自分がいよ
うと最後まで傍に在ることも忠誠と言えば忠誠なのかもしれないが。
﹁さて、折角此処にいる以上は謝罪しておきますか﹂
そう言ってセシルの前に歩いて行くと跪き深く頭を垂れる。
﹁例えどのような理由があろうとも王族の姫に対する無礼は許され
ません。どうぞ我が首をお受け取りください﹂
﹁⋮⋮では一つ私も話そうか。あの夜ミヅキは怒り狂っていてな、
私の部屋で酒盛りをしつつ君を待ち構えていた﹂
﹁⋮⋮酒盛り、ですか?﹂
﹁ミヅキの手料理を肴にな。数少ない楽しい思い出だ﹂
思い出したのかセシルは笑みを浮かべている。が、その他の人々
は微妙な顔。
うん、そうだね。後宮に入り込んで酒盛りは普通しないわな。
﹁もし君が本当に部屋を訪ねて来ていたら⋮⋮どうなっていたか知
1414
っているか?﹂
にやり、とセシルは意地の悪い笑みになり。ちら、と私を見た。
ああ、﹃言っても良いか?﹄ってことね。でも内容が内容なので
姫の口からはちょっと拙い。
﹁私が言うよ。セシル、ここは公の場﹂
﹁おや、すまない。ついつい自分も彼等を驚かせたくなってしまっ
てな﹂
そう言いつつも悪いとは思っていないだろう。明らかに笑いを含
んだ声だ。
そんな様子にヴァージル君は微妙に顔を引き攣らせている。本能
でヤバげな何かを悟ったらしい。
﹁酒盛り開始からワインが二本空くまでに来ていたら扉を開けた途
端、廊下に跳ね飛ばされて人の姿をしていない死体に⋮⋮﹂
﹁ちょ!? いやそれ冗談ですよね!?﹂
﹁事実だぞ? ﹃会話の内容的に部屋に一歩でも入ったら不義に仕
立て上げられる﹄と言ってな﹂
映画でよくある仕掛けです。扉を開けた途端に空気圧縮による衝
撃波が全身を襲い壁に叩きつけられるのだ。そこまですれば﹃男を
待ってました﹄なんて言い掛かりは不可能。
セシルの肯定にヴァージル君は本格的に顔を引き攣らせた。良か
ったね、話題を誘導しただけで。少しでも行動に移していたら今頃
あの世だったかもしれん。あの時私は本気だった。
尤も簡単に死ぬとは思っていない。親衛隊になるような騎士は結
界を張る魔道具くらい持っているだろうし、咄嗟に避ける可能性も
ある。何より騎士は頑丈なのだ、受身をとって耐えるかもしれない。
1415
﹃死ぬかも﹄というのはあくまで私基準。アル達を見る限りまと
もに食らっても生きている気がする。さすがに無傷とはいかないだ
ろうけどね。
﹁で、それ以降は捕獲した後に目隠しと耳栓をして服剥いて人の多
い場所に捨てる。勿論、拘束したままで﹂
﹁⋮⋮それもどうかと思うが死なないだけマシでは?﹂
﹁え、そう? だって騎士なら周囲の気配に敏いでしょ。音はせず
とも周囲に人が居る事は判るし、拘束されてれば拉致されて何処か
に閉じ込められてると思わない?﹂
﹁まあ⋮⋮それはそうだな。普通は街に放置されるとは考えないだ
ろう﹂
一般的解釈ならば納得はできるだろう。何せヴァージル君は王太
子の御付き、家柄的にも政治的にも拉致して情報を得る価値がある。
﹁無駄に真面目な事を恥ずかしい格好のまま言うんだよ? ⋮⋮民
に見守られながら﹂
﹁そ、それは⋮⋮かなり嫌なんだが﹂
﹁運良く助けられたとしても裸で拘束されてたって町の噂に耐えら
れる? 拘束プレイ好きの変態嗜好と思われるだけならまだしも下
手すりゃお持ち帰りの危機に⋮⋮﹂
﹁⋮⋮! いい! 判ったからそれ以上言うな! 貴女こそ公の場
であることを自覚してくれ!﹂
﹁あ、お持ち帰りって女だけじゃなく男の可能性もあるからね? 本屋で普通に騎士同士の恋愛小説売られてたし﹂
﹁はぁ?﹂
﹁あったよ? 顔の良い男がそんな嗜好と知れば同類どもの餌食に
なること請け合い。下手すると本になるね﹂
﹁⋮⋮。魔導師殿? 一応貴女は女性なのだが﹂
1416
﹁女である前に魔導師です。生きた災厄に常識を期待すんな﹂
言い切るとヴァージル君は今度こそ黙った。色々とショックだっ
たらしく大変顔色が悪い。
ヴァージル君⋮⋮私の世界は娯楽に溢れていたのだ、もっとえげ
つないものだって沢山あるのだよ? 薄い本を出していた従姉妹に
付き合って平然と売り子できる私に今更何を恥らえと?
そもそも﹃死ぬより辛い罰ゲーム﹄が生温い筈ないじゃないか。
一生心に傷を負ってもらうつもりでしたとも。
⋮⋮などと考えていたら後頭部に衝撃が。思わず王太子を落とし、
視線を向けると魔王様。
あら、魔王様。ついに黙っていられなくなりましたか? 王族と
して恥ずかしい奴だもんな、王太子。
とか馬鹿正直に言ったら追撃が来た。親猫様、酷いです。
﹁君はねえ⋮⋮少しは自重しなさい!﹂
﹁常に全力で物事にあたるのが家訓です。諦めるなんて選択肢は存
在しません﹂
﹁凄く正しいと思うのに不安に感じるのは何故だろうね?﹂
﹁うちの一族、方向性はともかく同類しかいないんで誰も止めませ
んよ。寧ろ盛り上げる方向です﹂
事実を言ったら溜息を吐いて沈黙された。それはそれで酷くね?
魔王様。
﹁ミヅキ、お前も婚約者を持つ身なのだから少しは大人しく⋮⋮は
無理か。言葉を選べ﹂
宰相様も来た。魔王様もそうだが、今回ルドルフの名代として参
1417
加の宰相様はいきなり動くということはない。コルベラ王に許可を
貰っていたから魔王様共々私を諌めに来るのが遅れたのだろう。
保護者達もさすがに王太子をボコるのは拙いと思った模様。若し
くは誰かに止めるよう懇願されたか。
﹁誰もそんな事気にしませんよ?﹂
﹁そんな事は⋮⋮﹂
﹁奴等に一体何を期待しておいでで? 私への執着理由は暴力・性
格・実力・魔術に在り方。ほら、何処に女性らしさが存在します?﹂
﹁う⋮⋮判っていてもはっきり言い切られると返答に困るな﹂
﹁でしょう?﹂
セイルよ、身近なお前にすらフォローに困っとるぞ? まあ、理
解者だからこそ素敵な騎士様じゃないと知っているのだろうけど。
そんな私達の会話に周囲は⋮⋮主に魔王様と宰相様に対し恐れ慄
いている。私が大人しくしているという理由で猛獣使い扱いが決定
されたっぽい。保護者の言う事は聞くよ? 一応ね。
そして空気の読めない子が一人。
﹁貴方達もその珍獣をしっかり躾ておくべきでしょうな!﹂
咄嗟に私を背後に庇った宰相様とその前に立って遮る魔王様。宰
相様の背にへばり付きチラっと顔を出す私は様子を窺う猫のよう。
﹁やっぱり、おかん⋮⋮﹂
﹁誰がおかんだ!﹂
ぺしっ! と頭を叩きつつも背に庇う事は止めない。
保護者代表の親猫様と宰相様、私の言動を知っていても自分が庇
うべき存在という認識は揺らぎませんか。
1418
尤も私に保護者様を害させる気は欠片もない。おかしな真似をし
たら牙を剥く。
そして王太子は何処までも予想を裏切らない奴だった。
﹁ああ、代わりに謝罪でもしてもら﹂
﹁死ね﹂
立ち上がり二人に詰め寄って来た挙句に戯言をほざく王太子。当
然最後まで言わせず指を鳴らして腹に一発。蹲ったところを足で転
がし、がつりと踏み付ける。
予想通りの展開に保護者二人は額を抑え、周囲には呆れと﹃守る
必要あった? 放っておいても平気じゃね?﹄という微妙な空気が
漂った。
⋮⋮極々一部の人が楽しそうだったりするのは気の所為だ。
﹁もう一度言ってごらん、二人に何をさせるって?﹂
﹁ぐ⋮⋮﹂
﹁敵だものね? キヴェラだって散々国を滅ぼしてきたもの、敵に
なったら容赦しないのは当たり前よね?﹂
ぐりぐりと踏み付けているとよく知る声が聞こえてくる。
﹁何故ミヅキの逆鱗に触れる真似ばかりするのでしょうな﹂
﹁馬鹿なんだろ、救いようがないくらい﹂
﹁ここまでくると脳の病か何かなのでは? そちらを疑った方がよ
いかもしれません﹂
﹁うげ、近くに居る連中大丈夫か?﹂
﹁⋮⋮それは病がうつるという心配ですかな?﹂
﹁それも嫌だが、いきなり暴れ出すかもしれないだろ?﹂
1419
グレンとウィル様、貴方達も十分酷いな。 ※※※※※※※※※
その後。
ヴァージル君を除いたキヴェラ勢は簀巻きの上にロープでぐるぐ
る巻きにし︱︱着替えたかったので〆た後、侍女さん達に頼んだ。
コルセットを締め上げる事に慣れた彼女達の手際は見事だ︱︱王太
子以外は森に吊るしてきた。蓑虫は森に帰るがいい。
なお去り際に﹁御存知の様にコルベラって食料不足なんですよね。
獣達も餓えてたりして﹂と言い捨ててきた。まあ、結界を張ってき
たので数日は無事だ。襲われてもちょっと怖いだけだ、男が泣くな。
王太子は保護者の所に持って帰るので城のテラスから吊るしてみ
た。その顔にはいかにも女にやられました的な引っ掻き傷。
﹁ミヅキ、この為に爪を磨いていたのですか?﹂
﹁うん。寵姫ちゃんと修羅場にでもなっちまえ。平手の方が良かっ
たかな?﹂
﹁それ以前の問題のような気がしますわね﹂
ほのぼのと会話をする一方で︱︱
﹁へ⋮⋮へぇ、随分と溺愛してるのね﹂
﹁ええ。婚約者になりたくて守護役の地位を勝ち取ったのですよ﹂
﹁あの小娘、確かに優秀なのよね。うちも守護役出そうかしら?﹂
﹁出したところで気に入られるかは判らんが﹂
アルとクラウスが話し掛けてくる他国の知り合い相手に婚約者溺
愛アピールを繰り返していた。私の事が知られた以上は守護役連中
の認識も広めておこうということらしい。
1420
今回、彼等の立場は護衛の騎士。公爵子息ではなく魔王様の護衛
で来たから自分からは話し掛けられないんだよね、二人とも。だか
ら謁見の間でも会話に入ってはこなかった。キヴェラ勢を監視して
たんだってさ。
守護役の実家公認の婚約者ならば﹃何かしたら公爵家も黙ってな
いよ﹄という牽制になるのだろう。魔王様や宰相様が保護者として
認識されたことも大きい。
﹁逃げられそうにありませんわね、ミヅキ﹂
事実でも言わんでください、エマさん。ある意味納得してるけど
言えば奴等が喜ぶだけです。
⋮⋮現状に納得してるのは異世界人としてだけどね!
1421
踊った後には追い討ちを︵後書き︶
立場上、公の場では影の薄い守護役連中も同じ場所に居たり。
キヴェラ勢は国と連絡を取ろうにも監視されてできませんでした。
つまりキヴェラはこの騒動をまだ知らず。
1422
望むものは
騒動から一段落。さすがに状況整理が必要だと皆が一つの部屋に
集まっている。
で、当然私の傍には魔王様と宰相様。早速お説教モードです。
﹁⋮⋮それで君はどうしたいんだい?﹂
深々と溜息を吐きながら私に問う魔王様。協力的というわけでは
なく諦めただけだ、色々と。
その結果﹃とりあえず協力者になって軌道修正した方がマシ﹄と
いう結論に達したらしい。
ちなみに宰相様は無言。ある意味ゼブレストの後宮騒動が原因な
ので口を出せない状態だ。下手に動けば事態は悪化すると察してい
るのだろう。
さすが、保護者達。いい加減私の扱いが判ってきたようだ。
どのみち他国の使者達にも説明せねばならんだろう。ここまでや
って﹃偶然こんな展開になっただけです﹄と言っても誰も信じまい。
それに彼等は彼等で役目があるのだ、今後の為にも利害関係の一
致という素敵な絆で結ばれておきたいというのも本音。
⋮⋮アルベルダはこの場で決断しそうだけどな。今回の件につい
ては議会の決定権持って来てるだろ、ウィル様。
﹁キヴェラをボコりたいです、魔王様﹂
﹁うん、それは判ってる。わざわざ宣戦布告をするよう誘導するく
らいだしね。私が言っているのは﹃キヴェラに対しどういった決着
1423
を望むのか﹄ということだよ﹂
﹃誤魔化すんじゃない!﹄とばかりに詳しく言われてしまった。
ええ∼、今からネタバレってつまらなくない? 終ってから全てを
知った方がインパクトはあると思うんだ。
そんな私の考えを察したのか魔王様はぺしっ! と頭を叩く。そ
してその光景に一部の使者達が戦慄した。
﹁エ⋮⋮エルシュオン殿下!? その、魔導師に手を上げるという
のは﹂
﹁大丈夫ですよ。この子は言って聞かないわけじゃなく、言われな
ければとことん突き進むだけですから。適度に止めないと被害が拡
大します﹂
﹁被害⋮⋮﹂
﹁基本的には大人しいですよ。ただ、利用しようとしたり喧嘩を売
ったりすると十倍返し以上に報復されるのでご注意を﹂
⋮⋮。
何だか危険物の取り扱いみたいになってきた。
﹁ミヅキは自分が認めた者の言う事なら聞きます。今回とてキヴェ
ラ側に非があるのは貴方達の目から見ても明らかでしょう? 王太
子殿下が相応しい振る舞いをしていれば何も起こりませんでした﹂
宰相様が一応フォローを入れると﹃確かに﹄とあの場に居た人達
は頷いた。ありえない状態だったもんね、王太子。
証拠と証言による追及ならば大国だろうと権力を振り翳すべきで
はない。周囲に悪印象を与えるだけだ。ひたすら謝罪して周囲の同
情を買い﹃確かに反省しているようだ﹄と印象付けるのが最良の方
法だろう。
1424
⋮⋮こう言っては何だが、全ての罪が露見しようと王太子が﹃私
の首で怒りを収めて頂きたい﹄と言えば話はついたのだ。大国の王
太子の首はそれだけの価値があるのだから。
そこまでやればキヴェラも王太子の名誉を守ってくれただろう。
民の印象も愚かな王子にはならなかったはず。いや、愚かだからこ
そ事態は悪化したんだけどさ。
﹁それでね、ミヅキ。君はキヴェラを滅ぼしたいのかい?﹂
魔王様の言葉に周囲の人々がざわり、とざわめく。下手をすれば
明日は我が身︱︱そんな危機感を抱いたのだろうか。
だが。
﹁え、いいえ? 寧ろ残ってて欲しいです﹂
﹁何故かな?﹂
﹁中途半端に弄ばれた事実を残しつつ存続した方が屈辱的じゃない
ですか! しかも今回の事はキヴェラが圧倒的に悪いと周囲に知ら
れているんですよ? 王太子がアホな事も加えて﹂
﹁そ、それは確かに嫌な未来だね﹂
﹁でしょう!? 重要なのは私が得をする事じゃありません、私の
気が済むかですよ!﹂
言い切ると別の意味で周囲は沈黙した。
﹁⋮⋮つまり君はキヴェラに対し何かを要求する事は無いと? 逆
に言えば許される方法が無いとも言えるけど﹂
﹁当たり前じゃないですか! 魔導師に常識なんて通用しません、
感情の赴くままに行動するのみ! 目指せ、キヴェラの災厄!﹂
﹁自重しなさいっ! 君ならばやり方は他にもあるだろう!? 外
交の場に出てキヴェラの担当者を胃痛で倒れさせるとか﹂
1425
﹁民間人なので外交で黙らせる方法は不可ですね。力ずくで国を乗
っ取るには人材不足ですし、何より国を管理する気はないので要り
ません﹂
﹁それって最悪じゃないかい!?﹂
﹁だから最悪な方法を狙ってるんですってば﹂
﹃弄ぶけど国は要らん﹄と断言すると魔王様も沈黙した。すると
宰相様が唐突に私の頭をくしゃりと撫でる。その表情は何処となく
辛そうだ。
﹁すまない、巻き込んだ我々の責任だ。⋮⋮ミヅキ、お前は﹃何﹄
を望んでいる?﹂
﹁⋮⋮どうしてそう思います?﹂
﹁国を支配する気も奪う気も無い、ただ災厄となりたいだけ。お前
が結果を受け取る事を前提とするなら単にお前の感情の問題だが、
お前はそんな単純なことでは動かない⋮⋮﹃意味の無いことをしな
い﹄。この場合はゼブレストかイルフェナ、もしくはコルベラが得
る物があると考えるべきじゃないのか?﹂
瞳を眇めると宰相様は黙って見つめ返してきた。⋮⋮ああ、そう
か。この人は﹃私﹄の保護者でいてくれる人だっけ。
溜息を吐いている魔王様も気付いているからこそ手を引かせよう
としたのだろうか。今回の事は私にとって悪い方にしか影響しない
のだから。
﹃魔導師を怒らせた﹄と考えるならキヴェラに対する報復が全て。
だが、﹃魔導師を怒らせた果てに齎されるものこそが目的﹄なのだ
としたら? 1426
﹁キヴェラを許せないのも本当ですよ?﹂
にやりと口元を歪める。だからこそ、王太子はボコったじゃない
か。
﹁そうだね、でも君は無関係な者が巻き込まれることを嫌う。王太
子殿下があの状態ならば後はキヴェラ王個人、若しくは国の上層部
に怒りが向かうはず。なのに目的は国だと言う﹂
不審に思って当然だろう? 君の性格を知るほど近くにいるのだ
から。
魔王様が呆れたように微笑む。⋮⋮レックバリ侯爵にも﹃子を持
つ親猫﹄とか言われちゃうくらい過保護な保護者様は危険を遠ざけ
たかっただけですか。親心を理解しないアホ猫ですみません。
彼等がここまで暴露したのならば私も言わねばなるまい。元々、
彼等の協力が無ければ望んだ結末にはなりえないのだから。
﹁キヴェラは一度敗北しなきゃならないんですよ、国の繁栄を望ん
だ挙句に強くなり過ぎた事が原因なんですから﹂
侵略や他国に対する強行な態度のキヴェラだが民は王を慕ってい
る。侵略行為も﹃国を富ませる為﹄なのだ、あの国にとっては。あ
る意味それは間違ってはいない。だがその結果、選民意識が生まれ
自国内でも差がある状態。
元々は奪うというより小国を纏め上げる為のものだった﹃侵略﹄
も時代の変化と共に意味を違えてしまった。といっても私が起こし
た混乱を収め内部の平定を優先する姿を見る限り﹃支配した以上は
自国として守る﹄という概念自体は消えていないのだろう。
国が広くなればそれを我が事の様に誇り傲慢に振舞う者も出てく
1427
る。それを抑えきれなかった事がキヴェラが増長した発端じゃない
のかね? 他国が彼等を諌めるには国としての影響が大き過ぎるだ
ろうし。
結果、今のキヴェラは小国を纏め上げ戦乱を平定した英雄ではな
く自分達の事しか考えない侵略者となってしまった。周囲には敵だ
らけ。
﹁勝ったから奪ってきた。ならば負ければ奪われるのは当然。⋮⋮
イルフェナに御願いするのは﹃交渉によってキヴェラから他国に面
した農地を奪う事﹄。ゼブレストは地形的な問題で管理には向きま
せん、隔離された場所になってしまう﹂
﹁我々は無関係じゃないのかい?﹂
﹁いいえ? 私は保護者達の言う事なら聞くじゃないですか、交渉
の席につく事を条件に私を諌めることだってできますよね?﹂
﹃魔導師を諌めて欲しくばイルフェナが納得するものを差し出せ﹄
怒らせたのはキヴェラなのだ、本来ならばイルフェナは動く必要
はない。動いて欲しけりゃ出すもの出せ、ということだ。
それしかキヴェラが私の怒りを収める術がないのですけれど、と
笑みを浮かべながら付け加えると魔王様は片眉を上げる。
﹁交渉の席に着かせる理由は? 農地の譲渡を条件にすればいいと
思うけど﹂
﹁それではイルフェナが初めから私を使って領土を狙っていたみた
いじゃないですか。それに⋮⋮これまでの﹃借り﹄を交渉の場で平
和的に返すのも実力者の国としての在り方かと﹂
﹁⋮⋮交渉で奪い取ればキヴェラも文句が言えないという事かい?﹂
﹁ええ! いきなり農地を要求するわけじゃないですからね、交渉
で奪われるならばキヴェラが無能なだけでしょう。その農地で生産
1428
された食料をキヴェラに頼っている国に回せば、今後キヴェラは圧
倒的優位な立場での外交ができなくなりますよね?﹂
﹁そうなるね。今回の事で大人しくなるのは数年だろうが、重要な
駒が無ければその数年でキヴェラに各国の認識を改めさせる事が可
能だろう﹂
﹃食糧の不足をキヴェラが補っている﹄という事実を無くせばキ
ヴェラに対抗する国が出る。小国でありながら生き残ってきたのだ、
圧倒的に不利な立場での交渉でなければ負けはしない。
武力で、という心配も無いだろう。食糧事情が変われば兵の維持
も難しくなってくる。人と武器と食料の三つは戦をする上での必需
品なのだ、農地を失った状態で以前と同じ兵力を維持しつつ侵略⋮
⋮なんてことをすれば内部は間違いなく荒れる。
それに。そうなった場合、一番仕掛けられる可能性が高いのは農
地を奪ったイルフェナなので無条件に私が参戦。私一人に手を焼い
たキヴェラが勝てるとは思えないし、そもそも私とイルフェナに負
けるという選択肢は無い。
﹁イルフェナは元々自給自足できています。生産される食料は丸々
他国に回せるでしょう。利益は農地の管理やキヴェラに敵視される
迷惑料ってとこですね﹂
﹁ゼブレストはどうすればいい? 確かに我が国は農地の管理には
不向きだが﹂
黙って聞いていた宰相様が聞いてくる。そうだね、イルフェナに
条件をつけた以上はゼブレストにも得る物が無ければならない。
勿論考えてある。ゼブレストにとっては﹃ある意味﹄とっても意
味のあるものを。
にたりと笑う︱︱にやり、ではない︱︱私に宰相様と魔王様は怪
訝そうな表情になり、周囲は本能で何かを悟ったのか一部以外がド
1429
ン引きした。
﹁謝罪させます、公の場で﹂
﹃はぁ?﹄
綺麗にハモった。あまりに平和過ぎて予想外だったらしい。
﹁キヴェラ王を敗北させた上でゼブレストの謁見の間に連行し土下
座。ルドルフに直接懇願させます﹂
﹁そ、それは確かに﹂
﹁ゼブレストにとっては価値があるだろうね⋮⋮﹂
顔を引き攣らせる保護者様達。おお、納得してもらえたみたい。
単なる謝罪などと思ってはいけない。﹃大国の王﹄が﹃ずっと侮
ってきた国﹄に対して縋るのだ。
十年前から多大な迷惑を被ってきたルドルフが公の場でキヴェラ
王相手に優位に立つ。ゼブレストとしてはこれほど胸のすく事は無
いだろう。⋮⋮彼等は国を選んだからこそ﹃過去﹄に囚われるわけ
にはいかなかったのだから。
復讐を考える余裕が無かったことも事実だが、何も思わなかった
わけじゃない。言いたい事の一つや二つくらいあるだろう。
﹁前を向く事を選んだゼブレストに復讐は似合いません。しかし!
私は別です。執念深いです、しつこいです!﹂
﹁あ∼⋮⋮確かに君はよく覚えているよね、割と重要な事は無視す
るのに﹂
﹁ちゃんと聞いてますよ? 気にしないだけで﹂
自分に素直なだけなのです。方向性の違いとも言う。
1430
﹁ルドルフだって文句の一つくらい言ってもいいと思います。懇願
するキヴェラ王を足蹴にしつつ冷めた目で見るルドルフとか有りだ
と思うのですが﹂
﹁待て待て待てっ! ルドルフ様をお前と同類にするんじゃないっ
! 内面はともかく公の場であることを意識された行動をするに決
まっているだろう!﹂
﹁﹃這いつくばって許しを乞え! 話はそれからだ﹄とか超上から
目線でキヴェラ王に命じるルドルフとか格好良くないですか? 圧
倒的優位な立場の大物悪役みたいで﹂
﹁お前はどういう方向に持って行きたいんだ!?﹂
ぎょっとした宰相様からストップがかかった。え、女王様キャラ
のルドルフとかおもしろくね? 自信家の悪役キャラも駄目ですか?
それに王座に座っている時は割と﹃粛清王﹄っぽく振舞っている
からS属性でも違和感無いと思うんだ。そもそも、あいつは私の悪
戯に反対した事は無い。
それにここで重要なのはキヴェラ王を付き合わせることなのだ。
後々まで笑い話の種になるぞ?
﹁ちなみにそれでも許さないのが私なので、ルドルフの優しさを垣
間見るイベントでもあります﹂
﹁それは納得する﹂
ですよねー! そこが私とルドルフの違いだ。立場の違いとも言
うけど。
同時に﹃粛清王﹄という呼び名が冷酷と結びつくわけじゃないこ
とをアピールする機会でもあるだろう。何も取らずにキヴェラ王を
許し魔導師を諌めれば﹃怒らせると怖いけど普段は話の判る王﹄と
いう認識が根付くはず。
自国の立て直しに専念していたとはいえ、碌に表に出なかったこ
1431
とが王太子の﹃貴族に嘗められたお坊ちゃん﹄という評価に繋がっ
たのだ。そこまで言わずとも現時点でルドルフは他国にあまり評価
されていないだろう。
その評価を覆す意味でも謝罪イベントは重要です。踏み台となれ、
キヴェラ王。
﹁ルドルフが許さなければ私は止まりませんよ? それに見合う謝
罪にしなきゃ﹂
﹁⋮⋮お前は自分をどう思っているんだ﹂
﹁キヴェラ滅亡の仕掛け人﹂
﹁滅ぼさないと言ってなかったか?﹂
﹁私はね? でもこれから更に災厄に見舞われる予定のキヴェラが
信じると思います?﹂
キヴェラの認識では、ということです。敗北すれば絶対に危機感
を抱く。
それにキヴェラに恨みを持ち、狙う国もあるだろう。だがそれを
私は望まない。﹃私が望むのはキヴェラの存続﹄なのだとしっかり
覚えていてもらわなければ。
ただし、キヴェラが内部から崩壊する場合はどうしようもないの
で上層部に死ぬ気で頑張ってもらうしかないのだが。
﹁お聞きになったとおりです。私はキヴェラの存続を望みますし、
彼等が今後苦労する事も報復に含まれています。⋮⋮下らない真似、
しないでくださいね? 直々にお願いに行くような事はしたくない
のですから﹂
﹁私からも御願いしよう。貴方達は今回何も動いていないのだから
便乗し掠め取るようなみっともない真似はしないと信じているけど
ね﹂
1432
御願いしますね、と振り返って使者達にしっかりと告げる。何だ
か怯えているのは背後で魔王様が威圧していることもあるだろうな。
キヴェラ勢の末路を知る所為か、私達を恐れたか。使者さん達は
一斉に首を縦に振った。素直で何よりだ。
﹁小娘、アンタ本っ当に魔王殿下の小型版ね⋮⋮﹂
クラレンスの言ったとおりよ! と続けた宰相補佐様。それは褒
め言葉ですか?
※※※※※※※※※
︵カルロッサ宰相補佐視点︶
唖然とする、とはまさにこの事なのだろうと思った。だって、普
通考えられないでしょ? ⋮⋮キヴェラ王太子妃であったコルベラ
の王女の自由を勝ち取るなんて。
﹁王族として、人として、男として。全ての意味で徹底的に貶めて
さしあげます﹂
にぃ、と笑った顔は毒と狂気を含み人を惹き付ける魅力に満ちて
いた。そう、踏み込んだらヤバいと感じるくらいには。
毒の無い人間など面白味が無いと思うのは立場ゆえだろうか。人
形のように個性の無い者や綺麗事ばかり口にする偽善者も自分は嫌
いだった。
だって、それが本質である者など稀だろう? 命の危機に陥って
さえ日頃のあり方を貫くのならば多少は信じてやるのだが。
1433
そんな自分の友人であるクラレンスはイルフェナ出身ということ
もあり、非常に人を見る目に長けている。あの穏やかな口調と顔の
裏で凄まじく厳しい審査が行なわれているのだ。その内面を知れば
人間不信に陥る者も多いだろう。
その友人が﹃とても良い子なんですよ﹄と褒める。しかも何処か
困った表情になりながら。
聞いた時は何故そんな顔をするのか判らなかった。﹃都合の良い
子﹄なのか﹃余計な事をしない良い子﹄なのか。少なくとも普通の
意味ではないと思った自分も相当だと思うのだけど。
だが、目の前の光景にその言葉の意味を悟る。
あの娘は⋮⋮自分を何処までも除外するのだ。結果を得るのはこ
の世界の住人であるべきだといわんばかりに。
王太子を追い詰めた策もその場凌ぎでできるものではない。﹃最
初からそうするつもりだった﹄ということだろう。でなければあれ
ほど証拠は集まるまい。
その事実に背筋が寒くなり師の言葉を思い出す︱︱﹃本当に恐ろ
しいのは初めの一手であらゆる可能性を思いつき、対策を考えられ
る者だ。己が策にすら対抗策を導き出すのだから﹄と。
最初の一手で全ての流れを掌握するなど、とんでもない先見の持
ち主だ。だから師の言葉も極々少数の所謂﹃天才﹄と呼ばれる者達
のことだと思っていたのだが。
違う。師は⋮⋮﹃天才﹄などという曖昧な者を指したのではない、
﹃望んだ結果に持っていく切っ掛けを与える者﹄の事を言ったのだ
と今更ながらに思う。
強制されたわけではなく最良の選択として国は望まれた道を選ぶ。
⋮⋮自らの選択として。ゆえに切っ掛けを与えた者は何の功績も得
ず、歴史の表舞台に登場しない。
1434
無自覚に切っ掛けを与えるならまだしも、意図的に切っ掛けを与
える者はとても厄介だ。流れを全て予想しているのではなく、最初
から最後まで﹃筋書き通りに事を進める﹄のだから。ある意味、歴
史を操ったとも言えるだろう。小娘⋮⋮ミヅキは間違いなく後者だ。
だが、それはミヅキが魔導師だから出来て当然ということではな
いだろう。
今回あの娘が王太子を追い詰めた方法も言ってしまえば﹃誰でも
可能なものの組み合わせ﹄。魔術と外交の術を持つ者ならば役割分
担が必要とはいえ十分代用できてしまう。必要なのは行動に移す覚
悟と勇気だ。
望んだ結果を得る為に努力し、多くの国すら巻き込み利用して。
あの娘は極一部の者の為に必死だっただけじゃないのか?
異世界人にこの世界の知識などは無い。全てこの世界に来てから
学んだ筈。それをあそこまで理解するほどに学んだのは自分の為だ
けではあるまい。
元からある知識とこの世界で得た強さ、そして周囲の状況。全て
を﹃利用して﹄あの娘は望んだ結果へ導いた。それは偶然ではない、
常に状況を窺い要所要所で最善を尽くしてきたから得た当然の結果
だ。
﹃ちょっとお転婆ですけど、とても頑張りやさんなんですよ﹄
クラレンスは確かにそう言った。それは紛れも無く事実だったの
だ。その結果を受け取るのが本人ではなく他者なのだから困った顔
になるのも仕方が無いだろう。
保護者を自称する者達はそれを知っているからこそ、過保護とし
か言えない状態になる。そうしなければ自分の事を全く考えないあ
1435
の娘は容易く自分を犠牲にするのだから。
﹁国を支配する気も奪う気も無い、ただ災厄となりたいだけ。お前
が結果を受け取る事を前提とするなら単にお前の感情の問題だが、
お前はそんな単純なことでは動かない⋮⋮﹃意味の無いことをしな
い﹄。この場合はゼブレストかイルフェナ、もしくはコルベラが得
る物があると考えるべきじゃないのか?﹂
⋮⋮ああ、本当に。何処までも自分に正直な愚かな子。冷徹とす
ら言われるゼブレストの宰相にあんな表情をさせるなんて。
結果を受け取った者が護ろうとするのも頷けるというものだ、利
用する事が当然の階級において見返りを求めぬ好意を見せられるの
だから!
今だって楽しそうに魔王殿下にじゃれている。本当に保護者とし
て認識しているのだろう。⋮⋮その事実に少し安堵する。あの子が
保護されたのがイルフェナで良かったと。
﹁うちも守護役出そうかしらねぇ﹂
自国にとって有益な事であり、同時に少女を気にかける台詞を呟
く。
これまで数多く存在した守護役達は異世界人を何より大事にした
という。でなければ命令以上に守り、自分の人生を犠牲にするはず
は無いのだから。
守護役を接点に自分も何かの助けとなれればいい。あの二人のよ
うに背に庇う事はできずとも時々は手を引いてやることくらいはで
きるように。
﹁本当に⋮⋮異世界人て厄介だわ﹂
1436
大人しく護られてくれないどころか、とんでもないことを平然と
行なうなんてね!
そう内心八つ当たり気味に呟くと溜息を吐いて少女に視線を向け
る。
悪役となることを厭わぬ娘に少々の期待と多大なる呆れ、そして
⋮⋮味方と言い切れない罪悪感を抱きながら。
1437
望むものは︵後書き︶
宰相補佐の師は﹃歴史の影には時々暗躍する奴がいるよ!そいつら
マジ怖い、掌で転がされるし﹄と言いたかった。
主人公はバッチリこのタイプ。
事実はともかく結果だけを見ると、自国の利益が最優先という立場
からは主人公の行動は物凄く善人に見えるという⋮⋮。︵敵になっ
た者以外︶
1438
小話集8︵前書き︶
VSキヴェラの前に一話追加。別視点と舞台裏。
1439
小話集8
小話其の一 ﹃おじいちゃんの場合﹄
﹁む⋮⋮ここまでやるとは⋮⋮﹂
﹁予想外でございましたね﹂
別室にて謁見の間での騒動を見ていたレックバリ侯爵は暫し呆然
とする。
ここはコルベラ。当たり前だが姫帰還の報を受けて元凶の狸、も
といレックバリ侯爵も来ているのだった。
だが、謁見の間に居てはイルフェナとコルベラの繋がりがバレて
しまう。その為別室にて、黒騎士の魔道具によって映像を中継され
ているのだ。
ちなみにそれは一部屋だけではない。謁見の間に入れない城中の
人間が何処かの部屋で決着を見ているのだ。
﹁あれではキヴェラもこれ以上コルベラに手が出せまい。証拠を揃
えた上での糾弾と婚姻関係の消滅だからの﹂
そう、婚姻の解消などというものではない。﹃婚姻など始めから
無かった﹄のだ、誓約書があの状態なのだから。
まさか王太子の手に渡した上で﹃盗難届もないし既に返却済み﹄
などと言い出すとは思わなかった。というか証言を王太子にさせる
事自体予想外だ。
﹁ミヅキ様はセレスティナ姫と仲がよろしゅうございます。やはり
一年間の冷遇は腹に据えかねたのでしょう﹂
1440
﹁確かに仲が良いの。それ以外にも保護者を侮辱されて怒り狂って
おったが﹂
レックバリ侯爵は手にした紙に視線を落とす。それはキヴェラに
居たミヅキから送られた怒りの篭った手紙だった。誰が見ても殺意
溢れる文面と文字だ、怒りが透けて見えるのだから。
﹁お久しぶりでございます、レックバリ侯爵様﹂
﹁⋮⋮ん? おお! 息災であったか﹂
﹁はい。⋮⋮やはり此度の事はレックバリ侯爵様の御采配でしたか﹂
声をかけてきた男は老人と言って差し障り無い年齢だ。亡き友を
兄の様に慕い仕えてきた男は姫の婚姻を最も嘆いた一人であろう。
何も出来ぬ己を責めたに違いない。
それだけに留まらず主が可愛がっていた末の姫が一年もあのよう
な扱いをされたのだ、その胸の内はどれほどの怒りと後悔が渦巻い
たか。
だが、それも今は随分と穏やかだ。元凶である王太子の惨めな姿
と姫の解放を知って漸く人心地ついたのだろう。
﹁頼んだのは姫の逃亡の手助けのみじゃったがな﹂
﹁⋮⋮それでも。それでも御心を砕いてくださったのでしょう?﹂
﹁頭を下げるのは当然ではないかね? あまりにも危険で無謀な頼
みであるからの﹂
はっきり言ってレックバリ侯爵がミヅキに依頼した内容は無謀の
一言に尽きる。大国に喧嘩を売れと言ったに等しいのだ、エルシュ
オンが難色を示しても仕方あるまい。
それをミヅキは個人的な感情の下にあっさりと引き受けた。⋮⋮
それほど大事だったのだ、ゼブレストで得た友人達が。
1441
﹁あの娘は情が深い。それに賢い。逃亡するだけでは後々姫が嘆く
と理解していたのじゃろうな﹂
﹁そうでしょうな⋮⋮姫様が戻られたことは本当に嬉しゅうござい
ます。けれど国が犠牲となるならば姫様は間違いなく己を責めたこ
とでしょう﹂
もしも姫がコルベラに戻るだけだったならば。それはコルベラ滅
亡の合図だったろう。
この国は閉鎖的な分、とても身内を大切にする。姫をあのような
目に遭わせたキヴェラには二度と従わなかっただろう。その果てに
待つのが滅亡だとしても一丸となって牙を剥く。
﹁ミヅキはコルベラの事など考えてはいまい。⋮⋮姫やエメリナが
泣くから。ただそれだけの為にこの状況を作り出し姫の自由を勝ち
取りおった﹂
﹁恐ろしい方ですね⋮⋮キヴェラを翻弄するとは。ですが、それ程
に姫様達を大切にしてくださった事を嬉しく思うのです﹂
﹁それすらも手の内やもしれんぞ? あの娘は予想もつかないこと
ばかりするからの﹂
楽しげに笑うレックバリ侯爵に男も笑みを浮かべる。あの魔導師
が恐ろしい事は事実だが、姫にとっては大切な友人なのだ。ここ数
日は仲のよさを見せ付けて今後も変わらぬ関係でありたいのだと訴
えている。⋮⋮少々方向性が間違っているような気がしなくもない
が。
そしてコルベラの者達は魔導師に好意的だった。不可能と思われ
たことを成し遂げた魔導師は国にとって﹃恩人﹄なのだ。
﹁⋮⋮おや﹂
1442
映像を見ていた執事が思わず、といった声を上げる。それに釣ら
れて二人も映像に視線を向けた。そして揃って目を丸くする。
﹁何と⋮⋮﹂
﹁これは⋮⋮その、何と申しましょうか⋮⋮﹂
先程まで知的に王太子を追い詰めていた魔導師が王太子の胸倉を
掴み拳を振るっている。諌めに出てきた保護者達の言う事は一応聞
くようだが。
﹁拳、でございますか⋮⋮﹂
﹁う、うむ。怒り狂っておったからの﹂
思わず手にしていた手紙を男に差し出す。素早く目を通すと男は
深々と溜息を吐いた。どうやら現状は仕方ないと思ったらしい。そ
して止められぬことだということも。
そうしている間にも王太子は更に魔導師の怒りを煽り今度は踏み
付けられていた。当たり前だが助ける者は居ない。
﹁⋮⋮。コルベラが報復する必要はなさそうじゃな﹂
﹁そうでございますね⋮⋮﹂
それ以外に何を言えるというのだろう? そして王太子があの状態なら今後キヴェラはどうなってしまうの
か。
思わず背筋を凍らせた三人だった。平然としているセレスティナ
姫はかなりの大物だったようである。
1443
﹁⋮⋮本当に、ようございました﹂
執事は主の様子に一人安堵する。姫の婚姻を知った時の主の怒り
を思い出して。
亡き友に頼まれたというのに動けぬ身の何と不自由なことかと血
が滲むほど固く拳を握った痛々しい姿。
相手がキヴェラであり、侯爵という立場にある以上は仕方の無い
事だと主とて理解していた筈である。それでも無力な自分が許し難
かったのだろう。
この結果が魔導師によって齎されたものだというならば、その切
っ掛けを作ったのは間違いなく主だ。侯爵という立場、国の信頼、
全てを投げ打って魔導師を引きずり出し、頭を下げて見せたのだか
ら。
そこまでできる貴族がどれほど居るというのか。その結果がこれ
ならば主の目は確かだったということだ。
感心と尊敬と少々の呆れをもって楽しそうな主達を眺める。それ
は先王が生きていた頃の、在りし日を思い起こさせた。
⋮⋮あの方も御存命でいらっしゃれば同じように笑みを浮かべて
いた事だろう。そう確信を抱いて。
※※※※※※※※※
小話其の二 ﹃護衛騎士の場合﹄
﹁貴方さ、後宮で私が背後に居た事に気付いたんじゃない? 一度
振り返ったものね?﹂
1444
その言葉に確実な敗北と少しの安堵を自覚した。
⋮⋮そうだ、ずっと誰かが気付いてくれるのを待っていた。キヴ
ェラに動いて欲しかったが、大国ゆえに王太子の持つ権限も大きく
強行することが出来ない。
何故気付かないんです? 貴方を案じる声に。
何故切り捨ててしまうのです、彼等こそ忠臣と呼ぶべきなのに⋮
⋮!
大国の王太子という地位は確かに重く辛いだろう。そこに同情し
ないわけではない。
だが。
自分の主張を振り翳すばかり、権力を振るうばかりならば、王太
子の地位は捨てるべきだろう!?
そのような憤りを覚えた時、自分は貴方の騎士であることを辞め
たんでしょう。貴方が必要とするものは忠誠ではなく、耳に心地良
い言葉ばかりなのだから。
だから。
だから自分は平然と偽りを吐く。貴方の傍に居られるように、仲
間との約束を守れるように。
なのに⋮⋮。
﹃⋮⋮当たり前じゃない。私は魔導師なの、それくらい﹃できなけ
ればならない﹄わ﹄
何処までも国の期待を裏切り続ける王太子を利用して魔導師は望
んだ結果を手にした。
それは偶然などではない、結果を出すべく努力したからだ。にも
関わらず彼女自身は成し得た功績を称えられる事に興味が無い。
1445
何者にも媚びぬ態度。
何処までも自分勝手。
理解も名誉も求めず己が望みを叶える存在⋮⋮魔導師。
恐ろしい、と思った。今回の事を客観的に見るなら間違いなくキ
ヴェラは悪者だ。それを確実なものとした背景に﹃他国が迷惑を被
らなかった﹄という事情がある。
魔導師ならば王都を破壊して姫を浚う事ができた筈なのだ。だが、
それでは他国の理解を得られずコルベラと姫の未来は暗い。
それを知るからこそ、キヴェラの非道を触れ回り手間をかけて他
国を味方につけたのか、あの魔導師は!
地位などなく、平民にも関わらず彼女は﹃魔導師﹄という立場に
責任と誇りを持っているのだろう。それは過去存在した魔導師達も
持っていたのかもしれないが。
﹃いいか? 魔導師だけは敵にしてはならん。あれは己の価値観で
しか動かず、必ず目的を成し遂げる﹄
幼い頃に祖父に言われた言葉が蘇る。今やそれが事実だという重
みを持って。
情報を齎した事に後悔は無い。裏切りだろうと殿下が王太子の立
場にあるならばそれは必要な事だったと言い切れる。
もしも殿下がそのまま即位などすれば周辺諸国だけではなくキヴ
ェラもまた滅びただろう。馬鹿ではないが脆さゆえに逃げる事を考
える者に大国の王の地位は重過ぎる。
無闇やたらと権力を振り翳すのも自分にはそれしかないと理解で
きているのだ⋮⋮王太子の周囲には優秀な者が集められるのだから。
1446
彼等を率いなければならない小心者にとって、それはとても苦痛で
あったことだろう。
だが、同情はしない。⋮⋮否、できない。
彼等とて最初から優秀であったわけではないのだ、それに期待さ
れればされただけ重圧として圧し掛かってくるのだから。それを理
解せず、政に関わらぬゆえに優しい言葉を向ける寵姫にのめり込む
など何と情けない。
その寵姫の我侭も他の貴族令嬢と比べて差はないのだ、寧ろ与え
る側が限度という物を教えるべきだった。彼女は寵姫、本人には何
の権限も無い。それを悪女と言われるまでにしたのは間違いなく王
太子。
逃げ続けた愚かさが恋人の評価を地に落とすとは何とも皮肉な結
果だ。⋮⋮評価を落としたのは寵姫だけでは無かったが。
お供しましょう、最後まで。貴方に覚えてきた憤りも失望も⋮⋮
後悔も。幾度となく付いた掌の傷は自分の罪の証。
騎士にあるまじき感情で仕えるべき方を見た挙句に裏切った事実
と共に、首を捧げてキヴェラへの忠誠を示しましょう。
それが⋮⋮﹃貴方を主と認めなかった事﹄に対する俺の責任の取
り方なのだから。
※※※※※※※※※
小話其の三 ﹃ある令嬢の場合﹄
﹃我が一族の悲願、決して忘れてはならぬ﹄
﹃はい、御爺様﹄
それは常に自分を奮い立たせてきた幼い頃の記憶。祖父の掌につ
いた傷は決して消える事は無かった。
1447
﹁王太子妃様がコルベラにお戻りになったそうです﹂
昔から自分に仕えてくれている侍女が齎した報にひっそり安堵す
る。良かった、と。口に出せずとも心からそう思った。
あの姫君こそ悲劇の王女なのだ。国の為に嫁いだにも関わらず酷
い冷遇を受け続けたこの国の犠牲者。
だが姫は祖国への侮辱と憤りこそすれ、己が身を嘆く事は無かっ
た。⋮⋮自分の役割を心得ていたから。
その毅然とした姿や誇り高さに憧れると共に、自分がその原因と
なっていることを申し訳なく思った。
申し訳ありません、私はどうしても立ち止まるわけにはいかない
のです。
どのような罵倒も処罰も受け入れますから、どうか今は耐えてく
ださい。
何度そう思ったことだろう、どれほど胸の内で謝罪しただろう! 勿論できる限りの事はしてきたつもりだ。
王太子殿下のご機嫌取り達の嫌がらせから守る為、不自然に思わ
れぬよう持ち物や贈り物を取り上げた。その結果、彼等は私が嫌が
らせの品を手にしてしまう事を恐れ王太子妃様への嫌がらせを止め
ていった。
⋮⋮当たり前だ。毒を仕込んだ品や生き物の死骸を私が手にして
しまう可能性があるのだから。
キヴェラの貴族から贈られる品を彼女は拒否する事が出来ない。
そんな事をすれば嫁いだ国の貴族を信頼せぬ王太子妃という噂が囁
かれ、その非は祖国コルベラへと向けられるだろう。
彼等はそれを利用し嫌がらせどころか命さえ狙おうとしたのだ、
1448
許せる筈はない。
ところが問題はそれだけに留まらなかったのだ。
護衛の騎士達はともかく侍女達が必要最低限のことすら職務放棄
をするなど冗談としか言いようが無い。
ましてそれが私の為という言い訳の下、王太子殿下も後押しする
など呆れて物が言えなかった。
﹃愚かな﹄
その言葉しか浮かばない。恋人に向ける言葉ではないだろう事は
良く判っているが、それ以外に言葉が浮かばない。そして同時に殿
下の周囲に期待する事も止めた。
腹心である侍女に数日に一度の割合で様子見させることにしたの
もこの為だ。ある時は嫌味を、ある時は死なない程度の毒入りの食
事を届けに、王太子妃様と侍女の様子を探らせた。
彼女にも損な役割をさせてしまったと思う。本当は最後まで私に
付き合うと言ってくれるほど優しく誠実な人だというのに。
けれど、そうまでして御守りした甲斐があったのだろう。王太子
妃様は⋮⋮いや、コルベラの王女は無事に祖国に帰り着いたらしい。
噂によると逃亡に協力したのは魔導師ではないかということだ。
密かに集めさせた情報を見る限りこれは確実だろう。
ならば彼女もコルベラもきっと守られる。魔導師は⋮⋮決して権
力などに屈する事はないのだから。逃亡を手助けしたというならば
悪いようにはすまい。
そして同時に自分の願いが叶うかもしれぬと密かに期待する。
贅沢をして国庫を圧迫したのも、王太子殿下に望む言葉を囁き諌
めるどころか増長させたのも、全ては私の目的の為。
囁かれているような巻き添えではなく正真正銘の悪女なのだ、自
分は!
容易く覆す事ができぬ伝統を逆手にとって内部からこの国を腐敗
1449
させる最悪の女、王太子を堕とした罪深い罪人。その全てが正しい
のだ。
そしてその果てにキヴェラにとって最悪の事態を齎す。
﹁魔導師は災厄、殿下ならばきっと⋮⋮﹂
あの王太子殿下ならばきっと魔導師を侮り不興を買うことだろう。
いつもと同じように身分を振り翳し我侭が通るのを当然と考えるに
違いない。
確かにコルベラだけならばそのとおりだ。誓約も含めあの国と姫
はキヴェラの王太子には逆らえない。
だが魔導師がそこに介入するなら話は別だ。姫を救う為に混乱を
齎しキヴェラを翻弄するような人物なのだ、そんなことは予想済み
だろう。
例え魔導師がキヴェラに対し動かずとも、周辺諸国のキヴェラに
対する目はとても厳しいものになっているはず。これまでも我慢を
強いられてきた彼等が王太子の廃嫡に動かないとは思えなかった。
キヴェラは荒れるのだ、間違いなく。混乱の火種は未だ燻ってい
るのだから。
﹁エレーナ様⋮⋮漸く、漸くでございますね﹂
﹁ええ。きっと魔導師様は我等の願いを叶えてくださるでしょう﹂
計画を知る腹心の侍女と手を取り合い頷く。手が微かに震えるの
は死への恐怖からではなく悲願が叶う事への期待からだ。元より許
されるなどとは思っていないのだから。
⋮⋮私は。
私はエレーナ・アディンセル。
ブリジアスの﹃裏切りの貴族﹄にして復讐者、アディンセル一族
1450
の娘。
※※※※※※※※※
小話其の四 ﹃魔導師の場合﹄
﹁それにしても随分と印象が違うわねぇ﹂
﹁何が?﹂
﹁王太子ってキヴェラじゃ﹃一途な王子様﹄って言われてたでしょ。
確かに綺麗な顔立ちではあるけれど﹂
宰相補佐様のお言葉、ご尤も! まあ、それは印象操作した上層
部の所為なんだけどさ。
やはり実物の小物っぷりを見ると﹃キヴェラの民は何処を見てた
んだ?﹄とは思うらしい。
その王太子は傷だらけで床に転がされている。吊るしてた状態か
ら引き上げただけで相変らず蓑虫だ。
なお、傷は決して暴行などではない。
姫の帰還に喜んだレックバリ侯爵が鳥達にも幸せのお裾分けをす
べくパンをやったからだ。
たまたま下にパンの欠片を落とし過ぎただけですよね、御歳です
から。
そこに吊るされた蓑虫が居ただけですよね、偶然に。
鳥達は餌を貰っただけですよ、うっかり嘴で蓑虫を突付こうとも。
ほら、誰も悪くない。しいて言うなら蓑虫が邪魔。
﹁王族・貴族って顔か能力か家柄で婚姻関係結ぶから美形が多いじ
ゃないですか。生まれながらに武器の一つを持っている状態ですよ
1451
ね﹂
﹁そうよ? それをどう活かすかは本人次第だけど﹂
﹁だからキヴェラ上層部はそれを民に使ったってことじゃないです
かね? 外見だけなら御伽噺に出てくる王子様じゃないですか、こ
れ。それに御伽噺の王子って賢さを描写されないし﹂
﹁ああ⋮⋮そういうこと。黙って美しい恋人を愛でていれば民は勝
手に想像を膨らませるわけね﹂
﹁おそらく﹂
実際、冷遇映像流出による混乱があそこまで酷かったのは普段︵
と言うか上層部が作り上げた王太子の認識︶とあまりに差があった
からだ。話題性が十分過ぎる。
加えて私達が﹃王太子悪人説﹄を流し情報操作したので、人々は
少しでも情報を得ようと動く。
﹁そういえば⋮⋮お前さん、キヴェラから問合わせされておったな。
一体、何をしたんじゃ?﹂
レックバリ侯爵の言葉に宰相補佐様は怪訝そうな顔になる。あ∼
⋮⋮﹃何をしたんだ﹄っていうのと﹃それでどうして無事に逃げて
こられたんだ﹄っていう疑問が浮かぶのか。
﹁冷遇映像が流れてから王太子が悪者になるような事実を人の噂に
流して情報操作したんですけど﹂
﹁ちょ!? 小娘、アンタ何やってるのよ!﹂
﹁城の住人が王太子妃逃亡という情報を民に流してくれまして。そ
れで城から捜索部隊が組まれて黒髪の娘が問答無用に調べられたん
ですけどね﹂
あれは一体誰が流したのかと思う。より混乱させる素晴らしいタ
1452
イミングだった。ヴァージル君にも聞いてみたけど違うらしい。
﹁私も酒場で捕まったんで﹃王太子妃様の顔知らないっておかしく
ね?﹄﹃一年居たなら職人に聞けよ、ドレスくらい作ってるだろ﹄
﹃職人が知らない上に国の上層部が気付かなかったなら王太子が予
算を横領してたってことだよね﹄くらい言ってみまして﹂
﹁ふむ、それで確認されたのか﹂
﹁ええ。でも宮廷医師の弟子ならある程度の知識があってもおかし
くないですから﹂
﹁確かに疑いは晴れたんじゃろうなぁ⋮⋮で、そこまでした目的は
何かね?﹂
レックバリ侯爵は面白そうに聞いてくる。宰相補佐様は物凄い目
で私を見ていた。⋮⋮そういやレックバリ侯爵はあの場に居なかっ
たな。
﹁迂闊に指摘する私を﹃未熟な魔術師﹄と印象付ける為ですよ。キ
ヴェラが相手ならばそんな未熟者を間者にするなんてありえません
から﹂
﹁確かにイルフェナならばありえんな﹂
﹁だいたい、顔ですら有利な状況に持っていく為のカードじゃない
ですか。姫捜索の騎士だけじゃなく酒場に居る皆さん全てを騙せた
でしょうね。酔っ払いや商人達が大いに広めてくれましたから﹂
いやぁ、助かりました! と笑う私にレックバリ侯爵は生温い視
線を向ける。
﹁年頃の娘にあるまじき発想じゃのー⋮⋮お前さん、自分の婚約者
が任務でどこぞの令嬢と親密になったらどうするつもりじゃ?﹂
﹁任務成功を願いますし、必要ならば手を貸します。女の一人や二
1453
人騙せないでどうしますか、彼等の立場で﹂
﹁自分こそが本命の婚約者という自信⋮⋮ではないの﹂
﹁何言ってるんです、自分も駒の一つに決まってるじゃないですか。
私は今回、国単位で騙してキヴェラを脱出して来ましたよ!﹂
本心からの言葉にレックバリ侯爵は深々と溜息を吐き、宰相補佐
様は。
﹁小娘ぇぇっ∼! アンタ一体どんな教育されてんのよぉぉぉっ﹂
肩を掴まれ思いっきり揺さぶられた。視界の端では親猫様が首を
振り﹁無実! それは私じゃない!﹂と意思表示しているが、日頃
が日頃なだけに誰も信じないだろう。
﹁あ∼⋮⋮とりあえず、だな。これをどうする気だ?﹂
レックバリ侯爵の視線の先には蓑虫、もとい王太子。
﹁引き摺ってキヴェラに持って行きますよ? 重力軽減かけるので
重さ的には問題無し﹂
﹁階段は⋮⋮﹂
﹁結界張って突き落とします。痛みは無くても恐怖はあるし﹂
﹁本っ当∼に王太子が嫌いなんじゃなぁ⋮⋮﹂
そうは言っても誰も止めないじゃないか。
そんな話をしているとセシル兄が話し掛けてきた。
﹁コルベラからは私が同行するよ。役目は謝罪の場の報告と抗議、
それから嫁ぐ時にセシルの持っていった装飾品などの確認でいいん
だね?﹂
1454
﹁ええ。嫁いだわけじゃないんだし取り返しましょう。ついでに私
とキヴェラの決着の見届けを﹂
﹁判っているよ。他にはエルシュオン殿下とゼブレストの宰相殿、
他の国は我々の護衛として騎士が一人ずつ同行する。ところで⋮⋮﹂
セシル兄はちら、と自分の腕に嵌ったブレスレットを見る。
﹁今回限定って言ってたけど、これはどんな効果なんだい?﹂
﹁万能結界はペンダントの方って言いましたよね。それは短距離の
転移です﹂
﹁転移? へぇ、凄いな!﹂
アルベルダのオカルト騒動で使ったやつだ。キヴェラ王都には情
報収集の為に滞在している商人さんが居るので、予め準備された部
屋に跳ぶことが可能。⋮⋮魔道具を見て無邪気に喜んでるセシル兄
には悪いが最悪それが必要になるということだ。実力行使になった
ら同行者がヤバイもの。
というか、これ元々は後宮侵入の逃亡用として用意された物だっ
たんだよね。無駄にならなくて何よりだ。実際は全然バレなかった
しなぁ?
﹁場合によっては暴れますんで移動したらさっさと脱出して下さい﹂
﹁う∼ん⋮⋮逃げる用意はしてあると言ってもそう簡単にいくかな
?﹂
﹁できますよ。⋮⋮だって、そうなった場合は周囲がそれどころじ
ゃないもの﹂
当初はセシル達を連れての脱出が一番困難と思われていたのです。
つまり手段は色々考えられていたのだよ。それにちょっと追加して
今回のイベントの華にしようと思っているのだ。
1455
御安心下さいな! とにこやかに言えばセシル兄は即座に楽しそ
うな表情になった。
﹁何か起こるんだね﹂
﹁ええ! 期待していてください﹂
にこやかに微笑み合う私達。気分は悪戯を仕掛ける共犯者。さす
がだセシル兄、不安よりも好奇心が勝る辺り貴方はやっぱり妹と方
向性が瓜二つ。そこへ魔王様の突っ込みが入る。
﹁こら。それは最悪の場合であって基本的には使わない方向でいき
なさい﹂
﹁﹁⋮⋮ええ∼﹂﹂
﹁揃ってごねても駄目! 一応、王族と宰相を連れているんだから﹂
いや、それもそうなんですけどね。でも派手にいきたいという好
奇心とかキヴェラ上層部を呆然とさせたい気持ちとかもあるわけで。
まあ、キヴェラ王がさっさとこちらの条件を呑んでくれればいい
んだけどさ。
﹁それじゃ行きましょうか、キヴェラへ﹂
※※※※※※※※※
そして彼等の会話を見ていた守護役二人とコルベラ王女と侍女は。
﹁必要以上に刺激しない為とはいえ残念だ。兄上が羨ましい﹂
﹁仕方がありませんわ。私達が姿を見せれば向こうは逆上しそうで
すもの。⋮⋮ところで﹂
1456
揃って傍に居る白と黒の騎士に視線を向ける。先程のミヅキの発
言に思うことがあったらしく微妙な表情だ。
﹁立場に対して理解があり過ぎる発言ですね⋮⋮﹂
﹁割り切るというより執着無しか⋮⋮﹂
騎士二人が微妙に落ち込む中、王女は何の悪意も無く二人に言い
切る。
﹁何を言ってるんだ? 信頼と恋愛感情は別物だろう? ミヅキは
君達を信頼しているが恋をしているようには見えないぞ?﹂
﹁私達も仲良しですしねぇ﹂
何を今更とばかりに素直な発言をしトドメを刺す。その言葉に反
論が無かったのは言うまでも無い。
1457
小話集8︵後書き︶
・レックバリ侯爵も当然コルベラに来てました。
・ヴァージル君の事情。この後、セシルに謝罪しろくでもない報復
計画があった事を知ります。
・傾国の美女狙いだった寵姫ちゃん。王太子が即位していれば間違
いなく目標は達成されたと思われ。
・蓑虫が引き上げられたので次はキヴェラに行きます。出発直前の
一コマでした。
1458
始まりは暴露と共に
その日。
キヴェラはかつてない混乱に見舞われることとなった。
﹁い⋮⋮一大事でございます⋮⋮!﹂
躾の行き届いている筈の文官が息を切らせながら駆け込んで来る
姿に部屋に集っていた者達は呆気にとられた。
キヴェラは大国ゆえに滅多な事では余裕を失わない。重要な案件
であれば慎重に審議するし、多少の混乱が起きても人材・物資共に
ゆとりがあるので冷静に対処できるのだ。
勿論、それには人脈や他国との繋がりも含まれている。常に優位
に立つ側だからこそ、打つ手に不自由はしないのだ。
それが何故この有様なのだろうか。同僚の姿に危機感よりも驚き
が勝るのも仕方ないと言えよう。
﹁へ⋮⋮陛下、に⋮⋮側近の皆様も⋮⋮お集まりいただきたく⋮⋮﹂
﹁おいおい、落ち着け。集まって頂こうにも内容が判らなければ連
絡しようが無いだろうが﹂
近くに居た人物が水を差し出すと、男は一気に飲み干し息を整え
る。その顔は息が切れるほど激しい運動をしたにも関わらず何故か
色を無くしていた。
﹁王太子殿下が⋮⋮﹂
﹁王太子殿下? コルベラに謝罪に赴いているはずだろう?﹂
1459
﹁王太子殿下がコルベラにて魔導師に宣戦布告をしたと﹂
﹃な!?﹄
その内容は誰もが絶句するに十分だった。魔導師はある意味災厄
だと認識されている。それを知らぬは余程の無知か、自分に自信を
持つ余り思い上がった愚か者だけだろう。
つまりはそういう存在だと認識される程度の傷跡を歴史に刻んで
いる、ということだ。
﹁何故そんなことに!? いや、それ以前にどうしてコルベラに魔
導師が居るのだ!﹂
﹁姫の逃亡に一役買ったそうです。ですが、問題はそれだけではあ
りません!﹂
半ば悲鳴のような声を上げる男に周囲は息を飲む。魔導師を敵に
するだけでも頭が痛いというのに、まだ何かあるのかと。誰もが血
の気の引いた顔で次の言葉を待つ。
﹁コルベラは⋮⋮他国から今回の件について問合わせをされていた
ようです。それを収める意味で王太子殿下直々の謝罪の場に他国か
らの使者を同席させたらしいのですが⋮⋮﹂
﹁ふむ、それは仕方ないとも言えるな。小国の言い分よりも事実を
其々の目で見てもらう方が真実を伝えられる﹂
実際、それで得をするのはキヴェラだろう。大国の王太子が直々
に謝罪する場を見れば今回の事に関して他国は何も言えなくなる。
コルベラが自己保身の為にキヴェラに有利な場を整えたと言えな
くも無い。⋮⋮誓約がある限り、王女は謝罪を受け入れるしかない
のだから。
1460
﹁その場で冷遇が事実であったと、明確な証拠と⋮⋮王太子殿下の
証言により証明されたそうです﹂
﹁は!? どういうことだ!﹂
﹁冷遇映像については見取り図を描き起こし確かに後宮内部だと示
し、誓約は王太子妃様のサインが無かったそうです﹂
﹁⋮⋮っ⋮⋮宮廷魔術師に使いを! 未だ解けておらぬと言ってい
たはずだぞ!﹂
﹁冷遇の証明も誓約の無効化も⋮⋮全ては王太子妃様の逃亡に手を
貸した魔導師によって行なわれたと書かれています。あまりな姫の
惨状に見かねて手を貸したのだと。王太子殿下は感情のままに失言
を繰り返し挙句にキヴェラに対する侮辱だと魔導師に宣戦布告をし
たと﹂
﹁⋮⋮他国の者達の目の前でか﹂
﹁⋮⋮おそらく﹂
全員が何とも言えない表情のままに溜息を吐く。魔導師の存在は
ともかく、あの王太子殿下ならばやりかねないとは共通の認識だっ
た。
そもそも魔導師は力技で脅迫したわけではないらしい。話を聞く
限りでは事実を明らかにした上でキヴェラの誠意を見極めようとし
ただけではないのか。被害は特に書かれていないのだから。
力ずくの脅迫ならば﹃魔導師は災厄であり悪なのだ﹄と他国の抗
議を突っ撥ねる事ができる。だが、今回それは無理というものだろ
う。謝罪の場において誠意を見せず愚かな真似をしたのはキヴェラ
なのだ。
﹁コルベラは今回の事に対し抗議するそうです。ですが、婚姻が成
立していなかった以上は滞在した姫の待遇についてという事になる
でしょう。それから謝罪の場に居合わせたイルフェナのエルシュオ
ン殿下とゼブレストの宰相殿は魔導師と懇意らしく、条件次第で取
1461
り成すと言っています﹂
﹁イルフェナの魔王殿下とゼブレストの冷徹宰相が? 何故その場
に居たのだ?﹂
﹁キヴェラの噂が広がり過ぎた為ではないかと。我が国の王太子妃
の逃亡となれば無関心ではいられますまい。特にカルロッサとアル
ベルダは追っ手に迷惑を掛けられていますし﹂
﹁⋮⋮厄介な相手に借りを作ることになりそうだな。その魔導師が
キヴェラをどうするかにも因るだろうが﹂
深々と溜息を吐く。良い方向に捉えるならば魔導師を抑える術が
あるということだろう。だが、相手はキヴェラが常に狙っている国。
間違っても友好的な態度で交渉に臨んでくれるとは思えなかった。
﹁⋮⋮陛下に通達を。もはや我々が扱うべき問題ではない﹂
そう、下手をすれば国の滅亡が待っている。王太子妃様を⋮⋮い
や、コルベラの王女を解放した手腕といい、魔導師を名乗っている
以上は間違いなく実力者なのだ。
何故なら⋮⋮周囲が魔導師であると認めた上で行動を起こしてい
るのだから。
これが魔術師程度ならば他国とて﹃少々賢い﹄くらいの扱いで﹃
キヴェラを相手にするとは何と無謀な﹄とばかりに遠巻きに眺めて
いた事だろう。
だが、彼等は行動を起こした。それは﹃勝てる要素があるから﹄
だ。
1462
﹃愚かな王太子﹄
身分ゆえに決して口にできない言葉が全員の頭の中を過ぎる。期
待をしていたといえば嘘になるだろう。だが、それでも彼とて国を
背負う者。国を滅ぼすような選択はすまいと無意識に思っていた⋮
⋮下の者が軌道修正すればお飾りでも良いのだと。
そんな思いを抱きこうなった今だからこそ思う。彼をそのままに
していた我々も﹃愚かな臣下﹄なのだろう、と。
※※※※※※※※※
ふふ⋮⋮ついに来たぜ。キヴェラよ、再び!
まあ、コルベラでも色々あったんだけどね。一番の予想外はセシ
ルが私の守護役になったことだろうか。勿論、これは私の為ではな
くセシル側の事情なのだが。
﹁セレスティナ姫を君の守護役の一人にしなさい。暫くは注目され
るだろうからね﹂
これ、魔王様の御言葉。キヴェラの事があったから最悪一生独身
︱︱あくまで建前上︱︱と思いきや、魔導師との繋がりという意味
で利用される可能性があるんだそうな。今後、魔導師の守護がある
のだと匂わせた方がセシルもコルベラも安全らしい。
﹁セレスティナ姫は君と⋮⋮キヴェラを出し抜く魔導師と懇意なん
だよ? 政略結婚を強制される事態は回避したいんだろう?﹂
﹁お前にも同性の友人が必要だろうしな。落ち着くまでは守護役に
加えておいた方がいい。強行手段をとられてお前が暴れるよりも穏
便な方法だろう﹂
﹁強行手段って?﹂
1463
﹁誘拐でもされて既成事実を作られれば王家の名を落とさぬ為にも
嫁ぐしかないだろう﹂
宰相様、ぶっちゃけ過ぎだ。でもその可能性があるわけですか。
あ∼⋮⋮私に対する人質みたいになっちゃうってことか。
魔王様だけじゃなく宰相様もセシルの守護役加入を推進する裏事
情ですな。どうも放っておけばセシルは魔導師を味方につける駒扱
いをされるらしい。で、その結果私が暴れて被害が出る事を未然に
防ぎたいんだそうな。
そういや守護役って性別関係なかったね。期間限定とはいえ、こ
れもある意味保護に該当するのか。
それに守護役は立場上男性が多いだけで女性が居ないわけではな
いらしい。通常は同性の守護役が一人は必ず居るんだと。私に居な
かったのは守護役連中が早々に婚姻前提発言かました事と未婚の該
当者が居なかった事が原因だとか。
⋮⋮。
魔導師を押さえ込める女性が居なかっただけじゃなく﹃他の守護
役に恋心を抱く・もしくは繋がりを作ろうとする奴は論外﹄って感
じで弾かれたな、多分。それでも何の不自由も無かったけどさ。
魔導師ゆえにこの状況だったようです、でも話を聞く限り他の候
補者は潰されているような。
初耳だな、おい。守護役どもよ、裏で一体何をやっていた?
なお、セシルは私とこれまでと変わらぬ関係でいられることを非
常に喜んだ。
異世界人であろうとも王族と対等な関係でいられる筈は無い、け
れど守護役ならばこれまで通り気安い間柄で過ごせるのだと大変乗
り気だった。
⋮⋮侍女達の﹃道ならぬ関係でも魔導師様と姫様ならば応援しま
1464
すわ!﹄との言葉が気になるが。セシル、やっぱり仲良しアピール
の仕方が間違ってたんじゃね?
ちなみに守護役連中も歓迎派だ。
﹁女性の友人も必要ですし、セレスティナ姫ならば我々の良き理解
者になってくださると思います。姉上達と仲良くなられるより数倍
マシです﹂
﹁お前に喧嘩を売ってくる貴族令嬢への最高の牽制になるだろう。
まずセレスティナ姫に目が行くだろうしな、王族に喧嘩を売る馬鹿
は居まい﹂
﹁今後女性の集まりに引っ張り出される可能性もあるんです。王族
でしかも女性など最高の味方では?﹂
⋮⋮という理解の方向が私に傾いている素敵な回答と共に﹃是非
!﹄とばかりに歓迎された。彼等は全員公爵子息、これまでの経験
から思うところがあるのだろう。
完全に先手を打った形だが、これでセシルは守られると見て間違
い無い。手を出したら他の守護役を出している国だけでなく、狸様
と私が手を取り合って報復することは確実だ。
予想外の展開だけど、結果的にコルベラは後ろ盾を得られたのだ
から喜ぶべきことだろう。
﹁ところで⋮⋮君の手がキヴェラに防がれる可能性は?﹂
城への馬車の中でセシル兄が尋ねてくる。聞いては来ないが同行
している全員の疑問なのだろう。
﹁可能性は⋮⋮無しです!﹂
胸を張って言い切っちゃうぞ? 絶対に防げないから。
1465
﹁その根拠は? キヴェラだって優秀な魔術師を抱えていると思う
よ?﹂
﹁魔術師だから、でしょうか? この世界の常識があるからこそ、
私の行動が予測不可能なのですよ﹂
実際、この世界において異世界人が強い理由はそれだと思う。知
らないからこそ対策の取りようがない、ということなのだから。
私は娯楽に溢れた世界出身の魔導師だからこそ強いのだ。
だからって手加減しないけどな、博愛主義者じゃないんだし。
この世界における私の最高の武器は自分の知識や経験なのだ、そ
れを利用して何が悪い? そもそも私は善人じゃないから大切なのは極一部なんて当然でし
ょ?
﹁そろそろ着きます。皆様、準備は宜しいですか?﹂
そんな声が聞こえてきた。同時に私は笑みを浮かべる。
うふふ⋮⋮暫くぶりのキヴェラ王都ですよ。今回は堂々とラスボ
スの城に乗り込みます!
ラスボス様よ、覚悟しやがれ? お前の息子が撃沈した今となっ
ては私の獲物⋮⋮もとい最終目標はキヴェラ上層部、もしくは王。
﹁どうして悪役にしか見えないんだろうねぇ⋮⋮﹂
﹁行動と結果はともかく動機が個人的過ぎるからでは?﹂
親猫様と宰相様、結果良ければ全て良しって言葉を知りません? 細けぇことはいいんだよ。周囲の評価なんて気にしない!
1466
※※※※※※※※※
謁見の間には王と王妃、それに側近達の他には側室も王妃の背後
に控えていた。本来ならば彼女達はこういった場にいるべきではな
いが、場合によっては王妃になる可能性もある。加えて言うなら今
にも倒れそうな王妃に対する配慮だろう。
大変だねー、原因が正妃の子だと。王妃は気を失うことすら許さ
れないか。
なお、王太子は蓑虫のままヴァージル君によって運ばれこの場に
居る。私の足元に転がってるけどさ。
﹁よく来たな、魔導師﹂
言葉だけなら歓迎しているようだが、状況的には殺意と敵意の集
中砲火を浴びとります。まあ、それも仕方なかろう。では私もそれ
に見合った対応を。
﹁出迎え御苦労! 宣戦布告されたから来てあげたわ、感謝なさい﹂
﹃⋮⋮﹄
足元の王太子を踏み付けつつ、にやりと笑いながら返す。場の空
気が微妙になろうと一度言ってみたかったこの台詞、これほど馬鹿
にした対応もあるまい。
でも大丈夫、魔導師だから。そういうものです、魔導師は。
﹁無礼な!﹂
﹁あら、私からしたら貴方達は敵だもの。いきなり殺さないだけマ
シじゃない?﹂
﹁な⋮⋮﹂
1467
﹁これまでキヴェラが滅ぼしてきた国はどんな対応をされたんだっ
け? それとも王様一人で王族貴族を皆殺しにしたとでも? 身分
を重視するならば王族を手にかけるのは王族でなければならないよ
ね?﹂
激怒する近衛騎士に対し全く余裕を失わずに応えてやる。お前達
こそ今まで﹃敵﹄に対してどういう扱いをしてきたのかと。
近衛騎士は漸くキヴェラと私の関係が敵対だと悟ったのか沈黙し
た。これまでキヴェラがしてきた事を振り返れば私の態度に文句な
ど言えるはずは無いと自覚して。
その様子を眺めていたキヴェラ王は溜息を吐くと視線をセシル兄
に向ける。
﹁先にコルベラからの訴えを聞こう。先程、書状に添えられていた
婚姻の誓約書を確認した。確かに姫のサインは無い⋮⋮﹃滞在して
いたセレスティナ姫﹄への不敬は儂がこの場で詫びよう。すまなか
った﹂
そう言って頭を下げる。その様子に私は瞳を眇めて内心キヴェラ
王を賞賛した。
凄いな、この人。先に頭を下げる事でコルベラからの抗議を潰し
たよ。この場合、一番確実で誰も文句が言えない対応だ。
婚姻の事実は無かったというコルベラの言い分を受け入れ、大国
の王自らが頭を下げる。ここまですればコルベラは振り上げた拳を
収めるしかないだろう。
コルベラの言い分を受け入れた事=姫の解放を承諾。
王が不敬を詫びる=この件についてコルベラが不利になるような
事はしない。
1468
直接言葉にすればキヴェラ︵大国︶がコルベラ︵小国︶に屈した
ように受け取られる可能性もあるが、この言い方なら誠実さをアピ
ールするだけだろう。
魔王様達が居ることも踏まえて王太子とは違うのだと見せつける
つもりか。
﹁⋮⋮貴方の謝罪を受け取りましょう。そうそう、王女の持ち物を
返していただきたいのですが﹂
﹁無論だ。全て保管してある。⋮⋮誰か!﹂
﹁はっ﹂
声と共にセシル兄の前にテーブルが用意され、その上に装飾品が
並べられていく。これも言い出すことを予測していたのか随分と手
際がいい。
﹁こちらでも確認してあるが、一応そちらでも見てもらえないだろ
うか﹂
﹁感謝いたします。⋮⋮ところでこれらは今まで誰が所持していた
のでしょうか?﹂
﹁話は聞いているだろう? 全て寵姫エレーナが所持しておった﹂
やはり寵姫が持っていたらしい。数と物を確認するコルベラ勢は
暫くすると頷いた。
﹁はい、確かに。全て揃っているようですし、保管状態も問題あり
ません﹂
﹁そうか、それは良かった﹂
﹁お気遣い感謝します﹂
⋮⋮? はい? ﹃全部﹄? 1469
﹁ちょーっと待った! ⋮⋮本当に全部あるんですか? 姫が身に
着けていた物まで?﹂
﹁ああ。国から持って来た一覧と照らし合わせても欠けている物は
無いよ﹂
私の勢いにやや驚きながらもセシル兄は答えてくれた。一方、キ
ヴェラ勢は何か不手際でもあるのかとややざわめいている。
﹁⋮⋮。寵姫をここへ呼んでもらえるかな。確認したい事ができた﹂
﹁寵姫を? 構わぬが⋮⋮本人に確認でも取りたいのか?﹂
﹁そんなとこね﹂
黙って見ていた私の突然の発言に怪訝そうになりながらもキヴェ
ラ王は承諾し、傍仕えに寵姫を連れて来るよう言いつけた。即座に
行動する辺り彼等は何も不審に思わなかったらしい。
⋮⋮いや、セシル達の状況を知らないからこそ何故不審がるのか
判らないというべきか。
セシル兄が何か言いたげにこちらを見るけど説明するなら寵姫が
来てからの方がいい。ごめんよ、セシル兄。公の場だから気になっ
てもすぐ私に聞けないんだよね。
﹁連れて参りました﹂
そんな声に揃って視線を向けると侍女を連れた女性が騎士によっ
て連れて来られていた。装飾品こそ着けていないが、シンプルなド
レスに化粧までしているところを見ると監視対象程度だったのだろ
う。
セシルの話を聞く限り彼女は馬鹿どものとばっちりを受けた形に
なる。彼女の行動を咎めるならば代々後宮で暮らした女の殆どがア
1470
ウトだしな、さすがに咎められなかったのだろう。
彼女は王太子の姿に何とも思わないのか、それとも失望し興味を
無くしたのか。
王太子の姿を目にしている筈なのに表情を動かす事もせず、感情
の揺らぎも感じられない姿は聞いていた姿と違い過ぎて違和感を覚
える。王太子もそんな姿を初めて見たのか戸惑っているようだった。
﹁エレーナ、魔導師が聞きたい事があるそうだぞ﹂
﹁⋮⋮魔導師様、私に一体何の御用でしょうか﹂
王の声と周囲の視線に震える事無く彼女は私を見つめ返す。彼女
の傍に控えている男性は顔立ちと年齢的に父親だろうか? 王太子
の廃嫡により王族との繋がりが潰える筈の彼もまた随分と落ち着い
ているように見えるのだが。
﹁これは貴女がセレスティナ姫から取り上げた物よね?﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮。どうして後宮に無い筈の物まで貴女が持っているの?﹂
ざわり、と周囲に動揺が走る。それはそうだろう、姫の持ち物が
後宮に無いなど意味が判らないに違いない。
﹁セレスティナ姫と侍女エメリナは食事さえ満足に与えられない状
況だったと言ったわ。だから身に着けていた装飾品を売って糧を得
ていたと。どうして売った物が買い戻されているの?﹂
﹁な、そこまで酷い状況だったのですか!?﹂
﹁侍女がまともに仕事をしないのにどうやって生きていけるの? だいたい、食事だけでも運ばれていたら今頃﹃私はできることをし
ていました!﹄って責任逃れの言い訳にしているでしょう?﹂
﹁た⋮⋮確かに﹂
1471
声を上げた側近の一人らしき男性は問題の侍女達を知っているの
か納得したようだ。
さすがにこれには顔色を悪くする人が続出している。逃亡してい
なければ命の危機と言われても否定できまい。
だが、寵姫は相変らず平然として私の質問にも淡々と答えるのみ。
﹁これはセレスティナ姫様の為に用意されたもの。私如きが手にし
て良い物ではございません。姫様の身を御守りする為に取り上げま
したが、いずれお返しするつもりでございました﹂
﹁それはどういう意味?﹂
﹁貴族達は姫様が贈り物を断れぬと知っているからこそ、様々な悪
意を忍ばせました。ですが、私が取り上げると知れば迂闊な事はし
ないでしょう。姫様の手に渡る前に処分したこともございます﹂
エレーナの言葉に嘘は感じられない。実際、セシルも彼女からの
言葉を表面的なものじゃないかと言っていた。
﹁⋮⋮そちらはコルベラの王族の方でいらっしゃいますか?﹂
﹁ああ﹂
エレーナはセシル兄に向き直ると跪き頭を垂れる。
﹁いくら御守りする為とはいえ、数々の所業が許される筈はござい
ません。何より私が許せません。本来ならば直々に謝罪したく思い
ますが、そのような我侭が叶う筈はないと思っております。⋮⋮申
し訳ございませんでした。どうぞ、セレスティナ姫様にお伝えくだ
さいませ﹂
﹁君は寵姫なのだろう? 何故セレスを庇うんだ?﹂
1472
誰もが思うセシル兄の言葉にエレーナは顔を上げて微笑む。それ
はとても優しく誇らしげな笑み。
﹁私は寵姫ではありますが、それ以上にアディンセル一族の者だか
らです。ブリジアスの忠臣にして祖国の復讐を誓う誇り高き一族は
祖国の為に己を犠牲にできる尊い方を陥れるほど恥知らずではござ
いません!﹂
﹃な!? ブリジアスの復讐だと!?﹄
キヴェラ勢がざわめく中、私は﹃同志﹄を歓迎すべく彼女に微笑
みかける。その気配を察したのかエレーナがこちらを向き、一層笑
みを深めた。
王太子の最愛の寵姫が復讐者ね⋮⋮随分と面白い展開だ。キヴェ
ラにおいて王太子妃を守り、私達の手助けをしてくれた﹃味方﹄も
しくは﹃共犯者﹄。
しかもここが公の場であり、どんな状況かを知った上で真実を告
げた。その後の動揺を狙った上での暴露にキヴェラ勢は王でさえ表
情を変えている。
やるじゃないか! 彼女はたった今、牙を剥いてみせたのだ!
ならば私は貴女の為にもキヴェラを貶めよう。これ以上のパフォ
ーマンスをしなければ災厄の名が廃るというもの。 盛大に復讐劇を終らせようじゃないか。
キヴェラ史上、最高にして最悪の舞台はたった今幕を開けたのだ
から。
1473
始まりは暴露と共に︵後書き︶
セシルに関しては保護者達の方が頼りになります。というわけで今
後も仲良しです。
VSキヴェラの先制は寵姫ちゃん。最初の主人公の台詞と態度は挨
拶代わりなので攻撃に非ず。
1474
亡き祖国へ誓う忠誠︵前書き︶
同じことを考える人がいても不思議じゃないですよね。
1475
亡き祖国へ誓う忠誠
﹁復⋮⋮讐?﹂
足元に転がっていた王太子が呆然と呟く。余計な事を言えば十倍
返しされると学習したのかずっと沈黙していたのだが、さすがに声
を上げずにはいられなかったのだろう。
対してエレーナは冷めた目を王太子に向けた。その口元は笑みの
形をとっている。
﹁そうですわよ? 私は生粋のキヴェラ貴族ではありませんし、女
ゆえ政に参加する事も叶いません。そんな私に出来る事といえば情
報収集と政略結婚が精々ですわ。⋮⋮いえ、﹃だった﹄と言うべき
ですわね﹂
彼女の言っている事は事実だ。女性を認めていない国も多く、女
が政に関わるのは政略結婚の駒しかないだろう。
とは言っても悲観する必要はない。貴族令嬢は﹃そういうもの﹄
なのだから。生まれた時からそれが常識と教え込まれているのだ、
身分を捨てる恋に溺れない限りは何の疑問も抱かないだろう。
寧ろ身分を捨て恋を選んだ場合の方が悲惨だと思われる。何一つ
自分でやったことのない御嬢様に愛の逃避行とその後の二人だけの
生活が我慢できるとは思えないし、相手が貴族だったとしても周囲
からは非常に厳しい目で見られるからだ。
下手すると立場が危うくなるし、田舎に引き篭もらない限り中傷
と噂からは逃げられまい。
﹁私からも説明させていただけませんかな?﹂
1476
新たに加わった声はエレーナの近くに控えていた男性だ。彼もエ
レーナ同様、随分と落ち着いている。⋮⋮本来ならば一族郎党処刑
の危機だというのに、だ。
﹁貴方は?﹂
﹁エレーナの父です。キヴェラではアディンセル子爵と呼ばれてお
りますね﹂
﹁キヴェラでは⋮⋮ってことは実際は?﹂
気になる言い方をするアディンセル子爵に問えば、彼は満足げに
笑った。まるで﹃よく気付いてくださいました﹄と言わんばかりに。
そして私に対し、何時の間にか立ち上がっていたエレーナ共々優
雅に礼をする。
﹁ブリジアスのコンラッド・アディンセルと申します。伯爵位を戴
いております﹂
﹁娘のエレーナ・アディンセルにございます﹂
﹁⋮⋮。つまり貴方達はずっとブリジアスの貴族だったと﹂
私の言葉に応えるように二人は笑みを深くした。それが何よりの
答えだ。
思わず私は二人に向けて拍手をする。魔王様達も二人の行動の意
味が判っているのか賞賛の篭った目で見ていた。
﹁お見事! 私達はこの場での出来事を伝える義務があるものね?﹂
﹁ふふ。魔導師殿にそう言って戴けるとは嬉しいですな﹂
誰が見ても彼等が誇っているのは今は亡き祖国だろう。それを周
囲に知らしめる為にわざわざ名乗り、また礼をして見せたのだ。
1477
穏やかそうな顔をして中々やるな、この父親も。この場でそれを
やらかすか。
二人は自分達をキヴェラの裏切り者だと教えるだけではなく、他
国の人間にキヴェラ上層部の甘さを見せ付けているのだ。
彼等は暗にこう言っている、﹃キヴェラ王は己が足元に潜んだ毒
にさえ気付かぬ愚か者﹄と。
捉え方は人其々だろうが、キヴェラ王が馬鹿にされた事は事実と
して伝わるだろう。
口にしていれば品を疑われるだろうが、彼等は﹃ブリジアスの貴
族として﹄相応しい態度を取っただけ。貴族が王を罵ったわけじゃ
ないのだ、祖国が貶められる心配は無い。
言葉にするよりキツイよな、この方法。しかも私達は﹃別件でそ
の場に居合わせただけ﹄なので、報告しようともキヴェラに咎めら
れる事は無い。つまり隠蔽工作は不可能。
﹁我が父はブリジアス最後の王と兄弟の様に仲が良かった。実際、
従兄弟だったのですが。﹃優しさゆえに少々頼りない、だが足りな
い部分は誰かが補ってやればいいのだ﹄と、よく誇らしげに口にし
ておりました﹂
懐かしむ口調にそれが現アディンセル伯爵にとっても優しい思い
出だったと知る。彼の父の言葉は裏を返せば王がどれだけ忠臣に恵
まれ、また慕われていたのかを知ることができるのだから。
﹁キヴェラとの戦の折、王が最優先としたことは民を逃がすことで
した。騎士達はそんな王の思いに応え、時間稼ぎをしてくれていた。
⋮⋮これはキヴェラ王もご存知でしょうなぁ、予定より随分時間が
かかったそうですから﹂
1478
﹁国を落とすのにってこと? 凄いわね、圧倒的な戦力差でそこま
で抗うなんて﹂
﹁ええ! ⋮⋮彼等は国が抗いきれぬことは理解していました。自
分達の力不足を嘆くと共に最後の一人まで戦い、民を守る為に奮い
立ったのです。貴族とて出来る限りの事はしておりました。国を離
れる民に財を分け、新たな生活を掴むまで生きていけるようにと﹂
勿論、全ての貴族が立派だったわけではないだろう。だが、民が
他国に逃げ延びることが叶ったのは彼等のそういった行動があった
からだ。
逃げる事を優先するならば荷物など殆ど持ち出せないに違いない。
民が無事に逃げ延び、その後最低限の生活を送れたのは﹃手持ちの
金があったから﹄。
﹁やがて王も王太子殿下も亡くなり、王妃様のみとなった時。父は
王妃様と国に留まっていた貴族達の前でこう言ったのです﹂
﹃私は息子を連れ、裏切り者としてキヴェラへ向かおうと思います。
そして内側より崩し、あの国に一矢報いてみせましょう﹄
﹃屈辱の時は長いでしょう。私の命も尽きるやもしれません。しか
し! 我が一族の悲願とし、ブリジアスの誇りを血に伝えて参りた
い﹄
﹃呪えるものなら呪っている、殺す力があるならば殺している! それほどにキヴェラが憎く、許せないのです。⋮⋮最後まで国と共
に生き、国と共に滅ぶ名誉を捨てようとも﹄
﹃弱者と踏みつけられた者にも意地があるのだと、必ずや思い知ら
せてみせましょう﹄
1479
﹁あの時の父は息子から見てもとても恐ろしかった。噛み締めた唇
からも、握り締めた手からも血が滴って⋮⋮人が憎悪に身を委ねる
とは、これほどのことなのかと﹂
﹁それ、よく逃げるだけって批難されなかったわね?﹂
﹁言えなかったのですよ、あまりにも凄まじい父の気迫に。それに
⋮⋮父が誰より国に尽くし、陛下の死を嘆いた事は皆知っていまし
たから﹂
﹁一族全員が賛同したの?﹂
﹁はい。母を含めた一部は国に留まり、使用人達も私達に着いてキ
ヴェラへ来る者と残る一族と共に国に殉ずる者に分かれました。⋮
⋮元々、最後まで仕えると言って逃げる事を拒否した者達でしたか
ら﹂
﹁凄い忠誠心ねぇ﹂
彼の父親の行ったことは非道と言ってもいいだろう。何も知らな
い、未だ生まれていない一族の在り方を勝手に定めてしまったのだ
から。 これでキヴェラが新たに支配下に置いた者達も平等に扱っていれ
ば復讐心も弱まったのかもしれないが、実際には明らかな差が付け
られている。
結果、一族の悲願が﹃正しい事﹄であり、復讐者達の心の拠り所
になってしまったんだろう。
キヴェラの﹃生粋のキヴェラ人優遇﹄という体制が彼等の後押し
をするとは皮肉な事だ。
﹁父は最期までキヴェラを欺き続けました。裏切り者と蔑まれるな
らば逆に噂を利用して野心家を装い、時には祖国を貶める発言をし
て復讐心を隠してきたのです。全ては悲願の為に﹂
﹁魔導師様、御爺様は確かに復讐に心を染めておりました。けれど
1480
家族や仲間を愛さなかったわけではないのです。それこそが私が復
讐者であることを選んだ理由﹂
父親の言葉を遮るようにエレーナが話し出す。
根底にあるのが祖国の復讐だろうが、私としてはこっちの方が気
になる。エレーナは聡明だ、見た事も無い祖国に対し人生を賭ける
ほどの忠誠心を持つだろうかと。
それならばエレーナが持つ﹃キヴェラ憎し﹄という感情は何処か
ら来ているのか。
幼い頃から憎しみを擦り込まれたならばセシルの事すら気にしな
いんじゃないか?
彼女に対し違和感を覚えるのが普通だろう。そもそも彼女は寵姫
という恵まれた状況にいたのだから、部外者ゆえの冷遇が原因では
あるまい。それならば寧ろ手放さないように動く筈だ。
﹁私がブリジアスの復讐者であることは事実です。ですが、それ以
上に私は御爺様の御心をどうにかして差し上げたかった﹂
﹁お爺さんの為?﹂
首を傾げる私にエレーナは頷くと話し出す。アディンセル伯爵も
エレーナの心内を知っているのか、黙って発言の場を譲る。
﹁お爺様はキヴェラを憎むと同時に復讐しかできぬ自分が許し難か
ったのでしょう。幾度も握り締めた掌に刻まれた傷は生涯消える事
がありませんでした。⋮⋮私は悔しかった。男であったならば御爺
様や御父様の手助けができるのに、と﹂
﹁でも、それを責めるような人じゃなかったんでしょ?﹂
﹁ええ。役立たずと罵られたことは一度もございません。とても慈
1481
しみ、またこのような運命を背負わせてすまないと嘆いてください
ました﹂
前アディンセル伯爵は自分の勝手に何も知らぬエレーナを巻き込
んだことを悔やんでいたのか。
だが、それでも祖国の復讐を選んだという事だろう。
﹁そんな御爺様の姿を目にする度、私の心にキヴェラへの憎しみが
育っていきました。御爺様を知りもしない癖に悪し様に罵る貴族も、
他者から奪い取る事を正義とする王族も、それを喜ぶ民も! 全て
が許し難かったのです﹂
エレーナの瞳に怒りが渦巻く。それは不思議と彼女を美しく見せ
た。
一途、もしくは純粋。恥じる事も後悔も無いエレーナの姿はそう
言われるものと通じる物があった。
対してキヴェラ勢はやや呆然としながらもエレーナの告白を聞い
ている。全ての元凶は自分達の行いにあったのだと改めて突きつけ
られて。
生温い状況に慣れた彼等はこれほどの憎悪を直接突きつけられた
ことが無かったのだろう。彼等は常に強者⋮⋮弱者に直接関わる事
などないのだから。
逆に私は彼女の言い分に納得する。それがエレーナに感じた違和
感の正体かと。
彼女は祖国の事よりも祖父を苦しめた事が許し難いのだろう。悪
女と蔑まれようと誰が死のうとどうでも良かったのだ、彼女にとっ
てはキヴェラの全てが﹃敵﹄だったのだから!
﹁そんな時、王太子殿下から御声がかかったのです。⋮⋮運命だと、
1482
私が願う余り亡き祖国の皆様が与えてくださった機会だと思いまし
た。そこからは御存知の通りです。贅沢を重ね、王太子殿下を思い
のままに操り、内部から腐らせる予定でした﹂
﹁私は貴女に詫びるべきね。姫の事があったから計画を中止しなけ
ればならなかったんでしょ?﹂
気まずい思いになりながらも溜息を吐く。
うん、私と元凶の狸様は土下座でもすべきだ。自分の人生賭けて
の復讐計画を潰したのは私達なのだから。
だが、エレーナは笑顔で首を振る。
﹁いいえ! 寧ろ感謝しております。上層部が王太子殿下の廃嫡を
画策していることには気がついておりました。私の思い通りになる
のは後宮内のみ。⋮⋮時間が無かったのです、私一人でどうにかな
るものではなかったのですわ﹂
﹁それ、王太子が予想以上にアホだったからだよね﹂
﹁ええ⋮⋮まあ﹂
だろうねー! こいつがもう少し賢かったら、絶対状況が変わっ
ていた。
思わず二人揃って足元の王太子に視線を向ける。お前、本っ当に
駄目な奴だったのね!?
こいつが並の頭と常識を持った野心家だったら傾国の美女計画は
成功していたと確信できる。
だって、ヴァージル君でさえ寵姫の本音に気付いてなかったみた
いなんだもの。
自分の全てを賭けた演技はさぞ完璧なものだったのだろう⋮⋮惜
しむべきは協力者の少なさと参謀の不在だな。エレーナが役者と兼
1483
ねなきゃならなかったから、彼女が王太子に拘束されちゃうと次の
指示が出せないのだし。
﹁ねえ、もしも私が貴女の参謀役として後宮に乗り込んでいたらさ
⋮⋮﹂
﹁⋮⋮。成功どころか今頃は内部の突き崩しを行なっていると思い
ますわ﹂
御互い口には出さないが﹃王を含めた上層部の暗殺とか追い落と
し終わらせてるよね﹄と言っている。
絶対に可能だった。そう言いきれる。意外と内部が脆いみたいだ
もの、キヴェラって。
あれだ、ゲームで性能や適正を無視して攻撃力のみを重視した武
器を選ぶプレイヤーみたいな感じ。﹃押さえ込める﹄という自信か
ら些細な事を気にしない傾向にあるっぽい。
そしてやっぱり空気を読まない子、王太子。
﹁私は⋮⋮騙されていたということか⋮⋮﹂
﹁シリアスに言ってるけど、そんな誘惑は何処にでもあるからね?
あんたがアホなのは変わらないよ?﹂
﹁魔導師に私の気持ちなどわかるま﹂
﹁うざいぞ、お前﹂
がつり、と再び王太子を踏み付ける。今度は悲劇の主人公気取り
かい。
﹁ねえ、王太子様? どうして誰もが貴方を王子ではなく﹃王太子﹄
って言うか気付いてる? ⋮⋮その立場にしか価値が無いからだよ。
付随する権力に従っているだけなの。貴方個人に価値は無い﹂
﹁貴様っ﹂
1484
﹁ちなみに私にとっても重要だったのは﹃王太子﹄の肩書き。キヴ
ェラ第二位の奴がやらかしてるから上層部も無視できなかったんだ
よ、王子だと逃げ道があるしね!﹂
実際、王子だと架空の人物を作り上げられる可能性があった。兄
弟だから似ていた、双子だった、病弱で表に出ていなかった⋮⋮と
いった理由を仕立て上げて罪をルーカスから切り離すことが可能だ。
だが、王太子ならばそうはいかない。それは唯一であり、兄弟だ
ろうと詐称する事が許されないのだから。
何処の国でも﹃特別﹄なんだよ、王太子って。﹃次の王﹄なのだ
から。
﹁気付いてなかったみたいね。だけど極一部にとって貴方は素晴ら
しい価値がある!﹂
﹁は? 散々貶めたくせに何を今更﹂
﹁そうでしょうか? 価値など無いように思いますが⋮⋮﹂
訝しげに問い返す王太子。首を傾げ、思わず本音を口にするエレ
ーナ。
エレーナの発言に王太子が地味にショックを受けているみたいだ
が気にしない!
﹁違うよ、エレーナ。そんなことはない!﹂
エレーナの言葉に私は力強く否を唱える。
﹁キヴェラを崩す切っ掛けにして唯一の弱点、復讐者達の的という
存在意義がある!﹂
﹃⋮⋮おい﹄
1485
無言の突っ込みを周囲から食らった気がするけど綺麗にスルー。
﹁あら⋮⋮確かにそういう意味では重要な人ですわね。魔導師様の
策も王太子殿下を利用したものだったようですし﹂
﹁でしょう!? 復讐者達の踏み台にして捨て駒、行動すればする
ほどこちらに都合よく事態を悪化させ、しかも良心が全く傷まない
という素晴らしい逸材だと思うわ﹂
﹁ちょ、魔導師殿それ扱い酷い! 無価値より酷いから!﹂
ヴァージル君が思わず、といった感じで突っ込む。
魔王様達は無言⋮⋮だが、さりげなく視線を逸らしていた。
肯定したくともできないのですね? 否定する気も無い、と。
﹁ちなみにその基準は私の役に立つか立たないかで、それ以外は評
価しない﹂ ﹁人権とか個人の尊厳を一切無視かよ!? 何その個人的な判断基
準﹂
﹁これを一般的に評価すると﹃無能﹄っていう一言で終るでしょ?
後は個人にとっての価値のみよ﹂
﹁そ⋮⋮それは⋮⋮﹂
﹁ほら、褒めるべき所が見付からないじゃん。多数決で私が正しい﹂
場の空気の変わり方についていけないのかキヴェラ勢は黙ったま
ま。敢えて言葉を挟まず、私達の情報を少しでも得ようとしている
のだろう。
まさか、王太子の価値を見つけられないから⋮⋮ってことは無い
よ、ね?
﹁魔導師様はとても素敵な発想をなさる方なのねぇ﹂
1486
拳を握って熱く語る私にエレーナはそう呟き、周囲は微妙な雰囲
気になった。ありがとう、エレーナ。物は言いようだな。
王太子はあまりの言われ様に無言⋮⋮だが、私に対しては心当た
りがある所為か反論できないようだった。
物語の主役にも悪役にもなれない道化だが、本人無自覚に重要な
役割を担う脇役。そう考えると王太子は要らない子じゃないと思う
んだ。
⋮⋮嬉しくは無いだろうけど。
﹁⋮⋮で、話を戻すけど。復讐者って事は王太子妃逃亡の情報を民
間に流したのってエレーナ?﹂
あれは素晴らしいタイミングだった。あの噂のお陰で夢の内容が
一層真実味を帯びたのだ。
ところが。
﹁え? いいえ? 私は少しでもセレスティナ姫の痕跡を消して逃
亡をお手伝いしようと動きましたので。御父様ではないのですか?﹂
﹁いいや? 私は何もしとらんよ﹂
﹁へ? じゃあ、一体誰が? あれはキヴェラに悪意を持っていな
きゃ流さないでしょ﹂
三人揃って首を捻る。どういうことさー?
エレーナ達ではないってことは誰が? 該当者に心当たりはない
ぞ?
城に出入りできる人間でキヴェラに悪意を持つ人が他にも居たっ
てこと? ﹁く⋮⋮はははははっ! これは傑作だ!﹂
1487
突如響いた笑い声にほぼ全員がその人物へと視線を向ける。それ
はキヴェラ側の貴族の一人。
場所から見て側近というほどではなくとも、それなりの立場にい
ると思われる人物だった。
﹁なんと愉快な! 私の他にも復讐者がいようとは﹂
﹁なんだ、貴殿もか。手を組めばもっと面白かったかもしれんな﹂
そしてもう一人。心底楽しいとばかりに笑みを浮かべて私達の前
に歩いてくる。予想外の展開に周囲は唖然。
⋮⋮。
おーい⋮⋮もしかして、入り込んでいる人が結構いたのか、な?
いや、恨まれてても不思議は無いんだけどさ。
﹁お初に御目にかかる、魔導師殿。そして我が同志にも挨拶を﹂
﹁ここまで事が大きくなるとは思いませんでしたぞ?﹂
﹁ってことは貴方達も復讐者? 私に協力してくれた?﹂
﹁ふむ、協力というほどではありませんが民に情報は流しましたな﹂
﹁私は仲間達に追っ手の妨害工作の依頼を﹂
あ∼⋮⋮この人達か。どうりで逃亡し易いと思ったよ。
キヴェラであれだけ﹃黒髪で年頃の女性﹄という条件の捜索がさ
れたのだ、逃亡中に﹃それらしい人物﹄の情報がキヴェラに入らな
いというのも妙である。
恐らくは各地に散らばる同志の皆さんが追っ手を誘導するか、誤
魔化すかしてくれたのだろう。
そもそもあの最中に王都に滞在していた商人達はその情報を知っ
ている。普通ならば転移方陣や国境などで呼び止められる筈だ。イ
ルフェナに問い合わせるくらいはするだろう。
ところが行動を起こした国はバラクシンのみ。国として動かなく
1488
とも、権力者達が独自に動く可能性はあるだろう。それが全く無か
ったということは、何処かで情報が止まったということじゃないの
か?
とはいえキヴェラ側からしたら彼等は当然裏切り者。射殺さんば
かりに睨みつける人多数、実際に声を上げる人もいる。
特に騎士達の視線は殺気を帯びていた。自分達の仕事を邪魔した
元凶を目の前にしているのだから当然なのだが。
﹁貴様等っ! よくぞ平然と名乗り出られたものだな!? この裏
切り者が!﹂
﹁褒め言葉だな、それは﹂
﹁大した事などできぬ小者と侮っていたのはそちらだろう? 確か
に大した事はしておらんさ、精々魔導師殿が動き易いようにするこ
とと⋮⋮王太子殿下を誘導することくらいだな﹂
にやり、と問題発言をかました男性が笑う。その言葉に周囲は更
に騒然となった。
さすがにキヴェラ王が声を上げる。
﹁どういうことだ!﹂
﹁いやいや、立場に苦しみ悩める殿下を御慰めしただけですよ? ﹃次期王たる貴方様が何故不自由を強いられなければならないので
しょう﹄﹃キヴェラ第二位の方に意見するとは何と思い上がった輩
か﹄⋮⋮とね﹂
﹁え、それ貴方は悪くないじゃん。その甘言を都合よく解釈して駄
目な奴に成り下がったのは王太子本人でしょ!﹂
﹁ある意味そうなのですがね⋮⋮結果として王太子殿下は己が忠臣
を排除しているのですから。私は罪から逃げるような愚か者ではご
ざいませんぞ﹂
1489
平然と言い切る男性は﹃同志﹄と共に更に言葉を続けた。
﹁国の内部を食い荒らす事は出来ずとも夜会にて言葉を交わす程度
は出来るのですよ、王。貴方達は強者だからこそ脅威と成り得るよ
うな存在は警戒しても、力の無い者には本当に無関心だ﹂
﹁簡単に押さえ込めると理解していたからだろうなぁ? だが、弱
者にも意地がある。ほんの少しの傷を付けることしか叶わずとも、
それが致命傷へと繋がる可能性とてあるのだ。何も出来ぬと侮った
事がキヴェラの敗因よ﹂
小父様二人は言いたい放題だ。それを聞きキヴェラ勢は悔しそう
に顔を歪めている。
﹃自分達ができなくても可能性のある立場にいる奴を動かせばい
いじゃん?﹄
﹃小さくとも皹入れとこ。何かの切っ掛けで亀裂に繋がるやもし
れんし﹄
ということですよね、御二方。気が長い上に完全に他力本願⋮⋮
と言うか自滅狙いの方法だが、一番バレ難く処罰もし難いやり方だ。
だって、王族に擦り寄る権力者なんて特に珍しく無いもの。完璧
に楽な方に逃げた王太子の責任です。
﹁あ∼、御二人さん? とりあえず貴方達も復讐者ってことだよね
?﹂
﹁うむ、勿論だ﹂
﹁同志と言ってくれて構わんよ﹂
﹁ちなみに原因は? エレーナ達に同志って言うことは理由は同じ
よね?﹂
そう尋ねる私に二人はしっかりと頷き返す。
1490
﹁私は先代に滅ぼされたラティマを故郷に持つ﹂
﹁同じく先代に滅ぼされたセルザムが我が故郷だ。代々侵略行為を
繰り返すとは何と業深き者達よ﹂
﹁そういえば二百年程度の間にここまで大きくなったんだっけ﹂
﹁そのとおり。⋮⋮例え自治都市程度であろうとも仲間と共に作り
上げてきた故郷を奪われ怒らぬ筈はなかろう?﹂
﹁戦が起こる前にキヴェラ貴族の妾となって子を成していた者もい
てな。虐げられながらも内部に潜み機会を窺っておったのだ。魔導
師が動いた今こそまさに好機!﹂
なるほど。彼等はその妾となった人の子供らしい。一応生まれな
がらにキヴェラの貴族ではあるから、今この場に居たのか。
昔のキヴェラの地図には確かに小国が沢山描かれていた。中には
国というより都市に近いものもあったかもしれないが、それでも一
つの集団として成り立っていたのだろう。
それならば一世代に複数の国を滅ぼしていても不思議は無い。現
に今のキヴェラ王はブリジアスを滅ぼすだけではなく、ゼブレスト
に侵攻、アルベルダに内乱を画策と行動的だ。
手に入れられなかったのは偏に攻められた国の頑張りだろう。特
にゼブレストには紅の英雄、アルベルダにはグレンというキヴェラ
にとって予想外の逸材が居たのだから。
イルフェナにも攻め入ったっぽいしな、魔王様達の様子から察す
るに。
﹁その血を引いていようと貴様等はキヴェラの貴族だろう!? そ
う在れた陛下の恩情に感謝する気は無いのか!? 陛下がお前達の
故郷を滅ぼしたわけではあるまい!﹂
王の側近だろう貴族が声を張り上げるが、二人は冷めた視線を向
ける。
1491
﹁我等が怨敵は個人ではなく国だ! キヴェラという国が故郷を滅
ぼしたのだ﹂
﹁個人で国が滅ぼせるか? 国が成した事ならば恨まれるも国ぞ﹂
感謝など欠片も無いとばかりに言い返す二人に、怒りを募らせる
キヴェラ王の側近。なおも声を上げようとするのを遮り、私は彼等
に対する﹃ある憶測﹄を口にする。
﹁いくら直接関係が無いって言っても無駄じゃない? そもそもキ
ヴェラ王自身が散々侵略行為を見せ付けて復讐者達の古傷抉ってる
のに﹃陛下の恩情﹄って言われてもねぇ﹂
﹁何だと?﹂
﹁ここまでするってことは﹃そう育てられてる﹄んじゃないの? もしくは話に聞くもう一つの故郷を選ぶほどにキヴェラが﹃部外者﹄
として彼等を虐げてきたとか。それにさ、忠誠や感謝を抱くほど大
事にしてきた?﹂
﹁ぐ⋮⋮﹂
﹁生粋のキヴェラ人優遇なんて政策がとられてる以上は答えが判る
けどね﹂
もしかしたら彼等の親達は亡き故郷を語っただけかもしれない。
それでも二人は何の躊躇いもなく復讐者と名乗るのだ、これはも
う己の存在理由と認識していても不思議は無い。
先祖がしてきた事と自らがしてきた事、その二つが同時にキヴェ
ラに牙を剥いた結果が現状なのだ︱︱
1492
亡き祖国へ誓う忠誠︵後書き︶
﹃復讐︵者達︶﹄﹃キヴェラは小国を侵略して大きくなった﹄﹃主
人公は敵は個人ではなく国だと言っている﹄という三つが伏線でし
た。
なお、小父様二人の祖国は国というより自治都市程度。
強者が踏み付けられた弱者の怒りを軽く考えた結果です。
1493
災厄の片鱗︵前書き︶
キヴェラVS主人公。別名、悪党︵組織︶VS鬼畜︵個人︶。
言っている事は間違っていないのに、善人路線からは大きく外れて
いる主人公。
1494
災厄の片鱗
続く暴露に呆然とするキヴェラ勢。
まあ、その気持ちも判る。魔導師が来ると思って気合を入れてた
ら、別方向から攻撃が来たもんな。
でも同情なんてしませんよ。自業自得。
﹁えーと。⋮⋮彼等に続く復讐者さんはいますかー?﹂
一応声をかけてみるが名乗り出る気配は無い。
⋮⋮とりあえずは打ち止めらしい。
﹁それじゃ、私がやっちゃってもいいかな? コルベラとの会談は
終ったし、復讐者の断罪も終了っぽいし﹂
﹁そうか、まだ貴様が残っていたな⋮⋮﹂
疲れたように、けれど瞳に敵意を色濃く残したままキヴェラ王が
私に視線を向けた。
うふふ! そうですよー、残ってますよー、忘れちゃいやん。
⋮⋮物凄い真面目な話の後だと余計に馬鹿っぽく聞こえるだろう
けどな!?
﹁当然! 私にとってはエレーナ達が予想外なだけだもの。許すな
んて選択肢は無いわ﹂
﹁ほう? 我等が敗北する事が前提か。⋮⋮貴様にその力があると
いうのかね?﹂
﹁あるわよ﹂
1495
当たり前でしょ! と呆れた顔をすればややその表情が強張った。
おお、思い上がりで済まない辺りさすが災厄の代名詞。魔導師の
名は警戒させるのに十分だったらしい。
﹁ルーカスが宣戦布告をしたのだったな﹂
﹁それが決定打ね﹂
﹁何?﹂
それだけだと思っていたのか、キヴェラ王は訝しげな顔になる。
周囲の人々も同様。まさか他にも原因があるとは思っていなかった
のだろう。
そんな彼等に向かって私は指を折っていく。
﹁まず一つ目。ゼブレストの後宮騒動であんたの手駒達に散々迷惑
かけられた。状況的には黒幕に該当するけど、下の者が仕出かした
ことの責任は上に行くよね﹂
﹁それはゼブレストに文句を言うべきだろうが。側室達はゼブレス
トの貴族ではないのか?﹂
﹁あらあら、言い逃れ? 私は﹃黒幕﹄って言ったよね? それと
も私が事件の本質に気付かないほど愚かに見えるのかな⋮⋮?﹂
﹁⋮⋮っ﹂
笑みを浮かべたまま私は軽く首を傾げる。威圧を込めたそれに王
に同意しようと口を開きかけていた貴族達は沈黙した。彼等は交渉
の場に来ることはあっても戦場には行かない立場なのだ⋮⋮威圧や
殺気は黙らせるのに十分効果的。
﹁下らない言い訳ができないように言っておくわ。ルドルフは側室
どころか家ごと潰したの。おかしいでしょ? 幾ら何でもやり過ぎ
だと思うのが普通じゃない。国力を低下させてまで﹃そうしなけれ
1496
ばならなかった理由がある﹄と考えるのが一般的よね?﹂
貴方達だって同じ判断をするんじゃない? と問えば沈黙する事
で肯定してくる。
当たり前だ、これで疑わなかったら側近の立場に相応しい能力な
ど無いだろう。
﹁ああ、ついでに言うとルドルフどころかゼブレストで私の周囲に
居た人達は徹底的にキヴェラの名を出さなかったの。私が気付けば
報復に動くと知っているからって酷いと思わない?﹂
﹁⋮⋮お前は気付けば私達が止めても無駄だろうが﹂
﹁はい、無駄ですねー。で、実際行動して今此処に居ます。残念で
した!﹂
﹁本当に、本っ当に危惧したとおりの行動をとったな⋮⋮﹂
溜息を吐きつつ突っ込む宰相様にも笑顔でお応え。内容はともか
く良いお返事です、私。
おかん、ゼブレストでは結果を出したんだからそれ以外は諦めろ。
﹁で、次。色々調べてたらセレスティナ姫を後宮総出で冷遇⋮⋮命
の危機だったし虐待かな? してるじゃない。これは面白い事にな
るなーと思って連れ出してみました。ちなみ誓約書を借りたのもこ
の時﹂
﹁やはり誓約書は奪われていたか! 姫を連れ出したならば夢も貴
様なのだろう?﹂
﹁勿論! 言ったじゃない、﹃面白い事になると思った﹄って。自
分の国の王太子とその配下がやらかしてる事なのよ? 民として何
も知らないのは可哀相でしょ﹂
くすくすと笑いながら言っても説得力などないだろう。だが、知
1497
らないまま都合の良い情報に踊らされるよりマシじゃないか。彼等
だって知る権利があるのだから。
﹁それで逃げたんだけど。随分とふざけた追っ手を向かわせてくれ
たわねぇ? ⋮⋮王太子の親衛隊、だっけ? それと後宮警備の連
中。連れ戻す為の追っ手と見せかけて煩い彼等の実家を潰す為に使
うとは﹂
﹁何故そう思う?﹂
﹁対処が早過ぎる。まるで﹃最初から決まっていたような、他国が
納得せざるを得ない重い処罰﹄だしね? 他国に対し力を持つよう
な家が簡単に潰される筈はない、事前に周囲を固められてでもいな
ければ﹂
他の貴族だって納得しないわよねぇ、と続けるとキヴェラ王は悔
しそうに顔を歪める。
王には国を率いてきた実績と自信があるのだ、私に手の内を容易
く読み取られていい気分である筈は無い。
⋮⋮反論が来ないってことは正解か。まあ、あれがキヴェラの精
鋭とか言われたら笑うが。
⋮⋮。
私も玩具扱いはしたけどな。賠償金ふんだくって金づる扱いとか。
そう言った意味では非常に良い追っ手だったと言える。コルベラへ
の良い御土産ができたことだし。
﹁それでも逃がした以上は姫に対して責任を持つべきよね? だか
ら十分な証拠と証言と自白によって﹃冷遇は事実、キヴェラに誠意
が無いのも事実、姫が王太子妃でないことも本当﹄って徹底的に説
明してあげたら逆切れして宣戦布告よ? これで怒らない方がどう
かしてるわ﹂
1498
私を災厄扱いしてるけど、その災厄を焚き付けるような行動をと
っているのはキヴェラ。
他国の人達は絶対にこう言うだろう⋮⋮﹃自業自得﹄と。
﹁交渉の余地は﹂
﹁無いわね、何でそんな優しさを見せなきゃならないの﹂
﹁儂の謝罪も無意味か﹂
﹁そんなものは何の価値も無いわ﹂
軽い口調で言葉の応酬をしているが、キヴェラ王は突破口を探し
ているのだろう。
私達はこれが初対面なのだ。魔王様達が徹底的に情報規制をして
くれたこともあり、私の情報は殆ど無いに違いない。だからこそ対
処が遅れるのだ。
﹁魔導師よ、確かに我等に責があろう。だがな﹂
王は一度言葉を切って私を睨みつけ。
﹁我等とて大国と呼ばれる意地がある! 抗う価値はあろう﹂
﹁あら、私とやり合う気なの﹂
﹁無論だ。貴様は賢いようだが、知恵だけではキヴェラは落ちん!﹂
﹁え? 実力行使するよ? つーか、落とすのが目的です﹂
﹃な!?﹄
迫力満点の王の言葉に、にっこり笑って軽∼く返すとキヴェラ勢
の表情に怒りが滲む。言い切った事に対する驚愕半分、軽く見られ
た事に対する怒り半分ってところかな。
うん、良いぞ、良いぞ。盛大に怒るがいい。私はその状態の君達
を叩きのめして心を叩き折りたいのだから。
1499
寧ろ大歓迎! 相手が無抵抗だとこっちが悪役にされかねないも
んな!
﹁それでは! 皆さんお怒りのようなので少し頭を冷やしてもらい
ましょうかぁっ!﹂
にやり、と笑い指をぱちりと鳴らす。魔力を感じ取った魔術師達
が動くが遅い。
結界があっても普通の攻撃魔法のように自分の手元からの発動じ
ゃないのだ、ピンポイントで﹃直接﹄その場を狙う事だって可能。
⋮⋮見えているならね。
結界を張ろうとも﹃空気﹄は結界内部にもある、砕くのは圧力を
掛ければいい、剣は大雑把に分解すれば壊れるだろう。
異世界の常識とこの世界の常識を同じものとして考える方がおか
しいのだ。私だって彼等の魔法は理解できないのだから。
ねえ、皆さん? 私がここに来てからどれほど時間が経ったと思
います?
セシル兄とかエレーナ達の話を聞いている間ずっと貴方達は私の
目の前に居たんですよ?
目標を認識し﹃発動させるだけ﹄にしておくことだって可能なん
だよ。それに魔術師と騎士って一目で判るから非常にやり易い。
貴族はそこまで攻撃に特化してないのか武器持ってないみたいだ
から、攻撃手段を封じる意味での狙いは魔術師と近衛騎士だ。
﹁な⋮⋮う、腕がいきなり⋮⋮っ﹂
﹁剣、が⋮⋮砕けた⋮⋮?﹂
1500
カシャン、という音と共に割れた剣と鈍い音を立てて砕けた腕に
騎士達は痛みと共に呆然となり。
﹁ぐ⋮⋮﹂
魔術師達は突如襲った喉への圧迫と痛みに苦しさを覚え、思わず
喉に手を伸ばし。
﹁騎士は剣と腕を砕き、魔術師は喉を潰す。⋮⋮どう? 私は弱い
? 彼等にとって誇りとも言える﹃強さ﹄と﹃自信﹄を奪ってみた
んだけど﹂
﹁貴様⋮⋮無詠唱、で⋮⋮﹂
﹁できないなんて言って無いでしょ。ねえ、騎士や魔術師の皆さん
? 圧倒的な力に誇りを踏み躙られる気分はどう? これで貴方達
は主さえ守れぬ役立たずよねぇ、滅ぼされた国の騎士達の気持ちが
今なら判るかな?﹂
明るく問う私にエレーナ達がはっとして私に視線を向け、呆然と
しかけたキヴェラ王は恐怖とは別の意味で表情を変えた。
﹁お前、まさ、か⋮⋮その為に⋮⋮っ﹂
﹁エレーナ達の話を聞いたから。守りたいのに守りきれない絶望を
感じてもらおうと思って﹂
実際、これはエレーナ達の話を聞いて思いついた追加要素。本当
は動きを封じるだけで十分だけど、是非キヴェラにも同じ体験をし
てもらいたかったのだ。
彼等は﹃圧倒的な兵力﹄で﹃国を守ろうとした者達を踏み躙って
きた﹄のだから。
1501
﹁ちなみにこんな事も可能。下手に動くと危ないよー﹂
更に指を鳴らして謁見の間全体の氷結を。私達の周囲と扉近辺以
外は徐々に凍りつき、キヴェラ勢を巻き込みながらその厚みを増し
ていく。
彼等は得体の知れない恐怖に顔を強張らせるが、男が怯えても可
愛くないので無視。控えていた魔術師達もその光景に呆然とするの
み。
まあ、魔術師が硬直する理由は判る。この世界の魔法でこれと同
じ事をやろうとすれば、水を作り出すことも含めかなりの魔力が必
要らしいから。つまり魔力量の差に呆然としてるわけですよ。
尤もそれはこの世界の魔法を基準にした場合。高い方だが私には
そこまでの魔力は無いだろう。それ以前にこの世界の魔法が使えな
い。
私は﹃酸素と水素で水﹄程度の曖昧な知識で水を作り出し状態変
化させる氷結なのでそれほど魔力はいらないのだ。⋮⋮収穫したハ
ーブを洗ったり冷たいものを作るのに使っている時点でいかにお手
軽なものか知れよう。
なお、これが黒騎士相手だと好奇心の赴くままに私の拉致が決行
される。奴等なら絶対にやる。貴重な実験動物︱︱もとい術者とし
て協力を仰ぎ、魔法の解析に努めるだろう。
そんな事を考えているうちに氷結が進みキヴェラ勢は王と王妃、
側室を除き完全に動けなくなった。
足しか氷付けにはしてないから心配すんな? 動きを止めるだけ
だから。
ただ、室内でここまで大規模の氷結を行なうと一時的にちょっと
酸素が薄くなるから息苦しさはあるかもしれないが。まあ、死なな
いし一時のことだ。
1502
﹁派手にやるねぇ⋮⋮﹂
セシル兄の感心とも呆れともとれる声が耳に届く。魔王様達は呆
れているようだ。どうやら﹃やられたらやり返すのが礼儀です!﹄
と言い切ってあったので諦めている模様。
キヴェラを黙らせるのにも必要だと感じている部分もあるのだろ
う。キヴェラ王は一戦交える考えだったみたいだし。
怒りの表情を浮かべていたキヴェラ勢も漸く魔導師がどんな存在
か思い出したのか、彼等は揃って顔色を悪くしている。私の見た目
が彼等の知る魔導師のイメージと合わなかったからこそ、これまで
の態度だったのだから当然か。
顔色を悪くした理由は自分達だけではなく、国の未来を想像して
のことだろう。
﹁じゃ、本番に行こうか﹂
キヴェラ勢が静かになったところで仕切り直しを告げると、キヴ
ェラ勢は一斉に私をガン見し、魔王様達は思わず声を上げた。
﹁はぁ!?﹂
﹁ちょっと待ちなさい、これが本番じゃないのかい?﹂
﹁え、これオプション。追加要素ですって。本命は別です﹂
﹁待て、これで﹃追加要素﹄だと!?﹂
﹁人は日々成長するんですよ。成長を喜んでください﹂
セシル兄、魔王様、宰相様の順で呆れと驚愕の声を上げる。今回
誰にも具体的な内容を言って無いから当然ですね。何の為に誤魔化
しまくってここまで沈黙を守ったと思ってるのさ。
1503
﹁これ以上をやる気だったから黙ってたのかい⋮⋮﹂
呆れた魔王様の台詞は綺麗にスルー、振り返るのが怖いので存在
もスルー。
だって、止められる可能性高かったんだもん!
﹁魔導師よ、貴様は何を望んでいるのだ?﹂
さすがに顔色を悪くしたキヴェラ王が問う。さっきと違って交渉
の席につく事を前提としているような、伺うような言い方だ。
だが。
﹁キヴェラを壊したい﹂
さらっと返す私の言葉に軽く目を見開く。周囲も一斉に沈黙した。
⋮⋮彼等はこれまで﹃勝って手に入れる﹄ということが前提だっ
た。だから私の言葉に有効な条件提示が思い浮かばない。
﹁キヴェラが強国・大国であることが全部の原因じゃない。だから
私の敵はキヴェラという﹃国﹄。壊す事が目的よ? 貴方達だって
敵は倒すでしょ?﹂
﹁欲しい物、は﹂
﹁ないわね。欲しいものは自分の手で手に入れてこそじゃないの?﹂
欲しい物が無い=和解はありえない。
当たり前じゃないか、これまでキヴェラが滅ぼした国だって何と
か滅亡を避けようと手は尽くした筈だ。
それを一切無視したキヴェラが何かを言える筈は無い。
﹁時間の無駄ね﹂
1504
その言葉と共に大型の魔法陣モドキを複数浮かび上がらせる。ち
なみにこれは大事に見せる為のフェイク。ゲーム内で魔法を使った
時に浮かび上がるエフェクトだ。
﹁さあ、一時的に冥府の扉を開いてあげる。還っておいで、悔しい
なら!﹂
一瞬、魔法陣はその輝きを増し。そして何事も無かったかのよう
に消えた。
誰もが息を詰めて視線を廻らすが、緊張感溢れる謁見の間に変化
は無い。それが一層彼等を不安にさせているのは明らかだ。
なお、私の台詞も十分恥ずかしい部類である事は自覚している。
判り易く言っただけです、もっと簡略化すると﹃亡霊さん、おいで
ませー!﹄もしくは﹃祭りだぞ、出て来い野郎ども!﹄。
⋮⋮さすがにこの場でそれを言う根性は無い。それとも﹃冥府に
下りし憎しみに染まる魂云々﹄と長ったらしくも恥ずかしい、﹃厨
二病的決め台詞﹄を言った方が雰囲気出たんだろうか。
台詞自体には何の意味も無いから拘り無かったんだけど、ここま
で大事に捉えてくれると凝った方が楽しかったかもしれない。
﹁魔導師、一体何をした﹂
やや掠れた声でキヴェラ王が問うが私は笑みを浮かべたまま。
その様子に苛立ったのか、声を荒げてキヴェラ王は再度問う。
﹁何をしたのだ! 只で済む筈はあるまい!﹂
﹁ふふ、すぐに判るよ﹂
﹁何⋮⋮?﹂
1505
笑うばかりで答えを濁す私に周囲の焦りを含んだ視線が突き刺さ
る。
実を言うと答えないのは焦らし半分、笑いを堪えてるのが半分な
のだが。
ごめん、君達の反応面白過ぎ!
悪戯如きに必死になる姿に、気を抜くと爆笑してしまいそうだ!
やがて彼らが待ち望んだ答えは息を切らせながら扉を開けた騎士
によって齎された。
一瞬、内部の様子に硬直した彼はそれでも使命を果たすべく口を
開く。
﹁一大事にございます! 町に⋮⋮王都に死霊達が溢れております
! 奴等はキヴェラに対する恨み言を口にしており、民は混乱に陥
っております⋮⋮!﹂
﹁死霊だと!?﹂
﹁どういうことだ、死霊さえ操ったというのか!﹂
﹁答えろ! 魔導師!﹂
騒ぎ出すキヴェラ勢に私は心の中で大爆笑! そんな姿は﹃慌て
る我々を見て楽しむ、余裕ある魔導師﹄として見られ、彼等は益々
焦りだす。
いや、結構な大事になったじゃないか! 残り物だったのに!
実はこれ、クズ魔石に仕込まれたゲームの記憶を再生させている
だけ。ゼブレストの英霊様︵笑︶再び! なのですよ。唸り声は元
々あったしね。
勿論、クズ魔石なのでゼブレストのように長持ちはしない。魔力
1506
的にも数回再生するのが限界だろう。
ただし。
今回は逃亡用に作ったとあって物凄い数が町中に仕掛けられてい
るのである。一度私が作ってしまえば仕掛けることは残った人達に
もできるし。
植木鉢の中に、小物入れの中に、店の看板の陰に、道の窪みに⋮
⋮といった感じで大量に仕掛けられているのだ。残っていた逃亡用
の細工を更に増やし、追加要素としてキヴェラへの怨念︵笑︶を声
優さん︱︱アルベルダ幽霊騒動の協力者の皆様です︱︱に演じても
らって量産。
それをコルベラから未だキヴェラ王都に潜伏中の人々に送ってバ
ラ撒いてもらったのだ。極々僅かな血を魔石に含ませておけば遠隔
操作で発動させる程度は可能。⋮⋮まあ、この小細工の為に増血作
用の薬草とか持っていたわけだが。
なお、魔血石になるともう少しできる事が広がる。予め魔法を仕
込んでおくのではなく、魔血石を魔法の発動場所に出来るのだ。あ
る意味、自分の一部だしね。
溢れる死霊! 逃げ惑う人々!
朽ちた騎士の亡霊+唸り声+キヴェラへの憎しみ溢れる怨嗟の声。
即席パニックホラーが展開中!
町はきっと大混乱。加えて大怪我しない程度に破壊活動が行なわ
れているので、町の住人達にとって亡霊は冗談抜きに恐ろしい﹃現
実﹄だ。
まあ、一時間程度しかもたないんだけどさ。元々町を脱走する為
の騒動を起こす事が目的だったから。
﹁ふふ⋮⋮だって、﹃国﹄がこれまでの行いの責任を取るって民も
含まれるでしょ?﹂
﹁民は関係あるまい!﹂
1507
﹁あるじゃない﹂
叫んだ騎士にあっさり返すと理由が判らないのか怪訝そうな顔を
した。
﹁だって、彼等は侵略行為を称えてきたのよ? ﹃自分達に恩恵が
ある﹄という理由でね﹂
﹁そ⋮⋮それ、は﹂
﹁それにね、彼等は知らなきゃいけないと思うの﹂
わざと言葉を切ってにっこり笑い。
ここ
﹁自分達の生活が屍の上に成り立っていたものだってこと。奪った
果ての豊かさならば屍の上に築かれた町じゃないの、王都は﹂
﹃敵を殺していない﹄ならば﹃恨まれない﹄⋮⋮なんて言い訳は
通用しないんだよ。国が侵略行為を行なってきたならば、その恩恵
を与えられてきたならば十分関係者じゃないか。
﹁それにこれは貴方達の為だと思うよ? あれだけ他国に対して優
位を謳っておいて今更﹃対等に﹄なんて言って納得する? いくら
王の言葉でも不満しかでないでしょ﹂
﹁と、いうことは。この騒動はキヴェラの為なのかい?﹂
セシル兄が意外と言わんばかりに尋ねてくるのに首を振り。
﹁ううん。私が一度キヴェラの民を〆たいだけです。ほら、民間人
ボコるわけにはいかないでしょー? 一応、建前的には悲劇の姫君
を救い出した善意の魔導師ですし﹂
﹁うん、君はそういう子だよね﹂
1508
呆れるどころか納得した御様子。そうか、私に正義の味方はそん
なに似合わないかい。
保護者二人は最初からそんな善人モードを期待していなかったの
か、呆れた目を私に向けている。
いいじゃん! 結果的には必要なことなんだから!
それに私は十分我慢しているのです。今現在、町中がリアルにパ
ニックホラーな状態⋮⋮
狡い! 私もそっち行きたい! 混ざりたぁいっ!
町一つを使っての大掛かりな仕掛けって今後無いよね!? 普通に考えて砦一個が限界じゃん、これ滅多に無い機会ですよ!?
いいなぁ、小細工担当の人達。この話をした時、キヴェラを混乱
の渦に叩き落す事も含めて凄く楽しそうだったもん。
あの人達も翼の名を持つ騎士なら黒騎士連中と通じる部分があっ
ても不思議は無い。きっと今頃大はしゃぎ。
⋮⋮魔導師の私がここを脱け出すわけにもいかないんだけどさ。
嗚呼、この羨ましさと悔しさを上層部にぶつけるしかできないな
んて⋮⋮!
﹁⋮⋮。何だか別のことを考えていないかな、ミヅキは﹂
﹁やはりそう思いますか。どうも気が立っているようですが﹂
ひそひそと小声で話す保護者様方、お説教は全部終ってからにし
てください。
今はこの気持ちのままにキヴェラ上層部をボコりとうございます。
1509
災厄の片鱗︵後書き︶
﹃最初の一撃で戦いの半分は終わる﹄という言葉に従って気合を入
れ過ぎた逃亡方法。改良︵悪︶して再利用。
1510
周囲の評価と現実︵前書き︶
とりあえず復讐は一応決着。前話が﹃片鱗﹄だったのは実害の無い
幻だったから。
1511
周囲の評価と現実
凍りついた謁見の間では誰もが無言だった。
私達はともかく、キヴェラ勢は迂闊な事を言えないということも
あるだろう。何せ魔導師の逆鱗に触れるものが何か判らないのだ、
慎重にもなろう。
それほどに彼等は自分達の視点でしか見ていなかった、というこ
とだ。
王都の状況を報告されても元凶を目の前に打開策などある筈もな
い。魔術師達が容易く潰されているという現実が彼等に﹃それが可
能な術者はキヴェラに居ない﹄という認識をさせているのだから。
そもそも﹃発動の場に居たにも関わらずどんな術を使ったか判ら
ない﹄のだ、術を解くよう私に懇願しようとも﹃キヴェラを壊した
い﹄と言い切る者相手では無駄というもの。
打つ手無し︱︱キヴェラは此処に至って漸く﹃弱者﹄になったの
だ。それこそ私が言った﹃踏み躙られた弱者の心境﹄である。
騎士や魔術師だけではなく、貴族や王族だってその気持ちを味わ
ってもらわなければね?
貴方達に攻め滅ぼされた国や都市はそんな気持ちを抱きながらも
最後まで抗ったのだから。
﹁魔導師様に御願いがございます⋮⋮!﹂
そんな空気の中、一人の女性が立ち上がり跪く。私に近寄らない
のはこちらを上位と認識しているからだろう。
本来ならば身分差により民間人が近寄る事さえ出来ぬ高貴な立場
1512
にある彼女は、距離をとったまま跪くことで自分の方が下位なのだ
と私に伝えている。
︱︱彼女は王妃。王太子の生母であり、キヴェラ王の正妻。
﹁私達が愚かな事は判っております! 十分⋮⋮十分理解致しまし
た! けれど! どうか、どうか民は見逃してやって戴けないでし
ょうか﹂
﹁見逃せ? 私は民にも責任があると言った筈だけど﹂
冷たく返すも王妃は怯まなかった。王妃に続いた側室達共々、私
の視線を受け止める。
そして深々と頭を垂れた。それは私の方が上位だと公の場で王妃
が認めたということ。
﹁仰る通りでございます。ですが、民は王に従うほかないのです。
この国に暮らしている以上はどうにもなりません。代わりに私がど
のような目にあっても構いませんから⋮⋮!﹂
﹁どうか御慈悲を!﹂
﹁術を収めてくださいませ⋮⋮!﹂
身動きの取れないキヴェラ勢は固唾を飲んで彼女達を見つめ、王
は拳を硬く握った。彼女達に続かないのは自分達が﹃加害者﹄だと
自覚しているから。彼等は私に縋っても無駄だと理解しているのだ、
自分達はそういった声を無視してきたのだから。
王妃が民間人に跪き縋る⋮⋮必死に懇願する彼女達の姿にキヴェ
ラ勢の中には目元を潤ませる者もいた。
そして、私は。
︱︱彼女達により一層の冷めた目を向けた。怒りも混じったかも
1513
しれない。
﹁⋮⋮ふざけるんじゃないよ、偽善者が﹂
﹁⋮⋮え?﹂
先ほどより冷たい響きに彼女達は顔を上げ、その途端表情を凍り
つかせる。
今の私は限りなく無表情に近いだろう。だが、そこに浮かぶのは
﹃怒り﹄。彼女達の懇願こそ、私を怒らせたもの。
﹁﹃私が代わりに﹄? ふふ、おかしな事をいうじゃない。まるで
自分は罪人ではないと言っているようね?﹂
﹁あ⋮⋮そ、そんなつもりは﹂
自分が言った言葉がどういう意味になるかを理解した王妃は更に
顔色を悪くする。
﹁貴女は元々この国で王に次ぐ罪人でしょ? ⋮⋮一度も侵略を止
めなかった。止める事が可能な立場にいたにも関わらず﹃弱者を踏
み躙る事に賛同した﹄血塗れ王妃様?﹂
﹁お⋮⋮王妃さまは賛同などしておりません⋮⋮っ﹂
﹁してるよ。王を諌めていない。黙って受け入れる事は﹃全て従い
ます﹄﹃同意します﹄っていう意味になる事くらい知ってるよね?﹂
反論した側室は私の言葉に沈黙する。
当然だろう⋮⋮控えめな王妃だろうと慕われているならば彼女の
言葉が完全に無視されるということは無い。実際、側室達は今王妃
の味方をしているのだ。
国の方針に女性は口を挟む権利が無いというならば民に訴えれば
1514
いいだけだ。王や上層部とて民の声が大きくなれば無視はできない
のだから。
何より王妃にはこの国で唯一﹃夫婦として夫を諌める﹄という手
段があった。彼女達の反応を見る限り﹃侵略に関わる決定に一切口
を挟まなかっただけ﹄だろうな。
﹁民を動かす事だって出来た、貴族達に王妃として侵略行為に難色
を示す事だって出来た、そして⋮⋮この国で唯一夫婦として王を止
める事が可能だった。⋮⋮で? 何もせずに受け入れてきた貴女達
が賛同していないって? 寝言は寝てから言え!﹂
強い口調に彼女達はびくりと体を竦ませる。体の震えは私が恐ろ
しいだけではない⋮⋮﹃魔導師の言う通りだと自覚できてしまった
から﹄。もしも違うならば何らかの反論が来るだろう。
王妃。貴女はキヴェラがこうなる未来を変える事が可能な立場に
いた。胸の内では思う所があったとしても、思うばかりで行動しな
ければ受け入れたということじゃないか。
﹁御優しい王妃様、立派な王妃様⋮⋮キヴェラ限定のね。だいたい、
侵略に赴く者達に﹃どうか御無事で﹄と祈る事はあっても﹃滅ぼし
奪うなど、どうかお止めください﹄とは言わなかったんでしょ?﹂
﹁⋮⋮はい。そのとおりで、ございます⋮⋮﹂
﹁それってさぁ⋮⋮﹃我が国の兵が傷つく事無く奪い取ってきてく
ださいね﹄って意味なんだけど? 一方的で自分勝手な侵略なんだ
から﹂
そう告げると王妃は目を見開き⋮⋮自分の言葉の惨酷さを理解し
たのか口元を抑えて涙を流した。見開かれたまま落ちる涙は罪悪感
の為だろうか。
1515
言葉だけならば﹃優しい王妃様﹄なのだろう。だが、周囲の状況
を考えると全く別の意味を持つ。
だから敢えて言ってやろう。これまで自分でも﹃慈悲深い王妃﹄
だと思っていたみたいだしね。
﹁侵略行為に賛同しておきながら今更善人ぶるな、偽善者。キヴェ
ラの事しか考えなかった貴女は当然復讐対象でしょう? 身代わり
になるってのは無関係だからこそ可能なのだと理解しなよ﹂
王妃達はもはや言葉もないのか完全に沈黙した。今の彼女達は過
去の自分を受け入れる事で手一杯なのだろう。
ふむ。このまま壊れてもつまらないよね、私は当事者達全員に今
後苦労してもらいたいんだから。そう考えてある事を思いつく。
⋮⋮ああ。折角なので一つの幻影を見せてやろう。貴方達もきっ
と気になっていただろうから。﹃あれ﹄は私の思い通りに動かせる。
私は﹃あるイメージ﹄を形にする。それは即座に一人の、大鎌を
持った人の姿となって私の横に並んだ。
銀の髪、緑の瞳、同じ服装に同じ顔⋮⋮ただし色と性別のみ違う。
私にとってはゲーム内での姿だが、キヴェラにとっては砦一つを落
とした恐るべき﹃復讐者﹄。
これはある意味もう一つの私の姿。慣れ親しんだ姿だからこそ自
由自在に動かせる唯一の幻影。
﹁貴様はっ!﹂
﹁銀の髪に緑の瞳、女性のような顔立ち⋮⋮まさ、か⋮⋮﹂
﹁やはり魔導師だったのか!? だが⋮⋮﹂
報告を受けていたのか何人かが声を上げる。髪と目の色くらいし
か特徴は覚えていない筈だが、そこに﹃女性のような顔立ち﹄﹃魔
1516
導師﹄という単語が加わると容易く答えに辿り着く。
大鎌は⋮⋮まあ、ゲームの中で持っていたし今は必要なので追加。
﹃砦は楽勝だったよ、初めましてと言うべきかな?﹄
﹁やはり⋮⋮魔導師だったのか。そうか、貴様が⋮⋮﹂
﹃この姿は幻影だけどね。ああ、他の面子も幻影だよ﹄
その言葉と共に砦イベントで見せた面子を一度浮かび上がらせ、
即座に消す。それが示す意味は。
﹁一人、で⋮⋮落としたのか?﹂
﹃そういうこと! やり方を考えれば案外楽にいくんだよ﹄
にこやかに幻影は笑い次の瞬間、滑るように前方に動くと王妃の
手前で大鎌を一閃させる。同時に私は小さな風刀を発生させた。多
少のズレは誤魔化せるだろう。
ぱらりと髪の一部が舞い、王妃の頬に一筋の紅い線が引かれる。
思わず小さく悲鳴を上げ後ず去った王妃は同じく悲鳴を上げながら
も王妃の体を後ろに引いた側室達に抱き締められた。
﹃ね、ただの幻影じゃないだろう?﹄
笑ったままだった﹃それ﹄は次の瞬間、笑みを消し王妃達に大鎌
を突きつける。
﹃自分の殻に閉じこもるな、君は王妃だろ? 死ぬ事も狂う事も許
さない⋮⋮最後までキヴェラに尽くせ﹄
﹁⋮⋮っ⋮⋮命を投げ出す事は⋮⋮罰、になりませんか⋮⋮﹂
﹃君が死んで何が変わるのさ。一人だけ今後の苦労から逃げたよう
にしか見えないけど﹄
1517
﹁王妃様をこれ以上追い詰めるのか! 貴様に慈悲の心はないのか
!?﹂
王妃との会話に割り込んでくる騎士。彼は⋮⋮場所から言って騎
士団長か何かなのだろう。砕けた腕ながらも王妃を背に庇おうと無
理に動こうとして周囲に止められている。
止めているのは下手に動けば王妃達がより危険に晒されると思っ
ているからだろう。動けない事も事実だろうけど。
﹃心が壊れても生きているだけマシだろう?﹄
﹁な、何を﹂
首を傾げる幻影に騎士団長らしき人は困惑を浮かべた。だが、次
の台詞にそれ以上の言葉を続けることができなくなる。
﹃だって君達は王族を皆殺しにしてきたじゃないか。民を愛した立
派な王や王妃だっていた筈だよ? だから復讐者が生まれるんじゃ
ないかな﹄
﹁あんた達、本当に身勝手ね∼。立派な王妃でもその女はキヴェラ
以外から見れば王の賛同者でキヴェラを血濡れにした一人じゃない。
滅ぼされた国の﹃何の罪もない王妃﹄が殺されてるのに自国の王妃
は見逃せなんて﹂
﹃どうして時間が経っているにも関わらず復讐を選ぶか疑問に思わ
ないのかい? 国があるなら目を付けられるような真似はしない、
王族が生きているなら再興に尽力するだろう。⋮⋮彼等はね、復讐
しか残っていなかっただけなんだよ﹄
﹁消去法で復讐が残ったのに、民は見逃せ? 王妃を追い詰めるな
? 随分と復讐を軽く考えているのね﹂
幻影と一緒だと一人二役になってしまうのだが、向こうが幻影を
1518
個人と認識しているので仕方ない。砦イベントの種明かし兼証拠と
して、幻影といえど実害ありという認識をしてもらいたかっただけ
なのだが。まあ、王妃に関しては正気に戻すショック療法なのだけ
ど。
微妙に恥ずかしいので背後は絶対気にしない。何か熱い視線を感
じるしね!? ⋮⋮クラウスも護衛として居たっけね、そういえば。
王妃はじっと幻影を見つめ、それが幻影だと思い出したのか私に
視線を向けた。それはさっきまでの虚ろな表情ではない。
そして彼女は。
﹁⋮⋮申し訳ございませんでした﹂
しっかりとした口調で再度こちらに向かって頭を下げた。その謝
罪は王妃の責を放棄しようとした自分を自覚したからなのか。それ
ともこちらに居る復讐者達を思ってのものなのか。
本来の彼女は王妃に相応しい判断ができる人なのだと思う。先ほ
どの懇願はルーカスの事も含め精神的に余裕がなく、それでも民を
守ろうとする気持ちの結果なのだろう。
その言葉を受け、私はエレーナの手に触れ治癒を施す。先ほどの
王妃の言葉を聞いた彼女は怒りで掌を傷付けていた。王妃が謝罪し
たのだ、彼女も傷を残す必要は無いだろう。
伯爵の方も同様に治すが、こちらは距離があるので触れていない。
気付いた伯爵はやや驚きながらも僅かに微笑み会釈する。エレーナ
は傷を作ったこと自体無意識だったのか、恥ずかしそうに頬を染め
た。
気にしなくていいよ、二人とも。声を上げたかっただろうに私に
譲ってくれたんだしね。
﹃騎士殿、私の実力は認めて貰えたかな?﹄
﹁⋮⋮ああ﹂
1519
﹃それは何より﹄
その言葉を最後に幻影は振り返りそのまま消える。それを見届け
た騎士はそのまま視線を私に向けた。その表情は悔しそうな、けれ
ど負けを認めたような複雑なものだ。
じゃあ、そろそろ最後の〆といきますか!
﹁さて、キヴェラの皆様? 私はこれまで色々とやってきました。
それが﹃キヴェラが過去にしてきたこと﹄が元になっていることは
気付いてますよね?﹂
﹁そうだな。形は違えど我が国がしてきたことだろう﹂
王の言葉に私は一層笑みを深める。気付いているならクライマッ
クスはさぞ納得してもらえることだろう。
﹁では、最後に。﹃城の崩壊﹄に移りたいと思います!﹂
﹁は?﹂
思わず気の抜けた声を上げるキヴェラ王。ええ! その気持ち判
りますとも!
﹁敗戦とか敗北ってやっぱり明確な証みたいなものが必要じゃない
ですか。国を滅ぼしてきた以上、城なんて残ってません。ですから
! ここはキヴェラにも擬似滅亡を味わってもらおうと思います!﹂
いい笑顔で言い切った私にキヴェラ勢は困惑した表情を浮かべた。
それは﹃個人で可能なのか﹄ということと﹃他国の者や復讐者達が
居るのに?﹄といった思いがあるからだろう。
そうですねー、普通はそう思います。私もこの場に居るしな。
1520
﹁同行してくださった皆様には万が一もあるということで既に準備
しています。復讐者達に関しては⋮⋮﹂
ちらりと申し訳無さそうに視線を向けるも、彼等は笑みを浮かべ
て首を振った。
﹁我等の事は御気になさいますな﹂
﹁そうですとも! 滅亡でなくともそのような瞬間に立ち会えるな
らば命を惜しみましょうか﹂
小父様達二人は実に晴れやかだ。そしてエレーナとアディンセル
伯爵も同様だった。
﹁最期まで見届けられぬ事が残念ですが、我等は元より生き永らえ
るなど思っておりません﹂
﹁魔導師様。私達の事はどうぞ捨て置きくださいませ!﹂
アディンセル父子も賛成してくれるらしい。だが、それに焦った
のはキヴェラ勢だ。
﹁ちょ、ちょっと待て! 我々も個別に結界の魔道具は持っている
ぞ?﹂
﹁ええ、だからこそ良いんじゃないですか! 崩れゆく城、生きな
がら感じる滅亡と命の危機! 助け出されるまで正気でいてくださ
いね? 栄華を極めた国が一瞬にして滅ぶ︵擬似︶なんて物語のよ
うじゃないですか⋮⋮!﹂
﹁いやいやいや! 狙っている物が違うのではないか!?﹂
﹁大丈夫ですって! 何せ崩れるのは一階部分だけですから後は運
です!﹂
1521
私の言葉に全員が怪訝そうな表情になる。ああ、﹃何で崩れる場
所が具体的に判るのか﹄ってことだろうな。普通は魔法を乱発する
とかだろうし。
﹁セレスティナ姫を助け出す際にちょっと城の一階部分に細工を﹂
﹁後宮内ではないのか!?﹂
﹁本の整理の手伝いでこっちに来ましたよ。侍女に混じっている上
に真面目にお仕事してましたしね∼﹂
﹁騎士達は⋮⋮﹂
﹁上に行こうとしたり派手な魔法使ったりしなければバレないんじ
ゃないですか? まさか後宮経由で入り込むなんて思ってもいない
でしょうし﹂
騎士達が守るのは重要な場所や人、つまり一階部分はあまり重要
視されない。賊とか入り込みやすい場所なのだが、最も人通りが多
い場所でもあるのだ。不審者は絶対に目に付く。
上の階はきっちりガードされているだろうし、限られた人しか知
らない逃げ道なども用意されていると推測。はっきり言えば﹃誰で
も侵入できる・逃げる時に必ず通るのが一階﹄なんて誰でも予想が
つくので、本命の隠し通路出入り口は一階には絶対に無い。
後宮から繋がっていた隠し通路も図書室倉庫にしか通じてなかっ
たしね。あくまで﹃隠し通路の一つ﹄なのだろう。そもそも町から
敵に入り込まれる可能性もあるし、城に通じる図書室の倉庫は基本
的に鍵がかけられている。隠すどころか明らかに避難訓練用の通路
並の扱いだ。
そこから城内に入ったところで図書室を出たら騎士達の休憩所の
すぐ近くという親切設計、城が無事なわけですね!
﹁不審な行動をとれば即座に気付かれるだろう! いい加減な事を
言うな!﹂
1522
警備が疎かだったと受け取ったのか、さっきの騎士団長らしき人
が声を荒げた。
うんうん、そうだよね。普通はそうですとも。
ただし、私は普通ではない。魔導師に常識を求めんな?
﹁不審な行動をとらなければバレないってことじゃないですか﹂
﹁な、に⋮⋮?﹂
﹁ですからね? こう、手に握り込んでおいて中身を転移させれば
いいんですよ﹂
そう言って一つの魔血石を見せ、握り込んで見せる。
﹁何を、何処にだ﹂
﹁魔血石。一階の壁数箇所に埋め込まれた形になってますけど﹂
騎士団長︵仮︶や貴族達は魔術に疎いのか、いまいちよく判って
いないらしく首を傾げている。まあ、そうだな。私が見せた魔血石
は小指の爪ほどの大きさだ。それを恐れろという方が無理だろう。
だが、魔術師達は揃って顔色を変えた。彼等は魔血石の特性を知
っているのだから。
﹁魔血石は自分の血と魔石を術によって組み合わせた物っていうの
は知っていますよね?﹂
﹁あ、ああ。魔術師達が自分の魔力を魔道具に供給できるようにす
る為のものだろう﹂
﹁では、それが術者に繋がる物だということは理解できますね?﹂
﹁繋がる⋮⋮そうだな、そういう事なのだろう﹂
そこまでは理解できたのか騎士団長︵仮︶は頷く。他の貴族達も
1523
理解できているようだ。
﹁つまり術者の一部ってこと。本来ならば目標を認識しなければな
らない攻撃魔法の起点として使えるんですよね∼、これ﹂
﹁な!?﹂
﹁いやぁ、普通はその場に居なきゃならないんだけどね。これを使
うと遠隔操作で魔法を発動できるんだよ、便利だ﹂
しかも魔血石自体に魔法を組み込んだわけではないのだ、どんな
魔法を使うかは術者の気分次第。これが今町で起きている亡霊騒動
に使ったものとの大きな違い。
脅迫に使う以上は解除も念頭におかなければならないだろう。だ
が、これは回収しなくても安全な代わり﹃いつでも発動させる事が
可能﹄なのだ。これでキヴェラは迂闊な事ができなくなる。
魔術師達が物凄く頑張って回収するという手もあるが、使った魔
血石自体は使い捨て前提の物。魔法が発動していなければ魔力を辿
るにしても気配が小さ過ぎる。
そんなものを見つけ出そうとするならば城中の魔法を解かなけれ
ばならず、確実なのは城の破棄。普通に無理ですね。
﹁貴方達は命の危機と絶望を味わい、民は混乱の最中に崩れゆく城
を目にして絶望する。⋮⋮どう? 復讐劇のクライマックスとして
は上出来でしょ? 大国に相応しい最期だと思いません?﹂
﹁いや⋮⋮勝手に滅ぼさないでくれないか﹂
﹁でも貴方達が頑張らなきゃマジに滅亡ですよ﹂
にこにこと話す私に対しキヴェラ勢は無言。脅迫だと知っている
魔王様達も私のあまりな発言に同じく無言。いいじゃないか、派手
にすることで他国へとキヴェラの敗北が伝わるのだから。
実際、ゲームや物語のエピローグやその直前は﹃崩れゆく城から
1524
の脱出﹄という場面が割と多い。これは﹃誰の目から見ても元凶が
倒された・もしくは城を圧倒的な力の崩壊に見立てる﹄という意味
があるだろう。
特に城は国の象徴とも言われる存在、それが崩れたら誰だって敗
北を自覚する。
﹁ちなみにこんな感じ。あ、今は軽くするから大丈夫だよ﹂
握っていた魔血石をキヴェラ勢の方へと放る。投げた直後はざわ
めいたキヴェラ勢もカツン、と小さな音を立てるだけの小さな赤い
石にやや緊張を緩める。そして。
パチン! と私が指を鳴らすと軽い爆発が起き、石周辺の氷を吹
き飛ばした。しかも床を軽く抉っている。
その光景にキヴェラ勢は石が破裂した跡をガン見し、同時に私に
も視線を向けた。
﹁今は軽くしましたけど、元々使い捨てで考えてるのでもっと派手
にできますよ。いくら強固な城でも一階の壁から亀裂が入る⋮⋮い
や、破壊かな? まあ、数箇所を派手に壊されたら重さに耐え切れ
ず崩れ落ちますよね!﹂
一度に全部吹っ飛ばすより絶望感溢れる場面になりそうだよね!
と続ける私に﹁悪魔か、あいつは﹂等と言った言葉が囁かれる。
うん、好きに呼べ。現実は変わらないから。
善人だなんて一言も言って無いじゃん! 魔導師に何を期待して
るのさ?
さあ、私が歴史に残る災厄となる記念すべき瞬間を恐怖で彩って
くれたまえ⋮⋮!
が。
1525
キヴェラ勢が心の底から敗北するのを待っていた人達もいるわけ
で。
私の背後に控えていた約二名は深々と⋮⋮それはもう呆れと諦め
を込めて溜息を吐いた後、私の頭を叩いた。しかも結構痛い。
いきなり酷いですよ、魔王様ー!
﹁ミヅキ、少しは自重しなさい﹂
﹁やだ。宣戦布告は向こうからじゃないですか﹂
﹁それはそうなんだけどね⋮⋮﹂
﹁私からも諌めよう。ミヅキ、我々に迷惑をかけたいわけではある
まい?﹂
﹁う⋮⋮じゃあ、ちょっと待つ﹂
演技ではなく半ば本当にお説教モードになってきた二人を軽く睨
んでも反撃はしない。その光景にキヴェラ勢は唖然としていたが。
そして魔王様は﹃計画どおり﹄にキヴェラ王へと話を振る。
﹁条件次第で私達が諌める、という事も聞いているだろう。このま
まミヅキに好き放題されるか私達と交渉するか。好きな方をお選び
ください﹂
﹁⋮⋮その条件は﹂
縋るものがある以上は王として無視するわけにはいかなかったら
しい。ただ、縋るにしては相手が悪過ぎるというのも理解している
のだろう。さすがは王か。
﹁そうだね⋮⋮ここまでキヴェラの増長を招いた原因である農地を
いただこうか。ただし、どれほど得られるかは交渉次第と言ってお
く﹂
1526
﹁仕方あるまい。だが⋮⋮農地を直接要求はせんのだな?﹂
キヴェラ王の当然の疑問に魔王様は鮮やかに微笑み。
﹁キヴェラは常に優位に立った上で交渉を行なってきた。今回は対
等な立場で交渉してみたいということですよ﹂
︵訳:﹃対等な立場で臨む交渉の席でこれまでの報復、もとい実力
者の国と呼ばれた小国の意地を見せつけてやらぁっ! 覚悟しとけ
?﹄︶
﹁⋮⋮﹂
⋮⋮どう考えても殺る気満々の、大変物騒な﹃お誘い﹄にしか聞
こえない。言葉の裏を読み取った人々は一斉に青褪めた。下手する
と命の危機より性質が悪いもんな。
魔王様、すっごく楽しそうだなぁ⋮⋮今頃イルフェナ精鋭陣は交
渉役の座を巡って壮絶なバトルでもしているんじゃあるまいか。
そして続くように宰相様が条件を提示する。
﹁我が国はキヴェラ王御自身が直接陛下に謝罪することを要求する。
⋮⋮心当たりがあるだろう、キヴェラ王﹂
﹁儂が若造に謝罪か⋮⋮っ!﹂
キン、と僅かに音をさせながら頬を掠めた氷の刃にキヴェラ王は
表情を強張らせる。ゆっくりと向けられた視線の先には勿論、私。
今の実行犯が私だしな。
﹁あ? その若造相手に圧倒的な力を持ちながらも勝てなかった、
傲慢な年寄りがほざいてんじゃないわよ﹂
﹁何だと!?﹂
﹁悪企みばかりしていて内部を疎かにした愚か者でしょ? 今回は
1527
あんたの野心が原因だっていうのに自覚無いわけ? 付き合わされ
た民はどうでもいいと? それとも被害を受けてきた他国に対して
思う事は無いのかな? ⋮⋮宰相様、やっぱりさくっと壊そうよ﹂
半ば本気で言って掌に魔力を集中させると、その影響か服の裾が
ふわりと舞った。それを見たキヴェラ王は顔色を変えて待ったをか
ける。
⋮⋮私が本気なのだと漸く理解したらしい。まあ、セシルの事と
いい齎してきた結果は善人方向だったから﹃そこまでやる筈は無い﹄
という淡い期待があったのだろう。
期待に沿えず申し訳ない、私はめっちゃ本気だ。
﹁ま、待て! 判った! その条件を呑む! 先ほどの言葉も取り
消そう﹂
その言葉を聞き、無言で宰相様に視線を向けると軽く頷く。それ
を見て魔力を収める様子にキヴェラ勢はこれまでゼブレストにして
きた事を思い出したのか顔面蒼白だ。
それじゃ、本当に最後の仕上げといきましょうかね。
﹁じゃあ、当然私からの条件も呑むのよね?﹂
にこやかー、としか言い様が無い笑顔に何かを悟ったのかキヴェ
ラ王は益々顔色を悪くする。
失礼な奴だな、魔王様達の条件を聞いた時よりも怯えるなんて。
乙女なのに。
﹁今、この場で復讐者達に謝罪。勿論、誠心誠意﹂
﹁⋮⋮それだけ、か?﹂
1528
意外、と顔に貼り付けたキヴェラ王に私はにこにこと笑う。
﹁勿論、私の言葉をなぞる形で言ってもらう。だって、まともな謝
罪なんてできないでしょ? ゼブレストの練習も兼ねて詫びろ﹂
﹁そこまで⋮⋮愚かに見えるか⋮⋮﹂
怒りを滲ませたキヴェラ王に私はあっさりと頷き。
﹁うん、見える﹂
﹃空気読め!﹄と周囲に言われたような気がするけどシカトだ、
シカト。
だって、こいつルーカスの親じゃん? それに大国の王だからこ
そプライド高そうだ。
﹁息子が﹃初めてのごめんなさい﹄を失敗してるのよ? あいつの
父親が成功すると思う? ただでさえ大国の王として誠心誠意謝罪
した事が無いっぽいのに。もう後が無いから失敗すれば国の滅亡フ
ラグが立つというペナルティ付きなんだけど﹂
﹁はぁ?﹂
意味が判らないのかキヴェラ勢は首を傾げ、そして視線を王太子
に向ける。対して魔王様達は非常に納得できる理由だったのか﹁確
かに﹂と頷いていたり。
﹁あ∼⋮⋮王太子がまともな謝罪を見せなかったからミヅキは信頼
できんと言っているのですよ。我々もそれには同意する﹂
やや視線を泳がせながらも補足する宰相様。おかん、解説ありが
とう。
1529
キヴェラ勢も複雑ながら王太子に思う所があったのか納得したよ
うだ。と言うか判断基準が王太子な以上は信頼しろという方が無理
だと理解しているのだろう。
﹁判った﹂
溜息を吐くとキヴェラ王はこちらに歩み寄り跪く。その先にはエ
レーナ達四人。
﹁過去キヴェラが行なった非道な行為を私は王として心よりお詫び
致します﹂
﹁⋮⋮過去キヴェラが行なった非道な行為を儂は王として心よりお
詫びする﹂
﹁我が国は己が罪を理解しました﹂
﹁我がキヴェラは罪を理解した﹂
﹁どうか、お許しください﹂
﹁どうか、許してもらいたい﹂
若干違うが、だいたい同じ台詞をキヴェラ王は確かに口にした。
彼は王。公の場で跪いての謝罪は確かに﹃事実﹄として他国に伝
わるのだ。それは紛れも無くキヴェラが復讐者達に対し膝を折った
ということ。
キヴェラ勢も其々思うことがあるような素振りを見せるものの、
動かせる範囲で体を動かし王に倣う。
﹁漸く、漸く悲願が果たされましたぞ! 亡きブリジアスの皆様方
⋮⋮!﹂
﹁聞いたか、同胞! 我等の勝利だ!﹂
﹁弱者の意地、思い知ったか!﹂
1530
瞳を潤ませながらも笑みを浮かべて喜び合う人達の中。
エレーナは小さく﹁お爺様、御覧になってらっしゃいますか⋮⋮﹂
と呟きながら涙を零した。それが喜びの為であることは言うまでも
無い。
︱︱彼女は漸く心から笑う事が出来たのだ。
1531
周囲の評価と現実︵後書き︶
﹃城の崩壊によるキヴェラ勢生き埋めルート︵結界の魔道具を持っ
ていれば生存︶﹄が当初はセシル解放の交渉手段だった主人公。冗
談抜きに災厄。
最初の一撃で半分どころか勝利を確実にする気合の入れっぷり。
1532
ゼブレストでの謝罪
謁見の間は異様な空気に包まれている。
凍りついていることもあるだろうが、キヴェラが敗北を認めたか
らだ。しかもそれを成し得た功労者はキヴェラがかつて滅ぼしてき
た国の復讐者達。
﹃滅ぶ﹄か﹃栄えるか﹄という決着ではない、キヴェラは傷を抱
えながらこれからも続くのだから。
対して復讐者達に先は⋮⋮無い。彼等はそれを判っていて一矢報
いる事に全てを賭けた。死すら恐れるべきものではなかったのだろ
う。
その願いが叶ったからこそ、あれほどに明るい表情を見せている。
﹁それじゃ、交渉は成立ってことね﹂
﹁そうだね。君は我々の御願いを聞いてくれるだろう?﹂
とりあえず今後は決まった。そう確認するように魔王様に問えば
軽く首を傾げながらも微笑み﹃御願い﹄とやらをしてくる。
天使の微笑みですねぇ、魔王様。でも威圧を込めまくってる所為
か﹃さっさと退けや、この馬鹿猫ぉっ!﹄と叱られているようにし
か聞こえません。
いや、実際叱ってるんだろうな。ここで﹃やだ﹄とか言った日に
はアルあたりに脇に抱えられて強制退場だろう。きっと荷物扱い。
イメージとしては子猫を運ぶ親猫。
﹁⋮⋮聞きますよ、保護者様ですから。じゃあ、次はゼブレストで
すね。キヴェラ王だけだといまいち大国っぽさが無いんで護衛に騎
士を一人だけ許します。怪我も治しますので﹂
1533
護衛を許可するという私の言葉にキヴェラ王は意外そうな顔にな
る。
﹁ほお? 儂に身を守る術を与えるのか﹂
﹁身を守る術というより、私は﹃王として﹄謝罪させたいんですよ。
捕虜とか罪人ではなく﹂
にこりと笑いながら告げると意味の判った人達は納得したような
顔になる。
﹁つまり敗者の謝罪ではなく、大国の王として跪かせたいと﹂
﹁そんな感じです。負け犬を這いつくばらせるよりも牙がついたま
まの狼に頭を下げさせた方が価値があるでしょ?﹂
﹁⋮⋮君は本当に容赦無いんだねぇ﹂
セシル兄よ、民間人の私がそんな御上品な解釈をする筈無いじゃ
ないか。そもそも言葉こそ違いはあれど、意味というか行動は同じ
じゃん!
そして引き攣った顔をしているキヴェラ勢よ、お前達が敵対した
のはそういう奴だ。精々、魔王様や宰相様に感謝するがいい。
﹁それから復讐者達は一時的にイルフェナで預からせてもらうよ。
彼等はキヴェラの貴族でもあるが、ミヅキも彼等に聞きたい事とか
あるだろう?﹂
﹁ありますね。知らない所で助けてもらっていたみたいだし、この
まま放置して何も聞けないままキヴェラで処罰⋮⋮なんてことにな
ったら暴れます﹂
﹁⋮⋮という事だ。承諾していただきたいのだが﹂
1534
いい笑顔で﹃それでも良いよ♪﹄と言わんばかりの私に魔王様は
溜息を吐きつつ、キヴェラ王に意見を求める。
キヴェラ王は私を危険人物認定したのか、それとも彼等の扱いに
困るのか、やや顔を引き攣らせながらも頷き了承した。
自分が居ない間に忠誠心にかられた者達が裏切り者である彼等を
害さない保証などないのだ、そこで殺されようものなら災厄第二弾
が待ち構えている。王としては魔王様の提案がありがたいというの
が本音だろう。
﹁よかろう。処罰もそちらに一任する。⋮⋮魔導師にこれ以上暴れ
られてはかなわん﹂
﹁賢明ですよ﹂
流石だ、キヴェラ王。こんな状態でも状況判断能力は優れている
と見た。私と一度会えばそれなりの対応はできるっぽい。今回は初
対面だからこそ、この結果を得られたのだろう。
⋮⋮魔王様の微笑みでも微妙な空気は隠せないけどな。まあ、魔
導師相手だからまだ負けを認められるのかもしれん。扱いは回避不
可能な災厄だし。
﹁では同行者は⋮⋮﹂
﹁私を御連れ下さい!﹂
周囲を見回したキヴェラ王にかかる声。視線が集中する人物は⋮
⋮あ、さっきの騎士団長︵仮︶さんか。
身動きが出来ない状況ながら、彼は必死に視線で王に訴える。王
はやや瞳を眇めると頷いた。
﹁いいだろう。同行者は騎士団長を。ただし、この状況を見過ごす
わけにはいかん。代理の者に対処と場の統率をしかと命ぜよ﹂
1535
﹁はっ!﹂
﹁では、とりあえず氷結を解除しますね。治癒もしておきますか﹂
﹁いいのか?﹂
﹁ええ、何時でも殺せますから﹂
意外そうな王の声にさらっと続く私の言葉。誰もが一時動きを止
め、物凄い目で私を見る。
嘘は言って無い。この程度なら楽勝。そもそも酸素を意図的に無
くすだけで可能だと思うんだ、窒息死らしいのに死因不明とかいう
状況になるかもしれないが。
﹁ミヅキ。余計な事を言うんじゃない!﹂
溜息を吐いた宰相様がぺしっ! と頭を叩く。
いいじゃないですか! これだけ脅しておけば妙な行動しません
って!
﹁⋮⋮。とりあえず謝罪させるならさっさと行きなさい。キヴェラ
にも迷惑だろう﹂
保護者な魔王様の一言にとりあえあず周囲は動き出した。ただし、
キヴェラ勢の保護者二人を見る目に何だか怯えが混じっているよう
な気がするのだが。
そんな感じで私と宰相様とキヴェラ王、そして騎士団長はゼブレ
ストへと向かった。護衛の騎士はセシル兄や魔王様に付けてコルベ
ラに一時帰還。私達に付いて来させるわけにもいかないのだ、謝罪
はあくまでゼブレストとキヴェラ間でのものなのだから。
この時、私とクラウスの気持ちは一つだったことだろう。
1536
さようなら、死霊の町! 畜生、混ざりたかった⋮⋮!
未練がましく、ちらちら羨ましげな視線を町に向けてみたり。⋮
⋮楽しそうだ、物凄く盛り上がっていて楽しそうだ。時間的にもう
暫くすれば収まるだろうけど。
クラウスも似たような事をしているので参加できないことが悔や
まれるのだろう。
気分はドナドナされる子牛。事情が事情でなければ﹃やだ! も
っとここに居る!﹄と子供の様に駄々を捏ねるのに。大人しく運ば
れるなんて真似しないのに⋮⋮!
﹁魔導師よ、町は⋮⋮﹂
﹁もう暫くすれば消えます。本当に、本っ当に残念なことに!﹂
﹁そ、そうか。⋮⋮交渉は成った、怒りを抑えてくれないか?﹂
﹁色々と思う事があるのです。気にしないで下さい﹂
﹁う、うむ﹂
私の言葉をどう捉えたかは知らないが、騎士団長さんは何だか引
いていた。
気にしないでおくれ。城を壊せなかった事を惜しんでるわけじゃ
ないからさ?
※※※※※※※※※
と、いうわけで! やって来ました、ゼブレスト。宰相様から通
達があったらしく、謁見の間にはルドルフどころか主だった貴族や
近衛騎士達がスタンバイしてました。
ちなみに隅にはリュカも居た。貴族を恐怖のどん底に突き落とし
た牢の主は、今や近衛の末席に名を連ねている。功績によって男爵
位を与えられたからなのだが、本人は騎士になれれば満足なので名
1537
前だけのものなんだとか。相変らず牢の主だしな。
さて、キヴェラ王? きちんと﹃ごめんなさい﹄ができるかな?
私は﹃誠心誠意謝罪する﹄という条件で見逃したのであって、言
葉だけの謝罪だと意味が無いぞ?
﹁⋮⋮宰相より話は聞いている。御互い忙しい身だ、手短に済まそ
う﹂
ルドルフは粛清王モードなので、いつものフレンドリーな雰囲気
が欠片も無い。どこか面倒そうに、けれど明らかな上からの物言い
にキヴェラ王はぴくりと反応した。
そういや、若造って言ってたもんなぁ⋮⋮プライドが邪魔をする
か?
私は魔導師という誰から見ても災厄なので謝罪し易かったとも言
えるのだ。しかし、ルドルフは同じ王という立場。しかもキヴェラ
より小国。
見下してきた連中に見守られながら公の場で謝罪するというのは
結構な苦行だろう。
キヴェラ王は一つ溜息を吐くとルドルフに視線を合わせ頭を下げ
る。
﹁聞いているならば話は早い。⋮⋮これまでの事は詫びよう。すま
なか⋮⋮っ!?﹂
﹁はい、やり直しー﹂
ぱちりと指を鳴らし、キヴェラ王の頭に水を落とす。ルドルフ以
外はぎょっとしたようだが、私はつまらなそうにキヴェラ王を見る。
﹁跪け﹂
﹁く⋮⋮っ﹂
1538
﹁足を叩き折られたい? 這いつくばる方がいいかな?﹂
軽い口調だが、脅しが言葉だけで済まない事を察したのかキヴェ
ラ王は跪く。
⋮⋮後ろで﹁御労しい﹂とばかりに表情を歪める騎士団長さん?
この程度を御労しいとか思うなら、ルドルフの辿ってきた道は地
獄か何かか。元凶は首すっ飛ばされても文句言えないでしょ?
冷めた視線に気付いたのか騎士団長は私に視線を向ける。そこに
明らかな侮蔑を見つけ表情を強張らせた。
﹁⋮⋮ねぇ、団長さん? キヴェラは国を守ろうとする王の懇願を、
その姿に胸を痛める騎士をどんな目で見てきたのかしら?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁今この状況で貴方が個人の感情を表に出してどうする。反省は無
しか﹂
そう言うと団長は黙って目を伏せる。この場に集っている者達も
またキヴェラの被害者なのだと思い至ったのだろう。騎士としては
無力な自分を恥じる場面かもしれないが、元凶である以上それは身
勝手というもの。
﹃見られているのは貴方も同じ﹄と暗に言えば、自分もまた評価
対象なのだと悟ったらしい。その後は視線こそ王に向けたまま、け
れど表情を動かす事はなくなった。
﹁これまでの事を詫びよう。どうか許してもらいたい﹂
跪き頭を下げるキヴェラ王にルドルフは⋮⋮相変らず退屈そうな
表情を浮かべていた。
自身の苦労の元凶とも言えるキヴェラ王の謝罪には何の興味も無
い、と言わんばかりに。
1539
﹁⋮⋮それは﹃何﹄に対しての謝罪だろうか?﹂
﹁何?﹂
顔を上げて怪訝そうな表情をするキヴェラ王にルドルフは重ねて
尋ねる。
﹁貴方は我が国に対し随分と野心を剥き出しにしてきた。⋮⋮で?
その程度の謝罪で済む事とは一体何を示しているのだろうか?﹂
ルドルフの言葉は感情が込められていない分、内容は酷く重い。
それだけ被害を被ってきた事実をルドルフは﹃知っている﹄のだ、
しかもルドルフには﹃一度見た事・聞いた事は忘れない﹄という特
技がある。
半端な誤魔化しは絶対に通用しないだろう。一番の被害者でもあ
るのだから。
﹁⋮⋮細かい事は省くが十年前に侵攻した事と内部に裏切り者を作
ったことだ﹂
﹁そうだな、大きく言えばその二つだろう。その中に俺の暗殺もあ
った程度で﹂
﹁⋮⋮っ!﹂
﹁知らないと思ったか? 随分と嘗められたものだ﹂
低く笑うルドルフは身内に見せる無邪気で人懐こそうな面など欠
片も見受けられない。
個人と王という立場を分けなければやってこれなかったのだと宰
相様は言っていた。そうなった元凶を前にしてもルドルフは王の仮
面を完璧に被っている。
この時点でキヴェラ王は判断すべきなのだ、子供だって成長する
1540
のだから。キヴェラの策を抑え生き残ったルドルフは今や青年、経
験を積んだ子供は魔王と呼ばれる王子を味方につけるほどの成長を
見せた。
加えて魔導師を味方につけるような王が凡才である筈はない。
私がキヴェラにとって脅威となったならば尚更に。
⋮⋮まあ、それは一般的な解釈であって私に該当するかは判らん
が。
﹁もしかして有り過ぎて判らないとか? それともとても許しても
らえる内容ではないと?﹂
﹁そのどちらでもあるだろうよ。正直に言えば言うほど俺が許す可
能性がなくなるからな﹂
ルドルフの言葉になるほどと頷く。そりゃ、態度にも出るわな。
キヴェラ王はルドルフを未だ侮っていたのだろう。ゼブレスト内
での警戒対象が宰相様だったのだ、ルドルフの正しい評価が伝わっ
ている筈も無い。
だからこそ謝罪に応じた。誤魔化せると思ったから。
いやぁ、物凄く馬鹿にした対応ですね! 怒って良いぞ、ルドル
フ。
そこに気付いたなら謝罪も好意的になど見られないだろう。許さ
ないという選択も十分有りだ。
﹁じゃあ、許さない? ﹃ルドルフが許す事﹄が重要なんだけど﹂
﹁そういうわけにはいかないだろう⋮⋮お前がキヴェラを標的にし
ている限り﹂
﹁うん、現在絶賛甚振り中! まだ城は壊してないよ﹂
1541
﹃リアル災厄になってます!﹄と明言した私にルドルフはやや片
眉を上げただけだった。セシル達を連れて来た段階でキヴェラに対
する怒りを知っているのだ、何もしないとは思ってなかったらしい。
キヴェラ王は顔色を悪くしながらも無言。私だけではなくルドル
フもまた彼の予想を覆す存在だっただけに即座に対応が思いつかな
いに違いない。
﹁⋮⋮。じゃあ、許す方向で私が死なない程度の事をやらかしても
いい?﹂
﹁何?﹂
﹁言葉だけの謝罪で許す気はないんでしょ? ゼブレスト側が手を
下すわけにはいかないし﹂
﹁まあ、死なせないというならお前に任せるのも一つの手か﹂
私の提案にルドルフは首を傾げながらも同意する。と言うか、ル
ドルフも良い対処法が思いつかないというのが正しい。
キヴェラは今後も続くのだ、ここでゼブレスト側が手を上げれば
﹃何も行動しなかった癖に何様だ﹄と言われてしまう可能性がある。
今回はゼブレストが無関係ということになっているからね。魔導師
に縋ったくせに云々と言われるとルドルフ本人の評価に響く。
謝罪で済ますという提案をしたのは宰相様︱︱実際は私︱︱だが、
その後のキヴェラ王の態度と思惑を知る限り簡単に許すとも言えま
い。
うん、お前等やっぱり親子。誠心誠意﹁ごめんなさい﹂は無理だ
ったか。
国の危機だから謝罪するという時点で誠実さは疑われるが、更に
誤魔化そうとしたもんな。これであっさり許しちゃったら犠牲とな
った者、尽力してきた者双方に示しがつかない。
1542
だったら部外者の私が何らかの報復をこの場で行い、納得させる
のが最良か。
﹁じゃあ、立って歯を食い縛れ。ああ、騎士団長さんに体を支えて
もらうと良いよ﹂
﹁⋮⋮何をする気だ?﹂
﹁一発殴る﹂
正直に答えれば揃って訝しそうな顔をする主従。ただ殴るだけと
は思っていないらしい。
まあ、その予想は大当たりなのだが。
私だってゼブレスト側を納得させる行動をとらなきゃならんのだ、
普通に一発殴るだけで済む筈はなかろう。
主従だけではなく多くのゼブレストの人々が怪訝そうな顔をする
中、私はリュカに貰った短剣を取り出す。それに目を留めたルドル
フは瞳を眇めた。
⋮⋮いや、刺す気はないからね!? 武器は扱えないから!
﹁ルドルフ、これ覚えてる?﹂
﹁リュカがお前に渡した父親の形見だろう。十年前の侵略の際に志
願兵達に配られた王家の紋章入りの短剣だ﹂
﹁そう。だからこれを使うつもり﹂
そう言って鞘から引き抜くと刃の部分だけを使って﹃別の物﹄を
数個作り出す。その光景に軽く目を見開いたルドルフは出来上がっ
た物を見て訝しげな表情になった。
⋮⋮うん、そうだろうね。短剣として使うなんて言って無いし。
﹁⋮⋮。ミヅキ、俺の目には指輪らしきものに見えるんだが﹂
﹁うん、指輪。詳しく言うと王家の紋章が浮き彫りになったかなり
1543
ゴツイ幅広のもの﹂
刃の部分はそこまで大きくは無い。だが、頑丈そうな四個の指輪
を作るには十分だ。
尤も指輪と言ってもイメージが﹃幅広﹄﹃王家の紋章が浮き彫り﹄
﹃ゴツイ﹄程度のものなので装飾品的な価値は無いに等しい。ぶっ
ちゃけて言うと指輪と言うより王家の紋章がついた短い筒。
残った柄と鞘はリュカに渡す。困惑気味に受け取るリュカに﹁形
見は持っているものだよ﹂と言って押し付け、私は指輪︵仮︶を右
手の人差し指から小指まで嵌めた。
人はそれをメリケンサック︵仮︶と言う。この世界にあるかは知
らないが。
未だ意味が判らず首を捻る人々を放置し、私はキヴェラ王に向き
直り。
にこりと笑って即座に笑みを消し。
﹁歯ぁ食い縛れ!﹂
声と共に殴りつけると浮き彫りになった王家の紋章がキヴェラ王
の頬を抉り血で染まる。
微かに聞こえた鈍い音と手に走る痛みが攻撃を加えた証。これで
一応ゼブレストは納得したことになる。血で染まった顔は誰の目に
も明らかだ。
実際には殴るというより抉るの方が近いだろう。私の目的はこれ
だけではないのだから。
それに殴ったと言っても私にはそれほど力が無い。キヴェラ王は
騎士団長に支えられながらも無様に転がる事はしなかった。
1544
﹁く、う⋮⋮﹂
﹁ああ、手を退けて。治すから﹂
﹁な、に⋮⋮﹂
キヴェラ王は痛みに呻きながらも無意識に血に染まった頬を抑え
ていた。その直後に元凶から﹃治す﹄という言葉を聞き体を強張ら
せる。
⋮⋮まあ、まともな治療と思う方が無理だろうな。でも安心しろ。
普通に治療だ。返事を待たずにキヴェラ王へと治癒を施す。
﹁⋮⋮? 痛みが無くなったのに傷跡が?﹂
﹁血も止まっているようですが⋮⋮古傷、のような﹂
傷に触れたキヴェラ王と傷の状態を見ていた騎士団長が不思議そ
うに傷に触れる。
そこに抉れたような傷は確かにあるのだ。元の世界ならば時間を
かけてこうなる。ただし、治癒魔法が当たり前のこの世界では傷跡
が残る治癒というものに馴染みが無い。
民間人ならばともかく、王族貴族は治癒魔法による治癒が当然な
のだ。だから騎士だろうとも古傷が無い人も多く存在する。見た目
で経験を判断してはいけないと教わった。
﹁そう。私が使うのはこの世界の治癒魔法じゃなくてね、調整可能
なの。その傷跡は残る⋮⋮ううん、残すようにしたから一生つけて
おいて﹂
﹁何故そのような真似を?﹂
﹁ゼブレストにしてきたことを覚えておいて欲しいから。⋮⋮この
場でルドルフに感じた恐怖と共に﹂
やや低くなった声にキヴェラ王はぴくりと肩を跳ねさせ、ルドル
1545
フは小さく﹁ほう⋮⋮﹂と感嘆の声を漏らす。
屈辱の記憶を忘れる事ができないというのは中々に辛い日々だろ
う。しかもこれからはその古傷を抉るような事が多々起こるのだか
ら。
﹁かつてゼブレストを追い詰めた﹃誉﹄は﹃国の汚点﹄となった。
これから幾つの行動がその評価を覆すのかしらね?﹂
﹁⋮⋮ああ、そういうことか!﹂
私の言葉にルドルフは声を上げ、満足したように笑う。⋮⋮そう、
﹃笑った﹄のだ。魔導師の言葉の意味を理解して。
﹁どういう⋮⋮ことだ?﹂
傷跡を残す意味さえ判らない騎士団長が問い掛けてくる。それを
見て私達は顔を見合わせ笑い合う。
﹁それがミヅキの復讐ということだ﹂
﹁復讐? 傷跡を残すことが、ですか?﹂
﹁傷跡ってのは判り易い例えだ。ミヅキが今言っただろう? ﹃誉
は国の汚点となった﹄と。ここに謝罪に来た時点でキヴェラは強国
とはいえなくなっているんじゃないのか? 過去は変わらない、今
後報復に出る国がある可能性は? 民はこれまでと違った生活を容
易く受け入れるのか? その不満は何処へ向かう? ⋮⋮王家はど
ういった評価を﹃自国の民﹄からされるのだろうな?﹂
ルドルフの言っている事はある意味正しく一部が間違い。他国が
報復をするのではなく、キヴェラが圧倒的優位な立場を失っただけ
なのだから。
だが、キヴェラの民はそうはいかない。自分達を反省し、これま
1546
でとは違った生活を素直に受け入れる者達がどれほどいるというの
か。
戦に参加していなければ王妃の様に部外者という認識は強いだろ
う。そうなった場合、無意識にその批難の矛先は王家や上層部へと
向く。
⋮⋮自分達がそれまで侵略行為による豊かさを称えてきた事を綺
麗に忘れて。
﹁ミヅキの復讐は一時的なものじゃない。⋮⋮違うか?﹂ ﹁うん、正解。﹃過去の出来事の評価を逆転させる﹄なんて私にし
かできないでしょう?﹂
手を未だ血に濡れさせたまま、くすくすと笑いルドルフの言葉を
肯定する。傷跡は自己反省を促す切っ掛けというか、過去に対する
戒めのような役割なのだ。王の顔についているならば周囲も自然と
己を戒めるだろう。
﹁今回の事が起爆剤となってどれほど罪深いと知るのかしら、キヴ
ェラの民は。貴方と王太子は間違いなく﹃偉大な大国キヴェラを貶
め衰退させた王族﹄として歴史に名を残すだろうけど﹂
﹁中々に壮大な罰だな、それは﹂
﹁守ってきた者に責められる⋮⋮王としてはやるせない話よねぇ、
貴方の人生を否定されるようなものかな?﹂
キヴェラ王。貴方が﹃絶対に許される筈は無い﹄というほどの事
をゼブレストにしてきたと思うのならば。
彼等を納得させるだけの私の復讐が軽いものである筈ないでしょ?
半ば呆然とするキヴェラ主従をそのままに私は指輪を抜きつつル
ドルフの傍に行く。
1547
そして血塗れた手で同じく血塗れの指輪を差し出した。
﹁この指輪はゼブレストの短剣から作り出した。国を守って死んだ
リュカの父親の形見であり、志願兵となった者達の誇り﹂
﹁ああ、知っている。志願兵達には俺が渡したんだ、本来ならば守
るべき民である彼等を戦わせる事が申し訳なくてな﹂
なるほど。そんな背景もあって民は﹃ルドルフ様ならば﹄と慕っ
たのか。志願兵とか出した割にルドルフは民に好かれてるんだよね、
普通なら家族を奪ったと恨まれることもありそうなのに。
﹁戦が終っている以上、貴方達は何も出来ない。どんなに納得して
いなくとも﹂
﹁当然だ。生きている者達を危険に晒すわけにはいかない﹂
﹁だけど私には柵なんて無いわ﹂
視線を掌の指輪に向けるとルドルフも同じように視線を向けた。
そこに浮かぶ感情は無い。ただ、肘掛に置かれたルドルフの掌に
力が篭る。
握り込めば掌を爪で傷付けてしまうほど、ルドルフの抱く感情は
強い。
それはキヴェラに対してであり、無力だった自分の不甲斐無さに
対してであり、ゼブレストの民に対する申し訳なさでもある。
﹁受け取って。死を悼む花はこの国の民が捧げれば良い。私は死ん
でいった者達にこれを捧ぐ。あんたが今こうしてこの場に居る未来
を作ってくれた全ての者達に感謝を。⋮⋮これが私が彼等に捧げら
れる唯一のもの﹂
懐から布を取り出し渡そうとする宰相様を遮り、ルドルフは己が
1548
手で指輪を受け取った。その手もまた指輪に触れて血に染まる。
﹁⋮⋮お前、自分も怪我しただろ﹂
﹁それを着けて殴ればね。でも、痛い思いをしない復讐なんてない
と思うの。ゼブレストやキヴェラに比べたら些細なものじゃない﹂
そう言ってもやや辛そうな表情を見せるルドルフに苦笑し、治癒
と水を作り出しての洗浄を行なう。元通りの手を見せて﹁ほらね?﹂
と言えば若干その表情が和らいだ。
そして改めてキヴェラ王を見るとルドルフははっきりと宣言する。
﹁キヴェラ王。我が国はこれでミヅキを諌めよう。俺が望むのは貴
方がこれからも王であることだ。⋮⋮責任を取れ。⋮⋮逃げる事は
許さない﹂
許された筈なのに断罪にも聞こえるその言葉。
だが、キヴェラ王とて理解しているのだろう。何より彼の望みは
叶えられたのだから。
ただ⋮⋮気付かなかった部分を気付かされただけ。今知るか後で
自覚するかの差でしかない。
主従は顔を見合わせ、ゆっくりと再び跪き頭を垂れると連れて来
た騎士達に付き添われ謁見の間を後にする。そこに強者の威厳は無
い。あるのは国を守れた事への安堵のみ。
﹁それじゃ、私も帰るわ。まだ今回の後始末が残ってるし﹂
﹁ああ、宰相に聞いた。お前を助けた復讐者達の処遇やイルフェナ
の方の条件か﹂
﹁まあね。イルフェナの方は関わらないから今回の報告書の製作っ
てとこかな﹂
1549
面倒よねぇと呟くとルドルフが小さく笑う。⋮⋮うん、こんな顔
が出来るなら大丈夫だろう。今回の謝罪はルドルフにとっても唐突
過ぎて気持ちの整理などする暇が無かっただろうし、ゆっくり休ん
でおくれ。
﹁じゃあね﹂
﹁ミヅキ様!﹂
ひらひらと手を振りながら謁見の間を後にしようとすると涙声の
リュカから声をかけられる。珍しい⋮⋮﹃主の恥になるから﹄とい
う理由で礼儀は完璧なのに。
ルドルフに視線を向けると頷き許可を与えていた。そういえばリ
ュカは何故ここにいたんだろう?
﹁ありがとうございます⋮⋮! 十年前に亡くなった志願兵の、い
え全ての志願兵の家族の一人として御礼申し上げます! キヴェラ
を恨まなかったと言えば嘘になりますが、国を守る事を選んだ我々
の判断は間違ってはいませんでした!﹂
そうか、ある意味リュカは被害者の代表としてここに呼ばれたの
か。民がキヴェラを憎むのは当然、そして恐らくはそうさせた王家
を恨む気持ちもあるだろうと。
﹃志願兵の家族﹄という立場はそういうものだ。働き手を失った
家族の暮らしが楽だったとはとても思えない。
﹁⋮⋮そう。家族よりも国を守る事を選んだお父さん、誇りに思う
?﹂
﹁はい! ミヅキ様に認められた事、それ以上にルドルフ様を御守
りできたと親父達は鼻高々ですよ!﹂
﹁自慢の息子はルドルフに認められて騎士になるしねぇ?﹂
1550
﹁当然だ。こいつの二つ名は﹃血塗れ姫の番犬﹄だぞ? 基準がお
前と紅の英雄な事に加えて、お前直々に俺の盾となるよう命じられ
ているからな⋮⋮﹂
ややからかいを含んで言えばルドルフから妙な情報が追加された。
⋮⋮何だ、その物騒な渾名は。いや、本人が喜んでるみたいだから
いいんだけどね。元気に暮らしているようで何よりだよ、リュカ。
呆れた視線をルドルフに向けても、面白そうな表情を返すだけ。
それを見て私も肩を竦めると背を向けて歩き出す。
その背にルドルフの声が追い駆けて来る。
﹁ミヅキ。⋮⋮ありがとな﹂
それに振り向くこともなく、聞こえた事を示すように再度手を軽
く振る。﹃感謝する﹄ではなく﹃ありがとう﹄という言葉は﹃ゼブ
レスト王﹄ではなく﹃ルドルフ﹄という個人からのもの。
この場所が何処か、それ以上に立場を判っているルドルフが敢え
て口にした一言の価値は一部だけが気付けばいい。
そして今度こそ私は謁見の間を後にした。
1551
ゼブレストでの謝罪︵後書き︶
﹁捧げる物がメリケンサックってどうよ?﹂な感情の下、指輪で代
用した主人公。指輪なら﹃彼等の忠誠心に敬意を﹄と言ってもイメ
ージ的に問題無し。⋮⋮多分。
1552
もう一つの忠誠︵前書き︶
アルベルダが主人公を試そうとしたり、妙に協力的だった理由。
1553
もう一つの忠誠
﹁ゼブレストからコルベラにかけて接していた農地を奪い取る事で
決着がついたよ。これでキヴェラも大きなことは言えなくなるね﹂
﹁⋮⋮奪い取る?﹂
﹁すまない、交渉によって譲り受けたと言った方が正しいね﹂
あ、やっぱり訂正された。建前は重要だしな。
いい笑顔でそう言った魔王様にイルフェナの本気を垣間見たのは
気の所為だろうか。
結果的に私が回った国沿いの領地︱︱二割ほど国が小さくなって
ないか?︱︱を得た形になる。
勿論、話し合いの末に。
尤もこれはバラクシン以外の国がこちら側に付いた事への対策だ
と推測。
本国を直接キヴェラに接しないようにするという意味もあるだろ
う。奪おうとすればまず農地の侵略から始まるわけだし。
でもね、魔王様。
一体、交渉に赴いたイルフェナ精鋭陣の立候補は何人いたんです
⋮⋮?
﹁君の助言に従って復讐者達の祖国の名が残るようにしてみたんだ。
対外的にも素晴らしいアイデアありがとう﹂
ええ、確かに﹃奪い取った農地に復讐者達の祖国の名をつけてく
ださい。国が再興されることはありませんが、名が残るだけでも彼
1554
等に報いられると思います﹄とは言いましたよ。
キヴェラもその名が付けられた意味を忘れないなら、過ちを忘れ
る事は無いでしょうし。
だからってキヴェラの交渉役が数名倒れたり、うっかり本気にな
り過ぎて想像以上の領地を獲得するなんて想像できるかぁっ!
アルによればブロンデル公爵とシャル姉様も﹁我こそは!﹂とば
かりに名乗りを上げたらしい。私の婚約者の家ということで無条件
に参加枠を勝ち取ったとか。
なお、レックバリ侯爵もちゃっかり保護者枠で参加したらしい。
以前より若人育成を口にしてるから間違ってはいない。間違っては
いないのだが⋮⋮交渉役が役に立たなければお手本と称し参戦した
んじゃないのか? 狸様は。
コレットさんとクラレンスさんは自国の防衛に徹する為に参加を
控えたと言っていたから﹃報復上等! ドンパチやろうぜ?﹄な姿
勢で待ち構えていたのだと推測。単純に頭脳労働より肉体労働を選
んだだけだ。
﹁ゼブレストからイルフェナにかけての農地はイルフェナが、アル
ベルダからカルロッサにかけてはアルベルダが、カルロッサからコ
ルベラにかけてはコルベラが所有する事になるよ﹂
﹁⋮⋮? コルベラは判りますが。何でアルベルダが?﹂
当然の疑問を口にすると魔王様は笑みを深めた。
﹁⋮⋮アルベルダにはそうするだけの理由がある。いや、アディン
セルに⋮⋮かな﹂
﹁は?﹂
﹁それはこれから説明するよ﹂
1555
何か理由があるらしい。
それを含めて魔王様がコルベラまで来ているのだろうけど。
﹁ちなみに君も証人の一人だから。と言うか魔導師が認めれば誰も
文句は言えない﹂
⋮⋮。
魔王様。さっきから全く意味が判らんのですが。
とりあえず必要なのが﹃他国の王族﹄と﹃魔導師﹄ということで
しょうか?
⋮⋮そして私は貴族の忠誠の凄まじさを目の当たりにする事にな
る。
貴族って⋮⋮忠誠心を持って生きる人達の気合と根性って凄ぇ!
※※※※※※※※※
室内には魔王様とアル、クラウス、私。そしてウィル様とグレン
と親子らしき小父様と青年。それにエレーナ達アディンセル親子が
集っている。
組み合わせ的に意味が判りません。ウィル様、その二人は一体だ
∼れ?
そんな疑問に爆弾発言で答えてくれるのがウィル様なのでして。
﹁この二人はアルベルダの公爵家の者達だが、ブリジアス王家の生
き残りでもある。アルベルダでずっと匿ってきたが、今回ブリジア
スの名が蘇る事に合わせ領主として土地を任せたい﹂
⋮⋮。
1556
全員無言。魔王様は事情知ってたっぽいけど。
ええぇぇぇぇっっ!? 生きてたの!? 残ってたの!?
驚きに言葉もないアディンセル父子にウィル様はやや辛そうに話
す。
﹁あの当時、アルベルダがブリジアスに救いの手を差し伸べる事は
不可能だった。だから唯一残された手段が﹃黙認﹄だった﹂
﹁黙認?﹂
怪訝そうなアディンセル伯爵にウィル様は頷く。
﹁最期の王の姉がアルベルダに嫁いだ事は知っているだろう?﹂
﹁は⋮⋮はい。確か父の姉が侍女として付いて行った筈です。その
後、乳母として仕えたと聞いています。ですが、王女の唯一の御子
息はキヴェラに殺された筈⋮⋮﹂
その言葉にウィル様はゆっくりと首を横に振る。
﹁確かにキヴェラの要請は来た。だが、体の弱かった乳母の息子が
身代わりとなったのだ﹂
﹁ですが! キヴェラとて調べなかった筈はありません! 魔術に
よる確認が無かったとは思えないのです﹂
言い募るアディンセル伯爵とて信じたいのだろう。だが、彼はキ
ヴェラのしてきた事を知っている。それを踏まえて言っているのだ
⋮⋮﹃キヴェラが王家の血筋を残す筈は無い﹄と。
﹁お前の父親はブリジアス王の従兄弟、つまりその母親がアディン
セル家に降嫁した王族と聞いている。キヴェラが魔術による確認を
しようとも﹃ブリジアス王家の血を継ぐ男児﹄としてしまえば、乳
1557
母の子であろうと間違いではあるまい?﹂
﹁そ⋮⋮それでは本当に、その方達は⋮⋮﹂
﹁正真正銘、ブリジアス王家の血を継いでいる。公爵家に嫁いだ王
女は子を産んだ後に体を壊し数年後に亡くなったが、最期の王の姉
の血は絶える事がなかったのだからな﹂
震える声で確認をするアディンセル伯爵を前に父親の方が初めて
口を開く。
﹁貴方達がアディンセルの意思を継いだ者か。⋮⋮漸く、漸くお会
いできましたな。辛い道を歩ませ本当に申し訳なく思っています﹂
穏やかな、けれど喜びの滲んだ声でその人は話す。エレーナ達父
子を見る目はやや潤んでいた。
﹁私の乳兄弟のシミオンは生まれつき体が弱く、成人まで生きられ
ぬと医師から言われていました。それでも乳母のアイリーン共々、
母を早くに亡くした私にとってはかけがえの無い存在だった。あの
時⋮⋮キヴェラから私の命を要求された時、シミオンはこう言った
のですよ﹂
﹃僕はどうせ長くは生きられません。ですが、そんな僕にも出来る
事が一つだけある﹄
﹃僕もまたブリジアス王家の血を引いている。⋮⋮貴方の身代わり
になることができるのです﹄
﹃御願いです! この体では貴方に御仕えする事も叶いません。ど
うか僕に生涯唯一にして最高の栄誉を⋮⋮ブリジアス王家の血を守
1558
るアディンセルとして死なせて下さい!﹄
﹁あれほど必死なシミオンなど初めて見ました。シミオンが己が虚
弱さを嘆いている事は知っていた⋮⋮理解した気になっていた! 愚かにも私はシミオンを守っている気になっていたのです。本当は
シミオンこそが私を守り支えてくれていたというのに﹂
固く握り締めた拳は兄弟のように育ってきた存在を守りきれなか
ったからだろうか。少なくとも、この人にとっては自分の身代わり
になるなど許せる事ではなかったのだろう。
後悔しつつも死ぬ事は出来なかった。全ては自分を先に進ませて
くれた存在の為。
﹁シミオンを失った後も私に仕えてくれたアイリーンは数年前に亡
くなりましたが、最期までアディンセルが王家を裏切ったとは思っ
ていませんでした。﹃アディンセルが主を裏切る事などありえませ
ん。それは我が子にも受け継がれておりました。私は息子が誇らし
くてなりません⋮⋮王の血を守りきるなど、どれほどの者ができま
しょうか﹄と﹂
﹁ええ、ええ! 父は国と共に滅ぶ栄誉を捨ててまでキヴェラに一
矢報いる事を選びました。私も娘も、そして付いて来てくれた使用
人達も⋮⋮誰も後悔などしておりません﹂
その言葉に男性⋮⋮ブリジアス王家の血を引く人物は嬉しそうに
頷く。彼にとってもアディンセルの真実が証明されたことが嬉しい
のだろう。それは乳母親子が正しかったということなのだから。
﹁シミオンは最期に貴方の事を言っていました。アディンセルには
自分と同じ年頃の少年が居る筈だから必ず力になってくれると。⋮
1559
⋮感謝いたします。そうまでしてブリジアスに仕えてくれた事、亡
きブリジアスの皆の期待に応えてくれた事、そして我が乳兄弟が正
しかったと証明してくれたこと﹂
そう言って息子共々、深く頭を下げた。アディンセル伯爵とエレ
ーナは泣き笑いのような表情を浮かべている。
彼等とて齎された﹃事実﹄が嬉しいのだ。アディンセルは王の血
を守り抜いたのだから。
主の血筋が残されていた事と己が一族が裏切りを疑わなかった事。
その二つは彼等にとって非常に嬉しいものなのだろう。
惜しむべくは国を再興するまでには至らないことだろうか。いく
ら王家の血筋が残っていようとも、支える貴族が皆無では民が集っ
てくれたところで国を興せる筈も無い。
寧ろ民の事を考えた上で領主と言う立場をとったのだと思う。ア
ルベルダに属するならば、その加護は得られるという事なのだから。
﹁これは私の息子の一人です。アルベルダが新たに得た領地はブリ
ジアスの名を与えられた。そして息子には領主として赴くよう、陛
下より命が下されました。ブリジアス領としてですが、その名は蘇
るのです⋮⋮!﹂
﹁そのとおり。お前達の事を民は﹃鋼の忠誠を持つ貴族﹄と褒め称
えている。ブリジアスの名はアディンセルの尽力によって蘇ったん
だよ﹂
﹁一つ言うなら今回の事が認められたのはアディンセルの働きあっ
てのことだよ? 王家に尽くし、ただキヴェラに一矢報いる為に存
在し、そして魔導師に認められた君達の働きがあったからこそ認め
られたんだ﹂
ウィル様と魔王様の補足に今度こそアディンセル父子は涙を溢れ
させながら跪き深く頭を垂れる。
1560
﹁ご無事で何よりです、殿下。我がアディンセル一同、再びブリジ
アスに御戻りになる日を心待ちにしておりました﹂
﹁苦労をかけました。⋮⋮その忠義に感謝します、アディンセル伯﹂
﹁はっ! 父も鼻高々でございましょう!﹂
﹃主﹄より下された言葉はアディンセル一族全ての苦労を労って
のもの。王ではなくとも、その言葉はアディンセル一族の行い全て
が認められたということでもある。
それを事実と認め、証明するのは二つの国の王族と今回の件に深
く関わる魔導師。面子的にも偽りや虚言を疑われる筈も無い。
王族の言葉は容易く疑う事などできないし、実際に王族は自分の
言葉に責任が伴うから感情優先で発言したりはしない。と言うか、
﹃立場上できない﹄。それが一般的な認識。
魔術的な面に関しては私以上が現時点で存在しないとのこと。つ
まり、﹃魔導師の見立てなど信頼できん!﹄と声高に言ったところ
で私以上の実力が無ければ言い掛かりとして対処できる。﹃お前、
私より劣るのに判るの? 証拠出せるの?﹄と。
キヴェラで色々やらかした事を他国は派遣された者達が見ていた
ので、様々な意味で私を疑う事など不可能という面もある。下手に
機嫌を損ねれば自国が次の標的だ。
鋼の忠誠心を持つアディンセルは、キヴェラ曰くの﹃裏切りの貴
族﹄は。
ブリジアスの﹃得難い忠臣﹄として漸く名誉を回復したのだ︱︱
※※※※※※※※※
﹁⋮⋮ってことは、私が試されたのはこの為ですか?﹂
﹁こればかりが原因じゃないがな。キヴェラの状況からアディンセ
1561
ルが絡んでいるんじゃないかと疑っていたんだ、寵姫の名前程度な
らすぐに調べがつくからな﹂
なるほど。確かにそんな裏事情があるならば﹃アディンセル﹄と
いう名に反応するわな。裏切り者だった可能性を考慮しつつ、ブリ
ジアス王家の血を守る為に﹃コルベラに協力するか否か﹄と言う建
前を使ったのか。
まあ、こっちもキヴェラを警戒する上で間違いではない。何せ私
に求められたのは実績だ、キヴェラと争う可能性も考慮されていた
んだろう。 ﹁魔導師殿を信頼していないわけではないんだが、セレスティナ姫
の件が発端となりブリジアスの生き残りが居るとバレないとも限ら
ん。それでこの情報は伏せて、単純に﹃キヴェラを警戒する﹄とい
う名目を使ったんだ﹂
﹁まあ⋮⋮それが最良ですよね。あの時点で私の最優先はセシル達
とコルベラでしたから。聞いていたとしても、そこまで気が回らな
い可能性が高いです﹂
申し訳無さそうなウィル様に﹃怒ってないよ﹄との意味を込めて
首を振る。
うん、話されても困ったと思う。こう言っては何だが、優先順位
的には滅びた国よりもコルベラだ。うっかり口にしないとも限らん
し。
﹁ブリジアスの皆様∼、国が受けた被害には足りませんがキヴェラ
を⋮⋮いえ、キヴェラ王はボコっといたんで!﹂
一応、報告すべきかと思って告げれば男性は微笑んで頷く。
1562
﹁ええ、聞いております。キヴェラの謁見の間で断罪したと﹂
﹁いや、それだけじゃなくて。拳でガツっ! といきました。王太
子共々、顔に線が入ってますよ。しかも跡は消えないようにしたん
で﹂
﹁は?﹂
意味が判らなかったのか怪訝そうになる人数名。なのでゼブレス
トの件も含めて御説明。
﹁凹凸のある指輪を嵌めた状態で抉るように顔に一発。こんな事情
があるならアルベルダも条件に加えるべきでしたね﹂
﹁君ね⋮⋮そんな事を言っていたらきりが無いよ? そもそも領地
を得る前の事だろう、それは﹂
⋮⋮。
そういやそうですね。時間軸的にこっちが先に伝えられる事は無
いだろうし。
安全が確保されたからこその暴露だもんなー、これ。今回の騒動
で状況が変わったからこそ、私を含め部外者が知ることが可能にな
った情報だ。エレーナ達の働きもあるし、今後彼等に味方する者も
多いだろう。
じゃあ、﹃大鎌でドキドキ処刑体験︵仮︶﹄とかはどうかね? 魔血石回収の名目でキヴェラに赴き、城に﹃大好評・死神︵笑︶﹄
を夜な夜な発生させるとか。続・死霊の町みたいな感じで⋮⋮
﹁余計な事を考えるんじゃない!﹂
﹁痛っ!?﹂
叩かれた。
魔王様ー、なんだか騎士s並に勘が良くなってません!?
1563
1564
女子会は姦しく︵前書き︶
猛者しか居ない女子会。別の意味で男性厳禁。
1565
女子会は姦しく
ゼブレストでの謝罪も終わり、私は今コルベラに来ている。イル
フェナでの交渉に魔導師が関わっていないと証明する為なので、暫
くのんびり過ごしていいらしい。
交渉自体はもう終ってるのだが、予想外の事態にイルフェナ内部
がごたごたしてるのだ。一体何をやったんだろう⋮⋮はしゃぎ過ぎ
じゃないかな、イルフェナの皆様。
そんなわけでどの国も慌しい雰囲気が漂っている中、比較的落ち
着いているコルベラにお邪魔中なのだ。コルベラはもうセシルの件
が片付いてるしね。
ちなみにエレーナも一緒。魔王様達とアディンセル伯爵は今後の
調整を兼ねて再びイルフェナに戻ったのだが、エレーナは新たな事
実も含めてのコルベラへの説明役となったのだ。
本人もセシルに詫びたいと言っていたし、コルベラへの事情説明
も必要なので丁度良かったらしい。
当たり前だがエレーナの謝罪する姿勢と後宮内での行動はコルベ
ラの皆様に絶賛された。比較対象が王太子という事に加え、セシル
達の唯一の守りだった彼女に批難が向くはずは無い。
セシル達が彼女の行動を怪しんでいた事もあり、早くも割と仲良
しです。どうせ私のお迎えが来るまで一緒だしな、楽しくやろうぜ?
そんなわけで本日、セシルの部屋にて四人で女子会です。キヴェ
ラ関連苦労組の打ち上げとも言う。
⋮⋮護衛の騎士が不要な面子だな、おい。居ても涙目かもしれな
いが。
※※※※※※※※※
1566
﹁そうだ、エレーナに聞きたい事があったんだ﹂
酒のグラスを順調に空けつつエレーナに聞いてみる。対するエレ
ーナも⋮⋮訂正、全員が酒に強いらしく誰も顔色を変えていない。
﹁あら、何ですの? 魔導師様﹂
﹁あ、もう魔導師様呼びはいらない、ミヅキでいい﹂
﹁そういうわけには⋮⋮﹂
﹁私達もそう呼んでいるからいいんじゃないか? 身分的な事を言
ってしまうとミヅキは民間人だぞ?﹂
﹁そうそう、誰も呼び捨てできなくなっちゃうから気にすんな﹂
ぶっちゃけた話、身分を気にしていたら堅い会話しかできない。
それをやると間違いなくセシルが拗ねるので、この部屋の中では平
等です。
エレーナも暫し戸惑ったようだが、全員の本来の身分を思い出し
﹁そうですわね﹂と口にする。納得したようで何よりです。
﹁わかりましたわ、ミヅキ。それで聞きたい事とは何ですの?﹂
﹁キヴェラの王都だと王太子とエレーナって﹃身分によって許され
ぬ悲劇の恋人同士﹄って扱いだったんだけどさ、あれは一体どうや
ったらそんな認識になるの?﹂
キヴェラ王都では冗談抜きに当初はそんな認識だった。上層部が
噂を流したという事もあるだろうが、どう頑張っても王太子の性格
が﹃悲劇の王子様﹄には見えないのだ。
﹁だって物凄く短気じゃない、王太子。悲劇の王子様になるにはも
う少し、こう⋮⋮暗い影とか悲壮感が必要だと思うんだ﹂
﹁ああ、それは私達も思いましたわ! 食料を買いに町へ出かけた
1567
際に偶然見かけた事があったのですが、普通に笑顔でしたもの﹂
エマも騒動が起こる前の王太子を思い出したのか、話に乗ってく
る。
そうだよね、不思議だよな!?
王太子はアホの子、もとい演技力など皆無なのだ。王族だし表面
上は取り繕えると思っていたのだが、コルベラでの謝罪を見る限り
それは無い。
自制心の無さが直結しているのだろうが、恋人を前に﹃王に強制
された結婚に嘆きつつ、恋を捨てられない男﹄を演出できる筈はあ
るまい。
エマだって﹃笑顔だった﹄って言ってるもんな、それでどうやっ
たらあんな認識をされるのか。
二人揃ってそう言うと、エレーナは何故か遠い目になった。⋮⋮
おやぁ?
﹁ふふ⋮⋮あれにはどうしようかと思いました。私の役割は﹃贅沢
が大好きな悪女﹄でしたが、何故嘘泣きをしてまで王太子を操らね
ばならなかったのでしょうね?﹂
﹁﹁﹁は?﹂﹂﹂
エレーナ以外の声がハモる。何だ、それは。
﹁エメリナ⋮⋮エマの言うとおり、王太子殿下に悲哀などございま
せんでしたわ。ですが、私が涙を見せれば心配はしてくださいます
し、憤ってもくれましたの。⋮⋮的外れな理由が大半でしたが﹂
﹁ああ⋮⋮そういうこと﹂
﹁それは、その、大変だったな﹂
﹁あらあら、やはり裏方さんがいらっしゃいましたのねぇ﹂
1568
つまりはエレーナに関連付けてそういう演出を試みたらしい。私
も含めてセシルとエマも同情的な目をエレーナに向けている。
おおぃ、ボンクラ王太子ぃっ! 寵姫は幼稚園の先生じゃ無ぇん
だぞ!?
いや、エレーナに対しそういった姿を見せるなら一応恋人に誠実
とは言えるのか。
でも彼は王族、しかも王太子。王族は国第一でなければならない
し、次代の王がその状態⋮⋮もっと言うならそういう姿勢を民間に
見せる事は拙いだろう。
何せ王都には他国の間者が潜んでいるかもしれないのだ。そんな
姿を見せればキヴェラの弱点が王太子だと気付くだろう。
と言うか、気付かれてたよな。間違いなく。
﹁目的がある以上、私が寵姫であり続けるには民を味方にする必要
がありました。王とて民の声はそう簡単に無視できませんもの、万
が一王太子でなくなろうとも妃の立場に在れば目的は果たせるので
すから﹂
そう一息に言い切ると、エレーナはグラスの中身で口を潤す。
そして。
ダン! と拳をテーブルに叩きつけ、怒りの表情を浮かべた。
﹁ですが! その度に私は悔しくて情けなくて仕方がありませんで
したわ! このような下らぬ輩に御爺様や御父様⋮⋮多くの者達が
見下されるなどっ! このような輩が次代の王として立つ国に虐げ
られたなど⋮⋮!﹂
1569
よほど怒っているのか、ギリ⋮⋮とグラスを握り締める音さえ聞
こえてきそう。
私達は半ば呆気にとられながらも、ひそひそとエレーナの言い分
に同意する。
﹁あ∼⋮⋮うん、それは怒る。只でさえ復讐誓ってる人に、王族失
格な姿を見せつけるって最低﹂
﹁あの王太子殿下では無自覚に暴言を吐いてそうですしねぇ﹂
﹁⋮⋮。間違いなく暴言を吐いてるぞ、私は他国を侮辱する王太子
の言葉を聞いた事がある﹂
﹁うっわ、クズだわ。エレーナだけじゃなく、復讐者の小父様達の
逆鱗を逆撫でしまくってそう﹂
暫くして私達の視線に気付いたエレーナは、恥ずかしそうに頬を
染める。可愛いぞ、この人。
﹁も⋮⋮申し訳ございません! つい、このような話ができる事が
嬉しくて﹂
﹁気にするな、エレーナ。ここは私の部屋なのだから外には漏れん﹂
﹁そうそう、それ以上の事を公の場で言ったわよ、私﹂
﹁はは、あれは傑作だったな﹂
エマは微笑みながら、労わるようにエレーナのグラスに酒を注ぎ
足している。彼女達はある意味同志。王太子に対する怒りは十分過
ぎるほど理解できるらしい。
﹁もう少しボコっておくべきだったかね∼? エレーナとは恋人だ
と思っていたから、修羅場を期待して引っ掻き傷程度に留めちゃっ
た﹂
1570
﹁今からでも行くか?﹂
﹁無理。イルフェナの交渉も終ってるから、追加でってのは厳しい
ね﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
﹁この話を他国の王族・貴族の知り合いに広める程度が限界かぁ﹂
セシル共々残念そうに締め括ると視線を感じた。そちらを向けば
エレーナが期待に満ちた目を向けてくる。
﹁是非! 是非御願いします! 自尊心の高いあの男には十分なダ
メージになる筈ですわ!﹂
﹁あはは、よっぽどストレス溜まってたんだねぇ﹂
そんな私たちを見守りながらセシルとエマは。
﹁エレーナが王太子に全てを暴露するのが一番だと思うのだが﹂
﹁さすがにそれはできませんしねぇ。ミヅキの案でも十分屈辱だと
思いますわ﹂
止めるどころか応援してた。
その案は止めを刺すものだと思うぞ、セシル。
⋮⋮良家の御嬢様︵約一名除く︶が集った筈のこの女子会、﹃傷
心の王子様に味方する心優しい乙女﹄は存在していない模様。寧ろ
追い討ちする気満々です。
※※※※※※※※※ ﹁⋮⋮それでミヅキは私に何を聞きたかったのでしょうか?﹂
あれから暫く飲み明かし、酔い覚まし︱︱誰も酔ってなどいない
1571
︱︱のデザートを食べているとエレーナが微笑みながら聞いてくる。
さっきと似たような台詞だが、今回はその奥に﹃知りたい事があ
るのでしょう?﹄という意思が見え隠れしている。
﹁⋮⋮ミヅキ? 他にも聞きたいことがあるのか?﹂
セシルとエマは思い当たらないらしく、首を傾げて私とエレーナ
に視線を送る。
この件を﹃終った事﹄と考えるならば、セシル達の認識は正しい。
だが、正確には﹃コルベラの王女の解放とキヴェラの元凶が手を引
いた事﹄に過ぎないのだ。
私の視線を受け、エレーナはにこりと微笑む。それは全てを理解
し決めているように見えた。
﹁エレーナ。貴方達アディンセルはこれからどうするつもり?﹂
﹃アディンセル父子﹄⋮⋮いや、﹃復讐者達の今後﹄を私は知り
たいのだ。
彼等の望みによっては私が動く事が可能なのだから。
﹁ミヅキはどうすると思います?﹂
﹁私? 私が貴方達の立場なら⋮⋮英雄でいられるうちに人生を終
らせるわね﹂
﹁﹁な!?﹂﹂
予想外だったのかセシルとエマが揃って声を上げる。だが、エレ
ーナは嬉しそうに微笑んだ。
﹁貴女ならその答えに辿り着くと思っていましたわ。そのとおりで
す。私達は誇りと勝利を抱いたまま、舞台を降りるつもりですわ﹂
1572
﹁そう⋮⋮﹂
﹁驚かないのですね?﹂
﹁私は貴方達が﹃ブリジアス王家を最上級に定めている事﹄と﹃愚
かでは無い事﹄を知っているの。その二つを考えれば最良の結末は
何か答えがでるんじゃない?﹂
エレーナ達復讐者は望みを叶えた果てに何も無いからこそ、あの
ような手段をとれたのだ。もしもブリジアス王家、若しくは国が残
っていたのなら別の方法を考えた事だろう。
﹁貴方達は復讐者ではあるけれど、同時に﹃キヴェラの貴族﹄でも
ある。だから、復讐を遂げた以上は何処にも居場所が無い﹂
﹁ブリジアス領があるだろう!?﹂
﹁セシル、﹃受け入れてくれる場所がある﹄っていう問題じゃない
の。アディンセルが﹃その国に属しながら裏切り者になれる﹄って
ことが重要なんだよ。しかも復讐を遂げた実績があるってこともね﹂
﹁え?﹂
﹁ブリジアスという国が再興できるならば再び仕える未来があった。
だけどブリジアス領はアルベルダ⋮⋮﹃他国﹄なの。裏切る可能性
を持つ貴族を受け入れる国は無い﹂
厳しいようだが、エレーナ達が復讐を成し遂げてしまったからこ
そ招き入れる事はできないのだ。彼等は入り込んだキヴェラを裏切
ったという実績があるのだから。
ウィル様も敢えてその事を口にしなかったのは不可能だと判って
いるからなのだろう。王が個人的な感情で国を危険に晒す事などあ
ってはならない。
﹁ですが、エレーナ達の評価は忠臣として高いですわ。何とかなり
ませんの?﹂
1573
﹁それも要因の一つなんだよ、エマ。エレーナ達は覚悟を持って苦
労してきた。だけどその子孫は先祖の功績をそのまま受け継ぐ事に
なる。もし⋮⋮ずっと後にアディンセルの子孫達がブリジアス王家
を担いでアルベルダを乗っ取ろうとしたら⋮⋮?﹂
﹁そんな可能性は﹂
﹁無いって言い切れないでしょ? 多くの国に認められた忠臣の一
族が掲げる﹃正義﹄⋮⋮信じる民はどれほどいると思う? それこ
そキヴェラと似たような状態になると思わない?﹂
勿論、アルベルダに感謝しそんなことが起こらない可能性もある。
だが、確実ではないのだ。
キヴェラとて最初は国を纏め上げた英雄扱いだった筈なのに、そ
の苦労を知らない子孫達が先祖の考えを都合よく解釈してあの状態
だった。弱者であった頃を知らない者達が経験の無いまま、生まれ
ながらの強者として振舞ったゆえの末路だ。
﹁アディンセルは愚か者に成り下がるつもりはありませんの。咎も
誉れも全て抱えて逝きますわ﹂
微笑みながらも、きっぱりと言い切ったエレーナに死への恐怖は
ない。
その理由は﹃主にいらぬ疑惑を向かわせない為﹄だ。アディンセ
ルが居なければ、ブリジアスの名はアルベルダの貴族でしかない。
鋼の忠誠を持つ貴族と称えられていようとも、復讐者を名乗った
以上は﹃罪人﹄の名も背負う事になる。だが、忠誠だけを主に示し
消えればそれが﹃今後ブリジアスを助ける美談﹄になるのだ。
﹁しかし⋮⋮! どうにかならないのか? ミヅキも居るのだし⋮
⋮﹂
﹁私はエレーナの意思を尊重するよ、セシル。言ったでしょ、私が
1574
エレーナの立場ならば同じ道を選ぶって﹂
﹁な⋮⋮本気か!?﹂
﹁うん﹂
頷く私にセシルは驚愕を露にする。エマは⋮⋮何やら思う事があ
るらしく黙ったまま。
﹁ミヅキ。貴女はセシルを納得させる理由を考え付いているのでし
ょう?﹂
﹁まあね。これはエレーナ達が始めた復讐劇の幕引きだから﹂
笑みを深くし頷くエレーナに私はセシル達を納得させるべく、初
めから説明を始める。
﹁まず復讐者達の目的。彼等はね、最初から﹃終わりを目指してい
た﹄んだよ。その後に続く物語には自分達の姿が無いことを前提に
してね﹂
﹁⋮⋮未来を望まなかったと?﹂
﹁そう。彼等にとっては正義でも巻き添えは必ず出る。実際、キヴ
ェラは大変な事になっているでしょう? エレーナ達は自分達がそ
の切っ掛けになった以上、自分の罪から逃げる事を良しとしない﹂
この状態で自分達だけ逃げのびるようならば祖国の復讐など選ん
でいまい。
エレーナ達が平然と他者を犠牲にできる人なら別だが、彼等は違
う。だからこそ、キヴェラが許せなかった。自分の人生を犠牲にし
てもいいと思うほどに﹃頑張れた﹄。
﹁責任をとるってそういうことだよ、セシル。事を起こした以上は
最期の決着は自分達で。それに今回の事は絶対に﹃英雄﹄扱いしち
1575
ゃいけないんだ、許される事ではないから﹂
﹁そのとおりですわ。私達は裏切り者。国の内部に入り込み、王を
裏切った最悪の悪臣。私達がキヴェラの貴族であった事もまた事実
なのです、いかな理由があろうとも国に招き入れてはならぬ存在﹂
﹁復讐者を称える声は聞こえるけど、それはあくまで﹃民の声﹄。
他国の王族・貴族からは国に招く声は無いでしょ? ﹃復讐を遣り
遂げる力を持った裏切り者は国に招く事ができない﹄んだよ﹂
イルフェナでさえそういった声は聞こえない。彼等は愛国精神が
強いからこそ、余計にそういった存在は受け入れないのだろう。
セシルとて第三者ならば同じ判断を下したのだろうが、今回は自
身の命の恩人という事もあって何とか助けたいと思っているという
ところか。
﹁エレーナ達復讐者の代表が消える事でその協力者達は他者に利用
される価値が無くなるってこともある。復讐者を名乗った四人以外
は名が知られていないだろうしね﹂
彼等は仲間達を助ける意味でも死を望む。復讐劇に付き合った協
力者達はエレーナ達の遺志を守る為にも生きるだろう。表舞台に名
が出なかったからこそ可能なのだ。
﹃協力者だった﹄と偽る輩が出ても、他国の上層部が本物を把握
していない以上は全て﹃偽物﹄扱いだ。その際は民からも厳しい罰
が望まれるだろう。
﹁それに私は体で王太子を誑かした悪女ですわよ? 貴族令嬢にと
って婚姻前の清らかさは必須ですし、まともな殿方ならば婚姻を望
みません。寄って来るのは功績を我が物にしたい愚か者のみですわ﹂
﹁それは⋮⋮そうなんだが﹂
﹁ああ、気になさらないで。私は後悔してはいませんし、恥とも思
1576
っていないのですから。貴女達を守れた事も含めて良かったと思い
ますわ﹂
晴れ晴れとした表情を見せるエレーナに陰りは無い。それは彼女
が本当に望んだ結末︱︱ブリジアス王家の生き残りが居た事は嬉し
い誤算だ︱︱なのだろう。
セシルも未だ納得できないようだが、反論できず黙ったまま。こ
ればかりはエレーナも苦笑するしかなく、私はセシルの頭を撫でた。
その時、ずっと黙っていたエマが﹁判りましたわ﹂と呟くなり顔
を上げる。
﹁エレーナの覚悟、しっかりと理解いたしましたわ。セシル、ミヅ
キとて辛いのですから何時までもごねるものではありません。それ
に⋮⋮エレーナが私のお願いを聞いてくださるならばアディンセル
の名は残りますわ﹂
﹁え?﹂
唐突な提案にエレーナは目を瞬かせる。私とセシルは意味が判ら
ず無言。
そんな私達に﹁お任せくださいませ!﹂と微笑むと本日最高の問
題発言をかます。
﹁実はブリジアス領の新しい領主様との縁談が来ておりますの。セ
シルでは少々問題がありますし、身分的にも私が最適だったのです
が⋮⋮決意しました! 私、ブリジアス領に嫁ぎます!﹂
⋮⋮。
婚約確定っぽいんだが、拍手すべきなのはエマの思い切りの良さ
の方かな。
あ、セシルやエレーナも驚いてる。誰にも言って無い内々の話だ
1577
ったな、これ。
﹁ブリジアス領と言っても領主の就任自体がまだ暫く先ですし、私
が嫁ぐのはそれ以降です。それにまずはブリジアスの後継ぎからで
すから、本家アディンセルの血筋と疑われる事もございません﹂
﹁う⋮⋮うん、わかった。それで?﹂
思わず先を促す私にエマは輝くような笑顔を向けた。
﹁二人目以降の子供の誰かに分家としてアディンセルを名乗っても
らうのです。血筋に縋るならばミヅキやエレーナの懸念するような
事態が起こりかねませんが、﹃忠臣の名を受け継ぐ者﹄であれば愚
かな振る舞いはできないのでは?﹂
ああ! そういうことか!
誰もが知るような一族の名を背負う以上は周囲の目も当然厳しく
なる。血縁以外がアディンセルを名乗る以上は﹃理想を違える事が
許されない﹄のだ。
血を継いでもいないので先祖の功績に縋ることもできないし、何
よりブリジアスはアルベルダに恩がある。
アディンセルは本来貴族の理想とも言える一族だし、求められる
のは忠誠心であって能力じゃないから貴族として相応しい振る舞い
をしているなら問題は無い筈だ。
﹁血を継ぐなら子孫ってだけで傲慢になるかもしれないけど、名乗
る事を許された一族なら逆に戒める枷になるのか!﹂
﹁ええ。それに分家ですからブリジアスを支えるのは当たり前の事
でしょう。⋮⋮エレーナ、私の一存では確約できませんが、再びブ
リジアスにアディンセルが寄り添う事を許していただけませんか?﹂
1578
エマは未だ呆然としているエレーナに話し掛ける。エレーナは思
ってもみなかった提案に思考が追い着かないらしい。
﹁それならば私もブリジアス領に助力できるな。エメリナは我が国
の者でもあるのだから﹂
﹁あ、私も干渉できる。ウィル様が動けなくともグレンに頼めるし、
エマが居るなら私が直接動いても問題無いや﹂
﹁⋮⋮え、と⋮⋮あの⋮⋮いいのでしょうか、こんな⋮⋮﹂
セシルと私の言葉にエレーナは更に混乱したようだ。でも、エマ
が居るなら確実に私達は動くからなぁ?
⋮⋮あ。
﹁エマ、セシル。エレーナはそうしてもらう理由が無いから戸惑っ
ているのかも﹂
﹁ああ、そういえば⋮⋮﹂
﹁今更過ぎて思い至りませんでしたわ﹂
ぽん、と手を打つと二人もエレーナの状態に納得できたらしい。
いや、馴染んでるからすっかり忘れてたんだよね。そもそもセシル
やエマとは改めて言うことじゃなかったから。
﹁今更だけど友達になってよ、エレーナ。私達三人と﹂
﹁宜しく頼む﹂
﹁申し訳ありません。すっかり御挨拶した気になっておりました﹂
手を差し出す私にぺこりと頭を下げる二人。そしてエレーナは。
﹁と、友達? 私の⋮⋮﹂
1579
﹁うん。キヴェラの王太子を掌で転がす貴女だから言ってる。って
言うか、私は冗談抜きに女友達が少ない! 主に守護役連中の所為
で!﹂
⋮⋮何故かセシルとエマだけでなくエレーナからも憐れみの視線
を貰った。イルフェナで何かを知ってしまったらしい。
ふふ、やっぱり主な原因は奴等じゃねぇかっ! のの字書いちゃ
うぞ!?
そして私が遠い目になっている間にエレーナは落ち着いたようだ。
頬を高揚させ、嬉しそうに何度も頷く。 しっかり私の手を握って
くれているので、エレーナにとって魔導師である私は恐ろしくは無
いらしい。 ﹁はい⋮⋮はい! 嬉しいです! 是非!﹂
﹁⋮⋮? 何だか凄く嬉しそうだな?﹂
﹁私⋮⋮復讐者という立場もあって、情報を入手する相手という意
味が強かったのです。貴族社会は相手の探り合いが普通ですし、こ
んな風に過ごす事など無くって﹂
あ、そりゃそうか。よく考えたらエレーナは生粋のキヴェラ人じ
ゃない上に王太子の寵姫。擦り寄ってくるか妬まれるかの、どちら
かしか無かったのか。
だからっていきなり暴露上等の女子会ってのもぶっ飛んでるだろ
うけどね!
﹁それでは改めて。私の提案を受けて戴けますか?﹂
エマの再度の問いにエレーナは今度はしっかりと頷き。
﹁ありが⋮⋮とう。ありがとう、貴女達にはどんなに感謝しても足
1580
りないわ⋮⋮っ⋮⋮﹂
﹁こちらこそ、ありがとうございます。最期の時まではまだ時間が
あるのですから、皆で楽しく過ごしましょうね?﹂
ぼろぼろと涙を零しながらも笑顔を見せた。実際にはアディンセ
ル伯爵にも許可を得なければならないが、エレーナがこの様子なら
反対はすまい。
とりあえず魔王様やウィル様には手紙送っておくか。こういう時
に直通で手紙が送れるようにしてくれているって便利。他国の承認
が必要ならゼブレストと、何かをやらかしたらしいバラクシンを脅
⋮⋮協力させてもいいだろう。持つべきものは人脈だ。大物しか居
ないけど。
﹁セシルも納得しなさいね?﹂
﹁判っている! エレーナの分もブリジアス領を気にかけるように
するさ﹂
若干拗ねたまま、御子様セシルもエレーナ達の在り方に納得する。
⋮⋮女子会がその後一晩中続いた事は言うまでも無い。
1581
女子会は姦しく︵後書き︶
大団円を望む人が多いでしょうが、これも復讐者となった忠臣がで
きる最期の事。自分勝手な決着だからこそ、主人公も支持。
1582
親猫は語る︵前書き︶
保護者にはバレていた主人公の思惑。
1583
親猫は語る
小話其の一 ﹃掌の傷﹄ ︵ルドルフ視点︶
﹁⋮⋮という事で、我が国がイルフェナ・ゼブレストとキヴェラの
間の領地を得ることになったから﹂
﹁了解した。あいつ、本っ当に容赦無くやらかしたんだな。キヴェ
ラがあっさり譲歩するなんて、思いもしなかったぞ﹂
﹁はは! それは確かにね﹂
呆れて言えばエルシュオンは楽しそうに笑った。
⋮⋮いや、ミヅキだけではなくイルフェナの行動もどうかとは思
う。これまでの借りを返すとばかりに本気になった結果、ここまで
ぶん取れたのではなかろうか。
同行していたアーヴィの言葉をそのまま使うなら﹃感情の赴くま
まに﹁生かさず殺さず﹂という報復を民にまで見せ付け、挙句に王
の周りを固めていた騎士や魔術師を赤子扱い﹄。
冗談抜きに災厄である。
過去恐れられてきた魔導師と似た行動をとってどうする、馬鹿娘。
いや、あいつが復讐を忘れるなんてことは絶対にありえないのだ
が。
そう考えると﹃滅亡させる事も出来るけど交渉次第で止める﹄と
いう選択肢が残されていただけマシなのだろう。
そもそもエルシュオンとアーヴィはミヅキを叩きまくっていたら
しい。
⋮⋮災厄が保護者に叱られたくらいで牙を収める、というのも周
1584
囲からすれば衝撃的な光景だったんじゃなかろうか?
ミヅキは日頃から自分を守ってくれる彼等に感謝しており、﹃保
護者の言う事は基本的に聞く﹄と言っている。その状況でもそれは
有効だったらしい⋮⋮今回ばかりは本人が自分の発言に責任を持つ
性格だった事が幸いしたのだろう。
逆に言えば大国の王だろうと自分にとって価値が無ければ全く言
う事をきかないのだが。
二人が﹃猛獣使い﹄﹃保護者﹄﹃おかん﹄﹃親猫﹄︱︱内二つは
身内が呼ぶ︱︱扱いされても仕方あるまい。話を聞く限りどう考え
ても、暴れる娘を諌める保護者か飼い主だ。
﹁まったく、あいつは⋮⋮﹂
感謝をしつつも、ミヅキの今後を考えると頭が痛くなる。これま
でエルシュオンが情報規制してきた苦労を何だと思っているのか。
その原因がゼブレストだというのだから、自己嫌悪に陥りたくも
なる。
エルシュオンはそんな心境を理解しているのか、俺を見て苦笑す
るばかり。
﹁今回の事はミヅキの独断だ。君達に非は無いよ﹂
﹁だがな⋮⋮今回あいつが得たものってセレスティナ姫達と仲良く
なったくらいだろう? どう考えても働き損だ。今後厄介事に巻き
込まれる可能性も含めるとな﹂
魔導師に首輪がついていると知らしめたようなものなのだ。イル
フェナとて外交的な問題ならば、ミヅキに協力させざるを得ない。
まあ⋮⋮本人の性格も知れ渡ったようなので、何度か痛い思いを
すれば妙な真似をする輩も出なくなるだろうが。
そう考え深々と溜息を吐くと、エルシュオンは﹁これは個人的な
1585
話として聞きなよ﹂と前置きして話し始める。
その表情はかつて俺がエルシュオンに﹁必要ならば頼れ!﹂と説
教された時に似ていた。あれも﹃個人的な協力﹄だった筈。
﹁今回の事。⋮⋮あの子はキヴェラを利用したんじゃないかな﹂
﹁利用⋮⋮?﹂
俺だけではなく、控えていた宰相やセイルまでもが怪訝そうな顔
になる。当たり前だ、ミヅキとキヴェラにはゼブレストとコルベラ
以外の接点は無い。
俺達の様子に一つ頷くとエルシュオンは再び話し始める。
﹁始まりはレックバリ侯爵からの依頼だが、ミヅキの目的は復讐だ
った。⋮⋮本当にそれだけが目的だったのか? あの子ならば国を
混乱に陥れるという選択もあった筈。他国を巻き込む必要は無い﹂
﹁ですが、本人も言っていたようにセレスティナ姫だけではなくコ
ルベラの事も考えた上で必要だったのでは?﹂
アーヴィが困惑気味に声を上げるが、エルシュオンはそれにも肯
定を示すように頷いた。
﹁そう、それも本当だよ。確かにコルベラの為を考えれば必要だっ
たと言えるだろう。だが、ミヅキにはキヴェラという﹃国﹄を盾に
とって﹃交渉によりコルベラへの不干渉を約束させる﹄という手も
あった筈。王太子に非があるから交渉の席に着かせることは可能だ。
実際、最終的にはそうなっているだろう?﹂
﹁⋮⋮確かに﹂
﹁そういえば﹃初めから用意してあった﹄と言っていましたね﹂
エルシュオンの言葉に俺達は納得する。それもそうだ、その時は
1586
ミヅキの脅威はキヴェラだけが知っていればいい。
今回、他国を巻き込んでいるのは﹃キヴェラの農地を減らす﹄こ
とによる﹃周辺諸国の現状打破﹄の為。正当性を主張する意味でも
他国の賛同が必要だった。
コルベラとしても他国が味方になるのはありがたいだろうが、ミ
ヅキが自分の存在を主張してまで他国に恩恵を齎す必要はあっただ
ろうか?
そもそも、ミヅキはセレスティナ姫達と懇意である。キヴェラの
干渉など絶対に許さなかっただろう。キヴェラとしても魔導師を敵
にしてまでコルベラに手は出すまい。
﹁確かにゼブレストやイルフェナの復讐という部分もあっただろう。
だけど全てが終った今となってはミヅキはそれ以上を狙っていたよ
うに見える﹂
﹁それ以上⋮⋮?﹂
未だ答えに辿り着かない俺はエルシュオンに問い返す。するとエ
ルシュオンは何故か俺達を見て苦笑した。
﹁キヴェラ王をゼブレストで謝罪させることでミヅキは﹃キヴェラ
を屈服させる実力を持った魔導師﹄だと印象付けた。柵に捕われず
身分さえ意味の無い実力者が君の味方をしている⋮⋮君達に下らな
い事を仕掛けようとする輩は躊躇するだろうね。国として無視でき
ない事実だよ﹂
言っている意味は判る。あの謝罪で俺達の繋がりは明確になった
のだから。
だが、エルシュオンはそれ以上のことを考えていたらしい。
﹁次にゼブレストとキヴェラの間にイルフェナが領地を持った事。
1587
これによりゼブレストは攻め込まれる可能性からかなり遠ざかった
ことだろう。迂闊に攻め込めば影響を受けるからね、我が国とて黙
っていない﹂
﹁あ⋮⋮!﹂
﹁それは⋮⋮っ﹂
共に声を上げたアーヴィも﹃イルフェナが盾になる﹄という事に
は思い至らなかったらしい。
俺達の認識は﹃農地の獲得﹄という、あくまで﹃国が領土を得る﹄
という事だけに向いていた。それに伴う弊害⋮⋮というか危険性ま
で考えてなどいなかった。⋮⋮﹃自国の事では無いから﹄。
同時にならば何故、と疑問に思う。イルフェナとて、その可能性
に気付かぬ筈は無いのだ。現にエルシュオンはこうして口にしてい
るのだから。
いくら親しくても彼はイルフェナの王族、優先すべき物は国。口
に出したと言う事は国が納得しているということだ。
﹁そもそも領土を奪えと提案したのはミヅキだ。そして普通に考え
て得る農地は国に隣接した場所になる。確かにキヴェラの力を削ぐ
為ではあるけど、ゼブレストにその権利を与えなかったのも妙な話。
今回の事に関わっていないから不審がる声は挙がらなかったけれど﹂
﹁それはまあ⋮⋮当然だろうな。俺達がしたのは逃亡を見逃す程度
だ﹂
﹁そう。だからこそ、ミヅキの目的に他国は気付かない。君達は﹃
関わっていないから得る物が無い﹄。キヴェラ王の謝罪も﹃ミヅキ
を諌める為﹄にこの国の宰相が提示した条件だしね﹂
実際は違うけど。そう付け加えつつも、それがミヅキの目的の一
つであったことは聞いている。
ミヅキが後宮騒動で苦労したのは事実なのだから当然だ。黒幕が
1588
只で済む筈はない、最も屈辱的な方法で報復したと言えるだろう。
そう考えていた俺の思考は、続いたエルシュオンの言葉に停止す
ることになる。
﹁ミヅキは君達に時間を与えたかったんじゃないかな? 国を建て
直す事に集中できる時間が君達には必要だろう? その為にキヴェ
ラを利用した。レックバリ侯爵さえ出し抜いて﹂
エルシュオンは相変らず苦笑したまま。それは出来が良いのか悪
いのか判らない、自分勝手な魔導師を思い出してのものだろうか。
それは同時に俺にも向けられている。⋮⋮昔から俺を案じてくれ
てた、兄のような友人。
﹁⋮⋮あ﹂
小さく上がった声にそちらへと視線が集中する。声を上げたのは
セイル。珍しくも困惑を滲ませた表情で、何かを思い出しているよ
うだ。
﹁どうした? セイル﹂
ア−ヴィが声をかけるとセイルは周囲の視線に気付いたのか謝罪
をし、少々の困惑を漂わせたまま口を開いた。
﹁御見苦しい姿をお見せして申し訳ございません。今のエルシュオ
ン殿下の予想に心当たりがありまして﹂
﹁おや、やっぱりあるのかい?﹂
﹁はい。アルジェントとクラウスも聞いております⋮⋮守護役に就
いた際、顔合わせの時にミヅキは言っているのです、﹃自分に出来
る範囲で協力する。最善と思われる環境を整える事と私との繋がり
1589
を明確にする事の二点がルドルフ達にとって助けになる﹄と。それ
を実行したんですか、ミヅキは﹂
﹁おや、そういえば﹂
﹁⋮⋮言っていたな、確かに﹂
セイルに続き口にする二人の騎士からの証言にエルシュオンは面
白そうな顔をする。
だが、俺はそれどころではない。その話が事実ならば、ミヅキは
ゼブレストから帰還した直後にこの国にとって最善の方法を考え付
いていた事になる。
勿論、具体的にどうこうする事までは思いつかなかっただろう。
だが、﹃その思惑が常に頭の片隅にあった﹄としたら⋮⋮?
﹁やれやれ、レックバリ侯爵はミヅキに随分と大きな餌をちらつか
せたんだね。それは食いつくだろうよ、十分な利害関係の一致だ﹂
﹁あいつはそれで得るものなんて無いだろう!? セレスティナ姫
達と友人関係になれたのは偶然だぞ!?﹂
﹁だから十分な準備をしていたんだろうね。彼女達が本当にお荷物
だったとしても、レックバリ侯爵との約束があるから彼の望んだ決
着にもっていっただろう﹂
﹃姫の為ではない﹄︱︱エルシュオンはそう言い切った。自分に
とって最大のチャンスをくれた礼に動いてやろうと思った、という
ことだろうか。
確かにキヴェラを訪れるまでミヅキにはコルベラ、若しくは姫達
との接点は皆無だ。異世界人である以上はこの世界の部外者なので
ある、しかもミヅキは善意だけで動くほど愚かでは無い。
冷たい言い方かもしれないが異世界人の齎す影響力の大きさを考
えた場合、自分勝手な正義感や元の世界の倫理観前提で行動される
1590
と困るのだ。
この世界には﹃異世界人は無条件に価値がある﹄と思い込んでい
る者達とて存在する。そういった連中が異世界人の御機嫌取りで国
を問わず味方し、勝手な行動をとれば国だけでなく大陸は荒れるだ
ろう。
口ではともかく、善意で無条件に味方する者など皆無なのだ。ど
う考えても自分達にとって利益があるゆえの行動だろう。
だが、それを煽ったのが異世界人であれば彼等を裁くことなどで
きない。主犯である異世界人を裁く事が出来ない︱︱悪意は無かっ
たと言われればそれまでだ︱︱のだ、協力者でしかない者達を裁く
事も難しくなってくる。
まだ異世界人本人がそれを見抜ければ良いだろうが、世界が違え
ば倫理観も異なると理解できない輩にそれができるとは思えない。
﹃世界から一歩引いて自分の事だけ考える﹄︱︱そういう態度が
最も影響が少ない。
個人でなら周囲が押さえ込めるが、人を先導されるのは困る。⋮
⋮本人がその責任を取れない以上は。
ミヅキの場合は常に﹃言い出した者の協力者﹄という立場なので、
この世界の常識や法に従う事が前提となってくる。本人もそれを理
解して行動するので、重要な切っ掛けになる割に表舞台に出る事が
少ない。
完全に裏方だからこそ直接関わった者以外は﹃手助けした魔導師﹄
という認識のみ。国の上層部とて話しを通し、それが利害関係の一
致に繋がるならば抗議はしないし味方にだってなる。アルベルダが
いい例だろう。
この世界の住人が納得するような状況を作り上げ結果を出す︱︱
それこそミヅキが認められている最大の要因だ。
コルベラでの姫の解放も力ずくではなく、証拠と証言に基づいた
ものだったから他国は﹃納得﹄したのだ。姫への憐れみだけでキヴ
ェラを批難し、力を振り翳しての解放だったならば反感を買ったこ
1591
とだろう。
﹁今回の事は⋮⋮我々の為ということですか。勿論、他にも理由が
あるでしょうが﹂
﹁そういうことだろうね。一番初めにあの子が考えていた事は後宮
騒動の黒幕への報復だろうけど、同時にこの事も考えていた筈だ。
⋮⋮ゼブレストが今回のあの子の参戦理由だよ。あの子の身勝手だ
けどね﹂
半ば呆然と口にしたアーヴィの言葉をエルシュオンは肯定する。
それを聞き、アーヴィは拳を強く握った。
それは保護者としての不甲斐無さであり、自分達が元凶だった事
への憤りか。確かに今回は少々危険過ぎた。
だが俺達は国を第一に選ばなければならない立場。ミヅキの齎し
た結果を﹃立場的に﹄評価する以上は、﹃個人﹄の感情で叱ること
などできないのだ。⋮⋮犠牲にする事など望んでいなくとも。
エルシュオンは俯きがちになる俺達を見て微笑ましそうに笑う。
﹁君達だって普段はミヅキの味方じゃないか。忙しい最中にわざわ
ざイルフェナに来るほどに﹂
﹁グランキン子爵の時の事か? レックバリ侯爵が出て来るなら必
要だったろ?﹂
﹁だけど王が直々に出てくるなんて普通は無いんだよ。⋮⋮あの子
は君を親友だと公言している。君も同じく。この世界で自由で在れ
るよう守ってくれる存在である以上に、ミヅキにとって大切な友人
なんだろう﹂
﹃この世界で傍に居てくれる人以上に大切な物なんて無い﹄︱︱
その言葉はどんな想いで口にしたものだったったのだろうか。
自分達はそれを軽く考えていた気がする。⋮⋮ミヅキがあまりに
1592
も平然とし、明るかったから。いくら思い切りが良かったとしても、
突然の孤独に何も思わなかった筈は無いのだ。
﹁だから今回は大人しく受け入れてあげるよ。我が国もキヴェラに
対して思う所があったし、あの子がイルフェナの為に報復の場を整
えてくれた事も事実なのだから。⋮⋮個人的に君の事もあるしね﹂
﹁いいのか? 無理を通したんじゃないだろうな?﹂
﹁我が国にとってもゼブレストとは友好的でありたいし、落とされ
ると困るんだよ。そういった思惑もあるから問題は無い﹂
仕方ない、とばかりに苦笑するエルシュオンもミヅキには甘い。
自国の利益に繋がったとはいえ、他国の為に利用されてやるような
性格はしていないのだ。
それを許したのはミヅキと⋮⋮思い上がりでなければ俺の為。魔
王と呼ばれる青年は実のところとても情が深いのだと自分は知って
いた。
﹁さて、それではそろそろ戻るとしよう。ああ、そうだ﹂
退室しかけてエルシュオンは思い出したように一度振り返る。
﹁⋮⋮君にもあったよね? ﹃掌の傷﹄が。エレーナ嬢は祖父の掌
に刻まれた爪痕を見続けて復讐に身を投じたけど、ミヅキも君の悔
しさを知っていたんじゃないのかな?﹂
思わず握り込んだ拳、その掌には薄っすらとだが傷がある。馴染
んだそれは完全に消える事が無い。これまではそうだった。
幼い頃からの癖に初めて気付いたのはエルシュオンだ。アーヴィ
達でさえ、それに気付かないほど必死だったのだ。だから自分が弱
音を吐くわけにはいかなかった。
1593
⋮⋮ミヅキはそれに気付いていたのだろうか?
﹁ミヅキは気づいてくれていたのか、エルシュオンと同じく﹂
﹁⋮⋮ミヅキならば気づいてそうですね。敢えて何も言わないあた
りがミヅキらしいですが﹂
客人が去った後にポツリと呟くと、セイルが苦笑しながら肯定す
る。
そうだ、あいつならそれくらい気付く。周囲の状況を冷静に観察
し、情報を逃さないようにする事が重要なのだと知っているから。
﹁なあ、俺はあいつらに何をしてやればいい?﹂
思い浮かぶのはミヅキとエルシュオン。二人は﹃ルドルフ﹄とい
う個人の味方でいてくれた。
その問いにセイルは事も無げに返す。
﹁頼られた時に手を貸すというのが最善ですが、立場を放棄するよ
うな事は許さないでしょうからね。⋮⋮訪ねて来た時に変わらず受
け入れることで宜しいのでは﹂
﹁⋮⋮それだけか?﹂
﹁ええ。あの二人を立場ではなく只の友人と扱う方は稀でしょう﹂
﹁確かに、そのとおりでしょうね。エルシュオン殿下は王子、ミヅ
キは異世界人。二人とも個人よりもそういった認識をされる事が多
いでしょうから﹂
アーヴィの言葉に納得する。そう言えばミヅキは魔導師と呼ばれ
る事もあった。それは職業であり個人ではないのだが、どうしても
目立つ方で人は認識するのだ。
1594
﹁そうか⋮⋮じゃあ、これから頑張らないとな﹂
﹁では、私はこれを届けに行って参ります﹂
﹁私もお供しましょう。護衛は扉の前にもおりますし﹂
そう言って再びペンを手に取ると、二人はわざとらしく席を外す。
特にセイルは普段ならば絶対に俺の傍を離れようとはしないのに、
だ。
⋮⋮別の事に集中していなければ泣いてしまいそうだった。それ
ほどに嬉しかった。
自分に価値があったからこそ彼等に認められたのだと、そう思え
ばこれまで犠牲にしてきた多くのものにも納得できそうな気がした。
﹁ありがとな⋮⋮エルシュオン、ミヅキ﹂
本人達に伝える事の無い感謝の言葉は、ひっそり落ちた一滴と共
に部屋に消えた。
1595
親猫は語る︵後書き︶
※主人公の言葉は﹃守護役連中と魔導師﹄参照。
1596
小話集9︵前書き︶
前話の直後とコルベラでの一コマ。
1597
小話集9
小話其の一 ﹃囚われたのは﹄︵セイル視点︶
ルドルフ様を一人部屋に残し、アーヴィと歩く。別に目的がある
わけではない、ただ⋮⋮今はあの方を一人にして差し上げたかった。
あの方は王だから。
あの方は我々の主なのだから。
だから⋮⋮私達が傍に居ては泣く事などできないのだ。
率いる者が弱さを見せる事は付いて行く者達に迷いと不安を生じ
させる。だから、あの方は配下の前では決して泣かない。泣けなく
なってしまった。
ルドルフ様ほど、この国の犠牲となった者はいないだろう。
国を想う者達の希望となって、父親と対立し。
最高権力者として同志達の守りとなり。
そうした姿を見せてきたからこそ、ルドルフ様の下には忠臣とな
るべき者が集ったのだ。
⋮⋮そしてそのまま背負うべき重圧となった。求められたのは﹃
国を導く王﹄なのだから。
エルシュオン殿下が居てくれたことは幸運だったのだろう。情の
深い王子は自分の持つ権力を行使しつつも、﹃ルドルフ﹄という個
人を見てくれたのだから。
でなければルドルフ様は笑う事を忘れていた。誰もがルドルフ様
の在り方を当然と捉え、どれほどの物を犠牲にしているのか気付こ
うとはしなかったのだから。
1598
ルドルフ様はゼブレストの為に捧げられた生贄と言っても過言で
はなかっただろう。
エルシュオン殿下の叱責は今でも耳に残っている。
﹃君達はルドルフをこの国の生贄にしたいのかい?﹄
﹃君達はルドルフという個人が存在することをどれほど覚えている
のかな﹄
王族という立場から見てもルドルフ様に過剰な期待を寄せ過ぎて
いる、と。唯一王になれる存在だからと矢面に立たせ、押し潰した
いのかと言って来たのだ。
そう言われて初めて思い出した。いくら優秀であろうとも、ルド
ルフ様が未だ成人すらしていないということを。
一度思い出せば後悔ばかり。それでも在り方を変えられぬ我が身
に何度失望したことか!
その後アーヴィは目立つ行動をとり、奴等にルドルフ様以上の警
戒対象と思われるようになった。それで漸く負担が二分されたのだ。
アーヴィの背に庇われてもルドルフ様への警戒は消えないのだから。
穏やかな生活をして頂きたい。
国の希望となって欲しい。
そんな矛盾した想いを抱えて、なお自分は歪んで。
できる事と言えば、あの方の敵を葬り去ることくらいだった。褒
め言葉を耳にする度に思ったものだ⋮⋮﹃主を守れぬ者のどこが騎
士だ﹄と。
なのに。
﹃この世界で私の傍に居てくれた人以上に大切なものなんて無いわ
1599
ね﹄
彼女は躊躇い無く個人的な理由を口にして、ルドルフ様の憂いを
払ってゆく。
﹃王﹄ではなく﹃友﹄の為に圧倒的に不利な状況を覆す。
そんな彼女の奔放さと自由と⋮⋮自分勝手さに憧れた。からかい
を多分に含んだ言葉に込めた賞賛と感謝は本心からのものだった。
ミヅキにとっては国など意味が無いのだ。大切な者が大事に思う
からこそ守るだけで。
犠牲になるものに自分が含まれていようとも優先すべきは﹃彼等﹄
。
そこには正義も悪も無かった。そういった考え方ができるからこ
そ、魔導師は畏怖されるものなのだろうけど。
﹁⋮⋮ルドルフ様とミヅキを仲の良い双子の様に思っていたんだが﹂
﹁ああ、確かに双子みたいに同じ反応をしたりしますね。子犬と子
猫がじゃれているようにも見えますが﹂
主に対する例えではないと思いつつも的確だと思う。和むという
か微笑ましいのだ。
だからこそ、あれほどルドルフ様の傍に居ながら男女の仲だと思
われない。異世界人でなければ腹違いの姉といっても納得してしま
いそうだと、部下達が話していた。
ミヅキには感謝すべきなのだろう。そういった関係こそ、ルドル
フ様が欲していたものなのだから。
﹁位置付けは間違いなくミヅキの方が姉だろうな。ルドルフ様、い
や我々が立ち止まった時は躊躇いも無く手を取り望んだ場所へと連
れて行く。全ての障害を打ち消して﹂
1600
﹁⋮⋮﹂
﹁私はミヅキを守っているつもりで⋮⋮守られていたんだな﹂
隣を歩くアーヴィがぽつりと呟く。それは正しくもあり間違いで
もある。ミヅキは守られている事を知っていたからこそ、今回動い
たのだから。
ただ、切っ掛けとなる対象がルドルフ様や我々、リュカといった
限られた面子に限定されているだけ。
我々がこの国を最上位に定めていなければ、あっさりと見捨てた
だろう︱︱自分の事くらい自分でやれ、と。彼女はそういった面は
とても厳しいのだ。
﹁守られていたからこそ、守る側に回ったというべきでは? 地位
も柵も無いミヅキは自分の為にしか動きませんよ﹂
溜息を吐くアーヴィを視界に収めつつ確信する。そうだ、彼女は
何処までも自分勝手。この世界で得た大切な者達を失わせる気など
皆無なのだ。だからこそ、誰の予想も擦り抜けて結果を出す。
エルシュオン殿下が気付いたのは⋮⋮自身の才覚と、彼女と似た
立場ゆえ。二人とも国であれ個人であれ特定のものの為に動くから
こそ、気付いたのだろう。
﹁我々は国に属する者です。責任が国に降りかかる以上は勝手な真
似はできません。私とて感情のままに行動しなかったのは王家を支
えるクレスト家を潰させないようにする為ですから﹂
﹃殺す﹄という行為に抵抗は無い。自身が罪人として裁かれよう
とも結果を残せるのなら構わなかった。
だが、自分の所為でクレスト家が潰されてしまうのでは意味が無
い。自分一人の所為で王家と共に国を支えてきた一族を破滅させる
1601
わけにはいかないだろう。
自分の両親が殺された時も⋮⋮クレスト家の当主は耐えたのだ。
幼い自分に﹁すまない﹂と謝罪し仇をとってやれぬ悔しさに、自身
の不甲斐無さに深く傷付きながら。
どこか壊れている自分よりも余程辛そうだったと記憶している。
﹁正直、お前がミヅキの守護役に納まって良かったと思う。強さは
十分だし、お前を通じて私も動く理由ができた﹂
﹁そうですね、貴方は私の﹃兄﹄ですから。﹃弟﹄の婚約者を案じ
る十分な理由です﹂
﹁⋮⋮使える駒を手放さない宰相でもあるがな﹂
苦い笑みを浮かべ自虐的な事を口にするアーヴィに思わず笑みが
漏れる。この人はまだそんなことに拘っているのか。なんとも不器
用で⋮⋮優しいことだ。
﹁その立場を忘れればミヅキにさぞ冷たい目で見られるのでしょう
ね﹂
﹁それは⋮⋮そうだが﹂
アーヴィはミヅキの性格を思い浮かべたらしく、呆れたような表
情になると溜息を吐き首を横に振った。喜ぶどころか怒る姿が目に
浮かんだらしい。実際、そうなるだろう。
﹁そもそもミヅキは誰かが自分の為に動く事を期待しないでしょう。
勿論、動けば感謝はしますが⋮⋮騎士を前に守られる発想の無い娘
にはどれほど言い聞かせても無駄ですよ﹂
﹁あの、馬鹿娘は⋮⋮!﹂
普通の思考回路をしていないのだ、しかも男よりも男らしい性格
1602
をしている。ミヅキは私を﹃主の為ならば自分を平然と利用する存
在﹄と認識しているが、それはミヅキも同じだろう。
あの娘ならば絶対にやる。何の躊躇いも無く笑顔で﹃お前の主の
為に働け!﹄と放り出すに違いない。勿論、自分も動くだろうが。
⋮⋮そのうち﹃色仕掛けして来い﹄と言い出すのではないかと割
と本気で心配しているのは秘密だ。間違いなく﹃自分の婚約者﹄と
いう立場を綺麗に無視して嫉妬などしないだろう。事実コルベラで
は賛同するような事を言っていたと二人から聞いている。
﹁少しは自分の事だけを考えて生きようと思えばいいのだがな﹂
﹁それを言っても聞かないからアーヴィのように過保護な者が続出
するのでは?﹂
﹁⋮⋮。イルフェナか﹂
﹁ええ、騎士達⋮⋮食事に来る近衛の一部が﹂
彼等を頼り大人しく守られているならば、あそこまで過保護な方
向にはいかなかっただろう。目を離すと無茶ばかりするので、自然
とそうなったようなものだ。
﹁いいじゃないですか、今まで通りで。頼り頼られの関係が最善で
すよ﹂
﹁セイル⋮⋮お前、一応自分の想い人だろう?﹂
あっさりと結論付ければアーヴィは呆れた表情を見せる。それに
対し私は楽しげに笑った。
﹁ええ、勿論。騎士としても個人としても信頼し執着していますよ
? やはり彼女を選んだ事は正解でしたね﹂
﹁お前もその発想はどうなんだ、間違っても想い人に向ける言葉じ
ゃないぞ?﹂
1603
﹁ミヅキが普通だと思っているのですか?﹂
﹁⋮⋮一般論として、だ!﹂
やや視線を逸らしながら言うアーヴィの姿に本心が透けて見えた
気がした。やはり保護者の目から見てもミヅキを普通の女性扱いす
るのは無理があるらしい。
アーヴィ。壊れている私の執着は恋などよりも余程重いのですよ
? それに⋮⋮私にとって最上位にあるものがミヅキと同じである
限り﹃執着﹄は一生続くものじゃないですか。
何より他の二人も似たような状態なのだから、ミヅキにとっては
不幸なことかもしれない。
純粋にミヅキの幸せを願う者が最も警戒すべきなのは⋮⋮我々守
護役達なのだ。案じる気持ちと同じくらい仲間として信頼している
以上は、主の為に駒として使う事に躊躇いなど無い。
勿論本人が納得した場合に限るのだが、我々の主は彼女にとって
も大切な存在⋮⋮断る事は無いだろう。
そのことに気付いた時、保護者達がどれほど悩むか判っていても
彼女を手放そうとは思わない。
個人的な執着を抱いていようとも他の二人とて立場上同じ選択を
する。彼女を利用する罪悪感や個人的な苦悩は⋮⋮我々が抱えてい
ればいいのだ。
﹁セイル? 何を笑っているんだ?﹂
﹁いえ、別に﹂
思わず笑みを浮かべる自分に気付いたアーヴィが怪訝そうに声を
かける。
ああ、やはり。彼女の傍はとても﹃楽しい﹄。私は想い人だけで
1604
はなく﹃理解ある友人達﹄と﹃最強の駒﹄を手に入れたのだ。それ
を楽しむ余裕も。
それに今は⋮⋮偽りではない、心からの笑みを表に出せているの
だ。その変化を齎した彼女が私の﹃特別﹄であることは間違い無い
のだろう。
※※※※※※※※※
小話其の二 ﹃食糧事情を改善しよう﹄
﹁⋮⋮これくらいでいいかな?﹂
袋を担ぎ直し周囲を見回す。セシルやエマ、エレーナに加えセシ
ル兄率いる騎士が何人か同じ作業をしている。
即ち⋮⋮山芋掘り。むかごも当然回収済み。山と聞いて期待して
たけど、やっぱりあったよ! 日本人なら即座に思いつく食材が!
知っているものより大きめだけど。季節感無視だけど。
人と同じく多くの物がこの世界に来ているので期待はしていたけ
ど、まさか本当に有るとはね。
どうやら植物の根とかに見えて食べ物と認識されていなかっただ
けらしい。まあ、見た目上仕方が無いのかもしれないが。元の世界
でも国によって認識に差がある物もあるし。
そして異世界人特有の自動翻訳は実に素直だった。筍も見つけた
のだが皆の認識は﹃竹の芽﹄。間違ってはいないが、何だか別物な
印象を受ける。もしかしたら言葉のズレも食材として伝わらなかっ
た原因かもしれない。 私は元の世界でこういった農作物があると知っていたからこそ、
可能性として気付けたのだ。さすがに山菜までは判らないし、確実
なのは収穫したもの程度だろう。
1605
﹁ミヅキ、これは本当に食べられるのか? 特に竹の芽は硬そうだ
が﹂
﹁うん、食べられるよ。さっき図鑑で調べたけど毒は無いし、多分
同じだと思う﹂
﹁これが、ねぇ?﹂
セシルは首を傾げている。まあ、当然と言えば当然か。これほど
食材があるなら日々食糧不足に頭を悩ませることはなかったのだか
ら。
意外な事だがエマやエレーナも作業が楽しいらしく、気晴らしと
しても十分だったようだ。
村娘な装いで嬉々として作業する姿は気取ったお貴族様ではない。
優雅にお茶を飲むよりも自然な表情を見せている。
﹁⋮⋮魔導師殿、これくらいでいいのかい?﹂
﹁十分ですよ﹂
本日の収穫は山芋︵食用と種芋用︶、むかご、筍︵竹の芽︶。こ
れから近くの村へ戻って調理です!
これで受け入れられれば食糧事情が少しは改善されるだろう。農
地を譲り受けたと言っても、それだけで全てを補えるとは限らない
のだし。
ところで。
﹁お兄さん、騎士達は何故肉の調達も済ませているんです⋮⋮?﹂
何時の間にか肉まで収穫されていた。ちなみに私は頼んでない。
私の問いにセシル兄はいい笑顔で私の肩をぽん、と叩く。
1606
﹁期待してるからね﹂
⋮⋮。
セシルから聞いていただろうし、羨ましかったんだな。
エレーナは一応罪人だし、セシルやエマが居るから護衛の意味で
同行だと思ってたんだが⋮⋮もしや食い物に釣られた? ねえ、王
子様?
※※※※※※※※※
筍は切れ目を入れてから唐辛子と茹でて皮を剥く。これは元の世
界のものと何ら変わりは無かった。こちらの世界の竹は私が知るも
のより大きいので、多少育っていても芽であるうちは十分柔らかい
みたい。味も殆ど同じ。
⋮⋮ぬか無しで灰汁抜きしたのだが味的な問題は無いっぽい。や
はり成分的には完全に同じというわけではないのだろう。微妙に世
界の差を感じるね。
村の人達の話を聞くと竹を入れ物として利用することもあるから、
それ自体が食べられるとは思わなかったんだそうな。
これは山芋も同じ。こちらは滑りがあるという理由から全く手を
つけなかったんだと。確かに最初に食べてみる人は勇気がいるかも
しれない。
そんなわけで献立は﹃とろろ焼き﹄に決まった。肉も入れてお好
み焼き風、これなら食べられるだろう。筍とむかごはスープと炒め
物に。
元の世界でも馴染みがあまり無いむかごはバター、ニンニク、塩、
胡椒で炒めて酒飲み用のつまみにしたらあっさりと受け入れられた。
バターを使っているからコルベラでは高級品になってしまうが、一
度美味いと知れば他の調理方法を考えてくれるだろう。
未知の食材は受け入れられなければ意味が無い。これが一番の壁
1607
だったのだが、気に入ったようで何よりだ。元の世界のレシピは偉
大。戸惑い無く口にするセシル達のおかげでもあるだろう。
﹁⋮⋮で、これがさっきのものか﹂
﹁そう。味付けした肉入り野菜炒めに卵と山芋を摩り下ろした物を
混ぜて焼くだけ。柔らかいけどこれなら食べられるでしょ?﹂
﹁不思議な食感ですわね⋮⋮﹂
﹁あれがこのようになるなんて﹂
セシル達は興味深そうに覗き込むと早速手を出していた。いいの
か、姫様。皆で突付くような食べ方なのに。いや、旅では似たよう
な事を散々したけど今は騎士とか兄の目があるじゃん?
﹁何か問題が? ⋮⋮ああ、兄上も食べるか?﹂
﹁勿論もらうよ﹂
近くにいた兄を誘って楽しそうに味見する二人とそれを微笑まし
そうな目で見る人々。
⋮⋮ふつーに食べてるよ、この兄妹。いいのかよ、王族。周りも
咎めないし。
どうやらこれが彼等の日常っぽい。大変庶民的にお育ちのようで
す、コルベラの王族は。
まあ、自分で焼いた出来立てを食べるってのも経験が無いから楽
しいんだろうな。エレーナも不慣れながらも楽しそうに村人達に混
じっている。普通の王族・貴族は自分で料理とかしないだろうしね。
見た目はソースなどが一切無いお好み焼きだが、野菜炒めに味を
付けたので問題無いだろう。重要なのは腹が膨れるかということだ。
余談だがとろろの見た目に人々は盛大に引いた。やはり白くてど
ろっとしたものは異様に見えたらしい。焼けば変わりますよ∼と説
明しつつ、皆の前で焼いたら納得してもらえたが。
1608
﹁確かにこれならパンの変わりになるね。基本の物は全て身近にあ
るし﹂
﹁食糧事情の改善にどうですかね? 少しはマシになるかと﹂
﹁父上に進言しておこう。これは何処でも栽培できるのかい?﹂
﹁できると思いますよ﹂
食糧事情の深刻さを憂う王族としても興味が有るらしい。平然と
食べているところを見ると特に問題はないようだ。元の世界と同じ
なら病気などに強い筈なので王族が率先して広めれば何とか浸透す
るだろう。
﹁しかし、君の居た世界は随分と食文化が進んでいるんだね﹂
﹁あ∼⋮⋮私が居た世界は確かにそういった面が強いですね﹂
感心するセシル兄に曖昧に返す。
農作物はこちらの世界の方が圧倒的に美味なので、調理方法にそ
こまで拘る必要がなかった事が原因じゃないのかね? あとは国や
身分によって手に入らない食材があることか。
山芋とか筍って昔から﹃季節になったら山へ採りに行きます﹄っ
ていう感じの物だし、貴方達が食べているのは﹃別の形で美味しく
食べたい﹄という気持ちから生まれたメニューです。
おそらく根本的な事が違うのだ。この世界では﹃生きる為の糧﹄、
私が居た国では﹃食べる楽しみ﹄。いや、食べなきゃ死ぬけどさ。
あとは単に﹃食料だと気付くか否か﹄っていう差ではあるまいか。
探究心というか、この世界に比べて食に対するチャレンジャーが多
い気がする。納豆とかあるしな、うちの国。
実際、私が騎士寮で出す料理も事前に騎士sの試食が必須。この
世界の味覚で判断してもらわないと美味いか不味いか不明なので、
異世界料理が受け入れられるにはどうしても確認が必要になるのだ。
1609
人身御供とか犠牲と言ってはいけない。協力者ですよ、協力者!
﹁今回見付かった物で少しは食糧事情が改善されるといいですね∼。
薬草の産地が食糧難で機能しなくなるとか冗談じゃないですし﹂
﹁やっぱり君はそういう方向に行くんだね﹂
単純にコルベラだけを心配しているわけではない私にセシル兄が
苦笑する。
いいじゃないか、別に。私は民間人なんだから個人の感情で発言
しても。
﹁現実問題として。キヴェラが侵攻しなかった理由ってそれですよ
ね? セシルを欲した理由も﹂
﹁そのとおり。攻め滅ぼせば一から我が国がしてきた事をやり直さ
ねばならなくなる。飼い殺した方が楽だったんだろうね﹂
こっくりと頷くセシル兄の表情は相変らず笑みを浮かべており、
周囲は未だ異世界の料理に盛り上がっているので私達の会話に気付
いていない。
﹁暫くは国同士の立ち位置が掴めず不安定になるだろう。だから君
が当事者であるセレスを守護役にしてくれたことに凄く感謝してる
んだよ﹂
﹁やっぱり狙われますかね?﹂
﹁勿論。なにせ民の人気も取れるし、我が国や君との繋がりにもな
る。誰かに降嫁させるという話も出たんだけど、あんな状況だった
セレスに即婚姻しろとは言えなくてね﹂
⋮⋮魔王様、こういう時は物凄く頼りになりますな。守護役がほ
ぼ集う状況であの話を出したからその場で決まったのだし、言い出
1610
したのが魔王様達なので基本的に誰も反対はしないだろう。
思わず己が保護者を内心絶賛する私にセシル兄は続けた。
﹁だから困った事があったら遠慮なくコルベラを頼りなさい。父上
からの伝言だ﹂
その言葉に怪訝そうな顔をすれば﹁公の場に呼ぶと個人への報償
みたいな感じになっちゃうからね﹂と付け加えられる。
ああ、一応善意で動いたってことになってる以上︱︱それが事情
を曖昧にできるから。善意って言葉は便利だ︱︱謝礼を出すと﹃実
際は依頼した﹄とか言われる可能性があるのか。
それを考慮して﹃父親として﹄伝言を託してくれたのだろう。私
が頼る場合はセシルのお父さんってことですね。 ﹁⋮⋮感謝します。病気関連はここが一番頼りになりそうですから﹂
﹁そう言ってくれると嬉しいね﹂
そう言って笑う合う。この話はこれでお終い。
﹁兄上! ミヅキ! 私達も焼いてみたんだ、味見してくれ!﹂
セシルが手を振って私達を呼ぶ姿にはキヴェラや道中で見せたよ
うな憂いは無い。傍ではエレーナが村の奥さん達から料理の手ほど
きを受けていた。随分と打ち解けたらしい。
兄の目から見ても、セシルにとってあの一年は過去の事になった
と確信できるのだろう。セシルを見る目に痛ましさは感じられなか
った。
﹁さて、行こうか。皆が待っているみたいだよ﹂
﹁セシルってば凛々しい男装の麗人じゃなくて子供みたいにはしゃ
1611
いでますね﹂
﹁はは! 少しくらいは無邪気な頃に戻っても構わないさ﹂
セシルはあれから自分なりに納得したのか、悲しむ素振りは見せ
なかった。セシルもまた自分勝手な選択︱︱キヴェラに嫁ぐという
やつだ︱︱をした一人、理解はあるのだろう。
ただ、限られた時間を共に過ごしたいらしくエレーナは常にこう
いった行事に引っ張り出されていた。最初は戸惑っていたエレーナ
も今では随分と素直に感情を表情に出す。悪女の演技を止めた、こ
れが本来の彼女なのだろう。
私達は近いうちに此処で笑い合っている友人を失う。それでも彼
女を止めようとは思わないのだ、それが彼女自身の選択なのだから。
誰より自分勝手に行動する私が彼女を否定できる筈も無い。
だから⋮⋮今は何の柵も無く笑い合った思い出を作ろう、エレー
ナ。
それが貴女の大切な﹃御爺様﹄が見せた祖父としての憂いを払う
ことになるのだから。
1612
小話集9︵後書き︶
※心配するけど王族二人の事に関しては止めない守護役連中。
同類ばかりを集めたなどとは思っておらず、善良な保護者達の苦
労は続く。
※きっとこの後は酒が振舞われて宴会状態。
1613
小話集10︵前書き︶
時間的に其の一は女子会前、其の二はキヴェラをボコった直後。
1614
小話集10
小話其の一﹃エレーナ in 実力者の国﹄︵エレーナ視点︶
※時間的に主人公とキヴェラ王がゼブレストへ行った直後です。
あれから私はイルフェナへと連れて来られ、今は騎士と共に部屋
に入れられている。
魔導師様が気になるが、エルシュオン殿下達がそのまま行かせる
くらいなのだから大丈夫だろう。
﹁暫くお待ちくださいね。お話を伺うのは個人ごとになりますが⋮
⋮﹂
﹁承知しております。辻褄合わせや虚偽を見極める為ですもの﹂
﹁理解があって何よりです﹂
復讐者である私達に話を聞きたいのだと、あの王子は言っていた。
ならば個別に聞く方が確実だろう。
一度に聞いた方が手間が省けるだろうが、逆に言えば話を合わせ
てくる場合もあるのだ。確実にこちらの情報を得たいのならば、手
間がかかってもそうするだろう。
⋮⋮それにしても。
ちらりと目の前の騎士達に目を走らせる。一人は長い金髪に緑の
瞳をした優しげな感じの青年、もう一人は黒髪に藍色の瞳の無表情
な青年。
共通点はどちらも滅多に御目にかかれない美貌の持ち主だという
ことか。それはあの王子も同じなのだけど。
恐らくは家柄も良いだろう二人は何故か好意的だった。自分は未
遂だったとはいえ、彼等にとって無視できない事態を引き起こそう
1615
としたのに。
何より自分のこの待遇の良さは一体どういうことだろう? 目の
前には良い茶葉を使ったであろうお茶に焼き菓子が用意され、すっ
かり客人扱いだ。
⋮⋮機嫌をとろうということかしら?
思わず内心呟き警戒心を露にしてしまう。ここは実力者の国なの
だ、王子の側近が無能などとはとても思えなかった。
﹁⋮⋮心配せずとも全てお話しますわよ? 私、魔導師様にとても
感謝しておりますもの﹂
寵姫などをやっていただけあって、やはり見目麗しい男性に弱い
と思われたのかと。若干拗ねながら口にすると二人はやや驚いたよ
うな顔になった後、実に申し分けそうな表情になった。
﹁申し訳ありません。そのようには思っておりませんよ?﹂
﹁すまん。俺達は貴女に感謝しているからこそ、こういった対応な
んだ。決して貴女が思っているような裏があるわけではない﹂
﹁⋮⋮では、どのような? お二人に良くして頂く理由がありませ
んわ﹂
素直な謝罪に内心驚きながらも二人に理由を促す。すると予想外
の答えが彼等から語られた。
﹁ミヅキがお世話になりましたので﹂
﹁あいつが有利に事を進められたのも貴女の暴露があったからだ。
姫の事も含め、ミヅキは貴女に感謝しているだろう﹂
﹁はい⋮⋮? あ、あの、ミヅキとは一体どなたの事ですか?﹂
1616
﹁貴女の言うところの魔導師です。我々は彼女の婚約者なのですよ﹂
その答えに納得する。ああ、守護役ならば魔導師様の味方をする
だろう。王子があの状態なのだ、彼等とだって仲が良い可能性は十
分にある。
﹁なるほど、守護役の方達だったのですね﹂
﹁婚約者です﹂
何故か速攻で訂正された。しかも笑顔が何だか怖い。
﹁は? え、ええ、ですから守護役なのでしょう?﹂
﹁婚約者だ。我々は婚約者という立場になりたくて守護役の立場を
勝ち取ったんだ。他を蹴落としてな﹂
﹁あれは中々に面倒でしたよね。大人しく引き下がれば何もしなか
ったものを﹂
﹁ふん、あの程度の連中にミヅキの隣が任せられるか﹂
⋮⋮。
魔導師様⋮⋮いえ、ミヅキ様はとても愛されておいでのようです。
しかも妙に物騒な言葉が混じったような気がするのだけど。
そう思って内心首を傾げる。守護役⋮⋮異世界人の婚約者はその
能力によって格付けが違う。あの魔導師様ならば相当な実力者でな
ければ国に認められまい。
守護役は個人的な感情に左右されるものではないのだ、押さえ込
めるかが重要なのだから。
﹁申し訳ありませんが、御二人はどういった立場の方なのですか?
魔導師様は弱者が隣にある事を許すとは思えないのですが﹂
1617
暗に﹃魔導師様を押さえ込めるのか﹄と聞いた自分に彼等は若干
笑みを深める。
思わずびくりと体を竦ませるような、妙に迫力ある⋮⋮肉食獣を
思わせる笑みだった。何の覚悟も無くそれを見てしまった自分は。
引いた。ドン引きした。何その﹃よくぞ聞いてくれた!﹄的な満
足げな笑みは。
⋮⋮獲物? 魔導師様は獲物か何かなのですか、御二方!?
もしや単純に魔導師様に相応しいという意味でとりました!?
馬鹿正直に言うわけにも逃げるわけにもいかず、大人しく彼等の
言葉を待つ。
そんな私を見ても彼等は何の弁明もしない。寧ろがらりと変わっ
た雰囲気に気付いた事で評価が上がった気さえした。
﹁私はバシュレ公爵家の者ですよ。私個人はエルシュオン殿下率い
る白き翼の隊長を務めています﹂ ﹁俺はブロンデル公爵家に属する。同じくエル率いる黒き翼の隊長
だ﹂
﹁な⋮⋮﹃翼の名を持つ騎士﹄の隊長!?﹂
公爵家というよりもそちらに驚きを露にする。イルフェナにおけ
る﹃最悪の剣﹄の隊長二人が守護役に就くなど前代未聞だ。
つまりそれだけ彼女が認められているということであり、同時に
危険人物と思われているということ。
揺るがぬ忠誠と確かな実力を持つ彼等は、命令さえあれば親しい
者の命さえ奪うと言われているのだから。
1618
﹁ふふ、貴女ならばそちらに反応すると思っていました。公爵家な
どミヅキには何の意味もありませんしね﹂
﹁あら、咎められると思っていましたのに﹂
﹁ここは実力者の国ですよ?﹂
寧ろそちらを重要視したからこそ評価するのだと白騎士は言った。
そして同時に理解する⋮⋮魔導師様はそういう国だからこそ生き易
いのだと。
異世界人にしろ魔導師にしろ他国では異端という認識が優先され
がちだ。この国でも全く無いとは言わないだろうが、それでも彼女
の周囲にはそれを良い事と捉える者が多いのだろう。
少なくともあの方は己を偽ることなく暮らせているのだ。何より
絶対ではないが、彼女自身を大切に思ってくれる人達に囲まれてい
る。
その事実に心から安堵した。自分はもう何も返すことができない
から。
これからも彼女が穏やかに暮らしていける場所があることが喜ば
しかった。
﹁随分と穏やかな表情をするな?﹂
黒騎士が無表情に尋ねてくるのに笑みを浮かべて頷き返す。
﹁私は魔導師様に受けた御恩に報いる事は叶いません。ですから彼
女の傍に貴方達が居る事に安堵したのです。御二人が傍にいるなら
ば魔導師様は孤独にはなりませんもの﹂
完全に異世界人を理解する事など不可能だろう。だが、彼等は彼
1619
女を対等に見ている。でなければ想い人だと公言したり、自分達に
匹敵する実力者と認めはしないだろう。
人によく似た異種族のように思う者とているのだ、そんな先入観
もなく個人として見られるなら良い環境だと言える。
﹁おや⋮⋮随分とミヅキに好意的ですね﹂
﹁当たり前ですわ。私にとって、いえ我が一族にとっての恩人です
もの。幸せであるよう願うのは当然です﹂
私の言葉に二人は僅かに瞳を眇めた。⋮⋮未来に私の姿は無い、
そう自覚していることに気付いて。
やろうとした事は他国でさえ巻き込まれるだろう大国の混乱、そ
れがどれほど重い罪なのかは十分自覚できている。いや、自覚でき
なければ行動などしてはいけない。
﹁御心配なさらずとも日々抱き締め、愛でておりますよ﹂
﹁そう、それは良かっ﹂
﹁その後に来るミヅキからの気絶しない程度の一撃は最高ですね﹂
⋮⋮。
何かおかしな台詞が続かなかっただろうか? 聞き間違い?
笑みを浮かべたまま固まった私に、今度は黒騎士が深く頷きなが
ら語る。
﹁あいつの魔術の腕は素晴らしい。些細な魔術を正気を失うほどの
悪夢の罠に変貌させる発想は俺達には不可能だ。腕の中に閉じ込め
ていると魔力が直に感じられて、期待にゾクゾクするな﹂
⋮⋮あの、黒騎士様? そこは普通、愛しいとかではありません
か?
期待って何!? 一体何を求めているのですか!?
1620
魔導師様を通り越して何か別な物を愛しんでらっしゃいませんか
!?
﹁あの生かさず殺さずの加減は絶妙ですよ﹂
﹁実に興味深い存在だ。是非研究対象⋮⋮いや、協力者として共に
新しい術式を編み出したいものだ﹂
しみじみと頷き合う二人に私は混乱に陥った。
二人の言っている事は絶対におかしい。おかしいのだが⋮⋮何故
か二人は当然のことのように口にする。普通、特殊な性癖などは隠
しておくものではなかろうか?
御二方? 貴方達は魔導師様を一体何だとお思いですか?
さっきまでの甘い雰囲気は何処に行った!? 愛しい人じゃない
の!?
心の中では叫びまくっていたのだが、残念ながら一言も言葉には
ならなかった。
言いたい事は色々あるし、突っ込みだって沢山ある。だけど人は
本能的に﹃逆らってはいけない人﹄を見極める能力があるのだ。少
なくとも自分はそう確信しているし、現状は間違いなくこれに該当
するだろう。
なお、この場合は命を惜しむとかそういった理由ではない。
下手に機嫌を損ねれば時間の許す限り﹃理解できるまで徹底的に
お話﹄という末路が待っている。そんな事になれば、気力も体力も
尽き果てるだろう。精神状態とてヤバイかもしれない。
1621
そんな処刑方法は嫌だ。人間らしく、潔く死にたい。
魔導師様。貴女様がこの国で﹃普通に﹄暮らせる理由を垣間見た
ような気が致します。
実力者の国の上層部は皆様このような感じなのですね?
貴女様に関わる最も身近な実力者が﹃コレ﹄なのですね!?
⋮⋮。
⋮⋮。
セレスティナ姫様⋮⋮どうか、どうか魔導師様の救いでいてくだ
さいませ!
王家の方であればこの二人とて無茶は出来ぬ筈⋮⋮!
私は守護役に就いたと聞いたばかりの、もう一人の﹃恩人﹄を思
い浮かべ。
神よりも頼りになりそうな女性に心の底から祈りを捧げた。
⋮⋮その後、コルベラにて﹃方向性が違うけど、似たようなのが
ゼブレストにもう一匹居るよ﹄と魔導師本人から教えられる事とな
る。
思わず涙目になってセレスティナ姫に﹁ブリジアスも大事ですが
ミヅキの事も守ってください!﹂と懇願したのは当然のことだろう。
※※※※※※※※※
小話其の二﹃ある王族の混乱﹄︵ライナス視点︶
謁見の間には非常に重苦しい空気が漂っていた。それもある意味
1622
仕方が無いことだ、イルフェナの魔導師の凄まじさを知ったのだか
ら。
﹁兄上、やはり私の首を差し出す事が最善では?﹂
妙に落ち着きつつ兄である王に進言する。
彼女の不在にイルフェナへと探りを入れたのは自分なのだ、王弟
の首ならばイルフェナも納得するだろう。
だが、王は⋮⋮いや、王だけではなく周囲は挙って反対した。そ
の理由も更に私を落ち着かせたのだが。
﹃お前が居なくなったらアリサの後見はどうする!? お前が例外
的にアリサに許されているからこそ、魔導師は我が国を許したのだ
ぞ!?﹄
ぶっちゃけて言うと﹃今後も異世界人に関わる奴、もとい命綱は
お前しか居ない﹄という理由なのだ。いや、王は純粋に兄として私
の心配をしていたのだが。
そんなにあの魔導師が怖いか、お前等。
⋮⋮。
⋮⋮怖いんだろうな、私も状況によっては恐ろしい。
今現在もアリサに対する仕打ちが許されたとは言えないのだ、バ
ラクシンに対する信頼など欠片も無いに違いない。それでも彼女が
この国を気にかけるのは異世界人のアリサと彼女の夫のエドワード
が居るからだ。
なお、エドワードに対する扱いがアリサの付属品であることは言
うまでも無い。 そんな状況で彼女の保護者へ探りを入れたのだ、この国は。
1623
滅亡願望があるとしか思えないじゃないか⋮⋮!
勿論、私とて無謀だと訴えた。訴えたのだが⋮⋮あの国を知らぬ
役立たずどもが﹃魔導師を押さえ込む好機﹄だと主張し譲らなかっ
たのだ。
確かにイルフェナに対し優位に立てば魔導師は脅威ではなくなる。
だが、イルフェナという国も同じかそれ以上に恐ろしいということ
を理解しなかったのだ。
結果、当然探りとバレて返り討ちである。﹃個人の訪問だから見
逃す﹄とは間違いなく﹃いつでも報復できる﹄と言い換えられるだ
ろう。
﹁お前をイルフェナに行かせた者達はどんな目に遭わせてくれよう
なぁ⋮⋮?﹂
深々と溜息を吐きながら王は据わった目を一部の側近に向けた。
その視線を受けた者達はびくり、と体を竦ませ顔色を悪くする。
﹁困った奴等だな? 私が弟を可愛がっている事を忘れていたのか
? ああ、教会に金でも積まれたからライナスを行くように仕向け
たのかもしれないな﹂
﹁ライナス殿下は反対してらっしゃいましたしね⋮⋮確かに王族で
なければエルシュオン殿下には役不足でしょうが、言い出した者が
出向かないというのも妙な話。罪咎は背負うつもりであったと思い
ますよ?﹂
﹁ほう、やはりそう思うか﹂
﹁ええ。でなければ強硬させた理由を問いたいものですね﹂
王と幼馴染の宰相の会話に奴等は益々顔色を悪くしていった。
1624
私としては最終的に決定を下した兄を恨むつもりなどは無い。国
は一枚岩では無いのだ、貴族の声が無視できない事態というのも当
然存在する。
今回の事は言いなりにならない私への報復か、もしくは本当に成
し遂げられると思っていた愚か者かのどちらかなのだろう。
確かに王弟であれば多少の不興を買おうとも誤魔化す事ができる
のだから人選は最適だったかもしれない。そこを付け込まれた。
⋮⋮が、だからと言ってこの場で個人的な感情を剥き出しにしな
いで欲しい。
兄の中では私は未だに溺愛すべき弟なのだ⋮⋮放っておくと血迷
って﹃幼き頃の可愛さ﹄を語り出しそうなのが怖かった。
兄よ、私はもう二十九歳なのですが。そろそろ保護枠から外して
ください。確かに貴方の息子とは歳がそれ程離れていませんけどね。
そんな事を考えて現実逃避している間にも王と宰相はネチネチと
恨み言を連ねていく。その近くでは別の側近が無表情のまま兄達の
口にした処罰を書き連ねていった。粛清する気満々らしい。
と、その時。
﹁あのう⋮⋮実はアリサ経由で魔導師殿からお預かりした手紙があ
るのですが﹂
恐る恐る発したエドワードの言葉に謁見の間は静寂に包まれ。
次の瞬間、誰もがエドワードをガン見する。話し合うまでも無く
悪夢は忍び寄って来ていたらしい。
﹁こちらはエルシュオン殿下から陛下に。これが魔導師殿からです﹂
1625
エドワードによって手渡された手紙に王は目を通し⋮⋮軽く目を
見開くと安堵した表情になった。
﹁陛下、イルフェナは一体何と?﹂
問い掛ける宰相に王は笑みをそのままに手紙の内容を口にする。
﹁キヴェラから交渉によって得た土地を分割し、復讐者として名乗
りを上げた者達の祖国の名をつけるそうだ。一つはイルフェナが、
残りはアルベルダとコルベラが所有権を持つ。これに賛同しろと言
っている﹂
﹁⋮⋮何故アルベルダが? コルベラは判りますが﹂
﹁ブリジアス王家の生き残りを匿っていたらしい。功績のあった国
に割り振った形だな﹂
ざわり、と貴族達がざわめいた。それは交渉で奪い取られた土地
の規模に驚いたのか、それともブリジアスの生き残りが居た事に関
してか。
どちらにせよ、今回の内情を知る限りは納得できる措置だと思う。
﹁魔導師殿の方だが⋮⋮今後ブリジアス領主の子に分家としてアデ
ィンセルを名乗らせたいそうだ。血を継ぐことはないが、ブリジア
ス家に再びアディンセルが寄り添うようにしたいと書いてある﹂
﹁それは⋮⋮﹂
思わず言いよどむ私に王はやや寂しさを滲ませながら頷く。
﹁復讐者達は明日を望まない決断をした。そういうことだ﹂
彼等は誇り高かったのだろう。だからこそ、己が所業が果たされ
1626
ればどういう結果を齎すかを理解していた。理解するが故に命乞い
などしなかった。そして魔導師も彼等の意思を尊重した。
﹁賛同なさるのですか?﹂
できれば叶えてやりたいと、恐る恐る問えば王はしっかりと頷く。
﹁勿論だ。それこそ我等がアディンセルに向ける唯一の賞賛だ。表
立って褒め称えることなどできんしな﹂
﹁鋼の忠誠を持つ一族ですか⋮⋮名だけでも残るのですね﹂
何処か安堵を滲ませているのは気の所為ではないだろう。それは
私も同じなのだから。
⋮⋮尤も魔導師に無茶な要求をされなかった事に安堵しているこ
とも事実なのだが。
﹁後は⋮⋮お前宛だな﹂
﹁は? 私に、ですか?﹂
﹁うむ。魔導師殿からお前個人宛てだ﹂
⋮⋮嫌な予感がした。
自分は身分を偽り、逃亡中の魔導師達と会っているのだ。その時
にも散々脅かされたが、凝りもせずイルフェナへ乗り込んだのだか
ら絶対に怒っている。
やや震える手で手紙を受け取り、それを開く。何故か周囲も張り
詰めた空気のまま見守っていた。
そして⋮⋮盛大に溜息を吐く。やはり彼女は容赦無いのだな、と
思い知って。
﹁ラ⋮⋮ライナス? どうした、そんなに無茶な事でも書かれてい
1627
たのか!?﹂
思わず身を乗り出し心配してくる王に緩く首を振り、何とも言え
ない視線を向けたまま手紙を渡す。
怪訝そうに手紙を受け取った王と横から覗き込んだ宰相は⋮⋮一
人は期待一杯に、もう一人は可哀相なものを見る目で私を見た。言
うまでも無く喜んだのは王だ。
﹃一日一回は王様を﹁お兄ちゃん﹂と呼ぶこと!﹄
ある意味簡単だ。簡単なのだが⋮⋮今更、兄を﹁お兄ちゃん﹂呼
びとは一体何の拷問だ。間違いなく保護者に探りを入れた事を怒っ
ている。
嫌な方向に賢いと評判の魔導師殿の頭脳は今回も冴え渡ったらし
い。
﹁素晴らしい人だな、魔導師殿は!﹂
﹃は?﹄
一人ウキウキと期待の篭った目でこちらを見る王の言葉に周囲は
間の抜けた声を洩らす。
⋮⋮もう怒らせないようにしよう。どんな報復が来るか想像がつ
かん。
喜ぶ兄を尻目に私はひっそりと決意するのだった。 1628
小話集10︵後書き︶
※平常運転な奴等に対する一般人の反応。エレーナ、ヤバさを知る。
※ライナスその後。勿論、ただでは済みませんでした。
1629
小話集11︵前書き︶
アルベルダの主従とイルフェナでの交渉。
1630
小話集11
小話其の一﹃友は語る﹄︵グレン視点︶
アルベルダ王城の一室。そこには二人の男が集っていた。
一人はこの国の王、もう一人は自分だ。
長年の友人である気安さから個人的な愚痴を聞くのは自分の役目
だった。と言うか、自然とそうなってしまったというのが正しい。
今でこそ昔からの仲間達には異世界人だと知られているが、異世
界に放り出された自分を拾ったのはこの男だ。気付いていながらも
他の者と変わらぬ扱いをし、さりげなく必要な知識を与えてもくれ
た。
その頃から変わらぬ仲だからこそ、普段は口に出来ぬことも言え
るのだ。互いに個人としての姿を見せてきた結果ともいえよう。
﹁肩の荷が一つ下りましたな、王﹂
随分と穏やかな表情で酒を飲む男に問い掛ける。
ブリジアス王家、その血を継ぐ者。彼等を守りつつも既に国が失
われた状態ではどうする事もできなくて。
事情を知り守るこの男が居なくなれば、彼等がいくらこの国の民
だと言っても守りきれるか怪しかった。いや、国を守る為にキヴェ
ラに差し出される可能性とてあったのだ。
﹁ああ。これで俺が死んだ後に背負わせる物が一つ減った﹂
背負わせるなどと言いつつも厄介者扱いなどした事は無い。王に
とっては彼等もまた国を支える仲間であり、守るべき民なのだ。
1631
﹁おっかないなぁ、魔王殿下と魔導師殿は! まさか﹃農地を奪い
復讐者達の祖国の名をつける﹄なんて﹂
﹁あの二人は不屈の精神と言うか、不可能という言葉を知らないの
でしょうな﹂
楽しげな王に対し思わず遠い目になる。
誰が予測できるのか、キヴェラ相手にそんな力ずくの方法が可能
などと!
⋮⋮いや、あの二人というかミヅキとイルフェナという国が協力
し合った結果なのだが。冗談抜きに奴等の辞書に不可能という言葉
は無い気がする。
﹁ミヅキは策を好みますからね⋮⋮そういった人間が力と人脈を持
っている。これほど恐ろしいことはありますまい﹂
﹁あ∼⋮⋮確かに恐ろしいが、その大半は魔導師殿だろ﹂
﹁ええ、勿論﹂
きっぱりと言い切ると王は盛大に引き攣った。やはり亡霊騒動は
ミヅキという存在がどういったものか知らしめたらしい。
はっきり言ってあの時、王の出した条件は不可能に近かった。
ミヅキは気付いていなかったが、その難易度は高いなんてものじ
ゃなかったのだ。だからこそ、あの時点で﹃アルベルダがコルベラ
の味方になる﹄という報酬を提示した。
⋮⋮報酬は間違いなく結果に見合ったものにされていたのだ。王
の側近達が﹃それが可能な人物なら勝算がある﹄と納得するほどに。
﹁なんと言うか⋮⋮随分と特殊な発想をしているよな、魔導師殿は﹂
1632
﹁王、ぶっちゃけても構いませんよ。今更です﹂
﹁はっきり言えば鬼畜という言葉が物凄く似合うな。相手にとって
最もダメージが大きい方法を選んだり、敵の行動が最悪の結果で跳
ね返るようにしたり、何と言うか色々と的確だ﹂
間違っても褒め言葉ではない。王もそれを自覚しているからこそ、
やや決まり悪げなのだろう。
だが、それがミヅキである。最良の結果を出すべく常に努力を怠
らない︱︱大半が碌でもない方向に向かって爆進する︱︱のだ、手
に負えない。
外見が強そうにも凶暴そうにも見えないことから嘗められがちだ
が、それすら利用して立ち回る頭の回転の速さと度胸は賞賛すべき
だろう。方向性さえ間違っていなければ。
手放しで褒め言葉が出てこない残念な生き物なのだ、あれは。
エルシュオン殿下が保護者⋮⋮違った、後見になったことは喜ぶ
べきなのだろう。少なくともミヅキが言う事を聞くストッパーにな
っているのだから。
ただし手を組まれると今回のようなことになるのだろう。国の政
を担う者としては中々に無視できない事態である。
﹁まあ、うちにはグレンがいるから大丈夫だろ﹂
多分⋮⋮とひっそり付け加えるあたり王も判ってきたようだ。世
の中には愛の鞭なる言葉も存在する上に確実というものなど無い。
敵対する予定も無いが、万が一を考え手を打っておくのは当然だ
ろう。
事情を知らぬ若い奴等が馬鹿な事をやらかした場合は即拘束して
戸籍抹消、その上でイルフェナに捧げることで上層部は合意してい
1633
るのだ。
悪く言えば切り捨てる用意があるとも言う。亡霊騒動を見学した
からこその英断だった。
﹁しかし、あの王太子を〆るとはなぁ﹂
呆れ半分感心半分といった様子で王が呟く。〆たということから
キヴェラの元王太子のことなのだろう。確か廃嫡が決定された筈だ。
彼を王太子の地位につけておく危険性が実証されれば当然とも言え
よう。
﹁身分などミヅキには意味がありませんからな﹂
﹁ああ、違う違う! そっちじゃないさ、顔だよ顔! あのお坊ち
ゃん、顔だけは綺麗じゃないか﹂
﹁ああ⋮⋮そういう意味でしたか﹂
﹁普通は見惚れたりするんじゃないか? それをカスとか言ってた
し﹂
気の毒にな、と言いつつも王は笑っていた。あれが謝罪の場でな
ければ拍手くらいしていただろう、この親父は。
とはいえ、その気持ちは判るのだが。本当に﹃お坊ちゃん﹄と称
されても仕方の無い人物なのだ、元王太子は。こればかりはキヴェ
ラに同情した。
﹁守護役連中の顔を見慣れているからでは? 難ありでも見た目も
地位も最上級でしょう、あれは﹂
﹁グレン、お前地味に酷くないか?﹂
王の突っ込みに﹁そうだろうか?﹂と内心首を傾げる。変人、特
殊性癖の持ち主とか言わないだけマシだと思うのだが。
1634
そんな様子の自分を見ていた王は半ば呆れたように﹁自覚がない
のか﹂と呟いた。
﹁お前ねぇ⋮⋮地味に魔導師殿と似てるよな、そういうところは﹂
﹁ふむ、そうですか?﹂
﹁ああ。何と言うか⋮⋮やっぱり魔導師殿の﹃弟﹄だよなぁ﹂
そう言ってがしがしと頭を乱暴に撫でる王は嬉しそうだった。﹁
髪が乱れますっ!﹂と言いつつも、止めても無駄な事だと知ってい
る。
これは昔から繰り返された王の癖のようなものなのだ︱︱自分を
弟分として面倒を見ていた頃からの。
⋮⋮この世界に来たばかりの頃、﹁拾ったのは俺だから俺の弟分
な﹂という無茶苦茶な言い分を通し養ってくれたのはこの男だ。
不審がる周囲を他所に構い倒し、この国に受け入れられる空気を
作り出してくれたからこそ溶け込めたのだと思う。
その頃よくやっていたのが頭を撫でるという動作だ。後に理由を
聞いたところ﹃親から逸れて不安そうにしている子猫みたいだった
から﹄という微妙な答えが返ってきたが。
慣れない環境に知らない世界⋮⋮確かに不安だったのだろう。そ
んな状況で差し伸べられた手は自分にとって得難い幸運だったのだ
と言える。
だからこそ、内乱が起きた時に自分の知識を使う事に躊躇いはな
かった。
正義とか恩義を感じたのではなく、自分はただ居場所を、彼等を
失いたくなかっただけなのだから。
実に自分勝手で個人的な事情だといえるだろう。異世界人だから
こそ自分にとっての敵を排除することに容赦などしない。
1635
他の者とは違い、自分は得ていた平穏の略奪者達を許せなかった
だけ。
そこまで考えて内心苦笑する。これでは確かに今のミヅキの事を
言えまい。誰から見ても立派な同類だ。
規模の差こそあれ、やっていることは彼女と大差ないではないか
と。
﹁そうですな、確かに似ている。異世界人という立場の元に私達は
﹃自分にとっての﹄敵には決して容赦せず牙を剥くでしょう﹂
﹁物騒だなぁ。まあ、そういうお前達だからこそ周囲が構うんだけ
どな﹂
クク、と低く笑いながらグラスに口をつける王は懐から手紙を取
り出してテーブルの上に置く。
﹁魔導師殿からの依頼だ。﹃後に生まれるだろうブリジアス領主の
子の誰かに分家としてアディンセルを名乗らせたい﹄とさ。俺は賛
同しようと思っている﹂
﹁⋮⋮。やはり生き長らえる事を望みませんでしたか﹂
﹁ああ、全員な。⋮⋮復讐に全てを賭けられる奴ってのは凄いよな﹂
﹃凄い﹄とは﹃一途﹄という意味なのか、﹃必ず遣り遂げる﹄と
いう意味なのか。
それとも⋮⋮﹃それを唯一の存在理由に定め後を望まぬ﹄という
覚悟に対する賞賛なのか。
彼等の生き方をどう受け取るかは其々なのだけど。
﹁儂もこの国が危機に陥ればやってみせますぞ? 必ずや望んだ結
果を齎して見せましょう﹂
﹁はは! お前ならやりそうだよな﹂
1636
﹁勿論。ミヅキの﹃弟﹄ならばこそ、遣り遂げてみせなくては﹂
自分にはミヅキのような力はない。だからこそ策を廻らし、多大
な巻き添えを作ってでもこの国と仲間達に結果を齎してみせるだろ
う。
悪と呼ばれようとも、どれほどの犠牲を払おうとも⋮⋮ミヅキと
敵対しようとも。
どちらかが失われた時に涙を流そうとも、決して歩みを止めない
だろう。
ああ、やはり自分達はよく似ている。
何処までも自分勝手で自己中心、この世界にではなく極一部にの
み価値を感じる異端。
自分は間違いなくミヅキと同類なのだ。最上級には﹃この世界で
傍に居てくれた者﹄。
だからこそ、利害関係も含めて今後もミヅキとの付き合いは続い
てゆく。それはミヅキも同じだろう。
そして、儂がそうするほどの価値ある仲間を得られた事を喜んで
くれるのだ。それだけは確信できる。
﹁ミヅキと敵対しようとも儂が選ぶのはこの国ですよ﹂
﹁頼もしいな、グレン! だが、魔導師殿とはできるだけ友好的で
ありたいよなぁ﹂
笑う王に自分も笑い返す。
この覚悟の重さは自分だけが知っていればいい。
﹃当然じゃないか、その覚悟がなければ友人なんて呼ばないよ﹄
⋮⋮そう言って満足げに笑う懐かしい賢者の声が、どこかで聞こ
1637
えた気がした。
※※※※※※※※※
小話其の二﹃小国の意地と楽しみ﹄︵キヴェラ交渉役視点︶
部屋には美中年とも言うべきブロンデル公爵、そしてその隣には
金髪の美女が笑みを浮かべながら待ち構えていた。
そう、﹃待ち構える﹄という表現が正しいのだ。彼等は自分を歓
迎して微笑んでいるのではない、報復の場に居る事が楽しいだけな
のだから。
﹁ようこそ、イルフェナへ。さて、我々の要求はこんな感じになる
のだけど﹂
﹁ふふ、地図を御覧下さいな。戴きたいのは色を着けた部分ですわ﹂
二人の言葉に席に座ると同時に広げられた地図を見る。そして思
わず声を上げた。
﹁な⋮⋮他国と接している農地を取るつもりなのですか!?﹂
地図にはキヴェラが他国と接している領土が境界線のような形で
色付けされている。広さを総合するなら二割ほどにもなるだろう。
自給自足には十分だが、今後他国相手に優位に立つことは不可能
だろう。それくらいの規模だ。
だが、目の前の二人は笑みを浮かべたまま。それはとても不気味
に映った。
﹁おやおや、これは妥協案だと聞いていたのだがね?﹂
﹁本当ですわね。あの子を諌める代わりに交渉の席に着くというこ
1638
とでしたのに﹂
﹁交渉はする! だが、これはあんまりではないのか!?﹂
半ば叫ぶように口にすれば二人は一層笑みを深めた。美しい容姿
に妖しい毒が混じり、見る者全てに警戒心を抱かせるような⋮⋮そ
んな表情。
激昂しかけたことも忘れ、思わず背筋を凍らせる。
﹁ですからこの状況なのですわ。ミヅキ様はキヴェラを許してはい
ませんもの⋮⋮キヴェラがコルベラに対し優位に立っていた要素を
潰さなければ納得なさらないでしょう﹂
﹁重要なのは土地の譲渡ではないのですよ。魔導師が牙を収めるだ
けの、納得する状況にしなければならないのですから﹂
そう言われてあの魔導師を思い出す。
無邪気にして自分勝手、圧倒的な強さを持ちながらも認めた相手
の言う事は聞く。
彼女の言動からキヴェラには何の思い入れも無いのだと⋮⋮﹃ど
うでもいい存在﹄だと十分理解している。いや、理解した気になっ
ていた。
魔導師が容易く牙を収めるなど聞いた事など無い。
それは保護者に何を言われようとも変わる筈ないじゃないか。
そこまで思い至ってキヴェラの認識の甘さに唇を噛み締める。あ
の魔導師を諌める事がキヴェラにとって十分な罰であると、今更な
がらに思い知って。
﹁そうそう、こんなものもあるんだがね﹂
1639
そう言ってブロンデル公爵がテーブルの上に置いたのは何枚かの
紙。いや、数字が書き込まれた報告書か何かだろうか。
訝しげに見返すと、ブロンデル公爵はテーブルの上に長い指を走
らせながら答えを口にする。
﹁これはね、かつてキヴェラがイルフェナに一方的に攻め入った時
の被害を記した物だ。いや、思いの他痛い出費だったね﹂
﹁ふふ、騎士達も随分と怪我をしましたわ。それでも実力者の国と
言われる以上は決して落ちませんでしたが﹂
数字だけ見ればそこまで酷い被害ではないだろう⋮⋮ただし、キ
ヴェラの基準において。
小国ならばかなりの損害だと言える。それでも屈する事も滅ぶ事
もなく、現在の状態に持ち直す様は立派に脅威と言えるだろう。
﹁我々は争いは好まない。だがね? 悔しさが無いわけではないん
だよ﹂
ブロンデル公爵家は魔術特化の血筋だった筈。ならば血縁者も当
然戦に参加していた事だろう。
﹁我がバシュレ家も何人かが参戦いたしましたわ。怪我を負って戻
って来た親族を見た時は己が無力が腹立たしかったと記憶していま
す﹂
バシュレ家。何人もの優秀な騎士を輩出する名門だったか。
言葉も無く俯く︱︱それしかできない︱︱自分にかけられる言葉
は穏やかな声音ながらも見えない毒を含んでいる。
﹃簡単に許されるなどと思うな﹄⋮⋮そう、突きつけているのだ。
1640
個人の感情ではなく、国を担う者として。
﹁あの子は本当にできた子だよ。私達に報復の機会を与えてくれる
なんてね﹂
﹁同感ですわね。未来の妹ですもの﹂
﹁おや、こちらに来てくれるかもしれないよ? 我々とはとても話
が合うだろうしね﹂
﹁もうっ! 意地悪ですわね、公爵様﹂
交わされる場違いなほど明るい会話に思わず顔を上げる。
﹃未来の妹﹄? ﹃こちらに来てくれる﹄?
そんな私の様子に二人は楽しげに笑うと最上級の言葉の刃を突き
つけてきた。
﹁あの魔導師⋮⋮ミヅキ様は弟の婚約者ですの。勿論、守護役とい
う意味ですけれど。ああ、弟はエルシュオン殿下率いる白き翼の隊
長を務めておりますわ﹂
﹁息子が守護役の一人でね、同じく殿下率いる黒き翼の隊長だ﹂
﹁な⋮⋮翼の名を持つ騎士の隊長格が二人!?﹂
﹁あら、押さえ込む事ができる者が役に就くのは当然でしょう? ミヅキ様でさえ守護役相手では確実な勝ちは無いと公言しています
もの﹂
驚きを露にするも二人はそれがどうしたと言わんばかりに平然と
している。
最悪の剣と呼ばれる騎士、その隊長格でなければあの魔導師は押
さえ込めないというのか!? 喉を潰せば無力になる魔術師とは雲
泥の差じゃないか!
⋮⋮いや、この場合は押さえ込める守護役個人の能力が特出して
いる事に驚くべきだろうか。しかも魔術師ではなく騎士が守護役に
1641
就く理由、それは︱︱
﹁ゼブレストからはセイルリート将軍だ。これで判ったと思うけれ
ど⋮⋮あの子にはね、我が国の魔術師ですら全く歯が立たない。そ
れだけじゃなく、騎士相手に接近戦もこなすんだ。ああ、知ってい
たかな?﹂
﹁そちらが強攻策に出ても何の心配もしていませんの。今現在も一
部の近衛を含む騎士達と宮廷魔術師達がキヴェラを見張っています
のよ﹂
﹁う⋮⋮﹂
歳下に言い聞かせるような穏やかな口調の︱︱実際かなり歳下な
のだが︱︱公爵の声は優しげですらあった。だが、その内容は酷く
恐ろしい。
体の震えを止める事が出来ない⋮⋮いざとなったら武力行使をち
らつかせようと考えていたことなど御見通しだったというわけか。
そして自分達はイルフェナという国を過小評価し過ぎていたのだ
ろう。
思えば常に防戦一方だった気がする。守りに特化した国だと思っ
ていたが、それは﹃攻める気が無かっただけ﹄。決して余力が無か
ったわけではないのだ。
そんな彼等が攻める側に回ったらどうなる?
これまでイルフェナが攻め込むなど聞いた事は無い⋮⋮つまり、
﹃どんな攻め方をしてくるか判らない﹄。魔導師を押さえ込むよう
な騎士や魔導師に及ばずとも準ずる実力を持つ魔術師が居る可能性
だってある。
しかも今回はあの魔導師も参戦してくることは確実だ。自らに匹
敵する守護役達を引き連れ戦場を圧倒するだろう。
1642
キヴェラが取るべき道は一つしかない。
即ち⋮⋮条件を全て呑むこと。
交渉と言いつつも既に道は塞がれていたのだと、この時初めて痛
感した。
私の様子に二人は言葉にせぬ脅迫が通じたと悟ったらしい。楽し
そうに口元に笑みを浮かべている。
﹁さて。とりあえず君の意見を聞こうか? どうせ君以外にも送り
込まれてくるだろうから深く考えずに口にするといい﹂
﹁⋮⋮何故、そう思われます?﹂
﹁うん? だって君の出した結論ではキヴェラは納得しないだろう
からね。だから何人でも来ればいい⋮⋮我々以外にも交渉役になり
たいという人は居るのだし﹂
穏やかな美声で語られる言葉の意味の裏を探れば﹃誰が来ようと
も必ず成し遂げる﹄という自信の現れだ。そして彼等は自分達以外
の者が交渉の席についても結果は同じなのだと﹃確信している﹄。
﹁私は⋮⋮私の意見は︱︱﹂
その後。後に続いた交渉役達は悉く敗者となり、同じ結論を抱え
てキヴェラへと帰還することになる。
それは同時に小国と侮っていたイルフェナの認識を改めさせる事
を意味していた。
1643
小話集11︵後書き︶
※主人公と同類なグレン。差はあれど最優先は同じ方向。
※ノリノリで使者をお迎えする二人。相手が悪かった。
1644
舞台の幕が下りる時
︱︱ブリジアス領・ある館にて︱︱ ︵エレーナ視点︶
空には二つの月が輝き、星が瞬いている。
そして地上では人の手による﹃光﹄が数多く揺らめいていた。
﹁見事なものだね﹂
﹁ええ、本当に﹂
窓際で隣に立つ父の嬉しそうな言葉に笑顔で同意する。
ああ、何て暖かい光。あれは私達と亡きブリジアスの皆に捧げら
れた蝋燭の明かりなのだ。
これから私達は最後の晩餐の後に覚めぬ眠りにつく。それを惜し
み、功績を称え、そして⋮⋮﹃後は任せろ﹄という想いの現れ。
﹃眠りの森による自害を命ずる﹄という沙汰が下されてから︱︱
各国がキヴェラにそう求めたらしい︱︱其々の名を得た領地には復
讐者達を慕って多くの民が集うようになった。それがこの明かりの
正体なのだ。今夜は一晩中、窓際に蝋燭を灯すと決めたと聞いた。
共犯となった二人は﹃最期は祖国の名が付いた地で仲間達と飲み
明かす﹄と楽しげに笑っていた。互いの健闘を称え合い、笑って別
れるのだと。
私達は皆、悲しみも恐怖も感じてはいないのだ。己が生き方に満
足したからこそ、笑って逝ける。
悲願を叶えた記憶と喜びを胸に冥府へ下る自分達のなんと幸せな
事!
1645
これほど自分勝手に生きた者もそう居ないだろう。しかも罪人と
罵られるべきなのに、多くの人に見送ってもらえるなど。
﹁御二方、お食事の用意が整っておりますよ﹂
穏やかな声に目を向ければ、父と同じ歳くらいの料理人が笑みを
浮かべて着席を促す。
そのテーブルには料理と酒が用意されている。材料は全て﹃最後
の晩餐に﹄と各国から贈られたものらしい。
半分ほどがイルフェナとゼブレストからなのは、ミヅキの保護者
を名乗る者達が手配したからだろうか? 随分と豪勢な気がするの
だけど。
﹁おや⋮⋮これは見た事の無い酒だね?﹂
食前酒に、と注がれたグラスを明かりに透かしながら父が不思議
そうに尋ねる。香りを嗅ぐと花の香りがするような⋮⋮?
﹁あ⋮⋮﹂
﹁おや、どうしたんだい?﹂
﹁これ、ミヅキが作ったお酒ですわ。確か﹃花弁そのものが甘い食
用のものを使って作った﹄とか言っていたのです。コルベラで飲ん
だ時は量がないから試飲程度と言っていたのですが﹂
そうだ、グラスに漂う花弁と花の香りが珍しくて皆ではしゃいだ。
砂糖漬けになったものは食べた事があったが、酒になったものは初
めて見たのだ。
ミヅキの世界では﹃りきゅーる﹄とか言われていて、割と何から
でも作れるらしい。あの時はミヅキの世界には本当に色々な物があ
るのだと驚かされっぱなしだった。それに確か⋮⋮
1646
﹁⋮⋮。ミヅキ、これ魔王殿下にも内緒で作っているとか言ってい
なかったかしら﹂
思わず呟くと父もぎょっとしたように紅い液体が揺れるグラスに
目をやる。すると僅かな手の揺れにグラスの中の花弁がふわりと舞
った。
⋮⋮﹃異世界の物は価値がある可能性があるから、見せる場合は
気を付けるよう言われている﹄とも言っていたような? 確かに異
世界人の技術を狙う者もいるだろうから、迂闊に披露しない方が良
いのだけど。
まじまじとグラスの中の液体を眺める。原液はもっと赤みが強か
ったが、これは飲みやすいよう薄めてあるようだ。中で氷と花弁が
舞う様が美しい。
魔王殿下すら知らぬ秘蔵の酒。あの方の目を盗んで製作・横流し
するミヅキの根性と懲りない姿勢を褒めるべきだろうかと、暫し迷
う。
おそらくは試験的に作っただけで味見程度しか量が無い所為だろ
うが⋮⋮いいのだろうか。意外とあの方達はミヅキの再現する異世
界の食べ物に期待している気がするのだが。
﹁⋮⋮お説教は確定かな﹂
﹁ええ、おそらく﹂
良いのだろうかと思う以前にもう手遅れな気がする。まあ、セレ
スティナ姫も共犯だろうから心配はいらないのかもしれない。
﹁まったく⋮⋮最期まで楽しませてくれますわ、ミヅキってば!﹂
﹁いや、楽しい子だね。魔導師ともあろう者が説教を受けるとは⋮
⋮っ﹂
1647
保護者達にお説教をされる姿が容易に浮かび、耐え切れず笑い声
を上げる。父も同じく想像できてしまったのか、口元に手を当てて
声を耐えていた。尤も⋮⋮表情を見れば一目瞭然だ。
﹁ふふ、でも嬉しいですわ。今だけ守護役達に勝ったような気分で
す﹂
ここにセレスティナ姫達がいれば間違いなく﹃愛情より友情が勝
ったな﹄と守護役達に恨まれそうな台詞を言っただろう。だが、こ
の一時くらいは許して欲しいものだと思う。
おそらく⋮⋮彼等の執着は一生続くような重いものだろうから。
ミヅキの身を案じる者としてはとても頼もしく感じ、女性としての
幸せを願うならばあれほど遠ざけたい人選も無いだろう。
彼等の最上位はミヅキではなく、主。主の為ならば彼等は必ずミ
ヅキを頼る。そしてミヅキ自身もそれを推奨してしまうという、困
った傾向にあるのだ。あの娘は本当に別方向に突き抜けている。
自分とて騎士に守られるのが当然の乙女だという自覚があるのだ
ろうか? ⋮⋮いや、無いだろう。そもそも乙女は拳で王子を殴ろ
うなどとは思わない。
一番強い筈のミヅキが最も心配されるというのも妙な話なのだが、
悲しい現実である。最期の逃げ道とも言うべき婚姻もきっと守護役
達以外から選ぶ事などできまい。絶対に邪魔が入る。
まあ、難を除けば最上級の物件なのだろう。羨ましくは無いが。
そう結論付け思わず溜息を飲み込む。怪訝そうな父に何でもない、
と首を横に振った。こればかりはミヅキとその守護役達を知らなけ
れば理解できない。父とて今更、心残りを作る必要もあるまい。
1648
﹁楽しそうでございますなぁ、エレーナ様﹂
それまで黙っていた料理人の言葉に視線を向けると、安堵したよ
うな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
﹁私の父は城の料理人だったのですよ。家族の為に他国へと移り住
む事を選びましたが、死ぬまでブリジアスのことを忘れはしません
でした。そして私は受け入れてくれたイルフェナの恩に報いるべく、
城の料理人となりました。ミヅキとは同僚なのです﹂
﹁まあ!﹂
﹁⋮⋮そうか、お父上が﹂
イルフェナに逃れても祖国に心を寄せてくれていた者がいる。そ
の事実が素直に嬉しい。
﹁私がこの役を仰せつかったのもエルシュオン殿下の指示なのです。
⋮⋮誇り高き鋼の忠誠持つ一族の最期を見届けろと。イルフェナは
民を第一に考えたブリジアスの在り方を高く評価してくださってい
たのですよ﹂
敗戦国と言われてしまえばそれまでだろう。だが、当時逃げ延び
た者は王族や忠誠心厚い貴族達がどんなに民を慈しんだか知ってい
る。
イルフェナは自国に在りながらもブリジアスに想いを寄せる者達
を守り、見守ってくれたのだろう。
何故なら彼等は国を、民を守る事を最優先に考える。それは最期
のブリジアス王の考えにとてもよく似ていた。
﹁感謝しております。誇らしく思います。ですが⋮⋮同時に悔しく
も思うのです。何故貴方様方にばかり背負わせたのかと﹂
1649
﹁君達とて他国で存えてくれた。それが望まれた事じゃないか﹂
﹁それでも! それでも自分にも出来る事があったのではないかと
思うのですよ。ここに来るまで随分と悩みました。私が貴方様方に
ブリジアスの者だと名乗る資格があるのかと﹂
俯きながら手をキツク握り込む男は本当に思い悩んだのだろう。
だが、私は素直に嬉しかった。祖国を愛する人を目の前にできたの
だから。
﹁そして悩んでいたら⋮⋮ミヅキに殴られました﹂
﹁﹁は?﹂﹂
﹁﹃できなかった事を後悔してるなら今回はさっさと行け、それ以
上悩むなら解雇通知でも出してもらう?﹄と。あれは間違いなく本
気でしたな﹂
人はそれを脅迫と言う。一歩間違えば犯罪だ。
思わぬ暴露に父共々微妙な表情になるのは当然だろう。だが、ミ
ヅキならばやると確信できる。優しさが決して善意に見えないあた
りがミヅキなのだ。お陰で彼女の評価は人によって天と地ほども分
かれている。
﹁魔導師殿⋮⋮なんと言うか善人に聞こえないのだが﹂
﹁御父様、ミヅキはあれが素ですわ。悪意も善意もありません﹂
﹁そ、そうか﹂
何をやっているのだ、一体。早めに帰ったと思ったら、この男の
脅迫⋮⋮いや、説得を行なっていたらしい。
1650
﹁最終的には皆に簀巻きにされてここに放置されましてな﹂と言
う男の目が虚ろなのは気の所為だ。あれでも背中を押したつもりな
のだろう⋮⋮ミヅキ的には。しかも話を聞く限り、多数の協力者達
による拒否権無しの実力行使。
強引なやり方だが、この料理人の事情を知る者達の総意と思われ
た。
﹁ですが、来て良かったと今では思います。貴方様方の満足そうな
御様子⋮⋮それだけで十分です。アディンセルは己を誇って逝った
のだと伝えることが出来ます。何より⋮⋮﹂
そう言って私の方を向き微笑む。それは亡くなった母様が向けて
くれていたものと似ていた。
﹁最も辛かったであろう、エレーナ様が楽しそうなのですから。こ
の一月、とても健やかに過ごされたのだと確信できます﹂
﹁そうね⋮⋮とても楽しかった。貴族令嬢が一生かかっても得られ
ないくらい幸せだったわ。私が後の事に不安を感じていないのは信
頼できる友人達がいるからだもの﹂
魔導師に、ブリジアス領の未来の奥方に、共にキヴェラで抗った
姫。
彼女達が自分を友だと言ってくれる。後は任せろと、憂いを払う
と約束してくれた。それはとても幸せな事ではないだろうか? 特
に貴族など他者を貶める事が常なのだし。
何よりこの地に集ってくれた者達がいるではないか。それがとて
も嬉しく誇らしい。
﹁お前は﹃可哀相な子﹄ではなかったのだね?﹂
1651
父の問い掛けにはっきりと頷く。それは御父様だけではなく、御
爺様も憂えていたことなのだから。
満面の笑みで頷く私に父もまた頷き笑みを浮かべた。
﹁ええ! 御父様、私は御爺様に自慢するつもりですのよ? ﹃ア
ディンセル一族の悲願を成し遂げました。そして私を受け入れ、後
押ししてくれる友人達を得ました!﹄って。自分の意思で復讐を遣
り遂げ、友を得た⋮⋮もう﹃可哀相な子﹄などとは言わせませんわ﹂
﹁そう、か﹂
﹁それに御母様とて御父様からの報告を今か今かと待っていらっし
ゃる筈です﹂
﹁はは! 今際の際にさえ﹃不抜けた貴方など要りません。私に相
応しくなってから、いらしてください﹄と言われたものな﹂
﹁あれには御父様に同情致しました﹂
当時もどうかと思ったものだが、今なら判る。母は⋮⋮生きる目
標を示したのだ。
私に友人達ができたように、父にも母が傍に居た。全てを知り、
なお受け入れてくれる存在が。
﹁さあ、食事を楽しもう。我々の物語は幸せな親子の語らいで終る
のだからね﹂
﹁ええ、そうですわね﹂
僅かに涙を浮かべた侍女や給仕が見守る中、私は父との食事を心
から楽しんだ。
最期に出される茶には優しく眠りに誘う緑の毒。幸せなまま私達
は眠り逝くのだろう。
窓から見える明るい月に、不意に友人の名を思い浮かべた。
1652
﹃ミヅキの国の文字は変わっていますわね﹄
﹃そう? 字ごとに意味があったりするんだけどね﹄
﹃ミヅキはどんな字を書くんだ?﹄
﹃私の名前? 御月はこんな字﹄
﹃なんだか難しそうですわねぇ⋮⋮意味はどのような?﹄
﹃月だよ、月。今上空に出てる奴。私の世界には一個しか無いけど﹄
﹃⋮⋮。ミヅキ、月の言い伝えを御存知?﹄
﹃ううん、知らない﹄
﹃月は何処までも優しく無慈悲。闇を照らし人に安息を与える姿も、
冷たく屍を照らし恐怖を与える姿も月の真実である⋮⋮という話が
あるのですわ。二つの相反する顔を持っているという事ですわね﹄
﹃優しくも無慈悲⋮⋮﹄
﹃本当に名は本質を顕すのですねぇ⋮⋮﹄
﹃ちょ、皆で何納得してんの!? その生温い視線は何!?﹄
﹃いや、意外と的確だと思っただけだ﹄
そう言って笑いあった時間を思い出し、そんな事ができるように
なった自分を不思議に思う。
彼女達は今宵、コルベラで過ごすのだと聞いている。きっと彼女
達⋮⋮いや、全ての者達を月は優しく照らし見守るのだろう。その
光を受けて蝋燭の明かりも揺れる。
それが私の﹃幸せな最期の記憶﹄。
︱︱私は。
私はエレーナ・アディンセル。
ブリジアスの忠臣にして復讐者、アディンセル一族の娘。
復讐に心を染めながらも、同志達と必死に生きて参りました。
先の無い勝利に賛同してくれる仲間が居た、誇れるものがあった、
そして⋮⋮復讐を遂げた先に得難い友を得た。
1653
人から見れば私は愚かな罪人かもしれません。悲劇の復讐者かも
しれません。ですが、私はただ誰より自分の心に正直に生きただけ
なのです。
もはや私には恨みも後悔も無く、迫る死の恐怖さえ遠く⋮⋮後は
幕を下ろし物語を完成させるだけ。
誰よりも身勝手に生き、目的を果たして幸せなままに去り逝くで
しょう。
後にどう噂されようとも、真実は極一部の人だけが知っていれば
いいのですから。
﹃エレーナ﹄という個人が彼等の記憶にほんの少しでも居場所を
残せるなら、信じた者達が覚えていてくれるなら。それは私にとっ
て最高の喜びとなりましょう。
最期にそう願うほどに私は。暖かい記憶を抱いて眠る私は。
︱︱幸せで、ございました。
※※※※※※※※※
︱︱コルベラ・セレスティナ姫の部屋︱︱
月明かりに透かしたグラスの中に花弁が踊る。エレーナ達に贈っ
たものと同じ、花の酒。
今頃、父親と最後の晩餐を楽しんでいるのだろうか?
それとも残していく仲間達と語らっているのだろうか?
⋮⋮判っているのは朝日が昇る頃に彼女達が永い眠りにつくとい
うくらい。
1654
﹁エレーナは笑っているだろうか⋮⋮﹂
グラスを持ち、やや俯いたセシルがぽつりと呟く。
あの日の女子会と同じ部屋、テーブルも椅子も同じ配置。ただし、
テーブルの上にはエレーナ達が最期に食べるものと同じ料理。
そして⋮⋮座る者の居ない椅子が一つに、手をつけられていない
グラスが一つ。
あの場に居る事は出来ないが、それでも一部を共有したかったの
だ。
﹁笑っているわよ。一人勝ちして舞台を降りるんだもの﹂
﹁そうですわねぇ⋮⋮エレーナは暗い顔を全く見せなくなっていま
したもの﹂
エマの言葉は正しい。エレーナは本当に﹃おまけのような時間﹄
を楽しんでいたのだから。
﹁最期は御父様と沢山語り合いますわ。漸く、﹃過去のこと﹄と
して笑って話せるのですから﹂とエレーナは言っていた。確かに結
末が見えなければずっと﹃復讐中﹄なのだから、あの二人が心から
笑える事など無かっただろう。
﹁明日は多くの人が自主的に喪に服すでしょうね﹂
﹁だろうな。コルベラは国全体で喪に服す予定だ﹂
きっと様々な人達が復讐者達の為に祈りを捧げるのだろう。
悲劇の復讐者として。
鋼の忠誠を持つ者として。
意図せずとも人々は復讐劇のフィナーレを飾り、物語の登場人物
となる。
1655
だけど、私達にとっては﹃友の死﹄なのだ。私達にとってエレー
ナは綺麗な言葉で飾られ、都合よく作られた﹃物語の主人公﹄では
ないのだから。
﹁晴れるといいわね、見送る日なんだから﹂
そう言って席に戻り、エレーナのグラスと自分のグラスを軽く触
れ合わせる。カチリ、と軽い音がして中の液体が少し揺れた。
﹁お疲れ様、エレーナ﹂
それに倣うようにセシルとエマも同じようにグラスを合わせ、誰
も居ない席へと声をかける。
﹁ゆっくり御休みなさいませ﹂
﹁御爺様に会える事を願っている﹂
私達が思い出すのはいつかの、楽しそうなエレーナの姿。
私達に涙も嘆きも不要なのだ。彼女はそれを望んではいないと知
っている。
いや、﹃それを知ることを許された﹄。
⋮⋮だから。
﹁見事終幕を迎えた復讐者達に喝采を!﹂
酒に潜ませた花は最期まで遣り遂げた役者に贈る花束代わり。
︱︱幕を下ろした悲劇とも喜劇ともつかぬ復讐劇に、心からの賞
賛を。
1656
舞台の幕が下りる時︵後書き︶
酒は薔薇のリキュールをイメージしています。
後はキヴェラの小話かな。
1657
小話集12︵前書き︶
キヴェラ編はこれで最期です。
1658
小話集12
小話其の一﹃悪役の思う事﹄ ︱︱キヴェラ王妃視点︱︱
共の者を連れて人気の無い通路を歩く。
コツコツと響く足音はそこに幽閉されている者の孤独を現してい
るかのようだった。
そう、﹃幽閉﹄。かつてはキヴェラの王太子であった我が子は今
やその地位を剥奪され、王籍すら奪われようとしている。
犯した過ちを客観的に見るならば仕方の無い事であろう。寧ろ軽
いと思う者すらいるのかもしれない。
それでも自分は︱︱魔導師に﹃偽善者﹄と言われたからこそ。向
かい合わなくてはいけないと思ったのだ。
﹁ここで待っていてください﹂
﹁しかし!﹂
﹁大丈夫。扉越しに話すだけですから﹂
暗に﹃逃がすなど愚かな真似はしない﹄⋮⋮そう告げれば、護衛
の騎士も侍女も顔を見合わせて私の意思を優先してくれた。
⋮⋮ああ、そうだ。彼等の信頼も長い時間をかけて得たものだっ
た筈。
﹃信頼﹄が積み重なって強固な絆となるならば、﹃憎しみ﹄だと
て同じ事が言えるのだ。それこそ人生を賭けるほどの重いものにな
ってもおかしくは無い。
何故それに気付かなかったのかと、今更ながらに思う。復讐が﹃
1659
自分の人生を捨てる愚かな事﹄だとは限らないのに、と。
それは他者が決め付けて良い筈はないのだ、本人ではないのだか
ら。
キヴェラの敗因は何処までも自分達を基準にしか考えなかったこ
となのだろう。
そんなことを考えながら目的の場所に到着する。厚い扉には頑丈
な鍵と⋮⋮一部窓の様になった部分に鉄格子。それは罪人を閉じ込
める為の部屋なのだと、明確に告げていた。
﹁ルーカス。⋮⋮聞こえているのでしょう﹂
僅かに物音がした。だが、言葉を返す気は無いようだった。ルー
カスにとって自分は幽閉に賛同した側なのだから当然と言えるのだ
が。
﹁⋮⋮。復讐者達⋮⋮いえ、エレーナ様は永い眠りについたそうで
す﹂
﹁⋮⋮っ﹂
ルーカスとてその意味を理解したのだろう。
永い眠り⋮⋮即ち自害。処刑ではないので惨い様は晒さなかった
だろうが、死ぬ事には変わりないのだ。
唯一の妃と定めていた女性なのだから、騙されていたと知っても
冷静ではいられないのだろう。ましてルーカスは自制心が足りない。
感情を完全に殺すなどできないに違いない。
﹁彼女達は多くの人に惜しまれながらも最期を笑って過ごしたそう
です。決して憎まれたり罪人と蔑まれる事は無かったそうですよ﹂
彼女達の最期にはキヴェラから派遣された者達が立ち会っている。
1660
彼等は揃ってこう言った⋮⋮﹃あれほど愛される罪人など居ないだ
ろう﹄と。
それはキヴェラが憎まれていたという事か、それとも彼等が愛さ
れていたという事か。
どちらにせよ、悲劇の主役にはならなかったということだろう。
﹃笑って逝く﹄最期に悲劇は似合わない。
﹁ねぇ、ルーカス。私ね、あれからずっと考えていた事があるの。
私は⋮⋮王妃としてでしか貴方に接していなかったって﹂
返事は無い。いや、無くてもいい。ただ、聞いてもらいたかった。
﹁王妃はこの国第二位である王太子殿下に劣るから、諌める事はで
きなかった。⋮⋮私が無理にでもセレスティナ姫やエレーナ様と言
葉を交わしていれば避けられた筈なのに﹂
それは事実だった。﹃偽善者﹄と言い切られた今ならば、目を背
けてきた幾つもの選択肢が見える。
選んでいれば今とは違った未来へと続く可能性もあったのだと。
﹁﹃何もしない事は受け入れた事に該当する﹄。本当にそのとおり
よね、私は⋮⋮責任を放棄していただけだった。思うだけでは何の
意思表示にもならないというのに﹂
戦に赴く兵達にかけた言葉と心に偽りなど無い。だが、その事実
を受け入れ侵略者としての自覚があったかと言えば否だ。
もしも自分の言葉の意味を正しく理解していたら⋮⋮そう思わず
にはいられない。自分の言葉に従って勝利を齎すと決意した者も居
るだろうから。
兵といえども民、その守るべき存在に自分は﹃国の為に罪人とな
1661
れ﹄と言ったのだ!
﹁思い返せば貴方の事も後悔ばかり。王太子だから出来て当然、将
来国を継ぐ存在ならば誰より優れていなくてはならない︱︱こんな
言葉はどれほど貴方を傷つけたのかしらね? どれほど努力しても
上が居るなら認められないなんて﹂
﹁⋮⋮﹂
立場を最優先にしなければならないのは当然だ。それが王族とし
て生まれた義務なのだから。
だが。
努力する者を否定する権利など誰にも無い筈なのだ。例え望んだ
結果を出せずとも。
誰もがルーカスを王太子という﹃役割﹄でしか見なかった。
そしてその立場に﹃彼では力不足﹄という失望を隠さなかった。
その果てが今のルーカスならば、彼を追い詰めて来た者達に罪は
無いのか?
﹁私は⋮⋮私だけは。貴方を褒めるべきだったのよ。母親として努
力する息子を認めるべきだった。王太子としては拙くとも貴方は昔
は精一杯努力していたのだもの﹂
﹁母、上⋮⋮﹂
﹁王妃としては認めてはならない、国を託す者に妥協してはならな
い⋮⋮そう思っていたわ。だけど母親としては最低よね、何もしな
かったのだから﹂
ルーカスがエレーナに依存するのは当然だったのだ。彼女だけが
建前とはいえ﹃ルーカスを認めていた﹄のだから。
1662
自分が個人として居場所を得る為にエレーナは必要だった。今な
らばそれがよく判る。
だから⋮⋮エレーナが裏切り者だと知った途端、ルーカスは自分
を悲劇の主人公として彼女を悪と認識したのだろう。本当に愛して
いたというのならば感情を揺らすどころでは済まず、彼女の死に取
り乱すくらいはしていた筈だ。
﹁貴方はもう王太子ではなく、幽閉される身です。それは貴方自身
が罪を犯したから。それは理解できますね?﹂
﹁⋮⋮はい﹂
﹁ですが、これで私達の関係は王妃と王太子ではなく母と子になり
ました。⋮⋮もう遠慮はしません。心置きなく口を出せます。私は
少しだけそれが嬉しいのですよ﹂
本心からの言葉にルーカスは僅かに動揺したようだった。
このような状況が嬉しいなど狂気の沙汰だろう。だが、王族とは
立場が優先される⋮⋮親子であろうとも上下関係が存在するのだ。
それが無くなったからこそ、こうして母親としての言葉が口に出
せる。
﹁ルーカス。これから沢山話しましょう。私も貴方と居られる時は
王妃の肩書きなど無い、一人の母親に過ぎません﹂
﹁⋮⋮母上﹂
﹁何かしら?﹂
﹁御迷惑を、お掛けしました⋮⋮﹂
戸惑ったような、これまでのルーカスからは考えられないような
謝罪の言葉に笑みを浮かべる。
ああ、自分は嬉しいのだ。この子の、母親でいられたことが。
王に反発しながらも王妃たる自分には決して頼ろうとはしなかっ
1663
た息子。王太子より立場が弱い事から価値の無い存在だと思われて
いたのかと思っていたが、未だ母と慕ってくれているらしい。
﹁馬鹿ね、そんなことどうでもいいのよ。私も十分愚かな王妃なの
だから﹂
﹁そんなことは⋮⋮!﹂
﹁それにね、馬鹿な子ほど可愛いって言うでしょう? 貴方の愚か
さは私から受け継いだ。それでいいの。二人で色々と考えていきま
しょう。きっと今とは違った見方で国や陛下を見る事ができるわ﹂
この子にとって父親であるよりも自分の比較対象という認識が強
いであろう、王。国を統べる者として王太子を切り捨てはしたが、
父親として息子を見限ったわけではない。
幽閉とはそういうことだ。処刑し怒りを内外に示す事で大国の王
としての厳しさを示すことができるというのに、そうしなかったの
は⋮⋮親子の情と己にも責があると自覚する故だろう。
あの人も魔導師や復讐者達を目の当たりにして思う事があったの
だと思いたかった。
結果的にルーカスを裏切る事になった騎士も近衛の地位こそ剥奪
されはしたが、騎士として国に仕える事は許されたのだ。王の独断
に近い処罰ではあったが、彼を知る者達の嘆願もあったと聞いてい
る。
⋮⋮やり直す機会を与えるなど、これまで無かったことだ。あの
人も少しだけ変わったのだろう。
﹁それでは、また来ますね﹂
随分と穏やかな気持ちになりながらその場を後にする。
ルーカスからの返事は無い。未だ戸惑っているのか、受け入れ難
いのかは判らぬが⋮⋮嫌悪や拒絶は感じられなかった。
1664
これから話す時間の中で親子の絆を取り戻せればいい。今はただ
そう願った。
※※※※※※※※※
小話其の二﹃幕は下りて﹄ ︱︱キヴェラ王視点︱︱
﹁⋮⋮そうか、奴等は逝ったか﹂
﹁はい。多くの人々が彼等の喪に服しているそうです﹂
それは敬意を示してのものだろう。決して逆らう事が叶わなかっ
た存在へと見事一矢報いた彼等に対して。
魔導師達がキヴェラに与えた傷は浅くは無い。だが、やり直せぬ
ほど深いものでもなかった。その余裕が今回の事について考えさせ
ている。
かつてキヴェラは小国を纏め上げ一つの大国とした英雄のような
存在だった。それがどうして周辺諸国に敵意を抱かれる対象となっ
てしまったのか。
理由は簡単だ。侵略行為による領土の略奪と⋮⋮圧倒的優位な立
場ゆえの高圧的な態度。
何の為に大国となったかを忘れ、自身の為に他者を踏みつけてき
た。そのつけが今回の事なのだろう。
魔導師は確かに恐ろしかった。だが、それだけではない。
﹃勝てる可能性があるならば﹄と魔導師達に協力する者達が居た
ことこそ、敗因なのだと思う。
魔導師は圧倒的な力を見せ付けても殺したわけではないのだ。し
1665
いて言うなら⋮⋮キヴェラが他国に向ける圧倒的優位な立場を崩し
ただけ。
それだけにも関わらずここまで押さえ込まれるというならば、キ
ヴェラは思うほど強国ではなかったということだ。小国ながらこれ
までキヴェラに抗ってきた者達の方がよほど優秀だったのだろう。
﹁思い上がった故の敗北か。今後は国を見直さねばならんだろうな﹂
そう呟くと側近達は揃って俯く。
﹁そうですね。外交もこれまでと同じというわけにはいきません。
⋮⋮あれほど簡単にイルフェナに押さえ込まれるとは﹂
﹁だが、それが現実だ。能力に圧倒的な差があった、ということだ
ろう?﹂
﹁はい。お恥ずかしい話ですが、あれでも有能な者達を向かわせた
のですよ。⋮⋮我が国は﹃圧倒的に優位な立場﹄という恩恵に縋り
過ぎていたのでしょうね﹂
言葉を返す宰相も深々と溜息を吐く。それも当然だろう、今後は
対等な外交しかできなくなるだろうから。
これで個人的な人脈を他国に作ってあるならばまだマシなのだろ
うが、キヴェラは常に強者として見下してきたのだ⋮⋮助けるどこ
ろか報復される可能性の方が高い。
さすがにイルフェナと同等な国はそうそう無いだろうが、国を支
えてきた者達の中に一人二人はそれに匹敵する者も居るだろう。
今後を考えると実に頭の痛い話だった。
﹁幸い⋮⋮と申しましょうか。王都の民は先日の亡霊騒動に酷く怯
えていまして。自分達の豊かさがどういうものなのかを知ろうとす
る者が増えております。また、他国の目を恐れ国を離れる者も少な
1666
いようです﹂
﹁ふむ、不幸中の幸いというわけか﹂
﹁上手く誘導すれば国の新たな在り方に賛同が得られるでしょう。
数年かけて民の意識を変えていかねば、この国は崩壊するかと﹂
集っていた者達に衝撃が走る。だが、それを誰もがおぼろげには
感じ取っていた筈だ。
宰相の言葉は不吉だが可能性としては十分ありえることなのだ。
領土を失ったとはいえ、それでも未だこの国は広い。民の不満から
内乱が起き、分裂する可能性が無いとは言い切れないのだ。
﹁尤もそうなっても長続きはしないだろうがな﹂
半ば確信を込めて口にすれば周囲は怪訝そうな表情になる。
﹁陛下? 内乱が起きようとも長続きしない、とはどうしてでしょ
う?﹂
﹁キヴェラは今回関わった国の中央に位置している。⋮⋮あの魔導
師が他国に影響を及ぼすような騒動を黙って見ていると思うか?﹂
﹁ああ⋮⋮そういうことでございますか﹂
決して良い意味ではない事情に誰もが顔を青褪めさせる。
あの魔導師はキヴェラの為には動かない。だが、自分の平穏を乱
すようならば容赦無く反乱を潰すだろう。
そこに正義などある筈も無い。ただ偏に﹃鬱陶しい﹄という個人
の感情があるだけだ。
キヴェラにとってはありがたいと言えるのかもしれない。後に必
ず﹃管理ぐらいしっかりしておけ!﹄と怒鳴られる事さえ我慢すれ
1667
ば、だが。
何より騒動を起こした連中が一体どんな目に合うか誰も想像でき
ないのだ⋮⋮できるなら後始末までやってもらいたいものである。
中途半端に甚振られた犠牲者達を見るのは精神的に宜しくない。
﹁過去に魔導師とやりあった国は壊滅一歩手前までいったとも聞く。
それに比べれば今回は被害はほぼ無いに等しいとは思うのだがな⋮
⋮﹂
﹁⋮⋮今後の対応の為に残された、と見るべきでしょうな。我々が
苦労するという点では現状の方が酷いような気が致します﹂
思わず宰相の言葉に頷く。
魔導師に徹底的に潰されたのならば滅亡原因は魔導師なのだ。そ
れは誰もが認める災厄であり、圧倒的な力なのだから。
だが、今回は誰の目から見ても被害は領地を奪われた︱︱しかも
交渉によっての譲渡である︱︱ことのみ。これで国が沈めば滅亡原
因は国の上層部の無能ぶりということになる。
ある意味最も酷い報復だ。奴は冗談抜きに災厄か。
自分達で責任を取ると言えば聞こえはいいだろうが、実際はそう
仕向けられたのだ。﹃身を粉にして働け﹄と嘲笑う魔導師の姿が容
易く思い浮かび、思わず首を振って想像を打ち消す。
今回の事を振り返っても、魔王の後見を受けるあの魔導師は本っ
当に性格が悪かった。魔導師を名乗るだけあって優秀ではあるのだ
が⋮⋮どうも方向性がこれまでの魔導師とは異なる気がする。
しいて言うなら﹃性質が悪い﹄。ある意味、災厄の名に相応しい
存在だ。
﹁当面は内部の見直しが主な課題だな。民にも魔導師の名を出せば
1668
理解は得られるだろう﹂
﹁そうでございますね﹂
我々は決意も新たに今後の方針を決め。
誰とも無く深々と溜息を吐いた。
1669
小話集12︵後書き︶
※ルーカスが幽閉で済んだのは一応彼も被害者と言えるから。その
原因が王自身にあることも影響しています。
※キヴェラ上層部の皆さんの一コマ。自己反省しつつも︵主に主人
公が原因で︶心に残った傷は深い。
1670
認識の違い︵前書き︶
今回からキヴェラ編の弊害。
存在が知られると色々と巻き込まれたり。
1671
認識の違い
コルベラからイルフェナに帰還後︱︱
﹁さあ、話してもらおうか﹂
﹁⋮⋮﹂
食堂にて再び説明会となっていたり。尋問では無いぞ、念の為。
説明と言っても報告は既にしてあるので、今回は例の癇癪玉モド
キの解説。あれはある意味、使えるもんな。
でもね、クラウス。この体勢はどうかと思うんだ。
現在、私は椅子に座ったクラウスの膝の上⋮⋮ではなく。
椅子に座ったクラウスの足の間にちょこんと座って、背後から体
全体を使って拘束されとります。
顎が頭の上に乗ってるのは気の所為か。
一見御嬢様方が羨ましがる体勢だが、現実を知れば呆れるだけだ
ろう。
現にアルは苦笑し、騎士sは可哀相なものを見る目で私を見てい
る。でも、助けない。
⋮⋮捕獲? 捕獲だよね、これって。
﹁あの、クラウスさん⋮⋮この状態は一体⋮⋮?﹂
﹁俺達が理解できるまで放さん﹂
1672
またしても個人的な理由か!
何その﹃教えてくれるまで放さない!﹄的な子供じみた言い分は!
呆れて背後を振り返ろうとし、無理だと気付いて足元に視線を落
とす。
ふ⋮⋮微妙に足がつかない私に対しクラウスは余裕なんだな。身
長差はそのまま足の長さかよ、間違いなく全体の比率は違うだろ!?
人種的なものだと思いつつも、この敗北感。私の心に虚しい風が
吹く。
﹁諦めてさっさと話した方がいいですよ。我々としても興味があり
ますし﹂
﹁報告書に書いたとおりなんだけど?﹂
﹁ですが、文章だけではいまいち理解できないのですよ。あの程度
の魔石に利用価値があると思っていなかったものですから﹂
﹁加えて言うなら何故あそこまで魔力を引き出せるのかという事だ
な﹂
アル、クラウス共に気になるらしい。
⋮⋮。
ああ⋮⋮この世界の魔法って﹃術者、もしくは元になる魔石の何
割の魔力を使う﹄っていう状態だから、クズ魔石だと魔力が殆ど無
い状態で発動しないのか。
これは術式そのものに制限があるので、私と同じことをするなら
術式を新たに組み直すしかないだろう。
ただし、それは非常に危険。制御を外すってことだから。
クラウス達ならできない事はないだろうけど、危険性を話して諦
めてもらった方がいいだろう。それに癇癪玉モドキも私とは別の方
1673
法じゃないと無理だ、多分。
﹁どうして差が出るのか理由は判るけど、改善することはお勧めし
ない。つーか、やるな﹂
﹁何故だ?﹂
﹃できるけどやめとけ﹄と言った私にクラウスは怪訝そうな、ど
こか不満げな声になる。多分、表情も同じような状態だろうと推測。
だが、理由を聞く程度には信頼してくれているらしい。
これが普通の魔術師だったら技術の独占云々と言い出しかねん。
﹁この世界の魔術との違いに詠唱や術式による威力の制御があるっ
て言ったよね? 私は制御無しだからクズ魔石だろうと100%の
魔力を引き出せる。だけど、この世界の術式に当て嵌めると制限さ
れた状態だから⋮⋮﹂
﹁⋮⋮! 術式そのものを制御無しの状態にしなければ同じ結果は
出せないということか﹂
﹁そういうこと。それに制御を外してもクズ魔石の魔力を100%
使えるようになるだけだから威力はそれなり。術によっては発動し
ないよ。だから止めときなさい﹂
﹁⋮⋮。理由によるな、それは﹂
黒騎士達も不満そうだ。まあ、君達なら﹃不可能﹄っていうわけ
じゃないだろうし納得はしないだろう。他の魔法にも応用できる事
を指して言っているのだから。
実際、それが大問題なのだが。
﹁それ開発した後はどうするのよ? クズ魔石専用ってわけにはい
かないでしょ? 普通に使っても威力は段違いになる上、術者も危
険が伴う。しかも⋮⋮﹂
1674
﹁しかも?﹂
﹁それが流出した場合は低い魔力でもかなりの殺傷能力を持つ術者
が溢れるでしょうね。治癒魔法が使える程度の魔力しかない人が暗
殺組織の捨て駒として使われるかもしれない﹂
﹃技術の流出﹄という点が物凄く拙いのだ。その方法を考え出す
のは天才にしかできなくとも、術式として生み出されれば誰でも使
えるようになってしまう。
その結果、これまで大した価値を認められなかった術者が﹃威力
のある兵器﹄として使われる可能性も出てくるだろう。勿論、その
危険性は伏せたまま。
何より術者本人が思い上がった挙句に事故を起こしかねない。
製作者ならば危険性を理解し自制するだろうが、その苦労も危険
性も理解しない術者が玩具を与えられた子供のごとく﹃自身の強さ﹄
と勘違いしたらどうなるか。
﹁技術が残る、もしくは流出することを考えるなら﹃開発しない﹄
ってのが最良だよ。そういう危険性を理解しない奴が手にした時は
最悪の事態が起こるだろうから﹂
﹁⋮⋮﹂
不満げな様子を察してクラウスの腕をぽすぽすと叩く。抱き込む
力が強くなったって事は、内心葛藤しているらしい。
⋮⋮頼むからそれ以上力を込めるな。抱き込むならぬいぐるみに
しなさい、ぬいぐるみなら力を込めても変形するだけで済む。多少
の視界の暴力は許そうじゃないか。
﹁諦めなさいって。自分が死んだ後は責任が持てないでしょうが。
魔術を殺戮兵器みたいにしたいなら別だけど﹂
﹁わかった、やめておこう。使い捨てという発想は面白かったんだ
1675
が﹂
﹁映像流したりするだけならクズ魔石を使い捨てにできるってのは
良かったんだけどね、制御の解除が魔法全般に活かされる可能性が
あるなら諦める方が確実だわ﹂
クラウスだけでなく黒騎士達も頷き同意する。
⋮⋮職人どもはブレないね、相変らず。
魔術に対する冒涜に繋がるなら、あっさり諦める姿勢は流石だ。
大変良いお返事です。
ここで止めないとコピーガードを外す事に熱意を燃やす人々の如
く、制限の解除が目標にされ達成されてしまうだろう。それは止め
ねばならない。
﹁では、﹃同じ物は作り出せない﹄とは? 確かにあれは少々特殊
なように思えますが﹂
﹁ああ、癇癪玉のこと?﹂
﹁ええ。魔法のように見えても魔術結界では防げないのでしょう?﹂
アルが軽く首を傾げるようにして不思議そうに口にする。どうや
ら一度見せた時の事を思い出しているらしい。
詳しく言うなら、あれは魔法と物理両方ということになる。
小さな爆発を起こすのは魔法だけど、爆発そのものは物理なので
少量の小麦粉に引火して一瞬炎が見えるという状態なのだから。
あれを一つの事として考えるなら小さな爆発系の魔法を使ったよ
うに見えるのだろう。
﹁私が魔力を﹃何かを成す為の力﹄と認識していることは知ってい
るよね? それに加えて元の世界の知識があることが前提﹂
﹁元の世界の知識⋮⋮ですか﹂
1676
この世界の魔術は認識した対象にのみ影響するのだ、魔力で作ら
れた炎が普通の炎の様に引火するか怪しい。炎系の魔術が周囲に影
響を与えないのだから別物と考えた方がいいだろう。
そもそも私が炎系統を極力使わないのは周囲に飛び火する危険性
が高いから。その危険性が無いこの世界の魔法だと対象である魔石
が破裂して終わりな気がする。
そう告げるとアルだけじゃなく黒騎士達も難しい顔になった。そ
もそも常識が違うのだから﹃理科の実験でやる程度の爆発を起こし
て小麦粉に引火させてるだけです﹄と言ったところで理解できまい。
逆にグレンならばこれで大体は理解できるだろう。﹃授業でやる、
安全な範囲での小さな爆発﹄と言えば﹃確かに学校でそんな授業も
あったな﹄程度の反応は返ってくる。
ちなみに爆発だろうとこれが安全だと言えるのは、私の持つイメ
ージが﹃理科の実験﹄という範囲に留まっているからだ。明確にイ
メージできるのがその程度ということもあるけれど。
これが事故レベルの爆発をイメージしてしまうと使う魔力も威力
も桁違い。一歩間違えば術者さえ危険というシロモノに発展するの
だ、癇癪玉程度に留めておいた方がいいだろう。
﹁爆発そのものが魔法じゃなくて﹃爆発を起こす事に魔力を使って
る﹄ってこと。だから威力は無いし音が鳴る程度だけど、混ぜてお
いた小麦粉に引火して一瞬炎が見える﹂
﹁それが一つの魔法の様に見えるから、対象は物理だと思わないの
か﹂
﹁そういうこと。魔石自体は破裂するから破片が危ないといえば危
ないけど⋮⋮目さえ庇えばダメージ無いね﹂
尤もこれは私がそうイメージして魔石に組み込んでいるからなの
だが。
1677
詳しい知識がある人が作れば違った結果が出るのかもしれない。
本格的に威力のあるものだって作り出せるだろう。
ただし、魔力の使い方を私と同じようにした場合に限り。知識が
あっても器具など無いのだ、魔力で代用できなければ作れまい。
全ては中途半端というか、いい加減な知識と魔法の認識の産物な
のだ。殺傷能力を期待したものじゃなく隙を作る程度だしね、これ。
﹁⋮⋮と言う事は俺達では使えないのか﹂
残念そうに言うクラウスに私は首を傾げる。
﹁私が作った物を発動させる事なら出来るんじゃないの? 魔血石
とまでいかなくても、血をほんの少し混ぜておいて自分の支配下に
置くってことできない? 確かそんな方法なかったっけ?﹂
﹁⋮⋮! そうか、それならば可能だな!﹂
﹁そこまでする価値があるかは別として﹂
何度も言うが威力は殆ど無い。音と炎で一瞬相手を怯ませるだけ
だ。
どう考えてもクラウス達が発動できるようにする事の方が技術が
上。
﹁いや、単に使ってみたいだけだ。一瞬怯ませるというのも利用価
値がありそうだがな﹂
﹁ああ⋮⋮そういうこと﹂
目を輝かせて喜ぶ黒騎士達を私を含む数名は何ともいえない表情
で見つめた。騎士sに至っては﹃魔術において国でトップクラス﹄
という幻想が崩れ落ちたのか、頭を抱えている。
まあ、﹃魔術師として国に貢献する﹄という姿勢ではなく﹃単な
1678
る個人的な趣味﹄だと見せ付けられれば当然かもしれない。﹃騎士
として魔法の詳細を聞いていたんじゃなかったんですか!?﹄と。
残念ながら職人どもは非常に自分に素直だ、悪戯程度の効果しか
なくとも彼等にとっては﹃異世界人開発﹄というだけで宝石よりも
価値がある。
﹃異世界の魔法に触れてみたい! 自分で試してみたい!﹄
騎士sよ、奴等の頭の中は現在こんな感じだ。報告役としてアル
が混ざってる時点で気付け。クラウスに任せると個人的な方向に行
くから居ると思うぞ、絶対。
そもそも報告なのに魔王様居ないじゃん! 黒騎士相手に説明っ
て絶対に御仕置きの一環だ。
それに、ここまで真面目に話しておいて何ですが。
興味の無い人にとっては威力・使い道共に大変微妙な扱いの癇癪
玉。不意をつかなくても勝てるなら必要無かったりする。私は武器
が扱えないので作っただけ。
ぶっちゃけそこまで価値は無いのだ。重要なのは使い道であって
その仕組みではないのだから。
仕組みを話す過程で制限の解除という危険性に触れたが、本当な
らそこまで話す必要など無い。クラウス達が相手だから話の流れ的
にそうなっただけで横道発言です。
彼等の目的は最初から﹃自分達も作ってみたい!﹄という一択。
割とどうでもいい物にここまで盛り上がれる天才ってのも残念な光
景ですな。
1679
⋮⋮ところで。
私を抱きこんだまま話すならば解放してくれんかね、クラウスさ
んや。 生温い目ではしゃぐ黒騎士達を眺めていた私の頭に何か硬いもの
が触れて膝に落ちた。⋮⋮イヤリング? いや、イヤーカフかな?
かなりシンプルなものだが、私じゃないってことはクラウスだろ
う。
魔術一筋の職人が御洒落? 髪で隠してたら意味無くね?
﹁クラウス、落ちたよ﹂
﹁ああ、すまないな﹂
声をかければ私の手にあるイヤリング? を当然の様に受け取る。
髪に隠れて見えなかっただけで普段から着けているのだろう。慣
れた手つきで着け直している。
合わん。著しく日頃のイメージに合わん。
魔術一筋に突っ走る男が装飾品を身に着けるだと!?
魔術関連ならばともかく、職人が御洒落。気でも違ったか。
そんな私にアルは苦笑しつつクラウスに声をかける。
﹁クラウス、ミヅキが奇特なものを見る目で見ているので説明して
あげてください﹂
﹁あ⋮⋮? ああ、そうか。お前は殆ど身に付けていなかったな﹂
﹁は? え、何か意味があるの?﹂
首を傾げると何故か騎士sまでもが私に怪訝そうな視線を向けた。
一体何さー? 何かおかしな事でも言った?
1680
﹁装飾品という扱いだが魔血石だぞ、これは﹂
﹁は? 魔道具なの?﹂
﹁それもあるが、魔術師は自分の魔力を底上げする意味でも身に付
けるのが普通だ﹂
クラウスは着けたばかりの装飾品を外して私に見せる。⋮⋮ああ、
確かに目立たない部分に赤い石が付いているね。装飾があるから普
通の宝石っぽく見えるけど。
つまり補助電池のような役割ということか。結界などを長時間維
持する時には便利そう。
尤も魔道具も有りと言っているから、攻撃魔法を仕込んだものも
あるのだろう。自分で作ったなら制御もできるだろうし。
﹁基本的に魔術師は接近戦には向かん。お前が例外なんだ﹂
﹁ミヅキ、魔術師は武器を扱いながら詠唱でもしない限り接近戦は
厳しいぞ? 敵だって詠唱中断を狙ってくるからな﹂
﹁そうそう、前衛と組むとか遠距離な。お前みたいに詠唱無しとか
複数行使は普通無理だから﹂
クラウスに続き騎士sが説明する。﹃基本的に﹄ってことは、そ
れが可能な黒騎士が特殊ということか。
聞かれるまで黙っていたのは知らない方が良いという判断かね?
私が迂闊に﹃黒騎士って接近戦も可能な魔術師だよね﹄と言いか
ねないし。
勿論ある程度は知られているだろうが、具体的にどういった闘い
方をするかまでは知られていないだろう。
﹁貴女を信頼していないわけではないのですが、黒騎士達の立場を
考えるとわざわざ教える事はできないのですよ﹂
1681
すみません、と謝るアルに首を振ることで﹁気にするな﹂と伝え
る。
確かに﹃一般的な認識﹄として魔術師は接近戦が出来ないという
ならば、これは黒騎士達の強みになるだろう。話だけ聞くと万能型
だ。
下手に私に話すと話の流れでどういったものを身に着けているか
全部知られるから、話さないのも仕方が無い。
⋮⋮敵対者がそれを知っていた場合、私が情報を洩らしたと疑わ
れるものね。疑いを持たせない意味でも正しい判断だろう。
﹁⋮⋮ん? どしたの、騎士s﹂
いきなり黙って顔色を悪くする二人に問い掛けると、何故かクラ
ウスを気にしつつ口を開く。
﹁いや、ちょっと思い出したことがあってな﹂
﹁ああ、先日の⋮⋮お前がコルベラに行っている間にキヴェラとの
交渉が行なわれただろ?﹂
﹁うん、知ってる﹂
イルフェナの圧勝だったと聞いている。でなければ、あそこまで
領地を削れまい。
﹁その時にさ、当たり前なんだけどキヴェラも護衛とか連れて来て
たんだよ。多分、交渉に武力行使もちらつかせたとは思うけど﹂
﹁ええ、確かにそういった方も居たみたいですね。逆に返り討ちに
あったようですが﹂
アベルの言葉にアルが笑いを耐えながら付け足す。まあ、交渉の
1682
仕方としては予想された展開なのだろう。﹃武力行使されたくなか
ったら、お手柔らかに御願いね﹄ってことか。
普通の小国なら国力の低下や被害を避ける為にある程度は妥協す
る。魔導師とやり合ったとはいえ、キヴェラはほぼ無傷なのだから。
今後の事を考えても強気な交渉はしないだろう。
だが、ここはイルフェナだった。
実力者という名の変人の産地だった。
ついでに言うならキヴェラに対して﹃戦? ウェルカムだ!﹄と
いう方向だ。
最初から殺る気満々な方向なんである。過去の御礼をきっちり返
す意味でも泣き寝入りという選択肢は存在しない。
なお、私が居ても居なくてもこの選択に変わりは無いと思われる。
参加の意思は問われるだろうが、決して魔導師に頼る事が前提では
ないのだ。
だって、魔王様達はコルベラの事が無くても必要なら一戦交える
気だったしね。私の悪戯に喜んだという王も似たような考えなのだ
と思う。
﹁馬鹿か、あの国。交渉に来て怒らせてどうする﹂
﹁そうは言っても、これまで随分と強気で来ましたからね。キヴェ
ラとしても無茶な要求をされれば必死に足掻くのは当然だと思いま
すよ﹂
つまり﹃最初から無茶な要求をした﹄ってことですか。まあ、最
初からブロンデル公爵とシャル姉様が来たらしいから温い方向には
行かなかっただろうが。
1683
﹁⋮⋮で? あんた達は何を思い出したって?﹂
改めて騎士sに問えば、二人は顔を見合わせる。
﹁俺達も警備に借り出されたんだけどさ。あ、交渉役じゃなくて連
中が連れてきた護衛とかの見張りな﹂
﹁ああ、あんた達の危機回避能力は凄いもんね﹂
おかしな真似などこの二人の前ではできないだろう。本能レベル
で危険を回避する彼等なら相手が動く前に察する。戦闘その他は対
処できる人に任せればいいのだし。
﹁でな? キヴェラが仕掛けてくる可能性もあるから、交渉期間は
キヴェラに対して警戒態勢だったんだ。で、筆頭魔術師のブロンデ
ル公爵夫人も監視要員の中にいたんだが⋮⋮﹂
﹁⋮⋮いつもより気合の入った格好してたんだよ。詳しく言うなら
装飾品が多かった﹂
﹁﹃お客様をお迎えするのだもの﹄ってにこやかに笑ってたんだけ
どさ。もしや公爵夫人としての嗜みじゃなくて、殺る気満々だった
のかなって⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
それ、正しい気がする。コレットさんてば、おちゃめさん。
旦那様評価はきっと﹃悪戯心を忘れない、だけど頼りになる可愛
い奥様﹄と見た。
﹁母はああ見えて好戦的な面があるからな﹂
﹁お若い頃からあの微笑で乗り切ってきた女傑なんですよね﹂
1684
息子とその幼馴染が二人の言葉を肯定する。
⋮⋮あれ?
私は﹃魔導師を相手にするよりマシな方法﹄として提案した筈な
んだけど⋮⋮な? 1685
認識の違い︵後書き︶
何の事は無い、親猫からの御仕置きだっただけ。
彼等の好奇心に付き合うのも大変です。
1686
魔導師に御願い?︵前書き︶
民間レベルの情報しか知らなければ主人公は御伽噺の善人的ポジシ
ョン。
1687
魔導師に御願い?
それは実に唐突な話だった。
﹁⋮⋮招待状?﹂
﹁そう、君宛のね。送り主はフェリクス殿下だ﹂
魔王様の執務室に呼び出され、何事かと思えば渡された一通の封
筒。
視線で開けるよう促され、開いたそれは夜会への招待状だった。
しかも場所はバラクシン。
アリサからは何も聞いてない。
ついでに言うなら差出人の﹃フェリクス殿下﹄って誰?
﹁⋮⋮送り間違い?﹂
思わず訝しげに招待状を眺めるのも仕方ないだろう。
知らんぞ、こんな人。しかも王族じゃん。
まあ、お忍びで何処かで知り合っていた⋮⋮という可能性も無く
はない。セシル達との逃亡旅行で酒場や宿には立ち寄っているのだ、
そこで知り合っていた可能性もある。
ライズさん︵笑︶という人も居るしな!
﹁いや、それ間違いなく君宛てなんだよね﹂
1688
そう言って魔王様は溜息を吐く。
﹁君を表に出すと絶対にこういう輩が出るとは思ったけど﹂
﹁⋮⋮つまり﹃利用しようとする人﹄ですか﹂
﹁うん。少なくとも非常に幸せな思考回路をしているんだろう﹂
バラクシンでの私の評判は災厄に近い。アリサやライナス殿下の
事も含めて簡単に利用できるとは思わないだろう。
ただし、これは上層部の人間に限るのだ。
魔王様の﹃幸せな思考回路﹄発言からフェリクス殿下は﹃王族だ
けど重要な立場からは程遠い存在﹄なのだと推測。
上層部と呼べるほど政に関わっているならば正しい情報を得てい
るだろうが、それ以外では私の情報はあまり出回っていないのだか
ら。
これには﹃国が異世界人の扱いを理解していなかった﹄という事
と﹃異世界人相手に本気でビビっている﹄という二点が挙げられる。
国の恥に直結するので外部にそのまま伝わるとちょっと拙いのだ。
特に教会と権力を二分する国だからこそ、こういった問題は他国の
介入を許す切っ掛けになってしまう。
教会にも教会派の貴族連中経由で伝わっているのだろうが、彼等
とて国の価値が下がる状況は好ましくは無いだろう。利害関係の一
致で敢えて触れない話題の筈だ。
つまり﹃異世界人の魔導師と何か揉めたらしい﹄程度が定説。
魔導師は一般的に災厄扱いなので怯えていても無理は無い、と。 今回のキヴェラの騒動でも真実を知っているならイルフェナに仕
掛けて来なかっただろう。知らなかった連中が騒いだ結果なのだと
バラクシン王からの謝罪の手紙に書いてあった。
何故か感謝の言葉もあったのが謎だ。﹃お兄ちゃん﹄呼びは王に
1689
とっても恥辱プレイではなかったのだろうか?
で。
そんな事情もあり、真っ当な上層部の皆さんは私と積極的に関わ
ろうとは思わないのが現状なのだ。
なにせ王太子をボコる姿を目撃している上、一応キヴェラに勝利
している。そんな奴を怒らせた自覚があるなら、機嫌を損ねるよう
な真似はすまい。関わらないという一択だ。
これが普通の発想。
一般的な思考。
この状況であからさまに利用しようとする奴だからこそ、魔王様
は﹃非常に幸せな思考回路をしている﹄と言ったのだ。
﹃殿下﹄とつくからには他国の王族、﹃お馬鹿さんが居る﹄とは
言ってはいけない。言葉って大事。
﹁明らかに裏がありますよね﹂
﹁そうだろうね﹂
二人して暫し無言。視線はお互いの顔に固定し、招待状は視界か
ら外す。
﹁⋮⋮体調を崩す予定なので欠席で﹂
﹁﹃予定﹄ってなんだい、﹃予定﹄って﹂
﹁いいじゃないですか! アル達に比べれば軟弱ですよ!﹂
﹁う⋮⋮それはそうだろうけどね⋮⋮﹂
嘘ではない。便利さに慣れた異世界人など、この世界の人に比べ
1690
たら虚弱⋮⋮は言い過ぎだが身体能力や体力面で劣る。
それにナイフすらまともに投げられないか弱い乙女ですよ、私は。
大人しいとは言わないけどな。
魔王様も﹃体力面で劣る﹄ということは知っているので反論は無
い。
﹁﹃体調を崩す予定﹄と言っても数日前から徹夜でもすれば事実に
できると思います。ほら、完璧! 私は寝込んでイルフェナは事実
を伝えるだけでいい!﹂
﹁それは意図的に体調を崩すって言うんだよ、ミヅキ⋮⋮﹂
やや呆れ顔の魔王様。いいじゃないですか、重要なのは結果なん
ですから。
﹁⋮⋮お前、本当にそういうことはよく思いつくな﹂
珍しくクラウスが口を挟む。
﹁何よ、今更でしょ。それとも大人しくしろと?﹂
﹁いいや? 俺は言葉が得意ではないから頼もしく思っているぞ﹂
そう言って僅かに微笑む。⋮⋮褒め言葉だったようです。
微妙な表情の魔王様はともかく、アルもいつもと変わらぬ笑みを
浮かべたまま。彼等の立場からすれば即座にこういった対応を思い
つくことは良い事なのだろう。
魔王様の教育はとっても順調、日々翼の名を持つ騎士に馴染んで
ゆく。
﹁いやいや、それ私の所為なのかな!?﹂
﹁口に出てましたか。四割ほどは確実に魔王様の教育の成果ですっ
1691
て﹂
﹁⋮⋮残りは?﹂
﹁元からの性格と環境と守護役連中﹂
﹁⋮⋮。微妙に納得できる答えをありがとう﹂
親猫としては文句を言えない答えだったらしい。さり気無く逸ら
された視線にささやかな罪悪感が漂っている気がする。
﹁とりあえず事情説明をしては如何です? ミヅキというよりエル
の事情なのではないですか?﹂
アルがやや苦笑しながら魔王様に説明を促す。それを見て魔王様
は溜息を一つ吐くと執務机の上に手を組んだ。
﹁今回の事は私関連で依頼が来た。君は私の駒の一つとして参加し
てもらいたい﹂
﹁へぇ? 魔王様の依頼主ってことはこのフェリクス殿下とやら以
上でしょうね﹂
﹁どうしてそう思う?﹂
﹁この殿下が依頼主なら最初から突っ撥ねてるでしょう?﹂
国が関わるならば魔王様とて動くだろう。
蔑ろに出来ない国と人物ならば同じく動く。
だが、この人物に関しては魔王様は﹃お馬鹿︵意訳︶﹄と言って
いるのだ、絶対にその二つに当て嵌まるまい。
可能性として最も高いのはバラクシン王からの依頼という場合。
これならば魔王様とて知らん振りはできない。
﹁そのとおり。国には⋮⋮と言うより私には王から依頼が来た。だ
けど君にフェリクス殿下から招待状が届いたのも事実だ。だから私
1692
は君を駒に選ぶ﹂
僅かに片眉を上げて魔王様を見る。王が関わっているならば魔王
様に付随する形で私が出て来る可能性も察しているだろう。
⋮⋮恐らくは﹃勝手に﹄息子が招待状を出した事も知っているに
違いない。
それに対し魔王様を頼るあたりは評価できるな、バラクシン王。
私に謝罪の手紙を寄越した事といい、今回の事といい誠実さを見せ
ている。
苦言を呈した魔王様に﹃王が頭を下げ頼んだ﹄のだ、﹃国の恥と
もいえる出来事﹄に。相手の能力を認めた上で信頼していなければ
絶対にやらん。
﹃貴方への評価も信頼も変わっていません。今後も仲良くしてく
ださい﹄的なアピールも兼ねていると見た。受けるあたり魔王様と
しても繋がりを作っておきたいのだろう⋮⋮貸しとも言うかもしれ
ないが。
﹁君の民間の評価ってね、善意の魔導師なんだよ。御伽噺に出てく
る主人公達を助ける存在みたいに思われてるんだ﹂
それはセシルを助けた事に起因しているのだろう。﹃祖国の為に
健気に耐えていた姫を救い出し、キヴェラを黙らせた断罪の魔導師﹄
とか言われていた気がする。
大まかに結果だけ見れば間違ってはいないのだが、実際は私の個
人的な思惑と利害関係、復讐者達の存在と非常に自分勝手な理由満
載だ。
ただ、これらを暴露してしまうと私達を支持した国の上層部にも
批難が向くので感動的な話に仕立て上げられて民間に流された。
歴史は権力者の都合の良いように作られるものなのだ。私にとっ
ても化物扱いされるよりはマシということからノーコメントなのだ
1693
けど。
﹁だからフェリクス殿下は君ならば味方してくれると思ったんだろ
うけど﹂
﹁それ、無茶苦茶矛盾してません? ﹃善意に縋る﹄と言いながら
も結局は﹃立場に付随する権力を行使して私を都合の良いように使
う﹄ってことですよね? 私が自分から動く気は無いんだし﹂
﹁そういうこと。それ以前に見ず知らずの他人を巻き込んだりしな
いよ﹂
呆れの中に侮蔑を滲ませて魔王様が視線を招待状に向ける。保護
者な親猫様から見てもフェリクス殿下の勝手な言い分はムカつくの
だろう。
﹃何故うちの子がお前の為に動かなければならんのだ﹄と。
⋮⋮私としてはその怒りがちょっぴり嬉しい。魔王様は良い保護
者。
アルとクラウスも同じ事を考えているのか、何処となく微笑まし
げに魔王様を眺めている。
﹁⋮⋮状況を説明してください。魔王様の意向にならば従いますよ
?﹂
顔を覗き込むようにして問えば魔王様は無言で私の頭を撫でた。
気分は親猫に頭を舐められる子猫。日頃から毛皮に包んで守って
くれる親猫様の為ならば望まれた働きをしますとも。
﹁フェリクス殿下は側室腹でね、最近婚約者が出来たんだ。ただ、
彼女の身分は子爵令嬢﹂
告げられた内容に訝しげな顔になる。
1694
王族の妃って最低ラインが伯爵家じゃなかったっけ? 例外はあ
るだろうが、家同士の婚約はある程度釣り合う家柄でなければなら
ない。
王家の場合は身分というよりも生活環境や今後を考えた意味での
ことだ。それくらいでなければ王族としての在り方に馴染めないし、
人脈も有力な貴族とは繋がっていない場合が多い。
﹃妃としてやっていくだけの資質があるか﹄ということなのであ
る。
只の貴族令嬢とはわけが違う。味方になってくれるような存在も
後ろ盾も無く、しかも身分至上主義な人々からは生まれを馬鹿にさ
れるのだから。
はっきり言って子爵程度では今後どころか本人の妃としての自覚
も怪しい。立場を理解して血の滲むような努力をし、周囲の悪感情
に耐えて結果を出せる人ならばいいのかもしれないが。
政略結婚にすら疑問を抱かないのが普通の令嬢、そんな﹃できた
人﹄がそうそう居るとは思えん。妃って妻である以上に﹃夫に仕え
るのが当然﹄だからね、殿下が頼りないなら才女のサポートが必要
だろうよ。
﹁婚約は認められたんですか?﹂
﹁うん、揉めたけど一応は。彼は側室腹の第四王子だしね﹂
要は期待されてないってことですな。こんな事をするあたり状況
把握もできないほど﹃お子様﹄か無能ってことだろう。私の情報を
正しく入手できていないしね。
﹁当然といえば当然なんだけど、婚約者殿に対する風当たりがきつ
いらしいんだよ。それもあって君に後ろ盾になって欲しいんじゃな
いかな﹂
﹁馬鹿ですか、何それ﹂
1695
﹁私もそう思う﹂
つまり。
﹃バラクシンが恐れる実力を持つ魔導師が自分達を祝福してくれ
れば誰も文句を言えない﹄と思っているということなのだろう。
彼等的には﹃物語に登場する悲劇の恋人達︵笑︶に味方する善人
の魔法使い﹄扱い。アリサの事も含めて﹃弱い者の味方﹄的ポジシ
ョンだと思われてるということですかい。
⋮⋮。
誰の事ですか、それ? もしや自分達を御伽噺の世界に重ねてでもいるんだろうか? 現
実的に考えて御伽噺的展開って無いからね? 何そのおめでたい発想。どうして私がそんな御花畑的思考に賛同
すると思うのか。
ぶっちゃけて言えば婚約が成立した以上は﹃もう勝手にしろ﹄と
いうことなのだと思う。その対策が今回の事だろうか?
側室腹だろうとも優秀ならば国に組み込む事を考えたり、要注意
人物としてマークしている筈だ。その場合は勿論、王の信頼を受け
た相応しい婚約者が王家によって選ばれているだろう。
言い方は悪いが王族としては出来損ない。
厄介だと思われているのは王家の血という事のみ。
婚約者の子爵令嬢に対し風当たりがきついのも本人が立場を理解
していないからだと思われる。自分で覚悟して婚約したんじゃない
のか、子爵令嬢よ。
﹁王子の妃になる以上は当然、婚約者になれる立場にいた御令嬢方
1696
からの恨みを買いますよね?﹂
﹁うん。相応しい人物ならともかく、個人の感情だけで選ばれると
ね﹂
ほほう、つまりは王子の個人的感情で妃を選んだと。おい、恐ら
くいたであろう婚約者とは話をつけたんだろうな? 黙ってやらか
したら双方の家の面子を潰すことになるぞ?
﹁その子爵令嬢は国が誇る才女だったり、他国の王家と深い繋がり
があるなんてことは⋮⋮﹂
﹁ないね。良く言えば素朴で朗らかな、民間人寄りの御嬢様らしい
よ? 悪く言えば上に立つ者の在り方や現実を理解せず、偽善と薄
っぺらな博愛主義を最良と思っている娘かな﹂
﹁それって個人としての施しと国としての政策を混同してるってこ
とですか﹂
﹁そうらしい。子爵令嬢が個人の資産でやるには構わないんだろう
けどねぇ⋮⋮﹂
良く言えば民を労わる優しい子。悪く言えば個人的な正義に国を
巻き込む偽善者。
国の上層部に一人居ると混乱を招く嬉しくない存在だ。そういう
人に限って自分の正しさを疑わないのだから手に負えない。
餓えた人にパンを与える﹃個人的な施し﹄と国が行なう﹃長期に
渡って現状を改善する政策﹄の差が判らないのだ。国の政策には税
金が使われる事も理解せず、一時の感謝に自分の正しさを確信する。
魔王様に依頼が来たってことは間違いなくこのタイプと見た。
だが、疑問も残る。
﹁側室⋮⋮殿下の母親はどう思ってるんですか? その実家とか。
貴族の勢力的な意味で側室にされたなら実家が黙っていない気がし
1697
ますけど﹂
それくらいの家なら私の情報も持っている気がする。
これは魔王様達も感じた疑問らしく、呆れを含んだ眼差しで手元
にあった紙を見つめた。
﹁母親は王に恋愛感情を抱いていなかったらしくてね、息子が好き
な人と結ばれるのは良い事だと思っているらしい。まあ、恋物語に
憧れる典型的な令嬢なんだろう﹂
﹁側室だから本当の妃としての役割も理解していないと﹂
﹁そういうことだろうね。息子の恋人が可愛いならば普通は祝福よ
りも不安が大きいだろう﹂
側室も妻の一人だが妃との差は段違い。キヴェラだって仲良さげ
なのに側室の二人は王妃に﹃仕える﹄という姿勢を崩さなかった。
そこには友情だけではなく敬意も含まれていた気がする。
﹁その実家は教会派の伯爵家らしくてね、君を直接知らない事に加
えてかなり嘗めているんだろう。アリサという異世界人を知るから
こそ、上手く誘導すれば君を味方に引き入れられると﹂
これには私だけではなくアル達も呆れたような表情になった。複
数の異世界人を知るからこそ、伯爵の愚かさに哀れみすら混じって
いる。
﹁確かに異世界人は常識すら知りませんけどね⋮⋮アリサは教育を
怠った国にも責任がありますし、私とは全然性格違うじゃないです
か﹂
確かにアリサならば二人に同情しそうだとは思う。しかし、彼女
1698
とて成長するのだ。
今現在は異世界人という同じ立場の私が相談役のような状態だし、
判らなければエドワードさん含め周囲の人達に聞くだろう。その周
囲の人々が異世界人への接し方を理解し、アリサの味方になってい
る以上は﹃何故ダメなのか﹄という背景事情も含めて説明し諌める。
アリサとて過去の自分を反省する日々なのだ、説明されれば理解
する。過去の彼女と今の彼女はイコールでは無い、同情はしても二
人の味方をすることはしないだろう。
﹁伯爵は異世界人を利用しようという考えなんだろうね。この世界
の知識が無いなら操れると思うような人みたいだし、今回の事も黒
幕は伯爵じゃないかな﹂
﹁私は未だ無知なままだと思われてますかね?﹂
﹁それがキヴェラの騒動に繋がったと考える人も居るんだよ。状況
を理解していないから個人の感情で姫を助けた⋮⋮ってね。君が裏
方に回ったこともあって、多くの国が動いた事とキヴェラの内部が
脆かった事があの結果に繋がったと思われてもいるんだ﹂
﹁ああ⋮⋮確かに裏方でしたね。盛大に破壊活動したわけじゃない
から魔導師といっても災厄扱いはされませんし﹂
他国からはキヴェラが魔導師の被害ゼロに見えるのだ。魔導師=
災厄=滅亡するほどに圧倒的な強さを誇り国を蹂躙する、という認
識が一般的だから。頭脳労働とは思われていないのだ。
キヴェラの上層部も私の姿や言動が魔導師のイメージと被らなか
ったからこそ、最初はあの態度だったじゃないか。
﹁というわけでね。君が特に何かをするわけではないけど、今回は
一緒に行ってもらうよ﹂
﹁向こうが何もしなければ普通の夜会ですね。何か話があるから呼
ばれたというアピールに男装で行きたいのですが﹂
1699
﹁そうだね、軽い話し合いの場として利用する事もあるから問題無
いだろう。ドレスを着ていなければ周囲にも君が好んで夜会に来た
わけじゃないことが判るだろうし﹂
無言の﹃呼び付けられました! 上流階級に混じることなど狙っ
てません!﹄的アピールです。魔導師だろうと民間人、普通はこん
な場に来る筈無いだろ!?
下手をすれば﹃思い上がっている﹄という評価さえされかねない
のだ、個人的に親しくするのとは訳が違う。何か言われたらフェリ
クス殿下の所為と暴露︱︱王族からのお誘いは普通断れない︱︱し
た挙句、﹃エルシュオン殿下の護衛を兼ねているのでこの服装です﹄
とでも言って誤魔化そう。
つーか、それくらい察しろ。この時点で自己中なフェリクス殿下
とやらへの評価は大きくマイナス。
﹁イルフェナでさえ用が無ければ参加しないのにね、君は﹂
﹁隔離状態を何だと思ってるんでしょうね?﹂ 王族にしては情報に疎過ぎるという会話に、魔王様は僅かに首を
傾げ思案顔になる。
﹁伯爵経由での情報ならば都合の悪い事は伏せられている可能性は
あるね。こんな事でも無ければ、伯爵は君と接触することさえでき
ないから﹂
﹁私が殿下の味方になれば必然的に助力を願うことになりますもん
ね﹂
そう言うと魔王様は笑みを深める。バラクシン王が警戒したのは
これなのだろう。私は他国の者なのだ、彼等の味方になった場合に
頼るのは二人の最大の味方である母親や祖父。
1700
伯爵が教会派である以上は下手をすれば王家と教会の力関係が動
く事態だ。魔導師の名はそれくらいの価値がある。
﹁俺に言わせれば伯爵こそ情報不足なのだと思うがな。ミヅキは己
が立場を理解しない権力者につくほど甘くはないぞ?﹂
﹁それ以前にそんな安っぽい恋物語に憧れてくれるなら、我々は一
体何だというのでしょうね?﹂
アル達、苦笑しつつも声に何だか怒りが篭っているような? ⋮
⋮ああ、遠回しに守護役連中が馬鹿にされたともとれるのか。一応、
婚姻希望ってことになってるから。﹃憧れ? 何それ、美味しい?﹄
って状態だもんね、私。
え、もしや素敵な騎士様としての自覚やプライドがあったのか!?
それはいくら何でも手遅れだろう、私に対しては。普段と違った
ら体調不良か記憶喪失、騙されているという状況を疑うもの。
クラウスの場合は自分より上位の術者への見下しが許し難いって
感じなんだろうな。情報収集という仕事面からしても馬鹿にされた
くあるまい。
魔王様的には頼もしい配下でも、内面含めての男としての評価は
﹃それってどうよ?﹄的なものだと思います。主に恋心を抱かない
女性視点では。
少なくともエリザやエレーナの評価は違う。ヤバイ連中という一
択だ。
素敵な騎士様に憧れるお嬢様達を平然と利用できる生き物だもん
な、守護役連中。私も人の事は言えないが。
﹁今回はアルとクラウスを連れて行くから、当日はどちらかが君の
護衛につくと思ってね﹂
1701
﹁了解しました﹂
未だ見ぬフェリクス殿下よ、ロマンスは自分の国だけで盛り上が
ってはくれまいか? 美形な守護役を互いに有効な駒︱︱勿論、信頼関係にあるからこ
そ︱︱と考え、後宮では罠と策略に熱意を燃やし︱︱生まれるのは
恋愛感情でも忠誠心でもなく戦場の絆だ︱︱側室どもを一掃した私
にとって君達の恋物語は何の価値もない。
それに。
利用しようとするなら反撃される可能性もあるって理解できてる
かなー? 1702
魔導師に御願い?︵後書き︶
中途半端に主人公の情報を持っていると勘違いする人も居たり。
勿論、そんな善人は存在せず。
相手視点は次話にて。
1703
脇役達は思う⋮⋮迷惑だと︵前書き︶
バラクシンの人々視点。
温度差があり過ぎです。
1704
脇役達は思う⋮⋮迷惑だと
︱︱バラクシン・ある一室にて︱︱ ︵フェリクス視点︶
﹁まあ! それでは魔導師様がいらっしゃるやもしれませんのね?﹂
﹁ああ。セレスティナ姫の味方をしたくらいだ、サンドラの味方に
だってなってくれるだろう﹂
嬉しそうに微笑む女性に釣られるように笑みを浮かべる。自分の
婚約者となってからは辛い思いをしてばかりなのだ、こんな笑顔を
見られるならば無茶をした甲斐があったというもの。
サンドラは子爵令嬢だ。本来は王族の婚約者になどなれはしない。
自分にも父の決めた婚約者である公爵令嬢が居たが、実に煩く嫌
味な女だった。
良く言えば﹃貴族らしい﹄女なのだと思う。いつも余裕のある笑
みを浮かべ、礼儀作法も完璧。
取り巻きの女達は彼女を自分より上位と認めていたようだし、ど
んな話題を振っても模範的な答えを返す。
﹃王族の妃﹄という立場に据えるならば全て必要なものだ。
だが、それは立場に相応しいというだけであって僕が望むもので
はない。
⋮⋮母は不幸な人だった。家の為に望まぬ婚姻を強いられ、側室
に収まった。
物語のような恋に憧れていた女性にとっては苦痛以外の何物でも
あるまい。
それでも生まれた自分を慈しんでくれたのだから、とても愛情深
1705
い人なのだと思う。
いつも辛い事から守ってくれた母は、その所為か父とは疎遠だ。
父の一番は王妃とその息子達、そして弟。望まれた存在ではない母
や自分はいつだって部外者なのだ。
﹃フェリクス、貴方は幸せな結婚をしてね﹄
﹃女の子はいつだって王子様に憧れるものなのよ﹄
少女の様に夢を語り、自分の恋を応援してくれた母と優しい祖父。
二人の後押しで何とか婚約にこぎつけられたのだ、感謝してもし足
りない。
今回の事とて祖父からの入れ知恵だった。
﹃バラクシンはイルフェナの魔導師をとても恐れております﹄
﹃彼女を味方につけられれば、煩わしい輩も沈黙するでしょう﹄
﹃魔導師の噂を御存知でしょう? 彼女は弱き者の味方なのです﹄
それを聞いて心に歓喜が満ちた。
﹃弱き者﹄ならば自分とサンドラに当て嵌まる。
御伽噺のような出会いと恋をしている自分達に神は手を差し伸べ
られたのだ!
物語とて主人公に手を貸す優しい魔女が出て来るではないか。魔
導師とて自分達の状況を知れば手を貸してくれる筈。
サンドラは貴族でありながらも領民を慈しむ心優しい娘だ。
質素なドレスでも微笑を絶やさず﹁贅沢をするよりも彼等にパン
を﹂と考える。
1706
宝石を買うよりも教会に寄付をして孤児院の経営に役立てること
を望む。
これほど素晴らしい女性の価値を理解しない者達のなんと愚かな
事!
⋮⋮父を含め婚約を反対した者は身分が全てと考える者なのだろ
う。もっと大切なものがあるというのに。
己を飾るよりも民を慈しむ娘は当然慕われた。特に現在サンドラ
の侍女をしている娘は彼女の実家から志願してついて来てくれた。
主を﹁御嬢様﹂と慕い、嫌味を言う令嬢達から守る彼女へ自分が
向ける信頼は厚い。
貴族相手だろうと怯まず言い返す姿に厳しい目が向けられても、
泣く事も逃げ帰る事もしないのだ。
今はまだ婚約者という立場ゆえ子爵家令嬢の侍女でしかないが、
婚姻すれば我が妃の侍女に抜擢しようと思っている。サンドラも心
強いに違いない。
﹁ふふ⋮⋮フェリクス様を見た時、孤児院の子達は﹃王子様が来た
!﹄って大騒ぎでしたのよ?﹂
﹁確かに王子様なんだけどね。あの子達が見ていたのは君が読み聞
かせていた御伽噺の王子だろ?﹂
﹁ええ。今こうしていることも御伽噺のようですけど﹂
そう言って僕が贈った指輪を嵌めた指を愛しげに撫でる。侍女は
微笑ましそうに眺めつつもテーブルにカップを二つ置くと、一礼し
て静かに出て行った。気を利かせてくれたらしい。
幸せで穏やかな午後の一時に、絶対にこの幸せを逃すまいとひっ
そり誓う。
御伽噺の王子と心優しい娘の恋は必ず﹃めでたし、めでたし﹄で
1707
終るんだ。
僕達も彼等以上に幸福な結末を目指してみようじゃないか。
※※※※※※※※※
︱︱バラクシン・ある館にて︱︱ ︵バルリオス伯爵視点︶
﹁ほう⋮⋮本当にやりおった﹂
思い通りの展開に口元に笑みが浮かぶ。これで魔導師はこの国へ
とやって来るだろう。
﹁あれも漸く役に立ってくれたか﹂
思い出すのは己が孫にあたる人物。母親と同じく少々幸せな頭を
している、この国の第四王子。
娘を強引に側室にした時から生まれた子を影で操る事を夢見ては
いたのだ。男児誕生に野心も形になりかけたと浮かれたものだった。
長い時間をかけて漸く己が夢が叶う。その事実に笑い出しそうに
なる。
王家と教会が対立するこの国では、教会派がどうにかして王家に
影響を与えようとするのが常。そのチャンスは先代に男児が一人し
かいなかった時だった。
送り込まれた娘は見事男児を生んだが、産後の肥立ちが悪く死亡。
しかも生まれた子は兄や姉に非常に懐き、今では教会に敵対する筆
頭となってしまった。
王弟ライナスこそ教会派にとって最悪の裏切り者なのである。
望まれた役割を教えられても決して靡かず、あろうことか兄に子
が生まれると即座に継承権を放棄し、王への忠誠を誓約に認めた。
1708
ここまでされるともはや打つ手は無い。諦める他は無かった。そ
して次に期待されたのが教会派貴族の娘を再び側室に送り込むこと
だったのだ。
問題は娘が想像以上に愚かだったことだろうか。当時を思い出す
と本当に頭が痛くなる。
﹃嫌よ、お父様! 私は好きになった方へ嫁ぎたいの!﹄
側室の話を持っていった時にこの台詞。普通に縁談が来ているわ
けではないのだ、断れる筈はなかろう。
王家が望んではいなかったとはいえ、側室を送り込もうと考える
輩は大勢居た。当時、王妃の子が一人だけだった事から王も断りき
れず、仕方無しに許された幸運を何だと思っているのか。
そもそも貴族など家同士の都合で婚約が決まるのだ。
恋愛結婚という例も無くはないだろうが非常に珍しく、家柄が釣
り合い様々な条件が揃ったからこそ許されるものである。
それを﹃好きになった方へ嫁ぐ﹄? 相手にだって選ぶ権利はあるだろうに、自分勝手な夢ばかりを押
し付ける気か。
そもそも、こんな言葉を口にした段階で相手の家はかなりの確率
で婚姻を認めはしないだろう。
貴族としての在り方があるのだ、それができない者を招き入れれ
ば家を巻き込んで評価を落とす。
夢見がちな少女に想いを寄せる男もいるだろうが、いつまでも同
じ価値観は持てないだろう。当主となれば家を守らなければならな
いのだから。
母親が甘やかした所為もあるだろうが、何故こうなったのか。
少しは野心を微笑みで隠して家の利となる婚姻をした姉を見習っ
1709
てほしいものである。
⋮⋮姉に比べて出来の悪い妹だからこそ、比べられない方面に傾
倒しているのかもしれないが。
﹁だが、王子を産んだ。寵愛はそれっきりらしいが十分役には立っ
た﹂
恋を夢見る母親は息子を溺愛し、甘やかした。王は分け隔てなく
王族としての教育を施したのだろうが、辛ければ母の下に逃げる王
子に段々と期待しなくなっていった。
気にかけようとも母親が邪魔をするのだ、手に負えない。更には
それを﹃側室と側室の産んだ子だから﹄だと思い込むのだ⋮⋮己が
非を認めもせずに。
それを知りながらも諌めなかったのは愚かな王子であるほど自分
に都合が良かったから。
優しい祖父として懐かせ、王族との繋がりとする。今回の事とて
フェリクスは即座に自分を頼ったのだから成功したと言えるだろう。
﹁あの王子に交渉ごとなど期待できん。私自身が接触し魔導師をこ
ちら側につけることができれば⋮⋮﹂
王家と教会の力関係は逆転する。しかもフェリクスという王子が
こちらの手にあるのだ。
魔導師といっても所詮は異世界人、あのアリサとかいう娘のよう
に感情優先で振舞っているからこそキヴェラを平然と敵に回した。
甘いのだ、やはり。
きっと御伽噺の様に、運命の恋を貫くあまり周囲の冷たい視線に
晒されている恋人達の力となってくれるだろう。年頃の女性という
ことからもそういった話に共感を覚えるかもしれない。
1710
﹁夜会が楽しみだよ、魔導師殿﹂
そう言って手元の招待状に視線を向けた。
※※※※※※※※※
︱︱バラクシン・ある一室にて︱︱ ︵ライナス視点︶
話を聞いた直後、私は顔を上げられなかった。そして思った⋮⋮
﹃終ったな、フェリクス⋮⋮!﹄
唐突な兄からの呼び出しに首を傾げつつ、訪れた部屋。
そこには兄だけではなく自分と歳の近い王太子、リカード、そし
て宰相が集っていた。
集っていた、のだが。
雰囲気は葬式会場。
特に兄と甥は酷く落ち込んでいる。
リカードは殺気を隠し切れずに目付きが益々鋭くなり。
宰相は無表情で何かを書いていた。
⋮⋮帰りたい。
そう思っても仕方あるまい。とにかく、彼等の雰囲気がヤバかっ
1711
たのだ。
﹁なあ、ライナス⋮⋮﹂
覇気の無い声で兄︱︱王が問う。
﹁あの魔導師は恋物語に感動するような性質だと思うか?﹂
﹁は? 魔導師⋮⋮ミヅキですか? 無理でしょう﹂
無理、絶対そんな真似はしない。
あれほど現実的に物事を捉える娘など貴族ですら珍しい。そもそ
も﹃利用できるもの﹄を正確に把握し、適切な使い方をするからこ
そ厄介なのだ。
現に守護役達の使い方を心得ている。尤もそれはお互い様という
ことらしく、頼り頼られの友好的な関係が築かれているようだった。
あれが恋をする。
あの娘が相手を思って頬を染める。
⋮⋮。
駄目だ、何かの策略だとしか思えない。ふとした瞬間に獲物を狙
う狩人の目になってそうな気がする。
飼い主に獲物を献上する猫とそれを褒める忠犬ども。奴等はきっ
と猫を諌めない。
﹁叔父上、随分とはっきり言い切りますね? それほど私達の心臓
を止めたいのでしょうか⋮⋮﹂
思わぬ言葉にぎょっとして兄から視線を俯いたままの甥に移す。
ゆらり、と顔を上げた甥︱︱王太子は。
1712
ヤバかった。
目が据わってた。
いつも﹁兄上でいいですよね、五歳しか違わないし﹂と明るく言
ってくる、若い頃の王によく似た優しげな雰囲気の青年は何処に行
った!?
お⋮⋮叔父さん何かしたのかい!? 謝るから言ってごらん!?
﹁エルバート、ライナスに非は無いのだからやめなさい﹂
﹁はい⋮⋮そうですね。申し訳ありません、叔父上﹂
王に諌められ素直に謝る甥。⋮⋮おかしい。本当に何があったと
いうのだろう?
その疑問は最も冷静だった︱︱身内でない事と怒りが突き抜けて
いた所為らしい︱︱宰相によって齎された。
﹁フェリクス王子が﹃勝手に﹄夜会の招待状を﹃イルフェナの魔導
師殿﹄に送ったのですよ﹂
﹁は⋮⋮? 面識など無いだろう? 噂だって知っているだろうに﹂
﹁それがな、﹃優しいお爺様﹄に﹃弱い女性の味方をする魔導師﹄
だと聞いたらしいぞ?﹂
疑問に答えてくれた王の言葉に視線を鋭くさせる。
無理に自分の娘を側室に押し込んできた教会派の伯爵。あれは野
心の塊であって﹃優しいお爺様﹄などと言うのは手駒として確保さ
れているフェリクスのみ。
フェリクス自身がそういった輩を見極められれば良いのだが、あ
の子は自分にとって都合のいい者の言葉しか聞かない。そう育てら
れてしまった。
1713
本人も甘やかされるのが当然という環境だった所為か辛い事から
逃げる傾向にあり、逃げた先で更に甘やかされるという悪循環。
尤も母親はともかく、伯爵は懐かせる事が目的だったようだが。
苦言を呈する忠誠や後々苦労すると判っている王族だからこその
厳しい態度、それらを理解せず﹃側室の子だから自分だけ苛められ
る﹄で済まされては関わりたくもなくなる。
フェリクスは現在十七歳。未だ幼さが抜けきらぬ容姿と同様に考
えも浅く、甘やかされたゆえに世界は都合の良いことばかりではな
いと理解していない。
魔導師に招待状を送ったというのも御伽噺の様に自分達を助けて
くれるという、思い込みからだろう。
普通ならば最低限、信頼する者に魔導師の情報を集めさせる。イ
ルフェナが関わっている以上は難しいだろうが、それでも﹃無条件
で助けてくれる善人﹄ではないことくらいは判る。
﹁伯爵に誘導されたとして。彼の狙いは?﹂
﹁おそらくは魔導師と接触したいのでしょう。フェリクス殿下の味
方をするならばバルリオス伯爵は最強の味方とも言えます。そこか
ら親しくなり教会派に取り込む⋮⋮という夢を見ているかと﹂
頭の足りない思惑を聞き思わず半目になった。周囲も﹁判るぞ!﹂
と言わんばかりに頷いている。
宰相に至っては﹁愚かですよね﹂と冷めた目をしつつも笑ってい
た。
何だ、その御花畑的思考は。ついにボケたか、あの伯爵。
宰相も判っているのか﹃夢を見ている﹄という表現を使っている。
彼女に一度でも接しているなら、そんな甘い計画は粉砕されるど
ころか計画者の心を折られるという結論に達するのが普通。
1714
そういう生き物なのだ、魔導師殿は。優しさも持ち合わせるが、
それ以上に厳しさを持ち凶悪な性格をしている異世界人凶暴種。ア
リサを基準にしてはいけない。
大人しくさせるには飼い主に頼むしかないだろう。その飼い主も
また負けず劣らず凶暴なのだが。いや、あの国ではそれが普通なの
かもしれない。
そこまで考えてふと首を傾げる。﹃魔導師に招待状を送った﹄と
は聞いたが、あの飼い主が許すのだろうか? 普通ならば後見人で
あるエルシュオン殿下の所で止めるだろう。
王に尋ねると乾いた笑いと共に衝撃の事実が語られた。
﹁⋮⋮送ってないからだ﹂
﹁⋮⋮誰に?﹂
﹁エルシュオン殿下に。魔導師殿だけに送ったのだよ、あの馬鹿息
子はっ! イルフェナに喧嘩売ってどーするんだ、後見人無視して
招待とか無いだろ!? 魔導師殿にも招待状だけみたいだしな、最
低でもドレスと装飾品持参して礼儀作法を教えてくれるよう頭を下
げるのが筋ってものだろうが!?﹂
王は頭を掻き毟りながら捲くし立てた。だが、それを聞いた私の
顔からは血の気が引いてゆく。
個人的に親しい貴族相手ならばそれでもいいだろう。だが、相手
は異世界人。後見人を無視するなどありえない。
﹁⋮⋮。異世界人は必要に迫られない限り民間人扱いだったと思う
のですが。ミヅキは騎士寮で生活していますし、ドレスどころか礼
儀作法など知らない可能性があるのでは?﹂
これは貴族に対してのものという事ではない。淑女のマナーとい
うやつだ。
1715
できなければ恥をかくだけなのだが、ミヅキは夜会になど参加す
るようなタイプではない。守護役達とて騎士なのだから、そうそう
夜会に貴族としては参加しないだろう。
つまり彼等がミヅキを夜会に伴っていなければ、ミヅキは淑女の
マナーなど学んでいない。
﹁ドレスや装飾品をいきなり贈るというのも参加を強制するみたい
な感じになりますから、まず職人達を連れて行って参加の意思を問
うべきでしょうね。それなら﹃参加するならばこちらで用意します﹄
という意思表示になりますし﹂ 宰相が深々と溜息を吐きながら口にする。民間人を招待するなら
ばそれくらいしなければならないのだ、生活そのものが違うのだか
ら。
それをフェリクスは無視⋮⋮いや、思い至らなかったのだろう。
あの子の世界は王族・貴族しか居ない。誘えば着飾って来るのが当
然と考えているのだ。
﹁一応、私から頭を下げると共にエルシュオン殿下に﹃あの事﹄を
依頼しておいた。殿下は快く受けてくれたよ⋮⋮随分とフェリクス
の事でお怒りだったからね﹂
﹁ああ⋮⋮飼い主を軽んじられてミヅキ達も怒っているでしょうか
ら連れて来ますね﹂
溜息を吐きつつも﹃手は打った﹄と告げる王に皆が賞賛の篭った
目を向け拍手した。
さすがです、王! 少なくとも国としての礼儀は通しましたね!
滅亡は免れました!
思いつく限り、それが最善の手だ。寧ろ他には手が無いだろう。
後見人に依頼することで﹃貴方の好きになさってください。支持
1716
します﹄と王自ら表明したのだから。
言い換えれば﹃報復したければ御自由にどうぞ﹄ということだ。
これならエルシュオン殿下も己の駒としてミヅキを連れてくるだろ
う⋮⋮フェリクスに対する餌として。
現実を見ず、家族の言葉を聞かず、物語のような恋を求めた第四
王子の未来はかなり厳しいものになるのだろう。
誰からも認められる﹃本物の王子﹄と彼に従う者達によって。
1717
脇役達は思う⋮⋮迷惑だと︵後書き︶
本人の自覚と周囲の状況って大事だね、という御話。
苦労するのは脇役の皆さん。
1718
和やかな一時⋮⋮?
さて、やって来ましたバラクシン! ⋮⋮と言っても夜会は数日後。とりあえず事情を聞かねばならん
と、イルフェナ組はこっそりライナス殿下の館に滞在。
ここならフェリクス殿下が来ないんだってさ。一番フェリクス殿
下に厳しいのが叔父であるライナス殿下なんだとか⋮⋮つまり避け
られているってことらしい。
本当に甘やかされた王子様なんだねぇ、フェリクスって。魔王様
やルドルフが基準となっている私から見ると存在が許されているの
が不思議。
ある程度の事情をライナス殿下に説明され、次は王を交えて今後
についての話し合い。
﹁本当に申し訳ない!﹂
そして目の前で頭を下げるのはバラクシン王。隣の王太子殿下も
同じく頭を下げている。
座ったまま、非公式とはいえ国の最高権力者達の謝罪。そうか、
そんなにイルフェナや私が怖いのかい。
﹁謝罪は受けておきますよ。とりあえず﹃貴方達﹄に対しては何か
をする気はない﹂
やや厳しい表情で告げる魔王様。普通に考えてフェリクスのした
事は魔王様⋮⋮ある意味国が馬鹿にされたとも取れるから笑顔には
なりませんな。
でも言うべきことはしっかりと言っている。﹃元凶の馬鹿どもは
1719
がっつり〆るけどね﹄と。私も今回止められてないしね。
向こうもそれは判っているのだろう。だからこその﹃この場﹄な
のだ。
⋮⋮非公式とはいえ記録は残せる。王家としては謝罪をして許さ
れていると同時に、イルフェナ勢がフェリクスに対し報復しても黙
認する、と。
明確な証拠を残しておかねば国が責任を負う事になってしまう。
伯爵の目的が私と接触する事だというなら、それも計算されていた
筈。
つまり﹃勝手な事をしたフェリクス達の罪は王家が背負う﹄、﹃
魔導師と接触し取り込む美味しい所は自分﹄といった認識なのだろ
う。伯爵にとってもフェリクスは王家の血筋という以外に使い道は
ないらしい。
まあ、懐かせる為とはいえ頭の出来があれでは期待しないか。
﹁ありがたい。今回はこちらが一方的に悪い⋮⋮彼等に関しては咎
めることはいたしませんぞ﹂
﹁了解しました。その言葉をお忘れなきように﹂
ほっと息を吐くバラクシン勢は即座に返された魔王様の言葉に暫
し固まる。
⋮⋮。
魔王様ってば、おちゃめさん。﹃身内くらいきちんと躾とけ!﹄
とお説教するなんて温い真似はしないのですね?
﹃やっていいって言ったよね? 報復推奨したよね!? 言い逃
れは許さないからね?﹄としっかり﹃言質取りました﹄と強調しま
すか。
誰が聞いても﹃約束破ったら報復します﹄としか聞こえない脅迫
1720
なのだが、言葉だけなら事実の確認。
裏の意味を正確に受け取る事も王族としてのマナーです。迂闊な
事が言えん立場だしな。
﹁と⋮⋮ところで! その、魔導師殿なのだが⋮⋮﹂
引き攣ったまま、バラクシン王は私に視線を向ける。
﹁何故、ライナスをずっと見ているのかね?﹂
﹁話はちゃんと聞いてますよ﹂
﹁いや、気になるのだが﹂
私はずっとライナス殿下を見つめております。本人はとっても居
心地悪そうだ。
いえいえ、前回お会いしてから初めて顔を合わせますし?
私としては言いたい事とかあるわけですよ。
﹁そうですね⋮⋮アリサの所でお会いした時に少し御話させていた
だきましたが、﹃何故か﹄私の居ない間にイルフェナを個人的に訪
ねたそうで﹂
びくぅっ! とライナス殿下の肩が跳ねる。
﹁ええ、勿論個人的なお付き合いとか御忍びも有りだと思いますよ
? ﹃わざわざ﹄﹃魔王様﹄に用があったのかなって。⋮⋮ま・さ・
か﹃探りを入れに来た﹄なんて思いませんでしたが﹂
笑顔で続ける私とは逆にライナス殿下の顔色は悪くなってゆく。
事情は知っていても本人からは何も聞いてないぞぅ、このまま流
すものか。
1721
そもそも﹃私は魔王様達に感謝してますよ﹄とあれほど言ったの
だ、その直後に来た以上は事情があろうとも嫌味の一つや二つは覚
悟すべきだろう。
﹁そ⋮⋮その、すまなかった﹂
﹁ふふ、事情は王様からのお手紙で知っていますし謝罪の言葉も頂
きました。⋮⋮で﹂
にこおっと笑い。
﹁﹃お兄ちゃん呼び﹄は? 私はまだ聞いていないのですが﹂
﹁は?﹂
﹁だから﹃お兄ちゃん﹄と呼ぶ姿が見たい、聞きたい、それまで許
さない﹂
その言葉にイルフェナ勢は面白そうな顔になり︱︱連中は基本的
に楽しい事が大好きだ︱︱、何故かバラクシン王は目を輝かせ、ラ
イナス殿下はがっくりと肩を落とした。
﹁そうだな! 魔導師殿はまだ聞いてないものな!﹂
﹁⋮⋮嬉しそうですねぇ、王様﹂
﹁うむ! 兄上とすら中々呼んでくれなくなっていたからな。魔導
師殿の提案は実に喜ばしい!﹂
⋮⋮。恥辱プレイにはならんかったか。別に喜ばせたかったわけ
ではないのだが。
まあ、黒騎士情報でライナス殿下の少々複雑な家庭事情は知って
いる。現に王太子殿下とは叔父と甥ながら兄弟にしか見えない。
そういう背景事情もあり、明確に臣下と位置付ける意味で﹃陛下﹄
とか﹃王﹄としか呼ばなくなっていったんだろう。
1722
だが、兄は寂しかったらしい。今も嬉々として﹃昔からどれほど
可愛く良い弟だったか﹄を語っている。ライナス殿下は下を向いて
完全に沈黙。
哀れ⋮⋮真の敵は兄だったか。すまない、これは予想外だった。
﹁えーとですね、盛り上がっているところを申し訳ないのですが。
もし、この場で﹃お兄ちゃん呼び﹄をしてくれたら今後この話題は
振りませんし、﹃魔王様達が動けない方面﹄で結果を出して差し上
げますよ?﹂
私の提案に王様はぴたりと話を止め、ライナス殿下は怪訝そうに
私を見た。
﹁魔王様達が許されたのはフェリクス殿下に関して、ですから。そ
れ以外は私が適任では?﹂
﹁おや、ミヅキ。伯爵を相手にするのかい?﹂
魔王様は意味が判っているらしく、面白そうに尋ねて来る。だが、
バラクシン勢は難しい顔をしたままだ。
﹁できるならば頼みたいが⋮⋮それは難しいだろう﹂
﹁どうしてですか?﹂
﹁教会とて一枚岩ではない。それに今回フェリクスにはイルフェナ
を軽んじた罪があるが、伯爵は罪に問えるほどの事をしていないの
だよ﹂
現時点では、ということか。確かに伯爵はフェリクス殿下に情報
を流しただけだろう。﹃フェリクス殿下が都合のいい事だけを聞い
ていました﹄と言われればそれまでだ。
だが、バラクシンの皆様は重要な事を忘れている。
1723
﹁やり方はいくらでもありますよ? 過去の罪をネチネチと暴く、
フェリクス殿下との連帯責任、煽って怒らせ喧嘩をふっかけてもら
う、寧ろこちらから﹃下らない情報を流して馬鹿を煽るな!﹄と問
答無用にボコる⋮⋮ほら、手は事欠きません﹂
﹁待て待て待て! 最初の方はともかく、段々おかしな方向になっ
ていないかね!?﹂
﹁え、別に? そもそも魔導師って災厄扱いじゃないですか。利用
される事を黙って受け入れる方が不自然ですよ﹂
﹁た⋮⋮確かにそのとおりなのだが。君の方が悪役に聞こえるぞ?﹂
﹁それに何か問題が?﹂
さらっと告げればバラクシン王は呆気にとられ、ライナス殿下は
深々と溜息を吐いた。ただ、王太子殿下は興味深そうに話を聞いて
いる。どうやら魔導師の手腕に興味があるようだ。
﹁面白い人だね、魔導師殿は! 君は他人の評価など気にしないと
?﹂
﹁親しい人達にとっては今更ですから。恐怖伝説を築いていくのも
一興です﹂
何かの役に立つかもしれないじゃないか。
ここは一つ、リアル災厄を演出してみてもいいと思うのですよ!
だってアリサに手を出そうとする奴の牽制になるじゃん? ライ
ナス殿下も後見として残ってくれなきゃ困るし。
﹁はは! ミヅキは自分とアリサの今後の為にも言っているんだね。
後見のライナス殿下は必要だし、教会派も鬱陶しい、ついでに魔導
師の脅威を知らしめたいと﹂
﹁そんな感じです、魔王様。バラクシンの為というより主に個人的
1724
な事情ですね﹂
﹁実に魔導師らしい答えだね﹂
親猫様は本日も平常運転、面白がるだけで今回ばかりは目的が判
っていても止めはしない。
イルフェナには何の恩恵も無いが、止めないってことは今回の事
が相当頭に来ているのだろう。もしくは下手に教会派の伯爵を無視
すれば、後々同じ事を考える輩が出ると思っているか。 どちらにせよ、折角バラクシンに来ているのだから脅しの一つや
二つはしておきたい。
今こそ、災厄の名を使う時!
過去の魔導師様達、貴方達の行動を見習わせてもらいますね!
﹁あ∼⋮⋮判った、私は何も聞かなかったことにしよう﹂
やや目を逸らしながらバラクシン王が告げれば、王太子殿下も苦
笑して頷く。
やりぃ、︵多分︶許可出た! 待っててねー、伯爵様!
﹁で。決まった以上は言ってくれますよね?﹂
一人顔を背けるライナス殿下に皆の視線が集中する。バラクシン
王は皆の前で言ってもらえるのかと妙に嬉しそうだったり。
﹁く⋮⋮﹂
﹁バラクシンの平穏﹂
﹁う⋮⋮﹂
﹁教会派に煩わされない王家の今後﹂
1725
﹁⋮⋮﹂
﹁アリサの幸せが壊された場合は国滅亡の危機﹂
最後は冗談ではないと悟っているのか、ライナス殿下がぴくりと
反応した。
王太子がぎょっとしたような顔になるが、気の所為だ。どうやら
上層部は脅しじゃないと理解できているらしい。
そして。
﹁お⋮⋮お兄ちゃん⋮⋮﹂
﹁うん、何かな。弟よ!﹂
やや小さな声で聞こえた﹃お兄ちゃん呼び﹄にバラクシン王は満
面の笑みで応えたのだった。ライナス殿下は顔真っ赤。
いいじゃん、兄弟なんだしさ? あの様子だと今後も呼ばされる
だろうから、そのうち慣れるって! それにしても。
嬉しそうだねぇ⋮⋮お兄ちゃん。王として﹃国の為﹄だと命令す
るっていう方法もあったのに敢えて無視したな、この人。
気付いていないのは精神的に余裕の無いライナス殿下ただ一人。
皆が王に生温い視線を向けたのは言うまでも無い。
1726
和やかな一時⋮⋮?︵後書き︶
主人公は単に﹃お兄ちゃん呼び﹄が聞きたかっただけ。
1727
小話集13
小話其の一 ﹃実力者の国ならば﹄︵レックバリ侯爵視点︶
エルシュオン達がバラクシンへと旅立ったその日︱︱イルフェナ
の某騎士寮の食堂にはそこで生活する騎士達と一部の近衛、そして
医者が集っていた。
全員に共通しているのは厳しい顔をしている事。バラクシンのフ
ェリクスの行動は忠誠心厚い彼等を激怒させたらしかった。
普通に考えれば当然だ。
後見人を無視した挙句に異世界人を利用しようとするなどありえ
ない。
悪意があろうと無かろうと現状はそれなのだ。王が直々に謝罪し
たからこそ宣戦布告を免れたようなものである。それほどの侮辱だ。
国際問題にならなかったのは王が即座に謝罪した事と報復を黙認
したからこそ。
役立たずの末席王族に国ごと馬鹿にされて怒らぬ者など、この国
にはいないのだ。
﹃こちらの要望どおり異世界人を仕立ててくださいね。反論は認め
ませんから﹄
フェリクスのやり方を言葉にするならこうなる。
イルフェナの顔を立てるならば、王族であるフェリクスにミヅキ
が逆らえる筈は無い。その上で支度も必要な教育も全てイルフェナ
任せにしたくせに、国には伺いすら立てぬとは。
1728
はっきり言えばわざとやっているとしか思えないのだ。⋮⋮一般
的な常識があるのなら、だが。
﹁そうカリカリするでないよ、お前達。あの方は悪意があったわけ
では無さそうじゃからな﹂
やや呆れながら︱︱フェリクスを知っているので、彼等よりは理
解があるだけだ︱︱も諌めれば視線は一気に自分へと集まった。
﹁しかし⋮⋮普通ならば考えられません! 仮にも王族なのです、
最低限の他国への気遣いは出来て当然ではないのですか?﹂
﹁うむ、この国ではそうじゃろうなぁ。そうでなければ他国に向け
て王族を名乗ることなど許されんじゃろうからの﹂
憤りを抑えきれぬ騎士に頷きながらも内心苦笑する。
そう︱︱﹃この国の王族ならば﹄。彼等にとって基準となるべき
ものは己が国。それはどんな国の騎士とて同じであろう。だが、バ
ラクシンとてフェリクスが当然とは言うまい。あれは特殊だ。
﹁お前達が憤る気持ちも判る。じゃがな? 基準となるものが変わ
れば随分と対応に差が出るもの。ミヅキがいい例じゃろうが。あの
娘はエルシュオン殿下やルドルフ王が王族の基準⋮⋮ゆえにルーカ
ス殿には随分と厳しい評価をしておったじゃろう?﹂
こう言っては何だが、ミヅキの教育は随分と凄まじいものだった。
必要な事とはいえ、エルシュオンに報告書を送ったゴードンが顔色
を変えるような﹃体験学習﹄なのだから。
確かに身には付くだろう。⋮⋮己が命が懸かっているのだ、必死
にもなる。
だからと言って貴族でさえドン引きするような事をするのはどう
1729
かと思うのだ。身になったのは本人の性格が凄まじく前向きであり、
尚且つ不屈の精神を持っていたからである。
軟弱な精神をしていたら心が折れているだろう。それはもう、ば
っきりと。
その果てに自害でもしかねないのだ、さすがに殿下には小言を述
べさせてもらったが。
ミヅキをそんな状況に放り込んだ殿下とて悪意があったわけでは
ない。
魔導師である以上は厳しくせざるを得なかっただけ、それが理解
できているからこそミヅキは殿下にあれほど懐いている。
﹁殿下がミヅキに厳しい教育を施したのはミヅキを案じるゆえ。そ
の御心を察したからこそ、ミヅキは今の状態じゃろう? フェリク
ス殿下はな⋮⋮他者の意図によって甘やかされ、本人も厳しい教育
を拒絶した典型なのじゃよ﹂
﹁⋮⋮王族である以上は義務では? 不穏分子を生かしておくほど
国の上層部は甘くはありません﹂
不満げに、それでも一応納得したらしい若い騎士はそう尋ねてき
た。それに一つ頷く。
﹁うむ。じゃが、あの国は教会派が黙っていまいよ。ライナス殿下
という前例がある以上は手駒となった王族を守るじゃろうしなぁ⋮
⋮その価値が王族の血にしかなくとも﹂
教会派にとってはフェリクスは救世主のようなものだろう。⋮⋮
もう少し賢ければ。
懐かせる為に愚かであれと育てたのかもしれないが、最低限の事
ができなければ害にしかならない。
結果、祖父である伯爵が手駒としているが教会はあまり期待はし
1730
ていないようだ。下手な事をすれば即座に切り捨てられるだろう。
王族の血は確かに重要だ。
だが、その血を利用できる人物であることも重要なのだ。
今回の事も王族としての在り方を身に付けていれば防げた筈であ
る。それを怠ったのは元凶である伯爵と母親である側室、なにより
フェリクス本人。
﹁エルシュオン殿下が直々に出向く。これほどフェリクス殿下にと
っての苦痛はあるまいよ。逃げ続けたもの以上を身に付け魔導師を
味方にした王子。まさに自分が望んだ姿じゃろうからな﹂
罪と共にフェリクスはエルシュオンとの差を実感させられるのだ。
その為にエルシュオンはミヅキや幼馴染達を連れて行ったのだから。
自慢するような真似はしないだろう。彼等はエルシュオンが居る
からついて行く、ただそれだけなのだ。
忠誠、友情、感謝⋮⋮そういった感情を向けられる姿を見せ付け
られたフェリクスは何を思うのか。
﹁儂はあの王子に同情はせん。そのような価値はないからの﹂
そう締め括って口元に笑みを浮かべれば何人かが顔を引き攣らせ
て下を向く。
表面的な穏やかさに隠された、確かな毒を嗅ぎ取って。
﹁脅かし過ぎですぞ、レックバリ侯爵﹂
﹁なぁに、殿下が向かったというに随分と頭に血が上っているよう
じゃからなぁ﹂
1731
呆れたように嗜める騎士団長の言葉に楽しげに返し。儂はバラク
シンへと赴いた一行を思い浮かべ笑みを浮かべた。
フェリクス殿下よ、イルフェナ流の報復を御覧あれ。
我等は伊達に実力者の国などと呼ばれてはおりませぬ。
力で押さえ付けるのではなく、言葉で敵の傷を抉るも一興。
⋮⋮我が国の誇る魔王殿下を侮った罪、御自身でしかと感じるが
宜しかろう。
※※※※※※※※※
小話其の二 ﹃傍観者達は密やかに期待する﹄︵ルドルフ視点︶
珍しく仕事も片付いた午後。
アーヴィを誘い呑気に茶を飲んでいた俺は今朝から疑問に思って
いた事を口にした。
﹁なあ、セイル。お前、今日はイルフェナに行くんじゃなかったか
?﹂
美貌の将軍様が何故か傍に控えているのだ。不思議に思って当然
だろう。
この将軍様、常に穏やかな笑みを浮かべているのだが性格はあま
り宜しくない。現在それはイルフェナの魔導師相手に発揮されてお
り、本人もイルフェナを訪れる事を楽しみにしているのだ。
それがゼブレストに居る。
1732
一体何があった。
まさか追い出されるほど怒らせたのか!?
思わずそう思ってしまうのも仕方がないと思う。
セイルにとってミヅキは良くも悪くも特別なのだ、彼女にとって
は非常に迷惑な事に。⋮⋮わざと怒らせて遊んでいるように見えな
くもないのだが。
しかも他の守護役達とセイルは何故かとても仲が良かった。ミヅ
キ曰く﹃類友﹄だとか。
﹁ルドルフ様の心配されるようなことはありませんよ?﹂
苦笑しつつ、セイルは俺の想像を否定する。
﹁ミヅキ達はエルシュオン殿下についてバラクシンを訪れているの
ですよ。さすがに同行するわけにもいきませんし﹂
﹁ああ⋮⋮そういうことか﹂
確かにイルフェナとしての訪問ならば付いて行くことなどできな
い。
アーヴィも無表情ながら安堵したのか、カップを手に取った。
⋮⋮が。
なるほどと納得し、安堵しかけた俺は⋮⋮いや、俺達は。
続いたセイルの言葉に茶を噴出すことになる。
﹁なんでもフェリクス殿下がイルフェナに喧嘩を売ったとか﹂
﹁﹁ぶっ!?﹂﹂
1733
話を聞いていたアーヴィレンも俺と同じ状態になった。給仕をし
ていたエリザは目を見開いて硬直。
⋮⋮落ち着け、俺。セイルは、今、何を、言った⋮⋮?
﹁⋮⋮っ⋮⋮セイル、お、お前は、今⋮⋮げほっ﹂
﹁大丈夫ですか? アーヴィ﹂
﹁す、すまん。⋮⋮っ⋮⋮もう一度⋮⋮言ってく、れ﹂
﹁ルドルフ様も落ち着いてください。⋮⋮エリザ、何を呆けている
のです? さっさとタオルを渡したらどうですか﹂
セイルの言葉にエリザは即座に反応すると、俺とアーヴィにタオ
ルを手渡す。⋮⋮その渡し方がいつもより雑なところに彼女の混乱
振りが窺えた。
﹁婚約者共々周囲の風当たりがきついフェリクス殿下がミヅキに夜
会の招待状を送ったのですよ。御伽噺に出てくる魔法使いの様に、
自分達の味方になってくれることを期待して﹂
﹁⋮⋮そんな真似するわけないだろう、ミヅキだぞ!?﹂
セイルの説明に頭痛を覚えつつも突っ込む。
そもそもミヅキが動いてくれるような状況ならば国内にも味方が
居るだろう。
第一、周囲に認められるような努力をするのはどんな婚姻でも同
じ。他家に馴染まねばならないのだから。
その努力をしていようとも他国、しかも王族である以上はミヅキ
は精々助言止まりだ。親しければ動いてくれるかもしれないが、絶
対に﹃御伽噺に出てくる善人﹄にはならない。
﹁⋮⋮そのフェリクス殿下とやらはミヅキ様と親しいのでしょうか
1734
? アリサ様という名ならばお聞きしたことがあるのですが﹂
﹁いえ、会った事すらありません﹂
セイルの言葉を聞いたエリザが目を据わらせた。
つまり﹃フェリクスはミヅキを自分の都合のいいように利用しよ
うとした﹄ということだろう。
ミヅキを主の味方として認め慕うエリザにとって許せることでは
ない。
そしてセイルの暴露は更に続く。
﹁しかも後見であるエルシュオン殿下やイルフェナに伺いは立てな
かったそうですよ。尤もミヅキにしても招待状を送りつけただけな
のですが﹂
﹁どんな馬鹿だよ、そいつは!? ありえないだろう!﹂
﹁⋮⋮その﹃ありえない事態﹄が起こっているのですよ、ルドルフ
様。それを知ったバラクシン王は即座に謝罪し、エルシュオン殿下
に報復を許したみたいですけどね﹂
フェリクスの独断だったということか。エルシュオンがいくら有
能であろうとも第二王子、王直々に頭を下げられ報復を許可された
のでイルフェナが一応は折れたのだろう。
どう考えても国ごと馬鹿にしているとしか思えない。フェリクス
とやらは国の滅亡を願ってでもいるのだろうか?
﹁⋮⋮ん? アーヴィ、どうした?﹂
考え込んだままの宰相を不審に思い声をかける。この場合、誰よ
りも保護者根性を発揮しそうな青年はなぜか今まで無言だった。
﹁⋮⋮馬鹿なのですよ、その方。悪意は恐らく無いと思われます﹂
1735
﹁﹁﹁は?﹂﹂﹂
唐突な宰相の言葉に全員の言葉がハモる。
﹁バラクシンのフェリクス殿下は側室腹の第四王子です。教会派の
駒の成り損ないですよ﹂
﹁成り損ない⋮⋮?﹂
﹁教会派というのは判りますが⋮⋮﹂
エリザとセイルの疑問は正しい。
⋮⋮国に不利益を齎すならば存在を消す事すら躊躇わないのが王
なのだ。王族だろうと例外ではない。そんな危険人物が放置されて
いるとは考え難かった。
その疑問には溜息を吐きつつアーヴィが答えてくれた。
﹁祖父にあたる伯爵が自分の手駒となり易いよう愚かに育てたので
す。⋮⋮母親が愚かなこととフェリクス殿下本人の甘ったれた性根
を叩き直す事をしなかった、という意味ですが﹂
﹁バラクシン王がそれを許すとは思えんが﹂
﹁ええ。王は勿論、他の王子達と変わらぬ教育を施そうとしました。
ですが、母親が邪魔をした挙句に本人も﹃側室腹だから苛められて
いる﹄と思ったらしく﹂
⋮⋮。
同情できんな、それは。本人に学び変わる意思がないのだから自
業自得だ。
婚約者とやらも勝手に見繕ってきた娘だからこそ周囲の理解を得
られないんじゃないのか? 王家が望んだ令嬢ならば最低限の立ち
振る舞いはできるだろうし。
全員が呆れた顔になる中、エリザが﹁そういえば﹂と疑問を口に
1736
する。
﹁宰相様は何故そこまで詳しい事情を御存知なのですか?﹂
﹁あ? そういや、そうだな?﹂
確かに妙に詳しい。
エリザの疑問に俺も同意し、アーヴィの方を向くと︱︱
口元を歪め笑っていた。だが、目は全く別の感情が占めている。
⋮⋮人はその表情を﹃嘲笑﹄とか﹃冷笑﹄という。
宰相様は何故か大変お怒りらしかった。思わず顔が引き攣る。
﹁ア⋮⋮アーヴィ⋮⋮?﹂
﹁実は以前、バラクシンでフェリクス殿下にお会いした事があるの
ですよ。外交のついでですし、ルドルフ様が今後関わる可能性を視
野に入れての様子見でしたがね﹂
﹁う、うん。それで?﹂
あまりの迫力にエリザとセイルも無言。
そんな中、アーヴィはダン! とテーブルに拳を叩きつける。
﹁あのガキ⋮⋮っ⋮⋮﹃ルドルフ様と友人となりたい﹄﹃歳も近い
ですし、きっと仲良くなれると思います﹄などと! それまで散々
自分が側室腹だから苛められると語って自国の王家を貶めておいて
﹃ルドルフ様と仲良くなれる﹄? ふざけるなと即答しましたよ﹂
⋮⋮それは明らかに王となることが決定している俺との繋がり目
当てではあるまいか。
1737
良い度胸だな、フェリクス。他国の王を利用しようとするとは。
そしてアーヴィの怒りの理由も知れた。前回の俺に続き今回のミ
ヅキ狙いにキレたのだろう。
ミヅキはつい先日キヴェラを利用してこの国に貢献してくれたば
かりなのだ⋮⋮保護者が怒らぬ筈は無い。
﹁勿論きっちり言って聞かせましたよ。ゼブレストがどういう国か、
ルドルフ様がどのような状況で生きてこられたかをね。厳しいどこ
ろではない状況を過ごす方と甘やかされた無能が対等な関係になど
なれるわけがない!﹂
﹁⋮⋮まあ、昔からそういう方でしたの。私の記憶をどれほど掘り
起こしても、そのような頭も覚悟も足りない方はルドルフ様の味方
にはいらっしゃいませんのに﹂
﹁一度自己責任で遊びに来させてやれば良かったじゃないですか、
アーヴィ。きっと帰る頃には死体となっているでしょうが、繋がり
を望むのならばその程度の覚悟はあるでしょう﹂
エリザとセイルも初耳だったらしく怒りの笑顔が怖い。
もしや俺がフェリクスを知らないのはアーヴィの脅しが効いたか
らなのだろうか。
﹁アーヴィ、それは伯爵とやらの入れ知恵なんじゃないのか? 本
人がアホだからこそ直球で言ってお前を怒らせたんだろうけど﹂
﹁恐らくはそうでしょうね、私の剣幕と言葉に半泣きになっていま
したから。それでバラクシン王から謝罪と説明を受けたのですよ。
お叱りも受けたでしょうが⋮⋮どうやらあのままみたいですね﹂
そう言って息を吐く。とりあえずは落ち着いたようで何よりだ。
﹁ま、まあ、今回は怖いどころじゃ済まないだろうさ﹂
1738
確かにそんな奴なら無自覚にエルシュオンを侮辱するだろう。だ
が、当時のアーヴィと違ってイルフェナにもエルシュオンにも怒り
を収める必要は無い。
アーヴィとてゼブレストがあんな状態でなかったら正式に抗議し
ていたのだろう。昔から俺と共に苦労してきたこの青年の逆鱗に触
れたのだ、間違いなく外交での報復に出る。
﹁エルシュオンが行くってことはミヅキ達も行くだろうしな。報復
が推奨されるってことは、バラクシン王もフェリクスを切る決意を
したってことだろう﹂
﹁そうだと思います。私の時は成人前でしたが、現在は成人済み⋮
⋮子ども扱いはされないかと﹂
﹁ふふ、それ以前にミヅキ様がいますもの! しっかりと止めを刺
してくださいますわ﹂
いい笑顔のエリザの言葉に全員が頷く。
今回に限りミヅキには止める奴が居ない。あいつは自分の事以上
にエルシュオンが馬鹿にされた事を怒っているだろう。その守護役
達も同じく。
悪意が無いなどという言い訳が魔導師に通用するわけはないのだ、
魔導師自体が自己中心・自分勝手を地で行く存在なのだから。
﹁一応、バラクシンに気をつけておくか。ゼブレストとしても情報
収集しておくべきだろう﹂
﹁では、私はミヅキ達が帰国次第﹃世間話﹄をしに行ってきますね﹂
﹁頼んだぞ、セイル﹂
さて。今回の事がバラクシンという国にとって良い方向に傾くか、
それとも破滅するのか。
1739
部外者として興味深く観察させてもらうとしよう。
そう決めると俺達はティータイムを再開した。
1740
小話集13︵後書き︶
周囲を諌めつつも一番怖いのは狸様。
フェリクスがこれまで他国に対し問題行動を起こさなかった原因は
宰相様でした。
そして魔王殿下との接触を避けた一因でもあったり。
1741
騎士と魔導師と彼女達︵前書き︶
夜会直前の目撃。
1742
騎士と魔導師と彼女達
夜会当日。
アルを連れて少しだけ部屋の周辺を見学︱︱何らかの事情で一人
になった場合、迷子になる可能性があるのだ︱︱していると奇妙な
現場に出くわした。
いや、正確には隠れてひっそり目撃だけど。
﹁⋮⋮。何あれ﹂
﹁侍女が令嬢に意見しているようですね。見間違いでなければ﹂
アルも困惑気味に答える。自分で言ったことながら、おかしいと
感じているらしい。
私達の視線の先で彼女達は言い争っている。しかも侍女の方が強
いみたい。
いやいや、これは無いだろう。普通におかしい。
侍女の主らしき女性はただ彼女に庇われるのみで、彼女の言動を
諌める気はないらしい。
なお、一般的な常識として侍女の主が相手の令嬢より身分が上だ
ろうとも謝罪すべき状況である。謝罪内容は勿論、﹃己が侍女の不
敬について﹄。
侍女が令嬢に意見できる筈は無いのだ、普通なら。
﹁あの侍女がかなり高位の貴族令嬢という可能性もありますが﹂
﹁それにしては相手が全然気にしてないよね? あと、相手より彼
女の主らしき御嬢さんの方がドレス地味じゃない?﹂
1743
﹁ですよね⋮⋮﹂
夜会は夜からなのだから、今は着飾っていないだけという可能性
もあるだろう。
だが、アルは公爵子息。いくらシンプルな装いだろうと高貴な人
々は上質のものを纏っているという事を知っているし、見れば判る
だろう。
悪く言えば生地の質と言うか。シャル姉様やコレットさんを見て
いる私にも何となく彼女の装いに対し﹃質素﹄という単語が浮かぶ
のだ。
﹁この⋮⋮っ⋮⋮侍女ごときが、私にそのような口を利いて良いと
思っていますの!?﹂
﹁いい加減になさってください! 御嬢様はフェリクス様の婚約者
でいらっしゃいます。私はフェリクス殿下より直々に御守りせよと
命じられているのです!﹂ ちょ、待て! いい加減にするのはお前だ、お前! つーか、元
凶はあの坊ちゃんかい。
信じ難い光景に思わず半目になる私、額を押さえて溜息を付くア
ル。
うん、確かにフェリクス殿下は﹃御馬鹿さん﹄扱いされても仕方
ない奴だな。この光景を見る限り、決して王家サイドが意図的に貶
めているとかではない。
今回の事も絶対悪意は無い⋮⋮いや、どういう意味になるか考え
が及ばなかったんだろう。
Q・王族直々に守れと命じられました。相手は令嬢、強気に出て
もOK?
A・駄目に決まってるだろう!
1744
Q・では正しい態度は?
A・相手を敬いつつ、王族の存在をちらつかせながらその場を凌
ぐ。
﹃申し訳ございません。ですが、私は殿下より姫を御守りせよと直
々に命を受けております。これ以上人目のある場所での口論は殿下
の耳にも入りましょう。私が口を噤んだとて噂になればそちら様︵
名前が判っているとなお良し︶が咎められてしまいます。どうか、
お怒りを収めてくださいませんか﹄
これくらい言えば相手は絶対に退くだろう。相手を敬いながらも
諌め、かつ脅迫するという手口である。
意訳するなら﹃噂になると不利になるのは貴女だよ、心配してる
んだからね! 殿下だって私に命じた以上は味方してくれるだろう
し、直接王族の怒りをかってもいいの?﹄という感じ。
貴女を心配してます的な言い方なら相手も怒るまい。フェリクス
を知っているならば、それが現実に起こりうる事だと思うだろうよ。
﹁⋮⋮って思うんだけどさ﹂
﹁⋮⋮そうですね、その言い方は満点に近いと思います。王族が背
後に居ると匂わせ醜聞となる可能性をちらつかせれば大抵は退きま
すし﹂
思わず小声で自分なりの意見を呟き賛同を求めれば、アルがうん
うんと頷きつつ私の頭を撫でた。
⋮⋮どうやら常識的な意見が嬉しかったらしい。確かにイルフェ
ナにはこんな馬鹿は居ない。いや、イルフェナどころか大抵の城に
は居ないだろう。
1745
だって、どう考えても主の恥になるじゃん?
侍女が忠誠心のあまり失礼な態度を取ったならば、主には侍女を
諌め謝罪する義務がある。
そこに主の身分など関係ない。﹃侍女ごときが上位の存在に無礼
を働いた﹄という事実があるだけだ。
主の方が相手より身分が上だったら謝罪で許されるし、身分が下
でも嫌味程度で済むだろう。王族の婚約者なのだから。
フェリクスへの報告も主から﹃自分達が悪かった﹄的な報告をし、
侍女も自分が感情的になり過ぎた事を謝罪すれば相手も無事な上、
侍女の不敬も許される可能性がある。
それを相手が知れば味方になってくれるかもしれないじゃないか。
貸しもできる。
﹁どう考えても味方が居ないのって自業自得じゃない?﹂
﹁そのようですね。おそらくは侍女の態度をフェリクス殿下が褒め
てでもいるのでしょう。でなければ子爵家に勤めてはいたのですか
ら、貴族相手にあのように強気に振舞うことはないかと﹂
﹁⋮⋮。御嬢様の実家なら親しさから身分の差を見逃されても、多
くの貴族が集う城では周囲の目もあるし許されないんじゃないっけ
?﹂
﹁そうですよ? 連れている貴族、もしくはその家が馬鹿にされま
すね﹂
ひそひそと話しているうちに相手の令嬢は悔しそうに去って行く。
それを見て得意げになる侍女と彼女に感謝する御嬢様。
物凄くアホらしい光景だ。二人にとっては身分を越えた友情を確
かめ合う感動的な場面かもしれないが。
﹁⋮⋮。戻って報告しよっか﹂
1746
﹁そうですね。ですが、これであの二人にも手加減は不要だと判明
しました。我々でさえ目を疑う光景なのですから、教会派の貴族達
とて味方はしないかもしれません﹂
確かに。アルの言葉も尤もだ、あれと同類扱いはされたくないだ
ろう。
フェリクスに利用価値があれば擁護に動くかもしれないが、今回
の相手は魔王様。⋮⋮見捨てた方がいいな、絶対。
そんな事を話しながら部屋に戻るとライナス殿下と王太子殿下の
姿が。
折角なので今見た光景をアル共々暴露。
﹁バラクシンってこれが普通? 異世界人の扱いは期待して無いけ
ど、身分制度も崩壊した?﹂︵意訳︶
とか聞いてみたら物凄い勢いで否定していた。
魔王様とクラウスは表情を変えなかったが呆れているようだ。二
人に向ける視線は哀れみ一杯。
バラクシン王とその御家族のこれまでの苦労が偲ばれる。
﹁どうやら婚約者殿にも手加減は要らないみたいだね﹂
口元に笑みを称えた魔王様の言葉に思わず疑問を投げかける。
これはバラクシン勢も同様。アルとクラウスはその可能性もある
と思っていたらしく無言。
﹁⋮⋮手加減する選択肢なんてあったんですか?﹂
﹁ほら、子爵令嬢程度だと難しい事は知らないかもしれないだろう
?﹂
1747
﹁ああ⋮⋮﹃箱入り娘の可能性﹄ですか﹂
一応は同情する面もあるんじゃないかと思っていたらしい。まあ、
子爵令嬢というか貴族だと人を使う立場だもんな。特に女性は政治
に関わらない人が大半だ。
彼女が今回フェリクスがしでかした事を知らない可能性とて充分
にあった筈。
﹁だけど君達の話だと、その侍女を諌める事も相手に謝罪する事も
しなかったわけだろう? 知っていても止めないだろうね﹂
魔王様的には王族の婚約者として失格、と。
あれでは王族どころか高位貴族との婚約すら危ういんじゃなかろ
うか。そもそも評判の良い御嬢様ならば家に縁談くらい来ているだ
ろう。
﹁彼女はな⋮⋮男爵家や子爵家程度ならば問題は無いんだ。寧ろ教
会派貴族ならば幾つも縁談があっただろう⋮⋮あの子爵家は善良な
教会派なのだから﹂
やや複雑そうにライナス殿下が話し出す。
つまり、あの御嬢さんは同じ程度の家ならば幸せな結婚も可能だ
ったということ。
教会派と言っても国を割りたいとかではなく、信仰によるものと
いう感じなのか。
ただし、善良な御嬢様が全ての貴族に望まれるかといえばそうで
はなく。
﹁だが、王族や高位貴族に必要なのは善良さばかりではない。王族
の手を取るならば今までの自分を捨てる覚悟が必要だ﹂
1748
﹁賢さ、情報収集能力、人脈⋮⋮あとは後ろ盾ですかね?﹂
﹁まあ、物凄く良く言えばそんなところだ。特に王家と教会派が対
立している以上、彼女は裏切るという形にもなるのだが﹂
あ、そっか。
それにいくらフェリクスが御花畑思考でも財政管理や公務は王家
側。彼女、その事に気づいてるのかね?
気付いては⋮⋮いなさそうだったけど。
﹁だが、もう遅い﹂
うっそりと魔王様は笑う。
﹁これまで幾度も窘められる機会があったフェリクス殿下と御伽噺
のような恋物語を﹃演じた﹄んだ。最期まで踊ってもらおうじゃな
いか﹂
逃がす気なんて無いよ︱︱そう暗に告げられライナス殿下達は息
を飲む。
イルフェナからすれば当然だ。私は﹃苦難に立ち向かう恋人達の
為﹄に呼ばれたのだから。
それに彼女とて親や友人達から何も言われなかったとは思えない
のだ⋮⋮普通は心配なり反対なりするだろう。それでも王子の手を
取ったのは彼女自身。
そもそも、これほど派手な事をしておいて婚約解消が許される筈
も無い。愛を貫いてもらおうじゃないか。
﹁今回、私はミヅキを止めないよ。この子も色々と思う事がありそ
うだからね﹂
﹁え!? やだなー、魔王様。私は魔導師ですよ? ⋮⋮どういう
1749
存在か知らなかった、なんて言い訳は許しません﹂
にこやかに微笑み合う私達。バラクシン勢は何故か無言。
﹁おやおや、私も何かをしてしまいたくなりますね﹂
﹁⋮⋮エルの護衛は俺が受け持つ﹂
﹁その時は御願いします﹂
言葉が苦手だと自覚するクラウスはアルの支援に回るようだ。
アルとて一応護衛という名目で来ているのだが、私の護衛をして
いる場合は﹃ついで﹄に何かをやりかねない。
⋮⋮腹黒い上に敵に容赦無いのだ、アルは。だからこそ情報収集
を容易くこなせる。
私は報復という大義名分があるので容赦なんて最初からしないけ
どね!
さて、﹃苦難に立ち向かい愛を貫こうとする御二方﹄?
私達は貴方達の思惑通りに動くどころか、報復する為に参りまし
た。
どのような一夜になるか、楽しみですね?
1750
騎士と魔導師と彼女達︵後書き︶
王族二人が部屋にいたのは、アルと主人公が隠れながらひそひそし
てる姿を偶然見かけたから。
1751
報復は徹底的に︵前書き︶
準備は万端です。
1752
報復は徹底的に
夜会開始まであと僅か。そろそろ人も集って来ていることだろう。
そんなわけで私達もお着替え中。
今回、私は男装なので着付けに人の手は要らない。白いシャツに
アスコットタイ、黒に近い深紅のベスト、裾の長い同色の上着︱︱
男装扱いだが体に合わせるような女性的ラインの作り︱︱に黒いズ
ボン、いつもの編み上げブーツ。
基本的に魔王様と色違いの御揃いなのだが、私の方には上着が開
かないようウェスト付近に止め具がある所為か割と体のラインを出
す状態となっている。
加えて刺繍などの装飾は無い。ここらへんが立場の違いなのだろ
う。魔王様本人の顔も豪華だしな!
色彩的には地味で護衛向きだが、夜会に潜り込むには十分可能な
上質のもの。これでは一見、護衛なのか招待客なのか区別がつかな
いだろう。
魔王様曰く﹃向こうにも女性がいるのだから少しでも対抗したく
てね﹄とのこと。
比較対象としてはあまりにもジャンルが違う気がするのだが、向
こうの劣等感を煽る意味があるらしい。
彼女は子爵家という家柄の所為か質素な装いを好むとの情報なの
だ⋮⋮﹃地味な服装をしていようとも認められる実例﹄を突きつけ
られれば、王族との婚姻を反対される理由に家柄を使えまい。
そもそも彼女が周囲に見下されるのは身分だけが理由ではない、
本人の自覚の無さとその行動だ。
加えてフェリクス達に﹃シンプルな装いを好む﹄と思わせること
が目的か。
1753
彼等は自分達が招待したと思っているのだ、私が華美なものを好
まないなら﹃価値観が同じ﹄と勝手に判断して着飾る人々を批難す
るかもしれない。
罠は夜会前からじりじりと始まっているのだよ、御二人さん。 で、問題の婚約者の外見だが。
さっき見た婚約者の令嬢は可愛らしい雰囲気の人だった気がする。
侍女の行動がインパクト強過ぎることもあるが、絶世の美女とかで
はなかった。
シャル姉様クラスの美女になると何と言うか⋮⋮こう、遠目に見
ても人目を引く容姿だということがはっきり判る。全体的に華やか
なのだ。
迫力美人でなくとも魅力的な人は目立つ。可愛い系ならコレット
さんだろう⋮⋮こちらは話術と情報収集能力重視。周囲に人が集っ
た状況を巧みに利用する手腕はお見事です。
見た感じ彼女はそういったタイプではない。先程の状況からも話
術は期待できないし、美形が多い貴族社会では残念ながら顔のレベ
ルも並扱い。
これ、﹃磨けば光る﹄ものも﹃磨かなければ原石のまま﹄という
意味ですよ。特出した顔立ちで無い限り、後は努力の差がものを言
う。化粧だって﹃化ける﹄ってことじゃないか。
王子の婚約者になった自覚があるならば、教会に寄付してる分を
自分磨きに使えと言いたい。周囲が見惚れる美しさも立派に武器と
なるじゃないか。
だが、彼女の善良さは悪い意味で発揮されたらしい。
﹃着飾るより孤児達にパンを﹄だと? 王族の妃がみすぼらしく
てどうする。
彼女は善良だが、美しく装う事の必要性をただの贅沢にしか思っ
1754
ていないのだろう。
まあ、だからこそ私でも対抗馬になれるんだけどね。そもそも私
の魅力は実力であって見た目ではない。
守護役連中も清々しいまでに外見無視だし、クラウスに至っては
人格すら﹃些細な事﹄にされている今日この頃。気にするだけ無駄
です、無駄。
そして魔王様のささやかな嫌がらせの本命は当然フェリクス。
私と彼女が比較されるならば、当然その婚約者にも目が行くだろ
う。
私の守護役、もとい婚約者はアルとクラウス。甘ったれたお坊ち
ゃんには荷が重過ぎる比較対象です。
鬼か、アンタ。
実力者の国の優良物件と底辺王子。思わず視線を逸らすレベルで
周囲は哀れみ一直線。
家柄では勝っている筈のフェリクス王子が公爵子息とはいえ騎士
の足元にも及ばないという、大変珍しい状況が作り出されることだ
ろう。
⋮⋮それほど魔王様が激怒してるってことなんだけどさ。
普段は此処まで惨めな思いはさせないだろう、一応王族なのだか
ら。今回はバラクシン王がGOサインを出した事が大いに影響して
いるとみた。
﹁支度出来ましたよー﹂
軽く化粧も済ませ一応髪を結い直し︱︱と言っても護衛なのでい
つものポニーテールだ︱︱扉を開ければ既に魔王様達は支度が出来
ていたらしく打ち合わせをしていた。
1755
アルやクラウスもいつもより若干装飾が多い。やはり﹃イルフェ
ナからの招待客﹄として参加な以上は手は抜けないのだろう。
﹁⋮⋮君は相変らず支度が早いよね﹂
﹁そうですか?﹂
やや苦笑する魔王様に首を傾げる。ドレスの時でも驚異の早さと
言われたので﹃自分を良く見せようという気合の問題じゃないです
かね?﹄とは言っておいたのだが。
当たり前だが私の場合、重視されるのはそんな物ではない。状況
に応じた装いという一択だ。
⋮⋮だからってグランキン子爵の時みたいな﹃これで貴女も戦場
の華に!﹄というバトル前提装備と化すのもどうかと思う。夜会は
戦場ではない。
﹁一応、念話はできるようにしておく。だが、基本的に君とアル、
私とクラウスの組合せで行動すると思って欲しい﹂
﹁フェリクス達はこちらに来そうですね﹂
﹁それを狙う。君相手ならばフェリクス殿下もボロを出し易いだろ
うからね。精々、周囲にみっともない姿を見てもらうさ﹂
魔王様、怖ぇぇっっ!? 容赦無ぇっ!
誰もが見惚れる天使の微笑みで紡がれる言葉は極悪。
手加減はイルフェナに忘れてきましたか。それほどにお怒りでし
たか。
フェリクス、マジで土下座した方が優しい対応で済むんじゃね?
無傷という選択肢は無いけど。
1756
﹁おや、随分と容赦の無い﹂
﹁自業自得だ﹂
騎士二人は苦笑しつつも諌めなかった。浮かべる笑みも何だか寒
々しいのは気の所為か。
魔王様の話だと私とアルを餌にして注目を集め、フェリクス自身
の言動による自滅を狙うらしい。
それは普通に抗議されるよりも惨めじゃないかね?
そう言えば魔王様は楽しげに笑った。
﹁何も知らない貴族達が今後共倒れになっても可哀相じゃないか。
私なりの優しさだよ﹂
あ、そうか。
内々に収めちゃうと事情を知らずにフェリクスを擁護する奴が出
るかもしれないのか。
今回はバラクシン王がフェリクスを切り捨てる事を前提に報復の
許可を出してるから、派手な事をしても逆に感謝されるってことで
すね。処罰の必要性を周囲にも証明できるし。
だからと言って私達が正義の味方に見える、なんてことはなく。
口元を歪めて笑う姿も大変美しい親猫様、今の貴方は誰が見ても
立派なラスボス。
何処に出しても恥ずかしくない大物悪役にございます。そのカリ
スマ性溢れる姿に拍手喝采。
配下A&幹部其の一は全力で与えられた役をこなす所存です。例
1757
えそれが餌役だろうとも。
︱︱その後。
﹁見て見て、魔王様と色違いの御揃い♪ 私の方が装飾は少ないけ
ど﹂
⋮⋮などと様子を見に来たバラクシン王達に見せびらかし。
﹁御揃いか⋮⋮﹂と呟いた王が期待を込めてライナス殿下を見た
り。
それを受けたライナス殿下が微妙に視線を逸らしつつ、恨みがま
しい目で私を見たり。
王太子殿下が呆れと感心を込めて﹁確信犯だねぇ、魔導師殿﹂と
言ったり。
非常に些細な事で﹃保護者はしっかり躾とけやぁぁっ!﹄とばか
りに憂さ晴らしをしながら、夜会までを過ごしたのだった。
ライナス殿下の視線? 無視だ、無視。
でも、今回の誠実な対応に感謝して万能結界付与のペンダントを
贈ろうと思います。
勿論、女性が好みそうな装飾付きでお兄ちゃんと御揃い。
男性が身に着けるのはどうかと思うデザインでもお兄ちゃんと御
揃い。
魔王様も今回のバラクシン王の誠実な対応を評価していたから快
く許してくれることだろう。
効果を重視し身に着けるか、外見を重視し仕舞い込むか悩む姿が
容易く浮かぶ。
でも、きっと凄く喜んでくれると思うの! ⋮⋮お兄ちゃんが。
1758
なお、この﹃御揃い﹄は間違いなく阻止される。さすがに見える
位置に着ける事はライナス殿下だけでなく周囲も止めるだろう。隠
して服の下に着けるとかが精々だが、見えないから周囲に自慢もで
きまい。
勿論、こんなことをするのには理由がある。
お兄ちゃんとしてはライナス殿下で遊ぶ⋮⋮いや、戯れる私が羨
ましいみたいなんだよね。本当に主従という形が常日頃みたいだし、
これは今回疲れ果てただろう王様への気遣いなのだ。
だって、この王様なら﹃御揃い﹄を却下する替わりの条件を提示
するもの。
立場や事情を考えると仕方が無いのかもしれないが、フェリクス
とは違うという姿を見せつける意味でも兄弟仲良くすべきだろう。
只でさえ教会派はライナス殿下を目の敵にしているのだ、何かあ
ればライナス殿下は躊躇わず自己犠牲一直線。私としてもアリサの
事がある以上は避けたい事態である。
ライナス殿下。私はアリサ八割、残り二割くらいで貴方達兄弟と
国を案じている。勿論、イルフェナが隣国だからという意味も含め
ての二割。
⋮⋮たまには交流持ってやれよ、弟。そのうち﹃弟との距離につ
いて﹄とか相談されそうだ。 ※※※※※※※※※
﹁⋮⋮それじゃ行こうか﹂
目の前には大きな扉、そして護衛の騎士の姿。彼等は私達の目的
を聞かされているのか、そっと目を伏せ申し分けなさそうに軽く頭
1759
を下げる。
人目があるものね、目立つ行動はとれないか。魔王様も軽く頷き
返す事で彼等に応えていた。
﹁私達は広間に入ってすぐの壁際に居ますね。一番人の流れがあり
ますから﹂
﹁そうだね、会場の隅だけど隠れているわけじゃないから人目につ
くだろう。通り過ぎた人達も噂として会場中に広めるだろうしね﹂
にこおっと笑って言えば、即座に意図を理解して微笑み返してく
れる魔王様。さすがです、親猫様。
魔王様達は先に王に挨拶に行く︱︱私達は役割と身分から免除と
いうことになっている︱︱ので、それも周囲の人々の関心を誘うこ
とだろう。
で、フェリクスと私達がドンパチやらかし出したら王が﹁なにや
ら騒がしい云々﹂と興味を示す⋮⋮という手筈だ。引導は王自身に
渡してもらわなければならないからね、今回。
広間に足を踏み入れると視線だけを動かして周囲の様子を観察す
る。⋮⋮フェリクス達はどうやらまだ来ていないらしい。
向けられる視線に気付かない振りをしつつも、笑みを浮かべて魔
王様と会話。
ここで視線に負けて下を向いたり挙動不審になってはいけない、
弱者と見られて侮られる可能性がある。
﹁⋮⋮以前も思いましたが、貴女は視線を逸らしませんよね。怖く
は無いのですか?﹂
﹁対人戦の基本、かな?﹂
﹁なるほど﹂
アルの言葉に少々物騒な返事を返せば苦笑しつつも咎められるこ
1760
とはなかった。ええ、﹃戦﹄ですよね、夜会って。
情報交換の場であり腹の探り合いが常なのだ、隙を見せれば悪意
は自分に降りかかる。
視線を逸らすな、隙を見せるな、上げて落として心を折れ!
やり過ぎると孤立する可能性もあるが、鬱陶しい連中に絡まれる
よりはマシ。栄誉ある孤立はある意味、自身の安全が保障された証。
なお、クリスティーナのデビュタント時の経験からすると中途半
端にビビらせるよりも徹底的に心を折った方が確実だ。周囲への見
せしめにもなるしね。
﹁それじゃ、後でね﹂
﹁⋮⋮はい﹂
その言葉を最後に魔王様達は私達から離れていく。
令嬢達はうっとりと、男性達の目は軽い驚きと警戒を込めた視線
のまま二人を追っていく。
やっぱりイルフェナの魔王の名は伊達ではないらしい。魔王様に
付随する形で私にも﹃あれが魔導師か?﹄的な視線が向けられてい
る。注目を集める事は成功したと見ていいだろう。
﹁⋮⋮とりあえずは成功?﹂
﹁ええ。後は獲物がこちらに来てくれればいいのですが﹂
内緒話をするようにアルの耳元で囁けば、穏やかな笑みのまま本
音出しまくりな返事が返ってくる。
そうか、獲物か。既にそういった認識かい。
素敵な騎士様も殺る気満々らしい。どうする、フェリクス。止め
る奴が居ないぞ?
1761
嫉妬と警戒と好奇心に彩られた視線を感じ取りながら。
私達は顔を見合わせて楽しげに笑った。
1762
魔導師と騎士はじっと待つ︵前書き︶
突然現れたイルフェナ勢にバラクシンの貴族達が何も思わない筈は
なく。
1763
魔導師と騎士はじっと待つ
興味深げに向けられる視線と囁かれる声。
私達の立場が﹃魔導師とその護衛﹄なのか﹃二人とも魔王殿下の
護衛﹄なのか判らず、周囲は声をかけあぐねているらしい。
まあ、そうだろうね。私達がお仕事中だった場合は自分の印象が
悪くなるもの。
特に私が噂の魔導師だった場合は怒らせれば命の危機。直接接し
た事が無い人が大半なのだ、噂を信じるならば慎重に行動するだろ
う。
﹁さて、あの方々がいらっしゃる前に周囲の評判程度は聞いておき
たいのですが﹂
アルは笑みを崩す事無く周囲を伺っている。フェリクス達はやは
りまだ来ていないらしい。
﹁そうね∼、でも他国の人間相手に容易く本音を口にするかな?﹂
﹁そういった可能性もあります。ですが、先ほどのことを今まで繰
り返してきたのならば敵は多いかと﹂
﹁あれは、ねぇ⋮⋮﹂
思い出すのは侍女と令嬢の遣り取り。令嬢が社交的な性格であり、
それなりの身分を持つ家の生まれならば敵の数は一気に膨れ上がる。
友人だけではなく取り巻きや家同士の繋がりがある者までいるの
だ、それを理解していれば敵対行動は取らない筈。と、いうことは
⋮⋮。
1764
﹁彼等の敵は多いでしょうね、殆ど自業自得だけど﹂
﹁本当に貴族として当然のことすら理解できていらっしゃらないよ
うですね﹂
にこやかに話しつつも私達の二人に対する評価は底辺だ。冗談抜
きに﹃周囲の風当たりがきつい﹄どころか﹃喧嘩を売りまくって孤
立﹄という状態じゃなかろうか。
﹁失礼致します。⋮⋮アルジェント殿、お久しぶりですな﹂
品の良さそうな御夫婦が控えめにアルに声をかけてきた。年齢的
にアルの御両親あたりの知り合いなのだろうか。アルも彼らを目に
すると軽く会釈し挨拶を交わしている。
﹁御久しぶりですね、ベイル御夫妻﹂
﹁皆様、お元気ですかな?﹂
﹁ええ。暫く会ってはいませんが変わりありません﹂
⋮⋮アルの態度からして割と親しい人のようだ。歳下のアルに対
しても礼を崩さない誠実な態度な上に悪意は感じられない。夫人も
にこやかに二人を眺めている。
そんな風に観察していたら不意に二人の視線が私に向いた。
﹁ミヅキ、こちらはベイル伯爵御夫妻です。父の学友で長い付き合
いの方なのです﹂
﹁ふふ、若い時にイルフェナに留学しましてな。随分と面倒を見て
もらったのですよ﹂
なるほど、そういった繋がりか。今まで付き合いがあるくらいな
のだ、バシュレ公爵とは友好的な関係を築いているのだろう。何よ
1765
り媚びたり探るような雰囲気は全く無い。
﹁初めまして、ミヅキと申します。先ほどから噂になっている異世
界人の魔導師ですよ﹂
自己紹介と相手の反応を見る為にさらっと暴露すれば、ベイル伯
爵は僅かに目を見開き⋮⋮それはそれは嬉しそうに頷いた。
⋮⋮? 何故だ、何その反応。
﹁おお! バシュレ公爵から聞いておりますぞ、漸くアルジェント
殿に想い人ができたと!﹂
﹁え、そっち!? 魔導師とか異世界人ではなくて!?﹂
﹁いやいや、私が言うのもどうかと思うのですが⋮⋮バシュレ公爵
家の皆様はその、個性的ですから﹂
言いつつもアルからやや視線を逸らすベイル伯爵。嘘が吐けない
人のようだが、事実をこの場でぶっちゃける勇気も無いのだろう。
そこは素直に﹃変人の産地だよね、イルフェナ﹄と言ってくれて
いいよ、ベイル伯爵。
つまりバシュレ家三男の好みは他所から見ると﹃何その理想の女
性像。実在するのか、それは﹄という認識だったわけですね! さ
すが付き合いが長いだけあって特異性を理解していた模様。
⋮⋮好みのタイプを知ってても誰も紹介できんわな、該当者居な
いだろうし。
﹁聞いた時には妻共々冗談かと思いましたからなぁ。個人的な好み
でも難しいでしょうが、それに加えて信頼関係を築ける実力者とな
ると⋮⋮﹂
1766
難関過ぎるでしょう、と続けるベイル伯爵。どうやら狭き門過ぎ
て婚約すらしない言い訳だと思っていたらしい。
確かにそれだけ聞いていると理想の女性像とは思わないだろう。
どちらかと言えば忠実で使い勝手の良い駒の募集だ。 ﹁それが一般的な認識じゃないですかね﹂
﹁やはり⋮⋮意図的に狙ったわけではないのだね?﹂
﹁前者は捕獲されかかった事が原因です。﹃素敵な騎士様﹄像は一
日もたずに崩れ去りました。後は魔王様の教育の副産物というか﹂
本音トークを続ける私に御夫婦はうんうんと頷いている。おお、
一般人の反応だ。
やっぱり本人達を知っていると﹃守護役は魔導師溺愛﹄という噂
は不自然だと感じるのだろう。どう考えても﹃利用できる有能な人
材確保﹄の方が納得できるもん、それも嘘ではないし。
しいて言うなら現状は立場優先が絶対条件の友人関係が一番近い。
個人として信頼がある者同士の利害関係の一致は素敵な絆。
﹁彼女は他の守護役達とも友好的な関係を築いているのですよ﹂
さり気無く私の腰に手を回しつつ︱︱周囲にフェリクス達と比較
させるつもりだろうか︱︱私達の繋がりを主張するアル。
想い人と言いつつも﹃我々の有能な駒です﹄アピールは欠かさな
い。守護役達は国が最優先の騎士、﹃友好的﹄という言葉が単純に
﹃仲が良いお友達的な付き合い﹄とイコールになる筈がないのだ。
尤もそれは逆の意味にもとれる。﹃この子に何かしたら我々が出
てきますよ﹄という警告だ。
それを聞いた御夫婦は頷きつつも、感心と哀れみが混ざった目で
私を見る。﹃やっぱり駒じゃん!﹄とか思ってそうな表情だ。
1767
⋮⋮奥方様、さり気無く両手で私の手を握り﹁頑張ってね﹂とは
どういう意味の激励ですか?
﹁ところで⋮⋮少々お尋ねしたい事があるのですが﹂
﹁おお、何かね?﹂
﹁率直に伺います。フェリクス殿下とその婚約者の御令嬢は御二人
から見てどういう方でしょう?﹂
直球過ぎるアルの質問に御夫婦の顔が強張った。そこを空かさず
私が追い打ちをかける。
﹁実は夜会の前に少々信じ難い光景を目にしたのです。侍女が主ら
しき女性を庇いつつ、どこかの御令嬢に食って掛かっていまして。
身分的にはありえない状況ですし、特殊な立場の方なのか伺ったと
ころ﹃フェリクス殿下の婚約者﹄だと﹂
それを聞いた伯爵は苦々しい表情となり、奥方は深々と溜息を吐
いた。隠しとおすのは無理だと理解できたらしい。
やがて伯爵は溜息を吐きながら口を開いた。
﹁それはサンドラ嬢と彼女の侍女でしょうな。まったく、己が立場
の危うさを未だ自覚できていないのか﹂
﹁フェリクス殿下が侍女の行動を諌めるどころか褒めているのです
よ。私達も幾度と無く諌めているのですが、聞く耳を持たないばか
りか益々頑なになってしまって﹂
どうやら諌めてくれる人も居たらしい。それを彼女達が否定的な
意味で受け取っているのだろう。
おいおい、これは孤立しても仕方ないだろ? 明らかに彼女達が
悪い。
1768
﹁昔からフェリクス殿下は母親に甘やかされておりまして。王族と
しての自覚が無いばかりか、感情で物事を考えるようになってしま
っているのです﹂
﹁⋮⋮御令嬢との出会いも教会が運営する孤児院だったそうですわ。
あの方達は今の状況を物語にあるような、恋人達が苦難に立ち向か
う一幕のように思っているのではないのでしょうか﹂
﹁さすがにそこまで現実が見えていないということは⋮⋮無いと思
いたいが﹂
奥方様、大・正・解! 間違いなくフェリクスは現実が見えてな
い。
しかも私に﹃魔法使い﹄の役を振って来ましたよ! 何というミ
スキャスト⋮⋮! 彼等の愛読書はきっと﹃王子様は心優しい娘と幸せに暮らしまし
た的な御伽噺﹄。次点でロマンス小説か何かだな。参考にするもの
があまりにも現実とかけ離れているし。
温厚そうな御夫婦なのだ、これでもかなり柔らかく暈した言い方
なのだろう。国の内情暴露に該当する事を口にするのも﹃それが隠
されていないから﹄。
目撃されている以上は下手に誤魔化すより柔らかい言い方で伝え
てしまった方が傷は浅い。
この二人でさえこれなのだ、敵対している人達はどれほどの不満
と怒りを募らせている事か。
﹁御安心を、御二方。明日よりその悩みも消えますよ﹂
にこりと笑ってそれだけを告げる。バシュレ公爵と懇意ならばア
ルの立場も判っている筈。
まして今宵は我等が魔王殿下が直々にお出ましだ。それらの情報
1769
と私達が興味を示した話題を組み合わせれば答えには簡単に行き着
く。アルもまた笑みを深め私の言葉を否定しない。
そして期待どおり二人は一瞬息を飲み⋮⋮やがて深々と溜息を吐
いた。﹁やはり殿下が何かをしたのだな﹂と呟くあたり、私達に話
し掛けたのは情報収集だったのだろう。
﹁我々を招いたのはバラクシン王御自身。⋮⋮王は賢明でいらっし
ゃいました﹂
﹁そう、か﹂
﹁それゆえに責を負うべきは国ではありません。御安心を﹂
アルの言葉に伯爵はやや疲れたような、それでもどこか安堵した
ように笑った。そして最後に一つの助言を与えて去って行く。
﹃バルリオス伯爵にお気をつけください。あれは逃げる事が上手い
⋮⋮おそらく今回も自分の逃げ道は用意しているでしょう﹄
﹃伯爵の狙いはおそらく魔導師殿。貴女の名声や人脈、そして力は
とても価値がある﹄
﹃アルジェント殿が傍にいる以上は大丈夫だと思いますが、決して
警戒を解かぬように﹄
情報ありがとう、ベイル伯爵。つまりイルフェナの狸様劣化版と
いった感じなのですね? もしくは野心家を気取っても地味に能力
不足な二流悪役か。
⋮⋮。
公の場、しかも魔王様の御付きとして来ているからこそ迂闊な真
似が出来ないと思って彼等は忠告してくれたみたいだけど。
すいません、今回来た連中は全員最初から殺る気にございます⋮
⋮!
1770
そいつ名前も知らない頃から今回の抹殺リスト第一位に輝いてい
るから!
しかも王が許可してるので暴れても該当人物だけなら罪に問われ
ません。
アルも私の考えが判っているのか﹁止めませんから御存分にどう
ぞ﹂と囁いている。 わざわざ耳元で囁いて周囲の視線を集めるあたり、やはりさっき
からの態度はフェリクス達の比較対象として印象付ける為なのだろ
う。
さすが日頃から﹃素敵な騎士様﹄を演じている腹黒、己の利用方
法をよく心得ている。
さて、欲しい情報は手に入った。後は主役を待つばかり。
※※※※※※※※※
それ以降は話し掛けてくる猛者も出ず、アルと言葉を交わしつつ
周囲の観察に精を出していると不意に人々がざわめいた。 彼等の視線の先には一組の男女。男の方は⋮⋮高校生くらいだろ
うか? 背はそこそこあるのだが、割と幼い顔立ちだ。悪く言えば
苦労の影やそれを乗り越えてきた自信が感じられない。
こう言ってはなんだが、私の知っている王族の皆様はそれなりに
厳しい状況を生きてきた人達だ。セシルでさえキヴェラからの逃亡
理由が﹃そろそろ金が尽きるし、自分達が死んだらヤバイ﹄という
もの。
嫁ぐ事にも冷遇にも国の為に納得していたのだ、逃げる事と後宮
で餓死することを天秤にかけてまだ祖国が生き残れる方法を選んだ
だけである。
確かにセシルがそんな死に方をしていればコルベラは即宣戦布告、
1771
後に滅亡だったろう。レックバリ侯爵を頼ったのも自分の為という
より国の為。
フェリクスはそのセシルと殆ど歳が違わなかった気がするのだが。
何故だろう⋮⋮雰囲気からしてこの違いは。
﹁甘やかされたという話は本当なのですね﹂
﹁あ、やっぱりそう思う?﹂
﹁勿論。我々とてずっとエルの傍に居たのですから﹂
魔王様もかつては苦労したということだろう。そうして対処法や
実力を身につけていったということか。
フェリクスにはそれを感じられないとアルは言いたいらしい。
その間にもフェリクスは視線を廻らせ誰かを探す素振りを見せ⋮
⋮やがて嬉しそうに婚約者を伴って歩き出した。
︱︱私達の方へと。
﹁⋮⋮は?﹂
﹁これは⋮⋮﹂
アルと私、二人揃って顔には出さずに固まった。
いやいや、いきなりこっちに来るな。来ちゃ駄目、主催への御挨
拶はどしたの!?
王族だからって王への挨拶をすっ飛ばしていい事にはならないだ
ろう。それ以外にも自国の有力貴族達に声をかけなきゃいけないん
じゃないの?
それに婚約者を連れているのだから、今後を考えて最低限挨拶程
度はしておくべきだ。妃にする気ならば彼女は無関係ではいられな
い。
当たり前だが周囲の視線は一気に厳しくなった。他国の招待客を
1772
最優先にしてどうする、私達も常識知らずの仲間入りをさせたいの
か!?
﹁失礼、もしや貴女がイルフェナの魔導師殿ですか?﹂
そんな気持ちとは裏腹にフェリクスは笑顔で話し掛けてきた。
⋮⋮。アルは公爵子息としての立場もあるから、この受け答えは
私が応じた方がいいだろう。
﹁ええ。そうですよ﹂
﹁では⋮⋮﹂
﹁その前に。殿下のお言葉を遮る非礼はお詫びします。ですが! どうぞ王族としてこの場に居る最低限の義務を忘れてくださいます
な。王に挨拶もせず、集ってくださった貴族の皆様への労いすら無
いままに民間人である私と言葉を交わすなどありえません﹂
︵﹃さっさと王に挨拶して来い、貴族をシカトするんじゃねぇっ!
こっちが敵視されるじゃねーか、王族なら嫌味や苦言にビビらず
筋を通して来い!﹄︶
意訳するならこんな感じ。今ここで諌めておかねばフェリクスの
御仲間一直線。それは嫌だ。
だがフェリクスは一瞬表情を強張らせると直に不満そうな表情に
なる。
﹁彼等は⋮⋮サンドラを認めようとしない。子爵令嬢だからと常に
厳しい言葉をぶつけて来るのです﹂
﹁今の貴方様方を見れば意地悪ではなく、恥をかかぬよう諌めてく
ださっているとしか思えませんが﹂
思わずそう言えば、フェリクス達は傷付いたような表情になった。
1773
そこには私への失望が色濃く現れている。
⋮⋮判り易いな、フェリクス。勝手に期待し、勝手に失望するな
ら﹃魔導師を利用しようとした﹄と言っているようなものだぞ? 私の意思を無視しているのだから。
無条件に味方にならなければ敵扱いだというならば、意思の無い
お人形でも侍らせておけ。
﹁貴女も⋮⋮身分に拘るのか﹂
﹁拘るのではなく他国の者の前で恥をさらさないよう、進言してい
るのですが﹂
﹁しかし⋮⋮! 心無い言葉にサンドラはとても傷付くのですよ!
?﹂
﹁それがどうしました? 覚悟を持って殿下の隣に在ることを選ん
だ方がその程度で俯いてどうします。今後はもっと厳しい日々が待
っているのに﹂
そこまで言って一度言葉を切り、訝しげな表情を作る。
﹁まさか⋮⋮何の覚悟も無く婚約されたとでも? 御伽噺ならば愛
があれば済みますが、現実では御本人の立ち振る舞いの他に人脈、
社交性、忍耐、努力などが求められると誰でも知っているではあり
ませんか。⋮⋮御伽噺を現実と混同するのは幼子くらいですよ?﹂
民間人でしかない私も知っていますしね、それくらい⋮⋮と続け
ればサンドラ嬢は傷付いた顔をしたまま俯いてしまった。
フェリクスはサンドラを慰めつつも困惑した表情を浮かべている。
よもや異世界人で民間人の私からそのような言葉が出るとは思わな
かったのだろう。
さて、御二人さん。
1774
私は貴方達が思うような﹃善意の魔法使い﹄ではないのですよ。
しいて言うなら﹃目的の為に立ち回り、口で言って理解できなけ
れば実力行使。異議は認めず、災厄扱い上等という自己中心型の行
動派魔導師﹄です。
フェリクスへの言葉も﹃今現在、自分達が同類に思われない為の
行動﹄なので自己中発言以外の何物でもない。
今後そのままだったところで、私には痛くも痒くもないのだから。
利用しようとするなら怒らせる可能性も視野に入れましょうよ。
私は⋮⋮貴方達が切り捨てられることに僅かな憐れみさえ抱かぬ
魔導師なのですから。
1775
魔導師と騎士はじっと待つ︵後書き︶
フェリクスは一応魔導師に気を使っているつもりです。
※活動報告に書籍関連の詳細を掲載しました。
1776
色褪せてゆく夢物語
興味深げに向けられる人々の視線と無責任な噂。
それを感じ取った令嬢は益々俯き、フェリクスは彼女を気遣い慰
めの言葉を送る。
それを見て私は悟った。
⋮⋮ああ、そりゃ嫌味の一つも言われるだろうと。
至らないからこそ注意されるのだ、言われたら即座に謝罪し直せ
ば努力する気があると判る。
だが、彼女は俯くばかり。自分が悲しむだけで改善しようという
姿勢は見られない。そもそも妃になろうという女がこの程度で傷付
いてどうする。
尤も彼女の教育者だろう人物︱︱フェリクスとその母親あたりだ
ろうな︱︱にも問題があると見た。
奉仕活動に熱心で、﹃着飾るより子供達にパンを﹄なんて言葉が
出る令嬢が野心を胸に社交界に赴く日々を送っていたとは思えない
のだ。
ライナス殿下達とて﹃彼女もその家も善良な部類﹄だと言ってい
たのだから、政略結婚狙いの野心など欠片も無かったに違いない。
同じく信仰心厚い下級貴族あたりに嫁げば穏やかな日々を送れた
ことだろう。
それを狂わせたのが王族⋮⋮フェリクスとの恋。
玉の輿を狙う野心家ならば現実が見えているし努力もするだろう。
だが、彼女は素敵な恋に憧れるただの娘だった。
年頃の女性達が憧れる恋物語そのままの﹃運命の出会い﹄とやら
を選んでしまった。
1777
それに共感したのがあの侍女なのだろう。彼女にとっては恋人達
こそ﹃物語の主役﹄なのだから、邪魔をする者達は全員が﹃悪役﹄。
⋮⋮実はもう一つ気になることがあったりする。
彼女と侍女に関する悪い噂は聞いても、彼女の実家に関しては全
く聞かないのだ。
野心家でなくとも娘の事なのだから、影ながら支えるとか娘を諌
めるとかしていそうなもの。
その場合は﹃娘を諌めきれない不甲斐無い親﹄とでも噂されるの
だろうが、そういった事も聞かない。というか、姿を全く見かけな
い。
これに当て嵌まる状況として浮かぶのが﹃既に亡くなっている﹄
か﹃娘とは縁を切った﹄ということ。
ただ、両親が亡くなっていた場合は呑気に奉仕活動などできるは
ずもないので後者の可能性が高い。
絶縁し自分達が今後一切関わらないと宣言でもして社交界から遠
ざかれば、周囲とて令嬢の実家は彼等とは違うのだと認識し罵るま
い。
彼等は子爵家、身分制度を理解していれば王子と伯爵家に逆らえ
る筈は無い。押し切られた可能性とて十分にあるからだ。
ある程度貴族社会での付き合いを知る親ならば、娘ほど楽観的な
思考はしていないだろう。己が娘の性格だってよく理解できている
はず。
婚約自体に反対してたんじゃないのか? 令嬢の実家は。
相手の王子がきちんと娘を教育できるような人ならばまだ違った
のかもしれないが、フェリクスでは全く期待できない。
1778
何より娘の性格上、王族の妃が務まるとは思えなかっただろう。
幸せな結婚を望むならば絶対に止めた筈だ。
というか野心家でもない限り普通の親は止める。義務に縛られる
生活など誰が望むものか。
ただ、この憶測が合っていた場合は令嬢の今後はかなり悲惨な事
になる。案じてくれた者の手を振り払って恋を選んだ代償は決して
安くは無いのだから⋮⋮。
﹁そろそろ落ち着かれましたでしょうか。ご挨拶に向かわれては?﹂
﹁⋮⋮いや、大丈夫だ﹂
半ば呆れながらも二人に声をかければフェリクスはやや私を睨み
ながらも素っ気無く答えた。
お前が良くても私達は良くない。そもそも許されてたのって成人
前とか、周囲に呆れられたからじゃね?
﹃構わないよ、ミヅキ。そのまま会話を続けなさい﹄
どうすっかなー、と思っていたら魔王様から念話で指示が来た。
こちらからは見えないが、どうやらこの状況をバラクシン王共々見
ているらしい。
﹃ライナス殿下がそちらに行くから彼と比べてあげればいいよ﹄
⋮⋮。見守るどころか兵を放ってましたか、魔王様。
ライナス殿下って立場的に常に隙を見せないよう、完璧に振舞え
るようにしてきたって言ってなかったか?
ちらりとアルに視線を向けると、アルにも聞こえていたのか軽く
頷く。反撃開始に異論は無い模様。
1779
﹁そうですか。⋮⋮そういう方、なのですね﹂
隠す事無く失望を滲ませながらそう言えば、フェリクスは怪訝そ
うに見返してくる。
﹁王族としての最低限の礼儀も義務も放棄し好き勝手になさる方だ
と噂で聞いておりましたが、噂ではなく事実だったようですね。ラ
イナス殿下はイルフェナでも認められるほど御立派ですのに﹂
﹁な⋮⋮﹂
﹁他国の者、しかも私は異世界人として報告の義務がございます。
ああ、友人達にも情報として伝えますよ? 貴方様を普通の王族と
して扱えばどれほど勝手な真似をされるか判りませんし﹂
ライナス殿下と比べられ、更には﹃出来損ない﹄と遠回しに言わ
れたフェリクスは私を睨み付けた。
だが、話を聞いていた周囲は別の意味で顔色を変えている。﹃他
国に国の恥どころか弱点として伝えられる﹄ということに気付いて。
フェリクスを狙えば間違いなく成功する。しかも王族だからこそ
切り捨てるだけで済む筈は無い。
そして私はほぼ国の上層部にしか知り合いが居ないのだ、カルロ
ッサの宰相補佐様あたりに暴露すれば嬉々として外交に活かしてく
れるだろう。
﹁貴方様がこれまで国の恥と広まらなかったのは偏に王家の皆様の
お陰なのですね。冷遇どころか随分と守られているじゃないですか﹂
﹁国の恥だと⋮⋮? ほう、是非とも聞かせてもらいたいな﹂
溜息を吐きながら挑発する私に怒りを滲ませながらもあっさり乗
ってくるフェリクス。対して私は笑みを浮かべて相手をする。
1780
﹁おそらくは王を始めとする王族の皆様が謝罪し事を収めたからな
のでしょう。公の場ですら相応しい振る舞いができない方ですもの
! これまで切り捨てられなかったのは成人すらしていない事と家
族としての情でしょうね﹂
﹁ああ、それは割と知られていますよ。自国内ならばともかく、他
国との公務に失敗は許されませんから⋮⋮未だに重要な公務に参加
されない、それを﹃許されていない﹄のはそういった事情だと言わ
れているのですよ﹂
﹁やっぱり? そうよね、普通ならば私などに頼らずとも何かしら
の人脈があるもの﹂
アルも私に解説するという形で参戦してくる。二人揃って言いた
い放題なのだが、今回に限りこれを咎められる事は無い。それは王
が許しているから、ということだけでなく。
私達が言っているのは紛れも無く﹃事実﹄だから。
今、フェリクスを庇ったらそれで国の評価が確定。
しかも私は﹃他国にも話す﹄と明言している。
予防線として﹃ライナス殿下は御立派です﹄と言っているのだ、
このままならば評価を地に落とすのはフェリクスだけで済む。
私達を諌めようものなら即座に﹁貴方もそういったお考えなので
すか?﹂と巻き込まれる可能性がある︱︱実際に来たら巻き込む気
は満々、フェリクス擁護も同罪です︱︱ので迂闊に言えない。
普通、ここまで王族が言われたら取り巻きや忠誠心厚い人が出て
来るはずなのだがそれも無し。
冷静に考えればフェリクスが見限られている⋮⋮いや、﹃王族の
血﹄にしか価値が無いと誰でも判る。
だが。
1781
﹁言いたい放題ですね、さすがは世界の災厄と恐れられる魔導師殿
! 貴方には身分など何の意味もないのでしょうな!﹂
﹁⋮⋮まあ、何を今更? 我侭放題、甘やかされ放題のフェリクス
殿下?﹂
﹁く⋮⋮っ﹂
皮肉を言ったつもりなのか身分による不敬を匂わせるような事を
言い出すフェリクスに、余裕の笑みで嫌味を言い返す。
アルもひっそりと笑みを深め、私は続く展開を期待し心を躍らせ
た。
そして、その期待が裏切られる事は無い。
﹁確かに貴女はこの世界の事を知らず、身分さえその実績により特
異なものとなっている。しかし! 如何なる理由があろうとも王族
への侮辱が許される筈はない!﹂
﹁私は事実を申し上げただけですのに?﹂
﹁⋮⋮っ! それでも、だ! いや、相手が私ではなく貴族だろう
とも貴女が民間人でしかない以上は処罰されても文句は言えない!﹂
言い切ったフェリクスに私達は⋮⋮クスクスと笑い出す。怪訝そ
うな表情になる周囲やフェリクスを他所に二人揃って顔を見合わせ。
︱︱罠にかかった獲物に、更に笑みを深め視線を向けた。
よっしゃぁぁぁ! 言質は取った!
﹁ふふっ、聞いた? アル﹂
﹁ええ、勿論。﹃如何なる理由があろうとも身分制度は絶対﹄だと
フェリクス殿下御自身が言い切りましたね﹂
﹁そうね、普通ならばそれが当たり前よ⋮⋮﹃そうしなければなら
ない事情﹄がある場合を除いてね。ああ、事情があっても許可を取
らない限り許されはしないと思うけど﹂
1782
﹁一体、何を言っている⋮⋮?﹂
警戒心を滲ませたフェリクスの背後に視線を向ける。その問いに
答えるのは当然、私達⋮⋮ではなく。
﹁ほう? お前でも理解できていたか﹂
﹁え? お、叔父上!?﹂
﹁王に挨拶もせず何をしているかと思えば⋮⋮客人に迷惑をかけて
いるとはな﹂
︱︱断罪者其の一、ライナス殿下。
魔王様達より送られた伏兵が彼のすぐ傍に現れた。おそらくは出
て行くタイミングを魔王様から聞いていたのだろう。比較対象とし
ても最適だ。
彼の立場は王弟で継承権さえ破棄しているが、フェリクスよりも
遥かに影響力を持つ。
そして過去フェリクスと同じ立場にありながら全く違う道を歩ん
だ、フェリクスが最も苦手とする人物だった。
﹁誤解です! 迷惑を掛けてなどっ﹂
﹁黙れ。自国の貴族どころか王を蔑ろにして民間人に話し掛ければ
どうなると思う? 王の権威が疑われ、王族に見向きもされぬ貴族
と思われ、我が国の身分制度の在り方が疑われた挙句に﹃何様のつ
もりか﹄と魔導師殿にも批難が向くのだぞ!?﹂
﹁そ、そんなつもりは⋮⋮﹂
﹁王族としての教育や義務を放棄し、多くの事に至らぬお前を基準
とするな! 言い訳も必要無い!﹂
ライナス殿下がぴしゃりと言い切るとフェリクスは顔色を悪くし
たまま俯く。そこに今度はサンドラ嬢が心配げに寄り添った。
1783
そこだけ見るなら支え合う恋人同士といったところだろう。フェ
リクスも顔を上げてサンドラ嬢に淡く微笑み、その手をしっかりと
握っている。
⋮⋮。
スポットライト、要る? 周囲も一時的に暗くしよっか?
いや、本人達にとっては見せ場っぽいからさ? 日頃から自分達
の状況に酔っているみたいだし、ここは演劇のごとく演出で盛り上
げてやろうかと⋮⋮
﹃やめなさい、気持ちは判るけど﹄
﹁今は諦めましょうね、笑い出してしまいそうです﹂
アルの静止と魔王様によるお叱りが来た。すっかり行動パターン
が読まれている。
二人とも私を諌めている割に賛成っぽいのは、きっと気のせい。
クラウスは役者二人の事など全く気にせず演出を期待してそうだ
が、状況的に﹁やれ﹂とは言えないのだろう。魔王様同様念話がで
きる筈なのに無言だった。
そして周囲は二人の姿に感動して言葉も無い⋮⋮のではなく。
呆れているだけだ。どちらかといえばライナス殿下がヒーローと
して﹁よくぞ言ってくださった!﹂という感謝の目で見られている。
うん、これで国としての面子は保たれるものね。確かに喜ばしか
ろう。
やがてライナス殿下はこちらに向き直ると深々と頭を下げた。
﹁申し訳ない。私が代わりに謝罪しよう﹂
1784
﹁いいえ、我々にも非がありますので﹂
﹁御気になさらず﹂
私達も謝罪と共に頭を下げる。これで私達とフェリクスの問題行
動に関しては一応決着。
さて、本命の話題に移りましょうか。
﹁私達がこういった話題を振ったのには訳があります。⋮⋮先ほど
アルと共に、侍女が高貴な方に対し強気に意見するという信じられ
ない場面を目撃いたしまして。一体どういう事かと思っていたので
すが⋮⋮﹂
﹁聞いた話ではフェリクス殿下がお許しになられているということ
でした。ですが、先ほど殿下御自身が﹃如何なる理由があろうとも
許される事ではない﹄と明言なさってらっしゃいます。⋮⋮あの侍
女は下賎の身でありながら高貴な方に無礼を働いた罪人として処罰
されるのですね﹂
﹁な!?﹂
﹁そ、そんな!﹂
私とアルの言葉にフェリクスとサンドラ嬢が悲鳴のような声を上
げる。だが、今更だ。ついさっき王族としてそう言い切ったのはフ
ェリクス自身であり、周囲もそれを聞いている。
﹁当然だ。彼女に関しては以前より苦情が寄せられている。いくら
主を守れと言われたといっても立場を踏まえた守り方があるという
もの。決して身分を忘れていいものではない﹂
﹁それを許してしまえば身分制度そのものが成り立たなくなってし
まいますし、フェリクス殿下の独断ならば﹃自分にとって都合のい
い事ならば国の法さえ無視できる﹄と王族が証明してしまったこと
になりますもの﹂
1785
ライナス殿下と私のやり取りに二人は反論できないようだ。⋮⋮
当たり前なんだけどね。
ただ、フェリクスが我侭を言い出す可能性があるから先手を打っ
ておかねばなるまい。
﹁もし⋮⋮この処罰にフェリクス殿下が異を唱えるようならば﹂
ちら、とフェリクス達に視線を向ける。アルはずっと二人の行動
を監視するように眺めているし、ライナス殿下も私に倣って彼等に
視線を向けた。
二人は軽い混乱に陥っているようだが、視線を受けてびくりと体
を震わせる。
﹁この責任はお二人にも背負ってもらわねばならないでしょうね。
その場合は侍女の罪だけではなく、国にとっての不穏分子として処
罰⋮⋮いえ、処分されることも考えられますね。このまま放置する
ことだけは絶対にできませんもの﹂
﹁そのとおりだ。王族の持つ権限は強い。ゆえに己が感情のままに
振り翳せばとんでもない事になるだろう。王であろうとも例外では
ない、守るべきは国だからこそ処罰される﹂
暴君と呼ばれた者達の末路はお前でも知っているだろう? と続
けられフェリクスは反論を完全に飲み込んだ。
まさかそこまで言われるとは思っていなかっただろうが、フェリ
クスのやっていた事は暴君と大差無い。単なる規模の問題なのだ、
重要なのは﹃影響を全く理解せず個人的な感情のままに王族として
の権利を行使したこと﹄なのだから。
﹁反論は認めない。もしも異を唱えるならばそれなりの処罰を覚悟
1786
しろ﹂
﹁⋮⋮わかり、ました﹂
﹁そんな!? 殿下⋮⋮っ﹂
﹁サンドラ、聞き分けるんだ﹂
大切な友人だからなのか、それとも自分の所為だという負い目が
あるのか。サンドラ嬢は何とかして侍女を助けたいようだが、フェ
リクスは頷かない。
いや、自己保身から﹃できない﹄と悟ったのだろう。
では、少々状況説明をしてあげようか。聞けば彼女も黙るだろう。
﹁貴女もその対象となりえるのですが? サンドラ様﹂
﹁え?﹂
﹁本来ならば貴女も何らかの処罰を受けても不思議ではありません。
フェリクス殿下が侍女の行動を許していた事から見逃されているに
過ぎないのですよ﹂
突如声をかけられ、きょとんと私を見るサンドラ嬢。その表情を
見る限り現状には未だ気付いていないようだった。
﹁元は貴女が原因です。それに貴女自身が侍女の不敬を謝罪してい
ればまだ救う術はあった﹂
﹁で、でも⋮⋮﹂
﹁ミヅキの言うとおりです。己が侍女の不敬を詫びるのは主として
の義務ではありませんか? それに貴女は殿下の婚約者であろうと
も未だ妃ではない以上、子爵令嬢に過ぎません。貴族の身分制度は
貴女にも当て嵌まります﹂
﹁それともフェリクス殿下に縋るのでしょうか? もしや、王族の
婚約者ならば既に立場は王族と同等とでも思っていましたか? 随
分と傲慢な方なのですね﹂
1787
﹁違います! そんな事は思っていません!﹂
私とアルの指摘に即座に反応するサンドラ嬢。だが、否定するば
かりで反論は無い。
彼女は自分が﹃特別扱いされているだけ﹄だと理解していなかっ
たんじゃないかな。フェリクスやその母親はその扱いを当然だと言
っただろうし。
﹁王族・貴族の婚約が破棄されることなど珍しくはありません。で
すから、婚姻していなければ本来の身分でしかありませんよ?﹂
﹁それを踏まえてなお侍女への恩情を願うならば⋮⋮それこそ物語
に登場する悪女そのものですわ。自らの我侭を叶える為に権力を行
使させようとするなんて﹂
﹁それ、は⋮⋮﹂
﹁我が身が可愛いならば口を挟まない事です。子爵令嬢の我侭が国
の法より勝るとでもお思いですか?﹂
公爵子息であるアルの婚約者に対する扱いの説明と﹃これ以上口
を挟むな﹄という警告、そして私の﹃物語の悪女そのもの﹄という
言葉。
さすがに理解できたのか、彼女は言うべき言葉を見つけられず俯
く。感情では助けたいのだろうが、ここまで説明されれば次は自分
なのだとはっきりと理解できてしまって。
まあ、フェリクスならば彼女だけは助けそうな気がするが。駄目
な子だし。
過去は変わらない。侍女の罪も彼女の愚かさも全ては立場に対す
る責任と自覚さえあれば防げた事。
一度や二度ならば見逃せても苦情の数が多過ぎるのだろう。﹃何
1788
故そう言われるのか﹄と反省し、フェリクス達以外の言葉に耳を傾
けていればまだ違った結末もあったのに。
﹁あの侍女を拘束しろ﹂
控えていた騎士に命じるライナス殿下の声が冷たく響き。
サンドラ嬢はフェリクスに抱き締められたまま、静かに涙を零し
た。
泣くのはまだ早いですよ? サンドラ嬢?
︱︱物語の﹃主役﹄になった以上は最後まで逃げられないのです
から。 1789
色褪せてゆく夢物語︵後書き︶
腹黒騎士と魔導師の組み合わせは危険。
※活動報告に書籍関連の詳細を載せてあります。
1790
休憩中にも裏方作業
涙を流すサンドラ嬢を慰めるフェリクス。
だが、現状はそれを許すほど甘くは無い。
﹁⋮⋮夜会に参加する以上は陛下への挨拶は当然の義務だろう。早
く行くがいい﹂
厳しい表情のままにライナス殿下も二人に促す。
それを漸く理解できたのか︱︱周囲の反応から判断したとも言う
︱︱強張った表情のまま頷くと二人は王の下へ歩いて行く。
それを見送ってからライナス殿下は再び私達に頭を下げた。
﹁すまない、あれほど常識が無いとは思わなかった﹂
﹁御自分に素直な方なのでしょうね﹂
アルが無難に返すとライナス殿下は深々と溜息を吐く。
フェリクスの置かれた環境は特殊であり、同情すべき点もあるだ
ろう。だが、王族の一員と認め家族として躾ようとしてくれた人達
は居たのだ。
その声を無視しておいて被害者面はできない。何より、世間はそ
んな裏事情よりも﹃無能な王子﹄としてしか扱わないのだから。
﹁⋮⋮ライナス殿下。私ね、貴族の礼儀作法とかよく判っていなか
った時にいきなりゼブレストへ送られたのですよ。今から思えば無
茶苦茶です、国の後見とゼブレスト王の保護があると言っても全て
が許されるわけではない﹂
1791
魔王様の教育はイルフェナでさえ無茶苦茶だと言えるものだった。
だが、それは私が魔導師だったから。
今後の事も踏まえて﹃どういった教育が最善か﹄を考えた果ての
ものだった。
﹁求められたのは結果です。だから私は自分だけではなくあらゆる
ものを利用した。⋮⋮他者を蹴落とす事を躊躇わなかった。結果を
出す為、もっと言うなら自分を守る為に必要だったから﹂
﹁⋮⋮﹂
ライナス殿下は無言。状況は違えど彼もまた己が在り方を決めた
ゆえに、他者を黙らせてきた過去があるのだろう。全ては己が定め
た主の為。
﹁隙を見せれば落命する状況なのです、礼儀作法とて身に付けるよ
う必死になろうというもの。だからこそ私は今の私で在れた。誰か
を蹴落としてでも自分を選べるようにもなりました﹂
﹁⋮⋮それに後悔はないのかね? 外道と呼ばれようとも、誰かか
ら敵視されようとも﹂
﹁おかしな事を言いますね。どう頑張っても私が異世界人だという
事実は変わらないのです。周囲に理解を求める方が間違いなのです
よ。その事に落ち込むより、私は異世界人である事を好き勝手でき
る大義名分だと誇ります﹂
﹃異世界人ならではの知識があり、学ぶ事でこの世界の知識すら
併せ持つ﹄ことと﹃ゼブレストへの貸しと人脈﹄。その二つこそ魔
王様が私にくれた最大の武器。
先生が言った﹃周囲に馴染むよう努力しろ﹄という教えも重要だ
が、時と場合により異世界人ゆえの知識は他者を圧倒するものとな
るのだ。
1792
要は使い所や見せ方の問題。私やグレンはこの世界の常識を踏ま
えつつ異世界の知識を利用したからこそ、強者なのだから。
魔王様は私をゼブレストの後宮に放り込むことにより、マイナス
要素にしかならない事実が利点に変わることを教えてくれた。それ
は﹃私自身に価値をもたせて、この世界での立場を向上させる﹄と
いうことでもある。
私がそういったやり方を身に付けることが必須とはいえ、今の状
況は異世界人としては異例だろう。魔導師ということもあるだろう
が、何かを依頼されても拒否できるのだから。
イルフェナの王族という自覚のある魔王様からすれば破格の対応
と言えるだろう⋮⋮国に被害を齎さないようにするならば知恵も強
さも不要、魔王様自身の立場を重視するなら手駒とすべく飼い殺す
はずだ。
﹁私は自由を与えてくれた魔王様に⋮⋮それを許してくれたイルフ
ェナに感謝しているのです。今回の事件、魔王様が望むのならば理
想的な決着に向かわせてみせますよ?﹂
﹁大した忠誠心だな﹂
﹁忠誠? 日頃から毛皮に包んで守ってくれる親猫の為に牙を剥く
事は当然じゃないですか。何よりその選択は自分自身で決めた事⋮
⋮どんな結果でも背負うのは私です﹂
飼い慣らされたと言うならば言った奴を笑ってやろう。立場を忘
れる事無く、それでも守る事がどれほどの人にできようか。
少なくとも綺麗事を並べる奴には理解できないし、魔王様と同じ
立場に在る者は背負うべきものが増えた事を賞賛すると共に呆れる
だろう。︱︱使える手駒に選択権を与えておいていいのか、と。
そして私は自分語りの為にこんな話をしているわけじゃない。放
っておけば諌められなかった事を己が責任のように捉え、背負い込
1793
む人が居るからだ。
﹃自己責任﹄。異世界人でさえそれが当て嵌まる。魔王様の教育
は﹃やる気が無ければ愚かなまま﹄という選択肢を強制的に消した
もの。そういう意味では私は王族に通じるものがある。
﹃魔導師だからこそ、そのままにはできない﹄と魔王様は言った。
それは王族も同様。
無能であれば国の弱点となり、存在すら危うい。だからこそ必要
な事を学び、迂闊な言動を慎むのは本人の為なのだろう。
フェリクスはそれを学ぶ機会を自分の意志で拒絶してきた。なら
ば結果を背負うのもフェリクス自身。
﹁フェリクスは⋮⋮もうやり直す事はできないんだな﹂
ライナス殿下は正しく私の言いたい事を察したらしい。
どこか寂しげに言って俯くライナス殿下にアルは頷く。
﹁今回の事は国同士の問題です。﹃知らなかった﹄のではなく﹃知
ろうとしなかった﹄、もしくは﹃忠告を拒絶し続けた﹄。同情の余
地はありません、あるとするならば彼等の今後を期待する事ではな
いでしょうか﹂
﹁それは⋮⋮フェリクス達の先を望むということなのかね?﹂
﹁ええ。それ自体が罰と成り得ますから﹂
アルの言葉にライナス殿下はやや安堵を滲ませた。逆に言えば﹃
イルフェナが処刑を望むことは無い﹄と断言したようなもの。別の
形でやり直す機会が与えられると言っているも同じなのだ。
⋮⋮まあ、フェリクス達にとっては死んだ方が楽かもしれないが。
そしてその決定を下したのは魔王様。フェリクス達から見れば厳
しい断罪者だろうとも、他者から見るならとても優しい決定だ。
おそらくはフェリクスだけではなく、バラクシン王やライナス殿
1794
下の心情を思い遣ってのことだろう。
﹁なるほど、それではどれほど酷い目に遭おうともフェリクス達は
生き長らえるのだな。随分と難しそうだが、魔王殿下に懐いている
魔導師殿はその状況を作り上げるのか?﹂
﹁その程度できなくては﹃災厄の代名詞﹄として情けないでしょう
? 不可能の一つや二つ可能にできなくてどうします﹂
にやりと笑うとライナス殿下は呆れたように笑う。それは珍しく
も憂いの無い、やや幼く見えるようなものだった。
⋮⋮後でお兄ちゃんに私の記憶を見せてやろう、とひっそり思っ
たのは秘密。
※※※※※※※※※
﹁ところでね。この夜会があの二人の為に整えられた舞台ならば邪
魔者は要らないと思わない?﹂
﹁⋮⋮心から賛同しますよ、ミヅキ。それに保護者には後でしっか
りと話をしなければなりませんしね﹂
唐突に話題を変え、にこおっと笑った私にアルも笑顔で頷く。勿
論、それは﹃素敵な騎士様﹄の笑みではない。本当に楽しげな笑み
なのだ。
怪訝そうな表情になったライナス殿下は私達の様子に益々首を傾
げた。
﹁ふむ⋮⋮保護者、というと兄上か? それとも母親の方か?﹂
﹁いえいえ、﹃優しいお爺様﹄とやらですよ。学芸会モドキの安っ
ぽい舞台ですが、自分の好む筋書きでなければ認めないような保護
1795
者は要らないじゃないですか﹂
﹁逃げられても困りますよね。ここは別室にて待機していただくの
が最善かと﹂
﹁そうよね、特別待遇で終幕まで待っていてもらいたいわ﹂
特別待遇ですとも、その後に魔王様との保護者面談が待ち構えて
いるのだから。私という異世界人を知ってもらう機会を設けなけれ
ば話が通じまい。
どちらにせよ元凶が無事で済む筈はなかろう。今回の事では罪に
問えないが、無傷という選択肢など存在するわけがない。
﹁と、いうわけで誘き出してくださいな﹂
﹁は!?﹂
ぽん、と片手をライナス殿下の肩に置く。
﹁是非とも御願いします。そうですね⋮⋮嫌そうにしながら﹃魔導
師がフェリクスの事を不快に思っている。優しいお爺様ならば謝罪
に行ったらどうだ﹄とでも言えば十分かと﹂
更にアルが反対側の肩に手を置く。ライナス殿下は私達の目的を
察し、自分も協力者という立場に置かれようとしていることに顔を
引き攣らせる。
﹁そ⋮⋮それでは逃げられるのでは?﹂
﹁大丈夫ですよ。フェリクスの事をわざわざ謝罪するなんて株を上
げるチャンスじゃないですか。好感度を上げたければ絶対に来ます
ね﹂
﹁私もそう思います。彼の目的を考えれば、フェリクス殿下抜きの
状態で話し合いに持ち込める絶好の機会でしょうね﹂
1796
現在、参加者達の視線はフェリクス達をそのまま追って自国の王
へと向いていた。しかもそこには魔王様とクラウスも居るのだ、私
達が更に隅に移動した事もあって人々の興味は向こうへ移っている。
私達への視線が皆無というわけではないが、ライナス殿下が頭を
下げたり申し訳無さそうな表情をすることもあって﹃まだ謝罪して
るんだ﹄程度の認識。
﹁大丈夫ですよ⋮⋮﹃私達が何をするか知らなければいい﹄、いえ
﹃見なければいい﹄んですから﹂
優しい眼差しでライナス殿下を見つめて言えば、アルがそれに追
従する形で畳み掛ける。
﹁我々の行動は王に許可されております。⋮⋮ご迷惑はお掛けしま
せんよ?﹂
言葉だけなら丁寧なのだが、視線は﹃さっさと行って来い﹄と強
制している。
しかもアルが言っていることは事実なのでライナス殿下に逆らう
という選択肢は存在しない。
﹁わ、判った。事情を知る騎士に部屋を確保させよう﹂
﹁御願いしますね。私達はそこのテラスで待っていますから﹂
そう言うと顔を引き攣らせたライナス殿下と分かれてテラスへと
足を進める。これでも一応年頃の男女、暗がりで愛を語り合うカッ
プルは珍しくは無い。
⋮⋮まあ、私達は愛を語り合うのではなく、敵をボコる共同作業
の場というだけなのだが。
1797
ロマンスを期待する皆さんには申し訳ない展開だが、暗くて人目
につかない場所って犯罪の犯行現場になりがちだよね、普通。
その後。
ライナス殿下の言葉にのこのことやって来た元凶︱︱本人が名乗
ったし、近くに居た騎士も確認している︱︱がどうなったかといえ
ば。
﹁ぐ!?﹂
やって来て名乗るなりアルに鳩尾を殴られ昏倒した。確かこれっ
て痛みで気絶するんじゃなかったか?
﹁アル、ムカついてるからって結構手加減無くやったでしょ﹂
﹁ミヅキも膝を入れてませんでしたか?﹂
﹁こっちに倒れこんでくるから、つい﹂
﹁ならば仕方ありませんね﹂
後ろを向いていた︱︱見なけりゃいいのだ、見なけりゃ︱︱騎士
達は顔を引き攣らせて沈黙。ライナス殿下にこれから起こるであろ
う事を聞いていても、半信半疑だったらしい。
大丈夫! 死ななきゃいいんだ、死ななければ!
今だって治癒魔法かけてるから最終的には若干疲れて気を失った
だけだもの!
﹁⋮⋮あの、魔導師殿? 何故、御連れの方共々未だに踏みつけて
らっしゃるのでしょう?﹂
ぐりぐりと二人して倒れた背中を踏みつける光景に騎士達は顔色
が悪いまま、問い掛ける。
1798
彼等とて生活があるのだ、犯罪者の手助けは拙いと思っているの
だろう。
﹁個人的な感情の問題です﹂
﹁彼は元凶ですので。我々が直接手を下せるのは今しかないのです
よ﹂
﹁基本的にイルフェナの代表者とバラクシンの王が﹃話し合い﹄で
決着をつけるしか無いものね﹂
﹁ええ。ですが、我々とて国ごと侮辱されて笑って許せる筈は無い
のです﹂
にこにこと笑いながら作業する︱︱現在は簀巻きにして蓑虫化︱
︱私達に騎士達は何かを感じ取ったらしく再び顔を背けた。
うふふ∼、異世界人凶暴種と称される私が口だけで済むものか。
私を利用しようとして只で済むとは思うなよ? これは単なる身
柄の確保だからな? 逃げるなら言い訳する前に捕獲すればいいじゃない!
魔導師だもの、普通じゃないのが当たり前!
蓑虫が出来上がると黒騎士との共同制作の作品を括り付ける。御
存知、悪夢の定番品ナイトメア。気を失いつつも異世界の素晴らし
い技術を体感できるという優れもの。
﹁あの⋮⋮何やら魘され出したのですが﹂
﹁まあ、酷い! これは私のお気に入りの異世界の技術なのに! ⋮⋮ああ、馴染みが無いから怖いのかもしれないわね?﹂
﹁なるほど、そういうわけでしたか﹂
﹁ええ。魔法の無い世界だから、この世界の常識とは少し異なるの﹂
1799
安堵の表情を浮かべる騎士には悪いが、嘘を言っている訳でもな
い。単に私が﹃異世界産のホラーゲーム大好き﹄だっただけである。
が、ゲームと割り切っているからこそ恐怖も遠いのであって、現
実との区別がつかなければ相当怖いとも思うのだが。
ある程度の耐性があればとっても楽しめたのだよ、ホラーと言っ
ても恐怖とは別方向の楽しみ方もあったのだから。テーマに沿った
参加者募集とかあったし。
﹃突如ゾンビと化した人々が群を成す町を脱出する﹄という﹃お
約束﹄なものだろうと、オンラインで共闘可能ならばお遊び要素も
当然有り。恐怖や敵を倒す爽快感が全てではなかったのだ。
参加にはコスチュームチェンジによる白衣着用が条件の﹃闘うお
医者さん﹄︱︱ゾンビ化を病気と捉えたわけですね︱︱やら、サバ
ゲーチームが丸ごと参加し作戦を展開する﹃特殊部隊VS﹄やら、
﹃初心者歓迎! 初期武器でGO!﹄などといったネタ方向に走る
奴も続出し、ホラーとは程遠い方面で受けたりもした。
なお、私が参加した﹃初心者歓迎! 初期武器でGO!﹄は初期
武器がホラーゲームでは馴染み深い鉄パイプだったが為に﹃暴徒V
Sゾンビ﹄﹃人間の方がヤバイ﹄などとコメントされていた。⋮⋮
確かに数の暴力が加わると人間の方がヤバイかもしれない。
まあ、ともかく。そういった方面も好んだ私の記憶を基に作られ
た悪夢は当然アンデッド系が自分に向かって来るというものでして。
﹁く⋮⋮来るなぁっ!﹂
伯爵は盛大に魘されていた。夢の中だろうと闘う意思を持てよ、
男だろ?
黒騎士達は大絶賛だったんだぞ!? 即座に続編を希望するくら
いには。
﹁あの、本当に大丈夫なのですか⋮⋮?﹂
1800
﹁大丈夫です! さっさと部屋まで運んでください。見張りも御願
いします﹂
﹁は、はあ﹂
事情を察しているであろうアルも微笑んだまま無言。伯爵を足げ
にしていた行動こそ本来の彼の心境だ。
伯爵の背中にはっきり靴跡が付いていることなど気にしない!
﹁それでは後は我々に御任せください﹂
﹁御願いしますね。我々も役目を全うせねばなりませんので﹂
﹁⋮⋮御願い致します﹂
最後に深々と頭を下げると、騎士達は伯爵を連れて去っていった。
さて、邪魔者も隔離されたし夜会会場に戻ろうか。そろそろフェ
リクス達が私達を探していると思うんだよねぇ?
1801
休憩中にも裏方作業︵後書き︶
表面笑顔で内心般若。伯爵、あっさり捕獲。
※活動報告にて重版決定のご報告をさせていただきました。
1802
恋人達は現実を知る
二人して戻った広間は先程よりも穏やかな雰囲気になっている。
おそらくフェリクス達は無難に挨拶を終えたのだろう。反論でも
していれば今頃は周囲の視線を集めている筈だ。
﹁⋮⋮こちらに向かって来ていますね。エル達も、ですが﹂
﹁あれ、もう来ちゃうの?﹂
﹁一緒にではありません。後ろからです。いつでも介入できるよう
にする為でしょう﹂
私よりも背の高いアルからは見えたらしい。つまり今度は魔王様
達が出てくるのか。
﹁あらら、本番を始める気?﹂
﹁長引かせても結果は変わらないと判断したのでは?﹂
更生コースは却下されたらしい。気まずさはあっても反省は見ら
れなかったのか。
まあ、正直さっきの出来事程度でこれまでずっと﹃そう育てられ
てきた﹄フェリクスが変わることはないだろう。フェリクスが基準
のサンドラ嬢も同じく。
⋮⋮彼女は侍女を失う事は嘆いても﹃何故それが必要なのか﹄と
いうことまでは理解できなかっただろうから。
王族、しかも他国の者の前での失態。それを許してしまえば国そ
のものが価値を落とす。
1803
だからこそ、イルフェナからの評価を落とさぬ為には必要な事な
のだ。
決して侍女を憐れまないわけではない。彼女が主を守りたい一心
だったことはきちんと理解しているのだ、王族とて。
﹁どうせならもう一人の獲物も来て貰いたいわね﹂
そう呟くとアルは面白そうに目を細める。
﹁おや、﹃彼女﹄もお望みで?﹂
﹁だって話にならないと思うわよ? 魔王様がこっちに来るならク
ラウスも居るでしょ、好都合だわ﹂
﹁ふふ⋮⋮確かに﹂
私がやろうとしている事の想像がついたのか、アルは楽しげに笑
う。共犯者様も中々にやる気らしい。
﹁このような場ですが、しっかりと見せ付けられることは嬉しいで
すね。クラウスも喜んでこちらの挑発に加わるでしょう﹂
﹁挑発? ただの事実だわ﹂
﹁ご尤も。私達も皆の期待に応えなくてはいけませんからね﹂
緩く口角が釣り上り笑みを刻む。それは絶対に﹃素敵な騎士様﹄
のものではない。
ぶっちゃけ﹃彼女﹄が元凶其の二だもんなー、魔王様に忠誠を誓
うアル達が許す筈はないのか。
⋮⋮﹃翼の名を持つ騎士﹄は複数の部隊が存在する。当然他にも
存在するのだが、私が隔離されている状態なので会わないだけだ。
例外的に会ったのはキヴェラの時にお世話になった商人さん達だ
け。私と接触していない人が望ましいので魔王様が借りてきました。
1804
基本的に王族が率いる形で魔王様の直属の部下が私が生活する騎
士寮の皆さん。年齢からして魔王様達の学友あたりで構成されてい
るのではないかと推測。⋮⋮黒騎士はクラウスの類友な気がするが。
まあ、ともかく。
今回はイルフェナという﹃国﹄を侮辱したので彼等も当然お怒り
だったらしい。
だが、魔王様が出向く事からアル達に一任されたそうだ。それも
フェリクスの不幸に繋がっているのだったりする。
だって、魔王様率いるアル達が一番性質悪いみたいだもの。
ついでにオプションで私が居ます、彼等の部隊には。
少なくとも商人の小父さん達は割とまともだった。
翼の名を持つ騎士が全員こいつらと同類とかではないのだろう。
忠誠心はMAXぶっちぎってそうだが。
そんなことを考えているとフェリクス達がやって来た。どうやら
未だに友好的な関係にもっていきたいらしい。
⋮⋮姑息な。
﹃誰かを頼ることが前提﹄ならば愛を貫きたいとか言うなよ。三
流恋愛小説の主人公達だってもっと自力で何とかしようと足掻くだ
ろうに。
﹁⋮⋮魔導師殿、先ほどは申し訳ありませんでした﹂
頭を下げながらフェリクスが謝罪する。サンドラもやや顔を青褪
めさせながらもそれに倣った。
ふぇ∼り∼く∼すぅ∼?
王族に頭下げられたら﹃御気になさらず﹄しか返答できねぇだろ
う!?
1805
多分、フェリクスはそこまで頭が回らない。裏など無く素でやっ
ている。
﹁⋮⋮御気になさらず﹂
﹁もう期待してませんから﹂と内心付け加え謝罪を終わらせる。ア
ルもそれが判ったのか苦笑気味。
フェリクス達は安堵の笑みを浮かべているが、実際には地獄巡り
が始まっただけである。エンディングまでノンストップだ、覚悟し
とけ。
﹁では⋮⋮﹂
﹁お話の前に﹂
フェリクスの言葉を遮りサンドラ嬢に視線を向ける。サンドラ嬢
はびくりと肩を揺らしたが、それでも笑みを浮かべて見つめ返した。
﹁サンドラ様に窺いたい事がございます。⋮⋮貴女は御自分の選択
を後悔していらっしゃらないのですか?﹂
﹁え? ええ、実家から絶縁されることは辛かったですが後悔はし
ておりません﹂
﹁そう、ですか﹂
やはり絶縁されていたか。彼女の性格を知り、その温い思考が王
族には適さないと考えたのならば当然だろう。娘が可愛くとも家ご
と破滅させるわけにはいくまい。
対してサンドラ嬢は己が言葉の意味を理解していないのか、頬を
染めている。彼女からすればフェリクスへの揺ぎ無い愛とやらを問
われたとしか思っていないらしい。
だが、私はそんな夢を見せてやるほど優しくは無い。
1806
﹁サンドラ様。貴女は教会派の貴族であると窺いました。王家に嫁
ぐと言う事は教会派の裏切り者となって王家につくということか、
教会派の一員として王家に牙を剥くかのどちらかです。貴女はどち
らを選ぶのですか?﹂
﹁え⋮⋮?﹂
﹁王家の一員となれば教会派の孤児院には寄付できなくなります。
個人の資産ではなく、﹃国の資産を王子の妃として使うことになる﹄
からです。その状態で教会に寄付をすれば単なる税金の横領ですよ﹂
﹁な!? わ、私はそんなつもりはっ﹂
今初めて知ったように青褪め慌てるサンドラ嬢。フェリクスは驚
愕しながらも、サンドラへと視線を向けた。
⋮⋮気付いてなかったな、こいつら。
﹁国が運営する孤児院ならば公務として訪れることが可能です。で
すがそれも特定の孤児院を贔屓するのではなく平等に回り、寄付⋮
⋮これは物資に限定されますね。その寄付も国からの物であって貴
女からのものではありません﹂
﹁そうですね、王子の妃たる方が個人的に親しいからといって寄付
に差をつけるわけにはいきません。何より民の税を個人的に使うな
ど許される筈も無い。己に与えられた予算は﹃王子の妃として﹄の
ものであり、個人の所有ではないのですから﹂
私とアルの追い打ちにサンドラ嬢は漸くこれまでの暮らしができ
なくなると悟ったらしい。
本来ならば王子の手を取るか否かという段階でしなければいけな
い選択だったろう。
フェリクスは理解していなさそうだし母親も同様だろうな。それ
に彼女の家族もフェリクスを前にしてこんな発言はできまい。下手
1807
をすれば﹃二人を引き裂く為に言っている﹄と受け取られ、不興を
買ってしまう。
﹁﹃個人﹄としてではなく﹃王族の一員﹄として生きる。そんな生
活を納得されたのでしょうか、本当に﹂
アルは幼馴染としてずっと魔王様の傍に居た。だからこそ、半端
な覚悟で王族を名乗る輩が許せないのだろう。普段よりも随分とキ
ツイことを言っている。
﹁わ⋮⋮私は、フェリクス様から、そんなことは⋮⋮﹂
﹁先ほどのフェリクス殿下を見て疑問に思いませんでしたか? 殿
下は王族としての義務など理解されていないように見受けられまし
たが﹂
﹁!?﹂
私の言葉にサンドラ嬢は先ほどのやり取りとライナス殿下の言葉
を思い出したのだろう。つまり⋮⋮﹃フェリクスが王に挨拶をする
常識すら理解していなかった﹄と。
益々青褪めるサンドラ嬢。彼女は漸く自分が選んだものの危うさ
に気がついた。
⋮⋮が。
予想外の人物が突如会話に割り込んでくる。
﹁そのくらいにしていただけませんか? いくら魔導師といえど我
が国では何の地位もありませんのよ﹂
視線を向けた先には気の強そうな金髪の美少女が私を睨みつけて
いる。
⋮⋮誰、この子。フェリクスは顔を顰めているけど。
1808
訝しげになる私達を他所に美少女は更に近寄り、私にしっかりと
視線を合わせた。
﹁お初に御目にかかりますわ、魔導師様。わたくし、エインズワー
ス公爵家のヒルダと申します。先ほどから聞いていれば少々言葉が
過ぎるのではございませんか? 下賎の者ごときが王家の方に過ぎ
た口を聞くなど許されることではありません! 去りなさい!﹂
キツイ口調での糾弾は私に向けられている。アルならばギリギリ
許容範囲だが、民間人でしかない私はアウトということらしい。
侍女の処罰に対して身分制度を語ったならばこの言葉も受け入れ
ろと言う事だろう。確かに正論だ。
だが、フェリクスは不快感も露にヒルダ嬢に噛み付いている。
﹁ヒルダ! 元婚約者とはいえ、でしゃばるな!﹂
﹁⋮⋮殿下、わたくしは殿下の為にしていることですわ﹂
﹁それが余計だと言っている!﹂
⋮⋮。
私は無視かよ、お二人さん。一応、当事者なんですがね?
それよりも私はヒルダ嬢の言動が気にかかる。
﹃身分制度の強調﹄に﹃フェリクスから遠ざける﹄、﹃殿下の為
にしていること﹄⋮⋮?
⋮⋮うん? 彼女の行動ってかつてのエレーナと似てないか?
下賎と罵ることで﹃周囲にこの国の貴族が軽んじられてはいない
と判らせる﹄。
フェリクスとの会話を止めさせることで﹃フェリクスがこれ以上
の恥を晒す事を止めた﹄。
1809
去れと促す事で﹃私達をフェリクスから解放させようとした﹄。
⋮⋮。
自分から悪者になってこの場を収めようとしてないか? この人。
彼女の言い分は正しいし、私はイルフェナの汚点とならない為に
も彼女の言葉を受け入れ謝罪するしかない。
そんな姿を見れば周囲とて先ほどの﹃第四王子にすら無視される
貴族﹄という状況に対する批判もある程度は和らぐだろう。私が﹃
貴族を格下扱いしてません﹄的な姿勢を見せているのだし。
この行動で彼女が得る物など無い。自身の評判︱︱特にフェリク
スから︱︱を落とすだけだ。
そもそも彼女は私が魔導師だと理解できていた。それなのに敢え
て悪印象を抱かせたのはフェリクス達以上に自分を敵と認識させる
為じゃないのか?
災厄の代名詞に喧嘩を売る馬鹿は居ない。抗議されれば国に被害
を向かわせない為に処罰とて十分ありえるからだ。彼女はその役を
フェリクスから引き受けたように見える。
﹃元婚約者﹄だとフェリクスは言った。あの態度なのだ、それを
望んだのは当然王家だろう。
彼女は⋮⋮フェリクスの﹃御守り役﹄だった⋮⋮?
そんな私の考えを他所にフェリクスはヒルダ嬢と口論している。
自分の為に起こした行動という言葉の意味を考えることさえ無いの
か、フェリクス。
﹁魔導師殿! 彼女の言う事を聞く必要など無い! この女は私の
する事全てが気に入らないだけなのだからな!﹂
﹁わたくしは常に殿下の味方であっただけですわ﹂
その言葉に自分の推測がほぼ正しい事を悟る。彼女は常に忠告し
フェリクスの間違いを正してきたのか。
尤も当のフェリクスはそれを小言としか受け取らなかったらしい。
1810
﹃全てが気に入らない﹄って⋮⋮それ、﹃王族として未熟だから
ヘマをしないよう見張ってた﹄ってことじゃないんかい。
﹁魔導師殿? どうかしたのか?﹂
呆れた視線を向けるもフェリクスは意味が判らず困惑。アルも同
じ結論に達したようでやや蔑みの視線をフェリクスに向けている。
そして私は深々と溜息を吐いた。
﹁もう結構です。呆れ果てましたわ、フェリクス様には﹂
﹁え?﹂
きょとんとなるフェリクスを放置し、ヒルダ嬢に向き直る。
﹁御苦労されてきたのですね。御自分を悪者に仕立て上げてまで貫
く忠誠、お見事だと思います﹂
﹁一体、何のことですの?﹂
ヒルダ嬢は表情を崩さぬまま平然と問い返すが、やや焦りが見え
る。やはり彼女の狙いは別にあるようだ。
﹁我等はそう愚かではございませんよ? ﹃得をするのは誰か﹄﹃
この状況の結果どうなるか﹄。それに思い至れば貴女の思惑に気付
くかと﹂
しっかりと目を合わせ言い切ると、彼女は諦めたかのように険し
い表情を消す。その表情は先程よりも幼く見えた。こちらが本来の
彼女なのだろう。
﹁⋮⋮。そ、う⋮⋮気付かれたのですか﹂
1811
寂しげに、それでも誤魔化そうとした罪悪感からかすまなそうに
ヒルダ嬢は目を伏せる。
﹁ヒルダ嬢。我々は﹃王の許可を得ております﹄。己を犠牲に出来
る貴女の忠誠と優しさは尊いものだと思いますが、我々とて譲れぬ
ものがある。⋮⋮御理解ください﹂
﹁そう、ね。この程度で済まそうなど、随分と虫のいい話でしたわ
ね﹂
アルの言葉に私達の行動の意味を悟ったのかヒルダ嬢は小さく溜
息を吐いた。
ただ、フェリクスとサンドラ嬢だけが理解していない。彼らには
彼女の言葉の意味など理解できないのだろう。
彼らにとってはヒルダ嬢は﹃悪役﹄。それが一度決定されてしま
えば簡単には覆らない。
特にフェリクスの婚約者だったという点が大きいのだろう。物語
では愛し合う二人を邪魔する悪役ポジションなのだから。
﹁一体何の事を言っているのです? 魔導師殿?﹂
フェリクスの問いは私達が答えてやろう。ヒルダ嬢からの言葉な
ど彼らは絶対に信じないのだから。
ヒルダ嬢に視線を向けると﹁御願いします﹂というように軽く頭
を下げた。それを受けてアルが口を開く。
﹁ヒルダ嬢の言動は本当に貴方の為だったのですよ、殿下。貴方が
これ以上醜態を晒さないように、先ほどの事からミヅキが貴族達よ
り批判を受けぬようにする為に、そして私達が貴方達から逃げられ
るように﹂
1812
﹁な⋮⋮そんな筈はっ!﹂
﹁⋮⋮貴方達以外から見ればとても判り易いですよ? 彼女は自分
の評判を地に落とすどころか、魔導師の不興を買うことも覚悟で会
話を終わらせようとしたのですから﹂
﹁勿論、その場合は処罰されることも覚悟の上でしょうね。⋮⋮こ
れまでもそうやって苦言を言い、憎まれ役になろうとも貴方を守っ
てきたのでしょう﹂
私とアルの言葉が信じられないのかフェリクスは戸惑うような表
情を浮かべている。
だが、アルの予想は間違ってはいないだろう。フェリクスを支え
る事を前提として婚約者は選ばれているだろうし。
そしてそこに割り込んでくる人達が。
﹁そのとおりだ。⋮⋮ヒルダ、そなたには随分と苦労させてしまっ
たな。すまない﹂
﹁陛下! そのようなお言葉は不要です。わたくしは役を与えられ
た以上は御期待に応えるべきと思っただけですわ。わたくしこそ望
まれた役目をこなせず⋮⋮﹂
頭を下げるバラクシン王。そして跪き王に謝罪するヒルダ嬢。
そうだよねー、王として国の為に必要だったとはいえ父親として
は土下座したくなる事態だわな。
年頃の娘さんに問題児を押し付けたようなものだもん、しかも最
終的に勝手に婚約破棄されてるし。
王の顔に泥を塗り、公爵家に喧嘩を売ったようなものだろう。王
子の婚約者でいた時間、彼女は拘束され続けていたのだから。助け
られていた事に気付きもせず邪魔者扱い、はっきり言って最低。
しかもヒルダ嬢はこれから急いで嫁ぎ先を探さねばならんのだ。
にも関わらず再びフェリクス達を助けようとしてくれた。私から見
1813
ると聖人に等しいぞ、この御嬢様。
王はフェリクスに厳しい顔を向けた。ヒルダ嬢の事は予想外だっ
たが、王がフェリクスに対する断罪を止めることはない。
﹁お前がこれまで何とかやって来れたのは、お前が間違おうとする
度にヒルダが止めていてくれたからだ。その事に気付かぬとは何と
情けない﹂
王から向けられる明らかな失望にフェリクスは肩を振るわせた。
やはりそれなりに説教はされたのだろう。だが、これからは説教
などというレベルではない。
﹃王﹄が﹃王子﹄に対し明らかな失望を隠そうともしない。
しかもそれを見せつけるように﹃他国の者が居る場﹄でそれを行
なう。
言葉こそかけぬが魔王様達も傍に来ている。予定とは少々違った
展開になったが、それは単に王からの断罪が早まったに過ぎない。
ヒルダ嬢は場の雰囲気を察したのか、改めて一礼すると離れてい
った。今回の共犯者ではない彼女はここに居るべきではない。
﹁魔導師殿達が言った事は事実だ、サンドラ。家族の気持ちを理解
しなかったお前の居場所はもはやフェリクスの隣しかない。⋮⋮勝
手に婚約破棄までしたのだ、今更逃げられはしないぞ﹂
王の言葉にサンドラ嬢は俯き肩を震わせている。
恋や愛のままに行動して幸せな結末を迎えるのは物語だけだ。幸
せになったとしても勝手をした苦労は絶対について回るのだから。
支え合って生きていくのが最良なのだろうが、そうするにはフェ
リクスがあまりにも頼り無さ過ぎる。
1814
﹁魔導師殿がこの場に居るのは私がエルシュオン殿下を招待し、殿
下が己が護衛兼手駒として連れて来たからだ。勿論、私も了承して
いる﹂
﹁え⋮⋮な、何故そんなことに!?﹂
うろたえるフェリクスに王はいっそう厳しい目を向けた。意味の
判らぬまま、フェリクスは視線を彷徨わせる。
﹁フェリクス。お前、面識の無い魔導師殿に夜会の招待状を送った
そうだな? しかも後見人であるエルシュオン殿下には何も告げず、
イルフェナに伺いすら立てず﹂ 様子を窺っていた貴族達がざわり、とざわめき驚愕を露にする。
彼等はその信じ難い行動の意味するものが判ったらしい。一斉に顔
色を変えている。
﹁保護している国を無視するなど馬鹿にするにもほどがあるだろう
! ⋮⋮ああ、魔導師殿も侮辱したかったのか? 必要が無ければ
淑女のマナーなど異世界人は学ばないからな。仮にも王族からの招
待だ、恥をかくことになろうともイルフェナの顔を立てる為に魔導
師殿は応じなければならない﹂
﹁わ⋮⋮私はそのようなつもりは⋮⋮﹂
﹁通常ならばイルフェナを通して魔導師殿本人の意思を聞き、参加
の意思があるならばドレスや装飾品などをこちらで用意せねばなら
ん。加えてイルフェナには淑女のマナーを教えてくれるよう頼み込
んでな﹂
﹁それだけではない、最終的には私の許可が必要になってくるよ。
彼女の守護役達の都合も含めてね﹂
1815
バラクシン王の傍に居た魔王様がクラウスを伴って現れ、王の言
葉に続く。
後見人の許可が無ければ来れないからね、私。監視、もとい守護
役の同行も当然必須。
そういった意味でも﹃御伺い﹄は必要なのだ、アル達とて仕事が
あるのだから。
﹁随分と我が国を馬鹿にしてくれたじゃないか。さすがに王が許し
たとは思えないからね、問合わせをしたら即座に謝罪してくれたよ
⋮⋮頭を下げてね﹂
﹁う⋮⋮﹂
フェリクスは突きつけられた事実に顔を青褪めさせ何も言う事は
できない。いや、これ状況だけの所為じゃないな。
原因、多分魔王様だ。綺麗な顔は笑みを浮かべてはいるが宿る感
情はものの見事に反比例。
魔王様、威圧の制御が甘くなってますよ。フェリクスが倒れたら
困ります、押さえてください。
﹁自分達に味方が居ないから名を上げた魔導師に味方になって欲し
かったのかな、君達は。⋮⋮ミヅキ、君は彼等の味方になる?﹂
﹁絶対に嫌です、なんで利用されなきゃならないんですか。それに
味方が居ないのって自業自得だとはっきりと判るじゃないですか﹂
﹁そうだよね、あれほど勝手な振る舞いをすれば教会派の貴族達と
て味方はしないだろう。彼等にだって貴族としての誇りがあるのだ
から﹂
これは私が不思議だったことでもある。教会派貴族が味方をして
いないなど明らかにおかしいじゃないか。
だが、この国に来てその答えは知れた。フェリクス達に都合よく
1816
頼られても困るのだ、誰だって共倒れは嫌だろう。
﹁だからね、私は王に見極めの場を持つ事を提案したんだ。もしも
君達が我々の推測とは全く別の⋮⋮国にとって必要な事の為ならば
王の謝罪で事を収めようと。だが、それは無駄なことだったようだ
ね﹂
美しくも恐ろしい断罪者にしてイルフェナの第二王子は、魔王と
いう呼び名に相応しく周囲を圧倒する。 声で、言葉で、顔で、その圧倒的な魔力で。
同じ王子でありながら全てがフェリクスとは桁違いの存在感を見
せ付けているのだ。実際に国への貢献も桁違いだろうしね。
何よりそんな存在を怒らせた。その事実がこの場に集っている者
全てに知れ渡る。
さて、フェリクス。
貴方達が味方して欲しかった私は魔王様の手駒でしかないのだよ。
その魔王様本人が直々にここまで来たのだ、ただで済むとは思っ
てないよね?
1817
恋人達は現実を知る︵後書き︶
味方が﹃居なかった﹄のではなく、味方だと﹃気付かなかった﹄だ
け。
1818
彼女の罪
しん、と静まり返った夜会の場には魔王様の楽しげな声だけが響
いてゆく。
だが、実際は﹃楽しげ﹄などという表現はできまい。笑みを浮か
べてはいるが蒼い瞳はとても冷え切っているのだから。
﹁君はね、教会派の駒の成り損ないなんだよ。だからこそ﹃優しい
お爺様﹄とやらに利用された。⋮⋮魔導師との接点として﹂
ちら、と私に視線を向けるとすぐにフェリクスに視線を戻す。
﹃優しいお爺様﹄という言葉に反応した人々は教会派の貴族だろう
か? だが、彼等にも伯爵に対する仲間意識のようなものは見られ
なかった。どうやら今回は伯爵の独断だったらしい。
フェリクス達は⋮⋮魔王様の言葉を信じられないのか、半信半疑
といった微妙な表情だ。
﹁尤も君に同情などできはしない。君が少しでも王族として相応し
い教養と才覚を身に付けていれば防げた事だからね。民間人を招待
する為に必要な手筈、招待したことによる影響、国家間の関係⋮⋮
そういったものを全て気にしなければならなかったのに﹂
﹁当然だな。私も聞いた時は信じられなかった。だが、お前だから
こそ﹃やりかねん﹄とも思ったぞ。昔から厳しい教育から逃げ続け
ていたのだからな、﹃側室腹だから苛められる﹄と言って!﹂
バラクシン王の顔には怒りと共に深い失望が表れている。フェリ
クスの行動はどう見ても﹃甘やかされたお坊ちゃん﹄なので、相当
苦労したんじゃあるまいか。
1819
そして王の言葉を受けて魔王様は器用に片眉を上げ、次の言葉を
口にする。
﹁苛め? おやおや、おかしな事を言うね。王族の言葉はとても重
い。だからこそ幼少から厳しい教育を受けさせるのは当然の事だ。
自分を守る為、それ以上に国を守る為に必要なのだから﹂
﹁そのとおり。母親が自分の味方であるよう、我々とは極力関わら
せないようにした結果だ。尤も厳しい事から逃げるフェリクスがそ
ちらを選んだのだがな﹂
魔王様の言葉に溜息を吐きながら続くバラクシン王。ところが、
フェリクスは二人を睨みつけながら反論を始めた。
﹁母上はっ⋮⋮望まぬ婚姻をさせられた不幸な方です! そのよう
な境遇にありながらも私を慈しんでくださった!﹂
﹁だから? 今、王が仰っただろう? ﹃自分の味方を作る為に王
族の君を利用した﹄って。彼女は母親である以前に側室でしかない
んだ、正当な継承権を持った王族の教育に口を出す権利なんて無い。
子供だけ取り上げるという事も王族・貴族には珍しくは無いよ﹂
﹁それはあまりな言い方ではありませんか!?﹂
﹁何が酷いと言うんだい? 個人よりも国や家を重要視するのは当
然のことだ。⋮⋮彼女の我侭が叶えられてきたのはね、﹃教会派の
後押し﹄と﹃王子である君の言葉﹄があったからだよ。だから君の
責任でもあるんじゃないか﹂
冷めた目で反論を封じる魔王様にフェリクスは言葉に詰まる。
フェリクスとしては優しい母親を庇いたいのだろうが、私から見
た彼女は悪女もいいところだ。そんな言い分が通るなら、政略結婚
させられる人々は一体どうなる。
そもそも魔王様の言葉は間違ってなどいない。もしもおかしな点
1820
があるならば、隣に居る王が訂正するだろう。
醜聞なのだ、はっきり言って。それを受けとめる事が諌めきれな
かった﹃王の贖罪﹄。
魔王様はこう言いたいのだろう⋮⋮﹃フェリクスの罪は国ではな
く、そう育ててきた母親達が背負うべきものである﹄と。周囲の貴
族達はそれが理解できているから何も言わない。
今、この国はイルフェナという国を侮辱した責任を問われている
のだ。下手をすれば国全体が責任を取らされる。
王が謝罪をしたからこそ、辛うじてそれを免れているに過ぎない。
だが、魔王様の言葉を肯定すればフェリクス以外は﹃母親とその
実家、婚約者﹄程度で済む。そうなった﹃原因﹄が語られたのだ、
つまり明確な抗議対象が存在し彼等が処罰を受けることになる。
⋮⋮イルフェナとて無情ではないのだよ。﹃国の事情﹄と﹃王が
何もしてこなかったわけではない﹄という情報は入手しているのだ
から。
教会派としてもわざわざ﹃教会派云々∼﹄と口にされては無関係
だったという言い訳で済まされる筈は無い。派閥全体で責任を取ら
されるよりは元凶だけ切り捨てた方がいいのだろう。
魔王様⋮⋮全て判っていて、わざわざ口にしましたね?
王からフェリクス達がこうなった理由を語らせておいて、その上
で教会派からの助け手も断ちますか。
惨酷なように見えるが犠牲を最も少なくする方法だ。状況をよく
知らない教会派が要らん欲を出してフェリクスを庇った日には、教
会派に属する貴族全てがイルフェナの敵確定なのだから。
1821
そういった事態を避ける為にも若干の脅迫と共に﹃イルフェナが
問題視してるのは今のところ元凶だけ﹄と暗に伝えている。教会派
を根こそぎ潰せば間違いなく国が傾くだろうし。
フェリクスは母親に対する暴言と取ったようだが、誰からも反論
は無い。それこそ教会派が彼等の価値をどの程度と見ているかのバ
ロメーターなのだけど。
ちなみに私達にもしっかり恩恵があったりする。
王が口にした事を当事者のフェリクス以外が反論してこない。つ
まり教会派からも﹃王の言葉は正しいです﹄というお墨付きを貰っ
たも同然。
これで王に許しを得た報復対象がフェリクスとサンドラ、﹃優し
いお爺様﹄の三人から母親の側室とその実家にまで拡大。見せしめ
としてもまずまずの範囲だろう。
今後、貴族達が報復を考えなければ今回の件は一応終わる。この
結果は王が謝罪したお陰でもあるので、王家に報復する馬鹿も居な
いだろう。
尤も⋮⋮彼等の末路を見てそんな気を起こすか非常に疑問だが。
﹁⋮⋮さて、いつまで黙っている気だ? カトリーナ﹂
王がある方向に向けて問い掛けると、皆も一斉にそちらへと注意
を向ける。
そこに居たのはフェリクスとよく似た面差しの女性だった。三十
過ぎくらいに見える容姿なのに、その表情は青褪め微かに震えてい
る。
﹁母、上⋮⋮﹂
フェリクスの呼びかけに女性は近くまで歩み寄ると、息子を庇う
1822
ように王に問い掛ける。
﹁陛下、この子とて貴方様の息子ではありませんか。この子に向け
る情はないのですか!?﹂
﹁⋮⋮。お前は一体何を聞いていた? 王の子、王子だからこそフ
ェリクスがやらかした愚かさのつけを国が負うことになっているの
だぞ?﹂
﹁ですが!﹂
﹁煩いよ、君が元凶だろうに﹂
必死に言い募る女性に魔王様が向ける視線は厳しい。外見こそ御
伽噺に出てきそうな王子様だが、魔王様は愛国者であり王族として
の自覚も十分。そんな人からすればこの母親は嫌悪すべき対象以外
何物でもない。
﹁君達はずっと﹃冷遇されている﹄と言っていたのだろう? なら
ば何故、助けてもらえると思うのかな?﹂
﹁え⋮⋮そ、それは父親として⋮⋮﹂
﹁ふざけるんじゃないよ、自分以外の家族を認めさせなかったくせ
に﹂
﹁!?﹂
びくり、とカトリーナは大きく肩を跳ねさせた。自分がこれまで
言い訳にしてきた事を庇わぬ理由にされたのだ、反論するならば彼
女達の言葉は嘘だということになる。
おそらく⋮⋮彼女はその意味に気付いていない。﹃側室ごときが
王に逆らい、偽りを吹聴する﹄という行為が齎すものを。
震えるばかりのカトリーナに魔王様は笑みを深めて言葉を続ける。
彼女からの戯言など意味を持たない、そう見せつけるように。
1823
﹁私から⋮⋮というより他国の王族からすれば君が生きている方が
不思議だよ。王族は国を最上位に定めねばならない、だから君のよ
うな﹃出来損ないの側室﹄は闇に葬られるのが常なのだから﹂
﹁な、なんて恐ろしいことを⋮⋮!﹂
﹁恐ろしい? 王族の常識だよ、常識。ああ、公表される理由は病
死とかにされてるから気付かないのかもしれないけどね。で、話を
戻そう。君がこれまでしてきた事は反逆罪に該当する。フェリクス
殿下が我が国に喧嘩を売ったからこそ、隠しとおすことはできない﹂
魔王様の言った事が理解できなかったのか、カトリーナは呆けた
ような表情になる。
﹃反逆罪﹄。下手をすれば一族郎党処刑とかじゃなかっただろう
か。
本来ならば王の意向に逆らった段階で、不敬罪から隔離などをさ
れていても不思議は無い。それが注意するだけに終わってきた結果
が今回の事なのだ、フェリクスの事も含めこれまでの彼女の言動も
当然問題視される。
そうなると不敬罪程度では済まないのだろう。王に逆らい国を不
利な状況に陥れたのだから反逆とも言える。
それに。
普通ならばこの母子のような状態は許される筈は無いのだ、だか
ら﹃側室にされた事を逆恨みして王家に仇を成そうと計画した﹄と
言われても反論できまい。
フェリクス達の愚かさは王家にとっても切り札だったのだろう。
見捨てる、という選択をした場合に限り。
﹁な、ぜ⋮⋮そのようなっ。私はこの子の母親としてっ﹂
﹁王に逆らう事など許されるはずは無いだろう? 君達がこれまで
生かされていることからも冷遇なんて誰も認めない。これまで王の
恩情で生かされておきながら何かあれば責任を押し付ける? 恥知
1824
らずが!﹂
彼女は首を横に振り混乱しているようだった。気遣うフェリクス
の声も聞こえてはいないだろう。
これまでも遠回しに今の立場が首の皮一枚で繋がっているような
危うい状態だと伝えられていたはずだ。それを理解せず、フェリク
スと教会派の守りに甘えて現実を見なかった。
だが、今回はさすがに王とて見逃すわけにはいかない。目を逸ら
せる時間は終わりを告げた。
他国の王族の前なのだ、国として何らかの処罰をしなければ今後
に響く。何より王自身が彼女のこれまでの行動を暴露しているのだ、
逃げ道など無い。
﹁私、は⋮⋮私は! 側室になどなりたくはなかった! いつか想
う方を見つけて幸せな婚姻を⋮⋮﹂
どうにもならないと理解したのだろう。カトリーナは髪を振り乱
して王を睨みつける。
その姿に、その言葉に周囲は嫌悪を浮かべて彼女を見つめた。
⋮⋮だが。
﹁本当にお気の毒ね﹂
私の声に周囲の視線が集中した。
﹁え、ええ! 貴女は判ってくださるのね!?﹂
﹁本当にお気の毒だわ⋮⋮バラクシン王が﹂
﹁え?﹂
味方を得たと思ったのか、一瞬浮かんだ喜びは続いた台詞に即座
1825
に消える。
彼女を含め人々は怪訝そうに私の様子を窺った。
﹁だって、王には正妃様も御子息もいて⋮⋮何の問題もなかったの
に。貴族ですら必要としない女を無理矢理押し付けられて本当にお
気の毒じゃありませんか。望まぬ婚姻をさせられた貴女にならば判
るでしょう?﹂
にこりと笑ってカトリーナに話を振れば、彼女は王にもその言い
分が当て嵌まると気付いたらしい。それでもまだ被害者意識が強い
のか、私を睨み付けて来る。
﹁誤解しないでくださいな。貴女を無理矢理側室に押し込んだのは
貴女の父親。王もまた被害者です。王族の皆様を加害者に仕立て上
げようとした事も問題なのに自分勝手に振舞った挙句、責任は王に
押し付けようとするなんて。本当に最悪!﹂
﹁貴女に何が判るのよ!﹂
ヒステリックに叫ぶカトリーナは相変らず状況を正しく理解でき
ていない。フェリクスが押さえていなければ今にも掴みかかってき
そうな形相だ。
﹁判りません。私は選ばれる側でしたから﹂
﹁⋮⋮え?﹂
私の言葉と共にアルは私の手を取り手の甲に口付け、何時の間に
か傍に来ていたクラウスは私の腰に片手を回す。
大切な御話をしていたというのに突如イチャつく我等三人。周囲
は私︵=魔導師︶の意図が判らず無言。
状況を考えると突っ込み所満載な光景なのだが、カトリーナは気
1826
付いていないようだ。
⋮⋮あの、魔王様? その﹃何やってるんだい﹄とばかりの生温
い視線やめて。
﹁家柄、能力、顔、それ以外に欲する﹃何か﹄。何らかの理由があ
る事が選ばれる女の条件ですわ。御伽噺とて酷い目に遭いながらも
美しい心を失わぬ娘とか選ばれてるじゃないですか。それ、﹃誰か
を憎む事無く常に美しい心を保てるよう努力した﹄ということです
よね?﹂
判り易いように御伽噺を例に出して言えば、カトリーナは悔しそ
うに唇を噛む。
⋮⋮単にアル達が引っ付いてる事に対する嫉妬の所為、という気
がしなくもない。今の私の状態は彼女が望んでいた﹃素敵な男性に
愛を乞われる立場﹄とやらに見えるのだろう。
﹁魔導師だから! 異世界人だからでしょう!? 守護役ならばそ
の態度も当然⋮⋮﹂
﹁違います﹂
ヒステリックな反論もアルに一刀両断。⋮⋮いや、半分くらい正
解じゃね!?
そう思うのだが、アル達は彼女を徹底的に追い詰める気らしかっ
た。
カトリーナ的には﹃そんな女が白馬の王子様︵笑︶に迎えに来て
もらえる筈ないじゃない!﹄ということなのだろう。
⋮⋮が。
違うぞ、カトリーナ。私の場合は捕獲の上、ドナドナだ。
1827
哀愁漂うBGMをバックに担がれて連行です。誘い文句は﹁お仕
事しましょうね﹂あたりじゃないかね? 私の守護役達に対等だと認めさせるには﹃無能である事﹄が絶対
に許されない。努力じゃ駄目なの、結果を出すまで。自分に自信を
持っているからこそ、相手にも同じ働きを求めます。
間違っても恋に生きる御伽噺の王子様にはなれん連中なのだ。ど
ちらかと言えば戦場の絆的信頼関係。
嗚呼、私と彼女の認識には深過ぎて埋められない溝が⋮⋮! ﹁我々は彼女の婚約者という立場を得る為に守護役となりました。
平民だろうと異世界人だろうと。彼女自身に価値があるのですよ﹂
﹁魔法が無い世界の者が魔法を習得することは非常に難しい。それ
を超えて魔導師となった者を欲することに何か疑問があるのか﹂
﹁女としては必要としていないじゃない!﹂
カトリーナの言い分、ご尤も! それはよく憐れまれている。頷
いちゃうぞ。
だが、アル達は嫌な感じに笑みを深めて首を横に振った。⋮⋮私
の態度がお気に召さなかったようだ。
﹁何を言っているのやら。王族・貴族の婚姻とて同じではありませ
んか。恋に生き無能な伴侶を迎えるならば自分だけではなく家が迷
惑を被ります﹂
﹁そんな夢を語るのは幼い子供くらいだぞ? ⋮⋮ああ、自分の事
しか考えないから誰からも必要とされなかったのか﹂
﹁それに婚姻されたり婚約者がいらっしゃる女性、もしくは男性は
皆この﹃選ばれる価値があった者﹄に当て嵌まります。選ばれるよ
う自分を磨く努力をなさってきたのですよ﹂
﹁宝石とて磨かねば原石のまま、大した価値はない。そう言えば判
り易いか?﹂
1828
アルの﹃貴族の常識﹄とクラウスの正直過ぎる言葉に、カトリー
ナは押し黙る。⋮⋮求婚者が居なかったというのは事実だったのだ
ろうか。思いっきり顔色変わってますけど。
﹁あ∼⋮⋮、とにかく。彼等が私を欲する理由と政略結婚は非常に
似ているのですよ。私達の場合は信頼できる駒、友人、仲間という
認識ですが。ところで、王。一つ伺いたいのですが﹂
﹁ふむ、なんだ?﹂
﹁側室の下賜って可能ですか? 王が与えるのではなく、功績を上
げた者が望むという状況で。その方は﹃側室にならなければ自分は
選ばれる筈だった﹄と思っているようですが、そんな人が居たのか
と﹂
物語には英雄とかが王に﹃願いを叶える﹄とか言われて、王の娘
を望む展開があるじゃないか。彼女に自分で言うほどの価値があれ
ば功績を立てて欲してくれる人がいたかもしれないし。
だが、王の答えは無情だった。
﹁カトリーナならばいつでも望む者にくれてやったのだが⋮⋮望む
者が居なくてな﹂
王様、地味に酷いです。クリティカルヒットじゃないでしょうか、
それ。
﹁王子を産んだと言ってもそれだけで、王妃の仕事を手伝うわけで
もない。他の王族と親しいわけでもないし、内部に食い込んでくる
人脈も無いしな⋮⋮﹂
屈辱ゆえか肩を震わせるカトリーナだが、王の言葉が事実なのか
1829
反論は無い。
ああ、そりゃ無理だ。﹃王子を生んでるし、王家と繋がりのある
女ならば価値あるじゃーん!﹄とか思った私が馬鹿だった。
本当に何もしてこなかったんだな、この人。顔・年齢なんて些細
な事と言えるくらい価値のある女になる可能性があったのに。
コルベラやキヴェラの側室達は皆、王妃の仕事を手伝っていた。
こういった立場の人が敵に回ると非常に困るのだ、内部に何らかの
影響力があったり情報を持っていたりするから。
カトリーナの場合は第四といえども王子の母親なことに加え、真
面目に側室として王家に貢献していればかなりの価値を期待できた
だろう。 ⋮⋮が、実際には人脈すら築かずに王族とも疎遠。これまでの不
敬も含めてマイナスにしかなるまい。
﹁貴方達はっ! どこまで母上を傷つければ気が済むのですか!?﹂
フェリクスがカトリーナを支えながら私達を睨みつけるが、詳し
く状況説明された所為かサンドラ嬢は複雑そうだ。他国の王族から
の言葉という意味も大きいのだろう⋮⋮これまで信じてきた事が覆
されたようなものなのだから。
﹁これまで王族達を散々悪者に仕立て上げて傷つけてきて今更何を
? 都合の悪い事は全て苛めだとでも言うのかな?﹂
﹁しかし! これではあまりにも⋮⋮っ﹂
﹁⋮⋮。今後一番彼女を警戒しなければならないのはサンドラ嬢で
しょう?﹂
何を言っているやら、と呆れながら突っ込めば周囲の視線は私に
向いた。
魔王様に食って掛かっていたフェリクスは訝しそうにしながらも
1830
睨む事をやめない。私はすっかり敵認定されたらしい。めでたいこ
とだ。
﹁どういうことだ?﹂
﹁どうって⋮⋮サンドラ嬢は彼女が羨ましくて仕方が無い﹃王子様
に選ばれた女性﹄じゃないですか﹂
﹁あ⋮⋮!﹂
小さくサンドラ嬢が声を上げる。
﹁これまでは王族の皆様を悪者に仕立てたりヒルダ嬢を悪役にして
いたみたいですけど、今後はそうもいきません。常に人の所為にし
てきた人が身近にいる﹃自分の欲しかった場所に居る女﹄を僻まな
いとでも?﹂
﹁な⋮⋮そんな、ことは﹂
サンドラ嬢だけではなくフェリクスも驚愕を露にしているが、即
座に否定の言葉は飛んで来なかった。
母親の﹃素敵な男性に選ばれる﹄という夢に対する執着を知って
いるのだ、しかもフェリクス達は政略ではなく恋愛感情によって婚
約者となっている。
僻む要素満載です。﹃絶対に和解はありえない嫁姑戦争﹄が間違
いなく起こる。少なくともカトリーナに王子様︵笑︶が現れるまで
は続くな。
﹁で、そうなった時に貴方はどちらの味方をするんです? 優しい
母親? それとも妻?﹂
縋るように見つめてくる母親か、それとも実家から縁切りされ自
分の隣しか居場所が無い妻か。
1831
カトリーナの処罰によっては二度と会うことは無いのかもしれな
いが、そこまで母親が大事ならば皆の前で答えていただこうじゃな
いか。
答えを返せぬフェリクスに、やや怯えた目でカトリーナを見るサ
ンドラ嬢、そしてカトリーナ。
⋮⋮現実を知った今、彼等三人の関係は確実に変化したらしい。
1832
彼女の罪︵後書き︶
彼女にとって最も効果的な攻撃は﹃目の前で自分以外の誰かが素敵
な人に選ばれること﹄。
ただし、実際は彼女の理想とは大きくズレがあります。
1833
下される処罰
﹁で、そうなった時に貴方はどちらの味方をするんです? 優しい
母親? それとも妻?﹂
そんな言葉をかけられたフェリクスは固まったまま無言。
まあ、そうだろうな。彼は妻と母親が争う未来なんて想像してい
なかっただろうし。
サンドラ嬢は⋮⋮まだ呆然としているようだ。自分が知らなかっ
た事実が一気に来たのだから仕方ない。
﹁⋮⋮というか、それ以前に処罰が待ってますけどね﹂
﹁え⋮⋮?﹂
フェリクスは未だぼんやりとしたまま首を傾げる。
﹁だ∼か∼ら! イルフェナへの侮辱に対する処罰ですって。該当
者は貴方達三人と中途半端な情報を齎して私との接点にしようとし
た伯爵、その家丸ごとですね﹂
﹁そうだね。考え様によってはいいのかもしれないよ? 場合によ
っては君が選ばなくてもいい事態になるかもしれないのだから﹂
魔王様が暗に﹃三人揃った未来は無いかもね﹄と言って彼等の不
安を煽る。
受け取り方によっては﹃選ぶ以前の問題だから責められることは
ないかもね?﹄と宥めているようにも聞こえる、大変嫌な責め方で
ある。
それに全ての決定はバラクシン王にある︱︱イルフェナが納得で
1834
きる処罰、という前提だ︱︱のだから、人々の視線は自然と王へと
向いてゆく。
王は未だ厳しい表情をしたまま、無言。彼の中で処罰は既に決定
されているのだろう、迷いは感じられなかった。
﹁エルシュオン殿下。イルフェナの代表として私が下す処罰を見届
けて欲しい﹂
﹁勿論です。私は今回その為にバラクシンへと参りましたから﹂
王の問い掛けに魔王様は笑みを浮かべたまま、しっかりと頷く。
その表情に先ほどまでの厳しさは感じられない。どことなく面白
そうな、王を見極めようとするかのような感じだ。
その言葉を受けて王はフェリクスへと向けて言葉を放つ。
﹁フェリクス、お前の王籍は抹消する。義務を果たせぬ輩を王族に
しておくわけにはいかん。通常ならばお前自身が持つ爵位を名乗ら
せるところだが、お前にはそれもあるまい。バルリオス伯爵家と養
子縁組させる﹂
﹁おやおや、﹃優しいお爺様﹄の元に預けると?﹂
からかうように問い掛ける魔王様。だが、どうやら王の言葉の裏
にあるものを察しているようだ。
甘い処罰だと失望する様は見受けられなかった。
﹁フェリクスに子供は作らせん。⋮⋮いや、﹃できない﹄。エルシ
ュオン殿下は我が言葉の証人となってくれるのだろう?﹂
﹁勿論ですよ、王。今後、彼ら夫婦に子供が生まれても王家の血と
は認められない。ああ、﹃できない﹄のでしたね。王自身が公の場
で、イルフェナという国の代表に明言しましたから。万が一、王家
の血筋が儚くなっても他国より血縁関係者が迎えられるでしょう﹂
1835
にやりとした笑みを浮かべる魔王様は美しくも極悪だった。王も
反論しない。
フェリクスとサンドラ嬢は目を大きく見開き固まった。特にサン
ドラ嬢は告げられた言葉を信じたくはないのか、ゆるゆると首を横
に振っている。
﹃母にはなれない﹄。それがサンドラ嬢に与えられた罰なのだ。
御伽噺のような恋に憧れ現実を見なかった彼女は、夫の子を産むと
いう未来を永遠に失った。
尤も養子を迎える事はできるから、落ち着けば孤児院の子供を引
き取ったりするかもしれない。サンドラ嬢は元々奉仕活動に熱心だ
ったみたいだし。
フェリクスもショックなのだろうが﹃優しいお爺様﹄の元へ行く
分、安堵も混じっているように見える。その様に魔王様はひっそり
と笑みを深めた。
ちなみにこれ、一見甘く見えるようで壮絶に重い処罰だったりす
る。
・王籍抹消・子供は﹃絶対にできない﹄
本人の王族としての価値を徹底的に無くした挙句に子供が持てな
い。出来た場合は妻の不貞を疑われるオプション付き。問題児フェ
リクスを﹃薬などでそういう体にしてある﹄とも取れるし、男とし
て欠陥があると暗に公表されたようなもの。
しかもそれをイルフェナという他国に対して王が明言しているの
で、自称フェリクスの子孫が後に王族として王家に戻ろうものなら
ば﹃過去の王の証言﹄という﹃事実﹄によって偽物扱い。血筋を疑
われた上に先祖の所業も暴露され、他国からも王族としては認めら
れないので下手をすれば処刑。
王家の血の流出⋮⋮とはならないだろう、今回の場合は。普通に
1836
養子縁組ならば教会派に王家の血を渡す事になるのだろうが、フェ
リクス本人に子供が作れないという疑惑がかけられているから。
万一出てきても王が否定すればアウト。﹃王宮内で薬盛ってまし
た!﹄は他国でも使われる手口だし、実際に行なわれたかは関係者
にしか判らない。いや、今後﹃そんな体にされる﹄かもしれないの
だ。
教会派が欲を出して子供の存在を主張したとしても、既に対処法
が決められているだろう。
フェリクスが女ならば産婆の証言などで実子と主張できるかもし
れないが、男の場合は子を生んだ女の証言や子供の顔立ちとか色彩
に頼るしかない。幻影を纏わせて相手がフェリクスだと思わせたと
いう手も使えるのだから、女性側の証言も確実な証拠とはならない
だろう。
そうなると魔術による確認ということになるのだが、それを行な
う魔術師は王家側⋮⋮絶対に﹃血を引いていないことにされる﹄。
一度でも王が他国の王族に﹃子が出来ない﹄と明言した以上は﹃そ
れが正しい﹄のだから。
結果、王家の血を騙った罪人として証拠隠滅⋮⋮じゃない、一族
郎党処刑です。小細工するより普通に王族との縁談狙った方が確実
だろうな。
しかも利用価値を徹底的に無くした上で﹃優しいお爺様﹄に丸投
げ︱︱今後問題を起こさないとも限らない︱︱だ、これまでと同じ
関係でいられるとは到底思えん。
母親との関係に続き、﹃優しいお爺様﹄との関係も確実に変わる
だろう。
⋮⋮と言うか、フェリクスは王家を出て一体どうやって暮らして
いくつもりなのだろうか? 伯爵家に養子に入ったとして領地経営
を手伝えるとは思えないのだが。
おそらくは今後の伯爵家での扱いも罰として組み込まれていると
推測。フェリクスが王子時代にしてきた事が反映される罰である。
1837
つまり、何もしていなければ︱︱人脈作りとか領地経営を学ぶとか
ですね︱︱無能な居候でしかない。今後は完全に本人の努力次第だ。
王様、かなり厳しくやりましたね。
処刑や幽閉にならない分、処罰が軽く見えるから反対意見も起こ
らないだろう。
フェリクス個人をピンポイントで狙った処罰は判る人にとっては
納得のいく重いものだ。現に母親はその処罰の本当の意味に気付い
てないっぽいし。
⋮⋮ある意味、処刑とか幽閉の方が楽なんだけどなぁ?
﹁サンドラはフェリクスについて行くしかないとして。カトリーナ
だが⋮⋮実家に帰るがいい。側室でいたくはないのだろう? 私に
とっても王家にとっても不要だ﹂
﹁⋮⋮っ﹂
本当に興味無さそうに告げる王にカトリーナは息を飲む。まさか、
これほどまでにあっさり側室をやめられるとは思わなかったのだろ
う。
普通は無理だと思うよ? 普通はね。
そしてこの場にはその理由を詳しく教えてあげる親切な人がいら
っしゃった。
﹁そうだね、彼女自身に価値は無いだろう。先ほどの様子からも思
い込みと妄想が殆どで重要な情報など持っていないと誰でも判るし、
政に関わってもいないと王が明言しているものね﹂
別名、魔王様とも言いますが。うちの上司は天使の笑顔で毒を吐
く。
⋮⋮いや、今回は思いっきり事実だけどさ。
1838
公の場で王と他国の王族︱︱外見と能力は素敵な王子様です︱︱
に﹃価値の無い女﹄と言われる屈辱は如何程でしょうな、カトリー
ナ。
ああ、真っ赤になって肩を震わせている。悔しいか、やっぱり。
だが事実だ、諦めろ。二人に反論したら身分制度を盾に更なる報
復が待っているから、やめとけ。
ちらり、と視線を向けた先に居る王はカトリーナの様子にさほど
興味が無いようだった。王としても息子を失う元凶に向ける優しさ
は無いらしい。フェリクスと違って救いが無いもんな、この罰。
カトリーナへの罰も本人にとって最も屈辱的であり、これまでの
行いが自分に跳ね返るというものだ。当然、それが側室という立場
からの解放⋮⋮というだけで済む筈はなく裏の意味がある。
カトリーナは先ほど﹃選ばれる努力をした人達全てを侮辱してい
る﹄のだ、それはアルにもはっきり言われている。
全てを側室になった事の所為にするなら﹃側室にならなければ素
敵な人に選ばれた! 望んだ生き方ができた!﹄って言い切ったよ
うなものだもの。凄い自信ですな、政略結婚を嘗めてるとしか思え
ない。
そんな彼女が今後社交界に受け入れられるだろうか?
答えは否、だ。頭の軽さもばっちり見られているので、王家の不
興を買うことを避ける意味でも相手にされまい。
彼女は永遠に華やかな世界から爪弾き決定である。出会いの場が
なければ彼女の王子様︵笑︶も現れないだろう。彼女は身分にも拘
るタイプのようだし。
そもそも脳内御花畑な彼女がそれなりに扱われたのってフェリク
スという王子の母親である事と、側室という立場からだ。側室って
一応王の妻という立場だし、伯爵が後ろ盾に居る事から下手な扱い
1839
ができなかっただけだと思う。
﹃王子の母﹄と﹃側室﹄という重要なステータスを失った彼女に
残っているのは醜聞だけだ。人目を避けて過ごすならば実家に引き
篭もるだろうし、そうなると必然的に息子夫婦と顔を合わせること
になる。
当然、嫁姑戦争が勃発するだろう。彼等には家の中ですら安らぐ
場所が無い。
あるとするならばカトリーナが自身のこれまでを反省し、息子夫
婦を見守る﹃優しいお母様﹄になった場合なのだろうが⋮⋮そう簡
単に﹃女﹄であることを捨てられないだろうね、彼女は。
そして。
これに加えてバルリオス伯爵への処罰というものが待ち構えてい
るのだったりする。今この場に居ないからこそ、処罰を言い渡され
ないだけだ。当然、バルリオス伯爵家も只で済む筈は無い。
フェリクスとカトリーナの安堵は﹃バルリオス伯爵家が今のまま
であること﹄が前提なのだ⋮⋮
安心させておいて落とす!
後から追撃で一気に現実問題へ直面!
あ、家の力は削がれるだろうけど伯爵家は残るよ? イルフェナ
の貴族達が玩具にするという理由で。
外交の矢面に立たせてズタボロに⋮⋮というつもりらしい。バラ
クシンからも無能扱いされるだろうしな。イルフェナでは後続組が
待ち構えていたり。
まあ、慎ましく生活するだけの財産はあるだろうから︱︱元王子
が居るから。さすがに潰したり路頭に迷わせると拙いらしい︱︱贅
沢しなけりゃ暮らせるだろう。地味に酷いというか、扱いの不当さ
1840
を訴えることが難しい対応だ。
表向き情報提供者に過ぎないからこそ逃げられると思っていた伯
爵よ、貴方は甘い。その為の対策はちゃんとあるのだよ。
カトリーナが﹃側室になんてなりたくなかった!﹄ってこの場で
言っちゃったもの、つまり全ての元凶はそれを仕組んだ父親。フェ
リクスへ情報を流した事も含めて無関係だったという言い分は通る
まい。
伯爵の手駒によるイルフェナ勢へ向けた黒幕の暴露とも受け取れ
ますな、これ。
これを元に﹃じゃあ、なんで側室に? そいつは普段何をしてた
のさ?﹄という流れに持っていけば、伯爵が長年彼等に干渉してい
た事実が明るみになる。
これに﹃魔導師に接触する事が目的﹄という情報を加えると一気
に今回の黒幕というポジションへと祭り上げられるのだ。﹃フェリ
クスとカトリーナの信頼を受けた立場を利用し、自分にとって都合
のいいように動かした人物﹄⋮⋮という感じ。間違ってはいない。
フェリクスが魔導師に関する正しい情報を持っていないことから
も、接触を望んでいたのは情報を与えた伯爵だと誰もが思うだろう。
話の流れ的にも無理はない。何より双方の王族達が認めてしまえ
ばそれが﹃事実﹄。伯爵もフェリクス達への長年の干渉が黒幕と思
わせる要素になるとは想像していなかっただろう。
茶番は側室本人の口からこの台詞を言わせるために追い詰めるよ
うな状況にしただけである。当時の状況を調べる事で裏付けが取れ
るだろうしね。
その前にがっつりお説教が待ってるけどな!
やがて王が私の方へと顔を向ける。
1841
﹁魔導師殿。今回はイルフェナ同様、貴女にも迷惑を掛けた。⋮⋮
すまなかった﹂
そう言って頭を下げる。周囲はざわめくが魔王様達は何も言わな
い。
⋮⋮当たり前だ。魔導師は﹃災厄﹄と呼ばれる存在。イルフェナ
とて同じ立場になったら国の為に頭を下げて許しを乞うだろう。
私はキヴェラを敗北させた実績があるので、決して馬鹿にはでき
ないのだ。
﹁頭を上げてくださいな。今回のことは既にエルシュオン殿下が動
いてくださっていますから、バラクシンという国をどうこうしよう
とは思いません﹂
そう、﹃国﹄はね?
そう内心付け加えるが表情には出さない。ライナス殿下に続いて
この﹃お兄ちゃん﹄の好感度は高いのだ。追い打ちする気はありま
せんとも。
﹁アリサの事があってから城の侍女や騎士、貴族は勿論すべての存
在に欠片も信頼を抱いていませんでしたが、貴方様はエドワードさ
んやライナス殿下に次いで信頼できる方のようですから。迷惑を掛
けようとは思っていませんよ﹂
そう言ったのに何故か一斉に青褪めるバラクシン勢。
やだなー、アリサに好意的な人達以外は私にとって何の価値も無
いよ。今現在二人が暮らす家に居る使用人達は好きだけど。
﹁ふふっ、皆様は何を驚かれているのです? 私も異世界人なので
すから⋮⋮貴方達が彼女を別種族扱いした挙句にろくな教育も施さ
1842
ず愚かと蔑んだ事を知っているなら当然でしょう?﹂
﹁そ、それは⋮⋮﹂
﹁ああ、大丈夫です。貴方達が異世界人に対して期待しないという
のは私にとってとても都合のいいことなのですから。だって、私も
貴方達の人権を気にする必要が無いんですもの!﹂
人扱いする必要無いですよね! と笑顔で言えば周囲は益々青褪
めた。
はっは、アリサに手を出したら脅迫くらいじゃ済まないぞぅ、覚
悟しとけ?
﹁折角なので言っておきますね。アリサ達に手を出した場合⋮⋮あ
あ、これは後見のライナス殿下も含まれます。その場合は家単位で
潰しますから。魔法の実験と称して死んだ方がマシな目に遭って頂
きます﹂
﹁⋮⋮殺さないのかね?﹂
意外だとばかりに近くに居た男性が言葉をかけてきた。それに対
して私は笑みを深める。
﹁殺すなんて優しさは私にはありませんよ。死ねばそこで終わりじ
ゃないですか。ま、殺すのも簡単ですけどね﹂
指を鳴らして会場全体に無数の氷の飛礫を出現させ、即座に砕い
て消す。その光景に息を飲む人々は私の言葉が事実だと悟ったのか、
何人かが気を失ったりしているようだ。
⋮⋮ライトに照らされた氷の飛礫がいい感じに光ったもんな、あ
れに貫かれる自分を想像でもしたんだろう。数が多いのも怖かった
一因か。
ライナス殿下にも手を出すなよー? 教会派貴族ども。この世界
1843
で生きる以上はアリサにも保護者が必要だ、それを潰そうとするこ
とは己が一族の最期と知れ。
﹁はは、ミヅキはやると言ったら確実にやるからね。覚悟した方が
いいよ、この子は凶暴だから⋮⋮実際にキヴェラの件で色々とやっ
てるし﹂
﹁やだ、魔王様。災厄と呼ばれてこそ魔導師じゃないですか! 凶
暴は褒め言葉ですよ﹂
﹁うん、そうだよね。君にとってはそうだろうね﹂
楽しげに忠告する魔王様に恥ずかしげに答える私。大変わざとら
しいやりとりに周囲は﹃何この子怖い。ってゆーか、この二人怖い﹄
とばかりにドン引き。
⋮⋮バラクシン王、貴方まで引いてどうする。少しは諦めの境地
で溜息を吐くだけにとどまっているライナス殿下を見習え。
アル、クラウス。そこで﹃そのとおりです!﹄とばかりに頷かな
くていいから。
﹁あ、でも折角ですから今から私がする事は見逃して欲しいのです
が﹂
﹁ん? まあ、殺人でないなら構わんよ﹂
﹁勿論ですよ。では、早速!﹂
王の許しに笑顔で答えて振り返る。その先にはフェリクスとカト
リーナ。
二人に向かって微笑みながら指をパチっと鳴らす。次の瞬間、空
気圧縮による衝撃波が二人の顔面を直撃した。仰け反って転ぶ姿が
無様だね。
二人とも何が起きたか判らず顔を押さえ、周囲は呆気に取られ。
魔王様達は﹁やっぱりねー﹂とばかりに苦笑。
1844
﹁私、馬鹿って嫌いなんですよね。敵だろうとも実力者ならば相手
にするのは楽しいですし﹂
にこにこと笑いながら近寄り二人を見下ろす。私の影に気付くと
二人はびくりと体を跳ねさせた。
﹁魔導師を自分に都合よく利用? ヒルダ嬢の時間を無駄に浪費さ
せておきながら悪役扱い? ⋮⋮﹃クズな私の為に申し訳ございま
せんでした﹄くらい自主的に言えないのか、お坊ちゃんが!﹂
﹁ひ⋮⋮っ﹂
がつ、と未だ立てぬフェリクスの肩を踏みつけ威圧を向けながら
凄むと怯えたような声が微かに聞こえた。これで二度と馬鹿なこと
は考えないだろう。ヒルダ嬢にも暴言を吐くまい。
不敬罪? 見苦しい場面を見せる事への許可は王にとりましたよ?
フェリクスは既に王族ではなくなっているのだ⋮⋮つまり養子縁
組の手続きが済むまでは平民扱い。
私とフェリクスに身分の壁は存在しない! この時を待っていた!
そして同じように蹲ったままのカトリーナにも視線を向ける。彼
女も罪人扱いされているので、王が許した以上は不敬罪が適用され
ない。
﹁あ⋮⋮貴女は、人を、何だとっ⋮⋮﹂
﹁煩い、現実と御伽噺の区別がつかない道化は黙ってろ﹂
﹁なんですって!?﹂
﹁女としての事実を言われるのは不満? じゃあ、教会派の駒の失
敗作﹂
顔を押さえていた手を離し真っ赤な顔で︱︱鼻血も出てるんだが、
1845
いいのか?︱︱私を睨みつけるカトリーナ。しかし、現実は更に非
情だった。
﹁事実ですよね﹂
﹁貰い手になろうという酔狂な奴が居なかったんだろ﹂
﹁一体、あの自信はどこから来るのでしょうね?﹂
﹁妄想だろう、自分こそが主役でありたいようだからな﹂
﹁相手にだって選ぶ権利があるんだけどね⋮⋮君が選ばれる要素っ
て何? 顔や能力や性格じゃないよね? 君の憧れる御伽噺って﹃
美しい娘﹄や﹃心の綺麗な娘﹄が主役だけど、君はどちらでもない
し﹂
アルとクラウスというイルフェナ優良物件の遠慮のない言葉に、
その呆れた視線に。
カトリーナより綺麗な顔した魔王様⋮⋮もとい憧れの素敵な王子
様からの痛烈な言葉に。
カトリーナは今度こそ心が折れたのか、がっくりと肩を落とし沈
黙したのだった。
※※※※※※※※※
﹁⋮⋮なかなかに面白い処罰でしたよ、王﹂
﹁そう言ってくれると助かる。イルフェナはこの決着に納得したと
いうことだからな﹂
三人が連れて行かれた後、部屋に移動して休憩中。この後はお説
教があるので、とりあえず一息吐こうということになったのだ。
﹁魔導師殿ならばどういった対処をするんです? 貴女の意見が聞
きたいな﹂
1846
﹁私?﹂
﹁ええ﹂
王太子殿下が好奇心一杯に尋ねてくる。おそらくはキヴェラの件
を正しく知っているのだろう。頭脳労働的意見が聞きたいらしい。
﹁⋮⋮と言うかですね、フェリクス達と王家にとってできるだけ醜
聞とならない方法ってあるんですよ。ついでに母親諸共伯爵家を落
とす事も含めて﹂
﹃は!?﹄
バラクシン勢は綺麗にハモり、イルフェナ勢は面白そうに私を見
つめた。
え、あるじゃん。物凄く確実で誰の助けも要らない方法。
﹁⋮⋮聞かせてくれ﹂
バラクシン王がかなり真剣に聞いてくる。私は魔王様に一度視線
を向け、頷いたのを確認した上で話し始めた。
﹁フェリクスが精神病だったってことにすればいいんですよ。これ
までの問題行動も徐々におかしくなったってことにできるし、婚約
解消も有能な人材を惜しむゆえ。ヒルダ嬢もこれなら醜聞にはなり
ません﹂
﹁う⋮⋮うむ、それで?﹂
﹁サンドラ嬢は愛する夫に付き従う形で二人揃って離宮あたりに幽
閉すれば表舞台には立たず、二人も生活は安泰。王家にそういった
人が他に出ていなければ母親の言動から﹃原因は伯爵家の血﹄とい
うことにできます。ほら、お手軽﹂
1847
さらっと言ったら全員沈黙して私をガン見。
いや、今回はフェリクスが行動しちゃったけどさ。行動していな
ければ私⋮⋮と言うか魔導師どころか誰の助力も要らんのよ、この
問題。
尤もバラクシン王が﹃フェリクスに子を作らせない﹄と言ったか
らこそ、可能だとも言える。この方法だと子供が生まれた場合は養
子縁組させないと、子供が親の被害を受ける事になっちゃうから。
そう付け加えると﹃確かに⋮⋮﹄と誰もが黙り込む。
私達は部外者なのだ、バラクシンとて全ての情報は提示できまい。
ましてそれが身内の醜聞ならば。
あくまでも﹃フェリクスがイルフェナを侮辱しなかった﹄という
ことが前提。
﹁確かにそれならば同情も誘えるね。フェリクスとその母親のこれ
までの言動を逆手に取るのか﹂
﹁ええ。フェリクスが病人扱いですが、サンドラ嬢との事を﹃献身
的な夫婦愛﹄として広めれば本人達の希望どおり誰もが憧れる物語
の主役になれますしね。まあ、フェリクス達には罰にならないやり
方なのですが﹂
魔王様もなるほどと頷く。今回、魔王様はイルフェナの代表とし
て処罰を見届ける必要があるから、こういった方向には考えなかっ
たのだろう。
﹁⋮⋮。君が敵にならずに済んで本当に良かった﹂
やや引き攣りながら王太子殿下が口にすると、護衛の騎士も含め
たバラクシンの人々が一斉に頷く。
﹁ふふ、相変わらずですね﹂
1848
﹁お前、本当にこういった事は得意だな﹂
頭脳労働なのですよ、魔導師は。権力が無いならば知恵と暴力で
カバーします。 1849
下される処罰︵後書き︶
御伽噺の王子様は恋に生きる御花畑な人多数ですが、現実の﹃素敵
な王子様﹄はとってもシビアです。
1850
大人しくしている筈は無い
フェリクスの件が一応一段落した後。
さすがに夜会を放り出すわけにはいかない︱︱貴族達の不安を和
らげる意味でも︱︱ので、バラクシン勢と魔王様達は夜会へと戻る
事になった。
フェリクスはサンドラと、カトリーナは単独で部屋に監視付きで
閉じ込められている。
いきなり処罰を言い渡されて混乱している部分もあるだろうとい
う、王の配慮だ。
これには魔王様も同意した。話し合いにしても本人達が混乱した
ままでは、説教もろくに頭に入らないに違いない。
なお、﹃罪人であることを実感させるために一晩牢にぶち込め﹄
と言った私の案は却下された。
アル達は賛同してくれたのだが、魔王様的には後の話し合い︱︱
と言う名の説教︱︱に支障が出ると思ったらしい。優しさからの発
言で無いあたりが素敵。
サンドラは思う所があるみたいだったし、フェリクスも﹃母親V
S嫁の未来が待っている﹄という現実が見えた以上は少しは考える
だろう。
何より彼には寄添うサンドラが居る。彼女の言葉ならば少しは聞
く耳を持つに違いない。
問題はカトリーナだが⋮⋮彼女は少々難しい。何せこれまで常に
﹃なりたくなかったのに側室にされた不幸な私﹄という前提だった
のだ。
それがなくなった⋮⋮と言うか、自分の信じていた世界を壊され
たのだから対処法など即座に思いつかないのだろう。彼女は自分が
被害者だと信じていたみたいだし。
1851
不幸に酔った挙句の我侭放題、彼女の自己設定は﹃不幸な婚姻を
して冷遇されつつも息子の幸せを願う優しい母親﹄あたりだろうか?
それが凄まじく現実とはかけ離れた思い込みであることは言うま
でも無い。
﹁放っておけばいいんだよ、そんな風にしたのは伯爵が原因なんだ
から﹂
魔王様はさらっと放置発言。彼女が今後ヒステリーを起こそうが、
不幸に酔おうが、幸せになろうが興味は無いらしかった。素敵な王
子様は価値の無いものには無関心。
まあ、王家に関わる立場にいなければ問題無いよね、イルフェナ
としては。
﹁でね? 君は何処に行こうとしているのかな?﹂
夜会に戻る皆を見送り﹁じゃあ、私は部屋に残るんで﹂と言って
背を向けた途端、私は魔王様に捕獲された。
現在、笑顔で私の襟首を掴んだ魔王様に問い詰められ中。
いいじゃん! もう私は必要無いし!
人というより猫の捕獲をしたような魔王様にバラクシン勢は唖然。
いつものことですよ、気にしないでください。
﹁月夜が素敵なので夜間の散歩を﹂
﹁それは窓から出て行くものなのかな? 出て行く場所が部屋の窓
ということは、在室していたように偽装工作したと言っているよう
なものだよ?﹂
﹁教会にとても興味がありまして﹂
﹁ほう⋮⋮?﹂
1852
魔王様の笑みがいっそう深まった。同時に掴んでいる手にも力が
篭ったような?
⋮⋮威圧が加わったのは気の所為じゃないな、多分。
暫し魔王様と見つめ合う。間違っても乙女が憧れる雰囲気ではな
い、どちらかといえば﹃隙を見せたら殺られる、目を逸らしたら負
け﹄という状態。イメージ的には捕獲された猫が一番近い。
そして相手が目を逸らさずとも勝利するのが魔王様だった。どの
みち私が保護者兼飼い主に勝てるはずは無い。
﹁素直に吐け、馬鹿猫﹂
﹁魔王様、言葉から優雅さが抜けてます﹂
﹁君相手にそんな外交術が必要かな? ⋮⋮で?﹂
誤魔化されてはくれないらしい。魔王様の威圧にあてられたか、
バラクシン勢も何だか顔色が悪い。
なお、アルとクラウスはもがく私を﹃いつものやり取りですね﹄
とばかりに微笑ましく傍観中。バラクシン勢との温度差が凄いな、
おい。
仕方ないと諦め、私は抵抗を止める。そして超簡単に今後の行動
を述べた。
﹁ちょっくら教会派の本拠地に御礼参りに行って来ます。大丈夫!
準備は万端ですから!﹂
﹁何が大丈夫なんだい、何が﹂
﹁教会の不正の証拠や、やらかしても証拠が残らない報復方法まで
イルフェナで揃えて来ました! 伯爵の件も含めて黙らせる準備は
万端です。あ、協力者は残留組の皆さんで私は実行要員なだけです
よ﹂
胸を張って言い切ったら魔王様は笑顔のまま暫し固まり、深々と
1853
溜息を吐いた。どうやら﹃皆も共犯﹄という部分には非常に心当た
りがあったらしい。
一応、他国訪問となるので魔王様︵と護衛のアルとクラウス︶は
出発前は城に居る事が多かった。その間に私は寮の食堂で皆ときゃ
っきゃっと悪企み。
今回ばかりは誰も止めない。﹃やらかして来い、災厄!﹄とばか
りに協力的。
﹁勿論、バラクシン王家にとって迷惑にはなりません。結果だけを
見ればかなり良い方向に行くと思いますよ﹂
﹁だからって⋮⋮だからってねぇ⋮⋮っ﹂
﹁知らなきゃいいんですよ、魔王様。教会派が魔導師に喧嘩売った
事は事実なんですから﹂
この場で口にする気は無いが、教会や関係者が暮らす居住棟の見
取り図をくれたのはレックバリ侯爵だ。
何故そんなものを持っているかと聞いたら﹃いつか使う時がくる
と思ってなぁ﹄と笑顔で返された。イルフェナにとっても教会派は
警戒対象だったわけだ。
それにクラウス抜きにしても黒騎士達は彼の同類。いい笑顔で手
渡された情報各種は私が有効活用してみせるとも!
なお、白騎士達も家と懇意の商人に連絡を取って教会派貴族との
取引の妨害工作をしている。
商人達に異世界の料理としてスイーツを手土産に渡してもらい、
﹃量産は出来ないが個人的になら融通するよ﹄と伝言を頼んだらあ
っさりと協力に頷いてくれたそうだ。
異世界の料理を手にする繋がりができるというのは彼等にとって
も魅力的に映ったのだろう。取引相手が貴族の場合は振舞うだけで
相手に好印象を期待できるし。
地道な嫌がらせだが、あの寮に居る連中が大人しいはずはない。
1854
率いているのが魔王様だ。
何より主犯が私こと異世界人の魔導師。今回の被害者です、ひ・
が・い・しゃ!
文句を言えるものなら言ってみろ。﹃滅ぼすよりマシでしょ?﹄
と上から目線で言い返してやる。
まあ、今は詳しい事は黙っていよう。魔王様達も﹃ああ、残って
る連中が情報与えたか﹄程度にしか思ってないだろうしね。
話したら間違いなく﹃ちょっと御礼参り﹄で済まないと思われ不
発に終わる。それは虚しい。
﹁魔導師殿⋮⋮我々も聞いているのだが﹂
ライナス殿下が諦めたっぷりに言ってくる。その他の皆様は未だ
硬直中。
﹁ある意味、王家のためですよ?﹂
﹁⋮⋮。判った、私が共犯ということになろう﹂
﹁あら、いいんですか?﹂
暫し考えた後の意外な申し出に聞き返せば、ライナス殿下ははっ
きりと頷いた。
﹁君は確実に望んだ結果を出すのだろう? ならば何も問題はない。
⋮⋮私も教会派はそろそろ痛い目を見るべきだと思っていてね、彼
等は一度自分達の立場を自覚すべきだ﹂
その答えに私は目を眇めた。ライナス殿下はどうやら私と同じ結
論に達していたらしい。
﹁教会ってバラクシンでは王家に影響力ありますけど、他国からし
1855
たら一国の宗教団体でしかありませんよね﹂
﹁そのとおり。思い上がっているんだよ、彼等は﹂
王家はどんな国でも最上級の扱いをされる。特別なのだ、国を違
えても。
だが、教会は違う。この大陸中に信者が居るとかなら話は別だが、
基本的に宗教系は国ごとなのだ。
そんな思い上がった彼等が今後他国の王族や貴族と対等だとばか
りに振舞えばどうなるか。
ライナス殿下はそれを危惧していたのだろう。だからこそ、私の
報復を推奨し共犯という立場になろうとしている。
﹁今回の事とて伯爵の思い上がりが原因だ。教会派の貴族が今後大
人しくしているという確証は無い⋮⋮ならば﹃教会派は魔導師の怒
りを買った﹄と認識されるのも手だと思ってね﹂
﹁あら、私を利用しますか﹂
﹁利用? 共犯者と言って欲しいね﹂
片目を瞑って茶目っ気たっぷりに言うライナス殿下。どうやらフ
ェリクスの事で色々と吹っ切れたらしい。
そういや、この人も教会派の被害者だっけ。これ以上被害者を出
さない為にも行動すべきだと思ったのかもしれない。
それを見ていたバラクシン王は軽く目を見開いた後に小さく笑っ
た。
﹁エルシュオン殿下、我々はそろそろ夜会に戻ろう。魔導師殿は部
屋に残られるようだからな。なに、騎士を扉の前に置くから心配は
要らん﹂
﹁⋮⋮宜しいのですか?﹂
1856
意外そうに魔王様が問い返せば、バラクシン王は何故か楽しげに
笑う。
﹁何がだ? 我々は﹃何も知らない﹄。そうだな、ライナス?﹂
﹁え、ええ。そのとおりです﹂
若干驚きながらも頷くライナス殿下に、王は満足そうに頷くと魔
王様に向き直る。
﹁聞いたとおりだ。何の問題もない﹂
そうして視線を騎士の一人に向けると、彼は頷き私の傍に来た。
見送る側、ということらしい。
魔王様も溜息を吐いて手を離すと、少々乱暴に私の頭を撫でた。
﹁気を付けるんだよ﹂
﹁了解です﹂
気分は飼い主に頭を撫でられる猫。呆れようとも私を案じてくれ
る姿勢は変わらない⋮⋮相変わらず魔王様は良い保護者。
親猫様です、飼い主様です。たまに張り倒されるけど。
それを見ていたバラクシン王がなんだか羨ましそうだったので、
代わりに私がライナス殿下の頭を乱暴に撫でてみる。
﹁ま、魔導師殿!?﹂
﹁いや、何だか羨ましそうにしてる人がいるので。たまには素直に
なった方がいいですよ? 彼らは家族として接したいのに拒絶して
いるようなものじゃないですか、貴方の頑なな態度は﹂
﹁⋮⋮! そ、うか。私としてはそんなつもりはなかったのだが﹂
﹁必要以上に構うのも距離を埋めたいからじゃないですかね?﹂
1857
ちら、と視線を向けた先では王と王太子殿下が﹃そのとおりだ!﹄
とばかりに頷いている。こればかりは徐々に改善していくしかない
だろう。だが、切っ掛けは出来たようだ。
⋮⋮ライナス殿下は髪を整えてくれている王の手を大人しく、や
や呆れたように受け入れている。王の立場重視で恐縮しないだけ進
歩だな。
やがて彼等は夜会へと戻って行った。アルとクラウスがこちらを
見て軽く頷いたので、魔王様の護衛と私の偽装工作は任せろという
ことだろう。
さて、私もさっさと行動せねば。
﹁着替えをしているかもしれませんから、呼ばれて即座に反応でき
なくても心配しないでくださいね? 勝手に扉を開けたら怒ります
よ?﹂
﹁承知致しました。そのような真似をすれば危険でしょうしね﹂
﹁あら、着替えを覗こうとする輩に手加減は無用です!﹂
わざとらしく言えば騎士のお兄さんは苦笑しながらも頷く。
ええ、女の着替えって時間がかかりますからね! 中から声をか
けるまで入っちゃいやん。
条件反射で魔法をぶっ放されても相手が悪い。女の敵、私の敵で
す。
そして私は部屋に入り鍵をかけた。
うふふ⋮⋮うふふふふ⋮⋮! さぁて、今回の︵私的に︶メインイベントですよ! 前回ライナス殿下を探りに寄越した事といい、随分と調子に乗っ
ているみたいじゃないか。お馬鹿さんなんだからぁ!
⋮⋮。
1858
⋮⋮イルフェナ嘗めてんのか、コラ。
いや、嘗められてるのは私か? 災厄として失格か? 確かに直
接被害を齎した事は無いけどさ。
そうか、そうか、そんなに私と遊びたかったのか!
お誘いに気付かなくてごめんね!
今回は白と黒のお兄さん達に加えて、狸さんまで﹃玩具﹄を用意
してくれたんだよ、嬉しかろう! お兄さん達は楽しく遊んだ御土産話を楽しみにしてるから頑張ろ
うね! さ あ 、 私 と 遊 び ま しょ ⋮⋮?
1859
大人しくしている筈は無い︵後書き︶
性質の悪い連中が大人しくお留守番している筈はありませんでした。
1860
魔導師は暗躍する
上着とベストだけ脱いでいつもの黒い服にお着替え。そして部屋
の窓から脱出後︱︱ 現在、教会関係者の暮らす居住棟の壁に浮かびつつ貼り付いてお
ります。数人警備の人が居たりしたけど、容易く入り込める状態だ
った。認識され難くなる魔道具を持っていると言っても楽すぎだ。
権力があろうとも教会だもんな。さすがに宝物関係の場所は厳重
に警備されているだろうけど、幹部でない限りは職員の扱いなんて
それ以下みたい。
⋮⋮まあ、幹部でもない教会関係者を襲った所で意味はなかろう。
狙われる心配も無いのが普通か。
そんな中、私の目的の人物は部屋でお仕事中らしい。黒騎士情報
によると彼は若手ながら中々に現実が見えている人物とのこと。立
場が幹部に一歩及ばないので上に意見はできても、実力行使は出来
ないとか。
そんな彼を慕う者も多く、幹部連中も彼の意見を煙たく思っても
排除はできないそうな。教会派にもまともな人はそれなりに居るら
しい。
彼等はライナス殿下と同じ事を危惧している。これ以上、教会上
層部が思い上がれば他国の後押しの元に潰される可能性も十分ある
と判っているのだろう。
現に今回は教会派がイルフェナという国に喧嘩を売っている。公
表し、バラクシン王家が報復を許せば国内にしか影響力の無い教会
なんぞ絶対に負ける。
バラクシン内部が荒れる事が予想されるので、イルフェナが派手
に行動しなかっただけなのだ。多少なりとも隣国の影響は出るだろ
1861
うしね。
そもそも宗教が権力を欲する時点で本来の姿とは別方向に向かっ
ているのだが。彼等がしている事は権力を手にする為に信仰を利用
しているだけだ。建前だろうと潰す時はそこを突付かれるぞ、絶対
に。
そんなことを考えていると、目的の人物は仕事を終えたようだ。
机から離れ⋮⋮何かを感じたのか窓の方へと向かってきた。私の魔
力を感じたのかもしれない。
そんなチャンスを逃す私ではないわけでして。
﹁な!?﹂
﹁はいはい、静かにしましょうね∼﹂
彼の背後に転移し︱︱見える位置ならば可能だ︱︱そのまま床に
押し倒す。重力を軽減させれば大して音もせず、下の部屋の住人に
もバレない。
そして私が押し倒した側だ。これ、重要。超重要。
現に目的の人物は不審者に押し倒されるという事態に思考が追い
ついてこないようだった。
⋮⋮確かに聖職者、しかも男が自分より若い女性に押し倒される
ことは稀だと思う。
﹁このまま人を呼ばれて聖職者として破滅するか、話し合いに応じ
るか。お好きな方をお選びください?﹂
﹁貴様を不審者と告げればいいだけだろう!﹂
﹁あら? 私は御覧のとおり若い女なのに? こんな時間に簡単に
部屋を訪ねられるとでも?﹂
﹁魔術師だろうが!﹂
﹁あはは! じゃあ、これを御覧になってくださいな﹂
1862
強気なままの彼に私は笑って﹃光の珠﹄の詠唱を唱える。当然、
発動せず彼は困惑したようだった。
ちなみに私が覚えている詠唱はこれだけ。似ていても発音に差が
あるのか相変わらず発動はしない。
魔法としての意味は無いが、魔術師ではないという証明には効果
的なのだ。﹃詠唱できても魔法の使い方を知らない素人﹄ってこと
だからね、これ。
私の言いたい事が判ったのか、相手は顔を強張らせて固まった。
不利な状況を悟ったらしい。
﹁さて、状況は貴方にとって圧倒的に不利。⋮⋮ですが、教会の今
後を思うならば話し合いに応じる事をお勧めします﹂
﹁な、に⋮⋮?﹂
訝しげに首を傾げる彼に向かって最大の爆弾を放ってやる。
﹁教会派貴族がイルフェナと魔導師に喧嘩を売ったので、下手をす
れば教会は責任を問われますよ?﹂
﹁な⋮⋮んだ、と。⋮⋮いや、やりかねない奴も確かに居るが⋮⋮﹂
目を見開きつつも叫ばなかったのは、驚愕と共に否定できないと
頭のどこかで判っていたからだろう。﹃いつかは起こる﹄と危惧し
ていたのなら。
﹁近日中にフェリクス殿下の王籍抹消も発表されるでしょう。⋮⋮
これを機に腐った連中を一掃しませんか?﹂
にぃっと笑うと彼は軽く目を見開いた後、暫し悩んだようだ。だ
が、やがてしっかりと目を合わせてきた。
1863
﹁条件は?﹂
﹁あら、あっさり乗ってきましたね﹂
﹁まず君が私に嘘を吐く理由が無い。放っておいても教会が勝手に
破滅するだけなのだから。次に君は﹃自分に何らかの利点がある上
で提案をしている﹄。綺麗事だけならば疑うが、利害関係の一致な
らば話し合いの席につこう﹂
﹁⋮⋮期待通りの方で何よりです。そのとおりですよ﹂
私は笑って体を起こし、手を差し出して彼も起こす。手を握り返
したのは彼なりの信頼の証か。
﹁では、まず名を⋮⋮﹂
﹁名乗らずに。名前を名乗らなければ﹃互いを知らないまま﹄です
よ?﹂
名乗りかけた彼を制し理由を告げると、なるほどと頷く。これで
魔法で関係を問われても﹃互いに知らないまま﹄だ。名前どころか
異世界人の魔導師とも教会関係者とも互いに告げてはいないのだか
ら。
﹁まず、私の希望について。上層部の腐った連中を断罪し、教会の
一部を破壊﹂
﹁破壊するのか? 一体何の意味が?﹂
首を傾げる彼に私は教会上層部の見取り図を広げる。それを見た
彼の視線が呆れたものになったがスルー。
﹁教会の幹部連中って教会の奥から繋がる特別棟に住んでますよね
? だから一見、教会が壊されたようにも見えるでしょう?﹂
1864
﹁まあ⋮⋮そうだな。警備の関係上、彼等はそこに住んでいる﹂
特別扱いというわけか。この部屋は質素だが、特別棟とやらは豪
華な造りなんだろうな。
警備も彼ら自身の行いの所為⋮⋮という気がしなくも無い。結界
も張られているだろうけど解除できるしな、私。
なお、この結界の解除は意外と難しいのだとか。私は魔力で織ら
れた編物を解くような感覚だけど、この世界では術式の解除だから
難易度が違うと言えば違うのだろう。認識の差だ。
﹁幹部達を〆る過程で、魔法により特別棟が落雷で破壊されたよう
に見せかけます。被害を最小限に抑えるために各階に縦になるよう
魔血石を配置して上から下にかけて亀裂が繋がるようにする、とい
えばいいでしょうか﹂
実際には魔血石を中心に上下に向かって衝撃波を起こすだけであ
る。ただ、縦に並んでいれば床と天井をぶち抜いて繋がり一つの魔
法のようには見える。
これが落雷だと建物自体が壊れかねん。雷が落ちたまま建物が割
れるだけ、とはいかないだろう。
﹁ふむ、それで? 落雷に見せかけるには少々足りないが﹂
﹁幹部連中を〆てから音と光を周囲に見せつけるような感じで起こ
します。同時に教会の屋根を少しだけ壊せば、見ていた人や音が気
になった人が教会に様子を見に来るのでは?﹂
﹁そうなるだろうな。この棟に住む者達だけでなく、信者達も見に
来るだろう﹂
﹁そこでもう一つの罠の発動です。﹃これ﹄を霧状にして特別棟と
教会内部に蔓延させます﹂
1865
透明な液体が入ったビンを見せると、彼は表情を険しくさせた。
﹁毒か!﹂
﹁いいえ? 毒ではありませんが似たような効果があります。しか
も解毒魔法が効きません﹂
﹁は?﹂
意味が判らない、と訝しげになる彼を無視して話を続ける。
毒じゃないよ、調味料。例の﹃赤い霧﹄の色を抜いただけ。ただ
し、毒なんて目じゃないくらいに性質が悪いものではある。
教会と特別棟は繋がっていますしね? そこを丸ごと覆って悪魔
の霧を充満させてやろうじゃないか。
ある程度蔓延させた上で結界を解除すれば魔導師の暗躍という証
拠も残るまい。それに直接〆るのは上層部でも主な者だけなので、
特別棟に暮らす全ての者に断罪の体験者になってもらいたいのだよ。
不正に無関係な奴も居る? 勿論巻き添えになるけど尊い犠牲って言うんだよ、それは。
ポケットから魔石のついたブレスレットを出して彼の目の前に差
し出す。
解毒魔法のみ組み込んだ魔道具は﹃元の状態に戻す﹄というもの。
これがあれば悪魔の霧も怖くは無い。
逆に言うとこういったものでなければ、全く効果が無いのだ。調
味料って毒とは認識されないものね、普通。
﹁これに血を一適垂らしておけばほぼ無効にできます。苦しいだけ
で死にませんし、ここを守っているような警備兵は解毒の魔道具く
らい持ってますよね? 解毒魔法を使える人も居ると思うのですが﹂
﹁あ、ああ。解毒魔法程度ならば使える者も多いだろう﹂
1866
困惑を顔に貼り付けたままの彼の言葉に私は笑みを深くした。
好都合! 解毒や治癒を試して絶望するがいい!
﹁これと先ほどの落雷モドキを﹃神の断罪﹄に見せかけます。そし
て貴方は一人影響を受けずに救助にあたり、神に選ばれた聖人とし
て信者を導け!﹂
﹁待て待て! 何故そうなる!? 簡単に神の奇跡を信じる者ばか
りではないぞ﹂
慌てる彼に私はにやりと笑う。彼がびくっと肩を跳ねさせたのは
本能か。
﹁誘導すれば良いんですよ。私が救助に混ざりつつ﹃あの方は平然
としてらっしゃる⋮⋮まるで神に選ばれているようですわ﹄とでも
被害者達の前で言っておけば信じますって。ただでさえ神を信じて
る人達なんだから﹂
﹁おおぃ、随分外道な策だな!? お前、神を思いっきり冒涜して
ないか!? 被害者を利用って人としてどうなんだ!?﹂
﹁私の神じゃないから問題無し。利用できるものは何でも利用する
のが私の信念です。それに人は時として神に挑むものですよ!﹂
ぐっと拳を握って力説すれば、彼は盛大に顔を引き攣らせた。
人間だもの、結果を出すために足掻くのが当たり前。どんな苦難
にも綺麗事を貫けるなら、そいつは聖人かと言いたい。
そもそも組織として成り立っている時点で暗部はどうしてもでき
る。
その結果が王家との敵対じゃないか、敵対者との潰し合いという
権力闘争の場に参戦した以上は﹃信仰は尊いものです﹄なんて言い
訳が通じる筈も無かろう。
1867
王家VS教会が成り立つならば、私個人VS教会だって当然有り
だ。
今回は私の攻撃方法が権力行使や財力による圧力ではなく、﹃神
の裁きへと仕立て上げた上で内部告発へ誘導﹄というものだっただ
け。
情報と魔法は使い所が重要です。それだけならば出来る事も限ら
れてくるが、組み合わせれば﹃対処不可能な罠﹄へと変貌する。
宗教にとって神罰や奇跡は信者を誘導する最強のカードだ。民間
人だろうとも数の暴力を嘗めてはいけない。
﹁ば⋮⋮罰当たりが⋮⋮﹂
﹁自分達が権力を得る為に信仰を利用する連中だって罰当たりだろ
うが﹂
﹁う⋮⋮﹂
黙った。さすがに思う所があるらしい。
いいじゃないか、これも信仰そのものの価値を落とさないように
する為には必要なんだから。
霧の被害者︱︱幹部連中以外は完全にとばっちりだ︱︱が苦しむ
最中に﹃何故か平然としている皆に慕われる人物﹄が﹃危険を顧み
ず自分を助けてくれて﹄、﹃彼が選ばれた存在であるかのような言
葉を聞いた﹄らどう思うか。
しかも解毒の魔道具も魔法も効かないのだ、治癒魔法も無駄⋮⋮
落雷も含めまさに神の怒り。それを免れている人物がいるならば、
誰だって注目するだろう。
それに本来特別棟含む教会に張られていた結界が消滅していると
いうのも、﹃神の奇跡﹄で片付けられる。それなりの規模の結界が
攻撃を遮る事無く消えているのだ、まるで﹃神の怒りを遮ることを
恐れた﹄かのように。
勿論、ここでも信者達を誘導する。魔法が使える人達に﹃結界は
1868
強固なものと聞いております。それが簡単に消えることなどあるの
でしょうか?﹄と周囲に聞こえるよう質問。
この世界における魔術の常識 + 重要な場所を警備しているプ
ライド
魔導師の存在を疑わない限り普通は﹃無理﹄という一択だ。なお、
これは黒騎士達に確認したので本当に無理らしい。複雑なものほど
解除に時間がかかるんだってさ。
﹃通常、結界は術式の解除で成し遂げられる。だが、実行する場合
は周囲に注意を払わねばならない﹄
﹃なんで?﹄
﹃解除している間は結界を張った術者の魔力に触れているも同然だ。
短時間ならば大丈夫だろうが、複雑なものになるとそれなりに厄介
なものとなる。干渉している奴がいるとバレて攻撃されかねん﹄
以上、クラウスとの会話。つまり魔力を使う術式の解除も普通な
らば当然警備している連中にバレる。
襲撃の初手に殆ど魔法が用いられないのも結界に魔力が触れるこ
とでバレるから。魔法は基本的に遠距離、ぶち抜く威力が無い限り
﹃仕掛けるよ!﹄と挨拶しているようなものってことですな。確か
に黒尽くめは魔法撃ってこなかった。
私は﹃一気に魔力を解いている﹄ので一瞬なのだ。黒騎士達曰く、
融けるように消える感じで衝撃も無いので気付きにくいらしい。
逆に言っちゃうと魔力を解くだけなので、どんな術式が使われて
いるか調べる事が出来ないのだが。
調査や解析といった方面では役立たずです。目の前の障害を取り
除く為にしか使えないとも言う。
教会での騒動も通常ならば詳しい調査が行なわれるのだろうが、
1869
いきなり起きた異常な事態に個人差が有れど混乱するだろう。そこ
に﹃被害を全く受けない人物﹄という奇跡を目の当たりにすればど
うなるか。
⋮⋮被害を受けた者達が神を信じているならば誘導に乗る可能性
が高い。仮にも神に最も近い場所なのだ、奇跡が起こっても不思議
はない。何より人々は﹃奇跡を目撃した自分﹄も誇れるのだから。
自分を特別視したい気持ちも相まって一気に聖人ルートだと思う
のですよ。彼の日頃の行いも後押しするだろう。便利な言い分だな、
神の奇跡って。
話を聞いて唖然とする彼は無視だ、無視。この策は私の立てたも
の、彼は一時己の良心を無視して私の駒として動けばいい。
大丈夫、全力でサポートするから!
﹁で、混乱する信者達を纏めつつ教会上層部の汚職をバラして﹃神
がお怒りになられたのだ!﹄とでも言えば納得するんじゃないです
か? 被害者は上層部に属する連中と彼等を守っていた警備兵達な
んだから﹂
そう言って黒騎士情報もとい教会上層部の汚職の証拠を彼に渡す。
﹁ほ∼ら、これで﹃知らなかった﹄という逃げ道は使えませんよ?
汚職の証拠を手にして黙っているんですか? 神に、仕える、立
場なのに?﹂
﹁ぐ⋮⋮行動そのものは悪魔の策なのに、結果的には正しいことに
なるのか﹂
﹁諦めましょうよ、組織の維持には汚れ役も必要です﹂
きっぱり言い切ると彼は非常∼に嫌な物を見る目を向けてきた。
﹁⋮⋮これで望んだ結果にもっていけたなら、私は神に対する考え
1870
が変わりそうだ﹂
﹁それで私が罰を受けなければ﹃でかした! よくやった!﹄と神
に褒められたことになるんですね。大丈夫、﹃神の奇跡﹄は教会に
とっても誇れることですから!﹂
﹁いや、褒めてはいないだろう、褒めては! その﹃奇跡﹄も仕立
て上げられたものじゃないか!﹂
﹁あ、修繕の為の費用は教会派貴族から巻き上げるといいと思いま
す﹂
﹁せめて寄付と言え、寄付と!﹂
中々に突っ込み役が似合っているようだ。でも反対しないという
事は策に乗ってくれるらしい。
さて、教会上層部の皆様? 配下が仕出かした事の責任、きっち
り取ってもらいますよ? 1871
魔導師は暗躍する︵後書き︶
神罰というより悪魔の誘い。
信仰が純粋に心の拠り所というものだったら、主人公は敵になって
いません。
1872
月と魔導師と聖なる? 夜に
︱︱ある部屋にて︵女性視点︶
豪華な食事に極上の酒。それを楽しむのが聖職者達だとは普通思
うまい。
給仕をしていた女は内心ひっそり溜息を吐くと、頭を下げて部屋
を後にする。
いつものことだ。必要な仕事をしたらそれ以上はここに居てはな
らないと、彼等から硬く禁じられている。
おそらくは自分には聞かせられない話なのだろう。
それが聖職者としての機密⋮⋮などとは思わなかった。
聞かれて拙い内容ならば﹃後に脅迫に使うかもしれない﹄と警戒
されるのも頷ける。
そう言った意味では彼等は女を正しく判断していた。こんな事実
を知りつつも、自分は保身の為に彼等を断じることをしないのだか
ら。
尤も﹃秘密﹄を手にしており、それを交渉材料として今後が楽に
過ごせるならば間違いなく利用する。その程度の﹃おこぼれ﹄は許
されるだろう。
勝手な彼等と同じくらいに勝手な事を思いつつ、下の階にある自
室へと足を進める。
片付けは翌朝、彼等の楽しみが深夜に及ぶ事もあるのだから。ま
あ⋮⋮今日は夜会があるお陰で貴族達が混ざってはいないから、朝
の祈りには参加するだろう。
その時点で聖職者として色々と失格なのだが、貴族のご機嫌取り
1873
が重要な仕事であることも事実。寄付がなくては運営が成り立たな
いのだから。
﹁⋮⋮?﹂
不意に何か聞こえた気がして窓の外に目を向ける。そこには美し
い月があるのみ。
そんな中、月明かりに照らされた教会が何故か⋮⋮何故か恐ろし
く思えた。
まるで自分の心を暴くように降り注ぐ、柔らかい月明かり。
自分もこの光の下ではあの教会の様に本性を曝け出しているので
はないか?
神を冒涜する、ろくでもない教会の暗部のように。
そんな思いに囚われ、思わず足を速める。
月はただ変わらずに全てを照らしているだけだというのに。 ⋮⋮部屋に篭る程度で逃げられる筈はない、というのに。
※※※※※※※※※
﹃今夜は最上階のこの部屋に奴等は居る筈だ。建物に被害を出すな
らば最適の場所だな﹄
彼が見取り図を見ながら言った言葉は私にとって非常に都合のい
いものだった。
どうも目的の部屋の縦並びは現在空き部屋になっているらしい。
すぐ下は彼等の内の一人の部屋、その下は客室だそうな。
教会派貴族達が集まる事があるから、だとさ。秘密の御話には最
適の場所ってことかい。 1874
まあ、私としては個別撃破をしなくて済むのでありがたい。さく
っと〆てさっさと裏方に回ろう。
で。
先ほどと同じように窓から内部を窺い、無人である事を確認後に
室内に転移。魔血石を置いて小細工完了。
なお、位置合せは簡単な方法を共犯者が教えてくれた。天井の中
央の模様に合わせればだいたい部屋の中心、縦一列になるんだとか。
溜息を吐きつつも情報をくれるあたり、作戦の成功を願う事にし
たのだろう。人間諦めが肝心です、利害関係の一致は素敵な絆。
そして残るは断罪もとい、襲撃です。窓から入ると丁度逆光にな
るから顔は見えないだろうけど、念のために幻影を纏ってゲーム内
の姿になっておく。
陰は本来の姿になるから、奇妙さの演出としても丁度いい。
さあ、レッツ御礼参り!
﹃神の怒りを買った証﹄の準備も当然してある!
いざ、敵地へと乗り込まん!
外から室内で楽しく会食する姿を確認し、私は口元に笑みを浮か
べる。
ほほう、室内も居住棟に比べて内装が立派だとは思ったけど、食
事も豪華っぽいな。明かりは蝋燭と魔道具か⋮⋮魔石は破壊して、
蝋燭はお約束どおり風を起こして消せばいいか。
室内なのに風が吹いて蝋燭が揺らめいたり消えたりするのは、ホ
ラーのお約束!
でも残念な事に今回はそれだけ。一応﹃奇跡﹄という神聖な方向
1875
に持っていかなきゃならないし。
黒い影が徐々に迫るとか、ポルターガイストもどきを起こしても
雰囲気たっぷりな環境なのに残念だ。
⋮⋮次があったら絶対に試そう。
そう心に誓って彼等に気付かれないよう転移魔法で室内へ。かな
り広い客室? らしく、彼等が使っているテーブルもそれなりに大
きい。
そして現在、テーブルの下に潜入中。魔法による転移とテーブル
クロスのお陰で誰も気付きません。
手品じゃあるまいし、いきなりテーブルの下に人が湧くとは思わ
んよね。様子を探るには良い場所だ。
テーブルクロスは床上四十センチほど。そこから窓が見えるから、
ここから出て行く時は窓が背になるよう再び転移すればいい。
﹁⋮⋮ん?﹂
﹁どうかしたのかね?﹂
ふと会話を止めた男に多分右隣の男が声をかける。
室内には三人だけ。教会派貴族は夜会があるから、極々身内の晩
餐というところか。
︱︱では、そろそろ始めましょうか?
﹁今、風が吹かなかったか?﹂
首を傾げる動作でもしたのか、笑い声が二人から起こる。
﹁風? もしやテーブルの蝋燭が揺れたからとか言わないだろうな
?﹂
﹁おいおい、私は何も感じなかったぞ? 窓は閉まっているしな﹂
1876
彼等の様子が見えないのでよく判らないが、他の二人は軽く起こ
した風に当らなかったらしい。からかい混じりに否定の言葉を紡い
でいる。
そんな仲間の言葉に本人も気の所為だと思うことにしたようだ。
再び会話を始めている。
⋮⋮ターゲット決定。狙いが定まれば後は同じ事の繰り返し。
その後もちょくちょく気付いた一人のみを狙って風を起こしてい
たら、やがて呆れたように一人が立ち上がった。
﹁判った、判った。多分、窓に隙間でもあるんだろう。私が確認し
てやろう﹂
そう言って席を立ち窓の方へと歩いていく。そして窓が閉まって
いるか確認し、手を当てて隙間風が無いかも確かめると振り返り。
﹁ほら、気の所為だ。何も⋮⋮﹂
ない、とでも言おうとしたのだろうか。それより早く私が室内中
の明かりを全て落とし、男の背後に転移する。
気配に気付いて振り返ろうとした男の腹部に衝撃波を一発。突如
明かりが消えた事に驚いていた二人は、男の崩れ落ちる音に窓の方
へと顔を向けた。
その頃には私は窓を背にして立っている。二人から見れば黒一色
の不審者、というところだろうか。 ⋮⋮私は崩れ落ちた男を踏んでいるのだが、そこまで気がつかな
いようだ。驚いているからなのか、その程度の仲なのか疑問に思う
光景である。
﹁き⋮⋮貴様、どうやって入ってきたっ!﹂
﹃さあ? 最初から居たのかもしれないね?﹄
1877
ゲーム内の声と本来の声の二重音声で紡がれる言葉に二人は顔を
引き攣らせる。女とも男とも判断がつかないようにする為なのだが、
結構不気味だな。意外と使えるようだ。 なお、幻影は通常自分の記憶を元に再現するだけである。影は出
来ないし髪や衣服が風に靡く事も無いので、不自然さから幻影と判
るんだそうな。
声も自分が聞いた台詞に限られるので、会話などは勿論出来ない。
私がゲーム内の姿に限り可能なのは﹃自分自身だったから﹄。
砦イベントで幻影と思われなかったのは、会話が成立していたか
らである。それ以外は当時の仲間の姿を再現しただけだったしね。
﹃これが聖職者の姿とはねぇ⋮⋮恥ずかしくはないのかい? 貴族
達とも随分と仲良しみたいだね?﹄
﹁何を⋮⋮﹂
﹃ああ、言い訳は結構。全部判っているからさ?﹄
﹁勝手な事ばかり言いおって! 私達に危害を加えればどうなると
⋮⋮﹂
その言葉は最後まで紡がれなかった。私が一瞬で男の足元から鋭
い氷の刃を発生させたから。
キィン⋮⋮と澄んだ音が複数響くと同時に首筋や体周辺にひやり
とした感触。足元から突如生えた氷の刃に﹃動けば死ぬ﹄と本能で
悟ったのか、縋るような視線が私へと向けられる。
もう一人は状況を理解できた恐怖ゆえか目を見開いて尻餅を着き、
ガタガタと震えだした。
だって、私は彼等と会話をしていたのだから。
詠唱なんて﹃できる筈が無い﹄のだ。
1878
魔導師という発想はまずないだろう。何せこの世界の魔法は詠唱
するのが﹃常識﹄。
無詠唱が受け入れられたのは﹃魔導師という曖昧な存在だから﹄。
魔導師だから無詠唱、というわけじゃない。
攻撃系の魔道具ならば無詠唱も可能だろうが、それでも今の状態
には無理があった。
魔血石でも設置しておかない限り魔法の発生源は術者や魔道具の
魔石。いきなり何も無い足元から氷の刃が生えたことも二人を怯え
させた要因だろう。
黙った二人ににこりと微笑みかけると、月明かりだけの室内でも
彼等の顔が益々恐怖に歪むのが判った。
まあ、向こうからは黒い人物の口元だけが笑みを浮かべたように
見えるんだろう。断罪の使者というより悪霊の方が似合っているに
違いない。
得体の知れない化物とでも思われているのかもしれないが。
﹃だから、何? 私には君達のことを気にする義務は無い。そう⋮
⋮﹄
片手を挙げて魔力を集中し、置いてきた魔血石の気配を辿る。そ
して。
﹃こんな風に﹄
勢いよく振り下ろすと同時に全ての魔石を中心に上下へと衝撃波
を発生させた。
丁度テーブルの下が通過地点だったらしく、盛大な音を立ててテ
ーブルごと粉々になる。
料理の乗った食器、ワインのボトルにグラス、割れたテーブル、
1879
そして⋮⋮空が見えるようになった天井の破片。
パラパラと落ちてくる小さな破片に二人は思わず上を見上げてい
た。そこに穴を見つけてそのまま視線を下に向ける。下にも同じよ
うな、階下をぶち抜いた穴。
﹃さあ、断罪の時間だよ﹄
にやり、と笑い。彼等の命乞いを聞く前に、私は二人を先の男と
同じように昏倒させた。そして起き上がらないか暫し待つ。
⋮⋮。
よーし! 任務完了! あれ、そんなに怖かった? 視線を上に向けた隙に氷の刃を消し
た事さえ気付かないほど吃驚した?
私は満足した! ハロウィンかエイプリルフール的イベントが成
功したような達成感だ!
あらやだ、意外と悪霊役って楽しい。今度イルフェナで提案して
みよう。
⋮⋮さて、いつまでも馬鹿やってないで次の行動に移りますか。
実を言うと魔血石を置いた部屋に防音結界を組み込んだ魔道具︱
︱黒騎士製︱︱を設置してきたので、この音で人が集まる事は無い。
この部屋に関しては私が同じ物を所持している。
この後に残りを回収すれば証拠隠滅も完璧です。今の音さえ気付
かれなきゃいいんだもの。
それでも時間を気にするのは証人となるべき人達の就寝時間が迫
っているから。居住棟はともかく、周辺に住む信者達が眠ってしま
う。
で。
1880
ごそごそとポケットから取り出したのは一辺が十センチくらいの
紙。そこには漢字で﹃怨﹄と書かれている。
イルフェナで作ってきた刺青の元ですよ。黒インクだけど筆を用
意してお習字して来たさ⋮⋮!
刺青は基本的に皮膚に色を入れるものだ。ぶっちゃけると針で皮
インク
膚を刺し、色を埋め込むという超簡単な手段で出来てしまう。
今回は文字の転移の応用で紙に書かれた文字を皮膚の下に移して
しまおうと思っているのだ。大丈夫、数は十分用意してきたから!
漢字アートって言葉もあるし?
この世界では日本語はグレンぐらいしか判らないだろうし? 意味が判らない分、不気味じゃないか! 絵として認識されるかもしれないけど、込めた気持ちは文字のま
ま。
私にとってはキヴェラよりも色々やらかしてくれた元凶なのだ。
これで懲りなきゃ次は﹃呪﹄とか﹃殺﹄にしてやる。
暫く顔に浮き出ていればいいので、一発勝負です。きっと解毒魔
法とかを試すだろうし、人体に有害なことにはならん。寧ろこの状
態で治癒魔法をかけると色素が定着するだけじゃないかと思ったり。
そんなことを思いつつ、さくさく作業。刺青前に治癒魔法をかけ
て腹部の痛みをとっておくことも忘れずに。
これで目が覚めた時は襲撃が夢か現実か判らないだろう。現実だ
った証拠は顔の黒い文字︱︱彼等の認識は絵かな? ︱︱と破壊さ
れた数々の物、そしてこれから彼等が体験する苦痛の時間。
怪我をしたわけじゃないから、刺青は治癒魔法をかけても無駄だ。
だって、色素が定着してるだけだもの。
1881
得体の知れない黒い刻印の恐怖に怯えるがいい⋮⋮!
その後。
奴等を放置し防音結界を回収・ぶち抜いた穴を確認、その傍ら結
界を張った内部に悪魔の霧︵笑︶を充満させ。
彼の元へと報告をした後に一旦外に出て教会の一部を破壊。同時
に強い光と音で﹃雲一つ無い空なのに落雷発生﹄という不思議な現
象を模造した後は、音に驚いて様子を見に来た周辺の人に混じった。
そして何食わぬ顔で彼の指示に従い被害者達救助のお手伝い。頑
張れ、聖人︵予定︶。私はここでやらねばならんことがある。
内部は悪魔の霧の被害がばっちり出ていたらしく﹃突然の落雷に
上の指示を仰ぐ﹄という名目で特別棟を訪れた彼は、即座に救助活
動に切り替えていた。
初めて被害者を見た時、ちょっと涙目になったみたいだが。そう
いや被害者がどうなるか詳しく説明していなかったけ。そりゃ、怖
いか。
﹃水で洗えばそのうち落ち着くよ﹄と教えてあったので、咳き込
む程度を予想していたのかもしれない。すいません、これは騎士を
黙らせる威力があります⋮⋮!
一番最初に運ばれてきた警備兵︱︱入り口近くに居たそうだ︱︱
の様子に集まってきた人々もビビる中、彼は必死に救助活動を行な
っていた。
他の人が手伝おうとしても中には入れないのだ、結局、彼以外は
被害者の手当てをすることになり恐怖を募らせていく。
⋮⋮伝染病か何かと思われたんだろうか。確かに目は真っ赤にな
って涙が止まらないみたいだけど。
私は手当てをしつつ﹃彼は特別な存在なのですね!﹄と言わんば
かりに褒め称えて聖人ルートへと誘導。
1882
救助活動に参加しようとして被害にあった勇気ある人達は気の毒
なので、手当てをする振りをしつつ成分を除去。これも奇跡にすべ
く幻影で上空から透ける羽根を降らせてみる。
ゲーム内で散々お世話になった広範囲治癒魔法のエフェクトだっ
たのだが、人々の目には奇跡として映ったようだった。それも﹃勇
気ある行動に神の慈悲が与えられたのでしょうか﹄と言ってさらに
誘導。
被害者があまりいなかったので救助作業はそれほどかからなかっ
たのだが、その頃には彼へと向けられる眼差しが尊敬に満ちていた
のは言うまでも無い。
⋮⋮そして私に向けられる彼の眼差しが﹃何をしやがった、貴様
ぁっ!﹄と語っていたのも言うまでも無い。疑いどころか確信だ。
やだなー、予定通りじゃん? 細かい事を気にしていたら大物に
なれないぞぅ。
人々に囲まれて被害者達を治療すべく指示を出す彼を微笑ましく
見守りつつ、私はひっそりと結界の破壊と悪魔の霧の後始末をして
部屋へと戻った。
姿を消すのはこのタイミングしかないので仕方ない。
⋮⋮仕方ないのですよ、逃げたんじゃないやい。
遅くなると親猫様が怒る、という理由もあったんだけどね。だっ
てこの後は報告タイムなんだよ!?
1883
月と魔導師と聖なる? 夜に︵後書き︶
断罪どころか状況を楽しんでいるお馬鹿さんが一匹。
1884
報告と彼女の言い分
あれから。
再び窓から部屋に戻り、扉の前の騎士さんには着替えが終わった
とわざとらしく伝えた。これでアリバイは十分だろう。
その後、報告する内容を考えつつ待っていたら魔王様達とライナ
ス殿下が戻って来た。どうやら彼等は早めに切り上げてきたらしい。
ライナス殿下はバラクシン勢への報告の義務を担っているのだろう。
そして。
﹁あの⋮⋮何故そのような状態で報告を?﹂
困惑気味に魔王様に尋ねるライナス殿下。そうだね、普通はそれ
が気になる。
現在の私の状態はクラウスの膝の上に乗せられ、両腕を拘束する
ように腕を前に回されている。
これでイチャついている、というのは無理があるだろう。どう見
ても人間椅子による拘束だ。
﹁膝の上に乗せたのは足が着かないようにする為、念のために両腕
も拘束。クラウスを使っているのは転移魔法を使っても即座に反応
できるからだよ﹂
﹁⋮⋮。何故、そこまで﹂
﹁詳しく事情を聞かなければならないからね﹂
笑顔で答える魔王様。何やら威圧が滲み出ているような気がしま
す。
やっぱりバレてる? 1885
普通に﹃御礼参り﹄とは思ってない?
帰ってきたら尋問する気満々だったわけですね⋮⋮!
ジト目をアルに向けても苦笑するばかり。拘束しているクラウス
の腕をぺしぺし叩いてもシカト。
おおう⋮⋮味方が居ない。
ライナス殿下は暫し呆気に取られていたが、魔王様から﹁いつも
のことだよ﹂と告げられ納得したようだった。何故だ。
﹁で。一体何をしてきたのかな?﹂
﹃洗い浚い吐けやぁっ!﹄と言わんばかりに三人︱︱イルフェナ
勢だ︱︱から向けられる視線。
いや、今回は報告しなきゃならないから大人しく話しますって。
⋮⋮間違いなく怒られるとは思うけど。
﹁教会にも今のあり方を憂えている人が居たんですよ。しかも私の
協力者になるような︱︱組織として危機感を抱く人が。彼に協力者
になってもらいました﹂
﹁今の状況を憂えるというのは判るよ。だけど、だからこそ見ず知
らずの君を信頼するのかい?﹂
魔王様の疑問、ご尤も! 普通は共犯者にはならないだろう、危
険過ぎる。
ただ⋮⋮今回はちょっとばかり﹃普通ではない状況を作って話し
合いに応じさせた﹄だけで。思わず視線を逸らしながらも、正直に
御報告。
﹁⋮⋮部屋に侵入して押し倒し﹃聖職者として破滅するか、交渉の
席に着くか選べ﹄と脅迫を﹂
﹁は?﹂
1886
﹁女に押し倒されてる姿を見られれば終わりじゃないですか、立場
的に。善意で協力しろなんて言いませんよ、求めるのは利害関係の
一致した共犯者ですし﹂
珍しく呆けたような表情になった魔王様︱︱クラウスは知らない
が、見た感じ護衛の騎士含む全員だ︱︱は私の言った事を理解する
と盛大に顔を引き攣らせ。
﹁何やってるんだいっ!﹂
﹁あたっ﹂
手にしていた紙束を丸めて私の頭を叩いた。テーブルを挟んでい
なければ紙束じゃなくて手だったろう。
アルは生温かい視線を私に向け、ライナス殿下と護衛の騎士は馬
鹿みたいに口をぱかっと開けている。
どうやら彼等にとっては予想外過ぎる行動だった模様。よく考え
れば彼等は上流階級の人、女が押し倒す云々という状況はあまり聞
かないのだろう。⋮⋮実行する女もそう居ないだろうけどさ。
﹁君ねぇ⋮⋮自分が一応女性ということを気にしなさい!﹂
﹁魔王様、﹃一応﹄って何ですか、﹃一応﹄って。ばっちり乙女で
すよ!﹂
﹁乙女と言うならそんな事をするんじゃない!﹂
そう言いきって深々と溜息を吐く魔王様。お疲れなのだろうか⋮
⋮これからが楽しいのに。
やがて疲れた顔のまま顔を上げると、私に続きを促す。最後まで
聞く気はあるらしい。
﹁それで? 何をして来たって?﹂
1887
﹁交渉内容は私が教会に対して行なう報復を活かして欲しいという
事ですね。﹃神の断罪に仕立て上げるから聖人になってまともな人
達を纏めて欲しいな♪﹄という感じです﹂
﹁聖人?﹂
さすがに先が読めないのか、魔王様は首を傾げる。⋮⋮あの、ラ
イナス殿下と騎士さん? そろそろ正気に戻っておくれ。
﹁そのまま魔導師の所為にしてもいいんですが、それだと教会派貴
族達には大したダメージにはなりません。それどころか、逆に責任
を追及される可能性もあります﹂
﹁まあ、そうだろうね。教会は今回の件に関わってはいないから﹂
納得できるのか、一つ頷く魔王様。
﹁だから教会派貴族と癒着している連中を﹃神という絶対者の怒り
を買った者﹄に仕立て上げようと思ったんです。彼等が教会から罪
人として追放されてしまえば、教会がそういった連中の後ろ盾にな
る事はなくなります。新たな指導者の下に王家に牙を剥く事の無い
組織を作り上げるでしょう﹂
だが、魔王様は僅かに首を傾げ難しい顔をする。今後の可能性と
いう点では納得できても、現実に可能かを考えるとやや理由として
は弱いのだろう。
﹁そう上手くいくかな? 仮にも上層部の人間だ、滅多な事では追
放にならないと思うよ?﹂
﹁ええ。ですから﹃聖人﹄の存在が必要だったんです。ついでに明
確な証拠を残してみました﹂
1888
魔王様の意見に頷きつつも、にやりと笑って次の言葉を紡ぐ。
﹁今宵、彼等は特別棟の最上階に在る部屋で晩餐を楽しんでいまし
た。そこに乗り込んで〆た後、建物を縦に突き抜ける形で破壊﹂
﹁ちょ!? 君、何やってるのさ!?﹂
ぎょっとして突っ込む魔王様、私をガン見するその他の皆さん。
多少の被害は想定していても、ばっちり破壊活動をしてくるとは
思わなかったのだろう。
あ、ライナス殿下達が固まっている。予想外過ぎたか。
﹁その上で連中の顔に黒い文字を転写⋮⋮証拠みたいなものですね。
それから悪魔の霧を充満させ、外に出てから強い光と轟音を周囲に
響かせた挙句に教会の一部を破壊。落雷があったような感じだと思
ってくれれば結構です﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁共犯者には事前に私の解毒魔法を組み込んだ魔道具を用意してい
ましたので、一人救助に当ってもらいました。手助けしようにも被
害者が増えるだけですし、運び出されてくる被害者の状況も集まっ
た人たちに恐怖を与えたと思います﹂
ちら、と視線を向けると疲れた顔をしながらも頷く魔王様。続け
ろ、ということらしい。
﹁私は救助する側に混じって一人無事な共犯者を﹃神に選ばれた聖
人﹄として周囲を誘導、手伝おうとして被害を受けた人は羽が舞い
散るエフェクトを出しながら成分を除去。それも神の奇跡だと誘導
しました﹂
﹁⋮⋮それだけではないのだろう?﹂
﹁ええ。事前に教会の汚職の証拠を渡してありますから、﹃神を怒
1889
らせた理由﹄として近日中に暴露されます。共犯者の彼がそういっ
た連中とぶつかっていたのは周知の事実ですから、流れは一気に彼
の方に行くかと﹂
一通り説明し終わって周囲を見ると、全員が何ともいえない表情
をしている。魔王様に至っては片手で額を押さえ、溜息を吐いてい
た。
証拠隠滅までばっちりですよ、魔王様。何も心配は要りません。
そう告げると無言で再び叩かれる。⋮⋮何故ですか! 重要な事
じゃありませんか!
それに。
これは狸様含むイルフェナ残留組との共同作業なのですが。私だ
け怒られるというのも何だか理不尽。共犯者は一杯いるのに!
⋮⋮ここまでは予想外だと思うけど。玩具各種を私にくれただけ
で大まかな計画しか知らんのだ、彼等。
﹁魔導師殿⋮⋮私も君の共犯ということになっているのだが?﹂
ライナス殿下が生温かい視線を向けつつ、どこか虚ろに言ってく
るので親指をグッと立て。
﹁お仲間!﹂
﹁違う!﹂
頑張った! と笑顔を向ければ即座に否定で返される。ちっ、少
しは乗ってくれればいいものを。
護衛の騎士さんに視線を向けると、ぶんぶんと首を盛大に横に振
られた。私の味方は聖人︵仮︶だけか。
﹁ミヅキ⋮⋮楽しそうなのはいいんだけどね、君にとってそれは何
1890
の利益も﹂
﹁ありますよ? 無ければこんな真似しませんって﹂
﹁え?﹂
その答えが意外だったのか、魔王様だけではなく皆も私に訝しげ
な視線を向ける。
まあ、普通に考えれば教会派の弱体化というだけですね。次のト
ップが王家に牙をむくような人じゃないなら、教会派貴族の後ろ盾
にはならないだろうし。
﹁どういうことかな? 私には何も無いように思えるけど﹂
﹁ああ⋮⋮魔王様の視点だとそうですね。私限定で、と言った方が
いいかもしれません﹂
私個人には価値がある、ということです。イルフェナの為ではな
い。
そう言い切ると魔王様は益々訝しげな表情になった。
﹁まず今回のポイント。私は魔王様の同行者として来ていますから、
魔王様の命令は絶対です。その絶対者が﹃貴族達を落ち着かせる為
に魔導師を部屋に置いてきた﹄と明言している。しかもバラクシン
王もそれを知っており、護衛の騎士を付けています﹂
﹁そうだね、それが我々が貴族達に伝えた情報だ﹂
﹁この状態では﹃魔導師は部屋に居る﹄という情報を疑う事は出来
ません。バラクシン王の対処は魔導師を見張るという意味にも取れ
ますし、疑惑の声を上げれば王と魔王様の二人を嘘吐き呼ばわりす
ることになるのでできないでしょう﹂
確認するように視線を向けると、魔王様は軽く頷いた。
1891
﹁次に教会での私の行動。共犯者は利害関係の一致で動いています。
彼は教会派の現状を憂えていましたし、今回の事でイルフェナや私
から直接報復を受けるという事になればどうなるか気付いている﹂ これ、重要。﹃利害関係の一致﹄で動く人間なのだ、彼は。だか
ら私の提案に乗ってきた。
聖職者というより、組織の今後を憂える人物⋮⋮という感じだろ
うか。教会は孤児院も運営しているから、彼にとっては守るべき者
達の為とも言える。
﹁彼は組織としての今後が何より重要なんです。だからこそ今回は
裏切らないでしょう。私の個人的な感情以外は教会が腐敗した部分
を排除する切っ掛けを得るだけですから。強制的に協力者に仕立て
上げた皆さんは聖人︵予定︶が誘導するので問題ありません。不正
の証拠も後押ししますね﹂
﹁裏切りは無いと?﹂
﹁ありえません。共犯である以上は彼の身も破滅します。⋮⋮そん
なことになれば組織は混乱し、最悪潰れます﹂
ライナス殿下の言葉にはっきりと否定し頷く。彼は優先すべきも
のが明確なのだ、そこを狙ったので﹃選ばれた﹄とも言う。
﹁そして重要なのが幹部を〆た時の私の状態。幻影を纏って声を本
来のものとの二重音声にしていますから、性別や本来の姿がバレて
いない。幻影は通常会話などできませんから。キヴェラでもそれが
実在する復讐者という認識に繋がったと思います﹂
﹃常識が邪魔をする﹄。今回もそれを使った。
異世界人は例外なのだと、即座には思いつかない。何故ならこの
国にはアリサという前例がある。私に対して見下しがちなのもそれ
1892
が起因していると私は見ている。
﹁特に重要な引っ掛けになっているのが魔法です。教会の幹部達は
﹃無詠唱﹄というだけでは私とイコールにならないのですよ、実際
に目にしたことが無いから。魔導師という定義が曖昧過ぎてどんな
存在か正確には判っていない。実際、それがキヴェラの敗因にすら
なっていますから﹂
﹁だが、貴族達は夜会で君の魔法を目にしている。教会の有様を知
れば君を疑うんじゃないかい?﹂
﹁ええ、疑いますね。それが私の目的でもあります﹂
﹁何?﹂
意外だったのか、魔王様は視線を鋭くさせ居抜くように私を見た。
﹁私はこの国のほぼ全てを信頼していません。アリサの件で異世界
人に対しどういった認識をするか理解できましたから。反省したと
ころで見下す見方は簡単には直りません﹂
﹁まあ⋮⋮そう言われても仕方あるまい。確かに我々は愚かだった。
それは認めよう﹂
ライナス殿下と護衛の騎士が気まずげに視線を逸らす。ライナス
殿下自身はあれから随分と反省したのだろう。だからこそ、そんな
言葉が出て来る。
だが、私の目的は彼からの謝罪などではない。
﹁と言っても王族は仕掛けてこないと理解しています。これは私を
恐れるというよりイルフェナという国との関係を踏まえてのもので
しょう。そして貴族ですが⋮⋮多過ぎるので判断基準を設けてみま
した﹂
﹃は?﹄
1893
全員の声がハモった。さすがに予想していなかったのか、皆が軽
く目を見開いている。
﹁まず全く敵対しない者達。これは先ほどの夜会で私に恐れを抱い
た者達の事です。私にとって身分が何の意味も無い事、それに個人
として報復する力がある事の二点を知れば手は出してきません﹂
まず一つ、というように指を折る。
﹁次に保守系の考えを持つ者達。教会での情報から疑惑を抱いても、
二国の王族の証言に疑問の声を上げることをしない。つまりは自己
保身を第一に考え危ない橋を渡らず、王族の権力にも恐れを抱く者
達です。魔王様が後見となっている私に喧嘩を売る可能性は低いか
と﹂
二つ、とまた指を折る。皆は私の話を無言で聞いてくれている。
﹁最後に教会の情報を得ており、私という存在を知っているにも関
わらず探りを入れて来る者達。野心家であり王族の不興を買うこと
さえ恐れない⋮⋮抑止力にはならない。逆らうだけの自信と能力が
あり、私と敵対する可能性も高い。警戒すべきは彼等です。情報が
流れた後の動き次第でかなり絞れると思いますよ﹂
そう言いきって﹁これが私の目的です﹂と締め括れば、ある者は
呆れ、ある者は驚愕し⋮⋮というように反応が分かれた。
いや、私にとっては重要ですよ?
イルフェナという国ではなく、﹃私個人にとって今後警戒すべき
対象﹄という意味だから。
対象が絞れたら、今後はそいつらが﹃要注意人物﹄として認識さ
1894
れる。接触を望まれても、今回の態度を引き合いに出して回避可能。
黒騎士達は情報を集めてくれるだろうけど、それはあくまで﹃国
に対して﹄という基準。私が標的ならば当然敵も変わってくる。
次にいつこの国に来るか判らないのだ、それくらいの情報を得た
いと思ってもいいだろう。
﹁⋮⋮君は本当にこういう事が得意だよね。てっきり個人の感情で
報復に赴いたのかと思ったけど﹂
複雑そうに魔王様が呟く。ライナス殿下達も魔王様と同じような
眼差しで私を見ていた。
フェリクスや伯爵のように﹃魔導師﹄を利用しようとする者が出
る可能性があるのだ、自己防衛は必須。
⋮⋮だが。
﹁え、御礼参りは個人的な感情のままに行きましたけど﹂
﹃え゛﹄
彼等が思い浮かべるような、一般的には痛ましく思われる事情︱
︱感じ方は人其々です。私に悲壮感や苦悩なんて無いやい︱︱だけ
である筈もなく。
半分以上が﹃レッツ、御礼参り!﹄な気持ちで行なわれたことは
言うまでも無い。ついでに貰える物は貰っておこうと思っただけで
す。
伯爵〆たところで私個人が得るものって無いんだもの! 巻き込
まれた挙句のただ働きですよ、今回。
﹁折角ですから色々やっておきたいんですよ! 私がバラクシンで
ここまで自由に動ける機会なんて今後無いかもしれないじゃないで
すか。いまのうちに除草剤を巻きまくって余計な根は枯らしておき
1895
ます﹂
﹁それで枯れ果てたらどうするんだい!?﹂
﹁滅びちまえ、そんな連中。だいたい﹃仕掛けてくる﹄っていう前
提なんです、その程度で殺られるならどちらにしろ消えますよ﹂
敵の情報を得ておきたかっただけです。それ以外の理由はない。
だって、﹃面倒だから纏めて〆ればいいや﹄ってわけにはいかな
いじゃん?
⋮⋮って、何故また叩くんですか、親猫様!? 子猫の成長を喜
んでくれてもいいでしょ!?
1896
報告と彼女の言い分︵後書き︶
腕白な子猫を持つと親猫は大変です。
※活動報告にて魔導師二巻のご報告がございます。
1897
イルフェナにて
︱︱イルフェナ・騎士寮︵レックバリ侯爵視点︶
※時間的に主人公達が夜会から一旦部屋に戻った直後くらいです。
エルシュオン殿下より送られてきた簡単な報告に目を通し、思わ
ず苦笑する。
﹃夜会で動きがあれば即座に報告するよ﹄とわざわざ儂に言って
おいたのも、こちらで怒りを募らせている者達を押さえろというこ
とだろう。
この騎士寮に生活する者達ならば侯爵であり長く政の中枢に関わ
ってきた儂の言葉を無視できまい、そう見越してのことだ。
確かにそれは正しい選択だったと思う。甥であるゴードンを訪ね
るという名目もあるのだ、他者に訪問を気付かれようとも余計な不
安を煽る事にはならないだろう。
﹃若い﹄ということもあるのだろうが、ここに暮らす騎士達にと
っては主以上のものなど存在しない。それをああも軽んじられては、
怒るなと言う方が無理だ。
だが、バラクシン王はイルフェナの怒りを正しく理解したようで
あった。
極簡単に綴られた処罰は一見軽く見える為に反対され難く、当人
達にとっては非常に重いものだったのだから。
彼ら自身のこれまでが苦難という形で降りかかってくるとも言う
が。
まさに自業自得。こちらの予想通り、バラクシンの王は厳しい処
罰をしたようだった。 ﹁ふむ、これならばイルフェナも文句はなかろうな﹂
1898
満足げに頷きながら無事に収まったことを喜べば、やや不満そう
にしながらも騎士達は頷き合った。
その様子に苦笑を浮かべる。今はまだ直接本人達に何かあったと
いうわけではないので、仕方がないのかもしれない。
彼等の罰とは安堵した先に待ち構えているものなのだ⋮⋮つまり
﹃気付いた時には決定された後﹄。
周囲にも妥当と判断された処罰︱︱命に関わるものではなく、王
家から切り離す程度︱︱とあっては、異議を申し立てるなどできよ
う筈がない。
﹁エルシュオン殿下は慕われていますからね﹂
幾人かの近衛騎士が混ざる中、穏やかな声で眼鏡をかけた男が微
笑ましそうに言う。
男の名はクラレンス・バシュレ。現在、バラクシンへと同行して
いるアルジェントの義兄だ。
﹁おやおや⋮⋮その割には随分と落ち着いとったなぁ?﹂
﹁ええ。あの子が大人しくしている筈はありませんから﹂
窺うように尋ねれば、何処か含みのある笑みと共にそんな言葉を
返される。
そのままクラレンスは騎士達にちらりと視線を向け。
﹁貴方だけではなく、彼らも彼女に﹃玩具﹄を渡したのでしょう?﹂
﹁おや、何のことかね?﹂
表情を崩さずに返せば、クラレンスは益々笑みを深くした。
1899
﹁憤りながらも﹃何か﹄を期待している。⋮⋮そう見えるのですよ﹂
そういえばクラレンスは近衛の教育係も務めるのだったか、と思
い出す。
上辺だけではなく内面すら見抜き厳しく審査するこの男ならば、
騎士達の様子から何かを察するのは容易いのだろう。
尤も⋮⋮それを咎めるような様子は見られない。純粋に期待とい
うか、面白がっているようである。
﹁なぁに、大した事はしとりゃせん。ただ、向こうは異世界人を異
端扱いする可能性があるからの。対抗する術を持たせておかんと﹂
﹁なるほど、﹃情報﹄ですか﹂
﹁どう利用するかまでは知らんよ。出来る事は限られとるからの﹂
ただし、それは﹃普通に考えた場合﹄という意味だ。
自分の与えた情報は﹃苦情を言って意味がある人物﹄と﹃彼につ
いての情報﹄なので、精々が彼に﹃教会派が魔導師とイルフェナに
喧嘩を売った﹄という情報を流し警告する程度である。
ただ⋮⋮そこに黒騎士達から貰った﹃玩具﹄︱︱教会の不正の証
拠などだ︱︱が加わると、﹃奴等を黙らせろ﹄という脅迫にはなる
だろうが。
個別の情報では大した事はなくとも、組み合わせれば無関心では
いられない。
ミヅキはこういった物を組み合わせて策にするのが大変上手いの
で、間違っても単純な抗議だけでは終わらないだろう。
何よりミヅキ本人が大問題なのである。
ミヅキは魔導師、使う魔力量さえ見誤らなければほぼ万能と言っ
てもいい働きが出来る。
しかも異世界人︱︱あくまでミヅキだからという意味であって、
全ての異世界人というわけではない︱︱なので、自分にとって価値
1900
がないものに関しては全く手加減をしない。
忘れたり見逃したりした場合はほぼ間違いなく、何らかの利用価
値があるから残しただけである。本人の性格と親猫の教育の成果で、
その方向性は大変物騒な方面に成長を遂げていた。
つまり⋮⋮﹃誰が信じるんだ、そんな穏便な報復﹄と誰もが思っ
ていたりする。
といっても、我々には無害どころか頼もしい限りなので問題はな
い。
泣くのは仕掛けた連中であり、飼い主限定で﹃待て﹄ができる猫
に主が静止を命じない限りは、誰が何を言っても無駄だ。
⋮⋮殿下が言っても無駄な場合もあるのだが。まあ、子猫は奔放
なものであろう。
﹁そうですね、そういうことにしておきましょう﹂
クラレンスはそれ以上の追求をする気は無かったらしい。面白そ
うに、僅かに目を細めると話題を変えるように別の事を言い出した。
⋮⋮。
何故かその顔に黒いものが見え隠れした、ような?
内心首を傾げるも、それを表に出すようなことはしない。
﹁そういえば⋮⋮カルロッサの宰相補佐殿もミヅキに気を付けるよ
う言っていましたね﹂
﹁ほお? そういえばバラクシンに出かける前に来ておったな、あ
やつ。ミヅキと知り合いだったのか﹂
﹁ええ。逃亡中、カルロッサでキヴェラからの追っ手と揉めたそう
で﹂
﹁⋮⋮﹂
1901
あれか。
揉めたというより、喧嘩を吹っ掛けられて逆に泣かせたとかいう。
確かにあれは宰相補佐という立場の者が動かなければならなかっ
ただろう。キヴェラの追っ手達の態度が問題あり過ぎだったのだか
ら。
だが、ミヅキ達も十分問題行動をしているような気がする。拷問
紛いの手を使う娘を案じると言われても、素直に普通の心配だとは
思えない。
しかもクラレンスは対応に向かった一人⋮⋮ミヅキが決して﹃無
力な娘﹄ではないと知っているのだ。それは宰相補佐殿とて同じだ
ろう。
その二人が揃った挙句に一体何を企んだのかと、思わず生温かい
視線になりながらクラレンスに先を促せば無害そうに微笑む。
﹁彼はミヅキが殿下に懐いている事を知っているのですよ。ですか
ら、バラクシンの教会派貴族の手駒筆頭⋮⋮近衛の隊長格の一人と
彼が率いる教会派の騎士達について注意を促していました﹂
﹁ああ、あやつらの事か﹂
﹁ええ。ミヅキは知りませんからね﹂
クラレンスの言う面子を思い出し、少々頭が痛くなる。居たな、
そういえば。
教会派貴族には当然騎士になる者もいる。その筆頭ともいうべき
存在が近衛の隊長格にいるのだ。こいつは実に鬱陶しかった。
まず本人は侯爵家出身であり、その実家や有力な教会派貴族が後
ろ盾になっているような状態だ。余程の失態が無ければ降格や排除
はあの国では無理だろう。
そんな状態だからか、奴は近衛のくせに王族を見下す傾向にある
のだ。
1902
自国の王族への態度は他国の王族へも滲み出る。外交でバラクシ
ンに赴く場合とてあるのに、その態度。当然、他国の者とて不快に
思い彼等の家とは婚姻など結ばない。
結果、彼らは国内での繋がりを強くしてしまった。それもバラク
シン王家の苦難に繋がっているのだが、他国よりも自国だ。
﹁割と知られていますし、隠された情報でもありません。異世界人
であるミヅキに仕掛けてくる可能性があると、案じていたのです﹂
﹁確かにありそうじゃな⋮⋮殿下や忠犬どもに喧嘩を売るほど愚か
ではあるまいよ﹂
と言うか、単純に仕掛けられるのがミヅキしか居ないだろう。殿
下やあの二人は実家も含めて怖過ぎだ、それは十分知られている。
言いたい事が伝わったのか、クラレンスは頷く。
﹁私もあの子のことが心配でして。つい、愛用の鞭の予備を渡しま
した。今回は殿下の護衛という名目での同行ですから、武器の一つ
もあった方が良いかと﹂
﹁は!?﹂
ぎょっとしてクラレンスに目を向ける。その表情は何処までも﹃
妹のような子を案じる優しいお兄さん﹄。
﹁ああ、大丈夫です。あの子は非力な上、鞭など使った事がありま
せんから。音こそ派手ですが、威力はそれ程ありません﹂
﹁い⋮⋮いやいや! あの娘が鞭を振り回すというだけで何やら物
騒な感じがだなっ!﹂
﹁ですが、魔法よりはマシでは?﹂
思わずミヅキを思い浮かべ⋮⋮確かに慣れない鞭の方がマシな気
1903
がすると思った。
ただ、凶暴さは鞭装備の方が上だ。脅迫には十分過ぎる効果を発
揮するだろう。
﹁多少の怪我なら治癒魔法がありますし、報復やちょっとした﹃お
話﹄には十分だと思います。あの馬鹿⋮⋮失礼、無能で愚かなどう
しようもない騎士達が﹃おいた﹄をしなければ良いだけですよ﹂
そうは言いつつも、クラレンスは奴等がミヅキに仕掛けてくると
思っているのだろう。既に仕掛けてくること前提で話をしているの
だから。
何せ奴等はミヅキをアリサとかいう異世界人と同等に思っている
節がある⋮⋮その凶悪さを知らない。
さすがに他国の王族や公爵家の人間に直接手を出す真似はしない
ので、消去法で仕掛ける相手はミヅキになる。
これに殿下が抗議しようにもミヅキは異世界人、立場的には民間
人だ。しかも護衛扱いなので客ではなく、向こうの方が立場は上。
処罰が望めるはずは無い。
他国の者だろうと身分が重要視される。それが現実なのだ。精々、
口だけのお叱りがある程度。
今回はバラクシン王家がイルフェナ勢を招待した形なので、彼等
を貶めるという意味で狙うかもしれない。﹃王に謝罪させるよう仕
向けた﹄という優越感に浸る為に。
﹁王に恥をかかせる、というだけでは済まんのじゃがなぁ﹂
呆れながらも想像し⋮⋮即座に首を横に振る。駄目だ、組み合わ
せが悪過ぎる。
現実になれば、連中の行動はミヅキを知らないからこその暴挙と
も言えるだろう。王に恥をかかせることも問題だが、その弊害の大
1904
きさを全く理解していないのだから。
それくらい連中は愚かだ。繰り返すが、思い上がった愚か者なの
だ⋮⋮!
そもそも民間人一人の為に﹃殿下が抗議する﹄、﹃王が謝罪する﹄
という事態が普通におかしい。はっきり言えば﹃謝罪で済ませたか
ら報復を止めなさい﹄と凶暴娘を宥めているだけである。
ミヅキが報復行動を起こす前に連中を処罰しようにも、教会派貴
族達がミヅキの身分を盾に奴らを擁護するだろう。そうなってくる
と現実を理解している王が場を収める意味で、頭を下げるしかない。
奴等は単純にも﹃イルフェナの機嫌をとる王﹄という方向にした
いだけなのだ、﹃何故、王がそこまでするのか﹄を考えることもな
く。
そうなる過程が容易く予想できてしまい、思わずバラクシン王に
同情する。
クラレンス達が関わっている以上は﹃予想﹄ではなく、何らかの
情報を得た上での﹃実行誘導﹄だ。大変性質が悪い。
何せクラレンスの言い分は﹃彼等が騎士に相応しい態度をとって
いれば起こらない﹄という誰が聞いても納得できるもの。ただし、
被害者が規格外では結果とて変わってくる。
事実、彼等だけではなく﹃貴族は民間人に何をしても許される﹄
と考える連中はそれなりにいるし、一般的な認識だ。突き抜けた規
格外を見抜けと言うのも酷な話なのだろう。
ミヅキを知らなければ一方的に奴等が悪者で終わる。クラレンス
達はそれを理解した上でミヅキを煽った。これが悪意でなくて何で
あろう。
何か言ってきたら﹃身分制度を重視するなら王家を敬え﹄とでも
言い返す気満々と見た。寧ろ何も言い返せない奴等を見て楽しむの
1905
かも知れない。
﹁彼等はミヅキと直接会った事がありません。⋮⋮大人しくしてい
るでしょうか?﹂
﹁お前さん⋮⋮ミヅキと連中が揉める事を期待しとるな?﹂
﹁さあ? それにこれは我々の予想でしかありません。現実になる
かは不明です﹂
片眉を上げて訝しむも、クラレンスは楽しげに笑うばかり。
⋮⋮どうやら副団長様もミヅキの扱い方を覚えてきたらしかった。
完璧に﹃玩具の与え方﹄を心得ている。
それと同時に利用することも覚えたのだろう。そうでなければ今
の立場に居まい。
﹁宰相補佐殿はミヅキに手土産を貰って上機嫌で帰りましたよ。心
配してくれた人に感謝ができる子と只でさえ評判の悪い教会派貴族
と騎士⋮⋮カルロッサは彼らに対しどう思うでしょうね?﹂
﹁ほお、カルロッサを巻き込んだか。確かに今ならばミヅキを支持
するじゃろうな﹂
﹁巻き込むなど、とんでもない。ただ⋮⋮異世界人の魔導師が少々
暴れても責める国が少なくなる程度ですね﹂
クラレンスの口元が一瞬冷たく歪む。どうやら何らかの思惑があ
り、ミヅキが暴れる事を前提に根回しをしたということらしい。
魔導師だからこそ災厄だの悪だのと思われ易いが、幸いにもキヴ
ェラの件でミヅキの評価はそこまで悪いものではない。しかも今回
の非は明らかに向こうにあると認識される。
﹁その結果、バラクシン王家も彼等を駆除できるのではありません
か? あの子が暴れた後の他国の後押し⋮⋮﹃国を守る為に仕方な
1906
く﹄処罰しなければなりませんよね?﹂
穏やかな笑みの中に妹のような娘を案じるだけではないものを感
じ取り、僅かに瞳を眇める。
探るように見つめれば、眼鏡の奥の瞳が楽しくてたまらないとい
うように細められた。
そこにクラレンス達の﹃目的﹄を悟る。
﹁⋮⋮。カルロッサの宰相補佐と組んで奴等を追い落とす気か﹂
﹁我々にとっても彼等は邪魔なのですよ﹂
告げられた本音。それは随分と単純で、けれど身内さえ利用する
毒を含んでいた。全ては忠誠誓う国の為。
そしてそれは頷き賛同する自分にも当て嵌まる。
﹁確かに。他国だろうともああいった輩が居るのは困るからの﹂
﹁ふふ、教会派貴族は相当痛い目を見ることになりそうですね。そ
れに我々が何かを仕掛けたわけではありません。ほんの少し、忠告
を促した果てに結果を受け取るだけです﹂
優しげな声とは裏腹にその計画は極悪だった。ミヅキの性格を理
解しているからこその策とも言うだろう。
簡単には干渉できない他国だからこそ、その機会を逃すことなど
しないのだ。まして今回は最強の駒が居る。
近衛副騎士団長クラレンス。彼は間違いなくシャルリーヌの夫に
相応しい。
﹃混ぜるな危険﹄と言われた片割れは、片方だけでも十分過ぎる
毒である。 ﹁特に今回は徹底的に教会派を目の敵にしていますからね、ミヅキ
1907
は。次の機会がいつになるか判りませんから、ついついはしゃぎ過
ぎてしまうかと﹂
﹁はあ⋮⋮まあ、今回ばかりは止めはせんよ。お前さんの思惑にも
否とは言わん。殿下が苦労しそうだがの﹂
思わず漏れた本音にクラレンスは楽しげに頷く。
﹁殿下も随分と印象が変わりましたしね。かつては恐れを抱かれる
方でしたが﹂
そうだ、エルシュオン殿下はそれが当たり前だった。いつだった
か、ある女性がこう言っていたのだ。
﹃幼い頃、月の美しさに誘われて夜の庭へと出たのですが⋮⋮不意
に周囲の暗さと月明かりの冷たさが恐ろしくなってしまって。自分
を覗かれるような、世界にたった一人のような恐怖に見舞われたの
です﹄
﹃殿下と目が合うと何故かそれを思い出すのです。美しい方だと、
国を誰より思う方だと知っているのに恐ろしくて足が竦んでしまう﹄
魔力による威圧は本能的な恐怖に通ずる。おそらくはそれを言い
たかったのだろう。
その視線の強さに、魔力に、そして深い瞳の蒼に恐怖を抱くのだ。
まるで底の見えぬ湖に見惚れながらも引き込まれるような⋮⋮そん
な恐怖に。
だが、最近の殿下は随分と様子が違った。
はっきり言えば冗談抜きに親猫じみてきた。
いつぞや見かけた姿は本当∼に親子の猫のようだったのだ。
1908
一部を結った金の髪をゆったり揺らしながら、優雅に歩く殿下、
その傍を高い位置で一つに結い上げた黒髪を揺らしながら足早に付
いていくミヅキ。
歩幅が違う所為か、ちょこちょこと付いて行く姿はまさに﹃尻尾
を振りながら親猫の後を追う子猫﹄。
ちらちらと隣を気にする殿下も、子猫がついて来ているかを気に
する親猫に非常に似ている。
﹃血統の良い大型の長毛種が雑種の黒猫の面倒を甲斐甲斐しくみ
ているようだ﹄とは双子の騎士達の言葉だ。そうか、やはりそう見
えたか。
なお、ミヅキがろくでもない発言をすると引き摺られたり抱えら
れたりして捕獲・拉致しているらしい。
そんな姿を目撃されれば嫌でも印象は変わる。何せ傍に居るミヅ
キが殿下を全く恐れず、逆に懐いているのだから。
﹁私は殿下にとってもあの子が居ることは良い事だと思うのですよ。
あの子を間に置くことで、殿下は人と普通に接することができるの
ですから﹂
﹁⋮⋮それは殿下以上に凶暴なのが傍に居るから、と言わんかね?﹂
﹁そういった意味もあるでしょうね。ですが、親猫と子猫という表
現が想像以上にしっくりきてしまって﹂
そう言って笑いながらもクラレンスは嬉しそうだ。
殿下は苦労が増えただろうが、殿下を不憫に思ってきた者達にと
ってその変化は歓迎すべきものである。
本能的に恐れながらも慕ってきた、生まれながらの魔力の齎す弊
害に傷付く姿を見てきた⋮⋮見守る者は殿下が思うよりもずっと多
かった。
ミヅキが殿下の周辺に好意的に受け入れられるのは、そういった
事情もあるのだろう。
1909
﹁ならば殿下は今後も苦労しそうじゃのう? 今回も頭が痛いこと
じゃろうて﹂
﹁ええ。ですが総合的に見て良い方向にいくならば、いいんじゃな
いですか?﹂
﹁違いない!﹂
笑い合う自分達を見れば殿下はきっと嫌な顔をするだろう。だが、
それでもミヅキへの保護者根性は消えるまい。
悪戯盛りの子猫を持つと親猫は大変ですなぁ⋮⋮頑張ってくださ
れよ?
バラクシンで密かに苦労し、それでも見捨てるという選択肢は無
い魔王と呼ばれる青年に。
ひっそり激励と哀れみと⋮⋮喜びを覚えたことは胸に仕舞ってお
くとしよう。 ﹁ところでな。お前さんの思惑がミヅキにバレたらどうするつもり
じゃ? 利用されることに納得はするだろうが、何も告げないとい
うのは酷くないかね?﹂
﹁それはアルに頑張って機嫌をとってもらいましょう。放っておけ
ば恋人にすらなれませんし、努力を見せる良い機会じゃないですか﹂
﹁⋮⋮丸投げするのか﹂
﹁愛の鞭ですよ﹂
そんな所まで妻と同類でなくていい。そう思うのは儂だけではな
いだろう。
1910
イルフェナにて︵後書き︶
玩具を与えるのが一人だけとは限りません。
そして玩具で誘導される場合もあります。
こればかりは経験の差。
1911
珍獣VS噂の生き物
﹁⋮⋮騎士達の訓練場が見たいと言い出すとはな﹂
﹁ふふ、いいじゃない﹂
現在、バラクシン王に借りた近衛騎士さん先導で騎士達の訓練場
に向かっていたり。
アリサのことからバラクシンの騎士達には綺麗さっぱり期待して
ないが、強さはどんなものかと思ったのだ。
いや、私はアル達の鍛錬に付き合うことがあるからさ。
ちなみに今のところ一対一ならば辛うじて全勝だ。複数になると
全敗だけど。
アルは力押し、クラウスは魔術との組合せなので長期戦にならな
ければ一応勝てる。ただし﹃現時点では﹄。
何せ﹃何をやらかすか行動が読めない﹄というのが私が彼等に勝
てる要素なのだ⋮⋮この世界の魔術とはパターンが違うので勝てて
いるだけ。経験の差はでかい。
なお、一番怖いのがセイルだったりする。結界があるうちはいい
のだが、結界が壊れるや素早さを活かして急所狙い。一歩間違えば
死ぬ。しかもいつもの微笑み付き。
私と守護役達の手合わせを見る度に騎士達は言う⋮⋮﹃正しく守
護役だな﹄と。
守護役って国の命令で異世界人を押さえ込む役だもの。魔導師だ
ろうと押さえ込めることが絶対条件だし、それを見越して任命され
ている。
彼等が私に勝てる限り、役目は十分果たされているという事なの
1912
です。だから定期的な手合わせは必須。
余談だが、私が未だ勝てないのが騎士s。この二人、本能で攻撃
を避けるのだ。
私に攻撃することもできないが私の攻撃も当たらないという、大
変不毛な戦いとなるのだったり。
魔術師どころか私の天敵だな、あれは。戦いだと判っていれば危
機察知能力が発動、何故見えない衝撃波まで綺麗に避けるのさ!?
﹁ところで⋮⋮それは一体どうした﹂
ちら、とクラウスが私の腰にひっそり着いている鞭を目敏く見つ
けた。いつもの軍服モドキのベルトに引っ掛ける形で吊るしている
鞭はクラレンスさんからの借り物。
﹁借りた。﹃護衛として同行するなら武器も持たなければなりませ
んよ。魔法では対処できない場合もありますからね﹄って、クラレ
ンスさんが﹂
﹁ほお?﹂
僅かに片眉を上げるクラウス。顔には出ないが、思いっきり疑っ
ている。
﹁確かに護衛として同行するならばあった方がいいだろうが⋮⋮お
前、武器は扱えないんじゃなかったか?﹂
﹁うん、無理。だから振り回すだけって感じだね。クラレンスさん
も武器を扱えないことは判っているみたい﹂
﹁なるほど。形ばかりのもの、ということか﹂
恐らくは﹃引っ叩くよりマシ・手が痛くないように﹄的な意味だ
と思われる。まともにナイフ投げすらできない人間に威力は期待す
1913
まい。
クラウスも武器として使う事に違和感があっただけらしく、私の
説明に納得したように頷いている。
﹁そろそろ着きます。⋮⋮ですが﹂
案内してくれていた騎士さんがちらり、と視線を訓練場に向け僅
かに顔を顰める。
﹁少々⋮⋮不愉快な思いをさせてしまうかもしれません﹂
﹁ふうん? ﹃噂の人達﹄でも居ます?﹂
面白そうに尋ねれば騎士さんは僅かに驚愕を滲ませ、やがて深々
と溜息を吐いた。
﹁御存知でしたか。お恥ずかしい話ですが、騎士の中にも教会派貴
族出身の者がいるのです。彼等は自分達より身分の低い者には傲慢
に振舞う時があります﹂
﹁で、護衛として同行した他国の者にも煽るような言葉を吐く、と。
本人達が簡単な謝罪を済ませても他国からの抗議に謝罪するのは王
だもの、そういった嫌がらせも含まれてるんでしたっけ﹂
クラレンスさん情報を暴露すれば、騎士さんは悲痛な顔をして項
垂れた。自国の恥、しかも他国にまで知られていると聞けば仕方な
いのかもしれない。
まあ、元気出せよ。多分、貴方が危惧しているようなことにはな
らないからさ。
どちらかと言えば親猫様に胃薬が必要な展開の方を心配しとけ?
1914
連中が何もしなければ何も起こらないけど。
手を出されなきゃ何もしないけど。
﹃やられたら殺り返す﹄﹃報復は十倍返しが礼儀です﹄を地でい
く私が、苛められて大人しく泣く筈は無い。即座に復讐一直線。
ゼブレストではもはや常識となりつつあるこの認識をバラクシン
は未だ知らないだろう。
アリサを苛めた奴等はどうも未だに異世界人を侮っている節があ
る。だから私の被害に遭わない限りはあまり危険視されないのだ。
そして、そんな状況こそ私が大歓迎する事態だったりする。
つまり、仕掛けた時点で﹃あ∼そ∼び∼ま∼しょ∼!﹄と私に言
っているも同然!
元気一杯、笑顔で応えちゃうぞ?
そんな事を考えていたら、ぺちり、とクラウスに額を叩かれた。
痛くはないが何をする、職人よ。これは当然の権利だ、義務だ!
視線で訴えるもクラウスは疑惑の目で私を見たまま。
﹁お前、物騒なことを考えるなよ? 今回はエルの御付きだからな
?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁そっぽを向くな、拗ねるな、黙るんじゃない﹂
﹁仕掛けられなければ何もしないよ?﹂
﹁⋮⋮。まあ、そういうことにしておこう﹂
やだな、クラウス。私だって今の立場を理解していますとも。
つまり﹃相手がそれを崩すような事を言えば問題無し﹄。
異世界人って珍獣だよね∼、アリサは別種族として見られてたよ
1915
ね∼。
そんな認識がある連中が私に﹃他国の人間﹄としての扱いをする
と思う?
しかも魔法を使う魔術師は接近戦は無理というのが一般的な認識。
闘う術がある彼等が貴族ほど魔導師︱︱魔王様の同行だからこそ、
圧倒的な破壊力のある魔法を使うとは思わないだろう︱︱を恐れる
とは思えん。
夜会での氷の飛礫程度なら楽勝で避けるか壊すかするだろう。ア
ルベルダの亡霊騒動でも﹃得体の知れないもの﹄に拘った理由が﹃
騎士なら闘う術があるから﹄というものだし。
﹁あの⋮⋮できれば穏便にお願いしますね﹂
いつの間にか復活したらしい騎士さんが、顔を引き攣らせながら
お願いしてくる。 大丈夫、普通ならば何も起こらない⋮⋮起こる筈はない。
⋮⋮。
そうは思えないから、クラレンスさん達は私に情報くれたんだろ
うけどね。
視界の端でクラウスが深々と溜息を吐いたのも、ある程度は諦め
ているからなのだろう。
﹁じゃあ、行きましょうか!﹂
﹁諦めろ。何かあっても被害はそいつらだけだ﹂
にこおっと笑いながら促せば、クラウスが騎士さんの肩をぽんと
叩き哀れみの目で見た。
騎士さんは小さく﹁申し訳ありません、陛下⋮⋮!﹂と呟き歩き
1916
始める。
さて、噂の生き物はどんなかね?
※※※※※※※※※
足を踏み入れた訓練場はそれなりに活気があった。丁度、人が集
まるような時間帯だったらしい。
⋮⋮が。
彼等は大きく分けて三つのグループに分かれていた。
明らかに反目し合っている二つのグループが王家派と教会派、そ
れ以外が中立といったところか。
騎士に中立派があるというのもおかしな話だが、貴族出身だった
場合はどちらにもあからさまな態度を取れないのだろう。アル達か
ら﹃貴族は柵がある﹄と聞いているので不思議はない。
で。
ここに来た途端、彼等は一斉に私達をガン見。正しくは私とクラ
ウスを。
魔王様の威圧に慣れた身としては、なんと温い眼差しか。彼等の
視線に威圧感? ないない、そんなもの。
中立と王家派は⋮⋮警戒はしても敵意は無いっぽい。これはバラ
クシン王が事前に言い聞かせてくれていたのだろう。
⋮⋮﹃触るな、危険﹄﹃猛犬注意﹄的な意味で。
問題は教会派。何やら偉そうなのを中心に二十人ほどの騎士達は
明らかに敵意と嘲りを含んだ視線を向けていた。
その中に﹃獲物﹄を見つけたような笑みが含まれているのは気の
せいか。
﹃彼等はわざと問題行動をとって王を困らせる事もありますから⋮
1917
⋮﹄
クラレンスさんはそう言っていた。今回の魔王様の訪問はバラク
シンが謝罪する為だと言う事はもう知られているはず。
ならばイルフェナからの更なる抗議をさせるために私を狙うのか
もしれない。
これが魔王様やアル達公爵子息ならば問題だろうが私は異世界人
⋮⋮つまり民間人。
魔導師だろうとイルフェナ勢の一員であるから勝手な真似はでき
ず、身分的な問題から処罰も望めない。教会派貴族も民間人を侮辱
したところで処罰はおかしいと訴えるに違いない。
ただ、イルフェナを宥める意味で王は謝罪するだろう。それが狙
いか。
ぶっちゃけて言うと子供じみた嫌がらせ。
思わず生温かい視線になりながら彼等を見ると、視線に気付いた
のか怪訝そうにしている。
いや、その発想が悪いとは思わんよ? 君達が騎士でさえなけれ
ばね。
だって、私がキヴェラ王に対してやらかした嫌がらせと同類だも
の! あの人も国を第一にしなければならない立場だったからこそ、
謝罪とかしたわけだし。
﹁⋮⋮お前、自分を見ているようだろ﹂
﹁うん、物凄く﹂
こっそり呟くクラウスに思わず同意。
騎士、もとい貴族なのに頭のレベルが私と同じとは残念な奴等だ
な!
1918
﹁おい、そこの女。何故そんな目で私達を見ている﹂
﹁色々と思うことがありまして﹂
﹁ふん⋮⋮どうせろくな事ではあるまい﹂
そのとおり! 判ってるじゃん、大正解ですよ!
いや、ここは気付いた事を褒めるべきかな? ﹃えらいね∼﹄と。
ついでに﹃人の嫌がることは任務以外でしちゃいけませんよ?﹄
と諭せば理解するのだろうか。
私の頭の中で幼稚園児相手の会話になっているなどとは夢にも思
わず、リーダー格らしい男がこちらに近寄って来た。
﹁名の知れた魔導師だというが小娘ではないか。なんだ、守護役達
だけでは足りずに男漁りにでも来たのか?﹂
﹁な!? お二人は陛下の許可を取っての見学です! 失礼な事を
言わないでもらいたい!﹂
憤るのは私達⋮⋮ではなく、案内してくれた騎士さん。周囲の騎
士達もこの言葉にはさすがに嫌悪を露にしている。
ニヤニヤとしているのは教会派の騎士達だけ。仕掛ける割には下
種な事しか言えないのかい、お姉さんはがっかりだ。
そんな事を思っていたら案内の騎士さんを押し退けて男が正面に
立った。なので、思わず︱︱
﹁少なくとも立場を踏まえた発言が出来ない貴方達みたいな馬鹿は
要りませんよ? あと、鏡を見てから言え﹂
馬鹿正直に言ってみた。その直後、訓練場がシン⋮⋮となる。
﹁な、な⋮⋮﹂
1919
﹁あれ、もしかして自信あったんですか? やだっ、恥ずかしい人
達! 他国にさえ﹃クズが居る﹄って情報が流れているのに!﹂
﹁クズだと!?﹂
クズ発言に憤り、反応を返す男。プライドは高いらしい。
そんな彼に向かって私はきょとん、とした顔を向ける。あれ? ﹃特に隠されていない情報﹄って聞いたんだけどな?
﹁他国から見て騎士の癖に王に恥をかかせようとする奴はクズ扱い
されても仕方ないと思う﹂
﹁誰が言ったのだ、そのようなことを! イルフェナは我等を侮辱
するのか!﹂
﹁え、カルロッサの宰相補佐様。それに﹃割と有名な話﹄だって言
ってたから知られていると思いますよ? それを証拠に教会派貴族
には縁談を持ち込まないって言ってましたし﹂
確かに王に牙を剥くアホなんて一族に迎え入れたら不敬罪で一族
郎党破滅一直線よねー、と続けたら心当たりがあるのか黙った。
なお、この情報は﹃奴らが否定したら突きつけてやりなさい。事
実だから顔色変わるわよ﹄という御言葉と共に貰ったものだ。黙る
と言う事はそれなりに威力のあるものだった模様。
﹁王族ってどこでも特別じゃないですか。自国の王でさえ貶める輩
が他国の王に対してどう思うか⋮⋮なんて容易く想像つきますよね。
それに貴方達ってバラクシンを訪れた他国の人間にそれに近い発言
をして煽ってるでしょ﹂
ね? とクラウスを振り返れば﹁有名な話だと思うぞ﹂と頷いた。
﹁そういった事をする連中を国から出さないのは当然じゃないです
1920
か。ただ勝手に他国からの評価が地に落ちるだけで。バラクシンを
出なかったから気付かなかったんですね?﹂
﹃お馬鹿さんっ﹄と人差し指で男の額を突付いてみると、そこで
漸く硬直が解けたようだった。
言葉もそうだが、楽しげな私の顔に男の顔が怒りと屈辱に歪む。
﹁貴様には言われたくは無いなぁ? ⋮⋮化物が!﹂
ざわり、と周囲にざわめきが走る。
これにはクラウスさえ顔を僅かに顰める⋮⋮が、私は何処吹く風
だ。
﹁あら、異世界人ですけど?﹂
﹁得体の知れない化物だろうが! 人を人と思わずキヴェラさえ翻
弄した奴が何を言う!﹂
﹁うーん⋮⋮それでも﹃人扱い﹄をしなきゃならないと思いますけ
どねぇ?﹂
全くダメージを受けていない私に男の怒りは益々募っていく。
﹁異世界人から齎された技術を使っているのに?﹂
﹁面倒を見てやるのだ、我等に貢献するのが当然だろう!﹂
﹁傲慢ですね、貴方達には世話になっていませんけど﹂
﹁煩い! 下等生物らしく大人しく従っていればいいのだ!﹂
勢いのままに怒鳴る男は自分の言っている言葉の意味を判ってい
ないだろう。
それ、﹃教会派貴族の異世界人に対する常識﹄として受け取られ
たらどうするつもりだ?
1921
それにさ、その発想って魔道具を無理矢理作らせた大戦の元凶の
国と同じなんだけどな?
⋮⋮バラクシンが﹃かの国と同じ思想を持っている﹄とでも噂を
流されたら、かなり拙いと思うのだが。
﹁貴方は⋮⋮なんと言う事を! 取り消してください!﹂
﹁ふん、事実だろう﹂
発言の拙さに気付いたのか、その酷さに憤ったのか。案内してく
れた騎士さんが抗議するが、男はふてぶてしい態度のまま悪意を隠
そうともしない。
ふと気付くと騎士達の人数が減っている。これは⋮⋮王に知らせ
に行ったか、魔王様を呼びに行ったかだな。自分達ではどうしよう
もないと、それだけでは済まない状況だと気付いたっぽいね。
﹁おい、何とか言ったらどうだ!﹂
﹁なんとか﹂
笑顔で即答。あまりに温度差のある態度と言葉に男は一瞬押し黙
り。
﹁ふざけるな!﹂
怒鳴った。はっは、中年なんだから血圧上げるなよ。お茶目なお
返事じゃないか。
クラウスはもはや只では済まないと思っているのか無言。諦めと
も言う。
じゃあ、そろそろ始めましょうか。
時間が無いし。魔王様が来たら遊べないし⋮⋮!
1922
﹁騎士さん、彼等が私を化物扱いした事を証言してもらえますか?﹂
﹁は? え、ええ、勿論。⋮⋮処罰、は厳しいかもしれませんが﹂
突然話を振られ、それは確実とばかりに頷きつつも項垂れる騎士
さん。
すいません、報告とかお叱りを期待しているわけじゃないです。
単なる証人扱いなので気落ちせんでください、良心が痛みます。
﹁そう。⋮⋮クラウスは﹂
﹁記録しているぞ﹂
続けて聞くも、こちらはばっちり意味が通じているらしかった。
さすがだ、守護役。それができなくては私の御守りなんざ無理。
重要なのは﹃向こうが仕掛けた﹄﹃化物扱いした﹄ということな
のだが、ここでの会話を最初から記録しているならば他にも色々と
追求できる。
勿論、追求が本命ではない。私の行動に正当性を持たせるためだ。
保険は十分。では、早速!
﹁怒鳴るしか能が無いの? 底辺騎士が﹂
はっ、と鼻で笑って顎に軽い衝撃波を一発。突然の攻撃に男は数
歩後ろに下がると、顎を押さえつつも睨んできた。背後からは私が
殴ったようにしか見えないのだろう。無詠唱に特に声は挙がらなか
った。
⋮⋮あ、クラウスが呆然としてる騎士さんを避難させてる。お願
いねー、危ないから。
﹁貴様⋮⋮﹂
﹁何処に出しても恥ずかしい底辺騎士に下等生物扱いされるとはね。
1923
ああ、コネで騎士になったからまともに刃向かう勇気も無いのかな﹂
弱そうだものね! といい笑顔で煽れば男だけでなく背後のお仲
間たちも殺気を帯びた視線を向けてくる。
うん、良いぞ。君達を纏めてボコるには全員が私を攻撃しなけれ
ばならないからね。
見せしめは多い方がいい! 私もボコるなら数が多い方が楽しい!
﹁化物には少々躾が必要らしいな?﹂
﹁あら、自分達こそ必要でしょ? 躾てやるから纏めてかかってお
いで、駄犬ども﹂
﹁く⋮⋮ならば力で示さねばならんだろうなぁっ﹂
憤った男達は剣を抜く。周囲の騎士達は顔色を変えるが、私もク
ラウスも平常運転。
﹁ク⋮⋮クラウス殿! いくら魔導師といえどもあの人数、しかも
魔法は接近戦に向きません!﹂
﹁そうだな、それがどうかしたのか?﹂
﹁何を馬鹿な⋮⋮魔導師殿がどうなっても宜しいのか!﹂
慌てる騎士の言葉にクラウスはちらりと私に視線を向け、何でも
ない事の様に頷く。
﹁自分であの状況を作り出した責任というものがある。それに、あ
の程度で殺られるようならば俺達の仲間などと認められん﹂
騎士は呆然とその言葉を聞いているようだった。だが、突き放し
たようなそれは意味が全く逆だ。
つまり﹃心配する必要などないと確信している﹄ということ。そ
1924
れくらいの信頼が互いに無ければ、頼ろうなどとは思わない。
それに私達にはこの状況を恐れないもう一つの理由がある。
だって日頃の鍛錬の方が怖ぇ! あれは一歩間違えばマジで死ぬ。
私の周囲に居る騎士達は国のエリート。忠誠心MAXな連中は鍛
錬だろうと簡単に負けることがない。⋮⋮負けられない。
それが私達の日常だもの、コネ騎士ごときに負けたら説教だろう。
そして周囲をよそに私VS教会派騎士の幕が開く。
﹁後悔するなよ!﹂
そんな言葉と共に私に向かって走り出した騎士達は︱︱
パチリ、と小さな音が鳴った直後に﹃何か﹄に盛大に弾き飛ばさ
れて壁に叩きつけられた。いかん、ちょっとはしゃぎ過ぎた。ま、
死ななきゃいいよね。
あっさり終わった状況に、周囲も何があったか理解できないよう
で呆然としている。
立っている唯一の例外は罵っていた男だけ。これは意図的に外し
たのだ。
﹁な、に⋮⋮一体、何が﹂
唯一無事な男は思わず足を止め、半ば呆然と周囲を窺う。恐らく
は﹃何をしたのか判らない﹄のだろう。
魔術師相手ならば対象が定まらないよう、複数で攻めるという方
法が効果的。接近戦に持ち込めば大抵は勝てる。
男達はこれを知っていたに違いない。だから平然と私と対峙した
︱︱﹃魔法が武器ならば勝てる﹄と思って。
1925
﹁あらあら、随分と﹃か弱い﹄のね?﹂
つまらなさそうに呟いて肩を竦めると、やや怯えの混じった顔で
男は睨みつけてきた。
逃げる、という選択肢は無いのだろう。いや、プライドが邪魔を
して逃げられないと言うのが正しいか。
﹁化物って言ったでしょ、あんた達。どうして化物に﹃常識﹄が通
じるなんて思うの?﹂
﹁貴様の魔法にさえ当たらなければいいことだろう﹂
いや、実際そうだけどさ。それを成し遂げているのは今のところ
騎士sしかおらんのだが。
なお、﹃か弱い﹄発言もイルフェナ基準ならば仕方がないと思っ
ていただきたい。
騎士達、食らっても気絶しないもの。恐ろしいのは近衛の団長さ
んで﹃何となく察して構えていればダメージは受けても耐えられる﹄
ということを実行してみせた。経験と格が違う。
ただ、直後の動きはどうしても鈍るからそこが問題だとは言って
いたけど。
現に強気発言をするも男は攻めあぐねているようで、迂闊に近付
いては来ない。
⋮⋮そろそろ保護者の足音が聞こえてきそうな気がするので、敗
北してもらおう。
﹁じゃあ、私から行くね﹂
そう言って氷の飛礫を数個男に飛ばす。勿論それは全て砕かれる
が、私はそれが狙いではない。
得意げな表情をしかけた男は首筋に感じた冷たさに表情を凍らせ
1926
る。
﹁⋮⋮つ・か・ま・え・た﹂
﹁な⋮⋮﹂ 男の背後に転移し、足元からの氷結を。そして冷えた両手を背後
から男の首に纏わりつかせる。
クスクスと耳元で聞こえる声に徐々に凍り付いてゆく体、そして
⋮⋮首に絡んだ両掌。
アルベルダの亡霊騒動でボツになったトラップイベント﹃魔法で
なりきれ、雪女! ∼愛は氷より冷たく∼﹄なのだが、意外と恐怖
は与えられるらしい。元ネタが妖怪だしな。
恐怖重視のこのトラップがボツになった理由は対個人ということ
と、接近する必要があるから。
なお、背後から抱きついているようにも見えることから愛云々と
名付けたのだが、グレンより﹃両方男だったらどうするんだ、お前。
自分の幻影は男だろうが﹄という冷めた突っ込みを貰った。
⋮⋮確かに見ている方からすれば愛云々の命名は寒い。張り付い
ているのが男なら心だって別の意味で凍りつく。体も冷たいが。
﹁ふふっ化物だもの、何をしても﹃法に触れない﹄わよね?﹂
﹁なんだと?﹂
ぴしぴしと音を立てながら凍りついてゆく恐怖の中、男が必死に
口を動かす。まるで助かる術を探すようなその姿は先ほどとは別人
のようだ。
﹁だって異世界人を人扱いするのは﹃人の法に当て嵌める為﹄でし
ょ? 法に沿った刑罰があるから異世界人だろうとも妙な事をしな
い。逆に好き勝手するならば﹃正当な理由の下に﹄幽閉や処刑も適
1927
用される﹂
異世界人が人扱いされる理由ってこれなんだよね。動物や魔物に
人の法を適用しようなどとは誰だって思わない、だからこそ﹃人﹄
として扱う必要がある。
守護役が婚約扱いにされているのも人として認識させる為という
意味もあるんじゃないのか? 最低限、人扱いできる種族同士でな
ければ成り立たないだろうし。
﹁それを貴方達は無視した。⋮⋮自分達から﹃壊した﹄。拘束する
鎖を外された挙句、罪に問われないならば暴れるのは当然じゃない﹂
﹁今まで、の態度⋮⋮は﹂
﹁私は﹃イルフェナからの同行者としてこの国に来た﹄んだよ? イルフェナを不利にさせないために決まってる﹂
だから確認したでしょう? そう告げると男は完全に戦意を失っ
たように剣を床に落とす。
失言に気付いても遅い。それに化物として対峙した以上は当然︱︱
﹁狩られた獲物は狩った側に所有権があるよね?﹂
にやりと笑いながら言えば、男が青褪めるだけでなく周囲の騎士
達がドン引きした。
ええ、獲物扱いしますよ。でなきゃ好き勝手できないじゃないで
すか。
さあ、楽しい躾の時間だ。これまでの事を含めて盛大に反省して
もらおうか!
そんな私達を平然と見守るのはクラウス。
1928
一切手を出さなかったクラウスに対し、引き摺られていった騎士
さんが複雑そうに尋ねている。
﹁クラウス殿⋮⋮貴方はこれを御存知だったから手を出さなかった
のですか﹂
﹁当然だ。俺が手を出せば﹃ブロンデル公爵子息を侮辱したことに
対する不敬罪﹄として扱われる可能性も出てくる。俺と連中ではそ
れ程重い罪に問えないだろう。何故、手緩い方向にしなければなら
ない﹂
﹁⋮⋮。魔導師殿を化物扱いされてお怒りだったのですね﹂
クラウスは答えなかった。ただし、口元に薄っすら笑みが浮かん
でいる。
それはとても珍しい事であり、何故か得体の知れない恐怖を周囲
に抱かせた。傍で彼等の話を聞いていたバラクシンの騎士達も無言
で後ずさる。
職人の魔術への愛はブレない。かつて魔道具考案者を罪人に仕立
て上げた国、それと同じ発想をする輩に向ける感情が優しいもので
あるはずはなかろう。
1929
珍獣VS噂の生き物︵後書き︶
人の忠告はちゃんと聞こうね、というお話。
1930
保護者達の午後︵前書き︶
主人公のその後の前に保護者達の話を一話入れます。
1931
保護者達の午後
︱︱ある一室にて︵エルシュオン視点︶
穏やかな午後。昨夜の出来事が嘘の様に平穏に︱︱当事者達が未
だ混乱しているので時間を置くことになったのだ︱︱平穏だ。
間違ってもミヅキが傍に居ないから、という理由ではない。多分、
きっと、違う。
﹁漸く流れが変わりそうですね﹂
様々な思いを込めてそう言えば、同じくティータイムを楽しんで
いるバラクシンの王族達がやや寂しげに苦笑する。
彼等とてフェリクスを慈しまなかったわけではない。手を伸ばさ
なかったわけではないのだ。
差し伸べられた彼等の手を掴んでいれば、フェリクスには違う未
来もあっただろう。
結局は⋮⋮﹃選んだ本人の責任﹄なのだ。
今回はそれにミヅキを巻き込んだことから、ほんの少しその時期
が早まっただけ。
王家としてもフェリクスやカトリーナを野放しにしておくわけに
はいかないのだから。
﹁そうだな。貴方達にも随分と迷惑をかけた﹂
﹁その分は楽しませてもらいましたよ﹂
すまなそうな王に笑みを浮かべてそう返せば、苦笑をもって返さ
れる。
1932
私達とて楽しんだのだ、それでいい。
国同士の仲が拗れる事など我々は望んでいないのだ。
そもそもミヅキが少々⋮⋮いや、かなりはしゃぎ過ぎている。追
求されても困る、これで終わらせてしまった方がいい。
﹁今回、初めてまともに会話を交わしたが、魔導師殿は噂に違わず
恐ろしい方だね﹂
恐ろしいと言う割にその表情は呆れを含んだものだ。王の言葉に
首を傾げ、先を促す。
﹁恐ろしいでしょうか? 我々にとっては優秀な良い子ですが﹂
﹁うむ、その言葉があるからこそ余計に恐ろしく思うのだよ﹂
意味が判らず訝しげに王を窺うと、微笑ましいとばかりに笑みが
深まる。
だが、意味が判らなかったのは同席していた王太子殿下とライナ
ス殿下も同じだったらしい。
﹁父上。優秀だからこそ余計に恐ろしいとはどういうことですか?﹂
﹁いや、﹃優秀だからこそ恐ろしい﹄のではない。﹃エルシュオン
殿下達が魔導師殿を優秀と広めているからこそ恐れるべき﹄という
意味だ﹂
﹁は?﹂
益々首を傾げる王太子殿下に王は﹁まあ、経験の差だな﹂と呟く
と私に視線を合わせてきた。
﹁キヴェラの件で魔導師殿はその存在を認められたともいう。だが、
彼女は我々の知る魔導師とは違う意味で恐ろしい﹂
1933
﹁ほう、それは?﹂
感情を匂わせず聞き返せば、王の笑みは何処か探るようなものへ
と変わった。王太子殿下達はそれを悟ったのか、息を飲む。
﹁圧倒的な殺戮や破壊があったわけではない。だが、一つ一つは些
細な⋮⋮間違ってもキヴェラに致命傷を与えるような事ではないの
に、それを組み合わせて成し遂げた。それが可能だったのは何故か﹂
そこで一度言葉を切り、挑むように私を見た。
﹁実力者の国の魔王殿下や公爵家の者達が彼女を﹃優秀だ﹄と広め
ているから。だから彼女を直接知らぬ者まで賭ける気になった。策
に乗る、行動に移す、彼女の味方になる⋮⋮全ては噂を信じて﹂
﹁それはミヅキを過小評価しているともとれますよ? まるで我々
に縋ったようではありませんか。そもそも我々はあの子を守る側で
す。良い保護者だと言われているのですが﹂
﹁それも間違いではない。いや、﹃彼女を理解している保護者だか
らこそ﹄ということだろうな﹂
私の言葉に頷き僅かに目を眇めると、王は真っ直ぐに見つめ返し
てくる。
肯定しつつも微妙に別の解釈を匂わせた王の言葉に、バラクシン
の王族二人は訝しげに私を見た。
﹁確かにあの娘は最良の結果を出す為に自ら動く。だが、彼女一人
が強いというわけではなく﹃誰にも危険視されていない存在を動か
し結果に繋げることに長けている﹄。彼女一人の動きを封じたとこ
ろで予想外の方向から仕掛けられる、これでは対策の取りようがな
い﹂
1934
﹁それとどういう関係があるのでしょう? 我々がミヅキを優秀と
吹聴すればするほど、彼女は動き難くなっていくのでは? 守るな
らば命の危険から遠ざけるべきでしょう?﹂
﹁だから簡単に潰れるような教育はしていない⋮⋮﹃その信頼があ
る﹄。彼女一人に注意が向けば貴方達は動けるだろう。逆に言えば
﹃魔導師のみを危険視するあまり協力者達の存在が隠される﹄﹂
違うかね? と聞いてくる男は確信を持って言っているのだろう。
ただ、確認と他の王族に聞かせるために言葉にしているだけだ。
厄介な⋮⋮いや、こんな国だからこそそう在らねばならなかった
のか。王の言葉は実に的を射たものだった。
ミヅキは個人が圧倒的な強さを有しているわけではない。それは
守護役達やイルフェナの騎士達との手合わせで知れた。
誰にも予想がつかない策、危険視されない者達を使った方法を取
るからこそ﹃誰もが恐れる魔導師﹄となっているに過ぎないだろう。
ミヅキの役割は参加者達の代表であり司令塔なのだ、はっきり言
って。
交渉によって協力者の役割を決め、助言によって行動を促し。
また、ある時は協力者と成り得る存在の行動を予想して。
それらを組み合わせて最終的に望んだ結果を出す。彼等を使う以
上は自分が矢面に立つ、といったところだろうか。
だから自分以外に注意が向けば取れる策も限られてくる。協力者
達を押さえ込まれることがミヅキにとって一番の弱点なのだ、きっ
と。
確信が持てないのは本人が何があっても潰れない程度に強く、精
神的にも逞しいからだ。
単独で何かを企画しても、それなりに成し遂げると思うのは保護
者の贔屓目というわけではないと思う。
1935
そういう風に教育した。一人でも生きていけるようにと。
そうは言っても案じるのは保護者として当然というもの。
結果として事ある毎に﹃優秀だ﹄と吹聴する方向になった。ミヅ
キ一人なら何かあっても後見として庇えるし、集中攻撃されたとし
ても⋮⋮我々が助け出すまで持ち堪えるくらいはするだろう。
一見目立たせ危険に晒すような方法だが、ミヅキを知っているな
らば逆の意味を持つ。
あれは大人しくしていろと言ったところで無駄なのだ、ならば少
しでも動き易いように状況を整えてやった方がいい。
﹃魔導師の強さ﹄とは個人の攻撃力のみを指すのではない。﹃存
在が災厄﹄と称されるほど、彼等の行動は多種多様なのだから。
私は一つ溜息を吐くと笑みを消して王を見つめた。
﹁貴方達の﹃魔導師は優秀だ﹄という言葉を信じるならば手を出す
ことを躊躇うだろう。逆に侮れば報復される︱︱最終的には。結果
として彼女自身が恐れられる上に﹃優秀﹄という言葉も事実となる。
しかも日頃から貴方に対して従順ならば脅威とはならない。上手く
考えたものだ﹂
﹁それで? 一体何をお望みでしょうか。このことを周囲に吹聴す
ればそれなりの方法は取らせて戴きますが﹂
﹁おや、否定せんのかね?﹂
﹁今更です。気づく者は気付いている。ただ意図的に広める事は避
けたいのですよ﹂
そもそも国の上層部、もしくは王は何となく気付いてはいるだろ
う。
それを言葉にしないのは確実とは言えないから。そして⋮⋮何よ
り今後ミヅキと手を組む可能性を踏まえて。
怒らせて被害を被るより、利害関係の一致で手を取り合った方が
1936
得だ。
ただ、私達が意図的にそう見せていることにまで気付いたのは、
バラクシン王含む極限られた一部だとは思うけど。
﹁ふ⋮⋮はははっ! 心配せずとも広める気はない。貴方を困らせ
れば魔導師殿は黙っていないだろうしな﹂
それでなくても好印象を抱かれてはいないだろう、と半ば自棄の
様に続いた王の言葉に、私とアルから憐れみの篭った視線が向けら
れる。
うん、それはそうだろうね。しかも教会派貴族の所為で下手をす
るとミヅキの好感度はキヴェラよりも低い。
後が無いと言われても納得するだろう。ミヅキがこの国に対して
遠慮が無いのもそういった感情からきていると思うし。
﹁あの、そんな目で見られると非常に危機感を煽られるのですが﹂
引き攣った顔で王太子殿下が言ってくるのに対し我々は。
﹁⋮⋮お気の毒ですが﹂
﹁敵にならなければいいと思うよ。﹃今は﹄報復対象外にはなって
いるだろうから、今後もミヅキの邪魔をしなければ多分大丈夫じゃ
ないかな﹂
﹁いえいえいえ! お二人とも止めてくださいよっ!﹂
必死な声にも応えず、アルと二人で生温かい視線を送る。
がっくりと項垂れた王太子殿下には悪いが、その場合は諦めても
らうしかない。なにせ捕獲しなければ説教も何もあったものじゃな
いのだから。
そんな中、ライナス殿下は落ち着いた様子で王太子殿下の肩を叩
1937
く。
﹁諦めろ。詰み過ぎてエドワードとアリサのおかげでもっているよ
うなものだ﹂
﹁エドワード殿はバラクシンには珍しい人材でしたからね﹂
アルの言葉に思わずエドワードを思い浮かべる。
彼は⋮⋮何と言うか、バラクシンにおいて異端だった。異世界人
を異種族認定するのがバラクシンの常識だったのだ、それを仕事や
地位を捨ててまで愛妻を選んだ。
ぶっちゃけて言うと﹃変人﹄という一言に尽きる。
クラウスの魔道具の嫁より若干マシ、程度じゃないのかな? こ
の国の認識だと。
王太子殿下もそれが判っているのか、どう言っていいか判らない
らしい。しかも叔父から微妙にトドメにも聞こえる言葉を受けて若
干涙目。
と、そこへ。
一人の騎士がノックもせずに扉をぶち開けた。その表情は必死。
礼儀などを一切忘れたかのような様子に誰もが表情を立場にあっ
たものに変える。誰が見ても騎士の様子は﹃非常事態﹄だと察する
に十分なものだったのだから。
﹁どうした﹂
﹁ま⋮⋮魔導、師殿⋮⋮が⋮⋮﹂
﹁ミヅキがどうしたって? ああ、慌てなくていいから息を整えて
くれるかい﹂
1938
肩で息をする騎士に言葉をかけつつも、嫌な予感がひしひしと己
を蝕んでゆく。
ミヅキはクラウスと共に訓練場に行った筈だ。クラウスも付いて
いるし、イルフェナで問題を起こした事も無いから大丈夫だと思っ
ていたのだが。
﹁魔導師殿は訓練場の見学をしているはず。まさか⋮⋮奴等か!?﹂
思い当たる事があるらしく、声を上げるライナス殿下。だが、そ
れに王太子が首を傾げる。
﹁そこまで馬鹿ですかね、あの連中。魔導師殿のことは夜会で見て
いるでしょうに﹂
﹁いや、あいつらは騎士だからな。魔術師相手と同じに思っていれ
ば侮っている可能性もある﹂
その言葉にバラクシン勢は一斉に青褪める。否定できないとの結
論に達したらしい。
そうしている間にも騎士は息を整え膝をついた。
﹁申し上げます! 現在、訓練場にて我が国の面汚しどもが魔導師
殿を聞くに堪えない言葉で侮辱いたしまして⋮⋮﹂
﹁何を言ったんだい? ミヅキは大抵の事では怒ったりしないはず
だけど﹂
そう、怒りはしない。利用するだけで。
騎士もそれは事実だと思ったのか一瞬押し黙る。⋮⋮そして何故
か王と私を窺い、覚悟を決めたように話し出す。
﹁その⋮⋮様々な知識をもたらした異世界人に対し﹃下等生物ごと
1939
き大人しく従っていればいい﹄と傲慢にも言い切りました﹂
﹁⋮⋮事実、か?﹂
﹁は⋮⋮﹃守護役だけでは足らずに男漁りにでも来たのか﹄とも言
っていました﹂
王が辛うじてそれだけを聞き返し、周囲は一斉に固まった。
これは焦るだろう。ミヅキ個人の侮辱どころではない、下手をす
るとバラクシンという国が﹃二百年前の大戦を引き起こした国と同
じ危険思想を持っている﹄と受け取られかねないのだから。
﹁男漁りってのはミヅキ以前に守護役達への侮辱なんだけどね⋮⋮
それも理解出来ないほどなのかい﹂
﹁魔導師殿には﹃お前達のような馬鹿は要らない、鏡を見てから言
え﹄と返されていましたが﹂
﹁ああ、うん。それしか言いようが無かったんだろうね﹂
納得した、というように頷くと騎士も同じく頷いていた。彼から
見ても事実だったのだろう。
そもそも守護役は異世界人の監視役。忠誠心と実力を評価されて
任された仕事なのだ。
名誉な事ではあるのだろうし、誰も通常の婚約者という意味では
捉えない。
それを﹃ご機嫌取りの男﹄程度の扱いをすれば当然︱︱
﹁おや、我々がその程度に見られるとは思いませんでした﹂
穏やかな口調に小さく笑いを含んだような声音が響く。その声に
誰もが視線を向け、即座に逸らす。
一瞬集った皆の視線の先には、素敵な騎士様の仮面が微妙に剥が
れかかったアルジェントが居た。微笑んでいるのにその目は限りな
1940
く冷たく、微妙に剣に手を添えている。
﹁選ばれることすらない、頭の足りない無能の分際で見下すとは。
それに守護役に対する基礎知識も無いようですね、どれほど粗末な
頭をしているのか叩き割ってみたいのですが﹂
お許しいただけるのでしょうか︱︱とばかりに視線を向けられた
バラクシン王は必死にその視線に気付かない振りをしているようだ
った。視線を合わせたら承諾させられると本能で悟ったらしい。
﹁アル、殺人はやめなさい﹂
﹁私がやらずともミヅキが黙ってはいませんよ﹂
窘めれば肩をひょいっと竦ませる。自分の言葉を全く悪いとは思
っていないらしい⋮⋮いや、下手をすると本気だろう。
だが、事態は最悪の一途を辿ったようだった。﹁そういえば⋮⋮﹂
と騎士が付け加える。
﹁魔導師殿を化け物と罵っておりました。若い女性に対し酷い事を﹂
その言葉に今度は私が硬直した。正確には私とアルジェントが。
痛ましそうに騎士は顔を歪めてる。バラクシン王やライナス殿下
もミヅキに対して思うことはあれど、年頃の娘の化物扱いに顔を顰
めていた。
言葉だけならば酷い事という程度なのだろう。だが、今回ばかり
は案じる方向が彼等とは違う。
1941
﹁ミヅキは⋮⋮怒りましたか﹂
﹁え? いいえ。そういえば何故か楽しげにしていらっしゃいまし
たね﹂
﹁⋮⋮。君、どこまで見ていたんだい? ミヅキは報復していた?﹂
﹁いえ、私は連中が魔導師殿を侮辱し剣を向けたところでこちらに
向かいましたので。⋮⋮そ、それどころではございません! いく
ら魔導師殿とはいえ、近衛に属する者複数を同時に相手にするなど
っ﹂
終わったな、そいつら⋮⋮!
ちらりと視線をアルに向けると、先ほどまでの怒りが綺麗に消え
ている。おそらく、ミヅキの狙ったものが予想できてしまったのだ
⋮⋮﹃自分が出る幕は無い﹄と。
そして騎士の言葉に焦ったのはバラクシンの王族達。気の毒なく
らい顔色を変えてこちらを見ていた。
⋮⋮。
これは事情を説明した方がいいだろう。
﹁判った、報告に感謝するよ。⋮⋮お茶を飲み終わったら行こうか、
アル﹂
﹁そうですね。少々残念ですが﹂
﹁何を呑気な事を言っているのだっ! 貴方は彼女の保護者だろう
っ!﹂
ぎょっとして声を荒げたのはライナス殿下。私の認識が後見から
保護者になっているようだ、いや慌て過ぎて本音が出たというべき
か。
他は私とアルの会話に絶句している。感情を表に出さないのが常
の彼等にとっても衝撃的だったようで、目を見開いていた。
1942
﹁保護者ですよ。ですから今は好きにさせておくのです⋮⋮手遅れ
ですから。よりにもよって﹃化物﹄ね、無知ゆえの暴挙か﹂
﹁は? あの、それは一体どういう⋮⋮?﹂
意味が判らず困惑を滲ませたライナス殿下に、私はやや引き攣っ
た笑みを向けた。
﹁異世界人に守護役を﹃婚約﹄という形で認めさせる本当の理由。
それは﹃人の法を適用させる為﹄なのですよ。異世界人に気付かれ
ても困るので表向きは契約関係にしない為だと伝えられますけどね﹂
﹁え゛﹂
ぴしっと空気が凍った。
﹁ああ、やはりこの国ではそういった事情は伝えられていなかった
のですね? ﹃婚約関係になれる程度の種族差﹄であれば当然法も
適用される⋮⋮﹃人としての在り方を求められ、それに外れれば処
罰される﹄。それが守護役が婚約者とされる、この世界側の理由な
のですよ﹂
ミヅキには﹃身分差に関係無く一方的な破棄ができるように﹄と
伝えたが、こちらの方が主な理由だ。でなければ多くの国が賛同す
るわけがない。
守護役制度は異世界人優遇というわけではなく、まさに﹃世界を
守る為﹄でもあるのだ。異世界人が我々を人扱いしない場合とて考
えられるのだから。
﹁勿論、ミヅキにはそれを伝えていません。伝えてはいません、が
! あの娘は言葉の粗や教育されたこと、それに加えて伝えられて
1943
いない情報すら抜け道として利用するのですよ﹂
﹁ふふ、ミヅキならば﹃化物扱い﹄された時点で気付いていたので
しょうね。﹃化物ならば人の法で裁けないから何をしても問題には
ならない﹄と﹂
﹃な!?﹄
バラクシン勢が声を上げるが私は生温い気持ちで彼等を見つめる
ばかり。
一度口にした以上はその連中がどんな目に遭おうとも処罰されま
い。いや、連中の問題発言があり過ぎて処罰するわけにはいかない
のだ。国として追求されても困るだろう。
ここは切り捨ててもらうしかない。魔導師に喧嘩を売った時点で
未来は決まったも同然だ。
ただ⋮⋮それがミヅキという非常に性質の悪い魔導師なので、楽
な報復では済まないだろう。
﹁そういえばバラクシンは異世界人を異種族と思う貴族が大半でし
たね。それを考えれば、守護役が何故婚約者とされるのかを知らな
いと気付くべきでした﹂
﹁あ、ああ。私は初めて聞いたな﹂
﹁おそらくは内部のゴタゴタと長年異世界人の保護国とならなかっ
た事により、情報が失われてしまったのでしょうね。⋮⋮そもそも
普通はそんな事情を知らずとも異世界人は法を犯そうとはしません
し﹂
人としての自覚があるなら。そう暗に付け加えると王はいっそう
顔を引き攣らせた。
普通は自分を﹃人﹄として認識するが故に、異世界人本人が無意
識にこの世界の法に自分を当て嵌める。誰だって自分を異端︱︱化
物だとは思いたくはないだろう。
1944
それを﹃やりたい放題の許可得た! 鎖は外れた!﹄と受け止め
るミヅキが規格外なのだ。いや、本人は事情を判っていて意図的に
それを利用しているのだが。
﹁今回は諦めてください。ミヅキの報復⋮⋮彼等だけで済めばいい
ですね﹂
﹁クラウスが付いていますから、大丈夫だとは思いますが﹂
幼馴染を信頼しているアルが口を挟むが、私は緩く首を横に振る。
﹁アル。魔術至上主義のクラウスが、魔道具考案者を罪人に仕立て
上げた国と同じ考えを持つ輩を許すと思うかい? 意図的にミヅキ
を止めなかったのだと思うよ﹂
﹁ああ⋮⋮それもそうですね。ですが、ミヅキの事ですから口にし
た連中だけに留めるでしょう﹂
﹁いや、それを見ている騎士達がトラウマになりそうだなと思って
ね﹂
そう言うとアルは﹁確かに!﹂とばかりにポン、と手を叩き納得
する。⋮⋮納得しただけで動こうとはしない。
どうやらアルも微妙に怒りが継続しているようだ。諌める気はな
いらしい。
﹁気分を落ち着けてから向かいましょう。大丈夫です、殺してはい
ません。死んだ方がマシな目には遭っているかもしれませんが﹂
私の提案にバラクシンの人々は深々と溜息を吐き。伝えに来た騎
士は力尽きたかのように暫くその場を動こうとはしなかった。
⋮⋮アルが妙に楽しそうに見えるのは気のせいだと思いたい。
1945
保護者達の午後︵後書き︶
親猫達が主人公を褒める理由。単なる親馬鹿に非ず。
⋮⋮ただし本人は別方向に元気一杯。
1946
惜しまれる存在ならば 其の一︵前書き︶
長くなったので、分けます。
1947
惜しまれる存在ならば 其の一
バラクシンの騎士達が集う訓練場。
普段は暑苦しい野郎どもが集うそこは、今や異様な雰囲気に包ま
れていた。
﹁ほらほら、満足に習った事もできないの? 本っ当に無能なのね﹂
﹁ぐ⋮⋮貴様、がぁっ﹂
反論を押さえ込むように手にした鞭でピシリ、と頬を叩く。
クラレンスさん曰く﹃ミヅキは非力ですし、扱い方を習ったこと
もありませんから大した威力はないでしょう﹄とのことだったが、
やはり引っ叩く程度の痛みしかないらしい。
まあ、それでいいんだけどね。一撃で落ちてもつまらないから。
強く振ればもう少し威力が出るだろうし、脅しには十分だろう。
現在、獲物達のリーダー︱︱もとい、喧嘩を売って来た騎士は跪
いて項垂れている。
謝罪の仕方も知らないみたいなので、土下座を躾中なのだ。
自分が悪かったら﹃素直にごめんなさい﹄は基本。
異世界だろうと謝罪は普通にあるに決まっているじゃないか。
人として当然のことすら理解できない頭なら痛みと共に体に覚え
させねばなるまい。
そんな使命感を覚えて教えてみたのだが、やはり無駄なプライド
が邪魔するのか素直にやろうとしなかった。
1948
きつく睨みつける視線に呆れた目を向け、鞭を男の顎の下に差し
入れてその顔を上げさせる。
﹁お馬鹿なのもいい加減にしてくれない? あんたは負けたの、敗
者なの、私に狩られたの! まったく、自分で仕掛けておいて見下
す、ねえ? そっちがその気ならもっと酷い事をしてもいいけど?﹂
﹁ぐ⋮⋮貴様、などに。貴様ごときに⋮⋮!﹂
その言葉に顎から鞭を外し、辛うじて体を支えていた男の腕を鞭
の一閃で振り払う。
びたん、と腹から落ちた男は呻くが私はその体を片足で踏みつけ
た。
﹁あ? 貴様⋮⋮?﹂
すい、と目を眇めて聞き返すも男からの言葉はない。
その代わり大きく体が跳ねた。体が震えているのは屈辱か、それ
とも恐怖ゆえか。
どちらにせよ誰が見ても﹃支配者はどちらか﹄はっきり判る光景
だろう。
﹁ま⋮⋮魔導師殿っ! お疲れでしょうから椅子をどうぞ!﹂
﹁あら、ありがとう﹂
なにやら怯えながらも簡易の椅子が一人の騎士から提供された。
お礼を言うとぶんぶんと首を盛大に横に振られ、即座に離れて行く。
ありがたく座らせてもらおう⋮⋮どれくらいかかるか判らないか
ら。
まあ、ぶっちゃけ﹃椅子に座っていればそこから動かない=自分
達の安全確保﹄っていう思惑なんだろうな。
1949
大丈夫、安心してくれ。私が好き勝手できるのは連中だけだ。
なお、他の連中は叩き起こした後に立たせて腕を含めた胸のあた
りまで氷で覆ってみた。
非常に軽い罰だが死んでも困る。できれば﹃国のために仕方なく﹄
という大義名分の下、バラクシン王直々に処罰してもらいたい。そ
の方が家ごと処罰できそう。
と、言っても連中には既に気力は無さそうだ。
﹁ミヅキ、先ほどのことは本当なのか?﹂
ちらりと連中に視線を向けるとクラウスが話し掛けてくる。 クラウスの言う﹃先ほどのこと﹄⋮⋮それは私が彼らに向けた言
葉だった。
体を凍らせ身動きできない状態での﹃ためになるお話﹄の講義開
催。
ただでさえビビってる連中相手に﹃人間の体って脆いんですよ?
少しの体温の変化に耐えられないほどに﹄と一般的な常識を伝え
てみたり。
すなわち⋮⋮﹃体温下がり過ぎたら死ぬかもね?﹄と恐怖のみを
伝えてみた。正確に言えば現在進行形で爆上げされつつある魔導師
への恐怖に上乗せ。
いや、実際に人の体って平熱から六度ほど前後するだけで命の危
機だからね? 嘘は言っていない。
ボコられなくても迫っている命の危機は教えておくべきだと思っ
たのですよ、僅かばかりの良心と多大なる悪戯心から。
判りやすい例として﹃貴方達だって野営で肉を調理するでしょう
? 大した温度じゃなくても色が変わったりするじゃないですか、
あれと同じです﹄と言ってみたら理解できたようだ。
1950
極度に﹃熱い﹄﹃冷たい﹄というものが命に関わるとは知ってい
ても、その程度ですら命の危機に陥るとは知らなかった模様。
その後、すっごく怯えて必死にもがきつつ命乞いされたけどな!
⋮⋮実は彼等の服と氷の間には薄い空気の膜があったりするのだ
が。でなければ極僅かとはいえ、動けるはずなかろう!
そこらへんに気付かないあたりが﹃お馬鹿さん♪﹄と言われる所
以だ。凍りついてたら動けるはずないじゃないか。
勿論、善意からではない。気付く奴は気付くもの、報告するなら
その方が笑いを取れると思ったからである。
﹁人間の体が体温の変化に弱いってこと? うん、本当。最悪死ぬ﹂
﹁それでもあの状態なのか?﹂
﹁うん﹂
呆れた目を連中に向けるクラウス︱︱哀れみなどは一切ない︱︱
の言葉にも迷いなく頷く。
だって、そろそろ保護者様方が来そうだしねぇ⋮⋮気絶してたら
つまらないじゃん?
そんな会話をしていたら、扉が開いて保護者様一同が到着。随分
とゆっくりしていたようだ、立ち上がってひらひらと手を振ってみ
る。
魔王様は一目見て連中の状態を察し溜息を吐くと、つかつかと私
に近寄り。
﹁この、馬鹿猫!﹂
﹁あたっ﹂
頭を叩いた。酷いですよー、私は被害者。当然の権利です!
恨みがましく見つめても魔王様は﹁文句があるかい?﹂と言わん
ばかりに平然としてらっしゃる。
1951
﹁その⋮⋮魔導師殿。我が国の騎士が迷惑をかけた﹂
おそるおそる⋮⋮といった感じでバラクシン王が謝罪する。
ふーん? 知らせに走った騎士から連中の暴言を聞いたな?
でなければここまで会話がスムーズにいくはずはない、失言の拙
さが国単位だと理解できているのだろう。
私は敢えて笑みを浮かべてパシッと鞭を自分の掌に軽く打ち付け
た。
﹁ふふ、化物扱いされましたから。彼等限定で私が何をしても処罰
されませんよね?﹂
﹁そ、それは﹂
﹁されませんよ、ねぇ⋮⋮?﹂
向けた威圧か鞭が怖いのか、バラクシン王は青褪めた。
そこに魔王様の声が割って入る。その指先は私の持っている鞭を
指していた。
﹁ミヅキ。それ、どうしたの﹂
﹁クラレンスさんが貸してくれました! 護衛として行くなら武器
があった方がいいって﹂
手首だけで振って見せると魔王様は﹁クラレンス⋮⋮!﹂と呟き、
それはそれは深い溜息を吐いた。
鞭が必要かはともかく、クラレンスさんの言い分は間違っていな
いので怒れないらしい。
﹁さすが義兄上です! 武器を扱えないミヅキにもそれなりに使え、
ダメージも大した事がないと踏んで鞭を選ぶとは⋮⋮!﹂
1952
対してアルは大絶賛。アルの言葉により周囲の騎士達に﹃そうい
や魔術師って非力だもんな。似合うとかじゃなく、そういった意味
で貸したのか﹄という雰囲気が広がる。
⋮⋮言葉にせずとも表情が語っているの。さっきまでは﹃誰だ、
あの女に滅茶苦茶似合う武器渡した奴は!?﹄な目で見られていま
したからねー、私。
﹁アル、君は別方向に絶賛してないかい?﹂
﹁そんなことはありません、義兄上のセンスに感動しているだけで
すよ﹂
﹁それ、﹃バシュレ家に相応しい逸材﹄って意味だろ﹂
﹁勿論です! 素晴らしい逸材だと我が家では絶賛されていますか
ら、彼女﹂
きっぱり言い切ったアルに、魔王様は頭痛を耐えるように額に手
を当てた。思わず私も生温かい視線を向ける。何それ、嬉しくない。
初耳だ。
意味が判らん人々は﹃武人の家系バシュレ家﹄として受け取った
ようで納得しているが、実際はSな属性のことだろう。実力者の国
の真実が伝わる日は遠い。
﹁ですが、ミヅキ本人の報復を抜きにしても少々許し難いですね﹂
﹁すまない。君は彼女に好意をもっていたな⋮⋮暴言については深
くお詫びしよう﹂
ライナス殿下がアルに謝罪すると、アルは﹁いえ、御気になさら
ずに﹂と簡潔に返す。
ただし剣呑な視線は転がった男に向けられたまま。ライナス殿下
達もそれ以上は言えず、気まずげに目を伏せる。
1953
ただし、イルフェナ勢からはアルに生温い視線が集中した。
﹃お前は奴を羨ましく思っているだけだろ、代わりたいんじゃない
のか!?﹄
心の声が綺麗にハモっているのは気のせいじゃない気がする。
それでも見た目は﹃国と婚約者を侮辱され怒りを抑えきれぬ美し
い騎士﹄に見えるのだから、顔は確かに外交上で有効なカードなの
だろう。
あの、バラクシンの皆さん? 申し訳無さそうにしなくていいか
らね!?
だが、そんな心の声が聞こえるはずもなく周囲は一気にシリアス
モード。間違っても真実を暴露できない空気に魔王様が視線で﹃何
も言うな﹄と指示を出す。
⋮⋮誤解に次ぐ誤解にイルフェナという国の真実は更に遠ざかっ
たようだった。
﹁⋮⋮で。そこで凍り付いているのは一体何故そこまで怯えてるの
かな?﹂
﹁え、状況を理解できるよう﹃ためになるお話﹄を聞かせてあげた
だけですよ? こんな風に﹂
話題を変えるような魔王様の疑問に、彼らの傍に近寄って一人の
喉元に鞭を突きつけ顔を上げさせる。
﹁人の体って意外に脆くてね、体温が六度以上下がると命の危機な
のよ﹂
わざとらしく、にこりと笑い。
1954
﹁貴方達、大丈夫かしら?﹂
数歩歩いて別の人に狙いを定め、先ほどと同じように鞭を突きつ
け顔を上げさせる。
﹁内臓まではいかなくてもね、手足が凍傷になってしまう場合もあ
るの﹂
再び無邪気に笑い。
﹁今解除して、手足はちゃんと動くかな?﹂
連中は鞭を突きつけられたのが自分でなくとも恐ろしいらしく、
全員涙目だ。
バラクシン王が居るのは見えているから、相当精神的にボロボロ
なのだろう。
そこまでやると、私は再び魔王様の傍に戻り。
﹁⋮⋮という感じでお勉強を兼ねた脅迫を﹂
﹁脅迫は止めなさい、脅迫は! 奴等以外も怯えているだろう!?﹂
﹁⋮⋮あ﹂
あら、ほんと。自分じゃなくとも﹃体が無事だといいねえ?﹄な
脅迫は普通に怪我をするわけじゃないから怖いみたい。
と言うか、実行しているのが異世界の魔導師なので得体の知れな
い恐怖なのだろう。つまり﹃貴方の知らない未知の恐怖﹄に怯えて
口を挟めなかった、と。
﹁大丈夫ですよ? ちゃんと生かしますって。狩った獲物は生きて
いなければ使い道がありませんし﹂
1955
﹁いやいや、獲物って何かな!?﹂
﹁主に使い道は人体実験。何事も尊い犠牲が必要ですが連中ならば
罪にもならず、私も心が痛みません﹂
だって自分達から﹃私が法に触れない﹄って明言しましたから!
と明るく言い切ると、さすがに諌めようがないのか魔王様も押し
黙る。
勉強不足は彼らのせい。少なくとも他国からの客に対して騎士に
相応しい態度をとっていたら問題は起きなかった。
誰が聞いても私は被害者。報復で向こうが涙目になってようとも
私が被害者。
﹁猫だって狩った鼠を玩具にすべく、簡単には殺しません。私が同
じ事をしても不思議はないでしょう?﹂
﹁ですが、彼等を生かしておく価値がありますか?﹂
魔王様達を納得させるべく言葉を続けていると、アルから突っ込
みが入る。
思わずぎょっとするバラクシン勢。何かあったのだろうか? 妙
に怯えてるみたいだけど。
﹁いやぁ⋮⋮保護者にも来てもらわなきゃならないし﹂
﹁ああ、一族郎党滅する気なのですね!﹂
なるほど、と笑顔で言い切るアルに私も似たような笑みを返す。
こいつらを〆たところで﹃お馬鹿な﹄︵重要!︶教会派貴族はま
だ残っているのだ。それを一掃するくらいに盛大な事をしなければ
魔導師として情けないじゃないか。
﹁災厄の名に相応しいでしょ?﹂
1956
﹁確かに。結果的にはバラクシンのためでもありますしね﹂
にこやか、和やかにろくでもない会話をする私達に魔王様とクラ
ウス以外がドン引きした。
やだなぁ、災厄の婚約者になりたがる奴が普通であるはずないじ
ゃない!
さすがにそのままにはできないと思ったのか、バラクシン王がや
や顔を青褪めさせながらも提案する。
﹁保護者、つまりそいつらの家の家長を呼び出せばいいのかね?﹂
﹁ええ! 何か言い分があるかもしれませんし? じっくり、詳し
く言い訳してもらいたいですね。どうせ今回の処罰って家単位でし
ょうし﹂
﹃発言の拙さに気付いてますよ﹄な私の言葉に王も頷く。
何せ私の交友関係は他国上層部にほぼ限定されている。うっかり
彼らにバラされた日には冗談抜きに国の危機だ。
そういった意味でも魔王様も聞いているこの場で﹃処罰する意思
があること﹄を明確にしておきたいのだろう。
﹁では部屋を用意しよう。この者達は⋮⋮﹂
王は嫌悪を滲ませながらも凍りついている騎士達に視線を向ける。
と、その時︱︱
﹁このような行いを許すのですか! 民間人ごときに我が国の貴族
が侮辱されたのですぞ!﹂
転がっていた物体が声を上げた。
まあ、ある意味間違いではない。ただし、﹃私が異世界人ではな
1957
く、彼らが失言をしていなければ﹄。
事態に気付いている人達は嫌悪を露にし、中には蔑みさえ含まれ
ているようだ。ただ、王は男の言葉に未だ認識のズレがあることを
理解したらしい。
﹁貴様達の魔導師殿に対する暴言。あれは二百年前の大戦を引き起
こした国と同じ思想だ。それを見逃せば危険思想を持つ国という認
識は免れまい。まして今我が国には異世界人が居るのだからな﹂
﹁な⋮⋮﹂
漸くその事を理解しかけた男に王は更に畳み掛ける。
﹁いいか、守護役制度が婚約になっているのは﹃異世界人を我らの
法に当て嵌めるため﹄だ。貴様らは自らそれを否定した。国の為と
言うなら、お前達に限り魔導師殿の行動を咎める事などできんのだ
!﹂
強い口調で言い切られた内容に男だけではなく凍りついている連
中までもが青褪める。漸く身分制度が何の意味もない事と一族郎党
が処罰される可能性を実感したらしい。
まあ、本人だけってのはありえんよね。そういう教育をされたっ
て思われるだろうし。
に、しても。
ああ、やっぱりそういう﹃この世界側の事情﹄もあったのね? 魔王様に視線を向けると軽く頷いて肯定する。
私の場合は守護役連中と和気藹々としているので忘れがちだが、
彼らは監視役だものね。何の問題もなければ監視役なんてつかない
だろうよ。
﹁君達は理解していなかったみたいだけど常識だよ? それにね、
1958
これまでの態度からも他国から擁護は出ないだろう﹂
呆れを多大に含んで魔王様が言えば、男は悔しそうに魔王様を睨
みつけ︱︱ごく小さく﹁魔王が﹂と吐き捨てた。
即座に反応したのは私、アルの二人。クラウスは距離があるし、
バラクシン王は聞こえなかったのだろう。突然動いた私達にぎょっ
としたような表情になる。
私は体を起こしかけていた男の両腕を鞭でなぎ払い頭を踏みつけ。
アルは剣を抜いて踏みつけられた男の首筋に突きつける。
﹁誰が発言を許可したの? 国の面汚しの底辺騎士は無様に転がっ
てろ、穢れるから私の保護者に視線を向けるな﹂
﹁騎士の前で主を侮辱するとは⋮⋮よい度胸です﹂
﹁治癒魔法は得意だから安心して? 保護者との話し合いまでに﹃
とりあえず﹄体が見れる状態であればいいもの、何だったら手足切
り落として生えてくるか試そうか?﹂
﹁ああ、それは楽しそうですね。治癒魔法の限界に挑戦させましょ
うか﹂
ギリギリと踏みつけた足に力を込めながら無表情で言う私に、妙
に迫力のある笑みを浮かべて賛同するアル。
クラウスも事態を察したのか凍りついている連中にいつでも魔法
を撃てるようにしているらしい。高まる魔力の気配に魔力持ちらし
い騎士達が顔色を変えて王の傍に集っている。
誰が見ても本気だと判る状況に尤も慌てたのは︱︱何故か魔王様
だった。
﹁やめなさいっ!﹂
﹁やです﹂
1959
つん、とそっぽを向くと魔王様は近寄ってきてぺしっと叩いた。
ええ∼、悪者私かよ!? だが、見慣れたその光景にアルとクラ
ウスは一応殺伐モードを解除したようだ。怒りは未だ継続中のよう
だが、主の言葉に従うらしい。
﹁君達が怒るのは嬉しいけどね、この場は抑えなさい﹂
不満たっぷりの視線を向けるも魔王様はがしがしと頭を撫でるだ
け。あれか、もしや猫をとりあえず撫でて落ち着かせる的な意味か。
⋮⋮バラクシン勢は呆気にとられているけどな。魔王様の私の扱
いに加え、私までもが﹃待て﹄に従ったことが意外だったらしい。
でも足は退けない。今もギリギリ継続中。呻き声は無視です、無
視。
﹁⋮⋮これ以上の失言をさせないためにも行動した方が良くありま
せんか?﹂
﹁そ、そうだなっ、すぐに呼びつけよう﹂
突如魔王様に話を振られ慌てるも、王もそれが最善と判断したら
しい。即座に部屋の手配と保護者どもの拉致を手配してくれた。
ちなみに意訳ではない、本当に﹁拉致して来い﹂と言った。本音
が出てますね。
﹁そいつらは⋮⋮﹂
騎士達に運ばせよう、とでも続くはずだった言葉を私は笑顔で遮
る。
﹁こいつだけ代表として私が引き摺って行きますから、主な保護者
1960
の招集と案内だけお願いします。他の連中はここに置いておきます
から﹂
﹁そのまま、かね?﹂
﹁ええ! 仮にも騎士ですから体を鍛えているでしょうし﹂
連中が縋るような目を向けてくるも華麗にスルー。口を開かない
のは目の前で﹁許可なく口を開くな﹂と言われた例があるからだろ
う。学習能力はあるようだ、めでたい。
﹁ですが、女性には重いと思いますよ?﹂
案内してくれた騎士さんが心配してくれるけど、それも問題はな
い。
﹁コルベラで簀巻きにされた王太子を引き摺りまわした挙句、吊る
したのは私ですよ? 軽くする方法があるので問題ありません﹂
﹁は、はあ⋮⋮﹂
騎士さんは納得したというよりも﹃何それ怖い﹄と顔で語ってい
る。そして私はちらりと転がった物体に視線を向けながら、更に付
け加えた。
﹁ですが、ちょっと手が滑って⋮⋮落としてしまう事があるやもし
れません。責任を持って運びますから気になさらないでくださいね
?﹂
﹁え゛﹂
﹁御気になさらずに﹂
ルーカス君達も何度か落としたものね、私。今だけドジっ子設定
で宜しく。
1961
当たり前だが落としても良心は全然痛まない。寧ろ階段とかでは
手を離した挙句にうっかり蹴飛ばしたい。
この場では収めたけど、この程度で済ます気は最初から無いのだ。
保護者を呼んでもらってからが本番です、保護者が居る限り同じ事
の繰り返しだろう。
娯楽に溢れた世界を嘗めるなよ?
二度と教会派なんて名乗れないようにしてやろうじゃないか。
でもさっきの魔王発言︱︱愛称ではなく、化物的な響きだった。
だからアルも動いた︱︱を許す気もないわけでして。
保護者がくるまでちょっくら恐怖の運搬作業と行こうじゃないか。
邪魔は許さない。
﹁ふふ、まだミヅキもお怒りなのですね﹂
﹁当然! 結界張って運ぶからダメージ無いし恐怖だけだよ。アル
も何かやったら?﹂
﹁貴女の近くに居れば偶然こちらに来る事もありそうですね。その
際にはつい日頃の癖で反撃してしまうかもしれません﹂
﹁騎士だから仕方ないんじゃない?﹂
﹁そうですね、仕方ないですよね﹂
復讐の機会とは窺うものではない、自分で地味に作り出すものだ。
1962
惜しまれる存在ならば 其の一︵後書き︶
報復は保護者を交えてからが本番です。
1963
番外編・ヒルダ嬢その後︵前書き︶
忙しかったので、今回は番外編です。
1964
番外編・ヒルダ嬢その後
﹁昨夜はお疲れ様でした﹂
﹁そう言うなら味方してよ﹂
﹁はは、あの状況でエルを諌めることなどできませんよ﹂
夜会︵とその他の騒動︶から一夜明けて。
昨夜遅くまで続いたお説教に愚痴を零しつつ、アルと城内を歩く。
別に遊んでいるわけではない。ある意味、教会派貴族達の行動を
探っているのだ。
私の予想通りの行動をとるならば、魔王様が傍に居ない時を狙う
はず。
かと言って単独行動などできるはずもないので、見た目優しげな
アルを連れて囮になっているのだ。
いやはや、バラクシンの皆さんの反応が楽しいこと! 特にアリ
サを苛めていた︱︱悪し様に言う事を含む︱︱自覚のできた侍女達
は真っ青になって何故か私に言い訳をしてくるし。
謝罪じゃないよ、あれは言い訳っていうんだ。
﹃そう聞いていたんです! いつもの噂だと⋮⋮孤立させる気なん
てありませんでした!﹄
こんなことを言われて信じるかと言われれば、大抵は否と答える
だろう。
元凶はアリサが守護役達に囲まれていることに嫉妬したアリサ付
きの侍女達だろうが、同調した者も同罪だ。
侍女として考えれば、世話をする相手から信用されないなど明ら
かにおかしい。特に異世界人という特殊な立場なら、同性として最
1965
も頼れる存在となるはずである。
それに失敗や悪評を他者に流すなど、侍女としては最低どころか
下手をすれば処罰ものだ。それに疑問を抱かず、容易く信じる輩が
﹃悪気はなかった﹄だと?
悪意がないなど信じられるはずはないじゃないか。彼女達の言い
分は単なる責任転嫁でしかないのだから。
﹃貴女達が個人的な感情から彼女を嬉々として貶めたことは事実で
す。バラクシンという国は侍女の教育すらまともにできないのです
ね? 罪悪感を抱き反省するどころか、この期に及んでまだ自己保
身の言い訳しかできないのですから﹄
常識がない国なのね、だから他国から縁談こないのよ、恥にしか
ならないものー⋮⋮などと地味にいびってやったら涙目で去ってい
った。
アルも冷たい目でずっと見ていたので、﹃縁組したくない常識知
らず﹄という言葉が深く突き刺さった模様。美形の威力は恐ろしや。
だいたい集団でアリサをいびっていたくせに、この程度でビビる
な。
私は﹃該当者は敵﹄という考えを覆すつもりなど一切無いのだか
ら、媚びたり言い訳したりすれば敵認定が強まるだけだ。
勿論、彼女達の行動は王に報告しておきますとも。軽率な行動を
して国に迷惑をかけたと叱られてしまえ! そんなことを歩きながらアルと話していると前方に昨夜見たヒル
ダ嬢発見。彼女は一人ではなく、傍には男性が居た。なにやら必死
に説得している、ような?
﹁ヒルダ嬢、だよね?﹂
﹁そのようですね⋮⋮込み入った話をしているようですが﹂
﹁うーん⋮⋮助けた方がいい?﹂
1966
﹁少々迷いますね。困ってはいるようですが、悪意があるとかでは
なさそうですし﹂
アルと顔を見合わせて首を傾げる。昨夜の行動から私達の中で彼
女に対する評価は高い。困っているなら助けてあげたいところだ。
⋮⋮が。
逆に男性の方が私達に気付き声をかけてきた。
⋮⋮ええと? どなた様、ですか?
﹁魔導師殿! 良い所でお会いしました、貴女からも説得していた
だけませんか?﹂
﹁は?﹂
﹁ちょ⋮⋮殿下、卑怯ですわ!﹂
﹁殿下ぁ!?﹂ 男性を批難するヒルダ嬢の声に私の驚く声が続く。
殿下? 殿下って言ったよね、今。
思わず男性をガン見する。
﹁あの∼⋮⋮失礼ですが、名乗っていただけると助かります﹂
﹁おお、失礼しました! この国の第三王子でレヴィンズと申しま
す。普段は騎士団に所属しておりますのでご挨拶が遅れました。⋮
⋮弟が御迷惑をお掛けして本当に申し訳ない﹂
﹁私も改めて謝罪させていただきますわ。昨夜の身勝手な振る舞い、
どうかお許しください﹂
後半は非常に申し訳無さそうな表情になり頭を下げた。ヒルダ嬢
も昨夜のことが気になっていたのか、謝罪をしてくる。
ヒルダ嬢に気にするなとアピールしつつも、私は殿下とやらを観
察。
1967
この人、確かに王や王太子とよく似ている。ただ、随分とガタイ
がいい上に髪を短くしていることもあって王族というよりも騎士と
いった印象が凄く強い。
良く言えば上流階級には必須の腹の探り合いをするような、腹黒
さが感じられないのだ。
﹁それはお気になさらず。私もしっかり報復しましたので。⋮⋮で、
一体何をしていたんです?﹂
謝罪にそう返しつつも尋ねると、何故かヒルダ嬢が気まずげに視
線を逸らした。
レヴィンズ殿下はやや困った顔をしながらも事情を話し出す。
﹁ヒルダに私の婚約者となってくれるよう頼んでいるのです。です
が、彼女は﹃弟に捨てられた女を妻にするなど殿下の醜聞になる﹄
といって頷いてくれないのですよ﹂
ああ⋮⋮確かにそれは忠誠心の塊なヒルダ嬢らしい言い分だ。
王命での御目付役とはいえ、彼女はフェリクスの婚約者だった。
他国とてそれは知っているだろう。
そんな彼女が即座に第三王子と婚約したら、周囲はどう思うだろ
うか。
特に教会派は嬉々としてヒルダ嬢の存在を第三王子を貶める要素
に使うだろう。﹃弟のお下がり﹄とか言われそうだ。
ヒルダ嬢的には自分の存在が王家の汚点となることが許せないの
か。
ただ、殿下を嫌っているとか嫌がっている素振りは無い。
﹁ヒルダ嬢は殿下が伴侶になることは嫌?﹂
﹁そのようなことはございません!﹂
1968
試しに聞けば即座に否定。おお、これは脈ありじゃないか?
だが、やっぱりというか否定の言葉に続いて予想通りの答えが返
される。
﹁私はフェリクス様の婚約者でした。役目を果たせず一方的に婚約
を破棄された役立たずなのです。なにより弟が捨てた女を拾うなど、
殿下の汚点になってしまいます﹂
言っている事は非常にまともであり、相手の立場を思いやる素晴
らしいお答えだ。
だが。
﹁一般的にはそうかもしれませんが、国は間違いなく貴女を他国へ
渡すような真似はしないと思いますよ。そうでなければ王家の汚点
を任せたりはしません﹂
その言葉にヒルダ嬢はやや嬉しげに微笑んだ。やはり他国の者か
ら認められるのは嬉しいのだろう。
この人、本当に貴族の鑑だな。イルフェナでも余裕で上層部の嫁
候補になれるだろうよ。
だけど彼女が想うのはバラクシン。その忠誠が揺らぐことはない。
﹁そうなってくると王家派貴族から婚約者を選ぶ⋮⋮となりますが、
第三王子に求婚された上に教会派とドンパチやらかす第一線な立場
の貴女の隣になれるような猛者っています?﹂
﹁教会派と揉める第一線⋮⋮確かにヒルダは昨夜その存在を見せ付
けていますね﹂
﹁わ、私はそこまで優秀というわけではっ﹂
1969
私のあまりな言い方に納得するレヴィンズ殿下、思わぬ評価に慌
てるヒルダ嬢。
アルも似たようなことを考えたのか、思案顔のまま無言。
いや、現実問題としてあるよね? 少なくとも昨夜の行動を見て
いたら間違いなく教会派からは警戒対象に入れられるだろう。
これまでは女性ということと、フェリクスの御守りだけだったか
らこそ目立たなかったんじゃないのかね。
そうなってくると彼女の味方となるような頼もしい伴侶が必要な
のだが、ヒルダ嬢を守れるような人ってバラクシンに居るんだろう
か?
﹁ぶっちゃけますとね、貴女が王家にとって最良の駒である以上は
貴女自身の強化と守りも必要だと思います。レヴィンズ殿下は最良
じゃないですか? 嫌い、というなら無理には勧めませんけど﹂
身分的にも立場的にも最良だと思う。何せ王族の妃になってしま
えば、ヒルダ嬢の発言権も格段に上がるし人脈も広がる。
教会派の対抗勢力として、ヒルダ嬢自身が力を得るということだ。
ただ、女性として幸せかと言われれば無理にとは言えない。穏や
かに暮らしたいならば権力から遠ざかるのが確実だしね。
目の前にレヴィンズ殿下が居ることを無視し、そんな事を続けて
言ってみたらヒルダ嬢は⋮⋮目を輝かせた。何故か。
﹁そう⋮⋮そう、ですわね。私が力を得る。そういう考え方もあり
ましたわ! さすが魔導師様です、私自身が彼らの抑えとなる道を
示してくださるなんて⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮あれ?﹂
がし! と私の手を握り笑みを浮かべるヒルダ嬢。
おーやー? どうやら彼女の忠誠心に火が付いた模様。もしや、
1970
女だからと悔しい思いをしたことでもあったのかい?
﹁私自身が王家の醜聞となることばかり考えておりました。ですが、
それ以上の結果をもたらすことで醜聞を払拭できるやもしれません﹂
﹁いや、醜聞はフェリクスであって貴女じゃないから﹂
頬を紅潮させて一気に言い切るヒルダ嬢に思わず突っ込む。
レヴィンズ殿下は⋮⋮うんうんと頷き﹁ヒルダならできる! 応
援するぞ﹂などと言って賛同中。
アルは微笑ましそうにしながらも生温かい視線を向けていた。
うん、君達は十分お似合いだと思うよ。暴走した時に止める奴が
苦労するだけで。
おそらくレヴィンズ殿下もヒルダ嬢と似たような考え方をする人
なのだろう。暗に﹃王族の妃という立場を利用しますよ﹄と言って
いるのだが、それを﹃許す! 寧ろやっちまえ!﹄な反応だ。
私は溜息を一つ吐くと二人に向かってある提案をする。
﹁では、この場で結婚の申し込みをどうぞ。私が居るから確実に今
後の妨害はされませんよ﹂
﹁え?﹂
﹁魔導師殿、それはどういうことだろうか?﹂
首を傾げる二人に、私は自分を指差す。
﹁私は異世界人ですから複数の国の守護役﹃達﹄が居まして。当然
情報も私達を通じて他国に流れます。ついでに言うと守護役が居な
い国の上層部にも知り合い有りです﹂
﹁つまりミヅキの提案を受け入れたということにして行動してしま
1971
えば、自動的に他国に伝わります。しかも﹃魔導師の提案に乗った﹄
ということになりますから、妨害や反対意見はミヅキが潰せるとい
うことです﹂
そうですよね? と聞いてくるアルにしっかりと頷く。
この婚約は魔導師の後ろ盾がある、と言っているようなものだろ
う。しかも私の友人達は間違いなくこの組み合わせを祝福する。
と言うか、私が強制的に祝福をもぎ取ってくるから問題無し。い
くら教会派だろうとも、他国の上層部からさえ祝福される組み合わ
せに文句は言えまい。
﹁で、ですが、それでは魔導師殿にご迷惑が⋮⋮﹂
﹁いや、迷惑とかじゃなくて他国にとっては判断材料でもあるんで
すよ。教会派貴族につくか、私につくかという﹂
﹁今回の訪問はバラクシンの教会派貴族が絡んでいますから。ミヅ
キと教会派貴族は現在、明確な敵対関係になっていますからね﹂
アルの言葉に二人はやや青褪めた。
だが、これが現実だ。魔王様を侮辱した連中を私が許すはずはな
いと、キヴェラの件で直接知り合った人達は理解できているだろう
から。
それに王家と敵対する教会派貴族に他国の上層部が言い包められ
るとも思えない。
連中が醜聞云々と言い出しても、ヒルダ嬢の場合は理由がはっき
りしているので逆に﹃教会派が馬鹿なことをしなければそうはなら
なかったよなぁ?﹄と返されるだろう。
そもそも私の知り合いに裏事情を疑わないような奴は居ない。﹃
魔導師のお願い﹄ということも含めて天秤にかけ、有益な方に味方
するに決まっている。
今回の訪問理由とて知られているのだ、教会派に味方すれば今後
1972
私との関係が冷えまくるので敵認定されないためにも祝福して﹃教
会派の味方じゃないよ!﹄と力一杯アピールするだろう。 ﹁と、いうわけですので。結婚の申し込みとお返事までやっちゃっ
てください。正式な申し込みはともかく、一応その意思があるとい
う証明に﹂
﹁それは⋮⋮確かに魔導師様の後押しがあるのはありがたいのです
けれど﹂
﹁いいのかい? 君を利用する形になってしまうが﹂
﹁イルフェナ的にも王家が強化される方がいいので問題無しです。
ちなみにここまでして断るとレヴィンズ殿下が振られ男ということ
になりますね﹂
﹁﹁え゛﹂﹂
ぴしっと凍りつく二人。だが、これで断ると﹃振られ男のレヴィ
ンズ君﹄は様々な人から憐れみの目で見られるだろう。
私は﹃イルフェナ的に歓迎する﹄のだ、間違っても二人の恋物語
の手助けではない。
どうぞ! といい笑顔で促す私に、強張らせた顔を見合わせて二
人は頷きあう。
そして。
﹁ヒルダ、どうか私の妻となってくれないだろうか﹂
﹁⋮⋮お受けいたします。レヴィンズ殿下﹂
跪きヒルダ嬢の手を取るレヴィンズ殿下にヒルダ嬢ははっきりと
応える。
裏事情さえ知らなければ大変感動的な場面なんだろうなぁ、女性
達が挙って噂するような感じの。
1973
﹁おめでとうございます。我々からも王にお伝えしておきますので﹂
にこりと微笑みながらアルが二人に告げると、二人の顔に安堵が
滲む。
まあ、ある意味勝手にやらかしてるもんな。レヴィンズ殿下の様
子を見ても独断っぽいし、後押しする存在ができたことは喜ばしい
ことなのだろう。
﹁ある意味政略結婚ですけど、お幸せに﹂
そう告げるとレヴィンズ殿下が嬉しそうに笑ってヒルダ嬢を抱き
寄せる。
﹁勿論だよ、魔導師殿。想い続けた相手と婚姻できるのだから、し
っかりと彼女の今後を支えよう﹂
﹁で、殿下!?﹂
﹁幼馴染だというのに、彼女は一向にこちらを見てくれなくてねー
⋮⋮﹂
何故かレヴィンズ殿下に哀愁が漂っているような気がした。
アルも同意するように深く頷き﹃仕事を最優先にする女性は頼も
しいですが、時に周囲からの己の評価に疑問を抱きますよね。それ
ほど魅力が無いものかと﹄などと言っている。
だから何故そこで揃って私を見るんだ。
何故、肩を叩き合って励まし合ってるんだ、お前ら。
何故か仲良くなっている男二人に冷めた視線を向けつつ、ふと一
番最初に見た求婚の一幕を思い出す。
1974
⋮⋮。
そういえばさっきも通常の申し込みは却下、﹃今後に有利だから﹄
って言い方だと即OK! だったよなぁ、ヒルダ嬢。
フェリクスとの婚約も彼女にとっては王より与えられた﹃お仕事﹄
。レヴィンズ殿下も国第一の考え方をする人だから、それにも納得
したと。
それが無くなったから速攻で求婚したのに、今度は﹃醜聞となる
から﹄という理由で却下されていた。
そこに個人の感情など無い、ひたすら王族への忠誠があるだけだ。
つまり未だに片想いしてるわけですな、レヴィンズ殿下は。
そうか、そうか、レヴィンズ殿下は﹃これまで仕事に負け続けた﹄
んだな!? いや、今もだけど。
幼馴染だろうとも気安い関係にはなれず、﹃王族の皆様を支える
事が貴族としての務め﹄云々と言われて明確な上下関係という名の
壁に阻まれてきたんだな!?
ちらりと視線を向けた先のレヴィンズ殿下はとっても嬉しそうだ。
今夜は泣きながら祝杯でもあげるんじゃなかろうか。
独り善がりにならないためにも一応釘は刺しておこう。私はヒル
ダ嬢の味方です、殿下。
﹁ヒルダ嬢に振り向いて欲しかったら今後努力してくださいねー﹂
﹁ああ、勿論。これまでを思えば奇跡のような状況だよ、国のこと
が最優先だが努力は惜しまない﹂
しみじみと語る殿下の様子に自分の予想が間違っていなかったこ
とを知る。
ヒルダ嬢⋮⋮貴女は一体、どれだけ男心とやらを叩き折ってきた
んだい?
と、言っても私も善人方向だけで終わる気は無いわけでして。
1975
い い 事 を 知 っ た。 弄 る ネ タ 決 定。
1976
番外編・ヒルダ嬢その後︵後書き︶
夜会の翌日に新たな婚約者が出来たヒルダ嬢。多分、悔しがった人
々多数。
この二人が恋人同士ならばヒルダは御目付役にはなりませんでした。
時間的にこの話が午前中、そして午後に本編の教会派騎士VS主人
公。
1977
惜しまれる存在ならば 其の二
﹁あらあら、なんて情けない﹂
﹁本当ですね。仮にも騎士なのですから、この程度で心が折れるこ
ともないでしょうに﹂
にこにこと笑顔で会話を交わす私とアル。
私の手にはロープが握られ、それは蓑虫と化した男へと繋がって
いる。
ええ、ちょっとドジしちゃいましたよ。数回手を離しただけだけ
ど。
手を離した場所が階段の上部ばかりだったのは気のせい。
お約束ですよ! お・や・く・そ・く!
落とす度に謝罪の言葉は口にしたので、わざとではないと理解し
てもらえたことだろう。
なお、傍にいたアルも私の即席ドジッ子属性に巻き込まれている。
後ろを歩いていたから蓑虫が降って来た、とか。
ついつい条件反射で蹴りを入れた、とか。
ごめんね、アル。期間限定ドジッ子で。
そう謝ったら﹃お気になさらず。そんな所も魅力の一つです﹄と
微笑みながら言ってくれた。流石だな、素敵な騎士様。
1978
周囲の人達が妙にビビって距離を置いていたのも気にしない!
邪魔をしなければ良い子ですよ、私。何せ今回は魔王様の駒とし
てこの国に来てるからね。
﹁⋮⋮すぐに家長に該当する者達が拉致されて来るだろう。暫く待
ってもらいたい﹂
﹁判りました。迅速な対応をありがとうございます﹂
﹁いや⋮⋮単純に国のためにできることをしたまでだ。気にしない
でくれ﹂
部屋に着くなり言葉をかけてくるバラクシン王に感謝を述べると、
微妙に個人的感情が透けた応えが返って来た。
そ う か、 そ ん な に 怖 か っ た か。
当たり前だが私は常に全力投球、己が言葉にも責任を持つ所存で
す。
どうやらバラクシン王はそれを理解しているからこそ、最適な環
境を整えたのだろう。
だってこの場合、私の報復はあの教会派騎士達の保護者に向かう
もの。
仕掛けてきたのは教会派の騎士。しかも彼等の増長を招いた一因
に実家の存在がある。
これで﹃無関係です!﹄は無理がある。しっかり責任をとっても
らおうじゃないか。
そんな事を考えているうちに数名の貴族が騎士によって連行され
てきた。不満顔だった彼らも私に踏まれている蓑虫を見た途端、ぎ
ょっとしてこちらをガン見。
1979
彼らに向かって私はにこやかに告げる。
﹁随分素敵な教育をしているんですねぇ? 異世界人を化物扱いで
すか。ええ、しっかりと貴方達一族からの宣戦布告は受け取りまし
た﹂
﹁宣戦布告⋮⋮お前は一体?﹂
貴族に向かって嫌味を飛ばす小娘に腹が立ったのか、連中は訝し
げな視線を向けた。そうか、夜会では遠過ぎて顔まで判別できなか
ったか。服装も違うしね。
連中の言動には苛立たしさが透けて見えるが、そこには魔導師を
相手にする恐怖は見られない。
恐らくは﹃イルフェナからの使者の怒りを買った﹄とでも認識し
たのだろう。勿論、その間違いは正してあげなければ。
﹁私はイルフェナに身を寄せる異世界人です。キヴェラを屈服させ
た魔導師、と言えば貴方達にも理解できますよね?﹂
﹁な、魔導師だと!?﹂
微笑みながら告げれば面白いように動揺が走った。さすがに実績
有りの魔導師は怖いらしい。
そう言ったことで彼らも事態を把握したようだ。青褪めるも王に
縋るような視線を向ける。
﹁陛下。この者とて我が国の民であり、国を守る騎士でございまし
ょう! どうか魔導師殿を諌めてはくださいませんか﹂
﹁⋮⋮ほう?﹂
その言い分にカチンときたのか、王は目を据わらせる。
周囲は⋮⋮青褪める、睨みつける、超いい笑顔! な反応に分か
1980
れた。勿論最後はクラウス以外のイルフェナ勢。
この期に及んでまだ言い訳が足りないらしい。しかも王に私を諌
めろ、とな?
ああ、でもここでバラクシン内での言い争いに発展しても面白く
はない。ここは目的達成のためにも私が煽らなければな!
﹁ふふ、一体何の冗談でしょうか? 日頃から王族と対立し貶める
事に余念のない教会派貴族の皆様? 貴方達の態度は他国もよ∼く
存じております﹂
﹁そ、そんなことは﹂
﹁そうだ、魔導師殿はこの世界に来たばかりだから知らないだけで
っ﹂
言い訳を始める連中に私は笑みを深めると、手にした鞭で蓑虫を
一閃。踏みつける足に力を込めたこともあってか、鞭による派手な
音に続いた呻き声に室内がシン、と静まり返った。
﹁情報を集めるならば十分な時間です。それに⋮⋮クズと評判だか
らこそ、他国からは縁談が来ないらしいですね? どの国でも王族
に牙を剥くほど思い上がった輩は一族に加えたくはありませんもの﹂
﹁そうだね、有名な話だと思うけど。だが、それが原因でバラクシ
ン内で教会派貴族達の繋がりが強まったともいうね﹂
﹁同類で固まったからですよね、何処にも必要とされませんし﹂
魔王様の言葉に頷きながら返せば、言葉ではなく笑みを深める事
で肯定してくる。
ええ、一応バラクシン王がここに居ますからね。他国の王族が直
接教会派貴族を貶めるようなことは言えませんから。
魔王様は﹃私に賛同﹄し﹃教会派貴族が繋がりを強めた﹄と言っ
ただけである。直接暴言は吐いていないのでセーフです。
1981
こういった﹃謝罪で済む程度の侮辱﹄では何らかのカードになる
ことはない。逆に言えば﹃そう言えるだけの証拠がある﹄とも受け
取れる。
ぶっちゃけると暗に脅迫してます、我が上司。これで反論すれば
嬉々として証拠を提示する気満々だろう。
しかもその証拠は他国からも寄せられると推測。教会派貴族は﹃
複数の国からクズ認定を受け、政から強制退場﹄の危機である。
そもそも今回のイルフェナは最初から教会派貴族にお怒りなのだ、
それをフェリクスと伯爵に限定されていると思っていた連中は甘す
ぎる。
目標は常に大きく! 目指せ、元凶の一掃!
イルフェナならばこれくらいはやる。今回はこれまでの事を含め
ての報復なのだから。
被害者として得た報復の切っ掛けを見逃してやるはずがなかろう、
あの国が。
⋮⋮と言ってもイルフェナが動く必要は無さそうだが。
さすがに状況を理解できたのか、連中は顔を青褪めさせて無言。
後一歩のところで踏み留まった連中にバラクシン勢は安堵し、私
は内心舌打ちした。きっとイルフェナ勢も同じと見た。
﹁⋮⋮理解できたようで何よりです﹂
その程度の頭はあったのね的な私の言葉に罠の回避成功を感じ取
ったのか、連中は強張らせていた表情を若干緩める。
ちっ、あと少しだったものを。
だが、私個人の報復はまだ残っている。しかも既に回避不可能に
近い。
1982
﹁そういえば⋮⋮先ほど随分と不思議な事を言っていましたねぇ?
﹃国を守る騎士﹄でしたか? 身分制度に拘り他者を見下す者が
どうしてそうなるのでしょうか﹂
﹁た⋮⋮確かに貴女への暴言は謝罪すべきだ。だが、騎士として民
を守った実績があり慕われてもいる! でなければ今の地位にある
筈がない!﹂ いや、それお前達が後ろ盾にいたからじゃん?
確かにある程度の強さがなければ近衛にはなれず、これまでの実
績とてあるだろう。
だが、それは本当に﹃本人が成したもの﹄だろうか? 立場が下
の者の功績を自分のものにしたという可能性だってある。ただ、こ
れはさすがに証明することが難しい。
微妙に反論し辛い言い方に周囲は眉をひそめ、私は。
﹃処罰したら民だって文句を言うよ﹄という脅迫に私は︱︱にや
りと笑った。
よっしゃぁ、誘導成功!
﹁その功績は本当に本人が成したものでしょうか? 彼らを見る限
り﹃立場が下の者の功績を自分のものにした﹄という可能性も十分
あるように見えますが﹂
﹁証拠もない上でそのようなことを言うならば、謂れのない侮辱と
受け取りますぞ!﹂
私の笑みを余裕と勘違いしたのか、逆に私の言い方を責めてくる。
少しでも有利にしたいのだろうことは誰の目にも明らかだ。
だが、その言葉こそ私が欲しかったものだ。
1983
﹁今⋮⋮﹃証拠もない﹄と言われましたよね? ﹃民を守った実績
ゆえに慕われている﹄、得難い存在だということが事実だと受け取
りますよ?﹂
﹁そ、そうだ! 国にとって優秀な騎士は簡単には失えん!﹂
少々持ち上げて確認をすると即座に肯定。益々こちらにとって有
利な言葉を重ねる男に私は内心笑いが止まらない。
魔王様達は面白そうにしながらも傍観に徹し、その他バラクシン
勢はなにやら怯えた表情で私を窺っている。
そんな人々を綺麗さっぱり無視し、私はいい笑顔で目的を告げた。
﹁それではそれを証明してもらいましょうか。実は誰の目にも明ら
かになる方法があるんですよ﹂
﹃は?﹄
周囲の人達が綺麗にハモった。まさかそうくるとは思わなかった
らしい。
﹁私の世界にかつてゴダヴィア夫人という大変優しい女性がいまし
た。彼女は領地の民の為に夫に減税を願いましたが夫は激怒し、彼
女に﹃裸で馬に跨り市場を端から端まで渡れば願いを叶える﹄と言
ったのです﹂
﹁それは⋮⋮﹂
思わず痛ましげな表情になる人続出。普通に考えて身分のある女
性が裸で、なんて死んだ方がマシな状況だろう。
﹁それを事前に知った民は家に篭って窓も戸も閉め彼女の姿を見な
いようにし、彼女は長い髪を解いて体に纏わせながらも実行したそ
うです。彼女が﹃民に慕われ﹄、感謝されたからこそ醜聞ではなく
1984
美談となったのです﹂
実際には解釈が様々だし、史実ではないという意見もある。
あくまでも有名な伝説なのだが、この場合重要なのは﹃民との信
頼関係を見せつける﹄ということだ。
周囲の状況を見回し、私は明るく悪魔のイベントを告げる。
﹁それを実行していただこうじゃありませんか、﹃国にとって失え
ない存在﹄であり﹃民に慕われている﹄というのなら!﹂
﹁なっ!﹂
さすがに教会派貴族以外も驚いたのか目を見開く。
イルフェナ勢は大変楽しそうだ。寧ろ﹃やっぱりね﹄的な視線で
﹃お前が大人しくしてる筈ないよな﹄と告げてくる。
﹁勿論、事前に告知はします。ですがその際に﹃権力を使わない﹄
﹃身分を振り翳さない﹄﹃妨害しても罪に問わない﹄という三つを
約束していただきます﹂
﹁な、な、な⋮⋮﹂
教会派の連中はあまりなことに口をパクパクとさせるばかり。ま
さか擁護がそう返されるとは思わなかったのだろう。
いや、そんな返し方があるとは普通は思わないのだが。
﹁ふむ⋮⋮大変感動的な話だな。確かにその話を参考にするならば
民には﹃家に閉じこもって見ない﹄という選択もあるのか﹂
﹁ええ。逆に言えばここぞとばかりに報復される可能性もあります。
誰の目にも明らかですし、始める時に王の前で改めて誓ってもらえ
ば民も罪に問われることはないと確信できますね。まして騎士なの
です、忠誠を誓う主に嘘は言いませんよね普通﹂
1985
普通に感心しているらしいバラクシン王に悪魔の提案をしておく。
告知だけでは不安に思う人々も王の前で誓われた言葉ならば安心し
て報復できるというものだ。
﹁それはあまりではないか!?﹂
﹁あら、民との繋がりを示す良い機会ではありませんか。ああ、こ
れで民にボコられたら貴方達はこの場で嘘を吐いたということにも
なりますので御覚悟を﹂
声を荒げる男にさらっと返せば、男は魔王様の姿を目に止めて青
褪める。
他国の王族の前で﹃嘘吐きました﹄はないよなぁ?
バラクシン王も﹃家ごと処罰しなければならない﹄だろう。
﹁ついでに彼らを事が終わるまで拘束してください。自分達が動か
ずとも他の教会派貴族を動かして民に圧力をかける可能性がありま
すから﹂
﹁そうだな、いかにもやりそうだ﹂
﹁陛下!?﹂
連中は悲鳴のような声を上げるが、バラクシン王は彼らを睨みつ
ける。
﹁お前達自身が言ったことを確認するだけだろう。何を慌てる必要
がある? それに⋮⋮日頃の態度からやりかねないと私自身も思う
のだ。少しは己が言動を省みたらどうだ?﹂
﹁逆に言えば君達の言葉の正しさが証明されるのに何故焦るのかな
? 圧力を掛けずとも信頼関係が築かれていればミヅキの話のよう
に美談として伝わるのに?﹂
1986
強い口調の王の言葉と魔王様の援護射撃に連中は半ば呆然として
沈黙した。蓑虫は⋮⋮あらら、青褪めたまま固まってる。
大変だな、頑張れよ? 私も楽しめるイベントになるよう全力で
応援するからな?
早くも騎士達が連中を拘束する中、私達はひそひそと詳細を決め
ていく。
﹁教会派貴族にはこの事を伝えて更に﹃これが行われなかったら魔
導師が教会派貴族を無差別に滅ぼす気だ﹄とでも伝えたらどうです
かね? 私は夜会でのこともあるから説得力は十分だと思いますが﹂
﹁それに加えて化物扱いされたことも伝えれば確実に押さえ込める
だろうね。勿論、その発言が齎す意味も含めて伝えることが前提だ
けど﹂
私と魔王様の提案に王と王太子殿下はそのとおりだと頷く。
﹁確かに⋮⋮国が庇わず報復も法に触れないと知れば関係のない奴
等は動かないだろうな﹂
﹁情報をしっかり伝えておけば王家が﹃何故庇わないのか﹄と責め
られることも無いだろうしね﹂
今この場だけのことではなく、夜会での脅迫から繋げてしっかり
説明すれば教会派貴族の置かれた状況に気付くだろう。
少なくともこのイベントで沈黙していれば、魔導師の報復対象か
らは外れる。自己保身を選ぶならば絶対に何もしない。
しっかりと伝えておくのは﹃状況を知らなかった﹄と言わせない
ためだ。状況把握の甘さを言い訳にして手を貸す奴も同罪と伝えて
おくことは﹃王なりの恩情﹄。
何せ連中以外は無関係なのだ、﹃教会派貴族は一蓮托生﹄だとい
1987
う超大雑把な言い方をしている私の方が明らかに外道である。
そんな魔導師相手に﹃知りませんでした﹄は通用しない。
世界を違えてまで揺るがぬ鬼畜認定は伊達ではない。
連中の味方をする=魔導師の敵認定なのだ。しかも普通の没落ど
ころか後々にまで語り継がれるレベルの報復に見舞われると怯えて
くれるだろう。
勿論、私もそんな期待には全力で応える所存だ。ネタなら沢山あ
るぞぅ。
﹁それでは今夜にでも私から伝えておこう。⋮⋮﹃それ﹄は﹂
﹁牢でいいんじゃないですかね﹂
バラクシン王と揃って蓑虫に視線を向けると、未だに青褪めたま
ま呆然としている。
予期せずイベントの主役となってしまった喜びに思考が凍りつい
ている模様。
﹁良かったね∼、あんたの言い分が正しいと証明されるかもしれな
いよ。⋮⋮逆の可能性もあるけど﹂
鞭の先でつんつんと突付きながら言うも反応なし。
イベントまでには正気に戻れよ? 面白くないから。
﹁娯楽に溢れた世界には色んな意味で凄い人がいるんだね﹂
褒めてるのか貶してるのか判らない王太子殿下の言葉にほぼ全員
がしみじみと頷いたのだった。
⋮⋮妙に私に向けられる視線が生温かいのはきっと気のせい。
1988
※※※※※※※※※
︱︱その夜、某所にて
前回同様いきなり現れた私に、その人物は溜息を吐いただけで迎
え入れた。なんだ、つまらん。
﹁そこは﹃曲者だ、であえー!﹄とか反応しておくれ﹂
﹁人を呼んでどうするんだ、お前は。第一その台詞は一体何だ?﹂
﹁私の世界で割と有名なんだけどな﹂
時代劇とかで。誰でも一度は聞いたことがあるだろう。
まあ、それはおいておく。馬鹿なじゃれあいをしに来たわけじゃ
ないのだ。
私は敢えてにっこり笑うと怪訝そうな表情になる聖人様に目的を
話し出す。
﹁教会にとって残念なお知らせです。本日、教会派の騎士が私に対
して暴言を吐き正式に敵認定されました。しかも異世界人を化物扱
いした挙句に黙って従っていればいいとぬかしやがりました﹂
﹁は?﹂
﹁なお、これは大戦を引き起こした国と同じ思想で下手をすればバ
ラクシン自体が危険思想を持つ国として他国に認定されます。⋮⋮
詰んだな、マジに﹂
大変ねー、教会の存続自体がヤバくね? と明るく続ける私に聖
人様は顔面蒼白。
うん、普通の反応だ。理解が早くて何よりだ。
1989
﹁な、なあ、無かったことにするという方法は⋮⋮﹂
﹁イルフェナのエルシュオン殿下が聞いてるのに? ちなみに殿下
も侮辱されてるから庇う優しさは無いと思うよ?﹂
﹁おおぃっ! 共犯者だろう!? 仲間だろう!? 仲良しだろう
!?﹂
いきなり縋り付いて来る聖人様。事態を正確に把握できてしまっ
ているせいか涙目だ。
私は落ち着かせるようにぽんぽんと肩を叩くと、こうなった決定
打を話す。
﹁いや、連中の保護者がまた馬鹿でさ∼。言い訳せずにばっさり切
り捨てれば何とかなったのに﹃民に慕われてる﹄だの﹃国に必要﹄
だの言ってさ。国としても対応取らなきゃヤバイのよ﹂ あっさり事実を告げると聖人様はがっくりと膝を着き項垂れた。
⋮⋮あ、マジで泣いてるかもしれない。
﹁ふ⋮⋮漸く、漸く何とかなると思ったのに⋮⋮!﹂
﹁苦労したみたいだしねぇ﹂
問題児が消えて漸く立て直しが図れるところにこの仕打ち。
泣きたくもなるだろう。何せ彼らは何も悪くない、単なる巻き添
えだ。
﹁商人達からも教会への納品は拒否か値上げだと通達されたばかり
だというのに⋮⋮イルフェナを怒らせれば深く繋がる商人達にも影
響があると何故判らないのか⋮⋮!﹂
﹁⋮⋮﹂
1990
涙声で告げられる内容に思わず視線を逸らす。
えーと。
ごめん、それ原因白騎士連中だわ。
その報復内容に思いっきり心当たりがある。つーか、提案したの
は私だ。
商人さん達、異世界スイーツが効いたのか随分と頑張ってくれた
みたい。多分、教会派貴族との癒着を黒騎士あたりから聞いて報復
に出たな。
教会まで﹃拒否か値上げ﹄と言われてしまったのは、先日追放さ
れた奴等が原因だろう。商人達は追放されたことを知らないのだか
ら。
若干後ろめたい気持ちになりながら、訪ねた目的を果たすべく言
葉をかける。
﹁あのさ、何とかなる⋮⋮っていうか、かなり良い方向に持ってい
けるやり方があるんだけど﹂
﹁何!﹂
がばっ! と勢いよく顔を上げると立ち上がって肩を掴む。
﹁頼む! 教えてくれ!﹂
あまりに必死な姿にやや引きつつ、私は先ほどの出来事を話す事
にした。
うん、この状況でからかってはいけない。空気を読もう。
﹁王様に﹃その言い分を確かめる方法があります﹄って提案してみ
たんだよ。私の世界にはこんな出来事が伝わっていてね∼⋮⋮﹂
1991
とりあえず美談から。ゴダヴィア夫人の勇気ある行動を話すと、
聖人様は大変感動したようだった。
﹁素晴らしい方だな。民もそのような方のためならば少しでも協力
しようとするだろう。⋮⋮で、それと何の関係があるのだ?﹂
僅かに首を傾げる聖人様に私はにっこりと笑い。
﹁これと同じことを馬鹿騎士代表にやってもらうことになりました。
勿論、一切の権力を使えず、家の力に縋らず、民に如何なる圧力も
かけない⋮⋮という条件で。つまり公開処刑が可能。ここで教会関
係者が盛大にボコったらどう思われるかな?﹂
聖人様は暫し考えに沈み⋮⋮顔を上げた時はそれはそれは素敵な
笑顔をしてらっしゃった。
﹁なるほど。罪に問われることがないから盛大に攻撃を仕掛けられ
るというわけか。しかもそれが他者の目にも明らかならば、教会は
連中を疎んじていたという証明にもなる﹂
﹁始めに王への忠誠として皆の前で改めて﹃権力行使をしない事﹄
を誓うから、奴が何を言っても当然無効。しかも治癒魔法担当者と
監視役は傍につくだろうから、﹃聖人自ら怒りの声を上げた﹄なん
て最高のアピールじゃない?﹂
﹁でかした、友よ!﹂
がし! と固く手を握り合う。もはや聖人様に苦悩の影は見られ
なかった。
これは教会存続の危機ではなく、これまでと決別するアピールの
場なのだから!
1992
王家が教会派を無視できなかった理由は﹃民を扇動される可能性
がある﹄からだ。寄付を盾に民を味方につけられれば、王家として
も下手な事は出来ない。信者が多いからこそ、無視はできなかった。
貴族からの寄付が無くなると運営資金の問題が出て来るので、教
会としても従わざるを得ない。王家とていきなり教会の運営資金を
捻出するのは無理というものだ。
ただし、今回はこれを覆すことが可能なのだったり。
イルフェナと魔導師を敵に回した影響が既に出ているのだ、教会
としても共倒れを避けるには連中の味方はできない。信者達とて不
正が明るみになったり商人達からそっぽを向かれた事実があるので、
寄付のことがあろうともヤバさは理解できている。
何より今回は最強の誘導アイテム﹃聖人様﹄がいらっしゃる!
信仰とか正義とかをすっ飛ばして十分過ぎるほどに事態の深刻さ
を判っているので、感動的な話あり、涙あり、存続のための熱意あ
り、といった感じで信者を誘導してくれるだろう。
重要なのは正義でも事実でもない、結果だ。
守るべき者達を抱える聖人様は悪魔にだってなるに違いない。
﹁では、私から少々贈り物を。要らない本とかってない?﹂
﹁む? 書物は丁寧に扱うべきだが⋮⋮これでいいか?﹂
聖人様は床に積まれていた本の一冊を差し出してくる。片手で持
てる程度に厚く、重さもあるので中々良い。
﹁なんで床に置かれてるの?﹂
﹁ああ⋮⋮追放された奴の一人が所持していてな。外見はまともで
も中身は官能小説だ﹂
1993
﹁⋮⋮﹂
そりゃ、いくら本は大事にと思っても要らんわな。中身が中身だ、
破棄するしかないだろう。
﹁じゃあ、開かない方がいいよね﹂
そう言って魔石付きの栞を挟み、閉じたままの状態を固定。つい
でに強化をして聖人様に渡す。
私の武器候補だったが、今回はこれが最適だ。
﹁はい、どうぞ。これで熱い思いをぶつけて来い﹂
差し出された開くことが出来ない本を不思議そうに見ていた聖人
様は、私の言葉にその行動の意味を悟ったようだ。
にっと笑い馴染ませるように本を片手に数回振っている。
﹁いい選択だ。これは武器ではないよな?﹂
﹁えー、どう見ても本でしょ﹂
くすくすと笑い合う私達は間違っても善人や聖職者には見えない。
どちらかといえば﹃裏工作に興じる愉快な悪役﹄。
ええ、本ですとも。うっかり手にしたまま殴っちゃうだけですよ
ね!
﹁ふ⋮⋮はははっ! 見ていろ、これまでの恨みを晴らして決別し
てやるわっ!﹂
﹁お∼、頑張れ! 角でやれ、角で! こう、ガツッと!﹂
﹁勿論だとも!﹂
1994
笑い合う私達にとって教会派の騎士など敵ではない。なぜなら私
達の目的はその先にあるものなのだ。
連中の敗北は所詮通過地点。徹底的に滅してバラクシン改善の足
掛かりにしてやろう。
詳細は後日の告知ということを伝え、私は部屋を後にする。
⋮⋮聖人様が笑顔のまま盛大に手を振り見送ってくれたのは言う
までもない。 1995
惜しまれる存在ならば 其の二︵後書き︶
素直に謝ったほうが遥かにマシでした。
1996
準備は念入りに︵前書き︶
本番前に一話入ります。
1997
準備は念入りに
小話其の一 ﹃懐かしい味﹄
﹁⋮⋮そうか、それでそんな通達がなされたのか﹂
現在、カンナス家にお邪魔中。
いや、うっかりアリサがイベント中に買い物に出ても困るしね?
忠告がてらエドワードさんに事情説明してます。さすがに優秀と
言われていただけあって、状況を理解できているようだ。
﹁彼等には随分と頭の痛い思いをさせられてきたが、イルフェナが
動くとはね﹂
﹁いや、どっちかと言えば今回は私に喧嘩売って来たからなんです
けど﹂
﹁君の報復を期待しよう。大いにやってくれ﹂
何故かいい笑顔で報復を推奨するエドワードさん。
もしや連中はアリサを苛めてましたか。
アリサにも﹃異世界人は化物云々﹄とかぬかしてやがりましたか、
あの馬鹿ども。
エドワードさんは微笑むばかりで何も語らない。⋮⋮語ってはく
れないので私の想像力は勝手に﹃連中はアリサを苛めていたに違い
ない﹄と想定する。
ありえそうだ。物凄くありえそうだ、エドワードさんの怒りを見
る限り。
﹁と、いうわけで。見苦しいもの見たり騒動に巻き込まれても危険
1998
なので、買出しは前日に済ませて当日は外出禁止でお願いします﹂
﹁判ったよ。私もアリサにそんなものは見せたくないからね﹂
ですよねー!
旦那︵仮︶としては愛妻に男の裸なんて見せたくはないわな。
話を聞いている使用人達もしきりに頷いているので、アリサは外
が騒がしくとも外出はしない⋮⋮いや、できないだろう。
多分、家に居る人達が総出で止める。
﹁まあ、好奇心に負けそうだったら﹃男の全裸を見たいのか﹄とで
も言えば止めますよ。旦那様大好きな貞淑な奥様だし﹂
そう言えばエドワードさんは照れたように微笑みつつ、しっかり
と頷いた。
好奇心が旺盛そうだが、エドワードさんがそう言えばアリサなら
ば絶対に見ない。私も忠告しておくので、楽しそうな雰囲気を察し
ても我慢してくれるだろう。
ええ、一部はきっと楽しむと思うのです。私もその一人だけどね!
﹁ところでアリサ、さっきから何で黙っ⋮⋮て!? え、ど、どし
たの!?﹂
﹁アリサ!?﹂
不審に思ってアリサに言葉をかけつつ顔を向けるとアリサは︱︱
泣いていた。スプーンを咥えたまま。
さすがに私だけじゃなくエドワードさんもぎょっとしたようだ。
慌てて声をかけている。
﹁アリサ? どうしたんだい?﹂
﹁⋮⋮てるの﹂
1999
﹁え?﹂
﹁これ! 私が元の世界で好きだったスープと凄く似てる!﹂
﹁﹁はぁ!?﹂﹂
アリサの思わぬ言葉に声をハモらせる私とエドワードさん。思わ
ず自分の皿を覗きこむ。
本日は土産を使った私の手料理で昼食である。皿には南瓜を含む
野菜をふんだんに使ったポトフ。
コンソメスープはイルフェナで作ったものをビンに詰めて状態維
持の魔法をかけて持ち込み、ベーコンや腸詰はゼブレスト土産のお
裾分けだ。
﹁思い出しながら色々やってみたけど、何か味が違って。ミヅキち
ゃん、これどうやったの?﹂
﹁⋮⋮。アリサ、もしかして野菜だけで作ろうとした? 塩とか胡
椒は入れただろうけど﹂
﹁う、うん。具は野菜だけだったし、﹃野菜スープ﹄って向こうで
呼んでたから﹂
不思議そうに首を傾げるアリサ。その話を聞いて﹃何かが違う味﹄
に納得する。
﹁アリサ。多分、それ調味料が足りないんだよ。もしくはスープが
違う﹂
そう言って今は空になったビン︱︱興味を持ったら教えようと思
って手元に置いていた︱︱をアリサに見せる。
勿論今は空だが、アリサにはビンに入った状態のスープを見せて
いる。思い出すように首を傾げ、﹃そういえば茶色っぽいスープだ
ったね﹄と呟いた。
2000
﹁私の世界では﹃コンソメ﹄っていってね、野菜や肉を長時間煮込
んだ上で余計な成分を取り除いて作るスープなんだよ。これは手間
をかければ作る事が可能だけど、調味料としてもあるんだ﹂
﹁へぇ! 私の世界にもあったのかな?﹂
﹁調味料としてあったかは判らないけど⋮⋮味が近いなら似たよう
な方法でスープを作ってたんじゃないかな?﹂
目を輝かせるアリサに私は首を傾げながら応えを返す。
コンソメスープは基本的に煮込むだけなので難しい作業ではない。
時間がかかるだけ。ただし、できる量が多いのであまり個人の家庭
向けではないだろう。
これは油を大量に使う揚げ物にも言えることで、一般家庭では揚
げ物が普及する可能性は低い。使った後の事も考えなければならな
い、という意味で。
騎士寮では人数が多い&連中がよく食べるので割と何でも作れる
のだ。油の処理なども私がやればいい。
身近な調味料が限られているとコンソメ一つでこの苦労。元の世
界の凄さを痛感する瞬間だ。
﹁他にはゼブレストのベーコンや腸詰が近い味になった要因かな?
多分、肉の旨みが足りなかったんだね﹂
﹁そっか、私は野菜スープだってずっと思ってたから⋮⋮﹂
﹁具に肉が入ってなければ判らないかも。でもこれって結構大量に
できるよ? 作り方を教えるのは良いけど消費できる?﹂
状態維持の魔法を施したビンに詰めておくという手も使えるだろ
うが、できれば使い切ってしまいたい。気分的な問題もあるし。
今回は騎士寮で作ったお裾分けなので例外的な方法をとっている
だけだ。
2001
アリサも色々と習ってはいるのだろうが、それでも即座に応用が
できるわけではない。数日間同じスープでもいい、とかエドワード
さんあたりは言いそうだが。
﹁そう、だよね⋮⋮もう少しお料理に慣れてからでないと無理かも。
それにこれはゼブレストの御土産も入ってるし﹂
﹁商人が扱っていないかもしれないからね﹂
エドワードさんの言葉に、アリサはスプーンで一口サイズに切ら
れて入っている腸詰を突付く。そうか、そういう問題もあったか。
ベーコンも腸詰も私は好意で分けてもらっているけど、アリサ達
はそれを買わねばならない。
⋮⋮幾らくらいになるのだろうか。距離もあるし、高級食材クラ
スになっていそうだ。
残念そうなアリサに思わず私は提案する。
﹁あのさ、今のところ月に一度くらいは騎士寮で作っているし、良
かったら食材と一緒にコンソメスープ送ろうか? この程度なら手
紙用の転移法陣で大丈夫じゃないかな﹂
﹁え、いいの!?﹂
﹁うん。多分、それが現状では一番だと思う。それを使って野菜ス
ープ作ればこれと同じようなものができると思うよ﹂ 私が騎士寮で大量に作る分には問題無いのだ、皆がよく食べるか
ら。いざとなったら差し入れと称して配ってもいいわけだし。
ベーコンや腸詰もお裾分け程度ならば問題はない。スープに入れ
る量などたかが知れている。
﹁時間のある時に一から教えてあげるから、今はそれで我慢しなよ。
暫くは家に篭って料理の勉強してなさい﹂
2002
﹁うん⋮⋮うん! ありがとう!﹂
﹁⋮⋮懐かしい味に喜ぶのはいいけど、食べ過ぎてお腹壊さないよ
うにね﹂
家に引き篭もる事を誘導しつつも、嬉々としてポトフを口に運ぶ
アリサに苦笑し忠告する。本当に嬉しそうだな、よっぽど食べたか
ったんだろう。
⋮⋮もしかするとアリサにとって一番の家庭の味だったのかもし
れない。結婚したから余計に作ってみたくなったんじゃないのかね?
そう家庭の味⋮⋮。
⋮⋮。
味噌汁⋮⋮! 味噌とか贅沢は言わん、どこかに似た味の調味料
ないかな!?
﹁いいのか、ミヅキ殿﹂
﹁こちらも思惑があるので大丈夫﹂
﹁え?﹂
﹃思惑﹄という言葉に不思議そうな顔をするエドワードさん。
ま、ここが﹃異世界人の暮らす場所だからこそ﹄とも言うんだけ
どさ。
﹁ライナス殿下達がここで食事をしたりするでしょう? その時に
口にして気に入れば、ゼブレストに掛け合うかもしれないし?﹂
﹁国同士の繋がり⋮⋮ゼブレストに﹃戦が多い国﹄以外のイメージ
を持たせる気かい?﹂
即座に私の意図を読み取ったエドワードさんに頷く事で肯定する。
﹁平和的に﹃食材の宝庫﹄でいいと思うのですよ。それにベーコン
2003
も腸詰も﹃作り方を知らなければ作れない﹄んです。侵略されて食
べられなくなる⋮⋮贅沢に慣れた人達がそんな真似を許しますかね
?﹂
﹁なるほど。侵略行為をすれば、それを入手できなくなる他国から
も批難が飛ぶのかい﹂
﹁ふふ、そこまでは言いませんけど? ただ⋮⋮食べ物の恨みは恐
ろしいですから﹂
当たり前だが一番怒り狂うのは私だ。無料で食材提供という恩恵
を手放す気は欠片も無い。
ゼブレストが本格的に動く前に滅してやるわ! 食い物の恨みを
思い知れ。
乳製品あたりなら他でもありそうだが、あれはほぼゼブレストだ
けのものらしい。特に腸詰は庶民の味。他では燻製にするという方
法があまり使われないんだとか。
⋮⋮まあ、干し肉って超簡単に言うと塩漬け肉干すだけでもでき
るしね。手軽に誰でも作れる方が広まるだろうな。新鮮な肉が手に
入りやすいという点も違う。
隣にイルフェナという友好国があり、塩や胡椒といった調味料を
割と使えるからこそ色々出来たという面もあるだろう。もしかした
ら異世界人が関わっているのかもしれない。
特産物なのです、あれは。しかも最近では私が元の世界にあった
応用品を教えたりしているから、新しいゼブレスト名物とも言える。
私も騎士寮で色々作る︱︱元の世界でも作っていたから可能なの
だ︱︱のだが、さすがに腸詰はゼブレストでなければ無理だし。
なお、元の世界では失敗する要素や注意点などが詳しく説明して
あるので、それを知っていれば解毒魔法で対応可能。細菌といった
2004
﹃悪いもの﹄が判っているので取り除けるのだ。
更に驚くべきことに、この世界には寄生虫が殆ど存在しない! ⋮⋮寄生主の方が強いという理由で。弱者は死ねということです。
そういやカエル達も普通じゃないもんな、内部に侵入しようとも
寄生虫如きが生き長らえる筈はあるまい。
この世界に元の世界と同じものが存在するかは知らないけれど、
気をつけるのは基本。おかげで今のところは問題無し。つまみに作
った生ハムも美味かった。
しかも土産と称して時々他国の人達に配ってるしな∼、私。
自分が作ったものだけではなく、ゼブレストで貰った物も提供し
てしっかりアピール。
地道な宣伝は大切なのだよ、ルドルフ達が知らない間にじわじわ
と﹃ゼブレストの隠れた名物﹄は広まっている。主に国の上層部に。
詳しい事は教えていないので、﹃気になるなら外交持ちかけろよ
∼﹄ということだ。後は頑張って交渉しておくれ。
交渉の席で誰が仕向けたかは絶対にバレるだろうけど、ルドルフ
達も外交カードの一つになるなら煩いことは言うまい。
﹁まあ、私はアリサが嬉しそうならば国が滅ばぬ限りどうでもいい
んだけどね﹂
﹁⋮⋮﹂
リア充め。
アリサを愛しそうに見つめながら言うエドワードさんに、私は呆
れと共に安堵を覚える。
この旦那様がいるならばアリサは笑って暮らせるだろう。そう、
確信して。
2005
※※※※※※※※※
小話其の二 ﹃聖人様の熱い思い﹄︵聖人視点︶
﹁⋮⋮以上のようなことが、これまで行われてきたのです﹂
教会内部には多くの信者が真剣に私の話を聞いている。その姿を
一段上から見る私の胸は申し訳なさに締め付けられるようだった。
基本的に教会は貴族からの寄付で成り立っている。それを考えれ
ば、ただ善良であるだけで済む筈はない。
だが、信者達はどうだろうか。不甲斐無い私を許せるのだろうか。
これまで教会が王家からどういった目で見られていたか︱︱教会
派貴族の行いのせいなのだが︱︱を伝えねば先には進めまい。それ
は他国からの認識でもあるのだから。
そう思って教会派貴族と追放された者達の所業を暴露しているの
だ。
寄付を盾にされれば逆らえないのだから、などという甘えた考え
をする気はない。
そうやって口を噤んだ結果が現状なのだ。信仰を政治利用し、神
を侮辱したも同然である。⋮⋮しかも属する者全てが。
﹁神のお心は先日の奇跡を思えば明らかです。誤った道を歩んだ私
達を許し心をかけてくださる⋮⋮それ以上に信仰を汚した者達には
お怒りなのでしょう﹂
そう言って集った人達を見回す。彼等の表情はどこまでも真剣だ
った。
﹃罪人とそれを庇う連中が神の怒りを買った﹄というのが、先日
2006
の﹃奇跡﹄の見解となっている。実際に目にした信者達もいるので、
余計に事実と信者達は信じていた。
すまん⋮⋮! あれは神ではなく、悪魔モドキの仕業なのだ⋮⋮!
向けられる純粋な尊敬の眼差しに何度心を抉られたことか。
共犯であり必要な事だと判断した私には真実を言うなど、できる
はずもない。罪悪感に苛まれながらも徹底的にクズどもを糾弾し、
冗談抜きに蹴り出して追放した。後悔はしていない。
﹁そして⋮⋮先日、更に許し難いことがありました﹂
ぐっ、と拳を固く握る。
﹁教会派貴族がイルフェナを侮辱したのです。挙句にコルベラ王女
をお救いし、復讐者達に故郷を取り戻させた異世界人⋮⋮﹃断罪の
魔導師﹄と呼ばれるあの方を化物呼ばわりしたのです!﹂
ざわり、と信者達がざわめく。その表情は教会派貴族への嫌悪が
滲んでいた。
先日起きたキヴェラ王太子妃の逃亡に始まる一連の出来事は、キ
ヴェラの過去に絡むほど根深いものだったらしい。
単なる個人の感情や冷遇だけではなく、想像以上に多くの思惑が
絡んだ事件だったのだ。そしてそれは弱き者の嘆きを耳にした一人
の魔導師が成し遂げたとも聞いている。
その魔導師は弱き者に問うたという。﹃抗う気はあるか﹄と。
その結果、キヴェラは敗北することになった。驚くべきはその手
腕。
2007
魔導師一人が力を振るうのではなく、彼ら自身が何らかの形で関
わり結果を出したのだ。彼らを助けキヴェラを敗北させた魔導師が
畏怖されるのも当然である。
キヴェラという大国はそれ程に強大だったのだ。国でさえ手出し
できないほどに。
誇り高く慈悲深い、異世界の魔導師。ゆえに復讐者達の望んだ最
後を否定せず、﹃後は任せよ﹄と去り逝く者達に告げたという。
そんな話が民間では囁かれているのだ。教会派貴族達のこれまで
の所業もあって嫌悪するのも当然だろう。
⋮⋮が。
実際にはそんな尊い人物は居ない。居るのは悪魔だ。
確かに策を練るのは得意なのだろう、悪企み方向で。
姫を救ったのも嘘ではないのだろう、大義名分のために。
キヴェラの敗北も事実なのだ、弄んだ結果として。
実物を目にした後︱︱消去法で該当人物が物凄く限られた上に、
イルフェナから同行していると聞いて確信した︱︱私は心から思っ
た。
﹃畜生、私の感動と純粋な気持ちで向けた尊敬を返しやがれ!﹄
と。それほどに差があった。現実とはそんなものだろうが、涙無
しには語れない事実である。
当時を思い出し、思わず涙が滲む。そして私はそのまま信者達に
訴えた。
﹁それでも我々の意思を問う機会は魔導師殿により与えられました。
これは後日正式に告知されることなのですが、侮辱した教会派の騎
士を無防備な姿で歩かせるそうです。衣服を一切纏わず、あらゆる
2008
言動にも身分を振り翳さないという条件で﹂
突然の事に信者達は不思議そうな顔になった。あえて﹃暴言や暴
力﹄とは言わない。それは私が手本となって見せればよいのだから。
ダン! と拳を叩きつけ、私は更に力の篭った声で続ける。
﹁その人物が本当に民に慕われるならば民は家に閉じ篭り姿を目に
しない︱︱魔導師殿はそう仰られたそうです。これは我々、教会に
属する者達が王家に牙を剥く者と同類ではないと誰の目にも明らか
になる唯一の機会なのです!﹂
はっとした表情になる者達が続出した。だが、それでも貴族に牙
を剥くという状況に躊躇いを覚えているらしく不安げだ。
﹁私は! 神の慈悲を目の当たりにした者として、それ以上に教会
を利用⋮⋮いえ、神を利用した者達を許す事が出来ません! 教会
に属する者の代表として、皆様に﹃もはや利用されぬ﹄と示そうと
思います!﹂
貴族の報復を受けるのは自分一人でいい。そう告げると﹁そんな
っ﹂﹁聖人様を失うなど!﹂といった声があちこちから上がった。
その様子に笑みを浮かべながらも視界がぼやけてくる。腐ってい
たのは一部なのだ、彼らは愛すべき同志である。
﹁私も参ります! 聖人様お一人に全てを押し付けるわけには参り
ません! 許せぬのは私とて同じです!﹂
そんな声が一人から上がった。するとそれに倣うように﹁私も行
きます!﹂﹁御供します!﹂と次々に声が上がる。
それはいつしか教会中に響く大声となっていった。
2009
﹁ありがとう⋮⋮本当に感謝します。教会派貴族に牙を剥くことは
寄付の激減に繋がるやもしれません。共に苦労してくださいますか
?﹂
﹁勿論です!﹂
﹁神が見守ってくださるのです、貧しさなど耐えてみせます!﹂
﹁聖人様は我等がお守りします!﹂
流れる涙をそのままに尋ねれば頼もしい応えが返ってくる。それ
は子供達も同じで﹁少なくても皆で分け合えばいいよね﹂などと健
気な事を口にしていた。面倒を見ていた女性が誇らしげに頷いてい
る。
﹁詳細が決まれば王家から通達がなされるでしょう。共に参りまし
ょう、我等の信仰は腐ってなどいないと証明するのです!﹂
そんな言葉でその場を締め括り、彼らをこれ以上興奮させないた
めにも私は奥へと引き上げる。
見送ってくれる信者達の頼もしいこと。なんと素晴らしき仲間で
あることか。
彼らのためならば自分がどれほど苦労しようとも躊躇わない。こ
の選択は正しかったのだと実感することが出来た。 ただ⋮⋮。
﹁素晴らしい御言葉でございました。我らも誇らしい限りです。初
めに賛同の声を上げた勇気ある信者も同じ気持ちだったのでしょう﹂
﹁⋮⋮﹂
その信者は黒髪の若い女性である。はっきり言えば彼女は信者な
どではない。
2010
﹃集団ってさ、一人が行動すると後に倣うことが多いよね﹄
﹃なんだ、突然﹄
﹃正しいと思っても貴族に逆らうことは怖い。だけど最初に声を上
げる勇気ある一人が居ればなし崩しに続くんじゃないかと思ってね﹄
﹃まあ⋮⋮それはそうだろうな﹄
﹃ついでにこれから苦労させるかもしれないって告げて納得させち
ゃえ。場の雰囲気と勢い、これ重要。というわけで信者に混ざるか
ら、最初の誘導は任せろ﹄
﹃それはある意味、詐欺って言わないか!? お前、本っ当に結果
しか見てないだろ!?﹄
﹃褒めても何も出ないよ?﹄
﹃褒めとらん! 少しは慈愛の気持ちを持て!﹄
切っ掛けさえあればいいのだと、あの女は言った。しかも聖人自
らが率いる集団ともなれば自分達が正しいという思い込みもあり、
戸惑いなく行動に移すだろうと。
﹃聖人に対する信頼﹄。﹃神に選ばれた存在の行動﹄は良くも悪
くも人を引きつける。聖人の単独行動より信憑性が増すでしょう︱
︱と奴は言い切った。結果だけを求める魔導師に躊躇いなどある筈
もない。
これが﹃断罪の魔導師﹄とか言われている奴の本性なのだ!
誰だ、善人路線の噂を流しやがった馬鹿は!
いや、結果だけを見れば確かに間違いではないのだろう。ただし、
そこに至るまでの行動理由や方法が間違っても善人とは言えないだ
けで。
2011
現に後が無い我々にとって最高にして唯一の汚名返上の機会を作
ってくれたのだ。
⋮⋮ただし、それが純粋に﹃教会のため﹄﹃信者のため﹄などで
はないだろうが。
本人も﹃参加させた方が面白そう・教会派貴族のダメージになり
そう﹄と言っていた気がする。当事者になる騎士に屈辱的な思いを
させたい、というのが本音と見た。
﹁貴方にも苦労をかけると思います。これからも共に教会を支えて
いただきたい﹂
﹁勿論です﹂
付き人と穏やかに笑い合いながら私は本を持つ手に力を込める。
贈られてから決して手放さない﹃本﹄は早くも手に馴染み、私に頼
もしい重さと感触を伝えていた。
⋮⋮覚悟しやがれ、これが赤く染まるほど説教してくれる。
私は来るべき日を想像し、ひっそりと決意を固めた。
そんな考えをする私だからこそ、あの魔導師を嫌いにはなれない
のだろう。そう、頭の片隅で自分自身に呆れながら。
2012
準備は念入りに︵後書き︶
アリサは﹃これまで料理しなかった・数年前の記憶が頼り・元の世
界と食材が微妙に違う﹄などの理由で懐かしい味に到達できず。今
後はいっそう頑張ります。
聖人様は信者達の支持を得ました。これで心置きなくボコれます。
⋮⋮参加者も増えました。
2013
惜しまれる存在ならば 其の三
﹁それにしても陛下に連絡を取るとはな。確かに友好的な繋がりが
あると証明する場ではあると思うが﹂
﹁ふふ、ウィル様なら私の意図を判ってくれると思って﹂
笑顔で返す私にグレンは少々呆れ気味。イベントが決まってから
まず最初にしたのがウィル様へのお手紙だもんな、計画的犯行を疑
うか。
なお、ここはアルベルダではない。バラクシン王城の一室だ。
﹁バラクシン王に許可はきっちり取ったわよ? ﹃他国の友人を呼
んでいいか﹄って﹂
嘘は言っていない。バラクシン王とてある程度は私の意図を察し
ていただろう。だからこそ許可が出た。
ただ⋮⋮手紙を出した先がアルベルダのウィルフレッド様︵=王︶
だとは思わなかっただけで。
グレンが訪ねて来た時には顔色失ってましたね、王様。
しかも﹃我が王も来れぬことを残念がっておりました﹄と言って
皆を硬直させたね、グレン。
さすがにそれ以降は禁止令出ましたよ、ルドルフとか呼びそうだ
もんな!
当たり前だがグレンが﹃王も残念がった云々﹄と言っているのは
2014
公式に、という意味ではない。あくまで個人的な繋がりと言う意味
だ。
グレンへの伝達がウィル様経由なのは﹃王とも繋がりありますよ﹄
というパフォーマンスである。ビビるがいい、教会派貴族ども。
﹃笑えるイベントあるんです、ちょっくらグレン貸してくんね?﹄
﹃オッケー、グレン送るわ﹄
ノリ的にはこんな感じのお手紙︱︱文章はもっとまともである、
お互いに︱︱がやり取りされたのだ、隠された意味は﹃情報入手し
に来い﹄。
グレンがわざわざ﹃王も誘われていた﹄と仄めかしたのはウィル
様の指示だろう。さすがにそれは私でもやらん、それに私はグレン
だけを誘ったのだから。
ただ、真実は私達にしか判らないので、周囲が勝手に色々と想像
するだけである。
だってグレンの上司だもの! お伺いの相手は間違っていない!
グレンに食糧を送る度に何故か共に消費している︵グレン談︶ウ
ィル様はすっかり飲み仲間。
アルベルダの酒が焼酎に似ていた︱︱材料は全然違う。似てるの
は味だ︱︱ので、懐かしい味覚と称して梅干やら鮭とばモドキを送
ったら気に入ったらしい。
それ以降はどうやら﹃グレン宛の食糧=酒のつまみ﹄として認識
されたようだ。グレン曰く﹃親父だから﹄だそうだが。
﹃口当たりはいいけど弱い奴が飲んだら死ぬ﹄と言われた酒は泡
盛モドキだったのだろうかと思っている今日この頃。今度送ってく
れるらしいので期待しよう。
⋮⋮話が逸れた。
2015
私を知る人達から見れば﹃魔王様のお付きで魔導師がバラクシン
に居る﹄というだけでも十分おかしい。魔王様が私を外交に関わら
せないと知っているのだから。
指定された場所がバラクシンということもあり、情報さえ掴んで
いればウィル様ならば確実に興味を持つ。
アルベルダはバラクシンの隣国なのだ、教会派貴族を潰して全く
影響が無いとは言い切れん。
アルベルダには守護役が居ない。この楽しさ⋮⋮訂正、情報を伝
えるためには王が信頼する人物が実際に見物する必要がある。イル
フェナに帰ってからでは遅いしね。
グレンが土産話としてアルベルダに報告すれば早めの対策とて取
れる。しかも奴らの楽しい姿も報告という形で上層部に暴露される!
私の友人と知られているグレンはまさに適任だ。﹃グレン﹄とい
う名を出した段階でウィル様ならこちらの意図を読み取ってくれる
だろう。
﹁陛下が残念がっていたぞ? お前のすることならば絶対に面白か
ろうと﹂
﹁期待に応えられると思うよ? ああ、こちらも無理を言ってもら
ったし手土産として映像持って帰ってね﹂
﹁勿論だ。⋮⋮で、妙な﹃頼み﹄だったな?﹂
グレンは今回一人出来たわけではない。私の要請によりお供が二
人ほどいるのだ。
勿論、彼らは騎士とか貴族ではない。私の友人としてこちらに来
たグレンが個人的に連れてきた使用人である。
﹁久しぶりっすね、魔導師様﹂
2016
﹁ご無沙汰しております。我らでお役に立てることがあるならば喜
んで協力いたします﹂
﹁久しぶり。亡霊騒動ではお世話になりました﹂
好意的な笑顔の中に悪戯心を潜ませるのは、亡霊騒動の協力者だ
ったグレンの館の使用人達。
亡霊イベントでは役者と裏方の双方をこなし、キヴェラでは亡霊
の声優さんまで演じたノリの良い人々ならば今回の事も楽しめると
思うんだ。
大丈夫、犯罪に荷担させるわけじゃないから!
グレンは疑いの眼でこっちを見ないように!
﹁それで俺達に頼みたい事って何なんすか?﹂
前くらいのことしかできないっすけど、と言いつつも青年はやる
気だ。対して隣の小父様も楽しげに私の説明を待っている。
グレンは無言。口を挟まなければ﹃アルベルダ上層部が魔導師と
共に画策した﹄という言い掛かりは避けられるものね。
赤猫、賢く育ってお姉ちゃんは嬉しいぞ。でも、どうせなら形だ
けでも止めておけ。無関係の証拠になるから。
﹁今回のイベントについては聞いてるよね。あれ、私は参加できな
いんだけど⋮⋮友人が怒り狂っていてね。ちょっと彼を手助けして
やってくれない?﹂
今回の経緯は事前に﹃友人へのお誘いの一環﹄としてグレン経由
で説明済みだ。
でなければバラクシンに呼べる筈はない。王公認の私サイドの協
力者のような扱いなのだ。
それでも他国の人間を呼ぶことには変わりないから、今も一人の
2017
騎士が護衛として控えている。
王が直々に私につけてくれた気の毒な人⋮⋮いや、騎士は。王か
ら説明を受けているのか、私達の会話を聞いても特に反応すること
はなかった。
﹁ふむ、手助けですか﹂
﹁ええ。いくら無抵抗って言っても騎士だから攻撃に反応しちゃう
かもしれないでしょ? 私の友人は聖職者だから非力だし、相手が
無駄に頑丈そうだから﹂
腐っても騎士、きっと体は鍛えている。殴ろうとしても条件反射
で腕が動き、防がれる可能性が高い。
体力・腕力・頑丈さが揃っているとダメージを与えるのはきっと
かなりの労力を使う。気力だけで補えるほど若くないしな、倒れら
れても困る。
﹁ってことは動きを封じればいいんすね? 任せてください! 俺、
そういうことは得意っす!﹂
﹁⋮⋮なんで?﹂
笑顔で胸を張る青年に素朴な疑問を返すと、小父様が苦笑して解
説してくれた。
﹁ロープの先に錘を付けた物を使って狩をするのですよ﹂
﹁ふーん⋮⋮﹂
﹃狩り﹄ね。その対象が﹃何﹄かまでは言わないってことは、人
間相手の捕獲だな。グレンの館への侵入者あたりに使われるのかも
しれない。魔法が使えないなりに色々と工夫がされているのだろう。
まあ、彼らがただの使用人じゃないことは亡霊騒動で知っている。
2018
あまりにも理想的な働きをしてくれる人々が素人とかないわな。
﹁それにしてもあの美談を使うとは⋮⋮﹂
グレンが呆れた目で見てくる。
﹁ふふ⋮⋮使える物は何でも使うよ。この世界なら抗議だって来な
いだろうし!﹂
﹁男の裸など見ている方にとっての嫌がらせではないか﹂
深々と溜息を吐くグレンの手をわざとらしくもそっと両手で包み
込み、私は出来る限り優しく告げる。
﹁何を言ってるんだい、赤猫。私がそれだけの策など組む筈ないだ
ろう?﹂
ゲーム中の口調でそう言うと、グレンは軽く目を見開いた。当時
を思い出したらしい。
﹁本当に慕われていなければ彼らの﹃勝利﹄はありえないんだよ。
慕われていたとしてもダメージの軽減に動くかどうか﹂
﹁どういうことだ?﹂
﹁君が今言っただろう? ﹃男の裸﹄って。⋮⋮そうなった経緯を
知れば単なる罰ゲームじゃないか。あの話は夫人の行動力だけじゃ
なく、その経緯があってこそのものなんだから﹂
ぶっちゃけて言うと﹃教会派貴族出身の騎士が魔導師を怒らせて
裸で街歩かされたって。変態じゃね?﹄で終わる。それこそ自主的
に体を隠してくれるような人が居ない限り。
民が家に篭って見ないようにしたところで、部外者のイルフェナ
2019
勢やイベントに参加できない人はしっかり見ているのだ。間違って
も美談ではなく魔導師の報復にしか見えない。
イベント開催決定の流れになった時点で、連中の未来など暗雲立
ち込めるどころか嵐である。その後は次々に災害が起こっていくの
だ。
アルにも﹃貴族にとって醜聞は最も恐れるべき化け物﹄って聞い
てるしね、化け物呼ばわりされた私としては﹃化け物仲間の醜聞さ
ん﹄の威力を大いに活用しようと思う。
﹁誰が見ても醜聞にしかならないじゃないか。彼らは﹃魔導師から
助かる唯一の手段﹄だと思っているけど﹂
﹁詐欺に近いな、おい!? それにいくら無礼講と告知しても、貴
族に民間人が手を上げられるとは思えんぞ?﹂
身分制度が明確なこの世界に長く身を置いてきたグレンは否定的
だ。だが、勿論その対策とて取られている。
それにしても﹃無礼講﹄という言葉を使うあたりイベントをよく
理解しているじゃないか、グレン。﹃無礼講﹄って身分の上下関係
無しの﹃宴会﹄を指すからね。
グレンにすら祭り認定されたイベントが世間一般に美談扱いされ
るはずはない。
﹁報復に燃える人達が心置きなく行動できるよう、イベント開始前
に王の前で﹃何があっても報復しない、身分を振り翳さない﹄って
誓ってもらう予定だよ。これに反したら忠誠心無しとして当然地位
を剥奪されるし、王と魔王様の前で寝言をほざいた連中諸共﹃王族
に偽りを言った﹄として処分﹂
さらっと言い切ればグレンは引き攣った顔で私を見た。
2020
﹁そ、そういえばお前は無駄に細かく策を練る奴だったなぁ⋮⋮初
めから連中を煽って誘導してないか、ミヅキ﹂
﹁勿論!﹂
昔を思い出したのか、グレンは若干引いた。
失礼な奴だな、グレン。私はそれを敵に対してしかやってないや
い。
徹底的にやりたければ逃げ道は一気に塞ぐべきではない。
相手に幾つかの逃げ道を見せておき、到達寸前に目の前で塞ぐ。
これを繰り返し最後に﹁逃げ道などなかった﹂と理解させた方が
絶望は深い。
教会派貴族はこのイベントが決まった段階である程度詰んでいる
のだよ。
最初に大人しく謝罪をしなかった時点で無傷での決着はありえな
い。私の提案したイベントに乗らざるを得なかったのだ、彼らは反
論すればするほど首を締めていく。
騎士として慕われています、民が黙っていません!
↓民に慕われているかを判断する恥ずかしいイベント開催決定。
貴族に牙を剥くなど民には出来ないという思い込み。
↓最初に王の前で無抵抗を誓わせるから無効。嘘だったら処罰。
王族の前で﹃立派な騎士﹄って言ったんだから守れよ? 慕われていれば美談になるイベント。
↓そうなった経緯を含めたイベント映像は誰が見ても罰ゲームで
2021
す。
とりあえず騎士は黙ってイベント終わらせろ!
↓人の口に戸は立てられないって言葉知ってる?
私には守護役や上層部の知り合いが沢山、御土産話待っててね
ー! ⋮⋮こんな感じで連中が口を出す度に、より明確に事態の拙さが
暴露されていく。裏工作もばっちりだ、聖人様が本を片手に待って
いらっしゃる。
ちなみに教会の方も何とかなる方法を幾つか考えてあるので提案
するつもりだ。こちらは教会の皆さんが﹃私達は連中とは違います
!﹄と力一杯証明してからでないと納得してはもらえない。
聖人様、頑張れよ? マジに教会の今後がかかってるからな?
こんなことをつらつら解説したらグレンは生温かい目で私を見、
使用人二人は︱︱
﹁凄いっすよ、魔導師様! やっぱり鬼畜という言葉は貴女様のた
めにあるんすね!﹂
﹁幾重にも絶望を張り巡らせる罠、お見事でございます﹂
感動してた。それはもう目をキラキラとさせながら。
褒め言葉に聞こえないのはきっと気のせい。彼らは純粋に褒めて
くれているのだから。
グレンは溜息を吐くと、握られていた手を抜き私の肩を軽く叩く。
﹁相変らずで何よりだ。本当に本っ当に! 懐かしいよ、賢者殿﹂
﹁世界を違えたくらいじゃ性格矯正は無理みたいねー﹂
﹁いや、お前の場合は遺伝子レベルじゃないか? 間違いなく﹂
2022
口調を戻しカラカラと笑えば即座に突っ込みが入る。いいじゃん、
役立たずより。
そしてグレンは更に続けた。
﹁ところでな? さっきから護衛の騎士の顔色が悪いのだが⋮⋮お
前の性格に未だ慣れていないのか?﹂
﹁ああ、そういえば⋮⋮﹂
顔を向けると即座に視線を逸らされる。得体の知れない生き物の
思考回路と﹃奴らが無事な可能性など一パーセント以下だ!﹄とい
う、果てしなく黒いイベントの実態に恐怖を感じたらしい。
ああ、君も男だもんね。女が平然とそういう策を練るとは思わな
いだろうな、この世界では。
﹁グレン様⋮⋮異世界には魔導師殿のような女性ばかりなのでしょ
うか﹂
﹁いや、こいつは特殊だ﹂
縋るように向けられる騎士の言葉をグレンは即座に否定する。
﹁そ、そうですよね! 彼女が魔導師だからで⋮⋮﹂
﹁だが、ミヅキの仲間達は似たり寄ったりだったから、居る所には
居るぞ﹂
﹁え゛﹂
グレンの言葉に騎士は固まった。
涙目だった騎士を安堵させた次の瞬間に突き落とすとは、中々や
るようになったじゃないか。
騎士よ、今ので気付いたと思うがグレンも私の同類だ。
2023
※※※※※※※※※
そんなわけでイベント当日。
王に見苦しい姿を晒すわけにもいかず、今はマントで体を隠して
いるあの騎士が跪いていた。
相当屈辱的なのだろう⋮⋮その表情は険しいまま。私が奴から見
える位置に居る事もあるだろう。
﹁それでは試される間は何があろうとも﹃一切無抵抗を貫き、全て
を不問にする﹄ということに納得せよ。これは貴様が﹃民に慕われ
ている騎士﹄だと証明する場なのだからな﹂
﹁⋮⋮はい、誓います﹂
ここは城門を入ってすぐの少々開けた場所。辛うじて城内なので
周囲に居るのは騎士や貴族といった王城で働く皆様だ。
ただし、門を出ればそこは城下町。見物人がちらちらと見ている
ので、この宣誓も勿論聞こえているし王の言葉だということも伝わ
るだろう。
とは言っても最初の一人になるのは勇気が必要だ。
ここは発案者として私が手本を見せようじゃないか!
﹁王様、少し良いですか? ⋮⋮言葉だけでは民は本当に無抵抗な
のか判らないと思うのですが﹂
﹁ふむ、それは確かにそう思うだろうな﹂
王は納得するように頷く。だが、良い方法が思い浮かばないのか
少々困った表情だ。
そこで私は提案をしてみた。
2024
﹁まず、私が証明をしたいと思います。﹃女﹄で﹃庶民﹄でこいつ
曰く﹃人ですらない下等生物!﹄の私が手を上げても無抵抗ならば、
誰もが納得するかと﹂
﹁なっ! そんなことはな⋮⋮﹂
跪き頭を垂れていた男の頭はかなり低い位置にあった。私の言葉
にぎょっとして男は顔だけを上げる。
⋮⋮が。
私は慌てて弁解しようとする男の顔を踏みつけ︱︱跪いたままだ
からこそ可能だった︱︱反論を封じた。
周囲は無言。王も無言⋮⋮いや、もう実行しちゃってるから対応
に困ってるだけだけど。
﹁あ∼⋮⋮そうだな、許そう﹂
それだけ言うと視線を逸らす。縋るような周囲の視線も気付かぬ
振りをすれば良いのだと判っているのだろう。
その言葉を受けて私はぐりぐりと足に力を込める。手には雰囲気
を出すための小道具として鞭。
﹁恥ずかしいわねぇ? 辛いわねぇ? 私は貴様の無様な姿が楽し
くて仕方が無い。私自身はイベント中は手が出せないもの、甚振る
のは今しかないから王様には感謝しなきゃね﹂
﹁ぐ、き、さま⋮⋮﹂
男が睨みつけてくるも笑顔で対応。さりげに﹃王には感謝してま
すよ﹄とアピール。
笑いながら甚振る小柄な女に、顔を踏みつけられるマントだけで
体を隠した大柄な男という光景は異様という一言に尽きる。
2025
一見妙なプレイのようです、誰が見ても男がまともには見えまい。
何せこの後には更なる恥辱プレイが待ち構えているのだ。映像を
通しで見れば変態認定は免れまい。無抵抗という事も大いにその疑
惑を盛り上げてくれるだろう。
なお、私に関しては﹃今更だろ﹄﹃元々鬼畜認定されてるし﹄と
いった程度で終わる。それ以外に色々やり過ぎて、男の顔を踏んだ
程度では今更驚かれないとも言う。
﹁覗いてる皆さーんっ! これでこいつが無抵抗だと証明されたと
思います。大いにやっちゃってください!﹂
﹁いやいや、攻撃するとは限らないだろう﹂
突っ込むライナス殿下は華麗にスルー。常識人などこの場には要
らぬ、必要なのは場を盛り上げる宴会部長だ。
ひっそり男に治癒魔法をかけつつ、足を退ける。
﹁それじゃあ⋮⋮行ってらっしゃい、ねっ!﹂
﹁へ?﹂
男が呆けたような声を出し、私の言葉を疑問に思う隙もなく唐突
にその姿が消える。
そして。
﹁な⋮⋮何故いきなり門の外へ⋮⋮!?﹂
﹁治癒係と監視要員はすでに準備できてるから!﹂
転移魔法で門の外に捨てる。ここから見えてる場所だもの、この
距離なら転移可能。
そしてこれは教会派貴族に対する警告だ。無詠唱で、単独での転
2026
移を成し遂げる魔導師ならば数々の脅迫も不可能ではないと悟るだ
ろう。
男の移動に門の傍にいた二人の騎士が慌てて馬に乗ったまま男の
傍へ行く。彼らが治癒魔法担当者と監視要員らしい。
﹁おい! 私の馬は⋮⋮﹂
﹁馬が可哀相でしょ。裸の男を乗せる上に攻撃に巻き込まれるかも
しれないじゃない!﹂
﹁私は馬以下とでもいうのか!﹂
﹁うん﹂
即答。
あまりな言葉に男は絶句したようだ。いや、馬はきちんとお仕事
してるじゃん?
それに。
お前に馬など必要無いとばかりの私の言葉に反論する人は居なか
った。
⋮⋮いや、呆気に取られたり、無詠唱の転移なんてものを見せ付
けられて反論できないのだ。
城の三階あたりから吊るされている蓑虫達︱︱余計なことを言っ
た貴族達だ︱︱の姿も口を噤む理由な気がするけどな。
言葉が途切れた隙を突いて、控えていた騎士達が私達と男を隔て
てゆく。
城の安全のためだが、退路を断つ意味も含まれているので奴に逃
げ場は存在しない。
そうして城下町を使っての、例の無いイベントは幕を開けたのだ
った。
2027
惜しまれる存在ならば 其の三︵後書き︶
協力者二名は先に町でスタンバイしてます。
聖人様は次話にて登場。
2028
惜しまれる存在ならば 其の四︵前書き︶
今回、視点が色々変わります。
2029
惜しまれる存在ならば 其の四
︱︱ある夜、カルロッサ某一室にて ︵宰相補佐視点︶
﹁ふふ、今頃は小娘が暴れているでしょうねぇ﹂
指先で髪を弄びながらバラクシンに居るであろう、トンデモ娘に
思いを馳せる。その騒動はクラレンスの言葉に乗った自分も一役買
っているのだ。
﹃ミヅキを利用して貴方の従姉妹の報復をしませんか﹄
﹃何よ、突然﹄
﹃ミヅキにとっても我々にとっても有益な策があるのですが﹄
告げられた内容に思わず呆気に取られた。未来の妹として、また
は﹃良い子﹄と褒め可愛がっているのではなかったのかと。
そう言えばクラレンスは笑みを深めた。
﹃可愛がっていますよ? 同時に認めてもいるのです。あの子はと
ても頑張りやさんですしね﹄
愛でられるだけの存在など要らぬ、確実に結果を出す能力さえも
求めるのだとクラレンスは言い切った。おそらくはそれができなけ
れば心から可愛がることなどないのだろう。
その策は至って単純だ。あの小娘に教会派貴族達の情報を齎せば
いい。
2030
イルフェナだけではなく他国の自分からも齎されたという事実は、
ミヅキが国の上層部に個人的な繋がりを持つ事も含めて﹃他国の評
価﹄と受け止められるだろう。
そう、ただそれだけなのだ。後は教会派貴族がミヅキに喧嘩を売
ってくれれば、その情報はミヅキにとって有力なカードとなる。
尤も﹃話し合い﹄などという平和的解決が待っているとは欠片も
思わない。ミヅキは少々⋮⋮いやかなり性格に難ありで、最良の結
果を出しつつも敵には最悪の結果を齎すのだから。
しかもそれは個人的感情という理由が大半を占める。
冗談抜きに災厄なのだ、あの小娘。
﹁まったく⋮⋮あの人も厄介な場所に嫁いだものだわ﹂
思い出すのは自身が末っ子ゆえか、年下の自分を可愛がってくれ
た従姉妹である公爵令嬢。彼女の嫁ぎ先がバラクシンの王太子だと
聞いた時は本気で止めようとすら思ったのだ。
あの国は教会と王家が長年対立をしている。そこに未来の王妃と
して嫁げばどれほど苦労するのかと。
いくら天然気味の従姉妹であろうとも精神的に疲れ果てるかもし
れない。口には出さなかったが周囲とて案じていた筈だ。
⋮⋮が。
事態は思わぬ方向に向かったのだ。
外交ついでに里帰りした従姉妹はやつれるどころか⋮⋮元気一杯
だった。それはもう、目をキラキラとさせながら満面の笑みでこう
言ったのだ。﹃夢が叶ったの!﹄と。
聞けば王太子殿下の歳の離れた弟君が天使の如く可愛らしく、照
れながら﹃⋮⋮あねうえ?﹄と呼ばれた瞬間運命を感じたらしい。
2031
勿論、惚れたという危ない趣味ではない。
彼女曰く、歳の離れた妹に無邪気に懐かれる友人を見てから﹃幼
い弟・妹﹄というものは憧れであり、同時に叶わぬ夢だと思ってい
たそうだ。
確かに彼女と釣り合う年齢の男性に嫁いだとしても、そこででき
る弟や妹はそれなりの年齢だろう。下手をすると独り立ちしている
し、義理の姉より友人や恋人を優先しそうだ。
⋮⋮そういえば自分もよく面倒を見てもらった。あれはそういう
裏があったのか。
呆れるこちらを無視し、それはそれは幸せそうに語った内容を要
約すると。
・弟君の可愛さにやられ、初夜にて王太子殿下に﹁ライナス殿下に
弟を作ってやりたいのです!﹂と進言。
・王太子殿下はその提案を非常に喜び、結婚早々夫婦共通の目標が
出来た。
・更なる目標は子供達がライナス殿下を﹃兄上﹄と呼ぶことである。
仲が良いと評判の王太子夫妻の秘密が判明した瞬間だった。それ
はお互い運命だと思うだろう、夫婦揃って同類なんて。
⋮⋮はっきり言おう。呆れた。それはもう、思考回路に不安を覚
えるほどに。
そもそも子供が生まれても﹃兄﹄ではなく﹃叔父﹄である。何、
夫婦揃って幸せ家族計画を立てているのだ!
しかし一大目標ができた同類夫婦は強かった。
前提としてある程度の足場の確保が必要になるためか、教会派貴
2032
族達は悉く王太子夫妻に敗北したのである。付け入る隙を窺ってい
た連中を新婚夫婦は見事蹴散らしてみせたのだ。
最もそれが現れているのは王妃が王子を三人生んだことだろう。
こればかりは欲しいと思ってどうなるものではない。
執念⋮⋮いや気合と根性か? 夫婦は運すら味方につけたといっ
てもいいだろう。
唯一の敗北が側室を取らされた事だろうか。だが、これは二人に
責任はない。悪いのは当時まだ王位にあった先代なのだから。
そんな無敵な夫婦をマジ泣きさせたのは十数年前の出来事である。
久々に里帰りした従姉妹は泣きながらこう告げたのだ︱︱
﹃ライナスが⋮⋮っ⋮⋮姉上って呼んでくれなくなっちゃったの!﹄
お馬鹿さんと言うなかれ。国王夫妻は冗談抜きに落ち込んだのだ
から。
聞けばライナス殿下は元は教会派貴族が送り込んだ側室の息子で
あり、教会派貴族にとって期待の星だったらしい。
ところが母を早くに亡くし、家族達に可愛がられて育ったライナ
ス殿下は非常に賢く成長。自分が教会派貴族の駒になる可能性を消
すべく、継承権の破棄と臣下としての制約を行なったというのだ。
可愛がられたから、そして王族として立派に育ったからこその選
択である。拍手をして褒めてやりたいほどの徹底振りだ、独断で全
てを放棄し先手を打つなど。
だが、弊害があった。臣下としての態度を周囲に見せ付けるべく、
ライナス殿下は兄を﹃陛下﹄、姉を﹃王妃様﹄と呼ぶようになった
のだという。
これには国王一家が悲しんだ。これまで家族として過ごしてきた
のに、距離を置かれてしまったのだから寂しさは当然だろう。
以来、国王夫妻は原因となった教会派貴族達を個人的に恨んでい
る。それが連中を抑える原動力となっているのだから皮肉なものだ。
2033
﹁教会派の連中があの小娘を放っとくはずはないわ。絶対に、絶・
対・に! 下らない真似をして小娘の怒りを買うでしょうねぇ?﹂
手にしたグラスから酒を一口飲み、イルフェナで土産に貰った﹃
生ハム﹄とやらに視線を向ける。
透けるほど薄切りにしてチーズや野菜を包んだものを酒のつまみ
として出してくれた際、気に入ったと口にしたら分けてくれたのだ。
塩漬けの肉かと思ったら、これも異世界の料理らしい。
貰っていいのかと聞けば﹃カルロッサではお世話になったので﹄
と返って来た。ミヅキなりの御礼ということなのだろう。
このことからもミヅキは世話になった者にはきちんと感謝できる
子だと判る。恩返しだって頼まれずともやるだろう。ただ⋮⋮その
反動か敵になった者には本当に容赦が無い。
そんな奴が一番懐いている保護者を侮辱されて黙っているはずは
ない。
最悪ともいうべき報復が展開されることは確実だ。
カルロッサでキヴェラからの追っ手を泣かせた時には冗談抜きに
顔が引き攣った。どこの拷問担当者だ、あれが民間人とか嘘だろう!
恐ろしいことに国の上層部を震撼させたキヴェラ敗北の筋書きは
未だ全てが判っていない。魔王殿下が隠すので詳しく知ることがで
きないともいう。
だが、つまりはそういうことなのだ。﹃他国に隠さねばならない
ことをやらかした﹄と。
気付いた時は即座に﹃異世界の魔導師の敵にはならないでくださ
い﹄と進言した。先日のクラレンスの反応を見る限り、それは正し
かったのだろうと確信できる。
ふと視線を向けた窓の外には月が明るく輝いていた。⋮⋮そうい
2034
えば﹃ミヅキ﹄という名は月を意味すると聞いたなと不意に思い出
す。
そして。
騒動が起きているであろうバラクシンを思い、口元に物騒な笑み
を浮かべた。
﹁頼んだわよ、小娘ぇっ!﹂
自分は動けないのだ、だからこそ可能な人物に託す。共犯者の一
人として、盛大に暴れるだろう魔導師の味方をすると言うべきだろ
うか。
何せ自分はクラレンス同様あの娘の敗北など欠片も疑ってはいな
い。
自分もまたあの小娘を信じている︱︱方向性は別として︱︱のだ
と言う事実を、予想外に容易く受け入れたのは秘密だ。
※※※※※※※※※
︱︱イベント会場にて ︵聖人様視点︶
しっかりと正面を見据え、道の中央に立ち目標が来るのを待つ。
信者達は私に場を譲ると言ってくれた。危険ならばお手伝いしま
す、とも。
その頼もしき同志達は目標の逃げ道を塞ぐべく、周囲に控えてい
る。
これは私にだけ報復を押し付けたのではない。
私の怒りに共感するからこそ、できることをしてくれただけなの
だ。
2035
右手に視線を向ければ、適度な厚さの本が目に入る。
たかが本と侮ってはいけない、これこそ我が罪の証︱︱信者達を
騙したのだから当然だろう︱︱であり、魔導師からの祝福なのだか
ら。
﹁来ました!﹂
誰かの声に正面を向けば、裸の男が歩いてくる。その顔はいかに
も不機嫌であり、騎士という職業故か鍛えられた体は周囲を威圧し
ているよう。
それは民間人ならば恐れを抱き、即座に道を譲る程度の迫力では
あった。
だが。
だが⋮⋮!
あの魔導師に比べれば何ぼのもんじゃぁっっ!
真の恐怖⋮⋮いや、悪意を知る自分からすればなんと可愛らしい
抵抗なのだろう。
反抗期の子供のように周囲に強がって見せているだけ。それで自
分を上位に見せているつもりなのだ、実に笑いが込み上げる姿では
ないか!
真の悪意とは密やかに忍び寄り、気付かれずに牙を剥くものであ
る。
2036
警戒心を抱かせず、最小限の関わりと裏工作で最も効果的に結果
を出す者に見せ場を譲るのだ!
あの魔導師は自分が認められる事など考えてはいない。敵に救い
の無い絶望を味わわせ、より最悪な結果に導く事が全てなのだ⋮⋮!
今回は完全に利害の一致という繋がりである。だが、だからこそ!
同時にこれ以上はない頼もしき共犯者と化すのだ。私とて相棒の
期待に応えてみせるとも!
﹁ふふ⋮⋮漸く、漸く来たか﹂
口元に笑みを浮かべながら本を左手に軽く叩きつける。相変らず
頼もしい感触と重さである、これの角で殴れば騎士といえども無事
では済むまい。
狙うは頭一択⋮⋮!
非力な聖職者だからこそ確実に傷を負わせられる場所を狙うのは
基本!
男の視線が自分を捉え、訝しげな表情になる。
ただ一人、本を持って道の真中に立つ聖職者はさぞ異様なことだ
ろう。
﹁貴様は⋮⋮?﹂
﹁お初にお目にかかりますなぁ、教会派の騎士様?﹂
まずは微笑み軽い挨拶を。
そして。
2037
﹁我等の怒りと恨みを思い知れぇぇぇぇっっっ!﹂
﹁⋮⋮へ!?﹂
男は間抜けな表情で気の抜けた声を上げる。突如豹変した私に驚
いたのか、状況に付いていけなかったのかは定かではない。そのよ
うなことは、どうでもいい。
この瞬間、﹃狩る者﹄と﹃獲物﹄という立場は間違いなく決定し
たのだ。その事実が全てである。
※※※※※※※※※
︱︱イベント会場にて ︵治癒担当者視点︶
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
隣の騎士共々、俺は無言だった。無言にならざるを得なかった。
﹁な、なあ⋮⋮ヤバくないのか、あれ﹂
顔を引き攣らせながら若干震える指で指された場所。そこは中央
の二人を囲むように人の輪が出来ている。
そう、﹃武器を持たぬ民間人﹄。だが﹃一切傷つけず身分も振り
翳さない﹄という誓いがある以上は、彼らに退いてもらわない限り
逃げ道は無い。
誰だ、こんな知恵を授けやがった奴は!
⋮⋮あの人か? あの魔導師殿の入れ知恵か!?
2038
一度思い至ればそれが正解のような気がしてくるから不思議だ。
だが、他に該当者が思い浮かばないのも事実⋮⋮別の意味で魔導
師への信頼は培われているようだった。
﹁というかだな⋮⋮最初に動いた二人は明らかに狙ってただろ﹂
思わずそう呟き﹃騒動の始まり﹄を思い出す。
そう、あれは確実にこの展開を狙っていた。と言うか、どうも聖
人と呼ばれる聖職者は代表として報復に臨むつもりのようだった。
しかも手にしているのが本。説教でもするのかと思っていたら、
動いたのは彼ではない信者達。
男が聖人と対峙し、聖人が本を手にした腕を振り上げる。男はそ
れを鼻で笑いつつも片手で防ごうとしたのだ。
騎士である男からすれば聖職者の一撃など大したダメージにはな
らないのだろう。
だが。
男が攻撃を防ごうと上げた手に斜め後ろから突如縄が巻き付き、
男の妨害をしたのだ。それに舌打ちをし、反対の手を使おうとする
も同じように妨害される。
﹃やっちまってください、聖人様ぁっ!﹄
﹃お手伝い致します、御存分に!﹄
そんな言葉と共に二人の信者は男の動きを封じた。二人は最初か
ら聖人に報復の場を譲るつもりだったのだろう。そして周囲に集っ
ていた信者達は聖人と男の周囲に集って囲んでいく。
見事な連携である。これが信仰で繋がっている底力だろうか。
そしてその後は聖人の暴力⋮⋮いや、力の篭った説教が展開され
2039
たのだ。
﹃貴様らは!﹄
言葉と共に男の右頬に一発。
﹃一体!﹄
次は左頬。
﹃何を!﹄
再び右。
﹃やらかしとるんじゃぁっ!﹄
再び左。
何故か男は次々に繰り出される本の攻撃に、予想外のダメージを
受けているようだった。本で殴られたとはいえ相手は聖職者、それ
でこの状態は些か情けない。
その後も聖人の説教は更に続く。ふらついた男の髪を鷲掴みにし、
怒りの形相で言葉を続けていた。
﹃教会はなぁ、てめーらの所為で詰んでんだよ。王家に楯突くわけ
ねぇだろうがよ、善良な信者達が!﹄
﹃ぐ⋮⋮貴様、庶民の分ざ⋮⋮い!?﹄
﹃口ごたえは要らん! 黙って聞けや﹄
⋮⋮何故か蹴りが入ったようだ。彼は聖職者の中でも武闘派なの
だろうか?
2040
いや、聖職者に武闘派なんてものがあるかは知らないが。
﹃散々権力争いに利用してくれたなぁ? 我等を味方や所有物のよ
うに扱って王家を脅迫してきたよなぁ? 貴族として恥ずかしくね
ーのか、貴様らはよぉ!﹄
若干大人しくなったものの未だ睨み付けて来る男の頬に、ぴたぴ
たと本を当てながら説教する聖人。
口調は﹃何処のゴロツキだ、お前﹄と突っ込みどころ満載ながら
も、言っていることは間違っていない。
教会にも心ある者達が居た、いや大半の信者は憤りを感じていた
のだろう。それが今回の事で爆発した、ということか。
そこからは聖人無双であった。言葉と共に本が跳ぶ。
そして男がヤバくなりかける度に治癒魔法をかける⋮⋮というこ
とが繰り返されているのだ。
溜息を吐いて俺は回想という名の現実逃避を終わらせた。何のこ
とは無い、そろそろ俺の出番だからだ。
あんなどうしようもない奴でも死んだら困る。善良な聖職者を殺
人犯にしてはいけない。
俺は再び溜息を吐くと人々の輪の中央に足を進めた。俺の役割が
治癒担当ということをこれまでの行動から知った人達は、素直に道
を空けて先へ進ませてくれる。
﹁あ∼⋮⋮そろそろ一旦止まれ。死んだら拙いだろ﹂
投げやり感が溢れつつもそう口にすると、聖人は動きを止め実に
爽やかな笑みを向けて来る。
﹁おお、そうですな! お勤め御苦労様です﹂
2041
﹁⋮⋮。いや、そちらも十分楽しまれているようで﹂
﹁いやいや、お恥ずかしい。つい、熱が入ってしまいましてな﹂
それ以外を口に出来ず言葉を返せば、聖人は照れを滲ませて笑う。
言葉だけならば熱心なあまり周囲が目に入らない聖職者。我に返
った時の笑みは優しく朗らかで、人々から向けられる敬愛の視線か
らも慕われている人物なのだと推測できた。
⋮⋮が。
その服装は物騒という一言に尽きた。
まあ、あれだけ激しく動いていれば当然なのかもしれないが。
所々に赤い汚れがついた白い服とか。
激しい動きに少々解れかけている袖とか。
⋮⋮手にした本は最初から赤かった。そう思いたい。
息を弾ませているあたり、やはり体力は無いのだろう。それでも
自ら殴⋮⋮いや、説教したかったということなのか。
視線を下に向けると赤黒く汚れた物体が虫の息となっていた。
腐っても騎士である。治癒魔法さえかければ命に別状はあるまい。
そう思い、事務的に作業をこなす。
どちらかと言えば治癒される方が苦痛が長引くのだが、こちらも
仕事だ。﹃ざまぁっ! これまでの報いを受けやがれ!﹄と思って
の事ではない。ないったら、ないのだ!
﹁では殺さぬように﹂
﹁判っております。お世話をお掛けしました﹂
2042
一声かけて再び離れていく自分に聖人が律儀に声をかける。
周囲の人々からも感謝の言葉がかけられ、先ほどと同じように道
を空けてくれた。 その後﹁さっさと起きんか!﹂という怒鳴り声と鈍い音が聞こえ
た気がするが、その場から離れかけていた俺は何も知らない。
※※※※※※※※※
︱︱城の一室にて
監視の騎士に持たされている魔道具からの映像中継を見ていた人
々は全員無言だった。
道に配備された騎士達︱︱イベントに参加しない民間人の為に配
備されている︱︱からは危険だという知らせは無い。
つまりあれは自ら参加した信者達ということになる。数の暴力っ
て凄ぇ!
﹁⋮⋮。ミヅキ?﹂
笑顔でこちらに顔を向ける魔王様を無視してふいっと顔を背ける。
﹁⋮⋮グレン殿?﹂
グレンも私に倣って同じ行動をとった。そうだよな、こういう場
合は視線を合せちゃいけないよね!
﹁魔導師殿⋮⋮貴女は彼らに入れ知恵をしなかったかね?﹂
2043
すぐ傍にいたライナス殿下が呆れながらも聞いてくる。聞くとい
っても、もはや確信しているのだろう。深々と溜息を吐いておいで
だ。
﹁相談されたから答えただけですよ? 実行したのは彼らです﹂
﹁なんて相談されたんだ?﹂
﹁え、﹃聖人様のお役に立つにはどうしたらいいか﹄って﹂
嘘ではないし、この答えなら問題にはならない。
だって、ヤバイ罠の作り方を教えたわけでも、魔道具を渡したわ
けでもないのだから。
聞いていた皆さんもそれが判ったのか、咎める気はないようだ。
﹁聖人様に心置きなく行動してもらうよう、場を整えただけじゃな
いですか。それに教会派貴族も現実が見えたのでは?﹂
ひらひらと手を振りながら明るく言えば、王は怪訝そうな表情に
なった。
﹁どういうことかね?﹂
﹁数の暴力は凄いってことですよ。⋮⋮次に信者達を怒らせれば、
怒り狂った信者達が貴族の館を襲撃したりするかもしれませんし﹂
﹃え゛﹄
ぴしり、と場の空気が凍りつく音がしたような?
いや、でも今回の事で﹃皆で協力すればできる!﹄って自信がつ
いたと思うのですよ。間違いなく、実力行使という選択肢は増えた
ことだろう。物凄く機会が限定されるけど。
﹁私兵を持っていたとしても圧倒的な数相手には打つ手がないでし
2044
ょうし、魔法を使えば超目立つ! ので国からの追求は確実です。
そこで﹃教会が何故こんな行動を起こしたか﹄を訴えればいいじゃ
ないですか﹂
私の言い分を魔王様は即座に理解したようだ。一つ頷くと補足す
るように言葉を続けてくる。
﹁なるほど、訴えを直接国に聞かせる方法ということかい。しかも
信者ではない民にも行動を起こした事は知られているから、国とし
てもその後の対応を公表せざるを得ない﹂
﹁日頃から凶暴ならばともかく、普段大人しいなら事情があったと
思われるでしょうしね。それに王家が無視できないほど信者は多い
んでしょ? ⋮⋮民はどちらの味方でしょうね?﹂
これまで教会派貴族が王家に対し使ってきた切り札である﹃民の
扇動﹄。それが教会派貴族達に牙を剥く可能性があるということだ。
勿論これは他の貴族達にも言えることなのだが、これまでと変わ
らぬ行動をしていれば問題は無い。
重要なのは﹃教会が国に不正を訴える方法を得た﹄ということ。
﹁民がそのような考えを持つなど危険ではないかね!?﹂
教会派らしい小父さんが悲鳴のような声を上げるが、私は映像を
指差し首を横に振る。
﹁見てください。⋮⋮彼らは冷静です。しかも貴族に牙を剥く怖さ
を彼らは知っている。感情だけで簡単に動いたりはしないでしょう
し、行動をする時はどうしようもない場合ですよ﹂
﹁しかしっ⋮⋮!﹂
2045
それでもまだ言い募ろうとする男に、私は更に言葉を続けること
にする。そして、そこに乗るのが魔王様という人だった。
﹁これまで貴族として恥ずかしくない行動をとっていれば何も起き
ないんですよ。慌てるのは後ろ暗い事がある人だけですよね?﹂
﹁聖人殿の言葉は信仰を利用し、信者達に王家への反逆の汚名を着
せようとした怒りだよ。彼らは虐げられて怒っているんじゃない、
信仰を政治利用したことに対して怒っているんだ。それ以外では動
かないだろうね﹂
﹁ですよね、宗教そのものが悪いものとして周囲に認識されちゃい
ますし﹂
﹁勝手な理由で暴動を起こすようなら国として処罰しなければなら
なくなるだろう。他国だって黙っていないし、君が案じるような危
険な存在となるようなら正当な理由の下に潰されるさ﹂
﹁ぐ⋮⋮﹂
交互に彼等の行動理由を説明すると小父さんは呻いて座り込んで
しまった。⋮⋮心当たりがある故に王に進言して可能性を潰してお
きたかったのが本音と見た。
つーかね、特殊な状況でもない限り暴動は起こらないと思うよ?
わざわざ言葉にしたのは単に教会派貴族を慌てさせたかったから。
寄付の元を潰すような騒動はそうそう起こさないって! バラク
シン王族はそれを判っているから慌てていないのだから。
今回とて様々な条件があって初めて彼らは貴族に牙を剥くことが
叶ったのだ、それらが無ければまず無理だったとも言う。
何せ今回は﹃神の奇跡﹄と﹃聖人様﹄という二つの事が信者達を
後押ししている。
それらが無く通常の身分制度が適用されるなら、貴族に喧嘩を売
2046
ろうとする馬鹿は居まい。それでも事が起こるならば、それは教会
にとって後が無い状況ということだろう。
﹁ところでな、魔導師殿⋮⋮その、何故私を盾にしているのかね?﹂
﹁⋮⋮﹂
魔王様の視線を避けるべく盾にされているライナス殿下が、後ろ
を振り返りつつ生温かい視線を向けて来る。背中に貼り付いてます
ものね、私。
会話をしていてもお説教モードは健在なんだもの、魔王様。お兄
ちゃんのため、私のために盾となっておくれ。
﹁ミヅキ、後でしっかり話は聞かせてもらうから﹂
とりあえずグレンは巻き添えにしようと決意した。
2047
惜しまれる存在ならば 其の四︵後書き︶
個人的感情が駄々漏れな人々でした。
そして参加できずとも﹃信者の怒りが教会派貴族に向くかもね?﹄
な脅迫をする主人公。地味に場外乱闘中。
2048
祭りが終わって、日が暮れて
イベントが終わって︱︱男が力尽きたので終了になった︱︱開始
時と同じく城門近くの開けた場所。
そこには開会式と同じ面子に加え、教会の皆様が特別に参加して
いた。
と言っても王の御前に居るのは聖人のみ。他は門の近くで見守っ
ているという感じ。
なお、男は布で巻かれた上に蓑虫状態にされて監視役の騎士に引
き摺られて来た。命に別状はないらしいが、体力的にも精神的にも
限界だったのだろう。
﹁これではっきりしたな。教会派が信者達を味方につけているなど
妄想に過ぎないと﹂
王がはっきり言葉にすると教会派貴族達は顔を青褪めさせる。こ
れで二度と王家と対立するなど不可能だ。
そもそも原因は王になれなかった王族が教会という一つの勢力の
トップになり起こした権力争いである。
王族だからこそ意見が無視できないという状況であり、彼に付い
た貴族達が後押ししたので妙な権力を持っただけ。
それがしっかり根付いてしまったゆえに教会派貴族なんてものが
できたのだとか。権力争いを場外で行なった結果、残ってしまった
歪みだったのだろう。
王は信者達、そして聖人に視線を向けて言葉をかける。
﹁よくぞ信仰の尊さを証明してくれた。これで権力争いに利用され
ることもなかろう﹂
2049
﹁はい。我々も長く王家の皆様に御迷惑をかけてしまいました。深
くお詫び致します﹂
深々と頭を下げる聖人様。後悔を滲ませた表情はイベント中とは
別人のよう。
﹁全ては魔導師殿の提案だ。感謝するぞ﹂
微笑みながら向けられた言葉に私は首を振る。
﹁私は﹃慕われている﹄という言葉が事実か確かめたかっただけで
す。それを証明したのは教会に属する人々ではありませんか。彼ら
の怒りは信仰を政治利用されたことに対してのみ⋮⋮それが彼らの
在り方なのでしょう﹂
﹁うむ、一言も王家に対する恨み言などなかったものな﹂
実際は聖人無双と化していたのだが、王と揃って綺麗にスルー。
あれは敬虔な信者の姿なのです、信仰を利用されたあまりに怒る姿
だったのです⋮⋮!
⋮⋮。
そういうことにしてくれ、対外的に。
﹁今回の事を提案したのは私です。教会の皆様、特に聖人と呼ばれ
ていらっしゃる方の怒りと熱い想いはとても楽し⋮⋮いえ、感動さ
せられました﹂
微妙に本音が出かかった私に魔王様の眉が少々上がる。⋮⋮大丈
夫です、ボロはまだ出してません!
﹁そこで私から提案があります。⋮⋮その前に前提となる条件の確
2050
認をしますね。この場で言っても宜しいですか?﹂
﹁ふむ、申してみよ﹂
王が興味深そうに許可を出す。
﹁まず、﹃教会は寄付が関わろうとも教会派貴族の味方ではない﹄。
これまでは寄付を盾に取られてきたようですし、守るべき者がいる
以上は言いなりになるしかなかったと今回の事で知れました﹂
﹁うむ、そうだな。その事情は理解できるし、先日貴族と癒着して
いた者達が内部告発の末に追放されたと聞いている。ある意味脅迫
されていたようなものなのだ、罪に問う気はない﹂
私の言葉に頷く王。重要なのだよ、これ。簡易とはいえ公の場で
王から﹃教会にも事情あったって理解してるよ!﹄と言われたのだ。
内部告発のこともあるし、これで連帯責任は免れる。
﹁あ⋮⋮ありがとうございます⋮⋮!﹂
感極まったように深々と頭を下げる聖人様。
罪に問わないと判断されただけではない、内部告発という言葉を
使って教会全てが腐っていたわけではないと王自ら証言してくれた
からだ。
何より教会の事を気にかけていなければ知らない情報である。そ
れが嬉しいのだろう。
二人の様子を確認した上で私は本題を告げる。
﹁信者も教会に属する全てが腐っていたわけではないのです。です
から! 教会派貴族を名乗った者達に誓約書を書かせてはいかがで
しょう? ﹃寄付は決して味方につくことを強要するものではない﹄
と﹂
2051
﹁ほう、確かにそれは必要だろうな﹂
誓約書という言葉に、教会派貴族は苦い顔をするも反論はない。
たとえ制約の術式が組み込まれても、時が経てば無効になると思
っているのだろう。一族全てに対しての制約とかは無理みたいだし。
﹁普通に信者であった者達はこれまでと同じです。ですが利用する
ために寄付をし、まるで民を味方につけているかのように振舞って
きた者達もまた教会の財布として生かしておく必要があることも事
実﹂
﹁財布⋮⋮﹂
﹁訂正。財源です、財源﹂
いかん、つい本音が。
﹁今後寄付は一度国に納めることを提案します。寄付の額は寄付を
した家が国・教会双方に通達し、確かにその金額が寄付されたのだ
と互いに判るようにすればいい。また、教会は必要経費の明細を王
家に提出﹂
﹁何故そのような手間を?﹂
かなりの手間が追加される提案に王が代表して聞いてきた。誓約
書を書くのならば、これまでのような寄付では駄目なのかと。
そんな王に向かって私は一つ頷く。
すみませんね、王様。私はこの国を信頼していないのですよ。
﹁国に報告した金額と同額が寄付されていると確認する為、理由無
く寄付を減らさぬ為、そして国と教会双方で不正が行なわれていな
いことを互いに知る為です。国に納めるならば貴族も簡単に誤魔化
しは出来ません﹂
2052
﹃本当に教会に納めるか信頼できん﹄ということだ。教会は立場
的には貴族よりも劣る、これまでの金額よりも大幅に下げてしまっ
ても﹃寄付をした﹄ということにできる。
﹁それに国とて理由なく教会の必要経費額が上がれば不正を疑いま
すし、逆に金額が合わなければ﹃誰が嘘をついたのか﹄を合同で調
べる必要が出てきます。情報が互いに提示されていることで不透明
な部分を無くし、教会上層部と貴族の癒着を防ぐ意味がありますね﹂
国だけではなく教会にも寄付した家から金額が通達されるので、
﹃国が誤魔化す﹄ということができない。教会から月に一度でも人
を呼んで情報を確認し合えばいいじゃないか。
教会は必要経費の内訳を提示することで不正を未然に防ぐ。定期
的に会う機会があるなら国に相談するという手もあるので、内部告
発が可能だ。今回の聖人様騒動のような荒技はそう簡単に使えない。
﹁なるほど。互いに不正を確認、もしくは告発することが可能とい
うわけか。寄付額の申告も家紋入りの紙に記載させれば十分な証拠
となるな﹂
﹁今回は聖人と呼ばれる方が動いたからこそ可能でした。下の者が
上に逆らうことは困難⋮⋮ですよね?﹂
理解を示す王に教会側の事情を仄めかし、確認するように聖人様
に視線を向ければ大きく頷き同意してくれた。
﹁そのとおりです! 私とて神の奇跡や私を信じてくれた者達がい
てくれなければ無理だったでしょう。不正の証拠だけでは貴族と癒
着した愚か者どもを葬れ⋮⋮いえ、叩き出せませんでした﹂
2053
微妙に本音が漏れかけたな、聖人様。私は聖人様の方を向く。
﹁王家とて信者であることが悪いと言っているわけではありません。
教会派を名乗る貴族が﹃自分達の背後には大勢の信者がついている。
民に剣を向けるのか﹄と言っていたことが問題でした。何の罪もな
い信者を思えばこそ耐えた。それは理解していますよね?﹂
﹁勿論ですとも! 王家の皆様は力に物を言わせて強行することも
できたでしょうに行なわなかった、そして我々信者が虐げられたこ
とも無いのです。何よりこのような場を与えてくださった。我等も
民と慈しまれているのだと皆も理解できたことでしょう﹂
﹃王家を悪く思ってなんかないよ!﹄と断言した聖人様の言葉も
重要だ。これを聞いた信者達は王家に疎まれてはいないのだと確信
できるのだから。
私は再び王に視線を戻す。
﹁つまり悪いのは寄付を盾にとって勝手に教会を私物化した極一部。
どのみち他国の王家からの評判も最悪なのです、彼らに存在理由を
与えてあげなければ今後が不安ではありませんか?﹂
地味に﹃教会派貴族の存在理由は財布説﹄を主張。あくまで彼ら
の為なんだよ、と。
教会派貴族達も納得できるのか厳しい顔をしながらも無言。反論
できないのだ、これまでの言動から。
その様子をしっかりと確認した上で、私は笑みを浮かべながら続
ける。
﹁それにね? 私は⋮⋮﹃バラクシン王家の誠実な対応と民への優
しさ﹄と﹃内部告発をし、更に潔白を証明して見せた聖人様と信者
達の勇気ある行動﹄と﹃私のお願いを聞いてくれたバラクシンの対
2054
応﹄があるからこそ一旦刃を収めたに過ぎないのですよ﹂
意味が判らなかったのか﹃どういうことだ﹄と言わんばかりに怪
訝そうな表情になる人々。
やだなぁ、このイベントはあの男と擁護した貴族達の為のもので
あって、イルフェナや私の為に行なわれたんじゃないのですけど。
﹁お忘れのようですがイルフェナ勢の今回の訪問は﹃教会派貴族が
フェリクス殿下を騙して魔導師との接点を作ろうとしたこと﹄と﹃
それに伴いイルフェナを侮辱したこと﹄が原因ですよ? ご丁寧に
も化け物扱いもしてくれましたし?﹂
﹁そ、それは⋮⋮っ﹂
にっこり笑えば先日の事を思い出した人達が顔を強張らせた。
魔王様も笑みを浮かべながらも頷いている。私達にも目的があり
ますものね。
﹁王には十分誠実な謝罪をしていただいた。だからイルフェナは今
後の対応次第で不問にするよ﹂
﹁ということは後は私ですね。信者であるだけの教会派貴族に手を
出す気はありませんが、それ以外は一纏めで報復しますので御覚悟
を﹂
﹁わ⋮⋮判った! 言い分を飲む!﹂
笑みを深めて威圧を向けると、心当たりがある者達は怯えて首を
ぶんぶんと振りながら良いお返事。そして騎士に連れられて人々は
去っていく。
後に残ったのは王族・王家派貴族の皆様とイルフェナ勢、そして
聖人様にグレン。信者さん達も聖人様に言われて帰って行った。
2055
⋮⋮。
さて、ネタばらし行こうか!
﹁ふふ⋮⋮本当に、本っ当に温い思考回路してるのねぇ⋮⋮﹂
突如笑い出す私に周囲は怪訝な顔をする。さすがにグレンとイル
フェナ勢は違うか。聖人様よ、期待に満ちたいい笑顔だな!
﹁ほお⋮⋮やはり続きがあったな?﹂
グレンがやれやれと言わんばかりに確認してくる。
﹁当たり前じゃない。私はこれでイベントが終わりなんて言ってな
いわ。逃げ道が閉ざされた最終通告がまだでしょ﹂
にこやかー、とばかりに無邪気に笑えば一部を除いて人々はドン
引きした。
やだなぁ、教会の財布扱いしただけじゃないか。勿論それで済ま
す気は無いわけで。
﹁バラクシン王は一言も﹃これまでの行いが無かったことになる﹄
なんて言って無いけど? 処罰できなかったのは教会が背後にあっ
たからであって⋮⋮もう処罰できるじゃない。しかも教会の後押し
付きで!﹂
そう言えば皆は目を見開いて固まった。聖人様は﹁勿論です! 必要ならば情報を提供します!﹂と後押しする気満々だ。
﹁私は今後の提案をしただけよ? だって口を出す権利なんてない
もの、参考にして今後どうするかを決めるのって王家だよね? だ
2056
いたい、心当たりのある連中は一体いつ﹃ごめんなさい﹄したのか
な?﹂
﹁⋮⋮儂は聞いてないな、一度も﹂
﹁私も。不思議よねぇ、聖人様もいらっしゃるから信者達さえ納得
させることができる、絶好の謝罪の場だったのに﹂
その時点で反省も謝罪する気も無いよね、と続けると周囲は暫し
考え込むような表情になる。そして一通りの記憶を探り終わると、
首を横に振った。彼等の記憶にも無いようだ、納得してくれたらし
い。
﹁暫くは教会の財布として飼い殺して使えそうな奴は家の格を落と
して再教育、駄目な奴は財産を取り上げて家を潰せば何の後腐れも
ないと思うの﹂
﹁おおぃ、随分と酷い扱いじゃないか!?﹂
即座に突っ込むのは常識人ライナス殿下。先ほどとはあまりに差
がある展開に声を上げずに入られないのだろう⋮⋮聖人様がこの場
に居るという理由で。
下手をすれば王家が外道認定されちゃうもんね。
だが、そんな心配は杞憂だった。
﹁素晴らしい案ですな! 本当に反省していれば謝罪の言葉とて自
然に出るもの。貴族とは本来王家に仕えるべき立場なのです、それ
を忘れ去った者など国の恥にしかなりますまい﹂
当の聖人様は大絶賛。﹃やっちまえ!﹄という歓迎ムード。
⋮⋮イルフェナ勢から向けられる疑いの眼差しはスルーしようぜ、
友よ! ライナス殿下を始めとした人々が硬直してるのも無視です、
無視。
2057
﹁で、その後ですけどね。さっきも言ったように教会の運営に国が
関わるようになれば、これまで教会派貴族達の所為でついた悪いイ
メージは十分削げると思うのですよ。今回の勇気ある行動も他国の
認識を変えることに繋がると思います﹂
そして皆に﹃私が考えた素敵な今後の行動 ∼皆で幸せになろう
よ! ∼﹄を解説。
※魔導師的今後のプラン︵仮︶
・寄付を接点に教会との情報交換の場を作り出す。
・教会派貴族を財布扱い。この期間に要る奴と要らない奴の選定。
・要らない奴は財産没収・家取り潰しコース。要る奴は家の格を
落として再教育。
・ある程度片付いたら、その後の対応をイルフェナに報告。
・事前に今回の事を私が拡散。その後、イルフェナが納得した対
応を情報として流す。
・事前に他国には興味を持たせているので、必然的に情報を得よ
うと動く。
・事実と確認できれば自動的に教会への疑いは晴れ、バラクシン
王家の評価上昇。
﹁⋮⋮こんな感じで考えてるんですけどね﹂
﹁⋮⋮。君、本当にこういう事が得意だよね。イルフェナは利用さ
れるわけじゃないのに、結果的に協力することになるのかい﹂
呆れを滲ませた魔王様の言葉に私はこっくりと頷く。
﹁馬鹿どもの評価が地に落ちるどころか路頭に迷う危機ですよ? 純粋に抗議するよりダメージ大きいじゃないですか﹂
2058
﹁うん、そうなんだけどね? どうして君が簡単に思いつくのか、
思うところが色々とあるんだよね﹂
多大な呆れ故か釈然としない表情の魔王様。嫌ですね、私は最初
から親猫様を侮辱した馬鹿どもを許す気などありませんよ。子猫は
感情に忠実なのです。
﹁相変らずだな、ミヅキ。しかもその手柄はバラクシン王家と誠実
な教会の人々のみとはな﹂
﹁私が出ていく必要はないでしょ? 私は自分の楽しみの為に報復
の場を整えてもらっただけだもの、恩返しくらいはするよ﹂
面白そうにしているグレンの言葉に、にやりとした笑みで答える。
﹃恩返し﹄が意味するものを正確に理解できているのだろう、赤猫
は。
ぶっちゃけると﹃民を思う故に身動きが取れなかった王家の優し
さ、報復の機会を得て発揮された手腕﹄と﹃貴族に逆らい明日の糧
さえ得られなくなる恐怖を抱えながらも内部告発した勇気と神に対
する真摯な姿勢﹄が評価される。
特に王家は﹃屈辱的な思いをしようとも行動しなかったのは民優
先だったからであり、不可能だったわけではない﹄と周囲に実力を
見せつける絶好の機会だろう。
元は権力争いの果ての対立なのだ、他国からするとバラクシン王
家は少々不甲斐無く見えるのでイメチェンしとけ。
﹁⋮⋮魔導師殿には何も利がないように思えるが﹂
困惑気味なライナス殿下の問いに頷く。⋮⋮冗談抜きにそれだけ
である。イルフェナは結果に満足し、私は得る物などない。
グレンとの会話にバラクシン勢は私をガン見、逆にイルフェナ勢
2059
は苦笑するばかり。
協力者とか裏方専門だもんなー、私。知らないと意外に聞こえる
かも。
聖人様はその計画を聞くなり私の手を取り、笑顔でぶんぶんと上
下に振っている。他国からの低評価脱出には教会の今後がかかって
いるから当然か。
﹁感謝します! これで商人達の認識も変わってくれることでしょ
う!﹂
⋮⋮いや、イルフェナの商人達に関しては今回の事が原因なのだ
が。微妙に後ろめたい気持ちになり、やや視線を泳がせる。
まあ、頑張ったもんな聖人様。これで教会の未来は何とかなりそ
うだ。
信者達も王家に感謝するだろうし、国が纏まらなければならない
時には協力してやってくれ。
バラクシン王は腕を組み、私を見ながら複雑そうに呟く。
﹁これは確かに魔導師殿の評価が分かれるだろうな。結果だけ見れ
ば善人だ﹂
﹁あの、父上。本当に、本当に﹃イルフェナが魔導師殿を優秀と広
めているから恐ろしい﹄のですか? どう考えても敵を容易く手玉
に取る魔導師殿個人の方が私は恐ろしく思うのですが﹂
﹁⋮⋮﹂
顔を引き攣らせた王太子殿下の問いにバラクシン王は無言。ただ
しその表情は﹃違うかも? 判断間違った?﹄と言いたげだ。
﹁だから言っただろう、﹃敵にならなければいい﹄と﹂
2060
魔王様の言葉に人々はこっくりと頷く。理解できたようで何より
だ。
﹁あ、王様。これ、バルリオス伯爵への報復策でもあるんで家を潰
したりしないでくださいね﹂
﹁うん? フェリクス達のこともあるから、家を潰すことにはなら
んよ﹂
突然話を振られ怪訝そうな顔になりながらも、バラクシン王はし
っかりと明言する。
おお、そういや居たな。あれを引き取らせるから最低限の立場は
保障されるのか。
ただ疑問に思う人は意外と多かったらしい。首を傾げている人達
が大半だ。
﹁魔導師殿、君は伯爵を報復対象にしているんじゃないのかね?﹂
﹁してますよ? だからこそ伯爵家だけが特別扱いという展開が望
ましいのです﹂
﹁⋮⋮意味が判るよう説明してくれ﹂
代表で尋ねてきたライナス殿下も意外そうに首を傾げている。⋮
⋮絶対に私が直接ボコりに行くとでも思っていたな、この人。
﹁これまで好き勝手してきた教会派貴族達は数年でかなり悲惨な目
に遭います。⋮⋮そうなった元凶であり、同じ立場だった筈なのに
特別扱いされているように見える伯爵家はどう思われるでしょうね
?﹂
﹁⋮⋮! そういう、ことか﹂
﹁数年あるんです、フェリクス達だって自立すれば無関係。逆に縋
ったままなら伯爵家の一員として周囲から嫉妬と悪意を向けられる﹂
2061
長期的にだがじわじわと来るだろう。胃には穴が開くんじゃなか
ろうか。
しかもイルフェナからは地味にいびられ続けるのだ、羨ましがら
れる要素は﹃それなりに家が無事﹄という一点のみ。
﹁イルフェナの人達だって私達だけが報復するのを羨むと思うんで
すよね、お土産を用意しなければ﹂
﹁今後はじっくり末路を観察されるわけか。確かにそれならば皆も
納得するだろう﹂
うんうんと頷く魔王様。そこで止めないあたり国としての怒りを
判っているのだろう。
私はひっそりと共犯者と笑みを交わす。
私達の目的は﹃聖人と敬われること﹄でも﹃個人的な利を得るこ
と﹄でもない。重要なのは人からの評価ではなく、齎される結果。
⋮⋮望んだ成果を出した私達の勝ちだよなぁ? 友よ。
2062
祭りが終わって、日が暮れて︵後書き︶
バラクシンのためだけで終わるはずがなかった。
2063
日が暮れたら夜が来る
すっかり外も暗くなり、室内には明かりが灯っている。
あれほど盛大にイベントが行われたというのに、現在ではすっか
り日頃の落ち着きを取り戻していた。
それは城も同じである。
いつもと違うのは極一部の人達︱︱イベントの一部始終を見てい
た蓑虫達だ︱︱が私にいびられ、それを見て更に不安になった教会
派貴族達が顔面蒼白のまま家に戻ったくらい。
いや、大変だな心当たりのある連中は! これで後からじわじわ
甚振られるのだ、提案をした身としては笑いが止まらないじゃない
か。
で。
現在、元凶とその仲間達は魔王様の前で正座していたり。
私は勿論、グレンと聖人様も一緒。やっぱり魔王様にはバレてい
る。
魔王様の手には紙を丸めた物が握られ︱︱鞭は似合い過ぎの上、
聖人様も居るので却下された︱︱﹃魔王﹄と呼ばれる存在を鬼上司
程度に留めていた。
いや、個人的には鞭もいいけどハリセンとかもいけると思うんだ。
正統派悪役路線で行くなら酒の入ったグラス片手でお願いします。
なお、正統派王子様は今の雰囲気では絶対無理なので却下。どう
頑張っても善人には見えません。
﹁⋮⋮で? 何か言いたいことがあるかな?﹂
2064
笑顔の魔王様は何だか怖い。アルは苦笑し、クラウスは我関せず、
バラクシン王とライナス殿下は⋮⋮ドン引きしていた。これまでの
イメージとは違った恐怖を覚えたようだ。
﹁背後に雷鳴轟かせたら、何処に出しても恥ずかしくない立派な大
物悪役みたいですよ、魔王様﹂
﹁そう。それで君は私に従う腹心かな?﹂
﹁いえ、雑用Aです。物凄く頑張って飼い猫﹂
周囲の微妙な視線を物ともせず馬鹿正直に答える。
いや、間違っても腹心やら幹部ではない。そもそもアル達の仕事
を知らないのだ、私は。
魔王様から直接言われない限りは部外者ですよ、当たり前だけど
さ。
そんな私の立ち位置は任される仕事の内容的にも雑用だろう。
﹁ふうん、飼い猫ねぇ? では、今回の裏を全部吐きなよ、馬鹿猫﹂
にっこり笑顔で馬鹿猫扱い。飼い主に黙って好き勝手する猫には
躾が必要だと判断しましたか、魔王様。
グレンは諦めの表情で沈黙しているし、聖人様に至っては﹃ああ、
やっぱりな﹄と納得の表情で私を見ている。
いいじゃん、言わなければイルフェナが画策したとは思われない
んだから!
﹁えーと⋮⋮まず協力者は聖人様。聖人になった経緯はすでに暴露
済みなので省略﹂
﹁うん、確かに聞いてるよ。⋮⋮済まないね、この子が迷惑をかけ
て﹂
2065
言葉の後半は聖人様に向けての謝罪。
やっぱり﹃いきなり押し倒して仲間になるよう脅迫しました!﹄
は人として思うところがあったらしい。
まあ、外道っちゃ外道ですね! 協力者の存在が必須とはいえ、魔王様から見ると﹃女性として聖
職者相手にその行動ってどうよ?﹄な感じなのだろう。
⋮⋮あの、魔王様? 何故、私を手にした物でぺしぺし叩く。
﹁いえ、私はとても感謝しているのです! 彼女の手助けがなけれ
ば奴らを追放することは叶わなかったでしょう﹂
聖人様は魔王様に﹁とんでもない!﹂とばかりに首を振った。
その様子に魔王様は目を眇める。⋮⋮そういう状況だったと理解
できてしまったのだろう。
﹁腐敗は一部とはいえ最高位の者とその周囲。私が仲間と共に尽力
しようとも逆にやり込められる可能性が高かったのです。我々もそ
れを恐れ、派手な動きが出来なかったのですから﹂
﹁そう。ミヅキは役に立ったかい?﹂
魔王様の問いかけに聖人様は大きく頷く。
﹁勿論です! 神の奇跡を仕立て上げた挙句に多くの信者を容易く
騙すその手腕、先ほど多くの信者達が貴族を恐れず参加したことも
魔導師殿の誘導があってこそ!﹂
⋮⋮。
褒められているのに、ろくでなし感が増したのは何故だろう。
ああ、魔王様の顔が引き攣っている。聖人よ、その暴露は私への
攻撃か。
2066
ジト目で見るも聖人様は大真面目に報告をしているようだ。⋮⋮
マジで賞賛しとったんかい、今の発言。
﹁そ、そうか。うん、役に立ったのなら何よりだよ﹂
﹁はい! あれほど良心の欠片もなく策を練る人物などそうはおり
ません。我らに報復の場を用意したばかりでなく、後のことまで考
えてくださった。奴らがこれからじわじわと苦しむとは何と胸のす
くことか⋮⋮!﹂
⋮⋮。
更に外道認定が進んでませんかね、聖人様。
とりあえず﹃ずっとムカついてた奴らに生き地獄決定! でかし
た! よくやった!﹄ってことでいいのかい。
魔王様は深々と溜息を吐き︱︱教会関連に関しては聖人様の意見
が総意だと判断したのだろう︱︱次はグレンに視線を向けた。
はっは、赤猫巻き込まれてもらうぞ。恨み言はウィル様に言え!
﹁グレン殿は最初からミヅキの協力者かな?﹂
﹁いえ、先ほどの騒動に限定して協力を求められただけです。アル
ベルダが隣国ということもあり、関わらせることで情報を与えたか
ったのでしょう﹂
グレンの言葉に魔王様は沈黙する。
アルベルダが隣国ということを考えれば私の判断は正しい。
ただ⋮⋮それが﹃グレンと個人的に親しいから﹄という部分が大
きいので、個人の判断では問題といえば問題だ。
﹁ミヅキ、何故そうしたのかな?﹂
﹁混乱を避けるためです。この国の教会派の騎士が腐っていると情
報をくれたのはカルロッサの宰相補佐様ですから、私の行動も予測
2067
しているでしょう。アルベルダにも最低限の情報があった方が連携
は取りやすいかと﹂
ぴくり、と魔王様が反応する。私の意図しているものに気付いた
か。
﹁これまでバラクシンの教会派貴族に思うことがあった者は他国に
も大勢います。今回のことで一気に教会派貴族へ攻撃を仕掛ければ
バラクシンは困りますよね?﹂
﹁そうだね、だから君は﹃じわじわ苦しむ﹄という方法をとったの
だから﹂
いくらクズでも国内への影響力は強い。彼らが一度に潰されれば
教会とてただでは済まないだろう。
教会は信者達が善良だと証明されてはいるがそれだけだ。一気に
財源が消えれば様々な方面で巻き添えを食らう。
﹁私は﹃私の敵﹄に限定して報復したいんですよ、魔王様﹂
﹁⋮⋮我が国にカルロッサ、そしてアルベルダが君の報復内容とそ
の背景を正しく知っていれば、いきなりバラクシンへは手出しして
来ないと?﹂
﹁ん∼⋮⋮手出ししないというより、手を出す場合はバラクシン王
家にお伺いが必須だと理解するということでしょうか。王家が許可
を出せば報復可能、みたいな?﹂
その場合は報復対象の貴族がバラクシンから切り捨てられている
ことを意味する。
数年後に消える家を事前に知る意味でも﹃バラクシン王家へのお
伺い﹄は十分有効活用できるだろう。
何より周辺の国が即座に報復に出ることを控えるのだ、他国とて
2068
暫くは静観するはず。
﹁もしやアルベルダ王に連絡をとったのも⋮⋮﹂
﹁ウィル様の判断に任せる、という保険はかけてますよ。まあ、乗
ってくる人だとは思っていましたけどね﹂
ノリがいいもんな、あの人。それにチャンスを活かせる人でもあ
ると思う。
絶対に﹃グレン貸してくれ﹄というそのままの意味だけでは受け
取らなかったはずだ。
こちらもバラクシン的には利になるので、勝手な真似をした私や
アルベルダに抗議はしないだろう。教会派貴族があれほど大人しい
のは、グレンがバラクシン王家を支持するようなポジションにいた
ことも大きいのだから。
それを踏まえてウィル様は﹃王が来られなくて残念∼﹄と言わせ
たのだと思う。
王家の許可を得た=王家が賛同。こう取られても不思議はない。
実際は私が予想外の大物を連れてきただけなのだが、連中に知る術
はないので勝手に勘違い。
﹁君は本当に一つのことに対して考え付くものが多いよね。何故そ
れを自己保身に活かせないのか﹂
﹁そりゃ、私が自分勝手に行動することが前提ですから﹂
溜息を吐く魔王様に笑顔でお返事。事実なので魔王様も呆れ顔。
起爆剤ですよ、私の役割は。﹃世界の災厄﹄と称される存在だか
らこそ、意図して動いてるだけです。
逆に言えばそれが許される⋮⋮というか、不自然ではない。これ
を他の人がやろうものなら、個人的と言っても信じてもらえない可
能性が高い。
2069
﹁エルシュオン殿下、あまり魔導師殿を叱らないでやってくれない
か。これは明らかに我々の力不足だ﹂
ライナス殿下が複雑そうに魔王様に待ったをかける。おい、いい
のか他国の王子様相手に自国の不甲斐なさを認めて。
魔王様も意外そうにライナス殿下を見つめている。それを受けて
ライナス殿下は苦笑した。
﹁本来ならば我々が何とかすべきことだったんだ。結果として得を
したのは我が国⋮⋮個人的には魔導師殿が善人とは思えないが、国
としては感謝すべき存在だと理解している﹂
﹁私からも頼もう。王としてということもあるが、個人的には魔導
師殿にとても感謝しているのだ﹂
﹁⋮⋮個人的な感謝?﹂
バラクシン王の言葉に首を傾げる魔王様。私に視線を向けるも首
を横に振って﹁知らない﹂と意思表示。
そんな私達の様子に王は笑って事情説明をしてくれた。
﹁私と妃はライナスを弟であり大切な家族と思っているのだ。とこ
ろが教会派などというもののせいでライナスは私達と距離をとって
しまった。⋮⋮滅多に兄と呼んではくれなくなっていたのだよ﹂
﹁あ∼⋮⋮もしかしなくても家族の絆修復に役立ちました? 特に
﹃お兄ちゃん呼び﹄は﹂
﹁勿論! いいものだな、お兄ちゃんという言葉は⋮⋮!﹂
思い出したのか王は一人で感動中。あの、王様。途中までは良か
ったんですけど、最後で皆が微妙な表情になってますが。
まあ、確かに今後は関係が改善されそうだ。改善というより、か
2070
つての仲に戻るだけだが。
あ、ライナス殿下がやや顔を赤くしてそっぽを向いている。自覚
があるんだな、やっぱり。
﹁ライナスが兄上や姉上と呼ばなくなり、臣下としての態度を取り
始めた時は妃共々嘆いてなぁ⋮⋮﹂
しみじみと呟くバラクシン王。
すると突然、正座をしたままグレンが王に向き直り。
﹁申し訳ありませんでしたっ!﹂
勢いよく土下座した。いきなりどうした、グレン。
呆気に取られる私達を他所にグレンは土下座したまま続ける。
﹁ライナス殿下に相談された際、﹃ならば明確な臣下として誓いを
し、周囲に自分の主は誰かを理解させればいい﹄と助言したのは私
なのです! よもや、家族関係に皹を入れていたとは⋮⋮!﹂
⋮⋮。
お前が元凶だったんかい、グレン。
﹁あのさ、グレン。もしかして﹃年の離れた王太子と母親違いの王
子﹄っていう認識でそう言った? 単純に兄王子と権力争いしたく
ない的な相談だと思って﹂
﹁う、うむ。ライナス殿下の話からはそう聞こえたのでな﹂
﹁あ∼⋮⋮私も幼かったからなぁ⋮⋮そういう言い方をした、確か
に﹂
グレンの言葉にライナス殿下は当時を思い出したのか、ばつが悪
2071
そうな顔をしている。
ライナス殿下も年齢的に幼かっただろうし、本人も言葉が足りな
かったと思っているようだ。どうにも相談相手との間に認識のズレ
があったらしい。
﹁申し訳ない、グレン殿。それは私の言葉が足りなかったのだ。ど
うか頭を上げてくれ!﹂
﹁グレン殿、ライナスもああ言っている。それに当時のライナスの
言い方では貴方の助言は的確だったと思うぞ﹂
現状を思い出して慌てるライナス殿下に同意するバラクシン王。
うん、これは絶対にグレンを責められない。この兄弟の事情の方
が特殊過ぎるもの。
﹁互いに謝罪し合ってるんだし、もういいんじゃないかな? 良い
方向になったのだから﹂
魔王様が場を収めるべくそう言うと、グレンも漸く頭を上げる。
その表情は安堵そのもの。
というかね、グレン。この世界で土下座って通じるの?
﹁しかし、魔導師殿とグレン殿が知り合いとはな。二人揃ってライ
ナスに影響を与えるとは面白い繋がりだ﹂
王が面白そうに言うとグレンは頷きながら爆弾発言をかます。
﹁ミヅキは私が最も影響を受けた人物の一人ですからなぁ、未だに
弟分扱いですよ。勝てる気もしませんが﹂
﹁﹁は?﹂﹂
2072
その言葉にハモる王族兄弟。困惑を張り付かせて私とグレンに視
線を向ける。
﹁⋮⋮弟分、ですか?﹂
﹁年齢がおかしくないか? それとも魔導師殿は見た目どおりの年
ではないのだろうか﹂
王様、微妙に失礼だな! ただ、混乱するのは判る。私だってそ
う思うだろう。
ちら、と視線を向けるとグレンは特に気にしていないらしく平然
としている。いいのだろうか。
﹁私は異世界人なのですよ。ただ、ミヅキよりも前にこの世界に来
たのです。ですから、時間のズレがあるのです﹂
﹁⋮⋮いいのかい、グレン殿。それは隠していたのでは?﹂
魔王様の指摘にグレンは笑って頷く。
﹁我が主の許可は得ております。大々的に広めることはしませんが、
バラクシン王に伝える分には構わないと﹂
﹁⋮⋮。ミヅキとの繋がりを主張するか﹂
﹁ええ。﹃利用できるものは何でも利用しろ﹄とはミヅキの教えで
すから﹂
グレンの言葉に私に視線が集中する。その大半が呆れたものなの
は何故だ!
でも確かに言ったね、それ。正確には﹃仲間だろうと遠慮なく利
用しろ、手駒の能力を最大に活かして勝ちを狙え﹄だが。
勿論本人の同意があることが前提だ。仲間内で孤立すれば目も当
てられん。
2073
ただ、周囲から見ると策を立てる奴が外道そのものに見える場合
があるので、私が鬼畜賢者と呼ばれる一因になったのだが。
余談だが仲間達にとっては﹃重要なポジションや囮=本日のヒー
ロー﹄だった。﹃よっしゃ、見せ場来た!﹄と思える発想は間違い
なく私と同類。
﹁ほお、魔導師殿は昔からこうでしたか。仲間だろうと容赦がない
ですなぁ﹂
何故かにこやかな聖人様。
﹁いえいえ、聖人様ほどではございませんよ。数々の証拠は一体い
つから集めていたのやら。それに⋮⋮あの本は初めから赤でしたか
ね?﹂
わざとらしい私達の会話は時代劇の悪役紛い。でも後半は素だ。
あの本は何色だったっけ?
皆の視線が集中する中、聖人様はにやりと笑って一言。
﹁さあ? どうでしょう?﹂
皆の聖人様へのイメージが何か変わった瞬間だった。顔を引き攣
らせているのは今後深く付き合っていくだろうバラクシン勢。
﹁ようく判った。聖人殿もミヅキと同類か﹂
頼もしい繋がりじゃないですか、魔王様。そこで溜息吐かないの!
2074
日が暮れたら夜が来る︵後書き︶
主人公達の感覚で説教といえば正座。聖人様もお付き合いで正座中。
2075
小話集14︵前書き︶
小話其の一は前話からの続き︵という名のおまけ︶。
2076
小話集14
小話其の一 ﹃美談ではなく恐怖伝説﹄
﹁そういえば⋮⋮あの美談は夫人が慕われていたからこそ、美談に
なったのだったな。あれは現実問題として可能なのか?﹂
全てを暴露した後、グレンはそう口にした。
可能性としては限りなく低い、そう私が言ったからこその疑問だ
ろう。
﹁確かに。ミヅキの話だと﹃そうなった経緯﹄も含めてのことだか
ら厳しいね﹂
﹁魔導師殿の説明を聞くとなぁ⋮⋮そこまで恨まれない人物などい
るのだろうか﹂
魔王様やバラクシン王も首を傾げている。
彼らの場合は単に﹃貴族と民の信頼関係﹄という意味で言ってい
るのではない。立場的にどうしても敵がいるからこそ不可能なのだ
と思っている。
﹃そんな善良なだけの人間が国の政に関われる立場に居るか?﹄
﹃政敵に狙われない人物であり、恥にならないような行動ができる
民も必要じゃないのか?﹄
言いたい事はこんな感じだろう。
確かにこれは個人の犠牲だけではなく、協力者が必須な団体競技。
2077
連携が取れなければアウトである。
﹁エルシュオン殿下ならば可能そうだな。イルフェナの民は挙って
協力者となるであろう?﹂
自国の民には慕われているものな、とバラクシン王は続ける。﹃
民には﹄ってなんだ、﹃には﹄って!
込められた感情は好意的なものだと判るのだが、頷くことも出来
ずに魔王様は苦笑い。
⋮⋮そもそも、そんなことにはならないと思う。そこまでに必ず
手を打つから。
だが、微妙にそんな空気が読めない人物が存在した。
﹁その場合、魔導師殿ならばどのような行動をとるのだ?﹂
ぴしり、と空気が凍った気がした。
勇気ある人物、聖人様。おそらく彼には欠片も悪意はない。単純
に﹃抜け道あるの?﹄と聞いただけだろうな、きっと。
﹁私? イベントに敵の妨害要員として参加する。絶対に仕掛けて
来る奴がいるもの﹂
﹁ほう? 殿下が狙われると?﹂
﹁港町だからならず者がいるし、それを装った他国の間者とかも混
ざるね、絶対。後は﹃死んでもいいから一目見たい!﹄っていう馬
鹿も含めて、そこそこいるんじゃない?﹂
﹁待て待て待て! 最後は何だ、最後は!﹂
即座にグレンから突っ込みが入った。魔王様は顔を引き攣らせ、
その他の人々は無言。
いや、だってねぇ?
2078
﹁見なさいよ、この美貌! しかも服着てないのよ、絶対いる! 否定できないでしょ!?﹂
﹁う⋮⋮そ、それはそうなんだがな⋮⋮﹂
魔王様を指差すとグレンもやはり否定できないようだ。
さすがに襲われる心配はない︱︱そんな状況ならばアルとクラウ
スが傍についているだろう︱︱が、血迷った奴は沸きそうだ。
下手をすると、そういった輩が一番しつこいだろう。
﹁ミヅキ⋮⋮君、ねぇ⋮⋮!﹂
顔を引き攣らせた魔王様は綺麗にスルー。怖いのでまだ顔向けな
い。
﹁だから私が妨害するんじゃない。確実な手段を用いて﹂
そうきっぱり言い切ると、誰もが怪訝そうな表情になった。
﹁⋮⋮。あるのか? 恥とならないようにする方法が﹂
﹁ありますよ?﹂
さらっと言い切ると皆の興味はそちらに移ったようだ。魔王様で
さえ思いつかないらしい。
あれ? そんなに難しいことかね?
﹁ミヅキ、一応聞かせてくれないか。私は思いつかない﹂
﹁私もだ。魔導師殿の口調では酷く簡単に聞こえるが⋮⋮﹂
王族二人が釣れました。魔王様とバラクシン王は今後のためにも
2079
聞いておきたい模様。
口にしないが、その他の人々も興味津々らしい。
﹁え、魔王様がその対象ってことで良いんですよね?﹂
﹁ああ、それで構わない﹂
許可が出た。しかも魔王様本人から。
ならば話しても大丈夫だろう。
﹁では、前提として該当者は魔王様。その傍に付いているのがアル
とクラウスということにしますね。これで彼らは﹃敵﹄に手出しが
出来ません﹂
﹁いいのかね? 彼らこそ敵の排除に動きそうだが﹂
疑問を口にしたのはライナス殿下。それに私は首を横に振る。
﹁彼らは魔王様の傍を離れませんよ。優先すべきは魔王様とその命
ですから。護衛という意味も兼ねて最良の人事が選択されます。彼
らも志願するでしょうけどね﹂
命が狙われる可能性とてあるのだ、だから彼らは絶対に傍に居る
だろう。
その言い分にライナス殿下は納得したようだ。アル達からも否定
の言葉は出なかった。
﹁次に当日までの告知ですが、今回と同じものに加えて﹃魔王様を
狙う刺客がいる可能性があること﹄を民に知らせておきます。つい
でに私が個人的に﹃家に閉じ篭らない奴は無差別に攻撃する。命が
惜しくば引き篭もれ!﹄と脅迫﹂
﹁ちょ、待て! 最初は納得できるのに、その後がおかしい! お
2080
前は何をする気だ!?﹂
ぎょっとして待ったをかけるグレン。唐突な災厄の登場にその他
の人々は呆気に取られている。
だが、出来る限り被害を小さくするならば脅迫紛いの告知は必須。
﹁私は騎士じゃないもん、民と同じ側だよ? だから﹃どちらに対
しても﹄妨害可能だし、その告知も事前にしておく。それに魔王様
を狙ってくる刺客の人質になる可能性もあるから、外に居ると危な
いよ﹂
﹁お前の方が危険じゃないのか﹂
﹁どっちもどっち。警告したもの、巻き込まれても﹃不幸な事故﹄
で片がつく﹂
きっぱり言い切ると、呆れを滲ませながらも周囲は難しい顔をす
る。難しい顔をしたまま頷いているのは王族の皆様。
私が危惧していることも否定できないのだ、ならば﹃災厄扱いの
魔導師﹄を利用して危険から遠ざけておく事も必要だと理解できる
のだろう。
それを無視する輩に同情なんて要らん。自業自得。
﹁お前なぁ、もう少し言い方があるだろうに﹂
﹁だって、告知無しで民が怪我でもしたらイベントを開催した魔王
様達の評価に響くじゃない。だったら私に注意を向けさせる意味で
も必須だと思う。危険と判る事前通達を無視して巻き込まれたなら
文句を言えないでしょ﹂
呆れるグレンにそう返すと、アル達は困ったように苦笑するも諌
めない。彼らの優先すべきは魔王様、命の危機などの個人的な事情
の妨げにならない限り、その姿勢は私もブレません。
2081
﹁さすが魔王殿下の黒猫。飼い主のために牙を剥くどころか悪役と
なるか﹂
グレンの言葉に皆は私と魔王様に視線を走らせ、呆れたように笑
う。
⋮⋮聖人様? ﹁黒猫⋮⋮﹂と呟いてこっちを見た途端に顔を背
けるのはどういうことだ。肩を震わせているのは笑ってんのか、も
しや。
バラクシン勢に微笑ましげな目を向けられ、魔王様は極僅かだが
顔を赤くしている。照れたらしい。
﹁で、次。イベント開始直前に警告の意味も兼ねて魔王様の通り道
の左右に氷の壁製作。完全に隠れるわけじゃないから実行している
のが判るし、姿がはっきり見えることもない。どうよ、完璧でしょ
!?﹂
﹃ああ、そういう手があるのか⋮⋮﹄
胸を張って﹃最良の策﹄を告げると、皆の声がハモった気がした。
妨害じゃないぞ、お馬鹿さん達を一掃するから魔王様の邪魔になら
ないようにしただけだ。
ただ⋮⋮その方法が﹃氷で壁を作る﹄というものだっただけ。隠
すつもりなら布でも掛ける⋮⋮と言ってしまえば否定できまい。
完全に隠すと﹃実行していない!﹄と言われるかもしれないが、
姿がぼんやり見えているのだ。透き通っていないから、はっきり見
えないけどな!
﹁姑息な⋮⋮貴女が騎士ではないこと、それに魔導師であることを
利用するのか﹂
﹁魔導師じゃなくても魔術師で十分だよ、これ。民間の魔術師が数
2082
名いれば楽勝。王族に恩を売る意味でも頑張ってくれるんじゃない
かな﹂
﹁知恵は剣より性質が悪いな。魔導師殿の強さは際限なく手を思い
つくことにあるようだ﹂
聖人様は呆れ半分、感心半分といったところらしい。参加者の立
場だったからこそ、それが可能だと理解できるのだろう。
武器を持たない信者に周囲を囲ませて逃げ道塞いだもんね、貴方
は。私は提案しただけだ、実行と指揮は間違いなく聖人主導である。
些細な思いつきが多大な被害をもたらすこともあるのだよ⋮⋮悪
魔の霧みたいにね。
﹁魔王様達にはそのままやるべき事をやってもらう。その間、氷の
壁に﹃何か﹄が叩きつけられたり、﹃赤いもの﹄が跳んでも無視し
てもらって⋮⋮﹂
﹁待ちなさい。⋮⋮それは何かな、一体﹂
今度は魔王様から突っ込みが。妙に顔色が悪いのは何故だろう。
バラクシン勢に至っては私をガン見。
﹁え、ゴミ﹂
﹁ゴミ!?﹂
﹁じゃあ、昇格して私の敵。こちらの言い方だと捨てるだけじゃ済
まないですけど﹂
ゴミはゴミ箱︱︱犯罪者の収容先へ。魔導師の敵は⋮⋮その後ど
うなるだろうね?
どちらにしろ連中を回収するのは騎士寮の皆になるんじゃないか
な、暴れる私の対策要員として。だからその後はどうなるか知らな
いし、拘わることもできない。
2083
自分の分はしっかり暴れてるから彼らを気にすることもないよ、
知∼らない!
﹁私にやられるか一部の愛国者達にやられるかの差ですよ、魔王様。
回収された方が幸せとは言えないでしょうね、その時ばかりは﹂
﹁あ∼⋮⋮魔王殿下は慕われとるからなぁ﹂
含みのある私の言い方にグレンも同意する。
というかね、お馬鹿さん達は今後周囲に壮絶に冷たい目で見られ
るのは確実だから。周りの人達に個人的な報復をさせない意味でも、
心の底から悔いるようにしないと危険じゃないのか。
﹁別の苦労が待っているようだな、エルシュオン殿下の場合は﹂
﹁慕われていることの弊害でしょうね、これは⋮⋮﹂
バラクシン王族兄弟の言葉と、何ともいえないその視線に。
魔王様は深々と溜息を吐いたのだった。
大丈夫! 魔王様やルドルフに何かあっても私が知恵を尽くして
抜け道探してみせるから!
⋮⋮その方が色々と気苦労多そうだけどさ。
※※※※※※※※※
小話其の二 ﹃ヒルダんと私﹄
それは些細な言葉から始まった。
﹁魔導師様が羨ましいです。私はどうも他のご令嬢方とは話が合わ
なくて﹂
﹁⋮⋮それって貴族の一員として政の手伝いをしているからじゃな
2084
いの?﹂
どう考えてもヒルダ嬢の場合はそれが原因だと思う。
本人がそれを当然と捉えているので、この場合の話が合うってい
うのは﹃同じ価値観を持つ友人﹄ということだろう。
ただ、バラクシンでは女性がそういったことには参加せず、興味
も持たないことが大半らしい。
だからといって男性と親しく⋮⋮というのも難しそうだ。下手を
すれば醜聞に仕立て上げられかねないし、立場という物がある。
そういった意味での﹃羨ましい﹄という言葉か。確かに私の周囲
にはそんな女性達がいる上に、令嬢でもないから男性と親しく話し
ていても文句は言われない。
﹁じゃあ、私で妥協しとく?﹂
﹁え、よ、宜しいのですか! 是非!﹂
﹁親しみを込めて渾名でヒルダんとか呼んじゃうぞ。私はミヅキで
!﹂
ふざけた呼び方だが、ひーちゃんとかよりはマシだろう。一応、
名前には聞こえるし。
だが、ヒルダ嬢は別の受け取り方をしたらしい。
﹁ヒルダン、ですか? ええ、それくらいならば構いませんわ。確
かに手紙の遣り取りなどは偽名を使った方がいい場合もありますし﹂
首を僅かに傾げ、納得したように頷く彼女はどこまでも真面目だ
った。
ヒルダん⋮⋮意味が違う。別に偽名ってわけじゃないんだぞー?
いいのか、それで。
そう思いはしたが黙っておこう。ライナス殿下の負担を軽くする
2085
意味でもバラクシンに繋がりは必要だ。
ヒルダんとて私との繋がりを今後に活かすことを意識して﹃偽名﹄
という意味にとっただろうし。
そんなわけでヒルダんと私は友人になりました。偽名としての﹃
ヒルダン﹄も謎の人物として役立ちそうです。
※※※※※※※※※
﹃ヒルダんと私2﹄
※主人公とヒルダはお茶してます。クラウスと警護の騎士が何人か
扉付近に存在。
﹁ヒルダん、ちょっと聞きたいんだけどさ﹂
﹁はい、何でしょう?﹂
これだけは確認しておかねばなるまいと思い、ヒルダんへと直球
で質問です。
﹁レヴィンズ殿下との思い出ってどんなものがあるの? 幼馴染な
ら少しは好感度を上げるようなものがありそうだけど﹂
この二人、本当にそれらしき雰囲気がない。誰が見ても政略的な
婚約にしか見えんのだ。
二人の婚約に一役買ったとはいえ、嫌なら別の方法も可能だ。教
会派貴族という勢力が崩壊してるもんな、今。
私の問いにヒルダんは首を傾げて記憶を探る。
﹁そうですわね⋮⋮殿下は昔から騎士を目指しておられましたから、
私とはあまり話が合わなかったのですわ﹂
2086
⋮⋮。昔から体育会系だったようです。
脳筋と言ってはいけない、まだそこまで行っていないだろう。
﹁ですが、いつも見守ってくださったように思います。木陰で読書
をしていると、気がつけば傍にいるような感じで。私が気がつくと
笑いかけてくださいました﹂
懐かしいわと微笑むヒルダんを微笑ましく見守りつつ、生温かい
視線を彼女の背後に向ける。
ヒルダん。それは大型犬の仕草そのものって言わないかい? ご
主人様大好きなわんこが寄り添う姿が思い浮かんだのだが。
今も貴女の大型犬がこちらを気にしてるって言った方がいいかな?
っていうかさ?
人に﹃どう思ってるか聞いてくれ﹄って頼むくらいなら茶ぐらい
誘えよ、ヘタレ犬!
※※※※※※※※※
﹃ヒルダんと私3﹄
﹁このままだと進展しそうにないから聞くけどさ、レヴィンズ殿下
のこと好き?﹂
もう直球でいいと思う。面倒になったとかではないぞ、多分。
ヒルダんは私の質問に赤くなる⋮⋮なんてことはなく。
﹁ええ、好ましく思っていますわ﹂
微笑みながら頷いた。
2087
良かったなー、背後の生き物。好意的ではあるみたいだよ?
おお、無関心を装いながらも喜びが隠し切れておらん。﹁イルフ
ェナからの客人だから﹂と言い張って、この部屋の警護についた甲
斐があったじゃないか!
だが、喜びは続いた言葉に砕け散ることとなる。
﹁民の事をよく考え、ご自分も努力を惜しまぬ方ですもの。尊敬し
ておりますわ﹂
⋮⋮。それ、王族としての褒め言葉。あ、犬がしょげた。
お仲間達からも憐れまれている模様。そういや彼らは君の部下だ
ったね、事情を知ってるのかい。
クラウスにまで生温かい目で見られている彼らにちらりと視線を
向け、小さく溜息を吐く。
ん∼⋮⋮表情を見ていればそこまで悲観することはないんだけど
なぁ。ヒルダん、彼らには背を向けちゃってるから判らないのか。
﹁ヒルダん⋮⋮もう少し素直になろうよ﹂
﹁まあ、どういうことでしょう?﹂
にこにこと笑顔を崩すことなく聞き返すヒルダん。その表情にど
こか悪戯っぽさを感じ、私は僅かに片眉を上げる。
うん、これはやっぱり確信犯だ。彼女は絶対に背後の惨状を知っ
ている。
﹁私にも乙女らしい願望があったようですわ。努力してくださる姿
を見たいのです﹂
こそっと呟かれた言葉は当然彼らには届かない。
ま、まあ、ずっと仕事尽くめだったのは殿下も同じだから仕方な
2088
い、のかな?
﹁あまり苛めると、私が泣きつかれるんだけど﹂
﹁ふふ、その時はお願いしますね﹂
才女と大型犬の組み合わせは、早くも才女が手綱を握ったようだ。
アルに﹁殿下が頼ってきたらアドバイスしてやってくれ﹂と頼んで
おこう。
⋮⋮結婚までに恋人同士になる気がしないから。冗談抜きに。 しょげてる場合じゃないぞ、犬ぅー!
2089
小話集14︵後書き︶
冗談で言ったら本気にされてヒルダん呼び決定。
主人公は公の場ではヒルダ嬢呼びするので、今後謎の人物として活
用。
性格の差や夜会での事があるので、そこまで親しいとは思われず。
﹃ヒルダン宛てのお手紙﹄は見られても困らない超気楽な文章の中
に、情報などが隠されます。
2090
日常再び
闘い済んで日が暮れて。
私達は挨拶もそこそこにイルフェナに戻って来た。
いや、これからバラクシンは色々忙しそうだしね? 部外者は居
ちゃいけないと思うのです。
なお、バルリオス伯爵は綺麗さっぱり無視された。
私だけじゃなく、イルフェナ代表の魔王様にすら説教されず。
意外に思っていたら、魔王様は麗しい微笑みと共にこうのたまわ
った。
﹃謝罪の場を与える事が必要かい?﹄
⋮⋮。
はっきり言おう、絶句した。
さすがは私の保護者だ、親猫様だ。そう来るとは思わなんだ。
当たり前だが言葉だけの意味ではない。魔王様は暗にこう言って
いるのだ︱︱
﹃私と会う機会がなければ謝罪したことにはならないよね﹄
と。意図的に行なうあたりが素敵です。言い訳の場すら無しか。
現時点で謝罪をしたのはバラクシン王家のみ。伯爵は元凶のくせ
に未だ謝罪せず。
その背景に私の暗躍があるのだが、それは魔王様が知らない筈な
ので問題無し。⋮⋮知らないってことでいいの、魔王様とクラウス
2091
はバラクシン王に会っていたんだから。
私の暗躍に気付く可能性がある︱︱ということになっている︱︱
のはライナス殿下なのだが、彼とて現場を目撃してはいない。
つまり目撃者ゼロの完全犯罪。
アル? 何もしてませんが、何か?
それを踏まえて魔王様は帰国を決定したのだ。今後伯爵はさぞイ
ルフェナにいびられることだろう。
逃げるのが上手いとのことだったが、今回の事があるのでそう上
手くはいかない。
いざとなったら﹃イルフェナのエルシュオン殿下が滞在している
にも拘らず、一切謝罪などしなかった﹄として責任問題に持ち込め
ばOK。
魔王様⋮⋮伯爵が逃げることを踏まえて保険をかけたな、絶対。
そんなわけで今は騎士寮の食堂で事後報告していたり。
私は皆に貰った﹃玩具﹄を使って頑張った!
さあ、褒めろ、称えろ、少なくとも説教される謂れだけはないっ
てばーっ!
﹁⋮⋮。何故こうなるのじゃろうなぁ﹂
報告を聞いた後、レックバリ侯爵は生温かい視線を私に向けた。
騎士寮在住の騎士達は呆れを滲ませ苦笑している。個人としては
﹃よくやった!﹄という気持ちだが、一応国としての抗議なので素
直に喜べないらしい。
2092
﹁首を取ってくることをお望みでしたか﹂
﹁いやいやいや、誰もそこまで言っとらんから!﹂
﹁じゃあ、これ以上に面白おかしく国の恥に仕立て上げろと!? 合格点、厳し過ぎですよ!﹂
﹁誰が今以上を目指せと言うたか! 逆じゃ!﹂
狸様、歳を考えず突っ込みますか。手緩過ぎだと叱られたと思っ
たのに、どうやら逆だったらしい。
ええ∼⋮⋮半分くらいは向こうが悪いよ、仕掛けてきたんだしさ
ぁ。
不満げな顔をすれば、レックバリ侯爵は呆れて溜息を吐く。
﹁﹃知恵は剣より性質が悪い﹄とはこういうことを言うのじゃろう
なぁ⋮⋮結果だけ見れば得難い駒じゃが、その根底にあるものがど
こまでも個人的な感情とは。手に負えん﹂
﹁つまり超纏めると﹃珍獣﹄ってことですね。行動が予測不可能な
ことに加えて感情で動く生き物ってことで﹂
﹁⋮⋮。否定はせんな﹂
私の中では珍獣=あらゆる柵無しの自由人。結果を出せば周りも
狩ろうとはしないだろう。
ある意味名が知られている魔王様という飼い主がいるので、それ
が成り立っているとも言うが。
小型犬だって飼い主の敵には吼えるじゃないか。普通の行動です
よ、今回も。
﹁そういえば⋮⋮バラクシンは珍しく宗教が力を持ってたけど、な
んで? 他の国って違うみたいだけど。この世界って神より偉大な
先人達って感じだよね?﹂
2093
誰かが応えてくれれば良いやとばかりに周囲に聞いてみる。
いや、疑問に思ってたのですよ。この世界は神の価値が下手をす
ると日本以下だから。
事実、イルフェナなら﹃海の女神﹄となっているけど、実際には
海での無事を願ったり海の恵みに感謝するというもの。その象徴と
して奉る神が造られたような感じなのだ。
そしてそんな認識をした理由もちゃんと存在する。
私が最初にゼブレストへ送り込まれた時に先生と騎士s達は教会
︱︱様々な国の人が滞在するからそれに対応してイルフェナにも小
さなものがある︱︱で無事を祈ってくれていたらしい。
そこで教会を選んだ理由が﹃海関係じゃない上に一番御利益あり
そう﹄というもの。⋮⋮確かに海での無事や豊漁には関係ないもの
ね。人が相手の安全祈願ならダメ元でも教会を選ぶか。
そんな状況を知っているとバラクシンは少々異様だ。他国と差が
あり過ぎる。
権力を得たのは王族がトップになったからという理由でも、それ
だけで王家が無視できないほど大きい組織になるのか? そんなに
信仰心旺盛なのか、あの国の人々は。
いや、﹃神=絶対者﹄みたいな認識がされているなら別なんだけ
どさ? 極一部の神殿関係者以外は冗談抜きに﹃偉大な先祖>想像
した神﹄なのよ、この世界。
キヴェラでも忍び込んだ方は結婚式場扱いだったもんな∼何故、
元の世界とここまで違うんだろ?
﹁この世界には偉大な先人達がいたからだよ、ミヅキ﹂
それまで話を聞いていた先生が口を開く。
﹁最古の魔導国家アンシェスはお前達の世界に当て嵌めるとまさに
神のような存在だ。彼らは自分達よりも劣る種族に様々な技術を与
2094
えたとされている。それを多くの種族が繋いで今がある﹂
﹁⋮⋮実在の証明は?﹂
﹁最も有名なのは魔法だろうな。お前とて言っていただろう? ﹃
技術で優れた世界出身だろうとも原理が判らない魔法が多くある﹄
と。⋮⋮彼らは自分達が当たり前のように使えた能力を自分達より
劣る種族に伝えるために術式を作り上げたとされているのだ﹂
あ、凄く納得。
治癒魔法や解毒、髪や瞳の色変えなんて簡単な魔法と言われても
原理不明だから使えないものね、私。
ただ、先生の説明で少し納得できた魔法もある。
﹃記憶を見せる﹄ってアンシェスが生まれながらに持っていた能
力か何かじゃないのか? それを他の種族にも可能にしたのが、映
像系の魔道具に使われている術式とか。
私達の世界の言葉で言うなら脳に刻まれた情報の映像化、もしく
は同族間での共有といったところだろうか。
﹁神という曖昧な存在や奇跡を想像する必要がなかったんですね?﹂
﹁そのとおり。だから宗教というより﹃与えられる恵みに感謝し、
今後を願う﹄といった方が正しいのだよ、この世界では﹂
私の言葉を肯定するように先生は頷く。本当に宗教的な要素が薄
いらしい。
﹁じゃあ、バラクシンは?﹂
﹁あれはね⋮⋮元は異世界人が個人的に祈っていたものが発端なん
だよ。本来は異世界の文化の一つでしかなかったんだ﹂
今度は魔王様が答えてくれるらしい。異世界人が元凶? だから
少々言い難そうにしてるんだろうか。
2095
信者として紛れ込んだ教会を思い出してもキリスト教とかではな
かった。あれは別の世界のものだったらしい。
﹁大戦があったのは知っているね? 国が荒れれば民は貧困に喘ぐ、
そこに財力とそこそこの権力を持った王族が﹃心の拠り所﹄として
大々的に立ち上げたんだ。⋮⋮信者は自分と配下の貴族達の財で養
うと告知してね。異世界からのもの、という点でも影響力は大きか
った﹂
﹁⋮⋮物で釣った? いえ、日々の糧さえ無い人にとっては本当に
感謝すべきことだとは思いますが﹂
﹁そのとおり。だから上層部と信者の心構えに差があったんだよ。
当時としては理想的な庇護者ではあったのだろうけど、立ち上げた
人物の現実は慈愛の精神とは程遠かった﹂
魔王様は深々と溜息を吐く。ああ、そういうことだったんですか
⋮⋮私も聖人様を立ち上げちゃったから﹃同じことをやってどうす
る、馬鹿猫!﹄とばかりに気苦労が増したわけですね!
﹃感動的な出来事の裏には個人的な思惑あり﹄︱︱自らの財をも
って信者を養う慈愛の心︵笑︶と奇跡を作り出して聖人を仕立て上
げた詐欺な行いは間違いなく同類項。
どうやら毒をもって毒を制すをリアルにやらかしていた模様。う
ん、絶対にあの宗教立ち上げた王族は王にならなくて正解だ。民を
利用するだけじゃなく、今後の影響とか考えて無いもん。
バラクシン王家が教会派に強く出れなかった理由も漸く判った。
その裏事情も原因か。
たとえ利用するためだろうとも、その人物の行動を一方的に批難
することはできないと判っているから。
⋮⋮そうしなければ餓えて死ぬはずだった民が多く存在した。そ
れを事実だと認めているから。
民に責任のある王家としては恩人扱いだったんだろうな、多分。
2096
もう王族じゃなくなっていただろうし。
それに王家としても国を存えさせるだけで精一杯だったと推測。
さっきの先生の話を前提にすると﹃バラクシンには感謝するよう
な自然の恵みが無かった﹄という可能性もある。結構、キツかった
んじゃないのかね?
﹁まあ、今回のことでバラクシンの不安要素が消えたから良しとし
よう。ただね、ミヅキ。規模が大きければ大きいほど周囲にも影響
があるということは覚えておくんだよ﹂
﹁了解です。さすがに国の改革に発展すると他国も気にしますもん
ね﹂
そう締め括るも魔王様はしっかりと釘を刺す。確かに自分の視点
と憶測のみで勝手な真似をしていい筈はない⋮⋮私にも教訓として
覚えておけ、ということだろう。
大丈夫ですよ、魔王様。今回は最初から共犯者有りで計画しまし
たから。
それを踏まえてアルベルダを巻き込んだし、カルロッサも宰相補
佐様が関わっているから大丈夫だろう。
ゼブレストは私が直接伝えることが前提、キヴェラは⋮⋮私が盛
大に関わっている以上は貝になる可能性・大。
内部が安定しないのに、再び﹃魔導師襲来!﹄とかになったら今
度こそ滅亡ルートだ。私も誘われる以上は期待された役割をきっち
りこなしますとも!
﹁それじゃ、ゼブレストに行って来ますね。イルフェナはほぼ実況
中継されていたようなものですけど、一応報告書は置いておきます﹂
紙の束を机に置く。言うまでも無くバラクシンで起こった全ての
事の報告書だ。
2097
これは私が義務として自己申告するものなので、魔王様達の物と
照らし合わせて隠し事が無いかチェックされる。⋮⋮日頃の行いっ
て大事。
ただし、見る人が限られる個人的なものと知っていれば遊び心の
一つも発揮したいものでして。
そのタイトルを﹃ドキドキ☆お隣の国を訪問﹄というものにして
みたり。
各項目のサブタイトルも﹃突撃! 聖人様へ会いに教会へGO!﹄
、﹃罰ゲーム∼貴様に情など必要無い∼﹄といった遊び心満載のも
のである。
勿論、後悔は欠片もしていない。魔王様に叩かれた程度で私の心
は砕けないもの。
自分に正直過ぎる真っ直ぐな心と遣り遂げる不屈の精神は簡単に
は折れないし懲りることもない。
障害なんざ逆に砕けばオッケーさ、証拠隠滅と取引も忘れない!
⋮⋮。
⋮⋮中身は普通だよ、中身は。
行動に至った経緯とその結果を求めた理由はアレだけど。
同じ物をルドルフに進呈してくるので、仕事の合間の息抜き程度
にはなるだろう。人生には笑いが必要だ。
﹁セイル経由で今回のことを伝えてありますからね。どうぞ、存分
に話して来て下さい﹂
妙に清々しい笑顔のアルや騎士達に見送られ、私はゼブレストへ
向かった。
2098
本日、セイルは向こうの転移法陣を出た先で待っていてくれるら
しい。事前にイルフェナで待ち構えていたら今回の件に関わってい
ると疑われるかもしれないものね。
さあ、お土産を持ってゼブレストへ遊びに行こうっと。
※※※※※※※※※
やって来ましたゼブレスト!
さっさとルドルフの所へ行ってこの楽しさを分かち合おうじゃな
いか!
⋮⋮が。
﹁よく来たな、ミヅキ。馬鹿の相手はさぞ疲れたことだろう。ゆっ
くりして行け﹂
﹁⋮⋮﹂
迎えに来たのは何∼故∼か宰相様でした。
しかも私の姿を見るなり抱き締めて労わってます。
⋮⋮おかんよ、一体何があった。
唖然とする私にセイルは苦笑するばかり。
セイルが来ている︱︱私は一応監視対象であり、セイルが担当者
だ︱︱ってことは、宰相様が代理とかではないらしい。
え、ゼブレストで何か問題でも発生した!?
私は戦力として歓迎されてるのか!?
ひたすら頭を撫でて労わってくる宰相様は明らかにおかしい。た
だ⋮⋮﹃頑張った子供を褒める親﹄に見えなくも無いんだな。
﹁とりあえず移動しませんか? ルドルフ様も今か今かと待ってら
2099
っしゃいますし﹂
﹁そうだな。ああ、エリザが茶と菓子を用意してくれているぞ﹂
﹁⋮⋮。じゃあ、行きましょーか﹂
そして引き摺るように私を連れて行く宰相様を見て、私はあるこ
とにふと気付いた。
⋮⋮宰相様? もしかしなくとも物凄く機嫌が良かったりします?
視線を向けた先のセイルも妙に機嫌が良いような⋮⋮しかも宰相
様の奇行を微笑ましく見守っているし。
どうやらセイルには何か心当たりがあるようだ。ただ、この場で
は口に出来ない内容なので黙っているような気がする。
ってことは、ルドルフの所で事情説明か。さて、何を言われるや
ら?
2100
日常再び︵後書き︶
活動報告にて三巻の詳細を載せています。
2101
過去には色々ありまして
妙なテンションの宰相様に引き摺られ。
やって来たのは何故かルドルフの執務室ではなく、後宮にある私
の部屋だった。
この時点で何となく予想がつく。
つまりバラクシンでのことを聞きたいと。
それが誰かに聞かれると拙いものだと思っていると。
絶対に私が主犯だと信じて疑っていないわけですね⋮⋮!
いや、思いっきり合ってるけどさ。
でも一応それは実行犯という括りであって、事前に数々の玩具を
用意したのはイルフェナ勢である。
しかも今回、魔王様達こそが何もやっていない。純粋に国のお使
い。
伯 爵 を シ カ ト し た ? そ ん な も の 寝 て る 奴 が 悪 い 。
魔王様はバラクシン王の謝罪を受けたり、私を諌めたりしていた
だけだ。
報告書を見ても判るように魔王様は今回、本当に私の飼い主とし
ての姿を晒しただけだったり。
2102
フェリクス達を責める言葉もイルフェナの代表者としては当然の
ものなのだから。
そんなわけで私はいつもの如く問題児。
元気一杯に遊んでいたら、遊び相手が仕掛けてきてくれた。
半分以上は向こうが原因⋮⋮というか、事態を悪化させたのは教
会派貴族達である。何もしなければ今でも半分くらいは穏やかな生
活が送れていたに違いあるまい。
お馬鹿さんなんだからなぁ、もう! 蜂の巣だって突付かなけれ
ば蜂に襲われないってのに!
ところでさぁ⋮⋮。
﹁⋮⋮あの、この状況は一体?﹂
﹁⋮⋮。俺にもよく判らんが好きにさせてやってくれ﹂
後宮の部屋でルドルフに聞くと何ともいえない顔でそう返される。
そうか、お前でも原因不明か。というか、ルドルフも宰相様のこ
んな姿を見たことが無いのだろう。
現在、私はソファに座った宰相様の足の間に﹃ちまっ﹄と座って
いる。
どうも定期的に頭を撫でたいらしく、離す気は無い模様。その腕
は私のウエストに回され、すっかり捕獲された状態であったり。
小さい子なら微笑ましい光景かもしれないね、宰相様。
⋮⋮保護者通り越して母親じみた行動をとってどうする。﹃初め
てのお使い﹄を無事終えた子供か、私は。
2103
﹁ふふ、宰相様はミヅキ様が強く賢くあられたことがとても誇らし
く嬉しいのですよ﹂
﹁へ?﹂
﹁私も今回のバラクシンへの訪問にミヅキ様が加わっていると聞い
ていたものですから、ついつい期待してしまって!﹂
満面の笑みで話すエリザ。咎めるどころか暴れる事を期待してい
たらしい。
ならば余計に宰相様の行動が気になってくる。こういった状況で
は誰より私の行動を咎め、諌めるのが宰相様。
それが何故この状態なのだろう?
何かバラクシンに恨みでもあったんだろうか?
ルドルフに視線を向けるも困惑気味に肩を竦めるばかり。どうや
ら彼の主であるルドルフにもさっぱり理由が判らないようだ。
そこにセイルの声が割り込んでくる。
﹁ミヅキ、バラクシンのフェリクス殿下はどのような方だったんで
す?﹂
﹁フェリクス? ⋮⋮一言で言うと﹃お馬鹿﹄。これは母親のせい
でもあるんだけどね、子供が叱られずに育った感じかな? あの年
で御伽噺を現実にできると思うとかって無いわ﹂
セイルの問いかけに素直に答えると、エリザとセイルは﹃ああ、
やっぱりねー﹄とばかりに顔を見合わせた。ルドルフは困惑を顔に
貼り付けたまま、口を開く。
﹁あー、何か数年前にアーヴィがバラクシンに行ったんだよ。で、
その時フェリクスが俺と友人になりたいとか言ったらしい。⋮⋮そ
れで何故ここまでになるのかは判らんが﹂
2104
﹁友人になりたいだぁ? それ、思いっきり利用する気なんじゃな
いの?﹂
﹁だからアーヴィが激怒して説教したらしいんだ。しかも逆にバラ
クシン王に謝罪されたってさ﹂
おおう⋮⋮フェリクスの被害者が身近な所に居ましたか。
しかも数年前ってことは、ゼブレストが荒れまくってルドルフが
絶賛苦労の真っ只中。
成人前のルドルフに笑顔が消えるほどの負担を掛けたのだと後悔
している皆様にとって、フェリクスの所業は許し難いに違いあるま
い。
特に直接話す羽目になった宰相様は怒り心頭だろう。
フェリクス⋮⋮今でさえ頭の中がお花畑だったもんな。あれに苦
労を知らない子供の無邪気さとか加わったら、身分制度をすっ飛ば
して殺したくなるだろう。
⋮⋮セイルあたりだとこれは冗談では済まないんじゃないのか?
主、いや王を利用したいと笑顔で言われた日には宣戦布告されて
も文句は言えん。
ゼブレスト内部が荒れているせいで身動きが取れず、身分はあち
らが上ということもあり、ろくな抗議ができなかったというわけで
すね! その時の殺意が未だ生きていた、と。
﹁⋮⋮フェリクスに言われた言葉とかは正確に聞いた?﹂
﹁いや? 俺が今話したとおりだが﹂
もしやと思って聞けば、ルドルフは首を横に振る。
2105
やっぱり。恐らくは﹃超纏めたダイジェスト版﹄なんだろうな、
それ。もしくはオブラートどころか厳重に包み過ぎてもはや﹃フェ
リクスの言葉﹄としか判別できないシロモノか。
夜会の時を思い出す限り、フェリクスは結構諦めが悪かった。し
かも遠回しに言うとか空気を読むとかはしないだろう。 思わず宰相様の腕を労わるようにぽんぽんと軽く叩くと、溜息を
吐いて﹁判ってくれるか﹂とばかりに無言で頭を撫でられた。どう
やら予想が当たっていたらしい。
﹁あのさー、今回の映像見る前に言っておくけど。⋮⋮宰相様の怒
りは当然だと思うわ、もし数年前のフェリクスだったら魔王様はバ
ラクシンに行くことすらしなかったと思う﹂
﹁え⋮⋮どういうことだ?﹂
意味が判らんと言わんばかりのルドルフに、物凄く真面目な顔を
向ける。その妙な迫力にルドルフはやや身を引いた。
﹁自覚の無い馬鹿には何を言っても無駄。言葉を交わす価値さえ無
いって判断されるだろうってこと! 今回も理解したとは言い難い
けど、まだ成人してる分﹃子供だから﹄っていう言い訳が通用しな
いもの﹂
私の言葉にルドルフは顔を引き攣らせ、エリザとセイルは⋮⋮凄
みのある笑みを浮かべた。どうやら自分達の想像が甘かったと悟っ
たらしい。
宰相様は背後の気配から察するに、うんうんと頷いている。﹁そ
うか、やはりお前達も苦労したのだな﹂と呟き、私の頭を撫でてい
る。
おいおい、当時の宰相様って物凄く耐えたんじゃないの!? 当
時のルドルフって例えるなら瀕死の重傷負っていながら、それでも
2106
立っているような状態だもの。
その状態でのフェリクスの言葉って、無傷で怪我どころか栄養状
態良さそうな奴に﹁守ってくださいよ﹂って言われるようなもの。
これで激怒しない方がおかしい。
﹁えーとですね、とりあえず夜会の映像見た方がいいよ。宰相様の
この状態を理解できるから﹂
それ以外は娯楽として見せた方がいいかもしれん。最後まで見れ
ば少しは怒りも落ち着くだろうし。
そんなわけで夜会での映像︱︱私とアルの完全犯罪は除く︱︱を
見せてみた。まあ、これも突っ込み所満載なんだけどさ!
そして映像鑑賞後の人々は。
﹁⋮⋮最初からおかしいだろ、これ﹂
ルドルフは突っ込み過ぎたのか、それ以外に言葉が無く。
﹁これまで一体何を学んできたのでしょうね?﹂
セイルは苦笑しつつも蔑みの目となり。
﹁あらあら、今後はお母様と奥方のご機嫌取りが大変そうですわね﹂
エリザは楽しそうに嫁姑戦争に期待一杯な様を見せ。
﹁よくやった、ミヅキ! それでこそ魔導師だ!﹂
2107
宰相様は咎めるどころか大絶賛。特に最後のフェリクス母子の扱
いに拍手喝采。 ⋮⋮あの、おかん。貴方の台詞はいつもと真逆なのですが。いい
のか!?
ただ、ルドルフは納得したような顔をしている。これは過去のゼ
ブレストがどういう状況だったかを経験しているからだろう。
﹁あ∼、何となくアーヴィがそうなる理由が判った。直球で目的を
言われる上に、フェリクスの言い分が正しいような言い方をされた
んだな、きっと。遠回しに拒否しても理解せず、ってとこか?﹂
﹁多分ね⋮⋮だって、宰相様に叱られて、王にも叱責されて、数年
経ったのにこの状態だもの。物凄く無邪気に言ったんじゃない? フェリクスは﹂
カトリーナとかも混ざっていたら最悪だな。あの母親ならいかに
自分達が冷遇されているかをアピールするだけじゃなく、自分が不
幸な結婚をしたとかも口にするだろう。
ちなみに宰相様はそういった愚痴を他国に漏らして自国を貶めた
り、義務を放棄する奴が大嫌いである。
私とて初めて会った時に﹃役に立て、結果を出せ﹄という目で見
られたのだ。ルドルフと懇意にしている魔王様の紹介だろうと、そ
ういうところは物凄く厳しい。
つまり、己が責務を放棄し自分勝手なことを愚痴るフェリクス達
とは最悪な組み合わせ。
向こうも宰相様の方が身分が下だと侮っていた︱︱あの伯爵なら
﹃外交問題もあるし王族相手に文句も言えまい﹄とフェリクスを向
かわせた可能性が高い︱︱だろうから、反撃は予想外だったに違い
2108
あるまい。
セイルやルドルフがフェリクス達を知らないのは、その失敗から
その後は向こうが避けたためだと思われる。
フェリクス、魔王様の事も苦手みたいだったしね。あれは宰相様
が原因じゃなかろうか。
﹁じゃあ、ここからは娯楽で。向こうが﹃遊ぼ!﹄って仕掛けてき
てくれたから、イルフェナ残留組がくれた玩具を使って仲良く遊ん
だ微笑ましい映像だよ﹂
﹁⋮⋮ミヅキ、お前はいくつだ。玩具って何だ、玩具って﹂
茶化した言い方に、即座にルドルフが突っ込む。やはりイルフェ
ナ残留組の玩具は物騒なイメージがあるらしい。
﹁外交に携わる皆さんが懐に隠し持っている玩具。あと、無邪気で
全てが許されるならバラクシン滞在時は責任能力を求められない年
齢設定で﹂
﹁無理があるだろ!﹂
﹁異世界の時間換算とか言えばいーじゃん!﹂
実際、﹃時間の流れが違うんです、十年で一歳とカウントされま
す﹄とか言っちゃえば問題無し。
難点としては守護役連中がロリコン通り越した危険な存在扱いに
なることだろうか。ま、私の外見を見れば言葉だけの意味だとバレ
るから問題は無さげだが。
﹁とりあえず早く見ないか? 一体何をしてきたのか楽しみで仕方
ない﹂
﹁おかん⋮⋮﹂
﹁アーヴィ⋮⋮﹂
2109
じゃれ合う私達を諌めつつも本音の滲む宰相様。思わずルドルフ
と揃って憐れみの目で見ちゃったり。
﹁じゃあ、夜会の後から。詳しい事は報告書に書いてあるから﹂
溜息を吐いて映像を再生する。順番は﹃教会で起きた奇跡の一時﹄
↓﹃化け物扱い﹄↓﹃参加型罰ゲーム﹄となっているので、﹃仕掛
けてきたのは向こうだ﹄という言い分も信じてもらえるだろう。
まあ⋮⋮そう仕向けたという裏はあるんだけど。
※※※※※※※※※
﹁これにて上映会を終了します。質問はお一人ずつどうぞ﹂
映像終了後にそう言えば、報告書を読んでいるルドルフ以外が反
応した。
﹁ミヅキ様、エルシュオン殿下はあの伯爵一家にトドメを刺さなか
ったのですか?﹂
エリザが不思議そうにそう言った。トドメ⋮⋮魔王様が日頃どう
思われているか判りますな。
それは皆も不思議だったらしく、視線で答えを問うてくる。
﹁あの伯爵は逃げるのが上手いんだってさ。実際、フェリクスを誘
導しただけで本人は直接行動したわけじゃない。だから﹃元凶なの
に謝罪すらしなかった﹄っていう事実を作り上げたってとこ﹂
﹁ほう、確かに後々イルフェナが手を出す理由にはなるな﹂
2110
宰相様は感心したように頷く。セイルとエリザも同様⋮⋮誰も﹃
それって仕立て上げたって言わね?﹄とは突っ込まなかった。何故
そうなったかという理由共々スルーしたらしい。
﹁教会はこれで落ち着くとして、寄付をしてきた貴族達は配下とな
っている信者達を煽ったりはしませんかね?﹂
次はセイル。これは騎士だからこそ余計に気になることだろう。
信者上がりの忠実な部下とかを抱えている貴族を警戒しなくて大丈
夫なのかと、そう聞いてきている。
勿論、これも警戒しなかったわけではない。
﹁教会の聖人様が今は貴族の家に世話になっている信者達に直接説
明してくれるってさ。今回の経緯は国中に知らされるし、それでも
納得できなければ最悪の場合﹃教会とは一切無関係﹄﹂
意味が判ったのか、セイルは目を眇めた。
これはあくまでも全く聞く耳を持たなかった場合の手段だ。行動
を起こしたとしても﹃教会の信者﹄でなければ﹃教会の評価には繋
がらない﹄。
悪く言えば見捨てるとも言う。だから聖人様が直接説明するとい
うことになった。
報復を目論む貴族が自分を恩人と慕う者達を利用しないとも限ら
ない。自分達の行動を単なる恩返しと思い込んで正当化する可能性
とて十分考えられた。
﹁寄付をしてくれる貴族が恩人って言うのも、ある意味正しいよ。
だけど行動すれば何の罪もない信者達も﹃教会派貴族の駒﹄という
認識をされかねない。だから聖人様はその要素を切り捨てる﹂
﹁切り捨てられる方なのでしょうか﹂
2111
﹁やるよ、あの人は。聖職者というより組織の責任者って認識が強
いからね﹂
探るような視線を向けて来るセイルにしっかりと頷く。すると暫
くしてセイルは表情を柔らかなものに変えた。対策が取られている
という点を評価したらしい。
﹁真面目な話は報告書にある程度書いてあるんで、質問があったら
後でも答えるよ。⋮⋮で、もう報復できますよ、宰相様﹂
﹁何⋮⋮?﹂
さらりと言い切ると、意外そうな声が上がる。エリザとセイルも
どういうことだと視線を向けてきた。
﹁もうフェリクスは王族じゃないし、母親だって側室じゃない。王
家と教会は勿論、教会派貴族だって今回の元凶は助けたりしないで
しょ﹂
﹁﹁﹁あ﹂﹂﹂
三人同時に声が上がる。﹃以前は無理だった﹄けど、今なら可能
なんだよねぇ。
﹁元々は教会派貴族が一気に潰れるとバラクシンが困るっていうこ
とから﹃じわじわ甚振る﹄って方向になったけど、連中自身にこれ
までの責任を取らせるっていう意味もあるから。バラクシン王家と
相談の上、さくっとやっちゃえ!﹂
多分、そういった事情があるならバラクシン王は考慮してくれる。
フェリクスも独り立ちしなければ後が無いのだし、壁の一つとして
自分の過去と向き合うのも勉強になるだろう。
2112
なお、現在のフェリクスはバルリオス伯爵家の一員となっている
ので宰相様の方が身分は上である。クレスト家はゼブレスト王家の
影⋮⋮公爵家。バラクシン王の許可さえ得られれば身分的にも問題
ない。
ぶっちゃけ外交でバラクシンという﹃国﹄に報復されると困るか
ら生かしておいたようなもの!
教会派貴族達にピンポイントで報復するならまず咎められたりは
しないから!
﹁でかした! そうか、そうか、私自身が動いても文句は言われな
いのだな⋮⋮﹂
良い子! と言わんばかりに私を抱き締めると、宰相様は耳元で
なにやら物騒なことを呟いた。多分、無意識だろう。
勿論、止めません! フェリクスの自業自得だし、私はおかんの
味方。
そんな馬鹿な話で和んでいると、つん、と服の裾を引かれた。視
線を向けるとルドルフが不満げな顔で私の服の裾を掴んでいる。
どうした、親友。報告書を読んでいたから混ざれなくてつまらな
かったのかい?
﹁ずるい﹂
﹁何が﹂
﹁何でグレン殿は呼んで俺を呼ばないんだよ! 俺も参加したかっ
た!﹂
﹁﹁﹁ルドルフ様⋮⋮﹂﹂﹂
三人のハモり再び。加えて皆は生温かい視線をルドルフに向けて
いる。
2113
どうやら﹃仲間外れよくない! ずるい!﹄という感情からの言
葉だった模様。いいのかよ、王様。
﹁呼ぼうとしたら最初から禁止された。だから﹃アルベルダの友人﹄
ってことにしたら、情報を提供したいのかと思われて許可出たんだ
よ。ウィル様ってノリがいいからグレンに﹃自分も招待された﹄的
なことを言わせて、色んな人達をビビらせるし﹂
いやぁ、少年の遊び心を持つ人だよねぇ⋮⋮と付け加えると、今
度は私を揃ってガン見。
﹁ミヅキ? お前、ウィルフレッド殿と連絡が取れるのか?﹂
﹁うん、取れる。ってゆーか、飲み仲間? ルドルフのことも構い
たくて仕方ないみたいだから、そのうち来るんじゃない?﹂
これはマジである。それを踏まえて私と会話をしている節もある
から。
﹁陽気で豪快な親父様だけど、その態度と言葉に注意しなさいね。
どこで仕掛けられるか判らないから﹂
﹁あ∼⋮⋮そういう性格の方なのか﹂
﹁うん。真面目な奴ほどやりにくいと思う﹂
親友だからこそ警告を。まあ、敵にはなるまい。
ウィル様はグレンを通じてキヴェラを敵に回した私の行動理由を
知っている。ルドルフ達には言わないだろうけど、ブリジアスのこ
とで借りがあるといえばあるのだ。
だから余計にルドルフ達が興味を持たれたとも言うのだが、気に
入られればルドルフにとって心強い味方となるに違いない。
2114
﹁お前、本当に妙な人脈が出来てるよな⋮⋮﹂
﹁寧ろ大物しか居ません!﹂
呆れたようなルドルフの呟きに即答。
妙な人脈というより、大物へと繋がる人々が様子見で私に接触し
てくる所為なので私は無実だ。
2115
過去には色々ありまして︵後書き︶
宰相様的に本日の主人公は﹃お仕事を頑張った子﹄。
普通ならば抗議できない立場だということを忘れるほど宰相様を怒
らせたフェリクス達。
主人公はおかんの味方なので、わざわざ報復可能だと伝えています。
2116
思わぬ拾い物 其の一
イルフェナに戻り騎士寮に着くと、食堂にて待ち構えていた魔王
様に御報告。やはり魔王様もゼブレストの反応が気になるのか、こ
ちらに戻るなり呼び止められた。
セイルは前回来なかったので本日イルフェナに同行中。セイルも
交えて話が聞きたいらしい。
﹁宰相様が妙なことになってました﹂
﹁は⋮⋮?﹂
﹁何やらフェリクスに海より深い恨みがあったようで﹂
馬鹿正直にそうぶっちゃけると、魔王様は大変微妙な表情になっ
た。その表情の中に憐れみが滲んでいるのは気のせいではあるまい。
魔王様とて宰相様の性格は知っているだろう。それならばフェリ
クス︱︱しかも今よりも性質が悪かったっぽい︱︱との過去はさぞ
ろくでもない思い出なのだろうと思ったようだ。
﹁そう言わないでやってください。あの人へ報復をしたのがミヅキ
だということも大きかったのですよ﹂
付いて来ていたセイルが笑いを耐えながら言う。
何だ、それは。私だからってどういうこと?
訝しげにセイルを窺うと、セイルはわざとらしく微笑みながら私
の頭を撫でた。
﹁アーヴィにとってミヅキは保護すべき存在⋮⋮まあ、こちらでは
子猫扱いされていますが似たような認識なのですよ。それに加えて
2117
今回は宰相としても話を聞かねばなりませんから拘束したのでしょ
う﹂
﹁⋮⋮。つまり足の間に座らせて拘束したのは宰相として事情聴取
するため、頭を撫でて褒めたのは敵に噛み付いてきた猫を褒めてい
たからだと?﹂
﹁はっきり言えばそうでしょうね。それが混ざってあの状態です﹂
セイルの解説にジト目になる私、納得の表情になる周囲の人々。
魔王様は⋮⋮自分も猫扱いしている自覚があるのか、やや視線を泳
がせた。
ええ、最近の扱いは飼い猫だと思います。特にバラクシンでの態
度はあからさまでしたからね!
つまり今回は宰相様的に﹃でかしたぞ、猫! よくぞ噛み付いた
!﹄という感情が頭を撫でるという行動に直結したんかい。
そう、猫扱い⋮⋮。
⋮⋮。
⋮⋮もしや貰った﹃ゼブレストの名産品﹄はお土産ではなく、﹃
御褒美のおやつ﹄扱いだったりするのだろうか。
あの、宰相様? 最近、私の珍獣扱いが定着してません!?
﹁あ∼⋮⋮まあ、それは深く追求しないでおきなさい。君だって自
分を珍獣と認識させて暴れているんだから﹂
魔王様の呆れたような言葉に、思いっきり心当たりのある私は思
わず沈黙。
そうですねー、人の法が通じない珍獣認定は最強のカードだと思
います。今後も使っていくならこういった扱いでも文句は言いませ
んとも。
そもそも守護役連中は﹃我が主のために行って来い﹄と敵の中へ
私を放り込む素敵な性格をしている。
2118
そういった裏事情がある限りは私の扱いが愛玩動物だろうと絶対
に咎めないだろう。まあ、少々過保護気味なので肝心の主達が私の
突飛な行動を諌めそうではあるけどさ。
そんな馬鹿な話をしていると、魔王様が非常に決まり悪げに思い
もよらなかった事を言い出した。
﹁ところでね、ミヅキ。君、守護役を増やす気があるかい?﹂
﹁は?﹂
﹁希望者がいるんだよね、しかも国を通してのことだから断り辛い
んだ。⋮⋮でね?﹂
おいでおいでと手招きをするので近寄ると、にこりと笑って私の
頭をがしっと掴み。
意図的に威圧を加えながらもしっかりと視線を合わせる。
﹁⋮⋮カルロッサで一体何をやったのかなぁ、君は。やらかしたこ
とは詳しく話せと言ってあるだろう?﹂
﹁報告書に書いてあるままですって﹂
﹁それだけだったらこの話は来ないはずなんだよ。で、君の認識は
どうでもいいから洗い浚い吐け、馬鹿猫﹂
おおぅ⋮⋮早速馬鹿猫扱いですか、親猫様。これが猫社会なら前
足で叩かれているってとこですね!
なんて馬鹿な事を考えている場合じゃなくて。
新しい守護役?
しかもカルロッサ?
カルロッサにはセシル達を送り届けるために通っただけだ。しい
2119
て言うならビルさんやアルフさんとの再会があった程度。
この二人やキースさん達が守護役候補ということはないだろう。
アル達を見る限り家柄も必須みたいだし、近衛とかでもなかった筈。
私は比較的色んな国に人脈を築いているから、魔導師と繋がりを
持つという意味で生贄⋮⋮訂正、新たな守護役を押し付けようとか
考えたんだろうか。
可能性としてはこれが一番高い。宰相補佐様あたりは進言してそ
うだ。
だが、それにしては魔王様の様子がおかしい。
魔王様⋮⋮どうも﹃何拾って来やがった﹄的な表情なのだ。外交
と言うより私に原因がある、みたいな?
﹁とりあえず説明するとだね⋮⋮﹂
そう言って手を離し、魔王様は話し始めた。その表情には呆れと
諦めが色濃く出ていたのは言うまでも無い。
※※※※※※※※※
︱︱数日前、カルロッサ ︵フェアクロフ伯爵視点︶
英雄と称えられた先祖の肖像画の前で溜息を吐く。肖像画の人物
は大戦の折に凄まじい活躍をして王家の姫と伯爵位を賜わった人物
だった。
王家としては騎士であった男に姫を与える事で民に﹃英雄﹄と﹃
物語のような明るい話題﹄を提供したかったというのが真実なのだ
ろうが、夫婦仲は良かったらしい。
暗くなりがちな状況において二人の話は民に生きる力を与えた事
だろう。
2120
しかし、現実は部分的に都合よく弄られている。
騎士が強かったのは本当だ。ただし、﹃戦い大好き、戦場こそ第
二の我が家!﹄を地でいく物騒な脳筋だった。大喜びで最前線に向
かったというのだから相当だろう。
単に国の状況と自分の趣向がばっちり合ってしまったゆえに、男
は英雄となったのだ。おそらく本人は何も考えてはいなかったに違
いない。
姫が夫となった男に好意的だったのも事実である。その姫の好み
が顔でも賢さでもなく﹃強い男一択!﹄だったとしても。少々残念
な美姫である。
⋮⋮当時の王家にとって﹃何故、英雄との婚姻まで婚約者すらい
なかったのか?﹄という当然の疑問は禁句だったようだが。どうも
自分より弱い男は自力で退けるような、外見と中身が一致しない姫
君だったらしい。
二人の出会いが﹃庭園で偶然出会った﹄というのも本当なのだ⋮
⋮姫がその直後英雄に一騎打ちを申し込み、敗北後にはあらゆる権
力を駆使して周囲を黙らせ目当ての男を追い込んだ肉食系だろうと
も!
ここまで来ると﹃素敵なロマンス﹄﹃憧れの英雄﹄というのには
無理がある。弄らなければならなかったのだろう。民は極々一部の
姿しか知らないのだろうし。
今となっては王家と極一部の関係者にしか知られていない事実は
﹃知ったからには責任を持って墓の中まで持っていくべし﹄と厳命
されていたりする。
英雄やロマンスの裏側なんてこんなものだ。﹃英雄の子孫﹄とい
う枷を背負わされている我が一族がそういったものに冷めた考えを
2121
持つのも仕方のないことだろう。
しかも現在は二人に恨み言を言いたくなるような事態が発生して
いるのだ⋮⋮!
ぐっと手にしたグラスから酒を煽る。
そして肖像画をやや潤んだ目でキッと睨みつけ。
﹁お恨みしますぞ、ご先祖様⋮⋮! 何故に、何故にもう少しその
血を抑えてくださらなかったのか!﹂
先祖に対して恨み言を言っても仕方が無いとは判っているが言い
たくもなる。これはジークが婚姻可能な年齢となってからの恒例行
事と化しているのだから。
先祖への恨み言の原因⋮⋮問題は我が息子の一人、ジークことジ
ークフリートである。
英雄の直系であり、良縁とばかりに上流階級の血が入ったせいか
生まれる奴は男女問わずに顔・能力共に恵まれた優良物件。上の息
子二人も家を継ぐ長男は自分の補佐、次男は騎士として近衛に属し
周囲にも認められている。
貴族の婚姻とは顔か能力、もしくは家柄での政略結婚が常なのだ。
﹃英雄の一族と縁続き﹄という事実は非常に魅力的に映ったらしく、
一族に加わる者達も相応しい人材が送り込まれてきた。
その結果、﹃フェアクロフ伯爵家=優良物件の宝庫﹄という認識
が出来上がった。加えられた血のお陰か、実際に有能な者達が生ま
れていたので嘘ではない。
二人の息子も婚約者を得る時は非常に苦労したものだ。今となっ
ては素晴らしい妻を得てくれたものだと思っているが、あの当時は
本当に鬱陶しかった⋮⋮殺意を抱くほどに。
2122
そして最後に残っている三番目の息子、ジークフリート。
偉大な先祖の名を戴いたせいか、幼い頃から騎士になるのだと言
っては周囲に微笑ましく見守られていた。
⋮⋮あの頃は良かった。今から思うと﹃何故、性格矯正に勤しま
なかったのか!﹄と平和ボケしていた自分を殴ってやりたいほどだ
が。
自分とて昔はジークの﹁強くなりたい!﹂という言葉を頼もしく
思っていたのだ。だが、貴族や騎士⋮⋮もっと言うなら英雄の血筋
である以上はそれだけで済む筈は無い。
最低限の社交性は必須である、もしくは周囲の思惑を上手くかわ
せるような賢さが。
⋮⋮が。
我が愚息はこういったことが綺麗さっぱり頭の中から抜けていた
のである。それはもう、清々しい程にすこーんと欠落していた。
なまじ整った顔立ち︱︱しかも黙っていれば賢そうに見える︱︱
だからこそ発覚は遅れた。それまでは﹁英雄を先祖に持つからこそ、
そういったものには疎いんだな﹂で済ませていたが、現実はそう甘
くは無い。
そろそろ婚約者がどうとか煩い連中が騒ぎ出すだろうと、ジーク
の好みを聞いた時の衝撃は今でも覚えている。
﹃自分より強い者⋮⋮もしくは背中を預けられる存在ですね﹄
⋮⋮繰り返すが聞いたのは﹃婚約者に対する希望﹄であって、﹃
人として、仲間として好ましい人材の理想﹄ではない。本人に再度
確認を取るも同じ答えが返って来たのだ、勘違いではなく本心なの
だろう。
これを聞いていた妻は己が血筋に恐れ慄き︱︱自分は婿なので彼
2123
女が直系だ︱︱二人の息子は頭を抱え、私はジークを揺さぶって﹁
真面目に答えろ!﹂と無駄な足掻きをした。
この時点でジークは十代後半。これを本心から言っているのだ、
ヤバさが知れる。
即座にジークの幼馴染を呼び出し事情聴取をすると更に衝撃の事
実が語られた。
﹃ジークは女性の特徴を顔と名前程度しか認識してませんよ。魔物
とかなら﹁どんな動きが凄かった!﹂って感じで楽しそうに話して
るんですが、女性相手だと欠片も興味を示しませんし﹄
知ってると思ったんですが︱︱そう気の毒そうに付け加えるキー
スの視線は憐れみ一杯だった。おそらくは彼が上手く立ち回って隠
してくれていたのだろう。
ただ、そういう報告は聞きたくなかったと思う自分は悪くない。
おい、興味が無い通り越して極一部以外を﹃人間﹄って括りにし
てないか?
男としての性はどうした、全部闘争本能にでもなってるのか?
ってゆーか、お前にとって令嬢は魔物以下ってことかい?
その後、家族会議の末に﹃ジークは絶対に近衛にさせない﹄とい
う結論に達した。元々、騎士になりたい・強くなりたい程度の希望
しかないのだ。近衛でなくともいいだろう。
何より近衛になってしまえば必然的に目を付けられる確率が跳ね
上がる。カルロッサならばともかく、他国の姫君や令嬢に目を付け
2124
られるなど笑えない。
ジークに駆け引きやお世辞など無理である、馬鹿正直に何を言う
か判らない。しかも見た目だけは賢そうなので﹃こいつは普段から
こんなんです﹄と言っても信じてもらえず、相手は侮辱されたと受
け取るだろう。 下手をすると外交面で支障が出る。いや、それ以前に魔物以下の
興味も無いという態度を取られて激怒しない令嬢など居ない。政略
結婚を当然と思っている面があろうとも、基本的にお嬢様なのだか
ら。
とりあえず昔から付き合いのあった男爵家の息子であるキースに
御守を頼み、できる限り貴族とは縁の無い方面で活動するというこ
とで落ち着いた。
男爵からは
﹃うちの子で良ければ存分に使ってやってください。ご恩返しがで
きるなら安いものです!﹄
という状態で差し出されているので、本当に拙い状態になったら
男色家という噂を流す事で話がついていたりもする。
親同士の企みであった。なに、事実にしろというわけじゃないの
だから否とは言わせない。
申し訳ないとは思うが、男爵も事態の拙さは理解できているのだ
⋮⋮個人より国、である。
﹁せめて⋮⋮せめて人間に興味を持ってくれれば婚姻まで持って行
ってみせるものを⋮⋮!﹂
ぎり、とグラスを握る手に力が篭る。無駄とは知りつつも願わず
にはいられなかった。
と、そこへ︱︱
2125
﹁い⋮⋮一大事でございます!﹂
自分に長く仕えてくれている執事が息を切らせて駆けて来た。そ
の様子に軽く目を見開く。
彼は自分がこの家に婿に来る時も付き従ってくれた人であり、昔
から私をよく支えてくれた落ち着きのある人物だ。
その彼が余裕のある表情を崩すなど大変珍しいことである。これ
は相当な事なのだろうと、思わず気が引き締まった。
﹁どうした﹂
﹁ジ⋮⋮ジーク様、がっ⋮⋮っ﹂
﹁ジークだと!? ついに何かやらかしたのか!?﹂
その言葉に血の気が引く。怪我をしたとかで暫く大人しかったは
ずだが︱︱﹁死んでないなら大丈夫だろう﹂と放っておいたのはい
つものことだ︱︱何をしたのだろうか。
思わず最悪の事態を思い浮かべ、ごくりと喉を鳴らした。しかし、
告げられた言葉は予想外の事だったのだ。
﹁ジーク様が、婚姻したい女性ができたと、申しておりまして⋮⋮
旦那様に許可を得たいと﹂
﹁おい、嘘を言うな。そんな慰めなど要らんぞ?﹂
即座に突っ込み、ふっと乾いた笑いを浮かべると執事の肩を軽く
叩いて落ち着くよう促す。
そういえばこいつは恒例行事と化した先祖への恨み言を知ってい
たなと思い出す。嘘で一時慰めなければと思うほどに心配させたの
かと、少々申し訳なく思った。その優しさに涙が滲む。
2126
﹁いえ、事実にございます! 奥様はお倒れになられました!﹂
﹁おいおい、慰める為の嘘とはいえ過ぎると腹立たしい限りだぞ?
ジークにそんな甲斐性があれば苦労はしないだろ? 落ち着け?﹂
﹁落ち着かれるのは旦那様の方です! 現実逃避はお止めください
! ⋮⋮お気持ちは十分過ぎるほど理解できますが﹂
落ち着かせようとするも逆に一喝され、思わずまじまじと執事の
顔を見る。
その表情は真剣そのものであり、嘘を言ったり慰めようと憐れん
でいる風でもなかった。
﹁⋮⋮。事実、か?﹂
﹁はい! とりあえず話をなさってくださいませ!﹂
その言葉を受け、即座に走り出す。
これが事実ならばめでたいかぎりだ、我々の心労が無くなるやも
しれない機会を逃してたまるものか!
万が一、熱か怪我のせいでおかしくなっていただけだとしても一
度言い出したのだから否とは言わせない。
家族達よ! 皆の平穏のため、私は遣り遂げて見せるぞ⋮⋮!
決意を固めつつジークの元に向かう私は期待のあまり綺麗さっぱ
り忘れていた。
﹃あの脳筋が普通の女を選ぶのか?﹄
﹃そもそもキースからの報告も無いのに見初めたってどういうこと
だ?﹄
そんな当然の疑問すら浮かばなかったのは、私自身が舞い上がっ
ていたからだろう。
2127
そしてそれはジークとの会話で突きつけられる⋮⋮いや、現実を
思い知らされる事となる。
⋮⋮令嬢を最低限の情報でしか認識しない愚息が、どうやってそ
の人物を想い人認定したのかを。
まさか﹃誰だか判りません、女性であることは確実です﹄なんて
言われるとは思わなかったのだ、この時は。
2128
思わぬ拾い物 其の一︵後書き︶
次話に続きます。
※活動報告にて﹃魔導師は平凡を望む﹄三巻の御報告をしています。
2129
思わぬ拾い物 其の二
︱︱カルロッサにて︵フェアクロフ伯爵視点︶
我が愚息、ジークの唐突な﹃お願い﹄に我が家は沸いた。
それはもう、奇跡とも言うべき出来事なのだ⋮⋮次はないと誰も
が感じていたことだろう。
そして期待一杯にジークに尋ねると、奴はさらりと言い切った。
﹁出身地どころか名前も知りません。女性である事は確実です﹂
⋮⋮馬鹿野郎である。
さすがに家族達の顔が引き攣った。やはりこいつの恋とやらは普
通ではないのかと。
いやいや、それ以前に恋愛だとは限らないのだ。﹃気に入った﹄
とか﹃強かった﹄とかならまだしも、﹃闘ってみたい!﹄とか言い
出していたら〆ていた。
どれも女性相手の言葉ではない。令嬢にそんなことを言ったら間
違いなく交際を申し込んでいるとは思われないだろう。どう考えて
も願ったものは決闘だ。
﹁ジーク? 貴様、ふざけるのも大概にせんか!﹂
青筋を立てながら睨みつけるも、ジークは軽く首を傾げた。何故
怒られるのか判っていないらしい。
﹁父上、何をそんなにお怒りで?﹂
﹁お前のせいだろ!﹂
2130
﹁皆が普段から俺に言っているじゃないですか、﹃いい人は居ない
のか﹄と。漸く好みの女性が現れたので報告したのですが、何か問
題でも?﹂
好み⋮⋮そうか、お前にとっては顔も家柄も性格すらもすっ飛ば
して強さ一択というわけか。
面と向かって言っても喜ぶ奴は稀だろう⋮⋮女性に対する褒め言
葉ではないのだから。いいとこ、実力を褒めているだけである。
﹁俺の記憶も魔道具に残しましたから、彼女の姿は見れますよ﹂
﹁それを早く言わんかっ!﹂
奪い取るようにしてジークが差し出した魔道具を手に収める。映
像系の魔道具⋮⋮記憶と言っている以上は彼女との出会いが込めら
れているのだろう。
ならば特定は可能な筈だ。最低限の情報だろうとも人脈、権力共
に駆使して特定してみせようではないか!
﹁では、見るとしよう。⋮⋮皆、覚悟はいいか?﹂
家族達を振り返れば誰もが真剣な表情で頷いた。ここが正念場で
ある、特定できねば次の奇跡がいつ起こるか判らないのだ⋮⋮必死
にもなろうというもの。
私達は真剣な表情でジークの運命の出会いとやらを見ることにし
た︱︱
そして映像を見終わった後の私達は。
2131
﹁やはり⋮⋮やはり⋮⋮っ﹂
﹁父上、儚い夢でしたね﹂
﹁ああ、うん⋮⋮運命の出会いではあったよな﹂
がっくりと床に両手を着いて蹲る私、諦めと呆れを顔にも声にも
色濃く滲ませた息子達。
一人言葉を発しない妻はどうやら再び倒れたようだった。﹁奥様、
御気を確かに!﹂と長年仕えてくれている侍女の声がする。
ま、まあ、妻は別の意味で倒れたようなような気もするが。女性
にとっては酷だったかもしれない。
そしてジークは⋮⋮腹立たしいことに上機嫌だった。何も疑問に
思っていないらしい。
﹁ジーク⋮⋮﹂
ゆらり⋮⋮と怒りを纏わせたまま立ち上がると、元凶とも言える
奴の頭をがしっ! と掴み。
﹁お父様をおちょくるのもいい加減にしろやぁ、この脳筋がよぉっ
! うっかり期待しちまったじゃねーか!﹂
﹁父上、何をそんなに怒っているのです?﹂
﹁ちったぁ、その空っぽの頭に一般常識詰めろや!﹂
﹁父上! 少しは抑えて下さい!﹂
﹁そうです、ジークに期待した我らが愚かだったのですから!﹂
ギリギリと手に力を込める私を息子達が必死に宥める。その言葉
も少々本音が漏れていたりするので、余計に腹立たしさが湧き上が
った。
それは元凶であるジークが頭を掴まれたまま平然としていること
にも原因がある。相変らず無駄に頑丈な奴だ、先祖はやはり他種族
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の血を引いていたと考えるべきかもしれん。
そんなことを考えたせいか、少々落ち着きを取り戻し手を離す。
⋮⋮ジークは相変らず困惑したままだった。
せめて一撃とばかりに頭を一発引っ叩いておくが、こいつにとっ
て大したダメージにはならないだろう。
﹁ジーク⋮⋮あの映像ではその人物が辛うじて女性である程度しか
私達には判らん﹂
深々と溜息を吐きながらそう言えば、息子達も同意するように頷
いた。しかもその判断材料は華奢な体に声、その程度なのだ。
いや、あれで特定など無理があるだろう。そもそもあの映像を﹃
運命の出会い﹄とかいうならば、相手は女性ではあるまい。
見つめ合っていたな、大蜘蛛と。
睨み合っていたという方が正しい気がするが。
楽しげに戯れていたな、大蜘蛛と。
足をザクザク切り落とすお前相手の命を賭けた戦いにしか見えな
いが。
確かに、確かに背に庇われていたな⋮⋮女性らしき人物に。
ただ映っているのがそれだけなので、黒髪ということしか判らん。
これで何を判れというのだ。誰が見ても﹃迫力ある大蜘蛛との戦
闘﹄という認識しか得られまい。
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で? 肝心の女性は?
もしや、出番はこれだけか? お前、命の恩人とか言ってなかっ
たか!?
﹁ジーク、怪我を治してもらった時の記憶は無いのかい? それな
らば彼女も映っているだろう?﹂
﹁⋮⋮! そ、そうだな! おい、ジーク!﹂
上の息子︱︱イライアスが呆れながらもそう切り出し、私も賛同
しつつ促せば。
﹁私も意識が朦朧としていまして。戦闘もほぼ気力で戦えていたよ
うなものでしたし﹂
﹁ああ⋮⋮そう⋮⋮﹂
つまり、ほぼ大蜘蛛に集中していたと。
首を緩く振って溜息を吐くイライアスの反応は正常である。私も
もう一人の息子と共に生温かい視線をジークに向けた。
駄目だ、これでは特定できたとしても断られる可能性が高い。見
初めた理由を口にしただけで終了だ。
ジークは脳筋過ぎる上に強い奴大好き、しかも一歩間違えば戦闘
狂な節がある。ある程度は何でも出来るからこそ、見た目も相まっ
てその本質は常に隠されていた。気付く奴は稀である。
その所為か気付いた時の認識の差がまた酷いのだ。気配を容易く
読む奴が場の空気を読めないなど誰が信じる? 女性が相手ならば幻滅通り越して意図的にやっていると受け取ら
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れかねない。﹁そんなに私に興味がないのか﹂と詰られても、ジー
クにそんな自覚はないので会話はとことん噛み合わないだろう。
当の女性がジークの全てを顔で許せる性格をしていない限り絶対
に選ぶまい。気苦労ばかりの人生が確定なので逃げた方が賢明だ。
最終手段として政略結婚をしたとしても、夫婦の溝は埋まらない
ままであろう。
不憫。物凄く不憫。ジークじゃなくて見初められた子が。
ここで初めて良心がちくりと痛んだ。
運命の出会いとやらはジークだけの認識なのだ、間違いなく⋮⋮!
そんな周囲の思いを他所にジークは嬉々として話し出す。
﹁魔術の腕も素晴らしいですし、支援も的確です。武器の強化も可
能とはまさに理想なんです!﹂
﹁うん、お前にとっては理想だね。でも相手の子はそう思っている
か判らないから﹂
﹁何故です!? ⋮⋮やはり私では力不足なのでしょうか﹂
﹁いや、それ以前の問題だから。ついでに言うと落ち込む所が違う
からね? 少しは戦闘から離れようね、ジーク﹂
騎士である次男︱︱マーカスがかなり投げやりに促すも、ジーク
の反省点は別方向に行ったようだった。
こんな会話をしているが見た目だけならば良いのである⋮⋮何故
に顔に出た先祖達の恩恵が頭へ向かわなかったのだろうと心底思う
瞬間だ。
﹁打つ手なし、か⋮⋮﹂
特定できるならば政略結婚を打診できるというのに、それも叶わ
2135
ぬ。
我らの苦労振りに絆されてくれたならば、家を挙げて救世主と崇
めるものを。
そして魔術師と聞いた時点でジークに惚れてくれる可能性は皆無
だと理解した。魔術師には賢い者が多いのだ⋮⋮要らないだろう、
こんなアホは。
いいとこ研究資金の金づるだ。この際、家が傾かなければそれで
も構わないが。
﹁あ﹂
不意にイライアスが声を上げる。
﹁キースならば知っているかもしれませんよ、父上! ジークの御
守ですから﹂
﹁ああ、彼なら知っている可能性はあるね﹂
マーカスもうんうんと頷き同意する。そして私は勢い良く執事を
振り返り。
﹁キースを呼べぇぇぇっ!﹂
﹁はいっ、すぐお連れしますっ!﹂
私達の期待を一身に受け、執事は珍しく駆け出して行く。
そしてキースが引き摺られるようにして連れて来られるまで、ジ
ークは私達からの説教を受けたのだった。⋮⋮絶対に反省などしな
いだろうが。
︱︱そして連れてこられたお世話係の苦労人ことキースは。
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﹁はぁっ!? お前、名前すら知らず名乗ってないってどういうこ
とだ!?﹂
事情を聞くなり﹃名前すら知らない﹄という事実に絶句し、ジー
クの胸倉を掴んで揺さぶった。
﹁蜘蛛を倒す事ばかり考えていてな。力尽きて倒れてから数日は眠
ったままだったじゃないか﹂
﹁その前に打ち合わせて森護りを倒したんだろ!? いや、それ以
前に命の恩人だろうが!﹂
﹁礼は言ったぞ?﹂
﹁せめて名乗れ! そんな場所に都合よく助け手が居た事を怪しく
思えよ!﹂
﹁ああ、お前に頼まれたってことは聞いたな﹂
聞いているこちらが気の毒に思うようなジークとの会話が展開さ
れた。日頃の苦労が良く判る。
漸く復活した妻などは﹁ごめんなさいね、苦労をかけて⋮⋮!﹂
とハンカチで涙を拭っている。産んだ責任を感じているのだろう。
嘆くな、妻よ。絶対にお前のせいではない。あれが特殊だっただ
けだ。
キースは深々と溜息を吐くと手を離して私達に向き直った。その
表情は何だか疲れている。
﹁えーと⋮⋮一応知ってはいますが、まずほぼ無理だと思ってくだ
さい﹂
﹁うむ、私達もジークの顔に惚れてくれるというような都合のいい
展開は考えておらん。あらゆる努力はするつもりだ﹂
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一般的な思考回路を持ち、誰よりジークの面倒を見てきたキース
の言葉に﹁判っている﹂と頷けば⋮⋮何故かキースはやや顔色を悪
くした。
﹁違うんです。ミヅキ⋮⋮ああ、これがその子の名前なんですが。
ミヅキはイルフェナのゴードン医師の弟子で魔術師です。あの時は
友人達とコルベラへ薬草の勉強に行く途中だと言っていました﹂
﹁ほう、医師を目指す者か! それは⋮⋮﹂
何て運の悪い。
ジークを除くその場に居た全員の心の声は綺麗に重なった。なん
とジークに都合のいい展開か。
ちらりと視線を向けた先ではジークが目を輝かせている。益々、
最高の伴侶と判断したようだった。
﹁で、ですね⋮⋮ミヅキは普通の思考回路をしていません。蜘蛛の
頭と足を持って帰って貴族との交渉に使えと言ったのも、村人達を
誘導して騎士達との蟠りを無くしたのも、キヴェラの馬鹿どもを拷
問紛いの手で徹底的に泣かせたのもミヅキです﹂
﹃⋮⋮はい?﹄
告げられた内容に全員が唖然とする。何だ、それは。
﹁ああ、それで村長から感謝と謝罪の手紙が来たのかい﹂
マーカスが感心したような声を上げる。
﹁どういうことだ?﹂
﹁例の村の事ですよ。騎士に成り立ての若い奴らがちょっとはしゃ
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ぎ過ぎたんです。やる気があったゆえのことなんで連中も落ち込ん
でたんですが、村長からの手紙を読んで慎重になることを学んだよ
うです。あの手紙はその子が原因だったのか!﹂
そういえば例の蜘蛛は将来近衛になりそうな者達を任務にあたら
せた事が原因の一旦だったか。
箔付けで終わる筈の魔物の討伐が予想外の大物を引き出す結果に
なったとかで、ジーク達が向かった筈。謹慎処分を受けたと聞いて
いたが、どうやら腐ることなく良
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