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新しい年のスタートです。昨年は,地域の皆様,保護者の皆様には大変

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新しい年のスタートです。昨年は,地域の皆様,保護者の皆様には大変
平成 26 年 1 月 10 日 三和小校長便り 寺山喜久美
新しい年のスタートです。昨年は,地域の皆様,保護者の皆様には大変お世話になり,
ありがとうございました。たくさんの方に支えられ,子どもたちが成長させていただい
ていることに心より感謝申しあげます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて,私事で大変恐縮ですが,1年に一度は,ご縁があった子どもたちの顔を思い浮
かべ感謝したいと思い,毎年,これまで担任した子どもたちに年賀状を出しています。
子どもたちといっても,その多くは成人して立派なお父さんお母さんになっているので
すが。
今年は,三和小学校の校舎を入れて年賀状を作成しました。三和小の子どもたち,保
護者の皆様,地域の皆様,お一人お一人に出させていただきたい思いではございますが,
紙面をお借りして,年頭のご挨拶に代えさせていただきます。
行きつけの田舎の
小さなお店の壁に,次
のような紙が貼られ
ていました。
喜び
どんなときにも
ささいなことの中に
喜びを見つけられる
人が
ほんとうに幸せなの
かもしれない
3月に豊平西小学校を閉じ,この春三次市立三和小学校に赴
任しました。森の中にある自然豊かな学校です。5年間の単
身赴任を終え,両親とともに暮らしています。息子が就職し
たため,両親と3人で暮らしておりますが,平凡な生活に幸
せを感じている日々です。両親が高齢になったため,昨年息
子とともに旧姓の「寺山」に戻しました。これまで,
「稲垣」
でお世話になった方には,これまで通り稲垣とお呼びいただ
けたらと思います。早いもので教員になって今年で 30 年に
なります。思い起こせばたくさんの方との出会いの中で,今
の自分が生かされていることを強く感じています。私と出会
ってくれた多くの子どもたち,支えてくださった先生方,友
人,ご縁のあった皆様…ありのままの私を受け入れ,つきあ
ってくださったことに改めて感謝せずにはいられません。こ
れからも「小さな幸せ」を大切に日々学んでいきたいと思い
ます。引き続き,どうぞよろしくお願いいたします。皆様の
ご健康と幸せな1年を心よりお祈り申し上げます。
そして,休みの日に
うどん屋さんに行っ
たら,ウォルト・ディ
ズニーのチラシにこ
う書いてありました。
「幸せは心の中にあ
る」
今年は,小さな幸せ
を探してみる1年に
しようと思います!
今月は,「家族」をテーマにした記事を載せたいと思います。12 月にとても素敵
な「家族」にかかわる子どもの作品に出会ったので,今日はそれを紹介します。読
み終わった後,とてもほっこりとした温かい気持ちになりました。
私は,左の年賀状にも書いておりますように,父母と私の3人暮らしで,一人息
子はもう家を出ております。息子にとって,お父さんがいてお母さんがいて…とい
ういわゆる一般的な普通の家族,家庭ではありませんでしたが,振り返ってみると
いろんな形の「愛」の中で子育てをさせてもらったなと感謝の気持ちがひとしきり
です。それでは,本校の4年生と5年生の作文をご覧ください。
*4年生が「総合的な学習の時間」の「二分の一成人式」という学習の中で,その発展として
書いた作文です。平野さんの「当たり前のことへの感謝」と「自分の体験をもとに広がる夢」
に,こちらまで心が温かくなりました。
10歳のありがとう
4年 平野 芙優佳
わたしは,7月に10歳になりました。今までいいことやいやなことが色々ありまし
た。でも,家族や友達がいてくれたのでがんばれました。
その中で,一番支えてくれたのは,家族です。わたしは,4人家族です。父さんは,
仕事からつかれて帰ってきても,
「遊んで」と言えば,遊んでくれます。
母さんは,材料があれば,好きな料理を作ってくれます。弟は,わたしとけんかして
も,「ねえ,遊ぼうや」と言ってすぐ仲直りをします。
こんなおもしろい家族の一人として生まれてきて,とても幸せです。父さんと母さん
には,わたしを生んでくれて,今まで育ててくれて感しゃしています。ふだんは言えな
いけど,みんなありがとう。
そんなわたしのゆめは,チャイルドライフスペシャリストになることです。なぜかと
いうと,わたしは子どもが大好きだからです。特に,4・5歳くらいの子がかわいいな
と思います。
この仕事を知ったきっかけは,入院している時,病院のプレイルームでチャイルドラ
イフスペシャリストの人に出会ったことでした。いつも人生ゲームなど楽しい遊びを持
ってきて,一緒に遊んでくれます。時々,アメリカなどの違う国へ行って仕事をしてい
ます。帰ってくると,その国の話を聞かせてくれたり,おみやげをくれたりします。と
てもやさしくてわたしもそんな人になりたいなと思いました。わたしも病院にいる子ど
もたちをかわいがってあげたいと思いました。
わたしも,病院にいる子どもが楽しいなと思うチャイルドライフスペシャリストにな
れるよう,今から英語などをがんばりたいと思います。また,今はチャイルドライフの
仕事をやっている人が少ないので,この仕事をもっとみんなに知ってもらって,なろう
かなと思う人がふえたらいいなと思います。
*田村君は,国語の時間に伝記を学び,昨年亡くなったおじいちゃんの伝記を書いてみ
ました。どこかできっと,おじいちゃんはこの伝記を読んでふふふっと笑っておられ
るのではないかと思います。
田村三千夫の伝記を作って
5年
田村
健一郎
はじめに
1学期の国語の時間に「伝記を読もう」という勉強をしました。ぼくは,教科書以外
に「水木しげる」や「毛利元就」を読みました。人の人生には,いろいろな生き方があ
るなあと思っているうちに昨年亡くなったぼくのおじいちゃんはどんな人生をおくっ
たのだろうと思いました。そこでぼくは,おじいちゃん「田村三千夫」の伝記を書いて
みることにしました。
おじいちゃんのことはよく知っていると思っていましたが,おじいちゃんの子どもの
ころのことや若いころのことはちっとも分かりません。ぼくは,おじいちゃんのお姉さ
んやおばあちゃんに聞いて書くことにしました。読む人におじいちゃんの生き方が少し
でも伝わるといいなと思います。
田村三千夫の伝記
1 幼いころの三千夫
田村三千夫は,1936年世羅郡上山村(今の三次市三和町上山)で生まれた。小さ
いころは体が弱く6才までお母さんのお乳を飲んでいたそうだ。中学生のころは勉強が
得意でいたずら好きだった。例えば友だちの布製のランドセルのひもを切ったこともあ
る。しかし,自分から進んで何にでも取り組み,みんなから信頼されていた。
2 アメリカへ出航
やがて高校を卒業した三千夫はアメリカに農業の勉強をしにいこうと決心した。しか
し,その当時アメリカへ行くことはとても危険なことであり,二度と帰国できないかも
知れないと家族中が反対した。この頃三千夫は,9人家族で暮らしていたが,9人全員
に反対されたのだった。しかし,その時東京で暮らすおじだけは,
「大じょうぶ。わし
が船に乗せてやる」と言って賛成してくれた。この船乗りだったおじさんの強力な後お
しでアメリカ行きが決まった。三千夫は3年間アメリカで勉強した。
3 やき米づくりに挑戦
三千夫は,無事帰国して家の農業をつぐことになった。そのころ農家の人たちには集
合時刻を守らない人が多くいた。アメリカの人たちとの違いを悲しく思った三千夫は
「集合時刻を守ろう」とよびかける活動を始めしだいに広めていった。その結果,三千
夫の米作りは順調だったが,田んぼの水を流すあたりの米が実らないことに気づき,そ
の米を使ったやき米作りに挑戦していった。やき米というのはもともと米のあまり熟さ
ない部分を使ってそれぞれの家で作られていたものだった。明治時代以前から作られて
いた。三千夫は,これを三和の特産として売り出そうと考えた。そして,三和の古里
まつりで売ってみた。すると,
「これはふるさとの味だ」
「なつかしい」と,多くの人に
喜んで食べてもらうことができた。しかし,やき米はすぐにはたくさんの量が売れるよ
うにはならなかった。そこで,もっといろんな食べ方ができるように工夫を重ねた。そ
の結果,ポン菓子,やき米せんべい,やき米めん,などが完成した。今や,道の駅みわ
375や三次市きんさい館などの人気商品となった。
4 三千夫の工夫が実って
三千夫の夢は「いろんな人にふるさとの味を知ってもらう」ということだった。また
農業を続けて「米の素晴らしさを知ってもらう」ことだった。そのため,取材もどんど
ん受けた。テレビ番組に出たり,外国の人たちを招いたりして米ややき米の素晴らしさ
を伝えようとした。また,子どもたちに伝えようといろいろな地域の学校へ出かけてい
った。その結果,女優さんや学校から感謝の手紙が届くようになった。特に孫の通って
いる地元の三和小学校へは,米作りややき米作りほとぎやおはぎ作りの先生として一生
懸命かかわりつづけた。自分の夢を叶えて,三千夫は平成25年1月,77歳で亡く
なった。
おわりに
ぼくのおじいちゃんの伝記はいかがでしたか。おじいちゃんの情報を集めるのは,思
ったより大変でした。そして,聞いた情報を人に分かりやすく書くことも大変でした。
おじいちゃんの伝記はまだ完成ではありません。書いていく内に,アメリカでどんな
勉強をしていたのか,おじいちゃんの夢は,どのくらいかなったのかなど次々聞いてみ
たいことが出てきました。いつのことになるかは分からないけど,このおじいちゃんの
伝記を完成させてみたいと思います。そして,大人になったらおじいちゃんがやってい
たやき米作りをひきつごうと思っています。
最後に,家族にかかわる詩を紹介します。思わず,う∼んとうなってしまいました!
おほしさま
ぼくをとりかえて
(幼稚園児)
ぼく こないだ おほしさまに たのんだの
いまのぼくと ちがうぼくに とりかえてちょうだいって
だって おこられてばっかりいるから
となりのおばあちゃんも この子とちがうほうなら
すきって いったから
すみれ
(1年生)
ものすごくさむい日,
学校のかえり道で,スミレを見つけた。
うれしくなって,スミレの花をとり,
走ってかえった。
ドアをあけて,
「母ちゃん,見て。見て。」
とスミレをさしだすと,
「スミレぐらいで,大きな声を出すな。」
と顔をしかめて言った。
ぼくは何にもする気がなくなった。
先生あのね
(1年生)
わたしのうれしいことおしえてあげる。
わたし,きのうね,
水道のじゃぐちに手がとどいたんだよ。
だいにのらないで,手がとどいたんだよ。
「手がとどいた。」と言うと
お母さんが,
「手がとどいたんだね。
」
と言ってはくしゅしてくれたんだよ。
わたし,もっと大きくなるね。
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