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Page 1 Page 2 ドン・フワン断想 (一) 「不条理の人」ーアルベール・力ミュ

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Page 1 Page 2 ドン・フワン断想 (一) 「不条理の人」ーアルベール・力ミュ
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Title
Author(s)
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<麒麟> ドン・フワン断想(二) 「不条理の人」-アルベ
ール・カミュの場合
大場, 恒明; OHBA, Tsuneaki
麒麟, 06: 19-30
Date
1997-02-01
Type
Departmental Bulletin Paper
Rights
publisher
KANAGAWA University Repository
・フワ ン断 想
ドン
(
二
)
大
場
恒
明
人 間 の肉体 を纂奪 し た近 世 のプ ロメ テウ スであ り、 モリ
テ ィ ルソ ・デ ・モ- 1 ナ のド ソ ・フ ワソは神 の手 から
刻 ま れ て いる。
「不条 理 の人」 -アルベール ・カミ ュの場合
あ あ、 わ が魂 よ、 不死 の生 を求 む る な かれ。
む し ろ' 可能 の領 域 を窮 め よ。
﹃シジ フォ スの神 話 ﹄ の エビ グ ラ れ
のド ソ ・フ ワソは神 の綻 から の、 そ し て、 モリ エー ルの
-
(リ ベ ルタ ソ) であ る。 いず れ も喜 劇 であ って、 こ の作
エー ルが 造 形 し た ド ソ ・ジ ュア ソは 偽 善 的 自 由 思 想 家
一七世紀 の スペイ ソで生まれ たド ソ ・フワソは、 ド ソ ・
ド ソ ・ジ ュアゾ は ボ ソ ーサ ソ スと いう規範 から の笑 う べ
品形 式 は作者 の思想 そ のも の の表 現 でも あ る。 モリ ー ナ
キ ホー テ、 ハム レ ット、 フ ァウ ストな ど と 同 じ よ う に、
き 逸 脱者 であ り、 彼 ら の罪 を罰 す る 石像 は、 神 の代 理人
1八世 紀 に モー ツ ア ルト の音 楽 が創 造 し た ド ソ ・ジ ョ
時代 を経 て いま や神 話 的 な人物 にな って いる。 宗 教 的意
幾度 と な -生命 を吹 き 込 まれ て新 た に蘇 る こと が 出 来 る
能 の美 を神 の位置 にま で高 め た。 一七世 紀 的 な反 逆者 の
だ が、 作 者 の思想 の代 弁 者 でも あ る。
だ け の豊 かな 可塑 性 を そなえ、 文 化 の伝 統 と し て受 け継
2
が れ て い-物 語 を神 話 と呼 べるならr 後 世 に、 多 様 な解
面 影 は後 退 し て、 近 現代 のド ソ ・フ ワ ソ像 の原型 が定着
味 を超 え普遍 的 で象 徴 的 な価 値 を も ち、 想 像 力 によ って
釈 を う な が し繰 り返 し文 学的素 材 を 提 供 す るあ る種 の古
し た。
一九世紀 の ロマソテ ィ スム時代 、 バイ ロソー ホ フ マソ、
ヴ ァソ 二は、 エ ロスの飽 - な き 追 求 者 と し て、 感 性 と官
典 は神 話 的 であ る。 こう し て現 代 に至 るま で幾 度 と な 生 き か え ってき たド ソ ・フ ワソには それ ぞ れ 時 代 の相 が
1
9
な る。 す でに神 はド ラ マを動 かす力 を失 って いる。
マソ スに変質 す る。 ド ソ ・フワソは理想 の女 性 と完 全 な
7- シキ ソなど のド ソ ・フワソ物 語 は、 感 傷 的 な愛 の ロ
化 し これ に生 の 一様式 とし ての姿 態 を与 え るため に、 彼
話﹄ のな か で、 「不条 理 の人間」 と いう彼 の理念 を形 象
計 画 の実 現 を さま たげ たが、 カ ミ ュは ﹃シジ フォ スの神
一九 六〇年 1月 四日 の突 然 の自 動 車 事 故 死が これら の
行 な ったも の であ る。
も の ではな-、き わめ て形 而 上的 で複 合的 なデ ッサ ソを
示 し て いるよう に、 ド ソ ・フ ワソ像 を統 一的 に造 形 し た
ジ ュア ニスム (ド ソ ・フ ワソ的 生 き 方 )
」 と いう章 題 が
のド ソ ・フワソ論を展開 し ている。 ただし、 「ル ・ド ソ ・
愛 を求 め、 は てしな-女性遍 歴を繰 り返す愛 の巡礼者 と
二
,ユ 二 九 二 二- 1九
二〇 世紀中葉 、 ア ルベー ル ・カ六〇) の哲学 的 エッセイ ﹃シジ フォ スの神 話﹄ (1九 四
二) のな か で、 ド ソ ・フ ワソは 「不条 理 の人」 と し て、
カ ミ ュが若 年 から 死 の直前 ま でド ソ ・フ ワソの テー マ
にダ ・ポ ソテの台本 から レポ レ ッ ロの科 白 を かかげ てい
た連 作 の 一つで、 一幕 四場 の韻 文 劇 であ る。 エピグ ラ フ
﹃石 の客﹄ (一八三〇)は、 「四 つの小悲 劇」 と題 さ れ
カ - ユが翻 案 ・脚 色 ・主 演 し た と いう プ- シキ ソ の
に強 -執着 し た ことは注 目 にあ た いす る。 アルジ ェ時代 、
ジ ョヴ 7ソ ニ﹄ を下敷 き にし ては いるが、 人物 を極度 に
形 而 上的 な装 いを ま と って蘇 った。
二四才 のカ- ユは仲 間 たちと演 劇集 団 「労働 座」 を結 成
限定 し、 ド ニャ ・アソナとド ソ ・フ ワ ソの ロマソ主義 的
エー ルの ﹃ド ソ ・ジ ュア ソ﹄ に関 す る講 演 と注 釈 を計 画
ノー ト であ る ﹃
手帖﹄ によ って、 一九 四 八年 ご ろ、 モ-
色事 師 と 石 の招 客﹄ の翻 訳を企 てていね。 カ ミ ュの創作
死 の直前 には テ ィ ルソ ・デ ・モ-1ナ の ﹃セヴ ィ- アの
絶 えず彼 の ﹃ド ソ ・ジ ュアソ﹄ を書- ことを夢 み て いて、
ソの伝 説 を、未 亡人と仇敵 と の間 の葛 藤 と いう ロマソ主
はな-彼 女 の夫な のであ る。 プ ー シキ ソは、 ド ソ ・フ ワ
殺 され 石像 とな っている のは、 ド ニャ ・ア ソナ の父親 で
み込 んだ重 大 な変更 を行 な った。 か つてド ソ ・フ ワソに
テー マを い っそう強化す るた め に、 題 材 の本質 にま で踏
な愛 の心 理的葛藤 に焦点 を しぼ って いる。 し かも、 この
る こと でもあきら かな よう に、 モー ツア ルト の ﹃ド ソ ・
カ ミ ュの研究家 ロジ ェ ・キ ヨによれば、 カ - ユは終 生
し、 一九 三七年 三月 二四 日' プ- シヰ ソの ﹃石 の客﹄ を
翻案 ・脚色 しド ソ ・フ ワソ役を演 じ か。
し ていた ことが確 か められ る1
2
0
ワソに対 す るプ- シキ ソ の感 情 移 入が あ り、 主 人 公 は作
一九世 紀 ロ マソ主 義 的 人物 像 そ のも の であ る。 ド ソ ・フ
l
T オネ-ギ ソやプ- シキ ソ自身 と の心的 同質 性 をもち、
義 的 な 心 理劇 に作 り か え て いる。 ド ソ ・フ ワソは エヴゲ
うと し て いる と ころ に、 騎 士 団長 の石像 が 「わ し は呼ば
ら ′」 と嘆 -。 翌 日 の再会 を約 し てド ソ ・フ ワソが 帰 ろ
ナは惑 乱 のな か で、 「あ あ、 あ な たを憎 む こと が でき た
かす。 ド ソ ・フ ワ ソに惹 かれ はじ め て いた ド ニャ ・ア ソ
しま いだ - お お、 ド ニャ ・ア ソナ′」 と叫 びな が ら、 石
れ て石像 の手 を握 った ド ソ ・フ ワソは、 「私 は 死 ぬ⋮お
れ た の でや って来 た」 と言 って現 わ れ る。 握 手 を求 めら
第 1場。 ド ソ ・フ ワ ソが レポ レ ッ ロに過 去 の女遍 歴 を
像 と とも に地 に のま れ姿 を消 す。
者 の分 身 であ る。
とな ったド ニャ ・アソナが墓参 り に修 道院 へ来 る。 ド ソ ・
語 って いる と ころ に、 夫 を ド ソ ・フ ワソに殺 さ れ未 亡人
第 二場。 馴染 み の女 ラ ウ ラ の夜 会 に入 り こんだ ド ソ ・
フ ワソ喜 劇 が も って いた思想 性 は失 わ れ て いる。 愛 のド
性 の宿 命 的 な愛 の心 理 ド ラ マであ る。 一七世 紀 のド ソ ・
であ る と同 時 に、 自 分 の夫 を殺 し た男 と の愛 に揺 ら ぐ女
プ- シキ ソ の劇 は、 愛 に殉 ず るド ソ ・フ ワ ソのド ラ マ
フ ワソは、 客 のド ソ ・カ ル ロスを 剣 でひと突 き にLt 死
フ ワソは 「彼 女 と近 づ き にな ってみ せ る」 と誓 う。
体 を前 にし て 「私 の いな い間 に何 度 この私 を裏 切 った か」
ラ マに突 然 の終 局 を も たら し に現 わ れ る石像 には宗教 性
は な い。 石像 は ド ソ ・フ ワソの背 徳 を罰 す る神 の使 者 で
と ラウ ラを責 め戯 れ る。
第 三場。 ド ソ ・フ ワ ソは修 道 士 にな りす ま し、 墓 参 り
はな-、 宿 命 的 な愛 を 圧殺す る冷 酷 な運命 の形 象 であ る。
市 民 的 心 理劇 であ り愛 の ロマソ スであ る。 みず から 「ド
ド ソ ・フ ワ ソ伝 説 に ロ マソ主義 的脱 神 性化 を ほど こし た
ア ソナは、 翌 日夜 が ふけ てか ら家 に来 るよ う にt と言 い
ソ ・フ ワ ソ ・リ スト」 を残 し たプー シキ ソだ け に' 彼 の
にえ」 であ る この身 に死 を 賜 わ れ と 言 い寄 る。 ド ニャ ・
残 し て立 ち去 る。 ド ソ ・フ ワ ソは 「子 供 のよう にしあ わ
ド ソ ・フワ ソ像 に作者 自 身 の息遣 いが感 じ られ るよ うな'
に来 たド ニャ ・ア ソナ に 「不幸 な、 望 みな い情 熱 の いけ
せだ」 と喜 び、 ド ニャ ・ア ソナ の夫 だ った騎 士 団長 の石
いか にも プ ー シキ ソら し い作 品 にな って いる。
し て- れ、 と言 う と 石像 は う なず -。
像 にむ か って、 戯 れ に、 彼 女 の家 に来 て戸 口で身 張 役 を
第 四場。 ド ソ ・フ ワソは ド ニャ ・ア ソナ に自 分 が 彼 女
の夫 を 殺 し た仇敵 ド ソ ・フ ワソであ ると はじ め て名 を 明
2
1
三
原 因 と な る 石像 の出 現 と いう ド ソ ・フ ワソ伝 説 の基 本 的
が収 録 され て いる 「プ レイ ヤド版」 の テク スト校 訂 者 で
「石像 が や って こな い」 と いう こ の モテ ィ‖
8フは ﹃シ
ジ フ ォ スの神 話 ﹄ のな か でも 展開 され てお り\ この作 品
な要 素 の重 大 な改 変 であ る。
品 が ど う いうも のだ った のか、 そ れ を確 認 でき る資 料 は
フI シキ ソの 「
小 悲 劇」 を翻 案 ・脚 色 し た カ- ユの作
残 って いな い。
創 作 ノー ト ﹃手帖 ﹄ に、 わず か十 数 行 のド ソ ・フ ワソ
「石像 が や って こな い」 と いう改変 は、 カ ミ ュ自身 が行
以 上 の解 説 は 加 え て いな い。 キ ヨの こ の注 記 に従 え ば
あ り注 釈者 の ロジ ェ ・キ ヨは こ の部分 に つい て、 「プ 9
シキ ソの作 品 にあ っても 同様 」 と注 記 し て いるがr それ
と プラけ
」
仲シ ス コ会 の神 父 と の会 話 の断 片 的 な粗 描 が 記 さ
れ て いるが、 こ の ノー トは 1九 四〇年 四月 ご ろ のも のと
な った変 容 では な -、 カ ミ ュが ア ルジ ェでの 「労働 座」
推 定 さ れ る の で、 一九 三七年 に行 な わ れ たプー シキ ソ劇
の翻案 原 稿 の 1部 だ と は考 え に- い。 む しろ、 カ ミ ュが
時 代 にド ソ ・フ ワソを演 じ た さ いに脚色 し たプ - シキ ソ
が、 し かしプ Ⅰ シキ ソ劇 の現 行 流布 本 (
決 定 版 ) と は異
計 画 し て いた と いう彼 自 身 の ﹃ド ソ ・ジ ュアソ﹄ のた め
これ によれば 、 カ - ユのド ソ ・フ ワソは、 三位 一体 と
な って いる。 こ の点 に つい て、 モ ニク ・ク ロシ ェは ﹃カ
の原 本 自体 から引 き 継 いだ モテ ィー フと いう こと にな る
し て の 「勇 気 と知 性 と女 性」 のみを 信 じ て いる 「
幸福 な
- ユと神 話 の哲 学 ﹄ のな か で、 カ- ユが 「そ のよ うな結
の メ モと考 え る べき だ ろ う。
男」 であ り、 神 の 「
慈 悲 と愛 」 には無 縁 で 「女 性 の美 徳
ほと んど知 ら れ て いな い異 本 のな か であ る
末 を 見 つけ た のは ﹃石 の客 ﹄ の決定 版 のな か ではな-、
の モテ ィ1 7の改 変 を行 な った のかど う か、 資 料 によ る
カ - ユが プ- シキ ソ劇 を翻 案 ・脚 色 し たさ いす でに こ
と指摘 し て
の雄 々し い形 」 であ る 「やさ し い情 愛 と寛 大 な 心 だ けを
てこな い。 道 理があ ると いう こと の苦渋十 と書 いている。
前 に、 石像 の騎 士 が決 闘 を申 し 込 む が、 そ の騎 士 は や っ
確認は できな い。 「
石 の像が や ってこな い」と いう モティ1
」
識 って いる」 人 間 であ る。
この不思議 な記述 は、 プー シキ ソ劇 の終幕 の部分を カ- ユ
7が プ I シキ ソから引 き 継 が れ たも の であ れ、 カ ミ ュ自
い る。
が こ のよ う に脚 色 し た こと を 示 し て いる の であ ろ う か。
身 の独創 であ れ、 こ こ でド ソ ・フ ワソ伝 説 の基 本 的構 造
と ころ で、 ﹃手帖﹄ の同 じ箇 所 で、 カ - ユは 「
終幕 の
いず れ にし ろ、 こ の記述 は、 ド ソ ・フ ワソの死と、 そ の
2
2
の重 要 さ は強 調 さ れ な けれ ば な ら な い。
永 遠 も 信 じ な い不敬 皮 老 ド ソ ・フ ワソにと って、 自分 を
川小
山
を な め た に違 いな い こと を 信 ず る」 と書 いて いる。 神 も
罰 す る と いう超 越 的 力 の象 徴 であ る石像 が来 る ことな ど
と意 味 と が根 底 から - つが え る こと にな ったと いう こと
伝 統 的 なド ソ ・フ ワソ物 語 では、 石像 あ る いは雷撃 が、
ても、 それ は彼 のド ラ マの終 局 ではな -、 絶 えざ る始 ま
あ り得 な いの であ って' そ の通 り石像 が来 な か ったと し
り にす ぎ な い。 む し ろ、 人 間 の理念 が作 り出 し た これ ら
は物 語 に大 団 円 を も たら す デ ウ ス ・エク ス ・マキ ナ であ
る。 と ころ が、 ド ソ ・フ ワ ソ劇 に こ の超越 的力 が 介 入 し
死 を も ってド ソ ・フ ワソの悪 行 を 罰 す る の であ り、 これ
な いと いう こと は、 神 によ っても 、 あ る いはプI シキ ソ
と いう こと の苦 渋 」 と いう記述 は、 そ の意 味 にはかな ら
れる
の超 越 的力 の外 で、 ド ソ ・フ ワ ソの 「真 の悲 劇 は演 じ ら
旭
」 の であ る。 前 述 の ﹃
手帖﹄ のな か の 「道 理が あ る
れ な いと いう こと であ って、 「罰 せら れ な いド ソ ・フ ワ
語 で、 た と えば 、 古 代 ギ - シ ャ ・ロー マにはド ソ ・フ ワ
ド ソ ・フ ワソ伝 説 は キ- スト教 世界 でこそ生 まれ た物
な い。
劇 のよ う な運命 の力 によ っても、 ド ソ ・フ ワソは罰 せら
ソ」、 「ド ソ ・フ ワ ソの無 罪 性 」 と いう、 ま った -新 し
いド ソ ・フ ワソ像 が 出現 す る こと にな る の であ る。
四
欲 に罪 と いう後 ろ め た さ の繋 が さ さず、 神 々が 人間 の生
ソ神 話 は生 ま れ 得 な か った だ ろう。 男女 の性 的関 係 や肉
カ ミ ュのド ソ ・フ ワソ像 の第 lの属 性 は、 無 罪 性 であ
ワソを罰 す る 風 土 は な い。
の営 みな ど に無 関 心 に存 在 し て いる世界 には、 ド ソ ・フ
不滅 の魂 と永 遠 の劫 罰 に収欽 す る倫 理的 規範 を確 立 し
る。 前 述 の 「ド ソ ・フ ワ ソ的 生 き 方 」 のな か で、 カ - ユ
な い。 私 はむ し ろ伝 説 にな って いる あ の傍若 無 人' 存 在
た キ- スト教 は、 女 性美 が ひき お こす色情 に姦 淫 の罪 を
は 「ド ソ ・フ ワソは決 し て石 の手 にか か って死 ぬ の では
し な い神 に挑 む健 全 な人間 のあ の狂気 じ みた笑 いを喜 ん
な か で、 現 世 の全 事 象 と 人 間 のあら ゆ る モラ ルが、 意 味
刻 印 し た。 教 会 を頂 点 と す る価 値体 系 の ヒ エラ ルキー の
づ け ら れ構 築 さ れ る。 キ - スト教 世界 の モラ ルと は教 会
で信 ず る。 だ が と りわ け私 は ド ソ ・フ ワソが ア ソナ の家
て こ の不敬 慶者 は、 夜 中 を す ぎ てから、 不敬慶 であ る こ
が代行 管 理す る神 の モラ ルであ り、 それ を離 れ た モラ ル
で待 って いたあ の夜 に石 の騎 士 が来 な か った こと、 そし
とが 正 し か った と知 った人 間 の味 わ う お そろし い苦 し み
2
3
はあ り得 な い。 キ- スト教 世界 に生 まれ たド ソ ・フ ワソ
a
条 理 の人間 の無罪性 と いう原 理から出発す る」 のである。
に照 らしだされ た裸形 の虚 妄 な世界 の前 に立ちす-む こ
ら、 そ の瞬 間 から、 人 は人 生 には意 味 が な いと いう明証
いなら-」 と いう根 源 的 な 異議申 し立 てを発 したと した
だが、 も し イ ワソ ・カ ラ マーゾ フのよう に 「
神 が いな
人間 を安 堵 さ せ るだ ろ う。 神 の存在 は救 いであ り慰 め で
魅力 は罰 せられず に悪 を行 なう ことよりはるか に大き-、
味 が与 えられ て いると信じ得 るなら、 人間 にと ってそ の
もち ろ ん犯罪 の勧 めなど ではな い。 神 によ って人生 に意
る歓喜 の叫 び ではな-、 苦渋 にみち た確 認 にす ぎ な い。
る。 「一切 は許 され て いる」 と いう のは、 人間 を解 放 す
「この無 罪 は恐 る べき も のだ」 とも カミ ュは付 け加 え
と にな るだ ろう。 神 が な ければ錠 も 生 の意 味も モラ ルの
あ る。 と ころが 不条 理 の人間 と は救 いも慰 めも拒 否す る
が神 の劫 罰 によ って地 に のまれ る のは必然 であ る。
よう に、 す べての行為 は等価 にな り、 人 は善 を行 なわな
規範 も消失 し、 イ ワソが 「I切 は許 され ている」 と言 う
ことだ とす るならば、 神 が な いな ら罪 も な-、 人 は実存
れば錠 も賞 罰 も善 悪 も な い。 罪 と は神 の モラ ルに反す る
超越 的 な力 と永 世 を人 生 に導 入し' あらゆ る生 の事 象 の
を超 え る絶 対 的 な真 理 に人 は堪 えられず、 「神」 と いう
あ らゆ る人 間 は死す べき存 在 であ る。 この人間 の理解
人間 な の であ る。
の無垢 性 のな か に放 り出 され る。 ヨー ロッパ世界 は 1九
意味 づ げを行 な ってき た。 神 の存在 は生 に ア ・プ -オリ
いことも悪 を行 な う こと も 可能 にな る。 神 が存 在 しな け
世紀 末 の、 ニー チ ェやイ ワソの 「神 の死」 の宣 言以来、
れ て いる」 目も肱 む ような 不毛 の荒 野 で生 き る ことを決
な意 味 と希 望 を与 え、 道 徳律 を規定 す る。 し かしー これ
カ- ユは、 ﹃シジ フ ォ スの神 話﹄ のな か で、 神 も生 の
意 した人間 であ る。 永世 も神 の錠 も存 在 しな い以 上、 不
こうした 「ニヒリズ ム」 のな か にさま よ いだす こと にな
ア ・プ -オ -な意 味 も な い虚 妄 の (不条 理 の)世界 を 個
た時 間 を絶 えず意 識 し っつ生 を燃焼 さ せる以外 に人生 の
条 理 の人間 にと っては、 自分 の綻 のみ に従 い、 限定 され
は幻想 であ り飛 躍 であ る。 不条 理 の人間 は 「1切 が許 さ
人 は生き得 る のか、 と いう根 源 的推 論 を行 い、 そ の生 の
る。
あ り方 を提起 した。
カミ ュは、 ﹃セヴ ィ- ア年代 記﹄ が伝 え て いると いう
意味 はあ り得 な い。
理 の人間」 であ る。 ド ソ ・フ ワソにと って神 は存 在 しな
ド ソ ・フ ワソ伝 説 の起 源 に関 心を寄 せ て いる。 年代 記 に
カ - ユのド ソ ・フ ワ ソは、 神 の外 で生き ている 「不条
いの であ る以 上、 本来 的 に無 罪 であ り、 カ- ユは、 「不
2
4
を待 ち伏 せし て暗 殺 し、 ド ソ ・フ ワソが墓 所 の石像 を侮
あ る ことを見据 え つつ休 みなき反抗 を つづ け生き ぬ- こ
局 は 死と いう 不条 理 のま え に敗北 に終 わ る虚 し い闘争 で
め得 るも ののみを唯 1の指 針 とし てこの対決 に挑 み、結
いう虚 妄 に飛躍す る こと な し に'身 体 と理知 が真 理 と認
沈黙 と の対決 から 不条 理が生 まれ る のだ、 と カ- ユは言
辱 し たた め に天が彼 を雷 で打 ち殺 した のだ と言 いふら し
と、 つま り、 この不条 理 の状態 に生き る こと こそ、 不条
よれば、 7四世紀 ころ、 テノリオ家 の蕩 児 ド ソ ・フ ワソ
た。 この言 い伝 え に従えば、ド ソ ・フワソは神 の罰 によ っ
理 の人間 の生 の意 味 であ る。
う. 世界 の存 在 は、 人間 の明澄 への希 求 が む けられ たと
て では な -' 人 間 の手 にか か って死 ん だ の であ って、
咽
「これ は論 理 に適 っている」 と カ - ユは言 う。 ド ソ ・フ
「私 の
勾寸法 に合 う真 理 は手 で触 れ る こせ
9の でき るも の
であ る」 、 「肉体 は私 の唯 一の確 実 性 だ了 と 言 う カ - ユ
が騎 士 団長 の娘 アソナを誘惑 し、 それ を とが めた アソナ
ワソは世 人 の糾 弾 は承知 のう え であ る。 それも彼 のゲ ー
の不条 理 の方法的推 論 はま こと にデ カ ルト的 であ る。 カ
そ にし て不条 理はあ り得 な い。 神 によ る生 の意味 づ けと
ム (
遊 戯 と いう意 味 ではな- ) の規則 のな か に先 刻 ︻.
仙血み
こまれ て いる。 彼 には 「い つでも支 払 う 用意 はあ る」 の
ミ ュは ﹃シジ フォスの神 話﹄ の続論 であ る ﹃反抗的人間﹄
き はじ め てそ の不条 理性 を 顕 す。 したが って、 理知 を よ
だ。 彼 だ けが彼 の行為 の主人 であ る以 上、 自分 の行為 に
(1九 五 二 のな か で、 「私 はな にも 信 じ な い' す べて
フワソの悪行 を怒 った フラ ソシ ス コ会 の修 道 士 たち は彼
責 任 を負 っている。 し かし 「罪」 はな い。 「罪」 とは神
が 不条 理だ、 と叫 ぶ。 し か し私 は、 私 の絶叫 を疑 う こと
の父親を殺害 した。名家 の出自ゆえ に罰 せられな いド ソ ・
に属 す るも の であ S<
' 彼 にと って神 は存 在 しな いのだ か
れ反抗 す、 ゆえ にわれ あ り、 が個 人 と し ての不条 理 の人
最 初 の、唯 一の明 澄 は、 反抗 であ る
ぬ。 不条 理な経験 のな か にあ って、 私 にあ た えられ た、
糾
」 と述 べ て いる。 わ
は でき な い。 少 な - とも、 私 の抗議 を信 じ な ければ なら
ら。 結 局、 「生きf
ると いう こと自体 が彼 の無 罪 を保証 し
;
ていた の であ る。」
五
生 き た いと いう肉体 の発 す る渇 望 にだ け忠 実 にデ カ ル
間 が拠 って立 つ方法 的推 論 の原 理 であ る。
理なも のに満 ち てお り' 人間 のも っとも 深 いと ころ に訴
ト的 な方法的推論 を すす め る とき、 死と いう絶対 的 な真
この世界 は 理知 によ って理解 す る ことが 不可能 な非合
えかけ る狂お し い明噺 な 理解 への渇望 と世界 の背 理的 な
2
5
ら な い。 死 ぬと いう 不条 理 に、 救 いを求 める こと な-反
いと いう真実 に帰結 す る。 この不条 理 に耐 えな ければ な
実 と、 神 や永 世 はな-人 生 には ア ・プ -オリな意 味 がな
る のだ。
彼 を滅 ぼ そうとす る 不条 理を、 いわば パ スカ ル的 に超 え
がある。 老醜 や肉体 の死を 明噺 に意 識す る こと によ って、
も って規則 を受 け 入れ る こと にこそ、 彼 の高遠 さと尊厳
絶対 の虚無 に対 す る反抗 が、 彼 の行為 を支 え持続 さ せ
抗 す る こと。 刑 場 にひかれ る死刑 囚 が先 を歩 - 死刑執行
人 の靴 ひも を最 後 ま で見 つめ続 け るよ う に、 死す べき人
る。 あ らゆ る行為 に永 遠 と いう意 味 づ けが刻 印され てい
だ から。 たた か いには終 りが な いことを' 妥協 も な-、
間 の条件 を明噺 に見据 える こと。 この徹底的な明視 こそ、
不条 理 の人間ド ソ ・フワソの第 二の属 性 は明噺 な理知
慰 めも な-、虚 し い希 望 も な-、 明噺 に識 り つつ、 あら
な い以 上' 彼 は虚 し さを 見据 え つ つ、 シジ フォ スのよう
と反抗 であ る。 カ- ユのド ソ ・フ ワ ソには神 は存 在 しな
ゆ る人間 の営 みを 突 き崩 そ うとす る 不条 理 に'終 り のな
人間 の名誉 であ り、 不条 理 への反抗 であ り、 不条 理 の世
い。 彼 は この世 のア ・プ -オリな意味 も永世も信じな い。
スト﹄ (一九 四七 ) の医師 リ ウIも ま た' カ ミ ュ的 不条
い反抗 を続 け る。 こう し た シジ フォ ス的 人間 であ る ﹃ペ
に徒 労 の行為 を繰 り返す。 それだ けが彼 の生 であ り名誉
信 じ るも のは 「勇気 と知 性 と女」 だ け であ る。 限 られ た
界 で生 き る人間 の生を意味 づ け るも の であ る。
時間 を常 に意 識 し、 生 き る こと の限界 を識 る明智 の人 ド
彼 は この時 間 のうち で自 分 の力 を出 し尽 -す ことだ けを
時間 が 死 によ って終 止す る ことを識 って いるから こそ、
則 の第 1条 であ る。 彼 は 死と いう 不条 理 から出発 す る。
ことを拒 否す る。 キ- スト教 社会 が 「愛」 と いう言葉 に
けを愛 し永遠 と永 世 に意 味 づ けされ た 「
愛」 に飛躍す る
間 と し ての明智 を も つ誘 惑 者 であ る。 彼 は' 1人 の女 だ
ド ソ ・フ ワソは誘 惑者 であ る。 意 識 的 な、 不条 理 の人
理 の人 ド ソ ・フワ ソであ る。
目指 す。 モ-1 ナ の色事 師 は、 神 の罰 と地獄 の脅 迫 に対
す る欲望、 情愛、 知 性 の混 じ りあ った多様 な体験 のす べ
合意 さ せようとす る深 遠 な意 味 を信 じ な い。 女 たち に対
ソ ・フ ワソにと って' 老 いや死 は はじ め からゲー ムの規
る。 人生 がド ソ ・フワソを満 た し て いる以上、 死後 の生
し て、 「それ ま でな んと長 い猶 予 が あ る こと か」 と答 え
条 理人ド ソ ・フワソであ る。 つぎ つぎ に女 たちを誘惑 す
この点 で、 ﹃異邦 人﹄ 二 九 四 二) の ム ルソーもま た不
てを同 1に 「
愛」 と いう統 1的 な言葉 では- -れ な い。
彼 は自分 が無 罪 であ る ことを、 そし て死は処罰 ではな
は彼 には無縁 であ る。
いことを識 っている。 永 遠 と いう幻想 を拒 否 し、 明智 を
2
6
な の であ る。
る こと が、 前述 の意 味 での、 ド ソ ・フ ワ ソの反抗 の形 式
は生 き られ る か、 と いう彼 の不条 理 の推 論 に息 吹 き を与
カ - ユにと って、 ド ソ ・フ ワソは、 不条 理 の世界 で個 人
は な い。
ソは完 全 な愛 を 追 い求 め る ロ マソ主 義 的 な愛 の遍 歴者 で
深 遠 な意 味 ではな - ) こと であ る。 カ ミ ュのド ソ ・フ ワ
一切 を達 成 し 一切 を 生 き よ う とす る人 間 の虚 し い努 力、
軸
無 益 な執 掬 さ」 こそ 不条 理 の人間 の高 遠 さ であ り尊 厳 で
行為 は等価 であ り、 「不条 理 の矛盾 そ のも の のな か で、
悪 行 を なす か徳 行 を な す か は問題 では な い。 あ ら ゆ る
え るた め の、 いわ ば プ レ テク ト スな の であ る。
ド ソ ・フ ワソの愛 にと ってあ ら ゆ る女 は等価 であ る。
あ る、 と いう カ - ユの言葉 が、 彼 のド ソ ・フ ワソ論 の結
ド ソ ・フ ワ ソの存 在 の条 件 は愛 す る (キリ スト教 的 な
つぎ つぎ に誘 惑 す る女 たち を そ の つど 同 じ激 し さ で全 力
論 とな り得 るも の であ る。
ら だ。
を あ げ て愛 す る。 彼 の生 の条 件 を 汲 み 尽 - そ う とす る か
行 動 の数 を汲 み尽 - し、 女 たち と と も に人 生 の時 間 を満
の生 では な い。 永 遠 に海 刺 た る生 気 だ」 と言 う よ う に、
ソの第 三 の属 性 であ る。 ニー チ ェが、 「重大 な のは永 遠
ソが、最後 に僧院 のな か に身 を沈 める こと であ る。 ド ソ ・
を 見据 え反抗 し っ つ受 け 入れ る 不条 理 の人 間 ド ソ ・フ ワ
クな と ころ は、 永 世 を 信 じ ず 救 いを拒 否 し絶 対 的 な虚 無
と ころ でー カ - ユのド ソ ・フ ワソ像 のも っとも ユ ニー
六
たす ことが' 不条 理人 ド ソ ・フ ワソ の生 の規 範 な の であ
フ ワソの最 後 は、 「不条 理 に隅 々ま で貫 かれ た生 涯 の論
ド ソ ・フ ワソの行 動 原 理 は
「量 の倫 理学」 であ り、 神
Ⅳ
川u
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の 「質 の倫 理学」 では な い。 これ が カ - ユのド ソ ・フ ワ
る。
理的帰結 、 明 日 のな い喜 び に向 か う人間 の無 残 な結 末 を
餌
た エゴ イ スト で、 倣慢 な誘 惑 者 であ り、 明智 を失 わ な い
え る。 不条 理 の人間 にと って、享 楽 も禁 欲 も等価 であ る。
あ ら わ し て いる
カ - ユのド ソ ・フ ワソは' 歓 喜 にあ ふれ、 生 気 に満 ち
背 徳者 であ る。 だが、 カ ミ ュは、 彼 のド ソ ・フ ワ ソ像 を
き 言葉 も な - 深遠 な意 味 を 剥 ぎ とら れ て いる天 に向 か っ
信 じ て いな い神 、 つま り空 虚 の前 に ひざ まず き、 語 る べ
」 のだ。 享楽 が禁 欲 のな か に終末をむ か
ま し てやド ソ ・フ ワソ的 「
悪 行 」 を賛 美 し て いる の では
て両手 を 差 し伸 べ、 終 り を 待 ち つ つ劇 の幕 を閉 じ る人間
提 示 しな がら、 いわゆ る道 徳 を論 じ て いる の ではな いし、
な いt と いう ことをあ え て付言 す る必要 が あ るだ ろう か。
2
7
アの色事 師 と 石 の招客 ﹄ のド ソ ・フ ワ ソの モデ ルではあ
田
り得 な い 。 お そら -' 後 世 が この人物 の伝 記 のな か にド
人物 は 1六 二七年 生 ま れ だ から、 モリ ー ナ の ﹃セヴ ィリ
セヴ ィリ アの年 代 記 のな か の記録 であ る。 た だ し、 こ の
こ の伝 記 は、 ド ソ ・ミゲ ル ・デ ・マラー ニャに関 す る
の であ るが、 カ ミ ュは 「この伝 説 を私 は喜 ん で受 け 入れ
糾
る」 と 言 う。
伝 え は、 ド ソ ・フ ワソ伝 説 の起 源 の 1つと さ れ て いるも
ド ソ ・フ ワソが僧 院 のな か で生 涯 を 終 え る と いう言 い
の姿、 これ 以上 な い恐 ろし い姿 を ド ソ ・フ ワソに与 え る。
頭 に十字架 と 二本 の蝋燭 を つけ て埋葬 され る ことを望 む。
足 のま ま灰 の十字 架 の上 に横 た え る べし。 屍 衣 に包 ま れ
の体 を清 め る こと さ え も し た。 (- )遂 に死 が近 づ いた
悲惨 な生活 を し て いる人 々に奉 仕 す る役 割 に撤 し、 死者
ち を償 う た め に勤行 と寄 進 を 行 い、 身 を低 - し て貧 し-
恐 ろ し い幻覚 から逃 れ、 過 去 の浮 かれ た肉 欲 の生活 の過
- に つれ て遠 ざ か り追 いか け る彼 のほうを振 り返 り開健
似 て いる女 性 の幻 を 見 る よ う にな った。 幻 影 は彼 が近 づ
から れ た。 街 を歩 - た び に目 の前 に姿 と物 腰 が 亡き妻 に
飾 りも奏 楽 も な - サ ソタ ・カ リ タ ス教 会 に運 び、 教 会墓
と き、 彼 は最 後 の望 み と し て遺 言 し た。 「わ が遺 体 を裸
の決 ら れ た眼 で見 つめ る のだ った。 ド ソ ・-ゲ ルは こ の
ソ ・フ ワソ的 人物 を 見 た こと から、 奇 妙 な アナ ク ロ ニズ
わが遺 体 を貧者 の棺 に入れ、 二 一
人 の神 父 の同道 のも と、
こ の伝 記 に つい て、 オ ットー ・ラ ソクが - わ し-伝 え
ムが 生 じ て いる の であ ろ う。
地 に埋葬 され ん こと を。 わ が墓 穴 を教 会 わき のポ ー チ の
下 に穿 ち、 衆 人を し てわ が 上 を踏 み通 ら せ たま え。 神 の
て いる。
「
彼 はド ソ ・フワソと同様 に放縦 で不敬慶 な人生を送 っ
さら に、 わが墓所 の上 に 1ピ エ半 四方 の墓 石 を 立 て、墓
碑 銘 には ︽か つて こ の世 に生 き しも っとも卑 劣 な る男 の
御社 に憩 う価値 なき わが 汚 れ し亡骸 は か-扱 われ る べし。
妻 を わが身 以 上 に愛 し' 彼 女 が 死 んだ と き には殆 ど 理性
たが、 ド ソ ・フ ワソと は違 って、 生 涯 の終 り に回心 し た
を失 った。 激 し い苦 悩 に苛 ま れ妻 の死骸 を抱 え て山 に寵
彼 は、 悔 倹 し罪 を磨 った。 (- ) 三〇 才 で結 婚 し た彼 は
も ったが、 苦 し みが い- ぶん鋲 ま ってか ら僧 院 に安 ら ぎ
リ ト ワ ニア生まれ の フラ ソ スの詩人 ・劇作家 ルピ ッチ ・
- ロー シ ュが この伝 説 を題 材 と し て書 いた6幕 の聖 史 劇
骨 灰 こ こ に眠 る。 彼 のた め に祈 り たま え︾ と刻 ま れ ん こ
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と を」 と。」
戻 ると、 以前 の心 の傷 が ふた た び開 き、 悲 劇 的 な錯 乱 に
﹃-ゲ ル ・マラー ニャ﹄ (一九 二 二) では、 孤 独 で苦 悩
と慰 めを求 め た。 し かし、 あ る 日彼 が セヴ ィ- アに立 ち
と ら わ れ た。 彼 は よ-自 分自 身 の葬 儀 に立 ち 合 う幻想 に
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8
す る主 人 公 の姿 が強 調 され て いる。 カ - ユは こ の劇 を参
考 にし て いるら し い。
カ - ユは、 ド ソ ・フ ワソの最 後 を つぎ のよ う に描 いて
ん であ る。
カ - ユのド ソ ・フ ワ ソ論 は、 不条 理 の人間 が現 代 に生
お い て、 現 代 の不条 理 の人 間 が歴史 と政治 のな か で いか
た推 論 であ るが、 カ - ユは つぎ の評 論 ﹃反抗 的 人間﹄ に
き得 る のかと いう、 個 人 と し て の生存 の条 件 を つき つめ
「丘 の上 のみす ぼ ら し い スペイ ソの修 道 院 の 一室 のな
に連 帯 し て生 き得 る かを 追 求 し、 「われ反抗 す、 ゆ え に
●●
●● ●
われ あ り」 から 「わ れ 反抗 す 、 ゆ え にわれ ら あ り」 への
いる。
か のド ソ ・フ ワソが 眼 に浮 か ぶ。 そ し ても しも彼 が何 か
思想 的発 展 を 示 し た。
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亡霊 を では な-、 お そら - は、 そ の焼 け つ- よ う な彼 の
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を 見 つめ て いると す れば、 それ は 死 に果 てた愛 人 たち の
眼 と いう銃 眼を 通 し て' スペイ ソのど こか の沈 黙 にみち
た平原 、 素 晴 ら し いそし て魂 のな い大 地 を 見 つめ て いる
のだ。 そう だ、 こ の憂 愁 と光 輝 にみち た姿 の上 に こそ と
の であ り、 そ こ に こそ彼 は自 分 の姿 を ふ た たび兄 いだす
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(ピ ソダ ロス ﹃ピ ユテ ィ アの祝 捷 歌第 三﹄ から の引 用 )
ど まら な け れば な ら ぬ。 究 極 の結 末、 覚 悟 はす るが し か
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し決 し て こち ら が 望 んだ わ け では な い死 と いう究 極 の結
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末、 これ は と る に足 り な いも のだ。 」
㈱ モ ニク ・ク ロシ ェ ﹃カ - ユと神 話 の哲 学﹄ 大 久保 敏
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死を 見 つめるド ソ ・フ ワソの姿 は、 ﹃異邦 人﹄ の ム ル
彦 訳、 清 水 弘文 堂、 昭 和 五 三年、 六 -七頁
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ソーが 死刑 を待 ち な が ら' 自分 が いま ま でも幸 福 だ った
し、 いま も幸福 だ と確 信す る姿 と 二重 う つL にな り、 現
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代 に生 き る 不条 理 の人間 の悲 壮 美 を表 し て いる。 ﹃シジ
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フ ォ スの神 話﹄ のな か では、 「幸 福 な」 シジ フォ スの姿
と 双壁 を な し呼応 しあ って いて、 カ ミ ュの冷 た い叙情 の
炎 を 見 る思 いがす る。 菊 地昌実氏 が ﹃シジ フォスの神話﹄
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を、 私 小 説 を も じ って いみじ - も 「私 評 論 」 と呼 ぶゆ え
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幽 菊 地 昌 実 「ア ル ベ ー ル ・カ- ユ覚 え書 そ の 1
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九 七 二年 九 月、 竹 内 書 店 、 二 一
三頁
﹃パ イデ イ ア 特 集 - ア ル ベー ル ・カ - ユ﹄ 一四巻 、 一
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㈹橋本 郎氏 によれば、 「
現代 の研究者 たち は、 セビー
- アのど の年代 記 にも ド ソ ・フ ワ ソに関 す る記述 が な い
ことを確 かめ て いる」 と のこと であ る。 ﹃ド ソ ・7 7ソ﹄
講 談 社' 昭和 五 三年 、 四 八頁
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