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Hirosaki University Repository for Academic Resources Title Author(s) Citation Issue Date URL T.S.Eliot の 'inner voice' 批判を巡って : 'Enthusiasm' 回避の系譜から 村田, 俊一 文経論叢. 人文学科篇. 7, 1987, p.85‐107 1987-03-20 http://hdl.handle.net/10129/1554 Rights Text version publisher http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/ 85 T. S.El i o tの ì nne rv o i c e ' 批判を巡 って - Ènt hus i as m'回避 の系譜か ら- 村 田 俊 一 I ∫ .M,Murry は 1923年 の HOnFear;Andon Romant i c i s m" の中 で次 の よ うに言 って い る。 英国の作家,聖職者,政治家は彼 らの先祖か ら規範 となるどんな ものをも受け継 い でいないQ彼 らが受け継 いだのは,頼 りの綱 として,心内の声 ( t h ei nn e rv o i c e )に 頼 らなければならないとい う感覚だけであった。 もし彼 らが自己認識の追及に於いて, 知性のみでな く全人間的な もので十分に深 く採掘す るなら,普遍的な自己に出会 うで あろ うOつ まり.英国の伝統 とい うものは,宗教的な立場か ら言 うなら,真に自分 自 身に問い質す人は,究極的に神の声 ( t h e vo i c eo fGd)を聞き,文芸批評の立場か ら言 うな ら,作家は個性を通 して没個性に達するものである1。 この発 言 に対 して, 同年 T.S.El i otは, HTheFunc t i onofCr i t i c i s m" の 中で , この一 節 の一 部 を引用 Lで , ここに見 られ る 「心 内 の 声 」 に は, M . Ar nol d の 「め いめ い好 きな よ うに振 る舞 う」( doi nga sonel i ke s ) とい う意 味 合いが 感 じられ , 「心 内の声 に従 う-・ 人 た ちに と って は,批 評 につ い て私 が 述 べ る ことに は少 しも価 値 を見 出だ さず ,」 そ うい う人 た ちは 「批 評 の研究 を す る為 に共通 の原理 ( c ommon pr i nci pl es ) を見 出だ そ うとい う試 み に 興 味 を持 た な いで あ ろ う」 と言 って批判 してい る3。 El i ot に と って大切 な も の は 「共通 の原理 」「秩 序 の問題 」( apr obl em ofor der) 4 ,つ ま り 「外 部 の 権 威 」 1TheAde l i ♪hi( Vo l t1.No ・4,S e pt e mt x t r ,1 9 2 3 ),p .275. T・S・El i o t ,Se l e c t e dEs s ays( Lo n d o n:Fa t 光r& Fa t 光r ,Lt d・ ,1 9 6 6),p ・27. aZb i d. ,p. 2 9. 4Ib i d. ,p.2 3. 2 8 6 ( Out s i de Aut hor i t y) lなのであ る。 こ うした 「外部 の権威」 と 「心 内 の 声」 は,同書に於いてそれぞれ C̀ l a s s i ci s m'と r̀ omant i c i s m'との係わ り合いで 論 928年 の El i otの HThe Humani s m じられ ているが, この 「心 内の声」は,1 t heì nne rcl l eC k' )批判への ofl r vi ng Babbi t t "論に見 られ る 「内的抑制」( 萌芽 となる ものであ る。つ ま り, Babbi t tは,個人-の外的規制力を排除 して, 個人 の中に 「内的抑制」を認め,それ に基づいた秩序 を考えて い る が,El i ot は この よ うな Babbi t t氏の考 え方は, 「正統的宗教 の 『外 的』拘 束 (òut e r' r e s t r ai nt s )が弱 まると,それ は個人の 自己に対す る内的拘束 に よって 補 足 さ れ得 る」 もので,言 うな らば ,「プ ロ テ ス タ ン ト綱 領 の 項 目 ( Pr ot es t ant pl anks )か らカ トリック綱領 ( aCat hol i cpl at f or m)を作 り上げ よ うとしてい る ものであ る」 と言 ってい る2。ここで言 う 「プ ロテス タン ト綱領の項 目」 とは 「内的抑制」を意味 し, 「カ トリック綱領」 とは 「外部 の権威」を意味 してい r y 氏が カ トリック教を定義 し て 「個 るもの と考 え られ る。 この ことは,Mur 人の外 にあ って疑 いを入れない精神的権威の原理 」( t hepr i nc i pl e ofunque s - i otが t i one ds pi r i t ualaut hor i t yout s i det hei ndi vi dual ) と言 った ことに El r y氏の定義を プロテス 全 く賛 同 してい る3 ことか らも押 し測 られ る。 この Mur タン トに当てはめて考えるな ら, プ ロテス タン トは 「個人 の内にあ って疑 いを ● i otに とって, 「あ ら 入れ ない精神的原理」 と言い換 え られ ないだ ろ うか。 El ゆ る個人が理想的に,有効に 自己を抑制 し,統御 した として も,その総体は決 して統合 ( awhol e) を作 り上げない」 J ・のであ る。 El i otが Babbi t tの教皇至 上権論 ( ul t r amont ane)の考え方 を認めなが ら3,彼 の ヒュてこ ズ ム は 「1 9世 紀 の極めて 自由主義的な プ ロテス タン ト神学 と繁 くは どよ く似てい る ものなの l b i d. ,p. 2 9. Ib i d. ,pp. 47 5 1 6 3 I b i d"p. 2 6. 4 I b i d. ,p. 4 7 6. 5 I b i d. ,p. 4 8 0. 1 2 8 7 であ る」 lと言 ったのは,以上の よ うな, カ トリック, プ ロテス タン トに対す る El i ot の考え方があ ったか らなのであろ う。 この よ うに, El i ot の Babbi t t批 判は, 「外的拘束」- 「外部の権威」- を排除 して, 「内的抑制」を中心に し た ヒューマ ニズム ー 個 人主義- を作 り上げ よ うとした ことに対 してな され た 。 i ot は言 ってい る 「ヒューマニズム的見地 は宗教的見地 を補助 ものであ る。El 2 す るものであ り, 「ヒューマニズムがいや しくも存在す し, また これ に依存 」 るためには,何か他の態度に依存 しなければな らない。なぜ な ら,それ は本来 批判的 な もの 一寄生的な もの と言 い さえす るもの- であ るか ら」 3と。 こ うし e r た人間中心主義的な もの と 「外部の権威」 との相互関係 は,更 に 彼 の Aft St r angeGodsの中で次の よ うに述べ られ ている. 「道徳が伝統や正統 の問題 でな くなる時,即ち,連綿 と続 いた教会の考えや指導 の下で作 り上げ られ,修 正 され,高め られた共 同体 の習慣が問題 に されな くな り,一方に於て,個 々人 が 自分 自身を高揚 して行 く時,その時,個性 (pers onal i t y) は驚 くべ き重要性 4と。この考 えは,彼 の "Tradi t i onandI ndi vi dualTal ent " を持つ もの とな る」 で,伝統論 と絡み合いなが ら,個性的な ものを回避 しよ う と す る 没 個 性 論 ( deper s onal i z at i on) に既 に見 られ るもので あ る. El i otが Aft e r St r ange Godsの中で, D.H.Lawrenceを批判 したのは,波が 「外部の権威」,つ ま り 「伝統 とか慣習の規制力 」 (rest ri ct i on oft r adi t i on ori ns t i t ut i on) に全然拘束 ght ) だけを導 き手 としたか らであ る。 El i otに されず 「内な る光 」 (ⅠnnerLi とって, この 「内な る光」は 「さまよえる人類に与え られ た最 も当にな らない, i otが ここで批判 し て い る 間違いを起 こさせやすい導 き手」なのであ る5。 El IIb i d. ,p. 475. 2Z b i d. ,p. 4 8 0. 8Ib i d. ,p . 4 7 3. 4 T・S ・El i o t ,Aft e rSt r angeGo ds(I J O nd on:Fa t 光r& Fa t 把r ,Lt d・ ,1 9 3 4),p. 5 4. 5C f .H Thepi nti st ha tLawr e nc es t a r t e dl i f e who l l yf r e ef r om a ny r e s t r i c t i o no f t r a di t i o nori ns t i t ut i o n,t ha theh a dnogui da n c ee xc e p tt h eI nne r Li gh t ,t hemo s tunt r u s t wo r hya ndde c e i t f ulgu i d et ha te v e rof f e r e di t s e l ft owa nde r i ng huma ni t y.I twa s ecul p i a r l ysof o rLa wr e nc e ,whodo e sn o tap ea p rt oh a v eb e e ng if t e dwi t ht he f a c u l t y o fs e l f c r i t i c i s m,e xc e pti nf l a s h e s ,e v e nt ot h ee xt e nto fo r di na r y WO r dl vs hr e wdne s s . 8 8 「内なる光」 とは, クェ-カー教徒 (Quaker)の言 う ` Inwar dLi h g t' l と質を同 じにす るもので, 「心 内の声」が高 じて, 「胸 を ときめかす ナーシサス」にな った り, 「神 の声 を聞いて」 しま う2 よ うな 「熱狂 」 (ent husi as m) の ことであ ,「理性を奪 って しま うよ うな興奮 に他愛な く身を委ね るよ i otに とって る。 El うな連 中は,単 な る感情 の道具 とな って,人 間性をな くして しま う に す ぎ な い」 3のであ る。 i otの 「熱狂」回避は, イギ リス17世紀以降に 見 ら れ る 「熱 この よ うな El lW i l l ey が 「 確実 な 狂」に対す る訊刺 の系譜の埼外 にあ るものではない。 Basi l t on は まさに17世紀の 根拠を心の内なる一 つに訴えたい とい う点において M i 主流に立 っていた ことを示 してい るが,実は この時代の思想は各方 向において, まさに この方法に よって,伝統 の権威か ら自らを開放す ることを求めていたの 4とい っている。 Eliotが人間 と しての M ilton を嫌悪 したの も, こ であ った」 の辺に原因の一つがあ ったのか もしれ ない。拙論で は, 今 , 垣 間 見 て き た El i ot の 「心 内の声」批判を形造 ってい る精神的基盤が, 17世紀以降に見 られ る宗教上 の 「熱狂」回避 の どの よ うな精神的風土 の上 に見 られ るか とい うこと を,充分 とは行かない まで も,彼 の宗教,哲学 との係わ りの上で考察 して行 き たい。 Ofdi vi nei l l umi nat i on,i tmayt 光 S idt a ha tpr o ba bl ye ve r yma n k n owswhe nhe hasi t , butt hata n yma ni sl i ke l yt ot hi nkt hatheha si twhe nheha si tno t ;a nde ve nwhe n heha sha di t ,t he dai l yma nt hat he i s ma ydr aw t hewr ong c oncl us i ons f r om t he e nl i ght e nme ntwhi c ht hemome nt ar y ma n ha sr e c e i ve d:noo ne ,i ns hor t ,c a nt x tt he s , "( Ib i d. ,p.5 9. ) s o l ej udgeofwhe nc ehi si ns pi r at i onc ome i"TheQuakerd∝t r i ne swe r eal ls hor ta nds i mpl e .Theyt 光1 i e ve di nt heI nwa r dLi ht g t hats hi ne si ne ve r yl l l a n' ss oul ,i nt hevoi c et hewor do fG咲lwi t hi nt he m,a ndt he a n, " i nwa r dc ommuni onwi t hGαlwhi chChr i s t i a nme ne nj oyi ft he ya r er e al l y Chr i s t i ( C.E.Whi t i ng,St udi e si nEngl i s hPwi t ani s m fr o mt heRe s t o r at i o nt ot h eRe v o l t t i o n 1660-1688 〔 Fr a nkCa s s& Co tLt d・ ,1 9 68〕,P・1 33) i ot ,Se l e c t e dEs s ays ,pp. 278. 9 -T.S.El 8 A ft e rSt r angeGo ds ,p.5 5. 4 蝕 i lWi l l e y,Th e Se z J e nt e e nt hCe nt ur y Bac kgr L n L nd ( Lo ndon a nd He nl e y:Rouga nPaul ,1 972),p. 72. t l e dge& Ke L- 8 9 Ⅱ Swi f tは 〟TheMe c hani c alOper at i onoft heSpi r i t " の中で 「熱 狂 」( en1と して,天来 t hus i a s m) の意味を 「霊魂 とその力 とを物質以上 に高め る こと」 Ae ol i s t ) と邦輸 した。 そ の霊感を尊重す る狂信的新教徒 の流派を 「風神派 」( して,その元祖を J a c kの徒 - つ ま り J a c kは J ohnの通称で J ohnCl avi n で, eo faTub プ ロテス タン トの過激路線- の中に見 出だ してい る。特に,A Tal の第 Ⅴ章の中で,Swi f tは, この 「風神派」に よって象徴 され るピュ リタン, a c k 名の下 で, 次 の よ うな緯名で認刺 し 非 国教徒 を,すべてひ っ くるめて, J Cal vi nの姓は, ラテ ン語の 『禿頭』を意 味す る ている。 「禿頭 の ジャ ック」( c̀ al vus 'か ら由来 してい る), 「堤燈持ちの ジャ ック」(『内な る光』を主 張す るクェ-カーや アナバ プテ ィス トの新教徒を指す ),「和蘭 ジャック」 (アナ/ミ ohnofLe yden), 」「仏蘭西 ヒュー ( Hugh)」(ユーグ ノー教 プテ ィス ト派 の J , 徒), 「乞食 の トム」 (フランスでは プロテ タン トは最初乞食 と呼ばれ ていた) Knoc ki ngJ a c k) 」 (ス コッ トラン ドの宗教 それか ら 「北 の ノックの ジャック ( 改革者 J ohnKnox) とヱ 。そ して, この「風神派」の教義 の根本は,万物 の起源 は風 だ とい うことであ る。彼 は言 ってい る。 「人間の f or mai nf or mans(能動 形相)を s pi r i t us ,ani mus ,af f l at us , a ni ma (聖霊,精 神,霊感,霊気)のいず れを もって呼ぶにせ よ,結局 これ らは風 の別名に外 な らぬ。風 こそはあ らゆ る 3と。つ ま り,風は霊に も 混 成物 の主要素,すべ ては腐敗 とともに風に還 える」 f tは,彼特 霊感に も通 じるのであ る。 この霊感を弟子たちに伝 え る様子を Swi 有のス カ トロジカルな趣 向に よって一層醜悪化 している。そ して, 第 Ⅸ章 H A 1J o n a t h a nSwi f t ,A Tal eo faTuban do t he rSat i r e s( Lo n d o n:J .M.De n t& S o n s , Lt d・ ,1 9 75),p.1 74. 尚,Swi f tの A Tal eo faTub,TheBat t l eo ft heBo o ks ,TheMe c hani c alOpe r api r i tの邦訳は深町弘三訳 『 桶物語,書物戦争,也-篇』( 岩波文庫,昭和 t i o no ft heS 44 年)によった。 2Zb i d. ,pp.8 8 9. 3Z bi d. ,p. 95. 9 0 Di gr es s i on Concer ni ng Madnes s" に於 いては, この 「 風 神派」 を狂気 と結 び つけ てい る。彼 に と って, 「近代人が狂気 な る言葉 で意味す る ものは下等能力 か ら発 出す るあ る種 の蒸気 の力に よ り (byFor ceofcert ai n Vapour s) 頭脳 が 撹乱 され変換 をお こす ことに外 な らない とすれば, この狂気 こそ,帝 国 と哲学 1のであ る。J a c k と宗教 の世界に起 こったあ らゆ る大変動 の生み の親であ った」 の体 内には 「蒸気」が排 出 され て, これ が 「熱狂」,即 ち,狂気 を生 じせ し め るのであ る。 Swi f tに見 られ るこの よ うな 「熱狂」に対す る考 え方は彼独 自の ものではない。 Phi l l i p Hart h は Swi ft and Angl i c an Rat i onal i s m,The ver s i t y ofChi c ago Re l i gi ousBackgr ound o f A Tal eo f a Tub (TheUni Pr es s ,1961) の中で, この背景を,RobertBurt on,M er i cCas aubon,Henr y for d Engl i s h Di c Mor e 等 を引合に出 しなが ら詳 し く述べ てい る。 TheOx yは,今 では使われ な くな った意味 と して, ènt hus i as m'を第一番 目に t i onar p̀os s es s i on by agod,s uper nat ur ali ns pi r at i on pr ophet i c or poet i cf r enz y; an ∝c as i onormani f es t at i on oft hes e'と定義 してい る。 ケ ンブ リッジ ・プラ トニ ス ト ( Cambr i dgePl at oni s t ) の流れ を汲 んだ Ant hony EarlofShaf t es - bur y は この言葉 の意味合 いを 「充分に明確に知 ることが全 くむず か し も の」 と言 ってい るよ うに,いろいろ と表 現 され てい る2 . 例えば,Henry More は , 「熱狂」 を 「神 に霊感 を与 え られ てい る誤 った 自負心 」 ( ami s c onc ei tofbei ng Zb i d. ,pp.1 07 渇. 〃 Th eo nl yt hi ng,myl or d,iwoul di nf e rf r o m al lt hi si s ,t ha te nt hu s i a s mi s wo n・ de r f ul l y fX ) We r f ula nde xt e ns i ve ;t h a ti ti sama t t e ro fni c ej u dgme nt ,a nd t h eh a r de s t t hi ngi nt h ewo r l dt oKno wf ul l ya nd di s t i nc t l y;s i nc ee ve n at h e i s m i s note xe mpt f r om i t . "( Ant h o nyEa r lo fSh a f t e s bu r y," AL et t e rCo nc e r ni ngEnt hu s i a s m, "Char ac t e r i s t i cMann e r s ,Opi ni o ns ,Ti me s , e t c ・〔 Lo nd o n:Gr a ntRi c ha r ds ,1 9 00〕,p・ 3 7. )Cf ・… Edwa r dPhi l l i p si nTh eNe w Wo r l do fWo r dsof1 6 5 8s a yst ha tÈn t h y s i as t s( t h ef or m h epr e f e r s )a r eac e r t a n 紀C i tO fp eOp l ewhi c hpr e t e nde dt ot h eSpi r i ta nd Re ve l a t i o ns . ' e t e 7 u i e d has t xe nc ha nge d Thi si sr e 匹a t e di n1 6 62a ndi n1 6 71( e xc e ptt ha the r e ♪r t op r e t e nd, Sot ha to nef e e l si ti sno ta l lp a s thi s t o r y) ・Byt he 1 72 0e di t i o n,i s s u e d t h u s i a s m has t 光C O me Fa na t i c i s m, s omequ a r t e ro fac e nt ur ya f t e rPhi l l i p s ' sde a t h,En ama ki ngs he wo fDi vi neI ns pi r a t i o n.AnEnt hus i a s ti so net ha t pr e t e ndst ob es oi ns pi r e d,ort r a ns pr t e dwi t hi ma ina g r y Re ve l a t i o ns . 〟( Su s i ei .Tu c ke r ,En t hu s i a s m,A St u dyi nSe mant i cCh an ge s: Ca mbr i dgeUni v e r s i t yPr e s s ,1 9 72 ],p・15. ) 1 2 91 1と述べ, この 自負心 の原田を ì magi nat i on'の中に見 てい る2 0そ し i ns pi r ed) て, 「人間を熱狂的にす る気質は矧 生の最大の敵 であ る」 とい う理 由で, 「熱 狂的な精神に よって見 出だ され る真理」に疑いを抱 いてい る3。Henry Moreを anvi l lは 「我 々の領域を煙 と暗やみで満たすいろいろ 崇拝 していた Joseph Gl な意見 を求め よ うとす る熱情 (zeal )」4 を矧1ぐために出版 した 『科学的懐疑主義 』 ( Sc eps i s Sci e nt i fi c a)の中で, この当時 ` i mag inat i on' 与がはび こ り事実無根 の軽信が信仰のためにはめそや され,そ して精神 の運動のために,更に一層, anvi l lの議 印象が強烈 にな ることを見 て取 ってい る6 。 この よ うな ことか ら Gl iHe nr yMo r e ,Ent hus i as musTr i umPhat us :O rA Br i e fDi s c o ur s eo ft heNat ur e ' Caus e s ,Ki nde s ,andCur eo fEnt hus i as m,i n A Co l l e c t i o no fSe v e r alPhi l o s o phi c al nt wovo l ume s ,Vo l .I( Ga rl a ndPubl i s hi ng,I nc ・ ,Ne w Yo r k& Lo nWr i t i ngsI662,i do n,1 9 7 9),p・ 2. 2" l w]h e r e f or ei ti st hee no r mouss t r e ngt ho fImagi nat i o n( wh i c hi sy e tt h eSo ul ' s we ak n esseo runwi e l d i ne ss ,wh e r e bys h esof a r r es i nksi nt o Pha nt a s me st ha ts he c n一 a fhe rmo r ef r e e Fa c ul t i es o f Reas o na nd Unde r mo tr e c o ve rhe rs e l fi nt ot h euseo ha tt husp er e mpt o r i l ye nga ge sama nt ot だl i e veal i e . "( Zb i d. ,p・ 4・ ) s t andi ng)t 3" 〔 A〕ma ns ho ul dt 光S Of a ro f ff r o mt hi nki ngt hel 光t t e rO fa n ydi s c o v e r yo fTr ut h bya n Ent hus i as t i c ks p i r i t ,t ha thes ho ul dr a t he rf o rt ha tve r yc a us es u s e cti p t ;bec a uset ha tTe mp ert ha tma ke sme n Ent hus i as t i c ali st h egr e a t e s te n e my t o Re as o n, i tt 児i ngmo r et hi c ka ndmud dy, a ndt he r e f o r eo nc ehe a t e di nt o xi c a t est he ml i k eWi ne i nt h emu s t e ,Z L ndi smo r el i ke l yt of i l lt he i rBr a i n sf ul lo fdde f a ncies ,t h e n wi t h Zb i d. ,pp・ 35 -6・ ) a nyt r u eno t i o nso fPhi l o s o phy・ "( 4J o s e phGl nvi a l l ,Sc e ♪s i sSc i e nt i fi c a 1665 ( Ga r l a ndPubl i s hi ng,I nc . ,Ne w Yo r k& Lo ndo n・1 9 7 8 ),p. 1 6 9. 5 ` ` 〔 T〕 heImagi nat i o n,whi c hi so fs i m♪l ee pr c e pt i o n,do t h ne ve ro fi ts e l fa nd di r ∝t l ymi s l e a dus :a si sa tl a r ged e c l a r e di no urf o r me r di s c our s eo fSe ns e .Yeti si t t hea l mo s tf a t a lme a ns o four d e c e pt i o n,t hr ouh g t h e unwa r r a nt a bl ec o mpo s i t i o ns , di v i s i o nsa L ndappl i c at i o ns ,whi c hi t∝c a s i onst hes e c o ndAc tt oma k eo ft he s i mpl e nc ewema yd e r i vet h eVi s i o ns ,Vo yc e s ,Re v e l at i o ns of t heEnt hus i as t: Image s .He t h es t r o ng I d e a' so fwhi c h,ki ngc o nj ur ' dupi nt ot h eImagi nat i o nbyt hehe a to ft h e me l anc ho L i e dbr in,a a r ej udge de xt e r i o rRe al i t i e s . "( Zb i d. ,pp・7 2 -3 ) 6〟 Th e r ei sye ta no t h e ra sde pl o r a bl eade c e i to four L magi Mt i o ns , as a n y:whi c h ni o n,wher et h e r ei sno i s ,i t si mpr e s s ngas i t r o ng p er s wa s i o no ft heTr ut ho fa n Opi e vi de nc et os upI 泊r ti t .Andi fi tt x :s uc h,a swene ve rhe ar dque s t i o n' do rc o nt r a di c t ・ e d ,' t i st h e nuns us ec p t e d. Themo s to fma nki ndi sl e dbyo pi ni o nat i v ei mpul s e ,a nd Imagi nat i o ni spr a e do mi na nt .Anungr ou nde dc r e dul i t yi sc r y' dup f o r fai t h;a nd c y,f o rt he Spi r i t s mot i o ns .The r ea r et he t h emo r evi go r o usi mpr e ss i o nso f Phan nat i o nsde c e pt i o ns . gr ndde a l us i o nso fourAge ,a ndt h ehi he g s te vi d e n c eo ft heZmagi Thi si st h es pi r i t ,t ha two r ksi nt hec hi l dr e no fPhan c y;a n d we n e e dnot 党 ek t o .H. Mo r ehat hf ol l o w' d Ent hu s i as t i ce f fe c t s r e mot e rr e s ol ut i o ns .Butt h ee xc e l l e ntDr t ot h e i rpr o erOr p i gi ne ,a ndp r e v e nt e do ure nd e a v our so fa t t e mpt i ngi t .Hi sDi s c o u r s e 92 論 は , あ らゆ る哲 学 的 蘇 慢 あ るい は独善 的 自信 に対 す る非 難 - と拡 が る. この 背 景 に は , 後 で触 れ る彼 の科 学 的 懐 疑 主 義 が あ る。 と ころ で,Phi l l i p Har t h は先 程 の本 の 中 で, Swi f tと M or eの 関 係 に触 れ , M or cは , A Tal eo f aTubの 中 で重 要 な役 割 を果 た して い る こ とを論 証 して eの一 節 は , Hart hが 指 摘 して い る よ うに , 元 も と, い る1。 実 際 , 次 の M or Rober tBur t on の 「蒸 気 が 他 の器 官 か ら生 じ, 頭 に 昇 って動 物 的 な機 能 を変 え て しま うとい う」 考 え方 か ら由来 して い る もの で あ る2が , 先 程 の Swi f tの A TaZ eo f aTubの 中 に見 られ る 「風 神 派 」 の 司祭 が ,風 に 向か って あ ん ぐ りと 口を 開 け , 風 で 身体 を膨 らませ て , これ を ゲ ップに して 弟 子 た ち の 口の 中 に吹 き込 む 描 写 を思 い起 こ させ る もの で あ る3。 熱狂者が,か くもすぼ らしい状態に高揚 させている霊塊 ( Spi r i t )は,食物 な ど が 腸にガスを生 じさせ るもの ( Fl a t ul e n c y)にす ぎず, これは,M̀e l a nc ho l y'の性 質 を 持 った圧縮空気が, 詰 まった器具 ( Ae o l i pi l a)か ら出る風が火に応用 され るように, 時折,心気症 ( 憂苦症)の体液 ( HyfX X : h o ndr i a c a lhumo ur )に,熱が加え られた結果, 生 じてきた ものだ。そ して,そのガスあるいは蒸気 ( f ume )は頭に上 って,最初,心 臓の温 りで駆 り立て られ元気ずけ られ,幾分,不純物が取 り除かれて,精神を多様な 想像力 ( I ma gi na t i o ns )で満 たし,そ して構想 ( I nve nt i o n)を活気ずけて拡大 し て熱 狂者を, もののみ ごとに流暢に雄弁に して しま うので,彼は 自分の体の最 も低いとこ ろにある貯蔵庫か ら新 しい ワインを取 り出 して,それで酔 って しまっているかの よう である4 。 t h us i as m compl e at l y makesgo o dt h e Ti t l e , Ia nd ' t i sa s we l la Vi c t o r y,asa o fEn Tr iump h. "( Z b i d. ,pp・7 617. ) ISwi ftan dAngl i c anRat i o Ml i s m,p.54. 2P hi l l i pHa rt h,Swi ftand Angl i c anRat i o nal i s m,pp.1 07-8.Cf〃 S o how弧e V e r t he 託 Re v e l at i o sa ndI ns pi r a t i o nss ee m t of a l lus f r o m h e a ve n,t h e ya i se f r r o m t he e ar t h,f r om o ur s e l ve s ,f r o m o ur own me l an c ho l y,a nd pr i de ,o ro ur t o o muc h me l i ne s sa ndf a mi l i a r i t yi no ur a c c ess es ,a nd c o nve r s at i o n wi t h Go d,orf ac i l i t y ho be l i e vi ng,O ra no f t e nd r e ami n gt he s a me t hi ng・ "( S e r mo nNo・6,Th e Se r mo n s ,e di t e dwi t h l nt r du c t i o ns a nd Cr i t i c a lAp pr at us ,byEve l yn M. o f Jo hn Do nne t e r ,Ⅹ 〔 Uni ve r s i t yo fCa l i f or ni aPr e s s ,Ber ke l e ya ndLo s Si mf X S Ona nd Ge o r geR・Pot Ange l e s ,1 9 62〕 ,p・1 45・ ) 3AT al eo faTuban do t h e rSat i r e s ,p.9 6. 4 He nr yMo r e ,Ent h us i as T mSTr i umPhat u s ,p.1 2. 9 3 この よ うな 「熱 狂」の意 味 合 い は, John Locke の Es s aysc onc e rni ng HumanUnde rs t andi ng の中で 「熱狂は,理性に も神の啓示に も基づ か ず, のぼせた頭脳 の,あ るいは思い上が った頭脳 の自負心か ら起 こるが,一度,也 歩を得 ると,理性 と啓示 の どち らか,あ るいは双方 よ りも強力に人間の説得や 行動-働 きかけ るものであ る」1と述べ られている。 Dr .J ohns onが, この言葉 c t i onay yo ft heEngl i s hLanguageの中で,特に神 との霊交を受け を A Di て事物 の真相を解 しているとい う自負心の意味に用いたのは,以上の よ うな考 え方を踏 まえての ことであろ う。 Ba s i lWi l l e y に よると,「クエーカー教徒 の 『内なる光』は, プラ トン主義 d Her 者の 『 理性』,デカル トの 『明折に して判明な る観念』,あ る い は Lor ber tofCher bur y が言 う 『通念概念』 ( c ommon not i ons) な どと並 ん で, 1 7世紀がそれを尺度 として古代の遺産を検証 し, 自己の精神的独立を宣言 しつ lで もあ ったのであ るが ,1 7世紀中 葉 以 降, この つあ った更に今一つの確証 」 「心内の声」が高 じて 「熱狂」に取 りつかれた人達が,宗教的熱情の為に全王 国を覆そ うと考えた り, 自らを聖人の政府を作 り上げ るために神に思召 され て い ると考えた時, 「熱狂」は政治的 とな った。 イギ リスに於いては, この政治 的熱狂者は P̀uri t an'の名の下で宗教的なセ ク トの創始者 とな ったのであ る3。 つ ま り,彼 らは宗教的な立場に於いて, Ǹonc onf or mi s t s 'または ` Di s s ent er s' と呼ばれつつ,国教会以外に立 っては信仰の 自由を叫び,強 いては政治的な立 Ci vi lWa r)に見 られ る政治上の 自由を維持 したのであ 場に於いては市民革命 ( る。 このよ うな 「熱狂 」一 特に宗教的な面に見 られ る多様 さ- は 1 7世紀 以 降 に於いて避け られ るべ き精神状態であ った とい うことは,その当時の ピュ リタ 1 J o h nL∝k e ,AnEs s ayc o n c e rni n gHumanUnde r s t andi n g,e di t e dwi t ha n I nt r o du c t i o nb yPe t e rI L Ni ddi t c h( Ox f o r d,1 9 7 5 ),p .69 9. 2Ba s i lWi l l e y,Th eSe v e nt e e nt hCe nt ur yBac k gr o un d( Lo ndo na ndHe nl e y:Rout l e dge& Ke ga nPa ul ,1 9 7 2 ),p.7 2. 3P h i l l i pHa r t h,Swi ftandAngl i c anRat i o 乃 〃l i s m,p.62. 9 4 ン謁刺 を吟味す るな ら更に一層は っき りされ ることと思 う1。 しか し,Swi f tの A Tal eo f a Tub は単なるピュ リタニズムの 「熱狂」 「狂気」を排撃 した の uper s t i t i on) に 対 し て みな らず,その対立概念であるカ トリシズムの迷信 (s f tはその両者に もとらわれぬ中道 (vi a medi a) 路線 も矛先が向け られ, Swi である英国国教会 (Chur ch ofEngl and) の正統性を主 張 し た の で あ る2。 Davi d Hume は 「 熱狂」を 「無知 と一緒にな った希望, 自負,厚か ま し さ, のぼせた想像力」であると言い, 「迷信」を同 じよ うに 「無知 と一緒にな った, 弱 き,恐れ,憂駿である」 と言 って3 ,この二つの関係を次の よ うに説 明 してい る。 迷信は,市民の 自由に とっては敵対者であるが,熱狂は同調者である。迷信が聖職 者の下で うめ き苦 しんでいる時,熱狂はあ らゆ る教会 の権力を破壊す るのであ る。言 うまで もない ことだが,熱狂は,大胆で,野心的な気質を持 っているので,生 まれ なが ら, 自由な精神を伴 っているが,迷信は,人間を従順に し,卑屈に し,そ して, 彼 らを隷属す るに相応 し くして しま う。英国の歴史に よると,市民革命の間,組合教 I nd e ende p nt s ) と理神論老 ( De i s t s )は,宗教的原理に於 いては, まっ た く対 会派 ( 立 しているが,政治上に於 いて結びつけ られ,そ して,共和国に対 して同 じよ うな情 熱を持 っていたのであ る。そ して, ホイ ッグ党 と トー リ党が生 まれて以来, ホイ ッグ La t i t udi na r 党の指導者は,原理上,理神論老であ るか公然 と認め られた寛容主義者 ( i a ns ) のいずれかでなければな らない。つ ま り,彼 らは,寛容に同調す るが, キ リス 1C f .C.M .We bs t e r ,"Swi f t ' sA Tal eo fa TubCompa r e d wi t h Ea r l i e rS at i r e sof t hePur i t nS a ・ "PMLA,XLVI I( 1 9 3 2 ),1 71 17 8.Se ea ls ot h es ame a ut ho r ' su Swi f t " PMLA, XLVI I I( 1 9 33),1 1 41 a ndS omeEa r l i e rSa t i r i s t sofPur i t a nEnt hus i a s m, 5 3,a ndu TheS at r i cBa c kgr oundo ft heAt t a c ko nt hePur i t a nsi nSwi f t ' sA Tal eo f aTub . "PMLA,L ( 1 9 3 5 ),2 1 0 -2 3. 2〟 Whys h oul da nyCl e r gyma n o fourChur c ht xa n gr yt ose et heFo l l i e so f Fa na t i c i s ma ndSup er s t i t i o ne xp s e d,t ho 'i nt h emo s tr idi c ul o usMa nne r ?s i nc et ha ti sp er ha p st hemo s tpr o b a bl ewa yt oc ur et he m,O ra tl e a s tt o hi nde rt he m f r o m f a r t h e r s pr e a di ng.Be s i de s ,t ho'i twa sno ti nt e nde df o rt he i r Pe r u s a l ;i tr il a l i e s no t hi ng but wha tt he ypr e a c ha ga i ns t .I tc o nt a i nsno t hi ng t opr o vo ket he m byt h el e as tS cur il l i t y tCel e br a t e st he Chur c ho fEngl a nd a st he uf X ) nt h e i rPe r s o nso rt he i rFunc t i o ns .I kt r ne i ,i ta dva nc e sn o Op ni i o nt he y mo s tp er f e c to fa l lo t he r si n Di s c i pl i n ea nd I r e j e c t ,no rc o nde mnsa n yt h e yr e c e i v e J '( 〟 n A Ar x ) l o gy,A Ta l eo f a Tub " A Tal e ,p.2. ) o faTubando t b e rSat i r e s 3 Da vi dHume ,〃 OfSu er p s t i t i o na nd Ent hus i a s m, " Of t he St andar d Tas t e an d Ⅰ ndi a napl i s ,1 9 65 ),pp.1 4 6-8. Ot he rEs s ays( 9 5 ト教のいかなる特定のセクトにも無関心であるということである.一方に於いて,熱 狂の強い色合いを帯びている非国教徒は,例外な く市民の自由を守るためにホイッグ 党と意見があったl。 Hume の この一節 を踏 まえて, 「熱狂 」 「迷信」 を考 え直す な ら, 「熱狂」 r y の言 は極端 な プ ロテス タ ン トの側 にあ り, これ は Ⅰ章 で述べ た J.M.Mur 葉 を も じって言 うな ら 「個人 の内」にあ る もので, El i otの 「心 内の声 」に通 じる ものであ る。 そ して,El i otが "TheFunc t i onofCr i t i c i s m" の 中 で こ の 「心 内の声 」に ẁhi gge r y'とい う名 を与 えてい る2が, これ は上 に 述 べ た Hume の一節 - 「熱狂 の色合 いを帯 びてい る非 国教徒 は,例外 な く市民 の 自 由を守 る為 に ホ イ ッグ党 と意見 があ った」- をそ の まま踏 まえての ことであ ろ う。一方 , 「迷信」は カ トリシズムの側 にあ り 「個人 の外」にあ る権威 を現わ す もので, ホ イ ッグ党 に対 して, トー . )一党に属す る ものであ るo Swi f tが, A Tal eo faTub の中で, カ ト. )シズムと ピュー リタニズムの両者が極端 に 走 った悪 弊 を描 いて,そ の中道 であ る英 国国教 会の正統性 を主張 したのは, ま さ しく, この トー リー党 とホ イ ッグ党 の両極端に走 らない態度 と軌 を一 にす る i otの言 う 「心 内の声 」批判 は ,1 7世紀 中葉 に ものであ る3。 以上 の よ うに,El 見 られ る 「熱狂」 回避 の意味合 いを帯び,更には Swi f tの 「風神派」批判 と言 った歴 史的 な流れ に沿 うものであ る。 ところで,El i otは 「個人 の内」にあ る もの,「心 内の声」 「内的抑制」を中 心に した ヒューマ ニズムを批判 し, 「個人の外」にあ る もの, 「外部 の権威 」 を重要視 して きたが,一方 , 「外部 の権威 」は 「個人の価値や尊厳 の減 少,つ Zb i d. ,pp.1 4 9 15 0. T・S .El i o t ,Se l e c t e dEs s ay s ,p.2 9. 3拙論 「 T ・ S・El i o tと Swi f t- 『 絶望』と 『 懐疑』を中心にして」 『 文経論叢』第1 9 巻 3号 ( 弘前大学人文学部,1 9 8 4 ),p p.1 0 2 -7 1 2 9 6 ま り教会 とか国家権威に 自己を犠牡にす る方 向である」 と警告を与 えている1。 つ ま り,El i otは,極端に走 らない 「中道」( vi amedi a)を暗にほのめか して いる。 この問題 に関 しては,既に拙論に於いて論 じた ことがある2ので ,重複す るか もしれないが, ここでは,当面 との関連で,前に触れなか った ことを補足 しなが ら,簡単に触れ るだけに したい。El i otの 「中道」精神は, 単に英 国国 教会の精神を示すばか りでな く, まさに字義通 りの 「中道」の意味で El i otの 批評の根底を支える一つの精神 とな っている。実際,El i otの Mur r yに対す る 批判は,今 まで見 てきた よ うに 「心 内の声 」に向け られた ものであるが,その 根底に,El i otは Mur r y の中に 「文学に対 しても,そのほか何に対 し て も」 「その両方の態度 を取 ることが出来 ない」極端に走 る態度を見抜いたか らなの i otの この 「中道」精神 に立 って, Babbi t tをみ るな ら,Mur r y であろ う3。El に対す る批判 と同 じよ うな ことが言えるであろ う。つ ま り, El i otは Babbi t t の 「内的抑制」に基づ くヒューマニズムに対 して異義を唱えてい るが,その根 底には Babbi t tを 「気質に於いて,余 りに も極端に走 る個人主義者 な の で, ある体系を作 り上げた り,ある学派の創立者 とはな り得 ない」と見た El i otの 態度があ ったか らなのであろ う` 。 ところで, El i otの この ` vi ame di a'は彼 自身, 生 まれなが らに身につけて いるものではな く,あ くまで も 「訓練 と自制」 ( di s ci pl i ne ands el f c ont r ol ) 5 に よって達せ られた ものである。彼は1 9 25年の HRenc ont r e"の中で, 自分 自 身 「ます ます厳格で絶対的にな りがちで あ る ドグマチ ッ ク ( dogmat i que)な 考えに従 って,すべての ものを測 りがちであ る」 6と言 っている。El i otの この 独断的な気質は彼 の "Se c ond Thought saboutHumani s m"の 中 で, T・E・ T.S.El i o t ," Fr nc a i sHe r t 光r tBr a dl e y, "Se l e c t e dEs s ay s ,p p .4 5 2 -3. 拙論 「 T.S.El i o tの Vi ame di aにつ いて」 『英文学研 究 』Vo l ・LXI I ,No ・ 2(日本英文 学会,昭和5 5 年1 2月),p p ・1 7 5 -1 8 9・ 8T.S.El i o t ,Se l e c t e dEs s ay s ,p . 2 6. 4 T. S.El i o t ," A Co mme n t a r y, "TheCr i t e r i o n,ⅩⅠ Ⅰ IOc t o t 光r ,1 9 3 3 ),p ・1 1 8. 5 T. S.El i o t ," J o m l Br a mh l1 a , "Se l e c t e dEs s a ys ,p .3 5 9. 1 2 6NのV e l l cRe mL eFr an c ai s c ,ⅩⅠ Ⅰ( 1Ap r . ,1 9 2 5 ),p 1 6 5 8. 97 Hul me が 「人間が ど うして も達 し得ない絶対 的な もの ( an abs ol ut e) が存 在 す ることを独力で見 出だ した」 と言 って彼 の功績 を讃 え,彼 の ドグマに対す る 考 え方 を受け入れた ことに も うかが うこ と が 出 来 る1。 し か し, El i otは, HDant e" 論 の注で,信念 (bel i ef )の問題 を論 じなが ら極端に まで推 し進 め るや り方を異端 (her e s i es ) と呼び, 「 正統 主義 」( or t hodox) は 「対立 の中で しか 成立 しない」 と言 ってい る2 。 この ことは ,彼 自身 ドグマに対 して警戒心を抱 い ていた ことを示 しているのであ る。 El i otに とって, 「一つの体系は,ほ と ん ど必然的に少 しばか りの歪 曲 と遺漏 を伴 うものであ る。 」 3彼が TheCriterion の編集で避けた態度は次 の よ うな ドグマの危険性 なのであ る。 つ ま り, 「人が あ る主義,主張を通そ うとす るな ら,熱狂的 ( f anat i c) になるか,偽善者にな るか のいずれかであ る。そ して人があ るは っき りとした ドグマを持 ってい るな ら,そ の時,人はその ドグマを 自分 と一緒 に協力す る人に押 し付け ることにな る」 1危険性 なのであ る. この よ うに ドグマを避け ,v̀i amedi a'を 歩 も うとす る El i otの背景には二元論 ( dual i s m) に対す る疑惑か ら生み出 され た F.H. s c ept i ci s m) があ る声 。Eli otは懐疑的精神を 「証拠を吟 Br adl eyの懐疑的精神 ( 味す る習性 と,一気に事を決定 しない能力」 6であ ると述べ てい るが,HPascal " 論の中で彼は この精神について,更に次 の よ うに言 ってい る。 思考して行 くあらゆる人間は自分自身の懐疑的精神を持たなければならない。つま り,その精神には,疑義で立ち止まり,否定に終わるもの,あるいは信仰に導き,そし て, 何とかして懐疑的精神を超えた信仰に纏められるものがある。そして, パスカルは, apwe r f ula ndr e gul a t e d 情熱的で,熱烈であるが,それは,力強い調整された知性 ( ,Se l e c t e dEs s ay s ,pp.49 011. IT. S.El i o t 2 I b i d. ,p.2 7 0. 3T・ S・El i o t ," Ni c c o l oNa c hi a v e l l i , "Fo l ・La7 打e l o tAn dr e ws( Lo n d o n:Fa t xr& Fa t 光r , Lt d. ,1 97 0),p・46. 4Si rHe r t xr tRe a d,仙 T. S.E, -A Me mo i r , 〟qu o t e di n T. S.El i o t :Th eManan d Hi sWo r k,e di t edb yAl l e nTa t e( A De l t a恥 k ,1 9 6 6),p.21. 5 拙論 「 T・ S・El i o tの V i ame di aについて」pp・1 81 12. 6T・S・El i o t ,No t e st o war dst h e De fi ni t i o no f Cu l t u r e( Lo nd o n:Fa t xr& Fa br , Lt d. ,1 97 6),p.2 9. 9 8 i nt e ll ∝t ) を通 してのみ情熱的である,ある種の宗教的信仰家に見られるタイプとし て,彼の未完のキ リス ト教擁護論の第一部で,信念の精神とは切 り離すことが出来な t hede mo no fdo ubt )に怯むことな く立ち向かっているのである1。 い懐疑の悪魔 ( El i otが Pas calの中に見 た 「懐疑 的精神 」は,後 で述べ る信仰 の問題 と係わ ect i on and el i mi nat i on) 2に よって進 む 「力 りあいなが ら,「拒 否 と排除 」 (rej calの懐疑的 強 い調整 され た知性 」を通 してな され た ものであ る。 そ して,Pas 精神 ,疑惑 は,そ の ま ま El i ot の苦悩 と な っ て, "A Not eon Poet r y and Bel ei f " 等 に見 られ る3。実際 ,El i ot自身 「自分 自身 の信念は私が今 まで 全 く 逃れ よ うと望 んだ ことが ない懐疑的精神 で と らわれ てい る」1と言 ってい る。 この よ うな 「懐疑的精神 」は今 まで述べ て きた ` vi a medi a'の精神 ,つ ま り 一方 の極端 に走 らないで,それぞれ の極 を疑 い吟味 し,一気 に事を決定 しない で両極端 の中間を行 く根底 を支 えてい るものではなか ろ うか。懐疑主義 の近代 ai gne は Le sEs s ai s の 中 の "Apol og ie de Rai mond の祖 と言われ る Mont Sebond" の中で ,「常 に無知 を告 白す ること,如何 な る場合 に も, 讃否 いずれ かの側 に も傾かない判断 を持つ こと,それ を 想 像 す れ ば , ピ ュ ロ ニ ズ ム (py汀honi s m) が如何 な る ものであ るか を 理 解 し 得 よ う」 と 言 っ て,` vi a medi a' の背景に ピュロニズムを見 出だ してい る。 そ して, Mont ai gne は この IT.S.El i o t ,Se l e c t e dEs s ays ,p.4 41.c f .〃 Obvi o us y,Ime a nbyt hes c e pt i c ,t hema n 咋C t St heor l gl nSO fhi sownt x : l i e f s ,a swe l la st h o 監O fot he r s ;whoi s mo s t whos u s s us pl C I O uSO ft ho 党 Whi c ha r emo s tpa s s l Ona t e l yhe l d;whoi ss t i l lmor er e l e nt l e s st o wa r ds hi s own t 光l i e f st ha n t o war ds t ho s eo fo t he r s ;who s us r x 5 C t S Ot he rp eo pl e ' s mo t i ve s k auseh eha sl e ar n e dt hede c e i t f ul nessofhi so wn.( T・S・El i o t ," No t e on t heWay, ' ' Ti タ 彫 an dTi de1 6〔 J a nuar y5,1 9 5 3〕 ,p.6. ) 2Zb i d. ,p.4 08. 3`T̀hemaj o r i t yo fI だO pl el i vet x : l o wo ft 光l i e fordo ubt .I tt a ke sa ppl i c a t i on a nd a ,t ot 光l i e vea nyt hi ng,-dt ot x : l i e ve an yt hi ng ( Idon o t me n me a r e l y k i ndo fge ni us 飴 t ol xl i e ves omer e l i io g n)wi l lpr o b a bl yt 光C O memor ea ndmo r e di f f i c ul ta st i me s go o n ‥.Fo rt ho s eofuswhoa r ehi ghe rt ha nt he mo b,a ndl o we rt ha nt he ma no f i ns pi r a t i o n,t he r ei sa l wa ysdo ubt ;a nd i nd o ubtwear el i vi ng p ar a s i t i c a l l y( whi c hi s kt t e rt ha nnotl i vi nga ta l l )o nt hemi ndso fme no r ge ni uso ft he p a s t who ha ve d s ome t hi ng・ "( " A No t eo nPo e t r ya ndBe l i e f , "TheE乃e my,1〔 J nua a r y,1 9 2 7〕, bl i e ve pp .1 6-7. ) ▲I ts.Davi e s ,H MI STAH KURTS:HE DEAD, 〟 T.S.EL i o t . ・The Man an dHi s Wwk s ,e di t e dbyAl l e nTa t e( A De l t aB0k,1 9 64),p.3 60. 9 9 ピュロニズムを 「どち らに も傾かず,あ らゆ る事物に服従 も賛成 もしない」態 度で 「不動心 」 (at ar axi a) -導 くものであると言 っている。 この よ うに考える と,M ont ai gneの ` vi a medi a'の背景には 「判断中止」 とい った受動的な どュ i ot は, この ような どュロニズ ロニズムがあ ると見ていいだろ う。 しか し,El ムを 「弱 きの精神」であると言 って, 「強 さの精神」であ る懐疑主義 と区別 し i otの 「 懐疑的精 ている。 この よ うな ことは,先程触れた Pascalの中に見た El 神 」に対す る考え方を思い浮かべ るな ら,ある程度,理解 され ることと思 う1。 以上の よ うに El i otの言 う 「 心 内の声 」批判の精神的構造 の根底には, どち ら側に も片寄 らない ` vi amedi a'そ して, それを支えてい る 「 強 さの精神」で i otの考え方は 17世紀中葉以降に あ る 「懐疑的精神」があ った。 この よ うな El 見 られ る 「熱狂」回避 の精神的風土 ときわめて類似 しているものである。以下 の章では,今 まで述べてきた El i otとの係わ りの上で,その当時の ` vi amedi a' そ して, 「懐疑主義」を垣間見たい。 Ⅳ Ant hony Ea rlofShaf t es bury は, 「熱狂」を癒す 唯 一 の も の は g̀o od humour'であ り, これ こそが敬虞 と真の宗教の最上の基礎であ ると言 っ て い humour'とはギ リシャの 自然哲学,生理に於け る体液の意味 る2. ここで言 う ` であ って, この立場か ら言 うな ら,熱狂者を,か くもすぼ らしい状態に高揚 さ 1 拙論 「 T.S.El i otと Swi f t Jpp・1 07-11 2・ G∝d Humouri sn o to nl yt het 光S tSe cur i t ya ga i ns te nt hus i as m,butt hebs tFoun2〃 dat i o no fPi e t yandt r u eRe l i gi o n' ,f ori fr i h tThoug g ht sandwo r t hyAppr e he ns i onso f t heSupr e meBe i ng,ar ef unda me nt lt a oa l lt ueWor r s hi pa ndAdor a t i o n,' t i smor et ha n pr o ba bl e ・t hatwes hal lne ve てmi s c a r r yi nt hi sr esp ec t ,〈 e xc ept )t hr oi l lHumouro ly n ‥.i fwear ea f r a i dofbr i ngl ngg0d Humouri nt oRe l i io g n,ort hi nki ng wi t h Fr e e ・ dom a ndPl e a s a nt ne s son s uc haSubj e c ta sGd ,' t i st 光CauS eWeC O nC e i vet heSubj e ct sol i keour s e l ve s ,a ndc anhar dl yhaveaNot i o no f Ma j e s t y and Gr e at n e s swi t hout St at e l i ne s sa ndMo r o s e ne s saccoTl t nnyi ngi t ・ ' '( Ant honyAs hl eyC0p er ・Thi r dEar lof A Le t t e rc o nc e r nl ng Ent hus i a s m" ,I ,1Ae s t h e t i c s ,St andar d Edi t i on, Shaf t e s bur y,n Compl et eWor ks ,s el e c t e dLe t t e r sa ndI X拐t humous Wr i t i ngsi n Engl i s h wi t h par al l e l Ger mo nTr ans l a t i o ne di t e dt r a ns l a t e dandc o mme nt e dbyGe r dHe r mme r i c h & Wol f r am Benda 〔 Fr ommannHo z l x沿g,1 981 〕 ,p・334・ ) ( X ) 1 せ てい る霊 塊 は,前に Henr y Mor e に触れ た と ころで述べ た よ うに,元 もと, m̀el anchol y'の性 質を持 った一 陣 の風 で,憂 彰症 の体液 にた また ま熱 が 加 え られ た結果 生 じて きた もので あ る1。 つ ま り Shaf t es bur y の言 う g̀ood hu- mour'とは,バ ラ ンスの取れ た体液 の配 合で ` vi amedi a'そ の ものを意味 して vi a medi a'を歩 も うとす る態 い る もので あ る。 この よ うに 「熱狂 」を避 け て ` ohn Donne,そ して, 「中道 」 を質素 で もなけれ ば , き ら び や 度は ,既 に J かで もな く, --汝 の賞讃 で,栄光 で あ る」 2と英 国国教 会 を 歌 い 上 げ た G. Herber t等 の形而上詩 人 の中に も見 られ る。英 国国教会 の牧 師 で あ る Donl l e は HSat yr es" Ⅲで頁 の宗教 は何 処 にあ るか とい うことを次 の よ うに歌 ってい る 。 ( 大意) 偶像を賞賛した り,軽蔑 した り,あるいは抗議 した りすることは,すべて悪いこと か もしれない。賢 く疑え。知 らない道で,正しきを尋ねて,仔むことは,道に迷 うこ とではない.眠 り,邪に走ることは悪いことである。 ごつごつ して,険 しい,高い山 の上に真理は立ち,そ して, この真理に到達 しようとする者は, ぐるぐる廻 りなが ら 進まなければならない。そして, この険 しい山が,寄せつけないものを, このように して手に入れなさい3。 1 P hi l l i pHa r t h,Swi ftan d Angl i c an Rat i ㈹al i s m,pp.1 05 -1 08.Cf ." Is ha l lno t e l fi nt hi smo r ege n e r al la c c ounto fEnt hus i as m,t ha ti tma yve r ywe l l s at i s f i emys l a7 打ho l ywher e byme n h5COme t Ot 光 de Z i r i aL S t xr e 幻I ve di nt ot ha tpr o er p t yo fMe i n s omeo n el X) i nt ,t he i rj u dge me nts t a ndi ng unt o uc h e di no t he r s .Fol ・I s ha l lf ur t h e r de mo ns t r a t et ha tt hev e r yna t ur eo fMe l an c ho l yi ss uc h,t ha ti tma ymor ef a i r l ya nd pl a us i bl yt e mptama n i nt os uc hc o nc e i t so fZns ♪i r ai i o nandSup er na t ur a l ll i h tf g r o m , Ent hu s i as musTr i uJ n Phat us ,p. 1 0) .Se ea l s omyf 0t no t e4a tpa g92 . Go d. "( He nr yMo r e 2 u Af i n ea s ecti p nf i ta r a y, Ne i t he rt o ome a n,n o rye tt o ogr a y, Showswhoi st 光S t . Butde a r e s tMo t he r ・( wha tt ho s e. mi s s e) Theme ant hypr is a ea ndgl o r i el S , Andl o ngma yt 光, " ( u TheBr i t i s hChur c h・ "l l.7-2 6.Th eWo r kso fGe o r geHe r b e r t ,e di t e dwi t hc om,pp.1 09-1 1 0. ) me nt a r ybyF. H・Hut c hi ns o n〔 0Xf o r d,1 9 67〕 3 〟 Toa do r e ,o rs c o r nea ni ma ge ,O rp r o t e s t , Ma ya l lt 光 ba d;doubtwi s e l y;i ns t r a ngewa y Tos t a ndi nqul m gr i ght ,i snott os t r ay; Tos l e e p e,o rr unnewr o ng,i s .O nahugehi l l , 1 01 つ ま り, この宗教的 「真理 」の在処は,極端に走 ることに よってではな く,疑 いなが ら,両極端を吟味 しなが ら,酔余曲折 に よって達せ られ る場所であ る。 この よ うな場所にあ る真 の宗教は , HHol y Sonnet s"ⅩⅤⅠ Ⅰ Ⅰの中で,「海を超 え た向 こ うの土地に厚化粧を して立つ もの」ではな く, 「服を剥 ぎ取 られ 引 き裂 かれ て ドイツや この国で嘆 き悲 しむ もの」で もない もの と して,暗に宗教的中 庸を行 く英 国国教会が歌われ てい る1。 Donneに とって,「啓示 ,幻影 ,霊 の出 現,そ して ローマ教会の浄罪界の魂を容易に受け入れた り, また,一方 に片寄 り過 ぎて,情熱を高揚 させ過 ぎ,あ る者が陥 って しま う個人的な霊 に とらわれ て英 国国教 会 (t he Ref or med Chur ch) の 穏 や か な 中 道 ( moder at e,and mi ddl e wayes) に満足す ることが出来 ない ことは,---間違 った効果を 生 み 出す もの」 2であ る。 この よ うな Donneの中道精神 は,そ の他, ア ング リカニ ズムを主張 しロマニズムを攻撃 した Ps udoM art yr,Zgnat i usHi sConcl ave, そ して彼 の説教集等を詳 しく吟味す るな ら,いろいろと見 出だ され ることと思 i ot と同 じよ うに, う。そ して,中道を歩 も うとす る Donne の背景には, El 「賢 く疑 え」 とい った懐疑的精神があ る。 しか し, Donne の懐疑は, HAn Cr a gge ,a nds t e e p,Tr ut hs t a nds ,a ndh e et ha twi l l Re a c hhe r ,a t x ) utmus t ,a nda t x ) utmus tgoe; An dwh a tt hehi l l ss u dde nn e sr e s i s t s ,Wi nnes o; " ( " Sa t yr e "Ⅰ Ⅰ Ⅰ ,l l.76-82.ThePo e l 耶O fJo hn Do m e,e di t e df r o m t heo l de di t i o ns omme nt a r ybyHe r l 光r tJ . C.Gr i e r s on a ndnume r o usma n us c r i pt swi t hi nt r o duc t i o ns& c ,p・1 5 7・ ) M.A.Vo l ・I〔 Oxf o r dUni v e r s i t yPr e s s ,1 95 3〕 I H Sh o w mede a r eChr i s t ,t hys f X ) us e ,S Obr i ghta ndc l e a r . Wha t !i si tShe ,whi c ho nt heot h e rs h o r e Go e sr i c hl ypa i nt e d70 rwhi c hr o b' dandt o r e h me nt sa n dmo ur ne si nGe r ma nya ndhe r e ? 〟 ( ・ ' D̀i vi nePo e ms , "XVI I I ,1 1・1 -4.Zb i d. ,p・3 3 0. ) 2S e r mo nNo. 5,Th e Se r mo nso fJo hnDo nn e ,VI I I ,p.1 35. Cf .〟 Do nn e' sde btt o H0ke ri sno tave r b alo n e;buthi st r e a t me nto fl aw,f ori ns t anc e ,i n Ps e u do Mar t yr c o ns t nt a l yr e c a ll sHo o ke r .To r e a dt he Es s aysi nDi v i ni t yort h eSe r mo ns ,a f t e ra r e r e a di ng o f Ho o ke r ,i st of e e lato nc et ha tDo nneha sa bs or b e dHo o ke r ' sc o nc e pt i o n o ft hevi ame di asod e e pl yt ha ti tha st 光。 Omet heb a s i so f hi so wn t hi nki ng.I hnne i st o oo f t e ns f X) ke no fa sa c c e pt ngs i o me t hi ng whi c h,i nf a c t ,he he l edt p oe s t a bl i s h. 〟 ,Jo hnDo nn e :TheDi v i nePo e 〝岱 〔 0Xf o r d,1 96 9〕,p・XXI ) ( He l e nGa r dn e r ,e d・ 1 02 Anat omi eoft he Wor l d,The f i r s tAnni ver s ar y" の中で歌われている-よ う に, 中世的な宇宙秩序に根 ざす伝統的な信仰が, その当時台 頭 しつ つあ った 「新 しい学問」 (new Phi l os ophy) に よって揺 さぶ られた結果生み出 された も のである。 Donne の中道精神 と, 科学に対す る懐疑的態度は, 更に考察を 深めなければな らない と思 うが, 少な くとも, 彼は, 前 に 触 れ た Joesph Gl anvi l lが 「王立科学協会 」(The RoyalS∝ i et y) に呼び掛けた 『 科学的懐 疑主義』の中で ` Sc ept i ci s m, t hat ' st heonl y way t os cei nce' 2と言 った こと l l i p の先駆け とな っているよ うであ る。 この科学的 懐 疑 主 義 は, 既 に Phi Hart h が Loui sI .Br edvol dの ` Dr ydenPyr rhoni s t '説に反論 した Co nt e xt s ver s i t y of Chi cago Pr es s ,Chi cago and o f Dryde n' sThought(The Uni London,1 9 6 8) の中で述べ られ てい るので, これを頼 りに, この辺の ところを 私見を ま じえなが ら少 しばか り見てみたい。 Hart h は,Mont ai gne に見られ る哲学上の懐疑主義 (pyr rhoni s m) は一 般 に政治に於いて も宗教 に於いて も保守的であ るとい う こ と に 留 意 し, も し 1 H Andne w Phi l o s o phyc a l l sa l li ndoubt s , Th eEl e me nto ff i r ei squi t eputout ; Th eSuni sl o s t ,a ndt h'e ar t h,a ndnoma nswi t o ok ef o ri t . Ca nwe l ldi r e c thi m wh e r et ol Andf r e e l yme nc o nf e s s et ha tt hi swor l d' ss ent p , Wh e ni nt h ePl a ne t s ,a ndt heFi r ma me nt Th e y監e ksoma nyn e w;t h e ys eet hatt hi s l sc r umbl e douta ga l net Ohi sAt omi e s . ' Ti sa l li np ee c e s ,a l lc oha e r e nc egon e; " ( " Th ef i r s tAnni ve r s ar y,An Ana t o mi eo ft heWo r l d, "ll.2 05-21 3,Th ePo e mso f Jo hnDo nne ,p.2 3 7. ) 2"〔 A〕 gr e atpa r to four s c i e nt i f i c a lTr e a s ur ei smo s tl i k e l yt o也 a du l t e r at e , t h ougha l lt ar st h ei ma gea nds up er s c r i pt i ono fTr ut h, ・t heo nl ywa yt ok no w wha t i ss ophi s t i c at e ,a ndwha ti sn o ts o,i st ob r i nga l lt ot heEx a仰 nOf t he Tou chs t o n e : Fo rt h er ! r e p箔 e S S i o nso fs e ns e havi ng ( a si ss he we n)so mi ngl e dt he ms e l ve s wi t h he y;wec nn a otga l na ourGe nui neTr ut hs ,a ndki nga spl a us i bl et oa pp ea r a nc east t r u ea s s ur a nc eo fa n y,butbys us endi p ngoura s s e ntf r o ma l l ,t i l lt hede s e r t so fe a c h, di s c ov e r ' dbyas t r i c te nqui r y,C l ai mi t .Upnt hi sa c o untIt hi nkt he me t hd of t he mo s te xc e l l e ntDe 監ar t e Sn otunwo r t hy i t s Aut ho r ;a nd ( S nc i e Do g〝 ∽t i c aL I gn o l lc a l li ts o )aSc e pt i c i s m,t ha t ' st heo nl yway t oSc i e n c e . "( Sc e Ps i sSc i e nr awewi 6. ) t i fi c a I655,pp・55-5 1 0 3 Dr yden が この哲学 上 の ピュ ロニス トで あ ったな ら,英 国国教 会を去 って, イ ギ リスで は きはめて小数者 の キ リス ト教に過 ぎない ローマ ・カ トリック教に改 yden 宗 す る ことはなか ったで あ ろ うと考 え てい る1 。 この よ うな ことか ら, Dr に見 られ る懐 疑主義 は, 「何 も確実 に知 られ ない」 とい った哲学上 の p̀yr r ho- c ept i ci s m'であ ると主 張 し ni s m'ではな く,そ の当時 の科学主義 に基 づ いた s̀ t h は この ことを説 明す るために,王立科学 協 会の会 員で あ っ た てい る。 Har Gl anvi l lや Rober tBoyl e 等 の書 き物 を調べ てそ の間 の消息を 明 らかに し て anvi l lは 『独断 の 空 し さ』( Vani t yo f dogmat i zi ng) の い る. 例えば ,Gl Fr ee dom ofi nqui r y) に あ る と言 い,Rober t 中で懐 疑主義 を 「詮索 の 自由 」( Boyl e は,実験 に よって確かめ られ ない 自然に関す る一切 の命題 は,すべ て疑 e の主 著 の一 つ とな ってい る 『懐 疑 われ て然 るべ きだ とい うことで あ るoBoyl ept i c al Chemi s t ) とい う表 題 に見 られ る 「懐疑 的 な」 的 な科学 者 』(The Sc とい う意味 には この意味 が含 まれ てい るのであ る。 この よ うな ことか ら, 「王 modes t y) で 「謙 虚 」 ( di f f i denc e)で 立科学 協会 」の懐疑主義 は 「控 えめ 」 ( Fr eedom of i nqui r y) であ ると してい る2。 この懐疑主義 の 「詮索 の 自由 」 ( yden が Dr amat i cPoe s y:AnEs s ay 出 版 後 , Si rRobert 意味合 いは, Dr Howar d の批 判 に答 えて次 の よ うに い った ことに色濃 く反 映 してい る。 彼( Si rRo br tHo wa r d)紘,被の序文の至るところに見 られ るように, ここで も私 を権威主義的 ( ma is g t e r i l)であると言って喜んでいる。それ故,私1 a 1身の為, 許 し を乞 うて,私の全議論は懐疑的 ( s c e p t i c a l )であると言わなければならないOつまり, それは, ソクラテスやプラ トン,そして古代のあ らゆるアカデ ミー学派によって使わ れた推論の方法で--現在,王立科学協会の適度な探求 ( t h em∝l e s ti n qu i s i t i o n)に よって模範にされているものである-・ ・ ・ 御覧のように,AnEs s ayは数人の異なった 意見の持ち主によってなされる対話で,その意見のすべては,一般読者によって判断 して もらう為に,彼 らの意見をはっきりしないまま ( d o u b t f u l )にしておかなけれ ば IPhi l l i pHa r t h,Co nt e xt so fDr y de n' sThmL ght ,pl ) .3-4. 1Ib i d. ,p.1 3. 1 04 な らない1 。 0.E.D.に よると, s̀ c e pt i c i s m'の項の中に ònewho doubt st he val i di t y ofwhatc l ai mst obeknowl e dgei ns omepa r t i c ul a rdepa r t mentofi nqul r i ng'と記 され ているところが見 られ るが,上文の s̀ c ept i c al 'd̀oubt f ul 'は 議 論の為の武器 と考え られ る意味に近 い ものであ る。 El i otの H A Di al ogueof Dr a mat i cPoet r y"は,A.B.C.D.E.の五 人の登場人物達 の対話で議論 が 進 め られ てい るが, この形式は正に Dr yde n の Dramt i c Poe s y を踏襲す るも のである。 また,Dr yden が 山Ar tofTr aI I S l a t i on"の中で Luc r et usを批判 し て c̀ onf i dent ' ,m̀a gi s t e r i alaut hor i t y'と言 い, 自分は 「本来 d̀i f f i de nc e'で s̀ c ept i ci s m'であ る」 2と言 っている。 この よ うな ことか ら考え るな ら,Dryden の懐疑主義は議論に於け る ` i nqui r i ng'の意味合いを含みなが ら,El i otが懐疑 主義を定義 して「証拠を吟味す る習性 と一気に事を決定 しない能力」とい った こ とと全 く質を同 じにす るものである。つ ま り.Dr yden と El i otの懐疑主義は, a 科学主義に根 ざすか ど うか といった違 いはあ るものの,両極端に走 らない v̀i medi a'の根底を支えているものではなか ろ うか。実際,Dr ydenの Dr amat i c al l derの態度 -Dr yden 自身であ ると認 め られ てい Poe s y の中に見 られ る Me i t esの三一致法則が守 られ ている古典 る- ほ,相対立す る諸説 一 例えば,Cr 劇 の推奨,それに対す る Euge ni usの三一致を大胆に破 ったエ リザベス朝 の作 s i di usの フラ ンス劇 の均整 との対比か ら生 まれ るイギ リス 品の賛美, また Li 風 の t̀ r agi c omedy'の混乱の排除 な ど- の間を縫 って,対立論を妥協 し v̀i a yden に見 られ る ` vi a medi a'の見解を見出だそ うとしてい るものであ る。 Dr i gi oLai c i "を分析 して me di a'は, ア ング リカニズムの立場か ら書かれた `R̀el 1J o h n Dr y d e n ,OfDr aM l t cPo e s yan dOt h e rCr i t i c alEs s ay s ,Vo l ・I( Ev e r y ma n' s Li br a r y,1 9 71 ),p・ 1 2 3・ 2I b i d. ,Vo l .Ⅰ Ⅰ ,pp. 2 5 -6. 1 05 行 くな らは っき りされ る ことと思 う1。この中には,人 間 の理性 は,救 いに必要 なすべ ての ものを与 え るとい う確 信を持 って,超 自然的 な 啓 示 を 排 撃 す る d̀ei s m'の立場 と,人 間 の理性 の権 威 を信ぜず , 啓示 へ の信仰 にすべ てを委ね f i dei s m'の立場 が見 られ る。 ア ング る反 理性 的 な カ トリックの立場 ,つ ま り ` リカニズムの立場 は, この理性 と啓示 の二 つ の立場 の中間に立 つ もので,所謂 v̀i a medi a'の精神 を根底 とす るの もで あ る。 実際 , Dr yden は この 日Rel i gi o Lai ci " の序文 の中で 「この小論 文 で援 助 と して使 った ものは,そ の多 く が 英 国国教 会 の神 父達 の作 品か ら取 られ た」 2と述べ , ア ソグ リカニズムの立場 を表 明 してい る。 この よ うな懐疑主義 を基盤 とす る理性 と啓示 の中間 を 行 く ` vi a medi a'は El i otが HPas c al ' ' 論 の中で 「自由意志 と超 自然的 な恩寵 -・ - とが協 力 3と言 った ことに最 もよ く表 わ して こそ は じめ て人 間 の救済 が行 なわれ るのだ 」 t h は この よ うな立場 か ら Br edvol d の D̀r ydenPyr r honi s t ' され てい る。 Har LDr yd e n は理性 ( r eas on)を批判して Di m ast h et x ) r r ow' dk mso fmo o na nds t a r s , Tol o v e l y,we 訂y,Wa L n d' ngt i r a v e l e r s I sReas o nt ot h eSoul ・( 1 1 ・1 -3) と言っている。 このような Dei s m 批判, もしくは Fi d e i s m は 〟Re l i gi oLa i c i " の詩を分 e dv o l d はこれを盾にとって, 析して行 くなら,いろいろな所に散見 されると思 うが,Br " Re l i ioLa g i c i "は Dr yd e n がカ トI )ック教に改宗 してか ら書いた T̀heHi n da nd Pa nt h e r 'の序曲と言っている。Br e dvo l d のこの見解は,長い間一つの定説となっていたが, 1 9 61 年 Tho ma sH・Fu imur g aが " Dr yd e n' sRe l i i goI a i c i :AnAngl i c a nPo e ms Hと題す る論文で彼の考えにことごとく反論 したことは承知のことである。 実際 〟Rel i ioLa g ic i " の中に見 られるカ トリック教批判の一例を示すなら, カ トリック教の武器の 「 伝統」が 無誤 謬 ( nf i a l l i b l e ) でないことを Si mo n 神父の Cr i i i c alHi s t o r yo fi ke Ol dTe s t - me niに触れなが ら Dr yd e nは次のように言っているo Wh e r ewema y監eWha te r r o r sh a vet a nma de f k) t hi nt hec o p l e r ' sa n dt r a ns l at o r ' st r a de ; H( 、 wJ e wi s h,Po pi s hi nt e r e s t sha vepr e va i l ' d Andwh e r ei nf ll a i bi l i t yhasf il a e d・( l l ,2 48-2 51 ) か くして,Dr y de nは 「 伝統」と 「 理性」の中道を取ることになるQ Mo r es a f e ,a ndmu c hmo r emo de s t' ti s ,t osay Go d wo ul dno tle a vema nki ndw it h o utaway; Andt ha tt heS cr i pt ur e s ,t ho 'no te ve r ywhe r e Ar eunc o r r upt .s uf f i c i e nt ,c l e a r ,i nt i r e , I nAl lt hi ngswhi c ho urnee df ulf a i t hr e qui r e ・( 1 1 ・295 -3 0) 2 T he Po e t i c al Wo r kso fDr J ・ de n,e di t e dbyGe o r geR・No ye s( Ho ug ht o nMi f f l i n Co mPmy,t hs t o n,1 95 0),p. 1 5 7. 3 T. S.El i o t ,Se l e c t e dEs s ay s ,p. 41 3. i l 3 現 説に反対 して Dr yden の 懐疑主義を見 てい るが,Dr ydenの HRel i gi oLai ci ' ' の題名を もじったと思われ る りRel i gi oMedi ci ' 'の 作 者 ThOmaS Br owne は 「意見 の相違で, どの よ うな人 とも分かつ ことはない し---私 と意見が違 った とい うことで,その人の判断に腹を立 てることはない」 と述べ懐疑主義 につい て次の よ うに言 っている。 「私は,あ らゆ る種類の哲学思想を経 て きたが-s c ept i c ks ) にな り,知識の 結局 ,最 も賢い人は,ほ とん どすべて懐疑主義者 ( J anus ) の よ うに立つ ものであ るとい うこ と を 分野では,両面の神 ヤー ヌス ( 悟 る」 と。更に,Br owne は 「知識の高みにおいて, 自分の無知を嘆 いている ソロモ ンは,私の 自惚れを謙虚に したばか りでな く,私の努力の出 端 を 挫 い 「Br owne の変わ り種」 と呼ばれ た Gl anvi l lが 「理 性 た」 とも言 っているl。 . と信仰 の一致」を論証 し, 「名 々の真理は,二つの虚為 の間にあ る為 に,誤謬 に近 い ものであ る。一方か ら遠 ざか る人は,他方に滑 り落 ちがちである・ -- ー mi ddl ec our s e) を進む ことである」 2 の危険を避け る最 もいい方法は, 中道 ( owne 特有の心の平衡 の一端を受け継 い で い と言 ったのは,以上 の よ うな Br or ge るか らなのであろ う。 この よ うなヤー ヌス的な考えは, そ の 当 時 の Ge que sofHal i f ax の Thc Char ac t e ro f Tri mme rの 結論 Savi l e こ と Mar Di vi nevi r t ur e'に よって引 き起 こされた もので両極端 の 中 - 「トリマーは ` 間に位置す る」 一 等 に見 られ る3。そ して, この トリマーは左側 に ミトラをかぶ った司教 と右側に桶 を説教壇 に した非 国教徒が半 々に戯 曲化 されて措かれ てい char d H0 0 ker の Of t he L ・ aa・ so f るt 。 この辺の ことは,稿 を 改 め て,Ri Ec cl e s i as t i c al lPol i t i e等 の立場か ら更にいろいろ と検討を加えなけれ ば な らない数多 くの ことがあ るが ,Bas i lW i l l eyは Br owneの このヤー ヌスを El i ot S e emyf 0t n o t e1a tp a ge99. H Ca t h o l i cCh a r i t y, "J o s e p hGl a nv i l l , So 〝好Di s c o u r s e s ,Se r ′ I 桝 an dRe mai n s ,I681 ( Ga rl a L n dPub l i s hi ng,I n c ・ ,Ne w Yo r k&LO n d o n,1 9 7 9),p ・1 1 9・ 3H li a f a x," Th eCha r a c t e ro fat r i mme r , "qu o t e df r o m Jo n at h an Swi ft :t h eCo n dbyCl i v eT.Pr o b y n( Ma nc h e s t e r ,U・P. ,1 9 78 ),p p .1 01 -2. t e m♪war yBac k gr o u n 4Ch r i s t ph e rHi l l ,TheCe nt u r yo fRe v o l ut i o n 1603-1714 ( Edi nbu r h :Th g o r n a s 961 ).p .2 9 2. Ne l s o n,1 1 2 1 0 7 の ùni f i e ds ens i bi l i t y' と 結びつけなが ら,「Br owneは--ス コラ的訓練 と,ル ネ ッサ ンス期の融通無擬の探求心 との混血児であ った」lと言 っている。つ ま り, Br owne のい うヤー ヌス,あるいは g̀r eatamphi bi an'と は,El i otの s̀ en- s i bi l i t y'の立場か ら言 うな らば 「思想」 と 「感情」の両極端に 走 ら な い ` vi a me di a'を根底に してい るものである。 i otの ì nnervoi c e'批判の根底にあると思われ る考え方を 1 7世紀 以上,El 以降に見 られ る ènt hus i a s m'回避 との関係か ら考察 して き た が, こ の 問 題 i otが英国教会の中で も 「高教会 」( Hi ghChur ch) に属 していた とい は, El l t on 批判,あるいは Shel l ey の詩 と理 うこと, また彼の詩人論,例えば,Mi 念 との 自己同一化へ と発展 して行 く 「直感」に対す る批判等 の根底に流れてい る ものである。従 って, El i ot と1 7世紀の問題 は,従来論 じられて きた単な る 形而上詩人たちの 「思想」 と 「感情」の統合 とい った問題, またその当時に見 られ る神秘主義的要素の反映 とい った表面的な ことではな く,1 7世 紀 の 「熱 i otに受け継 狂」批判に対す る態度がそのままアング リカンの立場 としての El がれ,El i otは この よ うな問題を J .M,Murry の 「心 内の声」を手掛か りと して新 しく提起 した よ うに思える。 Il hs i lWi l l e y,TheSe v e nt e e nt hCe nt ur yBac k gr O 〝 nd. ,p.4 5.