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Hirosaki University Repository for Academic Resources
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T.S.Eliot の 'inner voice' 批判を巡って :
'Enthusiasm' 回避の系譜から
村田, 俊一
文経論叢. 人文学科篇. 7, 1987, p.85‐107
1987-03-20
http://hdl.handle.net/10129/1554
Rights
Text version
publisher
http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/
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批判を巡 って
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.M,Murry は 1923年 の HOnFear;Andon Romant
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m" の中 で次 の よ
うに言 って い る。
英国の作家,聖職者,政治家は彼 らの先祖か ら規範 となるどんな ものをも受け継 い
でいないQ彼 らが受け継 いだのは,頼 りの綱 として,心内の声 (
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頼 らなければならないとい う感覚だけであった。 もし彼 らが自己認識の追及に於いて,
知性のみでな く全人間的な もので十分に深 く採掘す るなら,普遍的な自己に出会 うで
あろ うOつ まり.英国の伝統 とい うものは,宗教的な立場か ら言 うなら,真に自分 自
身に問い質す人は,究極的に神の声 (
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fGd)を聞き,文芸批評の立場か
ら言 うな ら,作家は個性を通 して没個性に達するものである1。
この発 言 に対 して, 同年 T.S.El
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otは, HTheFunc
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中で , この一 節 の一 部 を引用 Lで , ここに見 られ る 「心 内 の 声 」 に は, M .
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d の 「め いめ い好 きな よ うに振 る舞 う」(
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) とい う意
味 合いが 感 じられ , 「心 内の声 に従 う-・
人 た ちに と って は,批 評 につ い て私 が
述 べ る ことに は少 しも価 値 を見 出だ さず ,」 そ うい う人 た ちは 「批 評 の研究 を
す る為 に共通 の原理 (
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) を見 出だ そ うとい う試 み に 興 味
を持 た な いで あ ろ う」 と言 って批判 してい る3。 El
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ot に と って大切 な も の は
「共通 の原理 」「秩 序 の問題 」(
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,つ ま り 「外 部 の 権 威 」
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lなのであ る。 こ うした 「外部 の権威」 と 「心 内 の 声」
は,同書に於いてそれぞれ C̀
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928年 の El
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じられ ているが, この 「心 内の声」は,1
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"論に見 られ る 「内的抑制」(
萌芽 となる ものであ る。つ ま り, Babbi
t
tは,個人-の外的規制力を排除 して,
個人 の中に 「内的抑制」を認め,それ に基づいた秩序 を考えて い る が,El
i
ot
は この よ うな Babbi
t
t氏の考 え方は, 「正統的宗教 の 『外 的』拘 束 (òut
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)が弱 まると,それ は個人の 自己に対す る内的拘束 に よって 補 足 さ
れ得 る」 もので,言 うな らば ,「プ ロ テ ス タ ン ト綱 領 の 項 目 (
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)か らカ トリック綱領 (
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m)を作 り上げ よ うとしてい
る ものであ る」 と言 ってい る2。ここで言 う 「プ ロテス タン ト綱領の項 目」 とは
「内的抑制」を意味 し, 「カ トリック綱領」 とは 「外部 の権威」を意味 してい
r
y 氏が カ トリック教を定義 し て 「個
るもの と考 え られ る。 この ことは,Mur
人の外 にあ って疑 いを入れない精神的権威の原理 」(
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) と言 った ことに El
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y氏の定義を プロテス
全 く賛 同 してい る3
ことか らも押 し測 られ る。 この Mur
タン トに当てはめて考えるな ら, プ ロテス タン トは 「個人 の内にあ
って疑 いを
●
i
otに とって, 「あ ら
入れ ない精神的原理」 と言い換 え られ ないだ ろ うか。 El
ゆ る個人が理想的に,有効に 自己を抑制 し,統御 した として も,その総体は決
して統合 (
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・のであ る。 El
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otが Babbi
t
tの教皇至
上権論 (
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ane)の考え方 を認めなが ら3,彼 の ヒュてこ ズ ム は 「1
9世
紀 の極めて 自由主義的な プ ロテス タン ト神学 と繁 くは どよ く似てい る ものなの
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であ る」
lと言 ったのは,以上の よ うな, カ トリック, プ ロテス タン トに対す る
El
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ot の考え方があ ったか らなのであろ う。 この よ うに, El
i
ot の Babbi
t
t批
判は, 「外的拘束」- 「外部の権威」- を排除 して, 「内的抑制」を中心に し
た ヒューマ ニズム ー 個 人主義- を作 り上げ よ うとした ことに対 してな され た
。
i
ot は言 ってい る 「ヒューマニズム的見地 は宗教的見地 を補助
ものであ る。El
2
す るものであ り, 「ヒューマニズムがいや しくも存在す
し, また これ に依存 」
るためには,何か他の態度に依存 しなければな らない。なぜ な ら,それ は本来
批判的 な もの 一寄生的な もの と言 い さえす るもの- であ るか ら」
3と。 こ うし
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た人間中心主義的な もの と 「外部の権威」 との相互関係 は,更 に 彼 の Aft
St
r
angeGodsの中で次の よ うに述べ られ ている. 「道徳が伝統や正統 の問題
でな くなる時,即ち,連綿 と続 いた教会の考えや指導 の下で作 り上げ られ,修
正 され,高め られた共 同体 の習慣が問題 に されな くな り,一方に於て,個 々人
が 自分 自身を高揚 して行 く時,その時,個性 (pers
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y) は驚 くべ き重要性
4と。この考 えは,彼 の "Tradi
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を持つ もの とな る」
で,伝統論 と絡み合いなが ら,個性的な ものを回避 しよ う と す る 没 個 性 論
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on) に既 に見 られ るもので あ る. El
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otが Aft
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Godsの中で, D.H.Lawrenceを批判 したのは,波が 「外部の権威」,つ ま り
「伝統 とか慣習の規制力 」 (rest
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on) に全然拘束
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) だけを導 き手 としたか らであ る。 El
i
otに
されず 「内な る光 」 (ⅠnnerLi
とって, この 「内な る光」は 「さまよえる人類に与え られ た最 も当にな らない,
i
otが ここで批判 し て い る
間違いを起 こさせやすい導 き手」なのであ る5。 El
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「内なる光」 とは, クェ-カー教徒 (Quaker)の言 う `
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じにす るもので, 「心 内の声」が高 じて, 「胸 を ときめかす ナーシサス」にな
った り, 「神 の声 を聞いて」 しま う2 よ うな 「熱狂 」 (ent
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,「理性を奪 って しま うよ うな興奮 に他愛な く身を委ね るよ
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otに とって
る。 El
うな連 中は,単 な る感情 の道具 とな って,人 間性をな くして しま う に す ぎ な
い」
3のであ る。
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otの 「熱狂」回避は, イギ リス17世紀以降に 見 ら れ る 「熱
この よ うな El
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ey が 「
確実 な
狂」に対す る訊刺 の系譜の埼外 にあ るものではない。 Basi
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on は まさに17世紀の
根拠を心の内なる一 つに訴えたい とい う点において M i
主流に立 っていた ことを示 してい るが,実は この時代の思想は各方 向において,
まさに この方法に よって,伝統 の権威か ら自らを開放す ることを求めていたの
4とい っている。 Eliotが人間 と しての M ilton を嫌悪 したの も, こ
であ った」
の辺に原因の一つがあ ったのか もしれ ない。拙論で は, 今 , 垣 間 見 て き た
El
i
ot の 「心 内の声」批判を形造 ってい る精神的基盤が, 17世紀以降に見 られ
る宗教上 の 「熱狂」回避 の どの よ うな精神的風土 の上 に見 られ るか とい うこと
を,充分 とは行かない まで も,彼 の宗教,哲学 との係わ りの上で考察 して行 き
たい。
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" の中で 「熱 狂 」(
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m) の意味を 「霊魂 とその力 とを物質以上 に高め る こと」
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) と邦輸 した。 そ
の霊感を尊重す る狂信的新教徒 の流派を 「風神派 」(
して,その元祖を J
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kの徒 - つ ま り J
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ohnの通称で J
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プ ロテス タン トの過激路線- の中に見 出だ してい る。特に,A Tal
の第 Ⅴ章の中で,Swi
f
tは, この 「風神派」に よって象徴 され るピュ リタン,
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c
k 名の下 で, 次 の よ うな緯名で認刺 し
非 国教徒 を,すべてひ っ くるめて, J
Cal
vi
nの姓は, ラテ ン語の 『禿頭』を意 味す る
ている。 「禿頭 の ジャ ック」(
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vus
'か ら由来 してい る), 「堤燈持ちの ジャ ック」(『内な る光』を主 張す
るクェ-カーや アナバ プテ ィス トの新教徒を指す ),「和蘭 ジャック」 (アナ/ミ
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」「仏蘭西 ヒュー (
Hugh)」(ユーグ ノー教
プテ ィス ト派 の J
,
徒), 「乞食 の トム」 (フランスでは プロテ タン トは最初乞食 と呼ばれ ていた)
Knoc
ki
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k)
」 (ス コッ トラン ドの宗教
それか ら 「北 の ノックの ジャック (
改革者 J
ohnKnox) とヱ
。そ して, この「風神派」の教義 の根本は,万物 の起源
は風 だ とい うことであ る。彼 は言 ってい る。 「人間の f
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形相)を s
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ma (聖霊,精 神,霊感,霊気)のいず
れを もって呼ぶにせ よ,結局 これ らは風 の別名に外 な らぬ。風 こそはあ らゆ る
3と。つ ま り,風は霊に も
混 成物 の主要素,すべ ては腐敗 とともに風に還 える」
f
tは,彼特
霊感に も通 じるのであ る。 この霊感を弟子たちに伝 え る様子を Swi
有のス カ トロジカルな趣 向に よって一層醜悪化 している。そ して, 第 Ⅸ章 H
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tの邦訳は深町弘三訳 『
桶物語,書物戦争,也-篇』(
岩波文庫,昭和
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年)によった。
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s" に於 いては, この 「
風 神派」 を狂気 と結 び
つけ てい る。彼 に と って, 「近代人が狂気 な る言葉 で意味す る ものは下等能力
か ら発 出す るあ る種 の蒸気 の力に よ り (byFor
ceofcert
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s) 頭脳 が
撹乱 され変換 をお こす ことに外 な らない とすれば, この狂気 こそ,帝 国 と哲学
1のであ る。J
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と宗教 の世界に起 こったあ らゆ る大変動 の生み の親であ った」
の体 内には 「蒸気」が排 出 され て, これ が 「熱狂」,即 ち,狂気 を生 じせ し め
るのであ る。 Swi
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tに見 られ るこの よ うな 「熱狂」に対す る考 え方は彼独 自の
ものではない。 Phi
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,1961) の中で, この背景を,RobertBurt
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e 等 を引合に出 しなが ら詳 し く述べ てい る。 TheOx
yは,今 では使われ な くな った意味 と して, ènt
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e'と定義 してい る。 ケ ンブ リッジ ・プラ
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) の流れ を汲 んだ Ant
hony EarlofShaf
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y は この言葉 の意味合 いを 「充分に明確に知 ることが全 くむず か し も の」
と言 ってい るよ うに,いろいろ と表 現 され てい る2
. 例えば,Henry More は ,
「熱狂」 を 「神 に霊感 を与 え られ てい る誤 った 自負心 」 (
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て, 「人間を熱狂的にす る気質は矧 生の最大の敵 であ る」 とい う理 由で, 「熱
狂的な精神に よって見 出だ され る真理」に疑いを抱 いてい る3。Henry Moreを
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lは 「我 々の領域を煙 と暗やみで満たすいろいろ
崇拝 していた Joseph Gl
な意見 を求め よ うとす る熱情 (zeal
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を矧1ぐために出版 した 『科学的懐疑主義 』
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論 は , あ らゆ る哲 学 的 蘇 慢 あ るい は独善 的 自信 に対 す る非 難 - と拡 が る. この
背 景 に は , 後 で触 れ る彼 の科 学 的 懐 疑 主 義 が あ る。
と ころ で,Phi
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h は先 程 の本 の 中 で, Swi
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tと M or
eの 関 係 に触 れ ,
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f aTubの 中 で重 要 な役 割 を果 た して い る こ とを論 証 して
eの一 節 は , Hart
hが 指 摘 して い る よ うに , 元 も と,
い る1。 実 際 , 次 の M or
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on の 「蒸 気 が 他 の器 官 か ら生 じ, 頭 に 昇 って動 物 的 な機 能 を変 え
て しま うとい う」 考 え方 か ら由来 して い る もの で あ る2が , 先 程 の Swi
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f aTubの 中 に見 られ る 「風 神 派 」 の 司祭 が ,風 に 向か って あ ん ぐ りと
口を 開 け , 風 で 身体 を膨 らませ て , これ を ゲ ップに して 弟 子 た ち の 口の 中 に吹
き込 む 描 写 を思 い起 こ させ る もの で あ る3。
熱狂者が,か くもすぼ らしい状態に高揚 させている霊塊 (
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時折,心気症 (
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)に,熱が加え られた結果,
生 じてきた ものだ。そ して,そのガスあるいは蒸気 (
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)は頭に上 って,最初,心
臓の温 りで駆 り立て られ元気ずけ られ,幾分,不純物が取 り除かれて,精神を多様な
想像力 (
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)で満 たし,そ して構想 (
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狂者を, もののみ ごとに流暢に雄弁に して しま うので,彼は 自分の体の最 も低いとこ
ろにある貯蔵庫か ら新 しい ワインを取 り出 して,それで酔 って しまっているかの よう
である4
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この よ うな 「熱 狂」の意 味 合 い は, John Locke の Es
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ng の中で 「熱狂は,理性に も神の啓示に も基づ か ず,
のぼせた頭脳 の,あ るいは思い上が った頭脳 の自負心か ら起 こるが,一度,也
歩を得 ると,理性 と啓示 の どち らか,あ るいは双方 よ りも強力に人間の説得や
行動-働 きかけ るものであ る」1と述べ られている。 Dr
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onが, この言葉
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hLanguageの中で,特に神 との霊交を受け
を A Di
て事物 の真相を解 しているとい う自負心の意味に用いたのは,以上の よ うな考
え方を踏 まえての ことであろ う。
Ba
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y に よると,「クエーカー教徒 の 『内なる光』は, プラ トン主義
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者の 『
理性』,デカル トの 『明折に して判明な る観念』,あ る い は Lor
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tofCher
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y が言 う 『通念概念』 (
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ons) な どと並 ん で,
1
7世紀がそれを尺度 として古代の遺産を検証 し, 自己の精神的独立を宣言 しつ
lで もあ ったのであ るが ,1
7世紀中 葉 以 降, この
つあ った更に今一つの確証 」
「心内の声」が高 じて 「熱狂」に取 りつかれた人達が,宗教的熱情の為に全王
国を覆そ うと考えた り, 自らを聖人の政府を作 り上げ るために神に思召 され て
い ると考えた時, 「熱狂」は政治的 とな った。 イギ リスに於いては, この政治
的熱狂者は P̀uri
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an'の名の下で宗教的なセ ク トの創始者 とな ったのであ る3。
つ ま り,彼 らは宗教的な立場に於いて, Ǹonc
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と呼ばれつつ,国教会以外に立 っては信仰の 自由を叫び,強 いては政治的な立
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場に於いては市民革命 (
る。 このよ うな 「熱狂 」一 特に宗教的な面に見 られ る多様 さ- は 1
7世紀 以 降
に於いて避け られ るべ き精神状態であ った とい うことは,その当時の ピュ リタ
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ン謁刺 を吟味す るな ら更に一層は っき りされ ることと思 う1。 しか し,Swi
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f a Tub は単なるピュ リタニズムの 「熱狂」 「狂気」を排撃 した の
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on) に 対 し て
みな らず,その対立概念であるカ トリシズムの迷信 (s
f
tはその両者に もとらわれぬ中道 (vi
a medi
a) 路線
も矛先が向け られ, Swi
である英国国教会 (Chur
ch ofEngl
and) の正統性を主 張 し た の で あ る2。
Davi
d Hume は 「
熱狂」を 「無知 と一緒にな った希望, 自負,厚か ま し さ,
のぼせた想像力」であると言い, 「迷信」を同 じよ うに 「無知 と一緒にな った,
弱 き,恐れ,憂駿である」 と言 って3
,この二つの関係を次の よ うに説 明 してい
る。
迷信は,市民の 自由に とっては敵対者であるが,熱狂は同調者である。迷信が聖職
者の下で うめ き苦 しんでいる時,熱狂はあ らゆ る教会 の権力を破壊す るのであ る。言 うまで もない ことだが,熱狂は,大胆で,野心的な気質を持 っているので,生 まれ
なが ら, 自由な精神を伴 っているが,迷信は,人間を従順に し,卑屈に し,そ して,
彼 らを隷属す るに相応 し くして しま う。英国の歴史に よると,市民革命の間,組合教
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) と理神論老 (
De
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)は,宗教的原理に於 いては, まっ た く対
会派 (
立 しているが,政治上に於 いて結びつけ られ,そ して,共和国に対 して同 じよ うな情
熱を持 っていたのであ る。そ して, ホイ ッグ党 と トー リ党が生 まれて以来, ホイ ッグ
La
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党の指導者は,原理上,理神論老であ るか公然 と認め られた寛容主義者 (
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) のいずれかでなければな らない。つ ま り,彼 らは,寛容に同調す るが, キ リス
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ト教のいかなる特定のセクトにも無関心であるということである.一方に於いて,熱
狂の強い色合いを帯びている非国教徒は,例外な く市民の自由を守るためにホイッグ
党と意見があったl。
Hume の この一節 を踏 まえて, 「熱狂 」 「迷信」 を考 え直す な ら, 「熱狂」
r
y の言
は極端 な プ ロテス タ ン トの側 にあ り, これ は Ⅰ章 で述べ た J.M.Mur
葉 を も じって言 うな ら 「個人 の内」にあ る もので, El
i
otの 「心 内の声 」に通
じる ものであ る。 そ して,El
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otが "TheFunc
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の 「心 内の声 」に ẁhi
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y'とい う名 を与 えてい る2が, これ は上 に 述 べ た
Hume の一節
- 「熱狂 の色合 いを帯 びてい る非 国教徒 は,例外 な く市民 の 自
由を守 る為 に ホ イ ッグ党 と意見 があ った」- をそ の まま踏 まえての ことであ ろ
う。一方 , 「迷信」は カ トリシズムの側 にあ り 「個人 の外」にあ る権威 を現わ
す もので, ホ イ ッグ党 に対 して, トー .
)一党に属す る ものであ るo Swi
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tが,
A Tal
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faTub の中で, カ ト.
)シズムと ピュー リタニズムの両者が極端 に
走 った悪 弊 を描 いて,そ の中道 であ る英 国国教 会の正統性 を主張 したのは, ま
さ しく, この トー リー党 とホ イ ッグ党 の両極端に走 らない態度 と軌 を一 にす る
i
otの言 う 「心 内の声 」批判 は ,1
7世紀 中葉 に
ものであ る3。 以上 の よ うに,El
見 られ る 「熱狂」 回避 の意味合 いを帯び,更には Swi
f
tの 「風神派」批判 と言
った歴 史的 な流れ に沿 うものであ る。
ところで,El
i
otは 「個人 の内」にあ る もの,「心 内の声」 「内的抑制」を中
心に した ヒューマ ニズムを批判 し, 「個人の外」にあ る もの, 「外部 の権威 」
を重要視 して きたが,一方 , 「外部 の権威 」は 「個人の価値や尊厳 の減 少,つ
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3拙論 「
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tと Swi
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t- 『
絶望』と 『
懐疑』を中心にして」 『
文経論叢』第1
9
巻
3号 (
弘前大学人文学部,1
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),p
p.1
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6
ま り教会 とか国家権威に 自己を犠牡にす る方 向である」 と警告を与 えている1。
つ ま り,El
i
otは,極端に走 らない 「中道」(
vi
amedi
a)を暗にほのめか して
いる。 この問題 に関 しては,既に拙論に於いて論 じた ことがある2ので ,重複す
るか もしれないが, ここでは,当面 との関連で,前に触れなか った ことを補足
しなが ら,簡単に触れ るだけに したい。El
i
otの 「中道」精神は, 単に英 国国
教会の精神を示すばか りでな く, まさに字義通 りの 「中道」の意味で El
i
otの
批評の根底を支える一つの精神 とな っている。実際,El
i
otの Mur
r
yに対す る
批判は,今 まで見 てきた よ うに 「心 内の声 」に向け られた ものであるが,その
根底に,El
i
otは Mur
r
y の中に 「文学に対 しても,そのほか何に対 し て も」
「その両方の態度 を取 ることが出来 ない」極端に走 る態度を見抜いたか らなの
i
otの この 「中道」精神 に立 って, Babbi
t
tをみ るな ら,Mur
r
y
であろ う3。El
に対す る批判 と同 じよ うな ことが言えるであろ う。つ ま り, El
i
otは Babbi
t
t
の 「内的抑制」に基づ くヒューマニズムに対 して異義を唱えてい るが,その根
底には Babbi
t
tを 「気質に於いて,余 りに も極端に走 る個人主義者 な の で,
ある体系を作 り上げた り,ある学派の創立者 とはな り得 ない」と見た El
i
otの
態度があ ったか らなのであろ う`
。
ところで, El
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a'は彼 自身, 生 まれなが らに身につけて
いるものではな く,あ くまで も 「訓練 と自制」 (
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)
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に よって達せ られた ものである。彼は1
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25年の HRenc
ont
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e"の中で, 自分 自
身 「ます ます厳格で絶対的にな りがちで あ る ドグマチ ッ ク (
dogmat
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que)な
考えに従 って,すべての ものを測 りがちであ る」
6と言 っている。El
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独断的な気質は彼 の "Se
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e) が存 在
す ることを独力で見 出だ した」 と言 って彼 の功績 を讃 え,彼 の ドグマに対す る
考 え方 を受け入れた ことに も うかが うこ と が 出 来 る1。 し か し, El
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e" 論 の注で,信念 (bel
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)の問題 を論 じなが ら極端に まで推 し進 め るや
り方を異端 (her
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) と呼び, 「
正統 主義 」(
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t
hodox) は 「対立 の中で しか
成立 しない」 と言 ってい る2
。 この ことは ,彼 自身 ドグマに対 して警戒心を抱 い
ていた ことを示 しているのであ る。 El
i
otに とって, 「一つの体系は,ほ と ん
ど必然的に少 しばか りの歪 曲 と遺漏 を伴 うものであ る。
」
3彼が TheCriterion
の編集で避けた態度は次 の よ うな ドグマの危険性 なのであ る。 つ ま り, 「人が
あ る主義,主張を通そ うとす るな ら,熱狂的 (
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c) になるか,偽善者にな
るか のいずれかであ る。そ して人があ るは っき りとした ドグマを持 ってい るな
ら,そ の時,人はその ドグマを 自分 と一緒 に協力す る人に押 し付け ることにな
る」
1危険性 なのであ る. この よ うに ドグマを避け ,v̀i
amedi
a'を 歩 も うとす
る El
i
otの背景には二元論 (
dual
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m) に対す る疑惑か ら生み出 され た F.H.
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m) があ る声
。Eli
otは懐疑的精神を 「証拠を吟
Br
adl
eyの懐疑的精神 (
味す る習性 と,一気に事を決定 しない能力」
6であ ると述べ てい るが,HPascal
"
論の中で彼は この精神について,更に次 の よ うに言 ってい る。
思考して行 くあらゆる人間は自分自身の懐疑的精神を持たなければならない。つま
り,その精神には,疑義で立ち止まり,否定に終わるもの,あるいは信仰に導き,そし
て,
何とかして懐疑的精神を超えた信仰に纏められるものがある。そして,
パスカルは,
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情熱的で,熱烈であるが,それは,力強い調整された知性 (
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) を通 してのみ情熱的である,ある種の宗教的信仰家に見られるタイプとし
て,彼の未完のキ リス ト教擁護論の第一部で,信念の精神とは切 り離すことが出来な
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)に怯むことな く立ち向かっているのである1。
い懐疑の悪魔 (
El
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calの中に見 た 「懐疑 的精神 」は,後 で述べ る信仰 の問題 と係わ
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2に よって進 む 「力
りあいなが ら,「拒 否 と排除 」 (rej
calの懐疑的
強 い調整 され た知性 」を通 してな され た ものであ る。 そ して,Pas
精神 ,疑惑 は,そ の ま ま El
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ot の苦悩 と な っ て, "A Not
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" 等 に見 られ る3。実際 ,El
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ot自身 「自分 自身 の信念は私が今 まで 全 く
逃れ よ うと望 んだ ことが ない懐疑的精神 で と らわれ てい る」1と言 ってい る。
この よ うな 「懐疑的精神 」は今 まで述べ て きた `
vi
a medi
a'の精神 ,つ ま り
一方 の極端 に走 らないで,それぞれ の極 を疑 い吟味 し,一気 に事を決定 しない
で両極端 の中間を行 く根底 を支 えてい るものではなか ろ うか。懐疑主義 の近代
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gne は Le
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s の 中 の "Apol
og
ie de Rai
mond
の祖 と言われ る Mont
Sebond" の中で ,「常 に無知 を告 白す ること,如何 な る場合 に も, 讃否 いずれ
かの側 に も傾かない判断 を持つ こと,それ を 想 像 す れ ば , ピ ュ ロ ニ ズ ム
(py汀honi
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m) が如何 な る ものであ るか を 理 解 し 得 よ う」 と 言 っ て,`
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a' の背景に ピュロニズムを見 出だ してい る。 そ して, Mont
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ピュロニズムを 「どち らに も傾かず,あ らゆ る事物に服従 も賛成 もしない」態
度で 「不動心 」 (at
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ot は, この ような どュロニズ
ロニズムがあ ると見ていいだろ う。 しか し,El
ムを 「弱 きの精神」であると言 って, 「強 さの精神」であ る懐疑主義 と区別 し
i
otの 「
懐疑的精
ている。 この よ うな ことは,先程触れた Pascalの中に見た El
神 」に対す る考え方を思い浮かべ るな ら,ある程度,理解 され ることと思 う1。
以上の よ うに El
i
otの言 う 「
心 内の声 」批判の精神的構造 の根底には, どち
ら側に も片寄 らない `
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a'そ して, それを支えてい る 「
強 さの精神」で
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otの考え方は 17世紀中葉以降に
あ る 「懐疑的精神」があ った。 この よ うな El
見 られ る 「熱狂」回避 の精神的風土 ときわめて類似 しているものである。以下
の章では,今 まで述べてきた El
i
otとの係わ りの上で,その当時の `
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そ して, 「懐疑主義」を垣間見たい。
Ⅳ
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humour'であ り, これ こそが敬虞 と真の宗教の最上の基礎であ ると言 っ て い
humour'とはギ リシャの 自然哲学,生理に於け る体液の意味
る2. ここで言 う `
であ って, この立場か ら言 うな ら,熱狂者を,か くもすぼ らしい状態に高揚 さ
1 拙論 「
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せ てい る霊 塊 は,前に Henr
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られ た結果 生 じて きた もので あ る1。
つ ま り Shaf
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y の言 う g̀ood hu-
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a'そ の ものを意味 して
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a'を歩 も うとす る態
い る もので あ る。 この よ うに 「熱狂 」を避 け て `
ohn Donne,そ して, 「中道 」 を質素 で もなけれ ば , き ら び や
度は ,既 に J
かで もな く, --汝 の賞讃 で,栄光 で あ る」
2と英 国国教 会 を 歌 い 上 げ た G.
Herber
t等 の形而上詩 人 の中に も見 られ る。英 国国教会 の牧 師 で あ る Donl
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は HSat
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es" Ⅲで頁 の宗教 は何 処 にあ るか とい うことを次 の よ うに歌 ってい る 。
(
大意)
偶像を賞賛した り,軽蔑 した り,あるいは抗議 した りすることは,すべて悪いこと
か もしれない。賢 く疑え。知 らない道で,正しきを尋ねて,仔むことは,道に迷 うこ
とではない.眠 り,邪に走ることは悪いことである。 ごつごつ して,険 しい,高い山
の上に真理は立ち,そ して, この真理に到達 しようとする者は, ぐるぐる廻 りなが ら
進まなければならない。そして, この険 しい山が,寄せつけないものを, このように
して手に入れなさい3。
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つ ま り, この宗教的 「真理 」の在処は,極端に走 ることに よってではな く,疑
いなが ら,両極端を吟味 しなが ら,酔余曲折 に よって達せ られ る場所であ る。
この よ うな場所にあ る真 の宗教は ,
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Ⅰ
Ⅰの中で,「海を超 え
た向 こ うの土地に厚化粧を して立つ もの」ではな く, 「服を剥 ぎ取 られ 引 き裂
かれ て ドイツや この国で嘆 き悲 しむ もの」で もない もの と して,暗に宗教的中
庸を行 く英 国国教会が歌われ てい る1。 Donneに とって,「啓示 ,幻影 ,霊 の出
現,そ して ローマ教会の浄罪界の魂を容易に受け入れた り, また,一方 に片寄
り過 ぎて,情熱を高揚 させ過 ぎ,あ る者が陥 って しま う個人的な霊 に とらわれ
て英 国国教 会 (t
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ch) の 穏 や か な 中 道 (
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出す もの」
2であ る。 この よ うな Donneの中道精神 は,そ の他, ア ング リカニ
ズムを主張 しロマニズムを攻撃 した Ps
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そ して彼 の説教集等を詳 しく吟味す るな ら,いろいろと見 出だ され ることと思
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ot と同 じよ うに,
う。そ して,中道を歩 も うとす る Donne の背景には, El
「賢 く疑 え」 とい った懐疑的精神があ る。 しか し, Donne の懐疑は, HAn
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に, 中世的な宇宙秩序に根 ざす伝統的な信仰が, その当時台 頭 しつ つあ った
「新 しい学問」 (new Phi
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のである。 Donne の中道精神 と, 科学に対す る懐疑的態度は, 更に考察を
深めなければな らない と思 うが, 少な くとも, 彼は, 前 に 触 れ た Joesph
Gl
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lが 「王立科学協会 」(The RoyalS∝ i
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科学的懐
疑主義』の中で `
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私見を ま じえなが ら少 しばか り見てみたい。
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gne に見られ る哲学上の懐疑主義 (pyr
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に政治に於いて も宗教 に於いて も保守的であ るとい う こ と に 留 意 し, も し
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Dr
yden が この哲学 上 の ピュ ロニス トで あ ったな ら,英 国国教 会を去 って, イ
ギ リスで は きはめて小数者 の キ リス ト教に過 ぎない ローマ ・カ トリック教に改
yden
宗 す る ことはなか ったで あ ろ うと考 え てい る1
。 この よ うな ことか ら, Dr
に見 られ る懐 疑主義 は, 「何 も確実 に知 られ ない」 とい った哲学上 の p̀yr
r
ho-
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ept
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ci
s
m'であ ると主 張 し
ni
s
m'ではな く,そ の当時 の科学主義 に基 づ いた s̀
t
h は この ことを説 明す るために,王立科学 協 会の会 員で あ っ た
てい る。 Har
Gl
anvi
l
lや Rober
tBoyl
e 等 の書 き物 を調べ てそ の間 の消息を 明 らかに し て
anvi
l
lは 『独断 の 空 し さ』(
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ng) の
い る. 例えば ,Gl
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y) に あ る と言 い,Rober
t
中で懐 疑主義 を 「詮索 の 自由 」(
Boyl
e は,実験 に よって確かめ られ ない 自然に関す る一切 の命題 は,すべ て疑
e の主 著 の一 つ とな ってい る 『懐 疑
われ て然 るべ きだ とい うことで あ るoBoyl
ept
i
c
al Chemi
s
t
) とい う表 題 に見 られ る 「懐疑 的 な」
的 な科学 者 』(The Sc
とい う意味 には この意味 が含 まれ てい るのであ る。 この よ うな ことか ら, 「王
modes
t
y) で 「謙 虚 」 (
di
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denc
e)で
立科学 協会 」の懐疑主義 は 「控 えめ 」 (
Fr
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y) であ ると してい る2。 この懐疑主義 の
「詮索 の 自由 」 (
yden が Dr
amat
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cPoe
s
y:AnEs
s
ay 出 版 後 , Si
rRobert
意味合 いは, Dr
Howar
d の批 判 に答 えて次 の よ うに い った ことに色濃 く反 映 してい る。
彼(
Si
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tHo
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r
d)紘,被の序文の至るところに見 られ るように, ここで も私
を権威主義的 (
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l)であると言って喜んでいる。それ故,私1
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1身の為, 許 し
を乞 うて,私の全議論は懐疑的 (
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a
l
)であると言わなければならないOつまり,
それは, ソクラテスやプラ トン,そして古代のあ らゆるアカデ ミー学派によって使わ
れた推論の方法で--現在,王立科学協会の適度な探求 (
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n)に
よって模範にされているものである-・
・
・
御覧のように,AnEs
s
ayは数人の異なった
意見の持ち主によってなされる対話で,その意見のすべては,一般読者によって判断
して もらう為に,彼 らの意見をはっきりしないまま (
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)にしておかなけれ ば
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ng'と記 され ているところが見 られ るが,上文の s̀
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論の為の武器 と考え られ る意味に近 い ものであ る。 El
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Dr
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y"は,A.B.C.D.E.の五 人の登場人物達 の対話で議論 が 進
め られ てい るが, この形式は正に Dr
yde
n の Dramt
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y を踏襲す るも
のである。 また,Dr
yden が 山Ar
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y'と言 い, 自分は 「本来 d̀i
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m'であ る」
2と言 っている。 この よ うな ことか ら考え るな ら,Dryden
の懐疑主義は議論に於け る `
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ng'の意味合いを含みなが ら,El
i
otが懐疑
主義を定義 して「証拠を吟味す る習性 と一気に事を決定 しない能力」とい った こ
とと全 く質を同 じにす るものである。つ ま り.Dr
yden と El
i
otの懐疑主義は,
a
科学主義に根 ざすか ど うか といった違 いはあ るものの,両極端に走 らない v̀i
medi
a'の根底を支えているものではなか ろ うか。実際,Dr
ydenの Dr
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derの態度 -Dr
yden 自身であ ると認 め られ てい
Poe
s
y の中に見 られ る Me
i
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esの三一致法則が守 られ ている古典
る- ほ,相対立す る諸説 一 例えば,Cr
劇 の推奨,それに対す る Euge
ni
usの三一致を大胆に破 ったエ リザベス朝 の作
s
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usの フラ ンス劇 の均整 との対比か ら生 まれ るイギ リス
品の賛美, また Li
風 の t̀
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omedy'の混乱の排除 な ど- の間を縫 って,対立論を妥協 し v̀i
a
yden に見 られ る `
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a'の見解を見出だそ うとしてい るものであ る。 Dr
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"を分析 して
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a'は, ア ング リカニズムの立場か ら書かれた `R̀el
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行 くな らは っき りされ る ことと思 う1。この中には,人 間 の理性 は,救 いに必要
なすべ ての ものを与 え るとい う確 信を持 って,超 自然的 な 啓 示 を 排 撃 す る
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s
m'の立場 と,人 間 の理性 の権 威 を信ぜず , 啓示 へ の信仰 にすべ てを委ね
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dei
s
m'の立場 が見 られ る。 ア ング
る反 理性 的 な カ トリックの立場 ,つ ま り `
リカニズムの立場 は, この理性 と啓示 の二 つ の立場 の中間に立 つ もので,所謂
v̀i
a medi
a'の精神 を根底 とす るの もで あ る。 実際 , Dr
yden は この 日Rel
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Lai
ci
" の序文 の中で 「この小論 文 で援 助 と して使 った ものは,そ の多 く が 英
国国教 会 の神 父達 の作 品か ら取 られ た」
2と述べ , ア ソグ リカニズムの立場 を表
明 してい る。 この よ うな懐疑主義 を基盤 とす る理性 と啓示 の中間 を 行 く
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a'は El
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論 の中で 「自由意志 と超 自然的 な恩寵 -・
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して こそ は じめ て人 間 の救済 が行 なわれ るのだ 」
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h は この よ うな立場 か ら Br
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され てい る。 Har
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と言っている。 このような Dei
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析して行 くなら,いろいろな所に散見 されると思 うが,Br
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'の序曲と言っている。Br
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d のこの見解は,長い間一つの定説となっていたが,
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る論文で彼の考えにことごとく反論 したことは承知のことである。 実際 〟Rel
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の中に見 られるカ トリック教批判の一例を示すなら, カ トリック教の武器の 「
伝統」が
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yden の 懐疑主義を見 てい るが,Dr
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の題名を もじったと思われ る りRel
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ci
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'の 作 者 ThOmaS Br
owne は
「意見 の相違で, どの よ うな人 とも分かつ ことはない し---私 と意見が違 った
とい うことで,その人の判断に腹を立 てることはない」 と述べ懐疑主義 につい
て次の よ うに言 っている。 「私は,あ らゆ る種類の哲学思想を経 て きたが-s
c
ept
i
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ks
) にな り,知識の
結局 ,最 も賢い人は,ほ とん どすべて懐疑主義者 (
J
anus
) の よ うに立つ ものであ るとい うこ と を
分野では,両面の神 ヤー ヌス (
悟 る」 と。更に,Br
owne は 「知識の高みにおいて, 自分の無知を嘆 いている
ソロモ ンは,私の 自惚れを謙虚に したばか りでな く,私の努力の出 端 を 挫 い
「Br
owne の変わ り種」 と呼ばれ た Gl
anvi
l
lが 「理 性
た」 とも言 っているl。 .
と信仰 の一致」を論証 し, 「名 々の真理は,二つの虚為 の間にあ る為 に,誤謬
に近 い ものであ る。一方か ら遠 ざか る人は,他方に滑 り落 ちがちである・
-- ー
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e) を進む ことである」
2
の危険を避け る最 もいい方法は, 中道 (
owne 特有の心の平衡 の一端を受け継 い で い
と言 ったのは,以上 の よ うな Br
or
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るか らなのであろ う。 この よ うなヤー ヌス的な考えは, そ の 当 時 の Ge
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rの 結論
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e'に よって引 き起 こされた もので両極端 の 中
- 「トリマーは `
間に位置す る」
一 等 に見 られ る3。そ して, この トリマーは左側 に ミトラをかぶ
った司教 と右側に桶 を説教壇 に した非 国教徒が半 々に戯 曲化 されて措かれ てい
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。 この辺の ことは,稿 を 改 め て,Ri
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e等 の立場か ら更にいろいろ と検討を加えなけれ ば な
らない数多 くの ことがあ るが ,Bas
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と 結びつけなが ら,「Br
owneは--ス コラ的訓練 と,ル
ネ ッサ ンス期の融通無擬の探求心 との混血児であ った」lと言 っている。つ ま り,
Br
owne のい うヤー ヌス,あるいは
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y'の立場か ら言 うな らば 「思想」 と 「感情」の両極端に 走 ら な い
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a'を根底に してい るものである。
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e'批判の根底にあると思われ る考え方を 1
7世紀
以上,El
以降に見 られ る ènt
hus
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m'回避 との関係か ら考察 して き た が, こ の 問 題
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otが英国教会の中で も 「高教会 」(
Hi
ghChur
ch) に属 していた とい
は, El
l
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on 批判,あるいは Shel
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ey の詩 と理
うこと, また彼の詩人論,例えば,Mi
念 との 自己同一化へ と発展 して行 く 「直感」に対す る批判等 の根底に流れてい
る ものである。従 って, El
i
ot と1
7世紀の問題 は,従来論 じられて きた単な る
形而上詩人たちの 「思想」 と 「感情」の統合 とい った問題, またその当時に見
られ る神秘主義的要素の反映 とい った表面的な ことではな く,1
7世 紀 の 「熱
i
otに受け継
狂」批判に対す る態度がそのままアング リカンの立場 としての El
がれ,El
i
otは この よ うな問題を
J
.M,Murry
の 「心 内の声」を手掛か りと
して新 しく提起 した よ うに思える。
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