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ルイス・マンフォードの地域主義思想 ̶ アメリカ地域計画協会における

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ルイス・マンフォードの地域主義思想 ̶ アメリカ地域計画協会における
ルイス・マンフォードの地域主義思想 ̶ アメリカ地域計画協会における活動期を中心として ̶
建築学専攻 田路研究室 加藤雄也
序
レリ(Luccarelli 1995)が代表的である。
0-1. はじめに
ルイス・マンフォード(Lewis Mumford, 1895 - 1990)
は、文芸批評家、建築・都市批評家、文明史家、ジャーナ
リストとして知られている。彼は、40冊以上の本や冊子、
各種雑誌に掲載された600編を超える記事を含む膨大な数の
著作を遺している。
マンフォードは、20世紀アメリカにおける論客であった
これら先行研究の中で、マンフォードの地域主義思想に
とって特に重要と思われる文献が指摘されている。本研究
は、それらの指摘を受けて、マンフォードの地域主義思想
の再構成を試みるものである。
0-4. 研究の対象と方法
本研究は、次の文献のみを対象として扱う。1919年に
Dial
誌に掲載された二編の記事「国家の地位」( The
と同時に、アメリカ地域計画協会(Regional Planning
Status of the State )および「戦争と国家」( Wardom
Association of America:以下、RPAA)の設立メンバーの
a n d t h e S t a t e ) 、 1 9 2 7 年 か ら 1 9 2 8 年 に わ た って
Sociological Review 誌に掲載された一連の論考「地域主
一人でもあった。RPAAは、近代アメリカ都市計画史上、重
要な意義を担ったといわれている。RPAAが都市問題の解決
義と非地域主義」( Regionalism and Irregionalism )お
を試みる中で、マンフォードはその活動を地域主義として理
よび「地域主義の理論と実践」( The Theory and
論化する役割を果たした。
Practice of Regionalism )、1938年に出版されたマン
地域主義という理念はマンフォードにとって生涯にわた
るテーマの一つであるといわれている。その思想的基盤
は、RPAAにおける活動期を中心として形成されたと考えら
れる。
0-2. 研究の目的と意義
本研究の目的は、RPAAの活動期を中心に、その前後にお
けるマンフォードの地域主義思想の一端を再構成すること
である。
本研究は以下の点にその意義を認めるものである。
フォードの代表的著作の一つ『都市の文化』( The
Culture of Cities )である。これらはそれぞれ、RPAAの活
動期である1923年から1933年と、その前後において、彼の
地域主義思想を代表する文献であると考えられる。
本研究は、各テクストごとに内容を整理し、地域主義に
関連する諸概念に着目し、それらの内容と相互連関を明ら
かにしていくことを方法とする。
0-5. 論文の構成
本論文は次の五章から構成される。
第一に、マンフォードの地域主義思想を理解すること
第1章は、マンフォードの初期の生涯をたどりながら、
は、今日のさまざまな地域主義思想を理解する上で重要で
彼が地域主義思想を形成する過程の一端を明らかにすると
ある。とりわけ、マンフォードの地域主義思想は、彼の多く
ともに、アメリカ地域計画協会の主な活動とその内容につ
いて述べる。
の著作の中にあらわれているのみならず、現代にいたる建築
思潮に少なからず影響を与えたため、今日の建築における
第2章は、RPAAでの活動期以前に書かれた「国家の地
地域主義に関する議論の始まりをマンフォードとする見解
位」および「戦争と国家」というマンフォードの論考を対
がある。このため、マンフォードの地域主義思想を理解す
象とし、その内容を明らかにする。
ることは、建築の分野において地域主義の問題を考える際
第3章は、RPAAでの活動期に書かれた「地域主義と非地
域 主 義 」 お よ び 「 地 域 主 義 の 理 論 と 実 践 」 と い う マン
に、一定の意義があるものといえよう。
第二に、RPAAが展開した地域主義は、近代における都市
フォードの論考を対象とし、その内容を明らかにする。
計画に直接的あるいは間接的にさまざまな影響を与え
第4章は、RPAAでの活動期以後に書かれたマンフォード
た。RPAAはラドバーンの建設を実現し、ニュー・ディール
の著書『都市の文化』を対象とし、そこで展開されている
政策に影響を与えたことが認められる。ニュー・ディール政
彼の地域主義思想について論じる。
第5章は、第2章から第4章で明らかになったマン
策が戦後日本の国土計画に与えた影響も無視することはで
きない。このため、RPAAの活動との関連においてマン
フォードの地域主義思想の諸断片の関係について論じる。
フォードの地域主義思想を理解することは、近代の都市計
画を考察する上で、一定の意義があるものといえよう。
第1章 マンフォードとアメリカ地域計画協会
0-3. 先行研究と本研究の位置づけ
マンフォードが遺した膨大な著作の中から何を抽出する
1-1. 初期の思想形成
1912年にニューヨーク・シティ・カレッジに入学したマ
ことによって、彼の地域主義思想を再構成するかという問題
は、重大な問いである。この問いに関しては、まず、先行研
ンフォードは、図書館でパトリック・ゲデス(Patrick
究によるところが大きい。
Geddes)の著書に出会う。1916年に大学を辞めてから、マ
ンフォードはニューヨーク市の調査をおこなう。同年、マ
RPAAに関する研究として、ルボブ(Lubove 1963)、サ
ンフォードはマンハッタンにおける衣料品業界を調査し、報
スマン(Sussman ed. 1976)、パーソンズ(Parsons
告書を執筆した。その報告書は彼の地域主義への傾倒を示
1994)、スパン(Spann 1996)が代表的である。マン
フォードに関する研究として、木原(木原 1984)、ミラー
すものとして知られる。1917年、彼はフランスの地理学者
(Miller 1989)、ヒューズ(Hughes ed. 1990)、ルッカ
の著書から地域主義を学ぶ。また同年、自らが地域主義に
従事していることを表明している。
1-2-4. 解散
1933年5月の会議は、RPAAにとって最後の会議である。
スタインが招集したこの会議は、メンバーらの間で考えの違
1-2. アメリカ地域計画協会
1-2-1. 人物
RPAAの会員は、設立当初、12人で構成された。1931年
には、19人が会員として記録されている。
主要な会員には、以下の人物が含まれる。建築家クラレ
ンス・スタイン(Clarence Stein)、自然保護主義者・地域
計画者ベントン・マッカイ(Benton Mackaye)、不動産開
発者アレクサンダー・ビング(Alexander Bing)、建築家
ヘンリー・ライト(Henry Wright)、そしてマンフォード
いが大きくなってきた当時、その流れを戻すためでもあっ
た。RPAAが結成された1923年以来その主流にいた三人、
すなわち、マンフォード、マッカイ、スタインの個人的およ
び職業的な関心がRPAAの活動以外に移ったため、RPAAは
事実上、解散することになったともいわれている。
小結
初期の思想形成をたどることで、マンフォードと地域主
義の関わりは、1916年にまで遡るということが明らかに
なった。RPAAは当初、地域開発と田園都市の推進を目的と
である。
して設立されたことが明らかになった。
1-2-2. 成立
RPAAの設立に際して、その会員同士をつなぎ合わせた人
第2章 アメリカ地域計画協会以前のマンフォード
物は、チャールズ・ハリス・ウィテイカー(Charles Harris
2-1. 「国家の地位」
マンフォードは、個人と国家の関係について考察する。
Whitaker)といわれている。彼は、アメリカ建築家協会の
機関誌の編集者だった。
RPAAという組織を着想し、その組織化をおこなったのは
生得的に自由な存在であるところの人間が、同時に、国家
の臣民でもあるという事態は、どのようにして起こったのだ
スタインである。彼は、1922年、ヨーロッパから帰る途
ろうか? どうしてそれは合法と言えるのだろうか? マン
中、都市の研究、計画、開発のための組織を設立しようと
フォードはその解答を国民国家の誕生に見出す。国民国家の
考えた。スタインはその組織を多様なメンバーで構成しよう
と考えた。1923年4月18日、それはRPAAとして実現する。
誕生とともに首府への集中が起こった結果、首府の価値観
設立後まもなくしてRPAA内部で起草された規約の前文に
が国民的文化と呼ばれるようになった。マンフォードは、
政治や経済の例を取り上げ、少数の有力者がその他を圧倒す
おいて、RPAAの目的は「地域開発と田園都市をさらに進め
る国家の性質を描き、国家の権威主義的性格を印象づけ
ること」と記されている。また、RPAAは、「国際田園都市
る。一方、個人は何らかの連帯的生活を必要とする。そこ
及びタウン・プランニング連盟(International Garden
Cities and Town Planning Federation)」のアメリカ支部
でマンフォードは、労働組合運動を参照しながら、局地的
として認められた。その後、RPAAの会議で、彼らが実現し
ようとする「田園都市」を構成する具体的要素が検討され
る。当初、「アメリカ地域計画協会」の名称は、「田園都
市及び地域計画協会(The Garden City and Regional
Planning Association)」として提案されていた。しかし、
最初の会議において田園都市という言葉は削除された。
1-2-3. 活動の歴史
RPAAは、1923年から1933年の間に計7回の会議を開い
た。RPAAは1924年からニューヨーク市クイーンズにサニー
サイド・ガーデンズを計画し、1928年にそれを完成させる
と、同年からニュー・ジャージー州フェア・ローンにラド
バーンを計画し実現させた。1926年に、ニューヨーク州住
宅・地域計画委員会への報告書を作成した。これは、アメ
リカ合衆国において初めての州全体計画として知られる。
1925年5月に、 Survey Graphic 誌から「地域計画特集
号」が出版された。マンフォードはこの特集号の編集を担
当した。1931年7月に、バージニア大学公共政策研究所にて
地域主義に関する会議を開いた。この会議には、後にアメ
リカ合衆国の大統領となる民主党のフランクリン・D・ルー
ズベルト、当時のニューヨーク州知事も出席した。
大恐慌後、ルーズベルト大統領政権下でニュー・ディール
政策が実施された。RPAAが連邦政府に対して提案した住宅
政策は、グリーンベルト・タウン・プログラムとして一部実
現した。
な組織の広域連携を提案する。
2-2. 「戦争と国家」
マンフォードは、第一次世界大戦後の世界において平和
秩序を形成する方法について論じる。国民国家は本質的に
国家間の紛争を引き起こす可能性がある。そこで、国家の
主権を抑制する任意団体からなる世界組織の樹立をマン
フォードは提案している。任意団体には、経済力をもつもの
ともたないものとがあるとされる。このうち、経済力をも
つ労働組合が国際的に連携することで、連邦制の国際組織
が成立する可能性があると彼は論じる。
小結
マンフォードは、「個人」と「国家」の二者択一に代
わって、「地域」的連帯の必要を主張している。マンフォー
ドが提案する「地域」という枠組は、ローカルな経済的利
害を基礎とし、階層的な連携を含意している。この「地域」
的枠組が必要とされるのは、真の平和を実現するためであ
る。彼は、自らが提示する「地域」的枠組の原型を第一次
世界大戦前に存在していた共同体に求める。それは、国際的
な研究者共同体や職能団体といった任意団体であった。し
かし、その任意団体は、比較的に経済力が弱く、国民国家
に反対するという意志をもっていなかった。これに対し、
彼は、労働組合が国際的に連携することで、真に連邦制の
世界組織が実現するという可能性を主張する。
第3章 アメリカ地域計画協会期のマンフォード
3-1. 「地域主義と非地域主義」
「I.
地域の展望」
人びとは土地を無視し、産業と制度は地理的現実と結び
ついていないため、経済的および社会的生活は不安定であ
り、維持することができなくなっている。一体としての地域
中では破壊されるか無視される、生活の重要な側面を促進
する。地域都市は、人間は共同体において最もよく生き、
最もよく学ぶという事実に端を発するあらゆる機能を統合
するために存在する。
「VI.
地域の復興」
を考えることが重要である。地域に住み、その可能性を最
18世紀に人びとの精神が地理と歴史という本質的な関係
大限に利用し、適切な文化の最高潮へ地域をもちあげるこ
から遠ざかった後、その反動がうまれた。ロマン派が中世
とが地域主義という取り組みである。
の再読を始めたことによって、中央集権化、非地域化の過程
がわずかに調査された。ナショナリズム運動はこの新しい
「II.
地理的単位としての地域」
生態学と地域地理学によって自然の地域が見出された。
文化的関心を政治的目的に利用し、国民国家は、それが反
この自然の地理的地域にもとづいて人間的地域は定義され
対した政治権力と同じ非地域化の過程を進みはじめた。一
る。一般に、個々の人間的地域を区別するのは人間の歴史
方、1854年、フェリブリジストの初会合を契機として歴史
である。
的な地域を再建する運動が各地ではじまった。そこでは、
詩の段階、散文の段階、行動の段階という三段階の発展を
「III. 経済的単位としての地域」
場所は、人間制度を直接決定しないが、何らかの条件を
与える。個々の地域には基本的な経済複合体があり、機械
経て、文化的目標と経済的目標が混ざり合う。
「VII. アメリカ合衆国における地域主義」
産業はそれに従わなければならない。地域における人口分
アメリカにおいて行動の段階が浸透しなかったのは、十
布および産業配置は、その基礎となる経済的資源に対する
分な準備がなされていなかったからでもある。人びとは、観
念力によって動かされるのであって、実践的な計画によって
知識と配慮にもとづかなければならない。
3-2. 「地域主義の理論と実践」
「I.
旧技術から新技術へ」
ゲデスが提唱した旧技術と新技術が紹介される。旧技術
期は石炭の工業社会であり、新技術期は電気社会である。
破壊的な旧技術に代わる新技術は経済的である。
「II.
経済的地域主義」
自然資源の保護は、ある地域に住む人びとの永久的な生
活を保証する第一段階である。経済的地域主義は、ある地
域内で均衡のとれた産業の開発を促進しなければならな
い。産業分散化という言葉で経済的地域主義を十分に表す
動かされるのではない。計画の成否は、共同体が全体として
精神的に計画に参加するかどうかに懸かっている。
「VIII. 要約」
地域主義の思想と地域計画の技術はともにまだ非常に若
く根付いていない。これまで地域計画の文化的側面と経済
的側面には溝があったが、地域主義の理念と実践、文化と
技術は密接に関連している。あらゆる活動は、地域に集めら
れ、より明確な生の向上に向けて研ぎすまされるとき、必
要かつ意義深いものとなる。この意味で、地域主義とは生
への回帰である。
ことはできない。地域主義にとっての問いは、それがどのよ
うな生活をうみだすかということである。
小結
自然の地理にもとづいた地域と、人間の歴史をあわせて
「III.
考慮することで、人間的地域が定義された。このような一
地域と都市」
好ましい条件下において、都市は地域の結節点である。
体としての地域を文化の最高潮に至らしめる地域主義は、生
都市はある共同体のもつ諸制度を通じて、より発達した文
への回帰である。そのため、メトロポリスに代わり、生活
を促進する地域都市という概念が導入された。地域を復興
化資源を貯蔵する。その諸制度は、一つの都市にとっての根
源である。
「IV.
田園都市運動」
ハワードの田園都市は、都市の地域的関係を基礎として
するためには、地理と歴史への関心が重要である。人びと
は実践的な計画によってではなく、観念力によって動かされ
る。このため、文化的地域主義は技術的な計画を導入する
いる。そのような地域都市は、都市の規模を制限し、田園
際に不可欠である。
地方のような環境の中に配置される。田園都市運動は、主
として、新しい都市を始める取り組みだった。しかし開発の
第4章 アメリカ地域計画協会以後のマンフォード
単位として地域が採用されるとき、都市の再建、分割、新設
がすべて考慮されなければならない。
4-1. 『都市の文化』とシンボル
『都市の文化』は、『技術と文明』で導入された「原技
「V.
術」「旧技術」「新技術」「生技術」という時代区分に
地域都市の優位性」
経済面では、小さな地域都市は公共交通インフラを節約
できるという利点がある。地域都市は、住宅から徒歩圏内
に職場を配置し、長距離および高速の移動手段としては自動
車に頼ることで、公共交通の莫大な支出を回避する。
規模と密集の制限は地価を抑制し、パブリック・スペー
スの確保を可能にする。地域都市を囲む公園あるいは農業
ベルトは、開かれた田園への簡単なアクセスを可能にし、
環境全体が教育に利用できるようになる。地域都市は、す
べての居住者にまともな住宅を供給する。地域都市はこれ
ら本質的な関係を認識し、無目的なメトロポリスの成長の
沿った、都市を中心とする西洋文明史である。各時代に特
徴的な都市は「中世都市」「バロック都市」「工業都市」
「メトロポリス」「地域都市」として描写される。これに伴
い、社会の中核は、教会、宮殿、工場、市場、住宅と学校
に移り変わってきたとされる。
文化は人間社会の価値規範の体系であり、その本質であ
るドラマが演じられる舞台が都市である。シンボルの意味
は文化によって異なる。
4-2. メトロポリスから地域都市へ
4-2-1. メトロポリス
メトロポリスは、19世紀の急激な人口増加とともに、軍
た。近代の建築形式は生命=生活を指向している。そのよう
事的、経済的、文化的な権力が凝集することによって形成さ
建築は、有機的に生命=生活と一体な構造形式を要求してい
る。その形式は更新可能なものである。そして、近代建築
れた都市として特徴づけられる。メトロポリスの密集は、財
政的限界に達しつつあり、また、都市環境の悪化、自然破
な近代の建築形式を先導する原理は経済性である。また、
は、階級意識に代表されるような背景を後退させ、個別的
壊へとつながる。メトロポリスの唯一の利点は、それが世
な前景に焦点を当てた。背景の標準化は、前景の個別化を
界都市であるという点である。この利点を保ちながら、
より一層すすめる。
「メトロポリス的秩序」から脱却し、「地域的枠組」を構
建築においてあらわれた諸原理は、マンフォードによっ
て、社会性と個別性を調停し、環境の動的平衡を保つ原理
成することが必要である。
4-2-2. 地域都市
「メトロポリス体制」を一掃し「地域的秩序」をもたら
したとき、「地域的枠組」における都市は地域都市と呼ば
れる。この生技術的な都市は、中世的な性格をもつ近代の
都市である。
4-2-3. 新しい秩序
機械化されたバーバリアニズムに対置される文化を手に
するために、人類は「生技術体制」によって「生命=生活の
文化」にもとづく新しい「地域的秩序」をもたらさなけれ
ばならない。
であると理解された。この原理にもとづき、十分な社会化
を通じた個別化の実現、すなわち、社会における動的平衡
を保つことが必要とされた。この要求を体現するのが、均
衡と多様性を特徴とする地域である。地域を再活性化し再
建する上で、とりわけ、地域の文化的再構成が重要である。
第5章 マンフォードの思想的断片の関係
「国家の地位」および「戦争と国家」において、マン
フォードは、後に彼が地域という概念で包摂する特徴を労
働組合運動の展開に見出した。第一に、マンフォードは、
個人と国家の二者択一を超えたところで、労働組合の可能性
を見出していた。第二に、マンフォードは地理的制約のもと
4-3. シンボルとしての建築
建築はさまざまな社会的事実を集め映し出す。マンフォー
で組織される共同体として労働組合を特徴づけている。第三
ドはこの考えにもとづいて、建築形式に起こった変化から環
境の変容を理解し、そこに社会の統合と建設を予期してい
組織を構想していた。これは『都市の文化』で提示される
に、マンフォードは労働組合から構成される連邦制の世界
る。近代の建築形式は、ウィリアム・モリス(William
「地域的枠組」の萌芽と考えることができる。
「地域主義と非地域主義」および「地域主義の理論と実
Morris)が住宅を建築の出発点として「赤い家」を設計し
践」は、「地域的枠組」の基礎となっている。ここでは人
たことに始まり、ル・コルビュジエ(Le Corbusier)が
間的地域が定義され、メトロポリスに代わる地域都市が提
「輝く都市」という生技術的概念で都市の理論に至った。
これらは、生命=生活(life)を指向している。
案されている。また、地域都市の諸側面は、後にマンフォー
4-4. 地域的枠組
「地域を再活性化し再建することがこれからの世代に
ドが『都市の文化』で生技術社会の特徴として提示するもの
を示唆していることがわかる。
結
とっての重大な政治課題である」とマンフォードは述べる。
マンフォードの地域主義は一つの原理を含んだ観念であ
地域主義は、共同体と都市の構造を改善するために、「地
る。それは、個人主義と社会主義という二元論を否定し、
域的枠組」によって地理的、経済的、社会的事実と調和する
ように土地の結合領域を再定義しなければならない。その
個別化と社会化を調停することによって、環境全体を動的な
ための地域計画は四段階から構成される。調査、評価、計
均衡状態に保とうとする態度である。その原理は共同生活
の基礎である。地域主義者は、地域を人間共同体の場として
画、そして共同体による計画の吸収と適切な政治経済機関を
定義する。その人間的地域は、自然の地理的事実を基礎と
通じた計画の実践である。地域計画は共同体の教育の手段
し、社会的遺産によって区別され、動的な均衡状態を実現す
である。なかでも地域調査は政治的生活のために機能する
教育の中核になる。地域調査の課題は、市民を教育し、市
る可能性を内在する。地域の自然な状態を保つのは、人間
民に行動の手段を与え、社会的に意義のある課題を提示す
の文化である。社会的遺産を集め、蓄積し、開示する都市
という場所で、「一つの真の文化」のすべての差異は生じ
ることであり、これらは究極的には学校の使命である。地
る。それゆえ、文化とは個別性であり、個別性とは分化し
域計画を通じた教育は、不合理な専制的強制に代わり、合
た生命=生活の様態である。
理的な政治生活を実現するために必要である。
小結
『都市の文化』は、マンフォードの地域主義思想を西洋
マンフォードはこの新しい秩序の原理を近代の建築に見
出し、普遍的なものと個別的なものを建築的な趣向で組み
合わせる必要があると述べていた。この意味で、マンフォー
ドの地域主義は、建築的原理である。
文明史としてあらわしている。中世都市にはじまりメトロポ
リスにいたった都市は、環境との調和を維持できなくなって
主要参考文献
いる。そのため、「メトロポリス体制」を一掃し、「生命=
Lewis Mumford Papers, Van Pelt Library, University of
Pennsylvania
Mumford, Lewis, The Culture of Cities, (New York: Harcourt
Brace, 1938)
生活の文化」にもとづいた「地域的枠組」において新しい
地域的秩序をもたらすことが求められる。マンフォードは、
この新しい秩序のシンボルを新しい建築形式の中に見出し
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