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W. A. ルイスの貿易論

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W. A. ルイスの貿易論
( 193 )73
W. A. ルイスの貿易論
──動態的発展過程に対する貿易の効果──
山
本
勝
也
はじめに
Ⅰ
貿易論の概括
1
伝統的貿易理論
2
独占的競争貿易理論
3
Ⅱ
Ⅲ
開発論との関係から見た貿易論
ルイス・モデル
1
閉鎖経済モデル
2
開放経済モデル
−無制限労働供給下の経済発展−
長期的な資本蓄積を伴う動態的発展過程としてのルイス貿易論
おわりに
は
じ
め
に
急速にすすむグローバル化の中で,自由貿易追求の動きは,途上国も巻き込む形で否
応なく押し進められている。そして,世界大での自由貿易は,その効率性をもって世界
の経済厚生を改善し,世界経済に資するものと喧伝されている。しかし,現実の交渉に
目を転じれば,WTO での多国間協議は不調に終わっており,先進各国は二国間 FTA
という形で自国の経済的利益を確保する方向へ舵を切っている。日本においても,TPP
参加が議論されているが,その賛否は全く分かれているといってよい。
自由貿易に関する理論的根拠として現在でも大きな力を持っているのは,D. リカー
ドによる「比較優位の原理」である。様々に批判されることが多いが,それでも P. ク
ルグマン,P. サムエルソンらによって国際経済学における最重要な命題であると言及
されている。
しかし,リカードの「比較優位の原理」は非常に単純化されたモデルであり,それゆ
えに本質をよくつかんでいるところもあるのだが,現実に目を向ければ,やはり社会的
・経済的に全く異なる構造を持つ途上国と先進国の存在を前提にした貿易論を志向する
意味はあろう。その手がかりとして,本稿では W. A. ルイスの「無制限労働供給下の
経済発展」モデルを検討する。
ルイスは,古典派的世界観に立って,リカードの理論を引き受けながらも,
「比較優
位の原理」とは異なる結論を引き出している。そのモデルは,前半の閉鎖経済モデルと
同志社商学
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第63巻 第3号(2011年11月)
後半の開放経済モデルからなっている。前半部分では,無制限の労働供給下において,
賃金の上昇を起こさず資本主義的部門において資本蓄積が進む原理を描き,後半部分で
は,比較的小規模な途上国を想定し,穀物を賃金財(ニューメレール)とする 2 国 3 財
モデルを用いて分析を行っている。また,途上国の低賃金構造を前提とし,この賃金を
独立変数とみなしていることも重要なポイントである。そして,食料における低生産性
からくる低賃金が,途上国の交易条件を不利化する様を分析している。その理論構造
は,未だその有用性を失っておらず,外国貿易が一国の経済発展に果たす役割を長期的
な動態分析によって示しており,新古典派の貿易理論では描くことのできない状況を示
している。
Lewis(1954)において発表されたルイス・モデルは非常によく知られたモデルであ
り,開発論では二重経済論,複合経済モデルなどと呼ばれている。後に,ルイスはこの
理論によってノーベル経済学賞を授賞することになるのだが,実際には,その前半部分
のみが一人歩きしている状態である。同論文後半の開放経済モデルは見過ごされたまま
である。これを正当に評価したものとして,本山(1982, 1987)
,峯(1999)がある
が,この議論に依拠して,ルイス・モデルを再考したい。その際のポイントは,賃金を
独立変数として扱い,食料をもって賃金財とし,交易条件のためのニューメレールとし
ている点である。つまり,
「賃金が経済成長の従属変数ではなく,経済成長こそが賃金
1
の従属変数である」という点を確認する。
そして,リカードの「比較優位の原理」が利潤論あるいは資本蓄積論と一体のものと
して理解されなければならないように,ルイス・モデルも前半部分の資本蓄積論と後半
部分の貿易論は,やはり一体としての長期的な動態的経済発展論として理解する必要が
あることを確認する。
Ⅰ
1
貿易論の概括
伝統的貿易理論
まずは,
「リカード・モデル」を簡単に振り返っておこう。その一般に説明される 2
2
国 2 財モデルの概要は,次の通りである。
生産要素は労働のみであり(1 生産 要 素)
,2 国 と し て 自 国(A 国)
,外 国(B 国)
────────────
1 本山(1987)119 ページ。
2 以下で説明するのは,いわゆる「リカード・モデル」である。伊藤,大山(1985)
,Krugman and Obstfeld
(2009)を参照した。この「リカード・モデル」については,リカードの原典に即したものではないと
いう指摘がなされているのは,周知の通りである。ただし,ここでは,現在の貿易論の問題点を確認す
るために,あえて「リカード・モデル」を扱う。この点については,行澤(1974)
,田淵(2006)第 3
章,を参照のこと。
W. A. ルイスの貿易論(山本)
を,2 財として財 1,財 2 を想定する。そして,単位あた
( 195 )75
第1表
り必要労働係数(財 1 単位を生産するのに必要な労働量)
を,第 1 表のように設定する。
財 i の単位あたり必要労働係数を ai とし(i=1, 2)
,外
財1
財2
自国(A)
a1
a2
外国(B)
*
1
a*2
a
国を*で示す。また,財 i の価格を pi とする(i=1, 2)
。
このとき,自国が財 1 に比較優位を持ち,外国が財 2 に比較優位を持つための条件は,
a1/a2<a1*/a2*
または a1/a1*<a2/a2*
…①
と表せる。ここで,各単位当たり必要労働係数と両国の総労働量が与えられれば,両国
が貿易を行う際の相対供給曲線が描ける。需要条件は外生的に与えられ,この条件から
導かれる相対需要曲線と相対供給曲線の交点において,交易条件 p1/p2 が決定すること
になる。
こうして決定される交易条件は,
a1/a2≦p1/p2≦a1*/a2*
…②
の範囲に決定され(リカードのモデルでは,具体的な値は決定できない)
,等号が成立
するときを除けば,自国が財 1 に完全特化し,外国は財 2 に完全特化することとなる。
各国は自国が比較優位を持つ財に生産を特化することで,世界全体の効率性が改善し,
世界の総生産量が増大し,経済厚生が高まるとされる。
また,このとき自国と外国の賃金を w, w*とする。
(賃金÷労働生産性)あるいは
(賃金×単位あたり必要労働係数)を単位労働コストといい,財一単位を生産するため
に必要な労働費用を示す。今の例では,自国の財 1,財 2 の単位労働コストは w・a1, w・
a2 であり,外国のそれは w*・a1*, w*・a2*である。
単位労働コストの比較において,
w・a1>w*・a1*
または w/w*>a1*/a1
…③
が成立するとき,外国のほうが単位労働コストが小さい,あるいは相対賃金 w/w*が比
較労働生産性 a1*/a1(=
(1/a1)
÷
(1/a1*)
)より高いことを示すので,外国が財 1 をより
安く生産する。同様に,
w・a2>w*・a2*
または w/w*>a2*/a2
…④
76( 196 )
同志社商学
第63巻 第3号(2011年11月)
が成立するとき,外国が財 2 をより安く生産する。それぞれ不等号が逆向きの時は,自
国が財 1 あるいは財 2 をより安く生産する。
ここで,完全競争モデルでは,貿易均衡において,価格は単位労働コストと等しくな
るので,
p1=w・a1,かつ,p2=w*・a2*
…⑤
となる。この⑤より,
(w/w*)
×
(a1/a2*)
p1/p2=
…⑥
が得られる。この⑥を②へ代入すれば,
a2*/a2≦w/w*≦a1*/a1
…⑦
を得る。先の③④と合わせて考えれば,自国は財 1 に,外国は財 2 に比較優位を持つこ
とになる。つまり,このモデルでは,相対賃金が必ず比較労働生産性の間に収まるよう
になっている。これは多財モデルになっても,基本的な内容は同じである。
このように,一般的な「リカード・モデル」では,単位あたり必要労働量が与えられ
ることで,労働生産性の格差が定まり,比較優位が決定する。そして,交易条件(相対
価格)
,相対賃金はその結果として適切な値に伸縮的に決定することが予定されている。
つまり,モデル内部において,これらは従属変数として扱われているのである。
以上のリカード・モデルでは,生産性格差が特化の原因となるわけだが,このままで
は交易条件は特定の値に決定しない。交易条件を決定するには,需要条件が必要であ
る。そこで,J. S. ミル,A. マーシャルが「相互需要論」を唱え,最終的にはオファー
カーブの登場によって,交易条件を決定することに成功した。この場合,2 国を A, B
国とし,A 国が x 財を輸出し,B 国が y 財を輸出するとする。A 国の y 財輸入量は,
A 国において発生している y 財への超過需要に等しく,これが B 国の y 財輸出量とな
る。また反対に,B 国の x 財輸入量は,B 国での x 財への超過需要であり,これが A
国の x 財輸出量となる。こうして,任意の相対価格(交易条件)における各国の相互
需要(輸出量と輸入量)をグラフ化したものがオファーカーブであり,2 国のオファー
カーブを同一平面上に描いた場合,その交点において需給が一致(貿易が均衡)し,交
易条件が決定することになる。交易条件は,オファーカーブの交点と原点を結んだ直線
の傾きとして得られる。
W. A. ルイスの貿易論(山本)
( 197 )77
また,なぜ労働生産性に格差が生じるのか,ということも「リカード・モデル」では
述べられない。その点を補うものが,2 生産要素モデルのヘクシャー=オリーン・モデ
ル(以後,HO モデルと表記する)である。
要素比例説とも言われる HO モデルでは,2 生産要素の下で,2 国 2 財が仮定され
る。リカードの古典派的モデルは,本来は労働価値説に基づく実物タームのものだが,
3
HO モデルでは,労働価値説を放棄し,貨幣所得により議論する。
「リカード・モデル」
では十分には説明できなかった比較優位の原因を,生産要素の賦存量に求め,そして,
その比較優位に基づいてお互いに貿易を行い,両国にとっての最適な交易条件が決定す
る。また,交易条件が決定し,貿易が始まると,要素価格の均等化が進み,究極的には
両国において要素価格が等しくなる。これは,次の理由による。モデル内では生産要素
の国際移動は生じないが,資本豊富国は資本集約財の生産を増加させ,これを輸出する
ことで,労働集約財の生産を減少させ,労働を生産から解放し,節約することができ
る。同時に,この資本豊富国は相手国から労働集約財を輸入するので,労働集約財とい
う形で労働を輸入することになり,相対的な労働の希少性が和らぐ。また,逆に,労働
豊富国では,同様の作用から相対的に資本の希少性が和らぐ。こうして,お互いの国の
生産物の資本集約度は均等化し,これが両生産要素の限界生産性を均等化させることに
なり,その価格も均等化することになる。
以上,リカード・モデル,HO モデルを中心に見てきたが,よく知られているように
問題点がある。2 国 2 財での完全競争モデル,2 国における生産関数・生産技術水準の
同一性,生産要素の完全雇用とその国際間の不移動,といったものがそれである。
また,これも多く言及されていることであるが,そもそも現在の貿易パターンが,自
由に財を選択できるところから始まったというのは本当であろうか。実際は,各国の歴
史的な経緯の中で,特に途上国は旧宗主国によって半ば押しつけられた貿易パターンと
4
なっているというのが現実だろう。また,消費の拡大を通じての経済厚生の改善を貿易
利益と考えているが,消費の利益が貿易の利益であるとの説明は,長期的な経済発展の
資本蓄積の側面を捨象しており,先進工業国の価値判断の押しつけとも考えられる。
しかし,本稿で取り上げたいのは,これらのモデルに共通する賃金の内生性である。
上記の主要な貿易モデルはすべて賃金を内生的に(従属変数として)考えている。HO
理論では,要素賦存量の相違から要素価格比の相違が生じ,それが比較優位の源泉にな
る。しかし,貿易開始後には,賃金が各国間で等しくなっていくと想定する要素価格均
等化は,現実には受け入れがたく,むしろ,賃金格差は拡大しているというのが現実で
────────────
3 西川(1978)144 ページ。しかし,比較優位の原理という観点からは,生産可能性フロンティアに比較
優位が表せるなど,両者は共通している。
4 プレビッシュ,新従属論などに代表される主張。Kay(1989)
,吾郷(2010)など。
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同志社商学
第63巻 第3号(2011年11月)
5
ある。
2
独占的競争貿易理論
次に,独占的競争モデルについて,簡単に触れておきたい。
クルグマンは,1980 年代に「新しい貿易理論」を掲げ,これらの伝統的貿易理論に
6
挑戦した。彼は,独占的競争市場における収穫逓増や製品差別化,情報の不完全性を仮
定し,企業や政府の戦略的な行動を分析した。この「新しい貿易理論」の登場によっ
て,それまで要素比例説では分析できなかった,要素賦存量の似通った経済間での貿易
あるいは産業内貿易が分析できるようになった。
このクルグマン・モデルは,使いやすいモデルではあったが,しかし,企業の技術面
7
での同質性を仮定するなど,やはり極端な仮定がなされていた。これに対して,メリッ
ツは Melitz(2003)において,クルグマンの独占的競争モデルに,企業の異質性(heterogeneous firms)を前提として取り入れた。このモデルでは,輸出に参入するためには初
期投資として必要な固定費用が存在すること,また,企業間に生産性格差が存在するこ
とが前提とされている。したがって,貿易を開始するとき,すべての企業が輸出に参入
できるわけではなく,輸出のための固定費用を支払っても割に合うような生産性の高い
企業のみが輸出企業となり,そうでない企業は国内企業となる。また,国内市場への参
入へもカットオフ条件が設定されており,生産性の劣る企業は国内市場からさえも退出
することとなる。このメリッツのモデルは,自由貿易化によって国内の企業群の生産性
が向上し,ひいては産業内の資源配分の改善が行えるというところに貿易の利益が存在
することになる。
3
開発論との関係から見た貿易論
以上で確認してきた貿易理論で主張される貿易の利益とは何であろうか。伝統的な貿
易理論では,それは消費の拡大による社会的な効用水準の向上であり,クルグマンの独
占的競争モデルでは消費することが可能な財の種類(財は企業ごとに差別化されている
ので,企業数に等しい)の増加,メリッツによる企業の異質性を仮定するモデルでは,
企業の生産性改善による産業内の資源配分の改善とパフォーマンスの向上ということに
なる。
開発論との関わりで考えると,前 2 者については,消費量あるいは消費財の種類の増
加を貿易の利益とするのは静態的であり,発展のためには資本蓄積と生産面での変化が
────────────
5 Krugman and Obstfeld(2009)
,邦訳上巻,90 ページ。
6 Krugman(1980, 1987)など。
7 菊地(2006)によれば,クルグマン・モデルは,各企業の設定する価格,生産量が不変であり,貿易の
効果がバラエティ数(財の種類)によってのみ説明されるというモデルの特徴をもつ。
W. A. ルイスの貿易論(山本)
( 199 )79
必要であることを捨象していることは先に述べた。また,メリッツのモデルについて
は,自由貿易化による生産性向上のメカニズムが示されるが,産業内での資源配分の改
善がどのように産業間へ波及し,経済全体の発展に影響するのか,また所得分配面での
変化がどのように生じるのかを考察する必要がある。
このように考えてくると,経済発展も考慮した貿易論のために求められるのは,他国
との経済的な取引によって,どのようにその経済の資本蓄積が進み,所得分配が変化
し,経済が発展していくのかを明らかにする動態理論であろう。本来,古典派理論はそ
のような視点をもっていたし,リカードの原典に沿った「比較優位の原理」も,本来は
8
資本蓄積論あるいは利潤論と合わせて考えられるべきものである。
そこで,そのような貿易論への一歩として,本稿では,リカードを受け継いで古典派
的世界観の上に理論構築した W. A. ルイスを取り上げることとする。
このルイス・モデルは「無制限労働供給下の経済発展」モデルとしてよく知られてい
るが,実際にはその全貌が十分に理解されていない。Lewis(1954)において展開され
たこのモデルは,前半部分で閉鎖経済を,後半部分で開放経済をそれぞれ取り扱ってい
るのだが,なぜか後半部分はほとんど顧みられていない。この開放経済モデルに注目し
9
て,ルイス・モデルを考察したものは,本山(1982, 1987)
,峯(1999)などである。
それらは,ルイス・モデルを外国貿易における賃金独立変数説に立つ交易条件問題を扱
ったものとしている。また,ルイスの開放経済モデルは,食糧生産の低生産性ゆえの低
賃金構造を与件として,途上国と先進国の経済社会構造の相違を前提とした貿易論であ
る。そのような発想は,古典派,特にリカードから受け継がれている。以下に,そのモ
デルを確認する。
Ⅱ
1
ルイス・モデル
−無制限労働供給下の経済発展−
閉鎖経済モデル
Lewis(1954)において「無制限労働供給下の経済発展」モデルとして理解されてい
10
るルイス・モデルについて概観しておこう。
開発途上国の経済を 2 部門からなるものとして設定する。一方は,限界労働生産性ゼ
ロの余剰労働力を持つ生存維持的な農村自給部門であり,他方は,生産性の高い近代
的,資本主義的な都市産業部門である。農村自給部門は余剰労働力を豊富に抱えてお
────────────
8 リカード貿易論は利潤論もしくは資本蓄積論と不可分であり,同一の構築物であるという主張について
は,後述する。田淵(2006)17 ページまたは 83 ページ,森田(1977)
〔森田編著(1988)324−330 ペ
ージ〕
,鳴瀬(1981)
〔森田編著(1988)279−283 ページ〕も参照のこと。
9 本山(1982)第 6 章,本山(1987)第 4 章,また峯(1999)第 2 章がそれである。
10 一般的なルイス・モデルの解説としては,Todaro and Smith(2009)邦訳 141−144 ページを参照のこと。
80( 200 )
同志社商学
第63巻 第3号(2011年11月)
第1図
り,全ての農村労働者の生産力は等しいとする。そして,それぞれの限界生産力は限り
なくゼロに近い,あるいはマイナスであるが,その実質賃金は農業の平均生産性によっ
て決まると仮定される(第 1 図の S の水準とする)
。都市産業部門の賃金水準は農村自
給部門の賃金水準に一定のプレミアムをつけたものとされる(第 1 図の W の水準とす
る)
。その結果,都市産業部門の賃金水準が農村自給部門の賃金水準を上回る限り,近
代部門は賃金上昇の心配なく,いくらでも農村の余剰労働力を雇用できる。これは都市
産業部門の賃金水準が一定の下で,この部門に対する農村労働力の供給が無限大である
(供給曲線として示せば第 1 図において W の水準で水平となる)ことを示している。
このように,近代的都市産業部門は現行賃金の下で労働者を雇用し,そして生産の結果
生じる利潤をすべて再投資するものとされている。第 1 図において,当初 NQ が労働
の限界生産力を表す曲線である。W 以下は都市産業部門の労働者に支払われるので,
資本家の利潤は NQW の部分である。この部分が全て再投資され,この再投資は都市
産業部門の生産関数をシフトさせるように働き(第 1 図における右上方へのシフトが生
じる)
,産業全体の成長が描かれることになる。さらなる生産力の増加は労働需要も増
加させ,現行の賃金水準のまま雇用の拡大を達成しながら,無制限な労働供給の下で都
市産業部門が発展していく,という長期にわたる動態的経済発展モデルである。この拡
大の速度は,近代部門での産業投資の割合と資本蓄積によって決定される。そして,こ
のような都市産業部門の自立的発展と雇用拡大は,農村の余剰労働力が枯渇するまで継
続するものとなる。
以上のような一般的なルイス・モデルの理解は,フェイ=ラニスが精緻化したものと
11
されるが,多分に新古典派的に理解されていると言えよう。ルイスは折に触れて,新古
────────────
11 ルイス・モデルには,以下のような批判も出されている。①都市産業部門における新たな投資が雇用を
拡大すると考えているが,労働節約的な投資が行われると必ずしも都市産業部門での雇用拡大による
!
W. A. ルイスの貿易論(山本)
( 201 )81
典派的想定が途上国の現状には当てはまらないことを指摘しており,そもそも,途上国
における無制限な労働供給との想定も,希少性を持つ生産要素として新古典派的に労働
を捉えることを批判した結果であり,途上国には多くの余剰労働が存在するという,人
口圧力にさらされる状況を考慮した古典派的想定をするのである。また,ここまでの二
重経済モデル,複合経済モデルとしてよく知られたものは閉鎖経済モデルであり,Lewis
(1954)の前半部分のみである。しかし,ルイスの発展モデルは,後半部分にこそリカ
ードにつながる古典派的な世界があり,その部分は貿易論として重要な視点を持ってい
るのである。次に,この後半部分を確認する。
2
開放経済モデル
ルイスの開放経済モデルは,2 国 3 財モデルである。Lewis(1954)の前半部分では,
無制限な労働供給下において国内の資本蓄積がいかに進んでいくかを明らかにしたわけ
だが,このような発展経路は国内市場が相当に大きいか,相当の人口を抱えていなけれ
ば継続できない。そこで,ルイスは,後半部分において,比較的小規模の熱帯地域の途
上国を取り上げて,温帯地域の先進工業国との貿易からどのような影響を受け,またそ
れ故にどのような政策をとるべきかを考察している。
概要は以下のとおりである。先進工業国と開発途上国の 2 国とし,特に途上国につい
ては一次産品輸出に依存した小規模の経済を想定している。労働価値説を採用し,労働
のみが生産要素であり,財は,鉄鋼(工業製品)
,ゴム(一次産品)
,そして食料の 3 財
である。食料は国内財であり,非貿易財である。賃金については,リカードの賃金決定
に関する考え方を踏襲し,食料を賃金財として,ニューメレールと置いている。また,
初期時点において先進国は鉄鋼,途上国はゴムにそれぞれ特化しており,賃金財である
食料は両国において生産されているものとする。そして,途上国の食料生産部門は生存
維持的な自給部門であり,多くの余剰労働をかかえ,無制限での労働供給が可能だとす
る。
さて,今,先進国において労働者 1 人当たり鉄鋼 3 単位あるいは食料 3 単位を生産し
うるとする。また,途上国では,同じく労働者 1 人当たり食料 1 単位,ゴム 1 単位を生
産するものとする(第 2 表)
。このとき,労働価値説に基づけば,先進国において鉄鋼
────────────
発展プロセスが作動するかどうか,という点。②農村での余剰労働の存在と都市産業部門での完全雇用
の想定が現実にそぐわないのではないか,という点。③都市産業部門の賃金水準一定の仮定について,
都市における失業率の上昇や農村の労働生産性が極めて低い場合でも,都市産業部門の賃金は上昇を続
けるという経験的な傾向がある,という点。④近代工業部門での収穫逓減を仮定しているが,実際に
は,工業部門においては収穫逓増が広く行き渡っている,という点である。Todaro and Smith(2009)
邦訳 145−147 ページ参照。また,本山(1987)は,通常理解されているルイス・モデルは「労働の無
制限労働供給という一種の偽装失業を逆手にとった工業育成戦略が最重要のものとして位置づけられ
る」として,そのようなルイス解釈の誤りを指摘している(116 ページ)
。
!
82( 202 )
第2表
同志社商学
第63巻 第3号(2011年11月)
※数値は労働者 1 人あたりの生産量を
示す。
鉄鋼
食料
ゴム
先進国
3
3
―
途上国
―
1
1
第4表
※数値は労働者 1 人あたりの生産量を
示す。
第3表
※数値は労働者 1 人あたりの生産量を
示す。
鉄鋼
食料
ゴム
先進国
3
3
―
途上国
―
1
3
と食料の交換比率は 1 : 1 であり,途上
国 に お い て も 同 じ く 食 料:ゴ ム=1 : 1
鉄鋼
食料
ゴム
先進国
3
3
―
途上国
―
3
1
の交換比率となる。このため,食料を賃
金財としてニューメレールと考えれば,
この 2 国の貿易における交換比率(交易
条件)は,鉄鋼:ゴム=1 : 1 である。
ここで,途上国のゴム産業だけで生産性が向上し,途上国の労働者 1 人あたりでゴム
3 単位の生産が可能になったとしよう(第 3 表)
。その他の産業は,全て生産性は不変
であるとする。先のことから,先進国の交換比率は,鉄鋼:食料=1 : 1 のままである
が,途上国の交換比率は,食料:ゴム=1 : 3 となる。このため,このまま両国が貿易
を行うなら,その交易条件は,鉄鋼:ゴム=1 : 3 となり,途上国は以前と同じ量の鉄
鋼輸入を行うために,以前よりもより多くの労働を投入しなければならない(多くのゴ
ムを渡さねばならない)という意味において,途上国の輸出品であるゴムの交易条件は
悪化する。そして,途上国におけるゴム産業の生産性向上による利益は,交易条件の悪
化を通じて,すべて先進国のものとされてしまうのである。しかも,ここでは,途上国
での賃金上昇もないまま(食料 1 単位)である。
しかし,ここで途上国の食料部門が生産性を向上させれば,その結果はどうだろう
か。仮に,途上国において,労働者 1 人あたり食料 3 単位へと,食料部門の生産性が 3
倍になったとする(第 4 表)
。このとき,途上国では実質賃金が上昇し(食料 3 単位
へ)
,また,交換比率は食料:ゴム=3 : 1 となる。ゆえに,先進国の鉄鋼との交易条件
は,鉄鋼:ゴム=3 : 1 へと有利に変化することになる。
つまり,伝統的な農村自給部門(食料生産)の生産性向上なくしては,途上国におけ
る生産性の向上による利益は,貿易によってすべて先進国へ吸い上げられてしまうので
ある。
以上のルイスの考察から,途上国における食料生産性の向上が,途上国の所得向上の
観点から重要なことがわかる。また,ルイスの採用した古典派の想定,特にリカード的
賃金財としての食料が,一国の貿易や資本蓄積において非常に重要な役割を果たしてい
ることがわかる。
この点がまさに,新古典派のように賃金を内生的に扱うのではなく,賃金を独立変数
W. A. ルイスの貿易論(山本)
( 203 )83
として扱うことの意義である。新古典派が想定するように,賃金は望ましい貿易の結
果,伸縮的に変化し,最適に決定されるのではない。それは一国の経済社会制度一般か
ら決定されてくるものである。大量の余剰労働をかかえる際には,この経済社会制度一
般に起因する食料生産性の低さとその結果としての低賃金が,貿易におけるメリットを
失う結果となっているのであり,世界貿易の拡大にも関わらず,取り残される途上国の
存在を説明することを可能にしているのである。国内の生存維持的部門の食糧生産性の
低さからくる低賃金のために,輸出品の生産性を向上させても,交易条件は不利化し,
結局途上国の資本主義的部門での生産性向上の効果は全て海外へ流出してしまう。した
がって,賃金を食料生産性の関数と想定したルイスは,交易条件の悪化を防ぐために,
旧態依然とした農業における生産性向上を求めるのである。
さらに,ルイスは,交易条件の変化について,別の考察で,3 国 3 財での交易条件の
12
変化についても考察している。想定は,より低い生産コストで新たな国が参入してくる
というものである。3 国はドイツ,ブラジル,ギニアであり,3 財は鉄鋼,コーヒー,
食料である。やはり,食料は賃金財であり,非貿易財であり,ニューメレールとして用
いられる。その他,食料,鉄鋼,コーヒーはそれぞれ同質であると仮定し,1 人あたり
生産量は以下の第 5 表のように固定されているとする。ドイツは鉄鋼,ブラジルとギニ
アはコーヒーを生産するものとされている。食料はすべての国が生産する。
いま,第 5 表のようにギニアがブラジルよりも相対的により安くコーヒーを生産でき
るとしよう。このとき,ギニアでの交換比率は,食料:コーヒー=1 : 1.5 となり,食料
をニューメレールとする交易条件は,鉄鋼:食料:コーヒー=1 : 1 : 1.5 である。
この結果は,興味深い。このようにして決定した新たな交易条件は,ブラジルにおけ
るコーヒー生産を不利にすることとなる。しかし,あくまで生産性に関しては,ギニア
よりもブラジルのほうが高いのである。こうして,絶対的な生産性とは関係なく,交易
条件が決まってくるケースも考えられる。賃金を独立変数とする場合の交易条件への影
響,それが生産性の絶対的格差とも乖離し,貿易パターンへ影響する。そうしたことが
このモデルでは含意されている。
また,熱帯地域の途上国において農業生産
性が一定の値に留まっていた状況を考慮しな
第5表
※数値は労働者 1 人あたりの生産量を
示す。
がら,以下のような考察も見せている。
鉄鋼
食料
コーヒー
ドイツ
3
3
―
は,食料でもコーヒーでも一定のままと考え
ブラジル
―
1
1
ることとする。この場合,賃金の格差として
ギニア
―
0.6
0.9
再び 2 国モデルへ戻り,ブラジルの生産性
────────────
12 Lewis(1969)pp.17−22.
同志社商学
84( 204 )
第63巻 第3号(2011年11月)
13
第6表
の要素交易条件は,ドイツの食料生産にお
※数値は労働者 1 人あたりの生産量を
示す。
いて生産性がどのように変化するかによっ
て規定されることになる。歴史的には,熱
帯諸国と温帯諸国の間で,1 人あたりの食
鉄鋼
食料
コーヒー
ドイツ
3
6
―
ブラジル
―
1
1
料生産性におけるギャップは常に広がり続
けてきた。そしてこれが,温帯地域と熱帯
14
地域の生活水準における格差を常に拡大してきた理由であると,ルイスは考える。
さらにその上,ドイツにおける食料生産性の向上は,要素交易条件でのギャップ(賃
金格差)を拡大するだけではなく,交易条件も熱帯地域にとって不利化する。もし,ド
イツの食料生産性が二倍になれば,第 6 表のような数値になる。
この表より,鉄鋼:食料:コーヒー=1 : 2 : 2 という交易条件となり,第 5 表からの
変化を考えると,鉄鋼の価格はコーヒーと比べて 2 倍になる。こうした食糧生産の相対
的な生産性格差が,途上国の交易条件を不利化させている原因である。
以上のように,ブラジルの生産性が一定であるという仮定の下では,交易条件はドイ
ツでの生産性の変化に依存する。そして,ルイスは,歴史的には,コーヒーの価格を決
めたのは食料の価格であり,鉄鋼に対するコーヒーの交易条件を決めたのは,温帯地域
15
における食料と鉄鋼の交易条件であるという。このように,コーヒーの交易条件を考え
る際には,食料を間にして,2 段階で考えなければ,熱帯地域の一次産品作物の交易条
件を理解することはできないとルイスは言うのである。
また,ルイスは,以上の交易条件の変化とは別に,国際的な生産要素の移動について
も考察している。通常,新古典派の貿易論では,生産要素について国内での移動は自由
で完全雇用が成り立つが,国際的には移動しないものとされている。ルイスは,この部
分にも切り込んでいる。1 国の資本蓄積が労働供給に追いつき始めると,賃金水準が生
存維持水準から上昇し始め,資本家の利潤は減少し始める。このとき他国に余剰労働が
存在するならば,移民受け入れと資本輸出という方法を取ることができると述べてい
16
る。
まず,移民受け入れについては,未熟練労働者としてインドや中国から大規模な移民
をアメリカが受け入れるならば,アメリカの実質賃金の水準は,インド,中国の生存維
持水準をやや上回る程度のところまで引き下げられ,その際の利益はすべて資本家の余
────────────
13 Lewis(1969)p.18. 要素交易条件については,相対的な食料生産の生産性によって決まるとしており,
この場合,1 人当たり食料生産量を賃金と考えて,考察している。
14 Lewis(1978)
,邦訳 13 ページ。ルイスはここでも,熱帯諸国と温帯地域諸国との間で,1 人当たり食
料生産性の格差が工業部門よりも大きかったことを指摘している。
15 Lewis(1969)p.20.
16 Lewis(1954)p.176.
W. A. ルイスの貿易論(山本)
( 205 )85
剰となるとしている。ただし,そのような移民受け入れに対しては,賃金水準の高い国
では国内の労働組合の強力な反対が予想され,そのために実質賃金が高く維持され,利
潤がより少なくなる。
また,資本輸出に関しては,移民受け入れよりは容易な方法であるとしている。資本
輸出は,結果として国内における固定資本の創出を減少させ,そのため労働需要を減少
させ,賃金上昇を抑える。ただし,資本輸出は自国での利潤減少や賃金上昇によっての
み引き起こされるものではなく,単に自国とは異なる資源を持つ外国があり,それはま
だ利用されていない資源であり,そのため海外に投資して利益を得る機会があるという
事実によるのであり,資本輸出が行われるために,国内において資本蓄積が労働供給に
追いつく必要さえない。したがって,国内において資本蓄積が労働供給に追いつくや否
や,資本輸出が開始されるとは言えない。実際に,資本輸出の規模が小さく,国際的に
賃金格差が広がっている状況を捉えて,ルイスは資本が資本主義化された場所へ向か
い,そうではないところを避ける傾向をもつことを排除できないとし,利潤率の自然的
17
低下傾向も「人気のある神話」にすぎず,低下も上昇もありうるとしている。
以上の開放経済に関するモデルによる考察は,決してモデルの中だけの抽象的な議論
に落ちてはいない。ルイスはその歴史への真摯な眼差しから,以上のようなモデルを抽
出し,途上国の発展モデルとして構築しようとしているのである。例えば,ルイスが交
易条件の変化に着目したのは,新古典派的な限界生産性や限界効用の変化によっては,
18
交易条件の歴史的な変化を説明できなかったからであり,また,産業革命後のイギリス
において,貯蓄と投資が増大したにもかかわらず,実質賃金がほぼ一定だったことへの
疑問からである。
また,資本輸出に関する考察に関しては,多国籍企業化した巨大企業が世界経済へ進
19
出していく動機を内包しているとも考えられよう。ルイス・モデルとは,
「低開発国の
低賃金労働力や過剰人口が,なぜ一次産品の価格を低く抑え,しかも先進諸国や世界の
諸都市に集まった資本の高蓄積を維持できたのか,を世界経済の構造から解明したも
20
の」としても理解できるのである。
────────────
17 Ibid., p.180.
18 ルイスは,なぜココアを育てる男の稼ぎは,鉄鋼を作る男の賃金の 10 分の 1 なのかと問い,通常はコ
コアと鉄鋼の相対的な限界効用に依存していると言われるが,そうは思えないと考え,相対的な生産性
格差に注目する。需要条件は重要だが,それは短期的なものであり,長期における決定要因は供給条件
であると考えている。Lewis(1969)p.17 参照。
19 そのような分析としては,本山(1982)142−146 ページ,小野塚(1988)を参照のこと。これらは,世
界システム論の原型をルイス・モデルに見ており,前者は NICS 的経済成長を外資下請的輸出志向工業
化路線とし,後者はルイス・モデルが一種の従属的発展のメカニズムを示すものと指摘している。
20 小野塚(1988)207 ページ。
86( 206 )
Ⅲ
同志社商学
第63巻 第3号(2011年11月)
長期的な資本蓄積を伴う動態的発展過程としてのルイス貿易論
経済発展の理論におけるルイスの中心的な問題意識は,なぜ国民所得に対する貯蓄の
割合が 4∼5% 程度から 12∼15% にまで急上昇するのか,という点であり,経済発展の
中心的な問題は急速な資本蓄積にあるとルイスは理解していた。なお,ここでの資本は
21
知識や技能・技術といったものを含んだものである。この点は,ロストウによる成長段
階の一つとしてのテイクオフ(離陸)に関する考察など,他の開発経済学者にも共通の
問題意識であろう。
国民所得に比べて相対的に貯蓄が増加することに対するありうる解答として,貯蓄を
行う階層の所得が国民所得に比べて相対的に増加しているからだと,ルイスは考える。
つまり,経済発展上の重要な事実は,貯蓄階層に有利な所得分配上の変化が生じること
なのである。
実際のところ,貯蓄は利潤や地代を稼ぐ階層によって行われ,労働者の貯蓄は僅かで
ある。ルイス・モデルでは,当初,国民所得は生存維持的自給部門における所得からな
っており,無制限の労働供給が一定の賃金で利用可能で,利潤が生産的な設備のために
再投資されるならば,資本家の余剰や資本主義的部門の労働者の所得が国民所得の構成
割合において増加し,国民所得に対する資本形成の割合も増加する。これが閉鎖経済で
の長期における所得分配上の変化と資本蓄積の過程である。この閉鎖経済段階では,低
賃金の労働供給が可能であるがゆえに,国内の所得分配が変化し,資本蓄積が進むこと
になる。
そして,ルイスの開放経済モデルでは,上記の過程において,国内の資本蓄積が労働
供給に追いついてしまうとき,資本蓄積を継続する方法として移民受け入れまたは資本
輸出について考察している。しかし,問題なのは,低賃金構造を持ったまま世界経済に
統合される場合,その低賃金が交易条件の悪化を招くものとなることである。ルイス
は,賃金財である食料の生産性向上なくしては,外国貿易を通じての資本蓄積は困難で
あるという状況をモデルとして提示したのである。したがって,ルイスの「無制限労働
供給下の経済発展」モデルは,閉鎖経済と開放経済とに切り離されるべきではなく,そ
れを一連の所得分配構造の変化による長期的な資本蓄積過程として統合して理解するべ
きである。
ここで,リカード理論について,比較優位の原理に基づく国際分業論を彼の利潤論あ
22
るいは資本蓄積論とあわせて理解するべきという主張を確認しておこう。
────────────
21 Lewis(1954)p.155.
22 以下では,森田(1977)を参照する。
W. A. ルイスの貿易論(山本)
( 207 )87
リカードにとって,資本蓄積の結果として,やがて訪れるであろう stationary state
(静止状態)をいかに回避するかが重要な課題であった。リカード理論では,資本蓄積
の進展につれて,収穫逓減法則の作用を通じて穀物価格が騰貴し,このため労働賃金も
高騰する。その結果として長期的な利潤率低下の自然的傾向が導かれる。この事態を回
避するための一つの方策として,リカードは外国からの安価な穀物の自由な輸入を提示
し,それを論証するために比較優位の原理を生み出したのである。
このような「資本蓄積過程→やがて来る資本蓄積の停止状態→それを打破するための
外国貿易」という理論構造は,ルイスにもあてはまる。ただ,ルイスは資本蓄積の停止
へといたる長期的な利潤率低下の自然的傾向には懐疑的である。その代わりに問題視し
たのが,生存維持的部門としての農業の低生産性である。この伝統的農業部門は,小作
23
制の弊害や生産力の停滞,耐えざる離農圧力,低賃金などによって特徴づけられる。こ
うした部門をそのまま抱える限り,新たな資本主義的部門がいくら生産性を向上させて
も,その利益は海外へ流出するばかりである。それは,一次産品に代わって工業製品が
24
登場しただけのことであって,交易条件の悪化という局面は全く変わらないのである。
また,ルイスは,生産性格差に基づく比較優位の原理は,余剰労働を抱える国におい
25
ても同様に妥当すると述べているが,しかし,この原理は余剰労働を抱える国において
は,自由貿易ではなく,国内での食料生産性の向上を目指した保護政策のための理論的
根拠になると述べている。つまり,同じ比較優位の原理に基づいても,一方では自由貿
易の根拠になり,他方では保護貿易の根拠にもなるのである。
結局,ルイスの「無制限労働供給下の経済発展」モデルは,国内の所得分配の様子が
どのように変化し,長期的に資本蓄積がいかに進み,経済発展が達成されるのかという
全体の長期的な動態的発展モデルの中で,耐えざる離農圧力と余剰労働の存在,開放経
済における低賃金がもたらす交易条件の不利化,その結果として所得分配の変化が滞
り,資本蓄積が停滞するという問題を提起したものとみなさなければならない。その隘
路から脱却するために,ルイスは生存維持的な伝統的農業部門における生産性の向上を
主張したのであり,
「伝統的セクターの旧制度を廃絶する農業革命」を考えていたので
26
ある。決して伝統的農業部門を低生産性のまま放置し,工業化を目指すことを主張した
のではない。
以上のことから,所得分配上の変化と資本蓄積の進展が,生産性から与えられる所与
の交易条件の下で,どのように展開していくのかという視点をもって描かれているルイ
スの貿易論は,全体として資本蓄積論とあわせて読み解かれねばならないことが明らか
────────────
23 本山(1987)116−117 ページ。
24 本山(1982)144 ページ。
25 Lewis(1954)p.191.
26 本山(1987)118 ページ。
88( 208 )
同志社商学
第63巻 第3号(2011年11月)
になっただろう。そのような視点に立つとき,新古典派の静態的な貿易理論より深みと
鋭さをもったモデルとして,ルイスの理論は理解できるのである。
お
わ
り
に
これまでの議論をまとめておきたい。まず,ルイスが賃金を独立変数として採用して
いることの意義である。ルイスは,新古典派のように貿易均衡において決定される交易
条件のもとで,要素価格は均等化していくという想定を非現実的だと批判した。そし
て,リカードの価値論にたって,賃金を独立変数として扱い,賃金の変化が交易条件と
27
貿易パターンに影響を与えることを示し,交易条件に対する低賃金の問題点をあぶりだ
した。いくら他部門での生産性が向上しようが,賃金財たる食料部門の生産性が向上し
ない限り,貿易の利益は得られないのである。そのための農業革命が一つの主張であっ
た。
次に,ルイスの貿易論が持つ長期的な動態的発展理論としての側面である。これは,
現在の低賃金を前提にして交易条件を考え,その交易条件の下でどのような貿易が行わ
れるか,ということから始めて,所得分配の変化を考察しようとする姿勢である。途上
国は,国内に膨大な余剰労働を抱えたまま世界経済に組み込まれていく。その際,余剰
労働とその低生産性がもたらす低賃金が,途上国の交易条件を不利にし,結果として本
来ならば貿易によってもたらされる所得分配上の変化も生じない。そのため,資本蓄積
が停滞し,貿易は伸びても所得の伸びは少ない。これに対して,高賃金の場合,貿易に
よって高い 1 人当たり所得が得られ,これは製造品に対する需要となり,輸入代替の機
会が生じ,都市化が進むという循環が考えられる。これはさらなる国内貯蓄の増加にも
28
つながる。こうした貿易と資本蓄積との長期的な関係を示すことができることがルイス
・モデルの優れたところである。そのためにも,ルイス・モデルは閉鎖経済と開放経済
とに分割されるべきではなく,全体的な資本蓄積論を志向する貿易論として統合し理解
されるべきなのである。
このようなルイスの貿易論から何を学び取るべきであろうか。貿易とは,自国の経済
を長期的な動態的発展過程へ向かわせる重要な契機である。途上国が貿易機会を利用し
て自国の発展を願うのは当然である。しかし,現在の自由貿易への賛美は,効率性の観
29
点からのものではあれ,経済発展に関連したものではないのが実情である。
WTO では,
「貿易の開発の次元(development dimension of trade)
」
「貿易のための援
────────────
27 同様の主張として,高(2002)では,リカードの論理の延長線上で高賃金の利益を説いたのがタウシッ
グであり,高賃金こそが貿易利益の指標であることが示されている。
28 Lewis(1978)邦訳 19−20 ページ。
29 Stiglitz and Charlton(2005)邦訳 27 ページ。
W. A. ルイスの貿易論(山本)
( 209 )89
助(Aid for Trade)
」が注目されている。自由貿易交渉において対立する途上国に対す
る配慮からのスローガンであろう。しかし,これらのスローガンも途上国の国内の低賃
金構造,低生産性を残したままでは,むしろ貿易の長期的な動態的発展過程を利用する
ことは難しいだろう。必要なのは,途上国が自立的に貿易から利益を得られるよう,そ
の国内構造を変革することであり,そのためには,保護貿易も十分にそのとりうる政策
の中に入ってくるのである。
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