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受け身の一年 - 金城学院大学
受け身の一年 金城学院長 柏 木 哲 夫 創世記 2章7節 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹 き入れられた。人はこうして生きる者となった。 京都大学霊長類研究所の松沢哲郎教授は、人とチンパンジーの違いについて 多くの研究をしています。両者の遺伝子的違いは数パーセントしかありませ ん。しかし、脳の働きなどはかなり違うようです。人には、目に見えていない ことを考える能力がありますが、チンパンジーには、これがないようです。こ の違いは子どもの時からはっきり現れています。たとえば、チンパンジーの視 覚は人よりも鋭敏で、クレヨンで図らしきものも描けます。しかし、目・鼻・ 口のない顔の輪郭だけを描いた図を与えると、その輪郭のあたりをなぞったり はできますが、顔は完成できません。他方、人の幼児は、目や鼻を描き入れま す。松沢教授によりますと、人には、見えないことをイメージし、考える能力 があり、未来に思いを馳せ、希望を抱いたり絶望したりするのはそのせいだと いうのです。 人間の赤ちゃんは他の哺乳類とはずいぶん違います。たとえば、犬、猫、牛、 馬などは生まれてすぐに立ち上がり、自ら母親の乳房を探し、乳を飲みます。 人間の赤ちゃんは全く無力な状態で生まれてきます。母親に全く依存して過ご し、一年経ってやっと独立歩行ができるようになります。アドルフ・ポルトマ ンという学者はこのことを「生理的早産」と呼びました。人間の赤ちゃんは、 あと一年、母親のお腹の中にいれば、生まれてすぐに歩けるのに、一年早く生 まれるため、全く無力で受け身的な生活をするのです。 この人間特有の「受け身の一年間」はとても大切だと私は思っています。こ の受け身の一年があるからこそ、人間が人間らしくなっていくのではないで しょうか。 特に母親は母乳を与え、おむつを換え、抱きかかえ、話しかけ、風呂に入れ ……など本当にこまめな世話をします。父親も育児の一端を担います。赤ちゃ んが笑うようになり、話しかけに反応するようになると、「いとおしさ」が強 くなります。子どもは「自分の周りには、自分のことを大切に扱ってくれる人 ― 29 ― がいる」という感覚を持つようになります。エリクソンという学者はこのよう な感覚を「基本的信頼」と名づけました。赤ちゃんは人間特有の「受け身の一 年」の間に「基本的信頼」を獲得するのです。母親の精神状態が不安定で、赤 ちゃんに適切な配慮ができなかったり、虐待などがあったりすると、この「基 本的信頼」は獲得されません。 人間は「受け身の一年」という非常にユニークな状態を与えられています。 他の動物には存在しない状態です。神様はなぜこのようなユニークな一年を人 間に与えられたのか私にはわかりません。人から愛されることの原点を体験 し、将来、人を愛する出発点となる大切な一年なのかもしれません。 ここで聖書の人間観をみてみましょう。創世記2章3節に「主なる神は、土 (アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。 人はこうして生きる者となった」とあります。命の息とはとりもなおさず、 「霊」のことです。すなわち、神は人間を創造する時、霊的存在として創造さ れたのです。言い換えると、「たましい」を持つものとしての創造です。動物 には命の息が吹き込まれませんでした。それ故、動物には「たましい」が存在 しません。 人間特有の「受け身の一年」の間に、神様から与えられたたましいがしっか りと成長するのかもしれません。言い換えるとたましいの基礎的成長のため に、「受け身の一年」があるのかもしれません。 宗教は人間社会にのみ存在します。動物には宗教はありません。人間を人間 たらしめているのが宗教であるとも言えるのです。特定の宗教を持っていない 人でも、自分の力ではどうしようもない状況になった時には、思わず祈ります。 しかし、動物は祈ることをしません。 宗教以外で、人間にのみ存在するのが自殺です。動物は自殺しません。もう 一つ人間に特有のものがあります。音楽です。動物社会には音楽が存在しませ ん。宗教、自殺、音楽の三つは人間に特有のものなのです。この三つのものは それぞれ何の関係もないように思われるかもしれませんが、実は三つに共通の ことがあります。三つとも「たましい」に関係するという共通点があるのです。 この「たましい」は人間にだけ存在するので、動物には存在しないのです。 話が少し横道にそれますが、世界保健機構(WHO)が健康の定義を変えよ うとしています。これまでは身体的、精神的、社会的に健康であれば人間とし て健康だとしていたのですが、もう一つ霊的健康(たましいの健康、スピリ チュアルな健康)を付け加えるということです。これはまだ正式には決まって いませんが、私は極めて大切だと思っています。それは、WHOが人間の存在 ― 30 ― 様式を身体的、精神的、社会的、霊的の四つの側面からとらえようとしたから です。これまで、人間を人間たらしめている霊的健康(魂の健康)に触れなかっ たのは、健康の定義として不十分であったことを自ら認める動きであったと私 は思います。 「たましい」が悟るのが宗教、「たましい」が病むのが自殺、「たましい」に 響くのが音楽なのです。 イエスを神の子と信じるのは、たましいで信じるのです。神の存在を信じる ことができるのは、人間にたましいがあるからです。 聖書に出てくる「いのち」という言葉は「生きる意味」という内容を持って いると思います。その点からすると、宗教は生きる意味を教え、自殺は生きる 意味を失い、音楽は生きる意味を感じさせる、と言っていいと思います。 2013年6月11日 朝の礼拝 ― 31 ―