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2014年度誦経者研修会(北海道ブロック)資料
「北海道ブロック信徒学びの会」資料 2014年11月23日(日) 会場:札幌ハリストス正教会 テーマ:「イ コ ン」 講師 長司祭ニコライ・ドミートリエフ 資料作成 スヴェトラーナ山崎ひとみ Ⅰ 視覚を通して霊性に訴えるイコン ~「神の国」を認識する手がかり~ 私たちが聖堂で祈る時、また家庭で祈る時、目をあげればいつも、そこにイコンがあります。 正教会の聖堂の扉を開け、一歩中に入ると、私たちはイコノスタス(聖障)に配置された主ハリ ストス、生神女マリヤ、諸聖人たちにあたかも見つめられているかのような感覚を覚えます。その けんそう 時、私たちは聖堂の外の日常的な喧騒が支配する生活から、「神の家」という霊的な世界へと踏 み込んだことを悟ります。 目には見えない神を正しく認識するための“手がかり”或は“ヒント” ―― 正教会ではそれを 「シンボル」と言います。 正教会の聖堂はこの「シンボル」で満たされています。イコンもその一つです。人間の感覚で捉 えられるものを提示し、それによって人間の霊性の最も深い部分においてのみ認識できるものを 指し示す働きを担っています。 このように人間の感覚で捉えられる「形」や「音」や「色」を用いていながら、個人的な喜怒哀楽 の感情を表現するためではなく、奉神礼という祈りの場に奉仕するためにのみ存在する芸術を 「教会芸術」と言います。 イコンの他に、正教会建築や正教会聖歌も「教会芸術」です。 ‐1‐ Ⅱ 「聖」なるものとは イコンは「聖像」とも言います。 「聖」という言葉、「聖」という概念について、正教会はどのように教えているでしょうか。 神学者パウェル・フロレンスキイ神父は、次のように言っています。 「私たちが聖書、聖機密、聖油、…という時、また聖職などと言う時、これらのものが、この世の ものではないものと関係していることを前提としている。 これらのものは、この世に存在するが、この世から出たものではない。 正教会において「聖」という言葉が付くものを挙げれば沢山あるが、それらはいづれもこの世の 日常的、通俗的、卑俗的なものと切り離して認識するべき事柄である」。 イコン(聖像)に求められている働きは、美しい絵画として聖堂の壁面を飾ることではありませ ん。「神の家」である聖堂にイコンが置かれているのは、そこに書かれているものが、単なる描写 かたど を越えたもの、神の国に属するものの象りだからです。 イコンに書かれている聖人たちと出会い続けていけば、イコンを見上げる者たちは、やがてそ なら ふ さ わ の聖人たちの徳に倣おうと励まされ、自らを聖なる神の国に属するに相応しいものにしようと導か れ始めるのです。 せ い し んせい 聖神°性の世界においてよく認められることの一つとして“聖なるものの連鎖”ということがあり ます。ロシアの聖三者セルギイ修道院や、オプチナ修道院を例に出すまでもなく、一人の聖人 の生き方を見て、仲間や次世代の修道士がまた聖人となっていく、いわゆる聖人を輩出する環 境というものがあります。聖なるものを見て、聖なる者に触れ、聖なるものを経験する環境は、そ かたど たましい れが生きた人間であれ、その人間を象 ったイコンであれ、私たちの霊の救いのために不可欠で す。 ▲ 聖三者セルギイ大修道院から輩出された 衆聖人たちのイコン ▲ 克肖者聖セルギイによって礎石が築かれた「聖三 者セルギイ大修道院」(モスクワ) ‐2‐ Ⅲ 教導するイコン えが か ピ サ ー チ イコンは絵による描写ですが、「描く」とは言わずに「書く」(ロシア語で писать/「文章を書く」 という時の「書く」と同じ単語)と言います。イコンは「色彩による神学」と言われ、色彩を用いた描 写でありながら、あたかも文字で書かれた神学書のように正教の教義を伝えます。 私たちが聖堂の中で数々のイコンを目の前にする時、イコンは私たちに神の子である主ハリス トスがこの世に人間として生まれたこと、生神女マリヤは主ハリストスの母であること、主ハリストス が十字架に釘せられたこと、そして復活したことを語りかけます。聖人の生涯について、教会の 諸祭日について私たちを教えます。 イコンは、聖書に書かれている事柄の単なる情景描写やイラストとは異なります。イコン作家(ロ イ コ ノ ピ ー セ ッ ツ シア語では иконописец/「イコンを書く者」の意)自らが祈り、斎(節制)を行うことによって、「主 の顕栄」、「主の復活」、「最後の審判」など、凡そ人間の知恵では計り知れない神聖な世界のリ たましい アリティーを霊の目で見て、絵具を用いて表現します。そこに表現されるものは、私たちが日常 目にしているこの世の論理や価値観ではなく、神の国の秩序であり、神・聖神°の恩寵でありま す。 従ってイコンの前で祈る者にも、祈りと読解力が要求されます。聖書に記されている出来事、教 会の伝承、諸聖人の生涯などについて知識や理解があれば、そこに表現されていることの真の 意味をより深く受けとめることができるのです。 教会芸術が奉神礼に奉仕し、神を讃美することを目的としている証として、イコン作家は原則と して普通の絵画のようにイコンの表面にサインを入れることはありません。もしサインの入ったイコ ンが目の前に在ったとしたら、それは祈る者の集中力を著しく妨げることでしょう。 ▲ 「ミラリキヤの奇蹟者聖ニコライのイ コン(聖伝付き)」/聖ニコライの周りに 聖伝の中の出来事が表されている。 ▲ 「信経」のイコン/「我信ず一つの 神・父全能者」から「我望む死者の復 活並びに来世の生命を」までの各祈 祷文がイコンで表されている。 ▲ 「大斎」のイコン/第一週主日「正教勝利の主日」から聖枝週土曜 日「ラザリのスボタ」まで、大斎中の各主日に記憶すべきことがイコン で表されている。そしてイコンの中心には聖神°的な意味において 大斎の中核となる第三主日「十字架叩拝の主日」が配置されている。 ‐3‐ Ⅳ イコンにはイコンの在るべき場所がある 前述したように、神を讃美する奉神礼に仕えることを至上の目的とする教会芸術としてイコン、 教会建築、教会聖歌があります。 神学者パウェル・フロレンスキイ神父は、奉神礼を構成する芸術として、煙の芸術(香炉)、神品 が香炉を振る動作や歩き方などの動作の芸術、聖パンを焼く芸術、唇で福音経や十字架を接吻 する触感の芸術などを挙げています。 つまりこれらすべてが、神を讃美する要素となっている(=神を讃美する役割を担っている)と いうわけです。 そしてフロレンスキイ神父は、これらの全ての要素は、聖堂の空間の中にばらばらに存在する のではなく、一つの側面が他の全ての側面と結び付き、これらの諸芸術(教会芸術)を統合する 奉神礼という有機的な統一体を作り上げていると言っています。 このような理解は、教会に参祷することに慣れ親しんでいる信徒であれば、どこか潜在的な奥 深い部分で感じ取っているものです。 例えば「聖堂に来ると心が休まる」、「正教会の聖堂には言い表せない奥深さがある」、「ここは 神さまが居る場所だということを感ずる」、…このような感想を私たちはよく聞きますが、これはまさ に正教会聖堂が、上記のような教会芸術が有機的に結び付いた統一体であるからなのです。こ かも れはまた別の言い方をすれば、正教会二千年の伝統が醸し出す聖神°的な豊かさであるとも言 えます。 そしてイコンもまた、聖堂内の全ての奉神礼的要素と一体となって存在する時、初めてイコン本 来の存在意義において生きることができると言えます。 つまりイコンの在るべき場所 ―― それは、聖堂であれ、家庭であれ、神を讃美する目的のた めに造られた空間の中なのです。 ▲ 明るい電灯で照らされた美術館内に 無機的に展示されたイコン ▲ 乳香の香りが漂い、蝋燭の灯りが揺ら めく空間に浮かび上がる聖堂内のイコン ‐4‐ Ⅴ イコンにおけるカノン(規則) 今まで見てきたように、イコンという教会芸術が個人の喜怒哀楽や感情を表現するものではな く、奉神礼の場に奉仕することを目的としたものであるならば、イコン作家は自分の感性に任せ て、創作意欲に導かれるまま、何をどのように描いても良いということにはならないでしょう。 プ ラ ヴ ォ ス ラ ー ヴ ナ ヤ ツェ-ルコフィ 「正教会」とは「神を正しく讃美する教会(Православная Церковь )」という意味です。何を もって「正しい」とするのかと言えば、その一つの大きな拠り所が聖師父の教えです。聖師父は、 主ハリストスが死より復活し、天に昇った後、人々に主ハリストスについての正しい理解を説き、 正教会の教義を確立した人たちです。 「イコンとはどのようなものであるべきか」という課題も当然聖師父たちの配慮の中に在りました。 イコンは、イコン作家にとって必ず守らなければならない特別な規則に沿って書かれます。この 規則は「イコン制作のためのカノン」と呼ばれます。もともとギリシャ語で「カノン」とは、建築現場 で壁が垂直に立っているかどうかを調べる測量器のことですが、広い意味では、何かを新しく制 作する場合に準拠すべき模範(ひな型)のことを言います。 通常、人間は自分を取り巻く世界についての情報の80パーセントを視覚によって得ます。従っ て、宣教において視覚に訴えるものの重要性は古くから認識されていました。イコン制作のため のカノンは一夜にして作られたものではなく、また直接筆を執るイコン作家たちだけで作ったもの でもなく、長い年月をかけて、聖師父たちがイコン神学を築きあげる中で確立されたものです。 なぜならば当時まだ、人々が主ハリストスや正教のことを理解できず、さまざまな異端が横行し ている時代において、教会の正しい教えの中に異端の教えが入り込まないように、教会にとって イコンは、異端に対する楯となり鎧となる役割も担っていたのです。 そしてついに第七回全地公会(787年)において、イコンは教会における奉神礼の中であるべ き位置を占めることになります。この時、イコン尊崇の教義(神学的正当性)が認められたので す。 正教神学の中に確固たる位置を占めたイコンは、その後、 その技術的な面において発展していきます。具体的にイコン を書く場合に、どのように線を引かなければならないのか、色 を塗らなければならないのか、実践的な指南書の類が現わ れるようになります。 993年に書かれたと見られる「聖師父の容貌」には、聖金口 イオアンについて次のように記されています。 「アンテオケヤのイオアンは背がかなり低く、肩の上に大き ▲ 「第七回全地公会」のイコン/この 公会に参集した聖師父たちの姿が書 かれている。中央にこの公会のテーマ であった「イコン」が配置されている。 な頭があり、痩せている。鼻筋は長く、…額は広く大きく、たく さんのし わが 刻まれている。耳は 大きく、ひげは白髪交じ り…」。 ‐5‐ このようなマニュアルは何種類も編纂されていたようですが、今日私たちが見るイコンにも、そ の聖人の聖神°性だけでなく、彼等のこの世での容貌の何らかの特徴が反映されているので す。このことは、聖人の姿が写真に残されるようになった以降の時代の聖人たちのイコンを見ると よくわかります。 ▲ ペルミの神品致命者聖アンドロニク 左が写真/右がイコン ▲ 義なるクロンシュタットの聖イオアン 左が写真/右がイコン このように写真とイコンを並べて見て判ることは、イコンは写実的であればあるほど良いというも のではないということです。写実的な画像が目の前にあると、人は祈りに集中することが難しくな いざな ります。注意散漫になる要素が多すぎるからです。しかし、イコンはそのような誘 いになる部分を そ げんけい 削ぎ落とし、「原型」(そこに書かれているものの聖神°性)に集中できるようにできているのです。 ふ さ わ イコンはどのような筆致(スタイル)で書かれていても、その「原型」に相応しくあるべきで、まさに そこにイコン作家の“仕事”の誠実さと責任感が試されていると言えます。 一つの画像をイコンとして成聖し得るものとみなすか、そうでないかの判断の最大の基準はここ にあると言っても過言ではありません。 ‐6‐ Ⅶ イコンの歴史 おもかげ 正教会の聖伝は、主ハリストスがご自分の顔を布に当て、その面影 を移されたものが最初のイコンであったと伝えています。手で書いたイ コンではないことから「自印聖像」と呼ばれます。エデッサのアウガリ公 がこの自印聖像によって病から癒され、多くの奇蹟が行われたことが 4世紀の教会史に記されています。 主ハリストスの12使徒のひとりルカは、画家であり、最初の生神女マ リヤのイコンを書いたと伝えられています。その画法は、古代ローマで ▲ 主の自印聖像 よく使われていたエンカウストというもので、蠟に絵の具を混ぜて熱に よって色を固定させるものでした。 迫害時代には、公けに聖像を書くことができず、錨、魚、子羊な どの図に信仰の意味をシンボライズしていました。 その後、4世紀にコンスタンチノープルにおいて信仰の自由が認 められると、多くの人々が洗礼を受けたことから、民衆の教義理解 を援けるため、“目で見て解る聖書”、或は“目で見て解る教会祭 日”という性格がイコンに求められるようになりました。 8世紀には聖像破壊運動(イコノクラスム)が起きましたが、第七 全地公会(787年)において聖像尊崇の神学的正当性が認めら れ、今日に至っています。 ▲ 生神女マリヤの聖像を書く 聖使徒ルカ 10世紀、ロシアに正教が伝えられると、イコンはそれを書く者の祈りの具現であることから、イコ ンは主に修道院で書かれました。有名な「聖三者(トロイツァ)」を書いた聖アンドレイ・ルブリョフ こくしょうしゃ (15世紀)は、克肖者(祈祷と節制に依り主ハリストスの御旨に適った修道者)として列聖されてい ます。 ▲ 「聖三者」 (聖アンドレイ・ルブリョフ) ‐7‐ Ⅷ イコンの記憶日 イコンがイコン作家個人の感性や独創性で書かれるものではないことについて先に触れました が、そのことに関連して、各イコンにはそれぞれ記憶日があることについても触れておきましょう。 一番判りやすい例は、聖人のイコンです。聖人のイコンは、そこに書かれている聖人の記憶日 に記憶されます。聖人の記憶日は、通常その聖人の永眠日です。例えば「亜使徒日本の大主 教聖ニコライ」の場合は、聖ニコライが永眠した2月16日が、聖人としての聖ニコライの記憶日と なります。 ある人が新たに聖人として列聖される時、列聖式においてこの新しい聖人の称号(例えば「亜 使徒」、「致命者」、「奇蹟者」など)、トロパリ、コンダク、そしてイコンがお披露目されます。 (聖人として列聖するか否かという判断は、生前のその人の生涯が聖人としての諸条件を満たす かどうか調査した上で、ロシア正教会の「列聖委員会」が行います)。 ここで特に取り上げたいのは、生神女マリヤのイコンの記憶日です。 実は、生神女マリヤのイコンの種類は教会暦の中に記録されているだけで280種類以上にも上 り、それぞれに構図が決まっており、“いわれ”があり、名称があり、記憶日が定められているので す。 例えば7月21日に記憶される「カザンの生神女」のイコンとは何かと言うと、1579年7月21日にカ ザンというロシアの南方の町に生神女の奇蹟のイコンが現われたことを記憶するものです。 ▲ 「生神女福音祭」(十二大祭) のイコン/記憶日4月7日/神使 ガヴリイルが生神女に福音を告 げている構図 ▲ 「カザンの生神女」のイコン 記憶日7月21日/主ハリストスは 生神女の右側に居り、右手を揚 げて祝福している構図 ▲ 「ヴラジーミルの生神女の イコン/記憶日7月6日/主ハ リストスは生神女に抱き抱えら れて左側に居り、頬を向けて 寄り添っている構図 例外として、イコノスタスの王門の左右に配置される主ハリストスと生神女マリヤのイコンは名称 や記憶日が限定されません。 ‐8‐ Ⅸ 参考文献 № 書名 著者 発行者 頁数 発行年月日 80 2002年5月20日 190 1994年4月30日 261 1997年4月20日 1 イコンの描き方 ビザンティン式伝統画法 ギレム・ラモスポーキ サン パウロ 2 美と信仰 イコンによる観想 マリヤ・ジョヴァンナ・ム ジ 新世社 3 東方の光り ミッシェル・エフドキモフ イコンに秘められた霊性 ドン・ボスコ社 4 イコンのこころ 高橋保行 春秋社 174 昭和56年4月10日 5 正教のイコン C.カヴァルノス 教文館 148 1999年7月20日 6 ロシア正教のイコン オルガ・メドヴェドコヴァ 創元社 142 2011年10月20日 7 魂にふれるイコン ミシェル・クノー せりか書房 219 1995年10月16日 8 イコンの記号学 ボリス・ウスペンスキー 新時代社 211 1987年7月25日 9 イコンのあゆみ 高橋保行 春秋社 230 1990年6月10日 10 イコンのかたち 高橋保行 春秋社 190 1992年7月30日 11 山下りん 大下智一 ミュージアム新書 242 2004年3月25日 12 逆遠近法の詩学 フロレンスキイ 水声社 393 1998年9月25日 以上に挙げた参考文献の中で、正教会用語の使い方が正しく、正教会信徒にとって読み易い のは、イオアン高橋保行神父(現在、アメリカにて奉職)の著書です。 「正教のイコン」(C.カヴァルノス著)は翻訳書ですが、高橋神父の訳なので安心して読むことが できます。上記の参考文献の中では、一番のお勧めです。 「逆遠近法の詩学」(フロレンスキイ著)は、イコンの聖神°性に関する神学的に深い洞察が魅 力です。(訳語に少々難があります)。 この他にもイコンのアルバムのような写真集や、美術館でイコンの展覧会を行った際の資料集 のようなものなども出版されています。 ‐9‐