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ルーマニアの広告の歴史について ルーマニアの広告の歴史は第1次大戦
ルーマニアの広告の歴史について 中村希望(ERKA PROMOTIONS & EVENTS) ルーマニアの広告の歴史は第1次大戦前から始まりましたが広告の専門家達 は、1990年から実質的にはスタートしたと観ています。 つまり、それ以前の広告はフランスなど西欧の物まねでしたし、共産主義の 時代にはプロパガンダはあってもいわゆる広告はありませんでした。 ルーマニア国内の広告は外国と深く関係していました。その良い例はメアリ ー女王の時代に「JW Thompson」がルーマニアに広告代理店を開設してメア リー女王が他の国の女性王侯貴族と並んで「Pond」の広告イメージキャラク ターになったということです。 下記は1913年(左)、1925年(中、右)当時の広告ですが、中と右の二つ は英語になっています。新聞は教育の高い人達が読むものであったので広告 も英語で十分だったのです。 共産主義時代 この時代は、厳格な社会主義経済で外国の広告のトレンドとは切り離されて いました。 戦争が始まってからと1950年以降広告塔が消え去り都市を飾るイルミネ ーション広告による夜景はなくなってしまいました。 結局のところ顧客を取り合うということもなく、民間広告代理店と国立の広 告代理店の間での競争もなくなり、ルーマニア製品だけが宣伝されていまし た。実際のところは、国営企業なので広告も必要なかったのです。 1990年以降の広告 90年代の初期に最初の広告代理店が設立されてルーマニアの広告が外国の トレンドに影響を受けるようになりました。1990年代には、共産主義時 代の広告の停滞を回復するように急速に発展しだしました。 1990年5月ルーマニアに最初の広告代理店(注1)が、1991年に別の 広告代理店(注2)が設立されました。 注1:共産主義時代以降で最初の広告代理店を Radu Florescu as the Centrade が設立 注2: Graffiti Advertising Agency by Cristian Burci. 1995年―1996年の間に新しく広告を担う世代が生まれて来ました。 彼らは、国の指導者に従属するのでなくてアート的な自由な広告を創りだし ていきます。 2000年になるとルーマニア国内の経済的な発展にともない国内に沢山の 広告代理店が設立されました。 殆どの広告代理店は国外ブランドのコーポレートキャンペーン、ゼロからス タートした国内ブランドの広告をしています。 ただ、政治的意味合いのある官庁の広報は別です。全ての市長は広告代理店 を持っていると言われています。(注3) 訳者注3:政治家は自分の広告代理店を持っていて官庁の広報はそこに依頼をする傾向がある。面白いのは政治家 自分自身の選挙には、自分が当選したいので別の広告代理店に頼むと言われています。官庁による広報の例として は、中村様のご紹介の節に掲載した「ブカレスト555年目」モニュメントがあります。 今日の広告 今のルーマニアの広告は創造的なサービスあるいはソーシャルサービスを提 供している顧客へ多様な広告を提供しています。 BTL-Below the line(注4)というどちらかという顧客に ダイレクトに宣伝する機会を提供する代理店もあります。 BTLを提供する代理店は基本として戦略的プランニング、マーケッティン グ戦略、プロモーション、イベント、サンプル配布等の直接マーケティング を提供しています。 注4:広告の種類として大きく分けると下記のものがある。 Above the line – ATL: マスメディアを使った広告、バナー、ポスター、印刷物、街中での広告、ダイレクトメール、ニュースレター、E -MAIL、パンフレット、サンプルの提供(ペン、T-シャツ、帽子、キーホルダー等)による宣伝。 Below the line – BTL: 通常でない方法による広告、本出版の催し、エキジビション、レセプション、コンサート、チャリティー 面談販売 マーケットは変化し続けているのにルーマニアには広告の専門学校がありま せん。このビジネスに入る若者は代理店に入り初めて勉強することになりま す(注5)。しかし、西欧のように体系的に勉強する時間をとる必要がない ので短期的には効率的です。その結果ユニークな発想で国際的な広告祭で幾 つもの賞を勝ち取っています。 注5:フランスの町には必ず一つは広告専門学校がある。 1990年以降のルーマニアの広告の国際賞受賞作品の数々(注6) 広告1 広告2 広告3 広告4 注6:たとえば以下のような事です。 広告1:ルーマニアは良くないと言われた時にプリンスチャールズはルーマニアの土地を買っているじゃ ないかという皮肉の利いた語学学校の広告 広告2:ルーマニア人は英語が旨くないと言われたことがあったが。フランス人より旨く話すという同じ 語学学校の広告 広告3:マイケルジャクソンが、ブカレストに来て初回訪問のブカレスト公演で「ハロー、ブダペストの 皆さん!」と「ブカレストをブダペストと間違えたことを言っている。 広告4:羊飼いは毎日何をしているか?Vodafone はどこに居てもつながるというルーマニアの風景をベー スにした広告 ERKA 中村希望様のご紹介 今回は広告代理店を経営されている中村希望様にお願いしてルーマニアの広 告について書いて頂きました。 寄稿をお願いして見ようと思った切っ掛けは、ブカレスト市内の広場各所に あるモニュメント「555」です。 最初はルーマニアの方に聞いてもわかりませんでした。そのうちブカレスト が出来て555年目の年だということが分かりましたが、初めは説明がない ので知っている人にしか分からない広報のモニュメントでクイズの様だなと 思いました。それで中村様にルーマニアの広告について書いて頂こうと思っ た次第です。 ブカレスト設立555年目のモニュメント(革命広場) 中村希望様は、日系フランス人で日本語を話し、奥様がルーマニア人という 方です。フランスのストラスブール大学でコーポレートマネージメントを専 攻し、2004年以来二つの広告代理店と小売店を設立して、コンサルティ ングと戦略アドバイスの会社を経営する青年企業家でERKA社を始め、 ルーマニアに於いては多数のマーケット開発を実施して来ています。 ERKA PROMOTIONS & EVENTS(日本ルーマニア商工会会員) ブカレストにあるTV,ラジオ、パンフレット、Webなどの媒体に広範囲 な広告サービスを提供する広告代理店。 ERKA社の特徴は、顧客の一日の活動に沿ってその中で目にするような広 告宣伝の提案をすることです。ERKA社は現在5つの事業部と35名の社 員でブカレストを始め5つの国内の都市をカバーしています。