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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅

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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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アビシニア國王に[謁]するの[記](一)
小牧, 實繁
地球 (1931), 16(6): 440-460
1931-12-01
http://hdl.handle.net/2433/183980
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
f
・
JT
第 十 六俗
節
六
抑
四川0
四〇
ら . 乙の揖 人と言 ふ のは位置詞と いふ よかも 地
山
(佐 )士屠外(≡)
外野 、外開(瀦 )
等 で皆 平 地にあ
に
る。土居 外と外聞 はそ れぞ れ土居内 、内 聞と封
す るも のであ る。前 者 は成富 兵庫 むし で佐賀藩
が築 かせ た 天建 寺放 水路 の土居 に よ-P内外 に
形 は関 係 あ る戒 に在 って ゐるのであ る。入部 は
脇 山内野 の入 る蓮 であ って、大 入 は敢初 から 音
読 したか否 か は属 はし い し ても 配崎 の陸繁島
は抱 か れた襖 であ る。操 人 は玉島 川 の谷 の又支
谷 の奥 にあ って、字義 明瞭 であ る。 大地 は宮 野
相 から金 川相 にかけ て の洪積 地と'筑 水 の右岸
即ち 育 毛、長淵 あた- の高 みと の間 の低 地であ
別 たれたも ので'人馬 の自然 短 正が 地名 にも衷
はれ るに至 った7
9のであ る。外野 の ホカは方俗
の用語野良 の意 即ち 沖 であ るも のと瓜 ふ r
Jとが
出来 る。
〓
楽
って、 二十米 の コント γはよ-大勢 堅 ホし稗 で
ゐる。即ち窪み 入 る意 味 の八と考 へる。
(
音
す る土俗撃研究 所 の助手 リ グ ェ
-女史(ア メリ カ
ニスト Ri
ve
t博 士 の令 妹 )の許 ま で参加 を申 込
み串も快-許 可せら れた のであ る。
小
ア図 五 に 謁 す る の 記
1九 二九年 五 月、 巴旦大軍 土俗撃研究 所が第
一回先史時代造 蹟糖 密単 行 の計豊 を徴表す るや
余 は直ち に全 天撃 地排撃研究 所 の第 三階 を占領
牧
出 入 の方 で は作出をど の川村 を除 -J
J.出 羽
(佐 )
洗出 (
筑)
と いふ のが出 の方 のも ので、人 は
イ
T
I
;
∵
入部(早 )
大入
)ニ入 地(
覗)
と 四 つあ
義
アビ シ ニ
(
糸
\
_
ノ
沫
A
斯 - て無 し いパント コー ト休 日の到 来 を 待 つ
中 に五 月十 七 日 は来た 。平常朝 腹坊 の自 分 も今
日 は六時 に起 床、オ ル スェイ停車 所 に至 る。平常
講 義 室 で は相 見在 か つね薪 振 れも 吋在 -多 い。
ア ング レー ムから の乗 各自 動車 で は骨 同室 で、r
石
器 時 代遺 跡 に向
令 嬢 は始終 怪し相 に余 に微 笑 ht
法 る のであ った
五 月十 八 日、 ラ ・キナ の薯
ふ途 中 も彼女 、未 だ女撃 枚在 撃 中 で今 年 十 五歳
だと 云ふ彼女 は常 に我が傍 に歩 止で 鶴 粟 の花 な
見 え、 ラ 。キナに着 いて薯 石端 を磯堀 中も 始終
ド 。屯 ンブ レード大人 の如き も 叉そ の 一人 であ
儀 知 の如- ほ在 る。
っカが .鼎介 せら れ て直 L,
斯 - て我等 は八時 八分 巴風 教、 南 傭御 国シャ
ラ
l
我が傍 を離 れ夜 い。 ベ レー(.
'スク帽 )を被 で屠
ね のも脱 いで仕舞 って余のか- し の中 は託 す る
ど摘 み、外 囲人 殊 に 日本人 た る余 が珍 ら し いと
ント方面 に向 つね のであ る。
此 の日.初 めて キンフ レー ド夫人 から令 嬢 ジ
と 云ふ始末 であ るO
夕食 後古城 鮎と基 地と は散歩 し ても 彼女 は 不
和鼻 我が傍 む去ら 在 い。 月 は明 か に用-魔 境 を
ル マンの博 物館 見撃 の際
四望
糊 l,
る石衣 洞を見、 又 は オー - ナ シア ン期層 序 を検
討 し、午 後 は ペイ ラ の研 究 寛 を訪 れねが 彼女 は
常 に我が傍 にあ った。
禦十 九 日 は午前 中 、 ム ステ- ア ン糊居 住 地 た
の月夜 でも察 憩す るか、無 言 の裏 に我が 右 手 を
振 る のであ っ允O
照し凪 は無 いが先 は爽 かに、狼漫 的 の戚情 は油
然 と し て湧 - のであ つたが 彼女 も未 だ見 ぬ東 亜
ズェルほ鼎介 せら れた。握 手むし で初封面 の挨 拶
むす ると 彼 女 は既 に前 から自 分 を知 って屠 る'
先 日巴旦郊 外 サ ン 。ゼ
ア ング レー ム和 の列車 は可を-混離 し て居 ね
自分 を見 たと 云ふ のであ る。自 分 は少 しも記憶
しな いのであ るが、博 物館 兄撃 に行 った のは事
蟹 であ るから P相 見た のも轟賓 に違 以な いら し
い.兎 に角 ジズェル雄 は 懐 し相 に li外 囲人 L
Jる
自 分 む見 た のであ る。
のと既 は朋 知 る人 々も 同行 であ った のと で、ド 。
屯ン ブ レー ド親 子と は不串 同室出 水夜 か つねが
アビシ J
Eア 問 ま に 紬 す る の詑
地
拭
節
十
六怨
二十 円は自 動車 で ムー チ エーな る t塞 相 に車
-.石衣 洞側壁 に彫刻せら れた オー - ナ シア ン
期 の馬 の浮彫 散見 '正午 ロックと云ふ片 田合 に
着p ソ ルー ト レア ン期塘 鹿骨散 見 の現場 を児'
磯 風者 マ ルク ン氏 の講 演 を開 いたが終 って諸 氏
閑談 の間 、余 は彼女から西洋 子 供 の遊戯 を数 は
,
>日本 の五日杵 べを数 へ奨し ひ間 は僻 去 の時 は
凍ら、 六時 .1同 はア ング レー ムほ据 わ、余 は此
終大蛇
四四 二
四こ
き な 地主 とし て開拓 に従事し て居 る.毎年 夏休
み が始 まれば自 分 は母と 北ハ
ほ アビ シ ニアは行高 原 の夏 は到底 も束拝 が よ い、そ この散歩 は到
底 も素的 だ。 日本人 の意 方と 1朗 に散歩 が損 耗
た怒らば自分 はそ れ程愉 快を 乙と は老 いと.
督ら -先史撃 の研 究 に熱 中 し て居 ねと は云 へ
元氷地排撃 の徒 であ る余 の撃的 好奇 心は、忽然
b エアに封 す る限 -衣
余 をし て未知 の問'チ ビ,
き憧 れを抱 かし めるに至 った のであ る.
赤 道直 下熱 帯高 原上 の散歩 '備蘭 酉貴族 出 の
少女 を妓介 と して問 王 への謁見、阿弗利加大陸
唯 lの闘王 への謁見 '象 牙 の榊土産 、察 憩 は峯
9夜 か つ允 のであ るが 、そ れ
憩 を産ん で果 てし7
9無 いと 云ふ気 がし た
は各飴賓 現し布覆 い罫 で7
所 で 一行と別 れて単身 酉班牙 の麓 に向 つね ので
あ るが、乗合自動車 の中 で7
9素 早 -余 の傍 は席
を占 め終 日余 の側 を離 れなか った ジズェル 嬢が
梶-余 の燭 -酉班牙 は去 るのを惜 し んだ 乙と は
勿論 で'余も 又極みなき 別離 の悲哀 を禁 じ 科を
か っね のであ る。
両班 牙 の恭 行中 も チチ ン (彼女は別名 チチ ン
と 云 つね )と アピ シ ニアの事 は忘 れを か つね。
乙の月 の十 二日、 ド ・モ ンブ レー ド親子 は巴
愉 快を旅 で はあ ったが チチ ンと アビ シ ニアの事
と は忘 れる こと が出 凍を か つね のであ る。 そし
て巴里 へ踊 った のが六 月五 日であ っカ。
前後 四日の旗 行中彼女が 1度 在ら ず余 に語 っ
た 乙とがあ る。自分 は東洋 人が 好き であ る、撃
校 を出 ねら ば父 に頼 ん で共 闘 に遊撃 r
bせ て葉 以
其 れが絡 んだら遠 洋航路 の汽船 に乗 込み憧 れ の
横潜 へ行-、自分 の理想 は遠 洋航路 の船 長 であ
ると.そし て叉云 つねO父 は今 アビ シ ニアで大
ラ キナ の旅 で の チ チ ンの粉 誘 、 1朗 に アビ シ ニ
里 を去 って ア ビ "
エ アに向 ふ筈 に在 って居ね 。
の祭 を見 る べ- 夕食 後 の散 歩 を試 み た 所 、 偶然
嬉 し い息 以7
9す るで あら う が JJ瓜 はれ た . そ し
て自 分 は直 威 し た 。 ア ビ シ ニア の旅 を断念 し て
は怒ら 肘。 今 日 の蒋 骨 は刑 の啓 示 であ ると 、 明
後 日巴里 と田磯 九 月 四 日頃 ま で アビ シ ニアは滞
在 す ると 云 ふ裸 足 と開 いて祁 別 れi
Jのであ るが
にも 何商 人 と 云 ふ群 衆 の中 で チ テ ンと 其 の 母と
は避 退 し た のであ る。 登- の奇 蹟 で あ った O 梶
山幽 谷 の中 に磁人 と朝 逢 ふなら ば 恐ら - 乙ん夜
アに釆覆 いか、若 し 我 々と 一所 に氷 る在ら 自 分
は非 常 に車 両 でー船 中 の生 活 も 如 何 に粟 し い乙
と であら うな ど 云 った言 葉 を恩 以出 す と 吾 が 心
は何と し て7
P動 かざ るを 稗 孜 か つね 。
然 しな がら 自 分 ほ は柑 寛 大 を 要 件 が 残 って居
た。中 欧 故 北欧 の旗が 未 だ済 ん で居 夜 か っ穴 の
自 分 は欧 洲 巡 見 の後塵 路 を 地中 源 はと ら'途 中
船 気 付 モン ブ レー ド夫人 宛 に出 侶 し 、 ア ビ シ 1
1
であ る。若 し 此 の放 む 放棄 して ド ・竜ン フ レー
ド親 子 と 北ハ
に アTri
J,b エアに渡 る決意 が 出 来 れば
早 速郊 外 の夫人 を訪 れそ の恵 を体 へな け れば な
ら在 5
,のであ るが 、然 しを がら 欧 洲 の旅 を中 止
し てそ の儀蹄 囲 す る のは地 排撃 麓 と し て は上策
と 瓜 へな い.自 分 はヂ レン マに階 つた 。 僅 か に
際
彼
旦郊 外 の任 所宛 一迫 を マルセ- ユ敬 デブ チ行汽
アビ シ I
lアを訪 れ る p
Jと を決 心し た のであ る。
宿 に掘 ると急 ぎ 二通 の手紙 を私 め、 一迫 を 巴
班 性 を以 て モン ブ レー ド親 子 む訪 れ る こと を断
ア の宿 の事 、旅行 は閥 す る 心程 '壁 用等 ほ就 5
,
等 を巴里 騨餅 に見 送 る ことと な し 、時 間表 を繰
て閲 - 革 にし たが '結 局 二人 が 巴里 出 磯 の
な が ら懐 しき 少 女 チ チ ンほ市 骨 す る機 骨 は又何
口頭 で色 々の事情 を聴 き ボ ン 。ゲ ォア ヤ- ジュ
を
念 Lt歓 洲 旅 行 決 行に傾 いた のであ るが '然 し
時 凍 る のであら う かを ど 恩 ふと多 少 威 儀 的 ほを
ら ざ るを 柑在 か っね の であ る。
述 べ る。 休閑 酉 語が 先 口 よ-も 史 に 上達 し た衣
川望
bET三
,
ht 巴旦 宛 の 一迫 を 手披 す と 共 に庸
って輝 に至-
所 が 六 月十 日 の夜 へ別 し い友 人等 と ヌー イ イ
ア ビ シ ニア細 .q
iに 訊 す る の紐
地
域
・1
.g十 六を
.
節大 鵬
は鍔
四四
タ ンや 、 巴鬼 で は如 何 し て も 兄 常 ら 夜か った 子
八 月 八 日、舶 中 で の讃 物 や 、 タ キ シー ド の ボ
自 分 で も 不瓜 講 在 位能 率 の撃 った 中 欧 の旗 か
ど 償 めら れ p愉 快 に 別 れた 。
ら 蹄 つね のが 七 月甘 九 = であ るO 今 は幽 閉 の準
賞 行 の 一価 蘭 酉 昔 年 や 等 と 同車 で港 に 至 -乗 舶
す る。 そ し て鹿 は 正午 過 マルセ- ユの港 を出 た
ので あ る。
供 の自 動 車 の玩 具 や 、航 泥 中 の =光 除 け の 眼 鏡
や 一迫 - の必 要 品 も調 った ので p 天旧 軍 や' 両
備 あ る のみ 。 そ し て鹿 捻 ア ビ シ ー
ラ に 立寄 れば
よ いの で あ る。 中 欧 の族 です つか -疲 れ て は居
るが 、 マ ルセ- ユ出 帆 ま で の自 分 は緊 張 其 のも
ので あ っ た 。
沸 蘭 西 を去 る 日本 人 は到 底 も 戚 慨 塵 最 を 威 ず
,
>夜 き 別 離 の悲 し み を 味 ふと 云 ふ
ると 云 ふ。 限 .ク
ル ニー 」に噛 み、 附 近 の韓店 で ユチ オ ピー の 太
自 分 も 又多 少 の戚慨 を き で はを い。然 し を が ら
八 月 六 日 '食 前 の ボ ル ト-酒 む「キャフェ
-
陽」 (Le Sol
e
i
ldFEt
hi
opie) な る小 龍 を 求 め、
人 の 云ふ 程 別 離 の 悲 哀 は戚 じ な い 。
マ- ラ ンド ' デブ チ港(D
JLio
b島
)に着 - 。 外 の
八 月十 八 日 、 =曜 日。 午 前 六 時 牛鹿 は価 額 ソ
であ る為 で で も あ ら う か、自 分 は落 着 いね乗 分
で p 久 し - 厄介 に在 った 備 蘭 西 の陸 地 を離 れ 得
た の で あ る。
もあ ら う か 、 そ れと も 散 開 H本 に糠 る べき 旅 先
そ れと も ア ビ シ ニアが 自 分 を 待 って居 る馬 で で
分 を 見 送 っ て呉 れ る人 が 無 い柿 で も あ ら う か 、
そ れが 審 ろ
中 村 p 太 田 両 氏等 と 伊
自 分 で も物 足 - 衣 - 戚 ず る碑 で あ る. 眼 前 は自
太 利 和 坤 で 別宴 を覆 し 、
あ はね だ し い筑 分 の中 に 八 時 牛 下宿 は据 わ、 皆
の人 々と 別 れ の僻 を 父し 、 八 時 四十 五 分長 - 伴
み惜 な れ 類 比里 の宿 を 出 、 九 時 草 巴 旦 ジ ョ ン曙
を 磯 つ。
八 月 七 日、 午前 十 時 車 マ ルセ イ ユ輝 者 1レジ
ナ」 と 云 ふ ホテ ルに 入 る 。 夕 方 '汽 車 中 で 知各 弘 は在 った薮 術 家 天 田 氏 と 「rr
qツ ソ 」
(
Bas
s
o)
で マルセ- ユ名 物 の魚 料 排 を食 し 、 永 々厄 介 は
在 った 備蘭 酉 の美 塊 け さ よを ら す る 。
別 のも のが あ るが '鹿 に並- 水中 に泳 いで旅客
る何時 もな がら船 の港 に入 る時 の朱 特 は 一種 特
束 は.
以が 常と は興 るので日 を覚 ま し て甲 板 に出
も のも殆 ルビ 無 い。 そ し で此所 骨で同地 であ っ
に今皆 地に は流 行病 が あ ると かで見物 に降 ,
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るF
MNL
=
.
凹≠
のであ った。同 升 は日本殊 に維 新 以後急 速 の進
歩 を遼げ た 日本 の歴史 は興 味 を持ち 、特 に 日本
新 知識 と し て郷里 は朝 を飾 る途 上 にあ る のであ
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rsTaf
f
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i
)は
る。 現図 工 ネグ ス。タ ファリ (Ne
丁庶 明治 維 新常 時 の明治 大群 にも皆 で つべき英
明 の君主 で敢近数 人 の留畢生 を欧 米先 進 図に法
ら れ バ シャワ ラッド許も 正はその -i人 に選 ば れた
後
す ると 云ふ有 様 であ る。
校閲 の槍 奇 は至極簡 単 で、 自動車 で ホテ ルに
入 る。
地 中 で知 合 以ほ在 った アビ シ ニア人 rr
't シャワ
ラッド (Bas
hahwarad)君と同 宿 であ るQ 款 は
アビ シ ニア 囲 ハラ ー (Har
rar)輩 家 も肇 家、 覗
囲 王 の従 弟 に常 る人で 、 早 く囲 む出 て コロンボ
に渡 -其 巌 で英 語 を習 以勉 強 をし た 合衆 問 に
移 -或 る日食 の大撃 で勉 悔し で今皮 業 を卒 へ'
た休閑 西人や白 耳義人 をど が ' デ プ チ の印 紙 を
張 って出 し て典 机と て樺 山 の相 貌番 を自分 に託
は小錦 を 求 める ソ マリ士人 の撃 が 如 何 にも哀 れ
て
ジ
ビ
に聞 え 特 殊 の激情 をそ そ るほ充分 であ る.
七時 ャ ンボ ンと果物と む朝食 に嘩 -八時 下
船 す るO オ テ ル 二プ ・ザ ルカー ド (H川
tetdes
TCades) のア ラ ヤ 人 の ギャ ルソ ンが 四 佃 の
A
新物 を持 って降少 で英 れる。此 所 は汽船 の横 着
け にな る桟 橋 も在- 沖が か -であ る ので小 磯動
船 の厄介 になら なけ れば怒ら 伯。尤 も紋 はそう
大し た 乙と はを い。 リ マ-士人 の巡査 の戒 在 の
がや って氷 で(腕 足 であ る)旅碁 を見 せろと 云 ふ
見 せ ると 、暫 - 預 って置 -と 云ふ。異 聞 で旅 券
を耽 -上げ ら れるを凡 か飲 -気 相 のよ いも ので
はな い。紛 失 しな い戒 に注 意 し て英 れと 轍 ひが
通じ た か如 何 かも 心許な い.同船 の日本 人天田
氏 に は昨 日郡別 の挨拶 をし て置 いた。 デブ チな
んか で 下船 す る 日本 人 は自身 .i人 であ るO俳蘭
西 人家ど でも飴 -降 - るも のは多 - 夜 い。そ れ
アビ シ I
Eア蛾 ま に純す る の犯
地
球
妨十六怨
の数育 制 度 に就 いて は最 大 の闘 心を有 Lt 現賓
の問 題 に就 いて切 - に適 切 な 質 問 hl
馨 し 、 文金
鳴 して
自 ら の悪 鬼 を徴 す ると 云 ふ有 機 で瓦 に 北へ
夏 の夜 の紅 海 の甲 板 上 は語 -頂 け た ので あ った
唯 宿 の御 かみ が .F
'二t十ワ ラッド許 に勤 し で紛ら
デプ チに着 いてから も 彼 は殊 に親 切 であ る。
親 切 でな いの は 不快 の念 を禁 じ 得な い。数菱 の
足ら ぬ の は植 民 地婦 人 の常 であ ると 云 っ て仕舞
へば を れ迄 で あ るが 、ど う も俳蘭 肘 人 は ァ ビ シ
ニア人 に封 し て少 し -威 張 -過ぎ る嫌 が あ る。
J居 る様
ア rri
jシ ニア人 は 一段 下等 な人 種と 考 へt
な風 が 見 え る。妹 は .
Ilシャワ ラッド君 は ァ ビ シ ニ
ア有 数 の中 心人 物と な る べき 人 であ る のけと 思
へば 、第 三者と し て の自 分の日 に も 不愉 快 な 現
象 と し て映 ぜざ るを得な いo
ホ テ ルも民 家 も 商店 も 、 デプ チに於け る白 人
-
の 建 物 は凡 て'如 何 に し て潜 熱 と 損庇 の光 線 と
を避 - ベpJ
かほ絶大 の苦 心 を細 って居 る のが看
取 せら れ る。 肝 と .'
,hル 三 千 の旗 造作 せら れ
て居 葛 の老人かも そ の 趣向 の 一
.つであ る。舶 む
節 六挑
発
六
凹六
降 って流 石 に疲 れ む憩 えた 。 t
fy
' ル コ ニー の藤 椅
子 に腰 む 下し て悠 - - パ ンヤブ ラ ッド潜と 閑 淡 す
0
る
抜 目 の覆 いソ マ-士人 で はあ る。 如 何 し て知
った か 何 人 か の ソ マリ人 が ソ ヤ-製 の槍 と か、
囲扇 と か色 々 の土俗 晶 を持 って裾 で'如 何 かし
三 男-付け 様 と す る。 興 味 が覆 い乙と も在 5
'の
で到 々槍 を 二本 買 って仕舞 った 。然 し 二本 で俳
貨 二法と 云 ふか ら 高 いと は云 へ氾O
荷 物 を蒲 取 った後 、 バ シャワ ラッド潜 に伴 は れ
a、館
で デプ チは於 け る ア ビ シ ニア領 事館 は 至 ・
員 基 氏 に紹介 せら れ る。敦 厚を 人 達 で束拝 が よ
い。 又郵 便局 に 至 - 「ア ンゼIL 丸 船 客 から 依
頼 せら れた義 勝 を果 す 。自 らも 若 干 の ソ マリ ラ
ンド郵 便 切手 を購 ふ . 切 手 の蒐 基 癖 な ど は無 レ
のであ るが '之 机 は珍 晶 で あ ると 瓜 ふ 。局 員 は
俳 蘭 酉 人 が主 であ るが ' ア ビ シ ニア人 に勤 し で
/文化 的
は横 柄 を 態 度 を持 って居 る如 -見 え た O
は 云 って植 民 地民 族 と 旦 ぶS つべき も のが あ る
と 恩 ふ。
女 忠常最 し たが惜 し い事 に露 出 過多 で失 敗であ
第 六塊 宴 に入 ってと ろ -
郷 に入 って は郷 に捉 へだ 。 そ れに疲 れ でも碍
る。睡 る 乙と は 不服 のあら う薯 はな い。自 分 も
郵 便局 から の掠 る さ頭 上 に物 を戴 - リ マ- の
った 。 そ れ程吾 々の想 像 も及ば ぬ 位 日射 は強 い
際 そ れ は夢 の問 であ る。 暑 い暑 い夢 の問 であ る
草 分 は睡 て居 るが 平分 は暑 さ の馬 めに苦 し ん で
蔭 の多 い家 の中 で、枕 も'布 圏 も 、着 物 も
琵 七
掴七
って バ シャ
ワ ラッド君と 停車 場 へ散 歩 し て見 る。
潜 に太 陽が 光 -輝 いて居 る のであ る。 明 々と輝
いて屠 る のであ るO夕 方 日 の陰 った頃 、馬 車 に乗
浴 び て精蘇 生 の恩 以をす る のであ るが ' 元 来憩
いのであ るから そう筑捧 よ いと 云 ふ評 に は行 か
uで あら う 。本
ぬ O をし て 又何 と 云 ふ 日光 の弧 r
人 でな いと 了解 揖 凍 犯と 息 ふ。1風 呂 ,btワI を
物 菅 が 人 間 の身 鰻 より熱 いのであ る。 紅 準 や新
茶 蚊 な どが 薯 いと 云っても 、 を れ は大 健 海 の上
の藩 さで あ る。 ヂプ チ の爵 さ は賓際 に経愉 し た
!
四十 二度 と か け気 漁 が 上 る横 は沓 5
,であ ったが
今 賓 際 に其 れht
健 勝 す る ので あ る。 四時 牛 ま で
塵 ね のであ るが 、目 を覚 ます と 何と 云 ふ暑 さだ
居 る のであ る。 汽 船 骨 配 の案 内番 に は豪 の中 で
と 夢 の問 に入 る。薯
のであ る。
十 二時 中食 。 ホ テ ルは傭 蘭 酉 人 の総督 で '料
班 も欧風 で あ る が ' 決 し て美 味 と は云 へな い。
植 民 地味 た つぶ らで あ る。 光 も料 班人 に は ソ マ
-人 が傭 はれ て居 る のだ から致 方 はあ る ま い。
以前 は T支 那 人 が料 班人 に使 は れ で居 て勤 勉 で
あ った上 に料 州も 上 手 であ ったと 卦 か み は 云
って居 た D 飲 料 と し ては ソー ダ水 と オラ ン',,
hl
I ドと が あ るが 、矢 眼 -田倉 の味し か 有 わ な
(0
し
食 後 、段 々人 気 が 少 -な ら急 に通わが 静 か に
な ったと 思 ったら 、鴛 - べし、唐 人を食 後 の午
睡 なと りで居 るで はな いか。然 し これ は熱 帯 問
だと 漸- 倉鮎 す る。
と し て は絶対 的 に 必婁売 人
ア固 ま に詞 す る の詑
ニ
息かみ も 王人 も食 事が溶 むと 常人な自 分 の室 へ
這 入 って行 った の は此 の午 睡 の馬 で あ った のむ
知 る。
アビ シ
地
球
節十 六 各
藩 は遇 の人 達 が ァ ビ シ ニアから 降- て来 る の ほ
愈 以は 行-精 -ら し - 、自 分 は色 々な 人 達 が降
ゎ て祈 る のむ見 物 は行 - ので あ る 。 六 時 は少 し
遅 れ て汽 車 は着 いた。 ア う・
ビ ア人 が降 み る、 ア
ビ シ ニア人 が降 み る、 ソ マリ人 が降 - る' そ し
て 又ね ヒ ンドゥが降 - るO 一人 だけ であ るが添
書 のネ グ ロが降 - ねO これ は セネ ガ ルの黒人 で
あ ると 5
'
tシャ
ワ ラッド潜 が敦 へて英 れ る。 l寸 人
ゎ
家禽
種 の行列 を見 る様 で、 小 供 心 に祭 職 の武 者 行 列
を見 た棟 を 嬉 し T
TJを戚ず る。 そ れ は荷 興 味 の操
いの は、 此等 の人間 が 何 れも御 土 産 品 や商 晶 を
ど つさ 持 って降 - て衆 る こと であ る。 羊 や 山
や、 瓢箪 に入 れた バター や輩 竹 や そ の
羊や
他 種 々雛 多 の晶 物と 共 に邪熱 と 降 - て凍 るで は
な いか pそ し て我 れ先 き にと 出 て行 く 。
六時 牛 アビ シ ニア餌輩舘 の自 動車 で宿 は蹄 暫 - 休 息す る。
七時 、 宿 の ク.
ク シー を握 って ヂプ チ の市内 か
ら 郊 外 は散 歩 す るO ア ラビ ア人 の家 も見 え るが
勿 論 堂 々L
Jるも の は少 な い。 ソ マリ人 の家居 は
大助
節
田賢
的八
白人 種 から 少 し 離 れた 所 に 分 離 せら れ て居 る
が 、 そ の豪 は水 の幹 や枝 な ど を以 て貧 弱 に作 ら
れ て屠 る。規 模 も勿 論 小 n い。 此 の慣割 は白 人
uせ るが
絢 は 此 す れば多 少概 夜 ら し い戚 じ む題 r
白 人 の都 市 計 蓋 は よ って建 築 せ ら れたも ので あ
るから 町 並 は整 って居 る。
ァ ラ ビ ア人 の回 数 寺 院 が 一つあ る。 小さな も
ので建築 旦 北浜 で は覆 いが 、白 - 塗 ら れ て黄 昏
の基 は 浮 び出 た所 は欠 張 重 患 に事 。た遊 子 の 心
を引 つけ な いで は措 かぬ。既 足 の回 数徒 が 熱 心
は新 穂 し て居 る のが 見 え る。
家畜 苗 場 が あ るQ 主 に羊 と 牛 と が寅 男 せら れ
る ので あ る。
郊 外 の飽 田 は可夜-大塊 横 を も の であ る. 叉
ね ア ラビ ヤ人 が 沙 漠 の中 は漁 況 用 の井 月 を穿 ち
涼
植 物 の耕 作 を企 て て居 る朋が あ る。然 し名 は耕
地で あ るが ー 荒 寧ろ 凄 惨 を る威 を起 nせ る.
る賦 野 の棟 と 云 以' 凡 てが 死と 沈 獣と の表
紙 じ て郊 外 から 見 た 山 のね だず ま 以と 云 以、荒
漠た
徴 琴 bざ る はを - 、色 は弟 味 が か つて膏 妹 をら
そ の身 が 淋 し
い邦 鯛 ' 唯 な ら
ぬ 胡
は果 てし もな
境 にあ る のむ
日記 を託 す。 貨 際 午 旅 す る こと は劫 r
Jを 桁す r
J
と であ る。虐 F,
て緊 舶 し て屠 ね 〃 が幾 分 冷 し い
所
つ-
根 在京 が す る。 又水 際 ソ マリ人 な ど は午 帽 し な
′ト 、と 戚 す る のであ る。 此
- 稚な dJ
陸 地 の' 紘 ガ ア ビ シ ニγの応 脱 は絞 -
5
'
証 旗 に此 の相関 で も中 京 で相 を少 いては る の
で居 る のが 特 桁 で あ る。賓 際 骨 と 皮 の
問
人 間が多 いのであ る.焼 け る様 な 地面 か雌 止 で
りと 仰 せ
i.
つ- 八 ・
、見 る. 彼 等 は非 常 に身 鰻 が 紳 - すら
で あ る。 日記 を 託し な が ら 通 - す が る ソ マリ人
桝 で あり ' ソ マリ の域 は人 目過 多 な る我等 の闘
よ-見 れば 正に沈 獣 陰惨 の閥 で あ る。
士.
七時 中 桁に如 - ' 八時 夕食 。食 後 ソ マリ人 の
排 御 す る符 の中 を散 歩 ' 卜時 ま で情 の テ一
ノスに
=r
,も去 った ので妹 に
t
J,シャワ ラッド.i
.と 語 か 、 *
此 -0
入 〃十 九 日'月曜日。 七 時 牛起 床 。 此 の帖 聞
容に
な ら は米 だ.・
5-はな い。湖 企 む沸 ま せ てF.・
J旗 瀕 の進退 h'
要 求 し、 ・記念 と し て捺 印 を詣
行d
て南朝 とし て賞 ふ。 此所 に は印
ふ。鈍 行 にこ行 っ
腔 支 部銀 行 の支 店 が あ る。英 貨 正確 を化 し たら
アビ シ ニアの貨 g r
T
IJ十 クー レル(
Th
at
er)と仰托
六卜 五 法と 雲 .
決れね。 此所 の銀行は十 時 平 から
.
-二時 や ま で附 子 at 三時 坤 から 五時 ま で 閃く 。
如 何 に臼人 が滋 r
uに例 日硬 れ て居 るかが解 る。
ニ
ア餌.
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Hに :=す る の氾
尤 も身腔 と.
火 切 にし ては ると ︰
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rへば 云 へな いr
J
と もな いが 。 申︿
比後 は午 睡 h廟 合 し 三 二時 ま で
アビシ
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.i十六を
妨・
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(班
堤 .3
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後 テ ラ スで休 息 し、日.y
:>漉 いて十時枕触 。幾
球
歩 いて行 -0(第 一間 )
仰 皮 製 の・tL
履 hI
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穿 いて 依
分 退 桝 な -4日であ っ∼
h。
地
るも のも偶 に は見 受け る。
濠 の中 で ソ T
,クの女 が軸 排 の旗 を送・
J
L分 け て店
る のむ
見 るO 之 jt はアピ シ ニアのガ から 氷 るも
一
ソッドTS
=と 一所 に術 &.
散 歩 し て止 る。 介 の様 な
八生 1
十 日. 申食 後 救 刑な るま ま に .
ハシ十り
フォツ シ、
元帥 修 hl
態 ん だ後 五時 から 六時 ま で
1
.
い
.1寸 暇睡す る 。 此 の時 刻 は大分沸 きも凌 ぎ 3
のであ る。
鮎 る前 岩鼻 &.
数 枚磁 つね が矢 収 失 敗 であ っL
J
ー
ノ
レ
のに泣 以な いが 、 本場 に焚 く貨 物 を見 る戚 じ は
父 ..稚特 別 のも のが あ るし
家畜 揃場 に竹 って見 る。 羊 肉 や家禽 や 、 オ
ンジ' シト ロ ン'無 花 瓜 な ど の鵜 物 や怒 、 サ
ド等 の野兼 や 雛 卵 、魚 な ど が '⋮
Hら れ て依 る。
人位 輔 坊 は菅 んな お服 かも 知 れな いが ' 此所 の
揃場 も 飴 -緯 度 在 所 で はな い.然 し ソ マリ にも
揃場 が あ る こと シ東 映 粍- 見 た。
回 教 寺院 に行って見 る。腕 旭 でな け れば 入 る
r
Jと を許 さ れ ぬ。 一人 の ソ マ-が メッカの方 に
今 日もi
(だれ小 は川
し勿 論 火 し た‖
⋮物 はな い。滋 物 が多 -美 術 的 の
が 私 を引 茄け L
J.輿
あ るが ' ソ マリ的な 炎 服 37
C
,たし て居 る のを見 た 。
向 つて 一作,
懸 命 御 所・
J
は何匿 に でも あ る謂 で
英 服砧 h・
見 る。 英舵.jt
な い。 L帖 や 夕食 、へ
止
ら れる。
のかn色 のfm朋 栄 が 見
何虞 から 持 って額 たも
版 歩 す る。海 洋 に は'
六 時 中 仲堆 場 附 並 か一
す。
被 って行-女 達 と を示
祉集 と班 から .Siい和 を
あ る.妨 二川 は熟 柿 の
ほし か出 て氷 な いので
現 像 し て川 て凍 る筈 の ソ マリ上 人 は椎 だ か す か
_l・,
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聖
軍
偵値 も そ うあ る様 に も瓜 へぬ 。
休 砧 は多 - ヒ ンド ゥ人 が 僻 ん で屠 る様 で あ る
街 企倍 が ・S偶 地 で あ るから ' カイ ロの戚 な i
L
典 的 な惜 趣 は少 し も 妹 へな いが ' ソ マ-人術 に
は勿 論 ソ マリ的 の情 趣 が 火 分 漂 って店 る r
Jと >・
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汀過す る r
Jと が川 求 な い。
午 後 EI
昨 γビ シ ニア領 叫 和 にIq
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- 兼 併 の<=
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符
を 受 け る J 1-J H は愈 々 ア ビ シ ニアに向 ふ のガ と
tと .
'〃 エム ・t
r.ムC=
如 支 揃 に .4
Lh此
‖心ふ。 を L
の 次 の汽 船 の〓 帆 期 日等 ほ蛇 5
'で冊 介 はせ て舵
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八 月 1.1
卜 41日' 水榔口。乍 前 川時 や起 伏 、 .:
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7過 朝 食 。 パ ンと 小孔と で あ るが 少 し は肥 れ 1J
小味 いと も‖心はk
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いぼ か - か ' 一純 の味 が あ る
と 考 へる様 にな った 。 ソ7-人 の ボー イ、 七 .
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を片 言 交 - に
磯 杜 で、顔
- 、 初 め は柏 な ら し いと 皿 っね が m
る 。
っても 大 分 の御 節 様 で '俳 蘭 .t
M語
洪
話 す ボー イが 迎 ん で 凍 る ので あ
や 下 迫も
れ ttば これも 蝕 し い人 間 であ る。録 って凍 る ま
で荷 物 を火 小 に介 排 に 入 れ /
Lrn
Jく から な ど 親 切
ア ビ シニア的 T に誠 す る の.q
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l世 話 を煉 いて=.
光れ るハ 人 間 の戚備 に閥 坊 や 人
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t と●
お人 小 節 に停 車 す る。
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此 所 ま で は外 人 ど 1軒 の家 を.
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見ず 、 旧 に 入 る
, 山
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j地 と
も の は雌 火 山 と 様 々た る'C H の 如 p 熔
七帖 五分
デ プ チ を過 ぐ tlげ 汽 水 は唯 荒 涼 た る沙 膜 の如
き 熔 ・:
前端 地 の上 と通 る }光 も沙 膜 と よ っても多
少 の乾 炊 地性 椀 物 は見 ら れ 山水 はな い。
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経 つ。
過 ぎ る。 気 が 利 いて は居 るが ' 誠 :
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心が 旭 - 氾。
然 し ∩木 に だ って そ の硝 の人 刑 は店 る筈 で ' 別
ヤ人のギ十
ルソン(
第 三 問 )は少 々金 を)
欲 し が-
唯 ア ラビ
であ る
分 を旗 行
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純 の凶 が あ る碍 で はな い. これ7
;中 々税 切 な 御
筋
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て凍 るのなど
もあ る.兼客
も慣 れたもの
で'彼等 の努
力書こ救ゆ るた
め羊恵 から小
鏡 を投 げ て居
るのがあ る。
第六 間、第
七間 は列車 の
普 - のAJ
業し
て
み はし 尊 へ
す.
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集 ま って凍 る土人 の子 供等 を示す 。(アサ ・
エ'ト辱 )
十 二時 五 十分 Ai
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ha と 云ふ輝 に着 -。汽車
は此虎 で 一休み で、放客 は下車 し て俸 前、と 云
占めて仕舞ふ。列書中で徽約して貴くのS
J
ある
ビュフエーは大我 下等 tf鯛藤 商人 又た抹肴義 人(
ア ルメ 一
t7人等が曾敢 の鞍 可と受け て叢書 して
居 る のであ る?勿論 美味 な るQ のAJ
食 べる暮 ば
的 本 職が'汁 疎 に はし てあ る.
その
他 のJf・
客心大
抵舞雷
辞書 で
あ るし
又徽 附
.鑑の土
他 4:
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人が 土
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十 二 法 の 中食 A
Jと る 。但 し之 れは
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やそ の
償
っ て も 大 健 野 の中 の凍 在 所 であ るが ' 其虎 の t
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17 エー で 定
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︰馬瀬奪
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等 の 白 人 藩 で 殆 ん ど 金部 の績 手と
王 に嶋 ナ るC艇
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シ 一丁{
1等 容 及 び
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地
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節十六
只
亜群 川で
曙 を 額 す る。 此 の附 近
の山 水 の成 夜 食 料 =
Mを 汚 な ら し い灘 に・解 れ 壬
- に水 て居 る.
一時 二十 分 L
J車 は此 の
川
甲 ・.a
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折 六蚊
る
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と や る所 に吋
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Jか大 き な た
塔 を 見 る. こ
ワ
は故 に 平 `
な 沙 淡 で あ るが継 物 は吋な
あ る(第 八 川 '.第 九 問、第 十 固 )
。 そ し て度 々に池
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ら =3 いて勿
れが 蟻 晦 で あ
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t シャ
があ る
成 る符 動 物母
槌
と 云
で あ る。 そ う かと ‖心ふ と t[ガ で は峡 雁 比凪 のほ
吻 もす る。 図 初 よ- 敬鹿 な 兆 舛 散 開 であ って欺
♪鰐 に新 -。 此 の姓 は土 地 7
9人 分 満 - 細 見も多
い篤 めか 叶な -樹 木 が多 い。そ し て動 物 で は牛 、
触 鵬 ' 解 離 ' 羊 が 多 い. 此 れま で の鰐 で も 気 が
若 いね こと で あ るが ' ア ビ シ ニア人 は長 者 に封
し て は腰 と 加- し て 丁寧 に御 節 儀 を す る。 丁比 円
本 へ鈷 った様 な 気持 が す る。 挨 拶 は到 底 も牒 恕
Et B ah
六帖三十分
の教 科仲 で見
を
かと 息
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羊' 解
離
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T? が 多
い。 史
は 進ひ
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Jに紬 す る の馳
萩 も ∩本的 で
御節儀など は
であ る。桝が
羅 巴風 の朗も
吋な-多 いの
が邸然 と耕 物ht
持 たせ て貼 れと て盗 って凍 るせ
亦 帽 の徽兼 を附け た人間が居 るで はなし、 卜人
俊と 云 へば 不便 であるが'悠雅 に躍 るよ- は竹
しな のであ る。然 し 不便な r
Jと も 不便 であ る。
何と 云 っても
奇腔な 駒 と 云
円空
五 !<
の桝和 地 へ出 掛け て居 て火 だ何時鋸 るとも 不明
であ ると のJlfであ る ) ..寸 火盟したが、車 の伐
にも瓜 つね。新 し此所で止 めら れL
Jら 肝 心 のア
デ レ・ダウ ア、此所 は萩中や アビ シ ニア高 批 の
上で樹 木を ど も多-、第 一妨 し- て束持 よく、
州蕾 の家居 もあ-、琉和 も吋な -美し-、・軍内
も明 る-、 心細 い‖心Ltはさせな い。入時や 夕食
の砧 に就く。
夕食 後、術 の申 hT.
散少 し'綱 川を渡 って、鞭
動栂 の音 を日皆 では' ド ・モ ンフレー ド氏 の工
場 まで行 って見 る。錐冊 - 工場監 督 の大人 丈け
が在 宅 で、 モンフ レー ド 一家 の人達 は ハラー γ
け で泥杵と良比と のi
f別 は勿論外 川人L
Jる我等
i
.
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作 は仰蘭 帥語
に断 る賃 がな い。然 し菅 んな片 t,:
が解 るら し-'割合 に忠賓 に荷 物を放館 まで迩
人で行-O
は夜け ればな
ら 伯o
入相 デ レ ・
ダ ウ ア (Di
r?
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ua)に据 O
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此所 の;
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:
叫 は収 は走らな いのであ る。旅客 は俳
人な荷 物を持 って下如 しなけ ればなら ぬので 不
いのであ る。夕食 を食 って鮎 れば いいも のら し
い。伊人利和 (
H6
t
o
td'lt
at
i
e)と 云ふのに入る
希気な閥 であ る。 又貿際 そんな に急ぐ 必安も在
殆 んど lL時間や の延右 であ るが、何人も別段 そ
れを意 に丑めて居 る椎 にも‖心はれな い.流不 に
T
一筆恥
r
t.
1
:
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嶋
隷
欝 十六巷
デ ス・ア べ〆行が危 -な るだら う から'明朝 の出
欝 大義
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異
五
六
兼
何 と好ん で こんな 不便な 席 へ ね のか4'
4息っ
迎 への列車 中 の人と 在 る。放 し徒歩 連絡 の御津
で中食 が遅 れで三 時牛 にな った。 可を 4困難 を
て見 る。然 し流石 に日本人 だ。割 合に要衝 よ-
が 便所 が宰 から は大分遠 い所 の度 の中 にあ って
放 行で はあ る。 此 の過 にも牛 '慮 馬 '尊 '山羊
発が早 いので九時 牛親藩 。
八 月 二十 二日。 五時起 床。尾鴇を 話 し にな る
燐 寸 AJ
箭つ
壬 且汚燈 AJつけ て用達しをす ると 云
ふ有 様 で' そし て可なみ 不轍 であ る。 こう 云ふ
く。 此 れが ア
多-人 目 を引
人掌 と が 最 も
観 を鼻 し て居
る。 これと 仙
し い 一種 の泉
今が花壇 で美
歓 の木 の積載
が あか'丁度
ミ モザ 即 ち 合
る。植 物と し
ては ア カ yア
家禽 等が救多 -見 受け ら れ る。 又列車 中 から 野
生 の猪 や'野銀 の滑車 やが見 えるから兼 東 であ
所 は 日本 の附合 でも飴 幕 の片 田舎 に行か のと 無
いと 思 ふ。
六時牛朝食 '食 後 ア+
i
Iシ ェア政府 の支鳥 の祉
物の+
I.ル n ニーI
こ発 って見 て' '
rty十プ ラウド滑
と ヂ レ・ダウ アの地形 を概観 す る。 ヂ レ・ダク ア
自 身 は少 さを徴 々た る町 であ る こと を知 る。想
像 と は大分 逮 ふ.飴 ・
少者 -荏 - て住み 易 いので
悌蘭 狩人初 め比較 的多 - の白人が集 って居 ると
云ふ丈け のこと であら うと 凪 ふ。
七時牛汽車 は デ レ・ダウ アAJ
費 つ。水番 のた め
ヰ 楯が落 ち て徒歩 連 絡 の箇 所 があ る。荷 物 の多
い放客 に は可な ら の苦 痛 であ る.荷 物 雄搬 手 の
中 に は盗人が居 るか も知 れのから 任意 す る様 に
と 云 はれで見 れば何 更 -こ苦 痛 であか 不安 であ る
第
十
二
の地 方植 物景
ビ シ ニア の此
で あ るから と て、 '
,,シャワ ラッド方が デプ チから
服 用 し て置 -.之 れ は て フリ ア蚊 が 多 - て危除
九時 就藩 。寝 毒 は西 洋 式 で あ るが成 る程各 室
買 って凍 た希膿梨 の賀 車 錠 であ る。
云 へると ;3ふ
と も蚊 帳 を吊 って居 る。失 嫉 み蚊 が多 い人 だと
観 の 一特 徴 と
第 十 一問、 第
恩 人。
此 所 は狩猟 客 の多 教 典 る桝 と 云 ふが '矢 張 淋 し
に入 る。矢 張- 一々荷 物 を 迎ば な け れば在ら ぬ
道 指定 の施術
c
he)に着
ア シ1(H
.
au a
八時 牛 ハク
見ら れ るかと
野生 の冷 羊 が
す る+ 早 - ち
坪 を出 て暫 -
ア シュ
揮発。
四十 五分 アク
で あ る。六時
八 月廿 三 日 、金 曜 日
。
十 二閲 は ア カ
シャの群落 を
い 1A避 相 に過ぎ を い。 狩猟 の中 心と もなら うと
恩 ふと 叉美 し
五時 牛起 床、 六時朝 食
朝 食 も 西洋 式
云 ふ 朋が そ う繁 華 在 所 であ・
。柑 る竿 はな いが '
示す 。
も少 し 艦 かな 何 か と 想像 し て居 た のであ る.御
い故 地 が蕗 め
ら れる。 入
鍾
・
客 が 多 - 省 は浦 臼 と 云ふ有 様 で ホテ ル丈け は腺
時 メタ.
1I
フ(
アビ シ ー
tア 始 ま に 訊 す る の詑
か で はあ るが 。 九時 夕食 、食 後 、規 郷 の錠 剤 を
閤
地
珠
郡 十
M etaha
ra)鐸茄 o 此 の鰐 の手前 に明 瞭 花 火 両 と
哲 ポ流 と を見 る〇 ・L
L・
S展 >・通 った のが 肌 十 三問 で
あ る。
ka・
Dj
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o宕
九 時 四十 五 分 マ ルカ・ヂ p碍 (Mat
此 の鰐 の手前 に 木 棚
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義 家 と の耕 作が 諦 めら
に 棚化繊
掲
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ヨこ 十
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)鰐
。 此 の附
に茄
並 に は非 常 に
奇 妙な 恰 好 を
し た 家桜 が あ
る。 鵠 異 し た
のが 第 十 六 問
で あ る。 比 家
の形 式 ーこは人
鰭 二和 紙 あ る
節 一の形 式 は
第 十 七 問 に兄
ブ
1
-で
中食 . 組 織も 料 5'
も 火憶 昨 Ht 1昨 日と 日成 で
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o)坪 井 。 ビ
中 経 二時 過 モデ ヨ(A
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ね て聖 此犬 に向 はし め て居 る 手 法 も 又興 味 あ る
も の であ る。
式 は筋 十 八 倒 ーこ 見 る如 - プラ ンが 矩 形 で あ るも
ので あ る。 家 根 を班 いた藁 か 、 発.
か の先 端 を 束
る如 - ブラ ンが 蜘 形 な る も ので あわ ' 節 二 の形
閲
れ た0 久此 の附 並 に は火 ;紳 '頃 火 孔 (第 十 糾
確 光
羊 、船
多
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倣
腔
ー ラ ンケ チ (
十 .l時 牛 ク
見 る ので あ る
の
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端 艇 に は隼 '
す る 。 而 し て
を
岬 で あ る こと
シ ニアが 火 山
見 ら れ、 ア ビ
ava cave)熔 岩 流 '熔 草 金地 (節
問 )熔 岩 的 (t
十 11<糊 )等 が
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四
聞
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四時 ド
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の士 人
は琉 球
蓮-で
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も見 る
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噛 って居 る 。中 々美 味 いAや つであ るら し い○
.
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正
に的 す る の陀
見 ら れ る 。然 し な が
ら何かしら 此 の
い感 じ ht
起 さ せ る ので、バ シャ
和 しな
円安
家
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首 府 ア デ ス ・ア べ t
J,も 些 つ いたら し い。耕 地
が 次机 に多 - 衣 - 比 の敏 も漸 -加 は って裾 る
アビ シ T
lア 蛾
些‖
山
等 が 作ら れ て肪 る。中 に耕 させ 手 でtLを取
十和 前 オー ス ト ラリ アから 船 人せら れた も ので
あ ると 云ふ ○
ワ 一シサド非 に扱 いて見 ると ' 之 れ は人」から 約 五
吋な ら多 闘 士 に は訓
樹 木 と し て ユー カリ ブ ク ス (
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年 日本 の風 物 と 北 村L
だ か 日本 は掠 った接 を LF
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人 に は親 しみ の漆 から 如 も ので あか 、 殊 に油 二
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心 の中 の擢 茄 かな r
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、 今 や怖 れ の土 地 ほれ - か
又此 の蓮 に はけな -耕 地が多 - 、-;:
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節 大紋
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枚 閥 の検 査も 、旗 碁 の槍 窓 も 共 に極 め て簡 革
であ る。唯 何と 云ふ 温雅 と 不秩 序 と であら う 。
先 日 ヂ プ チで児 ね と 捌か も興 る所 はな い。 而 し
て今 や自 分 が 此 の混 乱 と 無 我 序 と の渦 中 はあ る
-
(二二 )
瀧
規
一
の は ベア ツリ チ エの家 を訪 れ ダ ンテ の便 蒙 を訪
と の主 巴 の鞠 係 を 訣別 せ んと す る束 縛 を起 し た
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自 分 を外 交官 と 決 め て仕舞 ったら し い。 枕 閲 も
旅 券槍 沓 所 も嘱威 張 り散 ら し て通 って行 く 。 出
迎 の自 動車 に乗 ると到底 も御 世 節 を 振 - 撒 いて
仕 方 がな 5
,
。 此 の よ い土 地 に 一人 の 日本人 も屠
な いと 云ふ 乙と は磯念 であ る' 日本人 の様 に商
買 上 手な 人 間 が 一軒 の商店 数 も持 た ぬ の は遺 憾
であ る等 勝 手改 革 を 云ふ。
早 - も自 分 が 日本 人 で あ る こと を知 -猫 わ で は
rial Ho
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) と 云ふ 旅
車 '碑 囲 ホテ ル (lm pe
館 の主 人 は捕 ま った。彼 れ は希職 人 であ るが 、
のであ る。最 に文字 通- の渦中 であ る。
節 十 六怨
ろ
∼
と 思 って の軽 い心臓 の 海ど- . そ れ は嘗 て ニュ
ー ヨー クp ロンド ン. .
I,タを初 め て見 る直 前 は
触 倣し たと 同様 の落 着 か夜 ruと 心臓 の鼓 動と で
あ る○
ァデ ス ・ア べb
JTの近- ほ 小 さな 火 山 性 の丘陵
が あ ら 、 そ の中 は 洞猪 が あ ・
9、 土 人 が之 れ を住
居 は利 用 し て居 る のを見 る。朗 は遡 れど 、嘗 て
北 米 ク リ フ・ドゥタブ ー (
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旦 恐悦と 武 士道 の中 世 的 唐 愛 と 舟場 式男 性 友 愛
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