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「牛肉」に思うこと

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「牛肉」に思うこと
提 言
「牛肉」に思うこと
消費科学連合会 会長
大木 美智子
60年前
苦労していたか、小学校低学年の私にもわかって
はいたがそれでも時には不平不満を親にぶつけた
今年は戦後60年ということで新聞やテレビの特
りしたと思う。まして幼い弟や妹には親の苦労が
集記事や番組が多く目につく。サイパンや沖縄あ
わかるわけもない。今になって思えば子どもの私
るいは広島・長崎の記録など、あらためて見聞き
たちの辛さよりも、子どもに満足な食べ物を与え
するにつけ胸がつぶれるような気持ちになるが、
ることができないという親の悲しさ辛さははるか
関東平野の小さな町に住んでいた私たち一家は、
に耐え難いものだったろうと心が痛む。
町の一部が爆撃されたものの幸いにも戦災に遭う
こともなく終戦の日を迎えることができた。その
日、「もうこれからは飛行機が来てもかくれなく
肉との出会い
ていいんだよ。空を見ていいんだよ」という父の
肉という食べ物に初めて出会ったのは戦後2・
言葉に安心して見上げた空のぬけるような青さを
3年たってからだと思う。学校で「肉」という漢
今でも鮮明に覚えている。
字を初めて習ったのだが肉という食べ物のイメー
戦争は終わったものの食糧事情が良くなったわ
ジが全く浮かばない。町にも肉屋さんはあったは
けではない。給料生活者の両親が祖母と私たち4
ずだが子どもの私の行動範囲にはなかったし、仮
人の子どもの食べ物を手に入れるためにどんなに
に店を覗いたとしても多分店頭には何も並んでは
いなかったろう。ちょうどその頃、東京へ出張し
た父が肉を買って帰ってきたのだ。牛肉は手に入
らなかったので馬肉だという。その晩家族で鍋を
囲んだが、肉というものはなんて美味しいのだろ
うと感嘆したものである。しかし残念ながらその
後中学・高校時代を通じてそれを再確認した記憶
はない。
「もはや戦後ではない」と経済白書で宣言され
た昭和31年東京の短大に入学し、自宅から片道2
時間かけての汽車通学を始めた。列車にはいつも
闇屋さんたちが乗っており「戦後」は続いていた。
お昼の弁当持参だったが一度友人に誘われて東大
の学生食堂に行ったことがある。そこで初めて鯨
2
和をもって貴しと為す
私にとっては活力の源であり心身を癒してくれ
る有難い牛肉ではあるが、食材として消費者の立
場からみれば残念ながら問題がないわけではな
い。私共の消費科学連合会ではこれまでに食肉に
関する消費者の意識調査なども行ってきたが、牛
肉、特に国産の牛肉については価格が高いという
点が購買上のネックとなっている。輸入牛肉は安
いが味に不満ありとする人が多い。我が家でも二
人の息子の成長期には家計の都合もあり、輸入牛
肉を試みたことがあるが不評であった。輸入牛肉
も今では当時よりは日本人好みの味になってきて
肉のステーキなるものを食べたが安くて美味しか
ったのを覚えている。
家政科では週に1回の調理実習があり当時のノ
ートが今でも手元にあるのだが、それを見ると献
いるが、夫は聖徳太子の十七条の憲法をもじって
(牛肉は)「和をもって貴しと為す」という。品質
についてはまさにそのとおりだが価格まで貴しで
いいかどうかは問題だ。
立のほとんどは野菜や魚を使った料理であり食材
肉の価格というのは昔から消費者にとって納得
に肉が登場するのは極めて稀である。たまにあっ
のいかないもののひとつで、昭和41年には私共の
ても鶏か豚、1年分のノートを操ってやっと1箇
会が豚肉の小売価格の不合理を訴えて農林大臣ま
所「牛ヒキ肉80匁」という記録をみつけた。メー
で巻き込んだ行動を起こしマスコミの大きな反響
トル法でいえば300グラム、ただし調理実習は4
を呼んでいる。また、昭和49年には牛肉の小売価
∼6人のグループ単位で行うから一人当たり60グ
格について田中首相が農林省に対し流通機構にメ
ラムぐらいだ。ところが別の日の献立を見ると食
スを入れるように指示している。過去は別として
材は松茸で、なんと一人1本である。実習ノート
も、BSE牛肉や豚肉関税をめぐる詐欺事件などを
に食材の値段を書いていなかったのが残念だが、
みれば、この業界が決める価格というものはそも
牛肉はまだまだ私には遠い存在だったようだ。
そも怪しいのではないかと思われてもしかたある
馬肉・鯨肉の「戦後」を脱して曲がりなりにも
まい。どういうわけか肉の場合は卸売市場を経由
牛肉とつきあえるようになったのは、昭和35年結
する率が他の生鮮食品にくらべて極端に少ないよ
婚して東京に住むようになってからである。近く
うだが、これも価格決定の透明性という点でひっ
にはいつも枝肉が吊してある大きな肉屋さんもあ
かかる。トレーサビリティも導入されていること
り実物を通しての肉の知識を得ることができた
だし、この際ランダムないくつかのサンプルにつ
し、それに何といっても学生時代よりはお金の制
いて、牛の売却価格から店頭の肉の小売価格まで
約が少ない。夫も肉が大好きということもあって、
追跡調査し、生産者・消費者それぞれにとって納
給料日には少し贅沢だが牛ランプステーキを作る
得がいく価格となっているかどうか実証してみて
のを楽しみにした。以来45年、夫婦ともども健康
はどうだろう。
なのは時おり牛肉から活力を貰っているからだと
信じている。
「和(牛)をもって貴し」とするからにはそれ
を扱う者もまた清く正しくあらねばなるまい。消
費者に信頼される流通機構となるよう生産者側か
らも強く働きかけてほしいものである。
3
家畜市場の子牛セリ風景
∼電光掲示板に子牛の情報とセリ値が表示される
和をもって心安し
実を言うと消費者がよく知らないのは価格や流
なるであろう。国産の牛肉についてはトレーサビ
リティの導入によって詳細な情報の入手も可能と
なり消費者の安心が図られたはずだが、耳標のす
通のことだけではない。そもそも日本では肉とい
う食材の歴史は欧米とちがって極めて浅く、消費
者は食肉や畜産業についてあまり知識を持ってい
ない。食肉に限らず若い消費者には食材やその生
産についての知識に乏しい人が多いが、それでも
野菜などの農産物については親や祖父母などから
教えられることも期待できる。しかし、食肉に関
してはどうだろうか、肉の種類に上・中・並があ
る、「牛はビールを飲ませて育てるのだな」など
という答えが返ってきそうな気がする。ちなみに
今では当たり前となった部位別の表示は昭和41年
に私共の会が初めて提言したものだが、広く普及
するまでにはなんと20年もかかっている。
知識の不足は時としてとんでもない誤解や要ら
ぬ不安を招くものである。食肉について消費者が
最も気になることは安全かどうかだ。鮮度や味は
見たり食べたりすればわかるが、安全性は別であ
る。消費者は表示その他の情報によって判断する
ほかない。正しい情報を積極的に提供することが
消費者の信頼を呼び消費の拡大につながることに
4
黒毛の親子
やはり牛肉は国産牛すべてを含めて「和をもって
心安し」としたいものである。
日本の農業を守るために
輸入食料の増加は高齢化の進む日本の農業に深
刻な影響を及ぼし、食料自給率は先進国中最低の
レベルとなったままである。このままでは放棄さ
れた農地や山林が増加して環境の悪化を招くであ
消費者と生産者の交流
(牛とニラメッコ)
ろうし、いずれ起こると予想されている世界的な
食料不足に対処することもできないであろう。60
年前の親や私たちを苦しめた悲しさ辛さを子ども
や孫たちに絶対に経験させないためにも、日本の
り替えという信じがたい行為が発覚した。極めて
農業を守り育て自給率を向上させなければならな
例外的な事件ではあろうが、これまでに様々な不
い。そういう認識が消費者に広まれば輸入品との
正があっただけに業界の体質を疑う声もある。再
価格差もかなり是認されてくるのではなかろう
発防止の対策を強く求めたい。
か。
グローバル化による輸入食料の増加は価格の低
トレーサビリティシステムの利用によりインタ
下という恩恵を消費者にもたらしたが、同時に食
ーネット上では接触できるようになったものの、
の安全性が脅かされるリスクを増加させることに
生産者と消費者の間に距離がありすぎることがお
もなっている。価格は高いが国産の農畜産物のほ
互いの意思の疎通や認識の共有化に対する障害と
うが安心できるという消費者は多い。これまで外
なっていると思う。食肉や畜産業についての正し
食の場合はどこの食材を使っているのかわからず
い知識を伝えるとともに、日本の農業の現状を認
不安という声が多かったが、農水省の外食産業向
識させるためにも、生産者と消費者との直接的な
け原産地表示ガイドライン作成に私も加わり、検
交流の機会を増やすことが必要であり、学校など
討を重ね、メインとなる食材などについては産地
の食育活動にも生産者が積極的に協力・参加して
を表示するということで合意ができた。強制力は
子どものうちから畜産業への理解を育むことを望
ないが他店に対する優位性を示す品質表示が競わ
みたい。
れ、ファミリーレストランなどでも国産肉使用が
増えるのではないかと期待している。
牛肉の輸入圧力はますます強まるだろうが、こ
れまでの米国の尊大な態度ではいくら安全性を強
生産者・消費者の協力により国産の農畜産物の
需要が増え、日本農業の再生、ひいては国土保全、
食料自給の確保が図られることを願ってやまない
次第である。
調されても日本の消費者が安心するわけがない。
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