Comments
Description
Transcript
弱者は正義を語らない ∼最悪で最低の異世界転生
弱者は正義を語らない ∼最悪で最低の異世界転生 ∼ えくぼ タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト http://pdfnovels.net/ 注意事項 このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。 この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範 囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。 ︻小説タイトル︼ 弱者は正義を語らない ∼最悪で最低の異世界転生∼ ︻Nコード︼ N5764BZ ︻作者名︼ えくぼ ︻あらすじ︼ 彼が転生した先は、貧民街だった。そこから貴族の屋敷へと養 子として転がり込み、新たな生活を始める。その先で剣と魔法の訓 練をするも身につかず、知識ばかりを蓄えた。そこで出会った幼馴 染たちと、冒険の旅に。 そんな彼は正々堂々を鼻で笑って、敵を陥れて高笑いする、仲間 に甘く敵を道具扱いする、英雄とは言い難い人間であった。 彼とその仲間の行く先々で起こる出来事がやがて一つの結末へと 1 繋がっていく︱︱ 2014年12月13日をもって完結しました。 現在、番外編と設定集が別作品にて。 スコ速で紹介されました! 2 プロローグ︵前書き︶ 始まりは旅立ち だけど時系列は途中からという 3 プロローグ ◇ ギャクラの王都から旅立つことしばらく。 俺たちは勇者候補の資格を受け、その援助で馬車を借り受けてい た。 とはいえ、真面目に勇者候補の責務である魔物や魔族への対応を 真面目にこなそうなどという気概はさらさらない。特に怒られるこ ともないだろう。そもそも勇者候補という肩書き自体が曖昧なのだ から。 わだち のどかな風景に、馬車の音が空へと響く。草原の中に整地された 道に轍をつけて進んでいく。 ﹁魔物が出たぞ﹂ 俺は馬車の中でうつらうつらとしていたところを仲間の一人に呼 び起こされた。 言われて外を見ると、進行方向より少し右にゴブリンが十匹ほど いる。子供ほどの大きさに裂けた口と長い耳、ゴツゴツした肌の魔 物である。数は多いが一匹一匹は驚異ではない。 ︱︱なんだ、ゴブリンか。 と安堵と落胆の合わせたような気持ちで投げやりに返事した。 ﹁どうする、降りて戦うか?﹂ ﹁轢き殺そう﹂ ﹁無理だっての﹂ 4 馬が怯えるから突っ込ませるのは無理だと言われてしまう。言っ てみただけだ、とぼやく。まあ半分は本気だったが。 隣の赤い髪の少女︱︱アイラが﹁私が倒そうか﹂と聞いてきた。 じゃあ頼む、と言い終えるよりも早くアイラは銃を取り出した。 それはこの世界にはまだ普及していない武器である。 これには連射性能がないぶん、銃そのものの数を増やすことで対 応していた。煙の臭いが馬車の外へと流れていく。 離れた場所のゴブリンが糸の切れたマリオネットのように崩れ落 ちていく。 一分と経たぬうちにゴブリンの死体だけが残った。 回収するのも面倒くさいと焼いて死体は放置。 なんとも行儀の悪いパーティーである。 俺たちの旅はまた、平常運転に戻った。 平和なものだ。魔物の少ない道ばかり選んでいるとはいえ。 ﹁旅、ねぇ﹂ ﹁不安か?﹂ ふと遠くの山を見ながら言った。 するとロウが旅そのものに不安を持っていると思ったのか、軽く 笑いながら聞き返した。 ﹁今更か? お前ならどこでもやっていけただろうしよ﹂ そもそも、不安があるならギャクラにいててもよか ﹁多少はな﹂ ったんだろ? まあそうとられてもおかしくはなかったが、そうではない。 5 ﹁旅は出るさ。約束をしたんだ。また会うってな﹂ ﹁じゃあ何が?﹂ ﹁俺は両親を︱︱生みの親を殺している。そんな俺が約束の相手に 会うのがなんだかなーってだけだよ﹂ それを今更どうこう言うほどではないのだけれど、約束の相手が レイルの親父はあの厳めしいおっさんじゃねえ 相手なだけに少しばかり不安はある。 ﹁何言ってんだ? か。まだ生きてるじゃねえか﹂ ﹁お母さんを?﹂ 確かに俺には母親がいない。それはまた別の理由だが。 今まで寝ていた黒髪の美少女が目を覚ました。何の話をしていた のかを察したらしい。私も気になる、というように少し身を乗り出 した。 ﹁いや、文字通りの意味だ。知ってるかもしれないが、俺と父上と の間には血縁関係はない。そのことも含めて話そうと思ってたんだ﹂ 自嘲気味にそう言うと、ぽつりぽつりと三人と会う前のことを話 しだした。それは俺がこの世界に生まれ、そして彼らと出会うまで の話だった。 ﹁俺には前世の記憶がある。この世界とは違う、魔法も魔物もいる なんて思われてなかった。そんな世界に俺は生きていた﹂ 仲間になるなら必要な儀式だと思ったからだ。 三人は黙って聞いてくれた。突拍子もない話で、信じられないは ずのことなのに、馬鹿にすることなく真剣な目で俺を見ていた。 6 ひとしきり自分の半生を語り終えると、生まれてからこれまでの ことを走馬灯のように思い浮かべた。 脆弱で、どうしようもないはずなのに幸せだったと胸を張って言 えるような幼少期を。 7 プロローグ︵後書き︶ 本当は旅の途中で転生していたことを打ち明ける、というのも考え たのですが、書いてるうちにこんな風になりまして。 もしもこの後、もしくはここで読むのをやめた、という方は何が悪 かったのか教えてくださると嬉しいです。 設定集や番外編、解説などがございます。上のシリーズのリンクか ら飛べます。 こちら先に読んでから見た方がいいのかもしれませんが、最初に紹 介しておきます。 しかしこちらを読まずとも、わからないことなど説明不足な点があ ればお気軽にどうぞ。 次の作品も連載中。こちらはラブコメ 8 転生したようです、劣悪環境に︵前書き︶ 弱者とかいて勇者と読みたい今日この頃。 あまりに話がわからないので冒頭だけハイペースで投稿してみました 俺の両親がこんなにクズなわけがない 9 転生したようです、劣悪環境に 暗闇で意識が覚醒した。 そうだ、俺は生まれ変わる前の記憶を持って転生したんだったっ け。 神と名乗る存在にそんな風に言われたことを思い出した。 死因はあまり覚えていない。ただ、死んだということだけをぼん やりと覚えている。 死ぬ前は高校生だった。 そこそこ勉強して、部活にもほぼ毎日参加していた。真面目、と 言うにはやや熱心さは足りなかったか。友達もいた。親は放任主義 で、飯は美味しかった。何より日本は理不尽な戦争に駆り出される ような国ではなかった。 こうして振り返ると、自分はとても恵まれていたのだということ に気がつく。少なくとも身体面では何不自由なく過ごしていた。 もしかして俺は生前、この上なく幸せな人間だったのではないか? そう思うと死んでしまったことが惜しまれる⋮⋮⋮⋮なんてこと は何故かなかった。 生前の俺は少しばかり変な人間であった。 良く言えば個性的、そして少し中二病だった。 いつかこの代わり映えしない平凡な日常が変わらないかと心の何 処かで思っていた。 ある日突然、未知の存在に認められたり、超能力に目覚めたり、 そんなことはないだろうか、と。 10 記憶を持って赤ん坊からスタートというこの状態はある意味それ を実現している。否、これから実現できる。 前世は前世で頑張ったし、生きることに真面目だった。 自分の過去は掛け替えのないものだから否定をする気はない。 あの時の自分は確かに人生を楽しんでいた。 しかしだ。 今の自分のスペックを司るほとんどは生まれてからわずか数年の 間に決まると言っても過言ではない。 身体能力は幼少期の運動量で。 頭の賢さの限界は遺伝子と教育で。 その証拠に、運動選手のほとんどは小さな頃から親がそのスポー ツを教えていたりする。 その事実は﹁もう手遅れだ﹂と言われているようで腹立たしいも のだったのだ。 前のことも含めてこれからまた頑張ろう。 それは実にありきたりな決意だった。 周りの状況を探る。 かろうじてこの世に生を受けることに成功した俺は、両親が妙な 顔をして見ていることがわかった。 目は見えてないが、先ほどから喜びの声も上がらないのだからお そらくそういうことだろう。 ⋮⋮もしかして耳も全然聞こえないのか? 少し考えて、理由に思い当たる。 確か新生児は産声をあげなければならないんだったか。泣かない 赤ん坊か、それはまずい。それに気がつくと、なるほど、叫けばね ばと体が訴えている、 こみ上げてくる本能に任せて、初めて叫んだ。 11 ﹁おぎゃぁぁぁぁっ!!﹂ すると、両親は﹁なんだ、泣けるじゃないか﹂と俺を妙な顔で見 つめるのをやめたのがわかった。 ◇ 半年がすぎた。 新生児生活もすぐに終わり、乳児期に突入した。 なるほど、赤ん坊とは不便なものだった。思うように声が出ない。 体の自由も全然きかない。力なんか蚊ほどもでない。 これでは泣くしかないだろう。 試しに寝返りをうつも息ができない。慌ててもう一度寝返りをう つ。発声の練習もしておくが、親がいない時だけだ。 赤ん坊がいきなり言葉を話してどこかの国の研究所に売られたり しても困るからだ。 売れるほどの知能や伝手もあるとは思えなかったが、殺されるか もしれないしな。自分の中での親の信用の無さに笑うしかなかった。 仕方もない。 まだ俺にとって親とは、産んでくれた相手ってだけだ。ここから 見ていくのだ。 体を動かすトレーニングを行いながら生と死の狭間で出会った神 と名乗る存在のことを思い返す。 記憶を持って生まれ変わらせてくれる、と言われたとき最初に浮 かんだのは言語の問題だった。 12 同じ日本に生まれ変わられるとは限らないし、元の日本語が邪魔 をして言語の習得が遅れるのではないかと心配したのだ。 神はこともなげに否定した。 ﹃そんな心配は杞憂だ。行ってみればわかる﹄ そのことは確かに両親が話している言葉を聞いて理解した。 ﹁チッ⋮⋮また酒がなくなっちまった﹂ 父親と思われる男が腹立ち紛れに酒瓶を投げた。安酒用に作られ た小さなそれは木の壁に当たって粉々に割れた。粗雑な作りの歪ん だガラスがバラバラになって床に散らばる。 危ないな、こちらにはいたいけな乳児がいるんだぞ。 自分で言うのもなんだが、乳児って可愛くないですか? 守りた くなるような容姿をしているものではないんですか? ベビーほにゃららとか言ったな。 無力な赤ん坊は守られるために本能に訴えかける容姿をしている って聞いたことがある。キ○ィちゃんはそれだとか。だから是非守 って育てていただきたい。 ほら、赤ちゃんだぜ? そんな願いも虚しく両親は最低限のものすら与えてはくれない。 ﹁最近魔物が活発化してるから商人も酒より武器だの仕入れてんの よ﹂ 答えたのはくたびれた感じのする女。おそらく俺を産んだ母親に 当たる。細身だが、目だけがギラギラとしている。 ﹁しけてやがるぜ﹂ ﹁ま、酒がきたからって金のないやつに売る酒はないでしょうけど﹂ 13 ﹁飲まずにやってられるかよ﹂ そう、日本語だったのである。 しかしここは日本ではなかった。 なぜわかるかと言われれば、未だに黒目黒髪の人間がいない。 かろうじて家の窓から見ていると、金髪や茶髪、赤髪に橙など、 暖色系が多い。 ︱︱なにより、魔獣の目撃談などが耳に入ってくる。 ある日には存在しなかったような生物や魔法の話が。まるで存在 するものとして語られている。 日本、どころか元いた世界ですらないか。はるか未来や過去の可 能性も捨てずにはおくが。 ⋮⋮だが今はそんなことよりも重大な問題があった。 俺が俺の酒飲んで何が悪い﹂ ﹁あんたいい加減仕事しなさいよ。酒ばっかり飲んでないでさ﹂ ﹁うるっせぇ! ﹁このまんまだと倒れるだけよ﹂ ﹁それにしても気味の悪いガキだよな⋮⋮本当に俺らの息子かよ﹂ ﹁あんたしか相手なんていないでしょ。⋮⋮何見てんのよ、気持ち 悪い!﹂ そう、劣悪な家庭環境である。 まずは住んでいる場所だ。 この部屋は雨が降れば雨漏りし、風が吹く度にどこかが壊れる。 腐りかけた柱には虫がわいている。 噂の魔物とやらが現れれば、あっという間に一家全滅だ。 腐敗臭と埃にまみれ、淀んだ空気に侵されたそんな家だった。 14 元の世界では見た事がなかったが、スラム街とはこんなものだろ うか。 そして両親である。 そんな場所に住んでいると心も貧しくなるのか、俺の両親は俺を 愛してはいなかった。それどころか。 殺しちまえって。食い扶持に困るだけじゃ ﹁あんたなんか産まなければよかった﹂ ﹁だから言っただろ? ねえか﹂ 虫の居所が悪いと生まれて一年も経たない自分に八つ当たりをし た。 ろくに食事も与えられないこともあった。そんな時はやってくる 違う女の人がきた授乳してなければ俺は死んでいただろう。 ﹁あんたたち、いつまでそんな生活する気?﹂ いつも説教だけして帰る女性だった。 この女性以外、この家に来る者はいなかった。 どうやらこの家は貧民街の中でも外れにあり、うちの両親はその コミュニティから外にいるようだった。 簡潔に言うなら虐待を受けていた。 転生すると裕福な貴族の家や素朴な農家に生まれ変わると信じて いた時期が俺にもありました。 思わず現実逃避してしまった。 どこで間違えたのか。記憶を持って転生できた代償だろうか。そ うと考えなければやってられない。 15 元の世界の日本ならば、児童相談所に行って保護してもらえれば 生活ぐらいはなんとかなったのだろうに。幼児が言っても怪しまれ るだけかもしれないけどな。 しかしこの国にはまともな政府があるかさえ疑わしい。 なにせ全く知識がないのだ。元の世界でも虐待にあった子供が正 常な判断ができないのがよくわかる。 とにかく生き残ることに腐心しよう。 そしていつかこの家を出るんだ。 神とやらにもう一度会おう。 これは決意ではない。約束したのだ。 転生前の神との会話が思い出された。 ◇ 死んだことを知らされた後、神と名乗る存在に転生の説明を受け た。といっても本当に異世界に転生します、記憶は残しておいてあ げます、ぐらいのものだったけれど。 さあ転生しようかという時分になって、こう挨拶したのだ。 ﹃じゃあ、またな﹄ ﹃お前、また死ぬ気か。確かにいつかは死ぬだろうが、今からそれ を言うのはどうかと思うぞ﹄ ﹃違うわ。生きている間にもう一度会いにいくよ﹄ ﹃どうしてそんなことを言う﹄ ﹃なんとなく、かな。約束みたいなものだよ﹄ 16 こんな感じだった。 そこからはたいした会話ではない。 俺の意識は途絶えて、気がつけば母親の股から生まれてたってわ けだ。 そういえば自分がどんな容姿をしているかがわからない。こうい うのってもっと最初にわかるものかと思っていたのだが。あの両親 から生まれたのならあまり期待はできまい。 名前もない、健康な体もない。親の愛情もない。神の加護も⋮⋮ おそらくない。ないないづくしである。今ならないものだけで歌が 歌えそうだ。 両親が俺にくれたのは体と生きる機会だけである。そこに生きて いく理由でもないとやってられんな。 裸一貫で、この身一つでどこまでいけるというのか。 そもそも俺、三歳まで生きてるだろうか。 ◇ 17 俺が生まれて二年になる。 体が思い通りに動くようになるまで随分時間がかかった。もう二 足歩行は大丈夫だ。思考速度も十分、手先は生前とほぼ同じ程度ま で器用になった。 無事ここまで生きてこれたのが奇跡である。本当、よく生きてこ れたな、俺。 転生前の記憶があったからこそ、スムーズにいったのだろう。 手探りで初めてのことに挑むよりも、以前はできていた感覚を身 体に合わせる方が早いに決まっている。リハビリみたいなものなの だから。自分の中にある肉体を動かすイメージそのままに合わせる ようにして訓練をする。 それを含めても前世より明らかに発育が早い。両親曰く存在する という魔法とかが関係しているのだろうか。それとも純粋に身体が 脳に引っ張られているのだろうか。前世の肉体を脳が覚えているか らそれに近づけようとしているとか、そういう可能性もある。 とにかく運動能力は生前で知る二歳児よりは高い。 不幸中の幸い、両親が育児放棄しているので何をしていても不審 がられることはない。 本来、二歳にもならない赤ん坊があっちこっちいったり、刃物に 手を出したりしていたら止められるものだ。 周りは危険だらけ。もしも俺が記憶を持っていなかったらあっと いう間に死んでいたに違いない。 だが生き残ったからといって褒められるほどのことではない。ほ とんどの人間は生まれて何年も経つうちに自然としている行動なの だから。当たり前のことを当たり前にしているだけだ。 歩く時には前と足元を見る 18 落ちそうなところには近づかない 幼児はそんな当たり前のこともできない。 それを放置することの危うさを普通は周りが知っている。 だから俺のような幼児がいれば親バカならば大喜びし、乳母など がいれば気持ち悪がるはず⋮⋮なんだがな。 俺の両親は話しかけてすらこない。 たまに忌々しそうに睨んでくる。 そして虫の居所が悪いと暴力を振るう。 記憶持ち転生におけるお決まりともいえる反応は見れないのだ。 それをいいことに情報収集と体を動かすことを日課としている。 もしかしたら魔法が使えるかもしれないと魔力トレーニングをイ メージだけでしているが、我流ではよくないのだろうか火種の一つ もでない。腹の底から力を出そうとしても光りも動きもしない。 ⋮⋮なんだか馬鹿みたいだ。 そのうち魔法が本当にあるのかも調べたい。両親の言葉がどこま で真実かもわからないし。 周りの様子がわかったのは大きい。 家のある場所から少し行くと草原があり、その奥には森が広がっ ている。 魔獣と普通の獣の区別は曖昧だが、おそらくここでたまに見る動 物達は後者だろう。 ﹁とりあえず今日も野草と野うさぎか﹂ 19 捨てられていたゴミから罠を作り野うさぎを仕留める。知ってい るウサギと同じ容姿のウサギだった。 親に見つかる前に焼いて食べた。取り上げられても困るしな。 香辛料どころか、塩もない。本当に焼いただけの野うさぎは硬く てまずかった。まずいけれど、体が欲していた。生前の食事に比べ れば貧相極まりなかったが、腹ペコの俺にはご馳走だったのだ。 ウサギがとれなければネズミなどになる。ウサギよりはずっと取 りやすい。伝染病とかが怖いが、仕方あるまい。 腹を満たせば次は睡眠である。人間の三大欲求、うち二つ目だ。 ﹁やっぱ安全なのはここかなぁ﹂ 近くに今は使われていない馬小屋があった。この住んでいる地域 は貧しく、廃れているため、まともに機能している建物の方が少な い。 我が家こそ他の家と少し離れているが、基本的に貧困地域の家屋 というものは密集している。それは大きな家を建てる余裕がないか らである。もし農村地帯とかであれば話は少し変わるのだが。 寝る時は藁にくるまって寝た。 昔は馬がいたのかもしれないボロい小屋は月明かりが差し込んで いた。僅かな光さえ眩しい夜空に目を細める。 独特の匂いには慣れてしまい、むしろ落ち着くぐらいだ。 少なくともここにいる間は両親の元にいるよりは安全だった。こ こにいる間は、と付くところが残念だが。 ﹁風呂に入りたい⋮⋮﹂ 20 薄汚れた体でそんな不満を呟いた。 転生前、高速道路の下にぽっかりとコンクリートと砂地の空間が 広がっているのを見たことがある。その中にはゴミか荷物かわから ないモノにくるまって寝ているみすぼらしい中年がいた。 あそこで寝ていた親父は何を考えて、感じていたのだろうか。 今の俺のような気持ちだろうか。 ◇ 次の日、また俺は醜悪な我が家に戻っていた。 帰れば決まって母親が目を釣り上げている。 ﹁本当生意気な子、死ねばいいのに﹂ 鈍い音が響いた。 口の中に鉄の匂いが広がる。 体の痣を数えるのはもうやめた。 俺は家に戻るたびに殴られていた。 逃げ出しては殴られ、殴られては逃げ出した。 小さな体躯が軋むような音がした。 いつか家を出る、と言っていたが叶うのだろうか。いつも不安に 駆られていた。このままだと自分は死ぬかもしれないという恐怖が こみ上げてくる。 そんな思いを裏切るように、一つの答えにたどり着く。全てを壊 して終わる、安易な選択肢。だが誰もが本能のうちに拒み、実行さ れることのない決断。 21 俺は││││││両親を殺した。 22 転生したようです、劣悪環境に︵後書き︶ 酷いものです 23 決めたこと ある日、俺は酷く疲れていた。 足を引きずって、家に帰ってきたところで部屋から声が聞こえて きた。 ﹁あのクソガキまだ外かよ﹂ ﹁いいじゃない。ほっとけばいいんだから﹂ ﹁でも気持ち悪いだろ?﹂ ﹁まあね﹂ ﹁俺らのガキか? あれ﹂ ﹁産んだの見てたでしょ?﹂ ﹁目障りなんだよ、あいつ﹂ そんな会話だった。 そうだな。こいつらと分かり合うのは無理だ。 俺が、記憶を持っているから生きるために最低限のことだけして いたとしても気持ち悪いのは普通だ。 俺は、死んでいるはずの赤ん坊だったのだから。 俺にとって二人は、俺を産んだだけの他人だったように、二人に とっても自分たちから生まれただけの他人だったわけだ。 そっと小さな手を握りしめる。 このまま家にいれば、俺はそのうち死ぬだろう。 勝手に家を出ていこうか。 じゃあそのために必要なことは。 ◇ 24 その日から、俺はあるものを探し始めた。 ヒガンバナ 途中で変なものもいっぱい見つけた。やたら燃えやすい草だとか、 前世でも見たクローバーだとか。 そして目的のものを見つけた。 それは赤い細い花弁をもつ植物︱︱彼岸花だ。 おそらく前世の日本でも見ることができる花で、田んぼのあぜ道 などにモグラ避けとしても植えられる。 なぜモグラ避けになるかと言えば、こいつは根っこが有毒なんだ よな。毒だけど水で無毒化できて食えるからって救荒作物としても 植えられていたとか。 さほど珍しい花じゃない。 そいつの根っこをごりごりと石で切って家に持って帰った。 ここが異世界である以上、同じ見た目をしているからといって同 じものだとは限らない。 もちろん、生物の見た目にはきちんと理由があるのだから、進化 や発達のことを考えると同じ見た目なら似た性質を持っていてもお かしくはない。 と、いうわけで俺は実験を繰り返した。 捕まえてきたネズミ、ウサギといった小動物に根っこを食わせた のだ。 水でさらした根、そのままの根。 ウサギ。ネズミ。 二種類が二組あるってことは、対照実験ができる。 結果、水でさらさなかった根を食わせたウサギとネズミが死んだ。 つまり、どちらかにとって有毒なわけでもなく、水によって無毒 化できたことがわかった。 そしてそれを両親に食べさせた。 普通に食事に仕込むことも考えたが、どうせならと俺は両親の目 25 の前で水にさらして無毒化した根っこを美味しそうに食べてやった。 すると目ざとく見つけた両親が俺からヒガンバナの根っこを奪い 取った。 俺が食ってるのを見て安全だと思ったのか、取り上げたものを一 口、二口と食べていた。 それでもまだ大丈夫だとわかると、俺に向かってまだないのかと 尋ねてきた。 だからとってきた根っこ全てを丁寧に差し出してやった。まだ無 毒化されてないものを。 これが、両親が今俺の目の前でのたうちまわっている惨状の理由 だ。 俺は調理用の刃物を持ってきて、二人を切りつけた。まだ幼児で 力がない。だから、刺してはおらず、切っただけだ。手首、足首、 首の三箇所を順に。 ボロ小屋に二つの血だまりができた。 両親共に動けなくしたところで、月明かりだけを頼りに火をつけ る道具を探す。大体の見当はつけてある。 無計画殺人ではないのである。 親を殺そうとしているというのに俺は冷静だった。むしろ興奮し ていて一周回って冷静に見えるだけなのかもしれない。 まだ火はついていないのに、やけに真っ暗な室内が明るく、そし て熱く感じる。 がさごそとやっていると油の入った瓶を見つける。それと道具を 組み合わせて取り出した。噂に聞いた話では魔力を使う火付け道具 もあるようだが、当然俺には使えまい。むしろ原始的な道具で助か った。 26 むせかえるような血の匂いに息苦しさを覚えながら油をまいてい く。 何をやっているかって? 証拠隠滅だよ。捜査能力の欠片も見当たらないような文明レベル であっても、殺された死体があれば足がつくかもしれない。 このまま放っておいてもおそらく出血多量もしくは毒で死ぬだろ う。 ただそれではまだ足りない。 家に火を放ってしまえば強盗に入られて殺された後、金目のもの が奪われて火をつけられたと思われるはずだ。取るものもないほど に貧乏ではあるが。 焼くというのは実に原始的で、王道な証拠隠滅方法だ。 少なくとも幼児が殺したのだろう、と推測する人はいるまい。 盗賊が奴隷目的に攫ったと考えるか、火に巻き込まれて死んだと 思われる可能性の方が高い。 もちろんこの世界に魔法とやらがあるのならばそれによって見つ けることができるなんてこともある。 しかし何もない平原を必死に警戒して歩く者が少ないように、た だ貧民が焼け死んだだけで血眼になって捜査にとりかかる組織がい るとは考えにくい。 本当は原型をとどめないほどにぶつ切りにしてからの方が、より 二歳児の犯行からかけ離れるし、俺が死んでいるかどうかもわから なくなってよかったのかもしれない。 別に死体損壊の罪がーーなどとは思っているわけではない。 単にあまり気分のいいものではないのと、子供の力では腕の一本 も切断するのが難しかったからというだけである。 燃やした方が気分もいくらかマシというものである。 27 こうして俺は、忌まわしい過去のこびりついた、燃え盛る家屋を 見つめていた。 パチパチと何かが爆ぜる音が聞こえる。 今頃は両親は煙と傷の両方で苦しんでいるところだろう。 ﹁物語のように誰かが助けになんか来ない﹂ 転生した先が良い両親の元とは限らない。ましてや貴族の家で知 識も寝床も手に入るとも限らない。 運命は受け入れるものではない。 自分で掴みにいくしかないのだ。 奇跡など待つ意味もない。 俺がこの世界で初めて学んだことである。 前世、現世を合わせても初めての殺人である。 吐き気がするのは匂いのせいだけではないだろう。 しかし動けなくなっている場合ではない。 俺は誰も周りで見ていないことを確認してその場を離れた。 ◇ 少し離れたところにある川で体を洗った。返り血でガビガビして いる髪を梳かしていく。ほんのりと赤く染まる川の水もすぐに透明 に戻っていく。 海なら血の匂いに誘われてサメみたいなのが来たりするのだろう 28 か。 いつもの馬小屋で夜を過ごした。 藁の匂いには慣れてしまい、むしろないと落ち着かない。 夜が明けたらここを出るつもりだ。 事前に得ていた情報によると、この貧民街の北西に町があるらし い。まずはそこに行ってみよう。 まずは、なんておこがましい。そこしか行けそうにないのだ。 大人なら歩いてもいけるし、基本は馬か馬車で行くのが早いと言 われる程度の距離だ。 子供の足だと、歩き続けても半日。 実際には休憩や獣から逃げたりでもっとかかる。 まる一日と見ておいた方がいい。 他に話せる人もいないので、自分の思考と周りの状況しかない。 会話がないと何やら鬱々とした思考の悪循環に陥る。 まあ他の人は俺が殺したんですけどね。 そんなブラックジョークとともに、星空を見上げる。 前世の日本では滅多に見ることができないだろう綺麗な澄み渡っ た星空が頭上に広がっていた。満天の星は残酷なほどに無機質で、 静謐であった。 あのまま運命とやらに甘んじてあの家で過ごしていれば近いうち に俺は死んでいただろう。かといって自分の殺人、しかも前世でも 大罪にあたる親殺しを正当化する気なんてさらさらない。罪悪感を 覚えているわけでもない。 俺は親を殺した。それだけだ。 29 殺す必要はなかった、だろうな。 無計画殺人ではないとは言ったものの、殺さずに済む方法だって 多分あった。ただ逃げるだけでもよかった。 それを考えることを放棄して殺人を犯したのは、汚い自己保身に よるものと、感情に任せた結果だと言える。あいつらを残したとこ ろで何もない、と。そんなことはよくわかっていた。 計画的でありながら、衝動に駆られてやったのだ。と自らの醜い 部分を誰にも言うことなく押しとどめておく。 人類における大罪、親殺し。俺の殺人には何の正当性も合理性も、 ない。俺はただの人殺しだ。それを悔やむことはない。 両親の死は皮肉にも、俺に生まれてから一番平和な夜をもたらし たのだから。 30 逃げ込む ◇ 夜が明けた。 馬のいない馬小屋は所々に隙間があり、射し込む朝日が目覚まし の代わりになった。まるで染みるような気がして思わず目を閉じた。 今が暖かい季節で本当に良かった。服まで洗って乾かしていたの で、寒い季節なら死んでいた。 体の節々が痛む。お湯があればいいのに。きっと肩まで浸かれば 気持ちいいだろう。⋮⋮俺はジジイじゃないぞ。 荷物をまとめて小屋の外に出た。荷物なんて片手に持てるほどし かない。これまでに拾ったゴミみたいなものだ。 人を殺しといてなんだが、あまりに清々しい朝だった。 誰にでも平等に朝が訪れるというのは本当らしい。 この世界の方角の決め方は前世と同じらしく、北西は太陽の正反 対から斜め右である。これだけの情報を手に入れるのにどれだけ苦 労したか。 とにかく北西へ向かう。 獣に見つからないように。 人に見つからないように。 暖かい季節とはいえ、この地域の気候は日本の平均より少し温度 が低い。北海道ぐらいだろうか。体感でしかないのでイマイチわか らないが。 31 これでも夏なのか、と生存の危機にあった俺としては熱中症の確 率が減ったことに喜んでいた。 それにしても情報が少ない。 体が大人ならもっと楽に進めたのに。と愚痴をこぼしながら孤独 な旅を進める。 日が落ちる前になんとか町へ辿り着く。 町並みはそこそこ綺麗で、俺のような浮浪児が生活できるのか不 安であった。 もしかしたら孤児院的な施設や教会で保護してもらえるかもしれ ないが、俺の目的はそこではない。 もちろん二進も三進もいかなくなればそこを頼る気まんまんだが、 最初から数日は残飯を漁りながら情報収集を重ねていた。 人のいない路地裏で、目をつけられないようにひっそりと寝てい た。 道ゆく人が俺を見れば舌打ちをする。蹴られないだけマシか。俺 だって道端に浮浪児がいたら良い思いはするまい。 ◇ ある日、俺は気になる噂を耳に挟んだ。道ゆく噂好きなおばさま あの大貴族、グレイ様が奥様が亡くなられてから未だ の会話が聞こえてきたのだ。 ﹁聞いた? に新たな妻を迎えてないそうよ﹂ 32 ﹁でもあのグレイ様よ? 何か企んでいるんじゃないかしら﹂ 噂によると、この町に住む貴族の一人にジュリアス・グレイとい う男性がいるそうだ。彼の評判は良いものの方が少なかった。 弱っている家を潰したとか、とにかく貴族に対して苛烈であるよ うな言われ方であった。 平民からすれば庇護されているので表立ってどうこうすることは ないが、冷酷無比な人間ではないのかと見られているようだ。 ⋮⋮貴族ってそんなものじゃないのか? 平和な日本育ちの人間にはあまり実感はわかないが。 一方で理由がわからないことをする時がある、とも聞く。 わざわざ露店に出向いて自ら物を買ったり、怪しげな旅商人を招 いたりだとか。 実力主義者で、権威や血統にこだわりの少ない人間である、とも。 隙がなく、堅実な手腕で今の立場を確かなものにした彼は他国の 貴族との繋がりを持つために妻を娶ったという話も聞こえてくる。 その妻が亡くなってからもう半年が経つ。跡継ぎがいるという話 を聞かない以上、おそらく養子や新たな縁談の話が出てくるころだ ろう。それでも結婚しないのには何か理由があるのか︱︱ とそこまで考えて思いつく。 噂が誤解であっても本当でも︱︱これは使える、と。 ◇ 有名人である彼の家は案外簡単に見つかった。尋ねた時に嫌な顔 33 はされたが。 邸宅と称するに十分な程の立派な家がそこにはあった。華美な装 飾こそないものの、大きく丈夫そうなその建物は生まれてから見た 建物の中では最も大きかった。 俺はその家に着くと、門番にこともあろうかこう呼びかけた。 ﹁ここの主人に会いたい﹂ もちろんこの台詞だけで入れて貰えるなどとは微塵も思っちゃい ない。そこまで脳内お花畑ではない。 なんせ今の俺は見た目幼児なのだから。 ﹁利益になる話を持ってきた。聞いてくれるだけでいい﹂ 下手に子供ぶらず、対等に話せるような態度をとる。 不気味な幼児が来たら報告ぐらいはするだろう。見た目に惑わさ れず実力を認めるその性格ならば、会うぐらいのことはするかもし れない。 兵士が戻ってきた。彼は家の者に何か言ったようだ。しばらく門 の前で待つようにと言われた。 そして俺の予想が正しかったことが証明された。 ﹁ついてこい﹂ 庭もついていて、門の中には芝生があった。長い廊下を通り、客 間へ通される。 ﹁貴様が私に会いたいという子供か? 私がジュリアス・グレイだ。 本当に子供だな﹂ 34 三十歳ぐらいだろうか。触れれば切られそうな鋭い眼光とやや彫 りの深い顔立ち。さぞかし女にもてるだろう。まあ、ここまで剣呑 な表情と突き放した雰囲気であれば、女性も近寄りがたいだろうけ どな。 ﹁ええ。貴方にお話があって伺いました﹂ ﹁人に話すときは名前ぐらい名乗れないのか﹂ ぴしゃりと言われた。失念していた。確かに名前も名乗らず話し 始めれば無礼だろう。機嫌を損ねたか。 貴様は何歳だ?﹂ ﹁申し訳ございません。何しろ親は私に名前をつけておりませんで したので﹂ ﹁名前がない? 普通は名前があるよな。というか、名前がないことを自覚してい る子供ってのも随分変な話だが。 ﹁まだ四年は経ってないかと﹂ 馬鹿な?!とばかりに隣にいた執事と正面に座っているジュリア ス様が目を見開く。 そうか、幼児は敬語を流暢に話さないか。つくづく不気味なガキ だよなあ。 大丈夫だろうか。まあ相手が驚いてくれている方がこちらとして は切り出しやすい。 ﹁どうりで⋮⋮体が小さいと思ったぞ。そんな子供がここへどうし て来た。物乞いとかなら叩き出すぞ。せっかくの休日に無駄話に付 35 き合っている暇はない﹂ 子供であってもまともに話はする。 子供であっても容赦はしない。 そんな彼のあり方は素直にかっこいいと思うし、実に都合が良い。 予想通り話の通じそうな人でよかった。 俺にあるのはこの身一つで、交渉の材料は可能性しかない。 ﹁この屋敷においてほしいんです。もちろん貴方には利益がありま す﹂ 隣の執事の怪しむ目が一気に険しくなる。どうして執事なのに殺 気が出せるのかが知りたい。この世界では執事も殺気を出せるのか。 ﹁で、私になんの得がある? 体は小さく、肉体労働にはなんの役 にも立たない。魔法の才能があるわけでもないだろう? 金を持っ ていればここにくることもないしな﹂ ﹁まず、一番の希望である僕を養子にした場合です。貴方は僕の身 元を保証する代わりに無駄な縁談や養子縁組を持ちかけられること が減ります。もちろん僕に跡を嗣がせてほしいなどとは言いません。 貴族というやつは﹂ グレイ家には優秀な奴がいる、その程度の評判でも十分得なのでし ょう? 俺が欲しいのは、最低限度の生活と知識、そして自己鍛錬の時間 である。 跡は好きな人に嗣がせればいい。俺でなくてもいい。 そして養育費はもちろんゆっくり返していくと宣言した。 その代わり、俺がある程度の年齢になれば自由に動けるような契 約にしたい。貴族になろうってのに、随分な話ではあるが。 36 ﹁お前がいれば跡継ぎなんて押し込めない、欲にまみれた貴族ども にそう思わせることができる、と?﹂ ﹁ええ。次は使用人として衣食住だけ与えてくれる場合です。この 家に莫大な利益をもたらしましょう。新作のお菓子、玩具、生活用 品⋮⋮どれか一つとってもお釣りがきますよ﹂ ﹁ガキの戯言だ、と取り合わないのは簡単だな。だが、その受け応 え、利益が出るかもわからない賭けを持ちかけてくる辺り、余程の 自信があるのか⋮⋮﹂ 執事の俺を見る目が怖い。しかし掴みはいい。このまま行けば交 渉成立だ。 ﹁ふん、面白い。幸い我がグレイ家は子供一人養ったところで痛く も痒くもない。もちろん相応しくなければいつでも縁を切って放り だしてやる﹂ ﹁養育費は十二歳にでもなれば返してみせますよ﹂ 気の早い話ではあるけど、保証はせねばなるまい。 ﹁お前の名前は今からレイルだ。グレイ家の名前を名乗ることを許 す。レイル・グレイ、お前は今からグレイ家の人間だ﹂ 俺は目を丸くしていたことだろう。まさか本当に養子にしてくれ るとは。しかも保留期間もなしにいきなりだ。 実力主義ならば、保留期間で実力を示せば雇ってくれるだろうと 思って大きく出てみたのだが。 噂通りの頭のおかしな貴族様で良かった。失礼か、せっかく置い てくれるってのに。 養子ってことはやっぱり無駄な縁談や養子縁組の話が煩わしかっ 37 たのか? それとも俺が名をあげればグレイ家の名誉になるからだろうか? いやいや、そんな保証はない。 何はともあれ、俺はこの家の住人として認められた。 38 閑話 それぞれは 綺麗な建物は一つとしてない。 申し訳程度の木でできた小屋が無造作に立ち並ぶ。歩くべき道は 整備などされておらず、それらがこの地域の貧しさを端的に示して いた。 その中を一人の男が歩いてくる。 若く、精悍な顔つきの彼はあたりを見ながら思案にふけている。 しっかりとした鎧に身を包み、立派な剣を腰に帯びていた。その 装備に刻まれていたのはこの国の騎士団の紋章であった。 まったくといって、この場には似合わなかった。 彼がここに訪れている理由は職務によるものではなかった。 騎士は常にその動きを職務のために縛られているわけではない。 訓練さえ行っていれば有事の際以外は多少の自由行動が許されてい る。単独行動で治安の悪い場所をうろつくのは、彼が若くしてそれ だけの実力だからではあるが。 今回はこの近くまで偶然訪れ、本来なら見回りの範囲に入ってい ないここまで足を運んでいる。より多くを知るためにこうした、必 要のない見回りを行うのが彼の常であった。 だが職務を離れていても、騎士は騎士であることを求められる。 少なくとも彼はそういう男だった。 ﹁酷い有様だ﹂ 彼は相変わらずのこの国の貧富の差にそんなことを呟く。 人がまばらにいるものの、人と人以外の区別がつかなくなってい る。 39 人も建物も密度がバラバラで、統一感がない。やたらと密集して いる区域もあれば、ポツンと離れているものもある。農村のように 家同士が一定の距離をとるわけでも、街のように近い場所に並んで いるわけでもない。 無秩序がそこにはあった。 乞食が食べ物を恵んでくれ、と足元に縋ってきた。 それを見た彼の目には迷いが浮かぶ。 彼にとってパンの一つ、大した痛手ではない。だが今ここで渡し て何になるのか。先の見えない施しに意味はあるのか。それらの疑 問は尽きない。 しばし迷い、今目の前で苦しむ人を見捨てる理由にはならないと 結論付ける。 パンを渡して、その対価として尋ねる。 ﹁最近何か変わったことはないか?﹂ パンを受け取った男は口元が緩み、まるでそれ以外が目に入らな い様子であった。 だが騎士の問いかけにパンから目をそらし、目を丸くして答える。 ﹁変わったことでごぜえますか? ああ、外れの家が火事にあいま したかねぇ﹂ この場所では火事そのものはさほど珍しくない。 だが事件には変わりないし、何よりその男がなんとなく変わった ことだと認識した。 騎士はその話を詳しく聞き出す。 時間帯は深夜であったこと、起きた場所は周りに他の家がなかっ たこと、それぐらいの情報しかなかった。 40 騎士の彼には想像がつかなかったが、貧民街では明かりが勿体な いためにまだ明るいうちに火を使った料理は終えて、暗くなれば寝 てしまう。つまりは暗くなると火事が起こる原因がなくなるのだ。 そのことを男は理屈ではなくなんとなく、で﹁変なこと﹂だと認 識していた。説明ができなかっただけで。 あくまで、そういう傾向にあるだけで決してあり得ないことでは ない。 ﹁わかった、ありがとう﹂ 一つ小さな礼を述べると、彼はその火事のあったという場所へと 向かった。 黒く焼け落ちた木材と僅かに残る、燃え尽きなかったもの。 部屋の中央だった場所に死体が転がっている。 ︱︱ここでは埋葬すらされないのか。 まだ、現状認識が足りなかったと真面目に考え込む。 そして、顔をしかめながら火事の後を検分していく。 やはりそれは単なる火事ではなかったのだ。 騎士として剣を嗜むからこそわかる。 家のあった場所の中央で横たわっている死体は焼けて死んだので はない。殺されたものだ。 黒く炭化した遺体を調べると、首元に鋭利な傷がある。 的確に人体の急所を斬りつけるということは、考えなしの盗賊で はないらしい。 そもそも強盗殺人であれば、この家を襲った理由がわからない。 とここまで調べて、周りにとある痕跡を見つける。 それは子供の生活跡であった。 41 小さな足跡をはじめとして、ここには幼い子供が居た跡があった のだ。 そして気がつく。 ﹁そうか︱︱だからか⋮⋮﹂ 子供が居た後、焼かれた家、親の死体。 それぞれの要因が点と点となり、一つの線として結びついた。 彼は納得と共にその家を後にした。 ◇ 自室で椅子に座っていた。 手には一冊の本がある。ゆっくりとその背表紙をなぞりながら書 かれているものに目を滑らせる。 ﹁あの子供⋮⋮﹂ 呟くと同時にその手が止まる。 私は最近悩んでいた。他でもない、自分が執事として働いている 屋敷のことについてだ。 正確には私が仕える主人︱︱ジュリアス様と、ジュリアス様が拾 ってきた子供について、だ。 別にジュリアス様に不満があるわけではない。むしろ逆である。 今仕えている主人は尊敬すべき人物であると感じている。 42 このまま今まで通り、真面目に働いて、たまにくる新人を教育し たり⋮⋮そんな風に穏やかに残りの人生を送れると信じて疑わなか った。 平和な日常は一人の幼児の登場によって瓦解した。 忘れもしないあの日。 何かを諦めたような目、利用しようと思って淡々と説明するその 口、その全てが年端もいかぬ幼児のものだと思うと不気味で仕方が なかった。 そんな彼を、ジュリアス様はあっさりと受け入れた。 彼はジュリアスからレイルという名前と、グレイ家を名乗ること を許された。 最初は雇う、というと賃金を払わなければならないからその金さ え払う価値がないというのかと思っていた。養子という形を取るこ とによりタダ働きをさせる気なのか、と。 しかしその予想は的外れであった。 ジュリアス様はレイルを全く働かせようとはしなかった。 これといってなにかをするわけでもない。 最低限の食事と個室、屋敷の書斎を自由に使ってよいという破格 の待遇を与えて放置したのである。 子供、というには干渉しない。 召使い、というには仕事をさせない。 私はジュリアス様が何をしたかったのかを察することができない でいる。 疲れてご乱心かと疑った。 確かに彼は年齢の割には賢い。だがそれだけである。神童と呼ば れる人間が何人も成人する頃には凡人に埋もれて、周りより多少優 秀なだけの人間となってしまった光景は過去に幾度となく見てきた。 43 どうせ彼もまた、口だけの人間だ。 そんな風にたかをくくっていた。 あの身なりはきっと貧民街の子だろう。 どこで教育を受けたのかは知らないが、あまりにみすぼらしかっ た。 彼がこの世の貧困の底で、絶望を見たとしたら。 幼児が世界を恨むことなく、平然と生きるために動くことを考え ていることがおかしい。 恨んでいて隠しているのだとしたら。 その可能性に背筋が冷たくなるのを感じる。 だから、凡人になるか、主人に危害を加えるか。 どちらにせよあれを良くは思っていなかった。 時が経つにつれて、その感情は不審へと移っていく。 あの年頃ならば、許されるならばずっと遊んでいそうなものだ。 しかし彼は倉庫にあった木剣を使い素振りをするようになった。 毎朝、同じ時間。 毎回、おそらく百回。 確かに貴族は護身や趣味として剣を嗜むこともある。剣の腕はあ って損をするようなものではない。 それを彼が知っているとは思えなかった。 そして素振りが終わると書斎にこもりきりで本を読んでいる。 何冊か取り出しては机の上に積み上げている。 多くて四冊、少なくとも二冊は取り出している。 小さな手で紙を一枚、また一枚とめくっている。 44 何も考えずに見れば微笑ましい光景なのかもしれない。 ときおり何かを呟いてニヤニヤとにやけている。 何がおかしいのだろうか。 そもそもあの場所にあるのは子供向けの童話などではなく、貴族 に必要な国や世界の知識であったり、歴史物としての英雄譚である。 もちろん形を変えて子供向けにされたものが一般には多く出回っ ているが、貴族としての見栄であったり、教養のためにおいてある あれらは子供が容易に理解できるものではない。 魔法の訓練らしきものをしているが、全く効果が出ていない。 あそこまで才能がないのは珍しい。最初の適性試験で魔力すらで ないとは思わなかった。 頭の良さと引き換えに魔法の才能が奪われたのだろうか。だとす れば随分と損な取引だっただろう。 才能がないと、頑張ってもどうにもならないが、最低限の教養は 時間が経てば身につくものなのだから。 魔法が使える、というのは出世の一つの条件でもある。 そんなことは瑣末なことだ。 問題は彼の危険性についてであろう。 ﹁どう思いますか?﹂ 私の質問に二人のメイドはさもどうでもいいとばかりに首を傾げ た。 ﹁私はメイドですので、ご主人様のすることに意見など申しません よ﹂ ﹁ただ、浮浪児を雇ったとなると周りがあらぬことを騒ぎ立てるか もしれません。黙っておくにはよろしいのではないでしょうか﹂ 45 確かに、周りの反応は煩わしい。建前だけでも整えておくこと は必要なのだろうか。 血筋 そのあと、門番にも聞いたが、門番は﹁どんなに不気味でもガキ ですよ﹂と甘く見ていた。 ︱︱どうしてあの子供の危険さが、不気味さがわからないのか。 仕える屋敷に異物が紛れ込んだ。それは歯の隙間に何かが詰まっ たような閉塞感をもたらした。 ︱︱自分が考えすぎているのだろうか。 自分しか反対がいない。 壁に飾られた絵画を眺めていた時のこと ならばもしも彼がジュリアス様に危害を加えるようなら、自分の 手で始末しよう、と。 ◇ 私は機嫌がよかった。 それは休日の昼ごろ、 であった。 執事のゲンダから、奇妙な報告を受けた。 不気味な子供が私に会いたい、と。 ただの乞食は追い返せ。そのように命令しておいた門番が、わざ わざ取り次いだことに興味がわいた。 読んでいた本を置いて立ち上がり、客間に出向いて少し待ってい た。 46 現れたのはみすぼらしい格好をした幼児だった。服を着ていると もいえないような有様で、もしも私が短気な貴族であれば処刑して いたであろう。 四、五歳ぐらいだろうか。それにしては体が小さい。栄養不足で あることを考えても小さい。棒切れのような足に、やたらと冷静な 目をしている。 話してみるとますます不思議な子供だった。歳のわりには受け応 えに幼さを感じない。 何故か要求が﹁この屋敷においてほしい﹂というものだった。 世間は私のことを冷酷な悪魔のように囁く。囁く、と消極的なの は私自身が貴族だったからだ。 今は亡き妻と結婚したときは何故か徹底的に相手の家を乗っ取る つもりだ、と噂された。 貴族の結婚だからある程度は政略の二文字が上につくのも仕方な いかもしれない。 しかしどうして格下の家を結婚までして乗っ取らなければならな いのか。この家一つとっても私の噂のせいで万年人不足だというの に。 現在の家政はメイド数名と執事のゲンダの体制で回している。残 りは門番や料理長など。全てを合わせても二十に満たない。 愛する妻に先立たれたときもまことしやかに噂は流れた。 実は私が殺したのではないか。 何か思惑があるのではないか。 私が未だに結婚しないことが、後者に拍車をかけている。 結婚していないのは前の妻を愛していて、その哀しみから抜けき っていないだけだというのに。そんなことは微塵も思い当たらない らしい。 47 そのことを懸念した余計なやつらから﹁跡継ぎを産ませるために も、ぜひ後妻を!﹂と面倒な縁談が続いている。特に中途半端に鼻 がきいて、逃げ足ばかり速い貴族から。無神経な奴らだ、と一概に 言い切れない。貴族とはそういうものだ。 そしてあの名もなき子供は、自分を養子にすることの利点に、﹁ 余計な縁談が減る﹂とあげた。 その一言が私の胸を貫いたことを、言った本人でさえ知らないだ ろう。 本当に縁談が減るかどうかは別だ。もともと、人気がない立場で あってさえ、持ちこまれてきたのだ。今更それを期待できるかはわ からない。欲深い貴族たちは能力や人格よりも金や血を優先する。 しかし、もしかしたらこの子が息子となるのであれば⋮⋮ あの子はきっと優秀になるだろう。 確かに一部の者が言うように、妻に先立たれて寂しかったのもあ る。 そう、私は家族が欲しかったのかもしれない。血も繋がらない、 何のしがらみもない、お互いの信頼関係だけで成り立つ、そんな家 族。互いが家族と呼べればそれでいい。それを、あの子は見抜いて いたのだろうか。年齢に見合わぬその思慮深さで。 あの子なら、私の本当の家族になれるだろうか。 私はあの子の本当の父親になれるだろうか。 48 閑話 それぞれは︵後書き︶ 魔法の才能がない⋮⋮ですと⋮⋮ 49 鮮やかな紅︵前書き︶ 最初はハイペースで 50 鮮やかな紅 雲一つない青空、休暇日和である。 生まれてから生き残ることに必死で休暇なんてなかった俺は、衣 食住が保証されたこの生活に感謝していた。 王都では街全体が石畳で舗装されているそうだが、ここは違った。 自然の土地を均しただけの道であった。均しただけではあるが、土 魔法のおかげなのかとても均一な道だった。 住宅地域を抜けると草むらが広がる。住宅地域の周りには警備兵 がいて、交代で魔物などの異変がないか見張っていた。 本で得た知識がどれ程正しいか、基本的な植物の見分けができる かなど実際に見て得るものは多い。 土壌は良くも悪くもなかった。 この町に初めて来たときは場所探しと情報収集で忙しかったから のんびり見ている暇がなかったものだから、少しワクワクしていた。 歩いていくうちに、元いた貴族が多い地域から商人や職人の多い 地域に出てきた。 失敗作の道具や壊れた器具を置いておくゴミ捨て場のような場所 に辿りつく。 使うことのできない剣の残骸、盾の一部、穴のあいた鍋⋮⋮定期 的に製鉄所の人間に回収され、精錬しなおされるものの集まりがそ こにはあった。 そんな場所で一人の幼い女の子が飛び跳ねていた。 51 ﹁やったぁ! これであいつらもいちげきだね!﹂ そういうと足元にあった石を拾う。手に持っていた道具にセット すると二十メートルぐらい離れたところにある的に向かって投げた。 バギッ 鈍く木で出来た的が壊れる音がした。投げられた石は見事に的を 撃ち抜いたのだ。 確かに投石具を使えばそれぐらいはできるかもしれない。 しかしそれを子供同士の喧嘩において使うのはいかがなものか。 死ぬかどうかはともかくとして、頭にでも当たれば大怪我をするこ とは間違いない。 その場合、どちらに非があるにしても彼女がこの街で暮らしにく くなるだろう。 一瞬の間に、二つのことを考えた。 一つはさきほどの彼女の未来への心配だった。 もう一つはこの歳で投石具を作れる才能だった。俺は幼い彼女に 目をつけ、彼女の注意を投石具から逸らすことに決めた。 ﹁おーい、何してるんだ?﹂ ﹁だれー?﹂ ﹁ああ、レイルって言うんだ。あまり外で遊んだことがないから会 ったことがないんだろう﹂ ﹁ふーん。わたしはアイラ。で、レイルくんはどうしたの?﹂ 赤い髪の少女はアイラと名乗った。 ほこりと泥がせっかく可愛らしい顔を汚して霞ませている、とい 52 うと聞こえが悪いが、泥やほこりで汚れていても美少女とわかる顔 立ちをしていた。きっと将来は引く手数多だろうと思われた。 幼女に向かってそんなことを真面目に考察しているあたり、自分 が幼児の体に毒されているのだと気づいた。﹁将来は﹂とついたと そんなの作るなんて ころに精神年齢の影響がグラム単位で感じられたのが救いか。 ﹁その、投石具は使っちゃダメだろ⋮⋮﹂ ﹁わるいのはむこうだもん!﹂ ﹁でもそれ、お前が思ってるよりも強いぞ? すごいけどさ。よく作ったよな﹂ ﹁うう⋮⋮そんなこと⋮⋮﹂ どうやら作ったのは威嚇のためで、自分でも威力が出過ぎること はわかっていたらしい。 アイラは俯いて震えていた。 別に使うつもりはなかったのに叱られたのがこたえたのだろう。 羞恥で顔も赤くなっている。 涙目になっているような気がした。 ちょっとやりすぎたかもしれない。 ﹁ああ、そうだ。そんなのよりもおもしろいこと教えてあげるから さ。そいつらが来たら一緒に追い払ってあげるし、な?﹂ ﹁おもしろいことってなに⋮⋮?﹂ 身長はアイラよりも俺の方が少し高いため、下から上目遣いで尋 ねるという形になった。大きな瞳に正面から見据えられて少し戸惑 う。 勢いだけで言ってしまったため、何を言うのか迷っていたのもあ る。 53 ﹁ええとな⋮⋮﹂ ﹁やっぱりうそなんだ﹂ 俺らがいる世界って丸いんだぜ?﹂ ジト目で睨まれて思い出したように付け加える。 ﹁知ってるか? 地図や星の動き、太陽の周り方を見ると前の世界と寸分狂いがな い。ならばこの世界は球体で間違いない。実際、旅の記録と地図を 照らし合わせても球体であることがわかる。 しかし後から知ったことだが、そのことはこの世界においては全 くの新事実だった。多くの学者、研究者達が仮説を唱えたり、こう ではないかと議論しても未だ出ていない謎の一つであった。 すごい! レイルくんそんなことも知 そして、今の段階でそんなことを聞かされても、﹁へー、そうな んだ﹂と納得のいくものではない。 そうなの?! 聞かされたのが、大人でなければ。 ﹁え⋮⋮? ってるの?﹂ 純粋な三歳児であったアイラはすっかり信じこんでしまった。 あ、もしかしてなんかやばい? 別に嘘をついたわけではないが、このことはあまり声高に叫ぶと 目をつけられそうな気がする。悪の組織とかなんとか協会とか教会 とかから。悪の組織とかそんなものがいるのかどうかはわからない が。 とりあえず口止めしておくことにした。 54 ﹁あのな、このことは超重要機密だからな。大人でも誰も知らない し、証拠を説明しても信じてもらえない。だけどこれは本当のこと だから、あまり言ってしまうと悪い奴らに狙われるぞ﹂ 全く嘘は言ってないのに、すごく嘘くさい。 信じてもらえないならそれはそれでいいのだが。 ﹁おかあさんもおとうさんも?﹂ ﹁ああ﹂ ﹁おうさまもしらないの?﹂ ﹁もちろんだ﹂ アイラは丸ごと信じてくれた。どうしてだろうか。何故か幼気な 幼女を騙しているような気分になった。 それでもいいな ぜったいだれにもいわないから アイラが俺を見る目はキラキラと輝いており、尊敬の念がこれで もかと込められていた。 ﹁もっといろんなことおしえて! !﹂ ﹁うっかり言ってしまったら酷いことになるよ? ら教えてあげよう。ふふふふふ﹂ だいぶ脅した。それこそキャラがおかしくなるぐらいに。これで 怖気付いて引いてくれるならそれでも構わないと思ったのだ。 しかしアイラは家族で微妙な立ち位置にいた。そのことは後でわ かるのだが、中途半端だと言われる存在であった。同年代の友達と も馬が合わずに過ごしていた。 そんな彼女からすれば、いきなり自分の前に現れたすごい人物、 しかも自分のことを認めてくれる相手が尋ねた質問である。 55 それは彼女にとって、自分と仲良くできるか、と覚悟を聞かれた に等しかった。 ここで彼を逃すぐらいなら躊躇するような返答をするはずがなか ったのだ。 ﹁もちろん!﹂ この元気かつ迷うことのない返事に俺もまた顔を綻ばせた。 実を言うと俺は迷っていた。 異世界に転生し、醜悪な生に縋っている両親を最初に見て疑心暗 鬼になっていたとも言える。 前の世界では平和だったから他人を信じ、気遣う余裕があったの ではないか。そんな風に。 だからこそ目の前の幼子の文字通り真正面からの尊敬が、信頼が、 好意が何よりも嬉しかったのだ。 自分を何も考えずに受け入れてくれる存在がたまらなく愛おしく 感じた。 大袈裟ではあるが、なくした自分の半身を見つけたような心持ち であった。 第三者から見れば馬鹿馬鹿しいことこのうえない。 たかが三歳児に何を警戒することがあるのか。 俺自身が単なる三歳児ではなかったため、そんな常識もどこか彼 方へ追いやってしまっていたようだ。 56 今まで自分と対等に話すことのできる存在なんていなかった。物 言わぬ動植物達か、大人しか見た事がなかったのだから。 半年過ごしても保護者の考えは読めない。 そんな中で初めて自分を見てくれた、と思える相手に出会えた幸 運に感謝した。 散らばる廃棄物の中で二人の三歳児はしばらく見つめあっていた。 はたから見れば微笑ましいだけの光景だっただろう。 お互いの存在を確かめあうように相手の中に存在する自分を見て いた。 これが俺とアイラの出会いであった。 ◇ その日から俺の日課にはアイラの家庭教師みたいなものが加えら れた。 アイラは好奇心旺盛な子供だった。このくらいの年ならば普通の ことなのかもしれないが、わからないことはなんでも聞いた。 俺も答えられることはほとんど答えた。 ﹁どうしてお空は青いの?﹂ ﹁お日様の光の中から青い光だけが空気中でバラバラになって空に 57 広がるからだよ﹂ ﹁お日様の光は黄色だけど?﹂ ﹁白っぽい光の中には色んな色の光のが混ざってるんだよ﹂ 科学的に答えの出る質問から ﹁どうしてお姫さまは勇者とけっこんしたの?﹂ ﹁勇者が好きだったから一緒にいたかったんだろうね﹂ 答えの出ない質問まで。 もちろん他の人に言わないように強く言い聞かせてある。 俺伝える知識には悪用すれば戦争が起きかねない知識だってある のだ。 英雄譚などの本を読み聞かせながら読み書きを教えていく。 小学生低学年ぐらいまでの算術もできるようになった。 もうアイラはこの世界における基本的教養は身につけたと言える。 気がつけば俺たち二人は五歳目前の年齢になっていた。 俺自身は中学ぐらいまでの全ての教科は十分にこなせるので余裕 だ。魔力トレーニングも欠かしてはいないが、未だにピクリとも魔 力が出ない。 アイラは少しだけなら魔力があるようだ。 ちゃんとした魔法を使うには少々足りないようだが。 ﹁ところでどうしていじめっ子たちに対して武器を作ろうなんて考 えたんだ?﹂ ﹁お父さんが作ってたから⋮⋮﹂ 58 話を聞くと、アイラの父親は鍛冶屋を営んでいるらしい。 父親が得意なのは剣だが、それ以外の物も作っている。武器や防 具、その他の金属製品一般に手を出している。 武器や防具の多くは店で直接売ってもいるが、金属製品の多くは 店に卸している。 アイラは見よう見まねでいろいろなものを作ろうとしているうち に手先が器用になったらしい。 ただ、父親とは才能の方向が違ったようで、金属を刃物にするこ とだけはできないらしい。 だから強い武器を作ろうとしてもなかなかうまくいかず、思い当 たったのがあの武器だったというのだ。 金属加工が下手なわけではない。 鍋などの一般的な鉄製品に関しては父親も一目置くほどの才能を 誇るという。 それを知ったのは、家に遊びに行った時にアイラの家族の会話を 盗み聞いたときだった。 刃物が作れないなら、一人で鍛冶屋を継ぐのはいかがなものか。 そんな訳でアイラは家庭で複雑な環境に置かれているようだった。 だからかもしれない。彼女がふらふらと一人で遊びあるいていて も誰も止めなかったのは。 よくも悪くも放任されているのだ。 そのことを聞いたとき、あることが脳内に浮かんだ。 魔法に続いて、異世界に転生したならばやってみたいと思ってい たことの一つについてである。 59 今まで断念していたのは、これを作ることはこの世界の戦争をひ っくり返してしまいかねないというのが一つ。しかしそれは他の人 間に売らなければいい話だ。 もう一つの理由が金属加工技術がなかったことだ。 魔術で錬成だとか、魔法の金属があれば素人でも金属加工ができ たのかもしれない。 しかしこの世界にはそんな便利なものがほいほいと転がっている わけではなかった。 もしも研究や冒険を積んで、世界中を探せばそんなものもあるの かもしれない。 少なくとも子供の手に入るところにはなかったのだ。 とにかく、金属を思う形に変える技術を持った少女が目の前にい る。 しかも自分の持つ荒唐無稽な前世の知識を受け容れるだけの器が あり、自分に教わっている。 これはチャンスだ。 ﹁じゃあ⋮⋮お父さんも作れないようなすごい武器を教えてあげよ うか?﹂ ﹁ほんとう!?﹂ ﹁ああ。これもだけど他の誰にも言わない、売らない約束ならな﹂ ﹁うん!﹂ アイラに銃の作成を手伝ってもらうことにした。 銃とは金属でできた弾を鉄製の筒の中で火薬を爆発させて飛ばす 武器だと簡単に説明する。 銃の特性、利点、欠点⋮⋮簡単な構造に至るまで一つ一つ説明し 60 ていく。 ﹁で、ライフルっていうのがライフリングが語源だ。弾を刻んだラ イフリングで回転させることで軌道を安定させる。とても長い距離 が撃てる﹂ アイラはこくこくと頷きながら話を聞いている。時折目を輝かせ ながら、質問を返す。その度に答えようとする。だが中には答えら れないものもあった。 そうして俺たちの銃作成が始まった。 平和な日本にいた身としては簡単なことしか知らないので、そこ は試行錯誤と微調整を繰り返していくこととなった。 ﹁マシンガンっていうのが、弾を次々に装填できるようにしてある 銃だな﹂ 反動で次の弾を装填するものもあれば、ガスで装填するものもあ る。 ﹁うんうん﹂ 他にもリボルバーや散弾銃などいくつか大まかな分類を話してい く。 ﹁まずは簡単な構造の突撃銃から作るか﹂ ◇ 61 周りに人がいないことを確認し、一つ一つのパーツを作り上げて いく。失敗しつつ、時には頬に傷をつくりながら。 何度も、何度も失敗した。 そんな武器はなかったのではないかと俺自身が疑うほどに。 だがアイラだけは信じ続けていた。 どれだけ失敗しても、あるはずだと。 だからこそ俺もまた、信じられた。 アイラには金属加工の才能は十分にあった。 ミリ単位の制作を可能とする繊細さと、複雑な機構を設計図にお こし、脳内で組み立てられるだけの能力が。異世界の科学知識をな んとなくでも理解できるだけの頭脳もあった。 失敗の理由は単純。鉄の筒に弾をつめて爆発により撃ちだす、そ れ以外の仕組みについて俺が詳しく知らなかったからだ。そりゃそ うだ。ネットで見たことがあるだけの知識ですぐに作れるはずがな い。 だが、完成形のイメージがあるのとないのとではかなり違う。 気をつけなければならないのは人の目と暴発による怪我のみ。 苦労苦難の果てに、ようやく初めての銃を作ることに成功した。 毎日、暇があれば二人で銃を作ろうとしていた。 だがそれでも成功までには長い月日を費やした。 世界の軍事情勢をひっくり返すようなほどにオーバースペックな 兵器の完成である。 50mほど離れた先の的を撃ち抜いたときは二人で手を叩きあっ て喜んだ。 62 ﹁やったね!﹂ レイルくんはすごい!﹂ ﹁どうだ。すごいだろう?﹂ ﹁うん! 師匠!﹂ ﹁師匠と呼んで尊敬しても構わんぞ!﹂ ﹁はい! 嬉しさの余り若干キャラが変わっているのもスルーされた。 あまりに手放しに褒められてこそばゆくなってしまい、柄にもな いことを口走る。 ﹁これはすごい。だからこそ力に溺れちゃいけない﹂ ﹁うん﹂ ﹁何度も言うけど、絶対人には話しちゃダメだよ﹂ ﹁ぜったい﹂ 神妙な顔をしてアイラはこう続けた。 ﹁やっぱ師匠はいいや﹂ それはそうだと頷く。 そんな名前で呼ばれるのは恥ずかしい。 金属を手に入れて弾ばかり共同製作していた俺らにとって最も重 要だったのが、火薬の補充である。 それを解決してくれたのが、火薬草の発見だ。 で、見つけた火薬草だが、これは俺が勝手に名付けているだけで ある。モン⃝ンからとったとか言わない。 正式名も似たようなもので、カジナグサという。よくこの草のせ いで火事がおこるからだそうだ。燃えやすいので、よく薪の着火剤 63 として使われている。 そのままでは単なる燃えやすい草だが、乾燥させて特定のものと 混ぜるとあら不思議。あっというまに火薬の出来上がりだ。 複雑な組成は調べられないのでわからないが、どうやら魔物の血 で汚れた場所に多いことなどから推測するに、地中の微量物質を溜 め込みやすく、なおかつ油脂成分も多いのだろう。 魔物の血で汚れた場所に多いのは、魔物の中には塩化鉄や硫黄を 含むであろう性質のものもいるのだろう。 前世でもそんな草があった。 硫黄硝石云々はともかくとしてユーカリである。 ユーカリは自身の葉などが良くない状態になると燃えやすいよう に植物性油脂を多く含む。だからユーカリ油などができる。 オーストラリアはそのせいでよく山火事に悩まされている。よく 燃えるもんな。 俺がオーストラリアに修学旅行で行ったときも、山火事で空がう っすらと煙っていて煙臭かったのをよく覚えている。 余談ではあるが、コアラは毒のあるユーカリを食べるから弱いし、 燃えやすいユーカリの近くに住むから山火事で死にやすいのだとか。 ぬいぐるみのようなあのフォルムの動物にも苦労はあるというこ とである。 間抜けな死に方というのならば、マンボウにも言えることだが。 まあ一番は人間か。 とにかくそれを知った俺たちは火薬草をかき集めた。 子供の足でできることは少ないので、依頼までだした。 冒険者を営む彼らにとって、薪代わりの火薬草などおつかいのよ うなもので、それでお金が出るならと討伐依頼の帰りに喜んでとっ てきてくれた。不審なものを見る目と、微笑ましいものを見る目に 分かれたが。 64 そこからはとても順調にことが進んだ。 何種類かの銃の作成に成功したのだ。 基礎魔導工学の本を引っ張り出してきて、どうにか組み合わせら れないかという案もでた。 結果は上々。 魔法陣の刻まれた金属や魔石を使用した。 棄てられた剣の宝石部分に残った欠片でも代用が効くようになっ た。 ただ、やはりそれでは魔力の使えない俺は使えない銃になったの だが。 そんなこともあって、俺は作った銃はアイラが使うようにと指示 した。 扱いやすい小型の銃と銃弾を二十発ほどアイラに渡す。 残りのほとんどは俺が与えられた部屋の鍵付き金庫に貴重品と共 にしまってある。 俺は完成の時には調子に乗ってはみたが、今は逆のことを考えて いる。アイラは確かにすごいということだ。 自分はただ単に持っていた知識をひけらかしたに過ぎないが、ア イラはそれを四歳で理解し、そして銃を作り上げるにまで至ったの だ。その知識だってうろ覚えでしかもざっくりとしたものばかり。 生前中二病を拗らせて、調べたうわべだけの知識にすぎない。 才能の塊みたいな子だ。 だがそれ以上に普通の子でもある。 自分は精神年齢は二十歳を超えている。何かあったときに、その 65 判断で切り抜けられる程度の年齢だ。アイラに何かあったときに、 身を守る力があった方が良いのではないか。 アイラに銃を渡したのはそういう意図もあった。 彼女に銃を渡す。この選択肢は正しかった。 俺の予想とは正反対の方向で。 アイラはやはりすごかったのだ。 俺が銃を撃とうとすると、反動だったり経験不足だったりでうま く狙いが定まらない。銃に対する知識不足もあるのかもしれない。 しかしアイラは簡単に銃弾を狙ったところに当てることができた。 ますます惨めであった。 近代兵器で活躍することもできないのか、と。 何か言った?﹂ ﹁やはり俺は天才にはなれないか﹂ ﹁ん? ﹁いいや。アイラは可愛いなって﹂ ﹁な、なにいってるの﹂ 家でも中途半端扱いされているせいか、褒められ慣れていないア イラ。 俺は照れて赤くなった横顔を眺めて、自分に言い聞かせるように 思う。 仲良くなった子が自分で自分の身を守れるぐらいに強くなれたの だ、それで良しとしよう、と。 66 鮮やかな紅︵後書き︶ 主人公は銃も使えません 67 強き者たち︵前書き︶ 新登場の方々がぞろぞろと 68 強き者たち 俺もアイラも訓練、勉強の日々に慣れてきた。まだまだ魔法は使 えないけど、着実に伸びている部分もある。 そんな時のことだった。 俺たちは奇妙な噂を聞いた。 それは不気味な子供二人が農村の外れに住み着いた、というもの だ。 子供は女の子一人、男の子一人で受け答えが幼児のそれではなく、 子供でありながら自給自足生活を営んでいるというのだ。 彼らはとても大人びていて、周りの人間は不気味がっているとい う。 その話を聞いて、もしかして転生者ではないのか、という疑問が 浮かんだ。 ﹁会いに行ってみないか?﹂ ﹁レイルくんが行くならついていくかな。でもどうして?﹂ ﹁気にならない?﹂ ﹁べーつに﹂ アイラはきょとんと首をかしげて返す。 なにこの子可愛い。 ﹁友達はたくさんいた方がいいだろ?﹂ ﹁レイルくんがいるからいいじゃん。他の人はどうでもいいとか言 わないけど、たくさんいればいいってもんじゃないもん﹂ 69 五歳にしてはしっかりとした考えをお持ちのようで。 少しだけだがほっとする。 自分に好意を向けてくれているのは嬉しいが、ずっとべったりで 一人しか見えていない、そんな状況はまずい。 ずるずるとその好意に甘えてしまう自分の姿が脳裏に浮かび、そ して振り払う。 それはそれで楽しそうだけどさ。 共依存はお互いに良くない。 アイラがそのことを本能的にわかっている気がして安堵したのだ。 口を尖らせるアイラが可愛くって思わず譲歩しそうになるが、こ こは見聞を広めるためだ。 ﹁まあ⋮⋮いい子たちかもしれないじゃないか。行ってみようぜ﹂ ﹁そういうなら⋮⋮﹂ 街から出て農村を目指すことにした。 ◇ まだ子供なので馬は使えない。徒歩でのんびりと行くことになる。 国内では森に入らなければ魔獣などに襲われることはない。 それに農村と俺達の住む居住区は近い。以前貧民街から歩いてき たが、それよりはずっと近い。 だから行くだけならば子供の足でも充分に行ける範囲だってこと だな。 70 柔らかな草が短く生えている草原の中に、草が刈られて整備され た道を行くと畑などが見えてきた。 その中に噂の小さな家がある。 近寄ると同い年ぐらいの男の子が畑を耕していた。 綺麗な白髪で、黄色人種であった。生気はないのに、死相もない。 そんなまっさらな顔は結構怖い。 だがその行為と表情を見て恐怖はどこかへ行ってしまった。そい つは楽しそうに、命を育み、そして未来に向かって生きていたから だ。 ﹁レイルくん⋮⋮⋮⋮﹂ アイラが背後で俺の服を掴む。 強気なことを言っていた割には人見知りしているのか、となんだ かおかしくなって、さっきまでの緊張はどこかへいってしまった。 ﹁一旦休憩にしない?﹂ 家の中から女の子が出てきた。長い黒髪の日本人のような見た目 の少女であった。 透き通るような肌に緩やかにかかる黒髪がその美しさを際立たせ ていた。 本当に五歳かよ。キラキラしてるぞあいつ。 この世界の成長速度の速さにか、それとも彼女自身がまとう雰囲 気にはため息をもらす。 隣にいたアイラが思わず見惚れていた。 女の子がふとあたりをきょろきょろと見た。 ﹁あら? お客さん?﹂ 71 ﹁え? どこだよ? あ、本当だ﹂ しっかりと身を隠していたし、視界にも入らないように気をつけ ていたはずなのにあっさりばれてしまった。 スパイ活動は向いていないと心のメモ帳に書き留めた。 俺たちは二人の前に出ていった。 ﹁こそこそしていてごめんな。話しかける機会を窺ってたんだ。俺 はレイル﹂ ﹁アイラです﹂ 二人続けて自己紹介をする。 ﹁私はカグヤ﹂ ﹁俺はロウ。これでも夫婦だ﹂ ツッコミどころ満載の自己紹介にどうしたものかと悩み、 ﹁竹から生まれたのかよ⋮⋮﹂ と呟いた。それは隣のアイラでさえも聴き取れるかどうかという 小さな声だったはずなのに、何故かカグヤはばっちりと聞こえてお り、態度を急変させて俺に掴みかかってきた。 ﹁なんであんたが︵私の過去を︶知ってんのよ!﹂ そもそもこいつとは初対面だろ!?﹂ そして隣にいたロウの方を見ると、ロウは慌てて ﹁か、勘違いだ! 72 とちぎれんばかりに首をぶんぶんと横に振った。 どうしてあんたが︵私の黒歴史を︶知ってんのよ ﹁月からの使者はこなかったんだな﹂ ﹁だ・か・ら! って聞いてるでしょ?!﹂ カグヤの絶叫が畑に響いた。 何故と言われても前世では有名な童話だったので、その知識から とっただけの俺には説明のしようもない。 ﹁いや、ほら、さ? 隠していたことでもなかったんだから吟遊詩 人とかに語り継がれてここまで伝わってるのかもしれないじゃねえ か?﹂ ロウのあたふたとしたフォローによって助かった。 ﹁まあいいよ。適当に言っただけで、カグヤの過去なんて全然知ら ないし、言いたくないなら聞かないからさ﹂ ﹁そうね、そうしてくれたら助かるわ﹂ それから四人で様々なことを話した。 噂通り、同年代とは思えないほどはっきりとした受け答え、言葉 の端々から見え隠れする経験の量は少なくともただの子供ではなか った。 俺からも幾つか質問したが、こいつらが転生者ということはなか った。 カグヤ、と名乗るのに、かぐや姫を知っている俺に対して取り乱 したことを考えるとその時点で除外されていたのだが。 73 やはり彼らは子供二人でこの国に来たという異常性に気味悪がら れたらしい。 大人たちは腫れ物を触るように過度な干渉は控えていた。 おかげで誰にも邪魔されることなく、ここで二人暮らしを楽しん でいるらしい。 なかなか楽しそうだ。 転生者ではない場合、見た目に似合わない言動に対するもう一つ の可能性もあるだろうと思っていた。 ﹁二人は人間か?﹂ 自分が言えたものかという気もしていたが、魔族が姿を変えたり しているのではないかという話だ。 ﹁⋮⋮⋮⋮多分﹂ ﹁なんだよその間は﹂ ﹁生みの親がいないから﹂ ﹁なんかごめん﹂ 地雷を思いっきり踏み抜いて気まずい。 カグヤはぱたぱたと手を振って笑いながら言った。 ﹁いいよいいよ。最高のお父さんに育てられたから﹂ 幸せだったのだろう。そんなことが伺える大人の仕草だな。 ﹁そういやどうやって生活してるんだ?﹂ 畑だけでは足りないことはないのだろうか、と素朴な疑問。 74 ﹁たまに二人で働きにいくな。狩りとかもするし﹂ ﹁魔法が使えるのか?﹂ 我流で素振りしかしてない ﹁魔法は学ぶ機会がなくってねー。剣とか使ってるかな﹂ ﹁剣を使えるなら教えてくれないか? んだ﹂ ﹁それならカグヤの方だな。俺よりもカグヤの方が強いし﹂ 意外だな。 いや、男女差別をするつもりはなかったけど、この子は強いのか。 ﹁へえ、そうなのか。いいのか?﹂ この﹁いいのか?﹂には二つの意味が含まれている。 一つはカグヤに対して﹁教えてもらってもいいのか?﹂という意 味。 もう一つはロウに対して﹁好きな女の子が他の男につきっきりに なるかもしれないけどいいのか?﹂という意味である。 ﹁それぐらいお安い御用よ﹂ ﹁夫婦だからな﹂ 二人はそれぞれに暗に示した問いかけの意味を汲みとり、それぞ れに答えた。 ロウのカグヤに対する絶対の信頼には憧れるものがあった。 75 ◇ その日からはアイラとの訓練、勉強の日々にカグヤが加わった。 カグヤに剣を教わる代わりに科学と物理法則やエネルギーの概念、 そして魔法を教えた。 カグヤは魔法の才能があり、教えていくうちに次々と覚えていっ た。 アイラはさらにもう幾つかの銃を作り出し、使いこなすことに成 功していた。 カグヤは歳の割に理解力があり、道理をわきまえているため、順 序立てて理屈をしっかりと説明してやると大抵理解した。 アイラは授業を受けている時の集中力がすごかった。物覚えがと ても早かった。 二人はあまりにも優秀な生徒だった。 アイラに銃だけでなく、他にも武器を教えることにした。 鎖の両端に親指サイズの鎖がついたものなど、鎖が中心の武器で ある。 カグヤはとても強かった。俺がいくら教わっても、手も足も出な いほどに。 そしてそれと同じぐらいに、俺も自分の弱さをひしひしと感じて いた。 いくら鍛錬してもどうも人並みの域は越えなかった。 まあ、鍛錬してればそれぐらいにはなるよね、という程度である。 カグヤがあっさりと修得した魔法でも、全く上達はしなかった。 魔力がこれっぽっちも操作できないのだ。 76 このままではのんびりと金を稼ぐだけの日々になってしまうかも しれない。 そんなわけのわからない漠然とした不安を抱きながら生活してい くのだった。 ◇ 随分とこの都市にも慣れた。 人通りの少ない路地裏を、見つかりたくない相手に見つからぬよ うに抜けて好きな場所へと移動できる。そうなると、この煩雑でや やこしい街は貴族のそれよりも安全な庭である。 ︱︱そんな風に思っていた。 それはいつものように訓練や勉強を終え、カグヤが家に戻った後 製作途中の銃を試し撃ちするのに、街中では音が大きいという のことだった。俺とアイラは街の外の森の近くに来ていた。 だけの話だ。そこまで深い理由はない。 森は森でも、魔物は出ない。せいぜい虫くらいだ。小さな小さな 森である。 危険だから、と試し撃ちの際は何度もの段階を踏む。 その中で一度、失敗したのだ。 銃もどきは爆発して、組み立てたパーツはバラバラ。込めた弾は はじけてあたりの木に突き刺さった。 失敗は危険だからと、安全対策はしてあった。 アイラも俺も無事だった。 77 しかし、その中で妙なことがあった。 ある方向から激しい金属の衝突音が聞こえてきたにもかかわらず、 そちらの方向にある木はまるで無傷だったのだ。それはまるで何か 見えない壁に阻まれたようであった。 アイラと俺は顔を見合わせた。 ﹁⋮⋮なにあれ?﹂ ﹁何かあるのか?﹂ ジッとそのなにもない空間を見つめた。 するとぐにゃりと視界が歪んだ。 ﹁見ツカッテシマッタカ﹂ 突然、森の中に何かが現れた。 それは生物ではなかった。いや、俺の中にある知識の話だから、 もしかするとこの世界ではこういう生物がいるのかもしれない。だ が︱︱それは、まるで機械だった。 金属で覆われているとわかる体は四本の足に支えられている。顔 にあたる部分には赤いガラスを透明のガラスが覆うようにしてあり、 そこはむき出しだ。口や鼻らしき、つまり動物らしい器官はまるで 見られない。まるでドラ○エのキ○ーマシンだ、とはくだらない比 喩である。 問題は姿を隠していたことか。 ﹁怪しい⋮⋮﹂ 怪しきは罰せよとでもいうのか。アイラが先走った。あれからさ らに改良を重ねた投石機で発射したのは、衝撃もしくは火種で爆発 するタイプの爆弾だった。火種はない。火種はなくとも、相手が火 78 器やそれに付随する武器を使えば爆発はありうる話だ。そうでなく ても相手が叩き落としたり、弾くだけでも爆発するだろう。 アイラはきっちり我が身を守る盾を構えていた。接地し、支えを 立てている。子どもの力でも爆風で飛ばされることは防げそうだ。 止める暇もなかった。 どうして、それをもっと教えてこなかったのか。まず対話せよ、 戦う前に考えろ、と。まさか、この歳で戦うことになるとは思わな かった。 爆発の光景を脳裏に思い浮かべるも、いつまでたっても激しい音 も光も衝撃も訪れはしない。 そいつはアイラの攻撃をまるで意に介さなかったのだ。 投げられたそれを柔らかく衝撃を殺して受け止めて、両手?で包 むとその中で爆発させた。すると外に一切の衝撃は漏れず、開いた 手のひらには爆弾の燃えかすのようなものが残っていた。 投げられたものを一瞬で認識するだけの感知性能、それを爆発さ せないように受け止めるだけの繊細な力加減、そして周りに被害を 及ぼさない選択を取れるだけの判断能力。このやりとりだけでどれ ほどのスペックか、想像するだけでも恐ろしい。ここにステルス性 能がついている可能性がある。 一瞬で勝てないと悟った。 そいつはゆっくりとこちらに足を進める。 どうすれば逃げられるか目まぐるしく頭の中で考えていた。 その張りつめた緊張感の中、流暢な機械音声が響いた。 ﹁怖ガラセタノナラ謝罪シヨウ。我々ハ争イヲ好マナイ﹂ ﹁え⋮⋮⋮⋮?﹂ 79 そいつには嘘つく理由がなかった。 たった一発で理解させられた実力差。俺達を生かして捕らえるこ とだって簡単だ。何かをさせるにしても思い当たらない。 こいつができなくて二人にできそうなことなんてあるのだろうか。 ⋮⋮どうしたらいいんだこれ。 ﹁我々ハ隠遁生活ヲ送ル種族ダ。物ニシテ命、主ニヨッテ魂ヲ授ケ ラレタ。個ニシテ全ナル種族﹂ そして名乗った。自然界に存在する全てのものをエネルギーとし て活動できる種族。 マシンナーズ ﹁機械族デアル﹂ と。 そこまで聞いてようやく思い至る。 どうしてここまで圧倒的な種族がこそこそと身を隠して過ごして いるのか。 これだけの技術があるなら人間と関係を持ち、協力するなり支配 するなりしてしまった方が種族の繁栄に繋がるのではないのだろう か。 もしかしてこいつらは数が少なくて、下手に手を出すとその力を 危惧した人間に殲滅されることを恐れているのではないか。 それとも⋮⋮ ﹁我々ノ技術ハ人間ニハ過ギタルモノ。我ラヲ創リシ存在ハソノチ カラヲ、ソシテ技術ヲ決シテ漏ラスコトナキヨウ、女王ニ仰セラレ タ﹂ 80 確かにオーバーテクノロジーである。 その在り方に納得はいく。 おそらくこいつらを作った人物は工学に優れた世界から来たか、 それとも魔導工学の天才か、人外かのどれかであろう。 これほどの物を国が作っていれば、大量生産されてあっという間 に人間国家の統一がされているだろう。 ﹁だから人の前にはあまり姿を現さないってか。だからか。昔の冒 険物語の中で噂程度にも目撃情報がでないのは﹂ ﹁アア﹂ こちらの質問を完璧に理解した上での簡潔な答え。 おそらくかなり高性能な人工知能が搭載されている。 そしてこいつは人間の領域を調査していたとのこと。 ﹁貴様モナカナカ面白イ。だが、私ガ⋮⋮イヤ我ラガ気ニ入ッタノ ハコッチダ﹂ そう言うとアイラの頭を撫でた。 ﹁物ニ愛サレシ幼子ヨ。コレハ我ラトノ繋ガリノ証、ソシテ友好ノ 印﹂ そいつは腕に嵌めていた腕輪を取り外した。 そしてそれをアイラに渡した。 ﹁多次元型収納庫ト簡易通信機ダ。使イ方ハソレ自身ガ教エテクレ ルダロウ﹂ 81 いいのだろうか。そんな高性能そうな物をあっさりと渡してしま って。 どうやら人の表情から感情を読み取る機能まであるらしく、 ﹁案ズルナ。ソレハ魔導工学ノ産物デアリ、コノ世界ニオイテモ二 百年後グライニハ作ラレルデアロウ物ダ。モシカシタラ人間ノ方ニ モスデニアルカモシレンナ﹂ ﹁そうなのか⋮⋮?﹂ ﹁ソレニ、ソレハ我ラノルールノ、﹃気ニイッタモノヘハ譲ッテモ ヨイモノ﹄ノヒトツダ。ソレヲ渡セバ仲間デアル﹂ この世界、と言った。 やはり別の世界が関係しているのだろうか。 アイラを仲間と呼んだ。彼らの言う仲間が、義務の生じないもの であればありがたく受け取っておこう。 漠然たる不安があるが、それをぐっと飲み込んだ。 すると何を勘違いしたのか。 ﹁ソチラノ君ハオソラク必要ナイダロウ?﹂ どうやら俺も未知のアイテムを欲しがっていると思われたらしい。 もらえたら嬉しいが、それが俺の予想するものであれば、アイラ が持っていた方が便利なことは確かだ。 どうしてそのことをこいつが知っているのかとかそういうのは置 いておくことにする。 アイラが気に入ったんだからアイラに渡せばよいのだ。 どうしても使いたかったらアイラに頼むし。 マシンナーズ ﹁私ハ機械族ノ中デハ上ノ下トイッタトコロダ。ダガ光魔法ニ関シ テハ上ノ上、最高デハナイガ高イ方ダ﹂ 82 刹那、奴の周りの空間がぐにゃりと歪む。 音も立てずにそいつは俺たちの前から跡形もなく消えてしまった。 まるで白昼夢を見ていたかのような出来事であった。 ﹁えっ?⋮⋮私たち、マシンナーズさんに会ったよね?﹂ 夢ではなかった。 アイラの腕には奴から貰った銀色の腕輪が今も輝いているのだか ら。 ﹁ああ。それでそいつの使い方はわかるのか?﹂ ﹁えーっとね⋮⋮どれだけ入れても大丈夫なカバンなんだって。で ねーもう一つがさっきの人?とお話できる機械だってー﹂ やはりアイテムボックスと携帯電話か。 しかし魔導工学、と言った。 本で見る限り、そういうことができそうな魔法なんて⋮⋮と自分 の記憶を辿って閃く。 ﹁光魔法か⋮⋮?﹂ 彼?は確かに自分が光魔法が得意だと言っていた。 勇者の伝記には光魔法とは世界の理をひっくり返す魔法である、 と書かれていた。 ゲート それならば知らないようなことができてもおかしくはない。 ゲート 瞬間移動というと、転移門を使えば誰でも行える。 ゲート 転移門というのは大陸に幾つか発見されている瞬間移動装置だ。 同じ転移門がある場所にしか行けないのがネックだが、誰でも遠 く離れた場所に行けるので旅人には重宝されているとか。 83 そんなものがあれば軍事利用されてしまわないのか、と思ったら 説明には ﹃一度に転移できる量が少ない。百人以上を転移した例はなく、一 度使うと一週間から一ヶ月ほどの休憩期間がいる﹄ と書いてあった。なるほど。 しかし瞬間移動ができるならば音だけ瞬間移動させれば通信がで きるのではないかと思ったのだ。 ﹁ま、魔法の使えない俺からすれば光魔法なんて夢のまた夢だがな﹂ 多分、あいつは瞬間移動や姿を隠す魔法が得意だからこそ人間の 調査を行っていたのだろう。 84 かぐや姫?︵前書き︶ どうして二人はこの国に来たのか カグヤとロウの過去がほんのりと明かされます 85 かぐや姫? 山の中に斬撃の音が響いていた。 翁はいつものように刀で竹を伐採していた。 刀を振るうたびに、綺麗な切り口が一つ、また一つと増えていく。 その数と同じだけ、竹が地面へと転がっていた。 ﹁わしも歳じゃな﹂ 帰り支度を始めた翁は、竹の中の一つに目を留める。 ﹁光って⋮⋮おるのか?﹂ 微かな光ではあったが、毎日竹を採ってきた翁はその僅かな違い に気がついた。 ﹁切るべきじゃろうか?﹂ 中身を傷つけないように刃を振るう。 ﹁なにこれ可愛い﹂ 中には小さな女の子がいた。 どれほど小さいかといえば、手のひらに乗るほどのものであった。 まだ生まれたばかりでありながら、翁のことをはっきりと認識し ている。 まばゆいばかりの黒髪に、白い月のような肌、伏せがちな目には 憂いさえ浮かぶ。 86 ︱︱人ならざるもの。 そのようなことを意にも介さず翁はあっさりと理性も思考も放棄 して感情の赴くままに誘った。 ﹁わしらのうちに来んか?﹂ ﹁いいの?﹂ ﹁もちろんじゃ! いいや、命令じゃな。わしのうちに来い。そし てわしらの娘になるとよい!﹂ ﹁だいじょうぶ?﹂ 全くもって大丈夫ではなかった。 女の子は翁について行くのが不安になった。しかしどうしようも なく、ついていくことを選択した。 女の子はかぐや姫と名付けられた。 子どものいなかった老夫婦はたいそうその子を可愛がった。 ◇ かぐやが老夫婦の家で暮らすようになって一年が経った。 ﹁じーいーやーあーそーぼっ!﹂ 走ってきたかぐや姫。その手には何故か斧が握られている。迷う ことなく振り下ろされたが、翁によって寸前で何事もないかのよう に軽々と止められる。 ﹁こら、危ないじゃろ! 他の人には絶対するでないぞ!﹂ ﹁じいじだけだもん!﹂ ﹁そうかそうかー﹂ 87 不意打ちで刃物を振りかぶられてもこの反応では、周りが親バカ、 ジジ馬鹿と呼ぶのも無理はないか。 ﹁じいじ大好き! かぐやが薪割りするからじいじ休んでて!﹂ 溺愛する娘に大好きと言われて翁の顔がにヘラっと崩れる。 かぐや姫も薪割りに慣れてきたのでもう大丈夫だろうと翁はそこ を後にした。 かぐや姫の成長は恐るべきものだった。 僅か一年で手のひらの大きさから普通の少女と呼べる身長にまで 育った。異常、という言葉では説明がつかないほどに。 また、その身体能力も優れたものであった。大の男が両手で持つ それを軽々と振り回す幼女など聞いたことがない。 そんな彼女を呼ぶ声がした。 ﹁おーいかーぐーやー﹂ 気の強そうな顔の少年が、表から入って裏庭であるここへとやっ てきた、年はまだ幼いかぐやよりも少々歳上に見える。 ﹁おーまた来たのか朧のところの坊主。かぐやなら向こうで薪割り してくれとったよ﹂ 朧、とは彼の実家が営む陰陽師家業、その集団の名前である。 朧家の名は、その道ではそこそこ有名であるとか。 ﹁遊ぼうぜ! いや、また腕だめしさせてくれ!﹂ 88 彼との関係を端的に言えば幼馴染である。 かぐやがこの家に来た時に、その小さなかぐやのことを見ていた。 それから何かと構うようになったのだが、見る見る成長してしまっ たかぐやに彼も内心複雑だろうか。 彼は背中に担いだ刀を抜いて襲いかかった。 ﹁がんばるねーでも今のところわたしが七、勝で一回も負けてない からね﹂ かぐや姫はまるで挨拶でもされた程度のように返す。 年下の女子に負けるとは何事。鍛 って怒ってたけど﹂ ﹁お前に最初負けた時は親父は え直すか! 二人は無邪気に刀と刀を、目と目を交わす。 っ 陰陽師の跡取り息子がそんなに戦闘を磨いてどうするのか、とい 剣聖の一人娘か⋮⋮仕方ねえな う素朴な疑問はこの頃にはもう霧散している。 ﹁お前の爺さんの事話したら て﹂ 幼馴染は納得いかないといった風に続ける。 ﹁でも俺、さいきん大人にも勝てるようになったのにおかしいだろ ! 親父や隊長達はわかるよ? なんでお前には勝てないんだよ! そもそもケンセイってなんだよ?﹂ ﹁しかたないねーだってじいじ強いもん。私なんかよりずっと。あ きっと親父の方が強えし!﹂ んたのお父さんよりきっと強いもん!﹂ ﹁んなわけあるか! ﹁私に勝ってからいってね﹂ 89 こんな他愛ない会話ではあるが話している間二人はずっと戦って いた。 舞い散る落ち葉は二人に近づくたび切り刻まれて粉々になる。 この跡を見た人はこれが年端もいかぬ子供の争いの跡だとは思う まい。 ﹁あやつらも飽きんのぉ。わしが遊んだだけあって随分とかぐやも 強くなっとるな﹂ 翁はかぐやの練習相手には丁度良い、と微笑ましく見守っていた。 彼はともかく山奥に住んでる単なる少女がそんなに強くなる必要 もないのだが。 ◇ かぐや姫の成長は人並み外れていて、あっという間に五歳年上の 幼馴染に、見た目は追いついた。 しかし見た目が十歳ぐらいになると、成長は普通の人と同じにな った。 もしかするともう数年経つと成長が人より緩やかになるのかもし れない。 そんな時のことだった。 90 幼馴染の両親が死んだのは。 ﹁大丈夫?!﹂ かぐやは親が死んで傷ついているだろう幼馴染の元に向かった。 彼は以前とは見た目が変わっていた。あんなに黒かった髪がすっ かり白くなっていたのだ。 しかし彼は平然とした顔で、両親が遺したものの片付けをしてい た。 俺の両親の陰陽師の裏の仕事﹂ かぐやは最初、幼馴染が強がっているだけかと思っていたけど、 そうではないらしい。 ﹁なあ、知ってたか? 陰陽師は現在、割に合わない。 元々が星を読んで占いをしたり、政治相談役のような仕事をして いたはずだった。 しかしある大きな陰陽師一家がその範疇を超える力を見せたせい で、ほとんどの大きな仕事はそこに行くようになった。 そして勘違いが起こった。 陰陽師にさえ頼めば、なんでもできるのではないか、と。 頼まれたら全力を尽くすしかない。ただでさえ仕事がないのだか ら。 ただ、大きな陰陽師一家に頼まない、ということは情報の漏洩だ のを恐れている、つまりは後ろめたい仕事が多かった。 人を呪い殺してくれ、子供を授からない体にしてくれ、様々な人 の業を受けてきた。︱︱応えてきた。 91 もちろん陰陽術だけで全てがこなせるわけではない。 下手な呪術で依頼をこなせば、大きな陰陽師一家によって特定さ れることもある。 ろう そんな中でどうやって朧の一家は大きくなったのか。 彼らは裏で暗殺稼業をこなしていた。 武術を磨き、情報を集め、毒の知識を蓄え⋮⋮隠密行動や暗殺に 長けた集団になっていったのだ。 彼もまた、その英才教育を受けてきた。 そして正面戦闘でも決して引けをとらぬようにと鍛えようとして きた。 ある日、彼の両親が仕事で手に入れた禁書の中に、不老長寿の呪 いがあった。 どうして呪いか、というと﹁愛した人に先立たれるほどの長寿﹂、 ﹁人から疎まれるほどの不老﹂は人には幸せをもたらさないという ことが書いてあった。 それでも彼らは、長く生きていたかった。息子にも長く生きてほ しかった。 数多の命を奪ってきた彼らが望むには皮肉な願いだった。 彼らは失敗したのだ。結果だけなら半分は成功である。失敗の代 償は彼らの余命であった。 そして幼馴染は半分不老不死になった。体の再生能力も上がって いるらしい。彼はゆっくりと老いていく。両親の余命を増幅して受 け継いだのだろう。 幼馴染は両親の壮絶な死に様を目にした。 半不老不死の副作用か、それとも両親の死を見た恐怖か、彼は何 92 故か髪が白くなっていたのだった。 ﹁親父やお袋が死んだのは半分は自業自得だからさ﹂ そしてもう半分は自分のせい。 そんな風に自虐的に笑う幼馴染をかぐやは抱きしめた。 かぐやの涙が彼の背中に伝う。 ﹁あんな仕事だったからよ。親父も俺に道徳とか善悪は教えなかっ た。今でも、多少悲しいけどなんでだろうな。罪悪感とかは全然ね えんだ﹂ それでもやはり、寂しいのだ、と。 ﹁でもあれだよな。呪いっていうけど、お前なら呪いじゃないかも な﹂ かぐやはおそらく、人より長く生きるだろう。 かぐやの成長速度の速い。だがなぜか逆に、そんな確信が彼には あった。 そのかぐやとなら︱︱ ◇ さらにもう数年後、かぐやは美しく成長した。 あまりの美しさに、見物人ができるほどであった。 年は十を五つ過ぎたほどに見えるか。この国においてはもう立派 93 に結婚もできる年齢である。 ﹁家の周りをうろちょろする怪しい輩もでてきたのぅ。わしがなん とかしてやろうか?﹂ 老いてなお、衰えぬその鋭さを漂わせて翁が獰猛に笑った。 ﹁やめてよ。自分の身ぐらい自分で守れるから、ね?﹂ 善良な人まで巻き込みかねない。 心配するかぐやはその提案をやんわりと却下する。 ﹁かぐやがそう言うなら仕方ないの。確かにお前さんなら今すぐに でも片付けられるじゃろうけど﹂ 何かあったら全員を縛り上げて話を聞くことになるが、と付け加 えた。 その後かぐや姫に手を出そうとしたものは何人か居たが、一人残 らず次の日の朝には悲惨な死に方をしたとか。 それが刀による返り討ちなのか何かしらの呪いかはわからなかっ たと言われる。 ﹁かぐやになんかあったら困るよ。ていうかそんなことできるやつ がいるのが困るよ﹂ そうしていく内に生半可な気持ちではかぐや姫に近づくこともで きないと知った彼らは次第にその数を減らしていった。 そして最後まで残った変人⋮⋮もとい根性のある男は五人となっ 94 た。 彼らはかぐや達が怒るであろう一線を越えず適度な距離感で近づ いてきたのでかぐや姫もあしらいきれなかったのだ。 それぞれがなまじ財力も権力もある為、無下にもできない。 翁は元剣聖と呼ばれる国一の使い手であったため、一貴族との関 係なんて大したことでもないかもしれないが。 ﹁いい加減はっきりさせたいわ﹂ 業を煮やしたかぐやが宣言した。 ﹁どうするんじゃ?﹂ ﹁確かおじいさま繋がりの友達のところに⋮⋮そうね五人とも呼ん でくださいな﹂ ◇ かぐや姫達の家に五人の貴公子が集まった。 我が姫君が珍しくお誘いをくれたと思 笛を吹く者、扇を鳴らす者、鼻歌を歌う者など思い思いに部屋で 待っていた。 ﹁どうされたのでしょう? えば﹂ ﹁なんだよこんなに呼び集めてよ﹂ ﹁ふふふ。長くお付き合いを望んできた我らが呼ばれたとは大事な 話に違いない﹂ ﹁ふん﹂ 95 ﹁やっと選んでくれる日がきたか。待ちわびた⋮⋮っと来た﹂ かぐや姫が部屋に入る。それだけで部屋の中に緊張が漂う。 ﹁集まってもらったのは他でもありません。今日は私の婚約者の条 件を申しあげましょう﹂ 予想されていたとはいえ五人がざわめく。 条件が簡単過ぎると他の奴に取られるかもしれない。 しかし難題過ぎると自分が脱落する。 不安が男達の胸中によぎった。 ﹁貴方方の志が並大抵でないことは知っております。ささいな事に ございます。ふるいにかけましょう。私がこれから言う物を持って 来れた人の中から選ばせてもらいます﹂ ︱︱というかお父様ならどれでも半年もあれば持って来れるわ。 かぐや姫は心の中では翁をお父様と呼んでいた。現実では気恥ず かしくて未だに﹃おじいさま﹄だが 結婚する相手に本当は翁ぐらいの条件を課したかったのだが、そ れでは誰も挑戦すらしないかもしれない、と嫗に言われて緩めたの だ。 それでも彼らでは辿りつくのが奇跡に等しいと言えた。 一番の男には ﹁仏の御石の鉢﹂ 二番目の男には 96 ﹁蓬莱の玉の枝﹂ 三番目の男には ﹁火鼠の裘﹂ 四番目の男には ﹁龍の首の珠﹂ 五番目の男には ﹁燕の産んだ子安貝﹂ それぞれが珍しく、この国どころかこの世にあるのかさえ疑わし いとされている宝の数々を事も無げに口にした貴族の男達はギョッ とした しかしかぐやにとっては、翁を通じて見たことのあるものばかり で。 この程度の難題も突破できないようであれば、遊び相手にもなら ない、退屈だろうな、とボヤく。 単純に彼らとの結婚が嫌なだけではあったが。 男達を帰したあと、翁が言う。 ﹁あれぐらい言ってくれたらいつでもわしが取りに行ってあげるの にのう﹂ 幼馴染は記憶を辿り思いついたように ﹁ていうかそれらのうち幾つかウチにあった気がするんだが﹂ ﹁いいのよ。どうせあいつらじゃとって来れないし。あんたも金積 まれたって渡さないようにね﹂ 97 万が一とって来れそうだったら幼馴染に邪魔頼もうかしら、と心 の中で呟く。 その時かぐや姫は、幼馴染の微妙な表情には気づかなかった。 男達はことごとく失敗した。 あまりに無様で、ここで語るのもどうかと思われた。 ある男は行くと嘘をついて三年程たって偽物を持ってきた。 また とキリスト様と呑 ﹁仏の御石の鉢なんてブッダ様が現世で暮らしていたときに 今度来てね!その時は私のお椀でもあげるよ! 気に仰ってくれてたというのに﹂ ある男は作らせた偽物を持ってきた事を職人に告げ口されて帰っ ていった。 その後﹁何チクってんだよ!ボケが!﹂と逆ギレして職人に路地 裏で暴力をふるっていたところを幼馴染とその部下によって取り押 さえられた。 ﹁蓬莱の木が一番無理だったかもね。海を渡った先にある異国の地 でとある麒麟どのに預けてあるのだから。取りに行くだけなんだけ ど﹂ ある男が持ってきた偽物はみんなの目の前で火に焼べられた。 ﹁まあ確かに見た目衣と言うより西洋のマントとかだし、あの大き さまで作ろうと思うと厄介な鼠を十も二十も狩って作るから大変だ けどね﹂ ある男は最初部下に行かせて逃げられ、自分で行くも無残に龍に 暴風雨で追い返された。 ﹁おじいさまの友達は凄いなぁーずっと前渡した私の宝物、そんな 98 幼 また遊ぶ時まで預かってて 全力で守るに決まってんじゃん! 本気で守ってくれたのか⋮⋮なんか照れるね﹂ ﹃かぐやちゃんの頼み? 超可愛い上目遣いで とか言われたら村でも町でも流し尽くしてやんよ!﹄ 女の頼みだぜ? ね♡ 最後の男はタカラガイを燕が産むと勘違いして挙句腰の骨折って 寝込んでしまった。 ﹁私は本で読んだ珍しい貝を殻ごと食べて身だけ消化する怪鳥とっ て来て欲しかったんだけどな﹂ 彼らのその後を知る者はいないとか。 かぐや姫がとうとう一人残らず断ってしまったことが帝の耳に入 った。 それほどの女ならば余に仕える気はないか、と翁を通して伝えた。 ﹁わしはお前の親だと思っておるよ﹂ 帝からの言葉を伝え終えると、背中を押すように続けた。 ﹁私もおじいさまを大切な親と思っているんだけど?﹂ ﹁帝の坊主は先代の頃から知っておるが別に悪い奴じゃないぞ。裏 表があるわけでもなし、顔が悪いわけでもない。経済力については 言わずもがなじゃ﹂ 遠回しに結婚する気はないのか、とすすめる翁に珍しくかぐやは 口を尖らせる。 ﹁自分で言いに来ないのはなーそれに私自身は帝様知らないから。 でもなんだか違うのよね﹂ 99 などと言ってるうちに帝は翁と画策してかぐや姫に会いにきた。 帝という生い立ちかそれとも生来か多少強引なところはあるよう だ。 ﹁なるほど。多くの心を奪ってそして捨ててきただけはある。どう だ私の妻にならないか?﹂ ﹁申し訳ありません。私は異形の身、竹を通してこの世界に降り立 ちました。月の住人ですのでお仕え申しあげられません﹂ ﹁姫は冗談がお得意なようだ。そんなことを言っても誤魔化される ものか﹂ 宝物作戦はこの前使ってしまっている。 私を貴方様の従者達数人で連れて行こう かぐやはどうやって逃れようかと追い詰められて、このようなこ とを口走った。 ﹁では試してみますか? としてみればよろしいじゃないですか。私はか弱い乙女、普通なら ばすぐに捕まるでございましょう﹂ これを幼馴染が聞いていたならばか弱い乙女とは何の冗談だと腹 を抱えて笑っていたかもしれない。 かぐや自身はそこまで異常なつもりはなかったが、逃げ切る自信 ぐらいはあった。 ﹁面白い。その重そうな服装で男数人と追いかけっことは。では⋮ ⋮﹂ 帝は目線だけで従者に合図した。 帝と周りの従者が掴みかかるとほぼ同時に帝の背後に回り込んだ。 100 かぐや姫からすればただ回り込んだだけだが、帝達からすれば瞬 間移動と言っても差し支えのない速さだった。 そしてそれはかぐや姫を人でないものという冗談が否定できない 程度には充分だった。 ﹁なるほど只者ではない⋮⋮⋮⋮今回は引き下がりましょう。名残 り惜しいがな。ますます惚れたぞ。せめて友人からでも始めてはく れまいか﹂ ﹁潔いのでいらっしゃいますね。それぐらいのことであれば﹂ かぐやはとりあえずやり過ごすことに成功した。 ついぞ、その言葉遣いが取れることはなかった。 ◇ 数日後、少し離れたひと気のない草原。 かぐや姫はここしばらくの連続求婚に疲れ幼馴染と話していた。 寝転んだ状態で昔のことを思い浮かべていた。 ﹁ところでさ。あんたは求婚されたりしてるけど結婚しないじゃん ?﹂ ﹁いやぁ俺も職業柄、普通の貴族の娘さん嫁にとったってすぐに死 ぬか耐えられなくなって逃げそうじゃん?﹂ そういや陰陽師一家で暗殺も請け負っていたか、と思い至る。 両親が死んだあと、彼はその家を継いでいた。 うずうずとかぐやは横目で彼をみる。 善悪の価値観ないし?﹂ ﹁それに俺の職業も性格知らずに上辺だけで近づいてくる奴と結婚 したってなぁ? 101 両親のことも知らないだろうし、と付け加える。 ﹁あーどこかに強くて俺の性格も職業も知ってても愛してくれるよ うな可愛い嫁になってくれる人いねーかなー﹂ ︱︱本当、こいつって。 かぐやは内心で憤り、疑問まじりの不満を爆発させた。 ﹁私でいいじゃん!!!!﹂ ガバッと起き上がって叫んだ。 そして一瞬しまったという顔をした。しかしここまでくれば言っ ておう。半ばやけっぱちの覚悟を決めて、まくしたてた。 ﹁幼馴染だから過去は知ってるし?国で十の指に入るぐらいは強い し?求婚バカすかされるから見た目は中の上ぐらいだと信じたい。 ついでに長命じゃん!!﹂ 幼馴染は呆気に取られたようにしばらくこっちを見つめていた。 俺でいいの?﹂ 開口一番。 ﹁え? ﹁当たり前じゃん!今までなんでのらりくらりと顔のいい、収入も ある秀才達をバカみたいな断りかたしてたと思ってんの!﹂ 今回も少し嫌がられるか ﹁いやだってそんな風に結婚なんて考えてないように断ってたから そういう話はダメかと思ってたんだよ! ぐらいの覚悟でさ!﹂ 102 ﹁もう本当私バカ! 好きな人いるんで の一言が恥ずかしくて ﹃私はか弱い乙女なのにとても速く動けるから月の住人﹄みたいな 心が痛い!!﹂ 最初に性格も知らないなんて。とか強い人がいい。 アホな冗談を帝に言ったら未だに信じてるし! ﹁知るかよ! お前でいいじゃなくてお前狙い撃ちじゃん! むし で気づけよ! ろお前が理想の嫁だから!﹂ ﹁そんな照れる﹂ ﹁今更?!﹂ 二人は顔を見合わせて一瞬の沈黙のあと急におかしくなった。 どちらが先ともわからず吹き出した。 ﹁アハハハハハハハッッ﹂ 草むらを子どものように転げ回った。 か弱い乙女 だよ月の住人とか⋮⋮ぷくく⋮⋮よ ﹁何よ。お互いバカみたい。典型的なすれ違いじゃん﹂ ﹁そうだよ誰が く信じたな帝様も﹂ それは引っ張らないでほしい。 黒歴史になりそうだから。 ﹁じゃあ結婚しようぜ﹂ ﹁ちょっと待っていろいろ外聞が。馬鹿な嘘ついて帝まで断ったか ら、今更幼馴染と結婚します! とか超恥ずかしいし。帝が権力介 入してきそう﹂ ﹁それなら簡単だ。国の外に逃げればいい。一家は任せるアテがあ る﹂ 103 ふと今まで育ててくれた優しい両親を思い出した。 恩を仇で返してないかと思った。 しかし同時に、帝の求婚を断った時に翁が言ってくれた言葉を思 い出した。 ﹃お前はわしらの自慢の娘だ。好きなように生きろ。権力も常識に も囚われず気持ちだけは殺すな﹄ それはありふれた言葉であったがかぐや姫の幸せが一番と想う愛 かぐや姫は笑いすぎてか目の端についた雫を拭って頷いた。 の詰まった言葉だった。 ﹁知ってる自由を探すなんて今更馬鹿げてる﹂ 目の前に自由がある。 自身に命がある。 隣に幼馴染がいる。 それだけで充分だと思った。 幼馴染とならどこでも楽しく生きられる。 ﹁じゃあ逃げる計画だけどさ││お前の嘘を利用しようと思う﹂ 幼馴染は計画を話しはじめた。 ◇ かぐや姫と幼馴染は、翁、嫗、信頼できる部下数人の少数にこの 計画を打ち明けた。そして帝には 104 ﹃突然な話ですが私はもともと月で婚約者がございました。 名も知らぬ者と結婚なんて⋮⋮とこの世に逃げてまいりましたが それは向こうも同じであったようでございます。 そして月から降りてきた私たちは偶然にも出会っていたのです。 長年共に過ごしてきた幼馴染という男でございます。お互いあなた ならということでこの度婚約することにいたしました。 今年の葉月の十五日の晩、私たちは月へと帰ります。どうか祝福 していただければ幸いです﹄ と腹のよじれそうな手紙を送ったのである。 かぐやが月の住人かなんて月から誰がきたわけでもないのに知る 訳がない。 それでも今まで幾人もの男をあしらってきた上、竹から生まれた かぐや姫が言うと妙な信憑性があった。 月へ帰ると見せかけて海を渡って他の国に行くつもりなのだ。 もし帝に邪魔されたとしたら幼馴染の部下とかぐや姫の力でねじ 伏せて怪しの者だと勘違いさせとくよい機会だ。 幸いにも陰陽師一家が戦闘技術を磨いてることは機密事項だし、 かぐや姫は深窓の姫君扱いだ。 数人に軍隊が圧倒されたらなんにも言えなくなるだろう。 高殿で手紙を読んだ帝は手紙を握り潰さないように自制するので 精一杯だった。 ﹁許さない。せっかくこれからだって言うのに。帝たる私を捨てて まで行く価値があるのか月には!﹂ 邪魔してやろうじゃないか 国を相手にいい度胸じゃないか 105 そんな声が聞こえてくるようであった。 ◇ そして八月十五日 満月が眩しいくらいの夜。煌々とした月明かりの下でかぐやと幼 馴染は昔を懐かしんでいた。 かぐや姫の家に異形の者がくるということで帝が護衛をつけると いいだした。 かぐや姫は騙されていて、それを今から証明してみせるのだとも。 翁は娘の人生の門出だと言うのにどこか憂えた顔でそれを眺めて いた。嫗はいつも通りだった。 月が頂上に登る頃、幼馴染は十数人の部下を連れて軍隊の前に⋮ ⋮いや上方に現れた。 言葉を失った軍隊が少し乱れる。警備をすり抜けられたことに驚 きを隠せなかった。 ﹁馬鹿が。数では勝っている。落ち着いて取り囲め。逃がすなよ﹂ 錫杖を持った幼馴染。 先陣をきる従者。 後方を守る大柄な従者。 周りに的確な指示を出し続ける従者。 さすがの少数精鋭だった。 十倍程度の戦力差は問題ではなかった。 怪しげな戦い方に翻弄され思うように動かない軍隊。 この国ではまだ発達していない、術式が兵士を襲う。 106 山の中に斬撃の音が響く。 でもかぐや姫を拾ったあの頃とは違い、静けさのかけらも無い。 戦闘が激化し、敵味方が入り乱れてきたとき、かぐや姫はそっと 隠れて従者達と同じ格好に着替えた。 戦場を従者になりすまし駆け抜ける。 これから旅立つ﹂ 幼馴染のいる屋根の上まで登り元の姿に戻った。 ﹁お前らの守っていたかぐや姫は頂いた! そして他には聞こえないように囁く。 ﹁お前ら後は頼んだぞ。暗殺は誇れない仕事だったかもしれない。 それでもお前らは俺の家族だったから、どこにいても。これからも 家族でいてくれ﹂ 今この場を頼んだのか陰陽師の家を頼んだのか。 そんなことはどうでも良かったのだろう。 かぐや姫は両親に今生の別れを告げた。 ﹁いっぱいワガママ言ったし、いっぱい迷惑かけてゴメン。そのく せロクに結婚もせず家にいたけど。血も繋がってないどころじゃな くて人かどうかも怪しい私だけど﹂ ︱︱本当に幸せ者よね。 かぐやの胸中は聞こえずとも伝わった。 ﹁当然、幸せになるからさ﹂ 107 ︱︱寂しがってるみたいじゃない。 事実、寂しくもなるだろう。 ﹁今まで育ててくれて、ありがとう﹂ 帝は放心したように立ち尽くしていたが、すぐに目的が叶うはず もないのに戦い続ける兵士達に戦いの終わりを告げた。 ﹁行っちゃいましたね﹂ 嫗が寂し気に漏らす。 ﹁迷惑? んなわけねえよ。お前は人だよ。わしらの娘だ﹂ 元気でな、と聞こえたような気がした。 彼らが国に張られている結界のひずみから逃げ出す時に、何故か 幼児にまで若返ってしまったり、辿り着いた先で奇妙な少年と出会 ったりするのはまた後の話である。 108 かぐや姫?︵後書き︶ ロウは自分の家名を名乗ってたんですねえ 109 入学式︵前書き︶ 学園編スタート よく学園編はグダる、無駄だなどと言われておりますが、どうして でしょうか。 好きなんですけどね⋮⋮ 110 入学式 生まれて六年目になろうかというある日、ジュリアス養父上より 突然呼び出された。 何かと身構えたところ、学校に行ってもらうとのこと。 むしろ通わせてくれるということに驚いた。 お金稼ぎを本格的に始めようかと画策しているところへのこの提 案だったため、やや戸惑う部分も大きいが特に異存は無い。 もう一度青春をといったところか。 そのことを話すと、当然のようにアイラが付いてくると言った。 それはまあいい。理由は何であれ、学校に行こうってのはきっと アイラにとって大事なことだと思う。 驚いたのは、カグヤとロウも学校に通うといったことだ。 ﹁お前ら、学校必要か?﹂ ﹁そのままそっくり返すぜ、レイル﹂ 必要かどうかではないのだろう。 そんなわけで、学校生活が始まる。 ◇ 入学式の朝である。多くの生徒が花で飾られた校門からぞろぞろ と入っていく。 近くの子と楽しそうに話をしている者、不安そうに周りを見渡す 者⋮⋮それぞれに異なった様子を見せている。 俺は入学式なんて過去に何度か経験しているし、たかが六歳の入 学式で緊張することもあるまい。ただ、ほんのりとした懐かしさだ けがある。 111 カグヤとロウは随分と落ち着いているが、アイラは無表情だが少 しそわそわしている。道ゆく生徒を観察しているかのようにも見え る。 ﹁入学する生徒はこちらですよー﹂ 先生らしき人物が会場へと誘導している。 俺はアイラ、カグヤ、ロウの三人と会場へ向かった。 様々な身分の子供が通うため、厳格なドレスコードはない。 それでも三人はいつもよりはきっちりとした格好で来ている。 小学一年生にそんなものを求めてとうするのか、といえばそれま でであるが。 見栄をはりたい上流階級の方々はドレスコードなんてなくても着 飾らなければならない。 俺も例外ではなく、今朝も感情をあまり見せないメイドさんから いろいろ用意された。 そうして式が始まった。 学園長の祝辞が簡潔に述べられ、入学生代表の挨拶へと移り変わ る。 ﹁入学生代表、前へ﹂ 壇上に上がったのは金髪碧眼の少年。 その瞬間、一部から感嘆の溜息が漏れ、羨望の眼差しが注がれる。 美形だからか? 何故異世界は美形が多いんだというべきなのか。それとも入学生 代表に選ばれるようなステータスのくせに美形なんだよというか。 ﹁初めまして。入学生代表に選ばれました。ギャクラ国第二王子、 112 レオン・ラージュエルです﹂ これで一躍有名人だね。 王子であったことに周囲がざわめく。 やったね! と馬鹿みたいに喜ぶ意味はない。どうせ王子ならば、何もなくと も有名になるのだから。 王子のはきはきとした演説に﹁さすがレオン様﹂と先生たちの見 る目も熱いというか細められて暖かいというか。 最初は、ま、王子様なんて関係ないか、と思っていた。 しかし一つ思い出してしまう。貴族は貴族と、といったみたいに 身分でクラス分けされていたことを。 ⋮⋮もしかして、同じクラスか? 確かに俺は貴族として入学している。 それはジュリアス様による情報操作で﹁レイルは妻が生んだ子で あり、病弱であったため、存在を隠していた﹂とされているからで ある。扱いとしては隠し子だ。 しかし高位の貴族であったり、情報に敏い一部の大商人の子供た ちは俺が養子であることを掴んでいた。 それ故に、周りの見る目はあまり好意的とは言えない。 情報操作が無駄だったとは⋮⋮ ﹁チッ⋮⋮養子のくせに⋮⋮﹂ ﹁どうして平民なんかと共に学ばなきゃダメなんだ⋮⋮﹂ 113 入学式が終わり、それぞれのクラスに向かう最中、周りの貴族連 中はひそひそと陰口を叩いていた。 子供のころから英才教育を受け、貴族としての考えを徹底された 子供たち。そんな選民意識の強い貴族の子弟である彼らにとって、 俺は実に目障りな存在なのだろう。 そんな針の筵をものともせず、教室に何食わぬ顔で入った。 精神年齢二十歳越えで、子供たちにびくびくしていてどうする。 そんな風に気負うことなく席についた。 やはり王子と同じクラスで、アイラやカグヤ、ロウとは違うクラ スだった。クラスにいるのはいいとこの坊ちゃんとかお嬢様ばかり。 元が平民、血筋的にも平民な俺としてはそこまで居心地がよいとは 言えない。 混合ならばよかったのにな。 混合なら混合で、貴族方の親とかもうるさいのだろう。 各教室で自己紹介が始まる。 一人一人、順番に名前を告げていく。全員は覚えていられないの で、目立つ奴だけ覚えていく。当然一番に覚えられそうなのは王子 様か。 商人、職人達の子供が集まるクラスでは、自分の親の職業と共に 自己紹介をするのだとか。 貴族、騎士、王族の通うこのクラスには自分の親の名前を名乗る。 俺にも自分の番が来て立ち上がった。 ﹁ジュリアス・グレイ様の息子、レイル・グレイと言います。よろ しくお願いします﹂ 三分の一ぐらいの人間は﹁ふーん﹂とグレイ家自体を知らないよ 114 うな反応であった。こちらはまだあまり貴族などの教育を受けてい ない子供たちであろうか。騎士とかが多い。 残りの三分の二の半分⋮⋮つまりは三分の一なのだが、﹁へーあ のグレイ家の﹂という反応を見せる。 中には少し怖がっているような子供もいる。こちらは教育を既に 受けていて、他の貴族の名前なども頭に入っている子供たちであろ う。 そして残りが、意味ありげな視線や侮蔑、嫌悪の眼差しである。 こちらは情報に敏い集団である。つまりは俺が養子であることを知 っている奴らだ。こんなにいるなら養子であることはあっという間 に広がるのだろう。 周囲を一瞥し、それだけで教育の階級と情報の敏さを把握した。 情報は武器である。それは子供の学校生活の間においてもなんら わけ 変わりはない。複雑な環境に置かれているのだから、厄介事は避け るに越したことはない。 そうしてようやく気づく。 ジュリアス・グレイが自分をこの学校に入学させたその理由に。 この学校は農民にとっては効率良く知識を吸収し、農業をより良 く行えるようにするための単なる学び舎である。 商人、職人たちの子供にとっては、親が仕事で教えきれない自ら の職業に対する知識を補う場所でありなから、王族、貴族など本来 ならば接点のない上流階級の人間と接触し、お得意様となってもら う⋮⋮つまりはコネを作る場所である。 そして貴族や王族、騎士などの身分の高い人間たちからすれば⋮ ⋮ここは宮廷での立ち回りを覚え、才能のある、つまりは利用価値 のある人間を見抜く目を養うための場所である。 この学校は学び舎でありながら、社会の縮図であるのだ。 115 なるほど、手っ取り早く国に馴染むならこれほど良い場所もある まい。 とたいそうに表現してみたけれど、学校が社会の縮図であること は前の世界でもたいして変わらなかった。 この国で神に会う方法がなければ、国を飛び出す気まんまんな俺 としてはたいしたことではなかったのだ。 まあいいや。学校生活がもう一度楽しめるっていうなら楽しませ てもらおう。 前より波乱万丈になるかもしれないが、前よりうまく立ち回れる はずだ。 ふと思いついて王子様の方を見る。 その眼に強烈な違和感を覚え、二度見した。 彼は俺のことを身分や出生で見下している感じではなかった。 何か⋮⋮個人的なもっと根の深いもののように感じであったのだ。 ﹁俺、何かしたか⋮⋮? 王子様とは初対面なんだけど﹂ 初対面である、ということはなんらおかしくはない。 だが、貴族が王子の顔を見て、王子だとわからなかったのは問題 である。 しかしそのことを別に表に出したわけではないので関係はなかっ た。 そしてもう一人、妙な子がいた。 好意的な目を向けている美少女がいたのである。 レオン王子と同じ金髪碧眼、隣にいた男の子が挙動不審になるほ 116 どのオーラが出ていて、明らかに只者ではなかった。 自分で言うのもなんだが前世の基準でいくと、並よりは少しばか り美形であった。 しかしそれは日本の感覚であり、美的感覚の違うこの世界、しか も美形揃いのこの世界ではイケメンではなかった。 そして当然その子も初対面である。 貴族としての評判は別に良くないジュリアス、そしてそこに養子 として入ったレイル。 情報を知っているだけならば、いや、レイル自身の情報を知って いても、そこまで好意的な目を向けられる理由はわからなかった。 俺の評価は、貴族でありながら平民と遊び、何かわからない物を 作っている変な子、である。 だから、俺にとっては侮蔑の眼差しを向ける一部の方が理解でき るというものだった。 心地よいわけではないが。ドMじゃあるまいし。ちょっと愉快な だけだ。 一方、アイラやカグヤとロウのクラスでは、なんの問題もなく自 己紹介が行われたようだ。 カグヤに色目を使う男子にロウが威嚇したとか、人見知りと緊張 で拙い自己紹介のアイラに好奇心を起こした男子が噂していたとか ぐらいたろうか。 小学生なんだ。色目とか単に仲良くなりたいだけだろ。 それにカグヤならロウ以外の男はどうでも良さそうだし、今更ぽ っと出のイケメンに寝取られたりはするまい。 小学生なのに寝取られるってなんだよな。 117 ◇ ひとしきりクラスのホームルーム的なものが終わると、クラスメ イトは教室を次々と後にしていく。 アイラを迎えに行こうと廊下に出た時、後ろから声がかかった。 わざ 振り返ったところにいたのは眼鏡をかけたショートヘアーの女の 子だった。腰に手を当て、胸をはるように立っている。 ﹁あなたがレイル・グレイだったわよね?﹂ ﹁そうだけど。そういう貴女は?﹂ 覚えられてなかったのね、と少し残念そうに答えた。 ﹁私はシリカ。父は財務関係の仕事をしている貴族よ﹂ ﹁俺の名前を知っているなら、評判も知っているんだろう? わざ話しかけにくるなんて物好きだな﹂ 冷酷非道の大貴族、ジュリアス・グレイの一人息子。血が繋がっ ていないともなると、どう考えても悪い方向にしか想像が働かない。 そんなに悪いことを考えて彼が自分をここに送り込んだとは思っ ていないので、あまり気にしないことにしているのだが。 ﹁だからこそ、よ。あの視線の中で平気な顔でいるからすごいなー って﹂ 軽く褒めて円滑にお話をってか。 彼女は続けた。 118 ﹁それに⋮⋮あの噂って本当なの? 血が繋がってないっていう﹂ 彼女は敏い側の人間であった。 親は財務関係でも重要な職に就いているのだろうか。 だとすればお知り合いになっておきたいところである。 ﹁それにどちらかの答えを返したところでシリカさんは信じるの? どちらであっても関係はないだろうし。あえて言うなら俺とジュ リアス様との関係は親子だよ﹂ じゃなきゃあ学校には通わせないだろう? と言外にそれ以上の追及をやんわりと拒んだ。 ﹁ふふふっ。確かにそうかもね。じゃあね、また明日﹂ じゃあまた明日。と言いかけて、気になっていたことを思い出し て呼び止める。 ﹁シリカさんって財務関係なら商人にツテとかない?﹂ ﹁あることにはあるけど⋮⋮﹂ ﹁別に便宜ってほどでもないけど、また会わせてもらえたら嬉しい かな﹂ 借金返済のために頑張らなければならないので、お金の匂いがす ると少しばかり積極的になってみる。 入学式はこうして終わったのだった。 119 入学式︵後書き︶ ここらへんで大人びた対応というのはあまり異常性を孕まなくなっ てきました。 貴族で教育を受けている人の中には、同い年でも大人びた子がいる ものですので。 120 初めてのおしごと︵前書き︶ レイルはお金が稼ぎたい 121 初めてのおしごと 学園では名前の通り授業を受ける。そのカリキュラムは座学が主 である。この魔物と戦の世界で、なおも知恵を磨こうとしているの か。その点、この国は好きだ。ただ、問題なのは⋮⋮授業がつまら ない。 いや、当たり前のことなんだけどさ。 でも勉強が好きじゃないとか、そういうレベルじゃなかった。 やはり知っていることは二度習ってもつまらないのものなのだろ うか。否、愛がないからだ。とかっこよく言い換えたところで、要 するに教え方が下手なのだ。 貴族などの上流階級は既に平仮名程度を書けることを前提にして いる。 俺にとってはまあいい。平仮名どころか、常用漢字の八割から九 割は書ける自信がある。語彙としての組み合わせを考えても半分以 上は余裕で書ける。今更簡単な漢字の書き取りなんてうたた寝しな がらでもできる。ただの作業だ。 ただ、﹁学ぶのに甘えるな﹂とばかりに面白さを追求しないそれ は、覚えきれてない生徒にまで勉強を作業化していた。日本の小学 校はもっと工夫されてたんだけどなぁ。 それに口出しして変える気はさらさらないのだが。するとしても 俺が卒業してからだ。 効率が悪ければ、周りは学力が向上しづらくなる。相対的に一人 既に読み書きの能力が高い俺とその身内が楽に成績が良くなるとい う寸法だ。 そのあたりも、もしかしたら家でより優秀な教師をつけられる権 力者たちへの優遇措置としてあるのかもしれない。 122 アイラは教えているし大丈夫だろう。 いやいや。自分のことに集中しよう。 いくら余裕だからって余計なことを考えていては、先生の心証も よくない。 優等生の方がいざというとき楽なのだ。 自分が悪いことをしていても、綺麗な言葉を並べて真実を一部隠 しながら説明するだけで先生誰もが疑わない。または責めない。 みたいな授業 べ、別に悪いことをしようってわけじゃないんだからね!! 自分でも気持ち悪かった。 計算された男子のツンデレなんて誰得なんだよ。 そんなわけで、できなかったら恥ずかしいだろ! をここ一ヶ月ほど受けているわけである。できないわけがない授業 を受けて、できもしない魔法の鍛錬、そして一向に強くならない剣 をふる。アイラと銃の開発。そんな毎日の繰り返しだ。 ところでこの国は前世で言うと、中国とロシアの間ぐらい、つま りは日本の西にあると予想していた。 多分それは間違っていないのだろうが、気候がどうやら前世とは 違うのかもしれない。 クスノキがあったのだ。 クスノキとは本来、日本や中国の暖地に多く、海岸に自生しやす い。 便利な木なので、見つけられればいいなあ程度に思っていたが、 場所的には無理だろうと諦めていた。 しかし思っていたよりも暖かい気候なのか、それとも目測よりも 123 南なのかもしれない。 まあいい。 これがクスノキであることは確かだ。 どうして見分けられるのかと言うと、クスノキは排気ガスなどに 強いので街路樹としてよく家の近くにも植わっていたからである。 さっそく葉や幹などをクスノキが痛まない程度に採集して帰る。 ここしばらく暇だったのである。 もちろん、アイラ達との遊びや稽古、勉強会もしている。 だが、それではまだ足りない。能力を磨くだけではダメだ。その ためにも何かもうそろそろ何か行動に移さなければならないと思っ てい。 それからしばらくは、俺は家に帰ると、大量のクスノキから取っ た素材を持って、アイラの遊び場に行く日々が続いた。遊び場とい っても、窯のことである。 アイラは微妙な立場ゆえに放任されていて、自由が利く。その中 には、窯が自由に使える、というのもある。子供にそんなことをさ せても大丈夫なのか? と思わないでもない。 だが、疎ましく思われている割にはアイラの信頼は厚い。 そんなこんなでアイラに言って窯を使わせてもらう。 ◇ 試行錯誤を繰り返すこと何日になるだろうか。ようやくの成功例 が見つかった。 ⋮⋮蒸留って難しいなぁ。 クスノキから取った素材を水蒸気で蒸していく。 124 出た蒸気が漏れないようにパイプ的なものを設置し、少し離れた ところまで水で冷却しながら運ぶ。 パイプからポタ⋮⋮ポタ⋮⋮と滴が垂れる。そしてその水をゆっ くりとさらに冷やしていく。 その様子をじーっとアイラが見つめる。俺の動作を見逃さないか のように。 こんなものを見ていて面白いのだろうか。 ﹁なにしてるの?﹂ ﹁ああ、これはな。一旦蒸気に変化させてから冷やすことで、その 成分だけを取り出しているんだ。で、ここからさらに冷やすことで 溶解度が変化して溶け切れなくなった成分が結晶になるんだ。蒸留 と析出だな﹂ ざっと説明するけどまだあまりわからないかもしれない。 ﹁この前言ってたホウワ?っていうやつ?﹂ ﹁おお。それだそれだ﹂ 飽和。水に溶質を溶けきれなくなるまで溶かした状態である。そ の結果として溶けきれなかった溶質が沈殿したり結晶化する。 アイラの理解力に舌を巻く。なんとなくしかわかっていなくても 構わない。そういうことがある、というだけでも違うものだ。 その日はつい楽しくなって、たくさんの樟脳液を作った。 数日後、析出した樟脳の結晶が出来上がる。 あんなにあったのに析出したのは僅かしかない。 いらない小瓶を四つほどもらって保存した。ちょっとずつ入れた 125 のは貴重感を出すためであまり意味はない。 小さな欠片が透明の瓶の底で転がっている。 ⋮⋮なんか楽しいな。 手伝ってくれたアイラにも一瓶わける。 何故か使い方もわからないのに凄く嬉しそうに手のひらにのせた 欠片をしばらく見つめていた。 気持ちはわかるよ。欠片ってなんだか楽しいよな? 俺だけか? 胸にギュッと抱き込むので、落としてなくさないうちに注意した。 ﹁しまうならしまえよ﹂ ﹁わかってるもん﹂ アイラは俺に﹁レイルくんこそわかってないなー﹂と言わんばか りに不服そうな目で見てきたが、何がわかっていないというのだろ うか。 ゴソゴソと腕輪で出した亜空間への入り口に瓶を入れる。 もう完全に使いこなしているようだ。 俺はこれが売れないだろうか、と薬屋に出かけた。アイラはいな い。 価値が理解してもらえるかわからないけど、この世界の本では未 だ発見されていない薬のはずだ。 薬屋についた。 無煙火薬としての使い方は⋮⋮まあ言わなきゃわかるまい。 どこか怪しげな匂いが漂う古めかしい木造の店舗に、所狭しとい ろんなものが並んでいる。こういう雰囲気は好きだ。 その入り口から中を覗いた。 126 ﹁こんにちはー﹂ 店の奥からお婆さんが出てくる。 すり鉢状の器具などをコトリと置いてこちらに目をやる。 生まれて六年、初めてお婆さんを見たかも⋮⋮ ﹁いらっしゃい。おつかいかい?﹂ どうやら親や親方に言われて買いにきたと間違われたらしい。 貴族の格好をしているのだから、金にまかせて怪しい薬を買いに きたとは思わないのだろうか。 ﹁いえ﹂ ﹁そうかい。でもうちにはぼっちゃんが欲しいようなのはないと思 うがねえ﹂ 台詞だけなら少し冷たいが、その声音には悪意は感じられない。 優しそうなお婆さんだと思った。 ﹁今日は買い取ってほしいものが﹂ そう言って懐から用意してあった樟脳の瓶を取り出す。 半透明の結晶は未だ昇華することなく瓶の底で転がっている。 いや、沸点や融点は水より高いし、昇華されても困るんだけど。 ﹁なんだいこれは?﹂ ﹁樟脳といいます。消炎、鎮痛、清涼感、血行促進など汎用のきく 便利なものですよ。水には溶けません。防臭にも使えます。安くて も構いませんよ﹂ ﹁嘘おっしゃい。そんなの子供に作れるわけないじゃろ﹂ 127 そう言うと口に手を当てて笑った。 そこのところははっきり言う。 プロっぽい、と漠然とした ﹁嘘じゃないですよ﹂ カンフル剤としての使い方をさらりと端的に説明する。俺も作っ たはいいけど正確な使い方までわかっているわけではないし。 兵士の士気高揚にも使えるのは言わない。 何故か一瞬お婆さんの視線が俺から離れる。 銅貨一枚で買ってあげ 一拍の間をおき、お婆さんがうんうんと頷く。 ﹁嬢ちゃんにいいとこ見せたいんだろう? ようか?﹂ 何か勘違いされたらしい。 どういうことだ? 俺が女の子にプレゼントするためにお金稼ぎしているとでも思っ たのか? これを見て、これが何から取ったか、ど 今日はアイラは連れてきていないのだが。 ﹁じゃあどうでしょう? うやって作ったかのどちらかを当てられたらこれを銀貨一枚で買っ てください﹂ 銀貨1枚。前世での中学生のお小遣いぐらいか。ちょっとした日 常品や食事数回分ぐらいの些細な金額である。効用から副作用まで 未知の薬品に出してもらうにはこれが限界か。 128 ﹁薬屋に勝負売ろうってんのかい。やるじゃないか。いいよ受けた げよう﹂ にっこり笑うがその目は本気だった。 子供が持ってこれる欠片ぐらいすぐに見抜けるだろうと舐めてい るのだろう。 現在のこの国の技術であれば、結晶を作れるものなんて限られて いるのだろうし。 ﹁よく見せておくれ﹂ 瓶ごと樟脳を渡す。 どちらかでいいですよ。もちろん不正解 まじまじと眺めて唸ったまま、十分が過ぎた。 ﹁わからないでしょう? ならどちらも教えませんが、不正解の理由だけは証明します﹂ さんざん見た後、ボソッと ﹁水晶かい?﹂ 残念ながら全然違う。 というかそれしか浮かばなかったんじゃないのか? 一般人はこれを﹁わーなにこれ綺麗﹂ぐらいにしか見ないことを 考えると、結晶を見てぱっと水晶が浮かぶあたり、薬屋だけに多少 は博識なのかもしれない。 しかし実物は全然違う。 ﹁違うのかい⋮⋮?﹂ ﹁証拠はそうですね⋮⋮まずは開けて匂いを嗅いでみてください﹂ 129 おばあさんは言われた通りにした。直接嗅いだのを見て少し不安 を覚える。これがもしもヤバイ薬だったらそれだけで昇天できると いうのに。中学の頃に手で仰いで嗅げと習わ⋮⋮習うはずもないか。 ﹁これは⋮⋮クスノキかい?!﹂ ﹁素晴らしいですね。植物の匂いにまで精通しているなんて﹂ この場合皮肉だろうか。 ﹁それに、この結晶はお酒に溶けますよ﹂ お婆さんは深いため息をついた。 銀貨を手に入れた。 ﹁わかったわかった。わしの負けでいいわい。持っていきなさい﹂ やった。 初の仕事の成功の喜びを誰かと分かち合いたいものだ。 約束通り瓶に入った薬は渡した。 俺はその日、手のひらに偽造禁止の印が入った高級感の溢れる銀 貨を握りしめて機嫌良く帰ったのだった。 ◇ 俺はそれからちょくちょく樟脳を作った。 130 たくさん出来た分はアイラに預けた。腕輪の中にいそいそとしま っている。 瓶にいっぱいの結晶を見ると楽しくなる。それだけでも作った甲 斐があったというものだ。 銀貨は部屋の鍵のかかった場所に入れておいた。 お婆さんに樟脳を売ったことも忘れかけたある日のことだった。 下校途中に突然話しかけられた。 ﹁そこのぼっちゃん。ちょっと﹂ 振り返るとお婆さんがいた。 そのお婆さんが薬屋のお婆さんだと気づくのに一瞬を要した。 人違いじゃないですか?﹂ ﹁やっぱそうだね。この薬を売ってくれた子じゃないか﹂ ﹁どうしたんですか? 平然とすっとぼける。 あの薬が偽物とか言われても知らないな。 使い方を間違えたんだろう。 ﹁何をふざけておるのか。お礼を言いたくての。あの薬が人を救っ たぞ﹂ 聞けば哀れな話であった。 とある人の家族が死にかけていて、せめて最期の言葉だけでも聞 きたい。しかし命を長らえる手立てがなかった。 そんなときに彼女の手元にあったのが俺の作った樟脳でできた薬 を使ったことにより、ほんの少しの間だがその人は家族に別れの言 葉を伝えることができたらしい。 131 他人事ではあるが。 ﹁あんたの言った通りじゃったよ。よければ作り方を教えてほしい んじゃけどね﹂ 他にもいろいろ試して、どの効用もあったとか。汎用性の高い薬 なので是非欲しいとのこと。 ⋮⋮人体実験とかしてないよな? 前よりいい値段で買うか いや、しててもいいけど、俺を巻き込むなよ? ﹁作り方は教えてあげません﹂ ﹁ならば、もっと売ってはくれんかの? ら。これでできるだけ買いたい﹂ そう言うと金貨を取り出してきた。 どうしようか。この人なら大丈夫だろうか。 ﹁アイラ﹂ ﹁はい﹂ 意思疎通ができすぎてやばい。 アイラは当然のように幾つかの瓶を俺に渡した。 金貨一枚か⋮⋮ 金貨は銀貨の十倍の価値がある。だいたいの一般人が日常的に使 う最高額の貨幣。というと感覚は1万円みたいな。 前の二倍ほどの結晶が入った瓶を渡そうととしてやめる。 さらに二倍、つまりは四倍入った瓶を渡した。 132 なんだかなあ。 まあいいか、結果オーライだ。 効いていてよかった。 俺の初仕事はこうして成功をおさめたのだった。 133 初めてのおしごと︵後書き︶ クスノキは楠とも樟とも書きます。 作られる樟脳はカンフルに使われ、 現在でも日本に工場があるとか 身近な植物なのですが、北限が狭いようです 134 勘違い︵前書き︶ お金を貯めたいレイルと 周りで見ている仲間たち 135 勘違い 九歳になった。 生まれた時は、﹁こいつ、育つのか?﹂と自分でも思っていたが、 この通りである。 それは普通、周りの大人の台詞だが、ろくに育たなかったとした ら周りの大人のせいなのであえて俺から言わせてもらう。 アイラとの銃開発も、いいところまできた。少なくとも護身用と しては十分なものができた。殺傷能力もある。使う機会はまだ先だ ろうし、足りないところもあるので開発はやめることはないが。 もう学校生活も折り返し地点にきたと言えよう。 ◇ ついこの間、シリカのコネで商会に行った。 リバーシの販売利権を買い取ってくれるというのだ。 改良方法を詳しく説明した。どれほど効くかはわからないが。 まずは改良方法だが、コマを持ち歩かなくてもできるようにした。 三角形の一面が無地で回すと黒、白とコマの付いた面が出てくる。 現代でもあるものだ。構造を説明して、木造でもしっかりできるよ うにした。発想勝負な商品であるため、再現は不可能ではないだろ う。精密な加工が必要だが。 貧富の差があれど、一定数娯楽の需要はある。 貴族などを対象にすれば十分に売れるし、何よりかさばらない。 そして販売もとい独占方法である。 136 最初から最新式を売らない。 簡単な作りの白黒のコマを八×八と盤だけのリバーシをこの商会 の新商品として売り出したとする。 すると日本ほど法律も整備されていないこの国だと、あっという 間に真似をする輩が出てくる。 それをあえて放置しておく。 そこで調子にのって真似をする輩が増えてきたところで、改良版 を売りに出す。その時も発祥がこの商会だと宣伝した上で、だ。 この商会のであるという証明印の入った改良版を高めの値段で売 り出すのだ。 もちろんまた、真似をする輩はいるだろう。 だがどうだ。 俺が示した改良版は構造を正確に知ってなければ真似はできない。 何度か試してみても、劣化版の脆いものしかできないだろう。 試行錯誤や元祖を購入して解体してやっと、それに近いものが出 来上がる。 その頃には元祖が一番質が良いという評判も広まり、他の商会の パチモンなど売れはしない。 じゃあ薄利多売で、最初の基本的なものを売ろうと考えるか? しかし新商品に釣られた一部の余裕のある客は、元の基本的なリ バーシを売って、新商品を買うだろう。 なにせ、自分でも少し手間をかければ作れるのだから。 そうして古道具屋などに流れた旧型が、今まで様子見だったり余 裕がなくて買えなかった客層にまで広まる。 137 もうわざわざ高い金を出して買う客はいないだろう。 古道具屋と同じ値段にまで下げるならばそれでも良い。 儲けが出ないか、悪くて赤字なのだから。 話終えると、商人は苦笑いしていた。 ﹁あまり詐欺のような方法は、同業者の多くを敵に回します。商人 は信頼の仕事、敵に回して潰し合うよりは、うまく利用しましょう。 本家の証明はいい案ですね。真似をされることを想定しつつこちら の利益も損なわぬよう手は打たせていただきますよ﹂ 利権と独占方法は金貨五十枚で売れた。約五百万円ほどである。 そのうちの四十枚を家に入れた。 しかしまだ返しきれていない。まだ二倍ほどは必要だろうな。他 にも幾つか金になりそうな話をして、その日は別れた。 後で独占方法を聞いたシリカも眉をひそめて顔をひきつらせたあ げく、諦めたようにため息をついたのはまた別の話。 ◇ 俺たちの学校はほぼ午前授業である。 家の手伝いなども考慮しての時間である。 カグヤは目立つ。 それもそうだ。もともとのスペックの高さに加えて、あれだけの 美貌、成績も良い。 138 アイラと同じように情報は秘匿するよう言っているが、それでも ダメなものはダメか。 どうやら農民の希望の星みたいな扱いを受けているらしい。貴族 に負けぬ教養とか剣の技量とか言われて。 その背景には三年生から導入された剣術の授業において、先生す ら倒しかねないほどの実力を見せたからだ。 目立ちすぎだ。 その点ロウは素晴らしい。 ほとんど目立っていない。俺も目立たない方がいいなぁとは言っ たんだけどさ。 目端のきくやつは取り込もうと画策しているが、休み時間に姿を 追うことすらできないとか。俺もあいつが学校にいるのか不安にな ってくる。 あいつはあいつで何者なんだよ。 アイラは頑張っている。 成績もいいし、毎日真面目に授業も受けているので先生からの評 判もいい。 ただ、好き嫌いが分かれる。 刃物が作れないことで出来損ない、と罵るやつと、その才能に気 づいたのか、それとも可愛いからかとても可愛がるやつがいる。 両方気に入らな⋮⋮げふん、なんとか釣り合いがとれて楽しくや れてるならいいか。 そして俺はというと︱︱ ﹁貴様! 俺と勝負しろ! 勝ったらアイラを解放してもらおうか !﹂ 139 ︱︱何故か決闘を挑まれている。 どうしてこうなった。おかしいな。 俺はできるだけ目立たないようにしている。 もちろん勉強の方は学年どころか学校一の自信がある。 こんなところで謙遜しても仕方あるまい。小学校みたいなもので 元高校生が負けていてはお話にならない。自慢にもならない。 しかし魔法はこれっぽっちも使えない。才能どころか適性の欠片 も見られないという。魔法陣だとか、魔石の使用について聞けばわ かる。魔法は使えない。 剣技はそこそこ。剣の苦手な子には勝てる。英才教育を受けた軍 人の息子などには勝てない。おそらく剣の授業を蔑ろにしている令 嬢方には勝てるだろう。 そんなものには意味がない。 そんな俺がどうして苦手な剣技での決闘を挑まれているのか。 ◇ それは昨日のことだった。 アイラは雨から濡れない場所でレイルが来るのを待っていた。 いつもふわりとたなびく紅いくせ毛も、雨で少し濡れてそのウェ ーブを休めていた。 周囲を通りすぎていくクラスメイトの男の子が言葉を投げかける。 140 ﹁誰を待ってるんだよ﹂ ﹁関係ない﹂ ﹁ふん、出来損ないのくせに生意気だぞ﹂ アイラが刃物を作れないことについて揶揄する。 ﹁そう思うならほうっておいてくれたらいいのに﹂ ﹁な、なんだよ。お前なんか黙って言うこときいてたらいいんだよ !﹂ 気になる女子にはきつい言葉をはなってしまう、小学生にありが ちな心理である。 アイラは肩ぐらいまでの癖っ毛に大きな瞳。アンバランスな賢さ に普段はあまり注目されないが、可愛いほうだ。 レイルのように、心からの悪意をもって接せられているわけでは ない。 しかしそれをアイラに理解しろというのは無理がある。 ︱︱レイルくんはいつもすごいって言ってくれるもん。 アイラにとって何より大事なのは、自分の一個人としての価値を 最初に認めてくれたレイルの評価であった。 その他有象無象の悪口など気にする必要はない。そのようにさえ 考えていた。 レイルはそれをして、やや危うい思考回路ではある、とは考えて いる。かといって、止めるほどでもないのが現場だ。依存しないギ リギリのラインを見極めるような立ち位置。その境界線に、アイラ はいた。 そのせいか、すっかり落ち着いていた。 141 この年頃にしては、おとなしく、はしゃぐこともなく、そういう 印象を与える少女へと育っていた。 周囲にはいつも、そこそこ仲の良い子がいて、アイラの悪口を言 われるたびに反発していた。そのため、アイラはイジメられるとい う事態にはなっていない。勿論、そのようなことがあれば、レイル も動くこととなるのだが。 しかし今日はそんな子達も、レイルもいない。男子もこれ幸いと つっかかる。 この男子にとって誤算だったのは後ろからその様子を見かけた貴 族の子弟がいたことだった。 ﹁何をしている!﹂ 歳の割りにがっしりと筋肉のついた大柄な体格の少年が現れた。 腰に差した剣は華美ながらも実用的で、服装からもその身分が察 することができた。 最初アイラに絡んでいた少年はすっかり萎縮してしまい、その場 で二、三言残して去っていった。 僕はフォルス・ガルフバード。君は?﹂ まるで物語の一幕のごとく、颯爽と助けに入った貴公子はアイラ に微笑みかけた。 ﹁大丈夫だったかい? ﹁私はアイラ。大丈夫だったけど、お礼はいっておく。ありがとう﹂ アイラには、悪口を投げてきた少年の微妙な気持ちはわからなか った。しかし少年に敵意がないことぐらいはわかっていた。ゆえに 本人としてはそこまで危機感を抱いていなかったのだ。 微妙な違和感に首を傾げる。 それでもこの少年が助けてくれたことには変わりはないし、その 142 善意には応えるべきだろう。 アイラの口調はもしも彼がプライドの高いだけの貴族であれば、 それこそ身分もわきまえずに、と相手を怒らせたかもしれない。 フォルスはそのあたりは寛容であった。 ﹁アイラ⋮⋮同じ学年の! 刃物が作れないって聞いたけど﹂ ﹁それは本当。でも他のものなら作れるから気にしてない﹂ そう言うとアイラは腕輪から以前作ったものを幾つか取り出した。 当然銃器は出さない。レイルとの約束だからだ。 それを見てフォルスが驚く。普段から高級なものを見慣れている フォルスでさえ、それらの良さがわかったからだ。 刃物ができなくても、物を作る才能がある。 アイラ。僕のためだけに物を作る人になってはくれ 家族がアイラの扱いに困る最大の理由である。 ﹁すごいな! ないか?﹂ フォルスは一つ間違えれば告白ともとれる勧誘をした。 貴族は専属の職人を雇うことがある。フォルスはそれを親より聞 かされており、自らも雇っていいと言われていた。気に入る職人が いれば、勧誘してよい、と。 この学校の特色はそこにある。 人を見る目のある子供を送り込めば、才能が開花する直前、片鱗 を見せた瞬間に青田買いができるのだから。 逆に職人や商人にとっては、ここで勧誘されることは子供の出世 を約束されるようなもので、場合によってはその親の支援まで行わ れることもある。 143 勧誘は名誉であり、断られることなんてまずない︱︱ ﹁ごめんなさい。気持ちは嬉しいけど無理なの。私にはレイルくん がいるから﹂ 別に刃物は作らなくてもいい。作るための環 ︱︱アイラでなければ。 ﹁どうしてなんだ! 境には不自由させないし、もしよければ君の親にも援助できる。僕 のためには作ってくれないのかい?﹂ ﹁うん﹂ まさかアイラの親はアイラが勧誘されるとは思っていなかった。 だからアイラに、絶対に勧誘は受けるように! などとは言い聞 かせてはいなかった。 ましてやアイラが断るとは夢にも思っていなかったのだ。 ﹁そうか⋮⋮そのレイルっていうのは⋮⋮﹂ ﹁フォルスくんと同じクラスじゃないかな?﹂ ﹁やはりそうか。レイル・グレイか﹂ フォルスの確認する声に何故か怒気がこもる。 フォルスは勘違いしていた。 レイルがアイラの弱みを握るなどして束縛し、無理やり作らせて いるのではないか、と。 それにグレイ家の名前による先入観が拍車をかけた。 アイラをレイルから解放しなければならない。 見当違いの使命感に燃えた少年がここにいた。 144 決闘と決着 ﹁断る!﹂ 俺は開口一番、そう告げた。 ﹁どうしてだ!﹂ 当たり前だ。 どうして不利な上に、勝っても何も俺に利益がないような試合を 受けなければならないというのだ。 逆にどうして俺が決闘を受けると思っているのだろうか。 ああそうか。貴族とかは外聞を気にするから、決闘から逃げた軟 弱者とかいう評判が広がるのを恐れるのか。 ﹁そもそもお前が負けたらどうするんだよ。それにアイラを戦利品 にするなよ﹂ ﹁アイラはものじゃない!﹂ こっちのセリフだ。 ﹁アイラはアイラの意思があるんだから、俺たちがどうのこうの言 ったってしょうがねえだろ﹂ ﹁極悪非道のグレイ家に養子として気に入られるぐらいだ。きっと 貴様もアイラの弱みとかを握っているに違いない。僕が勝ったら脅 すのをやめろ!﹂ なんの勘違いだよ。 145 アイラの弱み? そんなものあるのか。それちょっと詳しく。付 き合い結構長いから、大体のことは知ってるはずだ。なさそう、す ごくなさそう。 誰も彼もが悪いことしていて、弱みがあるとか思ってんじゃねえ ぞ。もしもアイラに弱みがあるならば、握って何かをするつもりは ないが是非とも知りたい。興味本位だ。 俺はあまりに一方的なフォルスに苛立ちを隠せずにいた。うん、 これは苛立ちだ。 ﹁弱みなんか握っちゃいねえし。だからお前が負けたらどうするん だよ﹂ ﹁僕が負けたらお前の軍門に下ってやる!﹂ ﹁いらねえよ!﹂ それに家はどうするんだよ。 こいつは次男以降か。 ﹁僕は全てを。お前はアイラを失うんだぞ。お前の方が有利じゃな いか﹂ ﹁俺は剣が苦手なんだ﹂ ﹁そうやって逃げる気か!﹂ ﹁だからそう言ってんじゃねえか﹂ 魔法も使えない剣も普通、普通に考えたら、決闘なんてするわけ がない。 このやりとりにも疲れてきたときにアイラは爆弾を投下した。 ﹁私は別にいいけどねー﹂ その言葉に二人の男子が凍りつく。 146 俺とフォルスだ。まさかアイラ本人から言われるとは思わなかっ たから。 ﹁やはりアイラ。君はわかってくれるか⋮⋮!﹂ 一瞬の間に走馬灯のように嫌な想像が駆け巡る。 小さいころから支配を受けていた少女。 しかし入った学園で一人の少年がその少女に光るものを見た。 彼は少女をこき使う邪悪な少年に勝負を挑み⋮⋮正々堂々勝利を おさめることで少女に自由を与えるのだった。 少女にこれからの意思を聞くと﹁あなたと一緒にいられませんか ⋮⋮側にいられるだけでも﹂と顔を赤らめて⋮⋮彼らは末長く幸せ に暮らすのでした。 みたいな童話が頭の中を駆け巡った。 いやいや。あり得ない。 ぶん殴って終了ってどこのヤンキーバトル漫画だよ。 じゃあ̶̶ 少年は正々堂々戦ったのだが、邪悪な主人は様々な罠と人質など を使い、少年を窮地に陥れる。 ぎりぎりとのころで割り込んできた立会人によって反則負けが言 い渡されたときには彼は満身創痍だった。 ﹁ごめんなさい⋮⋮私のせいでっ!﹂ ﹁君の笑顔さえ見れたらいいんだ﹂ そうして少女は自由を⋮⋮ ってだから俺は束縛してないって! 147 これじゃ俺が悪役じゃねえか! 悪役? そうか悪役か⋮⋮ 俺がわけのわからない童話劇場に苦しめられている間は長いよう でほんの二、三秒だったようだ。 とまあここまではもちろん冗談である。 俺は頑固親父役で出場しよう。 ﹁可愛いアイラをお前なんかに渡せるか!﹂ とフォルスくんをぶん殴ってさしあげようじゃあないか。 アイラがこともなげに言い放つ。 ﹁ま、レイルくんが負けるわけないもんね。それに、負けたとして も私の行動さえ束縛されないならなんとでもなるし﹂ どこからくるんだその信頼は! 根拠がないにも程がある。 それになんだかアイラが黒くなっているようだが⋮⋮誰の影響を 受けたんだまったく。 もしかして俺だろうか。 この何年かで、 ﹁相手に要求をするときは強気でふっかけたあと、少しずつ負けて いくことで自分の本来の要求の線まで下げていくんだよ。そうすれ ば最初の要求よりはマシか⋮⋮って相手がなるから﹂ とか変なことを教えこんできたからかもしれない。 出会ったころの純真なアイラはもういないのか。 いつかアイラの親父さんに殴られそうだ。 ﹁じゃあ条件を出させてもらっていいか﹂ 148 アイラがやってよいというのだからなんとかなるだろう。 ﹁いいぞ﹂ ﹁まずは決闘方法だが、武器に指定はなし。魔法だろうが剣や槍だ ろうが、何を使っても構わない。勝利条件は相手が降参するか首に 剣を突きつける、それか戦闘不能になるかの三つでいいか?﹂ ﹁ああ﹂ ﹁日時は一週間後、場所は訓練場の模擬試合場の貸し出し許可を放 課後に取る﹂ ﹁いいぞ﹂ これで仕込みは上々。こいつは馬鹿なのだろうか。相手の提案し た戦闘方法をそのまま乗るなんて死んだも同然じゃないか。 とほくそ笑んでいたら ﹁流石にしないとは思うが、決闘開始までに相手に危害を加える行 為は禁止だ﹂ 残念。評価を改めなくてはならないようだな。 もし条件を鵜呑みにしていたら、あの薬屋で下剤でも買って仕込 んでやるところだった。あえて降参を聞こえないフリをしたりして 時間を稼ぐのもいい。決闘の場で漏らしたという無様かつ立ち直れ ない不名誉なトラウマを植え付けてやったのにな。 決闘を受けたあとはもちろん、基本的な手続きを済ませる。 149 子供同士とはいえ、貴族が絡むと面倒くさいので、あくまで個人 的なものとして処理されるようにした。 決闘騒ぎが大きくなっているので貸し出しの許可をもらうのも簡 単だった。 模擬試合場とは言ったものの、訓練場の横に、無駄なものがない スペースがあるだけだ。せいぜい横に木があるだけの運動場の一角 というかなんというか。あまりいろいろなものは置いていない。 落とし穴でも掘ってやろうかと考えたが、意外とあれは面倒くさ い。 おバカなフォルスくんなら気づかず落ちてくれるかもしれないが、 落とし穴をはたからみてもわからないレベルまで完璧に作ろうと思 うと特殊な技術がいると思う。 網とかを駆使すればできないこともないかもしれないが、今回は そんな時間と手間のかかる方法は使わない。 今回は金に任せてしまうのも面白いかもしれない。 俺は魔法が使えないぞ。それ どんどん自分の思考が悪役に陥っているのを見て見ぬフリをしな が作戦を考える。 ﹁なあ、アイラ﹂ ﹁なあに?﹂ ﹁どうして俺が勝つと思ったんだ? に、剣もたいして強くない。カグヤにしょっちゅうボコボコにされ るし、クラスでもそこまで上位じゃない﹂ ﹁んーとね⋮⋮でもレイルくんとカグヤちゃんが約束なしで戦った らレイルくんが勝つでしょ?﹂ だからどうしてそう思うんだ? カグヤはおそらくとんでもない能力がある。 このまま成長して体格が技術に追いつけば、冒険者の中でもかな 150 り強い部類だと思う。 あの年齢で魔法も使いこなせる。 少なくとも戦闘力で勝てる気はしないのだがな。 ﹁レイルくんはすごい。先生よりも、お父さんよりも﹂ ﹁買いかぶりだよ﹂ だがここまで言われて、わざと負けよう、とかここで俺から離れ させよう、とかそんな自己犠牲や遠慮の混ざった決断を下すべきで はないことぐらいはわかる。 ここで青春ラブコメや鈍感系ならば、俺なんかと一緒にいても⋮ ⋮とか陳腐な遠慮でうだうだと迷ったりするのだろう。 俺は俺の都合で言おう。 アイラは渡さない。 渡すもなにも、全てはアイラの意思のままに。 アイラが勝てと言うならば、この決闘の勝者は俺だと認めさせて やろうではないか。 ◇ 決闘の日がやってきた。 どこから噂を聞きつけたのか、貴族クラスや職人クラスだけでは 151 ない、農民のクラスの子供たちまで来ていた。 そして先生、何してるんですか。 ああ、何かあったら危ないから付き添いみたいな立ち位置か。別 にギャラリーは多くても構わないか。必要な言質は既にとってある。 ﹁では先生に審判をお願いしてもよろしいですか﹂ 先生としてはこちらのほうがやりやすいだろう。危ないと思えば 止められるのだから。 勝利条件とルールを伝えて先生の承諾を得た。 俺たちは剣は確実に届かない場所まで離れてから向き合った。 ﹁では⋮⋮はじめっ!﹂ 合図と同時に相手が駆け出す。 その瞬間、俺は予め購入していたもので作ったある物を投げた。 手のひらサイズのそれは一見すると短刀である。形を似せてあるか らだ。 ﹁こんなものでっ!﹂ 飛んできたそれを難なく弾こうと斜め上から剣を振りかぶる。 タイミングと角度は完璧であった。カキンと硬い音を立てて剣と それがぶつかり、いきなり彼が煙に包まれた。 その隙を見逃すわけがない。 ショートソードを持って真っ直ぐ突っ込む⋮⋮と思いきや左に大 きくそれる。 突っ込んでくると確信していたフォルスは煙の中でも剣を上段に 構えて真っ直ぐとおろした。 前に出た彼はそこに俺がいないことに気がついた瞬間、ぐらりと 152 崩れ落ちる。 何の事は無い。俺は試合の始まる前からとても長い紐で右側にあ った木と俺の足首を結んでいた。 細くて白い紐を使い、できるだけバレにくくした。緩めにとって、 俺が駆け出すと張る長さに調整してある。最初は地面に置いてあっ た紐の端を靴紐を結ぶふりをしてくくりつけたのだ。 その紐をフォルスの足に引っ掛けただけのことである。 決闘では相手の目を見るので、足元がお留守になりがちである。 煙幕を張られてまで足元を見る奴もあまりいない。 投げナイフもどきも煙幕も顔付近に集中しているため、そちらに 意識がいくだろう。 フォルスが転んだ瞬間に自分の足にかけた紐を切って彼の後ろに 回り込んだ。 ここで首に突きつけるべきなのかもしれない。だけど俺はじわじ わと攻める。 ﹁ぎゃあっ!﹂ 醜い悲鳴があがる。 フォルスが足を傷つけられたときの悲鳴である。彼の足から血が 流れる。傷は深いようだ。 いっきに勝ちを狙いにいくのはまだだ。というよりは、これで俺 の勝ちがきまったようなものだ。 時間が経てば経つほど有利になる。 傷の痛みと、流れ出る血液。鍛えているとはいえ小学生の体が一 体いくら持つだろうか。 保健室には治癒魔術の使える先生もいるので、安心してぶっ倒れ てくれて構わない。 153 のたうちまわるフォルスに近づく。 ﹁ひっやめろ⋮⋮﹂ ﹁足を怪我していても戦えるよな。勝利条件はなんだったっけ?﹂ ・降参 ・戦闘不能 ・首に剣 どれかだよな。 降参しなければ俺はこのまま首に剣を突きつけよう。 そう考えて動きにくいようにもう一発斬りつけたのがトドメとな ったらしい。 いたぶって戦闘不能にするとでも思われたのか。 ﹁降参だ。僕は戦えない⋮⋮だから⋮⋮﹂ ﹁勝者レイル・グレイ!﹂ ほんの一瞬で決まった、剣と剣の打ち合いさえ見られない決闘に ギャラリーは黙り込んでしまっていた。なんとも気まずい空気であ る。持てる力の全てを注ぎ込んで勝ったというのに歓声もわかない とは。 そんな中、アイラが駆け寄ってきた。 まさか、ここで﹁貴方は悪くない!﹂とか言ってフォルスに駆け 寄ったら泣くぞ。 ﹁レイルくん!﹂ んなわけないか。 よかった。飛びついてきてギリギリと締め付けてくるアイラに愛 154 おしさを感じながらも、フォルスを見ると、悔しそうに歯ぎしりし ていた。 周囲からブーイングが巻き起こる。 ﹁あんなの決闘じゃないぞ!﹂ ﹁ちゃんと戦え!﹂ ﹁卑怯だ!﹂ 中にはどうやら由緒ある騎士の家系に名を連ねる彼の取り巻きも いたらしい。 同じクラスでもなんとなく差があるのは感じていたことだ。 確かに俺は誓約書の中に﹁この試合が規則に則って終われば、お 互い禍根を残さない﹂を加えていたが、周りにまでその強制をする ことは明記していない。 俺としたことが⋮⋮ ルールにそって言うならば、これで俺はフォルスを好きなように できるし、もう決闘を受ける必要性もない。 だがこの周りの雰囲気はどうにもならないような気がした。 おい、なにをロウはニヤニヤしながら見てやがる。誰か助け船を 出してくれる奴はいないのか。 アイラはアイテムボックスに手をかざすのをやめろ。オーバーキ ルだから。うん、俺が悪かった。助けは不要だ。 一段とブーイングが高まっていく中、一人の少女が前に出た。 彼女が何か言おうとした瞬間、ブーイングがピタリと止み、その 声は大きくなくてもはっきりとここまで聞こえてきた。 155 ﹁やめましょう。レイルさまは素晴らしいかたですわ。そこの方よ りもレイルさまが優れていた。それだけのことです。信じることが できないのならば、我が兄││レオンとも戦ってみればわかるでし ょう?﹂ この学校で知らぬ者はいないその少女は、人ごみの中にぽっかり と空間を空けながら近づいてきた。 ギャクラ王国第二王子レオン・ラージュエルの双子の妹、レオナ・ ラージュエルであった。 そして入学式のとき、俺に何故か好意的な目を向けた謎の少女で もあった。 156 糞食らえだ!﹂ 決闘と決着︵後書き︶ レイル﹁正々堂々? とうとう入学式での王子様とお姫様の登場です。 157 お転婆腹黒お姫様︵前書き︶ あの時の意味深なお婆さんのセリフの理由が明らかになります。 158 お転婆腹黒お姫様 レオナはギャクラの王族である。 兄弟姉妹の中でも年齢以上のその立ち居振る舞いに、周りはこぞ ってほめそやす。 お姫様 で 物腰の柔らかさ、清楚な見た目にいつも穏やかな微笑を浮かべた 文句のつけどころのない美少女。 何も知らずに見れば、完全無欠な非の打ち所がない あった。 彼女はその器用さ、そして聡明さを時折私利私欲のために振るう。 といっても子供らしい、とても可愛いものである。 現在四歳のレオナは、しばしば城を抜け出してお忍びで町に遊び に出ていた。 誰にも見つかることなく、証拠を掴まれることもない。 王城の堅固な警備をすり抜けて、見つかる前に帰ってきていたの だった。 王もそれに頭を悩ませる。だが、それを止めることは誰にもでき ず、専属メイドに護衛をすることを徹底させるという妥協点に落ち 着いている。 ◇ 私はあの日、いつものように部屋を出ました。 礼儀作法の先生による指導を含めた昼食が終わり、自習時間です。 159 本当ならこの間に一昨日言われた課題を終わらせておかなくては なりません。 しかし空き時間を見つけてもう終わらせてあります。 やはり自由とは義務をこなしてこそ、得られるものです。 夕食までは六時間。 一時間で隣の町に辿り着けます。 ならば向こうでは四時間⋮⋮いえ、余裕を見て三時間半としてお きましょう。 何があるかわかりませんから。 そうと決まれば、私の秘密の宝箱に隠してある貴族用の服に着替 えます。 流石に王族の服はいろいろとまずいです。目立ちますし。 私のお付きのメイドを呼びます。 ﹁リン、来てくださる?﹂ ﹁はいはい。レオナ様﹂ 彼女は掃除や整理などはあまり得意ではないそうです。私の簡単 な身の回りのお世話と、身辺警護をしてくださる方です。直属など と言われて、私以外の命令はきかないそうです。 私の乳母代わりだとも言われました。 お父様やお母様、お兄様などの家族は比べられませんが、私の一 番信頼するメイドさんです。 ﹁馬を用意してついてきてほしいですわ﹂ 160 私もお忍びとはいえ、彼女を置いて出ていくほどバカではありま せん。 むしろ、彼女がいるからこそ、自由時間も多めですし、こっそり 抜け出すことも黙認されているのではないでしょうか。 ﹁レオナ様、黙認というよりはレオナ様が一枚上手なので止められ ないのでしょう﹂ ﹁リン、心を読まないでほしいですわ﹂ ﹁口にでていましたので﹂ 口に出ていたのでしょうか? それより私みたいな子供一人抜け出すのを止められないなんて、 お城は意外と警備が甘いのではないでしょうか。 私がお兄様とお城のことについてお話しすることがあれば、見直 すのもいいかもしれませんね。 今はまだ、見直されてほしくないのですが。 ﹁姫様が優秀すぎるのですよ﹂ ﹁今度こそ心を読みましたわね、リン﹂ ﹁顔に出ていましたので﹂ ﹁とにかく、さっさと出てしまいましょう﹂ これ以上ここでのんびりしていると、町でゆっくりできなくなり そうです。 わざわざ王都から離れたのにも、きちんとわけがあります。 私の存在をバレにくくするためです。 王都付近だと私の顔を知っている方もいらっしゃるかもしれませ 161 ん。 そこで、二人の子供を見かけました。 二人は人のいない家の裏で、地面に何かを書きながら話をしてい ます。 ﹁どうしてお空は青いの?﹂ 真紅の髪の少女が少年に尋ねました。 そんなものに理由なんてあるはずがありません。 彼はどのように答えるのか気になってしばらくこっそり聞いてい ました。 神様が青い絵の具で塗ったのだとか、適当なことを言うのでしょ うか。 ﹁お日様の光の中から青い光だけが空気中でバラバラになって空に 広がるからだよ﹂ ﹁お日様の光は黄色だけど?﹂ ﹁白っぽい光の中には色んな色の光が混ざっているんだよ﹂ 私は言葉を失いました。 そんな話は聞いたことがありません。 それから彼は、どうして目に物が見えるのか、という仕組みを説 明しました。 それに太陽の光が複数の色を含んでいることの証明として虹の例 などをあげて、光の三原色、という知識まで話していました。 彼の話は多岐にわたるものでした。 単純に他の国の話だとか、魔獣の話など、私でも家庭教師の先生 に聞いたことがあるものから、人の心理に関するものまで。 ときには世界の本質に迫るものもありました。 162 彼はそれをさも当然のように赤い髪の少女に教え続けているので す。 しかも彼はおそらく教える範囲を少女のために制限しています。 ときおりばらばらと説明しようとして、途中でやめてしまうので す。 彼はいつも彼女に言い聞かせます。 これは絶対秘密だよ、と。 どうしてあの場所にいるのが私ではないのでしょうか。 優しげに教え続ける彼の話は、これまでのどんな授業よりも面白 く、そして新しかったのです。 なにより、彼女が理解したときには頭を撫でられているのが羨ま し︱︱いえ、私はギャクラ王国の姫なのです、そんなことを考えて はいけません。はしたないですね。 ああ、でもすごく嬉しそうです。 どうして、私はこれまでそれらのお話を聞いたことがなかったの でしょうか。皆様は私に隠していたのでしょうか? もしかすると、尋ねないと教えていただけないのかもしれません。 帰ると、早速レオンお兄様やお父様に尋ねます。 ﹁どうしてお空は青いのですか?﹂ 答えは誰も知りませんでした。 家庭教師の先生も知りません。 じゃあレイル様はどこであんな知識を知ったのでしょうか。 163 思わず先生に話して本当かどうか確かめそうになりました。 しかし彼は﹁秘密﹂と言っていたのです。 やめておきましょう。 ただ、お兄様だけにはすごい男の子がいるとだけお教えしました。 特徴と出会った場所だけを言うとお兄様はとても不機嫌そうでし た。 声をかけようかと思ったのですが、怖くて一歩が踏み出せません。 ここまで来た理由の一つでもあるのですが、王都付近で遊んでい ると、私の顔を知っている子供たちに避けられるのです。 彼らが私を嫌いでそうしているわけではないことは知っています。 だけど、私は怖いのです。 避けられることが、まるで私個人を否定されているかのようで。 お父様の言葉が、心の中で繰り返されました。 王族は生まれたときから王族だ。 私情を子供の時から忘れるように。 子供であることに甘えるな。 そう言い聞かされてきました。 私はそれが嫌でした。 なんとなくではありますが。 豪華なお食事も、綺麗なお城も。 楽しむ自分の感情を捨てて、何の意味があるのでしょうか。 私は私の感情でお父様に逆らいます。 もっと世界を見たい、好きな人と一緒にいたい。 164 私はまだまだ子供です。 誘拐犯から守られていても。 明日の心配がなくても。 周りの一歩引いたあの目が怖かったのです。 周りが私に怯えたように、私も周りに怯えたのです。 しばらくレイル様に話しかけられない日々が続きました。 そんな私にも機会が巡ってまいりました。 入学式です。 私情を忘れろ、といったお父様ですが、人との付き合い方は必要 だとおっしゃり、私と私の双子のお兄様を同じ学校に入学させまし た。 もう一つ上のお兄様は別の学校に入っています。 私にも、同じような年の友達ができるのかと期待に胸を膨らませ て学校へ向かいました。 その予想は外れることになります。 ここでもやはり、一部の人間には私の素性が知れ渡っているよう で、あの目で見つめてくる子たちが大勢いました。 どうしてお兄様は平気なのでしょうか。 私は一人の少年に気づきました。 彼でした。彼もこの学校に入学したのです。しかも同じクラスで す。周りからその視線を集めても、気に留めるでもなく堂々と構え ていらっしゃいました。 私はこの幸運を与えてくれたのが神様ならばその宗教に入っても 165 構わないとさえ思いました。 にもかかわらず、やはり私はレイル様とお話する機会のないまま の日々が過ぎました。 皆様が次から次へと話しかけてくるというのも一つの理由です。 私からも話そうとしたのですが、なかなか近寄れませんでした。 べ、別に私のせいというわけでは⋮⋮いえ、私の不甲斐なさゆえ ですね。 次から次へと人が話しかけてくるのは、この国の王族という肩書 きに惹かれたのでしょうか。 口を揃えて私を褒めそやし、讃えます。 もっとすごい人がそこにいるというのに。 みんなの目は曇っていると思います。 ある日、偶然一人で歩くレイル様をお見かけして、その後を追い かけて見ました。 すると彼は薬屋で何かを話していました。 その様子を陰から見ていると、店主のお婆さんと目が合いました。 思わず隠れたのですが、きっとばれてしまったでしょう。 恐る恐るもう一度お婆さんの方を見ると、お婆さんはどうやら黙 っていてくれたようで何もなかったかのように話は続いていました。 ほっと胸を撫で下ろしたのはいいですが、話しかける機会を逃し たことに気づきました。 そして、九歳になった年のある日、私は妙な話を聞きました。 レイル様に決闘を挑んだ愚か者がいるというのです。 名前はフォルス・ガルフバード。騎士の家系の子です。 同年代の中では腕がたつのだそうです。 166 その頃には私も同じクラスの子たちに慣れ、楽にお話しできるよ うになりました。楽に、とは言っても気楽に、とはいきません。い つもの恭しい態度で教えてくれました。 私はお姫様を崩さぬままに、微笑んで尋ねます。 ﹁決闘ってどこでしてらっしゃるのかしら?﹂ そうして今に至ります。 決闘は見事にレイル様の勝ちです。 そもそも負けるなどと疑いもしませんでした。 どのように勝つかだけを楽しみに来たというのに、あんなにあっ さり負けてしまい、拍子抜けもいいところです。弱すぎます。 あんなのが剣の腕がたつなどともてはやされるなどとは、期待外 れです。 おそらくお兄様の方が強いでしょう。 それでもレイル様には勝てないでしょうけど。 それを周りは卑怯だ、こんなの決闘じゃないとか、無責任に喚き たてます。 だから言ってさしあげました。 ﹁やめましょう。レイル様は素晴らしいかたですわ。そこの方より もレイルさまが優れていた。それだけのことです。信じることがで きないのならば、我が兄││レオンとも戦ってみればわかるでしょ う?﹂ と。そしてお兄様に耳打ちします。 ﹁お兄様、よろしいですか?﹂ 167 ﹁構わない。どうせあいつとは一度決着をつける必要があったから な﹂ この提案にはレイル様の凄さを周りに示すという意図の他に、お 兄様をきっかけにレイル様と親しくなれるかもしれない、話しかけ られるかもしれないと私の薄汚い戦略があります。 つまり、お兄様を咬ませ犬にした挙句、踏み台にしてレイル様と 親しくなるつもりです。 お兄様もなんとなくではありますが、それをわかっていらっしゃ います。 それでもレイル様と決着をつけたいようです。 お兄様にだけ聞こえるように囁きます。 ﹁ならば勝てばいいのです。少なくとも咬ませ犬になりはしないで しょう﹂ どうせレイル様が勝つのですから。 168 お転婆腹黒お姫様︵後書き︶ お姫様はもっと強く書くつもりでしたが、妥当なところにおさまっ たと言うべきでしょうか。 169 お姫様と王子様︵前書き︶ レオン王子はちょっぴりシスコン気味 170 お姫様と王子様 これは罠だ! 声を大にして叫びたかったのは言うまでもない。 ﹂と高笑いする気な ここで王子様が俺をボコボコにして、﹁やはり極悪非道のグレイ 家、その御子息様もたいしたことないのね! のだと。 うん、自分でもわかってる。 被害妄想が激しいなーって。 俺みたいな一般の小市民虐めたって、お姫様の評判が下がるだけ だ。いや、貴族に名を連ねているなら小市民はおかしいのかもしれ ないが。 王子様にボコボコにされたところで、肉体的苦痛以上に何がある というのか。 というか俺の評判はすでに二重にドン底なのだから。 これ以上いじめられても困る。 目の前にいるのは超絶美少女である。 町を歩けば全ての人が振り返る、童話の中から抜け出してきたよ うな人形のように精巧な美しさのお姫様だった。 肩より長い金髪は日の光に照らされて、その眩しさに思わず目を 背けそうになる。 彼女が姫だと知らない人がいるというのに、その雰囲気に押され て人混みが割れたのだ。 幼くして支配者の素質があるということか。末恐ろしいにもほど 171 がある。 ﹁お前だ、レイル。俺と戦え!﹂ ﹁レオン王子、私には貴方と戦う理由がございません。謹んで辞退 させていただきます﹂ この学園では、学園内での子供同士のやりとりに対して学園が責 任を持たない。 入学時の書類の一つにそんな項目があったはずだ。 だからここで王子様と決闘でもして、叩き潰したところで、王様 とやらがまともな人なら俺は困らない。 俺ができたのならば、だが。 お前が考えたものでよい。どちらかに不利な ﹁それに私が剣はあまり得意ではないことを学友のレオン王子なら ばご存知でしょう﹂ ﹁ならば剣以外だ! ものでないのであればな﹂ こいつは俺になんの恨みがあるんだよ。俺が何をしたって言うん だ。 なんだか腹がたってきたな⋮⋮ どうにかして一泡吹かせてやりたいところだ。 しかし王子相手に不意打ち闇討ちだまし討ちはまずい。 それこそ俺が抹消されかねない。 できるだけ平和で、お互いが傷つかない、どちらが負けても問題 ないもの⋮⋮と考えて、ふと思いつく。 ﹁では提案させていただきます﹂ これで凌げれば⋮⋮ 172 ﹁まずは九×九の盤を用意します。そして四十個の駒を用意します。 それらに役職を与え、お互い二十ずつ使って行う模擬戦争型遊戯で す﹂ そう、将棋だ。 ルールを一から説明していく。 各コマの動ける範囲や勝利条件、相手のコマを倒す条件に、特殊 ルールである。 それにそれを行うと盤上が複雑化しますし、 ﹁どうして二つ重ねて置いてはならんのだ?﹂ ﹁無意味でしょう? 複雑だからといってその分面白くなるわけではありませんよ?﹂ ﹁そうか。ではどうして歩兵を同じ縦例に置いてはダメなんだ?﹂ ﹁そういうものです。歩が一番多いから、特殊規則も多いのでしょ うね﹂ ﹁相手の陣に入るのに、どうして強くなるのかわからん﹂ ﹁今までは戦場で隣は味方なので、配慮して動いていたのでしょう。 敵の城に潜入したら個人で能力に応じて自由に動けるということで す﹂ ひとしきり特殊ルールも理解してもらえたようで何よりだ。 こればかりは俺に有利でありながら、ルールだけは恐ろしく公平 だ。何年もかけて洗練されてきた文化とも言えるこのゲーム。まだ 少年の彼に指摘されるようなものはないだろう。 そんな俺も、たかが精神年齢三十もいかぬ若造ではあるのだが。 周りはなんとかして王子の援護にまわろうとしていたようだ。同 じくルールを聞いていたが、聞き終えた後は苦虫を噛み潰したよう な顔をしていた。 173 ﹁先攻や後攻で有利不利は出ないのか?﹂ ﹁人によっては出ますよ。先手が得意な人も、後攻が得意な人もい ますからね。ご安心を。もちろん王子にはお好きな方を選んでいた だきますから﹂ ﹁うーむ。随分と複雑だな。覚える時間をくれないか﹂ すっかり将棋の面白さにとりつかれてしまっている様子だ。 俺は最初は気に食わないと思っていたが、なかなか見る目もある し、何より無茶は言わない。理解も早いし、勝負を受け容れてくれ ていることといい、もしかしたらいいやつなのか。 ﹁覚えるなどと遠慮なさらず、初めて見る遊びでしょうから、練習 の時間を七日でも十日でもとってくださって結構ですよ。いつにし ますか?﹂ ﹁お前はこの遊びを知っていたのか⋮⋮?﹂ ﹁この世界で知っているのは私だけでしょうね﹂ ﹁なんと⋮⋮! お前が作ったのか!﹂ 曖昧に微笑んでおく。 この世界では、と言ったのは嘘ではない。別世界にはあるのだか ら。この世界に知識として持ち込んだのも俺ならば、作ったのは俺 で間違いないしな。 ﹁ううむ。一ヶ月だ﹂ ﹁その間に練習だと言って挑んできてくださっても構いませんよ﹂ ﹁そんなことはしない。次戦うのは一ヶ月後だ﹂ ふう⋮⋮なんとか頭脳戦に持ち込んだ。 前世では無敵というほどでもなかったけど、ルールをかじった程 度の同級生ぐらいになら無双できたしな。 まあ⋮⋮将棋に入れ込んでいるやつには飛車角落ちどころか六枚 落ちでも負けたりしたしなあ⋮⋮。しょうがないよな。そいつ、大 174 会記録者だったし。 ◇ 王子と約束してから一ヶ月。 俺はというと、結構呑気にすごしていた。 失礼にならないように、精魂こめて将棋を作り上げたり、古道具 屋や廃材置き場、薬屋を巡ってみたり。 他にはアイラの銃器作成の手伝いなど。 鉄くずから次々へと弾丸を作っていく。 アイラは国と戦争でも考えているのだろうか。 アイテムボックスがなければ倉庫に保管できなさそうなほどの銃 器や火薬類、弾倉に弾丸を見るたびに思う。 バレたら国家反逆罪で捕まっても文句は言えまい。 さて、試合だ。 以前と同じように、いくつかの約束事を決める誓約書にサインし てもらった。前回と違うのは、周りにギャラリーがいないことか。 俺の後ろにはアイラが、王子の後ろにはレオナ姫が。四人で使うに は少々広すぎる部屋だった。 一ヶ月の練習の成果を見せてもらおうか、とどこか師匠にでもな ったような心持ちで王子と相対する。 ﹁様々な秘策を練ってきた。お前が勝てば、何か頼みを聞いてやる。 だがあくまで俺個人にできることだけだ。国や父上は動かせない﹂ それでも相当な話である。 王子ともなれば、個人に対してコネがあるだろうしな。それは勝 ってから考えるとしよう。 175 ﹁だが俺が勝った場合、妹を誑かすのをやめてもらおうか!﹂ ちょっと待て。大きな誤解がある。 いつ俺がレオナ姫を誑かしたというのだ。この前話しかけられた のが初めてだぞ。しかもそれだって単なる﹁お兄様と試合をして!﹂ みたいなものだったし。あれを見てどうやって誑かしたと。 ああ、あれだきっと。嫉妬とかいうやつだ。先手をうって近づか ないようにさせる気なんだな。俺がいい男すぎるがゆえに。 最後の一言は違うな。 パチン、パチンとお互いの盤上が動き出す。 なるほど、秘策と言ったのも頷ける。 レオン王子は自陣の左下、角のある方の隅に王を避難させた。 周りを九つのコマで囲った。 王を守るように並べられたそれはあたかも堅牢な要塞のようであ った。 その様子は記憶が正確かどうかわからないので、なんとも言い難 いが、前世で言うところの﹁穴熊﹂という囲いに似ていた。 俺にとっては動きづらさと決めるまでの手の多さに使いづらい、 とあっさりと修得するのをやめた囲いだが、立派な囲いの一つであ る。 作るまでに最も多くの手がかかるが、硬さだけなら随一だ。 一ヶ月あったとはいえ、この囲いを生みだしたのか目の前の小学 生であることに驚きを隠せないでいたら、王子は勘違いしたのか、 ﹁はははは、あまりに崩しにくそうで驚いたのか﹂ いや、前世で穴熊を使ったことも、使われたこともあるのであま り気にはしていない。 176 ﹁ん? そんなすかすかの構えでいいのか?﹂ 俺の囲いは、左端から一番目、三、四番目の歩を前に出して角を 斜めに押し出し、後ろを金と銀で斜めに補い合うような囲いだった。 攻めは中飛車もいいかと思ったが、今も歩の後ろにカバーさせる ような動きまでできている王子に敬意を示して、一番使い慣れてい る居飛車にしておいた。 定番の動きだ。 歩を前に押し出しながら周りを銀にうろちょろさせる棒銀も絡め ながら前に進める。相手が慌て出したところで、戦法をガラリと変 える。 右端を食い荒らしていくのだ。 俺から見れば左端だが、相手の飛車は今、矢倉に翻弄されて動き あぐねている。そこに急に移動してきた飛車と組み合わせてあっさ りととってしまう。こうなればこちらのものだ。 相手の穴熊は固めれば固める程良い、というものではない。後は 物量でじわじわと攻めていくだけで穴があく。 静かな部屋に、駒と盤が当たる音が響く。 ﹁まいりました﹂ 勝負は打つ手こそ多かったが、苦戦した感じはなかった。次やっ とか言い出さないあたり たって勝てるな。それが相手にも伝わったのか、悔しそうだ。歯ぎ しりをしているが、ここで三回勝負だ! 賢明だと言える。 ﹁じゃあ私の勝ちですね。王子にはこれを差し上げます﹂ 俺はこの勝負をする前から考えていたことを口にした。 ﹁いいのか⋮⋮﹂ 俺が差し出したのは、俺の手作りの将棋だった。 ﹁ええ。最初からそうしようと思っていたのですよ。これを大量に 177 作って売るもよし、誰かに遊び方を教えて一緒に遊ぶもよし。王子 のご自由に﹂ ﹁レオナが言っていた理由がわかる気がするな⋮⋮﹂ それよりもだ、王子ではなくレオンだ。 ﹁どういうことですか?﹂ ﹁いや、なんでもない! 名前で呼ぶことを許してやる﹂ 照れたようにぶっきらぼうに言ってそっぽを向く彼の破壊力は凄 まじかった。女だったら危なかった。腐女子がこの様子を見たら鼻 血をこらえるので精一杯になるな。ショタコンもか。 ﹁じゃあレオン様﹂ ﹁敬語じゃなくていい。レオンだ﹂ ﹁レオン﹂ ﹁ああ﹂ 構わない。レイル、アイラ、 ﹁勝ったときの約束は、俺と友達になる、それでも構わないか? えっと⋮⋮ああ。友達? できればアイラも﹂ ﹁えっ? よろしく頼む﹂ 慌てまくりのレオンがなにやら微笑ましくって見つめていたら、 後ろのアイラが妙に怖い。 ﹁どうだ。お前なんかより先に友達になってやったぞ﹂ ﹁お兄様っ⋮⋮!﹂ レオンがレオナ姫を煽るものだから、おしとやかな顔しか見てこ なかったレオナ姫が、凄まじい形相で兄を睨みつけた。 歯ぎしりの音さえ聞こえてきそうなほどの彼女の様子は間違って も他の人に見せられないと思った。 178 よかった。ここが密室で、他の人がいなくて。 ﹁お見苦しいことをお見せしました﹂ すぐに平常心を取り戻したレオナ姫はすごい。 というか友達が先にできたぐらいで何を悔しがる必要があるのか。 そう思っていると、レオナ姫は俺に近づき、耳元でボソッと囁いた。 ﹁私たちが物を見れるのは、目の網膜が光という刺激を受けとって 脳に送るからだそうですね﹂ 本来、この世界では知られていない知識。それを知るということ は、アイラとのやりとりを聞いたことがあるということだ。 耳元で囁く。それはこの知識を広めたくないという俺の気持ちを 慮ってくれているかのように見えるが、脅しのようにも思える。 俺は無礼を承知で距離をとった。 ﹁何が目的ですか﹂ あまりに険しい表情なので、本来は女の子にこんな顔を向けるべ きではないのだが、警戒も隠さず尋ねた。秘密をバラされたくなけ れば奴隷になれとか言われかねない。そんな俺の心配とは裏腹に、 レオナ姫は気まずそうに指を絡ませながらもじもじとしていた。 あれ? ﹁わ、私も⋮⋮レオナと⋮⋮お兄様と同じように⋮⋮友達から始め その女危険!﹂ てほしいというか⋮⋮﹂ ﹁レイルくんっ! アイラが反射的に叫ぶ。 179 いやいや、今のは危険な子のセリフじゃない。そして、お前のそ れは幼馴染のセリフじゃない。タイミングがもう少し早ければな。 友達になってほしいってだけのこのタイミングだとヤンデレのセリ 私だって﹂ フだからな。アイラがヒロイン級に可愛いのは事実だが。 ﹁なんですかっ! ﹁あーはいはい。友達ね。レオナ。改めてはじめまして。レイル・ グレイです﹂ けっとう このままだとアイラとレオナによる第三次大戦が始まりそうなの で、不本意そうにほっぺを膨らませているのを無視した。 ﹁はいっ! レオナ・ラージュエルでございます。そこにいるレオ 俺に敬語をとらせたんだから、俺の ンお兄様の双子の妹です。レイル様、よろしくお願い申し上げます﹂ ﹁なんで俺は様づけなんだ? こともレイルでいいのに﹂ ﹁いえ。レイル様はレイル様です﹂ 腑に落ちないのは置いておこう。 ﹁ほら、アイラも自己紹介﹂ ﹁レイルくんのアイラです。弟子は私だけで十分です﹂ 抜けてるぞ。テンパりすぎだ。 突っ込むところは多いけど、アイラはボケ担当ではないので黙っ ておく。 カグヤは弟子ではないんだな。剣術の対価に教えているからか。 ﹁よろしくお願いしますね。アイラさんも﹂ 180 アイラはさん付けなのか。ますますわからん。どうして俺が様づ けで、レオンや王様と同格扱いなのか。 まあいいか。これでしばらくは決闘もくることはあるまい。 181 お姫様と王子様︵後書き︶ レオナ﹁私の計画が逆に利用されて、お兄様に先を越されてしまう なんて⋮⋮ いえ。お兄様が言い出したことで、私も言い出しやすくなりまし た。 第一声で距離をとられたことは気にしてなんかいないんですから ぁっ! 危険とか凄まれたって泣いてません!﹂ 182 王城に呼ばれて︵前書き︶ ほのぼの学園編、終了です 183 王城に呼ばれて 王城では将棋が流行りはじめた。 当然のその仕掛け人はレオンである。 みんなで遊びたいと思ったが、売りたくはなかった。俺が作った 見た目は子供、中身は大人、 ゲームで儲けるのが気にくわない。レオンの主張を要約するとそん なところだった。 二人とはすっかり友達になった。 子供とは切り替えが早いのである。 とどこかの名探偵のようなキャッチコピーのつく俺も例に漏れず、 多少の失礼なんかすっかりと水に流してしまっていた。 ﹁でさ、レイルには友達として家にきてほしいんだ﹂ と、いうわけでレオンに家に呼ばれた。 何の問題も無い。小学生だもの。友達に呼ばれて、家に遊びにい くこともあるよね。普通普通。相手が王子様でなければ。 レオンは美形である。王子様なのが特に嫌味にならないぐらいに は。そして性格も少し不器用なところもあるが、適当に熱くて⋮⋮ いいやつである。女子には当然モテる。 何が言いたいのかというと、そんな王子とお姫様に話しかけられ る評判の悪い男の立場というものを想像してみてほしい。 ﹁素晴らしい提案ですわ。お兄様など構わず、私の部屋に来ません こと?﹂ 184 やめてください。あえて周りに聞かせるように言うのは。心の中 でだけ窘めておく。火に油ではなく、キャンプファイヤーに向かっ て消防車のホースで油を注ぐような暴挙である。今まではお嬢様の 嫉妬や、なんでお前なんかが? 程度の場違い感を投げつけられた にすぎない。しかしレオナの発言によって、周りの男子ファンたち に一気に殺気がほとばしり、騒がしくなった。 ﹁あいつ⋮⋮どうにかして殺れないかな﹂ ﹁用心深いから、本気で殺りにかかると返り討ちなのがわかってい るのが腹立たしいな﹂ ﹁でもアイラちゃんもだろ﹂ ﹁どうなってんだよ。剣も中途半端、魔法はからっきしの頭でっか ちのくせに﹂ 家庭教師も ﹁勉強だけはなあ⋮⋮あの才媛もシリカ様も、王子レオン様も抑え て一位の座を譲ったことがないとか﹂ ﹁それでいて勉強している姿は見た事がないんだぜ? いないっていうし﹂ 農民科魔 ﹁はいはーい。アイラちゃんやカグヤさん、あと誰か地味な男に勉 強教えているときなら見たことあるぜ﹂ カグヤさんってあの? ﹁ああ、あの殺気がヤバくて近寄れない幻の勉強会?﹂ ﹁地味な男って誰だよ。えっ? 法、剣、学問一位の?﹂ ﹁ああ。それにアイラちゃんも剣は普通だけど、学問は一位だって よ﹂ ﹁じゃああの勉強会って一位の集まり?﹂ ﹁地味な男が気になるな﹂ 途中から勉強会の話題になっていたが、レイルに向けての殺気は 絶やさない。 185 ひそひそ声で内容が聞き取れなくても、居心地が悪いことこの上 なかった。 俺は話を強引に変えることにした。 ﹁ああ、行く行く。ところで将棋はどうなった?﹂ ﹁実は⋮⋮家に来てほしい理由の一つに、その将棋が絡んでいてな﹂ 話を変えたつもりであったが、どうやら変わっていなかったらし い。 レオンの父親、つまりは王様が将棋を作った人をレオンに尋ねた らしい。 口止めしておかなかった俺も悪いが、そこでレオンはバカ正直に 同じクラスの友達ですなんて言ってしまったものだから、今度家に 遊びにきてもらおうか、となったらしい。 うむ、息子に友達ができたので家に呼んだ。 何の問題もない。 お金儲けの匂いもするので、レオンには悪いが打算込み込みでそ の案にのろうと思う。 まさか息子の級友をいきなり危険人物扱いして捕らえたりはする まい。 ◇ お城についた。 カグヤとロウも誘ったが、なんだがそわそわと目線をそらして辞 186 退した。 遠慮しているというよりは、何かまずいことがあって行きたくな いような様子だったので、無理には連れてこなかった。 アイラはついてきている。 最近思うのはアイラはなかなか大物だということである。 レイルくんがいくなら、の一言で城についてこようと思うだろう か? その点、カグヤとロウの方が小市民的一般間隔と言えるだろう。 ジュリアス様に、 ﹁王城に招待されました﹂ と報告したら、 ﹁そうか、よかったな﹂ と薄く微笑んでおっしゃった。 軽っ、そんな反応でいいのか。 もしかして城に招待ってたいしたことじゃないんじゃ⋮⋮ うん、気負うのはやめよう。 俺だけが緊張するのも馬鹿らしい。 いや最初から緊張なんてしてはいない。 友達の家にいくだけなのだから。 ﹁よく来たな﹂ 玉座は赤い絨毯と質のいい調度品で飾られていて、その中央の椅 子には四十ほどのおじさんが座っていた。 187 この男性こそがギャクラ国の王様だった。 ﹁グレイ家のレイルだったか。それにアイラか。この将棋というも のを作ったのはお主というのは本当か?﹂ ﹁その通りでござきます﹂ ﹁にわかには信じられんな⋮⋮そのことなのだが、将棋は現在、無 もちろんそれに応じた謝礼は出そう﹂ 断で王城内でのみ使われておる。その権利を私に譲ってはくれんか ? む⋮⋮謝礼か⋮⋮ 魅力的な提案であることには変わりない。 しかしこれはなあ。あげても問題はなさそうに見えるが、ダメだ な。 ﹁将棋の権利は全てレオン王子に差し上げましたのでそれは不可能 でございます。言わせていただけるならば、王子様の名前で王族の 遊びとしてしまうのはどうでしょう﹂ ﹁いや⋮⋮それがな⋮⋮偶然見ていた貴族が尋ねてきおってな⋮⋮﹂ そういうことか。 ﹁では似て非なる遊びをご紹介しましょう﹂ そう言って提案したのはチェスだ。見た目が受け入れられやすく、 ルールも将棋のように取ったコマが使えない分覚えやすいので、広 まりやすいとも言える。 ﹁ほう﹂ ﹁こちらを貴族の遊びとして浸透させるのです。例えば台座に大理 石を用いたり、コマを金属やガラス、水晶など高級感のでるもので 188 一流の細工師に作らせれば一つの飾りとしても機能します。綺麗な ので贈り物にもなるでしょう﹂ オセロと違い、上流階級にしか流行らないだろう。それを見越し て付加価値を増大させる。 役職の名前自体はドラゴンや魔法使いなど、こちらにあわせても いいと言った。 ﹁どうでしょうか﹂ ﹁ふむ⋮⋮確かに似ておる﹂ ﹁ですが別物ですよ。やってみればわかります﹂ ﹁レオンが言っておったときは半信半疑だったが、今この場であっ さりと新たな物とその用途まで説明されれば信じざるをえないな。 礼を言おう。将棋は息子のものなのだな﹂ ﹁はい。ちなみに今巷ではやりのオセロ、あれも私の作品でござい ます﹂ ﹁なんだと⋮⋮どうしてチェスも売り込まなかったのだ?﹂ ﹁オセロは作りが簡単で、ルールを教えるだけでも庶民に広まりま すからね。すぐに売れなくなるものです。逆にチェスは売らなけれ ばはやりません。貴族を狙えるこちらの方が都合が良かったのです よ﹂ 嘘である。単に思いついて言っただけで、そんな深い意図があっ たわけではない。 ﹁ではこちらも相応の礼をもって返そう。というよりは、チェスの 権利を国に売ってもらえるか﹂ ﹁喜んでお売りしましょう﹂ 値段も聞かずに売るなんて商売ではありえないことだ。 189 どうしてこうもあっさりと売ったのかというと、グレイ家の名前 を売るためと、国に恩を売っておくことで今後楽にするためである。 王様が太っ腹なのか、それともチェスの価値は思ったよりも高か ったのか王様はあっさりと大金を出した。 ﹁金貨千枚でどうだろうか﹂ ﹁いいですよ﹂ 恭しく後ろの人が金貨のつまった箱を差し出し、開けて中を見せ てくる。 この量のお金なんて胸が躍る。 いや、守銭奴ってわけじゃあないんだけどな。 前のオセロよりも高いとか。 儲け的にはあまりないと思うのだがな。 貴族同士の見栄とかもあるだろうしか? うまくいけば豊臣秀吉の茶器のように、貴族や騎士への報酬に土 地とかを使わなくてすむな。 そうすれば遠い目で見ると国の利益にもなるのかもしれない。 そんな予想をぽろっと漏らした。 ﹁お前さ⋮⋮﹂ レオンはドン引きしていた。 ◇ これで俺の借金返済は終了することとなる。 190 それどころか、お金が余ったので様々なことに使うことができる。 俺の学園生活の前半にあった主なことはこれぐらいだろうか。 後半にもいろいろなことがあった。 小さなこととしては、将棋の件のすぐ後ぐらいにレオン兄とやら が学校に来たこととか。 国が管理しているもう一つの学校に通っているらしい。 最近のレオンはヘタレている、アホだ。そんな学校にいるからだ。 だからこちらの学校に来い。 そんな言い分であった。 王族ってブラコンやシスコンが多いのか? 勝負方法に将棋を提示してきたことに笑うのを堪えるのに必死だ った。 どうやら将棋の製作者が俺で、城に持ち込んだのがレオンだと知 らなかったらしい。 レオンはどうやら王様とも対戦するが、俺より弱いらしく、あっ さり勝ったそうだ。 王様は息子に負けて、しかもその息子に勝つやつが製作者である なんてことは積極的には言いたくなかったのだろう。 レオンの兄がドヤ顔で ﹁お前はよく将棋で遊ぶそうじゃないか。年上だしハンデをあげて もいいぞ。さすがに父上には負け越しだが、最近はだんだん勝てる ようになっているんだ。降参なら今のうちだぜ﹂ と言ってきたところでふきだした。 191 貴族取り巻き達にも教えて、ここのところ訓練させていたらしい。 というのは後で知った話だ。 結果、俺が直々に教えているレオン、レオナに俺とアイラを加え て、あと一人誰がいいかレオンに聞かれてロウを勧めた。 五人対五人、三勝した側の勝利という剣道みたいな方式で戦った。 結果は圧勝。俺が大将としてでたときに それでも勝つ ﹁なるほど、知恵がまわるじゃないか。一番強くて勝てないだろう 僕には弱そうな男を当ててくるとは。別にいいぞ? からな﹂ と言っていた。そのくせして途中でロウとレオナに二人抜きされ た時点で慌てて ﹁俺が出る!﹂ と途中で順番変更するという暴挙に出た。 だから途中で総当たり戦でも代理戦でも構わないと言ってあげた。 それでも全敗してわめきちらしていた。 特に平民が二人も入っているのに負けたのが悔しかったのだろう。 俺の見た限りでは、俺の次に強いのがレオナだった。 ﹁勝てなくても恥ずかしくはありませんよ。これを作ったのは僕で すし、遊び方から効率のいい戦い方まで教えていますからね﹂ とにっこり笑って心をへし折ったところでレオンにいたく感激さ れた。 今までお兄さんには言いくるめられっぱなして、今回なんかは絶 対に向こうに行きたくなかったのだそうだ。 レオンは兄弟姉妹の中でも、光るものがあると言われるレオナと 192 双子だったことで、よく比べられていたらしい。 レオンは男子であったこともあって、レオナより悪い扱いは受け ることがなかったし、それでレオナも特に不満を言わなかったのが レオンを救っていた。 そのことを聞いてなにやら腹のたった俺はトドメにもう一言。 もう一度お聞かせねがいませ ﹁年下に頭を使う遊びで完全敗北。えーっとどんな学校にいるから レオンがアホになるんでしたっけ? んか?﹂ 体こそ年上だが、中身は十以上年上だ。 あまりに大人気ない仕打ちと邪悪な笑みに周りの子供達は ﹁やっぱりグレイ家の子だ⋮⋮っ!﹂ と騒然としたが、レオナとアイラだけはいつもの通りで少しこそ ばゆいような。まあ勝ったんだから褒めてくれるのは構わない。 他にもいろいろあったが、概ね平和であった。 そんな学校生活の傍ら、とりあえずの目標である﹁神﹂という存 在との再会に向けて調べ物をしていた。 学校の図書館に残っていた資料によると、俺を転生させた奴の名 前はおそらくヘルメス︻マーキュリー︼ではないかと思われる。 ヘルメス。もしくはマーキュリー。 それは盗み、商売、旅人への加護を持ち、そして異界に導く役を 司る神だ。 生まれてからすぐに牛を盗んだ挙句、口先三寸で牛と楽器を交換 193 することで有耶無耶にしてしまった酷い神だという。 盗むときに証拠隠滅はしっかりしていたくせに、ゼウスによる占 いという反則じみた手段であっさりばれている。なんなんだ。神っ て未来や過去を見れるのか? 制限ついてそうな能力だな。 ヘルメスとやらは詰めが甘いんだな。ロクでもなさそうだ。と責 めるのは早計か。神として生まれたばかりの時のことである。それ に占いで、とはまた予想しづらいものを。 まあ神話なんてものはどこまで本当かわからないものだ。 会う手段はいくつかある。 一つは教会につとめて、信心を何年も捧げて高位職にまで登りつ めれば声ぐらいは聞けるとか。 遅い。遅すぎる。 それだけのために教会に缶詰めになる趣味はない。 しかもそれだけの時間を、労力をかけておいて声が聞けるだけっ て。 それは単なる天啓とかお告げとかのあれだよ。 常時発動型やピンチのときに来てくれないと、単なるプチ預言者 にしかなれないよ。 確かに俺は信じているよ。この目で見たんだもの。 ならば最初から会わせてほしいものだ。 もう一つは死ぬこと。 これは却下だ。あの神が言っていたからもしかしたら、とは思っ ていたけど、本当に死ねば会えるんだな。 そのためには神への謁見を許可される程度には善行を積まねばな らないとか条件がありそうだ。 なんにせよ、生まれ変わったり生き返る保証なんてどこにもない 194 のに。あったとしても二度目の死は勘弁願いたい。それならなるべ く長生きしてからがいい。 最後は直接神のいる天界まで会いにいくことだ。 この世界は天界、地上、冥界の三世界に区分されているようで。 俺の元いた世界でもあるのかもしれない。一つの世界の中に三つ世 界があるというか。違和感は拭えないがそういうものなのだろう。 神のいる天界にいくには特別なものが必要で、それが何かまでは 図書館ごときではわからなかった。 やはりこの国の外に出なければわからないのだろうか。 教会には漠然としたことしか書いておらず、それ以上は何も手が かりのないままだ。 魔族国家のノーマや魔導国家ウィザリアとかならもしくは⋮⋮そ れとも教会本部にして宗教国家の聖法皇国家ヒジリアの方がよいの か? 竜や龍を祀る国リューカもありかもしれないが。 相変わらず俺は魔法を微塵も使えないし、剣も上の下で止まって いる。 上の下、というと一般兵士には勝てる程度。 俺は弱い。誰よりも、とは言わないが、少なくとも冒険を志す者 の中では強くはない。 そのことを言うたびに、妙な顔をする者はいるが。 まともに戦えば王国筆頭騎士だとか、軍団長に、救国の英雄なん かにはあっさりと負けるというのに。 だが、そんな化け物みたいなやつらがあっさりと負けてしまうよ 195 うな奴らがひしめく世界で、もうすぐ十二年が経つ。 俺が十二歳、学校卒業の歳だ。 今は目の前のことに集中しよう。 196 王城に呼ばれて︵後書き︶ 次は卒業編 197 レイルの憂鬱、アイラの決意︵前書き︶ いっそ最弱で、どうしようもないぐらいに弱ければ、諦めもついた のだろうに 198 レイルの憂鬱、アイラの決意 町外れの草原には二人の少年少女がいた。 風は二人の頬を撫で、その鼻腔の奥に草の匂いを届けた。 少年は草むらに寝っ転がり、右手を見つめる。 その右手に精神を集中させるが、何の変化も見られない。 そこにぽっかりと空いた何かを確かめるようにつぶやく。 ﹁やっぱり無理か﹂ 少年の名前はレイル・グレイ。 グレイという苗字はこの国の貴族に名を連ねているが、レイル自 身は血筋は全く関係ない。 彼は前世の記憶を持っていたので、幼少期から様々な訓練をして きた。 筋肉を鍛え、体力をつけようとした。 柔軟性を高め、俊敏性を磨こうとした。 剣技も、魔法も、二歳のときからずっと。 だがどうだろうか。 確かに彼は、全く動かない者よりは強くなった。 だがそれは恵まれた環境で努力した者にはあっさりと抜かされた。 才能を持つ者にも簡単に負けた。 結局今日に至るまで、カグヤから一本も取ることができなかった。 王子にも、決闘で勝ったフォルスにも、ルールのあるような実技 の模擬試合では一度も勝てなかった。 199 カグヤはともかくとして、二人とは剣技や肉体の見た目はそこま で大きく差があるわけではない。 戦うなんていう経験がない日本でぬくぬくと育ってきたからか だがうまく言えないが、力が入らないし、素早く動けないのだ。 ︵ 戦うことを心の奥底で否定しているのだろうか? いや、それ ? ならば親を殺すことを真っ先に忌避するはずだ︶ レイルはぐるぐると考えていた。 魔法も全くといって使えなかった。 基本技術である魔力放出さえできなかった。 魔法に適性のある者ならば、初級魔法の第一ぐらいは使える。 例えば、炎属性│││火属性とも呼ばれるが││││であれば、 火種を起こす、ほんの少し加熱する、ぐらいは使える。 風属性ならばそよ風ぐらいは起こせる。 光の魔法も、水の魔法も││││全ての属性が全く使えなかった。 転生したのだから、幼少期から訓練すれば人より、せめて人並み と考えたこともある。 には魔法が使えると思っていたレイルにとってそのことはとても残 念であった。 スキル 異能でももらっているのかな? 生前読んだ小説ではそういうものも多くあった。 いろいろ試してみたが、何もなかった。 ゲームでおなじみ、ステータス画面もなかったし、そもそもこの 世界にはレベルがなかった。 人より早熟である、というのも貴族連中の中だとさほど浮いてい ないとレイル本人は思っていた。 200 実際は浮いていたどころではなかったのだが。 とにかく、転生による貯金も底をつきかけていた。 ﹁レイルくんはたまに遠くを見て難しいことを考えているよね﹂ そう言ったのはアイラ。肩まで届くかどうかというその髪は真紅 で、少し癖っ毛だった。 レイルの幼馴染だ。 そうだ、彼は現代知識で無双したくて、銃を作ろうとした。 彼女の器用さと鍛冶屋の娘という環境まで利用してさえ。 だがそれは全て彼女の糧となった。 レイルには銃を扱う才能もなかった。的に全然当たらず、思った ところには飛ばない。 ならばアイラが管理した方が良い。 マシンナーズ 現在では護身用に一つ、二つレイルに渡したもの以外、ほとんど をアイラが管理している。 彼女はキラー○シンもどき⋮⋮機械族にさえ認められ、アイテム ボックスを渡されているのだから。 ﹁レイルくんはきっと私たちとは違うモノを見ているんだよね。で もさ、私にはまだ無理かもしれないけど、私も見たいなあ││││ ││レイルくんと同じ景色﹂ レイルはいつも不思議に思っている。 アイラがいつも自分に正の感情を抱いていることを。 その気持ちの名前をレイルは知らない。 思慕なのか、恋慕なのか、尊敬なのか、それとも畏怖なのか。 決してそれは畏怖ではないのだが、レイルがそれをあまり気にし てはいない。 201 嫌われていない。 それだけで大丈夫な気がするから。 アイラとしては、自らの価値を見出し、そして手放しで認めるそ んなレイルを慕うのはとても自然な感情であった。 あのままではアイラは武器の作れる人物を補佐において家を継ぐ か、未来にできる弟や妹の補佐につかせられるか⋮⋮それとも家を 出て一人で暮らすかであった。 刃物ができない。それは魔物や魔族、他国との戦いが珍しくない 今の時代の鍛冶屋としては致命的であった。 そんな彼女に生きる意味を、力をくれたとアイラは思っていた。 アイラは自分が思っているよりもずっと才気に溢れる人間ではあ るのだが、レイルにはどこか劣等感を覚えていた。 いつも守られている、と。 その隣には私はいないの? それとも教えること ﹁ねえ、レイルくん。レイルくんは何かを目指して頑張っているけ どそれって何? すらできないの?﹂ ﹁いいや。アイラになら教えてもいい。別に隠そうと思ってたわけ じゃねえよ。いう機会がなかっただけで﹂ レイルは詰め寄られ、やや戸惑う。 それを表に出さぬように、遠くへと目を向けた。 ﹁俺はな、神に会いたいんだ﹂ アイラは最初、酷い違和感を覚えていた。 202 この世界では神の存在を信じる者は多くいる。教会本部が国にな るほどには。 しかし、レイルがそのような敬虔な人間には見えなかった。 もっと合理主義で、見えないモノを信じていないというか、見た ものは信じるというか。 そもそもこれまで一度も﹃神﹄という言葉を聞いたことがない。 ﹁神様⋮⋮?﹂ ﹁ああ、神はいるよ。信じているんじゃなくって知っているんだよ﹂ 信じている、ではなく知っている。 その口ぶりに何か確信めいたものを感じてアイラは存在について の追及をやめた。 ﹁この国にいるの?﹂ ﹁わからない。だけど、このままこの国にいても会えない。だから 俺は旅に出ようと思うんだ﹂ 生まれたその意味を知りたい、世界をみたい。そんな理由でしか なかった。きっと人に言ってもわからない感情なのかもしれない。 しかし、レイルはどうしても神にもう一度会おうと思った。あの時 聞き忘れたことを尋ねに。 ﹁じゃあ││﹂ いや、違うな。ついてきてはく お前の力がとても欲しい。アイラが必要だ﹂ ﹁ああ。その時はついてくるか? れないか? アイラ個人だけでなく、その能力まるごとを必要というレイルの 言葉。 どことなく、アイラを物扱いしているといえばそれまでだが、ア 203 イラはそれが単なる実力主義だけではないと知っていたし、実力を 認めてくれていることもわかった。 だから、とたんにこれまでの全てが価値のあるものだったかのよ うにアイラは顔を輝かせた。 レイルはこれまでにない爽やかな笑顔だった。 よく邪悪な笑みを浮かべるレイルとは同一人物とは思えないほど に。 ﹁うんっ!﹂ ◇ グレイ家。卒業式の日の後。 ﹁養父上、お話があります﹂ ここまで約十年。食べるものも、寝るところも、着る服も、基本 的な生活については何も不自由させなかったこの人に俺は感謝以外 に何も感じることができない。 もしもあの日、この家に置いてもらえなかったら、俺は今頃単な る金を持っているだけか取られて無一文で野ざらしになっていたこ とだろう。 不気味な子供として、虐げられていたことだろう。 もちろんその費用以上のお金を家に納めた。 204 しかしお金で返せる恩ではない。 ﹁貴方は僕に、学校卒業後、どうしてほしいですか?﹂ ここで止められれば、もしかすると揺らぐかもしれない。 それでも、聞かずにはいられなかった。 ﹁どうしてそんなことを聞く?﹂ ﹁今まで育てていただきありがとうございます﹂ ﹁だがお前は宣言通り、養育費以上の金を返した﹂ そっけない態度。だがいつも通りである。 対応しづらいのか、今まで何かあるごとにある程度は積極的に話 しかけたのだが、何の話題もいまいち手応えがなかった。 今日もその流れの一つだ。 ﹁それは単純な養育費です。お金では返しきれてはいないと思いま す﹂ ﹁ふん、そうか。だが恩などもう十分だ。お前の好きなように生き ろ﹂ その言葉を聞いて胸がきゅうと締めつけられる。 もしかしたら、跡を継いでほしいとかそんなことはないのかと思 った。 あの日から結局、再婚も、養子もとらなかったから。 どうしてだろうか。自分にとってとても好都合なのに、傷ついて いる自分がいる。 やはり、俺はこの人に認められてはいなかったのだろうか。 205 必要とはされていなかったのだろうか。 ﹁⋮⋮旅に出たいと思うのです﹂ ﹁理由をきいてもいいか?﹂ ﹁世界を見たい、知りたい、そして神に会いたい﹂ ﹁ふむ。神に会いたい、というのは意外だな。ただ、本音を言えば ⋮⋮⋮⋮お前に家を継いでほしかった﹂ と言う前に目の前のジュリアス様は続けた。 その言葉に目を丸くする。 じゃあ、どうして? ﹁だがな、お前がいつか、旅に出たいというのは何年も前から予想 はついた。お前が見ているのは目下の民ではなかった。お前はこん なちっぽけな貴族の家ごときに縛られ、収まる存在ではないことを、 私は誰より知っていた﹂ いろいろな感情がないまぜになる。 無愛想で、無表情で、誤解されやすいのは知っていたけど。 どうしてそんな大事なことを今まで⋮⋮ ﹁お前は好きなように生きろ。もともとこの家は父、私の代で成り 上がった。元はもっと弱小貴族だった。周囲はこの家を取り潰した がっている﹂ だから親族に跡を任せても構わないのだ、と。 私が死んだ後のことなんてさほど気にしてはいないのだと言った。 ﹁ありがとうございます﹂ ﹁礼を言う必要はない。私もあの日、寂しかったのだ。お前と同じ ように。お前が思っているよりも多くのものをもらっている﹂ 206 ﹁僕は、貴方を本当の父親のように思っていますよ﹂ ここで否定されるの? ﹁私はそうは思っていない﹂ えっ? でも違ったようだ。 ﹁ように、ではない。お前のことは本当の息子だと思っている﹂ そう言うと真正面から抱きしめられた。 くそっ。確かに年齢で言えば前世合わせても年下なんだけど。 どうしてだろうか。精神年齢はまだもう少し高いはずなのに。こ の人の前では、ただの子供に無理やり戻されてしまうのだ。 俺の背中が濡れているのはきっと気のせいだ。こんな厳めしい顔 のおっさんが元浮浪児のちんちくりんが出ていくぐらいで泣くわけ がない。俺の顎の下が温かいのもきっと気のせいだ。 両親を殺した人間が、こんなに家族愛を感じれるはずがないのだ から。 自分が死んだと知った時も、虐待を受けても、親を殺しても、過 酷に町までくるときも、一人で寝ても、才能がなくても、泣かなか った。 心のどこかで冷めていて、遠慮していて、舐めていた。 精神年齢がとか調子に乗っていたのかもしれない。泣いたらかっ こわるいと。 そんな俺は、多分、生まれて初めて泣いた。 207 レイルの憂鬱、アイラの決意︵後書き︶ この日、レイルとジュリアスは本当の家族になった 208 そして、物語は始まりへ︵前書き︶ アイラの親父さん登場 209 そして、物語は始まりへ 俺たちはまず、アイラの家に向かった。 何も言わずに旅立つわけにもいかないからだ。 せっかくだ。アイラの父親に旅に出る許可をもらいに行こう。娘 さんを僕にくださいってな。いや、そうじゃない。間違ってないけ ど殺されそうだ。殴られるのは間違いない。 銃を見せたことはない。だとすればアイラの立場は今もなお、能 力値が極端に偏った娘。後継にもなれず、かといって放り出せるも のでもない。 案外あっさりいくのではないか。とそんな風に気楽に構えていた。 が、予想に反して難色を示した。 ﹁俺は今、板挟みにあっている。本音を言うとアイラには鍛治の技 術なんざ関係なくここにいてほしいところだ﹂ ヒゲを生やし、俺の父よりは少しがっしりとした体格の親父さん。 ザ・職人といった格好だ。 親父さんは冒険者として旅立つ、それに連れて行くという申し出 に、いい返事はしてくれなかった。渋り、そして迷った。 月並みに言えばアイラは、愛されていた。娘として、当たり前の 愛情を当たり前のように受け取っていた。 ﹁どうしても行くのか⋮⋮﹂ 冒険者には大きくわけて二種類ある。 210 国やギルドからの依頼をこなして日々の生計を立てる者。 そして、自分たちで未知の領域を探索し、手に入れた魔物の素材 や遺跡の宝で一攫千金を狙う者たちだ。 そして前者の多くは一つの国を拠点にして活動するが、後者は様 々な場所に移動する。 言わずもがな、危険が多いのも後者だ。 前者は無茶や油断をしなければ、安定した生活を送る者も多い。 ギルドも分不相応な依頼は受けさせて冒険者を使い潰そうといっ たことはしてこないらしいし。 そのあたりも説明はした。その上で、危険の少ないように心がけ ることも。 理解されたかは別として。 ﹁刃物以外の武器を作って試すだけなら、この国にいてもできるじ ゃねえか﹂ どうやら親父さんは、アイラが武器を作れないことを気にして俺 についていくと思っているらしい。 となると、俺がアイラにつきあって旅に出る、という形で誤解し ているのか。だからこちらには敵意低め、と。 アイラと目で訴えかけてきた。アイラの信じる選択があるのなら ば、それに従おう。俺は信頼を込めて頷いた。 ﹁じゃあお父さん、私が魔物なんか怖くないほどの武器を作れたら 許してくれる?﹂ お前は武器を作るために旅に出るんじゃねえのか?﹂ 賭けに出た。 ﹁なんだよ? ﹁違うの﹂ 211 ﹁大丈夫ですよ、親父さん。探索型の冒険者ではなく、他の国に移 動してはそこでお金を稼ぐだけですから﹂ それに軍資金は十分にある。 ﹁お前が作った武器ってのはなんだ?﹂ ﹁私が、じゃなくて半分はレイルくんだよ。私は言われたものを作 っただけ﹂ アイラの親父なら大丈夫だろう。 その裁量はアイラに任せると、アイラは腕輪から銃と的を出した。 俺はアイラから受け取った的を置いた。 軽く構え、軽く引き金を。それだけで少し離れたところに置いた 的を綺麗に撃ち抜いた。動作も、そして表情すらも最低限。 ごくり、と親父さんの喉がなる。そのまま小さく息を吐いて整え て、アイラの方を見た。その目には怯えも、警戒もない。むしろ微 かに笑みが浮かび、それを抑えているようでさえあった。 ﹁こりゃあたまげた。どうなってやがるんだ?﹂ ﹁お父さんでもこれは教えられない。これで旅に出てもいい?﹂ まだ返事はない。 俺とアイラを見比べている。 それからもいろいろと説得を試みた。 アイラ自身も、旅に出たい理由を必死に説明していた。 どれほど口先だけで詰め寄っても、彼が父親である以上、簡単に いくとは思っていない。 けれど、俺はアイラが必要だ。一人の人間として。旅にではなく 俺に、ではあるが。 212 ﹁うーむ﹂ あと一押しだな。 親父さんは顎に手を当てて、ヒゲをなでながら唸った。 お、おせるか? ﹁僕がいろんな経路を調べて、できるだけ安全な道を通りますから﹂ 躊躇っている。 俺は目を逸らすことなく見つめる。 どれほどの時間が経っただろうか。長く思えた一瞬の後、親父さ んはパンと手をうち、そして答えた。 ﹁あーもういい! 娘は任せたぞ!﹂ 親父さんは根負けした。 吹っ切れたように脱力し、ガシガシとアイラの頭を撫でた。 よし、これでアイラを連れていける。 ◇ アイラの腕輪にできるだけのものを詰め込んだ。食料、水、金属 や炭に⋮⋮今までの自作武器の数々。 次に行くのは王城だ。 石でできたご丁寧な壁がぐるりと囲む。向こう側には全貌を見る のも苦労するほどに大きな建物があるのだ。敷地も含めて、いった いどれほどの人間が入れるのだろう。学校並の大きさはありそうだ。 213 ここには何度も来ている。レオンやレオナに呼ばれることばかり だが。 入り口から入ってすぐにレオンに出迎えられた。 ﹁レイルか。今日はどうしたんだ?﹂ フリーパス 俺は学校で一番の成績で卒業、つまりは学問で首席をとったため、 王立図書館への立入許可証を持っている。王立図書館は敷地に面し ており、城とつながっている。城の中を通らずに行くことがほとん どだが、きちんと許可証を見せれば通ることもできる。 王立図書館には一般蔵書と秘蔵書、禁書庫があり、俺は一般蔵書 までだが︱︱っと話がそれた。 それに王子の級友ということで王城には顔パスで入ることが出来 る。つまりレオンに許可をとったりれんらくする必要もないわけで ︱︱ だから、レオンと出会ったのは完全に偶然だ。しかし都合は良い。 どうせ会って話さなければならないのだから、行く手間が省けた。 ﹁実は旅に出ようと思って﹂ それを聞いた瞬間、レオンの顔が色を失う。 ﹁何故だ? お前ならこの国でも十分やっていけるだろう? グレ イ家を継いだっていい。血筋? そんなもの俺が││﹂ ﹁目的があってな﹂ 勘違いを遮るように告げる。 ﹁それはお前にとってこの国を出てまで叶えることなのか?﹂ 214 ﹁大袈裟だな。またそのうち戻ってくるかもしれないだろ﹂ ﹁それでも、得られたはずの時間を外に費やす﹂ ﹁そうだな。それでも答えは肯定だ。生まれた理由を聞きにいくん だから﹂ ん。これだけ聞くと俺が自分探しの旅にでも出るみたいだな。 間違いではないけど、語弊がありそうだ。 ﹁単に、世話になったやつにお礼を言いにいくだけさ、心配すんな よ﹂ ﹁あのさ。お前らやこの国が嫌いなわけじゃないんだ。もちろんこ の国で頑張れば、楽しく暮らすこともできる。でも⋮⋮それじゃあ ダメなんだ﹂ 俺の言葉に黙り込んでしまった。 後ろからはレオナがやってきた。華やかなドレスは普段着らしい。 それすら霞むほどに、光を反射する髪と瞳。ゆっくりではあるが急 いできたことがわかる。 どうやら今のやりとりを聞きつけたらしい。 それにレオナには、俺が王城に入るとどんな理由であっても通達 が行くようになっているらしい。 ﹁お話は聞かせてもらいました。どうしても行くのですか?﹂ ﹁ああ﹂ ﹁お前が良ければ⋮⋮俺の宰相でもなんでも、してもらいたかった のに﹂ レオンの長兄は王向きではなかったようで、他の国の王女と一年 前に結婚が決まっている。だから跡を継ぐのはレオンか、婿を入れ 215 て姉が、という話になっている。 最後の一言を聞かなかったように微笑みかける。そこまで俺を評 価してくれたことはすごく嬉しい。目的がなければそんな道も良か ったかもしれない。 ﹁戻って、きますか⋮⋮?﹂ ﹁多分な。旅先でうっかり死なない限りは﹂ ﹁はあ⋮⋮いつかこんな日が来ると思っていました﹂ ﹁こんなって?﹂ ﹁レイル様は誰よりも自由を求めて、何処かへ旅立ってしまうので はないかと﹂ ﹁買いかぶりだっての﹂ そんなたいそうな理由ではない。 異世界に来たし、他の種族も見てみたいとか、神様に会って聞き たいことがあるとか、そんな程度だ。 たまに思うが、レオナは俺を過大評価しすぎている気がする。レ オンと同じように喜んでいいとは思うけど。 ﹁大丈夫だよ。もしもよければ、定期的に手紙も出すし。レオナは あまり外には出られないだろ?﹂ ﹁いつか⋮⋮再びここへと戻ってきてくださいませ。多分、じゃな くて約束ですよ?﹂ 念を押すその言葉には返事をしない。 無言の肯定ではあるが、確証もなければ、約束もできないのだか ら。未来に確実はない。 こうして、別れをすませた俺らは王に迎えられることになる。 シリカ? この前ぽろっと﹁俺、旅に出るんだ﹂と漏らしたら、 216 ﹁あらそうなの? じゃあ旅先で有益な情報あったら手紙と共に送 ってね﹂と軽いノリで返されたので大丈夫だろう。冗談だと思われ ていないか心配だ。 本当だとわかっていてもあんな反応を返しそうなぐらいにシリカ はドライである。友達としては気楽な部類だが。 王様に﹁勇者候補﹂という制度を申請した。﹁対魔族、魔物にお いて、有用な人物であると認められた人間を支援する﹂制度である。 少し説明がざっくりしているのは、厳密にはその条文を知らないか らである。視点が変わっただけの話だ。 王様はかなりあっさりとその申請を受理した。 この制度を受ける人が全て強くなるわけではない。 それに、国同士の取り決めで、﹁勇者候補﹂の軍事利用は厳格に 禁じられている。あくまで、その刃が向けられるのは人間以外だと いう話だ。故に﹁勇者候補﹂は入国許可が出やすいので気が楽なの だ。 だからこそ、国の信頼を得られた者が許可を受けられるのだ。 勇者候補であっても、他国で反逆などを起こせばあっさりと処罰 されるときもある。 軍事利用についてはあくまで﹁国による﹂であり、魔物を倒すこ とや勇者の自発的行為が軍事的な意味を持つことまで止められない という抜け穴もあるとだけ言っておこう。 軽い称号だとは思う。 ようするに、他国に出入りしやすい冒険者、という身分を保証さ れるだけだから。 ちなみに受けたのは俺だけだ。 許可証が効果を及ぼすのはパーティー単位だから、俺といるアイ 217 ラは必要ないと辞退したのだ。 だが、援助はさせてもらう、と王様の取り計らいで倉庫に案内さ れた。 扉を開くと、そこにはずらりと刀剣に盾に鎧、斧に槍とありとあ らゆる武器が揃っていた。褒賞に授けるための武器類が多い。 ここで好きな武器をとっていっていいと言うのだ。 アイラがいれば全て持っていってもいいが、そこまでしても使い こなせない。 価値ばかり高い宝剣は意味がない。売るのも気がひける。横流し したなんて評判は良くないからな。もちろん宝剣の中にも優れた実 用性を誇るものもある。 ﹁これでいいかな﹂ 一つ、何の飾り気もないシンプルなデザインの剣をとった。 王城の武器庫にあるとは思えない普通の剣だった。兵士に配られ るものの余りだと言われても納得してしまうようなそんな剣。煌び やかな武器の中にあって、逆にそれが目に付いた。 使い込まれて手入れもされていて、しっくりと手に馴染んだのを 見てそれに決めた。 するとアイラが妙な顔をしてこちらを見ていた。 ﹁それ⋮⋮選んだの⋮⋮?﹂ ﹁ああ、使いやすそうだったからな﹂ ﹁まあ、自分でいいなら何も言わないけど﹂ もっとかっこいい強そうな武器を選べ、とでも言いたいのだろう。 使いやすいのが一番だ。これでいい。 218 ◇ 外へ行くため、馬車へ乗ろうとする。 国境までは馬車が出ないので、あくまで最南の街までだが。 その時のことだ。ロウとカグヤに呼び止められたのは。 ﹁なんだ、お前らか﹂ ﹁聞いたぜ。水くせえな。どうして俺達に黙って出ていくんだ?﹂ ﹁連れていきなさいよ﹂ ﹁言うと思った﹂ 俺はこの二人を連れていくつもりはなかった。 こいつらは夫婦だ。この国に来た時から。いや、来るよりも前か ら。 きっとそれまでに何かがあって国に逃げてきたのだろう。それぐ らいの推測はできた。 だとしたら、冒険には出ない方が良いのではないか。これからは のんびりと過去を忘れて畑を耕して生活するのではないか。そんな 風に。 そんな彼らをどうして連れていけようか。 厄介ごとを避けて、安定した第二の人生を歩もうとしてきた彼ら を。俺の旅に付き合わせるのか。 アイラはこれからだ。選ぶも捨てるも。 こいつらは、選んだ結果が今だ。 腕のたつカグヤに、ロウもいれば、いろいろと出来る。ついてき てくれるのならば、拒絶する理由はない。それに、頼めばついてき 219 てくれる。そんな予感もあった。言えば付いてくると申し出てくる 可能性が高い。それぐらいの予想はついていた。 ただ︱︱ ﹁お前ら⋮⋮大丈夫なのかよ﹂ ﹁何がだ?﹂ どうやら杞憂だったのか。 ﹁お前らと一緒にいた方が面白そうだからな。それに、別にあの家 にこだわっていたわけでもないしな﹂ ﹁私はロウと一緒ならどこでも構わないもの﹂ 少しだけ見誤っていたのだろう。 まるで最初からいたかのように、するりと馬車に入り込んできた。 その自然さに、共に過ごした年月があることを改めて知る。 こうして、俺達は集まった。 少し長くなるけど﹂ 最南の街へと向かう馬車の中で会話が進む。 ﹁アイラと会うまでの話、聞いてくれるか? はじまり そして、物語は冒頭に戻る。 ﹁俺は別の世界の記憶を持って、この世界に生まれ変わったんだ﹂ 旅の仲間になるために必要な儀式を始めよう。 煩わしさを、迷いを断ち切るために。 220 そして、物語は始まりへ︵後書き︶ 次回から冒険編スタート! 221 ゴブリン討伐依頼︵前書き︶ 受付嬢は美人というテンプレ 222 ゴブリン討伐依頼 この国で最も南の街にやってきた。 馬車は夜の間も使って寝ながらの移動だ。 着いた時にはすっかり空の向こうが明るくなっていた。 宿屋を取る手間が一日消えたと思えばいいのか、宿屋で寝る機会 ギルド を一度失ったというべきか。 そのまま一番に冒険者組合へと向かった。 冒険者組合とは冒険者に仕事を斡旋する場所であり、自助組織と も呼べるものだ。王都で登録して説明は受けた。 そのメリットの大半があまり無意味だったのは勇者候補の資格が 意外に便利だったからに他ならない。 ギャクラの国境には簡単な防壁がある。それはどの国においても 概ね同じことだろう。魔物の数はその中と外で数を大きく変える。 内側であれば、馬車で移動したところでさほどの危険性はない。 だからといって全くの危険がないわけでなく、森に採取に入った 人間が野生の魔物に襲われて被害が出ることもある。 そういう場合には目撃情報を元にギルドの方へ討伐依頼が出され る。 中でも多いのがゴブリンやノアウルフだ。 こいつらは群れで行動することが多い。特に後者は人をエサだと 思っている節があり、すぐに討伐依頼が出される。 そういう依頼や、危険な場所への採取依頼などで冒険者の多くは 生計を立てる。 半分狩人、半分警備といったところだ。 223 この街のギルドでも、そういった依頼が出されていた。 と言わんばかりの 依頼者は近くの村だ。村には冒険者ギルドの支部がないため、依 頼は近くの街の支部へと出す。 そう、ゴブリン討伐依頼だ。 お馴染みの、冒険者初心者はまずこれから! 薬草採集に並ぶ有名依頼だ。 もちろん飛び抜けた能力も特殊な力もない俺に、華々しいデビュ ーの場があるなどとは思っていない。 せいぜい歳のわりには、って程度のものだろう。それも仲間の能 力でだ。運良く大量発生の巣を見つけて爆撃だとかで儲かる程度だ。 依頼の紙が貼ってある掲示板を見ていると、周りでニヤニヤと下 卑な笑いを浮かべて二人の男が噂をしていた。 ﹁なんだありゃあ。冒険者ごっこがやりてえなら近くの草むらでト カゲ相手にやってろよ﹂ ﹁あれじゃねえか。貴族の坊ちゃんの金で護衛を雇ってする遊びじ ゃねえのか?﹂ 無理もない。 今の俺たちの見た目といえば、年齢的には中学生、冒険者を始め るにはやや早い。 俺とカグヤこそ腰に剣や刀をさしているが、アイラの装備はあら かた腕輪の中だし、ロウに至ってはいつもどこに武器を仕込んでい るのかわからない。 一応予備の剣や食料、火薬や銃器を含めればそこらの冒険者パー ティーなど比べものにならないほどの荷物があるのだが。 224 無視だ無視。 ここで斬り合いになっても俺は勝てる気がしないし、アイラとロ ウは殺しかねない。まともに勝てそうなのがカグヤしかいない。 それに初日早々問題を起こせば依頼が受けにくくなる。 しかしなんだか違和感がある。 俺らが実際初心者なことを考えれば、ここで酒の一つでも奢れば あいつらからぽんぽんと情報が聞き出せるかもしれない。 そんな風に好意的に見えてしまうような、そんな違和感が。 と、ここまで思考時間は約三秒。 もしかして、と思ってアイラを見ると意外なことに平然としてい た。 出会ったころのアイラは自分に自信がなかったが、最近はバカに されてクラスメイトに言い返すこともよくあった。 今回も二、三言い返そうとするなら、止めなければならないと思 ったのだが、そんなことはなかった。 カグヤとロウは言わずもがな。 ﹁怒らないんだな﹂ ﹁レイルくんのことは私がわかっていればいいから﹂ いや、そうじゃなくってだな。 まあいいか。 もしかしてクラスメイトに言い返したのもバカにされたのは俺か? ﹁それに、レイルくんが言ったじゃん。レイルくんの情報は隠すも のだって﹂ 225 そうだ、情報とは隠してこそ価値があるものと、広げてこそ効果 があるものがある。 その取捨選択こそが戦略の一つだと言える。 まあ、俺が情報を流さないのはアイラの武器が一番の理由なんだ がな。 お酒の一杯でもお奢りしますし、ね?﹂ ﹁ご忠告ありがとうございます。もしよろしければここの話でも聞 かせてはもらえませんか? そう言うと彼らに近づいた。 当然彼らは呆気にとられた。ぽかんと口を開けて一拍の後、弾け たように笑いだした。 ﹁ぶぁははははっ! なるほど。見る目も気前もいい小僧だな! さっきは悪かった。きっと大成するぜ!﹂ ﹁ところであんた、貴族の坊ちゃんか?﹂ ﹁確かに僕は貴族ですが、生まれてから家のお金には手をつけてま せんよ。僕にかかったお金は返しきってから家を出ましたので﹂ ﹁かぶくなあ。あまり見栄ははらない方がいいぞ。名前は何ていう んだ?﹂ ﹁レイルと言います﹂ そう言った瞬間、二人がピタリと止まった。 ここまで名前が届いているというのだろうか。俺の経歴が知られ ていたとしたら。 ﹁なるほど。それじゃあ返せたわけだ﹂ 目つきが鋭くなる。まるで人を値踏みするかのように。 226 これだ、さっきの違和感は。 最初の見た目で人を判断するあたりや、初心者に凄むあの態度か らは似ても似つかない。 まるで頭の悪そうなチンピラと、形容することが致命的な間違い であるかのようであった。 ﹁で、お酒一杯の情報はなんでしょうか。ゴブリンの生態など、本 で得られる程度の知識ではないものが嬉しいです。先輩方の豊富な 経験からなにかありませんか?﹂ 二人は顔を見合わせて何を話そうか、と目で相談しだした。 ﹁じゃあな、冒険者の心構えでもどうだ﹂ 初心者が先輩に説かれたくない事柄の一つであった。 誰だって精神的なことを会ったばかりの人に説かれたくはないだ ろう。自分の何を知っているのかと。まるで自分が何もわかってい ないのに突っ込んできた馬鹿のようだからというのもある。 何より、先輩だろうが誰だろうが、上から説教してくる相手の言 葉を素直に丸呑みしておけというのは精神的に危険ではある。 だが、それを勘違いして死んだ冒険者が何人いることか。 それを選択したことでさえも試しているのかもしれない。 どうせ正しいかどうかは聞いて決めればいい。聞くだけなら損も ないだろう。俺はそう判断して頷いた。 ﹁そうだな⋮⋮お前ら、後ろの黒髪の嬢ちゃんと坊主は大丈夫だが、 それ以外の二人だな。武器を持つことだ。今から武器を揃えますよ、 って格好でギルドに入れば舐められるな。それに本物の武器の隠れ 蓑にもなるしな﹂ 227 腰元を指差しながらそんなことを言った。 ﹁武器を持つにしても、身の丈にあったものだな。実力があれば弱 い武器でもやっていけるし、強い武器は戦えるようになるかもしれ ない。だがな、実力にあった武器を選ぶ、っていう判断力も実力の うちだ。雑魚がただ強いものを持つのが一番ダメだな。使うぶんに はいいが、襲われやすくなるから隠しておけ。そのためにも隠れ蓑 としての分相応な武器がいる﹂ なるほど。この二人に話しかけたのは正解だった。 確かに実力をさらけ出す必要はないし、俺らの武器はそこにはな い。俺たちが本当の武器を持っていることさえお見通しってわけか。 弱いやつが強い武器を使うことそのものを否定していない。珍しい 相手だ。武人とかだと、武器の強さを自分の強さと勘違いするな、 とそう言いそうなものだが。 依頼を受けやすくするためにも、なにより本当の武器を隠すため にもその案はいい。 ﹁ああ、それとだ。さっき見ていたゴブリン討伐だがな、ゴブリン だからといって舐めているとやばいぞ。初心者ばかりだが、今まで に二組が行方不明になった。おそらく初心者にありがちなんだが、 ゴブリンに気をとられて周囲の環境に気を配り忘れたんだろう。崖 か底なし沼とかがあるかもしれないな﹂ 慢心しなければ大丈夫だろうけどな、とも付け加えた。 ﹁ありがとうございます。ちょうど受けようかと思っていたので。 とても参考になりました。ではまた﹂ ゴブリンの巣の近くは危険、か。 228 いい情報を聞けた。どれほど役に立てられるかはわからないが。 俺は三人のところに戻ると、手を振りながら声をかけた。 ﹁待たせて悪かったな。ゴブリンよりも周りが危険な可能性がある そうだが、ゴブリン討伐を受けてみようと思う。他にぜひ受けたい とかいうのはあるか?﹂ ﹁いやいや。あのおっさんどもに話聞いてたんだろ。本当は俺がし た方がいいのかもしれなかったしな。依頼は別に構わねえぜ﹂ どうしてそんなことを言うのかと聞けば、ロウはどうやら自分の パーティー内での役割を斥候と思っていたらしい。 確かに、カグヤが前衛でアイラが後衛にあたる。 俺が⋮⋮えーっと⋮⋮参謀? なるほど斥候しかいないな。 というかカグヤが万能すぎるんだ。 魔法が使えて後衛にも回れる。剣技で敵わないのに魔法使えると かもうね。 逆に俺の貧弱さよ。 まあアイラの銃器が一番使いにくい。 前世における銃という武力には、人同士の抑止力としての使い方 があった。 お互いがその強さを理解しているからこそ、見せるだけでも脅し になる。この世界では強さが理解どころか存在が知られていない。 殺してもよい低級魔物相手にならば最強を誇る。 逆に人間相手にならば殺すしかない、不器用となるのだ。 ﹁別にいいわよ﹂ ﹁私もー﹂ 229 二人の同意を受けて討伐依頼の最低ランクであるゴブリン討伐の 紙を手に取る。 受付のお姉さんにそれを渡して依頼を受けることを伝えた。 すると、受付の女性は肘をついて身を乗り出して俺に話しかけて きた。 ﹁貴方、珍しいわね﹂ その目が俺に対する感情を言葉以上に語る。 どうでもいい情報ではあるが、お姉さんは結構美人であった。ウ ェーブのかかった緑と黒の間の髪はどことなくワカメを思い出させ るのが少し残念ではあったが。でもきっと周りの冒険者に酒ととも に口説かれたりするのだろう。 俺は絶世の美少女を見慣れていたため、見惚れることなく尋ね返 した。 ﹁何がですか?﹂ ﹁あの二人よ。粗野な言動が目立つでしょう。それに先輩にお酒を 奢ってまで話を聞くっていう判断も、ね﹂ ﹁粗野、ねえ⋮⋮周りの見る目はどうもそうではないんですよね⋮ ⋮ついでにあなたも﹂ そう、確かに彼らを見る目は﹁いつものやつか﹂というお決まり のあれだ。 だがその眼差しは侮蔑ではなかった。 二十半ばほどの人たちからは尊敬を、そして年配の方からは微笑 ましいような目であった。 前のお姉さんもそのことを咎めるような目ではなかった。 ﹁そこまでわかっていて話しかけたのね。それじゃあ話は早いわ。 230 根はいい人たちなのよ。面倒見もいいしね﹂ それは納得がいく。 為になるアドバイスだった。今度も話を聞こうとは思うぐらいに。 もちろん初対面の人を完全に信用したわけではないが、あれらが 嘘であったとしてもあまり向こうには利益がないのだ。 俺たちが武器を持ち歩いたからといって、彼らにいいことがある わけでもあるまい。 ﹁けど、ちょっと人を選ぶというか⋮⋮﹂ ﹁どういうことですか?﹂ ﹁初心者が来れば煽って様子を見るの。そのときの行動で見るのよ﹂ ふむ。バカはつっかかってくるし、賢いやつはやり過ごす。中に は挑発に乗ったあげく、実力以上の依頼を受けて死にかける。 例外だってたまにはそりゃいるだろうよ。 ﹁前の子なんて誤解を解くのに一ヶ月、先輩として忠告を聞き入れ るまでさらに半月もかかったのにね﹂ ベテラン やはり彼らは実力者だったのか。 後進を育てる、という点でお世話になっておいてよかったか。 受付のお姉さんまでグルになって駆け出しの少年少女を騙すこと もあるまい。 ﹁大丈夫? 討伐初めての子は竦んで殺せなかったりするけど﹂ その点だけは大丈夫だ。 うちのパーティーならば、必要となれば人さえ簡単に殺してしま うだろう。それはもうあっさりと、躊躇いなく。 231 人を殺した俺だからわかる。 そんなことで足手まといになるぐらいなら初めから連れてきては いない。 ﹁ありがとうございました﹂ ﹁いえいえ。頑張ってる子は応援したくなるものよ。気をつけてい ってらっしゃい﹂ 親切な先輩や受付のお姉さんに見送られて冒険者ギルド支部を後 にした。 ◇ 村というのか、集落というべきか。 のどかな畑が広がっている。点々と家があり、申し訳程度の道。 それらがぐるりと簡単な柵に囲まれていた。 ﹁ようこそきていただけました﹂ ゴブリン討伐依頼というのは総じて数が多くなる。ましてや新米 がいなくなるほどだ。おそらくかなりの数になるだろう。 だというのに目の前の村長は平然としたものだった。 ちょび髭を撫でながらこちらを見定めている。 実力うんぬんとか言われて断られたらどうしようかと考えていた ら、 ﹁ではお願いしますね﹂ 232 とあっさりとお願いされた。 そして目撃された情報を元に、巣であると思われる洞窟の位置や 特徴を教えてくれた。 拍子抜けだ。 いや、簡単にことが運ぶのはよい。ゴブリンがどうなるかわから ないのにそれ以外で手間を取るなんて勘弁願いたい。 打ち合わせのようなものを終えると、達成条件と報酬の確認をし た。 初心者の初依頼、足元を見られるかと思ったが、意外と普通の報 酬と条件だった。 ﹁じゃあすぐにでも出発しましょうか﹂ 俺たちは煩わしさから逃げるように村から離れた。 作戦会議を始めた。 とりあえずアイラには小回りの利く銃を出しておいてもらった。 オーバーキルにならない程度に軽いものに抑えてもらう。 それぞれ短剣や刀を持ちながら言われた場所まで向かう。 途中に何度かゴブリンと遭遇した。 といっても、二匹のものである。一人に背後を警戒してもらいな がら戦闘に。何度か斬りつけるだけで相手はいともたやすく絶命し た。討伐の証明となる耳の部位を切り取る。袋に詰めては腕輪にし まってもらう。 そうして辿り着いた洞窟。ここにゴブリンは巣食っているという。 討伐というよりは殲滅依頼であるため、巣の入り口で火を焚いて 233 煙で駆逐することも考えた。 しかしそれは後から討伐証明の耳を回収するのに不便であるし、 何より実戦経験が積めない。 ﹁じゃあ入るか﹂ ﹁明かり用意するね﹂ ﹁注意事項の再確認だ。カグヤは魔法は使うな。特に火の魔法と地 の魔法だ。どうしてだ﹂ ﹁えーっと、地は崩落の危険があるから、火は酸素を燃やして私た ちが呼吸困難になるから﹂ ﹁正解だ。じゃあアイラ、地の魔法と同じ理由でマシンガンや威力 の高い銃器を使うな﹂ ﹁はーい﹂ ﹁ロウは⋮⋮特になし﹂ ﹁ないのかよ!﹂ だって魔物相手の戦い方に危険性がないんだもん。 俺たちはだいたい固まって歩き出した。 アイラは真ん中。不意打ちを受けた時に一番死にやすいからだ。 当然気配察知が一番得意なロウと強いカグヤが先頭である。する と俺が後ろとなる。 ところどころ傷のある壁内を眺めながら薄暗い洞窟を歩いていく。 ﹁おかしい⋮⋮﹂ 後ろの入り口が複雑にいりくねった石壁のせいで見えにくいぐら いになったときにようやく異変に気づく。 ﹁何がだよ﹂ 234 ﹁ないんだ⋮⋮なにも﹂ あるべきはずのものがなにもない。 ゴブリンの生活の痕跡も、戦闘による血糊も、なにより冒険者が ここに来た跡が。まるで綺麗に片付けられたかのように。 ﹁今までにもここには冒険者が来たはずだ。新米とはいえ、あの道 を間違えようはない。ゴブリンが嘘ならそれだけでも報告に帰るは ずだ。それがいない⋮⋮?﹂ 何かに辿りつこうとしたその瞬間、まるで照らし合わせたかのよ 入り口に戻るぞ!﹂ うに後ろで轟音が響いた。まるで何かを落とすような︱︱ ﹁やばい! 今来た道を慌てて走り抜ける。 気がついてしまった。音の出所に、そしてその原因に。それは三 人も同じことだろう。異変を感じ、何も言わずにその後に続く。 嫌な予感がする。 どうか、事故であってくれ。 どうか、気のせいであれと。 この先に待ち受けるであろう面倒ごとに苦いものを覚え、それで もなお目指すは入り口。 しかし時はすでに遅し。 俺たちが入ったはずの入り口であった場所には大きな岩石が幾つ も積もっていて、しっかりと外への穴を塞いでいたのだった。 ﹁はぁ、やられたか⋮⋮﹂ 俺たちは誰かにこの洞窟に閉じ込められたのだった。 235 ゴブリン討伐依頼︵後書き︶ 誰が怪しいでしょうか? 236 ゴブリン討伐依頼 ②︵前書き︶ きな臭くなってまいりました 237 ゴブリン討伐依頼 ② 洞窟に閉じ込められた。 入り口は幾つかの大きな岩に閉ざされて、その光を遮っている。 どっしりと構えるそれらは俺らが四人揃ったところで押しても動く ことはないだろう。 これは人為的なものだ。 そしてその犯人はおそらく村人だ。 自然に起きた崩落という可能性も考えられないではないが、あま りにも不自然。入る前に大きな岩はなかったし、崩落の危険がある ほどにボロボロにはなっていなかった。 これが人為的である、とした理由。 これまで新人冒険者が失敗しているのにも関わらず、再び新人が 依頼を受けると聞いても顔色一つ変えない。それはまるで、失敗を 望んでいるかのようであった。 通りすがりの盗賊ならば、俺たちを閉じ込めてという悠長な殺し 方をする必要がない。たった四人、全員がまだ若い冒険者なぞ襲っ てしまえばいい。 そしてこれが、村人を疑う理由だ。 ではこの洞窟に閉じ込めた理由はなんだろうか。 閉じ込めた奴らは俺らに敵意を持っていると仮定しよう。ならば、 ここに閉じ込めることで死んでもらいたいということになるか。わ ざわざ遠回りな方法を選ぶのは、事故に見せかけておきたいからか。 随分と面倒なことを。 238 脱出に気をとられていると、魔物に襲われかねない。 ﹁とりあえず洞窟探索の前に、まだ食べてなかった昼食にするか﹂ 幸い、アイラに野宿用の荷物は持たせてある。このメンバーだけ なら一ヶ月ぐらいは楽に生活ができる。収納腕輪は超便利。 そんなことにはならないようにはするがな。 ﹁探索ってどうしてよ。さっさと出ちゃえばいいじゃない﹂ カグヤが尋ねた。普通の冒険者パーティーならば、閉じ込められ たこの状況に対して絶望するものなのだが。カグヤは俺らが出られ ることを信じて疑わない。 ﹁お前さ、普通は﹃どうやって出るの?﹄って聞かねえ?﹂ ﹁どうせ出れるんでしょ。あんたはそういう顔、してるわよ﹂ 俺のポーカーフェイスもまだまだか。 いや、そんなことは意識していないが。 ﹁あー出られる出られる﹂ 諦め気味に、はいはいと答える。 ﹁だろうな﹂ ﹁ロウもかよ。探索するのはだな、ここに閉じ込めた奴らの目的を 探るためにとここに強い魔物がいないか確認しておくためだ﹂ よくわからないところで挟み撃ちになっても困るだろ? と説明 すると納得はいったようだ。 239 ﹁それに、せっかく初依頼の初洞窟だ。ちゃんと冒険していこうぜ ?﹂ ﹁だよな﹂ ﹁それもそうね﹂ ロウとカグヤが同意する。 ﹁ああ、そうだ、アイラ﹂ あまり発言しないアイラの方を向いて呼びかけた。 ﹁この前道具屋で買った魔導具あるか?﹂ 魔法道具、魔法の研究で得られた成果を俗に﹁魔導﹂と呼ぶなら ば、魔法道具は﹁魔導具﹂と呼ぶべきだろう。そんな風に言った奴 がいたらしい。 アイラに出してもらったのは魔力を込めると光るタイプの光魔法 の込められた魔導具。かなり高い。金貨でのお買い物になる。 これは消費が少ないし大丈夫か?﹂ ﹁カグヤには魔力を節約してもらいたいんだけどな⋮⋮あ、ロウっ て魔力あったよな? ぞろぞろと探索していくが、全く魔物が現れない。静かで、暗い だけの洞窟だ。 俺たちを殺すためなら強い魔物がいるところに閉じ込めたほうが いいはずなのに。 ﹁なんだこれ﹂ 240 俺たちはなんとも奇妙な場所に出た。 その場所は広場のようになっていて、上から光が差しこんでいた。 普通の部屋ぐらいの大きさのそこは壁以外には何もなかった。 光がさす穴は少し鍛えた程度の人では登れないところにあり、歯 がゆい仕様になっている。 精神的に追い詰めたいのだろうか。 ﹁消していいぞ﹂ ロウに光を消すように伝える。 灯りはなくなり、上からの光だけが俺たちを照らしていた。 ここに何かないかと調べていると、ちょうど真上の、光の差して いる方向から声が聞こえてきた。 ﹁ははははは! やはり新人はやりやすいな。どうだね、閉じ込め られた気分は?﹂ そこには村長と村長に付き従っていた男性がいた。ご立派なヒゲ を揺らしながら高笑いしている。実に気分が良さそうだ。それに苛 立ちそうになるが、落ち着いて聞き返す。 ﹁どうしてこんなことを?﹂ ﹁いいだろう。教えてやる。我らは神の啓示を受けたのだ。この世 界に救いを与えるためには我らが神を復活させねばならない。貴様 らはそのための生贄だ!﹂ あっさりと白状してくれるあたり、親切な犯人である。謎解きが 241 なくて随分と楽になった。 神? 神は神でも邪神だろ。 人を生贄にする神がいるなんて、前世なら鼻で笑ってすごしただ ろうけど、この世界ではいるかもしれないとだけ言っておこう。 ﹁閉じ込めるならどうしてもっと危険な場所じゃないんだ?﹂ ﹁クククク⋮⋮しれたことよ。貴様らにはそこで浄化の作業を行っ 貴様らは十七から二十人目の供物となるのだ。復 てもらう。穢れきったその身を断食によって浄化し、その身体を神 に捧げるのだ! 活にはまだ三十人が必要だがな﹂ アイラは神を信じてはいないが、俺の話を聞いていたからか、彼 らの言葉に抗議した。 ﹁そんなのおかしいよ。レイルくんからも何か言ってやって﹂ ﹁そうだそうだ! そんな少人数で蘇る神がいてたまるか! どう せしょぼい神だろ!﹂ ﹁煽らないでよレイル﹂ カグヤからツッコミが入る。 とまあ仲間で漫才を繰り広げてみたところで、向こうは逆上しよ うとこちらには手を出せない。 そしてただこの状況を打破するだけならば簡単だ。 あそこで高らかに笑う二人を銃なり魔法なりで殺したあと、腕輪 に収納されている道具を使えば脱出は簡単だ。 だがあいつらを殺したことで、戻らないことを不審に思った奴ら の仲間が計画の失敗を悟るだろう。 面倒くさいことになってきた。 242 三人が落ち着いているのがありがたい。 一切手を出す素振りさえ見せない。それは俺のをリーダーとして 認めてくれているということである。このような場では指示が出る まで動かない。俺に指示を仰ぐし、それに従う。 だからこそ、俺が決めねばならない。 よし、手はまだ出さない。まだだ。 ﹁七日ごとにここに食料を投げてやる。毒など混ぜないから安心し て食べるがいい﹂ 閉じ込めた相手に施しを与える。 これはおそらく俺たちの生存を確認するためのものだろう。 それさえ食べなければ死んだと勘違いして入り口でも開けてくれ るのだろうか。 その目は完全に俺らを人としては見ていなかった。羊か何かを見 るような、そんな目だった。それこそスケープゴートってか。 言いたいことを俺らにぶつけた彼らは意気揚々と引き上げていっ た。 俺たちは取り残された洞窟で優雅に食事をとっていた。 そして食べ終えると、上を眺めながら三人に向けて提案した。 ﹁じゃあ、夕方にここを出ようか﹂ 当初は崩壊しないように入り口を爆発しようと思っていたが、話 をきいて作戦変更だ。 あいつらに気づかれないようにここを出る。 243 まだ生きて洞窟にいると思わせておくのだ。 上にある穴に鉤付きロープを引っ掛けた。順番にそれを掴んで上 まで登った。脱出するだけならば簡単だ。脱出するだけならな。 あいつらの策は冒険者ギルドの制度を逆手にとったものだ。 冒険者ギルドに登録しても、一定以上の依頼をこなして認められ て初めて、ギルド特有の恩恵を受けられる。 自由依頼だけでなく、指名依頼や他のパーティーとの合同依頼を 受けられたり、ギルドが営む宿屋や酒場の割引などが利用できるの だ。 さらに実力を示した者は、ギルドからとある勧誘が来る。 そいつらはギルドに雇われる形で毎月一定の給料を貰い、ギルド からの依頼を受けたり、国からの依頼を受けたりする。 もちろん行方不明になれば、捜索隊が組まれたりする。 今の時点の俺らは紙の自由依頼を受けられるだけの新人。そんな 俺らでは、行方不明になっても、違約金を嫌って逃亡したと思われ るのが関の山だ。 今回のように、突拍子もない話をすれば、ゴブリンを討伐できな かった言い訳のように思われるだろう。 というわけで、村に忍び込んで証拠の一つでも掴もうかと思う。 ◇ 洞窟の上に出た俺たちは、すぐにその身を隠した。 244 ﹁どうだカグヤ、風魔法の応用で周囲に人は確認できるか?﹂ 風属性は大気の操作支配全般に適性を持つ魔法の分類だ。 魔法はその得意とする方向性により属性に分けられており、人に よって得手不得手を見るのに使われる。 今回はそれを探知に使ったという話だ。風属性の魔法使いはこれ が可能である。厳密にはカグヤは魔法使いではないのだが。 ﹁探ったけどいないわ﹂ ﹁よし、薄暗くなったら村へ突入するぞ﹂ 薄闇が滲む空の下、俺たちは人知れず村へと駆け出した。 農民の朝は早く、必然的に夜も早い。 故に村では誰も外に出ていない。静まり返った家の数々、だだっ 広い畑、のどかな風景もいつもと違って見えた。 足音を殺して、何も話さず村長の家である一番大きな屋敷を目指 す。 近くに来たところで、ロウが俺の肩を叩いた。 ﹁あー、潜入と証拠のほうは俺に任せてくれないか?﹂ 珍しくロウが主張してくる。 そうだった、こいつの役割は斥候だったな。 屋敷に忍び込むなら一人が中まで入って、残りは援護や撹乱に徹 した方がいい。それもロウが失敗したらの話である。 全部が全部、全員でやる必要もあるまい。たまには仲間に丸投げ してみよう。 245 ﹁よし、任せた﹂ ロウは学校で常にカグヤといた。 にもかかわらず名前がほとんどの人間に知られていないし、顔も 覚えられてはいない。 白髪は特徴的だし、決して内気なわけではない。 そのことからわかることは一つ、ロウは意図的に自分の存在を薄 め、隠していたということだ。 どうしてそんなことができるのかとか野暮なことは聞かない。 ただ、静かに立ち回る慎重なロウが、そんな風に言ったのだ。 もしかしたら足手まといかもしれない。 ドキドキしながら待っていたら、一時間も経たないうちにロウは 帰ってきた。 ﹁楽勝だったよ。やっぱ村長ごときじゃ警備もザルだな﹂ そういうと、紙の束を取り出した。 ﹁誰かが後ろにいると思ったから手紙を重点的に探したら案の定だ﹂ そこには低くない身分を思わせる印が押された手紙が十通ほど。 内容は儀式の手順や、村長たちの信心を褒め自尊心をくすぐるよ うなもの。 それは見事に誘導されていた。 ﹁ほんと、あっけないなあ。なんの張り合いもない﹂ 俺たちにできることはもうほとんどない。 ここで彼らを襲い、殺した後で証拠をつきつけても手順としては 246 間違っている。一度は捕まるだろうが、それもまあ、正当防衛なら 釈放はされるかもしれないか。それでも、ここからは俺たちの仕事 ではない。 ﹁じゃあ行こうか﹂ 俺たちは街の冒険者ギルド支部へと向かった。 味気なく、後味の悪くなることが分かりきった事件を終わらせる ために。 誰も得をしない冒険の始まりを告げる鐘の音を聞きながら。 247 ゴブリン討伐依頼 ③︵前書き︶ ゴブリン討伐︵偽︶編、終了 248 ゴブリン討伐依頼 ③ 宿屋で一晩を過ごした。 犯人を放置してというのは不用心かもしれないが、休息は大事だ。 急を要する問題ではないのだから、ゆっくりと休んでからいくとし よう。 おそらく村の奴らは、俺らがまだ洞窟で飢えて苦しんでいると勘 違い中だ。 手紙について急いだのはその虚をつくためでしかない。 今も勘違いが続いていれば、バレるのは次に確認がくる七日後だ。 ﹁じゃあ俺がロウと、アイラはカグヤとな﹂ ﹁私はレイルくんとでもいいんだけどなー﹂ ﹁私はロウとがいいでーす﹂ ﹁はいはい、また今度な﹂ 平気でそんなことを抜かす女子勢をスルーして、宿屋を二部屋と る。 この宿には四人部屋がないのだ。まあその希望はまた別の時に叶 えるとしよう。 風呂がたまらないし、ベッドに飛びつきたい。仲間だけの空間に くるとホッとした。平気なつもりであったが、実は疲れていたよう だ。 体調管理しっかりせねば。 危ない危ない。 ◇ 次の日、ギルド支部に向かった。 249 支部と呼ぶと、何やら規模に不安があるかもしれないが、そんな ことはない。むしろ本部が一つに対して支部がたくさんあるのだか ら、支部がほとんどだ。 朝から飲んでいる人は少ない。丸い机に座り、話をする人物がち らほらといる。 俺たちはその中をまっすぐに受付へと向かった。 カウンターではあのときと同じお姉さんが出迎えてくれた。 ﹁どうしたの? もう依頼が終わったのかしら?﹂ はい、ある意味終わりました。 気楽に声をかけてくれる受付さんに、言葉遊びのようなことを思 う。 その問いかけに答える代わりに、俺はあることを頼んだ。 ﹁ギルド長に会いたいのですが﹂ あくまで丁寧な口調を心がける。 こうした紳士な対応を積み重ねることが信頼へとつながるのだか ら。ここで粗野な言葉遣いはしまい。 心の中で、もう少ししっかりと冒険者への福祉を充実させればい いのに、などと悪態をついていたとしてもだ。 国ごと、支部ごとに細かなサービスの異なる冒険者ギルドにおい て、この国にあるのだから贅沢は言えない。 そこで受付さんはカチリと仕事モードに切り替わる。 ﹁手続きなどがございますが⋮⋮﹂ ﹁これまでのゴブリン討伐で行方不明の新米パーティーについての 話でも、ですか?﹂ 250 伊達や酔狂で来たと思われても困る。 渋るものだから、つい言葉を重ねた。 ﹁⋮⋮⋮では少々お待ちください。取り次いでみますので﹂ だがその判断は無駄となった。 背後から一人の男性が登場した。その風格に身構えると、言葉こ そ荒いが軽く呼びかけてきた。 ﹁その必要はないな。そいつらをこっちへ通せ﹂ ギルド長が俺たちをギルド長室に誘ったのだから。 ◇ ギルド長室。 それは仕事のための部屋とも言えるし、冒険者たちを呼びつける ための客間の一種とも言えようか。とはいえここに呼びつけるのは、 ギルド長としての権力がより強く働く、冒険者のみ。普通の客は別 にある客間に呼ぶあたりは、ここは客間としては二、三番目となろ うか。 ひどく実用的な部屋で飾りらしい飾りといえば花瓶にささった花 ぐらいしかない。そんな飾りも目の前の男の前にはまるで無用だっ た。服の上からでもわかる鍛え上げられた肉体は引き締まっていて、 うっすらと浮かぶ古傷が野性味を引き立てていた。 現役時代はさぞかし優秀な冒険者だったのだろう。 251 ﹁で、行方不明の新米どもの話だと言ったな﹂ ﹁まずはこちらをご覧いただけますか﹂ 最初からとばしていこう。交渉ではないのだから、出し惜しみの 意味はない。 手紙さえ見てもらえば、だいたいのことはわかる。 ﹁ほう、つまりお前らはゴブリン討伐依頼にいって洞窟に閉じ込め られた、と?﹂ ﹁はい。ゴブリンの巣があると言われた洞窟に入ってすぐに入り口 が塞がれました﹂ そしてあったことを話す。 村長に上から言われたこと、中には魔物もなにもいなかったこと、 村の様子などだ。 ﹁お前らはどうやって出たんだ?﹂ やっぱりそこは聞かれるか。 入り口の岩を爆破して出てこなくて本当に良かった。 ﹁これで出てきました﹂ そういって実際に使った鉤付きロープを目の前に出した。 簡素なもので、誰でもちょっと器用なら作れる程度のものだ。 持っている冒険者もいるだろう。 ﹁なるほど。それなら今の状況からでも出てこれるな。はあ⋮⋮や はりあいつらは、もう⋮⋮﹂ 252 空気が重くなる。 俺たちが脱出したこと、その洞窟の特徴から、これまでの駆け出 しの冒険者たちが帰ってこない理由がはっきりしてしまった。行方 不明ならまだよかったのに、と。 仕方が無い、洞窟に閉じ込められたぐらいで死んでいたならば、 きっとどこかで死んでいただろう。 それが頭でわかっているからこそ、冒険者ギルド、そしてその長 は必要以上に冒険者の個人的なことには介入しない。 ﹁いや、すまん。お前らにいっても仕方がねえんだよな。こっちで いろいろやっておこう。ゴブリン討伐依頼は完了できなかったから、 それ自体なかったことにするし、特別報酬のほうを出すからまた来 てくれないか?﹂ 本当に、それでいいのだろうか。 別に俺たちが悪いわけではないし、俺たちに義務があるわけでは ない。 ただ、報告と証拠の提出さえしてしまえば俺らの仕事は終わりだ。 特別報酬を受け取って、素知らぬ顔でここを出てしまえばいい。 これ以上したって何もない。 いや、ダメだろう。 自分でもわからないが、これをそのまま終わらせてはいけない。 最後まで見届けなければならないと思った。 ﹁村へ行くとき、俺たちも付いていって構いませんか?﹂ ﹁あ、ああ。別にいいが報酬は出ないぞ?﹂ ﹁なあ、いいか?﹂ 253 隣の三人に了承を得る。 三人は相変わらず俺に従ってくれた。 ◇ なにも変わらないはずなのに、村の様子は全くと言っていいほど に同じではなかった。 あんなことがあってから村を見る目も少し変わったというのもあ るだろう。 こんな平凡で平和そうな村なのに、裏ではあんなことをしている 奴らがいるなんて。 あの後、ギルドから国へと報告が行った。その結果、監査が村に 入ることとなった。そのことはギルドでの会話からわかるように全 員が予想していたことなので、特に思うことはない。 ギルドの一部の面々と、監査官として国から派遣された人間が三 人に、警護のための兵士が数人、そして俺たち。 三十に満たない人数だが、一つの村に押しかけるには少々多いか、 こんなものだろう。 村長の家を訪ねた。 手紙に書かれていた協力者⋮⋮もとい共犯者と思われる人間を全 て集めてもらった。 村人全てが協力していたわけではなかった。 むしろ全体から見れば少なかった。 一部の人間の独断による暴走、ということか。 とはいえ、俺らも合わせて少なくない人数を収容できる建物もな く、外での話となった。 254 ﹁これはこれは、みなさんお揃いで。なんの御用でしょうかな﹂ 白々しくもそんなことを言う。 もし俺たちが神の話だのをしたときはすっとぼけるのだろうか。 驚くそぶりすら見せなかったことは称賛に値するか。⋮⋮いや、 村人たちはもっと驚くべきなのだ。国家権力、とは言わないがそれ に近しい、冒険者ギルドという権力、その使者を前に平然と構えて いられるのがおかしいのだ。むしろやましいことがなければなぜく るのかわからずに慌てていても仕方がない。それを、堂々と接して くるあたりくる理由はわかっても罪悪感はないだろうか。それとも、 どうやったってばれないと思っているのか。 手紙を見せて、直接家でも探せば、新米たちの遺品が出てくるこ とがわかりきっているので言い逃れはできない。 ﹁あなた方は我らが冒険者ギルドを利用して神の生贄を調達しよう としていた疑いがあります﹂ 審査官の人が宣言する。 一枚の紙を前につきだして、ぐるりと村人たちを見渡す。 ﹁ほう⋮⋮どうしてそんなことを﹂ ﹁こちらの冒険者の方からお話を伺いました﹂ ﹁証拠がないでしょう?﹂ 村長は容疑を否認している。 ﹁ギルドが無実の村人を強制捜索、評判は地の底に落ちるぞ。それ ともなんだ? ここで私たちを皆殺しにする気ですかな?﹂ ﹁あくまでギルドの規則、そして国の法に則って裁きます﹂ 255 ﹁だとすれば今の状況こそが、その規則に触れているのではないか ?﹂ まだ認めようとはしない。あえてその細部に触れず、入り口だけ でここで得た情報だけで違法だと弾劾している。 それは、ボロを出さないためだ。犯人と被害者しか知りえない情 報を彼らが知っていればそれだけで、一つの証拠としては十分だ。 しかし、審査官はそういったやりとりをそろそろもどかしくなっ たのだろう。 最終兵器をあっさりと出して、つきつけたのだ。 ﹁この手紙を見てもまだ、とぼけるおつもりですか?﹂ ばさり、と束になっているそれは俺たちが︱︱特にロウが夜中、 村へと忍び込んで盗み出したものだ。 彼らはそれを見て、気づいたように自分たちのはるか後ろに目を やる。するとそこでは、ふるふると涙目で首を横にふる村人がいた。 なるほど、会話で時間稼ぎしている間に証拠となる手紙を処分し ようとしていたのか。証拠隠滅、どの世界においても犯罪者のやる ことは変わらないのだな。 彼らはわなわなと震えだした。目を見開き、信じていたその優位 性が失われたことに狼狽える。 これは詰んだな。 こちらの人間が身構えた。 追い詰められた人間は何をするかわからないので危ない。 ﹁貴様らに⋮⋮何がわかる!﹂ お決まりのセリフである。 256 俺はずっと一緒に暮らしていたジュリアス様のことでさえ、わか らなかった。それどころか、自分のことさえわからないことが多く ある。 つい昨日出会ったばかりの人間の何がわかるというのだろうか。 所詮人間は相手のことを真に理解することなどできはしない。自 分にあてはめて、わかったような気になっているだけだ。これは決 して人間が仲良くできないことを言っているのではない。 わからなくてもいいじゃないか。 俺はそんな風に反論したい。 なおも周りを見ようとしない彼は高らかに語り続ける。その自ら の身の上をまるで聞かせるべきだとでも言うように。朗々と、その 低い声で、恨みをこめて。 ﹁気候によって左右される作物、何があっても不介入の国は助けに ならない。よいではないか! 神に縋ったって! あの方だけだ。 狂 信者なのだ。 助けの手を差し伸べてくれたのは! 掴まずしてどうする!﹂ 狂信者は止められないから 兵士たちが捕縛しようと周りを囲んだ。 剣を突きつけたところで、さらに村人たちが叫んだ。 ﹁全ては神の仰せのままに!﹂ その声に応じて刃物を取り出した。 粗雑な作りのナイフであったり、調理用の包丁であったり。それ らを硬く握り締めた時点で嫌な予感がした。 257 彼らはそれを俺たちに向ける︱︱のではなく自らの喉に向かって 突き刺した。 斬りつけた首から、刃が吸い込まれた喉から、赤い飛沫が辺りに 撒き散らされる。倒れ行く村人たちのその様子を、俺たちはただ見 ているだけしかできなかった。 後から続くように全ての容疑者が神への言葉を遺して自殺してい った。ばたばたと倒れて死体が増えていった。 彼らは確かに狂っていた。 その淀んだ目は自らの未来を他者に委ね、依存しきった暗いもの であった。 かつて俺は過酷な環境を間違った方法で、その手で改善した。 そのときとは逆だ。逆だが、どちらも正しくはない。 ﹁くそっ! まだ聞かなければならないことがあるのに!﹂ 手紙を出したのは誰なのか。 それで復活する本当のモノはいったいなんなのか。そもそもそん なものが存在するのか。 幾つかの謎を残したまま、俺たちのゴブリン討伐依頼から始まっ た邪教事件は終息した。 被害者にも、そして加害者にも多くの犠牲者も出して。 ◇ ﹁なあ、これが俺たちがこの先、見るかもしれない光景だ﹂ 258 三人に向けて俺はそんなことを言った。 ﹁俺はあのとき、心のどこかでざまあみろと思った。最悪で、最低 の人間だ。前も言ったように、親も殺した。そんな俺が怖ければ、 ここでついてくるのをやめてもいい﹂ 三人は黙ったまま俺の話を聞いている。 ﹁俺はこれからも人を死においやることがあるだろう。おいやると わかっていてそんな方法を取るかもしれない。できるだけ無関係な 人は巻き込まないようにする。だけど、渦中にいる味方でない者ま では関知できない﹂ 今回のように。 彼らは確かに加害者で、狂っていて、彼ら自身の選択によって死 んだ。 綺麗事を並べるのは簡単だし、綺麗事を抜きにして救えたかもし れない。 だけど俺は何度この場面に来ても、彼らを救うことはないだろう。 自害を止めず、自殺を見過ごして、彼らの屍を踏み越えて先にい く。 それに、罪悪感などない。相手が嫌いならきっとどこか楽しんで さえ行うだろう。愉悦というものだ。悪徳とも言えるそれを、かつ て親を殺したあの瞬間に味わった。 それを正しくないと知っているだけだ。 ﹁俺は弱い。勇者候補なんて単なる飾りだ。全ては守れない。負け るときは負ける。だから﹂ 259 誰よりも弱い。 ﹁だから、正しくなんてないんだよ﹂ 俺は彼らを殺したわけではない。 だから彼らに対して思うことは何もない。 物語の英雄たちは救えなかった命にグダグダと悩むらしい。 だけど俺は、彼らの死によって、酷い奴らが死んでよかったなど と思える醜い自分に気づかされたところで、なにも気にはしない。 だけど、何より怖いのは、そんな自分を目の前の彼らに否定され ることだ。 彼らが俺を、何か神聖視してついてくるならそれは間違いである と今のうちに気づいておいてほしい。 自己中心的で、平凡な人間であることに。 それを改めるつもりはないことに。 ﹁もう一度言うが、俺は最低の人間だ﹂ アイラが最初に口を開いた。 ﹁何も、変わらないよ。あの日から﹂ カグヤはいつものように諦めたような顔で、溜息のように。 ﹁知ってるわ、それぐらい。言いたいことはいうし、同意はしない けど。それでもロウと二人で、選んだの﹂ ロウは最初は目を丸く、そしてニヤリと笑いながら肩を叩いた。 ﹁何か悪いこととかしたか?﹂ 260 大丈夫、だろうか。 261 ゴブリン討伐依頼 ③︵後書き︶ 次回は国の外へ 262 海辺に出てきて ギャクラ王国、城の最上階にその部屋はあった。上方にある小窓 から日の光が差し込み、全体を薄く照らしている。中央には城の中 で最も大きく、贅を尽くした椅子が置かれている。 そこに座る人物に向かって声をあげる少年がいた。 ﹁レイルは⋮⋮レイル・グレイはこの国にとって利益となる人物で す。引きとめなくてよかったんですか? 父上﹂ 父上と呼ばれたのはこの国の国王で、父上と呼んだのはこの国の 王子、レオン・ラージュエルであった。 ﹁お前はあの男を見くびっている。あやつは国の利益になる人間と いびつ いう器では︱︱むしろ他国にいてさえ我が国に利益をもたらすだろ う⋮⋮いや言い訳はよそう。私はあいつが怖い﹂ 初めて聞いた父の弱音にレオンが狼狽えた。 ﹁怖い?﹂ ﹁お前らが何をあの男に見ているのかは知らないが、あれは歪だ。 大人ぶっているわけでも、子供のフリをしているわけでもない。自 然体にして、大人にも子供にもなれていない﹂ 当時、子供のレイルは玩具一つで国中の貴族の力を弱体化させよ うなどと、ふと思いついたように提案した。 それはまるで﹁体を鍛えれば強くなるだろう?﹂と言った、当然 のことを話すかのように。 263 その後のことは、報告にしか聞いていないがそれだけでも十分に レイルのしてきたことは警戒に値した。 ﹁あの男をこの国で御する自信がない。手綱を握れとはいわん⋮⋮ あの男から目を離すなよ﹂ その時、扉が突然開いた。 しかしここは玉座の間。無断でそのようななことをして許される 人物など限られている。 ﹁だから言ったじゃございませんか﹂ そこには微笑を浮かべた美少女が立っていた。こぼれ落ちるは艶 やかな金髪、その輝きは室内であろうと周囲の調度品に見劣りしな い。まるでその髪に合わせたかのような碧眼が細められて、二人を 見つめる。 レオンの双子の妹にして、この国の王族が一人、レオナだった。 ﹁お前こそなんだ。あんなにレイル様、レイル様と騒いでいたくせ に﹂ ﹁お兄様はおかしなことを仰ります。最初はあれほどまでに私とレ イル様が近づくことを嫌がっていたというのに﹂ 俺は成長するんだよ、とレオンは心の中で反論したが、実際最初 は嫌がっていたので何も言わない。成長というよりは、許容範囲が 広がったとも言えるし、レイルを知って誤解が解けたとも言える。 もしくは、親しくなり懐柔されてしまった、とも。 ﹁レイル様なら心配ございません。そのうちにまた帰ってきますも の﹂ 264 基本的に、レオナはレイルを慮るとか、憂えるといったことをし ない。 レイルという人間への信頼、そしてあくまでもレイルのために為 す全ては自ら、そして国のためにある、そうした根底にある動機の 在り方が彼女をそうさせていた。 それに、手紙が届くうちは無事であるとわかるのだから、と続け た。 ﹁レイル様ですもの﹂ 薄く、まるで社交辞令のように薄く微笑んだ。その言葉が滅多に 見せない彼女の本心であり、それが心からの微笑であることを、そ こにいた家族だけは知っていた。 ◇ この広大な大陸の東に広がる大国ギャクラ、その南の国境近くま でやってきた。 最近、この世界は前世よりも小さいのではないかと考えている。 それは比喩でもなんでもなくって、世界地図から測った王都から ここまでの距離と、ここまでの移動速度を考えると明らかに小さい からだ。 265 まあ、それは俺にはあまり関係がないか。地図を作るわけでもな ければ、正確な距離が何かを左右することをするわけでもない。天 文学でも志すなら正確に測っておいたほうが良いのだろうが。 小さかろうが大きかろうが、世界一周を目指しているわけではな いのだから。 国境には警備兵が存在する。怪しい奴が突破するのを防ぐためや、 他国からの侵略がないか見張っている程度のものだ。武力としては そう大きなものではない。 魔物を防ぐのは壁がその役割を果たすし、その壁をものともしな い存在が攻めてきた場合は兵士の十、百など時間稼ぎにもならない ので、なるべく早く情報を国に持ち帰ることが先決とされる。 よって、国を出るだけならばそこまで手続きはない。 勇者候補証でも、冒険者カードでも出られるし、商会の身分証で も出られる。 特にこの国は緩いらしいが。商業を重んじることもあり、商人が 出入りしやすくしているのだろう。 俺たちは当然のように国の外へと出ることができた。 ﹁そういや、聞いたか? この先の海に魔物がいるって話﹂ ﹁あー、酒場でな﹂ この世界では航海用の船は存在しない。 それは海が危険だからだ。航海ができないほどに。 まず第一に、海の魔物が陸のものに比べて巨大であることがあげ られる。 陸では本来、生物に厳しい成長限界が存在する。 266 陸では大きければ筋肉とともに重くなり、重くなればそれだけ自 重を支える筋肉が必要になるというジレンマがある。 結果、生命維持に必要な重さを支える分を差し引いた分の筋肉で 全ての自重を支えなければならない。 必然と限界が存在する。 だが海ではその限界は陸に比べればほとんどないと言える。 前世でも陸で最大の大きさはゾウだが、その何倍も大きい生物が うじゃうじゃと海の中にはいた。 イカやクジラが代表的な例だ。 大きければ強いというわけではない、とは柔よく剛を制すなどと ロマンの一つとして語られるが、やはり傾向としては大きい方が強 い。 それに、水上、水中では人間の戦闘力は低下するし、向こうは十 全に動ける。 魔物の跋扈する世界において、海に出るというのは馬車で魔物の 群れを渡るようなものだ。 安全な航海路も、強力な軍艦も開発されていない現在、海を渡る ものは馬鹿か化け物である。 ゲート では他の大陸にはどうやって移動しているかというと、以前も話 ゲート した転移門を使用する。 転移門は古代から存在するロストテクノロジーの一つで、未だに その構造は解明されてはいない。 わかっている言えば、空気中の魔力を使用するので、一度に大量 のものは運べないことか。 しかしそれぞれの大陸では、独自に自給自足が可能であるため、 貿易というのは希少品に限られているので現状、あまり問題はない。 267 つまり、海に魔物が出るというと、そのほとんどは海辺で漁をす る人たちの間の話である。 ではたいしたものではないだろう、もしかしたら人魚などの珍し いものが見られるかもしれない。 そんな風に淡い期待を抱いて提案した。 ﹁行ってみようか?﹂ ﹁行くの?﹂ ﹁そうね。海は行きたいわ﹂ ﹁いいな﹂ ゲート 後から知ることであるが、実はカグヤとロウの二人は間接的に海 ゲート を渡ったことがある。本人らも知らぬうちに野生の転移門を使用し ていたらしい。野生の転移門というとわかりにくいが、作られた時 ゲート のまま整備がされておらず、どこに飛ぶかわからないような記録に ない転移門といえばいいか。 野生であったため、不安定だったというのもあるが、二人は幸い、 祖国ヤマトから最も近いギャクラの中に放り出されていた。 そんな事情はさておき、カグヤとロウは海を楽しみにしていた。 ﹁前のゴブリンはちっちゃかったなー⋮⋮もっと大きな魔物もいる のかな?﹂ ﹁あんまり大きなのは困るな﹂ そうだな。 サメの魔物とか出たらリアル⃝ョーズだし。 そうして道中出てくる魔物を倒しながら抜けた目の前には十数年 ぶりの大海原が広がっていた。 潮臭い風が服にまとわりつく。 268 周りはシロツメクサや白く結晶が葉の表面に広がる草、ぽつぽつ とクスノキが生えていた。小さなピンク色の花もある。地面に点々 と。気持ちのいい風景ではある。 日本の九州かそれより南ぐらいの気候だろうか。 俺ら以外は誰もいない。 遠くまで続く青色の合わせ鏡のような空と海を眺めていた。 そしてそれは突然現れた。 急に水面が暗くなったかと思うと、ぬっとそれが盛り上がる。 ﹁ニンゲンがまたここにくるとはな﹂ 激しい水しぶきがあがる。 現れたのはイカとタコを足して二で割ったような巨大生物だった。 紫の混じった赤黒い色で、足は海の中をぐねぐねと動き回っていて 数えられない。それは人の言葉を喋った。 その特徴的な見た目に、脳裏に浮かぶのはある生物だった。 ﹁クラーケンか!﹂ 前世でも有名な海の怪物。 猿や鳥など他のものが混ざることもあるが、基本的にタコやイカ の見た目をしている。 単独で船を沈めることさえあるという。こいつもまた、海に出ら れない原因の一つだろう。 269 そんな怪物がどうしてこんなところに⋮⋮? ﹁強者を探している。ちょうどよい相手がいない﹂ ある程度知性のある魔物の本能として、強い相手に従う、という ものがある。 この言葉から察するに、こいつもその本能に従っているらしい。 しかしこいつは高位の魔物、辺りにいる魔物では相手にならない のだろう。 かといって深海にひしめくもっと凶悪な魔物たちに挑めば、従う 前に食われることうけあいだ。 で、強いものがいないかと陸に目を向けた、と。 ﹁この間のニンゲンを逃がしてやったのがよかったのか?﹂ そうか、こいつが噂の発信源か。 こんなのに出会った漁師が生きて帰れたということが、こいつが 知能ある魔物で、遊び相手にもならない漁師をあえて逃がすことで 強い敵をおびき寄せようとした証拠だ。 いつでも好きなときにかかってこい﹂ ﹁その様子だとしっかりと聞いてはおらんようだな! 逃げたけれ ば逃げてもよいぞ! なるほど、今回も恐れをなした俺たちが他から強い人間を呼んで くることを期待しているのだろう。 ﹁よし、逃げよう﹂ ﹁逃げんのか﹂ ﹁ほう﹂ ﹁また来る﹂ 270 無策で挑むは愚者の骨頂。 戦略的撤退だ。いや、逃げたんだけどな。 今やっても勝てないし。 ﹁で、助っ人でも呼ぶの?﹂ カグヤは海岸の方に目をやりながら、消極的かつ手堅い案を出し てくる。 ﹁いや、呼ばない。あいつを屈服させたら従えられるんだろう? 数の暴力では意味がないし、他のやつに掻っ攫われるのも気に食わ ない﹂ 数の暴力そのものは悪くない。 しかし、それだと誰に従えば良いのかという点について分散して しまう。 かといって、俺たち以上の強者を呼ぶと、クラーケンはそいつに 従ってしまう。 ﹁じゃあどうするの?﹂ 俺は尋ねるアイラに幾つかの物を出すように言った。その中には 王都で買った鉄も多くある。 俺はアイラとあるものの制作にとりかかった。 271 さあやってまいりました、海沿いの崖の手前。あれから少し日数 はかかったが、作りたいものは完成した。 クラーケンはウミガメのように産卵時期に海岸にくるわけではな い。 今回の目的はクラーケンの仕える主を見つけるためだ。 ルールは簡単、強いものが弱いものに従う。 弱肉強食の世界だ。 だが、強いものに負けたい、従いたい、とは天然のドMの素質で もあるのだろうか。 ただただ時間稼ぎで逃げたわけではない。 とくと我らの秘策をお見せしよう。 今回使うのはスライムの粉末⋮⋮ではなくこちらの装置になる。 それは綱引きの綱を巻き取る装置を横に倒したような形をしてい る。 ただ違うのは、その馬鹿みたいな大きさと、素材による圧倒的強 度、そして地面に、そして周りの木々に徹底的に固定されていると ころだろうか。 ﹁ふはははは。脆弱な小僧どもが! 助っ人すら呼ばず、たった四 人で張り合おうというのか。その心意気は単なる身の程知らずかど うか、見せてみろ!﹂ おお、ボス戦みたいな前口上。 ファンタジー世界に来たんだなあとつくづく思う。 だが今回は、RPGのように派手な魔法や多彩な技でしのぎを削 るような熱い戦いは見られない。 272 地味で、面白みもない、戦いというのかさえも微妙なものだろう。 ﹁これでもくらえ!﹂ 俺らが投げたのは、鉄製の刺々しい鎖のようなものだ。 先端が大きな輪っかになっていて、クラーケンの頭部⋮⋮いやこ の場合腹か?腹や長い足におさまる。 輪投げでもしているかのような気分だ。 ﹁お前らはこの我と力比べをしようというのか。面白い!﹂ クラーケンはあまりに愚直に、その先を掴んだ。そして離れぬ ようにがっちりと自らへと固定した。 俺たちが挑む勝負が、単なる力比べだと思ったのだろう。そして それに対して正面から受けて立つというのだ。 かかった。 勝算もなくこの俺が、バカみたいに力比べなんて挑むわけがない だろう。 俺はこれを策だと言ったのだ。 種も仕掛けもないなんてマジックみたいなことを言うつもりはな い。 ﹁なんだ⋮⋮この力は? お前らのどこにそんな力があるというの だ﹂ 力はない。 だがお前は知らないだろう。 仕事量は力×距離で決まる。つまり、仕事量の差なら距離で補え る。 273 この場合はてこの原理のほうがわかりやすいか。中心からの距離 が違う逆向きに作用する力は中心からの距離の逆比になる。確かモ ーメントとか言ったか。 自転車のギアなどと似たような仕組みになっている。 長い距離を動くようにすれば、力に対抗できる。 ﹁ふん、こんなもの。すぐに抜け出せ︱︱﹂ 無駄だ。その刺々しい鎖は結束バンドと同じ構造を使用している。 結束バンドとはあれだ、コードとかを束ねるときに使う白い塩化ビ ニル製のものだ。 よく名前が出てこなくなる。 一方通行にしか動かない接続部分、決して緩むことはない。引け ば引くほどひたすらに締め付ける。 綱引きだと考えて一度でも引っ張った瞬間、お前はその束縛から は逃れられなくなったんだ。 ﹁ならばその装置ごとひっこぬいてやる︱︱︱︱﹂ 装置の倒壊。 それこそが最も危惧していたことだ。 それだけは起こらないように必死に周りで固定した。木々に、地 面に、びっしりと。鋼の楔は一本一本が生身で抜くのに苦労するほ どに深く差し込まれている。さらにその数は十や二十をゆうに超え る。 これでは女型の巨人も動けまい。 条件だけ見るならば圧倒的にクラーケンが不利な状況における力 比べ。 種族差に任せて力押しでもなんとかなるかもしれない。 274 だがそうはさせない。 諦めたクラーケンは正面から俺たちと綱引きもどきに挑んだ。 じわじわと、じわじわとクラーケンは陸に近づいていく。 あるところまで引き寄せると急に力が緩んだ。その瞬間にいっき に陸に引き上げる。 海の怪物はその巨体を陸に打ち上げた。力を使い果たしてぐった りと横たわる体は海水で濡れているのがわかる。 これが可愛い女の子ならば、少しは⋮⋮ いやいや、俺は紳士なのでそんな事後みたいなのよりも事前の方 がいいと思います。 なにいってるんだろう、俺。 ﹁さすがのクラーケンも陸の上では単なる魚介類だな。どうだ? 自らの無力を噛みしめる気分は﹂ 束縛して無理やり身動きのとれない場所に連れ出したあげく、そ れを上から見て高笑いする俺。実にいい気分だ。 完全に悪役だな。 ﹁相変わらずねあんた﹂ カグヤが苦笑いしている。 アイラは終始、俺のことを目を輝かせて見ていたが、眩しいので やめてほしい。多分、俺への尊敬というよりは装置の仕組みについ てのアレだろうけど。 275 ﹁なるほど。人の力は知恵、か。いいだろう。それを卑怯とは言わ ない。知力も立派な武力だ。我が主よ、名を何という﹂ あんなわけのわからない策にはまって無様な負け方をしたのに、 そんな屈辱の相手に忠誠を誓う。 その潔さに思わず目を細めてしまった。 やっぱあんたの方が漢だよクラーケン。 276 海辺に出てきて︵後書き︶ 魔物には二種類の意味があります。 人に害をなす他種族、という意味と、魔力変異した種族として分類 されない動植物のたぐい、という意味です。 後者の中で獣型は魔獣などと呼ばれます。 高位の魔物は言葉を解すると言われていますが、嘘をつくことはな いといいます。 嘘をつくというのはさらに高度な知能が必要だということですね。 277 ある男との邂逅︵前書き︶ ターニングポイントってなんだろう 278 ある男との邂逅 それでどうしたんだ? クラーケンを配下にして何ができるのかと言われれば、まずは航 航海? 海だろう。 は? などとは言ってはいけない。 ゲート 今まで大規模な移動には転移門を使用するのに休憩を挟むのでや たら時間がかかった。 しかし世界地図こそ立派にできているこの世界でクラーケンとい う護衛兼案内をつけて安全な航海ができるようになれば、世界のグ ローバル化が進む。 たかがクラーケンを配下にするだけでえらいことだ。 いや、たかがクラーケン、されどクラーケンだ。 俺たちは無理矢理陸に引きずりだしたからこそ楽に屈服させられ たが、国で討伐隊が組まれたり、英雄と呼ばれるような冒険者が死 闘を演じて滅ぼすような怪物である。 少年少女が釣りで大物釣れたーぐらいのノリで捕まえるものでは ない。 ﹁なんでもお命じください﹂ すっかり敬語まで使いこなしているこいつの知能の高さに舌を巻 きつつも、単純な命令を幾つかだしておく。 漁師とか一般人を無闇に襲わないようにと言い聞かせた。手を出 279 されたときだけ反撃を許し、出来るだけ殺さないようにと。 ﹁承知しました﹂ それと俺の名前を使っていいから、無害であることも主張するよ うに言っておいた。 ﹁またなにか頼むかもしれない。そのときはよろしくな﹂ 俺たちはクラーケンを残して旅立った。 俺たちは南へ向かっていた。次の国が南にあるからだが。 その道中、偶然にもギャクラ国の騎士団と出会うこととなった。 彼らは休憩中だった。馬車に積んでいた荷物から食事を取り出し て辺りに広げていた。 そこに近づいたところで、 ﹁よければ君たちもどうかね﹂ と誘われて俺たちもちょうど昼食をとろうとしていたので、その ままともに食事を取ることになった。 食料は自前で用意したがな。 ﹁お仕事お疲れ様です﹂ 簡単な挨拶とともににこやかに話しかける。 自己紹介を終えると、団長らしき││しかし団長にしては若い男 性の眉がピクリとあがる。 280 ﹁レイル⋮⋮君はもしかしてレイル・グレイかい?﹂ ﹁え、ええ。そうですけど。どこかでお会いしましたか?﹂ 三十ぐらいだが、その表情にはまだまだ若々しさが残っており、 人懐っこい雰囲気のするその表情と涼しげな瞳はさそがしモテるだ ろうと思われた。 口調も決して年上とは思えない、爽やかでありながら熱い男性だ った。 精神年齢的には二歳ほどしか変わらないが、俺の方がじじくさい のではないかとさえ思う。 今でこそやや渋みが出たナイスミドルに近づいているが、若い頃 は超イケメンだったに違いない。 彼はシルバ・ドーランドと名乗った。 ﹁そうか⋮⋮こんなところで会うとはね。いつか会いたいと思って いたんだけど、君の噂からそのうち城に仕えることになるかと思っ てそのときに会おうと思ってたんだ﹂ まさか旅立っているも思わなかったと言う。 目の前の人は俺の何を知っているというのだろう。 二人で話がしたいと言われた。 ﹁話は変わるんだけどね。今から十年ほど前のことだ。僕はある貧 民街に訪れた﹂ 貧民街と聞いて、生後三年間の嫌な記憶が蘇る。 ﹁そこで僕は奇妙なものを見た。全焼した家屋の跡地なんだけどね﹂ 281 嫌な予感がする。シルバさんはじりじりと確かめるように話を続 ける。 ﹁周りの住民は野盗にでも襲われたんだろうって話していた。でも おかしなことが一つだけあった。焼死体は二つ。おそらく夫婦のも のだろう。何度も刺された痕や頭を殴ったような痕があった。そし て、周囲には││││子供の生活していた痕跡があった﹂ 間違いない、それは俺の生まれた家だ。この人は確信こそ持てな とぼけた方がいいのか? いまでも、俺の過去に気づいている。 どうする? 混乱している俺に追撃をかけるようにシルバさんは言った。 ﹁それがあったほぼ直後、奥方が亡くなってしばらく経っているグ レイ家に隠し子がいたことが判明した。しかも隠し子だとジュリア ス様は言っているが、血は繋がっていないことがまことしやかに囁 かれていた。学園で異常な学才を見せつけながら。それが君だ﹂ 突拍子もないことを思いつく奴がいたものだ。あんな手がかりか ら浮浪児と俺をつなげるなんて、な。ここまでバレていては、とぼ けたって無駄だろう。 一体何が目的なんだろうか。全然読めないのが苛立たしい。 ﹁お察しの通りです。僕はその家で生まれました。当時は二歳です。 そして俺は││﹂ 抱きしめられた? 虐待の復讐に親を殺した、と言おうとしたら不意に抱きしめられ た。 えっ? わからない。事情があったんだろうって同情でもしているのか? 282 殺すほど思いつめることがあったんだろうってか? ﹁よかった⋮⋮本当によかった﹂ よかった? ﹁あの時は奴隷商に売られたのかと思ったんだ。どうにか無事を確 認できないかと﹂ 俺が殺したことはわかってないのか。 ﹁すまない。取り乱してしまったな。また何かあれば連絡してくれ。 できる限りのことはしよう﹂ そう言うと彼は颯爽と立ち去っていった。 どうやらシルバ・ドーランドという人物は底抜けのお人好しであ ったようだ。 たった一度、見てすらいない幼子に感情移入して、その安否を十 年も心配していたなんて。 疑ってばかりいる俺が馬鹿みたいじゃないか。 騎士団はどうやらこの先にある﹃自由の街﹄の治安維持のために 行くらしい。 ﹃自由の街﹄というのは国家に所属しない自治区として機能してい る街の一つだ。 税金や規則がないために自由がきくということでそう呼ばれてい る。 当然悪事も蔓延りやすく、その余波をギャクラが受けないように 定期的に粛清しにいくのだと教えてくれた。 283 ﹁結局なんだったのー?﹂ アイラは俺が一人連れ出されたことに心配していた。 ﹁俺が生まれた場所を知っている人だったよ﹂ ﹁じゃあ││﹂ ﹁いや、俺が親を殺してまで逃げたとは思ってなかったよ﹂ ﹁なーんだ、よかった﹂ 前世なら十年も経てば時効だとは思う。 まあ、時効はあくまで法律上でのものだから、それで罪が消える わけでもないのだけど。 ﹃自由の街﹄に行く道と、そうでない道、二つに分かれた道の後 者はとある建物に繋がっていた。 木造の立派な建物が一つにその周りを簡素なテントや小屋が囲ん でいる。 集まったそれらは一つの集落のようにさえ見える。 ﹁なんだと思う?﹂ ﹁サーカスかな?﹂ そんな平和なものであればいいけどな。 284 先ほど聞いた﹃自由の街﹄のその現状と照らし合わせると、あま りアイラが期待するようなものではないと思う。 二人の男が入り口を見張っていた。 片方は帯剣しており、もう一人は斧を担いでいた。 斧というと短く太い柄に大きな刃のついたものを思い浮かべるか もしれない。だがこの男が担いでいたのは細長い柄に小さな刃の斧 であった。 手軽に振り回せそうで、俺の思う斧の戦い方とは違うのだろう。 話しかけたとたんにグサリとかやられないよな⋮⋮? 一応話しかけてみた。 ﹁すいません、ここ、入っても構いませんか?﹂ ﹁ぎゃははは。入ってもいいがお前らが買える値段のがあるかはわ からんぜ﹂ 買えるもの? つまりここは賭博場などではないということだ。 最悪のパターンである盗賊団の根城という線がなくなってほっと 胸を撫で下ろした。 ﹁あ、お金なら大丈夫ですので﹂ こんな怪しいところではあまり使う気はないが、学校時代に稼い だ貯金はまだまだ残っている。 それこそ家族一組が何年も遊んで暮らせるぐらいには残っている。 ﹁へえそうかい。せいぜい下手なのを掴まさせられないよう気をつ けな﹂ 285 男の忠告を受け、建物が立ち並ぶ市場のような場所へと入ってい く。 テントや小屋にはほとんど人がいない。いや、人はいるのだが、 その誰もが手錠や縄で拘束されていたり、檻の中に囚われていた。 そして一番大きな木造の建物を目指して歩くうちにここがどうい う場所であるかわかってしまった。 なるほど、悪い予想とはよく当たるものだ。 ここは奴隷市場であった。 奴隷の売買は多くの国において認められてはいない。 非合法であっても、あくまで認められないのは売買であって所持 ではない。その法律の穴をついて、貴族などの支配階級にある人間 の一部は奴隷を使う。 ではどこから買うのか。その疑問を解消してくれるのがこの国外 にある非領土内の奴隷市場だ。 国の中で行えば見つかって解体される奴隷商も、外で行えば関係 ない。 金のある人間は護衛でも雇いながらここに買い付けにくればいい。 ﹁あまり気分のいい場所ではないわね﹂ ﹁そういや親父たちは殺さなくてもいいけど無力化したい奴とかは こんなところに流してたな﹂ ちょっと待て、ロウの両親の仕事は何をしていたんだ。かなり物 騒な言葉が聞こえてきたんだが。小一時間ほど問い詰めたい。 ここがまだなんの場所かわかっていないのはアイラだけであった。 それは思考力というよりは人生経験からくる洞察力の差だ。 286 唯一自由に動ける人間が警備している屋敷を訪ねた。 どうやら買い物をするのに客は最初にあそこを訪ねていろいろと 話を伺うらしい。 常連客やお得意様にもなると、買う予定の奴隷を拘束されたまま 連れていって金を払って向こうで手錠などを外してもらうのだとい う。 そんな事情はさておき、俺はこの場所を見て実に面白いことを思 いついた。 ﹁またなんか企んでんな﹂ ﹁悪い顔してるわよ﹂ ﹁レイルくんはなにするの?﹂ いかんいかん。どうやらにやけていたらしい。にやけるというか 某死のノートの持ち主の顔芸である﹁計画通り﹂の顔と似たような 感じではないだろうか。 自分でいっておいてなんだが酷いな。 ここを潰す計画でも思いついたの?﹂ ﹁いやいや、ちょっと考え事をな﹂ ﹁なに? 潰すってそんな簡単に言ってくれるなよ。 奴隷っていうのは人権的には許されないことかもしれないが、死 ぬよりはましだということで一つの就職先でもあるんだぞ、とは建 前だ。 よくないものなのは確かだし、それで損得が生まれるのも事実だ。 ﹁そんな勿体無いことするかよ。俺は今からここの首領にとある話 287 を持ちかける。お前らには迷惑はかけないが、感情的に受け入れら れないかもしれないから聞いてくれ﹂ 俺はそう前置きしておいてから、今からしようと思うことを話し 始めた。 288 ある男との邂逅︵後書き︶ お察しの通り、この男性は閑話で登場した騎士です。 289 社会には闇がある 三人には外で待機していてもらった。 別にやることがないわけでも、警備に回しているわけでもない。 やってもらうことがちゃんとある。 そして俺は今、一人の男と向かい合って座っている。 ﹁で、あんたは何の話をしにきたのかな?﹂ 怜悧な目つき、鼻はしゅっとしていてメガネをかけている。見た 目はまさにできる男といった感じだ。随分と若い。二十代前半とい ったところだ。 彼は俺を招きいれたあと席に着くように促した。 窓は一つしかなく、やや低いところにある。立っているときにち ょうど首元に上の淵がくるような位置だ。空いた窓からは外の様子 が見える。 ﹁まあその前にうちの商売のことでも話そうか﹂ シンヤと名乗った彼は簡単に自分の動かしている組織と、その商 売について話してくれた。 彼らがここを拠点にしているのは近くに﹃自由の街﹄があるから だという。 食料などの生活に必要なものをそこから買い、そこを経由させて 輸出することでここの場所を隠蔽しているのだ。そして奴隷もそこ から入手することがあるという。彼らは一つの組織で仕入れから販 売まで行っている。 290 ﹁自分で見るから、粗悪品でぼられることがないんだ﹂ やや誇らしげにそう語る。 人間だけでなく獣人、魔族なども扱っている。エルフなどになる ととても高いのだとか。 俺の思う奴隷商となんら変わりはないようだ。 販売の方法なども聞いた。俺のことを買ってくれているのか、こ の程度のことを話しても構わないというのか、それとも俺が聞いて もわからないと思っているのか。 ただ、この男が非常に有能であることはわかった。 話す内容は合理的で、わかりやすい。人に物事をわかりやすく説 明出来るということは、それだけ体系的に整理して理解していると いうことに他ならない。行っている商売そのものにも、倫理的問題 があるかはともかくとして大きな穴はなかった。 俺は僅かに迷っていた。行うべきか、行わずに全てを御破算にし てここを出ていくか。 シンヤという男がもしも、俺の見た通りに優秀であるとすれば。 巧遅よりも、拙速。行動は早い方がいいだろう。 ﹁単刀直入に言いましょう。奴隷商、やめてみませんか?﹂ はたから見れば理不尽極まりない持ちかけである。 提案を聞いた瞬間、シンヤは腹を抱えて笑い出した。 ひとしきり笑ったあとただでさえ鋭い眼光は切れ味を増した。 ﹁子供が知った風な口をきくなぁ。こちらにそれを呑んで利益はあ るのか?﹂ 291 ﹁それを今から話しましょう﹂ やめる、というのは語弊がある。商売方法を少し変えてもらうだ けだ。 ﹁奴隷を売るのではなく、貸し出す場所にするのです。お客様にお 名前と在籍国を記入してもらいます﹂ ﹁それの何がいいんだ?﹂ ﹁まずは質の良い奴隷を新たに仕入れる必要がなくなります。今い る奴隷を役に立つように育てればいいのですから。もう一つは国な どから目をつけられなくなります。これを正式な仕事とすればいい のです﹂ この組織に奴隷の名前を登録しておく。ここで住み込みで働かせ、 仕事をできるだけ多く覚えさせるのだ。そうすることでこの場所を 派遣会社としての業務を成り立たせることができる。気に入った人 はちゃんと給料を払うことや住み込みで賄い付きなど条件をきちん と決めて正規雇用にすれば良い。その一方で、彼らに正規雇用され るよりもここが良いと思わせられれば良い。契約を受けるかどうか を本人の意思委ねる形にする。 ﹁奴隷の質が良いかは客にとっても賭けになります。それを一定期 間の貸し出しを行うことで実力が見れます。正規雇用として雇うに はこちらにも一定額を納めてもらえばいいのです﹂ そもそも、奴隷というものの需要は質に寄っている。数を揃えた いだけならば、貧民街から最低限の扱いで攫ってくれば良い。魔法 で契約しているという訳でも、完全に従順になるように教育されて いる訳でもない。彼らは最低限、言うことを聞くようにと礼儀と心 構えだけを教えこまれただけのものだ。それでも、ただ攫ってくる 292 よりは健康状態が良く、問題のないものが確実に手に入るからこそ 成り立っている。人権を無視したような玩具が欲しい層は非常に少 ない、ということになるだろう。つまり、質の良い従業員が保証さ れるなら、その扱いは奴隷でも派遣でも構わないはずではないか。 シンヤは俺の話に相槌を入れながら興味深そうに聞いている。 ﹁それでも人間の売買にはなるじゃねえか﹂ ﹁ちゃんと奴隷を人として扱うのですよ。給料も食事もだして、危 害を加えないように、本人の意思を尊重しながら働かせるのです。 正規雇用も本人の同意と雇用主の同意の両方を必要とするというこ とで﹂ ここで切り札を出す。 ﹁ついさっき、﹃自由の街﹄へ向かう騎士団と出会いました。彼ら がここを突き止めるのに時間はかからないでしょう。そのとき、堂 々と言えるのですよ。私たちは人の売買はしていない。労働力の売 買をしているのだ、と﹂ ﹁なるほど、面白い﹂ ﹁なんなら国に言ってギャクラ国に正式な職場として認めてもらい ましょうか? 各国の貴族も今までのようにこそこそと来る必要が なくなるのです。他国へのコネを持つここなら、実力を売り込みい い勤め先を見つけるのにうってつけの場所になるでしょうね﹂ 国民への反感を買わないように、表向きはどの国も奴隷の売買を 禁止している。その法律の穴がいつまでも埋まらないのは、所詮奴 隷廃止なんて口だけで、奴隷は社会の文化として根付いているのだ。 ならば制度を変えてしまえばいい。 ﹁確かに騎士団とやりあうには戦力が足りないな。正式な職場とし 293 て認められれば今までみたいな危険を冒すことなく商売できるのか﹂ ﹁先行投資は必要でしょう。奴隷の教育、今までのように売りっぱ なしではなく、事後処理に奴隷の生活を見るなど。それをある程度 僕たちが負担しても構いません。今言ったことをするなら代表者に 僕の名前を使用すればいいです﹂ そう言うと俺は教育課程みたいなものを目の前で書き記した。 労働のペースや、教育時間、一日の配給など、多すぎず、かつ奴 隷たちが感謝してここに依存するように。ただの概算ではあるが、 必要最低限の扱い、貧民街などよりも少し上の生活よりは遥かに文 化的な生活を送ることができるだろう。 ﹁これからは広く、そして質の高いものを目指しましょう。より多 くの貴族が気軽に来られるように、宣伝も大々的に行い、堂々と商 売してしまうのです﹂ ここの人材は良いからぜひ正式に雇いたいが、こちらの待遇がよ くて奴隷たちが頷かないというのが理想の形だ。 ﹁今までの利益が馬鹿らしくなるような、王様みたいな生活を体験 させてあげますよ﹂ ﹁話はわかった。それにその方法には見習うところがあることもわ かった。性奴隷は廃止しても構わない。だがな﹂ 持っていたペンで机を一度叩く。 ﹁初めて会ったお前をそうホイホイと信じられるほど頭の中は沸い てないんだ﹂ そう言うと彼は扉の外に合図を出した。 294 すると部屋の中へぞろぞろと武装した屈強な男たちが現れた。 ﹁試させてもらおうか。これぐらいのことを予想していない奴なら、 これから予想外のことに対応できなくなるだろう?﹂ 俺が持っている金を奪ってやろうと思っているのか。金はアイラ に預けてあるんだけどな。 もちろんこの事態だけを危惧していた。 話だけならばこいつらにデメリットはない。受け入れるかは別と して。 見た感じこいつは俺の下につく価値があるのかを確かめたいらし い。 いいだろう、見せてやろう。 ◇ 俺は国の統治下にない場所で奴隷商売をしている組織を仕切って いる。中規模な組織をギャクラの南にある領外で行っている。 客もいないある日のことだった。俺に一人の人間が面会を申し込 んだ。そこへ来たのは身なりばかりは多少いい貴族風の少年であっ た。周りに同じぐらいの年齢の少年少女がいたが、部屋に来たのは 一人だった。 目の前の少年からは並ならぬ雰囲気を感じとっていた。どうしよ うもなく禍々しい、人間だと断定するのが嫌になるようなそんな、 そんな雰囲気だ。年齢にそぐわぬ、不気味な笑みを浮かべている。 少年は奴隷商売の改造を持ちかけた。 295 効率のよい教育方法は、国の貴族や学校の中でもそうそうないよ うな、方法を知るだけで金がかかりそうなほどまでのものであった。 中でも、足し算と引き算は同じものである、という考え方は面白 かった。引き算には二種類あるというのだ。差を求めるものと、結 果を示すものだ。後者が足し算と同じだという。マイナス1を足す というその考えは数字というものを見直させてくれた。 人間の心理動作から、どうやって奴隷をこの組織に依存させるか まで、一つ一つ丁寧に説明された。しっかりと一個人として認め、 頑張ったら報われると叩き込むのだ。そして上下関係を保ち続ける。 そのためには非人道的な扱いはやめなければならない。 だが少年の言ったそれが成立するとすれば、これからの儲けはバ カにできない。 この商売を真っ当なものとして認めるというのだ。 人間社会に根付いた醜悪な文化の一つ、奴隷市場を。 他にも奴隷を売る場所はある。だがレイルと名乗る彼は自分の能 力を買ってこの話を持ちかけたと言った。 その褒め具合に思わず気を良くしてしまい、話を受けてしまいそ うになる。 それさえも彼の策略の一つではないかとさえ思う。 正直、この話は受けたいと思った。 冷静に考えてここで騙す理由がなくて、お互いに得になることが わかっていたからだ。 それに、もしも利益にならなければすぐに戻せばいい。そのため の下地は潰さずにおこう。 俺は別にこんな商売を喜んでしているわけではない。元は俺は商 296 人の息子だった。親と乗っていた馬車が襲われ、襲った盗賊団に潜 り込むことで尊厳を守った。そして過去の自分がなるはずであった 奴隷、それを量産する仕事についている。儲かるから、仕方なくで ある。もうそのことで罪悪感を覚えるような繊細さはとうに捨てて しまった。売られた方がましな生活をするヤツってのはいるし、売 られることで救われる奴もいるってことも知っている。だが、もし もそれよりも利益が出る方法があるなら乗ってもいい。そう思える 程度の執着にすぎない。 だが、目の前の異形の存在はどのような人間であるのか、そもそ も人間なのか、それを確かめたかった。 彼の人柄を、そして人格を。 あらかじめ出した指示に従い、男どもが部屋に入ってくる。厄介 な客に対する常套手段だ。 これで本性を現すだろうか? この策は完全に無駄というか徒労になった。 目の前で囲んでいた部下たちは、部屋に入っていくらも経たない うちに眠るように倒れた。ピクリとも動かない。 何が起こったのか俺には全くわからなかった。死屍累々の惨状が 広がっていた。いや、死んではいないだろう。 ただレイル││いや、レイルの旦那は目の前でただにやにやと凶 悪な笑みを浮かべているだけだった。 敵わない、と思った。交渉が決裂したことも考慮に入れて、その 上でこんな提案を持ちかけるなど正気の沙汰ではない。 俺は提案を受けることを伝えると、さっきのことはなかったかの ように一枚の紙に契約事項を書いて俺に署名させた。 297 だが不思議と不安はなかった。旦那の自信に満ちたその顔を見て いたら大丈夫な気がした。 自分よりも年下の子供相手だというのに、その企むような顔は何 故か安心感さえあった。 ◇ 部屋の外の壁際で三人の少年少女が話していた。 一人は腕輪のアイテムボックスから出した粉を火の中へとくべて いる。 ﹁ねえアイラ、なにを燃やしているの?﹂ ﹁なあそれって毒じゃなないか?﹂ 二人がアイラに問いかける。 ﹁うん、毒だよ、それも吸引性の。体が動きにくくなる毒と眠り薬 の混ぜたようなやつ。レイルくんが燃やした煙を部屋の中へバレな いように入れろって﹂ ﹁それってレイルも倒れるんじゃ?﹂ だがそうはならなかった。 部屋の窓の高さに秘密があった。ちょうど、立った人間の首より は下で座った人間の首よりは上。 煙は空気よりも軽く、上に昇る。上方に溜まった毒の煙は立った 人間にだけ効き、座った人間には効かない。 三人は部屋の中にいるレイルから合図が来るまで煙を焚き続けた。 298 ◇ ﹁降参だ。なるほど、見た目通りの人間じゃないし、君になら仕え てもいい﹂ その言葉を聞き、即座に契約書を書き上げる。奴隷を人扱いし、 それを利用した商売をすることと言った内容の文書だ。準備金と称 したお金を渡す。奴隷に顔を見せながら一人一人説明していく。同 意した者だけはここで教育を受けてもらい、仕事を覚えてもらう。 確かに衣食住を保証し、暴力は振るわないと約束したとはいえ、 奴隷に近い扱いなのは変わらない。 それでもほとんどの奴隷が喜んで同意していった。 今までの扱いに比べたら、となるのと、ここで逃げても家には帰 れない。辿りついてもろくな生活は送れないことを考えたらここで いた方が幸せだとは思う。 我ながら選択肢を与えているように見えて、自分から喜んで働か せるとは、上手くいきすぎて怖いな。 ﹁何か困ったことはあるか?﹂ ﹁売らずに貸すとなると、奴隷が余る。どうしたらいい?﹂ ﹁そうだな。﹃自由の街﹄がおそらく解体されるだろうから自給自 足できた方がいい。農作業にでもあてよう﹂ そう言うと効率のよい方法を教える。 上手く育たない土地や牧草地にはシロツメクサ、通称クローバー を植えておくように指示した。 299 シロツメクサには根粒があり、根粒に生息する根粒菌は空気中の 窒素を固定する働きがあるからだ。 窒素は植物の成長に必要不可欠である。 海岸に自生する葉の表面に白い結晶がある草は塩がとれることも 教えておいた。 海水でも育つし、塩をとった後は肥料にもできてよいだろう。 作るものを季節や年で変更するように、ということも教えた。同 じ作物ばかりだと上手く育たなくなるからだ。 ﹁上納金とかはいらない。たまにここに戻ってくるからその時は泊 めてくれよ。それと、馬鹿なことするとクラーケンに襲わせるから な﹂ しっかりと釘をさしておくことも忘れない。 ﹁はいよ、旦那﹂ なんだよその呼び方は。 まあいい。どうせ裏切ったって困らない。切り捨てるだけだ。 それに裏切るほうがこいつにとって不利益が多い。俺はこいつを 買っている。これから荒稼ぎさせる気だからな。 俺にとっても都合がよい。貴族にコネのあるここを抑えられるの だから。 何はともあれ、こうして俺たちは奴隷市場もどき││現派遣会社 を支配下に治めたのであった。 そしてここが、これからの俺たちの旅の拠点となる。 300 社会には闇がある︵後書き︶ 派遣会社は大変です 301 リューカの試練 領地の外には魔物が多い。 理屈としては単純で、ただ道の整備や駆除が追いついていないだ けのことだ。そのうち、明確な敵意をもって危害を加えてくるもの は半分ほど。残りは普通にしていればわざわざ出会うこともない。 間接的に害があるものまで含めると七割を超える。と言っても、 そちらはお互い様という他ない。 そう思うと魔物といっても前世の動物とさほど変わらないのでは ないかと思う。 ﹁あっ大きいのいるよ。撃ってもいい?﹂ 自作の双眼鏡を覗きながらアイラが言う。 ﹁いけるか?﹂ 結構距離があるのだがアイラは自信満々に腕輪から一つの銃を取 り出した。 長い銃身は黒く輝いており、随分と物騒な魅力に溢れている。ア イラはそれを構えて寝そべるように地面に這いつくばる。スコープ を覗きながら引き金を引くと音が炸裂し、銃口が火を噴いた。 ﹁沈黙、確認﹂ だんだんアイラが軍人っぽくなっていくのが嬉しいやら悲しいや ら。さっさと回収に向かう後ろ姿をしみじみと見送る。 302 後ろから血の匂いを漂わせてロウが帰ってきた。 ﹁お前またやってきたな﹂ ロウは盗賊やスリの気配に敏感だ。 四人の中で一番早く気がつき、そして始末してくる。 どこぞの勇者様のように、栽培漁業みたいな身ぐるみ剥いで見逃 して、また蓄えた財産だけを奪うなんてことはできないので構わな いが。 接近した小型魔物はカグヤの剣のサビに、もしくは魔法の餌食に なる。 魔物を見つけた瞬間カグヤが飛び出す。カグヤのいた足元の地面 がえぐれ、いっきに距離がつまる。 気がつけば剣の一振りで下級魔物の首が数個も飛んでいるのだ。 カグヤはやたら強い。 あれ? 俺いらなくね? いや、俺一人でも小型の魔物は倒せるし、大型の魔物は避けられ ると思うよ? だけどね、大型の魔物を狩りながら小型の群れを蹴散らして進む のはちょっと無理かなーって。 はあ、せめて魔法が使えたり、前世の知識で料理ができたらなー。 あー味噌や醤油がほしい。 女子勢が料理は普通程度にできる。というか野戦料理の方が得意 なようである。 とりあえず軍勢にでも出くわさない限りあまり魔物には困ってい 303 ない、むしろ魔物は美味しいご飯程度にしか見られないような旅で あった。 そんな俺たちが目指している次の目的地はリューカという国であ る。 大陸の東南に位置し、大陸の中央を南北に縦断する世界最大の山 脈、﹃竜骨山脈﹄その南東にあるのが﹃リューカ﹄である。﹃竜骨 山脈﹄とはその名の通り、竜種か住むと言われる山脈だ。ギャクラ が長年、北西の軍事大国ガラスと戦争にならないのもこの山脈が理 由の一つにある。 ﹃リューカ﹄は龍を神聖視している。まるでそれこそ、自らの守 り神のように。 さて、リューカは小さな国だ。 国境線には人が越えるには苦労するかな、という程度の壁があり、 ぐるっと国を取り囲んで守っている。その高さはだいたい4、5メ ートルぐらいだろうか。越えられないことはない、程度だ。 魔獣の群れから国を守るためのもので、他国の軍勢などが来た場 合は魔法によって高いだけの壁などは意味をなさないからだ。 別にやましいことなんて、ない⋮⋮多分。 そんな俺たちは正面から入国手続きを済ませて入ろうと思う。 勇者候補証があれば楽に済むだろう⋮⋮なんて考えは実に甘かっ たのである。 ◇ 304 ﹁ではこちらにお名前と保証国をご記入ください﹂ 俺たちみたいな子供にも丁寧に職務をまっとうする。とても国に 忠実な良い兵士だ。この国はさぞかし治安も良いのであろう。 そんな風にまだ見ぬ国内への期待を膨らませながら名前を書いて いると室内にいきなり一人の女性が駆け込んできた。 ﹁新しい勇者候補っていうのはどいつかしら?﹂ 嘘でしょ。こんなのが? んー⋮ 部屋に入って俺たちを見渡すと苦笑しながら言った。 ﹁もしかしてあなた達の誰か? ⋮もしかしてあなたかな?﹂ そう言って彼女が指したのはカグヤ。ご名答、と褒めたいところ だ。強者を見抜く目が素晴らしい。 だが残念ながらこのパーティーのリーダーは強さで決まっている わけじゃあないんだな。 じゃあ何で決まっているかと聞かれれば困る。 しいて言うならば成り行き? 一番弱いでしょ?﹂ ﹁いえ、僕です﹂ ﹁あんたが? はい。確かに。 いや、でも銃さえなければアイラには勝てるはず。 それにロウともお互いが見えている状態から始めたらいい勝負に なる⋮⋮はず。 カグヤには惨敗だ。仲間の中でこと戦闘においては頭一つ抜き出 305 ているのだ。 ﹁で、あなたたちみたいなちんちくりんどもが有害な他種族との関 ギャクラの王様は何を考えてこんなのに 係でなんの役に立つっていうのかしら? そもそも自分らの身を守 れるかって話じゃない? 許可を出したのかしら﹂ そこまで言われるとかちんとくる。 俺が馬鹿にされても構わないが、選んでくれた王様の顔にまで泥 を塗るわけにはいかない。 決して申請したから受けただけだろうとか言ってはならない。 ﹁試してもいいかしら? 勇者候補って貴族のお坊ちゃんが楽しく 冒険者ごっこするための肩書きじゃないのよね﹂ もしも英雄と呼ばれる人物ならば。 ここで窘め、冷静に断るのだろうか。力はひけらかすものではな いと。 それとも、あっさりと受けるのだろうか。勝てる相手の勝負を断 る必要がないとか、強者からの挑戦は受けるものだとかいって。 そんなことはできないが、せめて役立たずとは呼べないようにし てやろう。 俺は人間としての器が小さいのだ。 ﹁いいですよ。どんな方法ですか?﹂ ﹁私対四人で戦ってもらおうかしら﹂ マジかよ。 306 ◇ 俺たちは何もない広場に連れてこられた。 どうやら軍の訓練場の一部らしい。どうしてこのお姉さんがこん な場所を借りられるのかはわからないが、実力を試すというにはう ってつけであった。 下は土。運動場みたいな場所だ。 地属性の魔法使いだろうか? 彼女の職業はどう見ても魔法使いだ。というか良さげな杖を持っ ていて、それを杖術に使ったらその時は笑おう。そして最悪爆弾に でも巻き込もう。 あれ? やっぱり俺、いらなくね? ﹁私と戦えとはいったけど、少し違うわね。私は見ての通り魔法使 いよ。勝利条件をお互いにとって簡単にするわ﹂ 彼女はそう言うと後ろに用意していたものを指す。水が大量に入 った容れ物だ。 そして詠唱を始めた。それは簡単なものであった。 水属性の初級魔法、水操作であった。 彼女が詠唱を終えると水が容器からゆっくりと生き物のように這 い出て空中に浮いた。それは一つの圧倒的存在を模した形となって 俺たちの前に顕現した。 そう、この国が信仰する存在︱︱龍だ。 彼女は魔法で作った水龍を操作していた。 307 ﹁すごい⋮⋮﹂ 水の操作自体は形を整え、思った通りに動かすだけの初級魔法だ。 そこに攻撃力を付加した水の刃などともなると難易度は上がるが、 そうではない。 何がすごいというとその操作の規模と精密性だ。 水龍は胴体の中で人が両腕を振り回せそうな大きさだった。長さ もそれに準じていて、10メートルよりも長そうだった。水の質量 をもって、フワフワと宙に浮かんでいる。冗談のような光景だった。 クラーケンとどちらがでかいだろうか。 ﹁勝利条件は単純明快。この水龍を倒せれば認めてあげる。私を倒 せば⋮⋮とか甘く見ないでよね。これでも操作に自信があるんだか ら﹂ さっきお互いにとって簡単に、と言ったのは俺たちが子供だから、 まだ人に攻撃するのは気が進まないだろうって理由もあるのだろう。 だからさ、どうしてそこを勘違いするんだ。 俺たちの共通点。 人だからといって攻撃は躊躇わない。 戦闘慣れしていなさそうなアイラでさえも、その時になれば容赦 無く引き金を引く。 それこそが、特徴なのに。 ﹁試合開始っ!﹂ もちろんここでアイラに一、二発ほどあの人の腕や足でも撃って もらえば魔法に集中できなくなってあの龍はあっけなく消えるだろ う。 308 今回は腕試しだということで、真正面から、正攻法で、あの龍を 倒そう。 水龍の攻撃は単純なものだ。 なんの理屈も仕掛けもない。その巨体で体当たりをしてくるだけ だ。圧倒的なまでの力押しだ。 だがそこには何の弱点も攻略法もない。 水に体当たりをくらえばこちらはダメージを受ける。 しかしこちらの剣や銃弾は水なので通り抜ける。 ﹁すごいわね。これをかわすかー。それにこれの凄さを理解してい るのに立ち向かってくるのもすごいわ﹂ そう、あの量の水をあの精密さで動かせる魔法使いは世界に百人 もいないだろう。 その実力がわかる者は一人で軍を相手にできるような魔法使いに 敵わないと知って去っていく。 それがわからない者も、圧倒的な水龍は倒せないと思って負けを 認める。 それらを知ってか知らずか、真正面から力押しで水を吹き飛ばし たり、炎魔法で蒸発させられる化け物も稀にはいる。 俺たちにはあれを魔法や剣技でどうにかする方法は存在しない。 お姉さんはそれをよくわかっている。俺たちの実力を正確に見抜 いているのだ。 だからと言って諦める理由にはならないし、勝てないとも限らな い。 309 こうして考えている間も俺は三人に指示を出し続けている。 カグヤの魔法ではあれを消しきるほどのエネルギーが扱えない。 だからカグヤには魔法の全てを回避のための風魔法に割いてもらっ ている。 それでアイラと俺を回避させてもらっている。 カグヤ自身はその身体能力で、ロウは身のこなしで躱せるので関 係ない。 だが彼女の精神力が尽きるか、俺らの体力が尽きるかの勝負に持 ち込むのは馬鹿らしい。 俺たちが回避しつづけるなか、観察していてあることに気づく。 ﹁なるほど。そういうことか﹂ 彼女の操作能力や集中力は素晴らしい。だがそれは思ったほどで はなかった。だが思った以上に優れた魔法使いではあった。 水龍はその表面の水だけを操作している。つまり中の水は魔力が 影響しておらず、表面の水によって固定されているだけなのだ。 そうすることで使う魔力も集中力も格段に少なくなる。 見掛け倒しというと聞こえが悪いが、効率重視の彼女には共感が もてる。 そうと決まれば簡単だ。 アイラに腕輪からスライムの粉末を出してもらう。 ﹁これを俺とロウとアイラであの龍にふりかける。カグヤはそれが 終われば表面だけを凍らせて﹂ 指示通りにことが運ぶ。 勝ち目のなさそうな俺らをいたぶって遊んでいるのか。 310 それが敗因だな。 ﹁無駄よ。粉が溶けたって操作はできるわ﹂ そうだな。じゃあこれならどうだ、 フロスト ﹁冷却﹂ 氷魔法? それは私だって使えない水属性の上級応用魔 カグヤが集中すると、水龍から熱が奪われ、表面が凍っていく。 ﹁えっ? 法よ? ⋮⋮いいわ。それがどうしたっていうのかしら﹂ 氷魔法を水属性と捉えるから難易度が上がるのだ。 簡単なことだ。カグヤには物理の概念、エネルギーについて学ん だ。 カグヤもまた理解力が高く、俺が言ったことみるみる理解し、質 問を返してくる。俺もまた、この世界の知識と照らし合わせながら 応用がきくように答えていく。 その中でわかったことの一つだ。炎魔法は熱エネルギーの操作、 酸素との結合、着火の三段階に分かれ、その真髄は一段階目の熱エ ネルギーの操作にあった。 ここまで言えばわかるだろう。 カグヤは水龍の熱エネルギーを奪う、つまりは炎魔法の逆のプロ セスを踏むことで簡単に水龍の表面を凍らせたのだ。 確かに凍った水龍はそのあとも動いた。 数秒ほどはな。 すぐに彼女の顔が苦しそうに歪んだ。 311 そして水龍はその形を崩壊させたのだった。 312 リューカの試練︵後書き︶ 次は水魔法の話ですかね トラブルを避けるための勇者候補資格が仇となりましたね 313 お約束の激突から始まる事件の匂い リューカ 龍を祀る国においては龍や竜と全身全霊をかけて戦うことは誉れ とされる。 それが負けても名誉の死、勝てば栄光を約束されている。 とある魔法使いはドラゴンを倒したことで、彼の子孫までもが貴 族にとりあげられた。 今からそんな魔法使いが倒したドラゴンにまつわる話をしようと 思う。 これはアイラがとある杖を見て、記憶の断片から思い出した物語 でもある。 ドラゴン 竜種族や龍種族は、自らの力の象徴でありながら、力の塊でもあ る竜玉というものを体内に持つ。 それは宝石としても価値が高く、優れた魔法媒体となるので、非 常に高値で取引される。一生遊んで暮らせるほどには。 その竜玉の大きさと質は、その個体が歳を経るほどに大きく、高 くなっていく。 竜や龍⋮⋮まとめてリュウと呼ぼうか。リュウの寿命は長く、成 長限界もひどく大きい。 以前、海の生物の方が成長限界が大きいと言ったが、リュウはそ 314 の限りではない。海の生物と比べてもリュウは上位の大きさを誇る。 と聞かれれば三本の指にリュウは上が もちろんこの世界最大の生物は海の中にいるだろう。 だが地上最大の生物は? るだろう。 そのリュウの中でもとても長い年月を生き延びた老獪にして荘厳 な一匹の竜がいた。 体に刻まれた傷一つ一つに激しい戦いの物語が存在する。 そんな竜にも寿命がやってきた。 彼は自分が死ぬ間際に息子に自らの竜玉を託した。 竜玉は二つと同じ場所で保管できない。特殊な性質があるからだ。 竜玉が複数同じ場所にある場合、その中で一番存在の大きなものが 他の竜玉を取り込み一つになる性質があるのだ。 しかし生きている竜の竜玉はその限りではない。生きた竜の近く に他の竜玉が存在すれば、その大きさに関わらず生きた竜の中に竜 玉が取り込まれようとする。 竜という生物はそうやって同種族との戦いに勝つたび、経験とと もにその力を増していくのだ。 彼は息子に自らの強さを受け継がせようとしたのだ。 だが力を重んじ、戦いに身を委ねて妻さえ戦いで亡くしながら生 きた父に対して、息子は実に感傷的であった。 父が死の間際に託したそれを唯一の形見として握りしめて、自ら の体内に取り込まれないようにした。 自分の力で強くなりたいという気持ちもどこかにあったのかもし れない。 そんな彼は人間からすれば実に美味しい獲物であった。 315 倒す労力に対して得られる対価が大きすぎた。 そんな彼の話は国を、世界を駆け巡り、数多の腕に覚えがある者 が挑み、そして消えていった。 そんな彼はたった一人の魔法使いに倒されることとなった。 彼は父とは違うが、同じ極致に立った。 そうか、これが父の見た景色か、と。 強きものと全てをかけて戦う、それから得られる高揚感に包まれ て死んでいった。 ドラゴン だが最強生物としての強靭な肉体は死してなお、父の形見を手放 しはしなかった。 結果、父の竜玉は息子のそれを吸収し、名実ともに世界最大の竜 玉と化した。 魔法使いはそれを売ることはなく、彼の腕の骨を加工して、骨さ え活かした杖とした。 それは強敵と認めた相手への最後の心遣いだった。 魔法使いは貴族となった後も、その杖を家宝として決して売らな いように子供に言い聞かせた。 結果、何代か後となる現在までもその杖は物語とともに受け継が れているのである。 竜の骨に、世界最大の竜玉を使ったそれは伝説の道具や英雄の物 語の中でも有名なものの一つである。 普通の武器が作れないアイラは、そういった武器などにまつわる 物語を好み、よく読んでいた。 316 後からそれを聞いて、そんなすごいものならば銃であれを破壊し ろなんて言わなくってよかったと思ったものだった。 ﹁あーあ、負けちゃった﹂ 彼女が気軽に腕を試す、などといって訓練場を借りたりできるの も、貴族の娘という立場が大きいらしい。 ただ、目の前のお姉さんがそんなすごい魔法使いの貴族にはあま り見えなかった。 いや、凄い魔法使いなんだよ? 実戦慣れもしているし、俺たちでなければ普通に倒せたと思う。 実際俺たちも接近戦でお姉さんに近づくということは途中から諦 めていたしな。 でも今、負けて地面に仰向けに寝っ転がってぶーぶー言っている のを見ると、大魔法使いというよりは年相応のお姉さんだった。 ﹁いったい何をしたの?﹂ ﹁それは秘密ですよ﹂ ﹁それはそうよね。それがあんたらの武器ってことだもんね﹂ とても簡単なことだ。 水属性の魔法の水というのは二つの意味がある。水分子としての H2Oという意味と液体という意味だ。 熟練度が上がればイオン操作や成分操作、中に存在する不純物の 排出まで行える。 だが中級までは水や液体を変化させ、自在に動かすことで魔法と している。 317 俺たちが水に溶かした﹁スライムの粉末﹂、あれは溶かした水を 半分スライム状に変える粉だ。 死んだスライムを乾燥させて得られる。あまり使い道は少なく、 不人気商品である。 それを溶かしたところで液体であることには変わりはない。 だがどうだろうか。 水 だろうか? スライム状のものを凍らせた。 それは果たして 彼女の魔力操作が世界有数であった場合、自らが水として認めて いれば操作できただろう。 だが彼女は工夫と節約でギリギリ操作していた。 そりゃあ耐えきれずに魔法も消滅するよな。 これが今回の種明かしとなる。 別にスライムの粉末でなくても構わない。 例えば溶かすものを変えて、水を塩酸に変えたあと凍らせてもお そらくは似たような結果になるだろう。 特別なものも、特殊な技術もいらない。 氷魔法さえ使えればいい。 液体だとか、水だとか、きちんと区別していないと思いつかない 作戦ではあるのだが。 ﹁あー負けよ負け。さっきは悪かったわね。この国で何がしたいの ?﹂ ﹁知識がほしいです。この国では本はどこに保管してあります?﹂ 頼みごとと言われると一番先に思い浮かぶのがこれであった。サ 318 ーシャさんは落ち着いた様子で答えた。 ﹁それはどこの国も似たようなものだと思うけど。城の図書館よ﹂ ﹁その場所への入館許可はとれますか?﹂ ﹁勇者候補へは魔族、魔物の知識提供が権利の一つとしてあるから 頼めばいけるわよ﹂ ﹁それはよかった﹂ 彼女の言っていたことは本当だった。 次の日の朝、俺たちはさほど苦労することなく図書館へ入る許可 がもらえた。 苦労した量で言えば、国に入るときのお姉さんの方が苦労した。 ﹁うわあ、いっぱい本があるね﹂ そうか、アイラはギャクラで国立の図書館に入ったことがなかっ たんだったか。 俺の家の書斎には入ったことがあるし、学校の図書室にも行った ことはあるが、これほどの図書館は初めてだったんだな。 見ればカグヤとロウも驚いている。 ﹁何か手伝えばいい?﹂ 首を傾げて尋ねるアイラに俺は望む答えを返した。 ﹁いや、いいよ。アイラは好きなもの読んでていいよ。調べ物は俺 一人でもできるしな﹂ ﹁じゃあ私もー﹂ ﹁俺もー﹂ 319 三人が散らばっていく。 俺は調べ物を始めた。しかし資料や本の中には知りたいことはあ まりなかった。というか資料や本の半分がリュウにまつわるものっ てどうなんだ。 さすがリュウに対して信仰の強い国と言うべきか。 調べ物を終えるとレオナとレオンへの手紙を書いた。 ゴブリン討伐に向かって生贄にされかけたことや、クラーケンを 手下にしたこと、奴隷商を派遣会社に改造したことなどだ。 返事はできないだろうから、こちらからの一方的な報告になる。 手紙を書き終えたところでふと後ろに気配を感じて振り向くと、 レオナちゃんへのお手紙? 私も書こうかなー。こ 武器などにまつわる資料を読んでいたアイラが抱きついてきた。 ﹁なーにー? の前レイルくんと一緒に寝ましたって﹂ ひょっとしてお前ら仲が悪いのか?﹂ ﹁どうして誤解を招くようなことを書こうとするんだ。レオナに何 がしたいんだ? ﹁ある意味よくはならないけど、すごく仲良いともいえる﹂ キリッとキメ顔で宣言するアイラ。その頭にはアホ毛がぴょこん と跳ねている。 俺はアホ毛ごと頭をぐしゃっと掻き撫でて、ぽんぽんと叩く。 320 ﹁はいはい。手紙を書くのはいいけど、自重しろよ﹂ 龍に関する本を見ていて青い顔をしていたカグヤと、歴史書など に手を出していたロウも戻ってきた。 どうしたのかと尋ねると、どうやら俺が水龍の魔法を崩壊させた 方法が知りたいらしい。 俺のパーティーは何の影響かは知らないが結構頭脳派揃いらしい。 そこで俺のとった戦法を話した。 ﹁⋮⋮やっぱお前おもしろいよな﹂ ﹁あんた、頭おかしいんじゃないの⋮⋮?﹂ ﹁さすがレイルくんだねー﹂ 前に先輩に聞いたとおり武器でも買い と三者三様の反応が返ってきた。 そんな変なことしたか? ﹁お前らももう飽きたか? にいくか﹂ ﹁やった。おでかけ﹂ ﹁まあ、まだここでいててもよかったけどな﹂ ﹁私はここは心臓に悪いわ。行きましょう﹂ ◇ 俺たちはなんの問題もなく武器を買い終えた。所詮は飾りの武器 で予備でしかないため、あまりこだわらないので楽であった。 俺たちは初心者用のショートソードと弓矢を購入した。 321 どちらももっと質のよいものをギャクラで購入してロウとカグヤ に持たせてあるが、アドバイス通り質を落としたのだ。 それにあえて適性とは逆に持たせた。目が良く集中力のあるアイ ラにショートソードを、身軽で素早く、接近戦の得意なロウに弓矢 を持たせた。 もちろん後衛と前衛を見た人間に勘違いさせるためだ。 ぱっと見は女の子たちに危険な前衛を担当させる極悪パーティー だ。 実際は魔法の使えない俺とロウが前に出ることになる⋮⋮と言い たいが下級の魔物だと動きの速いカグヤが殲滅してしまうので、実 情俺が三人を雇っているか、俺が作戦立案で、他が実行といったこ とが多い。 ちょうど昼時でもあったので、食事のできる場所を探しながら武 器屋からの帰り道をぶらぶらと歩いていた。 ギャクラに比べて屋台の店が多いので、食べ歩きもいいかもしれ ない。 先ほどから道ゆく人々の中に香ばしい香りを漂わせてまぐまぐと 串焼きなどをほおばっている人がいる。 ﹁あ、あれなんか美味しそうだな﹂ と俺が見つけて見惚れたのはパン生地の間に緑色のサラダ菜のよ うなものと、フルーティーな香りのする酸味と香辛料のきいたタレ いくらかな﹂ で味付けされている肉が挟まっているサンドイッチのようなものだ。 ﹁ほんとだー﹂ ﹁いいんじゃね? 322 今まさに商品を焼き上げている屋台に近づこうとしたとき、俺と 一人の少女がぶつかった。 同い年ぐらいの彼女は身なりこそよいものの、走っていて着衣に 乱れを生じさせ、汗までかいていてただならぬ様子であった。 いかにもお嬢様、といった風情の彼女は俺とぶつかるなり何かを 落とした。 紳士たる俺としては拾わねば、と手を伸ばしてそれを手に取った。 渡そうとすると彼女は俺の手ごとそれを握って真剣な顔で頼み事 をした。 ﹁すいません、これをどうかしばらく預かってもらえませんか? 期限は⋮⋮明日までに取りにきます。金貨二枚払いますのでどうか お願いします﹂ 早口でいいきると前金で半額俺に金貨を握らせ、足早に立ち去っ ていった。 追いかけようかどうか迷ったとたんに彼女を人と街並の狭間に見 失ってしまった。 そして俺たちはその後すぐに追いついてきた野蛮な男たちに持っ ていた手元にある物を見て問い詰められることとなるのだった。 なんだか事件に巻き込まれてしまったようだ。 323 お嬢様の頼み事 俺たちは今、野蛮な男たちに囲まれている。 全く逃げ道がないわけではないが、前方180度に広がる男ども を突っ切っていくのは大変だ。 ﹁ガキども、ちょっとこっちへ来てもらおうか﹂ 路地裏に追い込まれる。周りの道ゆく人々は我関せずを決め込ん でいる。 無理もない。善良な一般市民は厄介事には巻き込まれたくないも んな。極普通の感性だ。 ここで助けが来ないことを呪うどころか感謝したいぐらいだ。 こっちとしては無理やり連れ込む手間が省 俺らみたいなパーティーは手の内はできるだけバラしたくないの だから。 ﹁お前ら馬鹿なのか? けていいけどよ﹂ 不愉快な顔で男が笑う。 ﹁その手にあるやつを渡してもらおうか。金なら嬢ちゃんの二倍出 そう﹂ ﹁それはできない約束だな。俺らに金額を示した時点であのお嬢さ んは仕事を頼んだんだ。金で先約を蔑ろにしちゃあ信用に関わるん でな﹂ 324 冒険者にとって信用と名声は宣伝材料だ。 金でほいほい裏切られては、怖くて依頼が頼めない。 無理なら最初から受けないだろう。 今回はお嬢様が半分無理矢理押し付けてきたものだから、別に守 る必要はない。 まあ、あれだ。男の性というやつだ。 正当性のありそうな可憐なお嬢様とあきらかに違法ですよと全身 で語る汚らしい男たちなら、どちらの依頼を優先させたいかなど前 者に軍配が上がって当然だろう。 というか俺以外の三人が渡すという選択肢が顔にない。 すっかり臨戦態勢をとっている。 ﹁悪いな、こっちも雇い主からの命令でな。素直に渡しとけよ﹂ 四人の声が珍しく揃う。 ﹁断る!﹂ 同時に俺は目の前の男に剣を突きつけていた。 ありがとう、最高の褒め言葉だよ。 ﹁てめえ⋮⋮卑怯な!﹂ 卑怯? ﹁敵だとわかって攻撃をしない方がおかしいな﹂ 325 見ればカグヤとロウも剣を同じく突きつけている。 アイラは銃だ。相手はどんな武器かはわからずとも何かの魔法具 と勘違いしているのか動く気配はない。 子供が不意打ちをしないと誰が決めた。 こういう場合の動きは徹底している。 ﹁武器を捨ててもらおうか﹂ 武器を回収したあとは適当に縛ってその場に放置⋮しようと思っ たが、余計な手出しがされないよう、脅しのつもりで縛った彼らを 通りの人目につく場所まで連れ出した。 哀れみを向けていた彼らは俺らが男どもをのしたのを見てヒソヒ ソと何かを話しあっている。 そいつらをその場に放置して立ち去った。 ◇ 次の日、俺たちの泊まっている宿に手紙が届けられた。 差出人は不明。だがおそらく昨日の彼女だろう。 手紙には10時頃に冒険者ギルドの酒場で待つとあった。 326 ﹁よくここがわかったね﹂ アイラの言う通りだ。 どうしてここがわかったのだろうか。そんなに俺たち目立つだろ うか? 待ち合わせの5分前に来ると、昨日の少女が一つの机を貸しきっ て待っていた。 彼女のその格好も昨日ほど乱れてはおらず、冒険者ギルド支部に はそぐわなかった。 周囲には朝だというのに酒を呑んでいる人間がいた。当然その中 には彼女に下心をもって話しかける輩もいる。 ﹁お嬢ちゃん一人かよ。こっちきて酌してくれよ﹂ ﹁随分といい格好してるじゃねえか﹂ ロリコンかよ、と心の中で悪態をつきながら話しかけている男の 肩に手をかける。 ガキが⋮⋮﹂ ﹁俺たちの連れなんだが、何か用か?﹂ ﹁なんだ? と言いかけて俺たちを見てその先が止まる。 ﹁こいつら⋮⋮まさか⋮⋮はっいいぜ。行こう﹂ ﹁あ、ああ﹂ 327 なにやら目配せしながら気まずそうに立ち去った。 俺らが何をしたっていうんだ。平凡な一般市民だぞ。 それ ﹁ありがとうございます。レイル・グレイさんであっていますか?﹂ ﹁確かにそうだけど、俺たちの名前ってそんな有名なのか? だとしてもさっきの男たちの反応がわからないんだが﹂ サーシャお姉様から伺いました。完全敗北したと。姿 ﹁だいたい私たちのことどこで聞いたの?﹂ ﹁そんな! 誰だそれ? 敵討ちだとかすると嫌だなあ。 形の特徴を聞いていたので一目でわかりました﹂ サーシャお姉様? ﹁サーシャお姉様は冒険者としても宮廷魔法使いとしても有名です。 お姉様の水龍を真正面から打ち破ったとききます﹂ ああ、あのお姉さんか。媒体の重ねがけで魔法の発動を賢く補助 していた魔法使いさんね。 あの人サーシャって言うんだ。 さっきの男たちもその話を聞いていたからビビって立ち去ったの か。 というかあの人自分が負けたこと言いふらしているのか? それとも有名すぎて負けた瞬間すごく話題になったとか? ﹁ああそうだ。ほれ﹂ 預かっていたものを返した。前金だけでも報酬としては十分すぎ 328 るのでこれ以上請求する気はない。 そこまでお金に困っているわけでもないからな。 ﹁これが残りの半分です﹂ けれどお嬢さんは丁寧にも金貨をもう一枚追加で支払った。 これってそれほど大事なものなのだろうか。そんな物を俺なんか に渡して良かったのか? 俺の気分次第ではこれの詳細を調べつくして彼女の家を破産に追 い込むなんてことも考えられたのに。 ﹁サーシャお姉様ってお前妹なのか?﹂ ﹁いえ。えーっと⋮⋮親戚です﹂ またいとことかそんなところか。 貴族同士親戚なんてよくあることだな。仲がいいならいいことだ。 ﹁私、カレンといいます。貴方たちの実力を見込んでお願いがあり ます。私の従者として一緒に当主の試練を受けてくれませんか?﹂ ﹁うわあ面倒くさそう。ちょっと待ってくれ、よくわからない。も っと詳しく説明してくれないと﹂ 最初に本音が漏れた。 だけど本音に反して俺の態度は受ける気満々だった。 ﹁両親から一人前になるための試練として迷宮の奥にある指輪を取 ってこなければなりません﹂ 329 ﹁それって俺たちが手伝っても構わないものなのか?﹂ ﹁いえ、むしろそれが本分です。人徳や人脈、人を見る目などを試 されているので。両親は私にこの印鑑を渡して、この印鑑で依頼書 を作り、一番信頼できる人に協力してもらいなさいと言われました﹂ なるほど。さすがにそこまで脳筋ではないか。てっきりどこぞの 貴族様の伝説でもなぞるのかと。そんな印鑑を必死で追いかける男 たちはなんなんだよ。 ﹁話は変わりますが、私には同い年で腐れ縁の幼馴染がいます。彼 は私の屋敷の執事の娘さんと他の貴族との間の子です﹂ え、そこからなの? ﹁彼は私に嫌なことばっかりしてきます。お勉強をしてたら邪魔し てきますし、私が頑張って作ったお菓子もとっちゃいます﹂ もしかしてそれって⋮⋮ ﹁両親も向こうの親も面白がって私たちを許嫁なんかにしてしまっ て。ますます調子にのっています﹂ うん。だいたい予想がついたわ。 どうして信頼されてると思うのでしょう ﹁今回も私が試練を受けると聞いて、﹃じゃあ俺を従者に入れろよ !﹄なんて言いますの! か。きっとおじいさまの執事と一緒に父亡き後は私を使って我が家 をいいようにする気ですわ!﹂ 330 耐えかねたように声を荒げて机を拳で叩く。 ギョッとした周りの視線が集まった。 ﹁落ち着いて、落ち着いて。それ多分勘違いだからさ﹂ あの男性 ﹁いえ、彼は私に﹃どうせお前が頑張ったってロクなの連れてこれ ないだろ。俺にしとけって﹄とバカにしてたのですよ! たちも幼馴染に雇われていましたの﹂ 幼馴染君攻めるねえ。 俺の周りは精神年齢がイカれてる奴らばかりだから忘れていた。 俺たちは小学生と中学生の間ぐらいの年齢だ。 気になる子には意地悪したいお年頃だよな。つい素直になれなく てキツイ言葉も言っちゃうよな。 さすがに精神年齢が成人を超えている俺なんかが同じことをして いる様子を想像すると、恥ずかしさで爆発しそうなのでやらないが。 隣では中身熟年夫婦が惚気ていた。 ﹁ははははっ。そうかそうか。レイル受けようぜこの依頼﹂ 前から仲良かったくね?﹂ ﹁あんたにもそんな時期があったわね﹂ ﹁え? ﹁しょっちゅう刀もって私に挑んできたじゃない﹂ ﹁馬鹿、あれはお前に負けるのが悔しくてだな﹂ ﹁結局一回も勝ててないでしょ﹂ 331 ﹁お前が強すぎるんだよ﹂ 迷宮か⋮⋮入ったことないんだよな。 このメンバーはどちらかというと探索向きだと思うんだけどな。 ﹁それでも面倒くさそうな話だな﹂ ﹁いろんな道具試せるかな?﹂ アイラはどちらかというと乗り気のようだ。 カグヤも一度もやめようとは言わない。 ﹁なあ、俺なんてそんなに強くないぞ。勇者候補どころか、冒険者 の中でも弱い部類に入る。どうしてそんなに信頼しようとするんだ ?﹂ ﹁でもレイルさんは一度も﹃無理だ﹄とは言わないじゃないですか。 できるんでしょう?﹂ とアイコンタクトすると、三人は無言で頷いた。 はあ、まだ見ぬ幼馴染君には悪いけど、咬ませ犬らしくなってし まいそうだ。 受けるか? ﹁⋮⋮じゃあ、俺たちが試練を受ける代わりに、その幼馴染の子と 仲直りして、執事さんのことも疑わないことな﹂ ﹁はい!﹂ 332 2人きりの迷宮探索︵前書き︶ 視点がお嬢様に変わります 333 2人きりの迷宮探索 私は幼馴染にバカにされてムキになっていたのかもしれない。 彼の言うとおり、私にツテなどあるはずもない。 素直に彼とその専属の部下を連れて迷宮に入れば、おそらく当主 の証は持ってかえってこれるだろう。 だが、そんなことをわかったって、私にも意地というものがある。 ツテはなくとも当てはある。 サーシャお姉様は私の親戚に当たる人で、ギルドの冒険者からも、 お城の人からも一目置かれている凄い魔法使いだ。お姉様に頼もう かとも思った。 だがそんなお姉様を倒した人物がいるという。 それが信じられない話だった。 お姉様を倒したというのが、私と同い年ぐらいの少年少女の四人 組だという。 しかもほとんど攻撃を行わず、お姉様の対軍魔法、水龍を打ち破 ったというのだ。 そして、そんな彼らに私は偶然出会ったのだ。 見た瞬間にわかった。サーシャお姉様から聞いていた特徴的な組 み合わせ。彼らに違いないと確信した。 そしてこれは運命だと思った。 私は彼らを当てにして、急遽持っていた印鑑を預けた。 そして、交渉の場だ。 334 私は幼馴染が憧れていて、よく話すせいで場所を覚えてしまって いる冒険者ギルドの酒場で待ち合わせをした。 だけど、彼らには約束を守る義務はない。 お金を渡してもらえるといっても、口約束。私が男たちに追われ ていたことを考えると、もうあの印鑑が渡っているかもしれない。 これは賭けだった。 私の人を見る目と、その四人の人格に対する賭けだったのだ。 私は賭けに勝った。 出会った四人のまとめ役はレイルさんと言う少年だった。 顔つきこそ平凡で、少しだけ整った程度であったが、単に善良な 少年だとは思えなかった。 私は約束の報酬を渡した。金貨とは平民からすればかなりの大金 だという。ならば私ぐらいの年の子がこれを手にすれば浮かれた様 子の一つでも見せるのではないかと思った。 彼は実にあっさりしたものだった。 まるで金貨など見慣れていると言わんばかりに、隣にいた紅い髪 の少女に﹁しまっておいてくれ﹂と渡してしまった。 隣にいた少女も、さも当たり前とばかりにどこから出したのかわ からない大きな容れ物に入れてしまった。 それをみて私は絶句した。 中には金貨どころか、白金貨まで小銭のように放り込まれていた のだから。 私が口をぱくぱくしているのに気づいた彼は気まずそうに私に頼 335 んだ。 ﹁あ、これ内緒にしてくれよ﹂ 一体どこでそんなに稼いだのかと聞くと、どうやら新しい医術を 確立してその論文を国に提出したのだとか。 それは聞きなれない単語でした。新しい医術なのだから、当たり 前と言えば当たり前だ。 ﹁ヨボウセッシュ﹂というものを発明したそうだ。﹁ヨボウセッ シュ﹂というのは、生物は元々、一度かかった病魔に耐性を持つの だそうだ。それを利用して、死んだ病気の元を体にいれて、それを 倒して無力化することによって、その病気の耐性を得る方法のこと だそうだ。一度死体と戦って殺せる武器を作る、みたいな。 詳しい方法は隣のギャクラが持っているそうなので、私ごときが 聞きかじった知識程度ではどうしようもないだろう。 そうでもなければそんなにあっさりと重要な情報を漏らすことも ない。 どうしてこんな人間が冒険者をしているのだろうか。 彼は予想以上に、大人びていて、穏やかな人だった。 お姉様の魔法を破るぐらいなら、もっと自分に自信のある傲慢さ のある人物かと思っていた。 しかし困った。 目の前の彼の正義感に頼るわけにもいかない。 ならば貴族らしくお金に頼ろうと思っていた。 これが俺の力だ! 金貨を手に入 なのに彼はお金になんか困っていないといった感じだ。 もしもキリアなら﹁見ろよ! 336 れてやったぜ!﹂と大はしゃぎしているだろう。その様子が目に浮 かぶようだ。 もしかして彼は王族の末席とかで、道楽として密かに護衛でも雇 っているのだろうか。 ただ、幸運なことに彼らは目配せしたあと、あっさりと私の頼み を受けてくれた。 彼らには彼らの都合があるのだろう。 地下?﹂ レイルさんは何故か要求の一つに、彼との仲直りをあげた。 ﹁はあ? レイルさんは⋮⋮いや、呼び捨てするように言われたので、レイ ルと呼ぼう。レイルは当主の迷宮は屋敷の地下にあると言うと驚い ていた。 なんだよそいつらは!﹂ 五人で私の屋敷の門前まで来たとき、私を呼ぶ声がした。 ﹁おい、カレン! 私の生意気で憎たらしい幼馴染、キリアだ。 キリアは今日も一人だった。いつも何処かに行く時は専属のメイ ドや護衛の人といるくせして、私のところに来る時は一人なのだ。 337 ﹁あんたには関係ないじゃない﹂ 私は冷たく言い放つ。 本来ならば彼の家の方が家格が上なので、こういう対応はまずい。 しかし彼の両親と私の両親は幸か不幸か仲が良かった。 彼の両親は私に、 ﹁この子に気を使う必要はないからね。どんどん思ったこと言った げてちょうだい﹂ と言ってくれた。実際そうしていて、少し言い過ぎたこともあっ た。彼は両親に言いつけたが、 ﹁貴方も男の子なら自分の力でなんとかしなさい﹂ ととりあってもらえなかったそうだ。 だから私はキリアには一切気兼ねしない。 言いたいことは全部言っている。その中には悪口も入っているの だが、彼はそんなことを一向に気にせず、いや気にはしているがめ げずに私を構う。 ﹁なんでこいつらなんだよ。俺よりも今日昨日会ったような奴らの ことを選ぶっていうのかよ!﹂ ﹁なんであんたが私に信頼されてると思うのよ!﹂ 思わず素の口調が出ている。 ﹁俺にもその口調でいいのに﹂ 338 レイルが横でそんなことを言っている。その口元は何故かにやけ ていて、何が楽しいのかわからない。 ﹁くそっ。俺は認めないからな!﹂ ﹁認めるのは私。ほら、依頼書﹂ 私の直筆で判子の押された紙をみたら諦めてもくれるかと思った のに、拳を握りしめて泣きそうな顔でこっちを見ている。 レイルは困ったようにこちらを見ているが、気にしない。無視だ 無視。 私たちは屋敷に入った。 お母様までもが、私が最終的にキリアに頼むと思っていたみたい。 本当、失礼しちゃうわ。 お母様は迷宮には当主候補の他に一人しか入れないと言った。 それを聞いたレイルは、視線を彷徨わせて ﹁じゃあ⋮⋮カグヤ││││﹂ ﹁レイルが行くべきね﹂ ﹁ロウは││﹂ ﹁レイルだろ﹂ と二人に断られ、アイラちゃんに目をやったあと、アイラちゃん に何?という目で見つめられて断念した。 339 ﹁俺、この四人で一番弱いのに⋮⋮魔法でいろんな敵に対応できる カグヤや、隠密が得意なロウならともかく⋮⋮アイラは銃を含めた いろんな道具を使えるし⋮⋮﹂ ぶつぶつと呟いていたが、観念したようだ。 アイラちゃんは心配などしていない様子で、自分のつけていた腕 輪を外してレイルに渡した。 ﹁貸してあげる﹂ ﹁だから俺、銃は使えないって⋮⋮まあマシンガンならなんとか⋮ ⋮便利なことには変わりないか﹂ マシンガンとはなんだろう。 ともかく私とレイルが迷宮に入る間、他の三人は屋敷で待っても らうことになった。 迷宮の入り口には執事さんが案内してくれた。 レイルに会うまでは、幼馴染の行動のクロマクとかいうやつだと 疑っていたのだが、そんなことは本当になかったようだ。 何の妨害をするどころか、丁寧にレイルと私を案内した。 340 妙な飾りのついた物々しい扉の前にくると、レイルにこそっと耳 打ちした。 どういうことなのかしら。 ﹁レイル様、依頼を受けてくださってありがとうございます﹂ え? 気になるけど今は考えないでおこう。 レイルと一緒に迷宮を歩く前にこんなことを言われた。 ﹁カレンは天井とかに気をつけて。それと足元に罠があるかもしれ ないから、そっちは俺が警戒しておく。だから俺が歩いた場所以外 は踏まないように﹂ とても手慣れた様子だったので、迷宮探索の経験でもあるのかと 思い聞いてみた。 ﹁レイルって迷宮はよく探索するの?﹂ ﹁いや、初めてだ。カレンには悪いけど、今回受けたのはそういう 理由もあるんだ﹂ 彼によると、当主のための迷宮で致死率の高い罠や、強力すぎる 魔物は配置されていないだろうとのことだ。 だからぶっつけ本番で迷宮に挑むよりも、こっちで経験を積んだ 方がいいだろうと考えたらしい。 私としては、何も対価を受けないでついてきてくれただけでも十 分なので何も言わない。 というかむしろ、私がついていっているだけにしかなっていない。 ﹁俺は自己中心的な人間でな。だいたい俺を中心に旅の計画を組ん 341 でいる。あいつらだけならもっと違う旅もできただろうけどな﹂ そんな自虐は単なる冗談なのだろう。 彼が弱いなら彼に合わせて当然だし、彼は結局ここに他の人を送 り込んではこなかった。 仲間を危険に遭わせたくなかったのだろう。 だからこそ、普段は自分ですら安全な道を選ぶのだ。 実際、彼が冒険者としてはどうなのかはわからないけど、私にと ってはとても頼りがいがあった。 段差があれば教えてくれるし、少しでも無理そうな道は選ばない。 足元に罠があればなんとか気づいて、外したり自分で作動させた りしている。 でもどうしてかな。 この迷宮の罠は確かに危険なものはほとんどない。 だけど精神的にはかなり嫌なものが多い。 スライムの溜まった落とし穴だとか、上から水の降る罠⋮⋮とに かく私たちの心を折りにかかってくる。 レイルが注意深いので、一度も罠にはかかっていない。 というかどの罠も、素人でも注意深く見れば見つけられる程度の ものだ。 それぞれの罠は簡単で、見つけるのも解除するのもできたが、そ の組み合わせが相手の心理を逆手にとるような配置になっている。 ﹁よく見つけられるね﹂ ﹁俺が配置するならこうするからな﹂ 342 なるほど、自分でも性格が悪いといっていたのはあながち自虐で はないらしい。 でも、冷静にかつ私への気遣いも忘れずに攻略してくれているレ イルは頼もしくて、かっこよかった。 でもこの罠を見ると、キリアを連れてくるのも良かったのではな いかとも思う。 無謀にぐんぐん前に突撃して、無様に罠にかかって精神的にボロ ボロのキリアを見て笑うのだ。 ⋮⋮私も性格悪いとか言えないな。 それにキリアを連れてはダメだ。 キリアと二人きりであんな罠にかかった醜態を曝すなんて考えら れない。 中には服だけを溶かすようなスライムの罠まであった。ダメだ、 思い出したら顔が赤くなってきた。 私たちは五階ほど地下へ降りた。 魔法で無理やり強化された建造物なので、一階ごとにそこまで広 い空間はなかった。 だが最後の階は今までとは雰囲気も、広さも違った。 まるで空間ごと変わったかのようだった。 そしてとうとう最後の部屋に辿りついた。 今までの途中には魔物が現れなかった。途中には、だが。 最後の部屋には、クマのような大型の魔物が待ち構えていたのだ った。 343 2人きりの迷宮探索︵後書き︶ 次はレイルの視点に変わりながら、迷宮探索編終わりです。 344 指輪のわけと⋮⋮︵前書き︶ なんとか一日一話投稿のペースが続いております。 お気に入りが減ったり増えたりしながらじわじわと増えていくのを 楽しく見ています。 いつか感想やレビューがつくぐらいまで、人気が出るといいなあな んて思いながら。 345 指輪のわけと⋮⋮ いったいなんなんだ、この迷宮は。おかしいだろ。 俺は声を大にして叫びたかった。 別に罠の配置が悪どいことは構わない。人を見る目を試す迷宮な んだから。 パズルが面倒くさいのも置いておこう。みたことあるようなパズ ルだったから。 罠のラインナップがおかしい。 どうしてどの罠もラッキースケベを狙うような罠しかないんだ。 油だらけの床だとか、スライムの溜まった落とし穴だとか、服を 水で濡らすスプリンクラーみたいな罠だとか。 どの罠も一回でも受けたらサービスシーンに突入するようなもの とか狙ってるとしか思えない。 後ろにいるカレンに一回ぐらいくらってもらおうか、などと俺の 邪な部分も顔を出したが、すぐに引っ込んだ。 カレンとの探索は楽だった。 いつもは俺と能力が全然違う仲間を考慮に入れながら計画してい るが、身体能力にさほど変わりがないカレンとだと、俺を基準に気 をつけることだけ言っておけばいい。 ロウとかだとおそらく罠が見えてるかのように避けながら歩きや がるから、頭を使いながら罠を解いたりして進むのは新鮮である。 カレンは普通の子だった。 346 気をつけるように言ったことはちゃんと気をつけられるし、ドジ っ子属性もあるのか、たまに転ぶ。転ぶが罠は踏まない。運もいい のかもしれない。 女の子と二人きりで、しかもエロハプニングが起こりうる環境。 何それラノベ?みたいな状況だというのに、あまり胸は高鳴らな い。 それでもカレンとはすっかり打ち解けて、最初のお嬢様言葉から 友達同士のような気軽な口調になったのはとても嬉しいことだった。 俺たちは表面上だけは何もなく、穏やかに談笑しながら最後の部 屋に辿りついた。 俺の手には護身用の銃。しかし使う予定はない。 この迷宮には魔物が出てこなかったのだから。 しかし最後の部屋は違った。 そこで見たのはグレーズリーだった。 グレーズリー。雑食の大型魔獣だ。 前世のように大きな音をたてたって逃げてはくれない。 ましてや森で迷ったお嬢さんにお逃げなさいとは言ってくれない。 凶暴で、獰猛な魔獣で、森で初心者が気をつけろと言われる魔獣 の一つ。 大きな体で腕を振り下ろして攻撃してくる。魔法を使わないだけ 347 接近戦に特化している。怖いのは爪の傷から入った雑菌によって傷 が化膿することだ。 魔獣らしく炎属性の魔法がよくきくので、離れて魔法で集中砲火 するのがよいと言われる。 ﹁まずい、下がって!﹂ 近接戦闘はほとんどできないカレンを下がらせた。 立派な毛並みで俺の二倍ほどもありそうな熊だった。 のっしのっしと宝箱の前を横切ろうとしたときに俺たちが来たの を確認してこちらを向いた。 カレンは怯えていた。 ならばさっさと倒してしまうしかないだろう。 俺は⋮⋮.なんというか、クラーケンを見た後だとそうでもない。 魔獣には得意の煙幕は聞かない。嗅覚が鋭いのにそんなことをし ても、こちらの首を絞めるだけだ。 ﹁⋮⋮はあ⋮⋮やっぱりあれしかないかな﹂ こんなやつと真正面から剣で勝てるわけがない。 お互いに距離をとったまま、睨み合う。 俺はアイラから借りた腕輪の操作をする。目の前にアイテムリス トが現れた。 マシンナーズ ⋮⋮どんだけオーバーテクノロジーなんだよ。こんなもんぽんと 幼女に預けるなよな、当時のキラー⃝シンもとい機械族さんよ。 中から一つの塊を取り出す。火薬が筒状に固められて、先っちょ には紐がついている。 そう、ダイナマイト︵もどき︶である。 348 ︵もどき︶だとか︵仮︶だとか切ないカッコが後につくのは仕方が ないだろう。 起きる現象こそ似ていても、構造は違うのだから。 俺はそいつに火をつけて投げた。 明らかなまでの先制攻撃だ。 この世界に火薬というものはない。 だから、野生でなくても、これがどういうものかはわからなかっ た。 放物線を描く筒状の物体が、一瞬後、下手な魔法よりも強い衝撃 で自分の全身をえぐるような危険を孕んだものだとは、グレーズリ ーにはわからなかったのだ。 幸い、この部屋は今までの部屋よりも広い。 そしてさすがの俺でも、10メートルほど先の相手にものも投げ られないほどキャッチボールが下手ではない。 ダイナマイト︵仮︶は俺だけが想像していた結果を望み通りに叩 き出してくれた。 爆風で後ろのカレンの髪や服がなびいているのだろう。 できれば振り返って見たかったが、死亡を確認するまでは目を離 すわけにもいかなかった。 俺は念のために護身用の銃で、倒れたまま焦げて動かないグレー ズリーの頭部に2、3発撃ち込んだ。 パァンと乾いた音と同時に、ぐちゃっと何かが潰れる音がして、 目の前の頭部は破裂した。柘榴のごとく咲いた赤い穴から脳漿がぶ ちまけられて、随分とスプラッタな惨状になった。辺りは火薬の匂 349 いから鉄を含んだ生臭さに変わった。 流石に食べられないか。 ﹁この武器は内緒な﹂ カレンは目をぎゅっと瞑ってあまり見ないようにしていたが、俺 は目を背けはしなかった。 これは別に自分の罪から逃げないとか奪った命に敬意を示してだ とかそんな殊勝な理由じゃあない。 単に窮鼠が猫を噛むことを恐れていただけだ。 立派な毛皮はさぞかし高く売れるだろうとは取らぬ狸の皮算用で あったようで、ダイナマイトでところどころ黒く焦げたこいつは持 って帰っても二束三文で買い叩かれるだろう。 ﹁じゃあ、行こうか﹂ 俺は撃ったときの返り血で濡れた手を差し出そうとしてやめた。 カレンは目を開けて、できるだけ死体を見ないようにしながら俺 の後ろをついてきた。 多分殺意を向けられたのは初めてだったのだろう。怖がるのは無 理もない。 最後に撃った銃弾は明らかなオーバーキルだったか。あそこまで する必要はなかったか。いや、万全を期するならば、トドメはして おくべきだった。 こんな俺を軽蔑するだろうか。 まあいいや。どうせ今回限りの関係だし。それに、俺は無償で働 いてるんだ、俺に恨み言を言うのはお門違いだ。 350 ◇ 宝箱には指輪があった。何故か二つも。 そのうちの一つを俺に手渡してカレンが言った。 ﹁つけてくれない?﹂ そういって彼女は左手を出した。 中指につけようとすると、何故か薬指にずらされた。 前世では左手の薬指は婚約指輪の場所だったが、この世界では当 主指輪だとかいう習慣でもあるのだろうか? 宝箱の底には鍵があって、鍵を使うととある装置が起動した。 それは簡易転送装置であった。 宝箱自体が転送装置だったのだ。 俺たちは気付けば迷宮の入り口から入ったすぐの場所にいた。 来た時と同じ扉が後ろにある。同じ扉の出口だと言われればわか らないが。 扉を開けて迷宮の外に出ると執事が手にタオルを持って出迎えて くれた。 351 ﹁迷宮を踏破なさったのですね。お身体を拭くものを⋮⋮って罠に はかかっていないようですな﹂ もしかして残念だとか思ってるんじゃあないだろうな? 俺らは階段を昇って客間に案内された。 そこには俺の仲間と彼女の母親と⋮⋮そしてカレンの幼馴染だと なんでお前がここに?﹂ いう彼がいた。 ﹁あれ? ﹁カレンが無事に帰ってこれるかなんて心配してないからな!﹂ 説明乙。そしてツンデレ乙。 ここまで本音が口から流れてて大丈夫なのか?とは思わない。 あんなに罠があったのに一度も引っ 誰があんたに心配なんてされるもんですか。あんたと違 だって彼の幼馴染はそれ以上に⋮⋮鈍感なのだから。 ﹁ふん! ってレイルはすごかったわ! かからないどころか私にも場所を教えたり解除したりして安全に指 ⋮⋮最後以外は﹂ 最後の部屋はなんの罠もなかったでしょう?﹂ 輪を持ってこれたもの! ﹁あら? 驚いたようにカレンの母親が尋ねた。 ﹁はい、罠はありませんでした。しかしグレーズリーは危なかった ですね﹂ ﹁グレーズリー!?﹂ 352 周囲にいたカレンと俺以外の全員が声を上げた。 俺だってあんなのがいる場所にカレンと放り込まれるなどとは思 っていなかった。 そういう意味ではあの罠や、謎解きみたいな序盤はまだ予想内で よかった。 ﹁あの迷宮は命の危険はないって聞いてたのに⋮⋮﹂ アイラがカレンの母親の方を見た。 彼女は申し訳なさそうに、 ﹁そのはずなのですが⋮⋮.転送装置に割り込みがあったのかもし れません﹂ 転送装置は普通は一方通行で、設置した場所の片方にしか通じな い。 割り込みというのはその転送装置のない場所から転送装置に向か ゲート って逆向きに送りこまれてくることだ。 ごく稀に野生の転移門でもある機能障害のようなものだ。 ﹁あ、そういえば俺たち、迷宮の外じゃなくって入り口から入った ところに戻ってきましたね﹂ ゲート ﹁じゃあ、どこかの転移門から来たのかもしれません。危険な目に 遭わせてしまい、申し訳ありません﹂ ﹁いやいや。迷宮に危険がないとは俺もカレンも聞かされてはいな いんです。ならば受けた俺の責任ですよ。無事に戻ってきましたし ね﹂ 353 ﹁さすがです、レイルさん。まさか二人とも全く罠に嵌らず帰って くるとは思いませんでしたよ﹂ ﹁ええっ!?﹂ あのー⋮⋮あの罠に嵌る前提で、男と二人でいかせるのはどうか と思うぞ。 俺が悪い狼とかだったらどうするんだ? 聞けば歴代でも全く女性に罠を嵌らせずくぐり抜けた人は少なか ったらしい。 それもほとんど男性が盾になったからだとか。 嘘だろ⋮⋮そんな馬鹿な。 そんな矢先にカレンのお母様は本日最大級の爆弾を落としてくれ た。 何を言ってるんだこの母親は? ﹁カレンもとうとう生涯仕える夫を見つけたのね﹂ はあ? ﹁お母様なにそれ、私聞いてない﹂ ﹁私は言いましたわ。あの迷宮は当主として一人前になるための洞 窟。当主の最大の仕事は子孫を残すこと。あの迷宮は婚約指輪を取 ってくるための試練よ﹂ ﹁何よそれ⋮⋮﹂ 聞けば、この指輪にまつわる物語は俺たちも知るあの話の裏側で あった。 そう、あの龍玉の杖の物語である。 354 この指輪の素材に使われているのは、吸収されきらなかった竜の 子供の方の龍玉の核らしい。 つまり、伝説の中では竜の杖しか出てこないが、実際に竜から作 られたものは杖と指輪だったということだ。 竜を倒した魔法使い││││つまりはサーシャお姉さんの先祖に あたる人は妻となる人に指輪を贈ったらしい。 そして時は流れ、分家のこの家は代々指輪を受け継ぐようになっ たとか。 そして次代の当主の婚約者を決める時に、その指輪を転送装置で 迷宮の宝箱に送る。そして取りにいかせる過程で婚約者との距離を 縮めるという悪しき浪漫の溢れた慣習が出来上がったのだとか。 ﹁貴女が聞かずに判子だけ持って飛び出したんじゃないですか。﹃ じゃあすぐに見つけてくるわ﹄なんて言って﹂ なるほど。だから幼馴染君はあんなに焦っていたわけだ。 それに好きな女の子の恥ずかしい姿を他の男には見られたくない もんな。 それと、とカレンのお母さんは俺に耳打ちした。 ﹁婚約する者同士が親密になるための迷宮でもあるのですよ。お互 いの恥ずかしい姿をさらけだしあってしまえばぐっと仲良くなれま すでしょ?﹂ それを聞いて耳元の貴婦人を思わず殴りそうになった。 どうしてそれを先に言っておいてくれないんだ⋮⋮ 先に聞いていればあんなに必死に解除しなくてもよかったのに。 水で透けて恥ずかしがる様子だとか、スライム服が溶けて露わに なる素肌だとかが見れそうだったのに。 355 と悔しがっていると、アイラがジト目で睨んできた。 な、何が悪い。精神年齢こそもうおっさんだが、体はまだピチピ チの思春期だぞ。 可愛い女の子のエロい姿の一つや二つ、見たいにきまっているだ ろう。 なんていうかアイラやレオナはそんなことを言うと当然のように 見せてきたあと、 ﹁じゃあ責任とってよね!﹂ などと言い出すのが目に見えているというか、羞恥の心が足りな いのでいささか萌えに欠けるんだよな。 でもそれでカレンの信頼が得られたならそれはそれでいいか。 こんなことならやっぱり俺が行っとけば⋮⋮﹂ いやいや、今はそんなことより目の前の事態を収拾つけなければ。 ﹁くそっ! 言うのか?と内心笑いなが おおおお俺と⋮⋮俺とだな⋮ そうだな。お前が行っていれば確実に両方あられもない姿になっ 今からでも遅くない! て帰ってきただろうな。 ﹁カレン! ⋮﹂ キリアくん積極的だね。言うのか? カレンなんか知るか!﹂ ら見守っていると、彼は耐え切れずに逃げ出した。 ﹁うわあぁぁーっ!!! ここが人の家でなければ手を叩いて爆笑していたところだ。 別にキリアくんに恨みがあるわけではない。 俺の性格が悪いだけだ。人の不幸は蜜の味を地でいく人間なだけ 356 だ。 ﹁行ったわね﹂ 変な沈黙が訪れた。彼は放置しておいて俺は本題に入ることにし た。 ﹁ああ、でも結婚の話だけど、カレンの意思もあるだろうし何より ││││││﹂ ああ、やっぱり断るんだ、みたいな目で3人が見ていた。 だって、なあ? ﹁私はレイルとなら⋮⋮﹂ ちょっと、何をおっしゃるカレンさん。 あって一週間も経ってないのに、大丈夫なのか? ﹁いや、俺はこの話を断らせて貰います。俺は今、目的があって旅 をしています。少なくとも目的を達成するまでは結婚も定住もしな いつもりですので﹂ そう言うとカレンのお母さんの方は残念そうに引き下がってくれ た。 ﹁あら、残念ね。家柄よりも甲斐性重視の私としては、娘が選んだ あなたでも全然よかったのに﹂ 別に家柄ではそこまで負けてないと思うんだけどな。 甲斐性か⋮⋮確かに一生遊んで暮らせる程度の金なら稼げるか。 357 ただ、この次にくるカレンの言葉はどこまでもかわしきれないも のであった。 ﹁いいよ。別に待つから。旅が終わったら教えて。あまりに遅いと サーシャお姉さまに魔法を教わって冒険者としてついていくからね﹂ キリアくん、御愁傷様です。 いや、俺が婚約を一度は断ったおかげで、チャンスだけはあるぞ。 チャンスだけはな。 もちろん目の前のお嬢様は可愛い。アイラやレオナも可愛いし、 綺麗だ。性格も好きだし、何よりお互いよく知っている。 だがカレンはなんというか⋮⋮俺の予想もつかないことを俺に関 すること以外ではしないのだ。 アイラみたいに物騒じゃあないし、レオナみたいに腹黒くもない。 そんな普通の、等身大のか弱い女の子だった。 だから二人と比べることはできないが、好きか嫌いかで言うなら 好きだ。さっきの言葉もぐっとくるものがあった。 だがそれだけでほいほいと女の子の一生を縛るのはどうかと思う。 ずっと俺の悪行を見守ってきたアイラとは違って、一種の熱病の ようなものかもしれない。 一緒に緊張を強いられる環境で半日も過ごしたのだ。吊り橋効果 があっても不思議ではない。 だから、俺がこれからする行為を知ってもらうことも、時間をお くことも必要だろう。 しばらくしたら思い直すかもしれない。 そうすれば近くにいる幼馴染に目が向くかもしれない。 そうなれば少しは寂しいだろう。 358 だけどそうならそれが本来あるべき姿だ。 俺は無差別ハーレムが作りたいわけではない。 これでも諦めることがなければ、そのときは俺もちゃんと彼女を 恋愛対象として付き合うかどうかを考えよう。 そこまでならば、熱病などではない、本物の好意だろうから。 ﹁待ってなくても構わないぞ﹂ ﹁その前にレイルくんは私がもらっていく﹂ アイラはどうして火に油を注ぐのか。 そんなところもかっこいいけど。 リューカ 俺たちは泣きそうなのを堪えているせいで酷い顔のカレンや、屋 敷の陰で頭を塀に打ち付けているキリアに別れを告げ、竜を祀る国 の王都を後にした。 王都を出た辺りでアイラがきいた。 ﹁よかったの?﹂ ﹁ああ⋮⋮それに﹂ 何が?とは聞かない。 359 カレンのことだろう。別に実力で仲間を決めているわけではない ので、連れていくという選択肢もあった。俺がそのことで迷ってい たのを見抜かれたのだろう。 彼女は魔法も少しは使えたし、別に無謀な性格でもなかったので、 連れていこうと思えば連れていけた。 そもそも実力で言われるならば、俺がこのパーティーから外れな ければならない。 俺にできることはおそらくほとんどこの3人もできることだ。 ﹁そんなことないよ﹂ 俺の心を見透かしたようにアイラが言う。 ﹁レイルくんにしかできないことはいっぱいあるよ。レイルくんが いなければできなかったことがいっぱいあるんだから﹂ でも彼女は連れていかない。 彼女は戦う人間ではなかったからだ。 俺がグレーズリーを殺したときに目を背けた。あれは俺たちが歩 むであろう旅路の中では致命的だ。 実力でも、気持ちでもない。精神。 必要なのは勇気じゃない。 彼女は普通だ。戦いで殺すことを躊躇うのも、失われた命をおも うのも。 本来ならば、戦いなどなかった世界で過ごした俺こそが、誰より もその感性を持っているはずなのに。 あの日から、あの時からずっと俺の感覚はどこかわずかに麻痺し ているようだ。 アイラは俺より背が低い。なのに俺の頭にも手を伸ばした。撫で 360 ているのにすがるかのように。 ﹁レイルくんはたまに私をすごいと言うけれど、もしも私がすごい ならそれはレイルくんのおかげ。私が小さいころ、私のつくる投石 機とかの武器はおもちゃと言われからかわれた。レイルくんだけが、 あれをすごいと初めて見たときに認めてくれたんだよ﹂ そう言うアイラは慰めているにしては嬉しそうだった。 ﹁大丈夫。私はレイルくんがどう在っても味方だよ。レイルくんは 強い。心も。だけどそれでも寂しいなら私が側にいるから。そばで 守れるぐらいに、隣で立てるぐらいに強くなるから﹂ アイラはゴブリン討伐とかの話を勘違いしてたりとかしないだろ うか。 俺はけっこう自分の都合で生きているのにな。世界を救うとか、 そんなたいそうなことを考えちゃいない。 目的は一つだし、それ以外は道中の娯楽でしかない。 ただ、生まれた環境も、才能にも恵まれなかった俺だけど、それ 以外の人には恵まれているんだよな。 俺が落ち込んでいると思って慰めてくれるアイラは本当、いい子 なんだよな。と多少の憂鬱は晴れたような気がした。 361 指輪のわけと⋮⋮︵後書き︶ 一方、レオナ姫の方は届けられた手紙を見て焦ることになります。 というのも、アイラはカレンのことまできっちりと書いてから手紙 を出したので。 それにライバル宣言されたのも大きいでしょう。 というのはまた別の話。 362 新たなる国へ 俺はリューカの王都で手紙を出した。 レオナ用と、そして何故か俺の居場所を予想して早めに出したの か俺に届いたシンヤへの返事だ。 シンヤはもともと事務的なことへの才能があり、有能だった。だ からか教育や新しい派遣会社の手法は難なく取り入れたみたいだ。 それよりも苦労しているのが農作業をさせることらしい。 どうやら農作物の余りでも儲かってきて、もっと効率良く行いた いらしい。 温度計や湿度計を使って記録を取りたいが、それが難しいという のだ。 百葉箱でも作っとけ、と百葉箱の仕組みを簡単に図示して送りつ けた。 リューカの王都から出て歩く事しばらく、俺たちは沼のほとりを 歩いていた。 ﹁今思えば確かにグレーズリーがいたのはおかしかったんだよな﹂ 突然すぎる独り言にロウが尋ねた。 ﹁どういうことだよ﹂ ﹁いや、この前の迷宮でグレーズリーを倒したっていったじゃん?﹂ ﹁ああ。お前があのお嬢さんを捨てるとは思わなかったぜ﹂ 363 ﹁捨てたとは人聞きが悪いな。あんなのは一種の熱病だよ。隣に一 途に思う男がいることに気づけば次第におさまるさ﹂ ﹁どうだろうな﹂ ﹁いや、そこじゃなくてだな。あのグレーズリーがいた場所は迷宮 だったんだ。しかも地下の、密閉された﹂ 現代っ子のゲーム脳がそのことに気づくのを遅らせた。 この世界の全てはゲームの中のプログラムではない。それぞれに、 生きている。 それを覚えていないと不審なものを見逃してしまう。 ﹁餌も、水も、光も何も無い。そんな無機質な罠しかないような迷 宮内に生物が存在するわけがないんだ﹂ ダンジョンならば敵がいる。そんなのはゲームの中だけだ。生息 環境がない場所に生物がいるとすれば、何かしらの理由があるはず なのだ。 今となってはその理由を解明することもできないが。 まあ﹁割り込み﹂であったならこれ以降起こることもないだろう し、あったとしても一週間もすれば現れた魔物も死ぬだろうからあ まり害もないだろう。 俺は特に運が悪かったのだ。偶然異常がおきて、偶然グレーズリ ーが死ぬ前に行ってしまったのだ。 俺が運が悪いのなんてテンプレだ。 カレンには悪いことをしたな。俺の不幸に巻き込んで。 364 ﹁ははっ。誰かが暗殺とかを考えて送り込んだのじゃあなければい いけどな﹂ おいやめろ。それはフラグだ。 そういうこと言ってると、次あいつらに会うときは死体なんてこ とになりかねない。 ﹁まあ俺じゃあるまいし、あの家族そんなに恨みを買って狙われる こともないだろ﹂ 金目的ならば暗殺なんてまどろっこしい。 さっさと盗むなり誘拐して人質を盾に奪うなりするだろ。 すっかり犯罪者側の思考だとかは気にしない。いつものことだ。 ﹁あんた達もずいぶん物騒な話してるわね﹂ そうだな。漫画で言えば机に肘をついて顎に手をやりながら、黒 塗りで正体がわからないようにされているようなシーンだな。 ゲート 俺たちはくだらないことをしながら沼のほとりを抜けて、森の中 にある転移門にやってきた。 365 鬱蒼と生い茂る木々がぽかんと開けて、そこにあったのは異質な 建物だった、 門、というよりは神殿、というべきだった。 ただ神殿ではなく、ファンタジーにはあまり似つかわしくない、 SFとかにありそうな雰囲気さえする。 ゲート ﹁これが転移門⋮⋮﹂ 俺たちは初めて見る古代文明の遺物の圧倒的存在感に呑まれた。 誰とも知れずに漏れた呟きは全員に通じる驚嘆だった。 ゲート 灰色を基調とした大きな建物に入っていく。 転移門の使い方は旅をする冒険者や行商の人間の間では常識であ る。 そもそも複雑な使い方ではない。魔力を込めることも、行き先を 指定することもないのだから。 ゲート 転移ができる状態にして魔法陣の中に4人が集まる。 10秒待つと、転移門が発動して、俺たちは光に包まれた。 リューカ 新章開幕。 竜を祀る国編も終わり、次に向かいますのは人間の国最南端の魔 導国家ウィザリア。 さあ、次はどんな冒険が待っているのかな! とまあふざけてみたところで、俺たちがそんな壮大な事件に巻き 込まれたところで、俺TUEEEができるわけもなく、せいぜい仲 366 間TUEEEぐらいの虚しい結果に留まるだけだ。 魔導国家ウィザリアはその名の通り、人間の国家で一番魔法を学 問として発達させてきた国だ。 幅広く学問を扱う学校に通えるギャクラとは違い、魔法の才能が ある人間だけが、魔法のみを学び、研究する学校に通える。 もちろんかかる学費も特待生でもない限りはギャクラに比べて高 額である。 ただ、初等科で終わるギャクラに対してウィザリアの学校は大学 まで存在する。 もちろん世界でも魔法使いの数は一番多い。 軍にも魔術師部隊なるものが存在する。 俺たちは途中の街で宿屋に泊まった。 ﹁久しぶりに男と女に分かれようか。男同士の話もあるしな?﹂ とロウが意味深に言ったことで、アイラとカグヤがロウを問い詰 めるという事件が発生したが、最終的には2人部屋を2つとった。 そこそこいい宿なので魔法ランプなんてものが存在した。 スイッチ一つでオンオフのつけられるそれは、俺の知る電灯とな んら変わりはなかった。 魔法大学での研究には国から出る補助金も使われ、その出処が魔 法税なんていうものだというのも頷ける。 367 俺は寝ようかとベッドに寝転がったが、ロウが椅子に座ってこち 男同士の話とやらでもするのか?﹂ らを見ているのに気がついた。 ﹁どうした? ﹁いや、お前に話しとこうと思うことがあってな﹂ いつになく真剣なロウにたじろいだ。 カグヤと同じ黒い双眸にそこまで彫りの深くない顔はかつての日 本人と同じだった。 ただ、髪が白いことを除けば。 ﹁俺もさ、お前みたいに直接手を下したわけじゃないけど間接的に 両親を殺してるんだよな。というか半分ぐらいは俺のせいで死んだ な﹂ 俺が前世から転生したときのことを話したとき、アイラは平然と していた。 だがこいつらは過去を懐かしむような目をしていたのはそういう わけか。 ﹁俺たちはさ、それぞれ別の理由で半分不老長寿なんだ﹂ ﹁お前のその理由はお前の髪が元は黒髪だったことに関係あるのか ?﹂ お前にそんな話したっけ? どうして知ってるんだ 何気ない質問だったが、ロウは酷く驚いた顔をした。 ﹁⋮⋮あれ? 368 ?﹂ ﹁ん? お前らって東の島国、ヤマトの出身じゃないのか?﹂ ﹁いや、それも話した覚えはないんだが﹂ 俺の元の世界ではカグヤは 俺の予想は完全に当たっていたようだ。 ﹁俺が異世界転生した話はしたよな? 東の島国のおとぎ話だったんだ﹂ ﹁そうなのか。まあいいか﹂ そう言うとロウは自分を不老長寿にするために禁呪に手を出して、 自滅した両親の話をしてくれた。 辛い過去かと思えば、軽い調子でロウは話したのが不思議だった。 ﹁で、俺たちそのあと、国から出るときに何故かすごく若返ったわ けよ﹂ ﹁なんとなく見た目通りの年齢じゃないなとは思ってたからな。俺 が転生できたんだ。お前らが若返ってたって不思議じゃねえよ﹂ ﹁そうか﹂ ロウはそっけない返事をすると、もう寝るわ、と言って布団に潜 り込んだ。 ただ、そっけない返事のときの顔はほころんでおり、多分俺はロ ウの望む答えを返せたんだろうと思う。 369 次の日の朝、アイラはすごく苦々しい顔をしていたので、おそら くカグヤから同じ話を聞いたのだろう。 俺の顔を見るとぷいっと顔を逸らしたのが何故かはわからないが、 女子会の内容もいつかは是非聞いてみたいものだ。 その日の朝ごはんは珍しく、無言でもくもくと食べたのだった。 370 新たなる国へ︵後書き︶ 評価してくださる方の点が高いのは嬉しいかぎりです。 371 登場人物まとめ︵前書き︶ ゲート 転移門を使って新たなる旅路の前に、そろそろ増えてきた登場人物 でもまとめておこうかと思いました。 本編には関係ございませんので苦手な方は読み飛ばしてください。 372 登場人物まとめ レイル 主人公。転生前の記憶を持って経済大国の貧民街に生まれる。 生まれて2歳で虐待を繰り返す両親と劣悪な家庭環境に嫌気がさ して両親を殺害し逃亡。 その後自分の利用価値をグレイ家当主ジュリアスに売り込み、グ レイ家の養子となる。 国営の学校では座学成績トップを誇るが、剣の実技では中の上程 度、つまりはかじったていどにしかできない。 魔法に関しては何故か魔力が全く操作できず、まさかの最下位。 器用さも人並み程度で、料理もそこまでできない。 性格が悪く、人の不幸を笑ったり、意味もなく嫌がらせのような ことをするときがある。 平気で貴族の弱体化や独占による他の業者の撲滅を目論んだりす るからか、彼の所業を知る大人には怖がられている。国王とか商人 とか。 仲間︵主にカグヤ︶には何故か頭がおかしいとよく言われる。 アイラ 紅いくせのある髪が特徴的な少女。 レイルの仲間兼相棒的な存在。 鍛冶屋の娘であるにもかかわらず、刃物が一切作れない。 そのことで家族内では微妙な立ち位置だったが、レイルが彼女の 才能を見出した。 結果、前世の知識を伝えただけでほいほいと銃を作り出してみせ 373 たり、それを使いこなすという人間離れしたパフォーマンスを見せ マシンナーズ てくれた。 機械族に無限収納が可能になる腕輪を渡されている。 自らを認め、力をくれたレイルに絶対の信頼をおいており、レイ ルのよくわからない目的の旅に同行している。 誰よりもレイルによって前世の知識や考え方を与えられている。 ロウ 白髪で細身の少年。 レイルの仲間で悪友。 実家は陰陽師かつ暗殺稼業を営む一家で、本人もその訓練を受け ている。 役割は隠密などが得意な斥候となる。 両親の歪んだ愛情と禁断の呪術の結果、両親の命と引き換えに半 不老不死になっている。 幼馴染のカグヤが国で帝に求婚されて、それから愛の逃避行の際 に体だけが幼児退行した。 お家柄というよりは本人の資質か、常識はあるが、善悪の区別は あまりない。 カグヤ 長い黒髪、眩い美しさを持つ神秘的な少女。 竹から生まれたかぐや姫。 ロウの幼馴染で、ロウと同じく身体だけが幼児退行した。 武器は刀。育ての親がその国の剣聖であったため、剣術はそこら の冒険者よりはるかに強い。 374 魔力操作は中級だが、レイルによって物理化学を教えられて実際 は上級魔法まで扱える。 職業は魔法と剣のバランスが取れた魔法剣士となる。 これだけ聞くと適性が肉体寄りに思えるが、豊富な経験と親やレ イルからの話により、見た目よりも頭脳派である。 四人の中で唯一まともな感性を持っている常識人である。 ジュリアス ギャクラの貴族の一人。その容姿と手腕により極悪非道と勘違い されがちだが、そこまで他の貴族に比べて悪事をしているわけでは ない。 妻を亡くした悲しみから再婚しないでいたところに、つけいるよ うにして現れたレイルを信じることにした。 そっけないがレイルのことを息子として愛している。 レオナ ギャクラ国の王族の一人。レオンの双 子の妹。 清楚可憐で人形のような美貌とは裏腹に少々腹黒い部分もある。 しかし根はいい子。 レイルがアイラの家庭教師のようなことをしているときにその様 子を見かけて以来、レイルのことを尊敬し慕っている。 レオン ギャクラの王族の一人。レオナの双子の兄。直情型で、感情も表 に出やすい子。 375 最初はレイルのことを妹に何か悪意をもって近づくと勘違いし、 遠ざけようと勝負を挑むが、その過程でレイルに好意を持つように なる。 トドメの将棋プレゼントですっかり友達になってしまったあたり、 この作品最大のツンデレにしてチョロイン。 モブ男 まるで主人公のような登場をしたフォルスくんの咬ませ犬となっ た哀れな少年。 決してアイラが嫌いなわけではない。 フォルス 騎士の家系の次男。思い込みが激しく典型的な脳筋タイプ。 剣の腕は悪くないので、大会などでは勝てるが実戦に弱い。 アイラのことを気に入っており、ぜひ自分の専属にしたいと思っ ている。今も諦めていない、しつこい。 レイルにアイラをかけた決闘を挑み、小細工の重ねがけで敗北。 レイルによる隙のない宣誓書によって敗北を撤回させることもで きないままうやむやのままに物語より退場した同級生。 薬屋のばあさん 優しいのだが、やや口調がきついのはプロ意識からくるものであ る。 レイルに未知の薬品の材料を提供された人。 彼女の薬屋は真っ当な風邪薬などから怪しいものまで品揃えがよ いのでレイルのいきつけになっている。 376 キノ マシンナーズ 何のために作られたかも、誰が作ったかもわからない高度な人工 知能を持つ機械により構成された種族、機械族の一人。 アイラに腕輪と通信機を渡した。 そこそこ強い。 シリカ 財務卿を父にもち、入学式でレイルに目をつけた。 金銭に関してしたたかである。 ハプニ レイル達の担任。 レイルがやらかしたあれこれを間近で見てきたため、レイルに苦 手意識のある一人。 やらかすたびにレイルによって後処理を手伝われてしまうので、 レイルを憎みきれない。その感情さえもがレイルの策略の内。 アンドラ 冒険者ギルドのベテランの一人。 面倒見がいいが、新人を試す癖がある。 レイルは彼とヒラムを先輩として信頼している。 377 ヒラム アンドラと同じ冒険者ギルドのベテランの一人。 アンドラに悪ノリしてよく新人をからかう。 レイモンド・ゴアテイノス ギャクラ王国南部ギルド支部のギルド長。 得意技はお菓子作り。 オルナ ギャクラ王国南部ギルド支部の受付嬢。 冒険者はむさ苦しいので、いつかむさくない騎士様が迎えにきて くれないかと馬鹿な夢を抱いている。 シルバ 暑苦しく、正義漢の騎士様。 何故かレイルのことを気にかけていた。 シンヤ 奴隷商売を入荷、運搬から販売に至るまで手がける敏腕闇商人。 レイルによって商売の形態を改造されつくした。 レイルを旦那と呼び慕う。 ケンケンとパッパ シンヤの部下の二人。 378 サーシャ 竜を倒したという伝説の魔法使いの子孫。 レイル達の腕前を試すために勝負を挑み、水龍で襲いかかるが、 レイルの策略によって叩き潰された。 レイル そのことを親戚のカレンに話したことで新たな事件にレイルたち は巻き込まれた。 カレン リューカの貴族の娘。 幼馴染と勘違い系ラブコメな日常を送っていたが、新キャラの登 場によりそれが壊された。 多少鈍感なのは仕方がないと思う。 迷宮をさらっとクリアしたレイルに憧れに似た恋慕を抱いている が、レイルはそれを吊り橋効果だと思い、時間をおくために放置し た。 キリア カレンの幼馴染。 カレンのことが好きで、その好意が空回りした結果カレンには嫌 な奴と認識されてしまった。 時間とともにどちらかが大人になって、カレンとくっつくだろう と周りの大人には思われていたが、レイルの登場はその予想に不安 をもたらした。 379 ナーニア カレンの母親。娘の幸せを思うため、幼馴染のキリアでもレイル でもカレンが選べばそれでいいと思っている。 380 登場人物まとめ︵後書き︶ 本編では名前の出なかったあの人たちの名前も⋮⋮ってもう会うか わからない人もいますけどね 381 ゴールデンタイムにアニメ化できなくなりました︵前書き︶ たまにつけてもらえる評価がやたら高くて泣きそうです。 部活の行き帰りの電車で掘り出し物の面白い小説を見つけたりする のは楽しいですよね。 382 ゴールデンタイムにアニメ化できなくなりました 魔法陣と魔法は判子と手書きのような違いがある。 その時のコンディションによって多少の威力や魔力効率が変動す る手動の魔法に比べて、誰がどの様に使っても同じ魔力消費で精神 力が要らず、同じ結果だけを出す魔法陣の有用性は高い。 だが、常に魔法陣を持ち歩くとかダサい、魔物との戦闘ぐらいで 集中を乱していては冒険者などやってられないということで、冒険 者たちには受けが悪い。 生活や大規模戦闘などでの戦術的価値は見過ごせないので、一つ 新しい魔法陣を作り出せば一生遊んで暮らせるとさえいえる。 新しい魔法陣の開発は時間と資金と多大な労力が必要なので、簡 単にはいかないのが現状なのだが。 どうして突然そんな話をしたのかというと、俺たちがウィザリア の王都の中心にある広場で水の魔法陣を使った噴水に見惚れていた からだ。 定期的に噴き上げられる水はその上下運動によって花や様々な幾 何学模様を作り出していた。 科学で計算されつくしたものよりも、精密な魔法陣で描かれたそ れの方がずっと幻想的だった。 ﹁あなたたちは冒険者ですか﹂ おっとりとした男性が話しかけてきた。 冒険者だとわかったのは噴水に見惚れていたからだろう。 ﹁ええ。すごいですね﹂ 383 ﹁この国にきた人は皆この噴水で足を止めてこの光景に見惚れるん です。私たちの国自慢の観光地の一つですよ﹂ そう言って誇らしげに微笑む男性はこの国のことが好きなんだと 思う。 夜になるとライトアップされたりしないだろうか。 いかにもRPGのような石畳とレンガの町並みにところどころ施 された魔導具の公共設備がアクセントのこの国は紛れもなく魔導国 家だと実感した。 この世界の神は前世ほどではなくとも人間の世界に無干渉だ。 奇跡なんて何百年に一度しか起こらないし、人間や魔族のするこ とに何かルールを定めるわけでもない。 だから科学と同じように、魔法を発達させた。 自らを豊かにすることに、神を頼らない。 一部は神の権威を借りることで国というものを維持している国も あるが、神頼みではない在り方は実に俺好みだ。 さすがに完全に俺たちの住んでいた世界と同じレベルの文明を築 いているわけではないが、生活する分にはギャクラやリューカより 384 も快適そうだった。 といっても、どこの国にも、表と裏がある。 表の恩恵である魔導具の店に俺たちはやってきた。 棚には細やかな装飾と魔石があしらわれた道具が陳列されている。 そこで俺たちは想像を絶するものを見た。 それはハート柄のレスラーパンツのようなものだけを身にまとい、 目だけを隠す怪しげな仮面をつけたマッチョな男性であった。 しかも頭にはウサ耳がついている。そう、バニーちゃんとかがつ けているアレだ。おっさんのウサ耳とか誰得なんだよ。わき毛が嫌 な感じにアクセントになっている。 それだけならまだいい。いや、よくはないが耐えることができた。 もしかしたら中身はまともかもしれないからな。そんなことはな いか。 そいつはこともあろうか俺たちが店に入ったことを確認すると、 こちらを向いてこともあろうかこう言ったのだ。 ﹁やあ、愛しのマイエンジェルたちよ。天使のゆりかごに御用かな ?﹂ すぐに踵を返すことも考えたが、それよりも前にアイラが動いた。 腕輪からではなく、いつも持ち歩いている護身用の銃を懐から引 き抜いて何の迷いもなく引き金をひいた。 385 パァン! およそ王都の一等地にあるお店ではありえない音が響いた。 ある意味というか普通に暴挙なのだが、俺もやむなしと思えた。 ﹁うおぉっ﹂ 弾丸は狙いを過たず彼の肩口に向かって飛んでいった。 赤く風穴が空くことを期待したが、弾丸は肩口を貫くその前に見 えない透明の壁に弾かれた。 おそらく条件指定型の結界だ。 結界には耐魔法結界というものはない。 純粋な魔力で攻撃してこられることはまずないし、純粋な魔力で は属性魔法よりも威力が出ないからだ。 結界とは魔法と違い、よく解明されていない高位の術式の一つだ。 対物理結界か。厄介な物を。アイラ、マシンガン用意。 界術などと呼ばれる。 ﹁ちいっ! 結界が耐え切れない負荷をかけてしまえ﹂ ﹁了解!﹂ うむ、前に俺のパーティーは誰もが躊躇わないだろうと思ったが、 今ここで実証されたな。 アイラは躊躇うことなく腕輪に手をかけた。 むしろ俺が言わなければ、もっと威力のあるリボルバーとかを持 ち出してきそうだったな。 386 ﹁ちょっと待ちなさい!﹂ 唯一の常識人のカグヤがアイラに制止をかけた。 後ろからアイラを羽交い締めにしている。 正面からなら百合百合しい光景になるのにな。 ﹁どうしていきなり店で店主に発砲するの!﹂ ﹁害虫駆除﹂ アイラ怖え。いや、けしかけた俺も俺だが。 ﹁いやいやいや。銃もレイルに秘密にしとけって言われてたじゃな い﹂ ﹁でも本当に必要なときは自分の判断での発砲は許可されてるもん。 今は本当に必要なときだと思った﹂ そうだな。こんな奴を社会にのさばらせておくわけにはいかない もんな。と実際は単なる理不尽な暴力にあたる行為をしておきなが ら、まるで正義の味方のようなことを思った。でも良いこのみなさ んは真似しないでくださいね。とアニメならテロップが出る。いや、 このおっさんが登場した時点でこの状況は映像化してはならない。 ﹁レイルもけしかけない﹂ ﹁ついノリでやってしまった反省もしてなければ後悔もしていない﹂ とまあこんな馬鹿なやりとりをしている間、店主のガチムチおっ 387 襲われた側の顔じゃないな。 さんはこちらを見て意外な顔をしていた。 あれ? ﹁ああすいません。今のはあれですよ、非殺傷の弾を飛ばすおもち ゃです。うちのアイラがふざけました﹂ 息をするように嘘をつくと、おっさんは俺らにこう問いかけた。 ﹁お前ら⋮⋮非合法反魔法ギルドの連中じゃあないのか?﹂ 非合法の反魔法ギルド。これがこの国の裏側である。 魔法第一のこの国では、魔法関連の才能が全くないと生活しづら い。 魔導具や魔法陣の簡略化、魔石の利用方法などの研究や、純粋に 魔法が中級以上だとかそういった能力だ。 もちろんそんなものがなくても、それ以外で結果を残したり、ば りばり働くことにより、認められている人物もいる。 だが、そんな者は一部であり、魔法関連の能力が低い者は差別の 対象になりやすい。 そんな現状に異を唱えたのが、﹁反魔法団体﹂だ。 魔法に頼らない、誰もが才能、技能に左右されない国にしようと いう目標を掲げて立ち上がった。 非合法 なのだ。 とは言っても王族さえもが魔法至上主義のこの国において、そん な団体の活動が認められるわけもなく、 これだけ聞くと、まるで立派な団体のように思われるが、実際の 活動といえば使えもしないくせに魔導具の買い占めをしたり、魔法 関連の商品を扱う店に圧力をかけたり、優秀な魔法使いに刺客を差 し向けたりだ。 つまりはその実態は単なるチンピラ集団である。 388 といってもこのおっさんがそいつらに対して関係があるなんて全 然知らなかった。 おっさんにかまをかけたとかじゃない。単なる殺人未遂だ。 ﹁詳しく聞かせてくれないか?﹂ ﹁さっきの武器を持つあんたらになら⋮⋮﹂ おっさんの話によると、おっさんは長い間この店を立ち退けだと か、店を売らないかなどと言って圧力をかけられていたらしい。 それをずっとはねのけていたのだが、3ヶ月ほど前から魔導具の 素材になる魔石の輸入ができなくなったのだ。 どうやらこの国の西側に盗賊が増えて、危険度が高まったため、 行商人が来なくなったというのだ。 魔石販売を行う商人たちもそれには困っているのだとか。 だがどう考えてもおかしいという。 それは魔石を積んだ馬車しか襲われていないのだ。 ﹁魔石を強奪しているのはきっとあいつらの仕業です。このままで はこの店も⋮⋮﹂ ﹁そうか⋮⋮そんな理由があったのか。その格好もあいつらに脅さ れて⋮⋮説明さえしてくれれば俺たちも攻撃しなかったのに﹂ ﹁いや、アイラは説明どころか顔見るなり撃ったわよね。あんたも 話させる暇なく追撃させようとしたわよね?﹂ ﹁いえ、この格好は元からです﹂ 389 元からかよ。そりゃあ団体も怒るよ。こんなのが優遇されて自分 たちが叩かれたらそりゃあキレるさ。 ﹁なるほど。事情はわかった。袖振り合うも他生の縁だ。攻撃のお 本当だよ? 詫びに俺たちがなんとかしてやるよ。それでチャラにしてくれない か﹂ ﹁おお、いいのか!﹂ 俺だってそんな人助けとかはガラじゃあないさ。 いや、犯罪行為をもみ消そうだなんてしてないよ? 横でカグヤが呆れていたのを見て見ぬ振りをしながら計画を練る。 ﹁よし、奴らのアジトごと中の奴らを皆殺しにしよう。悪事の証拠 なんか後から探して見つからなければでっちあげるなりしてしまえ ば万事解決だな﹂ 死人に口無しだ。いざとなれば奴らの内輪もめということにして しまえ。 ﹁そ、それはダメだ。俺のところはいないが、他の店では抗議にい った店員や店主、下働きなどが帰ってきてないんだ。人質にされて る可能性があるんだ!﹂ 意外とこの店主、冷静だな。 だからこそ今まで切り抜けて残ってこられたのかもしれない。 ﹁じゃあ人質の救出から先か。というか証拠がなくて国が動けない なら、人質さえ救出できれば被害者の訴えで国が大々的に動けるん じゃね?﹂ 390 この前の奴隷商みたいに組織改造もいいけどな。 弱みを握り尽くしたあとで、美味しい妥協案でも持っていけば飛 びつくだろう。 いつになく積極的だな﹂ ﹁そうね。まずはそいつらの情報を集めよう﹂ ﹁ん? こいつとは、なんていうかビジネスパートナーみたいな距離感が ある。 こういうことに面白がったり、積極的に協力してくるのはロウや アイラの方が多いのだが。 今回は変態に協力するということであまりアイラは積極的ではな い。 自分が発砲したということで、やめようとは言えないわけだが。 ﹁理由はともかく、あんたが珍しく人の為になりそうなことを頑張 ってるしね﹂ カグヤは変態でも大丈夫なのか。 もしかして過去に見たことがあって耐性がついているとか。 ﹁お前らみたいなガキに大の大人が頼むのも示しがつかないんだが、 本当に協力してくれるのか?﹂ ここで、﹁協力﹂とくるこいつの言葉選びは非常によい。 自分もなんとかするのに積極的に加わろうという意思が見える。 まあ、初対面の印象はともかく、こいつになら協力してもいいと 確信させた瞬間だった。 391 ﹁ああ。あくまで協力だけどね﹂ 392 ゴールデンタイムにアニメ化できなくなりました︵後書き︶ 手紙は郵便局の設備、転送装置によって素早く届けられます。 安全かつ迅速で、郵便制度だけならば現代と遜色ありませんが、先 行投資が大きすぎるのが問題で、民営化のメドは立ちません。 転送装置はテレポートとアポートを同時に行うタイプで、魔法陣の 上30センチほどの空間同士を入れ替えるので、職員はまず初めに ﹁魔法陣の上には手紙以外絶対おくな。特に体の一部が入ったまま で起動した日にはおしまいだと思え﹂ と忠告されるとか。 393 反魔法団体︵前書き︶ おっさんはレイルたちといる間も、どの子も美味しそうだとか思 いながら舌なめずりしているのですが、レイルはその現実から目を そらしています。 394 反魔法団体 変態に協力して、反魔法団体の問題解決に向けて動くことになっ た俺たち。 そのためには情報収集が必須だとは当然の摂理である。 ﹁名乗ってなかったな。俺はレイル。横からアイラ、ロウ、カグヤ だ。で、情報を集めると言ったが、そのためには最初にしとかなく てはならないことがある。わかるよな?﹂ 変態と四人の冒険者は魔導具屋の一室にて作戦会議のようなこと をしていた。 おっさんはゲイザーと名乗った。 ﹁そう、おっさん。あんたに話を聞くことだ﹂ ﹁いや、この情報が真実かどうかは⋮⋮﹂ ﹁いいんだ。本当かどうかなんて。奴らが住人にどのように思われ ているか、どのように思ってもらおうとしているか、が知れたらい いんだ﹂ おっさんの目が泳ぐ。 ﹁そのことなんだが⋮⋮何を隠しているんだ? さっき俺が人質を 救出したら建物を壊しても構わないなと言ったときに慌てていたよ な﹂ いや、建物壊されたら嫌だってのはわかるんだが。 どうしてそれに対して、どこか後ろめたい何かを隠したような反 395 応をしたのか。 ややあって気まずそうにゲイザーは言った。 ﹁⋮⋮⋮⋮奴らが魔導具に関する物の買い占めを行っていると言っ たよな。奴らが解体されたときはそれらの回収をしたい﹂ なんだ、そんなことか。 どうしてそんなことを隠すというのだ。 ﹁そうだな。俺としたことが。俺たちに報酬として製品の1割貰え ればいいな。じゃあ商品をできるだけ傷つけないように作戦をたて よう﹂ 商人なら利益を求めて当然だし、大 こんな状況で利益の心配かよとか軽蔑しねえのか?﹂ 何を言ってるんだ? ﹁えっ? ﹁は? 量の魔導具を破棄するのはもったいないと思うのも道具屋として普 通のことだろう?﹂ 俺が﹁いざとなれば手段は問わない。商品は諦めても 俺たちにも旨味があるのにな。 あれか? らおうか。その覚悟があるか?﹂とか言うような無能だと思ったの か? いやいや、人間頑張ればなんとかなる それもしょうがないよな。冒険者とはいえ、新米丸出しの子供だ しな。 そういう問題じゃない? って。 おっさんがほっと胸を撫で下ろしたのを見て俺は話を戻した。 ﹁で、情報集めだ。俺たちでも動こうと思うが、おっさんは近日中 に被害にあっている店の代表者を集めてくれないか?﹂ ﹁あ、ああ。魔法協会と商会に依頼すれば内容が内容だしいけるだ 396 ろう﹂ 真面目な話をしているが、あくまで目の前にいるのはガチムチの ウサ耳仮面、素面でマイエンジェルなどとほざく変態だ。 名前は知っているが、おっさんで十分だ。 ﹁じゃあ次に俺たちの勝利条件を設定しよう。まず、人質の解放。 次点で組織の解体。最終、魔導具の回収。これでいいな?﹂ それに私たちが解体しなくても、国が動ける状態に持っていけ ﹁組織が解体されなくっても、動けなくしちゃえばいいんじゃない ? ば勝ちでしょ?﹂ アイラはやはり頭がいい。 俺が一から教えたとはいえ、年齢や経験で補っている俺たちにつ いてきているのだから。 ﹁お前ら、見た目通りの子供じゃねえみたいだな﹂ ﹁そこはとっぷしーくれっとですよ﹂ ﹁なんだそりゃ?﹂ しまった。固有名詞以外は日本語しか通用しないんだったな。こ のネタも通じるわけがない。 ロウに聞かれる分には構わないか。 ﹁じゃあ││││││﹂ 俺は各自に指示を出して、単独潜入のために動き出した。 397 ◇ 敵の情報を知る手段はについてだが、全くといって問題がなかっ た。 普段ならば情報収集はロウやカグヤに任せることも多い。 レイルだって人より分別わきまえちゃいるし、中学のときに使っ ていた大人相手の猫かぶりなどを駆使すれば楽勝だと踏んでいる。 そもそもおばちゃんなんておしゃべり好きだし、子供好きも多い。 客商売ともなればなおさらだ。 気難しい年頃の男の子が愛想良く話しかけてきたらそれだけでほ いほいと世話を焼き、いろいろと教えてくれる。 だが今回は相手が相手だ。 表の情報は今度の会合でも十分集まる。欲しいのは裏の情報なの だ。 都合の良いことに、レイルは全くといって魔法が使えない。いや、 魔力すら使えない。 だから裏の情報を得るために、逆に町の人に嫌われる行動をとる のだ。 別の魔導具屋では ﹁ねえ、おばちゃん。魔力の使えない人でも使えるのってない?﹂ ここで本来ならば、おばちゃんではなく、お姉さんと呼びかける べきだ。 398 あえてセオリーをガン無視。 とある店では ﹁おじさん、僕全く魔法が使えなくってね。魔法が上手くなる道具 とかないかなあ?﹂ そんなものがあれば、魔法の使えない奴らに買い占められている だろう。 挙句のはてには ﹁魔法なんか使えなくたっていいじゃないか!﹂ そう、レイルが全く魔力が使えないことを街の人に知らしめたの だ。 ガラにもなくあざとい子供の演技でもしつつ、魔法への心証が悪 いことを広めながら。 そんなことをすれば、魔法至上主義のこの国では子供でも白い目 で見られる。 魔法至上主義の奴ら側に協力しているのだが、協力している味方 に白い目で見られて、やる気もなくしそうなものだ。 だがレイルはそんなことを全く気にしなかった。 そんなことを繰り返していくうちに、本命の男が現れた。 399 魔力の使えないことに逆ギレして涙目で走るフリをしているレイ ルを呼び止めるものがいた。 レイルは走っている間もわざとらしく、 ﹁魔法なんか⋮⋮魔法なんか⋮⋮っ!﹂ とこぼしながら走っていた。 あまりに不審人物であり、レイルの見た目が少年でなかったら兵 士が出てきてもおかしくはなかった。 レイルは久々に自分の容姿に感謝していた。 そんなレイルを呼び止める者がいたのだ。 ﹁そこのボウズ!﹂ レイルは今にも泣きそうな顔で内心うまくいったとほくそ笑んで いた。 ﹁なんでしょうか?﹂ ﹁この国を、魔法が使える奴らばかり優遇されるこの現状を、変え たいとは思わないか?﹂ 演技さえしていなければレイルはこのセリフを鼻で笑っただろう。 チンピラに毛の生えた程度のことしかできない集団が国を変える? 具体案でも出してみろと問い詰めてそれこそ男の方が涙目になっ ていただろう。 レイルが演技をしていたのはこの男にとって幸か不幸かはわから ない。 ただ、レイルは単独捜査のために男についていった。 400 ◇ 知らない人にはついていくなとは言うけれど、わざと不審者につ いていくなんて皮肉な話だよな。 ﹁これから行くところは、魔法に頼らない世界を作る先駆けとなる 組織だ﹂ ﹁へえ。明確な目的があるんですね、すごいなあ﹂ うわあ、白々しい。 男はそんなお世辞にも気をよくしたようで、これから行く場所の ことや、組織の活動などについて得意げに話してくれた。 その内容によって、おっさんの話に嘘や勘違いがなかったことが 証明された。 彼らは犯罪行為に手を染めていたのだ。 組織の建物に着いた。場所はしっかりと覚えておかないとな。 最初に魔法が本当に使えないか調べる道具を使われた。 もしかして少しは魔法が使えるのかと淡い期待もあったのだが、 無惨に打ち砕かれた。 示された反応はこの組織でも半分もいない、資質皆無であった。 一つの部屋に案内されて、そこで組織の説明を受けた。 401 男は組織のスローガン的なものを最後に説明してこう締めくくっ た。 ﹁生まれたときの資質で全てが決まるなんて馬鹿げている。だから 魔法は排除しなくてはならないんだ﹂ どうして﹁だから﹂なのかはわからないし、その手段が間違って いると気づけないという点で彼らに与するという選択肢はなかった。 俺も魔法は使えないが、使えないからといって困るほどではない ぞ。 そう言えるのは俺が魔法のない世界に住んでいたからだろうか。 それから数日かけて、俺は彼らの心証をよくするために動いた。 掃除などの雑用をこまめにうけ、あれこれと気を回して愛想を振 りまいた。 あまりやりすぎると怪しまれるかと思ったが、気づいた様子は全 然なかった。 掃除などの雑用を受けるのには理由が心証の他にもある。 噂話などから情報を集めるためだ。掃除をしている相手などは意 識の外に外れやすいのだ。 身内同士の会話の栓も緩みやすくなる。 その過程で、地下室に食事が運ばれていくのを確認した。 人質の居場所はおそらくそこだろう。 少しずつ隠れて建物の見取り図や、人員の数、武装具合などをメ モしていく。 これがバレると失敗だ。 402 俺はここに案内された男が専属の世話係みたいになった。 あれこれと説明するのはだいたいこの男だ。 今日も組織のことについて話していた。 ﹁というわけで、邪悪な奴らの手に渡る前に俺らが魔導具や魔石、 杖などを回収しているわけだ﹂ ﹁じゃあみんなから没収したものが倉庫とかにあるんですかね﹂ ﹁あー、どうだろうな。でも大量の荷物を持っだ奴らが親分の部屋 に入っていくのは見たことがあるぞ﹂ ﹁親分なんているんですか?﹂ 何がおかしいんだ?﹂ ﹁ああ。親分とその取り巻き数人によってこの組織は発足されたん だ⋮⋮ん? 俺は無意識の内に笑っていたらしい。 危ない危ない。演技がバレるところだった。 そうかボスか⋮⋮ボスなんているのか。新興宗教のような匂いが あるからもしかしてと思ったが、違ったようだ。 この組織の本当の目的がわかってきたぞ。 ﹁もしかして親分はたまに出かけていていなかったり、親分の部屋 には決められた人しか入れないとかあります?﹂ ﹁ああ。それに親分はこの国の出身じゃあないらしいな。この国に きて、酷い現状に呆れて変えようとしたのが始まりだってよ﹂ そういうことか。はははは、どうしてこんな簡単なオチに気がつ かなかったのだろうか。 被害があるが、国が動けない。人質がとられている。気づく要素 などいくらでもあったのに。 これで壊滅させる方法なんていくらでも出るだろう。 403 というか倒さなければならない人数が減って助かるな。 俺は誰にも気づかれないように声を殺して笑っていた。 さあ、始めようか。 楽しい楽しい、阿鼻叫喚の宴を。 404 反魔法団体︵後書き︶ ご指摘や誤字などあれば教えてくださると助かります。 405 ただ奪うだけではない 俺はあの後、なんとかしてボスの顔やその取り巻きの特徴などを 調べて覚えた。 ボスの名前はデイといった。おそらくは偽名だろう。これから逃 げるというのに本名を使うわけもない。 変態の部屋はすっきりと整頓されているが、近くにある引き出し を開ければ怪しげな道具やコスプレ衣装のようなものがわんさかと あるのを俺は知っている。 見つけてしまったときはアイラから隠すのに必死になった。 俺もまだまだ青少年だな。いや、まだ体はそこまですらいってな いんだが。 ﹁あいつらは魔法の根絶なんか求めちゃいない﹂ この部屋で集まるのに慣れてしまい、目の前の変態の姿にも慣れ てしまった今日この頃。 俺たちは集まって、お互いに得た情報の交換をしていた。 三日後には被害者の会が開かれる。 それまでに手ぶらというわけにもいかないのだ。 ﹁どういうことだよ﹂ ﹁言い方が悪かったかな。俺だって直接聞いたわけじゃないよ。推 406 測でしかない﹂ ﹁で、どういうことなの?﹂ ﹁あいつらには裏で手を引いている盗賊がいるんだ。言葉巧みに国 民を誘導し、魔導具や魔石を強盗させている奴らがな﹂ ﹁つまり表向きは魔法の根絶を目的とする組織で、それを隠れ蓑に 盗賊行為を働いているってわけか﹂ となれば本当にあの組織を潰そうと思う場合、倒さなければなら ないのは国民側ではなく盗賊の一味である数人でしかないというこ とだ。人数が減ればやりやすいというものだもないが、わかりやす くはなっただろう。 ﹁まずは盗賊の顔がわれているかだよな﹂ 犯罪者には階級がある。 S級からE級までのクラス分けをされている。 それは指名手配されるときに一度決まるが、捕まえられたあとに 判明した罪状などで変化することがある。 とはいえ、実際に指名手配されるのはC級以上の犯罪者である。 D級以下は犯罪に関わっている者や、故意的ではないが罪を犯し た者となる。その程度の末端組織の構成員などになると指名手配す るのが大変なのだ。 指名手配されると、他の国にも通達される。だがその全てが公開 されているわけではない。 中には危険すぎたり、指名手配しているという情報が相手に渡る こと自体が状況を悪化させると判断された場合、秘匿されることも あるのだ。 もちろん多くの犯罪者は特徴と名前などが公開され、冒険者ギル ドなどに手配書が貼られている。 殺した証拠や生かして捕らえれば賞金も出る。 407 ﹁逃げる気なのはわかっているから、どうにかして捕らえたい。捕 らえられなくてもせめて情報は得ないとな﹂ 人質がいるので捕まえるのは困難だろう。 上等な酒に毒でも仕込むか。 いやいや、人質に毒味をさせている可能性を考えるとこの手は危 ない。 あれこれと考えていると、カグヤから提案された。 ﹁案ずるより産むが易しって言うじゃない。王城に行って犯罪者資 料の閲覧許可を貰いにいかない?﹂ そうだな。勇者候補は他国との友好関係にも動ける。ならば犯罪 者の資料ぐらい見せてもらえるかもしれないしな。 ◇ どこの国の王城もさほど変わらない。 といっても特徴はあるようで、リューカはやや竜を意識したデザ インで、赤を基調としていたが、魔導国家ウィザリアは至るところ に魔法陣や魔石があしらわれていた。 おそらく侵入者を撃退するために使われるのだろう。 逆にいうなら、この国の城は絶対に見取り図などの情報を奪われ てはならないということだ。 謁見許可はあっさりとおりた。 408 つくづく勇者候補という肩書きの便利さは重い。 見た目や実績に関係なく王に会えるのだから。 というものがあり、これがと 後から知ったことだが、ギャクラで勇者候補は軽いといった俺の 王族二人以上の承認 言葉については間違いがあった。 最終項目の ても難易度の高い項目だったらしい。 だからこそ他国は勇者候補という肩書きの子供を軽んじなかった のだ。 俺は王様とレオナにもらったが、レオンも頼めばくれただろう。 俺からすればあまりにも軽い項目だったので失念していたのだ。 もちろんその引き換えとして旅の報告をする義務が課せられるが、 どちらにせよ双子には手紙を送るので関係なかった。 あ、そうだ。俺、この事件を解決したら父上に手紙を書くんだ。 これは死亡フラグか? ﹁犯罪者資料の閲覧許可か⋮⋮もちろんそれは構わんのだが、少々 見られたくないものもあるのでな⋮⋮﹂ ﹁城の見取り図と魔法の研究資料でしょう?﹂ いくら対魔族、魔物協定によって禁止されているとはいえ、俺た ちがスパイをしないとは限らないのだ。 特に後者なんかは、魔物に対しての武力の共有である、などとい ってゴリ押しされてしまう可能性だってある。 そうなれば他の国も、魔法研究の成果は気になるし、それを建前 にギャクラにつくかもしれない。 そんなことがないように警戒もしないようでは王失格だろう。 ﹁察してくれて助かるな⋮⋮だがあの噂は本当だったのだな⋮⋮﹂ 409 噂? なんのことだろうか。 ﹁ギャクラに魔性の頭脳を持った子供がいると。ここまでとは⋮⋮﹂ 魔性の頭脳って︵笑︶ ちょっと前世の知識があって早熟なだけで、ちょっと性格が悪い だけじゃないか。 こんな一般人捕まえてまるで魔王かなんかみたいに言うのやめて ほしいよな。 脆弱なしがない冒険者だし、たいしたことしてないしな。 ﹁こちらから資料をまとめたものを出すので、部屋を貸すからそこ で好きなだけ見るがよい﹂ ﹁ははっ。ありがたき幸せ﹂ 形だけ礼儀正しく述べて退室したのだった。 ◇ このとき、レイルは気づくことがなかった。ウィザリアの国王の 心配は単なる杞憂であったことに。 レイルは魔法陣こそ専門ではないが、単に魔法というものへの理 410 解だけならばこの国の研究者よりも上であったことに。 それはレイルが前世で読んだファンタジーや、学んできた物理、 科学の知識などから自然と生まれた解釈でしかなかったが、この世 界の住人からすれば何百年と文明を進める概念であった。 彼に魔法の研究資料を渡して、そのときに仲間に話すことや一人 言を部下に記録させるだけで、この国の魔導学が一気に発展してい ただろう。 その選択はリスクこそ高いものの、それで得られる利益は大きい。 ギャクラの王があっさりと自国の利益になる可能性があるレイル を手放した理由の一つもここにある。 ギャクラ国は魔族、魔物に対して積極的ではなかった。 ましてや魔王討伐のための勇者派遣などはほとんど力を入れてい なかった。 勇者関係の活動はレイルが旅立ったのが数十年ぶりである。 そんなギャクラはこんな隠し玉を持っていたのだと各国に知らし めるためであった。 実際、ウィザリアはこの件が終わると、ギャクラに持ちかけられ ていた貿易の話を受けることになるのだが、それはまた今後の話。 ◇ 411 あーあ。やっぱりそんなにうまくはいかないか。 神様に会いたい俺としては、世界を越えられるような魔法がない かとこの国に捜しにきた部分もあったから、ちょっと残念。 まあ幸い俺はまだ少年。魔物の攻撃で死んでしまいそうな貧弱な この身だけど、時間だけはまだある。 それに他の種族も見てみたいしな。 ﹁なにぼーっとしてるの?﹂ アイラから心配されてしまった。 今は奴らの情報の取捨選択に集中しようか。 広げた紙の中から、一枚の紙に目がいった。 それはA級犯罪者の指名手配リストだった。 A級犯罪者とは国家反逆罪など、国に追われるレベルの犯罪者の ことだ。 S級が人類滅亡を企てたなどといった歴史級の犯罪者であり、数 百年に一度などしか出ないことを考えると、実質最高と言える。 ﹁こいつは⋮⋮﹂ そこに載っていたのはデイザス・ワースという男だった。 その特徴は俺が組織に潜入しているときに見た人間と酷似してい た。 十年前、ギャクラの隣国が魔物に襲われて滅亡した。 だが後からその襲撃は人為的なものだと判明した。 数年の間にギャクラに魔物の活発化の情報を流し、ギャクラに隣 国から武器を買い集めさせた。 そして逆にその隣国へは美味しい依頼で腕利きの冒険者を呼び寄 412 せることにより、警備への警戒心を薄れさせた。 油断してきたところに国の周囲に魔物が好む血や肉をばらまいて おびきよせたのだ。 魔物がうろついて、集団での遠征依頼をして冒険者がいなくなっ た隣国。国の祭日、首謀者は少数の盗賊を使い、国のあちこちに火 を放った。 その騒ぎに乗じて王族を殺害。混乱した国から有力な貴族だけを 逃がすことで、その国は統治能力を失い、国としての形を保てなく なったのだ。 今でも首謀者の目的はわからないし、その国に放たれた間者がい なければ今頃、特徴もわからないまま首謀者は逃げられていたこと だろう。 ゲート 間者のおかげで今もここに情報があるといえる。当時の詳しい状 況までは記されていなかった。 まさかこんな遠い国まで⋮⋮いや、むしろギャクラ付近の転移門 から近くてなおかつ距離は遠い。 格好の隠れ場所だったのだろう。 それが今更、また何故? また今度はこの国を滅ぼすつもりなのだろうか。 その首謀者が当時の国の貴族が一人、デイザス・ワースだったと いうのだ。 デイザス・ワースとは、国家反逆なんて未遂じみたものではない、 正真正銘の国家転覆罪の戦犯の名前だった。 413 これは⋮⋮やばいな。 思っていた以上に大物だったようだ。 414 ただ奪うだけではない︵後書き︶ あれ⋮⋮? 最初はここまで話が大きくなるとは思ってませんでした。 書いているうちにいつの間にか⋮⋮ 415 妨害 ﹁うん。やっぱり建物を外から爆撃しようか﹂ ﹁だからやめなさいって﹂ うーん。地下にいるなら多少荒くしても助かるかなって思ったん だけどなー。 騒ぎになりすぎるのも良くないか。 ﹁やっぱりここは兵糧攻めかな﹂ 逃げられないように警備を強化して、盗賊行為を徹底的に取り締 まる。 すこく定番の王道的戦法だな。 ﹁相変わらず考えることがおかしいわね﹂ 盗賊に兵糧攻めはマイナーなのか? それともこの年齢で、または戦争もない国に生きていて兵糧攻め なんてするところか? ﹁今回枯渇させるのは人材だよ﹂ 作戦の解説はおいおい、実行とともに解説するとしよう。 416 各役職を分断し、事情を説明しながらこちらへ引き抜く。それが 今回の作戦の基本だ。 その為には魔法の使えないレイルから説得する必要があった。 ﹁カグヤは盗賊の一味とデイザスを見張っておいてくれ。ロウは人 質の救出に当たってくれ﹂ 二人はメインウェポンでありながら隠れ蓑でもある。 ロウを連れて見つからないように地下入り口まで連れていく。 カグヤは外で待機してもらった。 ﹁アイラは城の一室を借りたから、そこからスナイパーライフルで 監視して、逃げ出そうとした盗賊がいたら足を撃ち抜いてくれ﹂ アイラが隠し玉にして最終兵器となる。 ﹁了解﹂ ﹁科学魔法使用許可ちょうだいよね﹂ 科学魔法というのは、俺が教えた物理や科学によって新たな形態 を見せるカグヤの魔法を俺がそう呼んだのだ。 魔法関連の人たちには、回収した盗難品の運搬のために、馬車や 荷車で待機してもらっている。 417 そして俺の出番が来た。 まずは俺をここに案内してくれた人だ。 ﹁先輩、大事なお話があります﹂ 真剣な顔でいきなり切り出した俺に怪しみながらも話を受けてく れた。 ボスやその一味が付近にいないことは確認している。 ﹁どうしたんだよ。かしこまって﹂ ﹁先輩はこの組織が本当に、魔法を根絶するためだけの組織だと思 っているのですか?﹂ お前もその一人 ﹁いきなり何を言い出すかと思えば⋮⋮確かに最近の活動に疑いを 持つやつもいるだろうよ。だがそれがどうした? だってのか?﹂ そうか、そんな人たちがいるならば話は早い。 ﹁じゃあこの組織を仕切っているデイさん。その正体を話すことで 信じてはもらえないでしょうか﹂ 俺はそう言うと、城で借りてきた資料を机に出す。 デイザス・ワースの情報が記されたその紙は、先輩が見れば同一 418 人物だとわかるだろう。 彼にこれまでの出来事と推測を照らし合わせて話した。 ﹁こりゃあ⋮⋮俺たちは騙されていたっていうのかよ!﹂ 魔法を根絶すると謳いながら、やっていることは盗賊行為﹂ ﹁他にもいくつも証拠はあります。おかしいとは思わなかったんで すか? ﹁だがこの前はこの組織を国に知らしめる、その為の祭典を行うっ て言ってやがったのに⋮⋮﹂ その日を狙って何らかのアクションを起こし、国を混乱に陥れて その隙に国外へ逃げる気なのだろう。 ﹁最近、親分とその幹部が没収品をお金に替えています。その理由 も逃げるためのものでしょう﹂ 自分の利益さえあれば、国のことなんてどうでもいい。 わかりやすいくらいにシンプルで、身勝手な考え方だ。 ﹁実は盗賊行為だったことも許せないが、何より俺たちの気持ちを 利用して国を潰そうってのが気に食わないな﹂ そう言うと先輩は俺の手をとった。 ﹁詳しく聞かせてくれ﹂ 419 こうして先輩を味方につけた俺はボスの部屋に行った。 そこで俺の支払いで宴会をすることの許可を得るために。 先輩にいって人を一箇所に集めてもらっている。 ﹁宴会を開く許可をもらえませんか?﹂ 俺はいきなりそう告げた。 ﹁どうしてだ?﹂ ﹁士気を高めるためですよ﹂ もちろん嘘だ。 ﹁俺が支払い持ちますんで﹂ ﹁そうだな⋮⋮﹂ 迷う素振りを見せるボスに俺は一つの策を練ってある。 というかこの話は断ってもらっても全然困らない。 ﹁これは、ほんの気持ちですが⋮⋮﹂ そう言って恭しく差し出した賄賂はお酒だった。 赤い色が透き通り、まるでルビーや薔薇のような輝きを見せてい る。 紅泉と呼ばれるそのお酒は、一本で町民の稼ぎが一年ほどとんで 420 いくような酒だった。 俺が潜入捜査にあたって買い込んだのだ。 ﹁なんだこりゃあ﹂ 滅多に手に入らない高級酒を目の前に、デイザスは興奮し、そし て判断力を鈍らせていた。 ﹁一杯どうですか﹂ いつもなら後だなとだけ残して、その瓶をしまっていたことだろ う。 だが、賄賂ということと、カグヤとロウに一人ずつ減らされてい る部下がまだ全員いるという勘違いからくる安心感もまた、彼を蝕 んでいた。 ﹁ああ、もらおうか﹂ 彼はその酒を一杯軽くあおった。 俺はその時、とても悪い笑顔だったのではないかと思う。 許可を受けることではなく、このお酒を飲んでもらうことこそが 俺の目的だったのだから。 酒に魔物用の睡眠薬を仕込んだのだ。 そして彼は決して安くはないガラスのコップをその場に落として しまった。 彼は寝息をたてて、机に突っ伏していた。極悪非道の重罪人でも、 寝顔だけは普通の人間だった。 421 俺はボスが起きないことを確認して、許可が出た部屋に向かった。 部屋には三十人ほどが集まっていた。 今はロウが人質の救出に向かっている。 カグヤに囮になってもらい、盗賊の一味は正体不明の侵入者の撃 退に建物の中を走り回っている。 この部屋は建物の離れにあるので、警備がくる心配もない。 ﹁お集まりくださり、ありがとうございます!﹂ 彼らが一斉に俺を見る。 ﹁親分デイさんの許可の元、宴会を開催する、というのは集めた建 前です﹂ 周囲がざわつく。 ﹁この組織の、本当の目的をあなたたちは知らない﹂ どういうことだと騒ぎ出す者がいた。 斜め前の女性は不安そうに隣の人と顔を見合わせている。 収拾をつけなければならない。 ﹁この組織を仕切るデイさんは││││││﹂ 言いかけたところで、ここに来るはずのない人物が現れた。 422 ﹁おい、お前ら! この建物が国の兵士に囲まれてやがる!﹂ それは盗賊幹部の一人だった。肩から斜めにかけた紐で後ろに剣 の鞘を縛っている。 ﹁国の兵士だと⋮⋮﹂ ﹁まさか、こいつ⋮⋮﹂ 団体の中に動揺が走る。 俺は疑いの目を向けられることとなった。 このままでは説得なんてできるはずがない。 盗賊は俺たちを見渡して違和感に気づく。カグヤとロウで撹乱し て隠してもらっていた真実に。 ﹁⋮⋮ってなんでこんなにここに集まってやがるんだお前ら⋮⋮⋮ ⋮?﹂ 目の前には俺に疑いをかける盗賊、説得のしようがない集団。 俺たちの計画は、他でもない味方であるはずの国の手出しによっ て妨害され、取り返しのつかないところまできてしまったのだった。 俺は王へ計画を話しておかなかったことへの後悔をしながら考え ていた。 次の一手を。 そしてこの状況から逃げ出す手段を。 423 妨害︵後書き︶ うわあ、どうしよう 424 それはまるで悪足掻きのような︵前書き︶ ふー なんとか間に合いました 425 それはまるで悪足掻きのような 八方塞がりとはこのことだ。 前門の虎、後門の狼ともいうか。 とりあえず状況の確認だ。 目の前には王都兵に囲まれたことを伝えにきた盗賊の幹部、背後 には盗賊の目的も知らない憐れな被害者達。 俺がここから逃げようとするとき、俺の素性が兵に知られている か、それが問題だ。 とりあえず全員捕まってみるのもよいが、逃げた幹部に残ってい るかもしれない人質を連れ出されると面倒だな。 そうだな⋮⋮とりあえず逃げるか。 ﹁そいつを追え!﹂ レイルは逃げ出した。しかし回り込まれ⋮⋮はしなくてよかった。 ここで逃げると俺が嘘ついた、 などとは言わないでほしい。 背後で幹部の声がする。あれ? みたいになるんじゃね? 俺が逃げた先は兵のいる場所でも、仲間が待つ場所でもない。 ﹁やはりまだ薬が効いていたか⋮⋮﹂ なんたって魔物用だ。人間などまる半日は起きてこない。他に幹 部がいるかはわからないが、将を射んと欲すれば⋮⋮の逆をいこう。 俺はまだ机に寝ているデイザスを縛り上げた。 持っていたナイフで頬をかっ切ってあげた。 426 ﹁てめえ! なにしやがる!﹂ 反魔法団体の長である演技も忘れて怒鳴りつけた。 もしかしたら俺のことを殴ろうとしたのかもしれないが、縛られ ていては何もできない。 ﹁おい、レイン。これはなんのつもりだ﹂ レインというのは俺がここに潜入するにあたって使った偽名だ。 デイザスはギラギラと血走った目でこちらを睨みつけている。 縄をほどけば今にも殺されそうだ。 ﹁あんたには今から人質になってもらうよ。デイザスさんよ﹂ ﹁その名前を知っているってことは、政府の回し者かなんかか? こんなクソガキ寄越すなんざあヤキがまわったかって言いてえが、 現に俺はこうして捕まってんだよなあ﹂ ﹁ごちゃごちゃうるさい。立って歩け﹂ 俺は縛った縄の先を掴んだままそう命令した。 悔しそうに歯ぎしりをしている。実にいい気分だ。 ま 俺はすっかり子供の演技どころか、対人関係を円滑に進めるにこ やかな仮面さえ忘れて彼を見下ろした。 ﹁くっくっく。今のお前に選択肢なんてあると思ってんのか? あどっちみち国家転覆罪のお前が捕まった後の命の保証まではでき ないが、少なくとも後で死ぬ方が楽なことだけは保証してやるよ﹂ 427 俺はデイザスの首元にナイフを突きつけていたとき、慌ただしく 反魔法団体の解体に動いていたといったが本当か! 背後で扉が開いた。 ﹁おいお前! どちらにせよ逃げ場など⋮⋮﹂ 幹部はそこから先の言葉を紡ぐことができずにいた。 自分たちが本当の意味で従う相手が、思春期迎える直前みたいな 何があったんですか!﹂ 子供にナイフを突きつけられて縛られていたのだから。 ﹁親分! ﹁すまねえな⋮⋮ヘマやらかしてしまってよ⋮⋮﹂ 長い間の潜伏生活のせいか、必要がなくなったからか、すっかり 貴族としての丁寧さのカケラもないデイザス。 こいつらは資料にあった放火のときに雇って以来付き従っている のだろうか。 後ろからは連れられてきた一般人たちがぞろぞろと入ってきた。 ﹁ここじゃあ狭いし、場所でも移動しようか﹂ 空気も読まずに呑気なことを言ったが、その方が向こうにとって も都合が良いのでしぶしぶ従ってくれた。 ﹁てめえ⋮⋮痛い目にあいたくなければデイさんを離せよ﹂ 悪役というのはセリフのレパートリーが少ないらしい。 428 いや、場合によっては血気盛んな主人公となりかねないセリフだ な。 むしろ人質をとっている俺が悪役というかなんというか。 俺は脳内で首をブンブンと横に振る。 痛い目にあうのはデイザスの方で、俺じゃあ 人質をとって何が悪い! ﹁何言ってるんだ? ないぞ。それともデイザスの安全なんかどうでもいいって言うなら 攻撃してこいよ﹂ 開き直ればもう何も怖くない! ◇ 見晴らしのいい広い場所に移動したのはわけがある。 ﹁おいてめえ、今の状況がわかってんのかよ﹂ ええもちろん。 周りにいる人たちは二種類に分かれるだろうな。事情を知ってい た盗賊幹部と、何も知らなかった一般人とな。 事情を知っていた盗賊幹部はボスが殺されると脱出できなくなっ て困るだろうから近づけない。 事情を知らなかった一般人のうち、今もボスを信じる者は幹部に 同じく手を出せない。というかこいつら人を攻撃したことないだろ う。襲撃は盗賊が中心になってやっていたようだし。 そして俺の話を信じてくれた者は俺の考えを察するかは別として、 ここで俺に攻撃はしてこないだろう。 429 ﹁笑わせるぜ! 俺が使い方教えてやる お前みたいなガキが刃物持って粋がってんじゃね えよ。どうせ今も怖くて足震えてんだろ? よ﹂ 盗賊幹部の一人がニヤニヤと剣を持った腕をダラリと下ろしなが ら近づこうとした。 俺が子供だからナイフも単なる脅しだと思われたらしい。 やっぱりこういうのは気が動転していて何するかわからない奴や、 何してもおかしくないぐらい凶悪な見た目の成人男性がやった方が 効果があるんだな。 ﹁こいつがどうなってもいいのか?﹂ ﹁はっ。口だけだろ﹂ ﹁おいやめろ!﹂ 俺の目を真正面から見たデイザスは慌てて止めようとした。 時すでに遅く、幹部の一人は俺に一歩を踏み出した。 ﹁じゃあ遠慮なく﹂ 俺は逃げにくいように肩、膝を斬りつけた。腹でもよかったが、 縄が切れると困るからな。 デイザスは悲鳴をあげて地面に転がった。 ﹁こいつはやると言ったらやる人間だ。やめろ!﹂ 血だらけのデイザスは幹部に命令した。 自らの失態でリーダーを傷つけた彼は周囲に集まってきていた残 党に白い目で見られていた。 430 俺が見晴らしのよい場所まで出てきた理由は二つ。 囲んでいてなお、盗賊や彼らを信じた一般人たちにとって不利な 状況であるとわからせるため。 そして、もう一つは││││││ ﹁お前は俺たちに攻撃する手だてはない。俺らもお前に手出しがで きない。どうするつもりなんだよ。兵どもはこちらが人質をとって いることを知っているから突撃できないでいるんだぞ﹂ 幹部の中で唯一考えることを知ってそうな奴が尋ねてきた。三十 人はいると踏んでいた盗賊一味だが、その人数は十人ほどまで数を 減らしていた。 ロウの手柄だろう。今頃人質と魔法関連の盗品を回収してくれて そんなことねえよ﹂ いるだろうか。だとすれば人質については心配ない。 ﹁攻撃手段がない? 俺はその隣にいた奴を指さして言った。 ﹁まずはお前だ﹂ 銃で狙うように指を指して一拍の後、その指を撃つかのようにジ ェスチャーをした。 その刹那、彼の膝から血が噴き出した。 撃たれた幹部は痛みでのたうちまわる。 ﹁ぐあぁっ!﹂ 431 ﹁何をしやがった!﹂ わかるはずもない。魔力も必要とせず、超一流の魔法使いでも発 動が困難な距離から放たれる攻撃。 視認してからでは避けることもままならない。俺たちの最終兵器 にして、俺の現代知識からくる数少ない具体的なアドバンテージ。 スナイパーライフルによる銃撃であることなど、この世界の人間 がわかるはずもない。 俺が予め決めておいたサインでアイラに狙撃してもらった。 ウィザリアの王都の構造はだいたい頭に入っている。 ここならばアイラの場所からよく見えるのだ。 最初の茶番はアイラにここを確認させるための時間稼ぎでしかな かった。 ここ建物を見張らせているのだから見つけるのは当然だ。 ﹁ぎゃあっ!﹂ ﹁ちくしょおっ!﹂ 次から次へと盗賊が撃たれて倒れていく。 港に打ち上げられたお魚のように、立つこともままならない幹部 は恨みがましい目でこちらを見ている。 周囲の一般人の顔に浮かぶのは純粋な恐怖。化け物でも見るかの ようだ。 軽い動作で屈強な男たちが倒されているのだから。 俺が味方か敵かの判別もついていないのだろう。 アイラには即死させるのではなく足を狙えと言ってある。 432 殺しては怒りが先にくるからだ。 痛みで叫ぶ幹部たちを見ることで完全に戦意を削ぐのだ。 次は自分の番かもしれないという不安が彼らに一歩を躊躇わせる。 俺はその心理を実によく理解した気でいた。 ここにいるのは若い人が多かった。 所詮この組織も、魔法で差別されなくなるかもしれないという話 に浮かれていただけの軽い気持ちでいる奴ばかりだろうとたかをく くっていた。 説得も脅迫も、そこまで苦労はしないだろうと思っていたのだ。 事実、その推測は大部分の人には当てはまっていた。 だから、本当にこの組織に心酔する人間がいるなんて思わなかっ た。 人の数だけ考えがあるということを、知った気でいた馬鹿だった のだ。 ﹁許さない⋮⋮よくも先輩たちをっ⋮⋮!﹂ 目の前でよく知った人を傷つけられて、逆上して背後から鈍器を ふりかぶって襲ってくる人間がいることを失念していたのだ。 433 それはまるで悪足掻きのような︵後書き︶ やめて! 一般人の腕力で、レイル・グレイを殴られたら、ご都合 主義で異世界に転生しただけの貧弱なレイルは死んじゃう! お願い、死なないでレイル! あんたが今ここで倒れたら、神様や 大切な人たちとの約束はどうなっちゃうの? 武器はまだ残ってる。これを耐えれば、変態も待ってるんだから! 次回、﹁レイル死す﹂。ファンタジースタンバイ!︵嘘予告です︶ 434 後ろ盾の契約 振り返った俺の目前に花瓶を持った女性が差し迫っていた。 花瓶は俺の頭部へとまっすぐに振り下ろされている。 どうして花瓶を選んだんだとツッコミ脳な俺はスローモーション で流れゆく景色の中思った。 ヤバイ。このままでは花瓶で殺された異世界転生者になってしま う。 そんな死に方は嫌だ。一回目の死に方は覚えてないけど、こんな 死に方したら絶対忘れられなくなってしまう。 せめて防御を、と手で防ごうとするも、鍛錬の成果の出ない我が 肉体は望みの動きをしてくれない。 女性に殺されるだけマシなのか。肥溜めで窒息死やくしゃみで頭 打って脳内出血とかに比べたらずっとマシか。 わけのわからない形で全てを覚悟してきゅっと目を瞑った時、花 瓶は真っ二つになり、女性の首が飛んだ。 ﹁⋮⋮⋮⋮えっ!?﹂ 何が起こったのかわからないままノロノロと見晴らしのよくなっ た女の首から上を通して一人の女性を確認した。 血の滴る日本刀を持ち颯爽と登場したのは長い黒髪、美しく整っ た顔の和風美少女。 ﹁あんたとあろうものが珍しく不用心じゃない﹂ 435 俺たちの仲間にして、剣から魔法までなんでもござれの超ハイス ペックな中身成人女性の少女、今は逃げ出す盗賊の監視についてい るはずのカグヤだった。 ヒーロー カグヤさんマジ主人公。ヤバイ、超かっこいい。俺が女でお前が 男なら確実に惚れそうだな。とか言っている場合ではない。 ﹁ありがとうな。でもどうしてカグヤがここに?﹂ ﹁私の独断で動いたわ。兵士が隙間なく包囲していて私がいなくて も子供一人逃げられはしないわよ。だからあんたが出てきて騒ぎに なっていたから見に来たの﹂ カグヤはやれやれと左手をデコと頭の境目に当てて続けた。 ﹁そしたらレイルが後ろから襲われかけるじゃない。そんなことに なるならもう一人ぐらい協力者を作って後ろを見張らせておきなさ い﹂ そうだな。一人じゃ何もできない。 自惚れてはいけない。俺は勇者でも魔王でも、チートでも万能で もないのだから。 自分を特別だとか思うのは人間として普通の感覚だけど、誰だっ て特別ならば誰だって死にうる。 自分がモブのように死んでいくことだってきっとある。 436 こわばった周囲と未だに縛られたままのデイザスの外側から、兵 がなだれ込む音が聞こえた。 ああ、終わったんだ。 ◇ A級犯罪者、デイザス・ワースを捕らえたことにより、未然に反 乱を防いだ俺たちは王様に城に呼ばれていた。 情報集めのために動いてくれた町の人たちなどの関係者も呼ばれ ていた。 その中には変態もいた。おいお前、城にくるときもその格好なの か。 ﹁このたびの働き、大儀であった﹂ お前のせいでこちとら計画が台無しだったのにな。 今度から何かする時は周囲に手だし無用か、逆に手助けの要請を しておこうかな。 ﹁まずはデイザス・ワースの懸賞金、レイル、及びその仲間に金貨 350枚を与えよう﹂ ワクチンだのオセロ、チェスで得た金額からするとたいしたこと 437 のないように思えるが、かなりの大金である。最近ひしひしと金銭 感覚の狂いを感じる。 ﹁もう一つ、反乱を防いだことにたいする褒美だ﹂ 関係者たちは比較的功績が小さいので、無難にお金を受け取って いる。 魔導具の大半も回収できたようだし、彼らにすれば美味しかった だろうな。 思わぬ臨時報酬だっただろう。なんせ町の様子を教えて外で待っ てるだけでお金が入ってきたのだから。 ﹁レイル・グレイ。そなたは今回の先導者だと聞いている。何を望 む﹂ 旅費ぐらいは十分にある。魔導具ならば金で買える。 今欲しいのは⋮⋮⋮⋮ ﹁この国の全ての情報にたいする開示請求権をください﹂ 俺は淀みなく言いきった。 側に控えていた側近や近衛兵たちが騒ぎ出す。王は拳を握りしめ て心苦しそうに答えた。 俺の仲間だけが平然としていた。まるで最初からそう言うとわか っていたかのように。 だが変態は笑いを噛み殺すように口に手をやっていた。お前は人 を笑える格好かよ。 ﹁それは⋮⋮個人的なものとかもあるだろうしな⋮⋮﹂ 438 ﹁個人研究の結果を横取りしたりはしませんよ。私が申したのは国 にたいしての権利。あなた個人にたいする権利でも構いませんが﹂ なんだか弱みにつけこんで脅しているような気分になる。 可能な範囲でしょう?﹂ だからといって追及の手を緩める気なんかさらさらないが。 ﹁で、どうします? ﹁⋮⋮⋮⋮どうしてそこまで知識を欲する。勇者候補は戦争には加 われないのは知っているのだろう﹂ ﹁一つは約束のためですよ。私は神に会いたい。そのために必要な 手順がわからないんです﹂ 私はそうは思えませんね﹂ ﹁神に会いたければヒジリアに行けば││﹂ ﹁会えると? 神を信仰する国で神に会えるのならば苦労しない。 それならばヒジリアがもっと調子にのっていてもおかしくない。 というか俺個人の偏見で宗教関係者に深入りしたくないんだよな。 なんだが狂信者とか怖いし。この前も邪教に生け贄にされかけた ばかりだしな。 ﹁ごく一部の人だけですよ。それに﹂ 俺が欲しいのはそんな何年もかけて敬虔な信者になるような方法 ではない。 もっと力技で、天界への門をこじ開けるような方法だ。 神を驚かしたいとかそういうわけじゃないからな。 439 毎日剣で素振りをしても、魔力操作の訓練をしても、全 ﹁私が魔法が使えないのは潜入のための嘘ではないことはご存じで しょう? 然強くはならないんですよ。多分それは普通なんでしょうね。でも ね﹂ 鏡で俺の顔を見たならばおそらく諦めと自嘲と、それと他の何か が混ざったような顔をしているのだろう。 ﹁足りないんですよ。神に会うための旅路で、周りの仲間を何があ っても守るには。だから知識を武器にしたい。どんな状況も初見な 私にとって情報と知識は最大の武器なんですよ﹂ らば対応が遅れる。ならばより多くを知っておけばいい。違います か? 騒いでいた周囲は今はもうすっかり静まり返っている。 何かに呑まれたかのようにこちらを窺っている。 この間のようにヘマはしないように俺は周囲への警戒を怠っては いなかった。 だが、これは敵意ではなかった。 ﹁ではしょうがないか。どうしてそなたのような人間が勇者候補し ているのか疑問だったがわかったような気がするな﹂ ﹁勇者候補なんて名ばかりですよ。肩書き以外は一般人ですから﹂ 何故か全員が俺のことを﹁はあ?﹂みたいな目で見ている気がす るが気のせいだろう。 自意識過剰はよくない。 ﹁契約内容はどうしようか﹂ 440 ﹁では個人的な生活などに関わる情報の請求はしない代わりに、レ イル・グレイから情報開示を請求されればウィザリアはそれに応じ ること。でどうでしょうか﹂ ﹁開示する情報が間違っていた場合の罰則などは書かないんだな﹂ 王様が確かめるように言う。罰則なんざとぼけられたら終わりだ 情報の真偽の取捨選択も ろう。間違っていたなんて知りませんでしたってな。 ﹁別に言ってもらっても構いませんよ? こっちの仕事ですし、嘘ならすぐわかりますから﹂ 半分は脅しだ。こう言っておけば迂闊に嘘の情報は流せないだろ う。 契約内容には俺が得た情報を他国に流さないことも付け加えられ た。あと、俺やその仲間に関する情報は請求していなくても送って くるようにと付け加えた。これは俺たちが危険にさらされないため でもある。 これでほとんどは魔法や世界に関する知識を得るための契約とな った。 そしてある意味は俺はギャクラに続いてウィザリアの後ろ盾も得 たことになった。 441 後ろ盾の契約︵後書き︶ こんな報酬を盾にとった脅迫めいた協力じゃないって? やっぱり勇者は国を味方につけてこそだよね! え? 442 不穏な動きと緊急会議 レイルがデイザスの懸賞金でウィザリアに滞在し、お酒を蒸留し て溜め込んだり、手に入れた情報開示請求権を使ってウィザリアの 知識を吸収している間、ギャクラにおいて悪夢の邂逅が実現してい た。 それはレイルの手紙が転送装置においてジュリアス・グレイに届 いた数日後のことである。 仕事を一段落終え、手紙を読み終えたジュリアスは脳裏に幼い頃 読んだ勇者の物語を思い浮かべながらつぶやいた。 ﹁ふむ⋮⋮なかなか好き放題やっているようだな。あの剣の腕前で、 旅先では苦労するかとかは⋮⋮全く思えなかったが﹂ 二歳のころからレイルを知っているジュリアスからすれば、家族 としての贔屓目なしに、彼が力がないからといって何かを諦めるよ うな人間でないことはわかりきっていたのだ。 というか彼が敗北して地に這いつくばっている姿や死ぬような光 景が思い浮かばないのだ。 ﹁まあ、まさかクラーケンをねじ伏せて配下にしてしまうとは思わ なかったがな。それに犯罪組織の撲滅運動みたいなこともしている 443 のか⋮⋮﹂ 勇者候補ってなんだったっけ? とは思わないでもなかったジュリアスだが、それ以上に自慢の息 子が活躍していることへの喜びが勝った。 執事のゲンダがドアをノックした。ジュリアスが入る許可を出す と、彼はギャクラ国の印が入った紙をジュリアスの前に置いた。 ﹁旦那様、国から城へ来るようにとのことです﹂ ﹁そうか、ご苦労﹂ 国から直接命令が来る。 通常の貴族であれば、やましいことは何もしていないのにどうし て?などと内心慌てふためくこともある。 楽観的な者の中には、褒美でも貰えるのだろうか?などと期待す る者もいる。 ジュリアスは違った。 彼は自分が呼ばれたことに毛ほども心を動かされてはいなかった。 自分が呼ばれたことの理由はなんとなく想像がついているし、そ うでなくとも今は目の前の手紙の方が重大な関心事であった。 ジュリアスが城に参上すると、直接王のいる場所まで案内された。 そこには王だけでなく、金髪の美しい双子もいた。 ﹁ジュリアス・グレイ、お呼びに応じて参上しました﹂ この国での正式な礼である、胸に手を当て、片膝をつくようにし て前に体を倒した。 444 ﹁そうかしこまらなくともよい。呼ばれた理由はわかっておるのだ ろう?﹂ ジュリアス・グレイがここに呼ばれた理由。それは彼が息子とし ているレイル・グレイについてのことだった。 レイル・グレイは勇者候補という肩書きをとって旅立った。 それは定期的に国への活動報告をするという義務が課せられてい る。 今回は父親のジュリアスを呼ぶことで、お互いにレイル・グレイ についての情報交換をしようというものである。 というのは建前である。 レイル・グレイについての話をすることは事実だが、情報交換の 意義は国のためではない。実に個人的なものだ。 レイルが手紙の報告において両者に渡した情報に差異をつけたと すれば、それは片方に知られたくないか、必要ないかの2択である。 それならばわざわざほじくり返すような真似をしなくともいいの だが、そこをひっくり返すのには理由があった。 ﹁レオナ様に、レオン様でしたか。愚息がお世話になっております。 なにかしでかしましたか?﹂ 向かい合う両者はともにゾッとするほどに冷たい笑顔だった。 牽制しあう二人の間には、漫画ならば背後に龍と虎が見えていた であろう。 ﹁いえ、レイル様ほどの方が私にしでかすなんてことはございませ んよ。この前も丁寧な文をいただいて、国の外へ滅多に行かない私 などはレイル様の冒険譚を楽しませていただいております﹂ 445 ジュリアスと王は勇者候補はそういうものではないと言いたかっ たが、レオナの心からの微笑に何も言えなかった。 レオナからすればこれは牽制でもあった。 いいでしょう、私はこんな丁寧なお手紙をもらっているのよ、と 見せびらかしているのだ。 ﹁我が息子がお役にたっているようでなによりでございます。私も ウィザリアでの一件をお聞きしたところです﹂ あっさり大人気なく自慢しかえすジュリアス。 単に出した時期の違いだが、レオナは自分は教えてもらっていな い話が出たことに悔しそうな顔を堪えた。 その様子を見てジュリアスは目論見がうまくいったことに気づい た。 ﹁レイル様の冒険談はいつも機転が利いていて、聞いたこともない 知識が登場するので楽しいですわ﹂ レイルはジュリアスとレオナへの手紙に書き方の差異をつけた。 前者は子供として父親に手柄を自慢するように。そして他国から 感じたことなど、スパイだと思われない程度のことを。 レオナには冒険譚として、どうやって敵を倒したかなどに重点を 置いている。魔物などの討伐状況も報告している。 それはレイルがどちらを大切に思っているかなどではないし、レ オンからすれば自分にもあてた手紙なのだからそう自慢するのも違 う気がした。 ︵怖え。俺、絶対場違いだろ。さっさと逃げてえんだけど︶ 446 一人、狼の中に放り込まれた身のレオンからすれば生きた心地が しなかったという。 これ以上続けるとレイル合戦になりかねないので王様ストップが かかった。 ﹁ところで、西の軍事帝国やヒジリアに不穏な動きがあることを知 っているか?﹂ 二つとも無視できない勢力の大国である。 ﹁ほほう。不穏な動き、とは﹂ ﹁ヒジリアはあれだよ。いつもの反魔物の暴走だと思うが││││﹂ そんな王の言葉を遮るように衛士による入室許可を求める声がし た。 ﹁今は来客中だ﹂ ﹁はっ。申し訳ございません。ですがウィザリアにおいてA級犯罪 者が捕えられたので、懸賞金の一部の支払いを求める書状が来てお ります﹂ ﹁それはデイザス・ワースという名前の犯罪者じゃないか?﹂ 447 ジュリアスが尋ねた。 ﹁さすがジュリアス様でございます。お耳が早いのですね﹂ ﹁なに、そいつを捕まえたレイルから手紙で聞いただけのこと﹂ 通常の犯罪者であれば、懸賞金は捕えられた国のみから捻出され る。自国の自治を担ってくれたのだから。 だがA級犯罪者ともなると話が変わる。 たった一人で場合によっては国に危険を及ぼす可能性があるほど の犯罪者は近隣諸国が協力して手配するので、捕えられた時も当然、 懸賞金を負担する。 それだけならば財政関係の上位 ﹁レイル様はそんなすごい悪者を捕まえになったのですね﹂ ﹁だがそれだけではないだろう? 職が書類を作成して終わりだ。何があったのか報告せよ﹂ ﹁それが⋮⋮⋮⋮﹂ 続きを兵士自身が信じていないようで、これを報告することに躊 躇いを覚えていた。 どちらにせよ報告された内容を吟味するのは王自身なので、兵士 が報告を躊躇う必要はなかった。 ﹁捕えられた犯罪者││デイザス・ワースは人間に擬態した魔族で した﹂ 448 そこにいた全員が自らの耳を疑った。 もしかしたら本名がマゾクほにゃららという元貴族なのかななん ていつもの冷徹さも殴り捨てた現実逃避をしてみたり。 兵士はこれだから言いたくなかったんだよと眉をひそめた。 王とその客の御前で無礼なのかもしれないが、先ほどからのやり とりを見てもわかるように、この国は比較的その部分に寛容であっ た。 ﹁魔族と言ったか﹂ ﹁はい﹂ ﹁それは種族としての名前だよな﹂ ﹁その通りです﹂ 王はこれから待っているであろう面倒事にうんざりした。 確かにレイルはこちらの隠し玉としてお披露目する気で送り出し た。 それはあくまで、外交関係で役に立てばなーぐらいのつもりであ った。 ﹁勇者候補としては間違っていない。だが、なんというか﹂ あまり不自然で大仰な噂がたつと困るのだ。 実際の彼は魔族の集団を相手に無双できるような強さはないのだ から。 449 ◇ すぐに各国の王族により会議が開かれた。楕円の机にずらりと国 の代表者たちが並ぶ。 今回のデイザス・ワースの処遇についてだ。もちろん最終的には 処刑することになるだろう。それ以外の処理についてである。 ﹁ウィザリアで捕えられたそうだが、ウィザリアの王よ、考えを聞 こう﹂ 司会が進行させた。 ﹁せっかく魔族の体が無傷で手に入ったのだ。ぜひ研究しつくして これからの魔法発展に役立てたい﹂ ﹁ククッ。確かにそれができるなら捕らえた貴国は旨味があるな。 だが聞いたぞ。捕らえたのは偶然居合わせた勇者候補、しかも子供 だと言うではないか﹂ 目つきの鋭い、細身の男がお前らの力で捕らえたわけでもないの に手柄を主張するなど図々しいのではないかと言外に揶揄する。 ﹁相手国を煽るな。じゃあ、捕らえた勇者候補、レイル・グレイの 出身国のギャクラの王よ何を思う﹂ ﹁できるものなら拷問で目的などを吐かせたいですな。それができ 450 やつら ないのならさっさと処刑してしまうべきだ。魔族は海を渡れる。助 けを呼ばれたら面倒だ﹂ ガラス すると圧倒的武力にものを言わせて押しつぶしてきた東の帝国が 声高に叫んだ。 ﹁軟弱な。魔族の目的などどうでもいい。全て殲滅し、侵略してし まえばいいのだ﹂ すると法皇と呼ばれるヒジリアの代表者がそれに続いた。 白いヒゲをなでながらガラスの王を見やる。 ﹁そこの脳まで筋肉の馬鹿は置いといても、魔族はさっさと処刑し てしまえというのは賛成ですな。できれば見せしめのためにできる だけ残虐に殺してその様子を彼の所業とともに民衆に公開したいと ころじゃ﹂ だがそんな強気の言葉も、次の慎重派の提案によってかき消され た。 ﹁できれば全てを隠蔽して処刑してしまうのはどうでしょうか。魔 族に国が滅ぼされたとなると⋮⋮﹂ 腹の探り合いが基本のこの場において、次に続くその言葉は聞く までもなかった。 魔族に国が滅ぼされたことが民衆に知られれば、混乱を呼ぶ火種 となる。 過剰な恨みや怒りは国を乱れさせ、ときに無用の争いを生む。 魔族を残虐に処刑すれば、魔族側の余計な恨みまで買う。 それに貴族として長年国に潜伏していたというのが良くない。 451 自分たちの国の上にも魔族が潜んでいるのではないかと国民の不 安を煽り疑心暗鬼にさせるだろう。 それら全てを受けてまで、魔族を大々的に殺すことで得られる利 益は少ない。 所詮士気を上げることなど一時的なものにしかすぎない。 ちらほらと賛同の声があがり、デイザスは事情聴取の後、密かに 処刑されることが決まった。 そして、実際は眠り薬で盗賊の親分を捕まえた気分なだけのレイ ル。 彼の名は近隣諸国に有望な策士としての勇者候補として知れ渡る こととなるのだった。 452 不穏な動きと緊急会議︵後書き︶ 魔族が人間の国に潜入して滅ぼした。 これは後々魔族との関係に亀裂が入る原因となりかねませんね。 453 砂漠の底に蠢くモノ ウィザリアから出てから約二週間。 頭のてっぺんからローブを被った四人の不審者が歩いていた。俺 たちだ。 俺たちの周囲に広がるのは砂漠だった。 ﹁暑い!﹂ ロウの一言は全員の気持ちを代弁していて、誰もツッコむ気力さ えなかった。 ﹁暑いからといって絶対にローブを脱ぐなよ﹂ 俺も注意するので精一杯だった。 砂漠で旅人にとっての一番の障害はその暑さに他ならない。 もちろん魔物も草原とかとは違う奴らが出るが、ある程度の強さ と判断力さえあればそこまで脅威ではないのだ。 砂漠での死因は脱水症状がほとんどだが、幸い俺たちにはアイラ のおかげで水と塩は腐るほどある。 砂漠に行くと決めてから大量に保管してあるからだ。 アイラのアイテムボックスは中に入れた物の時間を凍結する作用 があるので、劣化の心配もない。 ﹁どうしてだよー﹂ ﹁馬鹿だな。俺たちがいつも服を脱いで涼しくなれるのは俺たちの 体温よりも外気温の方が低いからだ﹂ 454 砂漠では日中摂氏40度を超えることもよくある。 そんな中で乾燥した外気に素肌を晒すなど自殺行為だ。 ﹁それに直射日光を浴びるのも問題だ﹂ 日光は浴びれば体力が奪われる。 熱中症になった日には判断力まで低下して、雑魚に出会っただけ で全滅必至だ。 ﹁こまめに水分をとれよ。あわせて塩もな﹂ ﹁次はどこに行くんだったっけ?﹂ カグヤの炎属性の魔法の応用で体温を快適に調整されたアイラが 尋ねた。 カグヤ自身は体力があるのか、ローブさえ被せておけば結構平気 な顔で歩いていた。 つまりは暑さでひーひー言っているのは実際は男子陣のみという ことになる。 情けないかぎりだ。 ﹁次に行くのはガラスだな﹂ ガラス。かつては多くの小国がいくつも集まっていた地域だった。 数百年前までは小さな戦争が絶えない地域で、戦国時代とも言え る、群雄割拠の場所だった。 それが850年前の魔族との戦争によって一時休戦し、結託して 勇者召喚の儀を行った。 この世界と元の世界では時間の流れが違うようで、その時召喚さ れたのはおそらく30年程前の日本からだと思われる。 455 召喚された日本人は彼らの言語や単位規格を統一した。 これにより情報伝達が著しく発達した。 当時はこの大陸にも少数はいた魔族も、不利を見て撤退していっ た。 初代勇者は追撃中の手を緩めることなく、当時の魔族の国に攻め 込み、魔王城に乗り込んで魔王を倒してしまったという。 彼の功績は今もこの大陸中に語り伝えられ、その栄光により、魔 王討伐に乗り出した国以外の言語までもが日本語になったと言う。 この人につ ﹁それだけ聞くととんでもない奴だよな。カリスマっつーかなんつ ーか﹂ ﹁カリスマってなに?﹂ ﹁えーっと大衆を惹きつける魅力みたいなものかな? いていけばなんとかなるだろうとか思わせるみたいな?﹂ ﹁うーん。レイルくんの良さはわかる人にしかわかんないからねー﹂ ﹁いや、人質とったり毒仕込んだりするような奴はそうそう好かれ やしないよ⋮⋮っと﹂ 魔物のお出ましだ。 魔物の中で獣型を魔獣というならば、爬虫類型は魔蟲だろうか。 砂を掻きわけ襲いかかってきたのは砂塵蟲竜。 竜とは名ばかりで、大きさは2∼3メートルほどしかなく、種族 としても全くの別物だ。サメとチョウザメより違う。 ワニのような体表だが、構造はまるで異なる。 刃が通らない!﹂ 通称砂漠の吸血鬼と呼ばれ、竜とも鬼とも言われるのには理由が ある。 ﹁どうして! カグヤが先陣をきって斬りかかるが、その硬い皮膚は生半可な刃 456 を通さない。 アイラも突撃銃を二、三回ほど発砲しているが、その程度では効 かない。 前衛が慌てて距離をとった。 うねりながら砂塵蟲竜は前衛のいた場所に突撃し、砂を巻き上げ た。 ﹁どうするのっ!﹂ ﹁私が魔法で⋮⋮﹂ ﹁いや、やめとけ。おそらく効かない﹂ 昼夜の温度差の激しい灼熱と極寒の砂漠において、生半可な炎魔 法では効かないだろう。 ﹁いや、さっきから集めたこれなら⋮⋮でも確実には当てられない のよね﹂ そういえばカグヤはさっきからアイラの周囲の熱エネルギーを溜 めてたっけ。 カグヤの手元に透明の球体が見える。あれはおそらくあの部分だ け超高熱になっているのだろう。 風魔法は刃が通らないならあまり期待はできない。 水魔法は、水を使っても威力的には風とあまり変わらない。 そして地属性は、普段から砂に潜っている相手には当てにくいだ ろうな。 そう、これこそがこいつが砂漠で恐れられ、大層な二つ名を冠す る理由だ。 457 生半可な攻撃力ではその皮膚すら貫通できず、やられる。 そして倒した相手の血を啜ることで栄養と水分を補給するのだ。 コップ一杯の水分で1ヶ月は活動できるという。 地と風属性の魔法の複合で地中のこいつを察知して避けるなど、 こいつは避けなければならない。 砂漠の危険モンスターの一つだ。 その皮膚から肉にいたるまで、高価で取り引きされるため、一攫 千金を狙う者が後を絶たない。 竜の名を冠するのも頷ける話だ。 ﹁退却して私が⋮⋮﹂ アイラがリボルバーを取り出そうと腕輪を操作する。 俺はこいつの生態を思い浮かべていてとあることを思いつく。 ﹁いや、アイラ。リボルバーじゃなくって水を3、4本出してくれ。 試したいことがあるんだ﹂ 砂塵蟲竜はその刺々しい口を開けてこちらを威嚇している。 開いた口の中に肉感のある赤い粘膜が広がり、油断すれば腕の一 本ぐらい呑み込まれそうだ。 だが奴に襲われた人間は血以外の欠損はないという。 多少は擦り傷噛み傷はあるが、体としては五体満足のまま、血だ けが吸われるのだ。 そして一人を吸うと満足してしまい、去っていくという。その一 人は死んでしまうという。 吸血量はたいしたことがないのに、どうして死ぬかというと、奴 458 の唾液には血液凝固を妨げる毒があるからだ。 恐ろしい死に方である。砂漠で全身から少しずつ血を失って死ぬ のだ。 一人しか死なないというのは、これだけ危険な生物がいるのに、 平気で金持ちがここを渡ろうとする原因でもある。 すごく安い奴隷を購入して生贄にし、通り抜けてしまうのだ。 倫理観的にもあまり褒められた行為ではないが、新米パーティー がこいつと出くわしたときの最後の手段でもあるというのは冒険者 の裏話で有名だ。 ﹁水?﹂ ﹁ああ。おまけで少し塩も入れてな﹂ 俺が今からすることは、砂漠において自殺行為に等しい。 だが俺たちには水が腐るほどある。 大きな瓶に700本ぐらいあったから、おそらく1000リット ルはあっただろう。 俺はそいつを奴の開いた口に向かって投げた。 ﹁ぎしゃぁぁぁぁっ!!﹂ 別に割れたガラスの破片で口の中でも傷つけば、なんて思っては いない。だって俺、そんなコントロール良くないし。 案の定、瓶は狙いを外し、奴の頭部で割れた。 水が口に、そして皮膚に流れていった。 先ほどの叫び声は決して苦痛によるものではない。むしろ喜びに よるものだ。 砂漠の生物は総じて水に飢えている。 459 その渇きを潤そうとして食べ物を食べているといっても過言では ない。 ならばその渇きを潤してやろう。 砂塵蟲竜は満足しておとなしくなった。 だがここで逃がす俺ではない。 ﹁それ、もう一本﹂ 俺はおとなしくなった砂塵蟲竜の上からもう一本の水瓶を開けて 上から掛けた。 そしてもう一本、もう一本とアイラに出してもらった分全てを掛 けきった。 蟲竜は最初こそ喜んでいた。 だが途中からその様子は段々と変わっていった。 生物の本能に食いだめというものがある。食べられるときに食べ ておくのだ。 奴の単純な脳は水を食事と錯覚し、止められなくなってしまった のだ。 それはまるで麻薬中毒者の前に麻薬をばらまいたような反応であ った。 砂塵蟲竜の特殊な皮膚にも秘密があった。 砂塵蟲竜の体表は皮膚呼吸と皮膚からの水の吸収ができる。そし て表面から水を逃がさない構造だ。 砂漠に適応しようと進化した結果だと思われる。 二つの条件が蟲竜の脳に快感をもたらし、そして奴の肉体に限界 460 が訪れることになる。 ﹁ぐぎゃ⋮⋮ぎゃしゃぁぁ﹂ 蟲竜はびくんびくんと痙攣していた。呼吸ができなくなり、うま く動くこともできなくなっている。 そしてそのまま血の混じった泡を吹いて死んでしまった。 ﹁うわぁ⋮⋮﹂ ﹁どうやったらそんなことになるんだよ⋮⋮﹂ ﹁レイルくんは凄いけど、気持ち悪い﹂ 他の三人がドン引きしていた。 ◇ すでに動かなくなった砂塵蟲竜をなんだか申し訳なさそうな目で 見る三人に俺はなんだか悪いことをしたのかと謝りたくなった。 確かに多少絵面は悪いかもしれない。 だが安全かつ簡単に殺せてお得じゃないか。 今日は砂塵蟲竜の焼肉だ!﹂ 俺は気をとりなおしてこれからのことについて話すことにした。 ﹁⋮⋮えーっと⋮⋮⋮⋮よし! ﹁食べたりできるの?!﹂ ﹁だって水しかやってないぜ?﹂ ﹁どう見たって不治の病とか、即効性の毒を投与されたようにしか 見えないんだけど﹂ 461 ま、まあそうだな。 ごふって効果音が聞こえていたもの。幻聴とかじゃなくて。 俺たちは皮を剥いで肉の解体に移った。皮を剥ぐと直径30cm ほどの胴体が一回り小さくなった。 さすがに全部は食べきれないので、残りをいつものようにアイラ のアイテムボックスにしまう。 その他にも、牙や毒、内臓などにいたるまで、役に立ちそうな部 位を回収していく。 なんとなくはわかるんだけど 肉を焼きながら、今回の戦闘について尋ねられた。 ﹁で、今回はどうやって倒したの? ⋮⋮﹂ ﹁今回は水中毒みたいなものだな﹂ ﹁水中毒?﹂ ﹁ああ。砂漠で暮らす生物はより少ない水分で生きていけるように 尿の排出量が少ないんだ﹂ ﹁それが何か関係があるの?﹂ ﹁いつもは少し血を吸うだけで生きていけるのに、それが水になる んだ﹂ ﹁確かに俺たちも食事全部が水になったら嫌だよな﹂ ﹁最大の死因は奴が水を取りすぎたことなんだ﹂ 尿の排出限界を超えて水を摂取し続けると、内臓の器官が不調を きたし、痙攣、呼吸困難、昏睡などが起こる。 これはあくまで人間の症状で、こいつはどうなるかはわからなか ったけど、死ぬことには変わりがなかったようで何よりだった。 それに、砂漠の生物でもラクダとかだと水をため込めるからあま 462 り意味がなかったり。 まあ死んだら儲け物。そうでなくとも、少しの血でお腹いっぱい になるなら水で十分だろうと。 まあそれでも頭がお 俺がそのことを説明し終えると、カグヤはいつものように呆れた 顔で溜息をついた。 ﹁なるほどね。それも前世の知識ってやつ? 何が?﹂ かしいわよ﹂ ﹁え? ﹁真似したくても真似できないってことよ﹂ 水を掛けるだけだぞ? ﹁レイルが砂漠を抜けるって言ったときは結構不思議だったのよね。 いつもはより安全な道を選ぶから﹂ そうだよな。 砂塵蟲竜はそこまで頻繁に出くわすものでもないから大丈夫かと 思ったんだけど。 今回は運が悪かったんだよ。 一匹 ﹁そうじゃなくってね。アイラの銃があれば大抵の敵は大丈夫だっ ていう自信かと思ってたのよ﹂ ﹁そんなことは思ってねえよ﹂ ﹁普通はあんなことを考えないの。砂漠の命綱である水を! の魔物を倒すために四本も使っちゃうとか!﹂ いや、だって。奴の皮は高く売れるし、リボルバーで派手に倒す よりも損傷が少ないほうがいいだろう? 463 それに肉だって鉄の弾が入ってないほうが美味しいだろうし。 ﹁いや、間違ってるとか間違ってないとかじゃないの。なんていう か、酷いわよね。特に絵面﹂ 肉は案の定美味しかった。 なんていうか、弾力があって食べ応えのある肉だ。 むちっとしていてどこか引き締まったような肉だった。 とりあえずカグヤの説教みたいなのは聞き流してだな。勇者候補 なんて名前だけだよ。名前だけ。 どちらかというと、世間のイメージ的には魔王とか盗賊に近いん だよ、俺は。 むしろお前の方がずっと勇者っぽいぜ。 今は目の前の料理を楽しもうぜ。 アイラを見習え。まぐまぐと美味しそうに食ってるじゃねえか。 アイラはかわいいなあ。ずっとそのままでいろよ。あ、胸はもう 少し成長してからでいいからな。 464 砂漠の底に蠢くモノ︵後書き︶ アイラ﹁もうレイルくんがすることに驚いたりするのはやめること にしたの﹂ 465 最弱少年と知りたがりの道化︵前書き︶ テンプレ⋮⋮? テンプレってなんだったっけ? いや、テンプレ回です! 466 最弱少年と知りたがりの道化 勇者の功績は言語や単位規格の統一だけではない。 魔族、魔物に対抗するための冒険者ギルド、その設立は二代目勇 者の功績である。 それら勇者の功績の恩恵を最も受けているのが、この国、ガラス だろう。 何故かと言うと、魔族が最も多く住む西の大陸││まあギャクラ ゲート から見れば東とも言えるんだが、そこは丸い世界で言ってもしょう がないが││へ通じる唯一の転移門がガラスにあるからだ。 つまりは魔王を倒そう、魔族軍と戦おうと思うならばこの国を通 らなければならない。 ガラスは軍事帝国と呼ばれるだけあり、軍備にかける予算は人間 国家の中でも随一。 その中には魔族対策用のお金もあり、この国で強い冒険者が魔族 との戦いに向かう場合は申請すれば多額の支援金や便宜を受けられ る。 ﹁ま、俺たちは魔族と戦って滅ぼしたいとか思ってないし、勇者候 補の名前を出して支援を受けようなんて思ってないけどな﹂ ﹁ふーん。じゃあどうしてここに来たの?﹂ ﹁勇者の伝説や物語が多く残るここなら、神様が登場するものもあ るんじゃないかって思ってな。でもその前に砂塵蟲竜の部位で使わ ない皮とか売りにいこうか﹂ 467 勇者が冒険者ギルドを作った。 ならばガラスに冒険者ギルド本部があるのは必然である。 支部よりも立派な建物は設備も充実しており、腕に覚えがある冒 険者は一度はここを訪れるという。 扉をくぐると、若すぎる俺たちに自然と注目が集まった。微笑ま しく和むのはやめてほしい。 ﹁随分と若いな⋮⋮﹂ ﹁新規登録か?﹂ まあ、そんな年齢なのかもな。 そんな先輩方をスルーし、俺は依頼受付の隣の素材買取受付に向 かった。 ﹁すいませーん。こちらで買取お願いできますか?﹂ 冒険者の中には算術に読み書きができない者もいる。 そういった者がぼったくりにあわないように、冒険者ギルドは適 正価格よりほんの少し低く、冒険者から魔物の素材や魔導具を買い 取っている。 冒険者は確実に安定した価格で買い取ってもらえ、なおかつ冒険 者としての信頼もあがるということで、ギルドに優先的に売ること も多い。 ﹁はい。もちろんです。本日は何をお売りになっていただけますか ?﹂ そう言うと冒険者用の買い取り価格表の1ページ目を俺たちに見 468 せた。 そこにはノアウルフの毛皮や、採取した薬草1束あたりの価格が 載っていた。 こちらのノアウルフが毛皮1枚につき銅貨3 明らかに初心者用の買い取り表だとわかる。 ﹁どうされました? 枚で、薬草はこの種類が1束鉄銭2枚、この種類が1束銀貨1枚で す﹂ ﹁いえ、買い取り表が読めないとかじゃなくって、もっと高額の買 い取り表ありますか?﹂ ﹁みなさん、一攫千金を狙うのは良いですが、無理はなさらないで くださいね﹂ 受付の人がそう言うと、周りの聞き耳を立てていた先輩方もうん うんと頷く。 いや、だから違うって。 砂塵蟲竜が安いわけねえだろ。 ﹁じゃなくって⋮⋮ああ、面倒くさい。売りたいのはこれですよ﹂ アイラに袋から出してもらったようにして砂塵蟲竜の毛皮を出す。 ﹁えーっと⋮⋮こちらは⋮⋮﹂ ﹁砂塵蟲竜だと思うんですけど鑑定してもらえますか?﹂ 受付の人が奥に査定するために皮を持っていってしまった。 万が一間違っていたときを考えて断言はしない。 469 でも図鑑と特徴が一致していたし多分あってるだろう。 バカ言うなよ﹂ 砂塵蟲竜という言葉に周囲の冒険者が反応した。 ﹁おいおい。砂塵蟲竜? ﹁そうだ。奴は一見すると小せえし、狩りやすそうだが、魔法にも 斬撃にも耐性があって体力もある。しかも俊敏だ。お前らみたいな ひよっこが狩れる相手じゃねえよ﹂ ﹁見たところお前ら無傷じゃねえか﹂ ひとしきりまくしたてると、こりゃあいい酒の肴になる、と笑い だした。 ﹁なんかいってやらないの?﹂ ﹁どーもこーも、これが砂塵蟲竜だと決まったわけでもないし、こ れが砂塵蟲竜ならあいつらが何を言ったって関係ないだろ﹂ 奥から青ざめた顔で皮を持って受付の人が帰ってきた。 ﹁どうでした?﹂ 周りで冒険者がニヤニヤしながら見ている。 ﹁本当に、砂塵蟲竜の皮だと判断されました。査定額は金貨60枚 になります﹂ 本当に砂塵蟲竜だったという事実と金貨60枚という数字に周り 470 金銭感覚が麻痺してい の冒険者が信じられないといった疑惑が半分、嫉妬のこもった視線 が半分。 やっぱり金貨60枚って大金なのか? るとよくわからなくなってきた。 ﹁ありがとうございます。その価格でお売りしようと思います﹂ ﹁いえ、こちらこそ﹂ 何がだ、と聞こうとしてやめた。 高額買い取りの素材が入荷されることは少ないだろうし、他の冒 険者への発破をかけるのに一役買うのだろう。 ﹁そのことですが、報酬をお渡しする際にギルド長の方から会いた 俺たちに会いたい? いとのことで﹂ ギルド長? ﹁ええ、いいですよ。会いましょう﹂ 奥の客間に案内された。 ギルド長に会うのは二度目だが、一度目は邪教の生贄にされかけ たときだ。 ﹁よく来てくれたね。あんたたちが砂塵蟲竜の皮を持ち込んだって いう子たちかい?﹂ ギルド長はおばさんだった。 ウェーブのかかった茶色のショートにメガネをかけたふくよかな 人だった。 471 ﹁はいそうです。鑑定で砂塵蟲竜と出たのでしょう?﹂ ﹁単刀直入に聞こう。どうやって手に入れたの?﹂ ﹁どうやってって言われましても、倒して剥ぎました﹂ 誰にも言わないからさ﹂ ﹁だからどうやって倒したって聞いてんのよ。よければ教えてくれ ない? 興味津々につめよるおばちゃんに思わずのけぞってしまう。 変に疑われるのは面倒だ。 ﹁いいですけど⋮⋮﹂ ﹁もしかして特殊な技術とかがいるとか?﹂ ﹁いや、水をかけただけですけど﹂ ﹁えっ?﹂ ﹁だから水を﹂ ﹁わかったわすごい水魔法の使い手なのね。その年ですごいわね﹂ ﹁いえ、誰でも水を飲ませすぎれば死ぬと思いますけど﹂ ﹁えっ?﹂ 何がおかしいんだよ。いや、確かに水中毒とか知らないだろうよ。 でもたとえ水であっても飲ませすぎたら死にそうじゃん。 ﹁やっぱり冒涜なのよ。砂漠で水がなくて死ぬ人もいるってのに。 砂漠で魔物を倒すために水掛けるバカなんてあんたぐらいよ﹂ ﹁それは⋮⋮苦労されてたのね﹂ 何か盛大に勘違いされているような雰囲気がする。 別にヤケクソになったわけでも、水を投げるほど追い詰められて いたわけでもないぞ。 472 ﹁倒し方は広めても構いませんが、それより隠してほしいことがあ るんですよね﹂ ﹁なんだい?﹂ ﹁これです﹂ 俺はアイラの腕輪を指し示した。 ﹁別に追い詰められたわけではないんですよ。水はこの腕輪の中に 大量にあったからかけただけなんです﹂ そう言うとアイラに腕輪から幾つかの物を出してもらった。 その場にいたギルド長、受付の人の目の色が変わった。 ﹁空間魔法の魔導具ね⋮⋮﹂ ﹁ええ。これを秘密にしてもらいたいんです。危険ですからね﹂ ﹁それって誰でも使えるの?﹂ ﹁いえ。今は私が所有者として登録されてるので、私が許可を出さ なければ使用できません﹂ この前俺が借りたときは登録変更で仮の使用許可を出していた。 これならば冒険者組合にはこれを漏らすメリットはなくなる。バ ラしても使えない魔導具、しかも勇者候補に不利になるように動け ば、信用を失う。下手をすれば魔族側の人間だと疑われかねない。 ﹁所有者として登録してあるのはレイルくんと私とロウくんにカグ ヤちゃんの四人だけですから﹂ ﹁念には念を、というやつですよ。とりあえず奪ってしまえってい う人もいるかもしれませんしね﹂ 473 ﹁そういうことね。いいわ、私の名前においてこのことは他言無用 よ。情報提供ありがとう。倒し方を広めようにも、裏付けが取れな い上に真似できないわよね﹂ そりゃあ誰もがアイテムボックス持ってて、その中に水を大量に 持ち歩いていたらできるかもしれないけどな。 ◇ ギルド長直々に報酬を受け取った俺たちが戻ってくると、さっそ く冷やかされ、絡まれた。 ﹁おうおう、うまくやったみてえじゃねえか。俺もあやかりてえよ﹂ ﹁ぎゃははは。酒の一杯でも奢ってくんな﹂ そりゃあ金貨60枚もあれば酒の一杯なんぞはした金なんだろう な。 銀貨1枚あればその日の酒代ぐらいにはなるからな。 俺は周囲の人数を見渡す。ざっと20人ぐらいか。 ﹁どうして先輩を特別扱いしなきゃならないんですか﹂ ここでテンプレっぽくいくなら、逆上した男 いや、思った以上にキツい言葉になったな。これじゃあ喧嘩腰だ。 なんだったっけ? をあっさりと叩きのめして俺TUEEEEするんだったっけ? いやいや。俺弱いし、しかもそんなにこの人嫌な感じじゃねえし 474 な。 ﹁ああん? 生意気だな⋮⋮﹂ ﹁そんなみみっちいことするわけないでしょ。今晩は俺が全員に奢 りましょう!﹂ ﹁うおおおぉぉっ!!!﹂ その言葉にその場にいた全員が歓声をあげた。 一度やってみたかったんだ。今夜は俺の奢りだ!というやつだ。 この人がすごく強くて日頃他の冒険者も絡まれて困っているなら 叩きのめししてもいい評判にもなろうが、ちょっと絡んだだけの男 性叩きのめしたって、あまり得もないしな。 キレやすい奴だ、とか年の割には強いから油断するなよ、程度の 不名誉な評判しかつかない。 それぐらいならトラブルなど避けて、ここで気前のいいところを 見せておいた方が、今後の情報収集が円滑に進むしいいことづくめ だ。 いいよな?と三人の方を見ると、何故か珍しく気持ちの良いこと するじゃんみたいな目線がムカつく。 日頃の行いが悪いせいだな。 ﹁マスター、金貨20枚もありゃあ足りますか?﹂ 後から戻ってきたギルド長と受け付けの人にもお礼を言われた。 ﹁20枚もいらねえよ。その半分でも十分さ﹂ 475 ﹁とりあえず15枚渡しておきますね﹂ 円換算ならば150万円である。中学生がぽんと渡す金額ではな いな。 俺たちもせっかくの宴会を楽しもう。 まだ酒を飲むには体が追いついてないけどな。果汁を搾って冷や したものぐらいはあるだろう。 それにツマミは結構美味しいんだよな。単品で中毒になる枝豆と か、ご飯が欲しくなる焼き鳥とかな。 梅酒とかは美味しいんだけど、未だにビールとかの美味しさがわ からない。前の両親によると三十路をこえたらわかるとのこと。 ﹁坊や、気前いいねえ!﹂ コップを片手にお姉さんが肩に腕をまわしてきた。 冒険のときはもっと重装備なのだろうけど、今は軽装だ。 肩に当たる柔らかいのは思春期一歩手前の体には刺激が強い。 というか死んだ当時まで高校生だったことを考えると、俺は大人 の体を経験していないのだから、刺激が強いのも当然だ。 だからアイラ、そんな怖い目で見るのをやめてくれないだろうか。 別に大きければいいってわけじゃないからさ、お前の見た目だと それぐらいがお似合いだからさ。 ﹁ご馳走になるぜ!﹂ 476 さっきは少し怒りかけだった人も、今はにこにことこちらに話し かけてくる。 うん、強さで恐れられるよりも親しみやすさで馴染む方がいいよ な。 ワイワイと賑やかになっていくギルド内酒場を見ながら中身はま るでじいさんみたいなことを思う。 いつのまにやら、俺が大金を得たことや、どうやって倒したのか とか、聞かれそうだと思っていたことは全て有耶無耶になってしま っていた。 俺はジュースを片手に掲げて叫ぶ。 ﹁くはははは。計画通り!﹂ でもどうしてだろう。自分に死亡フラグを立て続けているような 気がするのは。 宴会の騒がしさは疲れるけど嫌いじゃないからいいか。 477 最弱少年と知りたがりの道化︵後書き︶ お気に入りの﹁この世界がゲームだと俺だけが知っている﹂通称猫 耳猫が完結しちゃったあああっ!!という嘘でしたあぁぁっ!! いつも台無し感が素晴らしいですね。 自分としては、作中の猫耳猫みたいな酷さをレイル君に求めており ます。 478 冒険者らしいお仕事︵前書き︶ エイプリルフールで叫んだのなんて何年ぶりでしょうか。 479 冒険者らしいお仕事 ﹁うう⋮⋮頭痛い⋮⋮﹂ 別に二日酔いってわけじゃないんだからね! いや、何ふざけてるんだろう俺。 ちょっと昨日は騒ぎすぎたかな。 ﹁ふわぁ⋮⋮おはよう﹂ 寝ぼけまなこでアイラが起き上がった。 頭にアホ毛がぴょこんと跳ねている。 ﹁寝癖ついてるぞ﹂ 水で濡らしてぐしぐしと撫でつける。 ﹁やーん﹂ ﹁荒いか?﹂ ﹁別にいいけど⋮⋮もうちょっと優しくしてくれるといい﹂ 朝のピロートークである。 いや、決してそっちの意味でのお楽しみだったわけではない。 せいぜい添い寝である。それでも抱きしめて寝たらなんだかきゅ ーんとして暖かい気持ちになるのは本人には秘密だ。それもぶっち ゃければ下心だし。 ﹁普通は二つ部屋がありゃあ男部屋と女部屋に分かれるんだけどな﹂ 480 カグヤがロウと、アイラが俺と寝たいとか言い出すから、定期的 にこうして寝ている。 あり得ない組み合わせはカグヤと俺、ロウとアイラだけである。 それも野宿で見張りとかの都合上なることもあるが、そのときは 色気のカケラもない。 ﹁カグヤちゃんとロウくん、起きてるかなあ﹂ ﹁ロウはともかく、カグヤは朝早いからな。寝てたら起こしてやろ うか﹂ 木製の扉を開けて隣の部屋に向かうと、そこにはロウだけが寝て いた。 ﹁さすが夜行性⋮⋮﹂ カグヤに起こされていないのは優しさからか、それとも冷たさか らか。 真っ白の髪が布団から出ている。 ﹁おーい、ロウ﹂ ﹁後五分⋮⋮﹂ どこの世界もその感覚は変わりないんだな。 これが学校でもある日なら、規則正しい生活習慣をつけるために も叩き起こすが、元々不規則な冒険者生活でそこまで言うのもな。 それに、過去の職業柄か、ロウは夜が1番神経が過敏になって眠 りにくいのだとか。 ﹁じゃあ、俺はカグヤと素振りしてくるわ﹂ 481 ﹁私イタズラしとく﹂ いつものように剣を持って外に向かう。 学生時代から変わらない習慣だ。 あくまで軽くだ。俺は別に筋肉根性論の提唱者でもなければ、体 育会系の先駆者でもない。 ほどほどに頑張るのがモットーだ。 よく俺みたいに才能に恵まれないやつが、努力で、努力だけでな んとかしようとする話を聞くこともあるが、なんか違うんだよな。 努力が全て報われるなんて信じちゃいないんだ。 努力が無駄とは言わない。 中途半端にかじるぐらいならいっそ素人の方がいいとかいうやつ もいるが、そんな実力差の相手に剣で挑もうというのが間違いなの だ。 そして、そこらへんのゴロツキ相手になら、剣技をかじっておけ ば逃げるぐらいはできる。 うだうだと脳内語りを広げながら素振りをしていると、隣で同じ く素振りをしていたカグヤからたしなめられた。 ﹁またなんか小難しいこと考えてるんでしょ。考えるな、とは言わ ないけどあまり関係ないこと考えてばかりだと身が入らないわよ﹂ ﹁それもそうだな。気分転換に依頼でも受けにいこうか?﹂ ﹁また生贄にされるわよ﹂ 冗談を冗談で返された。 ﹁それは困るな﹂ 482 ﹁だいたい、生活費全然困ってないじゃない。むしろこのまま一度 も依頼受けなくても遊びながら世界中を旅できるわよ﹂ ﹁そりゃあいいが⋮⋮一応目的はあるんだし、それが終わってから だな。ギャクラやシンヤのところに戻ってもいいしな﹂ 確かに冒険者ギルドの登録には期間があるわけではない。 依頼を受けないならそういう冒険者だと割り切られるだけのこと だ。 でもなー。なんだかなー。 いや、俺だって健全な男の子なわけですよ。 誰が健全だって?とか言わないでほしい。 冒険とかいうものに憧れるわけですよ。迷宮の探索依頼とかわく わくしちゃうしな。 この前の迷宮はなんか違う。 命とはまた違う危険があった。 だから単なる旅の中での魔物駆除とかじゃなくってだな。 ごく普通の冒険というものを経験しておきたいとかいう気持ちが あるのだ。 その男のロマンはわかってはもらえないんだろうな。 ﹁っていうかあんたの目的のための旅なんだから寄り道ぐらいどう でもいいのよ。アイラはともかくとして、私とロウが本当に嫌だっ たらあっさり国に帰っちゃうしね﹂ それもそうか。勇者候補の資格は俺しかとってないわけだし、二 人には何の責任も発生しないんだよな。 そう思うとなんだか気が楽になった。 483 もっと肩の力を抜いていこう。 とまあそう言う独白だったり、しみじみとした日常のワンシーン などは俺にとってはフラグにしかならないようで。 この世界にきてから特に思うのだが、トラブルとは何かを為そう としたときに向こうからつっこんでくることが多いらしい。 これが主人公補正というやつか。 いや、自惚れるな俺。 俺がそんな立派なもののはずがないだろう。 せいぜい途中で現れる勇者に協力して魔物を倒したり、うっかり 邪悪な何かの傀儡になって、洗脳が解けたあたりで主人公の仲間に なったりする役だよ。 何故そんなことを言うかといえば、俺たちの泊まっていた宿屋に 一人の男性が駆け込んできて、 ﹁あなたがレイル・グレイか?﹂ と俺を見据えて真っ先に尋ねたからだ。 ◇ 再び、ギルドの客間に呼ばれた俺たち。 出迎えたのは昨日のおばちゃんではなく、男性だった。 彼は副ギルド長らしい。 ﹁君たちの実力を見込んで、依頼したいことがある﹂ 484 指名依頼であった。 実力のある冒険者とかは、他の冒険者では頼めない強い魔物の討 伐や、危険な場所への採取依頼を指名されることがある。 もちろん断ることもできるが、こういったところでギルドに恩を 売っておくと、いざという時にギルドの協力を得られたりするので 受ける人が多い。 もちろん依頼に応じた報酬は出るし、依頼以外の獲得物はそのま ま冒険者の懐に入るので、実力が見合えば美味しい依頼である。 あくまで実力が見合えば、だが。 コモドドラゴンじゃなくってか? ﹁コドモドラゴンの討伐依頼だ﹂ コドモドラゴン? いや、字面的には小さなドラゴンなんだろうというのはわかるん だけど。 ﹁四足歩行で周囲を鱗に覆われ、走る速度は成人男性の平均より少 し速い。尻尾などを巧みに使って攻撃してくるな﹂ 多分俺が思い浮かべるドラゴンと同じだな。あのぼったりした恐 竜みたいなやつね。そんなのも魔物図鑑に載ってたような気が。 ドラゴンと言っても下級なので、人間の言葉を話したりはしない し、空を飛んだりもしない。 ﹁大きさは5∼6メートルぐらいで、高さが人とあまり変わらない﹂ 訂正。思った以上に大きい。 そんなの狩れるわけないだろ、と思わないでもないが、まあ大丈 夫だろう。 485 だって砂塵蟲竜を倒したんだろう? ﹁どうして俺たちなんですか?﹂ ﹁え? あれよりは魔法も効 くし、剣で斬るのも楽だよ。一度噛みつかれても死なないかもしれ ないしね﹂ いや、でもそれって一流の冒険者がパーティー組んで倒す魔物で しょう。 水を手足のように使 どうしてひよっこ冒険者四人にまわすんですか。 ﹁それに、あのサーシャも倒したんでしょ? あ、ああ! い、数十人の兵士を無力化したっていう﹂ サーシャ? ちょっと待ってくれ。 確かに負けを認めさせはしたけど、あくまで魔法のカラクリを使 って魔法が使えなくさせただけでだな。 実際の戦闘とはあれは別だろう。 やっぱりあの魔法使いのお姉さんすごい人だったんだ。 ﹁レイル・グレイの情報を寄越してくれと頼んだら出るわ出るわ。 君みたいな冒険者も珍しいね﹂ そのほとんどが人間相手にしているんですけどね。 今回の砂塵蟲竜みたいなのは珍しいんだよ。 ﹁今ちょうど、湿地帯でデレッドフロッグの繁殖期でね。結構美味 しい魔物だから冒険者の手が足りてないんだよ。そこにこいつの目 撃例がきた。商隊の道を塞いでいて流通に問題が出るそうだ。討伐 486 してもらえるかい?﹂ はあ⋮⋮冒険者も全員総出で狩りに行くなよな。 そりゃあ日々の生活があるから、美味しい依頼があればそっちに 行きたいのはわかるけどさ。 ﹁新しいものの試し撃ちできるかな﹂ ﹁コドモドラゴンか⋮⋮飼ったりできねえのか?﹂ ﹁へえ⋮⋮大きいのね。クラーケンほどじゃないみたいだけど﹂ 仲間はやる気なのかなんなのか良くわからないことをぼやいてい る。 こういう時の判断はやっぱりリーダーである俺がびしっと言って やらないとな。 ﹁わかりました。やってきますよ﹂ まあこれも冒険らしいと言えば冒険らしいか。 初のドラゴン?退治と洒落込もうじゃないか。 487 冒険者らしいお仕事︵後書き︶ ほのぼのと、そりゃあもうほのぼのと進みましたね。 488 現実とは残酷だ コドモドラゴン討伐ねえ。 どうしてまたそんなものがうろちょろしているんだか。 竜骨山脈から下りてくるには距離が遠いだろうに。 今回は自重なしだ。 アイラもいかつい銃を構えながら目撃情報のあった付近まで進む。 雑魚は俺が片付けよう。 ﹁国からの依頼なんだっけ?﹂ ﹁まあね。治安維持みたいなものだから。流通が止まると困るのは 国だし﹂ 国も困るが、一般人も困る。 困らないのはコドモドラゴンを避けて旅ができるような冒険者と かだけだ。 目的地には数日かかる。依頼にかかる道中も依頼に入る。 気がつけばすっかり日が暮れかけていた。 俺たちは森の近くで野宿をしようと火を焚いていたときのことだ った。 ﹁ねえ、気づいてるのよね﹂ 489 ﹁ああ﹂ 俺よりも気配に敏感なロウとカグヤの二人が魔獣の接近を感知し た。 ふかふかとまではいかなくても、やや柔らかい土と落ち葉を踏み しめて獲物の品定めをしている気配。それらは数えるのが面倒くさ いほどには多い。 ﹁ねえ⋮⋮どうする?﹂ こちらまで20メートルをきっているとのこと。俺にはわからな い。 一匹一匹狩っていくのは下策だ。 必ず隙が生まれ、誰かが傷を負う。 多分俺。 それにそんなにいっきに魔法で殲滅しようとすると、森が焼け野 原になったり、やたら集中力がいるので大変だ。 たくさんエネルギーを借りようとすればするほど集中力はいる。 ﹁じゃあ⋮⋮風魔法だな﹂ 俺は考えていた策を口にした。 策を説明し終えると、カグヤはそれならなんとかなりそう、と魔 490 法での気体操作に集中し始めた。 結果はほんの五分も経たないうちに表れた。 俺たちの様子を窺っていたのは、ノアウルフの上位種、ゴアウル フだった。 中には体が一回り大きい、群れのボスと思われる個体もいた。 そいつらは全て、ぴくりとも動かないまま森の中に倒れていた。 ﹁相変わらずえげつない策を考えるわよね﹂ 俺がカグヤに頼んだのは風魔法により、焚き火の煙を操作しても らったのだ。 火事による死者の主な死因は火傷によるものではない。 一酸化炭素を吸ったことによる中毒死である。 血中のヘモグロビンに酸素が結びつくことで俺たちは酸素を体中 に運搬しているのは多くの人が知っているだろう。 一酸化炭素は酸素よりもずっとヘモグロビンと結びつきやすい。 そして焚き火がそんなに完全燃焼しているわけがない。 本来ならばこんな自然の森の中で、煙による一酸化炭素中毒など あり得ない。 空気に薄まり、無視できる量になってしまうからだ。 あり得ないからこそ、野生の魔物には対処のしようがない。 わかっていても、風魔法で操作された煙から逃げることは難しい だろうけどな。 491 多分これが酸素を操るとかだともっと大変なのだろう。 だがそういうことはできる魔法使いもいる。 そういう奴らは酸素を理解しないままに酸素を操ろうというのだ から、ほんの少し操るだけでも膨大な集中力を要する。 カグヤならば俺が科学を軽く教えてあるのでできないこともない が。 だが、単なる魔獣ごときにそんなに大変な目に合わせるのも偲び ない。 煙を操るだけなら風属性の初級魔法、そよ風の応用で十分可能な のだ。 背を低くしたら抑えられる、などといった対処のしようがない作 戦だ。 ﹁ま、あいつらの失敗は俺たちを見つけた瞬間さっさと群れで囲ん で一斉に襲いかかってしまわなかったことだよな﹂ そうしてたら作戦どころか反撃だけで精一杯だっただろう。 そのときはアイラのマシンガンが火をふくのだが。 ﹁回収しなきゃねえ⋮⋮うわぁ、28匹もいるじゃん⋮⋮﹂ たとえ持って帰れない状況や、金にならない魔獣であっても死体 の処理は冒険者のマナーとして言い含められている。 他の魔物を呼び寄せたり、ときにはアンデッドの発生に一役買っ たりしてしまうからだ。 持って帰らない場合、火葬などが望ましい。 土葬では完全に葬れないからだ。 492 ﹁ま、俺たちにはアイラの腕輪があるから問題ないんだけどな﹂ ﹁ん。じゃあ並べてー﹂ その日はゴアウルフの焼肉パーティーだった。 たまには魚が食べたい俺は元日本人であった。 ◇ そこには幻想的な光景が広がっていた。 かつてウィザリアで噴水を見たときも綺麗だとは思ったが、ここ はそれ以上だった。 やはり大自然の前には人間の些細な芸術など霞むということか。 ﹁わあ⋮⋮⋮⋮﹂ 四人は言葉を失い、その場に立ち尽くしていた。 木々の間にあったのは湖だった。 藍色で、冷たさを孕んだそれは神聖な物が封印されているのでは ないかとさえ思わせた。 不自然なほどに澄み切っていて、思わず手を伸ばした。 ﹁冷たいし、綺麗だ。飲めるかな﹂ 493 公害などの心配のない世界で、綺麗かどうかを示すのは見た目で しかない。 ここは底まで見えそうなほどに透明度が高く、本当に湖なのかと 疑うほどなので問題ないだろう。 両手ですくって飲むと、心地よさが喉を駆け抜けた。 ﹁ほんとだ、おいしい﹂ 水をくんだり、その光景を機械族に思わず報告しようとするアイ ラだったり、自然と休息の雰囲気になるのも仕方がなかった。 だが、そんな静寂を破るモノがいるなんて思いもしなかったのだ。 ﹁うわわわわ。おお客さんだ!﹂ どこぞのツインテ合法ロリの毒舌幽霊小学生かというほどに噛み まくりながら現れたのは⋮⋮⋮⋮ そうよ。私こそが自然の力を存分に借りられる精神生 ﹁妖精!?﹂ ﹁ははん! 命体の素晴らしい種族、精霊族が一人水の妖精ウタってわけよ!﹂ ああ、本当に妖精なんだ。 背中に薄く透き通る羽が生えてるし、なんか半分ふわふわ浮いて るからそうじゃないかなとは思ったけど。 494 思ったよりも大きいんだな。 手のひらサイズを想像していたんだが、目の前にいる幼女は普通 の七歳児とかの見た目で、一回り小さいぐらいの感じだ。 小柄な人種なんです、と言われれば信じてしまいそうなほどの大 きさだ。 精霊族の中に妖精というのは存在する。 高位の精霊族は妖精とは言わない。 だから妖精妖精と叫ぶのはもしかして馬鹿にしている風にとられ ねえねえ、羽触っていい?﹂ るかと思ったけどそんなことはないらしい。 ﹁うわー。本当に妖精さんだ! ﹁羽を動かしているわけでもないのにどうやって浮いてるのかしら ?﹂ ﹁すげえええ!﹂ テンションMAXの三人が先に大騒ぎしてしまったことで、俺が 騒ぐタイミングを逃してしまった。 よくあることだ。先に自分よりも感情を素直に表現されると、後 からは言いにくくなるだろう? 好意をよせている女の子が可愛い格好をしているから、﹁可愛い じゃん、似合ってるよ﹂と言おうとしたら他の奴に言われてしまっ て二番煎じが嫌で結局言えないみたいな。 とまあそんなわけで俺ははしゃぎきれずに、極めて冷静なまま尋 ねた。 ﹁なあ、俺の知る精霊族っていうのは人には滅多なことで姿を見せ ないって聞いてたんだけど、何かあったのか?﹂ 495 いや、別に貴方には真の力が秘められています、とか勇者のお告 げとか期待してないけど。 言うじゃない。 妖精が困っていることなら、助けたら何かいいことがあるんじゃ ないかななんて。 あれだよ、情けは人の為ならずって ﹁そのことなんだけど、助けてほしいの!﹂ お、やっぱりか? で頼み事はなんだろうか。 たいていこういう頼みを聞いて動いてると、精霊しか知らないこ とがしれたりすることがあるんだよな。 別に精霊族をどうこうする気じゃないし、頼み事は本気で解決す る気だから問題ないよ、安心してね! ﹁話してみろよ。力になれるかもしれないぜ﹂ とてもそんな風には見えないけど﹂ ﹁実は⋮⋮私の管理しているこの湖がね⋮⋮呪いにかかっているの !﹂ ﹁呪いだって?! そうだな。呪いのかかった場所ってもっと禍々しいものを思い浮 かべるんだけどな。 俺、さっき呪いのかかった湖の水をしっかりと飲んだんだけど大 丈夫かな。 ﹁それは一年ほど前のこと⋮⋮私の湖はそこに住む豊かな命の数を 減らしてしまったの﹂ まあそんなこともあるよな。 生態系というのはたまにバランスを崩すものだ。 496 ﹁私はこのままではいけないと思ったのよ。この湖が汚れているか ら、生き物が減るのではないかってね﹂ あ、なんとなくだけどオチが見えたわ。 ﹁私は頑張ったわ。水の中の汚れを取り除き、死体が出れば片付け て⋮⋮﹂ なんてことを⋮⋮ ﹁そしてそれを続けたにもかかわらず、生き物は次第に数を減らし たの。今ではこんなに綺麗なのに、全然生き物がいない死の湖とな ってしまったのよ。これはきっと、私のことを妬ましく思った誰か の呪いなのよ!﹂ 妬まれる理由がお前みたいなあんぽんたんにあるのかよ。 私の湖 そのためには洞窟にわずか じゃあ、お礼はするからぜひ! 俺はこいつの馬鹿っぷりにどう言ってやればいいのかわからず拳 を握りしめた。 ﹁お前ってやつは⋮⋮﹂ ﹁わかってくれるのね! の呪いを解く手伝いをしてほしいの! に咲くという││││﹂ ﹁なんって馬鹿なんだ!!!!﹂ どうして精神生命体の私に攻撃なん 俺はウタの小さなデコに容赦無くデコピンをくらわせた。 ﹁あいったぁぁぁぁっ!!! 497 て⋮⋮﹂ ﹁お前、やっぱりダメダメ妖精だろ﹂ 妖精は攻撃しにくい。 それは精神生命体であるため、魔法が効かないし、武器での攻撃 もすり抜ける。 だが、 ﹁俺だって魂があるんだ。素手でなら攻撃できるんだよ﹂ 涙目でうずくまる見た目幼女を見下ろしていう。 ﹁お前の湖がこんな風になったのはな⋮⋮全部お前のせいだ!﹂ ﹁えっ!﹂ カグヤとロウはそうなのか?みたいな顔だが、一人、アイラだけ はうんうんと頷いていた。 さすが俺が一から十まで教えたことはある。 ﹁湖に生き物がいなくなったのはな⋮⋮⋮⋮栄養がないからだ﹂ 富栄養化の逆だな。貧栄養湖とか言ったか。 ﹁生き物が暮らすためには栄養が必要だ。それは植物プランクトン でもだ。お前が徹底的に栄養を排除したがゆえに。この短期間で全 滅なんてことが起こったんだよ!﹂ どうりで不自然なほど透明度の高い藍色の湖だったよ! 俺の感動と純情を返せ! 誰だよ。ファンタジーといえばエルフや精霊がいて、そいつらが 498 物語の鍵になることもあるって言ったのは。 ニンゲンはすごいね! 魔法に頼らずとも世界を知 俺は生態系のなんたるかまでを懇切丁寧に解説してやったさ。 ﹁なるほど! る方法ってのがあるんだね!﹂ ⋮⋮もしかしたらそれは俺らだけなのかもしれないけどな。 この世界で科学を知る者はあまりいないだろう。 転生者やトリップしたやつがいるなら別だけど。 ﹁お礼だけど⋮⋮えーっと⋮⋮﹂ ﹁いや、いい。今のお前では期待できない﹂ なんかとんでもないもの渡してきそうだ。 あんたのその剣﹂ しかもそれが原因で新たな問題が起こりそうだ。 ﹁そんなわけにも⋮⋮あっ! ﹁やめろぉぉっ!﹂ 俺の剣に何をする気だ。 魔改造で魔力を使うことでパワーアップとかならまだマシだけど ︵使えるとは言ってない︶、使用者の寿命を使って相手を倒すとか ならシャレにならない。 ﹁あ、ああそうだ。偉大なるウタちゃんが俺たちと友達になってく れたらなーなんて﹂ 苦し紛れに出た案だが、結構いいのではないか? もしも友達ならたまに話も聞けるだろうしな。 499 ﹁えっ? かな﹂ あっ。そこまで言うなら友達になってやっても構わない ツンデレとはこのことだ。後ろの羽がパタパタと落ち着きがない のは感情表現の一つか? 500 現実とは残酷だ︵後書き︶ おバカな妖精、ウタちゃん登場 おや、レイルの剣の様子が⋮⋮? レイルの剣が進化したがっているようです。 許可しますか? Yes↑ No Yes No↑ No↑ 選択しました。 501 危険生物との遭遇︵前書き︶ 今回はちょっと短めです 502 危険生物との遭遇 バカな子ほど可愛いとは言うが、実際は友達程度なら十分楽しめ る。 だが信頼を寄せる仲間として共に活動するのは大変だ。 役に立たない人間などいない。役に立たないとすれば上司が無能 なだけだ。とはよく言うが、俺は別に社会人としての経験があるわ けでもない。 一般高校生なのだ。 だから目の前の妖精を御する自信がない。 御する以前に、別に友達全員を旅に連れる必要もない。 ﹁ふふん。もっと私を褒め称えなさい。偉大なる妖精の私にかかれ ば、どんな魔物も水魔法の一撃でばぼーんよ﹂ あまりにチョロイ妖精様︵笑︶を見ているとなんだか不安に駆ら れた。 ﹁友達だし⋮⋮これがあれば離れていても話せるから⋮⋮﹂ おずおずとウタが差し出したのは小さな手鏡だった。 ﹁魔力を込めれば対になってる鏡を持ってる相手に話しかけられる から﹂ そういうのだよ。そういうの。 俺が求めているファンタジーなものだよな。 503 ﹁俺、魔力使えないんだよ。全く﹂ ﹁え、ウソ﹂ 危ない危ない。 やっぱりこいつに剣を任せなくてよかった。 どんな魔改造されるかわかったもんじゃないな。 ﹁まあそれでも嬉しいよ。使うときは他の奴に頼むこともあるかも しれないしな﹂ 役には立つからな。 それに純粋に鏡としても使える。 というかそういうものは好きだ。 ぶっちゃけるとアイラは羨ましい。 ﹁じゃあまたね!﹂ ﹁またねー﹂ ﹁あんまりバカばっかりやってっと、上司に愛想尽かされるぞ﹂ ロウはなんでそんな渋いんだよ。 俺は俺なりの挨拶で別れようか。 ﹁次来るときは妖精の砂糖漬けをお土産に持ってくるよ﹂ ﹁ええっ!﹂ 冗談だよ、冗談。 砂糖漬けになんてできないだろ。 やるとしても人の魂が込められた呪いの口縄で縛って連れてくる ぐらいだよ。 俺は人の魂は縄に込められないけどな。どこかに売ってるかもし 504 れないし。 ⋮⋮⋮⋮妖精って美味しいのかな。 ◇ 元気印のおバカ妖精と別れて旅は続く。 コドモドラゴンがいるという場所から少し離れた高台までやって きた。 先は切り立った崖になっており、眼下には草原が広がっている。 ﹁ここからなら周辺が見渡せるな﹂ いきなりいる場所まで突っ込むなんてするわけがないだろう? コドモドラゴンは決して弱くはない。 砂塵蟲竜の方が防御力と殺傷力が高いために危険生物として認定 されているが、その大きな体躯から繰り出される攻撃は十分に脅威 だ。あくまで大人が何人も協力して討伐する獲物だ。何の策もなく 挑むわけにはいかない。とりあえず見つけるところから始めなけれ ば。 ﹁じゃあ、はい﹂ 505 アイラはよくわかっている。 腕輪から双眼鏡を取り出した。双眼鏡はこの世界には存在しない。 アイラに情報を教えて自作してもらったのだ。 腕利きの魔術師は魔法で似たようなことができる。腕利きじゃな くても、原理を正確に理解していればできるのだが。少なくともカ グヤはできる。 相変わらず俺の仲間がハイスペックすぎて辛い。 ﹁じゃあ交代で見張るか﹂ しばらく生活できるように場を整えていく。 その間も双眼鏡を持って見張りが一人ついている。 それから俺たちは数日ほど見張りをしていた。 森や洞窟、川など、この地域の地理情報を描き留めておくことも 忘れない。 とりあえずコドモドラゴンがどこにいるかはわかった。 行動パターンを調べることで、罠も仕掛けやすくなる。 どんなものを好んで食べているか、活動時間帯など、欲しい情報 のほとんどが手に入った。 俺とロウは顔を見合わせてニヤリと笑う。 ﹁もうそろそろだな﹂ ﹁じゃあ仕掛けますか﹂ 俺たちはコドモドラゴン狩りのために準備を始めた。 幾重にも張り巡らせた罠や、有利に戦闘を運ぶための仕掛けを完 成させていった。 そんな日の昼ごろのことだった。 506 ﹁ねえレイルくん。なんだろうね、あれ﹂ 監視していたアイラの方に変化があった。 それは一つの異物。コドモドラゴンを観察する一人の異種族だっ た。 ここら周辺で最も高い丘に構えている俺たちよりも更に高い場所、 空中に漆黒の羽を羽ばたかせてそれはいた。 片手には長い剣を持っていて、肌の色が普通の人間とは違ってい た。 俺が幼少期に読み漁った本の中にあったある種族の特徴と一致し ていた。 認めたくない事実を口にすることで現実になるのを恐れてはいら れない。 三人に言い聞かせるように言った。 ﹁中級魔族、通称魔人、だな﹂ コドモドラゴンなんて比べ物にならない脅威の接近であった。 ◇ そいつらこちらが見ていることに気づいた。 視線とかに敏感なのだろう。 空中に静止したままこちらを向いた。 同じ獲物を追う者としての直感でも働いたのだろうか。 優雅に飛行してこちらに向かってくる。 507 アイラは最大の警戒としていくつかの銃を出してそのうちの一つ を構えている。 カグヤとロウも準備万端だ。 ﹁これを出す時がくるとはな⋮⋮﹂ ロウが出したのは錫杖のような武器だった。 ﹁お前そんなの持ってたの?﹂ ﹁普段はナイフとかにしてるだろ?﹂ ﹁形状を変えられるのか?﹂ ﹁いや、変わるのは見た目だけで重さも性質も変わらねえよ﹂ 名前は幻影の錫杖というのだそうだ。 なんだその厨二武器。俺も欲しいぞ。 家の関係で持ってたのかな。 頭からすっかり魔人のことが消えていた。 気がつけば目の前に魔人が降り立った。 ﹁御機嫌よう、人間のガキども。なんかようか?﹂ 俺たちなどなんの脅威だとも思わない様子で彼は尋ねた。 気負いも、緊張もない。軽い調子に思わずこちらもつられそうに なる。 だがわかる。こいつは強い。 パワーも、スピードもコドモドラゴンより確実に強い。 508 警戒など解けるはずもなかった。 ﹁そちらこそ。俺たちになんのようだよ﹂ ぴりぴりとした空気の中、彼は笑った。まるで友人がジョークを 言ったかのように。 ﹁なんのようもなにも。お前らがあのトカゲを監視していたみたい だから来たんだよ﹂ 俺たちが観察していたコドモドラゴンがのしのしと遥か遠くを歩 いている。 魔人はそれを指差して言った。 ﹁あいつを飼いたいんだ。だから邪魔されたくなくって﹂ なるほど。そりゃあ俺たちとは相容れないよな。 さて、どうしようか。 509 類は友を呼ぶ? 依然として空中に浮かぶ魔人を見上げる。 果たして羽で飛んでいるのか、いや、羽を媒体に魔法で飛んでい るのだろう。 魔族は下級、中級、上級と区別される。 その多くは魔力量や身体能力などの戦闘能力によって決まってい る。 魔族の魔力量や身体能力は遺伝によって受け継がれやすく、自然 と血筋によって強さが分かれていくことになる。 上級魔族の魔人はそれこそ1人で通常の冒険者何十人を相手に無 傷で勝つほどの力を持つという。 人間が定期的に魔族と戦争になっても勝ちきれないのはここにあ る。 魔族の方が個の強さが桁外れなのだ。 もちろん人間側にも1人で上級魔族に匹敵する強さを持つものも いる。 だが人間でそんなものは50人にも満たないが、たいして魔族側 ゲート は100人ほどいるという。 約2倍というこの差は、転移門の他に人間が少数精鋭で魔族の城 に暗殺者を放ち、倒した人間を勇者としてまつりあげることで士気 を高めて勝つしかなかった理由でもある。 最初から正面衝突すれば負けるのだ。 ﹁世界の理も知らない、無知で脆弱なニンゲン風情が。じゃあ交渉 は決裂ってことでいいんだよな?﹂ 510 世界の理を知らない、といった。 その言葉に引っかかるものがある。 単に科学知識の足りなさについて言っているのだとすれば、目の 前の魔人よりも俺の方が詳しい自信はある。 だとすれば彼は何のことを言っているのだろうか。 結論の出ない不毛な思考はやめて尋ねた。 ﹁んーーまあ他にもコドモドラゴンがいれば、一匹ぐらいあげても いいんだが﹂ どうして魔族がこんなところに、とは言わない。 魔族の中には暇つぶしのような感覚でこちらの大陸に来るものも いる。 それに、見つかっていないだけでおそらくこの大陸にも魔族はい る。 ﹁あいにくこの付近には一匹しかいないんだ﹂ ﹁早い者勝ちってのは⋮⋮ダメだな﹂ ﹁どうしてだ?﹂ ﹁そりゃあ⋮⋮俺らが有利なだけだからさ。お前が先に捕まえて飼 いならしたとしても、横から殺せば勝ちなんだから。俺らが先に殺 せば、お前にはどうすることもできないしな﹂ ﹁くくっ、変なやつだな。わざわざ有利な勝負を放棄するってのか﹂ ﹁勝利条件が異なる場で勝負しても意味がないだろ。受け入れられ ない結果だったときに戦うなら一緒だからな﹂ ﹁私、もう戻っててもいい?﹂ アイラがつまんなくなっちゃった、みたいなフリをして奥に引っ 込んでいった。 511 今頃は抜け目なく、一番長い銃身で、一番貫通力のある銃を構え ていることだろう。 魔人の攻撃がかすりもしない距離からな。 ﹁そうだな⋮⋮普段ならその勝負なんかつっぱねて終わりなんだけ どな﹂ いつでも戦闘に入れるように構える。 こうして会話しながらも、頭の中では必死に次の手を考えている。 アイラの銃弾だけで死ねば話は簡単だが、いまだかつて対峙した ことのない強敵にたいして防御力も測れていないのが現状だ。 ﹁いや、受けよう﹂ ﹁受けてくれるのか﹂ すごいな、驚いたよ﹂ ﹁さっきひっこんだ子に何されるかわかんないからね。ていうかあ の距離から攻撃手段があるの? 見抜かれていた。 アイラの去った方向を見ながら、暗にまるで隠してたとは思わな かったと言ってのけたのだ。 もう一度目の前の彼を見る。 薄緑の肌、青い髪でやや筋肉のついた均整のとれた体。美青年と いった容姿に、やや高い声。だが身に纏う空気とそのきつめの眼差 しは鮮烈な印象を与える。 人とは違えど、言葉の通じる相手なのだ。 ﹁なあレイル、どうするんだよ。勝てるのか?﹂ 耳に顔を寄せてロウが尋ねた。 俺はわからないと言いたかった。 512 俺がほいほいと今までの揉め事に首を突っ込めたのは、リカバリ ーがきくからだ。 依頼であっても、できなかったらできないなりの理由と、情報を 持ち帰って無理でしたと報告する。 これでは報酬や難易度の割に合わないと判断されれば、俺たちが できなくても信頼などを裏切ることにはならない。 しかし、負けられない戦いや退くこともできない状況というのは 存在するのだ。 魔族が現れて無理でした? ひよっこがそんなことを言って信頼されるだろうか。 コドモドラゴンの討伐ができなかったことへの言い訳にしか聞こ えないだろう。 討伐した証拠もなく討伐しましたと報告しても、依頼は達成でき ない。 自然にどこかにいったとして処理されるだけだ。 この時、俺はこの魔族がコドモドラゴンをペットにして何を企む かなんて考えてはいなかった。 それを使って人間を襲うなんて企んでいるとか思えなかったから だ。 だから、俺は、いつだって戦わずに勝ちたいと思う。 昔の名軍師だって言ってたじゃあないか。 戦って勝つのは下の下で、戦わずして勝つことこそが上策だと。 ﹁なあ、どうしてコドモドラゴンなんだ?﹂ 513 人間の悪党達に比べればこいつの方がずっと話が通じる。 ならば落とし所があるはずだ。 ﹁そんなの⋮⋮ちょうどいい乗り物を探していてね。こいつは自分 で自分の身を守れる程度に強いし、それにかっこいいだろ?﹂ だよな。そんな程度の単純なことだよな。深い事情なんてあるは ずもない。行き当たりばったりの自由人なんだ。 すごく共感はできる。確かにコドモドラゴンは男のロマンをくす ぐる体で乗り心地の良さそうな四足歩行だ。 ﹁じゃあさ。今度俺たちと一緒に他の奴を見つけにいこうぜ。俺た ちはこれが依頼だから譲れないんだ﹂ もちろん嘘⋮⋮ではないが、どこまで果たせるかはわからない。 もしも無理なら自転車でも作ってあげてごまかそう。 ﹁なるほど⋮⋮お前らと戦うのも面白そうだと思ったけど、そっち の方が面白そうだな﹂ ﹁じゃあこれで交渉成立だな。名前は?﹂ ﹁魔人ホームレスだ﹂ ホームレス⋮⋮だと⋮⋮?! こいつふざけているのか⋮⋮いや、固有名詞は英語じゃないんだ。 全くの別物なんだ。関係ない。 向こうで双眼鏡を片手に戦闘態勢をとかないアイラを呼び寄せる。 俺たちは順番に自己紹介をしていった。 ﹁カグヤよ﹂ ﹁ロウだ﹂ 514 ﹁カグヤにロウか。ロウはともかく、カグヤは東の出身か?﹂ ﹁そうよ﹂ ﹁私はアイラ﹂ ﹁さっきの道具、すごいな。魔力を感じないのに遠くが見えてたみ たいじゃん。また見せてくれないか?﹂ 双眼鏡のことか。 まあいいだろう。 ﹁俺はレイル・グレイだ。肩書きは勇者候補ってなってる。名前だ けだしあんまり気にすんな﹂ 勇者候補の概要を知っていれば、敵対されるかもしれないとは思 ああ! あの魔族の国に定期的に来ては問題を いつつも、ここで隠し事をすると後々良くないので隠さず話す。 ﹁勇者候補⋮⋮? 起こしていく人間が名乗るあれか﹂ ちょっと待て。 勇者候補って魔族の間ではそんな認識なのか。 てっきり恐怖の代名詞とか、よくて魔族に敵対する冒険者の総称 とかさ。 なんだよ、問題児扱いって。 とか叫んで酒場で暴れて捕まったり、 ﹁俺らってそんな認識なのか⋮⋮﹂ ﹁俺が魔族を滅ぼすんだ! 魔王様の住む城に単騎突撃して返り討ちにあったり、上級魔族に決 闘を挑んで弱すぎて死んだりな﹂ 頭が痛い。耳も痛い。 515 勇者候補って馬鹿の集まりなのか? 俺みたいな貴族のボンボンが道楽気分で冒険者始めて、周りにお だてられてうっかり魔族国で暴れちゃったりするのか? ﹁でもレイルたち見てるとみんながみんなそんなんじゃないってわ かったな﹂ それはなにより。 どうやら勇者候補の汚名返上ができたようだ。 ﹁ところでどうしてこんなところにいたの?﹂ アイラの美徳は素直さだな。 俺には真似できない。その質問はヤバイかと避けていたのだが。 ﹁俺は徹底した道楽主義者でね。ノーマで遊んでいたけど、飽きた から家を出て遊びにきたんだよ。面白そうなことをする。それが俺 の唯一の行動原理だ﹂ 実に退廃的で楽しそうな生き方だ。 俺も似たようなものか。 あ、でも俺みたいにあっちこっちでトラブルには首を突っ込んで ないよな。 ﹁だから君たちを見て驚いたよ。少年少女で旅しているのに、コド モドラゴンに手を出そうとしてたり、魔人の俺を見ても驚かないし ね﹂ 驚いたわ。そりゃあもう驚いたさ。 顔に出ないだけだよ。 516 ﹁見慣れない道具も持ってるし、なんか普通の人間とは違う感じも するんだよ。だから面白い。だから殺さない﹂ 普通の人間とは違う、ねえ。 そこの夫婦は半分人間やめてるもんな。 そんなこともあるかもな。 ﹁そういやどうやって連絡とろうか﹂ ﹁それなら大丈夫だ。勝手に探す。嘘をついたら無関係な人間襲っ てお前の名前出すから﹂ 発想が最悪だな。それをされると確かに少しは困るか。まあいい けどな。 ﹁じゃあまた﹂ ﹁おう。これで友達だな。困ったことあれば言えよな﹂ 友達か、まあ友達か。名乗ったその日から友達と言えるか。 妖精に続いて魔人と友達か。 どこか残念なやつが多いのは何故かはわからないけどな。 類は友を呼ぶ?いや、まさかそんなことはないだろう。 交友関係が広いのはいいことだ。 517 個人情報は大切に あんなに不安だったコドモドラゴン退治も、魔人という衝撃の出 会いのせいで霞んでしまった。 苦労したかと言われればそうでもない。 いや、苦労はした。 ﹁いいじゃん。ド派手なのを一発かましてあげれば﹂ 手伝うなどと言い出したホームレスが強すぎる大魔法を使うのを 止めることに苦労した。 討伐証拠を消し炭や粉々にされるのが困るのもあるが、あまりに ボロボロのコドモドラゴンを持ってかえってギルドの買取で事情を 聞かれるのも困る。 風魔法じゃ効率が悪いし危ないだろ? 地属性の重力魔法か? ﹁まあまあ、そういや俺たちにあった時、どうやって飛んでたんだ ? それに世界の理ってなんだよ﹂ ﹁なるほどな。風より地、か。全く世界の理を知らないってわけで もないんだな﹂ じゃあやはり世界の理ってのは科学のことか? ﹁さっきの答えだが、先に僕が言ったことから話そう。世界の理っ ていうのは魔法のことだ。君たちは魔法は基本4属性に闇光の上位 2属性と思っているようだがそれは間違いだ﹂ 518 俺は頭の中で正八面体の頂点を属性に見たてていたんだが、違う のか。 ﹁光と闇は同じで、本当の属性としては波にあたる。波を加えた5 属性は現象魔法と呼ばれ、使える術の中では最も下位に属する。空 間魔法を光魔法というのも勘違いだ。あれは別の術だ﹂ ﹁魔族はやっぱり魔法に関して進んでいるんだな﹂ ﹁お前たちが魔法を利用して生活を豊かにすることしか考えていな いから、わからなくても使えるならそれでいいと本質から目を背け ているんだ﹂ それは違うだろう。 ﹁より深く現象について理解していれば簡単に魔法は発動する。魔 法とは理解する学問の一つだろう?﹂ 今までの魔法にたいする解釈を尋ねると、ホームレスは眉をひそ めて信じられないといった顔をした。 ﹁⋮⋮その解釈で間違ってはいない。その年で魔導の深淵に近づく、 か。さぞかし優秀な魔術師なんだろうな﹂ ﹁いや、俺は特訓はしてるんだけどこれっぽっちも魔法が使えない﹂ ﹁嘘だろ?﹂ ﹁いやほんと﹂ そうか、理解に関してはなんの問題もないんだな。 じゃあなんかの拍子に使えるかもしれないし気長に待つか。 519 ﹁さっきの話に戻るが、空を飛んでいたのは波属性の魔法で重力波 を作って下向きに放つことで浮いていたんだ﹂ なんだったっけ。 さすがは異世界、魔法でオーバーテクノロジ 前世のSFでそんなのを見たことがあるな。重力波で重力を打ち 消すんだったっけ? ーを再現とは。反重力とか説明されてたな。 それより重力魔法で重力操った方が楽なんじゃね? ﹁みんな俺が魔法使えないっていうと驚くよな。そんな珍しかった っけ?﹂ ﹁いや、たまにはいるんだよ。でもその半分ぐらいは幼少期に魔力 を浴びすぎたりして魔力を使う器官がおかしくなってたりするんだ けどね﹂ 俺はそんな風には見えないとのこと。 異常が見られないのに使えないのが不思議なんだとか。 ﹁ま、それも旅の間にわかるかもしれないしな。気にすんなよ﹂ ロウの慰めがありがたい。 俺たちは再会の約束をしてホームレスと別れた。だって街に連れ 込むわけにもいかないし。 帰り道は行きと同じ道を通る。 道草してみたいというわがままもあったが、帰るまでが依頼です からね。 520 今日も今日とて、賑やかさの失われていない冒険者ギルド本部。 だって以前のゴブリン せわしない人の出入りをすりぬけて、依頼受付の隣の完了報告所 に行く。 もしかして初めて依頼達成なんじゃね? 退治はうやむやになったし。 ﹁お疲れ様です﹂ ﹁あ、証拠品のコドモドラゴンの角と牙です。これで依頼達成です ね﹂ 持ってきたものを見せると何故か慌て出す受付さん。 ﹁し、少々お待ちくださいぃ﹂ 整理していた書類をうっかりぶちまけてしまい、同僚に手伝われ ながら片付けていた。 それが済むと奥に人を呼びにいった。取り次いだらいいのに。ど うしてすぱっと終わらせてくれないんだ。毎回待たせるのをやめよ うよ。 ﹁お待たせしました。こちらが報酬と依頼達成書です﹂ ﹁ありがとうございました﹂ 内心どうであれ、あくまで表面上は丁寧に礼儀正しく。こちらが 客であれ、向こうが雇い主であれ、横柄な態度をとる奴なんてロク な奴じゃない。 ﹁本当に狩ってくるとは⋮⋮﹂ 521 本当にってなんだよ。 俺たちの戦死でも望んでたのか? だとすればこのギルド爆発しろ、と叫ばねばならない。 実は副ギルド長が貴方達にコドモドラゴン討伐依頼を出 叫ぶだけで、あとはスルーだが。 ﹁いえ! したときいて信じてなかったんです。偵察とかその辺だろうと﹂ ﹁いやいるのはすでにわかってましたし﹂ まあ俺たちはよく考えたら依頼を受ける意味ってあまりないんだ よな。 勇者候補資格があれば国からの信頼は得られるし、金はあまりい らないしな。あって困るものじゃないから寄付とかしないけど。だ から危険な依頼なんて受けるとは思われてなかったのかもしれない。 いや違うな。単に子供だから舐められてただけだな。 ﹁お前ら、コドモドラゴンを狩ったのか。これで一人前だな!﹂ 周りの冒険者の声援が暖かい。 この間の宴会によって好印象を持たれているのもあるだろう。 今回の報酬はそこまで高くないし、二回も宴会するほど俺も暇じ ゃない。 だから期待には添えられないが、お礼だけ言っておく。 ﹁ありがとうございます。また何かございましたらご指導などをお 願いするかもしれません﹂ ﹁ははっ。お前ら大成するぜ。最近の初心者冒険者なんて実力を過 522 信した馬鹿ばっかりでな。その点お前らはできることをしている。 何を言ってるんだ。 少なくとも長生きはしそうだ﹂ できることばかり? できるかどうかわからないことばっかりだぞ。 何があるかわからないのだから。 無理だったら撤退できるだけだよ。 コドモドラゴン討伐からしばらく。 俺たちはガラス観光に勤しんでいた。 おしゃれな店で四人で昼食を食べていたときのこと、槍を持って 軽い鎧に身を包んだ男が近づいてきた。 ロウが一番に気づき、幻影の錫杖を小刀に変えて懐で具合を確か めている。 アイラが銃の引き金に指をかけ、カグヤは剣にこそ手をかけてい ないのもあるが、いつでも抜ける状態だ。 ﹁食事中失礼。貴殿らがコドモドラゴンと砂塵蟲竜を討伐したとい う子供だけの四人組か?﹂ ﹁はい。そうですがなにか?﹂ 隠すこともあるまい。 個人情報保護の観念がないこの社会において、目立つ者はすぐに 噂になる。 冒険者は噂になってこそともいう。 ﹁冒険者になってから二年も経たぬうちにこの二匹を僅か四人で討 伐とは。よほどの手練れと見た﹂ 523 そんなことはない。 むしろ攻撃力と知恵があるだけで、ルールの元で対人戦なんかだ とかなり弱いだろう。 そりゃあ同年代に比べれば強いよ。 アイラは武器ならまんべんなく使えるが、刃物よりも銃の方が強 いし。 俺なんか言わずもがな。 ﹁この中で一番強いのは誰だ?﹂ そりゃあ当然カグヤだろ、と言おうとすると、他の三人が異口同 音に ﹁レイルよ﹂ ﹁レイルくん!﹂ ﹁レイルだな﹂ ﹁おい!﹂ いやいやいやいや。おかしいだろ。 なんでいつも俺なんだよ。確かにリーダーだけどさ。一番弱いの 間違いだろ。口を揃えて俺を人身御供にすんじゃねえよ。 ﹁砂塵蟲竜を倒したのもほとんどレイルくんだし、クラーケンだっ クラーケンだと﹂ てレイルくんでしょ﹂ ﹁なに? ﹁なんでもないです忘れてください﹂ この上クラーケンを配下につけているなんて知られたらなにを要 524 求されるかわからん。 やってられるか。 ﹁ぜひ我と手合わせ願いたい!﹂ ﹁断る!﹂ いつかのフォルスくんのときのようになんの迷いもなく断った。 ﹁どうしてだ!﹂ ﹁俺が勝ったらなにかいいことがあるんですか?﹂ ﹁それは冒険者としての名誉が⋮⋮﹂ 正直個人討伐の名誉とかいらない。実力の名誉じゃなくって結果 の名声が欲しい。 というか無理だから。 ﹁じゃあこうしましょう。ここにいるカグヤに勝てたら俺と勝負し まあいい﹂ ましょう﹂ ﹁なに? もしカグヤの方が強いなら、強い方と戦いたいのだからいいだろ う。俺の方が強いなら、結局カグヤに勝たなきゃ意味がない。 まあカグヤが勝つって信じてるけどな。 ﹁なに勝手に私を出して話を進めてんのよ﹂ もしもカグヤが負けるような手練れなら、アイラに銃でも借りて 風穴開けてやらあ。 ﹁三日後の朝九時、この先の広場で待っているぞ!﹂ 525 どうして朝からなんだか。 まあいいや。それだけ時間があれば、カグヤが負けてもいろいろ 仕掛けておけるからなんとかなるだろう。 526 個人情報は大切に︵後書き︶ 魔法の上位というものの本質はゆっくりと明かされていくでしょう 527 カグヤだって頭脳派⋮⋮のはず おまわりさん、こちらです。 いたいけな少年少女を決闘で打ち負かして、あんなことやこんな ことをしようとする大人気ない男性がいます。 陵辱するんでしょう、エロ同人みたいに! いえいえ。目の前にいる男性は単なるバトルジャンキーでしょう な。 朝から決闘があると聞いて、俺たちの周りは人のいない空間が出 来上がっている。 同時にそれは、周りに一定数の人だかりが出来ているということ でもあった。 ﹁逃げ出さなかったか。噂だけではないところを見せてもらえるの だろうな﹂ ﹁噂がどんなものかは知らないけれど、俺自身の強さなんてしれて ますよ﹂ 俺は弱い。 それは現在の揺るぎない事実だ。 というかこの人なんでこんなに自信満々なの。負けるとか考えて ないの? その気になれば遠距離からアイラがばーんすれば、決闘が始まる 前に謎の変死死体が出来上がっていたというのにな。それが楽だっ たかもしれない。 俺が物騒なことを考えている当のアイラはというと。 528 ﹁ねーえー。カグヤちゃんの決闘まだー?﹂ ﹁なあアイラ、少しは空気読もうぜ﹂ ロウ、少しそいつ縛って転がしといてくんないかな。 ﹁はあ⋮⋮レイルの頼みだから相手してあげるけど、どうしてこん なの相手に﹂ 普段から情報も強さの理由も隠すべきだというのが俺たちの共通 の認識である。 そんな中、自分の実力を垣間見であってもバラすようなことは不 本意だろう。 ごめんなカグヤ。 また今度なんかアイラに頼んで面白いもの作ってもらうからな。 自転車とか。 人任せかよ、とか言わないでほしい。不器用な俺としてはできる ものなんてたかがしれてる。 あ、ルービッ○キューブでも作るか。 中二病を患っていたときに、解体してみたことがあるから作れる かもしれない。 木製で色を塗ればいいだろう。 ﹁相手を舐めていると痛い目に遭うぞ。我はそちらが子供であって も全力で挑ませてもらう!﹂ 舐めてなんかないさ。 なんならまた今度スライムで実験して生態でも解明してきてあげ ようか。 529 というか舐めているのはそちらだ。 何が子供でも、だ。 槍をこちらに向けるのをやめてほしい。 ﹁さっさと始めましょうか﹂ 槍使いの人が待ったをかける。 ﹁決め事の確認だ。相手が降参するか、戦闘不能になったら勝ちだ。 それ以上の攻撃は失格としてみなす﹂ ﹁魔法の使用は大丈夫か?﹂ ﹁もちろんだ。我も多少は使えるし、魔法もまた実力の範囲だ﹂ 純粋な剣技だけでもカグヤなら勝てるかもしれないが、カグヤの すごいところは魔法との並列使用だからな。 本気が見たいならそちらの方がいいだろう。 カグヤがいいの?という目で見てくる。黙って頷くと通じたよう で、男の方に目を戻した。 カグヤは剣を上段に、男は槍を下段に構えて相対した。 なんとも言えない殺気と緊張が場を支配した。 誰かがゴクリとつばを飲む音が聞こえた。 ﹁それでは、始め!﹂ 開始の合図とともに、槍使いの背後が爆発した、かのように見え た。 ゆらりと空気が歪んで見えて、凄まじい速度で彼はカグヤに真っ 直ぐに突っ込んできた。 530 ﹁爆炎の槍使いハンスとは我のことよ!﹂ 鋭い突きがカグヤに迫る。 カグヤはそれを軌道を逸らすように受け流し、攻撃を弾く。 驚いた彼の隙をついて、肩口に斬りかかった。 まさに日本刀の攻防一体といえる優雅さだった。 ﹁なにっ?!﹂ 彼は空いている左手で小さな爆発を起こし、大きく横にとんだ。 躱された斬撃は空をきるかと思われたが、彼の鎧の肩を掠って鈍 い金属音をたてた。 一方、カグヤは鎧をつけてはいない。 冒険者の前衛というものは、肩や胸当てなど、重要な部位には防 具をつけるものだ。 カグヤがつけていないのはその体格と戦い方によるものだ。 子供の体格では、鎧をつけていても重い一撃をもらえば吹き飛ん でしまうため、それなら最初から動きの鈍る鎧などつけずに攻撃を 受けないようにしてしまえばいいというのだ。 俺としては危ないから何度もつけろと言っているのだがな。 実際、彼女は今までの旅で一度も攻撃をくらったことがない。 そうするだけの技量があったのだ。 そもそも、勝てない命の危険があって逃げられない相手に俺が挑 まないようにしている。 大物相手にはアイラの火力や策を弄して、剣で挑むような真似は していないのだ。 そして、かすれば危険な攻撃などは一部分だけ守ってもしょうが ない。 531 それなら魔法で遠距離から仕留めてしまえというのがカグヤの戦 い方だ。 剣と魔法、バランスよく使いこなせるカグヤならではだ。 そしてその技量と戦い方というのは、対人戦において体格差や筋 力の差を補って余りあるものだった。 ハンスの魔法は、本人は火属性の魔法としか思っていないが、お そらく風属性の魔力が混ざっている。 複数の属性を一人が持つことは珍しくないし、何より魔法という のは本人のイメージに引きずられる。 だがそれ以外の魔法を使ってこないところを見ると、あれが十八 番で、使い慣れているのだろう。 ﹁はーあ、拍子抜け﹂ ﹁こんなものではない!﹂ 槍使いの槍はパルチザンというもので、先端に重量が置かれてい る。 切る、突くことに特化している。 突貫力よりも精密な攻撃に向いているといえる。 一点での攻撃というのは有効なのだが、カグヤとの体格差と技量 差を考えると、力押しの方が良いと判断したのか切る攻撃が多くな ってきている。槍のリーチ差はそれだけでも剣とやりあうのに有利 と言えようか。 だがそこはさすがカグヤ。ハンスが振り抜いた槍を叩き伏せ、振 りかぶった槍を円の運動で受け流す。流れるようなワザに見惚れそ うになる。 どうして斥力で押し負けないのかというと、技術だけではなかっ た。 532 ﹁あなたは魔法を現象を起こすことしか考えていない。だからそん な体に負担をかけてまで、単純で単細胞な使い方しかできないのよ﹂ 所々に爆炎魔法を使い、爆風で距離をとってみたりと、ハンスは 魔法戦士としてはまあ、普通かそれ以上の実力者なのかもしれない。 だが、それでは足りない。 ﹁すごいな。お互い一歩も引かない﹂ ﹁おお⋮⋮あの彼もすごい攻めだな。爆風をあんな風に使うか﹂ ﹁あの剣戟の合間に、あの精度で発動できるならたいしたもんだ﹂ ﹁だけどもっとすごいのはお嬢ちゃんのほうよ﹂ 気がつけば見物人の半分ほどは冒険者が混ざっている。宴会のと きに見かけた顔もいる。魔法を使う者と、戦士としての人では着眼 点も違うようだ。 最後のお姉さんは宴会のときに話しかけてきた人だ。 ﹁私は魔力が感じられるからわかるわ。あのお嬢さんは魔法を使っ 魔法使いが、魔法を見て、わからないのよ﹂ ているんだけど、それが表面に出ていないのよ。それがどれだけ異 常なことかわかる? カグヤの剣戟は不規則に強さや速さに歪みが出る。 俺は魔力なんてこれっぽっちもわからないが、何をしているかは だいたい想像がつく。 だってな、カグヤに魔法の強化と応用を教えたのは他でもない俺 だから。 あれはおそらく、属性魔法の応用で自身の身体能力を上げている。 ﹁まだまだっ!﹂ 533 ﹁もうそろそろばててきたんじゃない?﹂ そうだ。カグヤは圧倒的な力の差と、敗北感を植え付けて二度と 挑んでこないようにする気だ。 ﹁なっ?!﹂ 5分もしないうちに彼の槍が弾きとばされた。 カグヤは刀をハンスの首に突きつけた。 ハンスの攻撃をいなし続けて、へばったところで終わらせる。 これ以上ない敗北だ。悔しそうな顔が実にいい。もしも俺が強け れば俺自身の手で這いつくばらせてやりたかったのだがな。 ﹁我の⋮⋮⋮⋮負けだ﹂ 周囲がいっきに盛り上がった。 どちらが勝つか予想をしていた者たちもいたようで、予想が外れ た者が悔しそうに当たった者に文句を言っていた。 例のお姉さんは当然、カグヤ側だった。 ◇ カグヤの祝勝会と、迷惑をかけたというお詫びに、普段は四人の 共通生活費として支払う夕食代は俺が持つことになった。 いや、パーティーなんだから一蓮托生だろ、とはいいたいが、パ ーティーのリーダーである俺が受けた決闘を、結果としてカグヤに 任せてしまったわけだしな。 534 ﹁いやーよかったよ﹂ ﹁あれぐらいは勝って当然よ。レイルだって勝てたんじゃない?﹂ ﹁いやいや、強そうだったよ﹂ ﹁ところで、カグヤは何をしてたんだ?﹂ ロウが尋ねた。 カグヤの不自然なほどの身体能力だろう。 若返る前の全盛期並みの力があったらしい。 ロウは普段からカグヤの練習相手になっているだけあって、実力 はよくわかっている。 そりゃあ気づくか。 ﹁レイルくんも不思議だったよね?﹂ ﹁レイルはわかってそうだけどね﹂ ﹁んー⋮⋮多分だけど﹂ 確信ではない前置きをしてから話しだした。 ﹁どの属性かがわからないんだよな。候補としてはまずは火属性、 体温を常に一定に保っていたよな﹂ ﹁まあね﹂ 運動というのは体内のエネルギーの燃焼にある。それならば、熱 エネルギーの操作とは純粋な運動能力の向上に繋がるだろう。 ﹁次に考えられるのが水属性、これはかなり危ないと思うんだが、 血液とかの体液の巡りをよくしていたとか?﹂ ﹁さすがにそこまではしてないわ﹂ そりゃあよかった。 535 怖いもんな。 ﹁後考えられるのは⋮⋮地属性かな。重力魔法を相手にかけるんじ ゃなくって、自分にかけてただろ?﹂ 相手は爆風を突進などに使っていたが、それだと直進的な動きし かできないし、何より負担が大きい。 その点、重力魔法の逆操作、重力軽減は自分の純粋な速度を上げ る。 仕事量は重さで決まるというのなら、重さが少なくなれば自然と 速度はあがる。 逆に、相手に刀を振るうときや、攻撃を受けるときは自分を重く していた。 体格差による軽さを補うためだな。 ﹁よくそこまでわかるな﹂ 音が違ったからな。 それに、地面を蹴ったときの音が普段より軽かったし。 ﹁まあ最後は簡単だが、風魔法だよな。空気抵抗を減らすように、 自分の動きに合わせて魔法をかけてたよな﹂ とまあ簡単に説明してみたが、改めてカグヤの人外ぶりに驚愕し た。 3属性を同時使用ってなんだよ。個人が複数の属性を持つことそ のものは珍しくないが、それを戦闘で実用可能な魔法として使える のは優秀な証拠である。それを同時に、という点でカグヤの研鑽が 見える。 炎は無意識だったのかもしれないが、地属性の重力は意識しない 536 と無理だろ。 風は条件指定の魔法陣でも組んで事前に発動したのか? 科学と魔法が出会えばここまでになるというお手本だな。科学と いう概念はやはり魔法と相性がいい。知れば知るほど、自分の望む 結果を出せる。 魔力すら使えない俺からすれば、羨ましいだけだがな。 ﹁はあ⋮⋮なんだかなあ。レイルは私の先生だし、多少はわかって るとは思ったけど⋮⋮﹂ 距離をとられても普通に魔法使ってもさ﹂ ﹁何を憂いてるんだよ。というかお前ならあそこまで複合使用しな くても勝てただろう? ﹁何が普通なのかあんたといるとわからなくなるのよ﹂ カグヤはどうやら、自分の魔法に使っている知識がこの世界では おかしいことはわかるらしい。 だが、4人ともなんとなく受け入れてしまっているため、何が普 通で何がおかしいのかがわからないと。 おかしい魔法を使っていたのがバレると、怪しまれたり、狙われ たりするからいつものように実力を隠したかったのだ。 ﹁で、はためにはわかりにくい自分に魔法をかけて誤魔化したり、 短期決戦で解析の暇もなくしたっていうのにね﹂ 俺はあっさり見抜いてしまったと。 あれなら武術の素養がないと不自然さには気づけないし、魔法の 素質が高くないと魔法の解析まではできない。 実際ほとんどの人が単純にカグヤが刀で強いと思っていたようだ。 ﹁なんかあんたを見てると、自分がすごく馬鹿なのか、レイルの頭 537 がおかしいかと思ってしまうのよね。まあ後者だけど﹂ ﹁失礼な。至って普通だ﹂ ﹁レイル君が普通?﹂ ﹁はあ?﹂ 黙って感心しながら話を聴いていた2人から何言ってんだこいつ ?みたいな目で見られた。 ﹁だからよ。レイルならもっと相手に酷い勝ち方をするのかなって 思うと、溜息の一つもでるわよ﹂ まあ俺が出てたら、もっとせせこましくって残念な勝ち方にはな るかもな。 それでいて、あいつに無様で屈辱的な敗北を味合わせていたのか もしれない。 もしも、とかたらればを語ってもしょうがないだろう。 カグヤが勝った。 それこそが全てだ。 538 雨の日の憂鬱、レイルの二つ目の決意 冒険者稼業も、勇者候補稼業も休日ぐらいはある。 今日はお休みだ。剣も魔法もサボりだ。 カグヤとロウは自由時間を利用してどこかへ行ってしまった。 隣でうとうとと眠るアイラの頭を撫でていた。暇があると撫でて いるな。手触りが良いのだろうか。 布団を抱きしめて眉間にしわを寄せているのにどこか幸せそうだ。 本当は今日もいい天気だ、と始めたかったが、今日は雨だ。 道ゆく人々が傘とはまた違った形の雨具を使用しながら濡れない ように歩いている。 窓の外の遠くは雨と曇りの陰でうっすらと霞んでいた。 その様子を宿屋の部屋からのんびりと眺めていた。 勇者の恩恵を受けている、と聞いているガラスだが、ぱっと見は ギャクラとさほど変わりはない。 レンガ造りの家だとか、石畳だとか。 魔導具についてはウィザリアに後一歩劣るといったところだ。 実用性に重きが置かれ、魔法特有の幻想的な雰囲気はでていない。 だがよく見れば、その都市の造られ方には考えがあるのだとわか る。 まず第一に、排水機能がついている。 雨で降った水は道の端にある溝に向かって流れていて、川に排出 539 されていると聞いた。 貧民街で二歳まで過ごした俺としては、その近代的な構造に前世 を思い出して懐かしくなった。 そんな奴は俺ぐらいかもしれないが。 次には敵の侵略に備えた避難通路や迎撃用砦などとなる造りであ るところだろうか。 あまり詳しいことは知らないが、そんなことを聞くとやはり軍事 国家なのだと思う。 ﹁はあ⋮⋮この国でも神様の情報は得られなかったか﹂ 勇者が召喚されたぐらいだ。 もしかしたら、とは思ったが、全然だった。 相変わらず何故か俺の位置を特定して、手紙を確実に届けてくる シンヤに返事を書いた。 奴隷商よりも派遣業務よりも、あそこを国のようにしてしまう方 が楽しくなってきたらしい。 あの付近は生産から加工まで完結してしまったとか。 俺の名前で国として認められないか申請してみよう。 ウィザリアとギャクラと、二つの国を味方につければなんとかな るだろう。 父とレオナ、レオンにも手紙を書かなきゃな。この前、ウィザリ アで返事がきていた。正式に勇者候補の活動記録係としての職につ いたらしい。俺からの手紙を読んだりする正当な理由ができたと喜 んでいた。 あいつら、元気かな。 ﹁どうしようか﹂ 540 俺は迷っていた。 気晴らし代わりにいつものように、1時間半ほどかけて、剣と魔 法の訓練をした。 特に成果が出るわけでもない。 未だに魔法の素養の片鱗も見られない。 なんかの呪いでもかかってたかな。 アイラやロウでも魔導具ぐらいは使えるってのに。 部屋に戻るとアイラはもう起きていた。 寝ぼけ眼を軽くこすりながらこちらを見ている。 ﹁おはよう﹂ ﹁ああおはよう。顔洗え﹂ ﹁洗ってー﹂ ﹁無理だろ﹂ 甘えんな。甘やかしたくなる。 中学生ぐらいってこんなぽやぽやしてたっけ。 前世の当時はもっとちゃきちゃきしていた気がするんだけどな。 あれは学校だからか。家ではみんなこんなものだったっけか? それとも俺の精神年齢がじじくさくなっているのか? 普通の宿屋にあまり調度品や消耗品はない。トラブルの元になる からだ。せいぜい石鹸やタオル的なものがあるだけだ。 泊まる人間は生活用品を持ち歩いている。アイラは自分の腕輪か ら取り出したもので歯を磨いている。 帰ってきたアイラはベッドに倒れこんでわふーと目を細めた。 ﹁ふわあ、もう一度﹂ 541 ﹁何二度寝しようとしてやがる﹂ 用事もないのに二度寝するなとは理不尽な要求だが、アイラは特 もうちょっとのんびりしててもいいけど﹂ に不満げな様子も見せることなく起き上がった。 ﹁次はどこに行くのー? ベッドに腰掛けたままアイラが言った。 ﹁迷ってるんだよな⋮⋮﹂ 俺が今から行こうとしているのはどちらも鬼門だ。 どちらに行っても最終的には目的を達成できるだろう。 違うとすれば、光と闇、表と裏でしかない。 ﹁なあ、俺がもし、今までよりもずっと危険な場所に行こうって言 ったらどうする?﹂ この質問は卑怯だと思った。 俺を無条件で信頼しているアイラならばと期待してしまっている のもある。 でもアイラの返した答えは予想とは微妙に違っていた。 ﹁私たちの中で一番レイルくんが慎重でしょ。ロウくんや私が行こ うって言っても危ないからダメってよく言うじゃん﹂ 俺の髪とよく似た琥珀色の瞳の奥に吸い込まれそうになる。 アイラはよく、俺に決定権を委ねているような様子や、信頼しき ったようなそぶりを見せるが、決して何も考えていないわけではな い。 542 俺はそれこそを危惧して彼女に伝えられるようにしてきた。 何かあれば自分で考えろ、と。 考えることだけは放棄するなと言ってきた。 それは俺が正しいなんて全く思っていないことの現れでもある。 アイラに教えた考え方の中には間違っているものもあるだろう。 だがそれだけは間違っていないと自信を持って言える。 ﹁だがらレイルくんが危なくても行くっていうなら、レイルくんが いなくても私やロウくん、カグヤちゃんはきっとそこに向かってた よ。もっと気軽な気持ちで﹂ だから行くかどうかを私たちに遠慮して迷っているなら行こう、 という意味になる。 それがわからないほど鈍感でもはない。 ﹁やめだやめだ。戦闘中はあっさり決断するのにこんなところで優 柔不断なのはキャラじゃない﹂ ﹁キャラ?﹂ ﹁ああ。俺は決めたよ﹂ まっすぐにアイラの目を見て俺の決断を伝えた。 ﹁俺は、魔族国家、ノーマに行く﹂ この決断は俺の人生に大きな転機をもたらすことを、今はまだ知 らなかった。 543 帰ってきた二人も交えてノーマに行く計画を話した。 旅の道程、補充する物資に魔族と会ったときの注意点などだ。 ﹁ノーマに行ってどうするの?﹂ ﹁魔王城に向かうよ﹂ それだけなの? ﹁ふーん﹂ え? 俺としてはもっとなんか劇的な反応が欲しかったんだけど。 もしかしてノーマってちょっと仲の悪い近隣国ぐらいにしか思わ れてないの? 魔族との因縁とかそういうものはないのか? まあいいか。何もないならないに越したことはない。 ゲート ﹁まず初めにしなければならないことがある﹂ ﹁ガラスが独占している魔族国家への転移門の使用許可だよな﹂ ﹁ああ﹂ じゃあ向かおうか。 今日はいつもよりも少し賑やかさも少ない冒険者ギルド本部。 周囲の建物が石造りが多いのにたいして、この建物は全体的に木 製である。 俺は暖かく感じるので木造住宅は好きなのだが、この世界では安 544 っぽい、粗暴な奴らの集まる場所みたいな固定観念があってかあま り町では好まれない。 農村部にいくとそうでもないのが不思議である。 話が逸れてしまった。 ギルド本部へ来た理由だったか。 ゲート 国は勇者候補の資格を出すことで間接的に許可しているのだが、 それだけでは足りないのだ。 ギルド本部に申請しないと転移門が使えない。 その理由も含めて聞かねばならないとここに来たのだ。 ﹁おはようございます、レイルさん﹂ にこやかに挨拶してくる職員の方にお辞儀をしながら挨拶を返す。 なんというか、異世界に来てもプロ意識の高い接客業務の態度を 見ることになるとは。 子供にだっていつも礼儀正しい。様つけではないが、そこまでさ れても困る。 俺たちなんで生意気盛りの中学生ぐらいなのにな。 特別申請受付の方に向かう。 こちらは依頼や登録、買取などの基本的な冒険者ギルドの業務の 他に、特殊な事案の受付を行っている。 ゲート ﹁転移門の使用許可っておりますか?﹂ ﹁ええ、こちらへどうぞ﹂ また客間に案内された。 どうやらどの勇者候補もここで説明を受けるらしい。 机につくと、おばちゃんのギルド長が俺たちの前に座って話を切 545 り出した。 ﹁あんた達は冒険者ギルドの成り立ちを知っているかい?﹂ ﹁二代目勇者の功績の一つとしか⋮⋮﹂ ﹁確かに二代目勇者のおかげよ。だけどそれは正確ではないね﹂ ギルド長の口から勇者候補にまつわる冒険者ギルドというものの 誕生秘話が語られた。 それは俺たちの予想もしなかった裏の歴史であった。 546 雨の日の憂鬱、レイルの二つ目の決意︵後書き︶ 読んでいただきありがとうございます。 まだまだ拙い物語かもしれませんが、多くの人に読んでもらえる ようにちまちまと更新頑張っていきます。 誤字脱字などございましたらご指摘くださるとありがたいです。 547 二代目勇者と冒険者ギルド ギルド長、ケリー・コロビスから語られた冒険者ギルド誕生秘話 とはおおよそこんなものであった。 初代勇者、その功績は凄まじく、当時乱立していた多数の小国家 をまとめ上げ、この世界の言語というものを統一してしまった。 どうしてそんなことが可能となったのかというと、ひとえに勇者 のカリスマ性の高さによるものである。 彼の英雄譚は誇張や歪曲があったとしても劇的だった。 もちろん周囲の国が協力していたのもあるだろうが凄まじい話だ。 同じ日本人だったとはとても思えない。 そうして出来上がったガラスは繁栄し、世界でも有数の大国とな った。 数十年後、魔族との戦争において、冥界からの一柱の凶悪な召喚 神が呼ばれた。 冥界というのは天界と現世を合わせて三界と呼ばれるうちの一つ である。 通常の状態では行き来することは叶わない世界だ。 地獄、天国とも呼ばれたりもする。 そこに存在するのは悪魔や魔神といった精神生命体や俺たちより も高次元の存在だけであると言われる。 俺が目指す場所でもある。 呼ばれたのは破滅と破壊を望み、代償に応じて大陸さえ消しかね ない禁忌の召喚神。 548 唯一の救いが代償が大きいことと、召喚されて最初に指定された 場所から動けないということだ。 アニマ・マグリット。 その絶大なる力は人間になすすべなく、魔族との戦争で最前線に あるガラスは再び勇者を召喚することを決めた。 こうして呼ばれたのが二代目勇者である。 テラ・ゲート 二代目勇者は史上最悪の召喚神と呼ばれたアニマ・マグリットを 倒すために奮闘した。 少数で突っ込んだ初代勇者とは違い、大規模空間転移門を自身の 勇者としての才能で作り上げ、アニマのいる場所で軍団による超弩 級結界を張って決戦に挑んだ。 初代勇者が剣や肉体に加護があり、天賦の才があったのに比べ、 彼はどちらかというと魔力や魔法に適性があったのだ。 結果として二代目勇者はアニマを倒したのだが、素直に勝利を祝 うにはあまりにも犠牲が多かった。 それは決して二代目勇者のせいではなく、度重なる不幸によるも のであった。 彼が魔族軍との衝突において国軍の指揮を執っていたとき、別の 方角から魔獣の群れが現れ一般人を蹂躙してみたり、勇者への不意 打ちを庇って死んだのが優秀な巫女で、彼女の命によって封印され ていた古の魔物が解き放たれたりしたのだ。 そして、それをしょうがないと諦めるにはあまりにも初代勇者の 功績は大きかった。 549 戦いの後、当時の人々の心には二代目勇者への反発と、ガラスへ の不信が募った。 初代国王は自ら魔王を暗殺し、魔族との戦争をほとんどの犠牲を 払うことなく終わらせたというのに、今の国は異世界の勇者に頼っ てボロボロじゃあないか、と。 初代国王は魔王を倒したからこそ国王になったのだから、人々の 不満はお門違いで見当違いなのだが、どこかにぶつけなければやっ てられなかったのだろう。 だがここで二代目勇者を殺せと言ったり、国に反旗を翻したりし ないのが当時の人々が素晴らしく冷静で、恩を忘れない人格者であ ったことがわかる。 俺はこの話を聞いた時、裏切られた勇者はいなかったのだと安堵 した。 こうして行き着いた結論は、勇者などという単独の戦力や国にば かり魔物からの自衛を任せるからいけないのだというものだ。 国は他国との関係や自国の自治に、勇者は魔族に、そして国民が 魔物に集中すればよい、と。 自分たちの自衛ぐらいはしてみせる、所詮魔物なんて狩ることが できるのだ。 彼らは強く誓った。 彼らは勇者に頼らない世界を作ろうと国の権力の一部を奪って、 力自慢の自衛組織を作った。 これが現在の冒険者ギルドである。 550 話し終えると、もう一度紅茶と茶菓子が出された。 茶色はカップの底まで透明で、香りが部屋の中に漂っている。 ケリーは一口紅茶を飲むと、ふーっと息を吐いた。 ﹁どうしてあんたたちにこんな話をしたかっていうとね﹂ 細いフレームのメガネをかけなおした。 今ではかなり国との協力関係も良くなってきている冒険者ギルド だが、その禍根の根は深いらしい。 ﹁知っておいてほしかったのよ。勇者候補も国の一つの政策でしか ないってことを﹂ 冒険者ギルドに普段の自衛を全て任せてしまっていては国の面目 が丸潰れである。 せめて強力な冒険者を権力を与えて青田買いすることにより、少 しでも魔族問題に貢献していると見せかけねばならない。 そんなことはわかっている。少なくともわかっているつもりだ。 国の冒険者を見る目は信用しないっていう冒険者ギ ﹁国と冒険者ギルド、両方の許可を得なければ魔大陸にいけない理 由がわかる? ルドの姿勢の一つよ﹂ 冒険者ギルドは国に対抗できる組織でなければならない。 しかし国を脅かす反乱分子であってはならない。 国は冒険者ギルドを疎ましく思えど、必要であるため潰せない。 551 冒険者ギルドは国がなくてはならない。 コドモドラゴン討伐では お互いに牽制し合わねばならないのがこの二つの組織の関係であ る。 ﹁じゃあ⋮⋮どうすればいいんですか? 足りないんですか? ﹁いや⋮⋮本当はコドモドラゴンや砂塵蟲竜を討伐できるぐらいの 冒険者なら出しても構わないのよ。でもわかっているんでしょう?﹂ やはりそうか。 俺たちは他の冒険者に比べて経験が足りない。そう思われている。 そして見た目が子供であると、舐められやすい。それを覆せるほ どの実力がないとダメってことかよ。 この国は良くも悪くも強さが全てだ。 一つ二つの結果だと運が良かったで済まされることもある。 三度目の正直というやつだな。 ﹁だからこちらからの許可を出すための試験は厳しいものになるわ﹂ 依頼ってもっと能動的に受けるものじゃなかったか。 何かあるごとに成り行きで依頼を受けているけど。 まあいいか。俺は妥協が得意だ。 流されて冒険したっていいじゃないか。 ﹁第二西都心部の北に今は使われていない古城があるわ。城として の大きさは中ぐらい。まあそれでもこの建物と同じかそれより大き いでしょうね﹂ どうして古城なんかがあるかというと、この国は元々複数の国か 552 らなる国だからだ。 その名残で、王城の他にも同じぐらい繁栄している都心が5つほ どある。 なんか地理の授業で習った気がするんだけどな。なんて言ったっ け、複数の都心部を持つ都市の形。 その中には繁栄することなく、単に貴族の屋敷として使われてい る城もある。 古城というのはそこの持ち主がなくなったままなんらかの形で受 け継ぐ人がおらず、取り壊されることなく残ってしまっているもの だろう。 ﹁魔族との衝突の際に一人の部下に裏切られて、屋敷の主人の一族 と部下全員がその屋敷で死んだわ﹂ そこの話はとりあえず後で聞こう。依頼の内容を聞いてからな。 なるほど。どこかの推理小説とかでありそうな話だ。 怪談スポットみたいだなんて思っていると、依頼の内容はまさに その通りだった。 俺が今まで、文献でしか聞いたことも見たこともなかった存在。 アンデッド ﹁あんたたちに頼むのは、古城での亡者鎮圧よ﹂ ﹁アンデッド⋮⋮だって⋮⋮?﹂ 魔物というのは人間に害をなす知能のない他種族の総称と言われ るが、その中でも異質なカテゴリに分類される種族││││││ア ンデッドであった。 553 二代目勇者と冒険者ギルド︵後書き︶ 主はすでにおらず、あるべき城はすでに廃墟。 目的もないままうろつく彼らの目には一切の光がない。 生きることを謳歌することもできない、襲うことしかできない彼 らは何を思い、集まるのだろうか。 死者たちの饗宴は昼夜を問わず、その姿は生者に恐怖を与える。 次回﹁古城に座するもの﹂ 554 古城に座すもの アンデッド 生命を失ったモノがなお現世に干渉する形で存在する状態。 死体を元にしたものと魂を元にしたものがいる。環境によって蘇 ったモノ、死者の想いで残ったモノ、ネクロマンサーによって甦さ ゴースト せられたモノの三種に分けられる。 幽霊、妖怪の一部、ゾンビ、リビングデッド、スケルトン、ミイ ラなど。 死者の恐怖││著・エンジより抜粋 道中の描写を飛ばしてやってきたのは例の古城。 かつては趣味が良かったのであろう鉄製の柵にはツタ植物が絡ん だりなんかしていっそうホラー感を醸し出している。 今日はそんな古城にぴったりのまごうことなき曇天であった。 ﹁うわあ⋮⋮ロウの家みたい﹂ ﹁なんで俺の家をそんな風に言うんだよ﹂ さりげなくひどいカグヤの暴言には悪意がなく、軽口であったた めロウも笑って返す。 そんな呑気な二人に俺も救われていた。 555 窓枠は壊れ、門には鍵もかかってはいない。門は整備されていな いが故に動きにくく、力をかけると嫌な音がしてゆっくりと開いた。 サビなのか血なのか判別もつかない赤黒い金属の錠前は鈍い輝き さえ放ってはいなかった。 遠くでカラスが一声鳴くと、アイラの肩がビクッと上がった。 ﹁ひっ﹂ 意外にもアイラはアンデッドが怖かった。本人は大丈夫と言って いるが、やや、やせ我慢なところはある。それで戦闘力が落ちるわ けでもなかったので連れてきた。 決して怖がるアイラが可愛くてつい、とかいうわけではない。 ﹁大丈夫大丈夫﹂ 話を聞いたときには俺たちの苦手とする依頼かもしれないという 不安があった。 ゴースト 何故ならアンデッドの中には通常の攻撃がきかないものがいるか らだ。幽霊と呼ばれるたぐいのものである。 ゴースト そういった敵には回復術がきくという。回復術は治癒術とも言う。 幽霊だけではない。アンデッド全般にとって回復術は弱点である。 初級の回復術でも通常のアンデッドはその姿を保っていられないと いう。 その理由は多くのネクロマンサーたちが挑む問題だが、まさか回 復術の使える人に頼むわけにもいかず、解明には至っていない。 だが今回の依頼の現場ではゴーストは確認されてはいない。以前 は行けばアンデッドの一人や二人はいる程度だった。数年前から活 発化しだして冒険者たちに頼むようになったという。 しかし依頼が成功しても得られる利益が少なく、国が報酬をケチ 556 ったために受ける冒険者がいなかったのだ。 活発化してからの目撃情報の中にはゴーストはいない。 通常攻撃がきかない代わりにゴーストは他のアンデッドに比べて 長い間存在しにくいと言われるから不思議ではなかった。 ﹁だから今回はゴーストが本当にいないかどうかを偵察するために いくからな。いなければ他のアンデッドを殲滅して終わり、いれば 一旦退却だ﹂ ゴースト系のアンデッド以外はあくまで魂を死体につなぎとめて いるか、死の手前で止めているかの二種類であるので、体が機能し ないほどに壊せば問題なく倒せる。 ゾンビであれば四肢をぶったぎって首を切断するぐらいで魔物と しては脅威でなくなる。 単なる死体と同じだ。 それとゾンビに有効なのは火葬だろうか。 体が燃えてしまえば動くもくそもない。 だから聖なる何かがないと、なんてことはないし、噛まれたらゾ ンビ化することもないので気をつけることは他の魔物と変わらない。 治癒術が使えない以上、俺たちにとって不利なのは変わらないが、 冒険者のパーティーに治癒術師がいることが少ないので俺たちがキ ワモノだというわけでもない。 俺たちは門の中の建物に入っていく。 絵画とかにまで魂が宿ってたら嫌なので、そちらへの警戒も怠ら ない。 557 さすがにロウソクがついたりはしていないが、絨毯には切り傷が あったり、西洋甲冑が置いてあったりして雰囲気は完璧だった。 ﹁うぼぁあ!﹂ 物言わぬ死体⋮⋮ってほどではないが既に自我を失って徘徊して いる死体に襲われた。 落ち着いて距離をとり、一歩踏み込んで剣でその腕を撥ねた。 腐りかけの腕が壁に当たってぼとりと音をたてて落ちた。 ﹁あまり気分のいいものでもないわね﹂ 普通の魔物や人間ならここで時間が経てば出血や痛みで自動的に 勝利が決まるが、ゾンビはそうではない。 ﹁オオォ﹂ 残った片腕をこちらに伸ばして掴みかかってくる。 首を刎ねると横からアイラが足を切断した。 今回の武器は銃ではない。斧だ。 ホラー映画なら鉈だろうと思わないでもないが、あれは枝を伐採 するためのものなので使いにくかったとアイラが言っていた。 斧は木を切るためのものだもんな。 人体切断には本当はノコギリなんだが、時間がかかるので斧で力 任せに切っているのだ。 カタカタと歩くたびに乾いた衝突音を出すのは骨だけの魔物、ス ケルトンであった。 生前の名残で胸当てだけしていたり、剣を片手に持っていたりす 558 る。 スケルトンは思っていたより楽だった。 というのも軽いから持っている剣にさえ気をつければ簡単に砕け てしまうのだ。 よくスケルトンに襲われて死ぬ人がいるのは集団で襲われたりし てパニックに陥るのが原因だろう。 ﹁どいつもこいつも動きは単純ね。どっちかっていうともっと力自 慢の冒険者に頼んだ方が楽なんじゃない?﹂ カグヤは軽く見ているが、俺は不安が拭いきれない。 一つ一つ部屋を確認していく。 客間や給仕室にはなにもなかった。 当主の間の近くまで来た。 ﹁残す部屋も後僅かだな﹂ ﹁いつ出てくるかわからないわよ﹂ 警戒は決して緩めてなどいなかった。 だが確かに舐めていた。今までの探索において、一体ずつしかア ンデッドが登場しなかったことで、ゾンビものの映画や有名なゲー ムのように群れをなして襲ってくるゾンビのイメージがなくなって きていた。 そのドアを開けたとき、まるでゲームのようだと思った。 腐臭と血なまぐささが鼻について我に返った。 ﹁閉めろっ!!﹂ 559 しかし現実であった。 ドアの向こうには数十ほどのゾンビやスケルトン、ミイラの大群 がいたのだ。 口を開けると糸を引くような醜悪な集団は、動くことのない眼球 で俺たちを捉えた。 動きは速くないのが唯一の救いだ。 ﹁ぎゃしゃあ﹂ ﹁べしゃぁぁっ﹂ ドンドン、ドンドンと壁を叩く音が聞こえる。 今は二人がかりで抑えているが、扉自体が壊されるのも時間の問 題であった。 みしっと扉が軋む。蝶番が今にも外れそうだ。 ﹁離れろっ!﹂ 押さえていたカグヤとロウにどいてもらい、その瞬間俺は扉に向 かって飛び蹴りをかました。 外側に開くはずの扉は内側にむかって倒れこみ、中で叩いていた こっちに!﹂ アンデッドたちを巻き込んで部屋の中へと入っていった。 ﹁今だっ! 俺は当主の間の扉を開き、三人を誘導する。 三人がこちらに向かおうとした瞬間、きっちりとゾンビ達のいる 部屋の入り口に煙幕玉を投げることも忘れない。 ﹁はあ⋮⋮はあ⋮⋮いったいあの部屋だけなんだっつうんだ﹂ 560 ﹁あの数を相手にできないわけじゃないけど、いきなり不意打ちは 無理よ⋮⋮﹂ ﹁うえぇ、やっぱり怖いぃ﹂ 息をきらした二人と、幼児退行しかけのアイラが部屋にへたり込 んだ。 どうやってあの数を戦闘不能にするかを考えていると、後ろで何 かの音がする。 俺の三十年ほどの経験の中で、未だかつて聞いたことのない音だ った。 ﹁なに⋮⋮あれ⋮⋮?﹂ 当主の間の中央、豪華な椅子の前の絨毯が奇妙な模様に紫色の輝 きを放っていた。 その紋様はまるで魔法陣のようだが、それはもっと複雑でそして 陣の中央に広がる穴は全てを吸い込むかのように黒かった。 ﹁くはははははー﹂ どこからともなく笑い声が聞こえ、それが止んだ時には一人の少 女が目の前にいた。 深い闇のような紫の瞳、真っ白な長髪、華奢な腕には禍々しい鎌 を持っていた。 ロウの髪が色がなくなった結果の白だとすれば、これはもっと違 う次元で白という光に染められたような髪色だった。肌も白く、生 気がないその顔は精巧に整っていた。レオナを人形のような、と形 容したが、この少女は人間のような人形とさえ言える。 明らかに普通の人間ではなかった。 561 ﹁ん? なんだ? 一週間ぶりの凱旋だというのに、出迎えはたっ た四人の人間か?﹂ あっけにとられ、何をするべきかもわからずにいる俺たち。 彼女は納得したような、そしていたずらでも仕掛けるような軽い 仕草で俺に向かって鎌を持ったまま近づいてきた。 562 古城に座すもの︵後書き︶ 彼女の正体はなんなのか 563 蠱惑的な死の君 アイラやカグヤ、ロウの静止も間に合わない、その光景をどこか 絵のように眺めていた。 ﹁未来は不透明の薄布に覆われているが、過去は不動にそびえ立っ ている﹂ 薄い色の唇が動き、紡ぎ出されたのは彼女の信条。そしてその瞳 今の速度なら周りはともかく当事者のお前 に映るのは純粋なる疑問であった。 ﹁どうして避けない? らしいではないか﹂ 儂の動きを完全に目で追っていたではない 終わり は避けられただろう? か。人間は死ねば 彼女は俺に向かって鎌を横に薙いだ。だがそれを俺の首に到達さ せる前に寸止めしたのだ。 ﹁レイルくんから離れろ﹂ アイラから殺気がほとばしる。 いつ動いても撃てるように、いかつい銃の先を向けている。 ﹁アイラ、やめろ﹂ ﹁もう一度聞く。どうしてよけなかった﹂ ﹁避ける理由がなかった﹂ ﹁この鎌は見掛け倒しなどではないぞ﹂ 564 髑髏のあしらわれた黒と銀の混在する巨大な鎌、どうみても死神 ですありがとうございました。 でも俺がここで寿命だとか、ちゃんちゃらおかしいと思う。俺が 異世界から転生したから狩りにきたとか? ﹁自力での冥界からの召喚術は莫大な魔力と、そして音を超える速 さが必要だと聞いた。つまりお前はその気になれば、俺が目で追え ないほど一瞬で殺せたはずなんだ﹂ ﹁舐めてたのかもしれんぞ?﹂ ﹁なあ、ロウ。もし目の前に虫がいたとして、潰そうと手を伸ばす とするだろう、そのとき虫が全く動かなければ死んでるのかもしれ ないとか異常を感じて手を止めないか?﹂ ﹁そう⋮⋮かな﹂ 殺す気がなく、試されている可能性の方が高い。ならば逃げたら 殺されてしまうだろう。 目の前の彼女は俺たちが束になっても敵わない相手だ。 逆に考えなければ。 彼女からすれば俺たちなんかわざわざ殺すほどの相手ではないの だ。 その証拠に俺たちに全くといっていいほど敵意や害意を感じない。 俺はその感覚を信じただけだ。 ﹁見た目からするに死を司っていると見て間違いはないか?﹂ ﹁ああそうだ、我こそは死の君ミラヴェール・マグリット。冥界に おいて死者の魂を管理する役目を負う﹂ 565 マグリット? 何処かで聞いたような⋮⋮ ﹁マグリット?﹂ ﹁あ、ああ。アニマの奴とは違うぞ。あんな乱暴者の兄者と一緒に されてはかなわん﹂ やっぱり関係があったのか。 ていうか兄者って。 ﹁話を戻すが。死を司るお前がこんなどうでもいい命を気まぐれに 刈ったりはしないだろう?﹂ 冥界がどんな法律や法則で回っているかは知らないが、役職があ る以上、仕事も責任もあるのだろう。 そんな死神が理由もなく生者を殺してもいいものなのか。そんな 権限があるのか。 考えろ、どうすれば死なずにすむ。 ﹁クックック⋮⋮⋮⋮ハーハッハッハッハー。面白い、確かにそう だ。我は理由なくして生者を傷つけられない。だが見ただろう?﹂ 先ほどまでアンデッドの大群がいた部屋の方をちらりと見やる。 いつでもあいつらを操って襲わせることもできるのだぞ、という脅 しである。 ﹁間接的に害すことなどいくらでもできるし﹂ 途端に彼女の全身からドス黒い瘴気のような闇が吹き上がり、殺 566 気が俺たちに浴びせられた。 先ほどまで感じなかった敵意の塊を全身に受けたようだった。 ﹁理由もなく、か。理由があれば直接手をくだすこともできるのだ ぞ﹂ 加虐趣味でもあるかのように笑った。笑顔が下手なホラー映画よ りもずっと怖い。 ﹁それでも儂が何もしない、と?﹂ ﹁ああ﹂ そうでなくては困る。 俺に選択権など残ってはいない。 圧倒的強者と相対するとき、負けないためにはどうすれば戦わず に済むかを考えなくてはならない。 ﹁それを信じるならば、この闇に手をつっこめるか?﹂ 俺は目の前の吹き荒れているような闇を見た。多分俺は今、すご く汗をかいていることだろう。一歩でも敵意をもって近づけば殺さ れる、その確信があった。 ﹁危ないよ!﹂ アイラが今度こそ止めようと俺に向かってきた。 ﹁やめとけば?﹂ 567 カグヤは口で言うだけだが、アイラのように止める様子はない。 ロウは俺がどうするかを興味深そうに口の端にうっすらと笑みを浮 かべて観察している。 質感も、圧迫感もない、何も感じることのできない闇。 もしかしたらこれは得体の知れない攻撃かもしれない。 異空間に通じる穴や、ブラックホールのような性質を持つ危険な ものなのかもしれない。 だが俺は⋮⋮俺の世界の常識に従った。 ﹁よくぞこれが単なる闇だと見抜いた﹂ 俺は迷うことなく手をつっこんだ。 ・・・ 度胸試しというよりは、腹の探り合いでしかない。 これが本当に闇ならば、俺が怖がる理由はなにもない。 闇というのは光がないことでそこを視認できない状態でしかない のだから。 闇、それ自体に攻撃力はない。質量も、何もないのだから。闇は ものではない、場所につけられた状況の名前だ。 そこに何もないのに怖がる必要なんてないだろう? ﹁ひやっとしたわよ﹂ ﹁よがっだぁぁ﹂ 手を突っ込んだ状態の俺にアイラが後ろから飛びついた。一歩遅 かったな。俺はもう突っ込んじまったよ。 だが何もない。俺の手は闇の中にあるのに、痛くも痒くもない。 ただ手首から先が全く見えないだけだ。 568 ﹁この世界の人間は儂を見るなり逃げた。逃げた人間には何かと理 由をつけてアンデッドをけしかけた﹂ ミラヴェールが一本指を立てて言った。 その指を二本に増やして続ける。 ﹁儂が襲ってくると思い、向かってきた人間は返り討ちにした。正 当防衛ならば攻撃できるのでな﹂ 最後に三本目が立てられた。 ﹁この闇に怯えた人間は寿命だけを告げて放置してやった。その大 半は一年以内に自殺したがな﹂ ﹁で、俺らは助かったのかな﹂ ミラヴェールは実に嬉しそうに笑った。今までの威嚇などのこも ったものではない、探していたものが見つかったような笑みだった。 ﹁合格だ。儂のことは愛称でミラと呼ぶことを許そう。お主、名前 はなんという﹂ 死の君ミラヴェール・マグリットによる度胸試しはこうして終わ ったのだった。 569 俺たちは古城で少し遅めの食事をとっていた。 ミラは食事をとらなくてもいいのだが、俺たちに合わせて食べて いたのがなんとも愉快だ。 恭しくスケルトンが食べ物を持ってきては食器を下げていくのも おかしな光景だ。 さっきまで敵対していたのが嘘みたいだ。いや、きっと敵対など していなかったのだ。 ミラからすれば人間に出会ったから自己紹介して、俺たちに質問 して握手しただけ程度の感覚なんだろう。 敵意があったとすればこちらの方で、勝手にこちらが怖がってい ただけなのだろう。 ﹁久しぶりの休暇だ。何年かいようかの﹂ 冥界の仕事は休みがとれるらしい。 変なところきっちりとしているんだと感心していたら、ミラがこ ちらに詰め寄ってきた。 華奢な細腕はやたら白く、その肌を黒を基調としたゴスロリのよ うな服が一層際立たせていた。 ﹁レイル、儂は貴様が気に入ったぞ。死神の加護をやろうか?﹂ 死神の加護って⋮⋮ 儂ほどの死神から魂に加護 早死にしそうだと思うのは俺だけか? ﹁な、何を不審そうな目で見ておる! 570 を受ければ、他の低級な死神どもにちょっかいかけられたりせんし、 脆弱なアンデッドどもは近づきもせんぞ!﹂ 心外だ、とわめく少女はとても歴代勇者と張り合えそうなほどの 死神には見えない。 俺の許可など求めてはいなかったようで、特に確認もせずにごに ょごにょと何かを唱えていた。 ﹁ところで召喚術ってなんなんだ?﹂ 世界には様々な術がある。 そういうものだ、と受け入れるのは簡単だが、文明社会出身とし ては気になるところだった。 ﹁魔法の基本属性を答えてみろ﹂ ﹁炎、風、水、地に波、だろう?﹂ ﹁よく知ってるじゃないか、と言いたいが、儂等の間では常識なの じゃ。勝手に人間が勘違いしておるだけでの﹂ 紙と筆記具をどこからか取り出してしゃらしゃらと書いていく。 ﹁人間どもが解明できていないまま、治癒術や占星術、陰陽道など と名前をつけている術式というのは本来四つにわけられた同じもの なのだ﹂ 基本五属性の現象魔法は最も下位の術で、上位にいくに従いピラ ミッドのように種類を減らしていく。 種類が減るほどに引き起こせる結果の可能性は増えるという。最 571 終的には 全知全能 となり、ありとあらゆることが可能になると いう。そんなことができるのは三界と平行世界、異世界を探しても 数えるほどもいないという。 ﹁現象魔法五属性の上位を四術式と言い、魂術、時術、空術、界術 の四つに分類されるのじゃ﹂ 時術というのは時間を司る術式で、治癒術というのは本来これの ことだ。 少しの怪我なら肉体の時間を加速させ、自然治癒力を高めること により治している。部分欠損などは時間を巻き戻して怪我のない状 態まで戻しているのだとか。 ここでもやはり理解というのは大切で、聖職者などは神に祈るこ とにより、治すという概念をそのような体系で発現させているが、 本来の力を理解していないがゆえに治癒術の限界がくるのが早いと いう。 魂術というのは魂を支配する術で、アンデッドという存在のあり 得ない部分の多くはこれで説明がつくという。 死体が腐ることなく動いていられるのは時術によるものだという。 死体と魂の時間を止めているから腐らないのだ。治癒術で形を失う のも、アンデッドになるときにかけられた時術と新たにかけられた 時術が打ち消しあうからだそうだ。 ネクロマンサーというのは魂術に優れ、時術も使える術士のこと なのだとか。 空術というのが空間を司る術式で、人間が光魔法と勘違いしてい る術だ。 初代勇者が使っていた転移や、古代遺跡から発見された魔法陣に よる手紙の転送装置など、旅の間で耳にしたものは空術によるのだ。 572 エネルギーは異世界から借りているのだとか。 最後に界術、これは結界を司る術式だ。 結界には条件指定というものがあり、通すものと通さないものを 指定できる。 ﹁儂が地上に顕現したのも、界術と空術の合成によるものじゃな﹂ 冥界とこの地上界には強力な結界が張られており、それに引っか からないほど弱いか、それを突き抜けられるほど強い存在でないと 通れないらしい。 ﹁今から思えば、たびたび術式を目にしていたんだな﹂ ﹁変態さんも界術使ってたね﹂ 時術、という説明のときからロウの様子が変だった。何かに気づ いて納得したような感じだった。 ロウは知りたくないが聞かねばならないという風に口を開いた。 おお、お主はどうやら肉体の時間をぎりぎりまで止められ ﹁じゃあ俺にかけられたのは⋮⋮﹂ ﹁ん? ておるな。そこまでの術を発動しようと思うと、代償も大きければ 力の操作も繊細じゃったろ?﹂ ﹁代償は⋮⋮ああ、大きかったよ﹂ カグヤだけが当時の状況を知っている。俺は後から話を聞いただ けだった。何もできはしない。友達なのに、自分の問題だと無言で 573 突き放すことしか俺にはできなかった。 ﹁いや、もう過ぎたことだ﹂ ロウはあっさりと流した。 心配など不必要だったのかもしれない。 肉体の時間を止められた、と聞いても平気ならよかった。 ﹁それで⋮⋮アンデッドの方は⋮⋮?﹂ ﹁安心しろ、儂が命令を出して冥界に戻してやる﹂ 便利な手下だったのだがな、とカラカラ笑う。その様子には残念 そうな素振りはない。 神に会うには空術と界術、その二つが使えればいいのか。 なんとかなるだろうか。 574 お別れの挨拶、そして新たに出会う 最初はあんなにおどろおどろしかった古城も、中で友達と一緒に ご飯まで食べてしまうとどこか親しみさえ覚えてしまうのはなんと も不思議なことだ。 もとはアンデッドであった死体を丁寧に埋葬していく。スケルト ンは土に埋め、ゾンビやグール、リビングデッドといった肉の残っ たものたちは火炎魔法で火葬していく。 人間の焼ける匂いとはなんとも言い難い、鼻につくような、どこ かかぐわしいような、全体的には嫌な匂いだ。煙のせいか匂いのせ 幽霊は出なかったな﹂ ゴースト いか奥の方にツーンとした刺激を感じながらその過程を眺めていた。 ﹁結局、全然 あいつらも襲ってこなければ随分と平気なもんだ。 最初は敵意丸出しだったアイラも、火葬の直前までは普通に手か ら食べ物を受けとっていたぐらいだしな。 ミラとも仲良くなれたようでなによりだ。 ゴースト ﹁幽霊⋮⋮か⋮⋮。儂が来る前まではいたと死体どもに聞いておっ たのだがな。もしかすると儂がこの世界に久しぶりに来たときの衝 撃で吹き飛んだのかもしれんな﹂ ゴースト あながちあり得るから怖いんだよな。幽霊は脆弱な奴らだってい うし、自然発生したものでも魂の維持に必死だと聞いてるから余計 にあり得るんだよ。 ﹁じゃあな﹂ 575 ﹁まあそう焦るな﹂ ミラは俺につかつかと歩み寄る。 ﹁ちとしゃがむがよい﹂ そう言って俺の肩に手を掛ける。俺はなされるがままにミラの前 に膝をつく形となる。少女の前で膝をつく、か。俺がイケメンなら 絵になるのだろうに。 黒いレースが胸元でひらひらとしているのをなんとなく目を逸ら していると、デコに温かい感触を感じた。 ﹁これはほんのお礼じゃ﹂ 温かい感触が離れてやっと気づく。当たっていたのはミラの唇で あった。当たったところがヒヤリと冷たい。 普通逆じゃないか? 俺に? いや、そんなことじゃなくてだな。 ミラがキスをした? ﹁へっ?﹂ ﹁死の君による最上級の加護の感触はどうじゃ?﹂ ミラはニヤリといたずらっ子のように笑って俺の顔を上に向かせ た。 目と目があうが、 アイラの方を見ると、怒っているというよりは不満そうであった。 眉間にしわがより、口が少し尖っている。 576 ﹁またの﹂ 呆気にとられている俺たちを尻目にミラは古城から立ち去ってし まった。そのあり得ない身体能力?で飛ぶと、塀や門などまるでな いかのように遠くへ飛び去ってしまったのだ。 ◇ ミラの消えた古城で取り残された俺たちはおどろおどろしい曇天 を見上げていた。 ﹁行っちまったな﹂ ﹁やるじゃんレイル、まさか死神様まで落としちまうとはな﹂ ﹁落とすっていうなよ。あれは加護だよ、加護﹂ だってミラとは歳が離れすぎているだろうしな。ミラが俺に恋愛 感情なんて抱くはずがないだろ、とどこかラノベの鈍感系主人公み たいな言い訳をしてみる。 じゃあ俺自身は?と聞かれれば、俺の方からすれば見た目が良く マーキング? って性格が好みであれば種族だとか年齢だとかさほど気にはならな いかな。 でもあれはマーキングのようなもので、あれ? うん、俺もどうやら疲れているようだ。 577 ﹁ふーん⋮⋮お姉さん好きかと思えば私よりちっちゃい子まで⋮⋮ レイルくんの好みがわからなくなるんだけどなーー﹂ アイラが拗ねてしまった。拗ねたときに銃をいじりだすのはアイ ラぐらいのものだろう。その弾倉にはしっかりと弾が入っている。 うっかり撃ったりするなよ。 ﹁レオナちゃんだけならまだしも⋮⋮あんなのまで⋮⋮﹂ 俺がいつお姉さんに鼻の下伸ばしたよ、とだけは抗議したいが、 今回のおでこにチューは事実なのでご機嫌を取らなければならない。 最終手段だ。 ﹁ごめんごめん。今度一つなんかお願い聞くからさ﹂ アイラのことだ、そんなに無理なお願いはするまい。せいぜい、 何かを買ってくれだとかそんなものだろう。そんな俺に天は罰をく らわせた。いや、罰ではなくご褒美でもあった。 アイラは顔を下に向け、俺からはあまり見えない状態から俺の方 を上目遣いのような感じで見つめて言ったのだ。 ﹁私も⋮⋮ミラと同じの﹂ 俺は無言でアイラを抱きしめた。 ちょっとでも下世話な想像をした俺を責めてくれて構わない。 ただ、アイラは俺みたいな残念野郎に毒されても、そのままでい ろよ。 アイラが慌てふためくのなんて気にしない。じたばたするかと思 ったが、なんだか大人しい。 俺はとにかく約束は守ってやろうと決心した。 578 ◇ 俺たちは困惑していた。 というのも、古城からの帰り、森の中で魔物の群れに襲われてい る女性を見かけたのが始まりだった。 目の前で食われるのを見つめているのも趣味が悪いということで、 カグヤの水と風の複合応用魔法において小規模の雷を発生させて女 性諸共気絶させてしまったのだ。 魔物は全て殺して解体してしまったが、女性まで解体してしまう わけにもいかない。と気絶させた女性を見て俺たちはその容姿に驚 くこととなったのだ。 女性の耳は少し長く尖っている。その先にピアスのようなものを つけていて、うっすらと黄緑色の肌はあるものを連想させたのだ。 そう、彼女はエルフだった。 気絶させた彼女を介抱しながら俺たちは彼女の処遇について話し 合っていた。 ﹁シンヤさんとこに送る?﹂ カグヤは無難な案を出してくる。 あそこなら確かに食べるものには困らないだろう。最近はだいぶ 579 発展しているそうで、一つの集落のようになっているようだし。 ﹁いや、ダメだ。あそこに送るのは本人の意思で行ってもらう時の みだ。それに人間と他種族との関係は良くない。それは今みたいな 状況で他種族をあっさり奴隷商に売ってしまうからだよ﹂ 人間は他種族からあまり心証がよくない。それはホームレスの口 から聞いた勇者候補の惨状からも窺うことができる。 俺だって他種族だったら人間が嫌いになっていたかもしれない。 ことあるごとに戦争し、侵略し、命を売り買いしようなんてのは 人間だけだ。獣人には奴隷なんて身分はないし、魔族は魔族同士で 戦争なんてしない。 嫌われているから余計に交流は途絶え、途絶えているからこそ無 理やりこじ開けようとして侵略という歪な形でしか関われない。 ﹁生きとし生けるもの全てと分かり合えるなんて思っちゃいない。 だけどエルフがどうかなんてわからないだろう?﹂ 種族だのなんだのと区切るなんて馬鹿らしい。 差別などなくならないと前世の耳年増としては嫌というほど知っ ていてもなお、夢見てしまうのだ。 なんのしがらみもなく他者と関わりたい、と。 人間の中にもわけのわからないのから人格者までいるし、魔族の 中にも戦闘狂からホームレスみたいな放蕩野郎までいるのだ。 結局何を騒いだところで、個性などそいつ次第でしかないという ことだ。それはエルフであっても何も変わるまい。 ﹁ここで助けて恩を売り、何も要求しないことで信頼への第一歩と 580 なるんだよ。要するに負い目を意図的に負わせて、ほだされるよう な状態まで誘導するということだな﹂ エルフが善良な奴らなら、俺が仲間を助ければ無下にはできまい。 ここで蔑ろにしてくるような奴らならこちらから仲良くなんて願い 下げだ。 ﹁どうしてかな⋮⋮やってることは純粋な人助けなんだけどレイル くんが腹黒の悪人に見える﹂ ﹁これだけあけすけに下心を説明されると怒る気にもならないわ﹂ 電撃を全身に浴びて気絶していたエルフの女性が起き上がった。 まだ頭がふらつくようで、こめかみのあたりを押さえている。 もしかしてエルフには古代神聖語とかがあって、言葉が通じない のではないかという懸念もあったが、初代勇者の功績というのは他 種族にまで及ぶようでエルフは日本語を話したのだった。ご都合主 義万歳と叫びたい。 ﹁ええと⋮⋮⋮⋮私は何を?﹂ スレンダーという言葉が似つかわしい、細身の体に慎ましやかな 胸、そして美形というお約束を全く外さないエルフさんに感動して いた。 剣や魔法も悪くないし、魔族が空を飛んだり妖精がはしゃいだり 死神少女も悪くないよ? でもやっぱりエルフは違うよな。ファンタジー世界の代表ってい うかさ。 どこまで覚えてますか?﹂ とここまで思考時間約二秒。 ﹁お目覚めですか? 581 そんなどこか中二病とオタ魂の混ざったハイテンションな妄想ト ークを繰り広げていたことなどおくびにも出さずに紳士ぶって尋ね た。 ﹁君たちは⋮⋮私は、ええと、魔物に囲まれたんだけど⋮⋮﹂ ﹁ええ、僕たちがそこに通りかかったので魔物を蹴散らしたんです よ。そのときにうっかり気絶させてしまいまして。申し訳ないです、 もっと華麗に助けてあげられればよかったのですが。あ、食べます ?﹂ 嘘である。罪悪感などあるはずもない。というか巻き添えにして 気絶させたのもめんどくさかったからで、ほぼわざとだし。 携帯食料というにはいささか豪華な料理を渡して白々しく猫を被 る。 お願いだからカグヤとか、胡散臭そうな目で見るのはやめて。ば れそうだから。 そんな脳からつま先まで真っ黒な俺のことなど気づくことなく純 自分の身は自分で守らなければならないこのご時世。助 真極まりないエルフのお姉さんは急に畏まってお礼を述べた。 ﹁いえ! けていただいただけでも頭が上がらないです。それに何もされてい ないようですし﹂ 自分の体をぺたぺたと触って確かめる。それから荷物を確認して いた。俺は少なくとも何も取ってはいないし、散らばった荷物はぜ んぶ回収してきたはずだ。 言外に奴隷として売られなかったことや、女性としての尊厳を犯 されていなかったこともあるのだろう。 まあ見た目だけはやりたい盛りのお年頃だしな。中身はおっさん 582 おばさん一歩手前の集団だけど。アイラだけだよ、見た目通りの年 齢なのは。 ﹁私、フォレスターと言います。見てのとおりエルフですが⋮⋮﹂ ﹁警戒はとかなくていいよ。人間だしね﹂ あえて信頼するなと言うことで、逆に信頼できる印象を与える。 それは信じろ、と言う人こそ信じられないという心理の逆説的な話 である。 それは同時に、フォレスターへの罪悪感を喚起させる。助けても らった恩人は、エルフの人間に対する感情に理解があり、自分たち が嫌われていると知ってなお助けてくれた。それに比べて自分はな んと懐疑的なのだろうか、と。 そこまでが計算のうちだ。 ﹁送っていこうか?﹂ ﹁いえ、そこまで頼るわけにも⋮⋮﹂ ﹁あ、そうだよな。人間に集落の場所を知られたくはないもんな。 ごめんな、気を使わせて﹂ もしかしたら信用させて、集落の場所を聞き出し、エルフを一網 打尽にしようとしているのかもしれないとか思うもんな。 ﹁いえ!﹂ ﹁そうよ。好きなところまで護衛してっていうならそれぐらいなら 付き合うから﹂ ﹁いや、でも⋮⋮お礼もしたいし⋮⋮この人たちなら⋮⋮﹂ フォレスターは何やら葛藤しているようだ。 俺たちには助けてもらった。だが村の人にはおそらく人間に迂闊 583 に場所を教えるなとか言われてるだろうし。お礼をするには戻らな ければならないしな。その葛藤はわかる。だから俺は甘い言葉を囁 き続ける。別にエルフを害そうってわけじゃないんだし、やましい ことは何も無い。 というかここまでどうやって来たんだ? 584 お別れの挨拶、そして新たに出会う︵後書き︶ エルフが現在のファンタジーにおいて耳の尖って長い種族だとか、 そういうイメージはごく最近のものなのだとか。 便利だからこのイメージのまま使わせていただきましたが。 585 エルフの里まで︵前書き︶ 読んでいただきありがとうございます。 お気に入りが3桁になりました。 これからもちまちまと更新してくのでのんびりと見守りいただけれ ば幸いです。 586 エルフの里まで そもそもエルフの里はいくつかの魔法と術式によって隠蔽されて いて、単なる人間程度や上級魔族程度では入るどころか見つけるこ ともできない。 最初からそんなに厳重だったわけではなくて、歴史とともに強力 な術や魔法の使い手が現れ、重ねてかけていくことで増えていった のである。 例えば最初の防御隠蔽魔法は霧の魔法で、辺りを霧で包み込むこ とにより侵入を阻害していた。その後、時術の使い手が現れ、強力 な時間操作の術式を条件指定で組んでいった。その術はエルフの里 の境界線を起点とし、そこに向かって近づく者の時間を永遠に区切 るというものである。 わかりやすいのはアキレスと亀やゼノンの矢のパラドックスだろ うか。時間は無限に区切ることができる。一瞬を永遠に積み重ねて こそ時間は連続する。 本来ならばあり得ないその状況を、理屈を時術で擬似的に再現に したのだ。 他には空間を捻じ曲げて、目的の方向を狂わせる術や、結界にお いて他種族が入れないようにしてあったりするのだ。 侵入者を殺すのではなく、そこに何かがあったと思わせないのが 目的であると答えられた。だから空間を捻じ曲げたりはあるかもし れないが、そこまで危険なものでもない。 そんなことをぺらぺらと会ったばかりのレイル達に話してしまっ たのは術式と魔法の重ねがけに対する自信というものだろう。 587 ﹁ですので護衛をしていただけるというなら、好きなところまでい いですよ。お言葉に甘えさせていただきます﹂ すっかり人間である四人に対する警戒心というものが和らいでし まったフォレスター。 彼女の様子に何か不安さえ感じながらカグヤはレイルに耳打ちす るのだ。 ﹁で、ここまで計算通りってわけ?﹂ ここで無理にでもエルフの里へ連れていってくれとレイルが言っ ていればフォレスターにとってどれだけ話は簡単だっただろう。 それは無理なんです、代わりにあれこれをあげますから、などと 言えば諦めるかフォレスターを捕まえようとするかであるし、フォ レスターもそれなら逃げるなり戦うなりすればよいのだから。 ﹁まあな﹂ 物語の主人公が行っている自由を与える優しさによる束縛。レイ あいつら タチ ルが前世で読んできた物語の人たらしで人好きのする主人公が行っ ていることの一つだ。 レイルからすれば、主人公は無自覚でするから余計に性質が悪い とさえ思っている。自分は自覚しているだけマシだとも。 ﹁じゃあ術のかかっていないぎりぎりまでは送るよ﹂ レイルはにこやかに、まるでエルフの里なんて入れなくても、あ なたの安全さえ保証できればいあんですよと言わんばかりにのたま った。 588 それが信頼を得るための腹黒い策略だと知らなければ、なんと爽 やかな光景であったろうか。 レイルがまだ若い青年一歩手前の姿だったのも大きい。 助けられた恩もあいまってフォレスターはちゃくちゃくと骨抜き にされていったのだ。 どうしてだろうか、エルフを助けて安全に家に送るだけであるの に、何か悪巧みをしているような気にしかならないのは、と唯一幅 広く常識人なカグヤとしてはレイルの後ろ頭を刀の柄で殴ってやり たくなるのだった。 ﹁へえ、皆さんは勇者候補なんですか﹂ 尊敬のような、そして誰も気づけないほどに微量の呆れのような ものの合わさった声音でフォレスターが言った。 ﹁みんなじゃなくってレイルくんだけだよ。私たちはそれについて きてるだけ﹂ ﹁じゃあ魔族を倒したりするんですか?﹂ ﹁いや? しないけど﹂ 四人としては魔族の国には行くけれど、魔族の虐殺劇がしたいわ けではなかった。 勇者候補の仕事は勇者候補の適性によって変化する。 少なくとも対集団戦向けの戦闘力がないレイルが魔族との戦争の 前線に立って無双するなんてことはあり得なかった。 ﹁俺は魔法も使えないのにできることっつったら魔王暗殺とかその 程度だろ?﹂ 魔王暗殺をその程度、といってしまうあたり、どこかズレている 589 レイルであった。 レイル一行はガラスの西から北を回って東に向かった。 その道中にも魔物は出たが、フォレスターの魔法は意外にも役に は立たなかった。 といってもレイルたちにとって一人足手まといを連れたところで、 ここの魔物たちに苦戦するほどではなかった。 ﹁フォレスターさん、魔法使えなかったんだな﹂ すっかり打ち解け、口調も砕けてしまったレイルはフォレスター の意外な一面について尋ねた。 ﹁ええ、だからこそあの程度の魔物に囲まれて手こずっていたんで す。こんなこと知られたら長老にどやされちゃいますよ﹂ ﹁そもそもどうやってあそこまで来たんだ?﹂ ﹁実はお恥ずかしいことに奴隷商に捕まっておりまして、そこから なんとかして逃げ出してきたところだったんですよ﹂ フォレスターは魔法が使えない。だがそれを補って余りある身体 能力の高さがあった。エルフはもともと貧弱なイメージこそあるも のの、人間よりも身体が強靭だ。その中でも強いというのだから、 フォレスターの強さはそこらの冒険者よりも強い。 おっとりとした雰囲気に似合わぬ豪傑と呼ばれる類の人物であっ たのだ。 ﹁そんなフォレスターが何故捕まってしまったの?﹂ カグヤの疑問ももっともだ。 590 フォレスターはその時の経緯を話しだした。 フォレスターはエルフの里から出て仲間数人と狩りをしていた。 そのとき魔法が使いづらい距離まで盗賊に近づかれてしまったのだ。 一緒の仲間というのが、フォレスターよりも年下だったという。 フォレスターはその子たちを庇い、逃がすために盗賊たちと戦っ た。 そこは多勢に無勢、弓や魔法などの連携によってあえなくフォレ スターは捕まり、奴隷商に売られてしまったのだ。 ﹁奴隷印を押される前で良かったです﹂ ﹁そんな⋮⋮じゃあ人間を憎んでいてもおかしくないのに⋮⋮﹂ ﹁エルフにだって排他的だったり、他の種族を見下す傲慢な人だっ たりはいます。人間だって同じでしょう?﹂ フォレスターは屈託無く笑った。酷い目に遭わされてもなおそん な風に笑えるのだと、レイルは感心した。 ガラスの東に歩くこと数時間、レイルたちは地元では迷いの森と 称される毎年行方不明者が絶えない森に来ていた。 もちろん行方不明者とはエルフの里にかけられた様々な術や魔法 にとらわれ、逃げるという選択肢をとれなかった哀れな人たちのこ とである。 それを知る身としては、怖くもなんともなかった。迷うのは魔物 も同じで、この霧の中にいる以上は魔物に襲われないのだから。し かも逃げられることがわかっている。 ﹁あ、もうすぐ里につきますね﹂ 森の中をずいずいと進み、さあ里はどこだろうかという場所まで 来た時、レイルたちの行く手を阻む者がいた。 591 茂みの中から魔物のエンカウントのように飛び出してきた。 ﹁お待ちください!﹂ それはエルフの若い男性であった。 ちょっとつり目で、鼻がしゅっと伸びた彼はレイルたちの前に立 この人たちは私を助けてくれた人で⋮⋮別に悪い人じ って両手を広げていた。 ﹁ツウリ! ゃ⋮⋮﹂ そしてレイルたちだけに聞こえるように、申し訳なさそうな表情 で言った。 ﹁私の幼馴染なんです﹂ そうじゃなくって⋮⋮あなた達に 悪い人ではない、という部分に反応し、ツウリと呼ばれた青年は 慌てて首を横に振った。 ﹁そんなことはわかっている! 恥を忍んで頼みたいことがある!﹂ そう言うと彼は話だけでも、と一行の前で見事な土下座を披露し た。 両手を地につけ、膝をたたんで頭をこすりつけていた。 ﹁我らの里を⋮⋮救ってはくれないか!?﹂ 592 エルフの里 ②︵前書き︶ 異世界の情景って描写が難しいですよね。 頭の中に浮かんでいる光景をどうしたら伝えられるのかって大変で す。 593 エルフの里 ② エルフの里を目前にして、突然現れた男に土下座されている。 自分でも何が起こっているのかわからないが、彼らが現在、人間 に頼らねばならないほどに困っていることはわかった。 ﹁どうかお願いします。あなた達にしか頼めないと聞きました﹂ 聞きました、と言った。それは彼の判断ではないということだ。 いや、別に自分の判断でなく来たことを責めるつもりはない。そう ではなくって、彼の他にも、俺たちに頼むべきだというエルフがい るということだ。 ﹁とにかく話だけでも聞かせて﹂ カグヤが敬語を使わないのは、相手がこちらにたいして頼み事し ているからだ。目上と認めれば年下や同い年であっても敬語だが、 目上でなければ普通に話す。そのあたりの使い分けは社会人として は常識の範囲内ではないだろうか。 俺様系キャラが似合わない俺としては、他人には常に敬語でも構 わないのだが、やっぱりある程度は砕けた口調で話さないと突き放 したような印象を与えると聞いたことがあるし年も近いのでこのま までいいだろう。 ﹁ありがとうございます。ではこちらへ来てください﹂ 俺たちは霧の中を歩いていった。周りには木々が立ち並んでいる のも全然見えない。 594 彼の耳にも、フォレスターのと良く似た耳飾りがあった。俺たち がツウリに案内されているその間も、その耳飾りから一筋の光がさ し、同じ方向に向かって伸びていた。 ﹁それは何か聞いてもいいか?﹂ 想像はつくので聞かなくても構わない。単にこれは俺たちに対す るエルフの姿勢を知る質問だ。 ﹁ええ、あなた方になら。これは真実の道標といって、エルフの里 にかけられた様々な隠蔽や妨害を無視して里に辿りつける道具です よ。エルフにしか使えませんがね﹂ ﹁あ、口調は普通でお願い。俺らも素で話しちゃってるし﹂ ﹁ああ、助かるよ﹂ やっぱりそんなハイテク機器だったか。それさえあればどんな場 所からでも戻ってこれるな。 ﹁魔法の使えない私が奴隷商から逃げられたのも、これが大きかっ たの﹂ 帰巣本能みたいなやつだな。 歩いていくと、ふっと霧が晴れた。 木と藁とそしてツタのようなもので作られた家が見えてきた。妖 精さんにでも頼んだのか?と言いたくなるデザインである。自然と 共に生きるエルフらしい家だ。 ﹁フォレスターお姉ちゃん!﹂ ﹁無事だったんだ!﹂ ﹁ごめんね!﹂ 595 エルフの里の奥から三人の子供達が飛び出してきた。順番にフォ レスターのお腹あたりに突撃していく。三人を抱きかかえてフォレ スターはホッとしたように呼びかける。 ﹁キュリーにアメリにバーク⋮⋮無事でよかった⋮⋮﹂ この子たちがおそらくフォレスターが盗賊から守ったという三人 だろう。三人は俺のことなど目にもはいっていないようだ。 三人の後から追いかけてきたエルフの人がこちらを見て固まる。 あれフォレスターに⋮⋮人間?﹂ そんな一時の恩に この人たちは私を助けてくれた人で⋮⋮﹂ ﹁待ちなさい! ﹁お母さん! ﹁そんなこと言ったって人間は人間でしょう? 惑わされて人間をこの里に入れたのかい?﹂ その口調には娘であるフォレスターへの非難が含まれている。人 間なんて皆どうしようもないのだというどこか恨みのこもったよう な目だ。 その反応については想定内だし、初対面でほいほいと受け入れら れるとも思ってはいない。だからさらっと流して、依頼の話に移ろ うかとしたときのことだった。 ﹁フォレスターは最初、ここでお礼だけ渡して別れようとしていま した。彼らをここに入れたのは僕です﹂ 母親の理不尽な物言いに耐えかね、ツウリと呼ばれた青年が前に 出る。 ﹁彼らこそが予言にあった四人ですよ﹂ 596 ﹁なんだって⋮⋮? あんたら、悪かったね。娘の命を救ってもら っといて。でも完全に信じたわけじゃないからね﹂ 見た目は姉御肌の三十手前ほどの若い女性なのだが、口調とその 様子から浮かぶのは四十を過ぎたほどのおばさんであった。エルフ が不老長寿というのは本当らしい。完全な不老とまではいかなくて も、人間よりはずっと老化も遅いようだ。 ﹁あんのじーさんばーさんどもは予言予言って。本当にこんなのが 救ってくれるなら苦労はしないっての﹂ バツの悪そうにぶっきらぼうに言い放った。 ﹁ええ。人間を警戒するのは人間が悪いし、命を一度救ったぐらい で予言だの不明瞭なものに従うのが嫌な気持ちをわかる気がするか らそれで構わないですよ﹂ 他者向けに丁寧な言い方に切り替える。 ﹁ただ、僕たちも依頼の話をしにきているので、しばらくの間滞在 ぐらいは許してもらえませんか﹂ ﹁ふん、勝手にしな。あんたらがエルフをどうこうしようってなら あたしが迷わず叩き出してあげるけどね﹂ 排他的な集団相手に不遜な態度で受け入れられるのは圧倒的な実 力者でカリスマがないと無理だ。 結果ではなく、まずはこちらから歩み寄ることも大切だ。 その一歩として、反発の強い方には下手に出るのだ。 だがただ、下手に出るだけでは駄目だ。なんでも無償で引き受け 597 ると思われてはつけこまれるから。あえて﹁依頼﹂という言葉を使 うことで、正当な対価をもらうと暗に示したのだ。 そしてこの企みは成功と言えるのではないだろうか。少なくとも 彼女には滞在だけは許してもらえた。人間嫌いのエルフにたいして、 この譲歩は大きい。 俺たちがもっと粗野な態度をとるかと思えばやたら丁寧に返され た彼女の心情はいかなものだろうか。 完全にすっきりとはいかずとも、これ以上のことも言えず、きま りの悪いまま引っ込んでしまった。 ﹁すごいね。お母さんがあんな風になるの初めて見た。それにあん なころころと口調も変えられるのね﹂ フォレスターが感心していた。まあ子供とは総じて親にはなかな か勝てないものだよ。俺だって折り合いをつけるために話しあうと いう戦いを放棄してしまったのだから。 俺たちはツウリとフォレスターに案内されて長老の家までやって きた。 家の陰からは警戒しているのか、それとも興味をそそられるのか、 ちらちらとエルフの人たちがこちらを窺っていた。 アイラがそちらを見るとふっと目を逸らす。カグヤとロウは気づ いていながら無視することに決めたようだ。 ﹁こっちだ﹂ どこに行っても偉い人が大きなところに住んでいるのは変わらな いようで、他の家よりもふたまわりほど大きな家についた。家とい うよりは屋敷と呼ぶべきだろうか。 598 見張られながらとある部屋に案内された。 ﹁よく来てくれた。まずは食事でもどうかな﹂ 長老というだけあり、若作りの多いエルフの中で彼らは異彩を放 っていた。顎に生やしたままのヒゲや、潤いが足りない髪も、その 顔に歳と共に深く刻まれたシワの飾りのようであった。 大きな食卓のある部屋に四人の老人が揃っていた。まるで俺たち が来ることをわかっていたかのように。 ﹁はじめまして。人間の肩書きで言うところの貴族で勇者候補をし ています﹂ その存在感は俺を自然と敬語にさせた。 食事は薄味であったが、素材の旨味をよく活かしていて好みだっ た。 赤い果実で作られた酸味のきいたソースは獣の肉によくあってい た。柔らかく、歯ごたえが少ないのが不思議だ。下味をつけて漬け 込んであったのか。 淡水魚のソテーはオリーブのような付け合わせもあり、華やかで 香りもよかった。 ﹁ほほっ。人間は体だけが早熟と聞いたが認識を改めねばならんな﹂ ﹁いえ、僕たちが少々異常なだけですので﹂ ﹁食事は舌にあったかの?﹂ 孫を見つめるおじいちゃんのような優しげに微笑むその姿に、目 には目を、と張りつめていた警戒も少し緩む。 599 テンプレの頑固な長老とかじゃなくって良かった。穏やかな場所 で平和に過ごしていれば気性も穏やかになるのだろうか。まあ人そ れぞれか。さっきの人みたいなのもいるしな。 カグヤが外向きの笑顔で頷く。アイラも口の中のパンを飲み込ん で答えた。 ﹁すごく美味しいです﹂ ﹁そりゃあよかった﹂ ﹁ところで﹂ 肉に反してやや歯ごたえのあるパンを口に運ぶのを止めて本題に 入る。 ﹁人間嫌いのエルフと聞いていましたが、案外あっさりと入れても らえましたね。周囲の隠蔽と妨害の魔法や術式によほど自信がある のでしょうか﹂ 長老の一人の口の端が少し上がる。 ﹁それとも、予言というのに関係があるのでしょうか﹂ 600 エルフの里 ②︵後書き︶ 歩み寄りたいという期待と、今までの因縁からくる諦め。エルフが 人間とともに過ごした時代はどれほど昔だったのだろうか。 601 エルフの里共同戦線 俺に追及された長老たちの様子はどこか妙だ。 聞かれればまずいか、どうせ話すつもりなのか、どちらにせよど うして嬉しそうな反応を見せるのか。 ﹁そこから入るか⋮⋮なるほど、期待通り、いや、それ以上じゃな﹂ 食事を食べ終えた長老は右から順にプルト、ネプチ、ウランそし てプロトと名乗った。プルトとプロトは双子らしい。 プルトと名乗った方が苦笑いしながら語り出した。 ﹁どちらから話したものか⋮⋮そうじゃな﹂ エルフの何代か前の長老陣で時術に長けた長老がいたという。 彼は里に時術による隠蔽をかける前の日の夜、奇妙な夢を見た。 それはエルフ里が危機に陥ったとき、青年一歩手前ぐらいの男が 三人の仲間を連れて助けに現れるというものだ。 当時の長老たちはそれを一笑にふした。エルフの里は近づくどこ ろか、見つけることさえ困難だというのに、少年がやってくるとい うのがおかしな話だと。 そして現在、エルフの里は予言通りに危機に陥っている。だが救 世主を待つなどという不確定な希望にすがるのではなく、自分たち でどうにかしようという想いの強い者も多かった。だがそんなとき に見つけてしまった。予言通りに現れた、大人とは言えない歳の俺 たちを。 ﹁この里を現在追い詰めているのは封印されし巨人じゃ﹂ 602 巨人が封印されている? 壁の中にか? とまあそんな冗談を言っている場合ではない。 エルフの里の外れ、隠蔽魔法の中にぎりぎり入る洞窟に祠がある のだという。そこには古代の巨人族の一人が封印されているのだと か。 封印はあと千年は持つと言われていたのに、解けかかっていると いうことで大騒ぎになっているらしい。 ﹁話し合いで解決する可能性は﹂ ﹁ないの。当時、好戦的すぎるかの巨人は戦争で大きく活躍した。 戦いがなくなった後、周囲の巨人は彼を恐れた。結果、裏切られた 巨人は、力の限り暴れたのじゃ。それを見かねた我らの祖先が封印 したというのだから、さぞかし恨んでおるだろう﹂ 強力な結界と、彼の体の時間をぎりぎりまで止める術、そして彼 の魂を縛る楔を打ち込んだ封印の数々。 そしてそれらを見張り、力の弱まったはるか未来に封印ごと消滅 させる算段だったのだ。 エルフの里がここから動けず、異常なまでに堅牢な隠蔽と妨害の 魔法が、中から外に向けても働くのはこのためでもある。 ﹁封印が万が一解けたとき、我らがその強大な力を外に出さぬよう、 今まで見張っていたのだ﹂ ﹁そなたらに頼み、頼るのが筋違いではあるかもしれん。それに加 えて図々しいお願いではあるが、戦いに不向きな者を逃がし、なお かつ共に戦ってはくれんか?﹂ 603 そうか、ここで迫害から身を逃れ、じっと他の種族の為に耐え忍 んでいたっていうのか。 それが幸せなのかはわからない。だけどきっと大変だったのだろ う。 俺だって無差別で人が苦しむのを見て楽しいわけではない。 理屈や損得で動くだけでもない。わけのわからない感情で気まぐ れにやりたいように動くまでだ。 ﹁いえ、僕たちを含むこの大陸に住まう者たちへの被害を抑え、そ の脅威を今も見捨てず立ち向かおうとするその姿勢に敬意と感謝を 示して﹂ 立ち上がって手を差し出す。 ﹁この依頼、受けましょう。見事達成した暁には、この四人をあな たたちの友として受け入れてはもらえませんか?﹂ 今ここにエルフと人間による巨人討伐の共同戦線が実現した。 巨人は別にうなじが弱点というわけではない。皮膚が高熱なのは あるかもしれないが、見た目に見合った重量とタフさを兼ね備えて いるという。 ﹁外まで連れていって封印を解いちゃダメなんですか?﹂ これは話を聞いた時から思っていたことだ。 何もエルフばかりがその責を負うことはないと。人間にだって冒 険者ギルドという組織があるし、国だってある。わざわざ危険な場 所に女子供を逃がさなくても、安全な里の中に匿っておけばいいじ 604 ゃあないかと提案してみたのだ。 するとどこか悲しげに長老たちは黙って首を横にふった。そして 周りの武器を構えた男性たちもそれに追従する気のようだ。 ﹁万が一、あれを倒せなかったときに世に放ってはならない。それ は我らの業であり、義務だ﹂ その覚悟を目の当たりにして俺は何も言うことができなかった。 彼らはやる。たとえ刺し違えてでも巨人を倒すだろう。 エルフの歴史を完全に聞いたわけではない。だから彼らが何を思 い、考えてそこまで巨人にこだわるのかはわからない。 だが本気の相手に本気で応えずして何が異世界転生だ。 魔法も術も使えなくても、剣技が得意でなくても、俺にできるこ とがあるはずだ。 全力で応えようじゃあないか。 巨人はその多くが地属性の魔法しか使えない。それも全て自重の コントロールに費やしているので、戦闘にはほぼ影響はないと言え るだろう。巨人が自重のコントロールに必死なのはそういう種族だ からだ。その巨大な体格では彼らは生物的には立って動きまわれな い。だから地属性の魔法で補助しなければならないのだ。 しかしその体格に不釣り合いな申し訳程度の魔法の適性は、自ら の重さをコントロールするので精一杯である。 結果、彼らは魔法を犠牲にその体格での立ち回りを可能としてい るのだ。 それでも彼らの力は圧倒的だ。攻撃力も防御力も他種族を圧倒す る。 そして何より、補助によって変化しないリーチの長さだ。魔法の 有無など関係がなくなるほどにリーチの長さが有利に働くだろう。 605 何の作戦もなしに接近戦で挑めば、簡単に間合いの外から潰され てしまう。 だが今ここにいるのは、エルフ。身体能力も人間よりは高いが、 何より魔法や術の使い手が多い。 ﹁今回は真正面から挑みません。できれば僕に全ての指揮権を委ね てもらえませんか﹂ これしか魔法 アイラに預けてある共同制作の武器類を脳内で数える。 それぞれの適性を聞いていく。中には﹁そんな! 使えないんです!﹂だとか、﹁繊細な調整なんて無理だ!﹂などと 弱音を吐いている奴らも、俺の魔道講釈により黙らせた。 理解していないから使えないのだ。そして単純な魔法や術でも、 使い方によっては便利だ。決めつけるな。 それぞれに役割と配置を指示していく。 そして巨人の体格に応じて作戦を立てるのだ。 ◇ 俺たちは祠の封印を意図的に解いた。 何故なら、いつ封印が解けるかわからない状態で常に見張ってお くのが大変だからだ。 封印を解くので奴が弱るなどとは考えていないのは、もしかする とこいつの封印が解けかかっているのが作為的なものかもしれない からだ。 何かのタイミングを待っているとなると、そのタイミングまで待 つと相手の思うツボなので、封印が解けて得をする﹁誰か﹂の準備 が終わるまでに倒してしまおうというのだ。 606 ﹁来るぞ⋮⋮⋮⋮!﹂ 何かが壊れる音や、弾けるような炸裂音が響く。 洞窟の外からそれを聞いて、全員の心に戦いの狼煙がゆっくりと あがっていく。 作戦通りの配置で、巨人が現れるのを待つ。 洞窟ががらがらと崩れ、中から巨大な人が現れた。 武器は⋮⋮ないようだ。推定15メートル級といったところだ。 やや筋肉の盛り上がったごつい体に、ところどころ切り傷がある。 肩や腰に簡単な防具のみをつけており、腕を振るうたびに空気が 唸る音がする。 ﹁今だっ!!﹂ 合図とともに、一人のエルフが巨人の顔の前に踊り出る。他のエ ルフの手助けによって、巨人の攻撃がこないようにされている。 エルフがその瞬間、ありったけの魔力を注いで一つの魔法を完成 させた。同時に周囲のエルフと俺たちは目を瞑った。 強烈な閃光が巨人の目の前で撒き散らされた。 封印で暗い洞窟に追いやられた巨人。彼は時間をほぼ止められて いるとはいえ、眼球に光が入らなかった時間はとても長かったはず だ。 虹彩が明順応するには少しの時間がかかる。その順応までに失明 させるほどの光をぶち込んでやれば、視力を奪うことぐらいはでき 607 るだろう。 同時に破裂音が何度も鳴り、巨人の鼻頭にとある袋が投げつけら れた。 破裂音は聴覚を、そして袋は本来は微量で構わない香料をつめて 嗅覚を奪うものだ。 俺たちは巨人から感覚を奪うところから作戦を開始した。 そして構えていた前衛がいっきに距離をとった。 封印から解かれた途端に次々とわけのわからない攻撃を食らわさ れ、周囲の様子がわからなくなった巨人は本能のままに暴れた。 左右前後に無茶苦茶に腕を振り回す。足をだんだんと地面に打ち 付け、大きく吠えた。 だが前衛はそのリーチの外まで離れているので届かない。届かな くとも危険なのが大きさという武器ではあるが。 感覚が戻るまでにいっきにたたみかけようとした刹那、巨人は予 想外の行動に出た。 足元に転がっていた洞窟の残骸を持ち上げ、ぶん投げたのだ。 そしてそれは大きく上にあがり、離れた場所で待機していたカグ 避けろカグヤっ!﹂ ヤの頭上から降ってきた。 ﹁危ない! 岩が地面に落ちて砕け、辺りは轟音に包まれた。 608 エルフの里 終結 頭上から飛来したいくつかの大きな岩は地面に着地しながら砂煙 を巻き上げた。 ﹁カグヤっ!!﹂ ﹁ヒュゥ﹂ 俺がカグヤを心配しているというのに、隣で伝達係を担当してい たロウは飄々としたものだった。呑気に口笛なんか吹いて、カグヤ が死んでいるわけないじゃないかとでも言うように。 その様子には不謹慎なものは感じられなかった。 カグヤが傷ついている場合、誰よりも心配してなければならない のがロウだからだ。 岩の頂上部からころんと岩の欠片が転がり落ちて、中から颯爽と 人が飛び出した。 カグヤだった。 ﹁無事だったのか、でもどうして﹂ エネルギー ﹁レイル、あなたが教えてくれたのよ。重力は強い弱いだけじゃな い、方向性を持った力だって﹂ カグヤは地属性の魔法で重力の方向を操作し、自分に向かって落 ちてくる岩の軌道をずらしたのだという。そして自分のいる場所だ けに岩が落ちないような隙間ができるように調整したのだとか。 609 それでいて、周りのエルフがいるところには一つも岩が落ちてい ないし、砕けて散らばる岩も少ししかない。周りへの被害を最小限 に抑えているといえる。 これで奴の周りには岩もなくなった。遠距離で作戦 あの一瞬でそこまでできるとかマジぱないっす、カグヤさん。 ﹁立て直せ! 通り攻めるぞ!﹂ 掛け声とともにエルフたちが魔法の発動にとりかかる。 魔法で巨人に致命傷を与えられるほど、威力の高いものを使える エルフがいないため、今回はじわじわといたぶっていくことになる。 巨人は2、30人のエルフと人間に囲まれた形になる。 前衛には小回りのきく素早いエルフを、そしてできるだけ距離で 威力が左右される風の刃などで撹乱をお願いしてもらっている。 巨人の体に細かな切り傷のようなものがいくつもできる。 だがそれはやはり致命傷を与えるには至らず、薄皮一枚を剥ぐに とどまっている。中には血さえでない傷もある。 ﹁2人、左に回りこんで膝の裏を。そっちの3人は首を﹂ できれば打撃よりも血を流させるような攻撃の方がいい。 打撲は長い目で見るといいのだが、どうしても短期決戦には向い ていない気がする。 切り傷は時間がかかれば治るが、その場の足止めにはいい。 巨人の五感が戻ってきている。 ﹁くそっ!﹂ エルフの一人に拳が迫る。 610 その拳はアイラの狙撃によって威力を落とされ、軌道を歪められ るが、それでもかすってしまう。 腹部から血を流しているエルフに撤退を命令させる。 ﹁後援部隊!﹂ 後援には時術を使える者を待機させてある。 未だこの世界の大多数は回復術と時術を区別して考えている。 俺は今回、エルフの中で時術を使えるやつに、体の時間を巻き戻 したり速めることで回復につながることを伝えた。 本来ならば回復などできない戦闘において、回復ができるという のは死傷者の数を減らすことに繋がる。 そうして魔法と拳が交わる中、巨人の足元の地面が大きくへこん だ。 ﹁やったぞ!﹂ ﹁今だ!﹂ これは地属性の魔法によるものだ。 魔法は属性に応じて操作できるものが変わる。 水なら液体、水にイオン、風なら気体、炎ならば熱エネルギー。 ならば地属性とはなんだろうか。 これはカグヤと魔法について訓練しているときに気づいたことで ある。 地属性の魔法は大きくわけて2種類になる。 一つは地面に関する岩や石、土や砂を盛り上がらせて壁などを作 611 る。岩の弾丸を放つ、など。 もう一つは重力を操作すること。 だが細かく言うと、前者は岩を動かすのに重力エネルギーを使っ たりしているし、形を整えるのには結合を操作している。 そして地属性の真髄の一つはここにある。 地属性とは重力と物質の結合を操作することだ。 石や砂で壁を作るとき、無意識のうちに周囲の地面からとってい る。 ならば魔法で指定した区間の砂や石の繋がりを奪い、へこませる ことができるはずだ。 エルフたちはその使い方に思いもよらなかったようで、砂や石を 使うことにしか意識がなかったらしい。 ただ単に転ばせるだけなら、地面を隆起させるだけでもできる。 だが今回の相手は巨人。生半可なものでは力ずくで壊されるだろ う。 だが穴ならば、地面全体の強度になる。簡単には壊せまい。 それも魔法の名手エルフが複数人で発動した大規模なものだ。 巨人はその穴に足を取られて転び、手をつこうとしたその場所も 穴を開けられ埋められる。ちょうど片足と両手を地面に突っ込んだ 状態だ。 さらに地面を固くして抜けなくしていく。 ﹁一斉攻撃!﹂ ﹁くらえ!﹂ ﹁火炎球!﹂ ﹁風刃!﹂ 612 今まで牽制にしか使っていなかった魔法を雨あられと浴びせかけ る。カグヤが首に斬りかかる。 巨人の眼球が弾けとび、後頭部から脳漿が噴き出した。 アイラの銃撃によるものだ。動けなくなれば最大の急所となる眼 球を狙って撃ち抜く。これは作戦通りだが、エルフたちには銃撃と いうものを漠然としか説明していなかったのでとても驚いている。 のけぞって次がこないかと警戒しているものもいる。 もう奴は死んだな。 戦いで怒号と煙が上がる中、俺は一人指示だけだしていた。その 場から一歩も動かずに、魔法も剣も使わなかった。 俺が自重せずに本気を出すとはこういうことだ。俺は戦わずに知 識と作戦だけ伝えて後は指示だけ出す。 だってエルフは俺より身体能力高いし、足引っ張るだけだったし な。 これが自分の外聞を考えたりするなら、一緒に頑張ってます感だ けでも出すために剣をもって必死に立ち向かえばいいのだろう。 これで俺は、終わった後から思い返せば役に立たない口だけの人 間のように思われるかもしれない。 まあいいか。 613 エルフの里を間接的に救ったことにより、巨人祝勝の宴会が開か れていた。 果物が皿に積まれ、それぞれのコップに飲み物が注がれていく。 楽器を奏で、歌を歌い、楽しく踊っている。 その様子を長老陣は最上座の席から目を細めながら愛おしげに見 ている。 俺もやっぱり自重しなくてよかったな、と思うのだった。 俺の自重しないはむしろ前に出ないことにあるという矛盾ではあ るのだが、これが一番勝率が高いのだからしょうがない。 エルフの母親が抱えている赤ん坊に蜂蜜のついた菓子を食べさせ ようとしている。 ﹁えっ。赤ちゃんなのに大丈夫ですか?﹂ 確か乳児には蜂蜜を食べさせてはいけなかったはずだ。 なんとか菌が入っている可能性があって、食中毒の原因になると かで。 ﹁ふふっ。詳しいのね。それは人間だけよ。エルフは森の民、人間 よりも自然のものに対する抵抗力が強いの。それは赤ちゃんも同じ﹂ それは初耳だ。 エルフは体の弱いイメージがあるが、身体能力も高いし、むしろ そんなことはないようだ。 ﹁人間ほど技術はないけどね。それでも自然のことや自分たちの体 614 についてはあなたたちより少しだけよく知っているわ﹂ それにしても、と彼女は続けた。 ﹁人間でも蜂蜜を乳児に食べさせてはいけないって知らない人も多 いのに、その歳で知っているなんて。貴方のお父さんは学者かしら ?﹂ ﹁い、いえ。国の図書館への立ち入り許可を持っていたもので、よ く本を読んでいたんです﹂ 危ない危ない。異世界から転生してきたことがバレるところだっ た。なんのために普段自重していると思ってるんだ。 今回の魔法知識なんて前世の概念があったから思いついたのであ って、できれば隠しておきたかったぐらいなんだぞ。 別にバレたところで、エルフの人なら困らない気もするが。 ﹁では、これで﹂ 俺は串焼きと飲み物をとってそっと宴会の騒ぎの中心から離れた。 お酒を飲むこと自体には抵抗はないが、未だに美味しいと思える のは軽めの果実酒ばかりで、麦からできたビールみたいなのは苦い し、ワインも苦い。 薄黄緑色の液体を通して騒ぎを眺めていると、戦いに参加したエ ルフの一人が近づいてきた。 ﹁なーに、今回の主役がしけた面してこんなとこにいるんだよ﹂ 俺以外の3人は宴会を堪能している。 アイラは飲み食いに必死で、その様子を周りのエルフが微笑まし 615 く見守っている。 ロウはおっさんどもと意気投合して乾杯している。 カグヤは酔っ払って魔法や剣で勝負を挑んでくるエルフを返り討 ちにしている。 俺だけだ。どうしてだろうな。こんなに性格の悪い人間に、どう してこんなに周りは暖かいんだろうな。 ﹁いや、今回の主役は俺じゃなくってあんたらエルフだろ﹂ そっちの方が気楽でいいな。お前み 俺は手伝いをしただけだ。そっけなくそう答えた。 ﹁お、そっちが素の口調か? たいな年頃の奴が年上に気を使って馬鹿丁寧に喋ってるのを見ると やりづれえわ﹂ そう言って追加で串焼きを渡してくる。 ﹁いや、あれだろ。作戦や指示はしたけど、巨人には全然立ち向か っちゃいないしな﹂ ﹁俺たちエルフはさ。お前ら人間みたいにごちゃごちゃと考えねえ んだよ。感覚頼りともいうな。見たまんま、感じたまんまを信じる んだ﹂ 唐突に話を変えた。気を使ってくれたのだろうか。 ﹁だからお前らみたいに技術は発展しないし、魔導具もあまり作ら ねえ﹂ ﹁でも魔法が得意じゃないか﹂ 616 ﹁そりゃあ長命だし見た目が変わりにくいからな。長いことやって りゃ嫌でもコツはわかるし、うまくもなる。考えてもみろ、俺だっ て今年で五十は超えるがエルフの中では若造だ﹂ 見た目は二十歳ほどだ。若いにもほどがある。 ﹁だからよ。時術を回復に使うなんて思いもよらなかっし、地属性 があんな魔法だとも思わなかったよ。俺はお前がいてくれて助かっ たと思う。予言とか関係なくな。その感覚を信じるよ﹂ ガシガシと頭を撫でられた。 随分と子供扱いだな。まあそうか。五十歳から見れば三十ちょい なんて子供みたいな歳か。 いや、俺は永遠の青年だ。死んだ時の高校生ぐらいの若い心のま ま生きるんだ。 強がっていないとすぐに後ろ向きになる。 ﹁少なくともあの時戦場にいて、お前を役立たずなんていう奴はい ねえよ﹂ ﹁ありがとう﹂ まだもう少しこの騒ぎを眺めていてもいいかな。 617 エルフの里 終結︵後書き︶ 質問、不審な点などございましたらお気軽にどうぞ。 618 新たなる大陸へ エルフにしても、人間にしても日本語を使っているにもかかわら ず名前は日本語でないものも多い。 それはひとえに母語や歴史上の偉人などに影響を受けていると言 える。 日本語さえ使えれば、言葉を話せるほとんどの種族と会話できる ため、生活では困らない。 だから現在、多くの種族は日本語だけは必ず子供に教えている。 だがその裏には、その種族の言葉や、その国の言葉が残っている のだ。 名前をつけるときだけはその国の言葉を使っているのだ。 それが意味することとは、この世界にも日本語のなかった時代が あったということだ。 何を今更という感じではあるが、今回古代の巨人と言葉が通じな かったのにはそこにも原因があったのだ。 長命の種族、エルフ。その何世代か前というと、まだ魔族と人間 との大戦争において初代勇者が召喚されていない時代である可能性 があった。 事実、巨人が話していた言葉は俺たちには全くわからなかった。 巨人からすればひどいものだろう。 戦争で頑張ったのに裏切られ、封印されて目が覚めれば目の前に は言葉の通じない異種族。 それも集団で取り囲んで攻撃してくるのだ。 619 エルフには自衛という理由があるし、それが悪だと断ずることは できない。 だが、それと同時に、俺たちに正義があったなどとは口が裂けて も言えない。 俺たちは俺たちの都合で巨人を殺したといえる。 それは歴史上の英雄譚において、敵を滅ぼせばめでたしめでたし、 と締めくくられる裏側に隠された醜い部分である。 いつだって相手を敵だと決めた瞬間、相手を殺して終わらせた結 末は後味の悪いものになるのだ。 それを見て見ぬふりをしている。 俺が宴会の中で黄昏れていたのには、自らの無力を呪うのもあっ たが、巨人への追悼の想いもあったのだ。 それを知らずに無邪気に慰め、元気付けてくれたエルフの人には 不誠実でさえあったかもしれない。 おれ いつだって自分の弱さを見つめて生きる弱者は正義を語らない。 語れるはずもない。 見事無事に平和を取り戻したエルフたちに見送られ、エルフの里 を後にする。 別れ際に俺が派遣の仕事を任せているシンヤのことや、ギャクラ のことを話した。 すると、また会いたいから、とエルフのみんながつけていた耳飾 りと寸分違わぬものを手渡された。 620 ﹁これさえあればエルフと一緒でなくてもいつでもここに入れるよ うになります。本来ならばエルフしか使えないのを人間にも使える ように改造しました﹂ 元はエルフしか使えなかったのか。そりゃあそうか。力ずくで奪 われたら危ないもんな。 ﹁これをもってあなた達をこのエルフの里の英雄として、そしてエ ルフの友として認める証としましょう﹂ いつでも来てくださいね。と微笑む姿に思わずつられて笑いかえ す。 まああれだけ魔法の真骨頂に対しての理解が進んでなければ、巨 人を倒すのは大変だったろうからな。 それでもきっと、こいつらなら倒していたと思う。 戦う前のあの目を見た俺としては、そう思わされてしまうのだっ た。 ◇ ゲート それからは何事もなくガラスに戻ることができた。 魔族国家ノーマのある大陸に通じる転移門の使用許可を得るため の試験は依頼としては扱われない。それは期間に制限がないという ことだ。期間に制限がないというのは、実力不足で投げ出して二度 と戻ってこないこともできるということだ。 ただ、そんなことをすれば二度とこの試験を受けられないであろ うことは確かだがな。 621 当然、多少遅く帰っても咎められることはないだろうと思ってい た。 しかし俺たちは冒険者ギルドへ帰ってきたときの反応に違和感を 覚えた。 なんだかどこか嘲りを含むような視線と、感心しているような視 線とが混ざっているのだ。 依頼として扱われなくとも、表向きは依頼業務の管轄にあたるの で、受付も同じ場所になる。 どういうことだ?と訝しげに依頼完了報告に向かうと、先程の視 随分とお早いんですね﹂ 線の正体が明らかになった。 早い?﹂ ﹁完了報告ですか? ﹁はあ? つい聞き返してしまった。 あれだけ寄り道しても早いとはどういうことか。 だがさっきの答えはわかった。俺たちが依頼も達成できずにのこ のこと逃げ帰ってきたと予想した奴らと、もう達成したのかと理解 した奴らだ。 ﹁いや、だってあなた方は回復術を使える人がいないでしょう? そういう人たちがこの依頼を達成するには一ヶ月から二ヶ月はかか りますよ﹂ たかが死体処理にどれだけかかってるんだと言いたいが、これが 世間一般の認識なのだろう。 だって不完全とはいえ不死身だもんな。 どうやら一般の冒険者は、前衛がゾンビたちを食い止め、魔法使 622 いの火炎魔法によって焼き払うのがセオリーらしい。 俺たちの中で、純粋な後衛はアイラだけで、カグヤがオールラウ ンダーに当たる。しかも火炎魔法が使えるのはカグヤだけ。 そりゃあ時間がかかると思われてもしょうがないか。移動の時間 も含まれているしな。 俺たちは城に突入したその日に、当主の間まで辿り着き、ミラの 協力によって僅か2日のうちに鎮静化させてしまったのだから。 多少の寄り道ではむしろ早かったのだ。 企業?﹂ ﹁そうですか。まあ方法は企業秘密ってことで﹂ ﹁へ? ああ、この世界では企業なんて言葉はなかったか。面倒くさい。 ﹁お気になさらず﹂ 受付を済ませてギルド長の元へと向かった。 ケリーさんは今日はギルドにいたのでスムーズにことが進んだ。 ゲート 一通りマニュアル通りの流れを踏襲するかのようなやりとりをし て転移門の使用許可証を発行してもらった。 この使用許可証は基本的に何度でも使える。基本的に、と前置き されるのは、魔族に関することでなくともその冒険者が問題を起こ せば差し止められるからだ。過去には多くの勇者候補や冒険者が差 し止めをくらっている。 まさか俺たちはそんなことにはなるまい、とベタなフラグを立て るのはやめておこう。 この場合はこう言うべきだ。 絶対に俺たちはそんなことにはなるまい。このなるまい、は否定 推量ではなく否定意思としての用法である。 623 俺たちはガラスで一度、休息をとり、旅の準備を整えた。 それこそ貴族のボンボンらしく、金に任せて消費した分の食料や 新たに買える毒から薬までを買い漁った。 それぞれに武器の手入れは怠っておらず、なおかつ武器の傷むよ うな相手に正面からはあまりぶつからないので、武器については誰 もが必要はなかった。 もちろん念には念をというのが俺たちの旅のモットーであるため、 最低限の長剣から短剣、斧など初心者にも使える基本武器の数々は 予備として持ち歩いている。 やはりアイラの腕輪は便利だ。空術における空間無限拡張の他に も、時間停止がかかっており、中に入れた消費品の劣化を防げる上 にいくらでも入る。俺たちの旅で最もチートというならばアイラの 腕輪ではないだろうか。 旅の途中で使う調理用品はまだ使えるので据え置きで、そろそろ 布団がボロくなってきていたので買いかえた。 ここまでお金にだけは困っていないと楽なものだ。やはりギャク ラで十分に稼いでおいて正解だったな。オセロとチェスだけでは不 安だったから予防接種についてもレポートまとめといて良かったぜ。 レポートといっても、一度その病気にかかったものはその病気に 罹りにくいというのを利用すれば、弱らせた病気の元となるものを 使うことで感染者を減らせる、だがそれは数年しか効果がない、程 度のことしか書いていないので後はギャクラの医者たちが研究して 発展させていくことだろう。 ゲート 全ての旅の準備を終え、俺たちは転移門の前に立っていた。 思えばここまで長かった⋮⋮かな。うん、長かった。 624 俺がノーマに行こうと思ったのには理由がある。 それはホームレスとの出会いだ。 それまでいくつかの国を回っても、神に関する情報どころか、魔 法についてさえ本当のことがわからなかった。 にもかかわらず、ホームレスは中級魔族でしかないと言っていた くせして、俺が探していた情報の一部をあっさりと教えてくれた。 空間術や波魔法のことだ。 今までの努力はなんだったのかとは思わないでもなかったが、そ れ以上に期待したのだ。 中級魔族でそうなら、上級魔族やその先にいる奴らに会えば、神 に会う手がかりになるのではないか。そうでなくとも、世界の本質 とやらに近づくことができるのではないか、と。 やっとだ、やっと行けるのだ。 ファンタジー世界だとかなんだとか言いながらも、俺たちは今ま での旅で人間の国ばかり巡っていた。 マシンナ 俺は神に会うのも旅の目的ではあるが、その過程でこの世界のこ とをもっと知りたかった。 ーズ 今までに見た他種族というと、妖精、エルフ、魔族が1人、機械 族、死神ぐらいのものだ。 人間が多くを占めるこの大陸を旅したにしてはえらい収穫ではあ るのだが、この世界にはまだ他の種族がいる。 そういう奴らに会うための第一歩として、他の大陸に行けるのだ。 俺たちは魔族が住む大陸への門をくぐったのだった。 625 新たなる大陸へ︵後書き︶ 人間国家冒険編、終了です。 次回から魔族大陸編がスタート。 そして主人公が最強になるまで秒読み段階。 626 鋭く速く どこまでも広がる空は今日は薄黒く曇っている。 魔界とまではいかずとも、魔族の住む大陸に来たと思えば似つか わしい。 だがどこの空でも同じだ。だって同じ世界の外側でしかないのだ から。 ﹁ここが西の大陸かー﹂ ここを西、と呼ぶのは以前も説明したとおり、ガラスから見て西 にあたるからだ。 海も渡れないのにどうして方角どころか世界地図が出回っている のかということ自体が不思議なのだが、過去の偉人がなんとかした ゲート のだろう。 転移門が今回繋がっていたのは岩ばかりが広がる不毛地帯。 崖だの断裂などがあちこちにあり、歩くだけでも何かをゴリゴリ と奪われそうな殺風景だ。 そんななんとかバレーと呼びたくなるような中を風がごうごうと 吹いている。砂が目に入らないようにするのに気を使う。服がまく れないよう抑えながら進むのは骨が折れる。 数時間ほど歩いたときのことだろうか。俺たちは突如として不可 視の敵に襲われた。 カグヤとロウが先に気づいて、警告してくれたためになんとか敵 627 の接近を確認できた。 ﹁きゃっ!﹂ かろうじて避けたが、服の裾がすっぱりと鋭利な刃物で切られた かのように二つに分かれていた。 こんなところで妖怪に出会うとは。 妖怪﹁カマイタチ﹂ つむじ風に紛れ、その鋭利な鎌で他者を斬りつける。 その由来は諸説あって、カマキリやカミキリムシの亡霊だとか、 正体不明の切り傷に対する人の恐怖が生んだというのが有力だ。 その現象自体は風によって巻き上げられた小石や葉によるもの、 気化熱によって皮膚組織が変性し裂けたものなどと科学的な推測は 前世でもあった。 だがこの世界では平然とこのような危険生物?がいるから油断な らない。 だからこそ、何か不思議なことがあったとき、魔法、魔物、術で 片付けられてしまい、この世界の科学技術は発展しないのだ。 妖怪というのは妖怪族と呼ばれていて、人に敵対するものもいれ ば仲のよいものもいる。神から堕落したモノや人の想いの権化、現 象の具体化だったり精霊の突然変異であるため生態がはっきりしな い。 天狗、河童、小豆洗い、ひょうすべ、口裂け女、狂骨など。と説 明されている。 しかし種族のカテゴリというよりは、生物と確認されていないが、 他種族であるともわからないもの、というのが俺の見解だ。 628 魔物の定義は広く、人に害をなす他種族、という見方もあるので、 このカマイタチは魔物に入れて問題がないだろう。 だからとにかく普通に倒してしまえばいいのだが。 ﹁こんなに多いなんて聞いてねえ!﹂ 気づけば俺たちはおそらく8匹のカマイタチに囲まれていた。 おそらく、というのはつむじ風の中でめまぐるしく入れ替わるカ マイタチの正確な数が数えられないからだ。 かろうじて目と耳で捉えて剣で防御する。 この強風の中で魔法や銃が当たるわけもなく、たまに切り傷がで きる。 毒はないので切られてもすぐに治るのであろうことが救いか。 しかしじわじわとジリ貧になるのがわかりきっている。 油を出せ!﹂ しびれを切らして俺はアイラに叫んだ。 油?﹂ ﹁アイラ、油だ! ﹁へ? 口では疑問を返しながら、その手は迷うことなく腕輪に向かって いる。 出した油の瓶をカグヤに渡しながら頼む。 ﹁これで俺たちの周りに膜を張れるか?﹂ ﹁できるわ﹂ どうして?とは聞かなかった。 この旅で俺に魔法攻撃の指示を受けてきたカグヤならもうこの指 示の意味がわかっているのだろう。 629 理解力という点ではカグヤとアイラはさほど変わらない。アイラ の方が上かもしれない。 だが年の功か、それともアイラは教えきった後は自己判断に任せ ることが多いからか、カグヤの方が指示の理解だけならば早い。 カグヤが置かれた複数の瓶を両手で挟むような形でかざし、集中 する。 その間、アイラ、ロウ、俺の3人でカグヤの邪魔をさせないよう にカマイタチからカグヤを守る。 瓶の中の油がゆらゆらと上に上がってくる。それは瓶の口から出 た後、ゆっくりと吹き上がるような形で俺たちの頭上に浮かび、静 止した。 やがて油は全方位に向かって広がり、半球体状に俺たちに触れな い程度に膜を張った。 ﹁できたわ﹂ 額にうっすらと滲んだ汗を袖で拭いながらカグヤは完了を宣言し た。 一度形成してしまえば、後はそこまで集中を要しない。 ﹁もうしばらくだ。さっきと同じように持ちこたえるぞ﹂ カマイタチは追撃の手を決して緩めなかった。 先ほどから二、三匹ずつ時間差を利用しながら様々な方向から突 っ込んできていた。 ・・・ 一匹に深く踏み込むこともできないし、かといって止むこともな 何したんだよ?﹂ い攻撃⋮⋮だった。 ﹁レイル! 630 ﹁そりゃあ、油をカマイタチの体に染み込ませただけだよ﹂ 空中を自在に動く生物というのは、その自由さの代わりに頑丈さ を失っている。 それを補って余りある素早さで翻弄してきたのが先ほどまでのカ マイタチだ。 頑丈さ、とは重さと硬さに由来する。 つまり、カマイタチは軽い、軽いからこそ、素早く空を自由自在 に翔るのだ。俺たちはその軽さを奪ってやったに過ぎない。 油をたっぷり吸った毛皮のカマイタチなど、飛びにくくてしょう がないことだろう。 ﹁だが、それでも厄介なことには変わりないぞ﹂ ﹁まだ、速い、わよっ!﹂ カグヤはもう余裕で攻撃をいなしていられるが、俺含む他はそう でもない。 やっといなしきれるようになったぐらいだ。 ﹁まだ、なんでしょ。レイルくん﹂ アイラももう気がついたようだ。 ﹁カグヤ、外側に向けて温度も精密さも高くなくていい、できるだ け広く、長く、火炎魔法で焼き払え﹂ 幸い、外側に張った油膜のおかげで火炎魔法の補助媒体は足りる。 カグヤが俺らに当たらないようにだけ気をつけた火炎魔法は油膜 631 を飲み込み、引火して通り抜けて、周囲をブンブンと飛び回るカマ イタチどもに向かって広がった。 普段のカマイタチならばかわせただろうし、風の勢いに任せてか き消せたはずの火炎。 油でヌルヌルでベトベトのカマイタチは動きが鈍っていて射程内 から逃れられない。 しかも油で引火しやすくなっており、全てのカマイタチが炎に包 まれた。 色まで青くはないが、悶え苦しみながら飛び回るカマイタチはさ ながら火の玉や鬼火のようで。ゆらゆらとその炎が揺らめいている。 やったな、お前ら。これで妖狐の仲間入りだな! 狐じゃなくて鼬だって?知らねえよ。 さすがにフラフラとしか飛べない雑魚に近寄らせるわけもなく、 俺たちは攻撃すらせずに時間を稼いだ。 カマイタチは時間とともに呼吸もできなくなりボトボトと音を立 ててその場に落ちた。 血だらけすすだらけの体を水で洗い、布で拭う。こんな川も池も ないところで俺たちにしかできない贅沢である。 ﹁相変わらずレイルの作戦で倒すとひでえな﹂ いいじゃねえか。速くて鋭いカマイタチの攻撃を何度も食らって りゃそのうち出血多量で死にそうだったしよ。 こうもっとスマートに倒せないものかな。 夜だったらもっと綺麗だったのに。 今度はアルカリ金属かアルカリ土類金属でも混ぜて炎色反応起こ してもっと火の玉らしくしてみるか。 632 ﹁あーあ。これはダメだね﹂ アイラがカマイタチを倒した跡を見て呟いた。 確かに黒く焦げてしまったし持ちかえっても無駄なので魔物を呼 びよせないようにその場で焼き尽くしてしまった。 肉の焦げる匂いはいつまでたっても慣れる気がしない。これをい い匂いだとか、懐かしいだとか思える日が来るのだろうか。 皮も、何もかもなくなり、その場には鎌とおぼわしき鋭い刃と骨 が残った。 残った細い細い骨と鎌だけを空の油瓶に入れて腕輪にしまったの だった。 633 文化の違い 魔族の住む大陸は魔大陸などと呼ばれるが、正式な名前はない。 殺風景、殺風景と歌いながらやってきたこの地域ももうそろそろ 終わりを告げるのではないか。 先ほどからぽつぽつと植物が自生しているのが見えている。 まあそれでも、人間がほいほいと生活できるような環境ではない が。 ﹁あー、のどカラカラ﹂ アイラが音を立てながら取り出した水を嚥下していく。 乾燥具合だけならば砂漠の方がやばかったが、こちらは風が強い。 西側になにやら大きな山脈的なものが見えるあたり、ここは内陸 で山を越えてきた風が乾燥しているのではないかと踏んでいる。 歩いてきた道がはるか背後に延々と連なり、まだ見えているか見 えなくなるかの境界線にきたころに俺たちは魔族の住居らしきもの を発見することになる。 ひどく粗末なつくりの住居は小屋と呼ぶことさえ憚られ、藁や土 で補強してある。 申し訳程度に育てている畑には乱雑に作物がなっている。 魔族の一人が畑を耕していた。 麻布のような質感の布でところどころ土のついた着物を腰のあた りで紐で結んで着ている。 息は軽くきれており、汗も少しかいている。 634 ﹁アイラ、あれあるか?﹂ ﹁はい﹂ 俺がアイラに出してもらったのは、男が畑を耕すのに使っている ものとよく似た農具。それと飲み物や軽食類だ。 農具はかつてアイラの鍛治の練習でできたもので、当時ギャクラ で売っていたものの中ではそこまで良いものでもなかった。 だがあの男が使っているものに比べればまだマシではなかろうか。 俺はできるだけにこやかに、和やかに声をかけた。 遅れた分は手伝って取り戻しますので﹂ ﹁大変そうですね。こちらで休憩がてら少しお話聞かせてもらって も構いませんか? 男は耕していた手を止めてこちらに顔を向けた。 そばかすの入った頬、細めではあるが農作業で鍛えられた腕、肌 の色はホームレスは薄緑だったが、こちらは水色を限りなく薄くし たものだった。 誰だ? ⋮⋮って人間でねえか!﹂ その肌の色さえなければ人間と言われてもわからないだろう。 ﹁ん⋮⋮? ﹁こちら、手土産になります﹂ アイラの練習作はアイラが捨てようとしたのを、どうせなら入れ ておけと腕輪にしまったものである。なんの思い入れもないのでア イラからすればゴミらしく、俺が彼にあげようというとあっさりと 承諾した。 今の農具に不満があったのか、彼の顔にはちらりと喜びが浮かぶ。 ﹁お、おお。悪いやつじゃねえのか?﹂ 635 そんなにあっさりと買収されて良いのかと下級魔族の危機意識の それとここってノーマの領土 低さについて言ってやる義理もない。 ﹁ここの村には他に人がいますか? 内ですかね﹂ 前者はわざわざ聞かずとも見て回ればすぐにわかることで、本当 に聞きたいのは後者の方だ。 ここがノーマであっているか、これが間違っていれば俺たちの道 程が無価値と化す。 一応、伝記や勇者の物語における記録から推測される方角へと歩 いては来ているのだが、それも物語の記述が正しいことが前提とな る。 そんな俺の不安は拭い去られることとなった。 ﹁そうだい。ここは魔王様の支配内、年に一度は城からお偉いさん がくる﹂ 村は結構広い範囲に及んでおり、ここから見渡す限りには他に民 家がないのに、まだまだ村人はいるとのこと。 ﹁じゃあ、一番物知りな人の家はわかりますか?﹂ ﹁そりゃあ、そっちの畑を越えて5分ほど歩きゃあ着く﹂ 案内してやろうか、との申し出をありがたく受けておく。 初めて会った一般魔族が人間とあれば斬りかかるようなキチガイ ではなくて本当によかった。 636 まあ彼があっさりと信用してしまうのも無理はない。 彼から見た俺たちの情報というのは3つしかない。 1、敵対心が感じられない。 2、自分よりも弱そうな子供。 3、自分に利益︵農具︶を与えてくれた。 1と3は正しい。しかし2は間違っているのだがそこは言うまい。 彼はビフと名乗った。 たわいない雑談とともに、例の人物のところへと案内された。 さっきの家とは違い、こちらは小屋だと断言できる程度には大き かった。 ﹁キャロさん、お客さんですよ﹂ どちら様?﹂ ビフが片手で扉を叩いた。すると中からは髪を後ろで括った女性 が現れた。 ﹁あら、ビフじゃないですか。私にお客? 丁寧ながら、その口調には不審感がこもっている。 ﹁ここまで旅してきた人間の子供だいな。まあ多分悪いやつじゃね え﹂ ビフの隣にいる俺たちを一瞥し、家に招きいれた。 俺は手土産を渡すことを忘れずに、ビフと同じような対応を心が けた。 あらかじめ魔族とこのように関わることもあるかもしれない、と 三人には言ってあるので、特に何も言うことなく後ろをついてきて いる。 637 ﹁まずは食事から始めましょう。同じ食卓を囲んだ者同士でないと、 仲良く話なんてできないでしょう?﹂ にこやかながら笑っていないその目に内心うすら寒いものを感じ ながら、出された食事に手をつけた。 メインディッシュはやや硬めの肉であった。 ﹁なんの肉ですか?﹂ するとキャロさんはその質問を待ってましたとばかりに即答した。 ﹁旦那です。昨日の昼頃に狩りに出かけていて、死にましてね﹂ 旦那の肉、と淡々となんの思い入れもないような無表情で答えた キャロさん。 だが俺はそこに込められた意味が嫌がらせでもないことを知って いる。 確かにそういう風習の残る地域があるとは知っていたが⋮⋮。 ﹁そうですか。ありがとうございます。美味しいです﹂ ﹁そう⋮⋮ですか。お悔やみ申し上げます﹂ ﹁おいひいです﹂ 三者三様の謝礼であった。 ロウは淡白に、それを普通のことのように。 カグヤは今は亡き旦那さんに思いを馳せながら。 アイラは純粋に料理としか見ていなかった。 638 ﹁最大の歓迎をしていただき⋮⋮ありがとうございます﹂ こみ上げてくる酸っぱい何かと想いを笑顔で包み隠して、俺はそ こに込められた意味に謝礼を述べた。 魔族は死んだ人を食べるという習慣があった。 食べる人はその人を殺した本人であったり、親しい家族や友人で あることが多い。 魔族における葬式、とはみんなで故人を悼みながらその人の肉を 食べることをさした。 そこには魔族の生活の根底にある﹁力﹂や﹁強さ﹂という概念が 深く関係していた。 魔族は結果に拘る。勝利という結果を出す原因を﹁力﹂や﹁強さ﹂ として認めている。 かつて魔族の間には死んだ相手を食べるとその人の﹁強さ﹂の一 部を受け継げる、吸収できるという俗説があった。 今でこそそれがデタラメであることがわかっていて、王都などで はその習慣も廃れてしまっているが、こうして貧しい農村部などで はそういった習慣が残る地域もあるのだ。 人の肉も貴重なタンパク源、ということなのだろう。 人間が魔族を嫌悪し、そして幾度となく戦争を繰り返したのはこ こにも原因があった。 価値観の相違からくる文化差。それは人間にとっては受け入れら れないものもあったのだ。 639 獣人は自然とともに生きるとし、死んだ人を生前好きだった場所 などに埋めたりするという。 それは人間が獣人にたいして、﹁供養もろくにできない野蛮な種 族﹂という差別を引き起こす原因ではあるが、それも魔族ほどでは なかった。 人間の魔族にたいする見方の一つには、﹁同胞でさえ喰らう醜悪 な種族﹂というものもある。 だが、ここで旦那の肉を出されたことの意味はたった一つだ。 親しい人しか食べないとされる肉だ。俺たちをそれを食べる権利 のあるもの、つまりは対等に向き合う相手として認めてくれたとい うことだ。 文化にはいろいろある。向こうが歩みよってくれたのに、こちら が受け入れなくてどうする。 涙の筋のあるカグヤとは対照的に、最大限の感謝を示して、初め ての知的生物の肉を味わった。 640 酒場にて そのあとは黙々と食べた。 カニバリズム 会ったこともない魔族の男性のことを思わずにはいられなかった。 前世においても食人主義というのは忌避されるものであった。 全く抵抗がないと言えば嘘になる。 だが、笑顔の裏に全て押し込め、黙々と食べたのだ。 食べ終わった俺たちを見て、キャロさんは初めて笑った。 今までも笑顔はあったのだが、本当に笑ったと思えたのだ。 ﹁よかった。これはあなたたちを試したの﹂ ﹁試した?﹂ ﹁ええ。あなたたちが旦那の肉を出されて、嫌悪感や蔑むような様 子を見せればその時点であなたたちを敵として出ていってもらった わ﹂ ﹁そんなことのために⋮⋮﹂ ﹁そんなことって、私にとっては大事なことよ。でもあなたたちは 感謝し、旦那を悼んでさえくれた。それだけで充分よ﹂ これで俺たちは、彼女の信頼を得られたのだろうか。 人間にして三十路を越えたかどうかといった大人の雰囲気を持ち ながらも、どこか少女のようにいたずらに微笑む彼女は思っていた よりも曲者のようだ。 641 そこまで肩肘張らずともよいような質問ではあるが、改めてかし こまって尋ねた。 ﹁ノーマの王都へはどうやって行けばいいですか?﹂ ﹁それならここから北東に2日ほど歩けば着くんじゃないかしら﹂ そう言うと王都までの道のりの特徴を簡単に説明してくれた。 それこそ山あり谷ありの、程度であり、渡れない川や毒の沼地が あるわけではない。 王都の向こう側には綺麗な滝があるというし、いつか行ってみた いと思う。 ﹁随分とよく知ってますね﹂ ﹁私も元は王都の城下町にいたから﹂ どうしてこっちに来たのだろうか。 彼女は自身の過去を語った。 キャロさんは元々、とある貴族の屋敷のメイド長であったらしい。 彼女の主人は近隣の民から恨まれ、嫌われていた。 そのことについて再三忠告していたのだが、それが主人の癇に障 ったのだという。 彼女はクビにされ、屋敷から追い出されたのだ。 ﹁ま、そのあと屋敷が潰れたって風の噂で聞いたので残念ってわけ でもありませんが。旦那との生活は楽しかったしね﹂ どこか晴れ晴れとした表情でキャロさんはそう締めくくった。 そして片付けを始めた。 642 俺は魔族の国に来て、もうひとつ聞きたいことがあったのだった。 ﹁⋮⋮キャロさんって⋮⋮人間をどう思ってますか?﹂ ﹁魔族が、ではなく私が?﹂ とても聞きづらい質問に気を悪くした様子もなく振り向いて聞き 返した。 ﹁みんながみんな、そうではないでしょう?﹂ ﹁そうね⋮⋮好きではないわ﹂ 今度は後ろを向いたまま答えた。 顔を見られたくないのか、俺たちの顔を見ているのが辛いのか。 そうか、嫌いか。 そりゃあそうか。度重なる戦争、送られてくる暗殺者。好きにな れるはずもないか。 それが顔に出ていたのか、それとも彼女が気のつく人なのか、キ ャロさんはフォローとして発言の一部を訂正した。 ﹁あ、でもあなたたちは別よ﹂ 食器を片付けながらこちらを振り向いた。これだけは顔を見て言 わなければならないとでも言うかのように。 ﹁全ての人間を無条件で信頼はできないわ。だから、自分で決めた 条件を満たせば信頼しようって思ったの﹂ 643 だから、魔族の肉を食べてもらったのだ、と。 ◇ キャロさんに見送られて、魔族の集落を後にする。 旅は一期一会などとは言うが、いつかまた会いたいものだ。 一人一人考えが違うなら、より素晴らしい人に出会いながらの旅 であればそれはきっと幸せだと思う。 魔族の全てが人間を嫌っても、好いてもいないことはわかってい る。 だが今回、俺たち自身を見て、少しでも信頼してくれるという人 に出逢えたことに感謝を、そしてまだ見ぬ魔族国家ノーマの王都へ の不安と期待を抱く。 ﹁あれかなあ﹂ ﹁あれよね﹂ ﹁あれだな﹂ 異口同音にあれだと示すのは、今回の旅の目的地、魔族国家の王 都、ノーマだ。 城は中心にあり、その周りをぐるりと取り囲むように城下町が栄 えている。 外側にいくほど貧しくなっていくところに単純な魔族の社会構造 が見られる。 644 石造りの住宅街、木造の商店街、人通りの多い道を歩いてみた。 魔族は先祖や魔力の性質など、幾つかの要因によって肌の色が少 しずつ異なるため、肌の色だけでは何も咎められない。だから魔族 と勘違いされているのかもしれない。 だが人種族と同じような肌の色の魔族というのは見当たらない。 そのせいか先ほどからジロジロと見られている気がする。まあ実際 は魔族ではないのだから当たり前なのだが。 情報収集でもしようかと酒場までやってきた。 扉を開けると怒号が飛び交っていた。なんだと思ってそちらを見 俺の水の刃の方が鋭いからな!?﹂ 俺のハルバード 俺の火柱の方が強えに決まってんだろ?!﹂ ると、三人の男が喧嘩騒ぎになっていた。 ﹁あぁ?! ﹁はあ?! ﹁魔法魔法ってそんなものに頼りきりやがって! 捌きでも見やがれ!﹂ 喧嘩というか乱闘寸前であった。 周りの客はやれもっとやれだと焚きつけるばかりで止めようとい うものはいない。 どいつが勝つか賭け始める者までいる。酒を片手に、やいのやい いい加減にしな!﹂ のと囃し立てる。 ﹁あんたら! 一際大きな叱責が飛ぶと、﹁やべ、女将だ﹂だの﹁ヤバイ、のさ 645 れるぞ﹂などと口々に言いたてて蜘蛛の子を散らすように野次馬は 引いていった。 こんな軟弱なモヤシ野郎より俺の 三人はまだ足りないようで、女将と呼ばれたおばちゃんにつっか かる。 ﹁なあ、言ってやってくれよ! 方だよな?﹂ 魔族国家は単純だ。結果こそが全て、力こそが全てという考えが 根底にあるからこそ、法律というものがあまり意味をなさない。 明快単純な法、﹁国家内ではより偉いものに従え﹂というのは魔 族国家ノーマの最初の法律だ。 下剋上を起こすも自由、決闘を挑むも自由。 魔族国家における﹁偉い﹂はなんらかの形で﹁強い﹂にあたる。 強ければなんでもしていいというわけでもないが、無能に従うほ ど誇りがないものはないというのが多くの魔族の貴族の考えである。 徒党を組むというのも数の力に頼るという強さであるため、上級 魔族と呼ばれる怪物たちは、下級魔族の100や200、群れたと ころで蹂躙できる強さを持っているという。 中級魔族は格こそ違えど下級魔族に比べてはるかに強いらしい。 目の前のおばちゃんがこの下町において十の指に入る実力者だと 知ったのはしばらく後のことである。 だからこそ目の前の結果に驚かされた。 ﹁あんたら三人とも雑魚でしょうが!﹂ 一人は両手に出現させた火柱をかき消されたあげく、魔法ででき 646 た爆炎によって店の外まで吹っ飛ばされた。 もう一人は水の刃を叩き落とされ、上から水の魔法で潰された。 最後の一人も、愛用のハルバードを折られて壁に打ち付けられた。 さらに驚かされたのは、三人ともが無傷で、彼らが丈夫だったの かもしれないが手加減していたことがわかったからだ。 すぐに起き上がって謝罪したあと、酒場からまた口喧嘩しながら 立ち去っていった。 ﹁三人がかりでもいいから、このあたしに手傷を負わせられるよう になってから出直しな﹂ 逃げた野次馬がいなくなった店内では、元から静かに飲んでいて なおかつ騒ぎでもおばちゃんにも逃げなかった強者と、そして俺た ちだけが取り残された。 おばちゃんはこちらを見て面白いものを見つけたように言った。 ﹁なんだ、あんたら人間じゃないか﹂ その目に敵意がないとはいえ、今までの旅で一、二を争う恐怖の 瞬間であった。 647 悪魔の屋敷 俺たちが人間だとバレたのはおばちゃんの観察能力がずば抜けて 高いとかいった理由からではない。 魔族に人間と同じ肌の色の魔族はいないというのだ。多いのは薄 めの寒冷色で、赤黒い色の魔族もいるとか。どうりで見ないわけだ。 まあ来てみないとわからないこともあるもんだ。 俺だってこの国に来て初めて、従魔獣師というものを見た。街中 で魔獣を連れて歩いていたのだ。 人間にもたまにいるそうだが、この国においてはとても多くの魔 物を家畜やペットなどとして扱っている。 人間の国では馬みたいなの、牛みたいなの、豚みたいなのの三種 を労働や食用として飼いならしているが、こちらでは犬型の魔獣な どもよく見かける。あらかじめ知っていたのに、死人を食べること の方がカルチャーショックが大きいのはまあ、前世の影響もあろう。 ﹁あんたらがジロジロ見られてたのは、その歳でこの国にくる人間 ってのは珍しいからね。今までの最年少でも、十八歳ぐらいだった らしいから﹂ というか見ただけで人間の年齢がだいたいわかるのか、すごいな。 さすがに中学生と高校生の年齢差であれば、人間ならばわかると は思うが。俺たちは魔族の年齢なんてあまりよくわからないぞ。 初代勇者もさすがに俺たちほど若くはなかったんだな。中身は初 代勇者よりも歳上な自信はあるんだが。 ﹁別にとって食おうってわけじゃないよ。安心おし﹂ 648 むしろ食わされたばかりなんですけどね。俺たちの方が。これま で魔族の肉だよとか言わないよな。 恰幅のよいおばちゃんはこの酒場を営む人であるらしい。 夫婦で経営しており、夫が調理を担当している。おばちゃんの方 はメニューを頼めば会計から料理を運ぶまで一通りの仕事をこなし ている。 ﹁ははっ。看板娘の一人でも雇えばこの酒場も繁盛するのになあ﹂ 今も残っている常連客の一人が冗談まじりにからかった。よく知 看板娘ならいるじゃないか、ここに﹂ っているからこその気安さがそこにはあった。 ﹁ああ? おばちゃんは自分を指して言った。 ﹁冗談は腹だけにしとけよ!﹂ ﹁なんだって?﹂ この地域の顔でどうやら愛されているらしい。なんとなく雰囲気 の良いお店であった。 頼んで 運ばれてきたシチューのような白い汁物と大きめのパンの匂いに 思わず腹がなった。 ﹁あははは、レイルくん、お腹減ってるの?﹂ 喉の奥で殺すようにおばちゃんが笑った。 そして運んできたそれらを俺たちの前に置いた。あれ? いないはずだが。 649 ﹁腹減ってんなら遠慮なく食いな。ほら初回だから奢りにしておい てあげるから﹂ ﹁いえ、頼むのを忘れていただけでお金には困ってないので払わせ てください﹂ お気持ちはありがたいが、変な借りを作るものなんだか騙してい るような気分になる。 ﹁うまそうだな﹂ ロウが早速手をつけようとして横からカグヤにはたかれている。 アイラはいつ食べてよいのかとアイコンタクトで俺に許可を求め ながらそわそわしている。 俺は頷き、そして言った。 ﹁食べるか﹂ この世界に﹁いただきます﹂は存在しない。黙って一瞬目を瞑り、 自分の思う相手に感謝を捧げるだけだ。思う相手とは様々だ。作っ てくれた人かもしれないし、運んでくれた人かもしれない。神かも しれないし、食材かもしれない。 ただ、食事に感謝がつきものなのはどこの世界でも同じようで。 前世よりも種族の多いこの世界だからこそ、宗教にも何にも囚わ れない自由な挨拶が浸透しているのだと思う。 パンはエルフの里の方が美味しかったが、シチューっぽいものは こちらの方が美味しい。 腹が落ち着くと自然と周りの状況に気がいく。なんていうか、賢 650 者タイムとは違うが、旅人の性みたいなものだ。 二、三席ほど離れたところで飲んでいたおっさん二人の会話が耳 に入ってきた。 ﹁なあ、知ってるか。悪魔の屋敷﹂ 悪魔、という通常生活において聞きなれない不穏な単語に、もう 一人の眉と語調もつられて上がる。 ﹁なんだよ、その陳腐な怪談みてえな名前は﹂ ﹁いやあれだよ。気狂い暴君の名前で有名だった﹂ ﹁あいつか。あいつどうなったんだったっけ?﹂ どうやら共通の有名人らしい。 気づけば他の三人もその話に聞き耳を立てていた。 ﹁だから今そいつの屋敷が悪魔の屋敷なんだって﹂ ﹁わっけわかんね﹂ 悪魔、か。 悪魔のように強い魔族なのか。それとも本当に悪魔なのか。 文献で読んだ悪魔については、ミラと同じ冥界の住人で、代償さ え払えば願いを叶えると書いてあった。 だが人を一人殺すのにそれ以上の魂や命を必要とするという話も あり、あまりにも不釣り合いなその取引に応じるのは馬鹿か捨て身 かの二択だとか。 でもそれだけならば抜け穴もありそうなんだけどな⋮⋮いやいや 651 欲をかいたら失敗するのは子供のおとぎ話でさえ語られる真理だ。 そんな間もおっさんたちの話は続いている。 ノーマにおいては福祉などというものがあまり存在しておらず、 国の防衛と裁判、税金による領土改革ぐらいしかしないため、死ん だ貴族の屋敷などは後回しにされている。大抵は親族や召使いたち がなんとかするので必要もないのだ。 今はその屋敷には誰もが怖がって近づかないとか。 俺はふと思いついた。 じゃあもしかして色んなものがそのままそっくり残ってるんじゃ ね? ﹁レイルくんが悪い顔してる﹂ ﹁またろくでもないこと考えてんでしょ﹂ どうしてバレる。転生したことで表情筋が弱くなっているのか? そうなのか? まあ思考の内容まではバレていないし、仲間だからいいか。 敵を騙すにはまず味方からというのは騙し合いだけだ。 ﹁さっきの屋敷、行ってみねえ?﹂ ﹁悪魔がいるんじゃないの?﹂ ﹁悪魔なんてそうそういねえよ。契約には一人の魂じゃ足りないし な﹂ それに大抵は契約が終われば帰ってしまう。 652 いつもできるだけ安全な道を通る俺だが、たまには怖いもの見た さというかなんというか。怪談話が好きだったのもあるだろう。 いいんじゃね?﹂ 話だけ聞けば、集団自害か、盗賊に押しいられたかの感じだった し。 ﹁ん? アイラは付いてくるとのこと。 ロウはいつもホイホイと頷く。 善悪の区別がないのと同じように、自分の生に対する執着がどこ か薄いような気がする。カグヤという奴がいるのにな。 やはり俺たちはどこか壊れた集団だよな。似ているからこそ惹か れあったのかもしれないが。 カグヤはそんなロウを説得しようなんてつもりはないらしい。 安全至上主義の俺が大量殺人現場に向かおうなんて言うのが珍し いのかもしれない。 ◇ 王都周辺の城下町、その中でもやや身分の高い魔貴族の屋敷がぽ つりぽつりと点在する地域にやってきた。 俺たちの目的の屋敷とは、その中でも随分と端っこにある屋敷で ある。 以前の古城のようにおどろおどろしい気配はなく、ただの静寂だ 653 けが横たわっていた。 どうやら地主のような地位であったらしく、周囲は作物を育てて いた跡や粗末な家畜小屋などが見える。 だがここしばらくの人の生活の気配が全くない。 逃げ出したのか、それとも上を失い崩壊したのか。 魔族が強い者に従うのには文化や本能以外にもある。 脅威から身を守ってもらうためだ。より強い者の庇護下に入るこ とはそれだけ安全なことを意味する。 自ら立つ意志がなければ叛逆するのも無意味というわけだ。 ﹁で、なにするの?﹂ ﹁火事場泥棒ってやつだよ﹂ なんらかの形で主のいなくなった家屋に押し入り、貴重品から調 度品に至るまで金目になるものを盗んでいくというやつだ。 盗賊にあったにしても、そいつらではわからないものが残ってい るかもしれない。どうせ金や貴金属、魔導具に宝石類とか目に付く 貴重品しかわからないのだろう。人間の目や前世の知識から見直し をしてやろうじゃないか。 それに俺が欲しいのは金目のものよりも⋮⋮ ﹁着いたね﹂ ﹁俺も気になるしな﹂ どうやらロウにだけは本当の目的が悟られていたようだ。 なんのこと?﹂ やっぱりロウも気になるよな。 ﹁ん? 654 ﹁いいや、なんでも﹂ 隠すほどのことではないし、なんにせよ趣味が悪いのは事実だ。 今更気にするほどのことでもないが、言うほどのことでもない。 ﹁じゃあ入るぞ﹂ 俺たちは屋敷の扉を開けた。 655 悪魔の屋敷︵後書き︶ もはやフラグでしかないですね 656 悪魔の屋敷② 大量殺人の現場とはいえ、もう時間が経っていてすっかりと生々 しさだけは乾いている、はず。なのにむせかえるような重苦しい血 なまぐささが喉の奥に絡みつくような錯覚さえ覚える。 埃をかぶった階段の手すりに、無造作にぶちまけられた生活の跡。 当時に何があったのかは想像がつくようでつかない。 ﹁酷いわね﹂ 長い髪を鬱陶しそうにかきあげながらカグヤが落ちている剣の一 つを持ち上げた。どうせ貴族の部下に一人一本配られた粗悪品、カ グヤはすぐに興味を失いその場に捨てた。 アイラは屋敷の探索にはあまり好奇心がないのか、銃で辺りを警 戒しながら俺の隣で控えている。 俺は死体の一部であっただろうものを蹴飛ばしながら進む。そこ には死者への追悼の想いは全くない。 所詮人なんてそんなもんだ。無関係には真に共感などできやしな い。 生きてさえいれば無関係でなくなることはできるけどな。 一番探索に積極的なのはロウと俺で、ガサゴソと次から次へと引 き出しの裏にタンスにと家捜しに勤しんでいる。 俺たちが屋敷のほとんどを探索し終え、残すところあと僅かとな ってやってきたのは書斎であった。 そう、こここそが俺の本当に来たかったところだ。 657 魔族の貴族、それも気狂いだの暴君だのと称される貴族の屋敷だ。 一般には出回っていない禁書などもあるのではないかという期待 があった。 どうだったかって? あったもあった。そりゃあもうわんさかと。隠してはあったが、 隠し部屋はお粗末な作りで、推理小説でも定番みたいなものであっ た。 ﹁よく見つけたわね﹂ 本棚を横にずらすと、後ろにあるはずの壁はそこには大きな穴が あった。暗く奥に続くそれはぽっかりと俺たちを待ち構えて手招き しているかのようであった。 ここになら確実にある、そんな確信も抱いて明かりをつけた。 先ほども言ったように、そらゃあもう、禁書のオンパレードだっ た。 手に取る本手に取る本、怪しげなことばかり書いてある。 それこそ邪神の復活方法だの、拷問のコツだの、監禁日記だの。 魔族の貴族の中では普通なのかもしれないが、人間ならばこんな ものを見つかったらあっというまに危険人物扱いされてしまう。 いや、こいつも危険人物扱いされてたんだったっけか。 ﹁すごーい。全然知らない毒物の本がある﹂ ここでようやくアイラのテンションが上がる。 ロウなんかはしゃぎまくり⋮⋮というよりは読書に没頭しだした。 カグヤはどこからとってきたのか、猫の爪みたいな拷問器具を持 658 ち出してきてしげしげと眺めている。 それ、拷問器具だってわかってるのか? ロウはわかっているらしく、隣で眺めているカグヤに気づいて﹁ なんだこれ﹂ 使い方教えてやろうか?﹂などとセクハラじみたことを言っている。 ﹁ん? いかにも怪しげな本の中に、一際異彩を放つ黒い背表紙の本を見 つけた。 一ページ目には六芒星が金粉であしらわれており、題名には単純 に﹁悪魔召喚の書﹂と記されていた。 中身は胡散臭いもので、どれだけ血を用意しろだとか、触媒には 何がいいだとか書いてある。 ただ、呼び出した後のことだけは曖昧になっており、契約できる と一言だけ記してあった。 ﹁悪魔、ねえ﹂ 本当にいるのだろうか。 いるとしても、今はもうここにはいないだろう。 根拠は薄いがそんなことを考えたのがよくなかったのかもしれな い。 ﹁騒がしいな﹂ カグヤとロウが警戒をあらわに振り返った。俺でも気づくことが できた。 部屋の外から十人ほどの足音と騒ぐ声が聞こえる。下品な笑い声 が屋敷に響いている。 659 ﹁チッ。にわかが﹂ プロならば廃墟とはいえ騒ぎながらなど入ってこない。せいぜい 日常会話程度の声しか出さない。騒ぎながらなど問題外だ。 あれでは部活帰りの高校生並の騒がしさである。 今は本棚を戻してあり外からはこの部屋が見えるわけではないが、 埃のつきかたや俺たちの探索跡を見てここが見つかるのは面倒だ。 ここで見つかるのは逃げ場がないし、見つかれば襲ってくるだろ う。 こちらもここにいることを見られたからには生かしておくわけに もいかない。 三人に目だけで﹁始末してこよう﹂と合図すると、黙って立ち上 がった。 その時だった。彼らの笑い声が一際大きくなってきたのは。 今まではお互いの会話に笑いあったりや状況にハイになっていた だけの騒がしさが、まるで漫才などのボケが決まったかのようにド ッとわいたのだ。 ﹁何かしら﹂ こそこそと聞こえないようにカグヤが言った。 まだこの隣の部屋までは来ていないようで、笑い声は随分遠い。 そしてその笑い声は段々と小さくなり、ボソボソと男一人の声に なった後、聞こえなくなった。 力をゆっくりと込めて、覗くように本棚をずらして外に出た。 隣の部屋に入って俺たちは絶句した。 660 ﹁死んでる⋮⋮﹂ 先ほどまで元気いっぱい騒いでいたはずの盗賊たち。俺たちの倍 以上の人数があの僅かな間に抵抗も許さず虐殺されていたのだ。 首を刎ねられた者、腹を赤く滲ませた者、血溜まりの中に横たわ る者。 噂の大量虐殺事件とはまた異なる、新しい死体の数々。 そしてその死体の中央に一人の男性が立っていた。 ﹁フフフフ、さっきあの部屋から出てきましたね。あそこがあっさ りと見つけられるなんて珍しいですね﹂ 黒い髪、白い肌、貴族の正装と執事服の間ぐらいのデザインの衣 装に身を包み、そいつは現れた。 やけに丁寧な物腰には敬意は感じられず、ただただ目の前の存在 の非現実性のみを強調させていた。 それはかつてミラと会った時とよく似た感覚であった。うなじの あたりがチリチリと逆立つような圧倒的な存在の差による危機感。 ﹁お仲間が殺されて怒りましたか?﹂ ﹁そいつは仲間じゃねえよ。むしろ始末しようとしてたから片付け てくれて助かった﹂ なめられてもダメだし、反感を買ってもいけない。やや強めに返 した。 仲間だとか思われたらいい迷惑だ。そんな奴らと一緒にしないで ほしい。やってることは同じだが。 661 ﹁それは重畳﹂ ﹁名前、聞かせてもらってもいいか﹂ ﹁それがないんですよね﹂ 名前がない。本当だろうか。 嘯いているようにも、困っているようにも見える。 俺にもあったな。名前のない時期。 悪魔 と呼びますね﹂ ﹁俺はレイル、見ての通り人間だ。お前はなんだ?﹂ ﹁あなた方人間は私のことを 自分が何か、とはまた哲学的な質問ですね、とアゴに手をやり首 をかしげて一言。 悪魔。散々聞いた単語だ。 ﹁本当に⋮⋮いたんだ﹂ カグヤがどこか悔しそうに顔をしかめる。勝てないという敗北感 からくるものだろう。俺はもう一人では勝てる相手の方が少ないか ら、それぐらいでは悔しくもないのだが。 悪魔だということにはなんの疑問も抱けなかった。むしろこれが 悪魔でなければ何が悪魔だというのか、というぐらいには。 ﹁なあ、悪魔は代償と引き換えに願いをきくっていうのは本当か?﹂ 微量に剣呑な匂いを醸し出しながらロウが尋ねた。 662 ﹁ええ﹂ そうする間も丁寧な口調も、うっすら浮かんだ笑みも絶やさない。 人間離れしているのはもちろんのことだが、どこか恐怖と親しみ をあわせもたせる佇まいであった。 ﹁寿命を延ばすこともか﹂ ﹁ええ。永遠は無理ですが数百年ぐらいなら余裕ですよ﹂ 人類の永遠の夢とも言える不老長寿。それをいともたやすく可能 だと答えた。 ﹁そうか﹂ ﹁あなたはいらないでしょう?﹂ ﹁今の俺の状態を知りたかっただけだよ﹂ ﹁みたところ、魂術と時術の合成ですね。魂に込められた寿命とい う時間をエネルギーに変えて、あなたの体と魂の時間に加えること で寿命を延ばしているんじゃないですか﹂ そうか、ロウは親のせいで半不老長寿になってたっけか。 でも今まではまだ成長しているから、成人男性ぐらいまでは成長 するんじゃねえかな。 二人の命と魂全てをかければ一人の延命ができるのか。なるほど、 禁呪だし効率も悪い。 663 ﹁どうしてこんなところにお前みたいなのがいつまでもいるんだ﹂ 先ほどここの屋敷の主人や召使いの手記を読んだ。 それによればこいつがここに来たのは今さっきではない。もっと 前だ。 ﹁いいでしょう。あの場所を見つけて、私の正体を知ってなお冷静 な判断ができる子へのご褒美です。対価は要りませんよ。先ほどの おバカさんたちは私が自己紹介したのにいきなり襲いかかってきま したからね﹂ 目の前の悪魔から過去が語られる。 先ほどまでの恐怖はもうなかった。 664 悪魔の屋敷②︵後書き︶ 一人称だとアイラの魅力が伝わりにくくて大変です 665 悪魔の屋敷 ③ 悪魔の話と屋敷の手記、そしてここでキャロさんの話も出てくる。 それぞれの話を総合して浮かび上がったこの屋敷の歴史はあまり 聞いていて気持ちの良いものではなかった。 この屋敷の主人は自らの地位と力で好き放題していた。 暇があれば一般人から搾取し、気に入らないものがいれば屋敷で 拷問した。 そんな彼にもめげずに再三忠告していたのがキャロさんであった。 罰を与えられることも恐れず、何度も自重するように述べた。 彼は思わず言ってしまったのだ。この屋敷から出ていけ、と。 彼が気狂いと呼ばれ始めたのはこの頃からであった。 彼が自我を保ち、どこにでも評判の悪い貴族程度で済んでいたの はキャロさんの存在が大きかったのだ。 それを知らぬは本人たちばかりで、その手記の心情を綴ったもの からは当時の彼の荒れ方が見てとれた。 そしてとうとう、抗議活動としての集団による屋敷の襲撃事件が 起こったのだ。 屋敷の周りを下級魔族の一般人たちがぐるりと取り囲み、それぞ れに武器を持って投降を促していた。 屋敷の住人としては、横暴な主人の説得さえ行えれば自分たちは 安全だとたかをくくっていた。 そのことがさらに当主を追い詰めた。 666 とうに理性などないようなものだったが、誰も味方をしない、自 分を罵っている、彼はそんな孤立無援の状況に完全に理性というも のを彼方へ飛ばした。 隠し部屋にあった﹁悪魔召喚の書﹂を用いてこの悪魔を召喚した のだ。 あくまで本に記されていたのは﹁召喚﹂までであり、契約につい ては記されていなかった。 報酬はこの 彼は対価さえ出せればいいのだ、と悪魔にこともあろうかこう叫 んだのだ。 ﹁屋敷を取り囲むうるさいやつらを一匹残らず殺せ! 屋敷の奴らだ!﹂ と。悪魔は呆れて物も言えず、一言だけ苦笑まじりに確認した。 ﹁屋敷の奴ら、ですね。いいのですか?﹂ その言葉に当主は勘違いし、再度命令した。 ﹁構わん。あいつらは全員わしの召使い、命までもがわしのだ!﹂ ・・・ 悪魔は人間とは理性を失うと本能も理性もない、獣以下の哀れな 動物だと同情と嘲笑の元に命令を忠実に実行した。 その結果が現在に至るというわけである。 屋敷の周りの一般人を全員殺したあと、悪魔は屋敷の住人も皆殺 しにし、魂までもしっかりと回収していった。 屋敷の住人の中にはもちろん、当主も入っていた。 彼は彼自身の命令によって悪魔に命を奪われたのだ。 ﹁聞けば聞くほど馬鹿な話だな﹂ 話しおえた悪魔にロウが言った。 自身の両親が失敗しているからこそ、その言葉には重みがあった。 667 ﹁ええ、そうですね。そして私たちは決して嘘をつかない。契約に は実に忠実です﹂ つまりは敵意を示さず、契約もしなければ手は出さないというこ とだ。 そこは死神のミラと通じるものがある。 ﹁それにしても珍しいですね。人間の若い人たちがここにいるなん て。どうしてここまで旅をしてきたんですか?﹂ 至極もっともな疑問ではある。 まさか悪魔が人間世界の制度で冒険者が魔族の国に来ているなん て知りはしないだろう。 もしも知っていたとしても、俺たちはまだ、この世界の一人前と 言われる15歳には達していない。 ﹁それはここに来た理由、か?﹂ ﹁旅の理由でもいいですけどね。たいした違いはありませんよ﹂ まあな。どちらも変わりはない。 流石に神と会いたいという方の目的を答えると敵対するかもしれ ない。 嘘ではないが、一つだけ隠した。 ﹁世界を知りたかったんですよ﹂ その中にはこの世界と神の世界が含まれている。もちろん冥界も 行けることなら行ってみたいが、危険なのは後回しだ。 すると今まではあくまで客程度にしか見ていなかったような悪魔 668 いやあ、話が合いそうです。いや、私もまだ知 の表情がパッと輝いた。 ﹁本当ですか?! らないことがありましてね。どんどん知りたいと思うわけですよ﹂ 俺の手をとってブンブンと振る。 先ほどまでの冷静で落ち着いた悪魔らしさというものは全くなか った。 ﹁なあ、お前が望むモノはなんだ?﹂ 悪魔の眉がピクリと上がる。 機嫌を損ねたかな。だとすればヤバイがそんなわけでのなさそう だ。 ﹁私の望む⋮⋮ですか。ふふふ、あなたという人は本当に珍しい。 普通は私の台詞なんですがね。それにその魂、今までに見たことの ない輝きを放っている。別にあなたが素晴らしいとか、選ばれてい るとかそういうわけではありませんよ。ただ、この世界では見たこ とがないと言っただけで﹂ 彼?は口の中でもう一度、﹁望むモノ⋮⋮﹂と繰り返した。 それは今まで聞かれたことがなかったのだろう。 ﹁やっぱり知識⋮⋮ですかね。私は自分で言うのもなんですが、変 わり種でしてね。他の悪魔のようにあまり魂や苦痛の叫びなどには 興味がないんですよ﹂ 彼に言わせれば、悪魔がそういったものを好むのは、冥界が色褪 せて退屈なので現世への嫉妬や生への渇望の裏返しなのだとか。 669 じゃあどんな知識が欲しいのだろうかと彼の博識具合を確かめた ところ、この世界の常識範囲なら大抵知っていた。 ならばと思い、前世では読書の好きであった俺としては様々な物 語を語って聞かせた。 戦争していた国に取り残されて、差別と理不尽を浴びながら、そ れでも両方の国を嫌いになれなかった青年の話や、前世でも有名な おとぎ話も話した。7つ集めると願いの叶う龍玉の話に、吸血鬼の 村で暮らす一般人の話。 執事二人に取り合いされるお嬢様の話や、双子の妹に恋をしてし まった兄の話。 オンボロアパートで管理人に恋をした冴えない大学生の話や、保 健室の女教師に恋をしてしまった女子高生の話。 出会った変わり者の転校生が実は虐待を受けていて、最後には父 親に殺される話。 それこそ悪魔と契約して親の仇をとろうとする貴族の少年の話に、 三角関係の末に親友を裏切って自殺に追い込んだ先生の話まで。 本だけではない。 小人と出会って、別れるまでの話や異界に神隠しにあって、名前 を奪われた少女の話に、顔を食べさせるヒーローの話。汚染された 世紀末の世界で異形の蟲と心を通わせた少女の話。 悪魔だけではなく、他の三人も聴き入っていた。 なるべく技術に囚われない物語を選んで、この世界向けに改変し ながら話したつもりだった。 それでも度々、悪魔にわからないことを聞かれた。 科学技術に関することであれば、三人にはわかっていたようだが。 物語が終わると、次は娯楽について話しだした。 670 きっと冥界が退屈なのは娯楽がないからだ。 トランプを教え、いくつかのゲームを説明したときには狂喜乱舞 していた。 政治や人権の概念だとか、見えないほど小さな生物が世界には溢 れているだとか。 これほど語りまくったのはいつ以来だろうか。アイラたちに教え ていたとき以来だったか。 ﹁これほどまでの知識の数々、命令を一つ聞くぐらいでは到底足り ません。どうかあなたの下僕にしてはくれませんか﹂ そんなこと言って、一緒にいれば他にも面白いこと聞けるとか思 ってるんじゃないだろうな。 ﹁いいぞ。じゃあ呼ぶ名前がないのは面倒だから、俺が名付けても いいか﹂ ﹁我が君の仰せのままに﹂ 俺の前に跪いて頭を垂れる。すっかり下僕がいたについてしまっ ている。 ディアボロス ﹁お前の名前は今からアークディアだ﹂ アーク 契約の箱に悪魔の上から3文字をとって名付けたのだ。 ﹁アークディア、ですか。良き名をいただき有り難き幸せ﹂ 気に入ってもらえたようで何よりだ。 アークディアは何かに気づいたように頷いた。 671 ﹁ふむ、私が本当に知りたかったのは存在する意味なのかもしれま せん﹂ 自らを呼称する名詞がない。 それはどれだけ寂しいことなのだろうか。 アークディアは名前を手に入れて初めてそれに気づいたのだ。 ﹁私たち精神生命体は肉体ある生物よりも寿命は長く、力も強大で す﹂ しようと思えば大抵のことはできるし、子孫を残す必要もないの で、本能というものが存在しないというのだ。 だからいつのまにかそこに在るだけの存在になってしまい、いく ら無駄に経験を積み力を増しても、強大な力をふるっても満たされ なくなっていたのだという。 ﹁レイル・グレイ、あなたの生が続くかぎり、このアークディアは 下僕としてあなたに仕え、害をなさないことを誓いましょう﹂ そしてガリガリと地面に魔法陣を描きだした。人が腕を振り回し たより一回り大きな中二くさい紋様はいかにもといった怪しさを滲 ませていた。 ﹁血の盟約です。魂術の一種で、これさえあればいつでも呼び出せ ます﹂ 俺は言われたとおり、魔法陣に血を一滴垂らした。 魔法陣は紫色に光って浮かび上がり、そして俺の中に吸い込まれ た。 672 俺の胸には今までなかった黒色の魔法陣の痣が残った。 ﹁契約完了、です﹂ アークディアはそう言い残して俺の胸にある魔法陣の中へと消え ていった。 673 悪魔の屋敷 ③︵後書き︶ 暇を持て余した人外の遊び。 それはまるで死神がノートを人間界に落としたように。 674 閑話 レイルの評判 窓が一つ、扉が一つ。柔らかな絨毯が敷き詰められたその部屋に、 一組の双子がいた。 そのうちの妹││金髪碧眼に長いまつげ、透き通るような肌に優 雅な仕草は王族であるという色眼鏡をとってさえも万人が美少女と 認めるような少女が手元にある書状に目を通して笑っていた。 ﹁プッくくく⋮⋮レイル様ったら⋮⋮﹂ 一方、双子の兄││美形というにはその瞳には強い意思を宿した レイル様のご評判。﹃最悪の勇者﹄、﹃ 青年一歩手前の彼は実に不満そうであった。 ﹁お兄様も見ましたか? 魔王よりも魔王らしい﹄などと﹂ ﹁見たから怒ってるんだろ﹂ 少年、レオンはバンバンと軽く机を叩いて書状を指し示した。 納得がいかないと全身で表している。 ﹁どいつもこいつもレイルのことも知らずに言いたい放題いいやが って﹂ ﹁いいじゃないですか。レイル様が有名になっている証拠ですよ﹂ それこそ遠く離れたギャクラにまでその名声が届くほどに。 事実、それらはレイルの年齢に見合わぬ残虐に敵を葬る冷徹性と 正体不明の策略にたいして敬意を示してつけられた二つ名ではあっ た。 675 本人の実力はそれほどでもないのに、レイルの知る科学というも のは恐ろしく魔法と相性が良かった。 それこそ、魔法を魔術へと昇華させてしまったほどに。 レイルは勘違いしているが、魔法とは世界の法則の一つであり、 魔術はそれを発展させた技術である。 四術式というのも、魔術の高等術であることには変わりない。 ﹁だけどよ。なんだよ﹃レイル・グレイは実は幽霊﹄説ってよ! ﹁人間の皮を被った悪魔﹂説まであるぞ!﹂ ﹁幾つかの国の貴族が脅威を感じて暗殺者を送ったのに全て返り討 ちですって﹂ それはロウの手柄でもあるが、街の中でも国の外でも安全な道ば かり通っていこうとするレイルの異常なまでの慎重さもそれを助け ていた。 ﹁捉えどころがない、年齢にそぐわぬ立ち居振る舞い、褒め言葉で ございますわ﹂ でも、とレオナは続けた。 ﹁レイル様に暗殺者を送り込んだ貴族の方には地獄を見てもらいま しょうか﹂ 穏やかに、なんの気負いもなく言い放ったレオナ。その言葉が如 実にこれから貴族に起こることを表していると言えた。 レオナは書類に再度目を落として細めた。長いまつげが下に向い て強調される。その姿は誰もが思わず見惚れるほどであった。 676 ﹁お前、また断ったんだってな﹂ レオンが言ったのは縁談のことである。 レオナも王族の一人。年頃にもなれば結婚することは仕事の一つ として見なくてはならない。それは義務である。 二人には兄や姉が他にもおり、そのおかげで急がなくてもよいの が救いではあったが。 子煩悩な父親も、少し婚期を逃したぐらいで断る相手などこちら からお断りだと言っているので問題ない。 ﹁ええ﹂ ﹁やっぱりな﹂ ﹁心に決めた人がいますので﹂ レオンはそれが誰だかわかっていた。 ﹁あいつだろ﹂ ﹁ええ﹂ かつて学び舎を同じくし、王族として英才教育を受けてきたレオ ンをも勉強する素振りさえなくあっさりとくだしたレオンの親友。 異常な発想とお世辞にも人畜無害とは言えない性格に、どこか不 思議な魅力を持った彼は最初からレオナの心を掴んで離さなかった。 それを最初は良く思わなかったレオンも、それだけで一生遊んで 暮らせそうな娯楽品の発明を自分との対決のためだけに創り、勝負 が終わればぽんとあげてしまったことで毒気を抜かれてしまった。 見たこともない知識をぽんぽんと出してきて、それを当然のよう に思っていて、指摘すると﹁しまった﹂という顔をするのだ。 ﹁レイルさまは十歳のときに王族の私でもあまり見ないような大金 677 を手にして││││││﹂ レオナによるレイルの魅力語りが始まってしまい、レオンは聞い ているようなフリをしながら遠くを眺めてボソリと呟いた。 ﹁まさかあんなことまでしてしまうなんてな﹂ 彼が気軽に手紙に書いて送ってくる事件の数々は、通常の冒険者 であれば年に一度もあえば多いほうである。 それを三年も経たないうちに、クラーケンとの遭遇、奴隷商のア ジトの発見、偽依頼の餌食、組織的盗賊行為と事件に次から次へと 出会うのは異常であった。 そのことも、そしてそれらをぽんぽんと解決してしまったことの 異常さもレオンは正確には理解してはいなかった。 レイル様に改造された奴隷商の潜 だがレイルがおかしい人間であるということはわかった。 ﹁お兄様もお聞きしましたか? 伏場所が今は自治区となっていることを﹂ ﹁ああ。あきらかに異例の発展速度だ。農地改革の速さや統率力は 問題じゃない﹂ ﹁ええ。あれほどに使える人材をどうやって雇うことができたのか、 ですわよね﹂ ﹁ああ﹂ ﹁あの人たちは全員が全員、元奴隷だったそうですわよ﹂ ﹁なんだと?!﹂ 678 レオンは驚いた。それもそうである。調査からわかっているあの 場所にいる使用人たちは全員が簡単な読み書きと算術ができる、つ まりはこのギャクラでも王都にある学校で数年間教育を受けた程度 の能力があると聞いている。 レオンも王族の学問の中で聞いたことがある。奴隷商売とは奴隷 に知恵をつけさせず、選択肢を与えないことが重要であると。 全く読み書きができなかった集団を2年も経たぬうちにそのレベ ルまで育てあげることはできないというのが通常の感覚である。 そこにはシンヤがレイルによって遊びの導入を示唆されたことが あった。 最初はかるたでひらがなの読みだけを覚えさせ、ひらがなが読め るようになれば本にフリガナをふらせた。 図形の教材の作り方や、ゲーム方式の学習方法など、前世の思い つく限りの教育法をシンヤに伝えたのだ。 知識の吸収の面白さを教えたのである。 これは前世でもよく使われる方法であり、前世においては小学校 3年生ぐらいになれば簡単な読み書きと四則計算ぐらいはできたの で、レイルからすればそれほど異常なことだとは思わなかったのだ。 だからこそ、シンヤが興奮交じりにそのことを報告してきても、 こいつ本当は子供 ぐらいにしか思わなかったのである。 どうしてこんなにこまめに報告してくるんだ? 好きだったのか? 実際、それらを柔軟に活かしながら取り入れ、奴隷たちに教えき ったシンヤの能力もたいしたものである。 組織の荒くれどもを統括してきた経験がうまく作用したのもあっ た。 ﹁もちろん、背後にはレイル様の影がありますわ。シンヤと名乗る 男はレイル様を旦那と呼んで慕っています。ここのところ問題も起 679 こさず、優秀な使用人が借りれるときいて周りの貴族も何も言えな いみたいです﹂ シンヤからすれば組織を潰されるところを助けてもらったばかり か、優秀な人材育成の方法を教えられ、それらを活かした金儲けの 手段まで用意してくれたレイルは尊敬に値する人間だと思っていた。 彼は危ない橋を渡らずとも、まるで宰相が何かのような状態にな っているため、二度と奴隷商売には戻りたくないと思っている。 それは完全にレイルの掌の上でいいように転がされているのだが、 それでもいいとさえ思えるほどにシンヤはレイルを信頼していた。 ﹁さすがはレイル様ですわ。これで恋の戦争問題は解決。アイラも 私もまとめて愛してもらえますわね﹂ ﹁あいつは本当、わけのわからないことをしでかしてくれるよな﹂ 名声も悪評も、そして畏怖も恋慕も。知らぬは本人ばかりで、水 面下で物事はゆっくりと進んでいく。 これからも何をするかわからない友に、レオンはこれから頭痛の 種が増えないことを祈るばかりであった。 680 閑話 レイルの評判︵後書き︶ この物語はレイルの知識や推測とこの世界の事実との齟齬を埋める 物語でもあります。 681 帰還だよ、人外集合! 魔族には魔族の冒険者ギルドがある。 冒険者ギルド、というよりは腕自慢の傭兵斡旋所と言うべきでは あるが、戦争に駆り出されることがないのを考慮すれば魔獣退治の 専門業者の組合とも言える。 今日はそのギルドの中が騒がしくなっていた。 外には見物人が集まったり、国の兵士がうろうろとしている。 その原因は二人の人物にあった。 いや、厳密にはその二人とは別の一人の人物にあったのだが。 ◇ 日差しに目を細めたくなるほどの晴れた日の午後のことだった。 コケティッシュな唇に耳元のホクロがセクシーな受付のお姉さん に周りの魔族の男どもが鼻の下を伸ばしていた。 そんな場所に異様な気配を漂わせて1人の男が入ってきた。 薄緑色の肌に青い髪、美青年ともいえる容姿で、受付のお姉さん も一瞬応対も忘れて見てしまっていた。 その様子を良く思わない者もいたが、彼の正体に気づいた者は敵 わないと知って手を出すことはなかった。 ﹁あいつは⋮⋮ホームレス!﹂ 682 ﹁なに? 戻ってきたのか?!﹂ 彼の名前はホームレス。 前世でいうところの家なしだからそんな名前がついているわけで はない。 家がないのは本当だが。家どころか職も旅の目的もない。 だがそれは彼が生活に困っていることを意味しているわけではな い。 彼が魔族の国において悪い意味で有名になっているのには理由が あった。 ﹁グエンドラ家の寵児にして、最大の問題児と言われるホームレス か﹂ 誰かがボソリと呟いた。 そう、彼は元中流貴族の子弟であった。現在は自主的に勘当され てはいるが、家族との不仲からではない。たまに実家にも顔を出す ことができるぐらいには良好な仲であった。 彼は家柄や血筋、肉体が圧倒的でなかったことなどによって中級 魔族にとどまっていた。 しかし同時に天才でもあった。 属性魔法を柔軟に使いこなし、地属性の重力魔法でも、風属性で もない魔法で空を自由に飛んだときは誰もが彼の才能を認めざるを 得なかった。 小さいころから悪知恵が働き、楽しければなんでもしてしまう性 分で周りを困らせてきた。 自分で収拾をつけられるまでのことしかしないことと、要領の良 すぎる彼を周りの大人もあまりキツくは怒れなかったのもあって彼 はわんぱくに育った。 家畜を放牧してみたり、魔導具の改造をしてみたり、子供では実 683 行どころか思いつかないイタズラを繰り返してきた。 そんな彼も大きくなれば、ある程度落ち着いて、何かしらの仕事 に就くのだろうと淡い期待を抱いていた。 なんせ働けば有能なのだから。 そんな期待を見事裏切り、彼は青年として成人の儀を終えたとた んにこの国を飛び出した。 曰く、﹁この国はつまらない。もう飽きた﹂とのこと。 楽観的で娯楽性を追求する、自己紹介に楽の字が何度も出てきそ うな彼らしい理由であった。 ある意味彼らは安心した。 力を振るうことに快楽を覚えるような人物ではなかったので、せ いぜい世界を自由に旅をするものだと思っていたからだ。 実際、彼はレイル達に出会うまではなんの目的もなく面白そうな ことに挑みながら旅をしていた。 その彼が、今更ながらに戻って来たことに驚きを抑えられないで いた。 彼がこの国にいた頃は年々やらかすことの規模も大きくなってい た。 今度はこの国でいったい何を企んでいるのかと、ある者は不安を ある者は期待を込めた目で見つめた。 ホームレスはそんな視線など歯牙にも掛けずに受付に向かってま っすぐ歩いていった。 そして受付に話しかけようとしたとき、隣に一人の少女がいるの に気づいた。純白の髪に紫の瞳、黒を基調とした服装に巨大な鎌を 持った少女だった。 684 どうして少女がこんなところに、だとか、少女が鎌を持っている ことなど一目見ればその異常性について気づくことができるのだが、 ホームレスはそれら全てを無視した。 もともと自分が面白ければいいと考える彼にとって奇妙な少女は 興味がそそられなかったし、今は自分の用事がある。 他人に気を使うということをあまりしない彼は当然のごとく受付 に話しかけた。 逆に鎌を持った少女の方からすれば、死神の中で高位に属する自 分がたかが一魔族ごときに譲る理由もなかった。 当然、二人は同時に話しかけ、偶然、その内容は見事にかぶった。 ﹁レイル・グレイという人間のことを知っていれば教えてほしい﹂ 照らし合わせたかのように同じ人物について尋ねた二人に受付の 彼女は目を丸くした。 そしてその口から出た人物について記憶を探るも憶えはない。 二人も驚いたように顔を見合わせていた。 周りでもそのレイル・グレイという人物についていろいろと憶測 が飛び交っている。 ﹁誰だよ。レイルって。あのお嬢様みたいなのの召使いか何かか?﹂ ﹁いやもしかするとレイルって野郎は少女趣味かもしれんぞ﹂ ﹁じゃああっちの男は⋮⋮﹂ ﹁お嬢さん1で男2か⋮⋮あの年で⋮⋮将来が楽しみだな﹂ まさか! あの男とレイルって奴が⋮⋮﹂ ﹁今のままでもなかなか﹂ ﹁はっ⋮⋮ ﹁おいやめろ﹂ 685 人間の国ならともかく、魔族の国においてレイルの名は全くの無 名であった。 彼の功績も悪行も何も知らないからこそ下賤な想像を思いのまま に口に出す。 儂はレイルだけで十分。ましてや 言いたい放題の彼らに、ビシッと少女のこめかみに青筋が浮かぶ。 ﹁ええい。貴様らうるさいぞ! そこの見たこともなかった男など知らんわ!﹂ 死神の少女││││││ミラの発言によってレイルが同性愛者で あるという疑惑と、召使いであるという勘違いは免れた。 しかし彼が少女趣味であるという噂は信憑性を増してしまった。 ﹁あなた、ちょっとお名前を聞いてもよろしいですか?﹂ レイルという男性がどのような人物であったとしても、客の名前 を記さねばならないと彼女は職務をまっとうしようとした。それは 実に正しい判断であり、彼女は真面目な職員であった。 だがその選択が今だけは事態を悪化させ、収拾もつかない状況へ 儂はミラヴェール・マグリット。この前は兄者が迷惑を と導いたのであった。 ﹁儂か? かけたな。儂にはそんなつもりはないので安心してよい﹂ 騒がしかった室内にかつてない沈黙が降りた。 ◇ 686 二代目勇者の最大の敵であったアニマ・マグリット。 その被害をどの種族よりも受けたのが魔族であった。 アニマ・マグリットは何かに従うような存在ではなく、破滅と破 壊を望んだ。 召喚されてからは種族に関係なく目につくものを滅ぼそうとした。 つまりは近くにいた魔族がその第一の余波を食らったにすぎない。 歴史の中でしか知らぬ存在とはいえその恐怖は今も語り継がれて おり、ここにいる魔族でもその名前を知らぬ者はいなかった。 アニマの妹が、目の前にいる。 あまりに現実味を欠く出来事に、彼らの大半の思考は停止した。 かろうじて思考力の残った者によって、国に緊急連絡がされた。 非常事態宣言で高位の術士を動員し、最速で軍隊が派遣された。 刺激しないようにと慎重と万全を期してギルドの建物が封鎖され ようとしているとき、四人の人間がその建物に向かって歩いていた。 誰かこの状況をなんとかしてほしい。 そう誰よりも願っていたのは目の前で二人をもてなす役として白 羽の矢を立てられた受付のお姉さんであった。 何故かまとめてホームレスまで接待されていたのは、レイルにつ いて話すと二人が言って譲らなかったからである。 二人まとめてここでもてなすということで話がついたのだ。 もともと少しズレたところのあるホームレスとミラは違った意味 で息があっており、どちらの方が仲が良いかなどの自慢話に突入し だした。 それでまたホームレス×レイル説が浮上しては叩かれたりして、 状態は混沌を極めた。 私、朝日を拝めるかな。と半ば人生を諦めかけていたとき、ギル ドの建物の扉が開いた。 扉の向こうからは四人の人間が現れた。少年少女を過ぎかけたぐ 687 らいの、子供というにはやや大人びた四人だ。 彼女はもしかして救援かという希望もあったので、現れたのがそ ホームレスさんじゃない?﹂ のような人物ではなかったことに落胆した。 ﹁あれ? 約束通り強い魔物でも飼 ﹁あっちはミラちゃんじゃん。やっほー﹂ ﹁お前らこんなところでどうしたんだ? いならしにいくか?﹂ ミラとホームレスに気軽に話しかけた人間四人に彼女は絶句した。 ダメだ。人間だからこの少女の恐ろしさを知らないのだ。もう終 わった、私の人生終わった。と逃げる算段をコンマ二秒でシミュレ ーションしていて、セリフを反芻して気づく。 四人が二人ともと顔見知りであったことに。 688 帰還だよ、人外集合!︵後書き︶ さあ、凶悪なメンツです。 これで悪魔のアークディアまで呼び寄せればいったいどこかの国で も攻めるのか、といった感じになります。 689 邪悪︵笑︶な会合︵前書き︶ 神に会うっていうから、もっと神々しい旅を想像していたのですが、 いざ冒険が始まるとどんどんメンバーが神々しさからは程遠いもの に。 しばらくは三人称視点でいくやもしれません。 690 邪悪︵笑︶な会合 レイルたち四人の周りには少し離れて人だかりができていた。 無理もないだろう。歴史上の人物にも等しいような死神と、話題 には事欠かないホームレス。その二人と親しい人間など怪しすぎる のだ。 ﹁なあ、ここは騒がしいし、俺たちの宿に来ないか﹂ ﹁そうじゃな。五月蝿いの﹂ ﹁そうか?﹂ ただホームレスだけはあまり気にならないようで、良くも悪くも 鈍感である。こういう奴は学校の教室で女子生徒に見つめられてい ても気づかないタイプだ。 レイルはいいからいいからと2人の背中を押してギルドから外へ と出た。 六人││││特にミラが近づくと人混みが見事に割れた。 随分怖がられているなあ、なんて呑気なことをぼやきながら六人 は宿屋へと向かうのであった。 総勢六人。随分と狭くなってしまった宿屋の一室にてこれまた人 口密度以上にキャラの濃いメンバーはレイルを中心として集まって いた。 誤魔化しと後始末を終えてようやく人心地ついた。 691 ﹁で、お前ら何であんな騒ぎになってたんだよ﹂ ﹁それはこいつが!﹂ ミラとホームレスが同時にお互いを指差す。 ホームレスだけでも十分な騒ぎではあったが、今回は何よりミラ の存在が大きかった。 ﹁あのさあ。アニマがこちらでは有名なのは知ってるんだからよ。 偽名使うなりなんなりできただろうが﹂ ホームレスが有名であったことを知らないレイルはミラにたいし て諭すように言った。 ﹁ふふん。我が名には一片も恥じる部分などないわ。名乗れぬこと などあるはずもあるまい﹂ ﹁それにしてもミラヴェールだけ名乗るとかさ﹂ ﹁ぬう、善処する﹂ レイルはすっかりしょげてしまったミラの頭をぽんぽんと撫でて 励ます。 彼女が死神だということは頭から抜けており、見た目の年齢に引 きずられてしまっているレイル。 ミラもまんざらそうではなさそうに、きゅっと目を細めた後に出 されたお菓子を食べ出した。 ﹁レイルはなんか面白いことがあったか?﹂ ああ、悪魔と契約したかな﹂ それは本当か?!﹂ ﹁面白いこと? ﹁悪魔? 悪魔という単語に隣でお菓子を食べていたミラがくわっと反応し 692 た。 やはり巨乳な ええい。儂だってその気になれば どこの淫魔に誑かされたのじゃ? デカイのがよいのか? ﹁悪魔じゃと? のか? いうてみよ! どんな契約をしたのだ!﹂ すごいんじゃからな⋮⋮おのれ⋮⋮どんな手を使ってレイルを誘惑 したのじゃ! いっきにまくしたてる暴走ミラに﹁何を言ってるんだこいつは?﹂ アークディアは男だぞ﹂ とぬるい眼差しでレイルは答えた。 ﹁何言ってるんだ? ほれ! まさか⋮⋮貞操を捧げて契約したのではあ ﹁なんじゃと⋮⋮隠すということはやましいことがあるのじゃな。 何をされた? るまいな?﹂ 言っても全く信じないミラ。こいつこんなキャラだったっけ? とどこでキャラ崩壊したのだろうか、どうしようかと考えること数 拍。 レイルはいきなり胸元をはだけさせた。 ﹁レ、レイルくん?﹂ ﹁おおう。眼福ではあるがちと時期が早いのじゃ。まさかこんなと ちょっと待ってろ﹂ ころで見られながらなど⋮⋮﹂ ﹁違うわ! 胸元には紫色の魔法陣が浮かび上がっている。 これはアークディアの魔力と技術によって作られているので、レ イルが魔力を込めなくともレイルの魂の呼びかけに応じて何の代償 もなく悪魔を呼び寄せる。 瘴気が吹き荒れ、冥界への入り口を開いたレイル。その胸元から 693 はアークディアが飛び出してきた。 ﹁これで信じられるか?﹂ ﹁我が君。招聘に応じて今馳せ参じました。仰せのままに﹂ ﹁もっと普通にしてろよ﹂ レイルは跪いて恭しく参上したアークディアにこそばゆいのを抑 えられなかった。 半信半疑であったホームレスも何も無い所からいきなり人が出て くれば信じざるをえなかった。 ﹁契約したのか⋮⋮﹂ 悪魔とは契約の代償が大きかったはずじ それを従属契約なんぞ結んだ日には幾つ命があっても足り ﹁ちょっと待てレイル! ゃぞ! ん。⋮⋮単刀直入に聞く。何を代償にした?﹂ レイルから何が失われたのか不安で仕方が無いミラは飲み物をこ ぼしそうになりながらレイルに詰め寄った。 やたらミラからは気に入られていることに、俺、何かしたっけ? と思わないでもないレイル。 秘密秘密と。気になるじゃろう そこはいたずらっ子の微笑みで口に人差し指を当てながら。 ﹁それは秘密ってもんだ﹂ ﹁ええい。お主はいつもそうだ! が!﹂ ﹁ふふふふ。契約した悪魔の特権ですよ。嗚呼、素晴らしい時間で した﹂ 大人気ないアークディアがここぞとばかりに煽る。 意味深に含みを持たせて想像する余地を残しまくることで尚更ミ 694 ラの不満は募った。 ﹁ううう⋮⋮レイル! この胡散臭い男と可憐な美少女ミラちゃん とどちらが大切なのじゃ!﹂ 老練した言葉遣いながら、その様は駄々をこねる子供そのものだ。 というか見た目がもっと年上で男であれば残念すぎる。 こんなときにこそ美少女は有利だとレイルは突きつけられるのだ った。 ﹁ああ、わかったわかった。いつもってなんだよ。これまでの総会 話時間が二日を超えてないのに﹂ これはアイラやレオナとミラとの最大の違いであった。 前者はやたらと聞き分けがよい。それは2人がまだ年も浅く、レ イルの異常性を間近で見続けていたことが大きい。自分でもわから ないことぐらいあるだろう、レイルは何かを考えているのだろう、 と不都合のない限りはあまりいろいろと理由を問い詰めることなく 過ごしてきた。 ミラはなまじ知識と経験がある。大抵のことは予測がついてしま う。だからこそ、レイルの前世の知識のように自分の思考の範囲外 の存在には対応が追いつかずに混乱してしまうのだ。 レイルはそれを知ってか知らずか、ミラに話すことを決めた。 神の行動である限りは、知られても困るほどのことでもあるまい と軽んじているのもある。 秘匿主義が強いレイルも、国や組織のしがらみに囚われることな く自分の味方をしてくれるミラにぐらいは真実を伝えておきたかっ たのもある。 この知識は人間だからこそ悪用できるという部分もある。 695 ﹁変な奴だ変な奴だとは思っておったが、まさか異世界転生者だっ たとはの﹂ 全てを一から十まで話したわけではないが、そこは本来は聡明な 死の君。 与えられた情報からこれまでの発言や出来事をパズルを組むよう にカチリカチリとはめていく。 そこから導き出された結論はおそらく限りなく真実に近いもので あっただろう。 ﹁私たちはもう聞いてたけどね﹂ クッキーのカケラを口の端につけたままのアイラがやや意地の悪 いことを言う。 アークディアとミラのやりとりに触発されたのか。これはとどの つまりは牽制というところだろう。 ﹁ま、そのお初は譲っておくさ。なんせ過ごした時間が違うからの﹂ レイルの秘密を知ったしの。 誰よりも見た目は年下ながらその貫禄は誰よりも歳上であった。 ﹁かかっ。これで儂も契約成立かの? 儂も使うか?﹂ ﹁何言ってるの﹂ アイラがしてやられたと止めにかかる。 レイルは慌てた風でもなく ﹁ん? 友達だし、本当に困まったら頼むさ。ものによっては手伝 696 ってぐらいはくれるんだろ?﹂ 何も契約で縛らなくてもいいんだぞ、と信頼の表明をしたレイル にミラはやられた。 それさえもがレイルの計算のうちではあるのだが、そこまでの腹 黒さを見抜けてはいない。 人の感情に敏いカグヤでさえも何かあるか、ぐらいにしか感じ取 れなかった。 ロウだけはその胸中を察してニヤリと笑って目配せした。レイル はそれに同じくニヤリと笑って返し、黙ってろよと男と男の約束を 交わすのであった。 話は戻り、レイルは真面目な議題をあげた。 ﹁なあ、お前ら。神に会う方法って見つかったか?﹂ 二人にはあれから何か進展はないかと、アークディアには神に会 うことが目的の一つだと伝えるためである。 アークディアの顔色を窺うレイルではあるが、何も思うところは ないようで ﹁いえ。我々悪魔は天界にはあまり行かないし行けないので﹂ 滅多なことでは天界に行かないのだそうだ。 それに悪魔は古の盟約によって天界に入ることさえかなわない悪 魔も多いとか。 697 ﹁三百年前には千年に一度の会合で天界に行ったの。それぐらいし か扉が開かん。七百年ぐらい待ってみるか?﹂ ﹁勘弁してくれ﹂ ﹁前は神に会いたいって聞いた時は不思議だったがそんな理由があ ったんだな﹂ ホームレスもレイルが転生者であることを知っている。 帰ったらレオナとレオンにも話してやろうかなどと思いつつそれ ぞれの情報をまとめてみたものの⋮⋮ ﹁収穫はなし、か﹂ このメンツで知らないものを他の中級魔族が知っているような気 はしない。 レイルは万事休すかと手元の剣を見た。 ﹁そうだな⋮⋮⋮⋮﹂ この旅でずっと使ってきた、という割には傷んでいないのはレイ ルが使ってこなかったからか。 レイルは剣を強く握りしめて決意を皆に示した。 ﹁魔王城にでも行くか﹂ 698 邪悪︵笑︶な会合︵後書き︶ よくあるじゃないですか。強大な敵を倒した後に神様が降臨してお 礼を述べたりだとか。レイルもそんなことを期待⋮⋮って感じでも なさそうな⋮⋮ 699 魔王城突撃 ①︵前書き︶ 申し訳ないです。諸事情ございまして一週間ほどネットが使えなく なっておりました。 毎日更新ができないことを一言ほど言えればよかったのですが⋮⋮ 今日からまた更新開始いたします。また見ていただければ幸いです。 700 魔王城突撃 ① 魔族が支配する国、ノーマ。この国は魔獣の調教や魔法の得意な 者を多く輩出している。中心に行くほど経済や政治の中心ともなり、 存在する魔族の力も大きくなる。 その最も中心に存在するのが魔王城、つまりはこの国の支配者の 住まう城である。 魔王城の一室にとある手紙が届けられた。 その部屋は執務室であり、無駄な装飾などがない。隣の棚には報 告書などの書類が整頓され、部屋の持ち主の几帳面さをうかがわせ る。 その部屋の主││││││いや、この城の主でもある彼は手紙を 読んで満足げに置いた。 ﹁ふむ。此度の勇者とやらは礼儀というものを知っているようだ﹂ 勇者候補という人間は自己顕示欲の強い人間が多く、手柄をたて ようと魔王城に乗り込むことは少なくなかった。 そしてその全てがわざわざ城に突撃する前にアポを取るなどとい うことはしなかった。当たり前だ。敵を襲うときに攻撃しますよ、 などという馬鹿はいない。 はたから見ればレイルは頭のおかしい人間であった。 手紙には丁寧にも敬語で、いつ、何人で訪問するかまで添えて、 そちらに伺いますと記してあった。 701 滅多に笑わない自らの仕える魔王、その彼の微笑みに思わず部下 である将軍の体も強張った。 本人はそんなつもりがないのだが、他人からするととても凶悪な 笑みに見えるのだ。彼をよく知る者は﹁ご機嫌だな﹂で済むのだが。 彼は敬礼が解けない部下に手だけで楽にしろと命令した。 魔王はレイルの意図を完全に理解した。それはこの魔王だったか らであろう。 城下町で魔王の情報を集めるうちに、この魔王ならばわかってく れるはずだという確信を得たのだ。 まあ 魔王とレイルの間に隠れたメッセージがやりとりされたのだ。 ﹁面白い。噂には聞いていたが⋮⋮こいつは本当に勇者か? いい﹂ 魔王はレイルと自分はよく似ていると思った。なんという矛盾で、 なんとも皮肉な感情であった。 魔王と勇者、どうしようもなく相容れないはずの二人が出逢う、 その時を心待ちにして。 ﹁いいだろう。おい、丁重にもてなしてやれ﹂ 将軍はその命令を文字通りには受け取らなかった。 例えば盗賊の首領が配下に﹁可愛がってやれ﹂と言うと、大抵の 場合が酷い目に遭わせろとなるように、彼もまた﹁いつものように 勇者候補を返り討ちにしろ﹂という命令であると解釈した。 彼はその命令を実行するために、跪いた後、退室した。 702 ◇ そうして数日後の魔王城。 乗り越えられないこともないが、白昼堂々と乗り越えれば見つか るだろうという程度の城壁の中央に門があった。 その門に向かって歩いてくる四人組がいる。レイル、アイラ、ロ ウ、カグヤだ。 史上最悪の戦力となりかねないミラは死ぬ運命でもない生物を無 闇に殺せないし、興味はないそうなので置いてきたのだ。 ホームレスも魔王に会うなんてごめんだとばかりであった。 レイルは別に四人でも大丈夫だろうとその二人を宿屋に置いてき たのだ。 アークディアはいつでも呼び出せるので、最初から出す必要もな いだろうと魔法陣の中で待機させている。 そのような理由があって、たった四人で魔王城訪問である。 一人で突撃した馬鹿も歴史上には何人も存在するので、さほど珍 しいことでもない。 そして門番は目の前に迫る相手を見て僅かに違和感を覚えた。 上司から侵入者が現れるかもしれないので、警戒しておけとは言 われていた。 だが城の兵士がピリピリするほどに警戒するべきはずの相手はた った四人。しかも歴戦の猛者というほどの肉体を持つわけでもなけ れば、覇気があるわけでもない。ただの冒険者のようにも見える。 それもまだ旅を始めたばかりのような。 だが彼も伊達にこの城で門番をやってはいない。すぐに冷静さを 703 取り戻した。 魔王城にまで来るような冒険者なのだ。一筋縄でいくはずがない。 自らの装備を確認し、体のすみずみまで神経を張った。 我が主より賜った名はイムゲル。ここ 大きな声を出して呼び止めた。 ﹁我こそがこの城の門番! を通りたければ我を倒せ!﹂ 四人は茫然として立ち尽くした。それは決して気迫に呑まれたと かそういうわけではない。むしろ逆である。呆気にとられたのだ。 ﹁⋮⋮⋮⋮スライム?﹂ 誰が言ったのかもわからないその呟きは他の三人の内心を如実に 表していた。 そう、門番はスライムだったのである。それもかなり高度な知能 舐めやがって⋮⋮俺だってな⋮⋮﹂ この国では客を迎え討つのが礼儀なのか?﹂ を持ち、言語さえ理解しているスライムであった。 ﹁なんだ? ﹁何が悪い! イムゲルは自らがスライムであることに酷く劣等感を抱いていた。 弱小種族、生物のなり損ない、様々な不名誉が物心ついたときか ら課せられていた。 周りのスライムは自分ほど何かの感情が豊かではなかった。 イムゲルは突然変異と呼べる存在であったのだ。彼はスライムで ありながら、いかにも魔族らしい欲求を抱いた。 誰よりも強くなりたい、と。 704 ある程度強くなったところで現在の魔王に挑み、やられているの だが、そこで魔王に自分の下で働いてみないかと誘われたことがき っかけでここにいる。 クラーケンと同じく、圧倒的に強い相手には従いたいという本能 もあったのだ。他のスライムにはそんな本能がなかった。 おそらく知能の高く、プライドも高い魔獣などに見られやすい傾 向なのだろう。 彼は訓練していた兵士たちを差し置いて門番へと抜擢された。 それは将軍とかには敵わずとも、中の兵士よりは強いことを示し ている。 彼にはその誇りがあった。そこらの兵士には負けない。どころか ただの勇者候補と名乗る十把一絡げにされてしまうような冒険者に も負けないという自負があった。 実際に何人もの冒険者や暴れ魔獣を単独で追い返したり取り押さ えたりしている。 体を鍛え、技術を学び、本来屈強という言葉からは縁の遠いスラ イムの肉体で強さを極めたと言えるだろう。 戦いが始まってしまい十数分後。 イムゲルはというと⋮⋮⋮⋮ 705 ﹁くそう! ここからだせ!﹂ 瓶の中に捕まっていた。 どうやって音を出しているのかわからないが叫んでいた。 スライムであるが故に、温度や気圧を利用しないと膨張も収縮も できない。 総合体積が一定であるというスライムの性質を逆手に取られ、何 も身動きが取れなくなっていた。 水魔法とレイルの策略により見事に捕まった次第である。 ﹁はっはっは。いいざまだな﹂ 瓶詰めのスライムを見下ろして高笑いするレイル。 目をキラキラさせているアイラとロウにカグヤ一人だけが頭を押 さえている。 そんな四人にもう勝ち目がない、どころか役目も果たせそうにな いことを悟ったイムゲルはおとなしくなった。 表情こそ瓶詰めでわかりにくいものの、おそらくしゅんとしてい る。 ﹁こんなところで⋮⋮ここでも俺は負けるのか⋮⋮スライムでも強 くなれるって証明したかったのに⋮⋮﹂ 呻くイムゲルにレイルは一言。 ﹁スライムであること自体を弱点だと思うからだ﹂ それはアドバイスという名の薬であった。 薬が過ぎれば毒となるように、毒もまた、適量摂取すれば薬とな りうる。 706 レイルのその言葉がイムゲルの器を超過していれば、毒となり彼 の心をへし折ることになるだろう。 レイルはそんなことをお構いなしに全力で毒のような薬を吐いた。 ﹁スライムの強さもあるだろう。増殖力とか、適応力とか。お前は 戦いという環境に適応したのかもしれないが、だからこそ戦い以外 の状況に適応できなくなってしまっているんだよ﹂ スライムならスライムなりの強くなり方があるだろう、と。 彼が戦いの中で攻撃を体で受け流すことができたように、魔法を 体の形を変えて避けたように。 確かに技術を学び、魔獣よりも屈強なスライムを真正面から倒そ うと思えば骨が折れる。 体力が無尽蔵にあるスライム相手に持久戦などもっての他だった。 だがレイルはスライムをあくまでスライムとしか見ていなかった。 スライムであることが既に弱点ならば、その弱点を見つめるとこ ろから始めなければならない。 スライムならばスライムの特性をその高い知能で活かして発達さ せた方が良いと。 ﹁人型をとって、技術を学び、体を鍛えるのも悪くない。だけどさ、 弱点を性質として受け入れられなければこうやって負けるさ。俺み たいな弱い相手にもな﹂ 単独ってのも良くないな。 強い者が勝つわけではない。勝つという定義に則った者が勝つの だ。 ﹁お前、門番向いてないんじゃないか? ま、スライムでも強くはなれるさ。強くなるだけならな。でも今回 は俺らが門を通り抜けたから勝ちな﹂ 707 瓶詰めのスライムを持ちながら悠々と四人は門をくぐった。 708 魔王城突撃 ①︵後書き︶ スライム門番くん、仕事熱心なだけなのにどうしてここまで言われ なければならないのか⋮⋮ レイルたちが襲われているのは勘違いですね 709 魔王城突撃 ② 白昼堂々しかも正面から魔王城に侵入した四人。 しかし城というものはいつだって入口に全員が待機しているわけ でもなければ、階層毎に強い相手が待ち受けているわけでもない。 それはロールプレイングゲームなどにおける魔物の王だけで、今 回突撃したのは国家の政治的重要施設としての城である。 もちろん魔王の居住空間としての役割もあるのだが、その仕事の 半分は政治である。 ﹁で、なんだか違うゲームやってるみたいなんだよな⋮⋮﹂ レイルの呟きは誰にも理解されない。ゲームという単語に馴染み がないからである。 ﹁なんつーか、あれだよ。ダンボールに定評のある蛇軍人さんのゲ ームみたいな?﹂ ﹁時々わけのわからないことを⋮⋮いえ、レイルはよくわけのわか らないことを言うわね﹂ ﹁訂正になってねえよ﹂ 絶賛潜伏中であった。兵士たちに見つからないようにこそこそと 隠れて逃げながら城の中を探索している。 ﹁そういやみんな兜を被ってるんだね﹂ 710 アイラの何気ない言葉にロウとレイルが顔を見合わせる。 兵士たちに聞こえないよう、かつその喜びを表現するように小声 で叫んだ。 ﹁これだ!﹂ 何がなんだかわかっていないアイラとカグヤは﹁何が?﹂と首を かしげていた。 ﹁とりあえず三人は隠れていてくれないか﹂ こういったことには頭の回る二人である。 それはもう楽しそうにこそこそと打ち合わせをし始めた。 いつも秘密主義なところがあるレイルではあるが、仲間にもあま り説明しないことは少ない。ロウがわかるぐらいだから見ていれば わかる、説明する必要はないと思っているのか。 作戦会議を終えた二人はじっと機を窺っていた。 向こうから兵士の二人組が現れた。カチャカチャと鎧が音を立て ている。腰にさした剣は決して安いものではない。傷は多少あれど も大きな損傷のない装備からは彼らが訓練を行いながらも装備も手 入れしていることがわかる。 一人ではないのは将軍の命令によるものである。二人組で行動さ せることにより不意の事態に混乱せず対処できるようにしている。 711 かつ侵入者を発見した時に一人が時間稼ぎを行いつつ、上司の元に 連絡ができるようにといった配慮である。 兵士が悪いのか、それとも2人の性格が悪いのか。兵士達のその 対策は無意味どころかレイルたちの前にむざむざと餌を用意する結 果となった。 ﹁で、何か言いたいことはある?﹂ ﹁でも叫べば喉を斬るから﹂ 巡回中の兵士二人の背後より忍び寄り、一気に飛び出した。片手 で腕を押さえ、兜の隙間より喉元にその刃をつきつける。 一瞬で言葉を失った兵士は表情こそ見えないものの、焦っている ことがその息遣いから感じられる。 例え剣や魔法の訓練を受けていても、対暗殺者用の訓練を受けた わけではない。精鋭とはいえ突然背後より忍び寄る侵入者の気配ま ではわからなかった。 ロウから発せられる恐ろしいまでの殺気にもう片方の手も動かな くなる。 ﹁貴様ら⋮⋮いったいどこから⋮⋮っ?!﹂ 二人はその問いかけには答えようとせずに話を続ける。 ﹁いやー、ちゃんと行きますって事前に連絡しておいたんだけどな ー。どうやら魔族の城においては客っていうのは武力をもって迎え るのが礼儀みたいなんだけど、いちいちそれに付き合うのも飽きる からさ﹂ そう言うと兵士からなんの躊躇いもなく意識を刈りとった。 鎧と兜で誰が誰だか見分けもつかない二人の兵士はその場に崩れ 712 落ちた。 四人の他に誰も見えない静かな廊下でレイルとロウはごそごそと 装備を剥ぎ取った。 その下は特に変哲もない訓練を受けた魔族の男の顔があった。 ﹁もう出てきていいぞ﹂ その呼びかけにアイラとカグヤの二人が顔を出した。 ﹁それ、どうするの?﹂ ﹁決まってるだろ﹂ ◇ そもそも魔王城の警備兵が顔が見えないのには微妙な理由がある。 戦争や冒険者が兜をしないのは簡単だ。自らの名前を売らなけれ ばならないのに誰かわからない格好をしていてはいつまでたっても ﹁謎の騎士﹂みたいなことになりかねないからだ。 そして近衛兵は全く逆の理由である。 個人としての名誉を求めない、王と城を守ることだけを喜びとす る。そのためには個性や個人としての武勇などを必要としない。そ れが魔王城の近衛兵であると言われている。 今回はそれが裏目に出た。 自らが魔王を倒したと表明したい勇者候補たちが今まで実行どこ ろか思い至ることさえなかった手法をレイルたちは使ったのだ。 713 ﹁相変わらずせこいわね﹂ ﹁うるせえ、言ってろ﹂ 鎧を纏い、兜を被り、城を見回る兵士と寸分違わぬ姿へと扮装し た二人はカグヤとアイラを後ろ手に縛った風に装って城の中を堂々 と歩いていた。 見事なまでに近衛兵に変装している。 例え目の前から見回りの兵士が来ても、全く慌てずに手を挙げて 応えるのだ。 ﹁お疲れー﹂ ﹁侵入者どものうち二人を生かしたまま捕らえたぞ。残り二人は殺 してしまったがな﹂ その間、カグヤとアイラは黙って悔しそうに兵士を睨みつけるの だ。その演技によってよりリアリティが増す。 すると兵士たちは、そうかそうかと頷く。すっかり騙されてしま ったのだ。 どこか頭が足りないんじゃないかと失礼なことを考えたレイル。 顔には出ているのだが、兜と仮面で見えないことだけが救いだ。 ﹁はっ、相変わらず勇者候補なんて言ってもたいしたことないのだ な。門番のイムゲルにでも手傷を負わされていたのだろう。将軍は 二階にいるから届けにいくといい。見回りは代わろう﹂ ご丁寧にも将軍のいる場所まで教えてくれたのだ。 レイルは小躍りしそうになるのを抑えるので必死であった。ロウ も内心右手をぐっと握りしめて喜びを噛み締めていた。 そんな二人の心情が手に取るようにわかるアイラとカグヤは近衛 714 兵に気づかれないように苦笑していた。 ﹁ではな。お手柄だ﹂ ﹁できれば俺も出会って捕まえたかったもんだぜ﹂ その言葉にとうとう堪えられなくなって四人のうちの誰かが吹き 出した。 何がおかしい、と馬鹿にされた怒りが少々に、不審な行動に対す る疑問が大半で振り返った兵士たちが見たのは何故か仲間であるは ずの自分たちに剣を振りかぶる二人の姿であった。 本物の兵士は事態を全く掴めないまま、叫ぶ暇さえ与えられずに その姿を眺めることしかできなかった。 カグヤは動けなくされた兵士二人の後処理を鼻唄まじりにこなす レイルにどこか腑に落ちないものを感じつつも、いつものことだと 諦めるのであった。 ﹁ちょろいな﹂ 監視カメラや赤外線センサーなど、目に見えない警備を考慮しな くてもよいぶんレイルにとって魔王城の攻略は簡単なものであった。 見つけた相手を片っ端から仕留め、連絡も取れないようにしてし まえば侵入者がいることにさえ気づかれない。 三階の守護者もやられました﹂﹁ククク⋮⋮やっと来 魔王と勇者の物語のお決まりの場面である、﹁勇者がそこまで来 ています! たか。いいだろう、我が相手をしてやろう!﹂みたいなことは起き ていない。 715 ただ単に淡々と出会う兵士を仕留めていくその様はもはや経験値 稼ぎにしか見えなかった。 レイルとロウは他の兵士に見られるとバレるので、倒した兵士は あちらこちらへと隠していった。誰かがうっかり見つけてしまえば 慌てることうけあいだ。 ﹁どうして私たちが捕虜役なの?﹂ ﹁見た目的な問題かしら﹂ とうとう軽口まで叩く余裕がある捕虜。そのうち昼食でもひろげ だしそうだ。 ﹁いいや。男女平等とはいえ、お前らにあんなむさい野郎どもの着 けていた鎧を着けさせるのもな﹂ ﹁まあ見た目的な問題もあるけどな﹂ 特に何かを漁ったりするわけではなく、一階の全ての部屋を機械 的に点検した四人。静かに城内の兵士はその数を減らしていく。 ついには出会った兵士は二桁をゆうに越えていた。 どこにも邪魔者がいなくなり、それこそ椅子取りゲームでもした って気付かれなさそうなぐらいな状態である。 途中、メイドにも出会った四人ではあるが、優雅に会釈されて思 わず会釈し返してしまったのもシュールであった。 どうやらメイドたちは本当に命令されたことしかしないらしい。 レイルたちに敵意を向けることもなければ、騒ぐわけでもない。せ わしなくお盆や掃除道具を持って早歩きで駆けていく。 その恐ろしいまでに教育がいきわたっていることに戦慄しながら 716 もメイドの一人に上へと繋がる階段の場所を訪ねた。 彼女はあちらにございます、と教えた後、優雅に一礼して恭しく こう言った。 ﹁では。わたくし、仕事がございますので失礼させて頂きます﹂ メイドというものに憧れがなかったわけでもないレイルであった が、どこまでも平常心すぎるメイドさんはヤバいと肝に銘じた。 グレイ家にいたメイドでももっと人間らしさがあったなどと相手 は魔族であることも忘れて思った。 もしかしてさらにとんでもない目に日常的に遭遇していれば、あ んな平常心になるのかもしれない。 レイルたちのそんな恐怖も、すぐにどうでもいいこととなってし まうのであった。 階段を上がってその先の大広間でとんでもないものを見たのだか ら。 今までの兵士よりも大きな体躯。背中に担がれた大剣は明らかに 業物で、鎧もおそらく特注である。その迫力はミラやアークディア に比べるとまだまだではあるが、ビリビリとプレッシャーを感じさ せるには十分なものであった。 それは予想できてはいたが、ここまで堂々と大広間に立っている とは思えなかったのである。ちょっとやりにくいかな、とは呑気な レイル。 そう、将軍が立っていたのだ。 717 魔王城突撃 ②︵後書き︶ 定番の騙し討ちです。 こういうものは堂々とかつ大胆にやればやるほどバレないものです。 718 魔王城突撃 ③ 魔王軍に将軍と呼ばれる魔族は複数いるが、魔王城の将軍という と一人、近衛兵の直属の上司であるこの将軍のことを指す。城の警 備と王の警護を担う、剣技に長けた屈強な軍人である。 戦争に出向く魔族や研究に没頭する魔族は魔法の得意な者も多い のだが、城の警備に当たる兵士の多くは魔法をあまり鍛えていない。 広い範囲で遠距離戦を繰り広げることがないからだ。 将軍も例外ではなく、ひたすらに迫撃のみを鍛えて、魔法など使 わせる暇もなく仕留めることを得意とする。 そしてレイルたちも、その近距離に特化したスタイルをしっかり と把握していた。 将軍に出会ってしまったのは計算外ではあれど、なにも怖がるこ となどないとばかりにレイルは今までと同じ対応をしようとした。 そう、侵入者を捕らえた兵士のように、上司にその成果を報告す るフリをしようとしたのだ。 だが将軍はその立派な鎧の音も立てることなく看破した。 ﹁貴様らは⋮⋮誰だ?﹂ それはカグヤとアイラだけではない。レイルとロウを含めた四人 に向けられた問いかけであった。 個性をなくすことを基本としたその装いにあって、声も発さぬそ のうちに彼はレイルとロウが近衛兵ではないことを看破したのだ。 ﹁⋮⋮⋮⋮どうしてわかった?﹂ 719 ややあってレイルが口を開いた。 今までの兵士にバレなかったのだから不自然な点などなかったは ずである。 少なくともそこまで頭の回転の速そうではない将軍に見抜かれる ほどの変装ではなかったはずなのだ。 誰にとっての不幸か、この将軍は騎士道精神というものを持ち合 わせていた。 不意打ちや問答無用で襲いかかったりはしないということだ。 レイルの質問にも至極真面目に答えた。 ﹁気配が違う。身に纏う空気もな。貴様らには王を守ろうとする気 概が感じられん。にも関わらず見知らぬ人間を捕らえてきていた。 だから近衛兵ではないな、とな﹂ アイラもロウもカグヤも何も言わない。わかっているのだ。これ から何をするべきか。 レイルは戦いの前に無駄な話などしない。聞きたいことがあれば 後から聞けるのだから。 これもまた、必要な情報でありながら、この会話自体が時間稼ぎ でもあった。 現在四人が置かれた状況と、周りの環境を観察し、把握するため の時間稼ぎだ。 レイルの会話にのってしまったことが既にレイルの術中にはまっ ていたと言える。 大広間は随分と広かった。この階のほぼ全てのスペースがおそら く大広間に使われているのだろう。 720 一階では部屋の中などは絨毯がひかれている場所もあったが、こ の場所は大理石であった。ツルツルとした床面が頭上の照明の光を 反射しており、水面に絵の具を複数色垂らしてかき混ぜたような模 様が美しく映えている。 窓は二つあり、どちらもさほど大きなものではなかった。とレイ ルが感じてしまうのは前世でもっと大きな窓を見たことがあったか らかもしれない。 ﹁もう一度尋ねよう。貴様らは何者だ﹂ ﹁先日、手紙で訪問することを告げたレイル・グレイだ。人間の国 では勇者候補なんて肩書きではあるが名前ばかりだな﹂ ﹁ほほう、そうか。勇者候補とは礼儀も知らぬ人間の代表みたいな ものかと思えば。このように礼節を知った者もいるのだな。名ばか りか⋮⋮確かにそうだな。ここで魔王様にも会えずに敗北するのだ からな﹂ レイルはアイラにいくつかのものを出すように告げた。 その中には子供が入りそうなぐらい大きな瓶もあった。 ﹁で、下の階には私の部下を見回らせたのだが⋮⋮こそこそと逃げ その格好だしな﹂ ああ。あの誰が誰だかわからないむさ苦しい奴らか。下 回ったか? ﹁部下? で仲良く転がってるよ﹂ あえて挑発気味に煽っていくレイル。 これは彼の敵に対する基本スタイルではあるのだが、怒らせる前 には下準備というものが必要である。 721 そんなレイルにのってはダメだとさすがに将軍もわかっているの か。額に青筋を浮かべながらも迂闊に飛びかかってくることはない。 だが次の行動はそんな言葉だけのチャチなものではなかった。 レイルはアイラに先ほど出してもらったばかりの瓶をごとんと目 の前にわざとらしく音をたてながら置いた。 ﹁なんだそれは⋮⋮﹂ ﹁スライムのび・ん・づ・め♡﹂ 彼がここで冷静でなかったのは、スライムがイムゲルであること をわかっていながら、イムゲルがスライムであることを忘れていた ことだ。 スライムが瓶詰めにされただけでは死なないことをすっかり失念 していた。 まあそうでなくとも、先ほど部下を容赦無く殺したかのような物 言いからは生きているなどという希望が持てないのも無理はなかっ た。 大切な仲間を種族名で呼ばれ、あまつさえ瓶詰めにされて冒涜さ れた彼は激怒した。 部下思いのいい上司だというには綺麗ではあるが、今敵の目の前 で冷静さを失い、剣を抜いたのは間違いであった。 いきなり襲うならば、レイルたちを見て敵だとわかった瞬間にす るべきだったのだ。 既にレイルたちは準備を終えていた。 パリンッガシャンと砕ける音がした。 722 レイルがアイラに出してもらったものの一つ、愛用している油の 入った瓶を投げたのだ。 レイルは戦いにおいて油を多用する。そんな情報が魔族の将軍に 伝わっているはずもなく、将軍は瓶が何かもわからずにただ攻撃だ とみなした。 飛んできた瓶、腕を鎧で武装しているが故に警戒もせずにそれを 弾いたのだ。 正解は割れないように受け止めるべきであった。 ただ彼は王より賜ったその鎧に絶対の自信を持っていた。 耐熱、耐冷、対衝撃に極軽量の優れた鎧であった。 弓を後ろから打たれようが無傷で済むような防御力の前に、小細 工など無意味だと思ったのか。 瓶から飛び散った油をもろに被って、油は彼の鎧から下の大理石 の床へと滴った。 ﹁なんだ、これは⋮⋮?﹂ わけのわからない攻撃であった。 次に炎魔法でも来るのかと横に飛ぼうとした瞬間、それに気づい た。 彼は油で滑ったのだ。 それは実に間抜けな光景であった。 今まで多くの猛者を倒してきた将軍。そんな彼がまさか戦いの場 で油で滑る。 通常の戦争においては、下は土であったり、草むらであったりし ただろう。火攻めの油も土に染みれば滑ることもない。 だが今は大理石の床の上。無機質な鎧は滑り止めなんていうもの はついておらず、本来こんな場所で戦うべきではなかったのだ。 723 ﹁くそっ!﹂ 起き上がろうとしたところにもう一本ぶつけられた。 顔面に当たって砕けては、腕から下へと流れ落ちる。 手のひらも油まみれになり、床に手をついて起き上がろうとする も滑る。 なんとか手すりに掴まろうとするも、その手をアイラの銃によっ て撃たれた。鎧の防御力は高く、銃弾を受けても少しへこむ程度で 済んだが、手は弾かれて手すりを掴み損ねた。 その前には重さも強さも関係がなかった。 摩擦力を限りなくゼロに近づけられて身動きもとれなくなった。 ﹁ククッ。どうしてやろうか﹂ 四人はあっという間に将軍を取り囲み、そして縄と鎖でぐるぐる に縛った。 もちろん油がこぼされ、濡れた床には十分に気をつけながら。 ﹁このスライムを上からかけてやろうか?﹂ ﹁くそっ。いっそ殺せ!﹂ なんとも趣味の悪い提案をするレイル。 将軍もそんな目││仲間の肉体でデコレーションされるなどとい う目に合わされ生き恥を晒すぐらいならば死んだ方がマシだと叫ぶ。 嬉々として将軍いじめに入ったレイルをカグヤがたしなめた。 ﹁レイルもそういう誤解を招くようなことを言わないの﹂ 724 ﹁そうだな、お前の部下の命が惜しければここで死ぬことは許さな い﹂ ﹁部下は殺したはずではなかったのか⋮⋮?﹂ ついでに﹂ ﹁いつそんなこと言ったよ。俺は動けなくさせて転がしてきただけ だぜ? 両手で抱えるほどの瓶をぽんぽんと叩いて示す。 ﹁こいつも生きてるよ。騒ぎ疲れて寝てるだけでな﹂ 寝ているわけではなく、気絶しているのだが。 ﹁なん⋮⋮だと⋮⋮?﹂ そう、レイルたちはこの城に入ってから一人も殺してはいなかっ た。 勝手に⋮⋮というよりはレイルが誤解を招くような言い方をして いた部分もあるが、嘘は一度もついていない。 戦いの前は挑発の一環として、戦いの後は単にレイルの性格の悪 さでそんな言い方をしただけだ。 ﹁いやあ、敵には容赦しないけど、呼ばれてもないのに来て殺しま くるのも失礼な話だろう?﹂ 襲っている時点で失礼もくそもないのだが。そんなレイルの言い 分も将軍は震えながら聞いていた。 ﹁くそっ⋮⋮﹂ 725 ﹁今はこの城は門番も兵士もいない状態。そんなときにあんたが死 ねば俺たちは他の兵士も殺した後そのまま上に上がるぜ?﹂ ロウも脅しに加担した。 そんであん ﹁イムゲルのやつは人質にもらっていくから、あんたはここで解放 してやるし、下の部下の縄でも解いてきたらどうだ? たが門番でもしてろよ﹂ ここで断り、自分が死ぬことを選べば部下は助からない。 敵の要求を呑んで部下を助けにいかなければ部下を見殺しにする ことになる。 俺は 解放した瞬間無様 敗北して生き恥を晒すか、部下を見捨てて死に逃げるか。 ﹁どちらにせよ、お前の負け。で、どうする? に俺たちに不意打ちでも食らわしてもらってもいいんだぜ? 強くないし、一人二人なら道連れにできるな﹂ ここまで言われて襲える人物ではなかった。 騎士道精神もあり、一度敗北した相手に不意打ちで襲いかかるな ど惨めにほかならなかった。 そのことをレイルはわかっていて煽る。相手が要求を呑まざるを 得ないように。 ﹁城と王の⋮⋮警備を⋮⋮任されていながら⋮⋮こんな奴に⋮⋮﹂ 解放されてとぼとぼと下の階へと部下を探しにいくその背中には これでもかというほどの哀愁が漂っていた。 レイルはやっぱりやめたとばかりに将軍に呼びかけた。 726 ﹁おい! ちょっと待て!﹂ ﹁敗者に何のようだ?﹂ ﹁やっぱやめだ。お前を人質にする。このスライムは解放してやる からこいつに他の兵士の解放と門番の仕事をさせておこう﹂ 将軍としてはこちらのほうが都合がよかった。 レイルとしても城の中を良く知っている将軍の方が道案内には良 いと思ったのだ。 瓶からスライムをでろでろと出して起こす。 ﹁うん⋮⋮むにゃ﹂ 随分と可愛らしい声とともにイムゲルが起きた。 門前ではやや強がっていたところもあったのか、それとも寝ぼけ 眼はこんな感じなのか。 どちらにせよギャップのある姿にレイルはややイムゲルへの印象 を改めた。 イムゲルは将軍の命令により慌てて一階へと降りていった。 レイル、アイラ、カグヤ、ロウも将軍を連れて上の階へと上がっ ていった。 727 魔王城突撃 ③︵後書き︶ 次回、ようやく魔王と出会います 728 魔王城会談 魔王城の一階が給仕や兵士の部屋、つまりは城の補助機能を司る 場所であった。 そして二階が会議室や大広間など、大きめの部屋が並ぶ、儀式的 な場所の多い階層であった。 そして三階が政治の仕事を行う部屋があり、最上階四階は魔王の 階層であった。 一階ではせわしなかったメイドも、この階では早歩きなどはせず に優雅に歩いていた。 ﹁ここだ﹂ 大きな両開きの扉の前で立ち止まる。 コンコンとノックをすれば、入れと簡潔に返事があった。 誰かも確かめずに不用心ではないだろうかとロウは思ったが、そ んなものなのだろう。 扉を開けた先には二人の男女がいた。 一人は柔らかな栗色の長い髪をした二十歳を越えたほどの見た目 の女性であった。柔らかな髪とは反対にその印象は鮮烈で、目には 強い闘志が宿っていた。やや肉付きは良いが、その引き締まるべき ところは引き締まっており、特徴的なのはその豊満な胸であった。 たゆんという言葉が似つかわしい巨乳ではあったがレイルは特に鼻 の下を伸ばすこともなかった。彼女は将軍のものよりも大きな人の 背丈ほどの大剣を立てかけていた。 もう一人が鋭い眼差しの男性であった。やや癖っ毛で浅黒い肌は 誰かに似ているとレイルは思ったが、誰であったかは思い出せない。 729 ﹁よく来たわね。今代の勇者﹂ ﹁立って話すのもなんだ。まあ座れ。食事を用意させた。食べなが らでも話そうか﹂ そう、今代の魔王は双子の姉と弟であった。 四人はレオナとレオンを思い出した。彼らと同じ双子、でも逆。 双子で姉も弟もないのだが、生まれた順番よりも性格的な問題が 強いのかもしれない。 二卵性か一卵性かで見た目が似るかどうかの違いが出ると言われ る双子において、レオンとレオナは似ていたが彼らはあまり似てい なかった。 運ばれてきた食事を見て腹こそ鳴らないものの、今まで食事をと っていなかったことに四人も気づいた。 運んできたメイドはメイド長と呼ばれていた。メガネをかけて口 から下にはマスクをしており、キャップで髪を隠している。つまり、 顔の露出がほとんどないのだ。目だけしか見えない。 そんなメイド長にアイラは変だなあぐらいにしか思わなかったが、 魔王様、奴らをどうして⋮⋮﹂ 二人の魔王も彼女に特に何も言わなかったので気にしないことにし た。 ﹁どうしてこのような奴らに! ﹁客だからだ﹂ どうして丁寧にもてなしているのか、と続く言葉は答えとも言え ない答えで遮られた。 ﹁はあ⋮⋮だから軍部は馬鹿ばかりだというのです。魔王様の命令 730 をそんな風に曲解するからそうなるんですよ。私たちが客人を迎え る用意をしている間、なにかピリピリしていると思えばそんな勘違 いをしていたのですね﹂ メイド長と呼ばれた女性が初めて喋った。今までは最低限の返事 しかしなかった彼女は将軍を心底馬鹿にするように言った。 ﹁どういうことだ!﹂ 彼は客人です﹂ ﹁魔王様が丁重にもてなせと言ったならもてなしなさい。誰が追い 返せと言ったのですか? 国に潜伏した魔族を炙りだしたり、かと思 ﹁ですが⋮⋮奴らは⋮⋮﹂ ﹁勇者候補、だろう? それとも何か、 えば問題のある寵児と仲が良かったりと話題に富んだ、な﹂ ﹁それだって作戦かもしれません⋮⋮﹂ ﹁お黙りなさい。一度部下共々躾が必要ですか? 今ここには私とグローサ様がいるのに人間の冒険者数人でなんとか なるとでも?﹂ メイド長は魔王二人のうち姉の方をグローサと呼んだ。 その一言で黙らせられるほどに二人は強いようだ。 ﹁そ、それだけは⋮⋮﹂ その言葉を否定することは、自分の仕える魔王の強さを疑うこと であった。そんな言葉を魔族が口にできるはずもなかった。 会話の優位は完全にメイド長にあった。 油で磨かれてテカテカとはいえ、将軍も強いはずなのだがこうも 尻に敷かれるなんて両者に何があったのだろうとどこか薄ら寒いも のを感じながらもレイルたちは食事に手をつけた。 731 将軍に引け、と手だけで指示する様は確かに魔王であった。 ﹁ふむ。よく食べたな﹂ グローサと呼ばれた魔王姉は弟を楽しげに撫で回している。 鬱陶しそうにしながらも、弟はその腕を振り払うことはなかった。 彼の名前はグランといった。 ﹁毒殺などを想定していないと言えば嘘になるぞ。お前の性格は知 っている﹂ ﹁俺は貴族でありながら一人の勇者候補でもある。今回は魔王と勇 者らしく敬語は抜きで構わないか?﹂ ﹁ああ﹂ ﹁俺の手紙の意図を汲んでくれたからこそ、こうして会談の場をも うけてくれたのだろう?﹂ 四人は友好を結びにきたのだ。 グラン レイルは魔王の評判や政治的姿勢について調べている。二人の魔 王、そのうちでも特に男の魔王は戦争をあまり好まないという魔族 の王にしては珍しいタイプの魔王であるとの評判であった。そんな 彼が会談にきた人間に毒など盛るわけがないというのだ。 いささか楽観的ではあったが、その予想は的を射ており、事実こ れらの料理には毒は入っていなかった。 ﹁なんとも豪快だが危険な綱渡りを平気でする男だな。仲間の奴ら もどうしてそんな男に付き従う?﹂ 732 ﹁俺はあまり毒とか効かないんで。でも入ってたら食べた後でわか るし﹂ 間髪容れずに答えたのはロウだった。 ﹁私はロウが食べたのを確認してから食べたわ﹂ ﹁レイルくんが食べてるから﹂ グラン 信頼しているのかいないのかわからない物言いに魔王も頬を少し ひきつらせながら、そうか、と一言でその話を終わらせてしまった。 ﹁本題に入ろうか﹂ そう、レイルたちがここへと来た目的。それは魔族の殲滅や支配 領域の縮小などではなかった。 ﹁一つ目の目的はそちらと貿易がしたい﹂ きさまら 海の魔物が怖くて海も渡れない弱小種族である人間 その言葉にグランはおかしそうに口元を歪めた。 ﹁貿易だと? がか?﹂ 姉のグローサは黙って会談の行方を見守っていた。 そんな失礼な言葉にもレイルたちは怒ることがなかった。 その通りであり、むしろその解決策もないまま提案することこそ 失礼であったからだ。 ノーマから一方的に船を出せ、品物を持ってこいというのはもは や人間の下につけというのと変わらない。 733 そんな問題はもちろん想定内のことであった。レイルは一言、簡 潔に言った。 ﹁クラーケンを手懐けた﹂ ﹁ほう﹂ ﹁あいつが最強だなんて思っちゃいないが、安全な航路ぐらいはと れるだろう?﹂ そう、現在レイルたちは人間の中で唯一海を渡れる可能性を持っ た集団であった。 クラーケンはレイルに忠実であり、最近はシンヤとも話をしてい るらしい。 クラーケンに護衛されながら安全な航路を辿れば貿易ができるは ずだというのだ。 ﹁お前一人が貿易といって何をするつもりだ?﹂ ﹁ギャクラの南、人間の大陸の東に俺の名前で自治区を一つ手に入 れた﹂ レイルはシンヤからこまめに報告を受けていて、その場にいなく ともシンヤに任せたあの場所の様子はよく知っていた。 あの場所はすでに単なる派遣会社ではなく、一つの経済体制を確 立し、生産ルートまで確保した立派な市場となっている。 あそこならば流通の経路ができているはずだ。 ﹁面白い話だ﹂ ﹁だろ?﹂ 734 ロウも得意げにのった。 当たり前じゃない、レイルくんなんだから、とはアイラ。 グローサ あまりカグヤは興味がないらしい。どちらかというと先ほどから 魔王姉の方に目をやっている。 ﹁前代未聞の話だ。魔族と人間の貿易が公的に行われるのはな﹂ 公的に、とつくのは力のある個人間ではこっそりとしていた可能 性もあるからだ。 やはりレイルの思っていたとおり、グランは話のわかる魔王であ った。 その言葉をもしも将軍が聞いていたらまなじりを吊り上げて抗議 していたことだろう。 ﹁だがそれではまだ材料が足りないな。こちらへの利益が発生する 単に作物だけならば自国で作っていれば十分 だが⋮⋮﹂ 見込みはあるのか? だろう? 人間だとその姿ならば二十も生きて ﹁人間との友好が結べる可能性があるのは大きい、だろう?﹂ ﹁ああ。貴様本当に人間か? はいないはずだが﹂ 老獪に魔族のメリットを指摘してくるレイルに嫌な汗をかきなが らグランは言った。 ﹁よく言われるよ﹂ グラン グローサ ﹁貿易の方は考えておこう﹂ レイル 勇者たちと魔王弟、魔王姉の出会いは比較的穏やかで友好的なも 735 のであった。 そして次が本当の目的である。 レイルの旅の目的であり、この城にきた目的である。 ずっと探し求めてきたそれが今ここで見つかるかもしれないと思 うとレイルは胸の高鳴りを抑えられなかった。 ﹁なあ、もう一つの目的なんだがな││││││﹂ レイルが切り出そうとしたとき、けたたましく客間の扉が開かれ た。 ノックぐらいしろよ、不敬罪で処刑されるぞ、と話の腰を折られ たことを不満に思いながらレイルはそちらを見た。 ﹁お取り込み中申し訳ございません。地下の⋮⋮例のモノが⋮⋮パ ンドラの鍵が盗まれました!﹂ 一人の魔族が血相を変えてそんな報告をした。 その内容はレイルたちにはわからないものであった。地下なんて あったのか、という見通しの甘さだけを悔しがっていた。 だが双子もメイド長でさえもが動揺を隠し切れずに聞き返した。 それほどまでにパンドラの鍵とは重要なものだったのだろう。 これがレイルの人生の何度目かのターニングポイントとなること を誰も知らなかった。 736 意外なこと、予定調和なこと パンドラの鍵とは何か。それをレイルたちに教えてくれたのはメ イド長だった。カグヤがメイド長が独断でそんなことを外部の者に 漏らしてもいいのかと尋ねれば、ここまでくれば隠す意味もないで しょうとメイド長は述べたのだった。 テラ・ゲート ﹁大規模空間転移門の起動装置、か﹂ テラ・ゲート パンドラの鍵、それは魔族が人間の大陸へと侵攻する際に使用す る大規模空間転移門の起動装置であった。それさえあれば少数精鋭 ならぬ軍勢による大規模侵攻が可能となるというものであった。 ﹁目的はやはり⋮⋮﹂ ﹁ええ。先代を崇拝していた古参の貴族の一人が現在の魔王様の非 戦主義に業を煮やして人間の国への侵攻を目論んでいると思われま す。それに賛同した者も複数いるでしょうね﹂ 私が行ってきてもいいのよ?﹂ 冷静さを取り戻しながら魔王と部下が話す。 ﹁どうするの? グローサ 魔王姉が大剣をふるう。室内にビリビリとした覇気が満ち、思わ ずカグヤが身構える。 魔王は二人で一つの魔王であった。 それは歴史上でも珍しいことであり、それでも魔族の民に受け入 737 グラン グローサ れられているのにはわけがある。 魔王弟が頭脳を、そして魔王姉が剣を司るからだ。 グランは歴代でも最高峰の策略家と言われる。魔族は力を重視す るが、それは何も直接的な戦闘力だけではない。彼はその頭脳で魔 族の繁栄という種族単位での勝利に貢献してきた。それを認められ て、特に反戦主義の魔族に慕われ支持されている。 一方グローサは単騎での戦闘力は魔族でも一、二を争うとされ、 たった一人で反乱軍を無傷で滅ぼしたという逸話まである。その武 功から力こそ全てと思う古参の配下に絶大な人気を誇る。 やはりそこは魔族。グローサの方がカリスマが高いのも事実では あるが、二人は意外なことに実に仲が良かった。 これまで特に争う様子も見せず、お互いの主張を通しながら魔族 を統治しているのだとか。 今回動いた貴族たちの不満とはグローサとグランに共通する反戦 主義に対するものだ。戦争がないからからいつまでたっても貴族も 功績があげられない。だから扱いも不遇なままなのだ、と。 そいつはグローサがグランに騙されて怖気付いているだけだと勘 違いしている。 一発人間の国を攻め滅ぼして武功をあげれば、グローサもその考 えを改めるなどと今回の暴挙である。 グランは人間の国への不干渉を宣言しており、今回の貴族の行動 グラン は明らかな命令違反であった。 そして魔王はこのようなことが起こった原因の一つに自分がなめ られているからもあると考えた。 自分の命令に真っ向から逆らう行為に腹を立てていたのだ。 だからこそ姉のそんな提案を跳ね除けた。 ﹁いや、俺も出る﹂ 738 ﹁はあ⋮⋮仕方ないわね。相手の戦力は?﹂ ﹁偵察の報告によると上級魔族二人、中級魔族十人、下級魔族二千 人です﹂ 下級魔族二千人ならば人間の国を攻めるなどという無謀な真似は できない。だが中級魔族は通常人間兵数百人にあたる。実質的な戦 力はその五倍程度だと考えて構わないだろう。 ﹁警備は大丈夫なの?﹂ カグヤが尋ねた。それもそうだ。将軍も門番も弄んでここまで来 たのは他ならないこの四人だ。 ﹁城の警備だけなら将軍とメイド長に任せればいいだろう。仕事は 一週間分ほど前倒しで済ませてある﹂ ﹁いいけど⋮⋮あなた対集団戦苦手でしょう?﹂ ﹁地下に魔剣を取りにいく﹂ ﹁魔剣、とは?﹂ レイルが聞きなれない武器の呼称に反応を示した。 ﹁魔王の証たる剣で継承式に受け取る。ある場所に封印してあって、 あまり持ち出さない﹂ 封印までされているような兵器を持ち出すと言い出すあたりにグ ランが本気であることを示している。 739 魔王城の地下一階は地下牢と一般倉庫となっている。地下二階が 今回盗難に入られたパンドラの鍵が保管されている宝物庫である。 そして地下三階こそが⋮⋮ ﹁地下三階が魔王の剣を封印してある場所に繋がる扉がある部屋だ﹂ 通称、異界の間。そこへと通じる地下への階段を下りながら話を していた。 禍々しい魔王チックな装飾にやや中二病の混ざったレイルとロウ がはしゃぐ。 アイラはそんな二人をやや白い目で見た。 ﹁嬉しそうだね﹂ ﹁そ、そんなことねえよ。こんな場所があったんだな。というかこ んなにあっさり盗られるなんて不用心じゃね?﹂ レイルは強引に話を変えた。 だがレイルの言うことももっともであった。宝物庫という名を冠 するわりには配下の貴族にあっさりと盗られているようでは警備も たいしたことないのではないか、と。 ﹁それが⋮⋮﹂ ﹁あのアホ将軍のせいでございます。レイル様﹂ 言いにくそうにするグランに代わってメイド長が答えた。 740 勇 ﹁勇者一行が来ると聞いて、勇者ならば宝物庫の鍵が開けられない とたかをくくっていたのです﹂ ﹁城の中にメイドと兵士しかいないのが気にならなかったか? 者候補に良くない感情を持つ者も少なくないから今日は貴族どもを 休みにしたのだ﹂ 貴族どもは勇者がきて宝物庫の警備が手薄になるこの日を狙って きたのだ。 ﹁お前らが来れば兵士どもも警戒態勢に入るはずだったんだろうが な﹂ レイルたちが鎧姿でうろちょろし、軒並みの兵士どもを無力化し てしまったために、警備が手薄どころの話ではなかったのだろう。 将軍の命令により、通常警備に戻った兵士が宝物庫の持ち出し記 録が残されていることに気づいたのだ。 ﹁そうなのか。じゃあ俺たちにも責任の一端があるってわけだ。ま あ手伝うことがあれば手伝うよ﹂ ﹁お前ら、強いのか?﹂ ﹁軍勢の中に放り込まれるのは勘弁だが、上級魔族だろうが中級魔 族だろうが八百メートル離れたところから傷を負わせて動けなくさ せるぐらいなら﹂ アイラができる、という最後の言葉を濁したレイル。 だが嘘はついていない。 741 ﹁なんだと? そんなことができるのか?﹂ ﹁アイラがな﹂ ﹁うん。でもレイルくんのおかげだよ﹂ アイラは昔からそこだけは譲らなかった。アイラがいなければ銃 を使うことどころか作ることさえできなかったというのに。 ﹁じゃあ空間転移に四人ぐらいなら巻き込めるか。連れていってや るから手伝ってくれ﹂ ﹁ああ。ところで襲撃されそうな国ってどこだ?﹂ グランとメイド長は口を揃えた。 その答えにレイルたちは驚くもの二人といつも通りが二人に分か れた。 ﹁ギャクラだろう﹂ ﹁ギャクラでございますね﹂ ﹁だろうな﹂ ﹁だよね﹂ アイラとレイルも口を揃えた。 考えればその結論に達するのだ。 ギャクラは商人が多く、軍事に使う経費が少ない。 軍事大国ガラスはいわずもがな、ウィザリアは優秀な魔法使いを 多く抱えるし、魔導具の保有数も多い。 ヒジリアも問題外だ。あの国は魔族を敵視しており、対魔族に特 742 化した軍の鍛え方をしている。 安全に攻めようと思えるのはギャクラだったのだ。 ﹁だけど王様も馬鹿じゃないし、金で増援呼ぶなりなんなりできる だろうけどな﹂ その後は魔族と人間の関係は回復しないだろうけど、というのを 除けばの話だが。 ﹁いや、ギャクラでは最近きな臭い話を聞くそうだ﹂ ﹁きな臭い?﹂ ﹁まあ攻める気がないからそこまで必死に間諜を送ってはないから わからないな﹂ ﹁ですがその問題の対応に追われているのに魔族まで攻めてくれば、 前門の虎、後門の狼ですからね﹂ ますます逃げられなくなったレイルはどうやって楽に軍を滅ぼそ うかなどと考えていた。 魔王たちも強いみたいだし、人間としてスパイするぐらいじゃダ メかな?などと楽観視もしている。 ﹁ようやくついたな﹂ ﹁そういやさ、封印してある場所に繋がるって言ってたけど⋮⋮そ ういう言い方するってことはここではないどこかにあるんだろ? どこにその魔剣ってのはあるんだ?﹂ 743 ﹁魔王の剣だぞ? るしな﹂ 魔剣といえば冥界だろう。異界の間って言って じゃあさ﹂ ロウの答えは当たっていた。 冥界行けるのか? ﹁その通りだ﹂ ﹁え? ここを逃せば行けないかもしれない。レイルは思わず聞いてしま った。 ﹁天界にも行けるのか?﹂ 天界という魔王には似つかわしくないその場所の名前に沈黙がお りた。 それは一瞬で、魔王がそれに答えた。 ﹁行けるぞ﹂ ﹁神にも会えるか?﹂ ﹁ああ。どうして会いたいのかは聞かないでおこう。それに天界や 冥界はこちらと時間の流れ方が違う。行っても時間はほぼ経たない﹂ ﹁もしよければ⋮⋮天界に行っても構わないか?﹂ ﹁ここまで来たんだ構わないだろう﹂ 興奮気味に次々に質問するレイルはふと我に返って三人に聞いた。 744 ﹁お前らもついてくるか?﹂ 三人の答えはとっくに決まっていた。 ﹁もちろん﹂ ◇ 魔王が目で確認をとり、扉を開けた。 そこには細々とした道と灰色の空が広がっていた。 魔王と四人はその道をまっすぐ歩いていった。 分かれ道まで来た。 ﹁ここを右だ。すると階段がある。階段を登っていけば天界だと聞 いたことがある。俺は左にしかいかないからわからない﹂ 魔王の通る道にどうして天界へと続く道があるのか。 次に語られるのはあくまで推測だそうだ。 あの扉は歴代の魔王のみが通ることを許された扉であるという。 先代から次代の魔王へとロケットが継承されてきたのだ。 伝統など糞食らえと思ったグランとグローサによってロケットが 分割された。 本来ならばあの扉は開けた瞬間に封印の間へと通じていた。だが 分割されたことの弊害だろうか、封印の間と扉の間が間延びして、 こんな道ができていたというのだ。 グランが何度か足を運ぶ途中に右の道から来た天使を名乗る存在 745 に出会ったという。 その天使を名乗る存在はグランが地上界から冥界へ向かう途中だ と聞いてひどく驚いたらしい。 その時初めてグランは右の道が天界へと通じていることを知った のだ。 ﹁じゃあまた﹂ ﹁行こうか﹂ アイラが道の向こうに伸びる階段を見上げながら言った。 ﹁ああ。やっとだな﹂ こうしてレイルたちは天界へと続く道を進んでいったのだ。 746 意外なこと、予定調和なこと︵後書き︶ やっとここまで来ました。もうすぐ一段落つきます。当初の目的も 果たせそうですしね。 物語自体はまだまだ続きます。 747 果たされた約束︵前書き︶ やっといくつかの伏線が回収できました。 748 果たされた約束 半透明で、やや白みのかかった階段だった。ガラスのようでガラ スでない。質感がないのに壊れる気がしなかった。 ただ、装飾もなにもない。ただの階段。階段と呼べるのかさえわ からないほどに上へ永遠と続くそれぞれに独立した板の上を歩いて いった。 幅は広く、人間が六人横に並んでも余裕があった。縦には二人分 ほどしかなかったので、最大でも十人ほどしが乗れないだろう。 落ちそうな見た目なのに、落ちる気がしなかった。落ちてもなん とかなりそうな気さえした。 あそこ 天界っていうから、もっとふわふわしているかと思った。 でも階段の向こうに見える天界は確かにややふわふわして見える。 疲れたか?﹂ 背中に感触を感じた。それはアイラの頭であった。 ﹁どうした? ﹁ううん。だって私レイルくんより荷物少ないよ?﹂ そうだ。アイラはほとんど荷物がない。銀色の腕輪にほとんどし まいきっている。 ﹁だよな﹂ ﹁それに、気づいてるんでしょ?﹂ ﹁ああ﹂ 749 上にいけばいくほど体が軽くなるような気がする。肉体を下に向 って言 かって引き付ける力がだんだんと弱くなっていくかのように。 ﹁はーあ。神、ねえ﹂ ロウの言葉はどこか懐疑的で、神など本当にいるのか? いたげだ。 元の世界と今の世界を重ね合わせる特異点のような ﹁一度会ってるからさ﹂ 天界だけが ものなのだろうか。 神とやらは未だ見たことのない、四術式の上の術も使えたりする のだろうか。 四の上だから三か? そんなどうでもいいことを考えながら、だんだんと雲の上までや ってきた。 眼下には白い雲海が広がる。生前の小説でもこんな風景があった ことがあったな。 なんだったか。麒麟に見初められて国の王になる話だったか。 ﹁月の住人なんて馬鹿げたことを、とか言ってたけど、もしかした らいるかもしれないわね﹂ 月の住人が馬鹿らしいとかお前が言うなと言いたい。 竹から生まれた非常識な存在のくせして、この中で一番まともっ てどういうことだよ。 750 ﹁レイルくんはその神様に会ったらどうするの?﹂ ﹁そんなもん、会ってから考える。でも多分⋮⋮﹂ 多分、まだ世界を見たいから、あっちこっちを旅するか、それと もシンヤと一緒に商売を楽しんだり、レオンやレオナの下で働くの も悪くないな。 それもこれも、ここを無事に出て、魔族の貴族によるギャクラ襲 撃を鎮圧させてからの話だ。 それに魔王の転移術のおかげで帰るときはもっと早く帰れそうだ しな。 ﹁あれかな﹂ 階段が途切れ、その先に門が見える。 その前に白い羽を生やし、槍を持った門番らしき人?がいる。 おそらくあれが神と呼ばれる存在のいる場所への入り口だ。 やっとだ。やっと会える。 思えば長い旅だったが、もしかしたら早いほうなのかもしれない。 俺は運がよかったのではないだろうか。 回り道もしたけれど、聖職者がこぞって求める存在にこうして数 年で会うことができたのだから。 門番は俺らを見つけると槍を構えて尋ねた。 ﹁お前たち、どうしてこんなところにいる?﹂ 751 その口調には問い詰めるというよりは純粋な疑問があった。侵入 者に対する警戒などはないようだ。 普通だよな。だって人間がたかが四人入って来たところでどうこ うなるような場所じゃあないんだろう。人間が生身でここにいるの が不思議なんだろう。 ﹁少々特殊な方法で紛れ込みました。用が済めば帰りますし、ご迷 惑はおかけしませんので通してもらえませんか?﹂ 門番は俺の目をじっと見た。数秒後、ふっと目を閉じると何かを 思い出すように考え込んだ。そしてもう一度俺を見すえた。 ﹁嘘は言ってないみたい、か。いいだろう、通りなさい﹂ 二、三質問して俺たちは天界への門をくぐった。 ◇ 随分と雑多な場所だった。 統一感というものがなく、生きているのかどうかもよく分からな いモノがそこらをうろつき回っている。 時折、明らかにこの世界の住人である││││つまりは精神生命 体の高位にあたる存在であろう、頭に輪っかだとか、背中に羽だと か、ギリシャ神話に出てきそうな格好の人だったりがいる。 そんな人たちにいろいろと聞いて回り、ようやく俺の求める相手 がいると言われる場所を割り出した。 752 ﹁へえ、立派なもんだな﹂ 取次を頼むと案外すんなりと通してもらえた。 この世界は俺の思うような暗い部分がまるで存在しないのかもし れない。 嘘とか、欺瞞だとか、殺意も悪意も、傲慢だとかいう概念もない のかもしれない。 嫉妬だとかはあるかもしれないが。 薄布一枚の向こうに、十数年前に見たあの時と全く同じ顔があっ た。 向こうはこちらを確認すると、まるで親しい友人かのように近づ いてきた。 ﹁お、久しぶり。今の名前は⋮⋮﹂ ﹁レイルだ﹂ ﹁会いにくるって言ってたけど本当にくるとはね﹂ お前ってそんな奴だったっけ?﹂ あの時よりもかなり軽い印象を受ける。 ﹁あれ? ﹁いやあ。初対面だし威厳だけでも取り繕おうかと思ってたんだよ。 こっちが素﹂ こっちの方がずっと話しやすい。 ﹁初めまして、アイラです﹂ 753 ﹁ロウだ﹂ ﹁カグヤと言います﹂ 女子二人は丁寧語になっていた。 ﹁いいよいいよ、レイルみたいに口調崩してさ﹂ ひらひらと手をふって敬語を解くように言った。ますますチャラ 男だな。 ﹁聞きたいことがある﹂ やっと真剣な話だ。 ﹁いいよ。何聞いても。でも条件があるよ﹂ ﹁なんだ?﹂ ﹁僕の名前を当てること﹂ 神という存在は数多くいる。ヒジリアが信仰するのは唯一無二の 神と記されていたが、ここに来る間も神とだけ伝えると、どの?と よく聞かれた。 そんな中でほとんど手がかりもなく名前を当てるというのは無理 難題に等しい。少なくとも彼はそう思っていたのだろう。 そんなことでいいのか?﹂ ニヤニヤとしながらこちらをみている。 ﹁なんだ? 俺からすれば今までずっと追ってきたのだ。 754 名前ぐらい調べている。 ﹁ヘルメス、それともマーキュリーと呼んだ方がいいのか?﹂ ﹁ヘルメスがいいかな。マーキュリーの方が知名度は高いんだけど﹂ ﹁盗みと商売、冥界へと魂を導く役目のオリンポス十二神、だろ?﹂ ヘルメスは目を丸くした。 ﹁驚いた。本日二度目だよ。いや、この場所に本当の意味での時間 なんてないようなものだけど﹂ ﹁で、約束だろ﹂ ﹁うん。答えられることなら大抵答えてあげる﹂ あるとした 俺は息を吸い直して、一字一句噛みしめるように言った。 ﹁俺がこの世界に転生させられた理由ってあるのか? らなんだ?﹂ するとヘルメスはなんだ、そんなことか、と胸をなでおろした。 ﹁君は進化論って聞いたことがあるかい?﹂ 進化論というとダーウィンとか昔の生物学者が提唱したあれのこ とか。 詳しく知っているわけではないけどいくつか説があることぐらい は知っている。 ﹁あれだろ。キリンとかが有名なやつだよな。競争相手の少ない高 い場所の葉を食べつつ、遠くまで外敵を察知できる首の長い個体が 生き残ったりすることで、首を長く成長させられる遺伝子のキリン 755 が子孫を残し、キリンという種族が首を長くしていくみたいな﹂ ﹁そんな感じだったかな。それは適応力の期待値の高い個体が生き 残りやすいっていう適応説の方だね。まだ他の説もあるんだよ﹂ アイラが聞いた事あるかも、なんて頭を抱えて記憶を辿っている。 お構いなしにヘルメスは続けた。 ﹁突然変異ってあるよね﹂ 突然変異。ある集団の大多数の形質と異なる形質になることだ。 ﹁君はそれなんだよ﹂ まだ比喩的でわかりにくい。眉をひそめると説明してくれた。 ﹁だからさ。ずっと世界をほうっておいたらマンネリ化が進むわけ だよ。そんなところに違う形質を持った異世界人を放り込むことで 変化を持たせる。つまりは世界の進化のために一定確率でバグを起 こすようなものだよ﹂ 俺はここでどうでもいいことに気づいた。 ヘルメスの口は動いていても、その声は口から出ているように聞 こえないのだ。 それはまるで脳に直接言葉を届けられているようで、本来ならば 聞いたことのないはずのマンネリであったり、バグだとかいう言葉 も三人が理解して話が進んでいることからもわかる。 そうか、俺はバグなのか。 気にすることでもないか。 756 ﹁俺が記憶を引き継いで転生した理由はわかったよ﹂ でもまだわからないことがある。 ﹁そうか⋮⋮そんな理由なら俺が魔法を使えないこととは関係ない みたいだな⋮⋮﹂ 魔法全然使えないの?﹂ するとヘルメスは意外そうに聞き返した。 ﹁え? ﹁おう。それでこれまで結構苦労したんだからな﹂ 訓練してもしても全然使えないんだからな。 僕は案内専門だけどね、生まれた子供にあるものを媒体 シルバ?﹂ ﹁うーん⋮⋮シルバはどうしてる?﹂ ﹁へ? ﹁あれ? に何年かかけて祝福するっていう女神がいてさ。二歳ぐらいのとき に何かしてない?﹂ 二歳、か。 嫌な思い出と人生を変える出会いがあったことは確かだな。 ﹁⋮⋮親を殺したな⋮⋮そのあと家を焼き払って隣町にいた貴族の 家に転がり込んだ﹂ 757 ﹁あははははっ。それだよそれ﹂ ﹁いや、でもあんな場所に転生させたお前もお前だよ。あんな環境 で祝福が終わるまで待てっていうのかよ﹂ ﹁その祝福はね。その人の運命に干渉するタイプの高等術なんだよ。 四術式のまだ上。だから運命に逆らえない三歳までの間に運命を媒 あそこで虐待されて死を待つことか?﹂ 体にして祝福をかけるんだって。それでようやく魂と体が重なって 一つになるんだってさ﹂ ﹁俺の運命ってなんだよ? ﹁ううん。あそこで待ってれば二歳になったぐらいに国の腐敗を正 そうと一人の男が貧民街を見回りにきた。そして貧民街ではあり得 ないほど大人びた君を見てこんなところでいるのはもったいない、 虐待するぐらいなら自分が引き取るって言い出してたよ﹂ 惨めな環境から見初められて出世街道、か。 王道的な成り上がり人生の運命だったんだな。 ﹁由緒正しい騎士の家系で裕福な彼は君に稽古をつける。君は独学 で魔法を会得し、文武両道の華を咲かせる輝かしい無双人生の運命 が見えてたんだけどな﹂ その男の名をシルバ・ドーランドと言った。 そうか、あの人か。クラーケンを配下にした少し後ぐらいに出会 ったあの熱い男の人か。 妙に俺に執着していると思えば。 どんな人生を歩もうがあの人とは出会う運命だったんだな。 758 それを聞くと、俺は他人から見れば余計なことをして自分の人生 を閉ざしてしまっているようだっただろう。 あは、あはははは。なんだかおかしくなってきた。別に気が狂っ たわけではない。 それでも俺がもう一度、あの場面にあったならば両親を殺してグ レイ家に行くだろう。 周りに立派な貴族の友達や騎士の友達ができてもアイラとロウと カグヤに会いにいくだろう。 俺は俺の人生に後悔なんてしない。 選んできた全ての選択肢が積み重なって今の俺があるんだ。 どんなに罪深く愚かな選択肢でも、それで俺は出会えた人がいる。 きっと最初から力を手にしていたら調子にのって失敗したり、や ばい奴らに目をつけられたりで、それはそれで心躍る平穏とはかけ 離れた日常を送れるのだろう。 弱くたって世界を見るための旅ぐらいはできる。 魔王城まで来たんだ。神にだって会えた。 力で正義を語れなくていい。世界をを語るのは嫌いだ。 俺は誰よりも自由に生きたかったのだから。 そんな俺の決意ともとれる思考を妨げる者がいた。 ﹁魂と体の同調の不具合は治せるよ﹂ ヘルメスだった。 ﹁僕の親友の妹がその祝福を担当しているんだ。さっき念話で呼ん だからこっちくるよ⋮⋮あ、ほら﹂ 759 向こうから現れたのは超絶美形の男女だった。 男の方はやや癖のある金髪で、鼻が高く彫りも深い。顎は鋭く、 筋肉質な体はギリシャ彫刻の円盤投げなどで見るような究極の肉体 美を体現していた。 女性の方はというと、長いまつげに二重まぶた。その目には恐ろ しいほどに蠱惑的なものがあり、出るところは出て、引っ込むとこ ろは引っ込んだ美女だった。やや愛らしさの残る唇がきゅっと結ば れている。この人は確かに女神だ、という思いと本当に女神か? サキュバスとかじゃあないよな?という思いがせめぎ合うような容 姿だった。 ﹁彼が親友のアポロン。それにその妹のアルテミスだ﹂ ﹁ヘルメスが気に入ったというからどんな男かと思えば。なるほど 同じ目をしている﹂ 神と同じ目をしているときいて、喜ぶべきなのかそれともヘルメ スと一緒かよ、という不安を述べるべきなのか迷う。 ﹁濁った沼みたいな邪悪な目だな﹂ おい。それが仮にも友達で神様のヘルメスにたいする形容かよ。 確かにヘルメスはチャラい。もしも俺がこいつに憧れてなんてい たら一気に失望するぐらににはチャラい。 ﹁あはは、でしょ?﹂ ﹁やっぱついてきて正解だったな。こんな男とヘルメスの元に妹を 一人でいかせるなんて寒気がする﹂ 760 あれ? もしかしてこのイケメンはシスコンか? ﹁兄さんは心配しすぎなのよ﹂ お、アルテミスさんの方はまともそうだな。 ﹁心配しなくても兄さん以上の男なんてそうそういないわ﹂ 訂正。こいつも重度のブラコンだった。 ふーん⋮⋮確かに体と魂が一致してない どいつもこいつも。神様ってのはろくなのがいないのか? ﹁あなたがレイルくん? わね。それに⋮⋮.面白いわ﹂ アルテミスさんが近寄ってくる。 どうしてさん付けかって? そりゃあアルテミスさんだからだよ。神々しいしな。 そのかけた、だけの布みたいな服で近寄られると見えそうという か、見えてしまえ、などと邪なことを考えていて、セリフを聞き逃 した気がする。 ﹁だから、本来ならこの年齢になってまで祝福の掛け直しなんてし ないんだけどね。特別よ。掛け直してあげる﹂ ﹁それに、これは僕からのちょっとしたサービス☆﹂ 俺はその瞬間、今までも少ししかなかった体を下へと惹きつける 重力のような何かがなくなるのを感じた。 まるで水の中のように、上も下もわからなくなって、ぐるんと頭 が回るような。画面酔いがこんな感じだったかな。なんて馬鹿懐か 761 しい記憶をほじくり返したり。 何かがはるか彼方へと落ちるような浮遊感に襲われた。 そして、意識を失ったのである。 762 果たされた約束︵後書き︶ 修行パート編って嫌いなんですけど、なんの苦労もなしに強くなる ってのも違いますよね。 763 勇者、覚醒? ◇ ここはどこだろうか。 ばしょ 先ほどまでも鮮やかとはいいがたい天界ではあったが、それでも この場所よりは殺風景ではなかった。 何もない。どこまでいっても終わりもなければ、どこまで見渡し ても色もない。 真っ白で、まっさらな原風景に呆然と立ち尽くした。 三時間ぐらい経っただろうか。 キーンという音が頭の中に響いた。ずっと耳鳴りしているようだ。 途端、頭の中に、そして体に膨大な量の情報が流れ込んだ。 ﹁な、ったんだよ、こ、れは!?﹂ その場で頭を抱えてうずくまる。 ぐるんぐるんと視界が回り、ぐらんぐらんと揺さぶられる。 後ろ、前、左、右。上下に斜めとわけのわからない情報が自分に かろうじて意味だけが理解できるように脳内で表示される。 罫線のようなものが見え、肌で歪みが感じられる。 ﹁くっそ⋮⋮﹂ 何かをこじ開けられるような恐怖で足が竦んだ。 同時に体をも痛みが襲った。まるで見えない手に引っ張られるよ うにひきつり、いじくりまわされるように軋む。 成長痛をはるかに強くした、そんな痛み。 764 その間も頭痛と吐き気は続いている。 ガンガンと脳を揺らされ、まわされる。 何かの奔流に自我というものが飲み込まれそうになる。 ヘルメスやアルテミスさんを批難する余裕さえない。 これは何かの罰だろうかとも思ったが、それは違うはずだ。 俺があの時意識を失う直前、三人の神が俺を見るその目には悪意 が微塵もなかった。 俺は俺自身の人を見る目を信じる。 これはきっと、害をなそうとして起こされたことではないのだ。 かといって、この痛みをどうにかする方法が思いついたわけでも ない。 吐きたくても吐けない。 殴る壁も床もない。 のたうちまわり、そこらを転げまわって誰にともつかない呪詛の 言葉を吐く。 目を瞑っても、直接脳内に様々な映像が浮かぶ。 周りには何もないはずなのに、何かがあるような気がする。幻覚 などではない。 体の方は成長痛のような痛みから筋肉痛のようなものに変わって きている。 あ、左足のふくらはぎが攣った。 ﹁いでででで﹂ ふくらはぎを伸ばしつつ、温めるものも冷やすものもないのでひ 765 たすら耐える。 なんだろうか、この痛みの正体は。 メガネの度があってないときのようで、慣れないものに酔ったよ うな。 気持ち悪い。眼球の奥までズキズキと突き抜けて気持ち悪い。 頭の割れそうなほどの痛みが何時間続いただろうか。十、二十と 体感にすれば数日にもなりそうなほど長い痛み。 息も絶え絶えに寝っ転がって上を見上げる。 だんだん、その何かにも慣れてきたころ、考えるのも嫌だった頭 にも冷静さが戻ってきた。 この苦痛に感じた共通点、それは外部からというよりは内部から にある。 メガネの度があわないのも、成長痛も、画面酔いも。変化に対応 しきれないから起こることだ。 そうか、これは変化だ。 そう考えると、目の前が明るく広がった。 だんだんと輪郭しか見えなかったそれらの正体が判明していく。 受け入れろ。 変化を、そして成長を受け入れるんだ。 本能が警鐘を鳴らす。これ以上は人間の領域ではないとでも言う かのように。 だが全てを逆に呑み込め。 そうしなければ何もわからない。 766 ﹁これ、だ。み、つけ、た﹂ 途切れ途切れではあるが自分の言葉であった。 思考の中にかかっていた白い靄が晴れた。 世界が││││││変わっていった。 ◇ やはりこれは成長痛のようなものなのだろう。 すっかり来た時とは別の世界にしたうちをした。 ﹁ケッ。まだ見つからねえ﹂ 軽くやさぐれ風味の演技で今の不安を表明してみる。 そう、あれから数日、痛みのなくなったことにより、脱出に向け て探索していた。 何もないと思われた周囲には所狭しと様々なものが並んでおり、 よくこんなところで転がりまわっていたものだと感心する。 脱出に向けての探索は変化した肉体をならすのにも一役買ってい る。 感覚を研ぎ澄ませることで周りにあるものがわかるのだ。 767 ﹁で、これなんだよな﹂ それは明らかに空間が歪んでいたところにあったものだ。 周りの物の中でも一際強いオーラを放っていたので、特別な物に は違いない。 手の上でその金色の鍵を転がした。 ﹁これが元に戻る鍵だとするなら、これを使うための扉があるはず なんだよな﹂ しかし感覚を研ぎ澄ませば周りがごちゃごちゃしていて扉は見つ からない。かといって感覚を鈍らせば周りには何もないように見え る。 ﹁ちょっと待てよ﹂ 俺はあることを思いついて、鍵をいつでも見つけられる場所にお いて少し離れた。 ﹁やっぱりそうか﹂ 鍵のある場所が一番わかりやすい。 感覚には濃淡と範囲があるのだ。 狭くすればより鮮明に。 広くすればぼんやりと。 それは無意識のうちに感覚の総和を一定に保ってしまっていたの だ。 そうとわかれば特訓だ。 範囲を狭めつつ情報量を少なくする。 768 範囲を広げつつ情報を詳細にする。 強弱や条件指定など、様々なことを試してみる。 思いつく限りの特訓は試しただろう。 できたり、できそうになかったり。できそうだけどまだできなか ったり。 そうするうちにこの能力がなんなのかわかってきた。 これは空間把握だ。周囲三百六十度の様子を空間に干渉して脳内 に直接伝える技能だ。 これは反則的だ。この能力だけでもお釣りがきそうなぐらいには。 それと同時にどうして鍵が他のものよりわかりやすいかがわかっ た。 これがこの空間内で特異点となっているのだ。 何かの強力な空間術をかけられているのかもしれない。 そうか、これが空間を司る四術式の一つ、空術における初歩なの か。 随分と使い勝手の良さそうな、と思ったが、これが魔法や術の使 える奴らの見る景色なのかとも思えば少しがっかりである。 これでようやくスタートラインに立てたようなものだ。 試しに目の前の空間を見えない手で掴むようなイメージをしてみ る。 すると確かに手応えがあるような気がする。 ぐっと力を込めるとねじ曲がったり、穴があいたりする。 ヘルメスの言っていたように、魂と体が同調することによって使 えなかった魔法が使えるようになったのだ。 769 俺は空間術が使えるようになったのだ。 俺はそれから、取り憑かれたように特訓した。 いや、特訓というのにはやや語弊があるかもしれない。 もはやそれは研究と呼べるものであった。 それは生前からの性であったのかもしれない。 生前から馬鹿なことばかり考えている男だった。 ゲーム世界の設定について、生物学的な観点から友達と議論して みたり。 どうして光の速さで動けるとかいいながら勝てないなんてことが 起こるんだよ、とか言ってみたり。 今回も変なことばっかり考えていた。 生前は空間というものは縦、横、奥行きの三つの要素で構成され る、だから三次元だと聞いていた。 そのことから座標はどうのだと小難しいことを考えていたのだ。 そして、その本質を見極めようとした。 炎属性、地属性、水属性、風属性のその真髄を理解しようとした ように。 今回も空間を操るということを理解しようとしたのだ。 普通、空間術の特訓と言えば、よりたくさんのものを転移させら れるかとか、より遠くまで正確に運べるかとかを訓練するものだろ う。 だが俺はひたすらに幅ばかりを増やそうと努力したのだ。 転移を何パターンできるかとか、空間を歪めてどこまで複雑にで きるかとかだ。 試行錯誤を繰り返し、やりたいことのほとんどができるようにな 770 ったころに体感時間で一週間ほどが過ぎていた。 あくまで体感時間なので一日ぐらいは誤差があるかもしれない。 そしてもう出ようと思った。 手足のように使いこなせるようになったこの術を発動する。 周囲が手に取るようにわかる。まるで後ろにも目があるかのよう だ。 いや、もっと詳細にわかる。 大きなタンスの中も、木のような植物の葉の向こう側も、全部わ かる、 これが空間把握か。 その中に歪んで霞んで感知できるものがある。 これだ。 それは扉であった。 鍵穴があったが、以前見つけた鍵を指すとすんなりと開いた。 ひねりもなにもない。 扉は空間の中にぽつりとあったのに、扉を開けると部屋があった。 その中には隠すこともなくベッドと机など、一人部屋として落ち 着くようにデザインされたような構成で調度品が置いてあった。 俺は強烈な眠気に誘われた。 甘い誘惑に引きずり込まれ、ふらふらとそのベッドに近づいた。 整えられたシーツも、ベッドカバーも全てが俺に寝ろと言ってい るかのようだ。 771 ひねくれがちな俺でもさすがにこの誘惑には逆らえなかった。 だって三大欲求だもの。食、寝、性の一つ、睡眠欲なんだもの。 俺はそのまま、気絶するように眠りこけた。 772 勇者、覚醒?︵後書き︶ ようやくレイルが最強となりました。 いつか主人公最強に追いつきました。 まだ付属要素はありますが。 773 剣の秘密︵前書き︶ 書き溜めたのを以前に投稿するのを忘れておりました。 774 剣の秘密 ◇ 後頭部に柔らかいものを感じてぼんやりと目を開けた。 ﹁やっと起きたね﹂ 目の前三十センチメートルにアイラの顔があった。 俺のデコにはアイラの手が当てられていて、周りでは心配そうに 見守る仲間の姿があった。 どうやら俺は膝枕されているらしい。 ﹁もうちょっと楽しもう﹂ 欲求のままに寝返りをうつと、アイラの腹が鼻先にくる。 ﹁はいはい。珍しく甘えるんだね﹂ そう言いながらも嫌がるそぶりがないのに安心した。 でもいつまでも甘えているわけにもいかないので、起き上がって 体の調子を確かめた。 節々が痛むが、気絶する前よりもむしろ軽くさえあった。 膝枕のおかげかな。 ﹁おはよう。寝心地はどうだった?﹂ ﹁良かったよ。⋮⋮ってそんなことが聞きたいんじゃないだろ?﹂ 775 レイルくん丸一日も寝てて、心配したんだからね!﹂ 寝心地とは膝枕のことか、それともあの奇妙な空間の中のことか。 ﹁そうだよ! そんなに寝てたのか?!﹂というところだ その言葉に俺は逆の意味で驚く。 普通ならば﹁なに? ・・・・・ が、ここは幸い、時間のない天界。 それよりも俺が驚いたのは、丸一日しか寝ていないという事実だ。 俺はあの場所で一週間はいた。 体感時間にそこまでの差があるとは思えないので⋮⋮とヘルメス に目をやるとあっさりとネタばらしをしてくれた。 ﹁言ったじゃん。僕からのサービスだって。君がいたあの場所は空 間、時間的に隔絶された結界の中で、時間の流れがとてもゆっくり なんだよ。それに特殊な術がかけられていて修行しやすかっただろ う﹂ ヘルメスがドヤ顔で言った。 そうか。だからあんなに術が使いやすかったのか。 ﹁どうりでな。まあ基本ぐらいはできたよ。空間把握ができるよう 空間把握?﹂ になったしな﹂ ﹁え? ﹁ヘルメスさん、空間把握ってすごいの?﹂ ﹁程度にもよるけど⋮⋮どのぐらい?﹂ ﹁座標から距離、どこにどんなものがあるかまで多分見える範囲な ら余裕でできる﹂ ﹁それは⋮⋮﹂ ヘルメスは言いにくそうに言いよどんだ。 776 ﹁基本すぎて言葉もでなくなったとかか? 結構頑張ったんだけど なあ。あ、他にもできるようになったからな﹂ そう言うと違う違うと首を横に振った。 ﹁基本なんだけどできない人の方が多いんだよ。できても空間の歪 みをみたり目で見える程度の情報が後ろまで広がるぐらい。君みた いに建物の中に何人いるかまでは把握できないし、それがどれぐら いの体格かまでなんてわからないんだよ﹂ ﹁へえ、そうなのか﹂ ﹁多分それが君の強みなんだろうね。魔法に物理科学という概念を 押し付ける。君が前世において空間というものが研究されていると 聞いたことも関係あるんじゃないかな﹂ ﹁別に科学者でもなんでもないから、そこまでわかってないぞ?﹂ ﹁この世界では空間という言葉が先走りして、その意味もわからな いまま漠然と使われているんだよ﹂ だから空間に関係する結果、つまり物質の転送などはできるし、 拡張によって無限収納はできても、それ以上にはいかないのだとか。 それでも十分強いだろ、とは思わないでもないが。 ﹁へえ⋮⋮じゃあ俺は空間術が得意な方なんだ﹂ ﹁だろうね。転移と収納ぐらいはできるようになればいいかと手助 けしたつもりだっんだけど⋮⋮﹂ 777 するとロウがちょっとふてくされたように言った。 ﹁はーあ。俺も頑張ったのに、レイルはあっさりととんでもないこ とをしてくるからなー﹂ ﹁ロウは何かあったのか?﹂ 俺が尋ねると、カグヤが代わりに答えた。 ﹁ロウはね。元からあった時術の才能を開花させてもらったのよ。 今まで使い方がわかってなかっただけで、自分自身がすでに強力な 時術のかかってる身だから使えたのよ﹂ ﹁じゃあこれからはロウが僧侶役だな!﹂ ﹁おう⋮⋮っておい!﹂ 皮肉なもんだとロウは笑った。 一番殺すことが得意な俺が、一番救うのに適した力を得るなんて。 そんなロウに俺は。 ﹁時術だって加速を相手の体に使えば老衰死させることもできるん って言っただろ? だからお前は人を救うことを 要するにその人の使い方次第だってことさ。お前はその術 人を救う力 だぜ? を 考えられる人間だったんだよ﹂ ロウは善悪の基準はあまりない。 それでもどこか思うところはあったのかもしれない。 これが成長なのかどうかは俺にはわからない。 ﹁俺が寝ていた間、他のやつはなんかあったか?﹂ 778 ﹁私はいつもどおりよ。波属性が使えれば、なんて思ったけど私に は他の四属性の適性しかないみたい﹂ ﹁波属性は特殊だからね。あ、でもレイルなら使えそうだね﹂ ﹁波だけでも使えたら便利そうだな。また試してみるよ。そうか⋮ ⋮空間術か⋮⋮これからは戦うことも多くなりそうだし、剣をもっ と丈夫なものに変えた方がいいのかな﹂ 俺が何気なくそう言うと、カグヤ、アイラ、そしてヘルメスまで が﹁はあ?﹂と呆れたように言った。 ﹁君、それを買い換えるって⋮⋮﹂ ﹁レイルくん、なにもわからず使ってたんだね⋮⋮﹂ 単なる普通の剣だろ? と言うと、アイラが ﹁あんた、それより丈夫な剣ってそれは剣じゃないと思うわよ⋮⋮﹂ はあ? ﹁レイルくん。お城に、しかも宝物庫にそんな普通の剣が置いてあ るわけないでしょ。私が見た感じだとそれが一番いい剣だったよ。 私は使いこなせる気がしなくて取らなかったけど、レイルくんが﹃ 使いやすそう﹄って言ったからやっぱレイルくんはすごいな、なん て思ってたんだけど﹂ ﹁あんた、それこの旅で一度も手入れしてないでしょ。いくら使う 頻度が少ないからって全く手入れしてないのに刃こぼれも錆もない のは異常なのよ、異常!﹂ 779 はあ? これってそんなすごい剣だったのか? それにしてはなんかしょぼいっていうか⋮⋮名剣って宝石とかが ついてるものかと思ってたんだけどな。 ﹁聖剣クラウソラス。逸話は数あれど、その多くが持ち主の技量に 由来することからあまり剣の価値は評価されてないけど、立派に名 剣の一つだよ。それでも逸話の英雄はこの剣を変えることがなかっ た。それは戦いの中で持ち主が死のうが戦乱に巻き込まれて行方知 れずになろうが無傷だったからだって言われてる﹂ 一気にまくしたてられた。 ヘルメスは一呼吸置いて、その二つ名を言った。 空喰らい ﹂ 聖剣か⋮⋮大層な名前だな。全然買い換えなくてもよかったわけ だ。 俺の素晴らしい審美眼に乾杯。 ﹁虚空さえかじるように斬るという、通称 なんだその厨二な二つ名は。ここがネットで横書きならば草生や してるところだぞ。 思わぬところで自分の剣の価値を知った。 どうりでこの剣を選んだときのアイラが妙な顔をしていると。こ の子は伝説の武器の図鑑とか見てたもんな。わかってたなら言って くれよ。 この剣がすごいと聞いても実感がわかない。 だってピンチに覚醒したりしてくれてないし。 ああそうか。ピンチにならないように旅をしてきたんだっけ。 俺にとっては剣は魂などではなかったし。だって剣がよければ勝 てる相手などはいないわけで。安くても最低限切れればいいという 程度の使い捨ての道具にしか思ってなかったからな。 780 ﹁なにか隠れた特殊能力とかあるのか?﹂ 魔力を込めるとビームがうてたりだとか、命の危機に応じて爆発 的に強くなったりだとか。 なんだかロマンのあるド派手な能力はあるのか? ﹁ないよ﹂ ⋮⋮そんな目で見ても剣は なかったか。残念。というかないのかよ。聖剣なのにな。 ﹁君は聖剣をなんだと思ってるんだ? 喋らないからね?﹂ 喋りすらしないのか。 ﹁魔力は通しやすいし容量も大きいけど⋮⋮まあ丈夫で普通の剣よ りも切れやすいだけかな。丈夫さだけなら随一って言われてて、錆 びることもないって﹂ あえて付け加えるとすれば精神生命体でも攻撃できるとかぐらい だとか。 まあ攻撃できてもアークディアみたいなのが出たら戦う気はない。 逃げの一手に限る。 まあいいや。手入れのいらない丈夫な剣か。なら手間が省けてい い。 ﹁君ってやつは⋮⋮﹂ 781 ﹁レイルだからしょうがねえよな﹂ ﹁まあ⋮⋮レイルくんだから?﹂ ﹁レイルだものね⋮⋮﹂ 口を揃えて妙な反応をする。 何か悪いことをしたか? 782 事件とは重なるものです ヘルメスやアポロ、アルテミスさんとかと別れて、また来た道を 戻った。 何もないと思っていた階段の周りには、空間把握で見ると様々な 柱が立ち並んでいたことがわかった。 目には見えないけれどあったのだ。階段の横には壁があるし、空 中に浮かんだ板のようだと思っていた階段もしっかりと何かに支え られていた。 出てきた扉がある場所に来た。 ﹁夢みてえなところだったな﹂ ﹁これ以上、とんでもない場所にはそうそうこれそうにないわね﹂ しみじみとロウとカグヤが言った。 やめろよ。なんだか旅の終わりみたいじゃないか。 扉をくぐって、﹁俺たちの冒険はここからだ!﹂などとかいう終 わり方はしないんだからな! ﹁レイルくん、変な顔してる﹂ マジかよ。そんなに顔に出てたかな。いや、アイラが長年連れ添 った者としての勘と観察力で当てただけだ。きっとそうだ。 扉の向こう、異界の間ではグローサ、メイド長、グランか待って いた。 783 ﹁ほんのしばらく見ないうちに随分変わったな。中で修行でもして きたか﹂ ﹁まあそんなところだよ。そうだ、お前らに送ってもらわなくって もよくなったぞ﹂ ﹁それはどういうことだ?﹂ ﹁レイルくん、空間術が使えるようになったんだよ﹂ ﹁ほう。人間で空間術を使える奴など久しぶりに見たな﹂ ﹁おう、だから俺の練習も兼ねて転移は自分でするよ﹂ そう言うと俺は術の発動に精神を集中させ始めた。 目の前の空間に魔力で作った手をねじ込み、ぎりぎりとこじ開け る。 そしてその向こう側に存在するギャクラの領土の近くに繋げ、一 つの道を作り上げた。 それだけではまだ終わらない。 まだ穴と穴の間には距離がある。これだと全ての障害物を無視し て直線距離で異空間を歩くことができる。これでも普通に旅をする よりはずっと早く着くだろう。 そこで空間をねじ曲げるのだ。無理やり押し付けるように、穴と 穴を近づける。 これで限りなく瞬間移動が可能な通路の完成だ。 ここからは別に必要もない作業だ。 通路の先にある空間を空間把握で調べる。脳内に膨大な情報が流 れこむのを制御し、取捨選択していく。 そして障害物がないのを確認し、周りにいるメンバーのいる空間 784 ごと、向こうの空間と入れ替えた。 ◇ 久しぶりのギャクラ領土の付近である。 どうしてギャクラに直接いかなかったのかというと、刺激が強す ぎるからだ。 しがない勇者候補が魔王を連れてきた。民衆の目には良くて勇者 候補が捕まって人質にされた。俺を中途半端に知る者とかからすれ ば、俺が人間を裏切り、魔王を自国へ手引きされたと勘違いされて もおかしくはない。 ﹁これが瞬間移動かー。酔ったりはしないんだね﹂ まあな。酔うのは初めて使う本人だけだ。空間酔いとでもいうの か。 ﹁貴族が襲撃するまでどれぐらいの時間がある?﹂ グラン この場にいるのは魔王が連れてきたメイド長、報告に来た部下、 グローサ そしてもう一人の三人の部下に俺たち四人。 将軍、魔王姉はいない。 やはり魔王が城に不在というのはまずいらしい。 ﹁二十日、だな﹂ 二十日。その数字が何を意味するのか。 反乱はどうやらずっと前から計画だけはされており、その文字通 785 り鍵となるあれを盗むだけが最後の仕上げであったらしい。 テラ・ゲート そしてそれが盗まれた今、出撃の準備は整っているのだとか。 大規模転移門は膨大なエネルギーを必要とする。 そのエネルギーの充填に丸一日かかる。 テラ・ゲ それを考慮して、なおかつ軍が拠点を構えるまでの目算が二十日 なのだとか。 ート 俺たちと似たような理由で大規模転移を悟られぬように大規模転 移門の入り口はギャクラから随分離れた場所に開くらしい。 だが行軍のための下準備や拠点を構えること自体は魔法によって さほどかからないとか。 これら全てはその歴代でも屈指の頭脳を誇ると言われる魔王、グ ランの綿密な下調べからくる推測なので、絶対ではないがかなり正 確であると言えるだろう。 というか反乱が他国に攻め込むという形で出たにも拘らず、その 日のうちに対応できるあたりがこの魔王の本来の城の警備がいかに 厳重であったかわかる。 俺たちのときは本当に将軍の八つ当たりだったんだな。 ふと、カグヤがこれからのことについて聞いた。 ﹁レイル、シンヤさんのところに行くのよね﹂ ﹁さすがカグヤだな﹂ 王道と堅実な手という点で四人の誰よりも熟したその手腕。 俺はいつも奇策というか、外道の策ばかりだから、こうしてまと もな選択肢をとるときぐらいはカグヤにあっさりと見透かされる。 ﹁へえ。シンヤさんに情勢を聞きにと人員の借り入れしにいくんだ﹂ 786 誰よりもその思考を伝えてきたアイラ。おそらく前世の知識につ いてはこの中で俺に一番近い。 俺の仲間は長いこと一緒にいたせいもあってか、最近はよくやろ うとしてることを見抜かれやすい。 誰だそれは﹂ 俺としてはいちいち説明する手間が省けていいのだが。 ﹁シンヤ? ﹁ああ、言ってた自治区を代理で任せている人だよ﹂ 手紙で報告を受けてたとはいえ、どんな感じになってるかな。会 うのが楽しみだ。クラーケンの奴にも挨拶しなきゃな。今度は名実 ともにあいつを倒せそうだ。まああいつは俺を主君と認めているみ たいだし、そんな心配もいらないんだけど。 ◇ かつては単なる木造の建物やテントが張ってあるだけの野営場み たいだったこの場所も随分と様変わりしていた。 シンヤに案内されて入った瞬間にちっちゃいのに飛びつかれた。 ﹁れいるー!﹂ ﹁あれがれいるだーー!﹂ ﹁ありがとーっ!!﹂ 次から次へと子供たちが飛びついてきた。 787 ﹁な、なんだよ。これはどういうことなんだよ﹂ ﹁そりゃあな﹂ 聞けば、こいつらは奴隷だったところをシンヤに買われて立派に 教育されている最中の元奴隷らしい。 未来の派遣社員としてがんばっているようだ。 こいつらも奴隷というものがどいうものかはなんとなくわかって いたらしく、シンヤに丁寧な扱いをされたときにキョトンとしてい たとか。 シンヤがお前らが人としてこうやって世話されているのは全て俺 のおかげだとさんざん吹き込んだらしい。 で、俺はここの元奴隷からは半分神格化されているのだとか。 部屋に全員が揃った。 魔王、メイド長、四人、シンヤの七人ではあるが。 ﹁で、レイルの旦那は戻ってきたってわけか﹂ シンヤの服装はあの時のラフな格好などではなく、きっちりとし た正装であった。 それでもあの時と何ら変わりない態度で出迎えてくれたシンヤに ありがたいものを感じながらも今の状況をかいつまんで説明した。 ﹁それにしても魔族の襲撃か⋮⋮まずいな。こんな時に⋮⋮。でき るかぎりの協力はするっつーか、ここはお前の場所だからな。で、 後ろのお偉いさんみたいなのは誰か紹介してもらってもいいか?﹂ 788 魔王だと?﹂ ﹁ああ。魔王だ。向こうで話していた最中に反乱の報告があったか らな﹂ ﹁はあ? シンヤは後ろで見ていた魔王を二度見した。 まあそうなるよな。だって魔王だし。 かしこまったあと、自分は礼儀作法に疎いのでそこは勘弁してほ しいと告げた。 多分大丈夫だぞ。俺なんて最初からタメ語だし。 ﹁とりあえず味方だよ。今回の魔族の貴族どもが襲撃するのは魔王 の望むところじゃあないんだ。だから鎮圧をお互い協力しようって 話にだな﹂ そこでここを拠点にしようというわけだ。 ギャクラからさほど遠くなく、経済が独立した地域。それもかな り俺の無理が通る場所だ。 これ以上に向いた場所はあるまい。 ﹁だからとりあえず、最近あったことをできるだけ話してくれない か?﹂ ﹁話すって言っても一つしかないが、その一つが大きいかな﹂ ﹁二十日しかない。ここで情報に敏いお前が頼りだと聞いた。聞か せてくれ﹂ グランがそんな風に言った。 789 やばい。デレの破壊力がぱねえ。 これは落ちますわ。シンヤが女性だったらこれで一発コロリだな。 ﹁あ、ああ。実はな。ノーマと全く逆のことがここで起こりそうな んだ﹂ シンヤの得た情報によると、最近ある大物貴族が兵を秘密裏に集 め、武器の買い占めなどを行っているらしい。 そして昨日、国の領地内西にあるその貴族に動きがあったらしい。 これは元暗部にいたシンヤの情報網なので、むしろ表の貴族たち にはまだ伝わっていないか、それともわかっていて静観を決め込ん でいるらしい。 だがこのことはもうおそらくギャクラの王都まで届いており、対 策がたてられているかもしれないとのこと。 俺はその貴族の行動パターンの情報を見ていてあることに気がつ いた。 毎週末に特定の場所に出かけているのだが、その先がわからない とのこと。 ﹁信者か⋮⋮﹂ ﹁そうだな﹂ おそらく出かけているのは宗教関連。 ヒジリアに法皇のいる人神教だ。 人間種族こそが最も優れた種族だと妄信するあの宗教はどうにも 好きにはなれない。 ﹁はあ⋮⋮じゃあギャクラとも折り合いが悪いわけだ﹂ 790 ﹁そうなんだよ。だからこのままでは前門の虎、後門の狼。挟み撃 ちになっちまうわけだ﹂ だからマズイと言ったのだ。 いや、俺はあることを思いついた。 この作戦を使えば、最も少ない労力で両方の軍を抑え、なおかつ 様々な問題を一気に解決できるようになる。 だがこれをグランが許してくれるかどうかだ。 ﹁いいことを思いついた。だけどグラン、お前にとってはとても不 本意だと思う。だけど何が一番利益になるか考えてほしい。今から 説明する作戦の概要をよく聞いてくれ﹂ グランは最初、魔族の軍だけを単独でボロボロにして見せしめに するつもりだった。 だから俺のとる作戦はどこまでもその本意にはそぐわない。 だけど、やはりグランはどこまでも冷静なままであった。 ﹁お前はやはり頭のおかしな人間だ。面白い、作戦変更だ﹂ 791 事件とは重なるものです︵後書き︶ 貴族軍、激突編開幕です 792 戦争への作戦 ① シンヤは今回の作戦では後方支援の役割を担ってもらうことにな る。と言ってもアイラの腕輪のおかげで、物資が枯渇するなんてこ の少人数部隊ではありえないけどな。 ﹁なあ、この姿ではさすがにバレそうだ。変装はできないか?﹂ グランは現在、黒いマントに長剣、宝石のあしらわれた服とあか らさまに魔王であることが遠目にもわかりそうな出で立ちであった。 王たるものいつでもその風格を損なってはいけないとか言い出し たら面倒だな、と何も言わずにいたのだが、予想以上に柔軟で現実 主義のグランに頭が下がる一方だ。 ﹁はい﹂ アイラが腕輪から予備の服を出した。 こいつらが賢くって話がサクサク進む。 超楽でいいな。 俺たちはまず魔族の貴族軍の方に向かった。 ﹁まずはここで魔王の部下であるあんたに頼みたいことがあるんだ﹂ そう言って頼んだのは魔族軍の煽動である。 反乱を起こした貴族の元に参上し、軍の一人のような顔をして報 告するのだ。 人間の軍がここから離れた場所に待機していることを。 793 そこは元々人間を襲うために出撃した軍。数も質もたいしたこと がないと言えば、景気づけにそちらへと攻撃目標を変えるだろう。 今、ちょうど部下が貴族へと報告に向かった。 彼の前にはでっぷりとした大柄の貴族がいる。ほっぺの肉がくち びると同じ高さにまで盛り上がっており、愛嬌があると言えないこ ともない。 周りを貴族の手下に囲まれた状態で、少しでも不穏な動きを見せ ればあっという間に殺されてしまうだろう。 だがこれから伝える情報にはほぼ嘘はない。よって彼は善意で正 確かつ迅速に情報を伝達したただの優秀な一魔族でしかない。 それが嘘かどうかは調べればすぐにわかる。それまでは自由でな くとも、正しさが証明されれば彼は解放されるだろう。 ﹁その話が嘘であれば容赦せんぞ﹂ ﹁嘘をつく理由がございません﹂ わざわざ言いにくる理由はあるんだけどな。 ﹁ふん⋮⋮所詮人間の軍。取るに足らんな﹂ すると控えていた側付きが進言した。 ﹁今回の目的はギャクラです。わざわざ寄り道することもないでし ょう﹂ ﹁で、どうされますか。人間の軍はこの精強な軍に比べれば随分弱 く、簡単に滅ぼせるでしょう。それとも下手な被害は御免と撤退し ますか?﹂ 聞こえのよい褒め言葉にところどころ挑発を混ぜる。 794 たいして強くもない人間の軍相手に逃げるはずがありませんよね? そんな声が聞こえてきそうなほどに、相手の心をつっつく。 怖いんですか?﹂って言われて、言 逆上したらその時は助けに入ると言ってあるが、おそらくそれは ないだろう。 だって﹁逃げるんですか? ったその相手を殺してしまえば図星であったことを認めることにな る。 そんなことをすれば士気はガタ落ちになってしまうだろう。 俺はその間何をしているかって? そんなの決まってるだろう。 パンドラの鍵の回収だよ。 回収というと聞こえはいいが、ようするに窃盗されたから窃盗し 返すってことだ。 部下くんがその報告で貴族様の目をそちらに引きつけている間、 俺は遠くからパンドラの鍵の場所を確認していた。 どうやら腰にぶら下がっているあれがそうらしい。 転移したときと同じように、空間に亀裂を入れてできた穴を向こ うにつなげる。 前回よりも小さめで、腕がギリギリ通るぐらいの大きさだ。 ﹁できそう?﹂ ﹁もちろん﹂ 俺は腕を伸ばしてそれを掴みとった。 だが俺は別に超人でもなんでもないので当然気づかれる。 あえてそれを隠して逃げようとはせず、高らかに言い放った。 この先に ﹁はっ。こんな大事そうなものを腰にぶら下げていてむざむざと盗 まれるなんざ魔族ってのもたいしたことなさそうだな! 795 いる本隊にいい手土産ができたぜ!﹂ やや嘘くさいぐらいではあるが、これで人間の軍の斥候が魔族の 軍を見つけた証拠にその重要そうな品を盗んでいったかのように見 えるだろう。 本当にしっかりとした斥候ならば、そんな余計なことはせずに帰 こけにしおって! 今すぐだ! 今すぐその軍の場所 る。この不自然ささえ気づかれなければ。そんな風に思っていたが。 ﹁おのれ! を割り出せ!﹂ 貴族は激怒して部下に指示した。 あまりの騙されやすさに、今までどうしてこいつが貴族としてや ってこれたのか聞きたい。 成功するとは思っていたが、ここまでうまくいくと笑いが止まら ない。 奴らの目には俺がさぞかし邪悪に映っていることだろう。 仮想敵となり、その対象をなすりつける。 使い古されたような王道策だ⋮⋮悪役側の。 どうやら力を手に入れ、強くなっても俺の本質というものは変わ らないようで。 弱いことを言い訳にしていたが、俺はどっちにしろこういう作戦 の方が思いつきやすいということがまことに遺憾ながら証明されて しまった。 796 ◇ 俺たちがまさか魔族の軍をけしかけるだけで終わるはずがない。 もちろん人間の軍にも事前にアプローチを仕掛ける。 これで定期的に魔族の方に情報を流せば、一時的ではあるがあの 部下くんの株が上がって風当たりも弱まるだろう。 ﹁へえ⋮⋮ここ?﹂ ﹁ああ﹂ 俺たちが来たのはとある川に掛けられた橋である。 この川は横幅が広く、流れはあまり速く見えなくともある程度の 深さもある。深いところで十メートルといったところか。 軍で渡ろうと思うと橋が必須である。 ここはちょうど魔族の軍がギャクラに最短距離で向かおうと思う と通らざるをえない道なのだ。 人間の軍からしても、重要な道であることには変わりない。 まあここを通れば魔族軍と激突は免れないがな。 どちらにせよ免れさせなどはしない。 ﹁ここを壊せばいいのだな?﹂ 作戦は予め話してあるとはいえ、やはり不安が残るのだろう。 人間の作った橋など何も考えずぶっ壊せばいいんだよ。 お前は魔王だろう? ﹁ああ﹂ ﹁アイラ、いっきまーす﹂ ﹁私だって!﹂ ここは仲間に任せることにしよう。 797 後から修理がきくように、俺が空間術で後始末はするが。 そうだ。修理費用を後からギャクラに請求しよう。 対魔族の懸案だし、俺が事情を説明すれば補助金が出るかもしれ ない。 俺がそんな打算的なことを考えていたことを知ってか知らずか、 なんの遠慮もなくカグヤ、アイラ、グラン、メイド長の四人がぶっ 放し始めた。 ﹁地割れ!﹂ カグヤは威力を高めてぶつけるというよりは、地属性の魔法で繊 細な操作をおこなっているかのようだ。 なるほど。この橋は石橋だ。石であるがゆえにアーチ型には限ら れているのだが、耐食性が高く、材料の入手も比較的簡単な古来か らの橋の代表格だ。 圧縮による強度が増す中央ではなく、少し中心からずらしたとこ ろの結合をいじっている。 どっちでもいいと思うがな。 ﹁激流柱﹂ メイド長は面白い。川の水を使った水魔法により、下から亀裂を 入れていった。 水柱が上がる度に、ミシッという音が聞こえて橋がしなる。 どんな出力でしてるんだよ。 ﹁波紋﹂ グランが一番頭脳派だった。 まさかの波魔法である。 798 魔剣を橋に突き刺すと、ビリビリと振動がこちらにまで伝わって くる。 共振を感覚だけで使いこなしているのか。 アイラはいつも通り。 爆薬だのを持ち出しては中央に向かって打ち出している。 ここは戦場か?というほどの轟音が橋の上に響き渡る。 どいつも思いっきり自分の最大術をぶち込めて楽しそうだ。 いや、カグヤとグランは少々ややこしい方法を使っているので、 いい訓練にはなれどストレス発散にはなりにくそうだ。 結果、幅三百メートルはあろうかという巨大な橋は無残にも綺麗 さっぱり崩れ落ちてしまったのだった。 799 戦争への作戦 ①︵後書き︶ ぽつぽつお休みするかもしれません 部活の団体戦と中間テストが二日刻みでの一週間前というたんでも ない予定になっていて忙しくなるかもしれませんから。 800 戦争への作戦 ② 橋を壊したのにも理由がある。 魔族軍、人間軍の両方の行軍ルートを制限するためだ。 この橋を崩せば、重要な経路の一つであるこの道が使えなくなる。 自然と通る道が限られてくるということだ。 人間軍は退却路を一つ失い、ギャクラへと攻め込む作戦を練り直 さねばならなくなる。 ま、普通に考えれば魔族の軍と衝突しかねないのにギャクラに突 撃するなんてバカのやることだけどな。 それにあいつらは魔族を敵視している。 どうしてそこでギャクラに反旗を翻したのかはわからないところ もあるが、わかりたくもない。 ギャクラは人間絶対主義ではないからなあ。 折り合いが悪いことだけはわかる。 そんなキャラだったっけ? でも布教は許されてるんだからのんびりと布教してれば良かった のに。 ﹁本当に良いのか?﹂ グランが確認してくる。あれ? 必要とあれば仲間でも討つような冷徹なイメージがあったんだけど な。 俺が今からしようとしていることは見ようによっては人間という 種族に害をなそうとしているかのように見える。害をなすか、では なく、俺が害をなしたように見える、ということが問題なのだ。 その後の俺の評判だとか、そんなことを気にしているのかもしれ ない。でも今更なんだよなあ。だって俺は魔族と友好を結び、貿易 801 までしようとしている男なんだから。 ◇ 人間の軍が管理している食料庫を発見した。 レンガでできているとか、大きさはどのぐらいだとかはこの際あ まり関係がない。どこに、どれだけ人が配備されているのか。知り たいのはそれだけだ。 空間把握を研ぎ澄ませば隅々まで見渡せるとはいえ油断してはな らない。分裂する奴とかいたら嫌だもんな。そう言うとグランから、 お叱りの言葉をいただいた。 ﹁貴様は魔族をなんだと思ってる﹂ 呆れているのがわかる。 ﹁うん。大丈夫。分裂しても嫌いになる理由にはならないから﹂ ﹁いい、早くしろ﹂ グランは諦めたようにため息をついて、俺に作戦の続きを促した。 グランに冗談は通じたのか。通じたからこそ、こんなときによく ふざけていられるなとツッコまれたのか。 俺が珍しく働くことにしたんだ。きっちりこなさなきゃあな。 空間把握を発動した。 モノクロ ブウンと羽音のような音が耳というか脳内に響く。視界が一瞬で 無彩色に変わり、広がる。あの空間で何度も見た、真後ろまで見え るというか感知できるようになった奇妙な風景。色はわからないも 802 のの、質感も大きさも、下手すれば重さまでわかりそうなほどに情 報の洪水が押し寄せる。それをぎゅっと制御して絞った。 食料庫の入り口に二人、中に五人。随分お粗末な警備だな。襲わ れないと舐めているのか。これなら気づかれずに全部奪えそうだ。 だがそうはしない。魔族からパンドラの鍵を奪い返したときと同 じように、今度は魔族がしたと思わせる。 そのために⋮⋮グランに出てもらおうかと思ったのだが、こそ泥 とかには向いていなさすぎる。︵主に顔が︶ やっぱりここでも報告に来てくれた部下の方に矢面に立ってもら うこととしよう。 すぐに戻ってきてもらえるから据え置きとならないだけマシだ。 今回はアイラが手を出さないことになっている。 アイラに俺とロウ、カグヤは顔を隠して、そして伝令くんに顔出 ししてもらおう。 真正面から突撃した。何の策もない。ゴリゴリの力押しである。 いつもなら安全をとりまくる俺なので、いろいろと策を講じてい てもおかしくはない。 だがカグヤに言わせれば。 ﹁あんな雑魚ども私一人でも制圧できるわ﹂ とのこと。正直過剰戦力なのだとか。 俺もこの体になってから戦闘を行っていないので、試してみたい なーなんて思いもあったりする。 そんなわけで顔出しだけの伝令くんがまるで首謀者か何かのよう 止まれ!﹂ な陣形で真正面からの突撃である。 ﹁貴様らなんだ! 803 とか言われても無視無視。誰が高らかに自分の正義や名前を語り ながら突撃するんだよ。時間の無駄でしかないだろう。 お前らも﹁止まれ!﹂とか言ってる暇があったら問答無用で取り 押さえにかかれよ。 こんなときに顔を隠して食料庫に来る奴が味方なわけがないだろ う。 ﹁ぐはっ﹂ カグヤが見張りの一人の腹を剣の柄で殴り飛ばした。長い黒髪が たなびく。カグヤは戦う姿さえ美しいと思う。 吹っ飛ばされて背中をしたたかにうちつけた見張りに追いつき、 今度は思いっきり踏みつける。カエルのような呻き声をあげて門番 の一人は気絶した。 ﹁貴様っ!﹂ ショートワープ そんなことは言うわけがない。むしろ立派だと ようやく敵だと認識できた哀れなもう一人が後ろからカグヤに迫 る。 後ろから卑怯? 褒めてやりたいぐらいだ。 やっぱりそうでなきゃな。 その程度のことは完全に想定内で、想定外であっても短距離転移 ならタイムラグがないので余裕だと俺は二人の間に割り込んだ。 動体視力もよくなってるんだと感心しつつ空喰らいで彼の振りか ぶった剣を止めて弾きとばす。 なんだか軽いな。剣ってこんなにかるかったっけ。 そのまま二、三打ち合えばあっさりと勝負が決まった。 後からカグヤにこんなことを言われた。 804 ﹁さっきはありがと。レイル、なんだか動きが変わったわね。なん ていうか⋮⋮ズレていたものが合わさったというか、足りないもの が埋まった?っていうか﹂ ヘルメス そう言えば俺が体を鍛えても人並みにしかならなかったことにつ いて神がそんなことを言っていたような。 そうか、これが肉体と魂の同調というやつか。 祝福?というには結構苦しかったが、あれもなかなかよかったと いうことだろう。あの苦しみもむくわれるってもんだ。 あのときヘルメスに言われたことがある。 君の得た力はどこからか降って湧いたものじゃない。今まで努力 してきて出なかった成果が今出たに過ぎない。何も負い目を感じず 使っていいんだよ。 そんな言葉だった気がする。 食料庫の中に入った瞬間、ロウが駆け出した。まるで残りは俺の 獲物だとでも言うかのように。 こんなときにはロウが強い。結構な速さなのに全く足音がしない。 いくつかの暗器も仕込んでいるはずの服からも金属音どころか衣擦 れの音さえしない。 ﹁後ろがガラ空きだぜ?﹂ 俺たちがロウに追いついたときは既にロウが背後から見張りの一 人を捕らえていたところだった。 ﹁ククッ。隊長やりましたよ。やっぱり人間ってのは鈍くてノロマ な生き物だよなあ﹂ 805 ロウが演技で伝令くんに報告した。 そして興味ないとばかりに痛みで動けなくさせられた見張りを床 に転がした。 ロウ、一つ言っておくことがある。 そのセリフは完全に咬ませフラグだ。 食料のある場所はさほど探さなくとも見つかった。この建物の空 間の大半が食料庫として使われているのだから当然だ。 ここでようやくアイラの出番である。ぎっしりと並べられた食料 を次から次へとアイラの腕輪にしまいこむ。小麦に大豆、干し肉に 酒。保存のきく栄養価の高いものばかりだ。海藻やキノコなど、生 き残るのには不便なカロリーの低いものはあまり置いていない。 そりゃあそうか。 半分ぐらいしまい終わった後で、残りの半分を適度に散らかす。 袋に穴があいたりして食べられなくなったりしないようにあくまで 軽くだ。 食料を粗末にするなという道徳心が働いたのもあるが、最大の理 由は食料の枯渇によって軍が退却することを恐れてのことである。 全て奪われれば退却せざるを得なくなるが、半分ならば怒りが先 にくるかもしれない。 ヒジリアから援助を受けている可能性を考慮すれば杞憂なのかも しれないが。 本来ならば食料庫の中の食料を短時間で目立たずに運び出すこと は不可能だ。 ほんの少し食料がほしいだけならここを襲うのはリスクが高いし 効率も悪い。 だがアイラの無限収納が可能となる腕輪があれば、その盲点をつ 806 くことができるのだ。 運び出さずとも、腕輪にしまえば目立たずに隠せる。隠したまま 外に出てもバレにくい。 こうして魔族軍、人間軍、両方の反乱軍よりお互いに向けて架空 の宣戦布告がなされた。 戦いの火蓋が切られる日は近い。 807 戦争への作戦 ②︵後書き︶ どうやら主人公が一人で無双するのはもうしばらく先になりそうで すね。 どうにもレイルが安全策を取りすぎて、事件の起きすぎもあって訓 練に手が回らないです。 もう少ししたら日常に突入したいというのに 808 戦争開始︵前書き︶ 随分とおやすみしてしまいました。 団体戦、中間テストが終わり、最後に待ち受けていたのはスマホの データが! 機種変という試練でした。 パスワードがー! などと喚きながら無事復元できてこうして執筆できたことを祝って 再開でございます。 お待たせしました。 809 戦争開始 あれから俺たちは空間転移を駆使して、人間軍から魔族軍、魔族 軍から人間軍へとおとぎ話の蝙蝠のように行き来した。 人間軍へは俺たちが斥候として、魔族軍には例の魔王の部下くん を忍び込ませた。 食料庫襲撃の際には顔を隠してあるのでバレる心配はない。 戦う必要なんてなかったんだ 虚実織り交ぜ、不安を煽り、怒りを買わせる。 本来は﹁俺たちは騙されている! !﹂と言うべきである両軍はお互いへの警戒を徐々に高めていった。 伏兵奸計、騙し討ち、情報戦。 生前の世界では当たり前のこの手法も、この世界ではあまり使わ れないのだとか。 別に上に立つ奴らの頭がお花畑で、騎士道精神とかいうかわいそ うな病気に侵されているわけではない。 そういった一般的には卑怯とされるような手法で敵に挑むと、そ れがバレたときに軍の士気が下がるからなのだとか。 バカだな。そういうのはバレないようにするものだ。 それに俺たちは今回士気など必要とはしていない。 まあその点で言うならば、俺が今からしようとするこの作戦はど こまでも正々堂々の対極に位置することだろう。 自分の利益のためだけに、正義を信じて戦う罪のない兵士たちを 何千と死においやろうというのだから。 罪のない、というのは語弊があるか。 戦うということはそれ自体が罪なのだ。 もっともそれを裁く権利はまかり間違っても俺にはない。 810 そんなわけであちらこちらの道を潰してルートを限定させたわけ だが、目論見通りの動きで両軍が衝突しようとするその場所のはる か上方で俺たちは待機しているのだ。 上方と聞いて魔法だので空中に浮遊している様子を思い浮かべて はならない。俺たちは純粋に上に回り込んだのだ。 俺が軍を誘い込んだ場所は切り立った崖に挟まれた谷だ。 まさに断崖絶壁といえる崖は三十メートルほどあり、それこそ超 大型巨人でもない限りはほいほいと乗り越えられるものではない。 眼下で両軍が睨みあっている。 全てが俺たちの掌上とも知らずに。 人間軍はガチャガチャと金属音をたてている。剣を持った部隊と 槍を持った部隊が多い。そこには静けさとは無縁の迫力があった。 一方魔族軍は顔を隠すということをせず、各々に違う武器を持っ てはいるが、統率は取れているようだ。 人がゴミのようだ!﹂ 俺は高笑いして言ってやった。 ﹁見ろ! アイラはまたなんか変なこと言ってるよこの人、みたいな顔で尋 ねた。 ﹁なにそれ?﹂ ﹁まあ一つの冗談みたいなもんだよ﹂ この高さからだと多少騒いだところで見つかるはずもなく、見つ 811 かったところで魔法攻撃をここまで撃つような馬鹿はいるまい。 ﹁お前の考えは聞いたが⋮⋮どうなるものかな﹂ ﹁どっちでもいいんだよ﹂ そう、どっちでもいいのだ。 魔族軍が勝とうが負けようが。 人間軍が勝とうが負けようが。 どちらに転んでも俺たちが得するようになっている。 そのための根回しは終わっているのだ。 ﹁来たわよ﹂ 遠くを確認していたカグヤが報告してきた。 ここしばらくの特訓で使えるようになった波魔法、その一つであ る光魔法を使用してみた。 遠くからくる光を屈折させ、集中させつつ、自分の目の位置へと 誘導する。光は外側へと分散するように屈折し、近くに虚像を結ぶ ように目に入った。 まるで目の前に巨大なレンズがあるかのように見える。 眼球内いっぱいに広がる光景は望遠鏡とテレビを合わせた水晶玉 のようだ。 ﹁ああ﹂ こちらは二桁、向こうは四桁。 王道としては圧倒的実力者による蹂躙であったり、戦力を分散さ せて各個撃破が定番なのだろうな。 人数だけでも百倍以上の差があるというのに、そいつら両方を相 手になどしていられない。戦って止めるなどもっての他である。 812 両軍が動きだした。 お互いの何かを呑み込もうとせんかのように、大きなうねりをあ げて声を張り上げる。 どちらも仮初めの正義を信じて武器をとり戦おうとしているのだ。 どちらにも戦う理由などないというのに。 そしてそんな戦いに水をさそうか。 前線と前線がぶつかる瞬間、魔族軍の右翼、人間軍の左翼の頭上 に俺たちはいた。 このままほうっておけば、弱い方が負けるだけだ。 それではダメなのだ。どちらも甚大な被害を負い、敗走すること さえどうかというところまで追い詰めた方がこの作戦は効果がある。 どちらも敵なのだから。 まあいいや、とにかく離脱させてこっちと ﹁レイル、忍び込ませた部下の奴はどうする?﹂ ﹁補給部隊だったか? 合流させられないか﹂ ﹁私が迎えにいってまいりましょうか?﹂ グラン どんなときも敬語を外すことのない口調はメイド長さんだ。どう やら魔王よりも強いらしいし、機動力もあるから問題ないだろう。 カグヤに行ってもらおうかと思っていたが手間が省けた。 上から見るぶんにはなんの面白みもない激突だった。 おそらく個人個人の範囲では熱い激闘が繰り広げられているのだ ろうし、その過去まで遡れば語るも涙のドラマがあるのだろう。 だが先ほど言ったことはあながち間違いでもなく、大量の人と人 がぶつかるだけの戦争なのだ。 両側を切り立った崖に挟まれているからこそ、軍レベルでの動き 813 もしにくく、そして策も弄しにくい。 だからこそ俺が選んだのだが、こうも単調な様子は流れがわかり にくい。 戦いが佳境に差し掛かったところで俺はとある準備をした。 お気に入りの最終兵器、油の準備だ。 そろそろ油の勇者とか呼ばれないかな。 空間術における瞬間移動となる術には三種類ある。 一つが空間と空間に穴をあけて捻じ曲げて、遠く離れた場所同士 をつなげる方法だ。 二つ目がその存在の座標位置に干渉して書き換えることでその場 所に出現させる方法だ。 そして最後がテレポート、アポートと呼ばれる方法だ。これは物 体を転送したり、取り寄せたりできるのだが、どちらも同じ方法で ある。指定された空間同士を中のものごと入れ替える方法なのだ。 どれも一長一短あるのだが、それらを必要に応じて使い分けてい るのだ。 そして今回は最後の方法を使う。 油を薄くひいて、その膜と今いる崖の岩石を入れ替えるのだ。入 れ替える場所は崖の端を斜めに切り取るように薄く指定する。油の 膜と同等の岩石がすり替わる。 するとまるで油で岩石が斬られたかのような現象が起こる。油の 膜程度の岩石が変化したところで見た目にはほとんど違いはないだ ろう。だが隙間に入り込んだ油によって岩石は大規模に切り落とさ れ、そして軍の頭上に降り注いだ。 ﹁上だっ!!﹂ ﹁なんだあれは!﹂ 814 下にいる兵士が口々に騒ぎ出した。 おおかた地属性の魔法とでも思っているのだろう。 直接頭上に転移させなかったのはそういった攻撃の正体を見破ら れにくくするトリックでもある。 降り注いだ岩石に多くの兵士が潰された。 土煙が上がり、爆発音で何もわからなくなった彼らはその統率を 乱した。 俺は空間魔法と波魔法の万能さを実感しながら次の準備に移った。 グラン 耳を魔力で澄ます。音もまた波だ。遠くの軍の上層部の会話を耳 で拾う。 人間軍の方は俺が聞くが、魔族軍の聞き取りは魔王に任せた。 波長や振幅を弄り、強さや高さ、速さを変えて聞き取りやすくす る。 ﹃なんだあれは!﹄ ﹃おそらく地属性の魔法かと⋮⋮﹄ ﹃味方ごと落石に巻き込むとは⋮⋮なんと卑劣な奴らだ。やはり魔 族はここで根絶やしにせねば﹄ 思わず笑みがこぼれる。いい感じに勘違いしてくれているようだ。 義憤に駆られて退き際を見誤ってくれれば儲け物だ。 ﹁魔族はこれを機に一気に攻め込むようだぞ﹂ そっちの報告でも魔族側もまた勘違いしていることがわかる。 誰もこの戦いを裏で操る奴らがいるなどとは思ってもいないらし い。 815 大きな被害を受けて乱れた軍、その隙をつこうと続々と人間側の 援軍が寄せられる。 そこへ登場したのが隠し玉の上級魔族だった。 空中に風魔法にのって浮かび、片手を上に掲げていた。 そして魔力が集まったと思うと、そいつは動いている真っ只中の 貴族軍に大規模魔法をぶち込んだ。 816 戦争開始︵後書き︶ ああ、本当は知恵と知略を武器に勝てない相手に挑むかっこいい勇 者を目指していたはずなんですが⋮⋮ どうしてでしょうねえ。どう見たって悪役のそれですよね。 ピカレスクファンタジーって変えた方がいいんでしょうか? 817 戦争終焉 使った魔法は炎属性の火炎魔法だった。 手に集まった魔力は空気を千度近くまで加熱し、そして魔力を燃 やした。 貴様らの脆弱な魔力はこれに対抗するので精一杯なの 周囲の酸素を巻き込んでごうごうと燃え盛っている。 ﹁くらえ! だろう!﹂ 荒れ狂う炎の柱は次から次へと人間の兵士を焼きつくそうとする。 事前の打ち合わせにより、後方支援についていた魔法使いが数人、 壁をはれ!﹂ 防御のために水魔法を発動しながら駆けつける。 ﹁水だ! しかし駆けつけたときには大半の兵士が戦えなくなっていた。 手足や露出した部分に酷い火傷を負い、呻き声をあげる。 慌てて水の壁を張るが、それもジュウと音を立てて端から蒸発し ていく。 上級魔族は肩を押さえて離脱していく兵士を追い討つこともない。 わざわざ弱った相手に魔法を使うのは無駄だからだ。 戦争とは合理的に効率良くするものだ。 俺の個人的な感想としては、人間の軍が負けてしまってほしい。 818 今大規模魔法を打ち込みに前線に出てきたのは魔族の中でも高い 位にある貴族だ。 好機と見れば自ら戦いの最前線に突っ込んでいく。それは支配者 としては不完全で残念なものなのだろう。 俺ならば絶対に出てこない。安全な場所から魔法を撃ち込んで高 笑いしているに決まっている。 だからこそ、好感が持てたのだ。 馬鹿でも、ふんぞりかえって命令して危機になったら逃げ出す貴 族よりもずっといい。 他の国に唆されて自国を攻撃する奴らより、自国の為に他国を攻 いったん退いて立て直せ!﹂ める奴らの方がずっといい。 ﹁退却! 俺のそんなささやかでひとりよがりな願いはどうやら叶いそうだ。 魔法で崩れたのを好機と魔族がいっきに攻め込んだ。 いい感じに負け始めてきている。 どちらも被害は相当なものではある。 だが上級魔族が出てからはいっきに魔族が優勢になった。 そろそろかな。 手紙で連絡してあるからもうそろそろギャクラの国王、俺らもよ く知るあのおっさんがやってくるはずだ。 レオンとレオナはお留守番かな。 久しぶりに会いたかったが、久闊を叙するのはまた今度というこ とになろう。 ﹁はーあ﹂ 819 隣でカグヤが口を尖らせる。 ﹁なんだよ。何が不満なんだ?﹂ 何がと言われればこの戦法は派手さに欠けるし、卑怯と言われて もおかしくはない。不満も出るだろうよ。だけど今更何を言おうと いうのだ。 ﹁頭脳派とまではいかなくても私だっていろいろ考えて戦うことは できるわけよ﹂ 不本意とばかりにカグヤは答えた。 そうだな。見た目こそ中高生ぐらいの女の子だけど中身は俺とあ まり変わらないんだもんな。 二十も生きてりゃ何も考えずに戦うわけにもいくまい。 カグヤは頭の回転は速いし、馬鹿ってわけじゃあない。むしろ賢 い方だと思う。 ﹁だからどんな戦法を使って多勢に無勢で打ち破るのかと考えると 思ったわけよ。それこそ各個撃破とかね﹂ ﹁うん。それは考えるよな﹂ ﹁レイルはもっと別の次元で戦ってるんだと思うと、ね。私も多少 は戦えるし、あんなのだったら十や二十ぐらい相手に頑張ろうなん て思ってたのが馬鹿らしいというかなんというか﹂ 釈然としない、というのが正確だろうか。 俺があんまりにも戦わない方法をとるからカグヤの出番がないと。 まともな戦法なんて使ってられねえんだよ。 まあカグヤは強いし、これからもっと強くなるから安心しろよ。 820 俺はアイラの方を見た。 なんの感情もなく、ランダムに、適当に狙撃していた。 構えているこの場所が高いため気づかれる心配もなく、有利にこ とを進めていた。 俺が指示したこととは言え、あんな風に殺されたんじゃあたまっ たもんじゃないよな。 でも嬉々として撃っていなくてよかった。 もしも嬉々として撃っていたら俺に毒されすぎたってことで修正 をかけなければならないからな。 その時はお互いにとって荒療治となることだろう。 アイラも俺が見ていることに気づき、﹁どうする?﹂と目だけで 聞いてきた。 黙って頷くと、その照準を今までよりも遥か遠く││││人間軍 の最後尾で慌ただしく指示を出している貴族に合わせた。 ﹁私がしてもしなくても関係ないと思うけどね﹂ ﹁ああ、できればこの前みたいに膝にしといてくれないか?﹂ 確証こそもてないものの、貴族が教会を通じてヒジリアと内通し ている可能性が高い。 後から聞きたいことがあるから逃げられないようにだけしておき たい。 ﹁いいよー﹂ ﹁なあロウ、多分負傷した貴族が逃げると思うから待ち伏せて捕ま 821 えといてくんね?﹂ ﹁おう、任せとけ﹂ ロウがじゃらじゃらと手錠や縄だとかを持ち出して向かった。 なんでそんな物騒なものが常備されているのかは聞かない。だっ てロウだし。 ﹁レイル様、戻りました﹂ 気がつけばメイド長と部下くんたちが戻ってきていた。 無事離脱できたようでなにより。 これでロウが戻ってくれば全員揃うかな。 ﹁おい﹂ 後ろには大きな馬車が見える。 突然話しかけてきたのはグランだった。その隣には見覚えのある 人がいた。 ﹁この男が大勢の部下を連れてここまできた。レイル、お前の国の 国王とやらか?﹂ そう、王様だった。俺はグランに予め話してあったから王様であ ることについては予想がついたようだ。まさか連れてきてくれると は思わなかったけど。 ﹁そうだ。連れてきてくれたのか。王様もお久しぶりです﹂ ギャクラの国王、そしてその部下がぞろぞろとやってきていた。 どうやら近くまできていたのをグランが空間転移でここまで連れ てきてくれたらしい。 822 王様ももう少し警戒してほしい。 もしもグランが悪の大魔王とかだったら⋮⋮いや、魔王か。 ﹁レイルにアイラは久しぶりとなるな﹂ しがない一魔族の扮装をしてオーラを消しているグランとは違い、 王族としての正装と風格を身につけて登場した。 王様が現れたぐらいで驚くようなメンバーはここにはおらず、あ っさりとした対応に一抹の寂しさを覚える。 王様はあの頃と変わらぬ気軽さで呼びかけてくれた。 しばらく会わなかった人が同じ態度でいてくれるというのは嬉し いものだ。 王様は先ほどからチラチラとグランの方を見ている。 ﹁ところで⋮⋮名前を聞いてもよいか?﹂ 王様は隣のグランに名前を尋ねた。 確かに不審な男だ。王族かもしれないとわかっていながら平然と 対等な目線で質問してくる男なのだから。緊急事態でなければそろ そろ処刑されそうなほどの無礼というものだ。 ﹁グランだ。人間の王の一人よ。俺もまた王を名乗っている。今代 の魔王の片割れだ﹂ グランは気負うことなく答えた。そこに上下関係を主張するよう な様子はなく、ただ質問に答えただけのようである。 ﹁なんだと?!﹂ 王様は黙りこんでしまった。次の言葉を考えているのだ。 823 そうそう、そういう反応が見たかったんだよ。あえて王様には魔 今は目の前のこ 王がここにいることについて話していないのもささやかな意地悪み たいなものだ。 ﹁ふむ⋮⋮その話についてはまた今度でよいか? とに集中しよう﹂ ﹁そうだな﹂ そうこうしているうちに戦争の決着がついた。 アイラの狙撃で負傷し、逃げ出したところをロウに捕らえられた 貴族。指導者を失い右往左往する兵士たちはもはやなんの役にも立 我らの勝利だ!﹂ たない。軍の六割が敗走し、ほとんどの兵士が戦意を失っている。 ﹁ははははー! 当初の目的さえ忘れて一時の勝利に浮かれる魔族たち。今日は宴 会だのとほざく輩もいる。 どうして口調が悪くなっているのかといえば、ただ単に不愉快な だけだ。 同族嫌悪なのかもしれない。 浮かれていられるのも今のうちだ。役者は揃った。お前らをまと めて片付けるのはこれからだ。 俺たちは崖の上から下へと向かった。 824 戦争終焉︵後書き︶ 次回、レイルの目的が明らかに⋮⋮って予想つきそうなものでもあ りますが。 825 折れたものを投げ捨てる グラン 空間術で空間を捻じ曲げ、崖の上と下を繋げた。 俺、アイラ、カグヤに魔王、メイド長、部下二人、王様、その部 下十名⋮⋮作戦に関わった殆どが下へと降りた。 勝鬨をあげ、戦争の勝利に浮かれている魔族たちは俺たちを見つ けるとやや警戒しながら威嚇した。 周りを何百という魔族が囲んだ。 以前の俺ならばどうやって逃げるか考えていたところだろう。 我々は今忙しい!﹂ 今なら考えるまでもなくいつでも逃げられる。 ﹁なんだ貴様らは! おそらくこの中で最も高い位にある貴族がこちらに近寄ってきた。 ここは俺が出るまでもなく、王の二人に任せておこう。 ﹁そうつれないことを言うものでないな。お礼を言いにきたという のに﹂ ⋮⋮それにお礼とはどういうことだ? そう言ってグランが顔を見せるとギョッとして貴族はのけぞった。 ﹁ど、どうしてここに?! 侵略には反対ではなかったのですか?﹂ グラン様、と皮肉かそれとも命令に背けど王とは認めているのか そう呼んだ。 ﹁こちらからもお礼を言わせてもらいたい。ギャクラ国の王をして 826 いる者だ﹂ 王様とグランがずいっと前に出ると、兵士たちの熱気は一段階温 度を下げたようだ。 困惑、不審、警戒。それぞれの兵士は自らの顔にそれぞれの思い の色をはりつけている。 気づけばロウも人間の貴族たちを捕まえてこちらの側に来ていた。 ﹁どういうことだ﹂ 兵士の一人が焦りだした。 今頃気づいても無駄なんだよ。 もう両軍は戦争の直後で疲弊している。 俺たちみたいな少人数でも上級魔族さえ先にやってしまえば楽々 と殲滅できる。 もうこの軍は抵抗できない。 ﹁お前たちが倒してくれた軍は確かにギャクラの貴族の軍だ。だが あいつらが攻撃しようとしたのはお前らではなくギャクラだ﹂ ﹁我が国を救っていただき感謝する。これを機に我が国は魔族の国 ノーマと友好条約を結ぼうかと思ってな﹂ そう、これこそが今回の目的である。 魔族が人間を攻撃した、ではなく、 魔族の国の軍が人間の反乱軍の討伐に手を貸した、という形にし てしまうのだ。 本来魔族との友好条約などは忌避されるものだ。 不可侵条約ならまだしも、お互いを認めるような形での対等な条 827 約となれば、国民の不満は出やすい。 しかしグランは人間との友好を見据えて国を治めてきたし、反乱 軍の討伐という目に見える形で友好の成果を残した後では人間側も 文句は言い出しづらい。 グランは今回命令に逆らったことを人間への援軍だったというこ とにして見逃して褒賞を与えてしまうのだ。 すると功績をあげられないことに不満を抱いて命令違反した貴族 たちの目的の半分は解消されてしまう。 最悪の形で、だが。 もう一つの目的である人間への宣戦布告は宣戦布告どころか手助 けとなってしまった。 よりによって自らの行動が魔族と人間の友好関係を結ぶきっかけ となってしまったのだ。 ﹁貴様らなら人間と魔族の架け橋になれると信じているぞ﹂ グランにこの方法で構わないか?と聞いたのは、自ら粛清しよう とした相手を赦して出世させなければならないからだ。 だが安心した。こうして相手の心をえぐるような皮肉を言えるま でに余裕があるのだから。 ﹁おのれ⋮⋮っ!﹂ ﹁全て⋮⋮仕組まれていたというのか﹂ 相手が魔王でなければ今にも飛びかかってきそうだ。 貴族たちは悔しそうに歯ぎしりをしている。 俺はグランの後ろでニヤリと笑った。 俺の顔に見覚えのある貴族どもがますます怒り狂っていた。 828 ﹁くそっ! くそっ!﹂ 悔しさのあまり膝をついて地面を殴っている。 血が滲むほどに唇を噛んでいる者もいた。 そう、これだよ。 戦いの勝利を無価値とし、自らの行動を仇となす。 最後の最後で手のひらの上で踊らされていたことを知らされるの だ。 二重にも三重にも心をへし折るようなこの方法で、なおかつ人間 との友好の証へと仕立て上げてしまう。 これでおそらく真面目なこいつらは自身の役目をまっとうするし かなくなったのだ。 ある意味相手の土俵に上がりもせずに戦う。 この方法を聞いた時、グランは俺にボソリと﹁こいつは悪魔か﹂ と呟いた。 悪魔ならちゃんといますよ。胸の魔法陣の中に。 性格がちょっぴり悪いことは認めるけどね。 ﹁お前らにはまだまだ仕事が残っている。処罰などしている暇はな いんだよ。お前らには人間との友好大使という仕事を与えるからな﹂ そして魔族は公式に発表したことを違えることはない。 そんなことをすれば周囲の同族の信頼を失うからだ。 もしも貴族たちが嘘をついて友好条約を破って侵略などすれば、 現在グランの人気も高まっており、反戦論を唱える魔族たちにいっ きに叩かれる。 そして魔族には一つの習性がある。 829 それは常に国を一つにしておこうという習性だ。 初代勇者が召喚されるよりもまだその昔、魔王が現れ国が統一さ グローサグラン れたその時よりずっと、魔族国家ノーマは魔族の唯一国であった。 だからこそ現在魔王が双子で姉と弟に分かれていることが異例で あり奇跡であるのだ。 誰よりも仲が良く、お互いの考えを邪魔し合わない二人だからこ そそれが認められているのだ。 もしも貴族がここまでされても人間を侵略した場合、国が二分し てしまう。 国が分裂することを避けるために貴族たちは反乱してノーマを襲 うのではなく、人間の国を襲ったのだ。 あくまで魔王の下で命令違反をしてまで武功をあげる。 そうすることで武力を無視できない、貴族を蔑ろにできな状況を 作りたかったのだ。 どこまで意識的にしているかは知らないが、自暴自棄にでもなら ない限りは大丈夫だろう。 これのどこが俺の得になるかって? そりゃあもちろん、シンヤに任せたあの自治区の発展にだよ。 もしも友好条約の関係で貿易などが始まれば、俺たちの自治区が 当然中継場となるだろう。 すると自然に交通網も整備され、経済も潤う。 人の出入りが激しくなれば中には派遣会社の人材も多くの人の目 830 に付く。 もう後は国家の介入がなくとも、労働力の質が向上し、量が増加 していくだろう。それによってユナイティアの経済が適正に保たれ るならば、それはユナイティアにとっての、ひいては俺の利益にも なるはずだ。 ◇ 宣言通りグランは記録のほとんどを改竄し、命令違反をなかった ことにしてしまった。 貴族たちは処罰を受ける覚悟をポイ捨てされ、褒賞までもらい、 不本意な名誉に身を飾られることとなった。 数で劣勢な戦争であっさりと勝利してしまったことからもわかる ように、真面目に働けば有能な奴らなのだ。 歴史上初の人間と魔族の友好条約はこうしてあっさりと淡白に結 ばれた。 そういう意味ではギャクラが選ばれてよかったのかもしれない。 ギャクラはヒジリアやリューカなど他の国に比べれば魔族差別の 意識は少しだけ低い。 反対も徐々にその勢いを弱めていった。 俺たちはというとその間、戦争の事後処理に追われていた。 事後処理、とはいうがほとんどは俺が戦争の妨害工作と経路封鎖 のためにめちゃくちゃにした交通路の修繕である。 落とした橋に崖の岩石の掃除。盗みかえしたパンドラの鍵の返還 に壊滅させた食料庫。 魔法を駆使し、元通り終わらせて戻ってきてみればさっきの経過 を聞いたのだ。 831 ﹁はあ、やっと終わったな﹂ 以前よりも立派になったシンヤの屋敷の一室で紅茶を飲みながら 一息ついた。 ﹁好き勝手にやるのはいいけど後片付けが大変なのは変わらないな﹂ ﹁なに遠い目をしてるのよ﹂ ﹁そうだよ。まだ仕事残ってるんだから﹂ カグヤとアイラに言われたのは他でもない。 今もシンヤに頼んで牢屋に監禁してもらっている厄介な奴らのこ とだ。 ﹁俺が頑張ったんだ。まさか何もしないわけじゃないだろ?﹂ ﹁そうだな。また後で牢屋に行かなきゃな﹂ そう、ギャクラに反旗を翻した貴族たちの本当の目的││ヒジリ アかどこかと繋がっているかどうかの証言をとるという仕事が残っ ていたのだ。 いや、仕事ではない。デザートだよ。ストレス発散に甘いものを やけ食いするみたいなもんだ。ちょっと毒になるものも適量使えば 薬になるようにね。 ふふっ。楽しみだなあ。 832 折れたものを投げ捨てる︵後書き︶ 生前中二病をこじらせて調べた拷問方法を順に試しましょう 833 どんな拷問?︵前書き︶ 拷問回と思いきや。 名前だけは出しますが 834 どんな拷問? 牢屋に繋がれているだけの貴族は四人。 素性については王様から聞いて名前とそれぞれの関係は知ってい る。 まずは真ん中で今も俺たちを睨んでいる恰幅のいい男。こいつは ニダ・オーエンと言い、教会関係者とのパイプがある主犯と予想さ れていた人物だ。四十を過ぎたほどで、ヒゲを整えたその姿は威厳 があると言えないこともない。 その左にいるのが彼の甥に当たる人物で、さすがに俺よりは年上 だがまだ若い。なんというか放蕩息子というのがしっくりとくる。 覇気のない目でダラリと座っている。 右側にはいかにも気楽に足を投げ出してここが牢屋であることを 忘れているかのような男がいた。 まともにこれからのことについて怯えていたのは四人目だけだっ た。冴えない感じのしょぼしょぼとした目つきで、小柄なその感じ は一農民と言われても疑わないだろう。 で、そいつらと今からお話しようってわけだ。 ﹁今回あなた達の戦争を撹乱し、魔族の軍にぶつけて負けさせたレ イルと言います﹂ やっぱり何事も自己紹介から入らないとね。 ﹁俺はロウだ﹂ 835 ここにはアイラとカグヤを連れてきてはいない。 まあこれは男のエゴみたいなもんでだな。 女の子に醜い世界を見せたくないっていうね。 まあそれを言うなら今までのはどうなんだよと聞かれれば弱い。 汚いもの 穢れて プライドやエゴってのは時として矛盾するもんだ。 俺たちなんて見続けていたら毒されてしまうだろう? ﹁で、聞かせてもらえる?﹂ ﹁どこに唆されてギャクラに反乱しようとしたんだ?﹂ にこやかに、それはもう怖いほどに猫なで声で問いかけた。甘く したのが悪かったのかもしれない。 冗談もいい加減にして 今の俺たちは見た目だけなら十五ほどのガキだ。ちょっとすごめ 貴様らが戦争の計画者? ばいけると思われたのだろうか。 ﹁なめおって! おけ。今なら許してやる﹂ はあ⋮⋮⋮⋮超心外。 こいつ相手を見た目でしか判断できないのだろうか。 そもそも一度立場をわからしてやらなければいけないようだ。 ﹁とりあえず自分の手首足首につけられた枷を見つめなおすことか ら始めたらどうかな。ちょっとばかり現状把握能力が低いみたいだ からさ﹂ 現在の立場を象徴している鉄製の器具には細やかに魔法陣がかき 込まれ、魔法の発動を阻害するようにできている。 836 これが一流の剣士だったりすると魔法陣よりも丈夫さと拘束力に 重点を置いて作った手錠をつける。 まあこいつら程度にそんな上等なものはいらないけどな。奴隷を 誰が話すものか!﹂ 廃止したので余った手錠を使わせてもらった。 ﹁はっ! 鼻で笑われた。 目に割ったガラス入れるのはすぐにダメにな とーっても穏便にことを済ませたいところなんだけど、しょうが ないなあ。 ﹁何がいいかなあ? りそうだしねえ﹂ ﹁確かあっちに猫の爪があったぞ﹂ ﹁弱めのアイアンメイデンとか三角木馬ないかな﹂ ﹁まずは定番のムチからか?﹂ わざわざ目の前でどれにしようかと楽しそうに相談してみる。 生前ネットでみた鏡に向かって﹁お前は誰だ!﹂と言わせたり、 水を垂らし続けるのもいいなあ。 タイヤネックレスとかもあったな。 体のどこかを傷つけて、そこに塩水を塗ってヤギとかの目の前に 連れていくのも聞いたことがある。 歴史上のサディストにはメイドを裸に剥いて蜂蜜つけて一晩放置 ってのがあったな。 めっちゃエロいななんて当時は思ったもんだ。 こんなおっさんどもでやったって全然エロくない。 せめて美少年できれば美少女じゃないと誰得だよな。 あーあ。生前だったらもっといろいろあるのに。 837 一番簡単なのは、シャーペンに芯を入れずに耳の穴の手前に持っ てきて、ノックし続けるのが楽しそうだった。カチカチカチカチカ チカチと耳の横で鳴らし続けて、その横で囁くんだ。﹁お前の耳の 穴にシャー芯が伸びていってるから動くなよ﹂ってな。 もちろん動けない状態にはするんだけど、鼓膜まで届くかもなん ていう恐怖をじわじわと味合わせるんだ。 できればゆっくりの方がいい。 もしも奥さんとかを連れてきていたら部屋を隔離して﹁今部屋の 向こうではお前を助けるために奥さんが抱かれているよ﹂とか囁く ことも考えたんだけど。 ﹁爪でも剥がす?﹂ 椅子に縛り付けて延々と同じ音楽とかを聞かせ続けるとか。箱に 閉じ込めて上からずっと水を入れ続けるのもありか。 うーむ⋮⋮これというものがなかなか思いつかないなあ。 どれも死んだらおしまいだし。 あ、そうだ。 俺は爪を剥がしながらロウに話しかけた。 ﹁いいことを思いついた﹂ ﹁ぎゃぁぁぁぁぁっ!!!﹂ ﹁ぐわぁぁぁぁぁっ!!!﹂ 大のおっさんたちが痛みに耐えかねて叫ぶ。体を丸めて痛みを和 らげようとうずくまる。暴れたせいで後ろの壁で背中を打った。ざ まぁ。 せっかく波魔法と空間術が使えるんだ。それを利用しない手はな 838 い。 俺は捕らえた四人に向かって言った。 ﹁じゃあお前らには今から何もあげない﹂ ﹁それじゃあ拷問にならねえじゃねえか﹂ ﹁あげるのは生きるのに最低限の水とパン。後は時間かな﹂ そう聞いて貴族どもはホッとしたように顔を緩めた。 何もあげない、を餓死寸前まで追い込むことかと思ったのだろう。 それは違うな。 そうだな⋮⋮でもパンは水に浸して渡してあげよう。拷問中にう まいもん食ってどうするんだよ。ふやけたパンで十分だ。 ﹁まあレイルがいいならいいけどよ﹂ ロウは楽しみを奪われて残念そうだ。 まあまあ。これは一つのお楽しみだよ。 のんびりと説明しながら待つとしよう。 そうすると俺は奴らに一つの術をかけた。 波魔法の応用だ。前回遠くの音や光を認識するために使ったのと 全く逆の使い方をするのだ。 一切の光と音を遮断する術だ。 振動なくしては情報は得られない。 今こいつらは全く何もないような状況に置かれている。 839 自害を防ぐために猿轡をし、俺の声だけ遮断を解除した。 ﹃聞こえているか。今から俺はお前らには何もしない。苦痛も与え ないし、情報も聞かせない。完全とはいかずとも全く娯楽のない世 界でいったいどれほど精神が持つかな。まあ頑張ってくれよ﹄ そう言うと空間術で作った異空間に奴らを放り込んだ。 二日分のパンを一緒に渡して、手のひら以外の全身に衝撃波さえ 伝わらないように魔法をかけた。 これでパンを手探りで探すことはできてもそれだけだ。 すると﹁猿轡してたらパン食べれなくね?﹂と言われたので、猿 轡を外そうか迷った。 舌を噛んでも出血多量によっては死ねないって聞いたことあるし な⋮⋮あれって噛み切った舌による窒息死だったっけ? 猿轡してても水ぐらいは飲めるだろうと思うんだけどなー。自害 できないように口を縛って、パンがかろうじて食べられるぐらいに 緩める。 ようやく自分たちの行く末を想像することができたのだろうか。 四人とも顔が真っ青だ。 青い空も、吹き抜ける風も、日の光も見えない。 鳥のさえずりも隣にいるはずの仲間の声も聞こえない。 そんな風に設定した魔法の牢獄で過ごしてもらおう。 某まとめサイトの名前にもあるように、暇は無味無臭の劇薬であ る。 人間の精神は何もない場所で正気を保ち続けてはいられないとよ く聞くけれど本当だろうか。 840 さあ││││││まずは二日。 と意気込みだけは良かったのだけど、実に残念なことにあっとい う間にねをあげた。 後から聞いた話によれば、最初のでこれだとこれから話さなけれ ばどんどんエスカレートしそうだし、飽きたら簡単に殺されそうな 気がしたのだとか。 ストレスで吐いたのか吐瀉物と涙やよだれに塗れて出てきた。 おっさんどもの悲鳴と嗚咽に涙も全体的に汚らしかったので、と りあえずカグヤに水魔法で無理やり流させた。 なんだかさっぱりさせられた後も、何かを食べたり見たりするに つれてボロボロと泣いていた。 予想通りヒジリアに唆されていたようで、彼らが熱心な教徒だっ たことはわかっているので意外でもなんでもない。 まあ信仰の結果として魔族にボコボコにされてガキに拷問されて るんじゃあそっちの﹃神様﹄とやらは随分頼りないらしい。 俺の知る神どもは手助けなんざ微塵もしないけどな。 この力はどうやら俺が訓練していたのが体か魂に馴染んでなかっ ただけらしいし。 841 とにかく、他国の弱みも一つ握れたことだし、一件落着といった ところか。 842 へ?鉄が足りない?︵前書き︶ レイルの都市計画編とでも申しましょうか。 843 へ?鉄が足りない? 今日は曇りだ。灰色の雲が空の九割を覆っている。これでも後一 割でも雲がへれば晴れなんだよな。不思議なもんだ。 昨日は人が無に耐えられるかの実験もできた。 ﹁相談なんだが﹂ 俺は部屋でシンヤと向かいあって座っている。 アイラは射撃訓練、カグヤとロウは外で剣の稽古をしている。 手紙で やっぱりカグヤには敵わないようで、何度か打ち合うたびに吹っ 飛ばされる様子が視界の端に入る。 もう見慣れた光景だ。 ﹁おう。なんだ?﹂ ﹁今まで俺に全権を渡して名前だけ貸してくれてただろ? は聞きづらいこととかがあってだな﹂ そう言うとシンヤはある書類を差し出してきた。 ﹁⋮⋮これは⋮⋮金物の値段が上がってきているな⋮⋮﹂ ﹁ああ。金物はここでは作っていないから、周囲から輸入するしか ない。食料と人材に関しては豊富だから暮らすだけなら大丈夫なん だが⋮⋮﹂ マズい。これは駄目だ。 前世では生活必需品であったとは言え、この世界では金物はなく 844 ても生きている人たちがいる。だからといって軽視していいわけで はないのだ。金属は武器になる。金属がないということは弱みにな るのだ。 ここを戦争を前提に発展させるつもりはないが、将来どうなるか わからないのに武力を放棄できるほど世界が一つにまとまっている わけではない。 ここは貿易中継地点にしたいと思っている。 だがそれだけでは駄目だ。 来たもので生活するのではなく、全てにおいて自給自足できるこ とが豊かさだと思う。 日本で、生産部門が海外移転したことにより産業の空洞化が起こ ったように、ここで鉱業を他国に依存してはならないと思うのだ。 ﹁どうする⋮⋮﹂ ﹁技術者に関しては引き抜きに成功した。その中にはドワーフもい る。だから技術的な問題はないんだ。解決方法は⋮⋮﹂ ﹁金に任せて鉱山を買い取る、だろ?﹂ ﹁ああ﹂ ﹁他にないのか?﹂ ﹁あるにはあるんだが⋮⋮﹂ ﹁言ってくれよ﹂ シンヤは目を泳がせて気まずそうに黙り込んだ。 言うだけならばなんでもないだろう。できるかどうかは別だし、 するかどうかも別の話なのだから。 だがシンヤが話す提案を聞いて納得がいった。 ﹁プバグフェア鉱山の開拓だよ﹂ 845 ◇ プバグフェア鉱山というのは鉱山であることがわかっていながら も未だ開拓されていない鉱山だ。 あまり高さはないので、遠目には素人でも登れそうななだらかな 山である。 登るだけなら一日もあれば事足りる。 そして産出するものは鉄鉱石に限らず多岐に渡り、豊富な資源か ら多くの国が開拓に挑んでいた。 冒険者を雇い、兵士を使い過去に数度ほど大規模な開拓事業があ るほどに有名な鉱山である。 にもかかわらず、そんな魅力的な鉱山が未だ開拓されないどころ かどこの国の管轄にもならないのは何故か。 ﹁守護者、か﹂ 守護者 それはかの山に生息するある生物群の呼称である。正式名称はア グボアやドリルバット、などとそれぞれにある。 守護者とは呼ばれるものの、そいつらは人ではない。だから守護 獣や守護鳥と呼ぶべきなんだろう。噂によると精霊などもいるとか。 とにかくこれが理由である。 846 強い魔物がいて危険だから開拓できない。 一文にすると随分あっさりとしたものではあるが、かつて軍を派 遣しようが、冒険者を雇おうが全く歯が立たず諦めるほどの魔物た ちだったのだ。 冒険者が一攫千金を狙って挑み、一抱えほどの鉱石を持ち帰るこ ともあるが、基本的に開拓は成功した例がない。 少なくとも一冒険者が開拓を狙うような場所ではないことは確か だ。 ﹁あの場所は⋮⋮﹂ 当然シンヤも勧めるわけがない。 ﹁ははっ﹂ だけど俺は軽く笑って受け流して ﹁じゃあ開拓しようか﹂ 承諾した。 ◇ 俺は安全マージンを取りたがる男だ。それだけは胸を張って言え るだろう。 847 今回もそんな危険な場所になんの勝算もなく行くことを決めたわ けじゃあない。仲間もパワーアップし、おそらく普通の冒険者より は強くなっているはず。とはいえ、俺もまだ自分の全力を把握しき れていないのだ。 だからまだ戦力が足りない、としておく。 これは俺たちの問題であるから、魔王たちの好意に頼るわけには いかない。 あいつらは国家権力を担う。ほいほいと開拓事業を手伝わせるわ けにはいかないのだ。 そうだな⋮⋮アークディアでも呼び出そうか。 それでももう一人ぐらい欲しいな⋮⋮などと考えていたとき、不 意に部屋の扉が開いて使用人が入ってきた。 ﹁レイル様にお客様がお見えになっております﹂ 様付けには未だ慣れない。 レオナで少しは慣れたかと思ったんだけどなあ。 ﹁ありがとう。通して﹂ ﹁お二人ともですか?﹂ ﹁二人?﹂ ﹁ええ。レイル様と同じぐらいのとてもご身分の高そうなお嬢様と 魔族の男性の方です﹂ 随分と聞き覚えのある二人にどうして今頃ここに訪ねてきたのか と嬉しさ六割に疑問四割で出迎えた。 ﹁お久しぶりです。レイル様が戻っていらしたと聞いていても立っ てもいられず駆けつけましたわ﹂ 848 ﹁久しぶりだな。レイル。ところでこいつは誰だ? 彼女か?﹂ ﹁いやですわ。彼女だなんて。いずれ結婚するにしても釣り合わな いと言いますか⋮⋮照れますわ﹂ 予想通りの面々に苦笑した。相変わらずのレオナとホームレスだ った。 もしかして反りが合わなかったりしたらどうしようというこの組 み合わせも、なんだか仲良くなりそうで何より。 レオナはホームレスの彼女発言にいやんいやんと頬に手を当て首 を横に振っている。 この照れで真っ赤な顔を侮辱されたことへの怒りだと思うほど俺 は鈍感じゃあないが⋮⋮どうしてこんなにレオナは俺のことを気に 入ってくれてるんだろうな。 他にもいい男はたくさんいるだろうに。 それにレオンなんていう美男子を生まれたときから横に目にして 会いたかったぜ!﹂ いるというのに。 ﹁久しぶり! にこやかに出迎える。 俺が王様にされて嬉しかったように、俺もまた以前と変わらぬ喜 びを表に出すのだ。 理由を聞くのはそれからでも構わない。 ﹁どうして二人がここに?﹂ ﹁お前。約束忘れるなよな。今度一緒に強い魔物を捕らえにいくっ て言ってたじゃないか﹂ ﹁レイル様ったら。私、これでも王族の端くれですのよ。この年に もなれば国の仕事の一つでも任されるものです。私は勇者候補監視 取締役とギャクラ南部の自治区保証代理人の仕事を与えられました 849 のよ﹂ 与えられたというよりはもぎとったというべきですわね、と言っ てレオナはにっこりと微笑んだ。 このじわじわと外堀を埋められる感触は久しぶりだなあ。学校に いたころは周りの嫉妬の嵐が凄かった。 レオナのことは好きだけど、これがもしも前世で優柔不断系草食 男子で断れない子だったら、そして俺のことを思ってる内気ツンデ レ女子とかいたらあっという間にすれ違い系修羅場の完成だな。 その甘酸っぱくて焦れったいのを楽しめる人もいれば、はっきり しろよ!とイライラする人もいる。 ﹁ホームレス、ちょうどいいところに来たな。今からちょっとプバ グフェア鉱山の開拓に行くから一緒に行こうぜ。そんなわけだ。久 そりゃあいい。いつか行ってみようと思 しぶりに会えたのにまた数日したら留守にしてしまうんだ。悪いな レオナ﹂ ﹁プバグフェア鉱山か! ってたんだ﹂ ﹁そうですか。気をつけて行ってらっしゃいませ﹂ レオナはそれはもうあっさりと送り出す言葉を口にした。 まだニコニコしている。 もっとゆっくりしていけば?とか危ないんじゃないの? ﹁えーっと⋮⋮確かに望んていた答えなんだけど、もっとなんかな いのか? とかさ﹂ こうもあっさりと納得されると少し寂しいものがある。 俺の周りは肝が座りすぎていてたまにつまんないっていうか、も っと死亡フラグビンビンに立ててくれても構わないのに。 850 敵の方が熱かったり喚いたりで感情表現豊かだぞ。 私は仕事でここへの滞在許可をもらって部下を連れ ﹁そんなことを言われましても⋮⋮どうせ止めようがいつかは行く のでしょう? てきておりますので、いつまでもいられますし、レイル様なら戻っ てきますもの﹂ ここで﹁私も一緒に行きますわ!﹂などと言い出さないあたりが ものわかりがよくって計算高いレオナらしくっていいと思う。 実際にそんなことを言われたらついてこないように説得するのに 大変そうだ。 レオナのことだから、行くなら行くで腕利きの部下に魔法付与の 高級防具と完全な態勢で臨んでくるにきまってるけどな。 下手すると俺たちよりも防御が強いなんてことになりかねない。 とにかく足手まといにはならない子だ。 ﹁ていうかなんなんだよ。その俺に対する絶対の信頼はよ。レオナ の知る俺はもっとか弱い頭でっかちの秀才くんみたいな子だったろ ?﹂ なにいってんのこいつ?﹂みたいな仕草をした。 そう言うと横でシンヤとホームレスが顔を見合わせ肩をすくめて ﹁は? お前らムカつく。まるで俺が前から妖怪か物の怪のようだったみ たいな反応はなんだよ。俺にだって純真無垢な幼少期はあったはず だ。生まれる前に。 レオナまでがきっぱりと否定した。 ﹁いいえ。私の知るレイル様は最初から強い方でしたわ﹂ はは。そりゃあ人違いだ。 851 そんな風に笑いとばしてやりたがったが、レオナの宝石のような 碧眼に覗き込まれて押し黙った。 人の見え方なんて人それぞれだ。 ましてや自分の見え方と人から見た自分だ。全然違うのだろう。 きっとレオナの見たレイル・グレイは強い奴なんだろう。 期待には応えなくっちゃな。 無事生きて帰ってくるさ。 あ、まともに死亡フラグが立った。 852 へ?鉄が足りない?︵後書き︶ 立った! 死亡フラグが立った! 五月三十一と六月一日は大会なのでおやすみします 853 プバグフェア鉱山① 悪魔は精神生命体の上位にあたる。 それは魂そのものであり、魂を持つものしか触れられないという ことである。 魂を持つものというのはそれこそ動植物のみということになるが、 一部の剣にはそういった精神生命体を斬るための力があるという。 かくいう俺の﹁空喰らい﹂も、聖剣の名を冠するだけあって精神 生命体にも攻撃ができるが、さほどそんな武器は珍しくもないのだ とか。 つまりはそう、悪魔や死神といった高位の精神生命体というのは 魔法と自然災害にめっぽう高い耐性を持つ。 落石が頭に落ちようが効かないし、マグマも雪崩も悪魔の受肉し た肉体を傷つけることはあれど消滅には届かない。 アークディアに俺たちの護衛を頼むことは、そういった不慮の事 故にアドバンテージを得るということでもある。 空間把握と空間転移の使える今、滅多なことはないとは思うがあ くまで、だ。 胸に魔力を込める必要はないが、そこに宿る魔力を意識しながら キーワードを叫んだ。 ﹁我が血と名において結ばれし古の盟約よ。魂の繋がる我が眷属が 一人アークディアを今ここに顕現させよ!﹂ 俺が叫べば胸元の魔法陣が光りそして起動する。 854 紫色に光る魔法陣は空中に浮かび上がり、地面へと降り立った。 するとそこに黒い穴があいて、契約した悪魔がそこへと現れた。 ﹁マジかよ旦那⋮⋮﹂ シンヤは絶句している。 いきなり目の前の男が悪魔を召喚したら驚くよな。 ﹁レイル様、こちらの方は?﹂ さすがレオナ。こいつをどうしたら驚かせられるんだ。 シンヤでさえ驚いてるってのに。 ﹁契約した悪魔だ⋮⋮ってそんなに怖い顔すんなよ。魂とかはかけ てないから﹂ ﹁何を代償に⋮⋮と聞くのは礼儀に反しますわね。いつか機会があ れば﹂ 余計な詮索をせずにさらりと終わらせてくれるあたりは気が利い ていて嬉しい。 なんていうか、女の子にこんなことを言うべきではないんだけど、 鉄壁というのがしっくりとくる。 ﹁我が君、いかがなされましたか﹂ 大仰に膝をつくアークディア。 なんだかお願いを聞いてくれる奴は結構いるんだけど、ここまで 忠誠レベルの姿勢は契約したアークディアだけだ。 契約もしていないのに忠誠を誓われても困るだけだが。 855 ﹁いや、なにもない。呼び出したのはあれだ、頼み事があってだな﹂ ﹁どんなものでも仰せのままに﹂ ﹁行きながら説明するよ。じゃあ行こうか﹂ アイラ、カグヤ、ロウにホームレス、そしてアークディア。俺を 含む六人はシンヤとレオナに見送られて旅立ったわけだ。 ◇ プバグフェア鉱山の手前の森まで来た。 それこそ転移を使えよ、と言いたいかもしれないが、転移も万能で はないのだ。そう、かの有名な転移呪文ルー○やトべ○ーラと同じ 制限があるのだ。目に見える範囲か一度行った場所にしか行けない のだ。空間魔法を上達させていけば、そのうち空間把握の範囲なら 行ったことのない場所でも行けるのではないかと踏んでいる。 一度開通させてしまえばこれほど楽なこともない。道中は随分と 楽に来た。 と、ようやくここで敵らしい魔物が現れた。 空間把握を軽く常時発動させているので、どの方向にどれぐらい 離れているかはわかっていた。 あえて刺激することもないと放っておいたのにわざわざこちらへ と向かってきたのだ。 現れたそいつはイノシシのような魔獣だった。 たくましい後ろ足は大地を踏みしめ、その目はしっかりとこちら に向いている。だがそれ以上に敏感にこちらを窺っているのは鼻で あった。粘液というと聞こえが悪すぎるが要するに鼻水で湿った毛 の生えていないピンク色はピクピクとヒクついている。 俺の知るイノシシも気性が荒く、人里で暴れている様子がよくニ 856 ュースで取り沙汰されていたが、こいつはもっと大きくもっと気性 が荒い。 イノシシという動物は神経質で警戒心の強い動物だ。 こちらを油断することなく見ている。 ﹁ここは一度俺に行かせてくれないか?﹂ まだこの馴染んだ技術と肉体の本気を試していない。 まるで実験動物みたいな扱いは酷いものかもしれないが、試し斬 りさせてもらうこととしよう。 もちろん俺が最強なんて思ってはいないから、危なくなればアイ ラの援護射撃にしろアークディアにしろ助力を願うつもりまんまん だ。 ホームレスはこいつを捕まえたいとかそういうのはないのだろう か。とホームレスの方を見ると、 ﹁いいぞ。そいつはたいしたことなさそうだし、殺して食べてもい い﹂ あっさりと許してくれた。 どうやらこの魔物は琴線に触れなかったらしい。俺に気を使って くれたのか、それとも俺の力を見てみたかったのもあるのかもしれ ない。 こういうときに異を唱えそうなのは俺の次に安全主義のカグヤで はあるが、彼女さえもが特に反対することがなかった。 俺は一歩前に出て他の奴らを下がらせた。 ﹁こいよブタ野郎、刻んで揚げてメンチカツにでもトンカツにでも してやるよ﹂ 857 その言葉を皮切りにクマみたいな巨体が車のような速度で突っ込 んできた。 いや、これは一般道路を走っているにしても速いかもしれない。 あんなメンチきっといて負けたら無様だなあなんて呑気なことを 考える余裕があるだけマシか。 イノシシと豚は調理方法が違うとか、メンチは豚と牛の合挽きだ ろとかツッコミはタンスにしまってだな。 そもそもイノシシを品種改良で豚にしたのは人間なのにその言葉 は随分と人間のエゴに満ちた発言だ。 ﹁お、あんなの殺れんのか﹂ ロウが面白がるように口笛を吹いた。 俺があんなの倒せるわけがないだろう。 と以前の俺なら言ってたんだろうな。 確かにあいつは速い。あいつより速く動く魔物なんてそうそう見 ないだろう。カマイタチでさえもあの速さが出ているかどうか。 加えてあいつは防御が堅い。岩石やなまくら剣では刃がたたない だろう。 そしてあの重量による突進である。くらえばひとたまりもないだ ろう。 くらえばの話だ。 とは一度言ってみたかったセリフの一つである。 俺はこいつを見かけてから空間把握の範囲に濃淡をつけた。 目の前のアグボアをより鮮明にするように。 するとどうしてだろうか。奴の動きが酷くスローモーションに見 858 えるのだ。 息遣い、鼓動の速さ、内臓の位置さえ手に取るようにわかる。 次に動く場所が予測できる。 ショートワープ 奴が俺に到達する二メートル前に俺は短距離転移を発動した。 自分の座標書き換えによる上空への転移。 奴の突進は空振りし、俺の居場所を探そうと鼻を上に向けた。 俺は宙に放り出され、足から波魔法の波動を使った。 足元の空気が振動によって歪み、ドーナツのように膨らむ。足の 裏に確かな感触を感じながら空を蹴った。 まるで某海賊漫画の暗殺部隊の技のように、そして某ゲーム会社 オールスターによるバトルゲームの二段ジャンプのように空中で方 と思ったのも無理はない。 向転換し、アグボアの背後に着地した。 こいつ弱くね? タイムラグはほぼ無しだ。 あれ? あれほどに軍や冒険者が恐れ、開拓も進まないこの鉱山の魔物。 怖がりすぎていたのかもしれないな。 俺は目の前に歪みと穴をつくり、その先をある場所に設定した。 そう、アグボアの体内、それも肉体の生命を司る中央部分に出口 をつくった。 俺はなんの迷いもなくその中に剣を突っ込んで振り抜いた。 目の前のアグボアの体内から剣が生えた。 噴水のように血しぶきをあげて、恨みがましいような目で俺を見 ながら横に倒れた。 こいつ まるで獅子身中の虫がいたかのようだ。 だが剣が体内に現れたのは今であって昔ではない。 瞬殺であった。 859 ﹁凄い⋮⋮﹂ ﹁あんなに強くなってたんだな﹂ 俺がなにをしても驚くことがなくなって久しいアイラでさえも驚 き、ロウがしみじみと呟いた。 ﹁おかしいとは思ってたのよ﹂ カグヤ曰く、あれだけ毎日幼少期から鍛錬していて一般兵程度と いうのはおかしいとのこと。 魔法が使えるならまだしも、そこまで戦闘に才能がないのは頭脳 の代償かと思っていたこともあったそうだ。 それさえ転生の話をしたことでなくなり、神に会ってようやく納 得がいったのだとか。 俺だって魔法のなかった世界から来てほいほいと使えるとは思っ てなかったさ。でも鍛錬したら人並みには使えるかなと思ったわけ だよ。 それがどうだ。前世における物理科学の概念と魔法の相性の良さ は。魔力操作がそれほどでなくても知っていれば動かせるというの はここまでなのか。 俺たちは索敵しながら山の見取り図を作成していった。どこにど んな鉱石があるか。地形に高さを加えて細かく記していく。今後の 開拓の参考になるようにと。 出た敵は開拓のために殲滅していった。 魔物は難なく倒せた。アークディアの助力は一切なしだ。やはり 860 過剰戦力だったのだ。 そのツルを伸ばしてくる木型の魔物も魔動ノコギリと化した空喰 らいで真っ二つだった。アイラとカグヤ、ホームレスは派手に火力 をぶっ放し、ロウは正確に弱点の目を突いていた。コウモリのよう な魔物も、ヘビのような魔物も敵ではなかった。 何の策も講じず真正面からのぶつかり合い。戦力差はあると言え、 正々堂々と言える命のやり取り。それらへの勝利は今までの鬱憤を 吐き出すかのように恍惚感となって俺を支配した。 ﹁今の私でも勝てるかしら⋮⋮﹂ いや、溺れるな。 仲間が俺を見る目を見て我を取り戻した。 力に、強さに溺れてはいけない。 俺が誓ったことだろう。 力でねじ伏せ、殺すことを勝利と認め この力を支配して、あくまで使わないように勝つ。これは俺が平 和主義だからではない。 ないがゆえだ。 自分より戦闘の強い相手に戦闘で負けたとして、多くはどう思う だろうか。 悔しい、そんな思いが多くを占めるだろう。 だがその多くは﹁仕方ない﹂もあるのではないか。 相手に負けと思わせながら、どうして負けたのかもわからない。 戦闘に関係なく目的はこっちが達成している。これこそが勝利だと 信じているからだ。 俺はいつだって弱者だった。今だって。 思考を放棄するな。 真の意味で敵などいないと心に刻め。 861 俺は自分に言い聞かせて、大きく深呼吸して開拓準備に戻った。 862 プバグフェア鉱山② 今日のアイラは二丁拳銃である。 前世における中二的格好良さを裏切らない戦いっぷりで、仲間の 間を縫って鳥型の魔物が次々と撃ち抜かれていく。 アイラがよく潤滑油を使って整備しているのを知っているからこ そ、より輝いて見えるようだ。 潤滑油は魔法によって精製されており、貴重品だ。 そんなものをほいほいと使えるのもお金があってこそだな。 肩の横を弾丸が抜けていくのを空間把握で確認しながら剣を振る う。 アークディアには全く遠慮せずに後ろからアークディアごと撃ち 抜くあたりが合理的すぎてヤバい。 普通は仲間が無事だとわかっていても仲間の背中ごと撃つとか躊 躇うもんだけどなあ。 ああ、俺のせいもあるのか。 ロウは目立ちこそしないものの、カグヤに毎日遊ばれもとい鍛え られているからか、身体能力では今の俺とさほど変わらない。 時術を使うような機会がないのが幸いである。 ホームレスはめいいっぱい戦闘を楽しんでいる。 本日の武器は槌である。ぶんぶんと振るうたびに魔物が吹っ飛ん でいく。 ﹁お前はいいのか?﹂ 863 アークディアに尋ねた。 確かに危なくなれば助けてくれとは言ったが、ここまで余裕だと その必要もないだろう。 少しは体を慣らした方がいいのではないか、と。 ﹁ええ。もともとそこまで戦いには飢えてませんし、この程度の魔 物では準備運動にもなりません。それに雑魚処理に手間取って貴方 の安全を蔑ろにするわけにもいきませんよ﹂ 恐ろしいまでの自制力である。 だが言っておかねば成らないこともあった。 ﹁俺だけじゃなくってだな、他の奴らも、だよ﹂ ﹁わかってますよ﹂ 本当にわかってるのか? 面積にして半分ほどの地図が出来上がった。 空間把握で立体的な地形自体はほぼ完成しており、後は目で見な いとわからない細かな部分なので比較的楽である。 元からあるダンジョンの地図に罠を書き加えていくような感じだ。 前世ではデパートでトイレに行って出てきただけで現在地を見失 うほどに方向音痴だった俺だが、今の俺の辞書に迷子の二文字はな い。 スマホの地図機能以上の精度をもって山を歩けるのだ。 864 ﹁私も飛べるかな﹂ 先ほどから楽しそうに空を飛び回るホームレスを見て羨ましそう にカグヤが言った。 ﹁やめとけやめとけ。ああ見えて繊細で難しいぞ。左右の調整をし くじって落ちるのが関の山だ。昔から変なとこで不器用なんだから よ﹂ ロウはややそっぽを向いてぶっきらぼうに言った。 ははん。そういうことか。 ロウの意図を汲み取った俺としては同じ男として援護しないわけ にはいかなかった。 ﹁そうだぞカグヤ。お前が不器用とは言わなくてもあいつは規格外 だ﹂ 学校でもあまり多くと接してこなかったからか、それとも生来の 資質か。ロウは人の感情を素直に操ることが不得意だった。 ⋮⋮ってこの年で女をほいほいと手玉に取れるような男もどうか。 俺はカグヤのプライドを刺激しないように、魔族の問題児を参考 にするなよ、と諭した。 でもそんな俺も完全には女心⋮⋮というよりは武人心というもの あんたはいいわよね。瞬間移動に加えて空中 をわかっていなかったのか。 ﹁レ、レイルまで! 散歩できるんだから!﹂ 心理的にはやや逆効果となってしまったようだ。 この前までこの中で一番弱っちかったくせに⋮⋮とブータれてい 865 る。 カグヤはここでムキになって試さないほどには冷静で賢い部類の 人間であった。 こんなところで青臭い青春ドラマを繰り広げているわけにはいか ないもんな。 俺自身、先ほどのセリフに敏感に反応しようと思えばできる。 せっかく強くなれたのにその言い草はなんだよ!とかつっかかっ てケンカして最後に仲直りする程度の話だ。 実際、知識というアドバンテージや仲間がいなければコンプレッ クスを抱えたまま卑屈にひねくれて⋮⋮ってひねくれてたわ。 ゲフン。とにかくお互い超大人なのでこんなことでは喧嘩しない のだよ。 どたばたと山を駆け回って得たのは予定通りの地図でしかないわ けではあるが、地図でしかないというのはいささか過小評価である。 地図というのは古来から情報の中でもトップクラスの機密情報に 位置する。 かつて伊能忠敬によって描かれた正確すぎる日本地図が秘匿され たように。 それを持ち出して模写した人たちがいたように。 地理情報というものは何をするにおいても重要なものだ。 RPGにおいて城やダンジョンの正確な地図がほいほいと宝箱に これ見よがしと置いてあるのが不審なほどに。 さあ残すところも後二割をきった。 問題はまだ探索していない、大型の何かがいるこの場所だ。 ﹁ねえ⋮⋮レイル⋮⋮﹂ ﹁こりゃあやべえな⋮⋮﹂ 866 特に気配に敏感な二人はこの先にいる相手の強さを肌で感じてい るのだろうか。 恐る恐る唾を飲み込み洞窟の方を睨みつける。 巨大な洞窟は見通しが悪く、ぽっかりとその口を開けているにも かかわらず奥が見えない。 中にいるものを確認しようとする。 俺の空間術というものは魔力が弱いモノに対してはほぼ無敵を誇 るといえる。 どんなに鍛えた剣士であっても内臓を剣で貫かれて無傷ではいら れないき、突然不規則に出てくる剣を避けられるほどの使い手も少 ない。 レジスト 逆に言えば濃密な魔力で抵抗されると勝ちづらいというわけだ。 勝ちづらい、といえど完全な魔力抵抗が行える相手などそうそう いないだろうと思ってはいるのだが、ここでこんなやつに出会うな んてな。 過剰戦力だというのは撤回しよう。 見えて はいる。 洞窟にいる相手の全体像が空間把握を使っても見えないのだ。 何かがいることだけが だがわからないのだ。 どんな相手なのか、見た目はどんなものか、全てを覆い隠してい る。 濃密な魔力を瘴気のように吹きあらし、周囲の認識を阻害するほ どに歪めている。 だがだいぶ大きい。 今まで見てきた生物でも一、二を争う。そう、クラーケンと同じ 867 ほどの大きさに違いない。 クラーケンよりも強いだろう。 洞窟の中に爆薬を投げ込むのはどうだろうか。 そんなことを考えたりもした。 ﹁ダメなの?﹂ ﹁却下だ﹂ 洞窟の強度とか、相手の強さとかいろいろ問題はある。 相手が敵意ある魔物だと確定したわけでもないしな。 行きますか?﹂ もしもクラーケンみたいなやつだったらいいのに。 ﹁どうしますか? ﹁行こう。何がいるのか楽しみだ﹂ 最近気づいたが、ホームレスって結構バトルジャンキーだよな。 やたら強い相手を求めてるっつーか。 ﹁じゃあ、一番防御の高いアークディアを先頭に俺、ホームレス、 カグヤ、その後ろにアイラとロウがついてくれ﹂ これがおそらく一番安全な配置だ。 アークディアは滅多なことでは死なないし、何かあれば俺の空間 転移で逃げられる。 ホームレスとカグヤのどっちがいいか迷ったけど、戦闘慣れとい う点と肉体の強度でホームレスに前に出てもらった。 なんというか、調子に乗ってると思われてもしょうがないが、こ 868 の中で一番未知に対して洞察眼が高いのが俺ではないだろうか。 だからこそ一番前に立って見極めなければならない。 ﹁いいぞ﹂ ﹁うん﹂ こういう時に後ろに下がらせられた方から不満が出ることも多い が、やはり俺の仲間は優秀で物分かりが良すぎる。 場合によってはロウが俺の隣に来ても構わないぐらいの相手もい るが、今回は相手の魔力が高いがゆえに後方待機だ。 もちろんアイラが出るなんてもっての他だ。 アイラも各種道具を使いこなすことでそこらの魔物にも引けは取 らないが、いかんせん近接における攻撃力も防御力も足りない。 現在はどんな場合でもアイラが一番致死率が高い。 不吉な想像をする前に最善を尽くさなければ。 それぞれに万全の準備を整えて洞窟をくぐる。 こういうときこそ風魔法で相手を窒息死させることも考えたが、 高位の精神生命体の場合意味がない。 先制攻撃をとって相手にこちらの存在をバラしてしまうより何よ り観察第一だ。 重さも、速さもこのパーティーの前には意味をなさない。 何より怖い強さは﹁未知﹂だ。 俺たちは互いの背中を確認するようにじわじわと最深部へと潜っ ていった。 こういう場合はねっとりとした空気が強まるのかと思っていたが どちらかというと乾いてきている。 空気が乾燥しているのか、それとも緊張で喉が渇いているのか、 869 どちらにせよ口の中はカラカラだった。 曲がり角で立ち止まった。 隣にはホームレスとカグヤが、すぐ後ろにロウとアイラがいる。 アイラがぎゅっと俺の服の端を掴んだ。 ﹁大丈夫か﹂ ﹁大丈夫。でも緊張で手汗をかいてたらいざという時に手が滑る﹂ 手を拭いただけかよ。おいお前。俺の心配と萌えを返せ。とは言 わなかった。強がりだとわかっているのだから。 鈍感系主人公はこういう時だけ鋭くなるそうだが、俺はいつでも 鋭いぜ。 ふざけてる場合じゃないんだよな。 すぐそこにいる。 ふしゅー、ふしゅー、と何かの息遣いはここまで聞こえてくる。 明らかに巨大な存在が曲がり角の向こう側にいるのだ。 途轍もない圧迫感がこちらにまで伝わってくる。 ﹁私が見てきましょう﹂ ﹁俺もだ﹂ 二人が顔を覗かせた先に待っていたのは想像以上の生物であった。 前世だけでなくこの世界でさえも伝説上とされた冒険者にとって の悪夢。 魔物としての脅威を詰め込んだような存在がそこにはあった。 870 蛇の肉体、巨大な翼、トサカは鋭く尖っており、どこかドラゴン さえも連想させる魔物。 毒と石化の最悪とさえ言える二大状態異常の権化、バシリスクが そこにはいた。 871 プバグフェア鉱山②︵後書き︶ バシリスク。 毒にも諸説ございますが、コカトリスと混同されたりと伝説もあち らこちらへと変化して伝わったりしているようです。 それだけに倒したと言う話は英雄譚ですし、脅威として信じられな かったり恐れられたりするものです。 872 プバグフェア鉱山③ 幸い、その巨体の先にある頭部は俺たちから逆を向いており、な おかつあの頭の垂れ方は寝ているのではなかろうか。 アイラを下がらせたのにはもう一つ理由がある。気配を消すのが 最も苦手だからだ。普段から距離を離して狙撃することで戦ってき たアイラにとって、気配は察知されるほど近寄るものではなかった のだ。 俺は強さだけではパーティーを組んでおらず、一に性格二に精神、 三に知能で四でようやく戦闘センスがやってくる。 だからアイラが気配を消せなくてもさほど問題はない。 そんなのはロウに任せておけばいいのだ。 ・・・・ そんな采配はさほど意味を成さなかったようで、バシリスクが目 覚める気配は未だない。 ただ単に鈍感なのか、それとも自身が強すぎて俺たちごとき雑魚 を感知する必要さえないというのか。 暗い洞窟の中にぼんやりと奴のシルエットが見えている。 舐めやがって。 俺たちだってそこそこ強くなってるんだからな。 ﹁砂漠にいるはずなのに⋮⋮どうして⋮⋮?﹂ やはりカグヤは知っていたか。 この世界の知識に関してはアイラよりもカグヤの方がやや詳しい。 まあ貴族の屋敷とかでどっぷり幼少期を過ごした俺ほどではない かもしれんが。 873 バシリスクは砂漠にいると言われる。こんな山の中で出会うのは 予想外ではあった。 だが俺は一つの推測を持っていた。そしてそれは今回の遭遇で確 信へと変わった。 ﹁⋮⋮⋮⋮いや、違う﹂ ﹁どういうこと?﹂ ﹁奴が砂漠にいるんじゃない⋮⋮奴が周囲の環境を砂漠へと変えて るんだ﹂ バシリスク。全ての生命を灰燼に帰す石化能力を持つ。おそらく それにも魔法を使ったトリックがあるのだろうが。 そしてその凶悪すぎる能力こそが自らの周囲の草木を石に、そし て砂にまで変えて不毛地帯を形成したのだ。 奴は肉食。本来周りの草木に配慮はしないのだろう。それではい つかは獲物がいなくなる。きっとバシリスクがあまり多くないのは そのせいもあるのだろう。 だがこいつはまだ知能が高い方だ。 こうして無闇に石化能力を使わず、洞窟の中で獲物を待ち構えて いるのだから。 もしかして夜行性なのだろうか。 ならば日没までに攻め込む方がいいかもしれない。 俺は作戦とも言えない指示を出した。 ﹁カグヤは炎属性を出来るだけ使うこと。その際は炎よりも吹雪の 方を使うように﹂ ﹁それは⋮⋮.トカゲだから?﹂ ﹁ああ。ウロコがあってヘビみたいな姿をしている以上、変温動物 874 だろう。なら効くかどうかわからない上に相手を活発化させる可能 性のある炎よりも吹雪で低体温にしてやった方がいい﹂ ﹁アイラは⋮⋮﹂ 一番どぎついのを撃ってもらうことも考えたが、洞窟の崩壊の危 険を考えて少し怖くなった。 もちろん貫通力のあるロングバレルは使えない。 ﹁今持ってる六連リボルバーでいいや。狙う時は目にして欲しいけ ど、目が合いそうになったら必死にそらせよ﹂ ﹁レイルくんは⋮⋮﹂ おずおずと尋ねるその様子は明らかに一つのことを懸念している ことを表していた。 ﹁ああ。一番前でアークディアと囮になるよ﹂ ﹁危ないじゃん!﹂ ﹁でも俺が一番防げそうなんだよ﹂ 自身の防御が高すぎて基本五属性の魔法をあまり防御に使わない アークディアにバシリスクの能力を防ぐのを任せるのはいささか不 安があった。 それにバシリスクは伝承が派生して様々なことが言われているが、 共通する記述が二つある。 一、バシリスクは強力な毒を持つ。 二、その目を見たものは石になる。 二の描写は数多くあれど、目が能力のキーになっていることは明 らかであった。 875 それを信じるとするならば、俺しか防ぐことはできないだろう。 と、バシリスクが目を覚ましたようだ。 重い気配がのっしのっしと動き出すのがわかる。 俺は空間把握のタイプを変えた。魔力と光をより正確に把握でき るように。 ﹁くくっ、始めようか﹂ どう見ても悪役のソレである。 嗜虐的に口元を歪め、生粋のバトルジャンキーのように言った。 ダメだ。俺が目指して⋮⋮いるようなキャラこそないが、あまり にもアレなセリフだ。 ﹁かかってこいよ、でかぶつ。数の暴力で蹴散らしてやんよ﹂ 数というほど数もいないが。 巨体はこちらにやってくることはなく、慎重にこちらを窺ってい る。 洞窟から這い出してきたことで最大火力が使えたらいいな、と思 ったが無駄だったようだ。 俺たちの方から行ってやることになった。 ﹁逃げるっつー選択肢はないのかよ﹂ ロウのセリフは悲観的なものではなく、どちらかというと最後に ︵笑︶がつく程度には軽いものだった。 876 ﹁あれが暴れちゃヤバいだろ?﹂ ﹁まあな﹂ 他の人たちが、などとは思っちゃいない。 どちらかというと自然に対する敬意の方が大きいか。 せっかく豊かな土地なんだから不毛地帯に変えられるのは御免で ある。 ﹁ぎしゃぁぁぁぁぁっ!!﹂ その牙がずらりと並ぶ肉食な顎を開き、そして魔力が一点に集中 するのがわかった。その瞬間、俺たちがいる洞窟内が明るくなった のがわかった。 なるほど、そういうことか。 俺は咄嗟に俺たちが受けた光の反射する方向を捻じ曲げ、バシリ スクに届かないようにした。同時にバシリスクの目から俺たちに光 が届かないようにした。するとバシリスクは俺たちを見失い、俺た ちはバシリの目が見れないこととなる。 波属性光魔法を空間把握と融合させた高等術式。 場の全ての光を支配した俺にそれは効かない。 バシリスクの視線が捻じ曲げられて隣の岩に当たる。 すると岩がバシュゥと音を立ててヒビが入り、崩壊していく。 と、ここでバシリスクの能力を理解した。 サブカルチャーにややハマり気味だった俺だ。こういった無駄な 想像力と観察力だけはあったのだ。 ﹁これは⋮⋮石化じゃない。風化だ⋮⋮!﹂ 877 岩に石化ってなんだよ、石化が効かないから洞窟にいたんじゃね ・・・・ えのかよ、と思っていたのは大きな間違いだった。 奴は暗いから洞窟にいたのだ。 普段から周囲を滅ぼしていたら自分の寝床がなくなるから、でき るだけ無闇に発動しないように光の少ない洞窟にいたのだ。 風化というのは岩石が長い時間と太陽光や風にさらされた結果、 ヒビが入ったりして崩壊する現象だったはず。 そう、長い時間が必要なはずなのだ。 ﹁奴の能力は光を媒体にした時術だ!﹂ 目から放たれるのは先ほど洞窟の外から集めた光で、それを目か ら放つことにより、視線の先に存在する敵に強力な時術をかけるの が奴の特性というべきか。 何百年、もしくは何千年と無理やりに経過させられた生物は当然 のことながらその命を終えて肉体を崩壊させる。 その様子を砂のようになったとして石化と呼んだのだとしたら。 なるほど⋮⋮最悪ではないけど限りなく最悪に近い能力じゃねえ か。 ﹁ほほう。なら私にも効くかもしれませんね﹂ アークディアの言葉にギョッとする。 未知の魔法や自然に強い悪魔がこんな形で効くとは思わなかった。 ﹁と言ってもちょっぴりですけどね。食らったところで魂一個分も ないでしょうか﹂ そう、悪魔は寿命も、そして魔力も全てを持っている他者の魂に 左右される。 878 長い時間を過ごすことができるのはゆっくりと魂をエネルギーと して自らに強力な時術をかけているからなのだとか。 人の魂一個で何千年と生きられる悪魔にとってほんの少しの損害 らしい。 だがアークディアは人の魂にあまり興味がないとも言っていた。 たまに気まぐれで呼ばれて願いを叶えてはその対価として魂は受 け取っていたが、積極的に貯めることも使うこともなかった彼にと って初めての感情かもしれない。 次々と俺たちに視線を介して、光を介して術をかけようとするが 悉く俺が退ける。 ﹁最悪あの術にかかったとしても、かけられている最中に止めてロ ウに頼めば治るかもしれない。だから大丈夫だ﹂ できるだけ安心させられるように冷静を装ってみんなに呼びかけ る。 ホームレスはこんなときでも気楽そうだ。 どうなってるんだ、あいつは。 でもさすがにこの場においてまでバシリスクを捕まえようなどと は言わなかった。 アイラが銃を使うも、その弾丸は眼球に届く前によけられ、防が れる。 目以外の部分であれば銃弾は弾かれてしまうようだ。 このままでは重火器類の火力は頼りにならないかもしれないな。 さあ、根比べだ。 お前の視線を逸らし続ける俺の精神力か。 それともお前の体格を活かした攻撃によって視線を避けられない 879 ほどに痛めつけられるか。 バシリスクとの戦いは始まったばかりだ。 880 プバグフェア鉱山③︵後書き︶ おや⋮⋮バシリスクの様子が⋮⋮ どうしてでしょうか。あまり危機感がないのですが。 881 プバグフェア鉱山④︵前書き︶ バシリスクとの戦い、決着です 882 プバグフェア鉱山④ その尻尾が横に薙がれ、カグヤの横をかすめていく。 その鳴き声と様子を見てアークディアが一言。 ﹁安眠を邪魔されて怒っていますね﹂ ﹁見りゃあわかるよっ﹂ 軽口は叩きながらも全神経は波魔法に集中している。 空間把握で完全に掌握している光と魔力の交錯する洞窟内から狙 った光だけを捻じ曲げ、洞窟の壁内や天井へと当てる。 そのいくつかに術が作用して煙を上げながらボロボロと崩れてい く。 ﹁かったい!﹂ カグヤが刀でその尻尾を切り落とそうと試みるが、ウロコはどう やら鉄よりも硬いらしい。 ﹁俺が、余裕が、あれば、な!﹂ 俺が余裕があれば空間術によって隙を作ることもできただろうが、 こうも防御に専念させられては動きにくい。 ﹁ぜっんぜん効かないな!﹂ 先ほどから洞窟が崩壊しない程度に手加減しながら魔法を打ちつ づけているホームレスも叫ぶ。 883 ﹁アークディア、いいぞ!﹂ ﹁御意﹂ 悪魔は契約に縛られる存在。 契約していないバシリスクからは魂こそ取れないものの、本来の 身体能力と純粋な魔法の威力ではこの中で一番高い、はずだ。 詠唱はせずにホームレスは風魔法で手元に風を集めた。風は制御 を嫌うがごとく荒れ狂う。それをほぼ力ずくで抑え込もうとするこ とで周りは空気が薄くなり、そして張り詰める。 空気が緩んだ。 と思えたのは魔法を食らわなかった俺たち側であって、それと同 時に風の刃の直撃を受けたバシリスクは首元に大きな切り傷を作っ ていた。 血こそ流れているものの、深手を負わせるまでには至らないよう だ。そんな傷もしばらくしたら塞がってしまうかもしれない。 その予想はバシリスクの魔法によって覆された。 ﹁シャァァァァッ﹂ 舌がチラチラと見えるほどに吠えた直後、みるみる傷が塞がって いく。 回復術か⋮⋮時術の応用の一つ、自身の肉体の時を加速させるこ とで自然治癒力を高める術だ。 ﹁骨が折れますね﹂ 884 アークディアは自分がつけた傷があっというまに回復されたこと については気にしていないようだった。 頼もしいというべきなのか⋮⋮ ﹁いざとなれば逃がしますので﹂ 石化については回復を考えなくていい。むしろ石化につ 大丈夫ではなかったようだ。 ﹁ロウ! いては受けないように、いつでも万全に戻せるように術は怪我した やつに使ってくれ!﹂ 便宜上、風化を石化と呼ぶ。 石化の方がバジリスクだと馴染み深いし、咄嗟に言われてどちら の方がわかりやすいかと言われると。 危険度には変わりないし、避けねばならんことは確かだ。 風化させられた部分は一朝一夕で戻せるようなやわな術ではない だろう。 何度にも分けて時術で巻き戻していくしか生き返らせられる見込 みはない。 そんなことをこの戦場において行う余裕はない。だから。 ﹁アイラ。もしも誰かがあの視線を受けてしまっても慌てずその腕 輪の中に亡骸をしまってくれ!﹂ そう。アイラの腕輪には強力な時間術と空間術が使われていて、 中に収納したものの時間を止める作用がある。 そこにしまっておくことさえできれば、後で出しては時間を巻き 戻し、限界がくればまたしまうということができる。 885 いったいどれほどかかるかはわからないが、救いがないよりはず っといい。 その発言を受けて苦々しそうに頷くアイラ。 それもそのはず。仲間が砂になるかもしれないとわかっていて、 それを庇わず砂になってからその亡骸をしまえというのだから。 しかもおそらく俺が一番攻撃を受けやすいだろう。 あの視線を逸らすのに全身全霊をかけているのだ。 俺が攻撃を防いでいる元凶だとわかればバシリスクは俺に狙いを 変えるだろうからな。 こんなときでもピンピンしているホームレスに救われる。 俺の作戦で岩の砲弾を作らせてみたり、水で頭部を囲ませてみた りといろいろ試させてはいるがいっこうに決定打となる気配はない。 だがそんな中でもカグヤとともに足元の岩を浮かせたり凹ませた りと大忙しである。 俺は今まであまり戦うことはなかったけれど、戦いを間近で見続 けてきたのだ。 相手を見ることと読むことには長けているんだよ。 仲間の動向に気を配りながらも、ずっとバシリスクの視線に集中 している。 ホームレスに視線を向けた瞬間、その両者の間の光を屈折させる。 光の速さについていけなくとも、バシリスクの反応速度に目で追 いつくことはできるのだ。 そしてあることに気づいた。 どこまで通じるかはわからないがやってみよう。 ﹁お前ら、全員後退しろ!﹂ 886 俺は動きまわる全員の姿を別の場所にいるかのように錯覚させた のだ。 物が見える仕組みは簡単だ。物が光を反射して、その光が眼球に 届くことで見えている。 ならば俺たちが反射している光を屈折させて別方向から奴に届け たとしたら? 逆に奴が目から発することで媒体としている光は俺たちに届かな いようにしたとしたら? そう、奴は俺たちの場所を錯覚した上に、当たっているはずの術 が効かないという事態が起こる。 視界と結果がリンクしないという前代未聞の状態にバシリスクの 脳はさぞかし混乱することだろう。 バシリスクはしっちゃかめっちゃかに暴れるが、それを離れたと ころで見守る俺たち。 洞窟の奥の方で隅っこに固まっている。 ﹁何をしたっていうんだよ﹂ ﹁なあレイル、なんだあれ?﹂ 仲間は次々と疑問を口にする。 多少知識のあるカグヤやアイラが見てもなおわからないこの戦法。 見える、という現象を理解していなければ思いつきもしないとい うことだ。 ﹁まあ見てろよ﹂ あとは簡単だ。 887 めちゃくちゃに暴れるあの体に当たらないよう少し離れたところ で見守る。 そして相手の精神力と体力が完全に尽きて動くことさえできなく なるまで待つ。 こんな大きな相手に持久戦を挑もうってんだ。 ちょっとばかし有利な条件で挑んだっていいだろう。 とそんな風に油断したのが良くなかった。 前世の物語でもあったはずだ。どうして忘れてしまっていたのか。 勝利を確信して高笑いする悪役ほど、そのあと耐えきった主人公の 猛攻によって逆転されてしまう展開が待っていたことを。 俺はやはり弱い。いや、弱くなくてはならない。 あの頃の酷く臆病で、強い相手に挑むことさえしない人間でなく ってはならなかったのだ。 バシリスクの体から魔力の奔流がふっと途絶えた。今まで空間術 を阻害していた濃密な魔力の渦だ。それを俺は毒の準備だと思った。 今まで使わなかったことが油断を誘い、隠しておくためのブラフだ ったのだと考えたのだ。 だから俺の行動選択肢は二つだと思った。 レジスト 毒を吐かれてもそれを防ぐような態勢を整えるか。 それとも毒を使われる前に魔力抵抗のなくなったその脆弱な肉体 を空間術でぶった切るか。 この距離からならばどちらでもいけると思った。 そして俺は後者をとろうとしたのだ。 これが俺の油断だった。 888 ワープ 安全に気を使うならば、転移で全員を洞窟の外に逃がすなりなん なりしなければならなかったのだ。 奴は大きく魔力を口に溜め、そこに一つの術式を俺より早く組み 上げた。 俺は発動させまいとアクションを起こす前に肉体に剣をブっ差し、 そして口の前には空間の歪みを作ることでそこに毒が吸い込まれる ように調整したのだ。 途端、俺たちは脳を衝撃に揺さぶられた。 ﹁な⋮⋮に⋮⋮っ?﹂ そう、奴がしたことは毒のブレスなどではなかった。 ただ単に吠えたのだ。 それも最大威力を波魔法で強化して。 狭い洞窟内はこれでもかとその叫びを反響し、そしてその全てを 俺たちの耳に届けた。 こんなことがあるとどうして予想しなかったのか。 バシリスクを知能の低い単なる爬虫類系の魔物の上位種と侮る気 持ちがどこかになかったか。 とにかくその攻撃を防ぐことのできなかったアークディアを除く 全員がその場に倒れた。 アークディア一人で全員を連れて逃げるかそれとも守って戦うこ とができるだろうか。 アークディアは波魔法がそこまで得意ではない。 やつの視線を曲げて俺たちに迫り来る術を防ぎきれないかもしれ 889 ない。 ならばたった一つ。 俺たちが立ち直るまで時間稼ぎの盾となってもらわなくてはなら ない。 ビリビリと鼓膜にかかった刺激は未だ癒えることはない。 中には耳から入って俺たちの自由さえ奪うような力が込められて いたのか。 三半規管がぐるぐるとまわるこの感覚はどこか空間酔いに似てい ないこともない。 必死で巻き返す策を考えていた。 朦朧とする意識でどうにかして回復しようと自分に波魔法をかけ ようとした。 ロウはおそらく自分に時術をかけようとしている。 加速と巻き戻し、どちらが早いか。 そんな時、バシリスクが後ろを向いた。 洞窟の外の光の先に明確な敵意を向けて。 今の俺たちは奴にとって脅威ではないだろう。 敵が来たとしたらそちらを優先するはずだ。 だからそのことには違和感がなかったのだが。 ﹁今⋮⋮ここに来るやつ⋮⋮だと?﹂ ﹁危ない⋮⋮逃げて⋮⋮﹂ カグヤがか細い声で逃げるように言い聞かせた。 だが時はもうすでに遅かった。 バシリスクはそちらを標的と定め、その縦に細くなる目を向けた。 890 が、信じられない光景を目の当たりにすることとなった。 俺たちの目の前でバシリスクの首が飛んだ。 比喩でもなんでもなくって、首から上が切断され、赤い断面図か らは細い線が吹き出した。 ぼとり、と重苦しい音が響き、完全にバシリスクが絶命した時、 凛とした空洞のような少女の声が洞窟内に響いた。 ﹁バカな奴じゃのう⋮⋮このワシに手を出すとは。いや、蛇じゃか ら牙をむく、か?﹂ 少女でありながら独特の老いを感じさせる喋り方には覚えがあっ た。 ﹁カカッ。久しぶりじゃのう、レイル。会いにきてやったら相変わ らず大変なことになっておるようじゃて﹂ 長い白髪は背中から腰までにかかり、その肌の白さはどことなく 病的なものを感じさせる。 どこまでも希薄な美貌にその圧倒的強さはあの時と何も変わらな かった。 死の君、ミラヴェール・マグリットがそこにいたのだ。 891 プバグフェア鉱山④︵後書き︶ 少しずつ旅で出会った人たちが集まってきました。 誤字脱字等ございましたら指摘していただけると嬉しいです。 892 帰ってきた場所 ミラは禍々しくも神々しい鎌でぶんと空をきった。 死神の加護をかけた、と﹂ どうしてここに?﹂ そんなミラがここに現れたことに驚いて思わず聞いた。 ﹁ミラ! ﹁言ったであろう? 死神の加護には対象の居場所をぼんやりと把握する力があるとか。 確かにそんなことを言っていたような気がしてきた。 特定できるのが国単位ってどうなんだよ、とは思うが、死神とい うスケールの大きな彼女からすればたいした違いはないのかもしれ ない。 ﹁お前さんらがいたシンヤといった奴にお前さんらの居場所を聞け ばここにいるというではないか﹂ ﹁よくシンヤがお前を行かせることに同意したな﹂ ﹁それなら力ずくで止められたのを力ずくで出てきたのじゃ﹂ なるほど。そりゃあ止められねえわ。 というかミラを止めたシンヤの部下はよく命が奪われなかったな。 シンヤは見た目で人を判断しない耐性はある方なんだけどなあ⋮ ⋮もっと鍛えなくちゃならないのか。 俺がお前の立場ならミラなんか怖くて止められはしねえよ。 ﹁けっけっけ。言ってやったよ。ワシはあそこの魔物ごときには傷 一つつけられはせんよ、とな﹂ 893 その言葉を証明するかのように、ここまで無傷で迷うことなくや ってきたのだ、と。 目の前の少女は見た目に似合わぬ笑みで俺にそう告げた。 誰が思うことができようか。今までの中で最も命を扱うことにか けて長けた存在、伝説でしか聞いたことがない者も多い死の君がこ んな少女だなんて。ましてや勇者と親しくてその後を追うなどと誰 が考えることができようか。 後味が悪いというほどでもないが、自らの失態を偶然というもの に救われて釈然としないまま俺たちはプバグフェア鉱山を後にした。 帰り道、黙々と歩いた。 少し落ち込んだのを察せられたのか、誰も何も言おうとはしなか った。 でもそれではだめだ。一発軽快なギャグでも飛ばせれば良いのだ が⋮⋮ ﹁ごめんな﹂ やはり俺にできる限界とはここらへんのようで。俺には空気を変 えるしなやかさというものはなかった。たった一言。だけどそれだ けで皆が察してくれた。 ﹁ははっ。気にすんなよ﹂ ﹁まあ死んだら死んだで今でこそ儂がお主に付き従う形になってお るが、その時は逆に儂の右腕として働いてもらおうかの﹂ ロウとミラは軽かった。 894 ﹁確かに危なかったですね。思わず受肉を考えましたよ﹂ 受肉とは精神生命体が肉体を得ることである。魔法が急激に強く なり、肉体を得たことで様々な点で強くなる。それは魔法攻撃を食 らうことと相殺といったところか。つまり俺たちの誰かを殺して、 っておいアークディア。まあ肉体を得たらバシリスクから逃げるの か難しくなることを考えると、それだけの覚悟があったってことだ けどさ。 ﹁今回は今回。私たちがあんたについていったんだから。それであ んたに全て背負わせたりはしないわよ﹂ カグヤは決して甘いだけの言葉は口にしなかった。 ﹁私はレイルくんと一緒だからね。それでどうにかなっても後悔し ないよ﹂ アイラは凄いな。俺なら後悔しそうだ。 というかこの信頼に俺は応えられるのだろうか。 ◇ そのあとはこれといって語ることもない。 ただただ冒険者ギルドによってバシリスクの討伐報告と素材買取 を確認してきただけだし。 倒したのはミラなのに、手柄を自慢できるわけもなく、周りから 寄せられる尊敬の眼差しがひたすらに気まずい。 895 いや、もちろん油断さえしなければあのまま勝てたよ? でもさ、結果が全てだからねえ。 俺だって言えるものなら言いたかったさ。バシリスクを倒したの はここにいる女の子です!ってな。 誰も信じてくれないか、それとも正体をバラして大騒ぎになるか のらどちらかしか結末が見えていないというのにそんなことができ るはずもない。 結果だけ見れば大成功で、久しぶりにミラにも会えたことを喜ぶ ところであるが、疲労でだるい体をひきずって帰ってきたのはその 日の夕方だった。 金には困ってないので町で宿に泊まってもよかったが、空間転移 が使えるのにわざわざそんなことをする必要もない。 セキュリティは万全、お金もかからないし融通もきく。 そんな至れり尽くせりな素晴らしい場所があるというのに馬鹿ら しいと戻ってきた次第である。 ﹁お帰りなさいませ﹂ ﹁よく無事だったな﹂ 出迎えはあまり多くはなく、主にシンヤとレオナが来てくれた。 ﹁ああ。一番大事な出迎えを使用人に任せられるわけがないだろ。 と言いたいところだがな、お前らの出迎えは取り合いになったから 俺たちが権力で黙らせただけだよ﹂ ﹁ふふふふ。僕が私がと喚いている人たちを一言で黙らせたのは爽 快でしたわ﹂ レオナ⋮⋮腹黒いのは知ってたけどそんな発言、君の口からは聞 896 きたくなかったよ。 つーかシンヤはいったいあいつらに何を吹き込んだんだよ。 ﹁レイルはお前らのためにめちゃくちゃ危ない魔物がいっぱいいる 山に行ったから、帰ってきたらお礼を言えよって言っただけだ﹂ いや、それ半分脅迫じゃね? ま、いいか。喜んでるならそれでいいや。 頑張る理由なんてなんでもいい。 それともわ・た・し⋮⋮?﹂ ﹁というわけでおかえりさないませ、レイル様。お風呂にします? 食事にします? おお。女の子に言われてみたいセリフ百選に必ず入ると言われる 定番のセリフ。 ﹁全部で﹂ と僕はキメ顔︵仮︶でそう言った。 ﹁レイルくん?﹂ ﹁ごめん、調子に乗った﹂ ﹁ところでレイル様。後ろの方はどちら様かお聞きしても⋮⋮?﹂ レオナは全く笑顔を絶やすことなく聞いた。 だけどその笑顔は以前アークディアとかのことについて聞いたあ の時よりも随分迫力がある。 アグボア相手にも怯むことないこの俺がレオナに気圧されたのだ。 ﹁いや、こいつはな﹂ 897 何故かやましいことなど何もないのに答えづらい。 いや、逆にどう答えればレオナが満足するんだ? どこぞのCMのように脳内で選択肢のカードを手に持ちながら冷 や汗をかいているとミラが後ろからずいっと出てきた。 ﹁自分で言おう。儂はミラヴェール・マグリット。かのアニマ・マ グリットの妹にあたるが、無関係と思ってくれて構わん。そこのレ イルに捧げたのじゃ﹂ ちょっと待て。 捧げた のかを明言しないことでますます怪しい響 捧げたってなんだよ、捧げたって。 あえて何を きになっちまってるじゃねえか。 ﹁レイル様⋮⋮?﹂ ﹁なあミラ。捧げたってなんだよ捧げたって﹂ ﹁それはのう⋮⋮ふふっ﹂ 途中で止めるのはやめろよ。めっちゃ火に油を注いでるからよ。 仲良くしてほしいんだけどなあ。 ﹁ミラ。からかうのはそれぐらいにして⋮⋮﹂ ﹁つれないのう。まあいいわ、お主はアイラといい、この小娘とい い﹂ どうやらミラはレオナのことはあまりお気に召さないようで。 いや、これは喧嘩するほど仲が良いってやつかな。ほうっておけ ばそのうち仲良くなりそうだ。 898 ﹁このように怪しい女がレイル様のお側にいられると思いまして?﹂ ﹁はいはい。レオナも終わり。見た目は子供、中身は婆さんってそ んな感じだからあまりムキになるな﹂ そうだよ。中身はババアなんだから。 俺は見た目さえ若けりゃ関係ないとは言わないでおこう。 この好き者め!﹂ ﹁婆さんとはなんじゃ。このピチピチの美少女を前に。それとも中 身があどけない方が好みか? ﹁まずは口調を直してから言え﹂ まるで同級生のような軽いノリのやりとりになんだか毒気を抜か メイドの真似事なんかし れたのか、バタバタと仕事に戻ってしまった。 あいつ、お姫様じゃなかったっけ? て怒られないのか? とそんなことを考えて、バカなノリに振り回されながら夕食を食 べて風呂に入り終わった頃には憂鬱なんてものはどこかにいってし まったのだった。 899 お出かけ︵前書き︶ しばらくはのんびりしてそうですね。 900 お出かけ 落ち込みこそしたものの、魔物と戦うというのは幾分楽な仕事な のかもしれない。というのは魔物は単純だからだ。 事情もなければ思惑もない。そこにあるのは純粋な生への渇望と 弱肉強食の姿勢。 人間と違って向こうの感情や目的、心理までいちいち計算しなく ても力でごり押しできれば倒せて、倒せれば勝ちなのだ。 俺は人間相手に戦っているといろいろと考えすぎてしまうくせが あるようだ。 本当の目的だとか、裏で手を引いているやつだとか。 その姿勢は決して間違っちゃあいないのだが、如何せんめんどう くさくなるときがある。 思考を放棄してはならない。 それは俺が俺に課した決まりである。 そんなの後でもいいじゃないか。と言ってられるのは甘い。次々 イベントが起こって謎が解けていくなんて現実はヌルゲーじゃない んだ。 俺が見過ごしたことで何に囚われるかわからない。 だからこの決まりをやめようなんて思わないが、たまには休憩し ても構わんだろう。 魔物を相手にしていると獣の楽さがわかる気がした。 何が言いたいかというと、シンヤに後始末とこれからの鉱山への 901 交通路の整備を丸投げしようって話だ。 この前はバシリスクを倒した報告と素材を預けるまではしたのだ が、その金額が多すぎてすぐには払えないとのことだった。 それにたいして払いにこいというほど狭量ではない。空間転移も 使えてそこまで忙しくもないこの身としては、 ﹁また取りにきますので素材だけ預かっておいてください﹂ ギルド と言い残したのだ。 だから今日は冒険者組合にもう一度向かわねばならない。 ﹁倒した奴ら全員で行くか⋮⋮﹂ いや、アークディアとホームレスには待っててもらってもいいだ ろう。 アークディアはあまりそういうことには興味なさそうというか面 倒くさがりそうだし、ホームレスは言わずもがな。 とりあえず聞いてみるか。 ギルド ﹁俺と一緒に冒険者組合行きたい人挙手っ!﹂ ﹁はい!﹂ ﹁私も行きたいですわ!﹂ ﹁儂も行くのじゃ﹂ はあ? アイラにレオナ、ミラって。 見事に女性陣が揃ったな。 ﹁カグヤとロウはいいか?﹂ 902 ﹁いいよいいよ。交渉事はレイルに任せてるしよ﹂ ﹁ええ。ちょっと魔法で試したいこともあるしね﹂ そのセリフは魔法使いのもんじゃねえか? 見た目には剣士というか武士というか。 ﹁ああ、じゃあ行ってくるよ﹂ ◇ 町の中を美少女三人を連れて歩く男がいた。俺である。 たまに不躾な視線が飛んでくる。怪しいもんな。 俺としては眼福で、この光景だけでも金を払いたくなるような神 々しさがある。 死の君とお姫様の間にいて見劣りしないアイラがすごいと思う。 俺なんかオーラだけですでに負けそうなのに。 ﹁で、どうしてレオナもついてきたんだ?﹂ ともすれば﹁お前場違いだろ﹂ともとられないキツ目の発言では あるが、レオナは別に俺が責めているわけでないことを的確に見抜 いてくれるはずなので問題ない。 というかビジュアル的に場違いは俺だからな。 ﹁そろそろレイル様の名前に私の印象をつけておきたかったのです わ﹂ 903 ギルド なるほど。冒険者組合にわざわざ姫であるレオナが一緒に訪れる まあ国の一つの宣伝材料であるわけだから、 ことで俺の重要性をしらしめるわけだな。 そんな重要か? あまり無能っぷりを見せるわけにもいかないってのはあるだろうけ ど。 ﹁勘違いしてらっしゃるようですが、レイル様の名前は嫌というほ ど知れ渡っておりますわ﹂ そんなことがあるのか。できるだけ情報を隠してきたつもりの俺 からすればやや意外という他にない。 ﹁今回はレイル様がこちらの味方であると保証するという意味と自 治区の責任者としての姿をお披露目する目的があるのですわ﹂ へえ。確かにあそこは今、ギャクラにとって重要な拠点だもんな。 というか俺って味方かどうかさえ疑われるほどなのか? 結構ギャクラの為になるように立ち回ったつもりだったんだけど な。 まあ所詮、高校生までの人生を二回繰り返した程度の思考では限 界ということか。 自治区だって細かいことはシンヤに任せてあるんだからそんなに 気にしなくたっていいのに。 ﹁ふっふっふ。儂がいるとわかっておればレイルに下手な手出しは できまい⋮⋮⋮⋮﹂ ミラが悪い笑みを浮かべている。 お前みたいなのがいたら誰も手出しできねえよ。俺だってごめん だ。 904 こっちは ﹁別にバシリスク、私の腕輪にしまっておいてもよかったんだけど なー﹂ ﹁それだと向こうが売ってもらえるか不安になるだろ? 支払ってもらえると思ってんだから預けときゃいいんだよ﹂ ﹁それにこうして私も仕事を終わらせて息抜きに励めるというので すからいいのですよ﹂ そういってレオナが俺の腕に自分の腕を絡めてくる。 ムッとした顔でアイラは一歩近寄ったがそれ以上はするつもりは ないようだ。 久しぶりの休暇だし好きなようにさせようと思う。 お金には余裕があるし、何か食べていくのもいいかもしれない。 置いてきた奴らには悪いが、まあそんなことでいろいろというタ イプでもないだろう。 特にロウとカグヤなんかは夫婦水入らずで来た方がいいだろうし な。 ﹁ま、最初は仕事を終えてからかの﹂ ギルド 冒険者組合の建物が見えてきた。 905 いつかこんな日が来ると思っていたよ ミラがバシリスクの首を刈れたのは、バシリスクがミラに攻撃を したからである。 ギルド 明確な敵意があればそれだけで死の君に課せられた制約は意味を なさない。 そのことを知られれば困るな、なんて思いながらの冒険者組合訪 問である。 美少女連れで入った俺に嫉妬の視線が集まり、そして俺の顔をよ く見てざわつく。 ﹁おい⋮⋮あいつらって⋮⋮﹂ ﹁間違いねえ。悪夢の勇者だ﹂ ﹁最低最悪の外道だっつーあれだろ﹂ なんだ、その評判は。 俺がふっと目をやるとビクッと怯えて目をそらされる。 俺、なんかしたかな? とこれまでの行動を振り返る。いろいろしたけど⋮⋮今回のが派 手だったかな? まあ魔王と仲良くしてるだけでも十分怖いのかもな。これを機会 に魔王への印象が変わるといいなあ。俺みたいな庶民派の勇者候補 が親しくできる魔王様だってな。 目を合わせるなよ。心までズタボロにされるぞ﹂ ﹁くっそ⋮⋮どうにかして﹂ ﹁ひっ! 906 横を通るだけで椅子が一歩離れる室内で動揺を見せない数少ない 人間を確認した。 アンドラさんにヒラムさん!﹂ その中に見覚えのある顔を見つけると俺は懐かしさのあまり声を かけた。 ﹁あっ! ベテラン そう、二人の男性は俺がまだ駆け出しだったころにお世話にとい うかアドバイスを受けた先輩冒険者の人だ。 勘違いされがちな言動が目立つが、面倒見のいい熟練者としてギ ルドの信頼も厚い。 二人は俺たちのことを覚えてくれていたようなのだが、やや気ま ずそうでこわばった顔で出迎えてくれた。 ﹁お、おう。久しぶりだな﹂ なぜ顔を引きつらせるというんだ。 可愛い後輩がやってきたんだぞ。無事だったのか、とかいって頭 をぽんぽんするとかだな。そういうのが足りないから勘違いされる んだぞ。 ﹁ええ。あの時は超雑魚でしたが、多少はまともになりました﹂ にこやかに応じる俺。 強さ的にはもう追い越してしまっているかもしれないが、あくま でここでは先輩として敬意を表してだな。 ってだからどうして敬語の俺に不審な顔をするんだよ。 ﹁お前ら⋮⋮バシリスクに砂塵蟲龍、コドモドラゴンまで倒したっ つーのは本当かよ﹂ 907 ﹁ええ⋮⋮まあ⋮⋮﹂ お前ら、の中にホームレスとミラを入れていいならそうなるかな。 砂塵蟲龍はまぎれもなく四人で倒したからいいんだけど。あれも 絵面が悪かったな。 ﹁なんだ、歯切れが悪いな﹂ ﹁で、そっちの嬢ちゃん方はどちら様か紹介してもらってもいいか ?﹂ ﹁そうだな。前いた嬢ちゃんと白い髪の坊主がいねえじゃねえか﹂ アンドラさんとヒラムさんが俺たちに親しげに話している様子を 見て、ほほう、と周りの冒険者も感心の溜息を漏らす。 ふふん。どうだ。古参の冒険者の彼らとも知り合いなんだぜ。と 自慢するほどでもないか。俺らだってそこそこ有名らしいし、しか も後ろにいる少女たちは超有名な二人でもある。 ﹁その方たちはレイル様がさん付けするほどお偉い方々なのですか ?﹂ 外交は得意 失礼な質問をしようとするレオナを手で制して答える。 なんで敵意をむきだしにするんだよ。お姫様だろ? 分野じゃねえのか? ﹁カグヤとロウは留守番ですよ。そのことも兼ねて話しますよ。こ の先にある場所に自治区というか半ば国と化した場所がありまして ね。そこを拠点にしてますので。こいつらはミラとレオナ。二人と も、自分で言うか?﹂ ﹁お初にお目にかかります。ギャクラ王国の王家、ラージュエルの 908 一人。レオナ・ラージュエルと申します。この先にある自治区の代 表者でありながら勇者候補の資格を持つレイル様を公私に渡ってお 支えするために共にさせてもらっております﹂ そうそう。それでいいんだよ。求めていたのはそういうまともな 自己紹介。 でも公私を強調したのはやや怖い。ヤンデレも嫌いじゃないけど、 姫? 聞き間違いじゃねえよな?﹂ そうも完璧に統制されたヤンデレはもはや計算のうちに見えるとい うか。 ﹁えっ? 一国の王族がほいほいとここまでついてきたことに口をパクパク と閉じたり開いたりして指をさしかける。 でも指をさすと失礼にあたるのはこの世界でも同じで、呪いなん てものが信じられているからなおさらそういう行動は忌避される。 周りで聞き耳を立てていた冒険者も、受付の人までが騒ぎ出した。 そういえば勇者候補とか言ってなかったかな。 慌てて冷静さを繕うも、次にもっと大きな爆弾が待っていた。 ﹁きゃははは。儂はミラ。ミラヴェール・マグリットじゃ。かのア ニマ・マグリットとは兄と妹にあたるが、これといって敵意はない。 だがレイルは別じゃ。奴と個人的に親しいがゆえにこの世界に留ま っておる﹂ 広い建物であり、中には二十、三十と多くの人がいるにも拘らず、 その声はよく響いた。 全ての人が過去の大戦についてよく知っているわけではないので、 もちろんその名の表す意味を全員が理解したわけではなかった。 だが半数の人はその名に聞き覚えがあった。 909 ﹁ははっ⋮⋮嘘だろ﹂ それは疑うというよりは、どうかそうであってくれと願うかのよ うであった。 だがその言葉は信じたくないものや信じられないものに一時の安 堵と都合のいい逃げ道を与えた。 ﹁だよな。あんなちっちゃい子がまさかね。あのアニマの妹とか﹂ ﹁安心せい。儂に何があってもどうせ兄者は出てこん。だが儂はこ れでも冥界では死を司っておる。バシリスク討伐の際もそこにおっ た。なめとるのなら痛い目に遭わせてやろうか?﹂ 一人の青年がその言葉を受けて反論した。 ﹁お前らみたいなのがふざけるな!﹂ 前に出た青年に周囲の冒険者││特にミラの実力がわかる者やレ オナの素性が本当であるとわかっている人たちが青ざめた。 ﹁そうよ。いってやってよトーリ﹂ 気の強そうなお嬢さんが後ろで追従する。 右手には杖を、そして柔らかな素材のローブはどう見ても魔法使 いである。 ﹁おお、こんな典型的な魔法使いはあまり見ねえな﹂ ﹁レイルくん、自重﹂ 910 最近アイラの対応が冷たい気がしてなりません。なんだか思春期 で反抗期に入った娘を持つ父親のような気分です。 ﹁ふざけやがって。姫とか死神とか。お前らバレないと思って言い たい放題言いやがって﹂ そう言い募る青年はファンタジーにおける勇者というか、前世に おける勇者コスプレみたいな格好である。腰にはベルトと剣の入っ た鞘が、頭には覆うタイプとはまた違った冠状の兜がある。 俺より二、三年上といったところか。だがそれ以上に幼く見えて しまうのは俺が中身がおっさん││いや、まだお兄さん││だから か。 大衆の目前でまるで聞かせるかのように俺たちにいちゃもんをつ けてくる。 ﹁ふん。かの大国ローレンスから旅立った期待の新人と呼ばれた勇 者候補、トーリとは俺のことだ!﹂ 聞いてねえし。 ローレンスは別に大国じゃねえし。 経済大国とはいえギャクラはそんなに大きくないけどお前のとこ の国とあまり変わらないだろ。 おいやめとけやめとけというおっさんどもの視線が見えないのか? と思いきや彼の名前を聞いて数人が動揺を見せた。 ちらほらと﹁まさか﹂とか﹁あの?﹂と彼のことを知るような発 言が飛び交う。 もしかしてこいつ強いやつなのか? ﹁三属性魔法を使いこなし、剣の覚えめでたいこの俺はかの邪悪な る魔王を倒すために仲間と武器を探し、経験を積むための旅をして 911 いる。貴様みたいなガキに負けてたまるか!﹂ 知るか。つーか、三属性って。 うちのカグヤは四属性使いこなしてるぞ。 一般的には一属性でも使いこなせれば御の字で、二属性を十全に 使えれば優秀と言われるんだっけ? とことんカグヤの規格外さがわかるセリフだな。 ﹁じゃあ俺はお前に負けるわけにはいかねえな。俺はギャクラの勇 者候補で、魔王とは親しいからよ。あそこもいいとこだぜ﹂ うっかりすると死体を食わされることなんてなければな。とふざ けるもあの時はキャロさんだって真剣だったんだ。恨んではいない さ。 たとえ体が歳上だろうがこの目先の見えてない馬鹿に使う敬語は ない。 とことんふざけた奴だ。勇者のくせに魔王と仲がいいだ 恥ずかしくないのか?!﹂ ﹁くっ! と? ﹁勇者じゃなくって勇者候補だよ。ふざけてもなければ恥ずかしく もないな。で、まさか今から魔族に戦争仕掛けてその戦果で競うと か言わねえよなあ?﹂ 誰か俺のことを勇者って呼んでるのかよ、と聞きたいがおそらく 呼ばれているのだろう。 なんかその、自己犠牲精神と正義の塊みたいな呼び名はあまり嬉 しくはないかな。 それはまだ時期が早い﹂ あまりに厨二心満載なブラックな二つ名がつくよりはマシか。 ﹁当たり前だ! 912 いつかするつもりなのかよ。止めなきゃな。 ﹁ずっと貴様の評判は聞いていた。魔族軍と人間軍を退けたとか、 盗賊団を壊滅したとかな﹂ 情報規制してなかったとはいえ、そんな簡単に漏れちゃってるの か。 あくまで表向きは魔族軍が人間の反乱軍を倒したってことになっ てるはずなんだけどなあ。 だからこそ反感少なく魔族との協定を結べたわけだし。 勇者候補とか言ってたのもそういう情報が筒抜けになりやすい原 因かもな。 貴様のような人間は勇者にふさわしくない!﹂ ﹁そして勇者のくせに卑怯な手を使い人々を陥れるということも聞 いたぞ! お褒めいただきありがとうございます。 なにこいつ、ふさわしいとかふさわしくないとか。そんなことは お前が決めることじゃないだろう。 もの 勇者候補なんてあくまで国が有益と認めた冒険者に送る特権の一 つだし、特権というにはしょぼいぞ。 そんな血眼になって剥奪するような称号かな。 とついつい鼻で笑って煽りすぎて忘れていた。 前にこんな展開がなかったとは言わないが、例のフラグが立って しまったようだ。 まあフラグなんて言っても状況から推測される相手の行動につい て言及しているだけだが。 913 ﹁俺と決闘しろ!﹂ そう、決闘フラグである。 914 いつかこんな日が来ると思っていたよ︵後書き︶ こういう正義感に空回りするタイプは主人公としては苦手ですが、 見ている分には楽しいものです。 915 またかよ! 俺とお前が。メリカとそこの赤いのが戦え!﹂ また決闘を挑まれた。 ﹁決闘だ! だからさ、強さで有用性を測るのどうかと思うよ?だって俺があ げた功績ではほとんど戦ってないんだからさ。知らないの? カグヤ だけど以前とは全然状況が違う。今度は身代わりがおらず、ミラ はこんなことで出したら相手が死ぬし、レオナは戦いに出すわけに はいかない。 そう、俺が逃げるわけにはいかないわけだ。 それに加えて前よりは強くなっているからなんとかすれば勝てる だろうし、負けたところであまり痛くもないんだよなあ。 ﹁アイラ、いけるか?﹂ ﹁殺していいなら簡単﹂ ﹁良くねえよ﹂ そりゃあね。 お前の近代兵器もどきの魔導具の数々があれば、試合開始と同時 に相手が死ぬよな。 ﹁じゃあ⋮⋮﹂ 916 ﹁無理っぽいか?﹂ ﹁めんどくさい﹂ ﹁だよな﹂ 俺はトーリと呼ばれた勇者もどきとメリカと呼ばれた魔法使いに 向き合った。 ﹁つーわけで俺対お前ら二人じゃダメなわけ?﹂ ﹁そんなことで勝っても納得できるか!﹂ ああめんどくさい。 俺、アイラ対お前ら二人﹂ 何故勝てることを前提に話を進めるのか。 仕方なく代替案を出してみる。 ﹁じゃあ同時に行うってことてどうだ? ﹁それなら⋮⋮﹂ 納得しかけた二人にまったをかける者がいた。 ﹁私がいく。あの女、任せて﹂ ﹁お、おお。いくか?﹂ ﹁めんどくさいって言ったけど、あんな程度だったら両手両足封じ ればなんとかなるでしょ﹂ 思わず周囲を見渡す。 よかった。ちゃんと回復が使えそうな人がいる。 ﹁すいませーん、皆さんの中に治癒術を使える方はいますか?﹂ おずおずと一人の女性が手を挙げた。 917 お 白を基調としたゆったりとした生地に青の筋が入った上着を着て いる。 修道服というのだろうか。 ﹁じゃあ戦いが終われば治癒の方お願いしても構いませんか? 金がお入りようでしたら用意しますので﹂ ﹁い、いえ。神に仕える身としてここに籍を置かせていただいてい るので、こういった場合は勇者候補の方とそのお仲間の方ですので ⋮⋮﹂ そうか。 魔族と魔物を敵視する宗教の関係者からすれば、そういったこと に力を尽くす役目の勇者候補は本来尽くすべき相手。 お金など取らないから宣伝に一躍かってくれってか。 いや、そこまで考えちゃあいなさそうだが、とにかくお金はいら ないようだ。 よかったな。 負けた時に同情を引こうたって無駄だ ﹁ははっ。軟弱な勇者様は戦う前から怪我の心配か? それとも口説いてるのか? ぞ?﹂ どうやらこいつは俺がとんだナンパ野郎に見えるらしい。 この濁った目に性格を良く見せようともしない対応、どうすれば そう見えるのか。 ﹁おう。心配だな。ただ、怪我は怪我でもお前らの怪我の心配だけ どな﹂ ﹁ふざけやがって⋮⋮﹂ どうやらおバカさんというのは怒れば怒るほど語彙が貧弱になっ 918 ていくようで、セリフのレパートリーも少なくなってきている。 というか元々こいつのセリフが三流のそれだからなあ。 そろそろフラグ立てるのやめないとそのうち酷い死に方しそうだ。 ﹁決闘方法は?﹂ ﹁どちらかが戦闘不能となるか降参するかが条件だ。今からでも遅 くはないぞ﹂ ﹁じゃあその方法で。魔法も武器も制限はなしか?﹂ ﹁当たり前だ﹂ 言ったな? 言質はとった。俺たち相手に魔法と道具の制限無しで戦う愚かさ を刻みつけてやろう。 ﹁じゃあ最初の宣言通り、俺があんたと。アイラがそっちの姉ちゃ んの相手をしよう﹂ 俺が戦いを避けてきたのは勝てないからであって、戦うことが苦 手だと臆面もなく言えるほど人畜無害な性格はしていないつもりだ。 戦いにおいて強さにさえ慢心しなければ、ある程度実力を見せな いと冒険者としてもやっていけないというのもある。 この世界はゲームじゃないんだから、チートを使って狩ってくる ことができない。それでもなお、狩ってきたという事実を否定され るなら目の前で見せるのもやぶさかではないと思ったのだ。 そう、俺は別に関わりたくない、強さを隠したいという感じはな い。 ひけらかす感じでもないが、自分の力には自覚を持つべきだと思 うんだよな。 未だに俺の力がどんなものかわからないし。 919 事件があれば自分の利益になるように解決しようとするし、困っ た人がいれば恩を売れるようにと手伝ったり助けることもある。 今回の利益は実力を見せる、か。 物語の主人公がこぞって嫌いそうな報酬だよな。 物語の主人公どもはイライラする。できることをせず、隠したが るか、力に溺れて調子に乗ったり。 武器だけ隠せばいいじゃないか。俺の場合はどうしてそうなった のか、それを裏付ける現代日本で得た概念や知識さえ、そして記憶 を保持したまま生まれ変わったという事実さえ隠せばいいのだ。 いや、人というのは他の人に感情移入すればするほどイライラす るものなのかもしれない。俺だって多分心情の中までじっくりと見 られていればイライラされることだろう。 というわけで決闘開始だ。 とっておきは最後だ、と本人が言うかと突っ込むべき残念さを発 揮してくれた相手方の勇者様︵笑︶の意見によって先にアイラとメ リカの対戦を行うこととなった。 ﹁行こう﹂ ﹁ちょっと待て﹂ 俺はアイラにあることを耳打ちした。俺が二人を見て思ったこと を。 当事者は戦う場を探して町の外まできた。 後ろからぞろぞろと野次馬がついてきた。 周囲は野次馬が集まっていて、彼らが一定以上に近づかないこと 920 で円形の場が出来上がっていた。 ﹁せいぜい顔だけは庇いなさいよ。女の命だから﹂ 不敵に笑うメリカさん。 自己顕示欲の強いこの相手たちがまさか年下相手の決闘で負ける みんなレイルくんみ ことを想定して野次馬を蹴散らしたりはしなかった。 ﹁はあ⋮⋮勇者候補って馬鹿ばっかりなの? たいだったら⋮⋮いや、レイルくんは一人だからいいんだよね﹂ 考えるだけでも悪夢じゃねーか。 なんじゃそりゃ。勇者候補が俺みたいなのばっかりって。国を滅 ぼす気か? ﹁ところで﹂ 俺は気になっていたことを聞いた。 ﹁この決闘に勝った方は負けたほうにどういうことをさせるんだ?﹂ ﹁ふん。そんなの決まってる。お前は勇者に相応しくない。勇者候 補をやめてもらう!﹂ ﹁えっ。じゃあ俺が勝てばお前を勇者候補から外すの?﹂ ﹁ああ!﹂ ええー。そんなの損じゃねえか。 人間以外への対応能力が高い奴が勇者ってことはこいつを減らす ことは人間の平和から遠ざかるってことだろ。 いや、正直こいつが勇者候補であろうがなかろうがどうでもいい けど、こいつを勇者候補じゃなくした、っつー評判が立つのがダメ 921 だ。 ﹁じゃあこれでどうだ? お前らが負ければ勇者候補じゃなくって 俺の下につくってことで。シンヤに任せている自治区の用心棒でも やってもらおうかな﹂ 正直こいつなんか面倒くさそうだし、シンヤと違って全然役にも 立たなさそうだからいらないんだけど。 はあ⋮⋮とうとう無能な部下を抱える上司の気持ちを十代のうち に味わうことになるかもしれないなんてなあ。 あそこで育てれば多少はマシになるかな。 結構強ければホームレスの遊び相手になるかもしれないし。 もともと遊び人として飽きっぽいあいつは魔獣を捕まえるのにも 飽きたみたいだからちょうどいいか。 ﹁では。決闘開始!﹂ アイラは鉱山の時と同じ六連式リボルバーを二丁持って対峙して いる。 いちいち弾を装填する手間が面倒くさいといって、同じ銃がもう 二つ腕輪の中に仕込まれていることは俺しか知らない。 そもそもあいつ相手に十二発も使うのか。 開始と同時に魔法使いはその職業に似つかわしく両手を前に魔法 を発動する。いきなり大技を使うのではなく、小技で撹乱するつも りなのが目に見えている。 岩でできた弾丸を空中に二発ほど生成し、それをそのまま打ち出 す。 拳ほどの大きさのそれは狙いを過たずアイラに向かって飛んでい く。 922 まるでコンクリートのようにツルツルとした滑らかな岩石の弾丸 にしたのが間違いだったのかもしれない。 アイラは何の感情もないままにその銃口を弾丸に向けた。 右、左の順番で打ち出された鉄の弾丸は岩石の弾丸を砕くことは なかった。 横から、もう一つは下から当たったのだ。 すると弾丸はその軌道を変え、アイラに当たることなく背後へと 飛んでいった。 ﹁ぐほぉっ!﹂ 観客の一人が後ろで岩をくらって吹っ飛んだ。 自業自得だ馬鹿野郎。 そしてアイラの放ったそれは見事に跳弾し、相手の腕と頬をかす った。 ぱっくりと細く赤い線ができて、そこから一筋の血が流れた。 ﹁のうレイル。アイラはあそこまで強かったんじゃのう﹂ ﹁誰が教えてきたと思っている﹂ 反射の法則は教えたが、まさか弾丸を目視してから反射が可能と 判断してしかもそれを狙って撃つとは思わなかった。が、アイラが 不本意そうな顔をしているのを見るにはおそらく狙ったのはかすら せるのではなくて直撃だったんだろうな。 ﹁ま、マグレで当たったからって調子にのらないでくれる!﹂ 923 あれをマグレだと勘違いするか。 いや、そう思わないとやってられないんだろうな。 だから負けるんだよ。これが最後のチャンスでまだ警告に済んで いるうちに降参しておけばよかったのにな。 岩石を受けて気絶した観客以外が何が起こったのかわからないま まにアイラの銃を穴が空くほど見つめた。 アイラの辞書には様子見の二文字はない。 全てが狙った一撃で、もちろん外すことさえも想定していたのだ ろう。 無駄口を叩く彼女を無視して、もう二発、そして一発を打ち込ん だ。 一発は肩に。二発目がもう片方の腕に。最後が足に当たった。 随分と優しいじゃないか。 ﹁きゃぁぁぁっ!﹂ 魔法使いは悲鳴をあげた。 近接戦闘の得意ではない職業にある彼女は今までに重傷を負った ことがないはずだ。 しかも攻撃は未知の攻撃。この世界では実現していない六連式リ ボルバーは魔術とも武器とも違う異形の傷跡を残した。 アイラは動きを止めない。 撃った直後に一気に距離をつめた。そのまま彼女の目前まで来る と、腕輪の中のとある武器と銃の一つを交換した。長い棍を取り出 したのだ。 棍で彼女の足をはらうと彼女はバランスを崩した。 924 ぐらりと傾く彼女を掴んで押し倒し、その眼前に銃口を突きつけ た。 選んで﹂ ﹁はい。終わり。この武器の仕組みがわからなくても結果だけは見 たでしょ? ﹁ふふっ。選ぶって何を﹂ 強がりなのがバレバレである。 足は震え、声にも力がない。 アイラは無表情で続けた。 ﹁死ぬか。降参するか﹂ 死ねば当然戦闘不能である。 というかもうすでに戦闘不能と判断してもおかしくないまでに追 い込まれている。 これは相手に言い訳させないために完膚無きまで叩きのめす戦法 であろう。 よくわかる。だって俺が教えたことだから。 ﹁あんたは⋮⋮魔法使いじゃないの?!﹂ ﹁どうして私が魔法使い的後方支援係だと勘違いしてたのか知らな いけど、私の仲間が前衛が多すぎて前線に出るとき邪魔になるから 後ろから狙撃してるだけなんだよ﹂ 多分アイラが魔法使いだと、または弓矢で戦うようなサポートだ と思われたのは彼女がそう扱われているからだろう。 彼女のパートナーである勇者、彼はおそらく彼女にこんなことを 925 言っているはずだ。 君を危ない目には遭わせたくない。血なまぐさい戦いも似合わな い。 どうか俺を支えてくれないか。 とこんな感じのことを。 危険を、邪悪を、不条理を。 悪意を、攻撃を、残酷さを。 彼女をあらゆる負の側面から遠ざけようとしたのだ。 男に大切にされることに慣れている彼女は、当然アイラも後方支 援だと勘違いしていた。 アイラは見たところ武器を何も持っていない。肉体も鍛えている かのようには見えない。多くが後方支援の魔法使いだと勘違いする し、普段は後方支援なのは間違いない。 俺が試合の前に耳打ちしたことはそのことだ。 あいつ、後ろで魔法をぶっ放す支援役だぞ。近接に持ち込めばや れるし、そもそもお前を魔法使いだと勘違いしているかもしれない。 と。 アイラはそれに対して痛烈な皮肉を言ったのだ。 後ろで守られているだけの可愛いだけの役立たず、と。 決闘は一瞬だったけど、それが始まる前に読み合いが始まってい た。 ギャクラは貴族や騎士だけではなく、多くの人間に自衛として最 低限の体の動きは教えてある。 普段あまり近接戦闘こそしないものの、旅で多くを経験してきた アイラがこんな甘ちゃんに負けるはずがない。 ﹁降、参⋮⋮よ﹂ 926 降参!﹂ メリカは歯ぎしりしながら銃口の向こうのアイラの顔を見つめた。 ﹁降参よ! 決闘、一回目が終わった。 アイラの圧勝である。 927 またかよ!︵後書き︶ 次回、レイルの決闘! この世界では冒険者、勇者などは力で語れ、などという格言があり、 決闘とは自らの意思を貫く手っ取り早い方法でもあります。 馬鹿ですね。 928 くるくると 悄然とした周囲。アイラが何をしたのかもわからずにその強さを 褒め称える者、あそこまでする必要はなかったんじゃないかと非難 するもの少数。 やはりアイラは天才だと思う。俺だってうろ覚えの銃の構造を聞 いただけで再現してしまい、それを正確に使いこなせるのだから。 パンツァーファウストなんて俺は作れないぞ。 撃鉄からライフリング、ハンドガードなど、銃の構造は思ってい るより複雑で、中二をこじらせて調べただけでは到底理解が足りな いことを嫌というほど突きつけられた幼少期をおもいだした。 ﹁褒めて。勝った﹂ ふふーん、と鼻息を一つ。満足げに頭を突き出し催促するアイラ の頭を愛情たっぷりに撫でまくる。 教会関係者の女性とトーリがメリカに駆け寄った。 トーリの仲間なのに勝てなくって﹂ ごめん⋮⋮俺があんなのと相手させたばっかりに⋮ 女性が治癒を行う間、トーリはずっとメリカに呼びかけていた。 ﹁大丈夫か! ﹁私こそ⋮⋮ごめんね? お前が死ななきゃ。無事で良かった⋮⋮﹂ ⋮﹂ ﹁そんなのいいんだよ! この前負けた俺が言えることではないが、そんな大切なら情報も 勝算もないような相手に挑ませるなよ。 929 俺は少なくとも対人戦の初見でアイラの攻撃を見切れるような化 け物が魔法使いをやってるはずがないと勝手に予想してアイラを挑 ませたからな。 魔法使いが魔物相手ならともかく、対人戦で銃を使う奴に勝てる はずがないだろう。 タイムラグが段違いなんだよ。 青臭くって吐き気のするような三文芝居にひとしきり付き合った 後、俺はぐるりと周りを見た。 今のやりとりですっかりアウェイになったかと思われたが、一部 の人間はまだこちらの味方のようだ。 おそらくは俺のしてきた所業で得をした者、そして負ける方が弱 いという考えの人だろう。 メリカの仇だ!﹂ 剣先を俺に向けたトーリは眦を吊り上げて叫んだ。 ﹁お前を倒す! ﹁勝手に殺してやるな﹂ お前のメリカは今も後ろでピンピンしてるだろ。 まあもっとも、心の傷ばかりは癒えないようで腰が抜けてへたり 込んでいるのはしょうがない。 ﹁黙れ。あんな酷い目に遭わせておいて﹂ ﹁決闘はお前らがしかけてきたことだぞ﹂ 今のこいつには俺が屁理屈と言い訳ばかりで責任を認めない奴に でも見えているのだろう。 ﹁なんでもいい。俺はずっとお前のことが目障りだった﹂ 930 トーリは唐突に語りだした。俺はまだなんのフラグも立ててはい ないというのに。 毎日毎日剣をふって、物心ついたときから知識を そして期待を背負って旅立ったっていうのに⋮⋮!﹂ ﹁努力したさ! 蓄え! じゃあ遅いな。それはお前が悪いんでもなんでもねえよ。 だって俺は物心つく前から知識があって、物心ついたのが生まれ たときだったからな。 お前が知らないことも多く知っているし、前世で読んだ物語は多 くの状況を予測させるに十分なだけの想像力を与えてくれた。 物理科学の概念は魔法を技術にまで昇華させた。 しいて言うなら特性とか、そういうものだよ。 俺より目立って褒められ、恐れら 俺にだってできたはずだ。だから⋮⋮ ﹁俺より後に旅立ったお前が! れるのが納得がいかない! だからここで証明してやるよ。レイル・グレイなんてたいしたこと ないってな!﹂ 何この熱い展開。 俺が負けてやればいいの? 盛り上がる周囲と俺たちとの温度差に目眩さえ覚える中、決闘開 始の合図が響いた。 931 両者は向かい合って離れていた。 魔法使いとの決闘もそうだが、決闘開始の前に小細工を防ぐため であるとか。 俺からすれば距離があればあるほど小細工しやすいんだけどな。 ﹁まずは、小手調べっ、と﹂ 俺はもうすっかり馴染んだ空喰らいを斜め上段から振り下ろした。 だがその途中で剣は奇妙に歪み、そして俺の発動した空間術に巻き 込まれる。 ﹁何を﹂ と思考だけでその異常な風景を認識したトーリ。口には出さない ものの、顔にはその驚きがありありと浮かぶ。 歪んだ空間に消えた剣はいびつに繋げられた空間を跳んでトーリ の背後からその切っ先を現した。 まっすぐに彼の肩の上から彼に向かって凶刃が迫る。 メリカの制止など届くはずもないその刹那、彼はほぼ直感と気配 なんだよあれ!﹂ だけでそれを避けた。 ﹁っぶね! 空間転移は移動用の技である。そんな固定観念に囚われて基本的 な使用方法さえ思いつかなかったのか。 そもそも空間術なんて使い手が少ないのか。 避けたことには驚きはない。 これぐらいはしてもらわないと、決闘なんて挑めやしない。 ﹁あそこまでに空間魔法を使いこなすか⋮⋮まったく発動までの差 932 がなかったぞ﹂ 険しい顔のおっさんが冷や汗を流しながら解説しだした。 全部聞こえている俺はどういう反応をすればいいのかやや困る。 とりあえず目の前の男に集中しようと、空間把握を全開にする。 普段は薄ぼんやりと広く張ってあるこの術も、ギリギリまで範囲 を狭くすれば範囲内の相手の一挙一動まで把握することができる。 どうやら俺はあの後、知覚速度までが引き上げられているようで、 これを使うとよりそれが顕著になる。 ﹁はっ!﹂ 掛け声とともに彼が踏み込んでくるのもスローモーションに見え る。 強くなっても戦い方の変わらない俺は例の如くその攻撃を受け流 し打ち合わせる。 剣の丈夫さではこちらが勝っているのだから、真正面から力勝負 をし続けても向こうの剣の損壊で引き分けになるだけだろうし。 四、五、と打ちあった瞬間、俺は相手を蹴り飛ばした。 ﹁打ち合いの最中に蹴り飛ばしたぞ!﹂ 感嘆と呆れ、どちらかわからない解説がとんだ。褒めてるんだよ な。多分。 トーリはざざっと音を立てて足を踏ん張らせた。そうやって後ろ に吹っ飛ばされるのを数メートルで堪えたのだ。 ﹁ふん。こんなもので!﹂ 933 向こうは吹き飛ばされると同時に手元で魔法を発動しようとして いた。 踏ん張りがきいた瞬間にそれを発動した。 幾重にも乱れるように飛び交う風の刃であった。その一つ一つが 統制されていて無駄がない。避けても当たる、全てを剣で防ぐわけ にもいかない。 元々風は防ぎにくい術の一つであった。おそらくあれを受けても 致命傷には至らない。 だが途中に治癒が可能な戦闘と違い、これは決闘。少しの怪我で さえ血を流せば不利になり、敗北へと一歩近づく。 ギギギと歪めて穴を開けてつなぎ合わせる。 風は途中で奇妙に方向を変えるのだが、それが通常の人間に認識 されることはない。 ただ、結果は簡潔である。 風の刃は一つを残して消えたのだ。 ﹁何をしたんだ?!﹂ ﹁あいつ、何かしたか?﹂ ギャラリーは大盛り上がりである。 手の内をバラすほどバカじゃない。 あれは空間を歪めて本来俺の元にまっすぐくるべき風の刃の軌道 それ を変更させ、同じ風の刃同士でぶつけて相殺させたのだ。 絶対座標がわかるならあいつは俺と同じ。空間把握の使い手だっ てことになる。 ショートワープ 一つ残った風の刃は?というと短距離転移で彼の後ろから登場で ある。 934 自分の魔法を自分の後ろに転移させられると思わなかったのか、 彼はそれを避けきれなかった。 ピッと肩口が切れ、水平に血しぶきが飛んだ。 血だらけになった自分の肩を見て、ようやく実力差を理解できた のか、それとも弱そうなガキに負けて冷静さを欠いたのか。 血だらけの手で俺に向かって突っ込んできた。 ぬるりと彼のモーションは変化した。 握りしめていた左手は血だらけで剣を持つにはやや不便である。 その手をこちらに向けて振ったのだ。 もちろん何をするのかはわかっていたし、空間把握でそれをじっ ・・・ くりと観察している俺からすれば回避はとても簡単だった。 あいつは何もわかってちゃいない。 そんな罵りとともに俺はその攻撃をワザと受けた。 手から飛んだ血は彼の狙い通りに俺の顔面に飛んだ。 そう、目潰しである。古典的な戦法の一つで、相手の視覚を奪う というのは多くの戦況において有用である。 相手が俺でなければ。 ﹁ぎゃぁぁぁっ!!﹂ ﹁へへっ。ざまあみやがれ﹂ ワザとらしく悲鳴をあげた俺にやってやったと叫ぶトーリ。 やったあ!とガッツポーズを決めるメリカを横で馬鹿にしたよう に見つめるアイラはおそらく俺の考えに気づいている。 顔の血を手で拭いながら俺に背後から襲いかかった。 丁寧なことだ。大きく飛び上がって俺に襲いかかるのがわかる。 935 トーリの剣が俺に届く前に俺はその軌道から外れた。 ﹁目は見えないはずだろ?!﹂ ﹁ははっ。元々目には頼ってないんでね﹂ 空間把握で周囲360度手にとるように知覚できる俺は目などな くても問題はない。目に頼るほうがいくらか戦闘においては不利な ぐらいである。 ワザと受けたのは油断を誘うためだ。油断と慢心、この二つほど 相手を仕留めやすい条件はない。 目論んだ通り、トーリは単調で大ぶりな攻撃を仕掛けてきた。 ショートワープ 短距離転移でトーリの視界から外へと出る。 俺を見失ったトーリはほとんど勘だけで俺の場所を探り、俺の攻 撃を防いだ。 ﹁いやいや。思っていた以上に強かったよ。俺が弱いだけかもしれ ないけど﹂ ﹁真面目にしやがれっ!﹂ 打っては打たれの剣戟がくるくるとめまぐるしく入れ替わる。 俺は大きく振りかぶって隙を見せた。 ﹁今だ!﹂ トーリがその隙を見逃すはずもなく、俺の剣から目を離さずに突 きで攻撃しようとした。 ﹁ぐっ!﹂ 936 だが俺は波魔法の光魔法でフラッシュをたいた。 強烈な閃光で目の眩んだトーリは視覚に頼ることができなくなっ た。 徹底した心理戦にことごとく引っかかってくれた彼は素直でいい 子なのかもしれない。もっと魔物相手じゃなくって実戦を積んだほ うがいいぞ。俺ごときのフェイントにほいほいとつられるようじゃ な。 ﹁はい、残念﹂ 一拍の後、トーリの喉元には俺の剣が突きつけられていた。 937 情けがあるのかないのか トーリは屈辱に耐えるようにこちらを睨む。 いい気分だ。もしも人目につかない場所であればついでに足で頭 を踏んづけて土下座させたいぐらいの気分だ。 涙目の彼はそそるものが⋮⋮ない。やっぱり女の子の方がいいや。 ﹁くそっ⋮⋮﹂ ﹁俺は別に目潰しは卑怯なんで思っちゃいないぜ? 俺だってあの 立場ならするし、全力を尽くすならあそこで血飛沫はよかったよ?﹂ 多分手の動きを変化させるときの僅かな揺れは心の迷いがあった ことを示しているのだろう。 あえてそこを指摘するのが楽しいのだ。 卑怯かもしれないと思っていたことを敵に全面的に認められる。 なんとも屈辱的なことではないか。 この自信を適当なところでへし折ろう。 ﹁いやあ、いい試合だったね!﹂ 親指を突き立てて満面の笑顔で返す。 ギャラリーの中から、﹁どこがだよ﹂、﹁一方的すぎんだろ﹂、 ﹁しかも技が神聖な決闘から程遠いしな﹂と口々に指摘が上がるが、 それを面と向かって俺に言えるようなツワモノはいない。いや、キ ワモノかもしれない。 いやあ、心理戦で俺に挑むとか十年早いわ。 ばっきばっきにへし折ってやんよ。 938 ﹁あれが最悪の勇者か⋮⋮﹂ ﹁目的と利益のために一番酷い手段を選ぶことで有名な奴だよな⋮ ⋮﹂ ギャラリーがドン引きしているのが実に楽しい。 そう、これでいい。 人格者だなんていう民衆の信頼も、すごい奴だなんて大衆の尊敬 もいらない。信頼も尊敬も、身近な奴だけでも手に余る。 軽蔑と嫌悪。俺にはその感情も向けられるべきだ。 褒められることではないのだから。 ﹁降参⋮⋮だ。けどな⋮⋮必ず⋮⋮勝ってやる﹂ お前にもう決闘なんてする機会はないぞ?﹂ 言ってなかったか? と予期しない言葉に間抜けな顔を晒したトーリ。 ﹁何を言ってるんだ? は? あれ? 俺は事前に変更した勝利の報酬を口にした。 上司に剣を向けるわけないよなあ?﹂ ﹁だからさ。俺が勝てばお前が俺の下につくってことになってただ ろ? 一拍おいて、あ、そんなこともあったかと周りから賛同が上がる。 武士ではないが二言はないよな?ってことで約束を果たしてもら おうか。 ﹁あああぁぁぁぁぁっっ!!!﹂ トーリの絶叫が響き渡った。 今、ここに、無謀な挑戦の末に誇りを売り渡してしまった元勇者 939 候補が出来上がった。 馬鹿だなあ。 トーリは俺に承諾の意を示してはいないのだから、そんな約束は 知らないと突っぱねてしまえば良かったのに。 別にそれを怒るほど狭量な人間じゃあないぜ。 だけどあの場でそんな風にごねたりすればトーリの勇者としての 評判はガタ落ちである。当然これからトーリ個人への民間の依頼な どはなくなってしまうだろうな。 そこまで見越して無理目の条件をふっかけてみた俺も俺だが。 ニヤニヤと笑いながらトーリを見下し、優越感に浸る俺にアイラ がお疲れさんとばかりに肩を叩いて言った。 ﹁やっぱりレイルくんには敵わない。すごい﹂ ﹁何言ってるんだよ。お前も接近戦は得意ってほどでもないのに相 手を圧倒したじゃないか。まあ相手が魔法使いなのを考えてもそっ ちの方がすごかったじゃん﹂ 俺なんて相手を誘って誘って引き摺り込んだようなもんだ。 まさに誘い受け、とバカなことを考えたのは内緒だ。 ﹁私は酷いことを言ってもあそこまで相手を落ち込ませられない﹂ いや、そこは似なくていいから。 確かに最後、酷いことを言ってたよな。 なんだったっけ。可愛いだけの役立たず、だったか。 いや、それは俺の解釈であって実際には言ってないわ。 940 アイラがそこをついて勝っただけの話だ。 俺はこの一連の事件でとあることを忘れていた。 ﹁えーっと⋮⋮何しに来たんだっけ﹂ 由々しき問題である。 ◇ 決闘が終わって落ち込んだまましばらく自分の世界に引きこもっ たトーリ。その傍らでは背中をさすってメリカが慰めている。 トーリは自分の夢をメリカに語ったことがあるらしく、それをや り遂げられないことを、そしてついてきてくれたのにここで旅を終 えるかもしれないことを謝っていた。 そしてここでメリカとはお別れをするとか言い出した。 メリカは勇者候補をやめる約束も、そして俺の下につく約束もし ていないから当たり前っちゃ当たり前だ。その隙を逃すほど馬鹿な わけではなかったのだ。 しかしメリカはトーリがどこに行こうが一緒に行くと宣言した。 一蓮托生とはこのことだろう。 涙ぐましい光景である。 仲間っていいなと思わせるような。 941 いや、俺が言うなって感じか。 二人を大人気なく叩きのめして、さらに傘下に入れとまで約束さ せるような男が。 いや、中身こそあいつらより大人だけど、体の方はまだ年下だか らね。いいんだよ。 ﹁約束は約束だ。お前の下につくっていうことは俺を売ったりはし ないんだな?﹂ 奴隷を売ったりはしねえ ﹁お前みたいなのは需要が少ねえだろ。それに俺は奴隷商売を労働 力の商売に変えた派遣会社の代表だぜ? んだよ﹂ 明らかに安堵したことがわかる。 ちらりとメリカを見たあたり、そっちの方を心配していたのか。 どこまでも甘っちょろい奴である。 そもそもあんな勝負をしなければよかったのに。 俺が負けても勇者候補をやめるだけで済むし、もうここまでくれ ばやめてもあまり問題はなさそうだからな。 ﹁俺に⋮⋮俺たちに何をさせるつもりだ﹂ ﹁えーっとねー﹂ どうしよう。 こんなのをシンヤのところで働かせようとしてもイマイチなんだ よな。 もうあそこには元奴隷が育ってきていて優秀になってきているし、 今更ちょっと強いだけの元勇者候補なんて送りつけてもなあ⋮⋮そ うだな。 ﹁じゃあ間諜でもしてもらおうかな﹂ 942 ﹁間諜?﹂ メリカは言葉の意味を理解できなかったのか、それとも勇者候補 に間諜をさせることがわからないのか。 ギルド ﹁ああ。いろんな国を巡ってその国の物価や冒険者組合の依頼内容 とかわかりやすい範囲で書き送ってくれるといい。宛先はシンヤに な。それと困っている人がいたら自己判断で助けてもいい。売名行 為になるから。ただし自己判断で相手にしていいのは非合法な相手 か魔物限定で、それと自己判断で対処した問題の後始末と報告を忘 れずにな﹂ 俺の部下であることを名前を出しておくようにと付け加えた。 ははっ。なんて屈辱的な罰だろうか。 形だけはあまり変わっていないが、これで勇者候補としての手柄 は見事に俺のものとなるな。 見ろ。悔しさのあまり泣きそうに⋮⋮ん? ﹁良かった⋮⋮良かったよぉ!﹂ ﹁ああ!﹂ 感激して抱き合う二人にやや残念なものを感じながら俺はそれを 見ていた。明らかに悔しさのあまり泣いているのではないな。嬉し さのあまりだな。 失敗したか。まあいいや。 人の心をへし折るのは嫌いじゃないが、得になる方を選ぶ方がい い。 こいつらがどう思おうと、俺はこれで一人、フットワークの軽い 943 スパイを手に入れたわけだ。 その後はアイラに言われて思い出した本来の目的を遂行するべく 受付へと向かった。 木製のカウンターで名前と必要事項を記入して待つこと十分。 個人で動かすにはでかすぎる額が手渡された。 俺たちの懐は潤う一方である。 後何生ほど遊んで暮らせるだろうか。 944 第二の︵前書き︶ 第二の冒険開幕のプロローグにつき、やや少なめで投稿しておりま す。 945 第二の 人は自分自身を完全に客観視することはできないと言われる。 トーリとメリカの二人には目の前の出来事を客観的に見るという ことを知ってもらわねばならない。俺が言えたものでもないが。 そのためにはとりあえず、旅の目的を人に委ね、旅の成果を他人 に譲らねばならない、そんな状況で観察を目的として旅をしてもら おうと思う。 それに違う国へのパイプもあれば便利だろうし。 ﹁よくあいつを倒したな﹂ アンドラさんが親しげに話しかけてくれた。 良かった。戻ったみたいで。 ﹁ええ。結構強かったです﹂ 殺すだけなら簡単だったけどな、とは言わない。無意味な仮定で あるからだ。 ﹁華麗な剣技は他に並ぶ者なしと評判だったそうだぜ﹂ ﹁国内では高い評価を受けてたってな﹂ 相変わらず頼りになる先輩方である。 どこからそんなに情報を仕入れてこれるのか。 一つの国を拠点にしていればパイプも太くなるというものだろう か。 946 ﹁へえ⋮⋮初めて聞きました﹂ ﹁ははっ。有名っつってもお前さんらほどではないだろうからな﹂ 有名って言ったって伝説になるようなことはしてないんだけどな。 できることだけしてきたって感じだ。 それで褒められるならまあいいか。細かいことは気にしない。 ◇ シンヤに土壌があまり肥沃でないことで相談を受けた。 根粒の窒素固定だけでは足りないらしい。 堆肥を作ることを提案してみたらなにやら考えこんでしまった。 生ゴミや排泄物を殺菌消毒と微生物と活動で堆肥にするのってど うやったかな。 じゃあ灰によるpH調整はどうだろうかと聞いたら何だそれはと 尋ね返されてしまった。 ﹁そろそろまた冒険に出るか﹂ ﹁もう行ってしまわれるのですか?﹂ レオナがやや残念そうに言った。 その時に代表者のあんたがいなくちゃいけ ﹁おいおい旦那。一年後ぐらいにはここの独立を記念して客を呼ぼ うと思ってるんだぜ? ないんだ。戻ってきてもらわなくっちゃ困る﹂ ﹁そうだな。半年以内にはまた戻るよ。旅の目的は達成できたし、 今までお世話になった人たちに連絡しなくちゃいけねえな﹂ マシンナーズ 人以外にも、だが。 機械族はどうしているだろうか。 947 アイラの携帯っぽい何かで連絡取れたらなあ。 ﹁あ、そうだ。レイル。ここに住んでも構わないか?﹂ ホームレスがどうやらここを気に入ったようだ。 ﹁おう。シンヤ、移住手続き済ませておいてくれるか?﹂ ﹁はいよ﹂ ホームレスなのに家有りって⋮⋮ 名が体を表さない珍しい例だな。 ﹁目的もないのに何をするつもりだよ﹂ ﹁一つはさっきいった今までお世話になった人に挨拶と、各地の問 題処理に⋮⋮後は本当に冒険ってところかな﹂ せっかくのファンタジー異世界。楽しまなくては損だ。 弱かったもんで魔物も少ない安全な道ばかり選んで通っていたけ ど、これから山だろうが谷だろうがなんとかなりそうだ。 誰も踏破したことのない迷宮や古代遺跡なんていうのもあるかも な。 そうだな⋮⋮ ﹁間諜はあのアホ勇者︵笑︶どもに頼んだから俺が各地の情報をか き集めることだけに必死にならなくてもいいだろ? 俺とシンヤの直通経路となる手紙転送装置を使えるようにするし、 一週間に一度は空間転移で戻ってくるからさ﹂ なんとも呑気な冒険である。 野宿も楽しいから毎日は戻ってこないが、これじゃあ隣町に買い 物行ってくるのとあまり変わらないんじゃあなかろうか。 948 これからもっと多くの国を回ろう。 見逃してきたものを、清濁併せ呑むように。見過ごしてきたもの を拾いながら進もう。 この世界はとことんお人好しばかりだ。 だが善意ではどうにもならないことがある。 俺は見に行きたい。この世界のまだ見ぬ何かを。 ﹁もうここがレイル様の第二の故郷でございますからね。いつでも お待ちしておりますわ﹂ ﹁そうだな。ありがとうレオナ﹂ 今は三人がいないからこれは仮決定ではある。 だがどうせ面白いもの好きの夫婦とアイラのことだ。俺が行くと いえば一緒に来てくれる、そんな気がする。 ﹁まずはギャクラに顔を出すか﹂ そう、手紙でしか話していない、あの人に会いに行かなきゃ。 いや義務じゃない。俺が会いに行きたいだけだ。 きっとアイラも戻りたいことだ。 レオンに、アイラの父親に、同級生たちに会いにいこう。 そして俺も父親に会いにいこう。 949 第二の︵後書き︶ 久しぶりのあの人たちが 950 クラーケンの拾いもの アイラ、ロウ、カグヤの三人とともにギャクラに向けて発った。 アークディアはまた魔法陣の中に入ってもらった。ホームレスは 残ってシンヤの手伝いをしてくれるようだ。 ﹁ちょっと寄りたいところがあるんだ﹂ と言うと三人は特に何も言わずに頷いた。 あの日までは一度行ったことのある場所でも戻るだけで随分と時 間がかかった。だが今はそんな時間も短縮可能になって嬉しいかぎ りだ。 空間転移でこの大陸の西に位置するある海岸へと来た。 そこにはあの日と変わらぬ様子で⋮⋮ちょっと見た目は変わった ヤツの巨体を見ることになるのであった。 俺たちが海岸に近づくと、ザバンと水柱をたててぬめりとした胴 が現れた。続いて長い二本の足が陸地を掴み、体の下半分にある顔 を水上へと浮上させた。 ﹁久しぶりだな、クラーケン﹂ 巨体の主に話しかける。 魔物でありながら話すことのできる数少ない存在。旅の中でも二 度しか見たことがなかったぐらいだ。 951 ﹁やっほー﹂ ﹁会いに来たぞ﹂ ﹁いい子にしてた?﹂ 三人を順に見てクラーケンの顔がパッと楽しそうな色を浮かべた ︵ような気がした︶。 クラーケンの表情なんざわかるわけねえだろ。そんなツッコミさ ずっとお待ちしておりました!﹂ えゴミ箱に捨ててしまえば次の言葉で確かに嬉しかったのだとわか った。 ﹁久しぶりでございます! こいつは人懐っこいクラーケンだよな。イカかタコかわからない のにイヌみたいって。 こいつはどうやら海の中にいてもテリトリーの中に人が入ればわ かるらしい。 なんつー聴覚をしてるんだか。思わずそう言った俺にクラーケン は聴く、ということはわからないが音は肌で感じているのだとかい うことを言った。 こいつ⋮⋮肌で感じた音を言語処理できるのか。 ﹁我が腕を磨いておりましたが、主はそれ以上に強くなられたよう ですな﹂ クラーケンはそんなこともわかるのか。 ﹁おう。もう一対一でも負けねえぜ﹂ ちょっとかっこつけすぎたか。 そういうのは大事なときにとっておくもんだっつーのに。 952 ﹁だが珍しいな。シンヤからよく外洋に出ていると聞いてたから会 えるかどうかは博打だったんだがな﹂ ﹁ええ。それがですね﹂ クラーケンは長い二本の手代わりの足以外の二本の足であるもの を俺たちの前に出してきた。 クラーケンの大きさからすれば随分小さく、気になって拾ってき どこから攫ってきた たというには光物でもないし⋮⋮あれ、人じゃね? ワラビーちゃん?﹂ ﹁ちょっと、あんたなに持って来てんのよ! の!﹂ ﹁うわあ、誰なの? なんでワラビーなんだよ。ああ、俺が教えたからか。でもそいつ はどうしたってワラビーじゃない。よく見ろ。俺はシルエットしか 見えん。 目のいい女性陣はそれを女の子だと判別したようだ。 だけどそのわりにはなんだかふさふさしてるような。 ﹁外洋に出ているときに流されているのを見つけましてね。まだ息 があるみたいなので連れてかえってきたってところです﹂ クラーケンはその子を陸地に置いた。 水でビショビショの薄着はやや目の毒ではあるが、そんなことを 気にしている場合でもない。 どうして海を流されていたのかとか聞きたいことはいくつかある が、なによりその耳に目を奪われた。 953 ﹁耳が⋮⋮﹂ 人 じゃあなかったようだ。 ああ、それでアイラは最初に動物の名前を出したのか。 確かに普通の 可愛らしいその耳は霊長類以外の哺乳類、つまりは獣人によくあ るタイプの猫耳だったのだ。 四人は未知の獣人を前に戸惑っていた。 獣人についての情報は真偽のさだかでないものが多く、その多く が差別的に書かれていることから俺たちは自分の目で見てから判断 しようなんて呑気なことを言っていた。 だが実際にこうして目にするとなんとも言い難い。 いや、俺自身は前世の影響でケモ耳っ娘とか萌えるわーって流せ るんだけど、彼女がこっちをどう捉えているかなんだよな。 ﹁じゃあこいつの処遇は俺らに任せてくれ﹂ いや、クラーケンの手柄を横取りしようってわけじゃあないんだ よ。 ただ目が覚めたときに助けてくれたのが軟体動物ってのもショッ クが強いかななんて思ってさ。 流れ着いたところを人間に介抱されましたって方がいいだろ。 明らかに遠くに流れ着きすぎているのは別として。 954 ﹁で、連れてきちゃったわけだけどどうするの?﹂ カグヤが俺の背中を見ながら言った。 名前も知らぬ猫耳っ娘は現在俺の背中に背負われている。 ちょっと爪が猫っぽかったり、ヒゲや耳を除けばあまり人と変わ りばえしない。 こうして寝てるところを見るとまるっきり普通の子である。 ﹁元気になるまで面倒見た後は本人の意思に任せよう。うちのクラ ーケンが拾ってきちゃったんだから最後まで面倒は見るよ﹂ ﹁はあ⋮⋮お前ってなんだかそういう面倒事好きだよな﹂ ロウは俺のことをそんな風に言った。そうかもな。 結構首は突っ込むほうだ。 人を助けたいとかそういう高尚な理由じゃあないけれど、これだ け金があってしたいこともないと面白そうなことに首でも突っ込ま ないとやってられないってのもあるかもな。 ﹁じゃあ連れていってって言われたら連れていくの?﹂ アイラは微妙な顔をしている。 反対するべきか、それともしないべきか迷っているのか。 ﹁おう﹂ ﹁今度は獣人の国か⋮⋮﹂ かつて読んだ書物の記憶を手繰り寄せるようにアイラは遠くを見 955 つめた。 ﹁みんな耳が犬や猫なのかなあ﹂ ﹁かもな﹂ ﹁ワラビーはいないの?﹂ そこかよ。 憂いに満ちた顔はなんだったんだよ。 ﹁知らねえよ﹂ どうしてワラビーにこだわるんだよ。そんなにワラビーが好きか。 その子の家族も心配してるだろうし﹂ 一度そういう動物がいるって話をしただけなのによ。 ﹁いいんじゃない? カグヤがやっぱり一番まともな人間だな。人間かどうは別として。 やっぱこいつが勇者やればいいんじゃね? 手っ取り早く平和になりそうだ。 ﹁ま、その前にギャクラの自宅で面倒見るからどっちしろギャクラ に行くんだけどな﹂ ﹁そうね。一度挨拶しといた方がいいものね﹂ ﹁俺らんちはどうなってるだろうな。旅立つときに畑は諦めたけど 家はまだ売ってないし﹂ 956 ﹁諦めなさい。レイルやアイラと違って家族が待っていてくれるわ けでもしっかりとした家でもないんだから。あんなの小屋よ小屋﹂ カグヤの方がサバサバとしている。 ロウが惜しんでいるのはどちらかというとカグヤと過ごした場所 を思い出ごと懐かしむような感じだと思う。 ﹁もし潰されてたらまた建てればいいだろ。それに家がなくなって も過ごした時間はなくならねえよ﹂ そう言いながら空間転移で道を繋げる。 いつものように亜空間に穴が開き、向こうには歪んだ風景が見え る。 あまり騒ぎになりたくないので目的の場所から離れた、人のいな い地点へと繋げている。 ﹁行くぞー﹂ 久しぶりのギャクラである。 957 帰省、目覚め︵前書き︶ ジュリアス様は渋いので書いてて好きです。 というかみんな性格が良すぎて困ります。 いつまでたっても主人公より嫌な性格の奴が出てこないっていう。 958 帰省、目覚め 家を旅立ったときと寸分変わらぬ我が家は少数精鋭の使用人の人 たちによってまめに手入れが行われているようで。 俺の顔を数年見なくてもあっさりと見分けてくれたのは僥倖と言 うべきだった。 父親にまで忘れられていたらなんと言おうか激しく迷う。 ﹁久しぶりだな。レイル。つもる話もあるが、とりあえずそいつを 寝かしてこい﹂ ジュリアス父上は現状把握能力が高い。いや、俺が何をしても動 じない。息子が意識のない女の子を連れてきてるんだぜ。もうちょ っと反応してくださいよ。 無事だったことを喜んでくれているのはわかるけどさ。 メイドさん方も特に反応を見せずに獣人の女の子を客室へと運ん でいった。 相変わらずのいかめしい表情は他の人が見れば機嫌が悪いように しか見えないだろう。 ﹁お義父さん、機嫌いいね﹂ 俺にアイラがこそっと耳打ちした。 いや、アイラ、確かにその通りなんだけどあの顔を見て家族と使 用人以外でそんな風に言えるのはお前ぐらいだよ。 あとお父さんの響きが妙じゃなかったか。 959 ﹁無事目的の一つである神との再会を果たせました。これからはと ある事情でいつでもすぐに戻ってこられるようになりました﹂ 俺の言葉に合わせて三人がぺこりと頭を下げる。 ﹁ああ、息子の友人だろう。畏まらなくてもいい﹂ ﹁じゃあ、私たちはこれで﹂ カグヤが気を使って出ていった。親子水入らずで話しなさいよ、 とウインクしていく様はやや似合わない。 ロウはこういう大人と触れ合うのは苦手なのかやや嬉しげに退散 していった。 自慢の仲間を紹介したかったんだけどなあ。凄さを見せようにも 相手がいないんじゃあ仕方ないか。ロウの凄さとかホイホイと見せ られるもんでもないし。 二人残されて気まずいというほどでもないが、微妙な沈黙が室内 を支配した。 もしかしたら緊張しているのは俺だけとか? 生前の記憶分合わせてもこの人には経験値で勝てないんだよなあ。 俺は父上の前にある客椅子に腰掛けた。 座れと言われたわけではないが息子だしそれぐらいの礼儀は勘弁 してもらえるだろう。 ﹁あいつらが俺の仲間です。他にも部下やら友達が何人もできまし た﹂ 死神とか悪魔とか妖精とかクラーケンに魔王、エルフとかお姫様 とか元奴隷商とかな。 960 あの変態魔導具屋は友達にカウントしたくない。 ギルド こうして見るとロクなメンバーがいないことがわかる。 あ、冒険者組合の先輩方は人格者だったわ。 みんないい奴なんだけどな。字面だけ見るとまるで世界征服でも 目論んでいそうなメンバーなんだよな。 魔王たちの友好範囲が魔族と俺たちに限ったところを見ると俺の 方がファンタジー的イメージにおける魔王に近い。 ﹁いろいろ見てきたようだな﹂ ﹁ええ。魔法が使えない理由もわかって解決しましたし﹂ おかげで下手な雑魚に押し負けることはなくなったかな。 ﹁楽しいです﹂ 真心からの真実であった。 邪神復活の生贄にされかけようが、冒険者が挑んでこようが楽し かった。 まだまだたいした酷い目にはあってないとも言える。 ﹁お前は最初から妙な子供だった﹂ いつになく真剣な表情で父上は語る。 ﹁流暢に話し、判断力も自制心も大人と遜色ない人間だった。そう、 本来人格とは歳が一桁のうちにゆっくりとつくられるもののはずが、 お前は最初から完成していた。いや、完結していたというべきか﹂ そうかな。旅に出てからもちょっとずつは変わってるつもりなん 961 だけど。まあ普通の子供に比べればそうかもな。だって精神年齢は 高かったし。とはいえ精神年齢だけが全てじゃない。体に引っ張ら れているところもあったはずだ。 ﹁お前は全てを知っているかのような顔をしていた。この世界で強 く生きる術も、人の顔色をうかがう能力も﹂ ﹁買いかぶりですよ。俺はあの時は弱者だった。そして今も﹂ 腕っぷしじゃない、知識じゃない。 覚悟とか、性格とか、そういう存在的な意味でだ。 ﹁子供が興味を示す多くのものに全くといって無関心だった。書斎 にこもって本を読み、たまに体を動かすかと思えば鍛錬だった。謎 だったよ。そこまでしていてどうして魔法が使えず、剣の上達も人 並みだったのかもな﹂ 俺が転生したことを話すべきだろうか。 信じてもらえる、もらえないはあまり関係ない。それに元々血さ え繋がっていないのだ。中身が異世界の人間でもそんなに問題ない かと思った。 だが言う必要はないかと思った。 それを不誠実と言う人もいるかもしれない。 それ と引き これはジュリアス・グレイとレイル・グレイの問題である。 話す必要に駆られてからでも遅くはあるまい。 ﹁だがお前の異常さを見るにつれ、きっとこの子は 換えにそういった能力を捨てたのかと思っていたよ。いつも外れた 発想で自身の価値さえ隠そうとしたお前を見たらな﹂ 隠すつもりはなかったが、なんというか⋮⋮お披露目する機会が 962 なかっただけだよ。 どうやら俺という人間は暖かな王道日常ストーリー展開ではあま り役に立てない人間みたいでな。 どちらかというと研究と戦闘を組み合わせて相手の弱さをついた り、展開を読むということにだけ長けていたようだ。 それでも間違えたり負けたりするのだから大変なものではある。 なんとか死なずに戻ってきたのだからいいだろう。 ﹁レイル。お前が何を見ているのかはわからん。だが、怖がられて いたな⋮⋮﹂ 怖がられていた? 誰が? まああまり子供らしくない子供であったことは認めよう。でもそ んなに子供のころは何もしてないだろ? ﹁お前も自分の能力だけを見るのではなく、その魔性の脳とそれを 支える人格が生み出す覇気のようなものを自覚した方がいいぞ﹂ やや忠告するように、どこか誇らしげに諭す父親に何も言えなく なった。 ﹁ええ。またあの子の様子を見てきます﹂ いつの間にか手を強く握りしめていたらしい。やや汗のかいた手 を拭って客室へと向かった。 ◇ 963 客室にはメイドによって獣人の子の分と三人の分の紅茶、菓子に 獣人の子の介抱用の諸々が用意されてあった。 俺が来ることがわかったのか、すぐに俺の分まで用意された。明 らかに俺が来る前から用意していないと間に合わないタイミングだ った。 ﹁容体はどうだ?﹂ 真っ青な顔をして寝台に横たわる女の子は呼吸をしているのかと さえ疑ってしまえる。 ﹁ときおりぴくりと動くし心臓も動いてるわ。生きてる﹂ ﹁じゃあ大丈夫だな﹂ 水にもまれて衰弱しているからだろう。 酸素不足などはとうに解決してるだろうし、うっ血とか危険な症 状も見られない。 ﹁とりあえず冷えた体を温めておこう﹂ クラーケンはさすがにバカじゃあないので、彼女を運ぶときは空 中に出していたはずだ。 だが長い間海水に浸かって、かつ風に当たり続けた彼女の体は冷 えきっていた。 ﹁起きるかなあ﹂ アイラの心配は心からのもので、そこらへんはまともに育ったよ うで嬉しいとどこか頑固親父のような感情を振り払いながらその横 顔を見つめた。 964 メイドさんはひとしきり世話を終えたあと、用があれば申しつけ くださいと部屋の外へと引っ込んでしまった。 代わりに執事のゲンダさんが入ってきて座った。 ﹁お久しぶりでございますな﹂ ﹁ゲンダさん⋮⋮﹂ ﹁旦那様もレイル様に会いたがっておられましたよ。王城でレオナ 様とご一緒に不満を漏らすぐらいには﹂ ちょっと。何やってんだよ親父! と思春期真っ盛りの男の子ならば父親の親バカぶりを恥ずかしが って叫んでいるところだ。 俺? まあ永遠の思春期ではあるが⋮⋮そんな初々しい青臭い感 じじゃあないかな。 それから小一時間、彼女の横でたわいない話をしながら待った。 と、その子のまぶたが微かに揺れた。 ﹁ん⋮⋮⋮⋮﹂ まぶたはゆっくりと開き、彼女はごろりと寝返りをうった。 謎の少女が目を覚ました。 965 縦に伸びた瞳、ややうっすらと生えた産毛がどことなく桃を思わ せる彼女はきょろきょろと自分の周囲を見渡して叫んだ。 ﹁ニャ⋮⋮なんなのっ!!﹂ 966 帰省、目覚め︵後書き︶ ここで一筋縄でいかない子が登場。 猫耳ってあまり触ったことないけど、やっぱり柔らかいのかな⋮⋮ とりあえず撫で心地については普通の人もかわいいってことで決着 がつきます。 967 少女の目覚め︵前書き︶ 獣人少女があらわれた! 獣人少女はこちらをうかがっている。 ↓戦う 逃げる 脅かす 舐める 飛びつく モフモフする 968 少女の目覚め 鈍い音が鳴り響く。 突然のことに三人は止められずにその様子を眺めていた。 頬に痛みが走り、ようやく何が起こっていることを理解した。 ﹁何よあんたっ!﹂ 起き上がった猫耳ちゃんは思いっきり俺をぶん殴った。 よけることもできたかもしれないがよけなかった。というのは言 い訳だろうか。避けることができても避けなかっただろう、という のが本当か。 空間把握をしていても目の前にいる子の不意打ちには弱い。 ﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮﹂ 肩で息をしてこちらを睨む。 そりゃあ今まで衰弱してたのにいきなり激しい動きをすれば息も 切れるわな。 ﹁レイルくんに何をっ⋮⋮﹂ ﹁やめろって﹂ 懐︵腕輪︶から拳銃を取り出して銃口を向けるアイラを止める。 それじゃあ脅しにはならないし、殺すのはナシだ。 ﹁ねえ、落ち着いて。貴女はこの大陸まで流されて、私たちが保護 969 したの。味方よ﹂ 味方よ、という最後のセリフからして嘘臭いし、別の大陸まで流 されるというのも信憑性に欠ける。 だが獣人というものは自分の身体能力に自信があるのか、流され てきたというその言葉だけは疑うことがなかった。 ﹁どうしてうちを助けてなんかくれるのかわからないの。売る気?﹂ フーッと毛が逆立っているかのように見える。 猫の獣人にはそんな体の構造があるのだろうか。 ﹁そうか⋮⋮! こうやって私を油断させて他の獣人を捕まえるつ もりなの!﹂ どうやらこのお嬢さんは賢い類の獣人らしい。これぐらい警戒心 は持った方がいいな。どこぞの誰かに見習わせたいものだ。 ﹁レイルくんに手を出すなら⋮⋮敵﹂ 射殺せそうな眼光を向け続けるアイラ。お前獣人は嫌いじゃなか っただろ。 ﹁ご、ごめんなさいなの﹂ その明らかな殺意にビクリと肩を震わせて謝る彼女。心底悪人と いうわけでもないのか、それとも自分の状況を把握できたのか。 ﹁あのさあ。お前を捕まえたいなら寝てる間に縛ってるっつーの。 しかもお前の寝かされてる場所見てみろ? そんな上等な寝床のあ 970 る家を国の真ん中に持ってるなんて盗賊や人攫い稼業の荒くれじゃ あり得ないだろ?﹂ ロウの冷静な指摘を受けて自分の居場所と周囲の人間を見渡す。 人間とはいえまだ同じ年齢ほどの若い男女に警戒を緩めた。 だが完全には心を許したというわけでもなさそうだ。 ﹁はあ⋮⋮味方じゃなくてもいいよ。逃げたければ逃がしてやるし、 ここにしばらく置いてくれって言うなら置いてやる。俺らはどうせ これから王城へと友達に会いにいくしな。その間にでも決めろ﹂ 俺はそれだけ言って、メイドさんを呼んだ。メイドさんが来るま で出かける準備をして三人に行こうと合図した。 部屋を後にしようとした時、後ろから裾を掴まれた。 ﹁待って﹂ 掴んだのは猫耳っ娘だった。 自分で自分のした行動に戸惑っているようだ。 無理もない。ついさっきまで敵視していた相手が部屋から出て行 こうというのを自身の手で止めたのだ。 言いたいことを言いあぐねているようだ。 視線を横に彷徨わせて、ばつが悪そうにもごもごとしている。そ の視線に合わせて耳まで動いていることは気づかせてやった方がい いのか。それともそういうものでみんなそうなのか。 不覚にも萌えてしまったのはアイラには内緒だ。 ﹁えーっと⋮⋮そう、見張りなの! お前はうちを攫うような悪い 奴だから悪いことをしないか見張りについていく! さっきのこと は謝るの。だからうちもついていきたいの﹂ 971 ﹁お、おう﹂ どうやらこの子もだいぶ頭が残念な子のようだ、とは言わない。 彼女は彼女なりに考えた結果だろう。 見知らぬ大陸、見知らぬ国。周りは異種族の人間ばかり。そんな 状況で一人屋敷でメイドに世話されているのも不安なのかもしれな い。 少なくとも俺たちが直接助けた人間だと思っているわけだから、 俺たちについていけば酷い目にはあいにくいと思ったのもあるだろ う。 いざとなれば屋外の方が逃げ出しやすいという策略もあるだろう か。 なんにせよここに残されて軟禁されるなんてたまったもんじゃな いよな。 ﹁俺はレイルだ﹂ ﹁へ?﹂ ﹁私はアイラ。おとなしくしててよ﹂ ﹁ロウだ﹂ ﹁カグヤよ﹂ ﹁名前だよ名前。これから連れていくのに呼ぶ名前もわからなけれ ば呼びにくいだろ? 別に信じられないなら偽名でもいいぜ? と にかく呼べればいいからな﹂ 名乗るときに偽名でも構わないとは異例の自己紹介である。 俺たちは名前を偽るほど邪悪な人間ではないので包み隠さず本名 を伝えた。 ﹁⋮⋮⋮⋮リオ﹂ ﹁リオ?﹂ 972 ﹁リオ・モーテンなの。私も全部言ったからレイルたちも全部言っ て﹂ ﹁ああ。悪い。俺以外はないんだよな。俺はレイル・グレイだ。人 間では家の名があるような人か功績や身分で苗字を与えられた人し かないんだよ﹂ ギルド 冒険者組合の長を務めるぐらいになると、身分の問題で苗字を与 えられることがある。 基本的に呼び間違えられるような広い規模で名前が売れるように なるとつけられることが多い。 もしかしたらカグヤはあるかもな。でもロウは名前自体あまりな いみたいだからなんとも言えないな。 そこらを突っ込むのはヤボってもんだ。 ﹁ふーん。レイル、アイラ、カグヤ、ロウ。助けてくれたことには 感謝してるの。いきなり殴ってごめんなさい、ありがとうなの。で も信じたわけじゃないから﹂ ジト目なのは強がりみたいなものだろう。 助けられて心細いから同年代と一緒にいたいというのもあるだろ うし。 そりゃあ起きたら周りが知らない人だらけならパニックも起こす か。別にこれがむさ苦しいおっさんとかじゃないから許してやるよ。 その後のツンデレ風味なのも新鮮でよかったし。 ﹁さっきのは水に流してやるよ。じゃあ俺たちは出るから着替えて もらえるか?﹂ 王城に行くのに冒険者の格好でも構わないかもしれないが、さす がに流されてきたときのボロい格好はダメかもしれない。 973 女性陣を残してロウと二人、部屋の外へと出た。 ◇ ここはどこだとか、人間の国はみんなこんな感じなのかとかリオ にいろいろと聞かれながら王城へとやってきた俺たち。 ﹁えっ?! なにこれ?﹂ 明らかに周りと違う建物、周囲を警備している兵士など見慣れぬ 異様な風景にリオが困っている。 ﹁聞いてなかったのか? 今からいくのは王城だって﹂ ﹁友達に会いに行くって!﹂ ﹁だから俺らの友達っつーのは王子様だよ﹂ 王城ってのを聞いてなかったんだな。友達という単語で気軽につ いてきたわけだ。 ﹁ちょっと! うち帰る!﹂ ﹁観念しろ﹂ ショートワープ 獣人特有の俊足で逃げ出そうとしたリオを短距離転移で追いかけ 回り込んで首根っこを掴む。 974 おとなげない、と責めるような目のカグヤは無視だ無視。 ﹁ちょ! 離して!﹂ リオをずーるずーると引きずっていく様をアイラが何故かドヤ顔 で見ていた。いや、あの顔はざまあ!といったところか。目が合う とビシッと親指を上に立ててやったね!と示す。人の不幸に嬉しげ なのはいったい誰に似たというのか。 決して俺は女の子を引きずっていくのが楽しいとか思っているわ けではない。これは仕方なくやっているのだ、仕方なく。 ﹁ちょっと待て! 貴様ら止まれ!﹂ 何故か王城の警備兵に止められ⋮⋮ってそりゃあそうだよな。 アポもなしに俺らみたいなのが城に入ろうとすれば止めるよな。 こんなときのために勇者候補証明のこれがあるんだよな。 ヒモの先には独特の金属の細工と防水加工がされた紙があって、 その紙には俺の名前に年齢、素性などいろいろな個人情報が記され ている。 首からかけて服の中にしまってあるのだが、使うことは滅多にな いし、役に立つことはもっと稀だ。 ﹁勇者候補だろうがそんな奴を入れようとはどういうことだ。その 薄汚い獣はよければここで繋いでやるから入れるのはやめておけ。 ⋮⋮⋮⋮勇者候補? レイル・グレイ、だと?﹂ 俺の顔を見て何かを思い出したように記憶を探る彼に俺は優しく 微笑みかけた。 ﹁いいじゃないですか。魔族とだって友好条約が結べたんだから獣 975 人の一人ぐらい﹂ 彼女を奴隷と間違えたことは百歩譲って許してやろう。 だがもしそうならそんな理由で俺のツレを入城拒否とはえらくな ったもんだな、兵士さんよ。 俺はあくまで穏便にことを運ぶために優しく、紳士的に話しかけ たはず。 だが俺の勇者候補許可の名前と顔を再度見直すと顔を盛大にひき つらせた。 一歩近づくとびくっと足を後ろに引いて下がった。 ﹁わわわわかりました。申し訳ございません!﹂ 何故か慌てて門を開けた門番さん。 そんなあっさりでこちらは助かるが大丈夫なのだろうか。 ﹁ねえ、レイルってやっぱり酷い人?﹂ そんなリオの疑問を今更と言うこともなく無視して俺たちは王城 へと入っていった。 976 少女の目覚め︵後書き︶ 誤解って主人公がするにはもどかしいけど人がしているのを見るの は楽しいですよね。 977 故郷巡り︵前書き︶ 懐かしのギャクラで世話になった人たちへの挨拶。なぜか隣には獣 人の女の子。 978 故郷巡り いくら差別がマシな国とはいえ、獣人を城に招きいれるというの は咎められることなのだろう。 だからフードを被らせたりして隠すこともできたのにしなかった のにも理由がある。 リオには少し自分を見る目というものを体感してもらおうかと思 ったのだ。 ここに来る道中も道ゆく人々からは不躾な視線が浴びせられ、そ の隣にいる俺たちを見て納得したような様子が見られた。 現に兵士には止められたしな。 だがリオは予想以上にそこらへんは図太いようで、一人になるの は怖いくせに他人の視線は気にしないようだ。 それがどうやってリオの中で折り合いがついているのかは俺には わからない。 久しぶりに勇者候補の資格が役に立ったというどうでもいいよう な喜びを胸に城門をくぐった。 中の人に案内されてレオンの元への最短距離をゆく。 向こうから駆けてくる人物がいる。 当然のようにレオンだった。この城内を走っても咎められること のない人物など限られていて、俺たちが来ることで駆けてくるなん てレオンしかいなかった。 しばらく見ないうちにすっかりたくましくなって、あどけなさも 抜けている。こんなのだったら王子の肩書きがなくとも女が放って おかないに違いない。 979 ﹁よう。レオン。久しぶり﹂ 手をあげ、あまりに気軽な挨拶にツッコむこともなく俺たちの前 でレオンは止まった。 ﹁おおおおお前というやつは!﹂ 右手の人差し指で俺かその後ろぐらいを指差してわなわなと震え ている。 恐怖ではなく怒りだろうか。だが思い当たる節が全くない。 ここ数年会っていないレオンがどうして再会直後に怒っていると いうのだろうか。 ﹁やっほー﹂ アイラも挨拶をした。 ロウとカグヤについては単なる同級生ってだけだったので、あま り気楽なとは言い難い挨拶ではあった。 リオなんかは呆然として挨拶することさえ忘れてレオンを見てい る。 うんうん、わかるよ。 城を全力疾走して旧友に怒りの眼差しを向ける。こんなのが王子 様なんて信じたくないもんねえ。 ﹁レイル! お前ならレオナを任せてもいいかと思ったのになんだ、 その女は! アイラは仕方ないにしてもレオナにアイラを誑かして おいてまだ女を引っ掛けてくるか!﹂ はあ? なんの話だ? 980 ﹁ああ、えーっと、うちはリオともうします。え? と、王子様な んですか?﹂ 完全にテンパったリオはしどろもどろに自己紹介を終えた。口調 に違和感しかない。 他の人間が奴隷と勘違いしたのに、こいつだけは独特の感性を持 っているというか、いや、こいつが俺のことをよく知っていて、一 般に思われるような奴隷を連れて歩くことはないという信頼からく るものなのかもしれない。 それに奴隷を連れて城には入らないしな。 ﹁レオンくん、違うから﹂ アイラの底冷えのするような声音に思わず体を強張らせるレオン。 そこにはない銃があるかのようだ。友人にさえその底知れない覇 気を向けるアイラは俺の一部を苛烈にしたような、そんな気性をし ている。 少なくとも俺は凄むのが苦手だから、仲間が凄めるぐらいでちょ うどいい。 ﹁なんだ、誤解か。だがお前が種族を無視していろんな女を連れて いると聞いてな!﹂ 女と聞いて四者四様の反応を見せた。 顔を赤くして怒ったようなリオ、いっそう険しくなる ﹁ミラのことだよ。あいつは死神だぞ? 女に数えるのも馬鹿らし いほど次元が違う﹂ 981 次元が違う。自分で言い訳に使っておいてどこか傷ついていた。 そう、誰よりも種族を無視して友達を、仲間を、信頼できる大切 なひとを作ろうとしたのは他でもない俺なのだから。 だがそんな痛みは次のレオンの言葉で霧散した。 ﹁それがどうした? 何も気にしないのがお前だろ?﹂ そうだ。こいつもまた、俺をわかろうとしてくれている人の一人 であったのだ。 ﹁王様にはこの前会ったから挨拶はいいや。レオナは知ってるだろ うが俺の自治区にいるよ。ちょっと回ってくるけどすぐに帰ってこ れるから﹂ ﹁なんだ。もう行くのか。もっとゆっくりしていけばいいのに﹂ ﹁ここに一番に来たけど他にも挨拶しておきたい人たちもいるから な﹂ ﹁ああ、そうだ。気をつけておいてほしい国があるんだが﹂ ﹁ヒジリア、だろ?﹂ ﹁なっ﹂ 一介の冒険者で同年代の友達に頼むことじゃないことを考慮する と、どちらかといえば警告だろうと俺はこのときさらりと流した。 レオンもわかってるならいい、とそれ以上追及はしなかった。 ﹁頻繁に帰れよ﹂ 以前であれば聞くことのできなかった頼み。空間転移で移動時間 というものの大半を無視できるようになった今は自然と頷くことが できた。 982 その後は自由行動とした。 アイラは実家に顔を見せにいったようだ。 俺たちは稼いだ金を六等分して、三分の一が四人の旅資金として、 一人あたり六分の一ずつの額を分配している。 アイラはその一部を父親に渡すつもりらしい。 あまり一緒にいてあげられなかったから、せめて家の負担でも軽 くなればとのことらしい。 カグヤとロウはあまりいくところもないのか、かつて暮らしてい た小屋を見に行った。 自然とリオは俺の後をついてくるかたちとなった。 俺は懐かしの薬屋に寄って挨拶がてら大量の薬や毒、希少なもの を買い込んだ。 普通は懐かしの、と枕詞がつくのは駄菓子屋の方がしっくりとく るものだが、なんだからしくって笑えてしまう。 シリカやフォルス、多くの同級生が色々な場所で働いていた。 プー太郎は俺らぐらい⋮⋮って俺らはいいんだよ。もう四人とも が一生遊んで暮らせるぐらいには稼げているからな。 駆け出しの冒険者としては異常な稼ぎだ。 短期間で稼げてしまった冒険者パーティーは長続きしないと言わ れる。 理由は想像がつく。稼いでしまったことによる慢心、もう冒険者 をやめて田舎でのんびり暮らしてもいいんじゃないかという安堵、 稼ぎの山分けに関する仲間割れなどいくらでも解散の要因はある。 俺たちはそれぞれにあまり金自体には執着がないから、そこまで 問題にもならないし、道楽でやってるようなところもあるからな。 983 いや、俺はお金が稼げた方が楽しいぜ? ﹁レイルは⋮⋮顔が広いの﹂ 行く先々で武器屋から貴族まで、多くの人に顔を覚えられていた ことを言っているらしい。 ﹁そりゃあ⋮⋮勇者候補として活躍したから?﹂ ﹁勇者候補⋮⋮っ!﹂ 勇者候補という単語に急に態度を変えたリオ。多分超勘違いして いる。 ﹁なあ、勇者候補だからといっていろんな種族を無差別問答無用に 襲うわけじゃないぞ? 証拠にエルフや妖精、クラーケンに魔族の 友達もいるからな﹂ ﹁嘘、エルフが人間と仲良いなんて﹂ ﹁本当だよ。もしよければ一緒に連れていってやろうか?﹂ そう言って耳元の耳飾りを見せる。 ﹁なんなの﹂ ﹁エルフの里へ入ることを許された友達の証だよ﹂ ﹁ふん。信じないの﹂ 俺たちはぐだぐたと話しながら約束の集合場所へと戻っていた。 ここで夕方五時ごろに集まり、一旦今日のことを話して明日以降 のことを決めてから解散するつもりなのだ。 ﹁そういやお前、どうするつもりなの?﹂ 984 四人の集まった広場のすみでリオにこれからの予定を聞いた。 全然考えていなかったらしい。むーん、と眉間に手をやりデコに シワを寄せて考えこんだ。 耳とひげがぴょこぴょこと動く。 ひげがあれども肌や顔のパーツのバランスは人とほぼ変わらない。 やや産毛が濃いぐらいか。 ﹁うちは﹂ 四人の視線はたった一人の少女に集まった。 リオはその視線に動じることなくピンと耳とヒゲを立たせた。 それが緊張の印かよ、とツッコむのは俺の役目ではない。 俺たちは彼女の答えを受け止めることしかできない。 俺にはもうその答えがわかりきっている。 リオは返すべき答えを返した。 ﹁うちは故郷の大陸に、戻りたいの。だから﹂ だから、ここでお別れだ。助けてくれてありがとう。 リオは牙の覗く口でそう言った。 だが俺がその答えを受け止めだからといって、それをそのまま承 諾するとは言っていない。 ﹁ククッ。正直に言えよ。私一人では帰ることはおろか、大陸から 出られるかどうかもわかりませんってな﹂ ﹁⋮⋮っ!﹂ 仰け反るリオに矢継ぎ早に言葉を重ねる。 985 ﹁いくら獣人の身体能力が高いからといって、ただの女の子が一人 でなんの情報も持たずに旅をできるほど甘くない。違うか?﹂ ﹁そう⋮⋮なの﹂ 忌々しげに自分の甘さを認めた。 これ以上借りを作りたくない、けどこのままでは犬死にだとわか っている。 自身の身体能力が高いがゆえの獣人のプライドが邪魔をする。 軟弱な人間の力を借りるなんて、と。 だからこそ今日一日こいつを連れ回した。 獣人の高速ダッシュによる逃亡を抑え込み、国での人脈と彼らの 口から語られる勇者候補としての実力を見せつけるために。 俺たちの力を借りれば大陸間での移動ができるからそうするべき だと思わせるために。 彼女が現在頼れるのは俺たちだけ。 その俺たちが機動力のある勇者候補だと、そして自分に危害を加 えることがなさそうだと理解してしまえば後は簡単だ。 否が応でも頼むしかなくなる。 ﹁助けてほしいの。獣人の国がある大陸までだけでも構わないの。 うちを安全に、盗賊や魔物から守って届けてほしいの﹂ はい、よく言えました。 986 故郷巡り︵後書き︶ どうしてでしょうか。人助けをしているはずなのに敵を追い詰める シーンみたいな描写になったのは。故郷巡りでさえもレイルの手に かかると人の心を陥落させるための手段になるようです。 987 こんなものも リオの答えを誘導しきった俺はその返答もまた予め決めてあった。 ﹁任せろ﹂ もちろん、こいつをダシにして獣人国家へと突入するつもりだ。 排他的な他種族であろうと、仲間を連れてきた相手を無下にはでき まい。 三人がついてくるかはあまり心配していない。今の俺なら一人で も獣人の国へ送ることぐらいはできる。それに三人は俺と似ている ところがある。それは未知への好奇心とも言える何かだ。 魔族、獣人、人間と三大種族が大陸を分かち、離れて暮らすよう になってから長い時が過ぎている。交流こそ細々とあれど、国家同 士における交流がない。それはお互いの情報の欠落を示す。 ここ数世紀の歴史の中で多くの書物が失われてきた。 盗難、戦争、災害⋮⋮時には弾圧。 邪悪な他種族の書物を置くなんて教理に反するなどといった戯言 を間に受けた熱心な信者の手によって処分されたものも多い。 情報はなにより武器であるというのに。 そんな状況下において未知の大陸にいく機会を逃すはずもない。 この前もついてくる気満々だったし。 ﹁ちょっと別の場所にも寄るけど、それでもお前が一人でいくより 三倍以上早く着いてみせるよ﹂ まあ最初は何を言われたかわからないよな。 988 一人だからといって三倍遅くなるわけではないのだから。 空間転移についても話さなければならないが、隠すほどのことで もない。 ﹁レイルはたいそうなの﹂ あまりの物言いに自身の常識を捨てきれないでいるリオ。 アイラが俺をバカにしたと思ったのか、かちゃりと銃の予備動作 の音をたてた。 ﹁やめろっつーの﹂ こういう風に信じてない人間の常識こそぶっ壊すのが楽しいのに、 今から心の準備をさせてどうするんだ。 こういうのはサプライズドッキリこそ至高だろうよ。 ﹁まあついてくればわかるって﹂ ◇ 俺たちは獣人大陸へと繋がるゲートが存在する場所へと向かった。 その途中、空間転移でこれまで訪れた場所を再び訪れた。 悪魔の屋敷や古城など、既についてきている奴らの場所こそ行か なかったものの、エルフの里、妖精の湖にウィザリアにガラス、リ 989 ューカとそれぞれに事件のあった場所にいった。 お調子者の妖精やエルフの人たちには俺が名前を貸している自治 区が国へと認められた祭典を行うからその時はきてほしいと頼んで おいた。 ショートワープ カレンやキリアは複雑な顔をしていた。彼らに何か進展はあった のだろうか。 サーシャお姉さんに決闘を再び挑まれたので、短距離転移で回り 込んで背後から剣を当てて終わらせた。開始二秒のことである。 空間転移を使えばそれぞれの場所へ滞在する時間のみで回ること ができるので、まともに旅をするよりずっと早かった。 本来は二ヶ月ほどかかる道程も、空間転移の多用によって僅か二 週間にまで縮まった。 ﹁本当にこんな短時間でついちゃった⋮⋮﹂ ゲート 獣人大陸へと向かう転移門は古代遺跡の中にある。 ゲート 古代遺跡には多くの罠が仕掛けられ、複雑なパズルのような迷宮 をくぐり抜けることで転移門のある部屋まで辿りつくことができる ゲート ようになっている。 テラ・ゲート ここは多くの転移門の中で唯一大量の人員を転移させることがで きる大規模転移門であるからだ。 度重なる大戦が終わりを告げたとき、軍事的に悪用されないよう、 そして不用意にお互いが干渉しないようにこの遺跡が建てられたの だとか。 おかげで獣人国家サバンとの交流は殆どない。 海を渡れる、空間転移を使える、またはこの遺跡を踏破できる、 テラ・ゲート そういったある程度の実力者だけがお互いの大陸を行き来できる。 だが魔族国家ノーマが軍事用の大規模転移門を保持していたよう 990 ゲート に、小規模の転移門ならば幾つかの国の城にはあると言われる。 ちなみにギャクラにはない。 テラ・ゲート 魔族国家ノーマがウィザリアさえ凌ぐ魔法の発達した国であるが 故に、大規模転移門を国で保持などという真似ができたわけで、こ ゲート んなものはこうして自然に存在するものしか人間は見ることがない。 通常の転移門が小規模であるのは空気中の魔力を使用するからで ある。 俺もそうだが、空間術というものは本来別次元からエネルギーを テラ・ゲート 借りるべき術であるのだ。 ゲート 魔族国家の大規模転移門はそれを人力というか魔族の魔力に頼る テラ・ゲート から大変なのだ。 この場所の大規模転移門はそういう点で最も優れた転移門だと言 える。 ﹁はあ⋮⋮単なる迷宮なら簡単だったんだけどな﹂ ここは随分と厄介な迷宮である。 多くの迷宮にかけられがちな魔法や術の使用を封じる結界が張ら れている。 おかげで空間転移が使えない。 魔力感知と同じ類の空間把握は使えるが、罠や謎解きを組み合わ せることで単純な迷路とは一線を画する。 ただ、ここはあくまで足止めのための迷宮なので、殺すための罠 というものはないと聞く。 諦めたという話はよく聞くが、帰ってこなかった者はあまり少な い。 そりゃあ死のうと思えばどんな場所でも死ねるのだから数人帰っ てこなかったところで不思議でもない。 991 ﹁よし、入ろうか﹂ ここからが本番であるということだ。 石畳の床にレンガ造りの壁。 ところどころに配置された明かりは入り口で魔力を込めることで つくタイプのようだ。 ステレオタイプな迷宮は冒険者なら一度は挑戦すると言われる浪 漫の塊である。 ﹁あ、そこ踏むとへこむぞ﹂ ﹁そこ不自然だから通るときに見とけよ﹂ 罠はロウと俺がいれば全然引っかかる気配がない。 ロウはそういったものに精通しているし、俺は空間把握で何がど こにあるかがよくわかる。 問題は罠だとわからない罠だ。 ﹁魔物は全然いないのね﹂ ﹁なんか退屈ー﹂ 992 カグヤとアイラは少し暇を持て余したようだ。 警備の必要がない上に男子勢が罠を見つけるおかげですることが ないのだろう。 ﹁もっと苦労すると思ったの﹂ 緊張もほぐれてきたところで、リオがそんな風に言った。 ﹁ほら、そこ。石畳の色が違う﹂ ﹁そこは下に空洞があるから落とし穴だ﹂ 人が四人並べばギリギリといった迷宮は目的通り少人数のようだ。 罠の方もそりゃあかかれば痛いこともあろうが、落とし穴にはト ゲがないし、いきなり鉄塊が降ってきたりもしない。 随分と親切設計である。 と思っているのは俺たちだけのようで、迷宮自体は結構複雑なも のだ。 もちろん紙とかに描かれてゴールまで行けと言われればなんとか なるだろう。 だがこの場所を歩きながらマッピングして迷うなというのは方向 音痴な俺には到底無理だ。 空間把握まで封じられてたら詰んでたな。 だがこれは便利だ。 魔法が使えるためにはある程度自分の魔力が感じられなければな らない。 それと同じように空間術の基礎としてあるこの技は魔力を使わな いがためにこの場所であっても封じられることがなかった。 SFでありがちな立体地図、その中をカーナビやスマホのGPS のように現在位置を把握しながら進むというのは楽にもほどがある。 993 攻略本片手にゲームというか、電子辞書片手に単語テストを受け ている感じというか。 とにかく序盤は問題なく進むことができた。 ﹁あれ?﹂ 地下に二階ほど降りたとき、ようやく迷宮が一段落したようだ。 これからは迷路ではなく謎解きになるらしい。 出口の見当たらない部屋に到達したのだ。 994 こんなものも︵後書き︶ なんだか冒険者らしいことしてますね 995 地下迷宮︵前書き︶ 魔物、魔法とくれば迷宮探索でしょ 996 地下迷宮 出口がないとはいえ、様々なものが置いてある。甲冑や本棚、石 板など、生活用品と呼べるものから個人で置くにはおかしなものま で。 ﹁休憩場所か?﹂ ロウが暗に道を間違えたのではないか、と言った。 ﹁んなわけねえだろ﹂ 今も空間把握でこの下に階段があることはわかっている。 だがそこに繋がる道がない以上、ここから向こうに行くためには 何らかの条件を満たさなければならないらしい。 空間転移が使えればよかったのに。 壊すと階段が使えない可能性がある以上、下手な真似はできない。 ﹁やっぱりこれだよね﹂ アイラが指したのは他でもない、怪しさ抜群の石板であった。 縦1メートル×横4メートルほどのそれは長々と一つの文章が書 かれていた。 ﹃右は正しく、左は放置された。 段階の放置された得るを兎の頭に変えよ。さすれば宴とならん。 宴の中心の部位を二番目の文字に変えよ。以って我が名を反逆者 となさん。 997 自分自身の舞を本に変えたものに愛の放置された隣を加えたもの を横にずらせ。 現れた肝臓の愛を愛の最後に変えたものを下に倒せ。 蝋燭に由来せしものを時計回りに回せ。 地下への扉さすれば開かん﹄ なんだか何かを思い出しそうなわけのわからない文章だった。 古典文法と口語の混ざったそれは、地下への入り口の行き方を示 しているのはわかる。 ﹁本? 本を横にずらせばいいの?﹂ 違うだろ。 ﹁蝋燭に由来せしって⋮⋮この部屋には魔導具の灯りがいくつもあ るんだぞ﹂ そう、この部屋には電灯タイプの灯りが四つとシャンデリアタイ プの灯りが一つあった。 下に示されているのが電灯タイプの順番だとしたら。 最初の文章の意味がさっぱりわからない。 机の上の羽ペンは山吹色で、あまり見たことのない色の羽だった。 だけど紙は全然なくって、引き出しの中にはファスナー式の小銭入 れがあってその周りに数枚のコインが散らばっていた。 書斎というには荷物が少なく、休憩所と言うにはベッドはない。 椅子は二つに深い赤色の絨毯にはバラのような模様があった。 あちらこちらと探して見るも、文章らしきものは壁に掛けられた 石板にしかなかった。 ﹁変だよね。こういうのって古代言語とかが相場なのに﹂ 998 そうだな、その感覚は俺の前世の専売特許なんだがな。 とそこまで考えたところで強烈な既視感が俺を襲った。 古代言語、違和感のある文章。 何かを見落としたような、そんな感覚に思わず石板を二度見した。 ﹃右は正しく、左は放置された。 段階の放置された得るを兎の頭に変えよ。さすれば宴とならん。 宴の中心の部位を二番目の文字に変えよ。以って我が名を反逆者 となさん。 自分自身の舞を本に変えたものに愛の隣を加えたものを横にずら せ。 現れた肝臓の愛を愛の最後に変えたものを下に倒せ。 蝋燭に由来せしものを時計回りに回せ。 地下への扉さすれば開かん﹄ どこか中二臭いその文章もそれを計算してのことだったのかもし れない。 ﹁アイラ、それだ﹂ ﹁古代言語?﹂ ﹁お前の言葉がヒントになった﹂ ﹁ヒントってなによ﹂ ああもう。だからこの世界は。 同じ言語を使っていても根本的に違うんだよ。 そしてこれまでの旅で何度も経験したその齟齬こそが今回の鍵と なっていたのだ。 ﹁右は正しく、左は放置。それはrightとleftのことだ。 999 同音異義語のことを指しているんだ。そして有名な同音異義語を出 すことでこれが英語だと気づかせるための導入文だったわけだ﹂ ﹁ライト? レフト? レイルは古代言語が使えるの?﹂ リオの疑問は的外れというほどでもない。異なる言語には違いな いのだから。 ﹁それってレイルくんが生まれ変わる前の世界ではたくさんの言語 があったのと関係がある?﹂ 俺の過去をよく聞いていたからか、誰よりもそういうことには鋭 いアイラから指摘がとんだ。 ﹁ああ。英語っていうのは俺の元の世界で公用語となっていた言語 だよ﹂ ﹁二人は何を言ってるの?﹂ 記憶を持って生まれ変わったという話を唯一知らないリオは頭上 でクエスチョンマークが回っている。 ﹁で話を戻すが、段階はlevel。それの放置された、つまりは 横書きにおける左手のことだな。左の得るっていうのはL、小文字 にするとl。それを兎の頭に変える。兎の英語はrabbit。そ の頭文字はrだ。すると出てくる単語はrevel。お祭り騒ぎを 意味する名詞だ﹂ ここでようやく導入文の半分が終わった。 ﹁revelの中心の部位っていうのはvのことだ。それをアルフ 1000 ァベットの二番目、bに変えれば反逆者を意味するrebelにな るんだ﹂ アルファベットというものだけはこの世界にも伝わっている。だ がそれは甲乙丙丁のように順番だけが伝わっており、言語を構成す る文字だとは思われていなかったらしい。 そしてここからが本題だ。 ここでようやくこれらの文章が英語にまつわる暗号だと示すこと ができるようになった。 次の文章こそが地下への入り口を開けるための文章なのだ。 微妙にお祭り騒ぎとかを使うあたり、小学生が作れるような暗号 ではないことは確かだ。 ﹁自分自身、myself。その舞、myを本、bookに変える。 そこに愛の放置された隣、左隣だな、つまりはアルファベットのh を加えるとbookshelf、本棚になる。それを左にずらして くれないか?﹂ 俺に言われて一番本棚に近い場所にいたリオが本棚をずらした。 すると本棚の後ろに大きな穴があり、その中には一本のレバーが あった。穴の向こうの壁からこちらに向かって出ている。 ﹁そこでレバーだ。肝臓はliver。その愛っていうのは二つ意 味があって、一つ目の変える愛は小文字のi。そして愛の最後での 愛は単語としてのlove、その最後の文字はeだ。すると機器を 操作するための棒という意味の単語、leverとなる。それを下 に倒してくれ﹂ 一緒になって覗き込んでいたカグヤがレバーをがこんと下に倒し た。 1001 ガガガガと物々しい音がして何かが動いたことがわかる。 ロウソク ﹁最後にこれが一番面倒くさいんだが、蝋燭に由来したもの、それ はシャンデリアだ。この部屋の天井の中央にあるシャンデリアを時 計回りに回さなきゃならない。それは俺がロウを肩車することにし よう﹂ そりゃあ俺だって可愛い女の子たちが肩車しあってる方が見た目 にもいいし、運が良ければ下着だって見れるという楽しみがあるか もしれないが、こんな場所でそんなことを実践するのもかわいそう なものである。 獣人だから履いてないとかだと気まずいし、それを聞ける雰囲気 でもないとかいうのは置いておいて。 ロウは鍛えてないわけでもなくって、俺よりも実戦経験豊富な彼 はどちらかというと細身の筋肉質で見た目よりは重い。 お互い魔法を使えないので俺が下になったのはいいが、こりゃあ 男女の肩車というラッキーイベントは起こせそうにない。 強いて言うならカグヤならロウを肩車できるとだけ言っておこう。 ﹁もう少し、もうちょい右﹂ ﹁ふんっ﹂ ﹁よし。おりゃぁっ!﹂ 無様に四苦八苦しながら回せたところで肩車を解除して座りこん だ。 何かのつっかえ棒がとれたかのように床の一部が斜めに傾いて地 下に向かって入り込んだ。 ﹁すごい。本当にレイルの言う通りにやったら開いたの﹂ 1002 地下への入り口があった。 おそらく国の王や一部の人間はこの迷宮を簡単にクリアできるよ うな地図などを伝承されているのだろう。 この世界に英語がない以上、あの謎を解くことができるのは俺の 前世の世界からのトリッパーか転生者だけである。 ﹁まさかここに仕掛けを施した者の中に転生者か漂流者、召喚され た者のどれかがいたなんてな﹂ ﹁レイルの世界の人間でないと解けないんでしょう?﹂ ﹁ああ﹂ あれ? だとしたら目的はなんだろうか。 獣人の国へと向かいたいという、この世界に来た元の世界の人間 の多くが望む希望を叶えやすくするためにヒントを残してくれたっ てことか? なるほど。だとすればここを作るのに携わった異世界人はよほど 理解があるとみえる。もしも会うようなことがあれば是非お礼を申 し上げたいものだ。 コツン、コツンとやけに足音の響く階段を俺が先頭、背後にロウ で間に女性陣を挟んで降りていった。 空間把握と隠密の二人が先頭と殿をつとめるのは極自然なことだ。 1003 と誰にでもない言い訳をしてしまうのは前世の日本人としての性か。 ロウは足音が消せないことに苛立ちを覚えるらしい。先ほどから 靴や足の感覚を確かめたりしているのが空間把握で確認できる。 ﹁イヤな感じなの﹂ 連れてきてやっといてイヤなとはなんだと責めるのはお門違いだ。 五感が鋭い彼女が言うということは、目には見えない、気配にも ない形の危険があるかもしれないということだ。 一層警戒を厳しくしながら進んでいった。 ﹁なんだ、拍子抜けだな﹂ ここまでは部屋の前のように罠もなければ複雑な構造もなかった のだ。 綺麗なまでの一本道にむしろ怪しさが増して、ここまで来るのに 随分と気を張った。 ﹁でもこれはまた嫌な三択ね﹂ たどり着いた場所には三つの扉があった。 1004 地下迷宮︵後書き︶ 回りくどいけどギミックはさほど難解ではない謎解き編でした。 rebel、levelはともかく、revelはあまりわかりに くいような気もしますね。 left、rightは常識の範囲内ですが⋮⋮シャンデリアがロ ウソクに由来しているっていうのは知ってないと無理ですかね。 どうせ回せるのはシャンデリアぐらいだし、問題ないような気もし ますが。 夫が外国人 的な題名のマンガでは英単語の由来につい それに隠し通路と言えば本棚の裏ですよね。 某有名な て語っていますが。 1005 獣人の国の 三つの扉の真ん中の扉には三つの文章が英語で書いてあった。 今度は単純なトリックであればいいなとばかり願うのであった。 日本語訳するとこうだ。 ﹃真ん中の道は正しい。しかしこの道を行けば苦労するだろう﹄ ﹃左の道はどこにも行けない﹄ ﹃右の道は楽に通過できる﹄ その訳を読んだところで、うちのパーティーに不慣れなリオはこ じゃあ簡単なの。右に行けばいいの﹂ んなことを言った。 ﹁え? やれやれと肩をすくめてリオが扉を開こうとするのを止める。 ﹁そうじゃないだろ﹂ そんな単純な文章なら謎解きにはならない。 これを書いた奴がどこまで考えていたのかはわからないが、この 文章のニュアンスならば明らかに右は違う。 通過はpassと書かれている。 ﹁この文章で言うところの楽に、っていうのはこの道を行けば死ぬ ってことだよ﹂ 楽だとか楽じゃないとか書くのは死ぬかどうかと相場が決まって 1006 いる。 ここで甘い言葉に騙される程度のやつは死ねばいいというなかな か残忍な罠に決まってる。 行ける、ではなく逝ける、と読むべきだ。 ﹁もうちょっと人を疑うことを覚えた方がいいわよ﹂ 見た目の年齢はあまり変わらないのになんだか保護者みたいな構 図になる。 ﹁ほら、そんな怪しい扉は無視して真ん中のを開けるぞ﹂ 異論はないようだった。 そこからはあまり大きな罠や仕掛けはなかった。 ﹃長い方の道に行け。同じだと思えば書いてないところへ行け﹄ と書かれた看板の奥には目の錯覚を利用した同じ長さの棒が描か れた扉があった。 子供騙し、と馬鹿にするのは簡単だが、この世界はまだ脳科学が 進んでいない。 カグヤでさえもが最初は外側に向いた矢印が両端についた棒の扉 を選ぼうとした。 というか視覚に頼るなよな。こういうときは実際に測れっての。 こぼしてもこぼして いくつか扉があったがどれも似たようなものであった。 ﹃減っても減ってもなくならないものは? 1007 負ける?﹄ も減らないものは? ? 二つのものの最後の文字を繋げると勝てる 減ってもなくならないのはおなか。 か と ち 。そう、勝ち。 こぼしても減らないものは愚痴。 なぞなぞだった。 間違いない。 これらの罠の数々には俺の元の世界の住人が関わっている。 不貞の輩からケモミミ王国を保護するためにこの世界の住人にと って悪辣な罠を仕掛けたのだ。 俺にとっては僥倖というに他ならない。 よく知った常識の範疇内で解ける謎で迷宮探索ができるのだから。 全ての扉を開けてきた。 正しくない道を選んだ場合も同じ道に通じていて、ようは罠があ るかどうかの違いでしかないため、答え合わせをする必要はない。 ここに来れているという事実が全ての謎に正解してきたというこ とを示している。 ﹁最後の扉だ﹂ わかる。 この向こうには明らかに不自然な部屋が広がっていて、その先に はもう何もない。 これが不正解で行き止まりだとしてもさほど問題もない。来た道 を引き返せばいいのだから。 通常の冒険者ならぐるぐるとまわっているうちに迷ったり、出ら 1008 れなくなったりして食料が底を突く。 疲労と飢えが判断力を鈍らせ、いつかは野垂れ死ぬ可能性もある のかもしれない。 そうなる前にここに挑んだ冒険者たちは引き返すだけの判断力が あったか、それとも。 ﹁なんか不吉なこと考えてない?﹂ ﹁いやいや。ここで死んだ人の身体を片付けるようなヤバイ存在が いるんじゃないかとか考えてないよ﹂ カグヤは激怒した。この邪知暴虐のリーダーを取り除かねばなら ぬと決意した。 ﹁想像以上におぞましい考えだったわ。聞かなきゃよかった﹂ なんてことにはならなかった。 ゲート 扉を開けると案の定、歓喜も何もないほどに予想通りに転移装置 があった。 ここはもう、起動させるタイプの転移門ではなかった。まさにそ こにあるだけの次元のひずみ。それは誰が作ったのかもわからない ほどにこの世界のオーバーテクノロジーの一つだ。 奇妙にゆがむ向こうの大陸の光景は俺が空間を歪めて繋げるとき と何ら変わりない風景だった。 リオは怖がっているのか、いつのまにか服から出ていた尻尾がピ ンと立って猫耳とともにその存在を主張していた。 思わず手を伸ばそうとしたらアイラに止められた。 俺はリオに気づかれないようにアイラに抗議した。 ﹁どうして止めるんだよ。そこにあったら触りたいだろ﹂ 1009 ﹁本人の許可を得てからだよ﹂ ごもっとも。正論すぎてぐうの音も出ない。ねえ知ってる? 時として正しすぎる言葉は人を傷つけることもあるんだよ? ﹁行かないの?﹂ うずうずとしたリオに急かされて俺たちは一歩を踏み出した。 ◇ ここは随分と不思議な感じだ。 どうやら出口と入り口を別の場所に設定してあるようで、俺たち の後ろにはまた難解な迷宮の入り口が広がっている。 もうあそこには行く予定はない。 俺の空間転移を使えば一度行った場所なら楽に行けるからだ。 俺たちが出た出口は周囲に石のモニュメントがいくつもある。 周囲に円状に柱のようなものがポツン、ポツンと並んでいて、何 かを訴えるように天に向かってそびえたっている。 明らかに俺たちの何倍もの大きさがあるそれは誰が何のために置 いたのかもわからない。もしかしたらこれが出口の設定なのかもし れない。 何かに似ているような⋮⋮ああ、ストーンヘンジだ。そういえば ここはヤマトの南東に位置する大陸だっけか。 流れてくる空気に懐かしい故郷の匂いでも感じたのか鼻をひくつ 1010 かせながら思いっきり深呼吸するリオを見た。 どこまでも広い草原に謎の石以外何も高いものがない原風景は広 大な自然の偉大さを教えてくれる。 ﹁本当に⋮⋮ありがとうなの﹂ かしこまってお礼をいうリオには、いえいえこちらこそ、と謙遜 しまくりたい。いや、本当に。 俺の方こそ単なる迷子を送り届けるだけで獣人国家にコネができ そうなんて美味しい話を持ち込んでくれたリオには感謝してるんだ ぜ? 俺だって何も獣人をどうこうしようってわけじゃないし、獣人だ からなんだという差別があるわけでもない。純粋に友達百人できる かな?のノリである。たくさん世界中に頼れる相手がいればきっと もっと楽しく過ごせるな、なんて。 ﹁人間はすごいの。あんな地図で正確に世界を旅して回れるなんて﹂ ぼそりと言ったリオの言葉は聞き取りづらく、俺が聞き返すと教 えてくれなかった。 仕方がないので波魔法で伝わっていった音を追いかけて拾った。 ﹁聞き捨てならないな。魔族も人間の国でも同じ地図を見たんだが、 どうしてこれが正確じゃないとわかる﹂ ﹁そうよ。だいたいあってるじゃない﹂ ﹁だいたい、しかあってないのにそれで旅をできるのがすごいの。 きっと地図を読む能力や考える力が獣人族よりすごいの﹂ いや、確かに俺らは多分年齢の割には頭脳派という意味ではなか 1011 なかのパーティーだと自負してはいるぜ? それに俺だってあの世界地図の正確さはわかっている。 旅の経験からするとこの世界の大陸や島の配置はほぼ向こうの世 界と変わらない。 なのにあの地図は水でぼかしたように精密さが欠けており、なお ゲート かつこの獣人の住む国だけは場所が描かれていない。 地図でわかるのは大陸間を飛ぶ転移門の位置とその出口の場所だ けである。 だからこそ獣人の国がよくわからないのは人間の地図だからかと 思っていたのだが。 ﹁あの地図は二百年ほど前に獣人の中で鳥人族と呼ばれる鳥型の血 を引く人が作ったの。わざとぼかして正確さを欠いた上に獣人の国 の情報をできるだけ抑えたものだけを流布させたの﹂ ﹁えっ!﹂ ﹁本当に?!﹂ アイラとカグヤが身を乗り出した。 ロウはやや興味がなさそうだ。 ﹁いや。納得いったよ﹂ そういうことか。 不自然さの一つに結論が出たな。 地理的情報は国同士の戦争や経済、様々な面において有利にこと を運ぶのに重要な要素だ。 空を飛べる獣人が作った、間違ってはいない地図を売ることで海 を渡るのが下手な人間族と魔族に恩までも売ったのだ。 そこで自身らの国の情報を隠すことで攻め込まれにくいように、 1012 魔族と人間が同士討ちするようにと地図に細工したのか。 獣人族は獣人というだけあって、哺乳類型の獣人が圧倒的に多い。 そんな中で爬虫類型や鳥型は少ない。 渡り鳥型の鳥人族がこの地図を描いたとすれば全ての納得がいっ た。 ﹁うちはあまりその理由までは教えられていないの。だけどそれは 大事なことだからって﹂ なるほど。 俺たちがそれを知っているかカマをかけたわけだ。 知っていて正確な地図を求めてついてきたならここでボロを出す かと試したってとこか。 今なら聞かなかったことに だがアイラとカグヤは演技はできないほうだ。俺の方がまだマシ だ。 これで疑いが解けたならいいが。 ﹁そんなこと話してよかったのか? しておいてやるぞ﹂ ﹁命の恩人のレイルたちならいいの﹂ 思っていたよりも信頼が得られていたようで何より。 彼女は地図を持っていないようで。 まあ向こうについて買えたらいいがそううまくもいかないだろう。 どうせなんとなくの地図なら俺だって書ける。 五大陸の位置があってる程度の地図だがな。 空間把握で世界地図どころか地球儀作れねえかな。 1013 獣人の多く住む大陸へとやってきた。 1014 野生の大陸、自然とともに生きる 情報通信網が整備され、音より早く情報の伝わる世界でさえもわ からないことが多くあり、不自然が、そして不条理が我が物顔で世 にはばかっている。 ましてや剣と魔法、多種族に魔物とファンタジー丸出しのこの異 世界で、何もないというのがおかしいだろう。 だがその不自然を、不条理を、不合理を、そして理不尽を。どう してそのままでいられようか。 わけのわからないことも起こるかもしれない。 未知の領域を見つけるかもしれない。 前世が無限の可能性が広がっていたが、それを追究する自由がな かったように。この世界もまた、無限の可能性を孕んでいる。 俺が死ぬまでにどれだけ解体できるだろうか。 リオが話してくれたのは、この世界の世界図変遷の歴史の一部で あった。 その地図を作る話だけでまた一つ、獣人たちに伝わる英雄伝があ るのだが、それはまた後日ということになろうか。 もっと早く気づくべきであったのだ。 1015 ゲート 転移門であちらこちらを飛び回る人間種族にとって、精密な地図 を作る力も機会もあったはずがない。 自身はこの世界の大陸の形に見覚えがあったからこそ、特に迷う ことなく目的地まで辿りつくことができた。 きっと他の人間種族にとっては世界の半分ほどは通ることのない 地帯で、世界は点と点で繋がっているのだろう。 ﹁ねえレイルくん。どうして獣人は大陸からあまり出てこないのか な?﹂ あまりいろいろ考えることのないアイラだが、思考力こそ同年代 の平均を上回る。 地図の話から浮かび上がる疑問の一つは獣人の習性や文化に深く 関わっているのかもしれない。 確かに人間や魔族の多くは旅をするのに、一番正確な地図を持つ 獣人が旅をしないのは不思議なものだ。 ﹁獣人は群れで動くの。あまり群れから離れて動きたがらないの﹂ ﹁じゃあどうしてリオは流されたんだよ﹂ ﹁内緒なの﹂ 恥ずかしげにそっぽを向いたリオのことだ。どうせたいしたこと でもあるまい。 あれだな。獣人が旅をしないのはもしかしたら、﹁正確な地図を 持っている﹂からこそなのかもしれないな。 盗賊に襲われたり野垂れ死んだりして地図を他種族に奪われると 今まで秘匿してきた意味がなくなる。 逆に金などの魅力に屈することなく今まで守りきったということ 1016 は仲間意識の非常に強い種族なのだろう。 ちょっとだけ不安だ。 途中で魔物に出会った。 新大陸で情報も少ないということで、多くの知らない魔物が出て きた。 大型の魔獣の群れなんかは出なかったのでよかった。 サーベルタイガーみたいなデカくて強そうな魔獣が来たときには、 やべえこいつ超強そう、なんて思ったものだが、近づく前にアイラ がヘッドショットを決めてしまった。アーメン。 腕輪の中に解体してしまっていく手つきも慣れており、血抜きも 速い。 様々な魔物に出会ったが、中でも驚いたのは爬虫類型のある魔物 だった。 俺が見つけたとき、そいつはぐるりと丸まっていた。 なんだかしっぽがくるんとしていて、背中にギザギザがある。 ﹁なにあれ?﹂ ずんぐりむっくりで、草むらにまるで岩のごとくうずくまって動 かない。だけどその視線は確かに俺たちをとらえて離さない。 1017 ﹁えっ? 何かいる?﹂ ﹁匂いはするの﹂ ﹁気配はあるんだけどどこにいるんだ?﹂ ﹁気をつけて。どこから来るかわからないわ﹂ お前らあれ見えないの? 四人とも頓珍漢なことを言っていて、俺の方が﹁はあ?﹂となっ た。 え? と空間把握を切ってようやくわかった。なるほど、これは見えな い。 俺が見たのは見事なまでに保護色をとったカメレオンのような魔 物だったのだ。 前世のようなチャチな保護色ではない。もはや透明化といって差 し支えないほどに風景に溶け込んでいた。 波魔法で光を操ったりもしてるのかね。 俺は波魔法と空間把握でその場に隠れた透明の暗殺者をあぶりだ してみんなにも見えるようにした。 ﹁うわー﹂ 驚いたのはアイラである。 ﹁見えない魔物がいるなんて⋮⋮﹂ ﹁わかってても見えないんじゃあやりにくくってしかたねえな﹂ 1018 大きさはさほど大きくなく、80センチメートルといったところ か。 見えるカメレオンは脅威ではない。 討伐は赤子の手をひねるようなものであった。 ﹁ねえ、リオちゃん。助けたときに海岸に流れついたって言ったけ ど、あれ、本当は嘘﹂ 俺が誤魔化した嘘をあっさりとアイラがバラしてしまった。 まあいいか。 ﹁そうなの?﹂ ﹁うん。私たちのお友達のクラーケンが拾ってきて私たちに預けた んだよ﹂ うわあ。本当のことなのにうそくさい。リオは信じてくれそうだ が。 ﹁へー。アイラたちって本当、友達が多いの﹂ クラーケンを友と呼ぶことに違和感も躊躇いもないが、あいつ自 身は俺たちに忠誠を誓っているので関係としては飼い主とペットと いったところになるか。 関係に名前をつけるというのはやや馬鹿らしい気もするが、きっ ちりと距離の線引きをすることは大切だと思う。 1019 ◇ 空間把握を薄く広げて、人里のありそうな場所を探す。 見つけたそこに向かってまっすぐと歩いていくことで、俺たちは 最短距離で獣人の国とも集落とも言える場所へとやってきた。 建物は自然を活かしたものが多く、文明レベルで言えば人間の方 が高いだろうが、木々の間に見える自然と一体化した家々はなんと も風情がある。 俺たちは全員揃ってフードをかぶるという不審者丸出しの、いや 隠してるんだけどとにかく不審者の格好で里を歩いた。 頭の上に子供ぐらいの大きさのカゴをのせて歩く女性、木を登り、 飛び回る子供たち⋮⋮身体能力に差はあれど普通に暮らしていた。 ﹁うわぁ⋮⋮﹂ ﹁すっげえな。どうなってるんだ?﹂ もう木としか言えないような店や、蔦でできた洗濯物を干すロー プなど、とことん植物を利用している。 木の上にある家もあったりして、この国の住宅事情がちょっぴり 気になった。 ﹁俺たちは頭を隠してるけど、人間ってバレてないのか?﹂ 1020 ﹁えっ? 隠してたつもりだったの?﹂ きょとんと返すリオ。 わかってたなら言ってくれよ。 ﹁やっぱバレてるよなぁ⋮⋮さっきから周りの人の目が白いと思っ たよ﹂ ﹁鼻がいいから?﹂ そうか。獣人は五感が鋭いんだよな。匂いでバレバレだった。 ﹁うちがいるから信頼されてるの﹂ よかった。 イヌのおまわりさんはとんでこないんだね。 名前もおうちもすっとぼけるなんて嫌だぞ。 まさか異世界に来てまでおまわりさんを怖がるハメになるとは⋮ 人畜無害で善良な一般人だったから ⋮あ、別に前世でおまわりさんを怖がらなきゃならないような人間 だったわけじゃあないぜ? な。 ﹁リオの家はどこ?﹂ ああそうだった。 肝心の目的を忘れていた。 ﹁あれなの﹂ リオが指差したのは、ここらの中でも最も大きな建物であった。 1021 野生の大陸、自然とともに生きる︵後書き︶ 次回、リオの家族と会えるのか?! 1022 獣人の国で なるほど。そりゃあリオお嬢様が連れてきたなら信じられるわけ だ。 もしも俺がお調子者で、庶民としての感覚を顔に出しやすい人間 であればこのように叫んでいたことだろう。 ﹁なんだってー?!﹂ いや、俺たちのパーティーはなんていうか驚きのリアクションが 俺を含めて薄い。 ロウもふざけてそのように叫んではみたものの、どうにも棒読み だ。ゾンビだってもうちょっと感情がこもっている。 ﹁お前、そんなお嬢様っていうか、いいとこの娘さんだったわけ?﹂ ﹁リオちゃんすごーい﹂ なんていうか、ますます不安になるんだが。ここでリオを置いて 帰っちゃだめかな。 ﹁ええい。うるさいの。うちのおとうが凄いとかわざわざ言いふら すことでもないし、そんなにすごくもないの﹂ 照れてるんだか、思春期のささやかな反抗なのか、リオはぶんぶ んと耳で俺たちの言葉を振り払った。 ケモミミ属性があればその様子はとても楽しいものである。 もちろん俺も楽しんでいる。 1023 向こうに見える屋敷に近づいていく。 幾つかの国で王城にまで入ったのだ。今更あの大きさの建物にビ ビるはずもない。 そこの族長会に出る ただヒソヒソと話し込むのはやめてほしい。 ﹁で、お前の親はなんなんだ?﹂ ﹁えーっと⋮⋮ギカイとか言ってたかな? なんだそれは? とか。うちの家が会議の場所でもあるらしいの﹂ 族長会? ﹁へー。リオのお父さんは族長なの?﹂ カグヤは至極もっともな結論に達するが、リオはなんだか違うと 言った風であった。 屋敷は使用人が警護していて、俺たちなんかは到底入れなさそう だと思った。 実際、俺たちが近づくと牙をむきだしに威嚇しようとした。 だがリオが前にでて﹁リオなの。帰ったの﹂と一言言いつけるだ けであっさりとおとなしくなった。 それどころか畏まって、ペコペコしていたところを見ると、リオ の立場もわかろうというものである。 権力万歳。 空間転移で不法侵入することほど馬鹿らしいものはない。 俺たちが完全にお邪魔虫じゃねえか。 1024 ﹁違うの。どんな形であれレイルたちは恩人なの。義理を蔑ろにす るなんて獣人じゃないの。挨拶だけでもしていってもらうの﹂ リオがきっぱりと切り捨てたのでなんとかここまでついてはきた。 獣人族にコネとは言ったが、友達ができるぐらいの信頼関係があ ればよくってだな⋮⋮ここまで大袈裟にマジもんのコネはなくって も良かったというか⋮⋮。 いや、コネはでかいにこしたことはない。怖気付いてどうする。 ﹁お客様です﹂ 案内してきた家臣が部屋に入る前にそう言うと、中から低くてド スのきいた声が響いた。 ﹁会議中だ。誰だ?﹂ ﹁リオお嬢様が帰られました﹂ ﹁なんだと!?﹂ どうやら中では会議が行われているらしい。 なんて間の悪いときに帰ってきてしまったんだ。 しかもそんなところに突撃していくって⋮⋮リオはもしかすると ⋮⋮。 会議中だという族長どもに動揺が走る。 仲間意識が強いというのは本当らしい。一人の女の子に政治的立 早く通せ!﹂ 場も何もなく全員が心配していたことが中の会話からわかる。 ﹁何をしている! 1025 ﹁そうだそうだ!﹂ 会議そっちのけでこっちを通せとまくしたてる。 まとめて通せ!﹂ ﹁人間のお客様もお見えに。リオお嬢様を助けたとか﹂ ﹁構わん! いやあ。予想以上でよかった。 誘拐犯の嫌疑をかけられて逮捕とかになったらめんどくさそうだ からな。 匂いによる主張か? 入ると同時にそのむさ苦しい顔面を娘にこすりつけるのはなんだ ? リオは一言、苦しいの、と嫌がり、あくまで形式的に無事をしら せた。 ﹁お父様。リオは帰ったの。心配かけてごめんなの﹂ それ、誠意こもってるか?と聞きたくなる口調であるが、本人は いたって真面目である。 ⋮⋮ところで、そ この種族。リオがそれだけアイドルという 俺たちが入ると何人かの族長がデレっと鼻の下を伸ばした。 本当に大丈夫か? ことか。 ﹁おう。無事ならなんも言うことはないわ! この小僧どもに変なことはされておらんな?﹂ ﹁レイルもロウも超紳士だったの。アイラもカグヤもそんな趣味は なかったの﹂ 1026 いや、再会して聞くところはそこかよ。そしてリオは前半はとも かくとして、後半は何をおっしゃってるんですか? この可愛い もっと感動の再会的なものをイメージしていた俺としてはなんと 貴様ら恥ずかしくはないのか! も言えないモヤモヤが。 ﹁なんだとお! リオを目の前にして手を出してないだと!﹂ いや、どっちなんだよ。 どうせ出したら出したで怒ってるんだろうが。 というか俺らがここで手を出せば、俺は助けることと引き換えに 体を要求する鬼畜野郎として認定されるだろうがよ。 そしたら他の獣人との信頼関係が得られなくなって、結局俺のと ころに残るのは俺に反感を持つリオだけになるじゃねえか。 それはそれでそそるものがあるかもしれないが⋮⋮ ⋮⋮ごほん、誰がそんな大損のルートを選ぶんだよ馬鹿野郎。 心の中でひとしきり罵ったあと、俺はあくまで紳士的に息をする ように営業スマイルという嘘の仮面をはりつける。 ﹁お初にお目にかかります。人間種族のギャクラ出身、ついでに勇 者候補のレイル・グレイです﹂ 続いて三人が自己紹介をした。 あたりさわりない紹介に族長らも警戒するだけ無意味とふんだの か。 ﹁この度は我が娘を助けていただきありがとうございます。どうか しばらくこの国に滞在していってください﹂ 1027 もちろん喜んで。 1028 獣人の国で︵後書き︶ 親バカが好きです。 キリのいいところできると短くなりました。 投稿ペースをしばらく落とすやもしれません 1029 小麦と放牧事件 感動の再会を終え、親バカっぷりを見せつけた猫人族の長はコホ ンと咳払いを一つ、気を取り直したといったように議題を再開させ た。 ﹁いまどきの人間にしては珍しい奴らだ⋮⋮﹂ 獣人族とはいくつもの種族を総称した言い方である。 スズメ、カラス、ワシに鷹などの鳥の血が流れる鳥人族。 ゾウ、ウシ、ウマなどの草食寄りの四足の中型、大型の哺乳類の 血をひく臼人族。 ネズミ、ウサギなどの草食小動物の血をひく齧人族。 サル、ゴリラ、チンパンジーなど類人猿の血をひく猿人族。 ネコ、ライオン、トラにヒョウなどネコ科の肉食動物の血をひく 猫人族。 イヌ、オオカミなどの肉食動物の血をひく狗人族。 その他の肉食動物の血をひく牙人族。イヌとネコの両方の素質を 持ちながら、イヌともネコとも分類できないキツネなどもここに入 れられる。 クマ、イノシシ、タヌキなどの雑色または肉食に近い草食哺乳類 の血をひく両人族。 カメ、ワニ、トカゲなどの爬虫類とカエルやイモリの両生類の血 をひく鱗人族。 イルカ、クジラ、シャチにトド、オットセイなどの海の哺乳類の 血をひく水人族。 1030 伝説でいるかどうかわからないとされる人魚などは獣人とは別で あるし、魚の血をひく魚人族などは海の中でしか過ごせず、獣人族 に名前を連ねることをやめた。 人間に獣人族と総称されるのは、ここに示される十種族のことが 多い。 それぞれの種族で族長と呼ばれる実質的トップがこうして集まり、 重要なことを決めるのだとか。 ﹁とりあえずは様子見であろう﹂ ﹁我が娘が懐いているからな⋮⋮﹂ 族長が相談していたのはリオの捜索についてであった。 群れから離れたがらない種族とはいえ、長い期間で狩りに出かけ るタイプの獣人もいるため、しばらくは様子見であったのだ。 あまりに帰ってこず、周囲にも痕跡や死体がない以上、海に流さ れている可能性が高いとして水人族に依頼を出そうとしたところで あった。 そこに帰ってきたのがリオだった。 彼女が帰ってきた以上、会議の主題は不気味な人間についてであ った。 結論がでると彼らはそれぞれに解散したのであった。 この世界で家畜化されているのは元は魔物だったものであり、食 べているブタやウシに近いそれらは獣とは少し違う特徴を持つ。 魔物と普通の生物の境界線はわからないが、というか区別する気 さえないのだが、凶暴性ぐらいしか違いはないのではないかと思っ ている。 もしかしたら古代の世界には人も認める獣がいたのかもしれない。 ぐるりと集まる族長達を見てそんな風に思った。 1031 無条件で肉食の発言権が強いかといえばそうでもない。 中でも最も多いのが臼人族であり、元が草食で群れをなす動物で あったからこそ、群れとしての力も強い。 だが本当に戦争になったら空を飛ぶ鳥人族には勝てないかもしれ ない。 ひとえにどの獣人が強いというのを作らないように気をつけてい るのだとか。 獣人には獣度というものが存在する。 どれだけ人間に近いか、獣に近いか、というものである。 リオは非常に人間に近い側の獣人であるが、ここにいる族長と呼 ばれる面々はほとんどが獣度が高い。 というのも、獣に近ければ近いほど、本能や五感、身体能力が上 がり、群れの統率力もあるからである。 だから、族長と言えば自然と獣度の高い人物となってしまうので ある。 その唯一と言っていいほどの例外こそがリオの父親であった。 彼はリオと同じ猫人族であるが、顔が人間に近い。 だがそれでも決して彼らはリオの父親を軽んじることなどはしな かった。 ﹁リオの親父さんはすごいんだな﹂ あの後用意された宿に泊まっている俺たちとそこに案内したリオ は部屋で干し芋をつまんでいた。 ﹁すごくないの。すごくないから選ばれたの﹂ 1032 リオの意味深なセリフに意図を汲みきれず、アイラが聞き返した。 ﹁すごくないのに選ばれたの?﹂ ﹁確かに今のお父は凄いかもしれないの。でも力で言えば他の力自 慢じゃない族長にも負けるの。頭もみんなとあまり変わらないの﹂ ﹁頑張ったから、ってこと?﹂ ことではないだろう カグヤの質問は単純なようでいて的を射ていた。 凄い 努力とその精神だけでのしあがった。 それは生まれつき強いよりもずっと か。 だからこそ、周囲の族長は表だってそれを見下すことはない。 裏でどう思っているかまではわからないが。 ﹁なんでもいいの。大事なのは仲良く過ごすことなの。別にお父じ ゃなくてもいいの﹂ 平和なんだな。 指導者が誰でも変わらない、というのはある程度の平和や秩序が なければできない発言だ。 前世の日本でもそんな意見が出たように。 古代中国の思想家もかつて言っていたではないか。 大道廃れて仁義あり、と。 国が乱れているからこそ、より優れた指導者を求める。 その感覚に疑問を覚えることのない生活をしてきたリオを素直に 羨ましいとも思った。 ﹁私たちは理性よりも本能を優先するの﹂ 1033 正しいと思ってしたことは、種全体から見れば間違っているかも しれない。 ならば、種の本能に従えばより正しい判断ができるのではないか。 それが獣人の基本理念でもあるらしい。 人間と獣人の違いについて話しながら、その日は同じ部屋で雑魚 寝した。 ◇ 朝、目を覚ますと広場の方が騒がしかった。大勢の人が集まり何 やら口論しているようだ。怒鳴り声や野次のようなものが聞こえて くる。空間把握で確認すると、どうやら個人的な喧嘩ではなく、集 団同士の衝突であるようだ。 ﹁うるさいの﹂ アイラの腕で寝ていたリオが不満そうに言う。 先ほどまではお互いにもたれかかって眠っていたカグヤとロウも 目を覚ましている。 部屋は散らかっており、このまま出るなら明日の分の料金を払っ ておいた方がいいかもしれないと頭の中でいろいろと計画を立てて いると、見にいってみる?とアイラに目で聞かれた。 ﹁いくいく﹂ 野次馬根性丸出しの最低のセリフではあるものの、かっこつけて ﹁ふん、俺には関係ない﹂と部屋にこもっているのもなんとも中二 くさい。 1034 軽く部屋を片付け、貴重品だけを回収して部屋を飛び出した。 途中で子供を抑える奥さんだとか、心配そうに出てくる老人であ ったり、興味本位で友達と話している青年なりの間をすり抜けて騒 ぎの中心へとやってきた。 ﹁だからよ、俺らのところの土地が食いつくしてしまってよ、土地 がいるんだって。ちょっと分けてくれりゃあいいんだよ﹂ ﹁おめえらさーうちらんところの土地の方が酷いの忘れてね? むしろお前らがこっちに分けても罰は当たらねって思うんだがなあ﹂ どうやら年長の代表が話し合っている後ろで仲間がヤジを飛ばし ているらしい。 ﹁ケチくさいぞー﹂ ﹁身勝手なこといってんな!﹂ ただ代表者はいまだ冷静さを欠いておらず、それだけが救いとい ったところか。 ﹁俺らんところは毎年不作でな。お前らに渡せるほど余裕はねえん だわ﹂ 俺たちがそこまで行くと、周りの獣人たちがギョッとして避ける。 信用はされど信頼はされず、といったところか。リオのおかげで 迫害はされずとも、人間にたいする疑惑は振り払いきってはいない らしい。 確かにそんなものは要らないな。無条件の信頼ほど不安定で不確 1035 定なものはない。いつ手のひらが返されるかわからないようなもの を信頼と呼ぶのは我慢がならないからな。 ﹁もしもし、どうされました?﹂ リオを隣に立たせながらことの次第を聞き出した。 最初は何故、他所者にそこまで言わなければならないのか、と渋 っていたが、リオが一言、話してやってなの、と命令すれば解決だ。 権力を笠に着たくはないなんて甘っちょろいことを言うつもりは ない。 使えるものは楽しく使うべきだ。 彼らの話によると、どうやら農業用地で争っているらしい。 なるほど、譲ってくれと言っていた方は肉食の方が多いし、こち らは万年不作だと抗議した方には草食が多い。 肉食の彼らは自分たちが食べるために羊や牛のような獣を育てて いるらしい。 だが牧草地の牧草を食べ尽くしてしまい、小麦などを育てている 土地の一部を使うことで次の冬を乗り切ろうというわけだ。 もちろんタダとは言わず、ある程度の金も出すと言っている。 だが小麦を育てている草食の方はというと、あまり育ちがよくな いのか万年不作でいつもカツカツらしい。 だからここで牧草地に土地を譲ったりすれば命取りだという。 両者が譲れないとなっているのだ。 当然といえば当然で、彼らが譲る利益などほとんどないはずだ。 金で買うのではなく、食料の保証をしなければこの契約は対等と は言えまい。 案ずるより産むが易しと格言にあるように、一度その場所へ行っ てみるのもいいだろう。 1036 彼らにお互いの場所を見たのか?と尋ねると、いいや、と首を振 るのでお互い知ることから始めようと提案してみたのであった。 ﹁本当にギリギリなんだろうな?﹂ ﹁そりゃあな。じゃなきゃお前らに頭を下げて土地を借りようなん て考えやしないさ﹂ 仲が良いのか悪いのか。 猫人族や狗人族、牙人族の混成農民の代表はボルシと言うイタチ の獣人であった。 一方、草食連合の代表はウマの獣人であるニシキという男性であ った。 ボルシは細身で、ニシキはやや大柄のどちらも少しだけ筋肉質の 男性であった。獣度は中の下といったところか。 二人に続いてぞろぞろと他の獣人がついてきていた。 そして二つの農地を見回った。 一つ目は小麦を育てていた場所だった。だだっ広い平野で、随分 と乾燥した場所であった。 山の西側にあり、ここに来るのはなかなか大変である。 ﹁ここだ﹂ ﹁なんだか思うように気候が良くなくってなあ。全然育たねえんだ。 だけど他に広い場所なんてねえし⋮⋮﹂ ﹁広いけど荒れてるわね﹂ ふむ。よくわかった。 小麦は乾燥に強いのにここでは育たない、ということは別に何か 1037 理由があるはずだ。 生前の地理の知識を呼び起こしてなんとか理由を考える。 そもそもここの場所っていうと⋮⋮日本列島に良く似た島の南、 だったか⋮⋮? まあいい。次だ。 山を越えて西側だが、俺も空間転移が上達しており、数十人ぐら いなら目的地の方向と距離の情報だけで繋げて送ることができるよ うになっている。 次の場所はさっきの場所に比べて随分と豊かな場所であった。 ﹁ここの方が範囲的には狭いけど豊かだな﹂ ﹁土は粘土質だよ﹂ アイラは土を見ていた。 うむ。正しいな。 ﹁狩りが基本のうちらにとって農業は専門外なの﹂ リオはちょっと黙っとこうか。 そしてここの大陸の地図と照らし合わせてようやくこの場所の農 業がうまくいかない理由を理解した。 ﹁逆だろ!﹂ 1038 衝撃のあまり思わず叫んでしまったのも仕方がないことだろう。 何を言っているんだこいつ、と疑惑の眼差しを向ける獣人の一団 にこの問題を解決する方法を説明しよう。 ﹁お前らは土地が逆なんだよ。小麦はこっち。放牧は向こうでした 方が良かったんだ﹂ そう、ここは前世におけるオーストラリア大陸によく似た大陸。 じゃあこの農地の間の山の名前は?と獣人に聞けば分割山脈とい う。 Dividingー巨大分割山脈。 そりゃあな。前世でもグレートディバイディング山脈だもんな。 Great それがこの二つの農地を分割する巨大な山脈の名前だ。古期造山 帯に属する山脈である。 そしてその西側と言えば大鑽井盆地。 その名が表す意味とは││││ ﹁そんなことすれば乾燥地域で水が飲めなくなって羊やウシが死ん じまう。だからこっちで牧草を育ててだな⋮⋮﹂ ﹁井戸を掘るんだ﹂ そう、井戸を掘れば水が出るということに他ならない。 山脈の東側が比較的湿潤とされるが、その水はこちらの盆地の地 1039 下へも流れこんでいる。 地下へと流れこんだその水は塩分が多く、羊などを育てるのに向 いている。 自噴水の井戸による企業的農業の放牧と言えばこの大陸の農業の 代表例だったはず。 それを地理的情報とともに教えてやってもいいが、何より実践論 派のようなこいつらには井戸を掘らせてやった方が早い。 正確な地図を持っていても、そこから農業などに活かせなければ 宝の持ち腐れだろうがよ。 1040 これまでのあらすじ、アイラ視点︵前書き︶ アイラから見たレイルと、レイルの勘違いの幾つか。 そんな閑話 1041 これまでのあらすじ、アイラ視点 私、アイラがこのように独白で自身の心情を暴露するのは珍しい ことなのかもしれない。 レイルくんは自分自身を要領が良いと思っているふしがあるけど、 私から見ればちょっぴり損をしているような気がする。 幼い頃はお転婆で父の手を焼かせていた。 近所の子とイタチごっこの喧嘩を続け、そのたびに呼び出された。 それでも毎回父が私を怒ってくれたのは、出来損ないと言われた 私でも愛してくれていたんだと思う。 だからこそ、私が出来損ない、刃物が作れないとわかったときに は随分と落ち込んだものだった。 それは生来の恐怖だろうか。 それとも││││実の母が刃物で死んだことを幼い私の記憶にな くとも忘れることができないのかな? 兄たちは私と違い、刃物も作ることができた。 他ではまだまだ私に負けるけど、きっと頑張ればもっと上手にな るはず。 そんな私の人生を変えたのはレイルくんだった。 私のことを出来損ないなんかじゃない、天才だ、と褒めてくれた。 1042 その言葉が嘘じゃあないように、私の出来ることを次々と教えて くれた。 天気の見方、どうして物が落ちるのか、空の向こうはどうなって いるのか⋮⋮ 中でも拳銃という武器は革新的だった。レイルくんが構造を人に バラすなっていうのが今でこそわかるぐらいに。 魔法は得意ではなく、魔力も人並みの私でさえも、火球魔法より も速く、土の大砲より鋭い攻撃ができる。 でもレイルくんはあまり得意そうではなかった。 銃を一緒に発明したのはレイルくんだ。 だけど、加工は私に任せていた。 レイルくんは加工ができなかったのだ。 それを知った時はレイルくんにもできないことがあるんだ、と驚 いた。 レイルくんはそれを聞くと、 ﹁できないことばっかりだよ﹂ と笑う。 実際、そうなのかもしれない。 レイルくんは魔法が使えなかった。 それでも毎日、毎日魔法の練習を欠かさなかった。 学校に入ってわかったことだけど、剣技もそんなに強くない。 あんなに毎日素振りをしていても、同年代の子に負けたりするこ ともある。 でも、レイルくんが本当の意味で負ける気は不思議としなかった。 レイルくんといると、負けるということがなんなのかわからなく 1043 なる。 レイルくんは勝利というものを手段として考えているみたい。 ﹁俺は弱いからな﹂ レイルくんはよくそう言う。 嘘っぱちだ。あんなに賢いのになんでそこだけおバカさんなんだ ろ。 私が支えてあげなくちゃ。 レイルくんを尊敬することには変わりない。 知らないことを知っていて、魔法が使えないのに魔法が使えるか のよう。 だから、ずっと劣等感なようなものを覚えてもいた。 守られているような気もしてた。 そんなレイルくんが旅に出ると言い出した。 理由を聞くと、 ﹁神様に会いたい﹂ と言っていた。 ようやく、私が役に立てる。 支えてあげられる、守られるだけでなく、お互いの背中を守りあ える。 弟が作ればいい。 一も二もなくその提案に飛びついた。 鍛冶屋なんてのは兄が経営して、 私がいなくても全然構わない。 だけどレイルくんは私が必要だと言った。 私はその言葉を信じている。 1044 しかし旅先ではやはり私はあまり役に立てていないような気がす る。 私の武器が手加減できないというのもある。 だけど、とても強い敵に出会った時は私の銃を使うよりも早くレ イルくんの作戦によって相手が倒れちゃう。 腕輪は便利だけど、レイル君が使えばもっと便利じゃないかな? ロウくんはカグヤちゃんより弱いし、私よりも持ち物が武器寄り だ。 だけどレイルくんはロウくんに妙は信頼を寄せている。 夜中に盗賊を倒したりしにいっているのに関係があるのかな? たまにロウくんだけ連れていくこともある。 カグヤちゃんは凄い。 レイルくんほどじゃないけれど、魔法も四属性使えるし、剣の腕 もみんなの中で一番強い。 そんな彼女が負けるところを見たことはないけれど、彼女曰く﹁ 私が剣の腕で勝てない相手を少なくとも一人は知っている﹂とのこ と。 きっとその人は人間をやめてるんだよ。 レイルくんの頭の中身も時々人間をやめてるような気もするけど。 クラーケンを仲間にしたり、悪魔と契約してみたり。 幾つかの冒険を経て、レイルくんと私たちはレイルくんの約束を 果たした。 神様に会った。 天界と呼ばれるあの場所は随分不思議な場所だった。 1045 そこではレイルくんが剣が下手であった理由も、魔法が使えなく なった理由も判明した。 そうしてレイルくんは波属性と空間、そして鍛錬の結果が出た肉 体を得た。 じゃあレイルくんは最強で完全無敵となったのかな? いいや、そうじゃない。 まだまだ不器用な人間だった。 嘘がつけない。 全くつかない、というのではなく、自分に嘘がつけない、という のかな。 意図的に言わないことと言うことを選んではいるけれど、あから さまな嘘はつかない。 確かに世間一般でいうところの性格が良いとはいえない。 理由もなく人に意地悪をして笑ってる。 自分に挑んできた敵の志を折ることばかり頑張る。 魔物を倒すといつも何かの呪いのように酷い死体ができあがる。 私たちは自分の意思でついていくことを決めたから、それでも楽 しく旅を続けられる。 だから最初リオちゃんが私たちに送られる、と聞いたときは大丈 夫かな?と思ってた。 1046 そんな心配はいらなかったみたい。 会った当初はレイルくんに有害かと思って警戒してたけど、旅を 続けている間は弱音をはくことはあまりなかった。 それに、レイルくん自身、自重していたのか魔物を倒しながら進 むことはそれほどなかった。 おそらく私たちは冒険者としては異質なんだって。 レイルくんはよく、まるで先に起こることを知っているかのよう に動いたりする。 どうして?と聞くと、こういう展開はよくあったんだよ、と言う。 こういう展開、というのはどういうことなのかな。 前はこういう本を読んだことがあったんだよ、というレイルくん の顔は前世を未だに忘れられず懐かしんでいるのかな。 だとすれば、帰りたいとか思わないのかな? レイルくんは世界を知りたいように、私はもっとレイルくんのこ とを知りたいと思う。 けど、レイルくんは言う。 自分のことがわからないのに、人のことを知り尽くすのは無理だ、 って。 そんなレイルくんが笑うと、本人は紳士的な笑みだと勘違いして いるそれは、どうやったって悪巧みしている顔だ。 やっていることはとっても人助けなんだけど、それも信頼や信用 を得るためだって言うから間違いじゃあない。 そう、悪巧みなのだ。 でも大多数の人には実害のないことだから非難されることはない。 だけど挑んできた勇者を決闘で負かして部下にしたり、クラーケ ンや奴隷商を手下につけ、死神や魔族と旅をするその様子はどうに 1047 も怖いみたい。 レイルくんは周りから見ると、敵も味方もなく、全てをコマのよ うに思っているように思われているらしい。 でもレイルくんは自分を慕う人間にはとことん甘い。 絶対に仲間だけは裏切らない。 それが何であっても、最初は無条件で信頼するのだ。 そこには種族もなにも関係がない。 無条件な信頼などいらないという彼こそが、誰よりも人の醜い部 分ごと好きでいる。 とても偽悪的な人間であるのに、どの言葉も彼の感情の真実を含 んでる。 獣人と仲良くしたい。 世界を見て回りたい。 神に会いに行きたい。 いくつも、いくつも願いを口にしてきた。 まるでそうすれば叶うというかのように。 そう、レイルくんの願いはいつもとても平和だ。 楽しく生きたい、仲良く暮らしたい。 だからその願いを邪魔する人たちとぶつかることもある。 これだけ聞くととても聖人君子みたいだけど、全然違う。 彼が仲良くしたいのも、楽しく生きたいのも自分のためで、決し て世界をより良くなんて考えてはいない。 でも、だから、レイルくんは自分が正しいとは絶対に言わない。 巨人を倒すことも、犯罪組織を壊滅させることも、魔族の貴族の 軍と人間の貴族の軍をぶつけることも。 1048 全て自分の意思でやったという。 仕方がなかったなんて言わない。他にも方法があって、集団の利 益をとるならその方法の方が良かったかもしれないという。 自分の利益のためにしたのだという。 結果だけなら人助けだと皆が言う。 彼だけがその諸々を表立って功績として、正しいとして誇ること はない。 そのあり方を間違ってるとは言えない。 みんなそれを自覚しているかしていないかの違いなのだから。 わたしはわたしらしくレイルくんの側で生きているのだろうか。 それはまだわからない。 それでも私は今日も引き金を引く。 1049 獣人の国、つかの間のほのぼの プロローグ 自噴水。 透水性の低い土地で、水を溜め込んている地層が地表面より高い ところにあると、水が地表面に湧出することがある。その水を被圧 地下水といい、それが噴き出ると自噴水というとか。 確かそんな感じだったはず。 その水を使う井戸を自噴井と言い、塩分を多く含むために農業は 農業でも作物の栽培には向いていない。 塩害に強い植物で美味しいもの、というのに心当たりがあるはず もなく、ここでの農業を放牧に変えてしまえと言ったのだ。 半信半疑ながらも、草食獣人どもにはさほど反論はないようだ。 ひょっとすると俺が口からでまかせを言って小麦に味方したと思 ったのかもしれない。 むしろ不満そうなのは放牧組の方で、広いだけの痩せた土地を押 し付けられたように思うらしい。 俺はこっちの方が広い上に放牧がしやすいということを説明した。 牛でさえ育つのだ。羊の方が塩分に強い家畜だから、多少のこと では問題がないだろう。 春小麦、冬小麦などという区別がある以上、この結果が出るのは 一年後だ。 俺が前世の知識がなければビビって口出しなどできないだろう。 リオは ﹁これが失敗すればレイルのせいにすればいいの。人間の国からレ 1050 イルのお金で小麦とお肉二種類の輸入の準備をしておくの﹂ そ、それはそれでいいような気がしてきたぞ。 それを機会になし崩し的に人間の大陸と獣人の国との国交を深め るのもありかもしれない。 俺の懐が大打撃なのには変わりないが、長期的に見れば儲けにな ⋮⋮獣人たちと仲良くなれ るかもしれないと思うと⋮⋮いやいや、ワザと失敗して獣人たちに 恐怖と不信を植え付けてどうする。 ここは信頼関係を築いた方がケモミ る。 我慢我慢。世の中には金より大切なものがある。まあそれらも金 の使い方を間違えなければある程度までは買えるのだけど。 ﹁自噴井ってちっちゃい頃に言ってたね﹂ アイラはよく覚えているな。俺でさえ忘れかけていたのに。でも これを見て思い出せなければ意味はない。アイラはもっと精進しな ければ⋮⋮っていらねえんだよ、俺が頭脳労働担当なんだから。 アイラは天才肌だ。だから感覚主義でも構わない。前世の経験は 俺が持ってればそれでいいのだ。 ﹁ま、あんたのことだからなんとかなんでしょ﹂ ﹁ははっ。間違えたら謝って他から買ってくればいいんだよ。リオ も言ってるじゃねえか﹂ ロウは軽すぎる。 どちらも俺への信頼から来るのか、随分と心配する様子が見られ ない。 ﹁レイル。お礼はまだ言わないの﹂ 1051 リオの言葉もごもっともだ。 これからゆっくりと信頼関係を築きあげていかなければな。 ◇ 俺たちはその後もしばらく獣人の国、サバンに滞在していた。 聞かれたことに答えたり、これまでの冒険譚を子供にせがまれた り。 だが冒険譚をそのまま伝えると子供が泣き出しそうなものも中に はあるので、コドモドラゴンやバシリスクの話をしたりした。 悪魔と契約していることや、ミラの素性は伏せとくにこしたこと はない。 子供たちは山場にくるとおおー、とざわめき、興味深そうに話を 聞く。 やはり冒険者がこうして話をしてくれることは珍しいのだろう。 たまに大人たちも話しかけてきてくれる。一緒に狩りに出かけた こともある。空間把握と転移を組み合わせれば狩りの速度は異常と 言えた。 さすが獣人。狩りの強い人にはフレンドリーである。バシンバシ ンと背中を叩かれたときは思わずむせた。 他の三人がさらっと距離を置いて叩かれたのが俺だけだったとい うのはなんだか微妙な気分だ。 臼人族の人と畑を耕したりもした。 最初は引き気味だったのに嬉しいことだ。多分リオが隣にいたか らだな。きっとそうだ。 1052 決して俺の顔が怖かったとか、俺の言動が頭のおかしな人のソレ だったとかじゃあないと信じたい。 人間への複雑な感情はなかなか拭いさることのできるものでもな いらしい。 にっこり微笑んで挨拶しても未だにビクリと怯える人もいる。 ⋮⋮前もそんなことがあったような⋮⋮いや、獣人との仲良し計 画は順調に進んでいる。ケモミミをモフモフするのも夢ではないな。 シンヤからも時々手紙が来た。 内容は主に教育の内容の修正案とかで、特に問題のないものなら 自己判断に任せている。 三角形の面積について理解できない子がいると聞いたので、図解 で示せと書いておいた。 ミラやレオナからも手紙が来た。 主に俺らの安否を尋ねるもので、今は獣人の国でのんびりしてい ると伝えた。 また瞬間移動で戻ってやらねば。 特に問題もなく一週間ほどが過ぎた。 どうやら土地の交換も順調に進んでいるようだ。 俺が空間同士を接続してあるので、スムーズで良い。 ﹁平和だね﹂ ﹁おう。それが一番と言えるのは大変なやつだけだ。俺らは別に大 変じゃないからたまには問題があっても構わん﹂ 傲慢なセリフではある。 だが事実だ。 1053 平和であればあるほど、異常や事件を求めるというものである。 前世の中二病がそうだったように。 現在はさほど平和なだけの世界ではないので、そこまで求めては いない。 というか目の前に広がるこの国がすでに獣人というファンタジー の萌え要素を体現していて、求めることもない。 ﹁そういう不吉なことを言わないの﹂ ﹁俺は楽でいいぜ。ここは人間の危険人物が来ないからな﹂ 魔族の国や獣人の国にいる方が平和ってなんだよ。 事実、盗賊や暗殺者が送られることのないこの国は実に平和でよ い。 ﹁あ、ここにいやがったの﹂ 俺たちがごろんごろんしていたのは町外れの芝生の上だ。 遠くでは獣人の子供たちが走り回ったりして遊んでいる。 そこにリオがやってきたのだ。 ﹁おとうが案内してやれとかわけのわからないことを言うの。うち も案内されたから渋々請け負ってやったの。感謝するの﹂ そういうリオは渋々というほどではないらしい。ニヤニヤといっ た風情で寝転ぶ俺らを覗き込んでくる。 ﹁うちのバッチし誰でも落とせる万能デートコースを紹介してやる の﹂ いらねえよ。 1054 誰を落とせっていうんだ。 ﹁いいじゃん。楽しそう!﹂ ﹁じゃあ連れてってくれる?﹂ 国の名所なんかあるのかよ、と失礼な考えを脳内から追い出して リオの誘いに乗ることにした俺たちであった。 1055 お祭り リオの次のお知らせは意外なものであった。 ﹁でもお出かけは今日じゃないの﹂ ﹁どういうことだ?﹂ ﹁明々後日にお祭りがあるの。だから夜まであけといて、なの﹂ どうやらここの国では豊穣を祝う祭りが秋にあるらしい。 しかしこちらは世界の南半分であるからして、秋といっても故郷 では春だったり。 ﹁じゃあ、他にも連れてきていいか?﹂ ﹁レオナちゃんとか?﹂ ﹁ああ。祭り事が好きそうなホームレスやシンヤ、後はミラもか﹂ ﹁レオンは忙しそうだし、無理かな⋮⋮?﹂ ﹁他国との親睦を深めるとか適当なこと言って呼び出しちゃダメか しら?﹂ ﹁やってみよう﹂ とまあこんなグダグダのやりとりがあって、俺たちはギャクラ付 近の自治区に戻ってくることとなった。 個人用に手紙の転送装置を買う馬鹿など、俺ぐらいしかいないよ うで、俺がアポをとろうと手紙を書いているとリオのお父さんに非 常に驚かれた。 獣人族では同じ一族に共通する遠吠えによる暗号のような合図が あるとか。 複雑なやりとりこそできないものの、退却や危険、獲物の発見な 1056 ど単純な狩りに必要なやりとりぐらいはできるとか。 だが遠くの知人とやりとりするようなものはないそうで、これが あるのは魔族と人間だけだそうだ。 文明レベルはさほど変わらないかと見たのに意外なものだ。 だから転送装置などというものを見て羨ましがっていた。 やらんぞ。 ◇ リオに一言、明後日まで故郷に戻ると本来ならばわけのわからな い報告をしてサバンから空間転移で直帰。 自治区に戻るとレオナはにこにこしていたが、ミラは少しお怒り であった。 にこにこしていたレオナでさえ、﹁もう少し頻繁に帰ってきてく ださいね?﹂と物申していたのだから、それより短気な彼女の様子 は推して知るべしと言っておこう。 ﹁ほほーう、ワシらが頑張ってお仕事している間、お主らはケモノ どもといちゃいちゃしておっただと⋮⋮?﹂ ゴゴゴゴ⋮⋮と背後にオーラをまとった禍々しい鎌を担いで俺ら につめよったミラは少なくとも何百年と生きているようには見えな い。 あと俺らはイチャイチャしてない。あいつらはケモノじゃないし。 ﹁ミラが頑張ってお仕事⋮⋮?﹂ ここで彼女に逆らうなんて命知らずな真似をする輩は少なく、そ してその少数派が俺だ。 ピンポイントで嬉々として地雷を踏みにいった。 1057 だが意外な援護射撃のおかげでむしろ俺が優位に立つこととなっ た。 ﹁ミラさんはさほどでしたね﹂ ﹁奴隷に近づきゃ泣かれ、馬を世話すりゃ馬が白目をむいて倒れる。 そんな奴に任せられるってのは地味な事務作業か肉体労働だろ。ど ちらも、﹁ワシにふさわしくない!﹂とか言って飛び出したのはど ちら様でしたっけ?﹂ ﹁うう⋮⋮だってこいつらワシに何も言わずに﹂ あ、ミラに旅立つことを言うのを忘れてたっけ。 いいじゃねえか。他の大陸にいるのにこんな短期間で戻ってくる んだから。 ﹁いや、今回帰ってきたのはあれだ。お前らも休みがいるかと思っ て。留守の間は誰か代理を任せてお祭りに行かねえか?﹂ ﹁ま、祭りか?﹂ ミラが目を輝かせる。 ﹁お祭りですか⋮⋮お兄様の代わりに友好を結びにいくのも⋮⋮﹂ レオナはカグヤと同じ思考にいきつくわけだな。 だが違うのはレオンをほって行こうとしているところか。 ﹁レオンは無理か?﹂ ﹁お兄様は今、ハイカーデンに親善大使として向かっておりますわ﹂ ハイカーデンか⋮⋮あそこはきな臭い。 通称、﹃戦の申し子﹄と呼ばれるあの国はガラスよりも人との戦 1058 いに特化している。 まあヒジリアよりはずっと楽そうで楽しそうだが。 仕事を一段落終えるのは少々大変なのだと聞いて、肉体だけはま だ未成年の若造の俺たちが全力で手伝った。 そのおかげもあってか、仕事を引き継ぐところまで終えられ、無 事お祭りに参加することができそうだ。 用心棒と代理をたてていつもの主要メンバーでサバンまで跳んだ。 シンヤ、ホームレスは好きにするといってふらふらといってしま った。予想はしていたのでほいほいと流した。 夕方、うっすらとまだ日の光の残滓が目に焼き付いたような空を 抱いた街並。 ﹁じゃあ私たちはいくから。ごゆっくりー﹂ ﹁そうだな。空気を読んで退散するか﹂ カグヤとロウまでニヤニヤとしてどこかへ行ってしまったおかげ で、見事なまでにハーレム状態になった。 男女比がおかしいと見た目には楽しいんだけど、どこかいたたま れない気持ちにもなる。 前世でも中学を卒業してから中学の部活に行ったときは面白いこ とがあったな。 男女両方の予定を確認せずに、噂で﹁今度の土曜日は中学の部活 練習あるってー﹂と聞いて男二人で同じOBの女子達と突撃したら 男二対三十女子なんていう比率になったことがある。 そのあと、もう一人の男子が﹁あ、俺部活だから﹂と途中で逃げ 1059 たために比率はもっと酷いことに。 一個上、同級生、一個下のOBが揃っていた時で、女子の先輩に ﹁もちろん行くよなー!﹂とそのまま男子一人昼飯に連れて行かれ たのも良い思い出だ。 ﹁何をぼんやりしてるの?﹂ ﹁レイル様、お疲れでしたら無理なさらないでくださいね?﹂ ﹁レイルがあの程度で疲れるはずがなかろう﹂ ちょっと待て。アイラはまだいいが、ミラのその言い草はなんだ。 俺を化け物か何かと勘違いしているのではないか? レオナの優しさが染みるな。 ﹁いや、転生前のことを思い出しただけだよ。お祭りか⋮⋮楽しみ だな﹂ 七夕の日に雨に降られてびしょびしょでりんご飴を舐めながら帰 ったことがあるので、一概にいい思い出ばかりとも言えないが。 屋台といっても、そこまで趣向を凝らした華やかなものはそう多 くない。 炎魔法で作ったポン菓子のようなものが売っている屋台を見つけ た。 ﹁おお﹂ ﹁レイルくん、あれ食べたことあるの?﹂ ﹁おう。でも名前はわからねえ﹂ だって食べたのは前世だし。 1060 綿菓子だったりこういう素朴な安っぽいお菓子は結構好きだ。 なんていうか余分な着色料や香料臭さがなくって癖がない。 苦味があってもそれも素材の味だしな。 ﹁あ、見つけたの﹂ リオとばったり出くわした。 案内するといっておきながら、集合場所を決めておかなかったリ オも悪いと開き直ってふらふらととしていたことを謝るべきか。 ﹁それよりなんなの﹂ ﹁おう。ミラとレオナ。素性は聞かないでいてくれ。お忍びだ﹂ ﹁じゃなくって⋮⋮﹂ ああ。言いたいことがわからないでもない。だが無視だ。 ﹁とりあえず楽しもうぜ﹂ この世界に花火はない。 火薬というものがあまり発達していないからである。だから銃を 作ったときも、どうやって火薬が作られているかは全く知られてい ない。 もちろん俺とアイラの秘密なので誰もその価値を知らない。 なんていうか、こう、な? バラしてしまって名誉や莫大な利益を得るってのもなかなかいい なって目が眩みかけたこともあるけど。 やはり軍事技術というものはおいそれと発展させるものではない とぐっと我慢したわけだ。 銃怖いなーとか独占最高とかそういう理由じゃない。⋮⋮そうい う理由じゃないんだ。 1061 今でも火薬草︵命名俺︶は自生しているのを見つけるたびに乾燥 させて保存している。 で、花火がないなら何をするのかというと、魔族や人間だと魔法 を使った見世物があったりするんだけどな⋮⋮ ﹁綺麗⋮⋮﹂ 炎を魔法で操り、その周りを水魔法で覆うことで幻想的な光景を 浮かび上がらせていた。 風魔法でひらひらと舞う飾りが時折水や炎に巻き込まれて消える。 ﹁ワシも参加してみたいな﹂ ミラ⋮⋮お前が参加するって人魂でも乱舞させるのか? ﹁このような催しはあまり我が国では見られませんわね﹂ ギャクラの商人たちはこんな催しを鼻で笑そうだ、というのは偏 見か。 経済の活性化や屋台の消費促進を盾に説得すればこれぐらい通り そうだけどな。 ﹁うちらの自慢なの。あの奥で炎を操ってるのがうちの従兄なの﹂ ほう。でも水を操ってる奴の技量はリューカで出会ったサーシャ さんの方が上かな。 獣人は身体能力寄りなので、あれだけ使えるだけでも十分すごい。 おそらく国でも一、二を争う魔法の使い手なのだろう。 1062 俺は口にポン菓子的なお菓子を頬張りながらその灯りを眺めてい た。 1063 お祭り︵後書き︶ 主人公⋮⋮ 1064 仲間の興味 お祭りが終わって、一国の姫を他国に泊まらせるのもどうかと思 った俺は送ろうか?と申し出た。 レオナはそれを断り、獣人の族長たちに会うと言った。 特にそれを止める理由もないかと族長たちの居場所へと連れてい った。 リオ、レオナ、アイラ、俺。四人でぞろぞろと族長を訪ねていく と、不審ではあるが、リオのおかげで顔パスだ。 ﹁人間族の国が一つ、ギャクラの王族直系のレオナ・ラージュエル と申します﹂ ぐるりと獣度の高い族長たちが並ぶその部屋で、何も怯えること なく言い切ったレオナはさすがだと思う。 箱入りお嬢さんじゃないんだよな。 毅然とした立ち居振る舞いは立派なものだ。 それに比べれば俺など下手に出ているだけである。 ﹁ぎゃはははは、威勢のいいのは嫌いじゃねえぜ﹂ ﹁これはこれは、ご丁寧に﹂ その豪胆さは概ね好感を持たれるようで、良いイメージを印象付 けられたようだ。 牙人族の名に相違なく、笑う口の端から鋭い牙がのぞいている。 一部は生暖かい目を向けるのをやめてくれ。 1065 ﹁貴様は⋮⋮リオを誑かした奴じゃな!﹂ おう。 俺の方もとても好印象?なようだ。 いや、だから誑かしてねえって。 未だデレの欠片もないこいつに何を期待しろというのだ。 隣のリオも不本意とばかりに口を尖らせる。 ﹁小さいころから人見知りで⋮⋮親戚を紹介するたびに後ろに隠れ ていた可愛いリオを貴様は⋮⋮﹂ ﹁いや、誑かしてませんって﹂ おおう。やばいやばい。 隣のリオにこんな親バカは気にするなと目だけで伝えると、ああ ん?なんなの?とばかりに凄まれたのは俺が悪いんじゃないと思う。 でもこいつ人見知りなのか。 なら随分好感を持たれている方⋮⋮なのか? 貴様が妙なことをすれば即刻獣人の勢力をあげて叩き│ ﹁まあよい。娘の想いは最大限尊重するのが親というもんだ⋮⋮だ がな! │﹂ ﹁恥ずかしいからいい加減黙るの﹂ 父親の言葉を途中で遮りぴしゃりと言い放つ。 あまりにご無体なリオお嬢様のお言葉に親バカの代名詞は机に突 っ伏した。 素晴らしい。俺も見習いたいものだ。 だがうちの父上は親バカといってもこういったテンションではな 1066 いから俺がこんな風にいうことはないだろう。親バカ⋮⋮かどうか さえよくわからない。 ﹁それぐらいにしておけ﹂ 周りの獣人にもたしなめられている。 バフバフと口元が動いているのは⋮⋮鯨の獣人かな。 いくらトドやシャチが強いといえど、圧倒的質量には敵わないと いうことかもしれない。 まあ強けりゃいいってのも古臭い考えではあるし、その人柄を買 われてのことかもしれないしな。 とりあえずそのことについては休戦ということになろうか。 それからはなんの問題もなく話が進んだ。 最近の人間との関係であったり、冒険者や魔物のこと、そして何 故か俺らのこと。 目の前で話すのは恥ずかしいのでやめてほしい。 ◇ お世話になった方々に別れの挨拶を済ませた。 どうせ来たくなったらまたすぐに来れる、とは野暮なことは言わ なかった。 またこい、と頭をガシガシとされて言われたので、今度は手土産 でも持って来るとしよう。 その時は自治区独立記念パーティーの招待でもするかもしれない な。 これで獣人の国、サバンとも友好な関係を結べた⋮⋮はず。 1067 いや、結局したことってリオを送り届けて友達作って農業だの問 題解決にちょこっと手を貸しただけだ。 これからもゆっくりと親しくなるのかもしれない。 リオに別れを告げたときは、顔をしかめて複雑な表情をしていた ので、多分別れを惜しんでくれているのだと自意識過剰に考えてお く。 獣人の国を後に、とりあえずゆくあてもない俺たちはレオナを送 り届けて、とりあえずギャクラの付近を歩いていた。 ﹁あー、今は気楽だな﹂ 故郷にはいつでも戻れて、特にしなければならないことが山積み なわけでもない。 しいて言うなら自治区の発展にいろいろと手を貸してやりたいと ころだが、あまり文明を発展させすぎると自然破壊だのなんだのと 前世お馴染みの環境問題に発展しかねない。 適度に知恵だけ聞かれたら答えればいいのだ。 この前は虫が多いと聞いたので、栴檀でも使えと言っておいた。 この前言われたとこ 相変わらず知識の引き出しの多い奴だと感心されたな。 ﹁次はどこに行くの?﹂ ﹁あー、もう少し他の国でも回ってみる? ろとかさ﹂ ﹁ハイカーデンのこと?﹂ ハイカーデン。 ガラスが破壊力や集団としての強さ、つまりは魔物や魔族を殲滅 するような力を求める国であるとすれば、ハイカーデンは個人の技 1068 量や武人としての名誉を求める傾向があると言える。 中立国を自称しているが、その本当の意味を知るのは国の上層部 と耳敏いごく僅かである。 レイルは国々で特権を使い、調べていくうちに得た知識の中にも、 傭兵の国、戦争屋ハイカーデン その国の異名がある。 かの国には冒険者組合とは呼ばれる一般のギルドとは別の、傭兵 斡旋所というギルドが存在する。 この国が中立とは名ばかりで、ここしばらく戦争を起こさないの は、簡単だ。 こいつらを相手にすると何が起こるかわからないからである。 アタリ この国の対人、個人としての武や魔術を極めた輩は、魔物討伐よ りもフリーの傭兵として護衛などをしていることが多い。 金さえ出せばこの国の傭兵を雇え、どれだけこの国から の傭兵を引き抜けるかによって戦が決まることもあるという。 もちろんそれを使う上や、その国本来の武力も重要なファクター である。 しかし、一人で戦況をひっくり返す可能性のある人間が、何人所 属しているかわからない、そして普段は雇えるそいつらも、自国の 戦争となれば自国に味方する。 そんなブラックボックスにあえて手を出せるのは軍事大国、とに かく量で押すことのできるガラスぐらいのものである。 歴代勇者を輩出することが多いのはガラスというが、最も多く暗 殺型の勇者を輩出したのがこの国であるとも言われている。 どうにもその栄光がないのは、卑怯な真似をして倒してなんの意 味がある、とのこと。 1069 だがこの国の戦闘スタイルはとても共感が持てるし、真正面から 攻略した歴代勇者達には﹁お前ら、バカだろ﹂と言ってやりたい。 そいつらはきっと剣をふるえば山を切れるような化け物ばっかり だったんだろう。 今の俺だってなんとかすれば魔王二人をどうにかできないわけじ チート ゃあないだろうが、真正面から押し勝つなんていう芸当は才能か、 それとも神の恩恵か。 努力しただけの凡人にはとうていわからない世界だ。 医術が発達しているとかいう⋮⋮﹂ だからいつでも、俺は勇者候補なんて名前だけだ、という。 ﹁あ、あの国はどうだ? とひとしきり二秒間脳内説明を終えた俺に提案したのはロウであ る。 ﹁エターニア?﹂ ﹁そう、それだよ﹂ 薬や医療が進み、ヒジリアと最も友好的な国、エターニア。 みたいな家にいたロウは怪しげな毒とかにも ロウが興味を惹かれるのもわからないでもない。 陰陽師だったか? 多少の知識がある。 時術も併せて、人の命を奪うのと救うのは同じことだと思ってい るロウにとって、人を救うことに特化した医術とは気になるものな のかもしれない。 薬屋のばーさんが薬を仕入れているのも確かこの国だったような ⋮⋮ じゃあ本場だともっといろんな面白いものが売っているかもしれ 1070 ないな。 ﹁楽しそう﹂ ﹁私はいいと思うわ﹂ 二人の印象も良いみたいだ。 ﹁よし。そこにいくか﹂ 少なくとも傭兵の国よりは楽しみも多いだろう。 1071 仲間の興味︵後書き︶ ハイカーデンもいつか行ってみたいレイルです。 でもそれ以上に怪しげなお薬や毒に興味津々の思春期な四人組でし た。 1072 レイルの危機 道中、タランチュラみたいな蜘蛛に襲われたり、ワニのいる川を 渡ったりとインディージョー○ズばりの冒険を繰り広げながらの道 中であった。 今も噛まれた手が赤く腫れていて、さっさと着いたら消毒でもし たいものだ。 その後はのんびりと旅しながらやってきたのは白い壁が眩しい街 並みがずらりと奥まで続く国である。 医療の進んだ国、エターニア。 ヒジリアと仲が良いのも当然で、元はヒジリアから分岐した国な のだから。 治癒術と呼ばれる時術だけでは、外傷などは治せても毒や病気は 治せないことに物足りなさを感じた四代前のヒジリアが、医学を専 門として研究させる施設を作ったことが始まりであったとか。 仲が良いのは国民︵世論︶とそして表面上だけで、上層部の本心 としては不倶戴天の敵だとお互い思っている。 滅多なことを言うんじゃありません。誰に聞かれてる ﹁なんで仲が悪いの?﹂ ﹁しっ! かわからないんですからね﹂ まるで無邪気な娘とそれをたしなめる母親のような会話をしてい るアイラと俺をカグヤが冷たい目で見ている。 1073 ﹁⋮⋮冗談だ。そりゃあ最初は良かったさ﹂ そう言うと俺はこの国の歴史を語りだした。 かつてこの国はヒジリアの支援を受けて研究を行う一介の施設に すぎなかった。 しかし研究が進むにつれて、次々とこの場所は特権を得ていった。 宗教に殉ずると研究の中にはできないものがあるからであり、宗 教と医術、とても相容れない二つは袂を分かち、そしてこの国は出 来上がったという。 魔法でも、剣でも国の役に立てないと絶望した学者肌の人間たち がこの国へとやってきた。それに比例して人口が流出し、それをヒ ジリアは快く思っていなかった。 だが金を出して作った研究機関をむざむざと手放すのは馬鹿らし く、表面上は資金と医療の等価交換を続けていた。 医療を他の国に流出させないように万全の注意を払って、エター ニアはその繁栄を保ってきた。 だがいつからだろうか。 エターニアは既に資金を受け取らなくても運営が可能な一つの自 治国家となっていて、最初に資金をだした程度で上からあれやこれ やと口出しするヒジリアを疎ましく思っていたのは。 ヒジリアは創立に関わっている、親のような国に向かって便宜を はかるのは当然であり、それを拒否するとは恩知らずであると苛立 っている。 国のために祖国を捨て、信仰を捨てないまま研究に身を費やす彼 らをヒジリアの国民は憎むことができず、元はあの国の住民であっ たという負い目のあるエターニアの国民はヒジリアを敵視すること ができない。 1074 そう、憎み合っているのは上ばかりで、そんな二つの国が表面上 だけの友好であっても捨てられないでいるのはここに理由があった。 歴史上だけでなく、もちろん利害関係もある。 いくらお金が十分に入るようになったエターニアとはいえ、やは り一番近いのは隣国のヒジリアである。 農業については発展が遅れたエターニアはその食料の多くをヒジ リアからの輸入に頼っている。 ヒジリアは手に負えない病人が出ればエターニアに送るしかない。 見事なまでに共依存の構図が出来上がっていたのだ。 カグヤはつまらなそうに言った。 ﹁ふーん。自国で全て完結すればいいのにね﹂ ﹁それは理想だ││││││とでも言うと思ったか?﹂ ちんちくりんのフェイントを入れて、物申したのは他でもない。 ﹁国境なんてなければよかったのにな、が理想だな﹂ 全ての国に国などという概念がなく、自国の利益などを追求せず、 貿易ではなく単なる輸送として商品を扱えるようになれば問題なん てなくなる。 常々思っていたことだ。国なんてなければよかったのに、と。 ﹁そうだね。国も、種族も何もなければ平和なのにね﹂ アイラはこの旅で思うことでもあったのだろうか。 1075 ﹁某詩人が言っていたよ。みんなちがって、みんないい。ってな。 だから違ってもいいんだよ﹂ 違うことを受け入れられないのは、きっと同じであることも嫌い なはず。 ◇ 高い建物の白い壁には正方形の窓があり、その窓からは大量の本 棚や机がちらりと見える。 どうにかして入れてもらえないだろうか、などとふざけたことを 考えながらぶらぶらしていた。 街のどの場所からでも歩いて行けるほど近い範囲に医療関係の施 設がある。 薬屋、医院、医学研究所⋮⋮ 国の中央付近には、医学を教えるための学校があり、その奥には 医学を研究するための大学のような施設がある。 その場所こそがこの国に住む多くの人が夢見る場所で、あそこに 行くことが誉と言われる国の中枢機関であった。 政治ができるより、強いよりも医学のできる人間が褒め称えられ る。 この国の異様さを醸し出す象徴を見ていると、なんだか気分が悪 くなった。 ﹁とりあえず、あの薬屋にでも寄ってみるか?﹂ 1076 ロウが提案した。 他の三人はなんともないようだから、俺が単に疑心暗鬼すぎるだ 行こうよ﹂ けか、それとも⋮⋮ ﹁どうしたの? 気のせいか。促されて店の中に入った。 店の中には大きな木製の引き出しがあり、その一つ一つに薬が入 っているのだとか。 こんな場所でも前世の薬学には敵わないだろうが、ここまでぎっ ちりと並ぶのは圧巻である。 ﹁いらっしゃい﹂ ギャクラの薬屋で見たお婆さんを思い出させる容貌の年配の女性 が出迎えてくれた。 何を驚いている﹂ アイラは俺についてよく薬屋に出入りしていたため驚いている。 ﹁あんたらと私は初対面だろう? 垂れた頬がゆるゆると動き、そう尋ねられてようやくマジマジと お婆さんを見た。 ﹁僕たち、ギャクラから来まして﹂ 言われてもない自己紹介をして、失礼を有耶無耶にしようとした のが功を奏した。 驚いたのはお婆さんの方であった。 1077 ﹁ほぉ、なるほど。うちの薬を妹に回しとるからな。そこで妹にも 会ったのじゃろう?﹂ ﹁へえ、姉妹でしたか。妹さんにはお世話になりました﹂ ﹁レイル、知り合いなの?﹂ カグヤがこそこそと聞こえないように耳打ちしてくる。 ﹁ああ。俺が薬をよく仕入れてたところだよ﹂ お婆さんは俺を見て何かを思い出そうとしている。 ﹁その年齢に似合わぬ物腰⋮⋮あんた、名前をレイルというのでは ないか?﹂ へえ。お婆さんはこの人に話していたのか。 ﹁ええ﹂ ﹁ちょっと待っておれ⋮⋮あったな﹂ 後ろの引き出しからゴソゴソと何かを取り出し俺たちの前に置い た。 ﹁あんたの作った樟脳とやらから作られたものじゃ﹂ ﹁有効活用していただきありがとうございます﹂ 丁寧にお礼を述べると、気味悪そうにお婆さんは顔をしかめた。 ﹁そういうところが年齢不相応だと言っとるんじゃ﹂ それからいくつかのことを話した。 1078 手紙で本人からしか聞けない妹さんの様子を聞かれたり、あそこ の商品はこの人が送っていることなどを話してもらった。 世間は狭い。どんなところで人の縁があるかわからないものだ。 先ほどから気分が悪い。なんだか、頭が痛いな。今日はさっさと 帰って寝てしまおうか⋮⋮などと考えていたら俺はそこで気を失っ てしまったのであった。 ◇ 気がつけば薬屋の奥の部屋で寝かされていた。 体の節々が痛み、思うように手足が動かない。俺はなんらかの病 気なのだろう。 部屋の向こうではアイラやロウ、カグヤがお婆さんと話している のが聞こえる。 ﹁どうして⋮⋮﹂ ﹁助かるにはこれしかない。他の医者とかをあたっても構わんが、 こればっかりはな⋮⋮﹂ ﹁やめろよアイラ。薬で治るってわかってるだけマシじゃねえか﹂ ﹁そうよ。私たちがなんとかすればいいのよ﹂ 切羽詰まっているようだ、ってまるで他人事のようだが俺のこと だ。 熱でぼぅっとしてうまく働かない頭を動かす。 1079 どうせ、俺がなんらかの病気で、その治療のための薬の材料が足 りないとか言うんだろう。 ﹁ねえ、レイルくん。私たち、レイルの病気を治すための薬の材料 を取りにいってくるね﹂ やはりそうか。この国は医学に力を注いでいるため、冒険者の質 ギルド が低いのだろう。 本来ならば冒険者組合に高額依頼で頼めば手に入るものも、引き 受けてくれる人がいないから品薄になるのだろうな。 これだけ重症でもなんとか頭が働いてくれてありがたい。 俺はアイラからぽつぽつと行くべき場所を聞いて、地図を出して もらった。 ﹁アイラ、ロウ、カグヤ、頼めるか?﹂ ﹁もちろん﹂ ﹁じゃあ、ここ、次にそこ、最後にここが最短だ。距離だけじゃな くって、途中の道を考えたらこうなる﹂ 自分を助けるために動いてもらうのだ。 安全な道を知識から引っ張り出すぐらいしなくてどうする。 俺はそれらの場所を詳しくは聞いていないが、その途中の道は地 図を見ればわかる。 伊達に幼少期に世界地図から歴史書まで読み漁っちゃいないぜ。 とガンガン痛む頭で指し示した。 が、俺の仲間は予想以上にクレイジーで、普通以上に大胆であっ た。 1080 三箇所同時に行くよ? 一人一つ。これが 俺の発言、つまりは努力を無に帰するようなことを言ってのけた。 ﹁何言ってるの? 最短﹂ 1081 レイルの危機︵後書き︶ 次回からは仲間視点になります。 予告としては、 謎の奇病、苦しむレイル。 どれほど持つかはわからない。 薬の材料を探して三者三様の冒険が始まる! といったところでしょうか。 1082 ロウの疾走 ①︵前書き︶ あまり感情を表にしない、白髪黒目の青年の、本当の実力。 1083 ロウの疾走 ① 俺は善悪の区別というものをつけることがない。 欠点 でもある。 これはレイルが俺を称して言った言葉だが、それ以上に俺が自覚 している一般的に言うところの だが、俺はレイルを見た時、俺以上に善悪のぐちゃぐちゃした男 じゃねえかと突っ込んだものだ。 俺は善悪の区別をつけないのではない、善悪の区別がつかないの だ。 だがあいつは違う。 あいつは一般的な善悪をわかっていて、なお善悪を無視して動く。 あいつは俺が幼少期、殺人の訓練を受けたことを聞いても、何も 変わることがなかった。 別にいいじゃねえか。人を殺すことと、お前が生きることに何の 違いがあるんだ? そんなことを言われたときには目からウロコが落ちる思いだった。 もちろん一番はカグヤだ。 小さいころから何も変わらない。 あいつも俺も異常な環境で育ったという自覚はある。 じゃなきゃ好きな女の子に刃物を持って襲いかからないし、それ を笑顔で受け止めることもないだろう。 まともな 外の人間に触れて、それぐらいはわかるように ましてやそれで告白して結婚までいくなんてあるわけがない。 俺も なった。 1084 あの頃はそれが当然で、お互いが愛し合うことに疑問を抱かなか ったのだ。 だがレイルを見て、二番目の座をこいつにやってもいいかと思え るようになった。 幼少期の教育のせいか、生来の気質か、人を殺すことに何かを思 うことがない。 でなきゃあ親を間接的に殺して平気でいられるはずもない。 あいつは自分自身の手で、直接殺してあれなのだ。 俺なんか遠く及ばない。 ◇ そんなレイルが初めて、俺たちに頼りっきりの状況になった。 病気になったのだ。 病気、というとやや違うかもしれない。 薬屋のお婆さんの言うことを信じるならば、これは昆虫の持つ毒 などに過剰に反応した結果であるとか。 レイルにそれを伝えると、﹁なんだ、アレルギーか﹂と答えた。 むしろほっとしたような表情になり、俺たちに任せてくれた。 アレルギーというのが何かはわからないが、すぐに死ぬというわ けではないことがわかってほっとした。 あいつの考えることはよくわからない。 ただ、苦しいのは変わらないようで、俺たちは手分けしてそれを 体から排出する薬の材料を得ることにした。 俺が任せられたのはとある薬草の採取だ。 根元が紅く、ぐるぐる巻きの草だそうでわかりやすいと言われた。 トマキラ草というのだそうだ。 1085 この国の西にある村の隣の山、そこにある洞窟の奥に自生すると か。 光に弱いという奇妙な性質を持ち、それゆえに他国からの輸入が 難しい。 あるところにはあるので、必要になれば冒険者に頼んでとってき てもらうのだが、それもなかなかうまくいかないようだ。 他にも二つほど足りない材料があるが、それらはカグヤとアイラ に任せてある。 女子どもができるっつーのに俺ができないなんて弱音ははいてら れないな。 俺の四人の中での立ち位置は斥候といったところで、そのために は手先が器用であったり、すばしっこかったり、気配が消せたりと 戦闘向きではないような能力が求められる。 だが本職は陰陽師にして暗殺者。 決して弱いだけの人間ではないし、カグヤにしごかれているから 剣も使えないことはない。 普段はレイルの言いつけで送り込まれた刺客の始末以外ではあま り実力を見せないように言われている。 あいつ曰く隠し玉、なのだとか。 だが今回だけはそうも言ってはいられない。 道中、行く手を遮る魔物を次々と始末する。 普段はカグヤとアイラに雑魚をあらかた任せて取りこぼしの片付 けに勤しんでいるが、今日は一人なのだ。 今もグルルルとよだれを垂らしながら牙をむく野犬のような魔獣 が数匹茂みから飛び出してきた。 1086 俺は移動の間は走りながら敵を始末できるように武器を変えてい る。 腕ほどの長さしかないのに、やけに幅の広い短刀。重さではなく 軽さと鋭さ、傷つけた後に治りにくくするギザギザ。 まるで傷つけるためだけに生まれたようなその武器を両手に構え て走る。 ﹁ヴァゥッ!﹂ 魔獣は初心者冒険者なら一瞬で喉元を食いちぎられそうな勢いで 飛びかかってきた。 ぱっかりとあいた口からはのどちんこさえ見えそうだ。 俺は顎を閉じるための頬の筋肉と喉元を掻っ切った。 口を閉じることもままならなくなったそいつは血の柱をあげて転 がる。 だらりと口を開いたまま草むらに突っ込んだ。 よく喉から脳天まで貫いたり、首を落としたりすることがあるが、 あんなのは化け物級の実力者が完全に絶命させるためにする手法だ。 レイルが言っていた。 生物は血管が体中に張り巡らせられていて、そこから血を一定量 流せば死ぬと。 首には頸動脈という太い血管が皮膚表面付近にあるから首を切る と死にやすいのだ、と。 俺も訓練で喉を切るのは有効な攻撃だと、特に人間を暗殺するの にはもってこいだと聞いていたが、そんな理由があることまでは知 らなかった。 それも前世の知識というやつだろうか。 とにかく俺は今移動しているのだ。 1087 絶命させる必要はない。 しばらく動けなければいつかは死ぬだろう。 再び動けるようになるまでにさっさと先にいってしまえばいいの だ。 屍肉が他の魔物を呼ぶ危険性もあるが、それは気にしないことに しよう。 残りの三匹も血溜まりの中に放置して先へと向かった。 それからも幾つかの魔物が襲ってきた。 いつも魔物の少ない道ばかり通っていたから、一人でこうして襲 われまくるのは新鮮だ。 厄介であったのは大型の鳥であった。 遠くを飛んでいたのに、俺を見つけると急旋回して向かってきた。 いくら気配察知が得意でも空からの奇襲は防ぎきることができな かった。 肩にその爪をかすらせてしまい、血がにじむ。 ﹁随分でっかいな﹂ 再び俺を狙い、急降下してきたところを左翼の根元だけ切りつけ る。 動きに精彩を欠き、鈍くなったところで第二戦。 ここでもう一本の右翼の根元を切って完全に飛行力を奪ってしま いたい。 だが欲張ってはいけない。 1088 ここであえて左足を狙うのだ。 ぐっとチカラを込めて筋張った細い足を狙う。 こうすることで本来の飛ぶ状態を崩し、均衡をなくさせることが できるのだとか。 ふらふらと彷徨う鳥は俺でも殺せた。 傷ついた肩口を時間を巻き戻して治す。 通常はこの程度の怪我は時間を先送りして治癒力を高めることで 治す。 しかし俺は毒が効きにくいかわりに自然治癒力というものが低い。 だから余分に力を使っても巻き戻した方が得なのだ。 特に今回のように傷ついてから二分とたっていないとな。 村の近くまで来たので、体力温存のために歩きだした。 同時に本来の武器である﹁幻影の錫杖﹂に武器を戻した。 これは魔物相手に接近戦するには随分とお粗末な武器なのだ。 姿形を騙すことができる光の魔法がかかっていて、対人戦におい ては初見殺しの利点があるのだがな。 1089 ロウの疾走 ②︵前書き︶ ロウは手口だけはレイルと良く似ています。 レイルよりも現代知識がない分、身体的にもスペックが高いですね。 彼らもまた、レイルと同じように学習面でも成長しています。 1090 ロウの疾走 ② 村に一泊してさらに進む。 山を登り、木々をかきわけて上へと登っていく。 途中で現れた魔物を今度は時術で倒す。時術において、時間停止 はかなり難易度の高いものである。理由はなんだかレイルがごちゃ ごちゃと言ってたな。戻すには時間の流れ以上の力でいけばいいが、 止めるにはぴったりの力でいかなきゃならないとかそんなことを。 概要だけで忘れてしまったが。 今回使うのは巻き戻しと加速のみだ。 飛来するのはちょっとした獣ほどの大きさがある大型の蝶。 毒々しい目玉の模様に、ばっさばっさと舞い散る鱗粉が呼吸に支 障をきたす⋮⋮はずだ。 幼少期の訓練のおかげで、毒に耐性のある俺にはいまいちよく効 かない。 もしもこいつらに知能があれば、自分の毒が効かなかったことに 対して動揺してくれたのに。そしてその隙をつけばもっと楽に倒せ るのだろう。 俺はすれ違いざまに奴らに時術をかける。 いつもは仲間の回復のためにしかあまり使わないこの術も、今だ けは凶悪な攻撃魔法と化する。 奴らの体の一部だけに時間巻き戻しをかける。いつもは回復のた めに、巻き戻すときはゆっくりと他の部分との調整を行いながらか けるのだが、今回はそれをしない。 するとどうなるだろうか。奴らの体の一部の組織、器官の時間が 1091 巻き戻る。しかしその他の部位は戻らない。それがどんな結果を引 き起こすか。 蝶どもは体をボロボロと崩壊させながらその場に落ちていった。 レイルから聞いたことがある話の一つだ。 俺たちの体は恐ろしく美しい均衡を保っている、と。 全てに無駄がなく、髪の毛一本一本までが自分の肉体として認識 されていて、それぞれが自身の働きを十全にこなすことで生命活動 を維持できているのだと。 時間という人間には到底認識することさえ叶わない概念は、著し く肉体の調和を崩すのに向いている。 栄養を消費して、体を動かそうとする細胞と、それと全く逆のこ とをしようとする細胞。 隣り合った肉体の一部が逆の行動をとることでちぐはぐになり、 そして瓦解する。 本来回復術を使えるのは、よほど適性の強い者か、神に祈りを捧 げた敬虔な教徒だけだと言われている。 だから近接戦闘技術まで鍛える、または遠距離の魔法として回復 術を覚える奴はいない。 自然と回復を敵にかけようなんてイかれた奴はいないわけだ。 ﹁レイルはさ、俺がこれを回復に使えるって言ったときに、そう思 えるならそれはそういう術だって言ってくれたな﹂ でもよ、こういう使い方もできるんだぜ? こういう使い方を思いついて、実行できてしまうのが俺だ。 まあレイルも似たようなものか。 だからあいつが二番目だ。 1092 違っても受け入れてくれるカグヤよりは下。 同じものは否定できない。 それは同族嫌悪のようなもんだ。 だけど、あいつはもっと色々と思いつくし、実行してしまえる。 俺たちの誰より悩み、そして決めたら躊躇わない。 きっとどんなに嫌なことをしても後悔なんてしないんだろうな。 ﹁早く薬草を持って帰ってやらなくちゃ﹂ どちらも年齢がわからなくなり、歳上か歳下かわからない青年を 思い浮かべた。 ◇ その後も時術と暗殺の組み合わせは相性が良く、なんなく山の半 分ほどまで来た。 ここのところはあまり真面目に戦う場面もなく、バシリスクのと きは保険として後方待機だったから体がなまりがちだ。 やっと全盛期に戻るような気がする。カグヤと二人で、大陸を下 回りしてギャクラに来たときの。 今思えばレイルとアイラには随分と楽をさせてもらっていた。 二人ならば魔法の使えるカグヤを後ろにおき、俺が囮と撹乱担当 して戦わなければならなかった。 レイルとアイラと旅をするようになってから、魔物を徹底的に避 け、危険な場所には入らなくなった。 カグヤと俺で前に立てばアイラが銃とかいう武器で後方支援して くれるし、俺が暗殺者を始末するときも後始末をレイルに手伝って もらった。 1093 俺は仕留めた魔物を焼いて食べようとしていた。 一部が変なことになっているのでとって焚き火に突っ込んだ。 と、近くに数人の気配がした。 おそらくレイルを含む俺たちが邪魔に思う奴らだろう。 レイルは薬屋の婆さんに頼んで隠してもらっているから、暗殺者 も場所を特定できないはず。 で、ぶらぶらと一人でいる俺らを各個撃破しようって魂胆か。 俺のところに真っ先に来たのは、俺が現在一番弱そうだからか。 ああ、正しい判断だ。 接近戦でまだアイラに負けるつもりはないが、確かに俺を狙って よかったと言ってやる。 俺はカグヤより弱いし。 俺はアイラより優しい。 敵わないこともない。優しいから⋮⋮ ﹁あんたらもうちょっと殺気を隠したら?﹂ 楽に逝かせてあげられる。 ◇ 集団で動くと、山に入る前に怪しまれる。だが一人では失敗する かもしれないし、失敗したときにどうにかして連絡することもでき ない。いろいろと考えて、冒険者を装い五人で来たのか。 1094 レイルのおかげで未だに今まで来た十数人の刺客どもが誰に殺さ れたのかが漏れていない。 だから俺が素人だと思ったままなのだろう。 俺としてもここに来てくれてよかった。 まあ今のレイルならあの状態でも十人や二十人、近づく前に首を 斬ることもできるかもしれないけどな。 アイラやカグヤは強い。 だが闇に触れる機会があまりなかったせいで、こういった相手に 弱いかもしれない。 レイルはどうしてあの生活であんなに頭が回るんだか。 この前、どの時期にどこらへんに暗殺者が潜むか言い当てたこと があったぞ。 空間把握がなかった頃に、だ。 どうしてそんなことがわかるのかと聞くと、こう返ってきた。 ﹁俺ならこうする﹂ いやあ、黙ったね。 お前は常に脳内で自分を殺そうと仮定して動いているのかと聞き たい。 結局、そいつをいちいち国に突き出すような面倒くさいことはせ ず、身ぐるみをはいで国の外に放り出したんだっけ? なぜかあいつはアイラの腕輪の中に人が一人入るような麻袋を四 つも五つも持っていたのだから驚きだ。 お前は何を想定しているんだ。冒険にきたんじゃないのか。人攫 いは冒険につきものなのか? 1095 今も魔物の始末を終えて、持ち帰れないから焚き火で死体を焼い ている俺の周囲を警戒しながら、俺からは見えない場所からぐるぐ ると回っているお馬鹿さんたちは未だに襲ってくる気配がない。 だからさ、冒険者のフリをするならそんなに殺気を撒き散らして、 二手に分かれるなんてするなよ。 せっかく冒険者を装ってるんだから もっと楽な方法があるだろ。 僕もなんですよねー。もしよけれ きっとレイルならこうするな。 ﹃あ、あなたも依頼ですか? ばご一緒しませんか?﹄ などとまだ不慣れな冒険者のフリをして近づく。 あなたを殺せって 一緒に野宿することにでもなれば一発解決だ。 依頼って言ったじゃないですか? そしてあいつはこう言う。 ﹃え? 依頼ですよ﹄ 嘘はついていない、と。 あいつは脳内で時と場合に応じて上下をはっきりと決めている。 歳下でも初対面や身分が上なら平気でへりくだるし、歳上でも自 分より下や対等で、よく知った人物ならば素の口調になる。 初対面で殺すべき相手ならこうやって丁寧な口調で近づくに決ま ってる。 いい加減痺れをきらして俺は薪用の枝を探すふりをして近くまで 1096 歩いていった。 俺が近づいてきたことに気づき、一人が武器を構えているはずだ。 他は様子を窺っている。 ガサ、と茂みの中から音がした瞬間、剣を持った男が飛び出して きた。 速い。 だがカグヤには及ばないし、太刀筋も素人だ。 またお粗末な刺客を差し向けてきたものだ。 ﹁誰だ!﹂ そんなことは本当はどうでもいいが、演技として俺はそう叫んだ。 これは同時に、俺が狙われる理由なんてわからないと示し、まだ 暗殺者であることを理解していないと主張している。 ﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮﹂ 夜中だか 渾身の一撃を防がれて、肩で息をする冒険者に俺はあいつを見習 ってにこやかに話しかけた。 僕は魔物じゃないですよ? あいつとは違ってまだ温和な笑みに見えるはず。 ﹁どうしたんですか? ら見間違えても仕方ないですね。もしよければ向こうで魔物を焼い ているので一緒に食べませんか?﹂ 彼は驚いて目を丸くしていたが、すぐにこれをいい機会だと思い なおしたのだろう。俺の発言でまだ疑われていないことに気づき、 それならここから挽回できると考えてニヤリとほくそ笑む。全部見 1097 えてるぞ。 ﹁あ、ああすまない。気がどうかしていたようだ。今日は戦いっぱ なしだったからな﹂ ﹁ですよね。幸いお肉はいっぱいあるんで﹂ ﹁別行動している仲間も呼んで構わないか?﹂ ﹁ええ﹂ そう言うと彼は仲間のところにいった。 他にも複数の気配があるから、全員は出てこないかもしれない。 そう思って警戒はしていたのだが、彼らはレイルの言うところの 脳内お花畑のようで、五人の男が出てきたところで辺りの気配がな くなった。 まさか、まだ俺より気配を消せる奴がいるとか言わねえよな⋮⋮? 表向きはにこやかに、俺たちは焚き火のところまで戻った。 焼き加減はいい感じになっており、表面の皮が焦げて落ち、中の ピンク色の肉から肉汁がしたたっている。 ﹁おお、なんの肉だこれは?﹂ 殺す相手の前とはいえ、その肉厚な様子に喜びを隠せないようだ。 ククッ。結構ゲテモノなんだけどな。 ﹁まあまあ。名前はよくわからないけどきっと美味しいですって﹂ そう言って俺は焼いている肉からボキッと一本むしり取ってかぶ 1098 りついた。 外側が硬いので、剥がして捨てては中の柔らかいところにかぶり つく。 ﹁うまそうだな。では﹂ ﹁俺ももらうぜ!﹂ ﹁ありがとよ。こんなもんにありつけるとは﹂ 次々と競い合うようにして肉を食べる。あちらこちらから手が出 て、豚一頭ほどの大きさがあったそれは解体されて半分ほどになっ た。 うん、美味しいな。ややピリッとする風味が効いていて、花のよ うな香りがする。香辛料いらずのお肉だな。 ようやく全てを食べ終わった。 今回はこれがあったからよかったけど、次はちゃんと塩胡椒を持 ってこよう。きっと物足りないからな。 ﹁ご馳走になったな﹂ ﹁すまないな﹂ ﹁いえいえ、僕も大勢で食べるのは楽しかったですし、こうやって こんなのを他の人と食べることはできないので﹂ ﹁ははっ。そういうことじゃねえんだけどな﹂ ﹁そうだな。そろそろだな﹂ 1099 囲んでいた五人が立ち上がる。 先ほどまで、虫も殺さないようなにこやかな顔で笑っていた彼ら の雰囲気が変わる。 やっぱり。こいつら暗殺者なんだよなあ。 まあ、暗殺者でなくとも俺を殺しにきたのは違いないみたいだし? 俺だってカグヤみたいな剣術があるわけでもないからこいつら全 員を真正面から相手すれば負けるんだよなあ。 ﹁そうだな。そろそろだな﹂ 俺も演技をやめて立ち上がる。 その言葉に他の四人を取り仕切っているであろう奴が青ざめる。 ﹁貴様⋮⋮まさか!﹂ ﹁ははん。甘ちゃんのぼっちゃんかと思えば気づいてたのか﹂ ﹁大丈夫だって。俺たちに何もしてねえし、その肉にも酒にも細工 はされてなかったじゃないか﹂ 気づかれているのに何もしていないとか ぞろぞろと武器をとるが、俺はそんなことをする必要もない。 ﹁なあ、馬鹿なのか? 本気で思ってるのか?﹂ ﹁よっぽど自信があるんだろうよ﹂ 一人が言うと、三人がぎゃはははと下品に笑った。俺も笑った。 ﹁ははははー﹂ ﹁何笑ってやが⋮⋮﹂ 1100 俺の言葉に激昂したそいつは最後まで言い終えることはなかった。 ガクンと膝をついて倒れ、痙攣しだしたのだ。軽く白目をむいて 泡を吹いている。 ﹁何をした!﹂ 俺を唯一警戒していた奴が叫ぶも、その瞬間にもう二人が倒れた。 最初の奴とは違い、意識はあるみたいだが。 ﹁かりゃ⋮⋮だが、うごかね﹂ ついでに呂律も回っていないな。 ﹁くそっ!﹂ もう一人膝をついた。 ﹁なんだこれは!﹂ まだ体の動く最後の一人が殴りかかってきたが、その拳には全く 力がない。 ぺちんと間抜けな音をたてて俺に防がれたあとはそいつもとうと う地に伏した。 ﹁卑怯者め⋮⋮﹂ ﹁あんたらには言われたくねえな﹂ 卑怯上等!と高笑いするほど俺も図太くはない。約一名、そうい う奴を知っているだけで。 俺は念には念を入れて、そいつらを厳重に縄で縛りあげた。 1101 冒険者たるもの、縄ぐらいは持ってないとなあ。 ﹁どうしてだ⋮⋮﹂ ﹁ああ?﹂ ﹁俺はお前の行動から目を離してはいなかった。俺たちを誘う前で さえ、その肉や酒に何かをする気配はなかったし、お前が酒以外の 何かを飲むこともなかった﹂ ああ。こいつら、俺が毒を盛って解毒剤を飲んだとか思ってるん だ。 俺も一緒に食べていたのに毒が効いていないからそうじゃないか ってか。 で、俺が解毒剤を飲んでないし、毒を使うこともなかったから不 審に思ってるんだ。 ま、いっか。冥土の土産に教えてやっても。 ﹁お前らが食ってたのはこの山に住む蝶か蛾かわからねえ魔物の肉 だよ﹂ ﹁はあ?!﹂ まだこいつ喋れるのかよ。しぶといな。 ﹁だから、毒なんて盛ってねえんだよ。俺は元からあの鱗粉に毒の ある虫を焼いて食おうとしてたってことだよ!﹂ ﹁だが⋮⋮お前は何も⋮⋮﹂ ﹁俺はこういうの効かないように訓練してたってわけだ。俺が食っ てるから大丈夫、俺が解毒剤がないから大丈夫とか思ってりゃそり ゃダメだわ﹂ ぽん、と肩に手を置いて死刑宣告する。 1102 ﹁だから、解毒剤はないってことだ。残念だったな﹂ おそらくこいつはこの毒で死なないためになんらかの取引を持ち かけて俺から解毒剤を得るつもりだったのだろう。 ま、あってもやる気はないし、どっちにしろ全部もらうから。 ﹁じゃあ楽しい宴会、二次会を始めよっか﹂ 恐怖でガクガクと震える男どもに手を伸ばす。 ﹁レイルもいたらなあ⋮⋮﹂ 何故か脳内でそんなことを言うなと必死になるレイルが浮かんで クスリとも笑った。 暗殺者どもはそれを何か勘違いして一層恐怖で顔を歪ませたのだ った。 1103 ロウの疾走 ②︵後書き︶ 普段はレイル視点なので、仲間の心情がわかりにくいことこのうえ ないです。 カグヤこそ一番まともな感じなのに、その心情がわからないとこの 元から異常者集団だろ? パーティーは異常者集団みたいになりますからね。 え? いえいえ。ごく普通の元高校生現勇者候補と愉快な仲間たちですよ。 1104 ロウの疾走 ③ 楽に逝かせてあげるなどと言っておきながら、面倒くさくなって 一人を除いて全員谷底に放置して先へ進む。 縄で縛ったままなので、そのうち死ぬだろう。 ﹁やっと見つけたぜ﹂ 俺の二倍ほどの高さに、それに見合った幅の洞窟。 隣にいるのは唯一拷問されていない男。 ﹁ここにあるのか⋮⋮﹂ ﹁俺をどうするつもりだ⋮⋮﹂ ﹁あんたがあの中で一番賢かったし、強そうだったからな﹂ 俺たちの信条の一つ、敵を殺すかどうかは敵対するかどうかでは なく役に立つかどうかで決める。 こいつはきっと役に立つ。 ﹁ガキ四人殺せって、なんて楽な依頼だと思ったんだがな⋮⋮﹂ ﹁ぎゃははは。実際は一人に全員返り討ち﹂ ﹁ふん⋮⋮俺も仕事を請け負う者としての誇りがある。煮るなり焼 くなり好きにしろ﹂ 1105 ﹁じゃあちょっと、この洞窟を先にいって偵察してきてくんね?﹂ ここで逆らって俺と戦うより 俺はそう言って洞窟の前まで連れてきたこいつの縄を解いた。 ﹁お前⋮⋮ふざけているのか?﹂ ﹁あんたも馬鹿じゃないでしょ? 武人の誇りとかなんの価値もないもの 素直に従うフリして洞窟を偵察してから逃げた方が得に決まってん だから。それともなに? に縋ってここで死ぬの?﹂ だったらここで、暗殺稼業なんてものに手を染めちゃいないよな? だって暗殺稼業は一に依頼主の秘密、二に命ぐらいの覚悟でやる んだから。 ここで死んで守れるものはもうないよ。だって俺はもう聞き出し ちゃったんだから。まあたいしたことではなかったし、忘れてもい いぐらいのものではあったけど。 ﹁⋮⋮ふん。後悔しないといいがな。なんせお前は接近戦が苦手だ ろ?﹂ はあ? どうしてそういう結論に至るんだよ、わけわかんねえ。 持っているのも錫杖、お前は術者のは ﹁だからこそ毒で不意打ちなどで挑まねば俺たちに勝つことができ ないと踏んだんだろう? ずだ﹂ ふふん、わかってるぞ。 そんな声が聞こえてきそうな顔だった。 1106 ﹁ここで俺が剣を抜いて一騎打ちに持ち込めば、などと思うことを 想定していないとは言わせんぞ﹂ ギラリ、と彼の目が光った気がした。腰の剣を撫でるのは、いつ でも抜けるという威嚇か。 ﹁⋮⋮はあ。そんな勘違いをしていたわけだ。だから俺がどんな術 を使うか見極めてから、とか余裕ぶっこいたんだな﹂ 気配を消して迅速に。 そんな基本さえ実行しなかったのは俺が術者で術さえ使わなけれ ば気配を読むこともできないと思われていたわけだ。 それならそれで真っ向から囲めばもっと楽だっただろうに。 ﹁俺は近接戦向きの軽戦士だよ。あんたとでも一騎打ちなら勝てる だろうぐらいには、な﹂ いつも誰にしごかれてると思ってるんだ。 来る日も来る日も剣を片手にうちあった日々はもはや一種の愛情 表現だとお互い笑えるぐらいにはなっている。 ﹁そんなはずが⋮⋮あの時食べさせられた虫も剣による傷はなかっ た﹂ ﹁ああ、確かにあれは剣以外の術で倒したな﹂ まあ術が使えるようになったのは最近だし、あれ以外はだいたい 武器で倒してるんだけどなあ。 こういうところで、俺の情報が出回っていないというのは大きい。 1107 敵が勘違いしたり、舐めたりしてくれるのだから。 ﹁ほら、早く行ってこいよ﹂ 俺は洞窟へとやつを追いやった。 文句を言いながらも 足元の草を千切ったりして待つことしばらく、洞窟の中から妙な 顔をした男が出てきた。 ﹁どうした?﹂ 首を傾げたままの男に俺は尋ねた。 薬草は薬草でも真っ赤なのだったとかじゃねえだろうな? ﹁ねえんだよ﹂ ﹁ない?﹂ ﹁ああ。薬草どころか、この洞窟には何もなかった﹂ ﹁はあぁぁぁぁっっ!?﹂ 今度は俺の絶叫が響きわたる番だった。 ◇ 今度は二人で行った。 俺が後ろについたのは当然不意打ちで襲われたりしないためだ。 1108 不意打ちされる気がしないけど、不必要な危険を冒すこともない。 洞窟は広く、ところどころにぼうっと光るコケが生えている。 ﹁へえ⋮⋮何もないってわけでもないんだな﹂ 二人の足音と、話し声だけが洞窟内に響く。くぐもって聞こえる のも確か理由があったとか言ってたような⋮⋮やっぱり俺は勉学が ダメだな。よく覚えられねえ。いや、カグヤやアイラどもがおかし いだけだ。普通あんな速さで知識は吸収できない。レイルは元から 知っていて教える側だったしな。 ﹁ああ。綺麗だよな﹂ こいつにもそんな情趣を解する心があったとはな。 俺は自分を遥か高い棚に上げてそんなことを思った。 綺麗なものは綺麗。それ以上に何があるってんだ。 ﹁それもだけどな﹂ 洞窟と中を見ると、あちらこちらにとあるものがあった。 ﹁ほら、見てみろよ﹂ それは魔物の死骸であったり、人の持ち物など、ここに来た人間 がいたという痕跡だ。 岩肌に傷があったり、コウモリの羽や血肉の跡が生々しく残って いる。 ﹁さっきは気づかなかったな﹂ 1109 ﹁ここには人が来たってことだよ。お前らじゃねえだろうな?﹂ バカにするようにからかう。 ﹁ふん。こんな辛気臭いところに仕事を怠ってまでくる価値がある とは思えん﹂ 心外だ、と口を尖らせる男は体は俺より歳上だがまるで子供のよ うだった。 まあ中身の精神年齢からすればさほど変わらないのかもしれない けどな。 殺しにきたとはいえそんなに悪いやつじゃねえのかもな。 殺し殺されなんてこの世界では日常だ。国の中でこそ法だの人の 目だのに縛られるけど、一歩外に出れば死ぬやつが悪いと言われる 世界だ。殺しにきたぐらいでどうのこうの言ってられるか。 そこんところの感覚というのがちょっとズレてるって言われるん だけど。 ﹁はっ。わかってるよ。お前らの持ち物とはかせた依頼主から出身 国はわかってんだ。これらはそういう奴らじゃねえ⋮⋮﹂ こいつらは暗殺者のわりには装備が整っていた。 だがここに放置されているのは錆びたりした安物の剣だ。 血だったり、刃こぼれであったり、とにかくロクな扱いを受けて いなかったことがわかる。 ﹁ははっ。そう思うと本当にレイルの剣は凄いのだったんだよな⋮ ⋮﹂ 旅の間、一度も手入れをしていないのに、全く傷む気配がない。 1110 いつまでも新品同然のような美しさを保っているあの剣はレイル が舐められる原因にもなっていると思う。 だが最近になって特に不気味さを増したあいつは、本気になれば 舐められることなんてあり得るはずもない。 ﹁ここかよ﹂ 奥まできた。 上からぴちょん、ぴちょんと雫が垂れていて、その下には土が露 出している。 やけに湿ったその場所は、上からうっすらと光が差し込んでいて、 水やコケだのいくつかの要素が絡み合い、独特の明るさを演出して いた。 ﹁そうみたいだな﹂ ここが本来薬草があったはずの場所。 地面を触ると少しえぐれていて、根っこが千切れた跡がある。 まるで誰かが力任せにむしりとったような、そんな荒い切断面。 ﹁そういうことかよ﹂ 苛立ちまぎれの自嘲的な笑みを浮かべる。 拳をぎゅっと握りしめた。 苛立ちはこの犯人に半分、そしてもう半分が要領というか間の悪 い自分に対して。 1111 ロウの疾走 ③︵後書き︶ 一筋縄で行かないのが面倒くさいですね 1112 ロウの疾走 ④ もしもこいつの前でなければその場に両手両足を投げ出してしま いたかった。 隣のこいつが回収したという線は捨てている。こいつの手は俺が 洞窟に行かせる前と同じ綺麗なままの手だ。薬草を採取したなら土 がついていておかしくはないし、この短時間で手を洗うことができ たとも思えない。 ﹁あー、面倒くさい!﹂ うちの勇者様︵笑︶なら面白がって突っ込んでいくんだろうなあ。 それでもって自分が儲かるように立ち回れるのだろうよ。 仲間の命の危機だというのに、こうも回りくどい地道な作業に勤 しまねばならないのか。もっとこう、わかりやすい艱難辛苦を乗り 越えていくものかとばかり。 洞窟の中は楽勝、だけど薬草は手に入らない。 ﹁大丈夫か?﹂ まさかの敵にまで心配される始末。 ﹁俺は仲間の中で一番頭を使うのが苦手なんだよ!﹂ 心からの叫びなんだけど、男はあからさまに疑う目つきなのはど うしてなんだ。 ﹁お前が⋮⋮苦手?﹂ 1113 ﹁ああ。俺の仲間はもっと頭を使ってるよ。俺より賢い奴ばっかり だ﹂ ああ、友達っていう点では俺よりバカっぽいのがいたっけ。妖精 とか、旅で出会った人たちの中には。 ﹁俺があったのがお前でよかったのかもしれないな⋮⋮﹂ ﹁だろうな。俺の仲間のうち、二、三人なら近づくまでもなくねじ 伏せられてただろうし、うちの代表なら死ぬより酷い目にあわされ てただろうしな﹂ 谷底に放置ぐらい優しいもんだ。だって生き残れるかもしれない しな。死ぬより酷い目とは心を折られるとかかな。 ﹁はあ⋮⋮どうする?﹂ 正直こいつをどうしていいかわからない。 自分を殺しに来た相手なんだから、殺してしまっても構わんのだ ろう?と思考停止して始末してもいいのだけど。 もうこいつから殺意が感じられないしなあ。 というか俺も面倒くさい男になったものだ。 下手に殺意に敏感だから、殺意がある奴とない奴の区別がつきす ぎる。 もっと容赦ない男になればいいのだろうか。 ﹁どうするって⋮⋮?﹂ ﹁お前の処遇だよ。どっか行きたきゃ行けよ﹂ 1114 そう言うと少し考え込んで、何かを決意したように強い目で答え た。 ﹁ついて行かせてくれ﹂ ﹁邪魔するんだったらどっかいけよ。来るんだったら役に立っても らう﹂ 俺にできるのはこれぐらいだろうか。 ◇ 村で聞いてわかったことは、隣の宿場町に今、この付近で有名な 冒険者の一味が来ているようだ。 最近であの洞窟に探索に行ったのはその一味だけだという。 イモンド一味。 構成人数は二十人ほど。 人数と武器の物量に任せた乱暴な探索を中心とする一味だ。 粗野な人物が多く、酒場では喧嘩騒ぎになることも少なくなく、 出禁をくらうこともしばしば。 しかし顧客としては気前がよく、いつまでも出入り禁止するわけ にもいかず、一週間ほどで解禁されることが多い。 逆に奴らもそのことをよく知っているからこそ、素直に出禁に応 じてその間に魔物狩りなどを行うため、表立って批判する者は少な い。 だがやはり、粗野な集団というのは恨みを買うこともあるようで、 1115 俺があちらこちらと薬草のことを聞き回っているときに不満げな言 い方をする青年などもちらほらと見られた。 ﹁だから、僕がもう少し人の迷惑を考えたらどうですか、と注意し たらあいつらは⋮⋮﹂ その時のことを思いだしたのか、拳を握りしめるそいつを見て思 う。 青いな。 レイルの嫌いな人間の典型例だ。 カグヤはまだ許容してくれるだろうな。 アイラならレイルが顔をしかめたら罵倒してどこかにやりそうだ。 ﹁それは災難だったな。まあでも俺はそいつに用があるから﹂ その時はやや乱暴に話を打ち切り場を後にした。 青年の主張は非常に煩わしく、真面目に一から聞くほど暇でもな かったが、その怒りもわからないこともない。 確かに冒険者としてはやや配慮が足りないといえる。 そいつらにも依頼が出ていて、それはトマキラ草を三株とってき てくれ、という旨のものであった。 だがあそこにあった根の跡から察することができるのは最低でも 十株。 依頼以上に採取しすぎるのはそこの環境を荒らすことに繋がるし、 後から来た俺みたいな冒険者の取る分まで奪っていることになる。 1116 まあ些細な問題だ。 冒険者なんて早いもの勝ちなところはあるし、そういうのは暗黙 の了解というやつだ。 善とか悪とか考えるだけ無駄で、今回重要なのは、その余った分 を売ってもらえるか、ってことなんだよな。 幸い、俺らは金に不自由することがない。 今回はアイラの独断で旅の資金として扱われる金の一部を費用と して渡されている。 金貨五枚分。 いったい何日遊んで暮らせば気が済むんだ、という大金である。 そんなものをポンと渡すな、とは仲間の命の危機には言ってられ ない。 せっかくの大金、有効活用させてもらおう。 未だに石造りの酒場や冒険者組合の建物を見たことがない。 この街の酒場もその例に漏れず、壁に木目が出るぐらいに木造だ。 ここの酒場は奥行きから幅、高さに至るまでなかなかに大きく、 宿場町なのが関係しているんだと思う。 その四分の一ほどを占拠している荒くれ集団を見つけた。 片手に酒瓶を持つ、ヒゲの立派な大柄の男がイモンドだろうか。 ﹁ワハハハーいい気分だぜ。今日はガンガン飲めや!﹂ なるほど騒がしい。 と俺を見てからかいだした。 ﹁なんだあのひょろっちいのは﹂ 1117 ﹁あんなウラナリ、親分の腕にかかれば一撃ですよ!﹂ ﹁髪から顔まで白くってよ。陰気くさそうなやつだ﹂ ﹁後ろにちょっと渋いの付き従わせて強くなった気分なんじゃねえ の?﹂ ﹁ハハハハハ。ちげえねえ﹂ 俺がまっすぐに他に目もくれず、そいつらの元に向かっていくの を見ると、そいつらは顔色を変えた。 といっても俺は見た目だけなら四人の中で一番怖いはずだが、ど うにも気配がなさすぎて迫力は出ない。 だから変えた、といってもちょっと不審な程度だ。 ﹁坊ちゃん、なんのようだ?﹂ だらんと酒瓶を持った腕を椅子にもたれかけさせるように下に向 けている。 ﹁あんたがイモンドか?﹂ ﹁おう。お前みてえなひょろっちい新人にまで知られるとは俺も有 名になったもんだな﹂ これは自慢に見せかけた挑発だ。 うっかり攻撃するのは自重。 ﹁じゃあトマキラ草を手に入れたのもあんたらかな?﹂ 1118 ﹁トマキラ⋮⋮? ああ、あのカビ臭い草か。そこそこいい値が ついたな。だけどよ、あんまり売れなかったんだわ﹂ そりゃあ薬草だもの。ちょっとあればいいんだよ。効能は高いし、 もちろん、色はつける﹂ そもそも使えるのか限られているそうだから。 ﹁買い取らせてもらえないか? ﹁はははは。そりゃあいい。余ってたところだ。誰かさんがやられ たか?﹂ ﹁そんなところだ﹂ 後ろで元暗殺者が敬語になおすことのない俺をハラハラとした様 子で見守っている。 お前は俺のなんなんだ。こんなところまでついてきて何をしにき たんだ。 ﹁誰か聞かせてくれや﹂ レイル・グレイだと?﹂ ﹁聞いてわかるかどうかは知らないが⋮⋮レイルだよ。レイル・グ レイ﹂ ﹁ああん? 急に不機嫌になった一味。 特にその親分と呼ばれるイモンドがあからさまに嫌な顔をした。 ﹁じゃあ断る﹂ 1119 あいつ⋮⋮なんかしたのか? 1120 ロウの疾走 ④︵後書き︶ 賞賛と罵倒が入り混じる。 その結果は影響を与え、 その行動は賛否両論。 人によって見方が変わる。 そういう主人公でありたいです。 1121 ロウの疾走 ⑤︵前書き︶ 弟が部屋に居座って執筆が進まない⋮⋮ 1122 ロウの疾走 ⑤ 俺が美しさにこだわる男であれば、一刻もここを逃げ出したいと ころだろう。いや、そんな頓珍漢なことを言うまでもなく、この状 レイル・グレイだとよ!﹂ 態は小心者には耐え難いものだな。 ﹁ぎゃーっはっは、聞いたか? 何かをしてやったりとばかりに周りの手下に話しかける。 まがりなりにも冒険者の一味にそんな言葉を使うのは、どうにも こいつらが盗賊団が何かに見えて仕方がないからだ。 眉をひそめてそっと立ち去る老人とかを見なかったことにして、 俺は再度交渉を持ちかける。 ﹁相場の二倍でも構わねえ。とにかく売ってくれねえか?﹂ ﹁ははっ。そうしたいのはやまやまなんだが、急遽これが欲しいと 実家の婆さんが息も絶え絶えに言ってるのが俺にはわかる。だから 無理だな﹂ そんな超常現象があってたまるか。 虫の知らせにするにしても、お前にはこない。 ﹁前々から気に入らなかったんだ。何が最悪の勇者だよ。あんなの がちやほやされるのがわけわかんねえってんだよ!﹂ なんだ、ただの嫉妬か。 醜い奴らだ。見るに耐えない。 1123 とりあえず声量を下げてもらいたいもんだ。 ﹁あーあー、お前らの気を変わらせてやるよ﹂ 棒読みでそう言う俺に、手下に目で合図しながらイモンドが言っ た。 ﹁ここではなんだからちょっと表出ろよ﹂ そう言って立ち上がった人数は七人ほどか。 まあ後ろのこいつと俺ならなんとかなるか? まあ元から信用はしてないから、土壇場で敵に回っても大丈夫か な。 ようやく歩く厄介事がぞろぞろとお外に出てくれて、酒場のおっ さん達もホッとしている。 どんだけこいつら恨まれてるんだよ。ガラ悪すぎんだろうがよ。 人の少ない路地裏。 時間は日が沈んでしばらくたち、うっすらと夕日も消えてきたこ ろ。 人通りがポツリと途絶えたそんな街で、粗野な男どもに囲まれて いるなんて知ったらカグヤが怒りそうだな。 俺はかっこ良く薬草を採ってくるつもりだったのになー。 どうしてこんなところでむさ苦しい目に合わなきゃならないとい うのだ。 ﹁ははっ。こんなとこまで連れてきてなんのつもりだよ﹂ 軽薄にヘラヘラと笑う。 1124 青筋もあらわに男どもがカタカタと武器を指で鳴らしたりして威 嚇してくる。 いやーん、怖ーい。 そんな女々しいことを言っている場合じゃねえな。 ﹁で、どれだけ出せばいいんだよ﹂ ﹁銀貨一枚とかどーだろーなー﹂ すっごくいやらしい目でニヤニヤと笑いながら言ってきたから、 もしかしたらふっかけているつもりなんだろうか? ﹁それぐらい出せば考えるかなー﹂ ﹁こんな若造には無理だろ!﹂ ﹁どうせ自演して名声を広めてんだもんなー﹂ ﹁そもそもこいつがレイル・グレイの仲間だってのもハッタリかも しんねえぜ?﹂ ﹁ちげえねえ﹂ また笑いがおこる。 なんかこいつらにはこいつらのツボがあるらしい。 怒らない怒らない。 こいつらはいい年したおっさんに見えるけど、実年齢俺とさほど 変わらねえんだ。 ぷらぷらと聞いたのと全く同じトマキラ草を見せびらかしている そいつらに、懐から金を出して笑いかける。 1125 ﹁ははっ、そんな安くでいいのか? あ、今ちょっと小銭の持 ち合わせがなくってな。つりはいらねえからこれで売ってくれよ﹂ 俺が出したのは金貨だ。 一枚あたり提示された金額の十倍だ。 あらかじめ支度金として用意してあったものだ。まだもう一枚あ るから、もしもこの薬草がセリで売りに出されていても十分買える だけの金を持っている。 そりゃあもう、簡単なお仕事だったよ。 ﹁売らせていただきます!!﹂ 冒険者たちの声が揃った。 そりゃそうか。 銀貨一枚でも、薬草一株の値段としては倍以上ぼったくっている。 この薬草は通常の冒険者が小遣い稼ぎに使えるぐらいには気軽な 薬草なのだ。 ただ、需要も供給も少ないから売れないけどな。 金で友情は買えないが、信用も薬も買えるんだ。 金のために過去の恨みやら嫉妬やらを水に流してもらう。 うん、大人の対応だな。 金の力は偉大だ。 1126 ◇ 薬草を得て、さあ帰ろうかというとき、後ろにまだ奴がついてき ているのに気がついた。 ﹁なあ、あんたどうするつもりなんだ?﹂ 元暗殺者。現在無職。 いや、冒険者とか雇われの傭兵とか正規職もあるだろうから無職 じゃないのか。 でも依頼失敗したら帰れないんじゃ⋮⋮ああ、ダメでもともとか。 ﹁お前は随分危なっかしい奴だ﹂ ﹁はあ?﹂ ﹁あの時、俺が逆上して、襲いかかってくることを想定してなかっ たんだからな﹂ なんか語りだしたぞ。 ﹁お前は能力と打算でしか他人を推し量れないんだ。親しい人には そうでもないのかもしれないけどな﹂ 髪を自分でぐしゃぐしゃとかき乱して何かを探るように続けた。 ﹁さっきのもそうだ。あいつらが金に目がくらむぐらいの奴らでよ かったが、殺して奪おうってなってたらどうするつもりだったんだ﹂ ﹁その時は全員殺してたさ﹂ 1127 ﹁はあ⋮⋮とにかくな、お前を見ていて思ったんだよ。なんて空っ ぽなんだろうってな。でもお前自身には打算も欲もあまりねえ。面 白いと思ったよ﹂ そんな風に思われてたのか。 ﹁とりあえず、依頼主の片を付ける。困ったことがあったら呼べ。 というか俺から行く。お前に従うことにするよ﹂ ﹁勝手にしやがれ﹂ なんか便利な部下ができたみたいだ。 こうして俺の、薬草採取が終わった。 帰るときは行く時よりも簡単で、道を覚えている分早い。 待ってろよ、レイル。 1128 ロウの疾走 ⑤︵後書き︶ ようやくロウが終わりました。 次は⋮⋮カグヤですかね 1129 カグヤの安堵 ① かつて私が剣を使ったとき、四属性の魔法もちょっぴり使えるこ とを付け加えると、人は誰もが﹁嘘だ﹂という。 基本的に魔法は一つの属性を極めた方が強いとされる。どの魔法 を極めてもいろんなことができるからだ。だから私のそれは単なる 器用貧乏というやつであった。 だけど、それを覆したのがレイルだった。 本来、その人の半生をかけて魔法というものは研究されるもので、 その研究と才能││この場合は想像力と魔力操作力にあたる││が 融合して新魔法だの、新原理などというものが生まれる。 私の魔力操作力は中級といったところだった。 一属性に限れば、私と同じく武器を扱いながらの魔法戦士として 魔法を使う人間も多数いる。 もちろん、魔法を専門とする魔法使いになれば、二属性、三属性 と使う者もいる。 そんな中で私が私の独創性を保つためには、四属性を極める他な らなかった。 いや、私は既に剣技が使えるのだからそれを極めても十分やって いけると思われた。 だけど、剣技で勝てない相手が世の中にいる以上、剣技も魔法も できるにこしたことはない。 レイルは根本的に思考が違った。 1130 魔法を一つの研究対象として見ていながら、さながら玩具のよう に、それでいて独自の道具として扱っていた。 彼の口から語られるのは魔法の上達方法ではなく、魔法の真髄と それで何ができるかということばかりであった。 私の魔力操作は中級のまま、想像力も変わらずに、私は上級と言 われる難易度の高い魔法と同じことができるようになった。 彼曰く、全ての魔法は鍛えれば大抵のことができる。 どの属性を極めても、雷が起こせるし、それを使えば水属性でさ えも炎を起こすことができるという。 風魔法で氷を作ることも、地属性で空を飛ぶこともできるという。 それには世界の法則を理解する必要があるとはなんとも壮大な話 だった。 レイルは確かに知識が豊富だ。 だが、私とてこの世界の知識においてさほど負けているわけでは ない。 だって私もあいつと旅をして、各国の図書館に出入りしてきたの だ。 本を読んでいれば嫌でも知識は身につくというものである。 違う。 レイルの異常は知識じゃない。 レイルの異常は概念である。 だけど、持っている概念、それ以上にレイル自身の考え方が一歩 ずれている。 あいつは勇者候補なんて生易しいもんじゃない。 1131 あれでもまだ猫を被っているが、戦慄したのは自分の命を自分の 作戦の天秤にかけることだ。 悪魔の時も、死神の時も、魔王の前でも。 あいつは酷く臆病なくせに、作戦の実行に躊躇いがない。 かつて反魔法団体に対峙した時、その目的が魔法の撲滅ではない ことを見抜いた。 少し が大きい。 私も、ロウもアイラだって、少し考えればわかることかもしれな い。 だが、その その先を見てみたいと思った。 でもロウが彼を気に入らなければ、きっと何も思わぬまま別れて いたことだろう。 私はレイルと他の二人よりも距離が遠い。 レイルとはなんというか、旅の仲間ってだけで、信頼はしてもあ まり踏み込もうとは思わない。 私にはロウがいるからかもしれないけどね。 でもロウが気にいったからといって、彼の人柄が酷くつまらない ものであったら旅に行くことに賛成したりはしなかったでしょうけ ど。 もっと前はお転婆だったような気もするんだけどな⋮⋮まあ成長 したってことで。 レイルがそれを聞くと、﹁ビジネスパートナーだな﹂と言った。 何よビジネスパートナーって、と尋ねると、仕事上の仲間ってこ とだよ、と帰ってきた。 そうかもしれないわ。 1132 確かに彼のおかげで、私の魔法は他の魔法使いにさえ負けないほ どになっている。 感謝はしているし、嫌いじゃない。 信用もしているし、評価も高い。 けど、私の一番はロウで、私が旅をするのは私の為だ。 そんな彼も完璧じゃない。 いや、そもそも完璧などと思ったことはない。 なんでも器用にこなすように見えて、結局のところその能力は二 つか三つに絞られているのだから。 観察眼。 前世現世の知識、概念。 発想と判断力。 彼はさほど剣技が得意ではない。 最近になってロウと並ぶか、それ以上になった。 多分、同年代の中でも、天才と謳われる勇者候補たちにも負けな いだろう。 だが、剣に全てを捧げるような人間や、体格と環境と才能に恵ま れて何年も剣をとった歴戦の戦士よりは技量が下だ。 しかし彼と打ち合ったとき、身震いした。 ずっとこっちを見ている。 1133 いや、打ち合っていれば、それが普通なのだが、それとはまた違 うのだ。 たまに何か違うものを見ているにもかかわらず、私の目の奥まで 見透かすように見ているのだ。 刀や剣で戦っている気がしない。 それがレイルと戦うときの印象だ。 きっとレイルにとって、剣は唯一の武器などではないのだろう。 むしろ剣に目を向けさせておいて、別のもので倒す方が楽だと考 えているふしがある。 ああ、なんて戦闘脳。 戦い方から仲間の人柄をはかってるとか。 とにかく、そんなレイルが倒れた。 体調管理は万全だぜ! とか叫んでいそうな彼が。 普通に休んでいても治らないのだそうだ。 薬の材料で三つほど足りないと言われた レイルは寝込みながらも、火照った顔で三つの材料を集める最短 の道とその道程の注意点を説明しようとした。 だがそれを遮ったのはアイラだった。 アイラは事前に私たちにある提案をした。 三つの場所にそれぞれ一人で向かう。 確かに理論上は最速だ。 だけど成功率が下がる。 1134 私とロウはアイラの目を見て、ただの無謀じゃないことを感じ、 承諾した。 一番移動距離が長いところをロウに。 一番敵が強いところを私に。 一番厄介で時間がかかりそうなところをアイラに。 それぞれの適性を考えて、三人が納得した配置だ。 二人は私の場所を懸念していたようだけど、私が笑って大丈夫、 というと任せてくれた。 ふふっ。レイルは怖がりだから。 たまにはどうなるかわからないようなギリギリの冒険を乗り越え てみせて、実力への信用を勝ちとらなきゃ。 だから、私もこれぐらいの敵、乗り越えなくちゃね。 目の前に十二匹、鳥型、熊型、狼型に蛇型、大小さまざまな魔物 が連携していても。 それを後ろの方で命令しているようなぶくぶくの魔物がいても。 これぐらいの敵は、倒せるはずだ。 ◇ レイルが避けていた、魔物の群れ。 何があるかわからないから、経験値もないのに危険を冒すのは馬 鹿らしい。 よくわからないことを言っていた。 経験なんて戦ってればいやでもたまるでしょうに。 1135 魔物たちの後ろで魔物が一匹。ぶくぶくと太った頭の下半分にち ょぼちょぼした目が見える。その下からは触手のようなものが出て いて体を支えている。 こいつの名前はフェロモニア。 その頭の両側から誘惑物質を出し、周囲の魔物の攻撃性を高める。 だがその誘惑物質には軽い中毒性があり、出している本体は攻撃さ せないようにする働きもある。 周囲の、とは言ったが、普通はあの半分ぐらいの大きさで、あそ こまで操れるとすれば二、三体が限界だ。 それを十二匹。しかもどれも単なる雑魚じゃない。 ﹁ふぉっふぉっ﹂ ばふばふと音を出すフェロモニアに苛立ちまぎれにはきすてる。 ﹁厄介ね﹂ 対処法は簡単だ。 魔物を全て倒してもいいし、フェロモニア本体を殺してもいい。 元は仲良く一緒に、なんてありえない魔物たち。正気を取り戻せ ば同士討ちを始める いや、言うのは簡単だ。実行するのが大変なのだ。 脳内作戦会議は秒よりも短く。 お互いが様子見で睨み合っているうちに考えろ。 集団を相手にしたときの定石はなんだったか。 ばふん、とフェロモニアによって大きな音がたてられた瞬間、戦 1136 いの火蓋が切られた。 1137 カグヤの安堵 ② 一人で対峙するにはとても骨の折れる相手ね。 誘惑物質でも使わなければ到底魅了なんて無理だろうと思われる 醜悪な見た目のフェロモニア。 人は見た目で判断してはいけないなんていうけれどあれは魔物だ し、ついでに能力も最低ね。 目も、耳も不自由。 ひたすらにその反則的な生態が外敵から身を守り、その個体を生 き残らせる。 体力だけは並かそれ以上にあるようだが、その愚鈍さは周囲に生 物がいなければ環境の変化や災害に耐え切ることもできずに身を滅 ぼすほどだという。 どこまでも寄生的で、他頼りな魔物。 その魅惑物質が人間に効いた事例がないのが幸いか。 私の仲間なら、あんな能力を是非欲しいと屈託無く言ってしまえ るのだろうか。倫理観に欠けた仲間なんだから、私がしっかりしな いと。 ﹁かかってきなさいよ﹂ 言葉とは裏腹に私の足は駆け出していた。 体を縛る重力を地属性の魔力で弱める。体がふっと軽くなるのを 感じ、地を足で蹴った。 皮肉なものだ。﹁地﹂の文字を冠しながらも地から解放されるた めの魔法となるなんて。いや、それはレイルが逆に使えると教えて くれたからか。 魔物数匹に何倍もの重力を加えるよりも、私一人の重力を三分の 1138 一にする方が幾らか楽だ。 魔法において楽であるというのは重要だ。それだけ滑らかに速く 発動できるのだから。 ただでさえ鍛えている私の体が、十メートルほど上空に浮かび上 がる。 私の狙いはただ一つ。 ﹁せいやっ!﹂ 三匹の鳥型の魔物だ。 二匹の狼だとか、おどろおどろしい蛇だとか、強そうな魔物は他 にもいる。 しかしそれらは全て、陸を這うものであり、私が脅威とみなした のは他でもない唯一飛行力を持った鳥型の魔物だったのだ。 一閃で三つの鳥の頭を刈りとった。 緑のトサカに黒いくちばしの一メートルほどの大きさの鳥は、首 から下だけでバタバタと逃げ出していった。 どれも間も無く死ぬだろう。 そのまま空気抵抗に任せてふわりと着地してもよいが、それでは 隙が大きいので風魔法を空中で使った。 周囲を取り囲み、着地間際を狙おうとする獣どもを蹴散らし、ぽ っかりと空白地点を作った。 パスン。やけに軽い音なのは残念ながら重力魔法が未だ効いてい るからである。 それを解除して、次の相手に斬りかかる前にさらに風魔法を使っ 1139 た。 今度は空気を手のひらで押しつぶすように圧縮した。 ぎゅっぎゅっと魔力を込める様子に警戒こそするものの、何が起 こるかまではわからないようね。 空気の球はふわふわと、魔獣たちのいる中央まで飛んでいき、き ゅっと歪んだ。 パァン! 乾いた破裂音が辺りに鳴り響いた。 そう、音は風が運ぶ。 空気を超圧縮することで、爆発的な音を叩き出したのだ。 私自身は自爆しないように耳を塞いだ。 ﹁キャゥンッ!﹂ ﹁バウァァッ!!﹂ ﹁シャ││││!!﹂ ガンガン痛む頭を前足で抑え転げ回る。 ただ、フェロモニアだけが平然としていた。 ﹁軟弱なのが幸いしたみたいね﹂ ﹁プシュー﹂ なんとも言えない声をあげて、私を威嚇しているようにも見える。 1140 突然、煙のようなものを吐き出した。 ﹁何を⋮⋮﹂ 剣を構えたが、やはりフェロモニアはフェロモニアなようで自身 が何かをしようとはしなかった。 だが、周りの奴らは違った。 ﹁グルルルル⋮⋮﹂ ﹁シュルッ﹂ 先ほどまで音でやられていたかと思われた魔獣たちが次々と起き 上がってきた。 ﹁しまったわ⋮⋮﹂ なるほど。 魅惑物質を過剰摂取させることで、脳に快感以外の知覚を麻痺さ せたのね。 麻痺とは敵に与えるものだという先入観からくる盲点を見事につ かれた。 ﹁じゃあ、今が好機ってわけね﹂ 決して抗うことをやめない。 各個撃破は対集団戦においての定石。 本当は司令官から殺ってしまうのがいいのだけど、そうも言って られないわ。 1141 ﹁まずは、蛇っ!﹂ 蛇に言葉がわかるとは思えないから、どいつを攻撃するか口に出 したところで不利になるわけじゃないわ。 刀を斜め下から振り上げる。 お父さまは何も言ってなかったけど、これもきっといい刀ね。だ って、こんなに綺麗に切れるもの。 ことりと落ちた首に、生気はもうない。 そうして空いた場所へと駆け出す。 妨害しようと飛びかかってきた狼型を刀でいなし、斬りつけて通 り抜けた。 もう狼は足を引きずっていて動かない。相手をするまでもない。 ﹁めんどうくさいんだから﹂ 今度は水魔法で球体を作る。 一つ、二つ、三つ⋮⋮五つ。 全てが両手で抱えるほどの大きさになったところで、バラバラに 操作しながら魔物たちの頭部めがけて放った。 俊敏によける魔物と、私の目測と魔力操作の勝負になった。 横に、縦にと避けるがそれもすぐに限界が来た。 だって、凶暴性が増しているだけで感覚が鋭くなったわけではな い、むしろ逆なんだもの。 鈍い感覚で飛び回る球体から逃げ続けるなんて不可能よ。 ﹁ウバボロララ﹂ 1142 ﹁ガボガババ﹂ 冷静に考えれば、捕らえられた時点で終わりではない。 だけど、頭部の周りが急に水に囲まれたとして、いったいどれほ どが冷静にその場から逃げようとできるだろうか。 水を振り払おうとブンブン頭を振ったり両足で顔の周りを叩いた りするも全く意味がない。 だんだん息が苦しくなって、判断力もそれに伴い消えていく。 その間も、襲ってくる二体の魔物から逃げ続ける。 間も無くして、五匹が窒息死した。 残っているのが、大型の猿の魔物が二匹。 ﹁アキャキャキャキャ!﹂ ﹁ウキャキャキャキャ!﹂ とてつもない連携で襲いかかってくる。野生の凄まじさを感じる わ。二対一で戦い続けるのは得策ではないわね。 ﹁火炎っ!﹂ 一方に炎の魔法を放った。 これで火傷が与えられたら儲けものだったが、予想以上に効果を 発揮した。 目くらましとして機能したのだ。炎は激しく燃え上がり、片方の 1143 猿の顔面を包んだ。 ﹁ギャァァァァッ!﹂ 慌てて消しにかかるも、それだけの時間があれば十分だった。 私は一対一でこの猿に負けるほど、落ちぶれているわけではない。 早々に一匹を討伐した。 ﹁フーッ、フーッ﹂ 火を消し終わった猿に向き合う。 さすがにここまで残っただけあって、猿はどちらも強かった。 ただ、刀を扱う私の敵ではなかった。 ﹁後はあんただけ﹂ フェロモニアはビクビクと震えている。 これだけ大きな個体だ。きっと多くの戦いをくぐり抜けてきたの だろう、先ほどのように魔物を操って。 それを私は悪いとか言える立場にはない。 これも旅をして学んだことかな。 ﹁だけどな、私と戦うなら死ぬ覚悟はできてたのよね?﹂ 私は時間をかけることなく、フェロモニアに魔法を放った。 フェロモニアは焼き尽くされて灰しか残らなかった。 1144 どうせ討伐報酬なんかないでしょ。 私が受けた材料のことをまだ説明していなかった。 私の材料は字面だけ見るならば、確かに最難関と言えただろう。 私が手に入れなければならないのはとある生物のヒゲだ。 長く、金色のそれは昔から様々な薬効があるとされ、一本手に入 れれば伝説とまで言われる素材である。 古来から伝説と共にあり、時には邪悪な存在として、時には神と して祀られてきた巨大生物。 圧倒的巨体に敵うものはいないとされ、その魔法は地形を変える とされる。 そう、龍だ。 この向こうの池、そして池の向こうの社に住むとされる龍。 名前だけでいるかさえわからないという。 しかし私には確信があった。 龍はいる。 それとアイラとロウには悪いが、私は個人的に一番いいものを回 して貰えたと喜んでいる。本当、悪いわ。 1145 一番楽をさせてもらえそうね。 ヒゲは確実に手に入れられるわ。 1146 カグヤの安堵 ③ マントヒヒみたいなのだとか、巨大ミミズを焼きながらようやく 目的の場所まで辿りついた。 ﹁はあ、長い道のりだった⋮⋮なんて自分を労っている暇などない わね﹂ 龍神が住むと言われる巨大な池、グラニエル。綺麗なすり鉢状が 遠くにいくに従いその底を不透明にしていく。 ﹁相変わらず綺麗ね⋮⋮﹂ 伝説ができるほどの池、汚れて濁っているなどどなんとも残念な ことにはなっていない。 その池の向こうにある社と呼ばれる場所へと向かった。 近づくにつれ何かの骨やボロボロの衣類など、ここは何かの墓場 かというものが転がっている。 臆病ならばこれを見ただけで怖じ気づく理由として十分だ。 ﹁でも私が帰る理由にはならないわ﹂ 剣を構えながら、周囲に警戒するのを忘れない。 清涼な空気が地面のあれこれの凄惨さを打ち消し、まるでここが 神聖なものかのようにさえ思わせる。 社と呼ばれる建物は近くの人里の住人が建てたものだ。 できることなら保護を、それが無理でもせめてここを滅ぼすこと だけはやめてほしい。 1147 拙い素人作りの木造の門や、自然の地形を活かして作られた屋根 などからはそんな必死の彼らの形相が伝わってくる。 ﹁あ、いた﹂ なんともあっけない発見ではあるが、元々隠れる理由さえない最 強生物。高い知能と圧倒的な肉体、その本質は﹁観察するもの﹂と して語り継がれる。 今も私に気づいて放置していたのかもしれない。 ﹁でも違うわね﹂ 私の探している龍とは違う。 そしてそれは圧倒的にマズイ事態を指し示すかもしれない。 ドラゴンはのっしのっしと歩いてその尻尾がゆらりと向こうに見 えなくなった。 そう、こちらに気づいて向いたのだ。 すごく大きい。高さだけでも何倍もある。鳥のくちばしのような 口をしていて、首の周りにヒダのようなものがついている。背中か ら尻尾にかけて、低めのトサカのようなものが連なっている。 ﹁あら、あんた見ない顔ね。ふもとの村の子じゃないね﹂ その口調と声は妙齢の女性のものであった。 メスなのだろうか。そんなどうでもよさそうな予想がよぎった。 できるだけ、敵意を示さないように、それでいてうっかり殺され ないように。 慎重に言葉を選んで話しかけた。 ﹁あの⋮⋮ここに住むっていう龍神と呼ばれる方に会いに来たので 1148 すが⋮⋮﹂ ﹁あぁん?!﹂ あ、ダメだ。これは絶対刺激しちゃダメなやつだ。怒らせたら戦 わなきゃダメだ。それでいて下手に逃げると人里を巻き込む。 なんだか龍神の話は禁句らしい。明らかに態度が変わった。 私、あれだけ心の中で啖呵きっといてこれってかっこ悪いわね。 ﹁あんた、あいつになんの用?﹂ ﹁ええっと⋮⋮ヒゲを貰いに﹂ ﹁はーん⋮⋮あんたらもやっぱり他の人間と変わらないってこと? やっぱり駄目だった! 覚悟はいい?﹂ ああっ! 育てのお父さんお母さん、ロウにレイル、そしてアイラにその他 のいろんな人たち、私は先に旅立ちます⋮⋮っていうわけないじゃ ない。 現実逃避するぐらいなら死ぬ寸前まで必死に考えるわよ。 おにいさーん!!﹂ それに、解決方法だってあるんだから。 ﹁もしも││││し! 私は全力で叫んだ。喉がはち切れないよう、ギリギリまで声を振 り絞った。社の奥には大きな岩の洞窟か建物かわからないようなも のがあり、その中に向かって届くように。 私は一縷の望みにかけた。 1149 彼女の口ぶりから、ここに住む龍神がリュウ族の縄張り争いに負 けたわけではないという可能性に。それは同時に、目の前の彼女が なんだ、俺は眠いんだよ! 相手しといてくれっ その龍神と共に過ごす⋮⋮家族であるという可能性にかけたのだ。 ﹁ああん! て言ったじゃねえかよコロモ﹂ 眠たそうな声が奥から聞こえてきた。まるで腹の底から脳天に突 き抜けるような低音の荘厳な声が。 どうせ負けはしないでしょ?﹂ ﹁ごめんって。この女の子がしつこいの。ケヤキ、どうせ起きたな ら会ってやってくんない? ﹁おにいさーん!!﹂ 私は再度叫んだ。 幼き頃の思い出となんら変わりのないかっこいい声と、どこかお その声にゃあ聞き覚えがあるなあ﹂ 調子者なところのある龍神に。 ﹁ありゃあ? ﹁あんた、今なんて言った?﹂ ﹁い、いやあ。俺はこんな別嬪な嬢ちゃん知らねえよ?﹂ 先ほどから聞くに、やはり彼らは。 ああ、そうか。あれからもう十年 カグヤです!﹂ いや、そんなことよりも今は目の前の彼に挨拶をしなければ。 カグヤちゃん? ﹁久しぶり、おにいさん。覚えてますか? ﹁えっ? 以上も経ってんだよなあ。大きくなったなあ﹂ 1150 目を細めて再会を懐かしんでくれているケヤキさん。 ちょっとだけ声音も変わった気がするし、落ち着いたような感じ カグヤちゃん?﹂ もするけど私の覚えている姿とほとんど変わらない。 ﹁えっ? 隣のコロモと呼ばれた彼女は私とケヤキおにいさんを交互に見た。 おばあさん そう、私とここの龍神は顔見知りであったのだ。 おじいさん 私がまだ、竹の中から拾ってくれたお父さんとお母さんと一緒に 暮らしていたときのことだった。 おじいさん かつて冒険者として世界中を旅し、その実力から剣聖と呼ばれた お父さんは私をあっちこっちに連れ回してくれた。 その中には、冒険者時代の友人を訪ねる旅もあり、その友人の一 人というのが他でもない、目の前の龍神ケヤキさんだったのだ。 まだ子供まっさかりの私は、両親か ら貰った首飾りをその龍神ケヤキさんに預けて、﹁また遊ぶ時ま で預かっててね﹂と預けたことがあるのだ。 子供にあげるぐらいのもの、どうせたいしたものではないだろう と忘れていた。だが両親にとってたいした物ではなくとも、一般的 にはとんでもないお宝であった。 立派に龍神の守る首飾りとして冒険者たちに狙われる理由を増や すのに一役買っている。 ケヤキさんの胸に今もその首飾りがあるのを見て目頭が熱くなっ た。 1151 ﹁で、この子がカグヤちゃん?﹂ 事情を説明すると、コロモさんのさっきまでの不機嫌そうな様子 が一変した。 ﹁おう。かわいいだろ?﹂ ﹁ええ。さっきはごめんね?﹂ 二人はそのあとも私についていろいろと語りあっていた。 その内容からするに、どうやらケヤキさんは私のことをまるで実 の娘のように可愛がってくれていて、そのことを奥さんのコロモさ んにも話していたそうだ。 だからコロモさんも私のことを娘のように接してくれた。 よかった。覚えていてくれて。 それから私は今のことを話した。 ロウと結婚していること、仲間ができたこと、そして今その仲間 の一人が倒れていることとか。ヒゲが必要な理由も話した。 ﹁ああ、そうだ。これ返さなきゃあな﹂ いいぜいいぜ!﹂ ﹁今回はそれじゃなくって、ヒゲが欲しいんです﹂ ﹁ヒゲ? 今まで緊張してたのが馬鹿みたいね。 ケヤキさんは長い体を上手に操り、頭を私の前まで下ろしてくれ た。 私はできるだけ痛くないようにヒゲを根元で切った。 別に引っこ抜かなければダメだとかそういうことは言われていな いので大丈夫だろう。 1152 プチんといい音がした。刀で切ったのにそんな音がするとかあり 得ないでしょ。 ﹁ほら﹂ ヒゲを取り終え、ケヤキさんはかつての約束を律儀に果たそうと してくれた。 首飾りをとって私の前に差し出してくれている。 けど、私はそれを受け取ろうとはしなかった。 ﹁⋮⋮それ、受けとったらここに来る口実が⋮⋮﹂ そう、これは再会の約束の証であり、それを返してもらったら最 後、ここに来る理由がなくなってしまう。 せっかく自由に会いに来れるだけの実力と時間と、そして立場を 手に入れたのに会えなくなる。 私はそれが寂しかった。 私のそんな様子を見てケヤキさんとコロモさんは何か突っ伏すよ 私、変なこと言ったかな。 うな仕草でプルプルと震えていた。 何? 中身こそもう大人の年齢だけど、どうしてもずっと歳上で私の小 さい頃を知るケヤキおにいさんに会ったからか、幼児退行してるか もしれない。 それが年齢に見合わないから笑われたのかな⋮⋮? ﹁カグヤちゃん⋮⋮﹂ ﹁いいよっ!﹂ 二人が口を開いた。 1153 それからはいっきにまくしたてられた。 彼らがリュウでなければ、飛びついてきたのだろう。 ﹁最初こそちょっとひどいこと言ったけど、私たちあなたのこと娘 みたいに思ってるから!﹂ ﹁カグヤちゃんなら用事なんかなくてもいつ来たっていいんだぜ!﹂ ロウの坊主に愛想尽かしてかつ帰りにくかったらここ こんな可愛いカグヤちゃんならいつでも大歓迎よ!﹂ ﹁おう! 一生面倒見てやるからな!﹂ ﹁そうよ! こいよ! ﹁なんだったら首飾りだけじゃなくってこいつの血も持っていって いいからね!﹂ 私よりずっと、ずっと大きい体がゆさゆさと揺れながらガンガン 喋る様はなんというか圧巻であった。 そうか。人では大人びてるって言われてる私も、彼ら夫婦の前で はとっても赤ん坊扱いなのね。 嬉しいやら、悲しいやら。 結局、二人の強い勧めによって、ケヤキさんとコロモさんの血を 一瓶も貰った。 私はそんなにいらないって言ったんだけど、どうせ一度傷つけた らこれぐらいは流れるから一緒だと言われた。 捨てるのはもったいないのでありがたく一瓶ずついただいた。 龍の血。そして竜の血。 どちらも万病に効くとされる万能薬の一つ。 生命力と魔力の高いリュウ族の血だから万病とまではいかなくと 1154 もとても貴重な品であることには変わりない。 きっとこれをどちらか売るだけでも今の私たちの資産が二倍か三 倍になるでしょうね。 そんなことはしないけど。 1155 カグヤの安堵 ③︵後書き︶ カグヤ編はロウ編よりもやや短かったですね。 もともとカグヤにとってハプニングさえなければヌルゲーだったと いうことでしょうか。 龍神さんについては八話目の﹁かぐや姫?﹂を参照ください。 1156 閑話 レイルはお年頃?︵前書き︶ 冒険の合間に、レイルの容体を見てみましょう 1157 閑話 レイルはお年頃? どうも。お久しぶりに登場のレイルです。無様にもやられて現在 病床に臥して三日目になります。そろそろ精神的にもなかなかくる ものがあります。頭が全然回りません。 はあ⋮⋮とまあ馬鹿な脳内一人劇場を繰り広げたところで、俺の 症状が緩和されるわけでもない。 ただ、これぐらいふざけて前向きにでもしていないと気を抜いた らミラのお迎えが来てしまいそうだ。 大丈夫だとは思うけど心配なんだよなあ。特にアイラ。 三人の中では一番天才かもしれないけど、一番実年齢が年下だか らな。 経験不足を知識で補えればいいんだけど。 残りの二人はなんだかんだ言って要領の良い方だから危なくなれ ば退却も辞さない構えだろう。 それさえ守ってくれればいいんだ。 というかカグヤがあんな難しそうな場所に配置されたのにやたら バトルジャンキー と自信満々かつ嬉しそうだったのはなんだろうか。 まさか強い敵であればあるほど燃える主人公気質とかじゃないよ な? 俺は寝返りをうち、隣の木製机を見た。 まさかアイラがあんな風に俺の作戦に異を唱えるとは思わなかっ た。 依存は良くないと思っている俺にとって、アイラはネックとなっ ていた。このまま俺の言うことを聞くだけの人形になるのは困る。 1158 いつか自身の判断で動ける優秀さを身につけてほしかった。アイラ は天才だからいつかそのうちできるだろう。と呑気に構えてもいた。 だがなんという怪我の功名。 アイラが真っ向から反対してきたのだ。それさえも俺に関するこ となのが嬉しいやら危ういやら。焦りや過信でないといいのだが。 俺にできることは信じることだけだ。そんなセリフを言うことに なるとは思わなかった。 あんなのに祈るのは不本意だし、どうせ祈ろうがあいつらは何も 介入しないのだろうがあえて祈ろう。 これ、逆だよね? 頼む、三人とも無事で帰ってきてくれ。 ねえ、逆じゃね? 普通はヒロインが病気や呪いでぐったりしているのを必死で男の 子の意地で取りにいくイベントだよな? どうしてリーダーの俺が寝てるんだよ。 なんとも情けないリーダーだ。 ﹁あんた、大丈夫かい?﹂ ぼんやりと目を開け、虚ろに天井を眺めている俺に何かの危うさ を感じとったのか、薬屋のお婆さんが声をかけてくれた。 心配は俺の容体についてが九割、残りの一割が俺の頭についての ようだな。自殺でもしそうに見えたのだろうか。 少々ぎこちなくではあるが、いつものように笑って返した。 ﹁大丈夫ですよ、ご迷惑をおかけします。お礼は必ずしますので﹂ 俺は現在、薬屋の二階の寝室に寝かせてもらっていた。 1159 宿屋に泊まるという方法もあるのだが、お婆さんがここに寝てい いと申し出てくれたその厚意に甘えている。 もちろん金がないだとかそういう理由ではない。安全面でだ。 俺はどうやら最近、思ったよりも有名になっているらしい。その 評判もおそらくとてつもなく強い英雄であったり、勇者の鑑として ではないだろう。 そんな男が弱って宿屋で寝ているなどという情報が出回ってしま えば、どんな輩が俺を狙いに来るかわからない。ただでさえここは ヒジリアの近く。かつての邪神の儀式に身を捧げた村人たちのよう に、いつどこで狂信者が現れるかもしれないのだ。 安心して眠っていろという方が無理である。 ﹁⋮⋮はあ﹂ お婆さんは呆れたようにため息をついた。 その表情を直訳するならば、﹁あんた何言ってんの﹂といった感 じだ。 ﹁手紙で妙な子だとは聞いていたけど、その達観ぶりは異常だね﹂ いきなり人を異常呼ばわりとは随分な言いようじゃないか。恩人 とはいえ俺だって物申すぞ。 いや、俺のことを思って言ってくれてるんだよな。 ﹁まさか自分が倒れて今も苦しいってときに自分がかけた迷惑の心 配とはねえ。あんたみたいな年頃なんてもっと単純に馬鹿なもんだ よ﹂ ﹁そうですかね?﹂ はっはっは。そりゃあそうだよ。 1160 そんな青臭い時期はもう生まれる前に終わらせたんだ。 多分俺は思春期早かった方だからね。小学校高学年ぐらいかな。 と内心真逆のことを言っている。 ﹁そうさね。もしくはあんたみたいな複雑な事情の子はもっとひね くれてるよ。人を助けるのがかっこわるいとか、逆に人は助けるべ きもんだとか。青臭いか乳臭いか二分されるお年頃ってもんじゃな いのかい?﹂ この世界では十五だとある程度は一人前と認められるけど超子供 扱いだな。人生経験生前含めて俺の二倍近くありそうなお婆さんか らすれば、俺なんてまだまだ若造ってことだな。 中身がちょっと成熟したぐらいではこの世界で何年も生きてきた 人たちには勝てない。旅でわかっていたことだ。 まあ俺のアドバンテージは幼少期から訓練した魔法と剣技だ。つ い最近ようやく努力が実ったがな。 老獪でなくともいい。 ﹁ええ、だからかっこわるいと思いながら助けるべきだと思って助 けてますよ﹂ うわあ白々しい。 かっこわるいのは助けることを義務として語る奴で、助けるべき なのは自分に得になるからだって︵︶の中までしっかりと供述する べきだよな。 俺が刑事さんなら﹁正直に話せ!﹂と机バンしているところだ。 ﹁よくもまあ⋮⋮そう息をするように嘘をつくもんだ﹂ ﹁ははっ。冗談ですよ。俺がどんな人間かはしてきたことが表して いて、それをどうとるかは人それぞれですよ﹂ 1161 やはりこの人、観察眼が素晴らしいな。ぜひシンヤの右腕として 自治区に引き抜けないだろうか。 俺が敬語を使う、わかりにくいが明確な基準で、彼女は確かにそ の上にいる。 ついつい無意識に敬語になってしまう。 ﹁もうちょっと何も考えずに大人に甘えて、感情に任せて楽しく生 きりゃあいいんだがねぇ﹂ 苦しいのも人と話していると少し楽だ。軽口を叩けるぐらいに回 復したことを嬉しくも思いながら、冗談のような本心からの返事を した。 ﹁もう超楽しいですよ。今でこそ苦しいですけど﹂ 俺はけっこうやりたい放題しているつもりなんだけどなあ。 手段から結果に至るまで全部思い通りにしようと頑張ってるしな。 なんだかお婆さんには俺が背伸びして仮面をつけて無理している ように見えるらしい。 まあ、思いもよらないよな。 目の前の青年が実は中身がおっさんです、なんて。 お婆さんは柔らかく煮た野菜スープにパンを添えて出してくれた。 トロトロのお野菜が甘く、なんとも優しい味がする。 熱い体に熱いスープ。 矛盾しているようだが、治療法としては十分正しい。 これが毒なら意味はないし、アレルギーならもっと意味がない。 だけどそんなことはどうでもいいぐらいには美味しい。 1162 ﹁ありがとうございます﹂ ﹁いいのよ。遠慮なんてしないで﹂ はあ、ここのところ打算的に接してきたせいか、こういう優しさ に触れるとなんとも心地よい。 仲間の信頼と安心感とはまた別の心地よさだ。 やはり俺も弱っているんだな。 あいつらが帰ってくるころには、薬を飲むだけですぐに回復でき るようにしておきたい。 しっかり休まねば。 1163 閑話 レイルはお年頃?︵後書き︶ 弱気なレイルは珍しいです。 レオナが見ればここぞとばかりに看病にかこつけて、あれやこれや としてくれるでしょうね 1164 アイラの激怒 ①︵前書き︶ レイルのための冒険、アイラ編開幕 1165 アイラの激怒 ① 今回のことで一つわかったことがある。 それはレイルくんにも馬鹿な部分がある、ということだ。 いろんなことを知っていて、なんでもよく考えていて、落ち着い ていて、転生したっていうけどそれだけじゃない気がする。 だけど、今回だけは馬鹿だよ。 なんて言ったらいいのかな⋮⋮私たちを心配しすぎ? 私たちのことをもっと信じてどっしり構えてくれてたらいいんだ よ。いや、信じてはくれているんだけど、倒れてる時ぐらいは素直 に助けられてればいいの。 起き上がって事情を聞いた途端、私たちに言ったことが、私たち が一番安全かつ確実に達成できる経路だよ? ここでも、迷惑はかけられない、こんなのすぐ治るとか口だけの 気休めを言わないのが憎たらしい。 そんなことを言っても私たちに通じないことがわかってるからだ。 それでいて、止めようとかも全くしない。 いや、止められたくはないけれど、あの場でレイルくんが止めて も絶対に三人とも無視してただろうことをレイルくんは予めわかっ ていたのだ。 なんとも腹が立つ。こんなことは初めてかもしれない。 だから私たちが死なないように、常識の範囲内で安全策を伝えた のだ。私たちが三人で各地を回って集める方法を。 だけど、それじゃ遅いかもしれない。 1166 私は薬屋のお婆さんほど知識がないから、今のレイルくんがどれ ほど危ないのかはわからない。 だから、レイルくんの言うことに従って帰ってきたとき手遅れだ ったとしたら、私はきっと後悔するだろう。 自分の全力を尽くせたのか、あれが能力の限界だったのか、って。 レイルくんは私たちを見くびっていた。 だから、私は二人に自分たちの能力を最大限まで引き出せるよう に提案した。 一人一箇所、理論上最速の手段を。 見せてあげる。 レイルくんの教えたことは、レイルくんがいなくても私たちの中 に息づいているって。 ◇ 私だって馬鹿じゃない。 カグヤちゃんやロウくんならともかく、近接戦闘において四人最 弱の私が一番複雑な場所にいくのに一人で余裕だなんて過信するわ けがない。 どうしてカグヤちゃんが龍神のところにいくのに余裕の表情なの かはわからないけれど、私はこれからいく場所に対して無知だ。 だからといって今からのんびり調べている暇もない。 ならばすることは一つ。 1167 助っ人を頼むのだ。 と言っても、この国で他人と組むなんて嫌だ。信用もできない他 人に背中を預けられるわけがない。 レイルくんがいるならともかく、今の私は単なる一人の冒険者だ。 知名度も、実力もない。ただ未知の武器に頼った力と無限の収納に よる物資的戦力しかない。 それを役に立たないとは言わないけれど、それで全部なんとかな るとは思えない。 裏切らなさそうな信頼できる人物といえば、ホームレスさんやミ ラちゃん、エルフの人たちとかがいるけれどその人たちは遠く離れ た場所でここにすぐに来ることはできない。 私はある物を取り出した。 それは手のひらほどの大きさの長方形をした金属の機械だった。 ボタンと呼ばれる凸が表面や側面にある。 これは私がとても小さかったころ、レイルくんといたときに出会 ったある種族から渡されたものだ。 マシンナーズ その種族とは、機械族。古代文明と異界の技術を組み込んだ生命 体ならぬ種族。 その中の一人、キノさんは私にこの携帯と呼ばれる端末を渡して くれた。 この機械はどうやら遠く離れていても彼と通話ができるもののよ うだ。 仕組みはわからないけれど、レイルくんのいた世界にもよく似た ものがあるらしい。 けれどこれは空間魔法と波魔法が使われていて、構造は全く異な るのだとか。 1168 私はそれで通じる唯一の連絡先に電話というものをかけた。 プップップッと間抜けな音の後に、プルルルと連続音が聞こえた。 ガチャリと何かが外れるような音がしたのが会話の合図だった。 ﹁もしもし﹂ これが電話における定型の挨拶らしい。そうレイルくんから聞い たけど、この世界でも正しいかどうかは確かめようがない。ただ、 次のキノさんの返事もまた、もしもしから始まったところをみると どうやら正しいみたい。 ﹃モシモシ、キノダ。アイラ、ドウカシタカ?﹄ 機械音を機械を通して聞いたところで違和感はないのだが、懐か しい声を久しぶりに聞いた。 前にも一度かけたことがある。その時は単なる近況報告だったか な。それでも楽しそうに話を聞いてくれてたので、またかけようと 思ったっけ。 ﹁近況報告をしている暇はないの。近況じゃなくって緊急だから﹂ 何をくだらないことを、とは思ったがまあいいや。急いでるしね。 ﹁助けてほしいの。エターニアにいるけど今これる?﹂ ﹃アア、今ソチラヘ向カオウ。携帯ヲ耳カラ離シテクレ﹄ 私は言われたとおり、携帯を耳から離した。 すると携帯から光が照射され、その光が地面に円を描いた。 1169 久シブリダナ﹂ キーン、と不快なはずの音が響いたが、不思議と嫌な感じはしな かった。 目の前に、キノさんが現れた。 ﹁コウシテ会ウノハ十年ブリグライカ? ﹁久しぶり、キノさん﹂ 空間魔法についてよくわからないので、その仕組みについて聞こ うとは思わなかった。 ただ、キノさんは私が気になると思ったのか、ここに来れた理由 を簡単に説明してくれた。 空間魔法でテレポートやアポートをするには、レイルくんでさえ 一度行ったことのある場所か、自分の認識範囲内でしか無理だった。 最近はその認識範囲内が空間把握を組み合わせることでかなりひろ くなっているが。 キノさんはその範囲外にいたのにここに来れた。 私の端末に位置情報を把握する機能がついており、キノさんと同 ワープ 期しているのだとか。それを頼りにここの位置情報を把握して座標 指定して転移したという。 それがすごいことなのかはさっぱりだけど、今重要なのはキノさ んは私のいる場所ならばどこへでも跳べるということだ。 どこか近い場所で行ったことのある場所に転移してもらってから 合流しようと考えていた私にとって嬉しい誤算だった。 キノさんに事情を説明すると、二つ返事で手伝ってくれることと なった。 自分で言うのもなんだが、キノさんは私をかなり気に入ってくれ ているようだ。レイルくんのことも結構好きらしい。それについて 1170 は私もだ。 使えるものは親しい人でも使う。私はむしろ親しい人と使い使わ れる関係でありたい。だから今回も遠慮なく手伝ってもらうことに した。 ここは人の少ない路地裏。 この携帯というものがかなり厄介なシロモノであり、見る人が見 ればよからぬことを企みかねないとレイルくんとキノさんの両方に 言い聞かされていたから、使っていることをばれたくなかった。 だけどここからキノさんを見つからずに国の外まで連れていくの は至難の技だ。 人よりやや大きめの体格、明らかに金属質な体に人間ではあり得 ない構造。 目立ちすぎる。バレないわけがない。 ﹁あの⋮⋮空間転移でちょっと先に行っててもらうってのは⋮⋮﹂ コンナコトモデ 困って思わず変なことを口走ると、キノさんは私の思いを察した ようで。 ﹁大丈夫。私ハ光魔法ガ得意ト言ッタダロウ? キル﹂ そう言うとキノさんの機体は光に包まれて消えた。 ﹁光魔法ノ応用ダ。ステルス・ミラージュトイウ﹂ キノさんの声だけが聞こえる。 自分の周りの光を屈折させて当たらないようにしているのかな。 でもすごいなあ。 1171 この魔法は自分の目に光が届かない可能性がある。 なら空間術がなければ、そして人間であれば情報を視覚に頼るこ マシンナーズ とができなくなるから、動くことができないに違いない。 機械族ならではの方法である。 ◇ 私とキノさんはそのまま堂々とエターニアを出た。 生物でなければ殺気や気配もないのか、道ゆく人に怪しまれるこ とはなかった。 はたから見れば私一人が歩いているだけのように見えたはずだ すぐ目の前まで近づいて目を凝らせばなんとか違和感があるぐら いだ。 違和感があっても見つけるのは難しい。 レイルくんなら空間把握でわかっちゃうのかもしれないけど。 人目のなくなったところでキノさんが姿を現した。 ﹁トコロデナニヲトリニ向カウノダ?﹂ ああ、薬の材料を取りにいくとしか言ってなかった。 私は動揺や恐怖を抑えたできるだけ平坦な口調で言った。 ﹁知恵の実と月人の水を汲みに﹂ 私たちが向かうのは神のための宝物庫、パルテナ神殿、そしてそ の中にあると言われる聖女の祭壇。 1172 アイラの激怒 ② キノさんは二人で空間転移ができない。光魔法が得意だというの は本当のようで、空間転移はレイルくんの方が上手なのだろう。い マシンナーズ や、そもそもキノさんは自分一人が移動できればいいのだ。だって 機械族は個にして全なる種族。機械であるからこそ、空間転移も同 族同士でしか行わないし、集団行動をとることもあまりないのだろ う。逆にそこまでしてもらうと私の価値がなくなりそうだ。 ﹁じゃあキノさんは援護っていうか前衛お願い﹂ キノさんに空間把握でどれほどの範囲が把握できるか聞いたとこ ろ、どうやら半径10mほどらしい。 それでも目で見ているのとあまり変わらない知覚が周囲全体に広 がっただけなので、感知機能と組み合わせてようやく周囲の情報を 正確に把握しているのだとか。 やっぱりレイルくんの空間把握はすごかったんだ。レイルくんの マシンナーズ 世界では機械の方が人間より一点に優れたことが多いって言ってた けど、キノさん達、機械族の方がもっと凄いって言ってたし。レイ ルくんは自分を低く見積もりすぎているのかもしれない。 ﹁任サレタ﹂ 周囲の警戒は主にキノさんにしてもらう。 遠くの敵が近づく前に私が撃ち抜く。 もしかして結構相性はいいのかもしれない。 いつもの三人には負けるけどね。 1173 無言でキノさんが指し示し、その魔物を確認した瞬間私は銃口を そちらに向けていた。 連射速度は落ちるが、やや一撃の重い銃を使っている。 魔物にはこれぐらいの方が一撃で仕留められて楽なのだ。 引き金を引くと、ズガンと音が鳴り、腕に衝撃がくる。 銃口が火をふくと、弾丸は脳天を貫通して何かにまみれながら向 こうへと突き抜けていく。 そんな動作の繰り返し。 一つ一つは語るまでもない、単純作業だ。 ただ、油断しないようにだけお互いに気を向ける。 だがそんな中にも嫌な魔物が一匹だけいた。 草木の茂る獣道のような場所で、その細い道を塞ぐ生物がいた。 大きさは確かに通常に比べれば大きいが、高さは私の身長の半分 とちょっとぐらいしかないのでたいしたことはない。 毒液だとか、牙だとか厄介な要素があるわけでもない。倒すのは 簡単だろう。 何が嫌かって、見た目だ。 ヌメヌメと表面を粘膜に覆われテカらせている。ノソノソと這い ずった後にも、その粘膜が道を作っている。頭からはピコんと二つ のツノのようなものが出ていて、背中には斑点がある。 そう、巨大ナメクジだった。 ﹁アイラ、焼キ殺ソウカ?﹂ ﹁いや、いい。簡単な方法があるから﹂ 1174 簡単も簡単。直接触れるのがいやな貴方もさあお試しあれ。ナメ クジの駆除方法。 ゴソゴソとカバンの中を探るように、腕輪の機能で持ち物からあ るものを探す。 塩だ。袋詰めの一抱えもある塩を取り出した。ずっしりと重い。 やや不純物の多い安物を買ってある。これは私たちにとっては食用 ではない。塩は便利だからとレイルくんの言いつけで、食用以外に 安いのを大量に購入してある。茶色がかったそれは食べられないこ ともないが、ジャリジャリする。 もちろん旅人にとっての防衛戦である塩は本来こんなところで使 うのはもったいない。 こんなことをしたと知られたら、水で洗えばいいのだから、剣で 倒せよ、と多くの冒険者に言われることだろう。 なんのために腕輪を持ってると思ってるの。 こういうときに躊躇いなく消費物資を使うためでしょ。 頭の中でレイルくんも、﹁そうだな、やってしまえ!﹂も言って くれている。うん、やってしまおう。 蝸牛の歩みとは言うけどこいつには殻がない。 まあ這う速度は変わらないので、別に警戒することもないけど、 私はそわそわとにじり寄った。 ﹁嫌だなー﹂ 私にも苦手なものがある。 これがもっと凶暴で、殺らなきゃやられる、ぐらいの危機感を煽 る生物であれば私も躊躇いなく撃ち抜くんだけど、できればこいつ の体液がぶちまけられるところを見たくない。 1175 それが許されるぐらいにこいつが弱いのが悪い。 でも放ってここを抜けようとするのはダメだ。 ﹁駆除方法ナラ他ニモアルゾ?﹂ ﹁いや、いい。自分で倒す﹂ なんだかここで頼っては負けな気がする。 無駄な意地を張って塩を上からぶちまけた。 のたうちまわる前にバッと後ろに下がって息絶えるまでそいつに 近寄らなかった。 塩分に水を吸われたのか、それとも体の構造に理由があるのか、 こいつらには塩がよくきく。 レイルくんは細胞の浸透圧がーとか言ってた気がする。 まあとにかくこいつが萎んだからいいや。 ◇ 道中は二人だったけど、無限収納のおかげでご飯には困らないし、 睡眠の必要がないキノさんが見張っていてくれるので安心だった。 辿り着いた神殿。パルテナ神殿。 ここは神が人間に試練を課すために作ったと言われている。 ここの中にある聖女の祭壇に供え物をしてくることができればそ の人は信心深い教徒として神の寵愛を受けられると言う。 1176 だが実際に神を見た身としては、こう言わざるを得ない。 これは人間が作ったものだ。 確かにあの世界で見た神の居場所に似ていなくもない。 だが考えてもみてほしい。 自分の家に似た建物を、自分のための試練の場として地上に作る だろうか? これはあの世界の建物を見た人が作ったのかもしれないが、きっ とそれは人間だ。 あの神たちは介入して楽しむ側ではない。 ﹁イクノカ?﹂ 短い言葉に最大の心配をのせてキノさんが聞いてくれる。 ﹁いかなきゃいけないの﹂ そう、レイルくんを助けるためにはここを踏破しなければならな い。 この神殿は試練の場というだけあって、ある仕掛けがあちこちに 施されている。 それは強力な時術であった。 ここに入った人はこの中でどれだけ過ごしても一週間しか経たな いという。だが、そこでいくら過ごしても体は老いることがない。 それだけではない。部屋によっては時間の流れが変わっており、体 感にして十倍の部屋もあるそうだ。 この中で肉体の時間が経たないといっても、中で死ねば死亡には 違いない。 1177 一度入れば出ることができないこの神殿には毎年多くの冒険者や 教徒が挑戦し、出ること叶わず発狂したりしている。 たった二つ、出る方法があるらしい。 一つはこの神殿を踏破すること。 もう一つはこの神殿のどこかにある真実の盾を砕くことだそうだ。 真実の盾というのはこの神殿にかかっている空間隔絶型結界の媒 体となる盾で、それを壊せば術が解けて出ることができるらしい。 それを見つけるぐらいならば踏破した方が簡単だともいう。 まあ私にはどうでもいいことだ。 私はそこにもう一つ、出られる可能性を見つけ、レイルくんにあ るものを借りてきた。 それはエルフ族の耳飾りだ。 最も魔法の才能に溢れるエルフ、その技術の結晶である耳飾りに は里にかかった術に邪魔されず里までたどり着くことができるとい う特殊な機能がある。 だがその機能の真髄はそこにはない。 ・・・・・・ 隠し機能とさえ言える特性がこの耳飾りにはあった。 ・・・・・・・・・・ 里に着くまで、ありとあらゆるものに邪魔されないという狂った 機能があるのだ。 そう、それまでの道筋を示す赤い光が魔力を込めると一直線にエ ルフの里まで通じる。 そしてそれを辿れば、たとえ神殿にかけられた術であっても無視 1178 して出ることができるかもしれない。 だがそれさえも私にとっては保険にさえならない。 どうせ私はこの神殿を踏破するまでは帰るつもりなどはないのだ から。 この耳飾りも、やり直しがきくという程度の価値しかないのだ。 挑もう。 紛い物の神の居場所に。 1179 アイラの激怒 ③︵前書き︶ アイラは激怒した。かの邪知暴虐のレイルを助けねばならぬと決意 した。アイラはレイルがわからぬ。だがレイルのことには人一倍敏 感であった。 1180 アイラの激怒 ③ 時空を完全に支配した神殿。それはもはや迷宮や亜空間とも言え る。複雑に絡み合った術式はあちこちで挑戦者の時間感覚を狂わせ ようとする。 時術には疎いキノさんも簡単な時計ぐらいは備えているが、ここ では役に立たないにもほどがあった。 ﹁物理的ナ罠ハワカルガ、術式ノ罠ハ空間系シカワカラナイシ、ト クコトモデキナイ﹂ ﹁いいよ。試練の場っていうぐらいだから、直接的な殺傷力は低い 罠ばっかりらしいし、頑張ればなんとかなるって聞くし﹂ そうは言っても、ここが安全な場所であることを示すわけではな い。 むしろ人の意思が介入する以上、その中には悪意もある。 過去に何人もが発狂し、この中で自殺したと言われるのはここが 安全なだけの場所でないことを如実に示している。 ﹁違和感があったら言ってね﹂ そう言って私が先導をきった。 私が手伝わせているのに、一番危ないところにキノさんを配置す るほど私も鬼畜じゃない。 ここは私がいこうっていうのが礼儀みたいなものだ。 ﹁アア﹂ 1181 キノさんはそんな感情を理解してかはわからないけどそれを受け て私の後ろへと続いた。 神殿の中は一見するととても単純な構造に思える。通路があり、 その先に部屋がある。それの組み合わせで一つの階層が形作られて いる。 ﹁もしも私が行方不明になったらどうにかしてここを出てね。それ でも私が外にいなかったら、私のことをレイルたちに伝えてね﹂ ﹁ソンナコトヲ言ウナ﹂ しょうがない。もしもどうにかしてキノさんが出ることができた としたら、私とキノさんの入った時が同じである以上、私がどんな に時間をかけて脱出してもキノさんと同じ時間に外に出ることにな る。 この神殿の特性が、複数で入った人の希望を奪う。待ってれば出 てくるかも、という可能性を根こそぎ奪ってしまうのだ。 ﹁あーあ、やっぱり時術関係ならロウに任せても良かったかな?﹂ 速さの必要ないここは、個人的には是非とも自分で片付けておき たいところではあった。 だがそれとこれとは別、と弱音を吐いた。 ﹁私ガツイテイル﹂ ﹁ありがと﹂ 1182 頼もしい。 私たち二人は歩き続けた。三つほど部屋を見回り、そして一番大 きなその部屋を見つけた。 だだっ広いその部屋に足を踏み入れた時だった。 私は入り口の床を踏んだ足に違和感を感じた。 ﹁アイラ﹂ キノさんが私に手を伸ばし、忠告した。そちらに行くなと言うよ うに。 だけど私の足元では既に何かが発動しており、魔法陣が光った。 私は光に包まれて、キノさんの目の前から姿を消した。 ◇ 私は二重の意味で頭を抱えた。 原因の一つはもちろん、こうも早く罠にかかって転移させられる という失態をおかしたことだ。 見えない魔法陣を探知しろとは常人の私の感覚では無理だけど、 それでも確かめながら行く方法はあったはず。 よほど複雑な術式を組まない限り、人間限定で転移させる罠が作 れるはずがなく、そんなものをポンと入り口に設置するとは思えな いからだ。 もう一つは⋮⋮ ﹁どうして私のところに飛び込んでついてきたのよ!﹂ 1183 そう、キノさんが私のかかった罠に自分からかかってここについ てきてしまったことだ。 ついてきたのはまだいい。問題は私がかかった直後に飛び込んだ ことだ。 先ほどの会話で察してくれたとばかり⋮⋮いや、私が甘かったん だ。 ほう・れん・そう。 報告、連絡、相談。 私が罠にかかっても貴方が元の場所で何かしら掴 ちゃんと説明しなければ、通じないこともある。 ﹁だからね? んでくれていたらもっと探索が楽になるの。確かに神殿の中で分か れるのは大変だけど。少しぐらいは周囲を確認してね?﹂ ﹁フム。ソウハ言ワレテモ魔法陣式ノ罠ハ探知デキヌシ、他ニハ何 モナカッタカラヨイカト﹂ そうか⋮⋮キノさんは機械だから自分の探知したもの以上に見つ けられるはずがない、っていう先入観があるんだ。 私が転移させられたことによる変化だとか、転移しなかったらど うなるのかとかも調べてほしかったんだけど。 ﹁きてしまったものは仕方ない。次よ次﹂ すぐに持ち直して部屋の確認をする。無機質な白い壁がぐるりと 周りを覆い、その向こうには一つの扉がある。扉の前には文章が書 いてあった。 私はそれを読んで、またかという既視感にウンザリとした。 ﹁なんなんだろ⋮⋮迷宮作る人って問題好きなの?﹂ 1184 幸い、この問題はレイルくんの言っていた﹁英語﹂の問題とは違 うみたい。どちらかというと漢字なので、私にも解けそうだ。 ︽税◇、◇□、□税︾ ﹃上の◇、□には同じ読み方ができる漢字が一つずつ入る。三つの 単語が二字熟語として成立するようにそれぞれに入る漢字は何か答 えよ。そうすればこの扉は開く﹄ なんともまあ、高性能な音声認識機能がついた扉だこと。 こんなところに無駄に高い技術使ってないでよ、とこの作成者に 言いたい。 ﹁アイラ、税ト熟語デ組ミ合ワセラレル漢字デ同ジ読ミガデキルノ ガ私ノ検索ニハカカランゾ﹂ 横から問題が解けないとわめくキノさんを置いておいて考え続け る。 この問題が厄介なのは、この部屋に何もないことだ。 以前の迷宮で解いた問題はある程度の手がかりとして周囲に動か すものが置いてあった。 しかしこれは純粋に回答だけを答えなければならない。 いや、逆に考えよう。 問題のこと以外に惑わされなくて済むのだ。ひたすらに問題を解 税率? 取得税とかじゃないし⋮⋮﹂ くことだけを考えればいい。 ﹁税金? そしてキノさんの言葉も少しは参考になっている。 正攻法では解けない。ならば読み方を変えなければならないとい 1185 うことだ。 普通は同じ読み方ができる、と聞けば﹁毒﹂と﹁独﹂や﹁肩﹂と ﹁型﹂のように音読みで、なおかつそのまま税にくっつけようとし てしまうだろう。 だけどそれならキノさんがもう見つけているはず。 税関、関税、関関という言葉がないわけではないが、漢字がそれ ぞれに一つずつということは同じ漢字を入れるのはまずい。 ﹁あー印と徴じゃ無理かー。徴印なんて言葉はなかったはずだし。 シルシって読みも、徴税と印税もあったんだけどなー。⋮⋮あ、税 の順番が違うか﹂ 怖いのは、失敗した時の罰が明記されていないことだ。 考えられるのは、ただただ開かない。その場合、回答権が何度あ るかによって難易度は大きく変化する。だが回答権が複数あるなら 一番マシな方だと言える。 次は間違った道へと誘導される。これもまだマシだ。間違えた道 でも、戻る方法がどこかにあるかもしれないのだから。 次に、これが一番最悪だ。二度と出られないどこかへ跳ばされて 幽閉されたり、それこそ回答権が一度で二度と開かないということ だ。 帰る方法がないのが一番困る。 回答を慎重に、というのはどの選択肢でも変わらない心構えだけ ど。 関税か⋮⋮自由貿易を謳うギャクラはほとんどのものに関税はか けないんだよね。例外は医療以外の薬物と武器、酒ぐらいかな。 税収そのものよりも、それで起こる経済の活性化の方を重視して るんだっけ? 1186 ん? 税収? あ、わかった。 ﹁キノさん、答えわかった﹂ ﹁ナンダ?﹂ ﹁見てて﹂ 私は扉の前に近づくと、大きな声で言った。 ﹁答えは収納!﹂ がしょん、と無骨に扉の鍵が外れた。つまり正解だ。良かった。 不正解かと思った。 ﹁アイラ、収ト納ハ違ウ読ミダゾ?﹂ 納得がいかないキノさんは私に解説を求めた。 ﹁訓読みよ﹂ 収める、納める。 税収、収納、納税。 おさめる、という読み方は同じで、それぞれが税について熟語と なってなおかつ二つで熟語が作れる漢字の組み合わせ。これで条件 は完璧。 キノさんは訓読み、と聞いてようやくそこに思い至ったみたい。 それでも検索機能でそんなことはできるかわからないけど。 1187 収納が答えって、これを作った人は誰に何を聞かせたかったんだ か。 だらしなく開いた扉の奥を見ながら思うのだった。 1188 アイラの激怒 ③︵後書き︶ これからは投稿速度を落とします。 そうですね⋮⋮数日に一度、お休みするという形になりますか。 あらすじをもう少しじっくりと考えて濃密なものになればと思いま す。 1189 アイラの激怒 ④ 私は今度は油断しない。 同じ轍を踏むなんてしてたまるか、と憤ってあることをキノさん に頼んだ。 それは入る前にその部屋の中を空間把握と感知器で調べ、私に見 せてくれというものだ。 できるかどうかは半信半疑だったけど、キノさんはとても高性能 マシンナーズ だったのでできてしまった。 うん、レイルくんが機械族が姿を隠すのは当たり前という理由が よくわかる。 こんな技術がどこかの国の占有になれば、世界だって支配できる かもしれない。 キノさんが使った機能というのが、自分の認識した映像をその場 に投影するっていうものだったんだけど、どこからか大きな透明の 立方体を出してきた。ガラスというにはやや冷たさの足りない柔ら かみのある素材だ。表面には傷などが見られず、底まですっきりと 光を透過している。 ﹁それに映せるの?﹂ 答えるよりも早く、キノさんは実際に見せてくれた。 いつもは眼球であるその場所から光が出て、立方体に当たった。 立方体の中で光が反射、屈折、干渉しあって一つの像を作り出し た。 そう、立体映像である。 1190 黄緑色の線がこの部屋と向こうの部屋の構造を立体的に示してい て、拡大も回転もできるみたい。 レイルくんからそういう技術もあるって聞いたことはあったけど こうして実際に目の当たりにすると鳥肌がたった。 ﹁凄い⋮⋮⋮⋮﹂ 私は結構簡単に感動する。 それは素直だということで長所だと言われたことがあるが、もう 少し気持ちが顔にでない方がカッコいいと思う。 ﹁アマリ妙ナモノハナイガ﹂ ﹁うん、そうだね﹂ どこをどう見ても、拡大しようが回転しようが不審なものはなか った。 罠が仕掛けられていれば、人の手が加わった痕跡や不自然な空洞、 ないはずの継ぎ目などがあるかもしれないと注意深く観察したが何 も無い。 ただ一つ、気になるのは置いてある丸い物だ。 多分形からすれば時計なんだけど、キノさんの空間把握は形だけ を把握するので内部構造までは調べられない。 ﹁とにかく入ろう﹂ 危険は今度こそないだろう。 私たちは部屋に入った。 1191 ﹁これがさっきの﹂ ﹁危険物反応、ナシ﹂ 確かに部屋の中にはポツンと時計があった。 これ見よがしに、目立つ場所でしかも手の届くところにある。 ﹁ドウスル﹂ 取るのか、取らないのか聞いているのだろう。 これが単なる時計なら、ここに以前来た人間の持ち物だろう。 だが最初から置かれていたように見える。ということはこれがこ の試練の神殿の作成者の意図が絡む物となる。 これから先の攻略に役立つのか、それとも罠なのか。 ﹁怯えてどうするの﹂ 私は迷いを振り切ってそれを取った。 ﹁何モ⋮⋮起コラナイナ﹂ ﹁ほらね﹂ 女の勘だ。随分と男らしいところで使ったものだが。時計はどう やら置いてあっただけらしい。 馬鹿馬鹿しい、こけおどしか。そんな呟きを咬み殺すように、そ の時計を腕輪にしまった。 ◇ 1192 それからあちこちを回った。 時にはただただ精神を削るためだけの仕掛けもあった。 この部屋を出るには次の扉が開くのを待つしかありません。その 扉はこの中で体感時間にして一週間待たねばなりません。 そんなことが書いてあった。 あれはなかなかきついものがあった。 この神殿はどれだけすごしても、外に出れば時間が経っていない という仕様だと頭ではわかっていても、レイルくんのことを思うと 焦れったくて今が今かと待ちわびた。 そんな時だけは感情に左右されないキノさんが羨ましかった。 いや、こうして私を手伝ってくれていること自体が感情に左右さ れた結果なのか。 ﹁で、ここ?﹂ 私とキノさんは幾つかの階層を下に降りてきた。 この神殿はまず、頂上の入り口から入り、下に降りていく形の迷 宮となっている。 神にまつわるというのに、下に向かうとはなんとも不思議なもの ではあるが、それも何か理由があるのかもしれない。 で、釣り天井や回転扉、いろんなものをくぐり抜けてかなり下ま でやってきて、辿りついたのがこの部屋だ。ただの部屋のわけがな い。 ﹁気ヲツケロ﹂ ﹁わかってるって﹂ 私が扉を開けたとき、そこには衝撃の光景が広がっていた。 1193 ﹁ぎじじゃぁぁぁぁっ!!!﹂ ﹁一閃!﹂ だだっ広い部屋、これまで見た中でもかなりの大きさの部屋の中 央で大剣を構えたお兄さんがいた。 お兄さん、といったのは私よりも幾つか年上っぽかったからだ。 お兄さんはやたらと立派なその剣を目の前の魔物に向けていた。 お兄さんの目の前にいる魔物は、これまでにない威圧感を覚えた。 それはかつてバシリスクと向かい合ったときと同じような威圧感だ った。 危険だ。 私の中で警鐘が鳴り響く。 今はキノさんがいるとはいえ、その強さが未知数である以上それ に頼りきりになるのはまずい。 あの時は私の他に、レイルくんやカグヤちゃん、ロウくんにホー ムレスさん、アークディアさんまでいたのだ。 幸い、その魔物の見た目は私も知った生物と酷似していた。硬そ うな甲羅に、巨大なハサミが二つ、尻尾には毒針らしきものがつい ている。 スコーピアン そう、巨大蠍だった。 巨大なんてもんじゃない。10mほどもあるその体は生身で挑め 1194 ばいっきにふっとばされそうだ。 なのにお兄さんはまともに向き合って互角に戦っている。いや、 戦っているように見える。 自慢の大剣も、その堅固な甲羅にはなかなか致命傷を与えられな いでいる。たまに節の部分を切り裂き、血飛沫らしきものがあがる が、それも時間とともに再生する。 私の中でまたもや二つの選択肢がある。 ・お兄さんは見ず知らずの他人、ここで見捨ててしまう。 ・いや、ここで加勢していっきに倒してしまおう。 私は数秒間悩み、そして決断した。 ﹁キノさん、ちょっと下がってて﹂ 危ない! 下がっててくれ!﹂ 私の言葉に、戦闘に集中していた彼がこちらを振り向いた。 ﹁君っ! こんな場面でさえ見ず知らずの他人である私を気遣える高潔さに 感心した。 私の仲間にはないものだ。もっとも、欲しいとは思わないけど。 多分、私みたいないかにも戦闘向きではありませんよーって感じ の女の子に感情に任せて飛び込まれても足手まといになるとも思っ たのかもしれない。 そう思えば、彼もなかなか強かで賢い。 実際そうだから。私があそこに飛び込んでも、邪魔にしかならな い。 あんなのと、誰が真正面から接近戦でまともにやりあおうってい 1195 うの。こんな戦力で。 だから、誰が近づくと言っただろうか。 私は早々に扉を閉めた。当たり前だ。下手にこちらに向かわれて、 お兄さんが庇ったりしてきても面倒くさい。そしてお兄さんがやら れればもちろん私とキノさんが二対一でやらなければならないわけ で。不利になるのが目に見える。 閉める瞬間、お兄さんの心からの安堵の表情を見て、どこまでお 人好しなのだろうかと思った。 というわけで私は戦略的撤退を試みた。要するに敵前逃亡である。 だがアレを倒すことを諦めたわけではない。 スコーピアン 私は腕輪の中から幾つか武器を出した。 今も巨大蠍はお兄さんが足止めしてくれている。 照準を合わせる者、の二つ名を持つ神殿の番人はお兄さんを逃そ うとはしないだろう。 幾つかの可能性と相性を考えて、銃器、手榴弾⋮⋮とよりどりみ どりだ。 確かめるために壁にやや斜めに撃った。見事に跳弾して、私の頭 上を通り越した。うん、大丈夫。壁の強度は多少の爆発ではなんと もないはずだ。 ﹁戦ウノカ?﹂ 感情に支配されないはずの、キノさんも感情がないわけではない。 その声には確かに不安が含まれていて、だけどそれを私は無視し た。 1196 ﹁うん。邪魔だもんね﹂ 満面の笑みでそう返す。 どんな強大な敵も、正体不明の攻撃をしてこない限りは怖くない。 先ほど一瞬垣間見た戦いで、人が近寄っても大丈夫であることがわ かった。 ここは自然の洞窟と違い、壊れる心配もなさそうだ。 私はもう一度、扉を開けた。 1197 アイラの激怒 ④︵後書き︶ これがベッタベタの恋愛小説ならば、アイラが新キャラにドキッと でもするのでしょうが⋮⋮どうしてでしょうか⋮⋮凄く蔑むような 目で見ているのは。 むしろこのままでは今回のヒロインはキノさんということに⋮⋮ 1198 アイラの激怒 ⑤︵前書き︶ ハッピィ││││トリガ││││ッ!! 1199 アイラの激怒 ⑤ 山ほどの武器類を足元に置いて扉を開けると、先ほどのお兄さん 逃げろって!﹂ が慌てた様子でこちらを振り返った。 ﹁どうして戻ってきたんだ! いや、少しは考えてほしい。 迷いなく一度撤退してからすぐに戻ってきたってことは、何か倒 すための用意をしてきたってことを。 ﹁ねえ、あのおバカさんを回収できる?﹂ 私はお兄さんを指差し、キノさんにこう告げた。 その一言でキノさんは私が何をしたいのか理解し、駆け出した。 ﹁楽勝ダナ﹂ スコーピアン お兄さんはさぞかし怖かったことだろう。少女の後ろにいた正体 不明の機械がいきなり自分に迫ってきたのだから。それも魔物と戦 っている真っ最中だ。そちらに注意を割く余裕などあるはずもない。 ガション、という音を隠すつもりもなくキノさんはお兄さんに接 近、そしてそのままお兄さんの腰に腕を回して掻っ攫った。 ﹁うおっ!﹂ スコーピアン お兄さんは驚きの声をあげ、巨大蠍から引き剥がされた。 もちろんそれを逃す蠍ではない。かすれるような警戒音を上げな 1200 がらお兄さんに迫る。 私はその隙だらけの土手っ腹に、特大の嵐をぶち込んでやった。 ﹁食らって!﹂ 息もつかせぬ兵器の弾幕。 キノさんのおかげでかろうじて避けられたお兄さんは私の後ろに 連れてこられている。 弾が尽きれば次の銃を、そして手榴弾を、パンツァーファウスト を。 まるで使い捨てのように持ち替えては撃ち続ける。 ﹁アイラ、借リテモ良イカ?﹂ ﹁もちろん!﹂ キノさんもどうやら撃ちたくなったらしい。使い方は見てたから わかるだろう。だってキノさんだもの。 でもキノさんは私の予想の斜め45度をいった。 ガシャン、と何か男の子を熱くさせそうな音がしたかと思うと、 キノさんから腕が二本も生えた。 いや、収納されていた腕を出しただけで、補助的な物のようだ。 元の腕よりは細い。 ﹁えっ、ええっー?﹂ その間も撃つのをやめない私だが、とんでもない隠し機能に思わ ず驚きの声をあげた。 お兄さんはさすがに危ないことがわかるのか、この間に割り込ん だりはしない。 キノさんはグレネードランチャー︵命名レイル︶を四本の腕を用 1201 スコーピアン い二本一つずつ抱え、両肩にグレネードランチャーを乗せた。 そのまま発射すると、見事に放物線を描いて巨大蠍に着弾した。 きいてない!﹂ その間、僅か数十秒のことである。 ﹁無駄だ! お兄さんが後ろで喚く。 スコーピアン ああ、うるさいなあ、もう。 確かに私の武器類は巨大蠍の硬すぎる装甲を溶かすことも、中心 を貫くこともできちゃいない。 たまに薄くて弱い部分を砕くだけで未だ致命傷を与えられていな いのは私も一緒のように見えるだろう。 でも私には私の考えがあるんだから、ちょっとぐらい黙ってみて てほしいっていうか。 キノさんもよくわかっていて一緒に撃ってるし。レイルくんなら もっと何も言わなくてもわかってくれるのに。 スコーピアン 弾丸の雨を正面に受けながら、両手のハサミで眼球だけを守って ここは僕に任せて﹂ じわじわとこちらへと巨大蠍がにじり寄ってくる。 ﹁危ないって! ﹁ああ、うるさい!﹂ 私はロウくんみたいに急所を狙う繊細なことはなかなかできない。 もちろん狙えば目の部分に当たるだろうけど、そこを守られては手 も足もでないだろう。カグヤちゃんみたいに多彩な魔法で攻撃もで きない。レイルくんみたいに空間魔法や波魔法みたいな殻をすり抜 けて攻撃する手段もない。 だから、こんな不恰好で、物量任せの乱暴な手段しかとれない。 1202 ﹁えっ⋮⋮⋮⋮?﹂ ﹁アイラ、ヤッタヨウダナ﹂ ﹁それは言わないお約束らしいよ﹂ スコーピアン 私たちに迫っていた巨大蠍は、胸に穴が空いたわけでもなく、頭 スコーピアン が吹き飛んだわけでもないのにその場で動きを止めてしまったのだ。 ◇ 私たちは倒した巨大蠍の解体に勤しんでいた。 はたから見ればまるで無理矢理横取りしたかのようにも見えるの で、人によっては怒ったかもしれない。 だがお兄さんもそこまで馬鹿ではないらしく、むしろ倒したのは 私たちが大半だから、とその甲殻の全てを私たちに譲る気でいた。 しきりにお礼を言っていたのは演技には見えなかった。 キノさんは機械族で、この甲殻よりも優れた金属を使っているら しく、今更この程度の素材はいらないと言われたときには悔しいや ら悲しいやら。 戦うことはないだろうけど、キノさんと戦えば私やロウくんは惨 敗だ。 ギルド いや、本題はそこではなく、この人物構成で私が素材を独り占め していれば、冒険者組合に戻ったときに何を噂されるかたまったも んじゃないので、ある程度の外聞を気にしてお兄さんにも持ち運べ るぐらいは受け取ってもらうことにした。 1203 それでも、お兄さんが持ち帰れる量には限りがあって、それを除 いた全てを私が持って帰ることになった。 無限収納力はあまりに便利だ。 もちろん全てを売るわけでもない。もともと名刀や名剣を持つカ グヤちゃんやレイルくんと、私やロウくんは違って武器の強化余地 がある。 ちょっぴり売って残りはしっかり武器に加工する気満々だ。 ところどころ溶けてしまっているのは残念だけど、それでもこの 甲殻は良い素材だ。 バシリスクも悪くはなかったけれど、狩るならこっちの方が断然 美味しい。 あんな危険なのは二度とごめんだ。 そんなことを言うとレイルくんが落ち込むから言わないし、あれ はレイルくんのせいでもないけれど。 ﹁俺の名前はアラン。君たちの名前は?﹂ 黙々と解体作業をしている私とキノさんに、このお兄さんは親し げに話しかけてくる。 私も別にこのお兄さんを無下にする理由もないので当たり障りの ない程度に自己紹介をした。 ﹁私はアイラ。ここには知恵の実と月人の水を汲みに﹂ これぐらいの目的は話してしまっても構わない。 知恵の実が一つしかなければ奪い合いになるかもしれないけれど、 その時はその時だ。 ﹁オ前二名乗ル名ハナイ﹂ 1204 キノさんが思った以上に排他的でした。 いや、私と一緒にいることが例外で、レイルくんとか私と私の仲 間以外にはこんなものなのか。 ﹁ははっ。嫌われてるな。さっきはありがとう。どうやってあの大 蠍を倒したんだい?﹂ ﹁手の内は教えない﹂ というかあの程度の方法の想像もつかない人に教える意味もない。 あんなのは簡単だ。 いくら甲殻に含まれる金属成分の融点が高かろうと、金属特有の 熱伝導性を抑えられているわけではない。 もしもあの甲殻に熱遮断性があるならば、体内の温度が中にこも って外に逃がすことができなくなる。 そしていくら体表面が丈夫だろうと、体内の体液の沸点までもが 高いわけではない。水でさえ百度で沸騰するのだ。体液の沸点が多 少高かろうとも、千度や二千度もあるわけじゃあない。 通常の炎はその何倍、何十倍もの温度を叩き出せる。何秒間も弾 幕と爆炎の中におかれれば、体内環境はぐちゃぐちゃだろう。 そうして焼き殺したのだ。そう、たったそれだけのこと。想像も 見たこともない﹂ 何もあったものではない。見たまんま、焼き殺しただけなのだから。 ﹁君は凄いね⋮⋮あの、武器だっけ? それはそうだ。 あれらの武器は全て、雛形をレイルくんが教えてくれて、私が改 良を重ねて作り出したものなのだから。この世界には伝わっていな い技術の発想でできている。 1205 褒められて浮かれるのはレイルくん相手だけで十分だ。 ﹁詮索はやめて﹂ ﹁ご、ごめん﹂ 解体を終えると、私は腕輪の中に自分の取り分をしまった。 スコーピアン アランさんからすれば、私はさぞかしおかしな人間に見えるだろ う。 見たこともない種族を背後に連れ、巨大蠍さえ焼き殺せる火力の 見たこともない魔導武器を持っている。そして大量の甲殻を腕輪の 中にしまいこんだ少女だ。これで警戒しない方がおかしい。 だけど彼は性懲りも無く私に話しかけてくる。 彼が底抜けのお人好しだという可能性は否定しないが、もしもよ からぬことを企む人だった時のことを考えて警戒は絶対にとかない。 キノさんなんか敵意むきだしだ。 ﹁どうして?﹂ 私が怖くないの? どうして話しかけてくるの? 私はたった四文字に、幾つかの質問を重ねた。 ﹁確かに君は不思議な子だ。けど君は僕を助けてくれた。とても感 謝している﹂ 勘違いしないでよね、とはレイルくん曰く誤解を招く表現らしい ので言わないが、私が彼を﹁困っている人がいたら見過ごせない﹂ みたいな義侠心や道徳的な感情から助けたと思われるのはとんだ誤 解だ。 1206 もちろん、勝手に勘違いしていてくれた方が好都合ではあるがな んともむず痒い。 彼を助けたのは結果的にそれが一番私にとって安全だから、だ。 彼がかなりの剣の使い手であることは、あの大きな蠍と真正面か ら打ちあえることからわかった。 そして見ず知らずの私に逃げろ、と咄嗟に叫ぶような人間である ことも。あそこで本来気にするべきは私が新たな敵がどうか、だ。 見た目に騙された、といえば随分俗っぽいがこんな場所まで一人で 来るような男が今更女というだけで敵じゃない認定するほど甘いと は思いたくない。 で、あそこで彼を見過ごせば、私はわざわざ違う道を探して戻る か、キノさんと二人であいつを相手しなければならないことになる。 下手すればあの部屋を開けた時点で私たちに向かって突進してく る可能性さえあった。 だが彼を助ければどうか。 ここで接近戦のできる前衛が一人手に入る他、彼が注意を引きつ けている間に私は呑気に狙いを定めることができる。 明らかにそちらの方が安全だ。 それもこれも、このアランさんの人格が面倒くさくないことに賭 けた私の目の判断にもよるものだが、それも全く正反対の方向で裏 切られたといってもいい。 ここでやや警戒してくれた方がやりやすかった。不気味だがここ を乗り切るためにしぶしぶ協力する、というのが一番の理想だった のに。 ﹁お好きに思ってて﹂ 1207 ﹁ああ、そうさせてもらう﹂ この男は、レイルくんと同じ判断を正反対の考えで行える。 人を信じる部分だけが似ていて、それ以外が甘すぎて気持ち悪い。 はっきりとわかった。 私はこの男が苦手だ。 1208 アイラの激怒 ⑥︵前書き︶ この神殿とはなんなのか 1209 アイラの激怒 ⑥ スコーピアン すっかり巨大蠍の件について終了した後、私とアランさんは石の 壁に木造の扉があるのを見つけた。 スコーピアン その部屋は巨大蠍のいた部屋の奥、そこにあった祭壇を調べると 出てきた廊下の奥にあった。 祭壇に何もなかったときは、二人して絶望しかけたけれど、諦め るわけにもいかないのと薬屋のお婆さんの口調はまるであるのを知 っているかのような口調だったことから入念に調べなおした結果が これだ。 アレを倒したらもうこれ以上何かがいるとは考えにくいけれど、 警戒しないわけにもいかないのでそろそろと扉を開けた。 もちろん、キノさんに軽く調べてもらってからだ。 だけどこの部屋は今までの荘厳な部屋や、何もない部屋、仕掛け のあった部屋とは決定的に違った。 物が多すぎたのだ。 だからある意味、これまで以上に警戒しながら開けたのだけれど。 ﹁何⋮⋮これ⋮⋮?﹂ ﹁なんというか⋮⋮随分と生活感のある部屋だね﹂ そう、この部屋に置いてあったほとんどの物は誰かが生活してい るような調度品ばかりだった。 以前の迷宮のように、問題の真実を偽装する飾りとしての調度品 ではない。 ベッドから机にいたるまで、つい最近まで使っていたような散ら 1210 かり具合である。 調度品は一人分であるのだが、一人で生活するには随分と広かっ た。 特に天井が高く、壁の上の方にぽっかりと3m×3mほどの穴が 空いていた。穴は奥が見えないことから、どこかに通じているよう だった。だけど壁の高さは10mほどあり、日常的に使えるとは思 えない場所にあった。 ﹁アイラ、アソコニ穴ガアルナ﹂ ﹁変だよね。罠にするにしてもあそこから水を注ぐならこの木造の 扉が強度不足で壊れそうだし﹂ ﹁君⋮⋮結構怖いこと考えるね﹂ アランさんはそう言うけれど、あの位置にある穴で正方形って、 ねえ? 鉤付き縄を使えば登れないこともないけれど、とりあえず今は目 の前の本とかの方を優先したい。 私がアランさんにそう言うと、アランさんは私の決定に異論はな いようで部屋の中を物色しようとした。 私とキノさんも、と目の前のベルらしきものを手に取ったとき、 頭上から声がした。 ﹁あら、あなた達はどちら様かしら?﹂ 上を見上げると、そこには一人の女性がいた。 女性というのは、やや中性的でどうかと思ったがその顔は間違い なく美形で胸も膨らんでいたので女性と言った。 だがそれだけではこの神殿の最下層のこの部屋に上から現れるの はおかしい。 1211 だけどその背中についたあるものは、何よりもわかりやすくここ にこれた理由を説明してくれた。 体とさほど変わらないほどの大きな翼。白い羽が上から舞い散り、 ふわふわと頬に当たる。 隣ではアランさんまでぼうっと見惚れて身動きできないでいた。 そう、そこには天使がいたのだ。 ◇ 天使とは比喩でもなんでもない。正真正銘の、神の使いとしての 天使だ。橙色の髪に真っ白な翼、透き通るような色素の薄い浅葱色 の瞳の彼女は紛れもない天使だった。体は燃えてないけど、私たち に気づいてから、慌てて三対の翼のうち二対を使って頭と体を隠し た。もう遅い、私もアランさんも見ちゃった。 彼女はこの神殿の地下に住んでいると言う。 ﹁⋮⋮勝手に入ってごめんなさい﹂ まさかここが家だとは露知らず、ワザとではないにしろ荒らして 家捜ししてしまったのだから一言ぐらい謝っておくべきかと考えた。 けれどアランさんは何か違う考えを持っているようで。 あらか ﹁ここは⋮⋮神の殿。君がいるのはおかしいだろ!﹂ そう言うと彼は背中に担いだ立派な剣を抜いた。 もう恥ずかしがっていないのか、翼で体と頭を隠すのはやめたら しい。形式的なものなのだろうか。 1212 おかげでその美貌を直視してしまい、顔を真っ赤にさせながらア ランさんは叫んでいる。もしかしたら怒りでかもしれない、と彼の 評判のために付け加えておく。 ﹁あらあら、私と戦いに来たのかしら﹂ 私はそれを後ろからばこんと殴って黙らせた。 ﹁何してるの?!﹂ ﹁痛いじゃないかアイラ。止めないでくれ!﹂ 今にも飛びかからんとするアランさんを止めるのは骨が折れる。 キノさん、見てないで手伝って。そして天使さん、襲われかけて いるのは貴女ですよ。もっと慌ててください。さっきの顔を見られ どうして貴方達みたいな た時の方が慌てた演技なのはどうしてなのかも教えてほしい。 ﹁どう考えたって馬鹿じゃないの?! 人ってすぐ戦おうとするの﹂ どんな理由があるにせよ、私を巻き込まないでほしい。 天使⋮⋮天使か⋮⋮連れて帰ったらレイルくん喜ぶだろうなあ。 レイルくんは他種族大好きだし。獣人の国サバンに行ってたとき も口には出さなかったけどとても嬉しそうだった。 私もリオちゃんの耳は触りたかったから人のことは言えない。 他の人間が獣人を差別する理由がわからない。ちょっと怖い人も 中にはいるけど、私たちとたいして変わらないじゃん。 この天使さんの羽も綺麗だ。 ﹁賢い子ね。私は神の使い。ここにいてもおかしくはないわ。私の 住処と言ったのは、一年に一度開かれる神の試練の時以外は私が管 1213 理を任されているからよ﹂ セラフィム ﹁失礼しました。私はアイラと言います﹂ ﹁そう。私は熾天使のフラスト﹂ 全く戦う気配のない天使さんに気勢を削がれたのか、アランさん も自己紹介をした。 ﹁アランと言います。先ほどまでの無礼をお許しください﹂ ﹁賢い子たちは嫌いじゃないわ。でも今年は試練の年じゃないはず。 どうしてここに来たのかしら?﹂ あごに人差し指を当てて優しく尋ねた。 ﹁僕は神の試練が受けられる場所と聞いて﹂ ﹁私は月人の水と知恵の実をもらいに﹂ ﹁そういうことね﹂ フラストさんは納得が言ったとばかりに頷いた。 ﹁どちらもさっき言ったように一年に一度しかないのよ﹂ ﹁えっ⋮⋮じゃあ⋮⋮﹂ ﹁あれはいったい⋮⋮﹂ アランさんは、先ほどまでの苦労は試練ですらないのかという落 胆。 私は、このままでは神の試練をやり遂げて月人の水と知恵の実が 手に入らないのではないかという危惧。 全然異なる感情を同じ表情で表現しながら絶句した。 けれど彼女は案外優しい人︵?︶のようで、このようにも言って くれた。 1214 ﹁そう。本来神の試練というのは、この中で精神的修養を積んだ後、 この神殿を媒体に神に会おうという試みでね。貴方達が来た場所は スコーピアン どれだけいても肉体が滅ぶこともないし、出ても時間が経たないで しょ?﹂ ﹁じゃああの巨大蠍はいったい⋮⋮﹂ ﹁あー⋮⋮倒しちゃったか⋮⋮あれ、人が来ないと思って放し飼い にしてたの。まあいいわ。許したげる﹂ スコーピアン つまり、巨大蠍は本来の試練にはない存在で、私たちの通ってき たあれらは精神修養のためのものだったということだ。 そ ﹁だから月人の水とか知恵の実はおまけみたいなものでね。いわば ここに来た証拠として持って帰ってくださいねーみたいな? う、参加賞よ。だからアイラ、貴女にもあげるわ。そこの貴方は欲 しいのかしら?﹂ ﹁いや、ここに来れば手っ取り早く神に会えるかと思って⋮⋮﹂ ﹁それは、貴方が神の権威を借りる者を敵視していることと関係あ るのかしら?﹂ ﹁ああ、僕は神に言ってやりたいことがあってね﹂ そう言うとアランさんは、自分の過去をさらりと話した。 と言っても、大切な人を邪神教の人間に殺されたという話だ。 本当にさらりとだったので、もう彼の中ではその死に対して折り 合いがついているのだろう。 だから彼が言いたいというのは、これ以上そういう人を増やさな いように言ってやってほしいとかその程度のことなのだとか。 ﹁それだったらあの性格からすると手伝ってくれなさそう⋮⋮﹂ 1215 天界で出会った神様たちのことを思い出してポツリと呟くと、そ 君は神に出会ったことがあるのか!﹂ の言葉を耳聡くとらえたアランさんが私につめよった。 ﹁アイラ! ﹁ふふっ。その口調だと本物ね。確かに私たちの神は不干渉を貫く わ。貴女はどの神に出会ったのかしら﹂ 凄いじゃないかアイラ!﹂ ﹁えーっと、ヘルメスさんにアポロさん、それにアルテミスさんか な?﹂ ﹁三人も! ﹁そんなたいそうなものじゃないよ。成り行き上そうなっただけだ し。それにアポロさんとアルテミスさんは兄妹でイチャイチャして たし。ヘルメスさんは適当だし﹂ ﹁あははははっ。本当に面白い子。確かにアポロ様もアルテミス様 も、ヘルメス様もそんな感じね。あの方達が直接会うなんて珍しい わ。特に生死に関わる二人は、ね﹂ ﹁気に入られてるのはレイルくんだけど﹂ ﹁私の主の方が格は上だから畏る必要はないけど、やっぱり私個人 よりはあの方達の方が格上なのよね⋮⋮あ、でもアポロ様はかなり 格上の方かしら﹂ ﹁お世話になったのはヘルメスさんとアルテミスさんかな﹂ そう言って話は終わった。 すると興奮冷めやらぬ様子で、だがやや心配そうにアランさんが 尋ねた。 ﹁なあ、アイラ。僕も君と同じ方法で会えるかな⋮⋮?﹂ ﹁貴方、魔王と仲良い?﹂ ﹁そんなわけがないだろう。僕はこれても勇者の端くれだ。魔王と なんて仲良くできるはずがない﹂ ﹁ふーん。ちっちゃいの。じゃあ教えられないし、きっと無理﹂ 1216 ﹁どういうことだい?﹂ ﹁親しい人の秘密をベラベラと喋ってその人を困らせたくないだけ。 この話は終わり﹂ アランさんは目に見えて落ち込んだ。 それもそうか。目の前に解決方法という人参がぶら下がっている のに、取り方がわからない馬みたいなものだ。 ﹁落胆することないわよ。だって貴方の大切な人を殺した邪神教っ ていうのが信仰するのは私たちの主たちではないから。そもそも天 界にすらいないの。多分、それ、冥界の住人だわ﹂ また、旅やり直しだな、と言うアランさんはさっきよりは晴れや かだ。希望が見えたとでも言うのだろうか。 1217 アイラの激怒 ⑥︵後書き︶ 次回、長かったアイラ編もようやく終われそうです。 1218 アイラの激怒 ⑦︵前書き︶ 完璧超人系のイケメン勇者が登場しましたね。暑苦しさ以外は問題 なくイケメンです。 1219 アイラの激怒 ⑦ そこからのことは語るまでもないことだ。 試練の時だけ祭壇に用意してある知恵の実と月人の水をフラスト さんに家の倉庫からとってきてもらった。 本来かかるはずの時間よりもずっと早く終わったので私の心には 多少の余裕が生まれていた。 この神殿がエルフの協力を得て、フラストさんのために作られた ということも聞いた。 この神殿にかけられた様々な術式はエルフの里にかけられていた ものとよく似ているらしい。 そんなことまで聞けたのは、私の耳にエルフの耳飾りがあるのを 見たからだそうだ。 ついでに言うと、あの巨人族を封印するのを手伝う代わりに作っ てもらったのだとか。 どうりで、巨人族を封印したのに、再度封印する方法が残ってい ないわけだ。 まあ多少の見栄は構わない。それで私たちが不利益をこうむった わけでもないし。 まあ、事実としてこの耳飾りはこの神殿の中でも有効であったと いうことだ。 そんなことをしなくとも、最後は彼女が神殿の外まで連れ出して くれた。その時は余計なことに調整されてしまったので、アランさ んと同じ時間に神殿の外に放り出された。 私たちはお礼と別れを告げ、フラストさんの家を後にした。 1220 さすがに一緒には来てくれなかったけど、また今度遊びに行くと 言ってもらえたので、ギャクラと自治区の場所だけは教えておいた。 レイルくんの名前さえ出せばどこででも会いにこれるだろう。 フラストさんにはぜひまた会いたい。 で、面倒なのはここからだ。 私とキノさんとアランさんの三人になってからのことである。 アランさんが私にぐいっと迫ってきたのだ。 敵意のない行動だけにキノさんが防ぐこともなかったし、私が予 想することもできなかった。 両肩を掴まれ、見下ろされるような形で誘われた。 ﹁アイラ、君さえよければ僕と旅をしないか?﹂ ﹁お断りします﹂ 間髪容れずに拒否した。 何故?などと聞いたりはしなかった。どうでもよかったからだ。 ﹁僕は見てのとおり、近接型でね。君のあの戦闘方法なら僕と相性 もいいと思うんだ﹂ 君は今も二人で旅をしているじゃないか﹂ ﹁聞いてません。お断りします﹂ ﹁どうしてだい? 1221 ﹁それは私の仲間の一人が蜘蛛の毒で倒れているので治すための薬 の材料を探しにきたんです。他にも仲間が三人いるんです。キノさ んは臨時で手伝ってもらってます﹂ ﹁そもそもそのキノさんってなんだい?﹂ マシンナーズ ここで正直に機械族だと言うのはダメだろうか。 私は空気を読んで嘘をついた。 ﹁妖精が中に入って動かせる魔導人形です。今は中に光の精霊が入 っています﹂ キノさんは私の考えを理解して黙っていてくれた。 ﹁こんな場所に君たち二人放り出すことになるような奴よりも、僕 といた方がいい﹂ 客観的に見れば整った容姿なのだろう。そんな顔で迫れば勘違い する女性などいくらでもいるだろうし、それだけ強ければ選び放題 だろうに。 どうして私なのだろうか。 実に迷惑だ。 ﹁僕は君が必要だ。あの見事な手腕、冷静さ、そして天使相手にも 物怖じしない精神。君は素晴らしい冒険者だ﹂ 私は自惚れるわけじゃないけど性別ぐらいは自覚している。 容姿などの下心や、後ろのキノさんを含めなかったこと、そして 神に会えるかもなどと露骨な浅ましさを感じさせなかったことだけ は高評価だ。 1222 ﹁今まで多くの人間が僕と旅をしたい、僕の人々を救う旅について いきたいと言ってくれた。けど君だけなんだ、一緒に旅ができると 思えるのは﹂ 人気者は辛いね。こうして聞くと自慢にしか聞こえない。そして 多分、その多くの人の全員が全員、彼の正義に賛同してついてこよ うとしたわけじゃないんだろう。彼の強さを利用しようと近づいた 人間も多くいたに違いない。彼はそれを無意識に感じとったからこ そ、断り続けてきたのだろうと予測する。 ﹁だけどご遠慮します。他の人を当たってください﹂ まあそれとこれとは別。 私が仲間から離脱する理由にはならない。 レイルくんのことだ、多分私がここでこの人についていくと言っ たら寂しがったり引き止めたりはしても最終的には私の意思を尊重 してくれるのかもしれない。 だがこれもまた、私の意思だ。 ﹁⋮⋮君がそこまで言う仲間⋮⋮それを取りまとめる人間はそれほ どの者なのかい?﹂ アランさんの真剣な眼差しは依然として変わらず、こちらを試す ように尋ねた。 額の兜と歯が腹立たしいほどに眩しい。 ﹁剣技ならば貴方の方が上でしょうね﹂ レイルくんは最近とても剣の腕が上がってきている。 けどそれでも彼の方が剣だけなら上だろう。 1223 やはり僕と!﹂ 戦い慣れている感じがした。 ﹁なら! ﹁でも、﹃僕といた方がいい﹄貴方はそう言ったけど、レイルくん といた方がずっと安全﹂ そもそも自分の保身のためだけに会ったばかりの強いだけのお坊 ちゃんにホイホイとついていくようなバカだと私は思われているの だろうか? だとすれば心外。私にも打算と保身以外の感情っていうものがあ るのに。 だから私はなおも挑発し続ける。 レイルくんは奴隷商とも友 ﹁それに、あなたとレイルくんが決め事なしで戦えば必ずレイルく んが勝つから﹂ ﹁それは⋮⋮卑怯ってことかい?﹂ ﹁戦いに卑怯もなにもないでしょ? 達になるし、人質だって平気でとる。人助けだって巡り巡って自分 のためでしかない。確かに戦わないことも多いよ。で、それの何が 卑怯なの?﹂ どんな方法でも使うと言ってくれるから、安心してレイルくんの 隣や後ろにいられるのに。 ﹁後ろの君も言ってやってくれ!﹂ ﹁オ前ニツイテイクカドウカハアイラノ意思ダ。私ガ見タノハ子供 ノコロノレイルダガ、ソレデモレイルノ方ガ面白イノハ確カダ﹂ キノさんはこういう時に空気を読んでくれるから嬉しい。 1224 ﹁僕では、無理なのか﹂ ﹁諦めて﹂ ﹁いや、諦めない。せめてそのレイルとかいう奴に会ってからだ。 同じ名前の勇者候補を一人知っているが、そいつじゃないことだけ を祈ってるよ﹂ いや、多分その人です。 レイルなんて名前の勇者候補はそんなにいないだろうし、評判が そこまで悪いのもうちのレイルくんだと思います。 ◇ というわけで、アランさんの勧誘自体は一旦終わったかのように 見えた。 けれど、言葉通り全く諦めてはいないようで、私たちについてく ると言い出した。 私も一度断ったのだが、私の足の速さではこの人をどうしたって 振り切れない。 それに、この人もこんなのだけど強さで言えば以前出会ったトー リとかいう勇者候補よりもずっと強いだろう。 あの二人は二人であの程度であったが、この人は一人で剣だけで ここまで来れる強さがあるのだ。 だからレイルくんがどう見るかわからないのでとりあえず放置す ることにした。 お土産がこれか⋮⋮随分大きなお土産にうんざりするしかない。 これで自立歩行じゃなければ捨てていく。 ﹁アイラ、イイノカ﹂ ﹁ついてくるぐらい好きにさせとこ。ちょうどいい用心棒になるし﹂ 1225 ﹁やはり今まで一緒にいた仲間のことだ。僕のことをよく知らない のに離脱はしづらいだろう。ここでもっとよく知ってもらいたいん だ﹂ スコーピアン やはり巨大蠍とは相性が悪かったのもあるのかもしれない。 大抵の魔物が一撃で仕留められ、私の出番はほぼない。 剣技に加えて体格もよい。カグヤちゃんの方が技術はあるだろう けど、魔法がなしだと力で押し負ける可能性もある。 ロウくんだと戦闘になる前に暗殺しなければならない。 レイルくんは⋮⋮何するかわからないから勝ち負けを考えること が馬鹿らしい。 下手するとその場から空間転移で離れて遠くから一方的に攻撃し 続けるなんてこともしかねない。 ﹁まさか戦わない帰り道の方が疲れるなんて﹂ この勘違い男をなんとしてほしい。そう思うと、腕輪の中にしま ったはずの荷物がずっしりと重さを増したような気がした。 1226 アイラの激怒 ⑦︵後書き︶ 今回のヒロインはキノさ⋮⋮じゃなくって、レイルにとってはお婆 さ⋮⋮でもなくいつも通りアイラです。 1227 我が復活の時がやってき︵以下略︶ 再び熱で火照った頬に冷たいものが押し当てられているのを感じ て目を覚ました。 冷たいものといっても、美少女の太ももとか思春期の男子が夢見 るお約束展開にはない。 ここには美少女、と呼べる存在はおらず、いるのは前世現世合わ せても俺より年上のお姉様しかいないのだ。 だがここにいて、そのお姉様は若い頃さぞかしモテていたことだ ろうというぐらいにはいい女である。 ただ、さすがに見た目からして歳上すぎるのだけがネックではあ るが。 いや、もしかしたら年齢を重ねたことによっていい女になったの かもしれない。 ﹁あんた、さっきから失礼なことを考えているじゃろ﹂ 脳内のどうでもいい電波トークが漏れていたのだろうか。だとす れば恐ろしい。この人は思考電波を解読できるのだから。 ﹁滅相もない﹂ 思わず敬語になってしまった。いや、冗談だ。だがこの人に見捨 てられても困るのだ。この人に放り出されては俺は生きてはいない のだから。よくもまあ、このようにほいほいと人に命を預けられる ものだ。 俺はヒロインかっつーの。 1228 ﹁いや、本当助かってますよ。ご飯も美味しいです﹂ これは本当だ。この人の作るご飯は美味しい。胃に優しくって食 べやすいしな。俺もよく知る美少女の誰かが食べさせてくれるなら 豚のエサでも美味しく食べる自信もあるが。 ﹁ふん⋮⋮私もまあこれだけ人と話したのは久々だから楽しかった しおあいこだよ﹂ ﹁どこのご隠居生活ですか﹂ ﹁だまらっしゃい。年寄りというものは世話好きで話好きなんだよ﹂ とても納得できるな。 俺は後頭部にチリチリとした気配を感じて声をあげた。 ﹁あっ﹂ 病床の身とはいえ、空間把握を完全に解くほどユルユルではない。 家の周りぐらいは人がどこに何人いるかわかる程度には空間把握 をオンにしている。 その空間把握に人の反応があった。だがこれは敵ではない。知ら ない人もいるが、少なくとも三人と一人は俺もよく知る形をしてい る。 その全員をじっくりと探る。大丈夫、どこも欠けていない。腕と かなかったら俺は悲しいぞ。 そう、仲間が無事に帰ってきたのだ。 1229 ◇ こういう再会って、寝ている人の元に一気に仲間が現れて、﹁お 前ら、無事に帰ってきたのか!﹂と驚くところまでがお約束だと思 う。 だが事前に全て知ってしまった俺としては、喜びはすれど驚きは しない。 アイラ、ロウ、カグヤの三人が同時に帰ってきた。 もしかしたらどこかで集合してから来たのだろうか。 ﹁ただいまー!﹂ ﹁ほらよ﹂ ﹁お土産に龍と竜の血もあるわよ﹂ おい最後。聞き捨てならないことを聞いたがどうしてだ。 安全かつ迅速にとか言ってたわりには余裕じゃねえか。相手は龍 じゃなかったのかよ、竜も混じってんじゃねえか。明らかに難易度 が跳ね上がっているのはどうしてだ。 ﹁レイルくん、私も不本意だけどお土産﹂ おいアイラ。まさかその後ろにいるキラキラ系イケメンが俺への お土産とか言うんじゃねえだろうな。 まさか俺をそういう趣味だとか思ってるのか? ﹁レイル、マタ会ッタナ﹂ アイラの隣にキノがいた。キノは機械なので代わり映えするはず もないが、懐かしい姿だった。忘れられるはずもない。 1230 ﹁久しぶりだな、キノ﹂ キノのことは尊敬とかしているけれど、どうも対等に話してしま う。 友達という感覚の方が強いのだろうか。 ﹁早く材料をよこしな。薬を作ってやるからさ﹂ お婆さんに促され、三人がそれぞれの材料を出した。 月人の水、知恵の実、トマキラ草、龍のヒゲ。トマキラ草はとも かく、残りの三つは売れば一財産になるシロモノばかり。よくもま あ、この短期間で集めてきてくれたものだ。 お婆さんが作ってくれた薬を飲めば、心なしか熱もひいた気がす る。 落ち着いたところで今回の旅であったことを聞いた。 ロウが倒した蝶の話は実に残念だ。美味しいのに毒があるとは。 カグヤはまさに大冒険!といったロマン溢れるものだったな。龍 スコーピアン や竜にもまた会ってみたいものだ。 アイラは迷宮探索、か。巨大蠍を倒すアイラは見たかったな。か っこよかっただろうに。 ﹁そうか⋮⋮天使に龍か⋮⋮﹂ 1231 ロウが単独行動すると毎回何人か殺してくるのはお約束となって しまっている。 ﹁そいつらにも会ってみたかったな﹂ ﹁レイルくんのためにも連れてきたかったけど無理だったんだ。今 回は急いでたし、ここの場所とレイルくんの名前は教えておいたか ら、またいつか会えるかもね﹂ そうか。ならいいか。 まだ病み上がりでテンションアゲアゲにはなれない俺がそいつら に会ったとしても、あまり楽しそうには見られないかもしれない。 ﹁でだ﹂ 俺はロウの後ろにいる目つきの悪い男性と、アイラの後ろで俺を 睨んでくるイケメンに目をやった。 ﹁その人たちは?﹂ まずはロウが答えた。 ﹁こいつは俺を殺せと依頼されていた傭兵みたいだな。俺が返り討 ちにした後、トマキラ草の探索を手伝ってもらってたんだ。なんか 俺の部下になる的なことを言ってたし、役に立ちそうだから連れて きた。悪いやつじゃねえよ﹂ ﹁あんたがレイルさんか。俺はナルサスだ。なるほど、ロウさんが 組むわけだ。目を見りゃわかる。ロウさんもあんたも、いったいそ の歳でどんな修羅場をくぐり抜けてきたってんだ﹂ 1232 修羅場? せいぜいロウと俺の共通点なんて実の親がいないことぐらいか? どっちも直接間接の差はあれど、自分が親を殺してるからな。 ロウの場合はロウは悪くないけど、俺の場合は俺が悪かったって のはでかいか。 ﹁へー、よろしくな﹂ ロウは人一倍殺気に敏感だ。 そのロウが大丈夫と判断したなら、こいつは多分俺たちを殺そう とはしないのだろう。 敵とか味方とか、悪とか正義とかで仲良くするかを決めるのは馬 鹿らしい。 あまりに世間一般でいうところの道徳に反する人間と仲良くして れば、俺らの評判がなし崩し的に悪くなる。それさえ気をつければ、 こいつは十分仲良くやっていける部類だ。 ﹁じゃあロウの件についてはそれでいいや﹂ スコーピアン そう言うと、気を利かせましたとばかりにロウとカグヤ、キノに ナルサスが部屋から出ていった。 ﹁で、次はアイラか﹂ ﹁えーっと⋮⋮この人はアランさん。神殿で巨大蠍に襲われていた ところを横から爆撃して助けたって形になるのかな?﹂ ﹁君がレイルっていうのか。僕はアイラに惚れた。彼女と共に旅が したい。アイラに僕と旅をしてくれないかと誘ったが、君たちと旅 をしているから無理だと言われた﹂ アイラが言い出しづらくて言葉を濁した部分を全部言いやがった。 1233 それぐらい空気を読んで黙るとかはないのかよ。 そもそもパーティーリーダーである俺を目の前にしてメンバーの 引き抜きを提案しました、なんてよく暴露できるな。 ﹁僕は諦めきれず、せめて君の仲間に会わせてくれと頼み込んでつ いてこさせてもらった﹂ アランという男はそう言うが、よこのアイラはどうせ断ってもつ いてきたでしょ?とジト目で睨んでいる。 俺はアイラもこいつが気に食わないのだとその表情から読み取っ た。 ならばなぜ連れてきたのか、とアランに聞こえないように聞くと、 強いなら仲間に入れるかもしれ ﹁私が嫌いでもレイルくんがどう思うかはわからないし、レイルく んは嫌いでも使うでしょ? ないじゃん﹂ と苦虫を噛み潰したような顔で答えてくれた。 アイラは偉い。感情に惑わされず、利用価値で判断できるんだな。 でもこの場合はもっと違う答えでよかった。 ﹁馬鹿だな。俺は確かに人助けから何まで自分の利益で考えている けど、その利益の中には俺やアイラの気持ちも入ってるんだぜ?﹂ 仲間にする条件は幾つもあって、その中に強さは含まれていない。 旅をできる程度の体は欲しいところだが、強さなんて求めていたら 初期の俺なんで速攻クビだ。 俺たちと合うかどうか││まあつまりは仲の良さだが、それが一 番大きい。 1234 その中には精神の強さも含まれていて、俺たちの行うことをどれ だけ受け入れられるか、による。 アイラとの出会いの場面を聞くだけでも十分仲間にはできない。 それに、アイラが嫌いな人間を仲間にして、四人の関係がギクシ ャクするのも避けたいところだ。 今までの臨時パーティーも、ホームレスにアークディア、ミラな ど基本的に俺たちと仲の良い奴らばかりだったはずだ。 ﹁だから、アイラはもう少しワガママを言っていいんだ。嫌なやつ と冒険することほど馬鹿なことはない﹂ ﹁うん⋮⋮ごめん﹂ ﹁謝らなくてもいい﹂ ここでそろそろアランが怒った。 ﹁さっきから聞いていれば随分と言ってくれるじゃないか。初対面 で君にどうしてそこまで言われなければならない。僕のことをどれ だけ知っているというんだ﹂ はあ⋮⋮なんで同じイケメンでもこうも印象が違うのか。 レオンはなんていうか、もっと⋮⋮可愛かったな。 そうか、ツンデレが原因だ。 一周回ってもはや素直とさえ言えるツンデレは見ていて飽きなか ったし、気に食わないとつっかかってきながら将棋で懐柔されてみ たり、悪いと思えばしぶしぶながらも謝ったりととても魅力溢れる 人間だった。 それに比べてこいつは⋮⋮いや、比べてやるのもレオンに失礼だ。 1235 土俵がまず違う。 ﹁知らないというだけで拒否する理由にはならないけど、俺たちが お前を仲間にしなければならない義理もないだろ?﹂ ﹁君はもしかしてレイル・グレイか?﹂ ﹁そうだと言ったら?﹂ ﹁そうか⋮⋮アイラは君に騙されているんだな。今日のところは病 み上がりの人間に何を言ってもしょうがない。また後日伺わせても らう。それまで逃げないでくれよ﹂ ﹁ああ、頭冷やしてこい。できれば二度と来ないでほしい﹂ 怒髪天を衝く、とはこのことか。 怒鳴りこそしなかったものの、あれは相当怒っているな。 1236 我が復活の時がやってき︵以下略︶︵後書き︶ うわぁ⋮⋮毛嫌いしてますね。 アランさんも涙目 1237 避けたいほどにめんどくさい男 薬を飲んで、ぐっすり寝たらあっという間に治ってしまった。 この世界は回復力も高いのだろうか。お婆さんの薬の腕が良いと いうことにしておこう。 仲間には心配をかけた。今度から刺されたらすぐにその場所を消 毒しよう。 前世では多少の虫刺され程度じゃなんともなかったから油断して いたんだ。きっとそうだ。 治ったら治ったで困った奴がいる。 俺らはさすがに迷惑をかけ続けるわけにもいかない、とお婆さん に龍の血のおすそ分けだけして宿屋に移った。 その場所を人から聞き出して、病み上がりの俺の元へと突撃して きた暑苦しいイケメンがいるのだ。 ﹁また来たの?﹂ アイラがこいつが来るたびにしかめっ面になるから是非ともお帰 りいただきたい。 俺もしかめっ面になる。ロウとカグヤなんか関係ありませんとば かりに部屋の奥に逃げやがった。 ﹁逃げなかったことだけは褒めてやる﹂ 1238 セリフにオリジナリティーというものがない。だが三流な言い回 しのそいつは見た目と剣の腕だけは一流である。 ﹁忘れてくれてたらよかったのに﹂ 心底そう思う。 しかもこいつの装備とか立ち居振る舞い見てるとどこかのいいと この坊ちゃんみたいな気がするんだよな。 また決闘とか挑まれたら非常に面倒くさい。 もう空間術も波魔法も試さなくていいし、これ以上試すこととい ったらこいつが死にかねない。 というわけで。 ﹁僕と決闘してくれ!﹂ ﹁断る!﹂ 当然答えは断る、だ。 魔法ありで30m以上離れたところから勝負なら考えなくもない けれど、その条件を引き出すためにも一度渋っておきたい。 そんなものは犬にでも食わせてやれ。それに俺は勇者 ﹁君には勇者としての誇りはないのか!?﹂ ﹁誇り? じゃない﹂ 自分で勇者とか名乗るのは恥ずかしすぎてやってられない。 せいぜい肩書きでの勇者候補ぐらいしか自己紹介でも言えない。 俺は謙虚なのだ。 1239 ﹁君はどこまでも勝手だな⋮⋮﹂ 勝手なのはどっちだよ。 だが︵生前の小説の︶経験上、こういう奴を断り続けると友情フ ラグや師弟フラグが立つことがある。 過去の話が出てきて、最初は嫌なやつかと思ってたけど⋮⋮とか、 こいつがピンチになって誰かに﹁助けてあげて!﹂とか頼み込まれ たりしてだな。非常に嫌な展開である。 それだけは避けたいので適当なところで承諾せねばなるまい。 どうせ立つなら美少女との友情フラグがいいに決まってる。 向こうに何かをおいて、そ せめて優秀で経験豊富な大人との友情フラグがいい。 ﹁なあ、じゃあかけっこにするか! れを取ってここまで戻ってきたら勝ちってことで⋮⋮﹂ ﹁そんなもので僕たちの価値が決まるとでも?﹂ チッ。のらないか。 この勝負にのってくれたら、とても楽に勝てたんだけどな。 だって空間転移で取って戻るのに二秒もかからんぜ? あいつが人間離れした身体能力でも人の認識速度には勝てまい。 ﹁剣で⋮⋮﹂ ﹁なあ、お前馬鹿なの?﹂ アイラがお前を断った以上、アイラ ﹁君も僕も勇者⋮⋮候補なら剣でその意志を見せて何がおかしい﹂ ﹁でも気づいてるんだろ? を俺から引き剥がすには俺を殺さなければならないし、お前が俺を 1240 殺せばその時点でアイラがお前の隣にいくことは決してない﹂ ﹁くっ⋮⋮それはっ⋮⋮﹂ アランはのけぞり言葉を失う。その程度で言い返せなくなるよう な理屈なら最初から振りかざすな。 ﹁なんとも皮肉な話だよな。俺を殺しても殺さなくてもアイラは手 に入らない﹂ 残念にも折れかけのところを持ち直したようで、再度決闘を挑ま れた。 ﹁アイラを賭けて決闘してくれ。君が約束を守るかどうかは知らな いが、少なくともそれならアイラも僕の元に来れるだろう﹂ こいつ、話聞いてたか? おまえ おれ ﹁だからさ、俺に利益がないっつーの。それに人の意思は賭けるも んじゃない。賭けるなら自分の意思か相手の意思にしろ﹂ だいたいさ、お前がそこまでしなければ嫌な奴から逃げることも できないような弱いやつが好きなのか? 俺なら自分で抗うから手伝ってくれ、助けてくれと叫ぶ奴の方が 好きだね。 ﹁じゃあ話は簡単だ。君が決闘に負ければアイラと旅をするのをや めてもらいたい﹂ 落とし所はそんなもんか。 1241 無謀な行動をどれだけとれるかとかな ﹁じゃあさ、野蛮に暴力で決めるんじゃなくって勇者らしい決闘方 法にしよう﹂ ﹁勇者⋮⋮勇気とかか? らやらないからな?﹂ 勇者、ねえ。 そもそも勇者の定義なんてものは曖昧なんだよな。 周りの人がそう呼ぶかどうか、だし。勇者候補の資格を持ってい ても勇者と呼ばれるのはほんの一握りだ。 多分今も勇者候補という奴なら二十や三十といるのだろう。 けれど勇者として名前を聞くのは十人にも満たない。 ﹁うーん⋮⋮どうしようか。人助け勝負?﹂ ﹁そうだな⋮⋮僕が思う勇者というのは目の前に困っている人がい たら手を差し伸べられるような存在、かな﹂ おう。今も目の前にお前のせいで困っている奴がいるぜ。だがそ の解決方法はお前が手を差し伸べないことなんだがな。 ﹁うわぁ⋮⋮無理だわ。確かに助けても誰でもじゃあねえわー﹂ あ、ご ﹁君とはつくづく合わないようだね。やっぱり一番手っ取り早いの は強さかい?﹂ 結局そこに行き着くわけですね、わかります。 ﹁じゃあ集団戦にしようぜ。人徳も勇者の資質、だろ? 1242 めん、友達いなかった? 勇者様︵笑︶﹂ だから一人旅なんだっけ? 孤高の ﹁失礼だな、君は。人に対する礼儀というものを知らないのか?﹂ お前に使う気にならないだけで﹂ ﹁俺だって年配の方や先輩、王様とかにはちゃんと敬語を使えるし 敬う気持ちもあるぜ? 徹底的に煽る。 俺個人が楽しんでいるのもあるけれど、これで冷静さを欠いてく れるならなお良い。 ただし神はなしだ﹂ ﹁言い方は気に食わないがそれでいいだろう﹂ ﹁三人でいいか?﹂ ﹁いいだろう。というかいいのか? その質問は俺たちが四人組であることについてだろう。 いいんだよ。どうせ連れてこられる仲間の数なんて数えてたら戦 争になっちまうからな。 少なければ人数なんてどうでもいい。 ﹁最初から想定してねーよ、あんなの﹂ 決闘方法が決まった。 ◇ 1243 決闘当日、約束の場所へと彼は二人の人間を連れてきていた。 男一人に女一人。どちらも銀色の立派な鎧に身を包み、腰には立 派な剣をさしている。どちらも美形だ。類は友を呼ぶをこんな形で 実践すんな。 男はややチリチリの焦げ茶色の髪で、彫りの深い男だった。 女は壮麗な、と形容するのがちょうどいい感じだろうか。 切れ長のややつり上がった瞳にキュッと引き結ばれた口元は随分 と気が強そうだ。 ﹁フッ。アラン、お前ほどの男が参加してくれと頼むぐらいだから どれほどの男かと思えば、こんな奴らに出向く必要があったのか?﹂ ﹁いいでしょう。貴方がそう言うならこのお遊びに付き合ってあげ ても﹂ 彼らはどちらも聖騎士であるようだ。なるほど、ここはヒジリア の近くだ。聖騎士なら呼びやすいんだろう。ついでにこいつのキャ ラならそんな知り合いがいてもおかしくはない。 くくっ。集団戦だって言ってるのに、同じ系統の人間ばかり揃え 死ぬの? て。対策を立ててくれと言ってるようなもんだな。 バカなの? ﹁アイラの参加はやめてもらおうか﹂ その発言も折り込み済みだ。 アランは直接アイラの武器を見てしまっている。警戒するのは当 然だ。 あれを見てまともに戦おうなんて考える奴がいたら馬鹿か余程の 自信家だ。 1244 ﹁ああ、いいぞ。ただし、今からここに来てもらう奴のことは他言 無用、という約束をしてもらえるならな﹂ ﹁聖騎士イシュエルの名にかけて﹂ ﹁聖騎士ドイマークの名にかけて﹂ ﹁僕からも約束しよう﹂ おれはその言葉を聞いて、後ろに控えさせていたアークディアを 呼んだ。 ﹁我が君、望みを﹂ ﹁いや、いい。下がってろ﹂ 恭しく跪くアークディアを手で制する。 俺の意を汲んでかどうかは知らないが黙ったままのアークディア。 賢い奴だ。沈黙は金という諺を見事に体現している。余計なこと は言わない。それこそが優秀な奴というものだ。 ﹁受肉していない悪魔ごとき、私たちの相手になるとでも?﹂ 聖騎士というぐらいだ。 きっとあれらの剣も﹁空喰らい﹂と同じく高位精神生命体を斬る ことのできる聖剣なのだろう。 だがそれが何の関係がある? ﹁御託はいいよ。始めようぜ﹂ 1245 俺はアイラを下がらせ、カグヤと共に前に出た。 ﹁君たちの三人はそれでいいのか?﹂ ﹁ああ﹂ その場に見えない火花が散り、決戦の開始を知らせた。 1246 避けたいほどにめんどくさい男︵後書き︶ 不自然なメンバー構成でしょうか? いえいえ。これで最善、ですよ。 1247 誰が誰と戦うのか︵前書き︶ 待望のアランぼっこぼっこ回︵主に精神的に︶ 1248 誰が誰と戦うのか 降参するか戦闘不能にする。 その勝利条件は正々堂々遺恨の残らぬように決闘するときのオー ソドックスなルールの一つとしてメジャーなものではあるらしい。 始まってすぐに攻撃に転じたわけではない。 両者とも睨み合いの中、アランが尋ねた。 ﹁彼は参加しないのかい?﹂ ﹁キノにはアイラを守ってもらっているよ﹂ マシンナーズ ここにキノを参加させなかった理由は簡単だ。 機械族だと隠しているから一人としてカウントしなかったのであ る。 その旨を説明すれば、キノもわかってはくれたようだ。 だがアイラのことを気に入ってくれているこいつとしても、アラ ンにアイラが連れていかれるのは我慢ならないことらしく、その機 械的な口調にも不満の色が滲んでいた。 人間よりも人間らしい機械、か。 ﹁まあいいか。あいつだけは⋮⋮僕が倒す。君は両脇の二人を相手 してくれ!﹂ アランは俺に標的を定めているようだ。 二人はアランのサポートという形であるようで、その命令に異を 唱えることもなく二手に分かれた。 ばっと二人が飛び出した。 1249 ﹁覚悟っ!﹂ 男がカグヤに、女がアークディアに斬りかかった。 カグヤはその剣を刀でいなした。 だがアークディアは女に手を出そうとはしない。ただその攻撃を 避けるだけである。 それはそうだ。俺の命令は戦え、でも倒せ、でもない。 いや、いい。下がってろ。である。 ﹁戦う気が⋮⋮ないのかっ!﹂ ﹁我が君の命令を忠実に実行するだけですよ﹂ ひたすらに避け続けるその技量は圧倒的にアークディアの方が上 であるようだ。 ﹁お前も戦う気がないのか?﹂ ﹁ふふ。攻撃もしてあげたいんだけどね。レイルがダメって言うか ら﹂ カグヤは普通に強いため、時間稼ぎさえ頼んでおけばさほど苦労 もしないだろう。傍目には防戦一方のようにも見えるが、それで十 分だ。 二人とも、勝たなくてもいいとわかっていればこれほど楽な仕事 僕と戦え!﹂ もあるまい。わざわざ対等な立場で戦わなくていい。 ﹁レイル・グレイ! 1250 抜いた剣を俺に向け、宣言してから走り出す。 だから馬鹿なのか? 相手に攻撃する前に宣言してどうするんだよ。何の意味があるの かわからない。剣では俺の方が負けそうなんだから、まともに正面 からやりあう必要なんてない。 空間把握と魔法を組み合わせても、接近戦に持ち込まれれば苦し いだろう。 だから、いつも、側面から戦う。 いや、今回に至っては戦わない。 ﹁嫌だね﹂ 俺はアークディアに攻撃を仕掛けている彼女に向かって側面から 奇襲した。 俺が視界に入った瞬間、アークディアがわざと隙を見せたのだ。 基本一対一の精神が抜け切らない彼女はそこを好機とばかりに踏 み込んだ。 それでも、お前はここで終わりだ!﹂ 剣がアークディアに届く瞬間、彼女の腕を斬りつけた。 ﹁くっ! アランも不意打ちやらなんやらの策にはまったことに動揺しっぱ なしではなかった。 すぐにその横から俺に向かって突撃してくる。 ここで﹁なんて卑怯な!﹂とか言って止まってたら残念すぎる。 ﹁待たせたな、ロウ。もういいぞ﹂ 途端にアランの動きが止まる。 壮絶な殺気を感じて、冷や汗がびっしりと顔面に張り付いている。 1251 それもそうだろう。 ﹁死にたくなければ動かないでくれよ﹂ ぶわっと光が霧散し、アランのちょうど横にロウが現れた。 アランの首元に短刀を突きつけている。 ロウはニヒルにニヤリと笑い、その手を緩めることはない。 ﹁どう⋮⋮いう、ことだ⋮⋮?﹂ 喉仏が動くのを恐れるかのように途切れ途切れに話す。 未だその現状を掴めていないらしい。 ﹁おかしい、だろこんなの!﹂ アランの絶叫に他の二人もさすがにその動きを止める。 驚いたかもしれない。自分たちの中で一番強いであろう男が突然 現れた白髪の青年に刃物をつきつけられているのだから。 ﹁おいおい、あんた、どういうことだよ。三対三じゃあなかったの か?﹂ どう 最初俺たちを何故かみくびっていた彼がカグヤに対しての警戒を 解かないまま尋ねた。 ﹁何が?﹂ ﹁お前と、このお嬢ちゃん、そんでそこの悪魔だろう? してそこでそいつが出てくるんだよ﹂ 1252 ﹁なあ、俺がいつそこの二人を三人に含めたなんて言った? 俺 とロウは含まれているけどな。俺はただ単に、この三人とは言った が、何もカグヤ、アークディア、俺とは言っていない﹂ 最初から、戦う予定の三人はロウとカグヤと俺だぜ? 初見ならともかく、既に手の内を知られたアイラを出すつもりは なかったし、聖騎士を本気で悪魔にぶつけるほど命知らずじゃねえ よ。 誰が言わないにしても、悪魔に殺された聖騎士なんてすぐに誰が やったかバレそうじゃないか。 一番楽に勝とうと思うのなら、奇襲の得意なロウに仕留めてもら った方が楽なんだよな。 ﹁よくやったな。お疲れ、ロウ﹂ ﹁ここまでお膳立てしてもらってできなきゃ俺は斥候職をやめるよ﹂ ﹁じゃ、そいつ縛っておいてくれ﹂ そうしている間も、カグヤもアークディアも決して目の前の相手 から目を離さない。 俺に至っては空間把握で全員から目を離さないようにしている。 それを感覚だけで感じとっているのか、二人は迂闊に攻めてはこ ない。 普通に相対するよりも隙を見せていないのだから。 ロウによって縛りあげられ、それを助けようとなんて真似をすれ ばすぐに俺たちに攻撃されて終わるであろう状況にまで追い込まれ たアラン。 これで三対二だ。 圧倒的有利とまではいかないから油断はもちろんできないが、そ 1253 れでもいくらか楽になっただろう。 そして、俺の先ほどの発言から、まだ目の前の二人にはカグヤと アークディア、どちらが参加しているかわからないのだ。 どちらも手を出さず、俺はロウと俺しか明言していない。 縛られたままのアランが叫ぶ。 ﹁君はどっちを三人に含めているんだ。説明を要求する!﹂ そう。それでいい。 最初から誰が三人に含まれているか名前を言うように尋ねればこ んな事故は起こらなかった。 俺の故意によるものだから事件だって? まあそうとも言う。 ﹁ははっ。最初からこの悪魔は三人に含まれていない。カグヤ、ロ ウ、俺で三人だよ。仕切り直しだ。始めようか﹂ だからこいつら甘いんだよな。 いくら俺たちが隙を見せなかったからと言って、カグヤにもアー クディアにもアクションを起こさないとか。 正々堂々、ねえ。 そんなものは糞食らえ。 縛られたアランを放置し、ロウにはカグヤの補助に回ってもらっ た。 というのも、付き合いの長いロウの方がカグヤに合わせやすいだ ろうし、そもそも俺は二対一という戦い方に向いていない。 ﹁悪魔は外れ、ですか。とことんしょうがない人のようですね。あ の子を貴方から助けたいというアランの気持ちもわかりました。ま 1254 た彼の勘違いだったら剣を引こうと思っていたのですが﹂ ﹁ごちゃごちゃ言ってんなよ。俺がどんな人間であろうと、ついて くるかはそいつが決めることだ﹂ なんの挨拶もなしにセリフを喋りながら空間魔法で首元狙いの場 所へと剣先を転移させる。 やはり達人級にもなると、気配だけで避けられるものらしい。 俺は空間把握に頼っているところを思うとまだまだだとは思う。 それほどの かと言って結果が全てのこの世界で、今更どうかしようとも思わ ないけどな。 ﹁その域まで空間転移を使いこなせる⋮⋮だと? 腕がありながらどうして小細工に頼る!﹂ ﹁逆に仲間がかかってるのにどうしてギリギリの戦いを強いられな けりゃならないんだ﹂ つばぜり合いに持ちこまれた。 非常に嫌なので空間転移で一気に背後に回り込む。 狙いは背中だったが、転移した瞬間に俺の思考そのものが読まれ てたようで、大きく前に跳びのかれた。 ﹁そういう卑怯な戦い方しかできないことを恥だとは思わないのか !?﹂ なんだか既視感があるなあなんて思っていたらこれはあれだ。 主人公が自分よりも強い悪役を倒すことはできないけど物語の展 開的に負けられないときに説教で改心させて仲間に取り込むお約束 展開のあれだ。 1255 いや、改心なんて。 それって罪悪感がある人に向かってやるものですし。 それなに? その冗談聖騎士の中で流行 こんな茶番に付き合ってあげてるだけでも感謝してもらいたいも のだ。 ﹁あはははははっ! ってるの?﹂ 今度は空間転移でいっきに距離をとった。 そして空間をぐにゃぐにゃに捻じ曲げて、つなぎ合わせていく。 以前も行ったことがあるかもしれないが、紙をぐしゃぐしゃにし て絵の具にその端を突っ込んだものを想像してほしい。 その紙を開くとおそらく絵の具はあっちこっちに点々とついてい ると思う。 それと同じことを空間で行った。 斬撃は無数に広がり、どこに出てくるかも予測がつかない。 その全てを剣一本で防ぐのは不可能に近い。 ガガガガガガッ!!! 激しい衝突の音が鳴り響く。 そのほとんどは彼女の鎧に防がれてしまったけれど、いくつかは やはり鎧の関節部分などから露出した肌を傷つけたようだ。やーり ぃ。 ﹁なんだ、この技は!﹂ だーかーら。それをわざわざ口頭で説明するバカがいるかっつー の。 1256 ﹁つぎつぎぃ!﹂ 今度は波魔法を組み合わせる。 剣が反射した光を捻じ曲げて別の方向から来たように見せかける。 そう、単なる幻惑魔法にすぎない。 だがいくら気配を読むのに長けていたとしても、人間というもの は第一に視覚に頼ってしまうものだ。 その視覚のズレは暗闇の中で戦うよりも彼女を激しく消耗させる。 あっちこっちから気配と視覚の二重剣が襲いかかる。 視覚を無視して気配だけを探らねばあっという間に刈り取られる 恐怖に冷静さを保ち続けられるはずもない。 ﹁どこからくるか当ててごらん﹂ 博打に出られるわけがない。 必死で剣の場所を俺の気配を読むことでどこにあるか探りながら 防ぐので精一杯である。 空間把握で補助しているからこそできる芸当ではあるが、俺自身 の脳も酷使していることには変わりない。 短期決戦で終わらせてしまいたいものだ。 ん? 何あれ、アラン泣いてるじゃん。 そりゃあそうか。 自分が勝負をしかけておいて、早々に不意打ちくらって縛られて 退場って。 団体戦だから助けてもらっても構わないんだよ? 余裕さえあればの話だけど。 目の前で仲間が一方的に攻められているところを見ると、自分の 不甲斐なさに苛立つのだろうか。 1257 今すごく煽りたい。ねえ今どんな気持ち?って なんにせよ俺にとっては好都合でしかないけど。 やったね! 詰め寄りたい。 ﹁余所見とは、余裕だな!﹂ 彼女は俺の姿に向かって駆けてくる。 剣は俺の胸元にまっすぐ突き刺さった⋮⋮かのように、見えた。 剣は空を切り、手応えのなさに何が起こったか正確に把握した彼 女の顔が青ざめていく。 ﹁だからさ、ちゃんと気配で攻撃しようぜ﹂ 俺の姿は光魔法でどこにいるかわからないように偽装したままだ ったのだ。 そこにいると思われた俺はそこにはおらず、その横に彼女に剣を 添えて立っていた。 どっちにせよ空間把握で隙なんか見せた覚えもないけど。 俺のほうは終了っと。 見れば二人がかりでロウとカグヤが負けるはずもなく、そこには 彼が血だらけで膝をついていた。 ﹁あ、レイルの方も終わったみたいね﹂ ﹁いやあ、楽させてもらったな﹂ ﹁いやいや、俺もだよ﹂ 1258 やはり波魔法というのは格別だな。 物の見え方を理解していないと光魔法は一番攻撃力も応用力もな い術だと思われているらしい。 先ほども彼女や彼らが使っていたのも、光を魔力で強化し、剣に まとって使っていた。 それができるだけでも彼らは十分すぎるほど優秀な魔法の使い手 なのかもしれない。 ただ、光が人間の視覚にどう作用しているか、生物と物理で教え られてきた現代人の感覚からするとこんな便利な魔法もないものだ が。 やっぱり決闘は自分が楽に終わらせるべきだな。 実に愉快だ。 1259 誰が誰と戦うのか︵後書き︶ さあ、レイルは次にアランに何をしてくれるのか。 説教という名の精神的拷問は終わらない。 1260 一つの行動でも違う意義を 全員が降参してこの戦いは終わりとなった。 ここで下手に金など要求すれば、これ幸いとばかりにこいつらは 俺たちの悪い噂を吹聴してまわるかもしれない。 アークディアをわざわざ登場させてその口封じをしたのはこのた めだ。 アークディアのことを黙っておくと騎士道や自分の名前に誓った 以上、彼らはアークディアについて他の人に話すことはできない。 すると、俺たちが卑怯な手を使ったといって他の人に話そうとし ても、じゃあロウの代わりに誰がいたんだ?と聞かれると黙らざる を得ない。 それは話に不自然な部分が出てきて信憑性を欠くということであ る。 どこかの部分で話せない部分があるというのは、そこが自分たち にとって不都合で隠したい部分であるかのように思われ、そんな不 都合で隠すことがある人間の話はなかなか信じられにくいものだ。 そうでもなければ、聖騎士相手に、魔族と並んで天敵とも言える 悪魔を呼んでくるわけがない。 ﹁ははっ。気分はどうだ?﹂ 不敵に笑いながら尋ねる。 三人とも何故か縛られたままだ。 いや、俺が指示したからなんだけれど。 ﹁こんなことをしてただで済むと思ってるのかしら﹂ 1261 まだ強がるのはイシュエルさん。 そのセリフはむしろフラグだろ。 ﹁じゃあ殺すか?﹂ ロウがさらりと提案した。 確かにその方法も合理的なのかもしれない。俺の空間転移さえあ れば証拠隠滅なんて簡単だ。 三人が硬くなるのがわかる。 ﹁いや、どうせ言えないだろ﹂ ﹁どうしてそんなことが言えるの?﹂ ﹁こいつらが俺にとってはどうでもいい誇りとやらにとらわれてい るからだよ﹂ それを捨てて誇りなき騎士様とやらに成り下がるならできるけど な。 アークディアのことを出さずに信ぴょう性のある話で俺たちを貶 めることは無理だ。 こいつらもそれがわかっているからこそ、それを盾にしようとし ない。 ﹁こいつは⋮⋮!﹂ ﹁こういう奴なのよ。あなた方が喧嘩を売ってこなければもっと平 和だったのにね。諦めなさい﹂ カグヤの発言だと俺が災害か何かみたいじゃねえか。︵見た目だ けは︶年下の華奢な女にそんな風に言われればもっと激昂するかと 期待したけれど、ややぐったりして動かないのはもう電池切れだか 1262 らだろうか。 ﹁まあいいや。とりあえずアークディアは戻れ﹂ アークディアは胸の魔法陣に消えていった。 いつでもどこでも人員を増やせるから実に便利だ。 精神世界や冥界でこそ本領を発揮するらしい悪魔は受肉しないと その力も半減らしい。 どうやって受肉するのか知らないから、いつか聞いてみよう。 三人は依然として俺を睨んでいる。 ﹁なあ、どうしたい?﹂ このまま縛って売り飛ばしたら⋮⋮ダメだよなあ。 こんなに目立つ奴が売れるわけもないし、こいつの戦闘力は何か に使えないか⋮⋮といろいろ悩んだが結局どうすることも思いつか ない。 ﹁お前らは俺らに負けたわけだけれども、俺らは何か言うこと聞か せられんの?﹂ そう、それも忘れていた。 俺としたことが、何の理由もなく決闘的なものを受けてしまった わけだ。 なんたる失態。 ﹁そうだ。こいつらに一番屈辱的なことをしよう。俺らにたいして の負けを強制的に認めさせるようなこと﹂ ﹁何をされても、騎士としての誇りは失うものか!﹂ 1263 ﹁ふん。好きなようにしろよ。どれだけ体を辱められても変わらな いぜ﹂ ﹁僕はアイラを諦めてはいない。アイラ、君は本当はもっと優しい 子のはずだ。そんなやつの元にいては毒されてしまう。どうしてこ いつに付き従うんだ﹂ ここにきてまでアイラの心配か。 というよりお前、アイラの何を知ってるんだよ。逆にアイラはこ いつに何をしたんだ。かっこよく助けただけじゃないのか? ﹁うるさい﹂ ううむ。これってあれだよな、心からの思いを伝えることによる 闇堕ち系ヒロインの改心イベントだったんだよな? いや、アイラがこれぐらいの言葉でほいほいとなびくような軽い 女じゃないことはよく知っているつもりだ。 それにそもそも悪いことをしていないのに改心とはこれいかに。 ﹁ねえレイル、彼らに何をするつもりなの?﹂ ﹁殺すよりもなんかあったか?﹂ ﹁いや、逆。何もしないよ﹂ そう。あの時の拷問とは似て非なるものだが、俺たちは彼らに何 もしないのだ。 こういう時にこいつらに暴力などをふるえば、彼らに正当性がで きる。 やはりこいつらは悪だ、負けたのは卑怯な手を使われたからであ って、必ずここから逆転してみせる、と。 彼らは負けたことを罵り、俺たちを害することに理由をみつけ、 これまでと同じように反抗し続けるだろう。 1264 何もされなければ? 彼らの怒りの矛先が向かう場所をなくして胸の内へと押しやられ るだろう。 負けたのに何もされなかったという矛盾が彼らの中に負い目や引 け目を作り出し、俺たちに手を出すことへの罪悪感を生みだす。 そうなれば、彼らが騎士という誇りを捨てないかぎりは俺たちに 手を出すことはできなくなるのだ。 なんとも本末転倒な命の恩人という立場になれるわけだ。 誇り高き騎士をやめた場合? それはそれで俺たちの完全なる勝ちだ。 だって彼らの生き様をたった一度の戦いで、犠牲もなく変えられ る。 しかも彼らが忌避する、﹁決闘で負けたことを認めず、見逃して もらったのに恩を忘れて襲いかかる﹂ような野蛮で醜いただの人よ り強いだけの騎士という役職の人間へと堕落させることができる。 彼らの心の中には、自分から決闘を挑んでおいて無様に負けて見 逃されたという汚名がつきまとう。 声高に俺たちのあらぬ悪評でも流せれば楽なのだろう。 だが彼らが誇りなどというものを胸に抱くうちは、いつまでたっ てもこの傷は癒えることはあるまい。 彼らは今、心の中の正義が揺らいでいることだろう。 それがために、目的を達成できず、明らかに真っ当とは言い難い 方法で敗北したのだから。 1265 ここまで説明し終えたところで、三人とも何も言うことはないよ うだ。 ﹁⋮⋮そうか、いいんじゃねえか?﹂ ﹁あんたって⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁そっかーそんな方法もあるんだ﹂ 何が一番傷つくか。 人によってはきっとこれは一番甘い選択だと言うかもしれない。 だがこれは、相手のプライドが高ければ高いほど、彼らの心を苛 む枷となる。 ﹁何も⋮⋮しない、のか?﹂ ﹁おう。お前らなんか役にたたん。どこにでもいけ。まだトーリと かいう勇者候補の方がいくらか役に立つ﹂ ここで再度、今度は不意打ちで襲いかかってきてもどうでもいい。 お前らなんか、相手する価値もない。 このように俺たちはきっとこのことをたいして深く考えず忘れて いくのだ。 人に相手にされない。それは何よりも屈辱的なことではないだろ うか。 俺なら無視されるぐらいなら罵られた方がマシだ。いや、敵に罵 られるのもさほど嫌いではないか。 縛り上げた彼らが汚物を見るような目で今もなお睨んでいるのは なかなかに気分がいい。 勝者の余裕というやつだろうか。 1266 ◇ 面倒くさい奴らを野に放ち、エターニア観光再開と洒落込んだ。 この国の図書館についても興味があったが、隣のヒジリアに目を つけられるのも嫌だしということで遠慮しておいた。 それに薬なら金に任せて買えばいい。 中身や製法まで知らなくても俺たちは保存に心配がないのだから。 毒と薬は紙一重。 その言葉を示すように、この国の医療施設には毒もあった。 面白そうなものを、大量に購入し、この国を後にした。 1267 入江の異形︵前書き︶ 昨日は花火大会にいっておりました。 1268 入江の異形 何もしていないのによく怖がられることがある。 俺の顔って怖かったっけ?と鏡を見るも、そんなに迫力のある顔 とは言えない。 確かに俺が敵を倒す方法はなんとも褒められたような鮮やかさか らは縁遠いかもしれないが、それらはできるだけ隠しているつもり である。 剣を使うときも、魔法を使うときも大規模なものを使うことなく 地味なものばかり使っているようにも思われる。 ならばなぜ? それについてわかったことがある。 それはアランたちに何も命令することなく放逐しようとした時の ことだ。 あいつらによると俺と戦ってると何をされているのかわからない のだそうだ。 剣士ならば、その剣技に技術が使われていて、その強さも見て感 嘆するなり驚愕するなりと感想を抱くこともできる。 魔法ならば、その魔法が起こした現象から属性や種類を推し量る こともできる。 俺だって普通に剣を空間転移と波魔法とかと組み合わせているだ けじゃないか、と思うのだがどうやら違うらしい。 現代知識のある俺やその仲間だからこそ、何をどうやっているの かを説明されればわかるし、その上で酷いだのなんだのと言える。 だが何も知らない彼らからすれば、空間魔法は好きな場所に転移 するという使い方しかできないし、波魔法は光でもなんでも攻撃手 1269 段として撃ちだすことしか想像がつかないようだ。 なるほど、この世界の魔法は遅れている。 ◇ また自治区に戻ってきた。 旅の拠点がここである以上、戻ってくるのが当たり前となってい る。 放置されてむくれたミラや、だいぶここの仕事に慣れてきたホー ムレス、そしてもう立派にここの実質的トップとなっているシンヤ にレオナ。 主に中心となるのはそんなメンバーだろうか。 ﹁レイルー﹂ 俺たちを解放してくださったんだぞ。何呼び捨てに ﹁あの人がレイル?﹂ ﹁バカっ! してんだよ﹂ ﹁でもシンヤさんもレイルもいいって⋮⋮﹂ 威圧感を与えないようにと親しみをもたれやすいように呼び捨て でも構わないと言ったのだが、俺より年上の方が恩とか義理を痛感 しているのかなかなか気軽には接してくれない。 年下の子は先ほどのように俺たちを見かけるたびに手をふってく れたりする。 1270 しかしあれからも奴隷を買い入れては教育して徐々にここの人数 を増やしていっているので、ここを作り上げた人物としての俺は知 っていても、俺個人を知らない子も増えている。 この感覚が何かに似ているなーと思っていたら、あれだよ、仕事 で忙しいお父さんだよ。 家に不在のことが多く、たまに家に帰っても幼い我が子に覚えて もらっていないという悲しみだな。 いや、あいつらは俺の子ではないし、ましてや仕事でここをあけ ているのでもない。 俺が悲しむのはちょっと違うか。 カグヤは人並みに愛想良く対応していて、アイラやロウはややぎ こちなく応対している。 歳下と接する機会が少なかったからかもしれない。 いや、ちょっと待て。アイラはともかくロウは年齢が見た目より 十歳以上も上なんだから学校にいたころは歳下とばかり過ごしてき たはずだろ。慣れてないってどういうことだ。まさか学校でほとん ど人に話しかけなかったとかじゃああるまいな。 ﹁レイル様のお帰りだぞー﹂ ﹁何バカなことしてんだ﹂ ちょっとばかし威張ってみた。 うん、威張るのは苦手なようだ。 それでも何人かの子はわーだのきゃーだの騒いでくれる。 ﹁そうだ、レイルの旦那、船っつーもんの制作が軌道に乗ってきた んだ。竜骨つーのと舵ってのがなかなか大変だったけど、川や池用 1271 の奴を改造して合わせたらなんとかなりそうだ﹂ ﹁クラーケンに航路を頼むのももうすぐかもな﹂ そうすればこの場所は、世界最大というか唯一の貿易港のある国 として認められるだろう。 もしかしたらどこぞの国が取り込もうと画策するかもしれないが、 農業を先に発展させてきたのだから下手をうたなければそうそうマ ズいことにもなるまい。 ﹁そのことで頼みたいんだがな。ある程度の深さがある港の作りや すい場所を探してほしい。いや、どうせ誰もが初の試みだから気楽 にいってくれればいいからな﹂ ﹁えーっと。じゃあ海岸に向かえばいいかな。ちょっと行ってくる わ﹂ ﹁悪いな。ある程度の判断力と、自衛できるだけの腕がある奴が少 なくてな。そういうやつは俺の側を離れさせるわけにもいかないん でな﹂ ﹁まあまあ。名前だけのここの王様なんだからよ。こういう時に機 動力のある偵察部隊として使ってくれてもいいんだぜ?﹂ ﹁畏んなって。気楽にいこうぜ、気楽に﹂ ロウも俺に賛同する。 ﹁海かー久しぶりだね﹂ 1272 ﹁サバンに行った前のとき以来かしら﹂ ﹁そう頻繁にいくものでもないからな﹂ ﹁クラーケン、ちゃんとしてるかしら﹂ 各自思いを抱えながら向かうこととなった。 ◇ 海に近づくたびに潮の匂いが強くなる。空間転移を使ってもよか ったのだが、さほど遠い距離でもないので歩いていくことにしたの は、久々にゆっくりと海の景色を楽しみたかったのかもしれない。 磯臭い風を受けながら、海岸沿いにクラーケンのいる場所まで向か う。 ﹁海か⋮⋮そういえば海のことって全然知らないんだよね﹂ アイラがそう言うのも無理はない。 というのも、船を作って海を渡ることが難しいこの世界では、海 に関する情報というのはおとぎ話や英雄物語でしか見ることがない からだ。仮に海をまたにかける海賊の話があったとしても、それは 前世におけるSFの宇宙旅行物とさほど変わらない夢物語というこ とになる。 正確な情報など、出回っているはずもないのだ。 ﹁俺の知る海は、中の魔物よりもむしろ天候の荒れや方角がわから ないこと、長い旅における食料や水の保存の問題の方が大きかった 1273 からな﹂ ﹁ふーん。じゃあ私のこれがあれば困らないんじゃん﹂ ﹁まあな﹂ ﹁まあ、船ができて海の旅ができるようになれば一番に参加できそ うだからいいよな﹂ ﹁どんな気分なのかしら﹂ 前世のフェリーというと、風が気持ち良かったことと甲板から見 える海のクラゲの数を数えていたことぐらいしか覚えていない。い や、一度だけトビウオを見たこともあったか。なかなか面白いもの だった。 ﹁せいぜい酔わねえようにな﹂ 楽しみというものはとっておくものだ。 ましてやここは魔法と魔物のいる世界。どんな障害が待ち受けて いるかもわからないのに楽しいと決めつけるのも早計だ。 いつもの場所にくるも、クラーケンの姿はない。 ﹁今日はいないんだね﹂ ﹁気配もないわ﹂ 残念、とぼやきながら入江の方まで行った。 1274 ﹁クラーケンでも呼ぼうか?﹂ 冗談交じりにそんなことを言ってみる。 ここは比較的浅いのでクラーケンが来ることはできないけれど、 人がちょっと海を覗く分にはちょうどいい。 さっきから波が岩にぶち当たって水飛沫をあげる。足元が少し濡 れていて、俺もよく知る細かい有象無象が岩肌を駆け抜けていく。 フナムシはどことなく茶色の悪魔を彷彿とさせるため、あまり気 持ちの良いものではない。多分動きが似ているのだろう、ご丁寧に もカサカサという効果音付きだ。さらにはそれが大量に動き回る。 初めて見たアイラは顔を引きつらせていた。 あまり怖いもの知らずなアイラがそんな顔をするのは珍しいので ついまじまじと見ていた。 ﹁ねえ、何かがいそうなんだけど﹂ ロウとは違い、殺気よりも気配に敏感はカグヤが言うのだから敵 というよりは何か大きな魚とかだろう。 呑気に構えて海をじっと観察していた。 すると、ビシャッビシャッと音をたてて何かが波の狭間にいるの が見えた。 ﹁なにあれ﹂ フナムシにも慣れたのか、ザワザワと避けていくそのさなかに足 をおいてアイラもそれを見据えた。 それはゆっくりと俺たちの方に近づいてきて、そして波打ち際、 つまりは俺たちの元へと姿を現した。 1275 ﹁赤、黒、白のお仲間にその出で立ち。レイル様とお見受けします が間違いないでしょうか?﹂ それは人の姿をしていた。 俺たちはその全貌を見てもなお、目の前にいる存在を把握するこ とはできなかった。 どこかのネズミの会社で想像されるような貝殻のみのブラジャー とまでメルヘンなものではなく、ちゃんと布や紐を駆使してしっか りと危なげなく胸元を覆った女性が俺たちに話しかけてきた。 だがその下半身は滑らかな鱗がびっしりと張り付いており、足が あるはずのそこには尻尾がついていた。 そう、人魚族であった。 1276 入江の異形︵後書き︶ 次回から海の王国編開始です 1277 海の底へと 人魚。それは前世においてもメジャーな人外の一つであり、世界 のあちこちでそういった伝承は残されている。 日本においては捕らえられた漁師に命乞いし、逃がしてくれるお 礼といって災害を予知したという話などが伝わっている。赤いロウ ソクについては多くの日本人にそのエゴと切なさを感じさせたであ ろう。食べると不老不死になる八百比丘尼などの伝承もあり、なん となく願望や儚さを司るようにも思われる。 西洋でよく共通しているのは華麗な歌声を持ち、それに魅せられ た船乗りは不幸なことになるという。 実際はジュゴンを見間違えたのだろうという説が一般的であるが、 その、人魚が、どうしてここにいるというのか。 ﹁申し遅れました。私、人魚族が一人、リエと申します。レイル・ グレイ様でよろしいですか?﹂ 俺たちがぽかんと呆気にとられていると、彼女は慌てることもな く再度尋ねなおした。 どれほど見ても、腰の部分から下は綺麗に鱗と一体化している。 作り物でも幻影でもない。なにより空間把握で彼女と彼女の周囲を 見てもなにも問題がない。 ﹁いや、あってるけど⋮⋮君とは初対面のはずだけど、どこで名前 を知ったの?﹂ ﹁あなた方は有名ですよ。でもまあ⋮⋮私たちがあなた達の名前を 1278 聞いたのはウェンディーネ様からですね﹂ ﹁俺はそのウェンディーネを知らないんだけどな﹂ ﹁ウェンディーネ様はウタどのからお聞きしたとおっしゃいました が⋮⋮﹂ なるほど、ウタか。 あいつ、元気にしてるかな。 サバンに行く前に一度顔は見せたけど、その時は何も言ってなか った。 ﹁で、人魚の貴女が私たちに何の御用?﹂ カグヤもロウも既に武器に手をかけている。警戒態勢はばっちり だな。殺気を感じなくとも害になるということは多々ある。警戒す るに越したことはない。 ただ、彼女は何も企んではいないと思う。いや、別に綺麗な人魚 の女性だからじゃなくってな、それも少しは関係あるけど。 だいたい俺たちをどうにかしようというのに、歌声しか武器にな る可能性のあるものがない人魚一人ではどうしようもないだろう。 最悪見つかった瞬間捕らえられて売られる。 なのにここには彼女一人しかいない。それをカグヤもロウも俺も わかっていてなおこの警戒をするのは仕方のないことなのかもしれ ない。 ﹁なんの用もなしに警戒心の強い種族が姿を現すわけがないもんな﹂ そういうロウは人魚がいるということについてはあまり驚かない ようだ。もしかして家の倉庫とかで人魚の肉を見たことがあるとか じゃないだろうな。 1279 頼みごと? じゃあ話ぐらいは聞くよ﹂ ﹁あなた達に頼みたいことがございます﹂ ﹁ん? 俺も薄情ではない。 いや、薄情云々ではなく、ここで話を聞くことで、彼女が敵意が あるにしろないにしろ俺の利益になると見越してのことだ。 ﹁実は⋮⋮﹂ とりあえず彼女たちの国のことから教えてもらった。 ◇ 彼女たちが住むのは海底の国、アクエリウム。 そこに住むのは何も人魚族だけではない。魚人族、水人族に留ま らず、知能は高いが脆弱な魚系の魔物に、海に関する精霊などもそ こにいるらしい。 様々な種族が海の中で調和し生きる、数少ない多種族国家と言え るだろう。 で、俺の情報が漏れたのはウタからその上司的存在のウェンディ ーネ、そしてウェンディーネから海の精霊に漏れたらしい。うん、 精霊というのはどいつもこいつも口が軽くて噂好きだということが わかった。 別に怒ってないぜ? ウタは何故か俺を猛プッシュしたらしく、一部の精霊の間で俺た 1280 ちは有名になっているのだとか。 ﹁妖精を目の前にして助けるだけ助けて何もしなかった間抜けな方 だともお聞きしています﹂ なんだろうか、このそこはかとなく漂う悪意は。俺たちに助けて ほしいとかじゃないのだろうか。 ﹁そもそもお前らの国ってついていけんのか?﹂ ロウの指摘もごもっともである。 少なくとも俺たちはえら呼吸はできないし、びっくり潜水服を持 ってるわけでもない。 深海に行く手段が全くないわけではないが、そこで暮らす手段を 持ち合わせてもいないのだ。 ﹁ご安心ください。水人族はえら呼吸ができません。それでも水上 に上がって息継ぎすることなく過ごせるだけの空間がありますので﹂ ﹁へぇ、そりゃあすごい﹂ ﹁どうなってるんだろうね﹂ 海の底の国、か。是非とも行ってみたい。というか行くことにな るんだろう、この展開だと。 ﹁そうですね。行くことになります。具体的に頼みたいこともそこ でお話しましょうか﹂ ﹁心を読むな﹂ ﹁顔に書いてあっただけですよ﹂ 1281 ﹁私も興味あるわ。アクエリウム﹂ カグヤも同じ思いらしい。 まあ俺たちは基本知識欲の高い方だしな。一般的には危険な場所 でもホイホイとついていってしまうのだ。本当にヤバイと思ったら 退却も最速だけどな。 ⋮⋮飛べるけど。人間に﹃空を飛べ ﹁では、あなた方は空を飛べますか?﹂ ﹁普通はとべねえからな? る?﹄って聞くもんじゃないからな?﹂ ﹁なんだか飛べそうだったので﹂ ﹁お前が俺らを人間扱いしていないことはよくわかった﹂ ﹁レイルくん、どの方法で飛ぶの?﹂ ﹁そりゃあ、まあ、ね?﹂ 良い機会なので寝込んでいた時に思いついたことを試してみよう と思うのだ。 飛ぶというのとはちょっと違うが。 ﹁では私の上をついてきてもらえますね﹂ リエさんはそう言うと、バシャンと海に飛び込んで泳いでいった。 ◇ どこまでも広がる大海原を、美しい姿の人魚が泳いでいく。 1282 飛沫が跳ねるたびに、その隙間に太陽の光が差し込み鱗に反射し てキラキラと光る。 滑らかな下半身を凝視しながらついていくという、どこか背徳感 のあるシチュエーションに鼻の下を伸ばすような余裕はない。 リエさんはとにかく速かった。 さすが人魚。海で魔物に出会っても生き残れるのはその泳ぎの速 さもあるのだろう。どうしても争う場合は歌でも歌うのだろうか。 ﹁⋮⋮⋮⋮何してるの、これ?﹂ 俺たちはドラ○エ8の奇術師のように海の上空2mほどを走って いた。 走るといってもジョギング程度のものだが、とにかく異常である のは俺たちが走っているのが空中だという事実である。 言葉通り、何もない⋮⋮というと厳密には空気があるのだが、そ の虚空を踏みしめて走っているのだ。 ﹁なあ、これどうなってるんだよ﹂ ロウもわからないらしい。 アイラはこの中で一番体力がないため、聞いても仕方ないことで なおかつ後でも聞けることに労力は割けないのだろう。口に出して 尋ねることこそないものの、先ほどから足元をビクビクしながら見 ている。 ﹁これはなー﹂ やや面倒くさい説明なのだが、仲間に隠し事をすることほど亀裂 を生むものもあるまい、とこれを生み出す原理を説明してやった。 1283 これは空間術の応用である。 以前から気になっていたことなのだが、空間転移がどうして成功 しているのかということについてだ。 この世界に絶対なる座標があるからといって、そこに向かって転 もちろん、この惑星が自転と公転を並行している 移すれば俺は確実に見当違いの場所へと飛び出す。 何故か? からである。 自転は4万kmを1日24時間かけて回る。時速にして約167 0km、秒速にすると約460mである。 つまりは自転を考えるだけでも1秒あたり数百mは誤差が出ると いうことだ。 国単位で跳ぶならば別に構わないのだが、戦いの中で転移を連発 するには怖すぎる。 公転はもっと酷い。秒速にして約30kmとさえ言われる。 とりあえず訓練でなんとかなっていたから疑問も挟まず使ってい たのだが、ふと考える時間ができたときに余計なことを考えてしま ったのだ。 で、わかったことは、どうやら空間転移には2種類の座標があっ て、絶対座標と相対座標というものだ。︵命名自分︶ 絶対座標は宇宙空間でもない限り一般人にはまず考える必要さえ ない座標のことだ。 で、相対座標こそが俺が空間術の時に使っている座標だ。 自分から見てどれだけの位置にあるか。 それだけを重視した座標である。 俺が今しているのは、俺が発動した時に俺を起点として足元の空 気の座標を固定するという術だ。 空気とはいえ、座標を固定されてしまえば誰にも動かすことはで きない。 1284 できるとすれば同じ空間術を使える奴だけだ。 固定した空気を足場代わりに海の上空を走っているわけだ。 ﹁へえ⋮⋮気持ち悪いこと考えるのね﹂ 心外な。便利なら別にいいんだよ。 リエさんが少し先で待ってくれている。 追いつかねば、と理由のない使命感をもってとっととそこまで駆 け寄った。 ﹁つきましたよ﹂ とリエさんに声をかけられて立ち止まる。 ﹁では、行きましょうか﹂ 彼女がそう言うと、海に大きな穴があいた。 直径10mほどの大穴は俺たちが全員入っても余裕がある。 彼女はおそらく水魔法を使ったのだろう。 だがこの規模はヤバイ。今ここで彼女と戦えば負けそうだ。 ﹁何をしているんですか、行きますよ﹂ 彼女はそう言うと穴の側面から顔を出しながらその底の見えない 穴の奥へと降りていった。 1285 1286 海の底へと︵後書き︶ 底の見えない穴とは不安感を煽りますよね。そこへ降りていくのは なんとも勇気のいりそうなことです。 1287 海底王国アクエリウム 自分で作ったとはいえ、透明の階段を使って下へ降りるというの は非常に怖い。天界にいったときはまだ妙な安心感があったが、こ こは落ちたら死にそうだ。 ついでに目の前のこいつの狙いがわからない以上、いつでも空間 転移で逃げられるように気を張っているのも精神的に疲れる。 彼女からすればこの道程は慣れたもののようで、先ほどからくる 実年齢は知ら りと側面から向こうの水中を回ったりする余裕まである。 アイラがリエさんにこんなことを提案した。 ﹁ねえ、リエさん。敬語やめてもらっていいよ? ないけど見た目的にも少し年上でしょ?﹂ そう。人魚族が長寿であろうとなかろうと、俺たちの見た目より は二つ三つ年上にいつまでも敬語というのは慣れない。 ﹁いえ、頼む側ですので﹂ そう言われると何も言い返せない。 正論だからだ。俺たちもまた、敬語を使っていないのはそういう 理由からであり、明確に立場には上下がある。 やや距離を感じるから崩してほしかったんだけど。 何の足応えもない透明の床は、見えない底まで続かせてあり、俺 が作るのをやめるとあっという間に下まで落ちていく。 三人の命をこうも直接握る機会はない。なんともストレスのかか 1288 る作業である。 だがそれでも自分がしていることはこの世界でも十分異常だとい うことは自覚している。だからこそ、人目の多い街中でこれを練習 する気にはなれなくて、旅の最中にちまちまと固定だけを練習して いたのだ。 ﹁それにしても凄いんだな、この穴を一人で作るなんて﹂ これは海の底へと陸の ふと探りを入れてみた。いくら水魔法が得意だからといって、こ れを作るのは容易ではない。 リエさんはあっけらかんと。 ﹁いえ、私一人の力ではないですよ? 者を招きいれるための装置で、これを使うには面倒な手順を踏まな ければなりません。それだけ重要な設備なので本来なら他所者に存 在を話すだけでも駄目ですね﹂ なるほど。この人はうまい。 俺の探りに対して必要以上に答えることで信頼の証とするってわ けか。 その重要性を伝えながらも、露骨には恩にきせないことで嫌味を 感じさせない。そして美人でもある。 この人をここに寄越したのはアクエリウムの奴らにとって賢い選 択だったといえる。 サメの魚人とかシャチの獣人とかだったらもっと警戒していたか もな。 だがそれさえも計算のうちであるならばむしろ警戒は解けないま まだ。 本当に頼み事をするだけならまだいいんだけどな。 1289 ﹁あっ、そうだった﹂ 俺は海の側面に手をつけても大丈夫かどうかを確認した。 ﹁大丈夫ですよ﹂ ﹁では、失礼して﹂ ぽちゃんと海水の壁に手を突っ込む。結構深いところまでやって きているので、随分と冷たい。突っ込んだ手に魔力を集中させて、 そこに向かって叫んだ。 ﹁クラーケン!!!﹂ だがその叫びは魔法によってコントロールされ、三人と一人の耳 にダメージを与えることはない。ビリビリと振動が手から伝わり、 海の周囲へと拡散されていく。 ﹁へー、呼ぶんだ﹂ ﹁あいつも来たほうが楽しいもんな﹂ ﹁せっかく海の中なんだしね﹂ 三人はクラーケンも連れていくことに特に疑問はないようだ。 ﹁何をなさるおつもりですか?﹂ リエさんだけは事態を理解できずにやや敵意のこもった目で尋ね た。 ﹁クラーケンは海の中でもかなり危険な魔物。巨体に加えて高い知 能、複数の手足と敏感さで死角さえない。他にも凶悪なものはいま 1290 すが、それでも私たちにとって危険な魔物の一つです。呼び寄せる ということは敵対していると見てよろしいですか?﹂ ﹁ちょっと待て、誤解だ。敵対するために呼ぶならもっとこっそり 国についてからするよ。どうしてこんな危険な状態で呼ばなきゃ駄 目なんだよ﹂ ただ単に約束を忘れていただけだ。 クラーケンと行動を共にしたほうがいいしな。 ﹁じゃあ、どうして﹂ ﹁クラーケンは俺たちの部下だよ。仲、いいんだ﹂ ﹁何を馬鹿なことを言っているんですか。知能の高い魔物は自分よ り上と認めたものにしか服従しません。人間が海の中のクラーケン を圧倒できるわけないじゃないですか﹂ だから引きずり出したんじゃねえか。 百聞は一見に如かず。実際に見てもらった方が早いということで、 クラーケンに来てもらった。 さすがは海の上級魔物。遠く離れた場所からでも俺たちの声を聞 きつけて駆けつけてくれた。 底まで続く穴の側面をぐるりと取り囲むようにクラーケンが現れ た。 水族館で見たことのあるようなこの光景。もしもクラーケンが敵 なら一巻の終わりだな。勝てる気がしない。 ﹁お呼びですか?﹂ ﹁ああ。今からアクエリウムに行くんだけどお前もついてこいよ。 俺がいいと言わない限り自分から手を出すんじゃないぞ﹂ ﹁本当に言うことを聞いている⋮⋮冗談でもなんでもない主従関係 1291 とは⋮⋮﹂ リエを含む方々は頭は回れど地上の情報にはまだまだ疎いようだ。 俺たちがクラーケンを配下にしていることは別に隠していない。ち ょっと調べればわかることだ。それを知らないということは、精霊 からの情報だけで動いているということであり、俺の人間としての 立ち位置は知らないと見ていいだろう。 それを知るのにも一役買ってくれたな。 それからはクラーケンにビクビクしながら下へと降りるリエさん。 ここでの優位性は完全にひっくり返ったと言える そんな大人気ないことのために呼んだわけではないが、やはり人 がビクビクしているのを見るのは楽しい。 しかもそれが自分の行動が原因ならば尚更である。 螺旋階段状にすることで滑らかに下っていけるようにしたとはい え、かなり長い。途中面倒くさくなって直線距離を全員で転移した のはややせっかちだったかもしれない。 いいんだよ。ちゃんと降りられたんだから。 頭上の光も見えなくなってきたあたりで、海の中に建造物が見え た。 周りには大小様々な種族がぐるぐると回り、建物の半分からは空 気の球のようなものが溢れそうになっている。 ﹁もしかして、あれかな?﹂ ﹁そうじゃない?﹂ アイラとカグヤが指差すそれこそまさに海底の楽園、アクエリウ ムであった。 1292 ◇ クラーケンとともに深いところまで潜ってきたが、海溝とまでは 大袈裟かもしれないが、大陸棚ぐらいは余裕だろう。 国の入り口では名前と種族、ここに来た目的などを尋ねられた。 クラーケンについては暴れた場合俺たちの責任ということで入国許 可を得た。しかし俺たちよりもやや審査は甘かったような気もする。 やはり魔物でも知能が高ければ住むことのできるこの国では、人間 の方が危険と見られているのかもしれない。 身元保証人としてリエさんがつくとなると、下半身がタコの兵士 の人も恐縮して俺たちを通してくれた。 ﹁これを身につけてください﹂ リエさんが差し出したのは透明感のある服だった。水色にところ どころ緑が入っていて、アクセントに金糸があしらわれている。 これがこの国の制服だろうか? ﹁なにこれ?﹂ 両手で受け取ったあとぺらんと目の前に広げたロウが尋ねた。 やや女性的なデザインもあり、男に無条件で着るようにと言われ れば反抗したくなるものなのかもしれない。 1293 ﹁水神の羽衣といって、水の力から身を守ってくれます。それを着 けていれば水中でも濡れずに喋ることもできます。ただ、空気がな いことには変わりないので呼吸にはお気をつけください﹂ 随分と危ないシロモノだな。うっかり呼吸を忘れたらどうしてく れる。 だが水圧から身を守れるのは嬉しい。この国で空気の中から出れ ば人生終了なんて勘弁ねがいたいからな。これはあくまで補助器具 として見ることにしよう。 ﹁じゃあ呼吸はどうするんだよ﹂ ﹁それについては私たちもよくわかりませんが、ここには一定量の 空気があります﹂ ふと見ると前世では見たことも聞いた事もないような奇妙な海藻 が空気のある場所の中央部分に生えていて、そこからポコンと空気 の球がでている。その粘膜と魔力が周囲に空気を押しとどめている ようだ。 光合成による酸素の生成と他の動物たちの呼吸による消費が釣り 合っているのだろう。 ﹁あんなので不都合はないのか?﹂ 俺が聞いたのは他でもない、海藻の光合成に頼っているだけでは 酸素のみの気体があの中を構成しているはずだ。 ならばあんな場所で生物が住めるとは考えられないのだが。 ﹁時々精霊様が地属性の魔法を行使します。すると空気が通常に戻 るそうですが⋮⋮私たちにもよくわからないような問題を指摘しま 1294 すね。海底の空気の問題など人間が知るはずもないのですが⋮⋮﹂ なるほど。窒素は地中から用意しているのか。そうか生物の体か らだろうか。どちらにせよ精霊達は本能的にそのことを知っている ちょっとばかり人の知らな んだろう。精霊ありきの国家なんて初めて見た。 ﹁ウタから多少は聞いてるんだろ? いことを知ってるだけだ﹂ ﹁深くはお聞きしないでおきましょう。ただ、この場所では炎魔法 の使用は厳禁ですので﹂ ﹁わかってるわ。私たちも危ないのにそんな馬鹿な真似はしないわ よ﹂ カグヤにも空気の構成成分についてはよく教えてある。 風魔法を行使するのに中身を知らないとかお笑い草でしかないか らだ。 当然、燃焼には酸素が必要で、それを失えば俺たちが呼吸できな くなることも理解している。 こいつらが経験則から漠然としか知らないことを知識として体系 だてて理解しているからこその強さだ。 この程度のことは注意されるまでもない。 リエさんに国の中心へと案内されていく。元々中心に一番近い入 り口を選んだらしく、さほど時間はかからない。 道ゆく住人たちは物珍しげにこちらを窺っている。やっぱ人間っ て珍しいのか。 ﹁こちらが我が主の屋敷となります﹂ リエさんに案内されたのは城とも言える大きさの屋敷であった。 1295 1296 海底王国アクエリウム︵後書き︶ どことなく某海賊漫画の魚人の国を思い出しますね。 1297 お坊ちゃんの頼み事 ぽこん、ぽこん、と時々空気の中から泡が上へと上がっていく。 それは水上に上がるまでその姿を維持できるのだろうか、それとも 上がるまでに霧散してしまうのだろうか。 クラーケンは頭上にいる。その雄大な肉体はどこか美味しそうと さえ感じる。きっと元日本人の性だ、と言うと日本人に怒られるだ ろうか。どうして醤油がないのだろうか。 俺たちは下の空気でできた通路を歩いてここまで来た。 これが家?﹂ 目の前にある城的な何かに呆然として尋ねた。 ﹁えっ? リエさんの案内した場所はどう見ても普通の家ではなかった。 わざわざ外の人間に頼まなければいけないほどのことだ。権力者 か何かに違いないとは思っていた。 ﹁こちらでございます﹂ 上でぐるぐる回っているクラーケンに呼びかけた。 ﹂ ﹁クラーケン、お前はお留守番だ﹂ ﹁ええっ! ﹁当たり前だ﹂ 何を驚いている。その体でどこの建物に入るつもりなのか。とり あえず他の人に迷惑さえかけなければそこらへんをぐるぐる回って 1298 いればいい。 ﹁いいじゃない。どうせクラーケンには面白いことなんてないわよ ?﹂ カグヤの言うことももっともだ。 素直に留守番してやがれ。 驚いたり抗議したりはするけれど、反抗するつもりはないらしく あっさりと引き下がった。 ﹁では﹂ リエさんは俺たちを建物の中へと案内した。 リエさんはここではかなり地位が高いらしく、門番から中の使用 人に至るまでが、彼女の顔を見るなり恐縮して挨拶とともに道を譲 る。人間というキワモノさえもしかすると彼女直属の奴隷か何かに 見えているのだろうか。 水の中をリエさんが、それに沿って空気の道を俺たちが。透明の 何かによって上と下が空気と水の層に分断された通路を行く。 ﹁これからお会いになる方は現在のアクエリウムにおいても両手の 指で足りるほどにお偉い方です。粗相のないようにお願いしますね﹂ ふむ。両手の指で、ということは王族と見てほぼ間違いないだろ う。王族か⋮⋮王族というと美形ばかりと出会ってきているから今 1299 度もイケメンだったらどうしようか。そんなことを憂いながら泳ぐ たびに揺れる尾ひれを眺める。 ﹁何いやらしい目で見てるの?﹂ アイラのやや冷たい視線が突き刺さる。いやいや、そんなことは 思っていない。だいたい尾ひれに欲情しろというのはなかなかマニ アックだろ。その先に見える胸はスレンダーなヘソと相俟ってなか なかにいいものだがな。 ﹁見るぐらいなら構いませんよ。様々な種族がいると様々な美的感 覚がありますからね。人型で多少綺麗だったとしても見向きもされ ないので、私程度だと新鮮な感覚です﹂ 私程度って。前世なら確実にモてていたであろう綺麗なお姉さん がこの程度と呼ばれるのは、美的感覚の多様さからだとはなんとも 悲しいものだ。魚人と獣人とか、魚人と人魚の恋とかないのだろう か。物語の中だけなのだろうか。 ﹁ロウも鼻の下伸ばさないの﹂ ﹁伸ばしてねえよ﹂ ロウって鼻の下なんか伸ばしてたか? そういうのが顔に出ないからよくわからないな。さすがカグヤ。 付き合いの長さが違うな。ついでに見てる量も。 ﹁こちらでございます﹂ ほらみろ。そんなくだらないこと言ってたから調度品を見るのを 忘れていたじゃないか。 1300 ◇ この城に住むのは第一皇子にして鯨の獣人、ローナガだ。 王族というかそれに連なる家系は一つではないらしく、ホエイル 家はその一つであるという。 ホエイル家は海の王国アクエリウムの獣人の中では一番格の高い 一族であるらしく、その影響力は国の中でもトップクラスだとか。 そしてその家の一人息子ローナガというのが。 ﹁よく来た。褒めてつかわす。そしてリエもよくやった。こやつら が件の人間族と申すか⋮⋮なんとも脆弱そうなナリだの。役立つの か?﹂ でっぷりとした見事なまでの放蕩息子に見える。 鯨の獣人だから? そんなことはない。途中、使用人の中に鯨の獣人を見かけたがこ こまで酷い見た目ではなかった。 顔の表面には何やらザラザラとしたものができており、人間で言 うところのニキビやソバカスだろうか。 粘っこい声で俺たちを見定めるようなことを言った。 ﹁その智謀と策謀、そして人脈から戦闘力に至るまで相当なものか と﹂ ﹁余の信頼厚き貴様の言うことならばとりあえずは信じておこう﹂ まあ実際に見てもらわないことにはな。見た目だけや噂、評判だ けで判断されるのもなんとも居心地が悪い。 1301 ﹁おい、お前ら。お前らをここに呼んだのは他でもない。余の即位 今即位とか言いました? を手伝ってもらいたいのだ﹂ はあ? だとすればこの人どこか頭が沸いてるんじゃないだろうかね。 いきなり呼びつけた人間に即位なんて手伝わせてなんの役に立つ っていうんだ。 そりゃあ﹁役立つのか?﹂って聞くだろうさ。 ﹁早とちりしてもらいたくはない。余の即位は決まっているような ものだが、それでも万が一ということはある﹂ 聞いてみれば、この国では王というものは国民の投票によって決 めるのだとか。代表者を選んで政治をさせる。典型的な間接民主制 だな。人間にも見習わせたいぐらいだぜ。 もちろん候補がこいつ一人なはずがなく、いろんな家から候補が 出ていて、いつも6∼10人ほどの候補者がいるのだとか。 もちろん誰でも出られるわけがなく、名乗り出るためには三つほ どの条件があり、そのうちの二つが一定の金額を納められるもの、 そして高い位の家の後ろ盾を得られたものだ。 今度の候補者の中には、人魚姫ロレイラや、魚人のスキュラ族代 表オークス。そして最大のライバルとして海の神ポセイドンの血を ひく海の妖精王ケアノ、サメの魚人シャクラ家代表クイドなどがい るらしい。 ﹁邪魔者を消してもらえるかと思ってな﹂ へえ。王族の世継ぎ争い、か。 なるほど。だから俺たちを呼んだわけだ。他種族であっても利益 1302 があればなんでもしかねない実力者としての人間を、ねえ。 俺たちがこの誘いを受けることに利益を見出していることさえお 見通しってわけか。 思ったよりも頭は悪くないらしい。 ﹁半年ほど時間をいただけますか?﹂ ﹁あなたという人はっ!﹂ ﹁冗談ですよ﹂ ここで俺様系キャラなら、﹁利益がない、断る﹂とか敬語も使わ 何しろこ ず退室しようとしてこいつを敵にまわした挙句力でボッコボコにし たりするのだろうか。 俺には向いてないな。 ﹁で、条件はあるか?﹂ ﹁申し訳ございません。少々時間をいただけますか? こにきて日が浅く、この国についてほとんど何も知らないのです。 見聞を広めるための猶予を﹂ ﹁構わん。許す。ことは重大だ。関わりたくないように心変わりす ることもあろう﹂ おお。許してもらえた。 これでとりあえずは俺の思い通りにするための猶予期間ができた と言えるだろう。 俺たちは恭しく退室したのだった。 ◇ 城の外で三人とともに歩く。 1303 見聞を広げるというのは全くの嘘ではない。 だが猶予期間というのは本当だ。 なんの躊躇もなく、王族に呼ばれたからといってホイホイと使わ れるほど馬鹿じゃあないし、そんな馬鹿をあの抜け目なさそうな皇 子が欲しているわけでもあるまい。 ﹁で、あんなのに従うの?﹂ アイラはまだ真意を掴めていないようだ。そりゃそうか。俺もま そんなこと言ってないぞ?﹂ だ決めてないんだから。 ﹁へ? ﹁でも断ってねえじゃねえか﹂ ﹁あのねえ。王侯貴族というのは総じて誇り高いというものでだな。 あんな風に直々に頼んでおいて真っ向から断ったりしたら馬鹿にさ れたと思うものなのさ。ああいう場では返事を曖昧にしておいて、 断るときもこっそり後から言うもんだ﹂ まあこうすることで敵対するにしても無関係を装い遊び歩くにし ても都合がいいからしたってのもあるが。 そこまで説明するとやっぱりどこか呆れたように。 ﹁あんたって⋮⋮どこでそんな立ち回りを覚えてくんのよ﹂ ﹁いやあ、俺って貴族育ちじゃん?﹂ ﹁学校では王族を友達に遊びほうけて卒業と同時に旅立ったような 男は貴族と言わねえだろ﹂ まあね。 でもまあ、面白そうじゃないか。 1304 お坊ちゃんの頼み事︵後書き︶ アクエリウム、王族争い編 1305 モルボの酒場で アクエリウムはこれまでのどの国とも違った幻想的な美しさを持 っている。 空気を孕んだ膜は光の干渉で虹色に輝き、空気の通路と水の通路 が入り乱れるその町はとても立体的な構造で、ふと目を離した隙に 誰が迷ってもおかしくない。 何故かここまで到達する柔らかな陽光が水と空気の狭間で乱反射 している。 ﹁綺麗⋮⋮﹂ 美しいものを見たときに語彙が貧弱になってしまうのはカグヤに 限ったことではない。 そういう時は何も言わないのも一つの表現だと知るかのようにア イラは何も言わない。 ロウはやや無感動に足裏の砂と海藻の感触を確かめるように顔を しかめた。 何も言わなかったアイラがぼんやりと上を見ながらこんなことを 呟いた。 ﹁ねえ。海の中に国が作れるなら、空の外にも国が作れる日がくる のかな?﹂ ﹁いつかは、な﹂ だけどそれは今日じゃない。 そしてきっとそれができるのは俺たちが死んだずっと後だろう。 1306 ここで﹁俺が作ってやろうか?﹂とでも言えたらかっこいいのだ ろうか。 前世ならいざ知らず、今もこの星には土地が余っているのに必死 でそんなものを作ることに利益はない。 目指す気にもなれないが、アイラのその感傷的な疑問に感じると ころもあり、俺は余計な口は挟まなかった。代わりに三人を急かし た。 ﹁ほら。見惚れてないで、情報収集は基本、だろ?﹂ ﹁もう少し浸らせてくれたっていいじゃない。あーあ、うちの男子 陣は情趣が足りないんだから﹂ ﹁美しいものはそれだけで価値がある。けどな、それもろくでもな い王をつければ全部滅ぶんだよ。下手をすればこの国を滅ぼすのが 俺たちの役目になるかもしれないんだぞ﹂ いつになく真面目になってみる。 だが俺のことだから嬉々として滅ぼしにかかりかねないと思った のか、カグヤは顔を引きつらせた。 やはり人間は珍しいらしい。 道ゆく人々はこちらを見ては何かと噂しているようだ。 いつも他種族の国を初めて巡る時はその国の人と巡ることが多か ったため、こういった視線がここまであからさまなのも珍しい。 人魚、妖精、魚人、獣人。 種族の数だけならばおそらくここが一番多いだろう。 ﹁お兄さんたち、観光?﹂ 1307 ﹁よかったらこちらのお店、寄っていかない?﹂ ちらほらと声をかけられることもある。 人魚はもっと人間に警戒心を持つものかとばかり思っていたのだ が、奴隷商売で滅多に人魚なんて出回らないことからもわかるよう に人魚は人に捕まるなんてことがないのだろう。 だからこそ空想上の種族として未だ認知さえされていないのかも マシンナーズ しれない。 機械族は存在を疑われこそすれ、多くの書物でその名を見たが、 人魚は物語の中ではよく見かけても歴史書などにはその名が登場し ない。 ローナガの城で人間の金をいくらかここで通用する貨幣に替え ◇ てもらった。 ここで最も高価な貨幣代わりは白涙と呼ばれるものだと聞いて﹁ はくるい?﹂と疑問符を浮かべると、差し出されたのは真珠だった。 なるほど、白い涙か。貝の内側の成分が異物を核にして覆ったもの、 それを涙とは言い得て妙だ。他にも貨幣代わりはあるようだがまあ 大丈夫だろう。 とりあえず酒は飲めないけれど酒場にでも行こうか、と水神の羽 衣を利用してショートカットしながら建物に入った。 サンゴでできたランプに青く光る何かが入っている。水に合わせ てゆらゆらと揺らめく。 イソギンチャクの魚人の女性が話しかけてきた。 イソギンチャクの年齢はよくわからないけれど、人の部分から察 する年齢としては三十路ぐらいか。 1308 彼女はボゴボゴと水の中で喋った。 ﹁あなたたち、人間よね﹂ ﹁はい。だから空気席でお願いします﹂ ﹁礼儀正しい子は嫌いじゃないわ。ついてきなさい﹂ 水と空気とを交互にくぐり抜けると、空気のみで構成された空間 があった。 その中でカウンター席に座って幾つかの注文をした。 メニューは酒場と言いながらも食事処としての売りもあるらしく、 豊富な海鮮料理に胸が高鳴る。 マーズ煮という煮物があったもので、美味しそうなのにマーズ煮 とは何かと面白かったので頼んだ。 ﹁あ、美味しい。ちょっと懐かしいかも﹂ アイラも同じことを思っていたようで。 ﹁変わった名前だね﹂ ﹁マーズってのはとある地方での塩の別名だよ。塩煮ってことね﹂ ﹁へえ、薬味もあるんですね﹂ ﹁この国の上に無人島があってね。そこで陸でしかどうにもならな いものは栽培しているのさ﹂ あっさりと食糧事情について話してしまった。 人間に弱みになるとは思わなかったのだろうか。 ﹁いいんですか?﹂ 俺は主語も目的語も言わなかった。 1309 彼女ならば伝わると思ったからだ。 ﹁いいんだよ。どうせ知ってもどうにもできないんだから﹂ ﹁その島は断崖絶壁に囲まれていて、入り口が海面よりはるか深く にあるってところですか?﹂ ﹁⋮⋮どうしてそんなことを思ったんだい?﹂ ﹁人間にどうにもならない。けれどあなたたちは取りにいける。最 大の違いが呼吸や泳ぐ力しかないのですからそれぐらいでしょう?﹂ 強い魔物がうじゃうじゃいるってなら、誰も取りにいけなくなる しな。 ﹁あんたみたいな人間が一番怖いねえ。この会話で弱みを握ったな んて考えられる人間がね﹂ ﹁そういうわりには顔は全然怖がってねえぜ、あんた﹂ ロウがニヤニヤしながら横で魚の目玉をほじった。 目のあった場所の奥にある身がなかなか美味しいとつまんでいる。 ﹁取りにいけるぐらいの実力がある奴はこれを弱みだと考えられる ほど頭は回らないし、それだけの力がないとここには来れないだろ う?﹂ ﹁まあ、ここには案内されて来たんで。⋮⋮でも取りにいくことは できますかね﹂ ﹁場所を言わないことには、ね。それにどうにもならないからとい って警備がないわけじゃあないよ。それに⋮⋮いや、やめておこう。 これ以上あんたに話せば何があるかわからない﹂ ﹁賢明なことで﹂ アイラはメインディッシュを食べ終わり、モズクをすすっていた。 1310 ロウは二枚貝のオリーブオイル蒸しに手をつけている。 俺はカウンターに顔を乗り出し、急にヒソヒソ声で話しだした。 ﹁ここだけの話なんですが﹂ 今までとりとめのない雑談に興じていた目の前の人間がいきなり 真剣な顔をすれば驚くのも無理はない。 目を丸くしたのも一瞬、すぐに平静を取り戻して彼女は表情を引 き締めた。 ﹁僕たちはここにはホエイル家のローナガ様に次の王位争奪戦の助 力を請われてきました﹂ ﹁へえ、そんなことこそ言ってよかったのかい?﹂ ﹁ここだけの話というのは、ローナガ様のご評判というのをお聞き したくて。いえ、告げ口など絶対にしませんよ。誰がどんなことを 言ったかなど口が裂けても言いません。だから、悪い評価であって も是非正直におっしゃってください﹂ ﹁なんでまたそんなことを。それこそあんたがローナガ様側の人間 じゃないと示した方がやりやすかったんじゃないのかい?﹂ ﹁信頼してもらうためですよ。ここまで話せば、腹を割って話せる かと。悪い点があるなら市井で聞けば直すことにもつながるでしょ う。あくまで参考にするだけなので﹂ ﹁ふうん⋮⋮完全に信じたわけじゃあないけど、あんたが嘘をつく 理由が見当たらないね。いいよ、悪口とはいかないけれどある程度 は一般的な評価を聞かせてあげよう﹂ 1311 彼女の口から語られたローナガの評判というのも、さほど驚くよ うな内容ではなかった。 ローナガは貴族からの支持が厚い王族らしい。頭はそこそこ回る し、打算的で金もある。 この国にも貴族というものはあるらしく、それらの支持を得ると いうことは、特に何もなければその下に支配された民衆の支持も得 ることにつながる。 つまりは何もしなければ多くの票が集まり、なし崩し的に彼が次 の王位につくということになる。 そんな勝ち馬に乗れるということは今の情勢から言うなればかな り有利なことであり、今もローナガに擦り寄る貴族は後を絶たない という。 一方、利己主義な部分もあり、父親の築き上げた今の権力に固執 する部分も見られるとか。 今回王位につけば、落選した王になる可能性のある相手を何かし らの方法を使って家ごと壊滅させようとしているという噂を聞く。 だが民衆にとっては他の王族が滅ぶということの重大さが理解で きないらしく、力のある奴が王につくならそれでも構わないと考え ているやつもいるらしい。 ﹁へえ⋮⋮それだけ聞ければ十分ですよ﹂ ﹁あんたが何を企んでいるのかは知らないけれど、あれは乗れるよ うな勝ち馬じゃあないよ﹂ ﹁わかってますよ﹂ 他の王候補についても話を聞いた。 人魚姫ロレイアは人魚の過半数と魚人、獣人の一部に熱狂的な支 持を受けているらしい。 1312 あれだな、アイドル的な国のシンボルとしての姫だな。 シャクラ家代表クイドは魚人と獣人の中でも血気盛んな若者の支 持が高いようだ。 妖精は妖精王ケアノにもっていかれるらしく、そればかりは宗教 的な何かを感じるほどに強いらしいので引き剥がすのは無理だろう とのこと。 ﹁いろいろいるのね﹂ ﹁ただ勝たせるだけならなんとかなるかもしれないけど、その後を 誰の反乱なく治めるのは難しいだろうね。味方が多い分、敵も多い 方だ。だからこそあんたを呼んだんだろうね﹂ 人生経験の深い方のお言葉は違うね。 この人も見た目通りの年齢じゃあないのかもしれない。 嫌だなあ。実は三百生きたアクエリウム最長老の魔女とかだった ら。 そんな時、後ろで扉が開くのがわかった。頼りない、弱々しい開 えんじいろ け方だったが空間把握でそれを見逃すはずもない。 扉の向こうからは臙脂色の足が何本も見えた。よれよれとふらつ きながらその魚人は酒場に入ってきた。 ﹁あら、またあんたここに逃げてきたのかい?﹂ ﹁だってあれ⋮⋮横暴だろ!﹂ 呆れと親しみといくばくかの親愛のこもったからかいに、同じぐ らいの年齢の魚人は言い返した。 そんな彼に怒ることも追い返すこともなく、まるでここに来るこ とがわかっていたかのように彼女はスープを差し出した。 1313 ﹁逃げてきたのは否定しないのが正直でよろしい。ほら、これでも 飲んで落ち着きな﹂ ﹁⋮⋮いつもありがとう﹂ 彼は下半身がタコの魚人、スキュラであった。 1314 モルボの酒場で︵後書き︶ 彼はどういう方でしょうか 1315 新たなる政争 入ってきたタコの魚人のスキュラっぽい青年と目が合った。 お互い、﹁こいつ誰だよ﹂って思っているに違いない。少なくと も俺は思っている。 先ほどまで俺たちに話をしていてくれたこの酒場の女主人│││ │モルボさんがその青年を紹介してくれた。 ﹁この子はオーくんって呼ばれててね。時々こうしてここに来てい るのさ﹂ ﹁お前は酒を飲むのか?﹂ 俺はそう言いつつ、果汁の氷割りをあおる。酒ではない。つまり はジュースだ。こんな異世界でまで前世の法律にとらわれているわ けではないし、前世でも小学生の時点で酒ぐらい飲んだことはある。 単にどのお酒がいいのかよくわからないだけだ。 ﹁そうだったらなんだよ。酒ぐらい飲むさ﹂ ﹁へえ、俺は飲まねえんだ﹂ ﹁バカにしてるのか﹂ ﹁いやいや。別に飲もうが飲まないがいいじゃないか﹂ ﹁君が聞いたんだろ﹂ 1316 確信した。この子はツッコミ役だ。 ﹁なあ、モルボさん。なんでこの子僕に厳しいの? でもあるの?﹂ ﹁あんた、からかうのもそれぐらいにしておいたら? 人間に恨み その子ね、 それでも次の王候補に上がるぐらいには身分が高いのよ。地元のお ばちゃんおっさんには愛されているんだけどね⋮⋮あんたみたいに 初対面でいろいろ言われることがなかったからじゃない?﹂ ﹁オーくんってオークスのことかよ﹂ ﹁私はさん付けなのに、その子には呼び捨てなのね﹂ それがなんの関係があるんですか? こうしてホイ 呆れたような、それでいて面白がるように言った。 ﹁王族? 俺 ホイと市井に降りてきたってことは一般市民と同じ扱いでしょう? 客でもないのにどうして畏まらなきゃダメなんですか? の中ではモルボさんの方が身分が上ですからね﹂ 誰にでも敬語というのもそれはそれで魅力的な人格なのかもしれ ないし、誰にでも敬語を使わないというのもかっこいいと思われる こともあるのかもしれない。 だが、基準こそやや俺の感情に頼る部分があるものの、俺の中で は敬語を使う相手と使わない相手の線引きが明確にある。 ﹁モルボさん、この無礼な奴をどうにかできませんか?﹂ ﹁その子も一応、礼儀正しい方のお客様だからねえ。ちょっとふざ 1317 けたぐらいじゃ追い出せないわ﹂ くうぅ、と唸ると足をびたんびたんと波打たせた。生まれた水流 がイソギンチャクの触手でできたモルボさんの髪を揺らす。行儀の 悪いことで。 ﹁で、もうすぐ選定式だってのに、こんなところにいていいのかい ?﹂ ﹁いいんですよ。どうぜ僕なんて、王にはむいてないんだ。父も、 家庭教師の人も、槍の稽古をつけてくれる人もみんな期待してる。 でも王になんてなりたくない⋮⋮いや、なれやしないんだ﹂ ﹁どうしてそう思うんだい?﹂ ﹁だって。ロレイラさんはとても人気があるし、クイドさんはあん なにみんなに尊敬されている。あの二人にも勝てないのに、最有力 候補って言われてる﹂ 悔しげというよりは諦めと自嘲といったところか。 カウンターに握りこぶしを置き、もう片方の手にも力がこもって いる。 ﹁おいおい、次期王候補が随分と弱気じゃねえか﹂ 何が楽しいのかロウは楽しそうに笑う。 カグヤはやや軽蔑気味な目ではある。アイラに至ってはほとんど 興味がないようだ。 ﹁僕には皆を従えるだけの圧倒的は魅力も、実力も、手腕もない。 1318 総合で見たら今回の最弱は間違いなく僕だ!﹂ 権力は父のものだし、金でも負けている。そんな僕がどうやって勝 つっていうんだ! 何こいつ、酔ってんの? だいぶ自虐的だけど、王族に名を連ねるだけで十分持ってるほう じゃないか。 それでもって、現状を認識する能力と良識、他に何がいるんだよ。 そんだけあれば普通に幸せになれるだろうに。 最弱、いい響きだ。 人は誰もが弱い。強いとか自称しちゃう奴の気が知れない。 なんともウジウジしていて、おおよそ友達として腹を割って話す には物足りなやつだが、それ以上にこいつにはこいつの役割がある。 ﹁もう逃げてしまいたい。どこか遠くの国に。誰も僕を知らないと ころに﹂ お前⋮⋮海以外でどこに逃げるつもりだよ。 魚人だろ? えら呼吸以外に口呼吸ができても、皮膚の乾燥とか食料環境とか 陸上はオススメできないぞ? そんな弱虫なこいつを見て俺は決めた。 ﹁なあ、三人とも、俺は今からすごく厳しい道にいく。ついてくる か?﹂ ﹁面白い道ならな﹂ 1319 ﹁右に同じく﹂ ﹁その人のことは気に入らないけど、いいよ﹂ アイラはもう何をするのか気がついているのか。 さすがアイラ。ずっと俺といただけのことはあるな。 お前が泣いて嫌がろうが、 ﹁さっきから何をわけのわからないことを⋮⋮﹂ ﹁決めたよ。俺はお前を王にする! 逃げ出そうが王に祭り上げてやるよ!﹂ ﹁は?﹂ 間抜けなツラが拝めて実に愉快だ。 できることならば、他の王候補の奴らもこんな顔にしたいもんだ。 ﹁はあぁぁぁぁぁっっ!?﹂ オークスくんの絶叫が酒場に響き渡った。 お忍びできたやんごとなき身分の男と、滅多にこの国を訪れない 人間の組み合わせだけでも目を引くのに、それが大きな声をあげれ ば目立つのは当然のことで。 1320 モルボさんもいたたまれなくなったのか、上の部屋を貸してやる からそこで話すようにと俺たちを酒場兼自宅の自宅に追いやった。 気の利く人というのはどこにいても慕われるもんだ。 オークスとやらがこの人を慕ってここに愚痴りにきているのもわ かるような気がした。 ﹁なあ、お前バカなの?﹂ オークスはまさか手伝ってあげようという立派な精神の冒険者に 向かってなんたる暴言をはくのか。 心の広すぎる俺はそれを笑って済ませてやるから、後は頷くだけ この国の権力者としての地位か?﹂ でいいんだ。簡単だろう? ﹁目的はなんだ? ﹁いらねえよ、そんなもん﹂ ロウの言う通りだ。 何が楽しくて海の底に定住しなくちゃならないんだ。それなら自 治区かギャクラに定住するし、そんなことなら余計にローナガに従 こんな一番勝ち目のない僕を!﹂ った方が甘い汁を吸える。 ﹁じゃあ、なぜ! ﹁君の人格に惚れたから││││││とか言ってほしいわけ? ないわー﹂ 軽く声を漏らした後は口をパクパクと酸欠の魚のように動かして いる。 もしかして図星か? 1321 ならちょっとナルシストなんじゃないか? 王になりたくないとか酒場で愚痴る男の子にどうやって入れ込む んだよ。 ﹁言っただろ⋮⋮僕は王になんてなりたくない。そんな器じゃない んだ﹂ うーむ。俺の性格がもっと良くて、イケメンで、人のことを思い やれるような素晴らしい人間であればなあ。 きっとこいつを立ち直らせるために遊び歩いたり、慰めの言葉を かけて、それでも立ち直らないこいつを一発殴って説教したりする んだろうな。 それともなんだ、﹁なら逃げてしまえばいいじゃないか!﹂とか 爽やかにこいつを瞬間移動でアクエリウムの外にでも連れ出すの? どうして? ﹁ねえ、こいつ王にするの?﹂ ﹁ああ、するよ。なあオークス。俺は実はこの国にはローナガ様に 王になる手伝いを請われてここに来たんだ﹂ ﹁ますますおかしいじゃないか。僕なんかじゃなくって、ローナガ ローナガ 様のところで頑張ればいいじゃないか。どうせ君たちは強くって賢 くって人にも慕われるような凄い冒険者なんだろう? 様は無駄な手は打たない。君たちを呼んだということは君たちは能 力のある人なんだろ?﹂ ああ、こいつ、別に馬鹿じゃあないんだな。 前半も後半も間違いだらけだけど、自分につくことが、ローナガ 側の俺たちにとってどれだけ不利か理解しているんだ。 1322 ついでに俺たちへの警戒を解かない。ローナガ側のスパイである 可能性を疑っているわけだ。で、その申し出を断るのに一番手っ取 り早いのが彼自身の立場なのだ。 ﹁ま、お前がお世辞にも王に向いているなんて心酔したわけではな いけど﹂ ﹁そうだよ、だから﹂ ﹁王になるのに能力がいるとも思えないからな﹂ 百の諫言と、民の声を聞き入れる耳、流されない意思、カリスマ、 武力、金、権力⋮⋮⋮⋮どれもあれば良いものだろう。 俺は王に全てが必要だなんて思ってはいない。 たまには環境や運なんてものが絡んでもいいんじゃないかと思う。 こいつにとっての運が俺らだったというだけで。 ﹁信頼できないってなら証拠を見せてやるよ﹂ そうだ、ローナガのところに行こう。 ◇ 一週間は欲しい。 そんな風に言った俺たちがこんなに早く帰ってきたことに不審な 目を向けるのも仕方がないか。 ﹁後ろにいるのはオークスとかいう弱小候補か。随分小物から仕留 1323 めてきたものだな﹂ ローナガは俺がオークスを捕らえて秘密裏に殺してみせることで、 彼に従うという意思表明する気なのだと考えているようだ。酷い誤 解だ。 おかげで﹁やはりこいつ⋮⋮﹂ってオークスが今にも俺を刺しそ うな目で見ている。勘弁してくれ。 ﹁ローナガ様。この度、私はあなたの下につかないことを決めまし た﹂ ﹁どうしてそんなことを決めたのかはわからないが⋮⋮もっとわか らないのはそいつがここにいることだな﹂ ﹁私たちはこの弱小候補、オークスにつくことに決めました。いや 違いますね。俺たちがこいつを王にします﹂ 彼の隣にいた執事から殺気が放たれる。鋭い刺すような殺気にオ ークスの足が竦む。こいつというやつは。 ﹁ふん⋮⋮構わんだろう。もっと賢い男だと思っていたようだが⋮ ⋮そのように血迷った選択をするとは。余の見る目が濁っていたと いうことだろう。使えない人材はいらん。見逃してやるから何処へ でもゆけ﹂ ﹁恐れながら申しあげさせていただくとすれば、別に血迷ったわけ ではございません﹂ ﹁なら、その理由でも話してくれるというのか。敵対するというの に随分と親切なことだな﹂ 1324 まあ俺がここで偽の情報を流してローナガを混乱させるかもしれ ないことを思うと、親切な、というのも皮肉なのかもしれないけれ ど。 ﹁例えば。私があなたに協力してあなたが王になったとしましょう。 あなたは私にどれだけの報酬を支払えますか?﹂ 貴様の国でも役に立つような獣人や人魚の女でも構わ ﹁それなら金でも、地位でも、なんならこの国の特権でも与えてや ろうか? んぞ。もちろん余への謁見許可ぐらいもつけてやる﹂ その言葉を聞いて確信する。 やはりこちらについておこう、と。 ・・・・ ﹁わかってませんね。謁見許可じゃ足りないんですよ﹂ その言葉に三人がニヤリと笑う。 ﹁僕にはそれ以上のものなんて⋮⋮!﹂ ﹁そいつの言う通り。余に用意できず、そいつに用意できる報酬な ど想像がつかんのだが。ただ他の奴に入れ込んだのならわかるんだ がな﹂ 確かに俺がロレイアとかいう王候補に色ボケしていたなら話はも っと楽だったろうにな。 クイドとかならちょっと難しかっただろうけど。 ﹁私は、いえ俺はそいつの中での地位が欲しいんですよ﹂ 1325 放っておいても勝つようなローナガに協力したとして、用意され た報酬は形として見えるものばかりだろう。 俺たちは協力者のその他大勢の一組としてカウントされ、国では 普通の貴族程度の扱いも受けられるかどうかというところだろう。 一方、オークスならば。 この劣勢を跳ね返して彼を王にすることができたならば、彼は俺 を即位の一番の立役者として見ざるを得ない。 外戚だとか、門外顧問だとか。 とにかく無視できないアドバイザーみたいな位置につける。 要するにこの国と、その王に恩を売りたいというわけだ。 ﹁だがその劣勢から跳ね返すのは容易ではないぞ﹂ ﹁あははは。でしょうね。だからこそ、でしょうか。元々貴方に敵 対しているつもりさえないんですよ。貴方ほど力があれば、正攻法 それで負けても俺 で俺たちをねじ伏せられるはず。小童四人、弱小の候補についたと ころで痛くも痒くもないんじゃないですか? これで俺たちは負けたとしても全然損はし たちの実力不足ですしね﹂ それに。と続ける。 ﹁わかってますか? ないんですよ。敵の懐に潜り込んで他の敵の支持者を奪っていたと か言い訳はいくらでもできますし﹂ 所詮は他の国。王が誰になろうと、戦争をおっ始めようみたいな 馬鹿じゃない限りは俺たちに被害はない。 1326 0か1か。利益が上がるか上がらないかのたった二択しかない賭 け。しかも賭けるのは俺たちの時間と労力。 ﹁貴様らの言い分はわかったし、確かに余が従えられなかった相手 に敗北などすればそれこそ余の王の資質が問われることになろう。 いいだろう、受けてたつ﹂ だから、別に勝ちとか負けとかじゃあないんだって。 どこで、誰が、どれだけ利益を上げるか。 王になる奴は、どれだけ自分と国民に利益を上げられるか。 簡単な話だろう? 1327 新たなる政争︵後書き︶ やらかしましたね 1328 巨大生物注意報︵前書き︶ Q:この世界の国内で有名になるには? 1329 巨大生物注意報 いい気分だ。 一番望みの薄い王候補擁立。 相手はこの国の王候補全員。 俺が地上で持つ権力のほとんどかここでは通用しない。 君たちが他の候補につくなら僕は やっぱ俺の立ち位置は最弱だよな。 ﹁今からでも遅くはないよ? 責めたりはしない。土壇場で裏切られるよりはずっと楽だ﹂ 今は俺たちと同じ空気のある区域にいるオークスが俺たちを突き 放すように言った。 この後に及んで俺たちの心配ならば、お人好しすぎる。自己保身 と自分の利益のためならば、見直すというかとても俺好みなんだが どうしてそんなことしなきゃならないんだ。そもそ な。うん、我ながら超偉そうだ。 ﹁裏切る? 逆だぞ? 俺たちはお前を王にす も裏切るってのはお前が王になりたいがために俺たちを信頼すると ころから始めるんだろう? ることで信頼されようとしているんだから﹂ 俺たちが負けても損はしない。 勝ったら得になるのがこいつしかいなさそうだから、無理やり王 に擁立してしまおうと言っているのに裏切られるとは何事か。 むしろ俺たちがお前を利用しているっていうのにな。 ﹁じゃあ、いつものように情報収集から、かしら?﹂ 1330 ﹁レイル、暗殺の機会はないのか?﹂ ロウは何を物騒なことを、と思ったけれど、こいつ陰陽師一家と は名ばかりの暗殺稼業だったか。昔の血が騒ぐのだろうか。 でもなー。殺したいほど邪魔な奴って、それだけ能力が高いわけ 俺たちの描いた絵に乗る? だし、殺さない方が便利なことも多いんだよな。 ﹁で、どうする、オークスくん? 便利だよね﹂ 乗るなら君の城に招待してくれると嬉しいね。大丈夫。城ではち ゃんと客人として振る舞うからさ﹂ ﹁それにしてもこの水神の羽衣、だっけ? ﹁周囲の圧力調整、濡れの防止って。泳ぐの下手な人必見だな。買 い取れたりできねえの?﹂ ﹁いや、それはここに来た客人への最初の贈り物という形になって るからもう君たちのだよ﹂ ﹁そりゃあよかった﹂ ﹁で。どうする?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮決めたよ。僕は君たちを信頼はしない。だけど、その案 に乗ってやる﹂ ・・ ﹁ククッ。いいよ、まだ信頼なんかしなくて。無条件に信頼するの は自分の見る目と勘に頼れば簡単だけど、人に無条件で信頼される のは気持ちが悪い。だって俺たちは不審者なんだから﹂ 笑顔でそう言うと、カグヤとロウが口を揃えて否定した。 ﹁レイルだけだから﹂ ﹁そうだよな﹂ ﹁ちょっと待てよ、アイラもなんか言ってやってくれ﹂ 1331 ﹁ごめん、私もそればっかりは擁護できない﹂ 希望は潰えた。ちくしょう。 まあそういうノリなだけだろうけど。 そんな時のこと。俺はざわりとした気配を背中に感じた。だがこ れは近くじゃない。近くじゃないけど相当でかい。 ﹁なあ、オークス。今ここに超巨大な魔物が来るって言ったら信じ る?﹂ カグヤもロウも、まだその気配を感じ取れる距離にはないらしい。 しかし俺の言葉を聞いて疑う様子はない。カグヤは腰の刀に手を やり、あたりを警戒している。 水の中では気配を察知しやすいだろうが、今俺たちがいるのは空 気中。人間が水の中の魔物の気配までわかるはずがない。オークス が妙な顔をして信じないのも無理はない。 ﹁魔物ぐらいならたまにくるが﹂ ﹁そうじゃない。あれはここをまっすぐに狙っている。かなりでか い。ここを狙うってことは人の多さを感じとっているんだろう。お 前らの自治はどれほどだ?﹂ ﹁水中の戦闘力では対等とは言えないな。二十人以上で囲めば、普 通の魚型の魔物なら倒せる。10m、またはそれ以上の大きさとな るとその五倍以上でも危ない。だが普通の魔物なら一人でも狩れる ほどの実力者が軍に一人はいるから大丈夫だろう﹂ ﹁じゃあ、あれはどうだ?﹂ もう既に三人はその魔物に目を向けて離さなかった。 1332 周りの精霊、魚人、人魚に獣人が騒ぎ出した。 俺だって昔聞かされた物語でしか聞いたことねえよ ﹁もしかして⋮⋮あれは⋮⋮!﹂ ﹁まさか! !﹂ ﹁でもそうだとしか思えないわよ!﹂ 口には鋭く巨大な牙を持ち、体全体を鎧のような強固な鎧を思わ せる鱗が覆っている。体長はクラーケンの何倍という物差しではか らなければならない大きさ。 ﹁ギシャァァァァァァ!!﹂ 海の中でさえ雄叫びが聞こえる。 ねじれた、渦を巻くが語源とも言われる巨大な海の怪物、リヴァ イアサン。海の竜とさえ言われる最強生物がそこにはいた。 ◇ 人々が逃げ惑う中、俺たちはそこを一歩も動かずに立ち尽くして いた。 恐怖で動けなかったのではないし、逃げられないわけでもない。 逃げるだけならば簡単だ。空間転移でこの国を離れて陸に戻れば いいのだから。 ﹁こんな⋮⋮ことが⋮⋮﹂ 1333 見回りの兵士も無能ではない。 すぐに連絡がなされ、ぞろぞろと救援が駆けつける。 幾つかの家から私兵も出されているようだ。これを次の王に即位 するための良い宣伝の機会と見たのもあるだろう。だがそれ以上に 国の危機、こんなところで兵を出し渋るようであれば貴族などやっ てもいられないのだろう。様々な家紋を背負った即席の混成兵団が 出来上がる。 ただ、動かせる兵士の少ないオークスの兵はいないようだが。 じきに一般人の誘導が終わった。 戦うより先に守れ、か。一般人を守りながら戦うのは足手まとい かつ危険だというのもあるだろう。 俺たちは誘導を断った。断られた兵士はとても驚いていたようだ が。 オークスの顔を知らないなら、人間と一般人が断ったのだからだ ろうし、知っているなら人間といることにたいして、だろうな。 囮部隊が引きつけて横から攻撃せよ!﹂ どちらにせよ、ここでのオークスは不退転の意思を表明していた。 ﹁正面に回るな! ひときわ大きなサメの魚人が軍を指揮している。 見事な連携だった。即席であそこまでやれるものなのか。 それより驚くのは立体による連携だという部分だ。 俺もやはり人である以上、戦いにおける連携というものをどこか 平面で捉えているふしがある。 もっと多角的な視点を持たなければ。 ﹁いやー凄いな﹂ ﹁大きいわね⋮⋮ケヤキさんと同じぐらい⋮⋮いや、そんなことは ないかも﹂ 1334 槍というかモリを使う人が多い。 もちろん剣もいるのだが、ああいった相手には貫通力がないと太 刀打ちもできないのだろうか。 ﹁くそっ。ああしてみんな戦っているのに⋮⋮僕は、何もできない﹂ 悔しそうに見上げるオークス。 そんな間もずっと俺は黙って観察している。 兵士たちは勝てそうにないな。 まず傷さえつけられていない。 かすり傷はあるのかもしれないが、先ほどから血が出ることがな もしかして⋮⋮あいつ、魔法抵抗が低いのか? いし、リヴァイアサンも反応が鈍い。 ん? いや、アークディアやミラ、バシリスクとかを基準にするのが間 違っている。普通はあんなもんか。 でも、水属性の魔法は時々使っているようだが、あれなら魔法が 効かないってことはなさそうだ。 もちろん兵士側の魔法は傷をつけるたびに回復していくが。 ﹁せめて僕は見届けていく。別に付き合わなくてもいいぞ﹂ ﹁大丈夫、大丈夫。どうせいざとなれば一緒に逃げてあげるから﹂ なるほど、持ち前の回復力も高いらしい。 あれだけの肉体があれば、よほどの魔法攻撃でないと痛くも痒く もないのだろう。 脅威がいないのに、魔法耐性が上がるわけもなく。 ひたすらにあの鱗の防御力に特化して進化しているようだな。 1335 ﹁なあ、ここの国の人ってここに来る時どうしてるの? の魔法とか使ってるのか?﹂ ﹁あ、ああ。よくわかったな。あまり詳しくは言えんが﹂ 水属性 いきなり勝手な行動 今も兵士たちが前線で戦っているのだぞ?﹂ ﹁いいよ。もうわかったし、大丈夫だ﹂ ﹁何がだ? ﹁なあ、あれ、俺が倒してきてもいいか? 今は偶然条件が を取られてもこまるだろうからできれば軍の指揮している人に話つ けてくれればいいんだけど﹂ ﹁へえ、もう考えついたんだ﹂ ﹁なあ。倒せる前提で話するのやめてくれる? ⋮⋮本気のようだな。嘘だったらその時 揃っただけだから。普段ならあんなの倒せねえからな?﹂ ﹁レイル⋮⋮本気か? 点でこの国から追放してやる。いいだろう﹂ オークスはすぅっと息を吸い込んだ。 こいつ⋮⋮肺呼吸もできるのか、なんつう両生類だよ。両生類っ て大人と子供で肺とエラが変わるやつじゃねえのかよ。確かにさっ きからずっと空気にいたけどさ。 ﹁クイド!﹂ オークスが叫ぶと、今まさに出陣しようかというサメの魚人が動 きを止めた。 つーか、あいつ王候補かよ。あー、あいつに手の内がバレるのか。 ギャハハハ! そんなと まあいいか、脅し程度に思ってくれれば。どうせ何したかわからな オークスじゃねえか! いんだろうし。 ﹁なんだ? 1336 悪いことは言わねえ、帰 見てればわかんだろ。あいつを ころで兵もいねえのにどうしたんだ? ってろよ!﹂ ﹁軍を引かせろ!﹂ ﹁それはできねえ相談だなあ! 止めなきゃヤベェだろうがよぉ!﹂ ﹁大丈夫だ。ここにいる奴が倒す!﹂ そこのちんちくりんに その言葉に周りの兵士たちが騒ぎ出した。信じられない、無謀だ お前に賭けてやる! といった反応がほとんどだ。 ﹁いいだろう! じゃねえ、人間を信じたお前に、なあ!﹂ 豪胆で豪快で、兄貴肌や親分肌とでも言うのだろうか。 なるほど。ありゃあカリスマで負けるのも無理はないな。かっこ いいわ。あれで強けりゃついていきたがるやつも多いのだろう。 ﹁ちゃんと帰ってきなさいよー﹂ ﹁後始末どうするんだ?﹂ ﹁頑張って∼﹂ おいおい。随分気楽なもんだ。 まあここで、危険だからとか言って止められても面倒くさいだけ だ。 素直に声援を受けとっておこう。 俺が飄々としているのも悪いのだ。もっとシリアスな顔して言え ばよかったか? ﹁おう。すぐに戻ってくるから﹂ 1337 クイドと呼ばれる王候補が全ての兵士に距離をとらせた。 時間は稼ぐが攻撃はやめたといったところか。 無理に倒そうとしなくなったことで余裕ができたようだがそれで も早く行かなければ。 俺は座標書き換えによる空間転移でリヴァイアサンの背後に跳ん だ。 兵士たちが血迷ったのかと俺を見る。危険だと忠告してくれてい る人もいる。人間が一対一でリヴァイアサンに挑むのは自殺行為に 見えるのだろう。 リヴァイアサンが暴れようとするが、俺はそれを無視してその背 中に触れ、空間術を発動する。 今度は空間交換型で、リヴァイアサンと俺をはるか上空に向かっ て転移させた。 魔力抵抗がほとんどないので、とても簡単にいく。 空間術が距離と体積に比例するとはいえ、魔力を俺自身からだけ ではなく亜空間からも借りているようでさほど苦にはならない。 ぐらっと視界が反転し、そして俺とリヴァイアサンは海面の上空 に放り出された。 リヴァイアサンはなおも抵抗しようと体を捻り、俺に攻撃を仕掛 けようとした。 しかしそれが叶うことはない。 直後、その動きが止まった。 苦しそうに身をよじり、のたうち回ったのも一瞬、その長い肉体 が風船のように膨らんだ。 文字通りのけたたましい破裂音とともにリヴァイアサンはその肉 1338 体を爆発させ、臓物を四方八方に飛び散らせた。 海面と俺が紅く染まった。 1339 巨大生物注意報︵後書き︶ A:強いことを示すこと まあそんなわけでまさかの瞬殺でございました。 軍功よりも民の安全をとれるクイド様マジイケメン。 いや、単にレイルが倒せるとは思っていなかっただけかもしれま せん。 次の更新は8月7日です。 1340 事後処理︵前書き︶ ううむ。いきなり1話あたりの文字数を増やそうとしても、300 0文字ペースが染み付いてしまっているようです。結局、2割増し ぐらいにしかなっておりません。 1341 事後処理 空間転移という、前世ではあり得ないものに、水神の羽衣という 反則的アイテムの組み合わせによって実現した惨状を見下ろす。 ﹁こりゃーひでえな。どうしようか﹂ 四方八方とは言ったものの、跡形もなく飛び散ったわけではない。 背骨だとか、鱗だとか、その骨格││││││つまりはリヴァイ アサンの強さの本質たる全ては傷一つつけられてはいない。 そう、俺は勝ってなどはいないと言える。 強さで圧倒的に負けていようが、命だけを刈り取るならばできる。 実に人間らしく、実に俺らしい決着だった。 いや、決着というにはいささかあっけないし短い時間でしかなか ったか。 俺はその尻尾であった場所を掴んで空間転移、それも今度も交換 型で使う。 それぞれにあった空間転移を使わないと大惨事を引き起こすので 気をつけることが大事だ。 例えば今回の策を使うにあたって、空間接続型の空間転移を使っ たとすればどうなっただろうか。 もしかすると、海水が俺たちのいた空気のある膜内に押し寄せて きたかもしれないのだ。 膜というのがどういう構造かわからない以上、軽率な行動は控え るべきであった。 人のいないところ、つまりは王国内から少し上に来たところに転 1342 移をしてきた。 波魔法を使って下へと泳ぐ。ゴーグルなどつけなくとも目に海水 が入ることさえないのが水神の羽衣の凄いところだ。 すぐにクラーケンの奴が俺を察知して迎えに来てくれた。そして 俺が引っ張ってきたリヴァイアサンを一緒に運ぶ手伝いを申し出て くれる。一人で運ぶのもめんどくさいと思っていたところなので、 こういう気遣いは嬉しい。前世で人間だったら先輩に可愛がられる レイルくんだ!﹂ タイプの新人に違いない。 ﹁あっ! 俺を見つけた仲間と、そしてアクエリウムの住人たちが騒ぎ出し た。 退避していた住人たちの頭上も通ったようで、兵士、そして一般 人が過敏に反応した。 軍が出動しても止められない怪物をたった一人で、しかも一瞬で ボロボロにした冒険者の人間が、クラーケンを従えてくる様はなん とも信じられない光景であっただろう。自分でもなかなかにシュー ルだな、と。自分を客観的に見ることは難しいが、最低限どのよう に見られるかは自覚しておいた方がいいな。 畏怖、恐怖と賞賛そして嫉妬と色んなものがぐちゃぐっちゃに入 り混ざったよくわからない歓声と叫び声によって迎えられた。 降りてきた俺はそのでかい奴を面倒くさくなってアイラにしまっ てもらった。 もしかしたら軍に引き渡した方が良かっただろうか? いやいや。まさか自分たちが倒せなかった怪物を倒してくれたや つに向かって、﹁我々の獲物を横取りしないでもらいたい﹂とか言 って横から押収したりはするまい。 すでに大勢が俺が倒してきたところを見てしまっている。そんな 1343 ことをすれば国民の反感を買うことは必至。この大事な時期にイメ ージダウンに突っ走る馬鹿はいないと信じよう。 俺に任せる、と言ったクイドさんにオークスも時間稼ぎぐらいに はなるかと思っていたのか、俺を見て愕然としている。信じられな い。そんな声が聞こえてきそうだった。 どう声をかけていいかわからずに立ち尽くしているオークスにグ ッと親指を立てて言ってやった。 ﹁よかったな!﹂ 親指を立てるというこのジェスチャーがこの国でどんな表現にあ たるかまではわからないが、意味と心意気だけは伝わったようだ。 ﹁何がだ⋮⋮?﹂ ﹁そりゃあもう、いろいろだよ。例えばお前に私兵がいなくて、こ の討伐に力を貸せないという弱みとか、な﹂ オークスの力が弱いというのは見事な悪循環を引き起こしていた のだ。 財力や権力が低いから、国のために回せる私兵が少ない。だから 緊急事態に反応が遅れ、手柄がたてられない。手柄がたてられない から、いつまでたっても下克上が起こせない。 どんな争いでも、アドバンテージを取るというのは基本だ。いつ までたっても先を越されたままだと、負けっぱなしなのは当然だ。 ここに集まった王候補はオークス、クイド、そして妖精王ケアノ の三人らしい。 ﹁だから私のところで来ると出たと言ったというのに⋮⋮﹂ 1344 ﹁そうは言ってもよ! けにもいかねえだろ!﹂ 不確定な予言で住民全員を避難させるわ 現在の王はまだ引退していないため、王候補は国の役職の一つを 務めている者も多い。クイドはその中でも警備隊の隊長をしている。 王候補同士は顔見知りであるらしく、こうして仲良く話している のを見るのは面白い。 もしかしたらクイドという男の気質なのかもしれないが。 ﹁人間の旅人よ。今回は礼を言っておこう。オークス⋮⋮そいつら は⋮⋮﹂ ケアノさんがこちらを向いておっしゃった。と思わず敬語になっ てしまった。ああ、あいつめっちゃ王っぽい。あれじゃないのが今 の王様なのかよ。もっと凄いんだろうか。長いものに巻かれっぱな しではないが、少しぐらいは巻かれるのが俺だ。 オークスが少し困ってこちらを見るので、ただの客人ではなく部 下とか、食客でいいと言っておいた。 これで今回の手柄はオークスによるものとなる。 国の一大事を救ったとして、軽んじられることもないだろうし、 リヴァイアサンを倒すほどの冒険者がいるなら暗殺者などや反乱な どの心配も減る。 俺自身はさほど強くはないが、反乱と暗殺者に対しては他の冒険 者より得意な自信がある。 良くも悪くも、大衆というのはその場の栄光などに流されやすい。 強い客人を召し抱えているからと言って、その人がよい王になる とも限らないのだが、やはりそういう奴も王としては人気があるの も確かだ。 1345 これでグッと楽になった。周りが危機に曝されたというのに不謹 慎ではあるが、リヴァイアサンが来てくれたことは非常に都合が良 かった。 ﹁そうか⋮⋮もしもただの客人であれば、じっくりと呼んで話でも したかったのだが⋮⋮﹂ ﹁ところで、先ほど予言、とおっしゃいましたか?﹂ ﹁その歳で完璧な言葉遣い、人間の冒険者とは粗野な者が多いと聞 いていたが認識を改めなくてはな。予言?そうだな。私の部下には 予言の得意な時の精霊がいる。国でも1、2を争う予言者だからな。 そいつが、近々巨大な怪物がこの国を襲うという予言をしたもので、 警戒態勢にあたっていたのだ﹂ もう一人の有名な予言者は人魚族にいるという。オークスが耳打 ちしてくれた。 ﹁それにしても凄まじいものだな⋮⋮リヴァイアサンを無傷で単独 討伐、か。オークス、どこで見つけてきたのだ?﹂ ﹁酒場ですね﹂ ﹁はははっ。面白い冗談を言うようになったじゃないか。まあいい。 隠し玉や切り札ならできるだけ情報も隠しておきたいのだろう。聞 かないでおいてやる。それに﹂ いや、ケアノさん、オークスくんは全く嘘ついてませんよ、マジ で。実際出会ったのは酒場以外の何物でもないしな。 ﹁強いだけの人間が、今回どうにかなるとは思わないことだな﹂ 1346 言うことが違うね。さすが有力候補。と思っていたら、アイラが そう思っているならそう思ったままでいてくださ 勝ち誇った笑顔で返事した。別名、ドヤ顔。 ﹁強いだけ? いね。レイルくんは強いんじゃないから。凄いけど﹂ なあアイラ、それ褒めてないよな。 それじゃあ俺が器用貧乏みたいじゃないか。 ◇ 後片付けというのも随分と楽であった。と参加しなかった俺が言 うのも失礼なことなのかもしれないが、死体処理がなくなったのは 俺のおかげなので脳内で文句を言うありがたい奴は存在しない。 傷ついた兵はいれど、死んだ者はいないらしい。 それを良かったと手放しで言えるほど俺も厚顔無恥でもないが。 だって俺は兵士たちが奮戦しているのをいいことに、自分がアレ を倒す策を練る、観察するための時間稼ぎとして兵士を使っていた のだから。 もちろんあれが最善だったという自負はある。 あそこで無策に四人揃って立ち向かったとして、いったい何人が 生き残っただろうか。おそらくはほとんどが死んでいたのではない かと言える。 1347 どれだけ気分がよかろうが、手放しで喜んではいけない。 いつになくネガティブだとは思うが、そうやってせめて事実を客 観的に見れないと弱い俺はぽっくりと死んでしまいそうだといつも 怯えている。 だから、いつも内心だけでも強がっていないとやってられない。 自信なんて微塵もない。 だから成功するか、ではない。できることの中ででしたいことを しよう。もしかしたらできないかもしれないがしたいことを。 いつも言い聞かせ続けよう。 自分は最低で、最弱で、最悪だ。 1348 事後処理︵後書き︶ 濃厚な政争ファンタジーにさっさと突入したいです。今度こそ2倍 ぐらい⋮⋮と意気込むからダメなのでしょうか 1349 カニとクジラって何倍差があるんだろう ◇ 所変わってオークスの城に呼ばれた。 調度品や内装はローナガの城とは比べものにはならないが、それ でも一般貴族よりはやや良さそうだ。 あくまで人間貴族の屋敷で十年ほど過ごし、人間の王城の幾つか を見たことがある人間主観ではあるのでどこまで当てになるのかは わからない。 そもそも家具の高さなんて見栄をどれだけ張るか、ぐらしの違い でしかないわけだし、どちらかというとどれだけ機能的かつ快適な 家に住んでいるかの方が重要とも言える。 後から聞いたことだが、この国の貴族、つまりは王候補というの は若い者から選定する傾向があるらしい。 ローナガもあれでいて、脂ぎったおっさんだったりはしないわけ だ。結構若い者ばかりということである。 ここにいるオークスはその中でなお若い。父親がまだ現役で当主 の座についており、将来に向けて頑張っている最中、と。 ますます分が悪い。若いのはいいこと、と言えるのは体力面ばか りで、経験による老獪さは他に敗北するというわけで。それを国民 もわかっているからこそ、のこの状態ということもある。 で、その父親だがオークスは期待というから親バカかと思えばそ うでもないようで。 ﹁オークス。今回はよくやったと言っておこう。だがな⋮⋮また逃 1350 げおったな!﹂ ﹁ご、ごめんなさい!﹂ 開幕早々怒鳴られてオークスも背筋を伸ばして答えた。 ご隠居生活はまだまだ遠そうだな。 ﹁で、そいつらが﹂ ﹁王選定の時まで助力していただく食客という名の部下になります﹂ ﹁失礼した。愚息を頼む。リヴァイアサンを倒したのはそなたらと 聞いている。その意味をも理解した上で、と﹂ ﹁いえいえ。運が良かっただけでございます﹂ ﹁馬鹿いえ。運が良いだけで無傷で仕留めてこられるものか。軍が 出動してもまともに傷が与えられなかったと聞く。そなたがいなけ れば泥沼の消耗戦だったに違いない﹂ 本当に運が良かっただけなんだけどな。水神の羽衣がなければあ んな強引な策なんてできるはずもない。その羽衣だって貰い物でし かない。 ﹁何をしたのかは⋮⋮聞かせてもらえないだろうな。魔導士にとっ て手の内の秘匿は基本だろうし﹂ ﹁えーっと⋮⋮別に職業魔導士ってわけじゃないんですけどね。確 かに魔法は使いますけど﹂ 1351 ﹁だが光魔法の空間術を使ったのだろう?﹂ この国においても空間術と波属性の光魔法は同じように分類され ぜひとも愚息を頼む﹂ るらしい。時術も同じことを考えるとまあ、波属性を特別扱いして いるというふうにもとれるけど。 ﹁そなたらも腕はたつのだろう? ﹁それぞれ特徴はありますが、レイルが弱いという以上、私たちも また、弱いですよ﹂ ﹁レイルくんは強いんじゃないかな。強い敵でも倒すけど﹂ ﹁俺がまあこの中では能力的には一番まともかもな﹂ 三人も軽く自己紹介した。 オークスはカグヤとアイラを見て、すぐに目を逸らした。 オークスの親父さんはその様子を面白がる素振りであった。 それから幾つかのことについて尋ねられた。 たわいないこと、答えたくないことといろいろあったけれど、ま あ適当な答えを返していく。 全てが終わり、とりあえずオークスに呼びかけた。 ﹁オークス様、この城に貴族の目録などはありますか?﹂ 俺は誰にでも平等な男ではない。その場にいる人間によって対応 が変わる。今回、オークスに敬語になったのもその一環である。 それがオークスにとっては不自然だったようで、俺に訂正を求め た。 1352 ﹁何を今更かしこまっているんだ。今までみたいに呼び捨てと普通 に話すのでいい。今の僕は単なる一貴族だ﹂ 父親は何を言うのかと様子を窺ってみるも、何も言わないのは放 任主義なのか。 いや、とても納得した顔だからこのセリフは彼の意にかなうもの なのだろう。 ◇ オークスのお父さんのいた部屋から出て、オークスの家の書斎に 向かった。 ﹁王の選定までいくらだったっけ?﹂ ﹁一ヶ月、ってところかな﹂ 滞在することを考えれば随分長いが、王候補を王として擁立する には随分と短い。 ﹁あのケアノってのが強そうだったな﹂ ﹁ああ。僕より五つしか歳上じゃないんだけど、小さいころから神 童と言われていてね。気がつけば有力候補さ。いや、同じ有力候補 のローナガ様も僕より十も歳上か。経験による狡猾さと貴族として の力が強いからね﹂ オークスもまともに教育は受けているらしく、貴族の顔と特徴ぐ らいは覚えているらしい。立派なことだ。 1353 有力な貴族同士はパーティーなどで会うこともあり、顔見知りで あることも多いようだ。 だからこそまがりなりにも王候補であるオークスはクイドやケア ノに顔を覚えられていたわけだが。 どうだろうか、顔を覚えられている、評価が下されているという のは有利に働くだろうか。 相手が先入観で油断などしないような慎重なタイプであれば、情 報が渡っているだけ損だということになる。 ぐるぐると、思考を巡らせる。 ﹁なあアイラ、この国の物価はどんな感じだったか覚えてる?﹂ ﹁そんなに人間の国と変わらなかったよ。やっぱり魚介類は安いし、 肉や野菜はとても高かった。燃料はガスとか石油が多かったね。あ くまで薪のかわり、って感じだったけど﹂ 仲間にも話をしながら現状を確認していく。と言ってもロウとカ グヤには各貴族の情報収集に出てもらっているのだが。 その間もオークスと共に貴族の情報を頭に叩き込んでいく。分厚 い議事録や、貴族の家系図など様々な本をめくっていく。こういう 本は好きじゃないが、必要に駆られれば見ることもあるさ。そもそ も貴族の力関係とかがめんどくさくって跡を継いでないのに、こん なところで政争に巻き込まれにいくなんてな。 ﹁石油やガスとはなんだ?﹂ あ、アイラには俺の世界の呼び名で教えていたから馴染みがない のか。そもそも未だに薪で生活する人間にさえ馴染みのないもので、 1354 この国ぐらいしか使っていないのだろうな。 ﹁アクエリウムで使われている黒油と青霧のことだよ﹂ そう、アクエリウムでは石油とガスのことを黒油と青霧と呼んで いた。 こればっかりは初代からこの世界にきた異世界人、つまりは俺の 元いた世界と同じ世界から来た奴も訂正することはなかったらしい。 呼び名ぐらいは言語統一に組み込まなくてもいいもんな。 ﹁あれらが薪の代わり以外に使い道なんかあるのか?﹂ ﹁いや、あるにはあるんだけど無理っていうか。薪の代わりっての は同じなんだけどもっと効率の良い使い方があるってだけだ﹂ 現代のプラスチック製造とか、ガソリンエンジンだとか、作るに はまだまだ何も足りていない。知識も、そして技術も。足りていた としても言うつもりもない。だからここは詳しく話すことはないだ ろう。それに、薪程度で済むのは魔石や魔結晶などをも利用した魔 導具の発達がある。下手に軍事利用できそうな劣化知識を流布する 意義はないだろう。 ﹁へー。ここが空席なんだ﹂ 俺が注目したのは、この前の人事について空席になっている部分 である。 それらは全て、新人育成や引退などと言って空席になっているの だが、どれもこれも王を支える重要職じゃないか。 ﹁王の選定が予定されると、新しい王の人事を左右しにくいように 1355 空席にするんだよ。下手に選ぶと選ばれた者の支持者が強くなるだ ろ?﹂ パワーバランスをとるというやつか。あまりよくわからない考え 方だな。王になっただけのお飾りじゃなくって、重要職の人事ぐら い自分で決めろ、それで王としての立場を確保しろ、ってことなの だろうか。 ﹁ああ、わかったよ﹂ これは﹂ なんとなくこの戦いの勝ち方と結末が見えてきたような気がする。 ﹁ん? ﹁ああ。こいつみたいにはなるなと父に言われるよ。ローナガ様を 支持している貴族の一人で、貴族の中でも特に自尊心が高いんだ。 ローナガ様を支持する一方で名誉とかにこだわる方だよ﹂ ﹁よし、君に決めた﹂ ﹁何が?﹂ ポケット魔物系ネタも通じるわけもない。アイラが聞いてくれる のが唯一の救いだ。 貴族の名前はキセ・クライブ。ワタリガニの魚人である。 間諜をさせるってこと?﹂ ﹁オークス、こいつをローナガ様のところに送りつけよう﹂ ﹁えっ? 1356 取り ﹁いやいや。とても善意から全身全霊、とても真面目に忠実にロー ナガ様のためだけに働いてもらおう﹂ ﹁送り込むって言っても彼はすでにローナガ様派閥だよ? 込むの?﹂ ﹁そりゃあ無理だよ。ローナガ様以上の利益をオークスに見出せる のはこの国に何もない俺たちぐらいだって﹂ ﹁送り込むのにどうやって頼むの?﹂ ﹁まあ見てろって﹂ そうだな。自分で言っててもちょっとわけわかんないね。 でも文字通り、なんだよな。これ以上にしてもらうことの説明は ない。そこに違う思惑があったとしても、ね。 一週間後、キセさんはローナガの一派から手酷く扱われ、追い出 されてしまったのだった。 1357 カニとクジラって何倍差があるんだろう︵後書き︶ さて、何を思ってレイルはそんなことをしたのか。 ローナガやその支持派の考えは? 1358 悪評祭り オークスの城を初めて訪れた次の日、俺たちはとある貴族の屋敷 に向かった。言うまでもなくキセ・クライブさんのお屋敷だ。 のんびりと、急ぐこともなく歩いていった。 アポもなしに大丈夫かなーと心配していたのだが、俺が名前を出 すと恐縮して主人に取り次いでくれた。 救国の英雄の名はあっという間に広まっているようで何より。俺 もあんな怪物に挑んだ甲斐があったというものだ。 もしかしたら全員がそれぐらいとまではいかなくてもかなり強い と思われている可能性もある。期待通りの強さならいいんだけどね。 石油もガスも高級品なので、貴族でも家にホイホイと置ける人は 少ない。ごく少量だけが厳重に取り締まられた中、使うことができ る。燃やす時は魔導具の補助を受けて引火や空気不足については安 全第一で行われている。料理人と同じく、魔導具についても技術こ そ人間よりも拙いものの、海底という異常な環境が安全面への気配 りだけを発展させたというわけだ。扱える人は炎魔法が得意で、爆 発や引火を抑え込める人だということになる。 アイラは石油やガスが多いとは言ったものの、それは全くない人 間の国に比べて、ということだ。石油を使ったものはこの屋敷にも 一つ、二つあるだけだな。酒場で出てきたものはガスで焼いていた ようだけど。 使用人の人に案内されるのに慣れてしまっているのはなんとも不 思議なもんだ。 交渉に人数はいらないので、今回はロウと二人だけである。 1359 ﹁ふむ。これはこれはレイル殿、リヴァイアサンを単独討伐したと いう英雄ではないか。わざわざこの私に面会を希望するとは、何の 御用か聞こうじゃないか﹂ やや青みのかかった耳に、まだら模様の肌は硬そうだ。 尊大な態度ながらも、俺たちを軽んじるほどではない。だがその 中には微量の疑惑と、そしてどれほどいっても人間、海底のことな どわからないだろうという諦めも感じられる。 ﹁私はこの度、ローナガ様の元を離れ、オークス様につくというこ とを決めたとローナガ様に申し上げました﹂ ここにオークスはいない。 それとも私を引 真偽を確かめる方法はないのだが、ここで信じてもらう必要はほ とんどない。 ﹁ならば私の元に来るのは違うのではないか? きこもうというならご遠慮願いたい。これでもローナガ様に忠誠を 誓っているのでな﹂ ﹁いえいえ。そんなことはございませんよ﹂ ロウもやろうと思えば敬語ぐらいできる、というので手伝っても あることにした。 ﹁私たちはローナガ様を離れはしましたが、裏ではローナガ様を応 援しております﹂ ﹁ええ。全ては裏工作のため。ですが敵を騙すにはまず味方から、 私にローナガ様の情報を教えるようにでも頼み と言われるように、このことはローナガ様に全く申しておりません﹂ ﹁ならなんだ? 1360 にきたか?﹂ タコならぬカニだけど。 なかなか本題に入らない俺たちに苛立ちを募らせるキセ。 そんなに怒ると茹で上がるぜ? ﹁いえ。私たちに何かをしてもらおうとは思っておりません。ただ あなたにローナガ様のために頑張ってくださいね、と応援しにきた のですよ﹂ そんなことはわざわざ言われなくてもする、といった風にムッと した顔を見せるキセ。 その表情も次の言葉ですぐに変化することとなる。 ﹁私たちは表立っては何もできません。だから、有能であると名高 いキセさんがローナガ様に付いて頑張っていただければ、ずっと楽 になるのではないか、とね﹂ キセ様に比べれば。素晴らしい貴族の方だとお ﹁人間にしては見所があるではないか﹂ ﹁そうですか? 聞きしています。その辣腕をローナガ様のためにふるっていただけ ますか?﹂ ﹁そんなこと、もちろんのことだ﹂ ﹁ローナガ様もお喜びになることでしょう。なんせあの聡明と名高 いキセ様の助力を得られるのですから。支持と助力は違いますよ。 あなたが側で支えれば、ローナガ様のただでさえ揺らがぬ地位も盤 石のものとなりましょう﹂ 1361 褒めて褒めて褒めちぎる。 お世辞とヨイショのオンパレードだ。俺は普段、お世辞など言う ことも言われることもないので非常に心苦しい。心苦しいのは嘘だ が。 ・・・・・・ ・・ ﹁私たちに言われたことは伏せた方が良いかもしれません。今後は ・・・ 接触しないでおきましょう。あくまであなたは、ローナガ様のため だけに尽くすのです。私たちには何もしないで良いのです﹂ ﹁何も⋮⋮頼んだり逆にしたりはしないのか?﹂ ﹁ええ、何も求めてはいません。ただローナガ様に有力な味方を増 やしたかっただけです。どうやって説得しようかと思えば⋮⋮もう ローナガ様に忠誠を誓っていたとは。やることがなくって安心しま した。お金も、何もいらないし、渡しません。だから私たちのこと は気にしないで良いのです﹂ ここまで言われれば逆に怪しいかもしれない。疑うべきこの発言 を、度重なる誉め殺しによって気を良くしたキセは何の疑いも持た ずに受け入れた。 だがこれで俺たちにメリットがあるとは思えないだろう。 お世辞はともかくとして、周りに貴族が寄ってくることにローナ ガのデメリットもあるはずがない。 そう、事実だけを冷静に見れば、俺たちは敵に塩を送りつけまく ったわけだ。 それからキセはローナガにいろいろと提案したり、手伝うことを 持ちかけていった。 資金をかき集め、民衆を集めようとしたり⋮⋮。 その全てがローナガや周囲の貴族によって跳ね除けられ、キセは 1362 とうとう実質上、派閥を追い出されることとなる。 ◇ アイラやカグヤにも働いてはもらっているが、今日は集まって現 状把握のための会議だ。 ﹁まさか⋮⋮性格に難があるとはいえ、力のある貴族には違いない キセをここまで早く引き剥がすとは﹂ ﹁ねえレイルくん、何をしたの?﹂ ﹁簡単なことだよ。ローナガから見て俺たちはどう見えたか、だよ﹂ そう、あくまで真実を知る俺たちからすれば、あの頼みはわけの 敵対する、弱小派閥⋮⋮いや、派 わからない無意味なものに聞こえる。 ﹁だがローナガからすれば? 閥とさえ言えない側に入ると宣言されたからには俺たちがなにかし らの手を打つと思っている﹂ ﹁でもキセさんには何も頼まなかったじゃない﹂ ﹁頼んだか、頼んでないかなんてローナガにはわからないだろう?﹂ ﹁あっ!﹂ ここでようやく気付いたのか。 そう、猜疑心の強いローナガが相手だからできたことだ。 敵対する相手が自分の派閥の貴族に接触した。しかもその貴族が 次の日から精力的に活動を始めた。 どう考えても裏切っているようにしか見えないだろう。 1363 俺が金で頼んだか、それともうまく口車に乗せられて破滅への策 を打とうとさせられているか。 どちらにせよ、敵のスパイであると思われるような奴をいつまで も泳がせておくほど余裕じゃあるまい。 ﹁だからわざわざのんびりと歩いていったんだよ﹂ リヴァイアサンを倒した俺たちはこのアクエリウムにおいて有名 人である。人間が珍しいことも合わさり、俺たちの動向などローナ ガには筒抜けに違いない。目撃情報などほうっておいても入ってき そうだ。 そんな中を俺がキセに接触すれば、この大事な時期に過敏な反応 を受けることはわかっていた。それでわざわざあの程度の貴族をス パイにしたてあげるはずがない。 ﹁結果、無実の罪で自分の部下を切り捨てた、ってわけか﹂ ﹁ああ﹂ 不要な罰は身内に不信の種を蒔く。 それはいつ発芽するかはわからないが、キセがどうあっても無実 である以上、ローナガが策にはめられた部下を切り捨てたという事 実は変わらない。 それを知るのはキセの家の使用人たちばかり。それが噂によって 広まることは想像に難くない。 絶妙のタイミングで民衆とローナガの前でバラせば、面白いこと になるかもしれないな。 ﹁と、いうわけで今回の件によってローナガの力を削ぐことに成功 したと言える﹂ 1364 これは人を丸ごと信じるようなクイドや、圧倒的カリスマで自分 は何もしないタイプのロレイラには通じない。 自分で動き、部下を利害で繋がるものとして疑うことを躊躇わな いローナガだからできたことである。 まあだから戦いはこれからだと言える。 ◇ 俺がアイラとカグヤに頼んだことと言うのは、魔物の誘導である。 一般民家のある地域に魔物を誰にも見つからないようにおびき寄 せ、それを倒すというだけの話だ。 誘導は簡単だ。魔法などで遠くから攻撃すればいい。できれば獰 猛そうなのがいい。 警備隊の巡回のシフトを確認し、それに引っかからないように行 う。 警備隊が来るまでに倒してしまわなければならない。 膜の中から挑発と撤退を繰り返し、民家の近くまで来たところで 様子見をする。 国民が見つけたところで、颯爽と現れたフリをして助けるのだ。 そこで重要なのが、何も言わずに警備隊にその死体の報告だけを するのだ。 助けるのは当然だとか、偶然紛れ込んだとか、そんな余計なこと は言わない。 ただ、仕留めた魔物を魔物の発生報告として告げるのだ。 何も嘘は言わない。 1365 だが、民衆からすれば、自分たちの住む場所まで魔物が入ってく るということになる。 警備隊への信頼も揺らぐというものだ。 あくまで狩りの報告を行うだけなので、警備隊の方も自分たちの 落ち度とか、思わない。 少し離れたところまで行って狩ったのだろうと勝手に思い、そし てそれに応じただけの礼をする。 何もなければ魔物なんて滅多に来ないのだから。 その様子を見た民衆は、国の失態を拭ってくれた相手に表面だけ のお礼を述べて反省の色も見られない。 これからも魔物が来るかもしれないという不安が彼らへの信頼を いっそう落とす。 だが被害が出たわけでもないのだ。強く文句は言えないので、何 も言うことはないだろう。 アイラやカグヤにも、 ﹁このことはみなさんには黙っていてくださいね。彼らも頑張って ます。今回は運が悪かったんですよ。一度や二度の失敗で大事な時 期に悪評を広めてあげないでほしいんです﹂ 白々しくそんなことを言うように指示している。 民衆も、彼らにはお世話になっているからそうかもしれないとそ の場では納得してくれるだろう。 だが親しい人には言ってしまうものだ。 声高には叫べなくとも、不満はポロリと漏れてしまい、そして広 がる。 水面下で静かに、悪評だけが広まっていく。 1366 完全な自作自演で、彼らに何の落ち度もないというのに、だ。 さあ、どこまで伸びるかな。 1367 仕込み、細工、そして クラーケンが手伝いを申し出たことで、アイラとカグヤのドキド キヤラセ大作戦は効率が跳ね上がることとなった。 不審に思われる前にアイラとカグヤとクラーケンには撤退しても らった。欲をかいてあまりギリギリまで続けても、バレたときのリ スクが高い。 今日は男三人で街へ繰り出した。護衛もつけないのは、オークス はよく一人で街へ出ることもあり、誘拐など街でしようとしたら一 発で街の人々にバレるからだ。しかも今回は俺とロウがいるという ことで、下手な護衛をつけるよりも抑止力としては十分だろうとい うのがオークスとそのお父さんの共通の見解でもある。 オークスのお父さんはともかくとして、オークス自身は単に護衛 を引き連れて歩きたくないだけだろ、とは言わなかった。俺だって 嫌だもん。護衛なんかいない方がいざという時にオークスとロウを 連れて逃げられるからな。 ﹁なんというか⋮⋮レイルに任せていたら確かに王になれるかもし れないけれど、人として大切なものを失いそうな気がしてきたよ⋮ ⋮﹂ ﹁まあまあ。たかが齢二十も越えないガキどもの策略すら見抜けな くて陥れられるってことは王として不安だってことだ。だから、気 にしなくていいよ﹂ 正しさについては何も主張しない。 俺のしていることは正しさなんてないのだから。 ﹁そういえばオークスの家って結構でかかったよな。ローナガのと 1368 ころより立派だったじゃねえか﹂ ﹁⋮⋮あれを家というのもね。僕の家は由緒正しいとは聞こえが良 いけど、悪く言えば家格だけなんだよ﹂ そんなオークスの呟きを掻き消すように周囲の通行人が騒ぎ出し た。 また魔物か?﹂ 何人かがある方向を指差し、興奮したように隣の連れ添う人に呼 びかけていた。 ﹁何かあったのか?﹂ ﹁今日って別に何もなかったよな? そんな二人の疑問は嘘であったことがわかる。 華やかな雰囲気とともに俺たちの耳に聞こえてきたのは、この世 のものとは思えない、凄絶な天音であった。 ◇ 視線の先には一人の人魚がいた。 それが歌声だと気づくのに、どれだけの時間を要しただろうか。 きっと一瞬だったのだろう。けれど呆然として見惚れた、いや聞 き惚れたその瞬間は周囲にいた全ての人が同じ思いを共有していた ことだろう。 人のことなんてわからないと言ったが、これだけは訂正しよう。 今なら人の気持ちがわかる。きっと同じ思いだ、と。 ﹁美貌の歌姫、ロレイラ様じゃあ﹂ 1369 近くでセイウチの獣人の老人が言った。年甲斐もなく頬を染めて、 うっとりと聞いていた。 彼女は今度の選定においての宣伝目的で路上ライブを行っている ということか。前世のように住宅街を口やかましく騒ぎながらのん びり練り歩くアレとは大違いだ。 そうか、あれが数代に一度、人魚のリエル家に生まれると言われ る人魚姫か。カリスマというか凄まじい魅力だな。ああいったのが 王になっても反乱を起こそうと思えないからそれはそれで王政も安 定するということだろうか。 だがそうやってどうでもいい思考の間にも、俺はどうにかしよう と考えまくっている。 だんだんと人が集まり、もうすぐ盛り上がりが最高潮という段に ロレイラ様、風邪かしら?﹂ なって俺はぐっと手に力を込めた。 ﹁あら? ﹁なんだか変だな﹂ 今まで呼吸はおろか、瞬きさえ忘れそうなほどに何もせず聞いて いた人々の間に動揺が走る。 ロレイラ本人はその理由がわからず、いつも通りその美声を届か せようと唄い続ける。 しかし人々は催眠が解けたかのようにその場を離れていく。まる でもうこの場にいることは価値がないとでも言うかのように。ただ、 お世辞を使わなければと義務感を胸に抱いた、つまりは打算的な貴 族だけがそこに残った。 俺たちはそうして去っていく人の波に紛れて、その場を逃げるよ うにコソコソと離れた。 オークスは何かをしたことはわかっていても、何をしたかまでは 1370 わからないようだ。 ﹁おい、何かしたのか?﹂ ・・ ﹁ちょっと歌を下手になってもらおうかと﹂ ﹁そんなことできるはずがないだろ。あのロレイラ様だぞ。神から 与えられた歌声と言われる人魚姫が、ちょっとやそっとの細工で音 程やリズムをはずすわけがないだろ!﹂ 小声で怒鳴るという器用な技で俺を問い詰めてくるオークスの気 迫に少し後ずさる。 ﹁ちょっと魔法でな﹂ そう言って誤魔化そうと││││といってもそれが真実なのだが ロレイラ様の身につけているアレは全て魔法陣が刻ま ││││話を切ろうとするも、オークスはそれを許さない。 ﹁魔法? れ、対魔法に特化した防具だぞ。それに直接魔法なんてかけられて、 気づかないはずがない﹂ やっぱりそうなのか。王族に魔法なんてかけたらヤバいのはわか りきっていたことだ。 オークスはそのあたりも頭が回るようだ。 俺としてはちょっかいをかける方法がそれしか思いつかなかった だけなんだけど、直接魔法をかけてはいない。 ・・・・・・・ ﹁それなら大丈夫。だって俺はロレイラ様には魔法をかけていない んだからな﹂ ﹁どういうことだよ﹂ ﹁どうもこうも、俺はお前らが光魔法と呼ぶ魔法で歌声そのものを 1371 いじったんだからな﹂ ﹁嘘だ。光魔法でそんな魔法があるなんて聞いたことはない﹂ 波属性なんてわかっちゃいないからな。 ﹁お前らが光魔法って言っているアレはもっと多くのものを対象と しているんだよ。その中に音がある。それだけの話だ﹂ 一度発せられた歌声を魔法から守るなんて器用な真似ができるの は、俺と同じように魔法の訓練を積みつつ、正しい知識を得た者だ けになる。 そもそも音を出す魔法はわかっても、音の変化が魔法によるとい ったいどれほどの人間がわかるだろうか。 音は波。振動数や波長、振幅で音の高さから大きさまで細かく決 められている。 それを少しでもいじれば、元の音とは別物になるだろう。 繊細な操作も、大規模な魔力もいらない。ただ音という現象と性 質を理解していればほんの少しの労力で済む。 その気になればおそらくロウの時術でも同じことができるだろう。 ﹁最大の武器である歌声を奪われた人魚姫がどこまでできるか見も のだな﹂ ﹁レイル⋮⋮君って奴は⋮⋮﹂ 隣の王子様が呆れている気がするけど知ったこっちゃないな。 1372 ◇ 何もないなら作ればいいじゃない、というのは実にポジティブで プラスな考え方なのだが、世界というものは悲しいもので、作るよ りも壊す方がずっと楽なのだ。 ボコボコの運動場があって、平らにしたいと思うなら、遠くから 土を運んでくるよりも穴のない場所から穴に土が入るように均すの が普通だと思う。 オークスに何もないなら、まずは周りの信頼を削ぎ落とす、それ ができないにしても信頼関係に亀裂を入れるぐらいのことはしなく てはならないと思う。 その後は楽しく、それはもうほのぼのとお買い物をした。 男三人、むさ苦しいかと思えばそうでもない。ロウは鍛えていて も、筋肉質な感じはしないし、オークスは身なりを小綺麗に整えて いて、粗野とはほど遠い。 俺の顔を客観的に見ることができないものの、下手をすればナン パされかねない⋮⋮とは杞憂で、オークスが顔を見せれば、結構な 人が顔を知っていて挨拶してくれる。 ﹁なんだよ⋮⋮王候補らしく結構顔知られてるんじゃねえか﹂ ﹁親しまれてはいると自分でも思うけどね。尊敬とか、崇拝とはま た違うでしょ?﹂ 現代日本は一つの存在を重視するような国民性がなく、王とはそ うあるべきだ、みたいな考え方はあまり共感できるものではない。 そんな日本も半世紀とちょっと前は一つの存在を崇拝してお国のた めにと叫んで死地に突撃したのだったか。 王にそんなにいろいろ求めるのも違うとは思うんだよな⋮⋮。 1373 そんなに この国では国民から選ばれるからこそ責任感も一層強くなるのか もしれない。 ﹁ねえ、さっきからお酒ばっかり買うのはどうして? 買い占めたら他の人が困ったりしない?﹂ ﹁おう。俺は人の嫌がることが好きだからな﹂ ﹁だいたいお酒は飲まないって君が言ったんじゃないか⋮⋮﹂ ﹁お土産だよ、お土産。他にも美味しそうな魚や貝があれば買って いこう﹂ ﹁保存できるの?﹂ ﹁まあ城に戻ってアイラに渡せば大丈夫だよ。ところでさ、白涙っ て製造方法は知られているのか?﹂ 白涙。この国で流通している通貨の一つで、その実態は小さな真 珠のかけらである。 大きさと光沢、形で価値が区分され、一般に出回るのは価値の低 いものばかりだが、この国の住人は感覚でその価値を見抜く目を持 つ。 もちろん、国が決めた幾つかの区分で価値は一定に定められてい るが、それとは他に、真珠の見た目などで細かい価値分けをその場 で行っておまけしてもらったりするのが市場などの日常の風景とな っている。 ﹁いや、代々人魚や妖精の一族によって作られているから、俺たち は手出しができない。だから軍事は魚人と獣人が握っていて、経済 と生産は人魚と妖精が手綱を取ることが多いな﹂ ﹁へー⋮⋮この国では貨幣偽造の罪とかはないんだ﹂ ﹁製造方法には厳重に管理がされているし、白涙は運が良くないと 貝から取れない。だから作ろうと挑んだ者はいないんじゃないか? 1374 いたとしても成功してはいないだろうね。今もこうして大量の 白涙が流通する経済が成立しているんだから﹂ 何をする気なんだい?﹂ ﹁そうか。じゃあ俺たちが今から帰ってすることを絶対に人に言う なよ﹂ ﹁え? ﹁大丈夫だよ、経済に影響が出る程度に悪用するから﹂ ﹁なに一つ安心できないな﹂ ﹁ロウにも頼むぞ﹂ ﹁まあレイルが頼むってことは俺には簡単で俺以外にはできないこ となんだろ?﹂ ﹁まあな﹂ ◇ 俺たちは帰る途中、幾つもの貝を集めた。貝殻の裏が白く、アク エリウムに点在する膜と同じように光の干渉で虹色に光を反射する 貝ばかり十も二十も集めていったのだ。 日本でも螺鈿細工などに使われるそれは、例え真珠でなくても昔 から人の心を惹きつけてきた魅力ある素材である。 ﹁同じような貝ばっか⋮⋮こうして見ると不気味だな﹂ ﹁特にまだ生きているのしかないってところがね﹂ と惚れ惚れしていたのは俺だけのようで、他の二人はちょっとヒ いている。 たくさん集めるロマンは男の子のものだとか思うんだけどなあ。 1375 ﹁すっごく細い針とかない? ﹁あ、俺が持ってるぜ﹂ 二本欲しいんだけど﹂ ロウはアイラの次に物持ちがいい。 ﹁ちょっと歪でもいいか。じゃあ、こいつらの中にっと﹂ 俺は細い針を箸のように使ってアコヤ貝だと思われる貝の中に外 套膜と呼ばれる組織と共に核となるものを入れた。 ﹁うわっ、痛そう⋮⋮﹂ 当たるも八卦、当たらぬも八卦。 まるで占いのようなことを心中で呟きながら何十個もの核を貝の 中に入れおわった。 ﹁はい。これで本来ならば長いこと待たなければなりません﹂ ﹁もう半月しかないんだぞ﹂ ﹁で、ここでロウの出番だ﹂ ロウに時術をかけてもらう。 本来ならば短縮できないこの工程も、時術を使えばあっという間 である。 さすがに素人作業ではさほど成功率は高くなかったが、それでも 五分の一ほどは成功したのでよかった。 そうしてできた幾つかの真珠は、前世の日本でたまに見かけたあ の大きさ、光沢の綺麗なものであった。これなら俺も真珠として納 得がいく。 ﹁おい⋮⋮これって⋮⋮﹂ 1376 ﹁成功。この大きさなら、この国でもかなり価値が高いんだろ?﹂ 出来上がった中でも特に大きく、綺麗な粒の真珠をつまみあげて オークスに得意げに言った。 出来のいいやつを幾つかプレゼントにしよう。 アイラやレオナにあげたらミラも欲しいって言うだろうな。三つ か。いや、ロウからカグヤの分を入れて四つは確保しよう。 ﹁ちょっと待てよ⋮⋮これって﹂ 長年どんな相手にも漏らさなかった国家機密だぞ! ﹁立派に白涙、だろ?﹂ ﹁馬鹿な! そう簡単に解明されて⋮⋮しかもちょっと一手間♪みたいな感じに 再現されるはずがない!﹂ ﹁現に作っただろ?﹂ ﹁諦めろ。レイルはこういう奴だ﹂ 腑に落ちないと叫んでいる王子様を横目に、俺とロウ、取り分に ついて楽しげに話す二人の姿がそこにはあった。 もうすぐ、王選定の演説会が始まる。 1377 仕込み、細工、そして︵後書き︶ 奈良の正倉院展で平螺鈿の八角鏡を見たときがありましたね⋮⋮若 狭塗の箸にも螺鈿細工が使われているのを見たことがあります。 1378 演説会 真珠の取り分は、俺三割、ロウ三割、オークス四割で当てようと したのだが、オークスがびびって受け取らなかったために俺とロウ で分けることになった。 チッ、貨幣偽造の共犯者に仕立て上げようとしていたのに。と思 それとも王になったらそ っていたら、売りはしないけれど一つだけなら、と受け取った。そ の反応は送りたい相手でもいるのか? れで指輪でも作るのか? ロウまでもが、﹁俺はそんなにいらねえから﹂と遠慮したために、 その八割から九割を俺が管理することとなった。プレゼントに幾つ か使うとしても、これを一つ売るだけで一財産になることを思えば 多すぎる。 そうして俺たちの資金確保が終わった。 それからはなかなか楽しくやっていた。 誰にもリヴァイアサンを殺せる冒険者に暗殺者を送れるほど度胸 があるわけがなく、無事に平和な日常パートに突入したと言える。 商人に取引を持ちかけてみたり、ある貴族の屋敷に大量の武器を 送ってみたり。アイラとカグヤをナンパした不届きものにロウと二 人で闇討ちをかけにいったりしたこともあった。 王の選定に関わっている者たちも、薄々ではあるが俺たちがして きたことに気がついているのか、嫌悪感をあらわにする者と褒める 者、そして怖がる者に分かれていった。 リヴァイアサンを討伐したというだけで、何も知らない民衆から はまだまだ人気もあるようだ。街を歩けば声をかけられたり、お店 ではおまけしてもらえたりすることがしばしばある。 1379 まるで他人事のように話してはいるものの、俺たちの人気はオー クスの人気に直結する。少しぐらいは気をつけた方がいいかもしれ ない。 魔物を誘っていた俺が言うのはあまりに白々しくふざけたもので はあるが。 影に日陰にと華々しさから程遠い活躍を繰り返してその日を待っ た。 今回は地道な宣伝活動と、人々の意識の刷り込みなどの積み重ね が大事なのだ。 戦闘みたいに一撃必殺で殺すことができれば良いわけではない。 どんでん返しなどあり得ないとも言える。だからこそ、僅かな時 間をフルに使って、褒められないような手段まで駆使して⋮⋮って いつも通りか。 ま、決め手、ってのは存在し得るがな。 その決め手となり得る、王の意思表明の演説会の日がやってきた。 ◇ 演説会のルールは至って簡単。 王として立候補した貴族陣のお坊ちゃん、お嬢様方について、﹁ 王になったらこんなことをしてみせる!﹂とか﹁こんな点で王に相 応しい!﹂と宣伝活動を公式に行える場である。 宣伝する人は誰かなどとは問わない。多くの場合は、支持者の中 で一番候補の人を知っている奴であったり、一番影響力の高い人物 を押す。 1380 ・・・・・ だから人間である俺でも他国の政治活動におおっぴらに参加でき るというイベントではあるが、それでも本来影響力もあまりないは ずで、候補のことをさほど知っているとも思えない人間の勇者候補 なんてイロモノが出てくることは異常事態である。 そのあたりを理解してローナガも俺の裏切りについてさほど気に していなかったようだ。自分を選ばない時点で勝ちにこだわらない とも思われているのかもしれない。 王を選ぶというのは、これから数十年、場合によってはこの国の 何百年先を左右する行事である。 国民の多くがこの演説会の会場のどこかにいると言っても過言で はない。 全て、ではなく多く、といったのは、この日だけは国の各地に風 属性の魔石をふんだんに利用した魔導具が設置され、家にいるだけ の、または家から出られない人たちもその演説を聞くことができる からだ。 いくら会場が大きく、この国の人口が少なかったり立体で聴衆席 が作れるといっても会場に全国民が収まるはずもない。それを考慮 した上での措置でもある。 家にいる人の中には、その場の雰囲気に惑わされず判断したい、 または人のいる場所に姿を現したくないワケありの人など少数の曲 者がいる。 そういった奴はただ大衆に迎合することを嫌うため、前もって根 回しは済んでいる。 俺たちは貴賓というかメインとして拘束されているオークスの元 に向かっていた。 運の良いことに、俺たちの番は最後だ。他の人の番は知らされな いが、何番かだけはわかる。 1381 ﹁すごい人だね﹂ 人混みに慣れないアイラはややおどおどしながら俺の服の後ろを 握る。 上下左右、前後問わずに展開された席には関係者が出入りするた めの結界通路が存在している。これは妖精族の協力⋮⋮まあケアノ の指令によるものだ。この役目ばかりは毎回同じで妖精のものであ るらしい。 ﹁うっわー慣れねえわ﹂ ﹁ロウは隠密行動が基本だから余計でしょう?﹂ そういうカグヤはあまり動じていないようだ。ああ、昔ストーカ ー予備軍に家の周りを包囲されたことがあるんだっけか。 俺だって久しぶりすぎて、しかも注目されないのが普通だから注 目されまくる今は非常に居心地が悪い。 野球選手やサッカー選手はこんな気分だったのだろうか。 演説会が始まった。 一番手はロレイラであった。 いくらネガティブキャンペーンされたからと言って、その美貌に はいささかの変化もない。いざその姿を見ると見惚れる輩が続出す るほどには。 ﹁私、ロレイラ様の演説をさせていただく者です﹂ ロレイラの他に壇上に上がったのは筋骨隆々な男の人魚。その表 1382 情からはロレイラへの心酔しか読み取ることはできない。 彼女の声ならば、自身で演説された方が厄介だったようにも思え るが、彼女の強みである美貌を自分で解説するのはやや印象も悪か ろう。 話さずとも、彼女が壇上にいるだけでも影響はある。 ﹁ロレイラ様が最も王に相応しいと思ってこの場に立っています。 それだけは譲ることができません!﹂ 頑として言い切った男に、称賛の声が飛ぶ。そしてそれを咎める 女性がいないのも面白い。 魔法で声や見た目をいじくりたかったが、この会場内に簡易結界 が張られており、その中でバレずにことを済ませるほどの自信はな かった。 もちろん 結界はもちろん、国の重要人物の集まる会場で暗殺騒ぎなどがあ れば困るからだろう。 ﹁ロレイラ様の声は万人を癒します。それは何故か? 歌声に魔力が込められているのもあります。だがそれ以上に、彼女 の声には心がこもっているからです!﹂ 平和で素晴らしい国へと発展させてくれることなどを力 そして彼はロレイラの優しさがいかに素晴らしいか、慈悲深い彼 女なら、 説した。 そうして一人目の演説は終わった。 次に出てきたのはイカの魚人の女の子であった。 1383 有力候補はだいたい頭に入れているが、この王の選定というもの は本来立候補者が演説会より前にわかることはあまりない。暗殺や 妨害を防ぐためである。 立候補すると思っていたのにしなかったり、逆に全然名前も知ら ない相手が出てきたりする。彼女は後者であった。 だ その人 貴族の一人が、彼女の経歴と共に現在のスペックの高さを出し、 将来の有望性などを語った。 最後に、その貴族から風属性の魔導具を受け取った。 ﹁私は、ある人のために王になりたいと思っています! は優しく、いつも国を憂いているのに全く自信がありません! 私が、王になって、その人を認めて、認めさせてあげたい! から、これは自分勝手な立候補です。そんな私でよければ、どうか、 王に!﹂ なんだか聞き覚えのあるようなことを言って彼女の演説が幕を下 ろした。 ローナガ、そしてまた一人、と終わっていき、クイドの番になっ た。 クイドは自分の他に演説の役を連れていたはずが、最初からそい つの持っていた拡声器を取りあげた。 ﹁クイドさんっ!﹂ 取り上げられた彼が悲鳴に似た声をあげる。 1384 ﹁いや、お前を信頼してないわけじゃねえよ。でも、やっぱり性に 合わないんだよなぁ﹂ そして全体に向けて語り出した。 ﹁なあ、最初は俺もこいつに演説を任せてとちらねえように堂々と しようと思っていた。だがなぁ⋮⋮俺には似合わねえんだよ。どう にも格式だとかを重んじれなくてな。俺はあまり賢くはねえ、だが 何かあったときには率先してお前らを守るために前に出る自信があ る。そんな俺を王失格だと言うやつもいるだろう﹂ クイドはすうっと息を吸った。 その全身から殺気にもにた気配が立ち上る。 信じてくれるものを引 自分の民も守れなくって何が平和だ そこで民衆のざわめきもなりを潜めた。 王は一番だ! 俺は強く、勇敢に生きてみせる! ﹁だが! ! だから、ついてきたい奴 一番前にいてこそ王だ!﹂ っ張って、背後の奴らを守るために! だけついてこい! ビリビリと振動が伝わるほどの一喝に、鳥肌が立った。 素直に凄いと思った。王として云々ではなく、その覇気と、タイ ミングの良さに。 今まで、王を人を使う、人の上に立つ、そんな立場として演説し てきた奴らを一気に否定した。おそらく彼にはそんな意図はないだ ろうが、策略も、悪意もないだけに彼の声はよく響く。 彼の豪胆さがよくでた演説だと思った。 割れんばかりの拍手と喝采に包まれ、彼は壇上をおりた。 1385 次は、一番の強敵であるケアノの番であった。 妖精のほとんどと、そして多くの現場で働く職人などにも支持の 高い妖精の王。 彼の演説について、さほど語ることは多くない。 クイドが殺気にも似た気配を出してようやく民衆は静まり返った が、彼は格が違った。 彼が壇上に立つだけで、誰もが一言も発することができなくなっ た。 まるで時が止まったかのような錯覚を、戦場以外で受けることに なるとは思わなかった。 クイドが鼓舞した民衆を、まるで冷水をかけるように元に戻して みせた。 まるで冷静になれとでも言わんばかりに。 彼は自ら出たのだが、クイドのように声を荒げることはなかった。 まるで自分がここにいるのが当然とでも言うかのようだった。 こいつの後で演説しなければならないのか⋮⋮マジかよ。 1386 演説会 ︵後書き︶ 珍しくレイルがおとなしい回でした。 次回、レイルサイドの演説。レイルのオークスに対するスタンス、 そしてオークスがレイルを認めた理由が。 アクエリウムの王編も終わりに近づいてまいりました。 1387 オークスの想い オークスの番がやってきた。 進行役の妖精に名前を呼ばれ、二人で壇上へと向かう。 いくらリヴァイアサンを倒したからと言って、全ての国民が俺の ことを知っているわけではない。王候補の隣にいるのが人間である ことに気づいた人たちは様々な反応を見せてくれる。 不審、動揺、尊敬、嫌悪、憧憬。 ありとあらゆる感情が渦巻く、大衆の中心への一歩を踏み出す。 あまりに楽しげなその光景に躊躇うオークス。見ると彼の足は微か に震えていた。 あ、そうなのか? おめでとう﹂ ﹁俺、この演説が終わったら結婚するんだ﹂ ﹁えっ? ﹁冗談だ。つっこんでくれ﹂ さすがにこちらでは死亡フラグギャグは通じないか。 だが意図だけは伝わったようで、その顔は引き締まっている。 ﹁見せてやろうか、俺たちを﹂ 俺たちは壇上に上がった。 ケアノの時とうってかわって、なかなか鎮まることのない大衆に 向けて第一声をあげた。 ﹁私はレイル・グレイと言います。こんなナリではありますが、人 1388 間の勇者候補という肩書きの冒険者です﹂ とりあえずは自己紹介から。他にもいろんな肩書きやら二つ名や らついているのかもしれないが、これでいい。 ﹁あなた方はこの国をどう思っていますか?﹂ 言外にいくつもの意味を含ませながら、その内容を聴衆の想像に 任せる。質問を抽象的にすればそれだけ多くの人が自分の都合の良 いように解釈してくれるだろう。 貨幣の価値が一定しないとか、王選定になっ 魔法の併用で、その声は大きさの割にはより遠くまで響いた。 ﹁確かにっ⋮⋮! て警備が手薄になったりだとか、特定の物がやたらと高価だったり いろいろと問題はあると思います﹂ 警備については完全に俺たちのせいですね。実際はなんら警備に は問題がない。リヴァイアサンを止められる国なんて海の中に作れ るわけもないだろう。もしかしたらあれは時間稼ぎで、もう少し待 ってれば本隊が到着したのかもしれないが、結果論から言えば部外 者の俺に始末されたけどな。 ﹁だけど⋮⋮この国は素晴らしいと思います。これほどの多種族が 平和に暮らす国は他に知りません。幻想的な光景が広がり、王もみ んなの意思を尊重して決められる⋮⋮﹂ 落として上げる、基本だな。 これで政治についての民主主義を取る国民の立場というものを少 しでも考えてもらえばなお良い。 1389 ﹁私が彼を推すのは、彼が普通だったからです。彼は当初、自分が ここに 王に相応しくないと嘆いていた。自分の能力を把握しながら、それ でも国のことを思える人物がどれほどいるでしょうか! 立った多くの人は、自分が王に相応しいと立っているのでしょう。 きっと彼だけです、今も、こんな自分を選んでくれるのかと不安で 胸が押しつぶされそうになっているのは!﹂ 倒置法による強調、さりげなく他の王候補を落とすというおまけ 付きである。 ﹁これまでこの国は国民の支持を受けた名君が治めてきたのでしょ う。きっとそれなら今を維持するだけなら素晴らしい手腕を見せて くれることでしょう。だが、大きな革新に必要なのはカリスマでも 武力でもない、等身大の目でこの国を見ることができる、そんな人 物ではないでしょうか﹂ あまり長い演説も、国民を飽きさせる原因となる。これまでの演 説で疲れてもいるだろう。ビシッと切り上げてその余韻で彼らに不 信の種を蒔く。優れた人物を上に置くだけの今までのやり方に疑い を持つように。 ﹁時には、人に支えられる王がいても良いのではないでしょうか。 どうか、彼が万能だとはいいません。ですが、だからこそ多くの声 が届く王を選び、そして支えてあげてほしい﹂ これでただ自分の選んだ候補を推すだけの演説ではなく、本当に 国を思っているかのような錯覚を与える。 そう、今までの全ての活動がここに収束させるための布石であっ たのだ。 他の有力候補も、全てが万能ではない。そのことを知らせるため 1390 のネガティブキャンペーンに加えて、なら結果が良くなるのなら優 れた人物を選ばなくても良いと言い聞かせる、その最高のシチュエ ーションを作るための準備であった。 これでいい。後はそっと拡声器を下ろして⋮⋮と俺が切り上げよ うとしたその時、俺の手から拡声器を奪った人物がいた。 ﹁ここからは僕の気持ちを聞いてほしい﹂ オークスだった。 予定にない行動に、何をする気か、と慌ててその顔を見た。しか し彼の顔には先ほどまでの怯えや竦みは見られない。 大丈夫か、と俺は成り行きを見守ることにした。 ﹁まず初めに、僕は彼、レイルを単なる客でも、部下でもない。一 人の友人だと思っている﹂ 初耳だ、とまでは言わない。タメ語で話せと言われた時点で俺も オークスを一人の友として見ていたのだから。だがそれをここで言 うことは良いのだろうか。 ﹁彼は僕が魚人であっても、さらには貴族だと知っても態度をまる で変えなかった﹂ オークスはそれを俺が特別だとは言わなかった。貴族や王候補っ てだけで態度を変えなかったのは俺だけではない。町の顔見知りの 人々は何ら変わりなく彼に声をかけていた。それを不敬ととるかは その人次第だが。 ﹁僕は多くの人に支えられていたことを自覚しました。きっとこれ 1391 からもそうです。クイドさんみたいに強くないし、ケアノさんみた いに遥か先を考えて行動しているわけでもない。ロレイラさんみた いに魅力があるとも自惚れることもできない。ローナガ様みたいに 賢いわけでもない。レイルと出会う前からずっと知っていました﹂ その言葉に何人かの人が反応した。 露骨に舌打ちする者、ニヤリと笑ったのはクイドか、ケアノは未 だ無表情だ。 ﹁レイルのやり方を見て思い知らされたんです。勝つのに相手より 強い必要はない、と。彼はリヴァイアサンをも倒せる強さを持ちな がら、自分を弱いと言いつづけていた。まるで自分に言い聞かせる ように。それはきっと、強さは持つだけでは意味がないって言いた かったんだと思います﹂ それは買い被りだし、そもそもリヴァイアサンを倒したのが実力 だとか思われても困る。 山の上で猿が石を蹴っ飛ばしたとするじゃん。転がった石が強い 戦士の頭に当たって打ち所が悪くて死んだら、猿の方が戦士より強 いのかよ。 ﹁僕が王になったとしたら、人間と手を取り合うところから始めた い。レイルを見て思ったんだ。僕たちは、人魚、妖精、獣人、魚人 と四種族で暮らしている。そこにもう一つ、種族が加われないはず がない。全ての人とは言わない。レイルのように、種族にとらわれ ない人間とだけでも、仲良くなっていきたいんです﹂ ちょっと待て、確かにそれは俺からも言いたかったが、今ここで 言うのか? 1392 ﹁強さを持たない僕に、何ができるかはわかりません。未だに僕が 王に相応しいなんて思えない。そんな僕でも、支えてくれる人はど うか、僕を選んでください。力を貸してください﹂ なんていうか、ここに最初立った時とは随分違った様子だな。 微笑ましさであったり、値踏みするような目であったり、感情の 種類も量もかなり変化していた。 ケアノとローナガはその結末が予想できているかのように眉をひ そめている。 気まずさも少し残る会場を後にし、俺たちの演説会はこうして終 わった。 ◇ そして俺は帰ってきてから頭を抱えていた。俺にしては珍しい悩 み方である。それもこれも、オークスの最後の言葉が原因である。 ﹁はあ⋮⋮⋮⋮どうなるんだよ﹂ 完全に予定外の行動に、とっさのフォローも何もできなかった。 計画に修正を入れた方がいいのだろうか。 人間との貿易や友好はもっと時間をかけて慎重に推し進めなけれ ばならないから、むしろオークスが王になってから反対されながら 進める方がよかったのに。あんな演説で王になると、むしろ反対意 見が出にくくってやりにくそうだ。 そしてそもそも王になれるかどうかだ。 オークスの言葉は一見なんの問題もなさそうに思えるが、俺を友 人扱いし、そして他の王候補を褒めたのは結果に影響するだろう。 1393 そんな俺に、アイラが面白がるように話しかけてきた。 ﹁レイルくんにしては珍しいね﹂ ﹁俺が何を悩んでいるのかわかったのか﹂ ﹁オークスくんが予定外の演説をしたこと、でしょ﹂ ﹁ああ。どうせオークスの立候補だし、オークスの演説なんだから 別にどうしようといいんだけどよ﹂ ﹁だから珍しいって言ったの。オークスくんのあれを失敗として捉 えていることが珍しいねって。レイルくんなら笑いとばすところで しょ﹂ ﹁俺の立ち位置じゃねえんだよな⋮⋮﹂ 落ち込んでいるというのかなんなのか。 ﹁オークスくんがレイルくんに全て任せて、王になったとしても、 どうせなら今のうちに言って納得してもら その王としての在り方とやりたいことに食い違いが出たら周りの人 は苦労するじゃん? ってから王に選んでもらえば、その問題をただ感情で反対されない んじゃない?﹂ ﹁⋮⋮それもそうか。でもなアイラ、俺の中では感情も一つの理由 として主張できるんだぜ?﹂ 仕事は感情を抜きにしなければならないが、外交においては政治 家たちの感情は国民の感情に含まれるのだから。 例えば、感情を抜きに得があるから人間と友好を結ぶと言ったっ むしょうろうどう て、それを国民が嫌がれば良い関係を築けるとは思えない。 だからこそ、俺にしてはらしくない怪物の討伐をして評判を高め たのだから。いや、俺は結構評判のために無償労働することもある か。 1394 ﹁だからさ、自分たちが支えたいって思った王様が人間と手を結ん でも平和になるように手伝ってくれって言うならそれは感情面での 補完にならない?﹂ なるほど。 ﹁アイラに言われる側になるなんてな。なるほど、確かに俺はちょ っと後ろ向きすぎたかもな。オークスが目指したい王と、国民が欲 しい王が食い違うならオークスも動きづらいだろうし﹂ そうすると俺の意見も通りにくくなるのは必然で。 そう考えるとオークスが前面に出たのは、最後に彼自身を見せる という俺の最初の宣言に忠実だったのだから決して悪手ではなかっ たのだ。 それをアイラに言われてしまうあたり、参ってしまっていると言 える。 というかアイラが成長しているのだ。ついでに言うと俺の成長は 生まれる前に止まっている気がしてならない。 ﹁大丈夫。レイルくんは凄いかもしれないけど、足りないなら埋め られるから﹂ ﹁よろしく。きっと俺一人だったらどこかで暴虐の限りを尽くして 大魔王になってしまってたかもしれないからな﹂ と空間把握を部屋の周囲までにしていたら、部屋のすぐ外に人を 探知した。同時に扉が開けられて、現れたのがカグヤとロウだとわ かる。 1395 ﹁それについては今もあまり変わらないわよ。積極的に引っ掻き回 すだけの機動力がなく、あんたより善良なだけ魔王の方がずっとマ シよ﹂ ﹁魔王に失礼だろ、レイル﹂ 二人は遠くからも俺の会話を聞いていたらしい。盗み聞きとは悪 趣味な奴らだ。聞かれて困る会話を魔法で隠蔽もせずにするほど俺 もゆるゆるじゃあないが。 ﹁なかなかよかったぜ。レイルにしては大人しすぎたけどな﹂ ﹁私はホッとしているわ﹂ ﹁何をバカなことを。俺みたいな人間の良心を凝縮したような男が そんなに酷いことをするはずがないじゃないか﹂ ﹁レイルくんは時々、自信に見せかけた自虐を言うよね﹂ はいはい。冗談ですよ。 1396 オークスの想い︵後書き︶ ようやく次回、アクエリウム編が終わりそうです 1397 海を後にして 王に立候補するとか聞いてないんだけど!﹂ 演説会が終わって、次の日、オークスの元に一人の少女が訪ねて きた。 ﹁オークス! 見ればその子は演説会にいたイカの魚人のお嬢さんであった。 どうやら顔見知りであるらしい。オークスの家人も招き入れるの に抵抗はなく、オークスもまた平然と話していた。 ﹁言ってなかったからね﹂ ﹁なあ、オークス。その子を紹介してもらっても?﹂ ﹁ああ、彼女はトオ・スクイ。僕の幼馴染で、小さいころはよく遊 んでいたんだ。僕が王を嫌がっていたのを知ってる家族以外の数少 ない相手だよ。ここ数年はあまり会うこともなかったんだけど。久 しぶりだね、立派になってて驚いたよ﹂ ﹁何が立派になって、よ。どうして会わなかったのかも知らないく せに﹂ ああ、読めたわ。もう解説はいらない。ここからはちょっと退散 したいのだが、俺はそうもいかない面倒くさい微妙な立場である。 ﹁誰かのために王になるとか言ってたよね。あ、こんな形で競うこ とになるとは思ってなくって。ゴメンね?﹂ お前が聞くか⋮⋮。 1398 この展開で謝るのは逆効果だろう。 何て言った?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮なのに﹂ ﹁えっ? ﹁あんたが出るって知ってたらあんな恥ずかしい演説なんてしなか ったのに!﹂ 見事に地雷を踏み抜くオークスを止めることは誰にもできない。 あんたが王様になら 私だって これは通過儀礼のようなものだから、周りは適当に見守らねばな らないというお約束付きである。 これ、本当に俺がいなきゃダメかな。 何よ! ﹁どこの馬の骨ともわからない人間になんか頼って! ⋮⋮できることがあったのに! ないなら私がなってあんたと結婚すれば全部解決だと調子に乗った えっ?﹂ 私がバカみたいじゃない!﹂ ﹁えっ? そりゃあわからないよな。 多分ここ数年会わなかったのは、彼女はずっと女王に相応しい人 物になるために努力してきたんだと思うぞ。 オーくんを問い詰めてか ﹁なあ⋮⋮積もる話もあるだろうし、俺は席を外していいか?﹂ ﹁そこのあなたにも話が後であるわ! ら聞かせてもらうわ!﹂ はいはい、ご馳走様です。 くっそ、オークスはぼっち系王子様だと思っていたのに、テンプ レラブコメ系の鈍感王子様だったとは。 それを見抜けずこんな甘ったるい空間に浸からせられることとな 1399 るとはなんたる不覚。 痴話喧嘩の絶えない部屋を後にした。 ◇ 演説会の興奮冷めやらぬ中、アクエリウムの王城の一室に数十人 が集結していた。 アクエリウムに城は数多くあれど、本当の意味で王城と呼べるの はこの城しかない。 国民の選んだ神聖なる票を操作することのない人格者として認め られた者だけがここにいた。 集計を終えて、次代の王の名が明らかになった時、アクエリウム の王は深い溜息をついた。それは呆れや心配ではなく、感嘆の溜息 である。 ﹁お主には悪いが⋮⋮とんだ番狂わせであったな﹂ ﹁私でも思いますからお気になさらず。私の立場としては、愚息を 立候補はさせたかったが手助けはできないと歯がゆい思いでありま したからな。あやつが自らを王となす理由を見つけられたならいい のです﹂ ﹁まさかケアノが負けるとはな﹂ 大臣の中の誰かがポツリと言った。 やや不敬ともとれる言葉ではあったが、その言葉は多くの者の気 1400 持ちを代弁していた。 ﹁今代は優秀な若手が多かった。誰に決まってもおかしくはなかっ た﹂ 王は心からそう思っていた。 ケアノでなくとも、誰もが一長一短あれどきっと国を治める覚悟 があればやっていけると。 ﹁ケアノはまだマシだったほうですじゃ。まだまだ甘ちゃんよ。そ んなんじゃからあの人間の若造一人に引っ掻き回されるのじゃ﹂ ﹁あれは⋮⋮またオークスもキワモノを拾ってきたものよ﹂ ﹁いえ。あれはローナガ様が連れてきたものです。レイル様はロー ナガ様を勝たせるよりもオークス様を勝たせる方が旨味が大きいと 裏切りました﹂ ﹁ほう。弱いこともまた利点というか﹂ 財務関係の仕事についていた魚人がこめかみに青筋を浮かべる。 ただでさえ長官がおらず、てんてこ舞いであったところに、局所 的な貨幣価値の引き下げなどで混乱させられてはどれほど苦労した ことか。 連日目を白黒させて、走り回っていたことを思い出してレイルに 腹を立てていた。 王がポツリとおめでとう、と言った。 ﹁王として⋮⋮いや、一人の友人としてお主に祝いの言葉を送ろう﹂ ﹁もったいないお言葉﹂ 1401 ここ ﹁まあそうなれば、お主もわしも、王城にはおれん﹂ ﹁ああ。これからは次世代の若者たちが作っていく。老いぼれども は引退してのんびりと政治顧問的に助言でも与えながら外戚として の生活でも送ろう﹂ オークスが王になれば、その父親の発言権は一気に増す。 何より王より立場が上の臣下などいてはならない。 ﹁人間と手を結ぶ、か。できるかの﹂ ﹁人を人とも思わぬ、魚人を魚人とも思わぬ彼と友好を結べたなら もしくは﹂ こうして、王選定の儀は終わったのであった。 ◇ まあ蓋を開けてみれば、オークスは普通に勝っていた。 票数までは公開されないので、もしかするとギリギリだったのか もしれないし、圧勝だったのかもしれない。 オークスが戴冠したと同時に、多くの老臣の辞職が届け出された。 この王にしか仕えない、と言えばなんとも聞こえは良いが、要す るに新王による新たな人事体制を築きあげるための儀礼的なもので もある。 オークスによって新たな人事が発表されたとき、多くの貴族が目 を見開いた。 民衆からすればさほど驚きではなかったが、新王として自分の立 場を確固とするにはあまりに異常なその人事に警戒する者もいれば、 1402 笑いだす者もいた。 新王の即位祝いの会が開かれ、そこには当然王候補として立候補 した貴族の面々や、元王の臣下たちも顔を見せていた。 アイラやロウ、カグヤは純粋にパーティーを楽しんでくれている ようで何より。 魚の串焼きなんてものも、この国ではしっかりとした食事として 扱われるようで、なんとなく酒盛りのような雰囲気のする国事に苦 笑した。 モルボさんがその中にいたことについて激しく気になったが、聞 く余裕などはなかった。 そんな喧騒の中、一人そっと離れて外を見ていた。 何やら白い光が海中に舞っており、下へと降り積もっている。 あれはなんだったか。マリンスノーとか言ったっけ。海中の微生 物の遺骸が雪みたいに見えるやつ。 こんな場所でも見られるのは異世界独特の生態系かもな。 そんな俺に話しかけてくる者がいた。 ﹁貴様も準主役であろうが。貴様を引き抜きたい、繋ぎを持ちたい という貴族でごったがえしているぞ﹂ 相変わらず粘っこい声と皮肉の効いた傲慢なセリフ。 自分はすでに繋ぎを取れているという自覚と、引き抜けなかった 自分に対する自虐を込めて。 ﹁あの人事は貴様の差し金か﹂ そう、ローナガであった。 1403 ﹁ええ。面白いでしょ。あなたたちみたいな優秀な方々を、腐らせ ておくなんてもったいない。ぜひ中央で頼りない新王を支えてあげ てくださいな﹂ ﹁白々しい。まるで⋮⋮﹂ そこで言葉が途切れる。きっと地雷の導火線みたいな、とか言い たいのだろうが、この世界にそんなものはない。うまく形容する言 葉が見つからないのだろう。 ﹁ですよねー﹂ 普通は王候補同士、しのぎをけずった相手を自分の部下に、しか も重要職につけるなどあり得ない。 ﹁あれでは余に⋮⋮いや、皆にいつでもとれるものならとってみろ、 となるぞ﹂ そういうローナガは財務関係のトップ。見た目と職業を照らし合 わせるとますます悪役になっているな。 ﹁それで呑まれるならそれまでですよ﹂ 深い海の底のような、重い何かがお互いの肩にのしかかった。 ﹁貴様を引き込めなかったのは余の失態であるが、引き込まなくて 良かったのかもしれんな。獅子身中の虫を飼う趣味はない﹂ ﹁誰にも飼われたくはないですからね﹂ ﹁ふん。せいぜい貴様の推した王がどこまでやれるか見てやろう。 むしろクイドあたりは度量の広さなどと喚いてもう忠誠を誓いかけ ておるがな﹂ 1404 ﹁人事部門にロレイラ様って面白すぎますよねー﹂ ﹁それでケアノを宰相、か。お互いやりにくいことこのうえない﹂ そう、お互いがお互いを監視するように役を当てたため、元王候 補共は強引な手段で簒奪は目論めない。 それも計算には入っているが。 ﹁一番は、せっかく優秀な多種族が一つの世代に揃ったんだから仲 良く治めろよ。俺はより多くの種族と仲良くしたいんだよ﹂ あれだけのことをしていて何を、という感じだが、まあいいや。 ﹁あと、キセさんは無実だから謝って再雇用しておいてあげてね。 かわいそうに、俺の策略にはめられまくって﹂ そこまで言うと、面白くなさそうに踵を返した。 ま、大丈夫だろう。 ◇ 戴冠式からしばらくして、細々とした打ち合わせや俺たちの自治 区との交易の話などをして、俺たちはアクエリウムを後にした。 見送りが多すぎてなにやら気恥ずかしいとは思ったが、演説会に 比べればなんてことはない。 トオさんはどこの役職かって? そんなの決まってるじゃないか。隣で支えたいという願望を叶え てもらってご満悦な彼女は、 ﹁困ったことがあったらいいなさい。オーくんが無理でも私が秘密 1405 裏になんとかしてあげるわ!﹂ 自分が上に立つよりも最善の結果のお礼を述べていた。 今度来るときはアカマツでも持ってきてやろう。あれなら水中で も腐りにくいし、アイラや俺がいれば輸送の問題など消える。 あとは紙や野菜、肉とかになるかな。食料品は魚介類がほとんど で、小麦と肉、野菜が主体の食事が懐かしい。 クラーケンは放置されすぎていて軽く拗ねていた。今度は一緒に 観光できるといいな。 とまあ、ぐだぐだとしたアクエリウム王選定は終わったわけだ。 1406 海を後にして︵後書き︶ ようやくアクエリウム編、終了です 1407 客人たち オークスたちに別れを告げた。オークスは寂しそうに、﹁またい つでも来てくれ﹂と言っていた。 朝方、俺たちは海上に転移した。わざわざ海の上に転移したのは、 もう一度上空からこの国のある場所の海を見ておきたかったからだ。 俺にだって感傷というものはあるのだ。 海は群青と紺碧を混ぜこんで、アクエリウムを隠していた。 今でもあの国にいたことが夢のようだ。 いつまでも上空待機しているわけにもいかず、クラーケンの入江 の向こうにある自治区に戻った。 ◇ シンヤはできる男である。俺なんかよりもずっと正統派の賢く、 有能で、俺の下につくのが不思議なぐらいだ。 それはここまで発展した自治区を見るたびに思う。俺は人材を育 てろとは言ったが、本格的に町を作れとは言ってない。だが目の前 に広がるのはもはや都市国家に近い。 ﹁おかえりなさいませ!﹂ 自治区に戻ると、で迎える役割はシンヤのようだが、その仕事を 奪って先に飛び出してくるのがレオナである。 なあ、俺は帰ると一言も言ってないはずだが、お前は知人センサ ーでもついているのか? 1408 逆にレオナが飛び出すと俺が帰ってきた合図となるらしく、何人 かの子供たちやガラの悪い男たちが出てくる。好奇と親しみのこも った視線は悪くない。 ﹁おう、レイルの旦那帰ったのか﹂ ちょっとだけ気まずそうな顔をしたのは、何か言いにくいことで もあるのだろうか。 どうやら俺たち専用の施設があるようで、その建物について話し ながら何故か別の場所へと向かう。 ﹁ここって⋮⋮﹂ 大きく、立派ではあるが、どこか機能の足りなさそうな建物の中 へと案内された。 ﹁ああ。客人用の特別宿泊施設だ。レイルの旦那に客がいるんだ﹂ ﹁私たちは先に戻っていていいかしら?﹂ ﹁そうだな⋮⋮まあ﹂ ﹁いて欲しいなー﹂ どう考えても俺一人で背負うには嫌なことが待ち受けている。能 力的に無理、ではなく、主に精神的に嫌だというだけだが。 俺に自己犠牲精神というものはないので、当然仲間を積極的に巻 き込んでいく。 ﹁いいぞ?﹂ ﹁⋮⋮やっぱりここにいるわ﹂ カグヤが意見を翻す。ロウがここにいるからだろうか。そんなこ 1409 とを思った。 ﹁というわけで全員参加希望だな﹂ 四人を見てそう言うと、シンヤが俺を妙な目で見ていた。 ﹁⋮⋮俺からは何も言うまい﹂ ﹁じゃあ案内してくれよ﹂ ﹁へいへい。こちらですよ、旦那様﹂ 慇懃無礼の馬鹿丁寧から馬鹿だけを抜いたような口調で案内され た。 某と手合わせ願いた 大きな部屋には机が置いてあり、そこには大勢の人間︵?︶が待 っていた。 ﹁お主が最悪の勇者、レイル・グレイか! い!﹂ ﹁貴様が愚民の分際で、僕の婚約者を誑かした極悪人か!﹂ ﹁はじめまして。ヒジリアよりやってまいりました。貴方がいなか ったのでこちらで待たせていただきました。そこの高貴なるお方、 名前だけでも⋮⋮﹂ ﹁遊びにきたわ。ここは騒がしいわね﹂ ﹁やっと帰ってきたか。待ちわびたぞ。そういうわしも冥界で仕事 をしに一度帰ったのじゃがな﹂ 上から筋骨隆々のおっさん、いかにもお坊ちゃんといった風情の 男の子、メガネをかけたお兄さん、翼を隠した綺麗なお姉さん、そ して白髪に鎌を持った少女である。 後ろの二人はわかる。当然最後はミラであり、もう一人はおそら 1410 一人は俺に用事で、もう一人がレオナの関 くアイラの言っていた天使だろう。 上の三人は何だ? 係者であることがわかるが⋮⋮ヒジリアから来た人は何故か息を荒 げて横の天使をナンパしている。 厄介な事にしかならなさそうだ。 俺は無言でバタンと扉を閉めた。 シンヤ曰く、どいつもこの場所ではなく俺への客であったために、 こうして一箇所に集まってもらったのだとか。 お願いだから部屋をそれぞれに分けてほしかった。そしてミラは もう顔見知りなんだからここに放り込まないでほしい。 死神と天使と人と、おっさんは獣人かな?と、ってカオスすぎる。 俺は部屋の前で頭を抱えていた。 カグヤの不審な目つきはいつものことである。ロウは面白がって いる。アイラだけが癒しだ。レオナにもついてきてほしい。ミラ? あいつは駄目だ。厄介事側にいる。 というよりヒジリアの人が俺に何の用だよ。 ま、まさかヒジリアがここに宣戦布告とかか? ホームレス クラーケン ⋮⋮ってどこの魔物の街だよ、ここは確かに他種族もいるけれど ミラ ⋮⋮と脳内に主要住民を思い浮かべた。 元奴隷商、元暗殺者、元奴隷、死神、魔族、魔物、そして俺たち。 ああっ、駄目だ。どう見ても魔物の街より邪悪だ。討伐依頼どこ ろか国が総出で襲ってきても仕方ない。 やっぱりヒジリアに目をつけられたということか。くそう、なら 1411 ばこれからヒジリアにいって主要人物に毒を盛ってこれば⋮⋮ ﹁物騒なことばっかり考えているわね。どうしてそう、起こる前に 無駄に悲観的になるのかしら﹂ どうやら口に出ていたらしい。 ﹁で、盛ってくるのか?﹂ ﹁ははははは。冗談だよ。冗談﹂ 俺は笑ってごまかした。 ◇ とりあえずミラには別の部屋にいってもらって、カグヤやロウ、 アイラと語らっていてもらうことにした。知人なのに待たせるのも 悪いし、他はどうせ俺に用事があるようなので。本当は一緒にいて ほしかったのだが。 一番手っ取り早く終わりそうな獣人のおっさんから話を聞くこと にした。 部屋から呼び出して、用件だけを尋ねた。 かなり無礼な態度である。まあアポもなしに貴族で勇者候補で自 治区の責任者を訪ねて、宿泊施設に居座っているような豪胆なお方 だ。それぐらい気にすることもあるまい。 一応客人だ。表面上だけ丁寧な対応を心がけて丁重に帰っていた だこう。 ﹁これでも飲んで﹂ 1412 俺はコップに茶を淹れて出した。茶は少々値が張るが、手に入ら ないこともない。 彼はそれを飲まずに本題を切り出した。 ﹁ドウアと申す。先ほども言ったように、手合わせ願いたい﹂ ﹁丁重にお断りさせていただきます﹂ ﹁戦って勝つことこそ武人の誉れではないのか?﹂ ﹁武人ではないですし﹂ ﹁負けるのが怖いのか?﹂ ﹁負けたことぐらいありますよ﹂ ﹁ならばなぜ﹂ 言い募るのでだんだんと面倒になってきた。 ﹁じゃあこうしましょう。僕が勝ったらここで働いてください。僕 が負けたら⋮⋮お金でもあげましょうか﹂ ﹁随分こちらに不利に見えるな﹂ ﹁当然でしょう。戦いたくないのに決闘を受けるんですから﹂ この場所に足りないのは武力である。農作業用の労働力は足りて いるようだし、統率者は増やす意味がない。彼を引き込んで、元奴 隷商の部下の自警団に組み込もう。 ﹁まあよかろう。某も腕には自信がある﹂ ﹁決闘はじゃあ一息ついた三十分後ぐらいでいいでしょうか﹂ ﹁いいだろう。それにしてもそちらは随分呑気なものだ。武人の覇 気が感じられん。不気味さだけか?﹂ 1413 そう言うと、ドウアはおもむろに剣を抜いた。鞘と剣がこすれる 音がして、その剣を俺に突きつけた。よける理由もないかと、真正 面から剣を見据えた。 ﹁ほう⋮⋮なかなか肝は据わっているということか。戦いは剣を打 ち合わせる前から始まっていると思っている。相手の力量をはかる のもまた、戦いだともな﹂ ﹁戦いはもう始まっている、ねえ。僕と同意見だったとは﹂ ﹁ふん、やる気があるのかないのか。三十分後とは言ったが、いつ でも襲いかかってきて構わん﹂ そう言って、俺が出したお茶をぐいっと飲みほした。 ﹁ありがとうございます。気が向いたら⋮⋮と言いたいところです が、もう何もしないと思いますよ﹂ ﹁そんな言葉を信じられるほど、呑気な生活は送っておらん﹂ ﹁別に信じなくても構いませんよ﹂ ドウア対レイル、決闘の約束がここに!と盛り上げてくれる解説 者でもいればね。 ◇ 俺がまともに決闘なんてする アイラが出てきて、俺の様子を見にきた。事情を説明すると、怪 訝そうに尋ねた。 ﹁レイルくん決闘するの?﹂ ﹁で、決闘がどうなったかって? わけないじゃないですかーやだー﹂ 1414 ﹁しないの?﹂ ﹁まあするけど﹂ ﹁わけわかんない﹂ とこんな会話を繰り広げているのは、ドウアさんの目の前。つま りは決闘直前のことである。 カグヤやロウの他にも、何人もの観客が見に来ていて非常に辛い。 できればどこかへ行ってもらいたいものだ。 ﹁早くしてもらいたいのだが﹂ ﹁ああ。悪い悪い。じゃあ始めようか。好きな時でいいぞ﹂ ﹁そちらの方が気楽で良いな!﹂ そう言い終えるが早いか、ドウアさんは地を蹴って迫ってきた。 これから部下になる相手に敬語なんていらねえかと思 ガッと激しい音と共に、背後の地面がえぐれる。 ﹁はっ! ってな﹂ やや反った80センチメートルほどの剣身は先が二つに分かれて おり、シャムシールみたいな感じだな。 まっすぐにきたそれを空喰らいで受けとめた。 勝負は一瞬であった。 ドウアさんは膝をついた。 攻撃し 顔を真っ青にして、冷や汗をかきながらこちらを睨みつけている。 その顔だともうわかってるんじゃねえの? ﹁何を⋮⋮した⋮⋮?﹂ ﹁えっ? 1415 てもいいって言うから毒を盛らせてもらいました!﹂ 毒をっていうか、単に薬にも分類されるけどな。やや効き目が強 すぎるやつだけど、その分お高いやつだ。 ﹁いつの間に⋮⋮﹂ ﹁決闘の話が出る前に出されたお茶だから大丈夫だと思った? 残念、下剤でした!﹂ ﹁卑怯者が!﹂ ﹁警戒心が強いみたいだから、もしかしたら解毒剤でも飲んだのか なーって思ってた、ごめんね。臭いものをみんなに見せたくないか ら、漏らす前に降参して出しにいってほしいかな﹂ お茶で色は誤魔化せたし、味はないから飲ませるだけなら苦労し ないよね。 獣人の素晴らしい身体能力も、冒険者としての経験も技術も、動 けないならなんの意味もないよな。 ﹁くそっ⋮⋮降参だ﹂ 下剤だけに。ってやかましいわ。 1416 客人たち︵後書き︶ うむ。レイルくんはいつも使い古された手法を使ってくれますね。 1417 年下は生意気? 勇敢なる戦士を一人、便所送りにしたところで、他の客人の相手 もせねばならない。 明らかに変態臭のするお兄さんは天使さんと別部屋にしておいた が大丈夫であろうか。 全員を別の部屋にして順番に対応ってなんだか事務的だよな。 ﹁次はあの男の子、かな﹂ こういう厄介事は避けられないくせに解決しても一文の得にもな らないから苦手だ。 特に相手が話の通じない相手で、こちらを悪と決めつけている時 なんかもう大変。あながち自分に誇りも正義もないだけに、面と向 かって糾弾されると返す言葉もないのがまたね。 ﹁参りましょうか﹂ 気がつけば後ろにレオナがいた。その隣にはアイラも来ている。 俺から目を離すつもりはないらしい。カグヤは王族かもしれないと 見ると早々に引っ込んだ。過去に嫌なことがあったんだったっけか。 あまり詳しくは聞いてないけど。 ﹁ちゃんと紹介してくれよ?﹂ ﹁もちろんです﹂ 返事だけはいいんだからな。 1418 扉を開けると行儀良く座っているあたり、育ちの良さを感じさせ る。 お付きの護衛は大半が外で待機しているらしく、二、三人の兵士 と一人の世話役のような男性がいた。 世話付きなんて妙齢の女性がお約束だと思ったのは、前世のオタ ク文化に毒された弊害ということか。 ﹁待たせたね。君の名前を聞いても?﹂ 少年は俺より少し年下だが、おそらく身分の高い相手ということ で、やや丁寧に尋ねた。 彼は胸を張ってその名前を言った。 ﹁アンセム・ストンエルだ。レオナの婚約者だ﹂ 主要国家の王族の苗字はだいたい覚えている。その中の一つにス トンエル家の名前もあったことを思い出す。俺も行ったことのある 国だ。 ﹁違います。舞踏会にて私のことを見て気に入ったらしく、度々婚 約を申し込んできているのですが、婉曲表現で断っております。し かししっかりと伝わらなかったようで、大変遺憾です﹂ そんな冷静な否定も彼の耳には入っていないらしく、アンセムは 陶酔したようにキラキラした目でレオナを見つめている。 ﹁あの日、レオナを見たときにから世界が変わったんだ﹂ そう言うと、彼はレオナへの思いを語りだした。 彼は初めての舞踏会で、レオナを見かけて踊りに誘ったのだが、 1419 レオナも外ではお姫様であるため断るに断れなかったのだ。 出会いから一挙一動までつぶさに観察していたというその発言は やや鬼気迫るものがあった。 ひとしきりレオナの魅力を語り尽くされたところで、その本人に 説明を求めて目を向けた。 ﹁だから、この間何度目かの婚約申し込み状が来たときに申し上げ てあげましたの。私には心に決めた方がございますから、って﹂ きっとアンセム君にはこのセリフも語尾にハートマークがついて、 背後にはお花畑が見えているのだろう。 きっと怪しげな術とかでも使 俺には煽り文句としての星マークと、ゴゴゴゴという効果音しか 聞こえないけど。 ﹁レオナの目を覚まさせてやる! っているに違いない!﹂ そんなものがあれば便利だよな。きっとこの間のオークス選挙も 楽に勝てただろうよ。 後ろの世話役さんも、自分ところの主人が暴走してるんだから止 めてやってほしい。 ﹁ふふっ。あんなこと言ってますわよ﹂ レオナがそっと俺によりそって囁きかける。当然、彼を煽るため だ。この腹黒お姫様め。アイラが黙っているのが妙に怖い。 ﹁どうせ、外面に釣られただけの哀れなお方ですわ。一思いに言っ てやってくださいませ﹂ 1420 いやいや。そんなことを言う権利が俺にはない⋮⋮そうだな。 ﹁レオナ。君を渡すとか、渡さないとか俺が決めることじゃない。 君のことは好きだけど、国とかそういうしがらみを抜きにして、ど うするかは君が決めることだ。ここにいることを強制するつもりは ないよ。選んでここにいてくれるなら、共に歩んでほしい﹂ 芝居がかった口調で、プロポーズ紛いのセリフをはいた。 渡すとか、渡さないとか︵人材的な意味で︶俺が決めることじゃ ないし、共に︵自治の道を︶歩んでくれないかというのも本当の気 持ちである。 レオナの素晴らしいところは、ここで喜びつつも勘違いせずに、 こちらの意図を汲み取ってくれるところだ。 俺の芝居に合わせて、見事な女優っぷりを見せてくれた。 ﹁ええ。レイル様は︵能力的に︶素晴らしいお方ですわ。私はここ で存分に︵自治に︶尽くしたいと思います。私は自分の意思でおり ます。どうかここを居場所にさせてくださいな﹂ ﹁レイルくん。私は?﹂ アイラがいい具合にのってきた。 ﹁もちろん。大切︵な仲間︶だと思ってるよ。俺に愛想をつかさな い限り側にいて︵戦って︶ほしい﹂ かっこだらけのやりとりで、擬似的桃色空間を作りあげる。 お前など敵視どころか眼中にもないと言わんばかりの態度に、自 分は土俵にさえ上がれていないと気づいたアンセム君は憤慨した。 1421 ﹁いい加減にしろ! バカにしやがって││││﹂ 立ち上がって剣を抜いて叫んだ瞬間、俺もまた瞬間移動して剣を 抜いた。 ﹁で、どうするって?﹂ 自らの主君が首に剣を突きつけられ、腰の剣を抜こうとする護衛 を世話役の人が手で制する。 王子の直接の命令がない限り、世話役の人の命令が最優先される らしい。 くるまでの間に魔 ここでお前を含む全員を殺 ここはお前のよく知るお城でも、 ﹁こんなことをして許されるとでも⋮⋮﹂ ﹁なあ、勘違いしてないか? ましてや国の中でさえないんだぜ? して、お前のとこの国に聞かれても﹁さあ? 物にでもやられたのでは?﹂ってとぼけることもできるんだぜ?﹂ 剣を抜いた時点で、殺されても文句は言えない。そういう場に立 ったこともないのだろう。 剣をおさめると、アンセム君は力が抜けて再び椅子に座り込んだ。 どうして止めなかった!?﹂ すぐに我を取り戻して、世話役を問い詰めた。 ﹁ガイゼル! いや、そうだよな。確かにこの人護衛を止めたんだけど、その理 由がわからない。 ﹁良い経験だと思いましたので﹂ ﹁経験だと?﹂ 1422 ﹁ええ。どうしようもない相手、権力の通じない恐怖を一度経験し てもらった方がよろしいかと。それに、そこのレイル様は自己保身 に関してはかなり頭が回ります。ここであなたを殺すことに得がな ければ感情に任せて殺すことはあり得ませんので﹂ 冒険者が強さ以外の名誉を求めて、間 ﹁もしかして⋮⋮俺が褒美に情報開示を頼んだ時に近くにいたか?﹂ ﹁思い出されましたか? 接的に国を後ろ盾にするのは珍しかったもので﹂ そう、彼らはウィザリアの人間であった。 ﹁アンセム様のお世話は私が一任されております。多少の精神的苦 痛を伴う試練もあるということですね﹂ とんでもねえスパルタ野郎だ。 俺もこいつの教育に利用されたってことかよ。 ﹁くそっ⋮⋮くそう!﹂ ﹁年は一つ、二つしか違いがありませんが、彼の方が上手ですよ。 まだ敵いませんね﹂ ﹁レイルくんだもの。諦めた方がいいよ?﹂ アイラは怖えよ。何の脅迫だよ。 がっくりと項垂れるアンセムはもう議論するほどの元気もないと 思ったので、今回はこれで終わって諦めきれないなら滞在中は何度 でも面会してあげると言い残して部屋を出た。 1423 ﹁良かったのでございますか?﹂ ﹁何がだ?﹂ ﹁レイルくんにしては優しかったっていうか、甘かったね。もっと ボロボロにするかと﹂ ﹁ああ、あれでも結構キツく当たったぞ?﹂ 悪い癖だ。歳が少し違う生意気な相手にはキツく当たるという思 いやいや。いつまでも少年の 春期特有の習慣みたいなものが出てしまった。 お前は精神年齢おっさんだろ? 心を忘れないっていうことだ。悪い意味で。 多分肉体に引っ張られたのかもしれない。 ﹁まああいつはそこそこまともな王様になるかもな﹂ ﹁悪いのですが、そうは見えませんでしたが⋮⋮﹂ 俺だったらふんだんに使ってたなーとか、まだ ﹁いや、なんだかんだ言って最後までは王族であることを武器にし なかっただろ? まだ甘いな、使えるものは使えとか言いたいけど、権力を笠に着て 驕らないならまだいい子なんじゃね?﹂ めっちゃ叩き潰したけど。 はあ⋮⋮まだ一番嫌なのが残ってるんだよな。 1424 嫌な相手、好きな相手 天使さんについては、用事というほどの用事はないらしい。とい うことは焦って対応しなくとも良いということになる。 いや、問題はあの方ではない。ヒジリアよりやってきた、いかに もデキる男の文学系お兄さんみたいなのがヤバイ。 ただ者じゃない。俺の中の何かが警鐘を鳴らす。 その本能による危機察知は、見当違いでこそあれ、間違ってはい なかった。 ﹁あなたの聖剣が欲しくてやってまいりました!﹂ 扉を開けた瞬間に、こんなことを言う奴がまともなはずがないの だから。 こいつを相手にする時は一人は嫌だと、仲間を全員巻き込んでい どうして?﹂みたいな顔であるが、ロウと るのだが、レオナもシンヤも絶句している。 アイラは﹁えっ? カグヤが殺気を飛ばした。 性剣が欲しい? こいつ男だよな? ﹁怖いですね、そんなに凄まないでください。私は、あなたの立派 何かの比喩? な聖剣が欲しくってきただけですよ﹂ えっ? 俺は激しく勘違いして混乱した。 1425 ﹁申し遅れました。私、ユダといってヒジリアにて聖物回収取締官 という聖物に対する権限を与えられた者です﹂ そう言うと、装飾の立派な十字架のような物を見せてきた。透明 なガラスのような中に銀色に輝く十字がある。この世界でも十字架 は特別なのか。 ユダって⋮⋮その名前はどうかと思うのは前世知識によるもので あって、この世界では関係ないに違いない。 ﹁あなたの腰に差している立派な剣は聖剣とお見受けしますが﹂ あ、ああ、そういうことか。 やたらと鼻息荒く丁寧語で迫ってくるから、そっちの方面の人か と。 腰に差している方じゃなくって、ついている方の性剣が本当に聖 剣だったらどうしようかと。 ﹁渡せと言われて渡せる物でもないだろう?﹂ 俺がこれに期待しているのは、精神生 ﹁当然、見返りは用意いたします。その人がその聖物に求めている 価値に見合うものを﹂ ﹁なら無理じゃねえか? 命体をも攻撃できて、手入れいらずの絶対に壊れない剣だ。その条 件の対価となると、同じ聖剣か、副作用のない魔剣か、精神生命体 を攻撃できる程度の剣を無限に用意する必要があるぞ﹂ ﹁そう⋮⋮ですよね。一定で妥協してもらうか、私が諦めることに なるか﹂ 1426 ﹁そもそも勇者候補の権限の一つに、活動に支障をきたすほどの権 力による侵害を跳ね除けるってのがあったはずだ。剣を徴収される というのはそれに当たるはずだが﹂ 勇者候補が国に入る時に制限が緩くなるのは、この権限の延長で ある。 ﹁実際、上層部からは全ての聖物を回収しろとは言われておりませ ん。優先的に回収するのは、神に近い聖性の高いもの、そして││ ││││危険度の高いものです﹂ ﹁じゃあ、別にいいだろう。これも普通にしてればただの丈夫な剣 でしかないんだから﹂ ただの、丈夫な、という二つのキーワードをとらえて彼が豹変し た。 ﹁あなたは間違っている!﹂ あまりの剣幕に、先ほどのアンセムくんには距離を詰められた俺 も思わず下がった。 両肩をガシッと掴まれて、助けを求めるように仲間を見るも、敵 意が感じられないので横に首をふる一同に絶望した。 俺は宗教関係者が苦手なのだ。偏見かもしれないが、神を信じて いればいるほど話が通じないイメージがあるのだ。 ﹁聖物とはそれだけで価値のあるものです。だからこれは私の個人 的な趣味によるものです。私は聖物が好きで好きで堪らないのでこ の職についているのです。ここなら合法的に聖物を探すことができ 1427 るから。ああっ⋮⋮その神々しい剣に触れてみたい。どうか触るこ とだけでも許してはもらえませんか⋮⋮﹂ 最後ぐらいでハァハァと息遣いも荒く、興奮しているのが丸わか りなので、触らせることには抵抗を覚えた。 ﹁私、聖なるものしか愛せない体質でしてね。先ほどの女性は⋮⋮ 例外でしょうか。会った瞬間痺れるような思いだったのですが⋮⋮ フェチ おそらく神の祝福でも受けた聖女かもしれません﹂ ヒエロフィリア おい、それは体質じゃなくって性癖だろうが。それに聖物愛好│ │││Hierophiliaとか、マニアックすぎるだろ。 アイラに聞けば、あの女性は本当に天使らしく、この人が惚れ込 むのも当然であるということだ。 聖剣をよほど気に入っているようなので、﹁空喰らい﹂を抜いて 彼に向けた。 彼は喜んで飛びついてきたので、そのままブスリと突き刺した。 じゃあこうすれば嫌いにならないだろうかと思ったのだ。 彼は最初こそうめき、腹から血を出してうずくまった。 けれど、その後の言葉を聞いて全員が戦慄した。 ずぶりと、もっとお願いします! もっとぉ ﹁うふふふふ。ありがとうございます。ああっ、聖なる剣が、私を 貫いているっ! ぉぉっ!!!﹂ 女子勢どころか男子勢もドン引きである。 いつから俺の日常はR18指定されたんだ。こいつどうしたらい いんだよ。聖剣を渡す以外の解決方法が思い浮かばない相手とか本 当無理。誰かこいつを連れていってください。お願いです。 1428 ﹁私の中に聖剣がっ! るっ!﹂ そのまま、一つになりたい。今なら死ね この聖剣ってそんな良い物かよ。 このままでは本当に死にそうだなので剣を抜いた。 ヒジリアに敵対すると表明したくないのもある。もう遅いか。ま あいいか、満足そうだし。 ユダは血まみれの腹部を愛おしそうに撫でながら、口惜しいとば かりに溜息をついて、その傷を治した。 ﹁全員がそうというわけではありませんが、高位の司祭や特殊職と もなるとこれぐらいの傷を簡単に治せる人も多いのですよ﹂ ﹁お前は人でなくなった方が平和そうだな﹂ 前世ではお目にかかることのできない異常性癖者を前にしてどっ と疲れた。 とりあえず気に入られているのが俺自身でなかったことだけが救 いである。 触らせてもらえるだけで満足だったのに、まさか突っ込まれると は思わなかったユダは実に満ち足りた顔をしていた。賢者タイムと いう奴だな。 ユダは先ほどの感触を思い出しては口の端からヨダレを垂らしそ うになっていて気持ち悪いことこのうえない。 俺も性癖だとか、見た目で人を判断しないように気をつけている が、ここまでぶっ飛んでいるとどうしようもない。 とりあえず満足するまでここにいてもらって、その内帰るのを待 1429 とう。 ◇ 天使さんのお名前はフラストと言うらしい。 翼の数が多いのは熾天使だからだという。なるほど、わからん。 だが俺たちの前では翼を隠さないでいてくれている。とても眼福、 目の保養である。テンションが高めであるのを隠しているのだ。 ﹁あなたがアイラの大切な人?﹂ ﹁ああ。俺はアイラが大切な者だが﹂ アイラは大切だ。間違ってない。 ﹁へえ。地上で天使なんて初めて見たぜ。本当、レイルといると退 屈しねえな﹂ ﹁前に天界に行ったときは遠目にしか見てなかったからこうしてゆ っくり話す機会があって嬉しいわね﹂ ﹁久しぶり﹂ 四人で挨拶した。 しかしフラストの目線は俺たちではなく、その隣にいる一人の少 女に向けられている。 ﹁どうしてここにあなたがいるのかしら?﹂ 1430 ﹁レイルたちがいつまでも他の奴らばかり構っておって暇だったの じゃ。わしが客として扱われぬのなら、わしも一緒にこちらに立て ばよかろうと思ってな﹂ ミラだった。 ついてくるといって聞かなかったのだ。死神なんだから、わざわ ざ気まずそうなところへ飛び込む意味はわからなかったが、あまり に自信満々なので大丈夫だろうとたかをくくっていた。 甘かった。自分より何百と年長であろうが、精神年齢とは何百と 過ごしたところでさほど変わらないものであることを忘れていた。 異世界マジックである。 いや、現実逃避している場合ではない。 この剣呑かつ気まずさMAXの状況をどうにかせねばならんのだ。 と二人の間に割り込み、言い訳の一つでもしようかと思ったのだ が、拍子抜けするような理由でバトルは起こらなかった。 ﹁言ってはもらえないようね⋮⋮何を言っても、私が立場上格上の 貴女に指図できることなんてないのだから、これ以上の詮索は無駄 かしら﹂ フラストさん⋮⋮ミラの掛け値なしの本音をすっとぼけた││策 略や駆け引きの一種として見たらしい。 そうか、このちんちくりんの方が上なのか。ミラが凄いことはわ かっていたが、天使様もひれ伏す権力か。存在の格というものは凄 いのだな。フラストさんは敬語使ってないけど。 俺がフラストさんにさん付けで、ミラが呼び捨てなのはその立場 によるものだ。フラストさんをアイラの友人という形では認めてい るが、この場においては身内ではなく客だということに他ならない。 ミラはもう身内だ。 1431 わしが気に入った人間と、 それを言うと調子にのってややこしそうなので、本人には言わな いけれど。 ﹁よくわからんが、世間は狭いの! お主が気に入った人間がこうして仲間同士だとはの﹂ ﹂ ﹁フラストさんがここまでわざわざ飛んできてくれたのはどう なんだかいい感じにまとめようとしやがった。 してだ? ﹁アイラに会いにきたのと、アイラの仲間っていうのを見たかった フラストさん から、というのが初めの理由ね﹂ マシンナーズ どうしてアイラは機械族とか天使とかやたらとそれっぽいのに好 性格なのか? かれるんだよ。俺なんて死神とか悪魔とかだぞ。好かれるだけマシ か。 性格か? これじゃあ俺がラスボスでアイラが勇者とかでも驚かんぞ。いか にも選ばれました感出てるし。それは熱い戦いになりそうだ。俺か らすればアイラと戦うなんて御免だがな。 ﹁もう一つは忠告、かしら﹂ ﹁忠告?﹂ カグヤが聞き返した。 ﹁あまりに日頃の行いが悪いと天罰を与えますよってか?﹂ シャレにならねえぜ。 1432 ﹁いえ。あなたの思うような忠告ではなくってね﹂ だよな。でなければ親を殺した時に最大の天罰が下って俺はここ にいないだろう。 ﹁私の主が不穏な力を感じるって言うから﹂ ﹁嫌なフラグビンビンだな﹂ ﹁フラグ?﹂ ﹁いや。続けて﹂ ﹁えーっと⋮⋮まだその正体ははっきりと確信が持てないから言え ないそうなんだけど、しいて言うなら私たちを冒涜する存在?﹂ また禍々しいものが出たもんだな。 ﹁あの神殿で次来る人を待ってもよかったのだけど、誰に相談して いいかわからなかったし。あなた、一応勇者候補なんでしょ?﹂ ﹁ああ。フラストさんが神の眷属天使族で、その主が神族であって も他種族であるのは同じだ。俺は他人の言葉は平等に耳を傾ける勇 者候補だからな﹂ ﹁それは良かった﹂ フラストさんは﹁それは近いうちに現れるでしょう﹂と縁起の悪 いことを言い残した。 1433 嫌な相手、好きな相手︵後書き︶ 異常性癖ってかなり数があるんてすよね。エメトフィリアとか、シ 同じ年下への性愛でも、ペドフィリア、エフ ンフォフィリアとか。 知ってましたか? ヒエロフィリア ェボフィリア、ロリータコンプレックスなどと細分化されているこ とを。 今回登場していただいたのは聖物愛好。実際に見たことはないので、 個人差という理由で軽めにさせていただきました。 1434 たまにはのんびりお勉強も 天使のわりに祝福どころか不吉な予言を残すと、後は用済みとば かりに飛び立ってしまった。 彼女が飛び去ったのを知ると、ユダがこの世の終わりのように膝 をついて悔しがっていた。 すると、まるでそれを見ていたかのようなタイミングでフラスト さんが帰ってきた。 ユダはフラストさんについていくといって聞かなかった。 フラストさんは非常に迷惑そうな顔をしていたが、自分の命令に 絶対服従ならば、というとんでもない条件でついてくることを許し た。 ヒエロ 自分一人なら飛んで帰るつもりだったそうだが、そうでないなら、 と胸元から出した魔導具で転移して帰っていった。 忘れ物ってそれかよ。 フィリア マゾヒスト 足蹴にされてまで、喜んでついていくあの人を見ていると、聖物 愛好じゃなくって被虐性愛者みたいなんだよな。俺の性け⋮⋮聖剣 にぶっさされて興奮していたし。 できれば会いたくないものである。でもフラストさんにまた会う には、あの人もついてくるのかと思うと真に残念である。 ◇ シンヤに溜まっていた諸々を突き出されて、ユダの時と同じぐら い逃げたかったが、キラキラと覗いている子供たちの目線に負けて 仕事を始めた。 1435 この世界は技術水準は低いくせに、魔導具のおかげで一部だけが 歪に発達している。 ライト然り、そして製紙技術然り。 魔物の中には成長速度の異常に高い植物魔物がいて、そいつが原 料になるらしい。葉などに毒があるが、それを好んで食べる魔物も いるらしい。そいつらは温厚でのろまなので、魔物を狩る邪魔には トゥレントにもユーカリタイプがいるってことだろうか。 ならないとのこと。それってもしかしてユーカリとコアラじゃねえ の? とにかく、金を出せば安定して紙が手に入るのはとても嬉しいこ とだ。まだまだ前世よりは高いだろうけど、作っただけで驚かれる ほどの貴重品ではない。 まあもともと、綺麗な紙を作る知識なんてないので、紙が使える と聞いたときは非常に安心した。 シンヤが横で様々な情報について口頭でまとめて教えてくれる。 トークがうまく、まとめかたもスッキリしているので、前世みた いに新聞やニュースを見るよりずっと理解しやすい。 ﹁で、こことあの国がきな臭いって話だ。ここまでがトーリからの 報告だ。あいつら、結構立派に情報収集をしてくれているみたいだ。 よかったな﹂ まあ裏切られることを前提に送りこんだエサみたいな側面もあっ たんだけどな。 頑張っているならそれでいい。 貿易が盛んになれば、情報は必須である。 俺としては百人や二百人、手練ればかりで諜報部隊を作っておき たいぐらいだ。 お前は情報戦でも仕掛けるのかといった用心っぷりだが、ここは 1436 歴史と規模が足りない。全員が兵士で、全員が農民で、幹部全員が 王様のような歪な国に近づいていっている。 ならば少数精鋭で戦争を起こさないためにも情報は大事だ。 ﹁そういえば、レイルってよく二歳まで生きてたよな﹂ ロウが言った。カグヤは成長が速く、最初から喋ることができた という摩訶不思議な生命体だったからそういったところまで気が回 らなかったのかもしれない。一番の常識人が遅れをとったのは珍し いことだ。 ﹁ああ。あんなクソみたいな両親でも友人はいたみたいでな。たび たび家を訪れては、説教かましながら俺に乳を飲ませてくれてたん だよ。今頃どうしてるだろうな。まあ興味はないんだけどさ﹂ 結局、あの掃き溜めから俺を連れ出してくれなかったあたり、あ の人が心配していたのは俺じゃなかったのだろう。俺という息子を 虐待のあまり殺してしまった親に、あいつらがなってしまわないよ うにと俺を生かしていただけにすぎない。 あれらを両親と呼ぶのは憚られる。 しかしあの人が母乳を与えるのを止めなかったことや、暴力で俺 を殺してしまわなかったあたり、最後の良心があったか、あの人が 歯止めとなっていた可能性も否定はできない。 ﹁ま、レイルならその人まで殺さなかったあたり、まだ良心が残っ ていたのね、って感じね﹂ ﹁だよな。後顧の憂いになるから、とか言って目撃者全員始末しそ うだしさ﹂ 1437 途中からいなくなったし、別に俺のことを知っていても一緒に焼 け死んだと思ってくれるかと思って放置しておいたんだがな。 本心がどうであれ一応命の恩人であるわけだし、無駄な殺しをす ることもあるまいと。というよりはそこまで考える余裕もなかった 気がする。 ﹁会えないといいね﹂ ﹁ああ。気まずいし、どうせ今会ってもわからないだろう﹂ 命の恩人に対する感想としてはかなり外れているが、概ねその通 りである。 ◇ ところで、ここの名前が決まったことを忘れていた。 この自治区は﹁ユナイティア﹂という国として認められた。 そのうち、国としての建国記念パーティー的なものを開く予定も ある。 ここの国は非常に奇妙で、国が一つの会社のようになっている。 移住してきたものも、何らかの形で国に関わる仕事をしていて、 元奴隷だった者たちも、農作業などに勤しんている。最近は派遣業 務もほとんどしていない。 人材は一年間かけて、みっちりと知識と仕事などを教え込まれ、 身につけた奴から順番に働くという制度になっている。 最低限の知識がないと、時々とんでもないことをしでかす可能性 があるからっていうのと、どうせ養うならば優秀な人材の方が役に 1438 立つと思ってのことである。 第一次生産から商業に至るまで、国が独占しているというかなり 堅固な支配体制ではあるが、その分決まりというのはかなり緩い。 未だに法律の一つもないのだから驚きだ。だからこそ、他から来た トバ 旅人やら勇者候補やら他種族がどんな目的で来ようと、問題を起こ そうとも俺の采配一つで軍に配属されたり、左遷されたりするんだ けどな。 俺としては、最大限国の利益になるように、かつ人道的な範囲に おさまる嫌がらせを行っているつもりなのだが、事実というものは 歪曲されて伝わるものである。 ﹁レイル様! 僕は剣を!﹂ 勉強教えて!﹂ 何が言いたいのかというと。 ﹁カグヤ様! こんな俺でも仕事を教えられてこき使う予定の子供たちに慕われ ているということである。 自分の作った軽い教材もどきが、しっかりと効果を発揮している のかを点検したいこともあり、そういったお誘いには暇な限りこた えている。 ﹁ああ、そこそこ。桁を揃えてかかないと筆算がしにくいぞ﹂ 小学生レベルの問題が主流であり、教えるのは簡単だと思われが ちだかそうではない。 レベルが違いすぎると、どこで躓いているのかわからないので説 1439 明もしづらい。特に、不確定の数をXとおけないことは辛い。 男の子が3桁÷1桁の割り算に挑戦していた。 ﹁3で割れるかどうかは各桁の数を足して3で割れるかで確かめら れるぞ。468なら4と6と8を足してみろ。18だろ。18なら 3で割れるから、468は3で割れる﹂ ﹁どうして3で割れるかどうか確かめられるの?﹂ ﹁その原理は十年早いな。興味があって、それを解明できるぐらい に数を研究できたらきっと歴史に名を残せるぞ﹂ たかが十年頑張れば歴史に名を残せるなどとうそぶく。 いや、実際に数学というものが魔法や経済の学問の道具として認 められるならば、俺の持つ程度の知識でさえ歴史を変えられるほど にあるのだろう。 例えば物理学、これは魔法と組み合わせるだけでこの世界の戦争 の様相を変化させる。 重力加速度や摩擦力などの力学一つでも技術というものは変わっ ていくに違いない。 その淵に立つということはすなわち歴史に名を残す機会があると いうことだ。 この子の数学的思考がもっと発達すれば、各桁の数をa、b、c ⋮⋮とおいて3の倍数の証明とかをさせても良いかもしれない。 3桁なら100a+10b+cで3で割り切れる条件を判別すれ ば良いだけなのだから。 ﹁頑張ってみる﹂ ﹁おう。いろんなことを学べばそのうちできるかもな﹂ 次に話しかけてきたのは女の子だった。 1440 ﹁漢字が覚えられないの﹂ ﹁基本的な漢字は覚えてるんだよな。じゃあ覚えやすいのからしっ で読み方は かり覚えてみようか。例えば、意味を表す部分と読み方を表す部分 ドウ に分かれている漢字とかな。ほら、銅は金属だろ? ドウだから同なんだ。そうやって覚えていったら容量が少なくて済 むぞ﹂ そうやって年下に勉強を教えていると、警備にあたっていた男の 一人から連絡が入った。 聞けば近くに冒険者が複数いるとのこと。近くといっても、作ら せた望遠鏡で確認したことなので、まだここに来たわけではないが。 警備には常に三人以上で行動させているため、誰かが来たときに 連絡係よりも俺が近くにいれば俺に直接連絡するように言ってある。 素早い連絡によって早めに対処できそうでよかった。 1441 たまにはのんびりお勉強も︵後書き︶ 冒険者はボロボロのようです 1442 急転直下 冒険者たちがどんな相手かわからない以上、ガラの悪い部下たち を行かせて警戒されるのも良くない。 ならば機動力があって、なおかついざという時に逃げるのが一番 得意であろう俺がいくのがいいかと、言伝を残して跳んだ。 空間跳躍を使って、冒険者とやらがギリギリ確認できる位置まで 来た。空間把握でどの距離に何人いるかがわかり、俺はそこまで歩 いていくことにした。 見た目には男一人、しかもまだわかく、ここは国からさほど遠く もないため警戒はされにくいだろう。 先ほどは空間把握でぼんやりとしか確認しなかったため、近づい てくる冒険者を見ると、三人とも怪我をしていることがわかった。 特に酷いのがそのうちの一人の男性である。女性に肩を貸してもら っていて、ほとんど動かない。 二人は男性で、一人は女性だ。全員が二十歳半ばほどの若い冒険 者である。 若いとか俺が言うなって話だが。事実上は三十、四十生きてたっ てまあ、体がその半分しか生きてなけりゃ成熟した感じにはあまり ならない。落ち着いたのは性欲ぐらいである。 ﹁どうされましたか?﹂ 剣は腰にさしたまま、敵意はないと顔と声と態度で示す。 もちろん敬語である。実力が物を言う冒険者であるが、お互い実 力も知らないのに十も歳下のガキに生意気な口をきかれては不愉快 1443 だろう。 ﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮助かった。坊主、この近くに民家はないか?﹂ 川とか水のあ ﹁何言ってるのさ、ここは国の外だよ。そうそう民家なんて⋮⋮あ るとしても奴隷商や盗賊のねぐらよ﹂ ﹁うるせえ。聞いてみなきゃわからんねえだろ! ⋮⋮なんなんだよ!﹂ るところでも洞窟でもいい⋮⋮傷を洗えるところか身を隠せるとこ ろが欲しいんだ。くそっ! どうやらひどい目にあったらしいということはわかった。 ﹁この先に国というか、街みたいなのがあるのでそちらで手当てし ますか?﹂ ﹁本当か?!﹂ ﹁嘘!?﹂ 女性はどうやらここの付近をよく知っているらしかった。 先ほどからここには国はないとばっかり言っている。もしかした 世界地図を記憶しているってことだろうか。 ﹁最近できた国ですからね。ユナイティアと言います。治療のため の一通りが揃っていますよ﹂ 俺の言葉を聞いて、ユナイティアがきっちりとした場所だと判断 してくれたらしい。 ﹁じゃあそこに行かせてほしい。どこにあるんだ?﹂ ﹁焦らないでください。急を要するので、本来ならするべきではな いんですが、信じてもらいましょうか﹂ 1444 信じようが信じまいが、強制で連れていくけどな。 ﹁ちょっと待て、何をする気だ?﹂ 何をって、説明するほどのことでもないしな。 俺は三人と一緒にユナイティアへと転移した。 ◇ 信用しろ、なんて胡散臭いことをいう羽目になったのは、空間転 移ができると言っても信用しづらいからだ。空間術は初歩の空間転 移でさえそれだけ難しいとされる。 十数年に渡る魔力操作の訓練と、物理科学の知識、そして読書を 通じて得た想像力と、全てが昇華されたからこそ簡単にできたのか もしれない。それでも最初はこわごわであった。 坊主、お前何者だ?﹂ 門番には顔パスで中に入れてもらい、中心へと向かった。 ﹁なんっだよ⋮⋮転移? ﹁自己紹介は後でしょう。まずはその人の手当てを。貴方たちも傷 ついているんだから﹂ ﹁ええ、そうね﹂ この国には教会がない。できて数年、しかも国としては異質すぎ るこの国は教会どころか新参者の介入さえほとんどないためだ。 1445 よって、人の手当てができる場所というのは、元奴隷商のアジト として機能していた建物の跡地にして、現在の重要客が通される建 物の一つがそうである。 ﹁この国は勇者候補の肩書きを利用してここにあった雑多な無法者 たちをまとめ上げたのが始まりでしてね﹂ ﹁坊主、若い冒険者なのに博識なんだな。いいことだ﹂ ああ。そういえば何も言ってないから単なる冒険者として認識さ れているのか。まあいいか。自己紹介は後でって言ったのは俺だし。 シンヤには門番の人から連絡がいっていたみたいで、慌てて俺を 見つけると駆けつけてきた。 ﹁あ、シンヤ。この人を手当てしてやって﹂ ﹁おう旦那。数人暇なやつを呼んである。奥の部屋に通してくれ。 そっちの軽いのは救急道具さえあればベッドがなくてもできるだろ﹂ ﹁重傷の方にはロウにいってもらおう。何日も完治するまであれや これやと世話を焼くほど回す人手に余裕もないだろ﹂ ﹁それは助かる﹂ お互いテキパキとやるべきことをつめていく。 その間にも、シンヤの指示で救急道具が一式用意されて、重傷の 方はロウと共に奥の部屋へと連れていかれた。 部屋に入ると、女性には女性が、男性には男性がと完璧な対応で 怪我の処置がされ、気がつけば前にお茶があった。 俺が自分の前にあるそれを躊躇わず飲み干すと、ようやく事態が おかしなことに気がついた二人の顔が青ざめている。 ﹁ねえ⋮⋮あんたなんなの⋮⋮?﹂ ﹁さっきから大の大人を顎で使って、この部屋にも当然のように通 1446 されたよな?﹂ ﹁一番偉そうな男が旦那呼びって⋮⋮﹂ 俺は二人の真正面にシンヤと座り、肘をついて手を顎の下で組ん で言った。 ﹁ではお話を伺いましょうか。はじめまして、この自治国家ユナイ ティアの名目上の最高権力者にして、ギャクラ出身の勇者候補、レ イル・グレイです﹂ にっこり笑って挨拶したら、部屋の中に疑問の叫びがあがった。 落ち着いて、お茶も飲んで一息ついたところで二人は今までにな いほどに緊張していた。 顔には苦悩が浮かび、どこから話していいものやら迷っているの が見て取れる。 ﹁簡潔に言おう。ある国が滅んだ﹂ 滅んだ?﹂とみっともなく聞き返したかった 第一声がそれであった。 俺だって﹁は? が、横にいるシンヤが眉をピクリとあげただけであったのにつられ て何も言わなかった。 ﹁どういうことだ﹂ ギルド ﹁文字通りの意味だよ。俺たちはリューカで化け物に出会った。国 からは軍が出て、冒険者組合からは大勢の冒険者が派遣された。何 1447 百人と同時にかかっても、アレには全然敵わなかった﹂ 化け物。魔物とは言わなかった。他種族でもないのか。 そして出たのはリューカか。 ﹁ただ、見惚れるほどに白かった。羽が生えていて、生気のない目 がぼんやりと光っていた。荒れ狂うような力が俺たちを蹂躙し、あ っという間に城が乗っ取られた。あいつが城に引っ込んだのをいい ことに、冒険者と兵は戦うことより大勢を生きて逃がすことに決め た﹂ その惨禍がまだ彼の目の奥に燃え盛っているようだった。 ポツリポツリと語られるその言葉に一切の誇張はない。むしろ、 どうしたら自分が感じた恐怖を伝えきれるかを迷っているようでさ えあった。 ﹁国の中心部はもう人はいない。一般人は退避していて、中心部の 周りをぐるりと囲んで警戒態勢に入っている。いつあいつが出てく るかわからない。だから、俺たちがここに来た﹂ ﹁わざわざ満身創痍のやつらがか?﹂ あいつ ﹁俺たちもあの国を出るまではまだここまで傷だらけじゃあなかっ たさ。出ようとした時だ。化物の部下みたいなのがうじゃうじゃと 十匹ほどで出ていこうとした奴を攻撃し始めたんだ﹂ そんなことがあったのか。 ﹁俺たちは応戦し、偶然駆けつけた軍が足止めしてくれたおかげで 振り切って逃げ切れた。だがな、その時あいつまで傷ついてしまっ た。その時は大丈夫とか言ってたから、連れてきたんだけど、あの 時の少し前の戦闘でグラリと倒れちまってな﹂ 1448 仲間の健康管理ぐらいしておけよ。とまあ移動に時間をかけない 俺らが言っても嫌味なんだろうな。 ゲート ﹁助かったよ。王都の手紙送信機も使えないし、仲間はボロボロだ ったし。偶然見つけた未発見の転移門に逃げ込んでここまで来たん だ﹂ ﹁そういうことか。こっちの方から各国に手紙を出しておいてやる。 それと俺を含む数人体制で偵察に向かう。どこまで情報が本当か確 場合によって かめにいく。ギャクラ、ガラス、ウィザリア、運が良ければエター ニアも協力してくれるだろう﹂ 思いつく国をピックアッしていく。 横からシンヤが話しかけてきた。 ﹁旦那、偵察に行くって?﹂ ﹁ああ。この中で行くとすれば、俺たちだろう? はそのまま化物と戦うことになるんだからよ。相手は裏で手を引く 奴がいるにしろ、考える脳があると考えたほうがいい。なら必要だ ろ﹂ ﹁⋮⋮はあ。はいはい、止めねえよ。もともとそういう奴だしは﹂ ﹁行くの?﹂ ﹁あそこは結構友好的な国だったろ。それに﹂ 言いかけてやめた。言えなかったのだ。サーシャさんとかはとも かくとして、カレンにああして思いを遮った以上、心変わりさえし ていなければ今度はちゃんと思いを聞いてから返事しなければいけ ないと思った。なんて。そんな感傷的で人思いな覚悟が気恥ずかし くって言えなかったのだ。 1449 もちろんわしも││﹂ 話がまとまりかけたところで、扉が勢いよく開けられた。 ﹁話は聞かせてもらったのじゃ! ミラだった。いつも大事な時に出て来るな。なんつーか⋮⋮今は 空気が変わって助かったか。死亡フラグみてえだったし。 でも次の言葉がわかっている以上は断る。 ﹁駄目だ。ミラはおいていく﹂ これは実に俺の独断で感情に左右された判断である。 死を司る神である、冥界の絶 これから行く場所では大勢の人が死ぬ。中にはよく知る人が死ぬ かもしれないだろう。 そんな時、ミラが横にいれば? 対者。ミラを連れていくと心のどこかで甘えてはしまわないか、死 んでも俺が頼めば生き返らせてくれるかもしれない。そんな自分勝 手で⋮⋮甘い希望を持ってしまうのではないかと思ったのだ。 俺はそんな無意識の甘えはいらない。死んだら終わりだ、という 覚悟で臨まねば本当に生かしたい数人を死なせてしまうかもしれな い。冷静に追い詰められなければ、全力は出せない。 それに、きっとミラは助けてはくれないし、助けさせてはいけな い。それはきっと後々俺たちを、そしてミラを苦しめる鎖になる。 だからミラはいらない。 そんなミラは俺の眼を見た。アメジストのように深い闇が、俺の 浅い底を見透かすように見ている。 ミラはふふふっと、それはもう嬉しそうに笑った。しかしその凄 絶な笑みは妖艶な魅力を放ちつつも、決して虜にされてはいけない 危険さを醸し出している。 1450 ﹁わしは嬉しいの。レイルがそこまで想ってくれておったとは。じ ゃがな﹂ ああ、ミラはわかっているのだ。 ﹁安心せい。わしは人を生かす言葉にあれど、生き返らせん。死な すこともなければ、蘇らせることも決してない。わしはお主の何倍 も在る。感情だけはお見通しじゃよ﹂ その宣言にビリッと背中に電流が走ったような気がした。 そう、見事なまでに後ろの地面を崩されて崖にされたような、そ んな気分。 だが俺が欲しかったのはその言葉だ。 ﹁まいった。ついてきてください﹂ 甘えさせてはくれないのだ。断る理由などない。 偵察部隊が出揃った。 1451 急転直下︵後書き︶ ミラが賢く見える! 1452 正体不明の敵と ホームレスには強い敵と戦えるかもしれないと言えばいいし、ア ークディアは呼び出して命令するだけでいい。 ﹁お前らの力が必要だ。いくぞ、お前ら﹂ ロウにも、カグヤにも、珍しく来るかどうかは聞かない。相手が 前例のない相手なら、少数精鋭でより多く連れていくべしである。 三人には当然来てもらう。 リューカには行ったことがある。ならば空間転移で行ける。 俺は全員でリューカまで跳んだ。 ◇ あたりは既に夕方であった。 リューカは酷い有り様であった。 城は既に占拠されており、得体の知れない怪物が城に居座ってい るという。 王都にはいられないが、国から全員退避するというわけにもいか ず、元々王都に住んでいた大勢が王都から少し離れた村の付近に逃 げてきていた。 村の住人と軍の兵士が協力してできた仮設テントのような避難所 に、貴族から平民までぞろぞろときている。 1453 さすがに貴族と平民を同じ場所に避難させておくことは困難だと 他国からの援助はまだこん 踏んだのか、二種類の避難所があることに苛立ちはあった。 ﹁早くこの状況をなんとかせんか! のか?﹂ おっさんが喚いていて、それを兵士がなだめている。 人々の表情は当然暗い。薄っぺらい布団にくるまり、寝ているも のもいる。子供の中にも、騒ぐ子はいない。 ﹁ええっと、応援の冒険者ですか?﹂ 俺を見かけた兵士が近寄り、こぎれいな身なりの俺たちを見てそ う判断したらしい。 十人にも満たない人数、しかもどいつも若く、魔族混じりで少女 まで連れていたら不審な顔をされるのも仕方ないか。 あまりに早すぎるのも一つの理由か。 ﹁そうだ。他の国にも応援は頼んでいるが、間に合うとは思えない。 俺たちだけ先に跳んできた﹂ 一応、勇者候補の証明だけ見せると、その兵士はほっとしたよう な声で礼を述べた。 ﹁ありがとうございます。一般兵士が民衆の統率と防衛に、最前線 に冒険者たちと門番や精鋭軍がまわるという形で防衛しています。 いきなりですが、西での防衛戦に参加してもらえませんか。あ、魔 法の使えない方は残っていただいても構いません﹂ ﹁どういうことだ?﹂ ﹁奴らに剣は届きません。魔法が使えないと一方的にやられますの 1454 で﹂ そういうことか。だから一般兵士が民衆の近くにしかいれないっ てことか。冒険者なら魔法使いもいるだろう。 ﹁わかった。あっちだな。敵は見て確認する﹂ 空間把握を広げて、大勢の人がいる場所を探る。反応があった場 所よりも少し離れた場所へと転移した。 俺たちのメンバーに遠距離が攻撃できない仲間はいない。大丈夫 だろう。 衝突音のする場所には何十人もの冒険者がいて、数十体の敵とや りあっていた。 ﹁なんっだよありゃあ⋮⋮﹂ 俺たちが駆けつけた場所にいたのは、見たこともない敵であった。 しかしその形状はひどくあるものに似ていた。全体的に白い体、 薄っぺらい存在感の布をかけましたってだけの衣服、何より背中か ら生えた翼で空を飛び回っている。 ﹁天使⋮⋮なのか?﹂ ホームレスがそんな呟きを漏らした。それは疑問というよりも、 予想であった。 1455 しかし実際に二度も天使を見て、神にも会ったことのある俺たち にはその予想を否定する感情があった。 ﹁違う。あんなのが天使のはずがないじゃない﹂ 冒険者を襲うそれは確かに天使に似てはいたが、決定的に違う部 分があった。 無機質で色のない虚ろな目、そして脆弱な存在感。 もしかすると誰かに作られた存在かもしれない。 何お前らぼさっとしてやがる! 早く手伝ってく 隣でそれを見るアークディアも、面白くなさそうに頷いた。 ﹁おいっ! れ!﹂ 前線で天使もどきの攻撃を防ぎ続けている戦士の冒険者が言った。 ごつい鎧に身を包み、剣でもどきの魔法の土弾丸や氷の刃を防いで いる。 先ほどから見ていてわかったことがある。 冒険者たちがしているのはひたすらに上からの攻撃を防ぎ続ける ことだけである。 魔法同士は相殺すれど、魔法が奴らの体には通じていないのだ。 なるほど、魔法で起きた現象は通じないという精神生命体特有の 性質だけはしっかりと受け継いでいるわけだ。 時折、地上付近まで近づいたもどきを武器で応対して一方的にや られているのがわかる。 もどきはあまり地上にはいないようで、すぐに戻るためにまだ魔 法合戦になっているのだ。 ﹁あいつらは素手なら倒せますが⋮⋮﹂ 1456 ﹁できるか馬鹿野郎! あいつらは空を飛んでんだぞ。魔法で無 理に飛んだら叩き落とされるのが関の山だよ!﹂ そうか。飛べるやつはいないのか。 一人、優秀な結界術の使い手がいるのが良かったのか、ここは未 だ重傷者をだしていないようだ。 もどきも、冒険者も魔法を使えるやつが交代で魔法を使って弾幕 をはっている。 精神生命体が通常の武器は通じないという事実がどれだけ常識な のかはわからないが、少なくともここにいる奴らは身をもって体験 しているということだろう。 するりと抜いた剣をぽんぽんと片手で跳ねさせる。 ﹁多分お前らは攻撃ができないだろうから、身を守っていてくれ。 アークディアはできるなら殺ってもいいぞ﹂ どうするつもりだ?﹂ そう言うと俺は試し斬りに飛び出した。 ﹁おいっ! 冒険者の叫びも無視して、相対座標固定で足元の空気を固定して は登り、いっきに天使もどきのいる上空まで駆け上がる。 俺としては階段二段飛ばしぐらいのノリだが、周りの人からは自 由自在に空を駆け巡るように見えているのかもしれない。 どれぐらいの手応えかと、﹁空喰らい﹂を振るう。この剣は精神 生命体でも斬ることができる聖剣だと聞いているので、無傷という ことはあるまい、という程度だったのだが、俺は見事に裏切られる こととなる。 1457 ﹁はあっ?﹂ 右手に何の感触もなかったのだ。 どうやら、素手で空を飛ぶ天使もどきに攻撃を当てられる敵とい うものを想定していなかったらしい。 非常に物理防御力が低いようだ。 戦闘センスも出来の悪いAIのように数通りの行動にパターン化 されている。 ﹁なんっつー脆弱な﹂ 俺が剣を薙ぐ瞬間に剣の刀身は歪んで消える。 その瞬間に空間接続であっちこっちに繋げられて転移した剣が天 使もどきを襲った。 一振りで何体もの天使もどきが壊れる。ガシャン、グシャンとガ ラクタと肉の間のような耳障りな儚い音をたてて消滅していく。 飛んでくる魔法を転移と波魔法による移動で避け、距離をつめて は首を刎ねる。仲間からの誤射が怖かったが⋮⋮こないな。 何十体いようと、学習も本能もないのであれば単なる的でしかな い。 ようは相性だったというわけだ。 アイラは強力な弓にそこらへんから折ってきた木々を使って矢を 作ってつがえて放つ。木にも魂はあるもんな。アークディアやカグ ヤは魔法で能力を強化しながら素手で殴りかかっている。ロウは時 術ですっかり僧侶職に走った。 ﹁倒してやがる⋮⋮﹂ 聖剣と空間術という凶悪な組み合わせがこいつらには天敵といえ るほどにハマった結果としての無双か。 1458 俺もどちらかがなければ倒すのは難しかっただろうな。 ﹁なんだあいつ!﹂ ﹁救世主か!﹂ ﹁助かった!﹂ 俺が空中で今まで防戦しかできなかった存在を圧倒しているのを 見て歓声があがった。 いや、これ、方法さえ工夫すれば誰でも倒せるからね。 そんな誤解を解くことはしなかった。めんどうくさかったから⋮ ⋮ではない。士気が高まるなら嘘でもいいか!と諦めたのである。 嘘でもてはやされるのは居心地が悪いので、後で全員にこいつら の倒し方を伝授しよう。 1459 正体不明の敵と︵後書き︶ 初めて相対するもの軍勢が得体の知れないものって⋮⋮ 1460 やさしい天使の壊し方 あらかた天使もどきを倒し終えて、相対座標固定を解いて地上に 降りた。 精神生命体は死体が残らず、霧散して消えてしまった。 この戦場では死者は出なかったようで、口々に俺たちを称えてく る。 アイラが俺にだけわかるようなことを言った。 ﹁こんなところでアレの出番が来ちゃうなんてね﹂ アレというのは武器ではなくて戦法である。 ﹁ふう、お疲れさん﹂ ロウが怪我人を治療し終えてこちらに向かってきた。 ﹁いやいや。ロウの方が大変だつたろ﹂ ﹁時術を鍛えるのにちょうどよかったよ。自分は速さ勝負だから一 撃で相手を殺す側なもんで、あまり自分に回復を使わねえんだよ。 それにお前のおかげで滅多なことでは苦戦しねえしな﹂ ﹁それならいいけどな﹂ 精神生命体に魔法攻撃や武器による物理攻撃は効かない。 もしもあれが誰かの手によって人為的に造られたのだとすれば、 あそこまで防御が紙装甲なのもわかる気がした。空を飛んでいて、 素手などの肉体攻撃以外通じないなら防御よりも魔法に偏る方が強 1461 いに決まっているのだから。 フラストさんが上級天使で、あれが下級だとしてもあれは弱い。 飛んでいることと魔法を除けばゴブリン並みじゃないだろうか。 ﹁私は大変だったわ﹂ カグヤはそうだな。特に刀を鍛えている以上、素手で殴るという 経験は少なかったに違いない。近接戦闘ということで、通じるもの があるのだろうけど。 こればっかりは純粋に相性の問題なんだよな。あまり技術とかは いらないのだとカグヤが証明しているし。まあカグヤの場合は天使 もどきの魔法攻撃を魔法で防ぎながら魔法で飛び上がって攻撃でき るだけの技量はあったわけだが。 倒し方さえわかれば、冒険者や兵士が三十も集まれば余裕を持っ て倒せるはず。 で、毎日の防衛のために、夜になると会議を開いているというこ とで、そこに参加した。 冒険者からは冒険者ギルドの副ギルド長、ギルド長が出てきてい る。軍からもナンバー1、2が出ている。他にも数人、俺以外に合 計八人がぐるりと円卓を囲んでいる。 あの化物たちを倒す方法を﹂ 天幕の張られた会議場の中に、明らかに場違いな人間がいる。も ちろん俺。 ﹁聞かせてもらえるか? 1462 本来ならば、こういった情報をばらまくのは苦手だ。 しかし倒し方を教えることで、俺たちがここの防衛に当てられな いならばそれでいいだろう。 神妙な顔をしているが、そういった意図を感じてくれているだろ うから、不安そうな気配はない。 ﹁簡単ですよ。あれは精神生命体です﹂ その言葉に他の人たちは﹁やはりか⋮⋮。﹂とか、﹁本当にそう なのか?﹂と納得と動揺との反応に分かれた。 ﹁だから魂を持たない物理現象、つまりは単なる魔法や武器では倒 それ せません﹂ モノ ﹁お主は剣で倒しておったようだが﹂ ﹁これは一応聖剣ですので﹂ ﹁ふむ。ではあれはやはり邪悪な存在というわけか?﹂ ﹁いいえ。剣は斬る相手の善悪は区別しません。ただ選べるのは使 い手だけです。どうして俺が選ばれたのかはわかりませんが﹂ まあ半分嘘である。剣が主を選ぶというのはなかなかロマンのあ る話じゃあないか。それに科学技術の知識にとらわれた俺の常識だ けで話すよりも、少し嘘を交えた方が真実に近づくものである。だ ってここ、魔法あるし。 ﹁武器も魔法も通じない、となればどうして良いのかまるでわから ん。レイル殿のところの女性は弓で打ち落としていたな﹂ ﹁みなさんにはそれを実践してもらいます﹂ そうだ。俺が精神生命体の存在を知った時、アイラと話しあった 1463 のだ。 結局アイラがその案を先に出したというのは、あれが初めてのこ とであったのでよく覚えている。 アイラは邪悪さや卑怯さこそ足りないものの、俺と同じかそれ以 上に頭が回る。 今は現代知識の浸透レベルと、純粋な経験、知識の量で俺が勝っ ていると信じているが、頭の回転のみに絞ればアイラが勝つかもし れないとふんでいる。 ﹁ほう。その案とは﹂ 一番ご高齢の方が尋ねた。 ﹁みなさんには、毎日使う分の新鮮な木を伐採してきてもらいます﹂ ・・・ ﹁武器は効かないんじゃなかったのか?﹂ ﹁単なる武器は、ですよ。知っておられるかどうかは知りませんが、 木というのは切って上と切り株に分けたとしても、上は切った断面 を水につければしばらく成長したりします。下は言わずもがな、切 っても木が生えてくるのは自然の摂理です﹂ ﹁どういうことだ﹂ ﹁何が言いたい?﹂ あ、わかりにくかったか。 口々に質問とも言えないことを言ってこられても返事がしにくい。 ﹁要点をまとめてはもらえないだろうか。私たちは戦うことが職業 だ。君みたいに貴族としての教育を受けて、国一番の頭脳⋮⋮いや、 大陸でも頭抜けた智略の持ち主ではないのだ﹂ この人は軍のトップだと思う。落ち着いているな。いい歳したお 1464 っさんだからだろうか。シブいヒゲにつきすぎない筋肉がうまくあ っている。 そして俺のことを褒めすぎだ。 何が大陸で一番だというのか。そこまで凄いことはしていない。 しいていうなら酷いことしかしていない。 ﹁何が言いたいかというと、切って間もない木はまだ生きていると いうことですよ﹂ ・・・・・・・・・ 思い出してほしい。 精神生命体は魂のこもっていない現象に強いのだ。魂のこもった、 つまり生きている武器なら通じるってことだな。 だから上級の天使といえど、ドラゴンとかは相手にしたくないっ て言ってた気がする。フラストさんにしか聞いてないけど。 ﹁毎日少しずつ木をきって、その日使うだけの矢を作成してくださ い。相手の防御は弱く、主な攻撃手段は魔法なので矢が当たれば十 分倒せる相手です﹂ ﹁それは本当か?﹂ ﹁ただし、鉄や石を使うのはやめてください。あくまで木のみで作 るので、炎魔法で焼き払われる可能性があります。なので、次に防 衛に当たってもらうのは魔法が得意な方と、弓矢の得意な狩人系の 冒険者や軍の弓部隊になります。もし余裕があるなら、木剣や木槍 を作って通常の兵士や冒険者も投入したいですね﹂ ただ、天使もどきが飛んでいる以上は遠距離攻撃主体の部隊の方 が都合は良いだろう。 俺みたいに、魔法と剣と両方が中途半端な魔法剣士がいるならぜ ひ使うべきだろう。 聖剣はそんなに用意できない。 1465 ﹁レイル殿、あなたは確かに十分なだけの実績を残している。しか し、それを丸々信用するのは⋮⋮﹂ ﹁いや、信じるべきだ。魔法を使う様子もなく、その場で即席の弓 矢でまだ若い女性が防衛していたのをその目で見ていたはず。私た ちが束になっても敵わなかったというのに、だ﹂ ﹁⋮⋮信じよう。では明日からは﹂ ﹁いえ、俺は防衛にはあたりません﹂ ﹁なんですと?﹂ 周囲が殺気だった。 それもそうか、もし俺の言うことが嘘だったとしたら、この行動 はまるで逃げるつもりのように見えるからな。民衆が危機に瀕して いるのに、それを食い止めた張本人がいなくなるのは不審だってか。 そんな俺の顔を見て、代表して話した人はそれを否定した。 ﹁いや、違う。兵士と冒険者に不安が広がるのを怖れたのだ。あの ひたすらに耐えるだけしかできなかった猛攻をほとんど一人で収め てしまった君がいれば、士気もあがり、防衛の可能性はぐんと高く なる。ここでその戦力を失うのは惜しい。君の仲間も見事だった。 特に、白髪の彼のおかげで誰も致命傷のないまま夜を迎えられた﹂ 少々疑いすぎであったようだ。 ﹁いえ。俺は少数の仲間を連れて、本陣へと切り込みます。本当は 軍と冒険者からも一人ずつほど出してほしいところですが⋮⋮﹂ その発言は戦力的に足りないことを恐れてのことではない。 いや、足りないかもしれないが、その時はその時である。 1466 ギルド 俺はただ、冒険者組合と軍の両方に、活躍の場を設けたかっただ けだ。 ギルド 俺が自分の仲間とだけで国の敵を討伐してしまった場合には、そ の両方の権威の失墜がまぬがれない。 一応俺も、冒険者として登録はしてあるので冒険者組合はギリギ リ命拾いするかもしれないが、世間一般に俺たちの名前は﹁ギャク ラ出身の勇者﹂として知れ渡ってしまっている。 大多数がどう見るかを考えると、一人でも冒険者と兵士を入れて 戦いに臨みたい。 このままだとリューカの再興が不可能になってしまう。 珍しく優しいな、俺。どうしてだろうか。 ﹁⋮⋮ありがとう。聞いていた以上だな。ここまでとは﹂ ﹁ふむ。こちらでも志願者を募ってみよう﹂ 軍と冒険者組合の両方から賛同が得られた。 その後は具体的な戦い方と部隊の配置について話しあった。俺も 時々意見を出した。聞かれなかったり、取り入れられたりと、そこ そこの扱いであったと思う。 魔法で木の矢を覆って飛ばすなど、様々な案が出た。幾つかは実 戦投入が決定された。 アークディアはややこしいので俺についてこさせるとして、ホー ムレスをどうしようか。ロウも困る。カグヤは当然こちらだ。アイ ラは置いていくのもいいかもしれない。 帰ってくると仲間が待っていた。アイラはいつも通り、ホームレ スはやや不満げだ。強い相手がいなかったからか、それとも防戦一 俺はどうでもよくて 方だったからか。どちらもだろう。やっぱりこいつは木剣でも持た せてこちらに来させるべきか。魔族だしな。 も周囲がどう思うかまてまでは保証できない。 1467 ﹁あんなものは天使とは言わんの﹂ 人 造物かはわからんがの。少なくともあれが普通 ﹁あれは人造物か?﹂ ﹁かものう。 に生まれた天使などではないことは確かじゃ。性質も見た目もよく 似ておるがな。魂の作りがまるで違う﹂ さすが、魂と死を司る死神様の説得力は違う。 俺には魂の作りとかさっぱりわからない。 ﹁レイルよ。あのような紛い物どもは恐るるに足らんぞ。お主の仲 間も決して弱くはない。あれごときに負けるはずがなかろう﹂ ﹁わかってる。だからこそ迷うんだよ﹂ どこに配置すれば、戦いの後の損失が少ないか。 全体の命の数と、味方の戦力と敵の戦力と、未知数の敵と。周囲 の感情と、仲間の感情と、そして俺の感情と。 全ては考慮できないかもしれないが、最優先事項は身内の命と評 判である。 もしも一番死者が少ない案が、次善の策よりも俺たちに風評被害 を与える場合は迷うことなく次善を選ぼう。 いくら考えても最善なんてどこにもない。 どうせ選ばなくてはならないのだ。 突っ込んできたのは自分であって、関わらせたのはこの国ではな い。 見捨てることはできた。 たとえこれを見過ごせば、俺の勇者候補としての評判が下がった だろうことを考えても、だ。 うん。わからん。 1468 今日はもう寝よう。 そして明日は城に切り込もう。 1469 やさしい天使の壊し方︵後書き︶ この天使もどきの黒幕とは? 城が占拠されている理由とは? 次回﹁伽藍堂の瞳﹂ 1470 伽藍堂の瞳 絶対に敵うことのなかった天使もどきの攻撃を防ぎ続けられた理 由がある。 単純にあいつらは出てくる時間帯が限られているのだ。 黄昏時、逢魔が時、トワイライト。 日が傾いて朱色に染まるその時にあいつらは人間の多くいる場所 を襲うのだという。そして日が沈むと同時に撤収していくのだとか。 なんとなくだが、ある一つの仮説が浮かんだ。 もしかして、太陽の光を活動エネルギーにしてるんじゃないか、 と。 まあだからと言って太陽の光を遮って、確証が得られていない仮 説のために相手にむざむざ襲撃の日をわざわざバラすような真似は できない。 相手は疲れ知らずの化物、こちらは物資に限界のある人間。木だ って切り出して時間が経てば魂が抜けて武器としての価値を失う。 短期決戦がいいだろうということになった。 朝一で戦闘に従事する全ての人に天使もどきの対処法が伝達され た。 朝から多くの人が木を切り出していた。 切り出した木を次々と武器に加工していく。全員が弓矢や剣、ナ イフなどの木でできた武器を手にしていく。 麻の服を着た狩人といった感じの冒険者は弓矢を作っている。そ 1471 の一方でなめした皮で胸元から腰にかけてを覆った冒険者が、木で 出来た球体に鎖をつけていた。何あれ。 俺は本当はカレンだとか、キリアだとかサーシャさんとかを探し たかったが、さすがに空気を読んで自分勝手な行動には走らなかっ た。白い目で見られることがわかってるしな。 俺も木剣、木のナイフをホームレスやらロウに渡した。 ﹁はい、木剣﹂ ホームレスに聞くと、こいつもここに残るそうだ。 本人曰く、野生と本能の熱い戦いはしたいけど、得体の知れない 化物相手にしかも通じるのは木剣とかやってられない、だそうだ。 ロウも怪我しそうなのはどちらかというと乱戦になる天使もどき の軍勢との戦いだから残るという。お前は僧侶か、と言いたいけれ ど、当初斥候だ!とか言ってたころに比べればまあ随分と真っ当な 役職なのでいいとしよう。 ﹁アイラ、どうする?﹂ ﹁私も残る。レイルくんは早く倒して戻ってきてほしい﹂ ﹁わかった﹂ アイラも何やら思うことがあるらしい。 それは次の言葉でさほど深刻なものではないことがわかる。 ﹁連弩を使いたくって﹂ そうだ。もともと刃物を苦手とするかはアイラは銃器の他にも木 で作ることのできる武器にはあらかた手を出している。その中には 1472 弓矢もある。銃器を使うことが多くて出番がなかったのだが、今回 は出番がありそうだ。 弩とは改造された機械弓のことで、古くは秦の始皇帝や斉の孫臏 などの古代中国から使われていた由緒正しい弓である。 その中でも連弩とは日清戦争にまで使われたという。 こちらでもその発明はされており、ギャクラの王立図書館の文献 にもそれがのっている本があった。 アイラはそれを威力を落として連射性能を引き上げていた。 ﹁ああ。銃では通じないしな﹂ ﹁それに威力ばっかり強いしね﹂ 隣にはアークディアが顕現している。 俺に言い含められているので、人間に擬態はしているものの、戦 闘の時は隠せないかもしれない。 当然俺と一緒に討伐チームに入る。 ﹁変なモノが現れましたね﹂ アークディアは何もいらなさそうだ。同じ条件だからか。その口 調は心配よりも好奇の色が強い。まだ見たことのない状況を楽しん でさえいるようであった。 俺は何も言うまい。契約していて手伝ってくれるのならば問題は ない。 ミラもこちらについてきてくれるようだ。あれらの魂はこの世界 の理から外れているので、ミラが砕いても問題はないらしい。 ミラの持つ鎌は通常の武器としても十分な力を誇るが、精神や魂 にこそその威力を増大させるものらしい。 彼女からすれば生きている者など恐怖の対象ではなく、精神世界 1473 でこそ本領発揮する武器が必要なのだとか。 俺たちのように一般人からすれば、どちらもそれで首を刈られれ ば死ぬのは一緒なのでどうでもいい範囲だ。 俺とミラ、アークディアは五人の人間の気配が近づくのを感じ、 そちらに目を向けた。 半分は昨日の会議で見かけた顔だが、もう半分は知らない人だっ た。二人ともが俺たちより少し年上で、薄黄色のローブを羽織った 男に立派な甲冑に身を包んだ女性の兵士であった。 ﹁レイルさん。こちらが討伐隊に加わりたいと志願した者たちです﹂ この二人がそうか。俺の要望である程度の実力がないもの、俺の 命令に従わないであろうほどに素行に問題のあるものはやめてほし いという部分はクリアしているのだろうか。まあ最大の希望であっ た少人数が良いというのは大丈夫だったようだけど。 ﹁よろしく﹂ 男はただ一言だけぼそりと言った。だがそれははしゃいでスラス ラと自己紹介するタイプではないというだけで、こちらへの負の感 情は感じなかった。 ﹁共に敵を倒して平和を取り戻しましょう!﹂ 女騎士さんは爽やかにそんなことを言った。 多分この人は反りが合わないだろうな。 ◇ 1474 ギルド 少人数で王都まで跳んだ。アークディア、ミラ、カグヤ、そして ゲート 冒険者組合からの志願であるパニエさんと、軍からの志願であるリ ーズさんである。 転移呪文を使うから、と説明はしたものの、本来は転移門ぐらい でしか体験することのない術を何もないところで体験したことに二 人は素直に驚いていた。 ﹁人はいないな⋮⋮﹂ この言葉は視覚に頼ったものではない。空間把握で人の存在を探 ったのだが、人っ子一人といない。避難しているのだからいたほう が困る。 木造の冒険者組合の建物も、石造りの屋敷の数々も、立ち並ぶ店 にも人はいない。 不気味なほどに静まりかえっていた。 ﹁早く行きましょう!﹂ 何故かそわそわしているリーズさんが面倒くさい。できればここ に置いていきたい。 ﹁落ち着いてくれないかしら。なにを浮き足だっているのか知らな いけれど、相手は正体がわからないのよ?﹂ ﹁は、はい。すいません﹂ 見た目だけはあまり変わらない、下手すると俺たちの方が歳下に 見えるはずなのに、カグヤに叱られている彼女はまるでカグヤの妹 が何かのようである。 そういえば、アイラと俺、カグヤとロウに分かれることはよくあ 1475 ったけど、こうしてカグヤと組むことは珍しいんだよな。 戦闘スタイルからすればカグヤと組んでもおかしくはないんだけ れど。 ﹁はーあ、だりぃ﹂ パニエさんは両手を頭の後ろで組んでいった。 この人本当に志願してくれたのだろうか。じゃんけんで負けたと かだったら嫌だなあ。 無駄なおしゃべりをしながりも、本来の目的を達成するために いつもは兵士が警備し、堅く閉ざされた門も無防備に開け放され ている。 城の周りの水路に水が流れる音だけが響き、まるで俺たちを誘っ ているかのようだった。 城の中には人がいる。しかしうろつき回る人がいない以上、死ん でいるか動けない状態にあるか、である。 生きている人を見つけられたら解放するが、最優先は討伐にさせ てもらおう。 ﹁レイル、門に罠はないの?﹂ ﹁ああ、ないよ。つーかそんなことを考えるような相手じゃないだ ろ﹂ 私が一番乗りさせてもらうわよ!﹂ ﹁普通城って罠とかあるじゃない﹂ ﹁それもそうだな﹂ ﹁何をのんびりしているの? 罠について話している間に後ろから来たリーズさんが城に乗り込 んでしまった。 1476 後から俺たちもついて城に入っていった。 あいつら 鬼が出るか蛇が出るか。 偽天使の群れを見ているとあまり闇とか邪とかはでないだろうが な。だってあいつらには何の意思も感じられなかった。空虚で、伽 藍神の祀られた堂のように何もない瞳であった。その主である。き っと何もないに違いない。 俺たちの宣戦布告が始まった。 1477 戦いの条件 仮設野営場にて、大勢の冒険者と兵士が防衛にあたっていた。 とは言えど、兵士は魔物だけではなく、人に対する防衛も担って いるので、国の全兵力をここに集結させることはできない。さらに は王が行方不明であることが他国に知られると、国が滅ぶのではな くのっとられる可能性もあるということで、ここにいる兵士は全兵 力の半分ほどにしかならなかった。 ﹁俺が殺す側じゃなくって生かす側になるなんてな﹂ まるで自嘲するようにロウが言った。本人としてはそんなつもり はなく、ただただ現状に対する自分の立場について述べただけであ る。 ﹁レイルくん、大丈夫かな﹂ ﹁そんなに心配ならついていけばよかったじゃねえか﹂ ﹁私の持つ武力も知識も多分役に立たないから⋮⋮こんな時はロウ くんやカグヤちゃんみたいに、何か一点強いものがあればいいなっ て思うんだけどな﹂ ﹁⋮⋮レイルはお前のことをすっごく高く評価してるみたいだぞ。 アイラは天才だ、凄いってよく言ってるからな﹂ 突然のフォローにアイラは目を丸くした。 ﹁そうなの?﹂ ﹁ああ﹂ 1478 手放しの賞賛で、お世辞や慰めなど入りようもない伝聞形式で知 ったレイルの本音に思わずアイラは顔をほころばせた。 ﹁ま、珍しくレイルと離れてるんだ。さっさと始末してレイルを安 心させてやろうぜ﹂ ﹁わかった﹂ レイルがいればレイルを最優先するアイラではあるが、仲間の言 葉もまた素直に聞くのだ。 今は偽天使を掃討することが一番合理的に優先されると判断した 準備はできているか!﹂ 彼女は自らの機械弓の手入れを始めた。 ﹁おうお前ら! 冒険者組合の熟練者にして、この地の指揮を任された男の怒号が 飛んだ。 それだけで、冒険者と兵士たちの体感温度が一度ほど上がったよ うであった。緊張と興奮が半々で体に力が入り、戦いの前の熱気が 周囲を包んだ。 これがもしも人相手の戦争ならば、相手を呑むという点でも利益 を生んだであろうし、魔物相手ならば殺気を感じ取られてむしろ逆 効果となる。 相手にはなんの影響もなく、ただこちの戦意を上げるだけのそれ をその場の全員が受け入れた。 しかし、その戦意もやや削がれることとなる。 ﹁なんなんだよ、ありゃあ⋮⋮﹂ 誰かがつぶやいた。 その視線の先には灰色に染まった空があった。 1479 それは真っ白な天使が夕焼けの影と混ざって黒っぽく群れをなし たものであった。 冒険者と兵士たちよりも数倍から数十倍の数がいる。 ﹁あんな数で全てが空を飛んで魔法を使うなんて⋮⋮﹂ そんな部隊はおそらく世界のどこの国を探してもないであろう。 強力な魔法使いというのは珍しくはないが軍隊を組めるほどに存 在するはずがないのだから。 避難所防衛戦が始まった。 ◇ 時は遡ること、数時間ほど。 一方レイルの向かった親玉討伐隊は城の中を順々に上へと登って いった。 迷うはずもない。レイルの空間把握があれば城内部の地図どころ か敵の位置まで丸裸なのだから。 ﹁今こそこの勇敢を見せるときが来ましたね﹂ どこか嬉しそうでさえあるリーズの本質を人の弱さに敏感なレイ ルは気づいていた。 そう、この子は名誉や誇り、自己顕示から清廉潔白にこだわるタ イプである、と。 そんな彼女がここに志願してきた理由など簡単だ。人を救いたい。 本人はそれのみだと思っているであろうが、その裏に含まれた浅ま 1480 しい部分に辟易していたのだ。 また、それとは別に、レイルはこの石レンガの壁で密閉された城 に息苦しさを覚えていた。 それはまるで、圧倒的格上の存在と対峙する時││ミラやアーク ディアと出会ったその時と同じような││そんな息苦しさであった。 その直感は微妙な形で実現することとなった。 ﹁おでましかな。客人たちよ﹂ 最上階の玉座にいたのは、やや神経質そうな白衣の男と、今まで の偽天使をもっと強大化したような存在だったからだ。 決めれば何も、戸惑うことはない。 目の前の男が敵であるのはほぼ確定なのだ。 ただ、とある事実⋮⋮現状に対するレイル側の無知が攻撃の手を とめさせた。 ﹁それは⋮⋮なんだ?﹂ もう既に剣を抜いたレイルは、もはや尋問とも言えるキツイ口調 で尋ねた。 目の前の男は乾いた笑いで返した。 ﹁私の研究成果だよ﹂ 1481 そういって隣の性別不明、身長は人の二倍ほどの無機質な白いそ れの肩に手をかけた。 それは抵抗する素振りさえ見せない。なされるがままである。 ﹁私はこれを擬神、と呼んでいる﹂ こういった頭のネジがとんだような科学者とは自分の発明を語り たがるものである。彼もまた、その例にもれず自らの研究成果を得 意げに話しだした。 ﹁あのお高くとまった奴らに見せてやりたいね。この私の手中にあ る神を見れば。この神々しさ、神性、何をとっても本物ではなくと もこれは一つの成果だ﹂ マッドサイエンティスト うっとりとさえしたその顔にレイルとカグヤはこの前の変態を思 い出した。 こちらは変態は変態でも変態科学者なのだが。 ﹁作られた神や天使だから自我がないってことかよ﹂ ﹁ま、詳しくは教えられないがな。そんなところだ﹂ 今も悠然と佇む擬神をじっと見ていたミラがその顔を悔しげに歪 めた。 ﹁なるほど。厄介なやつじゃ。わしはこちらに来るべきではなかっ たかもしれんのう﹂ ﹁ちょっとまてよ、ミラ。お前が無理なら俺たちにできるわけない だろ。じゃあここからいなくなるなんていうなよ﹂ ﹁違う。アレは魂の核をそのまま存在の核としておる﹂ 1482 本来、精神生命体とは魂のエネルギーそのものであるのだが、ア レは核を壊されない限りは周りの魔力でさえも吸収して復活すると いう。 そしてその性質は精神生命体から一種の通常の肉体を持つ生命体 へと劣化しかけているため、命を奪うことのできないミラにとって は相性が悪いということである。 強くて格上の方が都合が良いとは皮肉なものではあるのだが、そ れがミラが役に立たないということでもなければ、レイルたちが戦 うにあたっての状況を変えるものでもなかった。 ﹁これはまだまだ試作品なのだがな。この前、獣を元にして作ろう と失敗してグレーズリーを転送してしまったこともあった。いくつ もの失敗の上に、これがあるのだ。ああ、あの出来損ないのリヴァ イアサンはどうなっただろうか﹂ その言葉に、レイルが少し苛立ったようであった。 ﹁ほう。あれらはお前のだったか。あんな厄介な雑魚送ってくれや がって﹂ レイルは空間接続で剣戟を彼の首元に繋ごうとして︱︱︱︱失敗 した。舌打ちしながらその原因を推測した。 はぁ⋮⋮そうだよ。私を倒さなければこいつはどうに ﹁はっ。めんどくさいな。結界か﹂ ﹁ヒッ! もならないし、そしてそいつを倒さなければここには来れない。結 界さえあれば私は無敵だ。それに見よ!﹂ 彼が玉座の裏から引っ張り出してきたのは見覚えのある人物であ 1483 った。 その人物を見てリーズが叫ぶ。 ﹁卑怯な!﹂ ﹁お前らはこいつを死なせるわけにはいかないのだろう?﹂ そう、王であった。 もともと他の人間などどうでも良すぎるミラとアークディアは全 く気にとめなかった。 カグヤは人質を取られたことはさほどなんとも思っていないよう だ。パニエもさほど変わらない。 冷静さを完全に取り戻したレイルはうーむ、と顎に手を当てて考 えたあと、ポンと手をうちこんなことを言った。 ﹁そうか。それは残念だ。うん、退こう﹂ そういって周りの全員をまとめて城の外へと空間転移で連れ出し たのであった。 1484 死亡フラグとは︵前書き︶ 相変わらずまともには戦わないレイル これからは三人称視点で進むかもしれません。 レイルが主人公であることは変わらないので、さほど印象も変わら ないようになるとは思いますが⋮⋮というかそのように書くつもり ではありますが⋮⋮ 1485 死亡フラグとは 城の外に退却したレイルたち。六人?は城の前の広場で休憩して いた。 その中にただ一人、激昂している人間がいた。 ﹁どういうつもりなのか教えてもらえるか?﹂ 激昂した少女︱︱リーズはレイルの胸ぐらを掴んで問い詰める。 そんなリーズをレイルは嘲笑った。 ﹁なあ、もう少し自分で考えてくれよ﹂ その瞳はリーズの中に一片の価値も見出してはいなかった。底冷 えのするような諦観の声に、敵ではないはずのリーズが怯む。 ﹁はあ⋮⋮こいつが人道に反するのはいつものことだけど、今回は 別に悪手を打ったわけではないわ﹂ カグヤがフォローしたことと、周りの視線を受けてリーズは黙る ことを余儀無くされた。 もともとカグヤも、ミラもアークディアもレイル側であることを 考えるとやや出来レースのようなものではあったが、どう見てもこ の場で少数派はリーズであった。 ﹁な、なんなのよ。私は間違ったことなんて言ってないわ。王が人 質にとられているのにおめおめと逃げ帰るなんてどういうつもりか 聞いているの。今もこうして王の命が危機にさらされているのよ? 1486 即助けに行くべきではないの?﹂ ﹁はあ⋮⋮あんたもうちょい周り見た方がいいよ﹂ パニエは呆れたようにリーズをたしなめた。 ﹁別に誰もこのまま諦めるなんて言ってねえだろ。退却してさらに 戦力を増やして戻るとか考えねえのかよ。せっかく転移魔法もある のにただ闇雲に突っ込むとか馬鹿じゃねえのか?﹂ 顔を真っ赤に口をパクパクさせて何か言おうとするリーズだが、 うまく言葉が出ない。 ﹁はいよ。ありがとさん。俺の言いたいことはだいたいパニエが代 弁してくれたからおいとくとして﹂ パンパンと手を叩いてお開きとばかりにレイルがその場をおさめ た。 メンバーの一人を執拗に追い詰めて士気を下げるのはレイルの望 むところではない。 ﹁とりあえず王様は大丈夫だし、意図的に見捨てるつもりはない﹂ リーズを落ち着かせるためには、王様について話す必要があると 思ったレイルが話の切り出しとして選んだのがその言葉であった。 ﹁どうしてって⋮⋮﹂ ﹁説明するから。まあ現状を確認しよう。あの魔導士だか発明家だ か知らない男は臆病で慎重な男だ﹂ 1487 レイルは彼の言動を一つ一つあげていった。 擬神という存在がいるにもかかわらず、結界まで張って自身の安 全を気にしていたこと。 結界を張っているのに、レイルが空間接続で剣を転移させて襲お うとした時に悲鳴をあげたこと。 そこまでしておいて、王を人質にとっていることなどである。 聞き終えて、彼の人格を見るならばやはり非常に慎重な人物とい うことになるだろう、と締めた。 ﹁そうね。それにしても厄介ね。彼を倒せば擬神は消えるのかしら﹂ ﹁それはないじゃろうな。まあでも高度な知能はないようじゃから、 指示を出す男がいなくなるだけでも楽になるのは確かじゃろう。そ れに男がいなければ結界がなくなるというのもな﹂ ﹁本来は結界の外に連れ出したいんだけど、多分無理だろうな﹂ ﹁どうしましょうか、何人分かの魂があれば、力ずくで壊すことも できるかと思いますが﹂ ﹁なあ、この兄さん何者なんだよ﹂ パニエとリーズにはアークディアが悪魔だとは言っていない。 よって魂が││などと口走るアークディアに不審感を覚えている のだ。 ﹁そんなことより。連れ出すのが無理なら結界の外からあいつを倒 そうと思うわけだ﹂ ﹁空間転移でさえ無理で、物理的に通過もできないんでしょう?﹂ ﹁考えてもみろ、俺たちがあいつを目視できて、声も聞こえたって ことは全てを遮断しているわけじゃないんだ。何か通過できなくな る条件があるはずだろ﹂ 1488 視える、ということは光が通り抜けるということであり、聞こえ る、ということは振動が伝わるということである。 ﹁じゃあ光魔法で撃ち抜いたら⋮⋮﹂ ﹁無理だろうな。おそらく魔力を使った現象や物質は通り抜けられ ない﹂ 炎魔法も風魔法も通じはしないだろう。 ﹁じゃあアイラに銃を借りに戻るのはどうかしら?﹂ カグヤの案は妥当とも言える。 しかし、通常の物体も通さなかったときの対処が怖いのでレイル はそれを断った。 ﹁いや、いい。十分空間術⋮⋮だけじゃねえな、魔法だけでも十分 なんとかできる﹂ ﹁もう思いついたの?﹂ あまりの回転の速さにリーズが﹁嘘でしょ?﹂と聞き返す。 ﹁ただどの方法を使うか、だな。結局波だの光だの言わずとも、遮 断できないものがあるのはわかるよな?﹂ ﹁空気や液体、よね?﹂ ﹁そうだ。魔力さえこもっていなければ確実に通る﹂ この場でその会話を理解できるのは、アークディアとレイル、カ グヤの三人であった。 この世界は魔法文明であるがゆえに、体系的に科学がない。 1489 人間が呼吸しているそれを分子レベルで理解していない以上、気 体や液体と言っても何もわかるはずがない。当然、その先にある知 識の応用としての、人は気体を口から肺へ送って酸素を取り入れて 活動している、なんてこともわかることはなかった。 通常の読み書き、計算でさえもこの世界では高等教育である。何 年も研究してようやくわかる専門知識に近いそれをリーズやパニエ が理解することはなかった。 ﹁まさか⋮⋮﹂ ﹁そのまさかだ。城の内部を水で満たすか、火を焚いて煙に含まれ る一酸化炭素で気絶させるか、だ﹂ 玉座が上方にある以上、煙の方が効率がいいのは確かだ。 ﹁はーあ、やっぱ煙か⋮⋮油は大好きだけど、この戦法は前にも使 ったからな⋮⋮﹂ ﹁あんなの使ったうちに入らないわよ。それに同じ戦法が嫌って贅 沢じゃない﹂ レイルが嫌がったのはそういう問題でもないのだが、煙を使うの が手っ取り早いのは事実であるから、黙って全力でスルーした。 否定意見など出るはずもなく、玉座に煙を送る作戦に決まった。 ◇ 防衛戦の拠点から少し離れた、木材を加工していた場所に戻って きた。 1490 レイルが全員に不可視化の魔法をかけた。一定以上離れると見え なくなる魔法である。ここにいることがバレると、作戦が失敗した かのように見えるので気まずいということでコソコソとしているの だ。 カグヤ、リーズ、アークディアとミラ、パニエ、レイルに分かれ た。 つーかどうしてこっちに来たん 枯れ枝や木の武器を作るためにでた廃材を回収していく間、レイ ルはふとパニエに聞いた。 ﹁パニエさんは良かったのか? だ?﹂ レイルはそれが不思議だった。 やる気はなさそうで、名誉や強敵との戦いも求めているようには 見えない。さらには、民を守りたい、や人々を救いたいみたいな大 層な大義名分があるようにも見えない。 そんなパニエがわざわざ危険な最先端に志願してきた理由がわか らなかったのである。 各地であんたの話を聞いた こっちの方が危険じゃないか?﹂ ﹁簡単だよ。死にたくねえからさ﹂ ﹁えっ? ﹁そりゃあ敵の強さ的には、だろ? よ。強い敵にまともには挑まない、恐ろしく頭の回る勇者だ、って な﹂ ﹁そんな大層なもんじゃないかな。ちょっと他の勇者候補より弱く て慎重なだけでな﹂ ﹁十分じゃねえか。俺は見ての通り魔法主体の魔法使いだ。ごろつ 1491 きぐらいなら素手や剣でも勝てるだろうけど、魔物の大群に一人で は突っ込めない。防衛戦は多数対多数だ。何が起こるかわからない 乱戦ほど怖えもんはねえよ﹂ パニエは本気で言っていた。 さっきみたいに﹂ ﹁その点、﹃最低の勇者﹄のあんたなら││││││逃げてくれる んだろう? 強敵の情報が、倒すための条件が揃わなければ退却の判断ができ るのだろう?と聞いた。 防衛戦ならば後ろに守る民がいるのに退却できるはずがないから だ。 そういう意味では誰よりもレイルを信じている冒険者の一人と言 えるだろう。 生き残りたい、死にたくない、純粋な生存本能でのみここについ てきたという。 弱い敵でも大群を相手にするより、強い敵を前にレイルとともに コマ 過小評価なのかもしれないけど いる方が生き残れると感じ取ったということなのだ。 ﹁随分と過大評価⋮⋮なのか? な。言っとくが俺はあんたらも戦力としてしか見ていないぜ。今回 の王も救えなければあのまま力づくで王ごと殺しにいってたかもし れないしな﹂ パニエはその言葉にいっそう嬉しそうにした。 ﹁俺が欲しいのはそういう感情以外の合理的な判断なんだよ。どい つもこいつも暑苦しい。もっと楽に生きればいいのによ。大事な時 に誇りだのと叫んで間違った選択肢を突き進みやがる﹂ 1492 ﹁はっ。あんたとはいい酒が飲めそうだ﹂ ﹁それが俺より年下のガキが言うことかよ﹂ ﹁ガキってもそんなに変わらないだろうがよ﹂ 憎まれ口を叩きあいつつも、全員は焼き討ちに必要なだけの燃料 を手に入れた。 リーズは最後までぶつくさと言っていたが、一度アークディアが 本気で睨むと何も言わなくなった。 虚ろな目で淡々と木々を集めるリーズに、カグヤはアークディア が何かしたのではないかという疑いとリーズへの同情を深めた。 1493 死亡フラグとは︵後書き︶ ∼防衛戦∼ ロウ﹁へい、まだ戦える、いってこい!﹂ アイラ﹁治してすぐに送りだすなんて鬼畜だね﹂ ロウ﹁こういうのは、やられた恐怖が蘇る前に戦って忘れるのが一 番なんだよ﹂ アイラ﹁あ、向こうでサーシャさんが活躍してる!﹂ ロウ﹁すげえな。木の塊を水魔法で撃ちだしてるじゃねえか﹂ アイラ﹁じゃあ向こうは大丈夫そうだね﹂ ロウ﹁ま、あのお姉さんは強いしな。放っておいても大丈夫だろ。 それに傷つけばこっちくるだろうしよ﹂ 1494 擬神との戦い 城の一階にてキャンプファイヤーを楽しむ若者たちがいた。 字面だけ見れば、怖いもの知らずの蛮行であるが、れっきとした 理由があるからとレイルを含むカグヤ、リーズなどは胸中で自己正 当化していた。レイルは自己正当化というよりは、面白がってさえ いるようであったが。 絨毯などの燃えやすい素材の床を避け、大理石造りの摩擦の少な い床に木を井の字に組み上げて、ピラミッド状に薪を配置している。 ﹁馬鹿と煙は高いところがお好き、ってね。煙の意味で文字通り使 うのはおかしいはずなんだけどな﹂ ﹁王ごと焼き殺すとはなかなかいいことを考えるではないか﹂ ミラがわくわくとしながらレイルを褒めた。イメチェンのつもり ちゃんと空間把握で気絶したことを確認し か、新しくつけたシュシュが揺れる。 ﹁⋮⋮違うからな? たら風魔法で止めて王を助けにいくからな?﹂ 一拍の間に、他に誰もいなければ見捨てていたのだろうことを読 みとったリーズがまた不機嫌になった。 ﹁そりゃあそうだろ。国の足枷になるような王は平和の為に犠牲に なってもらうさ。賢君なら自分が原因で国が亡ぶなんて嫌だろうし な。今回救うのは救えるからだ﹂ 不敬罪で処刑されそうな発言を平気でのたまうレイルにリーズは 1495 絶句した。 見る必要もないのに、以前からの癖で上を見上げてレイルが呟い た。 ﹁倒れたの?﹂ ﹁ああ。突っ伏したまま動かない﹂ レイルは空間把握で城の上部に煙が充満していることを確認した。 逃げ出そうとする敵のシルエットにほくそ笑む。 敵は風魔法を使うも逃げることはできない。結界が内側からの魔 法でさえも防いでしまうからだ。自分で自分の首を締め上げている ということだ。 敵にその場を捨てて逃げるだけの勇気があれば、もう少し結果は 変わっていたかもしれない。 ◇ レイル一行は大層な階段を昇り、玉座へと向かった。 途中にあった窓は全て開け放している。 術者の気絶によって結界が停止しているため、風魔法が効く。カ グヤとパニエが魔法で煙を排出していった。 ﹁本当に倒れてる﹂ 擬神の隣で突っ伏す男と、元から椅子に縛られて動けなくさせら リーズは王様、パ れている王がいた。宝石があしらわれ、重くないようにと薄く作ら れた王冠が足元に転がっている。 ﹁パニエとリーズに二人の回収を頼めるか? 1496 ニエは敵の男で﹂ ﹁わかった﹂ ﹁どうして私が⋮⋮﹂ ﹁じゃあ俺が行くけどいいのか?﹂ レイルの含みのある言い方に、リーズは二つの考えを浮かべた。 一つは王を信用できない相手に任せる恐怖。 もう一つは王が目覚めた時に側にいた方が王からの心証が良くな るのではないか、ということ。 どちらもはっきりと認識したわけではない。心の奥底に、なんと なくだが不安と期待を感じただけだ。 だがレイルの一言はリーズが自分にとって何がいいのかを選択さ せるには十分であった。 ﹁わかった。それでいくわ﹂ 二人は擬神の隣をすり抜け、一人ずつ抱えて城の外へと運び出し ていった。 レイルの読み通り、擬神は最初に命令されたことしかしないよう だ。 二人が去った後で、レイルはにぃっと笑った。 ﹁うまくいったな。邪魔者はこれで消えた﹂ どこの悪役だ、というセリフであるが、レイルとて決して彼らが 力不足の足手まといなどとは思っていなかった。 ﹁倒すだけならなんとかなるかもしれないんだけど、あいつらがい ると本気が出しにくいし、アークディアも使えないしな﹂ 1497 そう、彼らが弱いからではない。付き合いの浅い彼らを傍に戦う こと技術面でも、精神面でも⋮⋮そして戦い以外の利益に関しても 非常に邪魔であったというだけのことだ。 気のおけない者ばかりの方が、戦いのリズムが狂わない、という のもある。 ﹁で、厄介な相手じゃのう。わしは助言こそできるものの、手だし 神 神 って は作れなかったってことよね。⋮ はできん。そやつもまた、不完全であるからこそこの世界の生命と して認められておる﹂ ﹁ふうん。やっぱり純粋な ⋮当たり前か。そんなことができるのならば、その人が ことになるわよね﹂ ﹁存在の解明は後回しっつーか、偶然できたパチモンにどうこう言 まあよいわ﹂ ったって証明ができねえだろ?﹂ ﹁パチモ⋮⋮? パチモンという言葉を聞いたことのないミラが何を言っているの かと疑問に思うが、レイルの言うことの何割もわからないのはいつ ものことと流してしまう。 ﹁クフフフフ、レイル様に全てを捧げましょう。相性は悪いでしょ うが、それは向こうも同じこと﹂ アークディアは普段は知識の蓄積にこだわる悪魔であるが、戦い においても頼りになるはずだ。以前のバジリスク戦ではやや遅れを とったが。 ﹁なんでもいいわ。役割分担なんて意味があるのかしら﹂ 擬神はおそらく、防御と迎撃の命令しか受けていない。本人は敵 1498 がくれば口頭で命令を追加していたのだろう。 目の前で自分を倒す作戦について話しているレイルたちに反応す る様子は一切ない。 ﹁あー、こいつほっといたらダメかな﹂ ﹁ダメでしょ﹂ ﹁やるか﹂ 今回ばかりは擬神という相手の情報が少なすぎる。勝てない相手 かどうかを判断できない。よって綿密に作戦を作れば作るほどに綻 びが出ると思ったレイルは特に何も言わずに擬神へと戦いを挑んだ。 ◇ 擬神との戦いは一言で表すならば熾烈を極めた。 ﹁魔法を使う時に翼に魔力を通しておる。それを攻撃すれば魔法の 発動は阻害できるようじゃな﹂ ミラが助言しかできないと言ったが、それが非常に役に立ってい た。だからこそ、レイルはミラの同行を認めたわけであるが。 アークディアは魔法も使えないこともないのだが、一番体術面で は優秀であった。精神生命体とは、魔法か肉体で戦うことが多いの で、基本体術の経験があったのだ。 ﹁つーか、確かに力はでかいけど⋮⋮﹂ レイルは二重にも三重にも目の前の存在に苛立ちを覚えていた。 1499 ・・・・ これだけ虚ろな存在に対して神性を見出した男に。そして確かに 力はでかいが、この程度で擬似とはいえ神を名乗ったことに。 レイルは自分で思っていたよりも神に対して好意を抱いていたこ とを自覚した。 レイルは神を信仰も畏敬もしていないのだが、実際に会って、転 生させられたことで少なくない恩は感じていたし、何より会ったこ とのある神は人間臭くあれどレイルにとっての嫌いな奴ではなかっ たのだ。 それを穢され貶められることは友達の悪口を言われているような、 そんな信者からすれば無礼と言われかねない気安い怒りを覚えてい た。 と、言ってもそれさえがレイルにとってはさほど重要視すること ではなかった。 どうせ相手は倒す方が褒められる相手で、戦いは既に始まってい る。 戦う際に相手の善悪などを慮ることができるのは強者だけである。 今、目の前の敵を殺す。 それ以外に考えることがないのは獣にも似た野生の思考であった。 普段は色々と考えすぎるレイルも、この戦いの間だけは物語の英 雄のように高揚していた。 空間術で瞬間移動と剣技を組み合わせ、四方八方から連撃を浴び せる。 ﹁随分とぬるいですね。やはり経験も知能もない力の塊はこんなも のでしょうか﹂ カグヤは魔法を中心にしていた。 1500 本来剣技の方が強く、強敵相手ならばそちらの方が良いのだが今 回は別である。 精神生命体という攻撃に魂の必要な相手に刀の斬撃は無意味であ り、木剣だと攻撃力が落ちる。それならせっかく接近戦が挑めるア ークディアとレイルがいるのだから魔法で攻撃の相殺をして後方支 援に当たった方が良いとカグヤが判断したのである。 相手が全く音を出さない、というのは不気味であった。 魔法攻撃による現象には音があるのだが、魔獣や人を相手にする 時の熱い気迫や、鼓動、息遣いなどの﹁生きている﹂気配が全くし ない。きっと背後に立たれれば空間把握無しには気づけないかもし れない、いや、やたらと気配だけはあるか、とレイルはちぐはぐな 感想をもった。 レイルが思考を放棄したのには理由がある。 それはミラの存在が大きい。 いつもは敵の特性や思考をレイルが予測し、作戦を立てる。今回 は相手が知能がない特殊な存在である以上、ミラが見た方が正しい 認識となる。 後ろに負けるはずのない観察役がいる、ということはレイルを攻 窓の方向、二時!﹂ 撃に当てさせることとなった。 ﹁風! 擬神の灼熱魔法が襲うところを、カグヤが風魔法で打ち消そうと 試みる。魔法を発動する時はその方向と属性を言うようにしている。 相手が言葉を聞かない以上、味方への伝達になるならばそれもいい かということだ。 途中でパニエとリーズが参戦した。 アークディアの直接戦闘が控えめになった分、魔法の防御が増え 1501 てますますレイルの攻撃回数が増えた。 もちろん、リーズも木剣で奮戦していた。軍の兵士ということで、 魔物相手は慣れていないことを考えれば非常によくやっていたとレ イルは内心でだけ思っていた。 熾烈を極めた、といってもピンチも山場もないジリジリとした力 の奪い合いに、体力の限界があるレイル陣営がやや衰えを見せてき たころ、決着がついた。 擬神はピシッと初めて音らしい音を立てて崩壊した。 核の周りに魂でできた容器がある。それが壊れたことでその存在 を維持できなくなった擬神はボロボロと崩れていったのだ。 残ったのはもう役目を果たすことのない擬神の核の残骸であった。 それをそっと拾って懐にしまうと、防衛戦に加わるために空間転 移で戦いの場に戻った。 戦い自体は終わっていた。 しかしそこには倒れて動かない一人の女性の姿があった。 1502 魂との絆、凶悪な技術 少し前のことである。 擬神を倒した一行は城の外に出た。 そこにはリーズによって連れられた王様と、パニエによって縛ら れた今回の犯人がいた。 王様はレイルたちを見るとホッとした様子で、礼を述べた。 流石に擬神との戦いの間ずっと放っておいた点については、気が 気でなかったと言った。 身分は王とはいえ、戦闘能力的には一般人であるのだ、怯えるも の仕方のないことである。 ﹁くっ⋮⋮私の作品はどうした﹂ ﹁壊したよ。だから俺らが無事で戻ってきたんじゃねえか。さて⋮ ⋮何から聞いたもんか﹂ ﹁話すものか!﹂ ﹁なあ、カグヤ。この前ロウに爪を剥がすコツを教えてもらってい たんだけど試したい﹂ ﹁はあ⋮⋮止めようがなさそうね﹂ カグヤはこうなったレイルが止められないことを知っているため、 呆れながらも承諾した。 ミラは楽しそうである。アークディアは擬神の仕組みについて聞 きたいとせがんでいる。 パニエはともかく、リーズはそれをよしとしなかった。 ﹁拷問なんてしていいと思ってるのか!﹂ 1503 至極まっとうなその意見をレイルは煩わしそうに一蹴した。 ﹁うっせえな。あんた邪魔﹂ リーズから見ればレイルはその周囲の信用と実績を盾にやりたい 放題している残虐な冒険者であった。 勇者候補だというのも疑っているし、これまでの聞かされた功績 も本当は嘘か、今回のように卑怯な手を使っておさめた勝利なので はないかと思っている。 これ以上見ていられないとばかりに、言い募ろうとするリーズ。 しかしレイルが目で合図をしただけで、アークディアがリーズを束 縛した。 戦いの中でアークディアの得体の知れない強さはわかっていたつ もりであったが、こうも容易く拘束されたことにリーズは自らの弱 さを呪った。 レイルは様々な質問をした。 無駄なことを言おうとした瞬間、顔面に拳を叩き込んで黙らせた。 その吐き気さえ催すような情景をミラとアークディアという絶対 者に監視されて止めることもできないままにリーズは見ていた。青 ざめた表情と苛立ちが交互に見え隠れしていた。 カグヤはロウで耐性があるため、平気な顔をしていた。 作ろうと思った経緯、作った技術や資金源など、必要なことを聞 き出した。 ﹁はぁ⋮⋮はぁ⋮⋮もう終わりか⋮⋮﹂ 1504 体の至る部位から血を流し、息も絶え絶えに男が言った。 彼の名前はイジー。ヒジリアに強い敵意を持った発明家にして研 究家である。 ﹁そうかな﹂ ﹁あれを倒すとはな⋮⋮神性と格こそ及ばなかったものの、力も有 り余ってたはずだがな﹂ ﹁はっ。あれが?﹂ ﹁なんだと⋮⋮﹂ 満身創痍でも自らの研究成果に対するプライドはあるらしい。 ここまでされても闘志を失わないイジーにカグヤは敵ながら強い と思った。 ちから ・・・ ﹁あれぐらいで神を名乗るには程遠いな。力が有り余ってた? 違うな。能力こそが足りなかったんだよ。精神生命体のエネルギー 自体はあったんだ。それを使えるだけの全てが足りなかった﹂ ﹁貴様に何がわかる!﹂ ﹁お前のことはわからないけど、神のことなら実際に見た分まだわ かるさ﹂ レイルは苛立ち紛れに拷問とは無関係の蹴りをイジーに入れた。 イジーは咳き込み、血を吐いてのたうちまわる。それをレイルは 冷ややかに見下し、見下ろしていた。 ﹁ふん。別にあれが最高傑作というわけではない。私が死んでも│ │﹂ イジーが最後の言葉を言い終わることはなかった。レイルがその 首を刎ねたからだ。ことりと落ちた首、その顔には恐怖とも安堵と 1505 もつかないような色があった。ただカグヤは、死にゆく者の気持ち などわかりたくもない、と思った。 ﹁終わった、か﹂ パニエは﹁終わった﹂と言った。 イジーの死を迎えるまではこの事件は終わっていないということ であった。それにレイルは無言で同意し、そして面白くなさそうに 死体を処理しようとした。 ﹁別に殺さなくっても⋮⋮﹂ ﹁こいつが真犯人ならどうせ死刑だ。こいつに国民の恨みをぶつけ て復興の糧にするのは悪くないが、それでいいのか?﹂ ﹁そういうことを言ってるんじゃ⋮⋮﹂ ﹁なあリーズ。俺は別に倫理的にこいつを殺したわけじゃないぞ﹂ ﹁どういうことよ﹂ ﹁もっと打算的に殺したんだ。こいつは神なんて作っていない。偶 然見つけた神聖な依り代の封印を解いて得体の知れないモノを操っ ていただけ。俺らは擬神とこいつを相手にしていたから戦いの中で 偶然殺してしまい、死体を焼いてしまった。これがこの事件の結末 とする﹂ ﹁わけがわからないわよ!﹂ ﹁なあ、俺もわからん。もしよければ教えてくれないか﹂ パニエもレイルがわざわざ真犯人を殺してまで真相を隠した理由 が知りたかった。敵なのだから殺したことについて責めるつもりは ないが、話すことでレイルに不利なことがあるとは思えなかったか らだ。 ﹁他の国がその技術を欲するから、でしょ?﹂ 1506 カグヤはその考えに行き着いていたようで、レイルの行動の理由 の一端を説明した。 ﹁そうだ。偶然や個人の才覚だということにすれば真似しようとす る奴がいても、国が利用しようとは思わないだろう。もしも技術を 持ったこいつを生かしたまま連れて帰れば、復興の支援をする代わ りにこいつの身柄を要求する国が出るとも限らん﹂ そんなこともあるか、と納得しかけるリース。 今回の犠牲者の仇みた ﹁そうなった時、国民のことを思えば渡してしまえ、となるかもし れないが、国民の怒りはどこにむける? いな奴が他の国に取られて、挙句の果てには軍事利用なんてされた 日にはやってられねえだろ?﹂ ・・・・ ﹁ふーん。結構考えていたのね﹂ ﹁いや、まだだ。俺はまだあんたの理由を聞いてねえぞ。俺の見た てじゃあそんな国の先を思って動く人間じゃねえだろ﹂ パニエは誤魔化されなかった。 短時間とはいえ、打算的で自己保身が優先で、仲間第一のレイル の本質をよく見抜いていた。 ﹁⋮⋮わかったよ。確かにさっきのは建前だし表向きだ。本当の理 由は二つ。一つはあいつの言葉を最後まで聞きたくなかった、だ﹂ ﹁それはわからないわね﹂ カグヤもパニエもリーズもレイルとは違い、この世界で育った。 だから、創作物であるような﹁嫌な捨て台詞﹂というものを知ら なかった。 1507 ﹁ああいう時に敵が言う言葉なんて、死に際のハッタリかもしれな いし、とにかく信憑性に欠ける。そのくせして、こちらの不安を煽 る﹃貴様は近いうちに大切なものを失う﹄とか具体性のない漠然と したことばっかり言う。聞く価値はない。むしろ聞くだけ損だ﹂ ﹁⋮⋮末期の捨て台詞を黙らせるために殺したの?﹂ ﹁⋮⋮いや、次が本命だ﹂ もしそれだけで殺されたとすれば、敵ながら不憫過ぎる、とパニ エは心中仮初めの涙を流した。 ﹁あの精神生命体の製造なんて技術が伝わり、まともな魔法や武器 の通じない軍隊なんかができれば俺たちが危険に晒されるからだ﹂ 軍事など発達しなければいい。そう思っていることがわかる口調 だった。 ﹁あんな危険な情報は俺らだけが握ってれば十分だ。だから三人も 黙っていてくれることを約束してくれるよな?﹂ ﹁言っとくが俺は見ての通りの長いものに巻かれたい人間だぜ?﹂ ﹁私がもしも、魔物の駆逐のためにこの情報を国に流して、精神生 命体の軍隊を率いる身分を手に入れるとか思わないのかしら。私だ って騎士。国に仕えるものよ﹂ ﹁なんとも恐ろしい男よ。だが王という国を守る立場にいる以上、 それは⋮⋮﹂ 約束はできない、と暗に拒否した三人にレイルは一歩踏み出して 穏やかに言った。 ・・ ﹁なあ、さっきイジーの奴を戦いの中で偶然殺してしまった、って 1508 言ったけど⋮⋮⋮⋮三人にもこの手は使えるんだぜ? それに俺 の空間術を知ってるなら、情報が漏れたと知った瞬間三人ともを暗 殺しにいくことだって考えられるしな﹂ 三人は黙った。 ◇ そうして王さえも脅迫して得た保険を元に防衛戦の場まで戻った レイルが見たのが前回の最後の場面となる。 倒れた女性の周りには人が集まり、手当や時術など様々な手段が 取られているのが遠目にもわかった。 ﹁どうした!﹂ 駆けつけた六人は騒ぎの中に入っていった。 他にも怪我をしている人はいたが、いずれも軽傷であったり、治 療で治るもののようであった。 もう既に死んでいる者もいる中、どうしてその人だけが騒ぎにな っているのか気になったからだ。 ﹁ああ、レイルか。もう大丈夫なのか?﹂ ロウは疲れたように尋ねた。 ﹁それより、この人は││││﹂ 1509 レイルは言いかけて止まった。 倒れた人の横にある杖に見覚えがあったからだ。 大きな宝玉があしらわれ、杖自体は骨のようなものでできている。 ﹁もしかして、サーシャさんか?﹂ ﹁その、声は⋮⋮あの時の﹂ サーシャ。それは以前この国をレイルたちが初めて訪れた時に、 腕を見たいと魔法で試練を課してきたのがこの女性であった。 国でも有数の使い手で、水魔法で敵う者はいないと言われる魔法 使いである。 レイルたちのことは忘れようにも忘れられなかったようで、ロウ がいた時点で予想はしていたらしく驚くこともなかった。 ﹁喋らないでっ!﹂ 必死に治療に当たっている修道服の女性が叫んだ。 時術、界術を同時に発動しているあたり、かなり優秀な人である らしい。 ﹁ロウ、時術で巻き戻せなかったのか?﹂ レイルは今にも死にそうなサーシャの横に跪き、ロウに尋ねた。 ﹁途中で厄介なのが出てきた。あれは偽天使とは違う奴だ。だけど、 偽天使のことを知っている口調だった﹂ そいつが出てきた途端にその場所の戦況がひっくり返ったのだと 周りにいた兵士の一人が言った。 1510 ﹁いつもの倍以上の軍勢とはいえ、レイルのおかげで大丈夫だと思 ったんだ。サーシャさんは最前線でもどきどもを蹴散らしていて、 厄介なあいつが現れた時も真っ先に戦っていたってよ﹂ サーシャがレイルの方を見て、かすかに震える声で聞いた。 じゃあ大丈夫?﹂ ﹁天使が結構前に消えたって聞いたけど⋮⋮親玉は倒したのかしら ? 何が大丈夫なのかは誰もがわかっていても聞きたくなかった。 ﹁大丈夫なものか。これから国の復興を目指すんだ。人手は足りな いし、魔物や盗賊からみんなを守る力もいる。あいつの脅威は終わ ってなんかいないぞ﹂ それに、と言いかけてやめた。 確信の持てないことを言っても仕方がないからだ。 その一方で、レイルは自分がこの国を思っていた以上に気に入っ ていたことに気がついた。 その理由を記憶を紐解き探る中で、候補にあたる条件を見つけ出 す。 ︵そうか⋮⋮俺がこの国に初めて来たとき、人の悪意に触れなかっ たんだよな。いたのは強力な魔法使い、幼馴染を想う男の子、当主 の試練に挑む女の子と誰もが俺に敵意を向けなかったし、怯えも利 用しようともしなかった︶ 広く言うならばカレンの行動も結果的にはレイルを利用していた のだが、それはあくまで依頼であるしカレンはそこまで考えてもい 1511 なかった。 だからレイルはこの国で経験したことはまるでほのぼのとした日 常のように平和なことばかりだったのを覚えていた。 ︵と、ここまで気づけば顔見知りぐらいは助けたいんだよな⋮⋮︶ サーシャが受けたのは、魂と肉体を繋ぐ絆の破壊であるという。 魂術の一つであり、これは肉体を著しく傷つけることに成功しな ければ効きづらいとも言う。 持って半日だと言った。 ミラがその魂を見てレイルに教えた。 ﹁ミラ⋮⋮﹂ ﹁レイルよ﹂ ﹁いや、いい。わかってる。お前の助けは借りないし、借りようと も思わない﹂ ﹁そうじゃな。まだこやつは生者。魂をどうのこうのすることはな いの﹂ ﹁ありがとう﹂ レイルは簡潔にお礼をいった。 それはミラが遠回しに、彼女の魂をどうこうしようとルール違反 でもなければ妨害することもないと宣言したからだ。 レイルは人ごみから少し離れて、アークディアを呼び寄せた。 ﹁アークディア﹂ ﹁はっ。できます。ですが⋮⋮﹂ ﹁教えろ﹂ ﹁では﹂ 1512 これだけのやりとりで、レイルとアークディアはサーシャの状態 を改善する方法について話しあった。 そしてサーシャの元に戻ると、こう言ったのだ。 ﹁あなたを助けられるかもしれない﹂ その言葉に周囲がどよめく。 ﹁本⋮⋮当、に⋮⋮?﹂ ﹁まあ可能性だけだ。だけどそのためには一般的に受け入れづらい かもしれない方法を取る。だけど信じてほしい﹂ まだ、サーシャは死んでいない。ならばどうにかして助けられる はずだとレイルは確信している。その方法として悪魔を使うことに なろうと。 ﹁いい、わ。信じる﹂ ﹁いいのか?﹂ ﹁私が暴走とかしたなら殺せるならいいわ﹂ ﹁その必要はないかな﹂ ﹁頼む、わ﹂ その言葉を最後に安心したようにサーシャの意識は途切れた。 後はレイルとアークディア次第である。 1513 サーシャの魂とリューカの復興 周囲がざわめく中、レイルはサーシャの手を握った。 ﹁ありがとう。周りは方法を聞かないでほしい。本人にはした後で ちゃんと話すつもりだ﹂ 柄にもなく英雄然としたレイル。しかし今からやろうとしている ことは魂と体を繋ぐ何かの修復である。 サーシャを他の人のいない天幕の裏へと運んでいった。 レイルは無防備に倒れたままのサーシャを見下ろした。倒れなが らも竜玉の杖を離す様子はない。 ﹁馬鹿な奴だ﹂ レイルは誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。 敵が強かったのならば、無理して倒さなくてもよかった。逃げて しまえばよかったのに。 そんな後ろ向きな提案をする者はきっといなかったのだろうとい う賞賛でもあった。 レイルはこれからのことを思うと少しだけサーシャに同情した。 敵の親玉らしき相手を倒したのだから、きっと自分が英雄として 祭り上げられるに違いない。そしてそれは自分の望むところであり、 計算の内であった。 しかし本当の英雄とは彼女のような人間のことを言うのではない か。 1514 身を呈して国を、人を守り、それで今死に瀕している。 このまま死ねば、彼女は国の英雄として語り継がれるに違いない。 ある意味レイルは彼女が英雄になるのを邪魔しようとしていると 言える。 死して骨を敬われるよりも泥の中に尾を曳きたいとは誰の言葉で あったか。 レイルは名誉より何より生きることが一番の幸せだと信じて疑わ ない。だから彼女も救われたいだろうと思っているし、何より彼女 をここで死なすには惜しいと感じていた。 ﹁英雄なんて馬鹿馬鹿しいけど、人はそういうものに惹かれて動く んだろうな﹂ レイルはこの国を滅ばないようにするつもりであった。 それはまるで戦後のあの国のように、弱ったところに自治と復興 を与えればきっとユナイティアに頭が上がらなくなって有利な関係 を結べると思っていたからだ。 サーシャはそこに必要な人間だとも思っていた。 そしてそれら全てを言い訳だということも自覚していた。 レイルは打算的な男でありながら、自分の感情を損得にいれる。 あの日、出会った時からサーシャは既にレイルにとっての﹁身内 側﹂に入っていたのだ。 助けられるなら、助けることで少しでも得があるなら、助けるこ とに問題がないのなら。条件さえあえば特にその後のことなど考え ずに助けてもいいと思っていた。 ﹁始めろ﹂ ﹁仰せのままに﹂ 1515 アークディアがその悪魔としての技術を振るった。 ◇ 結果だけを言うならば、サーシャは助かった。 サーシャにレイルとアークディアがしたことは、最初のレイルの 口調ほど深刻なものではなかった。 ﹁まさかアークディアさんが悪魔、だなんてね﹂ アークディアがサーシャの肉体に憑依し、その内部で魂と肉体を 繋ぎとめる役割をしているのだ。 これは別に永遠にというわけではない。人の肉体に自己治癒力が 備わっているように、人の魂と肉体を繋ぎとめる鎖のようなそれに も、自己治癒力というものはある。一、二ヶ月もすれば完全につな がり、アークディアが体から離れることもできるだろうという。 その代わり、サーシャはアークディアと肉体を共有するような形 となった。 アークディアの方が当然精神体が強いため、その気になればアー クディアは受肉、つまりはサーシャの肉体を完全に奪えることを示 している。 ﹁こんな形でしか救えませんでしたが⋮⋮﹂ レイルは珍しく多少の罪悪感とともにサーシャに説明した。 仮にも悪魔。レイルこそそれをどうでもいいと感じているが、一 般的には忌避される存在だということぐらいは認識していた。 そんな悪魔に体を明け渡すなどとはおぞましいと言うかもしれな 1516 い。 しかし助けてもらっておいてそれをどうこう言うほどにサーシャ は恩知らずではなかった。 ﹁いいわよ。十分。それに、前より魔法の扱いが良くなった気がす るの。あなたもアークディアさんがいないと不便でしょうし、私も ユナイティアにしばらく滞在させてもらってもいいかしら?﹂ レイルとしてはしばらくアークディアを貸すぐらいのつもりであ ったため、その申し出を快く承諾した。 ﹁助かってよかったわね﹂ ﹁時術さえ効かないってなったら本当にどうしようかと思ったぜ﹂ ﹁アークディアさんは凄いんだね﹂ アークディアは悪魔である。本来人の魂を回収したり貯蓄して使 う側にいる以上、ある程度の魂術は使えるのだ。 ﹁契約者ならばもっと簡単だったのですがね。まあ彼女に私の望む 対価を払えるとは思いませんが﹂ アークディアはあくまでレイルに頼まれたからだという。珍しい ものを見れて機嫌が良かったのもあるだろう。 ﹁いいさ。助かったんなら理由も、過程も﹂ レイルは他の犠牲者の話も聞いていたが、サーシャのみを救った ことにさほど思うところはなかった。 死ぬ者は死ぬ。当たり前であって、全ては救えないなんて今更確 認するまでもないことだからだ。 1517 今回救えれば良かったのは三人だ。 結果として国も救えれば良かった。 親玉を襲撃した時に限って偽天使の数が倍増したり、強い敵が増 援されたことには不審な点もあるが、それも含めてレイルは完全に 間違ったとは思えなかった。 確かに相手への対応策が出来た以上、じっくり敵の戦力を消耗さ せてから挑むのもありだったのかもしれないが、逆にさっさと敵を 殲滅していなければさらに強い敵が来たかもしれない。 全ては﹁もしも﹂であり、結果論でもある。 ◇ それからレイルたちは後処理に追われた。 さすがに壊れた建物などの修理などを手伝わされることはなかっ たが、城は取り戻せた。 王からも、精神的な傷以外は無事に戻れたことを祝う言葉が送ら れた。 レイルはその時の英雄として祭り上げられたりしたのだ。 ロウやアイラにしきりにお礼を述べたり、肩を叩いて褒めたりし ていく人もいた。 ボロボロの王都であったが、兵士も多く生き残っており、人々の 活気さえあれば復興はするだろうと思われた。 本当は冒険者にも国の防衛や建物の修繕などを手伝ってもらいた かったようだが、そこまで彼らを縛ることはできなかったようだ。 今回の戦いで心身どちらかに傷を負って、しばらくのんびり休み たいという冒険者も多く、他の国へといってしまう人もいた。 特に魔法も剣も通じないという規格外の敵は、多くの冒険者の心 1518 に傷を残した。 知っているか知らないか。それだけで多くの違いが出るというこ とを知って、知識を蓄えようと決意した人もいたという。 幾つかの国からは援助が決まった。レイルのあまりの早さに増援 すら出せなかったことで復興に支援を渋るわけにはいかなかったの だ。 仲が良いと言えるほどでもない国家群であるが、こういう時に支 援をする姿勢を見せないと他国への弱みとなりうるからだ。 レイルたちはまた一つ、輝かしい実績を残して国を後にした。 1519 サーシャの魂とリューカの復興︵後書き︶ 擬神編最後ってことでやや少なめでしょうか。 1520 森の奥で会うもの 後処理から逃げるようにリューカを後にしたレイル達。その一行 にはサーシャが加わっていた。サーシャはアークディアを内包して いることなど微塵も感じさせず、朗らかに話している。 ﹁ははっ。それにしても⋮⋮自己保身が得意で手段を選ばない、か。 俺は勇者とは名乗らねえけど、確かに勇者の評価じゃないよな﹂ レイルは自嘲を楽しむかのように言った。 自分でも繰り返したその評価を結構気に入っていた。そういった 評価が広まるならば、自然とレイルの元に集まる者も限られてくる。 蛮勇や腕自慢ばかり集まってくるのも問題なのだ。 ﹁あってるじゃない。ついでに言うなら敵を道具ぐらいにしか思っ てない、ってつけとかなきゃね﹂ カグヤがそれに追撃した。 レイルはそれに苦笑で返した。 ﹁一応手段は選んでるつもりなんだけどなあ。無関係な一般市民は 無闇に傷つけないように注意を払ってるじゃん﹂ ﹁で、敵は過剰に傷つける、と﹂ ﹁まあまあいいじゃねえか﹂ ﹁甘やかさないの。こいつ仲間以外には猫かぶってるからまだ外聞 がマシなだけよ。本当なら街に行くたびに罵られて石ぶつけられて もおかしくないわ。それに、自分がしていることを客観的に知って 1521 おくのも大事なことよ。今回も国に処罰させなければならないはず の罪人を自分の判断で殺したんだから﹂ カグヤはレイルに自覚を促した。 しかしレイルは自分が人道に反していることなど重々承知だと、 笑ってごまかす。 ﹁レイルくんが手段を選ぶのは自分のために、でしょ?﹂ ﹁よくわかってんじゃん﹂ ﹁で、もうそろそろ私たちが向かう場所を教えてくれてもいいんじ ゃないかしら﹂ ミラは一足先にユナイティアに報告のために戻った。 では同じく転移が使えるくせに、この五人︵サーシャとアークデ ィアをひとまとめに数えてだが︶は何をのこのこと歩いているのか。 さすがに見知らぬミラと二人で戻されるぐらいなら、とレイルた ちの寄り道に付き合ってはいるが、こうして徒歩でこんな場所を歩 言ってなかったか。エルフの里に向かおうかと思ってな﹂ かされるとは思わなかったサーシャは現状説明を求めた。 ﹁ん? そう、彼らが歩いていたのは緑降り注ぐ森の中であった。 見通しはよくないものの、普通にしていれば歩いて通り抜けられ そうな程度の木々だが、エルフの里にかけられた術はその周囲にも 微弱ながら影響を及ぼしている。だからか、森の奥に入るほどに霧 が深くなり、景色もゆっくりと歪んでいく。毎年この付近に入るだ けでも行方不明者が後を絶たないという。気がつけば同じところを ぐるぐる回っていたりするのはまだいい方で、エルフの里の術に本 気でかかった場合はそのまま自分の時間を永遠に引き伸ばされて帰 ってこれないこともあるという。 1522 魔物諸共私の電撃魔法で気絶さ ﹁懐かしいなー。ここでフォレスターさんを颯爽と救ったんだっけ﹂ ﹁何を記憶を捏造しているの? せて自作自演まがいで信頼させただけでしょ﹂ ﹁自作自演とはひどいな。魔物に襲われていたのも、それを救うよ うに言ったのも事実だろうが﹂ ﹁カグヤちゃんならレイルくんが言わなきゃもっと安全な方法で助 けてたと思うなー﹂ ﹁はい。申し訳ない。あれもこれも俺が悪いんです﹂ 思い出を懐かしみながらも、馬鹿げたやりとりをする三人に、サ ーシャは話から疎外されたことと、話を誤魔化されたことの両方で 怒った。 ﹁まだ私は理由を聞いてないんだけど﹂ ﹁いやあ、擬神のことを話そうと思ってな。エルフの里とは転送装 置の座標交換を済ませてなかったし、こういう話は直接言った方が いいかと思ってさ。で、エルフの里に行けるのってこれを持ってる 俺らだけだし、ノーマやアクエリウムならなんとかなるからな﹂ とレイルは自分の耳につけた赤い宝石の耳飾りをとんとんと人差 し指で示した。 先ほどから赤い光が一直線に森の霧が深い方に向かって伸びてい る。 ﹁あんたたちって⋮⋮﹂ 人間嫌いのエルフからそんなものを渡されていると聞いて信じが たいが、レイルたちならやりかねないと思ってしまい何も言えなく なる。 1523 ﹁ちょっと里を救ったご縁でな﹂ レイルはこまめな男であった。 こういった情報を流すのは、出し惜しんでも得がないこともある が、こういった情報を共有することで対応策ができたり、新たな発 見に繋がったりすることを身にしみているからだ。 レイルたちが情報を渡すことで明らかになったことはレイルたち に報告してもらう。そういう姿勢の積み重ねがユナイティアを情報 の集まる場所へと変え、自然と柔軟な対応のできる国家へと成長さ せていく。そのように考えているレイルの思考は既に冒険者のそれ ではなかった。 とはいえ、周りも馬鹿ではないし、長く共に冒険した中でレイル の考えをなんとなくではあるが察しているので、レイルがエルフの 里に報告に行くと言ってもあまり違和感を覚えなかった。 エルフの里ではいたく歓迎された。 サーシャも、レイルたちの知人なら、とやや渋りながらではある が特に連れて入ったことに咎められる様子もなかった。 里にいた人が親しげに挨拶し、中には感激して握手を求めてまで きたことにサーシャは終始驚いていた。 もしかしてレイルが悪魔や魔法で幻覚を見せているのかとさえ疑 ったものだが、長老の屋敷にて食事まで出されたところで我に返っ た。 長老にリューカからここまで空間転移で来たことを話すと、酷く 1524 恐縮していた。 ﹁話⋮⋮とは何のことかの?﹂ 長老はやや緊張した面持ちで尋ねた。 レイルは気軽に使っているが、本来空間転移とは人智を超えた技。 それを使ってまで来たレイルの用事というものが、そんなものを使 えるレイルでさえ手に負えないような難事であれば⋮⋮という不安 があった。 植物素材の浴衣のような着物に身を包み、腰のところを紐で結ん でいる服は全然違うがレイルに日本を思い出させた。その一方で、 まさにエルフの服という感じもあり、なんともいえない心もあった。 ﹁実は⋮⋮﹂ 五人はリューカにて出会った擬神のことについて話した。 そもそも精神生命体を作る技術というものは元からあるのか、神 の抜け殻のようなものに需要はあるのか、逆にレイルたちから聞く ことも多くあった。 それを作った相手の情報と処分についても話したところで、レイ ルたちは話を切り上げた。 手紙の転送装置はこのような場所にも当然あった。 そしてこの装置にはレイルの前世でいうところの、連絡先交換の ような手続きを踏む必要があった。 ユナイティアがまだ自治区でしかなかったころに、ギャクラから 幾つかの国の手続きを済ませてあるので、人間同士の国との手紙転 送については問題がなかった。 しかし、アクエリウムやノーマなどの場所については人間の国と 1525 の手続きなどしていなかったので、ユナイティアが最初のこととな る。 このような場所、といったが、このような場所だからこそ、だっ たのかもしれない。もしかしたら過去にこっそりと人間の国とのや りとりがあったのかもしれないと思うと、初でないことにレイルは 微量の悔しさを感じていたり。 これでサバンと含めて四つもの他種族との交流を持つことになる ユナイティア。できてからの期間を考慮せずともこれは異例のこと であった。 前世で連絡先交換は友達とするもの、つまりはアドレス帳は友達 リストみたいなもの、という高校生らしい感覚を未だ持ち合わせて いるレイルからすれば、遠く離れた知人との連絡手段が増えたこと を素直に喜ぶぐらいの感覚でもあった。 いろいろと打算的に動くくせに、そういったところばかりは子供 のようだとアイラは思っている。 レイルたちが再びこの里を旅立とうとした時には何人ものエルフ に別れを惜しまれた。 中には﹁部屋も空いてるし、よければずっと泊まっていってもい いんだぞ!﹂とまで言ってくれる人もいたが、レイルたちはそれら 全てを丁重に断った。 ﹁ここもここの人たちも好きですが、僕たちの居場所はここではな いので﹂ 珍しく猫を被って丁寧にかつにこやかに断られては、エルフも無 理にはとどめようとはしない。 サーシャはもっと色々と話したかったこともあるようだが、こう 1526 して里に入れただけでも貴重な体験ができたとばかりに諦めた。い や、諦めたというよりはいっぱいいっぱいで尋ねる余裕もなかった というところか。 ◇ そして、レイルたちは結界の外へと出た。 しばらくは空間転移も乱れるため、森の外へと出るまでは耳飾り の示す方向とは逆へと歩き続けた。 森から出ようとした時、木々の間をすり抜けてくる足音を聞いた。 レイルは空間把握でその正体を理解しているくせにみんなに報告も せずにそいつを出迎えた。 間もなくその足音の主が木々の陰から出てきた。 やや低い鼻に、肩から斜めにかかっただけの服に、大きな口から は歯が見えている。浅黒い肌と巨躯がその正体を如実に示していた。 森の巨人、または妖精とも言われるトロールであった。 1527 トロルの里 エルフの里の外で出会ったのはトロールであった。 いや、ここは省略してトロルとでも呼んでおこうか、などとそん などうでもいい呼び方についてレイルが悩んでいる間に仲間のうち ロウ、カグヤ、アイラが当然のように臨戦態勢をとった。 足の下の落ち葉が音をたてる。六人の間に沈黙が降りた。 トロルは五人を見て一瞬は驚いたようだが、すぐに落ち着いて五 人の何かを探るように見つめた。 ﹁やめろ。武器をおろせ﹂ レイルはただ簡潔に三人に命令した。 ゴツゴツとした一般的な感覚をもってして醜悪と評されるような 顔が笑ったように見えた。 ﹁人間の子よ。私を見ても怯えないのか﹂ トロルの彼はくぐもった低い声で問いかけた。その眼差しに敵意 はなく、ひたすらに優しげな暖かさだけがあった。 タチ ﹁生憎、自分の目で見たものは信じる性質なのと、俺が聞いてるト ロルには知識をのある思慮深いのもいるからな﹂ レイルが言ったのは前世の話である。 この世界でのトロルというと、女子供を攫い、財宝を隠し持つ邪 悪な存在として描かれることが多い。前世でもそういった邪悪な存 1528 在としての伝承がある中、薬草などに精通しているとか、気に入っ た者には富をもたらすなどと神秘的な妖精としての伝承も多く残っ ていたのだ。 実際に神秘の種族が存在する世界の伝承よりも、そういったもの が科学によって否定されかけた世界の伝承を信じるというのはどこ かひねくれていて、皮肉な判断ではある。 ﹁何をたわけたことを。森の中で人を助けるのは可憐な妖精やエル フと相場が決まっているだろう﹂ だからこのようにトロルが言うのも正しいことなのだ。 サーシャはこの展開についていけず、ただ成り行きを見守るだけ である。 ﹁人間ってのは都合の良い生き物でな﹂ 確かに森の中で不思議な巨人に助けられたとか、そういった物語 はこの世界にも数多くある。そしてその全てが助けてくれたのは美 形だと書いてある。 レイルはそれを、﹁助けてくれた相手は美化してしまうものだ﹂ というのと、﹁物語的に美味しいから美化して伝えてしまう﹂とい う体験者の主観と、伝えてきた人の打算や感情があったと思ってい る。きっとそれらの物語の中には、美化されてきた本当はトロルだ った話もあるに違いない、と。 ロウが殺気を消して、気軽に話しかけた。先ほどまで一歩でも動 けば殺すとばかりに武器を構えていたのに、こうも切り替えが早い それともこの近くに住ん のかとサーシャはロウへの評価を新たにした。 ﹁で、ここに何か用事があったのか? でいるとか?﹂ 1529 ﹁前者だな。我々トロルはエルフ、ドワーフ、小人の奴らと合わせ て森に住む種族、﹃森人﹄という名を持つ。自然と共に生き、自然 と共に死ぬ。そんな我らは森人同士で交流があるのだ。エルフの奴 らとも知り合いよ﹂ ﹁へえ。じゃあプルトさんやネプチさんとも知り合いなのか﹂ ﹁小僧⋮⋮その名を知るということは⋮⋮﹂ ﹁それよりこの耳飾りを見せれば話は早いんだろ?﹂ ﹁ほう⋮⋮ではエルフの里を救った人間どもというのはお前らのこ とか。非礼を詫びよう。私の名はセルバ、見ての通りのしがないト ロルだ﹂ ﹁こちらこそ。俺はレイル、勇者候補とかユナイティアの代表とか 妙な肩書きはあるけど気にしなくていい。ただの冒険者だ﹂ ﹁俺はロウ。ちょっと変な体だが人間だよ。レイルについて一緒に 旅をしてる﹂ ﹁カグヤよ。そこのロウと夫婦﹂ ﹁アイラです。二人と同じくレイルくんたちと旅をしてます﹂ ﹁サーシャといいます。わけあって臨時で一緒にいます﹂ それぞれの自己紹介が終わると、セルバはまるで眩しいかのよう に目を細めた。目尻にきゅぅとシワがより、整えられていない眉毛 1530 が下に向く。 ﹁もしよければ我らの里に来るか? レイルは突然の申し出に驚いた。 招待しよう﹂ いくらエルフと交流があったからといって、そこまで無条件で信 用されるなどとは思っていなかったからである。 もしかすると監視や見極めのために呼ぶのだろうか。そんな考え も浮かび、それならいくのも悪くないかと承諾した。 ◇ 突然トロルの里へと招待された五人はセルバに案内されて一時間 ほど歩くこととなった。 場所さえ知っていれば空間転移でいけるのだが、それができない ゲート ので徒歩でずっと里まで行くのかという不安はあったが、途中で洞 窟の中にある転移門を使うことでその不安も払拭された。 レイルはずっと考えていた。 トロルはその見た目から人間に差別されてきた。人間だけではな い。魔族も、獣人もトロルへの差別意識はある。ゴブリンなどと同 列に扱うような人もいるのだ。 そんな歴史がある中で、トロルたちから人間に対する不信感とい うものは並大抵のものではないはずだ。レイルが見た目で差別しな い人間だからといって、トロルが人間へのその不信感を置いて接し てくれると期待するのは違うだろう。 だから、セルバが自分たちを恨んでいてもおかしくはないはずな のに、わざわざ里まで招くという行為に特別な理由があるのかとず 1531 っと考えていたのだ。 ﹁エルフと仲がいいなんて意外だな﹂ ロウがやや無神経なことを言った。 エルフは美形揃いで、醜いトロルとはあまり繋がらない、と。 カグヤが失礼なことを言ったことに頭をはたいて怒り、サーシャ はそれでセルバが気を悪くしないかとヒヤヒヤしていた。 意味が伝わらなければいいのに。 そんな願いも虚しく、しかしセルバの返答は期待を裏切るもので あった。 ﹁よく言われるな。だがな、エルフが綺麗だ、と言われるのは顔で はないと我らは思っている。彼らが本当に美しいのは真実見た目を 取らない心根の美しさだ。そういう意味では人間や、魔族の方がず っと醜いな。いや、我らが言ったことでもないか﹂ よく言われるからこそ、その意味を理解し、そして気にせず自分 たちの意見を言った。 セルバは自己評価が低いようである。 ﹁なんだって俺たちを招いたんだ?﹂ 判断したのだ﹂ 見て 判断したように、私もまたお レイルは考えるのをやめて直接尋ねることにした。 見て ﹁簡単なことだ。お前が私を 前を やや﹁見て﹂を強調するセルバはさらに続けた。 1532 ﹁我らはエルフのように長い寿命による経験や身体能力からくる森 への適応はなく、ドワーフのように火を、土を感じる才能もない。 ただ我らは﹁最も目の良い種族﹂だという誇りがある。その目は視 力だけにとどまらない。真実を見抜く洞察力も、だ。だから薬草を 見分け、宝石を見分け、木々を、人を見分けて生きている﹂ そういったところで、里が見えてきた。 ﹁ここが、トロルの里⋮⋮﹂ トロルの里は独特の作りをしていた。 階段状に土でできた家が連なり、家の天井の上が通路となってい る。 まるで土でできたマンションのようだ、とレイルは思った。 しかし通路と家が一体化している分、密集感が高く、隣同士の家 との距離も近いように感じられる。 ﹁ふっ。ようこそ。私たちの里へ﹂ セルバがごとり、と持っていた棍棒を置いた。 1533 トロルの里︵後書き︶ お気に入りって減るとへこみますよね⋮⋮何か面白くない、お気に 入りを外すような点があったのかなあ、なんて。 まあそれでも読んでくれている人がいるなら頑張って書きますけど ね! 1534 トロルの里、襲撃者 セルバに案内されて、家の立ち並ぶ土や石造りの通路を行く。 人間というだけで、敵意の視線もないではないが、サーシャ以外 の四人は気にすることもなく進んだ。 ﹁すまない。やはりその目で見てもらわないことには、人間が苦手 な奴もいるんだ﹂ 不躾な同胞からの態度に謝るセルバ。彼は顔が広いらしく、品物 を並べた奥から店番に声をかけられたりすることも多い。中にはお 礼を述べる人もいた。 ﹁人気者なんだな﹂ ﹁人気というよりは、ただ外に出て魔物を狩ったり、やや険しい場 所の薬草を取りにいく機会が多いから目立つだけだ﹂ ﹁その服も立派な毛皮じゃないか﹂ ﹁これは以前に仕留めた黒狼の毛皮だ。狩人は自分で仕留めた相手 の毛皮を身につけることが強さの証明となるから、より強い魔獣の 毛皮を身につけるんだ﹂ ツヤツヤとした毛皮は傍目にも質がよく、ただ粗雑に肩から斜め に腹までを覆うだけの服であってもどこか上品ささえ感じさせる。 見た目の醜悪さに対してギャップがあったのをレイルはずっと気 にしていた。醜悪とはまた仲良くなった人物に向かって失礼な話だ が。 ﹁あれ?﹂ 1535 カグヤが興味を示したのは、人の住む場所から少し離れたところ にある建物だ。 人が住むにはやや不便そうな、生活の気配のしないぽっかりと入 り口のあいたそれは、中に不思議な紋様が彫られていた。 ﹁ああ。あれは我らの⋮⋮崇拝しているものかな﹂ なにやら言いにくそうにセルバは言った。後ろめたいとか、恥ず かしいというよりは何と言っていいのか迷っているようである。 ﹁宗教があるのか?﹂ ロウの言葉だけ聞いて、ヒジリアのような信念と教義に基づいた かっちりとしたものを思い浮かべてしまうレイルはあまりいい顔を しなかった。 ﹁いや、違う違う。私たち森の民はな⋮⋮自然の働き全てを一つの 存在としているのだ。自然は一つの動物であり、時とともに滅びも 栄えもする、それらの恵みを受けて生かされているのだ、という感 謝を形にしたものだ﹂ レイルはその考え方に、前世の日本にもよく似た考え方はあった ことを思い出した。 ﹁あのヒジリアのように堅いものではないし、人知を超えた存在が 自然をどうこうしているとは思っていない。ただ雄大な自然はそこ にあるだけだ﹂ レイルはややそっけなく、ぶっきらぼうに﹁そうか、いいんじゃ 1536 ないか﹂とだけ答えた。 レイルたち六人はたわいもないことを話しながら、家と家の間の 道を抜けていた。 セルバはトロルの中でも体格が良く、一緒にいればガラの悪いト ロルも絡んでくることはほとんどなかった。 セルバの着ている毛皮も、この里では強い魔獣であるらしく、黒 い毛並みを見るなり顔を引きつらせて逃げる人もいた。 レイルは自分は何もしていないのに何やら得意げな気持ちになっ た。虎の威を借る狐もいい気分だな、などとほざいているのをカグ ヤとサーシャが﹁ないわー﹂とドン引きしていた。アイラとロウは、 もともと強いくせに何を言っているんだろうか、とやや怪訝な目を 向けてきたので、自分の味方がいないことに悲しさを覚えながらも、 ﹁チンピラに絡まれて返り討ち﹂という楽しい展開にならない分、 こちらも一長一短か、などとさらに後ろ向きになった。 ◇ それはレイルたちがセルバの家でご馳走になるかという話が出た ときのことであった。 追え!﹂ ﹁おい、そっちいったぞ!﹂ ﹁くそっ! ﹁無理だ。こっちは抑えられん﹂ 六人は男たちが騒いでいる声を聞いた。 レイルだけはその理由を知っているが、説明するより見た方が早 いだろうと素知らぬふりを続けている。 1537 ﹁きゃあっ!﹂ ﹁逃げて!﹂ 女性の悲鳴と共に、レイルたちからも視認できる範囲にまでその 相手が現れた。 まだ到達するには余裕があるが、かろうじて見える範囲というこ とは向こうの魔物はレイルたちをすでに認識しているということで もある。 それは七体の魔物であった。 つが 狼型の魔物が五体、そして六本足にワニのような長い口、尻尾の 先には針のついた全長三メートルほどの怪物が番いでいた。 その巨体ながらも俊敏な動きで里の男たちの包囲網をくぐり抜け て、居住区に至ろうとしていた。ドシドシと走るたびに砂埃が舞い、 血走った目で六人を見つけた。 魔物はレイルたちを見て舌なめずりをした。今まで屈強なトロル の戦士たちに囲まれて、態勢を持ち直そうと脱出したところにいた のが脆弱そうな人間たちである。一人、やや体格の良さそうなトロ ルがいるが取るに足らないだろうと野生の本能のままに攻撃性を剥 き出しに吠えた。 一声、たった一声で後ろから追っていたトロルの戦士たちが一瞬 怯む。 それだけで標的にされていた六人は事態を正確に理解した。 男二人が獰猛な笑みを交わす。 ﹁へえ、異種同士で群れなんて珍しいじゃん﹂ ﹁あれはそういう魔物なんだよ、ロウ﹂ 1538 シンプル 六本足の魔物の名前はアギトカゲ。 単純かつ短い名前ではあるが、それだけ名前がつけられたことが 早いという理由でもある。トカゲとは言うものの、それは古代の恐 竜型の魔物を知らないが故の名付けであり、遺伝子としては恐竜に 近い。 ﹁フェロモニアとは違うのよね﹂ レイルはカグヤの言葉を否定した。 アギトカゲは生来、リーダー気質の強い魔獣である。群れを作る 魔物は総じてリーダーになろうとする気質は強いが、アギトカゲは その中でもかなり高い。 例え自分より強い同族であっても、その下につくなど許せない。 しかし群れのボスにはなりたい。 二つのプライドが邪魔をして、夫婦番いになって他の魔物の群れ を率いるという結論に達する。 他の群れをなす魔獣を見つけると、襲ってボスがいるなら仕留め てでも自らの配下に置くのだ。 そうして異種混成パーティー⋮⋮というよりは他の魔物を率いる などという構図が出来上がる。 そうしてようやく、魔物たちの姿がはっきりと見える位置までき た。この間約二秒といったところか。 緊張感のないレイルたちにセルバは危機感を抱いた。もしかして いくらセルバさんでも分が悪いです この魔物の脅威を知らないのだろうか、と。 セルバさん! 逃げるか、身を守ることに徹してください!﹂ ﹁あっ! ! 1539 追いかけてきた戦士の一人が叫ぶ。 いくら挟み撃ちの構図といえど、結局こちら側のトロルはセルバ だけで、実力の知れない人間を当てにするわけにはいかない。彼の 気遣いはセルバもよくわかっていたが、それでも彼は引けなかった。 ﹁悪いな。時間稼ぎならできるだろうが、お前らを守ってまでは戦 えそうにない。安全なところまで下がっていてくれないか。あいつ らはこの付近でもかなり厄介な相手なんだ。なんだってこんなとこ ろまで⋮⋮﹂ 彼はトロルの中では指折りの戦士であった。通常は複数で歩く森 の中を平気で一人で移動できるぐらいには、だ。 人間は数でこそ強いと言われる種族、ましてやまだ若い冒険者に 心配されることはないと胸を張った。 しかし六人はその注意を微塵も聞かないどころか、セルバが注意 し終えるよりも早く駆け出していた。 ﹁水槍││睡蓮││﹂ ﹁五月蝿い﹂ 狼型の魔物五匹のうち、一匹がサーシャの作り出した六本の水の 槍によって貫かれた。 残りの三匹がアイラの銃によって脳天に穴を開けて沈黙した。 ﹁はっ。隙だらけ﹂ ロウは時間を操作して相手の五感を狂わせながら最後の狼型の懐 まで潜り込み、喉笛を切り裂いた。 1540 ﹁はあ⋮⋮私も随分慣れちゃってるわよね﹂ ﹁邪魔﹂ そして番いのアギトカゲはカグヤとレイルに刈り取られた。 一匹は通りすがりに腹から背にかけてぱっくりと斬られてその中 身を開きのように見せつけた。 もう一匹はレイルが剣を振ったかと思うと、体の内部から剣が生 えてきた。レイルは一歩も動かなかった。 カグヤの言は彼らの状態を如実に表していた。 アクエリウムではリヴァイアサンという地上ではあり得ない大き さを、そしてリューカでは擬神や偽天使などといった得体の知れな い相手と。 立て続けにスピードも、パワーも、そして特性までもが異常の相 手と戦い続けてきたことによって、レイルたちは異常な相手に慣れ てしまっていたのだ。 本来対人戦や剣すら交えない戦いのうまいレイルたちとはいえ、 旅をしてきて魔物ぐらいは狩れるような実力を得ていた。レイル以 外に至っては、レイルが寝込んでいる間に一人で一つの冒険を終え てきたのだ。 サーシャだって負けてはいない。もともと国でも指折りの魔法使 い。一度死にかけてからはアークディアの影響か、それとも臨死体 験を経て覚醒したのか妙に魔法の調子がよかった。 五体の狼型と、二体のアギトカゲの死体が鮮やかな紅のままに地 面を汚している。 先ほどまで悲鳴をあげて、避難にとりかかっていた女性や子供の トロルも、戦いの収拾がついたことに気づいてちらほらと顔を出し てきている。 1541 ﹁あいつら⋮⋮アギトカゲとその群れを一瞬で⋮⋮﹂ 自然に、できそうだったからしただけの行動も、トロルの戦士た ちを驚愕させるには十分すぎた。 1542 トロルの里、襲撃者︵後書き︶ いつも閲覧ありがとうございます 今日は小学校時代の友人に招待されて学祭にいっておりました。パ ン○ヒーローのぐる○みんverを踊っている女の子がいたのが印 象的でしたね。 ︵そんな伏字をしたら、ぐる○みんさんよりも︳さんの歌みたいで すよね︶ 1543 パンパ視点︵前書き︶ まずパンパって誰だよって話ですよね 1544 パンパ視点 俺はパンパ。しがないトロルだ。 今日は週に一度の里回りの日で、里の警備についていた。 ﹁俺ももっと立派な毛皮が手に入れればなあ﹂ トロルの狩人は狩った獲物で一番上等な奴の毛皮を服にすること で自分の強さを示す。 そんな風に洩らす脳裏には、ある人の立派な黒い毛皮が浮かんで いた。 俺がガサリという音に森の奥に気配を感じてそちらを見ると、里 の外側から魔物が来るのが確認できた。 十体をゆうに超える魔物の小規模な群れは、アギトカゲと呼ばれ る厄介な魔物の下に統率がとられていた。 俺は急遽仲間を集め、連携を組んで迎え討つ準備を整えた。 トロルは機動力に欠ける。ならばより隙のない陣をはって、逃げ られないようにしなければならない。 幸い、戦士はすぐに集まれる場所にいたことで態勢は整った。 その太い棍棒によって二、三匹の魔物を仕留めることに成功した のだが、残りの七体もの魔物、しかもそのうち群れの統率者である アギトカゲを二体とも含む七体に突破されてしまった。 落ちつけ。周りの女子供は避難させてあるから、逃げられたとし ても追い詰めれば大丈夫のはずだ。 自分に言い聞かせて、仲間と共に魔物の行く先を見たときに絶句 した。 1545 ﹁セ、セルバさん!?﹂ セルバさんは里でも指おりの戦士で、俺の憧れの人物でもある。 落ち着いた物腰でありながら、たくましい腕で魔物を仕留める歴 戦の勇士だ。 その胸を覆うのは、セルバさんが仕留めた黒狼の毛皮。黒い艶や かなそれは強者の証明だ。俺もいつか身につけたいものだ。 そのセルバさんの元へと魔物が向かう。 危ない。いくらセルバさんでも、アギトカゲ二匹に加えて狼五匹 を相手に勝てるとは思えない。アギトカゲは一匹でも苦戦する相手 だ。 セルバさん! いくらセルバさんでも分が悪いです そしてセルバさんの後ろには⋮⋮人間? ﹁あっ! !﹂ 仲間の一人が叫んだ。 俺も逃げてほしかった。 しかしセルバさんは逃げないだろう。 里を危険に曝すわけにはいかないのと、後ろの人間が足手まとい だからだ。 あいつらいったいなんなんだよ。 五人ともまだガキばっかりで、一番年長だと思われるのが魔法使 いらしき女だ。しかもそれ以外が全員腰に差しているのが剣ときた。 上等な鎧をきているのかと思えば、全然そんなことはなく、どい つもこいつも軽装備だ。かろうじて赤い髪の女が肩と胸に皮の防具 をつけているぐらいで、そいつら以外は全員布服ばかりだ。どこぞ の貴族の坊ちゃんどもかと思ったが、護衛の一人もつけちゃいない。 1546 だが俺のそんな心配や不満、危惧なども全て目の前でぶち壊され てしまった。 セルバさんが逃げろと叫ぶ中、そいつらはセルバさんの後ろから 飛び出したのだ。 三人、一歩も動かなかった奴らもいたが、二人は恐ろしい速度で 狼やアギトカゲの近くに入り込んだ。 俺は目を疑った。 もしもあれが夢だとか、幻覚の魔法だとかいうすがりつきたくな るような嘘があるならきっとすがりついていたに違いない。 魔法使いの姉ちゃんはわかる。 水魔法で狼を串刺しにしただけだ。 それだけでも魔法使いとしては優秀だし、あれほどの使い手はそ うそう見ない。 だがあくまで常識の範囲内だったということだ。 問題は赤い髪の女と、無表情のままの男であった。 どちらも強者特有の覇気もなければ、鍛え上げられた肉体でもな かった。 しかし彼らは一歩も動かなかったというのに、三匹の狼と一匹の アギトカゲが殺されてしまったのだ。 倒されたことを喜ぶ声と、それを見ていた者による訝しげな視線 が混ざる。 俺は後者側にいた。というよりは確信していた。あいつはどうし ようもない怪物で、邪悪で、決して英雄などではないと。 剣を振るったときの表情は、俺たちが狩りの時に見せる感謝も、 罪悪感も高揚もなかった。 1547 まるで作業のように、何かを確かめるような目つきで何の感動も なく殺してみせたのだ。 どうしてあんな奴らを里に招きいれてしまったのか。 セルバさんの目が曇ってしまったのだろうか。 ぐるぐる回る思考を抑えて、俺は思わず叫んだ。 ﹁ふざけるなっ!﹂ あいつらだけは、あいつらだけはこの里から追い出さなければ。 ◇ 動きを見せたロウ、カグヤはぱたぱたと埃を落とし、レイルは剣 についた血糊をとった。 戦いの喧騒冷めやらぬ中、トロルの見る目はまちまちである。そ の全てが畏怖や奇異ではないのはひとえにセルバの人徳のたまもの である。 かつて、どの魔物と対峙するにも魔法に気を配り、罠を構えてき たレイルだが、予想以上のあっけなさにもう一度軽く剣をふった。 その動作にややトロルの戦士たちはたじろぐ。 こんなものか。 自らの力を確かめるとともに、それでもなお弱者の自覚を忘れな 1548 いように、そして自惚れないようにと言い聞かせる。 そしてレイルたちは離れた場所から聞こえてくる理由なき罵声に 驚きの視線を向けた。 ﹁ふざけるなっ!﹂ 発したのも当然のごとくトロルの男性であった。 ﹁おい⋮⋮どうしたんだよ⋮⋮﹂ 彼の隣にいた斧を持った戦士が肩を掴んでたしなめるように言っ た。 それとも 今にもレイルたちに飛びかかろうとするのを止めてもいた。 ﹁なんだ。パンパか。何を殺気立っている﹂ ﹁セルバさん、こいつらに脅されているんでしょう? あんたの見る目は曇っちまったって言うんですか?﹂ 毛むくじゃらの腕を握りしめて懇願するように言い募る彼に、セ ルバは何を思ったのかを察した。 規格外の力と、通常とは違う思考というものはいつだって人を怯 えさせる。 レイルたちは信用できないと、パンパはそう判断したのだという ことを理解したのだ。 ﹁確かに彼らは英雄ではない。弱きを助け、悪を滅ぼすわけでもな 良い人 だと思って招きいれたわけでは ければ無私の善行を積んでくれるわけでもない。今回は偶然条件が 重なっただけで、彼らを ない。しかし信じてくれ。彼らは私たちを害するためにここに来た 1549 わけではないことを﹂ そう、パンパのいうことも正しいのだ。 森人ならともかく、魔族と並んで苦手とする他種族である人間を 招きいれるのは危険を伴う。 もしもセルバが利用されていて、彼らがここへと国の軍隊を呼び 寄せたりしたならば。 そう考えるだけで拒絶反応を起こすのも無理はないことだ。 ﹁最初彼らと出会ったときに連れてきたのは、もしも敵対しても大 丈夫だという自信があったがそんなことはなかったようだ。そして 彼らは私を見ても何ら動揺はなかった。それに、エルフの里を救っ たときでさえ、何も要求しなかった人間だぞ?﹂ そう。エルフは奴隷的にも国の侵略相手としてもかなり価値のあ る種族である。 一度人間が知れば蹂躙されるに違いないと思っていたパンパにと って、未だ彼らがエルフに手を出していないという事実は受け入れ がたいものだった。 ﹁ははっ、そーいうことだよ。エルフの奴らに何もお礼をされちゃ いないわけじゃねえし、今回は話の邪魔が入ったから殺しただけだ よ。それに、セルバさんに何かお礼でも貰おうか、なんて下心もあ るから、信用なんてしてもらえなくてもいいんだよ﹂ そう、先ほど見せたような実力があるのならば、ここでのんびり としているよりもさらに味方を増やして襲った方が効率は良いのだ。 ただ滅ぼして奪うよりも、生かして交易相手にする方が旨味のあ ることをレイルはよく理解していた。 そして国の独立記念パーティーが近いこの時期に、他種族を配下 1550 になんて置いて周りの国を刺激するリスクも回避したかった。 ﹁言い分はわかった。だが妙な真似をしてみろ、すぐに叩き出して ⋮⋮いや、ぶっ殺してやる﹂ ﹁無理だよ、あんたには。不意打ちは通じないからそのつもりで﹂ そう言ってレイルは笑う。 獲物を目の前にした獣のように、にぃっと口角があがり、ギラリ と目には光が宿る。 レイルとしては、敵対する意思などまるでないのだが、まるでパ ンパを挑発して喧嘩を売っているかのようであった。 アイラは気づいているのだが、これはレイルからすれば随分と優 しい、気遣いのある応対であったという。 それをパンパにいったとしても信じてはもらえないだろうが。 1551 新素材 お久しぶりです、レイルです。 そんなことを意味もなく言えば、頭のおかしい人に認定されてし まうので言うことはない。 しかしまあ、久しぶりの俺視点である。 前回までのあらすじは実に簡単。トロルの里に招待されて、歩い ていたら魔物に襲われた。そいつを返り討ちにしたらセルバさんが 好きすぎる男に怒鳴りつけられた。今ここ。 パンパと名乗った彼は、俺たちを監視するという口実の元にセル バさんに付き従っている。俺を見る目はギラギラしていて、セルバ さんを見る目はキラキラしている。所詮濁点の違いでしかない。 ﹁アギトカゲの皮は上質だが、加工のあてはあるのか?﹂ セルバさんが何を言いたいのかわからないけど、もしも使い道が ないなら買い取ろうとかそういうことかな。 ﹁いや、どこで加工するとかは全然決めてない﹂ ﹁じゃあ⋮⋮私にアテがあるのだが、紹介しようか?﹂ ﹁いいんですか?﹂ カグヤはこれからセルバさんの家に行くというのに、そんな寄り 道をさせてしまってもよいのかと心配しているようだ。 1552 それに対するセルバさんの回答は、結局行く場所は変わらない、 とのこと。 その意味を知るのは、セルバさんの家という場所に到着した時の ことだった。 ﹁立派な家ですね﹂ ﹁大きな窯ね﹂ セルバさんの家は鍛冶屋であった。 ◇ 最初はセルバさんの本職は鍛冶屋なのかと疑った。 実は鍛冶屋なのはセルバさんの父親で、彼はこの家を継ぐかもし れないがどちらかというと戦闘の才能に恵まれたがためにこうして 戦士として生きているのだとか。 そもそもドワーフと交友のあるトロルで鍛冶屋を営むという者は 少ないのだとか。 ちょっとした日常生活品などはいちいちドワーフにまで回すと大 変なので、こうしたトロルの鍛冶屋の需要もあるのだが。 今回のようにトロルの客、ともなればドワーフに受け入れられる とも限らないし、彼ら自身で歓迎したいというのもあるという。 木で出来た屋根は俺たちの背よりも遥かに高く、さすがはトロル の家といったところか。 ﹁父さん、私の友を連れてきた。アギトカゲの皮を持っているが、 1553 何か良い使い道はあるかな﹂ セルバさんがおっさんより手前のまだ若い男性と言うならば、そ の父親は初老より手前のおじさんとじいさんのおじさん寄りである。 ややシワがあって、セルバさんががっちりした体格なのに対して、 ずんぐりむっくりといったところだ。 俺たちが家に入れてもらったときは、俺たちに背を向けて何かを 作っていた。 鍛冶屋、とは名乗るものの、物の加工に関してはオールマイティ ーなマルチタイプであるようで、木から鉄まで幅広く扱えるのも売 りだという。 父さん、と呼ばれたトロルは振り返って俺たちを見た。 そのままジロジロと眺めていたが、セルバさんとは違って目や動 作を見るというよりは俺たちの格好を見ているといった感じだ。 ﹁⋮⋮嬢ちゃん、妙なものを付けているな﹂ マシンナーズ マシンナーズ 俺の赤い耳飾りや、サーシャさんの杖よりもまず注目したのはア イラの腕輪であった。機械族からもらったそれは、機械族が門外不 出にしているならば、一般にはこれ一つといっても差し支えないシ ロモノである。まあ道具に関わる者なら気になるのかもしれない。 ﹁⋮⋮ダメだな。わからない、ということは知らないもんで、俺に ゃあどうしようもねえ。それより、お前らそんな貧相な装備で旅し てんのか、新人か?﹂ ﹁いや、父さん。彼らはそれぞれ、狼を単独で殺せるぐらいの実力 はある。アギトカゲも簡単に倒した﹂ セルバさんが先ほどの事実を伝えた。 1554 セルバさんの父親はそれを聞いて瞠目した。 ﹁それほどの実力があるならもっといいものを身につけりゃいいの によ。ほれ、武器とかはどうだ?﹂ ﹁俺は遠慮しておきます﹂ ﹁言いにくいのだけど、これよりいい刀がここで手に入るとは思え ないわ﹂ ﹁私も、いらない、かな?﹂ ﹁なんだかんだいってこの杖には愛着もあるしね﹂ ﹁あ、じゃあ俺はお願いします﹂ 結局ロウだけだった。 善意の申し出はありがたいのだが、俺たちが防具をまともにつけ ないのは機動力のためで、攻撃なんか食らわないことを前提にして いる。 本当に強い相手に出会ったとき、防具で防げるとは思えない。そ うした時に攻撃を避けなければならないのであれば、身軽なことに こしたことはない。 そして、防具が貧相だからといって、金がないわけでも武器が弱 いわけでもない。 それを証明するために、俺たちはそれぞれの武器を差し出した。 ただしアイラ以外だ。アイラの武器は信用できるからといってやす やすと見せるものではない。まともに見せたのはアイラの父親ぐら いで、それも目の前で使っただけだ。 聖剣、刀、竜玉の杖と目の前に並べられた武器を見て親父さんは 1555 納得してくれた。なるほど、これなら交換する必要はないな、と。 カグヤの刀の価値は知らなかったが、かなりの業物であったらし い。カグヤにどこで手に入れたのか聞くと、 ﹁おじいさんの本命の刀を除いた愛着のある五本のうち一本をもら ったの﹂ といった。つまりはこれと同じぐらいいい刀四本と、これよりも いい刀をカグヤのおじいさんは所持していたということになる。お じいさんぱねえっす。 結局、アギトカゲの皮は小手だとか、腕を守る防具だとかいった 小物の防具に加工してもらうこととなった。鎧なんざ作られても、 重くて着る気にはなれないしな。 五人分作って余った分は加工費としてもらってくれて構わないと 言った。別に持ち運べないなんて事態は起こりようもないが、どう せ持っていてもただの皮だ。タンスの肥やしならぬ腕輪の肥やしに なるぐらいなら良くしてくれた親父さんにあげてしまおうというこ とで意見は一致した。セルバさんは恐縮というか、もらいすぎだと か言っていたけど、親父さんの﹁貰えるものはもらっておけ﹂の一 言で解決。 そんな段取りが終わったところで、セルバさんは思い出したよう に言った。 ﹁ああ、そうだ。こいつらにアギトカゲの討伐とかのお礼にアレを あげようと思うんだが﹂ ﹁好きにしろ。あれは武器にするにはむいていない﹂ そういってセルバさんが出してきたものは巨大な金属の塊であっ た。 1556 俺たちは目の前に置かれた金属をしげしげと眺めた。一部が虹色 に反射していてとても綺麗だった。 サーシャさんが魔力とは別の気配がする、と言っている。 ﹁魔力とは別の力の根源を知っているか?﹂ セルバさんが説明するには、魂の力はトロルたちの間でも認識さ れていて、妖精などは魂の力がないと触れられないという。 俺たちが精神生命と呼ぶ相手のことだ。つまりは魔力とは別のエ ネルギー体系として魂があるということだ。 アダマンタイト そして、この金属にはそういった魂が込められているのだという。 さしずめ生命鉱物といったところか。 この金属は加工しても決して刃物にはならないのだという。まる でアイラの鍛冶技術のようだ。 だから、武器にはできないし、普通に使えば単なるちょっと加工 しにくくて硬いだけの金属だからあまり価値は見出されていないと いう。 しかし俺たちはこの話を聞いて、この金属の有用性に気づいてし まった。 今までの全て合わせてもお釣りが来るぐらいの待遇だ。 ﹁私たちはこれを精霊の宿りし金属││││精霊鉱と呼んでいる﹂ 1557 トロルの里を旅立つ 精霊鉱、その名前を聞いた時に思わず小躍りしそうになった。ぐ っと抑え込むことができたのは、強靭な精神力の賜物だ。 だってさ、精霊鉱だぜ? 確かに今までもアイテムボックスだとか、聖剣だとか、ゲーム臭 漂う武器やファンタジー感溢れる道具を手にしてきたけれど、これ に優るものはないな。 長所も短所も特性がよくわかる鉱物は、まるで加工してください と言わんばかりだ。 その使い道に思いを巡らせていると、アイラが精霊鉱を持ち上げ た。 ﹁ねえ。これ、私に任せてもらっても、いい?﹂ 上目遣いなどとあざとい真似をしてくれても全然構わなかったの だが、俺の方を見ようともせずに淡々と確認をとった。いつもなら その大きな瞳に心がざわつくほどに見ているのに。よっぽど精霊鉱 に思うところがあるらしい。 うん。いいよ。それだけの承諾を迷うことはなかった。 サーシャさんはそれが予想外だったのか、返事をした俺の方を見 ている。 ﹁へえ、レイルがこの中で一番上だと思ってたし、あなたが一番い ろんなものを使うことを思いついてきたと思ったんだけど﹂ 精霊鉱も俺ならば有効活用できるだろう。そして有効活用できる 人間が使った方がいいと言いたいのだろうか。 1558 買いかぶり、とまではいかずともサーシャさんの指摘は当たらず とも遠からず、といったところか。 違うでしょう? 俺が 確かに俺がこのパーティーの決定権を持っている。だからアイラ に任せるという決定をしたんだ。 ﹁俺が倒せる敵は全部俺が倒すべき? 短期的に今得をする選択じゃなくって、後々アイラが強くなって俺 が、俺たちが得をする選択をとったんですよ。アイラはああ見えて も鍛冶師の娘です。金属は扱える。それに⋮⋮アイラがしようとし ていることはだいたい想像がつきます﹂ ﹁そういうことです。私とレイルくんが同じ考えなら、私がするの が一番効率が良いし、結局できたものは私にしか使えないもん﹂ アイラの言葉で何を作るかについては確信が持てた。 俺はアイラに腕輪から色々と出すように言った。 セルバさんと親父さんが目の前に出されたものを見て驚く。 ﹁それは⋮⋮﹂ 宝石や金貨がそういったものの名産地であるトロルの里では価値 があるとはあまり思えない。 だから出したのはアクエリウムで買った魚介類や、ウィザリアで 買った魔導具の幾つかだ。 ﹁精霊鉱がたくさん欲しい。これでできるだけ貰えるか?﹂ セルバさんの親父さんはそれを聞くと何度も確認した。 武器にしにくい精霊鉱を大量に購入してどうするのか知らないか らこそだろう。 1559 アイラのために、大量の精霊鉱を買い占めた。 これを食べた魔獣が暴走することもあるため、見つかるたびに回 収するのだという。その分、使い道もないから溜まって困っていた という。 喜んで大量の精霊鉱を腕輪に保管した。 ◇ 俺たちはトロルの里でしばらく過ごした。 アイラは親父さんの炉を借りて精霊鉱の加工に勤しんでいた。 そして今日は豊穣祭の狩人バージョンみたいなお祭りである。 火を焚いてその周りでいつもより豪華な食事をみんなで楽しむだ けの宴会のようなものだ。 崇拝するべき何かが祀られている祠が今日に向けて綺麗に掃除さ れている。 サーシャさんが子供には一番人気で、戦士たちにはカグヤが人気 だ。しかしカグヤについてはロウが殺気を向けるので、なかなか近 づけない戦士たちがため息とともに俺の元にくる。失礼な奴らだ。 すいませんね、美女じゃなくって。 ﹁いやいや。あんたにも話を聞きたいとは思ってるんだぜ?﹂ 首元に傷のある少し細身の││まあ他のトロルに比べたらなので さほど細いわけでもないが││男性が俺の隣に腰掛けた。 ﹁セルバさんが連れてきた人間のガキが化け物みてえな奴らだって 噂でもちきりだからよ﹂ 1560 ﹁失礼なもんだな。こんなしがない冒険者を捕まえて化け物なんて さ﹂ あえて敬語は使わなかった。 セルバさんから﹁トロルの里では客人でも同じ戦士ならば強さを 認めれば対等。それを無視して敬語を使い続けるというのは自分も しくは相手を戦士と認めていないことになるからな﹂と言われた。 パンパさんはセルバさんに敬語なのはどうなのかと聞けば、里の 中で上下関係があったり、明らかに実力も年齢も上ならば別に構わ ないとのこと。 その辺りの距離感はわからないが、とにかくパンパさんがセルバ さんに敬語を使うのは全く問題がないそうだ。そして俺がこの里の 戦士に敬語を使うのは失礼、と。理由は俺は客人で、他種族で、里 のどの戦士よりも強いからだそうだ。 俺らなんてこんなナリだか タイガと名乗った彼は軽く笑いながら答えた。 ﹁ははっ。これでも褒めてんだぜ? らよく化け物なんて言われてよ、最近ではその強さで化け物と言わ れることを誉れとしてるぐらいだ。お前は間違いなくその誉れを受 けるだけの強さがあるはずだ﹂ 結果が全ての戦士の世界で無駄な謙遜は嫌みにもなる。 そういうものなのかと納得して、果実で作られた飲み物を呷る。 やや発酵しているのか、アルコールのような独特の酒臭さを鼻腔 の奥にほんのりと感じながら酸味で喉を通す。 向こうでアイラが鍛冶屋の親父さんと熱心に話しているのが見え る。 学べるものがあるのなら頼もしい限りだ。 1561 ﹁あの時はどうやって倒したんだ?﹂ やはり魔物を相手にする者としては気になるところだろう。 本来ならば手の内を明かすのは苦手なのだが、信頼してくれた相 手に情報を開示することで応じるのも悪くないと思った。酒が入っ コネクト てほろ酔いだったのもあるか。 剣を抜くと空間を歪めて接続して、剣先だけを違う場所へと転移 させる。 目の前で突き出された剣が先だけ離れた場所に出たのを見て彼は その正体を見抜く。 ﹁それは空間術ってのか?﹂ ﹁ああ。こうやって相手の中身に剣を通して斬った。それだけだ﹂ 倒した直接の攻撃方法はそれで確かにあっているし、彼が聞きた いのもその内容であっているのだが、俺の強さの本当の理由である 空間把握については話していない。 ﹁空間術なんて転移できるだけでもかなりなんだがな。そうやって 完全に使いこなしているなんて伝説級なんじゃねえか?﹂ ﹁こんなものは極めれば誰でもできる。だって単なる空間術でしか ないんだから﹂ ﹁その極めるってのが難しいんだよ﹂ トロルの秘術っつーか眼に興味があるのか?﹂ ﹁俺としては極める方法よりも見極めるコツが知りたいな﹂ ﹁おっ? 1562 俺たちはトロルと人間、お互いのことについて話した。 途中からセルバさんも参加して男子会みたいになった。運ばれて くる料理はどれも美味しかった。 むさ苦しい宴会だったけど、なかなか楽しかった。ロウがナイフ 投げみたいなことをしていてサーカスみたいだなんて思った。 この世界では酒を飲むのに年齢制限は存在しない。自己判断で飲 める。酒を飲んで騒ぐなんて前世ではできなかったことも今はでき る。ちびちび一杯だけしか飲んでいなかったからか、幸い最後まで 気を失うことはなかった。 ◇ 次の日、二日酔いの頭を抑えてトロルの里を後にした。 セルバさんに俺たちのユナイティアのお披露目会みたいなのに参 加するかと聞いたら是非行きたいが遠いからな⋮⋮とボヤいていた ので、時期になれば迎えにいくと言っておいた。 誰よりも別れを惜しんでいたのが、セルバさんの親父さんで、何 かあったらうちにこいと言っていた⋮⋮⋮⋮アイラに。 いい人ばかりでこの里は大丈夫なのかと言いたい。 最後まで敵対的なパンパさんがいなかったらと思うとこの里の人 たちはもっと警戒心を持った方がいい。 それが自分たちの見る目に対する自信の現れなのかもしれない。 1563 トロルの里を旅立つ︵後書き︶ こんな物語を書きつつ、エッセイの﹁小説家になろうを味わう﹂を 同時並行で更新しています。もしよろしければそちらもどうぞ! 1564 各国の代表と、各種族の代表 トロルの里には名前がないと気づいたのは帰ってからのことであ った。 彼らは他に同じ種族の住む集落がない。だからこそ、区別する必 要性がないのだろう。トロルにとっての里といえばあの場所で、他 に国などないのだから。 帰ってきた俺たちはというと。 ﹁おい、あの記録どこにやった?﹂ ﹁どれだけの国に招待状送ったの?﹂ ﹁こっちの予算なんですけど⋮⋮﹂ 建国記念だか、独立記念だかよくわからないパーティーの準備に 大忙しであった。 俺たちが抜けていた間の仕事がいっきに襲いかかり、魔物と戦う のも普段の訓練も、他種族の元に遊びにいくこともせずに基本ユナ イティアに定住して仕事をこなしていた。 とは言えど、俺の主な仕事は各国への招待状と、それぞれの最終 決定に問題がないか目を通すことと、来客の対応ぐらいのものであ る。 アイラは久しぶりに実家の鍛冶屋の設備を借りて武器の開発に勤 しんでいる。トロルの里でやりきれなかったことや、刺激、インス ピレーションを受けたことを頑張っているのだろう。 ロウには情報部門についてもらっている。 カグヤも戦闘ばかりずば抜けているから忘れがちだが、頭の回転 1565 も速い。 十分に俺なんかより正統派の有能な人材だろう。 建物を建て、設備を整え、この国は王都オンリーみたいな見た目 だけども、その文明レベル自体は他の国にも引けをとらないものと なっている。 なんというか、統治できる範囲しか領地としておらず、開拓を進 めるごとに領地が広がっていく発展途上の国なので、仕事は尽きな い。 この世界は文明レベルの割りには、人の手の入っていない土地が 多いのだ。 魔獣などのパワーバランスがあって、なかなか遠征が難しいとか も理由の一つかもしれない。 結局自分たちで一から開拓するよりも、他の国の開拓された状態 をのっとった方が速く発展できるんだろうし。 そうして半月が過ぎた。 何の問題も発生することなく準備は進んでいった。 とうとう各国の重鎮が、そして数多の種族が集まる日がやってき た。 ◇ 当日。軍でのお越しはご遠慮くださいと言って人数制限を設けた おかげでかなりの手練ればかりが王や王妃、姫や大臣の周りに集ま っている。もちろん、俺の名前で不審な動きをした者や、人に危害 を加えようとした者を処罰する旨も伝えてある。ただし決闘だけは 認めている。両者合意の戦いを止めるほど無粋ではない。 1566 先日の擬神の話題が広がっているからか、この日のために国に臨 時で雇われ、駆けつけた冒険者もいる。 もちろん、代表者が集まる建物は城みたいな大きさにまで改築さ れていて、そこは国の使者しか入ることはできないけれど、それ以 外の場所には屋台の設立なども事前登録で認めてあるし、観光も簡 単な持ち物検査の後に認めている。 最も多いのは人間である。国の数も、一度に連れてくる人数もダ ントツである。 逆に少ないのは魔族である。たった一つしかない国ノーマ、そこ コネクト からやってきたのは三人である。グラン、グローサ、メイド長。そ しておそらく最も少数精鋭の国である。 グランも俺ほどではないが空間転移を使える。三人が空間接続で 突然ユナイティアに現れた時は大騒ぎになった。 魔王の二人は大剣を持っていて、メイド長は素手である。 とうてい 区 グランが俺に親しげに、そしてどこか威圧的に話しかけてきた。 ﹁レイル。これがお前の言っていた自治区か? とは見えないないな。まあクラーケンも後で見せてもらえると嬉し いな﹂ 圧倒的な存在感、武器を持たぬメイド長でさえ、手を出してはい けない相手だと肌で感じる。 騒ぎが収まってなお、緊張が人間の間に走った。人間だけではな い、全ての種族が緊張に包まれた。 そう、魔族。歴史上の大きな戦争はほとんどが魔族と人間が関わ っている。 それを恥と見るのは前世の価値観を持つ俺ばかりで、それだけ大 きな戦争を繰り返してもなお生き残って繁栄してきたこの種族は恐 1567 れられている。しかも魔王ともなれば、竜などに並ぶ怪物級の実力 者、登場するだけで護衛の兵士に鳥肌が立ち、警戒を露わにする。 一応事前に他種族が来ることもあるのでご了承くださいといった 注意書きをしてあったのだが、魔王の前ではそんなものも霞むらし い。 エルフ、トロルを通じて他の森の民にも招待状を出した。彼らに は森の民連合という形で参加してもらっている。 俺が空間転移で迎えにいったことを他の国には隠して、ユナイテ ィアから離れた場所に来てもらった。 その中のエルフが俺たちを見ると握手と共に挨拶をしてきた。 ﹁我らが友よ。本来ならば人のいるこのような場所には出ない我ら だが、この時ばかりは招待していただき感謝する﹂ 遠回しに今回は特例であると宣言し、他の種族へと牽制する。 エルフは森の民の中でも発言力は強いらしい。 そして、高い魔法能力と総じて容姿の良いエルフを欲しがる国は 多く、個人を召し抱えることができなくとも友好だけでも結びたい という国は多い。先ほどとは違い、好奇と打算に満ちた、舌なめず りをするような視線に曝される。そして特にそういったものに敏感 なのがトロル。自分たちの中で選別を済ませているようだ。 ゲート 獣人たちは元々肉体スペックが段違いである。俺が送るまでもな く、一度開放された転移門をくぐってやってきた。 久しぶりだな!﹂ ﹁おうおう。いい準備運動だったぜ!﹂ ﹁てめえら! ﹁レイル、来てやったの!﹂ 1568 リオはこの場の最高権力者かつ代表者の俺にも前と同じような態 度で接してくれた。 獣人の国からは十種族の代表十人と、そのお付きが二人ずつ、つ まりは三十人である。そしてその親族が数人ずつ。総勢でも五十を 超えない。 ﹁あのクラーケンは優秀だな﹂ ﹁こんなに早く再会するなんてな﹂ アクエリウムからは、元王候補と王、そして軍から数十人が来て いた。海岸まではクラーケンに案内させた。そのために連れてきた 節もある。 照れくさそうなオークスに、チラチラと隣から熱い視線が注がれ ている。見せつけやがって。 こうした集まりに、人数を威厳とするのは人間ばかり。それ以外 の種族はどれだけ優秀な者だけを連れてこられるかを重視している ようだ。烏合の衆など名を落とすだけだと言わんばかりである。 この催しには知る限りの国を招待している。そしてそのほとんど が招待を受けてくれた。警備がザルだとか、他種族が来るだとか、 そういった理由で断るのは脅えているようで権威に関わるからであ ろう。 ギャクラ、ガラス、ウィザリア、エターニア、ヒジリア⋮⋮今ま でに巡った国も、行ったことのない国も参加してくれている。 この時に復興支援をもっと取り付けたいという目的もあり、リュ ーカからも参加している。 しかし、そうして人間、魔族、獣人、魚人、エルフ、ドワーフ、 トロルと大量の種族が混在しているという前代未聞の異常な光景を 自分が中心になって成立させたことに少しの照れと誇らしさを胸に 1569 抱いた。 この場をどのように利用しようとするかはそれぞれの国次第であ る。 1570 道具とか、伝承とか、幻とか 今回一番大変だったのは、各国の根回しもだけど、人魚だとかい った異種族にもくつろいでもらえるように設備を整備することだっ たかもしれない。 続々とやってきては俺に挨拶に来る各国の代表者を眺めながらカ グヤが恐る恐る俺に耳打ちした。 ﹁ヤマトが断ったって本当よね?﹂ ヤマトとはカグヤの故郷である。ギャクラより東にある島国で、 聞いた情報から推測するには前世の日本に近い国だと思われる。 それにしてもカグヤはよっぽどヤマトの帝が苦手らしい。俺の知 る竹取物語と似た人生を歩んだのだとすれば、好きでもないのに求 婚されて逃げてきたはずだからしょうがないことなのかもしれない。 昆虫型の魔物でも一刀の元に斬り伏せてきたカグヤにも苦手なもの があるのだな、としみじみ思った俺は悪くない。 そう簡単には動けないんだろうよ﹂ ﹁お前の国は四人の巫女を媒体として、帝を中心起点とした強力な 結界が張ってあるんだろ? ヤマトは事実上の鎖国である。 時折、正式な手順を踏んだ帝の使者か、カグヤたちのような抜け 穴などを見つけて偶然にも脱出できたはぐれ者がやってくる。 カグヤの育て親は若い頃に世界を旅したことがあるらしく、カグ ヤは国の外に出る前から世界に関する知識は多少あったらしい。 ﹁ならいいんだけど﹂ 1571 ﹁で、呼ばなかったのか?﹂ ﹁呼べるわけないじゃない。一発で感づかれるわよ﹂ 俺が尋ねたのはカグヤの育て親をここに招待しなかったのかとい うことである。 油を売って カグヤは﹁それに、国を出る時に別れはすませたし、お互い無事 って信じてるから﹂と付け加えた。 背後より話しかけてくる者がいた。 ﹁おい、お二人さん。ここの重要人物なんだろう? いていいのか?﹂ グランはそういって実に魔王らしく笑う。そんな表情さえも様に なっていてかっこいい。イケメンとは不公平なシステムだと実感す る場面だ。 そんな俺も自惚れ抜きにすれば別にブサイクってわけじゃあない。 まあ見る人全てを惹きつける美形でもなければ、初対面の人に無条 件で恋愛感情を持ってもらえるほどのものでもないが。 ﹁クラーケンはアクエリウムの警備に当たらせているよ。また今度 で良ければな。まあどんなやつか話を聞きたければ、アクエリウム の奴らに聞いた方が確実だろうな﹂ クラーケンを見たいというのは社交辞令だったのかもしれないが、 返事は返事だ。 クラーケンはアクエリウムの人たちを迎えに行かせた後、代表者 が抜けて手薄のアクエリウムを警備させている。リヴァイアサンみ たいなのが例外で、クラーケン一匹いれば魔物の警備程度などなん とでもなるだろう。 1572 ﹁んー⋮⋮私はどこかいってましょうか?﹂ ﹁いらない気を使わなくてもな⋮⋮﹂ カグヤはさっさと立ち去ってしまった。 グランは少し決まりが悪そうだ。 ﹁話は変わるが。お前、擬神を倒したというのは本当か?﹂ ﹁ああ。そっちにも情報を渡したんだったな﹂ ﹁その抜け殻みたいなものを手に入れたと言ったな。見せてもらえ るか?﹂ なぜグランがそんなものに興味を示すのかはわからない。それに、 俺からすれば単なる討伐証明程度の価値しかなかったため、見せて と言われれば見せることに抵抗はなかった。 アイラに預けず自分で持っていたのは運が良かった。懐から出し て、人差し指と親指でつまんで見せた。 ﹁⋮⋮これを使う予定はあるか?﹂ ﹁いや、ないけど。譲ってくれって言うんなら使い道を教えろよ?﹂ ﹁いや。使うのはお前になるだろうな。これを食べるつもりはない か?﹂ ﹁はあ?﹂ 食べる? 突然の申し出があまりに常軌を逸していたため、素っ頓狂な声を 出してしまった。 比喩表現でもなんでもなく、口に入れてって意味か? そんな風に尋ね返すと、グランは変な顔をした。なんというか、 やっぱり知らなかったのか、といった納得と知らずに持ち歩いてい たのか、という呆れのような、そんな顔。 1573 ﹁それにはおそらく、本来命のない存在を命として成り立たせるた めの仕組みと記憶、そして少しの魔力と魂のようなものが入ってい るはずだ。それを食べればお前の存在とソレが同化し、中に入って いるはずの自分にある適性の対象に対する理解が深まり、神に近づ くことができる。それと││││﹂ 俺には何 ﹁ちょっと待て。何を言っているのかわからない。噛み砕いてわか りやすく説明してくれ。それを食べると何が起こる? か不利なことがあるか?﹂ 一気にまくしたてられ、しかもファンタジー世界の理論の中でも 人間世界では研究としてさえ明らかになったことのないことを言わ れて混乱のあまり話を遮った。 ﹁⋮⋮お前の場合は波属性の魔法の威力と、空間術の技量が上がる﹂ ﹁それだけじゃあないはずだ﹂ ﹁神に近づくための莫大な情報量に耐えられない場合はお前の見た 擬似神のように虚ろな自我のない存在になるだろうな。まあ空間把 握まであっさり習得してそれだけ使いこなすお前にはおそらく縁の ない話だ﹂ それは軽々しく持ちかけていい提案じゃない。一歩間違えれば廃 人になるってどういうことなんだか。 グローサ グランはもう少し強さを得るためのリスクとかを考えた方がいい。 あの姉ありきのこの弟といったところか。魔王の中でも穏健派だ とか、頭脳派だとかそんな評判に惑わされていたな。あくまで魔族 の中で、なのだ。強さを求める種族なのは変わりがないのだろう。 ﹁ま、受けるんだけどな﹂ 1574 グランがここで変な嘘をついて俺を廃人に追い込むつもりならば、 廃人になる可能性があることは言わない方がいい。 俺が怖気付いて手放すのを期待するならば、少し金を積んで人間 には使いにくいとか別の使い道について言った方がいい。 ならばこれは、魔王と自治国家の代表ではなく、グランとレイル、 友としてのサービスみたいなものなのだろう。ありがたくいただこ う。 そんな打算とも計算とも言えない目測でグランを信頼し、俺は一 気に擬神の残したそれを飲み込んだ。 その瞬間、頭痛が襲い、グラングランと脳を揺さぶられるような 錯覚に陥った。 ﹁うっ!﹂ 思わず声が漏れた。しかしすぐにその正体というか、実態が脳内 に鮮明に浮かんだことで嘔吐は免れた。 しかし膝をついて口を押さえた俺の姿は明らかに無事とは言い難 いものだ。 ﹁大丈夫か?﹂ グランが俺の側に寄り添い、肩を支えてくれた。 ・・・ すぐに持ち直して立ち上がる。 そして俺はこの力の根源の一部に触れた。 おそらく神には敵わないのかもしれないが、少なくともこの空間 術の力があれば、今までよりずっと強くなれる。あのバジリスクの 時のように無様な失態を見せることはなくなると確信が持てた。 なるほど。これは凶悪な力だ。とても強いが、危険な力だ。おそ 1575 らくこの域に至った者の大部分が力を振るうと同時に身を滅ぼした に違いない。 空間術は別次元からエネルギーを借りることのできる術である。 魂のエネルギーを使う魂術でも、寿命や体力を減らす時術でもな い。 そのエネルギーを引き出す絶対値が増大したのを感じた。 ってどうして俺はこのタイミングで覚醒イベントに突入するかな ⋮⋮ ﹁レイル!﹂ グランが俺が大丈夫であることを感じとり、そっと離れた瞬間に 俺を呼ぶ声が聞こえた。 小走りでここまで来て、グランを見つけると顔を引きつらせた。 ﹁魔王と仲良いって本当だったんだな⋮⋮﹂ 随分と頼りなさそうだな⋮ ﹁こいつは話のわかる人間だ。俺と対等に話せる数少ない友人だよ。 お前がアクエリウムの新しい王か? ⋮まあ、レイルがわざわざつけたんだ。見所はあるんだろう﹂ グランの口調は決して侮蔑でも憐憫でもなかった。むしろ期待し ているようにさえ思える。 そんなグラン相手に萎縮するかと思ったが、オークスは堂々と正 面から握手を求めた。 まあお前が友となるだけの魚人であ ﹁レイルの友なら俺の友でもありますね。よろしくお願いします﹂ ﹁友達の友達は友達、か? れば自然と友となっているだろう﹂ 1576 恐怖の象徴である魔王に、あえて対等な立場を意識させる言葉を 使うことで、決してアクエリウムはノーマに屈しない、しかし友好 的に在りたいと示した。 グランはグランで、まだ友と認めたわけではないが、これからの 行動次第だと悪くない反応である。 というか本人の目の前で友達が紹介しあうのは非常に照れくさい。 これだよ﹂ 王と王の会談の場ともとれる出会いの前で、そんな青臭いことを 思った。 美味しい魚でも発見したか?﹂ ﹁あ、レイルに見せたいものがあったんだ﹂ ﹁ん? ﹁レイルの中では僕は食いしん坊なのか? そういってオークスが見せてくれたのは、黒い漆塗りのような箱 だった。金色の紋様があしらわれ、銀の紐で縛られている。 ﹁なにこれ﹂ いや、もう一つ次元の高い道具だな。神器とも グランがしばらくしげしげと眺め、口を開いた。 ﹁魔導具、か? いえる﹂ ﹁ご明察。これは魂手箱っていって、魂魄を無限に封印できる箱な もしかして名 んだって。出し入れは自由、他にもいろんな機能があるみたいなん だけど、どうにも解明しきれなくってね﹂ ﹁そんなもんを俺に見せてどうしようってんだ? 前を呼んで返事をしたら封印されるとか?﹂ ﹁いや、これは一応国の宝でね。代々受け継ぐことになってるんだ けど、この他にも二つ似た魂を管理する神器があるんだって﹂ 1577 グラン オークスはそんな大事なものを持ち出して第三者の俺や魔王に見 せてもいいものなのだろうか。 ﹁僕たちの国にあるこれは、海の神器の一つ。伝承では空の魂手箱 と地の魂手箱があるらしいんだ。それが実は││││││﹂ オークスがそんなことを言いかけたところで、にわかにあたりが 騒がしくなった。 来てくれたんだ! ありがとう!﹂ こんなに騒がしくなるのは双子の魔王が現れたときぐらいのもの だ。 ﹁あっ! アイラのはしゃぐ声が聞こえてきた。 しかし来賓の皆様は一様に凍りついていらっしゃる。 キーワードと共に動き出したりしないものか。 その視線の中心には確かに異様な集団がいた。全体的に銀や黒、 白などの無彩色が多いが、腕の数から目の色まで全く一貫した特徴 のない集団。ただ一つ言えるとすれば、彼らは生物とは言えない超 越者たちであった。僅か十名ほどで訪れてくれたことだけが救いか。 ﹁遅レタコトヲ謝罪スル。オ招キイタダキ感謝スル﹂ 代表はいつもの彼で、心なしかアイラを見る顔は嬉しそうである。 各国の代表者たちが今にも気絶しそうなのは無理もないことだろ マシンナーズ う。 機械族。歴史の表舞台に姿を現すことのなかった、存在さえも疑 われた幻の種族がここにいたのだから。 1578 1579 再び出会う︵前書き︶ またあの男が そしてカグヤの元に現れたのは⋮⋮ 1580 再び出会う 歴代最高峰の知略家の魔王とさえ言われるグラン。その辣腕ぶり は取り潰された悪徳貴族の魔族や整えられた国民の生活が示してい る。双子が王になってからは犯罪件数が一割減、年間死亡者数もか くんと下がったという話を聞いた。 そんな彼らが王になって未だ十年も経っていない。新しい王同士 通じるものがあるのか、魔王グランと海底の王オークスは俺抜きに しても仲良くなっていた。仲良きことは美しきかな。自分の好きな 人同士は必ず仲良くなるとまで幻想は抱いていないが、こうして仲 良くなるのをみると嬉しい気持ちもある。 ﹁けっ。相変わらずジジくさい澱んだ目をしてるんだな﹂ レオナに案内されていつもに増して不満げなレオンがやってきた。 これでようやく軌道に乗ったこと おまけに暴言付きである。レオンってこんなに口悪かったっけ。 ﹁おう。よく来てくれたな! を示せそうだ。貿易が盛んになればなんとかやっていけるだろうよ﹂ 加工貿易とはいかないが、自国のものを自国で賄い、他国のもの をやりとりすることで儲けを出す。そんな貿易国家になれればいい な、なんて甘いだろうか。 ここで多種族混合で祝祭なんてする にこやかに返事をするも、レオンの機嫌は晴れない。どころか悪 化させているふしさえある。 ﹁なあ、わかってんのか? から、世界中の強者がここに集まるかもしれないんだぞ﹂ 1581 ﹁そんなたいそうな。ただたくさん友達と国の人たちを集めて騒ご うってだけじゃねえか﹂ これは確実に歴史に残る話な 世界中を旅する冒険者でも、一つの種族と仲良くなれ ﹁何がそんなたいそうな、だよ! んだぞ? ればいい方で、アクエリウムなんて入れた方が奇跡だし、人間嫌い のエルフと因縁の魔族を他国の貴賓と同じ場所に集めるとかどうい うつもりだよ﹂ レオンはどうやら気軽な気持ちで今回の催しを開いたと思い、そ してそれが気に食わないらしい。 ﹁どういうつもりかって聞かれたら、俺の一つの目標みたいなもん だったんだよ。まあ神に会う、世界を見て回り、他の種族とも仲良 くなる。そしてその成果を見せつけたのがこの祝祭ってわけだ。そ れにな﹂ ヘラヘラとした呑気な理由の後で言葉を切った。 ﹁秘境に、海底に、別々の大陸に。バラバラに散らばり、国交を絶 差別とかそんなもんを抜きにして、最初は打算のた ってきた多くの種族だけどさ、全てが全て仲良くできないわけでも ないだろ? めでもいい。利益のために仲良くなって結果としてお互いの理解が 深まれば少しずつでもお互いを対等に見れるんじゃないか?﹂ ちょっと荒療治だったかもしれないけどな、と付け加える。 それに、これにどのように失敗してもほとんど俺たちに不利益が ないのも原因だ。 どの国家がどの種族との交渉に失敗したところで、俺たちとの交 流は途絶えないし、むしろここで他の種族に失礼な行動に出るなら ばその国を村八分にできるかもしれない。 1582 ﹁ま、お前が前から博打みたいな生き方をしてるのは知ってるけど さ﹂ ﹁だから申したでしょう。レイル様なら大丈夫だって﹂ ﹁レオンはわかってくれて何より。レオナはもう少し心配してくれ。 誇り ま、それでも俺が一応ここの責任者だからさ。元奴隷の子供たちを 労働力として食いっぱぐれるような事態だけは避けるぜ? も、歴史も、伝統もない。そんな国だからこそ思いっきりやらなき ゃな﹂ ふと、頭上が騒がしくなるのを感じた。 このユナイティアに巨大な城はない。精々最高でも三階建ての建 物である。木造と石造りが基本ではあるが、四角四面で無骨な効率 重視の建物ばかりが集まる町並みはまるで前世の日本のコンクリー トジャングルの模倣のようだと思ったことがある。 そんなこの国で、頭上というのは限られている。それは登らねば ならない場所、つまりは遠くを見るための場所であったりする。 空間把握の方が堅実 そんなことはない。俺だって暇があれば国の周りを空間把握 俺がいる間は見張りはいらないだろう? ? で見ているが、俺だっていつも見ていられるわけじゃあない。それ に、俺が認識しているのに﹁見えない﹂という事態があるのであれ ばそれも一つの重要な情報アドバンテージである。 そもそも俺がなくても立ちゆく国づくりを目指しているため、そ んな部分で個人の能力に頼った国にするつもりもない。 ﹁あっ、レイルの兄貴。聞いてくだせえ。遠くに厄介なのが!﹂ 俺をレイルの兄貴だの旦那だのと呼ぶのはほとんどが元シンヤの 部下である。農耕か使用人、事務処理などに従事したがる傾向の強 い元奴隷たちに比べると、警備や側付きなどといった国の兵士や個 1583 人に付き従う仕事を好むややゴロツキの名残りのある男たちだ。 その一人││││確か名前はウグイとか言ったか││││が俺に 慌てた様子で報告してきた。 オーガ ﹁ありゃあ大鬼ですよ。しかもかなり大きい﹂ オーガ その名前を聞いてレオンが血相を変えた。 大鬼。それは手練れの冒険者が十人がかりでも倒せるかどうかと 言われる強靭で大柄な肉体による力任せの攻撃を得意とする魔物だ。 人型をしているが、意思疎通が可能だった例が少なく、言葉を使わ ないのでゴブリンなどと同じ魔獣として分類される。 黒々とした肌は生半可な刃物を通さないと言われ、出会いたくな い魔物の一匹だ。 だが、今回ばかりはあまりにも運が悪い。 レオンの言うことが本当だとすれば、ここは現在、世界中から強 力な兵士や冒険者が来ていることになる。王やその関係者を守るた オーガ め、そもそも王が強い場合などここにいるのは歴戦の猛者達である。 大鬼の一匹ぐらい、片付けられなくてどうしようか。 しかし、せっかく来てもらった客人たちに国の防衛を任せるのも 随分と失礼な話ではあるし、景気づけも兼ねて俺と数人、付いてき たい奴で狩るのも悪くはない。 強いことは倒せない理由にはならない。アイラと俺だけでも十分 に圏内である。 ﹁ああ、じゃあ俺が⋮⋮﹂ と空間把握で魔物の位置を確認する。 なるほど、大きい。軽く巨人みたいな体格だ。斬れば傷つけるこ とはできるかもしれないが、殴られればタダではすまない。 1584 と思考を巡らせたところであることに気づく。 ﹁いや、いらないな﹂ 俺は空間把握で確認したまま、わざわざウグイのいる見張りの塔 の上まで登った。 俺が出向くつもりがないことにウグイは慌てて急かした。 ﹁ちょっ、レイルさん。勘弁してくださいよ。こっから人数を投入 あ、もしかしてギリギリまで引きつけて倒すところ するのも大変ですよ。今回は他国の重要人物がうじゃうじゃいるん でしょう? を見世物にでもする気で?﹂ オーガ 違うからな? と、大鬼がこちらへ向かってくるのがわかる。 魔王ぐら 肉眼でかろうじてわかる範囲へ、そしてユナイティアを目前にし たところで俺とウグイは人影を確認した。 ﹁あーあ。手柄はあいつのもんだな﹂ ﹁何をのんきにしてるんですか。あの人一人ですよ? いのバケモンならともかく、人間が一人で対峙できる魔物でもない でしょうに﹂ ﹁あー、大丈夫﹂ オーガ 男を認識した大鬼は目標をユナイティアからその男へと変えた。 遠巻きなので流石に地響きはここまでは聞こえてこないが、波魔 オーガ 法でその音を聴いている俺は魔法をやめようかと思った。 オーガ 男が飛び上がると、一撃で大鬼の首が飛んだ。 何の雑念もない、綺麗な剛剣。 首は弧を描いてぐしゃっと地面に落ちた。大鬼の首から下はしば 1585 らく立ったままで、烏天狗に鍛えられた子に仕えた男の壮絶な最後 を彷彿とさせた。 オーガ ぐらぁっとスローモーションのように体も倒れたところで、男は 大鬼の首を持ち、持っていた武器も拾ってこちらへと来た。 俺が向こうを見ていることに視線だけで気づいたらしい。 ギロリとこちらに向ける目は、かつての涼しげなだけのスカした 目ではなかった。 誰ですか、あの怪物。レイルの兄貴、心当たりがある 少し、好みになったかもな。 ﹁ヒッ! んですかい?﹂ 俺がアイラと共同制作した双眼鏡を片手に顔を引きつらせたウグ イくんの反応は決して大げさなものではない。 よほど地獄をくぐり抜けてきたのだろう。 でなければ、敗北して惨めに放り出された屈辱からこんなにも早 く立ち直って戻ってくるはずがない。 魔王討伐を目論み、かつてアイラを仲間にしたいと決闘をふっか けてきた、やたらと実力だけはある勇者の一人、アランが再び俺た ちの前に姿を現した。 ◇ オーガ 突然、大鬼の首を携えてやってきた高名な勇者の登場に人間側の 1586 王たちは色めきたった。 グラン グローサ 何故かエルフは嫌悪を示し、魔王弟は我関せずと、魔王姉はやや 楽しげに口角を上げた。 ﹁君ともう敵対する気はないよ。だけど君を認めることはないだろ うね﹂ ややガラが悪くなったようだが、その本質に何ら変わりがないこ とを知って落胆した。 ﹁なーんだ。残念。せっかく志とか、誇りとかへし折れたかなーっ て期待したのにさ﹂ 青筋を浮かべるも、それ以上は何も言わないアランはすっかり煽 り甲斐がなくなってしまった。 大人になった、と喜んであげるべきか。いやいや、こいつは友達 でさえないのだから、成長を喜ぶ義務も権利もなかろうというもの だ。 なにやら人が少なくなってきたな。 ◇ 私は片手で刀の調子を確かめた。 目敏い兵士はその様子を見て警戒を強め、さらに腕の立つ用心棒 の冒険者や兵士長などはその動作に殺気がないことを感じて歯牙に も掛けない。 1587 レイルが方々で客人の対応に追われている中、ロウは怪しげな行 動があれば始末するようにと言われていて、アイラは外の監視やレ イルと同じ対応に追われていた。 すると私はしなければならない仕事というものがなく、それこそ レイルへの顔つなぎやシンヤさんの補助に回ることとなっていた。 その客人の中で、人間でありながら異彩を放つ集団がいた。 青と白を基調とした、やたらと線がまっすぐな法衣や修道服に身 を包み、レイルの次に挨拶されることの多い代表者たちだ。 ヒジリア、と呼ばれる宗教国家で、あくまで宗教の聖地にして教 会本部がヒジリアにあるからそこが国となっているだけで、その権 力は他国にさえ及ぶ。 目を離してはいけない相手だとはわかっていても、観察し続ける のは憂鬱になる。 ヒジリアの代表者の中に比較的若い男の子がいた。 見た目だけで言うならば、私たちよりも一つ二つ年下といったと ころかしら。 まだ幼さが残る顔に、私と同じ真っ黒な髪、これといった特徴の ない体格で腰にはやたらと上等な剣を携えている。 あの剣って、レイルのと同じぐらいじゃないかしら。 そんな風に見ていたのがバレたのか、彼は集団の中からするりと 抜け出して私の方へぐんぐんと歩いてきた。 きっと気のせいだ。 他の人が目的に違いない。 そう自分に言い聞かせて、そっと目を逸らしてその場から立ち去 ろうかとも思った。 1588 しかし、何も悪いことをしていないのに避けたとあれば心証は悪 いし、何より失礼だ。 私はそのまま彼を出迎えた。 ・ 結論から言うのならば、彼の目的は私ではなかった。 彼が私に向かって要求したことは、私が失礼だとか思ったことが 馬鹿らしくなるぐらいには無礼で不躾なものだった。 ﹁レイル・グレイと戦いたい!﹂ 先ほどの気遣いを返してほしい。 聞けば彼は、異世界から召喚された勇者らしい。 ヒジリアが自国に伝わる秘術を用いて、勇者たる資質を持った人 間を召喚したのだとか。 ヒジリアによる全面的な援助と訓練でみるみる力をつけていくそ の様は努力してきたその他大勢の凡夫たちを嘲笑うかのような所業 ワイバーン であった。 飛竜を一人で討伐した時など、魔物を倒すたびに流石勇者だと彼 の名声はますます高まったという。 それはもう、面倒くさいことになった。 レイルの気持ちが悲しいほどに痛感できたのと、この子の提案が 私たちにとって不利ではないものの、手間がかかることは確かだっ た。 ﹁それはできないわ﹂ 1589 周りの王や貴族が﹁良いではないか。晩餐会のいい前座になるの では?﹂などとヒジリアのご機嫌取りのために生ぬるい応援をして くれるおかげで無視することが難しくなったのが不愉快ね。 ﹁負けるからか?﹂ ﹁忙しいからよ。あなたと戦う理由もないしね﹂ ﹁ふん。どうだか﹂ レイルの話が本当ならば、レイルの元いたという世界と同じ世界 から、しかもレイルと同じ国から召喚されたはず。 しかしなんというか、全く共通点が感じられないわね。 後ろからは女騎士と聖女と言われるヒジリアの上級職についた貴 族令嬢が駆けつけた。 ﹁流石はカイ様。他の勇者候補を倒して自分が真の勇者だと示すお つもりなのですね﹂ ﹁ほどほどにな。お前の力は規格外なんだから﹂ 聖女はよほどカイと呼ばれた勇者を尊敬して慕っているみたい。 女騎士は窘める役割ってところかしら。 ﹁大丈夫。それに、戦ってみなくちゃ結果なんてわからないだろ?﹂ うわあ⋮⋮凄く嫌な相手ね。 レイルの性格の悪さとは似たような、それでいて違うような。 あれは絶対に勝つ自信があるけど、謙虚ですよーって周りに思っ てもらうための演技だ。 少なくとも実力を隠すためや、相手の方が格上だけど搦め手で倒 そうとかそういう感じの言葉じゃない。 1590 ﹁じゃあこうしましょう。レイルは忙しいからまず私が相手するわ。 もしも私に勝てばレイルに顔つなぎぐらいはしてあげる。レイルが 随分と狡い真似 こす 勝負を受けるかどうかは別だけどね。けど負けたら退いてもらうわ。 それでいいかしら?﹂ ﹁時間稼ぎと俺の実力を測ろうっていう算段? をするんだな﹂ ﹁カイは妙に鋭いよな﹂ ﹁相手の思惑を見抜く目も素晴らしいですわ﹂ 得意げな顔で解説してくれたところ悪いけど全然違うから。 そうか、これがレイルの言っていた﹁勘違い系﹂という奴なのか しら。 そして取り巻きの女性陣も納得しないでほしいのだけど。 ﹁わかっていないわね。私の役目は選別作業。あなたの相手は私で 十分って言っているの。遊んであげるわ﹂ ﹁ねえ⋮⋮本気で言ってるのか?﹂ きゅぅ、と彼の目が細められた。 いいだろう、ならば俺の実力を見せてやろう。 そんな声が聞こえた気がした。 レイルがふざけて提案した施設の中には、闘技場というものがあ る。 私個人の感想としては結構好きな施設だけど、訓練場はともかく 1591 として本当にいるのかどうかとずっと疑問視だったけどこんなとこ ろで役に立つとは思わなかった。 レンガによる石造りの闘技場をレイルはコロシアムと呼んでいて、 ﹁殺しあむ?﹂と聞き違えると、﹁いや、殺し合いはダメだ﹂とそ んなことを言っていた。 ﹁で、ここで戦うのか?﹂ 円形状の何の障害物もない空間で周りの客席を見上げながらカイ くんは言った。 ﹁ええ。この施設の決め事は三つ。一つ、使いたいときは関係者に 申し出ること。これは私の権限でも十分大丈夫。 二つ、この施設の中では殺し合いをしてはならない。あくまで行 われるのは競技としての試合とすること。 三つ、お互い決めた勝利条件さえ守れば、禍根を残さぬこと。つ まりはここでの結果は誰も覆してはならないってことね﹂ あくまで見世物として、あくまで前座として戦うのだ。客席があ った方が良い。 すでに顔つなぎなどや挨拶を終えて余裕のある方々が休憩がてら 観戦に来てくれている。 あ、レイルもいるじゃない。ロウもアイラも観にきてくれている。 無様な姿は見せられないわね。 ﹁勝利条件は相手を行動不能にするか、降参の二文字を言わせるこ とでのみとしよう﹂ ﹁もちろん、魔法だろうが武器だろうが自由に使っていいわ﹂ ﹁後悔するなよ﹂ 1592 言い終わるのと同時に戦闘が始まった。 1593 再び出会う︵後書き︶ 召喚勇者の特徴は何なのか! この話ではスキル的なものは出す予定がないので、あくまで剣と魔 法と知識の範囲内なんですけどね。 結構長めになりました 1594 カグヤの決闘︵前書き︶ カグヤは正統派に剣と魔法のファンタジーな戦いをしてくれるんで、 映像にした時に格好良さそうなんですよね⋮⋮この作品が映像化と かまずないですけどね。 1595 カグヤの決闘 彼はヒジリアを後ろ盾に持つ勇者だ。 それでも神託とか、召喚とか、政治的背景とかそんなものを全て 取っ払ってしまおう。 召喚された勇者は総じて身体能力が高く、技術の吸収も早いのだ とか。 戦いを通じてその噂が本当であったことを理解させられる。 レイルの元いた世界で住んでいた国が、剣も魔法もない平和な国 だったという話を聞いている私だからこそ、驚愕せざるを得ない。 召喚されてから僅か半年で、人間がここまで強くなれるものなの か。 技術はまだ私よりは拙いし、身体能力が高いといえど私の見たて だとアランさんと似たりよったりといったところだ。 しかし半年。 レイルは生前の記憶を活かして、二歳の時から鍛錬を続けてなお、 あの技量だ。そして剣聖に教わり、同じく物心ついた時から刀を持 っていた私でさえもその一歩、二歩先にしか到達していない。 武器を扱う技量と身体能力の合計ならば互角とさえ言える。 これでも私は才能はある方らしいし、同年代の中では強い自負の ある私と互角になれるってことは、あまりに異常な成長速度だ。 どころか、押されて⋮⋮﹂ ただ、一言だけ言うとするならば。 ﹁どうっ、して、倒せない! 1596 互角なのは、技量と身体能力の合計だけならば、ということであ ろうか。 ﹁視線、足の動き、呼吸。何もかも足りてないわ﹂ 拙い。私は心の中で呟いた。技術が、ではない。それは圧倒的な 経験の不足だった。 私だって、壮年の騎士などに比べれば対人戦の経験は酷く少ない。 けれど、量より質が勝り、魔物とも加えればマシにはなるだろう。 ﹁何を思って戦うのかしら﹂ 勝つことが全てだとか思っているのかしら。なんとも空虚な強さ ね。 ﹁くそっ。本気を出さないとダメみたいだな﹂ 彼が懐から出したものに見覚えがある。鈍く光沢を放つ筒に、持 ち手と引き金がついている。 どう見ても銃だ。アイラが作ったものほど大きかったり、ごつか ったりはしないようだけど手軽に撃てそう。 彼は何の迷いもなく引き金をひいた。 対処法は簡単。その筒の向く方向から避けて、弾が飛んでくるの であれば刀で弾く。 撃たれる前に動きたかったが、動いている最中に撃たれてしまっ たのはひとえに距離のせいだ。 両手に二丁持って、交互に私を狙っている。 狙い自体は正確なので、撃たれそうだと思えば弾くか避ければい い。 1597 一気に詰め寄って両方の拳銃を刀で叩き壊した。 ﹁銃なんて物騒なものを。けど、対人戦で剣士相手に出すものじゃ ないわ﹂ ﹁どうしてお前が銃を知っている⋮⋮?!﹂ 完全に銃の特性を知っている動きと、名前を呼んだことで知って いることが知られてしまった。 アイラだけの武器だと思っていたけど、随分簡単に作っちゃうの ね。 無属性とか勇者の恩恵とか、ヒジリアの支援とか考えられること はいろいろあるけど、レイルが見ているのなら後回しでいい。 どうせ銃は壊してしまった。残骸でも回収できればアイラの役に 立つかもしれない。 ﹁奥の手!﹂ 彼の体から魔力が溢れる。 長く魔法の鍛錬を積んだ者は、それだけで魔力の属性がわかると いう。しかし私はそこまで優秀な魔法使いではない。あくまで量だ けを感覚的に掴んだところ、私よりは魔力がぐっと少なく感じた。 ﹁くらえ!﹂ 彼はその掛け声と共に、魔法を発動した。重力でも、衝撃波でも ない何かが私に向かって飛んできた。 こういった手合いには、と風魔法で空気を剣の周りにまとわりつ かせ、回転させる。 そのまま魔力を込めて力いっぱいに振り抜くことで攻撃を防いだ。 1598 ﹁まだだっ!﹂ 詰めの甘さがないだけマトモなのかしらね。 私が攻撃を防いだ隙を狙うのは定石通りすぎて、驚いてあげるこ とさえできなかったけど。 と、彼が飛び上がり、空中を駆ける。 いや、でも﹂ 彼の剣はその姿をグニャリと変化させる。 ﹁波魔法? 彼の剣戟は熱を帯びて炎をまとって私の頭上から降り注いだ。 ﹁波魔法に、炎魔法って⋮⋮﹂ 波魔法は扱いが難しく、私みたいに二属性以上を扱える魔法使い でも波だけ扱えないなんてことはザラだ。 レイルは逆に属性は波しか使えないみたいだけど、空間があるか ら。 そんな波に加えて炎属性を扱えるとなると、私よりも魔法の才能 は上ってことなのかしら。 だとしたら厄介ね。レイルが波だけであれほどできるのだったら 苦戦させられるかもしれない。 どのように対処しようかと思っていたら、彼がこんな周りに聞こ えるかどうかという声で呟いた。 ﹁⋮⋮解除﹂ ぼそりと彼が口にした言葉を聞いて、私は彼の特殊な魔法適性に ついて看破した。 なるほど。これは波と炎なんかよりもずっと特殊で、特別だ。 1599 ・・・・・ というか魔法の属性と呼べるのかさえ怪しい。 ﹁へえ⋮⋮あなた、無属性魔法なんだ﹂ わざわざ属性 私の言葉に彼と観客の中で風属性の魔法で聞き耳を立てていた魔 法使いたちが驚く。 ﹁どうして、こんなに早く見抜かれるんだ⋮⋮! 魔法に近いことをしていたのに!﹂ 動揺のあまりベラベラとこれまでの意図を話してしまう。 すっとぼけるとかいった選択肢はないらしい。 無属性。 そんな属性はどの魔術書にも載ってはいないし、そんなものが人 間の身でできるとは信じられてはいなかった。 人は自分の適性に合わせて体力を魔力に変換する中で、特定の自 然の力を借りやすい形へと変質させている。 その変質の結果こそが属性であり、無属性で運用するなどという 考えに至らない。そしてそんなことができる魔術師もいない。 レイルに様々な異世界の知識と概念を学ぶ中で自然と身につけた 考え方はこうして活かされる。 彼が異世界の人間ならば、レイルの劣化思考として考えればいい のだ。 レイルは自分を元の世界でも普通だなどと信憑性皆無の発言をし ていたが、きっと目の前の彼ぐらいが普通なのだろう。 つまり魔法勝負になれば俺の勝ち ﹁わかったからといってなんなんだよ。無属性が万能なのはさっき までの戦いでわかっただろ? 1600 ってことだよ!﹂ 耳障りな声が頭に響く。 二日酔いでもないのに情けないことね、と冷静さを戻した。 ちょっとわからないからって何を狼狽えることがあるのかしら。 私の周りには何を考えているかわからない奴らばかりだっていう のに。 ﹁いいわ。私の一番得意な刀は収めてあげる。かかってきなさいよ、 どんな手を使ってもいいから﹂ レイルならこんなことはしない。 自分の有利を捨てるなんてありえないからだ。 よしんば剣を収めたとしても、次に抜くときのための隠匿でしか ないだろう。 それは負けフラグだぜ?﹂ 私は違う。心を折るのは戦いだと思っているし、そうあるべきだ と思っている。 ﹁ははっ。いいのか? フラグとはレイルに聞いたことがあったような気もするけど、と にかく相手が怒っているのは間違いない。 圧倒的に相手の土俵で叩き潰そう。 1601 ここからの戦いは魔法合戦となった。 お互い相手を近づけず、自分の得意な魔法を正しい時、場所で打 ち込む。 移動用、防御用、攻撃用に魔法を使い分けて効率良く運用してい く私とは違い、彼は実現したいことを直接魔法として使っているよ うだ。 加速と言えば足が速くなるし、浮遊といえば空に飛び上がる。 でも、正しい知識があれば四属性で十分できるのよね。 確かに無属性は汎用性が高い。それも無属性一つで全ての属性を 使うに等しい。 風魔法で加速はできるし、地属性の重力魔法で浮遊も再現できる。 つまり戦いの感性と魔法の素の実力勝負といったところか。 彼が拳に金槌のようなものを土で作ってまとわりつかせている。 爆発させながら殴ってくるそれを体術と水属性で弾く。 距離をとった瞬間に土でできた槍を回転させながら突っ込んでき た。 回転すると貫通力が上がるのだったかしら。 私は土で彼の足元に垂直に穴を開けた。エルフの里で巨人を倒し た時に使った戦術だ。 彼は慌てて槍を解除して、身体能力に反発を組み合わせて飛び上 がった。 彼が着地する寸前に足元を凍りつかせる。 彼がそれを解除しようとするが、真正面から力押しで発動を成功 させてしまう。 体勢の崩れた彼の目に映るのは。 1602 ﹁炎槍!﹂ 炎の槍を正面に、風魔法で加速しながら飛んでくる私の姿だった のだろう。 ◇ 勝敗が決して、もう見ることはないとぞろぞろと連れ立って出て 行く客人たちと、その対応に追われながらも残るらしいレイルたち が対照的だった。 さすがヒジリアの装備。金属どころか布装備でさえも、あの炎の 槍で焦げ一つついていない。 そして基本の身体能力が高いのと、控えている聖女の時術││と いうと怒られるらしいので治癒魔術による治療で火傷はすっかりと 消えていた。 無属性は万能で、身体能力も鍛えてきたから つまり元通りである。まああくまで表面上、身体的には、だが。 ﹁嘘だ嘘だ嘘だ! 強くなってて、対人戦でも魔物相手でも戦えるって⋮⋮﹂ 彼は敗北を経験したことがなかったのだろうか。それともこの強 さになるまでは経験したけれど、この強さになってからはなかった のだろうか。 どちらにせよ、たった一度の敗北で心が折れるなんて随分と脆弱 な精神だこと。 ﹁君は⋮⋮基本四属性の魔法しか使ってなかった!﹂ 1603 ﹁そうね﹂ ﹁途中から武器さえ使わなかった!﹂ ﹁そうよ﹂ ﹁どうして⋮⋮!﹂ ﹁あのね。十徳ナイフが銃に勝てるの?﹂ 彼は一瞬目を見開き、そして眉間にしわを寄せた。 本来あ ﹁どうして人間が魔法を使うときに属性を帯させると思っているの かしら。効率良く高い出力で魔法を使うためでしょう? なたのその器用さと出力の弱さは後方支援に徹するべき特性。目立 とうと、自分で勝とうと前面に出たことそのものが間違いよ﹂ 彼の魔法は万能ではあれど、最強からは程遠かったということだ。 同じことをしようと思えば属性魔法に威力の面で後塵を拝する。 それは例えるならば、物作りでは勝てても腕相撲で負けるような もの。 根本的に無属性魔法だけで無双するには工夫が全然足りなかった し、素直すぎた。 その場で叶えたいことばかりを叶えただけでは勝てないというこ とだ。 結局私は甘く、そして困った人間を見捨てられない性質なのだろ う。 ロウやレイルが打算と情を天秤にかけられるから、私がそれに従 うことで釣りあっているだけ。 一人で戦えば敵を育ててしまうような助言を与えて、どこかでま た強くなって目の前に現れることを期待してさえいる。 1604 無属性、身体能力、成長補正、銃。 どれ一つとっても育てればレイルやロウ、アイラや私を超える可 能性を秘めた武器。 どう見てもその全てが宝の持ち腐れであるる。 ﹁確かに私は戦闘技術ではレイルにひけは取らないわ。けどね﹂ カイと呼ばれた勇者の肩に手を置く。 ﹁本気の殺し合いになれば、十中八九私が死ぬわ﹂ ちなみに残りの一、二割はレイルが私を生け捕りにしたり心をへ し折る方向で負かした場合だ。 彼はうなだれた。 私はもう興味はないとばかりに壊れた銃を拾って闘技場の中心か ら離れて外に出て行こうとした。 ああ、何か卑劣な手を使ったのかもしれません﹂ ﹁大丈夫ですよ。今回は運が悪かったというか、相手が悪かったん ですよ! ﹁大丈夫。お前は強い。国でも十の指に入る私を何度も降したのだ から﹂ 後ろから周りの聖女や女騎士に慰められている声が聞こえてくる。 アイラやロウだったら何と言うのかしら。 殺していいなら簡単だったのに、かしらね。 1605 カグヤの決闘︵後書き︶ 明日から中間テストなので、ちょっと投稿の頻度が落散るかもしれ ません。 更新停止にはならないので大丈夫です。 感想、ブックマーク、評価していただいている方、いつもありがと うございます。 1606 唐突なる提案︵前書き︶ お待たせしました。えっ?待ってない? 元の更新速度が速いから、多少インターバルがあった方がいいかも なんて思ったことはありますが⋮⋮ いえいえ。中間も模試も終わったので今日からまた遅れを取り戻し ていきますからね 1607 唐突なる提案 カグヤさんかっけえ!と声を大にして叫びたい。 もうね、あれだよ。これこそまさに勇者っていうか、主人公みた いな熱い戦いだった。 魔法と剣を駆使して、相手の人格とか無関係に実力を認める。 俺は絶対にしない戦い方だけど、なんといってもかっこいい。 見ていて楽しい、エンターテイメント性のある戦いだった。 銃弾を生身の戦闘力だけで弾くとかとんでもない奴だな。俺なら 空間把握なしだとできる気がしない。 というか無属性っているんだな。 属性があるなら属性のない人もいるかもとは言ったが、あの属性 を極めれば俺の空間術やロウの時術にも匹敵するんじゃないだろう か。とはあくまでできることの幅についての問題だが。 確かにカグヤの指摘の通りなのだ。無属性であるがゆえに、支援 や補助向きの魔法で、武器と組み合わせるならば威力や簡易さから 考えて属性魔法の方が相性が良い。 巨人を拘束した地属性魔法、落とし穴にカグヤは改良を加えてい た。 ただ穴をあけるだけだと回避されてしまうかもしれないからか、 重力魔法で穴をあける場所に敵を縛り付けたのだ。 穴ができる直前に、相手が膝をついたのがその証拠である。 まあ一瞬だけだったからすぐに違う魔法で飛び出したけどな。 ﹁カグヤちゃん、かっこよかったねー!﹂ 1608 ﹁ま、カグヤだからな﹂ アイラは珍しく興奮気味にしかけてくる。横でロウが得意げだ。 ﹁真面目に戦っても強いんじゃないか﹂ ﹁まあな﹂ アイラの右隣に俺、そして俺の右隣にはアランがいた。 その名声上、他の冒険者と一括りに祭りに放り出すわけにもいか ず、だからといってどこの国にも属しないアランを国の代表が集ま る場所にノーマークにしておくのも嫌だ。 そんなわけで俺たちは渋々アランと観戦などということになって いる。 アイラとこいつの間に割り込んだのはこいつをアイラの隣に置い ておきたくなかったからだ。 アイラとロウが早々に立ち上がり、そのまま試合内容についての 話をしていた。 アイラがロウに魔法を解説し、ロウが剣技についてアイラに解説 していた。 アイラは魔力操作が得意ではないので魔法をほとんど使えないが、 その知識に関してはしっかりと学んでいる。 一方カグヤと稽古し続けていて、高いロウの動体視力から見た戦 いはアイラの視点より一段階上のものを見ていたのだろう。 そして二人に気を遣われたことを悟る。 アランと二人きりになったのだ。 男二人で石の座席に隣同士とか、片方がアランじゃなければむさ 苦しくってかなわない。まあ俺はそこまでむさ苦しくないと信じて る。 1609 アランが面白くなさそうに俺を見ていた。 ﹁僕は君たちと戦って負けた。あれを負けと認めるのは癪だが、目 的を達成できずに君の在り方を変えることもできなかったのだから 負けといって差し支えないだろう﹂ これまで仏頂面でカグヤの戦いを睨んでいたアランがその重い口 を開いた。 試合の熱気も冷めやらぬ中、ここだけがひんやりと乾燥していた。 ﹁幼少期から剣を振り続けたさ。気がついたら周りに敵う者はいな かった。その強さで全てを救おうと勇者になった﹂ アランはもとより本音がダダ漏れだが、今はそのさらに奥底を披 瀝していた。 ﹁強さに溺れぬように、正しくあろうと、時には他の冒険者と組ん で魔物討伐に挑んだこともある﹂ と、アランの過去が語られる。 要約するとこうだ。 アランはまさに典型的な勇者として頑張ったけど、強すぎたりペ ースが合わなくってついてこれる人がいなかったと。 一緒に組みたいといった人の半分ほどは打算目的で近づいてきて、 それがわかるだけに嫌気がさしていた。 アイラと銃器はそういった力不足な部分を補ってくれるし、アイ ラは下心がなく危険を顧みず自分を助けてくれた。 そんな感じであった。 1610 俺よりも強い肉体、剣技、イケメンスマイル。 どれもこれも、努力だけでも才能だけでも身につかない次元にあ る。 俺が魔法抜きに真正面から戦えば確実に負ける。いや、魔法あり でも苦戦するだろう。 搦め手、伏兵、奸計。策を張り巡らせてこそ戦いだ。文句を言わ れる筋合いはないが。 で、そんなアランが不平不満を俺に言ってくる。そう、愚痴とい うやつだ。酒場で絡むような下品さこそないものの、本質的にはあ まり変わらない。 イケメンがすればそんな愚痴でも女を落とす武器になるのかと思 うと、もう一度決闘をしかけてもっとボコボコにしておきたい。十 字架にはりつけにしてパレードとかしよう。 いや、そうじゃなくってだな。 アランは俺に嫉妬というか、八つ当たりをしているのだろうか。 強いことで孤独だったと、自分みたいな人間こそアイラみたいな 仲間がいるのだと。 ﹁正しく、人に誇れる生き方を目指した僕よりも、邪悪に、卑怯に 立ち回った君の方がずっと僕の憧れた位置に、僕よりもいろんなも のを持っている。今日ここにきてそれを見て馬鹿馬鹿しくなったよ﹂ ﹁言っておくが、アラン。俺はお前が嫌いだ。正しさがあると信じ ている部分も、強さで未来を切り開けると妄信してるところもな。 それを考慮に入れて耳半分に聞いてくれればいいんだけどな﹂ アランが随分とアイラを勘違いし、頓珍漢な評価を下しているか ら言わせてもらおう。 1611 アイラはこういう勘違い男に見込まれやすい。 一番にアイラを、アイラの才能を見つけたのは俺だ。 ﹁アイラの中には俺がいる。これは大事な者の中に、って意味じゃ スコーピアン なくって人格的に、だ。アイラがお前を助けたのだって、お前を助 けたいからじゃなくってその方が効率良く楽に巨大蠍を倒せるから だ﹂ ずっとそばにいた。 俺の中にアイラの要素は少ないかもしれないが、少なくともアイ ラは俺に毒されてしまっている。 正しさ などを追い求めるアランからすれば アランが清濁併せ呑んで、利用価値だけでアイラを見るならばそ れはそれで困るが、 我慢ならない性分なのではないだろうか。 少なくとも、意見が食い違ってそのうちにそのコンビは破綻する。 その未来が見えるようだ。 ﹁それにな。俺がアイラを必要としていて、アイラが俺を必要して いる。そこに人格や正しさ、能力が介入する余地なんてあるのか?﹂ お互いに嫌いなのだ。 わかりあう必要はないし、仲良くする理由もない。 俺は言いたいことをいっただけだが、アランはそこに違う意味を 感じとったのか苦虫を噛み潰したようなしかめっ面だ。 ◇ 無属性の召喚者の鼻っ柱をカグヤが気持ち良くへし折ってくれた ところで、そろそろ建国記念祭も本番に移行する。 1612 そう、晩餐会こそが本番である。 慌ただしく料理が運ばれてきて机の上に並べられていく。 それまでの間、お客様の皆様方については各代表に割り当てた個 室でくつろいでもらっている。 仕事をしている元奴隷のユナイティア国民たちを以前と比べて随 分と様になっているな、と感慨深く眺めていた。 どういうことなの!?﹂ すると、両開きの扉を豪快に開け放って一人の女性が現れた。 ﹁ちょっと! 給仕係の少女の一人がオロオロと困っている。準備中のこの部屋 には入ってほしくないが、他国の王侯貴族ともなると、強く出られ ないといったところか。 ならばここは俺が、と立ち上がると、女性は俺の方を見た。そし て探し人を見つけたかのようにつかつかと歩み寄ってくる。何あれ 怖い。 ﹁あなたがレイル・グレイですの?!﹂ 後ろから駆けつけた執事らしき男性が必死でたしなめている。 他国の建国記念パーティーにお呼ばれしてそこの代表者を呼び捨 てにするとは礼儀知らずも甚だしいが、俺はそこまでそれを気にす るわけでもない。むしろ、冒険者や勇者候補として活躍することの 方が多かった分、全然呼び捨てでも構わないのだけど。一応国の威 何か不手際でもございましたか?﹂ 信にも関わるので、そんなことはおくびにも出さないが。 ﹁どうしました? 1613 丁寧語で返しておく。 この人は⋮⋮ってまさかの宰相の一人かよ。名前は確か⋮⋮ウト・ ビロード。生粋の貴族だ。 ﹁あなた、ここで働いている人間のほとんどが奴隷出身だそうね﹂ ﹁ええ。数年前に購入して、奴隷の身分から解放してありますけど ?﹂ ﹁さっきからここを見ていたら、読み書きが可能な人がいたのよ。 私が特別という で、その子を褒めたら当たり前のように、﹃ありがとうございます。 しかし私たちは皆、これぐらいはできますよ? わけではございません﹄って。計算もできるし、暇そうなのを呼び 止めて会話したけど、普通に知識もある﹂ まなじり 信じられないとばかりに眦を吊り上げて詰め寄ってくる。 最低限の知識と教養は与えましたが?﹂ ﹁あなたは奴隷全員に教育をしたっていうのかしら?﹂ ﹁そうですが? ﹁最低限ってねえ。あれは王侯貴族に近い水準の教育よ。あなたの 国では農民や町人にもしていたのかもしれないけど、敬語から仕事 の技術。そして知識まで奴隷に身につけさせるなんて⋮⋮﹂ ﹁奴隷ではなく、元奴隷です。そこのところ、お間違えなきよう。 今の彼らを奴隷扱いするということは我が国への冒涜ですよ? それと、あれを最低限と言い張るということは、幹部、つまりシン ヤにレオナ、ホームレスにアイラ、カグヤ、ロウに私たちは全てに おいて彼らを上回るということです。少なくとも彼らに教えた部分 は私が知る知識で最低限と思った範囲ですからね﹂ 失礼なお嬢様宰相に一言釘を刺す。 ウトさんが目に見えてたじろぐ。 執事は何故かこのタイミングでホッと胸を撫で下ろした。 1614 ﹁し、失礼したわ!﹂ 彼女もおそらく有能なのだろう。 誤解されやすい口調と態度ではあるが、ああしてユナイティアを あいつら 視察していたってところか。いや、それがバレてるなら有能ってわ けじゃないのか? 肝心の技術や知識さえ盗まれなければ別に構わないので、元奴隷 が彼女に答えたのもおそらく一般知識範囲内だろう。あの程度でや たらとびっくりされても困るんだがな。まあきっと元奴隷に、って ところが驚きのポイントだったのだろう。 それに、不審な動きは俺とロウだけで十分に監視できている。 ◇ 晩餐会での挨拶が本当の挨拶というところになろうか。 好き勝手に言ってくれたオークスにグラン、獣人族長陣も皆、礼 儀正しく挨拶してくる。 魔導具のシャンデリアは前世の光とはやや違った情趣を醸し出し ている。 そんな中で、不穏な気配をまとって現れたのが、この王である。 ﹁レイル・グレイどのの武功は遠き我が国にも聞こえております。 1615 いやはや、勇者候補の方の立ち上げた国とはなんとも珍しい。そし てこの種族の多さ。さすがは英雄といったところでしょうか﹂ ﹁本日はこの若輩者の招待を受けていただきお礼申し上げます。ご ゆるりとお楽しみください﹂ ﹁そんなわけにもいかないのですよ。お耳にいれておきたいことが ありましてな﹂ 嫌な予感しかしない。 もしもここが王族の集まるような場所でなければ、ちょっと用事 がとかいって転移で逃げ出したい。 ﹁この場所を我が国に帰属させたいという提案ですよ﹂ 1616 唐突なる提案︵後書き︶ はあ?このおっさん何言ってんの? 1617 逆転 いや、ここの統治を我が国に 楽しくやっていた晩餐会に水を差したおっさんはこの人であった。 ﹁我が国の属国になりませんか? 移すという形になりましょうか﹂ 言葉こそ丁寧なものの、それはもはや命令であった。 ユナイティアの住人、つまりは俺の部下的な扱いにはなるわけだ けど、元奴隷の奴らから怒気が立ち昇る。 カグヤとロウ、アイラたちも随分怒っている。 ここでまさかの冷静さを保っていたのがシンヤとホームレスであ った。 俺の身内だけではない。各国にいる俺の友人たち、つまりは魔王 だとかオークスだとか、エルフたちも苛立っているようだ。 ﹁剣は鍛冶屋。レイル殿は冒険者です。統治を我らに任せることは 悪いことばかりではないと思いますがね﹂ ﹁それを言うなら私は貴族でもあるのですよ。グレイ家の名を持つ 以上は、ね。そうでしょう、父上﹂ ギャクラ国王に付き添ってやってきたジュリアス父上に目をやる。 父上も頷くが、それを相手は一笑にふした。 ﹁そなたが養子だとは知っているのでね。外交権と税、法律などを 任せてもらえば良いのです﹂ なるほど。俺の素性は調べあげてるってわけか。 1618 ﹁それで我が国を占領しようってわけですか? それは⋮⋮随分 な物言いですね。我が国はしっかりと自治権を持った国家です。そ れはギャクラの王が保証してくださっているはずですよ?﹂ 考えろ。この国の地理と、戦力と、相手の地形と、周りの国との 関係を。 考えろ。無限にある選択肢の中に必ずこいつらを打倒する方法が あるはずだ。 俺はある結論に辿り着く。そしてその相手の無様さに笑いを噛み 殺す。 その様子に気がついて、アイラとカグヤ、ロウは自分たちの出番 はないのだと気づいたようだ。 ﹁何をおっしゃる。素直に我が国に降伏して従えばこれまでのよう な生活は保証しますし、何も皆殺しにしようってわけでは。それに、 ギャクラの王にも許可はとってあります﹂ ここでまさかの裏切りか? とレオナがキッと自らの父、ギャクラ国王を睨むと、彼は誤解だ と首を振った。 ﹁以前、この場所の自治権や交渉権がほしいと持ちかけたそこの王 に、ユナイティアは我が国の管轄ではないと言ったのだ。つまり我 が国が保護に乗り出してもおかしいことではあるまい?﹂ なるほど。我が国の管轄ではない=好きにしていい場所と捉えた わけだ。言質とさえ言えない曲解だな。 ﹁もう一度尋ねます。貴国、はユナイティアに戦争を仕掛けた、と 1619 冗談はほどほどになさったほうがよろしいで いうことでよろしいですね?﹂ ﹁我が国が戦争? すな﹂ しかしこのおっさんも勝算もなく俺たちにそんなことを持ちかけ たわけではないのだ。 自信満々に答えた目の前のおっさんの名前はデリドール・モリア ナ。モルデック王国の王である。 そしてモルデック王国は兵の数だけで見るならば決して軍事大国 とは呼べない。それどころかギャクラとさほど変わらないとさえ言 える。 兵の数は少ないが、この国に攻め込むのは実質上不可能とさえ言 われる。歴史上攻め込んで成功したことがないと言われる鉄壁の国 であるのだ。 ﹁我が国には何人たりとも攻めいることはできず、そしてこの場所 を見て確信した。魔道士で編成された軍はないのだろう?﹂ いつの間にか敬語が取れている。 そう、こいつの自信はモルデック王国の立地にこそある。 モルデック王国の城は竜骨山脈の山の一つの頂上にあり、その周 りをぐるりと城壁が取り囲む。そしてそのふもとにある町は山に囲 まれている。 確かに山にあるというのは軍事的には利点なのだが、それだけで ﹁鉄壁﹂の名を冠することができるほど甘くはない。問題はその周 りの山と谷にある。 ギガントバレー 竜骨山脈の名の通り、周りの山々には飛竜の群れが住んでいる。 そして谷には古代巨人族が眠るという巨人の谷があるのだ。 飛竜は優れた飛行能力を持ち、古代巨人は一人でもエルフの集団 に匹敵したのだ。 1620 そんな場所を無闇に軍隊などで進もうとなどすれば、確実にモル デックに到達するその前に軍隊は壊滅するだろう。 もちろん、空間転移や波魔法の気配完全隠蔽が使える俺たちだけ なら行くことは可能だろう。だが俺たちの国は魔物に対する自衛的 戦力こそあるものの、他国と戦争するほどの軍隊はまだない。まし てや。 ペガサス ﹁巨人族を起こさず北回りでなら我が国の天馬部隊であれば、この 国を支配することはたやすかろう?﹂ ペガサス そう、この国が自然の鉄壁要塞を誇る中、どうして他国に攻めい ることができるのか。 その答えがこの国だけが有する天馬部隊、天翔る槍兵の軍隊であ る。その数は約五千である。 これが他の国であれば、魔道士部隊を編成して戦術級の魔法で迎 え撃てば互角にならやりあえる。しかしこの国で空中戦に挑めるの は僅かであり、それで数千もの天馬に乗った槍兵たちとやりあうの は無謀でしかない。 ﹁二千で十分。今年の隊長格は、騎竜を飼いならすことに成功して いてな。騎竜隊長率いる千の天馬を退ける力はないだろう?﹂ 心配そうに周りが見ている。シンヤも怒りこそ見せないものの、 事態の不穏さは理解しており、苦々しく口を歪めている。 しかしこの国が歴史上、防衛戦に負けたことはない。 他の国の代表も迂闊に手を貸すなどとは言えないのだろう。少し 擁護をすれば、天馬部隊が自分たちの国を襲うかもしれない。そん なリスクを負ってまで俺たちを助けるべきだと言うほどの信頼は得 られていないのだろう。 そして、ここで文句を言わなければ、モルデックの言い分を認め 1621 たということになり、俺たちはこの国と戦争を始めることになる。 グランとグローサあたりが前に出ようとしたのを手で制した。 こんなところで魔族と人間の敵対構造を作るわけにはいかない。 ふむ。こちらの兵力はといえば、鎧と剣だけそろえた兵隊が二千 に満たない。 一方、向こうが同じ数だけ天馬部隊を出せば厳しい戦いになる。 俺たち一人で全ての天馬に勝つことは不可能ではないかもしれな い。しかし戦いが終わるころには甚大な被害を出すことになるだろ う。攻め入るのも難しい。 で、それがどうした? ﹁戦争を仕掛けたってことは、あんたの国、滅ぶ覚悟はあるんだよ なあ?﹂ どう出ていいかわからず止まっていた代表たちと、ニヤリと笑う 仲間たちの前でもう一度凄んだ。 どうやって我が国の軍に勝つというのだ きっと今の俺は実に楽しそうな顔をしているに違いない。 ﹁こ、この弱小国が! !﹂ 完全に予想外の応答に、アドリブに弱いモルデック国王は唾を飛 ばしながら俺をなじる。 ﹁周りに飛竜と巨人の堅牢な鎧、ねえ。鎧って意思がないから鎧な んだぜ?﹂ ﹁何を⋮⋮﹂ ﹁俺があんたの国の周りに住む巨人と飛竜を片っ端から攻撃してモ 1622 ルデック王国を襲わせるとしたら﹂ その言葉を聞いてその場のほとんどが絶句した。何人かは額に手 を当てて、﹁またか﹂と目を瞑っている。 リオは何やらはしゃいでいる。レオナが﹁さすがレイル様ですわ !﹂と褒めているのを聞いて、お前化けの皮剥がれてんぞ、と注意 してやりたい。 完全に形勢逆転である。 ﹁そんなことができるはずが⋮⋮!﹂ どうやらギャクラにいたころの俺の情報しか知らないらしい。ま あ俺が空間転移を使う、などとは明言したこともほとんどないし、 ましてや正式に空間転移を使ったのなんて擬神の時ぐらいだ。 空間転移と相対座標固定を利用すれば、空を飛んで飛竜と巨人に ちょっかいをかけて国まで誘導し、そのまま転移で逃げ出すことぐ らいは簡単なのだ。少なくとも千の天馬部隊相手に無双するよりは ずっと現実的だ。 俺は空間を接続して10mほどの距離を一瞬で詰めた。 護衛の騎士達が剣を抜いた瞬間、後ろに回り込んで笑う。 ﹁俺たちならそれができる。それも安全にな。確かに俺たちを無視 すれば、飛竜巨人関係なく俺たちの国を占領できるだろうよ。だけ どさ、それって帰る場所が潰れていても意味ってあるのか?﹂ 背中合わせに尋ねた後、空間転移で一気に離れてとどめをさす。 ﹁で、おたくの軍隊は祖国が巨人と飛竜に蹂躙される中、それを背 後に俺たちの国に攻め入ることができるほど情を捨ててんの?﹂ 1623 万が一、天馬部隊が祖国を守るために!などと奮起して戻ってく れるならば一番美味しい。 だって巨人と飛竜にいくら天馬部隊といえど敵うはずもないのだ から。 そして周りの国々はそこに応援を送ることなどできるはずもない。 それをこそ歴史が証明している。 圧倒的な数の竜と巨人が城壁も山も天馬も関係なく打ち砕き、そ こにあるのはただの破壊工作である。 ﹁そんなこと、許されると⋮⋮﹂ あんた、俺が天馬部隊は反則だからやめてーっ ﹁あーはいはい。聞き飽きた。で、戦争する相手に手段を選んでく ださいってか? て言ったらやめてくれんの?﹂ ﹁ふふっ。出番はないか﹂ グランが笑った。 ダラダラと顔面に滝のような汗をかきながら必死に今の打開策を ひねり出そうとするモルデック国王。 ﹁そうだよ。俺はあんたの国の何の罪もない人々全員を人質にとっ ている﹂ 勝たなくていい。 戦わなくてもいい。 ﹁ま、敵対さえしなければ仲良くやれると思うんだよね﹂ モルデック相手の交渉権はこちらが握ったと言えるだろうか。 1624 逆転︵後書き︶ <世界の生けるものたち> ﹃人に近い種族・古代巨人﹄の項目より抜粋 現在僅かに残る巨人族とは違い、古代の巨人族はその性質を魔物に 近いものとして扱われます。 巨人族の多くはモルデック北の山、その極寒の地にて冬眠状態に入 っています。 しかしその巨躯とは裏腹に敏感な聴覚を持っており、一体も起こさ ずに横を通ることは不可能と言えるでしょう。 持久戦に持ち込めば、数時間で再び冬眠に入りますが、それをすれ ば他の巨人も起こしてしまうので現実的ではありません。 たとえ自信があったとしても、決して挑んではなりません。 ﹃竜族・中位﹄ 飛竜⋮⋮竜族の中では中位。個体での脅威度は下位に属し、コドモ ドラゴンにさえ負けるとはいえ、その脅威は群れでこそ真価を発揮 する。口から軽い火炎を吐くが、直接浴びてもさほど脅威ではない。 だが周りに燃え移ったり、継続的に使われることでじわじわと削っ ていく。 知能が高く、多い場合には数千の群れを作るとさえ言われる。卵の ころから育てると稀に懐き、人を乗せて飛ぶこともできる。竜骨山 脈には縄張りの問題で一つの群れにつき数百の飛竜がいると言われ る。 しかしこの飛竜でさえ中位というのは、上位の竜種の前には数百の 飛竜でさえ無力ということになる。 1625 生物としての格の違いは大きく、飛竜は上位竜種に傷一つつけるこ とさえ敵わないという。 1626 逆転劇のその後で モルデックは山に囲まれているがゆえに、慢性的な食料不足であ る。 古期造山帯の山脈と新規造山帯の山脈が絶妙な配置で囲っていて、 鉱物資源については世界でも一、二を争うのだが、平野がほとんど ないのだ。 今まではその鉱産資源の輸出で得た利益を食料の輸入に費やして いた。 そこに現れたのが、未だ体制の整っていなかったユナイティアだ った。 もともと鉱産資源のほとんどないユナイティア周辺。もしもこれ まで通りであれば、モルデック国も鉱産資源と引き換えに食料を輸 入しようと思っていた。 あまりにも都合が良かったのだ。 モルデックの場所は前世で言うところのロシアに近い。人間の多 いこの大陸の北西にガラス、東部にギャクラとあってその間に位置 する。 つまりは立場が低い上に、ギャクラを通じて交易すれば距離も近 いと貿易相手国としてはこれ以上ない条件であったとか。 なんなら国宝である、持ち運び式簡易次元倉庫⋮⋮アイラのアイ テムボックスの劣化版のようなものを渡してでも食料を運んできて もらおうとさえ思っていたのだとか。 以前レイルたちの元にそんな報告が上がっていた。 あの時はまだ周りに輸出するほど食料生産が安定していなかった 1627 し、アイラのと違って倉庫ほどぐらいにしか入らないような物を貰 って恩をきせられるのは勘弁だとレイルは流したことをうろ覚えで しかなかった。 そして極めつけにプバグフェア鉱山の開拓である。 それによって唯一付け入る隙であった鉱産資源の不足が解消され、 モルデックからすれば交渉の余地がなくなったのだ。 そして王と側近たちは思ったようだ。 ﹁なんだ、随分弱そうな国じゃあないか﹂ ペガサス 兵士の数は少ないし、強いのは数人、それもまだまだガキばかり。 多少コネがあろうと、空中戦で天馬部隊には敵うまい。 そんな風にたかをくくって入念に準備した。 当日、魔王がいたことは計算外であったが、周りに護衛もなく出 グローサ てくるのならば絶好の機会、まとめて叩き潰そうなどとさえ思って いたという。 魔王軍で本当に強いのは魔王姉であり、それをわかっていなかっ たからの愚行であった。 そしてたった一言。 たった一言で戦況はひっくり返されてしまったのだ。 全国民と、その領土の安全を。罪のない善良たる人々を人質にと った脅迫によってデリドール・モリアナはその膝を大衆の前に屈し た。 彼とて好戦的で、どちらかというと気性の荒い王族になるのだが、 そんな彼もレイル・グレイという敵対する者全てを道具としてしか みなさない男の前では交渉の材料でしかなかった。 1628 理不尽な要求、軍事力にものを言わせた脅迫、そして大衆の前で 喧嘩を売られたレイル側が明らかに被害者である。 それでも周囲のレイルをよく知る者たちからはデリドール王への 同情と憐憫の目が向けられた。 ◇ ふー。危なかった危なかった。 一時はどうなることかと。わかりやすい弱点晒してくれてて本当 に助かった。 もしもこの手でやりこめられなかったら、空間把握と空間転移と で連絡手段を破壊して、帰るまでの間に波魔法でロウと協力して暗 殺しなければならないところだった。 さすがにここで他の国に借りをつくるのはよくない。 ガラスあたりなんかは、恩を売って協力をとりつけるためだけに ペガサス 今回の戦争に出兵しかねない。 機動力と制空権に優れる天馬部隊とはいえ、他国から数十人ずつ 魔術師を借りてきて魔術部隊を編成すれば対抗できないこともない。 さすがに一つの国から百人以上の魔法使いを借りるとその国の防 衛が薄くなってそこをモルデックに狙われかねないので、支援とい っても限界はあるだろう。 当然、無理を言って他国から借りてきた魔術師部隊など編成した 日には他の国に頭が上がらなくなって貿易が対等にできたものでは 1629 ない。 今のところ幾つかの国には貸し一状態なのだ。現状維持したいと ころだからな。 次の日。晩餐会さえ終われば後は自由にするようにと言ってある。 俺としてはどこまで現代知識が作用しているかわからないので、 あまりジロジロと見られるのは不安なのだが、本当にヤバイ知識は 奴隷たちにも口にしないように言ってある。 あくまで計算能力と語学力についてはなんら問題ないと言ってあ る。そんなものは一言二言で把握し、応用できるシロモノではない からだ。 微分積分一つとっただけでも、この世界の工学や測量などを覆し かねないのは事実だが。 もちろん自国に仕事を残している人たちも多く、自然にバラバラ に帰っていく。 帰る前の挨拶ではこぞって機転がきくだのなんだのと褒めそやし てくる。褒めるならその顔が引きつるのを隠した方がいいと思う。 ﹁面白いものが見れた﹂ そう言って笑ったのはグランだった。 短時間で思いついた策とはいえ、こちとら必死だったんだから笑 わないでもらいたいものだ。 ﹁ここ快適なの。もうここに住むの﹂ リオは居つく気満々だ。 1630 父親に止められていたけれど、一度ここに来たのなら今度は一人 で来るかもしれない。危ないお嬢様だ。 ◇ とりあえず俺が対処しなければならない用事はほとんどなくなっ た。 カグヤがあの召喚勇者を食い止めてくれたおかげで楽ができた。 ロウ曰く、怪しい行動というほどのことをしている輩はほとんど いなかったらしい。せいぜい偵察だとか、視察だとかで他国の人間 がうろちょろしていただけだったとか。 重要機密は金属製の魔導具である金庫にぶち込んであるため、こ の中で俺の空間把握とロウの目をかいくぐって金庫を破壊し、あま つさえ持ち出すことのできる奴はいなかった。 全ての客が帰った後で、今回得られた情報などについてシンヤと まとめた。 モルデックについてはかなり不利な契約を結ばせた。 運搬はモルデック持ちで、こちらからは余剰分だけを高額で売り つけることにした。 鉱産資源のある山の所有権をせびらなかっただけ優しいもんだ。 ﹁最後までミラちゃん見なかったねー﹂ アイラがそんなことを言った。 建国記念祭よりも前、擬神を倒した直後から姿を見なくなったミ 1631 ラを心配していた。 もっとも、ミラに心配などそれこそ杞憂だ。アランでさえも片手 でひねり潰せそうな彼女は今まで見た中で最も強い存在だ。それで も不必要である、ということと、心配してはならない、とは別では あるが。 ﹁あいつ、冥界で問題が起きたから留守にするとか言ってたぞ﹂ 俺は中央に花瓶の置かれた机に肘をついて椅子に座った。アイラ は俺の正面に座り、腕輪の中身を整理しながらその花瓶を眺めてい る。 ﹁ミラちゃんがわざわざ戻ってしばらく来ないって言うぐらいって ことは大変なのかな?﹂ ﹁だろうな。冥界での問題ごとなんて首を突っ込みたくないし、想 像もつかないけどな﹂ 花瓶を通して見つめあった視線を逸らし、ふと遠くの空を眺めた。 空の下には山が広がり、今も緑が覆っている。 緑は目に優しいんだったか。黒板も最初は黒だったのを緑に変え たとか聞いた覚えがあるな。 そんなトリビアを思い出していた。 ﹁レイルはここにいるの?﹂ 扉が軽くノックされた。 この声はサーシャさんである。 ﹁どうぞ﹂ 1632 許可と共に扉が開けられた。 ﹁すいませんね。わざわざ隠れてもらって﹂ ﹁仕方ないわ。私の中に悪魔がいるんでしょう。以前話してくれた 決闘の時の人は黙ってくれていても、ヒジリアが大々的に見つけて しまえばこれ幸いとあなたを糾弾するでしょうし﹂ 悪魔というものを正確に知る者は少ない。それはつまり、歴史上 の魔女裁判のようにこれといった無罪判決が出る方法がないのだ。 悪魔を見たというのがヒジリアであれば処刑を申し立ててくること は想像に難くない。 俺は好きなように行動するが、それは無用なリスクを冒して敵対 することがわかっているのに敵対するようにし向けて返り討ちにす ることを楽しむというわけではない。 避けられるなら避けるべきなのだ。 サーシャさんには建国記念祭の間、ヒジリアにだけは見つからな いようにと変装してもらっていた。 口元を覆うマスクを煩わしそうに外しているのを見ると、建国記 念祭の間ユナイティアを離れるのとどちらがいいか今でもわからな い。 ﹁もうそろそろかな。アークディア!﹂ サーシャさんのリハビリが終わったかどうか経過を聞こうとその 名を叫んだ。 俺の胸にある紫の魔法陣と、サーシャさんの前に浮かんだ魔法陣 が共鳴した。 これは厳密には魔法ではなく、魂術と結界術、空間術の混成儀式 の一つである。 1633 転移門と似て非なる禍々しさのある穴が現れ、そこからアークデ ィアが姿を見せた。 ﹁お待たせしました、我が君﹂ 相も変わらずの仰々しさである。 燕尾服に黒い髪、整った目鼻立ちはパッと見た外見だけでは悪魔 とはわからない。鋭い者が見れば人ならざる存在であることは一発 だが。 ﹁もうこの魂は大丈夫でしょう。それどころか、私が中にいたこと でつられて感覚が鋭敏になっている可能性があります﹂ それを聞いてサーシャさんが納得したように。 ﹁ああ、だから魔法の調子が良かったのね﹂ トロルの里でそんなことを言っていたような。 ﹁一度掴んだコツはなかなか忘れません。おそらくあなたの魔法は 一段階先に進んだかと﹂ 自転車に乗るみたいなものか。 アークディアは現世にとどまっても大丈夫なのかと聞くと、問題 がないと返ってきたのでそのままこちらに顕現してもらっておくこ とにした。 アークディア自身、何やら嫌な予感がするので、俺の中に戻る分 にはいいが、冥界に戻るのは控えておきたい、と言っていた。 1634 さあ、後片付けでも頼もうか。 1635 逆転劇のその後で︵後書き︶ 同時進行で掲載していたエッセイ﹁小説家になろうを味わう﹂が完 結しました。 エッセイの日間から四半期ぐらいまでのランキング四位から下位を うろちょろしています。 もしよろしければそちらもどうぞ。 1636 護衛依頼 俺たち四人には屋敷が与えられている。俺たちに与えられたのは、 当然のごとくユナイティアで最も大きな屋敷だった。部屋が四つあ って、それぞれに個室が与えられている。 しかし自分の個室で一人でいる時間は圧倒的に少ない。寝る時で さえ、同じ部屋で寝ることがあり、総合すれば誰かといる時間の方 が圧倒的に多い。 今日も今日とて、アイラは俺の部屋でくつろいでいた。 そんなアイラが珍しく楽しげであった。 何があったのかと聞いてみると、銀色の腕輪を指し示した。 ﹁キノさんがね、この腕輪の新機能を教えてくれたの﹂ 装飾は綺麗であるが、やや無骨なそれはゲームなどで言うところ のアイテムボックスである。今でさえもその機能を知れば各国が目 の色を変えて飛びつきそうなそれは、アイラも俺もまだ子供だった ころにもらったものだ。 中には大量の食料、水、薬、毒などの消費物や金属や魔物の素材 そ などといった材料、そして換金可能な宝石や金そのものなどと、倉 庫と財布を合わせたようなラインナップとなっている。 ﹁前にレイルくんに簡易使用許可みたいなの出したでしょ? れの上位互換みたいな機能があるんだって。権限の一部を四桁の数 字と指紋認証で譲渡できるんだって。そのためのちっちゃい腕輪が これ﹂ 1637 そういうと、アイラの腕輪よりも細い腕輪を取り出した。 十個ぐらいあるので、俺に一つ、カグヤとロウにも渡すつもりら しい。 ﹁みんなには私とほぼ同じぐらい渡しておくね。正確には中のもの 中 全部の出し入れが自由。体積指定で貸すこともできるんだって﹂ ﹁ああ。じゃあシンヤに倉庫十個分ぐらい貸しておけるか? には穀物とか金とか保管物を入れておけばいいから﹂ ﹁わかった﹂ ますます万能化してやがる。 待てよ。これを使えば遠距離で物体のやりとりができるんじゃな いか? 例えば部下二人に同じ空間を移譲して、片方が入れたらもう片方 が取り出せるようにしたら。 だから嬉しそうに持ち物整理をしていたわけか。 アイラが顔を上げた。 ﹁あっ﹂ 屋敷の呼び鈴が鳴った。 今現在、屋敷にいるのは俺とアイラなので、必然的に出るのは俺 となる。 俺たちを訪ねたのは、先日にユナイティアを旅立ったローマニア 1638 代表一行であった。 ローマニア。どこかが非常に豊かというわけではないが、現在は 比較的安定している国だという。ガラスの南東、ユナイティアの遥 か西にある小さな国だ。小さな、とはいえユナイティアよりは大き い。 ﹁どうかされましたか?﹂ 恰幅の良い王は王冠というよりは帽子のようなものをつけていて、 袖にはひだがある。 隣に妻と控える二人の従者、後ろには十人ほどの兵士が直立して いた。 ﹁いやはや。ここをしばらく行った先の道が塞がっていましてな。 その場合遠回りをせねばならなくなりまして⋮⋮﹂ 横で聞いていたアイラが口を挟んだ。 ﹁それってプバグフェア鉱山の横の道じゃない?﹂ ﹁ああ、あそこか﹂ ゲート おそらくローマニアの近くの転移門と繋がる場所を思い出してい たのだろう。 アイラに先を越されて、俺もその場所に思い至る。 ローマニア国王、ハル・アラシードは肯定の意を示した。 もしよろしければ、護衛を頼んでも、と思 ﹁レイル様はここの統治者であると同時に、冒険者で、勇者候補で もあるのでしょう? いましてな。アラシード五世の名において、指名依頼という形にさ 1639 せていただこうかと﹂ 側近の一人が丁寧な物腰で俺に頼んできた。 プバグフェア鉱山周辺の魔物ならば、それこそバジリスクでも出 ない限りは楽勝である。さほど問題はないと思える。 ﹁もちろん、勇者候補であると同時に、ここの代表でもあるレイル 殿には十分に断る権利があります﹂ ゲート ﹁いや、受けましょう。確認します。護衛、でよろしいのですね? 転移門⋮⋮いや、国までですか。そこに到着するまでの身の安 全を保証すれば﹂ ﹁ええ﹂ 不自然な提案ではある。 しかし、何かしらの思惑があるならそれごと叩き潰して利用すれ ばいい。 ただ、試すような目つきだけは気に入らないが、俺は俺を利用し ようとする相手には寛容なのだ。 ◇ カグヤ、ロウ、俺にアイラ。 このメンバーは不動の四人で、それこそいつ抜けても構わないよ 1640 うにユナイティアはできている。 俺たちは学校で馬術の授業をとっていないので、馬車に並走する か中で寛ぐことになる。 前世の車を知る俺からすると、寛ぐという言葉からは程遠い。 とはいえ、馬車の速度は歩く速さより少し速いぐらいから、走る 速度ぐらいである。 そんなものに並走し続けるのもどうかということで、護衛用の馬 車と、王族用の馬車とに分かれて移動するのだ。前方を護衛馬車が 行き、その後方を王用の馬車がついて行く形になる。 護衛用。つまりは俺たち四人以外にも、兵士と側付きの人が同じ 馬車にいるということでもある。 御者を入れて十人。つまりは何人かの騎士が交代で外を歩いてい る。 馬車と外を歩く騎士には魔導具が渡されており、さほど支障はな いようだ。 ロウとカグヤは目を瞑っている。眠っているわけではなく、耳に 神経を集中させているのだ。 俺は音に関する部分は二人に任せて、空間把握でのみ護衛を行っ ていられた。周囲500mほどに敵がいないかだけを探知している。 ﹁噂はかねがねお聞きしております﹂ 目の前にいた側付きの女騎士がそんなことを言った。金髪のおさ げが肩より少し下まで届いている。立派な鎧をつけていて、先ほど まで王の側にいた騎士のようだ。 突然のことに、それが俺のことだとかわかるまでにコンマ数秒が かかった。 ﹁噂だなんて。あまりよろしいものでもないだろうに﹂ 1641 俺は自虐的に笑って言った。 近くにいる魔物を空間転移と空喰らいで蹴散らす。 ﹁いえ、ご武功の数々。数多の種族との交遊に、先ほどからの受け 答えから見せる智謀、あの場所を取り仕切るだけの手腕までとは。 天は二物を与えずとは貴方には通じないのでしょう。私などまだま だ若輩者で、他の隊長などに比べればまだまだ弱いです﹂ なるほど。至極真面目でお堅い人間であるらしい。言葉遣いから 感じられる堅物具合から察するに、おそらくここは居心地が悪かろ う。 ﹁そんな。敬語なんて使わなくても。今は依頼者と冒険者。気楽に、 な。それに⋮⋮謙遜すんなよ﹂ ﹁鎧をつけているってことと、ここにいるってことは王族じゃあな い。だが単純な腕っ節ではそこらの兵士からずば抜けているわけで もない。それでもあんたの地位は随分高いように見えたぞ。少なく とも今、王族用の馬車に乗せられている側近の奴よりは、な﹂ 単純な観察の結果からくる推測をベラベラと続ける。 ﹁ならあんたは違うところで活躍していると見るべきだ。俺と一緒 に乗せられたところと、その性格から察するに⋮⋮軍を率いる統率 型の勇者候補じゃねえのか?﹂ 彼女は驚いたように目を見開く。 そしてその目が細められたかと思うと、諦めたようにため息をつ いた。 1642 ﹁⋮⋮ええ。申し遅れました。私、ジェンヌ・バラドと言います。 ローマニアにて勇者候補の一人に名を連ねさせていただいておりま す﹂ それからジェンヌはぽそぽそと勇者候補になった経緯などを話し た。 非道な父親の汚名を返上するがためにやってきたことや、大した 実力もないのに祭り上げられる不安、それでも今の地位で頑張ろう と思っていることなど。 そしてあの王が俺を護衛につけてジェンヌと同席させた理由の一 つが解けた。 彼女の重荷が取りのぞけるのは、同じ勇者候補である俺がいいと 思ったのだろう。 そんな時、ガタンと馬車が大きく揺れた。急停止したようだ。 俺の膝をまくらに寝ていたアイラが起きて銃を取り出した。 ﹁何があった!﹂ 御者の男に尋ねた。それと同時に空間把握を500mから100 0mにまで広げる。 元の圏内よりも少し離れたところに数人の人間がいたのだ。 ﹁わかりません。ただ、前方に人が立ち塞がっています﹂ 冷静すぎる兵士を不穏に思いながらも、空間把握でその正体を探 りつつ外に出た。 確かに六人ほどの人がいる。どいつもこいつも全身を鎧に包み、 立派な剣を構えている。いや、一人だけ随分と違った服装の奴がい 1643 る。 銀色の長い髪と白い薄い服を重ねた格好が見事なアンバランスさ を際立たせており、琥珀色の瞳がこちらを強烈な意思の元に睨んで いる。 水色の装飾品と、手に持っているのは黒い長い杖からなんとなく ではあるがどんな戦闘スタイルかはわかる。 彼女の口が小さく開く。凛とした声がこちらまで届くのは魔法を 併用しているのか。 ﹁レイル・グレイ。あなたを危険人物として討伐しにきました﹂ ヒジリアの差し金だろうか。 1644 護衛依頼︵後書き︶ 同時掲載していた﹁小説家になろうを味わう﹂は完結しております。 ジャンル別ランキングエッセイ部門にて、日間、週間、月間に載っ ているのでよろしければそちらもどうぞ︵宣伝︶ 1645 聖女の襲撃︵前書き︶ 聖女の過去回想のせいで、やたらと長くなって戦闘が一回で終わり ませんでしたね。 1646 聖女の襲撃 レイルを襲った聖女の名はセティエという。父親がヒジリアの司 祭で、貴族である。そして母親が妾、つまりは彼女自身は妾腹であ る。 妾腹ということで、第三者からの扱いや身分としては立場が低か った。父親に出会ったのは七歳の時のことであった。 セティエの母親は少しおかしな人間であった。彼女が生きていけ たのは幸運と、境遇と、そしてほんの少しの生への執着のおかげで あった。 ここまではどこまでもありふれた悲劇であった。 彼女がその人格を歪ませたのは、皮肉にも不幸ではなく幸福の部 分であった。 彼女の父親は彼女を決してぞんざいには扱わなかった。自分の子 供の一人として愛情を注ぎ、慈しみ育てた。 病弱であった母親が死んでからその母親の面影を求めるようにま すます父親は彼女を溺愛した。 いつしか彼女はその心の在り方から時術と結界術の才能を開花さ せた。 彼女の世界は一変した。時術も結界術も使い手は希少であり、そ れらが使えることを信心の象徴のように考える風潮がヒジリアには あったからだ。 しかし彼女は頑なにその心を開こうとはしなかった。 確かに誰にでも優しく、慈愛を持って接し、微笑みかけるだけな らば完璧だった。 だが心のどこかで一線を引いて、見えない壁で自分の周囲を覆っ ていた。 1647 彼女の適性である時術で彼女の時間だけが止まっているかのよう に。 彼女の結界術で彼女の周りだけ結界があるかのように。 そんな壁を壊した二人目の人間がカイであった。 ヒジリアで空間術、魂魄術、時間術、結界術の複合古代儀式であ る召喚の儀を行って出てきたのは冴えない少年であった。 決して逞しいとは言えない体躯、黒髪黒目にやや幼さの残る顔立 ちの彼は何のしがらみもなくセティエに手を差し伸べた。 セティエは自分が聖女であることを自覚し、そして感謝した。 いるのが当たり前になっていた父親とは違い、初めて失う可能性 のある色づいた存在を認識したのだ。 そして父親さえもがいつかはいなくなることを恐れた。 初めて神を信じ、祈った。 二人の役に立ちたい。 その願いは決して対立するものではなかったが、綺麗なままで両 立させるにはあまりに複雑で困難なものであった。 そして迷った。 大切な人のために何かしたい。 邪魔者は排除したい。 父が望むヒジリアの安寧を。 カイが望む世界の平和を。 全てを手に入れるには無力であった。 ならば。 1648 どれかを選ぶか、合理性を求めなければならないのならば。 切り替えればいいのだ。 自分と自分を切り離し、分断し、区別し、切り替えればきっと助 けられる。 大丈夫だ。人を助けたいと思う自分も、邪魔者を消したいと思う 自分。どちらも同じ判断を下していて、それを実行する人格と止め る人格があればいいのだ。 そうして彼女は分裂した。 レイル・グレイは危険だ。 前々から武勇伝を聞いていた。 大型の魔物を軽々と狩ってくる少年であるとか。深い智謀と先見 の才で国を救ったとか。母国では幾つかの発明品を生み出し巨万の 富を隠し持つだとか。魔族と人間の友好の架け橋であるとか。 そして同時に劣悪な人間だという噂も聞いていた。 打算と欲望に満ちており、平気で人を救ったり救わなかったりす るだとか、周囲には少女を侍らしているなどと。人を傷つけること を喜ぶとか、他の勇者候補を潰しているなどという噂もあった。 彼女がはっきりとレイルが危険であると認識したのはユナイティ アでの行動を見ていてだ。 勇者候補と名乗りながら、卑怯な手口で敵を滅ぼし自分のことし か考えていない勇者候補。あまつさえ、魔王と親しくしていたのだ。 レイルのことをセティエはそんな風に思っていた。 そして排除しようと決意したのはカイがカグヤに敗北してからだ。 ︵ヒジリアにも、ひいてはお父様にも、そしてカイ様にも有害でし かありません。最強の勇者はカイ様だけです。魔族は敵です。親し くなんてしなくていいのです︶ 1649 そしてカイに﹁することがある﹂とだけ告げて先に帰ってもらっ た。 ユナイティアから離れ、お得意の権力も口も通じない状況下で叩 き潰すために。 偶然にも足手まといを抱えていたので、成功率は跳ね上がったと 喜んでいた。 セティエに、いや聖女に個人的な忠誠を誓う聖騎士六人がセティ エに付き従っている。 ﹁レイル・グレイ。あなたを危険人物として討伐しにきました﹂ こうして今に至る。 もっともレイルはそういった敵の過去には興味が無い。 彼女が泣いて命乞いをすれば嬉々として奴隷化したり、ヒジリア の脅迫材料にしようとするのが彼である。 故に物語にもレイルにも何の関係のない話であった。 ◇ 俺が戦っている間に馬車を人質に取られるのも嫌だし、魔物に襲 われても面白くない。 ローマニアの騎士には悪いが、彼らは戦力として数えない方がい いだろう。向こうが揃えてきたのは聖騎士。波属性の光魔法で剣戟 を強化した集団だ。俺のが聖剣だからこそまともに打ちあえる自信 1650 があるが、普通の剣で戦えばすぐに折られる可能性がある。丈夫な だけの聖剣万歳。それに空間魔法は本来一人か軍団向きなのだ。 魔物の集団に強いカグヤとアイラ、そして騎士との対人戦よりも こういう時を狙ってくる奴の方が得意なロウを残して一人馬車の外 に出た。 俺は前方に立ちはだかる聖女様に見覚えがあった。 カグヤと戦ったカイとかいう同郷人の付き添いでいた人だったと 思う。 少し自信がないのは、その雰囲気がまるで違ったからだ。 まあ誰もが仮面を被って生きることが当たり前であるから、多少 豹変したところで驚くことでもないか。 ﹁これはこれは。ヒジリアのセティエさんでは?﹂ 俺は招待した人間とその関係者の名前はだいたい覚えている。 それこそ兵士みたいに名簿云々がない人間でもなければ、つまり は聖女なんて称号にある女性を覚えていないわけがないのだ。 ちなみにヒジリアでは聖女というのは称号であると同時に階位や 職業として成立している。 聖女という役職は儀礼行事か勇者などの重要人物の付き添いなど に起用される特殊な術式の使い手の女性全般を指す。 全般、とはいえそこまで人数が多いわけでもなく、本当に称号と して与えられるのは二、三人ほどしかいないのだとか。 ﹁いえ。それは私の双子の姉でしょう。今の私はレティエ。セティ エとは違います。姉ほど生易しくはないので﹂ 底冷えのするような目で言った。 まるで俺を虫けらや家畜のように見ている。 1651 一部に需要がありそうだが、俺はどうにも思わない。 いや、問題はそこではない。 今回のヒジリアの訪問者の中には聖女は一人しかいなかったし、 レティエなどという名前もなかった。 つまり彼女はセティエで、それをしらを切っているか⋮⋮そうか、 そういうことか。 ﹁二重人格、か﹂ 俺の推測は当たっていたようで、﹁そうですね。肉体は同じです﹂ と返した。自覚はあるんだな。記憶は共有していても、行動だけが 異なるというわけか。 ・・ ・・・・・ しかし判断基準もブレてはいないようだ。 つまり性格よりは行動の結果を切り替えているのか。 あの時見た聖女様とやらは虫も殺さないような人間に見えたし、 そういう人間として認識されていた。 しかし解離性同一性障害や多重人格障害なんて、ストレスのかか る過酷な環境下でなるって聞いたことがある気がするんだがな。 今やヒジリア最高の聖女などと名高い彼女が、どんな悲惨な人生 を送ってきたんだか。 まあ、どうでもいいことか。 ﹁へえ。ヒジリアは俺を神敵認定でもしたのかな?﹂ ﹁いえ。これは私の独断です﹂ さすがにここで言質がとれるほど馬鹿じゃないか。 それに彼女は﹁合理性﹂を求めた人格みたいだし、おそらく俺の 言葉に耳など貸さないだろう。 そしてこうもべらべらと喋るということは、ここにいる関係者全 1652 員をまとめて殺す気なのだろう。 ﹁そいつらがあんたの飼い犬?﹂ セティ⋮⋮いやレティエを挑発するつもりだったが、のったのは 飼い犬と言われた聖騎士たちであった。 それをよりによって飼い犬とは!﹂ ﹁我々はセティエ様であろうとレティエ様であろうと関係なく付き 従うと決めた彼女の騎士だ! どっちでもいい。もうこいつらは敵でしかないのだ。 俺は聖騎士が激昂した瞬間に不意打ちで聖女の後ろに回り込み、 首を刎ねようとした。 しかし空間転移が阻害され、大きく弾き飛ばされた。 足で踏ん張ったせいで、草原がえぐれて土肌が露出した。 ﹁厄介だな﹂ おそらくは結界術だろう。 対物理と対魔術を両方組んでいる。 見れば聖女を囲むように聖騎士が配置して剣を縦に持っている。 そうか、あれが媒体になって強化しているのか。 ﹁あなたは私を攻撃できない﹂ だが、と後に続いたのは魔法の攻撃であった。 聖騎士たちがその剣を構えると、光が剣身となって伸びて俺の元 まで届こうとした。 しかし伸びようが光だろうが直線が横からくるのに逃げられない わけはない。 1653 だが避ければ後ろを巻き込むだろうから、しょうがなく正面から 真面目に取り組んで解体した。 たかが光だ。 アイラに借り受けた腕輪の権限を利用し、アイテムボックスから 鏡を出した。 襲いくる光の剣を鏡と波魔法でちょいちょいと弄くれば空気に散 乱して消える。 剣を空間転移させて攻撃を試みるも、ガンガンと激しい音がする ばかりで結界に綻びがでる気配はない。 そう。空間術は応用幅が広い分、弱点もあれば、威力も足りない と言われる。 もちろん一定以下の生物に対してはこれより強い武器はない。 それを説明するには魔法や魔力の説明からすることになる。 本来の魔力というのは体力を変換したエネルギーであり、その量 自体はごく僅かだ。 それでも個人によって魔法の威力に大きく差が出るのは、魔力が 貯蓄できるという性質にある。 魔力の扱いに長け、そして存在としての格が高い生物というのは その身にゆっくりと魔力を貯めることができるのだ。 そういう相手は魔法や術式で干渉することが難しくなり、結果と してバジリスクのように空間術が効かないなどということもある。 そして今回などは本当にやりにくい。 こうした開かれた空間で、結界をガチガチに固められると単なる 消耗戦になりかねない。 今も結界の向こうからは俺を狙い撃ちできるが、俺の攻撃は相手 1654 に届かない。 空間把握と波魔法のおかげで、先ほどから乱舞する魔法の雨嵐を なんとか防げてはいるが。 なんともやりにくい相手だし、相手もその勝算をもって俺を襲撃 したのだろう。 アイラの波状弾幕で消耗戦で戦うのも悪くはないが、それまで持 ち堪えるのも大変だ。 先ほどから波魔法で音や光といった防ぎにくい魔法で攻撃してい るが、魔力で干渉を受けたものは何であろうと通さないらしい。 ﹁大丈夫ー!?﹂ ﹁もし大変だったら誰か応援に寄越すわよ!﹂ ﹁まあ俺がいなくてもなんとかなるだろ﹂ 三人が心配の声援をかけてくれた。 ﹁うーん。どうしようか﹂ 波魔法で防ぐのがめんどくさくなってデフォルトで反射に設定し た。 どこぞのベクトル操作みたいだなんて浪漫溢れることを思いなが らの行動は攻めあぐねている敵方にも苛立ちを与えた。 ﹁我ら六人が揃って倒せないとは﹂ ﹁本当。悪魔じみた強さね﹂ いやいや。窮地に追い込まれているのは俺の方ですし。 何を被害者がこれから覚醒しますの前フリみたいなことを言って 1655 いるのやら。 俺は手に魔力を集めて、後ろに待つ仲間たちを確認した。 そして高らかに宣言したのだ。 ﹁退却しよっかな。転移!﹂ なんだと!?などと慌て騒ぐ彼らを無視して、俺は唐突に彼らの 目の前から姿を消した。 1656 聖女の襲撃︵後書き︶ やはり相手がやたらと強いですね。 負けることはなくとも、まともに勝てないこともあるのですよ。 1657 聖女の敗北 俺と後ろの馬車は姿を消した。 すると聖騎士たちは装備を解いて、聖女は聖騎士を囲んでいた結 界の解除を行った。 ﹁逃げられ⋮⋮ましたか﹂ 聖騎士の中の代表格が悔しげに呟いた。 聖騎士の一人がガチャガチャと音をたてて荷物の中から水を出し てレティエを労う。 ﹁いいのです。私たちの力が通じることがわかりました。予告なし に相手が卑怯な手段を使う暇さえ与えずに戦えばきっと次は勝てま す﹂ レティエはレティエからセティエに戻り、途端に雰囲気が柔らか くなった。 優しげな微笑みで聖騎士を労わり、それにつられるように聖騎士 たちも微笑み返す。なんとも爽やかな光景だ。人を襲った後の会話 でなければの話だが。 ﹁それにしても、結界術で守っていなければなんと手強い相手だっ たでしょうか﹂ 剣技、魔法共にヒジリアの上級聖騎士としての自負があっただけ に、口だけの卑怯な勇者候補と言われる青年一人に遅れをとったこ とが悔しいらしい。 1658 ﹁ふう。ちょっと疲れましたね﹂ 額の汗を拭うと、聖騎士の一人に支えられる。 結界を張り続けるということはそれだけ術者にとっての負担なの だ。 ましてや全方位からくる光と音と剣戟全てを物理と魔法の二重結 界で防ぎ続けたのだ。 彼女が一流の結界術師であることは間違いない。 レティエ ﹁妹は眠っちゃったみたいですね﹂ レティエとセティエは限りなく近い判断をくだす。 セティエはどうやらカイのために献身を。レティエはカイとセテ ィエとそしてまだ誰かいるようだが、とにかくセティエの願いを叶 えるために手段を選ばない。 自分が自分でない時の記憶を一部引継ぎ、しかし交流できないと いうのはなんとも奇妙な共存関係のようだ。 そして二重人格で後から生まれたレティエを形だけ妹と呼んでい るようだ。 どうして俺がそんなことを横でのうのうと説明できるか、だって? そんなの。 俺がまだここにいるからに決まっているじゃないか。 1659 ﹁きゃあっ!!﹂ 俺は先ほどまで張られていた範囲結界が解かれたのを確認してか ら一直線に背後からセティエを狙ったつもりであった。 しかし大きな誤算があった。 セティエは結界を完全には解除していなかったのだ。 個人用の簡易結界。それも彼女の表面に薄く張るだけの結界が俺 の剣を防いだ。 しまった。これはマズイ。 俺たちは空間転移で消えたと見せかけて、光の魔法でその場から 姿を消しただけだ。 もちろんフェイクで転移と叫んだが、馬車も仲間も皆ここにいた ままである。 結界術を使う敵には結界が解かれた瞬間を狙う。 あまりにも当たり前の行動に出ただけなのだが、当然のように対 策はされていたらしい。 俺は慌てて転移で距離をとって、聖騎士の剣の範囲から逃れた。 セティエはまだレティエになれないらしいが、それでも勇者パー ティーの経験の賜物かすぐに範囲結界を張り直した。張りなおされ てしまったのだ。 俺は光の魔法で馬車と仲間の姿を隠したまま思考に移った。 もっと準備をして、じわじわと周囲を人質にとったりしながらい たぶれば良かったか。 後悔先に立たず。個人用結界なんてなかったかもしれないじゃな いか。 1660 それにあまりのんびりとしていれば、聖女を狙っているとか大義 名分をつけて戦力増強されかねない。 大丈夫。まだ逆転できるはずだ。 冷静に、落ち着いて、今の状況を確認しよう。 とりあえず今の戦法は使えない。そして今逃げたらやけになって どんな方法を使ってくるかわからない。ここで倒してしまいたい。 まずは戦力。後ろのローマニア国の奴らはカウントしない。なら ば出せるのはカグヤ、ロウ、アイラだ。 消耗戦に持ちこむのならば、三人同時投入ということになるか。 そして地形。気候は晴れだ。波魔法の雷は使いにくいな。周囲は 草原で囲まれており、ところどころ岩が露出している。少し離れた ところに巨大な岩山がある。エアーズロックとまではいかないが、 かなり大きい。 なんだ。あるじゃないか。 こんな原始的で力任せの戦いで良かったのだ。 大丈夫。今度は成功する。 無敵の人間など存在しないのだ。 ﹁観念しましたか?﹂ セティエは剣をおさめて近寄った俺にそう尋ねるが、決してそう 思っているわけではなさそうだ。 剣をおさめたのはあれだ。空喰らいは波魔法と相性が良いから引 きずられるんだ。空間魔法を高い出力で出すなら無い方がすんなり いくだろう。 聖剣や魔剣の中には意思を持つものもあるというが、こいつに意 思があるならきっと拗ねているだろう。 1661 意思がないのが寂しいような、ありがたいような。 ﹁何をしてくるかわからん。結界から出るなよ!﹂ 聖騎士の言うことは正しい。正しいからといってどうにかなるわ けではないが。 というかこいつら全体が正しすぎるのだ。 戦闘をつきつめれば二択。相手の力を奪うか、一撃で命を刈り取 るか、だ。 その一つとして、相手の攻撃が届かない安全地帯から攻撃し続け るというのはあまりにも正しい。 これが剣こそ全て!とか言って突っ込んできてくれたらなんとで もなっただろうに。 いや。無駄な回想はよそう。 俺は空間把握を最低限にし、両手と脳内に感覚を集中させた。 ﹁ここからは俺のターンだ﹂ グニャリ、と景色が歪んだ瞬間、聖女と聖騎士たちのいた場所の 上空に陰がさした。 ◇ レイル・グレイが不敵な笑みを浮かべて剣をおさめたとき、聖騎 士たちは色めきたったが、セティエは嫌な予感がしていた。 突然、レイルが何かを発動すると、セティエたちの頭上に陰がさ した。 1662 ﹁なんだ!﹂ ﹁大丈夫だ。我らにはセティエ様の結界がある! 結界さえあれば我らは無敵だ!﹂ セティエ様の 聖騎士たちは口々に叫びながらも、聖女への信頼からその場から 離れないように結束を固めた。 ﹁無駄です。私の結界は上空にもあります!﹂ セティエは嫌な予感こそ拭えなかったものの、自らの結界への信 用を優先した。というよりは何もできなかったというのが正しいか。 空を見上げた彼らは絶句した。 自らの視界に映るのは大量の岩だったのだ。 そう。レイルは力任せに空間転移で岩山から大きな岩をセティエ たちの頭上へと転移させたのだ。 上空から降り注いだ岩は空中で崩壊し、結界に当たって壊れなが ら結界ごとセティエたちを埋め尽くした。 岩山の中に結界でできた空間がぽっかりと空いて、そこになんと か生きている状態だった。 ﹁みなさん、大丈夫ですか?﹂ セティエが気遣う言葉に聖騎士たちは自らの無事を報告する。 全員が無事であり、誰一人として傷を負いさえしなかった。 だが無事である、ということとこれからの活動に支障が出ないこ とは別だ。 ﹁なんてことでしょう。このままでは⋮⋮﹂ 1663 セティエは気づいて絶望した。 この周囲に広がる岩山を抜け出せなければ自分たちに未来はない ことに。 ここから脱出できる力を持った人間はここにはいない。 ﹁ここは僕が﹂ 一人の聖騎士が前に出た。この中では最も若い青年である。 彼は剣から光を放ち、岩を砕こうと試みた。 効果はあった。だが微々たるものだ。脱出に至るまでに破壊しな ければならない岩の一割も削れていないだろう。 ﹁くそう!﹂ 唇を噛み締めて地面にこぶしを打ち付ける。 自らの無力さが嘆かわしいと涙を流していた。 ﹁あいつはなんなんだ!﹂ ﹁セティエ様が邪悪だと言われる理由がわかります﹂ 自分たちから襲っておいてこの言い草だが、あまりにむごたらし いこの現状に不満を言わずにはいられなかったのだ。 しばらくの沈黙がセティエらの間に腰かけた。 ﹁あれしか⋮⋮ないのか﹂ 一人がぽそりと呟いた。それに聖騎士の中から頷く者がいた。 動揺の呻き声があがる。それは聖騎士のものではない、聖女のも のだ。 1664 ﹁ダメです!﹂ レティエならば許可していたかもしれない。しかし今の彼女はセ ティエ。慈悲と慈愛の聖女たる判断を優先してしまうのだ。 セティエは普段から感情に流されやすい自分を恨めしく思ってい た。この時ばかりは感情に流されなければいけないと思っていた。 彼女の懇願も虚しく、聖騎士たちは決意に満ちた表情で目配せし ていた。 ﹁じゃあ先鋒はわしが﹂ 今まで沈黙を貫いていた最も高齢の聖騎士が名乗り出た。 ガチャガチャと鎧と剣とを脱いで結界内の地面に置いた。 ﹁待って!﹂ セティエは縋って止めようとするも、術師のセティエと騎士の彼 では鍛え方が違う。 振り切られ、そして結界の外の僅かな隙間へと出ることを許して しまう。 彼は聖なる神を象徴するヒジリアの紋章をあしらった首飾りに口 づけし、口の中で文言を呟いた。 激しい爆発音と共に光が辺りに満ちた。光が消えたとき、高齢の 聖騎士の姿はなかった。 自爆呪文である。 本当に敵わない敵が、魔物の大群が、軍が押し寄せてきたときに 少しでも多くの敵を葬り、相打ちにせめても足止めにと聖騎士全員 1665 がその玉砕の覚悟を示す意味で渡される魔導具の首飾り。 特定の言葉を鍵として、その身に眠るエネルギーを爆発に変換す るのだ。 結界の中は全くと言っていいほどに穏やかで、爆発音も、閃光も、 まるでテレビの画面を見るようであった。 それは結界術で遮られたからだけではない。彼女自身が、心のど こかで助かるかもしれないと期待したからだ。 親しい人の死にまるで他人事のような印象しか受けない悲しさに、 セティエは自分の業を自覚した。 そして再び絶望する。 爆発で破壊した瓦礫の山の上からまた岩が崩落し、傍目には自分 たちの周囲の光景に変化はなかった。破片や爆風を主な殺傷能力と して使う爆発では足りなかったのだ。 しかし意味がなかったわけではない。確かに岩の多くは削られ、 彼女たちは脱出に近づいた。 いつレイルが仕掛けてくるかわからない不安の中、長時間結界を 張り続けていればいつか限界がくる。 聖騎士たちは命に代えてもセティエだけは助けたかった。 その顔には一片の迷いも見られない。 一人、また一人と犠牲になっていく。命の炎を最大限に灯し、ロ ウソクの最後のように燃え尽きていく。 レイルが見ていれば、﹁だから聖職者は嫌いなんだ﹂と言いそう な献身的なその光景に、セティエは涙を流しながら見ていることし かできなかった。 ﹁もういいですよ﹂ 1666 最後に残されたのは最初に攻撃を仕掛けた唯一十代の聖騎士であ った。セティエと年齢が近いこともあり、カイや父親とは違った形 ではあるが、少しずつ心を開き始めていた青年だ。 ﹁もう僕一人です。範囲結界を解除して、個人用結界のみにしてく ださい。あなたはいつも頑張っています。どうか、自分を見失わな いで⋮⋮貴女だけでもご無事で﹂ セティエはあまりに安らかな笑顔に何も言えなくなった。 最後の言葉を皮切りに、彼もまた一つの爆弾となった。 その爆発で頭上の岩石が全て取り除かれ、すり鉢状の瓦礫の中央 に彼女は座り込んでいた。 彼女一人には攻撃能力はまるでなく、範囲結界を張るほどの力も なかった。 何より、完全に優位に立ったと思った瞬間の逃亡、不意打ち、そ してこの有様である。 セティエは呆然として、痛ましいほどに青い空を見上げた。 ﹁あんた一人だけになったみたいだな﹂ そこにはあの悪魔が立っていたのだ。 1667 ◇ 岩に、石に、瓦礫に埋まった結界を空間把握でのんびりと観察し ていた。 常に見ている必要もなければ、しばらくは大丈夫だろうと最初の 方は馬車に戻って休憩していた。 いくら空間術が別次元からの膨大なエネルギーを借りれるとはい え、使えば疲れるのだ。 アイラのアイテムボックスから暖かい紅茶と菓子を頼んで、ダル さの残る頭に糖分とカフェインを供給した。 ﹁お疲れー。勝ったの?﹂ ﹁いや、まだだな。まあ時間の問題だろ﹂ ﹁嫌な予感しかしねえな﹂ ﹁呑気ね。そんなにボロボロになってるくせに﹂ ﹁うるせえ。ボロボロなのは見た目だけだ。キツイのはもらってね えから﹂ ふと、結界内に異変があったので岩山を見てくると言って出た。 結界内から聖騎士が出てきているのだ。 今にも崩れ落ちそうな岩と岩の隙間に体を差し込んで、パクパク と口が動いたかと思うと爆発した。 なるほど。自爆呪文か。 これだから聖職者って奴は。 しかし今だけはその判断は正しい。 あのまま順当にいけば、聖女諸共生き埋めだっただろう。 聖騎士が生きているうちに命を賭して活路を切り開かなくてはな 1668 らない。 それが少しでも多くを生き残らせる唯一の手段だ。 まあ脱出しそうになればなったで、上からさらに砂でも土でも投 入すればいいんだけどな。 まあ俺としては結界を張るだけの気力がなくなって全員生き埋め で気絶してくれれば一番楽だったけど、これじゃあ聖騎士は無理か な。 と六人が消えたところで、山の頂上に穴があいた。 ありの巣だが蟻地獄だかわからないような、すり鉢状の中央、爆 心地で聖女が放心していた。 ﹁あんた一人だけになったみたいだな﹂ 聖女がノロノロと顔を上げた。 ◇ ガード 個人用結界はまだ効力があるらしく、彼女自身の肉体には傷一つ ない。 この防御の堅さこそが、彼女を彼女たらしめていたというか、彼 女がこういう人間だから結界と時間を扱えたのかもしれない。 個人用結界はあくまで対象者を攻撃から守るだけであり、俺がそ の腕を掴んで立たせることも可能だった。 聖騎士たちが遺していった鎧と剣を回収していても何も言わない ところを見ると、よほどショックが大きかったようだ。それもそう 1669 か。自分を慕い、信じた人間が目の前で次々と自分のために死んで いったのだから。 いくら優先順位が高いのがあの勇者であろうと、周り全てを道具 と割り切るほどに情を捨ててはいないようだ。 兎にも角にも、このままでは使い物にならないどころか俺が背負 って送っていくことになりそうなので、取り出した手錠と首輪をつ けた後にこう言ってやった。 ﹁あんたのせいで全員死んだな﹂ セティエの耳がピクリと動いた。 結局のところ、セティエがこうなったのは聖騎士のせいで、聖騎 士が死んだのはセティエのせいだ。 彼女と彼らは互いに足を引っ張りあっていたのだ。 もしも聖騎士がいなければ、頭上に岩石が転移させられたところ で、時術を駆使して逃げ出せたはずだ。 そこまで迅速な判断ができたかどうかは別として、聖騎士が周り にいる状態では﹁逃げる﹂という選択肢そのものが浮かばなかった だろう。 一方、聖女の存在がなければ、彼ら聖騎士は得意の剣で連携をも って俺を殺しにきたに違いない。 その場合はアイラとカグヤを投入して代わりに俺が引っ込んだか もしれないし、相対座標固定と空間転移で一方的な戦いになったか もしれないが。 そもそも俺を殺しにきたかさえ怪しい。 ﹁あんたが全員を死に追いやったな﹂ もう一度言った。それも意味を強調して。 1670 ﹁違う!﹂ 俺の手を振り払って地面にもう一度縋った。 全部、あなたがいなければ⋮⋮! こ 地面に残されたままのロケットとヒジリアの紋章が入った小手を 抱きしめた。 悪魔!﹂ ﹁あなたのせいです! の鬼! 前世ではありがちなこの罵倒文句も、この世界ではより実感を持 った非難として聞こえる。 そうだ。俺がいなければ死ぬことはなかっただろう。 俺がもっと、熱い英雄だったならば、努力と根性だけで消耗戦を 挑んだだろう。それで勝つとすれば、長い戦いの末に結界をぶち破 り、聖騎士たちとの剣と魔法の乱戦となっていただろう。空を飛び、 光を弾き、ギリギリの中で成長したのかもしれない。 俺は自分を襲った敵を殺すことを正当化するつもりはない。 敵対者を必要以上に痛めつけるのは何時ものことだ。 俺にとって勝つことは相手を折ることだ。 そこに正しさを判断できる奴などいない。 ﹁そうだな。悪いのは俺かもしれないし、間違っているのも俺かし れない﹂ 今度は座ったままの聖女に顔を寄せて語りかける。 ﹁だが、死んだ理由はお前だ。敵の能力を知っていながら、対策も 立てずに、ただ力に任せて挑んだお前のせいだ。お前がいなければ、 1671 俺を討伐なんて言わなければ、あいつらは死ぬことはなかっただろ うな﹂ 私はカイ様のために⋮⋮! ヒジリアのために⋮ この意見は間違っているかもしれない。それでも構わない。 ﹁違う! ⋮!﹂ 自分の行動の責任と理由ぐらい自分で背負えよ﹂ ﹁自分のためって言えよ。俺は少なくとも全ての行動が巡り巡って 俺のためだぜ? 護衛依頼の時に襲ってきた獲物の処遇は冒険者側に任されるのが 普通だ。たとえそれが国の要人であったとしても。 つまり彼女の命運は今、俺の手中にあるのだ。殺しにきたことを 多少責めたとしても問題はない。 セティエは全てを吐き出すように震えている。 先ほどの無反応に比べれば、ずっと生きている。そんな風に思え た。 そもそも今まであった殻を溶かされ砕かれ、むき出しの弱点に塩 を塗り込むこの所業を責める者はここにはいない。 真に一人の彼女はその過去を走馬灯のように駆け巡らせているか のようだ。 ﹁いやあああぁっ!!!!﹂ 聖女の号哭が地面に染み渡った。 1672 聖女の敗北︵後書き︶ うっわ⋮⋮長くなってますね。 敵からの視点で戦闘を書いてみたかったのでやってみたらやたらと 長くなりました。 そもそも一つの戦闘に五話以上かけたくないんですよね。 もう少し描写かレイルの思考を省いて減らすかもしれません。 1673 聖なる神の名において ほとんど死んだ魚のような目をしたセティエを連れて馬車に戻る。 ﹁護衛依頼を受けたというのに、私たちが原因で厄介事に巻きこん でしまって申し訳ない﹂ もちろん襲ってきた奴が悪いのだが、それとこれとは別だろう。 俺たちがいなければセティエたちは襲ってこなかったし、こんな ところで時間をとられることもなかっただろう。 仕事を受けた責任としての謝罪をローマニア国王は快く受け入れ てくれた。 ﹁そうかしこまらなくとも。結果を重視するので、こうして無事な らなんともない。それに、レイル殿とその仲間の実力も見れたこと だ﹂ と、実はこの依頼そのものの一番の理由が俺たちの実力を見るこ とであったと告白した。 まあ本当はジェンヌの元気付けも多分にあるとは思うけど。 アイラとカグヤがやたらと大きな魔物の死体を解体していた。 そしてロウはというと、縄で縛った男に刃物を突きつけていた。 ﹁で、案内してくれるって?﹂ 捕まえた盗賊の一人を拷問していたのだ。 1674 盗賊に聞いたところによると、この先にやたらといいものが置い てある簡易拠点みたいなものがあったらしい。 そこには食料や金貨などの普通の物の他に そしてそこにある檻を運ぶために、こちらの馬車を襲ったという。 どうしてまた檻なんかを持っていこうと思ったのか。 その疑問は盗賊どもに案内させた拠点にて解消される。 ﹁なんだよ、これ⋮⋮﹂ そこにあったのは巨大な黒鉄の監獄であった。檻は二重になって いる。牢屋の中に牢屋、人一人が入って少し余裕があるぐらいか。 まるで牢屋のマトリョーシカだ。 その内側の檻に黒い布がかけられていて、中に囚われている者の 姿は見えない。鍵などは一切ない。描かれている魔法陣が結界術と リンクしていて、開けるのは掛けた場所でしかできないのかもしれ ない。 周りにある拠点の紋章から察することができるのは、おそらくこ れはセティエ達の設営したものだということ。 つまりはこの中にいるのは、ヒジリアにおける教義によって邪悪 と認定された者だということだ。 ・・・・・ そしてそれを殺さずわざわざこうして囚えてあるということは、 ・・ 本国に持って帰って処刑なりなんなりとするか、または殺せなかっ たかだ。 どちらにせよセティエが重要参考人であることには変わりないの で、盗賊と同じ扱いをして連れてきた。 1675 一応これも護衛の仕事内容に含まれている。 襲ってきた相手の処遇は全て俺たちに委ねられており、それを怠 ったことで今後さらなる危険に曝される可能性を考慮すれば、不審 なものは点検しておくに越したことはない。 ﹁ちょっと試していいかしら﹂ カグヤの提案に目で許可を出す。 カグヤは一閃、刀で檻の鉄格子を切断しようと試みる。カグヤの 技量であれば、これぐらいの細さの金属ならば切断も可能だ。だか ら中にいるのは相手を傷つけないためには繊細な技術を持つカグヤ に頼むのもやぶさかではない。俺たちは全員、そういったことを予 想していた。 だから、驚いたのだ。 ﹁きれ、ない?﹂ 圧倒的頑丈さを誇る監獄は、たかが四角い立方体でありながらも 堅牢な要塞を思わせた。 けたたましい金属の衝突音か鳴り響く。刀が振るわれた後しばら くも格子を振動させ続けていた。 俺はもしやと思い、セティエに問いかけた。 ﹁なあ、お前、これを解除できるか?﹂ のろのろと顔を上げたセティエは黙って首を横に振った。 嘘をつくような気概もあるまい。それに、空間把握で確認できる この監獄ならば、さほど困ることもあるまい。 そして俺はこの中に入っている種族の予想がついている。 1676 ﹁じゃ、俺がいくか﹂ そう。ただの監獄ならば壊す必要など微塵もない。 俺の空間転移があるのならば一足飛びに一重だろうが、二重だろ うが中に入ってでてこれる。 ﹁どうして外側の格子と内側の格子の間に転移したの?﹂ すぐにわかるさ、見ていろ。 やめるがいい! 我を誰だと心得る そんな風に俺は内側の鉄格子にかかっている黒い布に手を掛ける。 ﹁おい、何をする気だ! !﹂ 黒い布がちらりと動いたことで、外に人間がいて布を取っ払おう としていることがわかったらしい。 そしてこの動作を必死に止めることで理解した。 ﹁おらよっ!﹂ 光が⋮⋮⋮あれ?﹂ ばさっ、と一気に布をとってしまう。 ﹁ぎゃあっ! わたわたと両手で顔面を隠そうとしているのは、妖艶な美女であ った。病的に白い肌に真っ赤な瞳、そして鮮やかな口元から見える 牙がその鋭さを主張している。 ﹁よかった。どうなることかと思ったぞ﹂ 1677 ヴァンパイア 彼女は吸血鬼族だった。 ◇ 俺が光魔法によって監獄内をマジックミラー化で暗黒のままにし たことは大した意味はなかったらしい。 ﹁意味がないとはなんだ、意味がないとは。我ら吸血鬼は夜行性な のだぞ。今もこうして光のあたる場所にいるのは眩しくてかなわん﹂ どこのニートかと思える発言をしているこの吸血鬼の名前はドレ イクというそうだ。 やたらとかっこいい名前だが、こいつは明らかに女である。胸の 脂肪が性別を主張している。 ﹁驚いた。滅んだと思っていたよ﹂ ヴァンパイア ロウがしみじみと言った。 吸血鬼族はその固有生態からもともと繁殖能力が低く、魔族の上 ヴァンパイア 級貴族などに囲われ、異種族交配を繰り返すうちに血が薄れ、今で は先祖返りを起こした魔族ぐらいしか吸血鬼族らしい存在など見る ことができない。 そうした古代の種族の遺物もロウの両親は取り扱うことがあった 我はそこらの贋作や雑種と違い、純血の らしく、知識だけはあったのだとか。以前聞いたときは俺がロウに 驚いた。 ﹁そうだろそうだろ? 古代吸血鬼の始祖たる存在。この高貴さに愚かな人間どもも傷つけ ること叶わずこうして我の世話をするようになったのだ﹂ 1678 なるほど。馬鹿か。 ﹁なかなか便利な生活だったぞ。排便は報告せねばならないが、黙 っていようと三食立派な食事を出し、一日中寝ていても怒らん。そ して真っ暗に布をかけておいてくれたのだ﹂ うん。どう考えても捕虜ですな。 そしてそれを快適と言えるほどに彼女は豪胆でものぐさで、そし て天然でもあるということだ。 ﹁はて。そろそろ暇だからこの牢屋から出ようと思ったが出れんな﹂ やっぱり出れねえのかよ。 ﹁ほらよ﹂ 俺は空間転移で連れ出した。 助かった﹂ するとロウとカグヤとアイラに頭をはたかれた。そりゃあそうか。 ﹁おおっ! ゴキゴキとあっちこっちの体を伸ばしているドレイクを見ている と、敵意などは感じられないがな。 ﹁お前、気に入ったぞ﹂ ドレイクはその牙をむきだしにして笑う。笑ながらそっと指を俺 の頬に添えて覗き込んだ。 妙な能力は⋮⋮発動していないな。 1679 と空間把握で確認した瞬間、ドレイクは口を大きくあけた。 誰よりも速く、早く動いたのがロウであった。空間把握でつぶさ に観察していた俺よりも、だ。 ドレイクの首元に短刀をつきつけながら警告した。 ﹁やめておけ、殺気が出たぞ﹂ ドレイクはそこまでされても余裕であった。 むしろおかしくて仕方がないというように、喉の奥で笑いを噛み 殺していた。 ﹁我のことを知るならその特性を知っているのだろ?﹂ ヴァンパイア 吸血鬼族。それは繁殖能力の大半と引き換えにその他の生物とし ての生存能力に特化した種族。 類稀なる再生力に、血を吸って同族化できるというのは前世と何 ら変わりない。 胸に十字架だろうが、日の光だろうが死なないとも言う。 ﹁はっ。それでもあんたの首を刎ねるぐらいの余裕はある﹂ 鼻で笑うロウにお手上げだとばかりに力を抜いたドレイク。 というかもともと挨拶代わりであって大したことをする気がなか っただろうと思っているのだが。 ﹁危なかったな﹂ 1680 ﹁ありがとうな、ロウ﹂ ﹁何を勘違いしているんだ? ちゃんだぜ?﹂ 俺が助けたのはこの吸血鬼のお姉 せっかくにこやかにお礼を言っているのに、それをツンデレなら ぬ否定で応対したロウ。 そしてドレイクはその言葉にやや不満とほんの微量の怒りをあら わにした。 ﹁どういうことだ?﹂ 尊大な物言いは先ほどまでと同じ。 彼女からすれば気に入った相手に挨拶するぐらいのつもりだった のかもしれない。 異種族交流って難しいなぁ! と自分が危機に晒されておいて呑気なことを思う。 ﹁正確にはあんたがレイルに敵対することを防いでやったというだ けだ。レイルは俺よりも敵対者に非道だからな。慈愛と神性に満ち た聖女と言われたセティエとやらでさえも今はああだ﹂ と顎で離れたところにいるセティエを示す。 そこでは両手を縛られ、虚ろな目で空を見つめてボソボソと呪い のような独り言をつぶやく元聖女の姿があった。 ﹁たった一回の戦闘で、暗殺に来ただけの聖女がああ、よ。助けら れておいてあなたが牙をむいたとなれば、あれより酷い目にあうか もしれないわ。悪いことは言わない。今からでも回れ右しなさい﹂ 1681 まるで﹁ドラゴンを倒すんだ!﹂と飛び出そうとする弟をなだめ る姉のような口調で優しく諭す。 じゃあどれぐらい回復す みんな芝居がうまいなあ。よし、俺ものるか。 ﹁そっかー。再生力が高いんだっけ? るんだろうなあ﹂ ドレイクは満面の笑みで言い切った俺と聖女を見比べて盛大に顔 を引きつらせた。 1682 聖なる神の名において︵後書き︶ マシンナーズ 現在の言葉を扱う種族の一覧にさえのらないほどに絶滅したと認識 されていた種族。存在が疑われていた機械族よりも現実味のあるか たちで騒ぎになりそうですけどね。 牙さえ隠せばわかりませんが。 1683 二人の被害者 ヴァンパイア 吸血鬼族と呼ばれる彼らはとある特異な生態を持つ。 それは自らの体内環境と、その周囲の体外環境の同一化である。 かれら その能力の最終形態としては、体液を交換した他者にその肉体的 特性を与えるか、交換した他者の特性を得るか、である。 つまりはこれが一般に言われる吸血行為であり、彼らが吸血鬼族 である理由だ。 ヴァンパイア とはいえ、吸血鬼族はその高い矜恃と能力の特性からして、そう そう吸血行為など行わないのが一般的である。他種族を染め上げま くるのは節操がないので下品とされる。 もともと獣人についで高い身体能力に、夜目がきき、ずば抜けた 回復力に合わせてこの能力である。 ヴァンパイア まじわり ヴァンパイア そんな彼らが吸血行為をする場合はほとんどが気に入った相手に、 だ。 この行為を吸血鬼族は契約と呼び、他の種族を吸血鬼族へと染め サキュバス 上げることでその繁殖能力を使って同族を残してきたという。 淫魔族などと対照的ではある。 本来、ノーマというのは鬼族と魔族と名のつく多種族国家であっ たという。 前世における中国がほとんど漢民族で構成されていたように、一 般的に魔族と言えばグランやグローサ、ホームレスにキャロなどと いった人たちを指す。 だから今ではグランたちを魔族と呼び、それ以外の希少種族をそ の名前で呼ぶことで区別しているのだとか。 そんな裏事情までは人間の耳にはなかなか入ってこないものであ 1684 る。レイルも知ったのはグランと仲良くなってからのことだ。 ヴァンパイア まじわり そんな吸血鬼族ではあるが、婚約した他種族以外にも成人の儀で あったり、主従契約であったりと吸血の契約を行う機会は人生に何 度かあるのだという。 ヴァンパ そしてドレイクがレイルにその牙を突き立てようとしたのにも彼 女なりの理由があった。 イア 身体能力に優れ、他種族との協調性も知能もある、そんな吸血鬼 族が絶滅寸前にまで追い込まれているのはヒジリアによるものであ った。 腕の立つ聖騎士を幾度となく送り込み、見つけるたびに人間を堕 落させる邪悪なる種族として見せしめのように処刑してきた。 非常にシビアな感覚を持つドレイクはそれを弱肉強食と割り切っ てはいたが、恨まないわけではなかった。 割り切っていたつもりではあったが、聖女と聖騎士が旅をしてい た時にはカッとなって襲ってしまったのだ。 気がつけば拡張機能によって大きくなった二重監獄に囚われてい たというわけだ。 彼女は結局、聖騎士達に殺されることはなかった。というよりは 殺せなかったのだ。 一つはその回復力と身体能力。首をはねなければ死なないような 相手に剣を無駄にし続けるのは非常に危険な行為だ。 二つはヒジリアの教義。邪悪な種族であればあるほど、捕らえる ことに成功すればその成果を持って帰らねばならない。見せしめと して処刑するためである。 1685 どちらにせよ、殺さない方に偏ってしまったのは聖女たちにとっ て極自然なことだった。 彼女は監獄の中でも自分を見失わなかった。 本当の敗北は相手に屈することだと知っていたから。 本当の不幸は自分の全てを諦めてしまうことだから。 だからこそ、レイルがした所業を聞かされて胸が踊ったのだ。 高尚たる自分が結局敵わなかった敵を同じ一人で圧倒せしめ、憎 かった聖女の精神をズタボロにしたというのだから。 それと同時に嫉妬し、悔しくもあった。 自分が復讐したかった相手を先にあっさりと奪われてしまったの だから。 つまりは彼女はレイルに敵意などなかったのだ。 殺気が出てしまったのだとしたら、それはレイルに対する嫉妬で あり、復讐相手を奪われた恨みであり⋮⋮そんな相手に対する羨望 と知識欲、少しの独占欲だったのかもしれない。 目の前の未知の相手を知りたい、自分のものにしたいという好奇 心は結果として猫たるドレイクをまな板の上の鯉へと変えたが、レ イルという水を得た彼女に怖いものなどなかった。 大丈夫。自分を吸血鬼だと知ってなお助けて平気な顔をしている 目の前の彼ならば大丈夫。 ドレイクはそんな言いようもない安心感の中にあった。 ◇ 敵意はなかった。この能力は相手を染める割合も自分が染まる割 1686 合も調整できて、完全染めはそれこそイメージ通りの洗脳にあたる ということ。だからお互いに信頼していないとこの能力は使わない が今回は礼儀に反していたと反省している。 そんなことをドレイク本人から長々と聞かされたのだった。 三人は未だ警戒は解けておらず、アイラなどは胸を注視しつつも。 ﹁この人は敵だと思う。今なら蜂の巣にできる。していい?﹂ と聞いてくる始末。 俺がなんとか説得することになるとは思わなかった。 とりあえずはこの旅の間だけと決めた。ローマニアの人たちが何 と言うかもわからなかったし、話してからになるが。 俺たちがドレイクと聖女を連れて戻った時、出迎えたローマニア の人たちは様々な反応を示した。印象的だったのはジェンヌの憂い を帯びた真っ青な顔だろうか。 ドレイクはあそこまでされたくせに、俺たちの側にいたいと懇願 したのでそのまま護衛につけてもらえるかとローマニアの国王に頼 んだところ。 ﹁レイル殿の責任ならばなにも﹂ とあっさり了解した。 つまりは何かあれば俺の責任、ちゃんと手綱をとるところまで能 力の一つとして観察対象だぞ、と言いたいのだろう。 どうせ俺の強さなんて、いや、弱さなんて表面上のこんな能力で はないから問題ない。 そんなこんなでドレイクを加えた俺たちは無事にローマニアまで 1687 の護衛依頼を完遂した。 一、二週間ほどでローマニアにつくころには、面白い変化が起き ていた。 ﹁このまま私たちのところに来る?﹂ ﹁いいのか!?﹂ ﹁もちろんだ﹂ ﹁ドレイクちゃん水臭いよ!﹂ 仲間たちがドレイクと超絶仲良くなっていた。 夜目がきくので夜番の時にロウと、身体能力が高いのでカグヤの 模擬戦に肉体だけで付き合っていたのだとか。 そんな二人が仲良くなったのはわかるんだが、わからないのはア イラである。 俺がいないところではすごく仲が良いらしく、楽しそうに話して いるところに出くわすとピタリと話が止む。女同士の話もあるのか もしれない。その後露骨に話題を変えた彼女らに突っ込めるほど無 粋でもないので、未だどうして意気投合したのかはわからない。 俺はそんな四人を置いて最後の挨拶に向かった。 ﹁ありがとうございました﹂ 押し殺すような声でお礼をいったジェンヌに思わず俺は尋ねた。 ﹁何か、あったのか⋮⋮?﹂ ジェンヌは少しの逡巡の後、実は、と前置きして彼女の出生を語 った。 1688 彼女はジェンヌ・バラドと名乗ったが本名はヴラドと言うらしい。 そんな彼女の父親は﹁串刺し公爵﹂と呼ばれる残虐で冷徹な貴族 だったのだとか。 近隣の住民に恐れられ、その子である彼女もまた迫害された。迫 害に耐えられるように剣を持ち、魔法を鍛えたが気休めにしかなら なかった。 そんな彼女を救ったのが、ヒジリアの聖騎士団長だった。 あまりの行為に﹁ドラキュラ﹂と呼ばれた彼女の父親を神の名の 下に粛清しに来たのが当時の聖騎士団長だったという。 ジェンヌを見つけた聖騎士たちは、串刺し公爵の娘ならば同じ悪 だと断定して殺そうと提案した。 聖騎士団長の説得と制止によって、ジェンヌは彼女の義理の娘と して引き取られることになった。 しかし聖騎士団長はそれの責任をとって職を追われ、ローマニア へと逃げたのだという。 迫害に耐えつつ優しさを忘れなかったジェンヌが、義理の母によ る愛情に浸され、元聖騎士団長の特訓を受けた結果として今の﹁戦 場の大輪ジェンヌ﹂があるわけか。 そんな彼女の父親の串刺し公はいつしか人の生き血を啜ると言わ れていた。串に刺した領民の、その血で栄華を保つ気なのだと。 さぞかし複雑であっただろう。 自分の父親が非難されるモデルとなった種族が目の前にいたのだ から。 しかし彼女はまた、それが感情の問題でしかないことをよく自覚 していた。 ドレイクには何の責任もないし、そもそもドレイクは被害者なの 1689 だ。 ヒジリアによる神の名の下に、とされた粛清の犠牲者なのだ。 つまりはジェンヌにとってドレイクは父の因縁でありながら、同 じ被害者でもあるのだ。 語り終えたジェンヌは憑き物が落ちたような顔をしていた。 きっと彼女の中ではとっくにケリがついていたのだろう。ただ、 それを認めることができなかっただけで。 ﹁それでも、父親を憎めないんだな﹂ そうでもなければ父親の汚名を着たまま戦うことを選ぶことはで きまい。たとえそれが偽名であっても、国のために、自分の名誉の ために戦うことのできる彼女は確かに強かった。 ﹁それは⋮⋮悪かった﹂ ﹁いえ。こちらの都合で﹂ ﹁どうしてこんな話を俺にする気に?﹂ 年齢が近い勇者候補、だけなら他にもいる。出会ってまだ間もな い俺に話すには踏み込みすぎている。 ﹁一つは似ていた、からでしょうかね﹂ ﹁似ていた?﹂ ﹁ええ。あなたの父もまた、評判の良くない人でしょう。正直言え ば羨ましかった。汚名をまるで誇りのように扱うあなたが﹂ まあ俺はジュリアス父上の汚名なんて可愛いぐらいには悪い評判 もあると思っているからな。 1690 ﹁もう一つは打算的なものですね。私は謙遜しましたが、唯一人並 み以上の自負があるものがあります。人間の観察、ですかね﹂ 曰く、流れを、戦況を、人を見ることができなければとても大軍 など任せられない。その力が人よりも少しあったから、こうして軍 を率いる勇者候補として選ばれているのだとか。 ﹁あなたは身内の垣根が低く、身内に甘いでしょう?﹂ とここまで聞いてジェンヌの狙いとローマニア国王の本当の狙い が理解できた。 確かに俺は身内に甘い。ついでに言えば自分を利用したいという 者にも甘い。だから、擬神の時も名誉などと腹の足しにもならない ものと引き換えに情報不足の敵へと突っ込んだ。自分が味方を利用 するように、敵を利用し尽くすように、自分もまた人に利用されて いるという自覚がある。 そんな俺に対して、境遇が似ていて人当たりの良いジェンヌをぶ つけることによってローマニア国王は俺たちを味方につけよう、敵 対しないと表明しようとしたのだ。 なるほど、ジェンヌが言うことはもっともで、そして俺とこいつ は同じタイプの勇者候補であるわけだ。 観察し、策を弄し、計算して、動くしたたかな人間だ。軍を率い るには清廉潔白なだけではいられないということか。 これでいて、ジェンヌに悪意は微塵もない。 してやられたと思う。 寝食を共にするということは協力し、心を許すということである。 ようはハニートラップみたいなものだ。 ジェンヌがその打算を俺に打ち明けたのは、俺がそういった打算 1691 に満ちた好意もまた、好ましく思ってしまえる性質を見抜いたから だ。 人間観察力に自信があるというのは口だけではないのか、それと も俺がわかりやすいのか。 そして俺がここまで見抜くことさえ計算に入れている。 口だけの友好条約よりもずっと明確な友好関係を結ばされた。 本来ならば自国の勇者であるジェンヌの生い立ちとその弱みを晒 すなど正気の沙汰ではない。 だが、俺が弱みを握ればやりたい放題するのは敵だけだ。 弱点で武装して、無防備に近寄る。 ある意味最大の攻撃で俺たちをほだすつもりなのだ。まるてドレ イクのように。 この護衛依頼を一種の駆け引きと見るならば俺の負けということ になろう。 負けは負けでも得をしているのはユナイティアの方ではあるが。 ローマニア国王、食えない男である。 1692 二人の被害者︵後書き︶ いつも読んでいただきありがとうございます。 感想、評価、ブックマーク全て励みになっております。 1693 ヒジリアの会談︵前書き︶ トン よく物語の中で、片手で振り回している武器を﹁この武器は○tだ !﹂などという描写があって、それってどんな金属使えばそうなる んだよと友達と話していると、﹁タングステンを使えば?﹂と言わ れて計算してみると1立方メートルぐらいならば水トン超え、タン グステンに至ってはその19倍ほどするという事実に驚愕しました。 1694 ヒジリアの会談 フロイト曰く、機知とは悪意のないものと人に向けられた攻撃に 分かれるという。 もしもそれが本当ならば、ジェンヌはどちらなのだろうか。それ に合わせて言うならば悪意のない攻撃だろうか。そんな分類がある のだろうか。 あれが攻撃だとするならどこまでも優しい攻撃である。俺の悪意 のある攻撃とはえらい違いだ。 結局のところ、人を貶めるよりも自分を高めることに心血を注げ ばあのようになるのか。いや、俺は努力はしてきた。それでも性格 が歪んでいるのは元々なのだろう。 ◇ ヒジリアの上層部は騒がしかった。 とある手紙が届けられたことで、急遽国の権力者たちを集めた会 議が開かれたからに他ならない。 中でも最高権力者、十二人の聖人と呼ばれる人間と、彼らをまと める役の法皇がいる。彼らとて、全てを自分たちだけで決めること はできない。 ・・ ﹁あの勇者から手紙が届いたというのは本当か﹂ 法皇の重苦しい問いかけに、聖人の一人が頷く。 1695 会議はさらなる憂鬱に包まれた。 ﹁ああ。聖女セティエが襲撃してきたので周りの聖騎士は殺し、今 はセティエだけを捕らえているそうだ。ご丁寧に以前の戦争を煽っ て勃発させたことへの嫌味を添えて、な﹂ ・・・・ ・・・ 以前、ギャクラにいた信者の貴族を唆して謀反させたことがある。 偶然にも魔族の貴族軍がやってきていて、何故か制圧してしまっ たおかげでギャクラは何の痛手もなく終わったが。 元々、ヒジリアとギャクラは仲がわるい。金第一至上主義のギャ クラは魔物の討伐や魔族との戦争も金儲けの一端ほどにしか思って いないふしがある。 一方、ヒジリアでは魔族や魔物をより多く殺すことが神の意向に 沿うものだとしている。 この間の建国記念祭などとふざけた催しでも、長年の悲願にして 怨敵魔王が二人とも無防備にいたことで聖騎士が殺気立っていた。 魔王がいると思わなかったヒジリアは言いつけ通り最低限の数し か連れてきていなかったので、魔王とやりあうには心もとなかった のもある。 せっかく勇者候補の召喚に成功したのだ。未熟なうちに無謀に挑 んで戦力を減らすのはまずい話だった。 とここまでの情勢もあいまって、ヒジリアの面々は勇者候補レイ ル・グレイに良い感情はなかった。 ﹁⋮⋮セティエ殿は国一番の結界術士。しかも内密に連れ出したの は彼女に忠誠を誓った手練れの聖騎士六人。それを足手まといを抱 えた勇者候補風情が撃退したというのか﹂ 驚きの嘆息が静かな室内ではやけに大きく聞こえる。 1696 間を見計らって飲み物が配られた。 ﹁筆頭聖女ともあろうものが他国の勇者候補と王族を襲ったともあ れば醜聞は免れませんかな﹂ だが彼らも一方的に彼女を責めることはできないのだ。 魔王と仲良くし、下賤な部下を持ち、領主の真似事をしながら卑 怯な方法で武功をあげて名を高めたエセ勇者。勇者候補という名さ え呼びたくないというのが彼らの評価だった。それほどまでに彼ら 自身、勇者候補レイル・グレイを苦々しく思っていた。 もしも事前に許可を求めてきたのであればさらに人員を投入して 許可していたかもしれない。 ﹁あの場所は、危険だ﹂ 否。じゃああの教育水準がか? 否だ﹂ 建国記念祭にて視察を任せられた貴族がその部下からの報告を受 けた感想がこれだ。 ﹁数人の実力者がか? この世界の教育水準は国によって差があれど、高いギャクラやヒ ジリアでさえレイルの前世における小学校卒業程度だ。 全ての人間が中学卒業程度までの教養を兼ね備えているのは確か に異常なのだ。つまりは国で働く文官レベルがゴロゴロと使用人に いるような国である。 だが発言者はそれら全てを一蹴した。 ﹁あの国の恐怖は歪な支配体制にある﹂ 彼は言った。 1697 あの国は国ではない。レイルを象徴とした一つの組織である、と。 レイル・グレイは自分がいなくともやっていけるだけの制度を整 えようとしたが、その意図にかかわらず荒地を居場所へ変えたレイ ルのことを国民は一人残らず崇拝していた。 高い教育水準も、彼ら自身の戦闘力も恐怖の対象ではない。 そういったものを作ろうという発想が脅威だというのだ。 ﹁話にならんな﹂ 男の一人が発言した。 私の娘が!﹂ ﹁自己保身と国のことばかり考えている。セティエが攫われたのだ ぞ! そう。彼はセティエの父親であった。 セティエが父の権威を利用して聖女たる肩書きを、そして勇者の 側付きという立場を得たのと同じく、彼もまた聖女の父親という身 分を利用して今はヒジリアでも有数の貴族だ。 もちろん、国の最高権力が集まるこの場にいるのは父親という当 事者であるからでしかないのだが。 堅物で品行方正と言われる彼も娘のこととなると感情を見せた。 治癒 に 結界 ともなると必死ですね。妾の子が役に立って そん彼を末席の男が揶揄した。 ﹁ よかったじゃあないですか﹂ 粘つくようないやらしい表現にセティエの父はますます怒気を強 めた。 ﹁勘違いなさるな。我々の言い含めも無視して独断専行、あの化け 1698 聖騎士部 物に突撃したのは貴殿の娘だ。我々がその尻拭いに苦情をいいこそ 私がうって出よう。軍の指揮権を! すれ、非難される謂れはない﹂ ﹁ならいい! 隊で国ごと叩き潰してくれよう!﹂ そういって立ち上がった。 この親あっての娘か、と呆れたような視線に居心地の悪さが増す。 そんな時、会議室の扉が大仰に開かれた。 薄暗い部屋にさす外からの光と、突然の来訪者に部屋の権力者た ちは一斉に扉を見た。 ﹁セティエがレイル・グレイに捕まったとは本当ですか!﹂ それはヒジリアによって召喚された異世界の勇者、カイであった。 ﹁ふん。貴様を信じて我が娘を託したというのに。失望したぞ。守 りきることもできなかったとはな﹂ 何故目を離した。言外にそう言うセティエの父、バルゴ・ガイア スにカイは押し黙った。 彼が悪くないことは誰の目にも明らかなのだが、夢見がちな年頃 の青年としては大切な少女一人守れなかった無力感を今も噛み締め ており、当然言い返すことはできなかった。 それではヒジリアとユナイテ ﹁今私に許可さえ出していただければ取り返して見せましょう﹂ ﹁待ってください、ガイアス卿! ィアの総力戦になります。セティエはそんなこと望んでいません!﹂ 1699 ﹁貴様に何がわかる。あの子の孤独が、生み望んで親からの愛を受 け入れるだけの力がなかった哀れな娘の嘆きが﹂ コン、と机を叩く音がした。 それはだんだんと熱を増していく、セティエに近しい者同士の口 論を妨げるための合図であった。 まとめ役、つまりは判断を下す法皇が口を開いた。 ﹁セティエは優秀な聖女だった。その結界を破るにはそれ以上の攻 撃をぶつけるか、中のセティエに解除させるほどの出来事がなけれ ばいけないと言われるほどにな。結界の力は聖騎士全員でかかって も壊せなかった。そして彼女は戦闘において馬鹿ではない。敵とみ なした相手に万全を期して挑んだ﹂ 淡々とセティエの能力と性格からくる予想を述べていく。そして そのほとんどは正解であった。 ﹁なのに、だ。現在彼女以外の聖騎士は全員殺害され、何より防御 に特化した聖女が囚われている﹂ レイル・グレイは中の聖女を揺るがすほどのことをしてのけたか、 圧倒的な攻撃手段を持っていると考えなければならない、と締めく くった。 ﹁ここで無策に突っ込むのは人質である聖女を危険に晒す行為だ。 幸いあの邪悪すぎる勇者候補は打算のある話し合いが通じる﹂ よって却下だ、とガイアスに告げた。 今も娘が辱められているかもしれないというのに、ここでのんび りと相手が解放してくれるのを待つことなど正気の沙汰ではないと 1700 ガイアスは思った。 ﹁もういい﹂ 彼は予め懐に忍ばせていた手紙を机の上に置いた。 そして立ち上がり、おもむろに退室しようとする。 その行動を不審に思った法皇が手紙を広げた。 そこに書かれていた内容に驚き、ガイアスを止めるが、すでに彼 は見えない。 こうしてこの日、一人の貴族が私兵と部下と財産を持って、ヒジ リアから姿を消した。 1701 ヒジリアの会談︵後書き︶ カグヤ﹁見てよ、レイル。私もとうとうアイラの弾丸作りに魔法で 貢献できるようになったのよ﹂ レイル﹁おお、凄いな。これで鍛治場を借りなくとも弾が作り放題 だな。ところでカグヤってその刀よく持つよな。聖剣とかでもない のにどうして今まで持ったんだ?﹂ カグヤ﹁実は⋮⋮ロウに時術で血で濡れるたびに戻してもらってる のよね。いや、ね、私たちって怪我しないじゃない。だから時間巻 それでも手入れを欠かしていない き戻しの練習も必要だとか言ってその言葉に甘えちゃってズルズル と﹂ レイル﹁ま、いいんじゃね? んだし。俺みたいに適当に洗って乾かしてなんて服みたいな扱いす るよりずっといい﹂ カグヤ﹁私はあんたのその扱いでもつ聖剣の方が理不尽だと思うわ よ﹂ 1702 透明の謝罪 後日、ユナイティアに何台もの馬車と一人の男が到着した。 到着するなり馬車から大勢の兵士が荷物を下ろしていった。 ﹁で、お前が来たってことかよ﹂ 俺たちの屋敷、その客室にて緊張した面持ちで座っているのはヒ ジリアの勇者であるカイだ。無属性、と希少な魔法を持っていなが ら基本四属性しか使えないカグヤに真正面から惨敗したことぐらい しか覚えていない。 カイの隣では女騎士がこわごわといった感じで座っている。態度 こそ毅然としたものだが、その手は机の下でカイの袖を掴んだまま だ。 ⋮⋮こんな無粋かつデリカシーのないところまで読めてしまうの が空間把握の嫌なところなのかもしれない。 ﹁ああ。賠償金として白金貨六千枚、そしてヒジリアにて採れた農 作物や肉に、特産品の工芸品、魔導具と表向きはこれで勘弁してほ しい﹂ 聞けば、その忠誠も権力も全てを神に捧げるとしているヒジリア は神以外に多大な特別権限を与えるわけにはいかないとのこと。 しかしながら、聖女が他国の勇者候補、そして英雄かつ代表に襲 いかかり、返り討ち。そんな醜聞の罰などといって自国の筆頭聖女 を見捨てればそれはそれで国民ないしは教徒からの心証が悪くなり すぎる。 そんなことへの対処として﹁全力は尽くしました﹂と言えるよう 1703 にできるだけ多くの物資や金を贈ってしまえとのことだろう。 ﹁俺の仲間がすまないことをした。しがらみもあって、即物的なも のしか用意できなかったが、これでどうか彼女を許してやってほし い。二度とこんなことがないように、言い聞かせるから﹂ ﹁あなたたちも相当いい加減﹂ 仲間のために頭を下げられる。立派なことだ。残念な勇者候補の 評価が人間的な方向で俺の中で上方修正された。 だが隣のお前はダメだ。その目は﹁カイ殿がここまで言ったのだ ぞ。許さないとでも言うつもりか?﹂って目だ。 そこにアイラも過敏に反応したのかもしれない。 ﹁ほら、ハンナも﹂ カイに促されて、女騎士も頭を下げる。 この屋敷の管理を一手に任している子││レンズがお茶を入れて くれた。 ﹁俺らの屋敷には地下牢があってな。そこに捕らえてある﹂ 連れてきてくれ、とレンズに言うと、嬉しそうに下へと降りてい った。 ﹁じゃ、じゃあ返してくれるのか?!﹂ ﹁わざわざ物資まで持ってトンボ返りしたくせに解放されるとは思 ってなかったのか?﹂ ﹁いや⋮⋮﹂ 妙に歯切れが悪いのは、俺の評判と所業を聞いているからだろう。 1704 ﹁いやー、確かに命は狙われたし、敵にはそんなに容赦しない方な んだけどね? 俺もだいぶ酷い目に遭わせたし、鬱憤は晴らしちゃ ったというか﹂ 事実、七人のうち六人が悲惨すぎる最期を迎えている。 そして唯一残されたセティエも軽く鬱状態にある。 首輪と手錠をつけられ、虚ろな目のセティエを見ればカイがぶち ギレて襲ってくるかもなーなんて思えるほどには。 ﹁まあだから気にすんなよ。結界術相手の模擬戦で、不幸な事故で 聖騎士たちは死んだとでも思っときゃあな﹂ 死人に鞭打つというか、冒涜しきった発言ではある。 だが結果はともあれ、俺たちは被害者だ。だから悪くない。 ﹁あはは。そうそう、気にしないで。というかレイルを殺したいな らあれぐらいしなきゃ無理よ。だからこそレイルも手加減できずに あんな方法で殺しちゃったわけだしね。むしろうちの性格悪いのの 六人の方にはお悔やみ申し上げるわ﹂ せいで聖騎士を殺されたばかりか賠償金まで請求しちゃってごめん ね? カグヤは俺の心配をしろ。 とここでセティエが連れてこられた。 俺たちはその瞬間、いつでもカイもセティエもハンナも殺せるよ うに構えていた。ロウは最初から姿を隠してもらっている。この距 離で、この立ち位置で俺たちが殺し合いで負けるはずがない。俺た ちは何より殺人に特化したパーティーなのだから。 とそんな警戒にカイは気づく素振りさえなくセティエに駆け寄っ 1705 た。 セティエはカイの姿を認めると震えだした。 ﹁カイ様⋮⋮私は⋮⋮﹂ 今まで感情のなかったセティエの瞳に涙が浮かぶ。 ﹁いいんだ。なにも言わなくていい。セティエだけでも生きてくれ てよかった﹂ そういってカイはセティエを抱きしめた。ボロボロと涙がこぼれ、 カイの肩にと伝う。それを受けてカイは一層かすれるような声でセ ティエを慰めた。 懺悔する聖女に抱きしめる勇者。原因され知らなければ美しい光 景である。 やっぱり腹が立つからとりあえず二人とも殴って転がしちゃダメ かな。 二人が落ち着いたところで、カイは先ほどの﹁表向きは﹂の説明 をした。 ﹁俺たちはしばらくここに滞在させていただくこととなります。奉 仕活動ということになるので、最低限寝る場所と食べる物さえ与え てもらえれば何でもやります﹂ その申し出は随分と俺たちへのメリットが少なく、向こうへのメ リットが大きいように思われる。 一つはそれこそ文字通りセティエへの罰としての奉仕活動だろう。 だがそれ以上に、未熟な勇者候補を多種族入り乱れるこの場所で 1706 たま 育成し、なおかつ俺たちの情報を探ろうって魂胆か。転んでもタダ では起きないか。 面倒くさいなあ。と思っていたらカイが前言をあっさりと覆した。 ﹁俺はここであんたらの強さの秘密を探ってこいって言われてる﹂ ﹁ちょっ、それここで言うのか。んなもんわかってっからわざわざ バラさなくても﹂ いっそ清々しいな。 ﹁俺なりの誠意だ﹂ ﹁んなもんドブに捨てちまえ﹂ あーあ。これで俺は聞かなかったことにはできない。追い出せば いいだけだが、下手に疑心を煽ると今後いろいろとねじ込まれそう で嫌だ。 客用の宿泊所の手配をカグヤに頼んだ。 カイは仕事が終わった、とでもいうように緊張が解けた。 そして唯一まともに面識のあるカグヤが戻ってきたので話しかけ た。 ﹁どういう訓練をしたらカグヤはそんなに強くなれたんだ?﹂ ﹁簡単よ。レイルに魔法の真髄を聞いて、それをいかに有効活用で きるかってことを訓練してただけ﹂ 1707 カグヤの言葉に隣で聞いていたハンナが食ってかかる。 彼女の主張としては、剣士が魔法の真髄など極められるわけがな い。そもそも未だ理解されていない魔法の真髄などというものは長 年魔道士が研究を重ねて感覚的に身につくものだという。 そして話題に上がった俺に答えを求める目が向いた。 って言う時はい どうやって使うか、どうやれば 魔法を研究する 、 しか見てないんだよな﹂ 魔法の結果を観察して ﹁だからさ、この世界の人間が つも どんな結果が出るか それはつまり、紙を見て﹁これは記録に使える﹂とか﹁燃えやす いから燃料にもなる﹂などと言って騒いでいるようなもので、﹁こ れは植物の繊維からできていて、こんな技術を使っている﹂と知ろ うとしていないのだ。 例えば炎属性は可燃性物質の集積、熱エネルギーの操作、発火の 三つのプロセスで構成されているが、それらを三つ同時に漠然とイ メージだけで発動させようとするから炎属性は派手なだけの攻撃魔 炎の操作 ができるにすぎない。 法や火をつけるだけの生活魔法に成り下がる。せいぜいが上達すれ ばプラズマを動かす これらを理解すれば、風魔法にも通じるし、氷魔法にもなる。燃 料があるなら発火させるだけの集中で発動できる。つまりは効率も 違えば発動に必要とされる魔力操作や想像力のレベルも格段に下が る。 俺は波魔法は器用でこそあるものの、大軍を光魔法で殲滅、など という高出力の大魔法は使えなかったりする。理論だけなら訓練す ればできるのかもしれないけど。 そんなわけで、才能と幼少期からの訓練、そして俺の教えた物理 法則、つまりは個々の現象に対する理解は魔法の力を著しく底上げ 1708 していたのだ。 いくら無属性の威力が低いとはいえ、他の魔道士よりも出力の高 いカイの魔法を正面からぶっ潰せるほどには。 ﹁ふーん。それにしても、今代の召喚勇者、ねえ﹂ そもそも召喚された時にヒジリアとか最低だよな。俺はギャクラ に生まれて良かったよ。 物理法則とか現代日本で習ってきたくせに魔法にロクな応用が見 られないなんて。よほど凝り固まった魔法教育でもされたに違いな い。 しみじみと言った俺の気持ちを理解できるはずもないカイは頭上 に疑問符を浮かべながら言葉を待った。 向こうでは今何年なんだ? ⋮⋮あー、向 ﹁日本語喋って黒髪黒目、そのあっさりとした童顔は日本人なんだ ろ。どうなんだ? こうのジャンキーな食いもんが懐かしいな。お前、マヨラーとかで 調味料持ち歩いてたりしねえの? ポテチやカップラーメンでもい いよ。持ってたら譲ってよ。金は払う﹂ ﹁は?﹂ ﹁つーかお前もダメダメだよな。無属性とか厨二チートもらっとい て支援にしかならないとか。魔力無限とかなんねえの﹂ ﹁チートとか厨二とかって、まさか⋮⋮﹂ ﹁お察しの通り、同郷からの転生者だ﹂ 冷静なアイラと動揺しすぎてお茶をこぼしたハンナが対照的だっ た。 1709 そこからは質問攻めだった。 とはいえ、答えられる質問は限られているし、語るほどのことが あるわけでもない。 むしろ途中から俺の方からの質問が増えた。 意外だったのは今の日本が全然変わっていないことだ。そう言え ば以前、向こうの世界とこちらの世界では時間の流れが違うと聞い たことがあった気がする。十倍以上もこちらの流れが速いのだった か? ﹁それにしても空間術か⋮⋮いいよな﹂ ﹁何言ってんだよ。お前の無属性の方が特別じゃねえか。それにお 前の無属性で瞬間移動ができるんだろう?﹂ と向こうにある馬車を指し示した。 するとカイは観念したように頷く。だが空間転移だけだから、と 謙遜した。 空間術は空間転移以外にもいろいろできるからひとえにどちらが、 とは言わない。 まあそれでもカグヤしかり、カイしかり万能な能力とはいいもの だ。 俺の波魔法だって一属性で他の数属性に匹敵する汎用性ではある が、無属性や四属性には負けると思っている。 ああ、いつのまにかのせられていたな。同郷ということで少し口 が軽くなったか。 まあいい。肝心なことは全然喋ってないし。そもそも魔法そのも のの威力なんてこれまでの旅で活躍した覚えがない。それこそ﹁ど う使うか﹂がカギだったし、そんなものは一朝一夕で盗めるもので も、人に説明できるものでもない。 1710 そして転生者であることをバラしたおかげで、不審な部分全てを それのおかげのように錯覚させて誤魔化せた。 さて、どうやって使い尽くしてやろうか。魔物の狩りや防衛程度 には役立ってもらうか。 1711 透明の謝罪︵後書き︶ レイル﹁レイルと﹂ アイラ﹁アイラの﹂ 二人﹁発明コーナー!﹂ レイル﹁さて。本日紹介いたしまのはこちら。石英﹂ アイラ﹁石英をどうするの?﹂ レイル﹁そういうと思って、こちらに完成品を用意しました!﹂ アイラ﹁なにこれ、ガラス?﹂ レイル﹁そう、ガラスです。石英の主成分はSiO2といってガラ スになるんですね。カグヤの地属性魔法、結合操作で作ってもらい ました。そう、地属性が地味だとか言ってるあなた!これであなた も大金持ち!﹂ アイラ﹁ただのガラスじゃん﹂ レイル﹁ただの、じゃないんだ。石英ガラスは純度が高く、熱膨張 砂の中から神様の涙集め も少ない。ヒーローに﹁熱膨張って知ってるか?﹂なんて言わせな い!﹂ アイラ﹁ガラスなら買えばいいよね? てまで作る価値あるかなあ﹂ レイル﹁い、いいんだよ、作りたかったんだから︵泣︶﹂ 私の幼少期、周囲は砂の中の石英粒のことを神様の涙と呼んでいま したが、あれって一般名称なんでしょうかね。 レイルは子供たちが自由時間に集めた石英をプレゼントされたので、 どうにか綺麗な状態で保管したいと思った苦肉の策がこれのようで す。 1712 盗賊退治 結局のところ、アランとかいった戦闘オンリーの勇者よりも無属 性という固有能力持ちのカイの方が便利であることが発覚した。 魔物討伐や警備のみならず、本来ならば地属性の結合操作、水属 性のイオン操作などの複合高等魔術となっている植物の成長促進な ど、無属性が行える範囲は実に広い。シンヤに日頃困っていること はないか、と絞り出させて次から次へと問題の解決に奔走させた。 俺も随分優しいもんだ。こうして使ってやることで、無属性の練 習にもなるし、新しい使い方へのとっかかりにもなる。この一週間 ほどで新魔法を幾つか生み出したらしい。 チート 俺なんて十八年ほど生きても波、空間合わせて百は超えないとい うのに。 これが反則というやつか。ぽんぽんとできることが増えるその様 には思うところもないでもない。 ﹁全く、前は余裕がなくて気にも留めなかったけど、ここは異常な 国だな﹂ カイはここをそんな風に言った。 マシンナーズ 魔族、獣人、人間の三種族はもとより、たまに来る客人としては 死神に悪魔、エルフにトロル、魚人に妖精と機械族に天使がいる。 魔王さえもがくつろぐこの国の在り方を呆れたように、そして羨 ましそうに言った。 そ 俺はこの国を国というよりは家のように思っている。みんなで働 こ いて、稼いで、食べて、暮らす。血こそ繋がっていないものの、家 族には過去も種族差もない。 だから、カイのことはさほど好きではないとはいえ、こうして自 1713 分の居場所の一つを褒められることはくすぐったくも嬉しかった。 ﹁一通り終わりました﹂ 聖女の方はこの国全体に発動後継続型の軽い結界を張ってもらっ た。 結界に必要な高価なものはあらかた取り寄せたり集めたりしたし、 失敗しても数回試せと言うあたりかなり甘めの条件ではある。それ でも国一つ、まあ大きな都市程度の範囲を丸々覆うというのはなか なかに骨の折れる作業のようだ。 リオは本当に居着いた。 いや、俺は全く構わないのだが、わざわざこの前送ってやったと いうのに戻ってきたともなるとなんだかな。 故郷を離れるというのは群れで生きる本能を持った獣人にはキツ いことなんじゃないのかと聞くと、 ﹁猫人族だから大丈夫なの﹂ と言う。ネコ科で群れを作るのはライオンぐらいだったか。だか ら群れの本能はやや薄いのかもしれない。 ◇ 俺たちはというと、治安維持という勇者候補らしくはあるが、俺 たちらしくはない仕事に駆り出されていた。 以前、自由の町と呼ばれていた町がギャクラの騎士によって潰さ れた。その時偶然遠出していて、いなかった大きな盗賊団の幾つか が戻ってきたというのだ。 盗賊団はあくまで消費市場や拠点として自由の町を使っていただ 1714 けで、そこまで自由の町そのものを重視していたわけではなかった ようだ。 シンヤの手腕とコネ、顔の広さによって信用できる奴らは部下に 引き込んだとはいえ、略奪を楽しむタイプのどうしようもない奴ら は未だこの周辺を跋扈しているのだという。 ﹁こんなことでもなければまともに歩いて冒険なんて機会も少なく なったな﹂ そんな時間を楽しみたい、という思いとは裏腹に空間把握でさっ さと乗り込んでぶっ潰してしまおう、と範囲をユナイティアに残し ながら広げて探る。 ﹁レイルくん、変わったよね﹂ まあ自分ではわからないからな﹂ 街道に沿って歩いている最中、アイラがそんなことを言った。 ﹁そうか? ﹁以前は面倒ごとには楽しそうに突っ込んでいったけど、戦うのは 避けてたよね﹂ ﹁そうね。反魔法団体潰す時も、見た目には一番危ない敵の真ん中 にいたけど、実質的には一番安全な場所にいたものね﹂ まあ、そうか。 俺は臆病だ。いつ上から岩が降ってくるかもしれないと、いつ流 れ矢が当たって死ぬかもしれないといつも最低を想定していた。 魔獣の群れと戦うなんてあり得なかったし、盗賊には会う前に射 撃とか魔法で不意打ち仕掛けて殺すかとにかく避けていた気がする。 空間把握で不慮の事故が起こらないと心のどこかに余裕ができて いたのかもしれない。 1715 ﹁変わらなかったら良かったか?﹂ ﹁ううん。どっちでも﹂ と言われるのと 変わったね と 言葉だけなら冷淡で突き放すようなセリフだが、その声音には非 難する色は全く見られない。 変わらないね ﹁どっちもレイルくんだから﹂ 親しい仲間に 言われるのはどちらが良いのか。 俺は幼少期から一向に成果の上がらない訓練を続けていた。それ こそ朝起きたら顔を洗う程度の感覚で。成果が上がったのは一、二 年ほど前だが、その結果としての退化を恥とは思わない。ただ、仲 ままなのか。 なっているのか。 弱い 強く 間に失望されるのは嫌だなあとは思う。 俺は それとも どちらでも俺の性質だ、と割り切って受け入れてもらえる限りは このままでいこう。 そんな風に思うのだった。 朝から延々と歩き続けて数時間、昼前に差し掛かるほどになって ようやく盗賊のアジトらしきものを見つけた。 とはいえ、見つけたのは俺だけで他のみんなにわかるはずもなか ったが。 空間把握で前方から右に四十五度、八百メートルほど進んだ森の 中にそれはあった。 1716 ﹁相変わらずすごいわよね﹂ アイラに手錠だの銃だのと捕縛や攻撃用の道具を出してもらう。 カグヤは刀を、ロウは短剣やら錫杖やらを出している。暗殺者な んだか術士なんだか。 敵の数は⋮⋮数えるのが面倒になるほどいる。 馬が十匹ほど繋がれており、倉庫は二つ。捕まえてきた奴隷など を保管するための牢屋らしき施設が六部屋。現在は八人ほどが放り 込まれている。 警備が常に二、三人ほどおり、残りは好きにしているようだ。 だが不自然だ。ユナイティアはほとんど被害を受けていないとは いえ、こうして情報が上がってくるまで俺たちが気づかなかったと いうのが。 かなり大きな盗賊団が被害状況からしか推測できなかったという のがおかしい。 俺たちは警戒しながら根城に近づいた。 総勢五十を超える盗賊たちの行動には統一性は見られない。 光魔法で姿を消しながら、一人、また一人と絶命させていく。 殺した相手も隠蔽し、拠点の外まで連れてきてはカグヤの土魔法 で埋めていく。 ﹁この程度の盗賊団か⋮⋮﹂ てっきり凄腕なのかと思えば、こうして姿を消しただけであっさ りと殺される集団だということはさほど手練れではないらしい。 二、三人ほど拷問して知っていること洗いざらい喋ってもらおう 1717 かと思ったが、その必要はないだろうか。 どうせ雑魚すぎて近くの国の騎士団に目をつけられたとかそんな 理由で逃げ帰ってきたのだろう。 俺はそんな風に見くびっていた。 だから、軽い気持ちでほとんどの部下を殺し尽くした後に、一番 力のありそうな奴らの部屋に入った時に驚いた。 ﹁⋮⋮誰だ!﹂ そう、気配で気づかれたのだ。 そろそろ同じ部屋にまで入れば気づく奴も出てくるだろうかとは 思ったが。 部屋の中央に獣の皮でできた胸当てと腰巻に、幅広の曲刀を担い だ男が座っていた。 ﹁兄貴、気のせいじゃないですかい?﹂ やや太めの大柄な男が言った。 しかし首領らしき男はその髭面を横に振った。 ﹁出てこいよ﹂ しょうがない、気づかれているならこちらから、と俺は俺たちの 姿を相手に見せた。 ﹁やっぱりか﹂ ﹁ようやくまともな奴がいたな﹂ 1718 ロウが挑発する。 ﹁楽に済むと思ったのに﹂ アイラは不満そうだ。 俺はなんの予備動作もなく、アイラの持つ手錠に手をかけた。 空間を捻じ曲げ、男たちの両手首を近づける。 突然出現した手錠に両手を封じられた男たちは狼狽えた。 ﹁なんだこれは!﹂ ﹁おい、外せ!﹂ 外せと言われて外す馬鹿はいない。 よし、これであとは連れ出して、と今後の処遇について考えてい ると目の前の首領が突然消えた。 俺はアイラを引き寄せ、アイラのいたところに剣を突き出す。 ﹁てめえも空間術持ちか﹂ アイラのいたところに同じく剣が突き出され、そしてその剣を俺 の空喰らいが受け止めた。 ニヤリと笑う盗賊の顔には一片の恐怖も見られない。 そして、同じ空間術なら勝てるとでも思っているのか。 ただ、アイラを一番に狙ったのは正解なのだが⋮⋮同時に最大の 間違いでもあった。 一番に接近戦の弱いアイラを何の油断もなく襲える相手。 それだけの判断力と空間転移を扱えるというだけの実力を見せつ けた相手に、俺を含む四人は何の油断もなくこいつらを全力で仕留 めることを決めた。 1719 引き寄せられたアイラはそのまま持っていた銃の引き金を惰性の ままに引いた。乾いた破裂音は鈍色の直線を男の胸へと伸ばした。 男が避けると、後ろにいた盗賊の一人が血飛沫をあげた。 ﹁空間転移を使えるやつが俺以外にもいたんだな﹂ 残忍な笑顔で男は曲刀を舐める。 余裕ぶっこいてると、ほら。 ﹁ちいっ!﹂ ロウがすでに回り込んでいて、カグヤと連携を取りながら襲いか かる。 だが俺はこいつの戦い方を見ていて一つ気がついた。 そう、こいつは空間転移しか使えない。それも入れ替え型の空間 転移だ。 俺は初級だと思っていた空間把握とは、空間術における奥義で、 一つの到達点であるらしい。 ヘルメスも随分スパルタ空間に放り込んでくれたものだ。 男は俺を最も厄介だと思ったのか、それとも手を出していない俺 を最弱と見たのかはわからないが俺に向かって転移してくる。 俺の胸に曲刀が突き刺さる││││││││││││││光景を 見ながら男は逆に自分の胸から俺の聖剣が生えているのを見た。 ﹁何、が⋮⋮起こった⋮⋮?﹂ ﹁空間把握もできないのに目の前にあるものを信じすぎ。残念、そ れは幻影。本当の俺はズレたところで剣を前に突き出していたよ。 1720 お前は自分で剣に突っ込んだんだ﹂ 空間転移など使う必要もない。 そうか、これが練度というものか。 俺の光魔法は威力こそないものの、便利なものだ。 そして名も知らない盗賊さんには言ってやりたい。 最初に姿が見えなかった相手が正直に姿を見せたら疑えよ。 ま、死人に説教なんざ、それこそ馬の耳に念仏唱えるよりも虚し いものだ。 ずるり、と嫌な音をたてて剣を引き抜く。 ごぽりと何かを言いかけながら盗賊の男はその場に崩れ落ちた。 1721 大戦の幕開け︵前書き︶ いやー、同時応募可能な﹁なろうコン﹂とか﹁モンスター文庫大賞﹂ っていいですよね。タグつけるだけで見てもらえる機会が増えます し。 しかも感想ももらえるんですって。応募しなきゃ。 1722 大戦の幕開け ずば抜けて強かった首領があっけなく殺されたことで、盗賊団は 完全に戦意を喪失していた。 粗末な小屋でロウと俺が話を聞き出したところによると、彼らは 何か不都合があって逃げ出してきたわけではないという。 こんな奴ら相手にするぐらいなら、以前の国に戻った方がマシだ 信じてくれ!﹂ というのはやや引っかかる言い方ではあるが。 ﹁本当だ! 信じるもなにも、判断材料がないからな。 盗賊団とあろうものがそんな漠然と ﹁首領の知り合いで腕の立つ占星術師に﹃近々、良くないモノが現 れる﹄って言われたから? したものに動かされてよく去ったな。もしもそいつがお前らを遠ざ けるための嘘だったらどうすんだよ﹂ ﹁いや⋮⋮兄貴も俺たちもあいつには何度も助けられてて⋮⋮それ にあいつは全ての客に平等な対応を、だからな﹂ ﹁そうだぜ。⋮⋮まあ少々変わってるがな﹂ 首領が空間術を使ったことで、どうやって盗賊稼業を安全にこな してきたかはわかった。 ただ、その占い師が気になる。 いつでも逃げられるような術を持っていながら、わざわざこのギ ャクラの近く、しかも俺たちのお膝元といえば聞こえは悪いがよう はそんなところにまでやってくる理由はあったのか。 1723 ﹁とりあえず洗いざらい吐いてもらおうか﹂ 盗賊たちの悲鳴が再度響いた。 アイラに水を出してもらって真っ赤な手を洗う。 ﹁で、どうするの?﹂ カグヤが言った。疑問というよりは、すでに決まっているであろ う俺の決断に対する確認であった。 ロウはどちらにせよついていくつもりなのか、あまり気にした様 子はない。 ﹁じゃあ行ってみようか?﹂ 気になることがあったらいく。 それができるほどに俺たちのフットワークは軽い。 空間術でいつでも帰って来られるのならば、いける範囲に出かけ るのもいささか気楽なものである。 1724 ◇ そんなわけでやってきたのが、こちらデイム大平原の東にある国 モライだ。 近くに三つほど国があり、比較的国が密集している地域でもある。 特にこの国は近くの国々と交流もあり、南の山を挟んで海岸側で 取れる海産物も輸出品となっている。 しかしながら、山を越えてくる風は夏場は乾燥しており、雨が少 ないせいで稲作などはあまりできない。 嘆かわしい。海産物はあるのに米がないとは。 とはいえ、ギャクラでさえ米などマイナーな食事であった。 たまに無性に食べたくはなるが、安定供給自体はユナイティアが 安定してからでも遅くはないと半ば諦めている。 ちなみに、俺たち四人の中で米を切望していないのはアイラだけ だったりする。 ﹁広いねー﹂ 国の領土が広いのではないが、短い草の草原が広がるその様はま さに大草原であった。風で揺れて、ざわざわと音を立てている。 近くに国があるということは、魔物よりも人相手に対する警戒の 方が強い。 ひさびさの入国審査を受けた。勇者候補であると聞いた途端に急 に態度が柔らかくなった。肩書きって便利だね。 ﹁あああああの、レ、レイル様でしたか!﹂ こんな風に。 1725 噛みまくっているのはどうしてだろうか。そして視線には怯えが 混じりまくっている。 ほっておいたら今にも土下座しだしそうだ。 楽しそうなのでそのままにしてもいいけど、外聞が悪くなるだけ で気持ち以外に利益がないので控えておこう。 優しく声をかけ、肩にぽんと手を置くとビクリとその肩が跳ね上 がった。 そんな萎縮されるほどの偉業ではないと思うんだけどな。 というよりは、もっと種族の橋渡し的な誰とも仲良くなれる親し みやすい勇者候補を目指しているというのに。 ⋮⋮まあ冗談のようなことは置いておいてだな、とりあえず入る ことは何の問題もなかった。バカ正直に理由を話しても良かったが、 ただの観光とだけ報告して入った。嘘はついていない。国を見にき たのだから。そういう意味では視察のようにも聞こえるが。 今は土の下の盗賊たちに聞いた占い師の住所を訪ねる。住所、と は言うものの、実際は﹁ここあたりにいる可能性が高い﹂とか﹁こ んな名前を名乗っているかもしれない﹂とかそんな話だ。 だが、その特徴は聞けば忘れられないもので、俺たちはあっさり とその占い師を見つけた。 小さな即席の館に、紫のローブをかぶってヴェールで半分顔を隠 した女がいたのだ。そのヴェールの向こうに見えるのは、アイシャ ドウで蠱惑的な目を強調した鼻の高い顔だ。 あなた、稀に見る禍々しい運命 どう、お姉さんが見てあげるわよ!﹂ ﹁愛の占い術師、アモーレよ! の子ね! 人差し指でポーズを決めながら俺たちに向かってそんなことを言 う残念系の女であった。 1726 ◇ 個人的に話がしたい、占い一回分の金は払う、そう言うと即席の 館の奥にある小さな家に案内された。 簡素な作りではあるが、部屋のあちらこちらに怪しげなものが置 いてある。そして極めつけには、大きな鏡があった。それもまるで 城に置いてあるような立派な一品。姿鏡と言われる、人の半分ぐら もしかしてお姉さんをみんなで襲お いの大きさのそれは淵が木でできていて、花が彫られていた。 ﹁話って何かしら。はっ! うと⋮⋮﹂ ﹁してないから﹂ アイラの絶対零度の眼差しに、冗談よ、とからからと笑った。 ﹁あなたたちが来ることだけはお見通しだったわ。あなたが私の知 り合いを殺したってこともね﹂ 前半だけなら単なるハッタリだと言えただろう。 しかし後半は違う。こいつは確かに俺たちの過去を知った。 もしも事前に知っていたならなんの躊躇いもなくこうして招き入 れるのは非常に不自然だ。 ならばこいつは俺たちが殺したことを今、占ったか、俺たちがこ いつに危害を加えないことを未来視したか、だ。 取り出した大きな水晶玉はゆらゆらと光をたたえている。 1727 ﹁⋮⋮やはり時術か﹂ ﹁あら、知ってたのね。そうよ。これは時術。私は特に目に特化し ていてね。未来や過去を見ることができるの。あまりに遠いのは無 理だけどね﹂ 距離的にも時間的にも、と付け加えた。 ﹁それにしても驚いたわ。彼を倒しちゃうなんて、ね。強かったで 俺としてはあんたのほうが厄介だがな﹂ しょう。空間転移は無詠唱でしかも発動時間はなかったし﹂ ﹁あんなのがか? ただ空間を転移できるならば、転移した先で殺せばいい。 聖女の結界でも、対応できない速さでも構わない。 だが未来視ができるということは、空間転移する先を読まれると いうことだし、何より情報不足の状態から策を読まれる可能性があ る。 俺ならこいつが率いる軍とだけは対峙したくない。 きっとこの能力なら国からも引っ張りだこだっただろうに、どう して盗賊の手助けなどをしていたのか。 なんとかして引き入れられないものか。 とりあえず意思確認だけでも、と口を開いた瞬間に遮られた。 ﹁大丈夫よ。恨んじゃいないわ﹂ 質問を先読みされたのだ。 また未来を視たのか、というのが顔に出ていたのか、 ﹁それぐらいは年の功よ。お姉さんもあなたよりは歳上だからね﹂ 1728 と言われた。 ﹁本題はそこじゃないわよ﹂ カグヤが俺たちの腹の探り合いに嫌気がさしたのか、強引に話を 進めた。 盗賊を殺した時に吐かせたことを聞いてみると、沈鬱そうな面持 ちで彼女は語り出した。 冥界は行ったことはないが、知り合い ﹁あなたは、世界には三つの区分があることを知っているかしら﹂ ﹁天界、冥界、現世か? もいるんでな﹂ アークディアとか、ミラとか。 あいつらは管轄こそ違う毛色の悪魔と死神ではあるが、どちらも 冥界の住人であることには変わりない。 天界は二度しか行ったことはないが、知っているのは四人か。 ﹁ええ。存在は真面目には信じられていることは少ないわね。それ こそ神を信じるヒジリアの人とかぐらいしかね﹂ ﹁それがどうした﹂ ﹁ま、いいわ。ただ冥界からの存在が近くにくることになるかなっ て視えたから﹂ もしかしてそれって俺の契約相手のアークディアのことじゃない のか。 ﹁まー、ただ単に隣国二つがきな臭くって戦争に突入しそうだから ってのもあるけどねー﹂ 1729 ﹁そっちだろうが﹂ おそらく盗賊としては厄介な戦争に巻き込まれたくはなかったの だろう。兵士が活発になり、冒険者が出入りするようになれば商隊 を襲うメリットよりもリスクが上回るから。 そこに来た﹁不穏な存在﹂の予言。これ幸いとまとめてもとの拠 点に戻ってきたのだろう。 きな臭いきな臭いとは言っていたが、そこまでか。 ﹁戦争、ねえ﹂ 口の中で現状を整理した言葉を転がす。 時々アイラは神妙な顔をして工房にこもっては出てくる時には晴 戦争屋'ハイカー れやかになっている。アイラはその時の神妙な顔と同じ顔をしてい た。 そしてその一週間後、二つの隣国アグリーと デンの全面戦争が勃発した。 1730 大戦の幕開け︵後書き︶ ネタバレするならば、タイトルの大戦って別にこの戦争のことじゃ ないんですよね。 最終章、突入 1731 顕現 俺たちはそこで、世紀最大の悪夢とも言える光景を目の当たりに した。 ◇ 話を占い師の予言を聞いて俺たちが情報収集に出たところまで遡 らせる。 農業において、最大の生産量を誇るアグリーは平和な国であった。 だがアグリーは兵力がまるで足りていなかった。それこそ、魔物の 群れが襲うだけで滅びそうなほどに。そして非常に小さな国だった。 他の大国とは比べものにならない、それこそ幾つかの村や集落、街 と言ったほうがいいような場所だった。人口十万にも満たない、国 と名乗っているだけだと揶揄されるほどの小国だったのだ。 逆にハイカーデンは一次産業に乏しかった。というのも、国は冒 険者と兵士を混同しており、他国からの依頼を受けて稼いだ金で家 族を養う人間が多かったからだ。 そう、兵士の訓練には力を入れていたのに、その生活の面倒をほ とんどみなかったのだ。 結果としては、最も距離が近く、そして最も兵士の必要なアグリ ーが目をつけられていた。 以前からハイカーデンはアグリーに大量の兵士を常駐させ、その 防衛費用として大量の農作物や家畜の肉を送らせていたのだ。 1732 それはまるで、守るから税を納めろという国家と国民のような歪 な関係。両者の間には利害の契約こそあれど、確かに身分差があっ た。 アグリーも兵力に乏しいからこそ、その案を渋々ではあるが、受 け入れていた。 だんだんと、ハイカーデンの兵士たちは増長するようになってい た。 守ってやっているんだから偉いはずだ、力のない農民国は作物を 納めていればいいんだ。そのように罵倒することも多かったという。 いつか、いつかなんとかしてやる。 そんな風にアグリーが余剰の作物で資金をため、着々と力を蓄え ていたのも無理もなかった。 そんな時だった。遠くの国から大量の冒険者がやってきたのは。 彼らはとある国で、得体の知れない怪物との戦いを終えてきたと いう。彼らは悲惨な戦いをくぐりぬけ、心身ともに疲れていた。 素朴な人柄の国民性は、ハイカーデンの傲慢な兵士たちとは違っ た冒険者たちを暖かく迎え、受け入れた。 ボロボロで宿屋に止まって、酒を飲んだりしている冒険者たちを 責める人はいなかった。時には温かいスープを、時には優しい言葉 をかけて世話をしたのだ。 彼らはそんなアグリーの人々にいつしか心を開き、恩返ししたい と願うようになった。 彼らがアグリーのために、と冒険者組合のなかったアグリーに自 衛組織のような団体を作り、魔物を狩ってきてはアグリーに提供し た。 1733 そして彼らはいつしか、正式に魔物から守るための戦力として雇 われるまでになった。 冒険者としての生活に疲れてしまっていた彼らは、ここでのんび りと過ごすのもいいかもしれないと思っていた。 戦うことしかできない彼らは、仕事内容はほとんど変わらないが 親切にしてくれた人を守る定職ならこちらの方がいいと冒険者をや めてしまったのだ。 こうして、アグリーは一つの兵団を手に入れた。 こうなると困ったのが、ハイカーデンである。 これまでほとんど無理やりに請け負ってきた傭兵業は廃業である。 かなり多くの兵士たちがその日の稼ぎの手段を失った。 その多くは、以前からアグリーの人々を見下していた心証の悪い 兵士たちであった。 そんな彼らが素直に場所を変えるわけがなかった。 ではどうしたか? アグリーの人々を襲う盗賊に身をやつしたのだ。 もともと素行が悪く、腕だけで雇われていたような兵士たちが一 斉に盗賊になった弊害は大きかった。 俺たちが殺した盗賊たちも、こうしたライバルの増加により、近 々ヤバイだろうことを肌で感じていたのかもしれない。 これ幸いと、場所を変えてしまったのだ。 みぞ アグリーとハイカーデンの確執はますます深まることになった。 アグリーはより頑なにハイカーデンを拒むようになり、ハイカー 1734 デンはそんなアグリーが冒険者だけで手が回らなくなって泣きつく のを待った。 お互いに傍観を決め込んだことで、改善の道は閉ざされ、何より 話を聞いた元冒険者たちが憤慨して盗賊退治に本気を出した。 そしてそれが幾つかの他の国の耳に入ったのだ。 ハイカーデンは中立の戦争屋。問題は起こさず、兵力を売り買い することで自身は戦争から逃れてきた。 だがそれを快く思わない国も多く、これ幸いと元冒険者たちの組 織を支援するどころか、防衛のための戦力を貸し与えてしまったの だ。 こうして確かな戦力を得たアグリーは、ハイカーデンとの一切の ひょうろうぜめ 交流を断つという形で擬似戦争に踏み切った。 事実上の経済制裁に、むしろ音をあげて宣戦布告したのが今回の 経緯となる。 ペガサス ﹁はー、だからか。これもあったんだろうな。俺たちが天馬部隊に 宣戦布告された時も、ガラスでさえも俺たちに恩を売ろうと庇いに こなかったのは﹂ 今回、裏でアグリーに戦力を貸し与えていたから俺らでなんとか なりそうなのに余計な口を挟んでリスクを負いたくなかったのだろ う。 妙なところで信頼されたものだ。 そして、流れ込んだ冒険者は擬神との戦いで防衛戦に加わった奴 らか。 武器も、魔法も通じない空飛ぶ敵って俺たちが思っていた以上に みんなの精神を削ってたんだな。 1735 理由のいくらかが俺たちに関係しているからといって、これとい った罪悪感があるわけではなかった。 どうせそんな歪な共依存はいつか崩壊しただろう。誰が種火にな るかの話でしかない。そして、擬神を放置していたらもっとこれは 酷くなっただろう。 ﹁で、あれが戦争か﹂ 高い位置まで回り込んで、俺たちは戦争の状況を視察していた。 見つかったらスパイだと疑われても仕方ないが、その時はその時 だ。そもそも俺たちの警戒をくぐり抜けてこれるのが一介の兵士を やっているとは思えない。 眼下ではアグリーに援軍として送られた多国籍の混成軍が陣をな している。 旗の色や鎧の違いで、どこの国かはわかる。ガラスの他にも、ウ ィザリアなども援軍を送ったようだ。さすがに魔物重視のヒジリア は送っていないか。 ﹁今回は手だししないんだよね?﹂ ﹁ああそうだ﹂ もしも﹁する﹂と答えれば、アイラもスナイパーライフルをもっ て狙撃してくれるのだろう。 だが今回はただの野次馬だ。傍観者を決め込もう。 ぞわぁっ、と軍が動きだす。 その熱気と迫力、振動は空間把握などがなくとも直に伝わってく るかのようだ。 1736 ﹁どうして人は争うのかしらねー﹂ カグヤはアイラから双眼鏡を借りて戦争を眺めている。呑気に哲 学的な質問をしてくるあたり、彼女も慣れたなあと思う。 ﹁なぜって﹂ 両軍が激突した。剣と剣が、魔法と魔法が打ち合う音がする。炎 や水が飛び交い、地面が隆起して兵士を襲う。 やっぱみんな、魔法って直接的にその起きた現象しか扱わないん だな。 それはまるでゲームの魔法のようだと思う。 固定された効果を固定されたものとして甘んじ、享受している。 魔法使いをただの固定砲台としか思っていないんじゃあないだろ うか。 ﹁生きるためだろ﹂ 今、俺はどんな目をしているのだろうか。 それからしばらく経った。 お腹が減って、アイラの腕輪から出した料理で昼食をとった。 まるでピクニックだな、とは思うが事実そうなのだから仕方ない。 花の代わりに戦争を横目に、サンドイッチらしき食べ物を頬張る。 この世界のサンドイッチは、ものぐさな魔法使いが魔物と戦いな がら食べるために作った、などという逸話があるが真偽のほどは定 かではない。 1737 ﹁ん?﹂ 空間把握に僅かな違和感を覚えて疑問の声をもらした。 ロウが何があったと尋ねるが、何があるのか俺にもわからなかっ た。 なんせ、戦場を一望できるこの距離から万を超える大軍を見てい るのだ。 空間把握を使ってさえ、その詳細まではわからないのだ。 もぐもぐとほにゃららボアの肉で作ったサンドイッチを食べきる と、もう一度戦場を見た。 今も大量の人間が死んでいる。空間把握を使っていると、某海賊 漫画の気配探知みたいに声が消えていく感触がする。いや、あの気 配探知を知っているわけじゃあないのであくまで想像だが。 何かが不自然な気がした。 ずっと前のことを忘れているような、そんな既視感というかそん な感じだ。 そしてその違和感は突如としてかき消される。いや、塗りつぶさ れたのかもしれない。違和感なんか消し飛ぶぐらいに衝撃的な出来 事が起こったのだ。 ﹁おい、なんだよ、あれ!?﹂ 見れば、戦場から白い靄のようなものが立ち込め、その靄のよう なものはある場所に向かって集まっていた。 ﹁ちょっと待って⋮⋮﹂ 1738 おどろおどろしい気配が辺りに立ち込める。 誰も見えていないのか⋮⋮ダメだ、今から何をしようにも間に合 わない。というか何を止めていいのかわからない。 白い靄が黒い気配に染まりながら一つの地点に集約されたときに は、ほとんどの兵士たちが死んでいた。 そして、未だ死んでいない兵士たちまでもが絶命していくのがわ かる。 ﹁ヤバイ、あれはダメだ﹂ 気配に敏感なロウが冷や汗をダラダラと流している。そういうの に鈍いアイラでさえもが真っ青になっている。 ギギギ、という音が聞こえそうなほどにゆっくりと、戦場に黒い 穴があいた。 まるで空間を切り取ったかのようなその穴からは、邪気をこれで もかというほどにまとった3メートルから4メートルほどの男が現 れた。 巨人族か、それともあれは悪魔か。 必死に頭の中で検索をかける。 一つ、記憶の断片にかするような感触があったが、すぐにわから なくなった。 アークディアを呼び出しておく。 口からは牙がはえ、目は赤い。 それだけなら吸血鬼だと思っただろう。 頭にツノがはえている。それなら獣人だと思ったかもしれない。 1739 大きな体なら巨人族だと言ったかもしれない。 鱗があるなら竜か、魚人だと思ったかもしれない。 いや、違う。 あれは、もっと濃密で、それでいて次元の違う存在だ。 その日、世界に邪神が顕現した。 1740 顕現︵後書き︶ ブックマーク、感想、評価、そして読んでいただきありがとうござ います。 いつも励みになっております。 ようやくです。 ばらまいた前フリだか、伏線だかを回収する最終章になってまいり ました。 やや説明口調というか、状況説明などが多めになってまいります。 邪神大戦編、始動。 1741 仲間との駆け引き まだ青白い靄のようなものの残滓が禍々しいアレの周りに漂って いる。よく見れば靄はいくつもの小さな人魂のようなものが集まっ ているようだ。中に核があるのが確認できる。 ﹁アークディア、アレが何かわかるか?﹂ 喉がカラカラだった。少しかすれた声で尋ねた。そこでようやく、 俺も久々に緊張しているのだと自覚した。 ぐいっと昼食の横に置いた飲み物を飲み干す。すると額に汗が滲 んだ。 ﹁青白いのは魂ですね。おそらくアレを召喚するための生贄にされ たのでしょう。そして黒いのは邪神ですね。あ、受肉しました﹂ 鎧をつけた兵士たちだったモノが、ローブを羽織った魔術師だっ たモノが大きな平野を埋め尽くしている。邪神は死体に残った魂を 取り込ませることでゾンビに変えた。 今まで動かなかった物言わぬ死体はノロノロと起き上がり、吼え た。理不尽な儀式と理解不能な術式で抵抗も許されずにこの世を去 った亡者たちの怨嗟の咆哮が邪神を包む。 空間把握で嫌になるほどに邪神を観察していた俺には、邪神が心 地良さげに目を細めたのがわかった。 ﹁死体をゾンビにしやがった⋮⋮﹂ 死者の復活に関連した術というのは魂術の中でも最高位の難易度 1742 である。それを何千、何万と同時に行ったその力を理解させられる。 生気のない死者は完全に邪神に呑まれている。彼らにあるのは邪 神への本能だけだろう。 次に、右手に魔力を込めてかざしたかと思うと、大地が激しく揺 れた。地面に亀裂が入り、岩が出現しては形を変えて消えていく。 複雑に形を変え、組みあがった。 全てが止まったころには、城が出来上がっていたのだ。 とはいえ、石でできた簡易なものであることが幸いか。地属性、 クリエイト 結合操作と空間術、おそらく時間と重力も使っている。呼ぶとすれ ば複合魔法、簡易建造となろうか。 そう。ここに一つの戦力が出来上がった。 おそらく、邪神はこちらに気づいている。 波魔法と空間術を組み合わせて隠蔽しているが、それでもどれほ ど効果があるかわからない。 ﹁一度、戻って世界中にこのことを知らせる。今無策で俺たちが挑 む利点はある。あるがそれは復活したてで力の戻りきっていない時 だってだけだ。それより戻って知らせるほうが先決だ。俺たちが挑 んで負けたら成果はないが、戦力を集めて対策を考えられる方が何 百倍になる﹂ 俺は戦わない選択をとった。 四人は何も言わずに従ってくれた。 俺は転移で距離をとった。 いつも通り、現状を確認した。 1743 しなければならないことはなんだ? 自分をこの世界に顕現させた奴らの言うことを邪神が素直に聞く とは思えない。 ならば儀式を行った奴らの目的は邪神そのもの、ひいては邪神が したいことなのだろう。 かつての破壊神アニマと同じなら、破壊になる。 ﹁アークディア、あいつの目的はわかるか?﹂ あっち 今俺の身内で一番冥界に詳しいのはこいつだ。それを利用しなく てどうする。 アークディアは一呼吸おいて、そのためには冥界の仕組みについ て話すことから始めなければならないと言った。 ﹁冥界は二つの権力組織があります。一つは他世界に関連する法律、 管理を司る組織です。ミラ様はここの中でも現世から冥界に来るこ とが決まった死者の魂を管理されていますね。主の知るヘルメス様 も、冥界寄りの神ですか。そしてもう一つが冥界そのもの、つまり は中の行政と警備に従事する組織です。二つまとめて冥府と呼んで います﹂ ふむ。じゃあ現世への移動を制限する法律を作るのは前者で、そ れを守らせているのが後者というわけか。 ﹁あの邪神は厳密には邪神というよりは、その性質が邪神に近いと いうだけで、創造神と破壊神シヴの間に生まれた神の一柱です。そ して冥府でも行政と警備側で現世干渉派の代表ですね。性質として、 親の破壊と再生を受け継ぎ、今の失敗作である世界を滅ぼして新た な世界へと生まれ変わらせるべきだと主張しています。その際に立 役者となって冥界での発言権を高め、現世の利用を目論んでいるか 1744 と﹂ これまでは現世にほとんど干渉できなかったから、どうにもでき なかったのだという。 そして今回偶然か、はたまた狙ってかはわからないが召喚された ことでその目的を果たせそうだってことか。 だんだん事実確認をしていくうちに落ち着いてきた。自分のやり たいこと、そしてやらなければならないことが見えてきた。 さすがはアークディア。伊達に﹁知識欲﹂を前面に押し出す悪魔 なだけある。魂だとか、力よりもなにより知識を欲する世捨て人の くせに、いや、こんな奴だからこそそんな細かい政治情勢にも詳し かったのだろう。 俺たちはこのことを知らせよう。 最初から何も変わっちゃいない。 一つ一つ潰していこう。 そう思ったら気分も少し晴れた。 清々しい顔で行動に移そうとすると、俺の服が掴まれた。 レイルく ﹁ねえ⋮⋮レイルくんはあの邪神と戦うつもりなんだよね﹂ ﹁んー、そうだな﹂ ﹁ねえ、それってレイルくんがしなきゃならないの? んいつも言ってるじゃん。自分は弱い、他にも強い奴はもっといる、 って﹂ アイラはぽつりぽつりと確かめるように尋ねた。いや、これは懇 願しているのだろう。 ﹁行かなくていいじゃん。他の人に任せたって。わざわざ一番強い 1745 相手に挑まなくたってさ、だってあんなの、策とか通じそうにない よ?﹂ いつも、いつも俺なら大丈夫と軽いノリでついてきてくれたアイ ラがこうもはっきりと弱音を吐くのは初めてかもしれない。 ﹁なあ、アイラ。簡単なことだよ。あいつが世界を滅ぼそうってい で、戦って負けて 戦って勝つか、逃げて誰かが倒すのを待つか、だ うなら、戦わなくて負けたら全員死ぬだろ? も死ぬだろ? よな﹂ 今から言うことは詭弁だし、それで何かが解決するわけでもない。 単なる俺の考えだから、それでアイラが納得してくれるかはわから ないけどこれしか言うことがないんだよな。 さすがに長い間冒険してきて、それぐらいの自信はつ ﹁じゃあさ、誰かが戦って勝つならそこに俺がいた方が勝率は上が るよな? いたんだ﹂ 足手まといにならないぐらいの自信は、な。 空間術と、波魔法。どちらも攻撃的ではないにしろ、俺の最強の 武器だ。そして相棒とも言える聖剣もある。 ど って ﹁誰かが戦って負けるなら、いつか戦うことになる。その時に うしてあの時自分を含めた全戦力で向かわなかったんだろう 後悔したくないんだよな﹂ 自分の命さえ天秤にかけた、最も合理的な判断。勝てば生き残り、 負ければ死ぬのならば全てをそこにぶち込むべきだ。 1746 ﹁⋮⋮わかってたよ。レイルくんが間違っていないことぐらい。私 が口で、レイルくんに勝てるわけないのに⋮⋮﹂ 目を斜め下へと滑らせながら、まだ諦める様子のないアイラを否 定する者がいた。 ﹁いいや、それは違うぞアイラ﹂ ロウが否定したのは、﹁俺が間違っていない﹂の部分だ。 ﹁その通りだ。俺たちが人間という生物である以上、自分もしくは 自分というと存在を残そうと考えるのが正しいし、普通だ。俺の能 力なら邪神が滅ぼそうとしている世界で死なずに生き残れるかもし れない。もしかしたら何人か助けられるかもしれないしな﹂ 生き残れば勝ち、ではなく俺の居場所、身内、全てを奪わせなけ れば勝ち、だ。 もしも俺たちが蜜蜂のような全体の本能の強い生物だったならば、 群れが残れば勝ちなんだろうけど。 ﹁そうね﹂ ﹁カグヤはどうするんだ?﹂ ﹁私は行くわ﹂ 迷いなく答えるカグヤが眩しい。 ﹁知ってるかもしれないけど、私って結構戦闘狂なのよね。この中 で一番まともだとは思ってるけど、唯一そこだけは違うわね。ロウ と故郷で戦った回数だって通算で三桁を超えるわ。強い相手に挑ま れたら面倒くさいとか言いながらも楽しんでる部分もあるのよ﹂ 1747 空間把握が、波魔法が異様なほどの気配を感じとった。これは魔 物の群れだ。 そうか、邪神の強さに惹かれたのか。 魔物は強い相手に従おうとする本能がある。知能が高ければ高い ほどに、複雑な評価で強く忠誠を誓う。かつてのクラーケンが知能 も含めて強さだと言ったように。だが、知能の低い魔物は純粋に力 や体格、魔力に存在の次元で従う相手を決める傾向が強い。 そこに世界最強の存在が現れたら? 当然のようにそいつに従おうとするだろう。 オーガ 森の中や平原、様々なところにいた魔物たちがその同族かも無関 係に群れをなしている。 ゴブリン、オーク、コボルト、大鬼にウルフ系などの雑多な繁殖 力の強い大群に混ざってワイバーンなどの下級竜種がいる。 ﹁この先に魔物の群れがいる﹂ 俺はそう言って空間把握で得た情報をそのまま波魔法でその場に 投影した。 かつてない魔物の群れは先ほどの衝撃に比べるといささか弱い。 だがそれでも、国一つ滅ぼせそうなほどの大群は異常と言える。 ﹁じゃあこうしようぜ。俺が一人で、この魔法と剣を持って真正面 からこいつらを壊滅できたら邪神に挑むのを許してよ﹂ 俯いていたアイラがハッと顔を上げる。 しかしすぐに、俺の顔を見て影がさした。 1748 ﹁じゃあ、時間制限もつけて。長い間かけてもいいならレイルくん には転移があるからズルい。だから時間制限つけて﹂ ﹁いいよ。あまり短いのはダメな﹂ ﹁うん。今から三時間以内に戦いを始めること。それと、戦い始め てから半日以内。最後に一番大事な約束︱︱︱︱無茶しないで。達 成のために怪我なんかしたら許さないから﹂ 最初の三時間以内は俺じゃなきゃ無理ゲーだ。 そして半日以内。これはあの魔物たちが人の住む領域に突入する での時間だ。戦うってだけなら随分長いが、今見せた魔物に一人で 挑むには妥当か。いや、策を練る時間さえ与えないその設定にアイ ラが誠実に、本気でこの賭けを受けたことがわかる。 どちらにせよ、あの魔物の群れを一人で倒そうとか言い出す時点 で頭がおかしいと言わざるを得ない。数ヶ月前までの俺だったなら ば。 できないとか、できないからよかったとか、なんの焦りも余裕も 見せないままに俺の身を案じたルール設定をアイラは定めた。 ならば俺はそれに応えなければならないな。 1749 仲間との駆け引き︵後書き︶ 長くなったので二分割します。 今日中にもう一話投稿するかもしれません。 1750 対群勢︵前書き︶ レイル、初の完全無双回 1751 対群勢 ギルド 転移で向かったのは最寄の冒険者組合。 三人には外で待ってもらい、木製の扉を開くと一斉に中の冒険者 と受付などの人の視線が俺に集まった。 それで今か それが意味するのは、俺が入っただけで全員が気付くほどに静か であったということであった。 ﹁あ、もしかして緊急依頼で招集とかしてました? ら作戦会議や説明だったりします?﹂ 軽い口調で場を明るくさせようと試みる。 だが返ってきたのはむしろ敵意と殺意のこもった軽蔑の眼差しだ った。 ﹁そこまでわかっていて今頃、そしてお前みたいな若造がなんの用 だ﹂ 鋭い目つきで髪を後ろに束ねた男性が俺を見据える。 いつでも剣を抜けるようにと片手が剣に添えられている。 ﹁そうです。魔物が大量発生しました。原因も追って捜査中です。 今から緊急依頼の説明をいたしますので、参加ならば後から説明を しますのでお待ちください﹂ 受付の人が慌てて介入する。 こんなところでいざこざを起こして、貴重な戦力を減らしたくな いのだろう。 1752 ざっとここにいるのは百人ほどか。おそらく国でも討伐隊を組ん でいるし、他のギルドでも冒険者を招集していることだろう。 ﹁悪いけど、それ俺に任せてくれない?﹂ 馬鹿いうなよ﹂ ただでさえ静かだった冒険者たちの時間が止まったような気がし た。 しばらくして一人が笑い出した。 ﹁それはできねえなぁ。一人で挑む? ﹁勘違いしないでほしい。頼み事のような形はとってるけど、俺は 止められたっていく。というよりはここで事前に突っ込むからって 知らせとくだけ親切だと思ってくれよ。大丈夫。ここにくるまでに やるからさ。もしも残ったら後片付け頼むし﹂ ﹁困りますよ。勝手な行動をされたら﹂ ギルド員の人が止めに入る。 魔法使いらしき人がいらいらしているのがわかる。 何人かの舌打ちが聞こえた。 ﹁おい、ガキ。ずいぶん生意気じゃねえか。名前言っていけよ﹂ 荒々しく斧をかついだ男が立ち上がった。 倍ぐらいありそうな腕には筋肉がこれでもかというほどについて いる。 久しぶりだな、この感じ。 やはり見た目はまだまだ若造なんだよな。 なめられ、軽んじられ、そして絡まれる。 本性を出してれば怯えられるし、隠していれば敬われたり感謝さ 1753 れたりするけど、この方がずっと正しい反応だと思う。 ﹁レイル・グレイだ﹂ やはり反応は様々だった。 飲んでいた酒を机に叩きつける者、盛大に舌打ちをする者、疑問 符を浮かべている者もいた。 しかしやはり大勢は、﹁本当か?﹂という疑惑と評判の悪い勇者 候補へと向ける軽蔑や忌避かで分かれた。 最悪の、とか外道勇者、などと賛否両論な二つ名が聞こえてくる。 姿までは知らなくとも名前は有名らしい。 その中の一人がおもむろに剣を抜いた。ほとんど音も殺気もせず に、一瞬で肉薄した。 空間把握で逐一確認しながら剣を避け、転移して相手の後ろに回 り込んだ。 そのまま相手を掴んて転移で逆さまにひっくり返す。剣を抜いて 喉元に突きつけて訊いた。 ﹁なんのつもり?﹂ 今は少しでも時間を無駄にしたくない。 手っ取り早く報告だけして向かおうと思えばゴネられるし襲われ るとは。 ﹁本当にレイル・グレイならば、一人で大群に挑むなら勝算がある のだろうしな。だがこの程度の剣を避けることもできないなら犬死 にだからここで止めようかと思ったのさ﹂ ﹁で、役に立たない協調性のないやつならここで死んだ方がマシだ 1754 ってか? まあそうカリカリすんなって。俺が空間転移で突っ込 んで減らすから、お前らはこれまで通りに作戦会議してくれててい いからさ。なんなら討伐祝いの準備してくれてても構わないぜ?﹂ 剣をおさめて埃をはたく。 おっさんも立ち上がってもとの場所に戻った。 ﹁お前さん一人でもできるならわしらが行ってもよかろう。どうし てだ?﹂ 奥にいたこの中でも偉そうな人が俺に訊いた。 ちらほらと冒険者たちがギルド長だ、などといっている。 ﹁いやあ、手加減が無理でね。周りにいると巻き込みそうなんだ。 邪魔はしないから行かせてもらえるか?﹂ ﹁失敗したら罪に問う。成功してもこちらからは報酬は出せない。 これは依頼ではない。それでもか?﹂ どうやら俺が功か報酬に目の眩んだ子に見えたらしい。 つーか、金はあったほうがいいが、そんなに切羽詰まっているわ ・・・・ けでもないから別に構わない。 むしろその程度の条件でいいなら是非もない。 ﹁おー、許可出た。じゃあいってくる﹂ そう言って空間転移でその場から消えた俺に冒険者たちとギルド の職員たちはますます苦々しい顔をしたという。 ◇ 1755 空中に相対座標固定で浮かび上がりながら眼下の魔物の群勢を見 据える。 ﹁見ろ、魔物がゴミのようだ﹂ 魔物の進行方向、西側に降り立った。 魔物たちがこちらに向かってくるのがわかる。 ﹁どうするの?﹂ アイラが尋ねた。 別に今答えてもいいけど、終わってからの方がわかりやすかろう。 ﹁まあ離れたところで待っていてくれ﹂ そう言って離れたところ、そして俺の戦いが見える場所まで転移 させた。 これで俺は逃げられない。魔物を通せば後ろにいる仲間が襲われ る。もちろん、百や二百通したところであいつらならなんとかする だろうけど、こういうのは気持ちが大事なのだ。背水の陣って言う じゃん。 あの日、擬神の核を飲み込んで俺の体内に入った感性は一つの境 地を開発した。 その成果を試す時がきたのだ。 俺は両手に感覚を集中させる。 今だけは空間把握も、魔力感知も全て切ってしまうのだ。 することは言うは易く、するは難し。 1756 魔法というのは自然の力を借りる。なのにどうして個人で威力が 変わるのか。その答えは魔力の貯蓄と出力にある。操作にいかに長 けていても、貯蓄と出力の限界が低ければ強力な威力の魔法はうて ない。 俺が得意なのは、利用方法と操作だけで、訓練しても才能に頼っ た貯蓄などは随分と低い。そんな俺と空間術の相性は良かった。だ って別次元からエネルギーを借りることができるのだから。 しかし波魔法は全然威力が出ない。 光の剣で山を真っ二つにとかできないし、そもそも波魔法だけで 魔物と戦おうとすると百も倒せないかもしれない。 じゃあ空間術を使って前みたいにばかばかと岩を落とすのか? 半分は正解だ。 俺の術が、魔法が発動した。 二つの岩が燃え盛りながら、魔物たちの中央に落ちた。 その衝撃で周りの魔物たちが吹っ飛び、そして命を散らしていく。 まるでアリの巣に水を注いだかのように呆気ない。 だが本番はここからである。 三つ、見えない攻撃が魔物たちを直線に襲った。 三本の攻撃は周囲を巻き込みながら二つの岩が落ちた間と両外を 縫って魔物たちを蹴散らしていく。 俺は必死で自分の方にくる衝撃波を波魔法で操作し、受け止めて 相手に返そうとする。 これが問題だった。一度操作を間違えれば後ろの仲間をこの衝撃 波が襲う。 その時は逃げてもらうしかないだろう。 1757 俺はすぐに術を止めた。 しかしその頃には魔物たちの群れは群れという形を成してはいな かった。 打ち上げられた魚のように、死屍累々という言葉を実感する。 そこには魔物の強さも弱さも関係がなかった。平等な死だけがそ こにあった。 濃厚な血の匂いでむせかえるようだった。 原型をとどめない死体の方が多かったかもしれない。 ﹁何を⋮⋮したの?﹂ 魔物の群れがあったところには二つの大穴があった。 そして竜の爪痕のように、三本の線が地面をえぐり、そこを中心 として周りを暴虐の嵐に巻き込んでいた。 ﹁単なる空間術と波魔法の延長線上だよ。⋮⋮⋮⋮だから、今まで やりたくなかったしやらなかったんだよ﹂ 魔物を倒すといつも酷いことになる。まるで呪いでも受けている かのような惨状に思わず愚痴をこぼす。 いや、これを覚悟してやったんだ。仕方ない。まだ冒険者が挑む 前で良かった。 ひたすらそのことに安堵し、そして勝利の余韻に浸るのであった。 1758 解説、そして回収︵前書き︶ 前回の種明かし、そしてこれまでの伏線回収的なもの 1759 解説、そして回収 ﹁俺が空間で使っている座標は何か言ったことがあったか?﹂ 俺がしたことの解説を頼まれ、最初にしたのはこの質問だった。 空間転移、接続や入れ替えをするためにどんな形で空間を把握し、 術を発動させているのかの最も基本たる部分だ。 ﹁確か⋮⋮レイルくんを起点とした相対座標だったよね﹂ アイラは俺の空間術についてよく話を聞く。 銃を扱うのには役に立たないかもしれないぞ、と言ってもいつも ﹁私が知りたいだけ﹂と濁す。 ﹁ああそうだ。じゃあどうして相対座標なんだと思う?﹂ ﹁何か問題があるんだろ?﹂ ロウがあっさりと言い当てる。しかしその内容まではわからない ようだ。 ﹁そう、相対座標があるなら絶対座標もあるはずなんだ。絶対座標 ・ が使えないならそれに確固たる理由がないといけない。俺がこれを 自覚しても使わなかった理由が、だ﹂ ﹁絶対でも相対でも同じ場所のはずよね﹂ ・・・・ ﹁そこだ﹂ ・・ わざわざ相対座標にするということは、絶対と相対では座標がズ 1760 レるのだ。 ﹁この星が自転と公転しているのは知ってるよな?﹂ そこで三人ははっと気づいて目を見開いた。 ﹁60秒×60分で1時間、24時間×365日で一年なのは変わ らないな。俺の元の世界では地球は一日で一周自転して、一年で一 周公転するんだ。自転の速度はだいたい時速で1600kmを超え る。秒速にしても400メートルは軽くいく﹂ この世界はやや小さいかもしれないと言ったが、それでも400 ぐらいにはなるだろう。 ﹁絶対座標だとズレる、ってわけね。相対じゃないとダメな理由は わかったわ。でもそれだとあれほどの衝撃波の理由がわからないわ﹂ ソニック ブーム ﹁音速衝撃波を知ってるか?﹂ ソニックブームとは物体の速度が音速に達した時に発生する衝撃 波による轟音だという。 隕石が落ちたときに衝撃波で窓ガラスが壊れるなどの被害がある ことからも、衝撃波だって膨大なエネルギーを持てばれっきとした 攻撃手段になるのだ。 ﹁絶対座標固定で空間からの移動ができなくなった空気は地球の自 転と公転による慣性を無視して西から東へと向かう。その時に押し のけられた空気が音速に到達して、発生する衝撃波を操って魔物た ちへの攻撃手段にしたんだよ﹂ 1761 これが以前擬神の核を飲み込んだ時に﹁この域に至った者が力を 振るうと同時に身を滅ぼしただろう﹂と言った理由だ。 何も考えずに絶対座標で空間術を使えば身を滅ぼすのだ。 実際のソニックブームで窓ガラスが壊れた、などという話は聞か なかったが、波魔法で収束させればなんとかなるだろうと予想して 挑んだのだ。 座標固定による速度は等速直線運動に近いので、それ本体は衝撃 波を生まないが、それによって押しのけられた空気やぶつかった魔 物たちは音速に近い速度で吹っ飛ばされる。 その度に起きる衝撃波を必死でコントロールしながら収束させて、 なおかつ俺たちに被害が出ないようにするにはあの範囲を更地にす るほどの大雑把な戦闘でないとダメだったのだ。 ﹁次にあの隕石もどきだな。あれは簡単だ。空中で空間歪曲で空間 の上空とその真下を接続して岩石を半永久的に落としたんだ。まあ 空気抵抗のせいで速度は一定を超えないけど、それでも運動エネル ギーは重さと速さの二乗の半分ぐらいだから重くて速いってのはそ れだけで強いんだよ。つまり俺は星のエネルギーを間接的に借りた ってとこだな﹂ ﹁もう俺はついていけねえ﹂ ﹁アイラ、わかったの?﹂ ﹁うーん⋮⋮半分ぐらい?﹂ 未だに天動説を唱えるような奴がいる世界の人間に、地球の自転 を教えるだけでも大変なのに球体上での動きや波の概念まで教える のは骨が折れる。 ややこしい説明になんとか納得してくれたようなので、話を切り 上げてそもそもの話題に戻した。 アークディアは名残惜しそうだ。 1762 ﹁俺はきっと英雄にはなれない。人を救うためでも生きるためでも なくて、ただの賭けに勝つためだけに大勢の魔物を酷い方法で殺し アイラはいつも俺の頼みを ちゃうんだから。邪神を倒すのだって自分勝手で、自己中心的な理 由のついでなんだ﹂ アイラに手を差し伸べて言った。 ﹁それでもいいならついてくるか? 聞いてくれたから、俺だってたまにはアイラの気持ちを優先するさ。 だからこれでもダメだ、って言うなら諦めてもいい。間違ったって いいんだ。俺は仲間一人のために世界を救うのを諦められる人間だ よ﹂ アイラはしばし戸惑った。 葛藤の真意など俺にわかるはずもない。 ただ、いつも銃や何かを作ったり整備していたアイラの姿を思い 出す。 俺が情報を取捨選択して旅の方針を決めていたように、ロウが向 けられた敵意の選別をしていたように、カグヤが魔法と剣を極めよ うとしていたように。アイラは自分の役割を作ること、持ち物を管 理することだと思っていたと思う。 周りに変化を求めるのではなく、自分に価値を求める。そんなア イラは、俺がいなければもっとささやかな幸せで満足する慎ましい 女の子だっただろう。 アイラは俺の考えを見透かしたように、自分の頭を俺の胸に押し 付けた。 ﹁うーうん。ついてく﹂ 1763 そして泣きそうな声で俺にすがりつきながら言ったのだった。 ◇ そのあとは冒険者ギルドに向かって情報を出し切って、魔物の群 れを潰したことを報告してきた。 そしてユナイティアに戻り、各国や冒険者ギルドなど可能な限り に邪神の復活を知らせる。 つーか今まで出た記録もないのに、﹁復活﹂とは妙だな。やっぱ りしっくりくるのは﹁顕現﹂か。 安心したらドッと疲れが出た。 俺たちは同じ部屋でくつろいでいた。 部屋の中でゴロンと寝っ転がってこれまでの出来事や情報を整理 する。 ﹁あー⋮⋮なんであんなのが出てくんだよ。つーかあんなの召喚で きるほどヤバイ術者がいたらわかりそうなんだけどなー﹂ ﹁この前言ってた神器とか使ったんじゃないの?﹂ アイラに言われて、脳内に幾つかの出来事がフラッシュバックし た。 ﹁そういうことかよ⋮⋮﹂ 1764 オークスがわざわざ海の魂手箱を国外へと持ち出した理由。他に もあるという空の魂手箱が盗まれたといった。 魂を管理できる道具。これ以上に魂を大量に扱う儀式におあつら え向きな一品だ。 どうせしょぼい神 そして邪神教の暗躍。俺たちも以前、ゴブリン討伐を装って洞窟 そんな少人数で蘇る神がいてたまるか! に閉じ込められた。 だろ! かつてそういった言葉が見事にUターンしてきたのだ。 空の魂手箱があるなら、村の人間が仕留めた人間の魂でも保管し て使えるもんな。 わざわざ上に穴があいた洞窟を使ったのは、魂を回収するためも あったのかもしれない。 ああやって小さな事件を多発させ、ただの邪神を利用した殺人事 件のように装ったのだ。 ﹁はいるわよ﹂ ﹂ 突然ドアがノックされ、有無を言わさずに開けられた。 神を冒涜するもの いつぞやの天使、フラストさんだった。 ﹁ようやく現れたようね。 ﹁ちょっと待て。それは擬神のことじゃないのか﹂ ﹁あんな雑魚がそんなわけないでしょう。そもそもあれはあなたた ち人間が生み出したものであって私たちではないわ。そして生まれ たことには罪がないし、あれには意思もなかった﹂ ずっと勘違いしていた。自分で言った敵が現れたのに音沙汰ない 1765 のは変だとは思ったけど、あれじゃなかったのか。 あれ はあ。つまりは同じ存在値までないと敵とさえ認めないってこと か。 そしてわかっていたことだが、今度の邪神は擬神よりもずっと強 ちょっと待て。擬神は未完成で、その完成形があ いってことだよな。 ⋮⋮ん? るみたいなことを言ってなかったか? だとすれば、擬神の完成形が邪神の受肉に使われたとすれば。 ﹁そもそも受肉の利点ってなんだよ﹂ ﹁それは魔法の行使がしやすくなることですね。器としての肉体が あることで、存在維持も他の存在への攻撃もずっと楽になります﹂ 俺の問いに答えたのはアークディアだった。 ﹁でもそれじゃあ魔法攻撃や非生命物理攻撃への耐性を捨ててまで する理由がわからないんだよ﹂ ﹁それは多分、精神体の方が弱い攻撃もあるからじゃないかしら。 精神生命体は魂のない攻撃には強いけど、それ以外の聖剣とか肉体 みたいな攻撃に極端に弱くなるのよ。それを受肉することで少し和 らげることができるのよ﹂ それでも聖剣とかには弱いんだけどね、とフラストさんは付け加 えた。 つまりは聖剣とか持ってない相手にビビって受肉しないでいるぐ らいなら攻撃と強いはずの聖剣の持ち主に対し受肉した方がいいっ てことかよ。 擬神が本体がそこまで強くなかったのは、攻撃手段をこっちが持 っていたからというのがあるのか。 随分となめてくれたものだ。 1766 もしかしたら恐怖の演出かもな。 攻撃がきくところまでに降りてきてやっているからと希望を持っ て挑んだ相手を圧倒的な攻撃で滅ぼすことでより強さをみせつける、 みたいな。 いや、結局やることは何も変わっちゃいない。倒す敵が増えただ けだ。 さあ、戦いの始まりだ。 1767 勇者集合︵前書き︶ アイラ﹁私、きめたの﹂ 1768 勇者集合 霧の深い谷にある里では男たちが集まっていた。鋭い目が霧の中 で爛々と光っていた。 二メートルほどの体躯に、隆々とした筋肉、そして何より頭上に ある角が彼らの種族を物語っていた。 彼らは妖鬼族。彼らもまた、ノーマに属さぬ少数部族であった。 ﹁我らは歴史の表に出ることを望まなかった。だが今やそうも言っ てられぬ﹂ ﹁だがどうする。黙秘を貫いた我らが今更手を貸すなどと言って受 け入れられるのか?﹂ 彼らの存在は知られているが、その里を訪ねる他種族はいない。 彼らは選り好みが激しく、気に入られた者は酒を与えられたりす るが、そうでないものが無事に帰ってきたという例がないからだ。 ﹁⋮⋮あの男はどうだ?﹂ 一人の言葉に周囲は少なからず動揺した。 ﹁あれは我らよりも異端だ。だが⋮⋮あの男ならもしくは﹂ ﹁どの種族も平等に虐げる勇者、か﹂ 彼らの心はもともと決まっていた。 金棒を担いでのそりと立ち上がると、その軍勢をもって里を後に したのだった。 1769 ◇ また、小人の里は悲嘆にくれていた。 彼らは戦う術を持たない。 姿を隠すことには長けているが、それも邪神が出現したとなれば 気休めにしかならない。 森の奥でひっそりと暮らす彼らに取れる手段は限られていた。 同じ森の民であるトロルやドワーフ、エルフに助けを頼むことも 考えられたが、彼らも余裕がないのは確か。 最近は人間とも交流があるなどと言われているエルフを頼るのは 不安もあった。 だが人間への不信をいつまでも引きずっていては、この先生き残 るのは難しいかもしれないと考えた者がいた。 不安と恐怖で押しつぶされそうな小人の集落を、一人の小人が今 旅立った。 ◇ 邪神の出現に世界中が震撼した。 あっという間に情報は伝えられ、今や子供でもそのビッグニュー スを知らぬ者はいない。 逃げ出したり、神に祈ったりなどと大忙しである。 1770 治安が荒れることが予想されるので、軍の皆様はますます気を引 き締めなければならなかったりする。 冒険者ギルドは実力のある冒険者の情報を集め、どこにいるかな どの把握につとめた。 多くの種族に動きが見られた。 ある意味活気付いている、などと思うのは不謹慎か。レイルはそ んなことを思った。 だが、邪神というわかりやすい脅威を目の前にして、歴史上の因 縁だとかをおいて世界の全種族が結託しつつあることは事実だった。 そしてここで、レイルがユナイティアを結合部として育てるよう に指示したツケがやってきた。 レイルとユナイティアを中心に他の種族が集まり出したのだ。 魔族、魚人、人魚に精霊、獣人にエルフにトロルとこれまでに親 交があった種族はもとより、鬼などの滅多に人前に姿を現さない種 族が訪ねてきたのには流石のレイルも驚いた。 そんな時分のことであった。勇者候補全員に召集がかかったのは。 勇者候補は一応所属の国を決めており、普段はその国に対して利 益になるように動くものだが、こういった緊急事態には国の枠を越 えて協力できるのが望ましいとされる。 圧倒的な敵対者がいる時に人間同士で内輪もめをするのはあまり に無駄である。 歴史からそれを学ばぬほどに人間は馬鹿ではなかったのだ。 それを引き起こす間接的な原因にして、戦争真っ最中であったア グリーとハイカーデンも渋々ながら協調の姿勢を見せた。 人が勇者とか呼ぶ冒険者が集められてやってきたのは軍事大国ガ 1771 ラスである。 ノーマに最も近いことや、最大を誇る面積、そして冒険者の数を もってヒジリアと並ぶ他種族に関する件についての発言力を持つ。 ﹁暫定的にガラスの国王たる私とヒジリアの法皇が司会を担うこと になる﹂ ガラスの国王は集まった一クラスほどの人数の勇者候補を見渡し た。 一人、二人ほど行方が知れずに召集にも応じなかった勇者候補も いるが、概ね揃っていた。これだけの勇者候補ともなると、錚々た る顔ぶれである。全員の力を合わせれば国の一つも落とせるだろう。 そしてほとんどが二つ名を持っていた。 有名な者だけをあげるならばさほど人数はいない。 魔装槍 トライデント 、ガンマ。 座れと言われるまで壁を背に立っていたのが、水属性の魔法と強 力な槍の使い手である勇者、 国を襲ってきた魔物の群れを肉体一つで壊滅させたという伝説を 持つ、大男の勇者、救国の豪傑キルモンド・ゴアテイノス。彼は冒 険者のギルド長を兄に持ち、元は貴族である。粗暴とも取られがち なその性分から家を出て冒険者として名をあげた。国も家も、どう せ家は継げないなら冒険者として活かすことを望んだ。いつしか功 績をあげ、勇者候補として扱われるに至ったという。 ドラゴノイド 縦に細い虹彩に金色の光をたたえているのは、遠い先祖に竜の血 が流れているという噂の半竜人テナー。まるで竜の息吹のような風 属性の魔法は小さな村など更地に変えると言われる。風属性で空ま で飛び、暴れるその姿から暴風竜というあだ名もある。 1772 そして三属性の魔法と剣を使うバランス型の勇者であるトーリ。 直情型で目の前の出来事に体当たりでぶつかる部分は危うくもあり、 好ましくもあると言われていたが、最近はその危うさも丸みを帯び てなりを潜めた。噂によるとレイル・グレイの部下になった、など というものもある。 珍しい女性の勇者は戦場の華、ジェンヌであった。素朴な風貌を 瞳に宿る鋼の意思と、荘厳たる鎧が引き立て、見る者を惹きつける 強いオーラがあった。 ローマニアの軍を率いて、何度も魔物や盗賊団の殲滅作戦に赴い ている。間接的も含めると、関わった事件で倒した敵の数は五本の 指に入る勇者である。 こちらが最強と名高い光の勇者アラン。彼は勇者候補になろうと したわけではなく、人を助けて魔物を倒すうちに勇者と呼ばれるよ うになり、ガラスがその身分を保証したことで正式に勇者候補とな っている。つまりはどの国にも属さない勇者候補だ。大きく重い剛 剣に光の魔法で速度を乗せてどんな敵も一撃粉砕と言われる。その 技量さえもが勇者候補の中で頭一つ抜けている。 虚無の勇者カイは召喚勇者であった。ヒジリアに召喚されて、聖 女や女騎士と共に旅に出た勇者候補の一人である。無属性からなる 初見殺しの勇者であり、その器用さは剣を扱いながらも魔法使いに 負けないという。 最も早くに集合しながらも、波魔法で姿を隠して周囲を窺ってい たのは最悪最低、外道勇者と名高いレイル・グレイであった。 彼が現れた瞬間、一部の良識ある勇者候補から嫌悪の混ざった殺 気にも似た露骨な視線が浴びせられる。 1773 その功績の数々から有能さは認められているが、何が起こったの かわからないままに負けた敵も少なくなく、実力をこれでもかとい うほどに秘匿しているので空間術と光の魔法が使える以外は何もわ かっていないと言える。実際は魔法の繊細な運用だけならばどの魔 法使いにも負けないのだが。 人質をとられた、毒を盛られた、騙されたなどの噂は尽きず、他 の勇者候補を貶めることも厭わない。人によって好みの分かれ、最 も功罪相半ばする勇者である。 今日もその顔に凶悪な笑みを浮かべてゆらりとこの場を訪れた。 ﹁情報元はそこのレイル・グレイからだ。知っている者も多いと思 うが、邪神が復活した﹂ その言葉に動揺する勇者は一人としていなかった。 全員が知っていて当然だとばかりに、先の話を促した。 邪神に関しては概ねはレイルが伝えた情報であるため、レイルは 比較的退屈そうに欠伸などをしていたが、光魔法でそれを隠蔽して いた。だが隠蔽していることを気づかれてしまい、数人がジロリと レイルを見た。 さすがは勇者たち、魔法の発動ぐらいはわかるのか、とレイルは 心の中で口笛を吹いた。 次に語られたのは世界各国の動きだった。 種族を無視して完全停戦協定が組まれ、それぞれの国がそれに調 印した。 その中には国として認められているノーマやサバン、アクエリウ ムなどの国もある。 今までは自国の利益のために使っていた小型転送装置、つまりは 手紙をやりとりするポストの高性能版みたいなもので各国のネット ワークを構築した。 1774 前世の学級連絡網のように、全ての国が他の全ての国とやりとり できるわけではなく、特定の国を繋ぐことで一つのラインを作りあ げたのだ。 ちなみにユナイティアはギャクラから伝えられた情報をノーマ、 アクエリウム、サバンに伝える役割である。 今度は逆に他の勇者候補が退屈になる番だった。 多くの勇者の基本行動理念は単純で、困っている者を助けるため に目の前の敵を倒す、というものであるからして、そんな細々とし た政治的なことを伝えられても困るのだろう。 むしろレイルは当事者であるため、役割だけは聞いていたがこう して他の国について聞く場面は貴重なのでしっかりと聞いていた。 ﹁││││││とまあ、こんなところかね。君たちは勇者候補だ。 勇者とはなろうとしてなるものではない。だから君たちにはここで、 英雄の卵から孵化するのを諦める権利がある。しがらみも多いだろ う。だが結局のところ、覚悟もない者を連れていけば必ず足手まと いになる。ここで一度尋ねておこう﹂ そんな前フリとともに、法皇はその低く穏やかな声音に重く冷た い刃を含めて勇者候補たちに突きつけた。 ﹁世界のために死ぬ覚悟はあるのか?﹂ 勇者候補は決してその質問は予想外ではなかった。 勇者候補などをやっているのは、将来有望とされる若者か、既に 功績をあげた者が多い。 前者の場合は自分に自信があったり、英雄願望があったりするも のだ。 尋ねられれば簡単に頷けるとたかを括り、いざ質問されてみると 1775 その重さに潰されそうになったのだ。 蓋をあけてみれば、その覚悟の弱さというものを突きつけられる 結果となった。 ﹁俺は⋮⋮できるのか?﹂ ﹁やっぱり行っても足手まといになるだけじゃ⋮⋮﹂ 何人かの勇者候補は怯えをあらわにした。 それを見て、法皇とガラス国王は退室するように命じた。 ﹁行きます。││││││そのために生きて、剣を握ってきた﹂ あまりに清廉で、あまりに強いその言葉に多くの勇者候補は勇気 付けられた。 もとより断るつもりのなかった勇者候補たちがそれに追従する。 カイもまた、苦悩し、迷っていた勇者候補の一人だった。 彼が恐れていたのは邪神の強さにではない、世界の命運を握る責 任の重さに、だ。 言葉にせずともそのことに気づいていたヒジリアの法皇は、自ら が選ぶ勇者に少しだけの手心を加えた。 ﹁世界を背負う必要なんてありません。君は君の大切なもののため に戦うのです。君にしかできないことがあるはずです﹂ 白いヒゲの奥からそっとカイに囁いたのだ。 ﹁そうだな。ありがとう爺さん。俺、いくよ﹂ まだ半数の勇者候補がその身の振り方を決めあぐねていた。 そんな時、背後から噛み殺したような笑い声が聞こえてきた。 1776 あるわけねえじゃん﹂ くっくっく、と馬鹿にしたような笑い声に残っていた勇者候補が 眉をひそめる。 ﹁死ぬ覚悟? ないなら出て行け、と法皇が指示しようとした時、笑い声の主は 続けた。 ﹁死にたくないから戦うんだよ。どうせ俺なら逃げられるからな。 俺にしかできないとは思わない。誰かが戦って勝てるならそこに俺 もいればいい。どうせ負ければ世界が滅ぶ。挑むだけで名誉と、勝 利と、平和が得られるなら安いもんじゃねえか。選べよ。全てを得 るか、全てを諦めるか﹂ レイルは所詮、敵と戦うために綺麗な理屈はいらないと言った。 結局のところ、彼にとって重要なのは結果と周りがどう見るかで しかないのだ。 打算と、どこまでも徹底した合理主義に基づく自分の命さえ天秤 にかけた決断に不気味なものを感じてしまう。 やはりこいつは勇者ではない。どこまでも自己中心的で、臆病で、 最低の人間だ。 周りは評価を新たに発言者、レイルを見た。 レイルのこの発言が会議の結末を二分した。 自分がいなくても勝てるだろう、いれば攻撃を食らって死ぬかも しれない。これは戦いなのだ。戦いに出て死んで勝利を得ることだ ってある。 そんな臆病風に吹かれたと一般的に言われるような決断を下した 数名。彼らは貴族の放蕩息子で、名誉のために肩書きだけを得てい 1777 た勇者候補であった。 そしてその決断に背中を押された勇者候補。彼らは冒険者として やっていくうちに任命された者が多かった。 アランやテナー、トーリにジェンヌなどのその在り方で勇者とな っている彼らは最初に立ち上がったのでその発言に影響は受けなか った。 こうして邪神に挑む勇者候補の勢力が決まった。 1778 勇者集合︵後書き︶ おや、ドレイクの様子が⋮⋮? 1779 裏切りの夜明け︵前書き︶ 個性豊かな勇者候補たち。 続々と終結する魔物たち。 人は、そしてレイルたちの行く末は。 1780 裏切りの夜明け 勇者たちによる作戦会議が終わった。 本人の希望というか、冷静な自己判断の結果としてジェンヌは軍 を率いて魔物の軍勢に挑む役割となった。 ﹁私は、象徴としての勇者ですから﹂ 去り際の一言が切実で、そこに儚げながらも強く気高い意思を見 た勇者たちの誰もが臆病といって罵ることはなかった。 邪神は全世界に向けて宣戦布告した。 そして配下に下る者は受け入れるということも言った。 今までなりを潜めていた邪神を信仰する集団が一斉に押し寄せた。 そして世界中の魔物という魔物がほとんど邪神への恭順を示した のだ。 邪神は全勢力を城に集めるかと思われたが、各場所に幹部ともい える配下を送り込んで統率させた。 て自身が全力で戦うなら下手な配下がいく おそらくはそんなに大勢の魔物を密集させて養うのは無理だと判 断したのだろう。そし らいたところで足手まといだ、という自信の表れだろうか。これで は邪神を殺した途端に魔物が以前の状態に戻るとは限らない上、複 数の場所を同時に襲撃される可能性があるので集まるよりもむしろ 危険な状態になったと言える。 邪神は破壊衝動だけにとらわれているわけではないようだ、とい うのが国々や勇者候補たちの共通の見解である。 1781 そして俺は、邪神討伐の全体の指揮をとることになった。 邪神と対峙する役目でありながら作戦立案といった形だ。 理由としては、パワーやスピードはともかくとして最も機動力が あるのが俺だからというのがある。 あー面倒くさそうだな、とは思うけど他の甘っちょろい青臭い勇 者たちに作戦立案なんかさせたら宣戦布告とかしそうだし。 俺は邪神を消すにあたって、一つの指針を示した。 それは巧遅よりも拙速ということだ。 邪神と戦うのに気を急くのはどうだろうか、というかもしれない が、ここはゲームではない。 邪神が倒されるまでのんびりと城で待つとは思えないし、持久戦 に持ち込まれれば一定以上の戦力が足りていないところからじわじ わと落とされていく可能性がある。 つまりはのんびりと修行パートで魔物を倒していればレベルが上 がるわけではない。数ヶ月やそこら期間を延ばしたところで劇的に 強くなるわけではないのだ。 全戦力をもってこちらからしかけにいく。 野蛮で、短絡的かもしれないが被害を減らすためだということで 概ね賛成意見が多かった。 ◇ 俺たちは今、仲間と共にガラスに逗留している。 いくら拙速だからと言って、会議の直後に飛び出すわけではない。 銃を量産して配ることも考えたが、今から作り、存在を認めさせ、 使い方を教えるまでにはあまりに時間がない。慣れないものを使わ せてもうまくはいくまい。それこそ歴史の火縄銃が交代式でつよか 1782 ったぐらいのものだ。銃が通じない敵が予想される以上、今まで通 り軍隊の方々には武器と魔法で頑張っでもらうことになる。 泊まっている宿屋の食堂で仲間と朝食をとっていた。 ﹁おい、お前が指揮するなんて認めないぞ﹂ ただ名誉のためにやってきたような現状の分かっていない貴族の ボンボンらしき人物がやってきた。まだこんなのが残っていたのか。 こんな小物、親近感と同族嫌悪しかわかないので平常時ならぽっ きんするところだけどなんだかなー。 こんな無駄な小競り合いで戦力減らしても。いや、そもそもこい つ戦力なのか? ﹁あーはいはい。認めてくれなくていいから現場では最低限指示に は従ってねー。できないなら邪神討伐隊からは外れてくれてもいい から﹂ ひらひらと手を振って追いやる。 こいつ、現状わかってるのか? 今も魔物が集まって拠点を作って人間を滅ぼそうとしてるんだぞ。 ただの野生生物でしかなかった魔物が今や一つの敵対戦力と化し ている。 邪神の他にすでに四ヶ所。邪神が全て指示を出しているようで、 こういう時に君主制は早くて良い。 敵を褒めてどうするんだか。 去る気配がないので、肩にポンと手を置く。 そのまま黙って空間転移でちょっと離れた噴水に突っ込ませてや った。 このままいればしばらくすればずぶ濡れの誰かさんがここにやっ 1783 てくる。 迷惑料といって袖の下⋮⋮ゲフンゲフン、ちょっとチップを渡し て俺たちは店を出た。 ﹁あんなのもまだいるのね﹂ ﹁レイル見てつっかかってこれるだけマシじゃね?﹂ どういう意味だ。 カグヤもロウも失礼だなあ全く。俺がグレてもいいのか? 肉体的には青年だからな。ちょっとハメを外して邪神殺すとか言 っちゃってるけど、生暖かく支えてくれるのが仲間ってもんじゃな いのか。 いや、命の危険があるから強制はしないけどさ。 とまあこんな無駄なことを考えられるぐらいの余裕があるぐらい なので少しは落ち着いたと思う。 目の前で邪神降臨したら発狂してもおかしくはないからね。 ◇ レイルたちが集まった会議から一週間が過ぎた。 邪神と呼ばれる存在は、自ら造った城の最も豪奢な部屋で一人、 肘をついて玉座にいた。 現在、魔物と呼ばれる存在の実に八割近くが邪神の配下となって いた。人間や魔族などの配下も数百人に及ぶ。 その中にはかつて違う神を信仰していた者や、神など信じていな かった者もいた。 1784 だがここに全員はいない。 現在は各地に飛び交っていて、八名の幹部と十数名の準幹部がこ こにはいた。 幹部の数は全員で三十、その中には現世に降臨してから呼び寄せ た悪魔などもいる。準幹部は約百名。幹部には戦闘力や知力、経験 で劣るものの、一体で軍隊を歯牙にも掛けない怪物揃いである。 そしてそんな邪神に近寄る者はいなかった。 邪神が一度戦闘に入れば、そこにあるのは暴虐の嵐。純粋なる力 の塊のような邪神をして支援だのは邪魔でしかなかった。邪神は戦 いになれば城を離れるようにと言ってあった。 だがそんな邪神に客人が訪れた。 ﹁何者だ﹂ 深い、地の底から響くようだ。 聞くもの全てに恐怖を与えるような絶対性がそこにはあった。 ﹁はっ。お目通り有り難き幸せ。私、ドレイクと申します。この通 り真祖の純潔吸血鬼です。この度配下に加えていただきたくてやっ てまいりました﹂ それは普段のドレイクからは考えられないほどに畏まった態度だ った。 ﹁ふん⋮⋮なるほど。使い物にはなるか。だが我とて今の今まで寝 ていたわけではないぞ。あれほど目立つ男の側にいて、どうして今 の立場が知られていないと思った?﹂ 1785 そう。ドレイクは現在レイル・グレイの配下という扱いである。 邪神が人間の配下を使って行なったのは、人間を含む全ての種族 の実力者と勇者たちの情報収集である。 その中には当然レイルがおり、最近吸血鬼さえも配下に加えたと いう情報があった。 真祖の吸血鬼などそうそういるはずがなく、今の時期に邪神の元 にまで来れるようなのは自然とその吸血鬼であろうという推測がた つ。 ﹁そう言われると思いました。ですのでこちらに手土産を持ってま いりました﹂ そう言って背中に担いだ麻袋を下ろした。 中からは一人の縛られた少女が出てきた。銀色の腕輪に真紅の髪 がこぼれ落ちる。 ││││!﹂ 猿轡をかまされ、喋ることさえできない少女は苦しそうにもがい た。 ﹁││││! 声にならない叫びをあげてはドレイクと邪神を睨む。 ﹁こちらがその勇者、レイル・グレイの一番の同胞。さらには魔物 の大量殺戮さえ可能な少女です﹂ ﹁そんなものを持ち込みおって。そんな少女が魔物を殺戮可能とは 本当か?﹂ ﹁ええ。武器があれば、ですけどね。大きな武器ですよ。彼女自身 は強くありません。どうせなら武器も出せればよかったのですけど 1786 そいつは牢屋に入れておけ! 窮地に陥ったとき ね⋮⋮。道具のない彼女は少し賢いだけのただの少女です﹂ ﹁面白い! に、連れ出して目の前で嬲り殺してやろう。レイルとやらの絶望の 顔が楽しみだ!﹂ ﹁はっ。仰せのままに﹂ 完全には信頼がされていないのか、二人の幹部に見張られるよう にしてドレイクは地下牢に向かった。 重くのしかかるような石と鉄、そして魔石がふんだんに使用され た牢屋は銃弾ですら破ることは不可能だろう。 アイラは途中で猿轡を外された。 ﹁こんなことしてタダで済むと思ってるの?﹂ アイラが凄むも、幹部とドレイクは鼻で笑う。 ﹁さっさと入れ!﹂ 半ば放り投げるようにしてアイラは地下牢に入れられた。壁にぶ つかり、鈍い音がする。石床の冷たさがはっきりと肌に伝わってい た。 手錠がつけられ、部屋の中ギリギリまでは動ける程度に束縛され た。力もさほどないということで、単なる鉄の手錠と鎖であった。 だが人間の力で引きちぎろうとすれば、それこそ鍛え上げた肉体が 必要だろう。アイラには無理そうだった。それに、今この状態で牢 屋を出れたとしても幹部が駆けつけてきてすぐに敗北する公算が高 い。 無機質な音をたてて牢屋が閉められる。鍵が閉められるのをアイ 1787 ラは黙って見ていた。 1788 裏切りの夜明け︵後書き︶ アイラ投獄される 1789 アイラの叛逆 リッチー 邪神降臨のきっかけとなった戦争の死者たちを統率する不死王が ガラスの南に居座った。移動の際にその勢力をもって被害者を増や し、被害者をまた取り込むことでその数は当初の数倍に膨れ上がっ ていた。 ワイバーン 上級魔族が数人に、何やら巨大な魔物がいると噂の谷には間者が 帰ってこないので正確な情報がやってこない。 ウィザリアの北には魔物の群れが、ギャクラの西には飛竜などが いる。 海にはもう出ることはできない。かろうじてクラーケンがその自 我を保ち、レイルへの忠誠を保っている。 さあ邪神と戦おうというその日の前日のことだった。レイルたち の仲間が足りなかった。 慌てて駆け込んでくるシンヤの部下によってもたらされた報告は、 ドレイクがユナイティアを出ていったことと、アイラがユナイティ 早く助けないと!﹂ アからは出ていってはいないとのこと。 ﹁大変だ! 勇者候補の一人が叫んだ。 彼もまた、このしばらくの訓練でアイラの力を目にしている。 大事な戦力としての価値を十分に理解していた。 ﹁クククク⋮⋮そうか、アイラがいなくなったか﹂ 1790 レイルは笑っていた。 その様子に激怒したアランが胸倉を掴んだ。 ﹁何を笑ってるんだ。やはりお前の元にアイラがいるのは間違いだ ったんだ﹂ アランの言は、笑ったレイルに怖気付いた周りの人間の感情を代 弁していた。 一つ目は邪神がアイラを攫 ﹁いらねえよ、助けなんか。今アイラがいなくなったってことは、 確実に邪神絡みなのはわかるよな? った。邪神がわざわざここまで人質を取りにくるとは思えない。じ で、それだとドレイクが連れていった、だ。そして ゃあ二つ目、誰かがアイラを連れていった。この場合が一番確率が 高いよな? 最後。これが一番あり得ないが、アイラが自分の意思で向かったか、 だ﹂ 三本の指を立てて可能性の話をする。 そしてこれが作戦の皮を被った裏切りであっても構わないとさえ 言った。 ﹁アイラが世界を滅ぼす側にまわっても、俺は邪神を殺してアイラ を生かす。友達や仲間が裏切った?そんなことはあり得ないんだよ。 何をしたって、されたって裏切りじゃない。そういうのが仲間で友 達だろう?﹂ ﹁アイラはそんなことはしねえだろうけどな﹂ ロウが付け加えた。可能性は本来排除するべきではない。だが十 年以上も一緒にいれば、何をしないかぐらいはわかるものだ。 1791 ﹁どちらにせよ、アイラがいない、ということは今は死なないって ことだよ。今すぐ邪神の元に向かってアイラを連れ出すのはできる だろうな。けどそれって下策だろ。アイラがいくら気を許したから って無策でドレイクに連れていかれるわけがねえ。なら俺が助ける よりもアイラを信じて放置だ﹂ 言い切ったレイルに誰もが二の句を継げなかった。 彼らの知るアイラという人物は、やや無口で黙々と得体の知れな い武器を作る美少女であった。 だがレイルたち、つまりは親しい仲間には彼らの知らないアイラ が見えているのだろう。 守られるだけの存在ではない、聡明さと気高さを兼ね備えた強烈 な運命の少女が。 誰もがどこかで期待した。 とらわれの美少女を颯爽と助け出す勇者を。誰もがどこかで諦め ていた。 とらわれた人間は生きていれば御の字だと。 ﹁大丈夫、なのか﹂ アランが確かめるように尋ねた。 レイルは臆病で、慎重な人間である。試しにやってみることはあ れど、仲間のことでできないことをできるとは言わない。それだけ はアランも知っていた。 レイルはまっすぐにアランを見返す。こげ茶色はなんのゆらぎも ない。 ﹁もちろん。俺は一応被害最小限の作戦を立てたつもりだけど、そ 1792 れでも被害を増やして俺と仲間が窮地を脱するなら国の一つや二つ、 生贄にだってしてやる。それぐらい俺は身内には甘いんだ。危険な 目になんて遭わせるわけないだろ﹂ レイルが邪神と戦うことを決めた時、アイラはしばらくしてある ことをレイルに言った。 普通であれば必ず止めなければならないその行動を、アイラは毅 然として遂行するという意思を見せた。 長い付き合いであるレイルは、それが勝算のないことではないと 理解し、そして根負けした。 自分が真正面から戦うというのに、アイラは危険な役割をするな というのも随分な話である。そんな負い目に負けたのもある。 だから、アイラが邪神の元に││このような形だとは予想外では あるが││行くこと自体はわかっていたのだ。 そしてこれが作戦であるとは勇者たちにバラすつもりはなかった。 邪神の下には多くの人間もいる。それが意味することは、ほぼ確 実に間諜が中に潜りこんでいるということだ。 ここで作戦であるなどとバラしてしまえば、アイラの危険はむし ろ高まる。なんの意味もない自己満足で情報を敵に与えるなどあっ てはならない。 敵を欺くにはまず味方から。それを地でいくのがレイルたちのや り方であった。 ◇ 1793 背中に感じる石壁にアイラは本日何度目かわからないため息をつ いた。 ﹁さすがドレイク。全く嘘をつかずに私の強みを何も殺さず、一番 安全な場所にいれてくれるなんて﹂ そう、彼女はドレイクと共謀して邪神の拠点に潜り込んだのだ。 ドレイクは比喩的な意味での内部から、そしてアイラは物理的な 意味での内部から。二重にして両面の内部から邪神の戦力を削ぎ落 とそうというのがアイラたちの作戦とも言えない作戦であった。 牢屋に繋がれたとはいえ、銀色の腕輪、つまりはアイラの唯一に して最強の持ち物はなにも封じられてはいない。 両手も通常生活に支障がない程度に動かせる。人間ならこれで十 分だと思ったのか。これではなんの拘束にもなってはいない。 邪神とはいえ、所詮は力押しの化け物か。 そんな誤算のないままに順調すぎる展開にため息をついたのだ。 見張りは地下牢全体の入り口にいる。 傍目にはなんの持ち物もないアイラが、何をしたところでたいし たことはないと思っているのだろう。 このまま確かに銃器をぶっ放して牢屋をぶち破ればすぐにバレて 捕まってしまうかもしれない。 だがアイラにはレイル以上に、親交のある種族がいた。 そして彼らの利害とアイラの作戦は見事に一致した。 ﹁もしもし。準備完了です﹂ 腕輪のボタンを押して、唯一つながる相手に話しかける。 いつかと同じ、銀色の腕輪は光を照射し、牢屋の中を眩く照らす。 1794 ﹁はっ! るぜ﹂ 無駄無駄。お前が魔法をほとんど使えないのは知って 光魔法と勘違いした牢屋番の男が、遠くからからかって声をかけ る。だがアイラからは返事がない。変だと思えど、わざわざ牢屋の 奥までやってきて確かめるほどでもないと再び持ち場に戻った。 そしてそれが彼の運命を決定づけた。 照射された光の当たる空間全てにある種族が現れた。 一人はその重々しい銃口を両肩に構えて顔面中央の赤いライトを 点滅させた。 一人は四本の足で安定感のある機体を静かに唸らせた。 腕も、足も、眼球も、そして脳も。全てが無機物で完成されたそ れらは古代よりその存在を何かのために使うことのなかった種族で マシンナーズ あった。 機械族。総合戦闘能力は上位の竜族にも匹敵するとさえ言われる 世界最強の部隊が今、邪神の拠点の地下に出揃った。 ある機体の空間拡張能力により、五十体近くの機械族がアイラの 前に転移した。ここで騒ごうとも周囲にはわからないようになって いる。 以前、アイラがキノを呼んだ時と同じ機能を使ったのだ。アイラ マシンナーズ の持つ腕輪によって位置を捕捉し、空間転移の補助をした。そして 機械族特有の相互感応システムは寸分違わず全ての機体をこの場所 へと無事に登場させた。 ﹁アイラ、オツカレ﹂ マシンナーズ キノが労い、そして自身の機体から座席を出してアイラをそこに 座らせた。 やや人間とは違ったフォルムが多い機械族の中で、唯一人間と見 1795 紛うほどに人間に似せられて作られた女性タイプの個体がいた。 マシンナーズ マシンナーズ ﹁はじめまして、アイラ。キノから話は聞いているわ。私はデウス・ エクス・マキナ。機械族の始祖にして原点。全ての機械族を束ねる 我が創造主曰く最高傑作の人工知能﹂ 滑らかに、そして流暢に自己紹介した。 そして背後に立ち並ぶ同胞たちを振り返って言った。 レーゾンデートル ﹁我らが悲願、そして我らの創造主が我らに与えた存在理由を復唱 せよ!﹂ ﹁世界ニアダナス異物ノ排除ヲ。世界ノ秩序ヲ裏デ保テ。ソシテソ レヲ達成スル可能性ノ高キ者ヲ助ケヨ﹂ 感情も、抑揚もないはずのその声には確かに震えるほどの覚悟が マシンナーズ あった。 機械族を作ったのは、レイルの元いた世界とはまた別の、もっと かれら 文明の進んだ世界からやってきた英語圏の科学者であった。 彼は最初に、機械族に名前を与えた。単純にしてそれが全て、彼 らの個性を表す名前を。我が子のように慈しんだ彼らが自己を認識 できるように。 彼は次に彼らに誰よりも優れた力を与えた。この世界の言語、工 学、物理科学、そして魔法など世界の多くの知識を。全ての知識を 活かせるように高い知能を。相互に情報を伝えあって進化し続けら れる力を与えた。我が子のように愛しい彼らの存在が脅かされるこ とがあれば、全力で抗えるように。 最後に、与えた力を暴走させないように制限を与えた。自己を害 する者と世界を害する者の為にその力を振るえと。おまけに愛情を 与えた。自分たちが認めた相手を、自己の一部として認識できるよ 1796 うに。 レーゾンデートル いつしかそれは、混ざり合って一つの存在価値となった。 マシンナーズ 機械族はアイラを、ひいてはその仲間を自己の一部として認めた。 そのアイラが今、世界の敵に挑もうとする。 今動かなくて何だと言うのか。 マシンナーズ 機械族は無声の咆哮をあげた。モーター音も、金属音も全てが一 つになってうねる。 肌に感じる気迫に眉一つ動かさず、アイラは彼らに言った。 我らの磨いてきた力を使う晴れ舞台だ!﹂ ﹁まずはこの城を潰す﹂ ﹁今こそ示せ! 世界でもっとも危険な場所で、邪神降臨とは正反対の悪夢が産声 をあげた。 1797 アイラの叛逆︵後書き︶ アイラは守られる存在などではなかった。 強い者ほど彼女に惹かれる。 その魅力を開花させたのは他でもない、レイルなのだが。 1798 崩壊 彼らは亜空間を解いた。 マシンナーズ と、同時に周囲の反応を探って迅速に行動に移った。 見張りをしていた男は機械族の姿を見るなり悲鳴をあげた。 ﹁誰だ!﹂ マシンナーズ それに答えることなく、一人の機械族が攻撃した。重い物を、高 い速度で、正確に。ただそれだけの、だがそれ以上に計算され尽く した動き。相手が反応するより速く、相手に致命傷を与える。全く の無駄もなく男の首が地面に落ちる。 一人が向かえば他の個体は向かうことがない。同族が通信で密に 連携を取れるからこその動きだ。誰かがいけば、他はいらない。そ んな自信の表れだろうか。 効率重視の殺戮劇が始まった。 ﹁おい、応援を呼べ!﹂ 一人が叫ぶ。直後、喉に矢を受けて声も出なくなる。こひゅー、 こひゅーと嫌な音を聞きながら彼は後ろに倒れこんだ。 ﹁邪神様に連絡を⋮⋮﹂ 手を伸ばした者はその先に自分の手首がもうないのを見た。綺麗 な断面からは骨が見えていた。 アイラも援護射撃こそするものの、人間が一人だけというのはや 1799 やぎこちない。というのも、人間とはまるで可能な動きが違うのだ。 マシンナーズ あるものが邪神教徒の攻撃を防いだ瞬間、アイラが横から撃とう としたことがあった。 しかし攻撃を防いだ機械族はもう一本の仕込み腕を作動させて、 そいつの頭を掴んだのだ。いや、掴んだつもりだっただけで、直後 にそいつの頭は見るも無残なトマトになったのだが。 ﹁ひいっ!﹂ ﹁ナルマぁ!﹂ だがそれはデタラメな、というわけではない。アイラの動きを邪 魔しないように、それでいて的確に敵を捕捉していく様は駆け引き などを一切抜きにした圧倒的スペックの違いが為せる技であった。 アイラの銃弾は彼らに必ず躱され、時たま当たるかと思えばあっさ 助けてくれぇ!﹂ りと弾かれる。それも敵と戦っている最中でさえ、だ。 ﹁ちくしょぉ! つまるところ、アイラは動きやすすぎて戸惑うのだ。 信頼している仲間との息のあった動きとは違うが、何をしても直 マシンナーズ 後に対応されるのはまるで自分が合わしてもらっているようで居心 地が悪かった。 実のところは機械族たちはアイラが戦っているのを楽しんでいた し、アイラの攻撃までうまく利用し、計算にいれて最も効率が良く なるようにと動いてはいるのだが、それがむしろアイラのメンタル 面での妨げにさえなっていたというやや皮肉な結果でもある。高性 能すぎる彼らの能力は、年頃の少女にして、仲間の役に立つことを 喜ぶ冒険者の複雑な感情の機微にまでは及ばなかったということか。 ﹁ぐわぁっ!﹂ 1800 とはいえ、それは彼らが苦戦したわけでも、アイラが戦いに参加 しなかったわけでもない。地下においての結果は圧倒的勝利である。 下っ端程度では抵抗さえ許さずに葬られていく。たまに強いのが混 ざっていても、逃げることはできずに一人、また一人と消されてい った。 残された牢屋から数人の捕虜らしき人たちを解放した。 ﹁サーモセンサー、魔力感応オン。併用動作、生体反応検知。周囲 ニ生体反応ナシ。現在階層ヨリ地下、反応ナシ﹂ デウス・エクス・マキナ キノが機械仕掛けの神に報告した。 ﹁コレヨリ地上ヘト向カウ。証拠隠滅起動﹂ そんな音声と共に、死体がかき集められてきた。バシュゥ、と一 人の腕から何かが放たれる。物言わぬ死体が焼き尽くされ、骨まで 灰となった。攻撃手段として使わず、死体処理に使ったのは予備動 作がやや大きいことと大量の死体を一度に処理した方が燃料を節約 できるからだろうか。 それを尻目にアイラはキノにあることを確認した。それはこの中 に他の捕虜やレイルなどの仲間がいないかどうかだ。キノは首を左 右に回転させて否定した。 それを聞いたアイラは綺麗になった地下で、乱暴かつ大胆なこと を提案した。 ﹁面倒くさいなー。ねえ、この城、直接壊しちゃダメかな﹂ もしもここにいたのがレイルであれば、その手があったか、と手 を叩いていたことだろう。 1801 ◇ 俺たちは邪神との戦いを目前に、決意を新たにしていた。 こういう体育会系なノリ嫌いなんだよな。そんな感じでダルそう にしているが、こういった士気高揚もバカみたいに強い相手と戦う には必要なことだと割り切って付き合っていた。 ﹁本当なら各個撃破とかできたらよかったんだけどなー﹂ ﹁各個撃破?﹂ ﹁そうそう。せっかく空間転移なんてあるんだからさー。全戦力を わざわざ分断せずに、次々と全員で雑魚から落としていくのが一番 勝率は高いんだよなー。代わりに他の場所の被害が大きすぎて提案 できなかったけど﹂ 言外に各国の軍に役立たず、と言っているようなものだが、もと もと下級魔物の集団か、人間相手を想定している兵士たちに災害級 の魔物と下級の軍団の混成魔物軍に頑張れ、と放り出すのも非常に 外聞が悪い。 俺は周りを利用することはあれど、見捨てることはあまりなかっ グローサ グラン たりする。かつて弱者であった自分としては、弱いことは悪いこと セティエ ではない、という意見を曲げたくはないからだ。 ﹁で、この構成か﹂ 周りをぐるりと見渡す。 アランはもちろん、カイ、聖女、魔王姉にメイド長、魔王弟まで 1802 出張っている。意外なのはアクエリウムからクイドの参戦である。 エルフの里からは支援部隊が来てくれた。リオのお父さんを含めた 獣人の族長が数人いる。リオやアークディア、ホームレスについて はロウやカグヤと共に他の場所についてもらっている。顔をよく知 っているのはこれぐらいだった。 他にも勇者候補が何人かいる。 ラスボスを倒す時は四人だろう? そんなものを律儀に守る馬鹿がどこにいるのだ。 いくメンバーそれぞれに見送りの人がやってきた。俺の場合はユ ナイティアの住人とギャクラの知り合いがほとんどか。 ﹁一番死ぬのを嫌がるお前が、一番死にやすいところにいくとはな﹂ ジュリアス父さんがそんなことをおっしゃる。今から頑張ってく る息子になんという言い草だ。死ぬとは微塵も思っちゃいないらし い。 ﹁レイル!﹂ 呼びかけた方を見ると、二人の同い年ぐらいの男と女がいた。な んだか見覚えがあると思ったらキリアとカレンだった。指輪探しで 迷宮探索の時にあった二人だ。 この前は安否こそ確認したものの、サーシャさんの治癒とかで忙 擬神の時は大変だったな。あの時は忙しくてゆっくり しくて挨拶だけで去ってしまったからなあ。 ﹁おお! 話せなかったけど、また今度⋮⋮﹂ ﹁俺たちも連れていってくれ!﹂ 1803 キリアが遮るように言った。 ﹁あれから俺たち、必死で強くなったんだ! る!﹂ ⋮ 俺たちだって戦え ﹁レイルに追いつきたくて⋮⋮いっぱい頑張ったんだから! ⋮もう、置いてかれたくないの!﹂ あー⋮⋮そういや置いてったっけ。 ﹁私だって戦えるもの。隣に立ちたいの!﹂ 必死で説得しようとする二人。 なんだなんだとやや周りの視線が集まり、直後に何があったのか を理解されてしまう。心配そうに見守る者と、面白そうに生暖かく 見守る者に分かれた。 どう断るのか。そんな疑問の目を向けられてなお、俺は答えた。 ﹁んー、いいよ?﹂ ﹁ダメだって言われたって⋮⋮えっ?!﹂ ﹁だからいいよって。数は力だよ。できれば千人ぐらいで邪神袋叩 きにしたかったんだけど、あまり防御力ないのを数だけ集めたって あっさり死にそうだしね。二人ぐらいねじこめる。だって俺、作戦 指揮だし?﹂ とんだ職権乱用である。 だけど俺だって、こいつらの実力も把握せずに連れていって死な 1804 せるのも嫌だ。 だからこう付け加える。 ﹁でも危なかったら即帰すからな? 弱かったら、じゃない。戦 えない、って思ったらだ。予告も警告もしない。俺の独断で即帰還 させる。俺の空間転移ならそれができる。邪神を目の前にしていき なり気がついたらおうちだーなんてこともあるぞ?﹂ というかこれは行くやつ全員に限った話だけどな。 俺だって無理だと思ったら即逃げる。そりゃあもう、﹁俺帰るわ !﹂の一言がみんなの耳に届いたころには俺はもうおうちだ。 そんなことにならないように頑張るんだけどさ。 ﹁⋮⋮わかった﹂ ﹁私もそれでいい﹂ そもそも邪神に挑むメンバーが最強から順に集めたとは限らねえ しな。 バランスよく、かつ他の場所にも対集団戦に向いた奴らを送り込 んだからこのメンバーになっただけで。 本当はカグヤとかロウとか連れてきたかった。超︵俺の身が︶心 配。 つーか邪神相手以外でロウとかカグヤとかサーシャさんとか知っ てるメンバーがむざむざと死んでくるとか考えられない。 それにしても、カレンは随分と可愛らしいのだけど、俺とアイラ の関係を少し勘違いしているな。 俺はアイラを隣に立つ、というよりはできることをなんでも任せ られる、と思っている。結果としては背後を任せたりしているだけ 1805 の話だ。 最後にやってきたのはレオナだった。 ﹁レイル様、私はユナイティア防衛の指揮にあたっているので祈る ことしかできませんが、どうか、ご無事で﹂ 殊勝に両手を組んで上目遣いで懇願してくるレオナ。瞳は潤んで おり、その睫毛がそっと伏せられる。 さすがにこれは演技ではないか。と憎まれ口を叩くのは、レオナ から初めての心配らしい心配というものにどう対応していいかわか らないからだったりする。 ﹁あ、ああ﹂ ﹁それとレイル様⋮⋮いえ、帰ってきたらにしましょう﹂ やめろそれは死亡フラグだ。 こんな状況で口にできるはずもなく、やや嫌な予感をさせながら 邪神の城の手前まで転移するのだった。 ◇ そこで俺たちは信じられないものを見た。 いや、非常に納得もいくし、溜飲も下がる素晴らしい出来事なの だが、さすがにその非常識さは邪神といったところだろうか。 1806 転移した瞬間は確かにあった。 俺たちが以前見たものと何も変わらないままそこにたっていて、 城の周りを警備が取り囲んでいた。 どこから奇襲してやろうか、幾つかある手段のどれを選ぼうか、 などと思いを巡らせていたときのこと。 ﹁なんだよ、あれ⋮⋮﹂ 勇者候補の一人が呻いた。 ごごごご、と嫌な音が地底から響く。 地響きのような重低音は鳴り止むことなく、それが城から聞こえ ているとわかったときのこと。 ﹁はあぁぁぁ!!??﹂ 邪神の城だったものが崩れ落ちて、瓦礫の山となってしまったの だから。 1807 崩壊︵後書き︶ 中の邪神さんは無事でしょうかね。 1808 VS邪神 その1 冗談はさておき、みなさんお気づきの通り邪神があれで死ぬわけ がない。 警戒を怠るな!﹂ あれってやっぱりアイラかな。アイラだよな。中にいる邪神以外 は死んでそうだな。 ﹁おい、みんな! アランの発破によって、放心しかけていた勇者たちも気を取り直 す。各々の武器を構え、精神を城の中心へと集中させた。 するとそこから、城だったものがぼこりと跳ね上がり、そして邪 神が現れた。 うーむ。 平和のために死ね!﹂ ﹁よく来たな勇者たちよ!﹂ ﹁今こそ倒してくれる! みたいな会話を想像していたとすれば、砂埃を払い飛ばして苛立 ちを隠さないあの大男が邪神だとかあまり信じたくはないよな。 瓦礫が吹き飛び、四方八方に飛び散った。 岩石落とし!みたいな全体攻撃だ。 俺たちの頭上、前方から人間ほどの大きさがある瓦礫が隕石のよ うに降り注ぐ。全てをかわすのは無理そうだった。 ﹁狼狽えるな。作戦通りやればいいんだ﹂ 俺はそう言って剣を構える。 降り注いだ瓦礫を、︵俺以外︶全員が避けることなく迎え撃つ態 1809 勢だ。 というのも、あらかじめこうした避けようのない全体攻撃で物理 的なものが来た場合は行動を二択に絞るように言ってあるのだ。 一つは自分で撃退する。 これは全体攻撃に逃げ場がなく、その全てを防ぐのは不可能だっ たとしても、その全てが防ぎようのない攻撃だとは限らないからだ。 岩石が大量に降り注ぐからといって、その全てが自分に当たるわ けではない。弾幕の一部を防いでできた場所に逃げ込めば当たらず に済む。 つまりは自分だけで防げそうな攻撃ならば、自分に向かってきた 攻撃だけを忠実に防ぐことで耐え切る戦法だ。 二つは全員で集まって、俺の空間転移かセティエの結界で防ぐ。 これはどの部分もぶち破ることができないぐらいに強力な攻撃だ った場合、回避が得意な俺か、防御に特化したセティエに任せるこ とで一度で全員を守る方法である。 今回は自分たちで防げる程度、邪神も挨拶代わりの祝砲みたいな ものだろうと全員一致の判断のもと、自身で撃退し始めたのだ。 俺はというと、五、六発目ぐらいで大変そうだったので、キリア とカレンを回収して空へと転移、座標固定でそのまま見下ろしてい た。 空間把握なら撃退するまでもなく避けられそうだったが、誰かを 連れて転移して逃げるのに慣れておきたかったので練習台というの もある。まあ作戦を聞いてないのに、周りと同じ判断をくだしたこ とと、二、三発ぐらいはきっちりと防いでいたからまあ合格か、と いう二人への賞賛もある。 瓦礫を吹き飛ばしたのは本当に埃を払った程度の感覚らしい。 1810 邪神は何も気負うことなく瓦礫の山から下りて、俺たちに向かっ て近づいてきた。 ﹁煩わしいネズミどもめ⋮⋮貴様らが勇者どもか﹂ ﹁いいや、ただの寄せ集めだ﹂ あ、しまった。その通りだ、お前を倒す!とかアランとかカイと カイいかにも勇者みたいなのに言わせる予定だったのに。ついうっ かり本当のことを。 ﹁敵であることには変わりなかろう⋮⋮いいだろう。まとめてかか ってこい﹂ ﹁世界をお前の好き勝手にさせてたまるか!﹂ ﹁俺は、俺の大切な者のために戦う!﹂ ﹁楽しみだ。やっと本気が出せるぜ!﹂ 邪神の言葉に勇者とかが反応する。 クイドや魔王たちは依然としてしかめっ面のままだ。 どうやらこいつらは虚勢ならぬ威勢で士気を高めたりはしないら しい。 むしけら ﹁五月蝿い失敗作どもが。ここで片付けてやろう﹂ ドーム 邪神が地属性の魔法を発動した。地面が隆起し、俺たちと邪神を 半球に包む。 逃がす気はない、ということだろうか。結界はらないと無駄なの にな。 1811 ﹁なあ邪神。まさか雑魚の人間の寄せ集めにビビって転移で逃げた りしないよなあ?﹂ 俺は邪神を煽る。煽りはデフォルトで備え付けられているので、 これこそ戦いの前の挨拶代わりだ。 そしてセティエに結界で逃がさないように耳打ちした。条件指定 で俺たちが逃げられるようにしてもらった。 邪神は俺たちを鼻で笑う。口内は真っ赤で、鮮やかだった。笑う だけで大気が揺れるような錯覚さえ覚えるほどの大男である。 ﹁大言壮語を吐ける者もいたのだな。評価を改めよう。そしてかか ってこい、叩き潰してやる﹂ ﹁⋮⋮流石だな﹂ グランが忌々しげにこぼす。他の勇者たちとは違って勇猛や楽観 だけではダメだと言うのだろう。 グローサが一番楽しそうだ。大柄な美女であるため、口角が最大 まで上がるとなんとも言えぬ迫力がある。 二人はよく似た大剣を担いで、邪神を真っ直ぐに見据えている。 とまあ、俺がそんな風に魔王の方まで見てられるのは空間把握で 邪神からは意識を逸らさずにいられるからだったりする。 決して目の前の敵から注意を逸らせるほどに余裕があるわけでは ないのだ。 邪神は亜空間作成もできるようだ。空中にこじ開けた穴から自身 の武器を取り出す。透き通るような黒の剣は、大きさこそ邪神に見 まりょく 合った細身だが、それでも俺たちからすれば十分な大剣だ。そして 邪神との比率にそぐわぬ、禍々しい邪気を撒き散らす。おそらくは あれでも抑えているのだろう。威嚇行為でなければ、無駄に魔力な 1812 どを放出する意味がない。 邪神の姿がブレる。空間把握か、経験による反射でのみ対応でき るような速度で真っ先に狙われたのはメイド長だった。 ﹁随分となめられたものですね﹂ メイド服にかすらせることもなく、緩やかにその剣先から逃れた。 上から剣の腹を抑えて、剣の上に逆立ちするように舞い上がる。 スカートは一切めくれ上がらない。あの中には針金でも入っている のか。 ﹁なに、小手調べというものだ﹂ 邪神が言い終わるまでもなく、メイド長の蹴りが邪神の頭蓋に激 突する。蹴りを受けてなお、微動だにしないままにセリフを言い切 った邪神は確かに化け物だ。 ﹁でしょうね﹂ 何の動揺も見せないままに、メイド長はひらりと舞い降りた。あ の人に護衛はいらない。確信した。 俺はそんな戦いの真っ最中に空間を捻じ曲げて邪神の首めがけて 剣先を突き出す。 いきなり背後より現れた剣先を邪神が掴んだ。あいつは後ろに目 でもあるのか。⋮⋮いや、俺だって空間把握があるんだ。人?のこ とは言うまい。 ﹁おりゃぁぁっ!﹂ 1813 作成通りにトーリやアランなどの攻撃力の高い勇者が突っ込む。 その剣身に炎やら光やらをまとわせて派手派手しく繰り出される 剛速の剣にて邪神を相手取る。 剣術はあいつらの方が上だった。だがそれ以上に基本の身体能力 がバカみたいに差がある。 おそらくは勇者候補の中で身体能力最強のアランでさえもが、両 手剣で相対して片手に押し負けている。 トーリと二人、いいようにあしらわれている。 ﹁がっ!﹂ 二人が同時に膝をついた。重力魔法で何倍もの負荷をかけられた のだ。 みんなが助けようとボンボン魔法を撃ち込む。トーリを巻き込む とか、アランを巻き添えにするとかお構いなしだ。俺がそうするよ うに言った。当たりそうなものは空間を捻じ曲げたり転移させたり して全て邪神に向かうように調整した。 邪神は次々と飛んでくる魔法を片手で受け流しながら、その剣を 上に掲げる。 俺が空間転移で近くに引き寄せた。ドクターストップならぬレイ ルストップである。 ﹁ロクなのがおらんようだな﹂ セティエ 急激に抑えていた魔力が高まった。 瞬時に危険だと悟った。聖女の結界で防ぎきれるかわからない。 俺はグランに目配せした。グランはグローサとメイド長を、そし て三人以外を俺が連れて空間転移でドームの外に脱出した。 俺たちは外からドームを確認できる場所にいた。 1814 それはもうとんでもないことになった。 火柱が上がったのだ。濃密で、青白い炎が天に向けて数十メート ルに及んだ。 ドームの横側は何もなかった。ただドームの天井だけが穴があい た。 ﹁危ねえ⋮⋮﹂ この世界でも物理法則が通じている。 もしもあれがこの世界の特殊な金属による炎色反応とかでないの ならば、温度は太陽の表面さえも超えている。 邪神が側面の一角を壊して出てきた。ボロボロと崩れる壁をはね のける。そのままのっしのっしと歩いてくる。 俺はあることを思いついた。 エネルギーがないなら借りればいい。 強さが足りないなら合わせればいい。 片手を天に掲げる。みんなに出ないようにと言い聞かせた。 すぅぅっ、と息を吸い込み遥か上空に把握を巡らせる。 体の中に魔力の流れを感じ、大きなレンズを想像した。 ソーラーパネル ﹁虫眼鏡﹂ 一瞬空が真っ暗になる。 理論上は直後、いや、もう同時といって差し支えないほどの時間 差で邪神がいる場所に光がはしる。 ﹁うわっ!﹂ 1815 制御して和らげていたとはいえ、大量の日光に目が眩んだ。 静かに、それでいて光速で邪神のいる一帯を焼き尽くして焦土に 変えた。 ﹁レイル、何をしたんだ?﹂ クイドが見慣れぬその光景に思わず尋ねた。 また後でな、と返した。どうせ今説明したところでどれほど理解 してもらえるか。使うなどは夢のまた夢だ。 俺がしたことは、前世の記憶からすれば至極ありふれた、単純な ことだ。 太陽の光を集めたのだ。 そもそも太陽光線とは太陽と地球の大きさに差がありすぎて、ほ ぼ平行に入ってきている。 凸レンズに平行に入った光は焦点へと集まる。おそらく多くの人 が一度は体験したことがあるのではないだろうか。虫眼鏡で太陽の 光を集めて黒い紙などを燃やす実験を。 たった手のひらほどしかないレンズでさえ、数百度を超えるのだ。 それを何百倍にするのを考えてもらえればわかりやすい。 屈折した光は一点に集まり、その瞬間は光が消えて空が暗くなる。 そして攻撃を受けた土地もまた、真っ黒に焦げ付く。 実のところを言うと、俺は俺自身に枷をつけていた。 あるものしか使えない、という固定概念が、前世の物理科学の概 念が、魔法の威力を抑えてしまうのだ。 1816 ならば、その物理科学で威力を補助してやればいい。 俺は知っているではないか。この世界にはエネルギーが溢れてい ることを。この星に、まるで抗うことのできない莫大な力があるの を。 ・・・・・・・・ 通常の生物ならば消し炭になっていてもおかしくはない。 通常の生物ならばだが。 俺はその瞬間を脳裏に焼き付けていた。 邪神は俺の魔力操作を感じた瞬間に防御の態勢に入った。 全身を土で多い、硬化させた。硬化そのものには意味がなかった が、光沢が出たのだ。その光沢がある程度和らげた。 そして自身の体温を常に一定に保とうとする防衛本能のようなも のが働いた。 恒温動物の中でも魔力が高い生物に見られがちな、生態と魔力の 融合した特性の一つだ。 邪神がその膨大な魔力と繊細な操作をもってそれを行えば、いか にタンパク質の変性温度が低かろうとギリギリ耐え切ることが可能 であった。 表面が黒焦げの体を時術と水属性の体液活性化で治しながら立ち 上がった。 ﹁まだ立つのか⋮⋮﹂ みんなは絶句していた。 もしかしてまずかったかな。あまりに敵が強いことを演出してし まったら、戦意が削がれたりするのかな。 と、思っていたらこの中で誰よりも戦いが弱いはずのキリアとカ 1817 レンが叫んだ。 ﹁なによ!﹂ ﹁なんだよ!﹂ 似たもの二人は同じことを感じたのか。 ﹁もともと絶望的な実力差だってわかってたさ!﹂ こっちにはレイルがいるのよ!﹂ ﹁足手まといにならなきゃ、相手の強さなんてどうでも良いんだか ら! そうか。こいつらは最も弱いから。最初から自分たちが敵わない ことを想定して来たから、相手の実力に呑まれないのか。 ここにいるのはほとんどがおそらく敗北を経験したことのない勝 ち組野郎どもだ。トーリやメリカは一度俺たちに負けてはいるが、 アランも負けとは言えない負けだ。こうも実力差で真正面からねじ 伏せられたのは初めてなのだろう。 だがこの二人は、その意味では本当に勇者なのだ。 勝てない相手に、世界を救う為かもしれないし、俺と並ぶためか もしれないけどとにかく挑んでいるのだ。 臭いセリフをはくのも、勇者らしく格好つけるのも嫌いだけど今 だけはこいつらに応えてあげたい。 ﹁そうだな。あんなのすぐに倒しちまおうぜ。各地でもみんな頑張 ってんだ。あんなの、力の塊だろ﹂ 後ろから二人の肩に手を置いた。 二人の肩は震えていた。そして空間把握で二人のそんな様子さえ わからないほどには俺も取り乱していたのだろう。 1818 なにいってんだ。これから消えゆくやつが。戦い ﹁虫ケラにしてはやるではないか。現世でこうも傷を負うとはな⋮ ⋮﹂ ﹁傷を負う? はここからだぜ﹂ はっきりと宣戦布告し、仕切り直しとなった。 1819 VS邪神 その1︵後書き︶ ちょくちょく各地の中継も挟んでいきます 1820 二つの戦局 リッチー ロウたちが向かったのは、命無き魔物の群れる遺跡であった。 既にあった遺跡を改修し、今は邪神の腹心である不死王が大勢の ゾンビにスケルトン、リビングデッドなど大量のアンデッドを従え ている。 ﹁ははっ。こりゃあ豪勢だなあ。それにしても﹂ 人の骨が散らばる、いかにもな床を無造作に歩く。パキ、ペキと 足の裏で乾いた破砕音が鳴る。 この地点での指揮権はヒジリアへと任せてあり、あくまでも遊撃 手としての役割を持つロウは自律行動するようにと言われてある。 時術の使い手が多いので各地点に派遣された回復役としての人間以 外は概ねこちらに聖騎士を回してあるのだ。その他には炎の魔術師 なども多くこちらに回されている。 ゾンビとスケルトンの混成物理攻撃隊を一般兵士が引きつけてい る間に背後から襲撃しようとしているのだ。 もちろん、全てをそこに投入するほど相手の指揮官も馬鹿ではな い。むしろ向こうがあちらを目くらましとさえ思っているかもしれ ないことを考えるとこちらの方が断然危険度が高い。 ﹁命を奪うのが得意な俺が、命がない奴らの相手、なんてな﹂ ﹁レイルどのから優秀な方だとお聞きしています。きっとロウどの こそが相応しいと思ってのことでしょう﹂ ﹁まったく、忌々しい。どうして私がレイルの仲間なんぞに協力せ ねばならん﹂ 1821 舌打ちをしたのはいつぞやの聖騎士の一人、イシュエルであった。 アランによって引き起こされた決闘で無様に敗北してからレイル たちを敵視し、鍛錬に励んできた。以前よりも確実に強くなってい る。 先ほどから雑魚とは思えない鎧を装備した大きなスケルトンや、 ミイラなどがロウたちに襲いかかる。 眉一つ動かさず、歩みを止めることなくロウは通りすがりざまに 亡者たちを攻撃する。武器が接する瞬間に時術を込めた。 アンデッド 亡者を倒すには三つの方法がある。 一つは肉体そのものを構造的に動かなくすることだ。四肢を切断 して頭を砕くのもいい、燃やして灰にするのでも構わない。 二つ目はかけられた魂術を解除すること。簡単なのは術者を倒す などである。 そして三つ目、死者たちが死んだ体を動かせるようにと、魂が擦 り切れてしまわないようにとかけられた時術を乱すことだ。 その術は他の時術の上書きによって解除され、それまで停止して いた時間をいっきに解放する。時間を止めていた、というよりは貯 めていた、という術である。より簡易に大量にかけられるようにと アンデッド 貯める方式をとった結果の脆弱さである。 これこそ回復術が亡者によくきくと言われる所以である。 かといって、アンデッドが弱いというわけではない。 人型というのはそれだけで剣を鈍らせる結果になる。それが恐怖 を煽るようなら尚更である。 中には生前の技量を一部受け継ぐ者もおり、それでいて人間にあ るべき恐怖などの感情のない文字通りの死兵となって突っ込んでく る大軍というのは厄介なことこの上ない。 1822 疲れを知らず、食料などもいらない。傷ついても無視して突っ込 んでくる。そんな厄介な軍隊なのである。 ロウの素早さと確実に攻撃を当てていく技量、そして陰陽師の血 の異形の存在への深い理解は死者との戦いを一方的なものへとして いた。魂のない武器での物理攻撃がきかないゴーストでさえも、魂 を武器に込めるという反則的な技で対応するようになっていた。い つの間にか習得していたのだ。 そして壊れた倫理観にレイルとの旅の経験が融合し、人型ならむ しろ壊せやすそうだ、などと考えてしまうに至っている。 ロウは奇しくも、生者と死者、どちらも得意な殺戮者となってい たのである。 この程度なら何匹に囲まれようが、攻撃を当てられる前に壊せる。 そんな軽い調子で歩いていくロウの後を慌てて他の奴が追いかけた。 ﹁随分と雑魚ばっかだな⋮⋮﹂ あまりに余裕な戦いにむしろ不安が募るロウであった。 淡々と錫杖を振るうたびに、ぐしゃり、ぐしゃりと原型をとどめ ることもかなわず崩壊への末路を辿る亡者たちは確かに雑魚といっ て差し支えなかった。 そんな静寂を壊す者がいた。 ﹁良い⋮⋮下がれ﹂ カツ、カツと歩いてきたのは法衣のようなゆったりとした服に身 を包んだ元は貴族のようなアンデッドであった。 痩せこけた頬にはほとんど肉がついておらず、骨と皮ばかりの痩 せぎすの腕には魔石を使った杖が握られている。 1823 下級ゾンビどもが、ゴーストどもが波が引くように遠ざかった。 残ったのは鎧騎士スケルトンなどの上級アンデッドばかりだった。 まあいい。余がこの場で最も貴き存在であるこ ﹁あんたがここの責任者かい﹂ ﹁責任者⋮⋮? とは認めよう。脆弱なる人間どもが。今までのように我らに時術が リッチー 通じるとは思うな﹂ ﹁お前が不死王ってことで間違いないみたいだな﹂ リッチー 遊撃部隊の目標が目の前にある。 リッチー 全員の神経が不死王に注がれる。 不死王に時術がきかないのには幾つか理由がある。 一つは彼らが上級のアンデッドだというところにある。知性を持 ち、魔力に溢れる彼らは自身の意思で時術に抵抗が可能である。か リッチー つてバジリスクが体内への転移を阻害したのと同じ原理である。 もう一つが、不死王自身が特別製のアンデッドだというところに ある。 ﹁余は邪神陛下ほどではないが、中に核を持つ。よって、時術で肉 体の時間を貯めてはおらん﹂ びきびきびき、と辺りにひび割れるような気配がする。 何人かの頬に赤い線が走る。 ﹁最後に聞かせてやろう。邪神様は完全無欠ではあるが、我らはそ れぞれに邪神様の特性を与えられている。余の場合は││││││ 類稀なる魔術適性だ﹂ つまりは魔法の腕だけならば邪神に匹敵する、と宣言した。 その言葉に強張る周りとうってかわってロウは満面の笑みで言っ 1824 た。 ﹁なあんだ、よかったぜ。魔法適性以外は邪神以下なのか!﹂ リッチー 不死王はキレた。 ◇ 一方、カグヤの方は大規模な正面衝突となっていた。というのも、 幾つかある戦線の中で最も数も、規模も大きいのがここであった。 小細工など必要ない、というよりはできないぐらいに大量の敵と味 方がおり、後は純粋な用兵と戦術しかなかった。 ガラスが代表して全体の指揮をとっており、一部をレオナが任さ れていた。 次々とレオナの下に連絡がやってくる。 ﹁西からゴブリンが数千体来ました!﹂ ﹁コボルトの群れが回り込もうとしてます!﹂ ﹁ノアウルフが中央を突破しようとしています!﹂ そう、こちらは魔獣、魔物の群れであった。 オーガ ほとんどが陸上を走る獣型や不定形のスライム、中にはオークや 大鬼などもいる。 邪神が立案したのか、フェロモニアやアギトカゲのように他の魔 1825 物を従えて群れを作るような魔物を小隊長とした部隊も見られる。 魔物が確固とした軍隊としての形をとって向かってきているのだ。 ﹁きりがないわね!﹂ オーガ カグヤはというと、先陣をきっての切り込み隊長的な役割を与え られていた。 地属性の魔法で穴をあけ、中に落ちた大鬼の首を斬る。 周りに群がるコボルトやゴブリンを風魔法で蹴散らしながら先に 進む。 背後では討ちもらした魔物をきっちり一体一体と兵士が仕留めて いく。 カグヤは勢い付けと撹乱が目的である。 戦況はただの力押しではこちらが有利であった。 集団戦においては人間に勝る種族はいない。そこに他種族も含め ての能力が合わさり、かつてない進撃を可能としている。 獣人が前衛に多く、魔族が後衛に多い。 人間が半々で、指揮官は人間が多くなっている。 何十万対何万という数の上ではかなり不利に見える戦況もゆっく りと縮まり、こちらの被害は少なく魔物の被害は甚大であった。 ガラス、ノーマ、サバンを代表とする連合軍は順調に見えた。 だがおかしくなってきたのは、霧が出てきたところからであった。 向こうの魔物軍を指揮する魔術師の一人が水属性霧魔法を使った ようだ。 霧が晴れた時、その戦況をガラリとひっくり返す怪物が現れたの 1826 だ。 ﹁うわぁぁっ!﹂ 退避!﹂ ﹁なんだあれは!﹂ ﹁逃げろ! ﹁ぐわぁっ!﹂ 兵士がまるでゴミのように蹴散らされる。 現れたのは何十メートルという小山のような怪獣であった。 これこそが成功作 ゾウのような分厚い表皮、巨大な牙が口から見えている。動物を 表す悪魔とも言われる存在。 指揮官が高らかに叫んだ。 ﹁リヴァイアサンのような失敗作とは違う! の神話級怪物、ベヒモスだ!﹂ リヴァイアサンと対をなす、巨大すぎて共存さえも許されなかっ た神話級怪物、ベヒモスが現れた。 1827 VS邪神 その2 マシンナーズ アイラと機械族は邪神の城が崩落した、というよりは崩落させら れたその瞬間に、転移でかなり離れたところまで来ていた。 アイラは離れたところで戦闘を観察していた。アイラはレイルパ ーティーの中では近接において最も弱い。初見の敵にいきなり突っ マシンナーズ 込んで、まともに戦えるとは思っていない。だからこそ、遠くから 見ているのだ。 その周りを取り巻くように、機械族たちがいたのだが、今は邪神 の元へと向かっている。 戦闘に不向きで、遠くより戦闘を俯瞰して指示を出すデウス・エ クス・マキナと、アイラの守護として残ったキノ以外のほとんどが 出向いた。 そんなアイラの元へ、一人の青年が現れた。 ﹁君は⋮⋮もしかしてアイラじゃないか?﹂ あまりに敵意も、邪気も毒気もない気さくな呼びかけにキノも反 応が遅れた。 振り返ったそこにいたのは、紫と黒の鮮やかな上物の服に、立派 な剣を携えた男である。人懐っこい声と、筋肉のついた大柄な体の ギャップに既視感を覚えるも、アイラは当然のように返した。 ﹁⋮⋮誰?﹂ 不機嫌そうに、それでいて気だるそうなその様子はいかにも帰っ てくださいと言わんばかりである。 1828 それもそうだ。こんな状況でのこのことアイラの前に現れる男な ど、どう考えてもロクなものではない。 ﹁はー⋮⋮まさかとは思ったけど、本当に忘れられてるとはね。で も何年も会ってないからわからないのも無理はないか。フォルスだ よ、君を勧誘した﹂ ﹁だから誰﹂ アイラがレイルやロウ、カグヤにレオナ、レオン達と共に学校に 今回の戦闘で 通っていた時のこと。彼は一度アイラを専属鍛治職人として勧誘し ていたのである。 ﹁まあいいや。君も邪神様に士官しにきてるの? この腐った世界 の避難場所はここじゃないよ。危ないから向こういかない?﹂ ﹁⋮⋮あなたは邪神側?﹂ ﹁そうだよ。邪神様の理想は素晴らしいんだ! を一度無にして、そこに新たな理想郷を作るんだってさ。とはいっ ても殺されるのは邪神様に従わなかった奴らだけだけどね。こうし て賛同している僕たちは助かって、それまでの働きに応じて理想の 世界での地位を与えられるんだってさ。すごいよね。血も、これま でのことも無関係にただ能力だけで決まるんだ﹂ 陶酔、というのがしっくりとくる。フォルスはどこか焦点のあわ ないぐるぐるの目で、興奮したように語り出した。それからもしば らくは邪神の素晴らしさを語っていた。 ひとしきり語り終えると、アイラに手を差し伸べて言った。 それまでの働きがなくてもいいよ。僕の妻にな ﹁だからアイラ、もう一度勧誘しよう。僕たちと理想の世界で生き ていかないか? 1829 れば、そんなの関係なく幸せな生活を保証するよ。だから、一緒に 行こうじゃないか﹂ その言葉には微塵も断られることを怖がる様子はなかった。そこ にあるのは本心からの忠告のような、押し付けがましい勧誘である。 アイラはこういう星の巡りに生まれてきたのかもしれない。レイ ルを筆頭として、とことん男運のない、ロクでもない男にばかり好 かれる。彼女自身が献身的で、強く生きるがゆえにそれだけ男は守 っているつもりでも強く頼ってしまう。 レイルはそれを自覚していた。自分に依存しないように、などと 偉そうなことを言っておいて、自分自身がアイラに一部依存してい ることをどこかで諦めていた。欠点を受容して妥協することにかけ ては他の追随を許さぬ男だったから。 ﹁何も、何もわかってない﹂ アイラは強く睨む。ここでようやく目の前の彼が薄ぼんやりとだ が、同級生であったことを思い出した。 自分の幸せも、自分が大切なものも、自分が生きてきた証も。全 てを否定した目の前の男に付き合う時間が一秒でも惜しい。 そこに怒りはなかった。あるのはひたすらに呆れと時間の無駄だ という効率主義のみで、話し合う価値もないと腕輪から銃を取り出 した。 決断を悟ったキノが一歩前に出るのをアイラが片手で制した。 ﹁過保護だよ。これは多分、私の過去なんだよね。だから、私が背 負うべき﹂ アイラが銃を向ける。炎の魔石を利用し、火薬草の粉末が爆発し て前方に破片のばらまかれる殺傷力のみの散弾銃もどきだ。 1830 フォルスが狼狽するのがわかる。この武器を見たことはなかった が、ここで向けられたのが武器だとわからないほどにはウスノロで はない。 ﹁ま、待てよ。なんなら友達を数人助けてあげてもいい。僕たちが 戦う理由はない。話し合えばわか││││││﹂ 放たれた銃弾は彼の薄っぺらの防具を切り裂き、壊し、貫通して 胸を抉った。 顔面が血まみれになり、すでに誰だったか判別がつきにくくなっ ている。白い袖も、立派な剣も全てが彼自身の血で汚れている。 久しぶりに会えた同級生が懐かしかった? 知り合いを一方的に殺して罪悪感があった? アイラは自分の胸に問うた。しかし何の返答も返ってはこない。 何の感慨も、躊躇いもなかった。 ﹁私もまた、どこかで壊れているのかもね﹂ 無機質な瞳の視界の端に赤い髪がうつりこむ。 いつかレイルが綺麗だと撫でていたのを思い出してくるくるとい マシンナーズ じった。幼さの残る愛らしさの中に、凄絶なまでの美しさを孕んで いた。 そういった感情がやや希薄な機械族でさえもが一瞬見惚れた。 アイラはそのままキノに周囲の警戒を頼み、死体を処理した。 そして腕輪から巨大な銃を出した。片手どころか、両手でさえ持 ち上げるのが大変な人ほどの大きさのある銃だ。大口径のそれは無 骨で持ち運ぶことを全くといって考慮していないデザインである。 1831 スコーピアン ﹁巨大蠍の攻殻と精霊鉱による銃身。リヴァイアサンの骨でできた 固定台。コドモドラゴンの眼球のスコープ。そして火薬草、魔石に 精霊鉱で作った特製弾丸﹂ トロルの里で精霊鉱を見たときに思いついたこの弾丸。あまりに 贅沢な使い方をしているが、あれから何度も挑戦して安定して作れ るようになったのはここ一ヶ月ほどであったりする。だからこそ、 成功作と言えるのは五十発とない。 かちかちと組み立て、照準を合わせる。 スコープを覗きながら深呼吸した。 ﹁見ていて、私の集大成﹂ 遠くにいて聞こえないはずのレイルに向かって呟いた。 モノクロ 彼女の瞳に映るのは、倒すべき敵である邪神の顔と、世界で一番 好きな人の戦いのみ。 世界が無音に、そして無彩色へと移りゆく。 ﹁見せてあげる。私の最高傑作﹂ ゆっくりと引き金に指がかかる。 轟音までコンマ数秒。 ◇ 邪神との戦いは熾烈を極めた。 1832 剛の剣が一斉に邪神を擦り潰そうと迫る。一撃で魔物が消し飛び そうな攻撃を邪神が止めるたびに、地面が割れ、周囲の木々がなぎ 倒される。 風が、水が、炎が槍や矢の形状で剣戟の間を縫って飛び交う。 時折、邪神の無差別な上級全体魔法が発動する。 風や雷であれば波魔法を使って防ぎ、爆発ならば空間転移で逃が す。 ﹁我が魔法に干渉するか。愉快な人間がいるな﹂ 圧巻なのは、魔族筆頭三姉弟である。 メイド長も強いとは聞いていたが、文字通り次元の違う強さであ った。勇者や魔王、邪神に混ざって遜色ない武技に加えて魔王姉さ え凌駕する速さがある。膂力においてはアランとグローサが並んで トップになる邪神の剣を単独で素の身体能力で止められるのが二人 だけだということからもそれがわかる。 グランの魔法は精密にして的確、難易度の高い魔法を次々と無詠 唱でタイムラグなしに発動していく。 コンビネーションにおいてはキリアとカレンが素晴らしいが、如 何せんパワーが足りない。撹乱と目くらましには役に立っている。 我が配下に 我が悲願はこの星に住む全ての反乱分子を排除し、 ﹁貴様らよ。ここで一度、機会をやろう。どうだ? ならぬか? 平和な世界を作ることだ。そこでの自由な地位を約束しよう﹂ ﹁断る!﹂ 多くの勇者やらが一斉に口を揃えた。 ああ、あれか。例の﹁この我のものとなれ﹂﹁断る!﹂の下りか。 やっぱりやるんだ。 1833 多分向こうは良心からなんだろうな⋮⋮と遠い目をして思う。 ﹁そうだな⋮⋮邪神。お前は正しい。確かに人種族は争い、殺しあ う。お前の言うような世界が理想で、平和で、合理的なのも認める﹂ ﹁なんだ、勇者にも話のわかる者がいるようだな﹂ 俺の独り言とさえ言えるようなぼやきをとらえて邪神が笑う。 ﹁だけどな⋮⋮俺たちは間違える生き物なんだよ。ここでお前に歯 向かうのが間違いだったとしても、歯向かうのが俺たちだ﹂ 我が配 邪神は、それならそれで構わない、と交渉をあっさりと引き上げ た。 ﹁だが⋮⋮ここに最高戦力をもってきてよかったのか? 下の一人、不死王は我が復活のためにデイザスによって滅ぼされた 国の王の魂で筆頭魔術師を蘇らせた者だ。擬似生命完成体のベヒモ スもいるぞ﹂ ﹁そいつらは仲間が倒すからいいんだよ。俺より強い仲間が、な﹂ 他にも拠点はある。 そして、それがワザと避けたのだとわかる。 ﹁ならばよかろう﹂ 音もなく邪神が駆けた。 足元の土がえぐれるその音さえ風魔法で遮断して、いっきに距離 を詰められた。腕をひいて腰を捻る。右腕で突きを繰り出すつもり 1834 なのだろう。 カレンにその拳が迫る。俺はそれを避けさせるために、空間転移 を発動させようとして、やめた。 直後、邪神の腕が爆発した。 1835 VS邪神 その2︵後書き︶ 明日も更新できたらいいな⋮⋮ 1836 不死王の呼び出しし、冥府よりの援軍 リッチー ロウたちの前に現れた不死王は確かに強かった。 まず魔法で聖騎士たちを近づけないのだ。 ロウはといえば、ひたすら防御に定評のあるレイルパーティーの 一員、致命傷は負っていなかった。 しかし攻撃力が足りない。攻撃を受けないだけでは勝てないのだ。 これまでは勝たなくてもよかった。何らかの形で心を折り、追い 詰めればいい。勝てなくても殺す方法ならあった。 だが今回は相手を消さねば勝ちにはならない。そしてそれができ ない。レイルたちのもっとも苦手とする戦いである。 変幻自在の錫杖は、姿を変えられるだけで他に何も機能はない。 だが二人の故郷での筆頭術者である朧家の家宝であっただけあり、 これだけの近接戦を経てなおその杖身に傷一つついてはいない。 一人の聖騎士がロウを見上げて問う。その目には疑惑を秘めてい るのが見てとれる。 ﹁何、を⋮⋮している?﹂ 当初は攻撃を避けつつ、我先にと突っ込む聖騎士たちの回復に専 念していたロウも途中からぱったりと回復をやめてしまった。 傷ついているが、まだ意識のある聖騎士は口の端の血を拭って立 もう諦めたのか?﹂ とうと試みている。うまく腕に力が入らず、ぐしゃりと崩れ落ちた。 ﹁どうした? 1837 一人、また一人の手傷を負って倒れていく聖騎士たちの中心で、 ロウだけが立っていた。 時術による回復、暗殺者としての俊敏さはロウを無傷たらしめた。 ﹁いーの、いーの。どうせこいつら、今のままじゃ勝てないってわ かってても治せばまた挑んでいく馬鹿正直でくそ真面目だからさ﹂ ﹁それだけではなかろう﹂ ﹁しばらく戦って気づいたことがあるんだけどさー。ちょっとそこ で観察してもらって自分で気づいてもらおうかと思ってさ﹂ ﹁貴様一人で相手どれるとでも?﹂ そういって今まで戦わせていた上級アンデッドたちを下がらせた。 騎士道精神みたいなものもあるのか、こちらは数に任せて袋叩き を目指しているのに、とロウはあざ笑い、ほくそ笑んだ。 ﹁時間稼ぎぐらいはなんとかなるだろ﹂ 風の刃が十字に形成され、ロウの肩を狙う。ロウはそれを時術で 狂わせる。術の前半を時間逆行させ、術の後半を加速させる。空気 の時間停止と組み合わせて乱れた術は術自身の威力で自爆した。例 えどれほど濃密な魔法であっても構造そのものに干渉されてしまえ ば耐えられない。 元来、同じ理論で動く時術と属性魔法であるが、その強制力は時 術の方が遥かに高い。空間術にしろ、結界術にしろ、格が違う。単 純に強さを表すものでもないが、その差は同程度の使い手が正面か リッチー ら勝負した時に色濃く影響する。 しかし不死王もそれを予想していたように風に呼応させてロウの 足元を隆起させる。持ち上げられたロウがバランスを崩してよろけ 1838 た。ロウは幻影の錫杖を足元に突き立てて体勢を保った。 矢継ぎ早に炎の矢が放たれる。ロウは幻影の錫杖を回転させて防 ぐが、幾つかを受けてしまう。 リッチー リッチー 時術で手っ取り早く巻き戻しながら、不死王に正面から突っ込ん だ。 魔道士タイプであるかと思われた不死王は意外にも武術が使えた。 これまで範囲魔法で近づくこともできなかっただけで、斥候職とは いえ近接型のロウの連撃をいなしてカウンターする。杖での打撃を 叩き込まれて数メートルほど吹っ飛ばされる。 ロウは全くとどまることなく次の動作に移った。自分の正面に時 間遅延をかけ、横に大きく飛んだ。そのまま気配と音と魔力を隠し リッチー て一気に後ろに回り込む。すると、ロウが反射していた光と音が遅 リッチー れて不死王に届くため、ロウがその場にいないのにまるで今もいる かのように見えるのだ。 リッチー 結果として背後を取られた不死王はロウの時術混じりの攻撃を受 けてしまう。不死王は背中の大きな傷に思わず呻いた。 ﹁で、わかった?﹂ ロウは振り返って聖騎士たちに問いかける。 何がだ?とぽかんとしたままの聖騎士たちに、﹁はー、鈍いんだ から﹂と額に手を当てる。 レイルやアイラ、カグヤなどを基準にしていることや三人のこと を知っていたら、こぞって﹁あいつらと比べんな!﹂と叫んでいた ことだろう。 ﹁まずあいつは目に頼ってる。元が実戦経験がない魂に、近接戦闘 が苦手な肉体だ。護身術は身につけているけど、それも受け身なん 1839 だよな? 目で見て、耳で聞いて反応してる。ただ能力だけが強 化された力任せな対応だ。だから、不意打ちには対処できねえし、 自分からの攻撃は弱い﹂ 僅かな戦闘で次々と解体されていく、戦闘スタイルのブラックボ ックス。 何年、レイルの横で一緒に戦ってきたと思っているのか。 ロウは得意げに、自らの優位を見せつける。 リッチー ﹁そんでもって、まだ魔法の行使に慣れてねえから単調だ。不死王 なんて言うだけあって、光に対する理解が足りない。だから光の魔 法も使えない。見たところ、時術も使えねえみたいだな。だから速 さも足りない﹂ 膨大な魔法を次々と行使し、多数の聖騎士を相手取ってなお平然 としていた不死王。 リッチー 圧倒的な実力差に見えていた相手が急に、土俵へと降りた気がし た。 悔しさと怒りで顔をしかめる不死王。だが水分のない頬はシワを 作るばかりで、瞳はぽっかりと虚ろな闇を宿したままだ。 ﹁クククク⋮⋮まさかこんな短時間でここまで追い詰められるとは な⋮⋮﹂ リッチー 不死王は懐から黒い宝玉を出した。それを砕いてばら撒き、詠唱 を始めた。 詠唱を止めようと駆け出そうとしたロウの前に、先ほどまで待機 していた鎧スケルトンが立ちふさがる。 詠唱を終えた後、魔法陣が展開された。 1840 ﹁なるほど⋮⋮確かにこの肉体は近接が弱い。弱点がないわけでも ない。時術を効かなくするために時術が使えないのも痛いな⋮⋮だ がな、自分で使えなくとも人に使わせることはできるのだ﹂ 地の底から響くようなしわがれた声は乾いて周囲に溶ける。 ﹁我が君、邪神様がこの私に授けた秘技にして最終兵器﹂ いつのまにか一人称が変わっているのは、邪神について語るから だろうか。 地面に黒い穴があき、そこからこれでもかという邪気が漏れた。 禍々しく、圧倒的な気配。ロウはかつてこんな気配を感じたこと がある気がした。 ﹁ヤバイ⋮⋮これはマズイ﹂ ﹁冥界より我が眷属を呼び出して見せよう﹂ その術式は結界術を弄って魂魄と空間を組み合わせた複合高等術 式であった。 リッチー 例え魔道探求に長けて、不死の肉体の膨大な魔力と擬似核を持つ リッチー 不死王でさえ、邪神の渡した秘の宝玉を使わねば発動できなかった。 聖騎士とロウの顔が青ざめていく。不死王一人でも大変なのに、 それと同じほどに強い敵が現れればここの撤退を余儀なくされる。 いや、撤退できるかさえ怪しくなるのだ。 ﹁こい!﹂ 紫色の光の中に巨大な刃物のシルエットが見えた。 1841 ﹁かーかっかっか! 間抜けどもめ﹂ ・・ 聖騎士たちが絶望に染まる。既に全てを諦めている者も多い。 ただ一人、ロウだけは出てきた少女を見て目を丸くした。 少女はまるで威嚇のようにぶんと鎌を振るう。 ﹁未来はいつでも不確定にして不鮮明。こうして出られたのは僥倖 と言えるの﹂ ﹁なんだ⋮⋮随分ひ弱そうなのが出てきたな。だがその鎌があるな ら戦えぬこともなかろう。やってしまえ!﹂ リッチー 声高に不死王が命令したその刹那、彼を取り囲んでいた上級アン デッドが崩れ落ち、その身を崩壊させていた。口から白い靄のよう なものが虚空へと引き摺り出され、少女の手元へと引き寄せられて いく。 ﹁なんだ⋮⋮?﹂ 不死王を除いた場の全てのアンデッドが消滅したのだ。 一人でも聖騎士の精鋭が手こずるほどの、不死の眷属は物言わぬ 死体となり、そしてゆっくりとその身を朽ちらせていった。 ﹁何が起こっている!﹂ ﹁カカカ⋮⋮悪いのう。あまりに脆弱で、まるでたわわに実る果実 のようにもぎ取れそうな魂じゃったからつい、の﹂ 口角を釣り上げ、見た目とそぐわぬ老人言葉で喋る少女をロウは 知っていた。 ﹁なんじゃロウか。レイルの危機に颯爽と駆けつけて、一気に心証 1842 をよくするつもりだったのじゃがの。まあよいわ。わしは今気分が 最高で最悪じゃ。魂と冥界のゴタゴタを片付けられたかと思えば、 その要因だと思われる奴が目の前にいるのじゃからな⋮⋮﹂ 破壊神、アニマ・マグリットの妹にして冥府の死者の魂魄の管轄 における最高位、死の君ミラヴェール・マグリットであった。 手伝ってやろう。心配はいらん。わしが死者に負 かん、かんと鎌で床を鳴らす。 ﹁どうじゃ? けるわけがなかろう﹂ 何よりも頼もしい言葉であった。 1843 不死王の呼び出しし、冥府よりの援軍︵後書き︶ ダメだ⋮⋮戦闘を濃密に書きすぎて、なかなか進まない。 レイルたちの戦闘と、仲間の戦闘を交互に挟む予定が、おそらくは もう一度仲間の戦闘になりそうです。 明日明後日も更新できればいいですが、少なくともどちらかには更 新しますね。 もし、まとめて仲間の戦闘を見てからレイルの戦闘にしてくれ! という意見があればそれでもいいんですけどね⋮⋮ 1844 冥界と現世の狭間で︵前書き︶ 先日、私の作品を好んでお気に入り登録してくださっている方から、 もう一つの連載作品にレビューをいただきました。 人生初のレビューはそりゃあもう嬉しかったですね。いや、二回目 や三回目となってももちろん嬉しいですけどね。 こう、なんというか、紹介に値するような作品を書いていきたいも のですよね。 1845 冥界と現世の狭間で ロウは聖騎士たちを回復させることにした。 ミラが出た時点で自分たちの出番が終わったと思ったのだ。この 状況でミラの邪魔をするような愚か者がいるなら先に死んでも構わ ない。そんな冷酷な判断に基づく行動であったことを聖騎士たちは 知らない。 リッチー ただ、ロウの予想通り再び不死王に挑んでいく輩は皆無であった。 決してそれは、突然現れた少女に任せて傍観していれば大丈夫だ といった怠け心からくるものではない。だが真実はそれ以上に無様 なものであった。 ﹁何者だ⋮⋮﹂ その圧倒的強者の存在感と、辺りを支配した殺気に誰一人動くこ とができなかったのだ。 まるで影を縫い付けられたかのように、その場でなされるがまま アメジスト に回復されていく。回復をやめたロウに対する疑問や非難もない。 透き通るような白い肌、紫水晶のような暗い瞳に似合うはずもな い巨大な鎌。しかしそれは彼女の雰囲気と重ねれば似つかわしすぎ て恐怖を煽る。 ロウはこれまでの戦いで得られた情報をミラに伝えた。 ミラは一言、﹁ご苦労﹂といってロウの前に立つ。 ﹁まさか⋮⋮こんなところに⋮⋮いや。現世に顕現したことで、力 は落ちているはず。みたところ半分ほどしか出ていないのではない 1846 か?﹂ 狼狽えているのを隠すように指で指し示しながら尋ねた。 ﹁なるほど。そうやもしれんな。試してみるといい。ちょうどよく、 使ってもよい魂が手に入ったことだしの﹂ それは先ほどまでこの場にいた大量のアンデッドのことであろう。 実はロウたちの知らぬところで、ゴースト系統のアンデッドも消 し飛んで魂に還元されていた。 そしてその魂の全てがミラの手中にあった。 ミラは自然のエネルギーに干渉できない。だからこそ、戦う時は 魂を使わないといけない。魂は冥府の管理下にあるため、事前に許 可を取るか、正当な理由がないとエネルギーとして使えないのだ。 そして今回は緊急事態ということでミラはその許可を得ていたし、 目の前の相手の使う魂も、冥府の法律を犯している死者なので何の 問題も無い。 リッチー 不死王が手を掲げた瞬間、ふわりとミラの髪が浮いた。空中に飛 び上がったミラは前方に傾き、足を軽く曲げる。足元に魔法陣が浮 かび、ドン!と音がしてロウの前からその姿を消した。 魔法を使おうとするその手を鎌で払い、追撃を加えようとする。 ﹁魔法の併用で速度を⋮⋮いや、違うな。俺たちに被害が出ないよ うに衝撃を防ぐ壁の意味でしか使ってねえんだ⋮⋮﹂ 素の能力であの速度なのだと理解し身震いするロウ。 ﹁最近書類仕事ばかりでの。なまっておるのじゃ。慣らすのに付き 1847 合え﹂ リッチー そう言うと冗談のような速度で鎌が不死王に叩きつけられる。 自分の身長よりも大きい鎌だというのに、まるで短剣か何かのよ リッチー うに扱うミラを見て聖騎士たちは自分たちの目を疑った。 まさに次元の違う戦いであった。 ウォーミングアップでさえもが、不死王を防戦一方に追いやる。 ﹁おお、これを受けるか。だが││││拙いのう﹂ リッチー 時には刃を、時には柄まで使って鮮やかに対応するミラに余裕が あるのは一目瞭然であった。 口元には笑みを絶やさず、余裕の表情で弄んでくるミラに不死王 が絶叫した。 ﹁ふっざけるなぁぁぁ!!﹂ ミラから離れ、そして聖騎士の一人を狙おうとする。 しかしロウにその手を遮られる。 ﹁俺もミラも個人的にはどーでもいいんだけどよー﹂ 錫杖から持ち替えていた短刀で手首を斬りつける。 ﹁人質を見殺しにすると後々レイルを含めて俺らの立場も悪くなる だろうしな。つーかミラ、余裕かましすぎだろ﹂ ミラにやや非難まがいのことを言った。 ミラはというと、飄々とそれを受け流した。 1848 ﹁悪い悪い。体を久々に動かしたものでなあ。調子も戻さねばなら ぬのじゃ﹂ ﹁単に仕事で溜まった鬱憤を晴らしたかっただけじゃねえのか?﹂ ﹁いやいや、そんなことはないぞ。だってわし、神様じゃし?﹂ ﹁怪しいんだよ﹂ リッチー ロウの鋭い指摘を受けて、慌てて支離滅裂な弁解をするミラ。 リッチー そしてその間はずっと不死王は無視されていた。 これで貴様も終わりだぁ!﹂ 不死王はそこですぐにキレることなく、落ち着いて最上級魔法の 詠唱をしていたのだ。 ﹁はーはっはっは! 濃密な魔力から光が漏れていた。それだけで使われる魔法の大き さもわかろうというものである。風が集まり、熱が、圧力が高まる のがわかる。おそらく発動すればここら一帯にクレーターができる であろう。 しかしミラは余裕どころか呆れたように片目を瞑った。 リッ ﹁⋮⋮遅いの。その程度の魔法を行使するのにどれほどの呪文を使 っておるのやら﹂ チー 最強の呪文を唱えてなお、自分の方を見ようともしない敵に不死 王は。 ﹁貴様⋮⋮そのようにしてられるのも今のうちだ。喰らえ!﹂ 魔法が発動する瞬間、ミラは軽く手を振った。 1849 ﹁霊葬││││送り火﹂ リッチー 足元からぶわぁっと何かの圧力を感じ、思わず不死王は下を見た。 リッチー 彼が最後に見たのは竜の顎のように死の象徴のような光だった。 魔力も、魔法も、そして不死王自身も青白い炎に包まれた。 ﹁うわっ、危ねえ⋮⋮って熱くねえな﹂ ﹁当然じゃ。この炎は魂を燃やして作っておる。魔力と、そして魂 だけを燃やす地獄の業火じゃ。範囲内でなく、そしてわしが決めた 相手でもなければちり一つ燃えやせん﹂ 精神生命体にも効くぞ、とニヤリと笑う。 ﹁最初から出してくれよ⋮⋮﹂ とロウは悪態をつく。助けてもらっておいてなんという言い草か、 とミラは反論するも、﹁もともと魂の管理制度がなってねえからポ ンポンと動く死体を量産されるんだろうが﹂と言われて押し黙った。 リッチー ミイラよりもボロボロな不死王はもう動くことはなかった。 ◇ 聖騎士たちは戦いの終わりを告げるといって、遺跡の外へと出て いった。ロウはミラと二人で後始末をしていた。 ﹁ところでミラはどうしてここに来れたんだ?﹂ 1850 ロウはふと気になったことを聞いてみた。 ﹁それには二つ理由があるじゃろうな﹂ そしてミラが理由を説明した。 一つ目は、もともと冥界と現世の狭間には中心から外側へ向かっ リッチー て弾き出す力が働くとのこと。そしてそれを超えるための速度が音 なのだという。つまり、不死王が現世と冥界をつなぐ穴をあけ、そ こに向かって中心からの斥力のようなものが働くことで穴に吸い寄 せられるような結果になったという。 水を張ったタライに穴をあけたらそこに向かって水中のものが流 れていくようなものか、とロウは勝手に納得した。 二つ目が、ミラがしばらく問題があって現世にこれなかったとい うのに関係があるという。ミラが現世にやってこれたのは、休暇が 半分、そして死者と魂の問題の原因を突き止めて排除する目的が半 分であった。一番たくさんの魂が異常な状態にあるここに来てしま うことは必然だったと締めくくった。 ﹁ふーん。だからか、以前レイルが冥界からの召喚術には音を超え る速度が必要だとか言ったのは﹂ ﹁じゃな。冥界から現世にいこうと狭間の中心に近づこうとすると 送り返されるが、そこさえ越えれば逆に現世に向かって弾き出され るのじゃ﹂ たわいない、というにはややオカルトな話をしながらロウとミラ はゾンビたちの死体を処理していく。 なんだこれ﹂ 鎧を剥ぎ取り、肉は燃やして骨を地面に埋めていく。 ﹁ん? 1851 リッチー ・・・・ ロウは燃え尽きた不死王の亡骸からあるものを拾い上げた。 それは以前、レイルが擬神との戦いで持って帰ってきたあるもの と酷似していた。 ﹁これってまさか⋮⋮確かレイルはこれを⋮⋮ははっ、俺にも運が 回ってきたのかもな。いや、わからねえな﹂ そのけったいな 手の上でそれを弄ぶ。クヌギのドングリか、それより少し大きい ぐらいか。 ﹁何をブツブツ言っておるのじゃ。なんじゃ? シロモノは﹂ ﹁くくく。鬼がでるか蛇が出るか。いや、鬼族に悪いな。一か八か。 迷うわけねえだろ﹂ ﹁な、何をしておる!﹂ ロウはそれを人差し指と親指でつまむと、ゴクンと丸呑みにして しまった。 ドクン、と鼓動が一段と大きくなる。動悸が激しくなり、少し目 眩さえ覚える。 明らかに異常な症状に確信する。 これは、擬神の中にあった核と同じものだ。 魂を封じ込め、その場にとどめる役目と中に情報を刻んで共有で きる力を持つ今回の邪神復活にも一枚噛んだ怪しげな発明品。 そして以前、レイルはこれを飲み込んだ。 レイルの空間術が規模を増して、より複雑に扱えるようになった のはそれからのことだ。 1852 拾ったものは食ってはならんと教わらな ガクンと膝をついたロウに心配そうにミラが駆け寄る。 ﹁ばばばば馬鹿もん! かったのか!?﹂ 意外と庶民的な教育方針を知っていたミラに、ロウは冷や汗を流 しながら心配ないと答える。 しかし未だ両手は交差させられて、逆の腕を抱えている。 ﹁はは、ははは。さすがだな、レイル。こんなもんに耐えたのか。 いや、空間術の時の方が一度に来たから大変だったのかもな﹂ それから数分、ロウは遺跡の石床にへたりこんでいた。 そしてロウは震えがおさまったのか、立ち上がった。 ﹁なるほどな。俺の場合は時術と魂術かよ﹂ ロウは自らの中にある感覚が芽生えたのを確認する。 時術はこれまでの感覚が研ぎ澄まされて、より複雑に、大規模に。 魂術はこれまでほとんど使えなかったのが、基本ぐらいはできる ようになっていた。 ﹁本当に、大丈夫なのじゃな?﹂ ﹁ああ。むしろバッチリだと思ってくれ﹂ そう言って、アイラから譲渡された権限を使って自分の食料と水 を少し出した。 ミラはいちいち食料がいるとは難儀なものだ、と思いながらそれ を待った。 1853 ﹁で、お主はどうする気なのじゃ?﹂ ﹁うーん、ここにいてても仕方ないけど、どうせ戦いが終わっちま ったからなあ﹂ ﹁ではすることはないのじゃな﹂ ﹁そりゃあ他の奴らの戦いに参戦できりゃあいいけどよ。レイルも いねえしちょっと無理だろ﹂ ﹁連れていってやろうか?﹂ ミラの願ってもいない申し出に、疑いと期待が三と七ぐらいの割 合で聞き返した。 ﹁できるのか?﹂ ﹁ただし、誰の場所かまでは選べんがの﹂ ﹁どういうことだよ﹂ ﹁なあに。あやつがあけた穴の跡を利用してもう一度冥界と現世の 狭間に潜る。そして次に魂が異常を起こしている場所に向かって流 れる。その場所まできたらわしが穴をあけてそこに飛び出るのじゃ﹂ ﹁それってかなり危険なんじゃ⋮⋮﹂ ﹁いや。お主なら大丈夫じゃろ。半分不老不死じゃし、魂術と時術 の心得があるなら死にはせんよ。それに危なげがなければその場で 穴をあけて出ても良いしな﹂ ロウはある予想を立てていた。 魂の異常、というものがその者の持つ存在的な力で言うのであれ ば、大量のアンデッドが蔓延るこの場所の次に異常なのは邪神の元 ではないだろうか、と。 邪神はレイルとアイラたちのいる場所で、おそらくは最も危険に して最も激戦区であると言える。 回復役にしろ、ミラにしろもしも参戦できれば心強いのではない 1854 か、と。 もちろん、カグヤなども心配だ。しかしカグヤがいるのは魔獣軍 団で、さほど妙なところへは行かないだろうと判断した。 ならばこのままここで燻っているよりも、ミラ任せで余裕がある 自分が参戦した方が良いだろう。 ロウはそんな甘い見通しで、ミラの言葉を承諾した。 ﹁ああ。じゃあ俺も行くから連れていってくれ﹂ こうしてミラとロウの異次元の旅が始まる。 とある激戦地到着まで数十分。 1855 冥界と現世の狭間で︵後書き︶ また伏線が二つほど回収できてほっとしております。 これでもかなりのペースで回収しているつもりですが、かなり張っ ているので大変です。 1856 VS邪神 その3︵前書き︶ 人質回 1857 VS邪神 その3 これはアイラだ。俺は空間把握でその攻撃の主を察知した。いつ のまにあんな威力の高い兵器を作ってたんだか。しかもあの距離か ら爆散させたのは邪神の腕だけという。目の前にいたカレンには傷 一つない。 やるじゃん。帰ったら盛大に褒め殺さないとな。そんな他人にと ってはどうでもいいことを胸に、再度邪神を見やる。 ﹁貴様の仕業かぁぁ!﹂ 憤怒を炎のように燃えたぎらせて、そのイメージ通りに魔法を使 う。簡単に思ったように魔法が使えるのも便利だが、こうして精神 状態が諸に出るのはなんとも単純で間抜けな話だ。テナーが水魔法 で防いだ。 そういえば、聖女やカイ、アランはかつては俺に酷い目に遭わせ おい! 連れてこい!﹂ られたわけだが今は何を思って同じ戦場に立ってるんだろうな。 ﹁ならばこれはどうだ? そう言うと、邪神はある奴らを呼び寄せた。 それはドレイクに拘束されたおばさんだった。 ﹁どうやら貴様が一番厄介らしいというのはわかっていたことだ。 貴様より強そうな奴は大勢いるが、貴様がいるから殺しにくい。貴 様の過去を魂術と、そして時術を組み合わせた過去視によって覗か 貴様に乳をやったのはこの女ではないか﹂ せてもらった。どうやらこいつはお前の乳母のような存在なのだろ う? 1858 その女は確かに両親に乳さえもらえなかった俺に頻繁に乳をやり にきた女だった。虚ろな、ハイライトの消えた目でぼんやりと虚空 に彷徨う視線は俺のことをチラリとも見ない。 くたびれて、年を経て随分見た目も変わっていたけど何と無くわ かる。わかるが、それって俺が転生前の記憶を持ってるからだよな? それとも邪神はその映像さえも俺に見せることができるのか、そ うかそうかもしれないと疑惑を持たせるだけでも構わないのか。 本人は確信を持っているはずだから、特に否定する理由もないか。 ﹁ああ、そうだな﹂ その言葉に周囲の勇者や魔王、カレンにキリア、クイドなど大勢 の注目が集まる。 そこ なんだよその目は。人質を取られた俺の心配でもしてんのか? 定番っちゃ定番か。 ﹁こいつの命が惜しければ配下にくだるといい。どうだ? らのやつを一人殺して見せよ﹂ そう言ってカレンを指差した。最も弱そうだから切り捨てるとで も思ったのだろうか。そうやって仲間を切り捨てる俺を孤立させよ うとしてるのか。 俺はカレンを見た。カレンがビクッとして目を逸らすか、怯えて 震えるのを期待したのだが、カレンは逆に俺を見つめ返した。 ⋮⋮やめろよ。そんな純粋な目で見るのは。俺がここからお前と 天秤にかけられるか!とか叫んで、人質を離せとか、卑怯だ、とか 邪神の説得に回るとか思ってんのかよ。 キリアが後ろで青ざめている。おいキリア、お前がビビりまくっ てんじゃねえよ。ここはポイント稼ぐためにカレンの前に立って、 1859 知るかよ。 空間転移が ひゃーはっはっは カレンは殺させないとか叫ぶ場面だろうがよ。何? あったら無駄だろ? ぶふっ、げほげほっ﹂ ﹁くくくく⋮⋮ははっ、あはははははっ!! っ! 俺はおかしくなって笑い出した。ついでにむせた。しまらねえ。 おかしいというのは狂ったって意味じゃないぞ。あまりに愉快で な。何が愉快かって。 ﹁なあ、邪神。お前が見れるのは俺の視界であって俺の思考じゃな いんだな﹂ すごく勘違いをしている邪神が滑稽で仕方がない。 ﹁お前、俺がそいつに恩とか、義理とか感じてると思ってんの? その女が助けたかったのは喋ることもできない可哀想な赤ん坊じ ゃねえよ。友人夫婦を生まれたばかりの我が子を虐待で殺してしま った親にしたくなかっただけだ!﹂ ﹁貴様、それでも情があるのか!﹂ 邪神に情について説教されたよ。アランやカイ、テナーなどの勇 馬鹿らしい。俺は神でもなん 者勢から次々に野次が飛ぶ。うっせえよ。じゃあ迷ったらどうした んだよ、納得して剣を引くのか? でもない。どうでもいい女まで救ってられるか。 大事な大事なアイラがわ ﹁そんでもってこの一大事にむざむざと捕まってくる間抜けのため に命を危機に曝すと思ってんのか?! ざわざ捕まりにいった時でさえこうやってのんびり来てやってんの にさあ!﹂ 1860 あれ? みんなの俺を見る目が白い。 まあアイラは自力で出てこれたしさ。 ﹁むしろおおいにやってしまってくれ。いや、俺の手で引導を渡し てやろう。よーし、ドレイク。よくそいつを抑えておけよ⋮⋮そー れっ!﹂ 俺は空間接続を使ってドレイクに当たらないようにドレイクの胸 の前から女の背中をぶっさした。だってむしろそいつ、両親側の人 間だし。敵じゃねーか。 ハイライトどころか瞳から完全に光が消え、ガクンと項垂れた女 をドレイクが抑える。 ﹁くっ、人質さえ意味がなかったというのか⋮⋮もうよい、さがれ !﹂ ﹁はっ、邪神陛下。この女は私のものにしてもよろしいでしょうか﹂ 乱暴な命令に、ドレイクは膝をついて邪神に尋ねた。 ﹁構わんが⋮⋮死体などどうするつもりだ?﹂ ﹁言質はとったぞ、邪神﹂ 急にドレイクの雰囲気が変わった。 すると、ドレイクの背後からぞろぞろとある服装の奴らが現れた。 どうやら邪神教の教徒の奴ららしい。黒いローブに同じ紋様の入っ たブローチをつけている。しかし様子が変だ。 ﹁どうした、貴様ら。戦いの最中は危険だから離れておれと⋮⋮﹂ ﹁おいっ!﹂ 1861 キリアがあるものを見て叫んだ。 その表情は恐怖に染まっている。 ﹁やっとか。完全適合は時間がかかり、そして抵抗されると難しい のだ。一度殺されかけることでその能力を受け入れなければ死ぬ状 眷属よ﹂ 態にまでなった。一度受け入れてしまえば後はズルズルと押し込め る。さあ立て! 先ほどまで血溜まりの中でうつ伏せだった女がビクンと跳ねる。 そしてゆらりゆらりと揺れながらゆっくりと立ち上がる。 ﹁人質だと先に殺せなかったのでな。嬉しい誤算だ﹂ そういってぎぃと笑う。その口の端からは白い牙が見えており、 先からは赤い鮮血がしたたっている。 ﹁邪神よ、貴様の眷属は能力で妾の眷属へと支配させてもらった。 完全同化、完了だ﹂ ヴァンパイア 見れば、背後の邪神教徒たちもドレイクと同じ牙が生えていた。 なるほど、吸血鬼の眷属化をこのタイミングで使ったのか。 彼らの手には武器が握られている。おそらくは邪神教徒が作った 武器庫から奪ってきたのだろう。そして戦闘にさえ参加できない集 団ならば、ドレイクにとっては簡単な仕事だったに違いない。 アイラを連れ出さなかったのは、疑われないようにするためと眷 属化する必要がなかったからだな。あのまま放置しておいて、アイ ラは牢屋から逃げ出し、自分は眷属を連れてこの場に戻る算段だっ たってことか。それで他の邪神の部下たちもいなかったってわけか。 1862 ﹁おちょくりおって⋮⋮遊びは終わりだ。灰にしてやる﹂ 巨大な火炎球がドレイクとその眷属に向けて放たれる。 しかし、その火炎球を押しつぶして現れたものがいた。 ◇ 三面六臂に九本腕、ここまでくれば阿修羅かよ⋮⋮と言いたいが、 なぜか下半身は四本足である。いや、わかるよ、安定感をとったん だよな。それよりも顔はそんなにいらないだろう。 マシンナーズ 暴風に冷気を混ぜた魔法を行使して火炎球をかき消しながら現れ マシンナーズ たのはそんな機械族の一人であった。 他にもぞろぞろと機械族が現れた。 もう人型ですらないものも幾つかいる。 デウス ﹁我ラガ神ノ導キト、世界ノ異物ヘノ叛逆ト、ソシテ我ラノ認メタ アイラノ為ニ﹂ マシンナーズ ﹁助太刀シヨウ。今生ノ英雄達ヨ﹂ レーゾンデートル ﹁我ラハ機械族。個ニシテ全、全ニシテ個ノ種族﹂ ﹁創造主二与エラレシ存在証明ヲ今﹂ キュン、キュルルとモーター音が聞こえる。これをモーター音だ と認識できているのも俺とカイしかいないのだと思うと少しだけ前 世が懐かしくなる。 こいつらは味方なのだろう。 1863 そしてわかった。アイラが出てこれたのはこいつらが手助けした からだ。アイラの腕輪を使って牢屋に囚われたアイラを連れ出し、 マシンナーズ そしてアイラを安全圏まで運んだのだろう。その証拠に今もアイラ の側には二人の機械族が待機している。 またアイラの弾丸が爆発した。邪神は時術で治癒するも、完全に は治りきらない。 ﹁三分間、時間を稼いでもらえるか?﹂ ﹁任サレタ﹂ マシンナーズ 俺は全員を連れて一旦離れた。 そして機械族と邪神との戦いが見える場所で、全員に水とパンを 渡した。給食で渡されるようなコッペパンより少し小さいようなそ れは、腹いっぱいになるには到底足りない。 しかし戦闘続きで、激しい消耗の彼らは素直にそれを頬張り、水 で流し込んだ。 胃の中にものが入り、血糖値が僅かに上がることで体にも熱が戻 る。じんわりと腹の底が温かくなり、みんなの集中力が戻った気が した。 ﹁お前が殺そうとした時は焦ったが、まさかああなることまで計算 済みだったとはな﹂ いや、そんなのなくても殺してたぞ?﹂ 魔装槍の二つ名を持つ勇者がしみじみと俺に話しかけてきた。 ﹁えっ? と言ってやると絶句して信じられないといった風に他の勇者のと ころへとふらふらと行った。 周りに距離が出来たところでグランを呼び寄せた。 1864 ﹁││││││﹂ ここまでくれば戦力的には少し余裕があるだろう。 俺はグランにあることを耳打ちした。ご丁寧に波魔法で完全に遮 断してまで周りに聞こえないようにして。 その様子を不審な目で周りは見るが、クイドとグローサあたりは むしろ何をするのかと楽しそうだ。 グランは俺の意図を汲み、そして俺の頼みを承諾してくれた。 ﹁じゃあ、任せたぞ﹂ ﹁ああ。待っていろ﹂ ・・・・ グランはそう言うと、俺はグランの肩に手をかけた。 そして空間転移でグランをある場所へと跳ばしたのであった。 1865 VS邪神 その3︵後書き︶ 人質⋮⋮回? 人質をとって脅した邪神と、その人質を殺そうとしたどころか、逆 に敵の部下を洗脳して戦わせるドレイク勢。 1866 暴れるベヒモス 暴力の塊。そう表現するのが正しいような、圧倒的質量と、その 肉体を扱いこなす獰猛さのベヒモスを前に被害は増え続ける一方で あった。 ベヒモスは繊細な加減ができないのか、身にまとわせるか、身体 強化にしか魔法を使っていない。そんな大雑把な魔法なもので、時 折加減を間違えて自爆の兆しも見られるのだが、獣の回復力で時間 とともに再生していく。 カグヤはそんな雑さを利用して地属性の重力魔法に干渉し、ベヒ モスの攻撃を受け流すことにかろうじて成功していた。その度に刀 が悲鳴をあげるが、歪みも傷もつかない。しかし一歩間違えれば一 持久戦に持ち込め!﹂ 撃で潰される。カグヤはそんな恐怖を払拭するように乱れた髪を払 った。 ﹁回り込め! ﹁第七部隊、右足を崩せ!﹂ ﹁矢は目を狙え!﹂ 小隊長の指示の下、なんとか持ちこたえている。 だがここで決定的な一撃があれば一気に戦意が削がれてこの戦局 は崩壊してしまうだろう。カグヤは自分が自分の命だけでなく、こ 後方支援で魔法を放て!﹂ の場の戦局を担っている自覚があった。 ﹁防御陣形展開! 怒号が飛ぶ。ベヒモスの鼻息も荒く、一撃一撃ごとに地面にクレ ーターが出来上がる。 1867 また一人兵士がベヒモスの口に消えた。断末魔の悲鳴をあげるど ころか、その隙を利用して死にかけた兵士が魔法を行使したことで ベヒモスの歯が一本飛んだ。彼の命は怪物の歯一本なのか、そんな ことはないと小隊長が鼓舞に利用した。 ﹁厄介ね⋮⋮﹂ 攻撃力が足りない。防御力と判断力ならレイルとの旅で人より少 しばかり自信がついているが、それだけはなかなか克服できてはい ない。 ﹁これが、命がけの無謀な戦いに身を投じなかった臆病者の末路か しら﹂ いつか。いつか強い相手と戦わなければならない時がくるのであ れば、もっと剣を、もっと魔法を磨くべきだったのかもしれないと カグヤは強さを欲した。 ただ客観的に見るならば、剣も魔法もどちらかだけでもこれだけ の水準で使えれば、この世界でやっていくには十分一人前と言える のだが。人が聞けば、剣も魔法もそれだけ使えて何が文句があるの だろうかと言うだろう。 ﹁私、旅の最中水や風を使うことが多かったけど、やっぱり得意な のは炎と大地みたい﹂ 攻撃力を加算させようとカグヤが距離をとって魔法を試みる。 ﹁聞こえる。大地の脈動が。ねえ、レイル。あなたが教えてくれた のよ。この星には大量の熱があるって﹂ 1868 そう言うとカグヤは遥か地下深くに思いを巡らす。 ずっと、ずっと深く。そして溶岩から、大地から特定の成分を地 属性と水属性を併用して検出し、その成分を溶岩の熱で溶かしたり 結合操作しながら地上へと引きずりだす。 引きずりだされたドロドロの溶岩が形を変え、収束し、光沢を放 った。融点の差を利用してボロボロと余分な成分が剥がれ落ちてい く。そして純粋な鉱物の結晶がカグヤの刀を覆った。 ﹁複合上級魔法、精錬﹂ 兵士たちが歓声をあげた。兵士たちは何が起こったのかは理解で きなかった。しかし、今まで刀で活躍していたカグヤが、常識外れ の魔法を使って大剣を生み出したことはわかった。 カグヤの手にあったのは、これまでとは比べものにならないほど に巨大な一本の大剣。重さは異常だが、魔法でなんとか持っている 状態である。 余熱が空気を熱するせいで、刀の表面ではゆらゆらと向こう側が 揺らいで見える。 ﹁この剣に名前はないけど、しいてつけるなら陽炎かしら﹂ 熱が収まり、本来ならばまだ脆いはずの刃は強力に結合して全く の弱さを見せない。 その凝縮した力にベヒモスが感じたのは恐れか、苛立ちか。もう 一度大きく吠えた。空気がビリビリと振動し、それだけで周りにい た魔獣たちが距離をあける。 魔物たちの一角が吹き飛び、そこからとある集団が突入してカグ ヤの隣や背後に駆けつけた。 1869 ﹁ようやく辿りついたぞ﹂ ﹁カグヤ殿、助太刀いたす﹂ それは鬼族であった。額や頭に角が生えている。一本の者もいれ ば、二本の者もいる。人間であれば目を引くほどの筋骨と形相に体 格を全員が持っていた。金棒を持つのは半分ぐらいか。 ﹁助かるわ。敬称不要よ﹂ ﹁何を。レイル殿のお仲間であれば﹂ ﹁貴殿は我らをその武勇をもって認めさせた﹂ 霊気、と呼ばれる鬼族特有の魔力運用法によりその体が怪しく、 青白く光る。爪の先どころか、持っている武器の先まで青い炎を纏 う。中には雷を纏う者もいた。 ﹁へえ⋮⋮こうかしら?﹂ カグヤは自身も雷を纏った。しかしそれは鬼族のような周囲への 攻撃用ではなく、肉体間の神経伝達速度を上げるための手段として の微弱なものである。 人間の動きに微弱な生体電気があることをレイルから聞いていた が故の無茶である。加減を間違えれば危険なその魔法を培われた経 験と知識、そして彼女自身の天性の勘が実現させた。 ﹁なん⋮⋮だと⋮⋮?﹂ ﹁我らが秘術をこうもあっさり盗むとは﹂ カグヤの魔法はわかる者にしかわからない。 もしもこの場にグランなどがいれば我を忘れて問いただしていた ことだろう。 1870 鬼族は、自分たちが使う術を亜種とはいえ見様見真似で自分のも のへと昇華させたカグヤの評価をさらにあげた。 それからは目立った被害がなくなった。 ベヒモスに押されっぱなしであった戦況はここでようやく互角と いったところか。 まるで一本の槍のように突撃する鬼族はベヒモスの前でばらけて 対象を取り囲む。 木々の一本や二本、小枝のように吹き飛ばす威力の一撃を休むこ となく突っ込んでいく。 ベヒモスの上に立つ指揮官は時折魔法で妨害するが、ベヒモスに 比べるとお粗末なそれはほとんど意味をなさない。かろうじて目障 りであったその役目も途中で鬼族の一人から金棒の一撃を食らって 血反吐を吐いたところで終了した。 結局のところ、小細工が通じるのは常識の範囲内にいる敵である。 話を聞かず、生物やめかけの怪物ともなると連携よりも戦略よりも 個人の技量がものを言う。 絶大な力の塊を前にカグヤは珍しくガラの悪い舌打ちをした。 カグヤはこれ以上は戦線の維持のためにここに兵士を投入する意 義が薄れてきていると感じた。一般兵や冒険者たちを退かせ、他の 戦局を勝たせることで、終盤に援軍が来るように合図を出そうとし た。 ﹁あなたたち、退きゃ⋮⋮﹂ カグヤはその時、ベヒモスの足が一人の冒険者を襲おうとしてい るのを見た。ポニーテールの女の子で、片手には弓を持っているこ とから後衛だとわかる。軽装の後衛が踏み潰されればひとたまりも 1871 ないだろう。 ﹁どうしてそんなところに⋮⋮!﹂ だが体が大きいということは、同じ動作に対して大きさに応じた 時間がかかるということでもある。 カグヤはその瞬間、何も考えずに冒険者を助けようと次の動作に 移った。 刀を構えたままベヒモスと冒険者の間に立ち塞がり、地面を隆起 させて壁を作る。その壁ごと踏み潰されそうになるのを大剣で止め る。 そして後悔した。 先ほどは連携などあまり関係がないとは言ったが、それはあくま で一定以上にまともに戦っていての話だ。カグヤのいた場所は、鬼 族との連携の邪魔にならずに間を縫って攻撃できる絶妙の位置であ った。それでいて、攻撃がきたら余裕を持って防げるような距離で もあった。 その均衡が今、崩れた。冒険者の名も知らぬ彼女の距離は近すぎ た。一度は防げる。だが二度目はわからない。そんな距離だ。 ﹁やっぱりダメね﹂ レイルのように感情の赴く結果への最善を取れない。 カグヤの応援が切れたことで鬼族たちが苦戦し始める。そしてま た戦況がじわじわと押され、長引くとそれだけ見ていない場所での 被害が増える。 これで全員を他の場所へ応援にいかせられたのならば、消耗戦に する価値もあったがそれも今や難しくなってきた。 1872 アイラのように大切なものの順位を守りきれない。 ロウのように情を捨てきれない。 そんなカグヤの焦りを突き破ったのは、後衛の女の子と組んで戦 闘にあたっていた男の子の冒険者であった。 ﹁ふざけんな!!﹂ 邪魔になったままでなんか、足手ま 剣で横からベヒモスを攻撃して注意を自分に向ける。 ﹁俺だって役に立つんだ! といのままでなんかいられるか!﹂ それは自らへの鼓舞であった。魂を賭した覚悟の絶叫、その目と 剣に宿るのは純粋なまでの闘志と彼女を救いたいという熱望であっ た。 カグヤにそこまで青臭い時期はなかった。と本人は思っている。 甘酸っぱいラブストーリーこそあったものの、彼女の戦う理由はず っと前から単純明快なものであったはずだった。少年の瞳に、何か を思いだしそうになる。そのようにしてカグヤは落ち着いた。 ﹁ふふ。私もレイルに毒されたものね。そうよ。私は私。全ては守 れないけど、目の前で味方を見殺しにしてまで気持ち良く戦えるは ずないじゃない。これはレイルだって認めてる考え方よ。感情は利 益に入るんだから﹂ 深呼吸して、本来の自分を取り戻す。 世界を救うとか、戦線を維持するなどと大義に振り回されて大事 なものを見失っていた。 1873 自分は自分。ただそれだけのことなのだ。 情を捨てる必要も、最善を選ぼうとする必要もない。 ・・ ﹁できるだけ死なせない。けど目の前の人を優先する。私はレイル ほど視界が広くないから見えるちっぽけな範囲でがんばるの﹂ それから無事に兵士や冒険者を逃がしきった。 鬼族とカグヤと、そして自分の意思で残った無謀な輩を除けばこ こにいるのはベヒモス一体。 戦闘は激化し、どうにもならないぐらいにもつれ込んだ。 体力のある鬼族もカグヤもじわじわと疲労の色が見え始める。 ﹁えっ?﹂ 不意に空が暗くなった。 新手の敵が襲来してきたのかと皆が身構えた。 それは敵ではなかった。しかしその姿を見ても多くの戦っている 者は警戒を解くことはなかった。 それが来たとき、やけに風が強くなった。 少し雨が降り始め、ベヒモスの火照った肉体を冷まして蒸気があ がる。ベヒモスはもわもわと白い蒸気に包まれたまま、その存在に 向けて牙をむく。ぐるるるる、と喉の奥から唸り声をあげて威嚇す る。 ﹁逃げろ!﹂ ﹁退却だ!﹂ ﹁すまないカグヤ殿。さすがにあれとベヒモスを相手取るのは無理 だ。ここでの戦闘は敗北だ﹂ ﹁第一に生き残ることを考えよ!﹂ 1874 老若男女問わずに悲鳴が上がる。 小隊長などはなんとかその残った理性で避難の指示を出し続けた。 一人、ぽかんと間抜けな面を晒して呆然と空を見上げていた女が いた。カグヤだ。 鬼族たちに早く避難しろと肩を掴まれるも、その空に存在する絶 対者を前に恐怖の色は微塵もない。 そして全ての冒険者と兵士が驚愕することになる。 空から現れた絶対者というのが⋮⋮ ﹁あれは水神龍。龍種の中でも五本の指に入ると言われる。まさか こんなところに来るとは⋮⋮﹂ ﹁あれが邪神側につくとなると終わりだぞ!﹂ 水神龍。それは鹿の角に虎のような鋭い鉤爪を持ち、長い蛇のよ うな肢体を空にくねらせ、雷雨とともに現れた。 そして、ベヒモスに噛み付いたのだ。 1875 暴れるベヒモス︵後書き︶ 一話で⋮⋮終わらなかった⋮⋮ 1876 スイッチバトル ・ ベヒモスに噛み付いている龍の背中から誰かが飛び降りた。 目にも留まらぬ速さでベヒモスの足元までいくと、下から刀で斬 ベヒモスの皮膚はぱっくりと切り裂か 撃を飛ばした。真空の刃は一本の線となってベヒモスの足から肩ま でをざっくりと傷つける。 れ血飛沫が雨のように降り注ぐも、地上の人物には一滴たりともつ いてはいない。カグヤにしても同様である。 ﹁どうして⋮⋮ここに⋮⋮﹂ あまりに久しぶりに出会った懐かしいその顔に、カグヤは感嘆と も疑問とも思えぬ呟きをもらした。 鬼族のうち何人かはその顔を知っているようであった。 この俺様が来たからには しかし彼を知らぬ大半は突然の龍の出現と併せて何が起こってい るのか理解が追いつかずにいた。 ﹁カグヤちゃん、また会えたなー!! デカブツなんざ黒焦げよ!﹂ 一匹はケヤキ。その圧倒される存在感とは裏腹に親しげに、気さ くに話しかけてくる。 兵士に冒険者、鬼族が一斉にカグヤを見た。 その顔には﹁お前の知り合いかよ!﹂というのがありありと見て とれる。 そして龍から降りてきた老人は着物を着ていた。すっかり白い頭 髪と対照的な黒を基調とした装束に、腰にさらにもう一本刀を差し ている。手にはほとんど血糊のついていない銀色の刀身が輝いてい 1877 る。僅かに残る血をとるために地面に向かって刀を振った。 元気そうで何より﹂ ﹁久しぶりに大事な娘の顔を見にきただけじゃ。何もおかしくはな いじゃろう? ﹁私たちが苦労してくぐり抜けた結界は?!﹂ ﹁んなもん、斬ったわい﹂ ﹁斬った⋮⋮やっぱりおじいさまはあの歪みを抜けてきたのね。相 殺しきれてないから私たちと一緒で若返ってるじゃない⋮⋮結界を 物理で斬るとか⋮⋮﹂ カグヤが話している間、ベヒモスはケヤキが食い止めていた。 動きの鈍いベヒモスに対し、ゆらゆらと飛び回って撹乱しながら 時折水の刃がベヒモスの身を削る。 ﹁そんなことより、まだ援軍は来とるみたいじゃぞ。さいくろぷす なぞというデカいのが數十体ほどな﹂ サイクロプス。それは一つ目の巨人ではあるが、厳密には巨人族 とは明確に区別されている。見分け方は一つ目かどうかと言葉を話 す知性があるかどうかである。巨人族は人種族として認められてい るのに対し、サイクロプスは神話を起源とする魔物扱いであったり する。 大きさは小さいもので三メートル、大きいものでも六メートルを 超えないという。とはいえ、一般的な人種族の平均は小人を除いて 一メートルから二メートルの間に収まる。それより大きいことは確 実であり、なんの慰めにもなってはいないのだが。 1878 二人の会話を聞いていた周囲は否応無く沈黙させられた。 ベヒモス一体で戦況がひっくり返されるのだ。ベヒモスほどでは ないにしろ、巨人が大量に投入されればどうなるかは自明である。 既に後方では被害が拡大し続けており、混乱が戦場を侵食してい く。不安と動揺は士気の低下に繋がり、鬼族の加勢でできた余裕も 尽きたと言えるだろう。 そんな図体だけの奴はケヤキにでも任せ 鬼族たちを向こうに⋮⋮﹂ ﹁じゃあこちらを三人で抑えましょう。おじいさま、手伝ってくれ る? ﹁あんのデカブツか? とけばいいんじゃ。そんなことより⋮⋮お前さんはあちらを相手し てやればどうじゃ?﹂ ふ、と息を抜くような呼吸と共に空を仰ぐ。 そこに現れたのは牛車であった。正確には牛が引いていないので、 牛車ではないが、牛車と同じような形の車であった。 まばゆいばかりに光を放ち、ベヒモスや龍の戦闘を迂回しながら 剣聖とカグヤの元へとやってきた。 ベヒモスと龍さえもが動きを止めた。 ﹁なに、あれ?﹂ 天から現れたそれから、羽衣を着たこの世のものとは思えぬいで たちの女性が数名降りてきた。 ゆったりと降臨した彼女たちはカグヤの前にやってきて微笑んだ。 ﹁見つけた﹂ 1879 凛と鈴を鳴らしたような声で確かにそう言った。 カグヤだけではない、その場にいた全員が聞いたのだ。 ﹁なんのようかしら。ここは今戦場なんだけど﹂ ルナリア ﹁我らが族名を言うとすれば、月之民﹂ ﹁邪神と名乗る者より、この星を滅ぼすとの通達があったので、そ の前に下見です。本来ならば偵察者を送り込んでいたのですけどね﹂ ﹁見つけた、って言ったわよね﹂ ﹁我が種族は何百年かに一度、偵察のために幼体の一人を自立意識 ならわし のない生物で中に空洞がある生物に送り込む。そうしてその星で強 くなり、偵察の終わったその者を我らが迎えにいくのが慣習﹂ ﹁間違いない。随分と場所が変わって、魂も何もかもが変わってい るが、紛れもなく我が種族﹂ ﹁そなた、幼きころに母親がおらず、別のものから生まれたのでは ないか?﹂ 次々と口にする得体の知れない女性たちは確かにカグヤを同族と 言ったのだ。 カグヤは人間かどうかさえわからなかった自らの出生の秘密をこ んな形で唐突に明かされたことに混乱していた。 ﹁私が⋮⋮あなたたちと同族?﹂ ﹁そう。月に戻って滅ぶまで待とうぞ﹂ 1880 ﹁こんな穢れた場所にいても仕方があるまい?﹂ 似たような顔、似たような仕草で見分けのつかない彼女らはまる で全員で一人かのように話す。 個性を無視するようなその気持ち悪さに、不快感をあらわに答え た。 ﹁無理ね。お断りよ。私はもう、ここに居場所を見つけた。どんな 種族であっても、私は私。おじいさんとおばあさんの娘で、ロウの 妻。レイルやアイラの仲間よ﹂ ﹁そう、仕方ないわね。実力行使かしら﹂ ルナリア 月之民はぞろぞろとカグヤを囲む。 ﹁私が相手をするわ。ケヤキおにいさん、おじいさん、それ以外を 任せたわ﹂ そう言うとカグヤは全身の隅々までくまなく魔力を行き渡らせる。 呼吸を再度整え、一瞬目を瞑る。するとカグヤの中で世界がゆっ くりと鮮やかに色づく。 剣聖はサイクロプスへと駆けていった。 自らの娘に、こんなやつらに負けるわけがないという絶対の信頼 を寄せていた。 カグヤはそれを言われずとも感じ、そしてそのスパルタ具合を修 行時代を思い出して懐かしむ。 ルナリア 龍対ベヒモス、剣聖対サイクロプス、そしてカグヤ対月之民。 魔獣戦線は激化の一途を辿っていく。 1881 スイッチバトル︵後書き︶ カグヤにはカグヤの物語があるのでしょう 1882 カグヤ側の戦局、終了︵前書き︶ 遅くなりました。 模試が悪いんですよ!九時半から八時とか鬼畜日程でボロボロです よ!と逆ギレしてみます。 1883 カグヤ側の戦局、終了 そもそも戦う前にへし折るのが得意なレイルは、結果は出せても 過程は結構ワンパターンな空間術と波魔法、前世の科学知識や物語 を参考にしたもので立ち回る方だ。 彼がもしも一人で旅をしていれば、ゴブリンの死骸を盗賊団の根 城に放り込み、おびき寄せた魔物で壊滅したそこから金目のものを 奪いながら旅をしていたかもしれない。楽しくお金を使って各地の 観光をしていただろう。 殺すか生かすかの二択しかない歪で両極端な暗殺者ロウ。彼は一 見器用に思えて、四人の中では最も不器用であったりする。 彼がもしも一人で旅をしていたら、狩人のような冒険者となって いたのかもしれない。斥候、僧侶のどちらもこなせて対人戦が得意 な彼ならばどこでもやっていけただろう。 アイラが一人で旅をしていたら、強い相手になればなるほど気に マシンナーズ 入られ、雑魚相手には無双するという冒険になっていたはずだ。 龍も、機械族も、魔王も他の勇者さえも。全てをあまねく惹きつ けるだけの何かが今のアイラにはあった。 持ちうる近代兵器はレイルの発案ではあるものの、その構造の工 夫から製造の技術までのほとんどがアイラ自身のものである。レイ ルがあっての彼女をレイルのいない場合を考えたところでナンセン スなのかもしれないが。 カグヤこそは完成された魔法剣士になる。やや好戦的な性格に聡 明さ、そして溢れんばかりの戦闘の才能が合わさった戦士だ。これ 1884 テンシャル ポ までの冒険で足りないのは強者との真剣勝負の経験であり、その潜 在能力は魔王姉やアランなどの絶対的強者にも劣らない。 もしも一人で旅をしていたならば、強い敵を覚悟と工夫をもって 立ち向かい、時には敗北したり、認め合いながら前に進めただろう。 民衆を守るために魔物の群れに突っ込んだり、偶然どこかの国の王 族を助けたり、古の遺跡で巨人と対峙したりなど剣と魔法の冒険に なっていたのだろう。 結局のところ、レイルたち四人の戦闘技術の相性はさほど良くな かったりする。 冷静さからくる合理的な判断と戦闘の技量によってお互いが邪魔 にならないようにしているだけで、お互いを高めあったりすること はできない。 連携能力はあれど、シナジーはない。 性格的には恐ろしいほどに相性が良いからここまでやってこれた のだ。 もちろん、一人よりも四人の方が強い敵を倒せるようになるのは 事実だ。だがそれと同じぐらい、互いの特性を融合させた結果、そ れぞれの持ち味を半分にまで殺していたりする。 レイル本人は自重しているつもりはないが、仲間がいることでで きることの幅は増えた代わりに実行量は自然と減少している。 ロウは自身よりも隠密に向かない仲間がいることでそれに合わせ て動くことを要求されている。 アイラは仲間がいるので強者の助力をほとんど受けない。その力 をレイルに使い、魅力を全てレイルに向ける。 カグヤはレイルやロウの行動スタイルに合わせることで、強者と の戦いの機会が潰されていた。 1885 仲間は助け合い、互いを高めあうもの。そんな夢物語を否定する ように、互いの力を活かしあいながら封じあってきた四人。 互いの本気を、全力を封じた状態で最善の結果を自身に要求し続 けた結果として四人の技量は旅の間に見られた能力よりさらに高く なっていた。そういう意味では互いを高めあっていた。 ソロスタイル そう、どこまでも四人は単独主義であった。 そんな四人が今、仲間という枷を外されて自重なしの戦闘を強い られている。 特にカグヤは、これまで足りなかった集団との戦闘、強者との真 剣勝負の二つの経験を短時間で得た。 原因の自覚こそないものの、カグヤは自分が強くなっていること に気がついていた。 ﹁誰にも負ける気がしないわ﹂ ルナリア 魔法を解除した愛刀はしっかりとその重みを両手に伝える。 カグヤを囲む月之民は七人。それ以外は上空にて待機していた。 蛍や行燈のような風情ある薄ぼんやりとした淡い光を放って、戦場 にいてなお演舞を見ているかのような幻想的な光景を作り出してい る。 辺りはすっかり暗くなっていた。彼らが来たという月は暗雲立ち 込めるその隙間から顔を覗かせる。風で流れる雲が隠したり、さら け出したりとしていて感傷に浸れるような美しさではなかった。 それでもカグヤは時折見える月に昔を思い出していた。 1886 ﹁あの日と同じ。あのふざけた嘘を本当にした時の、ロウと二人で 旅立った全ての始まりの日と﹂ ルナリア 月之民は音もなくカグヤに迫る。 視覚と気配だけを頼りに、その奇妙な動きを追い続ける。 ﹁嫌になるわ。本当に月から来てた、なんてね。潜在意識のどこか で自覚していたのかしら﹂ カグヤは焦れったくて仕方がなかった。 いくら攻撃しても通らないのだ。まるで暖簾に腕押し、糠に釘で ある。 ひらりひらりと攻撃は受け流され、カグヤが一歩でも踏み込むと 別の民が襲う。 雲を掴むようなふわふわとした戦い。彼女の王道だと思う、刀と 刀の鍔迫り合い、力と力の激突はそこには見られない。 炎の絨毯も、水の柱も、大きな落とし穴も、搦め手を混ぜながら 誘導し、そしてじりじりと互いの呼吸を読みあっている。 ﹁私たちの星は重さがほとんどなくてね﹂ 月之民の一人がこんなことを言った。 ﹁なんのことかしら?﹂ 突然の投げかけられた言葉に思わず返事をするカグヤ。 ﹁体を鍛えるために、常時重さを増やしているんだよ﹂ カグヤはレイルから聞いたことがある。 1887 重力という力は、物体と物体の間に働く引力であると。それは距 離の二乗に反比例し、星と物体の質量の積によって決まるのだとか。 月は地球よりも小さいため、質量は変わらずとも重さは六分の一 なのだという。 そんな話を知っているカグヤとしては、筋力を鍛えるために重力 魔法を自身に使っていたことはなんらおかしなことはない。重さを ・・・・ 自身にかけて過ごすのは一般的な鍛錬方法だ。問題は、難易度の高 い重力魔法を日常的に使っていたという事実である。 先ほどから感じられる不規則な加速、手応えのなさは重力魔法に よるものであったのだ。 以前カグヤが使ったその手法を一つの戦闘スタイルとして昇華さ せた彼ら。 このままでは決着がつかない。時間が経てば体力の問題で七対一 だと不利だ。攻撃を当てなければと焦るも、決してそれを表には出 さない。 │││││月に住むウサギはこんな感じに跳ねるのだろうか。 たわいもない疑問さえ浮かべられるぐらいには余裕があったとも いえる。 いつしか月がその姿を完全に隠してしまっていた。 おどろおどろしい灰色のはずの雲は夜になったことでその色が全 くわからない。 ここで感慨深く呟くならば、仲間も同じ月を見ているのだろうか、 である。 ただ、レイルの伝えた知識が﹁距離が遠すぎるから向こうは夜で はない﹂と皮肉にもそんなつぶやきを否定する。 ﹁あるじゃない。私にも使える武器が﹂ 1888 いくら体を鍛えても、いくら感覚を研ぎ澄ませようとも追いつけ ない境地がある。 心理戦に持ち込んでもよいが、いつまでも戦いに酔いしれている 場合ではないのだ。 カグヤは相手が攻めてこないのをいいことに、ぱん、と頬を両手 で叩いて仕切り直した。 そして今まで攻撃に向けていた神経をあることに絞った。 突然攻め方をガラリと変えたカグヤに七人は戸惑う。 やはりそこは感情に支配された生物。相手が出方を変えたからと いって、自身の調子まで狂わせることはない。相手の思うツボだと わかっていてもなお、どこかで慢心する。 相手が本来の戦いをしなくなった、それは弱くなったと同義だと 勘違いして、そして功を焦る。 カグヤは七人の動きの誘導と妨害に専念していた。 風でバランスを崩し、重力を乱れさせながら水の柱を放つ。 水飛沫で濡れて少し鈍くなったところにカグヤはときたま斬撃を 混ぜる。炎で周囲を熱し、濡れた地面が乾いていく。 そして月之民は苛立ち始めた。それを見てカグヤはほくそ笑む。 感情のない、まるで無機質な人形のような彼女たちにも感情がある のだ。それを揺さぶれたならば、後は仕上げに入るだけ。 ﹁これで終わりよ!﹂ カグヤは遥か高くへと飛び上がった。 ここでようやく完全に月之民が吹っ切れた。 月という過酷な環境下でその地下に完全自給自足基地を作りあげ、 重力魔法を使いこなして過ごしてきた彼らにとって空中戦は最も馴 1889 染み深い。ましてや刀を収められては、絶好の機会である。 飛び上がったカグヤの周囲を囲むように一糸乱れぬ動きで七人は 続いて飛び上がった。 それぞれが小刀であったり、風属性の魔法であったりと攻撃をす る準備をしている。 カグヤの全力の攻撃であっても、七人ならば防げるとたかをくく っていた。 だが直後、カグヤの発言が文字通りだとしても、その飛び上がっ た場所から攻撃するわけではないのだと七人は思い知らされた。 ・・・・・・・ カグヤは魔法で地面に向かって加速したのだ。 ﹁何を⋮⋮!﹂ この時代は戦闘においての制空権という概念は希薄だが、それで も上にいる方が有利だという考え方がある。 ましてや魔法で空中での移動が可能な者ならばなおさらだ。 その利点をあっさりと捨て、地上に戻ったカグヤを見下ろした時 に七人の背中がぞわりと総毛立つ。 本能による危険が警鐘を鳴らすも、その正体がわからなかった。 ﹁天誅﹂ カグヤがぼそりと魔法の名を口にする。 ケヤキの登場によってこの場の天候は雷雲が立ち込めている。七 人は現在濡れており、空中にいる。 条件は揃った。 カグヤは地上に降りた一瞬で水と風の魔法で雷の通り道を作る。 1890 空から巨大な閃光がジグザグと空気の塊を壊しながら走ってきた。 荒れ狂う雷撃を完全に制御し、途中で月之民の乗り物を壊しなが ら七人へと誘導した。 七人をまとめてか順番かは人間の視力では確認不可能だったが、 七人は確かに雷撃を受けて黒焦げになって墜落した。 ﹁さすがに雷は防げないしかわせないよね﹂ 魔法でコンディションを整えてドヤ顔で刀を再び引き抜いた。 ◇ おじいさん 気がつけば、全ての戦いが終わっていた。 元剣聖は手にサイクロプスの首を幾つも持ってどこから取り出し たのか盃で酒を呷っていた。 ベヒモスはその巨体を横たえてピクリとも動かない。ところどこ ろに穴があいていて、そこから生々しく臓腑を撒き散らせているの で異臭が酷い。独特の獣臭さと、血とでむせかえるような空気が漂 っている。 そこにまるで示し合わせたかのように雨が降ってきた。豪雨では ない。しとしとと、地面を染めるような雨だ。カグヤの炎魔法に触 発されたのかもしれない。 ひと ﹁全部洗い流してくれればいいのに。私も レイルのこと、言えないわね﹂ 1891 カグヤは好戦的ではあるが、殺人狂というわけではない。 邪魔だからという理由で片付けるレイルとは違い、供養の意味を 込めて丁寧に黒焦げの死体を埋葬していく。 月之民の言を信じるならば、初の同族殺しである。レイルが見れ ば﹁赤飯でも炊こうか?﹂とでもなるのだろうか。 ﹁そういえば他にも戦場があるんだけど大丈夫かしら﹂ カグヤはついこの間知り合ったばかりの勇者候補の一人が指揮す る、モルデックやローマニア、アクエリウム混成軍のことを思い浮 かべた。 あそこは確か空や海を戦場にしていたはず。厄介さで言えばこち らと勝るとも劣らない。 ﹁ははっ。そこは心配いらねえぜ、カグヤちゃんよお﹂ やけに自信たっぷりに言ってのけるケヤキに、カグヤはその理由 を尋ねた。 ﹁そりゃあ、俺より強いあいつが行ってるんだからよ。魔物の千や 二千で落とされるわけがねえ﹂ カグヤはその言葉に、そちらに向かった相手を察してむしろ敵側 に同情したのであった。 1892 カグヤ側の戦局、終了︵後書き︶ なんだかポケモンみたいですね︵ポケモンしたことどころか携帯ゲ ーム機を持ったことないとか言えない︶ やっと二つ目の戦局が終わりました⋮⋮ 200話ぐらいでって言ったけど、これ、200話で終わるのでし ょうか⋮⋮ 1893 危険な奴ら︵前書き︶ おかしいとはおもいませんでしたか? こういう時に呼びそうなあの人たちがいないことを。 邪神を放置してまでグランを転移させたその理由を。 1894 危険な奴ら 魔族国家ノーマからかなり離れた場所に、冒険者も立ち入ること のない人外魔境がある。 とある鍾乳洞を抜けて、生い茂る蔦や樹木の間をかき分けていく とそこにはジメジメとした湿地帯が広がる。 気を抜けば足を取られ、踏み外せば底なし沼に落ちるようなそん な場所である。 見渡す限りの湿地帯の真ん中には巨大な湖がある。そしてその湖 の中央にはかろうじて島のような場所があるのだ。かろうじて、と いうのはあまりに巨大なその場所の中ではの話であり、人間から見 ればそれは大きな島である。 島に唯一そびえ立つ古城に向けて、異様な集団が歩いていた。 ﹁なんで私がこんな目に遭わないといけないの﹂ ﹁そうよ。私だってみんなとばばーん!と魔法合戦やりたかったん だからね!﹂ ﹁なんであなたたちがそんなに呑気なのかを私は知りたいわよ⋮⋮﹂ 一人は獣人の少女である。猫耳をピクピクと動かしながら不平不 満を述べている。 快活な口調なのは透き通るような妖精である。黄緑色の羽でふわ ふわと浮いている。浮いて、と表現するのは魔法で飛んでいるから に他ならない。 そんな二人をたしなめるのは魔法使いの妙齢の女性である。杖を 持ち、ローブを羽織ってと魔法使いの基本的な格好だ。 1895 ﹁そうカリカリすんなって。強い相手と戦えるんだろ? ええっ それにウタちゃんに、リオちゃんだよな みんなレイルの友達か?﹂ と⋮⋮サーシャさん? ? チャラい様子で戦闘狂なことを言うのは魔族の男であった。 剣も魔法も使えるといった感じで、動きやすそうな胸当てに小手 と軽装備を幾つも重ねている。 偉大なるウタちゃんは仕方なくレイルの友達な ﹁⋮⋮友達という表現にすごく違和感があるわね⋮⋮﹂ ﹁あたぼうよ! んだから!﹂ ﹁そうなの﹂ 三人はそれぞれに返事をする。 そして元凶となっている男に視線を向ける。 ﹁はーあ、本当はギルドの招集に応じてガラスとかの指揮下で戦う つもりだったんだけどなー﹂ ﹁うちもなの。お父と一緒にゴブリン殲滅する気だったの⋮⋮﹂ 口調だけはしょんぼりと、だがその内実は悠々と歩く目の前の男 に向けた非難である。 ﹁私はレイル様に仰せつかったのですよ。好きな人員を連れて討伐 に向かえ、とね。まあ今の時代で知る強い者となると、必然的にレ イル様との共通の知り合いになりますが﹂ 凄絶な笑みが見る者の背筋に冷たいものを走らせる。 彼の名前はアークディア。レイルの契約した知識欲の凄まじい上 級悪魔である。 1896 ﹁本当はカグヤ様やロウ様もお連れさせていただきたかったのです なんでもって私たちがよりによって⋮⋮!?﹂ がね⋮⋮。まあいいでしょう﹂ ﹁そうよ! 悲壮感漂う声を出すのはサーシャである。 彼女は良くも悪くも良識ある正統派の魔法使いである。これから 連れていかれる場所のことを思うと気が重くなるのは当然のことだ。 ﹁お連れする理由は幾つかありますね。一つはこれが一番重要です が、レイル様を裏切らないことでしょうか。二つ目はレイル様が口 添えするだけで連れ出せるようなちょうど良い立場ということです ね。三つめは⋮⋮と着きましたね﹂ ﹁三つ目はなんなのかしら﹂ ﹁実力を隠していること、ですよ﹂ そう言ってアークディアは城の扉を開け放った。 ◇ アークディアがレイルに頼まれたのは他でもない、邪神の隠し玉 の殲滅である。 魔物の軍を大規模に動かすことで、隠れ蓑としてここに新たな拠 点を作り出していたのだ。 教徒などの地上にいた非戦闘員は最終決戦の場の付近で待機させ てあったが、ここにいるのは戦闘もこなせる重要幹部、つまりは邪 1897 神が滅ぼし、創り出した世界を担っていく面々である。 その中にはかつて人間の国で貴族をしていたものや、国家級犯罪 者として裁かれる前に替え玉を用意されて助け出された者もいる。 リッチー どれもこれもが、邪神の認めた一線級の猛者たちばかりだという ことだ。それも対集団戦に向いた幹部、つまりは不死王や、力しか 能のないベヒモスなどを除いた個人戦に向いた者たちであった。 その中には当然のように、邪神が地上に顕現してから余った魂で 冥界から呼び寄せた者もいる。 それぞれがただならぬ気配と眼光をもって呼ばれざる客人たちを 迎えた。 中央に座っている男がグラスに注いだワインを傾けながらぼんや りとやってきたアークディアたちを見やる。 ﹁レイル・グレイの差し金か。やはりあの男は始末しておくべきだ ったのだ。まあもう遅いがな⋮⋮﹂ 身なりの良い壮年の男性が吐き捨てる。胸元の紋章が外されてお り、かつての地位を捨てていることがわかる。 レイルをことさらに憎んでいるその男にアークディアは見覚えが なかった。 自分の敬愛する主が誰かの恨みや怒りを買うのはいつものことな のでさほど気にしない。本来仕える主が冒涜されれば怒るべきなの かもしれないが、アークディアはそういった熱情とは疎遠な悪魔で ある。 そんな余計な激情に思考を割くぐらいであれば目の前の敵を観察 する方が先だ。それこそ自らここ数年で学び取った姿勢。 しかしながらウタとリオは急に不機嫌になる。アークディアが許 可していないので飛びかからないだけで、自由に戦闘しろと言えば 1898 我先に目の前の悪魔に突っ込んでいくことだろう。 敵の数は八人。人数だけならばやや不利だがアークディアは気に かける様子もない。 マント それは自らの仕える主への絶対的信頼の表れであった。 直後、空間転移で一人の男が現れた。黒い外套をはおり、腰には 本気を示す剣が携えられている。怜悧な眼差しに颯爽とした足取り は戦場よりも舞踏会の方が似つかわしい。しかしながら、その身に まとう雰囲気は明らかな殺気と覚悟であり、男を八人は敵とみなし た。 それに合わせるかのように、急激に空間の一点が歪むのをその場 にいたものは感知した。 ﹁正規の方法ではない⋮⋮?﹂ びきっと空間がひび割れるようにして裂け目ができる。一組の男 女がそこから飛び出して、閉じた後に地面へとべしゃあと叩きつけ られる。 ﹁なんでこんな乱暴なんだよ!﹂ むしろ体がバラバラになっておらんだけ感謝 わしがおらんだら今頃狭間の藻屑じゃぞ!﹂ ﹁仕方あるまい! せい! ⋮⋮見ろ。絶好の登場であったようじゃ。 ﹁その狭間を近道感覚で使えるったのがミラじゃねえかよ!﹂ ﹁ええいよかろう! そして出た場所も完璧。さすがわしじゃ﹂ 出てきたときの空気は完璧ではなかったけどな、とホームレスが 心の中で突っ込む。 白い髪の青年と、鎌を持った少女がギャーギャーと言い合いなが ら埃をはたいた。 1899 ﹁おお、ちょうどよかろう。八対八じゃ。人数も五分になったのう﹂ こうして遊撃部隊五人に三人の援軍が駆けつけたことで八人編成 の幹部討伐チームが出来上がった。 アークディアは味方の数が変わったことで現状を再確認していた。 人間よりもはるかに長い時を生きた自分でさえも、レイルの考え が読めないことに興奮を覚えていた。それはレイルが異界の知識を 持っているだけではない、レイル自身がアークディアから見て未知 であるという事実に、だ。 ミラの言う通り、出来過ぎた援軍の到着によって戦況は討伐に変 わった。最初は時間稼ぎをして援軍を待つつもりだったのだ。 しかし今はどうだ。死の君ミラヴェール、現魔王グラン、何故か 力を増しているロウに当初の五人がいることでぐっと楽になったの だ。 ここにいる面々はレイルに色濃く影響を受けており、性質が近い のはロウで戦略面で同じ領域に達しているのはグランだとアークデ ィアも思っている。 だが誰よりも近くで、精神の中からレイルを、レイルの決断を感 じて観察し続けたアークディアはレイルの思考を追うのにかけては アイラと同じぐらいだという自負があった。 よって、ここでの大まかな指示は本来の予定通り自分が進めるこ とで問題がなさそうだ。 周りの仲間を見ながらそのように決断をくだして相手の観察に移 った。 悪魔の背後にいるのは三つの首を持つ巨大な犬であった。アーク ディアもよく知っている、地獄の番犬ケルベロスである。立ち上る 1900 闘気に、全身にまとう魔力はおそらくは並の剣や魔法では傷一つつ かないだろう。冥界の精神生命体にしては珍しく、現世における自 分用の肉体を持っているのが特徴である。 ﹁げっ、なんでお前生きてるんだよ﹂ まあ国滅ぼしは二つ目でお前 ﹁んなもん、替え玉を用意して逃げたに決まってんだろ。それに俺 は降臨させた立役者の一人だぜ? んとこのクソガキに止められたけどな﹂ そう言ったのはかつての国家犯罪者デイザスであった。 邪神を復活させるためだけに各地を回って人を殺しまくっていた 張本人である。 ﹁珍しいな。悪魔か﹂ ﹁そういう貴方こそ﹂ そんなやりとりをしたのは長髪に執事服とよくわからない格好の 悪魔たちである。精神生命体であるため、受肉はしているが擬似核 はない。一番強そうな上位の悪魔が一人、その横に二人の中級悪魔 がいる。 そしてここにいる者は知らないが、レイルを敵視した壮年の男性 は元はヒジリアの出身であった。娘が酷い目に遭わされたというの に、動かない国に嫌気がさして飛び出したのだ。娘の名はセティエ という。 残りの二人のうち一人は完全にフルフェイスの兜で顔を覆ってお り、その表情は見えない。先ほどから全く言葉を発さない。最後の 一人は三メートルほどの巨大な体格を誇り、おそらくは巨人族の血 が混ざった先祖返りを起こしているのだろう。 ﹁どうするのじゃ﹂ 1901 ﹁クフフフフ、では私があの悪魔を貰いましょうか﹂ ﹁じゃあ俺はデイザスとかいう魔族を﹂ ﹁俺はおっさんもらっちゃダメか﹂ ﹁わしはあのわんこを貰おうかの﹂ ホイホイと気軽に決めていく四人にやや呆れながらグランがフル フェイスの鎧騎士を指定した。 とはいえ、上位の悪魔やケルベロスが頭一つ抜けた感じはあるも のの、どれもこれもさほど実力に差はないように思われる。 しかし取り残されることにやや不安があるのか、サーシャとリオ、 ウタも続けて敵を指定した。 ﹁あのでかいのを!﹂ ﹁悪魔とか最悪なの⋮⋮﹂ ﹁ええ、私も悪魔?!﹂ 中級とはいえ悪魔と戦うことにここに来てもなお難色を示す二人 にアークディアは語りかけた。まずはリオに、そしてサーシャに。 ・・ ﹁リオさん。ここで強い敵を倒せばレイル様も褒めていただけます よ。それに⋮⋮私は知ってますからね。あなたの種族を﹂ リオはとうとう観念した。 ﹁ごめんなさいなの。嘘ついてたの﹂ リオの限りなく人に近かった姿がやや獣のそれに近くなる。いや、 獣よりも魔物よりに、そして凶暴なそれに変わっていく。爪が伸び、 毛が深くなった彼女は目を赤く染めて呼吸も荒くなっていた。 全てが終わったリオのそれは、可憐な少女のそれを見る影もなく 1902 していた。 ﹁その力を解放すれば、こうして凶暴性と戦闘力は上がるの。でも この姿を見られたくなかったの﹂ だんだんと声が低く、獣とおなじようになり、最後に唸り声をあ げた。肉食の猛獣が出すような喉の底から出た唸り声はケルベロス の毛を逆立たせた。 リオの種族は特別な種族であった。誰よりも実力主義の獣人の族 長として発言権を持つに至るにはそれだけの強さがあった。人間に 一番近い見た目を持つのは、獣としての力を人間の姿に押し込めた からだ。そこには多少の劣化、つまりは多大な封印がある。普段か ら必要以上にその力を使わなくて良いように、リオの種族はその強 すぎる攻撃性と強さを隠して押し込めていたのだ。 それを一度解放してしまえば、人間の技術を獣の姿でふるうまさ に人獣一体となる。 ちしき アークディアは長い悪魔としての生の中で、そういう獣人の種族 が戦争で活躍したという記憶を得ていた。 レイルは何も気づかなかったのだが、レイルが好きに強いのを連 れていけ、と言われた時に最も手っ取り早いと思ったのが彼女であ ったのだ。 そしてアークディアはもう二人の連れてきた妖精と魔法使いを見 る。 ウタはウェンディーネの姪である。レイルが知っていてアークデ ィアが知らないこともあるが、ことこの世界の種族などの普遍的な 知識については長く生きているアークディアに長がある。 そしてサーシャ。彼女は本来、最もここにくるはずのなかった人 1903 物である。 それを変えたのは、一度死にかけて、アークディアが中に入った あの時からであった。 魂を扱う悪魔にとって体内に、魂の中に同居するということはと ある効果をもたらしたのだ。 サーシャの中に眠る古来の竜さえ圧倒する魔法使いとしての血を、 魂をアークディアは解析して自分の感覚へとした。そしてその感覚 の一部が本来の持ち主であるサーシャへと還元されていった。つま りはサーシャの魂を通じてアークディアは飛躍的に魔法の力を上昇 させていたのだ。 それと同時に逆の反応が起きていた。アークディアの魂を扱う悪 魔としての力がアークディアとの同調によってサーシャにもうっす らと馴染んだのだ。 ﹁今の貴女は魔法に魂を込められるはずです。これを﹂ そう言ってアークディアはサーシャに盗賊から奪った魂を十人分 ほど渡したのだ。 それを見てサーシャは逃げ場をなくした。 幸いここは湿地帯。水は豊富にあるのだ。大丈夫と自分に言い聞 かせて戦いに挑んでいくのであった。 1904 八対八 前半︵前書き︶ 明日で期末テストが終わりです! とはいえこうして投稿してれば世話ないですね。 1905 八対八 前半 最初に終わったのはミラの戦いであった。 それは戦いというには圧倒的で、相性が悪すぎた。 ケルベロス。それは地獄の番犬として知られるが、番犬というこ とはそれより上の存在には弱いということに他ならない。 しつけ ミラは死者の魂を管轄する上位の存在。戦闘云々ではなく、ケル ベロスの脳裏にはミラと相対した瞬間に﹁躾﹂の日々が浮かんでい た。 三つの首は従来の獣型との戦闘の常識を潰し、巨大な体躯はあっ というまに全てを蹂躙するはずであったのだが。 ミラがその鎌をカタンと地面にうちつけただけでケルベロスのそ の戦意は完全に消失していた。 膝はガクガクと震え、おすわりしたまま今にも失禁しそうな姿は ただの子犬と何ら変わりない。 その情けない姿にミラが怒ると、ケルベロスはとうとう腹を見せ てその場に寝っ転がった。降参の意思表示である。 彼女がお手と言えばお手をするし、腹の上にグリグリと足を乗せ ても﹁きゃうーん﹂としょぼくれた声を出すだけで何もしない。 ﹁このメメント・モリで帰ったらお仕置きじゃな﹂ メメント・モリは彼女の鎌の名前である。 敵対者に死を幻視させ、その魂に死の恐怖を刻み込むことからそ の名がついたのだが全く出番はなかった。 1906 彼女は久しぶりに親戚の家にいって飼い犬と遊ぶようなノリでわ んこを貰うと言ったのだが、こんなことならばやめておけばよかっ たかとさえ思っていたりする。 相性が良かったからといってミラが敗北するということはまずな かったが、せめて人間か魔族をぶつけていれば時間稼ぎぐらいには なったものを。 しょうがないだろう。ケルベロスがそこまで冥府での地位が低い とも、ミラが生者に手を出せないことも彼らは知らなかったのだか ら。 ◇ ロウは目の前の貴族然とした男性を見ながら錫杖を鳴らす。短刀 で戦う方が慣れてはいるが、やはり強敵になると肉体の速度よりも 搦め手を重ねて仕留める方が幾分楽なのだ。 ﹁若造が粋がるなよ⋮⋮﹂ ロウはその言葉に苦笑した。確かに今の自分の見た目は若造だ。 だがカグヤと共に若返ったことで、実際の年齢は彼より若いとはい えさほど変わらなかったはずだ。 ﹁ま、俺はいつまでも若い気持ちを忘れねえ男だからさ﹂ 軽く冗談を飛ばしながらも、顎を引いて油断なく見る。 先に仕掛けたのはロウであった。本来均一に老化していくはずの 1907 天井を時術で一点に集中させて時間経過を加速させた。 一瞬で老朽化した天井が崩壊し、相手の頭上より降り注ぐ。 だが彼は眉一つひそめず片手を上にやった。 すると不可視の壁が現れ、降り注ぐ瓦礫を全て防ぎきってしまっ た。 ﹁娘に結界術を教えたのは誰だと思っている﹂ セティエの父、ナルサスもまた結界術が使えたのだ。 レイルから聞くセティエの結界よりは強度は弱そうではあるが、 それでも厄介なことには変わりない。 ﹁持続時間や範囲、強度こそセティエには負けるがな。展開速度と 応用の二つでは負けんぞ﹂ 彼の方が熟練しているのだ。 その言葉を聞いてロウはむしろ喜んだ。フェイントやハッタリな どの心理戦を通じて引き出さねばならなかった情報を先に向こうが バラしてしまったのだから。 ここで彼の言葉を疑うことはできる。だがその確信に満ちた、ま るでロウの戦意を削ごうとするかのような言葉に嘘は見られなかっ た。 彼がセティエの父親であることを聞いて、血をひくならば同じ術 が使えることも、そしてその使い方を教えたのにも納得した。 ロウは彼の目を媒体に彼の過去を探った。 結界術だろうが、魔力抵抗が高かろうが最も抵抗のしづらい発動 方法と術式なのだ。 そして見つける。 ﹁へえ、あの聖女さんが二重人格なのって⋮⋮﹂ 1908 父親からの固執とも言える偏愛。 傍目には普通に仲睦まじい親子なのだろうが、お互いにその内心 は狂っており、壊れていた。 ﹁壊れたことに自覚がないのって嫌だよねぇ﹂ 結界を解いたナルサスが剣をもってロウを切り捨てようとする。 ロウは時術で自身の時間を加速、周囲を遅延させてその攻撃を完 全に読み切る。近接戦闘と相性の悪い錫杖でも攻撃を受け流してか わし続けることで互角に打ち合う。 目でいれるフェイントにもひっかからず、殺気も受け流されてロ ウは下唇を軽く噛む。 幻影の錫杖は強度だけならば聖剣に匹敵する。レイルの空喰らい には負けるが、かなり優秀な武器であった。ナルサスの猛攻にも耐 え抜き、傷一つついてはいなかった。 ﹁なあ、おっさん﹂ 攻撃と攻撃の間に呑気に話しかけるロウに眉をひそめ、そして無 視するナルサス。 ロウは気にせずなおも続けた。 ﹁あんたの娘、今レイルのとこにいるんだぜ?﹂ その言葉で何にも動揺しなかったナルサスがはじめて動揺を見せ た。 剣の動きが鈍り、それを自覚して一気に距離をとった。 1909 ﹁いやあ、俺たちって実は離れていても連絡とれるんだよな。だか らさ、あんたが俺を殺せばあんたの娘は邪神の目の前でレイルに殺 そんな戯言に⋮⋮﹂ されることになるんだわ﹂ ﹁この外道が! ほらおっさん﹂ ﹁お、レイル来てくれたのか。よしそのまま聖女さんをいたぶって くれる? ナルサスはその言葉を最初は単なるハッタリだと思った。 だが﹁ほら﹂と言われた瞬間に背後に二つの気配を感じて思わず 後ろを向いた。 戦っている仲間も敵も全てが離れた場所にいるはずなのに、ここ で現れる人物、しかも今の今までナルサスに気配すら気づかせなか った敵など瞬間移動が可能なレイルぐらいしか浮かばない。そして レイルが現れれば、セティエが人質に取られていることは予定調和 のようなものだ。下手にレイル・グレイという人物を知ってしまっ ていたが故の失策であった。 実際はロウが時術によって過去の光景をそこに投影しただけの話 だ。ちょうど、ロウとナルサスがそこにいた時の再現である。幽霊 の正体枯れ尾花、自らの影に怯えたナルサスの末路は。 ﹁俺もレイルと似たもの同士でな﹂ 背後を見た瞬間に、時間停止と気配遮断によってすぐそこまでや ってきていたロウに背中を刺されて死んだのであった。 ◇ グランと鎧騎士との戦いは相手の妨害と撹乱の積み重ねであった。 グランはメインを魔法に、サブに剣で。鎧騎士はメインを剣で、 1910 サブに魔法を使用することで近距離から遠距離まで柔軟かつ臨機応 変な戦いをみせた。 鎧騎士の突進からの風魔法による打ち上げが決まったかと思えば、 グランの土魔法が柱を作って鎧騎士を襲う。鎧騎士がかわした土の 柱に剣をつきたて方向転換しながら地面に降り立つ。 ﹁随分と腕が立つようだな﹂ ﹁魔王陛下にいっていただけるなら武人の誉れ﹂ ﹁貴様ほどの男がどうして邪神につく﹂ ﹁より強く、より大きな野望を持つ男に仕えたいと思うのは漢の本 能﹂ ﹁自身の運命を、自身で切り開くのも乙なものだがな﹂ グランの魔法が鎧騎士の視界から光を奪った。 本来なら動揺するはずのその魔法にも、むしろ魔法を使った直後 が好機とばかりに突っ込んできた。 集中を乱され、複雑な展開の波属性闇魔法を解除してしまう。 炎の鞭で威嚇しながら剣で反撃するも、それさえも読んでいたか のように対応してくる。 剣士としての経験が高く、対応力がずば抜けて高い。 何をしても崩せない硬いガードと、兜の奥で光るブレることのな い強い瞳にグランはうんざりする。 ﹁どうしてこう、まっすぐなんだろうな﹂ レイルだったらもっと楽にいれるのに。 と婉曲的にレイルの根性がねじ曲がっているなどと思いながらも 次の攻め手を考える。 1911 ◇ 魔法使いの女と悪魔は城の外までやってきていた。 それぞれが戦いの邪魔にならないようにとのよくわからない配慮 である。 ﹁ご主人様のご主人様の命令だろ。死んでくれろ﹂ ﹁お断りよ﹂ サーシャの対峙した悪魔は悪魔らしく破壊衝動と忠誠心のみによ って支配されていた。 何も考えずに命令を忠実に実行すること、そしてそれが破壊衝動 だか にそぐうものだと特にやる気を出す。そんな悪魔にとってのサーシ 魂が薄いから魔法も弱いのだろ? ャはあまりに都合の良い相手である。 ﹁人間は弱いのだろ? ら魂もろくに扱えんのだろ?﹂ ﹁どうかしらね﹂ サーシャの言葉は心底本気であった。 サーシャの知る悪魔というのは、一時期自身の中にいたアークデ ィアだけであり、それより他には知らないのだ。 だから悪魔との実力差は測れない、もしも目の前の悪魔がアーク ディアほどに強いのであればサーシャの勝つ確率はない。そんな風 にさえ思っていたのだ。 何が面白いのかケタケタと笑ってサーシャに魔法を放つ。 1912 ・・・ 一瞬で生成された火炎球は一メートルほどに及び、当たれば黒く 炭化してしまいそうだ。 しかしそこはサーシャ。落ち着いて水を泥ごと扱った。 巨大な泥の手が、火炎球をすっかり包み、覆い隠してしまった。 火炎球はその熱をもって水魔法の水を蒸発させてしまおうとした。 その行為そのものはうまくいった。水魔法で扱われた水はすっか り蒸発してしまい、後には泥の手のオブジェクトが残った。 そして乾燥した泥、つまりは土のドームによって酸素の供給がで なんでだろ?﹂ きなくなった火炎球はすぐに消えてしまった。 ﹁あれ? アークディアは知識が豊富であるが、大抵の悪魔はその元からあ る魔法の力に溺れて鍛錬も知識を身につけることもあまりない。 彼には何が起こったのかがわからなかった。 突如、悪魔の足元に巨大な穴があいた。 悪魔は驚きながらもそれを避けた。 ﹁きかないだろ﹂ 悪魔は地面に立つことができる。魂のないものには触れられない というのが精神体の特徴だが、土には草が生えており、逆に言えば 魂さえあれば重さなどなんとでもなるのだ。 さすがに肉眼で見えない微生物になるとその上には立てない。だ が本来は小さな虫や草の魂の上に立つ悪魔。地面が突然開けば当然 落ちてしまうのだ。もちろん魔法で空を飛ぶこともできるので重要 な問題ではない。 得意げに空を飛ぼうとした瞬間に、泥でできた竜が彼の首から下 を食らった。 1913 ﹁泥の落とし穴? 違うわよ。私は一番得意な水竜⋮⋮今は泥の 竜かしら、を作ろうとするためのあなたの足元の泥を使っただけよ﹂ ﹁な、んで⋮⋮?﹂ 首だけになってなおも意識のある悪魔にゾッとしながらサーシャ はパクパクと目の前の事実を受け入れられずに何故と繰り返す悪魔 の頭部に言い放った。 ﹁魔法にも魂は込められるらしいわよ。コツは掴めたわ﹂ ごぽり、と嫌な音をさせて泡を吹いたところで悪魔は完全に事切 れた。 1914 八対八 中編︵前書き︶ ああ、戦闘って難しい 1915 八対八 中編 ホームレスとデイザスの戦いもまた、巧妙な魔法合戦となってい た。 ホームレスはやんちゃなその気性から勘違いされがちだが、その 実、頭の回転はさほど悪くはない。それどころか魔族の中でも問題 児と寵児の二つの矛盾した名を両立させられるほどには、才気に溢 れていたのだ。 地形を、相手の魔法を利用しながら複雑に魔法を打ち合う。 そしてデイザスもまた、魔族の中でも魔法の得意な者であった。 そうでなければ、国を滅ぼすなどという大役を任されて一人でフラ フラとしているはずがない。とある国を魔物に襲わせたその行為だ って、自身が生き残る確信がなければできないものだ。 彼もまた、魔物の大群を一人で生き残ることのできる戦略級の魔 術師である。 とはいえ、その肉体は通常の上級魔族から逸脱していることはな い。レイルに縄で縛られれば動けなくなるし、首を切られれば出血 多量で死ぬこともある。 なんとも、まだまだ魔族やめてないぐらいの彼らの才能はどこま 砕け散れ!﹂ でも戦闘センスにあった。 ﹁ぎゃははは! ﹁させるかよ!﹂ 魔力が体内に貯めることのできるエネルギーであり、その内包す 1916 る量が多ければ敵からの魔力による体内環境の干渉に抵抗できる。 これを魔力抵抗というのだが、彼らは互いに魔法を使うだけあり、 魔力抵抗は魔族の中でもかなり高い。にも関わらず、相手の体内へ と魔法で干渉しようとしているのだ。 ホームレスがデイザスの血液を水魔法で操ろうとする。 デイザスがホームレスの肉体を加熱しようとする。 そして相手の攻撃が開始されるたびに、自分は相手の集中を妨げ るか自分自身の体内に干渉してその魔法を止めなければならない。 その時に扱うのは、出の早い一般的な初級の魔法になるのだが、 これまた二人とも扱いが厭らしい。 ホームレスは妨害のために建物の天井に向かって風の砲弾を放っ て、デイザスの頭上を崩落させる。 デイザスは集中を妨げるために足元に向かって泥の刃を放つ。ホ ームレスの足元の床がえぐれてホームレスはバランスを崩しかける。 隙があれば剣も扱うが、剣はブラフにしかなっていない。 いい ﹁あー、あいつらも勝つだろうけど、最後になるのは癪だ。さっさ と倒してえんだけどな﹂ ﹁お前らレイルとかいうガキに言われて来たんだってか? 機会だ。あいつの大切なものを片っ端から壊していってやるよ!﹂ ﹁バカだな。レイルが大切なものに手を出されたらこれ幸いとお前 をいたぶりにくるぞ。お前がどうやって捕まえられたかは知らねえ けどよ。どうせ手加減されてたんだろ?﹂ 魔法は感情に左右される。お互い挑発することも忘れない。しか し二人とも見た目や言動とは裏腹にどこまでも冷静であり、決して のることはない。 1917 軽口を叩くその間も、風の刃が、水の槍が飛び交う。 魔法は四つの段階に分けられる。一般的なのは上級、中級、初級 の三つで、生活に便利なものから戦争で扱える大規模魔法までをこ こに分類する。 ホームレスとデイザスがここまで使ってきたのは概ね上級までで、 上級が扱えれば魔法使いとしてはかなり優秀なのだ。 だが大体の属性において中級まで扱えるような二人からすれば、 上級は中級の延長線上にしかないことで対処は簡単なのだ。 ここで現れるのが特異級というものである。 これは一般には知られていない。 というのも、線引きが曖昧かつ使用者が非常に少ないからだ。 魔法の規模と速度や精度を高めるのが上級までだとすると、こち らは魔法の属性の本質そのものに迫った運用のことだ。ようするに オリジナル魔法ということになる。 実は魔力の出力や貯蓄などで一般魔法使いレベルしかないレイル やカグヤは、ほとんどの魔法がここに属していたりする。 魔法の本質を知り、自然の力を借りて、不可能を可能にする力。 ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ 本来は相手にどの魔法で攻撃するかで魔法戦闘が決まるのだが、 この域に至ると魔法をどう使うかとどれだけ手札があるかというイ カサマ合戦のようになってくる。 レイルはこれを相手が戦闘に移る前に繰り出すことで確実に決め てきた。ブラフを重ねて、虚実ないまぜにして相手を惑わすことで 対人戦を制してきたのだ。 だが彼らはここまでくるともはや相性の問題となってくる。 1918 デイザスの作った水の槍は、最初はただの槍に見えた。 だがホームレスにささるその直前に冷気をまとい、周囲の熱を根 こそぎ奪っていこうとした。 デイザスもまた、熱操作という炎属性のその本質の一つを理解し ている一人であった。 ﹁氷像にしてやるよ﹂ 冷気がすっかりホームレスを覆う、と思った瞬間ホームレスの姿 が消えた。 ﹁ここだよ﹂ そこには天井に逆さに立つホームレスの姿があった。ホームレス は予め、水魔法で作った水の鏡によって自らの姿を元の場所に投影 していた。波魔法を使わずに光を利用した一つの例である。 ホームレスが声をかけたその瞬間、デイザスは息苦しさを覚えた。 そう、風魔法でデイザスの周囲から空気を奪ったのだ。もちろん 真空には程遠い。だが通常は空気全体の二割を酸素占めている。そ の気圧が半分になれば酸素をうまく吸収できなくなる。成分そのも のを扱えればもっと楽に殺していただろうが。 デイザスは未知の攻撃にたじろぐ。原理はわからないが、魔法の 範囲から逃れることでその窮地を脱する。 何より末恐ろしいのは、彼らの魔法に対する理解は大半を感覚が 占めていることだ。 レイルのように、物理科学などの知識に照らし合わせて本質を系 統立てて理解したわけではない。 こうすればこうなりそう。 1919 そんな感覚だけで魔法を掴んできたのだ。 結果しか見ないこの世界の他の魔法使いよりはかなり頭を使って いる方なのかもしれないが、レイルに言わせればまだまだ足りない。 才能とは時として知識理解の先に到達することもある。レイルは それを改めるようにホームレスに言ったことはなかった。 驚いたら負け。そんな子供の理屈みたいな戦闘が、大胆かつ意表 をつく魔法の応酬によって行われる。 重力の中心を敵にしてみたり、床が足に噛み付いたり。炎魔法を 使った瞬間に、炎が膨れ上がって制御できなくなったりとびっくり 箱のような騙し合い。種も仕掛けもない本当の魔法が相手の意識を 逸らすたびに、打ち込まれた攻撃が身をえぐる。 一手先、二手先を読み合う。 相手が次に使うとすれば、どのタイミングで打てば外さないか、 自分をどう見ているのか。 最後に立っていたのは││││││ ﹁やっぱ強えよ、お前﹂ 満身創痍のホームレスであった。 まるで合わせ鏡のように、戦闘スタイルのよく似た二人。適度に 実力が拮抗しており、邪魔が入らないことで運の要素も消える。 ホームレスにとって、これほどに最適な好敵手はいなかったであ ろう。 すでに虫の息のデイザスを見下ろして優越感に浸る。その権利が 彼にはあった。 ﹁ちくしょう⋮⋮あのクソガキに人質にされた時よりも悔しいぜ⋮ 1920 ⋮﹂ デイザスはレイルに敗北したことを通過点程にしか思っていなか った。 すぐに替え玉を立てて逃げてしまったこともあり、その敗北の苦 渋はいつしか薄れてしまっていたのかもしれない。 だが、そのレイルが送ったホームレスに実力勝負で負けたことに より、とある感情が湧き上がったのだ。 まるでホームレスが強くなるための材料のようではないか。 まるでレイルに、自ら出て戦う必要もない小物だと言われている みたいではないか。 その二つの感情はどうしてかデイザスを苛んだ。涙が流れている ことを否定しようと、何か違うことを考えようとしたその時。 ﹁いや、お前はすげえよ﹂ 戦いあった好敵手を真正面から認めるその言葉に、薄れゆく意識 の中でデイザスは戸惑う。それと同時に、先ほどまで苛んでいた苦 い感情が消えていくのがわかった。 ホームレスは足を引きずるようにして、治療可能なロウの元へと 急いだ。 ◇ 城の外、湿地帯のほとりで妖精と巨人の血をひく男が向かい合っ ていた。 1921 巨人の血をひく彼は、目の前の妖精が自らの相手をすると意気込 んでいるのを見てひどく困惑した。 ﹁どして、てめえがきた﹂ 彼は当然のように体が大きい。ならばその相手をするのも、体の 大きなものか強そうなものになると思ったのだ。 目の前の妖精は吹けば飛びそうなぐらいに小さく、そして軽い。 小さな少女に羽が生えただけの姿をしているが、魔法が得意で時 間稼ぎに徹するのかもしれない。 そんな疑問にウタは至極真面目に答えた。 ﹁なんでって、単にあなたがちょうどよかったからかなー﹂ ウタは特別サボリ魔でもなければ、バトルジャンキーでもない。 ウタがもしも悪魔を相手にすれば、万に一つの勝ち目はなかった だろう。彼女の攻撃手段は魔法のみ。精神生命体にとことん弱い。 半巨人というのは少し複雑だ。本来、自分より小さなものを相手 にすることを前提とする彼も、ここまで小さなものになると少しや りにくい。だが肉体を武器とする彼の攻撃は確かにウタには通る。 ﹁つまりー、私とあんたの相性は最悪で最高ってわけよ!﹂ ふわふわと飛びながらビシッ!と指を差す。 彼女が探偵ならば、巨人が罪を告白して崩れ落ちるところだ。 ﹁わげわがん、ね﹂ 低い声で吐き捨てる。どもりながら濁るところを見ると、あまり 喋るのは得意ではないらしい。 1922 そして、戦いが始まると彼はウタの評価を一変させた。 全く攻撃が当たらないのである。拳圧で起こる風に流されるよう に、ひらりひらりと避けるのだ。 その掴めなさはまるで舞い散る花びらのようで、手の中に掴んだ !と思うとするりと抜けられている。 ﹁こんなもんー?﹂ 信じられない事態に掴み損ねた手をみていると、ウタが距離をと って聞き返す? 彼は地面が乾きはじめていることに気がついた。今まで踏めばぬ かるむようだった泥の地面が、乾燥してひび割れてさえいる。 ﹁これでよしっ!﹂ 無邪気な掛け声とともに、周囲に水でできた剣や槍が浮かんでい た。 だが彼はまだその危険を理解していなかった。 かつて彼が国一番と称される魔法使いの一人と戦った時、その魔 法使いが放った風の矢は彼の肉体を傷つけることがかなわなかった。 彼が拳をふるえばかき消え、腕で顔を守れば受け止められる。 そもそも見てから避けたり防いだりできる程度の弱いものであっ た。 そう、所詮魔法は強靭な肉体の前に負けるのだ。 なまじ勝ち続けてきた経験があるだけに、そのようの見くびって いたのだ。 1923 だがら、今度の魔法も見てから防げばいい。 強そうならかわせばいい。 周りに浮かんでいた全ての武器の形をした魔法が消えた。否、発 射されたのだ。視認できぬ速度で、周囲360度からの魔法が彼を 蹂躙した。 百を超える水の数々は、巨人の血がなせる強靭な肉体を貫いてい た。 ウタがしたことは簡単。 たくさん作って、回転させて、一斉に高速で放つ。 あまりに単純な力技。しかしその集中と出力は怪物とさえ言える ものであった。 そう、ウェンデーネという水属性でも両手の指で足りる実力者の 姪。その微妙な肩書きに見合うように自己の鍛錬を怠ることのなか ったウタの水属性の魔法は誰よりも研ぎ澄まされていた。 鍛えたウェンディーネ自身が恐れ、甘い言葉と共に、他に精霊も おらず生物の数も下降の一途を辿っていた綺麗なだけの泉に封じ込 めるようにして遠ざけたほどには。 穴だらけの巨人の肉体を湿地帯の奥底に埋めて、鼻歌さえ歌うウ タを見て戦慄しないものはいないだろう。 その出自を知るアークディアだからこそ、その狂気を全てレイル のために活かせと言ったのであった。 1924 八対八 中編︵後書き︶ あと少し 1925 八対八 終盤 リオと中級悪魔、アークディアと上級悪魔の戦いは見た目には完 全なる格闘戦の様相を呈していた。 魔法も、武器も一切使わずに己の肉体のみを駆使して殴打と蹴撃 の応酬となっている。 だがその内実はリオとアークディアでは完全に反対のベクトルに 位置していた。しかしながらそれを見抜けるのはアークディアや上 級悪魔と同じ領域に至った、高位の精神生命体だけであろう。 ◇ リオの牙が中級悪魔の肩に刺さる。強烈な痛みに、精神生命体と いう痛みに鈍感ながら滅多に痛みのない存在である中級悪魔は声を あげかける。 ﹁な、んなんだ、こいつは﹂ 途切れ途切れに自身の困惑を言葉にする。 悪魔にとって通常の獣人など、貪り喰らう対象でしかない。願い を叶える代わりに魂をもらうと契約することで互いを縛って魂を奪 ・・・・ う時の抵抗を減らす。それだけの、つまりは調理するかしないかの 違いでしかなかった。 しかも目の前にいた獣人は獣度の低い少女でしかなかった。ここ 1926 に来たのを見たときは、取るに足らない相手だと真っ先に魂に目を つけていた。 しかし今はどうだ。猫のヒゲらしきものはピクピクと動きながら、 全身に生えた毛を逆立てている。猫っぽい、程度でしかなかった瞳 は完全に猫のそれだ。獰猛で、野生の生々しさをそのままに凝縮し たかのような、獣にもっとも近い存在がそこにはいた。 ﹁だから見せたくなかったの﹂ とはいえ、完全には理性を飛ばしてはいない。 だがそこには、戦闘の考えはあれど戦闘以外の全ての思考を放棄 している。 相手の境遇から揺さぶろうとか、相手の目的だとか、仲間の戦況 など、付属する全てを遮断する。 だから、だから見せたくなかったのだろう。 考えることを諦めないレイルに、もっとも考えることを放棄する ようなこの姿を見せたらなんと思われるのかが怖かったのだ。 いつもは思慮深く、危険なこともしないリオが海に流されてレイ ルと出会ったのだって元を辿ればこの形態に行き着く。 リオが勝手に恐れているだけで、レイルがこの姿を見たとしても ﹁勝つための最善ならば考えなくてもいいんだ﹂と言うだろう。 レイルが考えることを放棄しないのは、それが一番勝ちやすいと 考えているからでしかない。 リオだって乙女。乙女心は複雑ということだろうか。 爪は鋼の剣のように壁を、床を切り裂き跡を残す。拳が壁に当た ればクッキーのように粉々に粉砕し、噛みつこうとすれば肩の肉が 食いちぎられる。 何の迷いもない、獣そのものの戦いに少なからず悪魔は動揺する。 1927 獣ではなく、理性を保ったまま野生に身を落とすような芸当の戦 士を初めて見たのかもしれない。 それほどにリオの種族についての情報は少ない。 そう。悪魔であったとしても、知ろうとしなければ知ることのな い知識。アークディアが知っていたのは偶然であった。知識欲の高 い、長い時を生きる悪魔だからこその異端の知識はこのような形で リオの本性を引きずり出した。 戦いは格闘戦、と表現したが、もはやこれは闘志と闘志のぶつか りあいである。 ﹁ぐるわあああ!!﹂ ﹁うおりゃぁぁ!!﹂ 相手の腕を、腹を、背中を拳がとらえる。 蹴撃は脳天をかちわろうと上か下へと流れ、横から脇腹にささる。 ひたすらに掛け声と、瓦礫が吹き飛ばされる音と肉体のぶつかり 合う音が入り混じる。 リオと悪魔の戦いは、全てを一撃必殺へとなりうる攻撃のオンパ レードとなってさらに互いの境界線を曖昧に野生へと誘っていく。 ◇ 一方、悪魔同士の戦いは表面上は格闘戦だがその実態は完全な魔 力の統制と魂術による駆け引きの冷戦であった。 そう、悪魔は精神生命体。互いに魔力を使った現象そのものでは 1928 打つ 傷つかず、そこに魂を込めるとエネルギーの無駄が発生する。 魂を込めたからといって当たるとは限らない以上、魔法を というのは非効率的だと早々に両方が切って捨てた。 最初は撹乱目的で使われた魔法も、魂を込めて使えば相手に回収 されるかかわされるかで無駄打ちになる方が多かったからだ。 では何をもって攻撃となすか? それは魂による肉体の強化を行うことと、相手の扱う魂のエネル ギーを奪うことに特化しているのだ。 青白い魂の炎を手に纏い、その殴打の力をさらに強化してみたり、 移動のために使用したり、相手の使っている魂に干渉してみたりと 複雑な術式合戦なのだ。 しかしそれらはすべて、水面下で行われる戦い。常人の目には壁 も、床も、建物全てを無視するようにして格闘戦を行っているよう にしか見えない。 ﹁やりますね⋮⋮﹂ ﹁驚いたぞ。上級とはいえ、お前と私では格が違う。この程度の悪 魔が私と互角にやりあえるとはな﹂ アークディアは悪魔としての名誉に興味がなかった。 悪魔の世界では、魂をより多く扱えることが強い証のようなもの で、より大胆に、残虐に、ド派手に魂を回収してきたものが英雄扱 いされる傾向にある。 上級の中でも公爵や伯爵などの細かな階級分けがあり、アークデ ィアはその中ではさほど上にはいなかった。実力はあるかもしれな いが、何もしない偏屈者。魂をろくに集めないから役に立たない。 悪魔のくせに本ばっかり読んでいる。概ねそんな評価だった。 1929 しかしレイルと行動を共にするようになって、レイルの近くで死 んだ者の魂を回収するようになった。いざという時にレイルの役に 立てないようでは無駄だと思ったのだ。 そしてレイルは強すぎる敵こそ、残虐に殺す。そうして恐怖と絶 望などに染まった強者の魂は質も良く、下手な上級悪魔などよりず っとその力を増していったのだ。 一方、人間と近しいというのは悪魔にとって非常に煩わしいはず のことだ。 人間と契約し続けるということは、魂を契約の鎖で繋ぐことであ り、鎖を壊してしまわぬように気をつけなければならない。 アークディアはレイルからもらった合理的な概念と、自ら蓄えた 知識を融合させてレイルと魂をつなぎ続けることでゆっくりと魂の 扱いを上達させていった。 極めつけにサーシャとの同居。これにより、人間体での魔法の行 使の感覚を掴んだ。 こうして異端の上級悪魔、アークディアはできたのだ。 もともと力をひけらかすことも、強い敵を倒すことにも興味のな かったアークディアは自身がこれまでにない速度で強くなっている ことに気づかなかった。 魂の扱いが上達したことで、自身の力を完全に隠蔽してしまえて いるのも問題だった。 そう、アークディアのその強さの半分も理解せぬうちに、目の前 の上級悪魔はこんなものかとアークディアを解析できた気でいた。 逆にアークディアは体ならしの時間が終わったところで徐々にそ の出力を上げる。 上級悪魔は不審に思う。さほど強くなかったはずの敵が徐々に強 1930 くなっていくことに。 そして気づく。お互いに一切無駄な破壊を行ってはいないことに。 アークディアが仲間を巻き込んでしまわぬように、上級悪魔のエ ネルギーさえ制御してしまっていたのだ。 完全に統制のとれた魂と魔力の乱舞はその性質をアークディアの ものとしていく。 そう。これはエネルギーの奪い合い。戦いとは突き詰めればエネ ルギーの奪い合いか、一撃必殺だ。 魂魄術式の合戦において、エネルギーを支配されるということは 即ち敗北を意味する。 ・・・ 戦闘経験だけの欠けたアークディア。彼を倒そうと思うのであれ ば様子見や舐めて遊びなどせずに最初の一撃で仕留めておくべきだ ったのだ。 アークディアに解析させるだけの余裕を与えてウォーミングアッ プさせてしまったことが上級悪魔の敗因であった。 ◇ 全ての戦いが終わり、再び五体満足で集結した八人は休憩してい た。 ある者はロウに治療をしてもらい、ある者は血走った野生の眼の 火照りを冷ましていた。 そしてアークディアを見やるが、アークディアはグランの方を見 ながらこういった。 ﹁貴方がここに来た理由。果たしましょう。ではいきましょうか﹂ 1931 こうして八人は城から姿を消した。 1932 八対八 終盤︵後書き︶ 今回はさらっと終わりましたね。 そう、次回からようやく邪神との戦いに戻ります。 1933 VS邪神 しゅうけつ 敵を欺くにはまず味方から、という。 自分の一番の味方は自分ならば、自分を騙さないとダメなのだろ うか?などと無駄な思考の寄り道は置いておこう。 この戦いの、これまでの本当の目的を話そうと思う。最も出力が 低いとはいえ間接的な攻撃力が最も高い俺が、単独で攻撃を大量に しかけなかったその理由を。邪神という最も重要な脅威を目の前に、 わざわざグランをアークディアたちのもとに送ったこと、そしてア ークディアを助けたいだけなら他にも送る奴がいただろうとか、そ んな不自然な行動の理由を。 これまでは時間稼ぎだったのだ。 もちろん最初から全力で邪神を叩き潰せるならばそれでよかった。 そうはいかないのが現実というもので、結果として仲間は各地の 戦力として割かざるを得ない状況であった。 特にアークディアの戦線は、最も少ない数で最も高い戦力を送り 込まねばならなかった。俺よりもアークディアが適任だと思ったの で人選は任せてしまったが、リオやウタってそんな強いのか⋮⋮? と心配ではあったがあいつらを信じよう。 で、途中でグランを送り込むことで何が起こるか。 アークディアたちの戦闘が終われば、空間転移が使えるグランに より、八人は各地の戦況を駆けずり回ってくれる。そしてカグヤや ロウなど、できるだけ信頼できる仲間を連れてきてくれるのだ。 このことを知っているのはグランとアークディアの二人。それ以 1934 外は戦闘に臨機応変に対応させるためにいろいろと指示していない。 当のアークディアにさえも、適当に腕の立つ都合の良い奴を連れて、 邪神の虎の子を殲滅してから来いと言っただけだ。グランには仲間 を連れてここに来て欲しい、一番最初に送るのはアークディアたち を秘密裏に送った場所だとしか言ってはいない。 その結果がこれだ。 今、俺たちは邪神を当初の倍以上の人数で取り囲んでいた。グラ ンには龍や竜を連れてくることができなかったことを謝られたが、 そんなものがいるとは聞いてない。 これを仲間と力を合わせて、絆の力で立ち向かいます。そんな風 に綺麗事で塗り固めて言うことはできよう。 しかし表面的な正義など、時代に、人に、そしてその時の事情に 左右される。それはプロパガンダがそうするように、表現者の少し の意図と技量で印象操作される。 だからこそ、あえて偽悪的にこう言おうじゃないか。 ﹁数の暴力に任せて袋叩きにしようぜ﹂ 裏切るフリをさせたのは外道か? 策略はどこまでが人道にもとる? 戦争で人を殺すことは悪なのか? 人質を助け出すのは義務なのか? 多人数で一人に挑むのは卑怯か? 知らねえよ。 だって俺は正義など語れやしないのだから。 1935 ◇ 周囲にいるメンバーを見て、残酷だがキリアとカレンを送り返す ことに決めた。 最初言ったような緊急を要するものでもなかったので、しっかり と︵三行で︶説明してから転移してあげたので大丈夫。アフターケ アは女性陣に任せた。 二人を返したのは、単純にここからの戦いについてこれないと感 じたからだ。ここから先は、とある技能がないと生き残れない。そ れは後ろから迫り来る攻撃を前を向いたままかわすほどの気配探知 か、空間把握能力。 邪神が本気を出したのだ。これまで封じていた空間転移も使い出 した。 そこからはもう、形容しがたい光景が広がっていた。 グランの空間転移はタイムラグがあるので、高速戦闘の補助には 向かない。というわけで、皆さん俺の転移か自身の技量のみで邪神 の攻撃を避けなければならない。 普段、というか空間転移を覚えたてのころの俺がしていたような 戦い方をその強靭な肉体と有り余る力で乱暴に行う邪神。転移を繰 り返し、背後から、上空からと場所を選ばず殺しにかかる。 それを最も早く見つけた者が、攻撃させないだけの速さで妨害す る。 土や煙が舞う中、俺はもう視覚情報を捨てた。 もちろん、魔力抵抗の高い奴らが多いせいで、魔力が辺りに満ち 溢れて空間把握を阻害する。だからこそ、神経をできるだけ空間把 握に集中させたい。以前はむしろ、視覚情報で補助していたのが最 1936 近では逆になった。空間把握こそが俺の本当の知覚となっている。 目を瞑り、呼吸を合わせて周囲の様子全てを自身の脳内に投影す る。立体地図のように、俯瞰するように辺りの様子がわかる。それ はもう手にとるように邪神の動きが見えるのだ。 ﹁下がるぞ!﹂ 邪神の攻撃が誰かを襲うたびに、邪神の背後に接続して剣を突き 出す。 邪神は弾いたり体をひねって避けるので、なかなかあたりはしな いが十分だ。 そして仲間を邪神に攻撃しやすいところまで転移させる。擬神の 核を飲み込んだことで、離れた場所と離れた場所を転移させるのも 楽々だ。 ﹁後ろだ!﹂ ﹁横から攻撃頼む!﹂ ありとあらゆる属性魔法と、矢に剣に槍にと攻撃の種類だけでも 枚挙にいとまがない。 カグヤが邪神の攻撃を受け流す。隣にいるご老人はおじいさんだ ろうか。カグヤが下がると彼が入って邪神を抑える。気迫と視線だ けで敵も味方も釘付けにするようだ。 グランとカイの補助がタイミングが良すぎる。妨害と搦め手にか けては凄いな。 邪神も馬鹿ではない。そろそろそれぞれの性質と、弱点を見抜き ながら攻撃を仕掛けてくるのだが、そこに俺が入れ替えをする。も ちろん事前に声かけはする。 俺が事前に立てた作戦の一つ、苦手な攻撃が来たら得意なやつを 前に出すから止めろというもの。これは入れ替えられるやつの技量 1937 が高くないと無理だ。目の前に出された瞬間、攻撃をそのまま無防 マシンナーズ 備にくらってやられるようなかませだと無駄だ。 多くの場合は感情に左右されない機械族か、メイド長やおじいさ んとかのやたらと反応の良い人ばかり前に出す。もともと前にいて、 攻撃を食らう側にいるグローサやアランは放置。 ﹁回復を!﹂ ﹁結界展開!﹂ 結界術と時術で完全に僧侶タイプの聖女が背後に控えているおか げで、なんとか損耗なしにやってきていた。 アイラが遠くから狙撃している。 たびたび爆発が起こって、邪神の腕や肩に風穴があく。 なんとか時術で再生するも、だんだんとその効きも悪くなってき ている。 魔力抵抗というのは自身の意思で下げることができる。俺に連れ られて転移や、セティエの回復ができるのもこのおかげだ。 しかし時術と魔力抵抗の引き下げという二種類の精神を集中させ る必要がある行為を同時に行う、というのは本来大変なことなのだ。 何度もしていればその精度も落ちるし、攻撃の嵐の中で発動すれ ば、自身の魔力抵抗が低ければ魔法の攻撃を盛大に食らう。そうで なくとも集中が困難な状態で、悪魔もいれば気などぬけるはずもな い。 邪神はじわじわとその力を削られていった。 当初は鼻歌交じりに魔法を扱っていた余裕もなくなり、今は肩で 息をしている。 どこの王族かという豪奢な服装もすりきれ、焦げ付き、ところど 1938 マシンナーズ ころ破れて見るも無残な姿になっている。 誰もが希望を持ち始めた。それは機械族であっても同様だろう。 アークディアも積極的に攻撃に参加しはじめ、ウタとサーシャさ んの連携水龍なんかも見られた。 そう、油断したのだ。 だから、邪神が余力を残していたことに気づかなかった。 空間術の危険さを誰よりも理解しているはずの自分がそれの対処 をしていなかったのは失態だった。 邪神は追い詰められ、懐から黒い宝玉を出した。 切り札、というと聞こえがいいが、少しだけ余力を残すだけの宝 石。巨大な宝石を自身の出力を数割あげるために使うという非効率 さに人間世界では実用性がないとされる。 しかしそれも邪神ほどの者が使えば話は変わる。 ﹁何をする気だ!﹂ まるで別世界のような空間接続。ギギギギと擦れるような摩擦音 が耳をつんざく。無理やりにこじ開けた音だ。 巨大な裂け目の向こうには、暗い漆黒が広がる。塗りつぶすよう な闇の中には散りばめられた宝石のようにまたたく無数の光があっ た。 この光景を俺は何か知っている。 ﹁みんな、逃げろ!!!﹂ 多分、俺は人生で一番叫んだかもしれない。 全員を転移で逃がした。一人を除いて。 残ったのは俺だ。確かにここで全員で逃げたとしても、空間が接 1939 続されてしまった以上逃げ場などない。ならば誰かが残って邪神を 食い止め、この裂け目を閉じなければならない。 というのが意識的だったのか、それは単なる後付けの理由でただ ただ自分まで逃がす余裕がなかったのかは今となってはわからない。 ・・・・・ ただ、無意識に﹁大丈夫だ﹂という感覚はあったかもしれない。 だってそうだろう、自己犠牲なんてらしくない。 かつてない力が俺の体を襲う。 そう、この先は宇宙だ。空気も重力もない、全ての生物が生存不 可能とされる絶対零度と気圧ゼロの虚無の世界。 俺は風魔法が使えない。波魔法で操れるのは波だけだ。空間固定 で必死に抗うも、俺自身が固定できなければそれは意味をなさなか った。 邪神は残る力を使って、重力魔法と空間術の複合、擬似ブラック ホールに近いものを作り出したのだ。重力の中心は裂け目の向こう へと設定されており、空間の歪曲と接続によって宇宙空間へと全て が誘われる最悪の自爆術式。ねじ曲がってグニャグニャの空間の外 へ出ようとしても、うまく空間転移が通じない。 圧倒的な力。それは個人の力では抗いようもない災害。 知っていたはずだ。自らはこの世界そのものの中では弱者だとい うことを。 手がするりと離れる。 そして俺は空間の裂け目の向こうへと引きずり込まれていく。 こいつがいなくなれば、あやつらの こいつさえいなければ⋮⋮!!!﹂ ﹁はははは⋮⋮やったぞ! 士気はガタ落ち!! 狂ったように笑う邪神にどうしようもなく腹が立って俺は腕を伸 ばした。いや、届きすらしなくて、空間接続で邪神の腕をかろうじ 1940 てつかむ。 ﹁お前も来いよ﹂ 口の端を釣り上げて、空間術を全てそちらに割いて邪神をそのま ま連れ込む。俺が逃げられずとも、それぐらいはできた。 邪神は何か喚いて魔法を使おうとしているようだが、抵抗虚しく 裂け目に一緒に引きずりこまれた。 俺と二人、裂け目の奥へと消えて、裂け目は術者がいなくなった ことで閉じた。 誰もおらず、戦闘の爪痕が痛ましいまっさらな場所だけが残った。 1941 VS邪神 しゅうけつ︵後書き︶ レイルが邪神とともに宇宙空間へ。 どうなるレイル! どうなる邪神! 1942 邪神と孤独と永遠の虚無と︵前書き︶ 主人公がピンチで覚醒したりしない。 何故かわからないけど生き残ったりしない。 そこには﹁運﹂よりなにより、何かしらの意思とこれまでの全てが 絡み合う。 戦いとはエネルギーの奪い合い、意思のぶつけ合い、存在証明と、 自己規定。 1943 邪神と孤独と永遠の虚無と 邪神は風魔法で地球にあった大気の塊を自らの周囲に纏うことで 一命を取り留めていた。巨大な大気の塊はうっすらと光を反射しつ つ、広大な宇宙の中で羊水のように邪神を抱えているようにも見え る。 生き残ってやったぞ! 後は戻るだけだ。何度で 肩で息をしながらも邪神は歓喜の声をあげた。 ﹁どうだ! もやり直してやる。なんならあいつらが老いぼれたところを⋮⋮﹂ 徐々に回復しだした脅威の肉体に余った魔力を迸らせて叫ぶ邪神 の背後から話しかける。 ﹁戦いに今度なんてねえよ。甘いこと言ってんじゃねえよ﹂ 一命を取り留めたのは邪神だけじゃなかったってことだな。 邪神がお決まりの﹁どうして貴様が生きている!﹂といった旨を 原稿用紙二枚以内にまとめてくれたが、そちらは聞くに堪えないの でスルー。 俺が助かった理由は簡単。俺が装備している数少ない防具のおか げだ。 水色を基調として緑の模様が入った、透明感のある布きれ。防具 としてはないよりマシなとさえ言われそうな衣服の名前は﹃水神の 羽衣﹄という。かつてアクエリウムにて、その価値を正確に理解さ れずにお土産と渡されたそれは、体の周囲の気圧、水圧を一定に保 ち、液体が体内へと侵入することや逆に体内の大気が膨張、収縮す 1944 ることを防ぐ一級品の魔導具だ。ついでに魔力によらない温度変化 も防いでいる。気圧の変化は温度の変化だ、気圧を制御する副産物 としてその結果があるのだろう。深海でも無事に過ごせるという、 神の名に負けない俺の唯一の防具。 まさか、本当に気圧ゼロさえも調整してみせるとは。 構造そのものは単純だが、こうして命を救ってくれている。こん なことなら、全員に着せてくればよかった。普段は空気中の魔力を 使っている以上、時間が経てば効果をなくしてしまうかもしれない。 だがそれより前に確実に邪神の風魔法が切れる方が早い。 そうでなくとも、邪神自身がそのような決着を待っていられるほ どに冷静ではないだろう。宇宙空間という人知の及ばぬ虚無の中で、 何故か生きている目の前の生物に少なからず取り乱しているはすだ。 俺たちな自然な流れで剣を交えていた。空間を捻じ曲げ、あるべ き場所には剣がない。互いに複雑に絡み合った空間が交錯して、衝 突するたびに振動を伝え合う。 ﹁世界を統べるのは貴様ではない!﹂ ﹁もちろん﹂ 転移が繰り返され、互いの力をぶつけ合う。 自身の動きと逆向きに魔法を放ちながら戦う邪神とは違い、座標 固定で相対する俺の方がいくらか効率は良い。それだけでなく、邪 神はこれまでの戦いで多大な消耗を強いられてきた。最後の一手で もおかしくはない大技の直後に、多少回復したからといって戦いつ づけることは難しい。 後は時間の問題だ、とは思ったものの、そういった感覚が先ほど のミスを招いたのだ。 1945 首、眼球、背中、足に手と相手の戦力が削れる場所を選んで攻撃 を仕掛けていく。 空間把握がなければ、上下左右の区別もないこの空間で気にする 必要があるのは周囲を飛び交う謎の波長の数々。そして浮遊する小 惑星などに当たらなければ問題はない。波属性がなければ死んでい たのかもしれない。 遥か彼方まで続く漆黒に点滅するかのような恒星の散りばめられ たラピスラズリのような空間が周囲を取り囲む。空間把握と波魔法 の組み合わせでダイレクトに脳内に映像が届き、つぶさに観察でき る。 この世界に二人しかいないようだ。 事実、地球はかなり遠い。空間把握をかなり広げてようやく方角 がわかる程度でしかない程に。空間転移のない状態でここにいれば さぞかし絶望できたのだろう。 ﹁飽きねえな。でも﹂ 再び両者が激突する。闘志と闘志、剣と剣、術と術が相手を削り 合う。 ﹁ほざけ﹂ 互いに余裕などない。フルに脳と精神を酷使して、極限の世界を 見ている。アドレナリンが目に見えなくてよかった。きっと脳内麻 薬に溺れてしまいそうだろうから。 危険な状態であることには変わりないが、俺はどこか高揚してさ えいた。 戦いが楽しいのではない。全力を出せることにでも、世界を救え 1946 ることにでもない。ましてや邪悪を滅ぼせることになどでは決して ない。 それは、邪神の目にあった。焦燥も、絶望も、優越感も、嫉妬も、 憎悪も諦観さえもがそこに。混沌とした感情が邪神の目に渦巻いて いる。 相手の全てを手に入れたような全能感が全身を支配していく。邪 神の目には自分しか映っていない。これはきっと、人の本性に秘め られたどろどろとした醜悪な感情の派生にあるものだ。独占欲とも 支配欲とも違う、まるで承認欲求だ。 この感情を共有できてはいないのだろうか。 ﹁なあ、邪神。どうして俺を一番敵視してたんだ?﹂ 確かに結果論から言うならば俺が最後までこうして邪神の前に立 ち塞がっているわけだし、空間転移と把握の最も熟練した俺がいな ければここまで粘れなかったかもしれない。だが脅威度だけならば、 味方の鼓舞をできる奴や、守りきれる聖女とか、もっともっと強そ うな奴がいたはずだ。 邪 神と呼んだことに。正 と、ここまで問いかけて自身の気持ちにも気づく。邪神は自分で 邪神と名乗ってはいないのに、最初に 義ではないといいながら、心のどこかで世界を滅ぼせる者を邪悪と 捉える感性が、そうしたい願望のようなものがあったことに。 ﹁何故そんなことを⋮⋮いや、いいだろう。最初からずっと、貴様 だけは我を見ていなかったのだ﹂ 一瞬、邪神の言っていることがわからなかった。空間把握でしか 視認していないことならば最初からではないし、そんなことは俺を 敵視する理由にはならない。 1947 ﹁全ての者が、我と相対すればその胸中に様々な感情を抱えど、視 界の中心に、目的の最終地点に我を見ていた。貴様の仲間とやらが 我を倒すことを目標としていたように﹂ 本来ならば声の届かぬ二者の間を、空間魔法で空気のある範囲同 士を繋いで波魔法で補助して聞きとる。 ﹁癪に障るものだ。まるで通過点のように扱われるのはな。貴様は おそらく敗北してなお、目的を達成する。この我を、戦いを、全て 手段として利用することしか考えていない。勝てる勝てないなどで はない、生かしておいては駄目だと警鐘が鳴り響くのだよ、貴様の ような相手はな⋮⋮﹂ そうか。それは良かった。邪神も同じ感情を抱いていたわけだ。 相手の魂に自身の存在を刻み込むようなことに対しての執着と、生 と死の向こう側にあるような、どうしようもない最低の欲望を。 所詮違ったのは、満たされた側か、満たされていない側か、の話 でしかなかったのだろう。 どす黒くその心を染めて、相手に自身を認めさせるような削りあ いはその後しばらく続くこととなる。 今の俺はある意味どこまでも誠実と言える。挑発もしなければ、 嘘もつかない。心理戦を一切持ち込まずに演算に全てを注ぐ。全力 の戦いは、皮肉にも邪神の語った心情がどこまでも真実であると俺 に知らせる。 剣と剣でわかりあう、なんて少年漫画の代名詞││││││あん なに馬鹿らしいと思ってたのにな。 だんだん何をしているのかすらわからなくなり、限界が近づいて くるのがわかる。 1948 ﹁準備が整った﹂ 邪神が急にそんなことを言った。 気がつけば、真っ白な空間に連れ込まれていた。そう、これは以 前に貴族たちを拷問するために俺が使ったのと同じ亜空間だ。亜空 間そのものには何かを傷つける要素は全くない。むしろ。 ﹁ここには空気が用意されてるのかよ﹂ そう、亜空間はあくまで自身の想定する通常の空間を基準とする。 相対座標が自転の影響を受けないのと似たようなものだ。つまりは 実際の比率や本質とは無関係に、地球と同じ酸素と窒素が一と四で 入っているような気体が一気圧で入っていると思われる。まあ吸っ た感覚に違和感がないからの発言なので本当かどうかは微妙か。と はいえ、空気があるだけでだいぶ違う。気圧調整が楽になり、水神 の羽衣の魔力切れも心配いらない。 まあこれで、邪神の粘り負けのいう線がなくなったというわけだ。 ﹁この空間で決着をつけてやる。我が負ければ貴様は出ることはで きないがな﹂ 脱出の方法? そんなものは倒してから考え 邪神も限界が近い。自身の負けを想定したような発言をするのは 珍しい。 出られない? ればいい。当てはないでもない。ただ、成功するかはわからないが。 ゆっくりと目をあける。ただ、そうした方が良いと思っただけだ。 周囲を白が塗りつぶしており、先ほどとはものの見事に対照的であ る。重力はあるような、ないような。何もしなければ地面にいるが、 どこかにいるからといって下に引きつけられるような感じはしない。 あえて表現するなら、いる場所が本来いるべき場所のような感じだ。 1949 宇宙空間の無重力よりは何かに向かって立っているような感触はあ る。 俺が空間把握を使えるのはわかってんだろう ﹁何もない、何の邪魔も入らん﹂ ﹁今更騙し合い? ?﹂ そう、ここには不可視の空間の壁があちらこちらにあって、ただ 歩くだけでは真っ直ぐに進めない。おそらく創造主である邪神には どこにどんな形であるかわかっているのだろう。俺は空間把握でそ れを避けて攻撃しなければいけない。 やはり邪神は強い。かなり削って、おそらく邪神自身もそう思っ ているはずだが、それでもなお莫大な力を残している。当初の先が 見えない存在感は消えている。だが一体どれほどの人数とどれほど の技量で上回ればこれを削り切れるというのか。 そしてさっきから圧倒的不利な場所に連れ込まれていることは否 めない。元来、自然や敵の境遇などを利用して戦う自分にとって、 何もない場所というのは非常に厄介だ。 頭がガンガンと痛い。疲労が出ているのだろう。二日酔いは知ら ないが、多分こんなものだ。一番近いのは初めて空間術を会得した あの場所での経験だが、そんなものは俺だけしか知らない感覚だ。 考えろ。何もない場所でなお、打てる手はあるはずだ。 敵の目を見て、現状を整理して頭をフル回転させる。 なんだ、利用できるエネルギーが目の前にあるじゃないか。 ﹁これで││││詰みだ!﹂ 邪神の魔力抵抗が擦り切れていた。ボロボロで、本来の力の一割 どころか一分も出せていない状況で、どこに何の手を打てば、一撃 1950 で仕留められるか。そう考えた時に答えが出た。 相手に直接干渉すればいい。唯一俺が邪神に勝る空間術、擬神の 核を取り込んで得た最悪の術式を相手に、相手の周りにかける。本 来ならば通じないほど魔力抵抗があったが、それももう過去のこと だ。 絶対座標固定。強制力では結界並みに異常なこの術式は地上では ・・・・ 動けないだと!﹂ 大規模破壊にしか使えない。そして俺はこのために使うエネルギー を邪神から借りる。 ﹁なんだこれは! 邪神が何かしらの行動を起こそうとすると、そのエネルギーを使 って邪神を固定する。邪神が動こうと自身に与えた運動エネルギー を固定するために使うのだ。結果として邪神は何もできない状態に なる。 いくら空間術に長けていたからといって、邪神相手に一発で成功 させられるわけがない。ここまで消耗させたからこそ、抵抗力がな くなっていたのだ。 邪神は自分の置かれた状況が時間と共に自身を苛むことを理解し、 これを解け!﹂ そして慌てた。 ﹁おい! ﹁断る﹂ 戯れに邪神の頬を切り裂く。つつぅと血が流れて、悔しさに歯噛 望みをなんでも叶えてやろう。なんなら貴様を我 みする邪神を固定したまま上?から見下ろす。 ﹁わかった! が隣に立つ唯一の生物、いや、我が貴様の配下に下ってもいい。敗 者は勝者に従うものだ。許せないというなら謝ってもいい⋮⋮﹂ 1951 ﹁ん? 我を憎んではいないのか? なんで謝る必要がある?﹂ ﹁何⋮⋮? 怒りはないのか?﹂ ﹁なあ、例えばだけどよ、持ってる剣で木を切ろうとして、自分の 手を切ってしまったとするじゃん。そん時にお前、自分の手を切っ た刃物を怒ったり憎んで壊すの?﹂ ﹁何を⋮⋮言っている?﹂ ﹁だからさ、俺にとって敵っていうのは道具なわけ。道具の使い方 を間違えたり、道具が自分を傷つけたからってすぐに不良品扱いし て捨てるわけねえじゃん。意思を持って、場合によっては愛着が湧 いたり、自身の仲間になるかもしれないけど﹂ 剣を向けたまま続ける。 ﹁お前は最初から間違えてねえよ。お前の考えはお前の考え。ただ 俺と違う、ってだけで﹂ ﹁じゃあ助け││││﹂ ﹁あげない。重すぎて持てない剣は捨てていく。悪用されかねない いつか貴様に、貴様が 産業廃棄物は遥か地下に埋める。お前は強すぎて、俺たちの未来の ためには使えない﹂ ﹁何百年かかってもここから出てやる! 死んでいてもその末代まで、一族郎党根絶やしにしてくれる!﹂ ・・・・ 時間が経たないようなこの空間で時間の尺度がどうなっているの か甚だ疑問ではあるが、このままだと邪神が封印を解くにはかなり の時間がかかるに違いない。 ﹁させると思ってるのか﹂ 俺は邪神の目の前に立った。何気無く言うことでなおさらに相手 の絶望感を煽って増大させる。ハッタリのように大袈裟にするわけ 1952 でもなく、もったいぶるわけでもなく淡々と事実に限りなく近いこ とを思い知らせる。 ﹁お前はここで、力を失って抜け殻となって存在と自我が消えるそ の時までずっと自身の作った亜空間で孤独と虚無に囚われ続けるん だ﹂ かつてないほど弱った邪神が怯えるような目で見上げてくる。 そう、その目だ。俺が肩を叩いただけで怯える一般冒険者なんか よりもずっと実体験に基づく恐怖。何をされるのかとビクビクしな がら俺の一挙一動まで追い続けようとしている。 知らない、ということが恐怖なのだとしたら、異世界の知識を抱 えて歪に成熟した俺のことはさぞかし怖いに違いない。 ﹁なあ邪神。もっと別の形で出逢えていれば、俺たちは仲良くなれ ただろうな﹂ 俺は邪神に手を伸ばした。ゆっくりと、指が邪神のその顔の前へ と到達する。決して俺の指は綺麗なわけでもなければ、俺自身が筋 肉質で威圧感があるわけでもない。ただそこにあるのは、これから する作業へ向けた想いとこれまでの戦いの余熱のみ。 何もない、形だけがいびつな亜空間に邪神の絶叫が響きわたった。 1953 邪神と孤独と永遠の虚無と︵後書き︶ 次回、最終回 1954 弱者は正義を語らない︵前書き︶ 最終話です。 弱者も強者も正義など語ることはできない。 絶対の基準などどこにもなく、個性によって個人の行動は決められ ていく。 1955 弱者は正義を語らない 私は離れたところでずっと見ていた。 レイルくんが魔法で邪神を黒焦げにするところも、レイルくんが グランさんを転移させるところも、みんなが集結したところも全て。 そして、レイルくんが何か叫んだかと思うと、全員がその場から 消えた。そのあと、レイルくんが裂け目に邪神を掴んで一緒に消え るところまで。 私にはどうすることもできなかった。 邪神が黒い玉を取り出した瞬間、その球を砕いていれば何か変わ ったのだろうか。いや、あれは割ることそのものに意味がある。⋮ ⋮いや、言い訳はよそう。私が弱かったんだ。私にもっと先見の才 があれば、私にもっと力があればレイルくんを救えたのに。 誰もいなくなった平原で呆然として今の状況を考える。いや、考 えられてなどいない。目の前で起きたことを理解することも受け入 れることもできてはいなかった。 手元にある巨大な銃を見た。長く、三脚で固定されたそれを見る と無性に虚しくなった。 レイルくんなら、空間転移があるのだから戻ってこれるはず。 そう自分に言い聞かせるも、あの時裂け目の向こうに見えた光景 に心当たりがある。以前、レイルくんが空の向こうに何があるのか と語り聞かせてくれた、その特徴そのままの夜空のような光景がそ こにあったのだ。 もしも私の予想通りだとすれば⋮⋮あの場所でレイルくんは生き 残れない。風魔法が使えない。こんなところで、属性が万能じゃな い弊害が出るなんて。 1956 どれぐらいの時間をそうしていただろうか。 ずっと、キノさんとデウス・エクス・マキナさんが側にいてくれ た。何も言わず、ただ隣にいるだけの二人の気遣いが嬉しかった。 無慈悲な太陽が沈みかけている。夕陽はどうして赤いのか楽しげ に教えてくれた時のことを思い出してしまった。あの話を聞いてか ら、夕陽がもっと好きだったのに。どうしてか今は全然色づいては 見えない。 まだ何が起こったのかわからない。レイルくんは今どうしている のかも、生きているのかどうかも。でもまだ帰ってこないことを見 ると、邪神を倒して無事だなどと楽観視はできない。 レイルくんの思考をなぞる。大切な人が、いなくなった時は⋮⋮ そうか、レイルくんはこうならないためにずっと剣を振って、魔法 を鍛えて、思考をやめなかったんだ。手段を選ぶこともなく、人か らどう言われようと曲げなかった。 もっと、もっと平和に暮らせたはずなのに。貴族の養子になれた なら、可愛い女の子何人かと結婚したり、便利なもの作って売った り、そんな暮らし方もあったのに。と女の子のくだりでその中に自 分がいなければ、と思うときゅぅと胸が締め付けられる。今は意味 のない仮定だけど。 こんな時、どうすれば。 ﹁後片付け、しなきゃ﹂ 私はノロノロと立ちあがる。 レイルくんの頑張りを無駄にしないように。これからのことを考 えなきゃ。 レイルくんが帰ってきたときに、一人でも頑張れる、だから側に いさせてって言うために。 キノさんとデウス・エクス・マキナさんに連れられてその場から 1957 去った。 ◇ レイルがいなくなって一ヶ月が過ぎた。 邪神に従っていた魔物たちとの戦いは各地に多大な被害をもたら した。とはいえ、一度に大量の魔物を駆逐したことでその後の魔物 の被害は一旦減少した。だが、生態系が大きく狂ったことと、縄張 り争いにバランスがあった魔物たちの中でも強い個体ばかりが生き 残ったことで魔物の被害の種類がこれまでとはガラリと変わり、そ の対応を迫られた。 戦いを通じて完全にわだかまりが解けたわけではないが、獣人や 魔族、妖精など多種多様な種族の中にも他種族と交流を深めようと いう動きは活発になってきている。 やはりその中心となって、現在最も急成長を遂げている都市とい うか、国はユナイティアである。 商人の出入りが激しくなり、経済が活性化したことで開発が進ん だ。 ユナイティアでは、そんな現状に邪神の危機が過ぎ去ったとばか りに浮かれる大衆を尻目に一人黄昏れる少女がいた。 ﹁なあ、アイラ、いい加減に元気出せよ﹂ 1958 話しかけたのは冴えない魚人の青年だった。彼の名前はオークス。 これでも一国の王であった。 ﹁みんなお前のこと心配してんぞ。ロウにカグヤに、ジェンヌにア ランもドレイクもみんな匙を投げたって聞いて何故か僕が呼び出さ れたよ﹂ そう、アイラはあれから無感動に作業をこなすだけの生活をして いた。 必要だから食事をとり、必要だから復興の手伝いをしている。そ れは確かにアイラの意思だが、まるでレイルがいない今、楽しむこ とをあえて避けているかのようであった。 ﹁どうせ、私に出て欲しいパーティーとかもあるんでしょう﹂ ﹁そりゃあね。ねえアイラ。君が今、どんな立場がわかってる? レイルが邪神を倒して討ち死にした││││﹂ ﹁レイルくんは死んでなんか⋮⋮﹂ アイラは言葉を濁した。レイルが帰ってこないとしたら、その理 由に最も心当たりがある彼女だから。 ﹁わからない、よね。だからさ、君も邪神討伐隊の中に入ってたこ とはわかってるんだ。奇妙な武器で何度も邪神を攻撃していたこと もね。英雄の仲間入りだ。一番の立役者であるレイルの仲間ってこ とでどんどん株が上がってる。ひっきりなしに公の場へと招待され てるんだよ﹂ ﹁レイルくんが倒したのに、私が我が物顔で出られるわけ⋮⋮﹂ そう言ってアイラは顔をあげた。 1959 そしてオークスの顔を見て何かが引っかかる。 ﹁ちょっと待って﹂ ﹁えっ、なに?﹂ 急に浮ついたような声で顔を輝かせはじめたアイラに、何が原因 でそうなったのかわからずオークスはひたすらに困惑した。 えっ?﹂ 絶対帰ってこれる! どれぐらい ﹁そうだ⋮⋮そうだよ。ありがとうオークスくん!!﹂ ﹁何が? ﹁レイルくんは生きてる! 時間がかかるかわからないけど帰ってくるよ!﹂ ﹁う、うん。元気が出たなら何より﹂ そのとき、二人のいた部屋の扉が叩かれる。 アイラは誰かも確かめずにその扉を開けたのであった。 ◇ 俺は久しぶりの地球を遥か上空から見下ろした。 俺がこうして帰ってくるために繋いだ空間の穴はしばらくの間、 不安定なままで、俺はそれを通り抜けるのを控えて安定させるため に頑張っていた。 すると、あれよあれよと世界中にそのことが伝えられて大騒ぎに なったらしい。とは後で聞いたことである。 ユナイティアの上空から降り立つ。見張りを立てていることもあ り、すぐに見つかってしまう。 1960 すると、たくさんの人がこちらに向かってくるのがわかる。しか し居住区からは結構な距離がある。肉眼ではあまりよくわからない 程度には。 魔物をゴミ屑のようにはねとばしながら、一切傷つけずに人外の 速度で迫ってくるミラが遥か遠くにいるのを空間把握で認識する。 ややおっとりというか、はしたなくなるのを避けてか馬車を使っ てこちらに向かってくるのは懐かしい双子。 時術まで使って二人で駆けつけてくれるのはおそらくはあの夫婦。 忘れるはずもない。懐かしい面々。 魔王も知らせを受けた瞬間に転移してきたらしい。 ユナイティアに逗留していた、邪神討伐隊の残りもいる。 だが、馬車を使ったレオナとレオンよりも、人外の速さを誇るミ ラよりも、一番最初に俺の元へと現れたのは。 ﹁レイルくん!!﹂ 紅い髪の少女であった。 アイラは俺に向かって速度を落とすことなく突っ込んでくる。ま あ俺も体を鍛えてはいたわけだから、人一人、しかも女の子の華奢 な体ぐらい受け止められる。 どん、と衝撃が胸に心地よい。足元に広がる大地の柔らかさも、 頬を撫でる風も、木々や草花の匂いも全てが新鮮で懐かしかったけ ど。何より懐かしかった人肌に思わず抱きしめてしまう。触り心地 のよい髪を撫でて、互いに顔を肩にうずめあう。 ﹁待ったんだから⋮⋮﹂ 1961 ﹁いやあ。邪神から引っ張りだした擬似核を飲んで邪神の作った亜 空間の解析に時間がかかったんだよ﹂ ﹁それだけではないじゃろ﹂ まあ疲れすぎて時間感覚が違うのも忘れて 次点で到着したミラがからかうように言った。 ﹁ははっ、ばれた? 少し寝ちまったんだよ﹂ ﹁許さない﹂ ﹁ごめんごめん﹂ ﹁のう。お主が死んだらわしもわかるがの、永遠に封印などされて おったらわからんからの。しっかりと戻ってくるのじゃ﹂ ﹁心配⋮⋮したんだから﹂ ﹁もう安心しろよ。邪神は自身の力で自身の作った亜空間に閉じ込 められているよ。空間転移と水神の羽衣があるんだ。どこからだっ て帰ってくるから﹂ いつの間にかレオナ、レオン、カグヤにロウ、リオが到着してい た。 ﹁おお、レイル。久しぶりー﹂ 負けましたわ! だから馬を急がせなさいと何度 ﹁あんたがいなくなって大騒ぎになったんだからね﹂ ﹁遅いの﹂ ﹁ああっ! も!﹂ しかし速度を上げすぎれば姫様のお体に ﹁レオナ。お前は少し御者を気遣ってやれ﹂ ﹁滅相もありません! 負担が⋮⋮﹂ 1962 ﹁ご、ご無事でなによりです! にでも休憩のご用意を﹂ ﹁少しは再会を喜ばせろって﹂ それから次々にやってきた。 ささっ、お疲れでしょう。すぐ ユナイティアで俺のことを待っていたのはアイラたちだけではな かったらしい。 カレンやキリアもやってきた。 そして、みんなの方を向くと自然との言葉がこぼれた。 ﹁ただいま﹂ みんなもまた、まるで口を合わせるかのように同時に。 ﹁おかえり﹂ そう、帰ってきたんだ。 心配、かけることができていたのだろうか。 だとしたら不謹慎だけど、すごく嬉しい。 飛びついてくる奴らに揉みくちゃにされながらそんなことを思う。 俺も晴れて勇者様︵笑︶か。いろいろあったもんだ。強さを戦闘 の結果だけで見るなら、俺は多分強くなったのだろう。 ただ、勝利を誇るような感覚はない。あるのはなんともくすぐっ たい幸福感と、仲間の顔を見ることができた安堵だった。 あれは所詮ただの生存競争だ。世界を救うとか、仲間を守るとか、 そんな耳当たりよく理由を付けるつもりはない。 もしもの話などない。結果としては実ったが、途中まで実らなか 1963 った努力だってしてきた。これからもどんなことがあったとしても 手段は選ばないだろう。たとえ何度同じ場所に生まれ変わったとし ても、きっと同じ選択を選び続ける。何度も間違え、失敗しても、 その選択の積み重ねが今の俺を形作っている。 人は誰もがどこかで自分を正当化したがっている。俺は自分を正 しいなどと言えるはずもない。語る正義など持ち合わせていないの だから。そう、俺はどこまで敵を倒せても、どれだけ心が折れずと も、人としていつまで経っても弱者のままだ。自分個人の利益を考 え、人を傷つける。そして罵倒されるのだ、最悪、最低だと。 罵倒も賞賛も受け止めよう。弱者は正義を語らない。いや、強者 もまた正義など語れやしないのだから。 1964 弱者は正義を語らない︵後書き︶ 次のあとがきで最後です。 1965 後書き︵前書き︶ やめたやめた! もう焦れったいので投してしまおう。 一時間なんて待ってられますか! 1966 後書き ∼最悪で最低の異世界転 一応挨拶としては﹁はじめまして﹂を使わせていただきます。ど うも。この作品﹁弱者は正義を語らない 生∼﹂の作者であるえくぼと申します。 長らくお付き合いくださり本当にありがとうございます。 お礼と番外編や設定集などのお知らせを兼ねての後書きとなって おります。 この作品は私にとって初のオリジナル長編作品ということになり ます。これまでは短編などはあったのですが、ここまで長い作品を 手がけたのは初めてです。 だからこそ、やたらと目標が多かったように思われます。できる だけ定期的に早く更新する、長く続ける、完結させるなどの更新そ のものに対する目標も数多くありました。 この作品の前身についてはまた違うところでとしましょう。 気がつけば200話。文字数にして70万オーバーというかなり 長い作品となっております。これはキーワードを絞るならば完結済 みの中でもかなり長い作品となっていることでしょう。ここまで読 んでいただいた方には関係ないことなのかもしれませんが、長さに 尻込みせずに気軽に見ていってもらいたいものです。 どうですか?楽しんでいただけましたか? と聞きたいところですが、以前の感想欄でのやりとりで愚問とい うことであえて自惚れて言うならば、楽しんでいただきありがとう ございます。 1967 しばらく長い作品に手を出すかはわかりませんが、とりあえずこ 完結! の作品についてはこの回にて完結とさせていただきます。 ビバ! エタるエタると騒がれる異世界転生物を更新停止させることなく 完結させてやったよ!とここに個人的な喝采をあげさせていただき ます。 どうぞ﹁調子のんな!﹂﹁あとがき寒いわー﹂と遠慮なく罵って やってください。 キャラクター紹介や世界観、魔法などの設定集に、後日談や学園 編などの解説本のようなものがあります。あと番外編も。 この作品はやたらと伏線が張られており、しかもわかりにくいか もしれないのでそういった解説なども需要があればさせていただき ます。 作品に込めた思いを本来ならば作品内で全て語り尽くせるように したいところでしたが、物語として綺麗に完結させようと思った時 にこれ以上のストーリーの詰め込みや引き伸ばしは冗長もしくは蛇 足であると愚考しましたが故の処置です。 この作品について作者自ら語るというものなので、ただ読んで楽 しかったーという余韻を冷ましたくないという方は控えた方が良い かもしれません。閲覧注意というものです。ただ、裏話から作り方 にいたるまで他の作品を読むときや書くときの参考にでもなればと 思っての執筆になります。もしよろしければそちらもお楽しみくだ さいませ。 http://ncode.syosetu.com/n7817 ck/ 1968 http://ncode.syosetu.com/n4567 cm/ 完結したから終わりというのはなんとも寂しいものです。 初のオリジナル長編ということで思い入れも深く、どうかこの作 品が多くの人に愛されたい、どうか、完結したその後も貴方の心の 本棚に残れますようにと願うばかりです。 ご愛読ありがとうございました。 なお、この作品のリメイクというか改稿版がカクヨムにて連載さ れます。 こちらもゆっくり改稿していく予定です。 1969 後書き︵後書き︶ えくぼ先生の次回作にご期待ください! って漫画とかだと書いてありますよねー 完結しても、何人のファンがいようと一人一人の反応に一喜一憂し ております。 どうかこれからもよろしくお願いします。 追伸:お祝いのコメントありがとうございます。嬉しすぎて泣きそ うでございます 現在は﹁屋上は今日も閉鎖されている﹂という学園ハーレムラブコ メを書いております。もしよろしければこちらもどうぞ。主人公が 非鈍感系、平凡な公立高校を舞台に幼馴染も転校生もいないラブコ メです。 この作品と同じく、スコ速にて取り上げられました。 1970 PDF小説ネット発足にあたって http://ncode.syosetu.com/n5764bz/ 弱者は正義を語らない ∼最悪で最低の異世界転生 ∼ 2017年3月21日05時07分発行 ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。 たんのう 公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、 など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ 行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版 小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流 ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、 PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。 1971