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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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農業の展開と農業者の人間関係に関する研究 -農業社会
学の視点から-( Dissertation_全文 )
秋津, 元輝
Kyoto University (京都大学)
1995-03-23
https://doi.org/10.11501/3080997
Right
Type
Textversion
Thesis or Dissertation
author
Kyoto University
農 業 の展 開 と農業 者 の 人 間 関係 に 関す る研 究
一農 業 社 会 学 の視 点 か ら一
秋津
元輝
目次
序 章
農 業 社 会 学 の構 想
1.経
営 問 関係へ の注 目
・ …1
2.農
業 経 営 学 の 限界
・ …1
3.ア
メ リ カ に お け るSociologyofAgricultureと
4.農
業 社会 学 の基本 視 角
・ …8
5.本
論 文 の 課 題 と構 成
・ …g
1)課
題 と分 析 視 角
・ …10
2)本
論文 の構 成
・ …10
第1章
日本 農 村 社 会 学
・ …5
稲 作 地 域 村 落 生 活 に お け る つ き あ い 関 係 の ネ ッ ト ワ ー ク と構 造 化
1.分
析 視 角 と して の つ き あ い 関 係
・ …15
2.調
査 村 落 の 概 況 とつ き あ い の 制 度
・ …17
1)難
波 の概 況
・ …17
2)制
度 と して の シ ン ル イ
・ …21
3)農
業 とシ ンル イ
・ …24
に み る つ きあ い 関 係 とシ ンル イ
・ …25
3.P家
1)P1の
父 の 葬 儀(1965年)・
2)p3とp4の
3)p1の
4.村
…27
結 婚(1974年)・
…30
入 院(1986年,1988年)・
…31
落 の なかで の シ ンル イ
・ …33
1)シ
ンル イ の 結 合 契 機 とシ ンル イ 数
・ …33
2)シ
ンル イ とオ コ ナ イ組
・ …39
5.ま
第2章
とめ と考 察
・ …41
稲 作 水 利 をめ ぐ る村 落 的 合 意 の 基 準
1.農
業 水 利 と村 落
・ …46
2.調
査 村 落 の概 況
・ …4g
1)概
況
・ …49
2)農
業 水利
・ …51
3.水
田 所 有 と耕 作 の 分 離
・ …52
4.農
業水 利 の維 持 管理 一内 的局面 一
・ …54
1)配
水管理
・ …54
2)共
同作 業
・ …56
5.土
地 改 良 区 総 代 の 性 格 一外 的 局 面 一
・ …58
1)第1期
・ …59
2)第H期
・ …61
6.村
落 運 営 と合 意 形 成
7.お
わ り に....66
第3章
・ …63
稲 作 大 規 模 借 地 農 の 出 現 と人 間 関係
1.借
地 と人 間 関 係
・ …71
2.び
わ町農 業 の動 向
・ …72
3.A氏
に み る 農 地 集 積 と借 入 契 機
1)A氏
2)農
4.B氏
1)B氏
2)農
5.農
・ …75
の プ ロフ ィール
・ …75
地 集 積 と借 入 契 機
・ …76
に み る 農 地 集 積 と借 入 契 機
・ …77
の プ ロ フ ィール
・ …77
地 集 積 と借 入 契 機
・ …78
地 貸 借 と人 間 関係
・ …79
1)借
地農 家 の社 会 的 地位
・ …79
2)農
地 貸 借 とシ ンル イ
・ …80
3)農
地貸 借 に よるつ きあい
・ …81
6.大
規 模 借 地 農 と集 落
・ …82
7.お
わ りに
・ …84
第4章
非 稲 作 地 域 に お け る 農 業 の 展 開 過 程 一 渥 美 半 島 地 域 を 中 心 と して 一
1.選
択 的 拡 大 と農 業 地 域 分 化
・ …86
2.渥
美 半 島 農 業 発 展 の2つ
・ …88
の条件
3.主
成分 分析 に よる地域 分 化 の類 型化
1)変
数 の 選 択 と分 析 手 順
2)1960→90年
3)変
の 変化 分析
化 パ ター ンに よる集落 の分 類
4)1990年
4.農
に お け る集 落 の 営 農 類 型 の 分 析
業 地域 の分化 過程
・ …8g
・ …89
・ …91
・ …92
・ …94
・ …g6
5、 お わ り に....g8
第5章
施 設 園 芸 発 展 地 域 に み る社 会 的 組 織 原 理
1.産
地 組 織 と文 化
・ …101
2.調
査 地域 の概 況
・ …103
1)産
地 発 展 と集 落 の 特 徴
2)2つ
・ …103
の ア ン ケ ー ト調 査 の 概 要
・ …106
3.施
設 園 芸 発 展 以 前 の 社 会 と慣 習
・ …106
4.産
地 を支 え る 人 間 関 係
・ …109
1)地
縁 の意 義
・ …109
2)横
軸 と して の 年 齢 原 理
・ …110
3)開
拓 集 落 との 比 較
・ …115
5、 生 活 上 の つ き あ い の 諸 相
・ …117
1)A氏
の オ ツキ ア イ
・ …117
2)B氏
の オ ツキ ア イ
・ …119
3)つ
6.人
第6章
きあ い 関 係 の ひ ろ が り
間 関 係 の3つ
の位相
・ …120
・ …121
新 規 参 入 農 業 者 の 生 活 と農 業 観
1.新
規 参入 農 業者 の 意義
・ …125
2.「
事 業 志 向 」 型 参 入 者 と 「生 活 志 向 」 型 参 入 者
・ …127
3.7人
の新 規 参 入者 た ち
・ …131
1)A氏
一兵 庫 県宍 粟郡 千種 町 一
・ …132
2)B氏
一兵 庫 県 氷 上 郡 市 島 町 一
・ …133
3)C氏
一兵 庫 県 氷 上 郡 市 島 町 一
・ …135
4)D氏
一香 川 県 大 川 郡 寒 川 町 一
・ …136
5)E氏
一香 川 県 仲 多 度 郡 琴 南 町 一
・ …137
6)F氏
一香 川 県 香 川 郡 塩 江 町 一
・ …138
7)G氏
一香 川 県 綾 歌 郡 国 分 寺 町 一
・ …140
4."小
宇 宙"と
第7章
して の 農 業 生 活
韓 国 農 村 に お け る農 業
・ …141
「担 い 手 」 変 動 の パ タ ー ン ー 流 動 性 の 高 い 村 落 シ ス テ ム
の 例 と して 一
1.離
農 現 象 と 「担 い 手 」 変 動
2.忠
清 北 道 一 同 姓 村 落 に お け る 離 村,継
住,参
入
・ …147
1)調
査 地 の概 況
・ …147
2)氏
姓 の構 成 と同 姓 集 団
・ …149
3)離
村 者,継
・ …150
4)大
規 模 経 営 農 家 の 経 営 ・生 活 と意 向
・ …154
5)転
入戸 の定 着過 程
・ …155
住 者 と入 村 者
(1)JT氏
・ …155
(2)KH氏
・ …156
3.忠
清 南 道 村 落 に お け る 離 村,継
住,参
入
・ …157
1)同
姓 村 落 の 世 帯 数 変 化 と 「担 い 手 」 の 動 向
・ …157
2)各
姓 村 落 に み られ る流 動 性
・ …160
4.ま
終章
・ …145
と め と展 望
魅 力 あ る農業者 世 界 の提示 に む けて
・ …162
・ …166
序章
1経
農業社 会 学 の構 想
営 間関係 へ の注 目
社 会 関係 を分析 す る視 角 と して,ネ
な って きた 。 と くに近年,産
ッ トワー ク とい う概 念 が しだ い に多用 され る よ うに
業組 織 論,企
業組 織論 にお いて,経
済
産 業社 会 の新 しい秩
序 を分析 す る フ レー ム ワー ク と して声 高 に提 唱 され てい る こ とは周知 の とお りで あ るb。
ネ ッ トワー ク概 念 は社 会 学 の分野 で は一 般 に社会 的 ネ ッ トワー ク と呼 ば れて お り,「 最
広義 には,社 会 シス テム を構 成 す る諸 要素 間 の 関係 を指示 す る概 念 で あ る」 が,「 最 狭 義
に は個 人が 他者 とと り結 ぶ 関係 性 の総 体」 を さす 。 しか しい ず れ にせ よ,社 会 的 ネ ッ トワ
ー ク に よる分析 は ,「 集 団 を形 成 せず,個
人 中心 的,選 択 的で あ る よ うな関係 の分析 に適
してい る」 とされ る2)。 つ ま り,固 定 的 で宿 命 的 な集 団で は な く,組 織 を構 成 す る個 々の
単位(主 体)が
その組 織 へ の参加 を選 択 しうる よ うな,主 体 の 自由度 の 大 きい結 合 の あ り
方 をす くい とる分 析概 念 で あ る とい え よう。
この ような ネ ッ トワー クの視 点か ら農業 とい う産業 をふ りか え ってみ る と.従 来 の研 究
は,そ
もそ も個 別経営 単 位 を重視 し,経 営 外 部 との 関係 にあ ま り注意 を払 わ ないか,あ
る
い は外 部 との関係 を考 え る場合 に も固定 的 な集 団 との 関係 をお もな対 象 と して きた ように
思 われ る。そ れ ぞ れの研 究分 野 を対 照 的 にい えば,前 者 の代 表 と して農業 経 営学 が,後 者
の代表 と して 農村 社会 学 が あげ られ よ う。そ こで まず,前 者 の農 業経 営学 につ いて,そ
にみ られ る関係 性=経
こ
営 間 関係3)の 扱 わ れ方 につい て検討 したい 。個 別 農業 経営 内 にお け
る人 間関係 の 変化 も今 日的課 題 と して重要 で あ るが,家 族 経営 が 主体 の わが 国農業 にあ っ
て は,そ れ は家 族研 究 と接 合 され るべ きで あ り,こ こで の 関心 で ある ネ ッ トワー ク的 関係
とはや や焦 点 がず れ る.対 象 をさ しあた り経営 間 関係 に限定 す るの はそ の ため であ る。
2農
業経 営 学 の 限界
農 業経 営学 は,基 本 的 には個 別経 営単 位 を対 象 と して きた。経 営 問 関係 は,個 別経 営 が
と くに生 産機 能 の 一部 を共 同化 してい る場 合,す
なわ ちい わゆ る農業 生 産組 織)を 構 成 し
てい る場 合 に のみ 配慮 されて きた とい える。 こ う した点 につ い て まず,金
沢 夏樹 著 『農業
経 営学 講 義』5)を 取 り上 げ検討 してみ た い.
この著書 で は,全16章
い る。 そ の うちの1章
の うち2つ の章 が共 同化 あ るい は生産 組織 の 記述 にあて られて
におい て は共 同化 を考 え る際 の要 点が 述べ られて お り,本 論 の 関心
1
か ら整 理 す る と,そ れ らは2つ の共 同化(集
団化)の
態 を指摘 してい る。共 同化 の契機 の第1は,農
性 を もつ土 地,水
契 機 と2つ の共 同化(集
団化)の
形
業 生 産技 術 上 の契機 で あ る。 これ には公共
に関す る共 同や,平 準 化 され やす い作 業 の共 同な どが含 まれ る。第2の
共 同化 の契機 は,市 場 対応 のた め に生産 物 の質 と量 を確 保 す る必要 性 で あ る。農協 の作 目
別部 会 な どが それ にあ た る。 一 方,集
団化 の2形 態 と して は,エ
集落6}を 単 位 と した全階 層 的集 団型 が あ げ られてい る。 また,そ
リー ト集 団型 と,と
くに
れ に続 く章 で は農業 生産
組織 が 取 り上 げ られ,以 上 に述べ た共 同化 の契機 と集 団化 の形 態 に 関す る整理 を も とに,
生 産組 織 におけ る個 と集 団の問題 が 論 じられ てい る7)。
共 同化 の契 機 につ い て は,生 産面 を中心 と した経営 問 関係 の捉 え方 を越 え る と ころは な
い 。生産 要素 の公 共性 や作 業 の技術 的性 格,販 売 面 で の共 同化 な どが述 べ られて い るが ,
い ずれ もそ れ らが生 産過 程 におけ る共 同 に反映 され る限 りにおい て問題 に してい る。 この
視 点 は経 営学 とい う学 問分 野で あ る以上,け
だ し当然 とい え よう。 共 同化 の形 態 につい て
もそれ に応 じて簡 単 な分 類 とな ってい る。
しか し,こ の金 沢 の著 書 には経 営 問 関係 を考察 す る場 合 の ヒン トも述 べ られて い る。 そ
れ は,組 織論 を農業 生 産組織 分析 へ 安易 に適用 しよう とす る こ とに対 す る批 判 の なか にあ
る。 金沢 は,現 在 の一般 組織 論が2つ
の問題 を意識 的 に捨 象 して い る と述 べ る。す なわ ち,
その ひ とつ は,「 純 粋 に人 間 関係 をと り出 す 目的の た め に機械,施
設 等 の生 産手段 の技 術
組 織 ない し生 産力 との 関係 をたち きって 考 えて」 い る こ とであ り,も う ひ とつ は 「組織 は
あ くまで 人間 の機 能 的 な関係 を取 り扱 うとい う理 由 か ら,人 間の社 会 関係,つ
ま り身分 関
係 や社会 制 度 的 な関係 はすべ て捨 て る とい う考 え方 にた ってい る」 こ とで あ る。 したが っ
て,組 織 論 的 な考 え方 を 「その まま生 の形 で」 農 業生 産組 織 の現状 にあ て はめ る こ とはで
きない と主張 す る。 さ らに社会 シス テム 的構 想 に対 して も批判 を くわ え,「 従 来 の慣 習的
共 同組織 につい て も,そ の社会 的歴史 的性 格 を捨象 して,組 織 機 能的 な面 だけ を抽 象 して
も意味 が大 きい とは思 われ ない」8》と述べ て い る。
以 上 の金沢 の批 判 は,経 営 問関係 を考 え よ う とす る本 論 に とって貴 重 であ る。 つ ま り組
織 論 を導 入 し よう とす る ポ ジテ ィブ な立 場 か らい えば,生
産力段 階=技 術 的性格 へ の配慮
と,人 間関係 に及 ぼす歴 史 的 制度 的 関係 へ の配慮 が必 要 だ とい うこ とにな る。金沢 自身 は ,
その 後 に続 く生産 組織 分析 の なかで,前
て配慮 す るが,歴
者 の技術 的性 格 につ いて は ひ とつ の分析 用 具 と し
史 的制 度 的 関係 につ いて は集落 とい う制 度 を取 り上 げ てい る にす ぎない
ように思 われ る。 つ ま り農業 経営 間関係,あ
るい はそ の要 素 と しての 農業者 の人 間関係 の
2
歴 史 的制度 的側 面 は,そ の ほ とん どが農業 経 営学 とい う枠 組 み の外へ 放 り出 された ままな
ので あ る。
ここで さ らに,経 営 間 関係 に関連 す る と思 われ る もうひ とつ の農業 経 営学 的 アプ ローチ
を検 討 しよう。 そ れ は私 が行 動論 的農 業経 営学 と呼 びた い ア プ ローチ で あ るが,こ
こで は
その立場 を批 判 的 に展 開 した吉 田忠 ら9)の 農業 経 営 目標論 を取 り上 げ た い。 ただ し,吉 田
らの所 論 につ いて はやや 詳細 な検 討 をす で にお こなっ たの で101こ こで は要 点の み に限定 し
て述べ たい。
彼 らは個 別経営 を,全 体社 会 の 中で相 対 的 に 自律 しなが らも,一 方 で はそ れ を取 り巻 く
社会 的歴 史的条 件 に よって規 定 され る存 在 と して認 識 す る。 そ の と き個 別経営 と全体社 会
を と り結 ぶ もの と して論理 的 に2つ の媒介 項 を設 けてい る。 ひ とつ は個 別経 営 の経 営 目標
で あ り,も うひ とつ は生 産手段 の所有 形 態 お よび経営 類型,経
類型,経
営構 造 に は彼 ら独 自の 意味 が込 め られ てい るが,こ
営構 造 で ある。後 者 の経営
こで は生産 手段 の 「歴 史的所
有形 態」11)が そ れ ら概念 の設 定 の基礎 とな って い る こ との み指摘 して お く。
注 目 したいの は前 者 の媒介 項 で あ る経 営 目標 で あ る。 彼 らに よる と経 営 目標 は,「 そ れ
ぞ れ の経 営類 型 ない し経 営構 造 に対応 して」,す
す こ とが で きるが,「
なわ ち歴 史的所 有 形態 に対 応 して見 い だ
農奴 制的 家族 経営 にお け る封建 地 代納 入 と生 活欲 求 充足,資 本 制企
業 にお ける利 潤 追 求,社 会 主義 企業 にお け る公共 需 要充 足」 な ど とい う経営 目標 は,「 抽
象 にす ぎ」 る と して し りぞけ られ る。 そ うで は な く,「 経営 目標 は,所 有 関係 とは う らは
らの 関係 にあ る分 配 関係 の個 別 経済 的 反映 と して,経 営 主体 にお け る費 用(経 営 費)意 識
を規 定 し,生 産
販 売過 程 におけ る経営 管 理 の判 断基準 を与 える もので な ければ な らない」
12)
。つ ま り,こ の経 営 目標 の次 元 に おい て,具 体 的 な個 別経 営 にお け る実 証可 能性 が示 唆
され.そ
れは単 な る費用 意識 と して の経 営 目標 よ りもさ らに広 義 な概 念 で ある。
この よ うに経営 目標 を広 義 に設 定す る と,農 家 の 「
効 用 」 と呼 べ る もの に近 くなる。吉
田 らはい う。 「経 営構 造 と しての 自作 農 的家族 経営 は。拡 大 す る生 活欲 求充足 を基 本 的経
営 目標 として お り,そ の経 済行 動 におい て小 農経 済 的経営 純 収益 極大 化 として は一元 化 し
えぬ さ まざ まな 「不 純 物」 の 混入 が み られ るの が一般 で あ る」 。 そ して,「
これ を 「効用 」
とよんで もよいか も しれ ない」13)とい う。 この 「効用 」概 念 は他 の 箇所 におい て,「
種 の 「効 用」 を所 与 として,そ
ある
れか ら演繹 的 に説 明 す るの で はな く,現 実 の農家 行動 の な
か か ら 「効 用」 を帰納 的 に と らえ る とい う基 礎作 業 か らは じめ るこ とが な に よ りも必要 で
は ない だ ろ うか」14)と も述べ られて い る。 「効用 」 へ の帰納 的接 近 法,す
3
なわ ち経 営 目標
へ の帰納 的接 近 法 が 強調 されて い る と考 えて よい 。
農業経 営 の経 営 間 関係 は この 「効用 」 と深 く関連 して くるで あ ろ う。農 業者 は,実 際 に
は きわめ て具体 的 な社 会 関係 の網 の 目の なか で 農業 経営 を営 ん でお り,そ れ らが純 収益 極
大 化 とい う 目的か ら して た しか に 「
不 純 物」 だ とす る な らば,こ
こでい う 「効 用」 こそ が
そ れ をす くい とる概 念装 置 とな るか らで あ る。
ところが,こ
の 「効 用」 をい か に して帰 納 的 に捉 え るか とい う段 にな って,奇 妙 な こ と
に吉 田 らは 自身の 近代 化論 を導入 して,「 効用 」 の展 開 過程 を論 じて しま う。 す なわ ち,
「家族 経営 が商 品 生 産 の深化 とと もに資本 制 企業 へ の転 化 を準 備す るなか で,経 営 目標 は
小 農経済 的純 収益 へ と 「純化 」 されて い く」 とい うの だ。 そ して他 方 で は,「 兼業 化 の進
展の なか でそれ ぞ れ独 自の形態 と内容 の 「効 用 」体 系 を もった多様 な農家 群 が あ らわれ」15)
る とす る。
これが先 の論 理 と矛盾 す る こ とは明 らかで あ る。経営 目標 す なわ ち 「効 用」 を帰 納 的 に
とらえ,そ の分析 を通 じて個 別経 営 の なか に歴 史性 を見 い だす とい う枠組 み を設 定 した に
もか か わ らず,結
果 と して考 察 され るはず の歴 史性 が 最初 か ら与 え られて い るので あ る。
吉 田 らが こ う言 わ ざ る をえなか っ た理 由 は,多 様 な形 態 の農 家 「効用 」 そ の ものの分析 手
法が確 立 して い ない とい うこ とに尽 き よう16)。
以 上,農 業経 営 学 におけ る2つ の理 論 的論孜 を取 り上 げ検 討 して きた。 そ していず れの
場合 も,経 営 間 関係 へ の分 析 へ と踏 み 出す一歩 手前 におい て立 ち止 まるか,あ
るい は先 回
りす るか して,そ の領 域 に入 り込 ま ない 。 しか し,そ の領 域 に踏 み込 む こ とが農業 経営 分
析 に とって不 必要 か とい う と,そ うで は ない 。 と くに吉 田 らの所 論 におい て は,本 来 はそ
の部 分 こそが論 理 の 中心 にな る とさ え考 え られ るの で あ る。
こう した問題 が 発 生す るお もな原 因は,農 業経 営学 が 設 定す る経 営 の単位 性 にある と思
われ る。す なわ ち先 に も示 唆 した ような,生 産単 位 と して の農 業経 営 とい う設定 で あ る。
そ れ ゆえ にまず,生
産要 素 と認 め られ ない 要素 に よる結 びつ きは,そ れが経 営 の意 思決 定
に大 きな影響 を及 ぼ してい る と して も,概
して視 野 の外 にお かれ る こ とに なる。 さ らに,
独 立 体 と しての経 営体 を単位 と してい るため,そ
こに作 用 す る 「歴 史的社 会 的性格 」 を個
的視 点か ら見 た 「効用 」 と して しか描 けず,関 係 的 な広が りを論 理 的 に取 り込 み に くい こ
とに もな る と思 うの で あ る。
したが って,農 業 経 営 にまつ わ る関係性 を生 産 面 に限定 す る こ とな く把握 し,個 的視 点
を越 えた関係 的視 点,す
なわち方 法論 的 個人 主義 に即 して い えば相互 主 観へ の着 目17}を導
4
入 す る こ とが 必 要 に な る 。
私 は こ う し た 問 題 領 域 は,さ
し あ た り農 業 経 営 学 の 領 域 拡 張 に よ っ て は 把 握 が 難 しい と
考 え て い る 。 み て き た よ う に,こ
れ ま で の 農 業 経 営 学 は 生 産 面 に 視 野 を 限 定 し,そ
の前提
の も と に 大 き な 業 績 を 積 み 上 げ て き た 。 そ の 前 提 を 覆 す こ と は 容 易 で は な い 。 そ こ で,新
し い 分 野 と し て 農 業 社 会 学 を 創 設 し,そ
れ を 産 業 社 会 学 の 一 分 野 と して 位 置 づ け て18},こ
の よ う な 問 題 領 域 を 含 ま せ て は ど う か と考 え る 。 し か し,こ
し 後 の 節 に 譲 り,そ
Agriculture)と
の 前 に 「農 業 社 会 学 」 あ る い は 「農 業 の 社 会 学 」(Sociologyof
い う 分 野 の 先 例 で あ る ア メ リ カ 合 衆 国 の 学 問 状 況 と,そ
国 農 村 社 会 学 の 動 向 に つ い て,一
3ア
ッ テ ル,0.Fラ
19》
に よる と
,ア
で あ る と い う 。 そ れ は.出
さ せ て き た 。 彼 ら は,農
観 点 か ら1900年
日本 農 村 社 会 学
ル ソ ン お よ びG.W.ギ
メ リカにお いて
れ と 関連 す る わ が
瞥 して お きた い 。
メ リ カ に お け るSociologyofAgricultureと
F.H.バ
の構 想 を展 開 す る の は も う少
レス ピ ー の 著 した
『農 業 社 会 学 』
「農 業 社 会 学 」 が 認 め ら れ 始 め た の は,1970年
自 的 に は 農 村 社 会 学(RuralSociology)の
業 研 究 の あ り 方 と い う観 点,す
代 中盤 以 降
分 野 か ら関 心 を分 化
な わ ち今 日 に お け る 農 業 社 会 学 の
以 来 の ア メ リ カ 農 村 社 会 学 史 を ふ りか え り,そ
れ ら を3つ
に 時 期 区 分 して
い る。
第1期
は,1900年
お け る 農 業 研 究 は,概
か ら1950年
し て,農
代 初頭 まで で ある。
「こ の 黎 明 期 の ア メ リ カ 農 村 社 会 学 に
村 生 活 の 諸 関 係 網 を理 解 す る た め に 必 要 な 一 要 素 で あ っ た
と い え る 」20)。 す な わ ち 農 業 と 農 村 生 活 が 一 体 で あ っ た た め に.農
業研 究 は農村 生活 の一
断 面 と し て 取 り扱 わ れ た とい う こ と で あ る.
第2期
徴 は,農
は,1950年
代 初 期 か ら1970年
代 初 期 ま で の 時 期 で あ る 。 この 時 期 の 研 究 姿 勢 の 特
業 者 や 農 業 に 関 連 す る 人 々 を,刺
よ う と し た こ と で あ る 。 た と え ば,新
激 に 反 応 す る 行 為 者 と して 社 会 心 理 学 的 に捉 え
技 術 やマ ス
業 者 の 心 理 と行 動 が 関 心 の 中 心 と な り,と
メ デ ィ ア,教
育
職 業 機 会 に対 す る農
り わ け 新 技 術 の 普 及 と 受 容 に 関 して 多 く の 研 究
が お こ な わ れ た 。 し た が っ て こ の 時 期 に お い て 農 業 は,農
業 者(や
そ の 家 族)が
行動 す る
際 の 状 況 の 一 部 と し て 扱 わ れ る こ と に な っ た と い う21)。
第3期
は,1970年
代 中 盤 以 降 か ら現 在(『
こ れ は 先 述 し た よ う に,ア
農 業 社 会 学 』 の 出 版 は1990年)ま
メ リ カ農 村 社 会 学 に お い て
「農 業 社 会 学 」 と い う 用 語 が 普 及 し
始 め た 時 期 に 相 当 す る 。 こ の 時 期 か ら 起 こ っ て く る 狭 義 の 農 業 社 会 学 は,「
5
で の 時 期 で,
農業構 造」へ
の 関心 と密 接 に結 びつ いてい る22)。具 体 的 な視 角 は様 々 で ある。理 論 的 にはマ ル クス 主義
的 な階 級分 析,あ
るい は農民 層分 解へ の関 心が 高 まる。家 族 農業 や兼 業 農家,そ
ス ニシ テ ィ との 関連,農
業労働 力 な どが そ れ との 関連 で研 究対 象 とな った。 また,農 業 に
よる 自然 環境破 壊 の問題 や,農 業 技術 変 化,農
もち ろん,以 上 の3つ
学研 究 制度 な ど も研 究対 象 とされ た。
の 時期 区分 ご とに,研 究動 向 が まった く入 れ替 わ って しま うの で
は ない。 現在 に近 づ くに したが い.し
だい に多 様 な方法 論 が 同居 す る時代 とな るの で,先
の 時期 の特徴 と して あげ た研 究傾 向が,後
る。つ ま り第1期,第2期
れ らとエ
の 時期 にオ ーバ ー ラ ップ して い るの が現 実 で あ
に端 を発 した研 究 が今 日まで継 続 してい る とい うこ とで あ り,
この こ とを著者 らは随所 で 指摘 してい る。 しか しなが ら,以 上 の簡 単 な整 理 か ら も知 られ
る ように,20世
紀 の アメ リカ農村 社 会学 の潮流 は,ま ず 農村 生活論 か ら農業者 行動 論 へ と
移行 し,さ らに農業 構 造論 へ と変化 しつつ ある とい え る。そ う した なか で,農 業 の 問題が
しだい に農村 の問題 か ら独 立 して扱 われ る ように なった ので あ る。
この動 きは 日本 の研 究動 向 とや や対 照 的で あ る。20世 紀 にお け る 日本 農村社 会学 の 歩 み
は,ア
メ リカ との対 比 で述 べ る と,農 村 生 活論 と農業構 造論 が ほ とん ど同時並 行 的 に関心
の 中心 とな って きた。
この うち農村 生 活論 につい て は,そ の揺 藍期 に アメ リカ農村 社会 学 の影 響 を大 き く受 け
てい る。 その周 知 の例 と して鈴 木 榮太 郎が あげ られ る。 た とえば鈴 木 は 農村社 会 を集 団累
積体 と して把 握 しよ う とす るが,そ
の手法 はC.∫.ギ
キ ンの 影響 を受 けてい る23)。また,同
考察 す る理論 的枠 組 み と して,ソ
て い る24)。他 方,農
ャル ピ ンあ るい はP.A.ソ
ロー
じ く戦前 か ら活 躍 した井森 陸平 も,都 市 農村 関係 を
ローキ ンやC.C.ジ
ンマ ーマ ンに多 くを学 んだ と記 し
業構 造論 につ い て は,わ が 国で はマ ル クス主義 が早 くか ら導入 され,
と くに戦 前 の大 きな社会 問 題 となっ てい た地 主制 を焦 点 に しつつ.農 村 社 会 の構 造論 的分
析 が お こ なわれ た25)。
戦 後 にお いて も,農 村 生 活論 と農 業構 造 論 の並 行 的展 開 は基 本 的 に変化 が なか った とい
え よう。 と くに敗 戦 後 の10数 年 間 は,農 村 の民 主化 を焦 点 と しつ つ,農 村 生 活論 と農 業構
造 論 が もっ とも接 近 した時期 とい え る。す なわ ち,そ の 時期 に展 開 され た村 落共 同体 論 に
おい て,歴 史 的段 階論 と農村 生 活 の特殊 文 化 的側 面が 同 じ枠組 みで語 られ たの で ある26)。
と ころで戦 後 日本 の農村 社会 学 は,戦 前期 とは異 な り,ア メ リカ農村 社 会 学 との接 点 を
大 幅 に縮小 す る。 そ れ はあ る意味 で,日
こ との 証 で あっ た.し か し同時 に,先
本 農村 社会 学 が 国内 の特殊 状 況 の なか で成 熟 した
の第2期
の アメ リカ農村 社会 学 の主 題 で あ った農業
6
者行 動論 が,そ
の 頃 の わが 国農村 におい て はその ま まで は適 用 で きなか った こ とも一 要 因
とい え よ う。 農業 者 の主 体性 を重 ん じる農業者 行 動論 を導入 す るに は,ま だ まだ それ を規
定 す る制度(そ
の代 表 はい わ ゆる イエや ム ラ)の 意 味 が大 きか ったの で あ る.
そ う した なか で,第2期
におい て 中心対 象 となった新 技術 の普 及 と受 容 の理 論 をわが 国
に適用 しよ う と した試 み と して,『 農業 技術 改 良 の普 及過 程 とそ の要 因 に関す る研 究 』(
1962年)27)が
あ る。 この研 究 は,戦 前期 の とこ ろで も述 べ た井森 陸平 を中心 に お こなわれ
た研 究 で あ り,井 森 をは じめ総 勢8名
の共 同研 究 で あ る。そ の なか で井森 は,「 従 来 の わ
が 国 にお け る農 村社 会 学 的研 究 で は,我 が 国農 村 に特 有 な面 や,伝 統 遺 制或 い は特 殊 の事
実 事例 に偏 り,世 界共 通 の面 や,現 代 一般 の現 象 が 閑却 されて きた嫌 い が あ る28)」と批判
し,ア メ リカ農村社 会 学 との連携 を提 唱す る。 しか し,分 析結 果 と して はあ る程度 成 果 を
あげ なが らも.そ の 後 の 日本 農村 社会 学 の潮流 を変 える に至 らなか っ たの は,や は り,日
本 農村 の近代 化過 程 におい て イエや ム ラな どを ど う位 置 づ け るか とい う,「 我 が 国農 村 に
特有 な面 」 の実 際 的意義 が大 きか った こ とにあ る とい え よ う。
しか しそ う した状 況 も,現 在 にいた って はそ ろ そ ろ過 去 の もの と考 えて よい ので は ない
だろ うか。 た とえば,わ が 国農村 研 究 の ひ とつ の 中心 で あ る村 落社会研 究会(1992年
本村 落研 究学 会 に改称)は,1988年
よ り1990年 まで の3年 間,共
に日
通課 題 と して 「農村 社会
編成 の論 理 と展 開」 を設 定 した。 その背 景 に は.現 在 が 農村 社会 編成 の 転換期 にあ り,従
来 の イエ
ム ラ理 論 に よって は明 らか に しえ ない ような新 た な社 会編 成 が現 われ て きて い
るので は ないか とい う認 識 が あ ったの であ る29も結 果 的 には,「 家 と村 にかか わ って村 落社
会研 究会 の会 員 の見 解 はお よそ 出つ く した」30)ものの,新
しい 農村社 会 編成 の実 際や そ れ を
把 握 す る方法 な どにつ いて は,イ エ ・ム ラか ら離 れたか た ちで は提示 され なか った31も永 ら
く農村 社会 の組織 的枠組 み とな って きた イエ や ム ラが そ う簡 単 に無 意味 にな らない のは確
かで あ る。 しか し,関 係 にお け る 自由度 の増 大 に注 目す る本 論 の立場 か らす れ ば,ま だ ま
だ集 団 と しての イエ や ム ラ に強 くと らわれす ぎて い る ように思 わ れ る。 主体 の 自由度 の大
きい 関係性 を捉 え る枠組 み が必 要 なの で ある。
したが っ て,先 の ア メ リカ農村 社会 学 史の整 理 に則 せ ば,わ
が 国 におい て抜 け落 ちて い
た農業者 行 動論 を,新 た に農業社 会学 の観 点か ら取 り込 む ことを主 張 した い。 この こ とは,
単 なる アメ リカ農 村社 会 学 あ るい は農業社 会 学へ の追随 を意味 す る もので は ない。交 通
情報 網 の整 備 に よって グ ローバ リゼ ー シ ョンが進 みつつ ある今 日にお いて は,国 情 を越 え
て共 通 の 問題領 域 を設 定 しうる時期 に きた と思 うの で あ る。
7
ただ し世 界が 均 一 な社会 に なるわけで はない 。農業 者 の 主体的側 面 に注 目す る と して も,
「我 が国 農村 に特 有 な面」 を閑却 す る わ けにはい か ない の で あ る。 前節 で の議 論 も考慮 す
れ ば,そ
こで はつ ま り,農 業 者 の背負 う 「歴 史 的社 会 的 」 個性 と,農 業 者 が経 営 問で取 り
結 ぶ選択 的 人間 関係 との緊 張 関係 が 問題 とな る。 これ を農 業社 会学 とい う領 域 で カバ ー し
たい こ とはす で に述 べ たが,次
に,こ の私 の構 想 す る新 分 野 の 内容 につ いて ア ウ トライ ン
を示 して お きたい 。
4農
業社会 学 の基 本視 角
農業社 会学 の領 域 を体系 的 に論 じる こ とが本 節 の 目的 で は ない。今 は まだ,新
しい分野
の設 定 に よって何 が発見 で きるか を具体 的分 析 に即 して問 う段 階 に ある とい え る。 しか し,
前 節 に論 じた ような ア メ リカにお け る農業社 会学 の領 域 と同 じ もの を想 定 して い るので も
ない。 そ こで本 節 で は,私 が 農業社 会学 とい う分野 に込 め よ う とす る基 本視 角 を整理 して
お きた い。
第1の 視 角 は,農 業 者 を焦 点 とす る こ とであ る。農 業者 とい う範疇 は,具 体 的 な人 間 を
分類 す る もの と して は厳 密 で ない。 あ えて い えば,農 業 をひ とつ の職 業 活動 とみ な し就 業
する者32)を意 味す る。 む しろ強調 は,農 業 者 とい う人 間 を分析 の焦点 にす る とこ ろにあ る。
この 点 におい て,SociologyofAgricultureを
「農業 の社 会学 」 と訳 して用 い る河村 能夫 の
領 域 設定 と異 なっ てい る。河 村 は,兼 業 化,混 住 化 に ともな う 「農業 政 策 と農村 政策 の峻
別化 」33)とい う認 識 を背 景 と して,「 農 業 の社 会 学」 を 「産業 政 策 と しての 農業 政策 のた
めの 社会理 論」 あ るい は 「社 会学 の領 域 か ら準 備 され うる 『農業 生産 の効 率 化 と向上 』の
ため の理論 的枠 組 み」34)とい うよ うに,政 策論 的 に設 定 す る。
つ ま り,河 村 の い う農 業 は産 業 と しての 農業 で あ り,や や政策論 に偏 っ てい る とはい え,
発想 と して は関心 を農業構 造 に移 しつ つ あ る今 日の ア メ リカ農村 社会 学 の視 点 に近 い。 そ
れ に対 して,私
の い う農業 はむ しろ職業 と しての農 業 で あ り,こ こで構 想す る農業社 会学
も 「農業者 の社 会 学 」 に近 い。 したが っ て,大 分類 と して 「農業 社 会学 」 を設 け,そ の 中
に 「農業 の社 会学 」 と 「農 業者 の社 会学 」 を下 位分類 と して設 ける考 え も成 り立つ 。 しか
し 「農業 の社会 学 」 にお け る農業者 社会 の把 握 が,少
な くとも河村 にお いて は,集 団論 の
み に依 拠 してお り35),そ れ を乗 り越 え よ う とす る本 論 の主 旨 と相 反す る。 さ しあた り 「農
業 者 の社会 学 」 を農業社 会 学 の 中心 内 容 とす る所以 で あ る。
第2の 視 角 は,経 営 的発想 で ある。個 別経 営 を越 えた 人間 関係 か ら経 営 間 関係 の問題 を
8
考 え よう とす る本論 に あって は,自
らの農 業経 営 に反映す る限 りにおい て経 営外 との 人間
関係 を問題 とす る こ とにな る。 その 意味 で,そ
前 提 となって い る。 したが って,こ
れぞ れ農業 者 の農 業経 営 の存 在 が枠 組 みの
こで い う農業社 会 学 は 「農業 経営 社会 学 」 的性格 も持
つo
その場合,経
営 が指す 範 囲 は もち ろん単 に経 済 的経 営 の側 面 だ けで ない 。経 済 的経営 を
成 り立 たせ る基 盤 と もい え る人間 関係 の側面 も,こ れ まで の論議 か ら して当然 含 まれ るこ
とになる。 さ らに,経 営 概 念 自体 につ いて も拡 張 した意 味 を与 えたい。M.ヴ
経 営Betriebを
「或 る種 の永続 的 な 目的 的行為 」36)と定 義 し,政 治的,宗
ェーバ ーが
教 的 団体 の事 業遂
行 に もあて はめた こ とは周 知 の とお りで あ る。 しか し,こ こで は さ らに広 義 に,経 営 をむ
しろ英語 のマ ネ イジ メ ン トmanegementの
持 つ柔 軟 な意味 を含 む もの と考 えたい 。 その理 由
は,農 業者 が様 々 に取 り結 ぶ 人間 関係 を主体 的 に運営 す るmanageと
い う側 面 を取 り入れ
たいか らで あ る。 日本 人の 人間 関係 の持 ち方 は 「間柄 主義 」37}など と呼 ばれ る こ と もあ る
が,間 柄 にが ん じが らめ に縛 られ てい るので は な く,そ こに間柄 を操作 す る主 体 性 を認 め
たいの で ある。
第3の
視角 は,地 域 的個性 の重 視 で あ る.一 般 にわれ われ の 人間 関係 は,先 の用 語 を用
いれ ば,「 歴 史 的社会 的」個 性 に大 き く規 定 されて い る とい え るが,と
合,そ
の 「歴 史的 社会 的」 個 性 は,彼
て い る。 農業者 は通常,農
りわけ農業 者 の場
らが生 活 し生産 活動 をお こな う地域 と深 く結 びつい
村社 会 に生活 して い るか,あ
るい は少 な くと も農村 社会 に生 産
の場 を占有 して お り,そ の地 域 の個性 的 な人 間 関係,す
なわ ち地域 の個 性 的秩 序 の なかで
農業 を営 んで い るか らであ る。 したが って,近 接 す る農業経 営 あるい は それ を代 表す る も
の と して の農業 者 と関係 を もつ場 合 は,選 択 的 な要素 が含 まれ る と同時 に.地 域 の個性 的
秩 序 に も大 き く規 定 され る こ とになる38)。
地域 の個 性 的秩 序へ の注 目は。 同時 にそ れ らと経済 合理 的 な普遍 的秩 序 との緊 張 関係 へ
の注 目で もある。 この緊 張 関係 の なかか ら,あ る地域 に住 ま うこ と,お よびそ こで農 業 を
営 む こ との意味 も再考 で きるの で は ない か39)。さ らに は,経 済 合理 的 な普遍 的秩 序 その も
のの 限界性 に迫 れ るので は ない か。 これ らの 問題 関心 は農業社 会 学 の究極 課 題 の1つ
とも
い える もので あ る。 これ に関 して は本 論 の なか で直接 に はふ れ られ ない が ,め ざす 方向 を
示 す もの と して記 して お きたい40)。
5本
論 文 の課題 と構 成
9・
1)課
題 と分 析視 角
前節 の3つ
の視 角 を基本 と しつ つ.本 論 文 の課 題 をま とめ る と次 の とお りであ る。
す なわち,農 業 者 が農村 に住 まい農 業 で生 活す る と き.い か な る人 間関係 が そ こ にひろ
が るのか 。 それ を,農 業者 の主体性 を重視 した経営manageの
観点 と,そ の主体 性 を規定
す る地域 の個 性 的秩序 の 緊張 関係 の なか で 明 らか にす る こ と,こ れ が本 論 でい う農業 社会
学 的視 点か らの課題 で あ る。 た だ しその 場合,農
業者 の人 間関係 の 意義 はそ の地域 の具体
的 な農業 の展 開の なか で評価 され るべ き もので あ ろ う。 したが って 実際 には,上 記 の課題
を地域 の具 体 的 な農業 の展 開 と対 応 させ つ つ論 ず る こ とにな る。 そ して さ らに,い
の地域 や対 象 か ら得 られ た結 果 か ら。農 業経 営,あ
くつ か
るい は よ り広 義 に農業者 の社 会 的世界
の今 後の あ り様 につい て考 察 した い。
以上 の課 題 に接 近す るに あた り,農 業 者 の 人間 関係 を捉 える視 点 と して,つ
きあい 関係
をひ とつ の重 要 な分析視 角 と した い。
次 章 で も述 べ る よ うに,こ れ までつ きあい 関係 は第2次
重視 されて こなか った。 また,つ
的 な社 会 関係 と して,そ れ ほ ど
きあい 関係 は従 来 はお もに生 活 面の 問題 と して分析 が お
こなわ れて きた 。 しか し,つ きあい 関係 は次 の2つ の 点 で結節 とな る関係 レベル と考 え ら
れ る。 ひ とつ は,農 業経 営 面 と農村 生 活面 との結節 で ある。 つ きあい 関係 は生 活面 だ けで
な く,経 営面 に とって も重 要 で あるが,つ
きあい 関係 に着 目す る こ とに よって,経 営 面 と
生活 面 を同一 の枠 組 みで分析 す る こ とが可 能 となる。 も うひ とつ は,機 能 性 と慣 習 の結節
で ある。 つ きあ い関係 は,た
とえば生 活互 助 な どの機 能 的側面 を中心 とす るが,そ
れ ゆえ
に機 能性 に基 づ く関係 の組 み替 え と,慣 習 的規 定 的 関係 の緊張 関係 の上 に成 り立つ 。つ ま
り主体 的側 面 と,地 域 の個 性 的秩序 に よる規定 的側 面 の結節 に な りうる と思 われ る。
この よ うな意義 を持 つつ きあい 関係 を,あ るい は 明示 的 にあ るい は潜 在 的 に意識 しなが
ら,分 析 を進 め たい。
2)本
論 文 の構成
以下,本
論 文 は8章 か らの構 成 にな るが,終
章 を除 く7つ の章 は一 定程 度完 結 した事 例
研 究 のか たち を とってい る。 しか も,対 象 と した事例 の性 格 も多 様 で ある。 そ こで,一 見
独 立性 が高 く内容 的 に も偏 差 の大 きい事 例研 究 各 章 につ いて,そ
れ らの 関連 性 をあ らか じ
め位 置づ けて お く。
7つ の事 例研 究 の章 は対象 地 の性 格 か ら して大 き く3つ に区分 され る。 は じめの第1章
∼第3章
は ,水 田農村 を対象 と した もの であ る。水 田農村 にお け る農 業 の展 開 を考 え る場
10・
合,村
落 の意 義 は概 して重大 で あ るが,対 象 地 と した滋 賀 県湖北 地 方 は,そ
う した なか で
もと くに村 落の 意義 の大 きい地域 で あ る。 したが って,農 業者 が経 営manageす
と して,ネ
べ き関係
ッ トワー ク的人 間 関係 だけ で な く,村 落 とい う集 団 との 関係 につ いて もふ れ る
必要 が あ る。第2章
第4章,第5章
で はそれ を農業水 利 の面 か ら論 じる.
は,施 設 園芸 や畑 作物 を中心 に高所 得農 業 を実現 す る愛知 県渥 美半 島地
域 を取 り上 げ る。畑作 や施 設 園芸 を中心 とす る農村 社会 を対象 とす る こ とに よ り,従 来 の
水 田農村 中心 の個 性 的秩序 観 を相対 化 す る と と もに,人 間 関係 か らみ たそ う した地域 の可
能性 を考 察 したい。 この地域 で は,戦 後 に大 き く農業構 造 が 変化 した。 したが って,そ
した ドラステ ィッ クな農業 の展 開 を明 らか にす るた め,第4章
ら地域 農業 の変 貌 を明 らか に し,第5章
第6章,第7章
まず,第6章
う
で は.や や マ ク ロな視 点 か
の それ を支 えた人 間関係 の分 析 へ とつ な ぎたい。
は従 来 の 日本 農業,農 村 の枠組 み を越 える事例 と して位置 づ けて い る。
で は農業 へ の新規 参入者 の 思考 や 人 間 関係 を取 り上 げ る。 地域 の伝 統 的 な個
性 秩序 か ら相対 的 に 自由 な農業 者 の人 間関係 を捉 え,今 後 の農業 者像 のあ り様 に関す る示
唆 を得 たい。 第7章
で は隣国 で ある韓 国農村 にお け る農業者 の社 会 的性 格 を論 じる。韓 国
の農業 者 の人 間 関係 は,た
しか にその背 景 に あ る個 性 的秩序 その ものが わが 国農業者 の場
合 と異 な ってい るが,水 稲 を中心 的作 目 とす る点 や,村 落 を形成 す る点,社
父系 的親族 組 織 を有 す る点 な どにおい て,韓
会組 織面 で は
国農村 はわが 国農村 と類 似 す る点 も多 い。 そ
う した韓 国 にお け る農業者 の 人間 関係 を分析 す る こ とを通 じて,わ が 国農村 の特 徴 をあぶ
りだ し,改 善 の可 能性 に関す る示 唆 を得 た い と思 う。
さ らに,以 上 の 区分 とは別 に第1章
は特 別 な意義 を もって い る。 す な わち第1章
村 にお けるつ きあい 関係 とい う本 論 文 の縦 糸 となるべ き概 念 につ いて,そ
の特徴 を明 らか
にす る とい う基 礎 的 意義 を もつ。 農業者 が他 の農業 者 と関係 を結 ぶ場合,関
おいて は 。既存 の慣 習的 な関係 の結 び方 に影響 され る に違 い ない 。第1章
は,農
係 の結 び方 に
で はそ の基 礎 と
なるべ き慣 習 的 なつ きあい関係 につい て,農 業 者 の みの つ きあい で は な く,村 落成 員全 体
の つ きあ い関係 を対象 と しなが ら.村 落 生 活一 般 レベル での考 察 をお こな う。
注
1)た とえば,今 井賢一
金子郁容 『ネットワーク組織論』(岩 波書店,1988年)な
2)こ の段落の引用は,い ずれも森岡清志 「
社会的ネットワーク」(森 岡 塩原
有斐閣,1993年.P.644)よ
ど。
本間編 『
新社会学辞典』
り。
3)企 業経営論においても,近 年企業間関係への関心が高まっている。たとえば,山 倉健嗣 『
組織間関係』
11
有 斐 閣,1993年
4)農
な ど。
林 水 産 省 に よ る 農 業 生 産 組 織 の 定 義 は 次 の と お り。 「複 数(2戸
以 上)の
農 家 が,農
業 の 生産 過程 に
お け る 一 部 ま た は 全 部 に つ い て の 共 同 化 に 関 す る 協 定 の も と に 結 合 して い る生 産 集 団 な ら び に 農 業 経 営
や 農 作 業 等 を 組 織 的 に 受 託 す る 組 織 を い う」(農
1976年,1977年
5)金
林 水 産 省 「農 業 生 産 組 織 構 造 調 査 報 告 書 」,1972年,
調 査)。
沢 夏 樹 『農 業 経 営 学 講 義 』 養 賢 堂,1982年
6)本 研 究 に お い て は,以
後
。
「集 落 」 と 「村 落 」 を ほぼ 同 義 に 用 い る こ と に な るが,あ
内 部 の 社 会 関 係 を 強 く意 識 す る 場 合 は 「村 落 」 を 用 い.そ
を さす 場 合 な ど は,「
集 落 」 を 用 い る 。 また,第2章
そ の 意 味 に つ い て は,そ
え て 違 い を い え ば,
れ 以 外 の 一 般 的 な行 政 的 地 域 集 団 と し て の 面
に お い て は,「
聚 落 」 と い う 語 も用 い て い る が,
の 箇 所 の 注 を 参 照 の こ と。
7)金
沢r同
上 書 』,PP.275-302。
8)こ
の段 落 に お け る 引 用 は す べ て,金
g)吉
田 忠 編 著r農
沢 「同 上 書 」,P.2gO。
業 経 営 学 序 論 」 同 文 舘,1977年
。
10)拙 稿 「農 業 経 営 学 に お け る行 動 論 的 思 考 の 展 開 と そ の 展 望 」 「農 林 業 問 題 研 究 」 第99号,1990年,
PP.30-380
11)吉 田 「前 掲 書 」,P.80。
12)こ の 段 落 に お け る 引 用 は,吉
13)吉 田r前
田 『前 掲 書 」,P.80-81。
掲 書 」,P.81。
14)吉 田 「前 掲 書 」,P.78。
た だ し乗 本 秀 樹 の 執 筆 部 分 で あ る 。
15)こ の 段 落 に お け る 引 用 は,吉
16)こ の 問 題 点 に つ い て は,先
田r前
掲 書 」,P.81。
の 分 担 執 筆 者 で あ る 乗 本 も気 づ い て い る が,枠
組 み の 見 直 しに は い た っ て い
ない 。 乗 本 秀 樹 「家 族 農 業 経 営 の 構 造 論 的 把 握 につ い て 一方 法 論 的 考 察 一」r農
P.40,参
照。
17)方 法 論 的 個 人 主 義 に た っ た す ぐ れ た 研 究 例 と して,石
「農 業 経 済 研 究 」 第59巻
題(役
林 業 問題 研 究 」 第52号,
割
集団
田正 昭
第3号,1987年,PP.137・145)が
構 造 ・制 度 な ど)に
木 南 章 「稲 作 を め ぐる 組 織 と市 場 」(
あ げ られ る 。 こ の 論 文 は,「 社 会 レ ベ ル の 問
か か わ る す べ て の 命 題 は,個
目的 な ど)に 関 わ る 命 題 か ら ひ き だ す こ と が で き る 」(P.137)と
人 レベ ル の 問 題(意
識
自我
欲求
い う方 法 論 的 個 人 主 義 に た ち,農 民
の稲 作 を め ぐ る 経 営 間 共 同 行 動 の あ り方 に つ い て 解 釈 を お こ な っ て い る 。 と くに 集 落 の 社 会 的 特 性 と農
民 行 動 との 関 連 を扱 っ た 部 分 は,本 論 で の 関 心 に 近 い 。
18)こ の 発 想 の 発 端 は,間
宏r経
営 社 会 学 」 有 斐 閣,1989年,PP.4・5,か
らえた。
19)FrederickH.Butte1,01afF.Larson,&Gilber七W.GillespieJr.,The50σ1010卯
ofAgr1σuヱ
整 理 は,す
加re,1990,Westport,GreenWoodPress。
この節 にお ける ア メ リカ農村 社 会学 史の
べ て こ の 著 書 に依 拠 して い る 。 ま た,SocioloqyofAgricultureの
夫 は 「農 業 の 社 会 学 」 を あ て て い る が.本
会 理論 」 頼 平編
論 で は 「農 業 社 会 学 」 の 語 を あ て た い.河
『農 業 政 策 の 基 礎 理 論 」 家 の 光 協 会,1987年,第6章
「農 業 の 社 会 学 」 の 内 容 に つ い て は 本 文 次 節 を参 照 。
-12
第3節,PP.422,を
訳 語 と して,河
村能
村 「農 業 政 策 の 社
参照 。 河村 の
20)The50σ10ヱogγofAgr1σuエture,P.xvi,私
21)The50σ10ヱogyofA91ゴ1σ
訳 に よ る。
ロ1亡ure,P.440
22)Thesoσ1010gyofAgr1σulture,P.xix。
23)『 日本 農 村 社 会 学 原 理(上)』
未 来 社,1968(1940)年,PP.108-117を
24)井 森 陸 平 『農 村 文 化 』 巌 松 堂 書 店,1944年.P.2参
つ い て は,松
PP.1-13な
照 。 な お,戦
前 期 にお け る外 国農 村社 会 学 の摂取 に
原治 郎 「
農 村 社 会 学 へ の 導 入 」余 田博 通 ・松 原 治 郎 編 著 「農 村 社 会 学 』 川 島書 店,1968年.
ど を参 照 。
25)た と え ば,猪
が,農
参照。
俣 津 南雄
「農 村 問 題 入 門』 中 央 公 論 社,1937年.ま
業 労 働 力 の 移 動 を 社 会 的 経 済 的 に,す
の 実 証 的 研 究 』 岩 波 書 店,1g42年
26)か と い っ て,決
ル クス 主 義 的 分 析 とは 異 な る
な わ ち 構 造 論 的 に論 じた も の と し て,野
尻 重 雄 「農 民 離 村
が あ る。
し て 融 合 した わ け で は な い.こ
展 開 』 お茶 の 水 書 房,1977(1959)年.と
pp.164・173を
た,マ
の 事 情 に つ い て は,村
くに 同 書 所 収 の,福
落 社 会 研 究 会 編 「村 落 共 同 体 論 の
武 直 「村 落 共 同 体 を め ぐ る討 議 」,
参照。
27)『 農 業 技 術 改 良 の 普 及 過 程 とそ の 要 因 に 関 す る研 究 』(愛
知 大 学 綜 合 郷 土 研 究 所 紀 要 特 輯 号),1962
年。
28)前 掲 『農 業 技 術 改 良 の 普 及 過 程 と そ の 要 因 に 関 す る 研 究 」,P.2。
29)高 山 隆 三 「農 村 社 会 編 成 の 論 理 と展 開 一 共 通 課 題 をめ ぐっ て 一 」 村 落 社 会 研 究 会 編 『村 落 社 会 研 究27」
農 文 協,1991年.PP.9-11,参
照。
30)高 橋 明 善 「農 村 社 会 編 成 の 論 理 と展 開 一共 通 課 題 を め ぐる 三 年 間 の 討 議 の 総 括 一 」 村 落 社 会 研 究 会 編
『
村 落 社 会 研 究27』 農 文 協,1991年.PP.21。
31)補 足 的 な言 及 にす ぎ な い が,村
を越 え た 新 しい ネ ッ}ワ
ー ク と して 「都 市 住 民 と農 村 の ネ ッ トワ ー ク」
が 指 摘 さ れ て い る 点 は 注 目 さ れ る 。 高 橋 「同 上 論 文 」,P.43。
も皆 無 で は な い.た
と え ば,徳
ま た 個 別 の 農 業 者 像 に 迫 ろ う とす る研 究
野 貞 雄 は個 性 的 農 民 の 「哲 学 」 に着 目 して い る 。 徳 野
る 農 民 の 新 た な対 応 」 村 落 社 会 研 究 会 編 『村 落 社 会 研 究26」 農 文 協,1990年.な
32農 民 と しな か っ た の は,企
「農 業 危 機 に お け
どを参 照。
業 家 的 に 発 展 し た者 も対 象 に 含 め た い か らで あ る 。 した が っ て こ こ で い う農
業 者 は 農 民 を も含 む 概 念 と して 想 定 して お り,peasant(農
に論 じ ら れ る な か の 農 業 者 の み を 指 す の で は な い.農
『文 化 人 類 学 事 典 』 弘 文 堂,1987年,PP.577-578,を
民)か
らfarmer(農
業 者)へ
と段 階 論 的
民 の 概 念 に つ い て は さ しあ た り,宮 本 勝 「農 民 」
参 照 した 。
33)河 村 「前 掲 論 文 」,PP.420-421。
34)同 上 論 文,pp.422。
35)同 上 論 文,pp.428-434。
36)Maxweber,So2ioloqischeGrundbeqriffe,1922(M.ヴ
ェ ー バ ー(清
水 幾 太 郎 訳)『
社 会学 の
基 本 概 念 』 岩 波 書 店,1972年.P,85)。
37)公 文 俊 平 「日本 社 会 の 組 織 化 原 理 」 濱 口 恵 俊
公 文 俊 平 編 『日本 的 集 団 主 義 』 有 斐 閣 選 書,1982年,
第4章.PP.91101。
38)わ が 国 農 業 を 「旧 大 陸 」 型 と位 置 づ け,そ
こ に お け る 地 域 の 重 要 性 を 「高 位 定 住 社 会 」 と い う概 念 で 捉
13
え よ う と した 研 究 と して,高
橋 正 郎 「地 域 農 業 の 組 織 革 新 」 農 山 漁 村 文 化 協 会,1987年,が
構 図 を借 りて い う と,地 域 的 個 性 の 重 視 と い う視 角 は,「
あ る。 この
新 大 陸 」 で あ る ア メ リ カ の 農 業,農
とす る場 合 に は そ れ ほ ど問 題 と な らな い と考 え ら れ る 。 そ の 意 味 で,こ
の 第3の
村 を対 象
視 角 は わが 国あ るい は
「旧 大 陸 」 農 業 の 分 析 に特 殊 な視 角 と い え よ う。
39)こ の こ と は 具 体 的 な地 域 に お い て,農
業 に お け る 「総 合 的 価 値 」 と は 何 か を 考 察 す る こ とに つ なが る 。
農 業 に お け る 「総 合 的 価 値 」 に つ い て は,祖
第26巻 第4・5号 合 併 号,1990年,を
40)近 年,い
田 修 「農 林 業 に と っ て 地 域 と は何 か 」 「農 林 業 問 題 研 究 」
参照。
わ ゆ る小 農 や 家 族 経 営 に 対 す る 再 評 価 の 動 きが 見 ら れ る 。 そ れ は 市 場 原 理 の み に よ る 農 業 分 析
の 限 界 とい う認 識 に 依 拠 して お り,本 論 と志 向 性 を 同 じ く して い る 。 た と え ば,玉
の 経 済 学 』 農 山 漁 村 文 化 協 会,1994年,第1章
と の 相 互 影 響 関 係 を,と
論 の 関 心 と は や や ず れ る が,経
傾 向 と して 指 摘 して お きた い 。 モ ラル
エ コノ ミー論 が
済 合 理 性 を越 え た 農 民 行 動 に 着 目す る
エ コ ノ ミ ー論 の 簡 単 な整 理 と近 世 農 民 社 会 へ の 適 用 例 と して は,
部 謙 一 「農 家 経 済 か らみ た 「モ ラ ル
「思 想 」No.794,1990年,が
域 の 個 性 的 秩 序 と経 済 合 理 的 秩 序
く に 歴 史 的 視 点 か ら明 ら か に し よ う とす る もの と して モ ラ ル
あ る 。 歴 史 分 析 が 中 心 の た め,本
た と え ば,友
な ど を参 照 。 ま た,地
真 之 介 『農 家 と農 地
ある 。
・14一
エ コ ノ ミー 」 論 一 家 族 経 済
慣習経済
市 場 経済 」
第!章
稲 作 地域 村 落 生 活 に お け るつ きあ い 関係 の ネ ッ ト
ワ ー ク と構 造 化
本章 の 課題 は,稲 作 村 落 を事例 と して村 落生 活 に お ける慣 習 的 つ きあ い関 係 の一 般像 を明 らかに す る
こ とにあ る。 つ きあい 関係 は,す で に述べ た よ うに,農 業者 が よ り経 営 的 な人 間 関係 を構 築 す る際 の基
礎 的 な モチ ー フに な る と想 定 され る と ともに,村 落 統合 の た めの 重要 な役 割 を果 た し,農 業者 の活動 に
対 して も大 きな影響 を及 ぼす と考 え られる か らであ る。 分析 手 順 と して は,ま ず つ きあ い関 係 の特 質 と
本 章の 具体 的課 題 を述 べ.次 に対 象 村 落 にお け る慣 習 的つ きあ い関 係 の実態 を分析 す る。 そ こか らつ き
あ い 関係 の特徴,お よび村 落 との 関連 を明 らか に し,農 業 者 に とって の慣 習 的つ きあい 関係 の 意義 を明
らか にす る。
1分
析 視 角 と して の つ き あ い 関係
戦 後 の 高 度 成 長 期 を経 て,農
業 者 に と っ て の 村 落 生 活 の 意 義 や 重 要 性 は,そ
べ る と低 下 し た と い え よ う 。 しか しそ れ は 際 限 の な い 低 下 で は な く,住
管 理 な ど か ら の 要 請 も あ っ て,現
第3章
れ以 前 に比
民 自治 や 地 域 資 源
在 で は む しろ下 げ 止 ま っ た 感 さ え あ る 。 と くに本 章 か ら
に か け て 対 象 事 例 と す る 近 畿 地 方(滋
強 さ が 多 方 面 に お い て 指 摘 さ れ て お り1},そ
賀 県)の
村 落 に お い て は,村
落 とい う集 団 の
れ は 農 業 者 の 経 営 的 展 開 を 考 え る 場 合 に も,
無 視 で きな い 前 提 条 件 とな っ て い る。
一方
,村
落 生 活 に お け る 関 係 を み る と,一
般 的 に み て 同 族 団 的 な 上 下 関 係 は 薄 れ,比
的 対 等 な 関 係 が 優 勢 に な りつ つ あ る と い え る 。 と り わ け 近 畿 村 落 に お い て は,同
族 関 係 化 」2)や
向 は,個
較
族 の 「親
「親 族 関 係 の 機 能 的 意 義 の 強 化 」3)が か ね て か ら 指 摘 さ れ て き た 。 こ の 傾
々 の 単 位(各
家 々)が
そ の 独 立 性 を 高 め な が ら.そ
の 結 果 と して 自 ら の 結 ぶ 関 係
を選 択 的 に 決 定 す る可 能 性 を拡 大 して きた こ との現 わ れ と考 え られ る 。 した が っ て 今 日の
村 落,と
り わ け 今 日 の 近 畿 村 落 を把 握 す る た め に は,個
る 視 点,す
々 の 単 位 が 取 り結 ぶ 関 係 を 分 析 す
な わ ち 個 々 の 単 位 が 結 ぶ 関 係 の ネ ッ トワ ー ク に 注 目 して 村 落 を 把 握 す る と い う
視 点が 必要 にな る。
以 上 の2つ
の 見 地 は 一 見 す る と 二 律 背 反 的 で あ る 。 す な わ ち,一
て の 強 さ が 主 張 さ れ,他
方 で は村 落 の 集 団 と し
方 で は選 択 的 な ネ ッ トワ ー ク 関 係 の 重 視 が み られ る の で あ る。 し
か し現 実 の 村 落 は こ の 二 律 背 反 に よ っ て 引 き 裂 か れ て い る わ け で な く,む
団 と して の 強 さ を 保 っ て い る 。 こ の2つ
の 対 立 項 の 統 合 問 題 を,つ
15・
し ろ ま さ し く集
きあ い 関 係 に着 目す る
こ とに よって解 くこ と,こ れが本 章 の 第1の 課 題 で あ る。
つ きあい 関係 は,さ
ま ざ まな互 助協 力,す
なわ ち労働 や生 活上 の協 同 な どの,い
わば生
活 の機 能 的側 面 を指標 とす る関係 で あ る。 しか も機 能 的で あ るが ゆ えに,実 際 的要 請 に応
じて選 択 的 に関係 を組 み替 える必 要 も出て くる。従 来 こ う した機 能 的 関係 は,よ
と考 え られ る村落 の構 造 的社 会 関係,す
た めの2次
なわ ち同族 や親 類,近
り根本 的
隣 関係 な どを明 らか にす る
的 な指標 と して捉 え られて きた4)。 しか し序 章 で もふ れた よ うに,農 業 者 の事
業 面 にお け る人間 関係 を考 える場合,そ
性 の接 点 と して,お
う した機 能的 側面 こそが,慣 習 規 定性 と選 択 可能
よび生 活 にお け る人 間関係 と農 業経 営 に関す る人 間 関係 の接 点 と して
重 要 に なる と思 われ る。 その 意味 で,本 章 は後 の章 の た めの基 礎 的考察 をお こな う役 割 も
持 ってい る。 主題 と して は村 落統合 の問題 を扱 うが,村 落 生 活 にお ける つ きあい 関係 の領
域 と,つ
きあい 関係 の特徴 も合 わせ て示 して お きたい 。 これ が第2の 課 題 で あ る。
ところで,こ
れ までつ きあい は交 際研 究 と してお もに民 俗学 の分野 で対 象 と され て きた。
福 田 アジ オに よる と,と
「つ とめ る」(帰
分類 に従 うと,た
くに村落 生 活 にお け る義 理 関係 は 「つ きあ う」(対
属 関係),「
つ くす」(上 下 関係)の
等 関係),
三 つ に分類 で きる とい う5)。 この
とえば村落 レベ ルの共 同作 業 は,「 ム ラづ きあい」 で は な く,む しろ
「ム ラつ とめ」 と呼 ば れ るべ きだ とい うこ とにな る。 本章 で は基本 的 に この分 類方 法 に従
い たい.そ
れ に よって,つ
きあい 関係 を対 等 的性格 をお び た二者 関係 と して捉 える こ とが
可 能 とな り,そ の ような性 質 を合 わせ もった視 点 こそが,前 述 の よ うに現 在 の村落 生 活分
析 に必要 だ と思 われ るか らで ある。
具体 的 なつ きあい の内 容 は,訪 問,贈 答,労
働協 力,手
伝 い な ど と し,こ れ らを相互 に
担 い合 う関係 をつ きあい 関係 と考 えたい 。村 落生 活 にお け るつ きあい を考 える場合,一
般
につ きあい 関係 の 範 囲 はむ ら人 に よって平 常 よ り観念 されて い る。言葉 が けや あい さつ を
含 め て考 え る こ と もで きるが6),そ
うす る と範 囲が む ら人全 体 に ひろが りか ね ない ので,
ここで は考 察 か ら除外 した い。
以上 の意 義 お よび内容 を もつつ きあい 関係 の ネ ッ トワー クか ら村 落 統合 を分析 す る場合,
個 々の ネ ッ トワー ク と村 落 とい う社 会 的枠 ぐみ との連 関が問題 に なる。 つ きあい 関係 の ネ ッ
トワー クは この連 関 を通 じて村 落構 造 と結 びつ くが,そ
の際 に個 別 の視 野 を もつ それ らの
ネ ッ トワー クは村 落構 造 と関連 すべ く構 造 化 され る と考 え られ る。 したが って,つ
きあ い
関係 か ら村落 を分析 す る こ とは,実 質 的 に はつ きあい 関係 の ネ ッ トワー クの構 造化 を問題
にす る こ とだ と換 言 で き よう。
・16
つ きあい 関係 に は親族 関係 も含 まれ るが,親
族 関係 は一般 に村 落 外 にひ ろが るので,視
野 的 にみたつ きあい 関係 は村 落 内で 閉 じてい ない。 こ う した形 態 を とる こ とか ら,つ きあ
い 関係 の ネ ッ トワー クの構 造化 を探 るため に,次
の2視
点か ら分析 を試 み た。① 個 別 のつ
きあいの単 位 にお けるつ きあい関係全体 と村 落 内つ きあい 関係 との関連 につ いて(第3節),
お よび② 全村 落 的 にみた村 落 内つ きあい 関係 の ネ ッ トワー クが村 落 ない し村 落 内集 団(事
例 で は宮座 集 団)の
なか で どの ような特 徴 を示 す か(第4節)で
ある。① で は,村 落 へ と
構 造化 され るつ きあい 関係 が個 別単位 の全 体 的つ きあい 関係 の 中で どの よ うに位 置づ け ら
れ るか を問題 に し,② で は.そ
こで性 格づ け られた つ きあ い 関係 が どの ように村 落 内で構
造化 され るか を問題 にす る。
次 節 で詳 し く述 べ る ように,調 査 対象 と した村落 には シ ンル イ と呼 ば れ る一 定程度 制 度
化 された つ きあ い 関係 が あ る。村 落 内つ きあい 関係 とは具 体 的 には その シ ンル イ を指す 。
つ きあい 関係 そ れ 自体が 制度 化 され てい る とい うやや 特殊 な事 例 を扱 う と もい えるが,そ
れゆ え にそ の構 造 化 の しくみ を明確 に捉 え うる とい う利 点が あ ろ う。 制度 化 の弱 いつ きあ
い関係 ηを も含 め た分析 に至 るた めの,第 一段 階的試 み として位 置づ けて お きたい。 な お,
② で村 落 内集 団 と して宮 座 集 団 を くわ えたの は,宮 座 が近 畿村 落 に特 徴 的 であ る とい う理
由 だ けで な く,集 団 と して の宮座 を最後 に若干 なが ら再 び考 察対象 に含 め たいか らで もあ
る。
2調
査 村 落 の概 況 とつ きあ いの 制度
1)難
波 の概 況
調査 村 落 は滋 賀県東 浅 井郡 びわ 町難 波 で あ る。 難波 は湖北 地 方 を流 れ る姉 川の下 流域 に
位置 す る村落 で,戸 数 は72戸(1989年
現 在)あ
る。水稲 作 をお もな生 業 と して きたが,か
つ て は養 蚕 が盛 ん で あっ た。 しか し養 蚕 は大 正初 期 を ピー ク と して しだい衰 退 し,そ れで
も1960年
には41戸 あ った養蚕 農 家 も現 在 で は ま った く消 えて しまった。 養蚕 と入 れか わ る
よ うに して,農 外就 業す る農家 が増 えて きた。 農業 セ ンサ ス に よる と,1960年
74戸 の うち農家 は65戸(農
あ った が,1985年
家率88%),そ
の うち第2種 兼業 農 家 が19戸(2兼
に はそ れぞ れ73戸,58戸(79%),54戸(93%)と
には世 帯 数
率29%)で
なっ てい る。近 く
に長 浜市 が あ るた め兼業 機会 も豊富 で,雇 用 は概 して 安定 的 であ る。
次 に土 地所 有 に よる階層構 成 をみて お きたい 。表11は,1887(明
(昭和62)年
治20)年
と1987
の 田畑 所 有面積 を各家 ご とに比 較 し規模 別 に ま とめ た もの で ある。1887年
17
に
は,田
畑 所 有 戸 が69戸
い て,古
あ り,そ
の う ち 不 明(現
老 の 記 憶 に な い 家)が5戸,絶
在 の 家 と の 関 連,あ
家 あ る い は 転 出 が25戸
け る 家 は 少 な く と も39戸 あ る 。 表 に 示 さ れ る よ う に,こ
した 家 の 方 が 多 い 。 一 方,分
畑 所 有 戸 の3割
表11田
るい は絶 家 や他 出 につ
あ る 。 他 方,難
の39戸
波 に 存 在 し続
の な か で は所 有 面 積 を増 や
家 や 転 入 戸 の う ち で 田 畑 を 所 有 す る 家 は22戸
あ り,現
在の田
強 を占め る。
畑 所 有 面 積 規 模 別 戸 数 の2時
点 比 較(1887年;1987年)
単 位:戸
1887(明 治20)年
分1
家9
0.3haO,30.51.01,52.03.Oha・8
以下 ・ 田
田
肚
焚年
0.51.01.52.03.0計
所 有 な
し1-一
gO,3ha以
80
一
一
一11121
一611
.3∼0.53-2-一
0.5∼1.Ol24-一
昭1
和
一
下3-11-一
一
一8137
一
一411
一
一11
,0∼1.51155-1-215
)年
621.5∼2.01-23--118
2.0∼3.0-一
3.Oha以
一
上
一
一
一
一
一1-一
一
一1
転 出 ・絶 家11661-1一
不 明4-1-一
1887年
注)1887年
一
一
計2592111-21
の 所 有 田 畑 な し の 家 は,屋
敷 地 の み 所 有 の1戸(転
出)を
確認 し
うる以 外 は 不 明 な の で表 か ら除 いた 。
家 々 に入 れ替 わ りが あ り,存 続戸 の盛 衰 もみ られるが,両
ほ どの大 差 はない とい え よう。1887年
の3.Oha以 上 の1戸(家
してい るが,そ れ で も全戸 の総 所 有面積 の約1割
年 の 階層構 成 につ いて はそ れ
番 号404)は4.5haと
にす ぎない.聴
や や突 出
き取 りに よる と,こ の間
も階層構 成 に大 きな変 化 は なか った とい うこ となの で,階 層構 成 的 に は比 較 的安 定 した村
落 とい え よ う。
図11は1987年
現 在 での 田所有 お よび田耕 作面 積 を各 家 ご とに示 した もの で あ る。田畑
所 有 面積順 に各家 を並 べ たの は,か つ ての養 蚕 の重 要性 を考慮 す る とき,桑 園 を含 む 田畑
合 計 の方 が 中長期 的 視 点か らみた村 落 内 の階層構 造 を よ り反 映す る と考 え たか らで あ る。
0.5ha未 満層 の 非耕 作者 化 が広 くみ られ る こ と,1.Oha前
が少 な くない こ とが この 図か ら知 られ る。
・18・
後の 所 有層 におい て も非 耕作者 化
図11各
家 の 田所有
・耕 作 面 積(田
畑 所 有 面 積 順1987年)
702◎
709(>r●
701
305
402
607●0
708◎
502
408◎
506
111
}81
家lll
804●
番805ひ
1070-一
一 一〇
一〇
一一■●
万
口606●0
801◎
306◎
503
5010-一
101◎
■●
i§i鬼
803●-0
6030
207
111
106
608
1090・
●
105
802●
一 一 一 ■一 一一 〇
505
303
604
406
202
301
201
602
401◎
1080-一
203◎
●
404
206
205◎
504
706
6050同D
601
405
204●
一
一一 〇
110
01
.02.03.0猛
注)α)○:田
所 有 面 積,●:田
「
耕 作面 積 を表 わ す 。
(2)102,113,208,209,210,307,703,704,705,707,808,810は
304,112は
(3)家
畑 の み 所 有 ・耕 作 な の で,図
番 号 の つ け 方 は 図1-2注
田 畑 所 有 ・耕 作 な し,
に は あ げ て い な い.
を参 照 。
-19・
難 波 にお け る宮 座 は オ コナ イ組 と呼 ばれ る。 オ コナ イ とは近江 湖北 地 方一 帯 にひ ろ く分
布 す る宮座 行 事 で あ り,難 波 で は毎 年1回2月13日
は鍛 冶組
中組,西
か ら17日 の期 間 に催 され る8)。 難 波 に
組 とい う三つ の オ コナ イ組 が あ り,ま ずそ れ ぞれ の組 の トウヤ(当 屋)
で独 立 して行事 が 進 め られる。 そ して最後 に八 坂 神社 とい う村 落唯 一 の神社 に3つ
そ ろい,合
の組 が
同で祈 年 祭 をお こな う。 難波 に居 住 す る世帯 に生 まれ た男子 で あ り,一 定 の手
続 きをふ ん だ な らば,だ
いて は長 老(オ
れで もそ の世帯 が所 属 す る オ コナ イ組 の成 員 にな れ る。 行事 にお
トナ),中
1989年 現 在,4戸
老 な どの年齢 階梯 に よって座順 や役 割 が決 定 され る。
を除 く68戸 が3つ の いず れか の組 に属 して い る9)。 古 くは同 じ組 の家
はか た まっ てい た と伝 え られ るが,現 在 で は分散 して い る(図12参
照)。
分家 は本 家 の
オ コナ イ組 に入 る こ と,集 落 内で の転居 の例 もい くつ か み られ る こ とな どが,居 住 地 め分
散 の 主要 な原 因 に なって きた と思 わ れ る。
図12調
蒲轍
査村 落 にお ける家 の配 置 と組
蕎撫 …
…
魏、
蜘
猫鋤
箭
鋤刎
茎 熱
翠欝 ・1繍躯
注)α
〕 △ が 鍛 冶組,○
饗群
が 中組,◇ が 西 組,口 が ナ コナ イ組 に所 属 し ない 家 を表 わす 。
②
家 番 号 の3ケ タ 目は,隣 保 組 で あ る班 の 番号 を表 わ す 。
⑧
④ ∼⑥ は隣 村 落 の家 で あ る。 本 文 注13参 照。
(4)一
一一 一一 は村 落 境,一
は 小 水 路 を表 わ す 。
20一
2)制
度 と して の シ ンル イ
近 江 湖 北 地 方 や そ の 南 の 湖 東 地 方 の 村 落 に は,一
般 に シ ンル イ と呼 ば れ る つ き あ い 関係
の 組 織 が ひ ろ ぐ み ら れ る10)。 シ ン ル イ は 個 々 の 家 に よ っ て そ の 範 囲 が 異 な る ネ ッ ト ワ ー ク
的 形 態 を と り,後
結 婚 式,誕
述 の よ う に そ の 範 囲 は 個 々 の 家 に と っ て 一 応 明 確 で あ る 。 葬 儀 や 法 事,
生 な ど の 際 の 協 力 や 贈 答,そ
お こ な わ れ る 。 古 老 の 話 に よ る と,明
い た11)。 学 校 で"し
ん る い"と
の 他 の 日常 的 な 互 助 な どは こ の 組 織 を 中 心 と して
治 か ら大 正 初 期 の 頃,こ
の 組 織 は イ ッケ と呼 ば れ て
い う 言 葉 を 習 う に つ れ て 呼 び 名 も変 化 し た の で は な い か と
い う。
い わ ゆ る 親 類 関 係 と 違 っ て,シ
ン ル イ に は 血 縁,姻
結 合 契 機 を ま と め る と つ ぎ の6つ
a系 譜,同
姓 関 係 に よ る もの
b血 縁,姻
戚 関 係 に よ る もの
戚 関 係 以 外 の 結 合 契 機 が み られ る 。
に な る12)。
c仲 人 関 係 に よ る も の
d近 隣 関 係 に よ る も の
e他 の 家 を 媒 介 と す る 関 係 に よ る も の
fそ の 他(寺
檀 関 係,チ
カ ヅ キ,古
い シ ン ル イ な ど)
aの う ち,系
譜 関 係 に よ る もの は ドウケ と呼 ば れ る。 そ の 中 に は系 譜 関 係 が 定 か で な い
もの も 含 ま れ て い る 。 同 姓 だ か ら と い う 関 係 もaに
変 化 し な い と い う 理 由 の ほ か に,認
含 め た 。 代 替 り して も 関 係 が 基 本 的 に
識 さ れ る 系 譜 深 度 が 浅 い こ の 村 落 に あ っ て は,同
姓だ
か ら と い う 場 合 と 系 譜 は 不 明 だ が と に か く ドウ ケ と い う 場 合 の 区 別 が つ き に く い と い う こ
と も あ る.
bは 一 般 に い う 親 類 で あ る が,aと
て,あ
る シ ン ル イ を こ こ で い うa,bの
の 区 別 は あ い ま い な と こ ろ が あ る 。 聴 き取 り に お い
ど ち ら に 分 類 す る か 話 者 自 らが 迷 う と い う 事 態 に
し ば し ば で く わ し た 。 こ の 問 題 に つ い て は,第4節
に お い て 親 等 距 離 とシ ンル イ の 関 係 を
検 討 す る 際 に 再 度 ふ れ る こ と に す る.
cは ナ コ ウ ド(仲
的 に は.ナ
人)を
し た り,し
て も ら っ た り した と き に 結 ば れ る 関 係 で あ る 。 基 本
コ ウ ドを し た 者 さ れ た 者 が 生 存 して い る 間 の 一 代 限 り の 関 係 で あ る が,そ
れ の 側 が 次 の 代 に な っ て も 関 係 を 続 け て い る 例 が 若 干 み ら れ る 。 ま た,結
渡 し を お こ な っ た 関 係(ハ
シ カ ケ)に
選 択 性 の き く結 合 契 機 だ が,シ
れぞ
婚 の 実 質 的 な橋
よ る も の も こ の 範 疇 に い れ た 。 ナ コ ウ ドは あ る 程 度
ン ル イ の 数 を あ ま り増 や し過 ぎ た く な い と い う 考 え も 強 く,
21
す で にシ ンル イ関係 を結 んで い る家 にナ コウ ドを頼 む こ と も多 い よ うで ある。
dは 一 般 に トナ リシ ンル イあ るい は トナ リ と呼 ばれて い るが,そ
の 中 にはか つ て トナ リ
であ った家 との 関係 も含 まれ る 。 ある家 が集 落 内で移 転 した場合,か
つて の トナ リ関係 が
以 前 同様 に継続 され る こ とが あ る。 このい わば 「モ トの トナ リ」 関係 も意識 の面 で は トナ
リ関係 と同 じなので,こ
の分 類 に含 め た。 た だ し,移 転 後 も必 ず 「モ トの トナ リ」 をシ ン
ル イ とす る とはか ぎ らない 。
eは,た
るC家
とえばA家
もA家
とB家 が 比較 的 近い シ ンル イ 関係 にあ る と き,B家
の シ ンル イで あ
とシ ンルイ に なる とい う関係 を表 わ してい る。分 家 が本家 を媒介 と して本 家
の シ ンル イ とシ ンル イ関係 を結 ぶ パ ター ンが最 も典型 的で あ る。
fの うち,寺 檀 関係 につ いて 。難 波 に は浄 土真 宗 の2つ の寺(養 本 寺 と唯願 寺)が
難 波 内の23戸 が養本 寺 の檀 家,同
じ く44戸 が 唯願 寺 の檀 家 とな ってい る*。
あ り,
この うち養本
寺 は寺 檀 関係 にあ る家 すべ てが シ ンル イで あ る と考 えて い るが,唯 願 寺 はそ の一 部 を トナ
リ と して 認 めて い る にす ぎない。 チ カヅキ は友 人関係(ツ
レと呼 ば れ る)に 基 づ くもので
あ るが,「 兄弟 の杯 」 をへ て シ ンル イ に なった もの もあれば,そ
ル イに な った もの もあ る。 その ほか,村
う した儀 式 を経ず にシ ン
入 りした者 とそ の ときの 区長 とい う関係 が シ ンル
イの結 合契 機 とな った り,結 合 契 機 が定 か で な くな り 「家 シ ンルイ」 とか 「昔 か らの シ ン
ルイ」 な ど と呼 ばれ る ように なった古 い シ ンル イ もここに含 めた 。
*そ の他は村落外の寺の檀家が二戸,天 理教が一戸である。
一方
,関 係 の強 い弱 い あ るい は濃 い薄 い とい う区別 も存 在す る。二段 階か ら三段 階 に分
け られ るのが ふつ うだが,そ
の違 い に よって行事 の 際の役 割 や贈答 の量 な どが異 な って く
る。最 も関係 が濃 い家 々は オモ シ ンル イあ るい は アイ アケ(ま た は ア イア ケ グチ)と 呼 ば
れ る。 ただ し,ア イ アケ が親族 関係 の あ る家 を指す の に対 し,オ モ シ ンル イは親族 関係 以
外 の家 で あ って もよい。 た とえば トナ リシ ンル イ は,オ モ シ ンルイ に な るこ とはあ って も
アイ ア ケ とは呼 ばれ ない。 また次 節 で述べ る よ うに,ア イ アケ には他 所 の家 も含 まれ る。
それ に対 して オモ シ ンル イ は村 落 内 の家 につ い ての み用 い られ るの が通 常 であ る。
どこの家 とシ ンル イで あ るか は,各 家 ご とにか な り明確 に認識 され てい る。 しか も相 互
認 知が た て まえで あ り,シ ンル イ関係 を解 消 す る場合 に は 「シ ンル イ を引 く」 とい うこ と
が 両家 の 間で 申 し合 わ され る。 したが って,各 家 を訪問 し,「 あ なた の家 の シ ンル イ を教
えて くだ さい」 と尋 ね る と一応 はっ き りと した答 えが え られ る。 表12は,こ
・22・
の よ うな調
査 方 式 に よ っ て え ら れ た 結 果 を 結 合 契 機
お よ び オ モ シ ン ル イ か ど う か,相
い る か ど う か を 指 標 に ま と め た も の で あ る*。
相 互 選 択 率 が100%に
互 選 択
さ れ て
な ら な い の は.家
々 の
間 で の 認 知 の ず れ に よ る 。
*調
査 期 間 は1987年
か ら90年
にか けて で あ る。
表12結
合 契 機 別 シ ン ル イ 数
シ ンル イ選 択数 ⑦
構 成比
オ モ シ ソル イ
シ ソ ル イ相互
オ モ シ ンル イ
選択数⑦
選択 数⑫
相 互 選 択数 ㊥
オモシγルイ率
相互 選 択 率
⑦/⑦
相互選択率
㊥/⑦
㊥/⑦
例%例%例%例%
全 体805100.019724.472790.313267.O
aド
ウ ケ ・同 姓12615.66652.412296.8
b血 縁 ・姻 戚14518.09062.ll3895.2
cナ
コ ウ ド9111.34549。58795.6
c'ナ コ ウ ドの み728
,92738.06894.4
+ト ナ リ と 重 複
dト ナ リ31038.5289.028491.6
d'ト ナ リの み28034.893.22569L4
e他 の 家 を 媒 介 と789.745.16887.2
す る シ ソル イ
fそ の 他10412.911.07572」
注)(D相
互選 択 の関 係 数 は,未 調 査 戸 に 関 す る関 係が 相 互 選 択 で あ る と仮定 して求 め た。
②
各 契機 の相 互 選 択 数 に は,選 択 した 契 機 と選択 さ れ た契 機 とが 異 な る場 合 も含 まれ てい る。 た と
えば,一 方 が ドウ ケ と して選 択 した と ぎ,相 手 方 が そ れ 以外 の契 機 に よ る シ ソル イ と して選 択 して
い て も,シ ン ル イ と考 え てい るか ぎ り相 互 選 択 と した 。
(3)「 ナ 「 ウ ド」 と 「トナ リ」 は他 の 契 機 との 重複 がみ られ る。 た だ し,c',d'の
重 複 が避 け られ,a+b+c'+d'+e+f=全
全 体 の シ ン ル イ 選 択 数 は805で,そ
の う ち 約4分
の1が
れ ら は ほ ぼ 村 落(=ザ
イ シ ョ)内
オ モ シ ン ル イ で あ る 。 調 査 戸 数 は69戸(3戸
あ た り の 平 均 シ ン ル イ 数 は11.7戸,同
ー オ モ シ ンル イ の 相 互 選 択 率 は
,シ
で 閉 じて い る13)。 そ
は 調 査 不 能)な
じ く オ モ シ ン ル イ 数 は2.9戸 に な る.オ
の で,1戸
モ シ ンルイ
ン ル イ ー 般 の 相 互 選 択 に比 べ る とだ い ぶ 低 い 。 この 調
査 で は オ モ シ ン ル イ か そ う で な い か と い う 二 分 類 を と っ た が,先
程 度 を3分
よ うに集 計 す る と
体 とな る。
類 ぐ ら い に 分 け て 考 え る 場 合 も あ る の で,そ
述 の よ う に,つ
きあ い の
れ に よ る 行 き違 い も影 響 して い る
か も しれ な い 。
各 結 合 契 機 別 に み る と,ま
ず 構 成 比 で は 「dト ナ リ 」 の 比 率 が 最 も 高 い14}。 他 の 結 合 契
機 と の 重 複 分 を 除 い た 「d'ト ナ リ の み 」 で も全 体 の3分
・23一
の1以
上 を 占 め て い る。 しか し オ
モ シ ンル イ に注 目す る と 「aド ウケ
同姓」,「b血
縁 ・姻戚 」 に よる ものが多 くなる。
結 合契 機 に よるシ ンル イの 重要 度 の違 い だ とい え よ う。 ただ し,d'な
ど比 較 的重 要度 の低
い と思 われ る結合 契 機 の シ ンル イで あ って も,オ モ シ ンル イが ま った く皆無 で は ない こ と
に注 意 して お きた い。 結合 契 機 ご との相互 選択 率 につい て は,「e他
の家 を媒介 とす る」
もの と 「fそ の他 」 が全体 の平均 を下 回 ってい る。 これ らの シ ンル イが 他 の結合 契 機 に比
べて周縁 的 なシ ンル イで ある こ とを裏付 けてい る。 そ れ に対 して,a,b.「cナ
に よる シ ンル イは いず れ も相 互 選択 率 が95%以
コ ウ ド」
上 と高 い.
この よう にシ ンル イは結合 契 機 に よる軸 とつ きあい の深 さ を示 す 軸 に よって分類 され,
実際 生活 上 そ の分類 が意味 を もって い る よ うに思 わ れ る。 シンルイが この ように分類 され,
か つ制 度化 され るの は なぜ か 。 この点 に関 して次節 で は内容 に立 ち入 って考察 をお こな う
が,そ
の前 に当該 村落 にお け るシ ンル イ と農業 との 関連 につ いて 簡単 に触 れ てお きたい。
3)農
業 とシ ンルイ
まず,農
業 にお け る共 同の機会 と して農業 機械 の共 有 が あ るが,難
善事 業 を契 機 に設 立 され た村 落 レベ ルの生産 組織 に よって機械(ト
波 で は第2次 構 造改
ラク ター,コ
ンバ イ ン)
が 共 同所 有 され て お り,し か も田植 機 はすべ て個 人 有 で あるか ら.数 戸 単位 で の主要 農業
機械 の共 同所 有 は み られ ない。 また,30a区
画 の 圃場 整 備 も20年 程前 に完 了 し用排 水 も分
離 したの で,機 械 所 有 や耕 地 の隣接 に よる二 者 関係 的 な農家 相互 の 関係 性 は一般 に きわめ
て弱 い。 そ れ らは村 落 レベ ル での 関係 が主 なので,本 章 第1節
の福 田 の分類 で い えばむ し
ろ 「つ とめ る」 関係 に近 い とい え よう15)。
農 地貸借 につ い てみ る と,1987年
は968aで
時点 の村 落 内で の貸 借 関係 は40組 あ り,そ の合 計面 積
あ った 。 その うちシ ンル イ問で の貸借 の比 率 は関係 数 で45%,面
た。前 項 で述 べ た よ うに,1戸
積 で37%で
あっ
あ た り平 均 シ ンル イ数 は約12戸 で あ るか ら,あ る家 を中心
に して単 純 に考 えた場合,17%(12戸/72戸)の
家 々 に37%の
農地 を貸 し付 け てい る こ と
になる 。農 地貸借 とシ ンル イ との あ る程 度 の 関連性 を指 摘 で きよ う。
しか し,農 地 貸借 関係 が シ ンル イの契 機 とな った事 例 は1例
もない 。 また,一 方 で は近
い シ ンル イ に農 地 を預 けたい とい う希望 は聞 かれ た もの の,他 方 で は農 地の貸借 とつ きあ
い関係 とは別 だ とい う意見 も聞か れた 。農 地貸 借 関係 とシ ンル イ との関連 につい て は,再
度,第3章
におい て取 り上 げ るが,現 在 の難波 の農業構 造 におい て はす で にシ ンル イ内 に
耕 作者 を見 つ け る こ とが 困難 に な り,そ れゆ え にシ ンル イ以外 の家 々 との貸借 関係が 増加
して い る と も考 え られ る。 た だ しその場 合,ラ
24
ンダム に貸 借 関係 が広 が っ てい くの で はな
く,次 の段 階 と して 同 じ村 落 成員 へ の貸付 とい う作 用 が働 く。
同 じ く1987年 時 点 での村 落 を越 えた農 地貸借 は,村 落外 農 業者 へ の貸 付 が465a,村
外 所有者 か らの借 入 が108aと
%と な る。 こ う した比 率 は,た
なって い る。村 落 内貸借 の比 率 は,貸 付 で68%,借
落
入 で90
とえば農 地 を集積 す る中核 的農 家 が その村 落 内 に存 在 す る
か どうか に大 き く影 響 され よ う。 しか しなが ら,こ れ もまた第3章
で再説 す るが,農
地貸
借 を村 落 内 に留 め よ う とす る一定 の志 向が存 在 す るの も確 か で あ る。 そ の意 味 で,上 記 の
村落 内外 貸借 関係 の比 率 は属 人 的 な区別 に基 づ い てい る ので,自
分 の村落 の 範域 外 に農 地
を所 有 してい る場合 に は,村 落外 貸借 が増 加す る こ とも考 え られ る。
ともあれ,こ
こで も村 落 とい う集 団全体 が 浮 か び上 が っ て くるの で あ る。 したが ってつ
きあい 関係 は,単
に二者 関係 と しての 農地貸借 の問題 の み な らず,構 造 化 され村 落 の統 合
に一 定 の役 割 を果 たす とい う面 におい て も,村 落 集 団 を媒介 と しつ つ 農業 の展 開 と密接 に
関連 す るの で あ る。
3P家
にみ るつ きあい 関係 とシ ンル イ
本 節 で は難波 内 の あ る家 を と りあげ,い
くつ かの 機会 にお け るつ きあ いの範 囲 と内容 を
明 らか にし,そ こ におけ るシ ンル イの位 置 を考察 する.と
記述 の便 宜上 この家 をP家
りあ げ る家 は家番 号202で あ るが,
と呼 ぶ.
図13P家(202)の
家 族構 成
「偽 ○ ○ 巧
P5△
P家 の 現 在 の 家 族 構 成 を 図1-3に
生 で あ る 。1887年
が,1987年
表1-3がP家
「㌃ △ 馬
△P6
示 した 。P1は
に は1.24haの.1987年
元 中 学 教 員,P4は
に は1.28haの
部 で15戸
あ る が,302は
か る よ う に 現 在 は 難 波 に 住 ん で い な い 。 し か し,シ
う 。 ア イ ア ケ と 呼 ば れ る 関 係 の 濃 い 家 は.結
学
田 畑 を所 有 す る 古 くか ら の 家 で あ る
現 在 は田 のすべ て を 「
小 作 」 に 出 し て い る(図11参
の シ ン ル イ で あ る.全
銀 行 員,P5P6は
照)。
図11に
な い こ とか ら もわ
ン ル イ づ き あ い は 今 も続 け て い る と い
合 契 機 分 類 の 記 号 が 大 文 字 に な っ て い る4戸 で
25
あ る 。 た だ し,ア
イ ア ケ と 呼 ば れ る 家 は ザ イ シ ョ外 に も あ る 。 そ う し た 他 所(タ
ア イ ァ ケ を 示 し た の が 表1-4で
あ る 。 そ れ ら はP家
の 場 合,p1の
姉 の 嫁 ぎ先,お
シ ョ)の
よ びp2,
p4の 親 元 か ら構 成 さ れ て い る 。
表1-3P家
家翻
の シ ン ル イ とそ の 間柄
契類
分
機
間 柄1989年
406Bp1の
兄 が 子 養 子 に 行 っ た2(p且
のB)
ナ ジ(父
の 弟)が
子 養 子 に 行 っ た4(p旦
のFbS)
の 祖 父(父
の 父)が
こ こ か ら 子 養 子 に 来 た7(p1のFFBSSS)
206BPIの
203Bp匡
等 距 離 現在 の最 短親
204Bp2の
姉 が 嫁 入 り し て い る2(p2のZ)
105bp且
の 祖 父(父
の 父)の
605b現
世 帯 主 がp2の
405dト
ナ リ
301dト
ナ リ
201dト
ナ リ
イ ト コ(母
303e406を
媒 介 とした
306e206を
媒 介 と した
807e405を
姉 が 嫁 入 り し た7(plのFFZSSS)
の 姉 の 子)4(p2のMZS)
媒 介 と した
505f商
売 を して い た と き505か ら働 き に ぎ て い た
103f寺
檀関 係
(302)e105を
媒 介 とした
注)q)契
機 分類 の大 文 字 は,ア イ ア ケを さす。
②
契機 分類 の記 号 に つ い て は,前 節 参 照。
(3)親 族 関 係記 号 は,F:父,M:母,S:息
子,Z:姉,B:兄,b:弟,W:妻
を表
わ す。
表14他
所 の ア イ ア ケ(1989年
間柄
略称
ら の 機 会 に 贈 ら れ た 香 典,祝
居住地
Plの 姉(の
嫁 ぎ先)Zl隣
町
Plの 姉(の
嫁 ぎ先)Z2町
内他 村 落
plの 姉(の
嫁 ぎ先)Z3町
内 他村 落
p1の 姉(の
嫁 ぎ先)Z、
奈良市
p2の 親 元
隣町
p.の 親 元
長浜市
と り あ げ る つ き あ い の 機 会 は,P1の
儀,見
現 在)
父 の 葬 儀,P3とP4の
結 婚,P1の
入 院 で ある。 そ れ
舞 な ど の 金 品 を 考 察 の 中 心 と す る が,協
会 に つ い て は そ の 形 態 に もふ れ た い 。
・26・
力 が 必 要 な機
1)p1の
父 の 葬 儀(1965年)
葬 式 は 急 な 出 来 事 な の で,多
亡 く な る と ま ず,葬
要 請 が,ア
数 の 人 々 の 協 力 を 必 要 とす る.
式 の 日 取 りが ア イ ア ケ の 家 の 間 で 決 め ら れ,そ
の 日取 り と 手 伝 い の
イ ア ケ 以 外 の ザ イ シ ョの シ ン ル イ に 伝 え ら れ る 。 そ の 伝 令(葬
式 プ レ)は
ザイ
シ ョ の ア イ ア ケ の 中 で 最 も近 い 家 の 男 性 が お こ な う 。 手 伝 い の 人 数 は ア イ ア ケ の 家 が 可 能
な 限 り全 員 で あ る の に 対 し,そ
れ 以 外 の シ ン ル イ は1軒
あ た り2人,ふ
つ うは一組 の夫婦
が 手 伝 い に で る 。 ザ イ シ ョ の ア イ ア ケ は 他 の シ ン ル イ が 集 ま る 前 に 飾 り物 の 材 料 や 食 事 の
材 料 を 買 い そ ろ え る 。 そ して,夜
食 べ 物 を 準 備 す る 。10軒
伽(通
夜)の
日 に シ ン ル イ が 手 伝 い に 集 ま り,飾
ぐ ら い の シ ン ル イ が な い と飾 り付 け な ど が う ま くい か な い とい う 。
夜 伽 の 日 の 夕 方 か ら 「く や み 受 け 」 が 始 ま る 。 そ の と き.後
銭 」 とか
で 述 べ る 香 典 の ほ か に 「奏
「放 り銭 」 と 呼 ば れ る もの も よせ ら れ る 。 こ れ は シ ン ル イ 以 外 の ザ イ シ ョ の 家 々
全 部 か ら持 参 さ れ る の だ が,こ
ら れ(イ
り物 や
ッサ ン),配
れ 用 に あ ら か じ め 喪 家 か ら,そ
ら れ た 家 は そ れ 以 上 の 金 額 を 「暴 銭 」 と して 喪 家 に も っ て く る 。 イ ッ
サ ン は ザ イ シ ョの 近 い シ ン ル イ が お こ な う が,ア
葬 儀 は 現 在,寺
終 わ る と,死
れ らの 家 々 全 部 に お 金 が 配
で お こ な わ れ る 。 ま た,1975年
者 の 子 や 兄 弟 姉 妹,イ
ト コ.他
そ れ 以 外 の シ ン ル イ は ザ イ シ ョ に 残 り,飾
イ ア ケ に 限 られ て は い な い 。
く らい を境 に して 火 葬 に な っ た 。 葬 儀 が
所 か らの 会 葬 者 は棺 と と も に火 葬 場 へ い く。
り もの な ど を墓 地 で燃 や す 。
近 年 の 一 般 的 な葬 儀 を シ ン ル イ の協 力 とい う点 に しぼ っ て 手 短 か に述 べ た 。 親 等 距 離 が
近 く,し
き た り を 知 ら な い 他 所 の ア イ ア ケ よ り も,ザ
イ シ ョの シ ン ル イ,と
くに ザ イ シ ョ
の ア イ ア ケ が 中心 と な る こ とが わ か る 。
p1の 父 の 葬 儀 に お け る 夜 食 見 舞.供
が 表15,そ
あ っ た 。 表15の
あ っ た 。 ま た,表1-6は
香 典 額 を み る と,他
1-6か
あ る 。 香 典 等 の持 参 者
最 下 に あ げ た 「p1の 父 の 弟 」 は こ の 時 点 で は ア イ ア ケ で
ど の ア イ ア ケ 関 係 の 持 参 者 か とい う こ と を 主 に し て 分 類 し た16)。
所 の ア イ ア ケ は 全 戸 が5,000円
のア・
イア ケ は406と206,つ
あ り,香
典 を ア イ ア ケ と シ ン ル イ に つ い て ま とめ た の
れ 以 外 の 香 典 等 持 参 者 に つ い て ま と め た の が 表16で
は 全 部 で115例
5,000円
物,香
以 上 と な っ て い る の に 対 し,ザ
ま り死 者 の 兄 と 息 子 の 家 だ け が5,000円
以 上 の 香 典 を持 参 し た 家 は,死
イシ ョ
以 上 と な っ て い る.
者 か ら み た 嫁 の 親 元 を 除 け ば い ず れ も2親
等 以 内で
典 額 は ア イ ア ケ か ど う か よ り も親 等 距 離 と密 接 に 関 連 し て い る と 考 え ら れ る 。 表
ら こ の 当 時 の 平 均 的 香 典 額 は1,000円
程 度 だ と 考 え ら れ る の で,203と204の
は そ れ よ り も や や 多 い に す ぎ ない 。 ア イ ア ケ 以 外 の シ ン ル イ に つ い て も,香
27・
香典額
典 額 はザ イシ ョ
内 だ か ら と く に 多 い と い う わ け で は な い 。 つ ま り,香
典 額 に つ い て は ア イ ア ケ か ど うか あ
る い は ザ イ シ ョ内 か ど うか とい う 区 別 は あ ま りな い とい え る 。
表15P1の
父 の 葬 儀(1965年)に
お け る ア イ ア ケ ・シ ン ル イ の 香 典 等
ア イ ア ケ ・シ ソ ル
イ の家 番 号等
香典 額
夜 食 見舞
ザ
イ406餅
シ
夜 食 見舞
供 物(円)
もな か
ョ206餅
菓 子
ア203も
イ
なか
カ ス テ ラ1
ァ204五
ケ
目飯
も な か1,500
リ ソ ゴ6
,500
105も
なか
605も
な カ・
も な カ・1000
405も
な か
カ ス テ ラ1300
謬3・1五
目飯
軒1…
他201五
の303五
シ
ン306500
ノ
レ
目飯
目飯700
カ ス テ ラ1000
イ807も
505も
,000
蓮 花5,000
酒1000
な か700
な か700
103菓
子500
(302)パ
ソ1,000
Z寿
司500し
き び 等6000
司,酒500し
き び 等5500
他Z寿
事Z餅
イZ果
ア
ケPの 親元
pの 父の弟
物
酒
しきび等
果物
しきび等5000
寿司5000
餅
・…
果物5000
こ の こ と は 白 米 に よ る 香 典 の 時 代 と 比 べ る と興 味 深 い 。 そ の 当 時,香
升 香 典 と に 大 き く区 分 さ れ て お り,オ
モ シ ン ル イ な ら五 升 香 典,そ
升 香 典 と い う よ う に 決 ま っ て い た と い う 。 した が っ て1965年
典 は 五 升 香 典 と三
れ 以 外 の シ ンル イ は 三
時 点 で す で に,少
な く と も香
典 額 の 基 準 と して の オ モ シ ン ル イ ー そ の 他 シ ン ル イ の 区 別 は 弱 ま っ て い た と い え る の で あ
る。
ザ イ シ ョ の 内 外 あ る い は ア イ ア ケ か ど う か と い う 違 い が 明 確 に 現 わ れ る の は,夜
きの 食 べ 物 の 贈 与 で あ る 。 ア イア ケ
シ ン ル イ 以 外 を み る と,夜
伽 の と
食 見 舞 を した 者 は ザ イ シ ョ
内 の 友 人 を 除 く と概 して 香 典 額 も 多 い 。 と こ ろ が ア イ ア ケ や そ の 他 の シ ン ル イ は,香
の 少 な い 家 で あ っ て も ほ と ん ど が 夜 食 見 舞 を お こ な っ て い る 。 ま た,ア
シ ン ル イ は,そ
ま ら な い の で,事
典額
イ ア ケ とそ の 他 の
れ ぞ れ の 家 が 思 い 思 い の 食 べ 物 を 持 参 す る と必 要 な も の が 必 要 な 量 だ け 集
前 に 持 参 物 の 内 容 の 調 整 を お こ な う17)。 つ ま り ア イ ア ケ と そ の 他 の シ ン
ー28一
表16P1の
父 の葬 儀(1965年)に
おける
そ の他 の香 典等 持参 者 の構 成 と贈 与 内容 別件 数
難
撫
親等馳
ど・
磐
鱗
纂 供物 、,。
。
。2、
。。
。欝i男1。5。 。3。
。以下
件
件
件
件
件
件
件
件
件
406系1-2111
206系1-222
203系1-2413
204系1-211
Z、系1-23212
SWF11
ザ イ シ ョ ア イ ア ケ321
Z2系1-23113
ザ イ シ ョ ア イ ア ケ11
Z3系1-233
3-4211
ザ イ シ ョ ア イ ア ケ321
Z{系1-244
職 場99
職 場(団
p2の
親 元 系1-211
p1の
父 の 弟 系1-266
体)11零
3-4211
SWFll
p匡の 母 系(母
起 点)35312111
p皿の 職 場 関 係
職 場431
職 場(団
そ の 他 親 族(死
体)62112
老 起 点)3-431111
511
そ の 他11
友 人 そ の他
ザ イシ ョ内
死 者 の オ 「 ナ イ ツ レ5214
そ の 他3211
そ の 他(団
ザ イ シ ョ外
体)2111
死 者 の ツ レ431輯'
そ の 他981
言十941207411234344
注)(nゆ
欄 の 数 字 や 関 係 は,と
な お,関
く に 指 定 の な い か ぎ り,左 欄 の 各 ア イ ア ケ 世 帯 夫 婦 と の 親 等 距 離 を 表 わ す 。
係 を 表 わ す 記 号 に つ い て は 表 ト3注(3)を
(2〕'。 は1,800円
。'"は
参 照。
物 品 の み。
(3)「 饗 銭 」 は 含 ま な い.
ル イは,夜 伽 時 の食べ 物 とい う葬儀 の進 行 に深 くか かわ る部分 の贈 与 を中心 的 に担 う とい
え る。 もっ とも,夜 食 見舞 は アイ アケ だか らシ ンル イだか ら とい うまえ に,居 住 の近接 性
が重 要 で あ る。死 亡 は予 定 の立 た ない 出来事 なの で,夜 伽 の 日の食 べ物 を もっ てい くの は
近 くに住 む者 で な けれ ばで きない。 したが っ て,ア
29
イア ケで あ って も居 住 地 が遠 くな る と
や は りこ う した贈与 に参加 しに くくなる。奈 良市 に住 むZ4は,夜
食 見 舞 を贈 ってい る もの
の,そ の 内容 は 旧来 か らの餅 や寿 司で は な く果物 篭 とな ってい る。
2)p3とp4の
結婚(1974年)
P4は 婿養 子 とい うこ とにな るが,結 婚 儀礼 の形 態 と して は嫁 入 りの手順 を とった.仲
人
はp4の 上 司 で ある。
協 力 関係 か ら述べ よう。 まず 仲 人が結 納 を もって きた と き.嫁 側 は その仲 人 を接待 す る
必要 が あ る。 それ は他 所 も含 め た アイ アケ全 部 か ら男 女1名
の 日の夕方 には,ア
ずつ が で てお こなわ れ る。 そ
イ アケ以外 の シ ンルイ全 部 が招待 され祝 宴が 開 か れ る。 これ を接 待 す
るの は お もにザ イ シ ョの アイ アケで ある。他 所 の ア イアケ は,は
じめ は接 待 され る側 だが,
後 にな る とザ イシ ョの ア イア ケ を手伝 う。招 待 され るシ ンル イは現在 ンでは酒 を1升 持 参 す
るが,10年
ほ ど前 まで は 「手ぶ ら」 で あ った。 さ らに さか のぼ る と,ア イ アケ外 の シ ンル
イ を招 待 す る ように なっ たの は1950年 以 降で あ る とい う。 これ に対 して,ア
イア ケは酒2
升 を持 参 す る。 これ は古 くか ら変化 してい ない 。
結婚 式 の朝,ま
ず 嫁入 り道具 の荷 送 り ・荷 受 けが あ る。 これ には他所 アイ アケ を も含 め
た シ ンル イ全 部 が参 加 す る。結 婚式 自体 は今 で は専 門の式場 で お こ なわれ るの がふ つ うで
あ るが,式
の 当 日に嫁側 で も婿 側 で も祝 宴 が 開か れ る。p3とp4の
2つ の膳 が あ った。 最初 の膳 は二番膳 と呼 ば れ,ア
結婚 の場 合,P家
では
イアケ全 部 とそ の他 の シ ンル イの老 人
お よび子 供 がそ の膳 に座 る。 この と きア イア ケ は 自分 でつ くった料 理 を自分 で食 べ る こ と
に なる。 つ ぎに本 膳 が 開か れ る。 そ こに はア イ アケ外 の シ ンル イか ら各2人
ア イア ケか ら各1人
ず つ.他 所 の
ず つが座 り,上 座 に は区長 の妻 と寺 の ゴシ ンゾ(御 新 造)さ
ん を中心
に して その両 側 にザ イシ ョ内 の嫁 の同級 生 が座 る。 この膳 を接待 す るの はザ イシ ョの ア イ
アケ と座 ってい な い残 りの他 所 ア イアケ であ る。 ア イア ケは式 場 での結 婚式 に出席 す るが,
それ 以外 の シ ンル イ は参 加 しない.
p3とp4の
結婚 に際す る祝 儀 を ま とめ た ものが表17で
例 で あ り,先 のp1の
あ る。祝儀 の贈 与 者 は全 部 で41
父 の葬儀 に比べ る とだいぶ 少 ない 。物 品 に よる祝 儀 が含 まれて い るた
め金 額 の比較 が しづ らいが,ア
イ アケ とそ れ以外 の シ ンル イの祝 儀 額 の差 が大 きい ように
思 わ れ る。協 力 関係 で の アイ アケの役 割 とあ わせ て考 える と,結 婚 儀礼 は アイ アケ主導 的
行 事 で あ る とい え よう。 なお母親p2関
係(204,405,p2の
親 元)の 額 が大 き くな ってい
るが,婚 儀 の特 徴 で あ ろ う。
紙 数 の都合 でふ れ られ ない が,p5の
出生 時 にみ られ る協 力,贈
一30一
与 の特 徴 もこの結 婚 時の
そ れ と よ く似 て い る 。
表17p3とp4の
ア イ ア ケ.シ
結 婚(1974年)に
ンル
イの 家 番号 等
結 婚 祝儀
ア イ ア ケ ・シ ン ル イ
現 金(円)物
ザ
イ40630
お ける祝儀 一 覧
品
結 婚祝 儀
以 外 の贈 与 者
現 金(Fj)物
品
,0000406系3,000
シ
ョ20610,0000206系3,000相
当
ア20310
イ
,0000ZI系5,000相
当
○
ァ20430,000Z,系10,000
ケO
lO53,00000
6055,0005,000
秀4・51・,…P・
の親元系
他3013,00000
の2013
シ
,000Plの
○
父 の弟 系
ソ3032,000plの
○
母 系8,000
牛3・62,…1・
8072,000ナ
・…
コ ウ ド18,000相
5052,0000ハ
相 当
当0
シ カ ケO
lO33,000p3の
ザ イ シ ョ 同 級2,0000
ザ イ シ ョ 同 級2,000
Z33,0000高
校 同 級3,000
他Z10
,000相
当
璽Z33,…
イZ30
ア
ヶpの
○
高 校 同 級3,000
ザ ・シ 。触
人他
,0000104()
親 元3,0000車2050
pの
父 の 弟13,0000そ
注)(D'は
②P家
3)p1の
○
着 物7枚
の 他5,000
を含 む 。
に よ る 推 計 価 格 が あ る 物 品 に つ い て は 「相 当 」 を 表 示 し,現
金 欄 に含 め た 。
入 院(1986年,1988年)
病 気 見 舞 に は 協 力 関 係 は な く贈 与 の み で あ る 。 見 舞 金 等 の 一 覧 が 表18で
21例,88年
が24例
あ る 。 こ こ で 注 目 す べ き は,b(血
縁
姻 戚 関 係)以
と ん ど が 病 気 見 舞 を 贈 っ て い な い こ と で あ る18)。 そ れ に 対 し て,相
あ る 。86年
が
外 の シ ンルイの ほ
対 的 に ナ コ ウ ド関 係 や
ッ レ な ど の 比 率 が 高 くな っ て い る 。 病 気 見 舞 は 病 気 を した本 人 に 直 接 関 係 した 人 々 に よ っ
て 贈 られ る とい う傾 向 の あ る こ とが わ か る 。
ま た,金
額 面 を み る と,た
し か に ア イ ア ケ の 家 の 贈 与 額 は 大 き い が,葬
時 の よ う な 大 き な 差 は 見 ら れ ず,全
体 に 均 一 的 で あ る 。 こ の こ と は,病
距 離 を 計 り な が ら 贈 る い わ ゆ る 「義 理 」 的 贈 与 で は な く,あ
気 見 舞 が 相 手 との
る 人 や 家 の 危 機 を救 い た い と
い う よ り純 粋 な 「人 情 」 的 贈 与 に 近 い こ と を 意 味 す る と 考 え ら れ よ う 。
-31一
儀 や 結 婚 な どの
以 上,葬
儀,結
婚,病
気 の 際 の 協 力 や 贈 与 か ら 共 通 し て い え る こ と は,ア
が 中 心 と な る こ と で あ る 。 と く に 協 力 関 係 に お い て は,ア
イ アケの 中で もさ らにザ イ シ ヨ
の ア イ ア ケ の 役 割 が 重 要 に な る 。 し か し 贈 与 等 の 額 を み る と,親
て,親
イ アケ の家 々
等 距 離 な どの 基 準 が 働 い
等 的 に 遠 い ザ イ シ ョ の ア イ ア ケ の 額 は 少 な く な る こ と が あ る 。 逆 に,贈
で は他 所 の ア イ ア ケ の 方 が つ ね に多 い とい え る 。
表18p1入
院 時 の病 気 見 舞
(1986年)(1988年)
贈与者
見 舞 金等
現金(円)物
ザ
イ40610
シ
ョ20616,500相
ア2035
イ
見舞金等
贈与 者
品
現 金(円)物
品
,00040610.000
当20610,0000
,0002037,700相
ァ2047,000相
ケ
当
当020410,000
そ
窪1055・0001055・000
の6053,000相
シ1038
当6055,000
ン
,000相
当
○
ノレ(302)5,000
イ
Z阻11,000相
舞
当Z10,000
ろ
・Zl・
・
…
アZ310,000Z13,000相
イZ10
ア
ヶp2の
当
,000
親 元10,0000pの
親 元10,000
p弓の 親 元10,0000pの
親 元20,000
Z2系10,000
10,000
5,000
Z2系
○
○
アZ、
イ7
ア
ヶp2の
●p
シ
ンplが
ルP
イ
系7,500
,500
親 元 系10,000
、の 親 元 系7、000相
当p、
ナ コ ウ ド8,500相
の親 元 系
当p1が
○
ナ コ ウ ド15,000相
当
Iが ナ コ ウ ド10,000
.
以P2が!・
シ カ ケ5,0000
外
ザ イ シ ョ内友 人 他
plの
ザ イ シ ョ内 友 人 他
ツ レ5,000
Plの 同 級3,000Plの
p2の
同 級O
ツ レ5,000
寺5,000寺5,0000
注)(DP家
に よ る推計 価 格 が あ る物 品 につ い ては
〔2}左(86年)と
右(88年)は
「相 当 」 を 表 示 し,現
同 じ贈 与 者 が 対 応 し て い る 。
-32一
金 欄 に 含 め た。
与 の額 の面
ア イア ケ以外 の シ ンル イの 関与 は,葬 儀 の と きには機 能 的 に も必 要 と され る が,結 婚
出生 の と きには招 か れ るだ けで あ り,病 気見 舞 におい て は贈 与 を よせ る範 囲 か ら もほ とん
ど消 えて しま う。
アイ アケ以外 の シ ンル イの こ う した位 置 を考 える場合,つ
きあい を区分 して考 える こ と
が 有効 で は ない か と思 われ る。す なわ ち葬儀 や 結婚,出
生 を 「む らご と」 の機 会,病
舞 を 「い えご と」 の機 会 で あ る と考 えて区 別す る と,シ
ンル イの 関与 の違 い が うま く説 明
で きる ように思 わ れ る.葬 儀 や結 婚,出
気見
生 は村 落成 員 の移動 の機会 で あ り,そ れゆ え に村
落 全体 の関心 ご とで ある とい え よ う。一 方,病
気 は個 人的,あ
るい は個 別 の家 の 問題 で あ
り,村 落 が特 別 に関与 す る必要 の ない こ とで あ る。 この ように 区別す る と,ア イ アケ以外
の シ ンル イは と くに 「む らご と」 に関与 して い る こ とになる.そ
して それ を通 して,ア
イ
アケ以外 の シ ンルイ は個 々の家 に起 こ る出来事 を 「む らご と」 と して村 落 と結 びつ け る役
割 を もつ と考 え られ るの で ある。
また,つ
きあい の変 化 をみ る と,か つ て はシ ンル イ全体 に よるつ きあい の機 会 も多 か っ
た。 病気 見 舞 もシ ンル イ全 体 のつ きあいで あ っ た。 しか し,籾 す りや味 噌 つ きな どの協 同
の機 会 は消 え,留 守 見 舞 もザ イ シ ョの ア イア ケの みの つ きあい とな った。 つ ま り,か つて
は 「い え ご と」 的 つ きあ い もシ ンル イ全 般 の協 力 をえて いたが,生
生 活技 術 の 発展 に よって,「
活範 囲 の広 が りや生 産
い え ご と」 部 分 での シ ンル イづ きあい は狭 まっ て きたの で あ
る。 「い え ご と」 的つ きあい の範 囲 と 「む らご と」 的 つ きあ いの範 囲が しだい にず れ つつ
あ るの はそ の結 果 とい え よう。 この 意味 で 「い え ご と」 と 「む らご と」 の 区別 は きわ めて
現 代 的 な こ とが らなの で ある。 さ らに.親 等 距 離 的香 典 額へ の 変化 にみ られ るつ きあい 全
般 の 「い え ご と」 化 も大 きな傾 向 と して指摘 して おか ねば な らない。
4村
落 の なかで の シ ンル イ
本節 で は,各 家 々の シ ンル イ選択 の あ り方 を全村 落 的デ ー タか ら分析 す る こ とを通 じて,
シ ンル イ関係 の ネ ッ トワー ク と村 落 お よび宮座 集 団 との結 びつ きについ て検 討 したい。
1)シ
ンル イ の結合 契機 とシ ンル イ数
各家 ご との シ ンルイ を結 合契機 別 に分類 し,田 畑 所有面積 順 に並べ たの が 図1-4で
あ る。
前 述 した ような葬儀 時 の 人手 の確 保 な どの理 由 か ら,家 々はお お よそ10戸 前 後 以上 の シ ン
ル イ を もつ こ とが わか るが,そ
の結 合 契機 の構 成 は家 々 に よってか な り違 いが あ る.そ
で まず各 結合 契 機 にみ られ る特徴 を,親 族 的結合 契機 か らみて い きたい 。
-33
こ
図1・4家
別
結 合 契 機 別 シ ン ル イ 数(田
畑 所 有 面 積 順 ●1987年)
7
3
;,
17
。1
ホヨ ア
*l
l,
*4
7
ホ 家*52
番
ロロロ
ワ
葉1,
フ
・
。
口m
*86
妻
曾
*lll
套58{
肇381
むア
肇8
17
*8
套85
套585
ネ ヨ
*ll
套ll2
*20日i畑
戸1㌃
イゴ
ホ
ヨ
ホ *4合
計
肇葺031.Oha
霧1以
*ll
一ヒ
儲
*搬
*10
ト
051015202232
シ ン ル イ 数(戸)
注)(1)1醐
ドウ ケ ・同 姓(a),Eコ
ロ
トナ リ の み(の,圃
詳 し くは 本 文2節
(2)家
(3)104,207,504は
(4)「
の2)お
番 号 の 左 の*は,1887年
血 縁 ・姻 戚(b),[コ
ナ コ ウ ドの み+ト
他 の 家 を 媒 介 と す る シ ン ル イ ω,皿
よ び 表1-2参
ナ リ と重 複(c'1,
その他ω 。
照。
時 点 での 存 在 が 確 認 され た 家 を表 わす 。
未 調査 。
新 参 者 」 とは 戦 後 の移 住 者 を指 す 。
結合 契 機分 類 の うち,親 族 関係 を含 む もの は 「aド ウケ ・同姓 」,「b血
が,そ
れ らの シ ンル イ を親等 距 離 に よって分類 した のが表19で
数 の構 成 比 は 「9親 等 ∼,そ
あ る。aの
縁
姻戚」だ
シ ンル イ選択
の他」 が 高 くな ってい る。 認識 され る系譜 深度 は浅い が,系
・34一
譜 関 係 の 一 特 徴 で あ る 関 係 の 永 続 性 は,相
シ ン ル イ 率 は,親
対 的 に み て 現 わ れ て い る とい え る 。 しか し オモ
等 距 離 が 近 くな る ほ ど高 くな っ て い る 。 親 等 距 離 の 近 さ と関 係 の 強 さが
比 例 す る 傾 向 を 近 親 の 論 理 と 呼 ぶ と,ド
が わ か る 。 つ ま り,ド
節 で 述 べ たaとbと
ウ ケ とい え ど も こ の 近 親 の 論 理 の働 い て い る こ と
ウ ケ 関 係 に は 系 譜 関 係 と 近 親 関 係 が 交 錯 し て お り,こ
の こ と が 第2
の 区 別 の あ い まい さ を引 き起 こ して い る と思 わ れ る 。
表19親
族 的 シ ンル イ の 親 等 距 離 別 構 成
結 合契 機aド
ウケ ・同 姓b血
シ ソル イ選 択 数⑦
縁 ・姻 戚
ナモ シ ンル イ
シ ンル イ選択 数㊥
選択 数 ⑦
構成比
選 択 数㊦
オモシソルイ率
親 等距 離
オ モ シ ンル イ
構 成比
オモシンルイ率
⑦/⑦
㊥/㊥
例%例%例%例%
全 体126100.06652.4145100.09062」
1∼2親
等107.910100,01812.41688.9
3∼4親
5∼6親
等1411,114100.06846.95175.0
等2419.01770.83725.51540.5
7∼8親
等1411.11285.7139.0861.5
9親 等 ∼,(同 姓)6450.81320.396.200.0
注)(1)親
等計算は生存者 を基準に した。
②(同
姓)は,aに
bに つ い て み る と,シ
ない ので
「3∼4親
つ いてのみ。
ン ル イ 選 択 数 の 構 成 比 は,原
理 的 に 「1∼2親
等 」 が 最 大 と な っ て い る もの の.オ
が 最 大 と な っ て お り,近
等 」 の 関係 数 が 少
モ シ ン ル イ 率 で は 「1∼2親
親 の 論 理 が 全 体 的 に 働 い て い る とい っ て よ い 。 こ の こ と は 「9親
等 ∼ 」 の オ モ シ ン ル イ 数 が ゼ ロ で あ る こ と か ら も 指 摘 で き る 。 た だ し,8親
た と え ば 祖 父 の い と こ の 孫 と い う 関 係 で あ る か ら.親
以 上 は 全 体 構 成 か ら み た 特 徴 だ が,個
-9のbの
「5∼6親
ン ル イ が な い 家,つ
「7∼8親
した 例 は13例
こ と は,近
等 と い う と,
等 的 に は か な り遠 い 。
別 の 家 々 か ら み る と や や 異 な る 姿 が み え る 。 表1
等 」 の シ ン ル イ 選 択 数 は37例
だが
,そ
の う ち の12例
は4親
等 以 内の シ
ま り5親 等 以 上 の シ ン ル イ しか な い 家 が 選 択 した も の で あ る 。 そ の12
例 の う ち7例 が オ モ シ ン ル イ と な っ て お り,オ
bの
等」
モ シ ン ル イ 率 は6割
等 」 で は さ ら に 顕 著 に み ら れ る 。5親
中7例 で あ る が,そ
近 く に な る 。 こ の傾 向 は
等 以 上 の シ ン ル イ しか な い 家 が 選 択
の う ち の6例 が オ モ シ ン ル イ に 選 択 さ れ て い る 。 こ れ ら の
親 の シ ン ル イ が な い とい う 家 々 の 事 情 に よ っ て 親 等 的 に 遠 い シ ン ル イ の 位 置 づ
け が 変 わ る こ と を 意 味 して い る 。 つ ま り,全
般 的 に は 近 親 の 論 理 が 働 く も の の,親
一35一
等 距離
と 関 係 の 強 さ と の 関 連 は,個
ン ル イ が な い 家,つ
々 の 家 々 の お か れ た 事 情 に よ っ て 変 化 し う る の で あ る。
ま り5親
等 以 上 の シ ンル イ しか な い 家 が 選 択 した もの で あ る。 そ の
12例 の う ち7例 が オ モ シ ン ル イ と な っ て お り,オ
はbの
「7∼8親
択 し た 例 は13例
の こ と は,近
等 」 で は さ ら に 顕 著 に み ら れ る 。5親
中7例 で あ る が,そ
近 くに な る 。 この 傾 向
等 以 上 の シ ンル イ しか な い 家 が 選
の う ち の6例 が オ モ シ ン ル イ に 選 択 さ れ て い る 。 こ れ ら
親 の シ ン ル イが な い とい う家 々 の 事 情 に よ っ て 親 等 的 に遠 い シ ン ル イ の 位 置
づ け が 変 わ る こ と を 意 味 し て い る 。 つ ま り,全
離 と 関 係 の 強 さ と の 関 連 は,個
の 限 度 内 で,個
般 的 に は 近 親 の 論 理 が 働 く も の の,親
等距
々 の家 々 のお かれ た事 情 に よって変化 しうるの であ る。
こ の こ と は い い か え れ ば,む
の,そ
モ シ ン ル イ 率 は6割
ら人 に承 認 さ れ た シ ンル イ の 結 合 契 機 は 限 られ て い る もの
々 の 家 は 村 落 生 活 に 必 要 な よ う に 自 家 の つ き あ い の 相 手 を 組 織 し,
意 味 づ け す る と い う こ と を 表 わ し て い る 。 同 様 の こ と は トナ リ 関 係 に つ い て も指 摘 す る こ
とが で きる 。
難 波 の トナ リ 関 係 に は トナ リ の 数 な ど に 関 す る 規 則 が ま っ た く な い 。 し た が っ て,ト
リ が11戸
あ る 家 も あ れ ば,特
る 。 ち な み に,「d'ト
ナ
別 に トナ リ 関 係 と考 え て い る 家 は ひ と つ も な い と い う家 も あ
ナ リ の み 」 の 数 の 多 い 家 々 と 少 な い 家 々 を 比 較 す る と,d'の
家 々 の 方 が 平 均 す る と シ ン ル イ 数 が や や 多 い19}。 し た が っ て,家
え ず トナ リ が 多 く な っ て い る の で は な く,シ
て い る と考 え ら れ る 。 つ ま り,村
少 ない
屋 の配 置 に よってや む を
ンル イ 数 の 補 填 の た め に トナ リ 関係 が 結 ば れ
落 生 活 上 に 必 要 な シ ン ル イ 数 を確 保 す る た め に,ト
ナリ
関 係 が か な り柔 軟 に 運 用 さ れ て い る と思 わ れ る の で あ る 。
トナ リ の 多 い 家 を と り あ げ て,こ
み 」 を もつ 家 は3戸
あ る が,そ
の 点 を も う 少 し検 討 し よ う 。10戸
の う ち で 最 も 数 の 多 い 家 番 号105を
以 上 の 「d'ト ナ リ の
み て み た い 。105の
リシ ン ル イ は 家 番 号102,106,107,IO8,10g,111,113,202,205,207,705だ
こ れ と 図11と
105の
を 見 比 べ て ま ず 目 に つ く の は,105か
も に105を
が,
ら ず い ぶ ん 離 れ て い る202と705が
トナ リ と な っ て い る こ と で あ る 。 こ の 家 々 を"隣"と
で 相 手 方 の 結 合 契 機 を み る と,202,705と
トナ
呼 ぶ の は少 々 奇 異 で あ る 。 そ こ
「b血 縁
姻 戚 」 と して 選 択 し て い
る 。 本 来 の 結 合 契 機 は 血 縁 ・姻 戚 で あ る の に そ れ を トナ リ と す る こ の よ う な 例 は 他 に み ら
れ な い 特 殊 な 事 例 で は あ る が,考
え ら れ る の は,105が202や705と
の 関 係 と し て 捉 え て い る と い う こ と で あ る 。 こ の よ う な トナ リ の
113と の 関 係 に つ い て も あ て は ま る 。105は
108の 分 家 で あ る113と
し て は105を
こ れ も 距 離 の あ るl!3を
の 関 係 を トナ リ と 同 等
「拡 大 解 釈 」 は,105と
トナ リ と し て い る が,
「108を 媒 介 と す る シ ン ル イ 」 と 考 え て い る 。 つ ま り
一36一
105か
ら い え ば,本
一方
,ト
来113は
「トナ リ シ ン ル イ の シ ン ル イ 」 な の で あ る 。
ナ リ の 多 い 家 々 に 共 通 す る の は,ト
が っ て い る こ と で あ る 。 し た が っ て,こ
う だ け で な く,も
ナ リが い わ ゆ る 隣 の 範 囲 を越 え て 面 的 に 拡
れ ら の 家 で は トナ リ と い う用 語 を 住 居 の 近 接 と い
っ と広 い 近 隣 組 的 な 関 係20)を さ す も の と し て も捉 え て い る と 考 え な け れ
ば な ら な い 。 こ の 点 に つ い て は さ ら に 後 の 部 分 で 検 討 す る が,こ
い う シ ン ル イ の 範 疇 が い わ ゆ る`隣'の
以 上,と
よ う に,そ
あ る.つ
れ ら の 事 実 は,ト
ナリと
意 味 を超 え る 場 合 の あ る こ と を示 して い る 。
く に 親 等 距 離 の 遠 い 親 族 や トナ リ に 着 目 し て き た が,表12や
表1・9で
示 した
れ ら を結 合 契 機 と す る シ ン ル イ は シ ン ル イ 関 係 全 体 か ら い え ば 周 縁 的 な 位 置 に
ま り順 序 と し て は,ま
ず ド ウ ケ や 近 い 親 族,あ
ら 要 請 さ れ る シ ン ル イ 関 係 が あ っ て,そ
る い は ナ コ ウ ドな ど の 結 合 契 機 か
れ で 足 り な い 部 分 を 遠 い 親 族 や トナ リ に よ っ て 補
填 す る と い う 構 造 で あ る 。 し た が っ て,遠
い 親 族 や ト ナ リ の あ り方 は,ド
ウ ケ や 近 い 親 族,
ナ コ ウ ド と い う 結 合 契 機 の 動 向 に 大 き く左 右 さ れ る こ と に な る 。
表1-10現
存 婚 入 者 お よび 養 子 の
年齢 別
表1-11世
代 別 の村 落 内 婚
出 身地 別人 数
39歳以下40∼59歳60歳
世帯主世代 …3例
以上+1世
代 …13例
(十2世 代 …13例)
難波内015
びわ町内4518注)+2世
代については把握もれ
他の東浅井郡 ・長浜市93012の
他の滋賀 県784入
県外102
可能性があるので.ヵ ッコに
れた。
分 家 の 機 会 や 村 落 内 で 仲 人 を た て る こ と は 極 端 に 変 化 して い な い よ う だ が,近
創 出 す る 村 落 内 で の 通 婚 や 養 取 は 大 き く 変 化 し て い る 。 表110に
い親 族 を
示 し た よ う に,若
で は 村 落 内 婚 あ る い は 村 落 内 で の 養 子 の や り と りが ま っ た く み ら れ な い 。 他 方,死
も 含 め て 世 代 ご と に 村 落 内 婚 の 例 を ま と め る と.世
養 子 が あ っ た が,現
帯 主 の 親 の 世 代 で は13例
世 代 で は3例 の み で あ る(表1-11)。
落 内 に お け る 新 た な 親 族 関 係 の 発 生 は,と
亡者 を
近 年 の こ う し た 傾 向 の 結 果,村
よ び トナ リ 範 疇 の
の よ う な 親 族 創 出 機 会 の 減 少 が あ る と 考 え ら れ よ う 。 と く に,ト
の 考 え 方 に つ い て は.親
い 世代
の村 落内婚 ・
き お り お こ な わ れ る 分 家 を 除 け ば,し
ロ に 近 づ い て い る 。 遠 い 親 族 や トナ リ 関 係 の 柔 軟 な 運 用,お
の 背 景 に は,こ
養子数
だい にゼ
「拡 大 解 釈 」
ナ リ範 疇
族 創 出 機 会 の 減 少 に と も な っ て トナ リ が 積 極 的 に 意 義 づ け ら れ る
よ う に な っ た 結 果 で あ る と考 え ら れ る の で あ る 。
図1-4に
関 し て 次 に 指 摘 で き る こ と は,田
畑 所 有 面 積 が 大 き ぐな る ほ どそ の 家 の シ ン ル
37・
イ 数 も概 し て 多 く な る こ と で あ る*。
る と考 え る な ら ば,階
田畑所 有面 積 が村 落 内 階層構 造 の 主要 部分 を反映 す
層 が 高 く な る ほ ど シ ン ル イ 数 も 多 く な る と い え る が21),こ
の 点 を結
合 契 機 か ら検 討 して み よ う。
*こ の傾 向 か らか な りはず れた例 が あ るが,103は
先 に述べ た寺(養 本寺)な ので例 外 的 であ る。 また,
503は 調査 不 完全 の 印象 が 強 いが,ち なみ に被 選択 数 で み る とシ ンル イ は5戸 とな り他 の例 に接 近 す る。
田 所 有 な し の 家 と 例 外 的 な103と503を
田 畑 所 有 面 積 に よ っ て1ha以
除 い て 考 え る と22),残
上 と 以 下 と に 分 類 し,そ
均 シ ン ル イ 数 を 求 め る と,1ha以
上 層 で は1戸
り は56戸
れ ぞ れ の 層 の1戸
とな る。 こ れ ら を
あ た り結 合 契 機 別 平
あ た り シ ン ル イ 総 数.14.6,う
b3.39,c'.1.43,d'4.09,e.1.70,f.1.78と
な り,以
ちa.2.22,
下 層 で は 総 数11.1,う
ちa1.93,b!.83,c'1.07,d'4.50,eO.87.fO.93と
な る 。 つ ま り,1戸
あ た り シ ン ル イ 数 は1ha以 上 層 の 方 が3.5戸 多 く,そ
れ は お も に血 縁
や 他 の 家 を 媒 介 と す る シ ン ル イ,そ
カ ヅ キ,古
の 他(寺
檀,チ
姻 戚 に よ る シ ンル イ
い シ ン ル イ)な
どの 増 分 を
反 映 して い る 。
1ha以 上 層 の 家 の ほ と ん ど は1887年
照),村
時 点 で の 存 在 が 確 認 さ れ た 家 で あ り(図1-4*印
参
落 内 に 古 くか ら存 在 す る こ と に よ っ て 血 縁 ・姻 戚 に よ る シ ン ル イ や 古 い シ ン ル イ
な ど が 多 く な る と も い え る 。 し か し,そ
と 考 え ら れ,有
れ ら の 結 合 契 機 も先 述 の よ う に 柔 軟 に 運 用 さ れ る
力 戸 だ か ら な か な か シ ン ル イ 関 係 を 解 消 し な い こ と も 予 想 さ れ る 。 ま た,
他 の 家 を 媒 介 とす る シ ン ル イ に は,あ
る 家 を 通 じて さ ら に 有 力 戸 と結 び つ く と い う 意 味 も
含 ま れ る と考 え ら れ る 。 し た が っ て,単
が 重 層 す る こ と に よ っ て,そ
に 古 い か ら と い う だ け で な く,そ
れ に勢力 の 強 さ
う した 家 々 の シ ンル イ 数 が 多 くな る と考 え るべ きで あ ろ う。
以 上 の 点 を さ ら に 追 究 す る に は シ ン ル イ 関 係 の 歴 史 的 考 察 が 不 可 欠 と な る が,む
身 に よ る 結 合 契 機 分 類 こ そ が 重 要 な の で,古
は む ず か し い.し
か し と も あ れ,調
ら人 自
い 時 代 の シ ンル イ 関 係 を 史料 の み で知 る こ と
査 を 進 め る う え で も 感 じ た こ と だ が,シ
ンル イ数 の 多
さが 難 波 に お け る ス テ イ タス の ひ とつ の 象 徴 で あ る こ と は 間 違 い な い よ う に思 わ れ る 。
こ こ で の 考 察 を 前 節 で の 議 論 に 結 び つ け て お こ う 。 近 い 親 族 な ど の 「い え ご と 」 的 つ き
あ い を 担 い 合 う シ ン ル イ が 村 落 内 で 減 少 し,そ
の 結 果,「
む ら ご と」 的 つ きあ い の維 持 に
必 要 な 一 定 数 の シ ン ル イ が 村 落 内 で 確 保 さ れ に く く な っ て く る 。 そ こ で 「む ら ご と」 的 つ
き あ い の 維 持 の た め に,ト
ナ リの
「拡 大 解 釈 」 な ど が で て き た 。 一 方,そ
の よ う に して 結
ば れ る シ ン ル イ は 数 の 面 で 村 落 の 階 層 を 反 映 す る 。 個 々 の 家 の シ ン ル イ 数 は 「む ら ご と 」
-38・
的 つ き あ い 部 分 に 属 す る シ ン ル イ に よ っ て 大 き く左 右 さ れ る の で,「
い は,内
容 だ け で な く シ ン ル イ の 数 を 通 じ て も ま さ に 村 落(む
2)シ
む ら ご と」 的 つ きあ
ら)と
関 連 す る と い え よ う。
ン ル イ と オ コ ナ イ組
難 波 に あ る3つ
の オ コ ナ イ 組 の 構 成 戸 は,鍛
冶 組20戸,中
組34戸,西
組14戸
であ る。近
年 中 組 を ぬ け た1戸23)に つ い て は 脱 退 前 後 で シ ン ル イ に 変 化 が な い た め 中 組 に い れ て 考 え る
と,中
組 の 戸 数 は35戸
と な り,オ
戸 に な る 。 未 調 査 戸 は,鍛
冶 組 を 例 に とる と,シ
冶 組 に2戸,西
被選 択
「そ の 他 」)は3
組 に1戸 含 ま れ て い る 。 し た が っ て,た
ン ル イ を 選 択 す る 家 は18戸
表1-12オ
選択
コ ナ イ 組 に 入 っ て い な い 家(表1-12の
で,選
択 さ れ る 家 は20戸
とえ ば 鍛
あ るこ とになる。
コ ナ イ組 問 の シ ンル イ 関 係 数 とそ の構 成
鍛 冶組
中組
西組
そ
の他
他村落
計
実 数118321472173
鍛 冶 組a:23・b:8a:0・b:ga:0・b4
構 成c':9,d':66c':3,d':13c':1,d:7
e:10,f:2e:5,f:2e:1,f1
実 数3730284195447
中 組a:0・b:13a:97・b68a:0・b18
構 成c':6,d':9c':20,d:62c':10,d:38
e:3,f:6e:32,f23e:7,fll
実 数12764941142
西 組a:0・
ゆ2a:0・b14a:6・b10
構 成c':1,d:4c':8,dl40c':8,d:18
e:3,f2e:4,f10e:2,f5
そ の他
実 数211750043
注)a∼fの
表1-12は
に と る と,鍛
記 号 につ いて は 表1・2参 無 。
オ コ ナ イ 組 別 に み た 関 係 の 実 数 お よ び そ の 結 合 契 機 別 内 訳 で あ る 。 鍛 冶 組 を 例
冶 組 の 家(18戸)が
が 鍛 冶 組 内,32例
が 中 組,14例
選 択
し た シ ン ル イ の 総 数 は173あ
が 西 組,7例
が そ の 他,2例
り,そ
の 内 訳 は,118例
が 他 村 落 の 家 で あ る こ と を 表 わ
し て い る 。
表1-12の
実 数 を も と に 次 の 表113,表1-14を
家 々 が ど の 組 の 家
は,可
能 関 係 数(鍛
を シ ン ル イ に 選 択
し た 。 表1・13は,各
オ コ ナ イ 組 の
し て い る か を 比 率 で 表 わ し た も の で あ る 。 ま た 表1-14
冶 組 を 例 に す る と,18戸
を 結 び う る の で18×19=342が
作 成
の 家 の そ れ ぞ れ が 自 家 を 除 く19戸
そ れ に な る)に
の 家
と 関 係
対 す る シ ン ル イ 関 係 の 実 際 の 出 現 率 を 示
・39
し
た もので あ る。 各家 の シ ンルイ数 には一 定 の 限度 が あるの で,表1-13で
の値 が,表114で
は家 数 の少 ない組
は家 数 の多 い組 の値 がそ れ ぞれ小 さめ にで て くるが,共
通 す る点 と して
鍛 冶組 の組 内収 束 率 の高 さが 注 目され る。
表1・13オ
コナ イ組 間選択 率
表1-14可
能 関係 数 に対 す る出現率
単 位:%単
被選 択
選択
鍛 冶組
瀦
組
中組
西組
その 他 ▼
位:%
言+鍛
冶組
醐
他 村落
鍛 冶組
68.218.58.15.2100.0(118/342)(32/630)(14/252)
蹴1:1:1:lll:1::llll:1中
注)表1・12よ
中組
・455・15・6
組(5、337/700)(、 。llil,。)(藷 ゐ。)
り作 成 。4
西組
.616.729.0
(12/260)(76/455)(49/169)
注)カ
ッ コ 内 は,(シ
係 数)。 表 ト12よ
そ こで鍛 冶組 内で の結合 契 機別構 成 に注 目す る と,「d'ト
ン ル イ 関 係 出 現 数/可
能関
り作 成 。
ナ リの み」 の比 率が 半分 以上
を 占めて い る こ とが わか る。 家 々の近 接 が た しか にその大 きな原 因 と考 え られ る(図12
参 照)が,難
波 の よ うな集 村 にあ って は,家 並 の どこに境 界 を設 けるか は きわ めて恣 意的
な問題 で あ る。 しか も,ト ナ リ関係 が住居 の近接 とい う関係 だ けで な く近 隣組 的 関係 を も
指 して い る と思 われ る事 例 が,鍛
て鍛 冶組 の場 合,ト
冶組 におい て は先 の105以 外 に も多 くみ られ る。 したが っ
ナ リ関係 は近 隣組 的 意味 を もち なが ら,オ コナ イ組 とい う集 団 に規 定
されつ つ広 が って い る と考 え られ るので あ る。
この シ ンル イ とオ コナ イ組 との 関連 で興 味深 い の は,む
ら人の 間 では この二 つが 完全 に
別 の もの と認 識 されて い る こ とで あ る。 どの組 で聴 いて も 「オ コナ イ とシ ンル イは別 だ」
とい う意 見 ばか りで あっ た。 オ コナ イの会 食 を準 備す るため に トウヤ は組 内 の 自家 の シ ン
ル イ を手伝 い に頼 む場 合 が あ るが,そ
の 時 に頼 む シ ンル イはせ いぜ い2戸 程度 であ り,こ の
理 由の み に よって シ ンル イの組 内収 束 を説 明す る こ とはで きない 。
こ う した オ コナ イ組 とシ ンル イ との 関連 を説 明 す る には,お そ ら く当該 村 落の成 り立 ち
に関す る歴 史 的 な検討 が 必 要 となろ う24)。ただ,シ
集 団 の枠 に よっ てか な り規 制 され,し
ンル イ ネ ッ トワー クの広 が りが,宮 座
か もむ ら人 の意 図 とあ る程度 離 れ たか た ちで規 制 さ
れ る とい うこ とは,当 該 村 落 ひい て は宮 座 の存 在 をひ とつ の特 徴 とす る近 畿村 落 にお ける
宮座 の重 要性 を顕 著 に示 して い る とい える。
-40一
5.ま
とめ と考 察
以 上 の結果 を構 造 化 の概念 を軸 に して ま とめ,そ
の後 でつ きあい 関係 と村 落 との結 びつ
き,お よびつ きあい 関係 の特徴 に関す る考察 に進 み たい。
まず,村
落生 活 にお けるつ きあいが 「む ら ご と」 的つ きあい と 「い え ご と」 的 つ きあ い
に区別 され る こ と を指摘 した。 さま ざま なつ きあい の機会 は個 々の家 や個 人 に基 づ くの で,
「い え ご と」 的意 味 を帯 びるの は当然 で あ る。 そ う したつ きあい に 「む らご と」 的意 味 が
くわわ り,両 面性 を帯 び る こ とが村 落生 活 に お けるつ きあいの特 徴 な ので あ る。
しか し,そ の両面 の どち らに重 心 をお くか はそれ ぞ れのつ きあい の機 会 で異 な る。 しか
も今 日で は,「
む ら ご と」 的 つ きあい か ら 「い え ご と」 的 つ きあいへ の全般 的 な比重 の移
動がみ られ る。 しか しなが ら 「む らご と」 的 意味 はす べ ての機会 で失 わ れた わ けで はな く,
出生,結 婚
死 亡 な どの機 会 には,現 在 で も存 続 して い るの であ る。
事 例 にみた シ ンル イ は,そ
う した 「む らご と」 的 つ きあい の存在 を背 景 と して制度 化 さ
れ.構 造化 され る とい え よう。す なわ ち 「む らご と」 的 つ きあい の存 在 は,村 落 にお け る
つ きあい 関係 を構 造 化す る前提 要 因なの で ある。 そ れ を前 提 とした上 で,シ
3つ の要 因 に よっ て構 造 化 され る。第1は,シ
ンル イ は次 の
ンル イ数 の下 限の存 在 で あ り,こ れ は葬儀
の ときの 人手 の確 保 に代 表 され る ように,村 落生 活 の遂行 か ら要 請 され る もので あ る。第
2は.シ
ンルイ数 と村 落 内 での ス テイ タスが 相互 連 関す るこ とで あ る。 シ ンル イ関係 は,
二者 関係 と して は双務 的 な対等 性 を もつ が,村 落 全体 で は数 の うえで差 異 化 され る こ とを
示 した。 したが っ て数 の増減 は村 落 内の ス テイ タス と緊張 関係 にあ る。第3は,村
落 内の
宮座 集 団 に よる規 制 で あ る。
これ ら3つ の構 造 化要 因 に規 制 され なが ら.シ
ンル イ は独 自の編成論 理 を展 開す る。 シ
ンル イの結 合 契機 を と りま く状 況 はつ ね に変 化 しつつ あ る とい え るが,そ れ に対処 す るた
め に結合 契 機 の柔 軟 な運 用 とい う事 態が起 こる.事 例 で顕著 にみ られた の は近 隣関係 の強
ま りで あっ た。 この こ とは直接 的 に は同族 的,親 族 的結 合 な どの創 出機会 の 減少 に対 す る
対応 と捉 え られ た。 しか し逆 に,同 族 的,親 族 的 関係 な ど も他 の結合 契機 との 関連 の なか
で,む
ら人 に よっ てつ ね に再 定 義 され る と考 え られ なけれ ば な らない。 その 再 定義 の方 向
を探 る にはい ま少 し検 討 が必 要 だが,周 縁 的親 族 の位 置づ けにみ る よ うに,そ れ らの 関係
は単 純 に消 滅 す る だ け とはい え ないの で ある。
構造 化要 因の うち,村 落 レベ ルでの 差異 化 にみ られ る個(家)と
41
村 落 との 関係 の重要 性,
お よび宮 座 集 団の 意義 は,と
くに近畿 村 落分析 の指 標 と して大 な り小 な り指摘 されて きた
こ とで あ り,つ きあ い 関係 の分析 に よって それ らが 具 体 的 に確 認 で きる こ とが わ か る。 し
か しよ り重 要 なこ とは,つ
きあい 関係 の構 造 化 の前 提 要 因,す
な わち構 造 化 の背景 にあ る
「む らご と」 的 つ きあ いの存 在 を指摘 で きた こ とに よっ て,村 落 結合 を支 える ひ とつ の メ
カニズ ムが 明 らか に され る こ とで あ る。
制度 化 され た村 落 内つ きあい 関係 と しての シ ンル イ は,「
婚,死
む らご と」 す なわ ち 出生,結
亡 とい う村 落成 員 の変 化 に関す るつ きあい を存 立 の背 景 と してい たが,そ
う した機
会 に関与 す る こ とか ら,シ ンルイ は村 落 成員 を認 知 し保 証 す る ひ とつ の システ ムで あ る と
理解 で き よう。 シ ンル イの 範 囲 はそれ ぞ れの家 に よって異 な るが,「
い の存在 を通 じて,個
む らご と」 的 つ きあ
々の 家 は村落 につ なが り,村 落 にお い て認知 され保証 され るので あ
る25)。この よ うな成 員 認知 保証 シス テム とい う概 念 を設 定 す る と,つ きあい 関係 と村 落 統
合 との 関連 はた とえば次 の ように作 用 し合 うこ とになる。 村 落外 的,「
い えご と」 的つ き
あい の強 ま りや一般 的 なつ きあ い機 能の外 部化 な どは,「 む らご と」 的つ きあい を弱 め,
この シス テ ムの存 在 意義 を低 下 させ る ことに な り,結 果 と して村 落 の結 合 力 を弱 め る力 と
な る。 しか し一方 で,こ
の シス テ ムはつ きあい 関係 の結 合 契機 を解 釈 し直す な ど して 「む
らご と」 的つ きあい を維持 し,自 己 の存続 を図 る よ う作 用 す る ので あ る。
こ う した成員 認知 保 証 シス テ ム とい う枠 ぐみ は,宮 座(オ
コナ イ組)や 村 落 自体 に もあ
て は まるで あろ う。 もっ と も宮 座 や村 落 は集 団 であ るか らそ の集 団成員 を認知 し保 証 す る
のは 当然 と もい えるの だ が,と
もあ れ近畿村 落 には,以 上 の3つ
の成 員保証 シス テムが存
在 してお り,そ の こ とが近 畿村 落 の強 靭 さを支 えてい る とはい え ないだ ろ うか 。 これ は,
先 の シス テ ム内で の変 動 と比べ る と,よ
り歴 史的構 造 的 な変 動把握 の視 点で あ る。
以上 の よ うな村 落統合 にお け るつ きあい関係 の働 きは,村 落構 成員 を同 じ村 落 の成員 と
して認 知 し保 証 す る ので あ るか ら,た
とえ ば農地 貸借 を考 えた場 合,同
じ村落 の成 員 に貸
し付 け る場 合の信用 感 を支 える と考 え られ る。つ ま り,同 じ村 落の 農業者 に貸 したい とい
う意識 を支 える もの と想定 され る。
一方
,つ
きあい 関係 とい う二者 関係 レベ ルの特 徴 をい えば,そ の柔軟性 が指摘 され よう。
もち ろん,村 落 生 活 におい てつ きあい 関係 を結 ぶ こ とは,一 期 一会 的 な協 力 関係 で はない.
そ こでは長期 的視 点 に立 っ た人 間関係 の持 ち方 が要 求 され る。 しか し,つ きあい関係 にお
いて は,慣 習 的約 束事 に規 制 され る にせ よ,結 合 契 機 の意 味 を微 妙 にズ ラ しなが らそ の時 々
の生 活 に必 要 な人 間 関係 を構 築 して い る こ とが 明 らか に なっ た。前 章,お
42・
よび本 章 の 冒頭
に お い て,つ
き あ い 関 係 は,生
活 に お け る 人 間 関 係 と 農 業 経 営 に 関 す る 人 間 関 係 を,共
通
の 枠 組 み で 取 り扱 う こ と の で き る 分 析 枠 組 み と し て 位 置 づ け た 。 農 業 経 営 に お け る つ き あ
い 関 係 は,も
ち ろ ん そ の 時 々 の 経 営 の 都 合 に よ っ て 組 み 替 え ら れ て い く べ き も の で あ る が,
そ の 柔 軟 性 は,強
弱 の 差 は あ れ.生
活 に お け る つ きあ い 関係 に お い て も特 徴 と して 指 摘 で
き る の で あ る.
注
1)こ
の こ と を 指 摘 す る もの は 多 い が,歴
史 学 に お い て は 「ム ラ 的,年
「東 と西 の 語 る 日本 の 歴 史 』 そ し え て,1982年.162ペ
の 特 徴 と し て,関
東 地 方 の 「番 」,近
ー ジ)と
齢 階梯 的
座 的 な西 国 」(網
い う把 握 が あ る 。 ま た,村
落運 営組織
畿 地 方 の 「衆 」 と い う対 比 が で き る とい う指 摘 も,村
落運 営 に直
接 個 人 が 関 与 す る とい う 点 で 村 落 が 単 な る家 連 合 で は な い こ と を 表 わ して い る と い え よ う(福
『可 能 性 と して の ム ラ 社 会 」 青 弓 社,1990年,108∼125ペ
2)松
本 通 晴 「同 族 結 合 の 解 体 」
野 善彦
「講 座 家 族6家
族
田 アジ オ
ー ジ)。
親族
同族 」 弘 文 堂,1974年,274ペ
3)三 上 勝 也 「山村 の 葬 儀 と呼 衆 一奈 良 県 添 上 郡 月 ヶ瀬 村 大 字 尾 山 一」
ー ジ。
『天 理 大学 学 報 』 第118輯,1979年.
104ペ ー ン^
4)こ
う した 従 来 の 扱 わ れ 方 そ の もの に も異 論 が あ る 。 す な わ ち つ きあ い 関 係 は,村
関 す る理 解 自体 を 再 考 す る 糸 口 に も な る と考 えて い る 。 本 文 で 述 べ た よ う に,一
を抽 出 し性 格 づ け る場 合,生
落 の構 造 的 社 会 関 係 に
般 に そ う した 社 会 関 係
活 に お け る 機 能 的 側 面 を主 要 な 一 指 標 と す る の が 通 常 で あ っ た 。 しか し,
有 賀 喜 左 衛 門 や 竹 内 利 美 な どが 早 くか ら指 摘 して き た よ う に,現
象 と して の 互 助 協 力 を よ り根 本 的 とみ
え る い ず れ か の 関 係 に 還 元 して し ま う こ と は そ れ ほ ど容 易 で は な い 。 む し ろ 同 族 や 親 類,近
が 重 層 す る こ と 自 体 が 村 落 生 活 の 特 徴 で あ る と もい え る 。 した が っ て,そ
一歩 手前 の
,そ
隣…
関係 な ど
れ らの 構 造 的 社 会 関 係 に至 る
の 現 象 を捉 え る た め の 指 標 と し た 機 能 的 側 面 を も含 め て そ れ ぞ れ の 関 係 を把 握 す る必 要
が あ る。 つ き あ い研 究 は伝 統 的 に は,同 族 団 や 親 族,近
係 か ら交 際 を 説 明 す る とい う方 法 を と っ て い た が,逆
す る つ きあ い 関 係 を 焦 点 とす る こ と に よ っ て,そ
隣,親
方
に み れ ば,こ
子 方 な どの 「基 礎 的 」(和
歌 森)関
の こ とは機 能的側 面 を重要 な指標 と
れ ら の 社 会 関 係 を 同 一 の 枠 ぐみ の な か で,さ
まざ まな
交 際 契 機 の 相 互 関 係 と して 捉 え う る とい う可 能 性 を示 し て い る 。 そ して そ れ を 通 じて そ れ ら の社 会 関 係
の 再 検 討 が 可 能 に な る と思 わ れ る の で あ る。 有 賀 喜 左 衛 門 『村 落 生 活 一村 の 生 活 組 織 一』 「著 作 集5」
未来 社,1968年[初
岡 田編著
出:1948年],竹
内利 美 「近 隣 関 係 と家 一 東 北 村 落 の 一 事 例 を 通 じて 一」 喜 多 野
『家 一 そ の 構 造 分 析 』 創 文 社,1959年,な
どを 参 照 。和 歌 森 の 引 用 は,和
交 際 」 『和 歌 森 太 郎 著 作 集12』 弘 文 堂,1982年[初
究 と して は,郷
田(坪
井)洋
出:1953年],16ペ
文 「交 際 と贈 答 」 『日本 民 俗 学 体 系4』
5)福
田 ア ジ オ 「村 づ き あ い と約 束 」 野 口 武 徳
6)た
と え ば 前 述 の 福 田 は 「ム ラづ き あ い 」 の 種 類 と して,言
い る(野
7)制
口
福 田 『前 掲 書 』,218∼220ペ
歌 森 太 郎 「日本 人 の
ー ジ よ り。 同 様 の つ き あ い研
平 凡 社,1959年,な
福 田 ア ジ オ 『約 束 』 弘 文 堂,1977年,218ペ
葉 が け,訪
問,贈
答,ユ
イ,手
どが あ る。
ー ジ.
伝 い をあ げて
ー ジ)。
度 化 の 弱 い つ きあ い 関 係 の 事 例 に つ い て は た と え ば 藤 井 勝 に よ る 報 告 が あ る(「
一43・
佐 久 市今 井 の家
同
族
村 落 」長 谷川 善 計他
『日本 社 会 の 基 礎 構 造 一 家
村 落 の 研 究 一』 法 律 文 化 社,1991年)。
藤
きあ い 関 係 を 同 族 結 合 の 脆 弱 化 を補 完 す る もの と して 把 握 して い る が,補
完 と
井 は 歴 史 的 視 点 か ら,つ
同族
して の 位 置 づ け だ け で は つ きあ い 関 係 の もつ 今 日 的 意 義 を くみ 取 れ な い よ う に思 う。
8)オ
コ ナ イ の 祭 祀 と して の 内 容 一 般 に つ い て は,た
年,な
9)非
と え ば 高 橋 統 一 『宮 座 の 構 造 と変 化 」 未 来 社,1978
どを参照 。
所 属4戸 の 内 訳 は,寺
が2戸,天
理 教 が1戸,そ
れ に 近 年 跡 継 ぎ他 出 の た め 中 組 を ぬ け た 家 が1戸 で あ
る。
10)シ ン ル イが こ の 地 方 の 村 落 生 活 に お い て 重 要 な 地 位 を 占め る こ とか ら,こ
さ れ て い る。 た と え ば,中
川 ユ リ 子 「 「シ ン ル イ 」 の 構 造 と 機 能 一東 浅 井 郡 び わ 町 大 浜 に お け る 実 態 分
析 一 」 「ソ シ オ ロ ジ 』28-3,1984年,林
『早 稲 田 法 学 会 誌 」37,1987年,農
年,な
研 三 「家 族
親 族 慣 行 と村 落 社 会 一 近 江 一 村 落 の 事 例 か ら 一 」
村 生 活 総 合 研 究 セ ン タ ー(編)『
ど。 しか し,そ れ らの 研 究 は,せ
こ と を指 摘 す る の み で,そ
れ に 関 す る 研 究 も い くつ か な
生 活 研 究 レ ポ ー ト9」,1980
い ぜ い シ ン ル イ ネ ッ トワ ー ク の 重 複 が 村 落 統 合 に 役 だ っ て い る
の メカニ ズ ムの 分析 に まで踏 み込 んでい ない よ うに思 わ れる。
11)中 川 「前 掲 論 文 」 に も同 様 の 指 摘 が み ら れ る。
12)中 川 「前 掲 論 文 」 に よ る シ ンル イ の 結 合 契 機 を 参 考 に した が,e(他
の 家 を 媒 介 とす る 関 係)に
つ いて
は 独 立 し た 分 類 と した 。
13)例 外 が な い わ け で は な い 。 本 調 査 で は8例 の 村 落 外 の シ ン ル イ が み ら れ た 。 図11に
波 の 家 が シ ン ル イ と して 選 択 した 隣接 村 落 の 家 で あ る 。 内 訳 は トナ リが7例,ナ
あ るAか
らEは 難
コ ウ ドが1例 で あ る。 隣
接 関 係 に よ る もの が 多 い が,こ
れ らは他村 落 の家 と隣接 す る難波 の 家 々の ほ んの一 部 にす ぎな い。隣接
村 落 と の 接 近 度 を 考 え れ ば,こ
の 事 例 の 場 合,シ
ン ル イ は 村 落 の 枠 組 み に 強 く規 定 さ れ て い る と い え よ
う。
14)「cナ
コ ウ ド」 と 「dト ナ リ」 に は 他 の 結 合 契 機 と の 重 複 が 含 ま れ る が,重
複 分 に つ い て,こ
1の 結 合 契 機 と感 じ られ て い な い 場 合 に は 聴 き漏 ら して い る 可 能 性 が あ る。 た と え ば,本
係 と ナ コ ウ ド関 係 が あ る と き に,主
れ らが 第
当 は ドウ ケ 関
要 だ と思 わ れ て い る ドウ ケ 関 係 しか 聴 き取 れ な か っ た の で な い か,
とい う お そ れ で あ る 。 した が っ て 重 複 の と き の 聴 き漏 ら し分 を想 定 す れ ば,cとdの
の よ り も増 え る こ と に な る 。 しか し主 要 な 結 合 契 機 に よ る 分 類 に つ い て は,ピ,d'を
数 は表 にあ げ た も
求 め る こ とに よ っ
て ほ ぼ 選 別 で き る。
15隈
業 面 に お い て,こ
う し た 村 落 レベ ル の 「つ とめ る 」 関 係 の 典 型 は,農
の 村 落 の な か に 現 れ る 。 こ れ に つ い て は,次
16)こ の よ う に 分 類 し た の は,媒
に 関 連 して,正
章 で 詳 し く述 べ た い.
介 す る 家 を 通 じて つ き あ い 関 係 が 広 が る とい う認 識 に 基 づ い て い る 。 こ れ
岡 寛 司 は 親 類 の す べ て をEgoか
「親 類 関 係 の 組 織 化 が,Ego,媒
介 親 類,被
み な す 」 モ デ ル を 提 示 して い る(喜
究 所,1975年.22∼24ペ
業 水 利 に お け る 末 端 組 織 と して
らの 親 等 距 離 に 分 解 して 理 解 す る方 法 を批 判 しな が ら,
媒 介 親類 お よび遠 い親 類 の連 動 に よって構 成 され て いる と
多野清一
正 岡 寛 司 他 『 「家 」 と親 族 組 織 』 早 稲 田 大 学 社 会 科 学 研
ー ジ)。
17)持 参 す る 食 べ 物 は シ ン ル イ 内 で の 遠 近 に よ っ て あ ら か じめ お お よそ 決 ま っ て い る。 現 在 で あ れ ば ど うか
とP家
に 尋 ね た と こ ろ,ア
イ ァ ケ は 餅 や 巻 寿 司,ま
・44一
ん じ ゅ う な どで あ り.605,105,405は
内 容 は同 じ
だ が 量 が や や 少 な く,そ
18)唯 一 の例 外 は302で
れ 以 外 の シ ン ル イ は 酒,果
あ る 。 また103と
物,ジ
ュ ー ス な ど を 持 参 す る こ とに な る と い う.
ザ イ シ ョ内 の 「寺 」 は 難 波 内 の2つ
の 寺 を さす が,病
気 見 舞 を贈 っ
て い る の は個 人 の 苦 しみ を救 う と い う布 教 上 の 意 味 を含 ん で い る よ うで あ る 。
19)d'の 多 い 家(6戸
以 上)と
少 な い 家(2戸
以 下)の
平 均 シ ン ル イ 総 数 は,そ
れ ぞ れ11。4戸,12.6戸
であ
る。
20)竹 内 利 美 は,近
隣 組 織 を 「地 域 」 原 則 に よ る も の と 「家 並 」 原 則 に よ る もの に 分 類 し,後 者 を さ ら に 分
類 して 明 確 な集 団 を な す もの を 「近 隣 組 」,集
団 を 形 成 し な い もの を 「トナ リ 関 係 」 と呼 ん で い る 。 本
章 で い う 「トナ リ」 と 「近 隣 組 」 の 差 異 は こ の 分 類 に 依 拠 して い る 。 竹 内 「近 隣 組 織 の 諸 型 」(r東
大 学 教 育 学 部 研 究 年 報 」15,1967年)を
21)中 川 「前 掲 論 文 」,喜
多野
正 岡r前
北
参照。
掲 書 』,藤
井
22)新 参 者 な どや や 性 格 を 異 に す る 家 が 含 ま れ る の で,田
「前 掲 論 文 」 な ど に も同 様 の 指 摘 が み られ る 。
所 有 な しの 家 は 一 括 して 除 外 した 。103,503に
つ い て は 直 前 の 挿 入 注 を参 照 。
23)注9を 参 照 。
24)オ コ ナ イ 組 と村 落 の 成 立 と の 関 係 に ま で さ か の ぼ る の で こ こ で は 立 ち 入 ら な い 。 た だ,鍛
束の 高 さ に 関 し て は,鍛 冶 組 は 長 老 の 数 が3組
た とい う伝 承 を もつ の で,そ
冶 組 の組 内収
の な か で も っ と も多 く,か つ て は い ち ば ん 高 位 な組 で あ っ
う した 歴 史 上 の 差 異 が 集 団 と して の 結 合 の 強 さ に 影 響 して い る と も考 え ら
れ る。
25)し た が っ て つ き あ い 関 係 は,最
こ れ は,本
初 に 述 べ た 福 田 ア ジ オ の い う 「つ とめ る 」 関 係 に 接 近 す る こ と に な る。
章 が つ きあ い 関 係 の 構 造 化 を 問 題 に し,村
れ た の で あ っ て,一
般 的 に は,つ
落 との 関 連 を 問 うた が ゆ え に.そ
の側 面 が重視 さ
き あ い 一 「む ら ご と」 的 つ き あ い 一 ム ラつ と め とい う図 式 化 が 可 能 で
は な い か と思 わ れ る 。
・45一
第2章
稲 作水 利 をめ ぐる村 落 的合 意 の基準
農 業 に とって 水 は不 可 欠の 生 産要 素 で あ り,農 業 者 は何 らか の方 法 に よっ て 自 らの 経営 に必要 な水 を
調 達 しな けれ ば な らな い。本 章 は,こ の水 の確 保 とい う要 件 をめ ぐって形 成 され る農 業者 の 人 間関 係 を
問 題 とす るが,農 業 用水 の利 用 管 理 を考 える場 合,い わ ゆ る村 落 の役 割 を無視 す るこ とは で きない 。農
業水 利 におい て,農 業者 相 互 の 関係 は直接 表面 に出 る こ とは少 な く,む しろそ れ は村 落 を媒 介 と しなが
ら出現 す る。 したが って,個 々 の農 業者 に とって,村 落 へ の埋 没 を避 けるた め に は,村 落 とい う集 団 と
い わば"つ きあ う"姿 勢 が必 要 に な る。 しか し,そ の姿 勢 は 自 ら も村 落構 成 員 であ る場 合,個 人の都 合
と村 落 の意思 との微 妙 なバ ラ ンスの 上 に成 り立 つ もので あ ろ う。 そ こで 本章 で は,水 の確 保 にお け る村
落の主体 性 が.村 落住 民 の共 通 意 思(=合
意 の基 準)に よって どの ように支 え られる のか を明 らか に し,
そ こ にお け る農業 者 らの 意見 の働 きにつ いて 考 察 を くわ える。
1農
業 水 利 と村 落
わ が 国 農 業,と
り わ け わ が 国 水 稲 作 に お い て は,農
れ て い た 。 つ ま り,村
る 。 と こ ろ が,兼
業 用 水 は 通 常,村
落 を通 じて確 保 さ
落 は ひ とつ の 末 端 水 利 組 織 と して 主 体 的 役 割 を果 た して い た の で あ
業 化 や 混 住 化 な ど の 農 業 構 造 の 変 化 に よ っ て,農
落 の 均 質 性 が 失 わ れ 始 め た 。 そ れ を 原 因 に,村
落 は 末 端 水 利 組 織 と して の役 割 を従 前 どお
り に 果 た せ な く な っ た とい わ れ る に 至 る の で あ る1)。 しか し,そ
しい 末 端 水 利 組 織 が 誕 生 し,定
業 者 の 集 団 と して の 村
着 しつ つ あ る か と い う と,そ
れ な ら ば村 落 に代 わ る新
う で も な い 。 実 際 に は,内
実
は 変 化 し つ つ も従 来 ど お り村 落 が そ の 役 割 を 果 た して い る と み え る 場 合 が 多 い の で は な い
だ ろ う か2)。
こ う し た 末 端 水 利 組 織 の 位 置 づ け に 関 す る 不 明 確 さ は,農
論 の 必 要 と し て 映 っ て い る が3),そ
の 意 味 に お い て も,現
関 連 を 考 察 す る こ と が 重 要 と な る 。 村 落 が,農
と し て の 役 割 を 果 た し て い る の で あ れ ば,そ
者 に と っ て の 村 落 の 現 代 的 意 味 を,水
で あ ろ う 。 こ れ は す な わ ち,農
業 水 利 研 究 者 の 目 に水 利 組 織
在 に お け る 農 業 水 利 と村 落 と の
業 構 造 の 変 化 に もか か わ らず 末 端 水 利 組 織
の 実 情 を 詳 し く分 析 す る こ と に よ っ て,農
業
利 組 織 と い う 側 面 か ら捉 え な お す こ と が 可 能 と な る
業 者 た ち に と っ て,彼
らが 農 業 を営 む う え で村 落 と どの よ
う に つ き あ う必 要 が あ る の か を 追 究 す る こ と に も つ な が る 。
そ こ で,こ
う し た 関 心 の も と に 研 究 史 を 振 り返 っ て み る と,農
つ い て ま ず 注 目 す べ き は,1960年
業 水 利 と村 落 との 関 連 に
前 後 の 「村 落 共 同 体 論 」 の な か で の 議 論 で あ ろ う 。 そ こ
46
で は,村 落=共
同体 にお いて 「耕作 強制」 を生 み 出す 一 要 因 と して,水
げ られて い る4)。 いい か えれ ば,水 利 の共 同が村 落=共
利 の共 同が 取 り上
同体 の ひ とつ の物 質 的 な存 立基 盤
と して位置 づ け られ てい たの で あ る。 この ア プ ローチ は,農 業水 利 と村 落 との関連 とい う
観 点 か らみれ ば,水 利 の共 同 を村 落 の存 立 の一要 因 と捉 えたの で あ るか ら,存 立要 因的 ア
プ ロー チ と呼 ん で よい だ ろ う51。
しか しなが ら.こ の存 立 要 因的ア プ ローチ に よって,先
とい うの は,こ の ア プ ローチが,水
の 問題 を解 くこ とはむず か しい。
利 の共 同 を生 み 出す水 利 形 態 に よっ て村 落 の存 立 を説
明す る とい う性格 を持 つ か らで あ る。 農業構 造 の変 化 に と もな う農 業水 利 と村 落 との 関連
の変 動 に焦 点 をあて よ うとい う本 章 の立場 か らす れ ば,こ れ とはむ しろ逆 に,村 落社 会 内
部 の変 動 に よって,農
業水 利 との関連 の変 化 が把握 され な ければ な らな い。 も しも,存 立
要 因的 アプ ローチ に よって現 在 の状 況 を説 明 しよう と した な らば,水 利形 態 の変化 に よっ
て村落 の 変貌 を説 く とい う,や や もす れば形 式的 な議 論 に陥 る危 険 もで て くるの で ある6)。
ともあれ,先 の 課題 に接 近 す るた め には,存 立 要 因的 ア プ ローチ以外 の方法 が採用 され
なけれ ば な らない 。 そ こで,次
にそ う した別 の ア プ ローチ を設定 す る こ とにな るが,ま ず,
その場 合 の基本 的 な視 角 を述 べ てお きた い。
た しか に今 あ る村 落 も,水 利 の共 同 をは じめ とす る諸 々の存 立要 因の うえ に成 り立 って
い る と考 え られ る.た
とえば,政 治 的支 配機構 の末端 と して の役割 な ど も,国 家統 治上 要
請 された ひ とつの存 立 要 因 とみな され よう。 しか し。変動 をみ る とい う立 場 にた つ な らば.
む しろ.そ
う した諸 要 因 に支 えられた村 落が村 落 に住 むむ ら人 の前 にす で に存 在す る とき,
む ら人 はその村 落 の組 織 を利 用 して,新
しい問題 に対 処 す る とい うこ とが重要 にな って く
る7)。 この こ とは,一 見 変 わ らぬ ようにみ え る村 落 が,実
は,そ の 内実 において変 質 して
い るこ とを表 わ して い る。 なぜ な ら,村 落 の組織 を利 用 し,問 題 に対 処 す る背 後 には,む
ら人の 意思 とそれ に も とつ く合 意 が あ り,そ の過 程 におい て村 落 は変 質 す る こ とになるか
らで あ る。
こ う した視 角 か ら農 業水 利 と村 落 との 関連 を捉 え よ うとす る と き,村 落 とは具 体的 には
村落 運営 を意味 す る こ とに なる。平 場 の村 落 におい て村 落運営 と水 利 組 織 とが密接 に関連
してい る こ とはす で に指摘 されて い るが8),そ
の運営 の過 程 にお ける合 意形 成 を経 て は じ
め て,結 果 的 に村 落 が 末端水 利 組織 と して の役 割 を担 い うる,と 考 え らえるか らで あ る。
つ ま り問題 は.農 業水 利 に関す る合 意 形成 が村 落 運営 の なか で いか にお こな われて い るの
か にあ る。本 章 で は この点 を,と
くに合 意形 成 の際 に現 わ れ る基準 を手 が か りと して解 き
47・
明 かそ う と思 う。 この基 準 が む ら人の 意思 に基 づ くこ とを考 える な らば,農 業 者 を含 むむ
ら人の農 業水利 に対 す る意 思 の なかか ら,村 落 の末端水 利 組 織 と しての 意 味 を考察 す る こ
とにある,と い いか えて もよいで あ ろ う。
以上 が本 章の分 析 視角 で あ る9}。 次 に,具 体 的 な事 例 を記 述 して い く際 の整理 軸 につ い
て説 明 してお きた い.
す で に示 唆 した よ うに,か つ て村 落 は 「小 地域 の用 排水 管 理組 織 と して,有 効 に機 能 を
発 揮」10)してい た。 そ の とき,村 落 の末 端水 利 組織 と して の役 割 は,内 的 局面 と外 的局 面 と
の二 つの局 面 に分 けて考 える こ とが で きる。 さ しあた り用 水 面 の み に限 って農 業水利 の シ
ス テム をなが め れ ぼ,水 源 か らい か なる手段 に よって取水 し,そ の水 をい か に各 圃場 に ま
で引 き込 む かが もっ とも基本 的な問題 で あ ろ う。村 落 は従 来 こう した過 程 の 中間 に入 って,
用水確 保 を実 現す るた めの ひ とつ の結節 となって い た11)。つ ま り,あ る水 源 をめ ぐるひ と
つ の農業水 利 組織 が 複 数の村 落 にわ たっ て形成 されて い る と き.村 落 は その 中間的 な構 成
単位 として,ひ
と まず村 落 レベ ル での用 水 を確保 す る主 体 となる。 この役 割が ここでい う
外 的局面 で あ る。一 方,村
れ ねば な らない が,そ
落 レベ ルで確 保 され た水 は さ らに村 落 に属 す る水 田へ と配分 さ
の配分 は村 落 に よって統 制 され てい た。 また,各 圃場 に用水 を確 保
す るた めの水 路整 備作 業 な ど も村 落 の統 制下 に ある場合 が多 か っ た。 こ う した村 落 レベ ル
で確保 した水 を各 圃場 の用水 と して実現 させ る働 きが,こ
こで い う内的 局面 で あ る。
内的局 面 とは,具 体 的 には村 落 内 部 にお け る農業水 利 の維 持管 理作 業 をさす とい って よ
い.し
たが って,こ
の維持 管 理作 業 が村 落 の統 制 の も とにおか れて い る と き.そ の統制 が
いか な る合 意 の も とに現 象 す る のか が,こ
て,ど の よ うな者(世
者(世 帯)が
帯)が
の局 面 にお け るポ イ ン トとなる。 この 点 につ い
そ の作 業 をお こ な うべ きか とい う意見 と,実 際 に どの よ うな
その作 業 をお こな って い るのか とい う実 態 とを見 くらべ つ つ.そ
る合 意 形成 の基 準 を明 らか に したい。 なお,維 持 管理作 業 の 内容 として,こ
こ に存在 す
こで は農業 用
水 の配水 管 理作 業 と,用 排水 路 整備 の共 同管理 作 業 を取 り上 げ る。
一方
,外 的局 面 につ い て は,村 落 を越 え た水 利組 織 一現 在 一般 的 には土 地改 良 区 と呼 ば
れ る 一へ の 代表 選 出 と村 落 運営 との 関連 が問題 となる。実 質 的 に は この代 表者 が各 村落 の
代表 と して村 落 レベ ル の用水 確保 を担 うか らで あ る。 そ こで,こ
の代 表者 の性 格 の移 り変
わ りを村 落 にお け る地位 とい う観 点か ら明 らか に し,そ こか ら代 表選 出の際 の基準 を導 き
出 したい 。 む ら人の 意思 を も とに代 表 が選 出 され るの で あ るか ら,代 表者 の性 格 は,む
人の農 業水 利 に対 す る意 思 を知 るため の ひ とつ の 指標 とな りうるで あ ろ う。
ら
以上 の 分析 をへ て,村 落 運営 にお け る合 意形 成 に際 して規 定的 とな る基 準(=共
通意 思)
につい て考察 し.そ こか ら農業水 利 にお け る農 業者 と村 落 の関係 を考 えた い。 ただ し,こ
れ らの前 段 と して,調
査村 落 におけ る農業構 造 の変化 を,と
くに水 稲 作 に重 点 をお いて説
明 してお く。 い う まで もな く,農 業 構 造 の変化 は本 章 で設定 した主 要 な変動 要 因だ か らで
あ る。
変化 をみ る時 間的 範 囲 は,内 的局 面 にお いて は近 年 の数年 間,外 的局 面 にお いて は土 地
改 良 区へ移 行 した1952年
か ら今 日まで と した。 なお,デ
ー タは1982年 の秋 か ら1985年
に
か けて お こな った調 査 に基 づ いて い る。
2調
査村 落 の概 況
1)概
況
調査 村落 は滋賀 県東 浅 井郡 びわ町 落合 で あ り,前 章 で 取 り上 げた難 波 に隣接 す る村落 で
あ る。 びわ 町は滋 賀 県北 部,姉 川 の河 口付 近 に位 置 して お り,姉 川堤 防 を除 けば全 般 に き
わめ て平坦 な地形 を な して い る。落合 は,こ の平坦 な土 地 を利 用 した水 稲作 を古 くか ら主
た る生 業 と して きた 。 また,冬 期 には1ヶ 月前 後 の根 雪 期 間が あ るため.水
近 年 の麦作 な どの ほか は,さ
田転 作 に よる
ほ ど裏作 も盛 んで は なか った。
落合 は,徳 川 時代 には落合 村 と呼 ば れ,寛 永 年 間 には幕府 の.元 禄 年 間 には三川 吉 田藩
の支 配下 におか れ た。 その後,区
制 実施 時 に隣村 の 難波 村 と合 併 したが,数 年 後 に再 び分
裂 し,そ れ以 後今 日に至 る まで,ひ
とつ の大 字 と して独 立 して い る.後 の記述 の便 の ため
に町村 制 以後 の行 政 区域 の変 遷 を記 してお く。1889(明
村 の合 併 に よって南福 村 が成 立 した。 その翌 年,村
治22)年
に,落 合村 をは じめ11ヶ
名が 大郷 村 に改称 され,戦 後,1956年
の町村 合併 の ときに,大 郷村 は北 隣 の竹 生村 と合 併 して びわ村 とな り,1971年
に町制へ 移
行 して現在 に至 って い る.
1985年 現 在 の落 合 の戸 数 は66戸 であ る12}。少 な くとも大正 期 以降.戸
ない 。現在,66戸
数 に大 きな変 動 は
の うち61戸 が水 田 また は畑 を所 有 してい る。水稲 作 が 主 で あるが,古
く
は副業 と して養 蚕 が盛 んで あ った。 しか し,大 正 中期 頃か ら次 第 に衰退 しは じめ,現 在 で
はわず か1戸 が営 んで い る にす ぎな い。養 蚕 と入 れ かわ る ように して,農 外兼 業 に従事 す る
農家が 増 えて きてい る。 農林 業 セ ンサ ス に よる と,1960年
戸(92%),そ
の うち の22戸(40%)が
69戸,51戸(74%),41戸(84%)と
には世 帯 数63戸 の うち農家 は58
第2種 兼業 農 家 で あった が,1980年
な ってい る。
49
に はそれ ぞれ
畑 は姉川堤 防 内 の河 川敷 に,水
田 は聚 落13)の西 北 にノ広 が って い る(図21)。
河川 敷
の畑 は,現 在 で は 自家 消 費用 の野菜類 のた め に ところ どこ ろ利 用 され てい るにす ぎないが,
古 くは桑 園 と して 重要 で あっ た。落 合 の 「領 域」 内の水 田は33haあ る(1980年
セ ンサス
「農業集 落 の土地 面積 」 よ り)。 領 域 内 の水 田 と落合 の農 家 の所有 す る水 田 との 間 に大 幅
なズ レはみ られ な いの で,お
おか た の 目安 とな ろ う。
図21調
査村 落 の地 図
ノ 。/つ.領
域 境
///1凡
一 ・一
例蒙鐸 箭
ノコ
〆!!、
井堰
一
rl
\
1!、
、
、
錦
\
で●
織
、
、
、
\
水
田
、/田
\ノ 繋 戴
絶
7ク1主
舳
揚
、.〃Zs≦
聯
塀
懲
畿 落)'、
轍
時
・
\'川
〉帆
姉 \
川
∠
//
次 に,落 合 にお け る村 落運 営 につ い て述べ てお きたい 。村 落運 営 の ため の組織 は,区 長
1名,代
理者(改
良組 合 長 を兼務)1名,お
成 されて い る。 この ほか,1965年
よび8名
の(1981年
以 降14))の 協 議員 か ら構
か ら76年 まで の問 には改 良組合 員4名 も選 ばれて い たが,
それ以 後 は廃 止 され た。 これ らの役 職 の任期 は1年 で,通 常1月
の総会(「
初寄 り」)に
おい て選挙 で選 ばれ る。 た だ し,そ れ ぞ れの役 職 に は就 任 回数 や留 任期 間 につい ての制 限
が設 け られて い る15)。区長 は村落 の公式 的 な代 表 を務 め,代 理者 は 区長 の代理 で あ る と と
もに農事 関係 の代 表 を も務 め る。協 議員 に はそれ ぞれ に係 が割 り当て られ,そ
・50
れが 日常 的
な仕事 とな る。重 要 な議 題 につ い て は,総 会 にか け る前 に これ らの役 職者 に よって会合 が
もたれ る。 この ほか に,落 合 の各世 帯 を地 理的 に8つ
に分 けた班 か らそ れ ぞれ班 長が選 ば
れ るが,行 政 の下 部組 織 的 性格 が濃 く,村 落運営 に直接 に は参 与 しない 。
2)農
業水利
落合 は,徳 川 時代 か ら一 貫 して 田川 の水 を水 田用 水 と して利 用 して きた16)。現在 の田川
は高 時川 の河床 を く ぐって(図21参
川 時代 には姉川,高
照),直
接 琵 琶湖へ と流 れ込 んで い る。 しか し,徳
時川 の合 流 点 に流 れ込 んでい た 。姉川,高
の水 勢 は弱 か ったた め,当
時川 の水 勢 に比べ る と田川
時,豪 雨 の際 には姉川 の水 が 田川 に逆 流 し.上 流 の4ヶ 村 落
(現在 は虎姫 町 内)に 浸水 の被 害 を引 き起 こ してい た。 そ こで,田
流 そ う とす る工事 が1860(万
延 元)年
に着工 され,さ
川の水 を直接 琵琶 湖へ
らにその後 数 回の改 修工 事 をへ て,
現在 の状 態 とな ってい る。
図21の
④ 点 は取水 用 の井堰 の位 置 を示 して い る。 この井堰 か ら取 られ た水 は 「田川
養水 」17)と呼 ばれ,落 合 をは じめ とす る下 流 のい くつ かの村 落 の水 田用水 とされて きた。
そ れ らの用水 利 用村 落(現
25)年
在 はびわ 町内)と 先 に述 べ た上流 の4ヶ 村 落 とで,1892(明
に 田川普 通水 利 組合 が組 織 され.そ の後1952年
治
に 田川 土 地改 良 区へ と移行 して今 日
に至 ってい る。上流 の4ヶ 村 落が 組織 に含 まれて い るの は,井 堰 の 開閉が排水 問題 にかか
わるか らであ る。
表21に
田川土 地 改 良 区の組織 を示 した。総代 は各村 落 ご とに選 出 され,基 本 的 にはそ
の 中か ら理事,監
監事.理
事 な どの役 職 者 が選 ば れ る。役 職 は表 にあ げた ほか に,常 任理事,総
事長 が あ るが,土
地改 良 区へ の以 降い らい,上 流 の排水 地 区 を除 けば,そ
括
れ らの
3つ の役 職 は監事 と同様 にいず れ も落合 また は川道 か ら選 出 され てい る。 と りわ け理事 長
につい て は,1957年
以 降,落 合 の総 代 か ら選 ばれ続 けてい る。 また,井 堰 を実際 に開閉す
る作 業 も落合 の総 代 に よって お こな われ てい る。
用水 地 区各 村 落へ の用水 配分 率,な
22に
らび にそれ を稲作 作付 面 積 で便宜 的 に除 した値 を表
示 した。配 分 率 のみ をみれ ば落合 と川 道 が高 くなって お り,常 任 理事 等 が選 出 され
る村 落 と一致 してい る。 しか し.水 稲 作 付 面積 あた りで み る と値 は逆 に川 道 が最 も低 くな
り,落 合,野
寺 が高 くな ってい る。
これ らの こ とか ら.落 合 は田川 土地 改 良 区 を構 成す る村 落 の なか で 中心 的 な位 置 を占め
て い るこ とが わか る。 この こ とは,歴 史 的 にみ れば,田 川 の水 利 権 を落 合 のみ が握 ってい
た こ と と無 関係 で は ない で あろ う。 だが,落 合 に とっ てみ れば,落 合 に は田川 以外 にさ し
51
た る用水 源 はなか った。 つ ま り,「 田川 養水 」 を確保 す る努力 を通 じて は じめ て,土 地改
良 区内 にお け る今 日の落合 の地位 が あ る と もい え よう18)。
表21田
川土 地改 良区 の組織
村 落 名
総代 数
聯
表22田
よび監 事
名
川 用水 分配 率
水 稲1留 面積
田川用査配分率
舞 ・1
・
…
名
田52ha
排
水
地
酢52
月
ケ
居29
野
寺7.650.076.97
落
合73(う
川
ち監'1ト1名)注)④
水
新
居52セ
地
野
寺32
木 浜4L'5似'5353
道114.560.322.37
は1980年n
(難波)2_③
区
.230.175.60
国52
(以 上 の う盗事1名)八
用
合27.920.277.73
新
瀬52
区
唐
落
は 合計す ると0・98とな るが ・あ との0・02は"その解
に配 られ る。
ンサ スお よび田川1二地改 良区資率聾よ り作成 。
八 木 浜52
川
道83(う
・
計50
ち監 喉1名)
理事
監事
173
注)田 川土地改 良区 資料 よ り作成 。
3.水
田 所 有 と耕 作 の 分 離
兼 業 化 に つ い て は 前 節 で 概 説 した が,も
非 農 家 と な っ た 世 帯 も あ れ ば,経
は,1960∼80年
ち ろ ん 各 農 家 が 一 様 に兼 業 化 した わ け で は な い 。
営 面 積 の 拡 大 を 図 っ た 農 家 も あ っ た 。 表23に
の 落 合 に お け る 農 業 経 営 規 模 別 農 家 戸 数 の 変 化 で あ る 。 一 般 的 傾 向 と し て,
経 営 面 積 の 両 極 分 解 が み ら れ る 。 と く に,1980年
に は0.3ha未
満 層 の 増 加 と と も に,2.Oha
以 上 を 経 営 す る 比 較 的 大 き な 農 家 も現 わ れ て い る 。 こ の 資 料 に は,水
菜 畑 な ど も含 ま れ て い る が,先
慮 す る と,経
示 した の
に 述 べ た よ う な 養 蚕 の 衰 退,野
田 の ほ か に桑 園 や 野
菜 畑 の 自家 菜 園 的 性 格 を考
営 面 積 の 拡 大 は 水 田 経 営 面 積 の 変 化 に よ る も の と 考 え て よ い 。 も っ と も,こ
の 拡 大 は 水 田 所 有 面 積 の 増 大 で は な く,水
田 の 貸 借 に よ っ て 実 現 さ れ た 。 そ こ で,1984年
の 事 例 を 取 り上 げ て 水 田 貸 借 の 実 態 を 詳 し くみ る こ と に し よ う 。
52
表2-3経
営規模別農家戸数の変化
経 営 耕 地h・
面積
∼0.3∼0.5∼1.0∼2.0∼3.03.0∼
計
年次
戸
1960年121517140058
1970131413160056
198017111093151
注)農
図22水
林 業 セ ン サ ス よ り1乍成
田所有 面積 と水 田耕 作 面積(1984年)
4.5
756362
∼
3.5
7757
∼
2.5
∼
詣
・.・
樺
∼
1.5
癖
@∼22122376
1.01517
∼7'4673難
0.52526
66
∼30
0.32145
135055
∼87
所 有水 田 な し
101114末
∼0.3∼0.5∼1.0∼1,5∼2。0∼2.5
井2027
伯三33403134243235
水41423637484347517016833844
田6164
525356な65728186
8082し84
水 田 所 有 面 積(ha))
注)役
場 資 料 お よ び 聴 き 取 り結 果 よ り 作 成 。
-53一
図2-2は,1984年
る。図 中の2ケ
にお ける各 世帯 の水 田所 有 面積 と水 田耕作 面積 とを比 較 した もの で あ
タの数字 は世 帯 番号 であ るが,そ
の うち10の 位 は班 の番 号 を示 して い る。
また,耕 作 面積 は実質 的 な耕作 面積 の有無 に もとつ い てい るの で,所 有水 田 を 「
小作」に
出 して 「小 作料 」 を受 け取 って い る場 合 だ けで な く,水 田耕 作 にかか わ るほ とん どすべ て
の作業 を委 託 してい る場合 も,非 耕作 に分類 され てい る。
図22で
まず注 目す べ き点 は,総 水 田所有 世帯52戸 の うち,23戸
してい ない こ とで あ る。落合 全 体 で考 える と,総 戸 数67戸(1984年
なわ ち55%が
が実 質 的 に水 田 を耕 作
当 時)の
水 田 を耕作 して い ない こ とに なる。先 の23戸 が貸 し付 けた,あ
託 した水 田 は8.2haあ
り,そ の うちの77ha(94%)は
うち37戸.す
るい は作 業委
落 合 の世帯 に よって耕作 されて い
る。水 田所 有 面積 よ り耕作 面積 の ほ うが大 きい15世 帯(図
か ら読 み とれ る世帯 と28,45)
は,基 本 的 に はそ う した23戸 の 所有水 田 を耕 作 す る こ とに よって規模 を拡 大 して い る,と
い って よい 。 ただ し,2.5ha以
上 を耕作 して い る,村 落 内 で はやや 突 出 した5世 帯 につい
て みれ ば,そ れ らが借 り受 けた,あ
るい は作 業 を受 託 した総 水 田 の うちの約 半分 が,他 村
落 の世 帯 の所 有 田 となって い る。 その結 果,落 合 の世帯 が耕 作 す る水 田面積 の総 計 は,所
有水 田面 積 の総 計 よ りも4haば
か り多 くな ってい る。
落合 の世帯 か ら出 され た82haの
うち,65haが
貸付水 田の面 積 で あ り,17haが
作業
委託 の面積 で あ る。その うち,水 田 を貸 し付 ける場合,契 約 は1年 ご とに 口頭 で更新 され る。
い わゆ る 「ヤ ミ小 作 」 で あ る。契約 の内容 は,た
の だが,貸
す側 に とって は 「また(水 田 を)つ
とえば 「今 年 もたの む」 な どの簡 単 な も
くる ときに返 して くれ」 とい う気持 ちが言
外 に含 まれ て い る とい う。落合 の世 帯 どう しで結 ば れて い る水 田貸 借契 約 はすべ て この
「ヤ ミ小 作」 で あ り,農 用 地利 用 増進 事業 に も とつ く貸借 関係 は1例
もない。 それ に比 べ
て,落 合 の世 帯 と他 村 落 の世帯 との 間で結 ばれ てい る貸借 関係 におい て は,11haと
少な
い なが ら も同事 業 に登 録 された例 が み られ る。
4農
業水 利 の維 持 管理 一内 的局 面 一
は じめ に農業水 利 の 配水 管 理作 業 を,次 に用排 水路 整 備 の共 同作 業 を述 べ たい。
1)配
水 管理
まず,旱 越 時の 配水 管 理 の変 化 を村落 の規 約 に よって み てみ よ う。1953年
『大 字落合 申
合規約 』 に よる と,「 旱魑 ノ際 字東 割 ヨ リ平 田二至 ル養水 路 大川 筋 ノ止 切 リ等 ハ 決 シテ致
サザ ル事 。若(万
力)一 不 得 止 場合 ハ 区長 ノ指示 二従 フモ ノ トス」19)と定 め られてい る。
-54・
その後1972年
に,こ
の条 文 の 「区長」 の 部分 が 「区長 又 は改 良組合 長」 に改 め られ,さ
に1980年 には全 面 的 に改訂 され て 「旱 越 の際 は養水 路,井
ら
堰等 は 区長 又 は改 良組 合長 の指
示 に従ふ もの とす 」20)となっ た。
こ う した条 文 の変 化 の うち,1980年
の改訂 は3反 区画 の 圃場整 備 が完 了 し,そ れ まで の
条 文の 内容 と実際 の形状 が 一致 しな ぐなった こ とに よる。 そ れ に対 して,1972年
の改 訂 は
農 家 の兼 業化 に対 応 した もの で あ ろ う。 とい うの は,区 長 には就 任 制 限が設 け られてい る
ため21},通 勤 兼業 者 が 増加 して くる につ れて,こ
こぞ とい う ときに村 落 に居 りうる者 の み
を区長 に選 ぶ こ とが 困難 にな って くる。 す る と,村 落外 に働 きに出て い る者 も区長 に選 ば
ざ る をえない 。そ こで,よ
り就任 制 限 の緩 や か な代 理者(=改
良組合 長)が
農 業水利 関係
におけ る中心 的存 在 とな り,同 時 に,農 業 を主 とす る者 が 代理 者 に選 ば れ る よ うになる。
こ う した なか で,旱 越 時の 配水 管理 に対 す る権 限が先 の ように変更 され た と考 え られ るか
らで ある。
規約 に記 され た内容 は村 落構 成 員 の合 意 の もとで定 め られ た わ けで あ るか ら.そ れそ の
ものが その後 の合 意 形成 におい て ひ とつの基準 に なって い る よ うで あ る。聴 き取 りをお こ
なって い る と きに も,守 るべ きもの と して規約 の内容 が語 られ る こ とが あ った。 しか し,
成文 化 され た規約 は,た
しか に合 意形 成 過程 にお ける ひ とつ の根拠 とな りうるが,そ
ら合 意形成 のゆ くえ を知 る こ とはで きない。 問題 はむ しろ.ど
こか
の よ うな意 味 で規 約 の内容
が定 め られ たの か を知 る こ とにあ る。
そ こで,先
の条 文 の変 化が もつ意 味 をよ り詳 しく探 るため に,日 常 的 な配水 管 理 に 目を
向 け るこ とに しよ う。 日常 的 な配水 管 理 は,古
概期 間 中,毎
くか ら代理 者 の仕事 であ った。代 理者 は灌
日水 田 を見 回 り,主 要 な用水 路 の配 水 管理作 業 をお こな って きた。 ところが,
最 近 で は代 理者 を も兼 業 で村 落外 へ勤 め に出 る者 か ら選 ば ざる え ない状 態 とな って きた 。
その結 果,大 規 模耕 作 者 で あ る75の 世 帯 主 な どの話 で は.緊 急 の 配水 調整 が必 要 な場 合,
耕作 者 が各 自で配水 管 理 をお こな う こ と もでて きた とい う。 しか し.実 態 と して は こ う し
た変化 が み られ る ものの.配 水 管 理 は代理 者 が お こな うべ きで あ る とい う意見 に変 わ りは
ない ようであ る。 た とえば,75の
か らそ う(=各
世 帯 主 は実 態 を先 の ように述 べ なが らも.「
耕作 者 に よる配水 管理)し
てい るが,本
しかた ない
当 は代理 者 が ち ゃん と面倒 をみ な
な らん」 と語 って い る。
こう した なか で,日
す る動 きが,1985年
常 的 な配水 管理 にみ られ る実 態 と意見 との くい違 い を調整 しよう と
に入 って現 われ た。代 理者 に代 わ って協議 員 の ひ と りが 日常 的 な配水
55
管理 をお こな う よ う,年 始 め の 「初寄 り」 で決 め られ たの で あ る。 配水 管理 を十分 にお こ
なえ る ような代理 者 の候 補 が い ない た め,代 理者 よ りもさ らに就任 制 限 の緩 い協 議 員 にそ
の作 業 を任せ る こ とに した わ けで あ る。協 議 員 の就 任 制 限 は就 任 回数 の制 限 で はな く,留
任期 間 の制 限 で あ るか ら22),配 水 調 整 をお こな える者 が複 数存 在す る限 り,制 度 的 には以
後 も問題 は ない とい うこ とにな る。実 際 に は,こ
主23)が選 ばれ た。57は 図2・2に
う した役 割 を担 う協 議 員 と して57の 世 帯
み る ように,3.5ha以
上 の水 田耕作 世帯 で ある。
兼業 化 に と もな う村落 常在 者 の 減少 は,日 常 的 な配 水 管理 の役 目を果 た しうる者 の 範囲
を狭 め る結果 となって い る。 農業 を主 とす る,限
られた者 が この役 目を担 う傾 向が み られ
るので あ る。 しか し,だ か らとい って,村 落運 営組 織 と無 関係 に配水 管理 をお こなお う と
してい るので は ない.そ
れ は,あ
くまで運 営組 織 内 にお ける担 当者 の変化 に と どまってい
る。 こう した こ とか ら,配 水 管理 をで きるだ け運 営組 織 内 に とどめ て お こ うとす る意 思が
存 在す る とみて よい で あろ う。 先 の規約 条文 の 変化 も同様 の意 思が 反 映 した もの と考 え ら
れ る。
2)共
同作 業
落合 で は一 般 に,村 落 の共 同作 業 は 「総 人足 」 あ るい は 「総 普請 」 と呼 ばれ てい る。 そ
の ひ とつ に 「川 ざ らい」 と呼 ばれ る用排水 路 の共 同整備 作 業が あ る。 「川 ざ らい」 は1年
に2∼3回
お こな われ る。春 に はその年 の灌 概 に支 障 の ない ように雪 な どで崩 れた水 路 を
補 修 し,夏 に は主 と して通水 の妨 げ にな る草 の刈 り取 りをお こ な う。秋 にお こなわれ る場
合 には主 に排水 路 の掃 除 をす る。 これ らは用水 利 用 の ため の重 要 な作 業 なの だが,圃
備 時 に用排水 路 が2面
少 した。事 実,1985年
また は3面
場整
の コ ンク リー ト張 りにな り,現 在 で はか な り作業 量 が減
には補 修 す る部分 が少 なか っ たの で,「 川 ざ らい」 は取 りや め とな
り,最 寄 りの耕作 者(6名)に
よる作 業 だ け に終 わ った 。 しか し,「 川 ざ らい」 が な くな っ
て しまった わ けで は ない。 「今年 は作業 す る こ と もあ ま りなか ったか ら,川 ざ らい もなか っ
た」 ので あ って,必
要 な らば 「川 ざ らい」 は再 びお こ なわれ るの で あ る。
また,田 川 か らの用 水 は聚 落 の 中 を通 って各 圃場 へ と流 れ てい るため,当 然 の こ となが
ら聚落 内 の水 路 も 「川 ざ らい」 の対 象 に含 まれて い る(図21参
照)。
しか し圃場 と同様
に,こ れ らの水 路 も集 落 基 盤整 備事 業 な どに よって コ ンク リー ト化 され,作 業 の必 要性 は
か な り減 っ た。
こう して 「川 ざ らい」 の作 業 量 は減 少 して きた ものの,全
戸出役 の原則 は基本 的 に変 わ っ
てい ない。 た だ し,出 役 したす べ ての世 帯 が等 しく同 じ作 業 をす る とい うわけで は ない。
56
そ こで次 に。作 業 内 容 の差 異 につ いて みて み たい。
「川 ざ らい」 の なか に,圃 場 の用 排水 路 の整備 と聚 落 内水 路 の掃 除が あ る こ とを述 べ た
が,こ の2つ の作 業 はむ ら人 の あい だで意識 的 に区別 され てい る。共 同作 業 時の実 際 の作
業 は,「 川 ざ らい」 に限 らず,班
ご とに割 り当て られて きた。 どの班 を何 の作 業 に割 り当
て るかは.区 長 も しくは代理者 が そ のつ ど決定 す る。 ところが,「 川 ざ らい」 に関す る 限
り,聚 落 内水 路 の掃 除 は,少
れ は3班
な く ともこ こ数年 の 間,特
定 の班 に割 り当 て られて きた 。そ
と8班 で あ る。 そ の理 由 は,区 長 経験 者 の話 に よる と 「田 んぼ をつ くって ない 人
が多 いか ら」 とい うこ とであ った。 そ こで,図2-2を
各班 ご とにま とめて み た(表24)。
表24に
水 田所 有 ・耕作 の有 無 にのみ分 けて,
よる と,む
ら人の 発言 はほぼ実 態 と一致 し
て い るこ とが わ か る。 ただ し8班 は,水 田非 耕作世 帯 が 多 い とい う理 由だ けで な く,そ の
居住 区域 が掃 除す る水 路 にち かい とい う理 由 もあ る こ とをつ け加 えてお きた い。
表24班
班
鵯
辮
別水 田所有
耕 作 の有 無(1984年)
継
10△
△30(=)05000700△
11△
△31()△510△710(=)
σ硝
120(=)32△
△52△
り作成)
△720△
13△0330△53△
114△
△'魂(図2●2よ
△730(=)
△3340△5540077400
150035△
△55007500
16(=)△36△
△56△
17(=)037△
△57(=)07700
△7600
380△
200△400△60(=)080△
△
21(=)0410△610△81(=)△
2200420△620082△
△
2300430△6300830△
224△
△4440△6640△8840△
250(=)450(=)65(=)△8500
26(=)046006600860△
270△470△67008700
280048△
△
57
こう した こ とか ら,実 際 の作 業分 担 にお い て は,作 業 内容 を水 田耕 作
非 耕作 の軸 に よっ
て分 け るこ とが 一応 の納得 の基 準 にな って い る と考 え られ る。 しか し同時 に,こ の 区分 が
班 ご とに分担 す る とい う従 来 の方 法 に則 ってい る こ とも無視 で きない。つ ま り,こ の 割 当
方法 は,従 来 の作 業体 制 の枠 組 みの なかで近 年 の変 化 に対 応 しよう と した姿 だ とい って よ
い だ ろ う。
ところが,こ
う した現 行 の作 業体 制 を考 え直 そ う とい う意見 も出 され てい る。水 田所 有
世帯 の作 業 内容 と水 田 非所 有世 帯 のそ れ とを分 け よ う とす る意見 で あ る。 この意見 は もち
ろん水 田非所 有世 帯 か ら出 されて い る。 それ に対 して,水
田所 有 世帯 の側 か らは,「 分 け
て しま った ら,事 業 な んか をする ときに(ま
もで きない」 とか,「 昔 か らず っ
とまって)何
とこれでや って きた」 な どの 意見 が 出 されて い る よ うで あ る。
こ こで興 味深 い こ とは,作 業体 制 の議論 におい て,水
水 田所 有
田耕作
非耕 作 の 区別で は な く,
非所 有 の 区別 が 問題 とな ってい る こ とで あ る。 も しも,水 田所 有世 帯 と水 田非
所 有世 帯 とを区別 して作業 をお こな う とす れば,表24か
ら もわか る ように従 来 の班別 割
り当 て体 制 は成 り立 ち えな い。 また,先 の水 田所 有世 帯 か らの 意見 をみ る と,班 別 割 り当
て体制 を崩 す こ とへ の危惧 が うかが わ れ る。 この ように考 えて くる と,ど うや ら 「川 ざ ら
い」 の作 業 体 制 にお け る争 点 は,従 来 の班 別 制 か,そ
区別 か にあ る.と
ま とめ られ よ う。水 田耕 作
れ とも水 田所有 世帯 と非所有 世帯 の
非耕作 の 区別 は,班 別制 を維持 す るた めの
ひ とつ の説 得 方策 で は ない か と思 われ るの であ る。
で は,な ぜ耕 作
非 耕作 で はな くて所有 ・非所 有 が問 題 となるの で あろ うか。 この点 に
つ い て水 田所 有 世帯 の者 に尋 ね た ところ,「 川 ざ らい は財 産 を守 る意 味 が あるの だか ら,
地主 は出役 しな けれ ば な らない」 とい う意見 や,「
地主 はノ
」
・
作 料 を も らっ てい るの だか ら,
出役 して あた りま え」 とい う意見 な どが聴 か れ た。 つ ま り,水 路 は水 田 と切 り離 され て存
在 してい るの で は な く,一 体 の もの と して む ら人 に意識 されて い る よ うで あ る。 この 意識
を背 景 と して,水
5.土
田所 有世 帯 と非 所有 世帯 の 区別 が現 象 してい る と考 え られ る。
地改 良 区総 代 の性格 一外 的局 面 一
田川土 地改 良 区総 代 は村 落 の総会 にお いて,選
挙 また は推 薦 に よって選 出 され る。 た だ
し,選 挙 が お こな われ る場合 で も事 前 に人選 は ほぼ終 わ ってい るので,総 会 はその承 認 と
い う意味 あい が 強い.
1952年 に土 地改 良 区へ 移 行 して 以後 の,落 合 か ら選 出 された総 代 を表25に
58・
示 した24》
。
総 代 の 任 期 は4年 な の で,こ
わ か る よ う に,初
め の4期16年
に 変 化 が 現 わ れ る1968年
れ ま で に9回 の 改 選 が お こ な わ れ た こ と に な る が,表2-5か
ら
間 は ま っ た く 同 じ人 物 が 総 代 を 続 け て い る 。 そ こ で,総
を 境 に,そ
れ 以 前 を 第1期,そ
れ 以 後 を 第H期
代
と し て 分 析 を進 め
たい。
表2-5田
世 帯
番
川 土 地 改 良 区 総 代 の 変 遷(落
合)
号1950196019701980年
次
87國[圃
83圓[i圃______今
54図
57國[圃
73圃
60圓
77國
31回
44回
25圓
一 一 一一 一 一 一 一 一一 一 一 一→ レ
63圃
一 一 一 一 一 一 一 一一 一 一 一 一>
71回
一 一 一 一>
62國
一 一→
17回
ゴ>
75固
一
注)表
中 のSは
ひ と っ 下 の 世 代 の 者 を表 わ す 。 た と え ば 、87Sは87の
〉
跡 継 ぎ で あ る 。 田 川 土 地 改 良 区 資 料 よ り作 成 。
1)第1期
第1期
の総 代 の性 格 を,村 落 内外 にお け る地 位 が知 られ る よ うな指標 を中心 と して,表
2・6に ま とめ てみ た。表 か ら,國
を除 くす べ ての 総代 が総 代任 期 中 に村 長 また は村 会議 員
を歴 任 して い る こ とが わ か る。第1期
間 中 に落合 か ら選 出 され た村長,村
会議 員 は表26
にあ げた者 です べ て で あ るか ら,こ の時 期 の総代 は村 落 全般の代 表 に もな りうる人物 で あっ
た とい え よう。
また,村 落 内 にお け る総 代 の地 位 は,総 代 の属 す る世 帯 が オ コナ ィオ ヤ にな りえた か ど
うか に よって も知 る こ とが で きる。 オ コナ イ とは滋 賀 県湖 北地 方 一帯 で広 くお こな われ て
一59・
表26田
縢
酵
生年
川土地改良区総代の社会 的性格く第1期 〉
生
國1885響
業
灘
鶴
撫
欝1954年(1年
囮1896禿
響}商
図1901水
田 、 養 蚕1957∼61年
國1903水
田、養蚕
圃1911細
講
脹
村鱒
のみ)1951-55年
勲1956-79年196・-64年
・ 養蚕1955-57年
圓1919沓
果藷
國1923哩
瀞
麟
・
びわ村長
・
びわ村議
○
翻
大郷 村議
会 損1965-68年
びわ 村 議
代 世 帯 の村 落 内 にお け る経 済 的 地 位
位
874815
83111
5491316
576102
73173133
60142027
77345
'-」
糸
惹[旦
二
書}数686562
注)落
議
木 職 人198・-83年1951-55年
蹄 翻 編 鴇 顯 瀧 評ll襯
合区 有 文 書 よ り作 成 。
・60・
ナイ
大郷 村長
注)聴 き取 り、お よび 役場資 料、田 川土地改 良区資 料 よ り作成。
表27総
葬
・
い る 宮 座 行 事 で あ り,毎
担 い,村
年1回2月
に催 さ れ る 。 オ コ ナ イ オ ヤ は そ の 行 事 の 中 心 的 役 割 を
落 内 お け る 「家 格 」 を 反 映 す る も の と 考 え て よ い 。 オ コ ナ イ オ ヤ に 選 ば れ る 世 帯
は ほ ぼ 決 ま っ て い た25)。世 帯 番 号 で い う と.16,25,38,44,54,77,81,83,87で
た 。 こ れ ら9戸 の う ち4戸 が 第1期
しか し な が ら,こ
の 総 代 選 出 世 帯 に 含 ま れ て い る.
れ ら 総 代 の 村 落 に お け る 経 済 的 地 位 を み て み る と,第1期
上 位 を 占 め て い た わ け で は な い 。 表2-7に
級,評
反 映 した も の と考 え て よ い26)。 こ れ に よ る と,1948年
帯 ま で が10位
価 額 は,村
に は.後
以 上 に 入 っ て い る が,52年,60年
57を 除 く5世 帯 の 順 位 は しだ い に 低 下 し て い る 。 つ ま り,総
地 位 は,必
に
時 点 の,
落 内 で の経 済 的 順 位 を
に 総 代 の 選 ば れ る7つ
の世
と 年 代 が 経 る に つ れ て,83,
代 選 出世 帯 の 村 落 内 で の 経 済 的
ず し も上 位 に あ る と は い い 難 く な っ て き た の で あ る 。 資 料 の 制 約 上,1960年
で の 変 化 し か 示 せ な い が,そ
ば,こ
間 中,常
表 わ し た の は,1948年,52年,60年
総 代 選 出 世 帯 の 等 級 お よ び 評 価 額 順 位 で あ る.等
帯 の う ち,5世
あっ
ま
の 後 の 兼 業 化 の 進 展 に よる 所 得 額 の 変 化 な ど を考 慮 す る な ら
の 傾 向 は 強 ま り こ そ す れ 弱 ま る こ と は な か っ た と考 え て よ い だ ろ う 。
2)第H期
長 く続 い た 総 代 を 継 い だ の は,ま
第1期
ず,そ
れ ら総 代 の 世 帯 の 跡 継 ぎ た ち で あ っ た 。 こ れ は,
の 総 代 選 出 の 体 制 を 世 帯 の レ ベ ル で 継 承 し た も の と い え よ う 。 しか し,そ
た ち が 必 ず し も 再 び 長 く総 代 を 続 け て い る と い う 、わ け で は な い 。 第H期
た 総 代 の 性 格 を,表2-6と
第H期
ほ ぼ 同 様 の 指 標 で 表 わ し た の が 表28で
の 総 代 選 出 原 理 と 第1期
そ こ で,第H期
の そ れ と の 間 に は,多
の 総 代 の 性 格 を,と
く に1984年
う した 者
に 新 し く選 出 さ れ
あ る 。 こ れ に よ る と.
少 の ズ レ の あ る こ と を 感 じ させ る27)。
に 選 ば れ た 総 代 を 取 り上 げ な が ら 検 討 す る
こ と に し よ う。
1984年 に選 ばれ た総 代 は,園
の うち團
が理事 長,國
に よ っ て 次 の3つ
第1の
匝1國
回
囮 であ る(表2-5参
照)。
そ
が常 任 理事,[互1が 監事 に就 いて い る。 これ ら7名 の総 代 はその性 格
の グ ル ー プ に分 け る こ とが で き る。
グ ル ー プ は,落
在 で もある囮
巨凱 圖
合 の 総 代 の 中 心 的 地 位 を 占 め る と と も に,土
と囮 であ る。團
の父圖 は,表2・6に
事 長 を務 め,土 地 改 良 区へ の貢 献 も大 きか った。圃
地改 良 区の 中心 的存
示 した よ うに長 く田川土 地改 良 区理
自身 も,15年
間 にわ た ってび わ漁業
協 同組合 長28)を務 め るな ど,村 落外で の信 望 も厚 い。一 方,医 ヨ
は3代 続 いた材 木商 で あ り,
町会 議 員 の経験 もあ る。 この2世 帯 は,と
もに オ コナ イ オヤ にな ってい た し,ま た,國
次期 理事 長 候補 と して囮 の名 をあ げて い る こ とか らみ て も・ この2名
61
が
を ひ とつ の グルー プ
とみ な して よい こ とが わか る。
表28田
喋欝
生年
匡]1924水
匝]1930水
川土 地改 良 区総代 の社 会 的性 格 く第H期
生
業
隷 島懸
・
」
会韻 嚇
・・ナ・オヤ 覆嘲
†
轟
田 、養 蚕 → 水 田 、縫 製 工 場
田 、公 務 員→ 水 田 、83に 被 雇 用1985年
塵]1924綴
[57S]1935水
〉
肥鏑
・勲
∼ び わ 町議
・・水・ ・1984年
○
一
・
糊 蒲
、長
田 、農 閑 期 日雇
図1921水
田 、養 蚕 ・
○
匝 豆]1930林
木 商 、 水 田1977∼81年
匡 豆]1941水
田 、 日 雇→ 水 田 、 会 社 員
匝]1925水
田 、国 鉄 職 員→ 水 田 、 日雇
匝]1926水
田 、日雇
匝]1927水
田 、公 務 員→ 水 田 、 会 社 員
匝]1941水
田 、土 建 業
lD聴
き取 り、お よ び 役 場 資 料 よ り作成 。
び わ 町議
○
この グル ー プの ひ とつ の特徴 は,水 田非耕 作者 が含 まれ てい る こ とで あ る。前掲 の図2
2が 示 す よ うに,1984年
の総代 選 出時 点 におい て,國
してい る。 この 点 に関連 して,國
は所 有水 田 をすべ て委 託耕 作 に出
は 「理 事 や理事 長 はだれで もが なれ る とい うわけで は な
い。他 町や他 字 を もま とめ うる者 で な ければ な らない」 と語 った.つ
ま り逆 にい えば,土
地改 良 区の運 営 をお こ ない うる力 を備 えてい る な らば,理 事 や 理事長 は必ず しも水 田耕 作
者 で な くて も よい.と 考 え られて い るの で ある。
第2の
グルー プ は,国
づ け ら れ よ う(図22参
残 る匝1國
は,"世
國
照)。
話 役"と
囮 で あ る。 この3者
は大 規模水 田耕作者 の グル ー プ と位 置
い ず れ の 世 帯 も3.5ha以 上 の 水 田 を 耕 作 し て い る 。
も名 づ け う る 第3の
グ ル ー プ で あ る 。 こ の2世
8か ら知 ら れ る よ う に 古 く か ら の 有 力 な 家 で も な く,水
で は,な ぜ 総代 に選 ば れた のか につい て は,回
(村 落 の)役
田 耕 作 面 積 も1.Oha未
が語 った,「(兼
業先 が)定
帯 は,表2
満 と少 な い 。
年 にな る と
が ま わ っ て く る 」 と い う 発 言 が そ の 状 況 を よ く表 わ し て い る 。 こ の グ ル ー プ
・62・
の 場 合,土
地 改 良 区 総 代 と い う 役 職 も つ 特 殊 性 よ り も,む
と し て,総
代 の 職 が 認 識 され て い る とい え よ う。
こ の よ う に.1984年
に 選 出 さ れ た 総 代 は,か
しろ 一 般 的 な 村 落 役 職 の ひ とっ
な りの 程 度 明 確 に3つ
の グ ル ー プ に分 け る
こ と が で き る 。 た だ し,こ
れ ら の グ ル ー プ の 性 格 は.最
近 に な っ て あ ら た に 生 まれ て きた
ので はない。 た とえば,國
は過 去 におい て もそれ ほ ど大規模 な水 田耕作 者で は なか った し,
村落 内外 におい て さほ ど有力 な家 で あっ たわ けで もない。 先 の分 類 で い う と,第3の"世
話役"グ
ルー プ に属 す る と考 え られ よう。 そ うす る と,第1期
の総 代 にお いて も同様 の性
格 が潜在 してい た と推測 して も よい ので は ないか 。 とい うの は,戦 後 しば ら くの間 は,有
力 な家 で あ る こ とと水 稲 作 を主 とす る こ とが大 き くい えば一致 してい たで あ ろ う し,そ れ
らの世帯 は 同時 に村 落 運営 の 中心 的存 在 で もあ った,と 考 え られ るか らで あ る。 したが っ
て,こ こ に述べ た総代 の3つ の性格 は,む
ら人 に よって一 定程 度歴 史 的 に保 持 されて きた,
農業 水 利 に 関す る代表 選 出 の基 準 を表 わ してい る と考 えて よい,と 思 われ る。
こ こまで,選
出 され た総代 の差 異 に注 目して きたが,よ
て は,次 の ような意見 が 聴 かれ た。 ひ とつ は,「
り一 般 的 な総 代選 出の基 準 とし
なるべ くいつ も字 にい る人 を選 ぶ」 とい
う意見 で あ る。 これ は,井 堰 の 開閉 が落合 の総代 に任 されて い る(第2節
参 照)こ
と とも
関連 して い る。緊 急 の井 堰操 作 を必 要 とす る とき,総 代 が村落 にい ない と困 るか らで ある。
この基準 か ら1984年 選 出の総 代 をなが め る と,た
す る者,定
しか に,自 営業 者,主
と して農業 に従 事
年 退職 後 の者 な ど,こ の意 見 に ほぼ 沿 ってい る こ とが わか る。 しか しなが ら.
総代 に選 ばれ た者 の みが村 落 に常 在す るわ けで もない ので,た
は重 要 で あ るが,決 定 的 な選 出基準 とはい え ない 。 また,「
しか に この基準 は実 質 的 に
田んぼ をつ くってい る人 か ら
選 ぶ」 とい う意 見 もあ った。 この基 準 は先 の耕 作者 グル ー プの存 在 を裏付 けて はい るが,
園
の例 か ら して,や
6村
は り総 代選 出 にお いて 決定 的 とはい えない。
落 運営 と合 意 形成
ここ までの分析 か ら,農 業水 利 に関す る合 意形成 の際 のい くつか の基準 が 明 らか に なっ
た。 まず,そ
れ らをま とめて み よう。
内的局 面 の うち,配 水 管 理 につ い て は,そ の役 割 を村 落 運営組 織 内 に と どめ よう とす る
意思 が働 い てい る こ とが わか っ た。
共 同作 業 で問題 とな ってい たの は,そ
の作 業 体 制 につ いて,班 別 に割 り当て るか,そ
れ
と も水 田所 有 世帯 と非所 有世 帯 を区別 して割 り当て るか であ った。班 別制が班 とい う村 落
63
運営 に組 み込 まれた組 織 を利 用 してい る点 を考 えれ ば,こ
ば"一 致 団結"に
の対 立 は村 落運 営 にお けるい わ
か か わ る問題 で あ る とい え よう。 また,班
別 制 に対 抗 す る論 理 と して,
なぜ水 田所有 が 区別 の基 準 とな るのか につ い て は,そ の背 景 に水 路 と水 田 の一体 感 が ある
こ とを示 した。
一方
,外 的局 面 につ い て は,土 地改 良 区総代 の性格 を とお して,選
を見 つ けだす こ とが で きた。村 落 の代 表者 た りうる よ うな有 力者,水
お く者,村
落運 営 の 一般 的 な"世 話役"を
務 め うる者,の3つ
出の際 の3つ
の指標
稲作 に生計 の重 点 を
の指 標 で ある。 この うち,
村 落 の代 表者 た りうる有 力者 につい て は,必 ず しも実 際 の水 田耕作 者 で な くて も よい こ と
も同時 に指摘 した。
こ う したい くつ か の局 面 にお け るむ ら人の対 応 は,同
じ農業水 利 に関連 してい る とい っ
て も,そ れぞ れ の局面 の もつ機 能の違 い に よって,そ れ ぞれ に独立 した合 意形 成 の過程 を
た どる とい え よ う。 つ ま り,た とえば,配 水 管理 につい て論 じられて い る ときに,直 接 に
は総代 選 出の 問題 は関係 して こない ので あ る。 しか しなが ら,こ う して ま とめ られた結果
か ら共 通 した点 を抜 き出す な らば,や
は り,す べ て の局 面 にお いて,村 落 運営 との深い 関
連 を見 い だす こ とが で きる。す なわ ち,内 的局面 におい て は,そ れ らの役 割 を村 落 の一致
した運 営 の もとに お こ う とす る動 きが み られ,外 的局 面 におい て は,"世
話役"的 総 代 の
存 在 か らわか る よ うに,農 業 水利 に関す る代 表 を村 落運営 の延長線 上 に捉 えてい る こ とが
わか るの で あ る。 この よ うな傾 向 は,農 業水 利 にか か わ る様 々な用 件 をで きる限 り村 落 の
一 致 した運 営 の なか で処 理 してい こ う とす る
う29)。す な わち,こ
の,ひ
,村 落 の意 思 の存 在 を示 唆 して い る とい え よ
う した村 落 の意 思 は,む
ら人が 農業水 利 に関す る事 柄 に対処 す る場合
とつの基 準 に なっ てい る と考 え られ る。
もうひ とつ の論 点 は,農 業 水利 と水 田所有 との 関連 で ある。共 同作 業 の作 業 体制 に関す
る対 立 におい て,班
別 制 に対 抗 す る意見 と して水 田所 有 が 区別 の基 準 とな ってい たが,そ
の背後 には,水 路 と水 田 との一 体感 が あ る こ とも示 された30)。 したが って,農 業水 利 を関
す る第 二 の基準 と して,農
業水利 は水 田所 有世 帯 の問題 で あ る とい う基準 が 浮か び上が っ
て くる。選 出 され た役員 をみ て も,実 際の 耕作 の有 無 は決定 的 な要 因 とは なって い ない。
む しろ基 準 は所 有
非所 有 の軸 にあ りそ うな ので あ る。
以上 の ところか ら,農 業 水 利 と村 落運 営,お
が 明 らか となっ たが,で
図2-3に
よび農業水 利 と水 田所 有 とい う2組 の 関連
は村 落運 営 と水 田所有 の 関係 は どうで あ ろ うか 。
示 したの は,水
田所 有面積(1984年
・64
現 在)と 村落 役 職経験点 数(1945∼85年)
との関係 である・ 村落 役 職経験 点数 とは,1945年
か ら85年 までの 間 におけ る区長
代理 者,
協 議 員,改 良組 合 委員 の経 験 を,役 職 の重 要度 に応 じて点 数 に表 わ し3D,各 世 帯 ご とに合
計 した もの であ る。村 落 役 職経験 は 人的 な要 因 に も左 右 され るの で,こ
こにあげ た2つ の
指標 の 問 に明確 な相 関 関係 は認 め られ ないが,村 落役 職 経験 の有無 とい う関心 の みか らみ
図2-3水
田所 有 面積 と村 落役 職経験 の 関係
介
薯
叩
職
∼
ノ
ロ
し
f又25
⑰
⑳
⑰
⑪23⑳
⑰
経
鷺
㍗
9
⑳
麗
⑭@
数15
T∼4247554628⑭
1碧2766⑪265116⑰76
1
95
824∼3312677438
邑
所 有 水 田 な
し
∼0.3∼0.5∼1.0∼1,5∼2.0∼2.5
101113143235役202140223085
3637・8525356覆414345347・
・・82髪
・・61648186
し657284
水 田 所 有 面 績(1984年;ha)一
注)○
一 一一 一 一 一一 一 一一 一 一一 一 一 一一 〉
印 は 田 川 土 地 改 良区 総 代 が 選 出 され た 世 帯 を表 わ す 。
村 落 役 職 経 験 点 数 の 算 出 法 に っ い て は 、 本 文 注31左
図2・2及
参照。
び 落rす 区 も 文,llよ りrl=成 。
表29水
田所有面積 と村落役職経験の有無
ha
水
田
所
布
面
積
な
し
∼0.3∼0.5∼LO1.0∼
戸
糸惹
世
者}委
文152012137
村 落 役 職 経 験
戸
の あ るIlll帯 数186127
%
lr「
注)上
ラ〉
上ヒ6.7405092100
図 よ り作 成 。
・65一
る と,表29の
また,よ
よう に,水 田所有 面積 が 大 きい ほ ど役 職 に就 く可 能性 は高 い とい え よ う。
り,大 き くみ れ ば,少
な くとも過 去40年 の間,村 落 役 職者 の ほ とん どすべ て が水
田所 有世帯 か ら選 ばれ て い る こ とが わか る32)。図23,表29の
時 点の値 の み だが,古
水 田所 有面積 は1984年
老 の話 に よる と,戦 前 か ら現 在 まで の 間 に水 田 をすべ て手放 した世
帯 は37の み で あ り,所 有面 積 の変 化 も世帯 につ き多 くて も1反 程度 で あ った とい うこ とな
ので,先
の傾 向 に間違 い はない とい っ て よい。
こ う した こ とか ら,少 な くとも戦 後の村 落役 職者 は水 田所有 世帯 を基 礎 に選 出 され てい
る こ とが わか る。村 落運 営 は,具 体 的 に は これ らの村 落役 職者 に よって担 わ れてい るので
あ るか ら,村 落運 営 は水 田所 有世 帯 を基 礎 にお こなわれ てい る といい か えて もよい で あろ
う。
さ らに,図23に
は土 地 改 良 区総 代 が選 ば れた世帯 を丸 印で 囲んで示 して おい た。 これ
に よる と,総 代 の 選 ば れた世帯 は概 して村 落役 職経験 も多 くなって い る。や や役 職経験 の
少 な い17と71は,前
節 で 述 べ た"世
話 役"グ
ル ー プ で あ る。 回
匝]は,1984年
時 点 で,
それ ぞれ57歳,59歳
で あるか ら,こ れか ら村落役 職 に就 く可 能性 は低 い33)。村 落役 職適 任
者 で あ りなが ら,か つ その経験 の少 ない者 を土 地改 良 区総代 に選 ん だ とい え よ う。 この こ
とは,先
に述べ た村 落運営 と土 地 改 良 区総 代 との関係 を如実 に示 してい る。
と もあ れ,村 落運 営 が水 田所 有世 帯 を基 礎 と してい る とい う事 実 が明 らか に なったが,
従 来の 農業水 利 村 落 の との 関連 は,水 路 と水 田 の一体感 に支 え られ つつ.水
村落 運営 をお こない,そ
田所有世 帯 が
の村落 運営 の なかで 農業水利 に関す る用 件 に対 処 す る とい う,い
わば三 位一体 的 な様 相 を示 してい た と考 え られ る。 しか し,こ の 三位 一体 も農 業構 造 の変
化 や村 落運営 の政 治 的状 況の 変化 に応 じて,従 来 の ま まで は継続 で きな くなって きた とい
え よう。す なわ ち,事 例 に示 した よ うな共 同作 業体 制 におけ る意 見 の対立 は,た
しか にむ
ら人の判 断基 準 を探 る とい う点 にお いて は,そ の対 立 が あれ ば こそ 農業水 利 と水 田所有 と
の 関連 が感 得 で きた の だが,そ
もそ もそ れが表 面化 す るこ と自体 に,先 の三位 一 体の ズ レ
つ つ ある こ とが現 わ れて い る と考 え られ る ので あ る。
7お
わ りに
以 上,村 落 の 末端 水利 組 織 と して の意 味 を,村 落運営 にお け るむ ら人 の合 意形 成 の基 準
とい う観 点 か ら明 らか に して きた。 そ して,農 業水 利 にお ける村 落 の 内的役 割 と外 的役 割
の双 方 を検 討 す るなか か ら,農 業水 利 に関す る諸 機 能 を統 一 的 な村 落運 営 に取 り込 も うと
66
す る 村 落 の 意 思 と,農
業 水 利 は 水 田 所 有 世 帯 の 問 題 で あ る と い う 意 識 を 析 出 し,そ
れ らが
農 業 構 造 の 変 化 に対 す る農 業 水 利 面 で の 村 落 の 対 処 の 基 準 に な っ て い る こ と を指 摘 した 。
で は,こ
う し た 村 落 に お け る 合 意 形 成 の メ カ ニ ズ ム の な か に,個
に操 作 的 に 働 き か け,村
上 記 の よ う な2つ
落 と"つ
き あ う"こ
別 の 農 業 者 は どの よ う
とが で きる の だ ろ うか 。
の 基 準 は あ る に せ よ,実
質 的 に 農 業 水 利 の 問 題 は,し
だ い に減 少 しつ
っ あ る 実 際 の 農 業 者 の 手 に ゆ だ ね ら れ つ つ あ る 。 日常 的 な 排 水 管 理 に して も そ う で あ る し,
役 員 選 出 を み て も,専
業 的 農 業 者 と い う 指 標 が 明 確 に な っ た 。 し た が っ て,あ
落 運 営 組 織 を 介 し て で は あ る が,個
々 の 意 欲 的 な 農 業 者 に とっ て 農 業 水 利 の 問 題 は か つ て
よ り は 操 作 性 の 高 い 領 域 に な りつ つ あ る と い え よ う 。 そ の 意 味 で,村
は 少 な く な っ た と い え る 。 し か し 同 時 に,農
と す る 村 落 全 体 の 問 題 で あ る か ら.農
と こ ろ で,水
く ま で も村
落 とつ きあ う困 難 さ
業 水 利 の 問 題 は あ く ま で も水 田 所 有 者 を基 礎
業 者 らの 責 任 も 同 時 に大 き くな る こ と に な ろ う。
利 と村 落 と の 関 係 は,農
業 面 に 限 ら れ て い る の で は な い 。 本 章 で は,農
業
水 利 の も つ 農 業 以 外 の 面 で の 役 割 を対 象 の 外 に お い て き た 。 農 業 水 利 の も つ 多 面 的 役 割 の
う ち,村
落 生 活 とか か わ っ て と くに 重 要 な の は い わ ゆ る 生 活 用 水 と して の 役 割 で あ ろ う。
多 く の 村 落 が そ う で あ っ た よ う に,調
農具
査 村 落 の 落 合 に お い て も 聚 落 内 を 流 れ る 農 業 用 水 を,
野 菜 の 洗 い 水 や 防 火 用 水 と して 利 用 して き た 。 こ の う ち,前
り見 ら れ な く な っ た が,後
な い が,近
者 は 依 然 そ の 意 味 を 失 っ て い な い 。 ま た,落
隣 の 村 落 で は 生 活 排 水 を 押 し流 す
れ らの 側 面 が 農 業 水 利 に 関 連 して具 体 的 に
む ら人 の 間 で 話 題 に の ぼ る こ と は な い よ う で あ っ た 。 し か し,こ
せ て お り,農
意 味 で,農
合 の 事 例 か らで は
「環 境 用 水 」34)と し て の 役 割 も確 認 さ れ 始 め
て い る 。 落 合 で 調 査 を お こ な っ た 範 囲 で は,こ
が か か わ る だ け に,農
者 の 用 途 は今 で は あ ま
う した 役 割 は村 落 の 全 戸
業 水 利 に 関 す る 合 意 形 成 の 際 の ひ とつ の 根 拠 と な る 可 能 性 を 潜 在 さ
業 水 利 を村 落 運 営 内 に と どめ よ う とす る新 た な要 因 と な る に 違 い な い 。 そ の
業 水 利 は 農 業 者 を 越 え て 利 害 の 及 ぶ 地 域 的 資 源 な の で あ り,水
と の つ き あ い 方 は,農
利 に 関 す る村 落
業 者 に と っ て 決 して 単 純 な も の と は い か な い の で あ る 。
注
1)農 業 水 利研 究者 の玉 城 哲 は,す で に1970年 代 よ り.こ の変 化 を 「部落 の空 洞化 」 とい う言 葉で 言 い表
わ そ うと して いた。 詳 し くは,玉 城 哲
旗 手勲 『
風 土 一大 地 と人間 の歴 史』 平凡 社,1974年.
pp,315-318を 参 照。
2)池 上 甲一 も1980年 セ ンサ ス の数 字 か ら,「 い われ て いる ほ どに用水 路 の集 落管 理 の放棄 が 進 んで い な
い」 こ と を指 摘 して い る(池 上 『日本 の水 と農 業 』学 陽書 房,1991年
一67一
・P.56)。1980年
セ ンサ ス にお
い て,農
業 用 用 水 路 を 「集 落 と して は 管 理 し な い 」 集 落 は,農
た(「1980年
世 界 農 林業 セ ンサス
農 業 集 落 調 査 報 告 書 」)。
落 と して 管 理 して い な い 」 集 落 が,農
い る(rポ
業 用 排 水 路 が あ る集 落 全 体 の30%で
ケ ッ ト農 林 水 産 統 計1gg4」
と こ ろ が,1990年
業 用 排 水 路 が あ る 農 業 集 落 の24%と
農 林 統 計 協 会 ,P.111)。
絶 対 数 も増 加 して い る 。 こ の 変 化 の 背 景 は 定 か で な い が.少
あっ
セ ン サ ス で は,「
集
な り,集 落 管 理 率 が 上 昇 して
しか も,「 集 落 が 管 理 す る 」 集 落 の
な く と も先 の 池 上 の 指 摘 に大 き な 誤 りの な
い こ と は確 認 さ れ よ う。
3)明 確 に 主 張 し た もの と して,た
年10月,が
4)こ
と え ば 坪 井 伸 広 「土 地 改 良 団 体 の 組 織 論 的 課 題 」 「農 業 と経 済 」1982
あ る。
う した 観 点 に た つ 研 究 は 数 多 くあ っ た が,農
研 究 と して,住
村 社 会 学 に 影 響 を与 え た とい う見 地 か ら み れ ば,お
谷 一 彦 「村 落 共 同 体 と用 水 強 制 」
社 会 の 論 理 構 造 』 弘 文 堂,1961年
『
社 会 学 評 論 」11号,1953年,余
な ど を あ げ う る 。 と り わ け,後
もな
田博 通 『農 業 村 落
者 に お け る 「溝iかか り制 」 は 広 く話 題
に された 。
5)「
村 落 共 同 体 論 」 以 後 も,こ
の ア ブ ロ ー チ に よ る研 究 が い くつ か の 分 野 で な さ れ て きた 。 た と え ば,福
田 ア ジ オ 「村 落 の 統 合 と水 利 一静 岡 県 小 笠 町 棚 草 一 」 『日本 民 俗 学 会 報 』47号,1966年.柿
崎京一
「
村 落 統 合 と水 利 組 織 一 香 川 県 に お け る 溜 池 灌 概 村 落 の 事 例 」渡 辺 兵 力 編 著 『農 業 集 落 論 』,龍
1978年)な
6)1973年
漢 書 舎,
どが 代 表 的 で あ る 。
に発 表 さ れ た 余 田 の 論 文(「
水 と む ら」rソ
シ オ ロ ジ 」 第20巻 第2号)を
年 代 以 降 の 農 村 の 変 化 は 次 の よ う に捉 え られ て い る 。 まず,「
同 態(=水
田 耕 作 者 の 共 同 組織 ・… 引 用 者 注)は
交 錯 圃 経 営 は な く な り そ う に もな い か ら,共
例 に あ げ る と,1960
交 錯 圃経 営 が な くな っ た 時 」 に 「村 落 共
解 体 した 」 と論 理 的 に い え る 。 と こ ろが,現
実 的に は
同性 が 失 わ れ た と は 言 い き れ な い と結 論 づ け る の で あ る 。
こ う し た 議 論 は 論 理 的 な操 作 よる もの で あ っ て,そ
こ か ら リ ア ル な 変 動 の 説 明 は期 待 しが た い と い え よ
う。
7)た
と え ば 鳥 越 皓 之 は,こ
う した 意 味 で の 祭 祀 上 の 組(「
コ ー チ 」)の 利 用 を指 摘 して い る。 鳥 越 「行 政
上 の 区 域 設 定 と生 活 組 織 の 対 応 一 町 内 会 お よ び 班 一 」仏 教 大 学 『
社 会 学 部 論 叢 』 第9号,1975年
8)経 験 的 に広 く知 ら れ て い る こ と と思 わ れ る が,た
編r日
9)こ
本 民 俗 学 概 論 」 吉 川 弘 文 館,1983年,に
と え ば,小
川 直 之 「耕 地 と生 産 」 福 田 ア ジ オ
種 の 変 動 論 的 ア プ ロ ー チ'で あ る とい え よ う 。 ま た,こ
と村 落 と の 関 連 以 外 の 面 に も適 用 可 能 だ と思 わ れ る 。 と い う の は,よ
し う る 可 能 性 を も つ か らで あ る 。 た だ し,そ
さ れ よ う 。 本 稿 で は,合
た の で,意
宮 田登
こ の 指 摘 が み られ る 。
の 分 析 視 角 は 先 の 存 立 要 因 的 ア プ ロ ー チ の 歴 史 遡 及 的 性 格 に 対 比 す る な ら ば,比
を 明 らか に す る た め の,一
。
較 的短 い期 間の変 動
の分析 視 角 は農業水 利
り一 般 的 に意 思 決 定 論 と して 展 開
の場 合 に は 意 思 決 定 過 程 に つ い て の 詳 しい デ ー タ が 必 要 と
意 形 成 の 過 程 で は な く,む
ら人 の もつ 合 意 形 成 の 際 の 基 準 に 調 査 の 焦 点 を絞 っ
思 決 定 と い う術 語 の 使 用 を見 合 わ せ た 。
10)玉 城 哲 一旗 手 勲 「前 掲 書 」,P.313。
11)こ の 指 摘 は 玉 城 哲 の 著 作 の な か で 随 所 に み ら れ る・ と く に,こ
の 結 節 と して の 村 落 の 意 味 は,玉
究 の な か で 「農 村 中 間 シ ス テ ム 」 とい う概 念 を 生 み 出 す 出 発 点 に な っ た 。 玉 城r日
ー む ら と水 か ら の 再 構 成 一 」(農
山 漁 村 文 化 協 会 ,1982年)参
-68・
照。
城 の研
本 の社 会 シス テム
12)1985年
に1戸
減 少 した 。 した が っ て,次 節 以 降 で 扱 う1984年
の 事 例 で は,総
戸 数 が67戸
と なっ て い る 。
13)聚 落 と は 家 屋 が 集 ま っ て い る 区 域 を指 す 。
14)1945年
以 降 の 協 議 員 数 は,1945年3名,47∼51年5名,51年7名,52∼54年5名,55∼64年7名,
65∼76年5名,77∼80年7名,81年
以 降 が8名
と な っ て い る 。1946年
につ いて は資 料 欠落 のた め不 明
であ る。
15)就 任 制 限 は 次 の とお りで あ る 。
区 長 … ・3期 ま で 。
代 理 者 ・…2期
協 議 員,改
を 区 長 の1期
良 組 合 員 … ・就 任 回 数 に制 限 は な い が,連
な お 区 長,代
続3期
以上 就 任す る こ とはで きない 。
理 者 の 留 任 は 認 め ら れ な い.
上 記 の 制 限 は1972年
は連 続3期
と して 計 算 し,区 長 の 就 任 回 数 と通 算 さ れ る 。
まで の も の で,73年
の 改 正 の 後 に は,区
長 が2期
ま で と な り.協 議 員,改
まで許 され る こ と となっ た。
16)少 な く と も徳 川 時 代 初 期 に は す で に 田 川 の 水 を利 用 して い た(『
事 務 所,1935年
よ り)。
ま た,現
田川養 水碑 建 設 記録」 大郷 村大 字 落合
在 で は 田 川 か らの 用 水 の 他 に,1979年
か ら 国営 農 業 水 利 事 業 に よ る
用 水 も利 用 さ れ 始 め て い る 。 しか し,落 合 は 事 業 区 域 の 末 端 に 位 置 して い るせ い もあ っ て,こ
お い て,新
の 時点 に
規用 水 の供 給 は十 分 で なか っ た。
17)落 合 の 聚 落 の 中 心 部 に は,水
利 権 を 守 っ た 徳 川 時 代 の 庄 屋 を讃 え た 『田 川 養 水 碑 」 が 昭 和 初 年 に 建 立 さ
れ て い る 。 こ こ で あ え て 「田 川 養 水 」 と した の は,こ
ら れ て い る か らで あ る が,養
え ば,渡
良組合 員
の 碑 を始 め,残
され た歴史 文書 に もこの語が 用 い
水 と い う語 は 他 の 事 例 に お い て も明 治 時 代 の 判 例 な ど に 散 見 さ れ る。 た と
辺 洋 三 『農 業 水 利 権 の研 究 〔
増 補 版 〕 』 東 京 大 学 出 版 会,1954年
18)田 川 土 地 改 良 区 の 沿 革 な ど,村
を参 照 。
落 連 合 と して の 農 業 水 利 組 織 に つ い て,よ
し て の ム ラ ム ラ結 合 の 変 化 一 湖 北
業 化 に伴 う琵 琶 湖 集 水 域 に お け る水
田 川 土 地 改 良 区 を め ぐ っ て 一」(農
り詳 し くは拙 稿 「水 利 共 同 と
村 問 題 調 査 研 究 会 『都 市 化
土 地 利 用 と地 域 構 造 の 変 化 に 関 す る 研 究 』,1983年)を
工
参照 され
た い.
19)『 昭和 二 十 八 年 一 月
20)1972年,80年
21)注15)を
大 字 落 合 申合 規 約 』 第 十 八 条 。
の 引 用 は,『
昭和 四十 一 年一 月
大 字 落 合 申 合 規 約 」 よ り。
参照。
22)同 上 。
23)次 節 の 表2-5で
は[困 に あ た る 。
24)表 か らわ か る 思 うが,た
と え ば 國 は世 帯 番 号87に 属 す る 特 定 の 人 物 を指 す 。
25)オ コ ナ イ オ ヤ 選 出 に お け る 世 帯 間 の 区 別 は,現
26)等 級 と は,村
在,制
落 内 の 世 帯 を い くつ か の ラ ン ク に 分 け た もの で,お
に 設 定 さ れ て い た 。 等 級 そ の もの の ラ ン ク 数 は1等
れる 前 に,予
度 的 に は廃 止 さ れ て い る 。
もに 村 落協 議 費 の 徴 収 額 を決 め る た め
か ら20等 まで しか な い の だ が,各
め 村 落 内 の す べ ての 世 帯 に順 位 が つ け ら れ た ・ 表2-7の1948年,52年
等 級 決 定 の た め の 順 位 は,ま
を掛 酌 して,最
等 級 に 振 り分 け ら
は そ の順 位 に 拠 っ た 。
ず 固 定 資 産 評 価 額 と所 得 額 を合 算 して 順 位 をつ け・ そ の あ と各 世 帯 の 事 情
終 的 に 決 定 さ れ た 。1960年
ま で に 等 級 制 度 は廃 止 さ れ た の で ・1960年
一69一
につい て は固 定
資 産 評 価 額 と所 得 額 を合 計 して 順 位 を つ け た 。 こ の 方 法 は,等
級 決 定 の 基 礎 と な っ て い た の で,想
定さ
れ る 等 級 順 位 と大 差 な い と考 えて よ い だ ろ う。
27)も っ と も,表2-6の
い 。 しか し,圓
う ち 町 会 議 員 経 験 者 が 少 な い の は,議
員 総 数 そ の ものの減 少 に よる とこ ろが大 き
の 例 を み る と,土 地 改 良 区 総 代 に 就 任 した 期 間 と,町
ズ レ が あ り,第1期
28)こ の 組 合 は,び
会 議 員 に 選 ば れ た期 間 との 間 に
の 総 代 の 場 合 と異 な っ て い る こ とが わ か る 。
わ 町 内 の7村
29)こ の 点 に 関 連 して,鳥
落 に よって構 成 されて い る。
越 皓 之 「部 落 団 体 の 展 開 過 程 一東 京 都 府 中市 四 ッ 谷 地 区 の 事 例 を つ う じて 一 」
「社 会 学 評 論 」 第23巻 第3号,1972年,は
興 味 深 い 結 論 を 導 き出 して い る。 そ れ に よ れ ば,部
核 的 性 格 を 「部 落 団 体 と機 能 別 集 団 … 略 … との 関 係 を み る と き,そ
れ は い わ ば"親
と,う ま い 比 喩 で 表 現 して い る 。 つ ま り,「 子 で あ る 機 能 別 集 団 が 」,「
す こ と を指 摘 した の だ が,本
」ある
親 で あ る部 落 団 体 か ら と び だ 」
稿 の 水 利 組 織 に か ん す る 事 例 を み る か ぎ り,同 様 に 比 喩 を用 い れ ば,"そ
の と き親 は 子 を で き る か ぎ り手 元 に お こ う と す る"と
30)水 路 と水 田 の 一 体 感 は,所
子 関 係"で
落 団体 の
い え る で あ ろ う。
有 に潜 む 耕 作 可 能 性 と捉 え て よい か も し れ な い 。 た と え ば,水
田貸借 契 約 に
つ い て ふ れ た と き に 述 べ た 「ま た つ くる と き に 返 して くれ 」 と い う 契 約 時 の 意 識 は ,そ の 世 帯 が 長 い 目
で み た 場 合 に 再 耕 作 す る 可 能 性 を示 唆 して い る 。 つ ま り,長 期 的 に は 耕 作 と非 耕 作 が 相 互 転 換 す る と い
う意 識 が 水 田 所 有 世 帯 の な か に あ り,そ
れ ゆ え に 現 在 直 接 に は 関 係 しな い 水 利 の 問 題 に 対 して,所
有者
と して 関 与 す る 必 要 性 が 生 ま れ て く る と思 わ れ る か らで あ る 。
31)1期(=1年)の
就 任 経 験 に つ き,区
長 は3点,代
と した 。 い くぶ ん 恣 意 的 な 計 算 方 法 で は あ る が,役
32)唯 一 の 例 外 で あ る24は,圃
33)ち な み に,過
去40年
就 い た 回 数 は,わ
議 員 は1点,改
良 組 合 委 員 は0.5点
職 経 験 の 大 ま か な傾 向 は つ か む こ と が で き る と思 う。
場 整 備 前 に は 神 社 の 水 田 を借 りて 耕 作 して い た 。
間 の の べ 村 落 役 職 就 任 回 数 は 全 部 で347回
ず か22回 で あ る 。 比 率 で い え ば6%に
進 ん で い る わ け で もな い の で,こ
34)1978年8月
理 者 は2点,協
れ ら回
す ぎず,ま
た,近
以上 の者 が役 職 に
年 と りわ け役 職 者 の 高 齢 化 が
廼]が 以 後 村 落 役 職 に就 く可 能 性 は 低 い と い え よ う。
の 田 川 土 地 改 良 区 理 事 会 に お い て,川
村 落 の 状 況 を語 っ て い る 。r田
あ り,そ の う ち,57歳
川土 地改 良 区
道(表2-1参
議 事 録 』 よ り。
-70・
照)の
理事 が この言葉 を使 って 自分 の
第3章
大規 模借 地稲作 農 の出現 と人間関係
現在,わ が 国 にお ける農 業担 い手 減少 の 問題 は深刻 であ る が,一 方 これ をひ とつ の ビジ ネス チ ャ ンス
と捉 え,借 地 に よっ て規模 拡大 を図 る稲 作 農 家や稲 作 経 営体 も現 わ れて きて い る。 第1章,第2章
で対
象地 域 と した滋 賀 県湖 北 地方 に位 置す るび わ町 もまた,そ の例 外 で な い.と りわ け近年 に いた っ て は,
10haを 越 え る大 規模 借 地 経営 も出現 して い る。 本章 の 目的 は,そ の び わ町 にお け る大 規模 借 地稲 作 農家
を対 象 と し,彼 らが どの ような人 間 関係 を利 用 しなが ら農地 を集積 して きたの か,あ るい は大 規模 化 す
る過程 にお いて どの ような人 間 関係 を新 た に形 成 して きた のか につい て考 察す る こ とにあ る。
1借
地 と人 間 関係
借 地 に よ っ て 稲 作 経 営 を 拡 大 す る 場 合,経
済 的 な 小 作 料 水 準 が 問 題 と な る と 同 時 に,借
り 手 に 対 す る 貸 し 手 の 信 頼 感 が 重 要 で あ る こ と は,多
指 摘 し て き た1)。 た と え ば,要
く の 研 究 者 や 実 際 の 農 業 経 営 者 らが
求 が あ れ ば 即 時 に 農 地 を 返 却 し土 地 所 有 に 関 す る 不 安 を 感
じ さ せ な い こ と な ど は そ の 例 で あ る 。 そ れ に よ っ て 貸 し手 の 信 頼 感 を え て,借
り手 側 の 農
地集積 が容易 にな るの であ る。
し か し,借
地 農 と し て 地 域 で 一 定 の 評 価 を え る 以 前 の 段 階 に お い て は,と
を 拡 大 し,借
地 農 と し て の 自 己 を 確 立 す る 必 要 が あ る 。 そ う し た 初 期 段 階 に お い て は,借
地 農 と し て の 実 績 以 外 で 自 分 を信 頼 し て くれ る 関 係 に 依 存 せ ざ る を え な い 。
友 達,隣
人等 の
「顔 見 知 り」 の 関 係 」2},す
積 極 的 に せ よ,結
一般 に
りあ えず 借 地
,農
な わ ち,す
「
親 類,知
人,
で に持 っ て い る 自 らの 人 間 関 係 を
果 的 にせ よ利 用 せ ざ る を え な い と思 わ れ る の で あ る 。
業 経 営 学 の 分 野 にお い て経 営 に 関 連 す る 人 間 関係 に着 目 した研 究 はそ れ ほ ど
多 く は な い3)。
し か し 近 年,一
般 経 営 学 の 人 間 関 係 論 を 援 用 しつ つ,そ
心 が 芽 生 え つ っ あ る4)。 な か で も,東
う した分 野 へ の 関
城 眞 治 氏 の 論 孜5)は 本 章 で の 関 心 に 近 い が,そ
こで
指 摘 さ れ る 農 地 集 積 の プ ロ セ ス と 人 間 関 係 と の 関 連 は 次 の と お りで あ る 。
氏 は ま ず,農
地 銀 行 を 通 じ た 農 地 貸 借 の 農 家 間 関 係 を 「フ ォー マ ル な 関 係 」 と し,他
「日 常 生 活 に お け る 個 別 的
て,1970年
に は,「
方,
社 会 関 係 」 を 「イ ン フ ォ ー マ ル な 関 係 」 と 規 定 す る6)。 そ し
代 以 降 の 借 地 獲 得 過 程 を 分 析 す る が,と
く に1980∼86年
イ ン フ ォ ー マ ル な 関 係 を 基 礎 に し た 「仲 介 者 の 発 掘
業 や丁寧 なほ場 管 理 の実施 」 →
に み られ る 農 地 集 積
活用 」→
「精 度 の 高 い 農 作
「借 地 ほ 場 付 近 の 農 家 に 対 す る 信 頼 感 の 醸 成 」 →
の 委 託 依 頼 面 積 の 増 加 」 」7)と い う プ ロ セ ス が み ら れ る と い う 。
-71一
「周 辺 で
やや先 取 り して い うな らば,本 章 の事 例 に おい て も,基 本 的 には以上 と同 じよ うなプ ロ
セ スがみ られ る。 しか し,一 口 に イ ンフ ォーマ ル,す
な わ ち 「日常 生 活 にお ける個 別的
社会 関係」 とい って も,そ の 出現 形 態 に は地 域 や個 人 に よって差 が ある と思 われ る。 先 の
2章 にお いて この 地 域 にお け るつ きあい の あ り方 や集 落(村 落)の 性格 を明 らか に したが ,
そ れ ら と農地貸 借 関係 が どの ように関連 す るの か,こ
の点 を本 章 で は2戸 の大規模 借 地農
の事 例 を用 い て考 察 したい 。す なわ ち,集 落 の性格 や 一般 的 なつ きあいの あ り方 な ど,地
域 の個性 的秩 序 にまで視 野 を広 げ なが ら,大 規模 借 地稲 作 農 が取 り結 ぶ農業 的人 間 関係 の
世 界 を明 らか にす る こ と,こ れが本 章 の課 題 で ある。
具体 的 な手順 と して は,2戸
の大 規模 借 地 農 の事 例 を紹 介 した後 に,ま ず,そ
れ ら農家
が個 別の世帯 と取 り結 ぶ 関係 につ い て考察 す る。 その あ と,そ れ ら農家 と集 落 との 関係 に
つい て考察 を進 め る。 こ こで取 り上 げ る事 例 は ,い ず れ も集落 の範 囲 を越 えて借 地 を拡 大
して い るが,先
の2章
で も指摘 して きた よ うに,こ の 地域 の よ うに集落 の意 義が大 きい場
合 にあ って は,人 間 あ るい は世 帯 どう しの 関係 のみ な らず,集
落 とい う集 団 との 関係 も大
規 模借 地農 の社 会 的世 界 を考 える うえで重 要 にな る と思 うか らで あ る。
2び
わ町 農業 の動 向
一般 的 な びわ町 の概 要 につ いて はす で に示 した ので
,こ こで は農業 面 に しぼ って動 向 を
述 べ たい。
現 在 の びわ 町農業 の 主 た る作 目は稲 で あ る。1990年
セ ンサ ス で は,販 売農 家 の約90%が
稲 または転作 麦 を中心 とす る経 営 形態 とな ってい る。1960年
足 らず にあた る690戸 が 養蚕 を営 んでい たが,1990年
図3-1は
セ ンサス で は,全 農 家 の半分
セ ンサ ス では1戸 のみ となった。
び わ町 の専 兼別 農家 数 の推移 で あ る。 こ こか らまず 指摘 され るの は,第2種
業 農家 の増加 で あ る。 そ の割合 は,90年
第2種 兼 業 農家 の9割
に は全 農家 の90%近
兼
くを占め る にいた って い る。
はセ ンサ ス に い う 「恒 常 的勤務 」 の農 家 で ある。残 りの1割
もほ と
ん どは 自営兼 業 で あ り,典 型 的 な安定兼 業 地帯 を形成 してい る。
第2点
目は,1985年
か ら90年 の 間 に農家 数が激 減 して い る こ とで ある。 この期 間 に約4
分 の1の 農家 が非 農 家 に転 じてい る。 と くに,そ れ まで大 き く減 少す るこ との なか った第
2種 兼 業農 家 もほぼ 同様 の比 率 で 減少 して お り,こ れ に よって作 り手 の な くなった農 地が
大規模借 地 農 に集積 され る こ とにな る。
72
図31専
兼 別 農 家 数 の 推 移(び
わ 町)
1,600
1,400
_1・200翻
第2麟
業農家
1[k1,000
癒800口
膳600
蝿400■
第1種 兼 業 農 家
専業 農 家
200
0
肚
出一 廿
o「
oの
⊂ハ
⊃o『lo「
トー
σ㌔
σ1〔
廿
ト
め
叶
廿
廿
α⊃
σ㌔
〕o
α⊃
〔⊃
σ1
σ1
年次
注)農
次 に 表31に
問 に,そ
業 セ ン サ ス 各 年 次 よ り作 成 。
経 営 規 模 別 農 家 数 の 推 移 を ま と め た 。 こ れ に よ る と,1985年
れ ま で 数 と し て は 安 定 し て い た0.3ha未
が3.0∼5.Oha層
小 規 模 第2種
か ら90年
満 層 が 大 き く 減 少 す る と と も に,分
に ま で 上 昇 し て い る こ と が わ か る 。 つ ま り,図31を
応 な し に農 地 耕 作
規 模 借 地 農 が 出現 し
て きた こ とが 推 測 され よ う。
表3-1経
営 規 模 別 農 家 数 の 推 移(び
わ 町)
1g60年1965年1970年1975年1980年1985年1ggO年
例 外 規 定3001017
0.3ha未 満305323302302319322132
0.3∼0.5ha29025923820617513497
0.5∼1,0ha529417375330310256237
1.0∼1.5ha283271260236188168138
1,5∼2.Oha5010512611612010785
2.0∼3.Oha8152960868879
3.0∼5.OhaOOO11163132
5.Oha以 上00002813
総 農 家 数1,4681,3901,3301.2621,2161,115820
注)農
業 セ ン サ ス 各 年 次 よ り作 成 。 た だ し,1990年
の0,3ha未 満 の 農 家 数 は 自給 的 農 家 数 で あ る 。
・73一
解 機軸
も 考 え あ わ せ る と,
兼 業 農 家 の 農 業 か ら の 撤 退 が 近 年 大 き く 進 み つ つ あ り,否
者 の 移 動 が 起 こ る 。 そ し て そ れ ら の 農 地 を 耕 作 す る 受 け 皿 と し て,大
の
と こ ろ で1993年
宜 的 にA農
現 在,び
家,B農
わ 町 に は2戸
家 と 呼 ぶ 。 続 く2つ
の10ha以
上 経 営 農 家 が あ る 。 そ の2つ
の 節 で は,そ
用 す る 人 間 関 係 に つ い て 詳 し く み て い くが,そ
の 農 家 を便
れ ら農 家 の 農 地 集 積 過 程 とそ こ に作
の 前 に 両 農 家 の 借 地 集 積 過 程 を 概 観 して お
きた い 。
図32A・B農
家 の借 地 集積 の推 移
2,000
1,800-一
一一
1,600
(1
,400
)1,200-.-A農
家
鍔 脇
一1望
恥600/一
}400
一_農
家
一…
… 一…
._!
200./
0日
一 ■一 ■一 ■一 ■一 属一 ■
1甚
呂
語
酉
・
…
呂i8ま
審
一
・
8
年次
図3-2はA・B農
家 の借 地 面積 の拡 大過 程 を累積 的 に示 した もの で ある。 同 じ く10ha以
上 農家 とい って も,両 者 には借 地面積 に して倍 ほ どの違 いが あ る。 また,借 地 に よる規模
拡 大 を始 めた 時期 も異 なる。 しか し一方,1990年
前後 に飛躍 的 に借 地面積 が 増加 してい る
こ とは共通 してい る。 なか で も1991年 にお け る増 加 が著 し く,B農
増 加 がみ られ る。 先 の統計 資 料 は1990年
までで あ ったが,そ
家 の場 合,7haほ
どの
の後 も農地耕 作 の移 動 が激 し
く進 んで い る こ とが わか る。
なお,次 節 か らの便 宜 の ため に,A,B農
示 してお く(図33)。
びわ 町 は1956(昭
家 が農 地貸借 上 関係す る集 落 の位置 を略図 で
和31)年
に竹 生村 と大 郷村 が合 併 して現 在 の
町域 となった。 両 農家 と も旧竹 生村 に属 す る こ と もあ って,貸 借 関係 も旧竹 生村 の範 域 が
中心 である。 旧大 郷村 には全 部で11の 集落 が あるが,関 係 す るの は3集 落 の みであ る。 また,
右 上の馬 渡 集落 は湖 北 町 に属 す る集 落 であ る。
74
図33び
わ町集 落 の配 置 図(農 地貸 借 関係 分 の み)
團
画
ユ・
一曾
⊂麺)(動
香花寺 稲葉
小観音寺
高時川
⊂ 麺)(王D
⊂亟D(亘
⊂ 巫
亜D
)旧
/⊂
竹生村
巫)
.,.,・一・
ノ
,'
_
._、
_._._._
._._・
一!"(1動
魎
琵琶湖
/八
木浜
旧大郷 村
姉川
3A氏
に み る 農 地 集 積 と借 入 契 機
1)A氏
の プ ロフ ィール
1993年
現 在 に お け るA氏
9.9haは 借 地 で あ る 。A氏
の 水 田 耕 作 面 積 は13.4haで
あ り,う
の 住 む 集 落 は 安 養 寺 で あ る が,3.5haの
ち3。5haが 自 作 地 で,あ
との
水 田所 有 は 集 落 内 で 最 も
大 きい 。
A氏 は1937(昭
和12)年
子 供 た ち の う ち,同
生 で あ る.い
生 ま れ の56歳
居 し て い る の は2女
で,家
族 は 妻 と母.そ
の み で,長
女 は 京 都 で 働 き.長
ず れ も未 婚 で あ る 。 農 業 に 従 事 して る の はA氏
す る ま で は,農
の子 供 が あ る。
男 は愛知 県 の大学
夫 妻 の み で あ り,農 業 後 継 者
は ま だ ま っ た く定 ま っ て い な い 。 家 族 労 働 力 が 少 な い た め.春
A氏 は 近 く の 長 浜 農 高 を 卒 業 後,す
れ に2女1男
の 農 繁 期 に は 雇 用 を 入 れ る.
ぐ に 就 農 し今 日 に い た っ て い る 。 た だ し借 地 を 開 始
閑 期 に は 働 き に 出 て い た 。 ま た,A氏
の 父 は 教 師 で あ っ た た め,若
い時 か
ら経 営 を 主 導 して い た と い え る 。
現 在 の お も な 機 械 装 備 は,田
植 機2台(6条
35ps),コ
ン バ イ ン1台(4条
耕 転 機,軽
トラ ック な どが あ る。
植,4条
グ レ イ ン タ ン ク 付),乾
借 地 料 は 現 在 の と こ ろ 一 律 で は な い が,1994年
2万 円 に 抑 え,統
一 して い きた い とい う。
75
植),ト
ラ ク タ ー2台(18ps,
燥 機3台(28石
×3),そ
の他 に
か ら は 町 の 農 業 委 員 会 で 定 め られ た 反 当
2)農
地 集 積 と借 入 契 機
表3-2は,A氏
が 借 り て い る 農 地 を 貸 主 の 世 帯 ご と に,ま
て 示 し た も の で あ る 。1987年
か の ぼ っ て み て も,こ
に 借 地 を 始 め て 以 来,解
去にさ
干 の 補 足 を して お きた い 。 世 帯 番 号 の 次 の
帯 の 所 属 す る 集 落 で は な く,貸
「A氏 と の 関 係 」 欄 に あ る 記 号 の う ち,シ
る。 また
約 さ れ た 農 地 は な い の で,過
れが貸 借 関係 のす べ て で ある。
表 の 見 方 に つ い て は 下 の 注 に も記 し た が,若
欄 の 集 落 名 は,世
た 貸 借 され た年 代 順 に ま とめ
「
付 属 し た 農 地 」 と は,貸
ン ル イ に つ い て は 第1章
で 詳 説 し た と お りで あ
主 が そ れ ま で 借 地 して い た 農 地 で あ り,貸
退 す る 時 に 貸 主 の 所 有 農 地 と と も にA氏
た 付 属 し た 農 地 の 所 有 者 とA氏
借 され た 農 地 の 属 す る集 落 名 で あ る。
主 が農業撤
に 貸 し 出 さ れ た も の を 指 す 。 し た が っ て,そ
と は 直 接 の 接 触 は な い 。 空 白 は,そ
うし
れ まで面識 の ない者 が
直 接 に耕 作 を頼 み に きた 場 合 で あ る 。
表32A氏
世帯
の 農 地 集 積 と 人 間 関係
農地 の所 属
番 号(集
貸 地合 計 貸 付 年度A氏
との 世帯
落 名)(㎡)関
係
農地 の所 属
田号(集
貸 地合 計 貸付 年 度A氏
落名)(mう
と
の 関係
1安 養 寺4,663'87年
○ ●11小
観 音寺,馬渡5,590'91年
▲
2安 養 寺4,260'87年
○ △12安
養 寺580'91年
付
3安 養 寺613'87年
○ ●13小
観 音寺28'91年
付
田10,800'93年
△
4富 田7,645'88年14富
5益 田8,760'88年
▲15富
田5,901'93年
6富 田1.753'88年
付16富
田3,078'93年
7稲 葉8,784'90年
▲17下
益 田3,204'93年
8富 田8,308'90年
▲18益
田2,726'g3年
9安 養 寺16,23891年
○
10北
▲
▲
己計gg,420
富 田6,489'91年
注)関 係 を表 す記 号 は次 の とお り。○:同 じ集 落 どう し,●:シ
△:農 地 の近
隣接,▲:そ
の 他 で面識 が あ った,付:他
ンル イ関係,◎.集
落外 の 親族 関係,
の 人 が貸 す ときに付 属 した農 地,
空 白は と くに面 識 が なか っ た こ とを示 す。
表 か ら わ か る 点 は 第1に,農
地 集 積 の 初 頭 す な わ ち1987年
世 帯 か ら 農 地 を 借 りて い る こ と で あ る 。 し か も,シ
中2例
76一
じ集 落 の
ン ル イ 関 係 に あ る 世 帯 と の 貸 借 が3例
を 占 め る 。 こ の シ ン ル イ と農 地 貸 借 に つ い て はB氏
めて考 察す る。
に お い て は ま ず,同
の 事 例 も検 討 し た 後 で,あ
らた
第2点
目 は,借
地 が 増 え る に し た が っ て,し
く る こ と で あ る 。 ま た,他
借 関 係 へ と い た る,11番
だ い に 面 識 の な い 人 か らの 耕 作 依 頼 が で て
の 集 落 の 田 へ 耕 作 に 行 き,そ
こ で 田 の 近 接 か ら親 し くな っ て 貸
の よ う な 世 帯 も で て く る 。 こ の こ と は 最 初 に 述 べ た よ う な,「
地 ほ場 付 近 の 農 家 に 対 す る 信 頼 感 の 醸 成 」 →
借
「周 辺 で の 委 託 依 頼 面 積 の 増 加 」 と い う プ ロ
セ ス を示 して い る とい え よ う 。
借 地 を 始 め て2年
目 以 降.同
の 貸 借 が あ る の み で,他
の ほ と ん ど は 属 人 的 に み て も 属 地 的 に み て も.他
な る 。 こ れ は も ち ろ ん,借
え る が,や
集 落 内 の 貸 借 関 係 は ほ と ん ど な く な る 。1991年
にやや大 口
集 落 との 関 係 に
地 農 と して の 評 価 が 他 集 落 に ま で 行 き渡 っ た こ との現 わ れ とい
や 特 殊 な 事 情 を 述 べ る な ら ば,A氏
の 居 住 す る 安 養 寺 集 落 は 周 辺 集 落 に 比 べ て,
兼 業 形 態 を も含 め て 農 業 を 続 け る 人 が 多 い と の こ と で あ る 。 そ の 結 果,こ
こ しば ら く は,
安 養 寺 内 か ら農 地 が 貸 し出 さ れ る 見 込 み は 少 な い とい う。
4B氏
に み る 農 地 集 積 と借 入 契 機
1)B氏
の プ ロ フ ィール
1993年
現 在 で のB氏
あ る 。B氏
B氏
も ま た,居
は52才
の 耕 作 面 積 は22.4haで,う
族 は 妻 と2男1女
県 立 短 大 を 卒 業 し,そ
B氏
にB氏
の 子 供 で あ る 。 長 男(26歳)は,長
前 後 にA氏,B氏
の 方 が 大 き か っ た が,そ
の 背 後 に は後 継 者 の 就 農 とい う要 因 も あ っ
男 と 同 じ く 長 浜 農 高 を 卒 業 し,す
の 父 が 病 気 に な っ た の で,そ
長 男 が 経 営 に 参 加 し て か ら は,B氏
か ら 自家 の 農 業 経 営 に
と も に 借 地 面 積 が 拡 大 し た こ と を み た 。 と く に,
男 は 自 宅 か ら 通 勤 す る 会 社 員 で あ る が,農
自 身 は,長
借地で
浜 農 高 か ら滋 賀
の 後 ア メ リ カ で の 農 業 研 修 を へ た 後,1989年
参 入 し た 。 先 に1990年
た 。 な お,次
と の19.9haが
住 す る 上 八 木 集 落 の 世 帯 の 中 で は 最 も 広 い 農 地 を 所 有 して い る 。
で,家
そ の 拡 大 の 程 度 はB氏
ち 自 作 地 は2。5ha,あ
れ 以 後 はB氏
繁 期 に は 休 日 に 農 業 を手 伝 う 。
ぐ に 就 農 し た 。B氏
が 就 農 して3年
後
が 中 心 とな っ て 経 営 を お こ な って き た。
が お も に 作 業 面 を,長
男 が コ ン ピ ュ ー タ も利 用 して お
も に 経 理 面 を 担 当 し て い る.
現 在 の お も な 機 械 装 備 は,田
ンバ イ ン1台(4条
私機
植 機1台(6条
グ レ イ ン タ ン ク 付),乾
植),ト
ラ ク タ ー2台(26ps,53ps),コ
燥 機3台(50石,36石,20石),そ
の 他 に耕
軽 トラ ッ ク な どが あ る 。
借 地 料 は 反 当 た り1俵
半(政
府 米1類1等
価 格 で 換 算)で
落 で 決 め られ た基 準 で あ る 。
77
一 律 で あ る.こ
れ は上 八 木 集
2)農
地 集 積 と借 入 契 機
B氏
の 農 地 集 積 の 経 緯 を 表 わ し た の が 表3-3で
あ る 。 表 の 見 方 は 表32と
同 様 で あ る が,
す で に 貸 借 関 係 に あ る 者 が 媒 介 と な っ て 新 た な 貸 借 関 係 を 結 ぶ に い た っ た 場 合 は,媒
帯 の番号 を
1筆
「関 係 」 欄 に 明 記 し た 。 ま た,世
帯 番 号28か
を 水 道 施 設 用 地 と し て 返 却 し た ほ か は,A氏
ら 借 入 れ て い た3筆
と 同 様 に,再
介世
の 農 地 の うち
耕作 あるい は他者 へ の貸付
な ど の理 由 で 貸 借 契 約 を解 消 した 例 は な い 。
表33B氏
農家
の 農 地 集 積 と人 間 関 係
農 地の 所属
番 号(集
貸 地合
貸 付 年 度B氏
落 名)計(㎡)の
と
農家
関係
農地 の所 属
田号(集
○ △21下
貸 地 合計
貸 付 年 度B氏
落 名)(㎡)関
との
係
1弓
削1,022'74年
2下
八 木6,022'80年
3難
波5,904'81年23弓
4落
合7,784'81,'91年
5上
八 木2,478'82年025下
八 木8,443'91年
△
6下
八 木8,078'83年26上
八 木7,768'91年
○●
7難
波 落 合8,741'83年8の
▲22弓
△
削,上 八 木4,735'89年0
削557'89年
◎24十
◎28難
木 浜12,218'83,'91年
付
九9,551'90,'91年
●27下
8〃8,365'83,'88,'90年
9〃.八
八 木785'87年
八 木6,634'91年18の
●
波 八 木 浜8,375'91年
△ ▲29下
八 木4,492'91年
付
△30下
八 木4,188'91年
付
10弓
削7,278'84,'90年
11上
八 木6,626'85年
12香
花 寺4,356'85年32下
13弓
削3,187'85年
▲33上
八 木1,932'g1年0
14香
花 寺2,314'85年
付34弓
削g83'g1年
○△
15弓
削1,g35'85年035上
八 木13,g40'g2年
○●
16下
八 木1,854'85年36落
合3.032'92年
17弓
削1,362'85年
18弓
○ ●31難
波 八 木 浜 落 合7,928'91年8の
八 木2,104'91年
付37益
田5,800'93年
削,上 八 木2,216'85年
○ ●38弓
削3,363'93年
19上
八 木7,386'87年
○●
20上
八 木5,544'87年
○●
注)関
●
▲
己計1gg,280
係 を 表 す 記 号 は次 の と お り。
○:同
▲
じ集 落 ど う し,●
シ ン ル イ 関 係,◎:集
そ の 他 で 面 識 が あ っ た,付
落 外 の 親 族 関 係,△.農
地 の近
他 の 人 が 貸 す と き に付 属 した 農 地,
「関 係 」 欄 の 数 字 は 世 帯 番 号 を 表 わ す 。 空 白 は と くに 面 識 が な か っ た こ と を示 す 。
78一
隣接,
先 に 示 した 図32に
1g85年,そ
よ る と.B氏
れ に1991年
の 農 地 集 積 過 程 に は3つ
で あ る 。 こ の う ち,最
も 借 地 の 増 大 し た1991年
す で に ふ れ た 。 そ れ に 対 し て,1983,1985年
に1983年
の 画 期 は,大
後 と少 な い が,そ
程 度 の 画 期 が あ る 。1983年,
の画期 につ いて は
の 画 期 は 増 大 の 程 度 が 小 さ い 。 しか し,と
規 模 借 地 農 へ 発 展 す る 重 要 な 初 期 段 階 で あ る し,増
れ で も そ れ ま で の 借 地 面 積 が 一 挙 に2倍
く
加 面 積 は2ha前
に な っ た と い う 点 で,注
目 に値
す る。
1983年
の 画 期 で 重 要 な の は8番 の 世 帯 で あ る 。8番 世 帯 は 第1章
世 帯 で あ る8)。8番
を 契 機 と し て,難
世 帯 はB氏
の 母 の 実 家 に あ た り,B氏
で 対 象 と した 難i波集 落 の
が 語 る に は8番 世 帯 と の 農 地 貸 借
波 の 他 の 世 帯 と の 貸 借 関 係 が 広 が っ た と い う 。 ち な み に1983年
の増 加分
を各 世 帯 ご と に 示 す と,6番8,078m2,7番8,741m2,8番2,003m2,g番ggOm2,で
この う ち 難 波 集 落 の 世 帯 は7∼9番
で あ り,そ
あ る。
の 貸 付 面 積 合 計 は11,734m2と
こ の 年 に 貸 付 面 積 の 大 き か っ た7番 世 帯 は8番 世 帯 の シ ン ル イ で あ り,8番
な る 。 と く に,
世 帯 の媒 介 者 的 意
義 は大 きか っ た とい え よ う。
ま た そ の 後 の 貸 借 状 況 に お い て も,B氏
と 難 波 の 世 帯 と の 関 係 は 重 要 で あ る 。 表33に
お け る 難 波 の 世 帯 は,3番,7番8番9番,28番,31番
の6世
に 貸 借 関 係 に あ っ た3番 世 帯 の 農 地 を 除 外 して も,1993年
と な っ て お り,全
貸 借 面 積 の23%を
積 を 集 落 ご と に 多 い 順 に 示 す と,上
弓 削15,190m2,十
九11,865m2,落
合7,784m2,益
在 で は 上 八 木 集 落 の 世 帯 の 貸 付 地 は す べ てB氏
B氏 の 場 合 は,以
9})農
波51,531m2,下
た の で あ り,冒
田4,913m2と
なる。現
に 集 ま っ て い る とい う。
集 落 の 世 帯 との 貸
の 場 合 と異 な っ て い る 。 こ の 背 景 に
の 居 住 す る 上 八 木 集 落 の 規 模 が 比 較 的 小 さ く(全
回 り始 め る ま で に,他
貸借 面積
八 木45,632m2,
上 の よ う に 他 集 落 の 世 帯 と の 貸 借 関 係 が 先 行 し,自
地 の 絶 対 量 が 少 な い とい う理 由 もあ る
以前
在 に お け る属 人 的 な貸 借 面
田5,800m2,富
借 は む し ろ そ の 後 で 展 開 し て い る 。 こ の 点 は 先 のA氏
は,B氏
時 点 で 合 計45,627m2の
占 め て い る 。 ち な み に,現
八 木56,565m2,難
帯 で あ る が,1983年
世 帯 数31戸,属
。 しか し な に よ り も,貸
地 水 田 面 積19ha
付 農 地 が しだ い に 出
集 落 に お い て で は あ れ 縁 故 を 契 機 と し て 借 地 農 の 地 位 を 確 立 して い
頭 に述 べ た 農 地 集 積 プ ロセ ス の モ デ ル で 了 解 可 能 だ とい え よ う。
5農
地 貸 借 と人 間 関 係
1)借
地 農家 の社 会 的地 位
具 体 的 な 人 間 関 係 を考 察 す る ま え に.A,B両
氏 の 集 落 内 に お け る社 会 的 位 置 に つ い て
79
若 干 ふ れ て お きた い 。
両 氏 の 家 は,と
∼6町
歩 ,B氏
も に 戦 前 は む ら の 庄 屋 的 存 在 で あ っ た と い う 。 農 地 改 革 前 に はA氏
は4町 歩 ほ ど の 農 地 所 有 が あ っ た.現
在 に お い て も,両
は5
氏 の 水 田所 有 面 積 が
そ れ ぞ れ の 集 落 中 で 最 大 で あ る こ とは す で に ふ れ た 。 土 地 所 有 にか ん す る 資 料 が 手 元 に な
い の で,近
似 的 に1970年
こ と に よ っ て,戦
表3-4両
セ ン サ ス の 資 料 を 利 用 し,当
時 の 経 営 耕 地 面 積 規 模 別構 造 をみ る
後 の 各 集 落 に お け る 両 氏 の 位 置 を 検 討 し た い10)。
集 落 の 経 営 耕 地 面 積 規 模 別 構 造(1970年;戸)
総世 帯 農 家 数0,3haO.3∼0.5∼1.0∼2.0∼3.Oha
数
未満0.51.02.03.0以
上
安 養寺80691012192530
上八 木3025639520
注)1970年
世 界農 林 業 セ ンス農 業 集落 カー ドよ り作 成。
A氏 は,氏
の 代 に1ha弱
が っ て,表34に
の 農 地 を 購 入 し,B氏
も1970年
お い て は 両 氏 と も に2.0∼3,0haの
明 らか に な る こ と は,A,B両
以 降 に0.2ha増
階 層 に属 す る こ と に な る。 こ の表 か ら
氏 は 当 時 お い て も た し か に 最 大 所 有 階 層 に 属 し て は い た が,
そ れ ほ ど飛 び 抜 け た 所 有 規 模 で は な い こ と で あ る 。 む し ろ,農
の な か の1世
加 して い る 。 し た
地 所 有 か らみ れ ば上 層 集 団
帯 と い え る 。 つ ま り借 地 経 営 に の りだ す 前 の 段 階 で は,土
地 所 有 規 模 と して
は そ れ ほ ど優 位 な 地 位 に あ っ た わ け で は な い とい え よ う 。
し か し も ち ろ ん,上
あ り,戦
層 集 団 の な か の1世
帯 と な っ た の は,戦
後 の 農 地 改 革 を経 た か らで
前 の 庄 屋 的 存 在 とい う地 位 が 社 会 的 信 用 力 に な っ て い る こ とは 大 い に考 え られ る
こ と で あ る 。 ま た 逆 に,庄
屋 的 存 在 で あ っ た か ら こ そ,い
わ ば 集 落 の 農 地 を 管 理 す べ く借
地 に よ る 規 模 拡 大 に 進 ん だ と考 る こ と も で き る 。 と も あ れ,A,B両
信 用 は,単
に 作 業 な ど の 実 績 に よ る も の だ け で は な く,こ
氏 の 借 地 農 と して の
う し た 歴 史 的 ・社 会 的 地 位 も プ
ラ ス に 影 響 して い る と 思 わ れ る の で あ る 。
2)農
地 貸 借 とシ ンル イ
農 地 貸 借 と シ ン ル イ と の 関 係 は,第1章
に お い て も若 干 の 検 討 を お こ な い,両
の み ら れ る こ と を 指 摘 し た 。 しか し,第1章
で は 共 時 的 分 析 の み で あ っ た の で,両
連 の 動 態 に つ い て は 曖 昧 な ま ま で あ っ た が,本
結 果,そ
者 に関連
章 で 農 地 集 積 過 程 と して 通 時 的 に分 析 した
の 関 係 が か な り明 らか に な っ た と思 う。
・80一
者 の関
この地方 にみ られ る親 族 的 関係 と農地 貸借 関係 の 間 に はあ ま り関連 が ない とい う意見 も
あるが11),一 概 にそ う とはい え ない。大 規模 借 地農 へ の展 開 の初期 段 階 に限定 した場合,
シンル イあ るい は よ り一般 的 に親族 的 関係 は,前 の2節
において見 た とお り無視 で きない 。
と くにB氏 の場合 は,他 集 落 に住 む親 族 の シ ンル イ とい う,や や 変則 的 な形 で はあ るが,
B氏 の大 規模 借 地 農へ の テ イ クオ フの時期 に重 要 な役 割 を果 た してい る。
しか し,大 規模 借 地 農 の あ る ところ必ず 親族 的 関係 の利 用 が あ る とい うわ けで は ないだ
ろ う。 この地域 にあ る シ ンル イは第1章
に,つ
きあい 的,仲
で も述 べ た ように,親 族組 織 的側 面 を もつ と同時
間的 側面 ももつ 。 したが って,狭
度 自由の き く関係 で あ るか ら.シ
い 意味 の親 族組 織 で はな く,あ る程
ンル イ関係 は親 族 関係 よ りもか な り広 い範 囲 とな り,結
果 的 にその なか か ら農地 の 貸 し手 を捜 せ る よ うに なる とも考 え られ る.そ の 意味 で は,シ
ンル イが農 地集積 の初期 段 階 に 関連 す るの で あって 親族 一般 が そ うな ので はない,す
なわ
ち こ う した現 象 は この 地域 に特 有 の もの であ る と もい え る。
さ らに,A氏,B氏
ともに各 々の集 落 におい て社会 的 に上 層 階層 に位 置す るが,そ
た上層 階層 の世 帯 ほ どシ ンル イの数 が増 える こ とも第1章
うし
で指摘 した。 したが って,A氏,
B氏 にあ って は通常 よ りもさ らに シ ンル イの範 囲が 広が り,そ れ を通 じた農地 貸借 の可 能
性 も広 が る とい え る。B氏
の場合 は,自 家 の シ ンル イで はな く,母 の実 家 の シ ンル イで あっ
たが,か つ て は あ る程 度 階層 的 に近い 間柄 で通婚 がお こなわれ た と思 われ,事 実第1章
み る ように,8番
世帯(世
帯番 号303)は
で
難 波 内で比 較 的上層 に位 置 して お り,シ ンル イ数
も少 な くない 。
しか し,以 上 の よ うにシ ンル イ と農 地貸借 関係 との 関連 が想定 され るが,B氏
自身 は,
「シ ンル イ と農地 貸借 は関係 な い」 と語 る。 もっ と もB氏 は,一 方 で は8番 世帯 との 農地貸
借 が大 きな画期 に なった と述 べ てい るの で,こ の場合 のB氏 の い うシ ンル イは 同集 落 内の
シ ンル イ を指 して い る と考 えて よい。 しか し同時 に.シ
ンル イだか ら とい う理 由 で と くに
積極 的 に農 地貸 借 を働 きか け るこ ともない とい う意 識 も うかが われ る。 つ ま り,シ ンル イ
の よ うな伝統 的 関係 と農地 貸借 関係 とはた しか に意 識 の上 で は位 相 が違 うの で ある。 この
こ とは,両 氏 が い う ように,農 地 貸借 関係 が契 機 となる シ ンルイ は ない こ とか らも知 られ
る。そ れで は,農
3)農
地貸 借 関係 か ら純粋 に派生 す る人 間関係 とは どの よ うな もの で あろ うか 。
地貸 借 に よるつ きあ い
農地貸借 関係 か ら派生 す る 人間関係 の第1は,借
A氏 の場 合,農
り手 と貸 し手 との 関係 であ る。
地 貸借 関係 に あ る他 集落 の世帯 に対 して,家 建 て,病 気見舞 い,葬 儀,
81
家後 継者 の結婚 の折 りに は,心 付 け をお こな う。 同郡 内の借 地農 の なか に は,貸 主 を呼 ん
で飲 み会 を して い る農業 者 もあ るが,A氏
そ れ に対 してB氏
は そ こ まで は しない とい う。
は,そ れ まで まった く面 識 の なか っ た人の場合,結
時 に心付 け を した とい う。B氏
両氏 を比 較す る と,A氏
の場合,香
婚 と火 事見 舞 い の
典 は出 してい ない 。
の方 が貸 主世 帯 に対 す るつ きあいの程度 が深 い ように感 じるが,
それ が農 地貸借 を越 え た世 帯 間 の 関係 に発展 す る見 込 み は うす い ように思 える。 そ れは概
して発 展性 の あるつ きあい で は な く,農 地 供給者 を確 保 してお くた めの一種 のサ ー ビス と
考 え られ るか らで あ る。
借 り手 は貸 し手 の人 間 その もの に対 して では な く,貸 し手 の提 供 す る農地 に関心が あ る。
そ して農 地確 保 の基礎 とな る信 用 を増す ため に心付 け をお こな う。 その意 味 で,こ
借 り手 の行為 は経 済 合理 的 な説 明 が可 能 であ る。 む しろ,人
う した
間性 に関心 が あるの は貸 し手
の方 であ る。貸 し手 は作 業状 態 や 人 間性 な ども考慮 に入 れて,借
り手 を選 ぶ 。 この地域 に
おいて も,稲 作 の受 託者 組合 が結成 され,農 協 が 仲介 とな って農 地貸 借 の斡旋 をお こなっ
てい るが,こ
こ に出 て くる農 地 はほ とん どない とい う。貸 し主 が相手 を選べ ない か らであ
る。 しか し,貸
し手 の 関心 も,借 り手 の人 間性 の うちの農 地管理 能力 の部 分 が 中心 で あ る。
つ ま り,貸 し手 の側 もまた,借
り手の 人 間全体 に関心 が あるわ けで は な く,結 局 の ところ
農 地貸借 に よる人 間 関係 は,慣 習 的つ きあい 関係 に比べ る と限定 された もの とい え よ う。
あるい は,借
り手側 か らみれ ば,慣 習 的つ きあい 関係 とは位 相 を異 に したつ きあい をお こ
な う とい って もよいだ ろ う。
農 地貸 借 関係 に起 因す る人 間関係 の第2は,借
A氏 とB氏 は連絡 の密 で あ り,B氏
その 田がB氏
地 農 どう しの 関係 で あ る。 こ こにあげ た
に耕 作 を依頼 され た農地 をA氏 に まわ した例 もあ る。
の とこ ろか ら遠 距 離 に あ り,A氏
に近 か ったか らで あ る。 また,年
に1度,
農業改 良 普及 所 を中心 に,管 内の大 規模 農 家 とと もに先 進地視 察 をお こな う。 さ らに,A
氏,B氏
と もに長 浜 農高 の実 習 生 を受 け入 れ てお り,そ う した実 習生 受 け入 れ 農家 どう し
のつ なが りもある とい う。 しか し両氏 の場合,借
地 農 どう しで生 活面 に まで踏 み込 ん だっ
きあ い関係 を結 ぶ まで に は至 って い ない.
6.大
規 模借 地 農 と集 落
この 地域 の集 落 はい わゆ る領土 意 識が 強 い12)。た とえば集落 の土 地 の範 囲 は きわめ て明
確 であ り,こ こで 出て くるほ とん どの集 落 に おい て13),そ の範 囲 内で 農地 を耕作 す る と耕
82
作者 に協議 費(反
当2,000∼2,500円
程 度)が
課せ られ る。他 集 落 に出作 をす る場 合,借
地
農 はそ う した金 額 を対 象 集落 に納 め なけれ ば な らない 。
前章 で述 べ た ような 「川 ざ らい」 の共 同作 業 時 には,集 落 との 関係 が問題 化 す る。前 章
で は,1集
落 内 にお ける耕作 者 と非耕作 者 との問題 を取 り上 げ たが,こ
の場合 は集落 を越
えた耕作 ・非 耕作 の問題 となる。共 同作 業 の お こない 方 は集 落 に よって多 少 の違い が あ る
が,通 常 はそ の集落 の構 成 員 の み に よって お こな う。 したが って,そ
る者 は,共
の集 落 に入作 してい
同作 業 には参加 しない。 た だ し,共 同作業 に よる水 路 掃 除 は,共 通 性 の高 い水
路部 分の み を対 象 と して お り,各 圃場 に隣接 す る用 排水 路 の多 くは各耕作 者 が お こなって
いる。 した が って入作 した場 合,水
路掃 除 にま った く関与 しない わけ で は決 して ない 。 し
か し,か な りの面積 を耕作 してい なが ら共 同作 業 に出 ない ことに対 す る批判 はあ る とい う。
また,さ
らに直 接 的 に入作 を批 判 す る動 きもあ る。B氏
りる予 定 に して い たが,そ
の集 落 にお いて,「
は1994年
にあ る集落 の農地 を借
自分 の集 落 の土 地 を他郷 の人 に貸 す な」 と
い う意 見 が 出 され,結 局 約 束 を変更 してそ の集 落 の者 が借 りる ことにな った とい う。 もっ
とも,こ う した意 見 が で て きた ひ とつ の理 由 は.そ の集 落 におい て も借 地 を拡大 したい者
が現 われ て きた こ とで あ り,先 の言 葉 は,実 際 にはそ う した借 地希 望者 が集落 の意見 と し
てB氏 に伝 えた もので ある。 したが って,ど
こまで集落 全体の合 意が あるか は疑問 で あ る。
しか し,借 地 に よ る経 営拡 大 が しだい に ビジ ネス上 の 関心 となる につ れ て,こ の ように集
落 の領 土 意識 の強 さが,さ
しあ た りの説 得 の ため の言説 におい てで あれ.表 面 に出て くる
可 能性 が あ る14)。
さらに.町
当局 におい て は集落営 農 を推 進 してい る。 町 は現在,県
と町 の補 助 に よっ て,
集落 営農 ビジ ョン推進 事業 をお こなって い る。 この事 業 は営 農 面 だけで な く,生 活面 を も
含 めた集 落 生 活全 般 の方 向 を,各 集落 ご とに構 成 員 の話 し合 いの なかか ら,ま とめ よう と
す る事業 で あ る。 結果 と して町役 場 にで て ぐる ビジ ョンは,集 落 に よって取 り組 み の程度
にか な りバ ラつ きが あ るが,か
な り熱心 に作 成 された あ る集落 の 『集落 営 農 ビジ ョン』 に
よる と,「 集 落外 耕作 者 」 の問題 視 と 「
今 後 は集落 内 の所 有 地 は集落 内 で守 ってい く」 こ
とが確 認 され てい る15)。
この よ うな 「集 落 内 の所有 地 は集 落 内で守 って い く」 とい う発 想 は,農 業 をビジ ネス と
して考 え る発想 か らか な りか け離 れて い る。つ ま り集落 の土 地 は集落 全員 の もの とい う,
いわゆ る総 有 意識 が 強 くみ られ るので あ る16)。そ の よ うな状 況下 で は,農 地 の私 有 に基 づ
く農地賃 貸借 市 場 が 部分 的 に しか成 立 しない。 したが って結 局 の ところ,旧 庄屋層 と して
83
のA氏,B氏
が,大
規 模 借 地 農 と し て 他 集 落 の 農 地 を も 集 積 で き た 背 後 に は,こ
落 の 土 地 総 有 意 識 の 壁 を 克 服 で き る よ う な,社
う した 集
会 的 威 信 が 必 要 だ っ た と考 え られ る の で あ
る。
7お
わ りに
以 上 を 要 約 し,む
す び と した い 。
事 例 地 域 の よ う な 慣 習 的 規 制 の 強 い と こ ろ で は,大
親 族 的(つ
き あ い)関
も そ れ は,プ
規 模 借 地 農 の 人 間 関 係 は,伝
統的な
係 や 集 落 の 枠 な ど に よ っ て 大 き く影 響 さ れ る こ と が わ か っ た 。 しか
ラ ス に も マ イ ナ ス に も働 く 。 伝 統 的 な 親 族 的(つ
み た 場 合 に は そ の 関 連 は 曖 昧 で あ っ た が,借
き あ い)関
係 は,共
時的に
地 農へ の テ イ クオ フの段 階 におい ては重要 な
役 割 を 果 たす こ とが わ か っ た 。
他 方,領
土 意 識 を基 礎 とす る 農 地 貸 借 上 の 集 落 の 障 壁 は,集
関 係 を規 制 す る 傾 向 に あ る 。 よ っ て,対
象 と した 町 内 に お い て さ し あ た り大 規 模 借 地 農 と
な っ て い る 農 家 は い ず れ も 旧 の 庄 屋 層 で あ る が,そ
よ う と す る 力 を 克 服 で き る ほ ど の 社 会 的 威 信=信
思 わ れ る 。 こ う し た 地 域 に お い て は,作
落 を越 え た 自由 な 農 地 貸 借
の 理 由 は,農
地 貸 借 を集 落 内 に と どめ
用 力 を 彼 らが 保 持 し て い る こ と に あ る と
業 上 の 信 用 だ け で な く,入 作 を 許 し て 余 りあ る 社
会 的 信 用 が き わ め て 重 要 に な る と思 わ れ る の で あ る 。
現 在,町
当 局 は 集 落 営 農 を 推 進 し よ う と し て い る が,ビ
実 際 に そ れ を 担 う 人 が 各 集 落 に 存 在 す る か ど か は,ほ
い と し て も,ほ
的 に は,拡
ジ ョ ン は 作 成 で き た と して も,
と ん ど未 知 数 で あ る 。 領 土 意 識 は強
と ん ど農 業 の 担 い 手 が い な い 集 落 も存 在 す る か ら で あ る 。 し た が っ て 結 果
大 意 欲 の あ る 借 地 農 と集 落 の 領 土 意 識 と の バ ラ ン ス 関 係 で,こ
当 面 の 間,進
む と 思 わ れ る 。 そ う い う 意 味 で も,こ
の地域 の農 業 は
の よ う な 稲 作 農 業 者 の 人 間 関 係 は,集
落 の 多 く の 農 家 が 非 耕 作 者 と な っ た 時 に お い て も,集
落 との 関 係 を抜 きに して考 え られ な
いで あ る。
注
1)た とえば,大 原 興太 郎 『
稲 作 受託 組織 と農 業経 営」,日 本 経済 評 論社,1985年.PP.136-137,参
照。
大原 は こ う した信 頼 感 の必 要 を経 営 学 の立場 か ら 「
信 用 力の形 成 」 と捉 えてい る。他 に,竹 本平 一 「21
世紀 型稲 作 農 業 』,富 民協 会,1984年,PP.20-22,に
もその 指摘 が あ る。
2)大 原 『前掲書 』,P.136。
3)も っ と も,リ ー ダー シ ップ.あ るい は経 営者 能 力 の視 角 か ら人間 と して の農 業経 営者 に焦点 をあ て た研
84・
究 は み ら れ る 。 た と え ば,重
第71号,1983年.あ
富 真 一 「農 業 経 営 者 能 力 形 成 過 程 に 関 す る 一 考 察 」 『農 林 業 問 題 研 究 』,
る い は,大
原 『前 掲 書 』,PP,142-146,参
4)農 業 生 産 組 織 に お け る 人 間 関 係 の 重 要 性 に つ い て は,安
義 」 『農 業 経 営 研 究 』,第29巻
第2号,1991年
照。
藤 益 夫 「地 域 型 生 産 組 織 に お け る 人 間 関 係 の 意
な どの 研 究 が あ る 。
5)東 城 眞 治 「大 規 模 稲 作 経 営 の 農 地 集 積 と イ ン フ ォ ー マ ル
ブ ロ セ ス の 意 義 」 『農 業 経 営 研 究 』,第30巻
第3号.1992年.
6)同 上 論 文,P,1。
7)同 上 論 文,P.8。
8)第1章
で は世 帯 番 号303に
9>1990年
農 業 セ ンサ ス 農 業 集 落 カ ー ド よ り.
10)も ち ろ ん1970年
時 点 に お い て も農 地 貸 借 が な い わ け で は な い 。 同 じ くセ ン サ ス に よ る と,安 養 寺 の場
合 で 借 入 農 家 数28戸,借
戸.借
相 当す る。
入 耕 地 合 計 が4.1ha(全
入 耕 地 合 計1.9ha(同9.9%)と
か も借 入 農 家 も多 い の で,経
経 営 耕 地 面 積 の6.5%),上
な っ て い る 。 しか し,こ
八 木 の 場 合 で 借 入 農 家 数11
の 当 時 は 農 地 流 動 面 積 自 体 も小 さ く,し
営 規 模 構 造 は所 有 構 造 を近 似 的 に 表 わ して い る と思 わ れ る 。
11)玉 里 恵 美 子 「兼 業 深 化 地 域 に お け る 農 地 貸 借 関 係 一 滋 賀 県 五 個 荘 町 伊 野 部 の 事 例 」 村 落 社 会 研 究 会 『
研
究 通 信 』No.170,1992年
う仮 説 」 を た て,分
課 題 は,こ
で は,「
伝 統 的 な 家 の 連 合 関 係 が,現
代 的 な 農 地 貸 借 関係 と関 連 しな い とい
析 の な か で 同 族 関 係 が 農 地 貸 借 関 係 と 関 連 し な い こ と を 明 らか に して い る 。 玉 里 の
こ で い う 姻 戚 な ど も含 め た シ ンル イ と農 地 貸 借 関 係 との 関 連 の 問 題 とや や ズ レて い る 。 しか
し仮 説 か らみ て も,親 族 関 係 と農 地 貸 借 関 係 の 関 連 に 否 定 的 と思 わ れ る。
12)「 領 土 」 と は 農 村 社 会 学 者 の 川 本 彰 の 用 語 で あ る が,そ
あ り,そ
の 範 域 に 対 して,む
れ は 集 落(村
落)の
占め る 空 間 的 範 域 の こ とで
ら人 は 自 分 た ち の もの で あ る とい う総 有 意 識 を もつ と さ れ る 。 川 本 彰 『日
本 農 村 の 論 理 』 龍 漢 書 舎,1972年.第4章
参 照 。 な お,河
川 付 け 替 え 時 の紛 争 を通 して,第1章
上 げ た 難 波 を事 例 に 。 領 土 意 識 あ る い は総 有 意 識 を考 察 した こ とが あ る 。 拙 稿
文 化 」 第12巻 第1号,1988年.PP.61-65参
で取 り
「川 の 事 件 史 」 『湖 国 と
照。
13)例 外 は十 九 と香 花 寺 で あ る 。
14)も っ と も こ の 意 見 は い くぶ ん逆 説 的 で あ る 。 集 落 内 の 農 地 供 給 が 十 分 に大 き く,拡 大 意 欲 の あ る 農 家 が
自 分 の 集 落 内 だ け で 満 足 で き る な ら ば よい が,そ
に は,ビ
れ 以 上 に,集
落 を越 え て 拡 大 す る必 要 が で て きた 場 合
ジ ネ ス 意 識 と領 土 意 識 と は 両 立 し え な くな る。
15)町 役 場 資 料 よ り。 こ の 集 落 はB氏
に農 地 貸 借 の 制 限 を 申 し入 れ た 集 落 と は異 な る 。 しか し,B氏
に申 し
入 れ た 集 落 も 『集 落 営 農 ビ ジ ョ ン』 作 成 して お り,そ こ に は そ れ ほ ど 強 調 さ れ た 感 は な い が 「自 らの 農
地 は 自 らで 守 る」 た め に 集 落 ぐる み の 集 団化 が 必 要 と の 文 言 が あ る ・
16)総 有 に つ い て は 注12)を 参 照 。
-85・
第4章
非稲 作 地 域 に お け る農 業 の展 開 過 程
一渥 美 半 島 地域 を事 例 と して 一
本章と次章では,施 設園芸や露地野菜,畜 産などの非稲作部門を中心に,基 本法農政下においてめざ
ましい発展を遂げた愛知県渥美半島地域を対象 とする。本章では,そ うした非稲作的作目に特化 してい
く過程を農業地域の分化という視点からややマクロに把握する。具体的には集落を基礎的なデータ単位
としつつ,統 計的手法を用いて,い くつかの分化類型を抽出する。次章ではそのうちの施設園芸地域に
焦点をあてて農業発展を支えた人間関係について論じるが,本 章ではそうした地域の農業展開と意義を
広域的な視野から位置づけておきたい。
1選
択 的拡大 と農業 地域 分化
1961年 に公 布 され た農業 基本 法 が戦 後 の 日本 農業 の展 開 に与 えた影響 は,い
うまで もな
く重 大 で あ る。 農業 基 本法 は当 時拡 大 しつつ あ った 「農業 と非農業 の所 得格 差」 の是 正 を
基本 的 な問 題 関心 と して創 案 されたが1),そ
れ を達 成す る ため の具 体 的 な政策 目標 は次 の
3点 で あ った2)。
第1は
自立農 家 の育 成 で あ る。 自立 経営 とは 「他 産業従 事者 の世 帯員 と同程度 の生 活水
準 を農業 所 得 に よ って享受 しうべ き経 営」3)の 意 であ る。
第2は
生 産 の選 択 的拡大 で あ る。 こ こでの 「
選 択 的」 は,総 花 的 な増 産 で はな く 「需要
の成 長 しつ つ あ る もの に生 産 を切 り換 えてい く」 の とい う意味 を もつ。 具体 的 に は野 菜,
果樹,畜
産 が成長 作 目にあ げ られ た。
第3は 構 造 改 善 に よる労働 生 産性 の 向上 で ある。 内容 は土 地 区画 の整備 と機械 化 の推 進
で あ る。
以 上 の3つ
を柱 に展 開 して きた農 政 の結果 は,す で に周 知 の とお りで あ ろ う。稲作 につ
い ては農 地所 有 の移 動 が お こ らず,不 足 所得 分 を農外 就業 で補 填す る とい う兼 業 農家 の大
量 出現 となった 。 その結 果,稲 作 農家 の大 部分 は 自立経営 農家 とは ほ ど遠 い存在 とな った。
しか しその一 方 で,基 本 法 の政 策 に う ま く適 合 し,「 自立経 営」 を実現 して い る地域 もあ
る。 それ らはお もに上 記 の 「生 産の 選択 的拡 大」 政策 に支援 されつ つ,稲 以外 の作 目に力
を投入 して きた地 域 で あ った。
表4-1は
そ う した 農業 主 業地 域 の作 目的変 遷 をみ るた め に,1戸
(あるい は農業 粗 生 産額)の
あた り生 産農 業所 得
大 きい市 町村 を対象 に ま とめた もの であ る。 この表 は北 海道
86
を 除 い て い る の で,畜
産 の 発 展 に つ い て は ほ と ん ど示 さ れ て い な い が ,耕
種 部 門 にお ける
農 業 主 業 地 域 の 変 貌 は か な り明 確 で あ る 。 米 を 主 と す る 自 立 経 営 農 家 の 地 域 は,1990年
は秋 田
大 潟 村 だ け と な り,代
て い る 。 た だ し,同
を 形 成 す る が,こ
わ っ て 選 択 的 拡 大 作 目に あ げ られ た野 菜 産 地 が優 勢 とな っ
じ く選 択 的 拡 大 作 目 に あ げ ら れ て い た 果 樹 は,一
れ も周 知 の よ う に,生
時 は高所 得 農業地 域
産 過 剰 と果 実 輸 入 の 自 由 化 な ど に よ っ て,近
は 苦 境 に 立 た さ れ て い る こ と も わ か る 。 し か し と も あ れ,少
す る と い う 面 に お い て,選
に
年で
な くと も 自立 経 営 農 家 を育 成
択 的 拡 大 政 策 は そ の 方 向 を大 筋 で 間 違 っ て い な か っ た とい え る
の で あ り5》,そ れ に 沿 っ て 進 ん だ 地 域 で は 産 業 と して の 農 業 が 展 開 す る 過 程 が み ら れ た と
考 え られ る の で あ る 。
表41農
(1戸
業 粗 生 産 額1位 部 門 別 市 町 村 数
あ た り生 産 農 業 所 得 上 位20市
年次
町 村;都
府 県 の み)
市 町村 数
米
野菜
果樹
花卉
工芸
畜産
1960年1243001
1965年1043102
1970年394031
1975年391051
1980年1130033
1985年2100!52
1990年1141112
注)『 農 業所 得 統 計』(1960∼70年),『
よ り。1960,65年
本 章 で は,そ
生 産農 業所 得統 計 』(1975年
以降)
は,1戸 あた り農 業粗 生 産額 の上位20市 町村 であ る。
う し た い わ ば 基 本 法 農 政 の 光 の 部 分 を 代 表 す る 地 域 を 取 り上 げ,そ
の よう
な地 域 の 農 業 が 基 本 法 農 政 下 に お い て どの よ う な 変 遷 を た どっ た の か を明 らか にす る 。 選
択 的 拡 大 は,そ
の 意 図 か ら して 新 し い 需 要 に 見 合 っ た 新 しい 作 目 の 選 択 を と も な う の で,
そ う した 地 域 の 農 業 は 必 然 的 に 大 き な 構 造 的 変 化 を 経 験 す る は ず で あ る 。 そ の 変 遷 過 程 を
農 業 地 域 の 分 化 と い う 視 点 か ら考 察 し た い 。
具 体 的 な 対 象 地 は,愛
こ の3町
知 県 渥 美 半 島 地 域 に 位 置 す る 田 原 町,赤
は 現 在 わ が 国 有 数 の 農 業 地 帯 で あ り,赤
羽 根 町,渥
羽 根 町 と 渥 美 町 は 表41の1990年
る20位 以 内 市 町 村 に あ が っ て い る 。 さ ら に1991年
の 統 計 で は.3町
て い る 。 ま た 作 目 を み て も,1991年
の 農 業 粗 生 産 額 第1位
畜 産,赤
羽 根 町 ・花 卉.渥
美町
に お け る3町
野 菜 と な っ て お り,ま
87
美 町で ある。
全 部 が20位
にお け
ま で に入 っ
作 目 は,田
原町
さ し ぐ 「総 合 農 政 の シ ョ ー ウ イ ン
ド」6)と 呼 ば れ る にふ さわ しい バ ラエ テ ィに富 んだ農業 地域 とな ってい る。
しか し,町 ご とに作 目が完全 に特 化 して い るわ けで は ない.町 単位 の統 計 でみ る 限 り,
野菜,花 卉,畜
産 の3作
目が 町 に よっ て強弱 の 違 い をみせ なが ら,総 合 的 に発展 して い る
ように見 える。 そ こで,分 析 にあ たっ て は町 レベ ルで は な く集落 レベ ル を単位 と して 農業
地域 の分化 を考 え る。 農業 経営 上 の 決定 をす る場合,集
落 が最終 的 な決定 主体 とな るわ け
で は ないが,集 落 を単 位 と して事 業 が お こな われ た り,あ る集落 に特 定 の作 目の ノ ウハ ウ
が蓄積 され た りす る こ と も十 分想 定 で きるの で,こ
こで は各 集落 が どの ような選 択 をお こ
な うか とい う視 点か ら分 化 を考 えたい 。
そ して,そ の結 果 か ら地域 分 化 の要 因 につ いて考 察す る と ともに,と
くに次 章 との 関連
か ら,施 設 園芸 地域 の もつ 意義 につい て考察 をお こな う。
分 化 を捉 える分析 方 法 は,主 成 分分 析 を用 い た集落 の類型 化 で ある7)。 各 集落 のデ ー タ
は農業 セ ンサ スの 農業 集 落 カー ドを利 用 す る。 したが って 集落 とは ここで はセ ンサ ス の対
象 とした農業 集 落 を指 す もの とす る。
2.渥
美 半 島農業 発展 の2つ の 条件
統 計分析 に移 る前 に,渥 美半 島 農業発 展 に大 きな影響 を及 ぼ した2つ
の条件 につ いて述
べ てお きた い。
その第1は
豊川 用水 の通水 で あ る。
豊 川用水 の構 想 はす で に1921(大
は戦 後 の1949(昭
43)年
和24)年
正10)に
始 まってい るが,実 際 に事業 が 開始 され たの
で あ る。 そ して,1963(昭
和38)年
に一 部通水,1968(昭
和
に全 線 開通 とな り,渥 美 半 島の先端 まで通水 され る に至 った。
これ に よって,こ
の地 域 の農 業発 展 の大 きな制 限要 因 となって いた水 不足 が解 消 した。
そ して交通 立地 的 に は有 利 で あ りなが ら も,「 暖か い以外 には恵 まれ ない」8)と い われ た
半 農 半漁 的地域 が 一大 農 業地 域へ と転換 し始 め た.作
び施設 畜産 な どの,い
目的 には,施 設 園芸,露 地 野菜 お よ
わゆ る 「選 択 的拡 大」作 目が一 挙 に拡大 す る こ とにな る。 次章 で述
べ る赤 羽根 町 な どの施 設 園芸 地域 にお いて も,施 設 園芸 その もの は戦前 か らお こなわれ て
いたが,そ
の 当時 は雨水 にた よる天水 農業 で あ り,水 の制 約 に よって拡 大 が 阻 まれ てい た
の で ある。
第2の
条件 は農業構 造 改 善事 業 の集 中的導入 で あ る。
先 に も示 した よ うに,基 本 法 農 政 に は構 造改 善 に よる労働 生 産性 の 向上が盛 り込 まれて
お り,具
体 的 に は 構 造 改 善 事 業 を 通 じ た 土 地 区 画 の 整 備 と機 械 化 が 推 進 さ れ た 。 渥 美 半 島
地 域 の 場 合,構
造 改 善 は 選 択 的 拡 大 と軌 を 一 に し た た め.と
りわ け 集 中 的 に 事 業 が 導 入 さ
れ る に至 っ た 。
表42は,融
資 関 係 の 事 業 を 除 く 国 庫 補 助 事 業 額 を各 期 別,町
金 額 を デ フ レ ー ト し て い な い の で 不 完 全 で あ る が,農
家1戸
別 に 集 計 した も の で あ る.
あ た り 累 積 事 業 額 を み る と.
3町 の な か で 赤 羽 根 町 が 最 大 と な っ て い る 。 赤 羽 根 町 は こ れ らの 補 助 事 業 に よ っ て 温 室 団
地 な ど の 整 備 を お こ な い,今
表42各
日 に み る よ う な 施 設 特 化 型 農 業 へ の 道 を進 ん だ の で あ る。
期 農 業構 造 改 善事業 にお ける国庫 補助 事業 額
1次 構(S.372次
構(S.45新
農構(S.53活
∼45)∼53年)∼H
.2年)(H.2年
性 化農構
(千円)(千
円)(千
円)(千
平均 農 家 農 家1戸 あ
以降)数
た り事 業額
円)(戸)(千
円)
田原 町348,009913,4611,495,3632,00025181,096
赤 羽根 町112,0gg2,741,23346g,68516g,88gg70.53,5gg
渥 美 町386,3722,615,3991,877,28492,93929771,670
合 計846.4806,270,0933,416,003264,828
年平 均 額105,810783,762284,667132,414
注)1.各 事 業 は事 業 開 始年 度 に全 額投 入 された とみ な して 計算 した。
2.「平 均 農 家 数」 は1960年 農業セ ンサ スの 農家 数 と!990年 農業 セ ンサ ス の農家数 の平均 値で あ る。
3融 資事 業 は含 まな い.
4愛 知県 東 三河 事務 所 資 料 よ り作成 。
一 方 .時
期 別 に み る と,全
体 的 に2次
る 。 こ の 時 期 は 豊 川 用 水 が 開 通 し,投
政 策 に よ る 転 作 奨 励 も ま た,畑
作 物,施
構 時 代 に最 も集 中 的 な事 業 導 入 が お こ な わ れ て い
資 意 欲 の 高 ま っ た 時 期 で あ る 。 ま た,米
の生産調 整
設 園 芸 に人 々 の 関 心 を向 け さ れ る こ と に な っ た と
思 われ る。
と も あ れ,渥
美 半 島 地 域 の 農 業 は 豊 川 用 水 の 開 通 を 大 き な 契 機 と し,補
もち ろ ん 各 農 家 の 積 極 的 な営 農
投 資 意 欲 に 支 え ら れ な が ら.と
助 金 の 導 入 と,
り わ け1970年
代 に大 きな
変 貌 を とげ る の で あ る 。
3主
成 分 分 析 に よる 地 域 分 化 の 類 型 化
1)変
数 の 選 択 と分 析 手 順
渥 美 半 島3町
に 属 す る 合 計89集
落 に つ い て,多
一89
変 量 解 析 の 一 手 法 で あ る 主 成 分 分 析9)を
用 い て,次
の2種
表43変
類 の分析 をお こな った 。
数名
変 数1960→90年
番 号1990年
の変数
注
の 変 数(21,22を
変 数1990年
除 く)番
の み の変 数
注
号
1農
家 率23農
就16∼29歳
率7)
2専
業 農 家 率24農
就30∼39歳
率7)
31兼
農 家 率25農
就40∼59歳
率7)
42兼
農 家 率26農
就60∼64歳
率7)
5稲1)27農
就65歳 以 上 率7)
6麦
・雑 穀 ・い も
7工
芸 農 作 物1)29販
売1位
畜 産 率8)
8野
菜 類1)30販
売1位
施 設 率9)
9施
設 農 家 率2)31施
設1戸
当 ハ ウ ス 面 積10)
設1戸
当 ガ ラ ス 室10)
101戸
11水
豆1)28花
卉
当 水 田 面 積32施
田 率33販
花木
芝1)
売50万 円 未 満 率11)
121戸
当 畑 面 積34販
売50∼100万
13経
面0.3ha未 満3)35販
売100∼200万
円 率11)
円 率11)
14経
面0.3∼1.Oha3)36販
売200∼300万
円 率11)
15経
面1.0∼2.Oha3)37販
売300∼500万
円 率11)
16経
面2.0∼3.Oha3)38販
売500万
17経
面3.Oha以 上3)39離
農 率12)
18基
幹/農 就4)40耕
作 放 棄 地 率13)
円 以 上 率11)
191戸
当 基 幹 従 者 数5)41田
畑 不 耕 作 地 率14)
201戸
当 家 畜 単 位6)42耕
地 利用 率
21農
就16∼59歳
22農
就60歳
率7)43専
従 者 農家 率
以 上 率7)
注)
1)各
作 目 の 収 穫 面 積/経
営 耕地 面積 。
2)施
設 実 農 家 数/総
3)各
経 営 耕 地 面 積 規 模 の 農 家 数/総
農家 数。
農家 数 。
た だ し0,3ha未 満 は 例 外 規 定 農 家 を含 む。
4)基
幹 的 農 業 従 事 者 総 数/農
業就 業 人 口総 数。
5)基
幹 的 農 業 従 事 者 総 数/総
農 家数 。
6)各
家 畜 の 頭 羽 数 を家 畜 単 位 に換 算 し合 計 した もの/総
た だ し,家 畜 単 位 換 算 率 は 乳 牛:1.0,肉
牛:0,5,肥
農家 数。
育 豚:0.1,採
卵 鶏:0.005,ブ
ロ イ ラ ー:0.002
(以 上 の 換 算 率 に関 し て は,菊 池 泰 次 『
農 家 の 経 営 診 断 入 門 』 家 の 光 協 会,1964,PP。115-117,参
7)各
年 齢 層 の 農 業 就 業 人 口/農
業就 業 人 ロ。
8)販
売 金 額1位
の 作 目が 畜 産 で あ る 農 家 数/総
9)販
売 金 額1位
の 作 目が 施 設 園 芸 で あ る農 家 数/総
10)ビ
ニ ー ル ハ ウ ス ま た は ガ ラス 室 の 面 積/施
11)各
販 売 金 額 規 模 の 農 家 数/総
12)(1990年
総 農 家 数 一1960年
13)耕
作 放 棄 地 面 積/経
14)田
と畑 の 不 耕 作 地 面 積/経
農家数
農家 数
設実 農家 数
農家 数
総 農 家 数)/1960年
総農 家 数
営 耕 地面積
営 耕 地面積
一90一
照)。
ま ず 第1に,1960年
の 集 落 デ ー タ と1990年
を選 択 して,1960年
1960年
と1990年
時 点 の 各 集 落89個
合 計178個
の 集 落 デ ー タ の う ち,変
数 の 統 一 で きる もの
の 両 方 の デ ー タ をサ ン プ ル と す る 分 析 を お こ な っ た 。 つ ま り,
の サ ン プ ル と,1990年
時 点 の 各 集 落89個
の サ ン プ ル を 合 わ せ た,
の サ ン プ ル に つ い て 主 成 分 分 析 を お こ な っ た 。 こ の 地 域 の 農 業 の 変 貌 前 と変 貌 後
を 同 じ分 析 座 標 に 組 み 入 れ る こ と に よ り,そ
の 変 化 の 大 き さ と変 化 パ タ ー ン を明 らか に し
た い と思 う か ら で あ る.
次 に,1990年
1990年
の 集 落 デ ー タ か ら で き る 限 り 多 く の 変 数 を 取 り 出 し,分
と い う 大 変 化 を 経 験 し た 後 の 農 業 地 域 分 化 の 状 態 を,さ
析 をお こな った。
ら に情 報 量 を ふ や して 確 認
した い か ら で あ る.
各 分 析 に お け る 変 数 の 一 覧 を 表4-3に
る 変 数 と し て 用 い た も の で あ る.1990年
用 い た 。 な お,こ
示 した 。 変 数1∼22が1960→90年
の分析 に共通 す
の 分 析 で は,1∼20と23∼43ま
で の41個
の変数 を
こ で は 集 落 を 単 位 と して そ の 農 業 上 の 特 徴 を み よ う と し て い る た め,変
数 は す べ て 比 率 あ る い は1戸
あ た り数 値 に し て あ る 。 し た が っ て,集
落 の規模 の違 い に よ
る比 重 の 差 異 は扱 え な い こ と を あ ら か じめ こ と わ っ て お きた い 。
2)1960→90年
の変 化分 析
こ こ で は 先 に 述 べ た よ う に,変
そ の 結 果 算 出 さ れ た 第3主
を も と に,第3主
第1主
成分
数22,サ
ン プ ル 数178に
成 分 ま で の 因 子 負 荷 量 等 の 数 値 は 表4-4の
とお りで あ る 。 こ れ
成 分 ま で の 各 主 成 分 軸 の 意 味 す る も の を 判 読 し,解
因 子 負 荷 量 が プ ラ ス の 大 き い 変 数 を 細 説 す る と,農
経 営 耕 地 面 積 に 占 め る 野 菜 類 の 収 穫 面 積 の 比 率,1戸
地 面 積2.0∼3.Ohaと3.Oha以
き い 変 数 は.経
つ いて主成 分 分析 をお こな った。
上 の 農 家 率,施
営耕 地 面積 に 占め る麦類
稲 の 収 穫 面 積 の 比 率,経
家1戸
あ た り畑 面 積,
あ た り基 幹 的 農 業 従 事 者 数,経
営耕
設 を保 有 す る農 家 率 で あ る 。 逆 に マ イ ナ ス の 大
雑穀
イ モ類
豆 類 の 収 穫 面 積 の 比 率,同
営 耕 地 面 積 に 占 め る 水 田 面 積 の 比 率,農
未 満 の 農 家 率 で あ る 。 こ れ ら か ら判 断 す る と,麦
農 家 率 も 全 体 的 に 高 か っ た1960年
釈 を くわ え た い.
類
雑穀
時 点 の 農 業 の 状 況 か ら,露
家 率,経
イモ類
じく
営 耕 地 面 積1.Oha
豆 類 や 稲 を 主 体 と し,
地 野菜 や施設 園芸 を主体 と し
つ つ 発 展 した 今 日 の 状 況 へ の 変 化 の 軸 を表 わ し て い る と解 釈 さ れ る 。 こ の 時 間 の 経 過 と密
接 に 関 連 し た 主 成 分 は,ま
さ に 基 本 法 農 政 下 に お け る 作 目の 転 換 に 対 応 し て い る の で,
「選 択 的 拡 大 度 」 を 表 わ す 主 成 分 と い う こ と が で き る ・ た だ し,選
も,と
択 的 拡 大 作 目の な か で
くに土 地 利 用 型 作 目す な わ ち 露 地 野 菜 の 比 重 が 大 きい 主 成 分 と な っ て い る 。
91
表4-41960→1990年
第1主
の 変 化 の 計 算 結 果(因
成分
第2主
子 負 荷 量 は ± 上 位6位
成分
ま で)
第3主
成分
固 有 値6.8104固
有 値5.0294固
有 値1.7699
寄 与 率30.960%寄
与 率22.860%寄
与 率8.040%
累 積 寄 与 率30960%累
積 寄 与 率53.820%累
積 寄 与 率61.860%
因子負 荷 量
因子負 荷 量
1戸 当 畑 面 積0.9539農
就60歳
野 菜 類0.76812兼
因子 負荷 量
以 上 率0.8064経
面0.3∼1,0haO.6044
農 家 率0.7915施
経 面2.0∼3.OhaO.7577経
設 農 家 率0.4085
面0.3ha未 満0,5501基
1戸 当 基 幹 従 者 数0.69501戸
幹/農
当 水 田 面 積0.50721戸
経 面3.Oha以 上0.6498経
面0.3∼1.OhaO.42321兼
施 設 農 家 率0.59211戸
農 家 率0.1062
当 家 畜 単 位0.3374経
面0.3ha未 満0.0711
麦 ・雑 ・イ モ ・
豆
一
〇.7694農
就16∼59歳
稲
・0.7349経
面1.0∼2.Oha・0.6782水
水 田率
一
〇.6837専
業農 家率
一
〇.66311戸
当水 田面積
一
〇。4349
農 家率
一
〇.4489農
家率
一
〇.62361戸
当家 畜単 位
一
〇.4183
芸農 作物
一
〇.5309稲
経 面0.3∼1.Oha・0.4417工
経 面0.3ha未 満
第2主
一
〇.42841戸
成 分:同
の 比 率,第2種
一
〇.8291経
当基 幹従 者 数
一
〇.4989経
イ ナ ス は,農
営 耕 地 面 積 が1。Oha未
面1.0∼2.Oha-0.4716
田率
子 負 荷 量 が プ ラ ス の 変 数 は,農
兼 業 農 家 率,経
な ど で あ り,マ
農 家1戸
様 に,因
率
就0.2844
当 基 幹 従 者 数0.1779
一
〇.4443
一
〇.4132
面3.Oha以 上
業 就 業 人 口 の う ち60歳
満 の 農 家 率.農
業 就 業 人 口 の う ち16∼59歳
一
〇.2137
家1戸
の 人 の 割 合,農
以上 の人
あ た り水 田 面 積
家 率.専
業 農 家 率,
あ た り基 幹 的 農 業 従 事 者 数 な ど と な っ て い る 。 し た が っ て こ の 主 成 分 は,農
働 力 の 充 実 度,あ
業 労
る い は 専 業 か 兼 業 か と い う 農 業 の 重 要 度 を 表 わ し て い る こ と か ら,「
農
業 専 兼 分 化 度 」 を示 す 主 成 分 で あ る と解 釈 で きる 。
第3主
成 分
る 農 家 率.農
同 じ く,プ
ラ ス の も の は 経 営 耕 地 面 積 が1.Oha未
業 就 業 人 口 に 占 め る 基 幹 的 農 業 従 事 者 の 比 率,農
事 者 数 な ど で あ り,マ
イ ナ ス は,経
営 耕 地 面 積1.0∼2.Oha,お
営 耕 地 面 積 に 占 め る 水 田 面 積 の 比 率,農
家1戸
満 の 農 家 率,施
家1戸
あ た り基 幹 的 農 業 従
よ び3.Oha以
あ た り 水 田 面 積,農
設 を保 有 す
家1戸
上 の 農 家 率.経
あ た り 家 畜 単 位,
経 営 耕 地 面 積 に 占 め る 稲 の 収 穫 面 積 の 比 率 な ど で あ る 。 こ れ ら か ら 判 断 す る と,施
か水 田
経 営 面 積 の 広 さ,を
表 わ す と 考 え ら れ,こ
る と い え よ う 。 た だ し,第3主
り,説
3)変
成 分 は 第1,第2主
の主 成分 は
設 園芸
「農 業 集 約 度 」 を 示 し て い
成 分 と比 べ て 大 き く寄 与 率 が 落 ち て お
明 力 は 弱 くな っ て い る 。
化 パ タ ー ン に よ る集 落 の 分 類
寄 与 率 の 高 い 第1,第2主
成 分 に つ い て,各
集 落 の 主 成 分 ス コ ア の 組 み 合 わ せ を平 面 座
92一
標 上 に 落 と し た も の が,図41で
あ る 。1960年
と1990年
印 に よ っ て 示 した と お り で あ る 。 こ こか ら まず,1960年
の 集 落 デ ー タ の 区 別 は,図
の 各 集 落 の 集 合 と1990年
全 体 と して は っ き り と分 離 し て い る こ と が わ か る 。 ま た,1960年
90年 に な る 分 散 し て い る こ と も わ か る 。 こ の30年
確 認 さ れ る と と も に,比
間 に お け る 渥 美 半 島 農 業 の大 きな 変 貌 が
較 的 均 質 な 地 域 か らバ ラ エ テ ィ に と ん だ 地 域 へ と 変 化 して き た こ
図4130年
間(1960→1990年)に
:1幟
大
お け る集落 の営 農分 化類 型
、
一
年
一+
、7集
落
〒t>:甕
5●
繍
親 断 分㈱
十:1990年
ー
の ス コア
碑++
・・++
一
ム
タ イ
プ 分
け に
よ る 説
明 率77'`%
十 十
1:i:∼
挙 ・携
ll二 紬郊
ア ー
巾'=II型
磯
会鉱
一
、 い+
・III型+、
・集落 警
・
ム
ムム
ム
ー2●
ムム
ム
騨#
・+++
十
十
,・
ム
一3●
。ム艶
・型
ム
_ム
ム ム
ー4●
ム
ニ
罐
ム
大
●lo電
-5-4-3-2
の そ れ が,
の 方 が 集 合 が 密 で あ り,
と も確 認 さ れ る の で あ る 。
一
上の
●
「
●1敬
巳1●1●1・801●
曾
,-10123456・7
第
■
主
成
分
〈
ス
コ
ア
〉樵懇謙 翻懸禽,
93・
●9●
しか し,各 集落 は ま った く他 と関係 な くバ ラバ ラ に変化 したの で はない 。 この30年 間の
変 化 を各 集落 ご とに た どって み た ところ,図
パ ター ンに分 類 で きる に至 った。 以下,そ
に示 した よ うにおお よそ1∼IVの4つ
の 変化
れぞ れの 変化 パ ター ンにつ いて解 説 を くわ え よ
う。
1型.第2主
成 分 ス コ アが 上昇 して い るので 多少 の兼 業 化 の進展 はみ られ る ものの,こ
こ30年 の 間,相 対 的 にみて農 業専 従 度 が最 も高 い。 一方,第1主
成 分 ス コア も1990年 時点
で最大 で あ り,し か も変 化 の幅 も大 き くな って い る。 つ ま りこの タイプ は,と
くに土地利
用型 の選択 的拡 大 す なわ ち露地 野菜 へ の転換 が 進 ん だ集落 群 とみ られ る。 この タイ プに は
18集 落 が含 まれ る。
H型
●第2主 成 分 ス コアが上 昇 し,や や兼業 化 が進 展す る と と もに,選 択 的拡大 度 も同
じく進展 してい る。 この類 型 は この 図か らで は判 断 しづ らい が,こ
年 の第3主
こ に属 す る集落 の1990
成分 ス コアが 高い こ とか ら,施 設 園芸型 の集 落群 と判 断で きる。 この タイプ に
は23集 落が含 まれ る。
田型
第2主
成分 ス コア に大 きな変化 が な く,農 業 専兼 分化 が ほ とん ど起 こ ってい ない
ところ に特徴 が あ る。 つ ま り古 くか らあ る程度 兼業 機会 が あっ たが,そ れ が あ ま り進展せ
ず に,農 業 面 での選 択 的拡 大 が進 んだ集 落群 で あ る。 選択 的拡 大 の方 向 と して は,1型
と
H型 の複合 と考 え られ る。 この タイプ に属 す る集落 は11集 落 とや や少 ない 。
IV型
第2主
成分 ス コアが大 き く上 昇 して お り,兼 業化 が相対 的 に最 も進 んだ集 落群 で
あ る。 同時 に,畑 作 穀 物
イモ類等 が ほ とん どな くなっ た現 状 を考 えれば,水
田が比 較 的
残 る集落 群 で あ る と もい え よ う。 こ こには17集 落 が分類 され る。
その他.1∼IVに
分類 で きなか った集落 が20集 落 あ る。1990年
ちの4集 落 は畜 産 の影 響 が大 き く,9集
1∼IV型
落 は漁業 か らの転 業 の影響 が あ る とみ られ る。
まで に分 類 され る集落 は合 計69集 落 であ り,タ イ プ分 け に よる説 明 率 は図 に も
示 した ように,77.5%で
4)1990年
あ る。
にお け る集 落 の営 農類 型 の分析
前 項 の分類 は,各 集 落 間の 差異 が拡 大 した後 の1990年
で,そ
の 数値 か らみ て,こ の う
の確 認 の た め に1990年
の状 態 をお もな基準 と してい るの
の みの デ ー タで 同様 に主成 分 分析 をお こな った 。先 の分析 と
同様 に算 出 した 因子 負荷 量 に よ り第3主 成 分 までの各 主成 分軸(表45)を
を くわ えたい.た
だ し,第3主
判 読 し,解 釈
成 分 まで で は数理 的 に必要 とされ る累積 寄 与率60%以
い う条件10)を満 た さないが,第4主
上 と
成 分 以下 の主 成分 軸 は判読 不 能 であ っ たの で,第3主
94
成
分 ま で の 判 読 に と ど め た 。 以 下 に,各
表4-51990年
主成 分 の判 読 結果 を略述 す る。
デ ー タ の 計 算 結 果(因
第1主
成分
子 負 荷 量 は ± 上 位6位
第2主
ま で)
成分
第3主
成分
固 有 値12.3730固
有 値5.9205固
有 値3.5324
寄 与 率30.180%寄
与 率14.440%寄
与 率8.610%
累 積 寄 与 率30.180%累
積 寄 与 率44.620%累
積 寄 与 率53,230%
因 子負 荷 量
因子負 荷 量
因子負 荷 量
2兼 農 家 率0.8961販
売1位
施 設 率0,8954販
売1位=畜 産 率0.7455
販 売50万
円 未 満 率0.8236施
設1戸
当 ガ ラ ス 室0.78781戸
農 就65歳
以 上 率0.7706経
面0.3∼1.OhaO.73721戸
当 家 畜 単 位0.6731
水 田 率0.7196田
畑 不 耕 作 地 率0.6952稲0.6131
経 面0.3ha未 満0.6991耕
作 放 棄 地 率0.5369水
稲0.6859施
設 農 家 率0.36351兼
販 売500万
円 以上 率
当 水 田 面 積0.7293
田 率0.5880
農 家 率0.4272
一
〇9346耕
地 利 用率
一
〇.9181離
農率
一
〇.4592
一
〇.9174野
菜類
・0.7292農
就65歳 以 上 率
・0.3746
専 従 者農 家 率
一
〇.8727経
面2.0∼3.Oha-0.5724花
卉 ・花 木 ・芝
一
〇.2687
1戸 当 畑 面 積
一
〇.84641戸
菜類
一
〇.2593
専業 農家 率
一
〇,8313経
面3.Oha以 上
一
〇.4060販200∼300万
基 幹/農
一
〇,7589施
設1戸
・0,28681戸
1戸 当 基 幹 従 者 数
第1主
就
成分
ス に 農 家1戸
プ ラ ス に 第2種
当畑面 積
一
〇.4276野
当 ハウス面 積
兼 業 農 家 率,65歳
あ た り基 幹 的 農 業 従 事 者 数,専
て,1960→90年
の 分 析 の 時 の 第2主
円率
当畑面 積
一
〇.2007
一
〇.1852
以 上 農 業 就 業 者 率 な ど が 現 わ れ.マ
イナ
業 農 家 率 な どが きて い る。 こ れ らか ら判 断 し
成 分 と 同 じ く,農
業 の 充 実 度 合(重
要 度 合)を
表 わす
「農 業 専 兼 分 化 度 」 の 主 成 分 と 解 釈 で き る 。
第2主
成 分.プ
ラ ス に 施 設 園 芸 関 係 の 指 標 が 現 わ れ,マ
が 現 わ れ て い る 。 よ っ て,こ
指 向 して い る か を表 わ す
る が,施
の 主 成 分 は お も に,施
設 園 芸 を指 向 して い る か 露 地 野 菜 作 を
「農 業 集 約 度 」 の 主 成 分 で あ る と 解 釈 で き る 。 や や 本 題 を は ず れ
設 園 芸 に お け る 集 約 度 の 高 さ と 不 耕 作 地 率.耕
ら れ る 。 こ の こ と は,施
イ ナ ス に は 露 地 野 菜 関係 の 指 標
作 放 棄 地 率 な どの 間 に正 相 関 が み
設 園芸 が 進 展 す る と地 域 資 源 の 有 効 利 用 との 間 に齪 飴 が 生 じる こ
と を如 実 に示 して い る 。
第3主
成 分
・プ ラ ス に は 畜 産 と 水 田 関 連 の 指 標 が 明 確 に 現 わ れ て い る 。 マ イ ナ ス の 変 数
か ら は 特 徴 を 見 出 し が た い が,プ
ラ ス の 変 数 か らみ て
「(水
田)畜
産 複 合 度 」 を表 わ す 主
成 分 と解 釈 で き よ う 。
以 上 の 分 析 を も と に,第1主
成 分,第2主
成 分 を 軸 と す る 平 面 上 に,各
一95
集落 の ス コア に
相 当す る点 を記 入 した ものが 図42で
あ る。 各集 落 を示 す 点 は,先 の分析 か ら導 出 され た
5分 類 にそ って 区 別 して あ る。そ して,同
た。 この図 か らと くに,H型
一分類 に属 す る集落 の 点 をお お よその 曲線 で囲 っ
の施 設 園芸特 化傾 向が 明確 に な り,田 型 が 露地 野菜 と施 設 園
芸の複合 型 で あ る こ と も確 認 で きる。 各 タイプの 特徴 につ いて は,図 の凡 例 に付 した とお
りで ある。
図421990年
にお け る集 落 の営 農類 型
難:㌦
含
置謙 鰹
5。
●●
'第4・
■III型
●●'緻 園芸+馳
畑 作型 ・専懲 の 変化 小
◆IV型
… 鱗 深鯉
の 他 一上 の4タ イ ブ に分類 で きな か った もの
●xそ
2●II型
主3....
ス
の
成2・
。
1・ ・
鴛
-2●
一
.瓶
▲ ムム ▲
二.1へ
μ
¢'.ノ
▲
ヨ ◆
♂ ○◆
◆楓,・
▲ 、x▲.'・'
鰍 戴__謡
専 業 度
4農
表4-6各
大
第
・ 主 成
分
コ ア
兼 業 度
大
業 地 域 の 分 化 過 程
類 型 に 属 す る 町 別 集 落 数
類 型1型(▲)H型(●)In型(圏)IV型(◆)そ
の 他(×)
田 原 町14(30.4)7(15.2)1(2,2)16(348)8(17
.3)
赤 羽 根 町0(0.0)6(85・7)0(0・0)0(0・0)1(14'3)
渥 美 町4(11.1)10(27.8>10(27.8)1(2.8)11(30.6)
合 計18(20.2)23(25・8)11(12・4)17(19'1)20(22●5)
注)%は
ス
各 町 ご と の 全 集 落 数 に お け る割 合 で あ る 。
・96・
前節 で5つ
に分 類 され た集落 を各 町 ご とに ま とめ たのが表46で
の分布 をみ る と.田 原 町 は 工型 とIV型 が,赤
あ る。 町 ご とに集 落数
羽根 町 はH型 が 多 く,渥 美 町はH型
と田型,
それ に 「その他 」 に属 す る集 落 も多 くな ってい る。
さ らに各 集 落 を地 図上 に実際 の位 置 で示 した ものが 図4-3で
少 し細 か な地 域 分布 が知 られ る。 まず,1型
にみ られ る。H型
あ る。 これ に よって,も
う
は 田原 町太平 洋側 お よび渥 美 町内海 側先端 部
は赤 羽根 町か ら渥 美 町太平 洋側 を中心 に分布 し,田 型 は渥 美 町内 海側 に
点在す る。そ してIV型 は,田 原町 の 内海側 に集 中 して い る。 「その他 」 は散 在 してい るが,
渥美 町 内海側 にみ られ る 「そ の他」 集 落 の多 くは,漁 業 か らの転 業 の影響 を受 けた集落 群
であ る と思 わ れ る.
鷺 総 滋欝 籠欝 地
図_匙
●n型
・・ 施 設 園 芸 型,や
琴 耀::難
×
鷺
その 他
露地畑催
・・上 の4タ
専徹 の変化小
・
・タ自・
イ プに分類 で きなか っ た集落
蘭
!船,窺
く.獅
へ
櫓轡
田一評
縞.三河
\ …耀
.{。
、論
・'吉
.中 噸
中山西山
田
…x山
臓
舐
町
。
。
曙メ 冨
_∫
田F∫
渥 興 町
・
崩
...堀
ノ.赤
・
瀕
メ
ノ
▲亀山
伊良瀕
切
ゾ
や 兼業 化 が進 行
瓢
・
詞
一一.
鴎 黒雛滲
熔 誓
融噸
岬 南
町
赤 羽 根 町}・'
ヅ
東・
赤西
著見
● 噛 ●・論
土慧 州 灘
、太 平 洋,
日出
もう一 度,図41に
戻 ろ う。1960年
時点 で の集落 の ば らつ きが少 ない こ とはす で に述 べ
た。 と くに 田型 とIV型 は重 な り部 分 も大 き く,基 本法 農政 下 にお け る変貌 前 に は,営 農状
況 に大 きな違い は なか った と考 え られ る1D。 ところが,高 度経 済 成長 期 に おけ る豊橋 市等
の労働 力 需要 の高 ま りや 田原 町 内へ の企 業進 出 な どに よって,そ れ らへ の通勤 に便 利 な 田
原 町内 の内 海側 集 落,す
なわ ちIV型 の 集落 群 は大 き く兼 業化 に傾 斜 す る ようにな る・ もち
97一
うん市 街地 化 の影 響 に よる農地 転用 圧 力 もあった で あろ う。 また,こ
の地 域 に もと もと水
田主体の 集落 が多 か った こ とも12),兼 業化 を容 易 に した と考 え られ る。
一方 ,通 勤 とい う点 で は条件 の劣 る渥 美町 内海側 の集落 群 は,衰 退 す る漁業 か らの転 身
組 も巻 き込 み なが ら,補 助 事 業 な ども利用 して,半
島内 で もと くにバ ラエ テ ィに富 んだ農
業地域 を作 り出 した。 そ の意 味 で,各 農業 者 の 主体 的努力 も大 きか った地 域 で あ る と思 わ
れる。 これ ら皿型 とIV型 を中心 とす る集落群 は町境 でか な り明確 に分 か れ てお り,立 地上
の違い もさる こ となが ら,地 元 自治体,あ
るい はそれ と範 囲 と同 じ くす る農協 な どの方針
が農業 地域 分化 に及 ぼす影 響力 の 大 きさ をあ らた めて 感 じさせ られ るので あ る。
これ らに対 して 太平 洋 側 の地域 は,か つ て は農業専 業率 の高 い 地域 で あ ったが,や
や兼
業化 が進展 しつつ 施 設 園芸 に特 化す る集落群 と,露 地野菜 に力 を入 れ る集 落群 に はっ き り
と分 化 した 。 この違 い が現 れ る最 も大 きな要 因 は,土 地 条件 の差 で あ る。次 章 にお いて赤
羽根 町 内 を例 に して も論 じるが,太 平 洋側 の地 域 にお いて は,東
にい くほ ど耕地 が 開 けて
お り,西 の半 島先端 部へ い くほ ど耕地 適 地 は限 られ る。 したが って,東
の露地 野菜 が,西
部 には土 地利 用型
部 には土 地 節約 型 の施 設 園芸 が発 展 したので ある。 もっ と もこの 分化 は,
1960年 時点 で もあ る程 度 明確 で あ り,赤 羽根 町か ら渥美 町太 平 洋側 の一 体 は,豊 川用水 通
水 前か らす で に施 設 園芸 に関す る技術 を蓄積 してい たの であ る13)。
また,土 地 条件 の差 異 は漸 次 的で あ り,田 原 町 と赤 羽根 町 の町境 の両 側 で大 き く異 なる
もの では ない 。 したが って,こ
の1型
とH型 の集 落群 もまた,各
町の対 応 に よって 影響 を
受 けてい る とい え よ う。
5.お
わ りに
以上,日
本 有数 の 農業 地域 で あ る渥美 半 島地域 を対 象 と して,1960年
以 降 にお け る農業
地域 の分 化過 程 をみて きた。地域 分化 の要 因につ いて はす でに前 節 にお い て考察 したの で,
ここで はそ こか ら示 唆 され る点 を,次 章で扱 う施設 園芸 地域 を意識 しつ つ考 察 したい 。
渥美 半 島 農業 の この30年 間 の変 化 は,大
き くみ れば,条 件 不利 地域 か ら一 大農 業地 域へ
の変化 と して捉 え られ よ う。慢 性 的 な水 不 足 に悩 むか つ ての条件 不利 地 域 が,用 水 の通水
や補助 事 業 の導入 な どに よって,畑 作.施
設 園芸 を中心 とす る大 農業 地 域へ と変貌 したの
で ある。
そ の結果,ほ
とん どの地域 にお い て作 目の転 換 が お こな われ,場 合 に よって は生業 の転
換 す らお こな われ た。作 目の転換 は具 体 的 には,畑 作 にお け る穀類 か ら野 菜へ の転換 や,
98
水 田 か ら畑 作 へ の 転 換,畜
産 の 導 入 な ど で あ り,生
業 の 転 換 は 漁 業 あ るい は 半 農 半 漁 状 態
か ら農 業 専 業 へ の 転 換 で あ る 。
しか し な ぜ,こ
う した 大 転 換 が 成 功 し た の だ ろ う か 。
こ れ に つ い て,農
業 者 の 主 体 的 側 面 か ら み て 示 唆 さ れ る こ と は,こ
心 の 地 域 で は な か っ た,し
の地域 が水 田農業 中
た が っ て 農 業 者 の 社 会 が そ れ ほ ど水 田 社 会 的 で な か っ た と い う
点 で あ る 。 水 田 社 会 の 特 徴 を 共 同 規 制 の 強 さ と考 え る と,そ
う し た 規 制 が 弱 い 分 だ け,新
し い も の へ の 転 換 が 容 易 な の で は な い か と思 わ れ る か ら で あ る 。 そ の 意 味 で,結
局 兼業 化
へ 向 か う 地 域 が 水 田 中 心 で あ っ た こ と も ,立
唆的 なの
地 的 要 因 が 大 き か っ た と は い え,示
で ある。
つ ま り こ れ は 非 稲 作 社 会 の 可 能 性 と も い う べ き課 題 で あ る 。 次 章 で は,施
あ る 赤 羽 根 町 を 対 象 に し,そ
設 園芸 地 域 で
こ に お け る農 業 者 の 人 間 関 係 を み て い く。 施 設 園 芸 は 開始 時
に ま と ま っ た 投 資 の 必 要 な 部 門 で あ り,そ
れ ゆ え に ま ず 開 始 時 に 決 断 力 を 要 す る 。 ま た,
施 設 で つ く る 作 物 の 変 化 も 大 き い 。 つ ま り,経
し い 。 そ う し た 状 況 に 対 し て,赤
営 環 境 は稲 作 に 比 べ る と不 安 定 で 変 動 が 激
羽 根 町 の 農 業 者 た ち は どの よ う な 人 間 関 係 を形 成 しなが
ら対 応 して き た の か 。 そ の 分 析 の な か か ら.こ
れ まで 主 流 を 占 め た水 田 社 会 的 農 村 認 識
あ る い は水 田 社 会 的 農 業 者 認 識 を再 考 す る た め の 手 が か りを探 りた い と思 う。
注
1)農 林 漁業 基 本 問題 調査 事 務 局 『
農 業の 基本 問 題 と基 本対 策
2)柏 祐 賢 「
戦 後 農政 の 理念 と現実 」柏 祐 賢
年.PP.8-10な
解 説版 』農 林統 計協会,1960年.P.2。
坂 本慶 一 編著 『
戦 後農 政の再 検討 」 ミネ ル ヴ ァ書 房,1978
どを参照 。
3)前 掲 『農業 の基 本 問 題 と基 本対 策
解 説 版』,P.85。
4)『 同上書 』,P36。
5)選 択 的拡 大 政 策 の破 行 的側 面 につ い て は,柏
6)牧 野 由朗 「第1章
・坂 本編 著 『
前掲 書 』,PP,133-174が
豊川 用 水 の 開通 と渥 美 農業
問 題提 起 的 であ る。
農 村 の変 容 」 『
豊川 用水 の 開通 と渥 美 農業
農 村 の変
容 』 愛知 大 学綜 合 郷 土研 究所 紀 要,1984年.P.3。
7)主 成 分分 析 に よる農 業地 域 の類 型 化 を試 み た もの と して は,山 田三郎 「ア ジア諸 国 の農 業特性 と農 業地
域 類 型」 『
農 業経 済研 究』 第47巻 第1号,1975年
1988年,PP.23-51な
8)小 川 智士
や,長 谷 山俊郎 『
地 域 農業 展 開の論 理 』 明文書 房,
どがあ る。
伊 藤 鎗市 「
渥 美 の農 業(一)」
「
農林 統 計 調査 』,1963年5月
号,p33。
9)主 成 分分 析 法 の詳細 につ いて は,奥 野忠 一 他 『
多変量 解析 法 」 日科技 連 出版 社,1971年,pp.15g-257,
あ るい は田 中豊
脇 本和 昌 『多変 量統 計 解析 法 』現 代 数学 社,1983年,PP.53-97な
ど を参 照 され た い。
また,具 体 的 な計 算 につ い て は,計 量 経 済分 析 用 アプ リケ ー シ ョン ソフ ト 「
マ イク ロAGNESSVer.3」
99
の 主 成 分 分 析 プ ロ グ ラ ム を 使 用 し た 。 な お こ の プ ロ グ ラ ム に お い て は,変
量 は 平 均 値0,標
準 偏 差1に
標 準 化 さ れ て い る 。 稲 葉 弘 通 『パ ソ コ ン に よ る 計 量 分 析 一 経 済 分 析 の た め の マ イ ク ロAGNESS-』
統 計 協 会,1987年
農林
を参照 。
10)奥 野 他 『前 掲 書 』,P.1g4。
11)1960年
の み の22個 の 変 数 に つ い て 主 成 分 分 析 を お こ な い,1960→90年,1990年
1主 成 分 と第2主
30.7%,第2主
の 場 合 と 同様 に,第
成 分 を 両 軸 とす る グ ラ フ を 作 成 す る と下 図 の よ う に な る(寄
成 分:17.4%,因
与 率 は,第1主
成 分:
子 負 荷 量 に つ い て は 省 略)。
↑
畑
△
△5
4
第
3◇
△
2△
△。
義
。2。9ロ
論
分o(ム
ス
ー8-64・
藻
弓
㌔
● ・。 ◇ぷ
.●
亀2曽
コ
ち●
・◇
《
》
● 諄46
ア
ム
△
、型
・
水 田On型
↓
一
専業 度 大
・ △
口 皿型.
◇Iv型
● その他
こ こ か ら 皿型 とIV型 の 違 い は,m型
。-2●
。♂3◇
。
馬
。。
詑
◇
一4
一5
第1王、成 分 ス コ ァ
兼業 度 大 →
の 方 が や や 兼 業 化 の 程 度 が 弱 く,畑 地 を主 体 とす る 点 に あ る。
12)前 注 を参 照 。
13)こ れ に 関 して は,渡
農 村 の 変 容 』(前
辺正
「第2章
掲),P.18-48な
施 設 園 芸 農 業 の 展 開 と村 落 の 変 容 」 「豊 川 用 水 の 開 通 と渥 美 農 業
ど を参 照 。
・100・
第5章
施 設 園芸 発展 地域 にお け る社 会 的組織 原理
前 章で 考察 した 渥美 半 島地 域 の うち,施 設 園芸 へ の 特化 が み られる赤 羽根 町 をお もな対象 と し,産 地
発展 を支 えた 人間 関係 につ いて 考察 す る。 赤 羽根 町 は かつ て は半 農 半漁 の寒 村 であ り.そ れゆ えに一般
的 な稲 作 社 会 とは異 な る文化 的伝 統 を持 っ てい る。 本 章 で はそ れ を組 織 原理 とい う概 念 か ら捉 える。具
体 的 にはつ きあ い関 係 に注 目す る こ とに よって,そ う した原 理 に基 づ く組織 を明 らか に し,施 設 園芸発
展 と ともにそ の組 織 が どの ような形 で現 れ,ど の よう な機能 を果 た してい るの か を考察 す る。
1産
地 組 織 と文 化
戦 後 日 本 農 業 の 発 展 を 考 え る 場 合,個
別 の 農 業 経 営 体(者)と
と も に,産
地 と呼 ば れ る
地 域 的 経 営 体(者)集
団 が 大 き な 役 割 を果 た し て き た こ と は,周
知 の と お りで あ る 。 公 的
な 定 義 に よ る と,こ
こ で い う 産 地 と は 主 産 地 の こ と で あ っ て,「
特 定 の 作 目を き わ め て大
量 に 生 産 し,一
定 時 期 に 多 量 に 出 荷 し,市
場 価 格 に 大 き く影 響 を 及 ぼ す 」 市 町 村 を基 本 的
範 域 と す る 生 産 地 を さ す1)。
こ れ ま で こ の 産 地 を め ぐ っ て,農
業 経 営 学,農
業 地 理 学 な どの 分 野 で 多 く の 業 績 が 積 み
重 ね ら れ て き た2)。 そ の な か で 農 業 経 営 学 に お け る 産 地 の 捉 え 方 の 特 徴 は,産
さ れ た も の と見 な す と こ ろ に あ る 。 た と え ば,浅
だ け 」 で な く,「
地 を組 織 化
見 淳 之 は 「経 営 が 地 域 的 に 集 ま っ て い る
計 画 的 に 組 織 を 形 成 し」3》て い る 産 地 を 対 象 と し,内
基 礎 と しつ つ 組 織 と し て の 産 地 を 論 じ る 。 ま た,産
部 組織 の経済 学 を
地 と い う用 語 は 強 調 さ れ て い な い が,
高 橋 正 郎 も 組 織 論 を 農 業 経 営 学 に 先 駆 的 に 導 入 す る な か で,実
質 的 に は 組 織 と して の 産 地
を論 じ て い る4)。
しか し,組
織 と し て の 産 地 に 対 す る 農 業 経 営 学 の 主 要 関 心 は,産
境 の な か で,生
産 組 織 や 販 売 組 織,さ
う な 機 能 を も ち,ど
ゆ え に,通
ら に は 農 業 関 連 組 織(農
地 を 取 り巻 く経 済 的 環
協,自
治 体 な ど)が
どの よ
の よ う な 動 き を示 す か を 明 ら か に す る と こ ろ に あ る と い え よ う 。 そ れ
常 は そ う し た 組 織 に 付 随 す る 経 済 的 機 能 以 外 の 諸 側 面,す
な わ ち経 済 的 組 織 を
支 え る 文 化 的 側 面 に ま で 踏 み 込 む こ と を し な い5)。
本 章 で 扱 い た い の は,こ
う した 産 地 組 織 の 文 化 的 側 面 で あ る。 こ れ は産 地 組 織 を支 え る
個 性 的 秩 序 と い い か え て も よ い 。 文 化 的 側 面 を 取 り あ げ る 意 図 は,近
年 の企 業組織 研 究 に
お け る 組 織 文 化 へ の 着 目 に 通 底 す る 。 組 織 文 化 研 究 の 第 一 人 者 で あ るEHシ
文 化 を,「
ャ イ ンは
あ る 特 定 の グ ル ー プ が 外 部 へ の 適 応 や 内 部 統 合 の 問 題 に 対 処 す る 際 に 学 習 し た,
101
グループ 自身 に よっ て,創
られ,発 見 され,ま
た は,発 展 させ られ た基 本 的過 程 のパ ター
ン」6)と定 義 し,そ れ は ひ とた び形 成 される と 「環境 の何 を知覚 し,環 境 を どう認識 す る
か に影響 を及 ぼす 」7}と い う。つ ま り,文 化 とは組 織構 成員 の知 覚 や認識 に まで 影響 を及
ぼす ほ ど根 底 的 な もの を さす 。 しか し同時 にシ ャイ ンは,企 業経 営 の新展 開の ため に,そ
の文化 を分析 し,場 合 に よって は変 える こ とを も学 ば ね ばな らない.と い う8)。 そ の ため
には,根 底 的で あ るが ゆ えに,ま ず そ の文化 なる もの を明示 し,構 成員 に認 知 させ る こ と
が必 要 とな ろ う。
これ を本 章 の課 題 にあて はめ て い う と,産 地組織 を構 成 す る人 々の知 覚 や認識 の レベ ル
に まで さか のぼ り,そ こに働 く基本 的 パ ター ンを明示 す る こ とに よって,文 化 レベ ルで の
変 革 を起 こす 糸 口 を探 る とい うこ とに なる。 この 目的 に接 近 す る ため に,こ こで は組 織 原
理 とい う概念 を用 い たい。 組織 原 理 とい う用 語 は定 義 な く用 い られ る場合 もおお いが,こ
こで は東南 アジ ア社 会研 究 者 で あ る前 田成 文 の定義 に依拠 す る。
前田 は まず,組
織 とい う語 を 「集合 体 の形 成あ るい は形 成過 程」9)と 過程 論 的 に捉 える。
形成過 程 とは具 体 的 な組 織 の歴 史 的形成 過程 をい うので は な く,組 織 の動 的側面 を捉 える
とい う意 味で あ る。 そ して,そ
の過 程 にお いて 「人 間関係 の流 れ の 中で 自然 発生 的 にでて
くる秩 序」10)を組 織 原理 と規定 し,東 南 アジ アの生 活世界 に見 られ る組 織現 象 を考察 す る。
したが って組 織 原理 を分析 枠組 み とす る本 章 の課題 は,産 地 組織 の動 的過 程 に注 目 し,
そ こ に働 く自然 発 生 的,す
な わち 自明 的秩 序 を明 らか にす る こ とに ある。 そ う した組織 原
理の追究 は当然 なが ら,歴 史 的分析 を要請 す る こ とになる。産地組 織 その もの は,そ の 時 々
の経 済 的要請 か ら生 まれ る と して も,そ れ を組織 化 す る原 理 はそ の 時 に存在 し,そ れゆ え
に過 去 の遺産 で あ る もの に依 拠 せ ざる をえない か らで ある。 その 意味 で,本 章 は組織 原理
か らみ た産地 の社 会 史 とい って もよい 。
ところで,一 般 に産 地 と呼 ば れ る地 域 の特徴 は生 業面 で の 同質性 に あ る。戦 後 農業 の変
貌 の なかで,産
地 の農 家 は全層 的 に特 定 の作 目に特 化 した 。す な わち産 地 は,日 本 の大 多
数 の農家 が兼 業 化 を志 向す る なかで,生
産の場 と生 活 の場 の一致 が保 たれ て きた地域 なの
で あ る。 したが って,対 象 と しての産 地社 会 には,作
目変化 に応 じた組 織原 理 の働 きや変
化 を,そ の よ うなあ る一 定の 条件 下 にお い て把 握 す る こ とが で きる とい う利 点 が ある。 こ
の 関心 は,た
とえば特 定 の組織 原 理 は特 定 の経 済 的基 盤 に対 応 す るの か1b,な
どの社 会変
動 に関す る根 源 的 問 いか け につ なが る。本 章 の みの事 例 か らこの 問い に対 す る明確 な回答
を導 き出す の は困 難 で あるが,こ
う した 問 い も また序 章 で示 した 農業社 会 学 の領 域 にあ る
102・
ことを確 認 して お きたい 。
具体 的 に産地 の組 織 原理 を捉 える方法 と して は,生 産 出荷組 織 な どの明確 な組 織 的集合
体 を対象 とす る よ りもむ しろ,よ
り生 活 に近 く,よ
りイ ンフ ォーマ ルな農業 経営 者 た ちの
つ きあい 関係 に着 目 したい 。つ きあい 関係 を,経 済 的
機 能 的側 面 と慣 習 的 ・生活 的側 面
の媒介 とみ る こ とについ て は,す
におい て述 べ た とお りで あ る。 生
で に序 章 お よび第1章
活 面 を も視 野 に含 め る こ とに よって,よ
る。 また,実 態把 握 にあ た って は,ア
り自然 発 生 的 な秩 序 に接 近 で きる とい う意 義 もあ
ンケ ー ト調査結 果 お よび個 別 の聞 き取 り結果 を利 用
す る。
2.調
査 地域 の概 況
1)産
地発展 と集 落 の特徴
お もな対象 地域 は愛知 県 渥美 郡 赤羽 根 町で あ る。基本 法 農政 下 にお け る赤 羽根 町農業 の
変 貌 につい て は,す で に前 章 に おい て,渥 美 半 島全域 を論 じる なかで その趨 勢 を示 した。
ここで は.後 の議 論 と関係 す るか ぎ りで,赤
羽根 町 の生業 全般 の変 化 を手短 か に追 ってお
きたい 。
戦後 か ら現 在 までの赤 羽根 町農 業 の変遷 は。大 き くい う と 「半農 半漁 」 的生活 か ら専 業
的農業へ の 変化 で あ った。
敗戦 直後 までの 漁業の 中心 的形 態 は地曵網 漁 であっ た。資料12)による と,1949(昭
年 には町内 に29統 の地 曳 き網 の組 が あ り,約750人
和24)
の従事 者 が あった。 同年 の総 世帯 数 は
1,424戸 で あ り,し か も網 組 へ の参加 は1世 帯 か ら1人 とい う場合 が 多か った との こ となの
で13),町 内 の おお よそ半 数以上 の世帯 が 漁業 とつ なが りを もって いた と考 え られ る(後 掲
表5-4参
照)。
その 後漁 業 は.沿 岸船 曵 網へ の転換 の 努力 もあ ったが,魚 族 の 減少 と他 地方漁 業者 に よ
る沖取 りとが重 な り,昭 和20年 代 の 半 ば を ピー ク に して衰 退 して くる。 そ れ に代 わる もの
は,結 局 の ところ温 室等 に よる施 設 園芸 だ った が,皆 が い っせ い に漁業 か ら施設 園芸 へ の
切 り替 えをお こなっ たわ けで ない。
赤 羽根 町 は,越 戸,若
見,池
尻,赤
西,赤
中,赤 東,高
松 の7つ
の集落 か らな り,こ れ
らが太平 洋岸 沿 い に西 か ら東 へ と並 ぶ配 置 に なって い る。 そ して,概
地が少 な く,東 にい くほ ど農 地 が多 くなってい る(表5-1)。
越戸 や若 見 な どの,農
こう した なか で温 室栽培 は,
地 の少 ない 西 部地 区 か ら広 が った(表52)。
103
して西 にい ぐほ ど農
そ れ らの地 区で はす
で に 戦 前 か ら 温 室 が 導 入 さ れ て い た が,戦
り な ど で そ れ ほ ど増 え ず,急
中 や 戦 後 直 後 は 資 金 や 資 材 の 不 足,需
激 に 増 加 す る の は 昭 和20年
速 に 衰 え る 沿 岸 漁 業 と い う プ ッ シ ュ 要 因 に 加 え て,当
要 の にぶ
代 の後半 で あ る。そ の背景 には急
時 の 農 協(赤
羽 根 農 協)に
よる資金
融 資 の 拡 大 とい うプ ル 要 因 もあ っ た とい う。
表5-1各
集 落 の 耕 地 条 件(1990年)表5-2集
落 別 施設 園芸 農家 率 の推移
集落 名 農家1戸 あ た り耕 地 面積1960年1970年1980年1990年
(経営耕 地:a)
(%)(%)(%)(%)
.797.491.398.6
越戸53・8越
戸74
若見65.8若
見52
.790497・198・7
池尻78・0池
尻35
.275.988.395.6
赤西98.1赤
西17
赤 中98.1赤
中
.268,481・386・3
一70
.876・586・0
赤東118.9赤
東6
.276.974・876・0
高松114.6高
松17
.363.878・988・1
注)農 林業 セ ンサ ス よ り。
注)農 林 業セ ンサ ス よ り。1960年 赤 中 は,資 料 に よる と
94.9%と な るが,き わめ て疑 わ しい ので 非表示 と した。
また,1990年
そ れ に 対 し て,比
は販 売 農家 の み にお け る比 率 を表 わす 。
較 的 農 地 の 豊 富 な 町 東 部 の 地 区 は,と
で 漁 業 の 衰 退 に 対 処 し よ う と し た 。 そ の 結 果,1960年
りあ えず 畑 作 に力 を入 れ る こ と
の 農 業 セ ンサ ス に よ る と,当
時 の赤
羽 根 村 で は 実 に 多 種 多 様 な 作 物 が 作 ら れ て い た こ と が わ か る 。 水 田 は 全 経 営 耕 地 面 積 の39
%に す ぎ ず,の
こ りの6割
イ カ な ど の 野 菜 類,ら
は メ ロ ン や キ ク,ト
以 上 を 占 め る 畑 地 に 麦,さ
っ か せ い.た
つ ま い も,各
種 豆 類,キ
ャ ベ ッ,ス
ば こ な ど が 栽 培 さ れ て い た 。 や や 増 加 して き た 温 室 で
マ トな ど が 作 ら れ て い た が,ま
だ 花 卉 につ い て は温 室 栽 培 よ り も露 地
栽培 の 方が 多 か った。
こ の 状 況 を 一 変 さ せ た の は,1968(昭
和43)年
温 室 経 営 が 伸 び 悩 ん だ 大 き な 理 由 の ひ と つ は,用
施 設 の 発 展 を 施 設 別 面 積 の 推 移 で み る と(図51),ま
の豊川 用水 の完 成 で あっ た。そ れ までの
水 の不 足 に あ っ た か らで あ る。 通水 後 の
ず ビ ニ ー ルハ ウ ス や パ イ プ ハ ウス
な ど の 比 較 的 簡 便 で 多 額 の 資 金 を 必 要 と し な い 施 設 が 爆 発 的 に 増 加 す る 。 こ の 背 景 に は,
1970(昭
和45)年
以 降 の 減 反 政 策 が あ り,そ
ら れ た 。 そ の 後,1970年
面 積 が 増 加 す る 。 ま た,こ
れ を 機 会 に 多 くの 水 田 が 施 設 用 地 に 振 り向 け
代 後 半 を 中 心 とす る 温 室 団 地 の 建 設 に よ っ て,ガ
ラス 室 等 の 温 室
の 時 期 に は 畜 産 関 係 の 大 規 模 多 頭 飼 育 農 家 も現 わ れ る 。
104一
図51種
類 別 施 設 面 積 の 推 移(赤
15000■
◎
目室
羽 根 町)
力・一 室
^10000
ε
樫5000
0
「)「
〕L「
〕
ド)寸r〕
⊂ハ
⊂h⊂h⊂hOh〔
「 〕o「
旧
〕o『)⊂
卜
α⊃
ハ
〔抑
卜
ハ
α⊃
ハ
α⊃
⊂n⊂
年次
注)『 赤 羽根 町 農業 要 覧 平 成3年3月 』,PP.17-18よ
温 室 団 地 建 設 の 時 の 中 心 的 な 作 型 は.ト
り作 成 。
マ トーメ ロ ン,キ
ク ー メ ロ ン,あ
マ ト ー メ ロ ン な ど で あ っ た 。 しか しそ の 後 し だ い に キ ク に 重 心 が 傾 き,メ
減 少 傾 向 に あ る 。1975(昭
の15年
の 問 に,メ
い る 。 一 方.施
し て91%に
設花 卉
和50)年
成2)年
ロ ン を 含 む 施 設 野 菜 の 面 積 は60%に
設花 卉
花 木 類 は,面
積 で150%近
な っ た 。 した が っ て 栽 培 農 家1戸
成2)年
の 比 率 は85%で
現 在,総
(平 成2)年
て い る が,そ
と っ て,施
農 家 戸 数863戸
あ る 。 集 落 別 に み る と,耕
る 集 落 の 施 設 農 家 率 が,や
の 農 業 セ ンサ ス を 比 較 す る と,こ
減 少 し,栽
培 農 家 数 は73%に
く に ま で 増 加 し,栽
あ た りで み て も,施
滅 って
培 農家数 はやや減 少
設 野 菜 面 積 は 縮 小 し,施
の う ち 施 設 の あ る 農 家 戸 数 は737戸
地 面 積 の 狭 い 越 戸,若
見 な ど,町
は り現 在 に お い て も 高 く な っ て い る(表52)。
度 の 農 協 取 扱 い 販 売 額14)を み る と,施
の う ち キ ク の 販 売 額 が55%を
で あ り,そ
の西 に位置 す
ま た,1990
設 園 芸 に よ る 作 目 の 販 売 額 が78%を
占め
占 め る 。 農 業 以 外 に さ した る 産 業 の な い 当 町 に
設 園 芸 ひ い て は 施 設 ギ ク 栽 培 は,現
在 に お い て 生 業 の 柱 と い え よ う 。 し か し近
ク 以 外 の 切 花 や 観 葉 鉢 物 を 選 択 す る 農 家 も で て き て い る 。 こ こ 数 年 来,総
に 大 き な 変 化 は な い が,作
施設 面積
目 的 に は 多 様 化 の き ざ し が み ら れ る と い っ て よ い 。 す な わ ち,
施 設 園 芸 産 地 と し て の 発 展 経 過 を ふ ま え て い え ば,現
拡大
ロ ン や トマ トは
花 木 類 の 面 積 は拡 大 した こ と に な る 。
1990(平
年,キ
と1990(平
るい は キ ク ー ト
充 実 が 重 要 で あ っ た 時 代 か ら,そ
在 は,経
営 発展 に とって施設 の規 模
の 施 設 で 何 を ど の よ う に 作 る か とい う,栽
や 経 営 才 覚 に よ る 勝 負 へ と 移 り つ つ あ る と規 定 で き よ う 。
105
培技 術
2)2つ
の ア ンケ ー ト調査 の概 要
本章 で利 用す る2つ
の ア ンケー トの うち,中 心 とな るの は赤 羽根 町農協組 合 員,正 確 に
は組合 員農 家 の経 営 主 を対象 に,1991年11月
略記)で
に実施 した ア ンケ ー ト(以 後[赤
羽根91]と
あ る。 こ の ア ンケ ー トの 配付 回収 につ い て は,具 体 的 な対 象者 を も含 め て全面 的
に赤 羽根 町農協 に委 託 す るか た ち とな った。
回答数 は739で あ る。 農協 側へ 全 面委 託 の ため配付 数 は不 明 で あるが,当
該農協 の話 に よ
る と,組 合員 の う ち 「農家 ら しい農 家」 に配付 した との こ とで あ る。 ち なみ に1990(平
2)年 の 農業 セ ンサ ス による と,赤 羽 根 町の総 農 家数 は863戸.う
てい る。 この販売 農 家820戸 を母数 にす る と,回 収率 は90.1%と
ち販 売 農家 が820戸
成
とな っ
なる。な お正組合 員世 帯 は,
1993年 時 点 で1,006戸15)あ り,「 農家 ら しい 農家」 で あって,組 合 員 で ない もの は皆無 と
い って よい.
いま ひ とつ補 助 的 に用 い るア ンケー トは,赤 羽根 町若見 集 落 と渥 美 町西 山集 落 につ いて,
農家 の18歳 以上 男 女 全員 を対 象 に1992年11月
と略記)。
に実施 した もの で ある(以 後[若 見 西 山92]
この ア ンケ ー トは,田 原 農業改 良普及所 の協 力 の もとに各 集落 の 区長 を通 じて
実施 され た。対 象 はや は り 「農家 ら しい農家 」 で あ るが,そ の判 断 は区長 に任 され たため,
この ア ンケ ー トもまた正確 な配付 数 は不 明 で ある。
回収 数 は若見438,西
山274で ある。 ち なみ に1990年 セ ンサ ス に よるそれ ぞれ の集落 の
16歳 以 上 の販売 農 家 人 口 は若 見656人,西
若見67%,西
山76%と
山362人 で あ り,こ れ らを母 数 にす る と回答 率 は
なる。
西 山集落 は この付 近 で は唯一 の戦 後 の 開拓 集落 であ る。 町内近 傍 か らの入植者 は3分 の
1程 度 で あ り,残
りは名 古屋 周 辺 や富 山 な どか らの 入植 者 が 占め る。 また,作
菜 中心 で あ る。 これ らの点 で西 山は,古
目は露地 野
くか らの慣 習が 存続 し,施 設 園芸 中心 で あ る若 見
とは,対 照 的 な性 格 を もつ 集落 となって い る。
3.施
設 園芸発 展 以前 の社会 と慣 習
本節 で は,施 設 園芸 産地 の組 織 原理 を考 える前段 と して,そ れ以 前 の生業 形態,つ
まり
漁業 を中心 と した社 会 にお け る組 織 原理 につい て考察 して お きたい。先 に も述 べ た ように,
組織原 理 に注 目す る ばあ い,施 設 園芸 産 地 と して の発展 は,そ
れ以前 の生業 形態 にお ける
組 織原 理 を歴 史 的前 提 条件 とす る こ とに よっての み展 開 しうる と考 え られ るか らで あ る。
赤羽 根 町 の海岸 沿い は太 平 洋 に面 す る砂 浜が続 き,従 来 は港 ら しい港 ので きない地形 で
106・
あ っ た 。 漁 業 形 態 が 古 くか ら地 曵 網 中 心 で あ っ た の は こ の 理 由 に よ る 。 他 地 域 漁 業 者 に よ
る 沖 取 りの 問 題 は す で に 近 世 中 期 よ り 文 書 に 現 わ れ る が,近
す 顕 著 に な る 。 し か し,第
業 者 が 減 少 し,敗
代 に入 る とその傾 向 は ます ま
二 次 大 戦 中 に 大 型 船 の 徴 用 や 漁 民 の 応 召 な ど に よ り,沖
戦 直 後 ま で の 短 い 期 間 で は あ る が,一
取 り漁
時地 曵網 の豊 漁期 間が あ った とい
う16)。
以 上 を背 景 と しつ つ,1951(昭
和26)年
の 資 料17)に よ っ て,当
業 従 事 者 数 と そ の 年 齢 構 成 を み て み よ う(表5-3)。
よ る 違 い が あ る か も しれ な い が18),ま
る と,60%あ
ず,先
時の赤 羽 根村 にお ける漁
資 料 の 出 所 が 異 な る の で,調
に 述 べ た1949(昭
ま り に 減 少 し て い る こ と が わ か る 。 す で に,地
和24)年
べ方に
の 従 事 者 数 と比 べ
曵網 漁 は衰 退傾 向 にあっ たの
で あ る。
表53年
齢 別 漁 業 従 事 者 数(1951(昭
年齢 階級
漁 業従 事者 数(人)構
和26)年
赤 羽 根 村)
成比(%)
17∼20歳7516.2
21∼30歳209452
31∼40歳9219.9
41∼50歳56121
5!∼60歳2452
61∼65歳613
合 計4621000
注)本 文注19参 照 。
年 齢 構 成 は,40歳
以 下 で8割
以 上 を 占 め て お り,30歳
以 下 の 青 年 層 だ け で も6割
て い る 。 つ ま り 当 時 の 漁 業 は 青 年 層 を 労 力 の 中 心 と し て い た 。 ま た,家
と,世
帯 主 と長 男 が 多 い 。 し か も,先
に も述 べ た よ う に,一
漁 業 に 従 事 す る こ と は ま れ で あ る 。 つ ま り,各
と,自
分 は そ の 網 組 か ら 引 退 し,農
表54は.そ
越 戸,池
族 内 の地位 で み る
家 か ら世 帯 主 と長 男 の 両 方 が
家 の 青 年 層 に あ た る 男 性 が,い
代 表 し て 網 組 に 参 加 し た の で あ る19)。 そ の 世 代 の 父 親 は,息
に達 し
わば一家 を
子 が 網 組 に は い る年 齢 に な る
業 な ど に従 事 した とい う。 生 業 の 世 代 間 分 業 で あ る。
の 当 時 の 漁 業 の 重 要 度 を集 落 別 に み よ う と し た も の で あ る 。 こ れ に よ る と,
尻 な ど 町 西 部 の 集 落 に お い て や や 漁 業 従 事 者 率 が 高 く な っ て い る が,施
展 に お け る 当 時 の 不 均 衡(表5-2,1960年
欄 参 照)に
え よ う。
107
比 べ る と,町
設 園芸 発
内 の 差 異 は 小 さい とい
表54集
落 別 漁 業 従 事 者 数(1949(昭
総世 帯 数
総 人 口①
和24)年)
網数 漁 業従事 者 数 漁 業 従事 者 率
②
②/①(%)
越 戸11870939313.1
若 見2361,325513199
池尻1569204108117
赤西1961,1763827.0
赤 中1771,0121424,2
赤東1681,0915109100
高 松3732,40261807.5
合 計1,4248,635277458.6
注)本 文 注13参 照。
ま た,渥
美 半 島 一 帯 に は か つ て 寝 宿 の 習 俗 が あ っ た20)。 当 地 に お け る 「寝 宿 の 習 俗 は,
ほ ぼ 青 年 期 に 達 し た 若 者 一 十 五 歳 前 後 一 が 妻 帯 期 ま で 寝 宿 を 取 り,多
く の 場 合,結
婚には
宿 親 が 何 等 か の 形 で 関 与 す る 」2Dと い う も の で あ っ た 。 明 治 以 降 に お け る 当 地 の 寝 宿 の 特
徴 は,未
婚 の 男 子 青 年 た ち に 「一 人 前 」 教 育 を 受 け さ せ る と い う 訓 育 的 目的 を 持 っ て い た
と こ ろ に あ る 。 し か し,と
係 が,す
く に 漁 業 の 重 心 を お く赤 羽 根 な ど で は,か
つ て は 網 元 一網 子 関
な わ ち 宿 親 一 宿 子 関 係 で あ っ た と 考 え う る と い う22)。 つ ま り,寝
宿 は漁 業 とい う
生 業 形 態 に 相 応 し た 社 会 制 度 で あ っ た と考 え ら れ る の で あ る 。 戦 後 に お い て も,網
属 す る 未 婚 青 年 は 必 ず そ の 網 元(親
もに し た 。 寝 宿 の 制 度 自 体 は,昭
宿 親 で あ っ た 家 と宿 子,あ
方)の
和30年
宿 の 宿 子 と な り,同
組 に所
じ網 の 青 年 た ち と 起 居 を と
代 に 消 滅 す る 。 しか し宿 を め ぐ る 結 び つ き は 強 く,
る い は 宿 子 ど う しの 問 の つ き あ い は 現 在 ま で 続 け ら れ て い る 。
せ
た だ し網組 の運営 は,少 数 の有 力 な網 元 がい た集落 あった が,多
組的 な地縁 集 団 を組織 単 位 と して いた 。そ の意 味で,当
こ
くは瀬 古 と呼 ばれ る村
時 より地縁 的集 団の 意義 も大 きか っ
た。後 の議 論 の ため に もつ けそ えて お きた い。
寝宿 とい う未婚 青 年 の年齢 集 団 の ほか に は,聞
集 団 の存在 は確 認 で きない.し
き取 りの か ぎ りにおい て,伝 統 的 な年 齢
た が って,村 落 類型 の ひ とつ と してあ げ られ る よ うな年齢
階梯 制 あ るい は世 代 階層 制 の村 落23)とい い きるこ とはで きない 。 しか し,未 婚青 年 を結衆
させ,同 輩 感 覚 を生 み だす よ うな年 齢 集 団が あ った こ と,お よび,集
団 と しては明確 で な
い にせ よ,生 業 の分 業 とい うかた ち で世代 的 な階層 化 が形 成 され てい た こ とか ら,年 齢 あ
るい は世代 秩序 は 当地 におい て組織 編 成 上 の ひ とつ の原理 とな ってい た と考 えて よい であ
ろ う。 さ らに,現 在 で も男42歳 の厄 年 には,小 学 校単 位 で,町 外 に出てい った 同級 生 が ほ
とん ど集 ま り 「厄 祭 」 をお こな って い る。 この こ とも同輩 仲 間の 重要 性 を今 に伝 える もの
108
と して興 味 深 い24}。
4産
地 を支 える 人間 関係
1)地
縁 の 意義
戦 後の赤 羽 根 町農 業 の展 開過程 につい て はす で に概 略 を述べ たが,施
設 の拡 大 とい うハ
ー ド面 で の変貌 だ けで な く,そ の施 設 で何 を栽培 す るか とい う点 におい て も刻 々変化 して
きた。 と くに近年 で はそ の傾 向が 強 まってい るこ とも指摘 した 。 この ような状況 下 にあっ
て は,作
目や技 術 に関す る情 報 をい か に して入 手す るかが,個
別経 営 の観 点か らみて重 要
にな る。
図52は,[赤
羽 根91]の
うち,主 力作 目の生 産技術 の情報 をお もに どこか ら得 て きた
ノ
のか につ いて 尋 ね た設 問 の結果 を,回 答 者 の年齢 階層 ご とにま とめ,図 化 した もので あ る。
情報 源の 選択 数 は2つ で あ る。 また情報 源 の項 目は,全 体 の 回答率 が 高 い順 に左 か ら並 べ
てあ る。
図52年
齢 階 層別 の栽 培技術 情 報 源
(%)
60
ヨ
ち
轟
、
率
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い
…1 景
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協
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雑
誌
・
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校
な
ど
の
墨
塁
そ
の
他
全 体 と して みれ ば,「
く(全 体 の48.8%),そ
(同16.2%)な
農協 ・部会 主催 の指 導会 」 とい う農協 関連 の 回答 率 が もっ と も高
のあ と 「
家 や施 設 が近 くの人」(同28.4%),「
同 じ瀬 古 の仲 間」
どの 地縁 的 な結 びつ きに よる情 報 源が くる。 しか し,赤 羽根 町農協 の場合,
支所 や各作 目別部 会 は地 縁 的 な集落 や そ の 中の瀬古(最
近 で は組 と呼 ば れ る こ とが多 い)
を組織 的単 位 と して きた 。 したが って,人 の つ なが りとい う観 点か らみ れ ば,農 協 関連 の
っ なが りも実 際 には地縁 的つ なが りを基礎 と してい る。
年 齢層 別 にみて も,地 縁 関係 を基礎 とす る情報 源 は重 要 で ある こ とが わか る。 しか し傾
向 として みれ ば,た
「部落 内
とえ ば営 農 活動 に活 発 と思 われ る30歳 代 に着 目す る と,情 報 源 と して
町内 の研 究 グルー プ」,「
町内 の他 の特 定 農家」,「
町外 の他 の特定 農家 」 が
相対 的 に もっ とも高 くなって い る。 また 「市場 などの業者 」 も,30歳
代 は低い が,20歳
代,
40歳 代 は高 くなっ てい る。つ ま り,若 年 層 には従 来の 地縁 的 関係 を越 え る動 きが み られ る
のであ る。 こ う した 関係 の広 域化 の動 きにつ いて は,後
の5節
におい て若干 なが ら再 説 し
たい.
と もあれ,生
産 技術 の情報 源 とい う指標 か らみた場 合,大 枠 と しては集 落 ・近 隣的組 な
どの地縁 的 つ なが りが基 盤 とな ってい る こ とが わか る。 もち ろん集落 の 自治 的組織 が農協
組織 の母 体 とな る こ と自体 は,か つて わが 国農村 に広 範 にみ られた事 実 であ る。特 記すべ
きは,そ れ が赤 羽 根 町 におい て,全 町 的施設 園芸 産地 化 とい う状 況下 におい て現 在 まで続
いてい る こ とに あ る25)。
しか し,産 地 と して の赤 羽根 町 の組 織 原理 を考 え る場合,地
縁 とは多少 観点 を異 にす る
重 要 な原 理 を検 討 す る必 要 が あ る。 す な わち,前 節 で も指摘 した よ うな年齢 に よる組 織 原
理 で あ る。 そ の 関係 は,漁 業 時代 にみ られ た ような,網 組 の単位 と して の瀬古 とその 内部
を編 成 す る年齢 原 理 の 関係 に似 て い る。 しか も今 日の場 合,年 齢 原理 は地 縁 的集 団の 内部
構 成 的原理 とな る だ けで な く,地 縁 的 原理 を越 えた ひろが りを もつ よ うな原理 に もなって
い る。
2)横
軸 と して の年齢 原 理
年 長者 を敬 う とい う一般 的 な年齢 秩序 は,農 村 にか ぎ らずか つ て はわが 国社 会 全般 に広
が ってい た秩序 とい え る。 ところが 当地 の年齢 秩序 は,ひ
とつ には,前 節 で示 した よ うに,
民俗 的基 礎 を もっ てい る点 におい て一般 とは異 なる。 た ん に儒教 教 義 に基 づ く一 般 的 な長
幼 の序 とい うだ け で な く,そ こには生 業 に相応 した年齢 集 団 が あっ たので あ る。 と くに年
齢秩 序 に注 目す る第2の
理 由 は,年 齢 とい うデ ィス コース が彼 等 自身の社会 を説 明す る場
110
合 に,意
識 的 に 引 き合 い に 出 さ れ る か ら で あ る 。 こ の 点 は,集
落(区)あ
る い は 農 協 の役
と え ば 農 協 関 係 の 役 職 者 を 選 ぶ 基 準 と し て,も
ち ろんそ の職 にふ
職者 選 定 の 時 に顕 著 に現 わ れ る 。
聞 き取 り に よ る と,た
さ わ し い 人 物 で あ る こ と は 重 要 だ が,そ
や 理 事 は50歳 代,地
で は,区
れ 以 前 に 年 齢 の 基 準 が 大 き く働 く とい う 。 支 所 長
区 の 部 長 な ら30∼40歳
代 の 人 か ら適 任 者 が 選 ば れ る 。 また 地 区 の役 職
長 は 支 所 長 や 理 事 と 同 じ く50歳 代 か ら 選 ば れ.瀬
れ る と い う 。 注 目 す べ き は,こ
古 長 は30∼40歳
う し た 役 職 と 年 齢 層 と の 相 応 関 係 が,結
代 を中 心 に選 ば
果 と して で は な く,
は じめ か ら意 識 さ れ て い る 点 に あ る 。
表55年
齢 階 層 別 の 役 職 経 験(回
役 職名20歳
代30歳
答 数)
代40歳
代50歳
代60歳
代70歳
代
区長000581
瀬 古 長(組 長)055951065014
農 協 理事
監事00022113
農 協 支所 長0001051
農 協 部会 長019363791
地 区の部 長2274361274
部会 の班 長1513611997337
実総 数3618820817910125
注)[赤
羽根91]よ
こ の こ と を[赤
羽 根91]の
り作 成 。
結 果 で 確 か め て み よ う と した の が 表5-5で
ま で に 経 験 し た 役 職 を 尋 ね た た め.こ
い 。 ま ず,区
関 係 で は,瀬
こ と が わ か る 。 ま た,農
30歳 代 か ら,支
古 長(組
あ る。 調 査 時 現 在
の 表 で は そ の 役 職 に 選 ば れ 始 め る 年 齢 しか わ か ら な
長)が30歳
代 か ら26},区 長 が50歳
協 関 係 で は 部 会 班 長 が20な
代 か ら選 ば れ 始 め る
い し30歳 代 か ら,地
区の部 長が お もに
所 長 や 理 事 は 明 確 に50歳 代 か ら 選 ば れ る よ う に な る こ と が わ か る 。 や や 的
確 さ に 欠 け る が,先
の 聞 き取 りの ひ とつ の 裏 付 け とな ろ う。
こ の よ う な 役 職 選 出 基 準 の も と で,人
々 は 年 齢 層 が 高 くな る に し た が っ て,さ
の 役 職 へ と あ た か も梯 子 を の ぼ る よ う に 移 っ て い く こ と に な る 。 い わ ば,役
制 で あ る 。 も っ と も,す
べ て の 者 が 実 際 に 役 職 に つ ぐわ け で は な い し,上
ほ ど選 出 さ れ る 者 は さ ら に 限 ら れ て く る 。 し か し,こ
し う る の で あ る 。 こ の 点 に お い て ま ず,過
位 の役 職 にな る
ぶ もの
の 意 味 で 制 度 化 さ れ て い る と見 な
去 の 漁 業 時 代 の 組 織 原 理 が,現
11L
職 の 年 齢 階梯
う し た 役 職 選 出 の 原 理 は,選
に 広 ぐ共 有 さ れ て い る か ら こ そ 成 り立 つ も の で あ り,そ
ら に上 位
在 に 反 映 して い
る とみなせ るで あ ろ う。
ところで赤羽 根 町 で は,同 期 に役 職 を した人 々のつ きあい が,役 職 の任期 が終 わ った後
も続 くとい う,こ れ もまた一種 の制 度 が あ る。 具体 的 には,た
とえばそ の集落 に瀬 古 が9
っ あ る とす る と,同 期 にその 集落 の瀬 古長 を務 めた者 た ち9人
ら(瀬 古長 の場合 は通常 同
時期 の 区長 や会計 を も含 む)が,任
期 後 もお金 の積 立 をお こ ない,年
に1回 程 度,そ
のメ
ンバ ーで旅行 な どをす るの で ある。 こ う したつ なが りは,一 般 に当地 で オ ツキ アイ と呼 ば
れ る もの の ひ とつ に含 まれ てい る。 そ こで こ う した つ きあ い 関係 を,同 期 役 職者 の オ ツキ
ァイ と呼 ぶ とす る と,そ れ は例 にあげ た ような集落 内 の役 職 だ けで な く,集 落 を越 え る農
協 関係 の役 職 や消 防団 な どの役 職 に もみ られ る。 また,そ
の 時の 区長 どう しの オ ツキ アイ
もあ る。 た だ し,町 を こえた役 職 には基 本 的 にみ られ ない の で,さ
しあた り町 内で完 結 し
た制度 とみて よい 。
この よ うな同期 役 職者 の オ ッキアイが い つか ら始 まったか につ い て確 た る証 言 は得 なか っ
たが,聞
き取 りの う えで は,1953(昭
和28)年
時の 区長 と瀬古 長 らに よるオ ツキ アイの事
例が最 も古 い 。起 源 と して は,か つ ての宿 親 と宿 子 た ちの 問 につ きあい 関係 が結 ばれ た と
い う こ となの で,そ
れが 範型 とな った可 能性 はあ る。 しか しと もあれ,昔
は少 な くとも現
在 の よ うに活 発 で は なか った とい う意見 が 多 く,施 設 園芸 発展 に ともな う金銭 的余 裕 の増
大 と,そ の過 程 にお ける農協 役 職組織 等 の整 備 を経 済 的制度 的背 景 と しなが ら,し だ い に
同期役 職者 の オツ キ アイが活 発化 して きた と考 え られ る。
役 職 につ くこ とが こ う した グル ー プ形 成 の契機 となるの で,生 涯 に多 くの役 職 を歴任 し
てい く場合 に は,役 職 につ くたび に 自分 の所 属 す る グルー プ数 が増加 す る こ とにな る。 し
か し実 際 は,任 期 後 もオ ッキ アイ グル ー プ として続 く場合 もあれ ば,そ
る。 その 時 のそ の役 職 に選 ば れた者 た ちが,た
うで ない場 合 もあ
また ま気 が合 わな か った り,あ るい はその
中 に ま とめ役 が まった くい なか った りす る と,オ ツキ ア イ グルー プ として継続 しない とい
う。 もち ろん,古
いつ きあい をや め る こ と もあ る。
[赤羽根91」 で は,こ
う した 同期 役 職者 の オ ツキ アイの グルー プ数や そ の意義 につい て
尋 ね てみ た。 まず,同 期 役 職者 の オ ツキ ア イの数 にみ られ る特 徴 につ いて考 察 したい。 た
だ し,お 金 を積 み立 て て一緒 に旅行 す る グル ー プ を形 成す る契 機 は,同 期 に役 職 を した こ
とだ けで は ない 。後 にふれ る ように,税 理士 を頼 む青 色 申告 の グル ー プや,そ
の集 落 に養
子 に きた 人 だ けで作 る グルー プ,そ の 他遊 び仲 間で作 った グル ー プな ど もある。[赤 羽 根
911で
は,と
くに同期役 職者 の オツ キア イの み につ いて尋 ね た ので,同 様 の グルー プ全 般
112
を含 め て 考 え る と,オ
表56集
ツ キ ア イ 数 は全 体 的 に 多 少 増 加 す る と思 わ れ る。
落 別平 均 オツ キア イ数
表57施
設(ビ
ニールハウス+ガ ラス室)
規 模 別平 均 オ ッキ アイ数
集落名
平均 オ ッ キァ イ数
集落名
越 戸2.71所
平 均 オッ キア イ数
有 な し1.06
若 見3.17300坪
未満1.83
池尻2,85300∼700坪2.37
赤 西2.66700∼1000坪2.50
赤 中2,251000∼1400坪2.95
赤 東2.081400∼1800坪2.47
高 松1.871800坪
以上3.30
全 体2.52全
体2.52
注)た だ し,「9つ
以 上 」 は9つ と して
注)表5・6に
同 じ。
計算 した。 回答者 のみ を集 計 。
表56は,同
期 役 職 者 の オ ツ キ ア イ の 回 答 者 あ た り平 均 数 を,各
の で あ る.こ
れ に よ る と,概
略 に お い て 西 の 集 落(表
で は 上 に 記 載 し た 集 落)の
キ ァ イ が 盛 ん で あ る こ と が わ か る 。 こ の こ と か ら,次
第1は,こ
集 落 ご と に ま とめ た も
う し た 差 異 の 原 因 が 漁 業 社 会 の 強 弱,し
の2つ
の 可 能 性 が 導 か れ る。
た が っ て そ こか ら派 生 す る年 齢 原 理
の 強 弱 に 由 来 す る と い う可 能 性 で あ る 。 同 期 役 職 者 の オ ツ キ ア イ グ ル ー プ は,先
役 職 の"年
齢 階 梯 制"と
考 え 合 わ せ る と き,単
階 層 的 側 面 だ け で な く,ほ
が わ か る.つ
ま り,同
方 が オッ
に述 べ た
に 同 じ階 層 の 役 職 を 同 期 に 経 験 し た とい う
ぼ 同 年 齢 層 の 者 の 集 ま り で あ る と い う年 齢 的 側 面 を も も つ こ と
期 役 職 者 の オ ツ キ ア イ も ま た,半
農 半 漁 時 代 に 培 わ れ た年 齢 に よ る
組 織 原 理 を 反 映 し て い る と思 わ れ る の で あ る 。
した が っ て,先
に み た よ う に 敗 戦 直 後 の 時 期 に お い て,若
重 要 度 が 高 か っ た こ と を 考 慮 す れ ば,元
表5・6の
来,漁
干 な が ら町 西 部 の 方 が 漁 業 の
業 が 盛 ん で 年 齢 原 理 も 強 か っ た か ら こ そ,
よ う な 差 が 生 ま れ た と考 え う る 。 も と も との 生 業 基 盤 の 違 い が 今 日の オ ツ キ ア イ
数 の 差 と な っ て 現 わ れ て い る とい う推 論 で あ る 。
第2は,む
しろ 施 設 園 芸 へ の 特 化 度 合 い とオ ツ キ ア イ数 が 関連 す る とい う可 能 性 で あ る。
先 に 述 べ た よ う に,同
期 役 職 者 の オ ツ キ ア イ は,戦
発 に な っ た と い う 。 し か も,と
へ の 特 化 が 早 く,今
後,施
設 園芸 が 発 展 す る に した が い 活
ぐ に 歴 史 的 に み た 場 合 に は,町
の 西 部 の 集 落 ほ ど施 設 園芸
日 で も そ の 傾 向 は 続 い て い る 。 つ ま り施 設 園 芸 へ の 特 化 傾 向 と オ ツ キ
ア イ 数 が 相 関 す る の で あ る 。 した が っ て,同
期 役 職 者 の オ ツ キ ア イ は,施
113
設 園 芸 に 必 要 な,
お そ ら く ひ と つ の イ ン フ ォ ー マ ル な 情 報 源,あ
る い は 情 報 伝 達 の た め の組 織 と して 役 立 っ
て き た の で は な い か と 推 論 で き よ う 。 ア ン ケ ー ト結 果 を み て も,施
設 規 模 の 充 実 した 階層
の 方 が オ ツ キ ア イ 数 が 多 く な っ て い る こ と が 確 認 さ れ る(表57)。
こ の2つ
両 者 は,相
の 可 能 性 の う ち どち らが 正 しい とい う こ と を 明 言 す る資 料 は な い 。 む しろ こ の
互 に 密 接 に 関 連 し つ つ,同
期 役 職 者 の オ ッ キ ァ イ と い う も の を 生 み 出 し,そ
を 継 続 さ せ て き た と 思 わ れ る 。 し か し,継
れ
続 の た め に は そ こ に 何 らか の 意 義 が 認 め ら れ る
べ きで あ ろ う 。 そ の 意 義 を 農 業 者 た ち は どの よ う に 捉 え て い る の か 。
表5・8オ
ツ キ ア イ の 数 と 意 義(上
段
回 答 数,下
段
回 答 率)
な し1∼2つ3∼4つ5∼6つ7∼8つ9つ
以上
無 回答
合計
娯 楽 の た め672382212123
7.6%25.8%17.5%3.4%12.5%33.3%23%16.6%
情 報 交 換 の た131041103410113285
め16.5%37.3%50.7%58。6%62.5%33,3%14.9%38.6%
仲 間 を ふ や す53719710271
た め6.3%13,3%8.8%12.1%6.3%0.0%2.3%9.6%
単 な る 村 づ き206746153012163
あ い25.3%24.0%21.2%25.9%188%0.0%13.8%22.1%
無 回 答356620158108
44.3%2.2%2.8%3,4%0.0%33.3%66,7%14.6%
実 総 数792792175816387739
↓100.0%100.0%100.0%100.0%100.0%100.0%100.0%100.0%
→10
.7%37.8%29.4%7.8%2.2%0.4%11.8%100.0%
注)最
下 段 の 回 答 率 は 「合 計 」 を100%と
した もの 。 他 は 「実 総 数 」 を100%と
ま た 合 計 欄 に つ い て は 重 複 回 答 が あ る た め,100%に
表58は,同
す る 。 また,
な らない。
期 役 職 者 の オ ッ キ ア イ の 意 義 と数 を か け あ わ せ て 表 わ し た も の で あ る 。 あ
ら か じ め 選 択 肢 を 設 け て お い た た め や や 牽 強 付 会 の 感 は あ る が,全
体 と して は
が も っ と も 高 率 と な っ て い る 。 ま た,個
以 上 とい う稀 な 例 を除 け
数 と の 関 連 で み る と,9個
「情 報 交 換 」
ば,概
して そ の 数 が 多 い 人 ほ ど情 報 交 換 と して の 意 義 も 高 ま っ て い る 。 実 は 先 に あ げ た 図
5-2の
設 問 に お い て も,「
同 期 に 役 職 を し た 仲 間 」 と し て,栽
培 技 術 情 報 に お け る 同期 役
職 者 オ ツ キ ア イ の 重 要 性 を 検 討 し て お い た 。 そ れ に よ る と 同 期 役 職 者 の グ ル ー プ は,栽
技 術 情 報 源 と し て は 他 に 比 べ て さ ほ ζ 重 要 で な い こ と が わ か る 。 し た が っ て,同
の オ ッ キ ア イ は,生
産 面 だ け を み る と そ れ ほ ど 重 要 度 で は な い が,娯
兼 ね 備 え た 全 般 的 な 情 報 源 と位 置 づ け られ て い る とい え よ う。
・114一
培
期 役 職者
楽 な どの 生 活 面 を も
3)開
拓 集 落 との 比 較
こ こ で は も う ひ と つ の ア ン ケ ー ト[若
見 西 山92]を
利 用 し つ つ,前
項 で 取 りあ げ た 赤 羽
根 町 の オ ツ キ ア イ の 意 義 に つ い て 比 較 の 観 点 か ら考 察 し た い 。
表59生
産
・生 活 に お け る 依 存 対 象
若 見(回
本 家 や 分 家 な ど(ジ
答 率)西
山(回
答 率)
ル イ を含 む)20g47.7%4215.3%
嫁 入 り ・婿 入 り して き た 家 族 の 実 家10223.3%6423,4%
集 落 内,町 内 の 親 類14432.9%8330.3%
他 出 して い る 兄 弟 姉 妹 や 子 供 な ど9020.5%7627.7%
町 外 の そ の 他 の 親 類245。5%228.0%
隣 近 所 の 人146333%12445.3%
集 落(区,自
治 会)61.4%145。1%
そ
≦
ヒ場51.1%196,9%
農 協6715.3%5520.1%
普 及 所,試験 場112.5%g3.3%
部 会,出 荷 組 合,研 究 会,グ ル ー プ 等 の 仲 間245.5%5018.2%
職 場(雇
用 先)の
友 人61.4%62.2%
そ の 他 の 仕 事 上 の 友 人245.5%207.3%
仕 事 関 係 以 外 の 友 人225.0%238.4%
福 祉 施 設 や 福 祉 団 体10.2%31.1%
そ の 他20.5%41.5%
誰 もい な い71.6%933%
の べ 総 数(平
均 回答 数)8902.596232.62
無 回 答9421.5%3613.1%
実 総 数438100%274100%
注)回
答 率 の 母 数 は 実 総 数 。 た だ し,平 均 回 答 数=の
べ 総 数/(実
総 数 一無 回 答)。
ジ ル イ に つ い て は 次 節 を参 照 。
表5-9は,「
り に な る 人(家
の に3つ
あ な た が こ の 集 落 で 暮 ら し て い く(生
族 の 者 を 除 く)や
家,機
活
生 産 面 を 含 む)う
関 は 次 の う ち ど れ で す か 。 も っ と も頼 り に な る も
ま で ○ を つ け て く だ さ い 。 」 と い う 設 問 の 回 答 を,2つ
の で あ る 。 こ の 設 問 は,他
え で 何 か と頼
で お こ な わ れ た ア ン ケ ー}の
設 問 内 容 を ほ ぼ 踏 襲 し た27)の で,
同 期 役 職 者 の オ ツ キ ア イ な ど を さ す 具 体 的 な 項 目 は な い が,強
115
の 集 落 ご と に ま とめ た も
い て あげ れ ば
「部 会,出
荷
組合,研 究 会,グ
ル ー プ等 の仲間」,「
そ の他 の仕 事上 の友人 」,「 仕 事 関係 以外 の友 人」
な どが相応 す る と思 わ れ る。そ こで,ま
ず この3つ の項 目に注 目す る と,い ず れ も西 山集
落 の方が依 存 対象 と して高 い率 を示 してい る。西 山集落 の あ る渥美 町 農協 は,赤 羽根 町 と
や や異 な り,徹 底 した作 物 別部会 組織 とな ってい る。 「部 会....等の仲 間」 が西 山で と くに
高 くなっ てい るの は,そ の 影響 が大 きい。 しか し,そ の他 の友 人 関係 で みて も,い ず れ も
若 見 よ りも西 山 の方 が 高 くなって い る。表56に
示 した ように,も
っ と もオツキ ア イの盛
ん と思 われ る若 見 と比較 して そ う なの で あ る。
西山が 開拓 集落 で あ るか ら,若 見 の特性 が 目立 た ない の で はない。他 での 結果 をみ る と,
若見 にお ける仲 間 や友 人 の比 重は,秋
。 したが って,若
田の稲 作 農 村 と比較 して大 きな違 い は ないの で ある28)
見 にお け る同期役 職 者 の オ ッキ アイ を中心 とす る同年齢 層者 の グルー プ
活動 は,農 業 経営 や生 活 の危 機 に際 して,と
りわ け最 終 的 な依 存対 象 となる もので は ない
とい える。本 家 分 家 関係 や親 類関係 に比べ る と,同 期 役 職者の オ ッキ アイ とい う レベ ルは,
決 定的 な人 間 関係 を表 わす もの で は ないの で あ り,こ こで もまた 中間的 な位 置づ けに とど
まるの で あ る。
開拓 集落 との比較 でい えば,若 見 をは じめ とす る赤 羽根 町 もまた伝 統 的要素 を多分 に も
つ 農村 地域 なので あ る。年 齢 原理 に よって,自 発 的 な人 間 関係 が形成 されて い る よ うにみ
えるが,思
えば年齢 原 理 その ものが伝 統 の産 物 で あ る以上,そ
の ま まで は新 た な中心 的人
間関係 を作 り出す 素地 には な らない ので あ る。 ここにみ られ る オ ツキ アイの制 度 は,集 落
を越 えた人 間 関係形 成 の機 会 として,今 後 の農村社 会 にお け る社会 的結合 の あ り方 を考 え
る際 に示 唆 的 で あ る。 しか し,伝 統 的 な組 織 原理 に基 づ くが ゆ え に,限 界 も存 在す る とい
え よう。
以上,本 節 で は産地 を支 え る人間関係 と して,地 縁,お
よび年 齢原 理 に基 づ く役 職選 出,
さ らに結 果 的 に年齢 層 を同 じ くす る同期役 職者 の オ ツキ アイ につい て論 じて きた。 なかで
も,同 期 役 職者 の オ ッキ ア イの制度 につ い て は,生 活面 にわた っ て産地社 会 の人 間 関係 を
横 に結 びつ け る イ ンフ ォーマ ル な組 織 で あ る と考 え られ,と
オツキ ア イは,歴
くに注 目 して きた.そ
う した
史的 にみ る と,漁 業社 会 の組織 原理 であ った年 齢 原理 を引 き継 ぎつ つ,
拡大 す る経 済 と役 職 機会 の なかで発 達 し,施 設 園芸産 地 とい う まった く新 しい生 業形 態 を
支 える制 度 とな ってい っ た と考 え られ るの であ る。
しか し,オ ッキ ア イは重 要度 とい う点 か らみ る と,農 業経 営上 にお いて も,あ るい は農
村 生活 上 におい て も,第1義
的で は ない 。経営 上 におい て は農協 な どの情報 源 に劣 り,生
・116
活 上 に お い て は,「
本 家 や 分 家 な ど(ジ
ル イ を 含 む)」,「
集 落 内,町
内 の 親 類 」,「
隣
近 所 の 人 」 な どの 対 象 に劣 る の で あ る 。 そ こで 次 節 で は 。 オ ツ キ ア イ とい う 人 間 関 係 の 位
相 の 積 極 的 な 存 在 理 由 を さ ら に 明 ら か とす る た め に.具
体 的 な 個 人 を 例 に あ げ,と
くに 生
活 上 に お け る 意 義 に つ い て 考 察 を くわ え た い 。
5.生
活上 の つ きあい の諸相
こ こ で は 若 見 の 個 別 事 例 を 取 り あ げ て 考 察 す る が,そ
の 前 に 集 落 と して の 若 見 の 概 略 を
述 べ て お きた い 。
総 戸 数 は1993年9月
現 在 で210戸
で あ り,そ
な の で,農
家 率 は79%と
数 は,18戸
か ら28戸 で あ る 。 た だ し,瀬
区 長 と会 計1人
と も い う:任
つ つ(い
セ ン サ ス に よ る 農 家 数 は165戸
な る 。 集 落 内 に は9つ の 瀬 古(組)が
の 瀬 古 あ た りの 軒
れ ぞ れ の 瀬 古 か ら 選 ば れ る 瀬 古 長(組
で あ る 。 議 決 は,ま
計 が 集 ま り,決
あ る 。1つ
古 に 入 っ て い な い 世 帯 も 数 軒 あ る 。 集 落 の 役 員 は,
ず れ も 任 期2年)と,そ
期1年)9名
で 組 長 と 区 長,会
の う ち1990年
ず 成 員 が 各 瀬 古 に 集 ま っ て 相 談 し,そ
ち 」 と呼 ば れ る 伝 統 行 事 の 単 位 で も あ る 。 庚 申,お
れ,当
の で は な い 。 しか し,行
に6回
日待
程 度 お こなわ
つ つ そ の 宿 に集 ま る 。 瀬 古 の 範 囲 は 地 理 的 に 明 確 に 区 分 され る も
政 的 な 配 付 物 な ど も す べ て こ の 瀬 古 を 単 位 に お こ な わ れ る し,宿
と して 集 ま る 場 合 に も 近 い ほ う が 便 利 な の で,お
A氏
日 待 ち と も に1年
庚 申.お
わ せ る とお お よそ 月 に 一 度 は 開 か れ る こ とに な る 。 順 番 に よ っ て宿 が 決 め ら
日 は 各 戸 か ら1人
1)A氏
の後
定 を お こ な うか た ち を と っ て い る 。
瀬 古 は そ う した 集 落 自 治 上 の 単 位 組 織 で あ る ば か りで は な い 。 瀬 古 は,「
れ る の で,あ
長
お よそ 一 定 地 域 に か た ま っ て い る 。
の オ ツキ ア イ
は1993年
店 を 営 み.そ
現 在 で57歳
で あ り,前
年 ま で 区 長 を 経 験 した 人 物 で あ る 。 集 落 内 で 衣 料 品
れ が 生 計 の 中 心 で あ る が,他
に 温 室 を100坪
物 が 中 心 で あ る 。 店 だ け で 生 活 は 成 り立 っ た が,庚
を は じ め た と い う 。20年
申,日
ほ ど も っ て い る 。 温 室 で は観 葉 鉢
待 ち で 話 が 合 わ な い の で,温
室
以 上 前 の こ とで あ る 。
A氏 が 現 在 参 加 し て い る オ ツ キ ア イ グ ル ー プ は5つ
あ る。 そ れ ぞ れ に つ い て グル ー プ結
成 の 契 機 と 月 々 の 掛 け 金 を 示 す と次 の よ う で あ る 。
a.区
長 を し た と き の 各 瀬 古 の 組 長 と の オ ツ キ ア イ(区
b.同
上(区
c組
長 を し た と き の オ ッ キ ア イ,月3,000円
長 任 期2年
目),月3,000円
。
。
117
長 任 期1年
目),月3,000円
。
d.同
期 の 区長 仲 間(町
e.11人
全体),夫
婦 で旅 行 に参加 す るの で月10,000円
の 「遊 び仲 間」,月1,000円
今は 「
切 って」 しま った オ ツキ アイ は3つ
が1つ
。
と,農 協 生 産 部 会班 長 を2度
した ときの オツキ ア イが2つ
も独 自にオツ キ アイ の グル ー プ を2つ
もの で,掛 け金 は月1,000円
上記 の5つ
ある。 組長 を もう1度
もってい る。2つ
した と きの オ ツキア イ
で ある。 また,A氏
の妻
と もに婦 人会 の組 長 を した ときの
と2,000円 で あ る。
の オ ツキ ア イの うち,eは
同期 役 職者 の オ ッキ ア イで は ない。 これ はA氏 が
独身の時か らの 「遊 び仲 間」 で,最 初 は6人 であ ったが,現
在で は若 い人が入 って11人 になっ
たとい う。年齢 層 は53歳 か ら68歳 まで と比較 的幅広 い。 中心 は最 年長の68歳 の人物 で あ る。
集 まった契機 は と くにない が,68歳
か ったので,し
次 に,つ
の人物 以外 はすべ て高 卒 で あ り,当 時 は高 卒者 は少 な
い てい えばそ れが 特徴 で は ないか とい う。
きあい に 関連 す る伝 統 的行 事 を取 り上 げ,そ
置づ け を考察 した い。 そ の行 事 は1989(平
宴で あ る。氏 の長 男 の 場合,式
成 元)年
こにお け る上 記 の オッキ アイの 位
にお こなわ れたA氏 の長 男 の結婚 披 露
後 に豊橋 の結婚 式 場 で催 され た披 露宴 の ほか に,一 般 に
「若衆 呼 び」 とい わ れ る同級 生 た ちの集 ま りを集 落 内の飲 食 店 を会 場 に して お こなっ た。
そ こに呼 ばれ たの は,小
中学校 の 同級生 と高校 時代 の仲 の 良 い 同級 生 であ った。 ただ し
ここで取 り上 げ るの は,豊 橋 で お こな われ た前 者 の披 露宴 で あ る。
図5-3A氏
長男 披 露宴 に呼 ばれ た家 の範疇(集
落 内の み)
同 じ瀬古15戸
1
0
親 戚9戸
2「
遊 び仲 間 」10戸
トナ リ2戸1
0
ジ ル イ6戸
その 他1戸
・118・
披 露宴 には集落 内 の39戸 か ら人 を招 待 した。 図53は
それ らの 人 々 をA氏 の語 る関係 の
範疇 ご とに ま とめた もの で ある。 図で 「遊 び仲 間」 は先 ほ ど述 べ た11人 のグ ルー プ をさ し,
その他 の1戸 はA氏 が会 計 を した と きの 区長 で あ る。
ジル イ とは本 来 は本 分家 関係 にあ る家 々 を さ し,代 替 わ りを して も永続 す る関係 にあ る
とい う。 ジ ルイ は結婚 式 や葬 式 な どで 重要 な役 割 を果 たす と ともに,表59で
集落 生活 上何 か につ け頼 りに しあ う家 々で あ る。 そ のた め,ジ
どに頼 んで 自分 の ジル イ にな って もらい,ジ
み た よ うに
ル イの少 ない家 は トナ リな
ル イ を増 や す場 合 もあ る。 したが って現 在 の
ジル イ には,本 分 家 関係 とい う血縁 的要 素 に くわ えて,生
活遂 行的 要素 も強 い。 新 しく頼
まれ る な ど して複数 の ジ ル イ集 団 に所 属 す る場合 もあるの で,排 他 的択 一 的 な集 団で もな
いo
さ しあた り呼 ばれ るか 呼 ばれ ないか とい う基 準 で判 断す る と,同 期役 職者 関係 は1名 の み
が 呼ば れて い るだ けで あ る。 しか もそれ は.区 長 一会 計 とい う個 別的 な関係 であ って,同
期役 職者 の オ ッキ アイ グル ー プ全体 と して で はない。他 方,残
どの伝統 的 関係 と,役 職 とは 直接 関係 の ないA氏
以上 の こ とか らまず,同
りの38戸 は,地 縁 や血 縁 な
の友 人 関係 で ある。
期役 職者 の オ ツキ アイ は,結 婚 披 露宴 に呼 ぶ ほ どに はその人 や
家 に とって重 要 で ない とい える。 契機 と して ある程度 制度 化 されて お り,数 か らみて も少
な くないが,重
先 の表59に
要度 とい う点 か らみ る と伝 統 的 なつ きあい 関係 に劣 るの であ る。 これが,
お い て若見 の結果 が示 した 内実 で あ ろ う。
も うひ とつ注 目 したい こ とは.役
職 と関係 の ない友 人 関係 の存 在 であ る。 こう した友 人
関係 は,披 露宴 に呼ぶ こ とか らみて,一
般 の 同期 役職者 の オ ツキ アイ よ りも重 要度 が高 い
とい え る。 しか し,集 団維 持 の 方法 と して は 同期 役 職者 の オ ツキ アイ と同様 に月 々の掛 け
金 方式 で な され る。 した が って,同
期役 職者 の オ ツキ アイ を含 む オツ キア イの範疇 は,友
人 関係 な どの選 択 的 あ るい は個 人 的 な関係 を形 成 し持 続 させ る,形 式 的 受 け皿 となってい
る と思 われ るので あ る。
2)B氏
の オ ツキ ア イ
B氏 は56歳 で,現
設 はガ ラス室 が550坪
区長 で あ る。B氏
は専 業 農家 で キ ク とメロ ンを施 設 栽培 してい る。施
と ビニ ー ルハ ウス が250坪 で あ る。B氏
オ ツキ アイ グル ー プの み を簡 単 に例示 したい 。
〈B氏
の オ ッキ アイ グル ー プ>
a.現
在 の 区長 一組 長 の オ ッキ ア イ,月5,000円
119
。
につい て は,夫 婦 それ ぞれの
b温
室 部 会 班 長 の 時 の オ ツ キ ア イ,月2,000円
c.あ
る 年 に 役 場 か ら 青 色 申 告 化 の 要 請 を 受 け,税
人),月3,000円
。
理 士 を 共 同 で 頼 ん で い る グ ル ー プ(9
。
d集
落 内 に 養 子 に き た 者 の 会(20人),月2,000円
<B氏
の 妻 の オ ツ キ ア イ グ ル ー プ>
e.婦
人 会 で 組 長 を し た と き の オ ツ キ ア イ,月2,000円
f.同
上,月2,000円
g.集
落 の 副 支 部 長 を し た と き の 組 長 と の オ ッ キ ア イ,月2,000円
A氏
範 囲),月5,000円
落 内 の 気 の 合 う者4人 の オ ツ キ ア イ,月2,000円
とB氏
に 共 通 す る の は,つ
と で あ っ た 。 ま た,と
く にB氏
る こ と が わ か る 。B氏
の 妻 は,な
ー はB氏
。
。
。
き あ い の 範 囲 は 集 落 内 中 心 で あ り,せ
町 域 を 越 え な い こ と で あ る 。B氏
グ ル ー プ は,普
。
。
h。 正 副 支 部 長 ど う し の オ ツ キ ア イ(町
i.集
。
の 語 る と こ ろ で は,町
の 妻 を み る と,女
外 の つ きあ い は 親 戚 だ け とい う こ
性 の オ ツ キ ア イ も男 性 に劣 らず盛 ん で あ
か で も 上 記 のiの
オ ツ キ ア イ が 一 番 楽 し い と い う。 こ の
及 所 の 生 活 改 善 活 動 を 始 ま り と し て お り,年
の妻 の みが若 見 出身 であ るが
,こ
い ぜ い広 が って も
齢 もほ ぼ 同 じで あ る 。 メ ンバ
こ で もオ ツ キ ア イ が 自発 的 な グ ル ー プ 結 成 の 形
式 的 受 け皿 と な っ て い る 点 に注 目 した い 。
以 上 の2世
帯 の 事 例 か ら わ か る こ と は,お
い う つ き あ い 形 態 は,前
金 を積 み 立 て て 一 緒 に 旅 行 な ど を お こ な う と
も っ て 述 べ た よ う に,同
期 役 職 経 験 者 だ け で は な い こ と。 数 と し
て は,同
期 役 職 経 験 を 契 機 と す る オ ツ キ ア イ が 多 い こ と 。 しか し,生
え ば,同
期 役 職 以 外 の 契 機 に よ る オ ツ キ ア イ が 重 視 さ れ て い る こ と,で
同 期 役 職 者 の オ ッ キ ア イ を 中 心 と す る つ き あ い の 形 態 は,自
る 受 け 皿 と な っ て お り,産
活 上 の 重 要 度 か らい
あ る 。 こ こ か ら,
発 的 人 間 関係 形 成 を定 着 させ
地 の 人 間 関 係 を 柔 ら か く結 合 さ せ る 位 相 を 形 成 して い る と 考 え
られ る 。
3)つ
きあ い 関係 の ひ ろ が り
先 に 図52の
説 明 の 中 で,若
男 の 結 婚 の 時 に,高
年 層 に み ら れ る 関 係 の 広 域 化 を 指 摘 し た 、 ま た,A氏
校 の 同級 生が
「若 衆 呼 び 」 に 招 待 さ れ て い た が,大
の長
き くみ れ ば こ う し
た 高 学 歴 化 も 関係 の 広 域 化 に結 び つ くで あ ろ う。
し か し,関
係 の 広 域 化 は 年 齢 層 の 違 い に と も な う もの だ け で は な い 。
若 見 のC氏(49歳)は,大
型 ガ ラ ス 温 室1,050坪
120
と ビ ニ ー ル ハ ウ ス250坪
を 装 備 し,キ
ク
の単作 経営 をお こな う専 業 農 家 で あ る。C氏
は集 落 内で キ ク栽培 に関す る研 究会 をつ くる
な ど,先 進 的 に産地 を リー ドして きた 。氏 の場合,先
ほ どのB氏
と違 って,町 外 に も知 り
合 いが 多い 。 オ ツキ ア イ とい う形 式 化 されたつ きあい 関係 で はない が,ち
ち寄 って キ クので き具合 を話 し合 え る よ うな農 家 が,渥 美 町 に2戸,田
る。そ れ らの農 家 とは キ ク苗 の や りと りもお こな う。 また,C氏
農業高校 の 出身で あるが,そ
こで の 同級 生,顔
ょっ と夫婦 で立
原 町 に2戸 ほ どあ
は田原 町 にあ る県立渥 美
見知 りをつて に関係 を広 げ る場 合 もある と
い う。
つ ま り,関 係 の 広 域化 は先 進 的 農家 の 部分 で も進 んで お り,そ こには従 来 の オ ツキア イ
の枠組 み を越 えるつ きあい が展 開 されて い る。 さ らに,こ
外 の作 目,た
こで は詳 述 で きないが,キ
ク以
とえ ば観葉 鉢 物 や洋花 な どを手 が け る農 家 に も関係 の広域 化 が み られ る29)。
こう した農家 には.も
とも とキ クか ら転 身 した意 欲的 な農 家 が多 いの で ,C氏
の事 例 と同
様 の傾 向 と して捉 え うるで あろ う。
6人
間関係 の3つ
の位相
以上,農 協 な どの経 済 的組 織 だ けで な く,よ
りイ ンフ ォーマ ル な関係 をつ きあい とい う
観 点か ら捉 えなが ら,施 設 園芸 産地 にお ける組織 原理 につ いて考 察 して きた。 その結果,
具体 的 な組織 原 理 と して 地縁 的原 理 と年齢 原 理 の存 在 を指摘 した。本 節 で は,そ れ らが産
地 の組織 化 に働 きか け る位 相 を整 理 す る と と もに,今 後 の動 きに関 して展 望 を述べ た い。
ま とめ る と,当 地 にお け る人 間関係 の 位相 は大 き く3つ に分 類 で きる ように思 う。
第1の 相 は,伝 統 的 な親 族
地 縁 的 関係 の相 であ る。 この相 は,そ の場 所 で生活 す る場
合 の メ ンバ ー シ ッ プ を認 め た り,人 の通 過儀礼 に関 わ った りす る関係 で あ り,根 源 的 で生
活保 障的 意味 あい を もつ 。本 章 の事 例 でい う と,ジ ル イや親戚
瀬 古 な どが この相 にあた
る30)。この タイプ の 関係 は.基 本的 に選択 性 が弱 い 。つ ま り,人 が どこに生 まれ るか に よっ
て,あ る程 度 まで生 得 的 に決 定 して しま う関係 で あ る。 もっと も.事 例 で も述 べ た よ うに,
生 活保 障 のた め に新 し くこの相 の 関係 をつ くる場合 もあ るが,少
な くと も他 の2つ の相 よ
りは選択 性 が弱 い とい えるで あ ろ う。
第2の
相 は,年 齢 原 理 を基 礎 とす るオ ツキ アイ グル ー プの相 で あ り,本 章 で もっ と も詳
細 に論 じた部 分 で あ る。 この相 の 人間 関係 は,年 齢 秩序 を組 織原 理 とはす る ものの,具 体
的 に同年層 の誰 と グルー プ を作 るか,あ
余 地が あ る。 当地 の特徴 は,こ
るい はそれ を継 続す るか どうか につ い て は選択 の
の相 におけ るつ きあ い 関係が 形式 の上 で確 立 されて い る こ
121
とで あ る。 したが って そ の形式 に則 れ ば,自 発 的組織 化 も比 較 的容易 だ とい え る。 また,
第1の 相 や次 に述 べ る第3の 相 が,こ
れ まで少 な くと もこれ まで地縁 中心 の縦 割 り的 関係
であ った こ と と比 較 す る と,年 齢 を組 織 原理 とす る第2の
相 は横 に人 間 を結 びつ け る相 と
いえる。 この相 の 人 間 関係 は,経 済 上 の情 報伝 達 機 能 と娯楽 な どの 生活 的機 能 をあわせ もっ
てお り,第1相
と第3相
と を結 ぶ重 要 な中間 的役 割 を担 ってい る とい え る。 この相 は,施
設園芸 とい う形 態 に適 合 的 で あ る と考 え られ るため,他
の形 態 の産 地へ の適用 は今 後 の課
題 であ る。 しか し,こ の相 の 関係 につ い て は,従 来 の産 地研 究 におい て ほ とん ど言 及 され
てお らず,産
地社会 にお け る こう した 中間的 組織 の存 在 と意 義 は強 調 され て しか るべ きで
あろ う。 また,こ の よ うな年齢 を原理 と した組織 は,一 般 的 な稲 作社 会 で はそ れ ほ ど顕 在
化 され ない もの で あ り,そ の役 割 を考慮 す る と き,非 稲 作社 会 の可 能性 を示 唆 して い る。
第3の 相 は,フ
ォーマ ル な経 済 的組織 の相 で ある。 農協 の役 員,部 会 組織 や 出荷体 制 な
どが この相 に含 まれ る。 従 来 この相 は,第1相
の関係 と密接 に関連 して きた、伝 統 的生 活
組織 の単位 をその ま ま経 済組 織 の単 位 と して利 用 して して きたの で あ る。 しか し,栽 培 品
目の多様化 や市 場 へ の合 理 的対応 とい う環 境 変化 の 中で,農 協 も組 織改 編 の模 索 をお こなっ
て いる。 また,こ
こで はふ れ られ なか ったが,こ
れ まで は集落 ご とにあ った集荷 場 も統合
される計画 で あ る31)。つ ま り,そ の相 にお け る人間 関係 は経済 的環 境 の変 化 に応 じて大 き
く変化 してい く部 分 で あ り,ま た変化 の 手 を加 えやす い部 分 で もあ る。
産 地の経 済組 織 が今 後 ます ます 変貌 をせ ま られる とな る と,そ れ と伝 統 的生活 組織 との
折 り合 い が問題 とな るで あ ろ う。 最初 に述 べ た ように,産 地 は基本 的 に農業 社会 で あ り,
そこで は地 縁 的生 活 関係 と経 済関係 が さ しあ た り相互 に影響 しあ う と思 われ るか らで あ る。
本章 の事例 の場 合,従
来 はそ れ らの 間 にオ ツキ ア イの 相が あ り,そ れがい わ ば潤 滑油 的役
割 を果 た して きた とい える。 しか し,そ う した オ ツキ アイの相 も組 織 原理 の レベ ルで みれ
ば,も
と もとは漁 業 時 代 の生業 形 態 に対応 した もの であ る。 生業 形態 と組織 原理 は呼応 し
あ うとい う観 点 にたて ば,時 代 遅 れ の代 物 とい え よう。事 実,オ
ツキ アイの広 が る範 囲は
町域 に限 られて お り,開 拓 集 落 との 比較 で み る と,根 源 的 な依 存 対象 と して の意義 も弱 い
こ とが指摘 され た。 新 た な組織 原 理 の模 索 を始 め る時期 に きて い るので あ る。
市場 状 況 な どの経 済 環境 の変 化に対応 で きる純 粋 に機 能 的 な産地組 織 を想 定す るな らば,
経 済 的 目的 を同 じ くす る者 たちが グル ー プ を結成 し,ま た状 況 の変化 に応 じてそ れ を再 編
す る とい うかた ちが 想 定 され る。 産 地組織 の変 革 を考 え る場 合,確
か に こ う した経 済 的尺
度 に基 づ く普 遍化 の ドライ ブは重 要 で あ る。 また事 例 でみ た 開拓 集 落 の よ うに,歴 史の浅
122・
い 地 域 集 団 の 場 合 に は,そ
組 織 は,む
れ が あ る 程 度 実 現 可 能 か も し れ な い 。 し か し多 く の 現 実 の 産 地
し ろ 本 章 で 述 べ た よ う な 組 織 原 理 を 歴 史 的 遺 産 と し て 保 持 し て お り,良
く も悪
く も そ れ を基 礎 に 経 済 環 境 へ の 対 応 を お こ な っ て い る の で は な い だ ろ う か 。
し た が っ て 実 践 的 問 題 は,こ
う した 組 織 原 理 を ふ ま え た 上 で 当 該 産 地 に お い て ど の よ う
な 組 織 の 将 来 像 を 描 け る か に あ る 。 事 例 で い う と,青
い 関 係 の ひ ろ が り が,今
年 層 や 先 進 的 農 家 に み られ る つ き あ
後 ど の よ う に 展 開 し て い ぐ か が 注 目 さ れ よ う 。 そ の た め に も ,組
織 展 開 の 出 発 点 と し て,既
存 組 織 の 状 態 を組 織 原 理 と い う レベ ル に まで 踏 み 込 み な が ら深
く分 析 し て お く こ と が 重 要 で は な い か と 思 う の で あ る 。
注
1)農 政 調 査 委 員 会 編
「農 業 統 計 用 語 事 典 』 農 山漁 村 文 化 協 会,1975年,PP212-213。
2)農 業 地 理 学 で は,た
もの の ほ か に,堀
と え ば 坂 本 英 夫 『農 業 地 理 学 」 大 明 堂,1987年
な ど。 農 業 経 営 学 で は 後 に述 べ る
田 忠 夫 「産 地 間 競 争 と 主 産 地 形 成 』 明 文 書 房,1974年
3>浅 見 淳 之 『農 業 経 営
な ど。
産 地 発 展 論 』 大 明 堂,1989年,P,111。
4)高 橋 正 郎 『日本 農 業 の 組 織 論 的 研 究 』 東 京 大 学 出 版 会,1973年.
5)た
だ し文 化 的 側 面 を,個
々 の 農 民 の 行 動 様 式 と い う か た ち で,農
る。 前 述 の 高 橋 は 『地 域 農 業 の 組 織 革 新 」(農
に お け る 「近 隣 協 調 」 を述 べ.石
1988年)に
お い て,「
業 経 営 学 に 導 入 し よ う とす る 試 み は あ
山 漁 村 文 化 協 会,1987年)の
な か で,「
田 正 昭 は 「稲 作 経 営 の 課 題 と展 開 方 向 」(「
高位 定住 社 会」
農 林 業 問 題 研 究 」93,
状 況 中 心 の 行 為 」 を 指 摘 して い る 。
6)Scheiロ,E.H..OrqanizationalCultureandLeadership,1985(清
水 紀彦
浜 田幸 雄 訳
『組 織 文 化 と リー ダ ー シ ッ プ 』 ダ イ ヤ モ ン ド社,1989年),訳P.12。
7)同
上 訳 書,P.68。
8)同
上 訳 書,P.45。
9)前
田成 文 「東 南 ア ジ ァ の 組 織 原 理 』 勤 草 書 房,1989年.P.14。
10)同 上 ペ ー ジ 。
11)仮 説 的 で は あ る が,か
つ て 川 島 武 宜 は 漁 村 と農 村 の イ エ,ム
た 。 「生 産 一 した が っ て 重 要 な 生 活 機 会 一 の 組 織 の 差 異 が,一
ラ の 差 異 の 要 因 を 規 定 して 次 の よ う に 述 べ
般 の 農 村 と漁 村 の 間 の 。 家 族 対 家 族 の 関
係 や 家 族 対 村 落 協 同 体 の 関 係 の 差 異 を 規 定 して い る も の と推 測 さ れ る の で あ る 」(『
て の 家 族 制 度 』 岩 波 書 店,1957年,P.302)。
が,家
つ ま り.生 産 の 組 織,さ
ら に は 生 産 手 段 の 所 有 の あ り方
族 や 村 落 協 同 体 の 組 織 の あ り方 を規 定 す る とい うの で あ る。 こ う した,生
規 定 関 係 に つ い て は,「
適 合 的 」 と い う語 で 鳥 越 皓 之 も論 じて い る 。 鳥 越rト
茶 の 水 書 房,1982年.P328を
12)赤 羽 根 町 史 編 纂 委 員 会 編
イデ オ ロギー とし
産 構 造 と村 落 構 造 との
カ ラ列 島 社 会 の 研 究 」 御
参 照。
『赤 羽 根 町 史 』,1968年.PP354,47879。
13)栗 原 光 政 「渥 美 半 島 の 漁 村 の 地 理 学 的 研 究 一 特 に 表 浜 に つ い て 一 」(「
-123・
愛 知 大学 綜 合郷 土研 究 所紀 要」
第 一 輯,1g55年.愛
知大 学綜 合 郷土 研 究所 編
再 録 本PP398-399参
照。
14)赤 羽 根 町 農 業 協 同 組 合 『第26回
15)同 上r資
「渥 美 半 島 の 文 化 史 」,名
通 常 総 代 会 資 料 』,平
著 出 版,1993年,に
再 録),
成3年 よ り。
料 』 よ り。
16)栗 原 「前 掲 論 文 」,再
17)同 上,再
録 本PP383-384参
録 本P.398,表9よ
18)ち な み に,前
照。
り。
掲 『赤 羽 根 町 史 』 に よ る と,1949(昭
1g)栗 原 「前 掲 論 文 」,再
録 本PP.398-399参
に再 録)が
の 総 漁 業 従 事 者 数 は529人
で あ る。
照。
20)渥 美 半 島 地 域 に お け る 寝 宿 に つ い て は,島
大 学 綜 合 郷 土 研 究 所 紀 要 』 第 二 輯,第
和24)年
本 彦 次 郎 「渥 美 半 島 に お け る寝 宿 の 習 俗(上)(下)」(「
六 輯,1955年,1960年,愛
愛知
知 大 学 綜 合 郷 土 研 究 所 編 「前 掲 書 』
詳 しい 。
21)同 上,再
録 本P.292。
22)同 上,再
録 本PP.354-355参
照。
23)年 齢 階梯 制 村 落 に つ い て は,鳥
越 皓 之 「家 と村 の 社 会 学 』 世 界 思 想 社,1985年.PP.148-164,が
りや す い 。 世 代 階 層 制 村 落 に つ い て は,蒲
生正 男
坪井洋文
村 武 精 一 「伊 豆 諸 島 」 未 来 社,1975年
わか
な
ど を参 照 。
24)同 齢
同 輩 結 合 の 民 俗 に つ い て は,竹
25)し か し さ す が に 今 日 で は,施
田 旦 『兄 弟 分 の 民 俗 』 人 文 書 院,19$9年
設 園 芸 内 で の 作 目の 多 様 化 が 進 む に つ れ て,自
が 包括 的 であ る。
治 的組織 が 単純 に は農協 の
下 部 組 織 と な り え な く な っ て お り.作 物 別 の 細 か な 部 会 組 織 が 必 要 と な っ て い る 。 石 田正 昭 「第H部
3章
第
組 織 運 営 ・事 業 経 営 面 の 基 本 課 題 と展 開 方 向 」(全 国 農 業 構 造 改 善 協 会 「21世 紀 の 赤 羽 根 町 農 業 農
協 開 発 構 想 』,1992年,PP.156-158),に
もそ う した 指 摘 が あ る 。
26)た だ し高 松 の 組 長 は 選 出 母 体 の 規 模 が 大 き く,選 出 も40歳 以 上 と な っ て い る 。
27)こ の 設 問 に つ い て は,高 橋 明 善 ・蓮 見 音 彦
1992年.で
28)r同
山本 英 治編 『農 村 社 会 の 変 貌 と農 民意 識 」 東 京 大 学 出 版 会,
お こ な わ れ た ア ンケ ー ト項 目 を 参 考 に した 。
上 書 』,P.358を
参 照 。 こ の ア ン ケ ー トは,秋
田 の 稲 作 農 村 と,岡
山 の ブ ド ウ作 農 村 を調 査 対 象 と
して い る 。
29)拙 稿
「第H部
第1章
赤 羽 根 農 業 の 混 沌 と秩 序 」(全 国 農 業 構 造 改 善 協 会 「21世 紀 の 赤 羽 根 町 農 業 農 協 開
発 構 想 』,1992年),PP.106・108を
30)第1章
参照 。
で 詳 述 した シ ンル イ は そ の 位 相 に 相 当 す る と考 え ら れ る 。
31)前 掲 石 田 「第H部
第3章 組 織 運 営 ・事 業 経 営 面 の 基 本 課 題 と展 開 方 向 」,P.164を
-124一
参照。
第6章
新規 参 入農 業者 の生活 と農業 観
本 章 お よび次 章 にお いて は,日 本農 村 にお け る伝 統 的 な 農業 者 とい う枠 組 み を越 えた農業 者 らを対 象
に し,彼 らの生 活 お よび農 業 上の 人 間 関係 につ いて考 察 す る。 本 章で 対象 とす る新規 参 入農 業者 は,農
業へ の姿 勢 と生活 に対 す る考 えが 連動 してい る場合 が多 く,し た が って彼 らの人 間 関係 を考 える場合 に
も,よ り広 義 の 農業 観 の なか に位 置 づ け て と らえ られ る必 要が あ る。 本 章 では,そ う した彼 らの農業 観
を明 らか にす る と と もに,そ こか ら従 来 の農 業者 とは異 な る革 新 的 な人 間 関係へ の視 座 を析 出す る。
1.新
規参 入 農業 者 の意 義
自 家 農 業 後 継 者 の 減 少 が 騒 が れ 始 め て ひ さ し い 。 平 成2(1990)年
規 学 卒 就 農 者 が1,800人,い
わ ゆ るUタ
ー ン青 年(農
以 下 の 者)が1,900人
の 数 字 は そ れ ぞ れ,4,800人,12,600人
の よ う す が 知 ら れ よ う1)。 専 業 的 な 農 業 労 働 力 の 参 入 は,こ
る な ど の パ タ ー ン も あ る が,総
家子 弟 の新
家 世 帯 員 の うち 卒 業 後 い っ た ん他 産 業
に 就 職 し た 後 離 職 し 「農 業 が 主 」 と な っ た 者 の う ち34歳
年 前 の 昭 和60(1985)年
に は,農
で あ っ た 。5
で あ っ た か ら.そ
の激 減
の他 に も定 年 後 農 業 に就 業 す
じ て 農 業 労 働 力 は 減 少 傾 向 に あ り,今
の と こ ろ そ の傾 向 は
続 きそ う で あ る。
こ う し た 農 業 労 働 力 の 減 少 傾 向 の な か で,徐
る の が,非
農 家 出 身者 を 中 心 とす る 農 業 へ の 新 規 参 入 者 た ち で あ る。
す で に10年
『農 業 白 書 』 で は,
ほ ど 前 か ら新 規 参 入 者 に 関 す る 記 述 が み ら れ る 。 ま た,1987年
議 所 や 都 道 府 県 農 業 会 議 の 手 に よ っ て,新
れ.新
々 に で は あ る が しだ い に注 目 を集 め つ つ あ
に は全 国 農 業 会
規 就 農 ガ イ ドセ ン タ ー な ど の 相 談 機 関 が 設 け ら
規 参 入 希 望 者 に 対 す る 就 農 地 等 の 斡 旋 が お こ な わ れ 始 め た 。 さ ら に,1992年6月10
日 に 農 水 省 よ り発 表 さ れ た 『新 し い 食 料
『
新 政 策 』 の な か に も,新
農 村 政 策 の 方 向 』,す
なbち
い わゆ る
規 参 入 者 を 強 く意 識 し た 支 援 措 置 が 盛 り込 ま れ て い る2)。 一 方,
受 け 入 れ る 側 の 農 山 村 と し て も,高
う情 況 が あ り,人
農業
齢 化 な ど に よ っ て 作 り手 の い な い 農 地 が 現 れ 出 す と い
口 減 少 に 歯 止 め を か け た い と い う願 い も含 め て,新
規 参 入 者 を受 け入 れ
る雰 囲 気 に な っ て きた 。
しか し.彼
ら の 意 義 を 農 業 労 働 力 の 補 填 に と ど め る こ と は 適 切 で な い 。 彼 ら は,少
で あ る と は い え,親
か ら譲 り受 け る 農 地 も な い な か で,皆
が 敬 遠 す る農 業 に あ え て とび こ
も う と す る 者 た ち な の で あ る 。 大 勢 と 逆 行 す る 彼 ら の 動 き の 背 後 に は,自
化 す る 動 機 が あ る は ず で あ り,そ
数派
ら の 行 動 を正 当
こ に は 農 業 に対 す る独 自 の眼 差 しが 存 在 す る と思 わ れ る。
125
そ して,そ
の眼 差 しには,農 業 に対 す る従 来 の見 方へ の革新 が秘 め られて い る と思 われ る
ので あ る。 以下 にお い て本 章 で は,こ の ような と くに意 識化 され た農業 へ の眼差 しを農業
観 と定 義 し,論
を進 め たい 。
この農業 観へ の注 目は,農 業 者研 究 の 立場 か らみ る と き,広 義 に は農 業経 営 の主体 的側
面 を重視 す る経 営 者 能 力論 の なか に位 置 づ け られ よ う。 た とえば 田 口三 樹夫 は,現 実の経
営力 を,経 営者 の抱 く 「経 営理 念(農
業 観)」
とそれ に よっ て規 定 され る 「行動 様式 」 と
に区分 して把握 しよ う とす る3)。 この枠 組 み に沿 って い えば,本 章 の 関心 は と くに前者 の
「経 営理 念(農 業 観)」
に関連す るが,本
章 でい う農業 観概 念 は この 田 口の概念 よ りも広
義 で あ り,氏 の い う 「経営 理 念」 の基 本 与件 と して経営展 開 に作 用 す る もの と位 置づ け ら
れ よ う。
他 方,1980年
代 後半 以 降,い
わ ゆ る環境 問題 が公 害 問題 とは異 な る様 相 で現 われ て きて
お り,そ れ に併 行 して,従
来 か らの農業 者 の側 に も農業 へ の眼差 しに関す る革新 が広 が り
は じめて い る4)。 またUタ
ー ン農業 者 な ど も,他 産 業 を経験 した うえで農業 を観 る とい う
点で,革 新 の担 い 手 にな りうる と考 え られ る。 したが って,眼 差 しの革新 は時代 の動 きと
も密接 に関連 して お り,ひ
と り新規 参入 農 業者 の み に特 有 の事象 ともい えない。 しか し,
就 農 を正 当化 す る根 拠 が と くに必要 とされ るが ゆ え に,革 新 的眼 差 しが 彼 らにおい て もっ
と も典型 的 に意 識 され,具 体 化 され る こ とは 間違い ない で あ ろ う。新 規参 入者 に関す る既
存 の研 究が,農 業 労働 力 の補 充 とい う 「担 い手論 」 的観 点 に主 関心 をお いて い る こ とへ の
反省5}の 意味 も込 め て,農 業 へ の新 しい眼差 しを新規 参 入農業 者 の なか に探 りたい。
その場 合 に重 要 な点 は,新 規参 入農 業者 た ちの農業 観 が彼 らの生活 と不 可分 に結 びつ い
てい る こ とで あ る。 した が って,人
間 関係 の持 ち方 を も含 めた生 活全 般 の 中で,彼
らの 農
業観 を捉 えな けれ ば な らない。逆 に言 えば,農 業 上 の人 間 関係 の あ り方 は全体 的 な農業観
の なか に位置 づ けて考 え られ なけれ ば な らない 。本 章 の主眼 を人間 関係 で はな く,農 業観
にお くの はその た めで ある。
具 体 的 には,新 規 参 入者 へ の イ ンタビ ュー を通 じて,選 択 した農業 とい う職 業 を彼 らが
どの よ うに考 えてい るの か,さ
らにそ う した農業 へ の眼差 しが どの ような生活 態度 や生計
実 態 に支 え られ てい るの か,に つ い て考 察す る。 個別 事例 と して は兵庫 県 と香 川県 で就農
す る7人 の新規 参 入者 を検 討す るが,そ
の前 に次 節 にお いて,既 存 調査 を利 用 しなが ら新
規 参入 農業者 の概 要 を述 べ て お きたい 。
・126
2.「
事業 志 向」 型参 入者 と 「生 活志 向」 型 参入者
概 要 を述べ る に先 だ ち.ま ず,農
業へ の新規 参入 者 の定 義 を考 えて お こ う。新規 参入 を
広 ぐ考 えれ ば次 の よ うない くつ かの 場合 が 考 え られ る6)。
① 非 農家 出 身者 が 開業 地 に新 た に農業 基 盤 を築 き農業 経営 を開始 す る場合
② 農 家 出身者 だが,分
家 な どに よって既存 農 業経営 の継承 を受 け る こ とな く新 た に農業
基 盤 を築 き農業 経営 を開始 す る場合
③ 既存 の農家へ 婿 入 り ・嫁 入 り
④ 農家
夫婦 養子 に入 る場 合
農業 法 人へ被 傭 され る場合
⑤収 入 の基 盤 は他 の 職業 にお きつ つ,自
給 自足 的農業 を新 たに始 め る場合
この うち新 規 参入 農 業者 と して通 常思 い 浮か ぶの は①② で ある。 後 に利 用 す る農水 省 調
査の対 象,お
よび,新 規就 農 ガイ ドセ ンターがお もに考 えてい るの もそれ らの場 合 で ある。
この①② の場合 は,既 存 の農業 基 盤 を もた ない状 態 で,し
か も独 立 した農業基 盤 を築 く必
要が あ るので,政 策 的 な支援 が もっ とも必 要 とされ る部 分 であ り,し か も政策 的 に関与 し
やす い部分 で もあ る とい え よう。 しか し,純 粋 に 「担 い 手論」 的 な観 点 か らい えば,農 家
の跡取 り以外 の 農業 労働 力 の参 入 が 問題 とな るので,① ②③ ④ が対 象 とな る。 また,新 規
参 入者 の生 き方 や考 え方 を問題 にす る立場 を も認 め る な らば,⑤
の よ うな場合 も視 野 に含
む必要 があ る。農 業 で生 計 を立 て る か どうか に違 い はあ って も,農 業 をみ る眼差 しに大 差
ない場合 が あ る と考 え られ るか らで あ る。
表61農
水 省新 規 参 入農 業者 調 査 の概 要
調査実施年月
対象者の参入年次
調査11985年9月1980年1月
調査2198g年1月1985年1月
調査31gg1年5月1989年1月
調査41993年10月1990年1月
対象者の総数
∼1985年9月295人
∼1988年12月240人
∼1990年12月150人
∼1992年12月274人
本 来 な らば① か ら⑤ までの そ れ ぞれ の場合 をと りあ げるべ きだが,既 存 の統 計 を利 用 す
る都合 上,概
要 につい て述 べ れ る の は施 策対 象 で もあ る① ② の場合 の み で ある。 この①②
は,農 業 とい う職 業 に基 盤 もな く新 規 に参入 す る とい う意 味 で,新 規参 入者 の核 心 をなす
こ とは確 かで あ り,中 心 的 な傾 向 を捉 え るに は有 効 であ る。利 用す る調 査 は,農 水省 が
1985年 か ら1993年
にか けて お こなっ た4つ の 調査 で あ る7)。 この4つ
ら順 に.調 査1,調
査2,調
査,調
の調査 を古 い ものか
査4と す る と,各 調 査 の調査 実施 年,対
127
象者 の参 入年 次 お
よび総数 は,表61の
とお りで あ る。 これ らの調査 か ら,参 入 者 数や経 営作 目,就 農動 機
な どの傾 向 と現状 につ い て考 察 したい 。
まず年 次 別 の新 規 参 入者 数 につい て は図61の
とお りで あ る。 各調査 はその年 の新 規参
入農業者 のすべ て を網羅 してい るわ けで は ないが,お
これ に よる と,1980年
お よその傾 向はつ かむ こ とが で きる。
か ら84年 にか けて増 加 し,そ の後86年 はや や減少 す るが ,1991年
まで年 に60人 か ら80人 の新 規 農業 者 が参 入 して い る こ とが わか る。 ところが,1992年
50人 近 く増 加 し126人 とな った。 この理 由 と して は,1987年
には
に発足 した新規 就 農 ガイ ド事
業 が軌道 にの り始 め た こ と,お よび各 自治体 の 受 け入 れ体制 の確 立 な どが考 え られ る。
図6-1年
次 別新 規参 入 農業 者 数
140
120
■ 調査1100
ハ
≦80口
調査2
聖60園
調査3
鋤40團
調査4
20
0
0-(Nめ
0⊃
α⊃
⊂ハ
⊂ハ
α⊃
⊂ハ
α〕
〔⊃
寸
「〕o卜
αコ
α〕
α⊃
⊂ハOh〔=ハCハOh⊂
α⊃
α⊃0⊃
㎝o一
α⊃
ハ
⊂ハ
〔ハ
⊂ハ
⊂ハ
周
⊂ハ
⊂ハ
年
注)参 入者数については,対 象年次を越えて調査されている。図で重なりが多いのはそのためである。
図6-2は
主 た る作 目につ い て各調 査 の結 果 を比 較 した もの で ある。図注 にあ げた とお り
各調査 の 回答 方法 が 異 なるの で単純 に比較 はで きないが,こ
の10年 ほ どの問 に も,い
れ らの調査 が お こな われ た こ
くつ かの傾 向の 変化 が読 み とれ る。
まず,調 査1か ら調査2の 変化 をみ る と,全 体 と して畜 産が 減少傾 向 に あ り,稲 をは じめ
とす る穀類 や と くに露地 野 菜 の伸 びが 顕著 であ る。 しか し調査4に な る と,稲 作 や露地 野菜
は減少 し,代 わ って施 設 野 菜 や施設 花卉 等 の施 設 園芸 が急 増 してい る。 また,果 樹 も増 加
してい る。
128
図6-2新
規参 入 農業 者 の主 要作 目
25
20
§15
二
毬10
5
0
謹 譲蘂 蓬灘楼 蓮 蓮藷灘甚羅 職鮨 智
‡lh誰
H撰}畿
軒
誰
埋
軒e申
階
型
主 要作 目
注)調 査1の みが1人1作 目の 回答 とな って お り,そ の他 の 調査 はい ずれ も重複 回答 であ る。基 準 を統 一す
るた め に.調 査2,3,4は
のべ合 計 を100%に
して構 成 比 を算 出 した 。主要 作 目だが第2の 地 位 にあ る場
合,そ の作 目は 調査1で は でて こな い こ とにな る。 と くに調 査1か ら調査2に か けて の露 地野菜 の急増 は
そ れ に よる影響 を差 し引 いて 考 え る必 要 が あ ろ う。
以 上 の 変 化 の 背 景 を 就 農 動 機 の 変 化 に よ っ て 探 っ て み た い 。 表62,6・3は
け る 就 農 動 機 の 調 査 結 果 を 示 し た も の で あ る 。 ま ず,調
と,「
特 定 の 農 業 経 営(酪
農,肉
用 牛,花
志 向 」 的 動 機 の ポ イ ン トが 半 分 に 減 少 し.か
き な ど)を
査1か
各 調 査 にお
ら調 査2の 変 化 に つ い て み る
や り た い 。 」 と い う ,い
わ りに 「有 機 農 業,無
わ ば 「事 業
農 薬 農 業 が や りた い 。 」,
「自 然 が 好 き 。 自 然 の 中 で 生 活 し た い 。 都 会 が き ら い 。 ゆ と り あ る 生 活 を し た い 。 自 給 自
足 の 生 活 を し た い 。 」 と い う,「
生 活 志 向 」 的 動 機 の ポ イ ン トが そ れ ぞ れ2倍
して い る 。 先 に み た こ の 時 期 に お け る 露 地 野 菜 お よ び稲 作 の 増 加 は,新
近 くに増 加
規 参入 者 たち の有
機 無 農 薬 栽 培 志 向 の 現 わ れ と考 え らえ れ よ う。
調 査4に お け る 就 農 動 機 の 変 化 は,設
問 が 変 わ っ た の で 考 察 しづ ら い が,ま
ず有 機無 農薬
志 向 の 比 率 が 変 化 して い な い こ と は 確 認 で き る 。 し か し そ れ に も か か わ ら ず,こ
露 地 野 菜 が 減 少 し施 設 園 芸 が 増 加 す る 理 由 は,た
と え ば 参 入 者 へ の 資 金 援 助 な ど,や
自 治 体 や 農 業 関 係 機 関 に よ る 受 け 入 れ 体 制 の 整 備 が 考 え ら れ る 。 同 時 に,そ
な 整 備 が 進 む に つ れ て,就
の 時期 に
は り
う した 政 策 的
農 動 機 に 関 し て 先 に 述 べ た 「事 業 志 向 」 か 「生 活 志 向 」 か と い
う 明 確 な 区 別 が で き に く く な っ て き た と い え る か も し れ な い 。 そ れ ほ ど強 い 意 志 が な く と
129一
も,就
農 が 可 能 に な る か ら で あ る 。 も ち ろ ん 設 問 が 変 わ っ た た め に,「
活 志 向 」 か と い う 判 別 が つ き に く く な っ た 面 も 大 き い が,参
事 業 志 向」 か
入 者 自 身 に つ い て も就 農 動 機
の も つ 重 み が 変 化 し つ つ あ る と予 想 さ れ よ う 。
表62就
農 動 機(調
査1,2,3)
就 農動 機
調 査1調
査2調
農 業 に興 味 が あ る 。 農 業 が や り た い 。(%)3231.331。0
農 業 に は 夢,将
来 性,自
特 定 の 農 業 経 営(酪
有 機 農 業,無
由が あ る。
農,肉
用 牛,花
卉 な ど)を
や りた い 。2211.112.1
農 薬 農 業 が や りた い 。713.014.5
就 農 前 に 農 業 関 係 の 仕 事 を して お り.そ の 経 験 を 生 か した い 。88.86.8
独 立 して 自分 の 経 験 を した い 。
自 然 が 好 き。 自然 の 中 で 生 活 した い 。 都 会 が 嫌 い 。 ゆ と りあ る1220,718.3
生 活 を した い 。 自給 自足 の 生 活 を した い 。
就 農 前 の 職 業 が よ くな か っ た 。 転 職 した か っ た 。9393.5
定 年 退 職 後 の 職 業 と し て 。 老 後 の 生 きが い 。42.73.8
そ の 他(教
育,健
康,家
庭 の 事 情,不
明 な ど)。64。84.4
そ の 他 。-3.85.6
の べ 合 計(%)100100100
1人 あ た り回 答 数(個/人)-2.32.3
注)調
査2,3は,調
査1の 資 料 に合 わ せ る た め,の
表63就
農 動 機(調
べ 合 計 を100%と
調 査4
収益 性 が 高 く,将 来 性 が あ る 。(%)11.4
自 分 で 創 意 工 夫 で き る 農 業 が 好 きだ か ら 。313
新 技 術 を 生 か せ る か ら。5.5
時 間 が 自 由 に とれ るか ら。19.2
有 機 農 業,無
農 薬 農 業 等 を や り た い か ら 。14.0
以 前 の仕 事
技 能 を生 か した い か ら 。6.3
家 の 事 情 か ら。2.1
結 婚 に 伴 い 。0.2
以 前 の 職 場 の 事 情 か ら。2.g
そ の 他 。7.2
の べ 合 計(%)100
1人 あ た り回 答 数(個/人)2.4
注)調
し構 成 比 で 表 わ した 。
査4)
就農 動機
査4に つ い て も,表6-2の
注 と同様。
130・
「生
査3
新規 参入者 の概 要 に 関す る以 上 の簡 単 な考 察 をま とめ る次 の よ うにな る。一 口 に新 規 参
入農業者 とい っ て もい ろい ろな場合 が あ るが,「
担 い手 論」 を背景 と して施 策 的 に対 象 と
なってい るの は,農 業基 盤 を まった く新 た に築 い て 自力 で経 営 をお こなお う とす る人 た ち
を指 してい る。 それ らの人 た ち は1980年
して きた。 しか し1992年 は120人
以 降で み るか ぎ り,年 々 お よそ 数十 人単 位 で存 在
を越 え,こ れ は 自治体 や 関係 機 関 にお ける支援事 業 の影
響が大 きい と考 え られ る 。就 農動 機 につい て は,1980年
後 半 には 「事 業志 向」 的動機 の減
少 と 「生活志 向」 的動 機 の増 加 が み られ た。最 近 にい た って,こ
ある とも予想 され るが,一
れ らの 区別 が弱 ま りつ つ
方 で 「生 活志 向」 的動機 は確 実 に継続 して い る。
新 規就農 ガイ ド事 業 な どの新 規参 入 支援 事業 は,「 担 い 手論 」 をベ ース にす るか ぎ り
「
事 業志 向」型 の参入 者 に関心 が 向 か うが,実 際 にはそ れ にそ ぐわ ない 「生 活志 向」 型参
入者 が確実 に一定 の比 率 で存 在 して い る.し たが って,確
か に新規 参入 者 の 円滑 な就 農 や
経営 基盤 の確 立 な どへ の支援 は必 要 で あ り,一 定 の成 果 を上 げて い る とい え るが,そ
れを
問題 にす るだ けで は事 業 自体 が もつ現 代 的意 味 を見失 う こ とに な りか ね ない。両志 向の 区
別が弱 ま り,新 規 参入 者 が イ ンパ ク トを与 える こ との ない まま に既存 農 業 に取 り込 まれ て
しまっては,現 代 農業 に再 考 をせ まる もの と して の新規 参 入者 とい う意 義が 実現 しない か
らで ある。本 章 にお い て,新 規 参 入農 業者 の 農業観 や 生活 態度 を明 らか にす る こ との現 代
的意 義 は ここ にあ る とい え よ う。
37人
の新 規 参入 者 た ち
新規 参入 者 を扱 う文献 の 多 くは,な
ん らか の視 角か ら参 入者 の タイプ分 け を してい る。
この こ とは新規 参 入 者 た ちが 多様 な集 団で あ り,単 純 に一般化 して論 じえない こ とを物語 っ
てい る。 そ こで.こ
こで紹介 す る事 例 の 特徴 につ い て最 初 に述べ てお きた い。
先 に新 規 参 入農 業者 の定 義 を① か ら⑤ まで あげ たが,以
下 の事 例 は① お よび② に該 当す
る人 た ちで ある。 つ ま り新規 参 入者 の核 心 をなす 人 た ちで あ るが,な
は暫定 的 に,⑤
に近 い生 活形 態 となって い る事 例 もあ る。他 方,「
志 向」型 の 分類 に即す る と,以 下 の7人
(E氏)含
まれ てい る もの の,そ
か には結果 的 あ るい
事業 志 向」型 一 「生活
の 中に は 「事業 志 向」 的 な意識 を もつ事 例が1例
の他 はす べ て 「生活志 向」型 に含 め て よい事例 で あ る。
そのた め.資 本 集約 的 な畜 産や 施設 園芸へ の参 入者 は まった く含 まれ てい ない 。 したが っ
て,核 心 部 分 に 限 る と して も,な お新 規参 入者 の 一般 像 を論 じる には無 理 が あ るが,参
入
者 た ちの生 き方 や考 え方 を拾 い だ し現 代農 業 を再 考 しよ う とい う趣 旨 を考慮 す る と き.確
131
実 に存 在す るが等 閑視 されが ちで あ った 「生 活志 向」 型 参入 者 に焦 点 を しぼ る こ とも意義
あ るこ とだ と思 う。特徴 の第3点
と して,就
農 して比 較 的 間 もない 人 たちで あ る こ と もっ
け くわ えて お く。
各事 例 の内容 はお お よそ,家 族構 成,就
生活 を と りま く人 間 関係,農
調査 は,1992年2月
1)A氏
農 にい た る経 緯,現 在 の 農業経 営 と生 活,生 産
業 とい う職 業 につい て,と
い う順 に記述 してい きたい。 な お
か ら3月 にか けて,筆 者 が 直接 に対 象者 に面接 してお こ なった 、
一兵庫 県 宍粟 郡千 種 町 一
A氏(33歳)の
家族 は,妻(35歳)と
子 供 た ち3人(6歳,3歳,0歳)の5人
で,1989年
の4月 に千種 町 に移 住 した。就 農前 は東大 阪市 に住 み,夫 婦 と もに 中学校 教 師 を してい た
(夫:社 会科,妻.英
語)。
A氏 は兵庫 県 明 石市 の生 まれ で,生 家 の 職業 は会 社 員 で ある。加 古川 市 内の 高校 を卒業,
慶応大 学へ 進学 し,卒 業後 す ぐに中学 校教 師 となる。妻 は教 師時代 の 同僚 だ が,結 婚 す る
ときか ら,い ず れ教 師 はや め る と妻 に話 して あ った とい う。妻 は東大 阪市 の会 社員 の家 庭
に生 まれ,市
内の 高校 を卒業,関
A氏 が教 師 をや め たの は,1988年
とが あ る とはい え,こ
西大 学 に進 み,卒 業後 教 師 となった。
の4月 で あ る。教 師 時代 に脱 サ ラ農民 の本 を読 んだ こ
の ときは就 農す る とい う 目的 は まだ はっ き りして い なか った とい う。
しか し農業 に関心 が あ り,農 業体 験 を してみ よ うか とい うこ とで,同 年5月 か ら大 阪府 内の
農家 で農業研 修 をお こない始 め る。 農業 へ の 関心 の源泉 は幼い 頃 に経験 した 田園風 景 だ ろ
う とい う。そ の後,研
修 の過 程 で農 業 をや るな ら年 を とってか らで はで きない と感 じ,研
修 を5か 月で き りあげ て就 農地 を捜 し始 め る。88年11月
生計 の安 定 の た め に平 飼 い に よる養鶏(「
で8),そ
の こ とで ある。
自然養 鶏」)を
取 り入 れ たい と思 って いた の
れが可 能 な場 所 を望 んだ と同時 に,見 晴 ら しや 日当 りが よい とい うこ とな ども就
農地選 択 時 に考 え た とい う。兵 庫 県農 業会 議 に も相 談 したが,結 局 自然 養鶏 関係 の 人 を通
じて,今
の就 農地 が 決 まった 。最初 は借 家 が見 つ か らず 町営住 宅 に住 んだ が,そ の後 屋敷
地 を借 入 れ,自 分 で家 を建 て た。就 農 時 の資金 は600万 円 ほ どあった、
現 在 の経 営 は,平 飼 い に よる産卵 鶏360羽(成
鶏330,雛30)と,水
田が2反,畑
が1反
で ある。鶏 舎敷 地 をは じめ土 地 はす べ て借 地 で あ る。 田畑 はほ とん ど無 農薬 で つ くって い
るが,お
もに 自給 用 で あ る。養 鶏 につ い て は,同
じ集 落 で 自然 養鶏 をお こな ってい る人 に
技術 的 な援 を受 けた 。野 菜 な どの栽 培 につ い て は本 や雑 誌 を参 考 に した り,近 所 の高齢者
たち に聞い た りして い る。
・132
生計 は卵 の販 売 と,町 内の 中学 生 を集 めて 自宅 で お こな ってい る家庭 教 師か らの収 入,
お よび冬期 に お こな う水 道 工事 な どへ の ア ルバ イ トで 成 り立 ってい る。卵 は1個40円
の単
価で,夫 婦 の大 学 時代 や職 場 時代 の友 人 た ち に宅 配便 を利 用 して販 売 してい る。卵 の売上
か ら餌代 をひい た収入 は,月 当 りお よそ24万 円前後,そ
れ に家庭教 師の収 入が 月 に7万 円ほ
どある。
兵庫 県有 機 農業 研 究会 と自然 養鶏 会 に入 ってお り,あ わせ て年 に2∼3回
会合 に出か け る。近 辺 に住 む新 規参 入者 た ちで集 ま って,炭
程 度 これ らの
を焼 い た こ ともあ る。地 区の
出役や 葬式 の手 伝 い な どには欠 か さず 参加 し,地 元 の消 防団 の一員 で もある。一 方,葬 式
や地 区で の供 出金 な ど,つ
きあい にか か る費 用 は多 い と感 じてい る。
農業 は最 もッ ミの 少 ない 職業 で は ないか,と
い うの がA氏
の考 えで あ り,農 業 とい う職
業 を正 当化 す るひ とつ の大 きな根 拠 であ る。つ ま り農 業 は,公 害 や資 源浪費,効
りの労働 か ら,最
率一 点 ば
も遠 ざか る こ との で きる職業 だ とい うこ とだ。 また,夫 婦 で教 師 を して
いた頃の毎 日の忙 しさ を振 り返 りなが ら,家 族 一緒 の生 活 の大切 さ を強調 す る。都会 と違 っ
て近所 の 人た ちの干 渉 が気 に なる こ と もあ るが,都 会 に は もう戻 りた くない とい うのが夫
婦の一致 した意 見 で あ った。
2)B氏
一兵庫 県氷 上郡 市 島 町 一
B氏(30歳)は
独 身で,1989年
に就 農 した。就 農前 は灘神 戸生協(現
コー プ神 戸)の 職
員で あ った。
B氏 は広 島 県 の 出身で,生
家 の職 業 は会 社 員 で あ る。父 親 の海外転 勤 の 関係 で高 校 は ブ
ラジルの イ ンターナ シ ョナ ルス クール を卒業 した。 ブ ラジルへ 向 か う前 にはア メ リカで半
年 間の語学研 修 の経験 もある。 卒業 後,国
際基督 教 大学 社会 科 学科 に入 学 。卒業後 す ぐに
灘神戸 生協 に就 職 した。
B氏 の 農業 へ の 関心 は,ブ
ラジル在住 時 に第 三世 界 の,と
くに貧 困層 の人 々 との 出会 い
が発端 だ ろ う とい う。大 学 入学 後 に,東 京 か ら広 島 まで徒 歩 旅行 を した こ ともそれ まで の
生活 を見 直す きっか け とな った。具体 的 に農 業 が した くなったの は大 学2年
「あ る 日突然 」 思 い立 った とい うこ とだが,あ
の 時だ とい う。
る 日突然 農業が や りた くなる とい う現象 を,
氏 は 「帰 農症 候 群」 と名 付 ける。
本 当 は農業 をや りたか った の で,生 協へ の就 職 は妥協 の産物 で あ った。 しか し,職 員 仲
間 との研 究会 で有機 農 産物 の 産消提 携 の実践H例 と して市 島町 を知 り,農 業会 議 に照会 した
ところ.運
よ く市 島 町 に受 け入 れの用 意 が あ り,就 農 の運 び となっ た。就 農 を決意す る段
133
階で は,市 島 町の 産消 提携 に尽力 して きた神 戸 大学Y助
とい う。 また,就
教 授(当
時)の 影響 も大 きか った
農前 には大 阪 府 の農家 で半年 間 ほ ど研 修 をお こな った、
住居 は農 家 の離 れ を月2万 円で 間借 りしてい る。 当初 は,農 業 委員会 の斡 旋 で畑 を1反,
田 を7畝 借 りて い たが,調
査 時現 在 の経営 情 況 は,畑3反,田1反,飼
料 作1反 と平 飼 いの鶏
が400羽 で あ る。飼 料作 を入 れ た輪作 体系 を とってい る。 鶏 を始 めた きっか けは,提 携 関係
にお け る卵不 足 で あ っ たが,野 菜 作 りよ りも楽 で安 定 してい る ため,し だ い に経 営 の 中心
にな りつつ ある。 野菜 な どの栽 培 につ いて は,町 内の 有機 農業研 究会 の メ ンバ ーや本,近
所 の高齢者 たち を参 考 に して い る。養 鶏 につ いて は愛 農会 関係 の養鶏 農家 が町 内 にい る。
現 在 の耕 地 の うち4反 は購 入 済 みで あ る。就 農時 の資 金 は300万 円 ほ どあっ たが,耕 転 機
やそ の他 の機 械,軽
トラ ック な どの購 入 にまわ った ので,土
地 の購 入 につ い て は親 や生協
時代 の知人 た ちか らの借 金 で まか な った。購 入理 由 は,借 地 の場 合,肥
えた と きに土地 を
返 して くれ とい われ る こ とが あ るか らだ とい う。 また鶏 舎 の改築 にあた って は,提 携 して
いる消 費者 団体 か ら100万 円の無利 子融 資 を受 けてい る。
最 近の収 入 内訳 は,卵 の販 売 に よる収 入 が月7∼8万 円,野 菜 か らが月3万 円(い ず れ も費
用差 引後),週3回
教 えてい る隣町 の学 習塾 か らの報酬 が 月5万 円で あ る。卵 や野菜 は,提
携 してい る消費 者 団体 へ 全量 出荷 してい る。鶏舎 の改修 に手 を と られて野 菜作 りが お ろそ
か になってい るが,鶏
舎 が 完成 す れ ば,農 業 で現 在 の倍 の収 入 は見 込め るだ ろ うとい うこ
とで ある。
有 機農 業研 究会 の県 レベ ル,関
西 レベ ルの会合 に出てお り,途 上 国か ら農業研 修 生 を受
け入 れ る事 業 には,語 学 力 を活 か して通訳 あるい は世話 人 と して積極 的 に参加 してい る。
また,ふ
る さ と創 生 基 金 を利 用 した町主導 の い わゆ る活性 化塾(「
未 来塾 」)や,地
区の
青年 の集 ま りに も出 てい る。 葬式 な どの 地 区の一 般 的 なつ きあい に も参 加 してい るが,A
氏 と同様 に,そ の 関係 の 出費 が 多い と感 じてい る。 さ らに町 内 に計 画 され た ゴル フ場 の建
設 反対運 動 で は,中 心 的 な活 動 をお こな った。
農業 は産業 で は な く食 べ物 作 りなの で,農 産物 は工 業 製品 と同様 の流 通 はで きない.あ
るい は同様 の コス ト計 算 は成 り立 た ない,と い うの がB氏
給 的 な生 活 を理 想 に してい たが,実
の考 えで あ る。大 学 時代 には 自
際 に就 農 して みる と,た とえば 肉 を食 べ たい とか旅 行
を したい な どとい う欲 求 を消 し去 る こ とが で きない こ とが わか った。 だか ら,就 農 に際 し
てあ ま り強 い信 念 を もちす ぎるの も,分 裂 を招 くだ けで よ くない と考 えてい る。
上 の世 代 の人 たち は,運 動 的 に新 規参 入 した人 た ちで あれ,従 来 の農業 か ら有機 農業 に
134・
転身 した人 で あれ.農 業 を苦 しい もの と して捉 えて い る よ うにみ え る.自 分 は,そ
うで は
な く楽 しみ と して の農 業 を考 えたい し,現 在30歳 代 くらい の若 い 人た ちの志 向 はそ うな っ
て きてい る.とB氏
3)C氏
はい う。
一兵 庫 県氷 上郡 市 島 町 一
C氏(31歳)も
独 身で,1991年
の4月 に市 島町 に移住 した。
神 戸市 で生 まれ,小 学校 の時 に岡山県倉 敷 市 に移住 す る。 岡山大学 工学 部 を卒業 後,機
械 プ ラ ン トメー カ ー に就 職 し,阪 神 地域 に居住 しなが ら6年 間勤務 す る。 その後,和
歌 山県
にあ る農 業法 人 で3年 間働 き,独 立 した。
学 生 時代 か ら自然保 護 な どに 関心 はあ ったが,実
際 に農業 につ こう と考 え る ようにな っ
たの は,就 職後 の こ とで あ る。バ ー レー ン出張 か ら帰 って きた と き,日 本 の緑 に強 く魅 せ
られ た こ とを記憶 して い る とい う。 い ろい ろな理 由 か ら.農 業 がい ち ばん マ シか な,と 思 っ
て就農 を考 えた ところはA氏
に似 てい る。会 社 をやめ る直接 の原 因は,造 船不 況 に よる
「肩 たた き」 の現 場 に接 し,会 社 の冷 た さを肌 で 感 じた こ とで あ った。
和 歌 山県 の農業 法 人 を知 った の は,大 阪 市 の 中之 島公 園 で お こなわれ た農業 関係 の就 職
説明会9)を 通 じて で あ る。農 産加工 に関す る仕 事 の従事 者 を募 集 してい る ところ もあった
が,部 分 で は な く,農 業 に 関す る仕事 全般 がや れ そ うだ った とい う理 由 で.そ の農 業法 人
を選 んだ。最 終 的 には,そ
こで50∼60頭
独 立 時の希 望 地 は兵庫 県 で あ った。C氏
い た 肉牛 の世 話 をまか されて い た とい う。
が神戸 生 まれで市 内 に親戚 もあった こ と.消 費
地 と して神戸 を考 えて い た こ とな どが理 由 で ある。結 局,B氏
市 島町 は消 費者 と提携 し販 路 が確 立 してい たの で,こ
の ところで ふれ た ように.
こに決 めた 。
就 農 のた めの特 別 な資 金 は なか った とい う。 トラク ターや耕転 機,精
そろ えたが,譲
米機 な どの機械 を
り受 けた もの もあ り,全 部 で20万 円強で入 手 で きた。作 業小屋 風 の一軒 家
の家賃 は.電 気水 道 込 みで 月1万 円 であ る。
借 地 に よる農 地が 全部 で3反 あ ま りあ り,う ち1反 強 には水 稲 を作 付 け た。農地 はすべ て
無償 の借 り入れ で,有 機 無 農薬 に よる栽 培 をお こなって い る。昨秋 に収 穫 した米 は飯 米 と
贈 り物用 の みで あ り,販 売 は しなか った。畑 は昨年7月 下旬 か ら収穫 物 を提 携 消費者 に出荷
し始 めたが,調
査 時 点 まで の売 上合計 は10万 円程 度 で あ る。 農業 法人 時代 の知識 を基 本 に
し,本 や 町内 の有 機農 業 農家 を参 考 に しなが ら農作業 を してい る。 また,隣
町 にあるB氏
と同 じ学 習塾 で週7時 間教 えてお り,そ こか らの収 入が 月6万 円 ある。
参 入 して 間 もない こ ともあ り,新 規 参入 者 関係 の集 ま りに何 度 か 出席 し,体 験 を語 った
・135・
こ ともある。他 に は有機 農業 関係 の集 ま りに も参 加 す る。 地 区の 出役 には欠 か さず参 加 し
てい るが,毎
月 開か れ る地 区 の会 合 に は,塾 講 師 と重 な って 出ない こと も多 い。B氏
加す る町主導 の 活性 化塾 も,最 初 は出て い たが,学
が参
習塾 の都 合 で疎 遠 になった。
農業 は仕事 を自分 で コ ン トロール で きる とこ ろが よい とい う。 消費者 をは じめ,い
ろい
ろな人 と知 り合 い になれ るの も.氏 の感 じる よか った 点で あ る。将来 は牛 や鶏,果 樹 を経
営 に くわ えた有 畜複 合 農業 をめ ざ して い る。運 動 にはあ ま り関わ らず に自分 の農 業 を しっ
か りさせ てい くこ とが 現 在 の課題 で ある。最 近 は野菜 農家 が減少 してい る よ うだが この先
どうなるの で あろ うか,私
は 自分 で作 っ てい るか ら大丈 夫 だが_,と
述 べ たの が印象 的 で
あった。
4)D氏
一香 川 県大 川 郡 寒川 町 一
D氏(41歳)の
1987年5月
したが,1年
家 族 は,妻(37歳)と
に正 式 に就 農 した。D氏
子 供 た ち(15歳,13歳,10歳,10歳)の6人
の前 職 は国鉄 職員 で あ る。JR四
で,
国へ の変 更 時 に退 職
間の有 給 休職 期 間が あ っ たの で,実 際 には1986年 か ら農業 に専 念 してい る。
D氏 は現 在住 む集 落 の 出 身で,3反
を卒業 後,国 鉄 に就 職 したが,そ
す れば年金 が つ くので,そ
程 度 を所有 す る農家 の三 男 で あった。地 元 の農業 高校
の 頃か ら本 当 は農業 をや りたい と思 ってい た。20年 勤続
の 頃 に退職 して農業 を始 め る計 画 をた ててい た とい う。 同 じ集
落 出身の妻 と結 婚 して しば ら くたつ まで は他 町 に住 んでい たが,1977年
て帰 って くる。 そ して 減 反用 の土 地 を借 りて,少
に地元 に家 を建 て
しず つ農 業 を始 める。 そ う して 国鉄退 職
まで,兼 業 農家 と して の生 活 が続 い た。
水 田 を1町3反,畑
を5反 作 って お り,平 飼 い の鶏 が500羽 い る。農地 につ いて はすべ て借
地 で,反 当 り2.2万 円 の借 地料 を支 払 っ てい る。水稲 につ いて は耕転 や田植,収 穫 な どの作
業請負 も,そ れぞ れ1.0∼3.Ohaの 規模 でお こなって い る。機械 は トラクNタ ーが3台,コ
バイ ン,軽
トラ ック,2ト
ン トラ ッ クが そ れぞ れ1台,籾
ン
摺 り機,乾 燥 機 な どが あ る。
自分 で経営 す る田畑 はほ とん どが有 機 無農 薬栽 培 で ある。帰 郷後,当 初 は化 学肥 料 や農
薬 を使 う ような農業 をお こな ってい たが,1981年
こ ともあ って,趣
に生 まれた子 供が ア トピー だ った とい う
味 の農業 か ら始 め たの だ か ら化学肥 料 や農 薬 をな るべ く使 わ ない ように
しよ うと考 えた とい う。 その 頃 は兼業 して いた ので,技 術 は本 な どを参考 に しなが ら,あ
せ らず に 自分 の考 え で 身につ け てい っ た。
野菜 や米 の ほ とん どは,「 かが わ土 と 自然 の会 」(事 務 所.高 松 市,会 員200戸 程 度)と
い う消費者 グルー プ に販 売 し,自
らの運 転す る トラ ツクで県 内各 地 に散 らば る会 員の拠 点
136
に,週2日
の 配達 をお こな う。 農協 か ら頼 まれ て しか た な く栽 培 して い る タマ ネギ は農協 に
出荷 す る。 これ につ い て は無農 薬 で ない。鶏 の餌 と して米 ぬ かが必 要 なため,近
くの い ち
ご農家 と共 同で コイ ン精 米 もお こな ってい る。
妻 も農業 を手伝 い,そ
れ につい て は給 料 を出す か た ちに してい る。子 供 たち も機械 作 業
を手伝 うこ とが ある。 昨年 の粗 収 入 は1000万
円 を少 し越 した ぐ らい だ とい う。将来 は,山
の方 に土地 を買 って体 験 農場 的 な要素 も含 め た複 。合 農 場 を作 るか,あ
るい は農 産加工 の 部
門 に手 を広 げてい きたい とい う。
自然養鶏 会 の 四国支 部 や全 国有機 農業研 究会 に も入 って い るが,前 者 とはやや疎 遠 に な
り,後 者 につ い て は県 レベ ル の活動 が少 ないの で,こ の 関係 の活動 はほ とん どない。 その
か わ り,地 元 出身 とい うこ ともあって,町
の農業 者会 議 や 農協,学
校 関係 の役 職 につ くな
ど,地 域 的 活動 の機 会 は多 い 。地元 の小 学校 で農作 業 の指導 もして い る。
国鉄 時代 との違 い は,夜 勤 や 時間 に追 われ た仕事 か らの解 放 とい う面 もあ ったが,大
き
く違 うの はつ きあいの広 が りで あ る。 国鉄 時代 は同僚 だ けのつ きあいで あ ったが,農 業 を
してい る と,自 分 か ら出てい く意 志 さえあれ ば.つ
きあい が どん どん広が る とい う。 消費
者 グル ープ向 け に割 に合 わ ない配 送 をお こな うの も,消 費者 と話 を した り生の意 見 を聞い
た りとい う交流 が あ るか らだ。 また,県 や 農業会 議 の 人 と知 り合 い に もなれ る。テ レビの
取材 も何 度 か受 けた。
加工 を して付 加価 値 を高 め た り,生 産者 の側 が値 決 め をす る発想 に転換 で きた りす れば,
農業 は有望 な産 業 にな りうる。 そ うい う意 味 で.農 業 はや れ ばや るほ ど可 能性 の ある産業
で ある。 さ らに,特 産 品 の 開発 な どを通 じて地 域社 会 の発展 のた め に も役 立 ちたい,とD
氏 は語 る。
5)E氏
一香 川 県仲 多度 郡 琴南 町 一
E氏(40歳)の
農 地 は琴 南 町 にあ るが,居
で通 う通勤 農業 で あ る。妻(35歳)は
8歳)あ
る。1990年
宅 は車 で40分 ほ どの宇 多津 町 にあ り,毎 日車
看 護婦 を して お り,子 供 は4人(13歳,12歳,10歳,
の11月 に農業 を始 めた 。
E氏 は坂 出市 内の漁 家 の 出身 で あ る。長 男 で なか った こ ともあって,市
後,川 崎重工 に就 職 し3年 間訓練 生 と して神戸 で暮 らす 。 その後,地
場 に戻 り,約10年
内の 中学 を卒業
元 の工 業 地帯 にあ る工
間働 く。そ の 間,通 信教 育 で高校 を卒業 した。退 職 して しば ら くは実 家
のの り養 殖 を手 伝 った後,魚
市場 の 中 の水 産会 社 に就 職 し,そ こで10数 年 間働 いた。
魚市場 をや め たの は職場 で の トラブ ルが大 きな原 因 だ った とい う。 セ リを担 当 して たの
137
でス トレス も きつ か っ た。 も うサ ラ リーマ ンは した くない と思 ったが,漁 業 は身近 で見 て
いたせ いか,獲
るば か りで先 行 きが不安 な気 が した。 他 方,農 業 につ いて は担 い手不足 の
話 をマス コ ミ等 で聞 い てい た ので,今
は よ くない が先 々 よ くなるだ ろ う と考 えてい た。何
か を始 め るに は年 齢 的 に最 後 の チ ャ ンス だ と も思 って いた ので,転 職 を決意 した。
とはい うもの の,具 体 的 な作 目や場 所 を考 えてい た わ けで はない.山
あいの 静 か な とこ
ろ とい う希望 が あ っ た ぐらいで あ る。今 の場 所 は農 業会 議 を通 じて見 つ けた。 農業会 議 は
作 目や候補 地 な どを も う少 し具 体 的 に紹 介 して くれ る と思 ってい たが,少 々期待 はず れで
あ った とい う。妻 は就 農 に賛成 しなか ったの で,移 住 は で きず通 勤 農業 となって い る。妻
の実家 は愛媛 県 の 農家 なの で,農 業 で食べ られ る はず が ない と思 って い るのか も しれ ない.
はじめの うち は妻 とい さか い になる こ と もあ ったが,最 近 は何 もいわ な くな った,と い う。
特 別 な研 修 をせ ず に農業 を始 め たの で,昨 年 は練 習 の意 味 もあって あ ま り土 地 を借 りな
かったが,今 年 か らは1町2反 の土地 を借 りて経営 をお こな う予 定 で ある。借 地料 は年1.5∼
1.9万 円/反 で,露
地 に よる野 菜作 が 主で あ る。 昨年 は キ ャベ ッや た まね ぎ.ち んげ ん菜 な
どを作 り,粗 収 入 は150万 円で あった。今年 は粗収 入600万 円 をめ ざ して努 力 したい とい う。
就 農資金 は300万 円 あ り,機 械 装備 に120万 円 ほ どか か った。技術 は普及所 や 地元 農協 の営
農指導員 の意見 を聞 い てい る。農薬 を使 いす ぎる こ とに抵抗 感 はあ るが,無 農薬 にす るつ
も りは今 の ところ ない 。 出荷 は農協 出荷 と個 人 出荷 の両 方 で ある。個 人 出荷 は必 ず しも積
極 的 な もの で はな く,規 格 や 品揃 えが 要求 され る農協 出荷 に対応 で きないか らとい う意味
が強い。
農業委員 の誘 い で,町
内 にあ る 中核 的農 家 の会 に入 って い る。そ の メ ンバ ーで視 察旅行
をす る こ ともある。 居住 して い ない ので,地 元 とのつ きあ い は年1回 の用 排水 路掃 除 だ けで
あ る。
農業 は天候 の 関係 で労働 が 必 ず しも収入 につ なが らない こ とが あ る。 そ うい う意味 で,
職業 と して 農業 を選 ぶ こ とはか な り勇 気 が必 要 だ と思 う。 担 い手不 足 の情報 か ら農業 に飛
び込 んだが,実
際 にや って み る と条件 は きび しい 。 しか し,農 業 を してい る と国や地 域 に
も役 立 つの で は ない か と思 う し,こ の選択 は正 しか った と信 じてい る。今 は 自活す る こ と
が最大 の 目標 で あ る。 経営 が 軌 道 にの って,農 業 で食 べ てい け る よ うになれ ば,妻
を考 えるの で は ない か。E氏
6)F氏
も移住
は この よ うに語 る。
一香 川 県香 川郡 塩 江 町 一
F氏(37歳)の
家 族 は,妻(32歳)と
子供1人(6歳)で
138
あ り,1990年3月
に家族 とも ど
も移住 した。移 住前 は広 島市 内 に住 み,中
F氏 は広 島市 郊 外(現
堅 ス ーパ ーマ ー ケ ッ トに勤 めて いた。
在 は佐伯 区)の サ ラ リーマ ン家庭 に生 まれ,市 内 の高校 を卒業,
広 島修道大 学 人文 学 部 に進学 し,卒 業 後 まず市 内 の本屋 に2年 間勤 め る。 そ の後,ス
に転職 し約10年 間勤 め た後,1988年6月
務員家庭 の 出 身で あ る。高 校 を卒 業後,広
農業へ の 関心 は,今
に退 職 した。1984年
ーパ ー
に結 婚 した妻 は,下 関市 の公
島市 内で働 い てい た ときにF氏
と出会 った。
に して 思 え ば小 さい 頃,母 の実 家 の みか ん畑 で遊 んだ こ とが発 端 か
もしれ ない とい う。 しか し,具 体 的 に就 農 を考 え始 め たの は,ス ーパ ー勤務 時代 で あ る。
仕事 が ら食 物 の安全 性 な どの問題 に関心 が 出て きて,素 性 の知 れ ぬ もの を食 べ る よ りも自
分で作 った方 が よいの で は ない か と考 え る ように なった 。ス ーパ ー をや め たの は仕事 が忙
しす ぎた こ と もあ る。 朝8時 前 に家 をで て,帰
りが夜12時 をまわる こ と も珍 し くなか った。
だか ら.就 農 の希 望 を親 に打 ち明 けた とき も,体 の心配 か らそ の方が い い とい う反応 であ っ
た とい う。妻 も家 族 一緒 に働 け る こ とを望 ん でい た。
ス ーパ ー退 職後,最
初 は山 口県 内 で場 所探 しを したが,妻
るにあた って人手 を捜 して い たの で,と
の友 人が香 川 県で事 業 を始 め
りあ えず妻 が就 業 しなが ら適 地 を探 せ る と思 い,
1989年 に香 川 県 に移住 し,高 松市 郊外 に住 んだ 。就 農 のため の準 備 資金 はほ とん どなか っ
たので,副 収 入 の機会 の 有 無 も就 農地選 択 の大 きな条 件 で あった。
現 在 の場 所 は県 農業 会 議 の斡 旋 に よる。 しか し就 農前 に,農 業会 議 に勧 め られて 県の農
業大学校 で1年
間の研 修 をお こ なっ た。農家研 修 の道 もあ ったが,有 機 無 農薬 に よる栽培
を考 えてい たの で,一 般 農家 での研 修 は敬遠 した とい う。住居 につい て は,運
よ く町所有
の住 宅 を月1.5万 円で借 りる こ とが で きた。
4反 の農地 を年5万 円 で借 りて野菜 作 りを してい る。昨年 は種 々の作物 を試験 的 に作 って
みたので,ほ
とん ど販 売 す る にい た らなか っ た。今 の土 地 に移 って1年 間 は妻が会 社 勤 め
を続 け,そ の 後 の半年 間 はF氏 が 高松市 にあ る 自然食 品 店 の手伝 い を して いたが,最
近の
半年 間 は これ とい った現 金収 入 が ない状 態 で ある。技 術 につ い ては,県 で 出 してい る栽培
方法 の本 や 市販 本,近
所 の 高齢者 た ちか ら得 てい る。
本格 的 な販売 は今 春 か ら始 め る予 定 で あ る。 方法 は宅 配 と直売 店 を考 えて い る。宅配 は.
広 島市 や下 関市 に住 む失婦 の友 人 た ち50数 軒 を対 象 に してい る。 直売 店 は,う
ま くい けば
今年の 夏 ご ろ.車 で30分 ほ ど離 れ た高松 市 内 の近郊住 宅 地域 で開業 で きる見 込 みで あ る。
この店 で は,自 作 の農 産物 の ほか に,近
くの高齢 者 た ちが お もに 自家用 に作 って きた野菜
な ど も集 め て売 りたい とい う。 また,有 機 無農 薬農業 をお こ な う県 内の2名 の生 産者(う
139
ち
1名 は次 に紹介 す るG氏)に
も声 をか け てお り,そ の 人た ちの農 産物 も扱 い たい とい う。 出
店 につい て は,ス ー パ ー時代 の知 識 を役 立 て てい る。
地域 のつ きあい には積極 的 であ る。 ほ とん どが 働 きに出て い る同世代 の人 た ち と知 り合
い になれた の は,子 供 の意 義が 大 きい とい う。 また,町
の農業 後継 者 ク ラブ に も加入 して
い る。農業 をす る と会 社 には ない よ うな人 間関係 のつ なが りが得 られ る と感 じてい る。
スーパ ー勤 務 だ と退職 後 の生 活 が空 白状 態 だ が,農 業 だ と動 け るか ぎ り働 き続 け られ る
とい う意味 で,将
来の見 え る生活 が で きる,とF氏
はい う。 自分 の労働 が,そ
の ま ま食べ
物 のか たちで 自分 の生 につ なが るの で わか りやす くてい い,と 妻 はい う。思想 を問 うよ う
な有 機無 農薬 農業 もよい が,自 分 と して はそ う した思想 や信 条 と無 関係 なかた ちで,農 業
を し,昔 の八 百屋 の よ うな直 売 店 を運営 して い きたい.とF氏
7)G氏
は語 る。
一香 川 県綾 歌郡 国分寺 町 一
G氏(44歳)もE氏
と同 じ く通 勤 農業 で あ る。居 宅 は高松市 内 にあ り,妻(42歳)と
供が2人(14歳,11歳)あ
る。上 の子 供 は現在,三
重 県 にあ るヤマ ギシズ ム学 園 中等 部 に
入 ってい る。 妻 は高松 市 出身で 特殊 学校 の教 諭 を して い る。G氏
所 職員 を退職 し,農 地探 しに少 々手 間 どった後,1990年2月
G氏 は高松 市 内 の文房 具 店 の生 まれで,市
子
は1987年6月
に坂 出市役
に現 在 の農地 がみ つか っ た。
内の高 校 を卒業,法 政大学 工 学 部 に進 学 した。
7年 後 に卒業 し,親 の 意 向 もあ って坂 出市 の公 務員 に なる。役所 で は一貫 して都 市 計画 課所
属 で あった。
就 農 を考 え始 め たの は1980年 頃 ごろで あ る。 よ く本 を読 んでい たの で,そ れ 以前 も食 品
添加 物 関係 の本 や代 替 エ ネル ギ ー関係 の本 を読 んでい たが,画 期 となっ たの は,福 岡正信
『自然農 法』10}と中島正 『自然 卵養 鶏法 』11)の2冊 に出会 った こ とで あ る。 また 『
現代 農業』
に載 ってい た庭 先 養 鶏 の話 も印象 に残 ってい る。 一方,そ
の頃 に家 を建 て,や や本格 的 に
家庭 菜 園 を始 め た。
こう した こ とが総合 して,し
だ い に就 農 の決 意 が高 まって きた。就 農の壁 は具体 的 には
3つ あ った とい う。 第1は 収 入 の 問題,第2は
題,第3は
体 力 的 な問題
の特 別講i習研 鐙 会(7泊
役所 をやめ て農業 をす る と きの世 間体 の問
で あ る。第1,第2の
の合宿研 修)に
問題 は,と
くに,1984年
にヤマ ギ シズ ム
参 加 して決心 が つい た とい う。 ヤマ ギ シズ ムの農業
を学 びた い と思 って特 講 に参 加 したが,結
果 的 に これがG氏 の 生 き方 を大 き く左 右 す る こ
とにな る。 最後 まで残 った の は体力 の 問題 で あ る。 しか し,農 作 業 は しん どい けれ ども楽
しい と思 った と きに,就 農 の決 心が つ い た、妻 は黙 認 したが,収 入 が半分 にな る こ とがや
140一
や不満 で あ った 。
退職直 後 は,す
で に買 って おい た 山間 の休耕 畑 で 農作 業 を してい た。 しか し,経 験 もな
く土地 条件 も悪 か っ たの で,農 業会 議 を通 じて,よ
農地 は2カ 所 に分 か れ,合 計4反,借
り近 くて便利 な現 在 の農地 を探 した。
地料 は年2.5万 円/反 で あ る。資 金 は特別 に準 備 して
いなか ったが,耕 転 機 な どは退 職時 にそ ろえた 。
昨年 の作 目は野 菜類 の みで あ る。販売 は高松市 内 にあ る 自然 食 品店 にお ろ した 。 この店
はF氏 の話 にで て くる店 の こ とで,こ
の店 を通 じてG氏
は多 い月で3万 円程 度 で あ る.そ れ らの収 入 は種苗,資
はF氏
と出会 った。 昨年 の粗収 入
材 費 と同 じく らいだ ったの で,借 地
料 や用水 費 な どは妻 の収 入 か ら補 填 した こ とにな る。1年
作 ってみて.無
が多少 わか って きた 。 この冬 にはハ ウス の建 て まわ しもお こ ない,3棟
農薬栽 培 の技 術
で合 計170坪
になっ
た。作 るだ けで は金 の こ とばか りを考 え るので 自分 で売 る こ とも考 えた い,と い う。 しか
し,今 の ような無農 薬栽 培 をひ と りの 労働 で お こな うす る と,手 取 りで年100万 円 ぐらい の
収入が 限度 で は ないか と もい う。技 術 は もっ ぱ ら本 か ら得 てい る。
借地先 で のつ きあい は,野 菜 を作 ってい る人が い ない こ と もあ って ほ とん どない 。
今 に なって思 えば,市 役 所 の仕事 は こな してい く仕事 で あ って,将 来 を描 け ない 仕事 で
あった。 それ に比べ る と農 業 は 自分 で 目標 を立 て て,そ
の描 いた方 向 に進 んで い くところ,そ
4"小
宇宙"と
れ に向か って仕事 が で きる。 自分
こが 農業 の 楽 しさだ とG氏 は語 る。
して の農 業生 活
個 々の参 入者 たち は個性 に溢 れて お り,安 易 な論 評 は避 けるべ きで あ る。 しか しB氏 も
指摘 した こ とだが,と
くに 「生活 志 向」型 参入 者 の 農業観 には共通 点 も多 い。仮説 的 考察
で ある こ とを こ とわ りつ つ.以 下 に ま とめ てみ よう。
最 も顕著 な共 通 点 は.農 業 を生産 だ けで な く販 売 も含 めて 考 えてい るこ とで あ る。 この
傾 向の直接 的 要 因 は,こ の型 には無 農薬 栽培 や鶏 の平 飼 いが 多 いの で,必 然 的 に独 自の流
通方式 が必 要 とされ る こ とで あろ う。市 場流 通 で は農産 物 の見栄 えが 問題 となる し,安 全
性 とい う価 値 も正 当 に認 め られ が たい か らで ある。 しか し,こ の背後 には もう少 し深 い 要
因,す
なわ ち 自分 の生 活 の成 立 ち の全体 を理 解 し,把 握 したい とい う願望,が
影響 して い
る よ うに思 われ る。 この こ とは 「生 活志 向」 型 の各 事例 にみ られ る 自給 の姿勢 か ら も知 ら
れ よ う。個 別 的 に は 「生 きてい る全 体 が よ くわか る生 活」 とい うF氏 の妻 の考 え方 や,A
氏 が 自分 で家 を建 て た こ とな どもその現 われ と考 え られ る・
14L
こう した こ と もあ って か,参 入 者 た ちの 生活 は 自律 的 性格,よ
り強調 してい えば"自 己
完結"的 性格 を もつ よ うに思 われ る。 この 自己完結性 は閉鎖 的
内 向的 とい う意味 で はな
い。就 農前 の 人間 関係 を利 用 して宅 配 をお こな った り,あ るい は ゴル フ場 反対運 動 を主導
した り,積 極 的 に地域 的活動 を した りす る例 がみ られ る ように,参 入者 の活動 はむ しろ外
に開か れてい る。 つ きあい が広 が った とい う感想 も多 く聞 かれ た。 しか しそ れ らの人 間関
係 は,あ
る組織 の一 員 として の 関係 とい う よ りも,自 己 を中心 と した ネ ッ トワー ク として
展 開 してお り,そ れ ぞれ の 関係 を自分 が コ ン トロー ル しうる とい う意味 で,自 己完 結的 だ
と思 われ るので あ る12}。
この こ とは もち ろん,就 農 地 での 生活 経験 が乏 しいた め に,地 域 的組織 では な く,し か
たな く自己の 関係 の ネ ッ トワー クに頼 らざる を えない とい う面 の反 映 で もあ る。 しか しな
が ら,伝 統 的 農民 た ちの行動 様 式 が 「間人 主義」 的 で相互依 存 的 であ る といわ れ るの に比
べ る と,程 度 の差 で はあ れ,参 入者 は よ り 「個 人主 義」 的で 自己 中心 的 だ とい え る13)。 彼
らに とって は,地 域 的組 織 もコ ン トロー ル され うべ き対象 の ひ とつ なので あ る。今 後,参
入者 が就 農地 域へ 与 え るイ ンパ ク トとい う もうひ とつの局 面 を考察 す る場合,こ
れ らの対
照 的 な二 つ の行動 様 式 が どの よ うに影響 しあ うかが,重 要 な着 眼 点 とな ろ う14)。
次 に,こ れ もまた 「生活 志 向」型 の参 入者 に限 った こ とだが,傾 向 と して思想 や信 条が
後退 しつ つ あ る こ と を指摘 して お きたい.年 齢 層 でい うと現在30歳 代 くらいの 人た ち は,
それ以前 の学 生運 動 を経験 した世 代 とは違 って,公 害や食 べ物,環
境 な どの問題 意識 か ら
農業 に 目を向 ける 人が 多 い15)。その結 果,食 べ 物 な どの モ ノ に関心 の 中心 が あ り,組 織 的
活動 への 関心 は比 較 的 弱 い ように思 え る。 人 間 関係 が ネ ッ トワーク的 な 自己完結 型 に なる
の も,そ の現 われ とい え よ うか。
以 上の こ とか ら,従 来 の農業 者 た ち に対 す る彼 らの革新 性 は,実 際 的 には流通 形態 の再
考 や,付 加価 値へ の 関心 の喚起,農
村社 会 へ の異 質 な人間 関係 の導 入 な どにあ る とま とめ
られ よ う。 しか しよ りつ きつ め る な らば,彼
的な"自 由"に
らの小 宇宙 的 自律 性 は,農 業 生活 にある本 来
つ なが る もので あ る。現 在 の 農業 が あ ま りに多 くの制 度 や関係性 の中 に絡
め られて い る こ と を考 える と き.彼 らの小 宇宙 的"自
由"の
もつ意義 もまた革新 的 とい え
よう。
だが,そ
れ に して も参入 後 日が 浅 い とはい え,農 業収 入 の きわめ て少 ない事 例が 目につ
く。 「作 る だ けで は金 の こ とばか りを考 え るので 自分 で売 る こ と も考 えたい」 とい うG氏
の発言 を裏 返 す と,販 売 を も手が け て消費 者 との つ なが りな どもで き・ 農業 を見 る視野 が
142
広 く な る と.所
得 一 辺 倒 の 価 値 基 準 が 揺 ら い で く る の か も し れ な い 。 し か し,事
は 地 域 と の つ き あ い に も 積 極 的 で あ り,現
例 の多 く
金 を 必 要 と す る 生 活 か ら 遊 離 は で き な い 。 ま た,
これ か ら結 婚 や 子 供 の 成 長 を ひ か え て い る事 例 も多 い 。 以 上 の事 例 が 今 後 どの よ う な 生 活
史 を つ く る の か,見
守 っ て い く必 要 が あ る 。
注
1)新 規 学 卒,Uタ
ー ン就 農 者 数 は,農
1992年.P.24よ
2)ひ
林 水 産 省r新
しい 食 料
い て は 『WEEKLYプ
ボ ー イ 』,第27巻
だ し,こ
農村 政 策の 方 向
関 係 資 料 』,
り∩
レ イ ボ ー イ 』 に も,「
明 る い 農 村 プ ロ ジ ェ ク ト」 と題 して 新 規 参 入 農 業 者 の 紹 介
と就 農 を勧 誘 す る 特 集 記 事 が 載 せ られ て い る(浅
3)た
農業
見 文 夫 「明 る い 農 村 プ ロ ジ ェ ク ト」 「WEEKLYブ
レイ
第26号,1992年.PP.38-43)。
こ で 田 口 の い う 「経 営 理 念(農
業 観)」
は,農
業 だ け で 都 市 勤 労 者 並 み の 生 計 を確 保 で き る
こ と を 目指 す 「職 業 と して の 農 業 観 」 と,経
営 の 剰 余 を 地 代 込 み 利 潤 と して 見 な す よ う に な る 「企 業 と
して の 農 業 観 」 の2分
階)の
類(田
口 に よ る と2段
み を 指 して い る。 田 口 三 樹 夫 「農 業 経 営 の 主 体 論 的
課 題 」 鈴 木 福 松 編 「農 業 経 営 の 構 造 的 再 編 』 明 文 書 房,1983年.PP.270-293。
4)た
と え ば,徳
野貞雄 「
農 業 危 機 に お け る 農…
民 の新 た な 対 応 」(「
村 落 社 会 研 究 」26集,1990年)な
5)「 担 い 手 論 」 を否 定 す る わ け で は な い 。 そ う し た 見 地 か らの 研 究 と して は,た
真 一 「農 業 へ の 新 規 参 入 者 対 策 と 農 協 が は た す 役 割
14集,1988年)が
あ る が,実
橋伸 夫
下 惣一
『
脱 サ ラ 農 民 は なぜ 元 気 』(家
が 執 筆 した り編 集 し た り し た 本 も多 い が,そ
(楽 游 書 房,1986年)が
詳 しい.さ
下 の 分 類 に つ い て は,品
部 義 博.「
364号,1987年,PP3-13),お
1985年,PP.2・8)を
国農
山 崎 光 博 「農 業 の 新 しい 担 い 手 の 動 向 と将 来 展 望 に 関 す る 調 査
村 生 活 総 合 研 究 セ ン タ ー,1987年),安
1991年),山
藤 義 道 「ザ ニ ュ ー フ ァ ー マ ー 』(明
の 光 協 会,1993年)な
の 紹 介 は,エ
コ
文 書 房,
ど が あ る 。 新 規 参 入 者 自身
ラ イ フ研 究 会 編 「新 田 舎 暮 しへ の招 待 』
ら に,各 種 農 業 関 係 雑 誌 に も新 規 参 入 者 の ル ポ が 散 見 さ れ 始 め た 。
「新 規 参 入 」 農 業 者 の 諸 類 型 と就 農 実 態 」(『
よび東廉
「
都 市 住 民 の 「就 農 」 」(『
農 政調 査 時報』
農 林 統 計 調 査 」 第35巻 第10号,
参 考 に した 。
7)農 水 省 農 蚕 園 芸 局 普 及 教 育 課
『農 業 へ の 新 規 参 入 に 関 す る 実 態 調 査 結 果 の 概 要(未
定 稿)」
平 成 元 年7
水 省 農 蚕 園 芸 局 普 及 教 育 課 農 業 後 継 者 対 策 室 『農 業 へ の 新 規 参 入 に 関 す る 実 態 調 査 結 果 の 概 要
(未 定 稿)』
平 成4年3月,農
結 果 概 要 』 平 成6年3月
8)坂
協同組 合 奨励研 究報 告 』
の ほ か 注7に あ げ る も の 以 外 に も,全 国 農 業 改 良 普 及 協 会 編 『新 規 参 入 者 就 農 事 例 集 』(全
報 告 書 」(農
月,農
重富
だ ま だ 地 域 的 作 目 的 に 限 定 が 必 要 だ ろ う。 新 規 参 入 者 の 事 例 を扱 っ た 文 献
業 改 良 普 及 協 会,1986年),三
6)以
木 洋一
際 の 調 査 対 象 は 北 海 道 の 酪 農 へ の 新 規 参 入 を扱 っ て お り.純 粋 に 「担 い
手 論 」 と し て 論 じる に は,ま
は,こ
機 能 に つ い て の 研 究 」(「
と え ば,松
ど。
根 修 の 本(『
水 省 統 計 情 報 部 「農 業 以 外 の 分 野 か ら新 た に 農 業 経 営 を 開 始 した 者 の 調 査
。
都 市 生 活 者 の た め の ほ ど ほ どに 食 っ て い け る 百 姓 入 門 』 清 水 弘 文 堂,1985年)に
趣 旨 の 記 述 が み ら れ る の で,そ
の 影 響 も あ る か も しれ な い 。 坂 根 氏 の 発 想 に つ い て は,岸
143
同じ
康 彦 「五 反 百
姓 坂 根 修 の"食
え る 農 業"」(『
養 鶏 」 に つ い て は,中
9)C氏
の 記 憶 で は,「
島正
農 林 統 計 調 査 」 第35巻 第10号,1985年)に
「自然 卵 養 鶏 法 』(農
文 協,1980年)を
よ る紹 介 が あ る 。 「自然
参照。
も う ひ とつ の 就 職 説 明 会 」 と い う 名 前 で あ っ た 。
10)福 岡正 信 「自然 農 法
わ ら一 本 の 革 命 』 柏 樹 社,1975年
。
11)注9を 参 照 。
12)以 上 に の べ た 販 売 面 の 重 視 と人 脈 の 活 用 は,徳
野 貞 雄 が 農 業 へ の 新 しい 眼 差 し を もっ 農 業 者 か ら帰 納 的
に導 きだ した 特 徴 と 共 通 して い る 。 徳 野 「前 掲 論 文 」 参 照 。
13)「 間 人 主 義 」 と 「個 人 主 義 」 に つ い て は,浜
1g88年(初
出:日
本 経 済 新 聞 社(1977)を
正昭 「
稲 作 経 営 の 課 題 と展 開 方 向 」(r農
主 義 的 で あ る 背 後 に は,必
口 恵 俊r「
参 照 。 ま た,そ
れ らの 農 民 行 動 へ の 応 用 に つ い て は ,石
林 業 問 題 研 究 」93号,1988年)を
参 照。 参 入者 たちが個 人
業 生 活 を続 け る と き に ,こ れ で い い ん だ と納 得 で き る
人 が も っ て い る よ う に 思 う。 そ の 理 由 は人 に よ っ て 違 うが,そ
断 基 準 と な っ て,比
(r農 業 と経 済 」 第59巻
第8号,1993年)に
農 業 の 社 会 的 な位 置 づ け と,個
構 想 して い る 。 な お,ラ
稿 「最 近 に お け る む ら と新 規 参 入 者 の 微 妙 な 共 存 」
お いて 若干 の考 察 をお こ なった。
15)あ え て 農 業 を 職 業 と して 選 択 す る と い う行 為 は,各
a〃an'5LIfe,1978)が
れ が 行 動 の ひ とつ の 判
較 的 個 人 主 義 的 な 行 動 様 式 が 可 能 に な っ て い る よ う に 感 じた 。
14)新 規 参 入 農 業 者 と地 域 社 会 との 関 連 に つ い て は,拙
イ ク ル の 心 理 学(上
田
ず し も楽 で は な い 農 業 生 活 を 支 え る 精 神 的 支 柱 を個 々 の 人 た ち が も っ て い る
こ と も大 き い と思 わ れ る 。 言 い 方 を か え れ ば,農
よ う な 理 由 を,各
日本 ら し さ」 の 再 発 見 」 講 談 社 学 術 文 庫,
人 の 個 性 を と りあ えず 除 外 す れ ば,各
々 人 の ラ イ フサ イ ク ル と の 関 数 と して 描 く こ とが で き る の で は な い か と
イ フ サ イ ク ル の 普 遍 化 に つ い て は,ダ
・下)1(講
時代 にお ける
談 社 学 術 文 庫,1992年,原
興 味深 い 。
・144・
ニ エ ル ・レ ビ ン ソ ン(南 博 訳)『
著:LEVエNSON,D.」.The5easonsof
ライ フサ
第7章
韓 国 農 村 に み る 農 業 「担 い 手 」 変 動 の パ タ ー ン
ー 流 動 性 の 高 い 村 落 シ ス テ ム の 例 と して 一
本 章 で は,韓 国農 村 を事 例 と して農 業 者 の人 間 関係 を考察 す る。 韓 国農 村 は,村 落 を形 成す る点,お
よび父系 的親 族組 織 を有す る点 な どで 日本農 村 と類 似 して い るが,た とえば農 業者 の 流動性 が 高 い とい
う点 で はわが 国 農村 と大 き く様 相 が異 な る。 ここで は,そ う した 流動性 の高 さが現 わ れる社会 的背景 を,
農業者 の 社 会的 性格 や 彼 らの人 間 関係 の持 ち方 を通 じて 明 らか にす る。 日本 と同様 に韓 国で も現在,深
刻 な農業 労働 力 の 減少 が 進行 して お り.農 業 へ の新規 参 入者 が 望 まれ る ところで あ るが,流 動 性 の高 さ
ゆえ に障壁 も低 く,参 入 自体 は比較 的容易 で あ る。 こ う した韓 国の事 例 を比較 材料 と して,日 本 にお け
る新 規参 入 者 問題 に関す る示唆 を得 る こ と もまた本 章 の 目的 であ る。
1離
農 現 象 と 「担 い 手 」 変 動
1980年
前 後 以 降.韓
国 は 急 激 な離 農
離 村 現 象 を 経 験 し つ つ あ る 。 そ の 様 子 を ま ず,マ
ク ロ な統 計 数 字 に よ っ て 概 説 しよ う。
5年 毎 の 数 字 で み る と,農
す と,75→80年
家 数 は1975年
が9,4%,80→85年
以 降 に 大 き く減 少 し は じ め た 。 そ の 減 少 率 を 示
が10.6%,85→90年
が8,3%で
の 日 本 の 農 家 減 少 率 を 示 す と,5.9%,6.1%,9。3%で
も っ と も 高 か っ た の は,85→90年
継 続 し て い る こ と に な る 。 一 方,農
%,80→85年
が21.3%,85→90年
の9.3%で
あ り,1950年
あ る 。 ち な み に 同期 間
以 降 の5年
あ っ た 。 こ の 高 水 準 が 韓 国 の 場 合 に は15年
家 人 口 の 減 少 率 に つ い て は,そ
が21.8%で
あ り,結
局 こ の15年
れ ぞ れ75→80年
農 家 人 口 減 少 率 を 大 き く上 回 っ て い る 。 ま た,農
以 下 の 農 家 人 口 比 率 は51.0%で
て,そ
あ っ た が,90年
業 か ら の 撤 退 は,農
み ら れ た12%台
の
に は30.6%に
で80.6%,90年
ま で 減 少 した 。
で も59.6%の
村 での兼 業機 会 が少 ない こ ととあい まっ
の ま ま 離 村 に つ な が る 場 合 が 多 い 。 離 農,離
2つ の 概 念 を 明 確 に 区 別 し な い 場 合 が 多 く1),そ
が18.2
家 人 口 の 減 少 は若 年 層 を 中 心 と して い る 。
日本 と 比 較 して 専 業 農 家 率 が 高 い こ と も特 徴 で あ る 。75年
高 率 で あ る 。 した が っ て,農
間
間 に農家 人 口は ほぼ半
数 に 減 少 し た 。 こ れ ら の 比 率 は 日本 の 高 度 経 済 成 長 期(1960∼75年)に
75年 の19才
間減少 率 で
村 問 題 を 論 じ た 文 献 に お い て も,こ
の
れ だ け 離 農 と 離 村 が 実 態 と して 結 合 し て
い る こ と を物 語 っ て い る 。
そ の 結 果,目
を 転 じて 個 別 農 業 経 営 レ ベ ル で み れ ば,農
大 の 可 能 性 が 生 じ,主
家 数 の減少 に よって耕地規 模 拡
と して 借 地 に よ る に せ よ 「自 小 作 前 進 」 と も呼 べ る 現 象 が で て き た
145
とい う指 摘 もあ る2)。
本 章 の 関心 は,マ
ク ロ レベ ルで み られ る以上 の状 況 を よ りミク ロな レベ ル,実
際 には村
落の レベ ルで検 討 し,韓 国 農業 の 「担 い手 」3)変 動 の 実相 とその 方向性 を明 らか にす る こ
とにあ る。 と くに村 落 を舞 台 に して,そ
(世帯),お
こか ら去 る離 農 ・離村 者(世 帯)と
よび そ こ に入村 す る農業者(世
残 留す る者
帯)に 注 目 し,彼 らの社会 的性 格 を検 討す る
ことに よっ て,農 業 「担 い手」 の変動 パ ター ンを村 落社 会 との 関連 の なか で把握 したい.
ところで,村 落 レベ ル で 「担 い手」 問題 をみ る こ との意 義 と限界 を述 べ て おか ねば な ら
ない。 まず,村
落 とい う場 の設定 につ いて で ある。 日本 と同様 に,韓 国 にお いて も農村地
域集 団 として の村 落 が存 在 し4),む らに相 当す る語彙 と して マ ウル とい う固有 語が ある5)。
農業,と
くに耕種 型 農業 を営 む場合 には,通 常 この 地域 集 団の一員 とな らね ば な らず,し
たが って村 落 は 「担 い手 」 問題 を具 体 的 に捉 え る場合 の ひ とつの社 会 的範 域 と して,さ
し
あた り設定 可 能 とい え よ う。
次 に,村 落 間 の差 異 につ い て であ る。韓 国 の村落 は大 き く 「同姓村 落」 と 「各姓 村落」
に性格 分類 され る場合 が多 い 。 この分類 基準 は,ま ず祖先 を共 通 にす る同姓 同本 の者 たち
が,1つ
の村 落 内 に集 団 的 に居 住 してい るか どうか に よって判 断 す る こ とにあ るが,通 常
は同姓 集 団 を構 成 す るの は両班層 で あ り 「各姓村 落」 を構 成す るの は常民 層 で ある とい う,
社会 階層 的 な区分 も重 なって い る6)。 本 章 で の考察 は,基 本 的 には 「同姓 村落 」 に焦 点 を
しぼ り,「 各 姓村 落 」 につい て はそ れ との比較 の ため に若 干 の言 及 をお こな うに と どめ る
7)
。 「同姓 村 落」 を対象 とす る場合,「
担 い手 」 の社 会 的性格 とは,そ
う した 同姓 集 団 に
属す るか ど うか が ひ とつ の基本 的 な要 素 となろ う。
さらに,同 姓村 落 の なかの 地域差 の問題 もあ る。本 章 の事 例村 落 が位置 す るの は忠清 南
北道 で あ り,比 較 的 ソ ウル に近 い地方 で あ る。 そ のた め,時 代 は さか の ぼ るが,と
くに高
麗時代 には中央 政 権 との結 びつ きが強 か った8)。 したが って地方 に根付 い た両 班 の 同姓村
落 と比 較す る と,土 着 意識 に乏 しい と も予想 され る。 同姓村 落 の範疇 内 にお け る こ う した
偏 差 につ いて今 の とこ ろ詳 しい検 討 はで きないが,そ
れが 強 く存 在す る となる と,一 面 に
おい て定住 意 識 を扱 うこ とに なる本 章 に とって,こ の 点 もまた 限定要 因 とな るで あろ う。
率直 にい って本 章 の試 み は以 上 の 限定 の うえ にお こなわ れ る もの であ る。 しか し,農 業
の 「担 い手 」 は農 業 とい う生産 活動 の み をお こな うの で はな く,あ る場所 に住 み,そ の場
所の独 自な社 会 関係 の なかで生活 してい る。本 章 はそ う した生 活上 の社会 関係 を も含 め て,
韓 国農業 の 「担 い 手」 問題 を考 え よ うとす る試 み の第一 歩 で ある。 さ らに展 望的 には 日韓
146
の比 較の 意図 もあ る。韓 国 とい う文化 的 に近 い 社会 の 農業 「担 い手 」 問題 を検討 す る こ と
によ り,同 様 の 問題 を抱 え る 日本 の状 況 を複 眼 的 に分析 す る視 点 を得 たい,と
い う意 図で
あ る。 これ につ い て は最 後 に若干 の示 唆 的 な考 察 をお こない たい。
2.忠
清北 道 一 同姓村 落 にお け る離村,継
1)調
査 地 の概 況
フロ ゆ
最 初 の 事 例 は,忠
入
チリ ノ ミ ほ ン
清 北 道 塊 山 郡 佛 頂 面N村
距 離 で 示 す と,面
在)ま
住,参
落 で あ る 。佛 頂 面 の 位 置 を主 要 都 市 との 直 線
事 務 所 所 在 地 か ら こ の 地 方 の 中 心 都 市 で あ る 忠 州(人
で13km,道
庁 所 在 地 の 清 州(35万,同)ま
面 の 総 面 積 は5,977haで,そ
の う ち3,866haが
全 土 の 平 均 と ほ ぼ 等 し い.ま
常 住 す る 世 帯 数 は1,275戸
面 内 に は 小 学 校(「
た,住
都 ソ ウ ル ま で110kmで
林 野 で あ る 。 林 野 率 は64.7%と
民 登 録 さ れ た 世 帯 数 は1,338戸
で 同 人 口4,161人
国 民 学 校 」)が3校,中
表71専
で40km,首
口11万,1987年
と な っ て い る(い
現
あ る。
な り,韓
で 人 口 は4,940人
国
だ が,
ず れ も 面 事 務 所 資 料 よ り)。
学 校 と 高 等 学 校 が 合 併 し た も の が1校
ある。
兼 別 農 家 数 お よ び 地 目 別 耕 地 面 積(1990年)
全国
椀 山郡
佛頂 面
(戸,%)
個 人 農 家D合
計1,767,033(100)13,225(100)1,046(100)
専 業 農 家1,052,315(59.6)8,886(67.2)813(77.7)
第1種 兼 業 農 家389,097(22.0)2,143(18.2)136(13.0)
第2種 兼 業 農 家325,621(18.4)1,926(14.6)97(93)
(ha,%)
耕 地 面 積 計2)1,823,380(100)14,916(100)1,357(100)
水 田1,206,387(66.2)8,060(54.0)727(53.6)
畑616,997(33.8)6,857(46.0)630(46.4)
うち 果 樹 園111,006(6,1)304(2.0)55(4.1)
(ha/戸)
1戸 当 耕 地 面 積1.031.131.30
注1)定
義 に よ る と 、 農 家 は 個 人 農 家 と準 農 家 か ら構 成 さ れ る 。 準 農 家 とは 「農 業
を 経 営 す る 機 関 ま た は 団 体 」 の こ と で 、1990年
に は全 国 で1,498個
、椀 山郡
で11個 、 佛 頂 面 で1個 あ る 。
2)た
だ し牧 草 地 を 除 く。
3)r1990年
表71は
農 業 総 調 査 」(大
韓 民 国 農 林 水 産 部)よ
り作 成 。
佛 頂 面 の 専 兼 別 農 家 数 お よ び 地 目 別 耕 地 面 積 を 郡,全
一147
国 と比 較 して 示 した も の
で あ る 。 全 国,郡
よ り も 専 業 率 が 高 く,し
か も畑 の 比 率 が 比 較 的 高 い こ と が わ か る 。 畑 作
物 と し て は,ト
ウ ガ ラ シ な ど の 疏 菜 類 の ほ か,タ
る 。 ま た,1戸
あ た り 耕 地 面 積 も 全 国 平 均 よ り27aほ
を お こ な う と,ト
バ コ,ゴ
マ な どの 特 用 作 物 を主 と して い
ど 大 き く,印
象 を も加 味 して 性 格 づ け
ウ ガ ラ シ や 特 用 作 物 な どの 畑 作 物 に重 点 をお い た 中 山 間 地 純 農 村 とい っ
た ところであ ろ うか。
表72は,30年
は,佛
間 の 経 営 耕 地 規 模 別 農 家 数 を み た も の で あ る 。 ま ず,・ 総 農 家 数 に つ い て
頂 面 で は こ の30年
間 に ほ ぼ3分
た こ と が わ か る 。 次 に,規
減 少 し,と
く に80年
模 別 農 家 数 に つ い て と く に80→90年
層 が や や 増 加 し て い る が,そ
い る 。 反 面,1.5ha以
の2に
れ を 除 く1.5ha未
上 層 は 実 数,構
増 加 し て た こ と か ら,80→90年
→90年
の 減 少 が 激 しか っ
の 変 化 を み る と,0.3ha未
満 層 は い ず れ も 実 数,構
成 比 と も に 増 加 し て い る 。80年
満
成 比 と も に減 少 して
ま で は1 .0∼1.5ha層
が
に な っ て こ こ 佛 頂 面 で も 分 解 基 軸 が 上 昇 し た こ とが 確 認 さ
れ る 。 こ の 規 模 拡 大 が 借 地 に よ る も の か ど う か は 不 明 だ が,全
国的 な
「自 小 作 前 進 」 傾 向
の 現 わ れ と考 え て よ い だ ろ う 。
表72経
営 耕 地 規 模 別 農 家 数(佛
頂 面)
1960年1970年1980年1990年
(戸,%)
総 農 家 数1,491(100)1,470(100)1,243(100)1,047D(100)
4田
…2〕-11311
0.3ha未 満165(11・1)138(9・4)93(7・5)122(11・7)
0.3∼0.5ha243(163)168(11・4)134(10・8)89(8・5)
0,5∼1.Oha515(34・5)438(29・8)402(32・3)202(193)
1.0∼1.5ha295(19・8)340(23・1)344(27・7)237(22・6)
1.5∼2.Oha145(9・7)179(12・2)175(14・1)196(18・7)
2.0∼2.5ha65(4・4)98(6・7)63(5・1)111(10・6)
2.5∼3.Oha33(2・2)52(3・5)15(1・2)43(4・1)
3.Oha以 上30(2・0)46(3・1)14(1・1)36(3・4)
注1)準
農 家 を 含 む 総 農 家 で あ る 。 準 農 家 に つ い て は 表71の
2)「
無 」 は,農
家 定 義 の な か に 家 畜 の み 飼 養 す る 者,お
注1)を
参照 。
よび 養 蜂 家 が 含 ま れ て い る こ と に ょ る
と思 わ れ る 。
3)r1960年
農 業 国 勢 調 査 」(大
『1980年 農 業 調 査 』(大
韓 民 国 農 林 部),「1970年
韓 民 国 農 水 産 部)、
農 業 セ ン サ ス 」(大
「1990年 農 業 総 調 査 」(大
韓 民 国 農 林 部),
韓 民 国 農 林 水 産 部)
よ り作 成 。
N村
落 は 面 事 務 所 所 在 地 か ら バ ス で 北 へ20分
と 総 面 積 は211ha,そ
の う ち 林 野 が135haを
の と こ ろ に位 置 す る。 面 事 務 所 資 料 に よる
し め る 。 耕 地 は53haで,内
・148一
訳 は 田27ha,畑
果樹 園26haで あ る。畑 で は主 要換 金作 物 と して の トウガ ラシ,タ バ コ,ゴ マ のほ か,ス
イ
カや トウモ ロ コシ な どが 栽培 されて い る。種 採取 用 キ ュ ウ リの契 約栽 培 もお こなわれ てお
り,種 は 日本 に輸 出 され る。果樹 園で はお もに リン ゴが栽 培 されて い る.
面 資料 に よる1992年 現 在 のN村 落 の常 住 世帯 数 は38戸,同
人 口は120人 で あ る。一方.
住 民登 録世 帯 数 は47戸,同
人 口 は170人 で あ り,面 内他村 落 と比較 して,数
も最 もズ レが大 きいが,そ
の理 由 は不 明 で あ る。38戸 の すべ てが 農家 とい えるか どうか は
定義 に もよるが,作
的 に も比率 的
物 選択 に失敗 し,そ の年 か ら少 し離 れ た ガソ リンス タ ン ドへ 勤 め だ し
た事例 が1戸 あ る ほか は。N村 落 外 へ通 勤す る者 はい ない。 た だ し,老 齢 者世 帯 にはほ とん
ど農業 をお こ なって い ない場 合 が あ る。
N村 落 は後 にふ れ る 自治 的相 互扶 助 集 団(「 大洞 契」)を
行 政的 な単 位(「
行 政里 」)で
れぞれ にい わ ば"小 字"名
韓 国農村 へ は1991年
は1992年8月22日
構成す る単 位 で ある と同時 に.
もあ る。村 落 内 におい て家屋 は3つ の集 住地 区に分か れ.そ
が あるが,そ
れ ら小 字単 位 で と くに集 団 を組織 す る こ とは ない。
か ら1992年 にか けて3度 の調 査旅 行 をお こなっ た。 と くにN村 落 に
か ら29日 の8日 間滞 在 し,文 書 お よび 聞 き取 り調査 をお こな った。記 述
中の年齢等 はそ の 当時 の もの であ る。 また,聞
き取 りに際 して は通訳 を媒 介 と した こ と も
申 し添 えて お きた い。
2)氏
姓 の構 成 と同姓 集 団
N村 落 に常 住 する38戸 の姓 の 内訳 は,鄭 氏16戸,李
全氏2戸,黄
氏,サ
氏,宋
氏,安 氏,斐
氏5戸,洪
氏5戸,金
氏3戸,崔
氏2戸,
氏 各1戸 で あ る。最 も多 い鄭氏 の うち15戸 は明 らか
に同姓 同本 のM公 派 に属 し,李 朝 初期 に正 一 品の最 高 官位 につ き,こ の派の始 祖 となった
M公(1396-1478)の
墓 が,こ
こN村 落 にある。 そ の墓 は1980年
に地方 文化財 に指定 され,
そ れ を契 機 に祭祀 をお こな うため の祭 閣 も建 立 され た。年 に1度(以
前 は2度)の
ときに,同 派 の 人 び とが ここに集 まる。墓 祭 は ソ ウル在住 の直系 子 孫(宗 孫)が
るが,そ れ とは別 に郡 単位 の 同派 の組 織(同
派 「魂 山宗親会 」)が
墓祭 の
中心 とな
あ る。 この宗 親会 は,
墓祭 とは別 に年 に1度 の 集会 をもつ 。郡単 位 の集 ま りで あ るが,事 務所 はN村 落 内 にあ り,
会合 に参 加す るの もほ とん どがN村
落 の 同派鄭 氏 た ちだ とい う。
同派 宗親 会 はN村 落 を中心 とす る近傍 に農林 地 を保 有 して い る。 そ の面積 は,田2,332
坪,畑8,366坪,林
地68町2反9畝
して い る。保 有 の 目的 は,主
あ る。 その ほ か に.屋 敷 お よび屋 敷 地 もN村 落 内 に保 有
と して墓 祭 の永続 的 な遂 行 に ある。林 地 の なか には 開墾 され
て畑 となっ た土 地 も含 まれて い る。 そ う した開墾畑 は1990年
149
まで鄭 氏 を中心 に賃 貸 に供 さ
れてい たが,条 件 の悪 い 山畑 で あ り,ま た相対 的 に農 地需給 状 況 も緩和 したの で ,そ れ 以
後 は作 り手が い な くな って しまった 。 したが って,同
派宗親 会 はそ こか ら得 てい た賃 貸料
収入 を失 った。 一般 に位土 と呼 ばれ る宗 親会所 有 の 田 と畑 につ い ては,後
にふれ る部 分が
あるので,利 用法 に 関 して もそ こで説 明 したい。
38戸 中の15戸 で あ るか ら,N村
落 の戸 数 に しめ る鄭 氏 の比 率 は40%程
度 に過 ぎない 。 し
たが って,村 落 の ほ とん ど を同姓 同本 の者 が しめ る ような典型 的 な同姓村 落 で はない が ,
か な り大 きな保 有 資産 を もち,村 落 内 に追随 す る他 集 団 もない こ とか ら9),1姓
型 の 同姓
村落 と して よい と思 われ る。 空 間的 にみて も,村 落 の生活 領域 の ほ ぼ中央 に,鄭 氏 始祖 の
墓 と祭 閣が あ り,「 鄭 氏 の地 」 とい う印象 を与 えて い る。
3)離
村者,継
住 者 と入 村者
1978年 前後 に作 成 と推 定 され る里長 保管 の住 民 台帳 を も とに,そ れ 以後 の人 や世帯 の 出
入 りをみて みた い。
まず 戸数 につ い てで あ る。1978年
時点 で の記載世 帯 数 は59戸 で あ るが,里
長(50才)の
記億に薄い世 帯 も含 まれ て い るの で,お そ ら くその数 字 は住民 登録 上 の世帯 数 と思 われ る。
そ こで,住 民 登録 上 の世 帯 数 の変 化 をみ る と,78→92年
で は,住 民登録 世 帯 が か つてN村
で12戸 の減少 とな る。 しか しここ
落 に居 住 した こ との あ る世 帯 だ と仮 定 し,78年
の住 民登
録世 帯 と思 われ る59戸 と92年 の常住 世 帯38戸 を比較 考察 したい。異 な る基準 で数 え られた
数字 を使 うこ とに な るが,お
図71姓
お よその傾 向はつ か め る と思 う。
氏 別世 帯 数 の変化(N村
落)
59戸
_転
他
姓氏38戸
入4戸33
_評]響
鄭 氏(44・1%)15戸
(39.5%)
(推 定)1978年1992年
住 民登 録 世 帯 数
常住 世帯 数
・150
図71は,2つ
の世 帯 数 間 の変化 を世 帯 の転 出入 を含 めて示 した もので あ る。 この 間 に
M公 派鄭氏 は11戸 減 少 した。 この図 に よる と,78年
であ り半 数 に満 た なか ったが,そ
にお いて も同派 鄭氏 は戸 数 全体 の44%
の比 率 が92年 に なって さ らに若干 なが ら低 下 して い る こ
とが わか る。 この 図 は2時 点 で の比較 なの で,こ
の 間 に転 入 し再転 出 した世 帯 は不 明 であ
る。 しか し,そ の逆 のパ ター ン,す なわ ち一度 転 出 した が再転 入 した例 が,聞
き取 っ た限
りで同派鄭氏 に2戸 あ った 。 それ らはいず れ も60才 以 上 の老夫婦 のみ の世帯 であ り,一 時期
清州 にい る息子 と一緒 に生 活 してい た とこ ろ も同 じで あ る。 そ して,1戸
が よい とい って,も
は田舎 暮 ら しの方
う1戸 は転 出後貸 して い た農地 の問題 が原 因でN村 落 に帰 って きた。
一方 ,他 姓氏 は この 間 に半 数 近 い15戸 が転 出 したが,分
家 に よる増加 が1戸 あ り,そ の他
に4戸 が転入 してい る。 そ の結 果,差
引10戸 の減少 とな った。転入 した4戸 の 内訳 は,女 性
の単 身高齢 者(74才)世
帯 主 年齢 が50才 代 の夫婦 家族 が1戸,世
帯 が1戸,世
代の夫婦 とその子 供か らな る世 帯 が2戸(後
に述べ るJT氏
とKH氏)で
帯主 年齢40才
ある。分家世帯 は,
40才 前後 の夫婦 とその子 供 で あ る。 高齢の女 性世 帯 は政府か らの年 金 が主 な収 入 源で あ り,
他 の4戸 は農 業 を営 んでい る。
ここで さ らに転 入 戸 に注 目す る と,N村
落 におけ る他姓 氏 た ちの多 くが比 較 的最 近の
(記憶 に残 る範 囲内 で の)入 村 者 で あ る可 能性 もで て くる。上 記 の期 間 に継 続居 住 して い
た他 姓氏18戸 中,具 体 的 に聞 き取 りをお こなった の は7戸 で あ るが,そ
5戸 は20∼60年
の うちの少 な くと も
前 に妻 方 の縁 故 な ど をた よって転入 して きた世帯 であ った。 こ う した こ と
か ら,ま ず世 帯 レベ ル でい えば,転
出す る世帯 は比 較 的少 ない が,農 業 「担 い手 」 と して
世帯単 位 で新 た に転入 す る こ と も少 ない 同姓集 団 と,転 出世 帯 も多 いが 農業 を 目的 とす る
転入世 帯 も多 い他 姓氏 た ち とい う構 図 を と りあ えず 想 定で き よう。
次 に実際 の労 働 力 につ い て検 討す る.先 述 の よ うにN村 落で は通勤 兼 業 な どもほ とん ど
ない ので,農 業 労 働力 の状 況 を年齢 別 の 人 口構 成 の状 況 を通 じて考 えたい.78年
デ ー タを も とに,人
料 の制約 上,78年
口構 成 を鄭 氏 と他 姓氏 につい て整理 したの が表7-3で
と92年 の
あ る。 た だ し資
の 人 口構 成 は92年 まで継 続 して居 住 す る世 帯 につ いて の み集計 した もの
で ある。
この表 につい て まず 注 意 して お かね ば な らない 点 は,両 年 に比 較 的 多数存 在す る青 年層
が必 ず しも村 落 内 で居住 し,農 業 を営 ん でい るわ けで は ない こ とで あ る.こ の こ とは,住
民登録 人 口 と推 定 され る78年 の 場合 は もと よ り,92年
の場合 に もあて は まる。先 に面事 務
所資料 に よるN村 落 の常住 人 口120人 で あ る こ とを述べ たが,聞
151
き取 りに よる人 口は148人
で あ り,28人
多 い こ と に な る 。 こ の 差 異 は,転
若 者 た ち を 人 び とが
24才
の 若 者 は34人
出 し て 都 市 に 常 住 し て い る が,未
「在 住 」 者 と 考 え て い る こ と に よ る 。 つ ま り,92年
と な っ て い る が,こ
れ る と 考 え て よ い 。 同 時 に,こ
の 層 に 常 に は 居 住 し て い な い28人
の 層 に は 高 校 生 も 含 ま れ,彼
都 市 の 高 校 へ 入 学 し て 寄 宿 生 活 を 送 る 場 合 も 多 い の で,日
み る こ と は ほ と ん ど な い 。 と り わ け,未
表73年
齢 階 層 別 人 口 構 成(N村
婚 で ある
に お け る15才
か ら
の ほ と ん どが 含 ま
ら は 面 内 の 高 校 で は な く近 傍
頃 こ の 層 の 若 者 た ち を村 落 内 で
婚 の 結 婚 適 齢 期 の 女 性 は皆 無 で あ る 。
落)
1978年1992年1992年
1978→92年
鄭氏
継 続 世 帯1978→92年
継 続世 帯
他姓氏
他 姓氏
鄭氏
全在 住 世 帯
鄭氏
他姓氏
4歳 以 下(人)951212
5∼9歳15134044
10∼14歳1118112114
15∼19歳1523114118
20∼24歳20279696
25∼29歳12121313
30∼34歳1093232
35∼39歳1074042
40∼44歳582023
45∼49歳284243
50∼54歳679595
55∼59歳7928210
60∼64歳602727
65∼69歳126464
70∼74歳266667
75∼79歳312020
80歳 以 上030101
合 計(人)13415877527771
該 当戸 数(戸)151815181523
(人/戸)
1戸 あ た り員 数8,98.85.1295.13.1
25∼69歳
合 計(人)596233313339
1戸 あ た り25∼69歳
員 数(人/戸)3.93.42.21・72・21・7
注)N村
落 住 民 台 帳 お よ び 聞 き取 り よ り作 成 。
以 上 を 考 慮 す る と き.実
こ と に な る 。 さ し あ た り,こ
際 の 農 業 労 働 力 は25才
こ で は 下 限 を25才
一152
あ る い は30才
以 上 と し,上
以 上 層 を対 象 に す れ ば よ い
限 に つ い て は や や 幅 広 く69才
以下 と して農 業労 働 力 を考 えたい。 これが 表 の下 部 の 指標 の意 味 であ る。
まず,1戸
当 り世 帯員 数 は,78年
規模 で あっ たが,92年
で は鄭 氏 と他 姓氏 の間 に差 はな く,双 方 とも9人 弱 と大
にな る と双 方 と もに大 幅 に減 少 した。 と くに他 姓氏 の継 続在 住 世帯
は3人 以 下 とな り,3分
の1に 減少 した。 しか し,分 家 と転入 戸 を含 め る と他姓 氏分 の 減少
度合 い はい くぶ ん低 くなる。他 方,鄭
氏 の減 少 はそ れ ほ どで は な く,そ の結 果,1戸
当 り
の 人数 は他 姓氏 よ りも2人 前 後 多 くなって い る。92年 の世 帯員 総 数 も,世 帯 数 が少 ない に も
かか わ らず 鄭氏 の方 が多 くな ってい る。
1戸 当 り労 働力 につ い て は。78年 の 時点 です で に多少 の差 が あ り,鄭 氏 の方 が0.5人 だけ
多い。そ れが92年 に は双 方 と も1.7人 だけ減 少 し,そ の 結果,や
多 くなって い る。青 壮 年層 に しぼ る と,49才
以下 の者 が鄭 氏 で は14人(25-69才
で あ り,継 続 居 住 す る他 姓氏 で は7人(同23%)で
とい え よ う。 ただ し,他 姓氏 側 は,分 家
姓氏 にお け る分 家 ・転 入者 が,と
とが わかる。 また,60才
は り鄭氏 の 方が0.5人 だ け
の42%)
あ って,鄭 氏 の方 が若 者 の定着 率が 高 い
転 入世 帯 を加 える と13人(同33%)と
な り,他
りわ け若手 労働 力 の補 充 とい う点 か らみて重 要 で ある こ
以上 の みの 老 人世帯 の数 をみる と,他 姓 氏 が8戸 で あるの に対 して,
鄭氏 は2戸 の み で あ る10}。
これ らの こ とか ら,労 働 力 につ い て みた場合,世
高い とい え よ う。他 方,他
帯 単 位 の充実 度 は相対 的 に鄭氏 の方 が
姓氏 側 は相 対 的 に充実 度 が劣 るが,労 働 力 の面 か らみ た分家
転入世帯 の重 要 性 が注 目され る。
この項 の議 論 を ま とめ る とこ うで あ る。鄭氏 は世 帯 と して は新 しい入村 事例 は な く,世
帯 数 は緩慢 なが ら減少 す る一 方 で あ る。 その結 果,総
戸 数 に しめ る割合 もやや低 下 した。
しか し,農 業 労 働 力 とい う点か らみ る と比較 的充 実 してい る。一 方,他 姓 氏側 は転 出世 帯
も多い が,転 入 や 分家 もある。 その結 果,総
戸数 に しめ る割 合 は若干 増加 した。 しか し,
労働 力面 をみ る と老 人世 帯 な ども多 く,相 対 的 に貧 弱 で あ る。 だが,そ
転 入戸 は労働 力,す
う したなかで 分家
な わ ち農業 「担 い手 」 の面 か らみ て注 目に値 す る。 したが って,村 落
とい う場 にお い て,同 姓 集 団 と他姓 氏 とを農業 「担 い 手」 の動 き方 として比 較す るな らば,
全 体的 に は農業 労 働 力 の縮小 傾 向 を示 しなが ら も,同 姓集 団 は"居 残 り充実"型
他姓 氏側 は"転 入 補 充"型
を示 す と規定 で きるの で はない か。
続 く2項 で は これ ら2つ の タイ プ を意識 しつ つ.N村
の事 例 と,2戸
を示 し,
の転入 戸(JT氏,KH氏)の
落 で最 も大 きな経 営 を営 む鄭Y氏
事 例 を取 りあげ,こ
具体 的背 景 につ い て考 察 したい 。
153
う した型 が現 われて くる
4)大
規模 経営 農 家 の経 営
鄭Y氏
は 現 在37才
生 活 と意 向
で あ る ・ 家 族 は 父,母,妻,息
子2人 の 全 部 で6人 で あ る が,子
は 面 内 の 小 学 校 で は な く忠 州 の 小 学 校 に 通 う た め に,母(子
忠 州 で 生 活 して い る 。 そ の ほ か に,同
所 有 農 地 は,田
が1,500坪,畑
に 示 した よ う に,N村
こ の う ち,田
樹 園 が3,000坪
落 の 総 耕 地 面 積 は53haで
氏 の 所 有 耕 地 は そ の 約3倍
あ り,戸
の 合 計12,000坪
数 は38戸
均 の 耕 地 面 積 は1.37ha,す
前 に リ ン ゴ を 始 め,そ
れ ら耕 地 の ほ か に 精 米 所 も経 営
れ ら2つ
の 収 入 で 農 地 を購
の 収 入 に よ っ て さ ら に 農 地 を買 い 足 し て き た と
近 で は こ の 付 近 に お け る 米 の 生 産 が 減 少 し,精
米 所 収 入 が 少 な くな っ て
樹 園が 主 に な ってい る。
農 繁 期 に は,お
は2,000万
程 度 に な る 。 鄭Y
は 他 の 人 に 貸 し て い る 。 残 りの 畑 に は ト ウ ガ ラ シ を 主
し て い る 。 父 か ら 経 営 を 受 け 継 い だ と き に は 精 米 所 し か な か っ た が,そ
き た の で,果
入作がな
と な る1b。
の す べ て と畑2,500坪
い う 。 し か し,最
で ある。先
で あ る か ら,出
な わ ち4,150坪
に栽 培 し,果 樹 園 に は 主 に リ ン ゴ を 植 え て い る 。 ま た,こ
入 して17年
一緒に
居 の 使 用 人 が1人 い る 。
が7,500坪,果
くす べ て が 農 家 だ と す る と,平
供 に と っ て は 祖 母)と
供2人
も に 面 事 務 所 の あ る 地 区 か ら 年 間100人
ウ ォ ン(当
時 の レ ー トで 換 算 して300万
日程 度 の 臨 時 雇 を雇 う。 年 間 所 得
円 強)で12),そ
の う ち500万
ウ ォ ン を貯
金 に 回 す とい う。
忠 州 に 家 を 買 っ て お り,最
自 分 はN村
初 は 自 分 も そ こ に 住 ん で,子
供 た ち は 忠 州 の 小 学 校 に 通 い,
落 の 農 園 に 通 う つ も り で あ っ た 。 し か し結 局,自
た よ う に 子 供 と 鄭Y氏
分 はN村
落 に 残 り,先
に述 べ
の 母 の み が 忠 州 で 暮 らす こ とに な っ た 。 支 出費 目の う ち 大 きい もの
は 教 育 費 と食 費 だ と い う 。
鄭Y氏
は 全 部 で6つ
と し て,平
の 契 に 参 加 して い る 。 契 と は,「
相 互 扶 助,親
等 性 等 の 関 係 で 組 織 さ れ る 一 種 の 組 合(Association)」13)で
睦,利
殖 な ど を 目的
あ る が,「
の 社 会 集 団 を 基 盤 と し て そ の 共 同 事 業 の た め に 採 ら れ る 永 続 的 な も の と,特
め に 個 人 の 任 意 参 加 に よ っ て 発 足 し,比
は 含 め て い な い 。 こ れ ら6つ
6つ の 契 を,組
る 契(構
成 員8人
定 の 目的 の た
較 的 短 期 間 に 終 結 す る 契 と に 大 別 さ れ る 」14)。 先
に 村 落 の 自 治 的 相 互 扶 助 集 団 の 名 称 と して
は 前 者 の 永 続 性 を も つ 契 で あ る 。 鄭Y氏
既存
「大 洞 契 」 を 付 記 し て お い た が,そ
は 大 洞 契 の メ ン バ ー だ が,こ
こで い う契
こ で い う6つ
の契 に
の 契 は 後 者 に属 す る とい っ て よい 。
織 さ れ る 人 び と の 範 疇 に よ っ て 説 明 す る と,小
・… 以 下 同),中
学 校 の 同 窓 の 契(6人),高
154
学 校 の 同 窓(同
級)に
校 の 同 窓 の 契(30人),佛
よ
頂面 内の 同年齢 者 の契(27人),面
内の果樹 園仲間の契(20人),精
米 所 仲 間の契(11人)
である。掛 け金 はそ れ ぞれ1万 ウ オンで毎 月拠 出す るが,精 米 所仲 間 の契 のみ は不 定期 で あ
る。N村 落 で 聞 き取 りを した ほ とん どの 人が せ いぜ い 同年齢 者 の契(「
あったの に対 して,鄭Y氏
同甲契 」)の
みで
は突 出 して多 か った 。 こ う した人脈 は.生 活上 の さま ざ まな便
宜 を与 えてい る と思 わ れ るが,農 業 経 営 面 にお いて も,た とえば果樹 園仲 間の契 か らリ ン
ゴの栽培技 術 な どの知識 を得 てい る とい う。
現在 の経営 を これ以上 拡 大す るつ も りはない 。子 供 に継 がせ たい が彼 らは農業 が嫌 い と
い ってお り,鄭Y氏
自 身 もい い機 会 が あれ ば,都 市 に出 たい と思 ってい る。 一般 に,N村
落か ら都 会へ 出て い った鄭 氏 た ち は墓 祭 の ときに帰 って くるが,そ
の お りで も生 活 の苦 し
い人は帰 って こ ない とい う。 都会 に 出てい って もなお 出 身村 落 との つ なが りを もち .鄭 氏
M公 派 と して の族 的 な アイ デ ンテ ィテ ィ を維 持 したい な らば
「生 活 の苦 しい人 」 に な ら
ない 目処 をつ けて か ら離村 す る必要 が あ る とい うこ とか も しれない 。
5)転
入 戸 の定 着過 程
(1)JT氏
JT氏
は現 在42才 で,妻
と3人 の子 供 が あ る。 中学 生 の長男 は寄 宿舎 生 活 を して お り,平
日は家 にい ない。 あ との2人 の娘 た ち はいず れ も小 学 生 であ る。
JT氏
夫妻 の 出身 地 はいず れ も忠 清南 道堤 川 郡徳 山 面 で,佛 頂 面 か ら直線距 離 で30kmく
らい の ところ で ある 。夫 妻 は最 初,忠
始め たが失敗 し。1985年
転入 当初 は,村
州 で飲 食 店 を経営 してい た。 そ の後,キ
ノコ栽 培 を
にN村 落 に転入 した 。
落 内の あ る鄭氏 の家 の使用 人 で あ ったが,ま
別の鄭氏 の家 屋 を借 金 して購 入 した。 また,N村
学校 の演 習林 と附属 の宿 泊施 設 が あ るが,転
もな く,ソ ウルへ 転 出す る
落 には ソ ウル にキ ャ ンパ スの あ る建 国大
出す る鄭氏 が もってい た演 習林 の管 理権 も同
時 に入手 した。
農地 につい て も転出世 帯 の もの を中心 に購入 してい った。その結 果,現 在 では畑3,500坪,
放 牧地1,000坪 を所 有 して い る。経 営 地 は この 自作 地 の みで あ り,畑 で はお もに トウガ ラシ
を栽 培 し,放 牧 地 で は 山羊30頭 を飼 って い る。 と くに トウガ ラシ は,こ の年 の作 付 面積 で
はN村 落 で最 も大規 模 な部類 に属 して い る。 トウガ ラシの収 穫 は10日 に1度,5回
く らい に
分 けて お こなわ れ,収 穫 日に は面 事務 所 の あ る地 区 を中心 に12人 く らいの女 性 を雇 う。雇
用 は昼 食1回 と間食2回 の まか ない つ きで あ るが,そ の 時の料 理 の味 な ど も人 を集 め る大 き
な要 因 だ とい う。料 理 は夫 人 の腕 にか か わるが,JT氏
155
の場合,飲
食店 経営 の経 験 が有 利
に働 いてい る。
IT氏
の所属 す る契 は,面 内 の 同年齢 者 の契(構
住後 に入 っ た。垣 間み たか ぎ りで は あ るが,こ
成 員28人)の
の契 はJT氏
み であ る。 この契 には移
の定 着 に対 してか な り重要 で
あ る ように思 わ れ る。 た とえば,収 穫 日の朝 に雇用 した女性 たち は ワゴ ン車 に乗 って や っ
て きたが,そ れ を運 転 してい たの はJT氏
の契仲 間 で あ った。 また,次
に述 べ るKH氏
と
も同年齢 の契 仲 間 で あ り,調 査 中 に も気軽 に農機 具 を貸 し借 りす る姿 を見 か けた 。 この よ
うな村 落 を越 え た,こ の場 合 は面 範 囲 での 人 間関係 の ネ ッ トワー クの存在 が,移 住 や 入村
を容易 に して い る よ うに うかが わ れ る。
実 はIT氏
は鄭 姓 で あ り,N村
落 の鄭 氏 とつ なが る可 能性 もある よ うだが,不
明確 なの
で先の議 論 で は他 姓 氏 に含 め た。子 供 には勉 強 させ て,自 分 の 出 自を明 らか に して も らい
たい とい う。 しか し,JT氏
自身 は当面移 動 す るつ も りは な く,こ こで 農業 を多 角 的 にお
こな うつ も りだ と語 った 。
(2)KH氏
KH氏
KH氏
は42才 で,家
族は妻 と4人 の子 供 か らなる。面 内 の他村 落か ら1989年 に転 入 した。
の母 は今 も元 の村 落 で生 活 して お り,そ こには1,200坪 程 の畑 を所 有 して い る。
KH氏
は一般 の 農家 とは やや性 格 が異 な り,先 に述べ たM公 派 鄭氏 の位土 の うち,田 の
すべ て と畑3,000坪 の合 わせ て5,000坪 あ ま りを小 作 してい る。住 居 も鄭氏 の保 有す る齋室
とよばれ る家屋 に住 む。 これ らの うち田 につい て は賃貸 料 を支払 うが,畑
と屋 敷 につ いて
は無償 で あ る。
そのか わ りKH氏
には,年
に1度 の墓 祭 の準 備 と祭 閣の管 理 ・清掃 をお こな う義務 が あ
る。墓 祭 に は豚 な どの5種 類 の 肉 と,果 物 を供物 と して準 備す るが,そ の費 用 はKH氏
出 し,田 の小 作 料 の 一 部 と考 え られ る。 また,墓 祭 の時 には150人
1晩宿 泊 してい くが,そ
の費用 も同様 にKH氏
が,1992年
くらい の人 が村 を訪 れて
もちで ある。 資料15}による と,1990年
これ らの現 物 で か か る費 用 の ほか に,白 米240kg相
が支
には
当 の小 作料 を鄭 氏宗 親 会 に納入 してい た
か らは別 途 の小作 料 はな くな り,墓 祭 時 の支 出の み にな った。 したが って,現
在 では純粋 に墓 祭 を準 備 す るた めだ け に,鄭 氏 に よって"雇
こ う したKH氏
の立場 は,一 般 に 「山直(サ
ンチ ギ)」
わ れた"存 在 とい え る。
と呼 ばれ る職名 に相 当す る。韓
国の 農村社 会 学者 の崔在 錫 に よる と,山 直 はか つて,父 系 血縁 に よる親族 集 団 であ る 「門
中の位 土 を小 作 す る 門中小 作 人 的 な性 格 を もってい る と同時 に,門 中 に対 して 身分 的隷属
状 態 に」16)あった が,近 年 の広 汎 な離 村
離 農現 象 の なか で,身 分 の上 昇が み られ る とい
156
う17)。
N村 落 で は こ こ50∼60年
KH氏
間 の 間 に,こ
の 職 に つ く 人 は 少 な く と も5回 か わ っ た と い う 。
の 前 任 者 は や は り78年 以 後 に 転 入 し た4戸
繁 期 に は 息 子 の 手 を 借 り な が ら,夫
転 入 に 際 し て は 先 のJT氏
あ る に も か か わ らず,あ
ネ ス"的
婦 で6,000坪
の う ち の1戸 で,現
在 もN村
の 畑 を 経 営 して い る 。
な ど の 影 響 も あ っ た か も しれ な い 。 し か し,前 住 地 に 農 地 が
え て 山 直 と して や っ て き た こ と か ら み て,KH氏
の 転 入 は"ビ
な 要 素 が 強 い よ う に 思 わ れ る 。 今 後 の 意 向 を 聞 い て み て も,賃
な っ た の で,も
落 に 住 み.農
ジ
貸料 の負 担が軽 く
う 少 し お 金 を 儲 け る ま で は 離 れ た く な い と い う こ と で あ っ た 。 逆 に い え ば,
儲 か れ ば さ ら に ど こ か へ 転 出 す る と い う 意 味 で も あ る 。 し か し な が ら,今
の と こ ろ転 出先
に つ い て は ま っ た く考 え て い な い と い う こ と で あ っ た 。
3忠
清 南 道 村 落 に お け る 離 村,継
1)同
姓 村 落 の世 帯 数変 化 と 「
担 い手」 の動 向
本 節 で は既 存 資 料 を利 用 して
韓 国農村経 済研 究 院
住,参
入
「
担 い 手 」 変 化 の 動 向 を 簡 潔 に検 討 し た い 。 用 い る 資 料 は,
『近 郊 マ ウ ル の 社 会 経 済 構 造 』(韓
(1985∼2001)11,1989年,韓
国 文,以
下[韓
マ ウ ル の 社 会 経 済 構 造 』(同12,1989年,韓
国 農 村 社 会 経 済 の 長 期 変 化 と発 展
国 農 村 経 済 研 究 院a]),お
国 文,以
下[韓
よび 同 『
平野
国 農 村 経 済 研 究 院b])で
る 。 こ の う ち 前 者 が 同 姓 村 落 を 対 象 と し,後
者 が 各 姓 村 落 を 対 象 と して い る.こ
宜 上,そ
落 と呼 ぶ こ と に す る 。
れ ら の 村 落 を そ れ ぞ れA村
ま ず,A村
清 南 道 の 直 轄 市 で あ る 大 田 市(人
距 離 に あ る が,山
現 在 の 戸 数 は56戸
り,父 系 親 族 集 団 で あ る 宗 中(門
な わ ち 位 土 が あ り,そ
あ る 。 作 目 は 稲 作 が 中 心 だ が,山
家 は41戸
中)を
れ はA村
で あ る.そ
人,1987年
現 在)内
で 非 農 家 は15戸
が 本 貫 を 同 じ くす るY氏
に は 比 較 的 広 い23,041坪
落 在 住 農 家 の 総 耕 作 面 積 の27%に
で あ る 。 非 農 家15戸
あ り,そ
と な る が,1985年
か ら20kmの
れ まで 都 市 に よる 影 響 は
が ち な の で トウ ガ ラ シ や ニ ン ニ ク,ゴ
外 就 業 世 帯 は あ わ せ て22戸
戸 で あ っ た か ら,近
の う ち46戸
形 成 して い る 。Y氏
か が 村 落 外 に 働 き に 出 て い る 。 兼 業 農 家 は16戸
13戸 あ る.農
口87万
が ち で 長 ら く交 通 不 便 で あ っ た こ と に よ り,こ
少 な か っ た 。1988年
56戸 中,農
こで は便
落 に つ い て で あ る。
A村 落 は,忠
中 土,す
落,B村
あ
の う ち,6戸
であ
の宗
相 当 す る面 積 で
マ な ど もみ ら れ る。
は世 帯 員 の い ず れ
の うち 村 落 外 へ 働 き に 出 る場 合 が
時 点 で の そ の よ う な 世 帯 は10
年 に 増 加 し た こ と が わ か る 。 農 外 就 業 者 に は 大 田 市 へ 通 勤 す る 者 も8例
157
ほ どあ り,し だ い に大都 市 近 郊 の特徴 を呈 し始 めて い る とい え よ う。
したが って,農 業 「担 い手 」 を考 える には,少
あるが,か
な くと も農家 の み に対象 を しぼ る必 要 が
つて は農外 就 業 も少 なか った と考 えれ るの で,さ
しあた り世 帯数 の変 化 を通 じ
て 同姓 集 団 と他 姓氏 らの 動 きをみ て み よ う。図72は
解 放 直後 の1945年
の離村,転 入 のデ ー タを もとに,各 時期 にお け るY氏
と他 姓氏 の数,お
状況 な どを示 した もので ある。 まず,全
1975年 以 降の 減少 が少 ない の は,先
図72姓
か ら1988年
まで
よび転入者 の定着
体 の戸 数 はそ れ ほ ど変 化 して い ないが,と
くに
ほ ど述べ た 農外就 業 の増 加 が大 きな原 因 と思 われ る。
氏別 世帯 の転 出入(A村
騨♂ 撫
8戸_転
縛
落)
臨lll;
入5戸
ガ 警 ミ1ヤ
2戸
一2戸
固
匪
A
(う
轟
は 絶)
1945年1965年1975年1988年
圏Y氏
注)曲 線 矢 印 は,他 姓氏,Y氏
口
他姓氏
にお け る当 該期 間 に転 入 し,か つ 転 出 した世 帯 を示 す 。
[韓国農村 経 済研 究 院a]よ り作 成 。
Y氏
と他 姓 氏 と の 動 き を 比 較 し て 注 目 さ れ る こ と は,他
る 。 他 姓 氏 の 場 合,1945年
の8戸 の う ち88年
入 れ て も4戸 で あ る 。 他 方,転
姓 氏 の 出 入 り が 激 しい こ と で あ
ま で 継 続 居 住 す る の は3戸 の み で あ り,分
入 し た 他 姓 氏 は 全 部 で14戸
158
あ っ た が,そ
家 を
の う ち8戸 は 再 転 出
し,88年
に 居 住 す る の は6戸 と な っ て い る 。 資 料 に は,転
て い る 。 そ れ に よ る と,再
5戸,朝
鮮 戦 争 避 難,「
け るKH氏
転 出 し た 他 姓 氏8戸 の 転 入 目的 の 内 訳 は .「Y氏
精 神 修 養 」,不
明 が 各1戸 で あ る 。
,Y氏
着 度 の 低 さ か ら"居
場 で あ っ た こ と は推 察 さ れ る 。
に つ い て み る と,1945年
入 れ る と43戸(86%)が
の50戸
出 身 地 をA村
継 続 居 住 は3戸 で あ る 。 た だ し,1975年
以 上,世
宗 中土小 作」 が
「Y氏 宗 中 土 小 作 」 が 前 節 に お
の 立 場 に 相 当 す る か 否 か は 資 料 か ら は 判 断 しか ね る が,定
心 地 の 悪 い"立
一方
入 者 に簡 単 な 転 入 目的 が 添 え られ
の う ち39戸(78%)が
落 と し て い る 。 転 入 は5戸 あ り,う
以 降 の 転 入 戸 は な く,戸
帯 レ ベ ル の 分 析 か ら知 ら れ る の は,Y氏
ち1988年
家 を
までの
数 が6戸 減 少 して い る 。
の 定 着 性 の 高 さ と他 姓 氏 の 移 動 性 の 高
さ で あ る 。 世 帯 数 を さ し あ た り労 働 力 指 標 とす る な ら ば,農
同 姓 集 団 と他 姓 氏 と の 対 比 は,N村
継 続 居 住 し,分
落 と 同 じ く,"居
業
「担 い 手 」 の 観 点 か ら み た
残 り 充 実"型
と"転
入 補 充"型
の枠
組 み で把 握 で き る で あ ろ う。
次 に と く に 近 年 の 動 き を,非
検 討 した い 。 資 料 に は1985年
い る の で,多
農 家 を も 考 慮 した 実 質 的 な 農 業
か ら88年
「担 い 手 」 と い う 観 点 か ら
までの各世 帯 の経 営耕 地面積 等 の情報 が 掲載 されて
少 の 変 化 も読 み 取 れ る 。 世 帯 員 の 年 齢 に つ い て は 詳 し く は 不 明 な の で,「
い 手 」 指 標 を 人 で は な く,経
表7-4A村
担
営 面 積 と中 心 と して 考 え た い 。
落 に お け る 農 業 耕 作 実 績(Y氏
と他 姓 氏)
Y氏
他姓氏
1985年1988年1985年1988年
世帯 数(戸)4946910
農 家戸 数(戸)433765
全耕 作 面積(坪)77,90572,18910,39014,461
世帯1戸 あ た り耕作 面積(坪/戸)1,5901,5691,1541,446
農家1戸 あ た り耕 作 面積(坪/戸)1,8121,9511,7312,892
注)[韓
表74は1985年
国農 村経 済研 究 院a]よ
と88年
り作 成 。
と の 経 営 実 績 を,Y氏
と他 姓 氏 そ れ ぞ れ に集 計 した もの で あ る。
Y氏 は こ の4年 の 間 に 全 耕 作 面 積 が 減 少 し て い る が,そ
世 帯1戸 当 りの 耕 作 面 積 は 変 化 し て い な い 。 他 方,他
れ は 戸 数 の 減 少 に ほ ぼ 比 例 して お り,
姓 氏 は 全 耕 作 面 積 が 増 加 して い る が,
そ れ は 戸 数 の 増 加 比 率 以 上 に 増 え て い る 。 そ の 結 果,両
して き た が,依
然 と し てY氏
の 方 が 大 き くな っ て い る 。
159
者 の 世 帯1戸
当 り耕 作 面 積 は 接 近
農家 数 はいず れ も減少 してお り,非 農家 の増 加 が うか が え る。そ の結果,農
家1戸
当 り
耕作面積 はいず れ も増 加 してい る。 しか し,増 加 率 は他 姓氏 の 方が は るか に大 き く,88年
には他 姓氏 農 家 の平 均がY氏
農 家 の平 均 を大 き く上 回る に至 ってい る。 つ ま り,Y氏
姓氏 とを比較 す る と,依 然 と して 全体 的 にはY氏
と他
の方 が農 業 「
担 い 手」 の 中心 となって い
るが,傾 向 と して は他 姓氏 の方 が 全体 で み て も増大 しつつ あ り,個 別 の農家 で み る とY氏
を上 回 ってい る。近 年 におい て は,他 姓 氏 の方 が 農業 「担 い手 」 と してい わば"勢
い」 が
ある と思 われ るの で あ る。
この結果 を先 のN村
A村 落 の場合,他
落 の 分析 と対 比 す る な らば,N村
落 の比較 的新 しい 参入 者 の特徴 が,
姓氏 の特徴 の なか に強 く現 わ れて い る と考 え られ る。 おそ ら く,A村
の方が他 姓氏 の 割合 が少 ない こ とや,比 較 的広 い宗 中土 の存 在 な どが,そ
れ よ う。宗 中土 の耕作 を 目当 て に"ビ
ジ ネス"と
落
の原 因 と想定 さ
して転 入 して くる とい う伝 統 が あ り,そ
う した傾 向が戸 数 の少 な さゆ えに,他 姓 氏 の特徴 と して現 われ て くる と思 わ れ るか らで あ
る。
以上,限
られ た資料 か らで は あるが,A村
落 にお ける 同姓集団 と他 姓氏 を農業 「担い手 」
の観 点か ら,比 較 考察 して きた 。 その結 果,他
姓氏 側 の近年 にお け る重 要性 の増 大 を指摘
した。 こ う した動 きは今後 の 同姓村 落 の農業 「担 い手」 にお け る"転 入補 充"型
拡大 の可
能性 を示 す もの と して興 味深 い とい え よ う。
2)各
姓 村 落 にみ られ る流 動 性
B村 落 は大 田市 の38km圏
内 に あ り,A村
も近 くに とお ってい るため,A村
落 よ りもや や距 離 は遠 いが,平 場 で しか も国道
落 よ りも近郊 農村 的特 性 が 強い 。植民 地 時代 には,日 本
人地 主 に支配 されて い たた め に小 作 が 多 く,そ の た め家 々の転 出入 が比 較 的頻 繁 だ った と
い う。
1988年 の総戸 数 は52戸 で あ る。 農家 は40戸 あ り,そ の うち14戸 が兼業 農家 で あ る。古
くか ら副 業 と して左 官業 を営 む世帯 が 多 い とい う。 同姓 集 団の ような組織 はな く,88年
の
姓氏 の数 は本 貫 を無 視 して 数 えて も18姓 あ る。 同姓 同本 の世 帯 は多 い もので も4∼5戸 程度
で あ る。
農 家1戸 当 りの平 均 耕作 面積 は,1985年
地 を利 用 した稲 作 が 中心 であ るが,10数
で3,255坪,88年
で3,348坪 で あ る。作 目は平坦
年前 か ら施 設 イチ ゴ を栽 培 しは じめ,88年
には合
計8,142坪 にな って い る。
この事 例 につ い て は 同姓 村落 との対 比 の 意味 にす ぎないの で,手 短 か に説 明 したい 。図
160
73は,図72と
同 様 に1945年
の で あ る ・ 図 か ら ま ず,と
の う ち,88年
が45年
か ら88年
ま で の 世 帯 の 転 出,分
家,転
入 状 況 を示 した も
に か く 出 入 りの 激 し い 村 落 で あ る こ と が わ か る 。1945年
ま で 継 続 居 住 して い る 世 帯 は19戸
で40%に
時 点 の 居 住 を 出 発 点 と す る に す ぎ な い 。 一 方,こ
ち 再 転 出 した の は3戸 に す ぎ ず,A村
図7-3世
落 に 比 べ て,転
帯 の 転 出 入(B村
の49戸
満 た な い 。 分 家 を 含 め て も約 半 分
の 間 の 転 入 は28戸
あった 。そ の う
入 戸 の 定 着 度 が 高 くな っ て い る 。
落)
2戸
49戸
伽
器)器
一
転入7戸
分 家2戸
分 家1戸
分家6戸_7 11戸
1戸
_6戸49
6戸
5戸
35戸
27戸
19戸
1945年1965年1975年1988年
注)矢 印 曲線 は当該 期 間 に転 入 し,か つ 転 出 した世 帯 を示 す 。
[韓国農 村経 済 研 究 院b]よ
ま た,村
1988年
り作 成 。
落 内 に お け る 転 入 戸 の 社 会 的 地 位 も 高 い 。 詳 し い 検 討 は さ け る が,た
の 耕 地 所 有 面 積 を み た 場 合,上
位10戸
の な か に45年
以 降 の 転 入 戸 が3戸 あ る 。 ま た,
資 料 に は ソ シ オ メ ト リ ク ス に よ る 指 導 力 分 析 が 試 み ら れ て お り,と
が あ げ ら れ て い る が,そ
B村 落 は,資
の う ち の1名 は1977年
く に3人 の 有 力 な 指 導 者
の転 入者 で あ る。
料 に も 指 摘 さ れ て い る よ う に,歴
史 的 事 情 か ら と くに転 出入 の 激 しい極 端
な 事 例 と い え る の か も し れ な い 。 し か し こ れ を 一 種 の 典 型 事 例 と み な して,先
村 落 の 他 姓 氏 部 分 と の 関 連 を 考 慮 す る と き.同
補 充"型
の 農業
と え ば,
「担 い 手 」 変 動 の パ タ ー ン が,全
161
にみ た 同姓
姓 集 団 を 欠 く各 姓 村 落 に あ っ て は,"転
入
村 落 レベ ル で あ て は ま る の で は な い か と
考 え られ る。 これ は逆 にみ れ ば,同 姓村 落 にお ける他 姓氏 は,各 姓村 落 の延長 部分 と して
把 握 で きるの で は ないか とい うこ とを表 わ して い る。本 章 で は同姓村 落 に対象 を しぼっ た
が,そ
こでみ られ た農 業 「担 い 手」 変動 の パ ター ンが,そ
れ とは対 照 的 な各姓 村落 に もつ
なが る可 能性 が あ る こ とを ここで指 摘 してお きた い。
4.ま
とめ と展 望
独 自調 査 の結果 と既存 調 査 の検 討 を通 じて,韓
国農村 の と くに同姓 村 落 につい て,そ
にみ られ る農業 「担 い 手」 変 動 のパ ター ンを考察 して きた。 そ して,同
と他姓 氏 とに区別 して考 える と き.同 姓 集 団側 は"居 残 り充 実"型
きを,他 姓 氏側 は"転 入補 充"型
姓村 落 を同姓 集 団
の農 業 「
担 い手」 の動
の動 きを示 す こ とを指 摘 した。 こ こか らまず,韓
におけ る流 動性 の高 さは,他 姓 氏側 にみ られ る"転 入補 充"型
こ
国農村
の変 動パ ター ンの存在 に依
拠 してい る こ と を確 認 して お きたい。 さ らに他 姓氏 につい て は,と
くに近年 におい て農業
「担 い手」 と して活発 な転 入戸(者)が
み られた。 そ の なか には,同 姓 村落 にお ける伝 統
的な身分 階層 と関連 す る者 もあ るが,そ
れ に対 す る蔑視 は全 般 的 な農業 労働 力 の減少 の な
かで しだい に意味 が 薄 れ て きて お り,今 後 は農 業 「担 い手」 と して積 極 的 に位置 づ け る必
要 があ る と思 われ る。
また,他 姓 氏 にみ られ た"転 入補 充"型
とを示 唆 し,こ こで示 した2つ
の パ ター ンは,各 姓村 落 の特 徴 と も共 通す る こ
の変動 パ ター ンが,同
姓村 落 の枠 組 み を越 え た韓 国農村全
体 にお ける農 業 「担 い 手」 変動 の あ り方 を考 え るため の,ひ
とつ の概念 枠組 み にな るの で
ないか と提 起 した。
以上 の ま とめ に くわ えて,最 後 に若 干 の補足 と展 望 を述 べ てお きたい。
同姓 集 団側 の パ ター ンと して示 した"居 残 り充 実"型
戸数 の変 化が 少 な い とい う こ とだ けで ない.先
の意味 す る もの は,単
に も少 しふれ たが,そ
に村 落 内の
こ には同姓 集 団 とし
てのア イデ ンテ ィテ ィの 問題 が背 景 にあ る。 これ に関連 して,文 化 人類学 者 の 嶋陸奥 彦 は,
「自分の 門 中の根 をお ろ してい る ところ 一故 郷 一 に暮 らす こ とので きた人 は,た
人 と して経 済 的 には貧 しか ろ うと も,そ の意 味 で はhappyminorityだ
と述べ,「
充実"型
韓 国 人 に とって の 「故 郷(kohyang)の
とえ小 作
っ たので あ る」
重要 性」 を指摘 してい る18)。"居 残 り
とは こ う した文化 的背 景 を も考慮 した パ ター ン設定 で あ る と確 認 して お きた い。
補 足 の第2は,契
を媒介 とす る ような ネ ッ トワー ク的人 間 関係 につ いて で あ る。契 な ど
の相互 交換 の ネ ッ トワー クは両班 層 よ りも常 民層 に顕著 で あ る とい う指 摘 が あ る19)。と く
162・
に 転 入 者 の 定 着 過 程 に お い て そ う した ネ ッ ト ワ ー ク を 強 調 し た の は,そ
れ を念 頭 に お い て
の こ とで あ る 。
こ の よ う な,し
ば し ば 村 落 を 越 え た 関 係 と し て の ネ ッ ト ワ ー ク の 存 在 は.韓
転 入 農 業 者 の あ り方 を 規 定 す る ひ と つ の 重 要 な 要 素 で あ り,た
きな 特 徴 と な っ て い る 。 日本 に お け る 新 規 参 入 農 業 者 も ま た,村
トワ ー ク を 利 用 し つ つ 農 業 生 活 を構 成 して い る こ と は,前
韓 国 農 村 の 場 合,そ
国 にお ける
と え ば 日本 と比 較 し て も大
落 を越 え る人 間 関係 の ネ ッ
章 に み た と お り で あ る 。 しか し,
う し た ネ ッ トワ ー ク が 伝 統 的 し くみ の なか に用 意 さ れ て い る 点 が 大 き
く違 っ て い る の で あ る 。
こ の こ と か ら.村
落 を 越 え た 人 間 関 係 の ネ ッ トワ ー ク の 意 義 が 拡 大 し,そ
農 業 者 に と っ て も あ て は ま る よ う に な れ ば,日
予 想 さ れ る 。 も っ と も.そ
れが 伝統 的 な
本 に お け る 農 業 者 の 参 入 障 壁 も低 く な る と
れ は 村 落 の 意 義 の 低 下 とパ ラ レ ル に 進 行 す る も の で あ る か ら.
日本 に お い て ど こ ま で 実 現 す る か は 予 断 を 許 さ な い が,今
後 の 農 業 者 確 保 にお け る ひ とつ
の 方 向 と して は 指 摘 で き る で あ ろ う 。
近 年 に お け る 韓 国 農 村 の 変 貌 は 激 しい の で,こ
さ れ る 可 能 性 も あ る 。 た と え ば,1990年
が 進 展 し,農
こ で 議 論 の 前 提 と な っ た こ と が 大 き く覆
か ら 始 め ら れ た 農 漁 村 定 住 生 活 圏 開 発 構 想201な ど
家 の 兼 業 も 可 能 に な っ て く る と,離
農 と 離 村 は ま す ま す 乖 離 し,居
す る 同 姓 集 団 の 動 き も異 な っ て く る で あ ろ う 。 そ う な る と,農
ン も 当 然,変
業
住 を重 視
「担 い 手 」 変 動 の パ タ ー
化 す る こ と に な る 。 今 後 も韓 国 農 村 の 変 化 を 見 守 り続 け る こ と に よ っ て,展
望 と した い 。
注
1)管 見 のか ぎ りで は あ るが,韓 国 の文 献 にお いて も.離 農 と離村 が論 理 的 に は区 別で きる こ とをこ とわ り
なが らも,具 体 的分 析 で は あ えて 区別 して い ない場 合 が多 い 。 た とえば,崔 在 律 「農民 の 離村 向都性 向
に関す る論 議 」 「
韓 日農漁 村 の 社 会学 的 理解 」 裕豊 出版 社(ソ ウル),1991年(韓
国文),金
農 と脱 農 に備 えた 農村 発 展方 向」 「
農 村 経 済(韓 国農 村経 済研 究 院)」 第5巻 第3号,1982年(韓
嫡道 「
離
国文)
な ど。
2)倉 持 和 雄 「80年代後 半 韓 国 にお ける農 地 関係 の 変化 」 「ア ジア経 済」 第34巻 第4号.1993年,P.58参
照。
3)こ こで い う 「
担 い手 」 は 日本 にお け る議論 を前提 と してい る。 多 様 に用 い られ る 「
担 い手 」概 念 にっ い
て,嘉 田 良平 は 国家 レベ ル.地 域 農業 レベ ル.個 別農 業経 営 レベ ルの3つ に分 類 すべ き と し(嘉 田 「
農
業構 造 政 策の 経 済理 論 」頼 平 編r農 業 政 策 の基礎 理論 』家 の 光協 会,1987年,PP.275-276),平
塚貴
彦 は農 業生 産 組織 の形 態 の側 面 と農業 労 働力 の側 面の2つ に大 別 して考 えて い る(平 塚 「
農 業 の担 い手
一163・
と して の 集 落 営 農 一 そ の 定 義,意
P,35)。
義,形
成
こ れ らの 分 類 に即 して い え ば,本
発 展 の 課 題 一」
「農 林 業 問 題 研 究 」 第28巻2号,1992年,
章 の 「担 い 手 」 は 地 域 農 業 レベ ル の 農 業 労 働 力 を 問 題 とす る
とい う素 朴 な 使 い 方 を して お り,形 態 論 的 側 面 を 含 ま な い 点 を こ と わ って お きた い 。
4)た
だ し,そ
の 集 団 と して の 意 味 は 日本 と 比 べ て 弱 い よ う に 思 わ れ る 。 た と え ば 植 民 地 時 代 に お い て,鈴
木 栄 太 郎 は 「同 族 集 団 に よ る分 化,社
会 階 層 に よ る 分 化,性
別 に よ る 分 化,長
幼 に よ る分 化 等.が
顕 著 に存 す る た め 朝 鮮 の 自 治 村 は,集
団組 織 に お い て は は な な だ 整 備 して い る に もか か わ ら ず,生
同体 と して の 全 一 性 に お い て は 少 な く と も 日本 の 自然 村 よ り も低 い よ う に 思 わ れ る 」(鈴
村 社 会 集 団 に つ い て 」r鈴
木 栄 太 郎 著 作 集5」
り,最 近 で は 酒 井 俊 二 が 「結 局,韓
とが で き よ う。 」(酒
P.267)と
未 来 社,1973年(初
国 村 落 に お い て は,全
活協
木 「朝 鮮 の 農
出:1943年),P.88)と
述べ て お
村 規 模 の 集 団 の 累 積 が 少 な い.と
みるこ
井 「外 国研 究 の 動 向 〔韓 国 〕 」 「村 落 社 会 研 究28」 農 山 漁 村 文 化 協 会,1992年,
規 定 して い る 。
5)マ ウ ル の 他 に も,ト
ン ネ,ト
ン リ(洞 里),「
部 落」 な どの 通 常 語 が あ り,学 術 語 と し て は 「自 然 部 落 」
が あ る 。 「自然 部 落 」 に つ い て は鈴 木 栄 太 郎 の 「自 然 村 」 概 念 を基 礎 とす る と い う程 度 の 説 明 に と ど め
る が,上
記 の 通 常 語 が す べ て こ の 「自然 部 落 」 を さす 語 と して の み 使 わ れ る わ け で は な い 。 そ れ らの 通
常 語 は 地 域 に よ り,ま
た 場 合 に よ り多 義 的 に 使 用 さ れ る 。 詳 し く は,崔 在 錫(伊
社 会 研 究 』 学 生 社,1979年(原
は,嶋
陸 奥 彦 「韓 国 の ム ラ ー ト ン ネ とマ ウ ル 」
1984年,が
6)た
文:1975年),PP.22-42参
照 。 ま た,マ
「日本 民 俗 文 化 体 系
藤
嶋 訳)「
韓 国農村
ウル と トン ネ の 違 い に つ い て
月 報7」(第8巻
付 録)小
学 館,
興 味 深 い.
と え ば,文
化 人 類 学 者 の 金 宅 圭 は,韓
を仮 定 的 に 提 起 し て い る(金
宅 圭 「韓
国 の 村 落 類 型 と して 「同 姓 結 合 的 村 落 」 と 「各 姓 契 聚 的 村 落 」
日両 国 の い わ ゆ る 「同 族 」 村 落 に 関 す る 比 較 試 孜 」 江 守 五 夫
崔 龍 基 編 「韓 国 両 班 同 族 制 の 研 究 』 第 一 書 房,1982,P.268)。
一 方,両
班の 各姓 村 や常 民 の同 姓村 も
類 型 と して 認 め る べ きで あ り,事 実 と して も そ う した 場 合 が 存 在 す る と い う見 解 もあ る(末
成 道 男 「韓
国 の 社 会 組 織 一 そ の ヴ ァ リエ ー シ ョ ン を め ぐっ て 一」 竹 村 卓 二 編 「日 本 民 俗 社 会 の 形 成 と発 展 」 山 川 出
版 社,1986年,P.117)。
7)朝
鮮(韓)半
島全 村 落 に 占 め る 同 姓 村 落 の 比 率 に つ い て は,植
お り,そ の 値 は20%強
は 昭 和8(1933)年
か ら50%前
民 地 期 の 資 料 を 利 用 して 推 計 が な さ れ て
後 と幅 が あ る 。 善 生 永 助 「朝 鮮 の聚 落
後 編 」 朝 鮮 総 督 府,1935年.
の 臨 時 国 勢 調 査 に よ る 「同 族 集 団 調 」 か ら,「 大 体 同 族 集 団 戸 数 二 十 世 帯 以 上 の も
の に 就 い て 調 査 」(P.354)し
た 結 果,14,672と
い う数 字 を あ げ て い る 。 他 に よい 資 料 が な い の で,各
推 計 者 と も こ の 数 を 同 姓 村 落 比 率 の 分 子 に 利 用 して い る が.分
な み に 鈴 木 栄 太 郎 が,原
則 的 に 「朝 鮮 に お け る 自然 村 」(鈴
洞里 」 の 数 は,善 生 永 助 「朝 鮮 の 聚 落
そ れ を分 母 とす る 比 率 は23%と
「前 掲 論 文 」,P.281参
母 と な る全 村 落 数 に ば らつ きが あ る 。 ち
木 「前 掲 論 文 」,P.42)で
前 編 」 朝 鮮 総 督 府,1933年,に
よ る と62,532で
あ る と した 「旧
あ り(P.536),
な る。
8)金
宅圭
照。
9)た
と え ば 洪 氏 に も墓 祭 の た め の 位 土,山
林 が あ る が.そ
親 会 の よ う な組 織 も も っ て い な レ㌔
10)こ の2戸 は 先 に あ げ た 鄭 氏 再 転 入 者 と一 致 す る 。
-164・
れ ぞ れ600坪,5町
歩 と少 な く,ま た 鄭 氏 の 宗
11)村 落 の 他 の 人 に よ れ ば,鄭Y氏
断 しか ね る が,概
の 所 有 面 積 は も っ と広 く18,000坪
して 自分 の 農 地 は狭 くい う傾 向 が あ る の で,実
く ら い だ と い う 。 どち らが 正 しい か 判
際 は この2つ
の数字 の 中 間にあ るの だ
ろ う。
12)ち な み に.統
計 に よ る1991年
の 平 均 農 家 所 得 は,1,311万
ウ ォ ン で あ る(韓
国 農 林 水 産 部 「農 林 水 産 主
要 統 計1gg2」)。
13)杉 山 晃 一 「ま え が き」 杉 山晃 一 ・櫻 井 哲 男 編 「韓 国 社 会 の 文 化 人 類 学 』 弘 文 堂,1990年,P,v。
14)伊 藤 亜 人 「契 」 「朝 鮮 を知 る 事 典 」 平 凡 社,1986年.ppg8-gg。
15)M公
派 鄭 氏 宗 親 会 所 蔵r通
16)崔 在 錫
文(回
覧 … 訳 注)綴
「韓 国 農 村 社 会 変 動 研 究 』 一 志 社(ソ
』 よ り。
ウ ル),1988年(韓
国 文),P.214,私
訳 に よる 。
17)同 上 文 献P.221。
18)嶋 陸 奥 彦 「韓 国 の 門 中 と地 縁 性 に 関 す る 試 論 」
『民 族 学 研 究 』 第43巻1号,1978年,P.16。
19)伊 藤 亜 人 「韓 国 村 落 社 会 に お け る 契 一全 羅 南 道 珍 道 農 村 の 事 例 一 」 「東 洋 文 化 研 究 所 紀 要(東
第71冊,1977年,P.223,参
20)こ れ に つ い て は,田
京 大 学)」
照。
耕培
な ど を 参 照 。 しか し,聞
「韓 国 農 村 計 画 の 現 状 と課 題 」 「農 村 計 画 学 会 誌 」V。1,11,No,2,1992年,
く と こ ろ に よ る と,こ
の 構 想 は1994年
い と の こ と で あ る。
-165一
前 半 時 点 に お い て,あ
ま り進 展 して い な
終章
魅 力 あ る農 業者世 界 の提 示 にむ けて
序章 で示 した課題 に沿 いつ つ.事
例研 究 か ら明 らか にな った農 業者 の 人間 関係 につ いて
ま とめて みたい 。
序章 におい て も述 べ た よ うに,事 例研 究 の章 は大 き く3つ に分 類 され る。第1章,第2
章,第3章
の水 田農村 を中心 と した研 究,第4章,第5章
究,第6章,第7章
の施 設 園芸 地域 を中心 と した研
の新 規 参入農業 者 と異 文化 にお け る農業者 を対 象 に した研 究,で
あ る。
以上 の3つ の分類 にお け る検 討 結果 を比 較考 察 す る と,農 業者 の 人 間関係 を考 える2つ の
軸 が明 らか にな る と思 われ る。
第1の 軸 は,水 田 農村 地域 にお け る検 討結 果 と施 設 園芸 地域 にお け るそれ との対比 か ら
明 らか に なる もので あ る。
水 田農村 あ るい は稲 作 農業 者 に とって,村 落 の意義 は きわ めて大 きい。 そ れは,個 別 に
みれば ネ ッ トワー ク と して視 野 的 な構造 を もつ つ きあい 関係 が,村
落 の範 囲 におい て高度
に構 造化 され て お り,村 落統 合 の重 要 な要 因 となって い る こ と(第1章)。
また,稲 作 に
欠 かせ ない農業水 利 の側 面 をみた と き,村 落 レベ ルで のマ ネ イジ メ ン トに よって統一 的 に
処理 しよう とす る意思 が み られ る こ と(第2章)。
さ らに,大 規模借 地稲 作 農 も拡大 の初
期 には,自 己 の ネ ッ トワーク的 人 間 関係 を利 用 す るが,規 模 拡 大す るに ともない,村
ベ ル とのつ きあい の あ り方が 問 題 となって きて い る こ と(第3章)
落レ
,に 現 われ てい る とい
えよ う。
そ れ に対 して,施
設 園芸 地 域 におい て と くに第5章
か ら明 らか に なったの は,つ
関係 をめ ぐる人 間 関係 に3つ の位 相 が み られ る こ とで ある。 第1の 相 は,第1章
きあい
において
私が 「成 員認 知保 証 シス テ ム」 と呼 んだ基 礎 的 なつ きあい の相 と対応 して い る と思 われ る。
詳 しい分析 は して い ない が,お そ ら く第5章
の事 例 地域 におい て も第1章
その相 は村 落 統合 の一翼 を担 ってい る と考 え られ る。 また,そ
の事 例 と同様 に,
う して統合 され た村 落 は,
第3の 相 におい て も農協 の下 部組 織 とな るな ど して重 要 で あ る。 しか し注 目 したい のは,
第1の 相 と第3の
相 を媒 介 す る ような第2の
つ きあ い 関係 の相 が観 察 され た こ とで あ る。
しか もそ れ は,地 域 の組 織 原理 上 の伝 統 を引 き継 ぎつつ,村
落 を越 えた人 間関係 を もつ な
ぎ止 め る一種 の制 度 と して機 能 してい た。
これ ら村 落 自体 を も含 めた様 々 な レベ ルの 人 間関係 の組 織 は,大 局 的 にみれ ば,農 業者
の生 活 と経 済 と を媒 介 す る組織 を指 して い る とい え よう。 この 問題 は,か つ て玉 城 哲 に よっ
166
て 「中間 シス テ ム」論1)と
して提 起 され た こ とが あ る。 玉城 は,「 近 代社 会 が原 理 的 に生
みだす セ ク ター分 割 に純 化 しきらな いセ ク ター」 と しての 「中間セ ク ター」 の存 在 を指摘
し,そ の 「中間 セ ク ター」 は独 自の 「中間 シス テ ム」 を形成 す る と論 じる。 その 中間 セ ク
ター とは農村 の場 合,具
体 的 に は 「い え」 と 「む ら」 で あって,そ
れ は経 済的 にみ れ ば.
個 人 と市 場 を媒介 す る独 自の シス テ ム を形成 して きた と述べ る。 しか し,同 時 に玉城 は,
そ う した 「い え」 や 「む ら」 は変 容 しつつ あ り,そ れ らを乗 り越 えた新 しい農村 中間 シス
テムが展 望 され るべ きだ とい う。
玉 城が,新
しい 農村 中 間 シス テ ム を必然 とみ な し,そ れ を構想 す る根 拠 は3点 あ る。 農
業 生産 の独 自性,農
村 地域 社 会 生活 に不可 欠 とな る共 同性,市
の計画化 の必 要性,で
場万 能 に対 す る批判 として
あ る。 これ らの詳 しい内容 をここで紹介 す る こ とは しないが,概
ね
産業 として の農業 の独 自性 を念 頭 におい た根 拠 だ とい って よい だ ろ う。 これ につ いて私 は
異存 はない 。
しか し,新 しい農村 中 間 シス テム の構 想 内容 につい て は疑 問が あ る。 農村 中間 シス テム
の新編 成 を構 想 す る と き,玉 城 は 「い え」 を 「農家 」 に 「む ら」 を 「集 落」 に置 き換 えて
モ デル を構 築す る。 この うち,「 農家 」 は さてお く と して も,「 む ら」 を 「集落」 に変更
しただけ で,新
しい農村 中 間 シス テム の構想 が 描 け るか とい うと,本 研 究 の結 果 と りわ け
施設 園芸地 域 にお け る 中間的組 織 の存 在 を明 らか に した現 時点 での私 たち の認識 か らす れ
ば,疑 問 な しと しない。
施設 園芸 地域 の事 例 におい て は.「
もない,独
い え」 ・農家 レベ ルで も,「 む ら」
自の 中間 的組織 が 認 め られ た。 この組織 の存 在 には,第5章
集落 レベ ルで
の 中で も述べ た よ
うに,地 域 の伝 統 的 な個性 的秩序 を反 映 した側 面 と,施 設 園芸 とい う作 目形 態 が要請 す る
側面 が ある と思 われ る。 したが って,た
とい う条件 や,伝
とえば年齢 原 理 とい う ような伝 統 が あ るか ど うか
統 的 で あ るが ゆ えに人 間 関係 の主流 とな る に至 って い ない 点,ま た他 の
作 目形 態へ 適合 可 能 か ど うか な どの.さ
しあた り今 の段 階 ではい くつ か の限界 や不確 定 要
素 とみ な され る点が ある。 しか し,個 の 自立 とい う急激 で は ない にせ よ大 きな社会 的趨 勢
を考 える と き,施 設 園芸 地 域 にみ られ る よ うな農家 単位 あるい は農業 者単 位 の,集 落 を も
越 え うる人 間 関係 形 成 の あ り方 は.新
い か と思 うので あ る。 そ して,こ
しい農 村 中 間 シス テム を構 想 す る際 に不 可 欠 で はな
の 点 を把 握 して こそ,農 業 者 のい きい きと した農業
農
村生 活 を描 け る と思 う。
もち ろん.稲 作 農村 におい て は集 落 の意義 は今 後 も無視 で きない。 それ は,た
167
とえば農
業水利 と村 落 との 関係 を示 した第2章
か ら も明確 で あ る。 また,大 規模 化 してい くと一 定
地域 にお ける 同 ク ラス の農 業者 の数 も少 な くなる。 したが って,農 業者 相互 に よる 中間 シ
ステ ムが狭 い地域 の 中で濃 密 に存 在 す る こ とは困難 で あろ う。 しか し,借 地 の拡 大 に よっ
て,農 地貸借 に基 づ く関係 が広 が る と ともに,集
落 とい う集合 体 との関係 も新 た な局 面 に
入 る と思 われ る。 それ は,玉 城 が構 想 した よ うな 「農 家」 を包 む もの と して 「集落」 が あ
る とい う包含 関係 で は な く,「 農 家」 が 「集 落 」 を もひ とつ の対象 とみ な しそ れ との 関係
を 「
経 営manage」
す る とい う局面 で あ る。 そ の場合,農
業者 が ネ ッ トワー ク的 に作 り出す
中間的組織 は,集 落 を越 え た広域 の組 織 に なるの で は ない か 。第3章
にお いて,大 規 模借
地農 どう しの連 絡 が密 で あ る こ と もこの こ とを暗示 して い る。
第2の 軸 は,第6章,第7章
の結 果 を他 の章 と対 比 す る なかか ら明 らか にな る もの であ
る。
第6章.第7章
で扱 った 農業 者 た ちの社 会 的世界 は,そ れ までの章 で論 じて きた農業者
世界 とは異 質で あ る。第6章
で は農 業へ の新 規 参入 者 とい う,ほ とん どの場合 が農業 も農
村生活 も経 験 した こ との ない者 の.農 業 へ の 眼差 しと農業 者 と しての社会 生 活 を対象 と し
た。都市 と農村 の違 い をこ とさ ら強調 す るわ けで は ないが,現
と都 市生 活 の間 に は,と
代 日本 にお いて,農 村 生活
くに居住 す る地域 へ の巻 き込 まれか たの程 度 とい う点 で大 きな差
があ る。 しか も,農 業 を営 ん でい る とさ らに様 々 な地 域社 会 的約束 事 に否応 な しに制 約 さ
れる こ とにな る。 この ような地 域社会 との 多様 な関 わ りは,農 村 に生 まれ育 った者 に とっ
ては徐 々 に身 につ い て い く もの と思 われ るが,都
てはそ うで はない.彼
市生 活 か ら転 身 した新 規参 入 農業者 に とっ
らは転 入先 の農村 住 民 と比較 す る と,か な り異質 な農 業観 や農 業上
の 人間 関係 を形 成 す る と考 え られ るの で あ る。
第7章
は隣 国韓 国 の事 例 で あ り,こ の場合 は ま さ し く個 性 的秩序 の基 盤 となる文化 そ の
ものが,そ の他 の 章 と異 なって い る。 この 点 で は第6章
章 との共通 点 は,韓
自由化,流
と も異 なって い る。 しか し,第6
国農村 に おい て も農業 へ の参 入 問題 を扱 っ た こ とで ある。 職業選 択 の
動化 に ともない,世 襲 的 産業 と しての 農業 か ら,職 業選 択 の一分 肢 としての 農
業へ の転換 が迫 られ てい る今,農
業 へ の新 規参 入者 の人 間 関係 の あ り様 を明 らか にす る こ
とは,農 業 「担 い 手」 の今 後 の展 望 と して も重 要 で あ る。
農業 へ の参入 者 とい う点 にお いて,第6章,第7章
場合 におい て,参
か ら明 らか にな った こ とは,両 方 の
入者 の もつ人 間 関係 の ネ ッ トワー クが経 営 遂行 上 あ るい は生 産物販 売 上
で活 か されて い た点 で あ る。 と りわ け韓 国 におい て は,同 年 とい う契機 に よる村 落 を越 え
・168一
たグル ー プ化が み られ.そ れ は契 とい うい わば つ きあ いの 制度 を通 した,伝 統 の一 部で も
あった。 しか も,同 姓村 落 に住 む他 姓 氏 の農 業者 た ち には比較 的 高い 流動 性が み られ.あ
る地域へ の 農業 的参 入 が,社 会 的 地位 と関連 しなが ら構 造 的 に社会 制 度 と して組 み 込 まれ
てい る と判 断 され た。
まった く外 か らの参 入者 に とって,参
入地 の 農村 社会 は未知 の社 会 で あ って,参 入 直後
か らその地 域 で深 い 人間 関係 が形 成 され る こ とは少 ない 。そ こで さ しあ た りの必 要 か ら,
自己の もつ人 間 関係 の ネ ッ トワー ク を活 用 す る とい う面 は た しか に存 在す る。 しか し,興
味深 い こ とは,そ
う した地域 の外 へ と広 が るネ ッ トワー ク的 関係 が,第3章
や第5章
の事
例の中 でふ れた よ うに,先 進 的 農家 や若 手 農業 者 の 人間 関係形 成 の志 向 と一致 して い るこ
とで ある。
つ ま り,第6章
にお いて新 規 参入 農 業者 は と くに農業へ の 眼差 しとい う点 におい て革新
性 を もつ と述 べ たが,人
間関係 の形 態 とい う面 にお いて も先進 的農 家 と関連 づ け られ るの
であ る。新規 参入 農業者 と先進的 農家 で は.栽 培技 術 な どの経 験 的側 面で は両極 端 に ある。
しか し,従 来の 農業 者 の社会 的世界 を変革 す る とい う点 で は共 通性 が あ るのだ。 その 意味
で,韓 国農村 の よ うに集落 を越 えた人 間 関係 の ネ ッ トワー クが 伝統 と して成 立 してい ない
わが国 に あ って は,こ の人 間 関係 の相 が いか に形 成 され維 持 され るか につ いて,今 後 ます
ます研 究 され る必要 が あ る と思 う。
その と き,わ が 国 にお け る集 落 を越 えた人 間 関係 の ネ ッ トワークが,水
田農村 よ りも非
水 田農村 の方 に伝 統 的 組織 原理 と して存在 して いた こ とは注 目に値 す る。 しか も.事 例 と
なった赤 羽根 町 におい て は,年 齢 を原 理 とす る点 まで韓 国の場 合 と類似 してい た2)。 これ
は第4章
で指摘 した非水 田農村 の可 能性 の ひ とつ の 内実 を示す もので あ り,稲 作 的 農村像 ・
農業者 像 は,こ
以上 が,事
の 点 にお いて も再考 を迫 られ るので あ る。
例 か らえ られ るお もな結 論 で あ るが,こ
れ らの分 析 の視 角 となったつ きあい
関係 につ い て も若 干 の 考察 を くわ え てお きたい。
まず,つ
きあい 関係 を独 自な社 会 関係 と して分析 対 象 の ひ とつ と考 える こ との有効 性 に
つい て であ る。 た とえば,第1章
あ った 関係 も,つ
で示 した ように,従 来 は親 族組織 と して考 え られが ちで
きあいの 制度 と考 えた 方が その 原理 をス トレー トに把 握 で きる ように思
われ る。 また,第5章
で は人間 関係 の3つ
の位 相 を指摘 したが,つ
きあ い 関係 とい う視 点
を設 けた か らこそ,生 活 面 か ら経 済 面 に至 る人 間関係 を同一 の姐上 で考察 す る こ とが で き
た と思 ってい る。
・169・
これ と関連 す るが,第2に
述 べ て お きたい の は,そ
制度 につ い てで あ る。第1章
いて,つ
の事例 や第5章
の事 例,さ
う した つ きあい 関係 を定 着化 させ る
らに第8章
の韓 国農村 の事 例 にお
きあい 関係 は一定 の制 度 を と もない つ つ安 定化 され てい た とい える。 そ こで興 味
深い点 は,そ の 制度 が あ ま り厳 密 で な く,状 況 の変 化 に応 じて ある程度 融通 が利 くよ うに
思われ る こ とで あ る。 そ う した制度 は,第5章
の表現 を使 えば,あ
る レベ ルの つ きあい 関
係 を形成 させ る受 け皿 とな ってい る とい え よう。
これ をやや 拡張 す れ ば,集 落 な どを越 えた広 域 のつ きあい 関係 の形 成 と定 着 を構 想す る
ときに,ヒ
ン トを与 え る よ うに思 われ る。す なわ ち,そ
関係 を結 ぶ 目的,た
う した新 しい 関係 を創 造 す る場 合 ,
とえば大規 模借 地 農相 互 の情 報 交換 な ど とい う目的 の ほか に,つ
い関係 を定着 化 させ る形式 的 受 け皿 を用 意す れ ば ,つ
きあ
きあい 関係 の定 着化 が 図れ るの で は
ないか とい うこ とで あ る。 もちろ ん,事 例 で あ げた つ きあい の制 度 は,い ず れ も組織 原理
上の伝統 を引 き継 ぎつ つ歴 史 的 に形成 されて きた もの と考 え られ る。 で きあ いの広 域組織
の場合,補 助 の切 れ 目が縁 の切 れ 目とい うこ と もよ くあ る こ とで あ る。 新 しいつ きあい 関
係 をつ な ぎ止 め る制 度 は,あ
らか じめ用意 して効 果 が あるの か,そ れ と も自然発 生 を待 た
ざるをえな いの か につ い て は,こ
こで は定 か で はない 。 しか し,つ きあい 関係 の定着化 に
は,カ ネやモ ノ とい うハ ー ドな要 素 だ けで は く,つ きあい の制 度化 とい うソ フ トな要素 も
重要 で ある こ と をこ こで強 調 して お きたい 。
***
現 在,わ
が 国の 農業 は担 い手不 足 に悩 ん でい る。 この 問題 へ の対処 には様 々 な手 法が あ
ろう。効 果 的 な補 助 をお こない物 的経 営基 盤 を整備 す る こ とに よって,経 済 的 なイ ンセ ン
テ ィブ を鼓舞 す る方法 が あ る。 もち ろん,目 先 の経 済性 だ けで な く,将 来展望 も必 要 であ
るか ら,農 業 をめ ぐる国 際政 治 もまた重 要 で ある。 しか し,こ れ らの い わば狭 義 の農業 政
策以 外 に,た
とえば生 き物 を相手 に営 む 農業 とい う職業 のす ば ら しさを伝 える こ と も,直
接 的で は ない にせ よ,後 継 者 難 の重要 な処 方 とな ろ う。 これ は農 業教 育 の分野 に望 まれる
ところ であ る。
私 が本論 文 で お こな って きた研 究 もまた,後 者 と同種 の意 図 を含 んで い る。 ただ し,農
業 を営 む人 間す な わ ち農業 者 の社会 的世界 の魅 力 を伝 える こ とに よって,人
々の農業へ の
イ ンセ ンテ ィブ を高 め る こ とがで きない か と思 って い る3)。 農業 者 た ち は,決
狭 い社会 に埋 没 してい るので は な く,む
して地域 の
しろ場 合 に よって は,自 営業 主 と して他 産業 の雇
170
用 者 よ り も 積 極 的 に 自 ら の 社 会 的 世 界 を 切 り 開 い て い る の で あ る 。 も ち ろ ん,だ
か ら とい っ
て 事 実 を誇 張 し た バ ラ 色 の 農 業 生 活 を 描 く こ と は か え っ て マ イ ナ ス と な ろ う 。 い か に 謙 虚
に 事 実 と 向 き合 い な が ら,農
が,ポ
業 に魅 力 を見 出 して い る 農 業 者 の 社 会 的 世 界 を描 き出 せ る か
イ ン トと な る 。
第7章
の 末 尾 で も論 じ た こ と だ が,従
も の と して 描 か れ て き た し,事
実 農 業 は,法
野 で あ っ た と い え よ う 。 し か し,本
とい う 自 給 の 精 神 と,そ
来 の 農 業 者 の 社 会 的 世 界 は あ ま りに も制 約 の 多 い
来,農
律 レ ベ ル,地
域 レベ ル で の 規 制 の 多 い 職 業 分
業 の 世 界 に は 自分 に必 要 な 物 は 自分 で ま か な う
れ に 支 え ら れ た 自 由 す な わ ち 自律 の 精 神 が あ る よ う に 思 う 。 こ の
自 由 ・自律 とい う 側 面 を 全 面 的 に 開 花 さ せ る に は.も
よい の で は な い 。 農 業 者 た ち が,何
そ れ を 基 礎 と し た 社 会 的 世 界.さ
ち ろ ん,た
と な くで は あ れ 確 実 に 感 じ て い る と思 わ れ る 自 由 と,
し あ た りそ の よ う な も の が 確 実 に 記 述 さ れ て こ そ,農
へ の 新 た な 意 味 付 与 が 可 能 に な る の で あ り,閉
業
塞 した 工 業 社 会 に 対 す る ひ とつ の オ ル タ ナ
テ ィ ブ の 提 示 に つ な が る の で は な い か 。 本 論 文 に お い て,い
学 とい う 分 野 を 設 定 し た が,私
だた だ規 制緩和 をすれ ば
さ さか 拙 速 な が ら も農 業 社 会
は こ の 新 分 野 の 彼 方 に そ う した 展 望 を 抱 い て い る の で あ り,
そ の 記 述 の 枠 組 み と して の 役 割 を こ の 新 分 野 に 託 した い と思、う の で あ る 。
注
1)玉 城 哲 「日本 の 社会 シス テ ム」 農文 協,1982年.PP.107・141。
2)も っ と も,両 者 におい て年 齢 原 理 が表 出 され る要 因は異 なる。 韓国 にお け る年齢 原理 は基 本 的 に儒 教 倫
理 に基づ い てい る と考 え られ る。 つ ま り,年 齢 に よる長 幼 の序 が厳 しい た め に,そ の心 配の な い同年 た
ちで 気安 い 集団 をつ くる と思 われ るの で あ る。 そ れに比 べ る と,赤 羽根 町 の年齢 原 理の 要 因は議論 の あ
る ところで あ り.第5章
で示 唆 した ような漁 業 との 適合 関係 を理 由 にす る場 合 もある し,そ もそ も年齢
原理 が見 られ ない村 落 とは種 族 的 に異 な るの だ とい う見 方 もあ る。 後者 の見 解 は民 族学 者 の 岡正 雄 を 中
心 に主張 され た。 た とえば,石 田
岡
江上
八幡r日 本民 族 の起 源」 平 凡社,1958年,PP.69-84を
参
照。
3)稲 本志 良 は,基 本 法農 政 下 に お け る農 業担 い手 問題 へ の対 策課 題 の変化 を,「 物 的経 営基 盤の 整備 とい
う段 階か ら,人 材確 保 と多様 な経 営体 の 育成 とい う非物 的経 営 基盤 一枠 組 み の整備 の段 階 」へ と捉 えて
お り.と くに その 原 因の ひ とつ と して 「農業
法 は,氏 の 整理 に従 え ば。 こ の 「農業
自営 業忌 避感 」 をあ げてい る。 こ こで 私が 主張 す る接 近
自営 業 忌避 感」 の転換 を 目論 む もの と位 置づ け られる。稲 本
「
農 業担 い 手問 題 の所 在 と検 討 の枠 組 み 」 「
農林 業 問題 研 究」 第28巻 第4号,1992年.P.1。
・171・
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