Comments
Description
Transcript
Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
Title Author(s) Citation Issue Date URL 農業の展開と農業者の人間関係に関する研究 -農業社会 学の視点から-( Dissertation_全文 ) 秋津, 元輝 Kyoto University (京都大学) 1995-03-23 https://doi.org/10.11501/3080997 Right Type Textversion Thesis or Dissertation author Kyoto University 農 業 の展 開 と農業 者 の 人 間 関係 に 関す る研 究 一農 業 社 会 学 の視 点 か ら一 秋津 元輝 目次 序 章 農 業 社 会 学 の構 想 1.経 営 問 関係へ の注 目 ・ …1 2.農 業 経 営 学 の 限界 ・ …1 3.ア メ リ カ に お け るSociologyofAgricultureと 4.農 業 社会 学 の基本 視 角 ・ …8 5.本 論 文 の 課 題 と構 成 ・ …g 1)課 題 と分 析 視 角 ・ …10 2)本 論文 の構 成 ・ …10 第1章 日本 農 村 社 会 学 ・ …5 稲 作 地 域 村 落 生 活 に お け る つ き あ い 関 係 の ネ ッ ト ワ ー ク と構 造 化 1.分 析 視 角 と して の つ き あ い 関 係 ・ …15 2.調 査 村 落 の 概 況 とつ き あ い の 制 度 ・ …17 1)難 波 の概 況 ・ …17 2)制 度 と して の シ ン ル イ ・ …21 3)農 業 とシ ンル イ ・ …24 に み る つ きあ い 関 係 とシ ンル イ ・ …25 3.P家 1)P1の 父 の 葬 儀(1965年)・ 2)p3とp4の 3)p1の 4.村 …27 結 婚(1974年)・ …30 入 院(1986年,1988年)・ …31 落 の なかで の シ ンル イ ・ …33 1)シ ンル イ の 結 合 契 機 とシ ンル イ 数 ・ …33 2)シ ンル イ とオ コ ナ イ組 ・ …39 5.ま 第2章 とめ と考 察 ・ …41 稲 作 水 利 をめ ぐ る村 落 的 合 意 の 基 準 1.農 業 水 利 と村 落 ・ …46 2.調 査 村 落 の概 況 ・ …4g 1)概 況 ・ …49 2)農 業 水利 ・ …51 3.水 田 所 有 と耕 作 の 分 離 ・ …52 4.農 業水 利 の維 持 管理 一内 的局面 一 ・ …54 1)配 水管理 ・ …54 2)共 同作 業 ・ …56 5.土 地 改 良 区 総 代 の 性 格 一外 的 局 面 一 ・ …58 1)第1期 ・ …59 2)第H期 ・ …61 6.村 落 運 営 と合 意 形 成 7.お わ り に....66 第3章 ・ …63 稲 作 大 規 模 借 地 農 の 出 現 と人 間 関係 1.借 地 と人 間 関 係 ・ …71 2.び わ町農 業 の動 向 ・ …72 3.A氏 に み る 農 地 集 積 と借 入 契 機 1)A氏 2)農 4.B氏 1)B氏 2)農 5.農 ・ …75 の プ ロフ ィール ・ …75 地 集 積 と借 入 契 機 ・ …76 に み る 農 地 集 積 と借 入 契 機 ・ …77 の プ ロ フ ィール ・ …77 地 集 積 と借 入 契 機 ・ …78 地 貸 借 と人 間 関係 ・ …79 1)借 地農 家 の社 会 的 地位 ・ …79 2)農 地 貸 借 とシ ンル イ ・ …80 3)農 地貸 借 に よるつ きあい ・ …81 6.大 規 模 借 地 農 と集 落 ・ …82 7.お わ りに ・ …84 第4章 非 稲 作 地 域 に お け る 農 業 の 展 開 過 程 一 渥 美 半 島 地 域 を 中 心 と して 一 1.選 択 的 拡 大 と農 業 地 域 分 化 ・ …86 2.渥 美 半 島 農 業 発 展 の2つ ・ …88 の条件 3.主 成分 分析 に よる地域 分 化 の類 型化 1)変 数 の 選 択 と分 析 手 順 2)1960→90年 3)変 の 変化 分析 化 パ ター ンに よる集落 の分 類 4)1990年 4.農 に お け る集 落 の 営 農 類 型 の 分 析 業 地域 の分化 過程 ・ …8g ・ …89 ・ …91 ・ …92 ・ …94 ・ …g6 5、 お わ り に....g8 第5章 施 設 園 芸 発 展 地 域 に み る社 会 的 組 織 原 理 1.産 地 組 織 と文 化 ・ …101 2.調 査 地域 の概 況 ・ …103 1)産 地 発 展 と集 落 の 特 徴 2)2つ ・ …103 の ア ン ケ ー ト調 査 の 概 要 ・ …106 3.施 設 園 芸 発 展 以 前 の 社 会 と慣 習 ・ …106 4.産 地 を支 え る 人 間 関 係 ・ …109 1)地 縁 の意 義 ・ …109 2)横 軸 と して の 年 齢 原 理 ・ …110 3)開 拓 集 落 との 比 較 ・ …115 5、 生 活 上 の つ き あ い の 諸 相 ・ …117 1)A氏 の オ ツキ ア イ ・ …117 2)B氏 の オ ツキ ア イ ・ …119 3)つ 6.人 第6章 きあ い 関 係 の ひ ろ が り 間 関 係 の3つ の位相 ・ …120 ・ …121 新 規 参 入 農 業 者 の 生 活 と農 業 観 1.新 規 参入 農 業者 の 意義 ・ …125 2.「 事 業 志 向 」 型 参 入 者 と 「生 活 志 向 」 型 参 入 者 ・ …127 3.7人 の新 規 参 入者 た ち ・ …131 1)A氏 一兵 庫 県宍 粟郡 千種 町 一 ・ …132 2)B氏 一兵 庫 県 氷 上 郡 市 島 町 一 ・ …133 3)C氏 一兵 庫 県 氷 上 郡 市 島 町 一 ・ …135 4)D氏 一香 川 県 大 川 郡 寒 川 町 一 ・ …136 5)E氏 一香 川 県 仲 多 度 郡 琴 南 町 一 ・ …137 6)F氏 一香 川 県 香 川 郡 塩 江 町 一 ・ …138 7)G氏 一香 川 県 綾 歌 郡 国 分 寺 町 一 ・ …140 4."小 宇 宙"と 第7章 して の 農 業 生 活 韓 国 農 村 に お け る農 業 ・ …141 「担 い 手 」 変 動 の パ タ ー ン ー 流 動 性 の 高 い 村 落 シ ス テ ム の 例 と して 一 1.離 農 現 象 と 「担 い 手 」 変 動 2.忠 清 北 道 一 同 姓 村 落 に お け る 離 村,継 住,参 入 ・ …147 1)調 査 地 の概 況 ・ …147 2)氏 姓 の構 成 と同 姓 集 団 ・ …149 3)離 村 者,継 ・ …150 4)大 規 模 経 営 農 家 の 経 営 ・生 活 と意 向 ・ …154 5)転 入戸 の定 着過 程 ・ …155 住 者 と入 村 者 (1)JT氏 ・ …155 (2)KH氏 ・ …156 3.忠 清 南 道 村 落 に お け る 離 村,継 住,参 入 ・ …157 1)同 姓 村 落 の 世 帯 数 変 化 と 「担 い 手 」 の 動 向 ・ …157 2)各 姓 村 落 に み られ る流 動 性 ・ …160 4.ま 終章 ・ …145 と め と展 望 魅 力 あ る農業者 世 界 の提示 に む けて ・ …162 ・ …166 序章 1経 農業社 会 学 の構 想 営 間関係 へ の注 目 社 会 関係 を分析 す る視 角 と して,ネ な って きた 。 と くに近年,産 ッ トワー ク とい う概 念 が しだ い に多用 され る よ うに 業組 織 論,企 業組 織論 にお いて,経 済 産 業社 会 の新 しい秩 序 を分析 す る フ レー ム ワー ク と して声 高 に提 唱 され てい る こ とは周知 の とお りで あ るb。 ネ ッ トワー ク概 念 は社 会 学 の分野 で は一 般 に社会 的 ネ ッ トワー ク と呼 ば れて お り,「 最 広義 には,社 会 シス テム を構 成 す る諸 要素 間 の 関係 を指示 す る概 念 で あ る」 が,「 最 狭 義 に は個 人が 他者 とと り結 ぶ 関係 性 の総 体」 を さす 。 しか しい ず れ にせ よ,社 会 的 ネ ッ トワ ー ク に よる分析 は ,「 集 団 を形 成 せず,個 人 中心 的,選 択 的で あ る よ うな関係 の分析 に適 してい る」 とされ る2)。 つ ま り,固 定 的 で宿 命 的 な集 団で は な く,組 織 を構 成 す る個 々の 単位(主 体)が その組 織 へ の参加 を選 択 しうる よ うな,主 体 の 自由度 の 大 きい結 合 の あ り 方 をす くい とる分 析概 念 で あ る とい え よう。 この ような ネ ッ トワー クの視 点か ら農業 とい う産業 をふ りか え ってみ る と.従 来 の研 究 は,そ もそ も個 別経営 単 位 を重視 し,経 営 外 部 との 関係 にあ ま り注意 を払 わ ないか,あ る い は外 部 との関係 を考 え る場合 に も固定 的 な集 団 との 関係 をお もな対 象 と して きた ように 思 われ る。そ れ ぞ れの研 究分 野 を対 照 的 にい えば,前 者 の代 表 と して農業 経 営学 が,後 者 の代表 と して 農村 社会 学 が あげ られ よ う。そ こで まず,前 者 の農 業経 営学 につ いて,そ にみ られ る関係 性=経 こ 営 間 関係3)の 扱 わ れ方 につい て検討 したい 。個 別 農業 経営 内 にお け る人 間関係 の 変化 も今 日的課 題 と して重要 で あ るが,家 族 経営 が 主体 の わが 国農業 にあ っ て は,そ れ は家 族研 究 と接 合 され るべ きで あ り,こ こで の 関心 で ある ネ ッ トワー ク的 関係 とはや や焦 点 がず れ る.対 象 をさ しあた り経営 間 関係 に限定 す るの はそ の ため であ る。 2農 業経 営 学 の 限界 農 業経 営学 は,基 本 的 には個 別経 営単 位 を対 象 と して きた。経 営 問 関係 は,個 別経 営 が と くに生 産機 能 の 一部 を共 同化 してい る場 合,す なわ ちい わゆ る農業 生 産組 織)を 構 成 し てい る場 合 に のみ 配慮 されて きた とい える。 こ う した点 につ い て まず,金 沢 夏樹 著 『農業 経 営学 講 義』5)を 取 り上 げ検討 してみ た い. この著書 で は,全16章 い る。 そ の うちの1章 の うち2つ の章 が共 同化 あ るい は生産 組織 の 記述 にあて られて におい て は共 同化 を考 え る際 の要 点が 述べ られて お り,本 論 の 関心 1 か ら整 理 す る と,そ れ らは2つ の共 同化(集 団化)の 態 を指摘 してい る。共 同化 の契機 の第1は,農 性 を もつ土 地,水 契 機 と2つ の共 同化(集 団化)の 形 業 生 産技 術 上 の契機 で あ る。 これ には公共 に関す る共 同や,平 準 化 され やす い作 業 の共 同な どが含 まれ る。第2の 共 同化 の契機 は,市 場 対応 のた め に生産 物 の質 と量 を確 保 す る必要 性 で あ る。農協 の作 目 別部 会 な どが それ にあ た る。 一 方,集 団化 の2形 態 と して は,エ 集落6}を 単 位 と した全階 層 的集 団型 が あ げ られてい る。 また,そ リー ト集 団型 と,と くに れ に続 く章 で は農業 生産 組織 が 取 り上 げ られ,以 上 に述べ た共 同化 の契機 と集 団化 の形 態 に 関す る整理 を も とに, 生 産組 織 におけ る個 と集 団の問題 が 論 じられ てい る7)。 共 同化 の契 機 につ い て は,生 産面 を中心 と した経営 問 関係 の捉 え方 を越 え る と ころは な い 。生産 要素 の公 共性 や作 業 の技術 的性 格,販 売 面 で の共 同化 な どが述 べ られて い るが , い ずれ もそ れ らが生 産過 程 におけ る共 同 に反映 され る限 りにおい て問題 に してい る。 この 視 点 は経 営学 とい う学 問分 野で あ る以上,け だ し当然 とい え よう。 共 同化 の形 態 につい て もそれ に応 じて簡 単 な分 類 とな ってい る。 しか し,こ の金 沢 の著 書 には経 営 問 関係 を考察 す る場 合 の ヒン トも述 べ られて い る。 そ れ は,組 織論 を農業 生 産組織 分析 へ 安易 に適用 しよう とす る こ とに対 す る批 判 の なか にあ る。 金沢 は,現 在 の一般 組織 論が2つ の問題 を意識 的 に捨 象 して い る と述 べ る。す なわ ち, その ひ とつ は,「 純 粋 に人 間 関係 をと り出 す 目的の た め に機械,施 設 等 の生 産手段 の技 術 組 織 ない し生 産力 との 関係 をたち きって 考 えて」 い る こ とであ り,も う ひ とつ は 「組織 は あ くまで 人間 の機 能 的 な関係 を取 り扱 うとい う理 由 か ら,人 間の社 会 関係,つ ま り身分 関 係 や社会 制 度 的 な関係 はすべ て捨 て る とい う考 え方 にた ってい る」 こ とで あ る。 したが っ て,組 織 論 的 な考 え方 を 「その まま生 の形 で」 農 業生 産組 織 の現状 にあ て はめ る こ とはで きない と主張 す る。 さ らに社会 シス テム 的構 想 に対 して も批判 を くわ え,「 従 来 の慣 習的 共 同組織 につい て も,そ の社会 的歴史 的性 格 を捨象 して,組 織 機 能的 な面 だけ を抽 象 して も意味 が大 きい とは思 われ ない」8》と述べ て い る。 以 上 の金沢 の批 判 は,経 営 問関係 を考 え よ う とす る本 論 に とって貴 重 であ る。 つ ま り組 織 論 を導 入 し よう とす る ポ ジテ ィブ な立 場 か らい えば,生 産力段 階=技 術 的性格 へ の配慮 と,人 間関係 に及 ぼす歴 史 的 制度 的 関係 へ の配慮 が必 要 だ とい うこ とにな る。金沢 自身 は , その 後 に続 く生産 組織 分析 の なかで,前 て配慮 す るが,歴 者 の技術 的性 格 につ いて は ひ とつ の分析 用 具 と し 史 的制 度 的 関係 につ いて は集落 とい う制 度 を取 り上 げ てい る にす ぎない ように思 われ る。 つ ま り農業 経営 間関係,あ るい はそ の要 素 と しての 農業者 の人 間関係 の 2 歴 史 的制度 的側 面 は,そ の ほ とん どが農業 経 営学 とい う枠 組 み の外へ 放 り出 された ままな ので あ る。 ここで さ らに,経 営 間 関係 に関連 す る と思 われ る もうひ とつ の農業 経 営学 的 アプ ローチ を検 討 しよう。 そ れ は私 が行 動論 的農 業経 営学 と呼 びた い ア プ ローチ で あ るが,こ こで は その立場 を批 判 的 に展 開 した吉 田忠 ら9)の 農業 経 営 目標論 を取 り上 げ た い。 ただ し,吉 田 らの所 論 につ いて はやや 詳細 な検 討 をす で にお こなっ たの で101こ こで は要 点の み に限定 し て述べ たい。 彼 らは個 別経営 を,全 体社 会 の 中で相 対 的 に 自律 しなが らも,一 方 で はそ れ を取 り巻 く 社会 的歴 史的条 件 に よって規 定 され る存 在 と して認 識 す る。 そ の と き個 別経営 と全体社 会 を と り結 ぶ もの と して論理 的 に2つ の媒介 項 を設 けてい る。 ひ とつ は個 別経 営 の経 営 目標 で あ り,も うひ とつ は生 産手段 の所有 形 態 お よび経営 類型,経 類型,経 営構 造 に は彼 ら独 自の 意味 が込 め られ てい るが,こ 営構 造 で ある。後 者 の経営 こで は生産 手段 の 「歴 史的所 有形 態」11)が そ れ ら概念 の設 定 の基礎 とな って い る こ との み指摘 して お く。 注 目 したいの は前 者 の媒介 項 で あ る経 営 目標 で あ る。 彼 らに よる と経 営 目標 は,「 そ れ ぞ れ の経 営類 型 ない し経 営構 造 に対応 して」,す す こ とが で きるが,「 なわ ち歴 史的所 有 形態 に対 応 して見 い だ 農奴 制的 家族 経営 にお け る封建 地 代納 入 と生 活欲 求 充足,資 本 制企 業 にお ける利 潤 追 求,社 会 主義 企業 にお け る公共 需 要充 足」 な ど とい う経営 目標 は,「 抽 象 にす ぎ」 る と して し りぞけ られ る。 そ うで は な く,「 経営 目標 は,所 有 関係 とは う らは らの 関係 にあ る分 配 関係 の個 別 経済 的 反映 と して,経 営 主体 にお け る費 用(経 営 費)意 識 を規 定 し,生 産 販 売過 程 におけ る経営 管 理 の判 断基準 を与 える もので な ければ な らない」 12) 。つ ま り,こ の経 営 目標 の次 元 に おい て,具 体 的 な個 別経 営 にお け る実 証可 能性 が示 唆 され.そ れは単 な る費用 意識 と して の経 営 目標 よ りもさ らに広 義 な概 念 で ある。 この よ うに経営 目標 を広 義 に設 定す る と,農 家 の 「 効 用 」 と呼 べ る もの に近 くなる。吉 田 らはい う。 「経 営構 造 と しての 自作 農 的家族 経営 は。拡 大 す る生 活欲 求充足 を基 本 的経 営 目標 として お り,そ の経 済行 動 におい て小 農経 済 的経営 純 収益 極大 化 として は一元 化 し えぬ さ まざ まな 「不 純 物」 の 混入 が み られ るの が一般 で あ る」 。 そ して,「 これ を 「効用 」 とよんで もよいか も しれ ない」13)とい う。 この 「効用 」概 念 は他 の 箇所 におい て,「 種 の 「効 用」 を所 与 として,そ ある れか ら演繹 的 に説 明 す るの で はな く,現 実 の農家 行動 の な か か ら 「効 用」 を帰納 的 に と らえ る とい う基 礎作 業 か らは じめ るこ とが な に よ りも必要 で は ない だ ろ うか」14)と も述べ られて い る。 「効用 」 へ の帰納 的接 近 法,す 3 なわ ち経 営 目標 へ の帰納 的接 近 法 が 強調 されて い る と考 えて よい 。 農業経 営 の経 営 間 関係 は この 「効用 」 と深 く関連 して くるで あ ろ う。農 業者 は,実 際 に は きわめ て具体 的 な社 会 関係 の網 の 目の なか で 農業 経営 を営 ん でお り,そ れ らが純 収益 極 大 化 とい う 目的か ら して た しか に 「 不 純 物」 だ とす る な らば,こ こでい う 「効 用」 こそ が そ れ をす くい とる概 念装 置 とな るか らで あ る。 ところが,こ の 「効 用」 をい か に して帰 納 的 に捉 え るか とい う段 にな って,奇 妙 な こ と に吉 田 らは 自身の 近代 化論 を導入 して,「 効用 」 の展 開 過程 を論 じて しま う。 す なわ ち, 「家族 経営 が商 品 生 産 の深化 とと もに資本 制 企業 へ の転 化 を準 備す るなか で,経 営 目標 は 小 農経済 的純 収益 へ と 「純化 」 されて い く」 とい うの だ。 そ して他 方 で は,「 兼業 化 の進 展の なか でそれ ぞ れ独 自の形態 と内容 の 「効 用 」体 系 を もった多様 な農家 群 が あ らわれ」15) る とす る。 これが先 の論 理 と矛盾 す る こ とは明 らかで あ る。経営 目標 す なわ ち 「効 用」 を帰 納 的 に とらえ,そ の分析 を通 じて個 別経 営 の なか に歴 史性 を見 い だす とい う枠組 み を設 定 した に もか か わ らず,結 果 と して考 察 され るはず の歴 史性 が 最初 か ら与 え られて い るので あ る。 吉 田 らが こ う言 わ ざ る をえなか っ た理 由 は,多 様 な形 態 の農 家 「効用 」 そ の ものの分析 手 法が確 立 して い ない とい うこ とに尽 き よう16)。 以 上,農 業経 営 学 におけ る2つ の理 論 的論孜 を取 り上 げ検 討 して きた。 そ していず れの 場合 も,経 営 間 関係 へ の分 析 へ と踏 み 出す一歩 手前 におい て立 ち止 まるか,あ るい は先 回 りす るか して,そ の領 域 に入 り込 ま ない 。 しか し,そ の領 域 に踏 み込 む こ とが農業 経営 分 析 に とって不 必要 か とい う と,そ うで は ない 。 と くに吉 田 らの所 論 におい て は,本 来 はそ の部 分 こそが論 理 の 中心 にな る とさ え考 え られ るの で あ る。 こう した問題 が 発 生す るお もな原 因は,農 業経 営学 が 設 定す る経 営 の単位 性 にある と思 われ る。す なわ ち先 に も示 唆 した ような,生 産単 位 と して の農 業経 営 とい う設定 で あ る。 そ れ ゆえ にまず,生 産要 素 と認 め られ ない 要素 に よる結 びつ きは,そ れが経 営 の意 思決 定 に大 きな影響 を及 ぼ してい る と して も,概 して視 野 の外 にお かれ る こ とに なる。 さ らに, 独 立 体 と しての経 営体 を単位 と してい るため,そ こに作 用 す る 「歴 史的社 会 的性格 」 を個 的視 点か ら見 た 「効用 」 と して しか描 けず,関 係 的 な広が りを論 理 的 に取 り込 み に くい こ とに もな る と思 うの で あ る。 したが って,農 業 経 営 にまつ わ る関係性 を生 産 面 に限定 す る こ とな く把握 し,個 的視 点 を越 えた関係 的視 点,す なわち方 法論 的 個人 主義 に即 して い えば相互 主 観へ の着 目17}を導 4 入 す る こ とが 必 要 に な る 。 私 は こ う し た 問 題 領 域 は,さ し あ た り農 業 経 営 学 の 領 域 拡 張 に よ っ て は 把 握 が 難 しい と 考 え て い る 。 み て き た よ う に,こ れ ま で の 農 業 経 営 学 は 生 産 面 に 視 野 を 限 定 し,そ の前提 の も と に 大 き な 業 績 を 積 み 上 げ て き た 。 そ の 前 提 を 覆 す こ と は 容 易 で は な い 。 そ こ で,新 し い 分 野 と し て 農 業 社 会 学 を 創 設 し,そ れ を 産 業 社 会 学 の 一 分 野 と して 位 置 づ け て18},こ の よ う な 問 題 領 域 を 含 ま せ て は ど う か と考 え る 。 し か し,こ し 後 の 節 に 譲 り,そ Agriculture)と の 前 に 「農 業 社 会 学 」 あ る い は 「農 業 の 社 会 学 」(Sociologyof い う 分 野 の 先 例 で あ る ア メ リ カ 合 衆 国 の 学 問 状 況 と,そ 国 農 村 社 会 学 の 動 向 に つ い て,一 3ア ッ テ ル,0.Fラ 19》 に よる と ,ア で あ る と い う 。 そ れ は.出 さ せ て き た 。 彼 ら は,農 観 点 か ら1900年 日本 農 村 社 会 学 ル ソ ン お よ びG.W.ギ メ リカにお いて れ と 関連 す る わ が 瞥 して お きた い 。 メ リ カ に お け るSociologyofAgricultureと F.H.バ の構 想 を展 開 す る の は も う少 レス ピ ー の 著 した 『農 業 社 会 学 』 「農 業 社 会 学 」 が 認 め ら れ 始 め た の は,1970年 自 的 に は 農 村 社 会 学(RuralSociology)の 業 研 究 の あ り 方 と い う観 点,す 代 中盤 以 降 分 野 か ら関 心 を分 化 な わ ち今 日 に お け る 農 業 社 会 学 の 以 来 の ア メ リ カ 農 村 社 会 学 史 を ふ りか え り,そ れ ら を3つ に 時 期 区 分 して い る。 第1期 は,1900年 お け る 農 業 研 究 は,概 か ら1950年 し て,農 代 初頭 まで で ある。 「こ の 黎 明 期 の ア メ リ カ 農 村 社 会 学 に 村 生 活 の 諸 関 係 網 を理 解 す る た め に 必 要 な 一 要 素 で あ っ た と い え る 」20)。 す な わ ち 農 業 と 農 村 生 活 が 一 体 で あ っ た た め に.農 業研 究 は農村 生活 の一 断 面 と し て 取 り扱 わ れ た とい う こ と で あ る. 第2期 徴 は,農 は,1950年 代 初 期 か ら1970年 代 初 期 ま で の 時 期 で あ る 。 この 時 期 の 研 究 姿 勢 の 特 業 者 や 農 業 に 関 連 す る 人 々 を,刺 よ う と し た こ と で あ る 。 た と え ば,新 激 に 反 応 す る 行 為 者 と して 社 会 心 理 学 的 に捉 え 技 術 やマ ス 業 者 の 心 理 と行 動 が 関 心 の 中 心 と な り,と メ デ ィ ア,教 育 職 業 機 会 に対 す る農 り わ け 新 技 術 の 普 及 と 受 容 に 関 して 多 く の 研 究 が お こ な わ れ た 。 し た が っ て こ の 時 期 に お い て 農 業 は,農 業 者(や そ の 家 族)が 行動 す る 際 の 状 況 の 一 部 と し て 扱 わ れ る こ と に な っ た と い う21)。 第3期 は,1970年 代 中 盤 以 降 か ら現 在(『 こ れ は 先 述 し た よ う に,ア 農 業 社 会 学 』 の 出 版 は1990年)ま メ リ カ農 村 社 会 学 に お い て 「農 業 社 会 学 」 と い う 用 語 が 普 及 し 始 め た 時 期 に 相 当 す る 。 こ の 時 期 か ら 起 こ っ て く る 狭 義 の 農 業 社 会 学 は,「 5 で の 時 期 で, 農業構 造」へ の 関心 と密 接 に結 びつ いてい る22)。具 体 的 な視 角 は様 々 で ある。理 論 的 にはマ ル クス 主義 的 な階 級分 析,あ るい は農民 層分 解へ の関 心が 高 まる。家 族 農業 や兼 業 農家,そ ス ニシ テ ィ との 関連,農 業労働 力 な どが そ れ との 関連 で研 究対 象 とな った。 また,農 業 に よる 自然 環境破 壊 の問題 や,農 業 技術 変 化,農 もち ろん,以 上 の3つ 学研 究 制度 な ど も研 究対 象 とされ た。 の 時期 区分 ご とに,研 究動 向 が まった く入 れ替 わ って しま うの で は ない。 現在 に近 づ くに したが い.し だい に多 様 な方法 論 が 同居 す る時代 とな るの で,先 の 時期 の特徴 と して あげ た研 究傾 向が,後 る。つ ま り第1期,第2期 れ らとエ の 時期 にオ ーバ ー ラ ップ して い るの が現 実 で あ に端 を発 した研 究 が今 日まで継 続 してい る とい うこ とで あ り, この こ とを著者 らは随所 で 指摘 してい る。 しか しなが ら,以 上 の簡 単 な整 理 か ら も知 られ る ように,20世 紀 の アメ リカ農村 社 会学 の潮流 は,ま ず 農村 生活論 か ら農業者 行動 論 へ と 移行 し,さ らに農業 構 造論 へ と変化 しつつ ある とい え る。そ う した なか で,農 業 の 問題が しだい に農村 の問題 か ら独 立 して扱 われ る ように なった ので あ る。 この動 きは 日本 の研 究動 向 とや や対 照 的で あ る。20世 紀 にお け る 日本 農村社 会学 の 歩 み は,ア メ リカ との対 比 で述 べ る と,農 村 生 活論 と農業構 造論 が ほ とん ど同時並 行 的 に関心 の 中心 とな って きた。 この うち農村 生 活論 につい て は,そ の揺 藍期 に アメ リカ農村 社会 学 の影 響 を大 き く受 け てい る。 その周 知 の例 と して鈴 木 榮太 郎が あげ られ る。 た とえば鈴 木 は 農村社 会 を集 団累 積体 と して把 握 しよ う とす るが,そ の手法 はC.∫.ギ キ ンの 影響 を受 けてい る23)。また,同 考察 す る理論 的枠 組 み と して,ソ て い る24)。他 方,農 ャル ピ ンあ るい はP.A.ソ ロー じ く戦前 か ら活 躍 した井森 陸平 も,都 市 農村 関係 を ローキ ンやC.C.ジ ンマ ーマ ンに多 くを学 んだ と記 し 業構 造論 につ い て は,わ が 国で はマ ル クス主義 が早 くか ら導入 され, と くに戦 前 の大 きな社会 問 題 となっ てい た地 主制 を焦 点 に しつつ.農 村 社 会 の構 造論 的分 析 が お こ なわれ た25)。 戦 後 にお いて も,農 村 生 活論 と農 業構 造 論 の並 行 的展 開 は基 本 的 に変化 が なか った とい え よう。 と くに敗 戦 後 の10数 年 間 は,農 村 の民 主化 を焦 点 と しつ つ,農 村 生 活論 と農 業構 造 論 が もっ とも接 近 した時期 とい え る。す なわ ち,そ の 時期 に展 開 され た村 落共 同体 論 に おい て,歴 史 的段 階論 と農村 生 活 の特殊 文 化 的側 面が 同 じ枠組 みで語 られ たの で ある26)。 と ころで戦 後 日本 の農村 社会 学 は,戦 前期 とは異 な り,ア メ リカ農村 社 会 学 との接 点 を 大 幅 に縮小 す る。 そ れ はあ る意味 で,日 こ との 証 で あっ た.し か し同時 に,先 本 農村 社会 学 が 国内 の特殊 状 況 の なか で成 熟 した の第2期 の アメ リカ農村 社会 学 の主 題 で あ った農業 6 者行 動論 が,そ の 頃 の わが 国農村 におい て はその ま まで は適 用 で きなか った こ とも一 要 因 とい え よ う。 農業 者 の主 体性 を重 ん じる農業者 行 動論 を導入 す るに は,ま だ まだ それ を規 定 す る制度(そ の代 表 はい わ ゆる イエや ム ラ)の 意 味 が大 きか ったの で あ る. そ う した なか で,第2期 におい て 中心対 象 となった新 技術 の普 及 と受 容 の理 論 をわが 国 に適用 しよ う と した試 み と して,『 農業 技術 改 良 の普 及過 程 とそ の要 因 に関す る研 究 』( 1962年)27)が あ る。 この研 究 は,戦 前期 の とこ ろで も述 べ た井森 陸平 を中心 に お こなわれ た研 究 で あ り,井 森 をは じめ総 勢8名 の共 同研 究 で あ る。そ の なか で井森 は,「 従 来 の わ が 国 にお け る農 村社 会 学 的研 究 で は,我 が 国農 村 に特 有 な面 や,伝 統 遺 制或 い は特 殊 の事 実 事例 に偏 り,世 界共 通 の面 や,現 代 一般 の現 象 が 閑却 されて きた嫌 い が あ る28)」と批判 し,ア メ リカ農村社 会 学 との連携 を提 唱す る。 しか し,分 析結 果 と して はあ る程度 成 果 を あげ なが らも.そ の 後 の 日本 農村 社会 学 の潮流 を変 える に至 らなか っ たの は,や は り,日 本 農村 の近代 化過 程 におい て イエや ム ラな どを ど う位 置 づ け るか とい う,「 我 が 国農 村 に 特有 な面 」 の実 際 的意義 が大 きか った こ とにあ る とい え よ う。 しか しそ う した状 況 も,現 在 にいた って はそ ろ そ ろ過 去 の もの と考 えて よい ので は ない だろ うか。 た とえば,わ が 国農村 研 究 の ひ とつ の 中心 で あ る村 落社会研 究会(1992年 本村 落研 究学 会 に改称)は,1988年 よ り1990年 まで の3年 間,共 に日 通課 題 と して 「農村 社会 編成 の論 理 と展 開」 を設 定 した。 その背 景 に は.現 在 が 農村 社会 編成 の 転換期 にあ り,従 来 の イエ ム ラ理 論 に よって は明 らか に しえ ない ような新 た な社 会編 成 が現 われ て きて い るので は ないか とい う認 識 が あ ったの であ る29も結 果 的 には,「 家 と村 にかか わ って村 落社 会研 究会 の会 員 の見 解 はお よそ 出つ く した」30)ものの,新 しい 農村社 会 編成 の実 際や そ れ を 把 握 す る方法 な どにつ いて は,イ エ ・ム ラか ら離 れたか た ちで は提示 され なか った31も永 ら く農村 社会 の組織 的枠組 み とな って きた イエ や ム ラが そ う簡 単 に無 意味 にな らない のは確 かで あ る。 しか し,関 係 にお け る 自由度 の増 大 に注 目す る本 論 の立場 か らす れ ば,ま だ ま だ集 団 と しての イエ や ム ラ に強 くと らわれす ぎて い る ように思 わ れ る。 主体 の 自由度 の大 きい 関係性 を捉 え る枠組 み が必 要 なの で ある。 したが っ て,先 の ア メ リカ農村 社会 学 史の整 理 に則 せ ば,わ が 国 におい て抜 け落 ちて い た農業者 行 動論 を,新 た に農業社 会学 の観 点か ら取 り込 む ことを主 張 した い。 この こ とは, 単 なる アメ リカ農 村社 会 学 あ るい は農業社 会 学へ の追随 を意味 す る もので は ない。交 通 情報 網 の整 備 に よって グ ローバ リゼ ー シ ョンが進 みつつ ある今 日にお いて は,国 情 を越 え て共 通 の 問題領 域 を設 定 しうる時期 に きた と思 うの で あ る。 7 ただ し世 界が 均 一 な社会 に なるわけで はない 。農業 者 の 主体的側 面 に注 目す る と して も, 「我 が国 農村 に特 有 な面」 を閑却 す る わ けにはい か ない の で あ る。 前節 で の議 論 も考慮 す れ ば,そ こで はつ ま り,農 業 者 の背負 う 「歴 史 的社 会 的 」 個性 と,農 業 者 が経 営 問で取 り 結 ぶ選択 的 人間 関係 との緊 張 関係 が 問題 とな る。 これ を農 業社 会学 とい う領 域 で カバ ー し たい こ とはす で に述 べ たが,次 に,こ の私 の構 想 す る新 分 野 の 内容 につ いて ア ウ トライ ン を示 して お きたい 。 4農 業社会 学 の基 本視 角 農業社 会学 の領 域 を体系 的 に論 じる こ とが本 節 の 目的 で は ない。今 は まだ,新 しい分野 の設 定 に よって何 が発見 で きるか を具体 的分 析 に即 して問 う段 階 に ある とい え る。 しか し, 前 節 に論 じた ような ア メ リカにお け る農業社 会学 の領 域 と同 じ もの を想 定 して い るので も ない。 そ こで本 節 で は,私 が 農業社 会学 とい う分野 に込 め よ う とす る基 本視 角 を整理 して お きた い。 第1の 視 角 は,農 業 者 を焦 点 とす る こ とであ る。農 業者 とい う範疇 は,具 体 的 な人 間 を 分類 す る もの と して は厳 密 で ない。 あ えて い えば,農 業 をひ とつ の職 業 活動 とみ な し就 業 する者32)を意 味す る。 む しろ強調 は,農 業 者 とい う人 間 を分析 の焦点 にす る とこ ろにあ る。 この 点 におい て,SociologyofAgricultureを 「農業 の社 会学 」 と訳 して用 い る河村 能夫 の 領 域 設定 と異 なっ てい る。河 村 は,兼 業 化,混 住 化 に ともな う 「農業 政 策 と農村 政策 の峻 別化 」33)とい う認 識 を背 景 と して,「 農 業 の社 会 学」 を 「産業 政 策 と しての 農業 政策 のた めの 社会理 論」 あ るい は 「社 会学 の領 域 か ら準 備 され うる 『農業 生産 の効 率 化 と向上 』の ため の理論 的枠 組 み」34)とい うよ うに,政 策論 的 に設 定 す る。 つ ま り,河 村 の い う農 業 は産 業 と しての 農業 で あ り,や や政策論 に偏 っ てい る とはい え, 発想 と して は関心 を農業構 造 に移 しつ つ あ る今 日の ア メ リカ農村 社会 学 の視 点 に近 い。 そ れ に対 して,私 の い う農業 はむ しろ職業 と しての農 業 で あ り,こ こで構 想す る農業社 会学 も 「農業者 の社 会 学 」 に近 い。 したが っ て,大 分類 と して 「農業 社 会学 」 を設 け,そ の 中 に 「農業 の社 会学 」 と 「農 業者 の社 会学 」 を下 位分類 と して設 ける考 え も成 り立つ 。 しか し 「農業 の社会 学 」 にお け る農業者 社会 の把 握 が,少 な くとも河村 にお いて は,集 団論 の み に依 拠 してお り35),そ れ を乗 り越 え よ う とす る本 論 の主 旨 と相 反す る。 さ しあた り 「農 業 者 の社会 学 」 を農業社 会 学 の 中心 内 容 とす る所以 で あ る。 第2の 視 角 は,経 営 的発想 で ある。個 別経 営 を越 えた 人間 関係 か ら経 営 間 関係 の問題 を 8 考 え よう とす る本論 に あって は,自 らの農 業経 営 に反映す る限 りにおい て経 営外 との 人間 関係 を問題 とす る こ とにな る。 その 意味 で,そ 前 提 となって い る。 したが って,こ れぞ れ農業 者 の農 業経 営 の存 在 が枠 組 みの こで い う農業社 会 学 は 「農業 経営 社会 学 」 的性格 も持 つo その場合,経 営 が指す 範 囲 は もち ろん単 に経 済 的経 営 の側 面 だ けで ない 。経 済 的経営 を 成 り立 たせ る基 盤 と もい え る人間 関係 の側面 も,こ れ まで の論議 か ら して当然 含 まれ るこ とになる。 さ らに,経 営 概 念 自体 につ いて も拡 張 した意 味 を与 えたい。M.ヴ 経 営Betriebを 「或 る種 の永続 的 な 目的 的行為 」36)と定 義 し,政 治的,宗 ェーバ ーが 教 的 団体 の事 業遂 行 に もあて はめた こ とは周 知 の とお りで あ る。 しか し,こ こで は さ らに広 義 に,経 営 をむ しろ英語 のマ ネ イジ メ ン トmanegementの 持 つ柔 軟 な意味 を含 む もの と考 えたい 。 その理 由 は,農 業者 が様 々 に取 り結 ぶ 人間 関係 を主体 的 に運営 す るmanageと い う側 面 を取 り入れ たいか らで あ る。 日本 人の 人間 関係 の持 ち方 は 「間柄 主義 」37}など と呼 ばれ る こ と もあ る が,間 柄 にが ん じが らめ に縛 られ てい るので は な く,そ こに間柄 を操作 す る主 体 性 を認 め たいの で ある。 第3の 視角 は,地 域 的個性 の重 視 で あ る.一 般 にわれ われ の 人間 関係 は,先 の用 語 を用 いれ ば,「 歴 史 的社会 的」個 性 に大 き く規 定 されて い る とい え るが,と 合,そ の 「歴 史的 社会 的」 個 性 は,彼 て い る。 農業者 は通常,農 りわけ農業 者 の場 らが生 活 し生産 活動 をお こな う地域 と深 く結 びつい 村社 会 に生活 して い るか,あ るい は少 な くと も農村 社会 に生 産 の場 を占有 して お り,そ の地 域 の個性 的 な人 間 関係,す なわ ち地域 の個 性 的秩 序 の なかで 農業 を営 んで い るか らであ る。 したが って,近 接 す る農業経 営 あるい は それ を代 表す る も の と して の農業 者 と関係 を もつ場 合 は,選 択 的 な要素 が含 まれ る と同時 に.地 域 の個性 的 秩 序 に も大 き く規 定 され る こ とになる38)。 地域 の個 性 的秩 序へ の注 目は。 同時 にそ れ らと経済 合理 的 な普遍 的秩 序 との緊 張 関係 へ の注 目で もある。 この緊 張 関係 の なかか ら,あ る地域 に住 ま うこ と,お よびそ こで農 業 を 営 む こ との意味 も再考 で きるの で は ない か39)。さ らに は,経 済 合理 的 な普遍 的秩 序 その も のの 限界性 に迫 れ るので は ない か。 これ らの 問題 関心 は農業社 会 学 の究極 課 題 の1つ とも い える もので あ る。 これ に関 して は本 論 の なか で直接 に はふ れ られ ない が ,め ざす 方向 を 示 す もの と して記 して お きたい40)。 5本 論 文 の課題 と構 成 9・ 1)課 題 と分 析視 角 前節 の3つ の視 角 を基本 と しつ つ.本 論 文 の課 題 をま とめ る と次 の とお りであ る。 す なわち,農 業 者 が農村 に住 まい農 業 で生 活す る と き.い か な る人 間関係 が そ こ にひろ が るのか 。 それ を,農 業者 の主体性 を重視 した経営manageの 観点 と,そ の主体 性 を規定 す る地域 の個 性 的秩序 の 緊張 関係 の なか で 明 らか にす る こ と,こ れ が本 論 でい う農業 社会 学 的視 点か らの課題 で あ る。 た だ しその 場合,農 業者 の人 間関係 の 意義 はそ の地域 の具体 的 な農業 の展 開の なか で評価 され るべ き もので あ ろ う。 したが って 実際 には,上 記 の課題 を地域 の具 体 的 な農業 の展 開 と対 応 させ つ つ論 ず る こ とにな る。 そ して さ らに,い の地域 や対 象 か ら得 られ た結 果 か ら。農 業経 営,あ くつ か るい は よ り広 義 に農業者 の社 会 的世界 の今 後の あ り様 につい て考 察 した い。 以上 の課 題 に接 近す るに あた り,農 業 者 の 人間 関係 を捉 える視 点 と して,つ きあい 関係 をひ とつ の重 要 な分析視 角 と した い。 次 章 で も述 べ る よ うに,こ れ までつ きあい 関係 は第2次 重視 されて こなか った。 また,つ 的 な社 会 関係 と して,そ れ ほ ど きあい 関係 は従 来 はお もに生 活 面の 問題 と して分析 が お こなわ れて きた 。 しか し,つ きあい 関係 は次 の2つ の 点 で結節 とな る関係 レベル と考 え ら れ る。 ひ とつ は,農 業経 営 面 と農村 生 活面 との結節 で ある。 つ きあい 関係 は生 活面 だ けで な く,経 営面 に とって も重 要 で あるが,つ きあい 関係 に着 目す る こ とに よって,経 営 面 と 生活 面 を同一 の枠 組 みで分析 す る こ とが可 能 となる。 も うひ とつ は,機 能 性 と慣 習 の結節 で ある。 つ きあ い関係 は,た とえば生 活互 助 な どの機 能 的側面 を中心 とす るが,そ れ ゆえ に機 能性 に基 づ く関係 の組 み替 え と,慣 習 的規 定 的 関係 の緊張 関係 の上 に成 り立つ 。つ ま り主体 的側 面 と,地 域 の個 性 的秩序 に よる規定 的側 面 の結節 に な りうる と思 われ る。 この よ うな意義 を持 つつ きあい 関係 を,あ るい は 明示 的 にあ るい は潜 在 的 に意識 しなが ら,分 析 を進 め たい。 2)本 論 文 の構成 以下,本 論 文 は8章 か らの構 成 にな るが,終 章 を除 く7つ の章 は一 定程 度完 結 した事 例 研 究 のか たち を とってい る。 しか も,対 象 と した事例 の性 格 も多 様 で ある。 そ こで,一 見 独 立性 が高 く内容 的 に も偏 差 の大 きい事 例研 究 各 章 につ いて,そ れ らの 関連 性 をあ らか じ め位 置づ けて お く。 7つ の事 例研 究 の章 は対象 地 の性 格 か ら して大 き く3つ に区分 され る。 は じめの第1章 ∼第3章 は ,水 田農村 を対象 と した もの であ る。水 田農村 にお け る農 業 の展 開 を考 え る場 10・ 合,村 落 の意 義 は概 して重大 で あ るが,対 象 地 と した滋 賀 県湖北 地 方 は,そ う した なか で もと くに村 落の 意義 の大 きい地域 で あ る。 したが って,農 業者 が経 営manageす と して,ネ べ き関係 ッ トワー ク的人 間 関係 だけ で な く,村 落 とい う集 団 との 関係 につ いて もふ れ る 必要 が あ る。第2章 第4章,第5章 で はそれ を農業水 利 の面 か ら論 じる. は,施 設 園芸 や畑 作物 を中心 に高所 得農 業 を実現 す る愛知 県渥 美半 島地 域 を取 り上 げ る。畑作 や施 設 園芸 を中心 とす る農村 社会 を対象 とす る こ とに よ り,従 来 の 水 田農村 中心 の個 性 的秩序 観 を相対 化 す る と と もに,人 間 関係 か らみ たそ う した地域 の可 能性 を考 察 したい。 この地域 で は,戦 後 に大 き く農業構 造 が 変化 した。 したが って,そ した ドラステ ィッ クな農業 の展 開 を明 らか にす るた め,第4章 ら地域 農業 の変 貌 を明 らか に し,第5章 第6章,第7章 まず,第6章 う で は.や や マ ク ロな視 点 か の それ を支 えた人 間関係 の分 析 へ とつ な ぎたい。 は従 来 の 日本 農業,農 村 の枠組 み を越 える事例 と して位置 づ けて い る。 で は農業 へ の新規 参入者 の 思考 や 人 間 関係 を取 り上 げ る。 地域 の伝 統 的 な個 性 秩序 か ら相対 的 に 自由 な農業 者 の人 間関係 を捉 え,今 後 の農業 者像 のあ り様 に関す る示 唆 を得 たい。 第7章 で は隣国 で ある韓 国農村 にお け る農業者 の社 会 的性 格 を論 じる。韓 国 の農業 者 の人 間 関係 は,た しか にその背 景 に あ る個 性 的秩序 その ものが わが 国農業者 の場 合 と異 な ってい るが,水 稲 を中心 的作 目 とす る点 や,村 落 を形成 す る点,社 父系 的親族 組 織 を有 す る点 な どにおい て,韓 会組 織面 で は 国農村 はわが 国農村 と類 似 す る点 も多 い。 そ う した韓 国 にお け る農業者 の 人間 関係 を分析 す る こ とを通 じて,わ が 国農村 の特 徴 をあぶ りだ し,改 善 の可 能性 に関す る示 唆 を得 た い と思 う。 さ らに,以 上 の 区分 とは別 に第1章 は特 別 な意義 を もって い る。 す な わち第1章 村 にお けるつ きあい 関係 とい う本 論 文 の縦 糸 となるべ き概 念 につ いて,そ の特徴 を明 らか にす る とい う基 礎 的 意義 を もつ。 農業者 が他 の農業 者 と関係 を結 ぶ場合,関 おいて は 。既存 の慣 習的 な関係 の結 び方 に影響 され る に違 い ない 。第1章 は,農 係 の結 び方 に で はそ の基 礎 と なるべ き慣 習 的 なつ きあい関係 につい て,農 業 者 の みの つ きあい で は な く,村 落成 員全 体 の つ きあ い関係 を対象 と しなが ら.村 落 生 活一 般 レベル での考 察 をお こな う。 注 1)た とえば,今 井賢一 金子郁容 『ネットワーク組織論』(岩 波書店,1988年)な 2)こ の段落の引用は,い ずれも森岡清志 「 社会的ネットワーク」(森 岡 塩原 有斐閣,1993年.P.644)よ ど。 本間編 『 新社会学辞典』 り。 3)企 業経営論においても,近 年企業間関係への関心が高まっている。たとえば,山 倉健嗣 『 組織間関係』 11 有 斐 閣,1993年 4)農 な ど。 林 水 産 省 に よ る 農 業 生 産 組 織 の 定 義 は 次 の と お り。 「複 数(2戸 以 上)の 農 家 が,農 業 の 生産 過程 に お け る 一 部 ま た は 全 部 に つ い て の 共 同 化 に 関 す る 協 定 の も と に 結 合 して い る生 産 集 団 な ら び に 農 業 経 営 や 農 作 業 等 を 組 織 的 に 受 託 す る 組 織 を い う」(農 1976年,1977年 5)金 林 水 産 省 「農 業 生 産 組 織 構 造 調 査 報 告 書 」,1972年, 調 査)。 沢 夏 樹 『農 業 経 営 学 講 義 』 養 賢 堂,1982年 6)本 研 究 に お い て は,以 後 。 「集 落 」 と 「村 落 」 を ほぼ 同 義 に 用 い る こ と に な るが,あ 内 部 の 社 会 関 係 を 強 く意 識 す る 場 合 は 「村 落 」 を 用 い.そ を さす 場 合 な ど は,「 集 落 」 を 用 い る 。 また,第2章 そ の 意 味 に つ い て は,そ え て 違 い を い え ば, れ 以 外 の 一 般 的 な行 政 的 地 域 集 団 と し て の 面 に お い て は,「 聚 落 」 と い う 語 も用 い て い る が, の 箇 所 の 注 を 参 照 の こ と。 7)金 沢r同 上 書 』,PP.275-302。 8)こ の段 落 に お け る 引 用 は す べ て,金 g)吉 田 忠 編 著r農 沢 「同 上 書 」,P.2gO。 業 経 営 学 序 論 」 同 文 舘,1977年 。 10)拙 稿 「農 業 経 営 学 に お け る行 動 論 的 思 考 の 展 開 と そ の 展 望 」 「農 林 業 問 題 研 究 」 第99号,1990年, PP.30-380 11)吉 田 「前 掲 書 」,P.80。 12)こ の 段 落 に お け る 引 用 は,吉 13)吉 田r前 田 『前 掲 書 」,P.80-81。 掲 書 」,P.81。 14)吉 田 「前 掲 書 」,P.78。 た だ し乗 本 秀 樹 の 執 筆 部 分 で あ る 。 15)こ の 段 落 に お け る 引 用 は,吉 16)こ の 問 題 点 に つ い て は,先 田r前 掲 書 」,P.81。 の 分 担 執 筆 者 で あ る 乗 本 も気 づ い て い る が,枠 組 み の 見 直 しに は い た っ て い ない 。 乗 本 秀 樹 「家 族 農 業 経 営 の 構 造 論 的 把 握 につ い て 一方 法 論 的 考 察 一」r農 P.40,参 照。 17)方 法 論 的 個 人 主 義 に た っ た す ぐ れ た 研 究 例 と して,石 「農 業 経 済 研 究 」 第59巻 題(役 林 業 問題 研 究 」 第52号, 割 集団 田正 昭 第3号,1987年,PP.137・145)が 構 造 ・制 度 な ど)に 木 南 章 「稲 作 を め ぐる 組 織 と市 場 」( あ げ られ る 。 こ の 論 文 は,「 社 会 レ ベ ル の 問 か か わ る す べ て の 命 題 は,個 目的 な ど)に 関 わ る 命 題 か ら ひ き だ す こ と が で き る 」(P.137)と 人 レベ ル の 問 題(意 識 自我 欲求 い う方 法 論 的 個 人 主 義 に た ち,農 民 の稲 作 を め ぐ る 経 営 間 共 同 行 動 の あ り方 に つ い て 解 釈 を お こ な っ て い る 。 と くに 集 落 の 社 会 的 特 性 と農 民 行 動 との 関 連 を扱 っ た 部 分 は,本 論 で の 関 心 に 近 い 。 18)こ の 発 想 の 発 端 は,間 宏r経 営 社 会 学 」 有 斐 閣,1989年,PP.4・5,か らえた。 19)FrederickH.Butte1,01afF.Larson,&Gilber七W.GillespieJr.,The50σ1010卯 ofAgr1σuヱ 整 理 は,す 加re,1990,Westport,GreenWoodPress。 この節 にお ける ア メ リカ農村 社 会学 史の べ て こ の 著 書 に依 拠 して い る 。 ま た,SocioloqyofAgricultureの 夫 は 「農 業 の 社 会 学 」 を あ て て い る が.本 会 理論 」 頼 平編 論 で は 「農 業 社 会 学 」 の 語 を あ て た い.河 『農 業 政 策 の 基 礎 理 論 」 家 の 光 協 会,1987年,第6章 「農 業 の 社 会 学 」 の 内 容 に つ い て は 本 文 次 節 を参 照 。 -12 第3節,PP.422,を 訳 語 と して,河 村能 村 「農 業 政 策 の 社 参照 。 河村 の 20)The50σ10ヱogγofAgr1σuエture,P.xvi,私 21)The50σ10ヱogyofA91ゴ1σ 訳 に よ る。 ロ1亡ure,P.440 22)Thesoσ1010gyofAgr1σulture,P.xix。 23)『 日本 農 村 社 会 学 原 理(上)』 未 来 社,1968(1940)年,PP.108-117を 24)井 森 陸 平 『農 村 文 化 』 巌 松 堂 書 店,1944年.P.2参 つ い て は,松 PP.1-13な 照 。 な お,戦 前 期 にお け る外 国農 村社 会 学 の摂取 に 原治 郎 「 農 村 社 会 学 へ の 導 入 」余 田博 通 ・松 原 治 郎 編 著 「農 村 社 会 学 』 川 島書 店,1968年. ど を参 照 。 25)た と え ば,猪 が,農 参照。 俣 津 南雄 「農 村 問 題 入 門』 中 央 公 論 社,1937年.ま 業 労 働 力 の 移 動 を 社 会 的 経 済 的 に,す の 実 証 的 研 究 』 岩 波 書 店,1g42年 26)か と い っ て,決 ル クス 主 義 的 分 析 とは 異 な る な わ ち 構 造 論 的 に論 じた も の と し て,野 尻 重 雄 「農 民 離 村 が あ る。 し て 融 合 した わ け で は な い.こ 展 開 』 お茶 の 水 書 房,1977(1959)年.と pp.164・173を た,マ の 事 情 に つ い て は,村 くに 同 書 所 収 の,福 落 社 会 研 究 会 編 「村 落 共 同 体 論 の 武 直 「村 落 共 同 体 を め ぐ る討 議 」, 参照。 27)『 農 業 技 術 改 良 の 普 及 過 程 とそ の 要 因 に 関 す る研 究 』(愛 知 大 学 綜 合 郷 土 研 究 所 紀 要 特 輯 号),1962 年。 28)前 掲 『農 業 技 術 改 良 の 普 及 過 程 と そ の 要 因 に 関 す る 研 究 」,P.2。 29)高 山 隆 三 「農 村 社 会 編 成 の 論 理 と展 開 一 共 通 課 題 をめ ぐっ て 一 」 村 落 社 会 研 究 会 編 『村 落 社 会 研 究27」 農 文 協,1991年.PP.9-11,参 照。 30)高 橋 明 善 「農 村 社 会 編 成 の 論 理 と展 開 一共 通 課 題 を め ぐる 三 年 間 の 討 議 の 総 括 一 」 村 落 社 会 研 究 会 編 『 村 落 社 会 研 究27』 農 文 協,1991年.PP.21。 31)補 足 的 な言 及 にす ぎ な い が,村 を越 え た 新 しい ネ ッ}ワ ー ク と して 「都 市 住 民 と農 村 の ネ ッ トワ ー ク」 が 指 摘 さ れ て い る 点 は 注 目 さ れ る 。 高 橋 「同 上 論 文 」,P.43。 も皆 無 で は な い.た と え ば,徳 ま た 個 別 の 農 業 者 像 に 迫 ろ う とす る研 究 野 貞 雄 は個 性 的 農 民 の 「哲 学 」 に着 目 して い る 。 徳 野 る 農 民 の 新 た な対 応 」 村 落 社 会 研 究 会 編 『村 落 社 会 研 究26」 農 文 協,1990年.な 32農 民 と しな か っ た の は,企 「農 業 危 機 に お け どを参 照。 業 家 的 に 発 展 し た者 も対 象 に 含 め た い か らで あ る 。 した が っ て こ こ で い う農 業 者 は 農 民 を も含 む 概 念 と して 想 定 して お り,peasant(農 に論 じ ら れ る な か の 農 業 者 の み を 指 す の で は な い.農 『文 化 人 類 学 事 典 』 弘 文 堂,1987年,PP.577-578,を 民)か らfarmer(農 業 者)へ と段 階 論 的 民 の 概 念 に つ い て は さ しあ た り,宮 本 勝 「農 民 」 参 照 した 。 33)河 村 「前 掲 論 文 」,PP.420-421。 34)同 上 論 文,pp.422。 35)同 上 論 文,pp.428-434。 36)Maxweber,So2ioloqischeGrundbeqriffe,1922(M.ヴ ェ ー バ ー(清 水 幾 太 郎 訳)『 社 会学 の 基 本 概 念 』 岩 波 書 店,1972年.P,85)。 37)公 文 俊 平 「日本 社 会 の 組 織 化 原 理 」 濱 口 恵 俊 公 文 俊 平 編 『日本 的 集 団 主 義 』 有 斐 閣 選 書,1982年, 第4章.PP.91101。 38)わ が 国 農 業 を 「旧 大 陸 」 型 と位 置 づ け,そ こ に お け る 地 域 の 重 要 性 を 「高 位 定 住 社 会 」 と い う概 念 で 捉 13 え よ う と した 研 究 と して,高 橋 正 郎 「地 域 農 業 の 組 織 革 新 」 農 山 漁 村 文 化 協 会,1987年,が 構 図 を借 りて い う と,地 域 的 個 性 の 重 視 と い う視 角 は,「 あ る。 この 新 大 陸 」 で あ る ア メ リ カ の 農 業,農 とす る場 合 に は そ れ ほ ど問 題 と な らな い と考 え ら れ る 。 そ の 意 味 で,こ の 第3の 村 を対 象 視 角 は わが 国あ るい は 「旧 大 陸 」 農 業 の 分 析 に特 殊 な視 角 と い え よ う。 39)こ の こ と は 具 体 的 な地 域 に お い て,農 業 に お け る 「総 合 的 価 値 」 と は 何 か を 考 察 す る こ とに つ なが る 。 農 業 に お け る 「総 合 的 価 値 」 に つ い て は,祖 第26巻 第4・5号 合 併 号,1990年,を 40)近 年,い 田 修 「農 林 業 に と っ て 地 域 と は何 か 」 「農 林 業 問 題 研 究 」 参照。 わ ゆ る小 農 や 家 族 経 営 に 対 す る 再 評 価 の 動 きが 見 ら れ る 。 そ れ は 市 場 原 理 の み に よ る 農 業 分 析 の 限 界 とい う認 識 に 依 拠 して お り,本 論 と志 向 性 を 同 じ く して い る 。 た と え ば,玉 の 経 済 学 』 農 山 漁 村 文 化 協 会,1994年,第1章 と の 相 互 影 響 関 係 を,と 論 の 関 心 と は や や ず れ る が,経 傾 向 と して 指 摘 して お きた い 。 モ ラル エ コノ ミー論 が 済 合 理 性 を越 え た 農 民 行 動 に 着 目す る エ コ ノ ミ ー論 の 簡 単 な整 理 と近 世 農 民 社 会 へ の 適 用 例 と して は, 部 謙 一 「農 家 経 済 か らみ た 「モ ラ ル 「思 想 」No.794,1990年,が 域 の 個 性 的 秩 序 と経 済 合 理 的 秩 序 く に 歴 史 的 視 点 か ら明 ら か に し よ う とす る もの と して モ ラ ル あ る 。 歴 史 分 析 が 中 心 の た め,本 た と え ば,友 な ど を参 照 。 ま た,地 真 之 介 『農 家 と農 地 ある 。 ・14一 エ コ ノ ミー 」 論 一 家 族 経 済 慣習経済 市 場 経済 」 第!章 稲 作 地域 村 落 生 活 に お け るつ きあ い 関係 の ネ ッ ト ワ ー ク と構 造 化 本章 の 課題 は,稲 作 村 落 を事例 と して村 落生 活 に お ける慣 習 的 つ きあ い関 係 の一 般像 を明 らかに す る こ とにあ る。 つ きあい 関係 は,す で に述べ た よ うに,農 業者 が よ り経 営 的 な人 間 関係 を構 築 す る際 の基 礎 的 な モチ ー フに な る と想 定 され る と ともに,村 落 統合 の た めの 重要 な役 割 を果 た し,農 業者 の活動 に 対 して も大 きな影響 を及 ぼす と考 え られる か らであ る。 分析 手 順 と して は,ま ず つ きあ い関 係 の特 質 と 本 章の 具体 的課 題 を述 べ.次 に対 象 村 落 にお け る慣 習 的つ きあ い関 係 の実態 を分析 す る。 そ こか らつ き あ い 関係 の特徴,お よび村 落 との 関連 を明 らか に し,農 業 者 に とって の慣 習 的つ きあい 関係 の 意義 を明 らか にす る。 1分 析 視 角 と して の つ き あ い 関係 戦 後 の 高 度 成 長 期 を経 て,農 業 者 に と っ て の 村 落 生 活 の 意 義 や 重 要 性 は,そ べ る と低 下 し た と い え よ う 。 しか しそ れ は 際 限 の な い 低 下 で は な く,住 管 理 な ど か ら の 要 請 も あ っ て,現 第3章 れ以 前 に比 民 自治 や 地 域 資 源 在 で は む しろ下 げ 止 ま っ た 感 さ え あ る 。 と くに本 章 か ら に か け て 対 象 事 例 と す る 近 畿 地 方(滋 強 さ が 多 方 面 に お い て 指 摘 さ れ て お り1},そ 賀 県)の 村 落 に お い て は,村 落 とい う集 団 の れ は 農 業 者 の 経 営 的 展 開 を 考 え る 場 合 に も, 無 視 で きな い 前 提 条 件 とな っ て い る。 一方 ,村 落 生 活 に お け る 関 係 を み る と,一 般 的 に み て 同 族 団 的 な 上 下 関 係 は 薄 れ,比 的 対 等 な 関 係 が 優 勢 に な りつ つ あ る と い え る 。 と り わ け 近 畿 村 落 に お い て は,同 族 関 係 化 」2)や 向 は,個 較 族 の 「親 「親 族 関 係 の 機 能 的 意 義 の 強 化 」3)が か ね て か ら 指 摘 さ れ て き た 。 こ の 傾 々 の 単 位(各 家 々)が そ の 独 立 性 を 高 め な が ら.そ の 結 果 と して 自 ら の 結 ぶ 関 係 を選 択 的 に 決 定 す る可 能 性 を拡 大 して きた こ との現 わ れ と考 え られ る 。 した が っ て 今 日の 村 落,と り わ け 今 日 の 近 畿 村 落 を把 握 す る た め に は,個 る 視 点,す 々 の 単 位 が 取 り結 ぶ 関 係 を 分 析 す な わ ち 個 々 の 単 位 が 結 ぶ 関 係 の ネ ッ トワ ー ク に 注 目 して 村 落 を 把 握 す る と い う 視 点が 必要 にな る。 以 上 の2つ の 見 地 は 一 見 す る と 二 律 背 反 的 で あ る 。 す な わ ち,一 て の 強 さ が 主 張 さ れ,他 方 で は村 落 の 集 団 と し 方 で は選 択 的 な ネ ッ トワ ー ク 関 係 の 重 視 が み られ る の で あ る。 し か し現 実 の 村 落 は こ の 二 律 背 反 に よ っ て 引 き 裂 か れ て い る わ け で な く,む 団 と して の 強 さ を 保 っ て い る 。 こ の2つ の 対 立 項 の 統 合 問 題 を,つ 15・ し ろ ま さ し く集 きあ い 関 係 に着 目す る こ とに よって解 くこ と,こ れが本 章 の 第1の 課 題 で あ る。 つ きあい 関係 は,さ ま ざ まな互 助協 力,す なわ ち労働 や生 活上 の協 同 な どの,い わば生 活 の機 能 的側 面 を指標 とす る関係 で あ る。 しか も機 能 的で あ るが ゆ えに,実 際 的要 請 に応 じて選 択 的 に関係 を組 み替 える必 要 も出て くる。従 来 こ う した機 能 的 関係 は,よ と考 え られ る村落 の構 造 的社 会 関係,す た めの2次 なわ ち同族 や親 類,近 り根本 的 隣 関係 な どを明 らか にす る 的 な指標 と して捉 え られて きた4)。 しか し序 章 で もふ れた よ うに,農 業 者 の事 業 面 にお け る人間 関係 を考 える場合,そ 性 の接 点 と して,お う した機 能的 側面 こそが,慣 習 規 定性 と選 択 可能 よび生 活 にお け る人 間関係 と農 業経 営 に関す る人 間 関係 の接 点 と して 重 要 に なる と思 われ る。 その 意味 で,本 章 は後 の章 の た めの基 礎 的考察 をお こな う役 割 も 持 ってい る。 主題 と して は村 落統合 の問題 を扱 うが,村 落 生 活 にお ける つ きあい 関係 の領 域 と,つ きあい 関係 の特徴 も合 わせ て示 して お きたい 。 これ が第2の 課 題 で あ る。 ところで,こ れ までつ きあい は交 際研 究 と してお もに民 俗学 の分野 で対 象 と され て きた。 福 田 アジ オに よる と,と 「つ とめ る」(帰 分類 に従 うと,た くに村落 生 活 にお け る義 理 関係 は 「つ きあ う」(対 属 関係),「 つ くす」(上 下 関係)の 等 関係), 三 つ に分類 で きる とい う5)。 この とえば村落 レベ ルの共 同作 業 は,「 ム ラづ きあい」 で は な く,む しろ 「ム ラつ とめ」 と呼 ば れ るべ きだ とい うこ とにな る。 本章 で は基本 的 に この分 類方 法 に従 い たい.そ れ に よって,つ きあい 関係 を対 等 的性格 をお び た二者 関係 と して捉 える こ とが 可 能 とな り,そ の ような性 質 を合 わせ もった視 点 こそが,前 述 の よ うに現 在 の村落 生 活分 析 に必要 だ と思 われ るか らで ある。 具体 的 なつ きあい の内 容 は,訪 問,贈 答,労 働協 力,手 伝 い な ど と し,こ れ らを相互 に 担 い合 う関係 をつ きあい 関係 と考 えたい 。村 落生 活 にお け るつ きあい を考 える場合,一 般 につ きあい 関係 の 範 囲 はむ ら人 に よって平 常 よ り観念 されて い る。言葉 が けや あい さつ を 含 め て考 え る こ と もで きるが6),そ うす る と範 囲が む ら人全 体 に ひろが りか ね ない ので, ここで は考 察 か ら除外 した い。 以上 の意 義 お よび内容 を もつつ きあい 関係 の ネ ッ トワー クか ら村 落 統合 を分析 す る場合, 個 々の ネ ッ トワー ク と村 落 とい う社 会 的枠 ぐみ との連 関が問題 に なる。 つ きあい 関係 の ネ ッ トワー クは この連 関 を通 じて村 落構 造 と結 びつ くが,そ の際 に個 別 の視 野 を もつ それ らの ネ ッ トワー クは村 落構 造 と関連 すべ く構 造 化 され る と考 え られ る。 したが って,つ きあ い 関係 か ら村落 を分析 す る こ とは,実 質 的 に はつ きあい 関係 の ネ ッ トワー クの構 造化 を問題 にす る こ とだ と換 言 で き よう。 ・16 つ きあい 関係 に は親族 関係 も含 まれ るが,親 族 関係 は一般 に村 落 外 にひ ろが るので,視 野 的 にみたつ きあい 関係 は村 落 内で 閉 じてい ない。 こ う した形 態 を とる こ とか ら,つ きあ い 関係 の ネ ッ トワー クの構 造化 を探 るため に,次 の2視 点か ら分析 を試 み た。① 個 別 のつ きあいの単 位 にお けるつ きあい関係全体 と村 落 内つ きあい 関係 との関連 につ いて(第3節), お よび② 全村 落 的 にみた村 落 内つ きあい 関係 の ネ ッ トワー クが村 落 ない し村 落 内集 団(事 例 で は宮座 集 団)の なか で どの ような特 徴 を示 す か(第4節)で ある。① で は,村 落 へ と 構 造化 され るつ きあい 関係 が個 別単位 の全 体 的つ きあい 関係 の 中で どの よ うに位 置づ け ら れ るか を問題 に し,② で は.そ こで性 格づ け られた つ きあ い 関係 が どの ように村 落 内で構 造化 され るか を問題 にす る。 次 節 で詳 し く述 べ る ように,調 査 対象 と した村落 には シ ンル イ と呼 ば れ る一 定程度 制 度 化 された つ きあ い 関係 が あ る。村 落 内つ きあい 関係 とは具 体 的 には その シ ンル イ を指す 。 つ きあい 関係 そ れ 自体が 制度 化 され てい る とい うやや 特殊 な事 例 を扱 う と もい えるが,そ れゆ え にそ の構 造 化 の しくみ を明確 に捉 え うる とい う利 点が あ ろ う。 制度 化 の弱 いつ きあ い関係 ηを も含 め た分析 に至 るた めの,第 一段 階的試 み として位 置づ けて お きたい。 な お, ② で村 落 内集 団 と して宮 座 集 団 を くわ えたの は,宮 座 が近 畿村 落 に特 徴 的 であ る とい う理 由 だ けで な く,集 団 と して の宮座 を最後 に若干 なが ら再 び考 察対象 に含 め たいか らで もあ る。 2調 査 村 落 の概 況 とつ きあ いの 制度 1)難 波 の概 況 調査 村 落 は滋 賀県東 浅 井郡 びわ 町難 波 で あ る。 難波 は湖北 地 方 を流 れ る姉 川の下 流域 に 位置 す る村落 で,戸 数 は72戸(1989年 現 在)あ る。水稲 作 をお もな生 業 と して きたが,か つ て は養 蚕 が盛 ん で あっ た。 しか し養 蚕 は大 正初 期 を ピー ク と して しだい衰 退 し,そ れで も1960年 には41戸 あ った養蚕 農 家 も現 在 で は ま った く消 えて しまった。 養蚕 と入 れか わ る よ うに して,農 外就 業す る農家 が増 えて きた。 農業 セ ンサ ス に よる と,1960年 74戸 の うち農家 は65戸(農 あ った が,1985年 家率88%),そ の うち第2種 兼業 農 家 が19戸(2兼 に はそ れぞ れ73戸,58戸(79%),54戸(93%)と には世 帯 数 率29%)で なっ てい る。近 く に長 浜市 が あ るた め兼業 機会 も豊富 で,雇 用 は概 して 安定 的 であ る。 次 に土 地所 有 に よる階層構 成 をみて お きたい 。表11は,1887(明 (昭和62)年 治20)年 と1987 の 田畑 所 有面積 を各家 ご とに比 較 し規模 別 に ま とめ た もの で ある。1887年 17 に は,田 畑 所 有 戸 が69戸 い て,古 あ り,そ の う ち 不 明(現 老 の 記 憶 に な い 家)が5戸,絶 在 の 家 と の 関 連,あ 家 あ る い は 転 出 が25戸 け る 家 は 少 な く と も39戸 あ る 。 表 に 示 さ れ る よ う に,こ した 家 の 方 が 多 い 。 一 方,分 畑 所 有 戸 の3割 表11田 るい は絶 家 や他 出 につ あ る 。 他 方,難 の39戸 波 に 存 在 し続 の な か で は所 有 面 積 を増 や 家 や 転 入 戸 の う ち で 田 畑 を 所 有 す る 家 は22戸 あ り,現 在の田 強 を占め る。 畑 所 有 面 積 規 模 別 戸 数 の2時 点 比 較(1887年;1987年) 単 位:戸 1887(明 治20)年 分1 家9 0.3haO,30.51.01,52.03.Oha・8 以下 ・ 田 田 肚 焚年 0.51.01.52.03.0計 所 有 な し1-一 gO,3ha以 80 一 一 一11121 一611 .3∼0.53-2-一 0.5∼1.Ol24-一 昭1 和 一 下3-11-一 一 一8137 一 一411 一 一11 ,0∼1.51155-1-215 )年 621.5∼2.01-23--118 2.0∼3.0-一 3.Oha以 一 上 一 一 一 一 一1-一 一 一1 転 出 ・絶 家11661-1一 不 明4-1-一 1887年 注)1887年 一 一 計2592111-21 の 所 有 田 畑 な し の 家 は,屋 敷 地 の み 所 有 の1戸(転 出)を 確認 し うる以 外 は 不 明 な の で表 か ら除 いた 。 家 々 に入 れ替 わ りが あ り,存 続戸 の盛 衰 もみ られるが,両 ほ どの大 差 はない とい え よう。1887年 の3.Oha以 上 の1戸(家 してい るが,そ れ で も全戸 の総 所 有面積 の約1割 年 の 階層構 成 につ いて はそ れ 番 号404)は4.5haと にす ぎない.聴 や や突 出 き取 りに よる と,こ の間 も階層構 成 に大 きな変 化 は なか った とい うこ となの で,階 層構 成 的 に は比 較 的安 定 した村 落 とい え よ う。 図11は1987年 現 在 での 田所有 お よび田耕 作面 積 を各 家 ご とに示 した もの で あ る。田畑 所 有 面積順 に各家 を並 べ たの は,か つ ての養 蚕 の重 要性 を考慮 す る とき,桑 園 を含 む 田畑 合 計 の方 が 中長期 的 視 点か らみた村 落 内 の階層構 造 を よ り反 映す る と考 え たか らで あ る。 0.5ha未 満層 の 非耕 作者 化 が広 くみ られ る こ と,1.Oha前 が少 な くない こ とが この 図か ら知 られ る。 ・18・ 後の 所 有層 におい て も非 耕作者 化 図11各 家 の 田所有 ・耕 作 面 積(田 畑 所 有 面 積 順1987年) 702◎ 709(>r● 701 305 402 607●0 708◎ 502 408◎ 506 111 }81 家lll 804● 番805ひ 1070-一 一 一〇 一〇 一一■● 万 口606●0 801◎ 306◎ 503 5010-一 101◎ ■● i§i鬼 803●-0 6030 207 111 106 608 1090・ ● 105 802● 一 一 一 ■一 一一 〇 505 303 604 406 202 301 201 602 401◎ 1080-一 203◎ ● 404 206 205◎ 504 706 6050同D 601 405 204● 一 一一 〇 110 01 .02.03.0猛 注)α)○:田 所 有 面 積,●:田 「 耕 作面 積 を表 わ す 。 (2)102,113,208,209,210,307,703,704,705,707,808,810は 304,112は (3)家 畑 の み 所 有 ・耕 作 な の で,図 番 号 の つ け 方 は 図1-2注 田 畑 所 有 ・耕 作 な し, に は あ げ て い な い. を参 照 。 -19・ 難 波 にお け る宮 座 は オ コナ イ組 と呼 ばれ る。 オ コナ イ とは近江 湖北 地 方一 帯 にひ ろ く分 布 す る宮座 行 事 で あ り,難 波 で は毎 年1回2月13日 は鍛 冶組 中組,西 か ら17日 の期 間 に催 され る8)。 難 波 に 組 とい う三つ の オ コナ イ組 が あ り,ま ずそ れ ぞれ の組 の トウヤ(当 屋) で独 立 して行事 が 進 め られる。 そ して最後 に八 坂 神社 とい う村 落唯 一 の神社 に3つ そ ろい,合 の組 が 同で祈 年 祭 をお こな う。 難波 に居 住 す る世帯 に生 まれ た男子 で あ り,一 定 の手 続 きをふ ん だ な らば,だ いて は長 老(オ れで もそ の世帯 が所 属 す る オ コナ イ組 の成 員 にな れ る。 行事 にお トナ),中 1989年 現 在,4戸 老 な どの年齢 階梯 に よって座順 や役 割 が決 定 され る。 を除 く68戸 が3つ の いず れか の組 に属 して い る9)。 古 くは同 じ組 の家 はか た まっ てい た と伝 え られ るが,現 在 で は分散 して い る(図12参 照)。 分家 は本 家 の オ コナ イ組 に入 る こ と,集 落 内で の転居 の例 もい くつ か み られ る こ とな どが,居 住 地 め分 散 の 主要 な原 因 に なって きた と思 わ れ る。 図12調 蒲轍 査村 落 にお ける家 の配 置 と組 蕎撫 … … 魏、 蜘 猫鋤 箭 鋤刎 茎 熱 翠欝 ・1繍躯 注)α 〕 △ が 鍛 冶組,○ 饗群 が 中組,◇ が 西 組,口 が ナ コナ イ組 に所 属 し ない 家 を表 わす 。 ② 家 番 号 の3ケ タ 目は,隣 保 組 で あ る班 の 番号 を表 わ す 。 ⑧ ④ ∼⑥ は隣 村 落 の家 で あ る。 本 文 注13参 照。 (4)一 一一 一一 は村 落 境,一 は 小 水 路 を表 わ す 。 20一 2)制 度 と して の シ ンル イ 近 江 湖 北 地 方 や そ の 南 の 湖 東 地 方 の 村 落 に は,一 般 に シ ンル イ と呼 ば れ る つ き あ い 関係 の 組 織 が ひ ろ ぐ み ら れ る10)。 シ ン ル イ は 個 々 の 家 に よ っ て そ の 範 囲 が 異 な る ネ ッ ト ワ ー ク 的 形 態 を と り,後 結 婚 式,誕 述 の よ う に そ の 範 囲 は 個 々 の 家 に と っ て 一 応 明 確 で あ る 。 葬 儀 や 法 事, 生 な ど の 際 の 協 力 や 贈 答,そ お こ な わ れ る 。 古 老 の 話 に よ る と,明 い た11)。 学 校 で"し ん る い"と の 他 の 日常 的 な 互 助 な どは こ の 組 織 を 中 心 と して 治 か ら大 正 初 期 の 頃,こ の 組 織 は イ ッケ と呼 ば れ て い う 言 葉 を 習 う に つ れ て 呼 び 名 も変 化 し た の で は な い か と い う。 い わ ゆ る 親 類 関 係 と 違 っ て,シ ン ル イ に は 血 縁,姻 結 合 契 機 を ま と め る と つ ぎ の6つ a系 譜,同 姓 関 係 に よ る もの b血 縁,姻 戚 関 係 に よ る もの 戚 関 係 以 外 の 結 合 契 機 が み られ る 。 に な る12)。 c仲 人 関 係 に よ る も の d近 隣 関 係 に よ る も の e他 の 家 を 媒 介 と す る 関 係 に よ る も の fそ の 他(寺 檀 関 係,チ カ ヅ キ,古 い シ ン ル イ な ど) aの う ち,系 譜 関 係 に よ る もの は ドウケ と呼 ば れ る。 そ の 中 に は系 譜 関 係 が 定 か で な い もの も 含 ま れ て い る 。 同 姓 だ か ら と い う 関 係 もaに 変 化 し な い と い う 理 由 の ほ か に,認 含 め た 。 代 替 り して も 関 係 が 基 本 的 に 識 さ れ る 系 譜 深 度 が 浅 い こ の 村 落 に あ っ て は,同 姓だ か ら と い う 場 合 と 系 譜 は 不 明 だ が と に か く ドウ ケ と い う 場 合 の 区 別 が つ き に く い と い う こ と も あ る. bは 一 般 に い う 親 類 で あ る が,aと て,あ る シ ン ル イ を こ こ で い うa,bの の 区 別 は あ い ま い な と こ ろ が あ る 。 聴 き取 り に お い ど ち ら に 分 類 す る か 話 者 自 らが 迷 う と い う 事 態 に し ば し ば で く わ し た 。 こ の 問 題 に つ い て は,第4節 に お い て 親 等 距 離 とシ ンル イ の 関 係 を 検 討 す る 際 に 再 度 ふ れ る こ と に す る. cは ナ コ ウ ド(仲 的 に は.ナ 人)を し た り,し て も ら っ た り した と き に 結 ば れ る 関 係 で あ る 。 基 本 コ ウ ドを し た 者 さ れ た 者 が 生 存 して い る 間 の 一 代 限 り の 関 係 で あ る が,そ れ の 側 が 次 の 代 に な っ て も 関 係 を 続 け て い る 例 が 若 干 み ら れ る 。 ま た,結 渡 し を お こ な っ た 関 係(ハ シ カ ケ)に 選 択 性 の き く結 合 契 機 だ が,シ れぞ 婚 の 実 質 的 な橋 よ る も の も こ の 範 疇 に い れ た 。 ナ コ ウ ドは あ る 程 度 ン ル イ の 数 を あ ま り増 や し過 ぎ た く な い と い う 考 え も 強 く, 21 す で にシ ンル イ関係 を結 んで い る家 にナ コウ ドを頼 む こ と も多 い よ うで ある。 dは 一 般 に トナ リシ ンル イあ るい は トナ リ と呼 ばれて い るが,そ の 中 にはか つ て トナ リ であ った家 との 関係 も含 まれ る 。 ある家 が集 落 内で移 転 した場合,か つて の トナ リ関係 が 以 前 同様 に継続 され る こ とが あ る。 このい わば 「モ トの トナ リ」 関係 も意識 の面 で は トナ リ関係 と同 じなので,こ の分 類 に含 め た。 た だ し,移 転 後 も必 ず 「モ トの トナ リ」 をシ ン ル イ とす る とはか ぎ らない 。 eは,た るC家 とえばA家 もA家 とB家 が 比較 的 近い シ ンル イ 関係 にあ る と き,B家 の シ ンル イで あ とシ ンルイ に なる とい う関係 を表 わ してい る。分 家 が本家 を媒介 と して本 家 の シ ンル イ とシ ンル イ関係 を結 ぶ パ ター ンが最 も典型 的で あ る。 fの うち,寺 檀 関係 につ いて 。難 波 に は浄 土真 宗 の2つ の寺(養 本 寺 と唯願 寺)が 難 波 内の23戸 が養本 寺 の檀 家,同 じ く44戸 が 唯願 寺 の檀 家 とな ってい る*。 あ り, この うち養本 寺 は寺 檀 関係 にあ る家 すべ てが シ ンル イで あ る と考 えて い るが,唯 願 寺 はそ の一 部 を トナ リ と して 認 めて い る にす ぎない。 チ カヅキ は友 人関係(ツ レと呼 ば れ る)に 基 づ くもので あ るが,「 兄弟 の杯 」 をへ て シ ンル イ に なった もの もあれば,そ ル イに な った もの もあ る。 その ほか,村 う した儀 式 を経ず にシ ン 入 りした者 とそ の ときの 区長 とい う関係 が シ ンル イの結 合契 機 とな った り,結 合 契 機 が定 か で な くな り 「家 シ ンルイ」 とか 「昔 か らの シ ン ルイ」 な ど と呼 ばれ る ように なった古 い シ ンル イ もここに含 めた 。 *そ の他は村落外の寺の檀家が二戸,天 理教が一戸である。 一方 ,関 係 の強 い弱 い あ るい は濃 い薄 い とい う区別 も存 在す る。二段 階か ら三段 階 に分 け られ るのが ふつ うだが,そ の違 い に よって行事 の 際の役 割 や贈答 の量 な どが異 な って く る。最 も関係 が濃 い家 々は オモ シ ンル イあ るい は アイ アケ(ま た は ア イア ケ グチ)と 呼 ば れ る。 ただ し,ア イ アケ が親族 関係 の あ る家 を指す の に対 し,オ モ シ ンル イは親族 関係 以 外 の家 で あ って もよい。 た とえば トナ リシ ンル イ は,オ モ シ ンルイ に な るこ とはあ って も アイ ア ケ とは呼 ばれ ない。 また次 節 で述べ る よ うに,ア イ アケ には他 所 の家 も含 まれ る。 それ に対 して オモ シ ンル イ は村 落 内 の家 につ い ての み用 い られ るの が通 常 であ る。 どこの家 とシ ンル イで あ るか は,各 家 ご とにか な り明確 に認識 され てい る。 しか も相 互 認 知が た て まえで あ り,シ ンル イ関係 を解 消 す る場合 に は 「シ ンル イ を引 く」 とい うこ と が 両家 の 間で 申 し合 わ され る。 したが って,各 家 を訪問 し,「 あ なた の家 の シ ンル イ を教 えて くだ さい」 と尋 ね る と一応 はっ き りと した答 えが え られ る。 表12は,こ ・22・ の よ うな調 査 方 式 に よ っ て え ら れ た 結 果 を 結 合 契 機 お よ び オ モ シ ン ル イ か ど う か,相 い る か ど う か を 指 標 に ま と め た も の で あ る*。 相 互 選 択 率 が100%に 互 選 択 さ れ て な ら な い の は.家 々 の 間 で の 認 知 の ず れ に よ る 。 *調 査 期 間 は1987年 か ら90年 にか けて で あ る。 表12結 合 契 機 別 シ ン ル イ 数 シ ンル イ選 択数 ⑦ 構 成比 オ モ シ ソル イ シ ソ ル イ相互 オ モ シ ンル イ 選択数⑦ 選択 数⑫ 相 互 選 択数 ㊥ オモシγルイ率 相互 選 択 率 ⑦/⑦ 相互選択率 ㊥/⑦ ㊥/⑦ 例%例%例%例% 全 体805100.019724.472790.313267.O aド ウ ケ ・同 姓12615.66652.412296.8 b血 縁 ・姻 戚14518.09062.ll3895.2 cナ コ ウ ド9111.34549。58795.6 c'ナ コ ウ ドの み728 ,92738.06894.4 +ト ナ リ と 重 複 dト ナ リ31038.5289.028491.6 d'ト ナ リの み28034.893.22569L4 e他 の 家 を 媒 介 と789.745.16887.2 す る シ ソル イ fそ の 他10412.911.07572」 注)(D相 互選 択 の関 係 数 は,未 調 査 戸 に 関 す る関 係が 相 互 選 択 で あ る と仮定 して求 め た。 ② 各 契機 の相 互 選 択 数 に は,選 択 した 契 機 と選択 さ れ た契 機 とが 異 な る場 合 も含 まれ てい る。 た と えば,一 方 が ドウ ケ と して選 択 した と ぎ,相 手 方 が そ れ 以外 の契 機 に よ る シ ソル イ と して選 択 して い て も,シ ン ル イ と考 え てい るか ぎ り相 互 選 択 と した 。 (3)「 ナ 「 ウ ド」 と 「トナ リ」 は他 の 契 機 との 重複 がみ られ る。 た だ し,c',d'の 重 複 が避 け られ,a+b+c'+d'+e+f=全 全 体 の シ ン ル イ 選 択 数 は805で,そ の う ち 約4分 の1が れ ら は ほ ぼ 村 落(=ザ イ シ ョ)内 オ モ シ ン ル イ で あ る 。 調 査 戸 数 は69戸(3戸 あ た り の 平 均 シ ン ル イ 数 は11.7戸,同 ー オ モ シ ンル イ の 相 互 選 択 率 は ,シ で 閉 じて い る13)。 そ は 調 査 不 能)な じ く オ モ シ ン ル イ 数 は2.9戸 に な る.オ の で,1戸 モ シ ンルイ ン ル イ ー 般 の 相 互 選 択 に比 べ る とだ い ぶ 低 い 。 この 調 査 で は オ モ シ ン ル イ か そ う で な い か と い う 二 分 類 を と っ た が,先 程 度 を3分 よ うに集 計 す る と 体 とな る。 類 ぐ ら い に 分 け て 考 え る 場 合 も あ る の で,そ 述 の よ う に,つ きあ い の れ に よ る 行 き違 い も影 響 して い る か も しれ な い 。 各 結 合 契 機 別 に み る と,ま ず 構 成 比 で は 「dト ナ リ 」 の 比 率 が 最 も 高 い14}。 他 の 結 合 契 機 と の 重 複 分 を 除 い た 「d'ト ナ リ の み 」 で も全 体 の3分 ・23一 の1以 上 を 占 め て い る。 しか し オ モ シ ンル イ に注 目す る と 「aド ウケ 同姓」,「b血 縁 ・姻戚 」 に よる ものが多 くなる。 結 合契 機 に よるシ ンル イの 重要 度 の違 い だ とい え よ う。 ただ し,d'な ど比 較 的重 要度 の低 い と思 われ る結合 契 機 の シ ンル イで あ って も,オ モ シ ンル イが ま った く皆無 で は ない こ と に注 意 して お きた い。 結合 契 機 ご との相互 選択 率 につい て は,「e他 の家 を媒介 とす る」 もの と 「fそ の他 」 が全体 の平均 を下 回 ってい る。 これ らの シ ンル イが 他 の結合 契 機 に比 べて周縁 的 なシ ンル イで ある こ とを裏付 けてい る。 そ れ に対 して,a,b.「cナ に よる シ ンル イは いず れ も相 互 選択 率 が95%以 コ ウ ド」 上 と高 い. この よう にシ ンル イは結合 契 機 に よる軸 とつ きあい の深 さ を示 す 軸 に よって分類 され, 実際 生活 上 そ の分類 が意味 を もって い る よ うに思 わ れ る。 シンルイが この ように分類 され, か つ制 度化 され るの は なぜ か 。 この点 に関 して次節 で は内容 に立 ち入 って考察 をお こな う が,そ の前 に当該 村落 にお け るシ ンル イ と農業 との 関連 につ いて 簡単 に触 れ てお きたい。 3)農 業 とシ ンルイ まず,農 業 にお け る共 同の機会 と して農業 機械 の共 有 が あ るが,難 善事 業 を契 機 に設 立 され た村 落 レベ ルの生産 組織 に よって機械(ト 波 で は第2次 構 造改 ラク ター,コ ンバ イ ン) が 共 同所 有 され て お り,し か も田植 機 はすべ て個 人 有 で あるか ら.数 戸 単位 で の主要 農業 機械 の共 同所 有 は み られ ない。 また,30a区 画 の 圃場 整 備 も20年 程前 に完 了 し用排 水 も分 離 したの で,機 械 所 有 や耕 地 の隣接 に よる二 者 関係 的 な農家 相互 の 関係 性 は一般 に きわめ て弱 い。 そ れ らは村 落 レベ ル での 関係 が主 なので,本 章 第1節 の福 田 の分類 で い えばむ し ろ 「つ とめ る」 関係 に近 い とい え よう15)。 農 地貸借 につ い てみ る と,1987年 は968aで 時点 の村 落 内で の貸 借 関係 は40組 あ り,そ の合 計面 積 あ った 。 その うちシ ンル イ問で の貸借 の比 率 は関係 数 で45%,面 た。前 項 で述 べ た よ うに,1戸 積 で37%で あっ あ た り平 均 シ ンル イ数 は約12戸 で あ るか ら,あ る家 を中心 に して単 純 に考 えた場合,17%(12戸/72戸)の 家 々 に37%の 農地 を貸 し付 け てい る こ と になる 。農 地貸借 とシ ンル イ との あ る程 度 の 関連性 を指 摘 で きよ う。 しか し,農 地 貸借 関係 が シ ンル イの契 機 とな った事 例 は1例 もない 。 また,一 方 で は近 い シ ンル イ に農 地 を預 けたい とい う希望 は聞 かれ た もの の,他 方 で は農 地の貸借 とつ きあ い関係 とは別 だ とい う意見 も聞か れた 。農 地貸 借 関係 とシ ンル イ との関連 につい て は,再 度,第3章 におい て取 り上 げ るが,現 在 の難波 の農業構 造 におい て はす で にシ ンル イ内 に 耕 作者 を見 つ け る こ とが 困難 に な り,そ れゆ え にシ ンル イ以外 の家 々 との貸借 関係が 増加 して い る と も考 え られ る。 た だ しその場 合,ラ 24 ンダム に貸 借 関係 が広 が っ てい くの で はな く,次 の段 階 と して 同 じ村 落 成員 へ の貸付 とい う作 用 が働 く。 同 じ く1987年 時 点 での村 落 を越 えた農 地貸借 は,村 落外 農 業者 へ の貸 付 が465a,村 外 所有者 か らの借 入 が108aと %と な る。 こ う した比 率 は,た なって い る。村 落 内貸借 の比 率 は,貸 付 で68%,借 落 入 で90 とえば農 地 を集積 す る中核 的農 家 が その村 落 内 に存 在 す る か どうか に大 き く影 響 され よ う。 しか しなが ら,こ れ もまた第3章 で再説 す るが,農 地貸 借 を村 落 内 に留 め よ う とす る一定 の志 向が存 在 す るの も確 か で あ る。 そ の意 味 で,上 記 の 村落 内外 貸借 関係 の比 率 は属 人 的 な区別 に基 づ い てい る ので,自 分 の村落 の 範域 外 に農 地 を所 有 してい る場合 に は,村 落外 貸借 が増 加す る こ とも考 え られ る。 ともあれ,こ こで も村 落 とい う集 団全体 が 浮 か び上 が っ て くるの で あ る。 したが ってつ きあい 関係 は,単 に二者 関係 と しての 農地貸借 の問題 の み な らず,構 造 化 され村 落 の統 合 に一 定 の役 割 を果 たす とい う面 におい て も,村 落 集 団 を媒介 と しつ つ 農業 の展 開 と密接 に 関連 す るの で あ る。 3P家 にみ るつ きあい 関係 とシ ンル イ 本 節 で は難波 内 の あ る家 を と りあげ,い くつ かの 機会 にお け るつ きあ いの範 囲 と内容 を 明 らか にし,そ こ におけ るシ ンル イの位 置 を考察 する.と 記述 の便 宜上 この家 をP家 りあ げ る家 は家番 号202で あ るが, と呼 ぶ. 図13P家(202)の 家 族構 成 「偽 ○ ○ 巧 P5△ P家 の 現 在 の 家 族 構 成 を 図1-3に 生 で あ る 。1887年 が,1987年 表1-3がP家 「㌃ △ 馬 △P6 示 した 。P1は に は1.24haの.1987年 元 中 学 教 員,P4は に は1.28haの 部 で15戸 あ る が,302は か る よ う に 現 在 は 難 波 に 住 ん で い な い 。 し か し,シ う 。 ア イ ア ケ と 呼 ば れ る 関 係 の 濃 い 家 は.結 学 田 畑 を所 有 す る 古 くか ら の 家 で あ る 現 在 は田 のすべ て を 「 小 作 」 に 出 し て い る(図11参 の シ ン ル イ で あ る.全 銀 行 員,P5P6は 照)。 図11に な い こ とか ら もわ ン ル イ づ き あ い は 今 も続 け て い る と い 合 契 機 分 類 の 記 号 が 大 文 字 に な っ て い る4戸 で 25 あ る 。 た だ し,ア イ ア ケ と 呼 ば れ る 家 は ザ イ シ ョ外 に も あ る 。 そ う し た 他 所(タ ア イ ァ ケ を 示 し た の が 表1-4で あ る 。 そ れ ら はP家 の 場 合,p1の 姉 の 嫁 ぎ先,お シ ョ)の よ びp2, p4の 親 元 か ら構 成 さ れ て い る 。 表1-3P家 家翻 の シ ン ル イ とそ の 間柄 契類 分 機 間 柄1989年 406Bp1の 兄 が 子 養 子 に 行 っ た2(p且 のB) ナ ジ(父 の 弟)が 子 養 子 に 行 っ た4(p旦 のFbS) の 祖 父(父 の 父)が こ こ か ら 子 養 子 に 来 た7(p1のFFBSSS) 206BPIの 203Bp匡 等 距 離 現在 の最 短親 204Bp2の 姉 が 嫁 入 り し て い る2(p2のZ) 105bp且 の 祖 父(父 の 父)の 605b現 世 帯 主 がp2の 405dト ナ リ 301dト ナ リ 201dト ナ リ イ ト コ(母 303e406を 媒 介 とした 306e206を 媒 介 と した 807e405を 姉 が 嫁 入 り し た7(plのFFZSSS) の 姉 の 子)4(p2のMZS) 媒 介 と した 505f商 売 を して い た と き505か ら働 き に ぎ て い た 103f寺 檀関 係 (302)e105を 媒 介 とした 注)q)契 機 分類 の大 文 字 は,ア イ ア ケを さす。 ② 契機 分類 の記 号 に つ い て は,前 節 参 照。 (3)親 族 関 係記 号 は,F:父,M:母,S:息 子,Z:姉,B:兄,b:弟,W:妻 を表 わ す。 表14他 所 の ア イ ア ケ(1989年 間柄 略称 ら の 機 会 に 贈 ら れ た 香 典,祝 居住地 Plの 姉(の 嫁 ぎ先)Zl隣 町 Plの 姉(の 嫁 ぎ先)Z2町 内他 村 落 plの 姉(の 嫁 ぎ先)Z3町 内 他村 落 p1の 姉(の 嫁 ぎ先)Z、 奈良市 p2の 親 元 隣町 p.の 親 元 長浜市 と り あ げ る つ き あ い の 機 会 は,P1の 儀,見 現 在) 父 の 葬 儀,P3とP4の 結 婚,P1の 入 院 で ある。 そ れ 舞 な ど の 金 品 を 考 察 の 中 心 と す る が,協 会 に つ い て は そ の 形 態 に もふ れ た い 。 ・26・ 力 が 必 要 な機 1)p1の 父 の 葬 儀(1965年) 葬 式 は 急 な 出 来 事 な の で,多 亡 く な る と ま ず,葬 要 請 が,ア 数 の 人 々 の 協 力 を 必 要 とす る. 式 の 日 取 りが ア イ ア ケ の 家 の 間 で 決 め ら れ,そ の 日取 り と 手 伝 い の イ ア ケ 以 外 の ザ イ シ ョの シ ン ル イ に 伝 え ら れ る 。 そ の 伝 令(葬 式 プ レ)は ザイ シ ョ の ア イ ア ケ の 中 で 最 も近 い 家 の 男 性 が お こ な う 。 手 伝 い の 人 数 は ア イ ア ケ の 家 が 可 能 な 限 り全 員 で あ る の に 対 し,そ れ 以 外 の シ ン ル イ は1軒 あ た り2人,ふ つ うは一組 の夫婦 が 手 伝 い に で る 。 ザ イ シ ョ の ア イ ア ケ は 他 の シ ン ル イ が 集 ま る 前 に 飾 り物 の 材 料 や 食 事 の 材 料 を 買 い そ ろ え る 。 そ して,夜 食 べ 物 を 準 備 す る 。10軒 伽(通 夜)の 日 に シ ン ル イ が 手 伝 い に 集 ま り,飾 ぐ ら い の シ ン ル イ が な い と飾 り付 け な ど が う ま くい か な い とい う 。 夜 伽 の 日 の 夕 方 か ら 「く や み 受 け 」 が 始 ま る 。 そ の と き.後 銭 」 とか で 述 べ る 香 典 の ほ か に 「奏 「放 り銭 」 と 呼 ば れ る もの も よせ ら れ る 。 こ れ は シ ン ル イ 以 外 の ザ イ シ ョ の 家 々 全 部 か ら持 参 さ れ る の だ が,こ ら れ(イ り物 や ッサ ン),配 れ 用 に あ ら か じ め 喪 家 か ら,そ ら れ た 家 は そ れ 以 上 の 金 額 を 「暴 銭 」 と して 喪 家 に も っ て く る 。 イ ッ サ ン は ザ イ シ ョの 近 い シ ン ル イ が お こ な う が,ア 葬 儀 は 現 在,寺 終 わ る と,死 れ らの 家 々 全 部 に お 金 が 配 で お こ な わ れ る 。 ま た,1975年 者 の 子 や 兄 弟 姉 妹,イ ト コ.他 そ れ 以 外 の シ ン ル イ は ザ イ シ ョ に 残 り,飾 イ ア ケ に 限 られ て は い な い 。 く らい を境 に して 火 葬 に な っ た 。 葬 儀 が 所 か らの 会 葬 者 は棺 と と も に火 葬 場 へ い く。 り もの な ど を墓 地 で燃 や す 。 近 年 の 一 般 的 な葬 儀 を シ ン ル イ の協 力 とい う点 に しぼ っ て 手 短 か に述 べ た 。 親 等 距 離 が 近 く,し き た り を 知 ら な い 他 所 の ア イ ア ケ よ り も,ザ イ シ ョの シ ン ル イ,と くに ザ イ シ ョ の ア イ ア ケ が 中心 と な る こ とが わ か る 。 p1の 父 の 葬 儀 に お け る 夜 食 見 舞.供 が 表15,そ あ っ た 。 表15の あ っ た 。 ま た,表1-6は 香 典 額 を み る と,他 1-6か あ る 。 香 典 等 の持 参 者 最 下 に あ げ た 「p1の 父 の 弟 」 は こ の 時 点 で は ア イ ア ケ で ど の ア イ ア ケ 関 係 の 持 参 者 か とい う こ と を 主 に し て 分 類 し た16)。 所 の ア イ ア ケ は 全 戸 が5,000円 のア・ イア ケ は406と206,つ あ り,香 典 を ア イ ア ケ と シ ン ル イ に つ い て ま とめ た の れ 以 外 の 香 典 等 持 参 者 に つ い て ま と め た の が 表16で は 全 部 で115例 5,000円 物,香 以 上 と な っ て い る の に 対 し,ザ ま り死 者 の 兄 と 息 子 の 家 だ け が5,000円 以 上 の 香 典 を持 参 し た 家 は,死 イシ ョ 以 上 と な っ て い る. 者 か ら み た 嫁 の 親 元 を 除 け ば い ず れ も2親 等 以 内で 典 額 は ア イ ア ケ か ど う か よ り も親 等 距 離 と密 接 に 関 連 し て い る と 考 え ら れ る 。 表 ら こ の 当 時 の 平 均 的 香 典 額 は1,000円 程 度 だ と 考 え ら れ る の で,203と204の は そ れ よ り も や や 多 い に す ぎ ない 。 ア イ ア ケ 以 外 の シ ン ル イ に つ い て も,香 27・ 香典額 典 額 はザ イシ ョ 内 だ か ら と く に 多 い と い う わ け で は な い 。 つ ま り,香 典 額 に つ い て は ア イ ア ケ か ど うか あ る い は ザ イ シ ョ内 か ど うか とい う 区 別 は あ ま りな い とい え る 。 表15P1の 父 の 葬 儀(1965年)に お け る ア イ ア ケ ・シ ン ル イ の 香 典 等 ア イ ア ケ ・シ ソ ル イ の家 番 号等 香典 額 夜 食 見舞 ザ イ406餅 シ 夜 食 見舞 供 物(円) もな か ョ206餅 菓 子 ア203も イ なか カ ス テ ラ1 ァ204五 ケ 目飯 も な か1,500 リ ソ ゴ6 ,500 105も なか 605も な カ・ も な カ・1000 405も な か カ ス テ ラ1300 謬3・1五 目飯 軒1… 他201五 の303五 シ ン306500 ノ レ 目飯 目飯700 カ ス テ ラ1000 イ807も 505も ,000 蓮 花5,000 酒1000 な か700 な か700 103菓 子500 (302)パ ソ1,000 Z寿 司500し き び 等6000 司,酒500し き び 等5500 他Z寿 事Z餅 イZ果 ア ケPの 親元 pの 父の弟 物 酒 しきび等 果物 しきび等5000 寿司5000 餅 ・… 果物5000 こ の こ と は 白 米 に よ る 香 典 の 時 代 と 比 べ る と興 味 深 い 。 そ の 当 時,香 升 香 典 と に 大 き く区 分 さ れ て お り,オ モ シ ン ル イ な ら五 升 香 典,そ 升 香 典 と い う よ う に 決 ま っ て い た と い う 。 した が っ て1965年 典 は 五 升 香 典 と三 れ 以 外 の シ ンル イ は 三 時 点 で す で に,少 な く と も香 典 額 の 基 準 と して の オ モ シ ン ル イ ー そ の 他 シ ン ル イ の 区 別 は 弱 ま っ て い た と い え る の で あ る。 ザ イ シ ョ の 内 外 あ る い は ア イ ア ケ か ど う か と い う 違 い が 明 確 に 現 わ れ る の は,夜 きの 食 べ 物 の 贈 与 で あ る 。 ア イア ケ シ ン ル イ 以 外 を み る と,夜 伽 の と 食 見 舞 を した 者 は ザ イ シ ョ 内 の 友 人 を 除 く と概 して 香 典 額 も 多 い 。 と こ ろ が ア イ ア ケ や そ の 他 の シ ン ル イ は,香 の 少 な い 家 で あ っ て も ほ と ん ど が 夜 食 見 舞 を お こ な っ て い る 。 ま た,ア シ ン ル イ は,そ ま ら な い の で,事 典額 イ ア ケ とそ の 他 の れ ぞ れ の 家 が 思 い 思 い の 食 べ 物 を 持 参 す る と必 要 な も の が 必 要 な 量 だ け 集 前 に 持 参 物 の 内 容 の 調 整 を お こ な う17)。 つ ま り ア イ ア ケ と そ の 他 の シ ン ー28一 表16P1の 父 の葬 儀(1965年)に おける そ の他 の香 典等 持参 者 の構 成 と贈 与 内容 別件 数 難 撫 親等馳 ど・ 磐 鱗 纂 供物 、,。 。 。2、 。。 。欝i男1。5。 。3。 。以下 件 件 件 件 件 件 件 件 件 406系1-2111 206系1-222 203系1-2413 204系1-211 Z、系1-23212 SWF11 ザ イ シ ョ ア イ ア ケ321 Z2系1-23113 ザ イ シ ョ ア イ ア ケ11 Z3系1-233 3-4211 ザ イ シ ョ ア イ ア ケ321 Z{系1-244 職 場99 職 場(団 p2の 親 元 系1-211 p1の 父 の 弟 系1-266 体)11零 3-4211 SWFll p匡の 母 系(母 起 点)35312111 p皿の 職 場 関 係 職 場431 職 場(団 そ の 他 親 族(死 体)62112 老 起 点)3-431111 511 そ の 他11 友 人 そ の他 ザ イシ ョ内 死 者 の オ 「 ナ イ ツ レ5214 そ の 他3211 そ の 他(団 ザ イ シ ョ外 体)2111 死 者 の ツ レ431輯' そ の 他981 言十941207411234344 注)(nゆ 欄 の 数 字 や 関 係 は,と な お,関 く に 指 定 の な い か ぎ り,左 欄 の 各 ア イ ア ケ 世 帯 夫 婦 と の 親 等 距 離 を 表 わ す 。 係 を 表 わ す 記 号 に つ い て は 表 ト3注(3)を (2〕'。 は1,800円 。'"は 参 照。 物 品 の み。 (3)「 饗 銭 」 は 含 ま な い. ル イは,夜 伽 時 の食べ 物 とい う葬儀 の進 行 に深 くか かわ る部分 の贈 与 を中心 的 に担 う とい え る。 もっ とも,夜 食 見舞 は アイ アケ だか らシ ンル イだか ら とい うまえ に,居 住 の近接 性 が重 要 で あ る。死 亡 は予 定 の立 た ない 出来事 なの で,夜 伽 の 日の食 べ物 を もっ てい くの は 近 くに住 む者 で な けれ ばで きない。 したが っ て,ア 29 イア ケで あ って も居 住 地 が遠 くな る と や は りこ う した贈与 に参加 しに くくなる。奈 良市 に住 むZ4は,夜 食 見 舞 を贈 ってい る もの の,そ の 内容 は 旧来 か らの餅 や寿 司で は な く果物 篭 とな ってい る。 2)p3とp4の 結婚(1974年) P4は 婿養 子 とい うこ とにな るが,結 婚 儀礼 の形 態 と して は嫁 入 りの手順 を とった.仲 人 はp4の 上 司 で ある。 協 力 関係 か ら述べ よう。 まず 仲 人が結 納 を もって きた と き.嫁 側 は その仲 人 を接待 す る 必要 が あ る。 それ は他 所 も含 め た アイ アケ全 部 か ら男 女1名 の 日の夕方 には,ア ずつ が で てお こなわ れ る。 そ イ アケ以外 の シ ンルイ全 部 が招待 され祝 宴が 開 か れ る。 これ を接 待 す るの は お もにザ イ シ ョの アイ アケで ある。他 所 の ア イアケ は,は じめ は接 待 され る側 だが, 後 にな る とザ イシ ョの ア イア ケ を手伝 う。招 待 され るシ ンル イは現在 ンでは酒 を1升 持 参 す るが,10年 ほ ど前 まで は 「手ぶ ら」 で あ った。 さ らに さか のぼ る と,ア イ アケ外 の シ ンル イ を招 待 す る ように なっ たの は1950年 以 降で あ る とい う。 これ に対 して,ア イア ケは酒2 升 を持 参 す る。 これ は古 くか ら変化 してい ない 。 結婚 式 の朝,ま ず 嫁入 り道具 の荷 送 り ・荷 受 けが あ る。 これ には他所 アイ アケ を も含 め た シ ンル イ全 部 が参 加 す る。結 婚式 自体 は今 で は専 門の式場 で お こ なわれ るの がふ つ うで あ るが,式 の 当 日に嫁側 で も婿 側 で も祝 宴 が 開か れ る。p3とp4の 2つ の膳 が あ った。 最初 の膳 は二番膳 と呼 ば れ,ア 結婚 の場 合,P家 では イアケ全 部 とそ の他 の シ ンル イの老 人 お よび子 供 がそ の膳 に座 る。 この と きア イア ケ は 自分 でつ くった料 理 を自分 で食 べ る こ と に なる。 つ ぎに本 膳 が 開か れ る。 そ こに はア イ アケ外 の シ ンル イか ら各2人 ア イア ケか ら各1人 ず つ.他 所 の ず つが座 り,上 座 に は区長 の妻 と寺 の ゴシ ンゾ(御 新 造)さ ん を中心 に して その両 側 にザ イシ ョ内 の嫁 の同級 生 が座 る。 この膳 を接待 す るの はザ イシ ョの ア イ アケ と座 ってい な い残 りの他 所 ア イアケ であ る。 ア イア ケは式 場 での結 婚式 に出席 す るが, それ 以外 の シ ンル イ は参 加 しない. p3とp4の 結婚 に際す る祝 儀 を ま とめ た ものが表17で 例 で あ り,先 のp1の あ る。祝儀 の贈 与 者 は全 部 で41 父 の葬儀 に比べ る とだいぶ 少 ない 。物 品 に よる祝 儀 が含 まれて い るた め金 額 の比較 が しづ らいが,ア イ アケ とそ れ以外 の シ ンル イの祝 儀 額 の差 が大 きい ように 思 わ れ る。協 力 関係 で の アイ アケの役 割 とあ わせ て考 える と,結 婚 儀礼 は アイ アケ主導 的 行 事 で あ る とい え よう。 なお母親p2関 係(204,405,p2の 親 元)の 額 が大 き くな ってい るが,婚 儀 の特 徴 で あ ろ う。 紙 数 の都合 でふ れ られ ない が,p5の 出生 時 にみ られ る協 力,贈 一30一 与 の特 徴 もこの結 婚 時の そ れ と よ く似 て い る 。 表17p3とp4の ア イ ア ケ.シ 結 婚(1974年)に ンル イの 家 番号 等 結 婚 祝儀 ア イ ア ケ ・シ ン ル イ 現 金(円)物 ザ イ40630 お ける祝儀 一 覧 品 結 婚祝 儀 以 外 の贈 与 者 現 金(Fj)物 品 ,0000406系3,000 シ ョ20610,0000206系3,000相 当 ア20310 イ ,0000ZI系5,000相 当 ○ ァ20430,000Z,系10,000 ケO lO53,00000 6055,0005,000 秀4・51・,…P・ の親元系 他3013,00000 の2013 シ ,000Plの ○ 父 の弟 系 ソ3032,000plの ○ 母 系8,000 牛3・62,…1・ 8072,000ナ ・… コ ウ ド18,000相 5052,0000ハ 相 当 当0 シ カ ケO lO33,000p3の ザ イ シ ョ 同 級2,0000 ザ イ シ ョ 同 級2,000 Z33,0000高 校 同 級3,000 他Z10 ,000相 当 璽Z33,… イZ30 ア ヶpの ○ 高 校 同 級3,000 ザ ・シ 。触 人他 ,0000104() 親 元3,0000車2050 pの 父 の 弟13,0000そ 注)(D'は ②P家 3)p1の ○ 着 物7枚 の 他5,000 を含 む 。 に よ る 推 計 価 格 が あ る 物 品 に つ い て は 「相 当 」 を 表 示 し,現 金 欄 に含 め た 。 入 院(1986年,1988年) 病 気 見 舞 に は 協 力 関 係 は な く贈 与 の み で あ る 。 見 舞 金 等 の 一 覧 が 表18で 21例,88年 が24例 あ る 。 こ こ で 注 目 す べ き は,b(血 縁 姻 戚 関 係)以 と ん ど が 病 気 見 舞 を 贈 っ て い な い こ と で あ る18)。 そ れ に 対 し て,相 あ る 。86年 が 外 の シ ンルイの ほ 対 的 に ナ コ ウ ド関 係 や ッ レ な ど の 比 率 が 高 くな っ て い る 。 病 気 見 舞 は 病 気 を した本 人 に 直 接 関 係 した 人 々 に よ っ て 贈 られ る とい う傾 向 の あ る こ とが わ か る 。 ま た,金 額 面 を み る と,た し か に ア イ ア ケ の 家 の 贈 与 額 は 大 き い が,葬 時 の よ う な 大 き な 差 は 見 ら れ ず,全 体 に 均 一 的 で あ る 。 こ の こ と は,病 距 離 を 計 り な が ら 贈 る い わ ゆ る 「義 理 」 的 贈 与 で は な く,あ 気 見 舞 が 相 手 との る 人 や 家 の 危 機 を救 い た い と い う よ り純 粋 な 「人 情 」 的 贈 与 に 近 い こ と を 意 味 す る と 考 え ら れ よ う 。 -31一 儀 や 結 婚 な どの 以 上,葬 儀,結 婚,病 気 の 際 の 協 力 や 贈 与 か ら 共 通 し て い え る こ と は,ア が 中 心 と な る こ と で あ る 。 と く に 協 力 関 係 に お い て は,ア イ アケの 中で もさ らにザ イ シ ヨ の ア イ ア ケ の 役 割 が 重 要 に な る 。 し か し 贈 与 等 の 額 を み る と,親 て,親 イ アケ の家 々 等 距 離 な どの 基 準 が 働 い 等 的 に 遠 い ザ イ シ ョ の ア イ ア ケ の 額 は 少 な く な る こ と が あ る 。 逆 に,贈 で は他 所 の ア イ ア ケ の 方 が つ ね に多 い とい え る 。 表18p1入 院 時 の病 気 見 舞 (1986年)(1988年) 贈与者 見 舞 金等 現金(円)物 ザ イ40610 シ ョ20616,500相 ア2035 イ 見舞金等 贈与 者 品 現 金(円)物 品 ,00040610.000 当20610,0000 ,0002037,700相 ァ2047,000相 ケ 当 当020410,000 そ 窪1055・0001055・000 の6053,000相 シ1038 当6055,000 ン ,000相 当 ○ ノレ(302)5,000 イ Z阻11,000相 舞 当Z10,000 ろ ・Zl・ ・ … アZ310,000Z13,000相 イZ10 ア ヶp2の 当 ,000 親 元10,0000pの 親 元10,000 p弓の 親 元10,0000pの 親 元20,000 Z2系10,000 10,000 5,000 Z2系 ○ ○ アZ、 イ7 ア ヶp2の ●p シ ンplが ルP イ 系7,500 ,500 親 元 系10,000 、の 親 元 系7、000相 当p、 ナ コ ウ ド8,500相 の親 元 系 当p1が ○ ナ コ ウ ド15,000相 当 Iが ナ コ ウ ド10,000 . 以P2が!・ シ カ ケ5,0000 外 ザ イ シ ョ内友 人 他 plの ザ イ シ ョ内 友 人 他 ツ レ5,000 Plの 同 級3,000Plの p2の 同 級O ツ レ5,000 寺5,000寺5,0000 注)(DP家 に よ る推計 価 格 が あ る物 品 につ い ては 〔2}左(86年)と 右(88年)は 「相 当 」 を 表 示 し,現 同 じ贈 与 者 が 対 応 し て い る 。 -32一 金 欄 に 含 め た。 与 の額 の面 ア イア ケ以外 の シ ンル イの 関与 は,葬 儀 の と きには機 能 的 に も必 要 と され る が,結 婚 出生 の と きには招 か れ るだ けで あ り,病 気見 舞 におい て は贈 与 を よせ る範 囲 か ら もほ とん ど消 えて しま う。 アイ アケ以外 の シ ンル イの こ う した位 置 を考 える場合,つ きあい を区分 して考 える こ と が 有効 で は ない か と思 われ る。す なわ ち葬儀 や 結婚,出 生 を 「む らご と」 の機 会,病 舞 を 「い えご と」 の機 会 で あ る と考 えて区 別す る と,シ ンル イの 関与 の違 い が うま く説 明 で きる ように思 わ れ る.葬 儀 や結 婚,出 気見 生 は村 落成 員 の移動 の機会 で あ り,そ れゆ え に村 落 全体 の関心 ご とで ある とい え よ う。一 方,病 気 は個 人的,あ るい は個 別 の家 の 問題 で あ り,村 落 が特 別 に関与 す る必要 の ない こ とで あ る。 この ように 区別す る と,ア イ アケ以外 の シ ンル イは と くに 「む らご と」 に関与 して い る こ とになる.そ して それ を通 して,ア イ アケ以外 の シ ンルイ は個 々の家 に起 こ る出来事 を 「む らご と」 と して村 落 と結 びつ け る役 割 を もつ と考 え られ るの で ある。 また,つ きあい の変 化 をみ る と,か つ て はシ ンル イ全体 に よるつ きあい の機 会 も多 か っ た。 病気 見 舞 もシ ンル イ全 体 のつ きあいで あ っ た。 しか し,籾 す りや味 噌 つ きな どの協 同 の機 会 は消 え,留 守 見 舞 もザ イ シ ョの ア イア ケの みの つ きあい とな った。 つ ま り,か つて は 「い え ご と」 的 つ きあ い もシ ンル イ全 般 の協 力 をえて いたが,生 生 活技 術 の 発展 に よって,「 活範 囲 の広 が りや生 産 い え ご と」 部 分 での シ ンル イづ きあい は狭 まっ て きたの で あ る。 「い え ご と」 的つ きあい の範 囲 と 「む らご と」 的 つ きあ いの範 囲が しだい にず れ つつ あ るの はそ の結 果 とい え よう。 この 意味 で 「い え ご と」 と 「む らご と」 の 区別 は きわ めて 現 代 的 な こ とが らなの で ある。 さ らに.親 等 距 離 的香 典 額へ の 変化 にみ られ るつ きあい 全 般 の 「い え ご と」 化 も大 きな傾 向 と して指摘 して おか ねば な らない。 4村 落 の なかで の シ ンル イ 本節 で は,各 家 々の シ ンル イ選択 の あ り方 を全村 落 的デ ー タか ら分析 す る こ とを通 じて, シ ンル イ関係 の ネ ッ トワー ク と村 落 お よび宮座 集 団 との結 びつ きについ て検 討 したい。 1)シ ンル イ の結合 契機 とシ ンル イ数 各家 ご との シ ンルイ を結 合契機 別 に分類 し,田 畑 所有面積 順 に並べ たの が 図1-4で あ る。 前 述 した ような葬儀 時 の 人手 の確 保 な どの理 由 か ら,家 々はお お よそ10戸 前 後 以上 の シ ン ル イ を もつ こ とが わか るが,そ の結 合 契機 の構 成 は家 々 に よってか な り違 いが あ る.そ で まず各 結合 契 機 にみ られ る特徴 を,親 族 的結合 契機 か らみて い きたい 。 -33 こ 図1・4家 別 結 合 契 機 別 シ ン ル イ 数(田 畑 所 有 面 積 順 ●1987年) 7 3 ;, 17 。1 ホヨ ア *l l, *4 7 ホ 家*52 番 ロロロ ワ 葉1, フ ・ 。 口m *86 妻 曾 *lll 套58{ 肇381 むア 肇8 17 *8 套85 套585 ネ ヨ *ll 套ll2 *20日i畑 戸1㌃ イゴ ホ ヨ ホ *4合 計 肇葺031.Oha 霧1以 *ll 一ヒ 儲 *搬 *10 ト 051015202232 シ ン ル イ 数(戸) 注)(1)1醐 ドウ ケ ・同 姓(a),Eコ ロ トナ リ の み(の,圃 詳 し くは 本 文2節 (2)家 (3)104,207,504は (4)「 の2)お 番 号 の 左 の*は,1887年 血 縁 ・姻 戚(b),[コ ナ コ ウ ドの み+ト 他 の 家 を 媒 介 と す る シ ン ル イ ω,皿 よ び 表1-2参 ナ リ と重 複(c'1, その他ω 。 照。 時 点 での 存 在 が 確 認 され た 家 を表 わす 。 未 調査 。 新 参 者 」 とは 戦 後 の移 住 者 を指 す 。 結合 契 機分 類 の うち,親 族 関係 を含 む もの は 「aド ウケ ・同姓 」,「b血 が,そ れ らの シ ンル イ を親等 距 離 に よって分類 した のが表19で 数 の構 成 比 は 「9親 等 ∼,そ あ る。aの 縁 姻戚」だ シ ンル イ選択 の他」 が 高 くな ってい る。 認識 され る系譜 深度 は浅い が,系 ・34一 譜 関 係 の 一 特 徴 で あ る 関 係 の 永 続 性 は,相 シ ン ル イ 率 は,親 対 的 に み て 現 わ れ て い る とい え る 。 しか し オモ 等 距 離 が 近 くな る ほ ど高 くな っ て い る 。 親 等 距 離 の 近 さ と関 係 の 強 さが 比 例 す る 傾 向 を 近 親 の 論 理 と 呼 ぶ と,ド が わ か る 。 つ ま り,ド 節 で 述 べ たaとbと ウ ケ とい え ど も こ の 近 親 の 論 理 の働 い て い る こ と ウ ケ 関 係 に は 系 譜 関 係 と 近 親 関 係 が 交 錯 し て お り,こ の こ と が 第2 の 区 別 の あ い まい さ を引 き起 こ して い る と思 わ れ る 。 表19親 族 的 シ ンル イ の 親 等 距 離 別 構 成 結 合契 機aド ウケ ・同 姓b血 シ ソル イ選 択 数⑦ 縁 ・姻 戚 ナモ シ ンル イ シ ンル イ選択 数㊥ 選択 数 ⑦ 構成比 選 択 数㊦ オモシソルイ率 親 等距 離 オ モ シ ンル イ 構 成比 オモシンルイ率 ⑦/⑦ ㊥/㊥ 例%例%例%例% 全 体126100.06652.4145100.09062」 1∼2親 等107.910100,01812.41688.9 3∼4親 5∼6親 等1411,114100.06846.95175.0 等2419.01770.83725.51540.5 7∼8親 等1411.11285.7139.0861.5 9親 等 ∼,(同 姓)6450.81320.396.200.0 注)(1)親 等計算は生存者 を基準に した。 ②(同 姓)は,aに bに つ い て み る と,シ ない ので 「3∼4親 つ いてのみ。 ン ル イ 選 択 数 の 構 成 比 は,原 理 的 に 「1∼2親 等 」 が 最 大 と な っ て い る もの の.オ が 最 大 と な っ て お り,近 等 」 の 関係 数 が 少 モ シ ン ル イ 率 で は 「1∼2親 親 の 論 理 が 全 体 的 に 働 い て い る とい っ て よ い 。 こ の こ と は 「9親 等 ∼ 」 の オ モ シ ン ル イ 数 が ゼ ロ で あ る こ と か ら も 指 摘 で き る 。 た だ し,8親 た と え ば 祖 父 の い と こ の 孫 と い う 関 係 で あ る か ら.親 以 上 は 全 体 構 成 か ら み た 特 徴 だ が,個 -9のbの 「5∼6親 ン ル イ が な い 家,つ 「7∼8親 した 例 は13例 こ と は,近 等 と い う と, 等 的 に は か な り遠 い 。 別 の 家 々 か ら み る と や や 異 な る 姿 が み え る 。 表1 等 」 の シ ン ル イ 選 択 数 は37例 だが ,そ の う ち の12例 は4親 等 以 内の シ ま り5親 等 以 上 の シ ン ル イ しか な い 家 が 選 択 した も の で あ る 。 そ の12 例 の う ち7例 が オ モ シ ン ル イ と な っ て お り,オ bの 等」 モ シ ン ル イ 率 は6割 等 」 で は さ ら に 顕 著 に み ら れ る 。5親 中7例 で あ る が,そ 近 く に な る 。 こ の傾 向 は 等 以 上 の シ ン ル イ しか な い 家 が 選 択 の う ち の6例 が オ モ シ ン ル イ に 選 択 さ れ て い る 。 こ れ ら の 親 の シ ン ル イ が な い とい う 家 々 の 事 情 に よ っ て 親 等 的 に 遠 い シ ン ル イ の 位 置 づ け が 変 わ る こ と を 意 味 して い る 。 つ ま り,全 般 的 に は 近 親 の 論 理 が 働 く も の の,親 一35一 等 距離 と 関 係 の 強 さ と の 関 連 は,個 ン ル イ が な い 家,つ 々 の 家 々 の お か れ た 事 情 に よ っ て 変 化 し う る の で あ る。 ま り5親 等 以 上 の シ ンル イ しか な い 家 が 選 択 した もの で あ る。 そ の 12例 の う ち7例 が オ モ シ ン ル イ と な っ て お り,オ はbの 「7∼8親 択 し た 例 は13例 の こ と は,近 等 」 で は さ ら に 顕 著 に み ら れ る 。5親 中7例 で あ る が,そ 近 くに な る 。 この 傾 向 等 以 上 の シ ンル イ しか な い 家 が 選 の う ち の6例 が オ モ シ ン ル イ に 選 択 さ れ て い る 。 こ れ ら 親 の シ ン ル イが な い とい う家 々 の 事 情 に よ っ て 親 等 的 に遠 い シ ン ル イ の 位 置 づ け が 変 わ る こ と を 意 味 し て い る 。 つ ま り,全 離 と 関 係 の 強 さ と の 関 連 は,個 の 限 度 内 で,個 般 的 に は 近 親 の 論 理 が 働 く も の の,親 等距 々 の家 々 のお かれ た事 情 に よって変化 しうるの であ る。 こ の こ と は い い か え れ ば,む の,そ モ シ ン ル イ 率 は6割 ら人 に承 認 さ れ た シ ンル イ の 結 合 契 機 は 限 られ て い る もの 々 の 家 は 村 落 生 活 に 必 要 な よ う に 自 家 の つ き あ い の 相 手 を 組 織 し, 意 味 づ け す る と い う こ と を 表 わ し て い る 。 同 様 の こ と は トナ リ 関 係 に つ い て も指 摘 す る こ とが で きる 。 難 波 の トナ リ 関 係 に は トナ リ の 数 な ど に 関 す る 規 則 が ま っ た く な い 。 し た が っ て,ト リ が11戸 あ る 家 も あ れ ば,特 る 。 ち な み に,「d'ト ナ 別 に トナ リ 関 係 と考 え て い る 家 は ひ と つ も な い と い う家 も あ ナ リ の み 」 の 数 の 多 い 家 々 と 少 な い 家 々 を 比 較 す る と,d'の 家 々 の 方 が 平 均 す る と シ ン ル イ 数 が や や 多 い19}。 し た が っ て,家 え ず トナ リ が 多 く な っ て い る の で は な く,シ て い る と考 え ら れ る 。 つ ま り,村 少 ない 屋 の配 置 に よってや む を ンル イ 数 の 補 填 の た め に トナ リ 関係 が 結 ば れ 落 生 活 上 に 必 要 な シ ン ル イ 数 を確 保 す る た め に,ト ナリ 関 係 が か な り柔 軟 に 運 用 さ れ て い る と思 わ れ る の で あ る 。 トナ リ の 多 い 家 を と り あ げ て,こ み 」 を もつ 家 は3戸 あ る が,そ の 点 を も う 少 し検 討 し よ う 。10戸 の う ち で 最 も 数 の 多 い 家 番 号105を 以 上 の 「d'ト ナ リ の み て み た い 。105の リシ ン ル イ は 家 番 号102,106,107,IO8,10g,111,113,202,205,207,705だ こ れ と 図11と 105の を 見 比 べ て ま ず 目 に つ く の は,105か も に105を が, ら ず い ぶ ん 離 れ て い る202と705が トナ リ と な っ て い る こ と で あ る 。 こ の 家 々 を"隣"と で 相 手 方 の 結 合 契 機 を み る と,202,705と トナ 呼 ぶ の は少 々 奇 異 で あ る 。 そ こ 「b血 縁 姻 戚 」 と して 選 択 し て い る 。 本 来 の 結 合 契 機 は 血 縁 ・姻 戚 で あ る の に そ れ を トナ リ と す る こ の よ う な 例 は 他 に み ら れ な い 特 殊 な 事 例 で は あ る が,考 え ら れ る の は,105が202や705と の 関 係 と し て 捉 え て い る と い う こ と で あ る 。 こ の よ う な トナ リ の 113と の 関 係 に つ い て も あ て は ま る 。105は 108の 分 家 で あ る113と し て は105を こ れ も 距 離 の あ るl!3を の 関 係 を トナ リ と 同 等 「拡 大 解 釈 」 は,105と トナ リ と し て い る が, 「108を 媒 介 と す る シ ン ル イ 」 と 考 え て い る 。 つ ま り 一36一 105か ら い え ば,本 一方 ,ト 来113は 「トナ リ シ ン ル イ の シ ン ル イ 」 な の で あ る 。 ナ リ の 多 い 家 々 に 共 通 す る の は,ト が っ て い る こ と で あ る 。 し た が っ て,こ う だ け で な く,も ナ リが い わ ゆ る 隣 の 範 囲 を越 え て 面 的 に 拡 れ ら の 家 で は トナ リ と い う用 語 を 住 居 の 近 接 と い っ と広 い 近 隣 組 的 な 関 係20)を さ す も の と し て も捉 え て い る と 考 え な け れ ば な ら な い 。 こ の 点 に つ い て は さ ら に 後 の 部 分 で 検 討 す る が,こ い う シ ン ル イ の 範 疇 が い わ ゆ る`隣'の 以 上,と よ う に,そ あ る.つ れ ら の 事 実 は,ト ナリと 意 味 を超 え る 場 合 の あ る こ と を示 して い る 。 く に 親 等 距 離 の 遠 い 親 族 や トナ リ に 着 目 し て き た が,表12や 表1・9で 示 した れ ら を結 合 契 機 と す る シ ン ル イ は シ ン ル イ 関 係 全 体 か ら い え ば 周 縁 的 な 位 置 に ま り順 序 と し て は,ま ず ド ウ ケ や 近 い 親 族,あ ら 要 請 さ れ る シ ン ル イ 関 係 が あ っ て,そ る い は ナ コ ウ ドな ど の 結 合 契 機 か れ で 足 り な い 部 分 を 遠 い 親 族 や トナ リ に よ っ て 補 填 す る と い う 構 造 で あ る 。 し た が っ て,遠 い 親 族 や ト ナ リ の あ り方 は,ド ウ ケ や 近 い 親 族, ナ コ ウ ド と い う 結 合 契 機 の 動 向 に 大 き く左 右 さ れ る こ と に な る 。 表1-10現 存 婚 入 者 お よび 養 子 の 年齢 別 表1-11世 代 別 の村 落 内 婚 出 身地 別人 数 39歳以下40∼59歳60歳 世帯主世代 …3例 以上+1世 代 …13例 (十2世 代 …13例) 難波内015 びわ町内4518注)+2世 代については把握もれ 他の東浅井郡 ・長浜市93012の 他の滋賀 県784入 県外102 可能性があるので.ヵ ッコに れた。 分 家 の 機 会 や 村 落 内 で 仲 人 を た て る こ と は 極 端 に 変 化 して い な い よ う だ が,近 創 出 す る 村 落 内 で の 通 婚 や 養 取 は 大 き く 変 化 し て い る 。 表110に い親 族 を 示 し た よ う に,若 で は 村 落 内 婚 あ る い は 村 落 内 で の 養 子 の や り と りが ま っ た く み ら れ な い 。 他 方,死 も 含 め て 世 代 ご と に 村 落 内 婚 の 例 を ま と め る と.世 養 子 が あ っ た が,現 帯 主 の 親 の 世 代 で は13例 世 代 で は3例 の み で あ る(表1-11)。 落 内 に お け る 新 た な 親 族 関 係 の 発 生 は,と 亡者 を 近 年 の こ う し た 傾 向 の 結 果,村 よ び トナ リ 範 疇 の の よ う な 親 族 創 出 機 会 の 減 少 が あ る と 考 え ら れ よ う 。 と く に,ト の 考 え 方 に つ い て は.親 い 世代 の村 落内婚 ・ き お り お こ な わ れ る 分 家 を 除 け ば,し ロ に 近 づ い て い る 。 遠 い 親 族 や トナ リ 関 係 の 柔 軟 な 運 用,お の 背 景 に は,こ 養子数 だい にゼ 「拡 大 解 釈 」 ナ リ範 疇 族 創 出 機 会 の 減 少 に と も な っ て トナ リ が 積 極 的 に 意 義 づ け ら れ る よ う に な っ た 結 果 で あ る と考 え ら れ る の で あ る 。 図1-4に 関 し て 次 に 指 摘 で き る こ と は,田 畑 所 有 面 積 が 大 き ぐな る ほ どそ の 家 の シ ン ル 37・ イ 数 も概 し て 多 く な る こ と で あ る*。 る と考 え る な ら ば,階 田畑所 有面 積 が村 落 内 階層構 造 の 主要 部分 を反映 す 層 が 高 く な る ほ ど シ ン ル イ 数 も 多 く な る と い え る が21),こ の 点 を結 合 契 機 か ら検 討 して み よ う。 *こ の傾 向 か らか な りはず れた例 が あ るが,103は 先 に述べ た寺(養 本寺)な ので例 外 的 であ る。 また, 503は 調査 不 完全 の 印象 が 強 いが,ち なみ に被 選択 数 で み る とシ ンル イ は5戸 とな り他 の例 に接 近 す る。 田 所 有 な し の 家 と 例 外 的 な103と503を 田 畑 所 有 面 積 に よ っ て1ha以 除 い て 考 え る と22),残 上 と 以 下 と に 分 類 し,そ 均 シ ン ル イ 数 を 求 め る と,1ha以 上 層 で は1戸 り は56戸 れ ぞ れ の 層 の1戸 とな る。 こ れ ら を あ た り結 合 契 機 別 平 あ た り シ ン ル イ 総 数.14.6,う b3.39,c'.1.43,d'4.09,e.1.70,f.1.78と な り,以 ちa.2.22, 下 層 で は 総 数11.1,う ちa1.93,b!.83,c'1.07,d'4.50,eO.87.fO.93と な る 。 つ ま り,1戸 あ た り シ ン ル イ 数 は1ha以 上 層 の 方 が3.5戸 多 く,そ れ は お も に血 縁 や 他 の 家 を 媒 介 と す る シ ン ル イ,そ カ ヅ キ,古 の 他(寺 檀,チ 姻 戚 に よ る シ ンル イ い シ ン ル イ)な どの 増 分 を 反 映 して い る 。 1ha以 上 層 の 家 の ほ と ん ど は1887年 照),村 時 点 で の 存 在 が 確 認 さ れ た 家 で あ り(図1-4*印 参 落 内 に 古 くか ら存 在 す る こ と に よ っ て 血 縁 ・姻 戚 に よ る シ ン ル イ や 古 い シ ン ル イ な ど が 多 く な る と も い え る 。 し か し,そ と 考 え ら れ,有 れ ら の 結 合 契 機 も先 述 の よ う に 柔 軟 に 運 用 さ れ る 力 戸 だ か ら な か な か シ ン ル イ 関 係 を 解 消 し な い こ と も 予 想 さ れ る 。 ま た, 他 の 家 を 媒 介 とす る シ ン ル イ に は,あ る 家 を 通 じて さ ら に 有 力 戸 と結 び つ く と い う 意 味 も 含 ま れ る と考 え ら れ る 。 し た が っ て,単 が 重 層 す る こ と に よ っ て,そ に 古 い か ら と い う だ け で な く,そ れ に勢力 の 強 さ う した 家 々 の シ ンル イ 数 が 多 くな る と考 え るべ きで あ ろ う。 以 上 の 点 を さ ら に 追 究 す る に は シ ン ル イ 関 係 の 歴 史 的 考 察 が 不 可 欠 と な る が,む 身 に よ る 結 合 契 機 分 類 こ そ が 重 要 な の で,古 は む ず か し い.し か し と も あ れ,調 ら人 自 い 時 代 の シ ンル イ 関 係 を 史料 の み で知 る こ と 査 を 進 め る う え で も 感 じ た こ と だ が,シ ンル イ数 の 多 さが 難 波 に お け る ス テ イ タス の ひ とつ の 象 徴 で あ る こ と は 間 違 い な い よ う に思 わ れ る 。 こ こ で の 考 察 を 前 節 で の 議 論 に 結 び つ け て お こ う 。 近 い 親 族 な ど の 「い え ご と 」 的 つ き あ い を 担 い 合 う シ ン ル イ が 村 落 内 で 減 少 し,そ の 結 果,「 む ら ご と」 的 つ きあ い の維 持 に 必 要 な 一 定 数 の シ ン ル イ が 村 落 内 で 確 保 さ れ に く く な っ て く る 。 そ こ で 「む ら ご と」 的 つ き あ い の 維 持 の た め に,ト ナ リの 「拡 大 解 釈 」 な ど が で て き た 。 一 方,そ の よ う に して 結 ば れ る シ ン ル イ は 数 の 面 で 村 落 の 階 層 を 反 映 す る 。 個 々 の 家 の シ ン ル イ 数 は 「む ら ご と 」 -38・ 的 つ き あ い 部 分 に 属 す る シ ン ル イ に よ っ て 大 き く左 右 さ れ る の で,「 い は,内 容 だ け で な く シ ン ル イ の 数 を 通 じ て も ま さ に 村 落(む 2)シ む ら ご と」 的 つ きあ ら)と 関 連 す る と い え よ う。 ン ル イ と オ コ ナ イ組 難 波 に あ る3つ の オ コ ナ イ 組 の 構 成 戸 は,鍛 冶 組20戸,中 組34戸,西 組14戸 であ る。近 年 中 組 を ぬ け た1戸23)に つ い て は 脱 退 前 後 で シ ン ル イ に 変 化 が な い た め 中 組 に い れ て 考 え る と,中 組 の 戸 数 は35戸 と な り,オ 戸 に な る 。 未 調 査 戸 は,鍛 冶 組 を 例 に とる と,シ 冶 組 に2戸,西 被選 択 「そ の 他 」)は3 組 に1戸 含 ま れ て い る 。 し た が っ て,た ン ル イ を 選 択 す る 家 は18戸 表1-12オ 選択 コ ナ イ 組 に 入 っ て い な い 家(表1-12の で,選 択 さ れ る 家 は20戸 とえ ば 鍛 あ るこ とになる。 コ ナ イ組 問 の シ ンル イ 関 係 数 とそ の構 成 鍛 冶組 中組 西組 そ の他 他村落 計 実 数118321472173 鍛 冶 組a:23・b:8a:0・b:ga:0・b4 構 成c':9,d':66c':3,d':13c':1,d:7 e:10,f:2e:5,f:2e:1,f1 実 数3730284195447 中 組a:0・b:13a:97・b68a:0・b18 構 成c':6,d':9c':20,d:62c':10,d:38 e:3,f:6e:32,f23e:7,fll 実 数12764941142 西 組a:0・ ゆ2a:0・b14a:6・b10 構 成c':1,d:4c':8,dl40c':8,d:18 e:3,f2e:4,f10e:2,f5 そ の他 実 数211750043 注)a∼fの 表1-12は に と る と,鍛 記 号 につ いて は 表1・2参 無 。 オ コ ナ イ 組 別 に み た 関 係 の 実 数 お よ び そ の 結 合 契 機 別 内 訳 で あ る 。 鍛 冶 組 を 例 冶 組 の 家(18戸)が が 鍛 冶 組 内,32例 が 中 組,14例 選 択 し た シ ン ル イ の 総 数 は173あ が 西 組,7例 が そ の 他,2例 り,そ の 内 訳 は,118例 が 他 村 落 の 家 で あ る こ と を 表 わ し て い る 。 表1-12の 実 数 を も と に 次 の 表113,表1-14を 家 々 が ど の 組 の 家 は,可 能 関 係 数(鍛 を シ ン ル イ に 選 択 し た 。 表1・13は,各 オ コ ナ イ 組 の し て い る か を 比 率 で 表 わ し た も の で あ る 。 ま た 表1-14 冶 組 を 例 に す る と,18戸 を 結 び う る の で18×19=342が 作 成 の 家 の そ れ ぞ れ が 自 家 を 除 く19戸 そ れ に な る)に の 家 と 関 係 対 す る シ ン ル イ 関 係 の 実 際 の 出 現 率 を 示 ・39 し た もので あ る。 各家 の シ ンルイ数 には一 定 の 限度 が あるの で,表1-13で の値 が,表114で は家 数 の少 ない組 は家 数 の多 い組 の値 がそ れ ぞれ小 さめ にで て くるが,共 通 す る点 と して 鍛 冶組 の組 内収 束 率 の高 さが 注 目され る。 表1・13オ コナ イ組 間選択 率 表1-14可 能 関係 数 に対 す る出現率 単 位:%単 被選 択 選択 鍛 冶組 瀦 組 中組 西組 その 他 ▼ 位:% 言+鍛 冶組 醐 他 村落 鍛 冶組 68.218.58.15.2100.0(118/342)(32/630)(14/252) 蹴1:1:1:lll:1::llll:1中 注)表1・12よ 中組 ・455・15・6 組(5、337/700)(、 。llil,。)(藷 ゐ。) り作 成 。4 西組 .616.729.0 (12/260)(76/455)(49/169) 注)カ ッ コ 内 は,(シ 係 数)。 表 ト12よ そ こで鍛 冶組 内で の結合 契 機別構 成 に注 目す る と,「d'ト ン ル イ 関 係 出 現 数/可 能関 り作 成 。 ナ リの み」 の比 率が 半分 以上 を 占めて い る こ とが わか る。 家 々の近 接 が た しか にその大 きな原 因 と考 え られ る(図12 参 照)が,難 波 の よ うな集 村 にあ って は,家 並 の どこに境 界 を設 けるか は きわ めて恣 意的 な問題 で あ る。 しか も,ト ナ リ関係 が住居 の近接 とい う関係 だ けで な く近 隣組 的 関係 を も 指 して い る と思 われ る事 例 が,鍛 て鍛 冶組 の場 合,ト 冶組 におい て は先 の105以 外 に も多 くみ られ る。 したが っ ナ リ関係 は近 隣組 的 意味 を もち なが ら,オ コナ イ組 とい う集 団 に規 定 されつ つ広 が って い る と考 え られ るので あ る。 この シ ンル イ とオ コナ イ組 との 関連 で興 味深 い の は,む ら人の 間 では この二 つが 完全 に 別 の もの と認 識 されて い る こ とで あ る。 どの組 で聴 いて も 「オ コナ イ とシ ンル イは別 だ」 とい う意 見 ばか りで あっ た。 オ コナ イの会 食 を準 備す るため に トウヤ は組 内 の 自家 の シ ン ル イ を手伝 い に頼 む場 合 が あ るが,そ の 時 に頼 む シ ンル イはせ いぜ い2戸 程度 であ り,こ の 理 由の み に よって シ ンル イの組 内収 束 を説 明す る こ とはで きない 。 こ う した オ コナ イ組 とシ ンル イ との 関連 を説 明 す る には,お そ ら く当該 村 落の成 り立 ち に関す る歴 史 的 な検討 が 必 要 となろ う24)。ただ,シ 集 団 の枠 に よっ てか な り規 制 され,し ンル イ ネ ッ トワー クの広 が りが,宮 座 か もむ ら人 の意 図 とあ る程度 離 れ たか た ちで規 制 さ れ る とい うこ とは,当 該 村 落 ひい て は宮 座 の存 在 をひ とつ の特 徴 とす る近 畿村 落 にお ける 宮座 の重 要性 を顕 著 に示 して い る とい える。 -40一 5.ま とめ と考 察 以 上 の結果 を構 造 化 の概念 を軸 に して ま とめ,そ の後 でつ きあい 関係 と村 落 との結 びつ き,お よびつ きあい 関係 の特徴 に関す る考察 に進 み たい。 まず,村 落生 活 にお けるつ きあいが 「む ら ご と」 的つ きあい と 「い え ご と」 的 つ きあ い に区別 され る こ と を指摘 した。 さま ざま なつ きあい の機会 は個 々の家 や個 人 に基 づ くの で, 「い え ご と」 的意 味 を帯 びるの は当然 で あ る。 そ う したつ きあい に 「む らご と」 的意 味 が くわわ り,両 面性 を帯 び る こ とが村 落生 活 に お けるつ きあいの特 徴 な ので あ る。 しか し,そ の両面 の どち らに重 心 をお くか はそれ ぞ れのつ きあい の機 会 で異 な る。 しか も今 日で は,「 む ら ご と」 的 つ きあい か ら 「い え ご と」 的 つ きあいへ の全般 的 な比重 の移 動がみ られ る。 しか しなが ら 「む らご と」 的 意味 はす べ ての機会 で失 わ れた わ けで はな く, 出生,結 婚 死 亡 な どの機 会 には,現 在 で も存 続 して い るの であ る。 事 例 にみた シ ンル イ は,そ う した 「む らご と」 的 つ きあい の存在 を背 景 と して制度 化 さ れ.構 造化 され る とい え よう。す なわ ち 「む らご と」 的 つ きあい の存 在 は,村 落 にお け る つ きあい 関係 を構 造 化す る前提 要 因なの で ある。 そ れ を前 提 とした上 で,シ 3つ の要 因 に よっ て構 造 化 され る。第1は,シ ンル イ は次 の ンル イ数 の下 限の存 在 で あ り,こ れ は葬儀 の ときの 人手 の確 保 に代 表 され る ように,村 落生 活 の遂行 か ら要 請 され る もので あ る。第 2は.シ ンルイ数 と村 落 内 での ス テイ タスが 相互 連 関す るこ とで あ る。 シ ンル イ関係 は, 二者 関係 と して は双務 的 な対等 性 を もつ が,村 落 全体 で は数 の うえで差 異 化 され る こ とを 示 した。 したが っ て数 の増減 は村 落 内の ス テイ タス と緊張 関係 にあ る。第3は,村 落 内の 宮座 集 団 に よる規 制 で あ る。 これ ら3つ の構 造 化要 因 に規 制 され なが ら.シ ンル イ は独 自の編成論 理 を展 開す る。 シ ンル イの結 合 契機 を と りま く状 況 はつ ね に変 化 しつつ あ る とい え るが,そ れ に対処 す るた め に結合 契 機 の柔 軟 な運 用 とい う事 態が起 こる.事 例 で顕著 にみ られた の は近 隣関係 の強 ま りで あっ た。 この こ とは直接 的 に は同族 的,親 族 的結 合 な どの創 出機会 の 減少 に対 す る 対応 と捉 え られ た。 しか し逆 に,同 族 的,親 族 的 関係 な ど も他 の結合 契機 との 関連 の なか で,む ら人 に よっ てつ ね に再 定 義 され る と考 え られ なけれ ば な らない。 その 再 定義 の方 向 を探 る にはい ま少 し検 討 が必 要 だが,周 縁 的親 族 の位 置づ けにみ る よ うに,そ れ らの 関係 は単 純 に消 滅 す る だ け とはい え ないの で ある。 構造 化要 因の うち,村 落 レベ ルでの 差異 化 にみ られ る個(家)と 41 村 落 との 関係 の重要 性, お よび宮 座 集 団の 意義 は,と くに近畿 村 落分析 の指 標 と して大 な り小 な り指摘 されて きた こ とで あ り,つ きあ い 関係 の分析 に よって それ らが 具 体 的 に確 認 で きる こ とが わ か る。 し か しよ り重 要 なこ とは,つ きあい 関係 の構 造 化 の前 提 要 因,す な わち構 造 化 の背景 にあ る 「む らご と」 的 つ きあ いの存 在 を指摘 で きた こ とに よっ て,村 落 結合 を支 える ひ とつ の メ カニズ ムが 明 らか に され る こ とで あ る。 制度 化 され た村 落 内つ きあい 関係 と しての シ ンル イ は,「 婚,死 む らご と」 す なわ ち 出生,結 亡 とい う村 落成 員 の変 化 に関す るつ きあい を存 立 の背 景 と してい たが,そ う した機 会 に関与 す る こ とか ら,シ ンルイ は村 落 成員 を認 知 し保 証 す る ひ とつ の システ ムで あ る と 理解 で き よう。 シ ンル イの 範 囲 はそれ ぞ れの家 に よって異 な るが,「 い の存在 を通 じて,個 む らご と」 的 つ きあ 々の 家 は村落 につ なが り,村 落 にお い て認知 され保証 され るので あ る25)。この よ うな成 員 認知 保証 シス テム とい う概 念 を設 定 す る と,つ きあい 関係 と村 落 統 合 との 関連 はた とえば次 の ように作 用 し合 うこ とになる。 村 落外 的,「 い えご と」 的つ き あい の強 ま りや一般 的 なつ きあ い機 能の外 部化 な どは,「 む らご と」 的つ きあい を弱 め, この シス テ ムの存 在 意義 を低 下 させ る ことに な り,結 果 と して村 落 の結 合 力 を弱 め る力 と な る。 しか し一方 で,こ の シス テ ムはつ きあい 関係 の結 合 契機 を解 釈 し直す な ど して 「む らご と」 的つ きあい を維持 し,自 己 の存続 を図 る よ う作 用 す る ので あ る。 こ う した成員 認知 保 証 シス テ ム とい う枠 ぐみ は,宮 座(オ コナ イ組)や 村 落 自体 に もあ て は まるで あろ う。 もっ と も宮 座 や村 落 は集 団 であ るか らそ の集 団成員 を認知 し保 証 す る のは 当然 と もい えるの だ が,と もあ れ近畿村 落 には,以 上 の3つ の成 員保証 シス テムが存 在 してお り,そ の こ とが近 畿村 落 の強 靭 さを支 えてい る とはい え ないだ ろ うか 。 これ は, 先 の シス テ ム内で の変 動 と比べ る と,よ り歴 史的構 造 的 な変 動把握 の視 点で あ る。 以上 の よ うな村 落統合 にお け るつ きあい関係 の働 きは,村 落構 成員 を同 じ村 落 の成員 と して認 知 し保 証 す る ので あ るか ら,た とえ ば農地 貸借 を考 えた場 合,同 じ村落 の成 員 に貸 し付 け る場 合の信用 感 を支 える と考 え られ る。つ ま り,同 じ村 落の 農業者 に貸 したい とい う意識 を支 える もの と想定 され る。 一方 ,つ きあい 関係 とい う二者 関係 レベ ルの特 徴 をい えば,そ の柔軟性 が指摘 され よう。 もち ろん,村 落 生 活 におい てつ きあい 関係 を結 ぶ こ とは,一 期 一会 的 な協 力 関係 で はない. そ こでは長期 的視 点 に立 っ た人 間関係 の持 ち方 が要 求 され る。 しか し,つ きあい関係 にお いて は,慣 習 的約 束事 に規 制 され る にせ よ,結 合 契 機 の意 味 を微 妙 にズ ラ しなが らそ の時 々 の生 活 に必 要 な人 間 関係 を構 築 して い る こ とが 明 らか に なっ た。前 章,お 42・ よび本 章 の 冒頭 に お い て,つ き あ い 関 係 は,生 活 に お け る 人 間 関 係 と 農 業 経 営 に 関 す る 人 間 関 係 を,共 通 の 枠 組 み で 取 り扱 う こ と の で き る 分 析 枠 組 み と し て 位 置 づ け た 。 農 業 経 営 に お け る つ き あ い 関 係 は,も ち ろ ん そ の 時 々 の 経 営 の 都 合 に よ っ て 組 み 替 え ら れ て い く べ き も の で あ る が, そ の 柔 軟 性 は,強 弱 の 差 は あ れ.生 活 に お け る つ きあ い 関係 に お い て も特 徴 と して 指 摘 で き る の で あ る. 注 1)こ の こ と を 指 摘 す る もの は 多 い が,歴 史 学 に お い て は 「ム ラ 的,年 「東 と西 の 語 る 日本 の 歴 史 』 そ し え て,1982年.162ペ の 特 徴 と し て,関 東 地 方 の 「番 」,近 ー ジ)と 齢 階梯 的 座 的 な西 国 」(網 い う把 握 が あ る 。 ま た,村 落運 営組織 畿 地 方 の 「衆 」 と い う対 比 が で き る とい う指 摘 も,村 落運 営 に直 接 個 人 が 関 与 す る とい う 点 で 村 落 が 単 な る家 連 合 で は な い こ と を 表 わ して い る と い え よ う(福 『可 能 性 と して の ム ラ 社 会 」 青 弓 社,1990年,108∼125ペ 2)松 本 通 晴 「同 族 結 合 の 解 体 」 野 善彦 「講 座 家 族6家 族 田 アジ オ ー ジ)。 親族 同族 」 弘 文 堂,1974年,274ペ 3)三 上 勝 也 「山村 の 葬 儀 と呼 衆 一奈 良 県 添 上 郡 月 ヶ瀬 村 大 字 尾 山 一」 ー ジ。 『天 理 大学 学 報 』 第118輯,1979年. 104ペ ー ン^ 4)こ う した 従 来 の 扱 わ れ 方 そ の もの に も異 論 が あ る 。 す な わ ち つ きあ い 関 係 は,村 関 す る理 解 自体 を 再 考 す る 糸 口 に も な る と考 えて い る 。 本 文 で 述 べ た よ う に,一 を抽 出 し性 格 づ け る場 合,生 落 の構 造 的 社 会 関 係 に 般 に そ う した 社 会 関 係 活 に お け る 機 能 的 側 面 を主 要 な 一 指 標 と す る の が 通 常 で あ っ た 。 しか し, 有 賀 喜 左 衛 門 や 竹 内 利 美 な どが 早 くか ら指 摘 して き た よ う に,現 象 と して の 互 助 協 力 を よ り根 本 的 とみ え る い ず れ か の 関 係 に 還 元 して し ま う こ と は そ れ ほ ど容 易 で は な い 。 む し ろ 同 族 や 親 類,近 が 重 層 す る こ と 自 体 が 村 落 生 活 の 特 徴 で あ る と もい え る 。 した が っ て,そ 一歩 手前 の ,そ 隣… 関係 な ど れ らの 構 造 的 社 会 関 係 に至 る の 現 象 を捉 え る た め の 指 標 と し た 機 能 的 側 面 を も含 め て そ れ ぞ れ の 関 係 を把 握 す る必 要 が あ る。 つ き あ い研 究 は伝 統 的 に は,同 族 団 や 親 族,近 係 か ら交 際 を 説 明 す る とい う方 法 を と っ て い た が,逆 す る つ きあ い 関 係 を 焦 点 とす る こ と に よ っ て,そ 隣,親 方 に み れ ば,こ 子 方 な どの 「基 礎 的 」(和 歌 森)関 の こ とは機 能的側 面 を重要 な指標 と れ ら の 社 会 関 係 を 同 一 の 枠 ぐみ の な か で,さ まざ まな 交 際 契 機 の 相 互 関 係 と して 捉 え う る とい う可 能 性 を示 し て い る 。 そ して そ れ を 通 じて そ れ ら の社 会 関 係 の 再 検 討 が 可 能 に な る と思 わ れ る の で あ る。 有 賀 喜 左 衛 門 『村 落 生 活 一村 の 生 活 組 織 一』 「著 作 集5」 未来 社,1968年[初 岡 田編著 出:1948年],竹 内利 美 「近 隣 関 係 と家 一 東 北 村 落 の 一 事 例 を 通 じて 一」 喜 多 野 『家 一 そ の 構 造 分 析 』 創 文 社,1959年,な どを 参 照 。和 歌 森 の 引 用 は,和 交 際 」 『和 歌 森 太 郎 著 作 集12』 弘 文 堂,1982年[初 究 と して は,郷 田(坪 井)洋 出:1953年],16ペ 文 「交 際 と贈 答 」 『日本 民 俗 学 体 系4』 5)福 田 ア ジ オ 「村 づ き あ い と約 束 」 野 口 武 徳 6)た と え ば 前 述 の 福 田 は 「ム ラづ き あ い 」 の 種 類 と して,言 い る(野 7)制 口 福 田 『前 掲 書 』,218∼220ペ 歌 森 太 郎 「日本 人 の ー ジ よ り。 同 様 の つ き あ い研 平 凡 社,1959年,な 福 田 ア ジ オ 『約 束 』 弘 文 堂,1977年,218ペ 葉 が け,訪 問,贈 答,ユ イ,手 どが あ る。 ー ジ. 伝 い をあ げて ー ジ)。 度 化 の 弱 い つ きあ い 関 係 の 事 例 に つ い て は た と え ば 藤 井 勝 に よ る 報 告 が あ る(「 一43・ 佐 久 市今 井 の家 同 族 村 落 」長 谷川 善 計他 『日本 社 会 の 基 礎 構 造 一 家 村 落 の 研 究 一』 法 律 文 化 社,1991年)。 藤 きあ い 関 係 を 同 族 結 合 の 脆 弱 化 を補 完 す る もの と して 把 握 して い る が,補 完 と 井 は 歴 史 的 視 点 か ら,つ 同族 して の 位 置 づ け だ け で は つ きあ い 関 係 の もつ 今 日 的 意 義 を くみ 取 れ な い よ う に思 う。 8)オ コ ナ イ の 祭 祀 と して の 内 容 一 般 に つ い て は,た 年,な 9)非 と え ば 高 橋 統 一 『宮 座 の 構 造 と変 化 」 未 来 社,1978 どを参照 。 所 属4戸 の 内 訳 は,寺 が2戸,天 理 教 が1戸,そ れ に 近 年 跡 継 ぎ他 出 の た め 中 組 を ぬ け た 家 が1戸 で あ る。 10)シ ン ル イが こ の 地 方 の 村 落 生 活 に お い て 重 要 な 地 位 を 占め る こ とか ら,こ さ れ て い る。 た と え ば,中 川 ユ リ 子 「 「シ ン ル イ 」 の 構 造 と 機 能 一東 浅 井 郡 び わ 町 大 浜 に お け る 実 態 分 析 一 」 「ソ シ オ ロ ジ 』28-3,1984年,林 『早 稲 田 法 学 会 誌 」37,1987年,農 年,な 研 三 「家 族 親 族 慣 行 と村 落 社 会 一 近 江 一 村 落 の 事 例 か ら 一 」 村 生 活 総 合 研 究 セ ン タ ー(編)『 ど。 しか し,そ れ らの 研 究 は,せ こ と を指 摘 す る の み で,そ れ に 関 す る 研 究 も い くつ か な 生 活 研 究 レ ポ ー ト9」,1980 い ぜ い シ ン ル イ ネ ッ トワ ー ク の 重 複 が 村 落 統 合 に 役 だ っ て い る の メカニ ズ ムの 分析 に まで踏 み込 んでい ない よ うに思 わ れる。 11)中 川 「前 掲 論 文 」 に も同 様 の 指 摘 が み ら れ る。 12)中 川 「前 掲 論 文 」 に よ る シ ンル イ の 結 合 契 機 を 参 考 に した が,e(他 の 家 を 媒 介 とす る 関 係)に つ いて は 独 立 し た 分 類 と した 。 13)例 外 が な い わ け で は な い 。 本 調 査 で は8例 の 村 落 外 の シ ン ル イ が み ら れ た 。 図11に 波 の 家 が シ ン ル イ と して 選 択 した 隣接 村 落 の 家 で あ る 。 内 訳 は トナ リが7例,ナ あ るAか らEは 難 コ ウ ドが1例 で あ る。 隣 接 関 係 に よ る もの が 多 い が,こ れ らは他村 落 の家 と隣接 す る難波 の 家 々の ほ んの一 部 にす ぎな い。隣接 村 落 と の 接 近 度 を 考 え れ ば,こ の 事 例 の 場 合,シ ン ル イ は 村 落 の 枠 組 み に 強 く規 定 さ れ て い る と い え よ う。 14)「cナ コ ウ ド」 と 「dト ナ リ」 に は 他 の 結 合 契 機 と の 重 複 が 含 ま れ る が,重 複 分 に つ い て,こ 1の 結 合 契 機 と感 じ られ て い な い 場 合 に は 聴 き漏 ら して い る 可 能 性 が あ る。 た と え ば,本 係 と ナ コ ウ ド関 係 が あ る と き に,主 れ らが 第 当 は ドウ ケ 関 要 だ と思 わ れ て い る ドウ ケ 関 係 しか 聴 き取 れ な か っ た の で な い か, とい う お そ れ で あ る 。 した が っ て 重 複 の と き の 聴 き漏 ら し分 を想 定 す れ ば,cとdの の よ り も増 え る こ と に な る 。 しか し主 要 な 結 合 契 機 に よ る 分 類 に つ い て は,ピ,d'を 数 は表 にあ げ た も 求 め る こ とに よ っ て ほ ぼ 選 別 で き る。 15隈 業 面 に お い て,こ う し た 村 落 レベ ル の 「つ とめ る 」 関 係 の 典 型 は,農 の 村 落 の な か に 現 れ る 。 こ れ に つ い て は,次 16)こ の よ う に 分 類 し た の は,媒 に 関 連 して,正 章 で 詳 し く述 べ た い. 介 す る 家 を 通 じて つ き あ い 関 係 が 広 が る とい う認 識 に 基 づ い て い る 。 こ れ 岡 寛 司 は 親 類 の す べ て をEgoか 「親 類 関 係 の 組 織 化 が,Ego,媒 介 親 類,被 み な す 」 モ デ ル を 提 示 して い る(喜 究 所,1975年.22∼24ペ 業 水 利 に お け る 末 端 組 織 と して らの 親 等 距 離 に 分 解 して 理 解 す る方 法 を批 判 しな が ら, 媒 介 親類 お よび遠 い親 類 の連 動 に よって構 成 され て いる と 多野清一 正 岡 寛 司 他 『 「家 」 と親 族 組 織 』 早 稲 田 大 学 社 会 科 学 研 ー ジ)。 17)持 参 す る 食 べ 物 は シ ン ル イ 内 で の 遠 近 に よ っ て あ ら か じめ お お よそ 決 ま っ て い る。 現 在 で あ れ ば ど うか とP家 に 尋 ね た と こ ろ,ア イ ァ ケ は 餅 や 巻 寿 司,ま ・44一 ん じ ゅ う な どで あ り.605,105,405は 内 容 は同 じ だ が 量 が や や 少 な く,そ 18)唯 一 の例 外 は302で れ 以 外 の シ ン ル イ は 酒,果 あ る 。 また103と 物,ジ ュ ー ス な ど を 持 参 す る こ とに な る と い う. ザ イ シ ョ内 の 「寺 」 は 難 波 内 の2つ の 寺 を さす が,病 気 見 舞 を贈 っ て い る の は個 人 の 苦 しみ を救 う と い う布 教 上 の 意 味 を含 ん で い る よ うで あ る 。 19)d'の 多 い 家(6戸 以 上)と 少 な い 家(2戸 以 下)の 平 均 シ ン ル イ 総 数 は,そ れ ぞ れ11。4戸,12.6戸 であ る。 20)竹 内 利 美 は,近 隣 組 織 を 「地 域 」 原 則 に よ る も の と 「家 並 」 原 則 に よ る もの に 分 類 し,後 者 を さ ら に 分 類 して 明 確 な集 団 を な す もの を 「近 隣 組 」,集 団 を 形 成 し な い もの を 「トナ リ 関 係 」 と呼 ん で い る 。 本 章 で い う 「トナ リ」 と 「近 隣 組 」 の 差 異 は こ の 分 類 に 依 拠 して い る 。 竹 内 「近 隣 組 織 の 諸 型 」(r東 大 学 教 育 学 部 研 究 年 報 」15,1967年)を 21)中 川 「前 掲 論 文 」,喜 多野 正 岡r前 北 参照。 掲 書 』,藤 井 22)新 参 者 な どや や 性 格 を 異 に す る 家 が 含 ま れ る の で,田 「前 掲 論 文 」 な ど に も同 様 の 指 摘 が み られ る 。 所 有 な しの 家 は 一 括 して 除 外 した 。103,503に つ い て は 直 前 の 挿 入 注 を参 照 。 23)注9を 参 照 。 24)オ コ ナ イ 組 と村 落 の 成 立 と の 関 係 に ま で さ か の ぼ る の で こ こ で は 立 ち 入 ら な い 。 た だ,鍛 束の 高 さ に 関 し て は,鍛 冶 組 は 長 老 の 数 が3組 た とい う伝 承 を もつ の で,そ 冶 組 の組 内収 の な か で も っ と も多 く,か つ て は い ち ば ん 高 位 な組 で あ っ う した 歴 史 上 の 差 異 が 集 団 と して の 結 合 の 強 さ に 影 響 して い る と も考 え ら れ る。 25)し た が っ て つ き あ い 関 係 は,最 こ れ は,本 初 に 述 べ た 福 田 ア ジ オ の い う 「つ とめ る 」 関 係 に 接 近 す る こ と に な る。 章 が つ きあ い 関 係 の 構 造 化 を 問 題 に し,村 れ た の で あ っ て,一 般 的 に は,つ 落 との 関 連 を 問 うた が ゆ え に.そ の側 面 が重視 さ き あ い 一 「む ら ご と」 的 つ き あ い 一 ム ラつ と め とい う図 式 化 が 可 能 で は な い か と思 わ れ る 。 ・45一 第2章 稲 作水 利 をめ ぐる村 落 的合 意 の基準 農 業 に とって 水 は不 可 欠の 生 産要 素 で あ り,農 業 者 は何 らか の方 法 に よっ て 自 らの 経営 に必要 な水 を 調 達 しな けれ ば な らな い。本 章 は,こ の水 の確 保 とい う要 件 をめ ぐって形 成 され る農 業者 の 人 間関 係 を 問 題 とす るが,農 業 用水 の利 用 管 理 を考 える場 合,い わ ゆ る村 落 の役 割 を無視 す るこ とは で きない 。農 業水 利 におい て,農 業者 相 互 の 関係 は直接 表面 に出 る こ とは少 な く,む しろそ れ は村 落 を媒 介 と しなが ら出現 す る。 したが って,個 々 の農 業者 に とって,村 落 へ の埋 没 を避 けるた め に は,村 落 とい う集 団 と い わば"つ きあ う"姿 勢 が必 要 に な る。 しか し,そ の姿 勢 は 自 ら も村 落構 成 員 であ る場 合,個 人の都 合 と村 落 の意思 との微 妙 なバ ラ ンスの 上 に成 り立 つ もので あ ろ う。 そ こで 本章 で は,水 の確 保 にお け る村 落の主体 性 が.村 落住 民 の共 通 意 思(=合 意 の基 準)に よって どの ように支 え られる のか を明 らか に し, そ こ にお け る農業 者 らの 意見 の働 きにつ いて 考 察 を くわ える。 1農 業 水 利 と村 落 わ が 国 農 業,と り わ け わ が 国 水 稲 作 に お い て は,農 れ て い た 。 つ ま り,村 る 。 と こ ろ が,兼 業 用 水 は 通 常,村 落 を通 じて確 保 さ 落 は ひ とつ の 末 端 水 利 組 織 と して 主 体 的 役 割 を果 た して い た の で あ 業 化 や 混 住 化 な ど の 農 業 構 造 の 変 化 に よ っ て,農 落 の 均 質 性 が 失 わ れ 始 め た 。 そ れ を 原 因 に,村 落 は 末 端 水 利 組 織 と して の役 割 を従 前 どお り に 果 た せ な く な っ た とい わ れ る に 至 る の で あ る1)。 しか し,そ しい 末 端 水 利 組 織 が 誕 生 し,定 業 者 の 集 団 と して の 村 着 しつ つ あ る か と い う と,そ れ な ら ば村 落 に代 わ る新 う で も な い 。 実 際 に は,内 実 は 変 化 し つ つ も従 来 ど お り村 落 が そ の 役 割 を 果 た して い る と み え る 場 合 が 多 い の で は な い だ ろ う か2)。 こ う し た 末 端 水 利 組 織 の 位 置 づ け に 関 す る 不 明 確 さ は,農 論 の 必 要 と し て 映 っ て い る が3),そ の 意 味 に お い て も,現 関 連 を 考 察 す る こ と が 重 要 と な る 。 村 落 が,農 と し て の 役 割 を 果 た し て い る の で あ れ ば,そ 者 に と っ て の 村 落 の 現 代 的 意 味 を,水 で あ ろ う 。 こ れ は す な わ ち,農 業 水 利 研 究 者 の 目 に水 利 組 織 在 に お け る 農 業 水 利 と村 落 と の 業 構 造 の 変 化 に もか か わ らず 末 端 水 利 組 織 の 実 情 を 詳 し く分 析 す る こ と に よ っ て,農 業 利 組 織 と い う 側 面 か ら捉 え な お す こ と が 可 能 と な る 業 者 た ち に と っ て,彼 らが 農 業 を営 む う え で村 落 と どの よ う に つ き あ う必 要 が あ る の か を 追 究 す る こ と に も つ な が る 。 そ こ で,こ う し た 関 心 の も と に 研 究 史 を 振 り返 っ て み る と,農 つ い て ま ず 注 目 す べ き は,1960年 業 水 利 と村 落 との 関 連 に 前 後 の 「村 落 共 同 体 論 」 の な か で の 議 論 で あ ろ う 。 そ こ 46 で は,村 落=共 同体 にお いて 「耕作 強制」 を生 み 出す 一 要 因 と して,水 げ られて い る4)。 いい か えれ ば,水 利 の共 同が村 落=共 利 の共 同が 取 り上 同体 の ひ とつ の物 質 的 な存 立基 盤 と して位置 づ け られ てい たの で あ る。 この ア プ ローチ は,農 業水 利 と村 落 との関連 とい う 観 点 か らみれ ば,水 利 の共 同 を村 落 の存 立 の一要 因 と捉 えたの で あ るか ら,存 立要 因的 ア プ ロー チ と呼 ん で よい だ ろ う51。 しか しなが ら.こ の存 立 要 因的ア プ ローチ に よって,先 とい うの は,こ の ア プ ローチが,水 の 問題 を解 くこ とはむず か しい。 利 の共 同 を生 み 出す水 利 形 態 に よっ て村 落 の存 立 を説 明す る とい う性格 を持 つ か らで あ る。 農業構 造 の変 化 に と もな う農 業水 利 と村 落 との 関連 の変 動 に焦 点 をあて よ うとい う本 章 の立場 か らす れ ば,こ れ とはむ しろ逆 に,村 落社 会 内 部 の変 動 に よって,農 業水 利 との関連 の変 化 が把握 され な ければ な らな い。 も しも,存 立 要 因的 アプ ローチ に よって現 在 の状 況 を説 明 しよう と した な らば,水 利形 態 の変化 に よっ て村落 の 変貌 を説 く とい う,や や もす れば形 式的 な議 論 に陥 る危 険 もで て くるの で ある6)。 ともあれ,先 の 課題 に接 近 す るた め には,存 立 要 因的 ア プ ローチ以外 の方法 が採用 され なけれ ば な らない 。 そ こで,次 にそ う した別 の ア プ ローチ を設定 す る こ とにな るが,ま ず, その場 合 の基本 的 な視 角 を述 べ てお きた い。 た しか に今 あ る村 落 も,水 利 の共 同 をは じめ とす る諸 々の存 立要 因の うえ に成 り立 って い る と考 え られ る.た とえば,政 治 的支 配機構 の末端 と して の役割 な ど も,国 家統 治上 要 請 された ひ とつの存 立 要 因 とみな され よう。 しか し。変動 をみ る とい う立 場 にた つ な らば. む しろ.そ う した諸 要 因 に支 えられた村 落が村 落 に住 むむ ら人 の前 にす で に存 在す る とき, む ら人 はその村 落 の組 織 を利 用 して,新 しい問題 に対 処 す る とい うこ とが重要 にな って く る7)。 この こ とは,一 見 変 わ らぬ ようにみ え る村 落 が,実 は,そ の 内実 において変 質 して い るこ とを表 わ して い る。 なぜ な ら,村 落 の組織 を利 用 し,問 題 に対 処 す る背 後 には,む ら人の 意思 とそれ に も とつ く合 意 が あ り,そ の過 程 におい て村 落 は変 質 す る こ とになるか らで あ る。 こ う した視 角 か ら農 業水 利 と村 落 との 関連 を捉 え よ うとす る と き,村 落 とは具 体的 には 村落 運営 を意味 す る こ とに なる。平 場 の村 落 におい て村 落運営 と水 利 組 織 とが密接 に関連 してい る こ とはす で に指摘 されて い るが8),そ の運営 の過 程 にお ける合 意形 成 を経 て は じ め て,結 果 的 に村 落 が 末端水 利 組織 と して の役 割 を担 い うる,と 考 え らえるか らで あ る。 つ ま り問題 は.農 業水 利 に関す る合 意 形成 が村 落 運営 の なか で いか にお こな われて い るの か にあ る。本 章 で は この点 を,と くに合 意形 成 の際 に現 わ れ る基準 を手 が か りと して解 き 47・ 明 かそ う と思 う。 この基 準 が む ら人の 意思 に基 づ くこ とを考 える な らば,農 業 者 を含 むむ ら人の農 業水利 に対 す る意 思 の なかか ら,村 落 の末端水 利 組 織 と しての 意 味 を考察 す る こ とにある,と い いか えて もよいで あ ろ う。 以上 が本 章の分 析 視角 で あ る9}。 次 に,具 体 的 な事 例 を記 述 して い く際 の整理 軸 につ い て説 明 してお きた い. す で に示 唆 した よ うに,か つ て村 落 は 「小 地域 の用 排水 管 理組 織 と して,有 効 に機 能 を 発 揮」10)してい た。 そ の とき,村 落 の末 端水 利 組織 と して の役 割 は,内 的 局面 と外 的局 面 と の二 つの局 面 に分 けて考 える こ とが で きる。 さ しあた り用 水 面 の み に限 って農 業水利 の シ ス テム をなが め れ ぼ,水 源 か らい か なる手段 に よって取水 し,そ の水 をい か に各 圃場 に ま で引 き込 む かが もっ とも基本 的な問題 で あ ろ う。村 落 は従 来 こう した過 程 の 中間 に入 って, 用水確 保 を実 現す るた めの ひ とつ の結節 となって い た11)。つ ま り,あ る水 源 をめ ぐるひ と つ の農業水 利 組織 が 複 数の村 落 にわ たっ て形成 されて い る と き.村 落 は その 中間的 な構 成 単位 として,ひ と まず村 落 レベ ル での用 水 を確保 す る主 体 となる。 この役 割が ここでい う 外 的局面 で あ る。一 方,村 れ ねば な らない が,そ 落 レベ ルで確 保 され た水 は さ らに村 落 に属 す る水 田へ と配分 さ の配分 は村 落 に よって統 制 され てい た。 また,各 圃場 に用水 を確 保 す るた めの水 路整 備作 業 な ど も村 落 の統 制下 に ある場合 が多 か っ た。 こ う した村 落 レベ ル で確保 した水 を各 圃場 の用水 と して実現 させ る働 きが,こ こで い う内的 局面 で あ る。 内的局 面 とは,具 体 的 には村 落 内 部 にお け る農業水 利 の維 持管 理作 業 をさす とい って よ い.し たが って,こ の維持 管 理作 業 が村 落 の統 制 の も とにおか れて い る と き.そ の統制 が いか な る合 意 の も とに現 象 す る のか が,こ て,ど の よ うな者(世 者(世 帯)が 帯)が の局 面 にお け るポ イ ン トとなる。 この 点 につ い そ の作 業 をお こ な うべ きか とい う意見 と,実 際 に どの よ うな その作 業 をお こな って い るのか とい う実 態 とを見 くらべ つ つ.そ る合 意 形成 の基 準 を明 らか に したい。 なお,維 持 管理作 業 の 内容 として,こ こ に存在 す こで は農業 用 水 の配水 管 理作 業 と,用 排水 路 整備 の共 同管理 作 業 を取 り上 げ る。 一方 ,外 的局 面 につ い て は,村 落 を越 え た水 利組 織 一現 在 一般 的 には土 地改 良 区 と呼 ば れ る 一へ の 代表 選 出 と村 落 運営 との 関連 が問題 となる。実 質 的 に は この代 表者 が各 村落 の 代表 と して村 落 レベ ル の用水 確保 を担 うか らで あ る。 そ こで,こ の代 表者 の性 格 の移 り変 わ りを村 落 にお け る地位 とい う観 点か ら明 らか に し,そ こか ら代 表選 出の際 の基準 を導 き 出 したい 。 む ら人の 意思 を も とに代 表 が選 出 され るの で あ るか ら,代 表者 の性 格 は,む 人の農 業水 利 に対 す る意 思 を知 るため の ひ とつ の 指標 とな りうるで あ ろ う。 ら 以上 の 分析 をへ て,村 落 運営 にお け る合 意形 成 に際 して規 定的 とな る基 準(=共 通意 思) につい て考察 し.そ こか ら農業水 利 にお け る農 業者 と村 落 の関係 を考 えた い。 ただ し,こ れ らの前 段 と して,調 査村 落 におけ る農業構 造 の変化 を,と くに水 稲 作 に重 点 をお いて説 明 してお く。 い う まで もな く,農 業 構 造 の変化 は本 章 で設定 した主 要 な変動 要 因だ か らで あ る。 変化 をみ る時 間的 範 囲 は,内 的局 面 にお いて は近 年 の数年 間,外 的局 面 にお いて は土 地 改 良 区へ移 行 した1952年 か ら今 日まで と した。 なお,デ ー タは1982年 の秋 か ら1985年 に か けて お こな った調 査 に基 づ いて い る。 2調 査村 落 の概 況 1)概 況 調査 村落 は滋賀 県東 浅 井郡 びわ町 落合 で あ り,前 章 で 取 り上 げた難 波 に隣接 す る村落 で あ る。 びわ 町は滋 賀 県北 部,姉 川 の河 口付 近 に位 置 して お り,姉 川堤 防 を除 けば全 般 に き わめ て平坦 な地形 を な して い る。落合 は,こ の平坦 な土 地 を利 用 した水 稲作 を古 くか ら主 た る生 業 と して きた 。 また,冬 期 には1ヶ 月前 後 の根 雪 期 間が あ るため.水 近 年 の麦作 な どの ほか は,さ 田転 作 に よる ほ ど裏作 も盛 んで は なか った。 落合 は,徳 川 時代 には落合 村 と呼 ば れ,寛 永 年 間 には幕府 の.元 禄 年 間 には三川 吉 田藩 の支 配下 におか れ た。 その後,区 制 実施 時 に隣村 の 難波 村 と合 併 したが,数 年 後 に再 び分 裂 し,そ れ以 後今 日に至 る まで,ひ とつ の大 字 と して独 立 して い る.後 の記述 の便 の ため に町村 制 以後 の行 政 区域 の変 遷 を記 してお く。1889(明 村 の合 併 に よって南福 村 が成 立 した。 その翌 年,村 治22)年 に,落 合村 をは じめ11ヶ 名が 大郷 村 に改称 され,戦 後,1956年 の町村 合併 の ときに,大 郷村 は北 隣 の竹 生村 と合 併 して びわ村 とな り,1971年 に町制へ 移 行 して現在 に至 って い る. 1985年 現 在 の落 合 の戸 数 は66戸 であ る12}。少 な くとも大正 期 以降.戸 ない 。現在,66戸 数 に大 きな変 動 は の うち61戸 が水 田 また は畑 を所 有 してい る。水稲 作 が 主 で あるが,古 く は副業 と して養 蚕 が盛 んで あ った。 しか し,大 正 中期 頃か ら次 第 に衰退 しは じめ,現 在 で はわず か1戸 が営 んで い る にす ぎな い。養 蚕 と入 れ かわ る ように して,農 外兼 業 に従事 す る 農家が 増 えて きてい る。 農林 業 セ ンサ ス に よる と,1960年 戸(92%),そ の うち の22戸(40%)が 69戸,51戸(74%),41戸(84%)と には世 帯 数63戸 の うち農家 は58 第2種 兼業 農 家 で あった が,1980年 な ってい る。 49 に はそれ ぞれ 畑 は姉川堤 防 内 の河 川敷 に,水 田 は聚 落13)の西 北 にノ広 が って い る(図21)。 河川 敷 の畑 は,現 在 で は 自家 消 費用 の野菜類 のた め に ところ どこ ろ利 用 され てい るにす ぎないが, 古 くは桑 園 と して 重要 で あっ た。落 合 の 「領 域」 内の水 田は33haあ る(1980年 セ ンサス 「農業集 落 の土地 面積 」 よ り)。 領 域 内 の水 田 と落合 の農 家 の所有 す る水 田 との 間 に大 幅 なズ レはみ られ な いの で,お おか た の 目安 とな ろ う。 図21調 査村 落 の地 図 ノ 。/つ.領 域 境 ///1凡 一 ・一 例蒙鐸 箭 ノコ 〆!!、 井堰 一 rl \ 1!、 、 、 錦 \ で● 織 、 、 、 \ 水 田 、/田 \ノ 繋 戴 絶 7ク1主 舳 揚 、.〃Zs≦ 聯 塀 懲 畿 落)'、 轍 時 ・ \'川 〉帆 姉 \ 川 ∠ // 次 に,落 合 にお け る村 落運 営 につ い て述べ てお きたい 。村 落運 営 の ため の組織 は,区 長 1名,代 理者(改 良組 合 長 を兼務)1名,お 成 されて い る。 この ほか,1965年 よび8名 の(1981年 以 降14))の 協 議員 か ら構 か ら76年 まで の問 には改 良組合 員4名 も選 ばれて い たが, それ以 後 は廃 止 され た。 これ らの役 職 の任期 は1年 で,通 常1月 の総会(「 初寄 り」)に おい て選挙 で選 ばれ る。 た だ し,そ れ ぞ れの役 職 に は就 任 回数 や留 任期 間 につい ての制 限 が設 け られて い る15)。区長 は村落 の公式 的 な代 表 を務 め,代 理者 は 区長 の代理 で あ る と と もに農事 関係 の代 表 を も務 め る。協 議員 に はそれ ぞれ に係 が割 り当て られ,そ ・50 れが 日常 的 な仕事 とな る。重 要 な議 題 につ い て は,総 会 にか け る前 に これ らの役 職者 に よって会合 が もたれ る。 この ほか に,落 合 の各世 帯 を地 理的 に8つ に分 けた班 か らそ れ ぞれ班 長が選 ば れ るが,行 政 の下 部組 織 的 性格 が濃 く,村 落運営 に直接 に は参 与 しない 。 2)農 業水利 落合 は,徳 川 時代 か ら一 貫 して 田川 の水 を水 田用 水 と して利 用 して きた16)。現在 の田川 は高 時川 の河床 を く ぐって(図21参 川 時代 には姉川,高 照),直 接 琵 琶湖へ と流 れ込 んで い る。 しか し,徳 時川 の合 流 点 に流 れ込 んでい た 。姉川,高 の水 勢 は弱 か ったた め,当 時川 の水 勢 に比べ る と田川 時,豪 雨 の際 には姉川 の水 が 田川 に逆 流 し.上 流 の4ヶ 村 落 (現在 は虎姫 町 内)に 浸水 の被 害 を引 き起 こ してい た。 そ こで,田 流 そ う とす る工事 が1860(万 延 元)年 に着工 され,さ 川の水 を直接 琵琶 湖へ らにその後 数 回の改 修工 事 をへ て, 現在 の状 態 とな ってい る。 図21の ④ 点 は取水 用 の井堰 の位 置 を示 して い る。 この井堰 か ら取 られ た水 は 「田川 養水 」17)と呼 ばれ,落 合 をは じめ とす る下 流 のい くつ かの村 落 の水 田用水 とされて きた。 そ れ らの用水 利 用村 落(現 25)年 在 はびわ 町内)と 先 に述 べ た上流 の4ヶ 村 落 とで,1892(明 に 田川普 通水 利 組合 が組 織 され.そ の後1952年 治 に 田川 土 地改 良 区へ と移行 して今 日 に至 ってい る。上流 の4ヶ 村 落が 組織 に含 まれて い るの は,井 堰 の 開閉が排水 問題 にかか わるか らであ る。 表21に 田川土 地 改 良 区の組織 を示 した。総代 は各村 落 ご とに選 出 され,基 本 的 にはそ の 中か ら理事,監 監事.理 事 な どの役 職 者 が選 ば れ る。役 職 は表 にあ げた ほか に,常 任理事,総 事長 が あ るが,土 地改 良 区へ の以 降い らい,上 流 の排水 地 区 を除 けば,そ 括 れ らの 3つ の役 職 は監事 と同様 にいず れ も落合 また は川道 か ら選 出 され てい る。 と りわ け理事 長 につい て は,1957年 以 降,落 合 の総 代 か ら選 ばれ続 けてい る。 また,井 堰 を実際 に開閉す る作 業 も落合 の総 代 に よって お こな われ てい る。 用水 地 区各 村 落へ の用水 配分 率,な 22に らび にそれ を稲作 作付 面 積 で便宜 的 に除 した値 を表 示 した。配 分 率 のみ をみれ ば落合 と川 道 が高 くなって お り,常 任 理事 等 が選 出 され る村 落 と一致 してい る。 しか し.水 稲 作 付 面積 あた りで み る と値 は逆 に川 道 が最 も低 くな り,落 合,野 寺 が高 くな ってい る。 これ らの こ とか ら.落 合 は田川 土地 改 良 区 を構 成す る村 落 の なか で 中心 的 な位 置 を占め て い るこ とが わか る。 この こ とは,歴 史 的 にみ れば,田 川 の水 利 権 を落 合 のみ が握 ってい た こ と と無 関係 で は ない で あろ う。 だが,落 合 に とっ てみ れば,落 合 に は田川 以外 にさ し 51 た る用水 源 はなか った。 つ ま り,「 田川 養水 」 を確保 す る努力 を通 じて は じめ て,土 地改 良 区内 にお け る今 日の落合 の地位 が あ る と もい え よう18)。 表21田 川土 地改 良区 の組織 村 落 名 総代 数 聯 表22田 よび監 事 名 川 用水 分配 率 水 稲1留 面積 田川用査配分率 舞 ・1 ・ … 名 田52ha 排 水 地 酢52 月 ケ 居29 野 寺7.650.076.97 落 合73(う 川 ち監'1ト1名)注)④ 水 新 居52セ 地 野 寺32 木 浜4L'5似'5353 道114.560.322.37 は1980年n (難波)2_③ 区 .230.175.60 国52 (以 上 の う盗事1名)八 用 合27.920.277.73 新 瀬52 区 唐 落 は 合計す ると0・98とな るが ・あ との0・02は"その解 に配 られ る。 ンサ スお よび田川1二地改 良区資率聾よ り作成 。 八 木 浜52 川 道83(う ・ 計50 ち監 喉1名) 理事 監事 173 注)田 川土地改 良区 資料 よ り作成 。 3.水 田 所 有 と耕 作 の 分 離 兼 業 化 に つ い て は 前 節 で 概 説 した が,も 非 農 家 と な っ た 世 帯 も あ れ ば,経 は,1960∼80年 ち ろ ん 各 農 家 が 一 様 に兼 業 化 した わ け で は な い 。 営 面 積 の 拡 大 を 図 っ た 農 家 も あ っ た 。 表23に の 落 合 に お け る 農 業 経 営 規 模 別 農 家 戸 数 の 変 化 で あ る 。 一 般 的 傾 向 と し て, 経 営 面 積 の 両 極 分 解 が み ら れ る 。 と く に,1980年 に は0.3ha未 満 層 の 増 加 と と も に,2.Oha 以 上 を 経 営 す る 比 較 的 大 き な 農 家 も現 わ れ て い る 。 こ の 資 料 に は,水 菜 畑 な ど も含 ま れ て い る が,先 慮 す る と,経 示 した の に 述 べ た よ う な 養 蚕 の 衰 退,野 田 の ほ か に桑 園 や 野 菜 畑 の 自家 菜 園 的 性 格 を考 営 面 積 の 拡 大 は 水 田 経 営 面 積 の 変 化 に よ る も の と 考 え て よ い 。 も っ と も,こ の 拡 大 は 水 田 所 有 面 積 の 増 大 で は な く,水 田 の 貸 借 に よ っ て 実 現 さ れ た 。 そ こ で,1984年 の 事 例 を 取 り上 げ て 水 田 貸 借 の 実 態 を 詳 し くみ る こ と に し よ う 。 52 表2-3経 営規模別農家戸数の変化 経 営 耕 地h・ 面積 ∼0.3∼0.5∼1.0∼2.0∼3.03.0∼ 計 年次 戸 1960年121517140058 1970131413160056 198017111093151 注)農 図22水 林 業 セ ン サ ス よ り1乍成 田所有 面積 と水 田耕 作 面積(1984年) 4.5 756362 ∼ 3.5 7757 ∼ 2.5 ∼ 詣 ・.・ 樺 ∼ 1.5 癖 @∼22122376 1.01517 ∼7'4673難 0.52526 66 ∼30 0.32145 135055 ∼87 所 有水 田 な し 101114末 ∼0.3∼0.5∼1.0∼1,5∼2。0∼2.5 井2027 伯三33403134243235 水41423637484347517016833844 田6164 525356な65728186 8082し84 水 田 所 有 面 積(ha)) 注)役 場 資 料 お よ び 聴 き 取 り結 果 よ り 作 成 。 -53一 図2-2は,1984年 る。図 中の2ケ にお ける各 世帯 の水 田所 有 面積 と水 田耕作 面積 とを比 較 した もの で あ タの数字 は世 帯 番号 であ るが,そ の うち10の 位 は班 の番 号 を示 して い る。 また,耕 作 面積 は実質 的 な耕作 面積 の有無 に もとつ い てい るの で,所 有水 田 を 「 小作」に 出 して 「小 作料 」 を受 け取 って い る場 合 だ けで な く,水 田耕 作 にかか わ るほ とん どすべ て の作業 を委 託 してい る場合 も,非 耕作 に分類 され てい る。 図22で まず注 目す べ き点 は,総 水 田所有 世帯52戸 の うち,23戸 してい ない こ とで あ る。落合 全 体 で考 える と,総 戸 数67戸(1984年 なわ ち55%が が実 質 的 に水 田 を耕 作 当 時)の 水 田 を耕作 して い ない こ とに なる。先 の23戸 が貸 し付 けた,あ 託 した水 田 は8.2haあ り,そ の うちの77ha(94%)は うち37戸.す るい は作 業委 落 合 の世帯 に よって耕作 されて い る。水 田所 有 面積 よ り耕作 面積 の ほ うが大 きい15世 帯(図 か ら読 み とれ る世帯 と28,45) は,基 本 的 に はそ う した23戸 の 所有水 田 を耕 作 す る こ とに よって規模 を拡 大 して い る,と い って よい 。 ただ し,2.5ha以 上 を耕作 して い る,村 落 内 で はやや 突 出 した5世 帯 につい て みれ ば,そ れ らが借 り受 けた,あ るい は作 業 を受 託 した総 水 田 の うちの約 半分 が,他 村 落 の世 帯 の所 有 田 となって い る。 その結 果,落 合 の世帯 が耕 作 す る水 田面積 の総 計 は,所 有水 田面 積 の総 計 よ りも4haば か り多 くな ってい る。 落合 の世帯 か ら出 され た82haの うち,65haが 貸付水 田の面 積 で あ り,17haが 作業 委託 の面積 で あ る。その うち,水 田 を貸 し付 ける場合,契 約 は1年 ご とに 口頭 で更新 され る。 い わゆ る 「ヤ ミ小 作 」 で あ る。契約 の内容 は,た の だが,貸 す側 に とって は 「また(水 田 を)つ とえば 「今 年 もたの む」 な どの簡 単 な も くる ときに返 して くれ」 とい う気持 ちが言 外 に含 まれ て い る とい う。落合 の世 帯 どう しで結 ば れて い る水 田貸 借契 約 はすべ て この 「ヤ ミ小 作」 で あ り,農 用 地利 用 増進 事業 に も とつ く貸借 関係 は1例 もない。 それ に比 べ て,落 合 の世 帯 と他 村 落 の世帯 との 間で結 ばれ てい る貸借 関係 におい て は,11haと 少な い なが ら も同事 業 に登 録 された例 が み られ る。 4農 業水 利 の維 持 管理 一内 的局 面 一 は じめ に農業水 利 の 配水 管 理作 業 を,次 に用排 水路 整 備 の共 同作 業 を述 べ たい。 1)配 水 管理 まず,旱 越 時の 配水 管 理 の変 化 を村落 の規 約 に よって み てみ よ う。1953年 『大 字落合 申 合規約 』 に よる と,「 旱魑 ノ際 字東 割 ヨ リ平 田二至 ル養水 路 大川 筋 ノ止 切 リ等 ハ 決 シテ致 サザ ル事 。若(万 力)一 不 得 止 場合 ハ 区長 ノ指示 二従 フモ ノ トス」19)と定 め られてい る。 -54・ その後1972年 に,こ の条 文 の 「区長」 の 部分 が 「区長 又 は改 良組合 長」 に改 め られ,さ に1980年 には全 面 的 に改訂 され て 「旱 越 の際 は養水 路,井 ら 堰等 は 区長 又 は改 良組 合長 の指 示 に従ふ もの とす 」20)となっ た。 こ う した条 文 の変 化 の うち,1980年 の改訂 は3反 区画 の 圃場整 備 が完 了 し,そ れ まで の 条 文の 内容 と実際 の形状 が 一致 しな ぐなった こ とに よる。 そ れ に対 して,1972年 の改 訂 は 農 家 の兼 業化 に対 応 した もの で あ ろ う。 とい うの は,区 長 には就 任 制 限が設 け られてい る ため21},通 勤 兼業 者 が 増加 して くる につ れて,こ こぞ とい う ときに村 落 に居 りうる者 の み を区長 に選 ぶ こ とが 困難 にな って くる。 す る と,村 落外 に働 きに出て い る者 も区長 に選 ば ざ る をえない 。そ こで,よ り就任 制 限 の緩 や か な代 理者(=改 良組合 長)が 農 業水利 関係 におけ る中心 的存 在 とな り,同 時 に,農 業 を主 とす る者 が 代理 者 に選 ば れ る よ うになる。 こ う した なか で,旱 越 時の 配水 管理 に対 す る権 限が先 の ように変更 され た と考 え られ るか らで ある。 規約 に記 され た内容 は村 落構 成 員 の合 意 の もとで定 め られ た わ けで あ るか ら.そ れそ の ものが その後 の合 意 形成 におい て ひ とつの基準 に なって い る よ うで あ る。聴 き取 りをお こ なって い る と きに も,守 るべ きもの と して規約 の内容 が語 られ る こ とが あ った。 しか し, 成文 化 され た規約 は,た しか に合 意形 成 過程 にお ける ひ とつ の根拠 とな りうるが,そ ら合 意形成 のゆ くえ を知 る こ とはで きない。 問題 はむ しろ.ど こか の よ うな意 味 で規 約 の内容 が定 め られ たの か を知 る こ とにあ る。 そ こで,先 の条 文 の変 化が もつ意 味 をよ り詳 しく探 るため に,日 常 的 な配水 管 理 に 目を 向 け るこ とに しよ う。 日常 的 な配水 管 理 は,古 概期 間 中,毎 くか ら代理 者 の仕事 であ った。代 理者 は灌 日水 田 を見 回 り,主 要 な用水 路 の配 水 管理作 業 をお こな って きた。 ところが, 最 近 で は代 理者 を も兼 業 で村 落外 へ勤 め に出 る者 か ら選 ば ざる え ない状 態 とな って きた 。 その結 果,大 規 模耕 作 者 で あ る75の 世 帯 主 な どの話 で は.緊 急 の 配水 調整 が必 要 な場 合, 耕作 者 が各 自で配水 管 理 をお こな う こ と もでて きた とい う。 しか し.実 態 と して は こ う し た変化 が み られ る ものの.配 水 管 理 は代理 者 が お こな うべ きで あ る とい う意見 に変 わ りは ない ようであ る。 た とえば,75の か らそ う(=各 世 帯 主 は実 態 を先 の ように述 べ なが らも.「 耕作 者 に よる配水 管理)し てい るが,本 しかた ない 当 は代理 者 が ち ゃん と面倒 をみ な な らん」 と語 って い る。 こう した なか で,日 す る動 きが,1985年 常 的 な配水 管理 にみ られ る実 態 と意見 との くい違 い を調整 しよう と に入 って現 われ た。代 理者 に代 わ って協議 員 の ひ と りが 日常 的 な配水 55 管理 をお こな う よ う,年 始 め の 「初寄 り」 で決 め られ たの で あ る。 配水 管理 を十分 にお こ なえ る ような代理 者 の候 補 が い ない た め,代 理者 よ りもさ らに就任 制 限 の緩 い協 議 員 にそ の作 業 を任せ る こ とに した わ けで あ る。協 議 員 の就 任 制 限 は就 任 回数 の制 限 で はな く,留 任期 間 の制 限 で あ るか ら22),配 水 調 整 をお こな える者 が複 数存 在す る限 り,制 度 的 には以 後 も問題 は ない とい うこ とにな る。実 際 に は,こ 主23)が選 ばれ た。57は 図2・2に う した役 割 を担 う協 議 員 と して57の 世 帯 み る ように,3.5ha以 上 の水 田耕作 世帯 で ある。 兼業 化 に と もな う村落 常在 者 の 減少 は,日 常 的 な配 水 管理 の役 目を果 た しうる者 の 範囲 を狭 め る結果 となって い る。 農業 を主 とす る,限 られた者 が この役 目を担 う傾 向が み られ るので あ る。 しか し,だ か らとい って,村 落運 営組 織 と無 関係 に配水 管理 をお こなお う と してい るので は ない.そ れ は,あ くまで運 営組 織 内 にお ける担 当者 の変化 に と どまってい る。 こう した こ とか ら,配 水 管理 をで きるだ け運 営組 織 内 に とどめ て お こ うとす る意 思が 存 在す る とみて よい で あろ う。 先 の規約 条文 の 変化 も同様 の意 思が 反 映 した もの と考 え ら れ る。 2)共 同作 業 落合 で は一 般 に,村 落 の共 同作 業 は 「総 人足 」 あ るい は 「総 普請 」 と呼 ばれ てい る。 そ の ひ とつ に 「川 ざ らい」 と呼 ばれ る用排水 路 の共 同整備 作 業が あ る。 「川 ざ らい」 は1年 に2∼3回 お こな われ る。春 に はその年 の灌 概 に支 障 の ない ように雪 な どで崩 れた水 路 を 補 修 し,夏 に は主 と して通水 の妨 げ にな る草 の刈 り取 りをお こ な う。秋 にお こなわれ る場 合 には主 に排水 路 の掃 除 をす る。 これ らは用水 利 用 の ため の重 要 な作 業 なの だが,圃 備 時 に用排水 路 が2面 少 した。事 実,1985年 また は3面 場整 の コ ンク リー ト張 りにな り,現 在 で はか な り作業 量 が減 には補 修 す る部分 が少 なか っ たの で,「 川 ざ らい」 は取 りや め とな り,最 寄 りの耕作 者(6名)に よる作 業 だ け に終 わ った 。 しか し,「 川 ざ らい」 が な くな っ て しまった わ けで は ない。 「今年 は作業 す る こ と もあ ま りなか ったか ら,川 ざ らい もなか っ た」 ので あ って,必 要 な らば 「川 ざ らい」 は再 びお こ なわれ るの で あ る。 また,田 川 か らの用 水 は聚 落 の 中 を通 って各 圃場 へ と流 れ てい るため,当 然 の こ となが ら聚落 内 の水 路 も 「川 ざ らい」 の対 象 に含 まれて い る(図21参 照)。 しか し圃場 と同様 に,こ れ らの水 路 も集 落 基 盤整 備事 業 な どに よって コ ンク リー ト化 され,作 業 の必 要性 は か な り減 っ た。 こう して 「川 ざ らい」 の作 業 量 は減 少 して きた ものの,全 戸出役 の原則 は基本 的 に変 わ っ てい ない。 た だ し,出 役 したす べ ての世 帯 が等 しく同 じ作 業 をす る とい うわけで は ない。 56 そ こで次 に。作 業 内 容 の差 異 につ いて みて み たい。 「川 ざ らい」 の なか に,圃 場 の用 排水 路 の整備 と聚 落 内水 路 の掃 除が あ る こ とを述 べ た が,こ の2つ の作 業 はむ ら人 の あい だで意識 的 に区別 され てい る。共 同作 業 時の実 際 の作 業 は,「 川 ざ らい」 に限 らず,班 ご とに割 り当て られて きた。 どの班 を何 の作 業 に割 り当 て るかは.区 長 も しくは代理者 が そ のつ ど決定 す る。 ところが,「 川 ざ らい」 に関す る 限 り,聚 落 内水 路 の掃 除 は,少 れ は3班 な く ともこ こ数年 の 間,特 定 の班 に割 り当 て られて きた 。そ と8班 で あ る。 そ の理 由 は,区 長 経験 者 の話 に よる と 「田 んぼ をつ くって ない 人 が多 いか ら」 とい うこ とであ った。 そ こで,図2-2を 各班 ご とにま とめて み た(表24)。 表24に 水 田所 有 ・耕作 の有 無 にのみ分 けて, よる と,む ら人の 発言 はほぼ実 態 と一致 し て い るこ とが わ か る。 ただ し8班 は,水 田非 耕作世 帯 が 多 い とい う理 由だ けで な く,そ の 居住 区域 が掃 除す る水 路 にち かい とい う理 由 もあ る こ とをつ け加 えてお きた い。 表24班 班 鵯 辮 別水 田所有 耕 作 の有 無(1984年) 継 10△ △30(=)05000700△ 11△ △31()△510△710(=) σ硝 120(=)32△ △52△ り作成) △720△ 13△0330△53△ 114△ △'魂(図2●2よ △730(=) △3340△5540077400 150035△ △55007500 16(=)△36△ △56△ 17(=)037△ △57(=)07700 △7600 380△ 200△400△60(=)080△ △ 21(=)0410△610△81(=)△ 2200420△620082△ △ 2300430△6300830△ 224△ △4440△6640△8840△ 250(=)450(=)65(=)△8500 26(=)046006600860△ 270△470△67008700 280048△ △ 57 こう した こ とか ら,実 際 の作 業分 担 にお い て は,作 業 内容 を水 田耕 作 非 耕作 の軸 に よっ て分 け るこ とが 一応 の納得 の基 準 にな って い る と考 え られ る。 しか し同時 に,こ の 区分 が 班 ご とに分担 す る とい う従 来 の方 法 に則 ってい る こ とも無視 で きない。つ ま り,こ の 割 当 方法 は,従 来 の作 業体 制 の枠 組 みの なかで近 年 の変 化 に対 応 しよう と した姿 だ とい って よ い だ ろ う。 ところが,こ う した現 行 の作 業体 制 を考 え直 そ う とい う意見 も出 され てい る。水 田所 有 世帯 の作 業 内容 と水 田 非所 有世 帯 のそ れ とを分 け よ う とす る意見 で あ る。 この意見 は もち ろん水 田非所 有世 帯 か ら出 されて い る。 それ に対 して,水 田所 有 世帯 の側 か らは,「 分 け て しま った ら,事 業 な んか をする ときに(ま もで きない」 とか,「 昔 か らず っ とまって)何 とこれでや って きた」 な どの 意見 が 出 されて い る よ うで あ る。 こ こで興 味深 い こ とは,作 業体 制 の議論 におい て,水 水 田所 有 田耕作 非耕 作 の 区別で は な く, 非所 有 の 区別 が 問題 とな ってい る こ とで あ る。 も しも,水 田所 有世 帯 と水 田非 所 有世 帯 とを区別 して作業 をお こな う とす れば,表24か ら もわか る ように従 来 の班別 割 り当 て体 制 は成 り立 ち えな い。 また,先 の水 田所 有世 帯 か らの 意見 をみ る と,班 別 割 り当 て体制 を崩 す こ とへ の危惧 が うかが わ れ る。 この ように考 えて くる と,ど うや ら 「川 ざ ら い」 の作 業 体 制 にお け る争 点 は,従 来 の班 別 制 か,そ 区別 か にあ る.と ま とめ られ よ う。水 田耕 作 れ とも水 田所有 世帯 と非所有 世帯 の 非耕作 の 区別 は,班 別制 を維持 す るた めの ひ とつ の説 得 方策 で は ない か と思 われ るの であ る。 で は,な ぜ耕 作 非 耕作 で はな くて所有 ・非所 有 が問 題 となるの で あろ うか。 この点 に つ い て水 田所 有 世帯 の者 に尋 ね た ところ,「 川 ざ らい は財 産 を守 る意 味 が あるの だか ら, 地主 は出役 しな けれ ば な らない」 とい う意見 や,「 地主 はノ 」 ・ 作 料 を も らっ てい るの だか ら, 出役 して あた りま え」 とい う意見 な どが聴 か れ た。 つ ま り,水 路 は水 田 と切 り離 され て存 在 してい るの で は な く,一 体 の もの と して む ら人 に意識 されて い る よ うで あ る。 この 意識 を背 景 と して,水 5.土 田所 有世 帯 と非 所有 世帯 の 区別 が現 象 してい る と考 え られ る。 地改 良 区総 代 の性格 一外 的局 面 一 田川土 地改 良 区総 代 は村 落 の総会 にお いて,選 挙 また は推 薦 に よって選 出 され る。 た だ し,選 挙 が お こな われ る場合 で も事 前 に人選 は ほぼ終 わ ってい るので,総 会 はその承 認 と い う意味 あい が 強い. 1952年 に土 地改 良 区へ 移 行 して 以後 の,落 合 か ら選 出 された総 代 を表25に 58・ 示 した24》 。 総 代 の 任 期 は4年 な の で,こ わ か る よ う に,初 め の4期16年 に 変 化 が 現 わ れ る1968年 れ ま で に9回 の 改 選 が お こ な わ れ た こ と に な る が,表2-5か ら 間 は ま っ た く 同 じ人 物 が 総 代 を 続 け て い る 。 そ こ で,総 を 境 に,そ れ 以 前 を 第1期,そ れ 以 後 を 第H期 代 と し て 分 析 を進 め たい。 表2-5田 世 帯 番 川 土 地 改 良 区 総 代 の 変 遷(落 合) 号1950196019701980年 次 87國[圃 83圓[i圃______今 54図 57國[圃 73圃 60圓 77國 31回 44回 25圓 一 一 一一 一 一 一 一 一一 一 一 一→ レ 63圃 一 一 一 一 一 一 一 一一 一 一 一 一> 71回 一 一 一 一> 62國 一 一→ 17回 ゴ> 75固 一 注)表 中 のSは ひ と っ 下 の 世 代 の 者 を表 わ す 。 た と え ば 、87Sは87の 〉 跡 継 ぎ で あ る 。 田 川 土 地 改 良 区 資 料 よ り作 成 。 1)第1期 第1期 の総 代 の性 格 を,村 落 内外 にお け る地 位 が知 られ る よ うな指標 を中心 と して,表 2・6に ま とめ てみ た。表 か ら,國 を除 くす べ ての 総代 が総 代任 期 中 に村 長 また は村 会議 員 を歴 任 して い る こ とが わ か る。第1期 間 中 に落合 か ら選 出 され た村長,村 会議 員 は表26 にあ げた者 です べ て で あ るか ら,こ の時 期 の総代 は村 落 全般の代 表 に もな りうる人物 で あっ た とい え よう。 また,村 落 内 にお け る総 代 の地 位 は,総 代 の属 す る世 帯 が オ コナ ィオ ヤ にな りえた か ど うか に よって も知 る こ とが で きる。 オ コナ イ とは滋 賀 県湖 北地 方 一帯 で広 くお こな われ て 一59・ 表26田 縢 酵 生年 川土地改良区総代の社会 的性格く第1期 〉 生 國1885響 業 灘 鶴 撫 欝1954年(1年 囮1896禿 響}商 図1901水 田 、 養 蚕1957∼61年 國1903水 田、養蚕 圃1911細 講 脹 村鱒 のみ)1951-55年 勲1956-79年196・-64年 ・ 養蚕1955-57年 圓1919沓 果藷 國1923哩 瀞 麟 ・ びわ村長 ・ びわ村議 ○ 翻 大郷 村議 会 損1965-68年 びわ 村 議 代 世 帯 の村 落 内 にお け る経 済 的 地 位 位 874815 83111 5491316 576102 73173133 60142027 77345 '-」 糸 惹[旦 二 書}数686562 注)落 議 木 職 人198・-83年1951-55年 蹄 翻 編 鴇 顯 瀧 評ll襯 合区 有 文 書 よ り作 成 。 ・60・ ナイ 大郷 村長 注)聴 き取 り、お よび 役場資 料、田 川土地改 良区資 料 よ り作成。 表27総 葬 ・ い る 宮 座 行 事 で あ り,毎 担 い,村 年1回2月 に催 さ れ る 。 オ コ ナ イ オ ヤ は そ の 行 事 の 中 心 的 役 割 を 落 内 お け る 「家 格 」 を 反 映 す る も の と 考 え て よ い 。 オ コ ナ イ オ ヤ に 選 ば れ る 世 帯 は ほ ぼ 決 ま っ て い た25)。世 帯 番 号 で い う と.16,25,38,44,54,77,81,83,87で た 。 こ れ ら9戸 の う ち4戸 が 第1期 しか し な が ら,こ の 総 代 選 出 世 帯 に 含 ま れ て い る. れ ら 総 代 の 村 落 に お け る 経 済 的 地 位 を み て み る と,第1期 上 位 を 占 め て い た わ け で は な い 。 表2-7に 級,評 反 映 した も の と考 え て よ い26)。 こ れ に よ る と,1948年 帯 ま で が10位 価 額 は,村 に は.後 以 上 に 入 っ て い る が,52年,60年 57を 除 く5世 帯 の 順 位 は しだ い に 低 下 し て い る 。 つ ま り,総 地 位 は,必 に 時 点 の, 落 内 で の経 済 的 順 位 を に 総 代 の 選 ば れ る7つ の世 と 年 代 が 経 る に つ れ て,83, 代 選 出世 帯 の 村 落 内 で の 経 済 的 ず し も上 位 に あ る と は い い 難 く な っ て き た の で あ る 。 資 料 の 制 約 上,1960年 で の 変 化 し か 示 せ な い が,そ ば,こ 間 中,常 表 わ し た の は,1948年,52年,60年 総 代 選 出 世 帯 の 等 級 お よ び 評 価 額 順 位 で あ る.等 帯 の う ち,5世 あっ ま の 後 の 兼 業 化 の 進 展 に よる 所 得 額 の 変 化 な ど を考 慮 す る な ら の 傾 向 は 強 ま り こ そ す れ 弱 ま る こ と は な か っ た と考 え て よ い だ ろ う 。 2)第H期 長 く続 い た 総 代 を 継 い だ の は,ま 第1期 ず,そ れ ら総 代 の 世 帯 の 跡 継 ぎ た ち で あ っ た 。 こ れ は, の 総 代 選 出 の 体 制 を 世 帯 の レ ベ ル で 継 承 し た も の と い え よ う 。 しか し,そ た ち が 必 ず し も 再 び 長 く総 代 を 続 け て い る と い う 、わ け で は な い 。 第H期 た 総 代 の 性 格 を,表2-6と 第H期 ほ ぼ 同 様 の 指 標 で 表 わ し た の が 表28で の 総 代 選 出 原 理 と 第1期 そ こ で,第H期 の そ れ と の 間 に は,多 の 総 代 の 性 格 を,と く に1984年 う した 者 に 新 し く選 出 さ れ あ る 。 こ れ に よ る と. 少 の ズ レ の あ る こ と を 感 じ させ る27)。 に 選 ば れ た 総 代 を 取 り上 げ な が ら 検 討 す る こ と に し よ う。 1984年 に選 ばれ た総 代 は,園 の うち團 が理事 長,國 に よ っ て 次 の3つ 第1の 匝1國 回 囮 であ る(表2-5参 照)。 そ が常 任 理事,[互1が 監事 に就 いて い る。 これ ら7名 の総 代 はその性 格 の グ ル ー プ に分 け る こ とが で き る。 グ ル ー プ は,落 在 で もある囮 巨凱 圖 合 の 総 代 の 中 心 的 地 位 を 占 め る と と も に,土 と囮 であ る。團 の父圖 は,表2・6に 事 長 を務 め,土 地 改 良 区へ の貢 献 も大 きか った。圃 地改 良 区の 中心 的存 示 した よ うに長 く田川土 地改 良 区理 自身 も,15年 間 にわ た ってび わ漁業 協 同組合 長28)を務 め るな ど,村 落外で の信 望 も厚 い。一 方,医 ヨ は3代 続 いた材 木商 で あ り, 町会 議 員 の経験 もあ る。 この2世 帯 は,と もに オ コナ イ オヤ にな ってい た し,ま た,國 次期 理事 長 候補 と して囮 の名 をあ げて い る こ とか らみ て も・ この2名 61 が を ひ とつ の グルー プ とみ な して よい こ とが わか る。 表28田 喋欝 生年 匡]1924水 匝]1930水 川土 地改 良 区総代 の社 会 的性 格 く第H期 生 業 隷 島懸 ・ 」 会韻 嚇 ・・ナ・オヤ 覆嘲 † 轟 田 、養 蚕 → 水 田 、縫 製 工 場 田 、公 務 員→ 水 田 、83に 被 雇 用1985年 塵]1924綴 [57S]1935水 〉 肥鏑 ・勲 ∼ び わ 町議 ・・水・ ・1984年 ○ 一 ・ 糊 蒲 、長 田 、農 閑 期 日雇 図1921水 田 、養 蚕 ・ ○ 匝 豆]1930林 木 商 、 水 田1977∼81年 匡 豆]1941水 田 、 日 雇→ 水 田 、 会 社 員 匝]1925水 田 、国 鉄 職 員→ 水 田 、 日雇 匝]1926水 田 、日雇 匝]1927水 田 、公 務 員→ 水 田 、 会 社 員 匝]1941水 田 、土 建 業 lD聴 き取 り、お よ び 役 場 資 料 よ り作成 。 び わ 町議 ○ この グル ー プの ひ とつ の特徴 は,水 田非耕 作者 が含 まれ てい る こ とで あ る。前掲 の図2 2が 示 す よ うに,1984年 の総代 選 出時 点 におい て,國 してい る。 この 点 に関連 して,國 は所 有水 田 をすべ て委 託耕 作 に出 は 「理 事 や理事 長 はだれで もが なれ る とい うわけで は な い。他 町や他 字 を もま とめ うる者 で な ければ な らない」 と語 った.つ ま り逆 にい えば,土 地改 良 区の運 営 をお こ ない うる力 を備 えてい る な らば,理 事 や 理事長 は必ず しも水 田耕 作 者 で な くて も よい.と 考 え られて い るの で ある。 第2の グルー プ は,国 づ け ら れ よ う(図22参 残 る匝1國 は,"世 國 照)。 話 役"と 囮 で あ る。 この3者 は大 規模水 田耕作者 の グル ー プ と位 置 い ず れ の 世 帯 も3.5ha以 上 の 水 田 を 耕 作 し て い る 。 も名 づ け う る 第3の グ ル ー プ で あ る 。 こ の2世 8か ら知 ら れ る よ う に 古 く か ら の 有 力 な 家 で も な く,水 で は,な ぜ 総代 に選 ば れた のか につい て は,回 (村 落 の)役 田 耕 作 面 積 も1.Oha未 が語 った,「(兼 業先 が)定 帯 は,表2 満 と少 な い 。 年 にな る と が ま わ っ て く る 」 と い う 発 言 が そ の 状 況 を よ く表 わ し て い る 。 こ の グ ル ー プ ・62・ の 場 合,土 地 改 良 区 総 代 と い う 役 職 も つ 特 殊 性 よ り も,む と し て,総 代 の 職 が 認 識 され て い る とい え よ う。 こ の よ う に.1984年 に 選 出 さ れ た 総 代 は,か しろ 一 般 的 な 村 落 役 職 の ひ とっ な りの 程 度 明 確 に3つ の グ ル ー プ に分 け る こ と が で き る 。 た だ し,こ れ ら の グ ル ー プ の 性 格 は.最 近 に な っ て あ ら た に 生 まれ て きた ので はない。 た とえば,國 は過 去 におい て もそれ ほ ど大規模 な水 田耕作 者で は なか った し, 村落 内外 におい て さほ ど有力 な家 で あっ たわ けで もない。 先 の分 類 で い う と,第3の"世 話役"グ ルー プ に属 す る と考 え られ よう。 そ うす る と,第1期 の総 代 にお いて も同様 の性 格 が潜在 してい た と推測 して も よい ので は ないか 。 とい うの は,戦 後 しば ら くの間 は,有 力 な家 で あ る こ とと水 稲 作 を主 とす る こ とが大 き くい えば一致 してい たで あ ろ う し,そ れ らの世帯 は 同時 に村 落 運営 の 中心 的存 在 で もあ った,と 考 え られ るか らで あ る。 したが っ て,こ こ に述べ た総代 の3つ の性格 は,む ら人 に よって一 定程 度歴 史 的 に保 持 されて きた, 農業 水 利 に 関す る代表 選 出 の基 準 を表 わ してい る と考 えて よい,と 思 われ る。 こ こまで,選 出 され た総代 の差 異 に注 目して きたが,よ て は,次 の ような意見 が 聴 かれ た。 ひ とつ は,「 り一 般 的 な総 代選 出の基 準 とし なるべ くいつ も字 にい る人 を選 ぶ」 とい う意見 で あ る。 これ は,井 堰 の 開閉 が落合 の総代 に任 されて い る(第2節 参 照)こ と とも 関連 して い る。緊 急 の井 堰操 作 を必 要 とす る とき,総 代 が村落 にい ない と困 るか らで ある。 この基準 か ら1984年 選 出の総 代 をなが め る と,た す る者,定 しか に,自 営業 者,主 と して農業 に従 事 年 退職 後 の者 な ど,こ の意 見 に ほぼ 沿 ってい る こ とが わか る。 しか しなが ら. 総代 に選 ばれ た者 の みが村 落 に常 在す るわ けで もない ので,た は重 要 で あ るが,決 定 的 な選 出基準 とはい え ない 。 また,「 しか に この基準 は実 質 的 に 田んぼ をつ くってい る人 か ら 選 ぶ」 とい う意 見 もあ った。 この基 準 は先 の耕 作者 グル ー プの存 在 を裏付 けて はい るが, 園 の例 か ら して,や 6村 は り総 代選 出 にお いて 決定 的 とはい えない。 落 運営 と合 意 形成 ここ までの分析 か ら,農 業水 利 に関す る合 意形成 の際 のい くつか の基準 が 明 らか に なっ た。 まず,そ れ らをま とめて み よう。 内的局 面 の うち,配 水 管 理 につ い て は,そ の役 割 を村 落 運営組 織 内 に と どめ よう とす る 意思 が働 い てい る こ とが わか っ た。 共 同作 業 で問題 とな ってい たの は,そ の作 業 体 制 につ いて,班 別 に割 り当て るか,そ れ と も水 田所 有 世帯 と非所 有世 帯 を区別 して割 り当て るか であ った。班 別制が班 とい う村 落 63 運営 に組 み込 まれた組 織 を利 用 してい る点 を考 えれ ば,こ ば"一 致 団結"に の対 立 は村 落運 営 にお けるい わ か か わ る問題 で あ る とい え よう。 また,班 別 制 に対 抗 す る論 理 と して, なぜ水 田所有 が 区別 の基 準 とな るのか につ い て は,そ の背 景 に水 路 と水 田 の一体 感 が ある こ とを示 した。 一方 ,外 的局 面 につ い て は,土 地改 良 区総代 の性格 を とお して,選 を見 つ けだす こ とが で きた。村 落 の代 表者 た りうる よ うな有 力者,水 お く者,村 落運 営 の 一般 的 な"世 話役"を 務 め うる者,の3つ 出の際 の3つ の指標 稲作 に生計 の重 点 を の指 標 で ある。 この うち, 村 落 の代 表者 た りうる有 力者 につい て は,必 ず しも実 際 の水 田耕作 者 で な くて も よい こ と も同時 に指摘 した。 こ う したい くつ か の局 面 にお け るむ ら人の対 応 は,同 じ農業水 利 に関連 してい る とい っ て も,そ れぞ れ の局面 の もつ機 能の違 い に よって,そ れ ぞれ に独立 した合 意形 成 の過程 を た どる とい え よ う。 つ ま り,た とえば,配 水 管理 につい て論 じられて い る ときに,直 接 に は総代 選 出の 問題 は関係 して こない ので あ る。 しか しなが ら,こ う して ま とめ られた結果 か ら共 通 した点 を抜 き出す な らば,や は り,す べ て の局 面 にお いて,村 落 運営 との深い 関 連 を見 い だす こ とが で きる。す なわ ち,内 的局面 におい て は,そ れ らの役 割 を村 落 の一致 した運 営 の もとに お こ う とす る動 きが み られ,外 的局 面 におい て は,"世 話役"的 総 代 の 存 在 か らわか る よ うに,農 業 水利 に関す る代 表 を村 落運営 の延長線 上 に捉 えてい る こ とが わか るの で あ る。 この よ うな傾 向 は,農 業水 利 にか か わ る様 々な用 件 をで きる限 り村 落 の 一 致 した運 営 の なか で処 理 してい こ う とす る う29)。す な わち,こ の,ひ ,村 落 の意 思 の存 在 を示 唆 して い る とい え よ う した村 落 の意 思 は,む ら人が 農業水 利 に関す る事 柄 に対処 す る場合 とつの基 準 に なっ てい る と考 え られ る。 もうひ とつ の論 点 は,農 業 水利 と水 田所有 との 関連 で ある。共 同作 業 の作 業 体制 に関す る対 立 におい て,班 別 制 に対 抗 す る意見 と して水 田所 有 が 区別 の基 準 とな ってい たが,そ の背後 には,水 路 と水 田 との一 体感 が あ る こ とも示 された30)。 したが って,農 業水 利 を関 す る第 二 の基準 と して,農 業水利 は水 田所 有世 帯 の問題 で あ る とい う基準 が 浮か び上が っ て くる。選 出 され た役員 をみ て も,実 際の 耕作 の有 無 は決定 的 な要 因 とは なって い ない。 む しろ基 準 は所 有 非所 有 の軸 にあ りそ うな ので あ る。 以上 の ところか ら,農 業 水 利 と村 落運 営,お が 明 らか となっ たが,で 図2-3に よび農業水 利 と水 田所 有 とい う2組 の 関連 は村 落運 営 と水 田所有 の 関係 は どうで あ ろ うか 。 示 したの は,水 田所 有面積(1984年 ・64 現 在)と 村落 役 職経験点 数(1945∼85年) との関係 である・ 村落 役 職経験 点数 とは,1945年 か ら85年 までの 間 におけ る区長 代理 者, 協 議 員,改 良組 合 委員 の経 験 を,役 職 の重 要度 に応 じて点 数 に表 わ し3D,各 世 帯 ご とに合 計 した もの であ る。村 落 役 職経験 は 人的 な要 因 に も左 右 され るの で,こ こにあげ た2つ の 指標 の 問 に明確 な相 関 関係 は認 め られ ないが,村 落役 職 経験 の有無 とい う関心 の みか らみ 図2-3水 田所 有 面積 と村 落役 職経験 の 関係 介 薯 叩 職 ∼ ノ ロ し f又25 ⑰ ⑳ ⑰ ⑪23⑳ ⑰ 経 鷺 ㍗ 9 ⑳ 麗 ⑭@ 数15 T∼4247554628⑭ 1碧2766⑪265116⑰76 1 95 824∼3312677438 邑 所 有 水 田 な し ∼0.3∼0.5∼1.0∼1,5∼2.0∼2.5 101113143235役202140223085 3637・8525356覆414345347・ ・・82髪 ・・61648186 し657284 水 田 所 有 面 績(1984年;ha)一 注)○ 一 一一 一 一 一一 一 一一 一 一一 一 一 一一 〉 印 は 田 川 土 地 改 良区 総 代 が 選 出 され た 世 帯 を表 わ す 。 村 落 役 職 経 験 点 数 の 算 出 法 に っ い て は 、 本 文 注31左 図2・2及 参照。 び 落rす 区 も 文,llよ りrl=成 。 表29水 田所有面積 と村落役職経験の有無 ha 水 田 所 布 面 積 な し ∼0.3∼0.5∼LO1.0∼ 戸 糸惹 世 者}委 文152012137 村 落 役 職 経 験 戸 の あ るIlll帯 数186127 % lr「 注)上 ラ〉 上ヒ6.7405092100 図 よ り作 成 。 ・65一 る と,表29の また,よ よう に,水 田所有 面積 が 大 きい ほ ど役 職 に就 く可 能性 は高 い とい え よ う。 り,大 き くみ れ ば,少 な くとも過 去40年 の間,村 落 役 職者 の ほ とん どすべ て が水 田所 有世帯 か ら選 ばれ て い る こ とが わか る32)。図23,表29の 時 点の値 の み だが,古 水 田所 有面積 は1984年 老 の話 に よる と,戦 前 か ら現 在 まで の 間 に水 田 をすべ て手放 した世 帯 は37の み で あ り,所 有面 積 の変 化 も世帯 につ き多 くて も1反 程度 で あ った とい うこ とな ので,先 の傾 向 に間違 い はない とい っ て よい。 こ う した こ とか ら,少 な くとも戦 後の村 落役 職者 は水 田所有 世帯 を基 礎 に選 出 され てい る こ とが わか る。村 落運 営 は,具 体 的 に は これ らの村 落役 職者 に よって担 わ れてい るので あ るか ら,村 落運 営 は水 田所 有世 帯 を基 礎 にお こなわれ てい る といい か えて もよい で あろ う。 さ らに,図23に は土 地 改 良 区総 代 が選 ば れた世帯 を丸 印で 囲んで示 して おい た。 これ に よる と,総 代 の 選 ば れた世帯 は概 して村 落役 職経験 も多 くなって い る。や や役 職経験 の 少 な い17と71は,前 節 で 述 べ た"世 話 役"グ ル ー プ で あ る。 回 匝]は,1984年 時 点 で, それ ぞれ57歳,59歳 で あるか ら,こ れか ら村落役 職 に就 く可 能性 は低 い33)。村 落役 職適 任 者 で あ りなが ら,か つ その経験 の少 ない者 を土 地改 良 区総代 に選 ん だ とい え よ う。 この こ とは,先 に述べ た村 落運営 と土 地 改 良 区総 代 との関係 を如実 に示 してい る。 と もあ れ,村 落運 営 が水 田所 有世 帯 を基 礎 と してい る とい う事 実 が明 らか に なったが, 従 来の 農業水 利 村 落 の との 関連 は,水 路 と水 田 の一体感 に支 え られ つつ.水 村落 運営 をお こない,そ 田所有世 帯 が の村落 運営 の なかで 農業水利 に関す る用 件 に対 処 す る とい う,い わば三 位一体 的 な様 相 を示 してい た と考 え られ る。 しか し,こ の 三位 一体 も農 業構 造 の変 化 や村 落運営 の政 治 的状 況の 変化 に応 じて,従 来 の ま まで は継続 で きな くなって きた とい え よう。す なわ ち,事 例 に示 した よ うな共 同作 業体 制 におけ る意 見 の対立 は,た しか にむ ら人の判 断基 準 を探 る とい う点 にお いて は,そ の対 立 が あれ ば こそ 農業水 利 と水 田所有 と の 関連 が感 得 で きた の だが,そ もそ もそ れが表 面化 す るこ と自体 に,先 の三位 一 体の ズ レ つ つ ある こ とが現 わ れて い る と考 え られ る ので あ る。 7お わ りに 以 上,村 落 の 末端 水利 組 織 と して の意 味 を,村 落運営 にお け るむ ら人 の合 意形 成 の基 準 とい う観 点 か ら明 らか に して きた。 そ して,農 業水 利 にお ける村 落 の 内的役 割 と外 的役 割 の双 方 を検 討 す るなか か ら,農 業水 利 に関す る諸 機 能 を統 一 的 な村 落運 営 に取 り込 も うと 66 す る 村 落 の 意 思 と,農 業 水 利 は 水 田 所 有 世 帯 の 問 題 で あ る と い う 意 識 を 析 出 し,そ れ らが 農 業 構 造 の 変 化 に対 す る農 業 水 利 面 で の 村 落 の 対 処 の 基 準 に な っ て い る こ と を指 摘 した 。 で は,こ う し た 村 落 に お け る 合 意 形 成 の メ カ ニ ズ ム の な か に,個 に操 作 的 に 働 き か け,村 上 記 の よ う な2つ 落 と"つ き あ う"こ 別 の 農 業 者 は どの よ う とが で きる の だ ろ うか 。 の 基 準 は あ る に せ よ,実 質 的 に 農 業 水 利 の 問 題 は,し だ い に減 少 しつ っ あ る 実 際 の 農 業 者 の 手 に ゆ だ ね ら れ つ つ あ る 。 日常 的 な 排 水 管 理 に して も そ う で あ る し, 役 員 選 出 を み て も,専 業 的 農 業 者 と い う 指 標 が 明 確 に な っ た 。 し た が っ て,あ 落 運 営 組 織 を 介 し て で は あ る が,個 々 の 意 欲 的 な 農 業 者 に とっ て 農 業 水 利 の 問 題 は か つ て よ り は 操 作 性 の 高 い 領 域 に な りつ つ あ る と い え よ う 。 そ の 意 味 で,村 は 少 な く な っ た と い え る 。 し か し 同 時 に,農 と す る 村 落 全 体 の 問 題 で あ る か ら.農 と こ ろ で,水 く ま で も村 落 とつ きあ う困 難 さ 業 水 利 の 問 題 は あ く ま で も水 田 所 有 者 を基 礎 業 者 らの 責 任 も 同 時 に大 き くな る こ と に な ろ う。 利 と村 落 と の 関 係 は,農 業 面 に 限 ら れ て い る の で は な い 。 本 章 で は,農 業 水 利 の も つ 農 業 以 外 の 面 で の 役 割 を対 象 の 外 に お い て き た 。 農 業 水 利 の も つ 多 面 的 役 割 の う ち,村 落 生 活 とか か わ っ て と くに 重 要 な の は い わ ゆ る 生 活 用 水 と して の 役 割 で あ ろ う。 多 く の 村 落 が そ う で あ っ た よ う に,調 農具 査 村 落 の 落 合 に お い て も 聚 落 内 を 流 れ る 農 業 用 水 を, 野 菜 の 洗 い 水 や 防 火 用 水 と して 利 用 して き た 。 こ の う ち,前 り見 ら れ な く な っ た が,後 な い が,近 者 は 依 然 そ の 意 味 を 失 っ て い な い 。 ま た,落 隣 の 村 落 で は 生 活 排 水 を 押 し流 す れ らの 側 面 が 農 業 水 利 に 関 連 して具 体 的 に む ら人 の 間 で 話 題 に の ぼ る こ と は な い よ う で あ っ た 。 し か し,こ せ て お り,農 意 味 で,農 合 の 事 例 か らで は 「環 境 用 水 」34)と し て の 役 割 も確 認 さ れ 始 め て い る 。 落 合 で 調 査 を お こ な っ た 範 囲 で は,こ が か か わ る だ け に,農 者 の 用 途 は今 で は あ ま う した 役 割 は村 落 の 全 戸 業 水 利 に 関 す る 合 意 形 成 の 際 の ひ とつ の 根 拠 と な る 可 能 性 を 潜 在 さ 業 水 利 を村 落 運 営 内 に と どめ よ う とす る新 た な要 因 と な る に 違 い な い 。 そ の 業 水 利 は 農 業 者 を 越 え て 利 害 の 及 ぶ 地 域 的 資 源 な の で あ り,水 と の つ き あ い 方 は,農 利 に 関 す る村 落 業 者 に と っ て 決 して 単 純 な も の と は い か な い の で あ る 。 注 1)農 業 水 利研 究者 の玉 城 哲 は,す で に1970年 代 よ り.こ の変 化 を 「部落 の空 洞化 」 とい う言 葉で 言 い表 わ そ うと して いた。 詳 し くは,玉 城 哲 旗 手勲 『 風 土 一大 地 と人間 の歴 史』 平凡 社,1974年. pp,315-318を 参 照。 2)池 上 甲一 も1980年 セ ンサ ス の数 字 か ら,「 い われ て いる ほ どに用水 路 の集 落管 理 の放棄 が 進 んで い な い」 こ と を指 摘 して い る(池 上 『日本 の水 と農 業 』学 陽書 房,1991年 一67一 ・P.56)。1980年 セ ンサ ス にお い て,農 業 用 用 水 路 を 「集 落 と して は 管 理 し な い 」 集 落 は,農 た(「1980年 世 界 農 林業 セ ンサス 農 業 集 落 調 査 報 告 書 」)。 落 と して 管 理 して い な い 」 集 落 が,農 い る(rポ 業 用 排 水 路 が あ る集 落 全 体 の30%で ケ ッ ト農 林 水 産 統 計1gg4」 と こ ろ が,1990年 業 用 排 水 路 が あ る 農 業 集 落 の24%と 農 林 統 計 協 会 ,P.111)。 絶 対 数 も増 加 して い る 。 こ の 変 化 の 背 景 は 定 か で な い が.少 あっ セ ン サ ス で は,「 集 な り,集 落 管 理 率 が 上 昇 して しか も,「 集 落 が 管 理 す る 」 集 落 の な く と も先 の 池 上 の 指 摘 に大 き な 誤 りの な い こ と は確 認 さ れ よ う。 3)明 確 に 主 張 し た もの と して,た 年10月,が 4)こ と え ば 坪 井 伸 広 「土 地 改 良 団 体 の 組 織 論 的 課 題 」 「農 業 と経 済 」1982 あ る。 う した 観 点 に た つ 研 究 は 数 多 くあ っ た が,農 研 究 と して,住 村 社 会 学 に 影 響 を与 え た とい う見 地 か ら み れ ば,お 谷 一 彦 「村 落 共 同 体 と用 水 強 制 」 社 会 の 論 理 構 造 』 弘 文 堂,1961年 『 社 会 学 評 論 」11号,1953年,余 な ど を あ げ う る 。 と り わ け,後 もな 田博 通 『農 業 村 落 者 に お け る 「溝iかか り制 」 は 広 く話 題 に された 。 5)「 村 落 共 同 体 論 」 以 後 も,こ の ア ブ ロ ー チ に よ る研 究 が い くつ か の 分 野 で な さ れ て きた 。 た と え ば,福 田 ア ジ オ 「村 落 の 統 合 と水 利 一静 岡 県 小 笠 町 棚 草 一 」 『日本 民 俗 学 会 報 』47号,1966年.柿 崎京一 「 村 落 統 合 と水 利 組 織 一 香 川 県 に お け る 溜 池 灌 概 村 落 の 事 例 」渡 辺 兵 力 編 著 『農 業 集 落 論 』,龍 1978年)な 6)1973年 漢 書 舎, どが 代 表 的 で あ る 。 に発 表 さ れ た 余 田 の 論 文(「 水 と む ら」rソ シ オ ロ ジ 」 第20巻 第2号)を 年 代 以 降 の 農 村 の 変 化 は 次 の よ う に捉 え られ て い る 。 まず,「 同 態(=水 田 耕 作 者 の 共 同 組織 ・… 引 用 者 注)は 交 錯 圃 経 営 は な く な り そ う に もな い か ら,共 例 に あ げ る と,1960 交 錯 圃経 営 が な くな っ た 時 」 に 「村 落 共 解 体 した 」 と論 理 的 に い え る 。 と こ ろが,現 実 的に は 同性 が 失 わ れ た と は 言 い き れ な い と結 論 づ け る の で あ る 。 こ う し た 議 論 は 論 理 的 な操 作 よる もの で あ っ て,そ こ か ら リ ア ル な 変 動 の 説 明 は期 待 しが た い と い え よ う。 7)た と え ば 鳥 越 皓 之 は,こ う した 意 味 で の 祭 祀 上 の 組(「 コ ー チ 」)の 利 用 を指 摘 して い る。 鳥 越 「行 政 上 の 区 域 設 定 と生 活 組 織 の 対 応 一 町 内 会 お よ び 班 一 」仏 教 大 学 『 社 会 学 部 論 叢 』 第9号,1975年 8)経 験 的 に広 く知 ら れ て い る こ と と思 わ れ る が,た 編r日 9)こ 本 民 俗 学 概 論 」 吉 川 弘 文 館,1983年,に と え ば,小 川 直 之 「耕 地 と生 産 」 福 田 ア ジ オ 種 の 変 動 論 的 ア プ ロ ー チ'で あ る とい え よ う 。 ま た,こ と村 落 と の 関 連 以 外 の 面 に も適 用 可 能 だ と思 わ れ る 。 と い う の は,よ し う る 可 能 性 を も つ か らで あ る 。 た だ し,そ さ れ よ う 。 本 稿 で は,合 た の で,意 宮 田登 こ の 指 摘 が み られ る 。 の 分 析 視 角 は 先 の 存 立 要 因 的 ア プ ロ ー チ の 歴 史 遡 及 的 性 格 に 対 比 す る な ら ば,比 を 明 らか に す る た め の,一 。 較 的短 い期 間の変 動 の分析 視 角 は農業水 利 り一 般 的 に意 思 決 定 論 と して 展 開 の場 合 に は 意 思 決 定 過 程 に つ い て の 詳 しい デ ー タ が 必 要 と 意 形 成 の 過 程 で は な く,む ら人 の もつ 合 意 形 成 の 際 の 基 準 に 調 査 の 焦 点 を絞 っ 思 決 定 と い う術 語 の 使 用 を見 合 わ せ た 。 10)玉 城 哲 一旗 手 勲 「前 掲 書 」,P.313。 11)こ の 指 摘 は 玉 城 哲 の 著 作 の な か で 随 所 に み ら れ る・ と く に,こ の 結 節 と して の 村 落 の 意 味 は,玉 究 の な か で 「農 村 中 間 シ ス テ ム 」 とい う概 念 を 生 み 出 す 出 発 点 に な っ た 。 玉 城r日 ー む ら と水 か ら の 再 構 成 一 」(農 山 漁 村 文 化 協 会 ,1982年)参 -68・ 照。 城 の研 本 の社 会 シス テム 12)1985年 に1戸 減 少 した 。 した が っ て,次 節 以 降 で 扱 う1984年 の 事 例 で は,総 戸 数 が67戸 と なっ て い る 。 13)聚 落 と は 家 屋 が 集 ま っ て い る 区 域 を指 す 。 14)1945年 以 降 の 協 議 員 数 は,1945年3名,47∼51年5名,51年7名,52∼54年5名,55∼64年7名, 65∼76年5名,77∼80年7名,81年 以 降 が8名 と な っ て い る 。1946年 につ いて は資 料 欠落 のた め不 明 であ る。 15)就 任 制 限 は 次 の とお りで あ る 。 区 長 … ・3期 ま で 。 代 理 者 ・…2期 協 議 員,改 を 区 長 の1期 良 組 合 員 … ・就 任 回 数 に制 限 は な い が,連 な お 区 長,代 続3期 以上 就 任す る こ とはで きない 。 理 者 の 留 任 は 認 め ら れ な い. 上 記 の 制 限 は1972年 は連 続3期 と して 計 算 し,区 長 の 就 任 回 数 と通 算 さ れ る 。 まで の も の で,73年 の 改 正 の 後 に は,区 長 が2期 ま で と な り.協 議 員,改 まで許 され る こ と となっ た。 16)少 な く と も徳 川 時 代 初 期 に は す で に 田 川 の 水 を利 用 して い た(『 事 務 所,1935年 よ り)。 ま た,現 田川養 水碑 建 設 記録」 大郷 村大 字 落合 在 で は 田 川 か らの 用 水 の 他 に,1979年 か ら 国営 農 業 水 利 事 業 に よ る 用 水 も利 用 さ れ 始 め て い る 。 しか し,落 合 は 事 業 区 域 の 末 端 に 位 置 して い るせ い もあ っ て,こ お い て,新 の 時点 に 規用 水 の供 給 は十 分 で なか っ た。 17)落 合 の 聚 落 の 中 心 部 に は,水 利 権 を 守 っ た 徳 川 時 代 の 庄 屋 を讃 え た 『田 川 養 水 碑 」 が 昭 和 初 年 に 建 立 さ れ て い る 。 こ こ で あ え て 「田 川 養 水 」 と した の は,こ ら れ て い る か らで あ る が,養 え ば,渡 良組合 員 の 碑 を始 め,残 され た歴史 文書 に もこの語が 用 い 水 と い う語 は 他 の 事 例 に お い て も明 治 時 代 の 判 例 な ど に 散 見 さ れ る。 た と 辺 洋 三 『農 業 水 利 権 の研 究 〔 増 補 版 〕 』 東 京 大 学 出 版 会,1954年 18)田 川 土 地 改 良 区 の 沿 革 な ど,村 を参 照 。 落 連 合 と して の 農 業 水 利 組 織 に つ い て,よ し て の ム ラ ム ラ結 合 の 変 化 一 湖 北 業 化 に伴 う琵 琶 湖 集 水 域 に お け る水 田 川 土 地 改 良 区 を め ぐ っ て 一」(農 り詳 し くは拙 稿 「水 利 共 同 と 村 問 題 調 査 研 究 会 『都 市 化 土 地 利 用 と地 域 構 造 の 変 化 に 関 す る 研 究 』,1983年)を 工 参照 され た い. 19)『 昭和 二 十 八 年 一 月 20)1972年,80年 21)注15)を 大 字 落 合 申合 規 約 』 第 十 八 条 。 の 引 用 は,『 昭和 四十 一 年一 月 大 字 落 合 申 合 規 約 」 よ り。 参照。 22)同 上 。 23)次 節 の 表2-5で は[困 に あ た る 。 24)表 か らわ か る 思 うが,た と え ば 國 は世 帯 番 号87に 属 す る 特 定 の 人 物 を指 す 。 25)オ コ ナ イ オ ヤ 選 出 に お け る 世 帯 間 の 区 別 は,現 26)等 級 と は,村 在,制 落 内 の 世 帯 を い くつ か の ラ ン ク に 分 け た もの で,お に 設 定 さ れ て い た 。 等 級 そ の もの の ラ ン ク 数 は1等 れる 前 に,予 度 的 に は廃 止 さ れ て い る 。 もに 村 落協 議 費 の 徴 収 額 を決 め る た め か ら20等 まで しか な い の だ が,各 め 村 落 内 の す べ ての 世 帯 に順 位 が つ け ら れ た ・ 表2-7の1948年,52年 等 級 決 定 の た め の 順 位 は,ま を掛 酌 して,最 等 級 に 振 り分 け ら は そ の順 位 に 拠 っ た 。 ず 固 定 資 産 評 価 額 と所 得 額 を合 算 して 順 位 をつ け・ そ の あ と各 世 帯 の 事 情 終 的 に 決 定 さ れ た 。1960年 ま で に 等 級 制 度 は廃 止 さ れ た の で ・1960年 一69一 につい て は固 定 資 産 評 価 額 と所 得 額 を合 計 して 順 位 を つ け た 。 こ の 方 法 は,等 級 決 定 の 基 礎 と な っ て い た の で,想 定さ れ る 等 級 順 位 と大 差 な い と考 えて よ い だ ろ う。 27)も っ と も,表2-6の い 。 しか し,圓 う ち 町 会 議 員 経 験 者 が 少 な い の は,議 員 総 数 そ の ものの減 少 に よる とこ ろが大 き の 例 を み る と,土 地 改 良 区 総 代 に 就 任 した 期 間 と,町 ズ レ が あ り,第1期 28)こ の 組 合 は,び 会 議 員 に 選 ば れ た期 間 との 間 に の 総 代 の 場 合 と異 な っ て い る こ とが わ か る 。 わ 町 内 の7村 29)こ の 点 に 関 連 して,鳥 落 に よって構 成 されて い る。 越 皓 之 「部 落 団 体 の 展 開 過 程 一東 京 都 府 中市 四 ッ 谷 地 区 の 事 例 を つ う じて 一 」 「社 会 学 評 論 」 第23巻 第3号,1972年,は 興 味 深 い 結 論 を 導 き出 して い る。 そ れ に よ れ ば,部 核 的 性 格 を 「部 落 団 体 と機 能 別 集 団 … 略 … との 関 係 を み る と き,そ れ は い わ ば"親 と,う ま い 比 喩 で 表 現 して い る 。 つ ま り,「 子 で あ る 機 能 別 集 団 が 」,「 す こ と を指 摘 した の だ が,本 」ある 親 で あ る部 落 団 体 か ら と び だ 」 稿 の 水 利 組 織 に か ん す る 事 例 を み る か ぎ り,同 様 に 比 喩 を用 い れ ば,"そ の と き親 は 子 を で き る か ぎ り手 元 に お こ う と す る"と 30)水 路 と水 田 の 一 体 感 は,所 子 関 係"で 落 団体 の い え る で あ ろ う。 有 に潜 む 耕 作 可 能 性 と捉 え て よい か も し れ な い 。 た と え ば,水 田貸借 契 約 に つ い て ふ れ た と き に 述 べ た 「ま た つ くる と き に 返 して くれ 」 と い う 契 約 時 の 意 識 は ,そ の 世 帯 が 長 い 目 で み た 場 合 に 再 耕 作 す る 可 能 性 を示 唆 して い る 。 つ ま り,長 期 的 に は 耕 作 と非 耕 作 が 相 互 転 換 す る と い う意 識 が 水 田 所 有 世 帯 の な か に あ り,そ れ ゆ え に 現 在 直 接 に は 関 係 しな い 水 利 の 問 題 に 対 して,所 有者 と して 関 与 す る 必 要 性 が 生 ま れ て く る と思 わ れ る か らで あ る 。 31)1期(=1年)の 就 任 経 験 に つ き,区 長 は3点,代 と した 。 い くぶ ん 恣 意 的 な 計 算 方 法 で は あ る が,役 32)唯 一 の 例 外 で あ る24は,圃 33)ち な み に,過 去40年 就 い た 回 数 は,わ 議 員 は1点,改 良 組 合 委 員 は0.5点 職 経 験 の 大 ま か な傾 向 は つ か む こ と が で き る と思 う。 場 整 備 前 に は 神 社 の 水 田 を借 りて 耕 作 して い た 。 間 の の べ 村 落 役 職 就 任 回 数 は 全 部 で347回 ず か22回 で あ る 。 比 率 で い え ば6%に 進 ん で い る わ け で もな い の で,こ 34)1978年8月 理 者 は2点,協 れ ら回 す ぎず,ま た,近 以上 の者 が役 職 に 年 と りわ け役 職 者 の 高 齢 化 が 廼]が 以 後 村 落 役 職 に就 く可 能 性 は 低 い と い え よ う。 の 田 川 土 地 改 良 区 理 事 会 に お い て,川 村 落 の 状 況 を語 っ て い る 。r田 あ り,そ の う ち,57歳 川土 地改 良 区 道(表2-1参 議 事 録 』 よ り。 -70・ 照)の 理事 が この言葉 を使 って 自分 の 第3章 大規 模借 地稲作 農 の出現 と人間関係 現在,わ が 国 にお ける農 業担 い手 減少 の 問題 は深刻 であ る が,一 方 これ をひ とつ の ビジ ネス チ ャ ンス と捉 え,借 地 に よっ て規模 拡大 を図 る稲 作 農 家や稲 作 経 営体 も現 わ れて きて い る。 第1章,第2章 で対 象地 域 と した滋 賀 県湖 北 地方 に位 置す るび わ町 もまた,そ の例 外 で な い.と りわ け近年 に いた っ て は, 10haを 越 え る大 規模 借 地 経営 も出現 して い る。 本章 の 目的 は,そ の び わ町 にお け る大 規模 借 地稲 作 農家 を対 象 と し,彼 らが どの ような人 間 関係 を利 用 しなが ら農地 を集積 して きたの か,あ るい は大 規模 化 す る過程 にお いて どの ような人 間 関係 を新 た に形 成 して きた のか につい て考 察す る こ とにあ る。 1借 地 と人 間 関係 借 地 に よ っ て 稲 作 経 営 を 拡 大 す る 場 合,経 済 的 な 小 作 料 水 準 が 問 題 と な る と 同 時 に,借 り 手 に 対 す る 貸 し 手 の 信 頼 感 が 重 要 で あ る こ と は,多 指 摘 し て き た1)。 た と え ば,要 く の 研 究 者 や 実 際 の 農 業 経 営 者 らが 求 が あ れ ば 即 時 に 農 地 を 返 却 し土 地 所 有 に 関 す る 不 安 を 感 じ さ せ な い こ と な ど は そ の 例 で あ る 。 そ れ に よ っ て 貸 し手 の 信 頼 感 を え て,借 り手 側 の 農 地集積 が容易 にな るの であ る。 し か し,借 地 農 と し て 地 域 で 一 定 の 評 価 を え る 以 前 の 段 階 に お い て は,と を 拡 大 し,借 地 農 と し て の 自 己 を 確 立 す る 必 要 が あ る 。 そ う し た 初 期 段 階 に お い て は,借 地 農 と し て の 実 績 以 外 で 自 分 を信 頼 し て くれ る 関 係 に 依 存 せ ざ る を え な い 。 友 達,隣 人等 の 「顔 見 知 り」 の 関 係 」2},す 積 極 的 に せ よ,結 一般 に りあ えず 借 地 ,農 な わ ち,す 「 親 類,知 人, で に持 っ て い る 自 らの 人 間 関 係 を 果 的 にせ よ利 用 せ ざ る を え な い と思 わ れ る の で あ る 。 業 経 営 学 の 分 野 にお い て経 営 に 関 連 す る 人 間 関係 に着 目 した研 究 はそ れ ほ ど 多 く は な い3)。 し か し 近 年,一 般 経 営 学 の 人 間 関 係 論 を 援 用 しつ つ,そ 心 が 芽 生 え つ っ あ る4)。 な か で も,東 う した分 野 へ の 関 城 眞 治 氏 の 論 孜5)は 本 章 で の 関 心 に 近 い が,そ こで 指 摘 さ れ る 農 地 集 積 の プ ロ セ ス と 人 間 関 係 と の 関 連 は 次 の と お りで あ る 。 氏 は ま ず,農 地 銀 行 を 通 じ た 農 地 貸 借 の 農 家 間 関 係 を 「フ ォー マ ル な 関 係 」 と し,他 「日 常 生 活 に お け る 個 別 的 て,1970年 に は,「 方, 社 会 関 係 」 を 「イ ン フ ォ ー マ ル な 関 係 」 と 規 定 す る6)。 そ し 代 以 降 の 借 地 獲 得 過 程 を 分 析 す る が,と く に1980∼86年 イ ン フ ォ ー マ ル な 関 係 を 基 礎 に し た 「仲 介 者 の 発 掘 業 や丁寧 なほ場 管 理 の実施 」 → に み られ る 農 地 集 積 活用 」→ 「精 度 の 高 い 農 作 「借 地 ほ 場 付 近 の 農 家 に 対 す る 信 頼 感 の 醸 成 」 → の 委 託 依 頼 面 積 の 増 加 」 」7)と い う プ ロ セ ス が み ら れ る と い う 。 -71一 「周 辺 で やや先 取 り して い うな らば,本 章 の事 例 に おい て も,基 本 的 には以上 と同 じよ うなプ ロ セ スがみ られ る。 しか し,一 口 に イ ンフ ォーマ ル,す な わ ち 「日常 生 活 にお ける個 別的 社会 関係」 とい って も,そ の 出現 形 態 に は地 域 や個 人 に よって差 が ある と思 われ る。 先 の 2章 にお いて この 地 域 にお け るつ きあい の あ り方 や集 落(村 落)の 性格 を明 らか に したが , そ れ ら と農地貸 借 関係 が どの ように関連 す るの か,こ の点 を本 章 で は2戸 の大規模 借 地農 の事 例 を用 い て考 察 したい 。す なわ ち,集 落 の性格 や 一般 的 なつ きあいの あ り方 な ど,地 域 の個性 的秩 序 にまで視 野 を広 げ なが ら,大 規模 借 地稲 作 農 が取 り結 ぶ農業 的人 間 関係 の 世 界 を明 らか にす る こ と,こ れが本 章 の課 題 で ある。 具体 的 な手順 と して は,2戸 の大 規模 借 地 農 の事 例 を紹 介 した後 に,ま ず,そ れ ら農家 が個 別の世帯 と取 り結 ぶ 関係 につ い て考察 す る。 その あ と,そ れ ら農家 と集 落 との 関係 に つい て考察 を進 め る。 こ こで取 り上 げ る事 例 は ,い ず れ も集落 の範 囲 を越 えて借 地 を拡 大 して い るが,先 の2章 で も指摘 して きた よ うに,こ の 地域 の よ うに集落 の意 義が大 きい場 合 にあ って は,人 間 あ るい は世 帯 どう しの 関係 のみ な らず,集 落 とい う集 団 との 関係 も大 規 模借 地農 の社 会 的世 界 を考 える うえで重 要 にな る と思 うか らで あ る。 2び わ町 農業 の動 向 一般 的 な びわ町 の概 要 につ いて はす で に示 した ので ,こ こで は農業 面 に しぼ って動 向 を 述 べ たい。 現 在 の びわ 町農業 の 主 た る作 目は稲 で あ る。1990年 セ ンサ ス で は,販 売農 家 の約90%が 稲 または転作 麦 を中心 とす る経 営 形態 とな ってい る。1960年 足 らず にあた る690戸 が 養蚕 を営 んでい たが,1990年 図3-1は セ ンサス で は,全 農 家 の半分 セ ンサ ス では1戸 のみ となった。 び わ町 の専 兼別 農家 数 の推移 で あ る。 こ こか らまず 指摘 され るの は,第2種 業 農家 の増加 で あ る。 そ の割合 は,90年 第2種 兼 業 農家 の9割 に は全 農家 の90%近 兼 くを占め る にいた って い る。 はセ ンサ ス に い う 「恒 常 的勤務 」 の農 家 で ある。残 りの1割 もほ と ん どは 自営兼 業 で あ り,典 型 的 な安定兼 業 地帯 を形成 してい る。 第2点 目は,1985年 か ら90年 の 間 に農家 数が激 減 して い る こ とで ある。 この期 間 に約4 分 の1の 農家 が非 農 家 に転 じてい る。 と くに,そ れ まで大 き く減 少す るこ との なか った第 2種 兼 業農 家 もほぼ 同様 の比 率 で 減少 して お り,こ れ に よって作 り手 の な くなった農 地が 大規模借 地 農 に集積 され る こ とにな る。 72 図31専 兼 別 農 家 数 の 推 移(び わ 町) 1,600 1,400 _1・200翻 第2麟 業農家 1[k1,000 癒800口 膳600 蝿400■ 第1種 兼 業 農 家 専業 農 家 200 0 肚 出一 廿 o「 oの ⊂ハ ⊃o『lo「 トー σ㌔ σ1〔 廿 ト め 叶 廿 廿 α⊃ σ㌔ 〕o α⊃ 〔⊃ σ1 σ1 年次 注)農 次 に 表31に 問 に,そ 業 セ ン サ ス 各 年 次 よ り作 成 。 経 営 規 模 別 農 家 数 の 推 移 を ま と め た 。 こ れ に よ る と,1985年 れ ま で 数 と し て は 安 定 し て い た0.3ha未 が3.0∼5.Oha層 小 規 模 第2種 か ら90年 満 層 が 大 き く 減 少 す る と と も に,分 に ま で 上 昇 し て い る こ と が わ か る 。 つ ま り,図31を 応 な し に農 地 耕 作 規 模 借 地 農 が 出現 し て きた こ とが 推 測 され よ う。 表3-1経 営 規 模 別 農 家 数 の 推 移(び わ 町) 1g60年1965年1970年1975年1980年1985年1ggO年 例 外 規 定3001017 0.3ha未 満305323302302319322132 0.3∼0.5ha29025923820617513497 0.5∼1,0ha529417375330310256237 1.0∼1.5ha283271260236188168138 1,5∼2.Oha5010512611612010785 2.0∼3.Oha8152960868879 3.0∼5.OhaOOO11163132 5.Oha以 上00002813 総 農 家 数1,4681,3901,3301.2621,2161,115820 注)農 業 セ ン サ ス 各 年 次 よ り作 成 。 た だ し,1990年 の0,3ha未 満 の 農 家 数 は 自給 的 農 家 数 で あ る 。 ・73一 解 機軸 も 考 え あ わ せ る と, 兼 業 農 家 の 農 業 か ら の 撤 退 が 近 年 大 き く 進 み つ つ あ り,否 者 の 移 動 が 起 こ る 。 そ し て そ れ ら の 農 地 を 耕 作 す る 受 け 皿 と し て,大 の と こ ろ で1993年 宜 的 にA農 現 在,び 家,B農 わ 町 に は2戸 家 と 呼 ぶ 。 続 く2つ の10ha以 上 経 営 農 家 が あ る 。 そ の2つ の 節 で は,そ 用 す る 人 間 関 係 に つ い て 詳 し く み て い くが,そ の 農 家 を便 れ ら農 家 の 農 地 集 積 過 程 とそ こ に作 の 前 に 両 農 家 の 借 地 集 積 過 程 を 概 観 して お きた い 。 図32A・B農 家 の借 地 集積 の推 移 2,000 1,800-一 一一 1,600 (1 ,400 )1,200-.-A農 家 鍔 脇 一1望 恥600/一 }400 一_農 家 一… … 一… ._! 200./ 0日 一 ■一 ■一 ■一 ■一 属一 ■ 1甚 呂 語 酉 ・ … 呂i8ま 審 一 ・ 8 年次 図3-2はA・B農 家 の借 地 面積 の拡 大過 程 を累積 的 に示 した もの で ある。 同 じ く10ha以 上 農家 とい って も,両 者 には借 地面積 に して倍 ほ どの違 いが あ る。 また,借 地 に よる規模 拡 大 を始 めた 時期 も異 なる。 しか し一方,1990年 前後 に飛躍 的 に借 地面積 が 増加 してい る こ とは共通 してい る。 なか で も1991年 にお け る増 加 が著 し く,B農 増 加 がみ られ る。 先 の統計 資 料 は1990年 までで あ ったが,そ 家 の場 合,7haほ どの の後 も農地耕 作 の移 動 が激 し く進 んで い る こ とが わか る。 なお,次 節 か らの便 宜 の ため に,A,B農 示 してお く(図33)。 びわ 町 は1956(昭 家 が農 地貸借 上 関係す る集 落 の位置 を略図 で 和31)年 に竹 生村 と大 郷村 が合 併 して現 在 の 町域 となった。 両 農家 と も旧竹 生村 に属 す る こ と もあ って,貸 借 関係 も旧竹 生村 の範 域 が 中心 である。 旧大 郷村 には全 部で11の 集落 が あるが,関 係 す るの は3集 落 の みであ る。 また, 右 上の馬 渡 集落 は湖 北 町 に属 す る集 落 であ る。 74 図33び わ町集 落 の配 置 図(農 地貸 借 関係 分 の み) 團 画 ユ・ 一曾 ⊂麺)(動 香花寺 稲葉 小観音寺 高時川 ⊂ 麺)(王D ⊂亟D(亘 ⊂ 巫 亜D )旧 /⊂ 竹生村 巫) .,.,・一・ ノ ,' _ ._、 _._._._ ._._・ 一!"(1動 魎 琵琶湖 /八 木浜 旧大郷 村 姉川 3A氏 に み る 農 地 集 積 と借 入 契 機 1)A氏 の プ ロフ ィール 1993年 現 在 に お け るA氏 9.9haは 借 地 で あ る 。A氏 の 水 田 耕 作 面 積 は13.4haで あ り,う の 住 む 集 落 は 安 養 寺 で あ る が,3.5haの ち3。5haが 自 作 地 で,あ との 水 田所 有 は 集 落 内 で 最 も 大 きい 。 A氏 は1937(昭 和12)年 子 供 た ち の う ち,同 生 で あ る.い 生 ま れ の56歳 居 し て い る の は2女 で,家 族 は 妻 と母.そ の み で,長 女 は 京 都 で 働 き.長 ず れ も未 婚 で あ る 。 農 業 に 従 事 して る の はA氏 す る ま で は,農 の子 供 が あ る。 男 は愛知 県 の大学 夫 妻 の み で あ り,農 業 後 継 者 は ま だ ま っ た く定 ま っ て い な い 。 家 族 労 働 力 が 少 な い た め.春 A氏 は 近 く の 長 浜 農 高 を 卒 業 後,す れ に2女1男 の 農 繁 期 に は 雇 用 を 入 れ る. ぐ に 就 農 し今 日 に い た っ て い る 。 た だ し借 地 を 開 始 閑 期 に は 働 き に 出 て い た 。 ま た,A氏 の 父 は 教 師 で あ っ た た め,若 い時 か ら経 営 を 主 導 して い た と い え る 。 現 在 の お も な 機 械 装 備 は,田 植 機2台(6条 35ps),コ ン バ イ ン1台(4条 耕 転 機,軽 トラ ック な どが あ る。 植,4条 グ レ イ ン タ ン ク 付),乾 借 地 料 は 現 在 の と こ ろ 一 律 で は な い が,1994年 2万 円 に 抑 え,統 一 して い きた い とい う。 75 植),ト ラ ク タ ー2台(18ps, 燥 機3台(28石 ×3),そ の他 に か ら は 町 の 農 業 委 員 会 で 定 め られ た 反 当 2)農 地 集 積 と借 入 契 機 表3-2は,A氏 が 借 り て い る 農 地 を 貸 主 の 世 帯 ご と に,ま て 示 し た も の で あ る 。1987年 か の ぼ っ て み て も,こ に 借 地 を 始 め て 以 来,解 去にさ 干 の 補 足 を して お きた い 。 世 帯 番 号 の 次 の 帯 の 所 属 す る 集 落 で は な く,貸 「A氏 と の 関 係 」 欄 に あ る 記 号 の う ち,シ る。 また 約 さ れ た 農 地 は な い の で,過 れが貸 借 関係 のす べ て で ある。 表 の 見 方 に つ い て は 下 の 注 に も記 し た が,若 欄 の 集 落 名 は,世 た 貸 借 され た年 代 順 に ま とめ 「 付 属 し た 農 地 」 と は,貸 ン ル イ に つ い て は 第1章 で 詳 説 し た と お りで あ 主 が そ れ ま で 借 地 して い た 農 地 で あ り,貸 退 す る 時 に 貸 主 の 所 有 農 地 と と も にA氏 た 付 属 し た 農 地 の 所 有 者 とA氏 借 され た 農 地 の 属 す る集 落 名 で あ る。 主 が農業撤 に 貸 し 出 さ れ た も の を 指 す 。 し た が っ て,そ と は 直 接 の 接 触 は な い 。 空 白 は,そ うし れ まで面識 の ない者 が 直 接 に耕 作 を頼 み に きた 場 合 で あ る 。 表32A氏 世帯 の 農 地 集 積 と 人 間 関係 農地 の所 属 番 号(集 貸 地合 計 貸 付 年度A氏 との 世帯 落 名)(㎡)関 係 農地 の所 属 田号(集 貸 地合 計 貸付 年 度A氏 落名)(mう と の 関係 1安 養 寺4,663'87年 ○ ●11小 観 音寺,馬渡5,590'91年 ▲ 2安 養 寺4,260'87年 ○ △12安 養 寺580'91年 付 3安 養 寺613'87年 ○ ●13小 観 音寺28'91年 付 田10,800'93年 △ 4富 田7,645'88年14富 5益 田8,760'88年 ▲15富 田5,901'93年 6富 田1.753'88年 付16富 田3,078'93年 7稲 葉8,784'90年 ▲17下 益 田3,204'93年 8富 田8,308'90年 ▲18益 田2,726'g3年 9安 養 寺16,23891年 ○ 10北 ▲ ▲ 己計gg,420 富 田6,489'91年 注)関 係 を表 す記 号 は次 の とお り。○:同 じ集 落 どう し,●:シ △:農 地 の近 隣接,▲:そ の 他 で面識 が あ った,付:他 ンル イ関係,◎.集 落外 の 親族 関係, の 人 が貸 す ときに付 属 した農 地, 空 白は と くに面 識 が なか っ た こ とを示 す。 表 か ら わ か る 点 は 第1に,農 地 集 積 の 初 頭 す な わ ち1987年 世 帯 か ら 農 地 を 借 りて い る こ と で あ る 。 し か も,シ 中2例 76一 じ集 落 の ン ル イ 関 係 に あ る 世 帯 と の 貸 借 が3例 を 占 め る 。 こ の シ ン ル イ と農 地 貸 借 に つ い て はB氏 めて考 察す る。 に お い て は ま ず,同 の 事 例 も検 討 し た 後 で,あ らた 第2点 目 は,借 地 が 増 え る に し た が っ て,し く る こ と で あ る 。 ま た,他 借 関 係 へ と い た る,11番 だ い に 面 識 の な い 人 か らの 耕 作 依 頼 が で て の 集 落 の 田 へ 耕 作 に 行 き,そ こ で 田 の 近 接 か ら親 し くな っ て 貸 の よ う な 世 帯 も で て く る 。 こ の こ と は 最 初 に 述 べ た よ う な,「 地 ほ場 付 近 の 農 家 に 対 す る 信 頼 感 の 醸 成 」 → 借 「周 辺 で の 委 託 依 頼 面 積 の 増 加 」 と い う プ ロ セ ス を示 して い る とい え よ う 。 借 地 を 始 め て2年 目 以 降.同 の 貸 借 が あ る の み で,他 の ほ と ん ど は 属 人 的 に み て も 属 地 的 に み て も.他 な る 。 こ れ は も ち ろ ん,借 え る が,や 集 落 内 の 貸 借 関 係 は ほ と ん ど な く な る 。1991年 にやや大 口 集 落 との 関 係 に 地 農 と して の 評 価 が 他 集 落 に ま で 行 き渡 っ た こ との現 わ れ とい や 特 殊 な 事 情 を 述 べ る な ら ば,A氏 の 居 住 す る 安 養 寺 集 落 は 周 辺 集 落 に 比 べ て, 兼 業 形 態 を も含 め て 農 業 を 続 け る 人 が 多 い と の こ と で あ る 。 そ の 結 果,こ こ しば ら く は, 安 養 寺 内 か ら農 地 が 貸 し出 さ れ る 見 込 み は 少 な い とい う。 4B氏 に み る 農 地 集 積 と借 入 契 機 1)B氏 の プ ロ フ ィール 1993年 現 在 で のB氏 あ る 。B氏 B氏 も ま た,居 は52才 の 耕 作 面 積 は22.4haで,う 族 は 妻 と2男1女 県 立 短 大 を 卒 業 し,そ B氏 にB氏 の 子 供 で あ る 。 長 男(26歳)は,長 前 後 にA氏,B氏 の 方 が 大 き か っ た が,そ の 背 後 に は後 継 者 の 就 農 とい う要 因 も あ っ 男 と 同 じ く 長 浜 農 高 を 卒 業 し,す の 父 が 病 気 に な っ た の で,そ 長 男 が 経 営 に 参 加 し て か ら は,B氏 か ら 自家 の 農 業 経 営 に と も に 借 地 面 積 が 拡 大 し た こ と を み た 。 と く に, 男 は 自 宅 か ら 通 勤 す る 会 社 員 で あ る が,農 自 身 は,長 借地で 浜 農 高 か ら滋 賀 の 後 ア メ リ カ で の 農 業 研 修 を へ た 後,1989年 参 入 し た 。 先 に1990年 た 。 な お,次 と の19.9haが 住 す る 上 八 木 集 落 の 世 帯 の 中 で は 最 も 広 い 農 地 を 所 有 して い る 。 で,家 そ の 拡 大 の 程 度 はB氏 ち 自 作 地 は2。5ha,あ れ 以 後 はB氏 繁 期 に は 休 日 に 農 業 を手 伝 う 。 ぐ に 就 農 し た 。B氏 が 就 農 して3年 後 が 中 心 とな っ て 経 営 を お こ な って き た。 が お も に 作 業 面 を,長 男 が コ ン ピ ュ ー タ も利 用 して お も に 経 理 面 を 担 当 し て い る. 現 在 の お も な 機 械 装 備 は,田 ンバ イ ン1台(4条 私機 植 機1台(6条 グ レ イ ン タ ン ク 付),乾 植),ト ラ ク タ ー2台(26ps,53ps),コ 燥 機3台(50石,36石,20石),そ の 他 に耕 軽 トラ ッ ク な どが あ る 。 借 地 料 は 反 当 た り1俵 半(政 府 米1類1等 価 格 で 換 算)で 落 で 決 め られ た基 準 で あ る 。 77 一 律 で あ る.こ れ は上 八 木 集 2)農 地 集 積 と借 入 契 機 B氏 の 農 地 集 積 の 経 緯 を 表 わ し た の が 表3-3で あ る 。 表 の 見 方 は 表32と 同 様 で あ る が, す で に 貸 借 関 係 に あ る 者 が 媒 介 と な っ て 新 た な 貸 借 関 係 を 結 ぶ に い た っ た 場 合 は,媒 帯 の番号 を 1筆 「関 係 」 欄 に 明 記 し た 。 ま た,世 帯 番 号28か を 水 道 施 設 用 地 と し て 返 却 し た ほ か は,A氏 ら 借 入 れ て い た3筆 と 同 様 に,再 介世 の 農 地 の うち 耕作 あるい は他者 へ の貸付 な ど の理 由 で 貸 借 契 約 を解 消 した 例 は な い 。 表33B氏 農家 の 農 地 集 積 と人 間 関 係 農 地の 所属 番 号(集 貸 地合 貸 付 年 度B氏 落 名)計(㎡)の と 農家 関係 農地 の所 属 田号(集 ○ △21下 貸 地 合計 貸 付 年 度B氏 落 名)(㎡)関 との 係 1弓 削1,022'74年 2下 八 木6,022'80年 3難 波5,904'81年23弓 4落 合7,784'81,'91年 5上 八 木2,478'82年025下 八 木8,443'91年 △ 6下 八 木8,078'83年26上 八 木7,768'91年 ○● 7難 波 落 合8,741'83年8の ▲22弓 △ 削,上 八 木4,735'89年0 削557'89年 ◎24十 ◎28難 木 浜12,218'83,'91年 付 九9,551'90,'91年 ●27下 8〃8,365'83,'88,'90年 9〃.八 八 木785'87年 八 木6,634'91年18の ● 波 八 木 浜8,375'91年 △ ▲29下 八 木4,492'91年 付 △30下 八 木4,188'91年 付 10弓 削7,278'84,'90年 11上 八 木6,626'85年 12香 花 寺4,356'85年32下 13弓 削3,187'85年 ▲33上 八 木1,932'g1年0 14香 花 寺2,314'85年 付34弓 削g83'g1年 ○△ 15弓 削1,g35'85年035上 八 木13,g40'g2年 ○● 16下 八 木1,854'85年36落 合3.032'92年 17弓 削1,362'85年 18弓 ○ ●31難 波 八 木 浜 落 合7,928'91年8の 八 木2,104'91年 付37益 田5,800'93年 削,上 八 木2,216'85年 ○ ●38弓 削3,363'93年 19上 八 木7,386'87年 ○● 20上 八 木5,544'87年 ○● 注)関 ● ▲ 己計1gg,280 係 を 表 す 記 号 は次 の と お り。 ○:同 ▲ じ集 落 ど う し,● シ ン ル イ 関 係,◎:集 そ の 他 で 面 識 が あ っ た,付 落 外 の 親 族 関 係,△.農 地 の近 他 の 人 が 貸 す と き に付 属 した 農 地, 「関 係 」 欄 の 数 字 は 世 帯 番 号 を 表 わ す 。 空 白 は と くに 面 識 が な か っ た こ と を示 す 。 78一 隣接, 先 に 示 した 図32に 1g85年,そ よ る と.B氏 れ に1991年 の 農 地 集 積 過 程 に は3つ で あ る 。 こ の う ち,最 も 借 地 の 増 大 し た1991年 す で に ふ れ た 。 そ れ に 対 し て,1983,1985年 に1983年 の 画 期 は,大 後 と少 な い が,そ 程 度 の 画 期 が あ る 。1983年, の画期 につ いて は の 画 期 は 増 大 の 程 度 が 小 さ い 。 しか し,と 規 模 借 地 農 へ 発 展 す る 重 要 な 初 期 段 階 で あ る し,増 れ で も そ れ ま で の 借 地 面 積 が 一 挙 に2倍 く 加 面 積 は2ha前 に な っ た と い う 点 で,注 目 に値 す る。 1983年 の 画 期 で 重 要 な の は8番 の 世 帯 で あ る 。8番 世 帯 は 第1章 世 帯 で あ る8)。8番 を 契 機 と し て,難 世 帯 はB氏 の 母 の 実 家 に あ た り,B氏 で 対 象 と した 難i波集 落 の が 語 る に は8番 世 帯 と の 農 地 貸 借 波 の 他 の 世 帯 と の 貸 借 関 係 が 広 が っ た と い う 。 ち な み に1983年 の増 加分 を各 世 帯 ご と に 示 す と,6番8,078m2,7番8,741m2,8番2,003m2,g番ggOm2,で この う ち 難 波 集 落 の 世 帯 は7∼9番 で あ り,そ あ る。 の 貸 付 面 積 合 計 は11,734m2と こ の 年 に 貸 付 面 積 の 大 き か っ た7番 世 帯 は8番 世 帯 の シ ン ル イ で あ り,8番 な る 。 と く に, 世 帯 の媒 介 者 的 意 義 は大 きか っ た とい え よ う。 ま た そ の 後 の 貸 借 状 況 に お い て も,B氏 と 難 波 の 世 帯 と の 関 係 は 重 要 で あ る 。 表33に お け る 難 波 の 世 帯 は,3番,7番8番9番,28番,31番 の6世 に 貸 借 関 係 に あ っ た3番 世 帯 の 農 地 を 除 外 して も,1993年 と な っ て お り,全 貸 借 面 積 の23%を 積 を 集 落 ご と に 多 い 順 に 示 す と,上 弓 削15,190m2,十 九11,865m2,落 合7,784m2,益 在 で は 上 八 木 集 落 の 世 帯 の 貸 付 地 は す べ てB氏 B氏 の 場 合 は,以 9})農 波51,531m2,下 た の で あ り,冒 田4,913m2と なる。現 に 集 ま っ て い る とい う。 集 落 の 世 帯 との 貸 の 場 合 と異 な っ て い る 。 こ の 背 景 に の 居 住 す る 上 八 木 集 落 の 規 模 が 比 較 的 小 さ く(全 回 り始 め る ま で に,他 貸借 面積 八 木45,632m2, 上 の よ う に 他 集 落 の 世 帯 と の 貸 借 関 係 が 先 行 し,自 地 の 絶 対 量 が 少 な い とい う理 由 もあ る 以前 在 に お け る属 人 的 な貸 借 面 田5,800m2,富 借 は む し ろ そ の 後 で 展 開 し て い る 。 こ の 点 は 先 のA氏 は,B氏 時 点 で 合 計45,627m2の 占 め て い る 。 ち な み に,現 八 木56,565m2,難 帯 で あ る が,1983年 世 帯 数31戸,属 。 しか し な に よ り も,貸 地 水 田 面 積19ha 付 農 地 が しだ い に 出 集 落 に お い て で は あ れ 縁 故 を 契 機 と し て 借 地 農 の 地 位 を 確 立 して い 頭 に述 べ た 農 地 集 積 プ ロセ ス の モ デ ル で 了 解 可 能 だ とい え よ う。 5農 地 貸 借 と人 間 関 係 1)借 地 農家 の社 会 的地 位 具 体 的 な 人 間 関 係 を考 察 す る ま え に.A,B両 氏 の 集 落 内 に お け る社 会 的 位 置 に つ い て 79 若 干 ふ れ て お きた い 。 両 氏 の 家 は,と ∼6町 歩 ,B氏 も に 戦 前 は む ら の 庄 屋 的 存 在 で あ っ た と い う 。 農 地 改 革 前 に はA氏 は4町 歩 ほ ど の 農 地 所 有 が あ っ た.現 在 に お い て も,両 は5 氏 の 水 田所 有 面 積 が そ れ ぞ れ の 集 落 中 で 最 大 で あ る こ とは す で に ふ れ た 。 土 地 所 有 にか ん す る 資 料 が 手 元 に な い の で,近 似 的 に1970年 こ と に よ っ て,戦 表3-4両 セ ン サ ス の 資 料 を 利 用 し,当 時 の 経 営 耕 地 面 積 規 模 別構 造 をみ る 後 の 各 集 落 に お け る 両 氏 の 位 置 を 検 討 し た い10)。 集 落 の 経 営 耕 地 面 積 規 模 別 構 造(1970年;戸) 総世 帯 農 家 数0,3haO.3∼0.5∼1.0∼2.0∼3.Oha 数 未満0.51.02.03.0以 上 安 養寺80691012192530 上八 木3025639520 注)1970年 世 界農 林 業 セ ンス農 業 集落 カー ドよ り作 成。 A氏 は,氏 の 代 に1ha弱 が っ て,表34に の 農 地 を 購 入 し,B氏 も1970年 お い て は 両 氏 と も に2.0∼3,0haの 明 らか に な る こ と は,A,B両 以 降 に0.2ha増 階 層 に属 す る こ と に な る。 こ の表 か ら 氏 は 当 時 お い て も た し か に 最 大 所 有 階 層 に 属 し て は い た が, そ れ ほ ど飛 び 抜 け た 所 有 規 模 で は な い こ と で あ る 。 む し ろ,農 の な か の1世 加 して い る 。 し た 地 所 有 か らみ れ ば上 層 集 団 帯 と い え る 。 つ ま り借 地 経 営 に の りだ す 前 の 段 階 で は,土 地 所 有 規 模 と して は そ れ ほ ど優 位 な 地 位 に あ っ た わ け で は な い とい え よ う 。 し か し も ち ろ ん,上 あ り,戦 層 集 団 の な か の1世 帯 と な っ た の は,戦 後 の 農 地 改 革 を経 た か らで 前 の 庄 屋 的 存 在 とい う地 位 が 社 会 的 信 用 力 に な っ て い る こ とは 大 い に考 え られ る こ と で あ る 。 ま た 逆 に,庄 屋 的 存 在 で あ っ た か ら こ そ,い わ ば 集 落 の 農 地 を 管 理 す べ く借 地 に よ る 規 模 拡 大 に 進 ん だ と考 る こ と も で き る 。 と も あ れ,A,B両 信 用 は,単 に 作 業 な ど の 実 績 に よ る も の だ け で は な く,こ 氏 の 借 地 農 と して の う し た 歴 史 的 ・社 会 的 地 位 も プ ラ ス に 影 響 して い る と 思 わ れ る の で あ る 。 2)農 地 貸 借 とシ ンル イ 農 地 貸 借 と シ ン ル イ と の 関 係 は,第1章 に お い て も若 干 の 検 討 を お こ な い,両 の み ら れ る こ と を 指 摘 し た 。 しか し,第1章 で は 共 時 的 分 析 の み で あ っ た の で,両 連 の 動 態 に つ い て は 曖 昧 な ま ま で あ っ た が,本 結 果,そ 者 に関連 章 で 農 地 集 積 過 程 と して 通 時 的 に分 析 した の 関 係 が か な り明 らか に な っ た と思 う。 ・80一 者 の関 この地方 にみ られ る親 族 的 関係 と農地 貸借 関係 の 間 に はあ ま り関連 が ない とい う意見 も あるが11),一 概 にそ う とはい え ない。大 規模 借 地農 へ の展 開 の初期 段 階 に限定 した場合, シンル イあ るい は よ り一般 的 に親族 的 関係 は,前 の2節 において見 た とお り無視 で きない 。 と くにB氏 の場合 は,他 集 落 に住 む親 族 の シ ンル イ とい う,や や 変則 的 な形 で はあ るが, B氏 の大 規模 借 地 農へ の テ イ クオ フの時期 に重 要 な役 割 を果 た してい る。 しか し,大 規模 借 地 農 の あ る ところ必ず 親族 的 関係 の利 用 が あ る とい うわ けで は ないだ ろ う。 この地域 にあ る シ ンル イは第1章 に,つ きあい 的,仲 で も述 べ た ように,親 族組 織 的側 面 を もつ と同時 間的 側面 ももつ 。 したが って,狭 度 自由の き く関係 で あ るか ら.シ い 意味 の親 族組 織 で はな く,あ る程 ンル イ関係 は親 族 関係 よ りもか な り広 い範 囲 とな り,結 果 的 にその なか か ら農地 の 貸 し手 を捜 せ る よ うに なる とも考 え られ る.そ の 意味 で は,シ ンル イが農 地集積 の初期 段 階 に 関連 す るの で あって 親族 一般 が そ うな ので はない,す なわ ち こ う した現 象 は この 地域 に特 有 の もの であ る と もい え る。 さ らに,A氏,B氏 ともに各 々の集 落 におい て社会 的 に上 層 階層 に位 置す るが,そ た上層 階層 の世 帯 ほ どシ ンル イの数 が増 える こ とも第1章 うし で指摘 した。 したが って,A氏, B氏 にあ って は通常 よ りもさ らに シ ンル イの範 囲が 広が り,そ れ を通 じた農地 貸借 の可 能 性 も広 が る とい え る。B氏 の場合 は,自 家 の シ ンル イで はな く,母 の実 家 の シ ンル イで あっ たが,か つ て は あ る程 度 階層 的 に近い 間柄 で通婚 がお こなわれ た と思 われ,事 実第1章 み る ように,8番 世帯(世 帯番 号303)は で 難 波 内で比 較 的上層 に位 置 して お り,シ ンル イ数 も少 な くない 。 しか し,以 上 の よ うにシ ンル イ と農 地貸借 関係 との 関連 が想定 され るが,B氏 自身 は, 「シ ンル イ と農地 貸借 は関係 な い」 と語 る。 もっ と もB氏 は,一 方 で は8番 世帯 との 農地貸 借 が大 きな画期 に なった と述 べ てい るの で,こ の場合 のB氏 の い うシ ンル イは 同集 落 内の シ ンル イ を指 して い る と考 えて よい。 しか し同時 に.シ ンル イだか ら とい う理 由 で と くに 積極 的 に農 地貸 借 を働 きか け るこ ともない とい う意 識 も うかが われ る。 つ ま り,シ ンル イ の よ うな伝統 的 関係 と農地 貸借 関係 とはた しか に意 識 の上 で は位 相 が違 うの で ある。 この こ とは,両 氏 が い う ように,農 地 貸借 関係 が契 機 となる シ ンルイ は ない こ とか らも知 られ る。そ れで は,農 3)農 地貸 借 関係 か ら純粋 に派生 す る人 間関係 とは どの よ うな もの で あろ うか 。 地貸 借 に よるつ きあ い 農地貸借 関係 か ら派生 す る 人間関係 の第1は,借 A氏 の場 合,農 り手 と貸 し手 との 関係 であ る。 地 貸借 関係 に あ る他 集落 の世帯 に対 して,家 建 て,病 気見舞 い,葬 儀, 81 家後 継者 の結婚 の折 りに は,心 付 け をお こな う。 同郡 内の借 地農 の なか に は,貸 主 を呼 ん で飲 み会 を して い る農業 者 もあ るが,A氏 そ れ に対 してB氏 は そ こ まで は しない とい う。 は,そ れ まで まった く面 識 の なか っ た人の場合,結 時 に心付 け を した とい う。B氏 両氏 を比 較す る と,A氏 の場合,香 婚 と火 事見 舞 い の 典 は出 してい ない 。 の方 が貸 主世 帯 に対 す るつ きあいの程度 が深 い ように感 じるが, それ が農 地貸借 を越 え た世 帯 間 の 関係 に発展 す る見 込 み は うす い ように思 える。 そ れは概 して発 展性 の あるつ きあい で は な く,農 地 供給者 を確 保 してお くた めの一種 のサ ー ビス と 考 え られ るか らで あ る。 借 り手 は貸 し手 の人 間 その もの に対 して では な く,貸 し手 の提 供 す る農地 に関心が あ る。 そ して農 地確 保 の基礎 とな る信 用 を増す ため に心付 け をお こな う。 その意 味 で,こ 借 り手 の行為 は経 済 合理 的 な説 明 が可 能 であ る。 む しろ,人 う した 間性 に関心 が あるの は貸 し手 の方 であ る。貸 し手 は作 業状 態 や 人 間性 な ども考慮 に入 れて,借 り手 を選 ぶ 。 この地域 に おいて も,稲 作 の受 託者 組合 が結成 され,農 協 が 仲介 とな って農 地貸 借 の斡旋 をお こなっ てい るが,こ こ に出 て くる農 地 はほ とん どない とい う。貸 し主 が相手 を選べ ない か らであ る。 しか し,貸 し手 の 関心 も,借 り手 の人 間性 の うちの農 地管理 能力 の部 分 が 中心 で あ る。 つ ま り,貸 し手 の側 もまた,借 り手の 人 間全体 に関心 が あるわ けで は な く,結 局 の ところ 農 地貸借 に よる人 間 関係 は,慣 習 的つ きあい 関係 に比べ る と限定 された もの とい え よ う。 あるい は,借 り手側 か らみれ ば,慣 習 的つ きあい 関係 とは位 相 を異 に したつ きあい をお こ な う とい って もよいだ ろ う。 農 地貸 借 関係 に起 因す る人 間関係 の第2は,借 A氏 とB氏 は連絡 の密 で あ り,B氏 その 田がB氏 地 農 どう しの 関係 で あ る。 こ こにあげ た に耕 作 を依頼 され た農地 をA氏 に まわ した例 もあ る。 の とこ ろか ら遠 距 離 に あ り,A氏 に近 か ったか らで あ る。 また,年 に1度, 農業改 良 普及 所 を中心 に,管 内の大 規模 農 家 とと もに先 進地視 察 をお こな う。 さ らに,A 氏,B氏 と もに長 浜 農高 の実 習 生 を受 け入 れ てお り,そ う した実 習生 受 け入 れ 農家 どう し のつ なが りもある とい う。 しか し両氏 の場合,借 地 農 どう しで生 活面 に まで踏 み込 ん だっ きあ い関係 を結 ぶ まで に は至 って い ない. 6.大 規 模借 地 農 と集 落 この 地域 の集 落 はい わゆ る領土 意 識が 強 い12)。た とえば集落 の土 地 の範 囲 は きわめ て明 確 であ り,こ こで 出て くるほ とん どの集 落 に おい て13),そ の範 囲 内で 農地 を耕作 す る と耕 82 作者 に協議 費(反 当2,000∼2,500円 程 度)が 課せ られ る。他 集 落 に出作 をす る場 合,借 地 農 はそ う した金 額 を対 象 集落 に納 め なけれ ば な らない 。 前章 で述 べ た ような 「川 ざ らい」 の共 同作 業 時 には,集 落 との 関係 が問題 化 す る。前 章 で は,1集 落 内 にお ける耕作 者 と非耕作 者 との問題 を取 り上 げ たが,こ の場合 は集落 を越 えた耕作 ・非 耕作 の問題 となる。共 同作 業 の お こない 方 は集 落 に よって多 少 の違い が あ る が,通 常 はそ の集落 の構 成 員 の み に よって お こな う。 したが って,そ る者 は,共 の集 落 に入作 してい 同作 業 には参加 しない。 た だ し,共 同作業 に よる水 路 掃 除 は,共 通 性 の高 い水 路部 分の み を対 象 と して お り,各 圃場 に隣接 す る用 排水 路 の多 くは各耕作 者 が お こなって いる。 した が って入作 した場 合,水 路掃 除 にま った く関与 しない わけ で は決 して ない 。 し か し,か な りの面積 を耕作 してい なが ら共 同作 業 に出 ない ことに対 す る批判 はあ る とい う。 また,さ らに直 接 的 に入作 を批 判 す る動 きもあ る。B氏 りる予 定 に して い たが,そ の集 落 にお いて,「 は1994年 にあ る集落 の農地 を借 自分 の集 落 の土 地 を他郷 の人 に貸 す な」 と い う意 見 が 出 され,結 局 約 束 を変更 してそ の集 落 の者 が借 りる ことにな った とい う。 もっ とも,こ う した意 見 が で て きた ひ とつ の理 由 は.そ の集 落 におい て も借 地 を拡大 したい者 が現 われ て きた こ とで あ り,先 の言 葉 は,実 際 にはそ う した借 地希 望者 が集落 の意見 と し てB氏 に伝 えた もので ある。 したが って,ど こまで集落 全体の合 意が あるか は疑問 で あ る。 しか し,借 地 に よ る経 営拡 大 が しだい に ビジ ネス上 の 関心 となる につ れ て,こ の ように集 落 の領 土 意識 の強 さが,さ しあ た りの説 得 の ため の言説 におい てで あれ.表 面 に出て くる 可 能性 が あ る14)。 さらに.町 当局 におい て は集落営 農 を推 進 してい る。 町 は現在,県 と町 の補 助 に よっ て, 集落 営農 ビジ ョン推進 事業 をお こなって い る。 この事 業 は営 農 面 だけで な く,生 活面 を も 含 めた集 落 生 活全 般 の方 向 を,各 集落 ご とに構 成 員 の話 し合 いの なかか ら,ま とめ よう と す る事業 で あ る。 結果 と して町役 場 にで て ぐる ビジ ョンは,集 落 に よって取 り組 み の程度 にか な りバ ラつ きが あ るが,か な り熱心 に作 成 された あ る集落 の 『集落 営 農 ビジ ョン』 に よる と,「 集 落外 耕作 者 」 の問題 視 と 「 今 後 は集落 内 の所 有 地 は集落 内 で守 ってい く」 こ とが確 認 され てい る15)。 この よ うな 「集 落 内 の所有 地 は集 落 内で守 って い く」 とい う発 想 は,農 業 をビジ ネス と して考 え る発想 か らか な りか け離 れて い る。つ ま り集落 の土 地 は集落 全員 の もの とい う, いわゆ る総 有 意識 が 強 くみ られ るので あ る16)。そ の よ うな状 況下 で は,農 地 の私 有 に基 づ く農地賃 貸借 市 場 が 部分 的 に しか成 立 しない。 したが って結 局 の ところ,旧 庄屋層 と して 83 のA氏,B氏 が,大 規 模 借 地 農 と し て 他 集 落 の 農 地 を も 集 積 で き た 背 後 に は,こ 落 の 土 地 総 有 意 識 の 壁 を 克 服 で き る よ う な,社 う した 集 会 的 威 信 が 必 要 だ っ た と考 え られ る の で あ る。 7お わ りに 以 上 を 要 約 し,む す び と した い 。 事 例 地 域 の よ う な 慣 習 的 規 制 の 強 い と こ ろ で は,大 親 族 的(つ き あ い)関 も そ れ は,プ 規 模 借 地 農 の 人 間 関 係 は,伝 統的な 係 や 集 落 の 枠 な ど に よ っ て 大 き く影 響 さ れ る こ と が わ か っ た 。 しか ラ ス に も マ イ ナ ス に も働 く 。 伝 統 的 な 親 族 的(つ み た 場 合 に は そ の 関 連 は 曖 昧 で あ っ た が,借 き あ い)関 係 は,共 時的に 地 農へ の テ イ クオ フの段 階 におい ては重要 な 役 割 を 果 たす こ とが わ か っ た 。 他 方,領 土 意 識 を基 礎 とす る 農 地 貸 借 上 の 集 落 の 障 壁 は,集 関 係 を規 制 す る 傾 向 に あ る 。 よ っ て,対 象 と した 町 内 に お い て さ し あ た り大 規 模 借 地 農 と な っ て い る 農 家 は い ず れ も 旧 の 庄 屋 層 で あ る が,そ よ う と す る 力 を 克 服 で き る ほ ど の 社 会 的 威 信=信 思 わ れ る 。 こ う し た 地 域 に お い て は,作 落 を越 え た 自由 な 農 地 貸 借 の 理 由 は,農 地 貸 借 を集 落 内 に と どめ 用 力 を 彼 らが 保 持 し て い る こ と に あ る と 業 上 の 信 用 だ け で な く,入 作 を 許 し て 余 りあ る 社 会 的 信 用 が き わ め て 重 要 に な る と思 わ れ る の で あ る 。 現 在,町 当 局 は 集 落 営 農 を 推 進 し よ う と し て い る が,ビ 実 際 に そ れ を 担 う 人 が 各 集 落 に 存 在 す る か ど か は,ほ い と し て も,ほ 的 に は,拡 ジ ョ ン は 作 成 で き た と して も, と ん ど未 知 数 で あ る 。 領 土 意 識 は強 と ん ど農 業 の 担 い 手 が い な い 集 落 も存 在 す る か ら で あ る 。 し た が っ て 結 果 大 意 欲 の あ る 借 地 農 と集 落 の 領 土 意 識 と の バ ラ ン ス 関 係 で,こ 当 面 の 間,進 む と 思 わ れ る 。 そ う い う 意 味 で も,こ の地域 の農 業 は の よ う な 稲 作 農 業 者 の 人 間 関 係 は,集 落 の 多 く の 農 家 が 非 耕 作 者 と な っ た 時 に お い て も,集 落 との 関 係 を抜 きに して考 え られ な いで あ る。 注 1)た とえば,大 原 興太 郎 『 稲 作 受託 組織 と農 業経 営」,日 本 経済 評 論社,1985年.PP.136-137,参 照。 大原 は こ う した信 頼 感 の必 要 を経 営 学 の立場 か ら 「 信 用 力の形 成 」 と捉 えてい る。他 に,竹 本平 一 「21 世紀 型稲 作 農 業 』,富 民協 会,1984年,PP.20-22,に もその 指摘 が あ る。 2)大 原 『前掲書 』,P.136。 3)も っ と も,リ ー ダー シ ップ.あ るい は経 営者 能 力 の視 角 か ら人間 と して の農 業経 営者 に焦点 をあ て た研 84・ 究 は み ら れ る 。 た と え ば,重 第71号,1983年.あ 富 真 一 「農 業 経 営 者 能 力 形 成 過 程 に 関 す る 一 考 察 」 『農 林 業 問 題 研 究 』, る い は,大 原 『前 掲 書 』,PP,142-146,参 4)農 業 生 産 組 織 に お け る 人 間 関 係 の 重 要 性 に つ い て は,安 義 」 『農 業 経 営 研 究 』,第29巻 第2号,1991年 照。 藤 益 夫 「地 域 型 生 産 組 織 に お け る 人 間 関 係 の 意 な どの 研 究 が あ る 。 5)東 城 眞 治 「大 規 模 稲 作 経 営 の 農 地 集 積 と イ ン フ ォ ー マ ル ブ ロ セ ス の 意 義 」 『農 業 経 営 研 究 』,第30巻 第3号.1992年. 6)同 上 論 文,P,1。 7)同 上 論 文,P.8。 8)第1章 で は世 帯 番 号303に 9>1990年 農 業 セ ンサ ス 農 業 集 落 カ ー ド よ り. 10)も ち ろ ん1970年 時 点 に お い て も農 地 貸 借 が な い わ け で は な い 。 同 じ くセ ン サ ス に よ る と,安 養 寺 の場 合 で 借 入 農 家 数28戸,借 戸.借 相 当す る。 入 耕 地 合 計 が4.1ha(全 入 耕 地 合 計1.9ha(同9.9%)と か も借 入 農 家 も多 い の で,経 経 営 耕 地 面 積 の6.5%),上 な っ て い る 。 しか し,こ 八 木 の 場 合 で 借 入 農 家 数11 の 当 時 は 農 地 流 動 面 積 自 体 も小 さ く,し 営 規 模 構 造 は所 有 構 造 を近 似 的 に 表 わ して い る と思 わ れ る 。 11)玉 里 恵 美 子 「兼 業 深 化 地 域 に お け る 農 地 貸 借 関 係 一 滋 賀 県 五 個 荘 町 伊 野 部 の 事 例 」 村 落 社 会 研 究 会 『 研 究 通 信 』No.170,1992年 う仮 説 」 を た て,分 課 題 は,こ で は,「 伝 統 的 な 家 の 連 合 関 係 が,現 代 的 な 農 地 貸 借 関係 と関 連 しな い とい 析 の な か で 同 族 関 係 が 農 地 貸 借 関 係 と 関 連 し な い こ と を 明 らか に して い る 。 玉 里 の こ で い う 姻 戚 な ど も含 め た シ ンル イ と農 地 貸 借 関 係 との 関 連 の 問 題 とや や ズ レて い る 。 しか し仮 説 か らみ て も,親 族 関 係 と農 地 貸 借 関 係 の 関 連 に 否 定 的 と思 わ れ る。 12)「 領 土 」 と は 農 村 社 会 学 者 の 川 本 彰 の 用 語 で あ る が,そ あ り,そ の 範 域 に 対 して,む れ は 集 落(村 落)の 占め る 空 間 的 範 域 の こ とで ら人 は 自 分 た ち の もの で あ る とい う総 有 意 識 を もつ と さ れ る 。 川 本 彰 『日 本 農 村 の 論 理 』 龍 漢 書 舎,1972年.第4章 参 照 。 な お,河 川 付 け 替 え 時 の紛 争 を通 して,第1章 上 げ た 難 波 を事 例 に 。 領 土 意 識 あ る い は総 有 意 識 を考 察 した こ とが あ る 。 拙 稿 文 化 」 第12巻 第1号,1988年.PP.61-65参 で取 り 「川 の 事 件 史 」 『湖 国 と 照。 13)例 外 は十 九 と香 花 寺 で あ る 。 14)も っ と も こ の 意 見 は い くぶ ん逆 説 的 で あ る 。 集 落 内 の 農 地 供 給 が 十 分 に大 き く,拡 大 意 欲 の あ る 農 家 が 自 分 の 集 落 内 だ け で 満 足 で き る な ら ば よい が,そ に は,ビ れ 以 上 に,集 落 を越 え て 拡 大 す る必 要 が で て きた 場 合 ジ ネ ス 意 識 と領 土 意 識 と は 両 立 し え な くな る。 15)町 役 場 資 料 よ り。 こ の 集 落 はB氏 に農 地 貸 借 の 制 限 を 申 し入 れ た 集 落 と は異 な る 。 しか し,B氏 に申 し 入 れ た 集 落 も 『集 落 営 農 ビ ジ ョ ン』 作 成 して お り,そ こ に は そ れ ほ ど 強 調 さ れ た 感 は な い が 「自 らの 農 地 は 自 らで 守 る」 た め に 集 落 ぐる み の 集 団化 が 必 要 と の 文 言 が あ る ・ 16)総 有 に つ い て は 注12)を 参 照 。 -85・ 第4章 非稲 作 地 域 に お け る農 業 の展 開 過 程 一渥 美 半 島 地域 を事 例 と して 一 本章と次章では,施 設園芸や露地野菜,畜 産などの非稲作部門を中心に,基 本法農政下においてめざ ましい発展を遂げた愛知県渥美半島地域を対象 とする。本章では,そ うした非稲作的作目に特化 してい く過程を農業地域の分化という視点からややマクロに把握する。具体的には集落を基礎的なデータ単位 としつつ,統 計的手法を用いて,い くつかの分化類型を抽出する。次章ではそのうちの施設園芸地域に 焦点をあてて農業発展を支えた人間関係について論じるが,本 章ではそうした地域の農業展開と意義を 広域的な視野から位置づけておきたい。 1選 択 的拡大 と農業 地域 分化 1961年 に公 布 され た農業 基本 法 が戦 後 の 日本 農業 の展 開 に与 えた影響 は,い うまで もな く重 大 で あ る。 農業 基 本法 は当 時拡 大 しつつ あ った 「農業 と非農業 の所 得格 差」 の是 正 を 基本 的 な問 題 関心 と して創 案 されたが1),そ れ を達 成す る ため の具 体 的 な政策 目標 は次 の 3点 で あ った2)。 第1は 自立農 家 の育 成 で あ る。 自立 経営 とは 「他 産業従 事者 の世 帯員 と同程度 の生 活水 準 を農業 所 得 に よ って享受 しうべ き経 営」3)の 意 であ る。 第2は 生 産 の選 択 的拡大 で あ る。 こ こでの 「 選 択 的」 は,総 花 的 な増 産 で はな く 「需要 の成 長 しつ つ あ る もの に生 産 を切 り換 えてい く」 の とい う意味 を もつ。 具体 的 に は野 菜, 果樹,畜 産 が成長 作 目にあ げ られ た。 第3は 構 造 改 善 に よる労働 生 産性 の 向上 で ある。 内容 は土 地 区画 の整備 と機械 化 の推 進 で あ る。 以 上 の3つ を柱 に展 開 して きた農 政 の結果 は,す で に周 知 の とお りで あ ろ う。稲作 につ い ては農 地所 有 の移 動 が お こ らず,不 足 所得 分 を農外 就業 で補 填す る とい う兼 業 農家 の大 量 出現 となった 。 その結 果,稲 作 農家 の大 部分 は 自立経営 農家 とは ほ ど遠 い存在 とな った。 しか しその一 方 で,基 本 法 の政 策 に う ま く適 合 し,「 自立経 営」 を実現 して い る地域 もあ る。 それ らはお もに上 記 の 「生 産の 選択 的拡 大」 政策 に支援 されつ つ,稲 以外 の作 目に力 を投入 して きた地 域 で あ った。 表4-1は そ う した 農業 主 業地 域 の作 目的変 遷 をみ るた め に,1戸 (あるい は農業 粗 生 産額)の あた り生 産農 業所 得 大 きい市 町村 を対象 に ま とめた もの であ る。 この表 は北 海道 86 を 除 い て い る の で,畜 産 の 発 展 に つ い て は ほ と ん ど示 さ れ て い な い が ,耕 種 部 門 にお ける 農 業 主 業 地 域 の 変 貌 は か な り明 確 で あ る 。 米 を 主 と す る 自 立 経 営 農 家 の 地 域 は,1990年 は秋 田 大 潟 村 だ け と な り,代 て い る 。 た だ し,同 を 形 成 す る が,こ わ っ て 選 択 的 拡 大 作 目に あ げ られ た野 菜 産 地 が優 勢 とな っ じ く選 択 的 拡 大 作 目 に あ げ ら れ て い た 果 樹 は,一 れ も周 知 の よ う に,生 時 は高所 得 農業地 域 産 過 剰 と果 実 輸 入 の 自 由 化 な ど に よ っ て,近 は 苦 境 に 立 た さ れ て い る こ と も わ か る 。 し か し と も あ れ,少 す る と い う 面 に お い て,選 に 年で な くと も 自立 経 営 農 家 を育 成 択 的 拡 大 政 策 は そ の 方 向 を大 筋 で 間 違 っ て い な か っ た とい え る の で あ り5》,そ れ に 沿 っ て 進 ん だ 地 域 で は 産 業 と して の 農 業 が 展 開 す る 過 程 が み ら れ た と 考 え られ る の で あ る 。 表41農 (1戸 業 粗 生 産 額1位 部 門 別 市 町 村 数 あ た り生 産 農 業 所 得 上 位20市 年次 町 村;都 府 県 の み) 市 町村 数 米 野菜 果樹 花卉 工芸 畜産 1960年1243001 1965年1043102 1970年394031 1975年391051 1980年1130033 1985年2100!52 1990年1141112 注)『 農 業所 得 統 計』(1960∼70年),『 よ り。1960,65年 本 章 で は,そ 生 産農 業所 得統 計 』(1975年 以降) は,1戸 あた り農 業粗 生 産額 の上位20市 町村 であ る。 う し た い わ ば 基 本 法 農 政 の 光 の 部 分 を 代 表 す る 地 域 を 取 り上 げ,そ の よう な地 域 の 農 業 が 基 本 法 農 政 下 に お い て どの よ う な 変 遷 を た どっ た の か を明 らか にす る 。 選 択 的 拡 大 は,そ の 意 図 か ら して 新 し い 需 要 に 見 合 っ た 新 しい 作 目 の 選 択 を と も な う の で, そ う した 地 域 の 農 業 は 必 然 的 に 大 き な 構 造 的 変 化 を 経 験 す る は ず で あ る 。 そ の 変 遷 過 程 を 農 業 地 域 の 分 化 と い う 視 点 か ら考 察 し た い 。 具 体 的 な 対 象 地 は,愛 こ の3町 知 県 渥 美 半 島 地 域 に 位 置 す る 田 原 町,赤 は 現 在 わ が 国 有 数 の 農 業 地 帯 で あ り,赤 羽 根 町,渥 羽 根 町 と 渥 美 町 は 表41の1990年 る20位 以 内 市 町 村 に あ が っ て い る 。 さ ら に1991年 の 統 計 で は.3町 て い る 。 ま た 作 目 を み て も,1991年 の 農 業 粗 生 産 額 第1位 畜 産,赤 羽 根 町 ・花 卉.渥 美町 に お け る3町 野 菜 と な っ て お り,ま 87 美 町で ある。 全 部 が20位 にお け ま で に入 っ 作 目 は,田 原町 さ し ぐ 「総 合 農 政 の シ ョ ー ウ イ ン ド」6)と 呼 ば れ る にふ さわ しい バ ラエ テ ィに富 んだ農業 地域 とな ってい る。 しか し,町 ご とに作 目が完全 に特 化 して い るわ けで は ない.町 単位 の統 計 でみ る 限 り, 野菜,花 卉,畜 産 の3作 目が 町 に よっ て強弱 の 違 い をみせ なが ら,総 合 的 に発展 して い る ように見 える。 そ こで,分 析 にあ たっ て は町 レベ ルで は な く集落 レベ ル を単位 と して 農業 地域 の分化 を考 え る。 農業 経営 上 の 決定 をす る場合,集 落 が最終 的 な決定 主体 とな るわ け で は ないが,集 落 を単 位 と して事 業 が お こな われ た り,あ る集落 に特 定 の作 目の ノ ウハ ウ が蓄積 され た りす る こ と も十 分想 定 で きるの で,こ こで は各 集落 が どの ような選 択 をお こ な うか とい う視 点か ら分 化 を考 えたい 。 そ して,そ の結 果 か ら地域 分 化 の要 因 につ いて考 察す る と ともに,と くに次 章 との 関連 か ら,施 設 園芸 地域 の もつ 意義 につい て考察 をお こな う。 分 化 を捉 える分析 方 法 は,主 成 分分 析 を用 い た集落 の類型 化 で ある7)。 各 集落 のデ ー タ は農業 セ ンサ スの 農業 集 落 カー ドを利 用 す る。 したが って 集落 とは ここで はセ ンサ ス の対 象 とした農業 集 落 を指 す もの とす る。 2.渥 美 半 島農業 発展 の2つ の 条件 統 計分析 に移 る前 に,渥 美半 島 農業発 展 に大 きな影響 を及 ぼ した2つ の条件 につ いて述 べ てお きた い。 その第1は 豊川 用水 の通水 で あ る。 豊 川用水 の構 想 はす で に1921(大 は戦 後 の1949(昭 43)年 和24)年 正10)に 始 まってい るが,実 際 に事業 が 開始 され たの で あ る。 そ して,1963(昭 和38)年 に一 部通水,1968(昭 和 に全 線 開通 とな り,渥 美 半 島の先端 まで通水 され る に至 った。 これ に よって,こ の地 域 の農 業発 展 の大 きな制 限要 因 となって いた水 不足 が解 消 した。 そ して交通 立地 的 に は有 利 で あ りなが ら も,「 暖か い以外 には恵 まれ ない」8)と い われ た 半 農 半漁 的地域 が 一大 農 業地 域へ と転換 し始 め た.作 び施設 畜産 な どの,い 目的 には,施 設 園芸,露 地 野菜 お よ わゆ る 「選 択 的拡 大」作 目が一 挙 に拡大 す る こ とにな る。 次章 で述 べ る赤 羽根 町 な どの施 設 園芸 地域 にお いて も,施 設 園芸 その もの は戦前 か らお こなわれ て いたが,そ の 当時 は雨水 にた よる天水 農業 で あ り,水 の制 約 に よって拡 大 が 阻 まれ てい た の で ある。 第2の 条件 は農業構 造 改 善事 業 の集 中的導入 で あ る。 先 に も示 した よ うに,基 本 法 農 政 に は構 造改 善 に よる労働 生 産性 の 向上が盛 り込 まれて お り,具 体 的 に は 構 造 改 善 事 業 を 通 じ た 土 地 区 画 の 整 備 と機 械 化 が 推 進 さ れ た 。 渥 美 半 島 地 域 の 場 合,構 造 改 善 は 選 択 的 拡 大 と軌 を 一 に し た た め.と りわ け 集 中 的 に 事 業 が 導 入 さ れ る に至 っ た 。 表42は,融 資 関 係 の 事 業 を 除 く 国 庫 補 助 事 業 額 を各 期 別,町 金 額 を デ フ レ ー ト し て い な い の で 不 完 全 で あ る が,農 家1戸 別 に 集 計 した も の で あ る. あ た り 累 積 事 業 額 を み る と. 3町 の な か で 赤 羽 根 町 が 最 大 と な っ て い る 。 赤 羽 根 町 は こ れ らの 補 助 事 業 に よ っ て 温 室 団 地 な ど の 整 備 を お こ な い,今 表42各 日 に み る よ う な 施 設 特 化 型 農 業 へ の 道 を進 ん だ の で あ る。 期 農 業構 造 改 善事業 にお ける国庫 補助 事業 額 1次 構(S.372次 構(S.45新 農構(S.53活 ∼45)∼53年)∼H .2年)(H.2年 性 化農構 (千円)(千 円)(千 円)(千 平均 農 家 農 家1戸 あ 以降)数 た り事 業額 円)(戸)(千 円) 田原 町348,009913,4611,495,3632,00025181,096 赤 羽根 町112,0gg2,741,23346g,68516g,88gg70.53,5gg 渥 美 町386,3722,615,3991,877,28492,93929771,670 合 計846.4806,270,0933,416,003264,828 年平 均 額105,810783,762284,667132,414 注)1.各 事 業 は事 業 開 始年 度 に全 額投 入 された とみ な して 計算 した。 2.「平 均 農 家 数」 は1960年 農業セ ンサ スの 農家 数 と!990年 農業 セ ンサ ス の農家数 の平均 値で あ る。 3融 資事 業 は含 まな い. 4愛 知県 東 三河 事務 所 資 料 よ り作成 。 一 方 .時 期 別 に み る と,全 体 的 に2次 る 。 こ の 時 期 は 豊 川 用 水 が 開 通 し,投 政 策 に よ る 転 作 奨 励 も ま た,畑 作 物,施 構 時 代 に最 も集 中 的 な事 業 導 入 が お こ な わ れ て い 資 意 欲 の 高 ま っ た 時 期 で あ る 。 ま た,米 の生産調 整 設 園 芸 に人 々 の 関 心 を向 け さ れ る こ と に な っ た と 思 われ る。 と も あ れ,渥 美 半 島 地 域 の 農 業 は 豊 川 用 水 の 開 通 を 大 き な 契 機 と し,補 もち ろ ん 各 農 家 の 積 極 的 な営 農 投 資 意 欲 に 支 え ら れ な が ら.と 助 金 の 導 入 と, り わ け1970年 代 に大 きな 変 貌 を とげ る の で あ る 。 3主 成 分 分 析 に よる 地 域 分 化 の 類 型 化 1)変 数 の 選 択 と分 析 手 順 渥 美 半 島3町 に 属 す る 合 計89集 落 に つ い て,多 一89 変 量 解 析 の 一 手 法 で あ る 主 成 分 分 析9)を 用 い て,次 の2種 表43変 類 の分析 をお こな った 。 数名 変 数1960→90年 番 号1990年 の変数 注 の 変 数(21,22を 変 数1990年 除 く)番 の み の変 数 注 号 1農 家 率23農 就16∼29歳 率7) 2専 業 農 家 率24農 就30∼39歳 率7) 31兼 農 家 率25農 就40∼59歳 率7) 42兼 農 家 率26農 就60∼64歳 率7) 5稲1)27農 就65歳 以 上 率7) 6麦 ・雑 穀 ・い も 7工 芸 農 作 物1)29販 売1位 畜 産 率8) 8野 菜 類1)30販 売1位 施 設 率9) 9施 設 農 家 率2)31施 設1戸 当 ハ ウ ス 面 積10) 設1戸 当 ガ ラ ス 室10) 101戸 11水 豆1)28花 卉 当 水 田 面 積32施 田 率33販 花木 芝1) 売50万 円 未 満 率11) 121戸 当 畑 面 積34販 売50∼100万 13経 面0.3ha未 満3)35販 売100∼200万 円 率11) 円 率11) 14経 面0.3∼1.Oha3)36販 売200∼300万 円 率11) 15経 面1.0∼2.Oha3)37販 売300∼500万 円 率11) 16経 面2.0∼3.Oha3)38販 売500万 17経 面3.Oha以 上3)39離 農 率12) 18基 幹/農 就4)40耕 作 放 棄 地 率13) 円 以 上 率11) 191戸 当 基 幹 従 者 数5)41田 畑 不 耕 作 地 率14) 201戸 当 家 畜 単 位6)42耕 地 利用 率 21農 就16∼59歳 22農 就60歳 率7)43専 従 者 農家 率 以 上 率7) 注) 1)各 作 目 の 収 穫 面 積/経 営 耕地 面積 。 2)施 設 実 農 家 数/総 3)各 経 営 耕 地 面 積 規 模 の 農 家 数/総 農家 数。 農家 数 。 た だ し0,3ha未 満 は 例 外 規 定 農 家 を含 む。 4)基 幹 的 農 業 従 事 者 総 数/農 業就 業 人 口総 数。 5)基 幹 的 農 業 従 事 者 総 数/総 農 家数 。 6)各 家 畜 の 頭 羽 数 を家 畜 単 位 に換 算 し合 計 した もの/総 た だ し,家 畜 単 位 換 算 率 は 乳 牛:1.0,肉 牛:0,5,肥 農家 数。 育 豚:0.1,採 卵 鶏:0.005,ブ ロ イ ラ ー:0.002 (以 上 の 換 算 率 に関 し て は,菊 池 泰 次 『 農 家 の 経 営 診 断 入 門 』 家 の 光 協 会,1964,PP。115-117,参 7)各 年 齢 層 の 農 業 就 業 人 口/農 業就 業 人 ロ。 8)販 売 金 額1位 の 作 目が 畜 産 で あ る 農 家 数/総 9)販 売 金 額1位 の 作 目が 施 設 園 芸 で あ る農 家 数/総 10)ビ ニ ー ル ハ ウ ス ま た は ガ ラス 室 の 面 積/施 11)各 販 売 金 額 規 模 の 農 家 数/総 12)(1990年 総 農 家 数 一1960年 13)耕 作 放 棄 地 面 積/経 14)田 と畑 の 不 耕 作 地 面 積/経 農家数 農家 数 設実 農家 数 農家 数 総 農 家 数)/1960年 総農 家 数 営 耕 地面積 営 耕 地面積 一90一 照)。 ま ず 第1に,1960年 の 集 落 デ ー タ と1990年 を選 択 して,1960年 1960年 と1990年 時 点 の 各 集 落89個 合 計178個 の 集 落 デ ー タ の う ち,変 数 の 統 一 で きる もの の 両 方 の デ ー タ をサ ン プ ル と す る 分 析 を お こ な っ た 。 つ ま り, の サ ン プ ル と,1990年 時 点 の 各 集 落89個 の サ ン プ ル を 合 わ せ た, の サ ン プ ル に つ い て 主 成 分 分 析 を お こ な っ た 。 こ の 地 域 の 農 業 の 変 貌 前 と変 貌 後 を 同 じ分 析 座 標 に 組 み 入 れ る こ と に よ り,そ の 変 化 の 大 き さ と変 化 パ タ ー ン を明 らか に し た い と思 う か ら で あ る. 次 に,1990年 1990年 の 集 落 デ ー タ か ら で き る 限 り 多 く の 変 数 を 取 り 出 し,分 と い う 大 変 化 を 経 験 し た 後 の 農 業 地 域 分 化 の 状 態 を,さ 析 をお こな った。 ら に情 報 量 を ふ や して 確 認 した い か ら で あ る. 各 分 析 に お け る 変 数 の 一 覧 を 表4-3に る 変 数 と し て 用 い た も の で あ る.1990年 用 い た 。 な お,こ 示 した 。 変 数1∼22が1960→90年 の分析 に共通 す の 分 析 で は,1∼20と23∼43ま で の41個 の変数 を こ で は 集 落 を 単 位 と して そ の 農 業 上 の 特 徴 を み よ う と し て い る た め,変 数 は す べ て 比 率 あ る い は1戸 あ た り数 値 に し て あ る 。 し た が っ て,集 落 の規模 の違 い に よ る比 重 の 差 異 は扱 え な い こ と を あ ら か じめ こ と わ っ て お きた い 。 2)1960→90年 の変 化分 析 こ こ で は 先 に 述 べ た よ う に,変 そ の 結 果 算 出 さ れ た 第3主 を も と に,第3主 第1主 成分 数22,サ ン プ ル 数178に 成 分 ま で の 因 子 負 荷 量 等 の 数 値 は 表4-4の とお りで あ る 。 こ れ 成 分 ま で の 各 主 成 分 軸 の 意 味 す る も の を 判 読 し,解 因 子 負 荷 量 が プ ラ ス の 大 き い 変 数 を 細 説 す る と,農 経 営 耕 地 面 積 に 占 め る 野 菜 類 の 収 穫 面 積 の 比 率,1戸 地 面 積2.0∼3.Ohaと3.Oha以 き い 変 数 は.経 つ いて主成 分 分析 をお こな った。 上 の 農 家 率,施 営耕 地 面積 に 占め る麦類 稲 の 収 穫 面 積 の 比 率,経 家1戸 あ た り畑 面 積, あ た り基 幹 的 農 業 従 事 者 数,経 営耕 設 を保 有 す る農 家 率 で あ る 。 逆 に マ イ ナ ス の 大 雑穀 イ モ類 豆 類 の 収 穫 面 積 の 比 率,同 営 耕 地 面 積 に 占 め る 水 田 面 積 の 比 率,農 未 満 の 農 家 率 で あ る 。 こ れ ら か ら判 断 す る と,麦 農 家 率 も 全 体 的 に 高 か っ た1960年 釈 を くわ え た い. 類 雑穀 時 点 の 農 業 の 状 況 か ら,露 家 率,経 イモ類 じく 営 耕 地 面 積1.Oha 豆 類 や 稲 を 主 体 と し, 地 野菜 や施設 園芸 を主体 と し つ つ 発 展 した 今 日 の 状 況 へ の 変 化 の 軸 を表 わ し て い る と解 釈 さ れ る 。 こ の 時 間 の 経 過 と密 接 に 関 連 し た 主 成 分 は,ま さ に 基 本 法 農 政 下 に お け る 作 目の 転 換 に 対 応 し て い る の で, 「選 択 的 拡 大 度 」 を 表 わ す 主 成 分 と い う こ と が で き る ・ た だ し,選 も,と 択 的 拡 大 作 目の な か で くに土 地 利 用 型 作 目す な わ ち 露 地 野 菜 の 比 重 が 大 きい 主 成 分 と な っ て い る 。 91 表4-41960→1990年 第1主 の 変 化 の 計 算 結 果(因 成分 第2主 子 負 荷 量 は ± 上 位6位 成分 ま で) 第3主 成分 固 有 値6.8104固 有 値5.0294固 有 値1.7699 寄 与 率30.960%寄 与 率22.860%寄 与 率8.040% 累 積 寄 与 率30960%累 積 寄 与 率53.820%累 積 寄 与 率61.860% 因子負 荷 量 因子負 荷 量 1戸 当 畑 面 積0.9539農 就60歳 野 菜 類0.76812兼 因子 負荷 量 以 上 率0.8064経 面0.3∼1,0haO.6044 農 家 率0.7915施 経 面2.0∼3.OhaO.7577経 設 農 家 率0.4085 面0.3ha未 満0,5501基 1戸 当 基 幹 従 者 数0.69501戸 幹/農 当 水 田 面 積0.50721戸 経 面3.Oha以 上0.6498経 面0.3∼1.OhaO.42321兼 施 設 農 家 率0.59211戸 農 家 率0.1062 当 家 畜 単 位0.3374経 面0.3ha未 満0.0711 麦 ・雑 ・イ モ ・ 豆 一 〇.7694農 就16∼59歳 稲 ・0.7349経 面1.0∼2.Oha・0.6782水 水 田率 一 〇.6837専 業農 家率 一 〇.66311戸 当水 田面積 一 〇。4349 農 家率 一 〇.4489農 家率 一 〇.62361戸 当家 畜単 位 一 〇.4183 芸農 作物 一 〇.5309稲 経 面0.3∼1.Oha・0.4417工 経 面0.3ha未 満 第2主 一 〇.42841戸 成 分:同 の 比 率,第2種 一 〇.8291経 当基 幹従 者 数 一 〇.4989経 イ ナ ス は,農 営 耕 地 面 積 が1。Oha未 面1.0∼2.Oha-0.4716 田率 子 負 荷 量 が プ ラ ス の 変 数 は,農 兼 業 農 家 率,経 な ど で あ り,マ 農 家1戸 様 に,因 率 就0.2844 当 基 幹 従 者 数0.1779 一 〇.4443 一 〇.4132 面3.Oha以 上 業 就 業 人 口 の う ち60歳 満 の 農 家 率.農 業 就 業 人 口 の う ち16∼59歳 一 〇.2137 家1戸 の 人 の 割 合,農 以上 の人 あ た り水 田 面 積 家 率.専 業 農 家 率, あ た り基 幹 的 農 業 従 事 者 数 な ど と な っ て い る 。 し た が っ て こ の 主 成 分 は,農 働 力 の 充 実 度,あ 業 労 る い は 専 業 か 兼 業 か と い う 農 業 の 重 要 度 を 表 わ し て い る こ と か ら,「 農 業 専 兼 分 化 度 」 を示 す 主 成 分 で あ る と解 釈 で きる 。 第3主 成 分 る 農 家 率.農 同 じ く,プ ラ ス の も の は 経 営 耕 地 面 積 が1.Oha未 業 就 業 人 口 に 占 め る 基 幹 的 農 業 従 事 者 の 比 率,農 事 者 数 な ど で あ り,マ イ ナ ス は,経 営 耕 地 面 積1.0∼2.Oha,お 営 耕 地 面 積 に 占 め る 水 田 面 積 の 比 率,農 家1戸 満 の 農 家 率,施 家1戸 あ た り基 幹 的 農 業 従 よ び3.Oha以 あ た り 水 田 面 積,農 設 を保 有 す 家1戸 上 の 農 家 率.経 あ た り 家 畜 単 位, 経 営 耕 地 面 積 に 占 め る 稲 の 収 穫 面 積 の 比 率 な ど で あ る 。 こ れ ら か ら 判 断 す る と,施 か水 田 経 営 面 積 の 広 さ,を 表 わ す と 考 え ら れ,こ る と い え よ う 。 た だ し,第3主 り,説 3)変 成 分 は 第1,第2主 の主 成分 は 設 園芸 「農 業 集 約 度 」 を 示 し て い 成 分 と比 べ て 大 き く寄 与 率 が 落 ち て お 明 力 は 弱 くな っ て い る 。 化 パ タ ー ン に よ る集 落 の 分 類 寄 与 率 の 高 い 第1,第2主 成 分 に つ い て,各 集 落 の 主 成 分 ス コ ア の 組 み 合 わ せ を平 面 座 92一 標 上 に 落 と し た も の が,図41で あ る 。1960年 と1990年 印 に よ っ て 示 した と お り で あ る 。 こ こか ら まず,1960年 の 集 落 デ ー タ の 区 別 は,図 の 各 集 落 の 集 合 と1990年 全 体 と して は っ き り と分 離 し て い る こ と が わ か る 。 ま た,1960年 90年 に な る 分 散 し て い る こ と も わ か る 。 こ の30年 確 認 さ れ る と と も に,比 間 に お け る 渥 美 半 島 農 業 の大 きな 変 貌 が 較 的 均 質 な 地 域 か らバ ラ エ テ ィ に と ん だ 地 域 へ と 変 化 して き た こ 図4130年 間(1960→1990年)に :1幟 大 お け る集落 の営 農分 化類 型 、 一 年 一+ 、7集 落 〒t>:甕 5● 繍 親 断 分㈱ 十:1990年 ー の ス コア 碑++ ・・++ 一 ム タ イ プ 分 け に よ る 説 明 率77'`% 十 十 1:i:∼ 挙 ・携 ll二 紬郊 ア ー 巾'=II型 磯 会鉱 一 、 い+ ・III型+、 ・集落 警 ・ ム ムム ム ー2● ムム ム 騨# ・+++ 十 十 ,・ ム 一3● 。ム艶 ・型 ム _ム ム ム ー4● ム ニ 罐 ム 大 ●lo電 -5-4-3-2 の そ れ が, の 方 が 集 合 が 密 で あ り, と も確 認 さ れ る の で あ る 。 一 上の ● 「 ●1敬 巳1●1●1・801● 曾 ,-10123456・7 第 ■ 主 成 分 〈 ス コ ア 〉樵懇謙 翻懸禽, 93・ ●9● しか し,各 集落 は ま った く他 と関係 な くバ ラバ ラ に変化 したの で はない 。 この30年 間の 変 化 を各 集落 ご とに た どって み た ところ,図 パ ター ンに分 類 で きる に至 った。 以下,そ に示 した よ うにおお よそ1∼IVの4つ の 変化 れぞ れの 変化 パ ター ンにつ いて解 説 を くわ え よ う。 1型.第2主 成 分 ス コ アが 上昇 して い るので 多少 の兼 業 化 の進展 はみ られ る ものの,こ こ30年 の 間,相 対 的 にみて農 業専 従 度 が最 も高 い。 一方,第1主 成 分 ス コア も1990年 時点 で最大 で あ り,し か も変 化 の幅 も大 き くな って い る。 つ ま りこの タイプ は,と くに土地利 用型 の選択 的拡 大 す なわ ち露地 野菜 へ の転換 が 進 ん だ集落 群 とみ られ る。 この タイ プに は 18集 落 が含 まれ る。 H型 ●第2主 成 分 ス コアが上 昇 し,や や兼業 化 が進 展す る と と もに,選 択 的拡大 度 も同 じく進展 してい る。 この類 型 は この 図か らで は判 断 しづ らい が,こ 年 の第3主 こ に属 す る集落 の1990 成分 ス コアが 高い こ とか ら,施 設 園芸型 の集 落群 と判 断で きる。 この タイプ に は23集 落が含 まれ る。 田型 第2主 成分 ス コア に大 きな変化 が な く,農 業 専兼 分化 が ほ とん ど起 こ ってい ない ところ に特徴 が あ る。 つ ま り古 くか らあ る程度 兼業 機会 が あっ たが,そ れ が あ ま り進展せ ず に,農 業 面 での選 択 的拡 大 が進 んだ集 落群 で あ る。 選択 的拡 大 の方 向 と して は,1型 と H型 の複合 と考 え られ る。 この タイプ に属 す る集落 は11集 落 とや や少 ない 。 IV型 第2主 成分 ス コアが大 き く上 昇 して お り,兼 業化 が相対 的 に最 も進 んだ集 落群 で あ る。 同時 に,畑 作 穀 物 イモ類等 が ほ とん どな くなっ た現 状 を考 えれば,水 田が比 較 的 残 る集落 群 で あ る と もい え よ う。 こ こには17集 落 が分類 され る。 その他.1∼IVに 分類 で きなか った集落 が20集 落 あ る。1990年 ちの4集 落 は畜 産 の影 響 が大 き く,9集 1∼IV型 落 は漁業 か らの転 業 の影響 が あ る とみ られ る。 まで に分 類 され る集落 は合 計69集 落 であ り,タ イ プ分 け に よる説 明 率 は図 に も 示 した ように,77.5%で 4)1990年 あ る。 にお け る集 落 の営 農類 型 の分析 前 項 の分類 は,各 集 落 間の 差異 が拡 大 した後 の1990年 で,そ の 数値 か らみ て,こ の う の確 認 の た め に1990年 の状 態 をお もな基準 と してい るの の みの デ ー タで 同様 に主成 分 分析 をお こな った 。先 の分析 と 同様 に算 出 した 因子 負荷 量 に よ り第3主 成 分 までの各 主成 分軸(表45)を を くわ えたい.た だ し,第3主 判 読 し,解 釈 成 分 まで で は数理 的 に必要 とされ る累積 寄 与率60%以 い う条件10)を満 た さないが,第4主 上 と 成 分 以下 の主 成分 軸 は判読 不 能 であ っ たの で,第3主 94 成 分 ま で の 判 読 に と ど め た 。 以 下 に,各 表4-51990年 主成 分 の判 読 結果 を略述 す る。 デ ー タ の 計 算 結 果(因 第1主 成分 子 負 荷 量 は ± 上 位6位 第2主 ま で) 成分 第3主 成分 固 有 値12.3730固 有 値5.9205固 有 値3.5324 寄 与 率30.180%寄 与 率14.440%寄 与 率8.610% 累 積 寄 与 率30.180%累 積 寄 与 率44.620%累 積 寄 与 率53,230% 因 子負 荷 量 因子負 荷 量 因子負 荷 量 2兼 農 家 率0.8961販 売1位 施 設 率0,8954販 売1位=畜 産 率0.7455 販 売50万 円 未 満 率0.8236施 設1戸 当 ガ ラ ス 室0.78781戸 農 就65歳 以 上 率0.7706経 面0.3∼1.OhaO.73721戸 当 家 畜 単 位0.6731 水 田 率0.7196田 畑 不 耕 作 地 率0.6952稲0.6131 経 面0.3ha未 満0.6991耕 作 放 棄 地 率0.5369水 稲0.6859施 設 農 家 率0.36351兼 販 売500万 円 以上 率 当 水 田 面 積0.7293 田 率0.5880 農 家 率0.4272 一 〇9346耕 地 利 用率 一 〇.9181離 農率 一 〇.4592 一 〇.9174野 菜類 ・0.7292農 就65歳 以 上 率 ・0.3746 専 従 者農 家 率 一 〇.8727経 面2.0∼3.Oha-0.5724花 卉 ・花 木 ・芝 一 〇.2687 1戸 当 畑 面 積 一 〇.84641戸 菜類 一 〇.2593 専業 農家 率 一 〇,8313経 面3.Oha以 上 一 〇.4060販200∼300万 基 幹/農 一 〇,7589施 設1戸 ・0,28681戸 1戸 当 基 幹 従 者 数 第1主 就 成分 ス に 農 家1戸 プ ラ ス に 第2種 当畑面 積 一 〇.4276野 当 ハウス面 積 兼 業 農 家 率,65歳 あ た り基 幹 的 農 業 従 事 者 数,専 て,1960→90年 の 分 析 の 時 の 第2主 円率 当畑面 積 一 〇.2007 一 〇.1852 以 上 農 業 就 業 者 率 な ど が 現 わ れ.マ イナ 業 農 家 率 な どが きて い る。 こ れ らか ら判 断 し 成 分 と 同 じ く,農 業 の 充 実 度 合(重 要 度 合)を 表 わす 「農 業 専 兼 分 化 度 」 の 主 成 分 と 解 釈 で き る 。 第2主 成 分.プ ラ ス に 施 設 園 芸 関 係 の 指 標 が 現 わ れ,マ が 現 わ れ て い る 。 よ っ て,こ 指 向 して い る か を表 わ す る が,施 の 主 成 分 は お も に,施 設 園 芸 を指 向 して い る か 露 地 野 菜 作 を 「農 業 集 約 度 」 の 主 成 分 で あ る と 解 釈 で き る 。 や や 本 題 を は ず れ 設 園 芸 に お け る 集 約 度 の 高 さ と 不 耕 作 地 率.耕 ら れ る 。 こ の こ と は,施 イ ナ ス に は 露 地 野 菜 関係 の 指 標 作 放 棄 地 率 な どの 間 に正 相 関 が み 設 園芸 が 進 展 す る と地 域 資 源 の 有 効 利 用 との 間 に齪 飴 が 生 じる こ と を如 実 に示 して い る 。 第3主 成 分 ・プ ラ ス に は 畜 産 と 水 田 関 連 の 指 標 が 明 確 に 現 わ れ て い る 。 マ イ ナ ス の 変 数 か ら は 特 徴 を 見 出 し が た い が,プ ラ ス の 変 数 か らみ て 「(水 田)畜 産 複 合 度 」 を表 わ す 主 成 分 と解 釈 で き よ う 。 以 上 の 分 析 を も と に,第1主 成 分,第2主 成 分 を 軸 と す る 平 面 上 に,各 一95 集落 の ス コア に 相 当す る点 を記 入 した ものが 図42で あ る。 各集 落 を示 す 点 は,先 の分析 か ら導 出 され た 5分 類 にそ って 区 別 して あ る。そ して,同 た。 この図 か らと くに,H型 一分類 に属 す る集落 の 点 をお お よその 曲線 で囲 っ の施 設 園芸特 化傾 向が 明確 に な り,田 型 が 露地 野菜 と施 設 園 芸の複合 型 で あ る こ と も確 認 で きる。 各 タイプの 特徴 につ いて は,図 の凡 例 に付 した とお りで ある。 図421990年 にお け る集 落 の営 農類 型 難:㌦ 含 置謙 鰹 5。 ●● '第4・ ■III型 ●●'緻 園芸+馳 畑 作型 ・専懲 の 変化 小 ◆IV型 … 鱗 深鯉 の 他 一上 の4タ イ ブ に分類 で きな か った もの ●xそ 2●II型 主3.... ス の 成2・ 。 1・ ・ 鴛 -2● 一 .瓶 ▲ ムム ▲ 二.1へ μ ¢'.ノ ▲ ヨ ◆ ♂ ○◆ ◆楓,・ ▲ 、x▲.'・' 鰍 戴__謡 専 業 度 4農 表4-6各 大 第 ・ 主 成 分 コ ア 兼 業 度 大 業 地 域 の 分 化 過 程 類 型 に 属 す る 町 別 集 落 数 類 型1型(▲)H型(●)In型(圏)IV型(◆)そ の 他(×) 田 原 町14(30.4)7(15.2)1(2,2)16(348)8(17 .3) 赤 羽 根 町0(0.0)6(85・7)0(0・0)0(0・0)1(14'3) 渥 美 町4(11.1)10(27.8>10(27.8)1(2.8)11(30.6) 合 計18(20.2)23(25・8)11(12・4)17(19'1)20(22●5) 注)%は ス 各 町 ご と の 全 集 落 数 に お け る割 合 で あ る 。 ・96・ 前節 で5つ に分 類 され た集落 を各 町 ご とに ま とめ たのが表46で の分布 をみ る と.田 原 町 は 工型 とIV型 が,赤 あ る。 町 ご とに集 落数 羽根 町 はH型 が 多 く,渥 美 町はH型 と田型, それ に 「その他 」 に属 す る集 落 も多 くな ってい る。 さ らに各 集 落 を地 図上 に実際 の位 置 で示 した ものが 図4-3で 少 し細 か な地 域 分布 が知 られ る。 まず,1型 にみ られ る。H型 あ る。 これ に よって,も う は 田原 町太平 洋側 お よび渥 美 町内海 側先端 部 は赤 羽根 町か ら渥 美 町太平 洋側 を中心 に分布 し,田 型 は渥 美 町内 海側 に 点在す る。そ してIV型 は,田 原町 の 内海側 に集 中 して い る。 「その他 」 は散 在 してい るが, 渥美 町 内海側 にみ られ る 「そ の他」 集 落 の多 くは,漁 業 か らの転 業 の影響 を受 けた集落 群 であ る と思 わ れ る. 鷺 総 滋欝 籠欝 地 図_匙 ●n型 ・・ 施 設 園 芸 型,や 琴 耀::難 × 鷺 その 他 露地畑催 ・・上 の4タ 専徹 の変化小 ・ ・タ自・ イ プに分類 で きなか っ た集落 蘭 !船,窺 く.獅 へ 櫓轡 田一評 縞.三河 \ …耀 .{。 、論 ・'吉 .中 噸 中山西山 田 …x山 臓 舐 町 。 。 曙メ 冨 _∫ 田F∫ 渥 興 町 ・ 崩 ...堀 ノ.赤 ・ 瀕 メ ノ ▲亀山 伊良瀕 切 ゾ や 兼業 化 が進 行 瓢 ・ 詞 一一. 鴎 黒雛滲 熔 誓 融噸 岬 南 町 赤 羽 根 町}・' ヅ 東・ 赤西 著見 ● 噛 ●・論 土慧 州 灘 、太 平 洋, 日出 もう一 度,図41に 戻 ろ う。1960年 時点 で の集落 の ば らつ きが少 ない こ とはす で に述 べ た。 と くに 田型 とIV型 は重 な り部 分 も大 き く,基 本法 農政 下 にお け る変貌 前 に は,営 農状 況 に大 きな違い は なか った と考 え られ る1D。 ところが,高 度経 済 成長 期 に おけ る豊橋 市等 の労働 力 需要 の高 ま りや 田原 町 内へ の企 業進 出 な どに よって,そ れ らへ の通勤 に便 利 な 田 原 町内 の内 海側 集 落,す なわ ちIV型 の 集落 群 は大 き く兼 業化 に傾 斜 す る ようにな る・ もち 97一 うん市 街地 化 の影 響 に よる農地 転用 圧 力 もあった で あろ う。 また,こ の地 域 に もと もと水 田主体の 集落 が多 か った こ とも12),兼 業化 を容 易 に した と考 え られ る。 一方 ,通 勤 とい う点 で は条件 の劣 る渥 美町 内海側 の集落 群 は,衰 退 す る漁業 か らの転 身 組 も巻 き込 み なが ら,補 助 事 業 な ども利用 して,半 島内 で もと くにバ ラエ テ ィに富 んだ農 業地域 を作 り出 した。 そ の意 味 で,各 農業 者 の 主体 的努力 も大 きか った地 域 で あ る と思 わ れる。 これ ら皿型 とIV型 を中心 とす る集落群 は町境 でか な り明確 に分 か れ てお り,立 地上 の違い もさる こ となが ら,地 元 自治体,あ るい はそれ と範 囲 と同 じ くす る農協 な どの方針 が農業 地域 分化 に及 ぼす影 響力 の 大 きさ をあ らた めて 感 じさせ られ るので あ る。 これ らに対 して 太平 洋 側 の地域 は,か つ て は農業専 業率 の高 い 地域 で あ ったが,や や兼 業化 が進展 しつつ 施 設 園芸 に特 化す る集落群 と,露 地野菜 に力 を入 れ る集 落群 に はっ き り と分 化 した 。 この違 い が現 れ る最 も大 きな要 因 は,土 地 条件 の差 で あ る。次 章 にお いて赤 羽根 町 内 を例 に して も論 じるが,太 平 洋側 の地 域 にお いて は,東 にい くほ ど耕地 が 開 けて お り,西 の半 島先端 部へ い くほ ど耕地 適 地 は限 られ る。 したが って,東 の露地 野菜 が,西 部 には土 地利 用型 部 には土 地 節約 型 の施 設 園芸 が発 展 したので ある。 もっ と もこの 分化 は, 1960年 時点 で もあ る程 度 明確 で あ り,赤 羽根 町か ら渥美 町太 平 洋側 の一 体 は,豊 川用水 通 水 前か らす で に施 設 園芸 に関す る技術 を蓄積 してい たの であ る13)。 また,土 地 条件 の差 異 は漸 次 的で あ り,田 原 町 と赤 羽根 町 の町境 の両 側 で大 き く異 なる もの では ない 。 したが って,こ の1型 とH型 の集 落群 もまた,各 町の対 応 に よって 影響 を 受 けてい る とい え よ う。 5.お わ りに 以上,日 本 有数 の 農業 地域 で あ る渥美 半 島地域 を対 象 と して,1960年 以 降 にお け る農業 地域 の分 化過 程 をみて きた。地域 分化 の要 因につ いて はす でに前 節 にお い て考察 したの で, ここで はそ こか ら示 唆 され る点 を,次 章で扱 う施設 園芸 地域 を意識 しつ つ考 察 したい 。 渥美 半 島 農業 の この30年 間 の変 化 は,大 き くみ れば,条 件 不利 地域 か ら一 大農 業地 域へ の変化 と して捉 え られ よ う。慢 性 的 な水 不 足 に悩 むか つ ての条件 不利 地 域 が,用 水 の通水 や補助 事 業 の導入 な どに よって,畑 作.施 設 園芸 を中心 とす る大 農業 地 域へ と変貌 したの で ある。 そ の結果,ほ とん どの地域 にお い て作 目の転 換 が お こな われ,場 合 に よって は生業 の転 換 す らお こな われ た。作 目の転換 は具 体 的 には,畑 作 にお け る穀類 か ら野 菜へ の転換 や, 98 水 田 か ら畑 作 へ の 転 換,畜 産 の 導 入 な ど で あ り,生 業 の 転 換 は 漁 業 あ るい は 半 農 半 漁 状 態 か ら農 業 専 業 へ の 転 換 で あ る 。 しか し な ぜ,こ う した 大 転 換 が 成 功 し た の だ ろ う か 。 こ れ に つ い て,農 業 者 の 主 体 的 側 面 か ら み て 示 唆 さ れ る こ と は,こ 心 の 地 域 で は な か っ た,し の地域 が水 田農業 中 た が っ て 農 業 者 の 社 会 が そ れ ほ ど水 田 社 会 的 で な か っ た と い う 点 で あ る 。 水 田 社 会 の 特 徴 を 共 同 規 制 の 強 さ と考 え る と,そ う し た 規 制 が 弱 い 分 だ け,新 し い も の へ の 転 換 が 容 易 な の で は な い か と思 わ れ る か ら で あ る 。 そ の 意 味 で,結 局 兼業 化 へ 向 か う 地 域 が 水 田 中 心 で あ っ た こ と も ,立 唆的 なの 地 的 要 因 が 大 き か っ た と は い え,示 で ある。 つ ま り こ れ は 非 稲 作 社 会 の 可 能 性 と も い う べ き課 題 で あ る 。 次 章 で は,施 あ る 赤 羽 根 町 を 対 象 に し,そ 設 園芸 地 域 で こ に お け る農 業 者 の 人 間 関 係 を み て い く。 施 設 園 芸 は 開始 時 に ま と ま っ た 投 資 の 必 要 な 部 門 で あ り,そ れ ゆ え に ま ず 開 始 時 に 決 断 力 を 要 す る 。 ま た, 施 設 で つ く る 作 物 の 変 化 も 大 き い 。 つ ま り,経 し い 。 そ う し た 状 況 に 対 し て,赤 営 環 境 は稲 作 に 比 べ る と不 安 定 で 変 動 が 激 羽 根 町 の 農 業 者 た ち は どの よ う な 人 間 関 係 を形 成 しなが ら対 応 して き た の か 。 そ の 分 析 の な か か ら.こ れ まで 主 流 を 占 め た水 田 社 会 的 農 村 認 識 あ る い は水 田 社 会 的 農 業 者 認 識 を再 考 す る た め の 手 が か りを探 りた い と思 う。 注 1)農 林 漁業 基 本 問題 調査 事 務 局 『 農 業の 基本 問 題 と基 本対 策 2)柏 祐 賢 「 戦 後 農政 の 理念 と現実 」柏 祐 賢 年.PP.8-10な 解 説版 』農 林統 計協会,1960年.P.2。 坂 本慶 一 編著 『 戦 後農 政の再 検討 」 ミネ ル ヴ ァ書 房,1978 どを参照 。 3)前 掲 『農業 の基 本 問 題 と基 本対 策 解 説 版』,P.85。 4)『 同上書 』,P36。 5)選 択 的拡 大 政 策 の破 行 的側 面 につ い て は,柏 6)牧 野 由朗 「第1章 ・坂 本編 著 『 前掲 書 』,PP,133-174が 豊川 用 水 の 開通 と渥 美 農業 問 題提 起 的 であ る。 農 村 の変 容 」 『 豊川 用水 の 開通 と渥 美 農業 農 村 の変 容 』 愛知 大 学綜 合 郷 土研 究所 紀 要,1984年.P.3。 7)主 成 分分 析 に よる農 業地 域 の類 型 化 を試 み た もの と して は,山 田三郎 「ア ジア諸 国 の農 業特性 と農 業地 域 類 型」 『 農 業経 済研 究』 第47巻 第1号,1975年 1988年,PP.23-51な 8)小 川 智士 や,長 谷 山俊郎 『 地 域 農業 展 開の論 理 』 明文書 房, どがあ る。 伊 藤 鎗市 「 渥 美 の農 業(一)」 「 農林 統 計 調査 』,1963年5月 号,p33。 9)主 成 分分 析 法 の詳細 につ いて は,奥 野忠 一 他 『 多変量 解析 法 」 日科技 連 出版 社,1971年,pp.15g-257, あ るい は田 中豊 脇 本和 昌 『多変 量統 計 解析 法 』現 代 数学 社,1983年,PP.53-97な ど を参 照 され た い。 また,具 体 的 な計 算 につ い て は,計 量 経 済分 析 用 アプ リケ ー シ ョン ソフ ト 「 マ イク ロAGNESSVer.3」 99 の 主 成 分 分 析 プ ロ グ ラ ム を 使 用 し た 。 な お こ の プ ロ グ ラ ム に お い て は,変 量 は 平 均 値0,標 準 偏 差1に 標 準 化 さ れ て い る 。 稲 葉 弘 通 『パ ソ コ ン に よ る 計 量 分 析 一 経 済 分 析 の た め の マ イ ク ロAGNESS-』 統 計 協 会,1987年 農林 を参照 。 10)奥 野 他 『前 掲 書 』,P.1g4。 11)1960年 の み の22個 の 変 数 に つ い て 主 成 分 分 析 を お こ な い,1960→90年,1990年 1主 成 分 と第2主 30.7%,第2主 の 場 合 と 同様 に,第 成 分 を 両 軸 とす る グ ラ フ を 作 成 す る と下 図 の よ う に な る(寄 成 分:17.4%,因 与 率 は,第1主 成 分: 子 負 荷 量 に つ い て は 省 略)。 ↑ 畑 △ △5 4 第 3◇ △ 2△ △。 義 。2。9ロ 論 分o(ム ス ー8-64・ 藻 弓 ㌔ ● ・。 ◇ぷ .● 亀2曽 コ ち● ・◇ 《 》 ● 諄46 ア ム △ 、型 ・ 水 田On型 ↓ 一 専業 度 大 ・ △ 口 皿型. ◇Iv型 ● その他 こ こ か ら 皿型 とIV型 の 違 い は,m型 。-2● 。♂3◇ 。 馬 。。 詑 ◇ 一4 一5 第1王、成 分 ス コ ァ 兼業 度 大 → の 方 が や や 兼 業 化 の 程 度 が 弱 く,畑 地 を主 体 とす る 点 に あ る。 12)前 注 を参 照 。 13)こ れ に 関 して は,渡 農 村 の 変 容 』(前 辺正 「第2章 掲),P.18-48な 施 設 園 芸 農 業 の 展 開 と村 落 の 変 容 」 「豊 川 用 水 の 開 通 と渥 美 農 業 ど を参 照 。 ・100・ 第5章 施 設 園芸 発展 地域 にお け る社 会 的組織 原理 前 章で 考察 した 渥美 半 島地 域 の うち,施 設 園芸 へ の 特化 が み られる赤 羽根 町 をお もな対象 と し,産 地 発展 を支 えた 人間 関係 につ いて 考察 す る。 赤 羽根 町 は かつ て は半 農 半漁 の寒 村 であ り.そ れゆ えに一般 的 な稲 作 社 会 とは異 な る文化 的伝 統 を持 っ てい る。 本 章 で はそ れ を組 織 原理 とい う概 念 か ら捉 える。具 体 的 にはつ きあ い関 係 に注 目す る こ とに よって,そ う した原 理 に基 づ く組織 を明 らか に し,施 設 園芸発 展 と ともにそ の組 織 が どの ような形 で現 れ,ど の よう な機能 を果 た してい るの か を考察 す る。 1産 地 組 織 と文 化 戦 後 日 本 農 業 の 発 展 を 考 え る 場 合,個 別 の 農 業 経 営 体(者)と と も に,産 地 と呼 ば れ る 地 域 的 経 営 体(者)集 団 が 大 き な 役 割 を果 た し て き た こ と は,周 知 の と お りで あ る 。 公 的 な 定 義 に よ る と,こ こ で い う 産 地 と は 主 産 地 の こ と で あ っ て,「 特 定 の 作 目を き わ め て大 量 に 生 産 し,一 定 時 期 に 多 量 に 出 荷 し,市 場 価 格 に 大 き く影 響 を 及 ぼ す 」 市 町 村 を基 本 的 範 域 と す る 生 産 地 を さ す1)。 こ れ ま で こ の 産 地 を め ぐ っ て,農 業 経 営 学,農 業 地 理 学 な どの 分 野 で 多 く の 業 績 が 積 み 重 ね ら れ て き た2)。 そ の な か で 農 業 経 営 学 に お け る 産 地 の 捉 え 方 の 特 徴 は,産 さ れ た も の と見 な す と こ ろ に あ る 。 た と え ば,浅 だ け 」 で な く,「 地 を組 織 化 見 淳 之 は 「経 営 が 地 域 的 に 集 ま っ て い る 計 画 的 に 組 織 を 形 成 し」3》て い る 産 地 を 対 象 と し,内 基 礎 と しつ つ 組 織 と し て の 産 地 を 論 じ る 。 ま た,産 部 組織 の経済 学 を 地 と い う用 語 は 強 調 さ れ て い な い が, 高 橋 正 郎 も 組 織 論 を 農 業 経 営 学 に 先 駆 的 に 導 入 す る な か で,実 質 的 に は 組 織 と して の 産 地 を論 じ て い る4)。 しか し,組 織 と し て の 産 地 に 対 す る 農 業 経 営 学 の 主 要 関 心 は,産 境 の な か で,生 産 組 織 や 販 売 組 織,さ う な 機 能 を も ち,ど ゆ え に,通 ら に は 農 業 関 連 組 織(農 地 を 取 り巻 く経 済 的 環 協,自 治 体 な ど)が どの よ の よ う な 動 き を示 す か を 明 ら か に す る と こ ろ に あ る と い え よ う 。 そ れ 常 は そ う し た 組 織 に 付 随 す る 経 済 的 機 能 以 外 の 諸 側 面,す な わ ち経 済 的 組 織 を 支 え る 文 化 的 側 面 に ま で 踏 み 込 む こ と を し な い5)。 本 章 で 扱 い た い の は,こ う した 産 地 組 織 の 文 化 的 側 面 で あ る。 こ れ は産 地 組 織 を支 え る 個 性 的 秩 序 と い い か え て も よ い 。 文 化 的 側 面 を 取 り あ げ る 意 図 は,近 年 の企 業組織 研 究 に お け る 組 織 文 化 へ の 着 目 に 通 底 す る 。 組 織 文 化 研 究 の 第 一 人 者 で あ るEHシ 文 化 を,「 ャ イ ンは あ る 特 定 の グ ル ー プ が 外 部 へ の 適 応 や 内 部 統 合 の 問 題 に 対 処 す る 際 に 学 習 し た, 101 グループ 自身 に よっ て,創 られ,発 見 され,ま た は,発 展 させ られ た基 本 的過 程 のパ ター ン」6)と定 義 し,そ れ は ひ とた び形 成 される と 「環境 の何 を知覚 し,環 境 を どう認識 す る か に影響 を及 ぼす 」7}と い う。つ ま り,文 化 とは組 織構 成員 の知 覚 や認識 に まで 影響 を及 ぼす ほ ど根 底 的 な もの を さす 。 しか し同時 にシ ャイ ンは,企 業経 営 の新展 開の ため に,そ の文化 を分析 し,場 合 に よって は変 える こ とを も学 ば ね ばな らない.と い う8)。 そ の ため には,根 底 的で あ るが ゆ えに,ま ず そ の文化 なる もの を明示 し,構 成員 に認 知 させ る こ と が必 要 とな ろ う。 これ を本 章 の課 題 にあて はめ て い う と,産 地組織 を構 成 す る人 々の知 覚 や認識 の レベ ル に まで さか のぼ り,そ こに働 く基本 的 パ ター ンを明示 す る こ とに よって,文 化 レベ ルで の 変 革 を起 こす 糸 口 を探 る とい うこ とに なる。 この 目的 に接 近 す る ため に,こ こで は組 織 原 理 とい う概念 を用 い たい。 組織 原 理 とい う用 語 は定 義 な く用 い られ る場合 もおお いが,こ こで は東南 アジ ア社 会研 究 者 で あ る前 田成 文 の定義 に依拠 す る。 前田 は まず,組 織 とい う語 を 「集合 体 の形 成あ るい は形 成過 程」9)と 過程 論 的 に捉 える。 形成過 程 とは具 体 的 な組 織 の歴 史 的形成 過程 をい うので は な く,組 織 の動 的側面 を捉 える とい う意 味で あ る。 そ して,そ の過 程 にお いて 「人 間関係 の流 れ の 中で 自然 発生 的 にでて くる秩 序」10)を組 織 原理 と規定 し,東 南 アジ アの生 活世界 に見 られ る組 織現 象 を考察 す る。 したが って組 織 原理 を分析 枠組 み とす る本 章 の課題 は,産 地 組織 の動 的過 程 に注 目 し, そ こ に働 く自然 発 生 的,す な わち 自明 的秩 序 を明 らか にす る こ とに ある。 そ う した組織 原 理の追究 は当然 なが ら,歴 史 的分析 を要請 す る こ とになる。産地組 織 その もの は,そ の 時 々 の経 済 的要請 か ら生 まれ る と して も,そ れ を組織 化 す る原 理 はそ の 時 に存在 し,そ れゆ え に過 去 の遺産 で あ る もの に依 拠 せ ざる をえない か らで ある。 その 意味 で,本 章 は組織 原理 か らみ た産地 の社 会 史 とい って もよい 。 ところで,一 般 に産 地 と呼 ば れ る地 域 の特徴 は生 業面 で の 同質性 に あ る。戦 後 農業 の変 貌 の なかで,産 地 の農 家 は全層 的 に特 定 の作 目に特 化 した 。す な わち産 地 は,日 本 の大 多 数 の農家 が兼 業 化 を志 向す る なかで,生 産の場 と生 活 の場 の一致 が保 たれ て きた地域 なの で あ る。 したが って,対 象 と しての産 地社 会 には,作 目変化 に応 じた組 織原 理 の働 きや変 化 を,そ の よ うなあ る一 定の 条件 下 にお い て把 握 す る こ とが で きる とい う利 点 が ある。 こ の 関心 は,た とえば特 定 の組織 原 理 は特 定 の経 済 的基 盤 に対 応 す るの か1b,な どの社 会変 動 に関す る根 源 的 問 いか け につ なが る。本 章 の みの事 例 か らこの 問い に対 す る明確 な回答 を導 き出す の は困 難 で あるが,こ う した 問 い も また序 章 で示 した 農業社 会 学 の領 域 にあ る 102・ ことを確 認 して お きたい 。 具体 的 に産地 の組 織 原理 を捉 える方法 と して は,生 産 出荷組 織 な どの明確 な組 織 的集合 体 を対象 とす る よ りもむ しろ,よ り生 活 に近 く,よ りイ ンフ ォーマ ルな農業 経営 者 た ちの つ きあい 関係 に着 目 したい 。つ きあい 関係 を,経 済 的 機 能 的側 面 と慣 習 的 ・生活 的側 面 の媒介 とみ る こ とについ て は,す におい て述 べ た とお りで あ る。 生 で に序 章 お よび第1章 活 面 を も視 野 に含 め る こ とに よって,よ る。 また,実 態把 握 にあ た って は,ア り自然 発 生 的 な秩 序 に接 近 で きる とい う意 義 もあ ンケ ー ト調査結 果 お よび個 別 の聞 き取 り結果 を利 用 す る。 2.調 査 地域 の概 況 1)産 地発展 と集 落 の特徴 お もな対象 地域 は愛知 県 渥美 郡 赤羽 根 町で あ る。基本 法 農政 下 にお け る赤 羽根 町農業 の 変 貌 につい て は,す で に前 章 に おい て,渥 美 半 島全域 を論 じる なかで その趨 勢 を示 した。 ここで は.後 の議 論 と関係 す るか ぎ りで,赤 羽根 町 の生業 全般 の変 化 を手短 か に追 ってお きたい 。 戦後 か ら現 在 までの赤 羽根 町農 業 の変遷 は。大 き くい う と 「半農 半漁 」 的生活 か ら専 業 的農業へ の 変化 で あ った。 敗戦 直後 までの 漁業の 中心 的形 態 は地曵網 漁 であっ た。資料12)による と,1949(昭 年 には町内 に29統 の地 曳 き網 の組 が あ り,約750人 和24) の従事 者 が あった。 同年 の総 世帯 数 は 1,424戸 で あ り,し か も網 組 へ の参加 は1世 帯 か ら1人 とい う場合 が 多か った との こ となの で13),町 内 の おお よそ半 数以上 の世帯 が 漁業 とつ なが りを もって いた と考 え られ る(後 掲 表5-4参 照)。 その 後漁 業 は.沿 岸船 曵 網へ の転換 の 努力 もあ ったが,魚 族 の 減少 と他 地方漁 業者 に よ る沖取 りとが重 な り,昭 和20年 代 の 半 ば を ピー ク に して衰 退 して くる。 そ れ に代 わる もの は,結 局 の ところ温 室等 に よる施 設 園芸 だ った が,皆 が い っせ い に漁業 か ら施設 園芸 へ の 切 り替 えをお こなっ たわ けで ない。 赤 羽根 町 は,越 戸,若 見,池 尻,赤 西,赤 中,赤 東,高 松 の7つ の集落 か らな り,こ れ らが太平 洋岸 沿 い に西 か ら東 へ と並 ぶ配 置 に なって い る。 そ して,概 地が少 な く,東 にい くほ ど農 地 が多 くなってい る(表5-1)。 越戸 や若 見 な どの,農 こう した なか で温 室栽培 は, 地 の少 ない 西 部地 区 か ら広 が った(表52)。 103 して西 にい ぐほ ど農 そ れ らの地 区で はす で に 戦 前 か ら 温 室 が 導 入 さ れ て い た が,戦 り な ど で そ れ ほ ど増 え ず,急 中 や 戦 後 直 後 は 資 金 や 資 材 の 不 足,需 激 に 増 加 す る の は 昭 和20年 速 に 衰 え る 沿 岸 漁 業 と い う プ ッ シ ュ 要 因 に 加 え て,当 要 の にぶ 代 の後半 で あ る。そ の背景 には急 時 の 農 協(赤 羽 根 農 協)に よる資金 融 資 の 拡 大 とい うプ ル 要 因 もあ っ た とい う。 表5-1各 集 落 の 耕 地 条 件(1990年)表5-2集 落 別 施設 園芸 農家 率 の推移 集落 名 農家1戸 あ た り耕 地 面積1960年1970年1980年1990年 (経営耕 地:a) (%)(%)(%)(%) .797.491.398.6 越戸53・8越 戸74 若見65.8若 見52 .790497・198・7 池尻78・0池 尻35 .275.988.395.6 赤西98.1赤 西17 赤 中98.1赤 中 .268,481・386・3 一70 .876・586・0 赤東118.9赤 東6 .276.974・876・0 高松114.6高 松17 .363.878・988・1 注)農 林業 セ ンサ ス よ り。 注)農 林 業セ ンサ ス よ り。1960年 赤 中 は,資 料 に よる と 94.9%と な るが,き わめ て疑 わ しい ので 非表示 と した。 また,1990年 そ れ に 対 し て,比 は販 売 農家 の み にお け る比 率 を表 わす 。 較 的 農 地 の 豊 富 な 町 東 部 の 地 区 は,と で 漁 業 の 衰 退 に 対 処 し よ う と し た 。 そ の 結 果,1960年 りあ えず 畑 作 に力 を入 れ る こ と の 農 業 セ ンサ ス に よ る と,当 時 の赤 羽 根 村 で は 実 に 多 種 多 様 な 作 物 が 作 ら れ て い た こ と が わ か る 。 水 田 は 全 経 営 耕 地 面 積 の39 %に す ぎ ず,の こ りの6割 イ カ な ど の 野 菜 類,ら は メ ロ ン や キ ク,ト 以 上 を 占 め る 畑 地 に 麦,さ っ か せ い.た つ ま い も,各 種 豆 類,キ ャ ベ ッ,ス ば こ な ど が 栽 培 さ れ て い た 。 や や 増 加 して き た 温 室 で マ トな ど が 作 ら れ て い た が,ま だ 花 卉 につ い て は温 室 栽 培 よ り も露 地 栽培 の 方が 多 か った。 こ の 状 況 を 一 変 さ せ た の は,1968(昭 和43)年 温 室 経 営 が 伸 び 悩 ん だ 大 き な 理 由 の ひ と つ は,用 施 設 の 発 展 を 施 設 別 面 積 の 推 移 で み る と(図51),ま の豊川 用水 の完 成 で あっ た。そ れ までの 水 の不 足 に あ っ た か らで あ る。 通水 後 の ず ビ ニ ー ルハ ウ ス や パ イ プ ハ ウス な ど の 比 較 的 簡 便 で 多 額 の 資 金 を 必 要 と し な い 施 設 が 爆 発 的 に 増 加 す る 。 こ の 背 景 に は, 1970(昭 和45)年 以 降 の 減 反 政 策 が あ り,そ ら れ た 。 そ の 後,1970年 面 積 が 増 加 す る 。 ま た,こ れ を 機 会 に 多 くの 水 田 が 施 設 用 地 に 振 り向 け 代 後 半 を 中 心 とす る 温 室 団 地 の 建 設 に よ っ て,ガ ラス 室 等 の 温 室 の 時 期 に は 畜 産 関 係 の 大 規 模 多 頭 飼 育 農 家 も現 わ れ る 。 104一 図51種 類 別 施 設 面 積 の 推 移(赤 15000■ ◎ 目室 羽 根 町) 力・一 室 ^10000 ε 樫5000 0 「)「 〕L「 〕 ド)寸r〕 ⊂ハ ⊂h⊂h⊂hOh〔 「 〕o「 旧 〕o『)⊂ 卜 α⊃ ハ 〔抑 卜 ハ α⊃ ハ α⊃ ⊂n⊂ 年次 注)『 赤 羽根 町 農業 要 覧 平 成3年3月 』,PP.17-18よ 温 室 団 地 建 設 の 時 の 中 心 的 な 作 型 は.ト り作 成 。 マ トーメ ロ ン,キ ク ー メ ロ ン,あ マ ト ー メ ロ ン な ど で あ っ た 。 しか しそ の 後 し だ い に キ ク に 重 心 が 傾 き,メ 減 少 傾 向 に あ る 。1975(昭 の15年 の 問 に,メ い る 。 一 方.施 し て91%に 設花 卉 和50)年 成2)年 ロ ン を 含 む 施 設 野 菜 の 面 積 は60%に 設花 卉 花 木 類 は,面 積 で150%近 な っ た 。 した が っ て 栽 培 農 家1戸 成2)年 の 比 率 は85%で 現 在,総 (平 成2)年 て い る が,そ と っ て,施 農 家 戸 数863戸 あ る 。 集 落 別 に み る と,耕 る 集 落 の 施 設 農 家 率 が,や の 農 業 セ ンサ ス を 比 較 す る と,こ 減 少 し,栽 培 農 家 数 は73%に く に ま で 増 加 し,栽 あ た りで み て も,施 滅 って 培 農家数 はやや減 少 設 野 菜 面 積 は 縮 小 し,施 の う ち 施 設 の あ る 農 家 戸 数 は737戸 地 面 積 の 狭 い 越 戸,若 見 な ど,町 は り現 在 に お い て も 高 く な っ て い る(表52)。 度 の 農 協 取 扱 い 販 売 額14)を み る と,施 の う ち キ ク の 販 売 額 が55%を で あ り,そ の西 に位置 す ま た,1990 設 園 芸 に よ る 作 目 の 販 売 額 が78%を 占め 占 め る 。 農 業 以 外 に さ した る 産 業 の な い 当 町 に 設 園 芸 ひ い て は 施 設 ギ ク 栽 培 は,現 在 に お い て 生 業 の 柱 と い え よ う 。 し か し近 ク 以 外 の 切 花 や 観 葉 鉢 物 を 選 択 す る 農 家 も で て き て い る 。 こ こ 数 年 来,総 に 大 き な 変 化 は な い が,作 施設 面積 目 的 に は 多 様 化 の き ざ し が み ら れ る と い っ て よ い 。 す な わ ち, 施 設 園 芸 産 地 と し て の 発 展 経 過 を ふ ま え て い え ば,現 拡大 ロ ン や トマ トは 花 木 類 の 面 積 は拡 大 した こ と に な る 。 1990(平 年,キ と1990(平 るい は キ ク ー ト 充 実 が 重 要 で あ っ た 時 代 か ら,そ 在 は,経 営 発展 に とって施設 の規 模 の 施 設 で 何 を ど の よ う に 作 る か とい う,栽 や 経 営 才 覚 に よ る 勝 負 へ と 移 り つ つ あ る と規 定 で き よ う 。 105 培技 術 2)2つ の ア ンケ ー ト調査 の概 要 本章 で利 用す る2つ の ア ンケー トの うち,中 心 とな るの は赤 羽根 町農協組 合 員,正 確 に は組合 員農 家 の経 営 主 を対象 に,1991年11月 略記)で に実施 した ア ンケ ー ト(以 後[赤 羽根91]と あ る。 こ の ア ンケ ー トの 配付 回収 につ い て は,具 体 的 な対 象者 を も含 め て全面 的 に赤 羽根 町農協 に委 託 す るか た ち とな った。 回答数 は739で あ る。 農協 側へ 全 面委 託 の ため配付 数 は不 明 で あるが,当 該農協 の話 に よ る と,組 合員 の う ち 「農家 ら しい農 家」 に配付 した との こ とで あ る。 ち なみ に1990(平 2)年 の 農業 セ ンサ ス による と,赤 羽 根 町の総 農 家数 は863戸.う てい る。 この販売 農 家820戸 を母数 にす る と,回 収率 は90.1%と ち販 売 農家 が820戸 成 とな っ なる。な お正組合 員世 帯 は, 1993年 時 点 で1,006戸15)あ り,「 農家 ら しい 農家」 で あって,組 合 員 で ない もの は皆無 と い って よい. いま ひ とつ補 助 的 に用 い るア ンケー トは,赤 羽根 町若見 集 落 と渥 美 町西 山集 落 につ いて, 農家 の18歳 以上 男 女 全員 を対 象 に1992年11月 と略記)。 に実施 した もの で ある(以 後[若 見 西 山92] この ア ンケ ー トは,田 原 農業改 良普及所 の協 力 の もとに各 集落 の 区長 を通 じて 実施 され た。対 象 はや は り 「農家 ら しい農家 」 で あ るが,そ の判 断 は区長 に任 され たため, この ア ンケ ー トもまた正確 な配付 数 は不 明 で ある。 回収 数 は若見438,西 山274で ある。 ち なみ に1990年 セ ンサ ス に よるそれ ぞれ の集落 の 16歳 以 上 の販売 農 家 人 口 は若 見656人,西 若見67%,西 山76%と 山362人 で あ り,こ れ らを母 数 にす る と回答 率 は なる。 西 山集落 は この付 近 で は唯一 の戦 後 の 開拓 集落 であ る。 町内近 傍 か らの入植者 は3分 の 1程 度 で あ り,残 りは名 古屋 周 辺 や富 山 な どか らの 入植 者 が 占め る。 また,作 菜 中心 で あ る。 これ らの点 で西 山は,古 目は露地 野 くか らの慣 習が 存続 し,施 設 園芸 中心 で あ る若 見 とは,対 照 的 な性 格 を もつ 集落 となって い る。 3.施 設 園芸発 展 以前 の社会 と慣 習 本節 で は,施 設 園芸 産地 の組 織 原理 を考 える前段 と して,そ れ以 前 の生業 形態,つ まり 漁業 を中心 と した社 会 にお け る組 織 原理 につい て考察 して お きたい。先 に も述 べ た ように, 組織原 理 に注 目す る ばあ い,施 設 園芸 産 地 と して の発展 は,そ れ以前 の生業 形態 にお ける 組 織原 理 を歴 史 的前 提 条件 とす る こ とに よっての み展 開 しうる と考 え られ るか らで あ る。 赤羽 根 町 の海岸 沿い は太 平 洋 に面 す る砂 浜が続 き,従 来 は港 ら しい港 ので きない地形 で 106・ あ っ た 。 漁 業 形 態 が 古 くか ら地 曵 網 中 心 で あ っ た の は こ の 理 由 に よ る 。 他 地 域 漁 業 者 に よ る 沖 取 りの 問 題 は す で に 近 世 中 期 よ り 文 書 に 現 わ れ る が,近 す 顕 著 に な る 。 し か し,第 業 者 が 減 少 し,敗 代 に入 る とその傾 向 は ます ま 二 次 大 戦 中 に 大 型 船 の 徴 用 や 漁 民 の 応 召 な ど に よ り,沖 戦 直 後 ま で の 短 い 期 間 で は あ る が,一 取 り漁 時地 曵網 の豊 漁期 間が あ った とい う16)。 以 上 を背 景 と しつ つ,1951(昭 和26)年 の 資 料17)に よ っ て,当 業 従 事 者 数 と そ の 年 齢 構 成 を み て み よ う(表5-3)。 よ る 違 い が あ る か も しれ な い が18),ま る と,60%あ ず,先 時の赤 羽 根村 にお ける漁 資 料 の 出 所 が 異 な る の で,調 に 述 べ た1949(昭 ま り に 減 少 し て い る こ と が わ か る 。 す で に,地 和24)年 べ方に の 従 事 者 数 と比 べ 曵網 漁 は衰 退傾 向 にあっ たの で あ る。 表53年 齢 別 漁 業 従 事 者 数(1951(昭 年齢 階級 漁 業従 事者 数(人)構 和26)年 赤 羽 根 村) 成比(%) 17∼20歳7516.2 21∼30歳209452 31∼40歳9219.9 41∼50歳56121 5!∼60歳2452 61∼65歳613 合 計4621000 注)本 文注19参 照 。 年 齢 構 成 は,40歳 以 下 で8割 以 上 を 占 め て お り,30歳 以 下 の 青 年 層 だ け で も6割 て い る 。 つ ま り 当 時 の 漁 業 は 青 年 層 を 労 力 の 中 心 と し て い た 。 ま た,家 と,世 帯 主 と長 男 が 多 い 。 し か も,先 に も述 べ た よ う に,一 漁 業 に 従 事 す る こ と は ま れ で あ る 。 つ ま り,各 と,自 分 は そ の 網 組 か ら 引 退 し,農 表54は.そ 越 戸,池 族 内 の地位 で み る 家 か ら世 帯 主 と長 男 の 両 方 が 家 の 青 年 層 に あ た る 男 性 が,い 代 表 し て 網 組 に 参 加 し た の で あ る19)。 そ の 世 代 の 父 親 は,息 に達 し わば一家 を 子 が 網 組 に は い る年 齢 に な る 業 な ど に従 事 した とい う。 生 業 の 世 代 間 分 業 で あ る。 の 当 時 の 漁 業 の 重 要 度 を集 落 別 に み よ う と し た も の で あ る 。 こ れ に よ る と, 尻 な ど 町 西 部 の 集 落 に お い て や や 漁 業 従 事 者 率 が 高 く な っ て い る が,施 展 に お け る 当 時 の 不 均 衡(表5-2,1960年 欄 参 照)に え よ う。 107 比 べ る と,町 設 園芸 発 内 の 差 異 は 小 さい とい 表54集 落 別 漁 業 従 事 者 数(1949(昭 総世 帯 数 総 人 口① 和24)年) 網数 漁 業従事 者 数 漁 業 従事 者 率 ② ②/①(%) 越 戸11870939313.1 若 見2361,325513199 池尻1569204108117 赤西1961,1763827.0 赤 中1771,0121424,2 赤東1681,0915109100 高 松3732,40261807.5 合 計1,4248,635277458.6 注)本 文 注13参 照。 ま た,渥 美 半 島 一 帯 に は か つ て 寝 宿 の 習 俗 が あ っ た20)。 当 地 に お け る 「寝 宿 の 習 俗 は, ほ ぼ 青 年 期 に 達 し た 若 者 一 十 五 歳 前 後 一 が 妻 帯 期 ま で 寝 宿 を 取 り,多 く の 場 合,結 婚には 宿 親 が 何 等 か の 形 で 関 与 す る 」2Dと い う も の で あ っ た 。 明 治 以 降 に お け る 当 地 の 寝 宿 の 特 徴 は,未 婚 の 男 子 青 年 た ち に 「一 人 前 」 教 育 を 受 け さ せ る と い う 訓 育 的 目的 を 持 っ て い た と こ ろ に あ る 。 し か し,と 係 が,す く に 漁 業 の 重 心 を お く赤 羽 根 な ど で は,か つ て は 網 元 一網 子 関 な わ ち 宿 親 一 宿 子 関 係 で あ っ た と 考 え う る と い う22)。 つ ま り,寝 宿 は漁 業 とい う 生 業 形 態 に 相 応 し た 社 会 制 度 で あ っ た と考 え ら れ る の で あ る 。 戦 後 に お い て も,網 属 す る 未 婚 青 年 は 必 ず そ の 網 元(親 もに し た 。 寝 宿 の 制 度 自 体 は,昭 宿 親 で あ っ た 家 と宿 子,あ 方)の 和30年 宿 の 宿 子 と な り,同 組 に所 じ網 の 青 年 た ち と 起 居 を と 代 に 消 滅 す る 。 しか し宿 を め ぐ る 結 び つ き は 強 く, る い は 宿 子 ど う しの 問 の つ き あ い は 現 在 ま で 続 け ら れ て い る 。 せ た だ し網組 の運営 は,少 数 の有 力 な網 元 がい た集落 あった が,多 組的 な地縁 集 団 を組織 単 位 と して いた 。そ の意 味で,当 こ くは瀬 古 と呼 ばれ る村 時 より地縁 的集 団の 意義 も大 きか っ た。後 の議 論 の ため に もつ けそ えて お きた い。 寝宿 とい う未婚 青 年 の年齢 集 団 の ほか に は,聞 集 団 の存在 は確 認 で きない.し き取 りの か ぎ りにおい て,伝 統 的 な年 齢 た が って,村 落 類型 の ひ とつ と してあ げ られ る よ うな年齢 階梯 制 あ るい は世 代 階層 制 の村 落23)とい い きるこ とはで きない 。 しか し,未 婚青 年 を結衆 させ,同 輩 感 覚 を生 み だす よ うな年 齢 集 団が あ った こ と,お よび,集 団 と しては明確 で な い にせ よ,生 業 の分 業 とい うかた ち で世代 的 な階層 化 が形 成 され てい た こ とか ら,年 齢 あ るい は世代 秩序 は 当地 におい て組織 編 成 上 の ひ とつ の原理 とな ってい た と考 えて よい であ ろ う。 さ らに,現 在 で も男42歳 の厄 年 には,小 学 校単 位 で,町 外 に出てい った 同級 生 が ほ とん ど集 ま り 「厄 祭 」 をお こな って い る。 この こ とも同輩 仲 間の 重要 性 を今 に伝 える もの 108 と して興 味 深 い24}。 4産 地 を支 える 人間 関係 1)地 縁 の 意義 戦 後の赤 羽 根 町農 業 の展 開過程 につい て はす で に概 略 を述べ たが,施 設 の拡 大 とい うハ ー ド面 で の変貌 だ けで な く,そ の施 設 で何 を栽培 す るか とい う点 におい て も刻 々変化 して きた。 と くに近年 で はそ の傾 向が 強 まってい るこ とも指摘 した 。 この ような状況 下 にあっ て は,作 目や技 術 に関す る情 報 をい か に して入 手す るかが,個 別経 営 の観 点か らみて重 要 にな る。 図52は,[赤 羽 根91]の うち,主 力作 目の生 産技術 の情報 をお もに どこか ら得 て きた ノ のか につ いて 尋 ね た設 問 の結果 を,回 答 者 の年齢 階層 ご とにま とめ,図 化 した もので あ る。 情報 源の 選択 数 は2つ で あ る。 また情報 源 の項 目は,全 体 の 回答率 が 高 い順 に左 か ら並 べ てあ る。 図52年 齢 階 層別 の栽 培技術 情 報 源 (%) 60 ヨ ち 轟 、 率 むヨ に 諜 こ い …1 景 /\ 20獣 讐 .∼ 、 、1 渓 ・IA-・ へ \ メ 民き》 填 ノ ぐk渓 》 0 ー 家 や 施 ぴ が 同 じ 瀬 さ の 試 験 場 や タ 部 落 内 ロ め 町 内 の ユ の 市 場 な ど の 秀 奪 会1生 諺 ・ 笛 幾 霧 窒 ブ 馨 ・ 薯 き 藁 曇 ξ芝喪 誌 農 協 。 が 親 類 ・109・ 自 分 独 ヨ の 町 内 の ぬ の 同 朋 に ほ 藷 発 芸 重 家 趨 視 察 ・ ホ 簿 雑 誌 ・ ヰ 高 校 な ど の 墨 塁 そ の 他 全 体 と して みれ ば,「 く(全 体 の48.8%),そ (同16.2%)な 農協 ・部会 主催 の指 導会 」 とい う農協 関連 の 回答 率 が もっ と も高 のあ と 「 家 や施 設 が近 くの人」(同28.4%),「 同 じ瀬 古 の仲 間」 どの 地縁 的 な結 びつ きに よる情 報 源が くる。 しか し,赤 羽根 町農協 の場合, 支所 や各作 目別部 会 は地 縁 的 な集落 や そ の 中の瀬古(最 近 で は組 と呼 ば れ る こ とが多 い) を組織 的単 位 と して きた 。 したが って,人 の つ なが りとい う観 点か らみ れ ば,農 協 関連 の っ なが りも実 際 には地縁 的つ なが りを基礎 と してい る。 年 齢層 別 にみて も,地 縁 関係 を基礎 とす る情報 源 は重 要 で ある こ とが わか る。 しか し傾 向 として みれ ば,た 「部落 内 とえ ば営 農 活動 に活 発 と思 われ る30歳 代 に着 目す る と,情 報 源 と して 町内 の研 究 グルー プ」,「 町内 の他 の特 定 農家」,「 町外 の他 の特定 農家 」 が 相対 的 に もっ とも高 くなって い る。 また 「市場 などの業者 」 も,30歳 代 は低い が,20歳 代, 40歳 代 は高 くなっ てい る。つ ま り,若 年 層 には従 来の 地縁 的 関係 を越 え る動 きが み られ る のであ る。 こ う した 関係 の広 域化 の動 きにつ いて は,後 の5節 におい て若干 なが ら再 説 し たい. と もあれ,生 産 技術 の情報 源 とい う指標 か らみた場 合,大 枠 と しては集 落 ・近 隣的組 な どの地縁 的 つ なが りが基 盤 とな ってい る こ とが わか る。 もち ろん集落 の 自治 的組織 が農協 組織 の母 体 とな る こ と自体 は,か つて わが 国農村 に広 範 にみ られた事 実 であ る。特 記すべ きは,そ れ が赤 羽 根 町 におい て,全 町 的施設 園芸 産地 化 とい う状 況下 におい て現 在 まで続 いてい る こ とに あ る25)。 しか し,産 地 と して の赤 羽根 町 の組 織 原理 を考 え る場合,地 縁 とは多少 観点 を異 にす る 重 要 な原 理 を検 討 す る必 要 が あ る。 す な わち,前 節 で も指摘 した よ うな年齢 に よる組 織 原 理 で あ る。 そ の 関係 は,漁 業 時代 にみ られ た ような,網 組 の単位 と して の瀬古 とその 内部 を編 成 す る年齢 原 理 の 関係 に似 て い る。 しか も今 日の場 合,年 齢 原理 は地 縁 的集 団の 内部 構 成 的原理 とな る だ けで な く,地 縁 的 原理 を越 えた ひろが りを もつ よ うな原理 に もなって い る。 2)横 軸 と して の年齢 原 理 年 長者 を敬 う とい う一般 的 な年齢 秩序 は,農 村 にか ぎ らずか つ て はわが 国社 会 全般 に広 が ってい た秩序 とい え る。 ところが 当地 の年齢 秩序 は,ひ とつ には,前 節 で示 した よ うに, 民俗 的基 礎 を もっ てい る点 におい て一般 とは異 なる。 た ん に儒教 教 義 に基 づ く一 般 的 な長 幼 の序 とい うだ け で な く,そ こには生 業 に相応 した年齢 集 団 が あっ たので あ る。 と くに年 齢秩 序 に注 目す る第2の 理 由 は,年 齢 とい うデ ィス コース が彼 等 自身の社会 を説 明す る場 110 合 に,意 識 的 に 引 き合 い に 出 さ れ る か ら で あ る 。 こ の 点 は,集 落(区)あ る い は 農 協 の役 と え ば 農 協 関 係 の 役 職 者 を 選 ぶ 基 準 と し て,も ち ろんそ の職 にふ 職者 選 定 の 時 に顕 著 に現 わ れ る 。 聞 き取 り に よ る と,た さ わ し い 人 物 で あ る こ と は 重 要 だ が,そ や 理 事 は50歳 代,地 で は,区 れ 以 前 に 年 齢 の 基 準 が 大 き く働 く とい う 。 支 所 長 区 の 部 長 な ら30∼40歳 代 の 人 か ら適 任 者 が 選 ば れ る 。 また 地 区 の役 職 長 は 支 所 長 や 理 事 と 同 じ く50歳 代 か ら 選 ば れ.瀬 れ る と い う 。 注 目 す べ き は,こ 古 長 は30∼40歳 う し た 役 職 と 年 齢 層 と の 相 応 関 係 が,結 代 を中 心 に選 ば 果 と して で は な く, は じめ か ら意 識 さ れ て い る 点 に あ る 。 表55年 齢 階 層 別 の 役 職 経 験(回 役 職名20歳 代30歳 答 数) 代40歳 代50歳 代60歳 代70歳 代 区長000581 瀬 古 長(組 長)055951065014 農 協 理事 監事00022113 農 協 支所 長0001051 農 協 部会 長019363791 地 区の部 長2274361274 部会 の班 長1513611997337 実総 数3618820817910125 注)[赤 羽根91]よ こ の こ と を[赤 羽 根91]の り作 成 。 結 果 で 確 か め て み よ う と した の が 表5-5で ま で に 経 験 し た 役 職 を 尋 ね た た め.こ い 。 ま ず,区 関 係 で は,瀬 こ と が わ か る 。 ま た,農 30歳 代 か ら,支 古 長(組 あ る。 調 査 時 現 在 の 表 で は そ の 役 職 に 選 ば れ 始 め る 年 齢 しか わ か ら な 長)が30歳 代 か ら26},区 長 が50歳 協 関 係 で は 部 会 班 長 が20な 代 か ら選 ば れ 始 め る い し30歳 代 か ら,地 区の部 長が お もに 所 長 や 理 事 は 明 確 に50歳 代 か ら 選 ば れ る よ う に な る こ と が わ か る 。 や や 的 確 さ に 欠 け る が,先 の 聞 き取 りの ひ とつ の 裏 付 け とな ろ う。 こ の よ う な 役 職 選 出 基 準 の も と で,人 々 は 年 齢 層 が 高 くな る に し た が っ て,さ の 役 職 へ と あ た か も梯 子 を の ぼ る よ う に 移 っ て い く こ と に な る 。 い わ ば,役 制 で あ る 。 も っ と も,す べ て の 者 が 実 際 に 役 職 に つ ぐわ け で は な い し,上 ほ ど選 出 さ れ る 者 は さ ら に 限 ら れ て く る 。 し か し,こ し う る の で あ る 。 こ の 点 に お い て ま ず,過 位 の役 職 にな る ぶ もの の 意 味 で 制 度 化 さ れ て い る と見 な 去 の 漁 業 時 代 の 組 織 原 理 が,現 11L 職 の 年 齢 階梯 う し た 役 職 選 出 の 原 理 は,選 に 広 ぐ共 有 さ れ て い る か ら こ そ 成 り立 つ も の で あ り,そ ら に上 位 在 に 反 映 して い る とみなせ るで あ ろ う。 ところで赤羽 根 町 で は,同 期 に役 職 を した人 々のつ きあい が,役 職 の任期 が終 わ った後 も続 くとい う,こ れ もまた一種 の制 度 が あ る。 具体 的 には,た とえばそ の集落 に瀬 古 が9 っ あ る とす る と,同 期 にその 集落 の瀬 古長 を務 めた者 た ち9人 ら(瀬 古長 の場合 は通常 同 時期 の 区長 や会計 を も含 む)が,任 期 後 もお金 の積 立 をお こ ない,年 に1回 程 度,そ のメ ンバ ーで旅行 な どをす るの で ある。 こ う したつ なが りは,一 般 に当地 で オ ツキ アイ と呼 ば れ る もの の ひ とつ に含 まれ てい る。 そ こで こ う した つ きあ い 関係 を,同 期 役 職者 の オ ツキ ァイ と呼 ぶ とす る と,そ れ は例 にあげ た ような集落 内 の役 職 だ けで な く,集 落 を越 え る農 協 関係 の役 職 や消 防団 な どの役 職 に もみ られ る。 また,そ の 時の 区長 どう しの オ ツキ アイ もあ る。 た だ し,町 を こえた役 職 には基 本 的 にみ られ ない の で,さ しあた り町 内で完 結 し た制度 とみて よい 。 この よ うな同期 役 職者 の オ ッキアイが い つか ら始 まったか につ い て確 た る証 言 は得 なか っ たが,聞 き取 りの う えで は,1953(昭 和28)年 時の 区長 と瀬古 長 らに よるオ ツキ アイの事 例が最 も古 い 。起 源 と して は,か つ ての宿 親 と宿 子 た ちの 問 につ きあい 関係 が結 ばれ た と い う こ となの で,そ れが 範型 とな った可 能性 はあ る。 しか しと もあれ,昔 は少 な くとも現 在 の よ うに活 発 で は なか った とい う意見 が 多 く,施 設 園芸 発展 に ともな う金銭 的余 裕 の増 大 と,そ の過 程 にお ける農協 役 職組織 等 の整 備 を経 済 的制度 的背 景 と しなが ら,し だ い に 同期役 職者 の オツ キ アイが活 発化 して きた と考 え られ る。 役 職 につ くこ とが こ う した グル ー プ形 成 の契機 となるの で,生 涯 に多 くの役 職 を歴任 し てい く場合 に は,役 職 につ くたび に 自分 の所 属 す る グルー プ数 が増加 す る こ とにな る。 し か し実 際 は,任 期 後 もオ ッキ アイ グル ー プ として続 く場合 もあれ ば,そ る。 その 時 のそ の役 職 に選 ば れた者 た ちが,た うで ない場 合 もあ また ま気 が合 わな か った り,あ るい はその 中 に ま とめ役 が まった くい なか った りす る と,オ ツキ ア イ グルー プ として継続 しない とい う。 もち ろん,古 いつ きあい をや め る こ と もあ る。 [赤羽根91」 で は,こ う した 同期 役 職者 の オ ツキ アイの グルー プ数や そ の意義 につい て 尋 ね てみ た。 まず,同 期 役 職者 の オ ツキ ア イの数 にみ られ る特 徴 につ いて考 察 したい。 た だ し,お 金 を積 み立 て て一緒 に旅行 す る グル ー プ を形 成す る契 機 は,同 期 に役 職 を した こ とだ けで は ない 。後 にふれ る ように,税 理士 を頼 む青 色 申告 の グル ー プや,そ の集 落 に養 子 に きた 人 だ けで作 る グルー プ,そ の 他遊 び仲 間で作 った グル ー プな ど もある。[赤 羽 根 911で は,と くに同期役 職者 の オツ キア イの み につ いて尋 ね た ので,同 様 の グルー プ全 般 112 を含 め て 考 え る と,オ 表56集 ツ キ ア イ 数 は全 体 的 に 多 少 増 加 す る と思 わ れ る。 落 別平 均 オツ キア イ数 表57施 設(ビ ニールハウス+ガ ラス室) 規 模 別平 均 オ ッキ アイ数 集落名 平均 オ ッ キァ イ数 集落名 越 戸2.71所 平 均 オッ キア イ数 有 な し1.06 若 見3.17300坪 未満1.83 池尻2,85300∼700坪2.37 赤 西2.66700∼1000坪2.50 赤 中2,251000∼1400坪2.95 赤 東2.081400∼1800坪2.47 高 松1.871800坪 以上3.30 全 体2.52全 体2.52 注)た だ し,「9つ 以 上 」 は9つ と して 注)表5・6に 同 じ。 計算 した。 回答者 のみ を集 計 。 表56は,同 期 役 職 者 の オ ツ キ ア イ の 回 答 者 あ た り平 均 数 を,各 の で あ る.こ れ に よ る と,概 略 に お い て 西 の 集 落(表 で は 上 に 記 載 し た 集 落)の キ ァ イ が 盛 ん で あ る こ と が わ か る 。 こ の こ と か ら,次 第1は,こ 集 落 ご と に ま とめ た も う し た 差 異 の 原 因 が 漁 業 社 会 の 強 弱,し の2つ の 可 能 性 が 導 か れ る。 た が っ て そ こか ら派 生 す る年 齢 原 理 の 強 弱 に 由 来 す る と い う可 能 性 で あ る 。 同 期 役 職 者 の オ ツ キ ア イ グ ル ー プ は,先 役 職 の"年 齢 階 梯 制"と 考 え 合 わ せ る と き,単 階 層 的 側 面 だ け で な く,ほ が わ か る.つ ま り,同 方 が オッ に述 べ た に 同 じ階 層 の 役 職 を 同 期 に 経 験 し た とい う ぼ 同 年 齢 層 の 者 の 集 ま り で あ る と い う年 齢 的 側 面 を も も つ こ と 期 役 職 者 の オ ツ キ ア イ も ま た,半 農 半 漁 時 代 に 培 わ れ た年 齢 に よ る 組 織 原 理 を 反 映 し て い る と思 わ れ る の で あ る 。 した が っ て,先 に み た よ う に 敗 戦 直 後 の 時 期 に お い て,若 重 要 度 が 高 か っ た こ と を 考 慮 す れ ば,元 表5・6の 来,漁 干 な が ら町 西 部 の 方 が 漁 業 の 業 が 盛 ん で 年 齢 原 理 も 強 か っ た か ら こ そ, よ う な 差 が 生 ま れ た と考 え う る 。 も と も との 生 業 基 盤 の 違 い が 今 日の オ ツ キ ア イ 数 の 差 と な っ て 現 わ れ て い る とい う推 論 で あ る 。 第2は,む しろ 施 設 園 芸 へ の 特 化 度 合 い とオ ツ キ ア イ数 が 関連 す る とい う可 能 性 で あ る。 先 に 述 べ た よ う に,同 期 役 職 者 の オ ツ キ ア イ は,戦 発 に な っ た と い う 。 し か も,と へ の 特 化 が 早 く,今 後,施 設 園芸 が 発 展 す る に した が い 活 ぐ に 歴 史 的 に み た 場 合 に は,町 の 西 部 の 集 落 ほ ど施 設 園芸 日 で も そ の 傾 向 は 続 い て い る 。 つ ま り施 設 園 芸 へ の 特 化 傾 向 と オ ツ キ ア イ 数 が 相 関 す る の で あ る 。 した が っ て,同 期 役 職 者 の オ ツ キ ア イ は,施 113 設 園 芸 に 必 要 な, お そ ら く ひ と つ の イ ン フ ォ ー マ ル な 情 報 源,あ る い は 情 報 伝 達 の た め の組 織 と して 役 立 っ て き た の で は な い か と 推 論 で き よ う 。 ア ン ケ ー ト結 果 を み て も,施 設 規 模 の 充 実 した 階層 の 方 が オ ツ キ ア イ 数 が 多 く な っ て い る こ と が 確 認 さ れ る(表57)。 こ の2つ 両 者 は,相 の 可 能 性 の う ち どち らが 正 しい とい う こ と を 明 言 す る資 料 は な い 。 む しろ こ の 互 に 密 接 に 関 連 し つ つ,同 期 役 職 者 の オ ッ キ ァ イ と い う も の を 生 み 出 し,そ を 継 続 さ せ て き た と 思 わ れ る 。 し か し,継 れ 続 の た め に は そ こ に 何 らか の 意 義 が 認 め ら れ る べ きで あ ろ う 。 そ の 意 義 を 農 業 者 た ち は どの よ う に 捉 え て い る の か 。 表5・8オ ツ キ ア イ の 数 と 意 義(上 段 回 答 数,下 段 回 答 率) な し1∼2つ3∼4つ5∼6つ7∼8つ9つ 以上 無 回答 合計 娯 楽 の た め672382212123 7.6%25.8%17.5%3.4%12.5%33.3%23%16.6% 情 報 交 換 の た131041103410113285 め16.5%37.3%50.7%58。6%62.5%33,3%14.9%38.6% 仲 間 を ふ や す53719710271 た め6.3%13,3%8.8%12.1%6.3%0.0%2.3%9.6% 単 な る 村 づ き206746153012163 あ い25.3%24.0%21.2%25.9%188%0.0%13.8%22.1% 無 回 答356620158108 44.3%2.2%2.8%3,4%0.0%33.3%66,7%14.6% 実 総 数792792175816387739 ↓100.0%100.0%100.0%100.0%100.0%100.0%100.0%100.0% →10 .7%37.8%29.4%7.8%2.2%0.4%11.8%100.0% 注)最 下 段 の 回 答 率 は 「合 計 」 を100%と した もの 。 他 は 「実 総 数 」 を100%と ま た 合 計 欄 に つ い て は 重 複 回 答 が あ る た め,100%に 表58は,同 す る 。 また, な らない。 期 役 職 者 の オ ッ キ ア イ の 意 義 と数 を か け あ わ せ て 表 わ し た も の で あ る 。 あ ら か じ め 選 択 肢 を 設 け て お い た た め や や 牽 強 付 会 の 感 は あ る が,全 体 と して は が も っ と も 高 率 と な っ て い る 。 ま た,個 以 上 とい う稀 な 例 を除 け 数 と の 関 連 で み る と,9個 「情 報 交 換 」 ば,概 して そ の 数 が 多 い 人 ほ ど情 報 交 換 と して の 意 義 も 高 ま っ て い る 。 実 は 先 に あ げ た 図 5-2の 設 問 に お い て も,「 同 期 に 役 職 を し た 仲 間 」 と し て,栽 培 技 術 情 報 に お け る 同期 役 職 者 オ ツ キ ア イ の 重 要 性 を 検 討 し て お い た 。 そ れ に よ る と 同 期 役 職 者 の グ ル ー プ は,栽 技 術 情 報 源 と し て は 他 に 比 べ て さ ほ ζ 重 要 で な い こ と が わ か る 。 し た が っ て,同 の オ ッ キ ア イ は,生 産 面 だ け を み る と そ れ ほ ど 重 要 度 で は な い が,娯 兼 ね 備 え た 全 般 的 な 情 報 源 と位 置 づ け られ て い る とい え よ う。 ・114一 培 期 役 職者 楽 な どの 生 活 面 を も 3)開 拓 集 落 との 比 較 こ こ で は も う ひ と つ の ア ン ケ ー ト[若 見 西 山92]を 利 用 し つ つ,前 項 で 取 りあ げ た 赤 羽 根 町 の オ ツ キ ア イ の 意 義 に つ い て 比 較 の 観 点 か ら考 察 し た い 。 表59生 産 ・生 活 に お け る 依 存 対 象 若 見(回 本 家 や 分 家 な ど(ジ 答 率)西 山(回 答 率) ル イ を含 む)20g47.7%4215.3% 嫁 入 り ・婿 入 り して き た 家 族 の 実 家10223.3%6423,4% 集 落 内,町 内 の 親 類14432.9%8330.3% 他 出 して い る 兄 弟 姉 妹 や 子 供 な ど9020.5%7627.7% 町 外 の そ の 他 の 親 類245。5%228.0% 隣 近 所 の 人146333%12445.3% 集 落(区,自 治 会)61.4%145。1% そ ≦ ヒ場51.1%196,9% 農 協6715.3%5520.1% 普 及 所,試験 場112.5%g3.3% 部 会,出 荷 組 合,研 究 会,グ ル ー プ 等 の 仲 間245.5%5018.2% 職 場(雇 用 先)の 友 人61.4%62.2% そ の 他 の 仕 事 上 の 友 人245.5%207.3% 仕 事 関 係 以 外 の 友 人225.0%238.4% 福 祉 施 設 や 福 祉 団 体10.2%31.1% そ の 他20.5%41.5% 誰 もい な い71.6%933% の べ 総 数(平 均 回答 数)8902.596232.62 無 回 答9421.5%3613.1% 実 総 数438100%274100% 注)回 答 率 の 母 数 は 実 総 数 。 た だ し,平 均 回 答 数=の べ 総 数/(実 総 数 一無 回 答)。 ジ ル イ に つ い て は 次 節 を参 照 。 表5-9は,「 り に な る 人(家 の に3つ あ な た が こ の 集 落 で 暮 ら し て い く(生 族 の 者 を 除 く)や 家,機 活 生 産 面 を 含 む)う 関 は 次 の う ち ど れ で す か 。 も っ と も頼 り に な る も ま で ○ を つ け て く だ さ い 。 」 と い う 設 問 の 回 答 を,2つ の で あ る 。 こ の 設 問 は,他 え で 何 か と頼 で お こ な わ れ た ア ン ケ ー}の 設 問 内 容 を ほ ぼ 踏 襲 し た27)の で, 同 期 役 職 者 の オ ツ キ ア イ な ど を さ す 具 体 的 な 項 目 は な い が,強 115 の 集 落 ご と に ま とめ た も い て あげ れ ば 「部 会,出 荷 組合,研 究 会,グ ル ー プ等 の仲間」,「 そ の他 の仕 事上 の友人 」,「 仕 事 関係 以外 の友 人」 な どが相応 す る と思 わ れ る。そ こで,ま ず この3つ の項 目に注 目す る と,い ず れ も西 山集 落 の方が依 存 対象 と して高 い率 を示 してい る。西 山集落 の あ る渥美 町 農協 は,赤 羽根 町 と や や異 な り,徹 底 した作 物 別部会 組織 とな ってい る。 「部 会....等の仲 間」 が西 山で と くに 高 くなっ てい るの は,そ の 影響 が大 きい。 しか し,そ の他 の友 人 関係 で みて も,い ず れ も 若 見 よ りも西 山 の方 が 高 くなって い る。表56に 示 した ように,も っ と もオツキ ア イの盛 ん と思 われ る若 見 と比較 して そ う なの で あ る。 西山が 開拓 集落 で あ るか ら,若 見 の特性 が 目立 た ない の で はない。他 での 結果 をみ る と, 若見 にお ける仲 間 や友 人 の比 重は,秋 。 したが って,若 田の稲 作 農 村 と比較 して大 きな違 い は ないの で ある28) 見 にお け る同期役 職 者 の オ ッキ アイ を中心 とす る同年齢 層者 の グルー プ 活動 は,農 業 経営 や生 活 の危 機 に際 して,と りわ け最 終 的 な依 存対 象 となる もので は ない とい える。本 家 分 家 関係 や親 類関係 に比べ る と,同 期 役 職者の オ ッキ アイ とい う レベ ルは, 決 定的 な人 間 関係 を表 わす もの で は ないの で あ り,こ こで もまた 中間的 な位 置づ けに とど まるの で あ る。 開拓 集落 との比較 でい えば,若 見 をは じめ とす る赤 羽根 町 もまた伝 統 的要素 を多分 に も つ 農村 地域 なので あ る。年 齢 原理 に よって,自 発 的 な人 間 関係 が形成 されて い る よ うにみ えるが,思 えば年齢 原 理 その ものが伝 統 の産 物 で あ る以上,そ の ま まで は新 た な中心 的人 間関係 を作 り出す 素地 には な らない ので あ る。 ここにみ られ る オ ツキ アイの制 度 は,集 落 を越 えた人 間 関係形 成 の機 会 として,今 後 の農村社 会 にお け る社会 的結合 の あ り方 を考 え る際 に示 唆 的 で あ る。 しか し,伝 統 的 な組 織 原理 に基 づ くが ゆ え に,限 界 も存 在す る とい え よう。 以上,本 節 で は産地 を支 え る人間関係 と して,地 縁,お よび年 齢原 理 に基 づ く役 職選 出, さ らに結 果 的 に年齢 層 を同 じ くす る同期役 職者 の オ ツキ アイ につい て論 じて きた。 なかで も,同 期 役 職者 の オ ッキ ア イの制度 につ い て は,生 活面 にわた っ て産地社 会 の人 間 関係 を 横 に結 びつ け る イ ンフ ォーマ ル な組 織 で あ る と考 え られ,と オツキ ア イは,歴 くに注 目 して きた.そ う した 史的 にみ る と,漁 業社 会 の組織 原理 であ った年 齢 原理 を引 き継 ぎつ つ, 拡大 す る経 済 と役 職 機会 の なかで発 達 し,施 設 園芸産 地 とい う まった く新 しい生 業形 態 を 支 える制 度 とな ってい っ た と考 え られ るの であ る。 しか し,オ ッキ ア イは重 要度 とい う点 か らみ る と,農 業経 営上 にお いて も,あ るい は農 村 生活 上 におい て も,第1義 的で は ない 。経営 上 におい て は農協 な どの情報 源 に劣 り,生 ・116 活 上 に お い て は,「 本 家 や 分 家 な ど(ジ ル イ を 含 む)」,「 集 落 内,町 内 の 親 類 」,「 隣 近 所 の 人 」 な どの 対 象 に劣 る の で あ る 。 そ こで 次 節 で は 。 オ ツ キ ア イ とい う 人 間 関 係 の 位 相 の 積 極 的 な 存 在 理 由 を さ ら に 明 ら か とす る た め に.具 体 的 な 個 人 を 例 に あ げ,と くに 生 活 上 に お け る 意 義 に つ い て 考 察 を くわ え た い 。 5.生 活上 の つ きあい の諸相 こ こ で は 若 見 の 個 別 事 例 を 取 り あ げ て 考 察 す る が,そ の 前 に 集 落 と して の 若 見 の 概 略 を 述 べ て お きた い 。 総 戸 数 は1993年9月 現 在 で210戸 で あ り,そ な の で,農 家 率 は79%と 数 は,18戸 か ら28戸 で あ る 。 た だ し,瀬 区 長 と会 計1人 と も い う:任 つ つ(い セ ン サ ス に よ る 農 家 数 は165戸 な る 。 集 落 内 に は9つ の 瀬 古(組)が の 瀬 古 あ た りの 軒 れ ぞ れ の 瀬 古 か ら 選 ば れ る 瀬 古 長(組 で あ る 。 議 決 は,ま 計 が 集 ま り,決 あ る 。1つ 古 に 入 っ て い な い 世 帯 も 数 軒 あ る 。 集 落 の 役 員 は, ず れ も 任 期2年)と,そ 期1年)9名 で 組 長 と 区 長,会 の う ち1990年 ず 成 員 が 各 瀬 古 に 集 ま っ て 相 談 し,そ ち 」 と呼 ば れ る 伝 統 行 事 の 単 位 で も あ る 。 庚 申,お れ,当 の で は な い 。 しか し,行 に6回 日待 程 度 お こなわ つ つ そ の 宿 に集 ま る 。 瀬 古 の 範 囲 は 地 理 的 に 明 確 に 区 分 され る も 政 的 な 配 付 物 な ど も す べ て こ の 瀬 古 を 単 位 に お こ な わ れ る し,宿 と して 集 ま る 場 合 に も 近 い ほ う が 便 利 な の で,お A氏 日 待 ち と も に1年 庚 申.お わ せ る とお お よそ 月 に 一 度 は 開 か れ る こ とに な る 。 順 番 に よ っ て宿 が 決 め ら 日 は 各 戸 か ら1人 1)A氏 の後 定 を お こ な うか た ち を と っ て い る 。 瀬 古 は そ う した 集 落 自 治 上 の 単 位 組 織 で あ る ば か りで は な い 。 瀬 古 は,「 れ る の で,あ 長 お よそ 一 定 地 域 に か た ま っ て い る 。 の オ ツキ ア イ は1993年 店 を 営 み.そ 現 在 で57歳 で あ り,前 年 ま で 区 長 を 経 験 した 人 物 で あ る 。 集 落 内 で 衣 料 品 れ が 生 計 の 中 心 で あ る が,他 に 温 室 を100坪 物 が 中 心 で あ る 。 店 だ け で 生 活 は 成 り立 っ た が,庚 を は じ め た と い う 。20年 申,日 ほ ど も っ て い る 。 温 室 で は観 葉 鉢 待 ち で 話 が 合 わ な い の で,温 室 以 上 前 の こ とで あ る 。 A氏 が 現 在 参 加 し て い る オ ツ キ ア イ グ ル ー プ は5つ あ る。 そ れ ぞ れ に つ い て グル ー プ結 成 の 契 機 と 月 々 の 掛 け 金 を 示 す と次 の よ う で あ る 。 a.区 長 を し た と き の 各 瀬 古 の 組 長 と の オ ツ キ ア イ(区 b.同 上(区 c組 長 を し た と き の オ ッ キ ア イ,月3,000円 長 任 期2年 目),月3,000円 。 。 117 長 任 期1年 目),月3,000円 。 d.同 期 の 区長 仲 間(町 e.11人 全体),夫 婦 で旅 行 に参加 す るの で月10,000円 の 「遊 び仲 間」,月1,000円 今は 「 切 って」 しま った オ ツキ アイ は3つ が1つ 。 と,農 協 生 産 部 会班 長 を2度 した ときの オツキ ア イが2つ も独 自にオツ キ アイ の グル ー プ を2つ もの で,掛 け金 は月1,000円 上記 の5つ ある。 組長 を もう1度 もってい る。2つ した と きの オ ツキア イ で ある。 また,A氏 の妻 と もに婦 人会 の組 長 を した ときの と2,000円 で あ る。 の オ ツキ ア イの うち,eは 同期 役 職者 の オ ッキ ア イで は ない。 これ はA氏 が 独身の時か らの 「遊 び仲 間」 で,最 初 は6人 であ ったが,現 在で は若 い人が入 って11人 になっ たとい う。年齢 層 は53歳 か ら68歳 まで と比較 的幅広 い。 中心 は最 年長の68歳 の人物 で あ る。 集 まった契機 は と くにない が,68歳 か ったので,し 次 に,つ の人物 以外 はすべ て高 卒 で あ り,当 時 は高 卒者 は少 な い てい えばそ れが 特徴 で は ないか とい う。 きあい に 関連 す る伝 統 的行 事 を取 り上 げ,そ 置づ け を考察 した い。 そ の行 事 は1989(平 宴で あ る。氏 の長 男 の 場合,式 成 元)年 こにお け る上 記 の オッキ アイの 位 にお こなわ れたA氏 の長 男 の結婚 披 露 後 に豊橋 の結婚 式 場 で催 され た披 露宴 の ほか に,一 般 に 「若衆 呼 び」 とい わ れ る同級 生 た ちの集 ま りを集 落 内の飲 食 店 を会 場 に して お こなっ た。 そ こに呼 ばれ たの は,小 中学校 の 同級生 と高校 時代 の仲 の 良 い 同級 生 であ った。 ただ し ここで取 り上 げ るの は,豊 橋 で お こな われ た前 者 の披 露宴 で あ る。 図5-3A氏 長男 披 露宴 に呼 ばれ た家 の範疇(集 落 内の み) 同 じ瀬古15戸 1 0 親 戚9戸 2「 遊 び仲 間 」10戸 トナ リ2戸1 0 ジ ル イ6戸 その 他1戸 ・118・ 披 露宴 には集落 内 の39戸 か ら人 を招 待 した。 図53は それ らの 人 々 をA氏 の語 る関係 の 範疇 ご とに ま とめた もの で ある。 図で 「遊 び仲 間」 は先 ほ ど述 べ た11人 のグ ルー プ をさ し, その他 の1戸 はA氏 が会 計 を した と きの 区長 で あ る。 ジル イ とは本 来 は本 分家 関係 にあ る家 々 を さ し,代 替 わ りを して も永続 す る関係 にあ る とい う。 ジ ルイ は結婚 式 や葬 式 な どで 重要 な役 割 を果 たす と ともに,表59で 集落 生活 上何 か につ け頼 りに しあ う家 々で あ る。 そ のた め,ジ どに頼 んで 自分 の ジル イ にな って もらい,ジ み た よ うに ル イの少 ない家 は トナ リな ル イ を増 や す場 合 もあ る。 したが って現 在 の ジル イ には,本 分 家 関係 とい う血縁 的要 素 に くわ えて,生 活遂 行的 要素 も強 い。 新 しく頼 まれ る な ど して複数 の ジ ル イ集 団 に所 属 す る場合 もあるの で,排 他 的択 一 的 な集 団で もな いo さ しあた り呼 ばれ るか 呼 ばれ ないか とい う基 準 で判 断す る と,同 期役 職者 関係 は1名 の み が 呼ば れて い るだ けで あ る。 しか もそれ は.区 長 一会 計 とい う個 別的 な関係 であ って,同 期役 職者 の オ ッキ アイ グル ー プ全体 と して で はない。他 方,残 どの伝統 的 関係 と,役 職 とは 直接 関係 の ないA氏 以上 の こ とか らまず,同 りの38戸 は,地 縁 や血 縁 な の友 人 関係 で ある。 期役 職者 の オ ツキ アイ は,結 婚 披 露宴 に呼 ぶ ほ どに はその人 や 家 に とって重 要 で ない とい える。 契機 と して ある程度 制度 化 されて お り,数 か らみて も少 な くないが,重 先 の表59に 要度 とい う点 か らみ る と伝 統 的 なつ きあい 関係 に劣 るの であ る。 これが, お い て若見 の結果 が示 した 内実 で あ ろ う。 も うひ とつ注 目 したい こ とは.役 職 と関係 の ない友 人 関係 の存 在 であ る。 こう した友 人 関係 は,披 露宴 に呼ぶ こ とか らみて,一 般 の 同期 役職者 の オ ツキ アイ よ りも重 要度 が高 い とい え る。 しか し,集 団維 持 の 方法 と して は 同期 役 職者 の オ ツキ アイ と同様 に月 々の掛 け 金 方式 で な され る。 した が って,同 期役 職者 の オ ツキ アイ を含 む オツ キア イの範疇 は,友 人 関係 な どの選 択 的 あ るい は個 人 的 な関係 を形 成 し持 続 させ る,形 式 的 受 け皿 となってい る と思 われ るので あ る。 2)B氏 の オ ツキ ア イ B氏 は56歳 で,現 設 はガ ラス室 が550坪 区長 で あ る。B氏 は専 業 農家 で キ ク とメロ ンを施 設 栽培 してい る。施 と ビニ ー ルハ ウス が250坪 で あ る。B氏 オ ツキ アイ グル ー プの み を簡 単 に例示 したい 。 〈B氏 の オ ッキ アイ グル ー プ> a.現 在 の 区長 一組 長 の オ ッキ ア イ,月5,000円 119 。 につい て は,夫 婦 それ ぞれの b温 室 部 会 班 長 の 時 の オ ツ キ ア イ,月2,000円 c.あ る 年 に 役 場 か ら 青 色 申 告 化 の 要 請 を 受 け,税 人),月3,000円 。 理 士 を 共 同 で 頼 ん で い る グ ル ー プ(9 。 d集 落 内 に 養 子 に き た 者 の 会(20人),月2,000円 <B氏 の 妻 の オ ツ キ ア イ グ ル ー プ> e.婦 人 会 で 組 長 を し た と き の オ ツ キ ア イ,月2,000円 f.同 上,月2,000円 g.集 落 の 副 支 部 長 を し た と き の 組 長 と の オ ッ キ ア イ,月2,000円 A氏 範 囲),月5,000円 落 内 の 気 の 合 う者4人 の オ ツ キ ア イ,月2,000円 とB氏 に 共 通 す る の は,つ と で あ っ た 。 ま た,と く にB氏 る こ と が わ か る 。B氏 の 妻 は,な ー はB氏 。 。 。 き あ い の 範 囲 は 集 落 内 中 心 で あ り,せ 町 域 を 越 え な い こ と で あ る 。B氏 グ ル ー プ は,普 。 。 h。 正 副 支 部 長 ど う し の オ ツ キ ア イ(町 i.集 。 の 語 る と こ ろ で は,町 の 妻 を み る と,女 外 の つ きあ い は 親 戚 だ け とい う こ 性 の オ ツ キ ア イ も男 性 に劣 らず盛 ん で あ か で も 上 記 のiの オ ツ キ ア イ が 一 番 楽 し い と い う。 こ の 及 所 の 生 活 改 善 活 動 を 始 ま り と し て お り,年 の妻 の みが若 見 出身 であ るが ,こ い ぜ い広 が って も 齢 もほ ぼ 同 じで あ る 。 メ ンバ こ で もオ ツ キ ア イ が 自発 的 な グ ル ー プ 結 成 の 形 式 的 受 け皿 と な っ て い る 点 に注 目 した い 。 以 上 の2世 帯 の 事 例 か ら わ か る こ と は,お い う つ き あ い 形 態 は,前 金 を積 み 立 て て 一 緒 に 旅 行 な ど を お こ な う と も っ て 述 べ た よ う に,同 期 役 職 経 験 者 だ け で は な い こ と。 数 と し て は,同 期 役 職 経 験 を 契 機 と す る オ ツ キ ア イ が 多 い こ と 。 しか し,生 え ば,同 期 役 職 以 外 の 契 機 に よ る オ ツ キ ア イ が 重 視 さ れ て い る こ と,で 同 期 役 職 者 の オ ッ キ ア イ を 中 心 と す る つ き あ い の 形 態 は,自 る 受 け 皿 と な っ て お り,産 活 上 の 重 要 度 か らい あ る 。 こ こ か ら, 発 的 人 間 関係 形 成 を定 着 させ 地 の 人 間 関 係 を 柔 ら か く結 合 さ せ る 位 相 を 形 成 して い る と 考 え られ る 。 3)つ きあ い 関係 の ひ ろ が り 先 に 図52の 説 明 の 中 で,若 男 の 結 婚 の 時 に,高 年 層 に み ら れ る 関 係 の 広 域 化 を 指 摘 し た 、 ま た,A氏 校 の 同級 生が 「若 衆 呼 び 」 に 招 待 さ れ て い た が,大 の長 き くみ れ ば こ う し た 高 学 歴 化 も 関係 の 広 域 化 に結 び つ くで あ ろ う。 し か し,関 係 の 広 域 化 は 年 齢 層 の 違 い に と も な う もの だ け で は な い 。 若 見 のC氏(49歳)は,大 型 ガ ラ ス 温 室1,050坪 120 と ビ ニ ー ル ハ ウ ス250坪 を 装 備 し,キ ク の単作 経営 をお こな う専 業 農 家 で あ る。C氏 は集 落 内で キ ク栽培 に関す る研 究会 をつ くる な ど,先 進 的 に産地 を リー ドして きた 。氏 の場合,先 ほ どのB氏 と違 って,町 外 に も知 り 合 いが 多い 。 オ ツキ ア イ とい う形 式 化 されたつ きあい 関係 で はない が,ち ち寄 って キ クので き具合 を話 し合 え る よ うな農 家 が,渥 美 町 に2戸,田 る。そ れ らの農 家 とは キ ク苗 の や りと りもお こな う。 また,C氏 農業高校 の 出身で あるが,そ こで の 同級 生,顔 ょっ と夫婦 で立 原 町 に2戸 ほ どあ は田原 町 にあ る県立渥 美 見知 りをつて に関係 を広 げ る場 合 もある と い う。 つ ま り,関 係 の 広 域化 は先 進 的 農家 の 部分 で も進 んで お り,そ こには従 来 の オ ツキア イ の枠組 み を越 えるつ きあい が展 開 されて い る。 さ らに,こ 外 の作 目,た こで は詳 述 で きないが,キ ク以 とえ ば観葉 鉢 物 や洋花 な どを手 が け る農 家 に も関係 の広域 化 が み られ る29)。 こう した農家 には.も とも とキ クか ら転 身 した意 欲的 な農 家 が多 いの で ,C氏 の事 例 と同 様 の傾 向 と して捉 え うるで あろ う。 6人 間関係 の3つ の位相 以上,農 協 な どの経 済 的組 織 だ けで な く,よ りイ ンフ ォーマ ル な関係 をつ きあい とい う 観 点か ら捉 えなが ら,施 設 園芸 産地 にお ける組織 原理 につ いて考 察 して きた。 その結果, 具体 的 な組織 原 理 と して 地縁 的原 理 と年齢 原 理 の存 在 を指摘 した。本 節 で は,そ れ らが産 地 の組織 化 に働 きか け る位 相 を整 理 す る と と もに,今 後 の動 きに関 して展 望 を述べ た い。 ま とめ る と,当 地 にお け る人 間関係 の 位相 は大 き く3つ に分 類 で きる ように思 う。 第1の 相 は,伝 統 的 な親 族 地 縁 的 関係 の相 であ る。 この相 は,そ の場 所 で生活 す る場 合 の メ ンバ ー シ ッ プ を認 め た り,人 の通 過儀礼 に関 わ った りす る関係 で あ り,根 源 的 で生 活保 障的 意味 あい を もつ 。本 章 の事 例 でい う と,ジ ル イや親戚 瀬 古 な どが この相 にあた る30)。この タイプ の 関係 は.基 本的 に選択 性 が弱 い 。つ ま り,人 が どこに生 まれ るか に よっ て,あ る程 度 まで生 得 的 に決 定 して しま う関係 で あ る。 もっと も.事 例 で も述 べ た よ うに, 生 活保 障 のた め に新 し くこの相 の 関係 をつ くる場合 もあ るが,少 な くと も他 の2つ の相 よ りは選択 性 が弱 い とい えるで あ ろ う。 第2の 相 は,年 齢 原 理 を基 礎 とす るオ ツキ アイ グル ー プの相 で あ り,本 章 で もっ と も詳 細 に論 じた部 分 で あ る。 この相 の 人間 関係 は,年 齢 秩序 を組 織原 理 とはす る ものの,具 体 的 に同年層 の誰 と グルー プ を作 るか,あ 余 地が あ る。 当地 の特徴 は,こ るい はそれ を継 続す るか どうか につ い て は選択 の の相 におけ るつ きあ い 関係が 形式 の上 で確 立 されて い る こ 121 とで あ る。 したが って そ の形式 に則 れ ば,自 発 的組織 化 も比 較 的容易 だ とい え る。 また, 第1の 相 や次 に述 べ る第3の 相 が,こ れ まで少 な くと もこれ まで地縁 中心 の縦 割 り的 関係 であ った こ と と比 較 す る と,年 齢 を組 織 原理 とす る第2の 相 は横 に人 間 を結 びつ け る相 と いえる。 この相 の 人 間 関係 は,経 済 上 の情 報伝 達 機 能 と娯楽 な どの 生活 的機 能 をあわせ もっ てお り,第1相 と第3相 と を結 ぶ重 要 な中間 的役 割 を担 ってい る とい え る。 この相 は,施 設園芸 とい う形 態 に適 合 的 で あ る と考 え られ るため,他 の形 態 の産 地へ の適用 は今 後 の課 題 であ る。 しか し,こ の相 の 関係 につ い て は,従 来 の産 地研 究 におい て ほ とん ど言 及 され てお らず,産 地社会 にお け る こう した 中間的 組織 の存 在 と意 義 は強 調 され て しか るべ きで あろ う。 また,こ の よ うな年齢 を原理 と した組織 は,一 般 的 な稲 作社 会 で はそ れ ほ ど顕 在 化 され ない もの で あ り,そ の役 割 を考慮 す る と き,非 稲 作社 会 の可 能性 を示 唆 して い る。 第3の 相 は,フ ォーマ ル な経 済 的組織 の相 で ある。 農協 の役 員,部 会 組織 や 出荷体 制 な どが この相 に含 まれ る。 従 来 この相 は,第1相 の関係 と密接 に関連 して きた、伝 統 的生 活 組織 の単位 をその ま ま経 済組 織 の単 位 と して利 用 して して きたの で あ る。 しか し,栽 培 品 目の多様化 や市 場 へ の合 理 的対応 とい う環 境 変化 の 中で,農 協 も組 織改 編 の模 索 をお こなっ て いる。 また,こ こで はふ れ られ なか ったが,こ れ まで は集落 ご とにあ った集荷 場 も統合 される計画 で あ る31)。つ ま り,そ の相 にお け る人間 関係 は経済 的環 境 の変 化 に応 じて大 き く変化 してい く部 分 で あ り,ま た変化 の 手 を加 えやす い部 分 で もあ る。 産 地の経 済組 織 が今 後 ます ます 変貌 をせ ま られる とな る と,そ れ と伝 統 的生活 組織 との 折 り合 い が問題 とな るで あ ろ う。 最初 に述 べ た ように,産 地 は基本 的 に農業 社会 で あ り, そこで は地 縁 的生 活 関係 と経 済関係 が さ しあ た り相互 に影響 しあ う と思 われ るか らで あ る。 本章 の事例 の場 合,従 来 はそ れ らの 間 にオ ツキ ア イの 相が あ り,そ れがい わ ば潤 滑油 的役 割 を果 た して きた とい える。 しか し,そ う した オ ツキ アイの相 も組 織 原理 の レベ ルで みれ ば,も と もとは漁 業 時 代 の生業 形 態 に対応 した もの であ る。 生業 形態 と組織 原理 は呼応 し あ うとい う観 点 にたて ば,時 代 遅 れ の代 物 とい え よう。事 実,オ ツキ アイの広 が る範 囲は 町域 に限 られて お り,開 拓 集 落 との 比較 で み る と,根 源 的 な依 存 対象 と して の意義 も弱 い こ とが指摘 され た。 新 た な組織 原 理 の模 索 を始 め る時期 に きて い るので あ る。 市場 状 況 な どの経 済 環境 の変 化に対応 で きる純 粋 に機 能 的 な産地組 織 を想 定す るな らば, 経 済 的 目的 を同 じ くす る者 たちが グル ー プ を結成 し,ま た状 況 の変化 に応 じてそ れ を再 編 す る とい うかた ちが 想 定 され る。 産 地組織 の変 革 を考 え る場 合,確 か に こ う した経 済 的尺 度 に基 づ く普 遍化 の ドライ ブは重 要 で あ る。 また事 例 でみ た 開拓 集 落 の よ うに,歴 史の浅 122・ い 地 域 集 団 の 場 合 に は,そ 組 織 は,む れ が あ る 程 度 実 現 可 能 か も し れ な い 。 し か し多 く の 現 実 の 産 地 し ろ 本 章 で 述 べ た よ う な 組 織 原 理 を 歴 史 的 遺 産 と し て 保 持 し て お り,良 く も悪 く も そ れ を基 礎 に 経 済 環 境 へ の 対 応 を お こ な っ て い る の で は な い だ ろ う か 。 し た が っ て 実 践 的 問 題 は,こ う した 組 織 原 理 を ふ ま え た 上 で 当 該 産 地 に お い て ど の よ う な 組 織 の 将 来 像 を 描 け る か に あ る 。 事 例 で い う と,青 い 関 係 の ひ ろ が り が,今 年 層 や 先 進 的 農 家 に み られ る つ き あ 後 ど の よ う に 展 開 し て い ぐ か が 注 目 さ れ よ う 。 そ の た め に も ,組 織 展 開 の 出 発 点 と し て,既 存 組 織 の 状 態 を組 織 原 理 と い う レベ ル に まで 踏 み 込 み な が ら深 く分 析 し て お く こ と が 重 要 で は な い か と 思 う の で あ る 。 注 1)農 政 調 査 委 員 会 編 「農 業 統 計 用 語 事 典 』 農 山漁 村 文 化 協 会,1975年,PP212-213。 2)農 業 地 理 学 で は,た もの の ほ か に,堀 と え ば 坂 本 英 夫 『農 業 地 理 学 」 大 明 堂,1987年 な ど。 農 業 経 営 学 で は 後 に述 べ る 田 忠 夫 「産 地 間 競 争 と 主 産 地 形 成 』 明 文 書 房,1974年 3>浅 見 淳 之 『農 業 経 営 な ど。 産 地 発 展 論 』 大 明 堂,1989年,P,111。 4)高 橋 正 郎 『日本 農 業 の 組 織 論 的 研 究 』 東 京 大 学 出 版 会,1973年. 5)た だ し文 化 的 側 面 を,個 々 の 農 民 の 行 動 様 式 と い う か た ち で,農 る。 前 述 の 高 橋 は 『地 域 農 業 の 組 織 革 新 」(農 に お け る 「近 隣 協 調 」 を述 べ.石 1988年)に お い て,「 業 経 営 学 に 導 入 し よ う とす る 試 み は あ 山 漁 村 文 化 協 会,1987年)の な か で,「 田 正 昭 は 「稲 作 経 営 の 課 題 と展 開 方 向 」(「 高位 定住 社 会」 農 林 業 問 題 研 究 」93, 状 況 中 心 の 行 為 」 を 指 摘 して い る 。 6)Scheiロ,E.H..OrqanizationalCultureandLeadership,1985(清 水 紀彦 浜 田幸 雄 訳 『組 織 文 化 と リー ダ ー シ ッ プ 』 ダ イ ヤ モ ン ド社,1989年),訳P.12。 7)同 上 訳 書,P.68。 8)同 上 訳 書,P.45。 9)前 田成 文 「東 南 ア ジ ァ の 組 織 原 理 』 勤 草 書 房,1989年.P.14。 10)同 上 ペ ー ジ 。 11)仮 説 的 で は あ る が,か つ て 川 島 武 宜 は 漁 村 と農 村 の イ エ,ム た 。 「生 産 一 した が っ て 重 要 な 生 活 機 会 一 の 組 織 の 差 異 が,一 ラ の 差 異 の 要 因 を 規 定 して 次 の よ う に 述 べ 般 の 農 村 と漁 村 の 間 の 。 家 族 対 家 族 の 関 係 や 家 族 対 村 落 協 同 体 の 関 係 の 差 異 を 規 定 して い る も の と推 測 さ れ る の で あ る 」(『 て の 家 族 制 度 』 岩 波 書 店,1957年,P.302)。 が,家 つ ま り.生 産 の 組 織,さ ら に は 生 産 手 段 の 所 有 の あ り方 族 や 村 落 協 同 体 の 組 織 の あ り方 を規 定 す る とい うの で あ る。 こ う した,生 規 定 関 係 に つ い て は,「 適 合 的 」 と い う語 で 鳥 越 皓 之 も論 じて い る 。 鳥 越rト 茶 の 水 書 房,1982年.P328を 12)赤 羽 根 町 史 編 纂 委 員 会 編 イデ オ ロギー とし 産 構 造 と村 落 構 造 との カ ラ列 島 社 会 の 研 究 」 御 参 照。 『赤 羽 根 町 史 』,1968年.PP354,47879。 13)栗 原 光 政 「渥 美 半 島 の 漁 村 の 地 理 学 的 研 究 一 特 に 表 浜 に つ い て 一 」(「 -123・ 愛 知 大学 綜 合郷 土研 究 所紀 要」 第 一 輯,1g55年.愛 知大 学綜 合 郷土 研 究所 編 再 録 本PP398-399参 照。 14)赤 羽 根 町 農 業 協 同 組 合 『第26回 15)同 上r資 「渥 美 半 島 の 文 化 史 」,名 通 常 総 代 会 資 料 』,平 著 出 版,1993年,に 再 録), 成3年 よ り。 料 』 よ り。 16)栗 原 「前 掲 論 文 」,再 17)同 上,再 録 本PP383-384参 録 本P.398,表9よ 18)ち な み に,前 照。 り。 掲 『赤 羽 根 町 史 』 に よ る と,1949(昭 1g)栗 原 「前 掲 論 文 」,再 録 本PP.398-399参 に再 録)が の 総 漁 業 従 事 者 数 は529人 で あ る。 照。 20)渥 美 半 島 地 域 に お け る 寝 宿 に つ い て は,島 大 学 綜 合 郷 土 研 究 所 紀 要 』 第 二 輯,第 和24)年 本 彦 次 郎 「渥 美 半 島 に お け る寝 宿 の 習 俗(上)(下)」(「 六 輯,1955年,1960年,愛 愛知 知 大 学 綜 合 郷 土 研 究 所 編 「前 掲 書 』 詳 しい 。 21)同 上,再 録 本P.292。 22)同 上,再 録 本PP.354-355参 照。 23)年 齢 階梯 制 村 落 に つ い て は,鳥 越 皓 之 「家 と村 の 社 会 学 』 世 界 思 想 社,1985年.PP.148-164,が りや す い 。 世 代 階 層 制 村 落 に つ い て は,蒲 生正 男 坪井洋文 村 武 精 一 「伊 豆 諸 島 」 未 来 社,1975年 わか な ど を参 照 。 24)同 齢 同 輩 結 合 の 民 俗 に つ い て は,竹 25)し か し さ す が に 今 日 で は,施 田 旦 『兄 弟 分 の 民 俗 』 人 文 書 院,19$9年 設 園 芸 内 で の 作 目の 多 様 化 が 進 む に つ れ て,自 が 包括 的 であ る。 治 的組織 が 単純 に は農協 の 下 部 組 織 と な り え な く な っ て お り.作 物 別 の 細 か な 部 会 組 織 が 必 要 と な っ て い る 。 石 田正 昭 「第H部 3章 第 組 織 運 営 ・事 業 経 営 面 の 基 本 課 題 と展 開 方 向 」(全 国 農 業 構 造 改 善 協 会 「21世 紀 の 赤 羽 根 町 農 業 農 協 開 発 構 想 』,1992年,PP.156-158),に もそ う した 指 摘 が あ る 。 26)た だ し高 松 の 組 長 は 選 出 母 体 の 規 模 が 大 き く,選 出 も40歳 以 上 と な っ て い る 。 27)こ の 設 問 に つ い て は,高 橋 明 善 ・蓮 見 音 彦 1992年.で 28)r同 山本 英 治編 『農 村 社 会 の 変 貌 と農 民意 識 」 東 京 大 学 出 版 会, お こ な わ れ た ア ンケ ー ト項 目 を 参 考 に した 。 上 書 』,P.358を 参 照 。 こ の ア ン ケ ー トは,秋 田 の 稲 作 農 村 と,岡 山 の ブ ド ウ作 農 村 を調 査 対 象 と して い る 。 29)拙 稿 「第H部 第1章 赤 羽 根 農 業 の 混 沌 と秩 序 」(全 国 農 業 構 造 改 善 協 会 「21世 紀 の 赤 羽 根 町 農 業 農 協 開 発 構 想 』,1992年),PP.106・108を 30)第1章 参照 。 で 詳 述 した シ ンル イ は そ の 位 相 に 相 当 す る と考 え ら れ る 。 31)前 掲 石 田 「第H部 第3章 組 織 運 営 ・事 業 経 営 面 の 基 本 課 題 と展 開 方 向 」,P.164を -124一 参照。 第6章 新規 参 入農 業者 の生活 と農業 観 本 章 お よび次 章 にお いて は,日 本農 村 にお け る伝 統 的 な 農業 者 とい う枠 組 み を越 えた農業 者 らを対 象 に し,彼 らの生 活 お よび農 業 上の 人 間 関係 につ いて考 察 す る。 本 章で 対象 とす る新規 参 入農 業者 は,農 業へ の姿 勢 と生活 に対 す る考 えが 連動 してい る場合 が多 く,し た が って彼 らの人 間 関係 を考 える場合 に も,よ り広 義 の 農業 観 の なか に位 置 づ け て と らえ られ る必 要が あ る。 本 章 では,そ う した彼 らの農業 観 を明 らか にす る と と もに,そ こか ら従 来 の農 業者 とは異 な る革 新 的 な人 間 関係へ の視 座 を析 出す る。 1.新 規参 入 農業 者 の意 義 自 家 農 業 後 継 者 の 減 少 が 騒 が れ 始 め て ひ さ し い 。 平 成2(1990)年 規 学 卒 就 農 者 が1,800人,い わ ゆ るUタ ー ン青 年(農 以 下 の 者)が1,900人 の 数 字 は そ れ ぞ れ,4,800人,12,600人 の よ う す が 知 ら れ よ う1)。 専 業 的 な 農 業 労 働 力 の 参 入 は,こ る な ど の パ タ ー ン も あ る が,総 家子 弟 の新 家 世 帯 員 の うち 卒 業 後 い っ た ん他 産 業 に 就 職 し た 後 離 職 し 「農 業 が 主 」 と な っ た 者 の う ち34歳 年 前 の 昭 和60(1985)年 に は,農 で あ っ た 。5 で あ っ た か ら.そ の激 減 の他 に も定 年 後 農 業 に就 業 す じ て 農 業 労 働 力 は 減 少 傾 向 に あ り,今 の と こ ろ そ の傾 向 は 続 きそ う で あ る。 こ う し た 農 業 労 働 力 の 減 少 傾 向 の な か で,徐 る の が,非 農 家 出 身者 を 中 心 とす る 農 業 へ の 新 規 参 入 者 た ち で あ る。 す で に10年 『農 業 白 書 』 で は, ほ ど 前 か ら新 規 参 入 者 に 関 す る 記 述 が み ら れ る 。 ま た,1987年 議 所 や 都 道 府 県 農 業 会 議 の 手 に よ っ て,新 れ.新 々 に で は あ る が しだ い に注 目 を集 め つ つ あ に は全 国 農 業 会 規 就 農 ガ イ ドセ ン タ ー な ど の 相 談 機 関 が 設 け ら 規 参 入 希 望 者 に 対 す る 就 農 地 等 の 斡 旋 が お こ な わ れ 始 め た 。 さ ら に,1992年6月10 日 に 農 水 省 よ り発 表 さ れ た 『新 し い 食 料 『 新 政 策 』 の な か に も,新 農 村 政 策 の 方 向 』,す なbち い わゆ る 規 参 入 者 を 強 く意 識 し た 支 援 措 置 が 盛 り込 ま れ て い る2)。 一 方, 受 け 入 れ る 側 の 農 山 村 と し て も,高 う情 況 が あ り,人 農業 齢 化 な ど に よ っ て 作 り手 の い な い 農 地 が 現 れ 出 す と い 口 減 少 に 歯 止 め を か け た い と い う願 い も含 め て,新 規 参 入 者 を受 け入 れ る雰 囲 気 に な っ て きた 。 しか し.彼 ら の 意 義 を 農 業 労 働 力 の 補 填 に と ど め る こ と は 適 切 で な い 。 彼 ら は,少 で あ る と は い え,親 か ら譲 り受 け る 農 地 も な い な か で,皆 が 敬 遠 す る農 業 に あ え て とび こ も う と す る 者 た ち な の で あ る 。 大 勢 と 逆 行 す る 彼 ら の 動 き の 背 後 に は,自 化 す る 動 機 が あ る は ず で あ り,そ 数派 ら の 行 動 を正 当 こ に は 農 業 に対 す る独 自 の眼 差 しが 存 在 す る と思 わ れ る。 125 そ して,そ の眼 差 しには,農 業 に対 す る従 来 の見 方へ の革新 が秘 め られて い る と思 われ る ので あ る。 以下 にお い て本 章 で は,こ の ような と くに意 識化 され た農業 へ の眼差 しを農業 観 と定 義 し,論 を進 め たい 。 この農業 観へ の注 目は,農 業 者研 究 の 立場 か らみ る と き,広 義 に は農 業経 営 の主体 的側 面 を重視 す る経 営 者 能 力論 の なか に位 置 づ け られ よ う。 た とえば 田 口三 樹夫 は,現 実の経 営力 を,経 営者 の抱 く 「経 営理 念(農 業 観)」 とそれ に よっ て規 定 され る 「行動 様式 」 と に区分 して把握 しよ う とす る3)。 この枠 組 み に沿 って い えば,本 章 の 関心 は と くに前者 の 「経 営理 念(農 業 観)」 に関連す るが,本 章 でい う農業 観概 念 は この 田 口の概念 よ りも広 義 で あ り,氏 の い う 「経営 理 念」 の基 本 与件 と して経営展 開 に作 用 す る もの と位 置づ け ら れ よ う。 他 方,1980年 代 後半 以 降,い わ ゆ る環境 問題 が公 害 問題 とは異 な る様 相 で現 われ て きて お り,そ れ に併 行 して,従 来 か らの農業 者 の側 に も農業 へ の眼差 しに関す る革新 が広 が り は じめて い る4)。 またUタ ー ン農業 者 な ど も,他 産 業 を経験 した うえで農業 を観 る とい う 点で,革 新 の担 い 手 にな りうる と考 え られ る。 したが って,眼 差 しの革新 は時代 の動 きと も密接 に関連 して お り,ひ と り新規 参入 農 業者 の み に特 有 の事象 ともい えない。 しか し, 就 農 を正 当化 す る根 拠 が と くに必要 とされ るが ゆ え に,革 新 的眼 差 しが 彼 らにおい て もっ と も典型 的 に意 識 され,具 体 化 され る こ とは 間違い ない で あ ろ う。新 規参 入者 に関す る既 存 の研 究が,農 業 労働 力 の補 充 とい う 「担 い手論 」 的観 点 に主 関心 をお いて い る こ とへ の 反省5}の 意味 も込 め て,農 業 へ の新 しい眼差 しを新規 参 入農業 者 の なか に探 りたい。 その場 合 に重 要 な点 は,新 規参 入農 業者 た ちの農業 観 が彼 らの生活 と不 可分 に結 びつ い てい る こ とで あ る。 した が って,人 間 関係 の持 ち方 を も含 めた生 活全 般 の 中で,彼 らの 農 業観 を捉 えな けれ ば な らない。逆 に言 えば,農 業 上 の人 間 関係 の あ り方 は全体 的 な農業観 の なか に位置 づ けて考 え られ なけれ ば な らない 。本 章 の主眼 を人間 関係 で はな く,農 業観 にお くの はその た めで ある。 具 体 的 には,新 規 参 入者 へ の イ ンタビ ュー を通 じて,選 択 した農業 とい う職 業 を彼 らが どの よ うに考 えてい るの か,さ らにそ う した農業 へ の眼差 しが どの ような生活 態度 や生計 実 態 に支 え られ てい るの か,に つ い て考 察す る。 個別 事例 と して は兵庫 県 と香 川県 で就農 す る7人 の新規 参 入者 を検 討す るが,そ の前 に次 節 にお いて,既 存 調査 を利 用 しなが ら新 規 参入 農業者 の概 要 を述 べ て お きたい 。 ・126 2.「 事業 志 向」 型参 入者 と 「生 活志 向」 型 参入者 概 要 を述べ る に先 だ ち.ま ず,農 業へ の新規 参入 者 の定 義 を考 えて お こ う。新規 参入 を 広 ぐ考 えれ ば次 の よ うない くつ かの 場合 が 考 え られ る6)。 ① 非 農家 出 身者 が 開業 地 に新 た に農業 基 盤 を築 き農業 経営 を開始 す る場合 ② 農 家 出身者 だが,分 家 な どに よって既存 農 業経営 の継承 を受 け る こ とな く新 た に農業 基 盤 を築 き農業 経営 を開始 す る場合 ③ 既存 の農家へ 婿 入 り ・嫁 入 り ④ 農家 夫婦 養子 に入 る場 合 農業 法 人へ被 傭 され る場合 ⑤収 入 の基 盤 は他 の 職業 にお きつ つ,自 給 自足 的農業 を新 たに始 め る場合 この うち新 規 参入 農 業者 と して通 常思 い 浮か ぶの は①② で ある。 後 に利 用 す る農水 省 調 査の対 象,お よび,新 規就 農 ガイ ドセ ンターがお もに考 えてい るの もそれ らの場 合 で ある。 この①② の場合 は,既 存 の農業 基 盤 を もた ない状 態 で,し か も独 立 した農業基 盤 を築 く必 要が あ るので,政 策 的 な支援 が もっ とも必 要 とされ る部 分 であ り,し か も政策 的 に関与 し やす い部分 で もあ る とい え よう。 しか し,純 粋 に 「担 い 手論」 的 な観 点 か らい えば,農 家 の跡取 り以外 の 農業 労働 力 の参 入 が 問題 とな るので,① ②③ ④ が対 象 とな る。 また,新 規 参 入者 の生 き方 や考 え方 を問題 にす る立場 を も認 め る な らば,⑤ の よ うな場合 も視 野 に含 む必要 があ る。農 業 で生 計 を立 て る か どうか に違 い はあ って も,農 業 をみ る眼差 しに大 差 ない場合 が あ る と考 え られ るか らで あ る。 表61農 水 省新 規 参 入農 業者 調 査 の概 要 調査実施年月 対象者の参入年次 調査11985年9月1980年1月 調査2198g年1月1985年1月 調査31gg1年5月1989年1月 調査41993年10月1990年1月 対象者の総数 ∼1985年9月295人 ∼1988年12月240人 ∼1990年12月150人 ∼1992年12月274人 本 来 な らば① か ら⑤ までの そ れ ぞれ の場合 をと りあ げるべ きだが,既 存 の統 計 を利 用 す る都合 上,概 要 につい て述 べ れ る の は施 策対 象 で もあ る① ② の場合 の み で ある。 この①② は,農 業 とい う職 業 に基 盤 もな く新 規 に参入 す る とい う意 味 で,新 規参 入者 の核 心 をなす こ とは確 かで あ り,中 心 的 な傾 向 を捉 え るに は有 効 であ る。利 用す る調 査 は,農 水省 が 1985年 か ら1993年 にか けて お こなっ た4つ の 調査 で あ る7)。 この4つ ら順 に.調 査1,調 査2,調 査,調 の調査 を古 い ものか 査4と す る と,各 調 査 の調査 実施 年,対 127 象者 の参 入年 次 お よび総数 は,表61の とお りで あ る。 これ らの調査 か ら,参 入 者 数や経 営作 目,就 農動 機 な どの傾 向 と現状 につ い て考 察 したい 。 まず年 次 別 の新 規 参 入者 数 につい て は図61の とお りで あ る。 各調査 はその年 の新 規参 入農業者 のすべ て を網羅 してい るわ けで は ないが,お これ に よる と,1980年 お よその傾 向はつ かむ こ とが で きる。 か ら84年 にか けて増 加 し,そ の後86年 はや や減少 す るが ,1991年 まで年 に60人 か ら80人 の新 規 農業 者 が参 入 して い る こ とが わか る。 ところが,1992年 50人 近 く増 加 し126人 とな った。 この理 由 と して は,1987年 には に発足 した新規 就 農 ガイ ド事 業 が軌道 にの り始 め た こ と,お よび各 自治体 の 受 け入 れ体制 の確 立 な どが考 え られ る。 図6-1年 次 別新 規参 入 農業 者 数 140 120 ■ 調査1100 ハ ≦80口 調査2 聖60園 調査3 鋤40團 調査4 20 0 0-(Nめ 0⊃ α⊃ ⊂ハ ⊂ハ α⊃ ⊂ハ α〕 〔⊃ 寸 「〕o卜 αコ α〕 α⊃ ⊂ハOh〔=ハCハOh⊂ α⊃ α⊃0⊃ ㎝o一 α⊃ ハ ⊂ハ 〔ハ ⊂ハ ⊂ハ 周 ⊂ハ ⊂ハ 年 注)参 入者数については,対 象年次を越えて調査されている。図で重なりが多いのはそのためである。 図6-2は 主 た る作 目につ い て各調 査 の結 果 を比 較 した もの で ある。図注 にあ げた とお り 各調査 の 回答 方法 が 異 なるの で単純 に比較 はで きないが,こ の10年 ほ どの問 に も,い れ らの調査 が お こな われ た こ くつ かの傾 向の 変化 が読 み とれ る。 まず,調 査1か ら調査2の 変化 をみ る と,全 体 と して畜 産が 減少傾 向 に あ り,稲 をは じめ とす る穀類 や と くに露地 野 菜 の伸 びが 顕著 であ る。 しか し調査4に な る と,稲 作 や露地 野菜 は減少 し,代 わ って施 設 野 菜 や施設 花卉 等 の施 設 園芸 が急 増 してい る。 また,果 樹 も増 加 してい る。 128 図6-2新 規参 入 農業 者 の主 要作 目 25 20 §15 二 毬10 5 0 謹 譲蘂 蓬灘楼 蓮 蓮藷灘甚羅 職鮨 智 ‡lh誰 H撰}畿 軒 誰 埋 軒e申 階 型 主 要作 目 注)調 査1の みが1人1作 目の 回答 とな って お り,そ の他 の 調査 はい ずれ も重複 回答 であ る。基 準 を統 一す るた め に.調 査2,3,4は のべ合 計 を100%に して構 成 比 を算 出 した 。主要 作 目だが第2の 地 位 にあ る場 合,そ の作 目は 調査1で は でて こな い こ とにな る。 と くに調 査1か ら調査2に か けて の露 地野菜 の急増 は そ れ に よる影響 を差 し引 いて 考 え る必 要 が あ ろ う。 以 上 の 変 化 の 背 景 を 就 農 動 機 の 変 化 に よ っ て 探 っ て み た い 。 表62,6・3は け る 就 農 動 機 の 調 査 結 果 を 示 し た も の で あ る 。 ま ず,調 と,「 特 定 の 農 業 経 営(酪 農,肉 用 牛,花 志 向 」 的 動 機 の ポ イ ン トが 半 分 に 減 少 し.か き な ど)を 査1か 各 調 査 にお ら調 査2の 変 化 に つ い て み る や り た い 。 」 と い う ,い わ りに 「有 機 農 業,無 わ ば 「事 業 農 薬 農 業 が や りた い 。 」, 「自 然 が 好 き 。 自 然 の 中 で 生 活 し た い 。 都 会 が き ら い 。 ゆ と り あ る 生 活 を し た い 。 自 給 自 足 の 生 活 を し た い 。 」 と い う,「 生 活 志 向 」 的 動 機 の ポ イ ン トが そ れ ぞ れ2倍 して い る 。 先 に み た こ の 時 期 に お け る 露 地 野 菜 お よ び稲 作 の 増 加 は,新 近 くに増 加 規 参入 者 たち の有 機 無 農 薬 栽 培 志 向 の 現 わ れ と考 え らえ れ よ う。 調 査4に お け る 就 農 動 機 の 変 化 は,設 問 が 変 わ っ た の で 考 察 しづ ら い が,ま ず有 機無 農薬 志 向 の 比 率 が 変 化 して い な い こ と は 確 認 で き る 。 し か し そ れ に も か か わ ら ず,こ 露 地 野 菜 が 減 少 し施 設 園 芸 が 増 加 す る 理 由 は,た と え ば 参 入 者 へ の 資 金 援 助 な ど,や 自 治 体 や 農 業 関 係 機 関 に よ る 受 け 入 れ 体 制 の 整 備 が 考 え ら れ る 。 同 時 に,そ な 整 備 が 進 む に つ れ て,就 の 時期 に は り う した 政 策 的 農 動 機 に 関 し て 先 に 述 べ た 「事 業 志 向 」 か 「生 活 志 向 」 か と い う 明 確 な 区 別 が で き に く く な っ て き た と い え る か も し れ な い 。 そ れ ほ ど強 い 意 志 が な く と 129一 も,就 農 が 可 能 に な る か ら で あ る 。 も ち ろ ん 設 問 が 変 わ っ た た め に,「 活 志 向 」 か と い う 判 別 が つ き に く く な っ た 面 も 大 き い が,参 事 業 志 向」 か 入 者 自 身 に つ い て も就 農 動 機 の も つ 重 み が 変 化 し つ つ あ る と予 想 さ れ よ う 。 表62就 農 動 機(調 査1,2,3) 就 農動 機 調 査1調 査2調 農 業 に興 味 が あ る 。 農 業 が や り た い 。(%)3231.331。0 農 業 に は 夢,将 来 性,自 特 定 の 農 業 経 営(酪 有 機 農 業,無 由が あ る。 農,肉 用 牛,花 卉 な ど)を や りた い 。2211.112.1 農 薬 農 業 が や りた い 。713.014.5 就 農 前 に 農 業 関 係 の 仕 事 を して お り.そ の 経 験 を 生 か した い 。88.86.8 独 立 して 自分 の 経 験 を した い 。 自 然 が 好 き。 自然 の 中 で 生 活 した い 。 都 会 が 嫌 い 。 ゆ と りあ る1220,718.3 生 活 を した い 。 自給 自足 の 生 活 を した い 。 就 農 前 の 職 業 が よ くな か っ た 。 転 職 した か っ た 。9393.5 定 年 退 職 後 の 職 業 と し て 。 老 後 の 生 きが い 。42.73.8 そ の 他(教 育,健 康,家 庭 の 事 情,不 明 な ど)。64。84.4 そ の 他 。-3.85.6 の べ 合 計(%)100100100 1人 あ た り回 答 数(個/人)-2.32.3 注)調 査2,3は,調 査1の 資 料 に合 わ せ る た め,の 表63就 農 動 機(調 べ 合 計 を100%と 調 査4 収益 性 が 高 く,将 来 性 が あ る 。(%)11.4 自 分 で 創 意 工 夫 で き る 農 業 が 好 きだ か ら 。313 新 技 術 を 生 か せ る か ら。5.5 時 間 が 自 由 に とれ るか ら。19.2 有 機 農 業,無 農 薬 農 業 等 を や り た い か ら 。14.0 以 前 の仕 事 技 能 を生 か した い か ら 。6.3 家 の 事 情 か ら。2.1 結 婚 に 伴 い 。0.2 以 前 の 職 場 の 事 情 か ら。2.g そ の 他 。7.2 の べ 合 計(%)100 1人 あ た り回 答 数(個/人)2.4 注)調 し構 成 比 で 表 わ した 。 査4) 就農 動機 査4に つ い て も,表6-2の 注 と同様。 130・ 「生 査3 新規 参入者 の概 要 に 関す る以 上 の簡 単 な考 察 をま とめ る次 の よ うにな る。一 口 に新 規 参 入農業者 とい っ て もい ろい ろな場合 が あ るが,「 担 い手 論」 を背景 と して施 策 的 に対 象 と なってい るの は,農 業基 盤 を まった く新 た に築 い て 自力 で経 営 をお こなお う とす る人 た ち を指 してい る。 それ らの人 た ち は1980年 して きた。 しか し1992年 は120人 以 降で み るか ぎ り,年 々 お よそ 数十 人単 位 で存 在 を越 え,こ れ は 自治体 や 関係 機 関 にお ける支援事 業 の影 響が大 きい と考 え られ る 。就 農動 機 につい て は,1980年 後 半 には 「事 業志 向」 的動機 の減 少 と 「生活志 向」 的動 機 の増 加 が み られ た。最 近 にい た って,こ ある とも予想 され るが,一 れ らの 区別 が弱 ま りつ つ 方 で 「生 活志 向」 的動機 は確 実 に継続 して い る。 新 規就農 ガイ ド事 業 な どの新 規参 入 支援 事業 は,「 担 い 手論 」 をベ ース にす るか ぎ り 「 事 業志 向」型 の参入 者 に関心 が 向 か うが,実 際 にはそ れ にそ ぐわ ない 「生 活志 向」 型参 入者 が確実 に一定 の比 率 で存 在 して い る.し たが って,確 か に新規 参入 者 の 円滑 な就 農 や 経営 基盤 の確 立 な どへ の支援 は必 要 で あ り,一 定 の成 果 を上 げて い る とい え るが,そ れを 問題 にす るだ けで は事 業 自体 が もつ現 代 的意 味 を見失 う こ とに な りか ね ない。両志 向の 区 別が弱 ま り,新 規 参入 者 が イ ンパ ク トを与 える こ との ない まま に既存 農 業 に取 り込 まれ て しまっては,現 代 農業 に再 考 をせ まる もの と して の新規 参 入者 とい う意 義が 実現 しない か らで ある。本 章 にお い て,新 規 参 入農 業者 の 農業観 や 生活 態度 を明 らか にす る こ との現 代 的意 義 は ここ にあ る とい え よ う。 37人 の新 規 参入 者 た ち 新規 参入 者 を扱 う文献 の 多 くは,な ん らか の視 角か ら参 入者 の タイプ分 け を してい る。 この こ とは新規 参 入 者 た ちが 多様 な集 団で あ り,単 純 に一般化 して論 じえない こ とを物語 っ てい る。 そ こで.こ こで紹介 す る事 例 の 特徴 につ い て最 初 に述べ てお きた い。 先 に新 規 参 入農 業者 の定 義 を① か ら⑤ まで あげ たが,以 下 の事 例 は① お よび② に該 当す る人 た ちで ある。 つ ま り新規 参 入者 の核 心 をなす 人 た ちで あ るが,な は暫定 的 に,⑤ に近 い生 活形 態 となって い る事 例 もあ る。他 方,「 志 向」型 の 分類 に即す る と,以 下 の7人 (E氏)含 まれ てい る もの の,そ か には結果 的 あ るい 事業 志 向」型 一 「生活 の 中に は 「事業 志 向」 的 な意識 を もつ事 例が1例 の他 はす べ て 「生活志 向」型 に含 め て よい事例 で あ る。 そのた め.資 本 集約 的 な畜 産や 施設 園芸へ の参 入者 は まった く含 まれ てい ない 。 したが っ て,核 心 部 分 に 限 る と して も,な お新 規参 入者 の 一般 像 を論 じる には無 理 が あ るが,参 入 者 た ちの生 き方 や考 え方 を拾 い だ し現 代農 業 を再 考 しよ う とい う趣 旨 を考慮 す る と き.確 131 実 に存 在す るが等 閑視 されが ちで あ った 「生 活志 向」 型 参入 者 に焦 点 を しぼ る こ とも意義 あ るこ とだ と思 う。特徴 の第3点 と して,就 農 して比 較 的 間 もない 人 たちで あ る こ と もっ け くわ えて お く。 各事 例 の内容 はお お よそ,家 族構 成,就 生活 を と りま く人 間 関係,農 調査 は,1992年2月 1)A氏 農 にい た る経 緯,現 在 の 農業経 営 と生 活,生 産 業 とい う職 業 につい て,と い う順 に記述 してい きたい。 な お か ら3月 にか けて,筆 者 が 直接 に対 象者 に面接 してお こ なった 、 一兵庫 県 宍粟 郡千 種 町 一 A氏(33歳)の 家族 は,妻(35歳)と 子 供 た ち3人(6歳,3歳,0歳)の5人 で,1989年 の4月 に千種 町 に移 住 した。就 農前 は東大 阪市 に住 み,夫 婦 と もに 中学校 教 師 を してい た (夫:社 会科,妻.英 語)。 A氏 は兵庫 県 明 石市 の生 まれ で,生 家 の 職業 は会 社 員 で ある。加 古川 市 内の 高校 を卒業, 慶応大 学へ 進学 し,卒 業後 す ぐに中学 校教 師 となる。妻 は教 師時代 の 同僚 だ が,結 婚 す る ときか ら,い ず れ教 師 はや め る と妻 に話 して あ った とい う。妻 は東大 阪市 の会 社員 の家 庭 に生 まれ,市 内の 高校 を卒業,関 A氏 が教 師 をや め たの は,1988年 とが あ る とはい え,こ 西大 学 に進 み,卒 業後 教 師 となった。 の4月 で あ る。教 師 時代 に脱 サ ラ農民 の本 を読 んだ こ の ときは就 農す る とい う 目的 は まだ はっ き りして い なか った とい う。 しか し農業 に関心 が あ り,農 業体 験 を してみ よ うか とい うこ とで,同 年5月 か ら大 阪府 内の 農家 で農業研 修 をお こない始 め る。 農業 へ の 関心 の源泉 は幼い 頃 に経験 した 田園風 景 だ ろ う とい う。そ の後,研 修 の過 程 で農 業 をや るな ら年 を とってか らで はで きない と感 じ,研 修 を5か 月で き りあげ て就 農地 を捜 し始 め る。88年11月 生計 の安 定 の た め に平 飼 い に よる養鶏(「 で8),そ の こ とで ある。 自然養 鶏」)を 取 り入 れ たい と思 って いた の れが可 能 な場 所 を望 んだ と同時 に,見 晴 ら しや 日当 りが よい とい うこ とな ども就 農地選 択 時 に考 え た とい う。兵 庫 県農 業会 議 に も相 談 したが,結 局 自然 養鶏 関係 の 人 を通 じて,今 の就 農地 が 決 まった 。最初 は借 家 が見 つ か らず 町営住 宅 に住 んだ が,そ の後 屋敷 地 を借 入 れ,自 分 で家 を建 て た。就 農 時 の資金 は600万 円 ほ どあった、 現 在 の経 営 は,平 飼 い に よる産卵 鶏360羽(成 鶏330,雛30)と,水 田が2反,畑 が1反 で ある。鶏 舎敷 地 をは じめ土 地 はす べ て借 地 で あ る。 田畑 はほ とん ど無 農薬 で つ くって い るが,お もに 自給 用 で あ る。養 鶏 につ い て は,同 じ集 落 で 自然 養鶏 をお こな ってい る人 に 技術 的 な援 を受 けた 。野 菜 な どの栽 培 につ い て は本 や雑 誌 を参 考 に した り,近 所 の高齢者 たち に聞い た りして い る。 ・132 生計 は卵 の販 売 と,町 内の 中学 生 を集 めて 自宅 で お こな ってい る家庭 教 師か らの収 入, お よび冬期 に お こな う水 道 工事 な どへ の ア ルバ イ トで 成 り立 ってい る。卵 は1個40円 の単 価で,夫 婦 の大 学 時代 や職 場 時代 の友 人 た ち に宅 配便 を利 用 して販 売 してい る。卵 の売上 か ら餌代 をひい た収入 は,月 当 りお よそ24万 円前後,そ れ に家庭教 師の収 入が 月 に7万 円ほ どある。 兵庫 県有 機 農業 研 究会 と自然 養鶏 会 に入 ってお り,あ わせ て年 に2∼3回 会合 に出か け る。近 辺 に住 む新 規参 入者 た ちで集 ま って,炭 程 度 これ らの を焼 い た こ ともあ る。地 区の 出役や 葬式 の手 伝 い な どには欠 か さず 参加 し,地 元 の消 防団 の一員 で もある。一 方,葬 式 や地 区で の供 出金 な ど,つ きあい にか か る費 用 は多 い と感 じてい る。 農業 は最 もッ ミの 少 ない 職業 で は ないか,と い うの がA氏 の考 えで あ り,農 業 とい う職 業 を正 当化 す るひ とつ の大 きな根 拠 であ る。つ ま り農 業 は,公 害 や資 源浪費,効 りの労働 か ら,最 率一 点 ば も遠 ざか る こ との で きる職業 だ とい うこ とだ。 また,夫 婦 で教 師 を して いた頃の毎 日の忙 しさ を振 り返 りなが ら,家 族 一緒 の生 活 の大切 さ を強調 す る。都会 と違 っ て近所 の 人た ちの干 渉 が気 に なる こ と もあ るが,都 会 に は もう戻 りた くない とい うのが夫 婦の一致 した意 見 で あ った。 2)B氏 一兵庫 県氷 上郡 市 島 町 一 B氏(30歳)は 独 身で,1989年 に就 農 した。就 農前 は灘神 戸生協(現 コー プ神 戸)の 職 員で あ った。 B氏 は広 島 県 の 出身で,生 家 の職 業 は会 社 員 で あ る。父 親 の海外転 勤 の 関係 で高 校 は ブ ラジルの イ ンターナ シ ョナ ルス クール を卒業 した。 ブ ラジルへ 向 か う前 にはア メ リカで半 年 間の語学研 修 の経験 もある。 卒業 後,国 際基督 教 大学 社会 科 学科 に入 学 。卒業後 す ぐに 灘神戸 生協 に就 職 した。 B氏 の 農業 へ の 関心 は,ブ ラジル在住 時 に第 三世 界 の,と くに貧 困層 の人 々 との 出会 い が発端 だ ろ う とい う。大 学 入学 後 に,東 京 か ら広 島 まで徒 歩 旅行 を した こ ともそれ まで の 生活 を見 直す きっか け とな った。具体 的 に農 業 が した くなったの は大 学2年 「あ る 日突然 」 思 い立 った とい うこ とだが,あ の 時だ とい う。 る 日突然 農業が や りた くなる とい う現象 を, 氏 は 「帰 農症 候 群」 と名 付 ける。 本 当 は農業 をや りたか った の で,生 協へ の就 職 は妥協 の産物 で あ った。 しか し,職 員 仲 間 との研 究会 で有機 農 産物 の 産消提 携 の実践H例 と して市 島町 を知 り,農 業会 議 に照会 した ところ.運 よ く市 島 町 に受 け入 れの用 意 が あ り,就 農 の運 び となっ た。就 農 を決意す る段 133 階で は,市 島 町の 産消 提携 に尽力 して きた神 戸 大学Y助 とい う。 また,就 教 授(当 時)の 影響 も大 きか った 農前 には大 阪 府 の農家 で半年 間 ほ ど研 修 をお こな った、 住居 は農 家 の離 れ を月2万 円で 間借 りしてい る。 当初 は,農 業 委員会 の斡 旋 で畑 を1反, 田 を7畝 借 りて い たが,調 査 時現 在 の経営 情 況 は,畑3反,田1反,飼 料 作1反 と平 飼 いの鶏 が400羽 で あ る。飼 料作 を入 れ た輪作 体系 を とってい る。 鶏 を始 めた きっか けは,提 携 関係 にお け る卵不 足 で あ っ たが,野 菜 作 りよ りも楽 で安 定 してい る ため,し だ い に経 営 の 中心 にな りつつ ある。 野菜 な どの栽 培 につ いて は,町 内の 有機 農業研 究会 の メ ンバ ーや本,近 所 の高齢者 たち を参 考 に して い る。養 鶏 につ いて は愛 農会 関係 の養鶏 農家 が町 内 にい る。 現 在 の耕 地 の うち4反 は購 入 済 みで あ る。就 農時 の資 金 は300万 円 ほ どあっ たが,耕 転 機 やそ の他 の機 械,軽 トラ ック な どの購 入 にまわ った ので,土 地 の購 入 につ い て は親 や生協 時代 の知人 た ちか らの借 金 で まか な った。購 入理 由 は,借 地 の場 合,肥 えた と きに土地 を 返 して くれ とい われ る こ とが あ るか らだ とい う。 また鶏 舎 の改築 にあた って は,提 携 して いる消 費者 団体 か ら100万 円の無利 子融 資 を受 けてい る。 最 近の収 入 内訳 は,卵 の販 売 に よる収 入 が月7∼8万 円,野 菜 か らが月3万 円(い ず れ も費 用差 引後),週3回 教 えてい る隣町 の学 習塾 か らの報酬 が 月5万 円で あ る。卵 や野菜 は,提 携 してい る消費 者 団体 へ 全量 出荷 してい る。鶏舎 の改修 に手 を と られて野 菜作 りが お ろそ か になってい るが,鶏 舎 が 完成 す れ ば,農 業 で現 在 の倍 の収 入 は見 込め るだ ろ うとい うこ とで ある。 有 機農 業研 究会 の県 レベ ル,関 西 レベ ルの会合 に出てお り,途 上 国か ら農業研 修 生 を受 け入 れ る事 業 には,語 学 力 を活 か して通訳 あるい は世話 人 と して積極 的 に参加 してい る。 また,ふ る さ と創 生 基 金 を利 用 した町主導 の い わゆ る活性 化塾(「 未 来塾 」)や,地 区の 青年 の集 ま りに も出 てい る。 葬式 な どの 地 区の一 般 的 なつ きあい に も参 加 してい るが,A 氏 と同様 に,そ の 関係 の 出費 が 多い と感 じてい る。 さ らに町 内 に計 画 され た ゴル フ場 の建 設 反対運 動 で は,中 心 的 な活 動 をお こな った。 農業 は産業 で は な く食 べ物 作 りなの で,農 産物 は工 業 製品 と同様 の流 通 はで きない.あ るい は同様 の コス ト計 算 は成 り立 た ない,と い うの がB氏 給 的 な生 活 を理 想 に してい たが,実 の考 えで あ る。大 学 時代 には 自 際 に就 農 して みる と,た とえば 肉 を食 べ たい とか旅 行 を したい な どとい う欲 求 を消 し去 る こ とが で きない こ とが わか った。 だか ら,就 農 に際 し てあ ま り強 い信 念 を もちす ぎるの も,分 裂 を招 くだ けで よ くない と考 えてい る。 上 の世 代 の人 たち は,運 動 的 に新 規参 入 した人 た ちで あれ,従 来 の農業 か ら有機 農業 に 134・ 転身 した人 で あれ.農 業 を苦 しい もの と して捉 えて い る よ うにみ え る.自 分 は,そ うで は な く楽 しみ と して の農 業 を考 えたい し,現 在30歳 代 くらい の若 い 人た ちの志 向 はそ うな っ て きてい る.とB氏 3)C氏 はい う。 一兵 庫 県氷 上郡 市 島 町 一 C氏(31歳)も 独 身で,1991年 の4月 に市 島町 に移住 した。 神 戸市 で生 まれ,小 学校 の時 に岡山県倉 敷 市 に移住 す る。 岡山大学 工学 部 を卒業 後,機 械 プ ラ ン トメー カ ー に就 職 し,阪 神 地域 に居住 しなが ら6年 間勤務 す る。 その後,和 歌 山県 にあ る農 業法 人 で3年 間働 き,独 立 した。 学 生 時代 か ら自然保 護 な どに 関心 はあ ったが,実 際 に農業 につ こう と考 え る ようにな っ たの は,就 職後 の こ とで あ る。バ ー レー ン出張 か ら帰 って きた と き,日 本 の緑 に強 く魅 せ られ た こ とを記憶 して い る とい う。 い ろい ろな理 由 か ら.農 業 がい ち ばん マ シか な,と 思 っ て就農 を考 えた ところはA氏 に似 てい る。会 社 をやめ る直接 の原 因は,造 船不 況 に よる 「肩 たた き」 の現 場 に接 し,会 社 の冷 た さを肌 で 感 じた こ とで あ った。 和 歌 山県 の農業 法 人 を知 った の は,大 阪 市 の 中之 島公 園 で お こなわれ た農業 関係 の就 職 説明会9)を 通 じて で あ る。農 産加工 に関す る仕 事 の従事 者 を募 集 してい る ところ もあった が,部 分 で は な く,農 業 に 関す る仕事 全般 がや れ そ うだ った とい う理 由 で.そ の農 業法 人 を選 んだ。最 終 的 には,そ こで50∼60頭 独 立 時の希 望 地 は兵庫 県 で あ った。C氏 い た 肉牛 の世 話 をまか されて い た とい う。 が神戸 生 まれで市 内 に親戚 もあった こ と.消 費 地 と して神戸 を考 えて い た こ とな どが理 由 で ある。結 局,B氏 市 島町 は消 費者 と提携 し販 路 が確 立 してい たの で,こ の ところで ふれ た ように. こに決 めた 。 就 農 のた めの特 別 な資 金 は なか った とい う。 トラク ターや耕転 機,精 そろ えたが,譲 米機 な どの機械 を り受 けた もの もあ り,全 部 で20万 円強で入 手 で きた。作 業小屋 風 の一軒 家 の家賃 は.電 気水 道 込 みで 月1万 円 であ る。 借 地 に よる農 地が 全部 で3反 あ ま りあ り,う ち1反 強 には水 稲 を作 付 け た。農地 はすべ て 無償 の借 り入れ で,有 機 無 農薬 に よる栽 培 をお こなって い る。昨秋 に収 穫 した米 は飯 米 と 贈 り物用 の みで あ り,販 売 は しなか った。畑 は昨年7月 下旬 か ら収穫 物 を提 携 消費者 に出荷 し始 めたが,調 査 時 点 まで の売 上合計 は10万 円程 度 で あ る。 農業 法人 時代 の知識 を基 本 に し,本 や 町内 の有 機農 業 農家 を参 考 に しなが ら農作業 を してい る。 また,隣 町 にあるB氏 と同 じ学 習塾 で週7時 間教 えてお り,そ こか らの収 入が 月6万 円 ある。 参 入 して 間 もない こ ともあ り,新 規 参入 者 関係 の集 ま りに何 度 か 出席 し,体 験 を語 った ・135・ こ ともある。他 に は有機 農業 関係 の集 ま りに も参 加 す る。 地 区の 出役 には欠 か さず参 加 し てい るが,毎 月 開か れ る地 区 の会 合 に は,塾 講 師 と重 な って 出ない こと も多 い。B氏 加す る町主導 の 活性 化塾 も,最 初 は出て い たが,学 が参 習塾 の都 合 で疎 遠 になった。 農業 は仕事 を自分 で コ ン トロール で きる とこ ろが よい とい う。 消費者 をは じめ,い ろい ろな人 と知 り合 い になれ るの も.氏 の感 じる よか った 点で あ る。将来 は牛 や鶏,果 樹 を経 営 に くわ えた有 畜複 合 農業 をめ ざ して い る。運 動 にはあ ま り関わ らず に自分 の農 業 を しっ か りさせ てい くこ とが 現 在 の課題 で ある。最 近 は野菜 農家 が減少 してい る よ うだが この先 どうなるの で あろ うか,私 は 自分 で作 っ てい るか ら大丈 夫 だが_,と 述 べ たの が印象 的 で あった。 4)D氏 一香 川 県大 川 郡 寒川 町 一 D氏(41歳)の 1987年5月 したが,1年 家 族 は,妻(37歳)と に正 式 に就 農 した。D氏 子 供 た ち(15歳,13歳,10歳,10歳)の6人 の前 職 は国鉄 職員 で あ る。JR四 で, 国へ の変 更 時 に退 職 間の有 給 休職 期 間が あ っ たの で,実 際 には1986年 か ら農業 に専 念 してい る。 D氏 は現 在住 む集 落 の 出 身で,3反 を卒業 後,国 鉄 に就 職 したが,そ す れば年金 が つ くので,そ 程 度 を所有 す る農家 の三 男 で あった。地 元 の農業 高校 の 頃か ら本 当 は農業 をや りたい と思 ってい た。20年 勤続 の 頃 に退職 して農業 を始 め る計 画 をた ててい た とい う。 同 じ集 落 出身の妻 と結 婚 して しば ら くたつ まで は他 町 に住 んでい たが,1977年 て帰 って くる。 そ して 減 反用 の土 地 を借 りて,少 に地元 に家 を建 て しず つ農 業 を始 める。 そ う して 国鉄退 職 まで,兼 業 農家 と して の生 活 が続 い た。 水 田 を1町3反,畑 を5反 作 って お り,平 飼 い の鶏 が500羽 い る。農地 につ いて はすべ て借 地 で,反 当 り2.2万 円 の借 地料 を支 払 っ てい る。水稲 につ いて は耕転 や田植,収 穫 な どの作 業請負 も,そ れぞ れ1.0∼3.Ohaの 規模 でお こなって い る。機械 は トラクNタ ーが3台,コ バイ ン,軽 トラ ック,2ト ン トラ ッ クが そ れぞ れ1台,籾 ン 摺 り機,乾 燥 機 な どが あ る。 自分 で経営 す る田畑 はほ とん どが有 機 無農 薬栽 培 で ある。帰 郷後,当 初 は化 学肥 料 や農 薬 を使 う ような農業 をお こな ってい たが,1981年 こ ともあ って,趣 に生 まれた子 供が ア トピー だ った とい う 味 の農業 か ら始 め たの だ か ら化学肥 料 や農 薬 をな るべ く使 わ ない ように しよ うと考 えた とい う。 その 頃 は兼業 して いた ので,技 術 は本 な どを参考 に しなが ら,あ せ らず に 自分 の考 え で 身につ け てい っ た。 野菜 や米 の ほ とん どは,「 かが わ土 と 自然 の会 」(事 務 所.高 松 市,会 員200戸 程 度)と い う消費者 グルー プ に販 売 し,自 らの運 転す る トラ ツクで県 内各 地 に散 らば る会 員の拠 点 136 に,週2日 の 配達 をお こな う。 農協 か ら頼 まれ て しか た な く栽 培 して い る タマ ネギ は農協 に 出荷 す る。 これ につ い て は無農 薬 で ない。鶏 の餌 と して米 ぬ かが必 要 なため,近 くの い ち ご農家 と共 同で コイ ン精 米 もお こな ってい る。 妻 も農業 を手伝 い,そ れ につい て は給 料 を出す か た ちに してい る。子 供 たち も機械 作 業 を手伝 うこ とが ある。 昨年 の粗 収 入 は1000万 円 を少 し越 した ぐ らい だ とい う。将来 は,山 の方 に土地 を買 って体 験 農場 的 な要素 も含 め た複 。合 農 場 を作 るか,あ るい は農 産加工 の 部 門 に手 を広 げてい きたい とい う。 自然養鶏 会 の 四国支 部 や全 国有機 農業研 究会 に も入 って い るが,前 者 とはやや疎 遠 に な り,後 者 につ い て は県 レベ ル の活動 が少 ないの で,こ の 関係 の活動 はほ とん どない。 その か わ り,地 元 出身 とい うこ ともあって,町 の農業 者会 議 や 農協,学 校 関係 の役 職 につ くな ど,地 域 的 活動 の機 会 は多 い 。地元 の小 学校 で農作 業 の指導 もして い る。 国鉄 時代 との違 い は,夜 勤 や 時間 に追 われ た仕事 か らの解 放 とい う面 もあ ったが,大 き く違 うの はつ きあいの広 が りで あ る。 国鉄 時代 は同僚 だ けのつ きあいで あ ったが,農 業 を してい る と,自 分 か ら出てい く意 志 さえあれ ば.つ きあい が どん どん広が る とい う。 消費 者 グル ープ向 け に割 に合 わ ない配 送 をお こな うの も,消 費者 と話 を した り生の意 見 を聞い た りとい う交流 が あ るか らだ。 また,県 や 農業会 議 の 人 と知 り合 い に もなれ る。テ レビの 取材 も何 度 か受 けた。 加工 を して付 加価 値 を高 め た り,生 産者 の側 が値 決 め をす る発想 に転換 で きた りす れば, 農業 は有望 な産 業 にな りうる。 そ うい う意 味 で.農 業 はや れ ばや るほ ど可 能性 の ある産業 で ある。 さ らに,特 産 品 の 開発 な どを通 じて地 域社 会 の発展 のた め に も役 立 ちたい,とD 氏 は語 る。 5)E氏 一香 川 県仲 多度 郡 琴南 町 一 E氏(40歳)の 農 地 は琴 南 町 にあ るが,居 で通 う通勤 農業 で あ る。妻(35歳)は 8歳)あ る。1990年 宅 は車 で40分 ほ どの宇 多津 町 にあ り,毎 日車 看 護婦 を して お り,子 供 は4人(13歳,12歳,10歳, の11月 に農業 を始 めた 。 E氏 は坂 出市 内の漁 家 の 出身 で あ る。長 男 で なか った こ ともあって,市 後,川 崎重工 に就 職 し3年 間訓練 生 と して神戸 で暮 らす 。 その後,地 場 に戻 り,約10年 内の 中学 を卒業 元 の工 業 地帯 にあ る工 間働 く。そ の 間,通 信教 育 で高校 を卒業 した。退 職 して しば ら くは実 家 のの り養 殖 を手 伝 った後,魚 市場 の 中 の水 産会 社 に就 職 し,そ こで10数 年 間働 いた。 魚市場 をや め たの は職場 で の トラブ ルが大 きな原 因 だ った とい う。 セ リを担 当 して たの 137 でス トレス も きつ か っ た。 も うサ ラ リーマ ンは した くない と思 ったが,漁 業 は身近 で見 て いたせ いか,獲 るば か りで先 行 きが不安 な気 が した。 他 方,農 業 につ いて は担 い手不足 の 話 をマス コ ミ等 で聞 い てい た ので,今 は よ くない が先 々 よ くなるだ ろ う と考 えてい た。何 か を始 め るに は年 齢 的 に最 後 の チ ャ ンス だ と も思 って いた ので,転 職 を決意 した。 とはい うもの の,具 体 的 な作 目や場 所 を考 えてい た わ けで はない.山 あいの 静 か な とこ ろ とい う希望 が あ っ た ぐらいで あ る。今 の場 所 は農 業会 議 を通 じて見 つ けた。 農業会 議 は 作 目や候補 地 な どを も う少 し具 体 的 に紹 介 して くれ る と思 ってい たが,少 々期待 はず れで あ った とい う。妻 は就 農 に賛成 しなか ったの で,移 住 は で きず通 勤 農業 となって い る。妻 の実家 は愛媛 県 の 農家 なの で,農 業 で食べ られ る はず が ない と思 って い るのか も しれ ない. はじめの うち は妻 とい さか い になる こ と もあ ったが,最 近 は何 もいわ な くな った,と い う。 特 別 な研 修 をせ ず に農業 を始 め たの で,昨 年 は練 習 の意 味 もあって あ ま り土 地 を借 りな かったが,今 年 か らは1町2反 の土地 を借 りて経営 をお こな う予 定 で ある。借 地料 は年1.5∼ 1.9万 円/反 で,露 地 に よる野 菜作 が 主で あ る。 昨年 は キ ャベ ッや た まね ぎ.ち んげ ん菜 な どを作 り,粗 収 入 は150万 円で あった。今年 は粗収 入600万 円 をめ ざ して努 力 したい とい う。 就 農資金 は300万 円 あ り,機 械 装備 に120万 円 ほ どか か った。技術 は普及所 や 地元 農協 の営 農指導員 の意見 を聞 い てい る。農薬 を使 いす ぎる こ とに抵抗 感 はあ るが,無 農薬 にす るつ も りは今 の ところ ない 。 出荷 は農協 出荷 と個 人 出荷 の両 方 で ある。個 人 出荷 は必 ず しも積 極 的 な もの で はな く,規 格 や 品揃 えが 要求 され る農協 出荷 に対応 で きないか らとい う意味 が強い。 農業委員 の誘 い で,町 内 にあ る 中核 的農 家 の会 に入 って い る。そ の メ ンバ ーで視 察旅行 をす る こ ともある。 居住 して い ない ので,地 元 とのつ きあ い は年1回 の用 排水 路掃 除 だ けで あ る。 農業 は天候 の 関係 で労働 が 必 ず しも収入 につ なが らない こ とが あ る。 そ うい う意味 で, 職業 と して 農業 を選 ぶ こ とはか な り勇 気 が必 要 だ と思 う。 担 い手不 足 の情報 か ら農業 に飛 び込 んだが,実 際 にや って み る と条件 は きび しい 。 しか し,農 業 を してい る と国や地 域 に も役 立 つの で は ない か と思 う し,こ の選択 は正 しか った と信 じてい る。今 は 自活す る こ と が最大 の 目標 で あ る。 経営 が 軌 道 にの って,農 業 で食 べ てい け る よ うになれ ば,妻 を考 えるの で は ない か。E氏 6)F氏 も移住 は この よ うに語 る。 一香 川 県香 川郡 塩 江 町 一 F氏(37歳)の 家 族 は,妻(32歳)と 子供1人(6歳)で 138 あ り,1990年3月 に家族 とも ど も移住 した。移 住前 は広 島市 内 に住 み,中 F氏 は広 島市 郊 外(現 堅 ス ーパ ーマ ー ケ ッ トに勤 めて いた。 在 は佐伯 区)の サ ラ リーマ ン家庭 に生 まれ,市 内 の高校 を卒業, 広 島修道大 学 人文 学 部 に進学 し,卒 業 後 まず市 内 の本屋 に2年 間勤 め る。 そ の後,ス に転職 し約10年 間勤 め た後,1988年6月 務員家庭 の 出 身で あ る。高 校 を卒 業後,広 農業へ の 関心 は,今 に退 職 した。1984年 ーパ ー に結 婚 した妻 は,下 関市 の公 島市 内で働 い てい た ときにF氏 と出会 った。 に して 思 え ば小 さい 頃,母 の実 家 の みか ん畑 で遊 んだ こ とが発 端 か もしれ ない とい う。 しか し,具 体 的 に就 農 を考 え始 め たの は,ス ーパ ー勤務 時代 で あ る。 仕事 が ら食 物 の安全 性 な どの問題 に関心 が 出て きて,素 性 の知 れ ぬ もの を食 べ る よ りも自 分で作 った方 が よいの で は ない か と考 え る ように なった 。ス ーパ ー をや め たの は仕事 が忙 しす ぎた こ と もあ る。 朝8時 前 に家 をで て,帰 りが夜12時 をまわる こ と も珍 し くなか った。 だか ら.就 農 の希 望 を親 に打 ち明 けた とき も,体 の心配 か らそ の方が い い とい う反応 であ っ た とい う。妻 も家 族 一緒 に働 け る こ とを望 ん でい た。 ス ーパ ー退 職後,最 初 は山 口県 内 で場 所探 しを したが,妻 るにあた って人手 を捜 して い たの で,と の友 人が香 川 県で事 業 を始 め りあ えず妻 が就 業 しなが ら適 地 を探 せ る と思 い, 1989年 に香 川 県 に移住 し,高 松市 郊外 に住 んだ 。就 農 のため の準 備 資金 はほ とん どなか っ たので,副 収 入 の機会 の 有 無 も就 農地選 択 の大 きな条 件 で あった。 現 在 の場 所 は県 農業 会 議 の斡 旋 に よる。 しか し就 農前 に,農 業会 議 に勧 め られて 県の農 業大学校 で1年 間の研 修 をお こ なっ た。農家研 修 の道 もあ ったが,有 機 無 農薬 に よる栽培 を考 えてい たの で,一 般 農家 での研 修 は敬遠 した とい う。住居 につい て は,運 よ く町所有 の住 宅 を月1.5万 円で借 りる こ とが で きた。 4反 の農地 を年5万 円 で借 りて野菜 作 りを してい る。昨年 は種 々の作物 を試験 的 に作 って みたので,ほ とん ど販 売 す る にい た らなか っ た。今 の土 地 に移 って1年 間 は妻が会 社 勤 め を続 け,そ の 後 の半年 間 はF氏 が 高松市 にあ る 自然食 品 店 の手伝 い を して いたが,最 近の 半年 間 は これ とい った現 金収 入 が ない状 態 で ある。技 術 につ い ては,県 で 出 してい る栽培 方法 の本 や 市販 本,近 所 の 高齢者 た ちか ら得 てい る。 本格 的 な販売 は今 春 か ら始 め る予 定 で あ る。 方法 は宅 配 と直売 店 を考 えて い る。宅配 は. 広 島市 や下 関市 に住 む失婦 の友 人 た ち50数 軒 を対 象 に してい る。 直売 店 は,う ま くい けば 今年の 夏 ご ろ.車 で30分 ほ ど離 れ た高松 市 内 の近郊住 宅 地域 で開業 で きる見 込 みで あ る。 この店 で は,自 作 の農 産物 の ほか に,近 くの高齢 者 た ちが お もに 自家用 に作 って きた野菜 な ど も集 め て売 りたい とい う。 また,有 機 無農 薬農業 をお こ な う県 内の2名 の生 産者(う 139 ち 1名 は次 に紹介 す るG氏)に も声 をか け てお り,そ の 人た ちの農 産物 も扱 い たい とい う。 出 店 につい て は,ス ー パ ー時代 の知 識 を役 立 て てい る。 地域 のつ きあい には積極 的 であ る。 ほ とん どが 働 きに出て い る同世代 の人 た ち と知 り合 い になれた の は,子 供 の意 義が 大 きい とい う。 また,町 の農業 後継 者 ク ラブ に も加入 して い る。農業 をす る と会 社 には ない よ うな人 間関係 のつ なが りが得 られ る と感 じてい る。 スーパ ー勤 務 だ と退職 後 の生 活 が空 白状 態 だ が,農 業 だ と動 け るか ぎ り働 き続 け られ る とい う意味 で,将 来の見 え る生活 が で きる,とF氏 はい う。 自分 の労働 が,そ の ま ま食べ 物 のか たちで 自分 の生 につ なが るの で わか りやす くてい い,と 妻 はい う。思想 を問 うよ う な有 機無 農薬 農業 もよい が,自 分 と して はそ う した思想 や信 条 と無 関係 なかた ちで,農 業 を し,昔 の八 百屋 の よ うな直 売 店 を運営 して い きたい.とF氏 7)G氏 は語 る。 一香 川 県綾 歌郡 国分寺 町 一 G氏(44歳)もE氏 と同 じ く通 勤 農業 で あ る。居 宅 は高松市 内 にあ り,妻(42歳)と 供が2人(14歳,11歳)あ る。上 の子 供 は現在,三 重 県 にあ るヤマ ギシズ ム学 園 中等 部 に 入 ってい る。 妻 は高松 市 出身で 特殊 学校 の教 諭 を して い る。G氏 所 職員 を退職 し,農 地探 しに少 々手 間 どった後,1990年2月 G氏 は高松 市 内 の文房 具 店 の生 まれで,市 子 は1987年6月 に坂 出市役 に現 在 の農地 がみ つか っ た。 内の高 校 を卒業,法 政大学 工 学 部 に進 学 した。 7年 後 に卒業 し,親 の 意 向 もあ って坂 出市 の公 務員 に なる。役所 で は一貫 して都 市 計画 課所 属 で あった。 就 農 を考 え始 め たの は1980年 頃 ごろで あ る。 よ く本 を読 んでい たの で,そ れ 以前 も食 品 添加 物 関係 の本 や代 替 エ ネル ギ ー関係 の本 を読 んでい たが,画 期 となっ たの は,福 岡正信 『自然農 法』10}と中島正 『自然 卵養 鶏法 』11)の2冊 に出会 った こ とで あ る。 また 『 現代 農業』 に載 ってい た庭 先 養 鶏 の話 も印象 に残 ってい る。 一方,そ の頃 に家 を建 て,や や本格 的 に 家庭 菜 園 を始 め た。 こう した こ とが総合 して,し だ い に就 農 の決 意 が高 まって きた。就 農の壁 は具体 的 には 3つ あ った とい う。 第1は 収 入 の 問題,第2は 題,第3は 体 力 的 な問題 の特 別講i習研 鐙 会(7泊 役所 をやめ て農業 をす る と きの世 間体 の問 で あ る。第1,第2の の合宿研 修)に 問題 は,と くに,1984年 にヤマ ギ シズ ム 参 加 して決心 が つい た とい う。 ヤマ ギ シズ ムの農業 を学 びた い と思 って特 講 に参 加 したが,結 果 的 に これがG氏 の 生 き方 を大 き く左 右 す る こ とにな る。 最後 まで残 った の は体力 の 問題 で あ る。 しか し,農 作 業 は しん どい けれ ども楽 しい と思 った と きに,就 農 の決 心が つ い た、妻 は黙 認 したが,収 入 が半分 にな る こ とがや 140一 や不満 で あ った 。 退職直 後 は,す で に買 って おい た 山間 の休耕 畑 で 農作 業 を してい た。 しか し,経 験 もな く土地 条件 も悪 か っ たの で,農 業会 議 を通 じて,よ 農地 は2カ 所 に分 か れ,合 計4反,借 り近 くて便利 な現 在 の農地 を探 した。 地料 は年2.5万 円/反 で あ る。資 金 は特別 に準 備 して いなか ったが,耕 転 機 な どは退 職時 にそ ろえた 。 昨年 の作 目は野 菜類 の みで あ る。販売 は高松市 内 にあ る 自然 食 品店 にお ろ した 。 この店 はF氏 の話 にで て くる店 の こ とで,こ の店 を通 じてG氏 は多 い月で3万 円程 度 で あ る.そ れ らの収 入 は種苗,資 はF氏 と出会 った。 昨年 の粗収 入 材 費 と同 じく らいだ ったの で,借 地 料 や用水 費 な どは妻 の収 入 か ら補 填 した こ とにな る。1年 作 ってみて.無 が多少 わか って きた 。 この冬 にはハ ウス の建 て まわ しもお こ ない,3棟 農薬栽 培 の技 術 で合 計170坪 になっ た。作 るだ けで は金 の こ とばか りを考 え るので 自分 で売 る こ とも考 えた い,と い う。 しか し,今 の ような無農 薬栽 培 をひ と りの 労働 で お こな うす る と,手 取 りで年100万 円 ぐらい の 収入が 限度 で は ないか と もい う。技 術 は もっ ぱ ら本 か ら得 てい る。 借地先 で のつ きあい は,野 菜 を作 ってい る人が い ない こ と もあ って ほ とん どない 。 今 に なって思 えば,市 役 所 の仕事 は こな してい く仕事 で あ って,将 来 を描 け ない 仕事 で あった。 それ に比べ る と農 業 は 自分 で 目標 を立 て て,そ の描 いた方 向 に進 んで い くところ,そ 4"小 宇宙"と れ に向か って仕事 が で きる。 自分 こが 農業 の 楽 しさだ とG氏 は語 る。 して の農 業生 活 個 々の参 入者 たち は個性 に溢 れて お り,安 易 な論 評 は避 けるべ きで あ る。 しか しB氏 も 指摘 した こ とだが,と くに 「生活 志 向」型 参入 者 の 農業観 には共通 点 も多 い。仮説 的 考察 で ある こ とを こ とわ りつ つ.以 下 に ま とめ てみ よう。 最 も顕著 な共 通 点 は.農 業 を生産 だ けで な く販 売 も含 めて 考 えてい るこ とで あ る。 この 傾 向の直接 的 要 因 は,こ の型 には無 農薬 栽培 や鶏 の平 飼 いが 多 いの で,必 然 的 に独 自の流 通方式 が必 要 とされ る こ とで あろ う。市 場流 通 で は農産 物 の見栄 えが 問題 となる し,安 全 性 とい う価 値 も正 当 に認 め られ が たい か らで ある。 しか し,こ の背後 には もう少 し深 い 要 因,す なわ ち 自分 の生 活 の成 立 ち の全体 を理 解 し,把 握 したい とい う願望,が 影響 して い る よ うに思 われ る。 この こ とは 「生 活志 向」 型 の各 事例 にみ られ る 自給 の姿勢 か ら も知 ら れ よ う。個 別 的 に は 「生 きてい る全 体 が よ くわか る生 活」 とい うF氏 の妻 の考 え方 や,A 氏 が 自分 で家 を建 て た こ とな どもその現 われ と考 え られ る・ 14L こう した こ と もあ って か,参 入 者 た ちの 生活 は 自律 的 性格,よ り強調 してい えば"自 己 完結"的 性格 を もつ よ うに思 われ る。 この 自己完結性 は閉鎖 的 内 向的 とい う意味 で はな い。就 農前 の 人間 関係 を利 用 して宅 配 をお こな った り,あ るい は ゴル フ場 反対運 動 を主導 した り,積 極 的 に地域 的活動 を した りす る例 がみ られ る ように,参 入者 の活動 はむ しろ外 に開か れてい る。 つ きあい が広 が った とい う感想 も多 く聞 かれ た。 しか しそ れ らの人 間関 係 は,あ る組織 の一 員 として の 関係 とい う よ りも,自 己 を中心 と した ネ ッ トワー ク として 展 開 してお り,そ れ ぞれ の 関係 を自分 が コ ン トロー ル しうる とい う意味 で,自 己完 結的 だ と思 われ るので あ る12}。 この こ とは もち ろん,就 農 地 での 生活 経験 が乏 しいた め に,地 域 的組織 では な く,し か たな く自己の 関係 の ネ ッ トワー クに頼 らざる を えない とい う面 の反 映 で もあ る。 しか しな が ら,伝 統 的 農民 た ちの行動 様 式 が 「間人 主義」 的 で相互依 存 的 であ る といわ れ るの に比 べ る と,程 度 の差 で はあ れ,参 入者 は よ り 「個 人主 義」 的で 自己 中心 的 だ とい え る13)。 彼 らに とって は,地 域 的組 織 もコ ン トロー ル され うべ き対象 の ひ とつ なので あ る。今 後,参 入者 が就 農地 域へ 与 え るイ ンパ ク トとい う もうひ とつの局 面 を考察 す る場合,こ れ らの対 照 的 な二 つ の行動 様 式 が どの よ うに影響 しあ うかが,重 要 な着 眼 点 とな ろ う14)。 次 に,こ れ もまた 「生活 志 向」型 の参 入者 に限 った こ とだが,傾 向 と して思想 や信 条が 後退 しつ つ あ る こ と を指摘 して お きたい.年 齢 層 でい うと現在30歳 代 くらいの 人た ち は, それ以前 の学 生運 動 を経験 した世 代 とは違 って,公 害や食 べ物,環 境 な どの問題 意識 か ら 農業 に 目を向 ける 人が 多 い15)。その結 果,食 べ 物 な どの モ ノ に関心 の 中心 が あ り,組 織 的 活動 への 関心 は比 較 的 弱 い ように思 え る。 人 間 関係 が ネ ッ トワーク的 な 自己完結 型 に なる の も,そ の現 われ とい え よ うか。 以 上の こ とか ら,従 来 の農業 者 た ち に対 す る彼 らの革新 性 は,実 際 的 には流通 形態 の再 考 や,付 加価 値へ の 関心 の喚起,農 村社 会 へ の異 質 な人間 関係 の導 入 な どにあ る とま とめ られ よ う。 しか しよ りつ きつ め る な らば,彼 的な"自 由"に らの小 宇宙 的 自律 性 は,農 業 生活 にある本 来 つ なが る もので あ る。現 在 の 農業 が あ ま りに多 くの制 度 や関係性 の中 に絡 め られて い る こ と を考 える と き.彼 らの小 宇宙 的"自 由"の もつ意義 もまた革新 的 とい え よう。 だが,そ れ に して も参入 後 日が 浅 い とはい え,農 業収 入 の きわめ て少 ない事 例が 目につ く。 「作 る だ けで は金 の こ とばか りを考 え るので 自分 で売 る こ と も考 えたい」 とい うG氏 の発言 を裏 返 す と,販 売 を も手が け て消費 者 との つ なが りな どもで き・ 農業 を見 る視野 が 142 広 く な る と.所 得 一 辺 倒 の 価 値 基 準 が 揺 ら い で く る の か も し れ な い 。 し か し,事 は 地 域 と の つ き あ い に も 積 極 的 で あ り,現 例 の多 く 金 を 必 要 と す る 生 活 か ら 遊 離 は で き な い 。 ま た, これ か ら結 婚 や 子 供 の 成 長 を ひ か え て い る事 例 も多 い 。 以 上 の事 例 が 今 後 どの よ う な 生 活 史 を つ く る の か,見 守 っ て い く必 要 が あ る 。 注 1)新 規 学 卒,Uタ ー ン就 農 者 数 は,農 1992年.P.24よ 2)ひ 林 水 産 省r新 しい 食 料 い て は 『WEEKLYプ ボ ー イ 』,第27巻 だ し,こ 農村 政 策の 方 向 関 係 資 料 』, り∩ レ イ ボ ー イ 』 に も,「 明 る い 農 村 プ ロ ジ ェ ク ト」 と題 して 新 規 参 入 農 業 者 の 紹 介 と就 農 を勧 誘 す る 特 集 記 事 が 載 せ られ て い る(浅 3)た 農業 見 文 夫 「明 る い 農 村 プ ロ ジ ェ ク ト」 「WEEKLYブ レイ 第26号,1992年.PP.38-43)。 こ で 田 口 の い う 「経 営 理 念(農 業 観)」 は,農 業 だ け で 都 市 勤 労 者 並 み の 生 計 を確 保 で き る こ と を 目指 す 「職 業 と して の 農 業 観 」 と,経 営 の 剰 余 を 地 代 込 み 利 潤 と して 見 な す よ う に な る 「企 業 と して の 農 業 観 」 の2分 階)の 類(田 口 に よ る と2段 み を 指 して い る。 田 口 三 樹 夫 「農 業 経 営 の 主 体 論 的 課 題 」 鈴 木 福 松 編 「農 業 経 営 の 構 造 的 再 編 』 明 文 書 房,1983年.PP.270-293。 4)た と え ば,徳 野貞雄 「 農 業 危 機 に お け る 農… 民 の新 た な 対 応 」(「 村 落 社 会 研 究 」26集,1990年)な 5)「 担 い 手 論 」 を否 定 す る わ け で は な い 。 そ う し た 見 地 か らの 研 究 と して は,た 真 一 「農 業 へ の 新 規 参 入 者 対 策 と 農 協 が は た す 役 割 14集,1988年)が あ る が,実 橋伸 夫 下 惣一 『 脱 サ ラ 農 民 は なぜ 元 気 』(家 が 執 筆 した り編 集 し た り し た 本 も多 い が,そ (楽 游 書 房,1986年)が 詳 しい.さ 下 の 分 類 に つ い て は,品 部 義 博.「 364号,1987年,PP3-13),お 1985年,PP.2・8)を 国農 山 崎 光 博 「農 業 の 新 しい 担 い 手 の 動 向 と将 来 展 望 に 関 す る 調 査 村 生 活 総 合 研 究 セ ン タ ー,1987年),安 1991年),山 藤 義 道 「ザ ニ ュ ー フ ァ ー マ ー 』(明 の 光 協 会,1993年)な の 紹 介 は,エ コ 文 書 房, ど が あ る 。 新 規 参 入 者 自身 ラ イ フ研 究 会 編 「新 田 舎 暮 しへ の招 待 』 ら に,各 種 農 業 関 係 雑 誌 に も新 規 参 入 者 の ル ポ が 散 見 さ れ 始 め た 。 「新 規 参 入 」 農 業 者 の 諸 類 型 と就 農 実 態 」(『 よび東廉 「 都 市 住 民 の 「就 農 」 」(『 農 政調 査 時報』 農 林 統 計 調 査 」 第35巻 第10号, 参 考 に した 。 7)農 水 省 農 蚕 園 芸 局 普 及 教 育 課 『農 業 へ の 新 規 参 入 に 関 す る 実 態 調 査 結 果 の 概 要(未 定 稿)」 平 成 元 年7 水 省 農 蚕 園 芸 局 普 及 教 育 課 農 業 後 継 者 対 策 室 『農 業 へ の 新 規 参 入 に 関 す る 実 態 調 査 結 果 の 概 要 (未 定 稿)』 平 成4年3月,農 結 果 概 要 』 平 成6年3月 8)坂 協同組 合 奨励研 究報 告 』 の ほ か 注7に あ げ る も の 以 外 に も,全 国 農 業 改 良 普 及 協 会 編 『新 規 参 入 者 就 農 事 例 集 』(全 報 告 書 」(農 月,農 重富 だ ま だ 地 域 的 作 目 的 に 限 定 が 必 要 だ ろ う。 新 規 参 入 者 の 事 例 を扱 っ た 文 献 業 改 良 普 及 協 会,1986年),三 6)以 木 洋一 際 の 調 査 対 象 は 北 海 道 の 酪 農 へ の 新 規 参 入 を扱 っ て お り.純 粋 に 「担 い 手 論 」 と し て 論 じる に は,ま は,こ 機 能 に つ い て の 研 究 」(「 と え ば,松 ど。 根 修 の 本(『 水 省 統 計 情 報 部 「農 業 以 外 の 分 野 か ら新 た に 農 業 経 営 を 開 始 した 者 の 調 査 。 都 市 生 活 者 の た め の ほ ど ほ どに 食 っ て い け る 百 姓 入 門 』 清 水 弘 文 堂,1985年)に 趣 旨 の 記 述 が み ら れ る の で,そ の 影 響 も あ る か も しれ な い 。 坂 根 氏 の 発 想 に つ い て は,岸 143 同じ 康 彦 「五 反 百 姓 坂 根 修 の"食 え る 農 業"」(『 養 鶏 」 に つ い て は,中 9)C氏 の 記 憶 で は,「 島正 農 林 統 計 調 査 」 第35巻 第10号,1985年)に 「自然 卵 養 鶏 法 』(農 文 協,1980年)を よ る紹 介 が あ る 。 「自然 参照。 も う ひ とつ の 就 職 説 明 会 」 と い う 名 前 で あ っ た 。 10)福 岡正 信 「自然 農 法 わ ら一 本 の 革 命 』 柏 樹 社,1975年 。 11)注9を 参 照 。 12)以 上 に の べ た 販 売 面 の 重 視 と人 脈 の 活 用 は,徳 野 貞 雄 が 農 業 へ の 新 しい 眼 差 し を もっ 農 業 者 か ら帰 納 的 に導 きだ した 特 徴 と 共 通 して い る 。 徳 野 「前 掲 論 文 」 参 照 。 13)「 間 人 主 義 」 と 「個 人 主 義 」 に つ い て は,浜 1g88年(初 出:日 本 経 済 新 聞 社(1977)を 正昭 「 稲 作 経 営 の 課 題 と展 開 方 向 」(r農 主 義 的 で あ る 背 後 に は,必 口 恵 俊r「 参 照 。 ま た,そ れ らの 農 民 行 動 へ の 応 用 に つ い て は ,石 林 業 問 題 研 究 」93号,1988年)を 参 照。 参 入者 たちが個 人 業 生 活 を続 け る と き に ,こ れ で い い ん だ と納 得 で き る 人 が も っ て い る よ う に 思 う。 そ の 理 由 は人 に よ っ て 違 うが,そ 断 基 準 と な っ て,比 (r農 業 と経 済 」 第59巻 第8号,1993年)に 農 業 の 社 会 的 な位 置 づ け と,個 構 想 して い る 。 な お,ラ 稿 「最 近 に お け る む ら と新 規 参 入 者 の 微 妙 な 共 存 」 お いて 若干 の考 察 をお こ なった。 15)あ え て 農 業 を 職 業 と して 選 択 す る と い う行 為 は,各 a〃an'5LIfe,1978)が れ が 行 動 の ひ とつ の 判 較 的 個 人 主 義 的 な 行 動 様 式 が 可 能 に な っ て い る よ う に 感 じた 。 14)新 規 参 入 農 業 者 と地 域 社 会 との 関 連 に つ い て は,拙 イ ク ル の 心 理 学(上 田 ず し も楽 で は な い 農 業 生 活 を 支 え る 精 神 的 支 柱 を個 々 の 人 た ち が も っ て い る こ と も大 き い と思 わ れ る 。 言 い 方 を か え れ ば,農 よ う な 理 由 を,各 日本 ら し さ」 の 再 発 見 」 講 談 社 学 術 文 庫, 人 の 個 性 を と りあ えず 除 外 す れ ば,各 々 人 の ラ イ フサ イ ク ル と の 関 数 と して 描 く こ とが で き る の で は な い か と イ フ サ イ ク ル の 普 遍 化 に つ い て は,ダ ・下)1(講 時代 にお ける 談 社 学 術 文 庫,1992年,原 興 味深 い 。 ・144・ ニ エ ル ・レ ビ ン ソ ン(南 博 訳)『 著:LEVエNSON,D.」.The5easonsof ライ フサ 第7章 韓 国 農 村 に み る 農 業 「担 い 手 」 変 動 の パ タ ー ン ー 流 動 性 の 高 い 村 落 シ ス テ ム の 例 と して 一 本 章 で は,韓 国農 村 を事 例 と して農 業 者 の人 間 関係 を考察 す る。 韓 国農 村 は,村 落 を形 成す る点,お よび父系 的親 族組 織 を有す る点 な どで 日本農 村 と類 似 して い るが,た とえば農 業者 の 流動性 が 高 い とい う点 で はわが 国 農村 と大 き く様 相 が異 な る。 ここで は,そ う した 流動性 の高 さが現 わ れる社会 的背景 を, 農業者 の 社 会的 性格 や 彼 らの人 間 関係 の持 ち方 を通 じて 明 らか にす る。 日本 と同様 に韓 国で も現在,深 刻 な農業 労働 力 の 減少 が 進行 して お り.農 業 へ の新規 参 入者 が 望 まれ る ところで あ るが,流 動 性 の高 さ ゆえ に障壁 も低 く,参 入 自体 は比較 的容易 で あ る。 こ う した韓 国の事 例 を比較 材料 と して,日 本 にお け る新 規参 入 者 問題 に関す る示唆 を得 る こ と もまた本 章 の 目的 であ る。 1離 農 現 象 と 「担 い 手 」 変 動 1980年 前 後 以 降.韓 国 は 急 激 な離 農 離 村 現 象 を 経 験 し つ つ あ る 。 そ の 様 子 を ま ず,マ ク ロ な統 計 数 字 に よ っ て 概 説 しよ う。 5年 毎 の 数 字 で み る と,農 す と,75→80年 家 数 は1975年 が9,4%,80→85年 以 降 に 大 き く減 少 し は じ め た 。 そ の 減 少 率 を 示 が10.6%,85→90年 が8,3%で の 日 本 の 農 家 減 少 率 を 示 す と,5.9%,6.1%,9。3%で も っ と も 高 か っ た の は,85→90年 継 続 し て い る こ と に な る 。 一 方,農 %,80→85年 が21.3%,85→90年 の9.3%で あ り,1950年 あ る 。 ち な み に 同期 間 以 降 の5年 あ っ た 。 こ の 高 水 準 が 韓 国 の 場 合 に は15年 家 人 口 の 減 少 率 に つ い て は,そ が21.8%で あ り,結 局 こ の15年 れ ぞ れ75→80年 農 家 人 口 減 少 率 を 大 き く上 回 っ て い る 。 ま た,農 以 下 の 農 家 人 口 比 率 は51.0%で て,そ あ っ た が,90年 業 か ら の 撤 退 は,農 み ら れ た12%台 の に は30.6%に で80.6%,90年 ま で 減 少 した 。 で も59.6%の 村 での兼 業機 会 が少 ない こ ととあい まっ の ま ま 離 村 に つ な が る 場 合 が 多 い 。 離 農,離 2つ の 概 念 を 明 確 に 区 別 し な い 場 合 が 多 く1),そ が18.2 家 人 口 の 減 少 は若 年 層 を 中 心 と して い る 。 日本 と 比 較 して 専 業 農 家 率 が 高 い こ と も特 徴 で あ る 。75年 高 率 で あ る 。 した が っ て,農 間 間 に農家 人 口は ほぼ半 数 に 減 少 し た 。 こ れ ら の 比 率 は 日本 の 高 度 経 済 成 長 期(1960∼75年)に 75年 の19才 間減少 率 で 村 問 題 を 論 じ た 文 献 に お い て も,こ の れ だ け 離 農 と 離 村 が 実 態 と して 結 合 し て い る こ と を物 語 っ て い る 。 そ の 結 果,目 を 転 じて 個 別 農 業 経 営 レ ベ ル で み れ ば,農 大 の 可 能 性 が 生 じ,主 家 数 の減少 に よって耕地規 模 拡 と して 借 地 に よ る に せ よ 「自 小 作 前 進 」 と も呼 べ る 現 象 が で て き た 145 とい う指 摘 もあ る2)。 本 章 の 関心 は,マ ク ロ レベ ルで み られ る以上 の状 況 を よ りミク ロな レベ ル,実 際 には村 落の レベ ルで検 討 し,韓 国 農業 の 「担 い手 」3)変 動 の 実相 とその 方向性 を明 らか にす る こ とにあ る。 と くに村 落 を舞 台 に して,そ (世帯),お こか ら去 る離 農 ・離村 者(世 帯)と よび そ こ に入村 す る農業者(世 残 留す る者 帯)に 注 目 し,彼 らの社会 的性 格 を検 討す る ことに よっ て,農 業 「担 い手」 の変動 パ ター ンを村 落社 会 との 関連 の なか で把握 したい. ところで,村 落 レベ ル で 「担 い手」 問題 をみ る こ との意 義 と限界 を述 べ て おか ねば な ら ない。 まず,村 落 とい う場 の設定 につ いて で ある。 日本 と同様 に,韓 国 にお いて も農村地 域集 団 として の村 落 が存 在 し4),む らに相 当す る語彙 と して マ ウル とい う固有 語が ある5)。 農業,と くに耕種 型 農業 を営 む場合 には,通 常 この 地域 集 団の一員 とな らね ば な らず,し たが って村 落 は 「担 い手 」 問題 を具 体 的 に捉 え る場合 の ひ とつの社 会 的範 域 と して,さ し あた り設定 可 能 とい え よ う。 次 に,村 落 間 の差 異 につ い て であ る。韓 国 の村落 は大 き く 「同姓村 落」 と 「各姓 村落」 に性格 分類 され る場合 が多 い 。 この分類 基準 は,ま ず祖先 を共 通 にす る同姓 同本 の者 たち が,1つ の村 落 内 に集 団 的 に居 住 してい るか どうか に よって判 断 す る こ とにあ るが,通 常 は同姓 集 団 を構 成 す るの は両班層 で あ り 「各姓村 落」 を構 成す るの は常民 層 で ある とい う, 社会 階層 的 な区分 も重 なって い る6)。 本 章 で の考察 は,基 本 的 には 「同姓 村落 」 に焦 点 を しぼ り,「 各 姓村 落 」 につい て はそ れ との比較 の ため に若 干 の言 及 をお こな うに と どめ る 7) 。 「同姓 村 落」 を対象 とす る場合,「 担 い手 」 の社 会 的性格 とは,そ う した 同姓 集 団 に 属す るか ど うか が ひ とつ の基本 的 な要 素 となろ う。 さらに,同 姓村 落 の なかの 地域差 の問題 もあ る。本 章 の事 例村 落 が位置 す るの は忠清 南 北道 で あ り,比 較 的 ソ ウル に近 い地方 で あ る。 そ のた め,時 代 は さか の ぼ るが,と くに高 麗時代 には中央 政 権 との結 びつ きが強 か った8)。 したが って地方 に根付 い た両 班 の 同姓村 落 と比 較す る と,土 着 意識 に乏 しい と も予想 され る。 同姓村 落 の範疇 内 にお け る こ う した 偏 差 につ いて今 の とこ ろ詳 しい検 討 はで きないが,そ れが 強 く存 在す る となる と,一 面 に おい て定住 意 識 を扱 うこ とに なる本 章 に とって,こ の 点 もまた 限定要 因 とな るで あろ う。 率直 にい って本 章 の試 み は以 上 の 限定 の うえ にお こなわ れ る もの であ る。 しか し,農 業 の 「担 い手 」 は農 業 とい う生産 活動 の み をお こな うの で はな く,あ る場所 に住 み,そ の場 所の独 自な社 会 関係 の なかで生活 してい る。本 章 はそ う した生 活上 の社会 関係 を も含 め て, 韓 国農業 の 「担 い 手」 問題 を考 え よ うとす る試 み の第一 歩 で ある。 さ らに展 望的 には 日韓 146 の比 較の 意図 もあ る。韓 国 とい う文化 的 に近 い 社会 の 農業 「担 い手 」 問題 を検討 す る こ と によ り,同 様 の 問題 を抱 え る 日本 の状 況 を複 眼 的 に分析 す る視 点 を得 たい,と い う意 図で あ る。 これ につ い て は最 後 に若干 の示 唆 的 な考 察 をお こない たい。 2.忠 清北 道 一 同姓村 落 にお け る離村,継 1)調 査 地 の概 況 フロ ゆ 最 初 の 事 例 は,忠 入 チリ ノ ミ ほ ン 清 北 道 塊 山 郡 佛 頂 面N村 距 離 で 示 す と,面 在)ま 住,参 落 で あ る 。佛 頂 面 の 位 置 を主 要 都 市 との 直 線 事 務 所 所 在 地 か ら こ の 地 方 の 中 心 都 市 で あ る 忠 州(人 で13km,道 庁 所 在 地 の 清 州(35万,同)ま 面 の 総 面 積 は5,977haで,そ の う ち3,866haが 全 土 の 平 均 と ほ ぼ 等 し い.ま 常 住 す る 世 帯 数 は1,275戸 面 内 に は 小 学 校(「 た,住 都 ソ ウ ル ま で110kmで 林 野 で あ る 。 林 野 率 は64.7%と 民 登 録 さ れ た 世 帯 数 は1,338戸 で 同 人 口4,161人 国 民 学 校 」)が3校,中 表71専 で40km,首 口11万,1987年 と な っ て い る(い 現 あ る。 な り,韓 で 人 口 は4,940人 国 だ が, ず れ も 面 事 務 所 資 料 よ り)。 学 校 と 高 等 学 校 が 合 併 し た も の が1校 ある。 兼 別 農 家 数 お よ び 地 目 別 耕 地 面 積(1990年) 全国 椀 山郡 佛頂 面 (戸,%) 個 人 農 家D合 計1,767,033(100)13,225(100)1,046(100) 専 業 農 家1,052,315(59.6)8,886(67.2)813(77.7) 第1種 兼 業 農 家389,097(22.0)2,143(18.2)136(13.0) 第2種 兼 業 農 家325,621(18.4)1,926(14.6)97(93) (ha,%) 耕 地 面 積 計2)1,823,380(100)14,916(100)1,357(100) 水 田1,206,387(66.2)8,060(54.0)727(53.6) 畑616,997(33.8)6,857(46.0)630(46.4) うち 果 樹 園111,006(6,1)304(2.0)55(4.1) (ha/戸) 1戸 当 耕 地 面 積1.031.131.30 注1)定 義 に よ る と 、 農 家 は 個 人 農 家 と準 農 家 か ら構 成 さ れ る 。 準 農 家 とは 「農 業 を 経 営 す る 機 関 ま た は 団 体 」 の こ と で 、1990年 に は全 国 で1,498個 、椀 山郡 で11個 、 佛 頂 面 で1個 あ る 。 2)た だ し牧 草 地 を 除 く。 3)r1990年 表71は 農 業 総 調 査 」(大 韓 民 国 農 林 水 産 部)よ り作 成 。 佛 頂 面 の 専 兼 別 農 家 数 お よ び 地 目 別 耕 地 面 積 を 郡,全 一147 国 と比 較 して 示 した も の で あ る 。 全 国,郡 よ り も 専 業 率 が 高 く,し か も畑 の 比 率 が 比 較 的 高 い こ と が わ か る 。 畑 作 物 と し て は,ト ウ ガ ラ シ な ど の 疏 菜 類 の ほ か,タ る 。 ま た,1戸 あ た り 耕 地 面 積 も 全 国 平 均 よ り27aほ を お こ な う と,ト バ コ,ゴ マ な どの 特 用 作 物 を主 と して い ど 大 き く,印 象 を も加 味 して 性 格 づ け ウ ガ ラ シ や 特 用 作 物 な どの 畑 作 物 に重 点 をお い た 中 山 間 地 純 農 村 とい っ た ところであ ろ うか。 表72は,30年 は,佛 間 の 経 営 耕 地 規 模 別 農 家 数 を み た も の で あ る 。 ま ず,・ 総 農 家 数 に つ い て 頂 面 で は こ の30年 間 に ほ ぼ3分 た こ と が わ か る 。 次 に,規 減 少 し,と く に80年 模 別 農 家 数 に つ い て と く に80→90年 層 が や や 増 加 し て い る が,そ い る 。 反 面,1.5ha以 の2に れ を 除 く1.5ha未 上 層 は 実 数,構 増 加 し て た こ と か ら,80→90年 →90年 の 減 少 が 激 しか っ の 変 化 を み る と,0.3ha未 満 層 は い ず れ も 実 数,構 成 比 と も に 増 加 し て い る 。80年 満 成 比 と も に減 少 して ま で は1 .0∼1.5ha層 が に な っ て こ こ 佛 頂 面 で も 分 解 基 軸 が 上 昇 し た こ とが 確 認 さ れ る 。 こ の 規 模 拡 大 が 借 地 に よ る も の か ど う か は 不 明 だ が,全 国的 な 「自 小 作 前 進 」 傾 向 の 現 わ れ と考 え て よ い だ ろ う 。 表72経 営 耕 地 規 模 別 農 家 数(佛 頂 面) 1960年1970年1980年1990年 (戸,%) 総 農 家 数1,491(100)1,470(100)1,243(100)1,047D(100) 4田 …2〕-11311 0.3ha未 満165(11・1)138(9・4)93(7・5)122(11・7) 0.3∼0.5ha243(163)168(11・4)134(10・8)89(8・5) 0,5∼1.Oha515(34・5)438(29・8)402(32・3)202(193) 1.0∼1.5ha295(19・8)340(23・1)344(27・7)237(22・6) 1.5∼2.Oha145(9・7)179(12・2)175(14・1)196(18・7) 2.0∼2.5ha65(4・4)98(6・7)63(5・1)111(10・6) 2.5∼3.Oha33(2・2)52(3・5)15(1・2)43(4・1) 3.Oha以 上30(2・0)46(3・1)14(1・1)36(3・4) 注1)準 農 家 を 含 む 総 農 家 で あ る 。 準 農 家 に つ い て は 表71の 2)「 無 」 は,農 家 定 義 の な か に 家 畜 の み 飼 養 す る 者,お 注1)を 参照 。 よび 養 蜂 家 が 含 ま れ て い る こ と に ょ る と思 わ れ る 。 3)r1960年 農 業 国 勢 調 査 」(大 『1980年 農 業 調 査 』(大 韓 民 国 農 林 部),「1970年 韓 民 国 農 水 産 部)、 農 業 セ ン サ ス 」(大 「1990年 農 業 総 調 査 」(大 韓 民 国 農 林 部), 韓 民 国 農 林 水 産 部) よ り作 成 。 N村 落 は 面 事 務 所 所 在 地 か ら バ ス で 北 へ20分 と 総 面 積 は211ha,そ の う ち 林 野 が135haを の と こ ろ に位 置 す る。 面 事 務 所 資 料 に よる し め る 。 耕 地 は53haで,内 ・148一 訳 は 田27ha,畑 果樹 園26haで あ る。畑 で は主 要換 金作 物 と して の トウガ ラシ,タ バ コ,ゴ マ のほ か,ス イ カや トウモ ロ コシ な どが 栽培 されて い る。種 採取 用 キ ュ ウ リの契 約栽 培 もお こなわれ てお り,種 は 日本 に輸 出 され る。果樹 園で はお もに リン ゴが栽 培 されて い る. 面 資料 に よる1992年 現 在 のN村 落 の常 住 世帯 数 は38戸,同 人 口は120人 で あ る。一方. 住 民登 録世 帯 数 は47戸,同 人 口 は170人 で あ り,面 内他村 落 と比較 して,数 も最 もズ レが大 きいが,そ の理 由 は不 明 で あ る。38戸 の すべ てが 農家 とい えるか どうか は 定義 に もよるが,作 的 に も比率 的 物 選択 に失敗 し,そ の年 か ら少 し離 れ た ガソ リンス タ ン ドへ 勤 め だ し た事例 が1戸 あ る ほか は。N村 落 外 へ通 勤す る者 はい ない。 た だ し,老 齢 者世 帯 にはほ とん ど農業 をお こ なって い ない場 合 が あ る。 N村 落 は後 にふ れ る 自治 的相 互扶 助 集 団(「 大洞 契」)を 行 政的 な単 位(「 行 政里 」)で れぞれ にい わ ば"小 字"名 韓 国農村 へ は1991年 は1992年8月22日 構成す る単 位 で ある と同時 に. もあ る。村 落 内 におい て家屋 は3つ の集 住地 区に分か れ.そ が あるが,そ れ ら小 字単 位 で と くに集 団 を組織 す る こ とは ない。 か ら1992年 にか けて3度 の調 査旅 行 をお こなっ た。 と くにN村 落 に か ら29日 の8日 間滞 在 し,文 書 お よび 聞 き取 り調査 をお こな った。記 述 中の年齢等 はそ の 当時 の もの であ る。 また,聞 き取 りに際 して は通訳 を媒 介 と した こ と も 申 し添 えて お きた い。 2)氏 姓 の構 成 と同姓 集 団 N村 落 に常 住 する38戸 の姓 の 内訳 は,鄭 氏16戸,李 全氏2戸,黄 氏,サ 氏,宋 氏,安 氏,斐 氏5戸,洪 氏5戸,金 氏3戸,崔 氏2戸, 氏 各1戸 で あ る。最 も多 い鄭氏 の うち15戸 は明 らか に同姓 同本 のM公 派 に属 し,李 朝 初期 に正 一 品の最 高 官位 につ き,こ の派の始 祖 となった M公(1396-1478)の 墓 が,こ こN村 落 にある。 そ の墓 は1980年 に地方 文化財 に指定 され, そ れ を契 機 に祭祀 をお こな うため の祭 閣 も建 立 され た。年 に1度(以 前 は2度)の ときに,同 派 の 人 び とが ここに集 まる。墓 祭 は ソ ウル在住 の直系 子 孫(宗 孫)が るが,そ れ とは別 に郡 単位 の 同派 の組 織(同 派 「魂 山宗親会 」)が 墓祭 の 中心 とな あ る。 この宗 親会 は, 墓祭 とは別 に年 に1度 の 集会 をもつ 。郡単 位 の集 ま りで あ るが,事 務所 はN村 落 内 にあ り, 会合 に参 加す るの もほ とん どがN村 落 の 同派鄭 氏 た ちだ とい う。 同派 宗親 会 はN村 落 を中心 とす る近傍 に農林 地 を保 有 して い る。 そ の面積 は,田2,332 坪,畑8,366坪,林 地68町2反9畝 して い る。保 有 の 目的 は,主 あ る。 その ほ か に.屋 敷 お よび屋 敷 地 もN村 落 内 に保 有 と して墓 祭 の永続 的 な遂 行 に ある。林 地 の なか には 開墾 され て畑 となっ た土 地 も含 まれて い る。 そ う した開墾畑 は1990年 149 まで鄭 氏 を中心 に賃 貸 に供 さ れてい たが,条 件 の悪 い 山畑 で あ り,ま た相対 的 に農 地需給 状 況 も緩和 したの で ,そ れ 以 後 は作 り手が い な くな って しまった 。 したが って,同 派宗親 会 はそ こか ら得 てい た賃 貸料 収入 を失 った。 一般 に位土 と呼 ばれ る宗 親会所 有 の 田 と畑 につ い ては,後 にふれ る部 分が あるので,利 用法 に 関 して もそ こで説 明 したい。 38戸 中の15戸 で あ るか ら,N村 落 の戸 数 に しめ る鄭 氏 の比 率 は40%程 度 に過 ぎない 。 し たが って,村 落 の ほ とん ど を同姓 同本 の者 が しめ る ような典型 的 な同姓村 落 で はない が , か な り大 きな保 有 資産 を もち,村 落 内 に追随 す る他 集 団 もない こ とか ら9),1姓 型 の 同姓 村落 と して よい と思 われ る。 空 間的 にみて も,村 落 の生活 領域 の ほ ぼ中央 に,鄭 氏 始祖 の 墓 と祭 閣が あ り,「 鄭 氏 の地 」 とい う印象 を与 えて い る。 3)離 村者,継 住 者 と入 村者 1978年 前後 に作 成 と推 定 され る里長 保管 の住 民 台帳 を も とに,そ れ 以後 の人 や世帯 の 出 入 りをみて みた い。 まず 戸数 につ い てで あ る。1978年 時点 で の記載世 帯 数 は59戸 で あ るが,里 長(50才)の 記億に薄い世 帯 も含 まれ て い るの で,お そ ら くその数 字 は住民 登録 上 の世帯 数 と思 われ る。 そ こで,住 民 登録 上 の世 帯 数 の変 化 をみ る と,78→92年 で は,住 民登録 世 帯 が か つてN村 で12戸 の減少 とな る。 しか しここ 落 に居 住 した こ との あ る世 帯 だ と仮 定 し,78年 の住 民登 録世 帯 と思 われ る59戸 と92年 の常住 世 帯38戸 を比較 考察 したい。異 な る基準 で数 え られた 数字 を使 うこ とに な るが,お 図71姓 お よその傾 向はつ か め る と思 う。 氏 別世 帯 数 の変化(N村 落) 59戸 _転 他 姓氏38戸 入4戸33 _評]響 鄭 氏(44・1%)15戸 (39.5%) (推 定)1978年1992年 住 民登 録 世 帯 数 常住 世帯 数 ・150 図71は,2つ の世 帯 数 間 の変化 を世 帯 の転 出入 を含 めて示 した もので あ る。 この 間 に M公 派鄭氏 は11戸 減 少 した。 この図 に よる と,78年 であ り半 数 に満 た なか ったが,そ にお いて も同派 鄭氏 は戸 数 全体 の44% の比 率 が92年 に なって さ らに若干 なが ら低 下 して い る こ とが わか る。 この 図 は2時 点 で の比較 なの で,こ の 間 に転 入 し再転 出 した世 帯 は不 明 であ る。 しか し,そ の逆 のパ ター ン,す なわ ち一度 転 出 した が再転 入 した例 が,聞 き取 っ た限 りで同派鄭氏 に2戸 あ った 。 それ らはいず れ も60才 以 上 の老夫婦 のみ の世帯 であ り,一 時期 清州 にい る息子 と一緒 に生 活 してい た とこ ろ も同 じで あ る。 そ して,1戸 が よい とい って,も は田舎 暮 ら しの方 う1戸 は転 出後貸 して い た農地 の問題 が原 因でN村 落 に帰 って きた。 一方 ,他 姓氏 は この 間 に半 数 近 い15戸 が転 出 したが,分 家 に よる増加 が1戸 あ り,そ の他 に4戸 が転入 してい る。 そ の結 果,差 引10戸 の減少 とな った。転入 した4戸 の 内訳 は,女 性 の単 身高齢 者(74才)世 帯 主 年齢 が50才 代 の夫婦 家族 が1戸,世 帯 が1戸,世 代の夫婦 とその子 供か らな る世 帯 が2戸(後 に述べ るJT氏 とKH氏)で 帯主 年齢40才 ある。分家世帯 は, 40才 前後 の夫婦 とその子 供 で あ る。 高齢の女 性世 帯 は政府か らの年 金 が主 な収 入 源で あ り, 他 の4戸 は農 業 を営 んでい る。 ここで さ らに転 入 戸 に注 目す る と,N村 落 におけ る他姓 氏 た ちの多 くが比 較 的最 近の (記憶 に残 る範 囲内 で の)入 村 者 で あ る可 能性 もで て くる。上 記 の期 間 に継 続居 住 して い た他 姓氏18戸 中,具 体 的 に聞 き取 りをお こなった の は7戸 で あ るが,そ 5戸 は20∼60年 の うちの少 な くと も 前 に妻 方 の縁 故 な ど をた よって転入 して きた世帯 であ った。 こ う した こ と か ら,ま ず世 帯 レベ ル でい えば,転 出す る世帯 は比 較 的少 ない が,農 業 「担 い手 」 と して 世帯単 位 で新 た に転入 す る こ と も少 ない 同姓集 団 と,転 出世 帯 も多 いが 農業 を 目的 とす る 転入世 帯 も多 い他 姓氏 た ち とい う構 図 を と りあ えず 想 定で き よう。 次 に実際 の労 働 力 につ い て検 討す る.先 述 の よ うにN村 落で は通勤 兼 業 な どもほ とん ど ない ので,農 業 労 働力 の状 況 を年齢 別 の 人 口構 成 の状 況 を通 じて考 えたい.78年 デ ー タを も とに,人 料 の制約 上,78年 口構 成 を鄭 氏 と他 姓氏 につい て整理 したの が表7-3で と92年 の あ る。 た だ し資 の 人 口構 成 は92年 まで継 続 して居 住 す る世 帯 につ いて の み集計 した もの で ある。 この表 につい て まず 注 意 して お かね ば な らない 点 は,両 年 に比 較 的 多数存 在す る青 年層 が必 ず しも村 落 内 で居住 し,農 業 を営 ん でい るわ けで は ない こ とで あ る.こ の こ とは,住 民登録 人 口 と推 定 され る78年 の 場合 は もと よ り,92年 の場合 に もあて は まる。先 に面事 務 所資料 に よるN村 落 の常住 人 口120人 で あ る こ とを述べ たが,聞 151 き取 りに よる人 口は148人 で あ り,28人 多 い こ と に な る 。 こ の 差 異 は,転 若 者 た ち を 人 び とが 24才 の 若 者 は34人 出 し て 都 市 に 常 住 し て い る が,未 「在 住 」 者 と 考 え て い る こ と に よ る 。 つ ま り,92年 と な っ て い る が,こ れ る と 考 え て よ い 。 同 時 に,こ の 層 に 常 に は 居 住 し て い な い28人 の 層 に は 高 校 生 も 含 ま れ,彼 都 市 の 高 校 へ 入 学 し て 寄 宿 生 活 を 送 る 場 合 も 多 い の で,日 み る こ と は ほ と ん ど な い 。 と り わ け,未 表73年 齢 階 層 別 人 口 構 成(N村 婚 で ある に お け る15才 か ら の ほ と ん どが 含 ま ら は 面 内 の 高 校 で は な く近 傍 頃 こ の 層 の 若 者 た ち を村 落 内 で 婚 の 結 婚 適 齢 期 の 女 性 は皆 無 で あ る 。 落) 1978年1992年1992年 1978→92年 鄭氏 継 続 世 帯1978→92年 継 続世 帯 他姓氏 他 姓氏 鄭氏 全在 住 世 帯 鄭氏 他姓氏 4歳 以 下(人)951212 5∼9歳15134044 10∼14歳1118112114 15∼19歳1523114118 20∼24歳20279696 25∼29歳12121313 30∼34歳1093232 35∼39歳1074042 40∼44歳582023 45∼49歳284243 50∼54歳679595 55∼59歳7928210 60∼64歳602727 65∼69歳126464 70∼74歳266667 75∼79歳312020 80歳 以 上030101 合 計(人)13415877527771 該 当戸 数(戸)151815181523 (人/戸) 1戸 あ た り員 数8,98.85.1295.13.1 25∼69歳 合 計(人)596233313339 1戸 あ た り25∼69歳 員 数(人/戸)3.93.42.21・72・21・7 注)N村 落 住 民 台 帳 お よ び 聞 き取 り よ り作 成 。 以 上 を 考 慮 す る と き.実 こ と に な る 。 さ し あ た り,こ 際 の 農 業 労 働 力 は25才 こ で は 下 限 を25才 一152 あ る い は30才 以 上 と し,上 以 上 層 を対 象 に す れ ば よ い 限 に つ い て は や や 幅 広 く69才 以下 と して農 業労 働 力 を考 えたい。 これが 表 の下 部 の 指標 の意 味 であ る。 まず,1戸 当 り世 帯員 数 は,78年 規模 で あっ たが,92年 で は鄭 氏 と他 姓氏 の間 に差 はな く,双 方 とも9人 弱 と大 にな る と双 方 と もに大 幅 に減 少 した。 と くに他 姓氏 の継 続在 住 世帯 は3人 以 下 とな り,3分 の1に 減少 した。 しか し,分 家 と転入 戸 を含 め る と他姓 氏分 の 減少 度合 い はい くぶ ん低 くなる。他 方,鄭 氏 の減 少 はそ れ ほ どで は な く,そ の結 果,1戸 当 り の 人数 は他 姓氏 よ りも2人 前 後 多 くなって い る。92年 の世 帯員 総 数 も,世 帯 数 が少 ない に も かか わ らず 鄭氏 の方 が多 くな ってい る。 1戸 当 り労 働力 につ い て は。78年 の 時点 です で に多少 の差 が あ り,鄭 氏 の方 が0.5人 だけ 多い。そ れが92年 に は双 方 と も1.7人 だけ減 少 し,そ の 結果,や 多 くなって い る。青 壮 年層 に しぼ る と,49才 以下 の者 が鄭 氏 で は14人(25-69才 で あ り,継 続 居 住 す る他 姓氏 で は7人(同23%)で とい え よ う。 ただ し,他 姓氏 側 は,分 家 姓氏 にお け る分 家 ・転 入者 が,と とが わかる。 また,60才 は り鄭氏 の 方が0.5人 だ け の42%) あ って,鄭 氏 の方 が若 者 の定着 率が 高 い 転 入世 帯 を加 える と13人(同33%)と な り,他 りわ け若手 労働 力 の補 充 とい う点 か らみて重 要 で ある こ 以上 の みの 老 人世帯 の数 をみる と,他 姓 氏 が8戸 で あるの に対 して, 鄭氏 は2戸 の み で あ る10}。 これ らの こ とか ら,労 働 力 につ い て みた場合,世 高い とい え よ う。他 方,他 帯 単 位 の充実 度 は相対 的 に鄭氏 の方 が 姓氏 側 は相 対 的 に充実 度 が劣 るが,労 働 力 の面 か らみ た分家 転入世帯 の重 要 性 が注 目され る。 この項 の議 論 を ま とめ る とこ うで あ る。鄭氏 は世 帯 と して は新 しい入村 事例 は な く,世 帯 数 は緩慢 なが ら減少 す る一 方 で あ る。 その結 果,総 戸 数 に しめ る割合 もやや低 下 した。 しか し,農 業 労 働 力 とい う点か らみ る と比較 的充 実 してい る。一 方,他 姓 氏側 は転 出世 帯 も多い が,転 入 や 分家 もある。 その結 果,総 戸数 に しめ る割 合 は若干 増加 した。 しか し, 労働 力面 をみ る と老 人世 帯 な ども多 く,相 対 的 に貧 弱 で あ る。 だが,そ 転 入戸 は労働 力,す う したなかで 分家 な わ ち農業 「担 い手 」 の面 か らみ て注 目に値 す る。 したが って,村 落 とい う場 にお い て,同 姓 集 団 と他姓 氏 とを農業 「担 い 手」 の動 き方 として比 較す るな らば, 全 体的 に は農業 労 働 力 の縮小 傾 向 を示 しなが ら も,同 姓集 団 は"居 残 り充実"型 他姓 氏側 は"転 入 補 充"型 を示 す と規定 で きるの で はない か。 続 く2項 で は これ ら2つ の タイ プ を意識 しつ つ.N村 の事 例 と,2戸 を示 し, の転入 戸(JT氏,KH氏)の 落 で最 も大 きな経 営 を営 む鄭Y氏 事 例 を取 りあげ,こ 具体 的背 景 につ い て考 察 したい 。 153 う した型 が現 われて くる 4)大 規模 経営 農 家 の経 営 鄭Y氏 は 現 在37才 生 活 と意 向 で あ る ・ 家 族 は 父,母,妻,息 子2人 の 全 部 で6人 で あ る が,子 は 面 内 の 小 学 校 で は な く忠 州 の 小 学 校 に 通 う た め に,母(子 忠 州 で 生 活 して い る 。 そ の ほ か に,同 所 有 農 地 は,田 が1,500坪,畑 に 示 した よ う に,N村 こ の う ち,田 樹 園 が3,000坪 落 の 総 耕 地 面 積 は53haで 氏 の 所 有 耕 地 は そ の 約3倍 あ り,戸 の 合 計12,000坪 数 は38戸 均 の 耕 地 面 積 は1.37ha,す 前 に リ ン ゴ を 始 め,そ れ ら耕 地 の ほ か に 精 米 所 も経 営 れ ら2つ の 収 入 で 農 地 を購 の 収 入 に よ っ て さ ら に 農 地 を買 い 足 し て き た と 近 で は こ の 付 近 に お け る 米 の 生 産 が 減 少 し,精 米 所 収 入 が 少 な くな っ て 樹 園が 主 に な ってい る。 農 繁 期 に は,お は2,000万 程 度 に な る 。 鄭Y は 他 の 人 に 貸 し て い る 。 残 りの 畑 に は ト ウ ガ ラ シ を 主 し て い る 。 父 か ら 経 営 を 受 け 継 い だ と き に は 精 米 所 し か な か っ た が,そ き た の で,果 入作がな と な る1b。 の す べ て と畑2,500坪 い う 。 し か し,最 で ある。先 で あ る か ら,出 な わ ち4,150坪 に栽 培 し,果 樹 園 に は 主 に リ ン ゴ を 植 え て い る 。 ま た,こ 入 して17年 一緒に 居 の 使 用 人 が1人 い る 。 が7,500坪,果 くす べ て が 農 家 だ と す る と,平 供 に と っ て は 祖 母)と 供2人 も に 面 事 務 所 の あ る 地 区 か ら 年 間100人 ウ ォ ン(当 時 の レ ー トで 換 算 して300万 日程 度 の 臨 時 雇 を雇 う。 年 間 所 得 円 強)で12),そ の う ち500万 ウ ォ ン を貯 金 に 回 す とい う。 忠 州 に 家 を 買 っ て お り,最 自 分 はN村 初 は 自 分 も そ こ に 住 ん で,子 供 た ち は 忠 州 の 小 学 校 に 通 い, 落 の 農 園 に 通 う つ も り で あ っ た 。 し か し結 局,自 た よ う に 子 供 と 鄭Y氏 分 はN村 落 に 残 り,先 に述 べ の 母 の み が 忠 州 で 暮 らす こ とに な っ た 。 支 出費 目の う ち 大 きい もの は 教 育 費 と食 費 だ と い う 。 鄭Y氏 は 全 部 で6つ と し て,平 の 契 に 参 加 して い る 。 契 と は,「 相 互 扶 助,親 等 性 等 の 関 係 で 組 織 さ れ る 一 種 の 組 合(Association)」13)で 睦,利 殖 な ど を 目的 あ る が,「 の 社 会 集 団 を 基 盤 と し て そ の 共 同 事 業 の た め に 採 ら れ る 永 続 的 な も の と,特 め に 個 人 の 任 意 参 加 に よ っ て 発 足 し,比 は 含 め て い な い 。 こ れ ら6つ 6つ の 契 を,組 る 契(構 成 員8人 定 の 目的 の た 較 的 短 期 間 に 終 結 す る 契 と に 大 別 さ れ る 」14)。 先 に 村 落 の 自 治 的 相 互 扶 助 集 団 の 名 称 と して は 前 者 の 永 続 性 を も つ 契 で あ る 。 鄭Y氏 既存 「大 洞 契 」 を 付 記 し て お い た が,そ は 大 洞 契 の メ ン バ ー だ が,こ こで い う契 こ で い う6つ の契 に の 契 は 後 者 に属 す る とい っ て よい 。 織 さ れ る 人 び と の 範 疇 に よ っ て 説 明 す る と,小 ・… 以 下 同),中 学 校 の 同 窓 の 契(6人),高 154 学 校 の 同 窓(同 級)に 校 の 同 窓 の 契(30人),佛 よ 頂面 内の 同年齢 者 の契(27人),面 内の果樹 園仲間の契(20人),精 米 所 仲 間の契(11人) である。掛 け金 はそ れ ぞれ1万 ウ オンで毎 月拠 出す るが,精 米 所仲 間 の契 のみ は不 定期 で あ る。N村 落 で 聞 き取 りを した ほ とん どの 人が せ いぜ い 同年齢 者 の契(「 あったの に対 して,鄭Y氏 同甲契 」)の みで は突 出 して多 か った 。 こ う した人脈 は.生 活上 の さま ざ まな便 宜 を与 えてい る と思 わ れ るが,農 業 経 営 面 にお いて も,た とえば果樹 園仲 間の契 か らリ ン ゴの栽培技 術 な どの知識 を得 てい る とい う。 現在 の経営 を これ以上 拡 大す るつ も りはない 。子 供 に継 がせ たい が彼 らは農業 が嫌 い と い ってお り,鄭Y氏 自 身 もい い機 会 が あれ ば,都 市 に出 たい と思 ってい る。 一般 に,N村 落か ら都 会へ 出て い った鄭 氏 た ち は墓 祭 の ときに帰 って くるが,そ の お りで も生 活 の苦 し い人は帰 って こ ない とい う。 都会 に 出てい って もなお 出 身村 落 との つ なが りを もち .鄭 氏 M公 派 と して の族 的 な アイ デ ンテ ィテ ィ を維 持 したい な らば 「生 活 の苦 しい人 」 に な ら ない 目処 をつ けて か ら離村 す る必要 が あ る とい うこ とか も しれない 。 5)転 入 戸 の定 着過 程 (1)JT氏 JT氏 は現 在42才 で,妻 と3人 の子 供 が あ る。 中学 生 の長男 は寄 宿舎 生 活 を して お り,平 日は家 にい ない。 あ との2人 の娘 た ち はいず れ も小 学 生 であ る。 JT氏 夫妻 の 出身 地 はいず れ も忠 清南 道堤 川 郡徳 山 面 で,佛 頂 面 か ら直線距 離 で30kmく らい の ところ で ある 。夫 妻 は最 初,忠 始め たが失敗 し。1985年 転入 当初 は,村 州 で飲 食 店 を経営 してい た。 そ の後,キ ノコ栽 培 を にN村 落 に転入 した 。 落 内の あ る鄭氏 の家 の使用 人 で あ ったが,ま 別の鄭氏 の家 屋 を借 金 して購 入 した。 また,N村 学校 の演 習林 と附属 の宿 泊施 設 が あ るが,転 もな く,ソ ウルへ 転 出す る 落 には ソ ウル にキ ャ ンパ スの あ る建 国大 出す る鄭氏 が もってい た演 習林 の管 理権 も同 時 に入手 した。 農地 につい て も転出世 帯 の もの を中心 に購入 してい った。その結 果,現 在 では畑3,500坪, 放 牧地1,000坪 を所 有 して い る。経 営 地 は この 自作 地 の みで あ り,畑 で はお もに トウガ ラシ を栽 培 し,放 牧 地 で は 山羊30頭 を飼 って い る。 と くに トウガ ラシ は,こ の年 の作 付 面積 で はN村 落 で最 も大規 模 な部類 に属 して い る。 トウガ ラシの収 穫 は10日 に1度,5回 く らい に 分 けて お こなわ れ,収 穫 日に は面 事務 所 の あ る地 区 を中心 に12人 く らいの女 性 を雇 う。雇 用 は昼 食1回 と間食2回 の まか ない つ きで あ るが,そ の 時の料 理 の味 な ど も人 を集 め る大 き な要 因 だ とい う。料 理 は夫 人 の腕 にか か わるが,JT氏 155 の場合,飲 食店 経営 の経 験 が有 利 に働 いてい る。 IT氏 の所属 す る契 は,面 内 の 同年齢 者 の契(構 住後 に入 っ た。垣 間み たか ぎ りで は あ るが,こ 成 員28人)の の契 はJT氏 み であ る。 この契 には移 の定 着 に対 してか な り重要 で あ る ように思 わ れ る。 た とえば,収 穫 日の朝 に雇用 した女性 たち は ワゴ ン車 に乗 って や っ て きたが,そ れ を運 転 してい たの はJT氏 の契仲 間 で あ った。 また,次 に述 べ るKH氏 と も同年齢 の契 仲 間 で あ り,調 査 中 に も気軽 に農機 具 を貸 し借 りす る姿 を見 か けた 。 この よ うな村 落 を越 え た,こ の場 合 は面 範 囲 での 人 間関係 の ネ ッ トワー クの存在 が,移 住 や 入村 を容易 に して い る よ うに うかが わ れ る。 実 はIT氏 は鄭 姓 で あ り,N村 落 の鄭 氏 とつ なが る可 能性 もある よ うだが,不 明確 なの で先の議 論 で は他 姓 氏 に含 め た。子 供 には勉 強 させ て,自 分 の 出 自を明 らか に して も らい たい とい う。 しか し,JT氏 自身 は当面移 動 す るつ も りは な く,こ こで 農業 を多 角 的 にお こな うつ も りだ と語 った 。 (2)KH氏 KH氏 KH氏 は42才 で,家 族は妻 と4人 の子 供 か らなる。面 内 の他村 落か ら1989年 に転 入 した。 の母 は今 も元 の村 落 で生 活 して お り,そ こには1,200坪 程 の畑 を所 有 して い る。 KH氏 は一般 の 農家 とは やや性 格 が異 な り,先 に述べ たM公 派 鄭氏 の位土 の うち,田 の すべ て と畑3,000坪 の合 わせ て5,000坪 あ ま りを小 作 してい る。住 居 も鄭氏 の保 有す る齋室 とよばれ る家屋 に住 む。 これ らの うち田 につい て は賃貸 料 を支払 うが,畑 と屋 敷 につ いて は無償 で あ る。 そのか わ りKH氏 には,年 に1度 の墓 祭 の準 備 と祭 閣の管 理 ・清掃 をお こな う義務 が あ る。墓 祭 に は豚 な どの5種 類 の 肉 と,果 物 を供物 と して準 備す るが,そ の費 用 はKH氏 出 し,田 の小 作 料 の 一 部 と考 え られ る。 また,墓 祭 の時 には150人 1晩宿 泊 してい くが,そ の費用 も同様 にKH氏 が,1992年 くらい の人 が村 を訪 れて もちで ある。 資料15}による と,1990年 これ らの現 物 で か か る費 用 の ほか に,白 米240kg相 が支 には 当 の小 作料 を鄭 氏宗 親 会 に納入 してい た か らは別 途 の小作 料 はな くな り,墓 祭 時 の支 出の み にな った。 したが って,現 在 では純粋 に墓 祭 を準 備 す るた めだ け に,鄭 氏 に よって"雇 こ う したKH氏 の立場 は,一 般 に 「山直(サ ンチ ギ)」 わ れた"存 在 とい え る。 と呼 ばれ る職名 に相 当す る。韓 国の 農村社 会 学者 の崔在 錫 に よる と,山 直 はか つて,父 系 血縁 に よる親族 集 団 であ る 「門 中の位 土 を小 作 す る 門中小 作 人 的 な性 格 を もってい る と同時 に,門 中 に対 して 身分 的隷属 状 態 に」16)あった が,近 年 の広 汎 な離 村 離 農現 象 の なか で,身 分 の上 昇が み られ る とい 156 う17)。 N村 落 で は こ こ50∼60年 KH氏 間 の 間 に,こ の 職 に つ く 人 は 少 な く と も5回 か わ っ た と い う 。 の 前 任 者 は や は り78年 以 後 に 転 入 し た4戸 繁 期 に は 息 子 の 手 を 借 り な が ら,夫 転 入 に 際 し て は 先 のJT氏 あ る に も か か わ らず,あ ネ ス"的 婦 で6,000坪 の う ち の1戸 で,現 在 もN村 の 畑 を 経 営 して い る 。 な ど の 影 響 も あ っ た か も しれ な い 。 し か し,前 住 地 に 農 地 が え て 山 直 と して や っ て き た こ と か ら み て,KH氏 の 転 入 は"ビ な 要 素 が 強 い よ う に 思 わ れ る 。 今 後 の 意 向 を 聞 い て み て も,賃 な っ た の で,も 落 に 住 み.農 ジ 貸料 の負 担が軽 く う 少 し お 金 を 儲 け る ま で は 離 れ た く な い と い う こ と で あ っ た 。 逆 に い え ば, 儲 か れ ば さ ら に ど こ か へ 転 出 す る と い う 意 味 で も あ る 。 し か し な が ら,今 の と こ ろ転 出先 に つ い て は ま っ た く考 え て い な い と い う こ と で あ っ た 。 3忠 清 南 道 村 落 に お け る 離 村,継 1)同 姓 村 落 の世 帯 数変 化 と 「 担 い手」 の動 向 本 節 で は既 存 資 料 を利 用 して 韓 国農村経 済研 究 院 住,参 入 「 担 い 手 」 変 化 の 動 向 を 簡 潔 に検 討 し た い 。 用 い る 資 料 は, 『近 郊 マ ウ ル の 社 会 経 済 構 造 』(韓 (1985∼2001)11,1989年,韓 国 文,以 下[韓 マ ウ ル の 社 会 経 済 構 造 』(同12,1989年,韓 国 農 村 社 会 経 済 の 長 期 変 化 と発 展 国 農 村 経 済 研 究 院a]),お 国 文,以 下[韓 よび 同 『 平野 国 農 村 経 済 研 究 院b])で る 。 こ の う ち 前 者 が 同 姓 村 落 を 対 象 と し,後 者 が 各 姓 村 落 を 対 象 と して い る.こ 宜 上,そ 落 と呼 ぶ こ と に す る 。 れ ら の 村 落 を そ れ ぞ れA村 ま ず,A村 清 南 道 の 直 轄 市 で あ る 大 田 市(人 距 離 に あ る が,山 現 在 の 戸 数 は56戸 り,父 系 親 族 集 団 で あ る 宗 中(門 な わ ち 位 土 が あ り,そ あ る 。 作 目 は 稲 作 が 中 心 だ が,山 家 は41戸 中)を れ はA村 で あ る.そ 人,1987年 現 在)内 で 非 農 家 は15戸 が 本 貫 を 同 じ くす るY氏 に は 比 較 的 広 い23,041坪 落 在 住 農 家 の 総 耕 作 面 積 の27%に で あ る 。 非 農 家15戸 あ り,そ と な る が,1985年 か ら20kmの れ まで 都 市 に よる 影 響 は が ち な の で トウ ガ ラ シ や ニ ン ニ ク,ゴ 外 就 業 世 帯 は あ わ せ て22戸 戸 で あ っ た か ら,近 の う ち46戸 形 成 して い る 。Y氏 か が 村 落 外 に 働 き に 出 て い る 。 兼 業 農 家 は16戸 13戸 あ る.農 口87万 が ち で 長 ら く交 通 不 便 で あ っ た こ と に よ り,こ 少 な か っ た 。1988年 56戸 中,農 こで は便 落 に つ い て で あ る。 A村 落 は,忠 中 土,す 落,B村 あ の う ち,6戸 であ の宗 相 当 す る面 積 で マ な ど もみ ら れ る。 は世 帯 員 の い ず れ の うち 村 落 外 へ 働 き に 出 る場 合 が 時 点 で の そ の よ う な 世 帯 は10 年 に 増 加 し た こ と が わ か る 。 農 外 就 業 者 に は 大 田 市 へ 通 勤 す る 者 も8例 157 ほ どあ り,し だ い に大都 市 近 郊 の特徴 を呈 し始 めて い る とい え よ う。 したが って,農 業 「担 い手 」 を考 える には,少 あるが,か な くと も農家 の み に対象 を しぼ る必 要 が つて は農外 就 業 も少 なか った と考 えれ るの で,さ しあた り世 帯数 の変 化 を通 じ て 同姓 集 団 と他 姓氏 らの 動 きをみ て み よ う。図72は 解 放 直後 の1945年 の離村,転 入 のデ ー タを もとに,各 時期 にお け るY氏 と他 姓氏 の数,お 状況 な どを示 した もので ある。 まず,全 1975年 以 降の 減少 が少 ない の は,先 図72姓 か ら1988年 まで よび転入者 の定着 体 の戸 数 はそ れ ほ ど変 化 して い ないが,と くに ほ ど述べ た 農外就 業 の増 加 が大 きな原 因 と思 われ る。 氏別 世帯 の転 出入(A村 騨♂ 撫 8戸_転 縛 落) 臨lll; 入5戸 ガ 警 ミ1ヤ 2戸 一2戸 固 匪 A (う 轟 は 絶) 1945年1965年1975年1988年 圏Y氏 注)曲 線 矢 印 は,他 姓氏,Y氏 口 他姓氏 にお け る当 該期 間 に転 入 し,か つ 転 出 した世 帯 を示 す 。 [韓国農村 経 済研 究 院a]よ り作 成 。 Y氏 と他 姓 氏 と の 動 き を 比 較 し て 注 目 さ れ る こ と は,他 る 。 他 姓 氏 の 場 合,1945年 の8戸 の う ち88年 入 れ て も4戸 で あ る 。 他 方,転 姓 氏 の 出 入 り が 激 しい こ と で あ ま で 継 続 居 住 す る の は3戸 の み で あ り,分 入 し た 他 姓 氏 は 全 部 で14戸 158 あ っ た が,そ 家 を の う ち8戸 は 再 転 出 し,88年 に 居 住 す る の は6戸 と な っ て い る 。 資 料 に は,転 て い る 。 そ れ に よ る と,再 5戸,朝 鮮 戦 争 避 難,「 け るKH氏 転 出 し た 他 姓 氏8戸 の 転 入 目的 の 内 訳 は .「Y氏 精 神 修 養 」,不 明 が 各1戸 で あ る 。 ,Y氏 着 度 の 低 さ か ら"居 場 で あ っ た こ と は推 察 さ れ る 。 に つ い て み る と,1945年 入 れ る と43戸(86%)が の50戸 出 身 地 をA村 継 続 居 住 は3戸 で あ る 。 た だ し,1975年 以 上,世 宗 中土小 作」 が 「Y氏 宗 中 土 小 作 」 が 前 節 に お の 立 場 に 相 当 す る か 否 か は 資 料 か ら は 判 断 しか ね る が,定 心 地 の 悪 い"立 一方 入 者 に簡 単 な 転 入 目的 が 添 え られ の う ち39戸(78%)が 落 と し て い る 。 転 入 は5戸 あ り,う 以 降 の 転 入 戸 は な く,戸 帯 レ ベ ル の 分 析 か ら知 ら れ る の は,Y氏 ち1988年 家 を までの 数 が6戸 減 少 して い る 。 の 定 着 性 の 高 さ と他 姓 氏 の 移 動 性 の 高 さ で あ る 。 世 帯 数 を さ し あ た り労 働 力 指 標 とす る な ら ば,農 同 姓 集 団 と他 姓 氏 と の 対 比 は,N村 継 続 居 住 し,分 落 と 同 じ く,"居 業 「担 い 手 」 の 観 点 か ら み た 残 り 充 実"型 と"転 入 補 充"型 の枠 組 み で把 握 で き る で あ ろ う。 次 に と く に 近 年 の 動 き を,非 検 討 した い 。 資 料 に は1985年 い る の で,多 農 家 を も 考 慮 した 実 質 的 な 農 業 か ら88年 「担 い 手 」 と い う 観 点 か ら までの各世 帯 の経 営耕 地面積 等 の情報 が 掲載 されて 少 の 変 化 も読 み 取 れ る 。 世 帯 員 の 年 齢 に つ い て は 詳 し く は 不 明 な の で,「 い 手 」 指 標 を 人 で は な く,経 表7-4A村 担 営 面 積 と中 心 と して 考 え た い 。 落 に お け る 農 業 耕 作 実 績(Y氏 と他 姓 氏) Y氏 他姓氏 1985年1988年1985年1988年 世帯 数(戸)4946910 農 家戸 数(戸)433765 全耕 作 面積(坪)77,90572,18910,39014,461 世帯1戸 あ た り耕作 面積(坪/戸)1,5901,5691,1541,446 農家1戸 あ た り耕 作 面積(坪/戸)1,8121,9511,7312,892 注)[韓 表74は1985年 国農 村経 済研 究 院a]よ と88年 り作 成 。 と の 経 営 実 績 を,Y氏 と他 姓 氏 そ れ ぞ れ に集 計 した もの で あ る。 Y氏 は こ の4年 の 間 に 全 耕 作 面 積 が 減 少 し て い る が,そ 世 帯1戸 当 りの 耕 作 面 積 は 変 化 し て い な い 。 他 方,他 れ は 戸 数 の 減 少 に ほ ぼ 比 例 して お り, 姓 氏 は 全 耕 作 面 積 が 増 加 して い る が, そ れ は 戸 数 の 増 加 比 率 以 上 に 増 え て い る 。 そ の 結 果,両 して き た が,依 然 と し てY氏 の 方 が 大 き くな っ て い る 。 159 者 の 世 帯1戸 当 り耕 作 面 積 は 接 近 農家 数 はいず れ も減少 してお り,非 農家 の増 加 が うか が え る。そ の結果,農 家1戸 当 り 耕作面積 はいず れ も増 加 してい る。 しか し,増 加 率 は他 姓氏 の 方が は るか に大 き く,88年 には他 姓氏 農 家 の平 均がY氏 農 家 の平 均 を大 き く上 回る に至 ってい る。 つ ま り,Y氏 姓氏 とを比較 す る と,依 然 と して 全体 的 にはY氏 と他 の方 が農 業 「 担 い 手」 の 中心 となって い るが,傾 向 と して は他 姓氏 の方 が 全体 で み て も増大 しつつ あ り,個 別 の農家 で み る とY氏 を上 回 ってい る。近 年 におい て は,他 姓 氏 の方 が 農業 「担 い手 」 と してい わば"勢 い」 が ある と思 われ るの で あ る。 この結果 を先 のN村 A村 落 の場合,他 落 の 分析 と対 比 す る な らば,N村 落 の比較 的新 しい 参入 者 の特徴 が, 姓氏 の特徴 の なか に強 く現 わ れて い る と考 え られ る。 おそ ら く,A村 の方が他 姓氏 の 割合 が少 ない こ とや,比 較 的広 い宗 中土 の存 在 な どが,そ れ よ う。宗 中土 の耕作 を 目当 て に"ビ ジ ネス"と 落 の原 因 と想定 さ して転 入 して くる とい う伝 統 が あ り,そ う した傾 向が戸 数 の少 な さゆ えに,他 姓 氏 の特徴 と して現 われ て くる と思 わ れ るか らで あ る。 以上,限 られ た資料 か らで は あるが,A村 落 にお ける 同姓集団 と他 姓氏 を農業 「担い手 」 の観 点か ら,比 較 考察 して きた 。 その結 果,他 姓氏 側 の近年 にお け る重 要性 の増 大 を指摘 した。 こ う した動 きは今後 の 同姓村 落 の農業 「担 い手」 にお け る"転 入補 充"型 拡大 の可 能性 を示 す もの と して興 味深 い とい え よ う。 2)各 姓 村 落 にみ られ る流 動 性 B村 落 は大 田市 の38km圏 内 に あ り,A村 も近 くに とお ってい るため,A村 落 よ りもや や距 離 は遠 いが,平 場 で しか も国道 落 よ りも近郊 農村 的特 性 が 強い 。植民 地 時代 には,日 本 人地 主 に支配 されて い たた め に小 作 が 多 く,そ の た め家 々の転 出入 が比 較 的頻 繁 だ った と い う。 1988年 の総戸 数 は52戸 で あ る。 農家 は40戸 あ り,そ の うち14戸 が兼業 農家 で あ る。古 くか ら副 業 と して左 官業 を営 む世帯 が 多 い とい う。 同姓 集 団の ような組織 はな く,88年 の 姓氏 の数 は本 貫 を無 視 して 数 えて も18姓 あ る。 同姓 同本 の世 帯 は多 い もので も4∼5戸 程度 で あ る。 農 家1戸 当 りの平 均 耕作 面積 は,1985年 地 を利 用 した稲 作 が 中心 であ るが,10数 で3,255坪,88年 で3,348坪 で あ る。作 目は平坦 年前 か ら施 設 イチ ゴ を栽 培 しは じめ,88年 には合 計8,142坪 にな って い る。 この事 例 につ い て は 同姓 村落 との対 比 の 意味 にす ぎないの で,手 短 か に説 明 したい 。図 160 73は,図72と 同 様 に1945年 の で あ る ・ 図 か ら ま ず,と の う ち,88年 が45年 か ら88年 ま で の 世 帯 の 転 出,分 家,転 入 状 況 を示 した も に か く 出 入 りの 激 し い 村 落 で あ る こ と が わ か る 。1945年 ま で 継 続 居 住 して い る 世 帯 は19戸 で40%に 時 点 の 居 住 を 出 発 点 と す る に す ぎ な い 。 一 方,こ ち 再 転 出 した の は3戸 に す ぎ ず,A村 図7-3世 落 に 比 べ て,転 帯 の 転 出 入(B村 の49戸 満 た な い 。 分 家 を 含 め て も約 半 分 の 間 の 転 入 は28戸 あった 。そ の う 入 戸 の 定 着 度 が 高 くな っ て い る 。 落) 2戸 49戸 伽 器)器 一 転入7戸 分 家2戸 分 家1戸 分家6戸_7 11戸 1戸 _6戸49 6戸 5戸 35戸 27戸 19戸 1945年1965年1975年1988年 注)矢 印 曲線 は当該 期 間 に転 入 し,か つ 転 出 した世 帯 を示 す 。 [韓国農 村経 済 研 究 院b]よ ま た,村 1988年 り作 成 。 落 内 に お け る 転 入 戸 の 社 会 的 地 位 も 高 い 。 詳 し い 検 討 は さ け る が,た の 耕 地 所 有 面 積 を み た 場 合,上 位10戸 の な か に45年 以 降 の 転 入 戸 が3戸 あ る 。 ま た, 資 料 に は ソ シ オ メ ト リ ク ス に よ る 指 導 力 分 析 が 試 み ら れ て お り,と が あ げ ら れ て い る が,そ B村 落 は,資 の う ち の1名 は1977年 く に3人 の 有 力 な 指 導 者 の転 入者 で あ る。 料 に も 指 摘 さ れ て い る よ う に,歴 史 的 事 情 か ら と くに転 出入 の 激 しい極 端 な 事 例 と い え る の か も し れ な い 。 し か し こ れ を 一 種 の 典 型 事 例 と み な して,先 村 落 の 他 姓 氏 部 分 と の 関 連 を 考 慮 す る と き.同 補 充"型 の 農業 と え ば, 「担 い 手 」 変 動 の パ タ ー ン が,全 161 にみ た 同姓 姓 集 団 を 欠 く各 姓 村 落 に あ っ て は,"転 入 村 落 レベ ル で あ て は ま る の で は な い か と 考 え られ る。 これ は逆 にみ れ ば,同 姓村 落 にお ける他 姓氏 は,各 姓村 落 の延長 部分 と して 把 握 で きるの で は ないか とい うこ とを表 わ して い る。本 章 で は同姓村 落 に対象 を しぼっ た が,そ こでみ られ た農 業 「担 い 手」 変動 の パ ター ンが,そ れ とは対 照 的 な各姓 村落 に もつ なが る可 能性 が あ る こ とを ここで指 摘 してお きた い。 4.ま とめ と展 望 独 自調 査 の結果 と既存 調 査 の検 討 を通 じて,韓 国農村 の と くに同姓 村 落 につい て,そ にみ られ る農業 「担 い 手」 変 動 のパ ター ンを考察 して きた。 そ して,同 と他姓 氏 とに区別 して考 える と き.同 姓 集 団側 は"居 残 り充 実"型 きを,他 姓 氏側 は"転 入補 充"型 姓村 落 を同姓 集 団 の農 業 「 担 い手」 の動 の動 きを示 す こ とを指 摘 した。 こ こか らまず,韓 におけ る流 動性 の高 さは,他 姓 氏側 にみ られ る"転 入補 充"型 こ 国農村 の変 動パ ター ンの存在 に依 拠 してい る こ と を確 認 して お きたい。 さ らに他 姓氏 につい て は,と くに近年 におい て農業 「担 い手」 と して活発 な転 入戸(者)が み られた。 そ の なか には,同 姓 村落 にお ける伝 統 的な身分 階層 と関連 す る者 もあ るが,そ れ に対 す る蔑視 は全 般 的 な農業 労働 力 の減少 の な かで しだい に意味 が 薄 れ て きて お り,今 後 は農 業 「担 い手」 と して積 極 的 に位置 づ け る必 要 があ る と思 われ る。 また,他 姓 氏 にみ られ た"転 入補 充"型 とを示 唆 し,こ こで示 した2つ の パ ター ンは,各 姓村 落 の特 徴 と も共 通す る こ の変動 パ ター ンが,同 姓村 落 の枠 組 み を越 え た韓 国農村全 体 にお ける農 業 「担 い 手」 変動 の あ り方 を考 え るため の,ひ とつ の概念 枠組 み にな るの で ないか と提 起 した。 以上 の ま とめ に くわ えて,最 後 に若 干 の補足 と展 望 を述 べ てお きたい。 同姓 集 団側 の パ ター ンと して示 した"居 残 り充 実"型 戸数 の変 化が 少 な い とい う こ とだ けで ない.先 の意味 す る もの は,単 に も少 しふれ たが,そ に村 落 内の こ には同姓 集 団 とし てのア イデ ンテ ィテ ィの 問題 が背 景 にあ る。 これ に関連 して,文 化 人類学 者 の 嶋陸奥 彦 は, 「自分の 門 中の根 をお ろ してい る ところ 一故 郷 一 に暮 らす こ とので きた人 は,た 人 と して経 済 的 には貧 しか ろ うと も,そ の意 味 で はhappyminorityだ と述べ,「 充実"型 韓 国 人 に とって の 「故 郷(kohyang)の とえ小 作 っ たので あ る」 重要 性」 を指摘 してい る18)。"居 残 り とは こ う した文化 的背 景 を も考慮 した パ ター ン設定 で あ る と確 認 して お きた い。 補 足 の第2は,契 を媒介 とす る ような ネ ッ トワー ク的人 間 関係 につ いて で あ る。契 な ど の相互 交換 の ネ ッ トワー クは両班 層 よ りも常 民層 に顕著 で あ る とい う指 摘 が あ る19)。と く 162・ に 転 入 者 の 定 着 過 程 に お い て そ う した ネ ッ ト ワ ー ク を 強 調 し た の は,そ れ を念 頭 に お い て の こ とで あ る 。 こ の よ う な,し ば し ば 村 落 を 越 え た 関 係 と し て の ネ ッ ト ワ ー ク の 存 在 は.韓 転 入 農 業 者 の あ り方 を 規 定 す る ひ と つ の 重 要 な 要 素 で あ り,た きな 特 徴 と な っ て い る 。 日本 に お け る 新 規 参 入 農 業 者 も ま た,村 トワ ー ク を 利 用 し つ つ 農 業 生 活 を構 成 して い る こ と は,前 韓 国 農 村 の 場 合,そ 国 にお ける と え ば 日本 と比 較 し て も大 落 を越 え る人 間 関係 の ネ ッ 章 に み た と お り で あ る 。 しか し, う し た ネ ッ トワ ー ク が 伝 統 的 し くみ の なか に用 意 さ れ て い る 点 が 大 き く違 っ て い る の で あ る 。 こ の こ と か ら.村 落 を 越 え た 人 間 関 係 の ネ ッ トワ ー ク の 意 義 が 拡 大 し,そ 農 業 者 に と っ て も あ て は ま る よ う に な れ ば,日 予 想 さ れ る 。 も っ と も.そ れが 伝統 的 な 本 に お け る 農 業 者 の 参 入 障 壁 も低 く な る と れ は 村 落 の 意 義 の 低 下 とパ ラ レ ル に 進 行 す る も の で あ る か ら. 日本 に お い て ど こ ま で 実 現 す る か は 予 断 を 許 さ な い が,今 後 の 農 業 者 確 保 にお け る ひ とつ の 方 向 と して は 指 摘 で き る で あ ろ う 。 近 年 に お け る 韓 国 農 村 の 変 貌 は 激 しい の で,こ さ れ る 可 能 性 も あ る 。 た と え ば,1990年 が 進 展 し,農 こ で 議 論 の 前 提 と な っ た こ と が 大 き く覆 か ら 始 め ら れ た 農 漁 村 定 住 生 活 圏 開 発 構 想201な ど 家 の 兼 業 も 可 能 に な っ て く る と,離 農 と 離 村 は ま す ま す 乖 離 し,居 す る 同 姓 集 団 の 動 き も異 な っ て く る で あ ろ う 。 そ う な る と,農 ン も 当 然,変 業 住 を重 視 「担 い 手 」 変 動 の パ タ ー 化 す る こ と に な る 。 今 後 も韓 国 農 村 の 変 化 を 見 守 り続 け る こ と に よ っ て,展 望 と した い 。 注 1)管 見 のか ぎ りで は あ るが,韓 国 の文 献 にお いて も.離 農 と離村 が論 理 的 に は区 別で きる こ とをこ とわ り なが らも,具 体 的分 析 で は あ えて 区別 して い ない場 合 が多 い 。 た とえば,崔 在 律 「農民 の 離村 向都性 向 に関す る論 議 」 「 韓 日農漁 村 の 社 会学 的 理解 」 裕豊 出版 社(ソ ウル),1991年(韓 国文),金 農 と脱 農 に備 えた 農村 発 展方 向」 「 農 村 経 済(韓 国農 村経 済研 究 院)」 第5巻 第3号,1982年(韓 嫡道 「 離 国文) な ど。 2)倉 持 和 雄 「80年代後 半 韓 国 にお ける農 地 関係 の 変化 」 「ア ジア経 済」 第34巻 第4号.1993年,P.58参 照。 3)こ こで い う 「 担 い手 」 は 日本 にお け る議論 を前提 と してい る。 多 様 に用 い られ る 「 担 い手 」概 念 にっ い て,嘉 田 良平 は 国家 レベ ル.地 域 農業 レベ ル.個 別農 業経 営 レベ ルの3つ に分 類 すべ き と し(嘉 田 「 農 業構 造 政 策の 経 済理 論 」頼 平 編r農 業 政 策 の基礎 理論 』家 の 光協 会,1987年,PP.275-276),平 塚貴 彦 は農 業生 産 組織 の形 態 の側 面 と農業 労 働力 の側 面の2つ に大 別 して考 えて い る(平 塚 「 農 業 の担 い手 一163・ と して の 集 落 営 農 一 そ の 定 義,意 P,35)。 義,形 成 こ れ らの 分 類 に即 して い え ば,本 発 展 の 課 題 一」 「農 林 業 問 題 研 究 」 第28巻2号,1992年, 章 の 「担 い 手 」 は 地 域 農 業 レベ ル の 農 業 労 働 力 を 問 題 とす る とい う素 朴 な 使 い 方 を して お り,形 態 論 的 側 面 を 含 ま な い 点 を こ と わ って お きた い 。 4)た だ し,そ の 集 団 と して の 意 味 は 日本 と 比 べ て 弱 い よ う に 思 わ れ る 。 た と え ば 植 民 地 時 代 に お い て,鈴 木 栄 太 郎 は 「同 族 集 団 に よ る分 化,社 会 階 層 に よ る 分 化,性 別 に よ る 分 化,長 幼 に よ る分 化 等.が 顕 著 に存 す る た め 朝 鮮 の 自 治 村 は,集 団組 織 に お い て は は な な だ 整 備 して い る に もか か わ ら ず,生 同体 と して の 全 一 性 に お い て は 少 な く と も 日本 の 自然 村 よ り も低 い よ う に 思 わ れ る 」(鈴 村 社 会 集 団 に つ い て 」r鈴 木 栄 太 郎 著 作 集5」 り,最 近 で は 酒 井 俊 二 が 「結 局,韓 とが で き よ う。 」(酒 P.267)と 未 来 社,1973年(初 国 村 落 に お い て は,全 活協 木 「朝 鮮 の 農 出:1943年),P.88)と 述べ て お 村 規 模 の 集 団 の 累 積 が 少 な い.と みるこ 井 「外 国研 究 の 動 向 〔韓 国 〕 」 「村 落 社 会 研 究28」 農 山 漁 村 文 化 協 会,1992年, 規 定 して い る 。 5)マ ウ ル の 他 に も,ト ン ネ,ト ン リ(洞 里),「 部 落」 な どの 通 常 語 が あ り,学 術 語 と し て は 「自 然 部 落 」 が あ る 。 「自然 部 落 」 に つ い て は鈴 木 栄 太 郎 の 「自 然 村 」 概 念 を基 礎 とす る と い う程 度 の 説 明 に と ど め る が,上 記 の 通 常 語 が す べ て こ の 「自然 部 落 」 を さす 語 と して の み 使 わ れ る わ け で は な い 。 そ れ らの 通 常 語 は 地 域 に よ り,ま た 場 合 に よ り多 義 的 に 使 用 さ れ る 。 詳 し く は,崔 在 錫(伊 社 会 研 究 』 学 生 社,1979年(原 は,嶋 陸 奥 彦 「韓 国 の ム ラ ー ト ン ネ とマ ウ ル 」 1984年,が 6)た 文:1975年),PP.22-42参 照 。 ま た,マ 「日本 民 俗 文 化 体 系 藤 嶋 訳)「 韓 国農村 ウル と トン ネ の 違 い に つ い て 月 報7」(第8巻 付 録)小 学 館, 興 味 深 い. と え ば,文 化 人 類 学 者 の 金 宅 圭 は,韓 を仮 定 的 に 提 起 し て い る(金 宅 圭 「韓 国 の 村 落 類 型 と して 「同 姓 結 合 的 村 落 」 と 「各 姓 契 聚 的 村 落 」 日両 国 の い わ ゆ る 「同 族 」 村 落 に 関 す る 比 較 試 孜 」 江 守 五 夫 崔 龍 基 編 「韓 国 両 班 同 族 制 の 研 究 』 第 一 書 房,1982,P.268)。 一 方,両 班の 各姓 村 や常 民 の同 姓村 も 類 型 と して 認 め る べ きで あ り,事 実 と して も そ う した 場 合 が 存 在 す る と い う見 解 もあ る(末 成 道 男 「韓 国 の 社 会 組 織 一 そ の ヴ ァ リエ ー シ ョ ン を め ぐっ て 一」 竹 村 卓 二 編 「日 本 民 俗 社 会 の 形 成 と発 展 」 山 川 出 版 社,1986年,P.117)。 7)朝 鮮(韓)半 島全 村 落 に 占 め る 同 姓 村 落 の 比 率 に つ い て は,植 お り,そ の 値 は20%強 は 昭 和8(1933)年 か ら50%前 民 地 期 の 資 料 を 利 用 して 推 計 が な さ れ て 後 と幅 が あ る 。 善 生 永 助 「朝 鮮 の聚 落 後 編 」 朝 鮮 総 督 府,1935年. の 臨 時 国 勢 調 査 に よ る 「同 族 集 団 調 」 か ら,「 大 体 同 族 集 団 戸 数 二 十 世 帯 以 上 の も の に 就 い て 調 査 」(P.354)し た 結 果,14,672と い う数 字 を あ げ て い る 。 他 に よい 資 料 が な い の で,各 推 計 者 と も こ の 数 を 同 姓 村 落 比 率 の 分 子 に 利 用 して い る が.分 な み に 鈴 木 栄 太 郎 が,原 則 的 に 「朝 鮮 に お け る 自然 村 」(鈴 洞里 」 の 数 は,善 生 永 助 「朝 鮮 の 聚 落 そ れ を分 母 とす る 比 率 は23%と 「前 掲 論 文 」,P.281参 母 と な る全 村 落 数 に ば らつ きが あ る 。 ち 木 「前 掲 論 文 」,P.42)で 前 編 」 朝 鮮 総 督 府,1933年,に よ る と62,532で あ る と した 「旧 あ り(P.536), な る。 8)金 宅圭 照。 9)た と え ば 洪 氏 に も墓 祭 の た め の 位 土,山 林 が あ る が.そ 親 会 の よ う な組 織 も も っ て い な レ㌔ 10)こ の2戸 は 先 に あ げ た 鄭 氏 再 転 入 者 と一 致 す る 。 -164・ れ ぞ れ600坪,5町 歩 と少 な く,ま た 鄭 氏 の 宗 11)村 落 の 他 の 人 に よ れ ば,鄭Y氏 断 しか ね る が,概 の 所 有 面 積 は も っ と広 く18,000坪 して 自分 の 農 地 は狭 くい う傾 向 が あ る の で,実 く ら い だ と い う 。 どち らが 正 しい か 判 際 は この2つ の数字 の 中 間にあ るの だ ろ う。 12)ち な み に.統 計 に よ る1991年 の 平 均 農 家 所 得 は,1,311万 ウ ォ ン で あ る(韓 国 農 林 水 産 部 「農 林 水 産 主 要 統 計1gg2」)。 13)杉 山 晃 一 「ま え が き」 杉 山晃 一 ・櫻 井 哲 男 編 「韓 国 社 会 の 文 化 人 類 学 』 弘 文 堂,1990年,P,v。 14)伊 藤 亜 人 「契 」 「朝 鮮 を知 る 事 典 」 平 凡 社,1986年.ppg8-gg。 15)M公 派 鄭 氏 宗 親 会 所 蔵r通 16)崔 在 錫 文(回 覧 … 訳 注)綴 「韓 国 農 村 社 会 変 動 研 究 』 一 志 社(ソ 』 よ り。 ウ ル),1988年(韓 国 文),P.214,私 訳 に よる 。 17)同 上 文 献P.221。 18)嶋 陸 奥 彦 「韓 国 の 門 中 と地 縁 性 に 関 す る 試 論 」 『民 族 学 研 究 』 第43巻1号,1978年,P.16。 19)伊 藤 亜 人 「韓 国 村 落 社 会 に お け る 契 一全 羅 南 道 珍 道 農 村 の 事 例 一 」 「東 洋 文 化 研 究 所 紀 要(東 第71冊,1977年,P.223,参 20)こ れ に つ い て は,田 京 大 学)」 照。 耕培 な ど を 参 照 。 しか し,聞 「韓 国 農 村 計 画 の 現 状 と課 題 」 「農 村 計 画 学 会 誌 」V。1,11,No,2,1992年, く と こ ろ に よ る と,こ の 構 想 は1994年 い と の こ と で あ る。 -165一 前 半 時 点 に お い て,あ ま り進 展 して い な 終章 魅 力 あ る農 業者世 界 の提 示 にむ けて 序章 で示 した課題 に沿 いつ つ.事 例研 究 か ら明 らか にな った農 業者 の 人間 関係 につ いて ま とめて みたい 。 序章 におい て も述 べ た よ うに,事 例研 究 の章 は大 き く3つ に分 類 され る。第1章,第2 章,第3章 の水 田農村 を中心 と した研 究,第4章,第5章 究,第6章,第7章 の施 設 園芸 地域 を中心 と した研 の新 規 参入農業 者 と異 文化 にお け る農業者 を対 象 に した研 究,で あ る。 以上 の3つ の分類 にお け る検 討 結果 を比 較考 察 す る と,農 業者 の 人 間関係 を考 える2つ の 軸 が明 らか にな る と思 われ る。 第1の 軸 は,水 田 農村 地域 にお け る検 討結 果 と施 設 園芸 地域 にお け るそれ との対比 か ら 明 らか に なる もので あ る。 水 田農村 あ るい は稲 作 農業 者 に とって,村 落 の意義 は きわ めて大 きい。 そ れは,個 別 に みれば ネ ッ トワー ク と して視 野 的 な構造 を もつ つ きあい 関係 が,村 落 の範 囲 におい て高度 に構 造化 され て お り,村 落統 合 の重 要 な要 因 となって い る こ と(第1章)。 また,稲 作 に 欠 かせ ない農業水 利 の側 面 をみた と き,村 落 レベ ルで のマ ネ イジ メ ン トに よって統一 的 に 処理 しよう とす る意思 が み られ る こ と(第2章)。 さ らに,大 規模借 地稲 作 農 も拡大 の初 期 には,自 己 の ネ ッ トワーク的 人 間 関係 を利 用 す るが,規 模 拡 大す るに ともない,村 ベ ル とのつ きあい の あ り方が 問 題 となって きて い る こ と(第3章) 落レ ,に 現 われ てい る とい えよ う。 そ れ に対 して,施 設 園芸 地 域 におい て と くに第5章 か ら明 らか に なったの は,つ 関係 をめ ぐる人 間 関係 に3つ の位 相 が み られ る こ とで ある。 第1の 相 は,第1章 きあい において 私が 「成 員認 知保 証 シス テ ム」 と呼 んだ基 礎 的 なつ きあい の相 と対応 して い る と思 われ る。 詳 しい分析 は して い ない が,お そ ら く第5章 の事 例 地域 におい て も第1章 その相 は村 落 統合 の一翼 を担 ってい る と考 え られ る。 また,そ の事 例 と同様 に, う して統合 され た村 落 は, 第3の 相 におい て も農協 の下 部組 織 とな るな ど して重 要 で あ る。 しか し注 目 したい のは, 第1の 相 と第3の 相 を媒 介 す る ような第2の つ きあ い 関係 の相 が観 察 され た こ とで あ る。 しか もそ れ は,地 域 の組 織 原理 上 の伝 統 を引 き継 ぎつつ,村 落 を越 えた人 間関係 を もつ な ぎ止 め る一種 の制 度 と して機 能 してい た。 これ ら村 落 自体 を も含 めた様 々 な レベ ルの 人 間関係 の組 織 は,大 局 的 にみれ ば,農 業者 の生 活 と経 済 と を媒 介 す る組織 を指 して い る とい え よう。 この 問題 は,か つ て玉 城 哲 に よっ 166 て 「中間 シス テ ム」論1)と して提 起 され た こ とが あ る。 玉城 は,「 近 代社 会 が原 理 的 に生 みだす セ ク ター分 割 に純 化 しきらな いセ ク ター」 と しての 「中間セ ク ター」 の存 在 を指摘 し,そ の 「中間 セ ク ター」 は独 自の 「中間 シス テ ム」 を形成 す る と論 じる。 その 中間 セ ク ター とは農村 の場 合,具 体 的 に は 「い え」 と 「む ら」 で あって,そ れ は経 済的 にみ れ ば. 個 人 と市 場 を媒介 す る独 自の シス テ ム を形成 して きた と述べ る。 しか し,同 時 に玉城 は, そ う した 「い え」 や 「む ら」 は変 容 しつつ あ り,そ れ らを乗 り越 えた新 しい農村 中間 シス テムが展 望 され るべ きだ とい う。 玉 城が,新 しい 農村 中 間 シス テ ム を必然 とみ な し,そ れ を構想 す る根 拠 は3点 あ る。 農 業 生産 の独 自性,農 村 地域 社 会 生活 に不可 欠 とな る共 同性,市 の計画化 の必 要性,で 場万 能 に対 す る批判 として あ る。 これ らの詳 しい内容 をここで紹介 す る こ とは しないが,概 ね 産業 として の農業 の独 自性 を念 頭 におい た根 拠 だ とい って よい だ ろ う。 これ につ いて私 は 異存 はない 。 しか し,新 しい農村 中 間 シス テム の構 想 内容 につい て は疑 問が あ る。 農村 中間 シス テム の新編 成 を構 想 す る と き,玉 城 は 「い え」 を 「農家 」 に 「む ら」 を 「集 落」 に置 き換 えて モ デル を構 築す る。 この うち,「 農家 」 は さてお く と して も,「 む ら」 を 「集落」 に変更 しただけ で,新 しい農村 中 間 シス テム の構想 が 描 け るか とい うと,本 研 究 の結 果 と りわ け 施設 園芸地 域 にお け る 中間的組 織 の存 在 を明 らか に した現 時点 での私 たち の認識 か らす れ ば,疑 問 な しと しない。 施設 園芸 地域 の事 例 におい て は.「 もない,独 い え」 ・農家 レベ ルで も,「 む ら」 自の 中間 的組織 が 認 め られ た。 この組織 の存 在 には,第5章 集落 レベ ルで の 中で も述べ た よ うに,地 域 の伝 統 的 な個性 的秩序 を反 映 した側 面 と,施 設 園芸 とい う作 目形 態 が要請 す る 側面 が ある と思 われ る。 したが って,た とい う条件 や,伝 とえば年齢 原 理 とい う ような伝 統 が あ るか ど うか 統 的 で あ るが ゆ えに人 間 関係 の主流 とな る に至 って い ない 点,ま た他 の 作 目形 態へ 適合 可 能 か ど うか な どの.さ しあた り今 の段 階 ではい くつ か の限界 や不確 定 要 素 とみ な され る点が ある。 しか し,個 の 自立 とい う急激 で は ない にせ よ大 きな社会 的趨 勢 を考 える と き,施 設 園芸 地 域 にみ られ る よ うな農家 単位 あるい は農業 者単 位 の,集 落 を も 越 え うる人 間 関係 形 成 の あ り方 は.新 い か と思 うので あ る。 そ して,こ しい農 村 中 間 シス テム を構 想 す る際 に不 可 欠 で はな の 点 を把 握 して こそ,農 業 者 のい きい きと した農業 農 村生 活 を描 け る と思 う。 もち ろん.稲 作 農村 におい て は集 落 の意義 は今 後 も無視 で きない。 それ は,た 167 とえば農 業水利 と村 落 との 関係 を示 した第2章 か ら も明確 で あ る。 また,大 規模 化 してい くと一 定 地域 にお ける 同 ク ラス の農 業者 の数 も少 な くなる。 したが って,農 業者 相互 に よる 中間 シ ステ ムが狭 い地域 の 中で濃 密 に存 在 す る こ とは困難 で あろ う。 しか し,借 地 の拡 大 に よっ て,農 地貸借 に基 づ く関係 が広 が る と ともに,集 落 とい う集合 体 との関係 も新 た な局 面 に 入 る と思 われ る。 それ は,玉 城 が構 想 した よ うな 「農 家」 を包 む もの と して 「集落」 が あ る とい う包含 関係 で は な く,「 農 家」 が 「集 落 」 を もひ とつ の対象 とみ な しそ れ との 関係 を 「 経 営manage」 す る とい う局面 で あ る。 そ の場合,農 業者 が ネ ッ トワー ク的 に作 り出す 中間的組織 は,集 落 を越 え た広域 の組 織 に なるの で は ない か 。第3章 にお いて,大 規 模借 地農 どう しの連 絡 が密 で あ る こ と もこの こ とを暗示 して い る。 第2の 軸 は,第6章,第7章 の結 果 を他 の章 と対 比 す る なかか ら明 らか にな る もの であ る。 第6章.第7章 で扱 った 農業 者 た ちの社 会 的世界 は,そ れ までの章 で論 じて きた農業者 世界 とは異 質で あ る。第6章 で は農 業へ の新 規 参入 者 とい う,ほ とん どの場合 が農業 も農 村生活 も経 験 した こ との ない者 の.農 業 へ の 眼差 しと農業 者 と しての社会 生 活 を対象 と し た。都市 と農村 の違 い をこ とさ ら強調 す るわ けで は ないが,現 と都 市生 活 の間 に は,と 代 日本 にお いて,農 村 生活 くに居住 す る地域 へ の巻 き込 まれか たの程 度 とい う点 で大 きな差 があ る。 しか も,農 業 を営 ん でい る とさ らに様 々 な地 域社 会 的約束 事 に否応 な しに制 約 さ れる こ とにな る。 この ような地 域社会 との 多様 な関 わ りは,農 村 に生 まれ育 った者 に とっ ては徐 々 に身 につ い て い く もの と思 われ るが,都 てはそ うで はない.彼 市生 活 か ら転 身 した新 規参 入 農業者 に とっ らは転 入先 の農村 住 民 と比較 す る と,か な り異質 な農 業観 や農 業上 の 人間 関係 を形 成 す る と考 え られ るの で あ る。 第7章 は隣 国韓 国 の事 例 で あ り,こ の場合 は ま さ し く個 性 的秩序 の基 盤 となる文化 そ の ものが,そ の他 の 章 と異 なって い る。 この 点 で は第6章 章 との共通 点 は,韓 自由化,流 と も異 なって い る。 しか し,第6 国農村 に おい て も農業 へ の参 入 問題 を扱 っ た こ とで ある。 職業選 択 の 動化 に ともない,世 襲 的 産業 と しての 農業 か ら,職 業選 択 の一分 肢 としての 農 業へ の転換 が迫 られ てい る今,農 業 へ の新 規参 入者 の人 間 関係 の あ り様 を明 らか にす る こ とは,農 業 「担 い 手」 の今 後 の展 望 と して も重 要 で あ る。 農業 へ の参入 者 とい う点 にお いて,第6章,第7章 場合 におい て,参 か ら明 らか にな った こ とは,両 方 の 入者 の もつ人 間 関係 の ネ ッ トワー クが経 営 遂行 上 あ るい は生 産物販 売 上 で活 か されて い た点 で あ る。 と りわ け韓 国 におい て は,同 年 とい う契機 に よる村 落 を越 え ・168一 たグル ー プ化が み られ.そ れ は契 とい うい わば つ きあ いの 制度 を通 した,伝 統 の一 部で も あった。 しか も,同 姓村 落 に住 む他 姓 氏 の農 業者 た ち には比較 的 高い 流動 性が み られ.あ る地域へ の 農業 的参 入 が,社 会 的 地位 と関連 しなが ら構 造 的 に社会 制 度 と して組 み 込 まれ てい る と判 断 され た。 まった く外 か らの参 入者 に とって,参 入地 の 農村 社会 は未知 の社 会 で あ って,参 入 直後 か らその地 域 で深 い 人間 関係 が形 成 され る こ とは少 ない 。そ こで さ しあ た りの必 要 か ら, 自己の もつ人 間 関係 の ネ ッ トワー ク を活 用 す る とい う面 は た しか に存 在す る。 しか し,興 味深 い こ とは,そ う した地域 の外 へ と広 が るネ ッ トワー ク的 関係 が,第3章 や第5章 の事 例の中 でふ れた よ うに,先 進 的 農家 や若 手 農業 者 の 人間 関係形 成 の志 向 と一致 して い るこ とで ある。 つ ま り,第6章 にお いて新 規 参入 農 業者 は と くに農業へ の 眼差 しとい う点 におい て革新 性 を もつ と述 べ たが,人 間関係 の形 態 とい う面 にお いて も先進 的農 家 と関連 づ け られ るの であ る。新規 参入 農業者 と先進的 農家 で は.栽 培技 術 な どの経 験 的側 面で は両極 端 に ある。 しか し,従 来の 農業 者 の社会 的世界 を変革 す る とい う点 で は共 通性 が あ るのだ。 その 意味 で,韓 国農村 の よ うに集落 を越 えた人 間 関係 の ネ ッ トワー クが 伝統 と して成 立 してい ない わが国 に あ って は,こ の人 間 関係 の相 が いか に形 成 され維 持 され るか につ いて,今 後 ます ます研 究 され る必要 が あ る と思 う。 その と き,わ が 国 にお け る集 落 を越 えた人 間 関係 の ネ ッ トワークが,水 田農村 よ りも非 水 田農村 の方 に伝 統 的 組織 原理 と して存在 して いた こ とは注 目に値 す る。 しか も.事 例 と なった赤 羽根 町 におい て は,年 齢 を原 理 とす る点 まで韓 国の場 合 と類似 してい た2)。 これ は第4章 で指摘 した非水 田農村 の可 能性 の ひ とつ の 内実 を示す もので あ り,稲 作 的 農村像 ・ 農業者 像 は,こ 以上 が,事 の 点 にお いて も再考 を迫 られ るので あ る。 例 か らえ られ るお もな結 論 で あ るが,こ れ らの分 析 の視 角 となったつ きあい 関係 につ い て も若 干 の 考察 を くわ え てお きたい。 まず,つ きあい 関係 を独 自な社 会 関係 と して分析 対 象 の ひ とつ と考 える こ との有効 性 に つい て であ る。 た とえば,第1章 あ った 関係 も,つ で示 した ように,従 来 は親 族組織 と して考 え られが ちで きあいの 制度 と考 えた 方が その 原理 をス トレー トに把 握 で きる ように思 われ る。 また,第5章 で は人間 関係 の3つ の位 相 を指摘 したが,つ きあ い 関係 とい う視 点 を設 けた か らこそ,生 活 面 か ら経 済 面 に至 る人 間関係 を同一 の姐上 で考察 す る こ とが で き た と思 ってい る。 ・169・ これ と関連 す るが,第2に 述 べ て お きたい の は,そ 制度 につ い てで あ る。第1章 いて,つ の事例 や第5章 の事 例,さ う した つ きあい 関係 を定 着化 させ る らに第8章 の韓 国農村 の事 例 にお きあい 関係 は一定 の制 度 を と もない つ つ安 定化 され てい た とい える。 そ こで興 味 深い点 は,そ の 制度 が あ ま り厳 密 で な く,状 況 の変 化 に応 じて ある程度 融通 が利 くよ うに 思われ る こ とで あ る。 そ う した制度 は,第5章 の表現 を使 えば,あ る レベ ルの つ きあい 関 係 を形成 させ る受 け皿 とな ってい る とい え よう。 これ をやや 拡張 す れ ば,集 落 な どを越 えた広 域 のつ きあい 関係 の形 成 と定 着 を構 想す る ときに,ヒ ン トを与 え る よ うに思 われ る。す なわ ち,そ 関係 を結 ぶ 目的,た う した新 しい 関係 を創 造 す る場 合 , とえば大規 模借 地 農相 互 の情 報 交換 な ど とい う目的 の ほか に,つ い関係 を定着 化 させ る形式 的 受 け皿 を用 意す れ ば ,つ きあ きあい 関係 の定 着化 が 図れ るの で は ないか とい うこ とで あ る。 もちろ ん,事 例 で あ げた つ きあい の制 度 は,い ず れ も組織 原理 上の伝統 を引 き継 ぎつ つ歴 史 的 に形成 されて きた もの と考 え られ る。 で きあ いの広 域組織 の場合,補 助 の切 れ 目が縁 の切 れ 目とい うこ と もよ くあ る こ とで あ る。 新 しいつ きあい 関 係 をつ な ぎ止 め る制 度 は,あ らか じめ用意 して効 果 が あるの か,そ れ と も自然発 生 を待 た ざるをえな いの か につ い て は,こ こで は定 か で はない 。 しか し,つ きあい 関係 の定着化 に は,カ ネやモ ノ とい うハ ー ドな要 素 だ けで は く,つ きあい の制 度化 とい うソ フ トな要素 も 重要 で ある こ と をこ こで強 調 して お きたい 。 *** 現 在,わ が 国の 農業 は担 い手不 足 に悩 ん でい る。 この 問題 へ の対処 には様 々 な手 法が あ ろう。効 果 的 な補 助 をお こない物 的経 営基 盤 を整備 す る こ とに よって,経 済 的 なイ ンセ ン テ ィブ を鼓舞 す る方法 が あ る。 もち ろん,目 先 の経 済性 だ けで な く,将 来展望 も必 要 であ るか ら,農 業 をめ ぐる国 際政 治 もまた重 要 で ある。 しか し,こ れ らの い わば狭 義 の農業 政 策以 外 に,た とえば生 き物 を相手 に営 む 農業 とい う職業 のす ば ら しさを伝 える こ と も,直 接 的で は ない にせ よ,後 継 者 難 の重要 な処 方 とな ろ う。 これ は農 業教 育 の分野 に望 まれる ところ であ る。 私 が本論 文 で お こな って きた研 究 もまた,後 者 と同種 の意 図 を含 んで い る。 ただ し,農 業 を営 む人 間す な わ ち農業 者 の社会 的世界 の魅 力 を伝 える こ とに よって,人 々の農業へ の イ ンセ ンテ ィブ を高 め る こ とがで きない か と思 って い る3)。 農業 者 た ち は,決 狭 い社会 に埋 没 してい るので は な く,む して地域 の しろ場 合 に よって は,自 営業 主 と して他 産業 の雇 170 用 者 よ り も 積 極 的 に 自 ら の 社 会 的 世 界 を 切 り 開 い て い る の で あ る 。 も ち ろ ん,だ か ら とい っ て 事 実 を誇 張 し た バ ラ 色 の 農 業 生 活 を 描 く こ と は か え っ て マ イ ナ ス と な ろ う 。 い か に 謙 虚 に 事 実 と 向 き合 い な が ら,農 が,ポ 業 に魅 力 を見 出 して い る 農 業 者 の 社 会 的 世 界 を描 き出 せ る か イ ン トと な る 。 第7章 の 末 尾 で も論 じ た こ と だ が,従 も の と して 描 か れ て き た し,事 実 農 業 は,法 野 で あ っ た と い え よ う 。 し か し,本 とい う 自 給 の 精 神 と,そ 来 の 農 業 者 の 社 会 的 世 界 は あ ま りに も制 約 の 多 い 来,農 律 レ ベ ル,地 域 レベ ル で の 規 制 の 多 い 職 業 分 業 の 世 界 に は 自分 に必 要 な 物 は 自分 で ま か な う れ に 支 え ら れ た 自 由 す な わ ち 自律 の 精 神 が あ る よ う に 思 う 。 こ の 自 由 ・自律 とい う 側 面 を 全 面 的 に 開 花 さ せ る に は.も よい の で は な い 。 農 業 者 た ち が,何 そ れ を 基 礎 と し た 社 会 的 世 界.さ ち ろ ん,た と な くで は あ れ 確 実 に 感 じ て い る と思 わ れ る 自 由 と, し あ た りそ の よ う な も の が 確 実 に 記 述 さ れ て こ そ,農 へ の 新 た な 意 味 付 与 が 可 能 に な る の で あ り,閉 業 塞 した 工 業 社 会 に 対 す る ひ とつ の オ ル タ ナ テ ィ ブ の 提 示 に つ な が る の で は な い か 。 本 論 文 に お い て,い 学 とい う 分 野 を 設 定 し た が,私 だた だ規 制緩和 をすれ ば さ さか 拙 速 な が ら も農 業 社 会 は こ の 新 分 野 の 彼 方 に そ う した 展 望 を 抱 い て い る の で あ り, そ の 記 述 の 枠 組 み と して の 役 割 を こ の 新 分 野 に 託 した い と思、う の で あ る 。 注 1)玉 城 哲 「日本 の 社会 シス テ ム」 農文 協,1982年.PP.107・141。 2)も っ と も,両 者 におい て年 齢 原 理 が表 出 され る要 因は異 なる。 韓国 にお け る年齢 原理 は基 本 的 に儒 教 倫 理 に基づ い てい る と考 え られ る。 つ ま り,年 齢 に よる長 幼 の序 が厳 しい た め に,そ の心 配の な い同年 た ちで 気安 い 集団 をつ くる と思 われ るの で あ る。 そ れに比 べ る と,赤 羽根 町 の年齢 原 理の 要 因は議論 の あ る ところで あ り.第5章 で示 唆 した ような漁 業 との 適合 関係 を理 由 にす る場 合 もある し,そ もそ も年齢 原理 が見 られ ない村 落 とは種 族 的 に異 な るの だ とい う見 方 もあ る。 後者 の見 解 は民 族学 者 の 岡正 雄 を 中 心 に主張 され た。 た とえば,石 田 岡 江上 八幡r日 本民 族 の起 源」 平 凡社,1958年,PP.69-84を 参 照。 3)稲 本志 良 は,基 本 法農 政 下 に お け る農 業担 い手 問題 へ の対 策課 題 の変化 を,「 物 的経 営基 盤の 整備 とい う段 階か ら,人 材確 保 と多様 な経 営体 の 育成 とい う非物 的経 営 基盤 一枠 組 み の整備 の段 階 」へ と捉 えて お り.と くに その 原 因の ひ とつ と して 「農業 法 は,氏 の 整理 に従 え ば。 こ の 「農業 自営 業忌 避感 」 をあ げてい る。 こ こで 私が 主張 す る接 近 自営 業 忌避 感」 の転換 を 目論 む もの と位 置づ け られる。稲 本 「 農 業担 い 手問 題 の所 在 と検 討 の枠 組 み 」 「 農林 業 問題 研 究」 第28巻 第4号,1992年.P.1。 ・171・