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明代通行『玉台新詠』本の解題
植木, 久行
小尾博士古稀記念中國學論集. 汲古書院, 1983,
p.329-345
1983-10
http://hdl.handle.net/10129/1580
本文データは汲古書院の許諾に基づき複製したもので
ある。
publisher
http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/
明 代通行 ﹃玉台新詠﹄ 本 の解 題
植
木
久
行
徐陵 撰 ﹃王台新詠﹄ 十巻 は'明代 の中期 から後期 にかけ て' 教程以 上刊行 され て い る が' 一般 に善 本 に乏 しく、
作 者名、
(2 )
(3 )
″
をも つ俗本 として厳
所収詩数t の三点 にお いて
「
妄 り に増 益有 り」 と評 され る (
﹃
四庫提要﹄巻三十七)
.明末 の崇再 六年 (1六三三)
'蘇 州 の蔵書家趨均 が 刊 行 した覆
宋本 (
南栗の陳玉父本の覆刻)と比較 してみると'(1)詩 の所収巻数'
大き く異な る。な かでも所収詩数 の増加 は特 に著 しく'超均 や銭謙 益ら によ って 〟妄 増詩 二百
しく批判 された。 し かし趨均 の基 づ いた南朱 の陳 玉父本自体が悪名高 い麻 抄本 であ るとされ'す で に誤靴 の多 さ'体
例 の不備'詩 の増 大等 の欠点 を持 つ。従 って文献批判 の意味 でも'明版 の実態 をより深くさぐ ることがぜ ひとも 必要
であ る。同時 にま た'教 程 の刊本 の存在 は'も ちろん当時 の印刷術 の急速な進歩 とも直接関係す るが'他方 では ﹃王
台新詠﹄ を求 める読者 層をあ る程度想定す る のに充分 であ る。 いいかえれば'総集 や別集 の出版 とそ の流伝 は' 一般
(
1)
に各時代特 有 の詩文実作 の態度 や文学理念 ・文学 主張等 と密接 に関連す る はず だ か ら で あ る。私 はす で に別稿 の中
で'明末 ・清 初 の ﹃王台新詠﹄研究が 主と して反古文辞派 の拾頭 のな かで確 立 され た こ と を 指 摘 し た。本稿 の記述
は' この点 を 一層補 足 し'明代 の文学史 を再整 理す る のにも役立 つであ ろう。
明代通行 ﹃
玉台新詠﹄本の解題
二
(2)
明末清初 の有名 な校勘学者清野 は'明代 の主要 な テキ ストと して次 の四 つをあ げ る 。
此書'今世所行'共有四本。 1為 五雲渓館活字本' 一為華允 剛蘭雪堂活字本' 1為華亭楊 元始本' 一為帰安茅 氏
重刻本。活字 本不知的出何時'後有嘉 定 乙亥永嘉陳 玉父序 .小為朴雅'誤 謬層出兵 。華氏本 刻干正徳甲戊' 大率
是楊本之祖。楊本出方暦中'則 又以華本意像 者。茅本 一本華亭'誤臨 三写。
この説 にょれば'明代 の主要な刊本 には'(
1) 五雲渓館活字本' (2)華允 剛 の蘭雪堂正徳甲戊刊本' (3)楊 元錦
の万暦刊本'(4)茅 氏重 刻本t の四種が あ る。 そ して (2)(3)(4) はほぼ同系統 のテキ ストであ る と と も に'
後 者 にいたるほど'誤 りが増加 して いると いうO本稿 では' まず この四種 の解 題 から始 める.
(1) 五雲渓館活字本
本書 は次 の蘭雪堂本ととも に' いわゆ る鋼活字本 であ る。当時 の低 い活字印 刷 の技術 では' 百部以 上 の書 を印刷す
る こと は至難 のわざ とされ'本書 は 一時'伝本が非常 にまれ であ った。 しかし今 日では' 四 部 叢 刊 の な か に影印 さ
れ'容易 に見 る ことが でき る。
(
3)
行款 は半葉十行'行十 九字'縦十 八 ・五 センチ'横十五 二二センチ'目 口'左右 双 辺。 巻 十 の終 り に陳 玉父 の後
叙' および南宋 の晃公武撰 ﹃
郡斎読書志﹄ の記事 を 一部付載 す る。 また版 心 には 「五雲渓館活字」 の六字 を印す ると
いうO
民 国 の蔵書家郡邦述 ほ'本書 に対 して'「
拠 る所 は' 乃 ち宋本 。霊均 の播 す る所 の陳 玉 父本 と又 た同 じ からず 」 (
﹃
寒
痩山房鷲存善本書目﹄自校本)と述 べるが' いささ か疑問 であ る。確 か に本書 は'趨 均覆 宋本 と異な る 点 を持 つ。巻 五
の巻 末 の 「
播 黄門述 哀」 (
江掩)と巻 六の呉 均 「梅 花落」 の二首 は覆 宋本 にな い 「
増 」 詩 で あ り' 他 方' 巻 六 の呉均
(
t
・
t
・
)
「和斎洗馬 子顕古意 」 六首 のう ち の其 二 ・三 ・四 ・五'巻 六の王僧房 「為人述 夢」 と費 乗 「長門 后 怨 」
'巻 七 の簡 文
帝 「轡童」、巻 八 の庚 肩 吾 「和湘東 王」 二首 のう ち の 「
応 令冬暁 」 と庚 信 の 「七夕」'あ わ せて九首 の詩 を脱 す る。 ま
″
を有す る通行 本 に比 べるとご- わず かであ る にすぎ な い。従 って本書が
た巻 九 の博文 「歴 九秋 篇 '董 桃行 」十 二首 を' 本書 では其十 一・十 二 の二百 のみ'博 文 の作 とLt他 の十首 をす べて
ヽヽヽヽ
簡 文帝 の作 とな して同巻 の後 に収 録す る。 こ のほ か にも' 異同 をも つが、 しかし詩数 や詩 の配 列 はお おむね越 均覆宋
本 と同 じ であ り、 そ の差異 は 〟妄 増 詩 二百
全 -陳 玉父本 を参 照 しな か った かど う か は'少 し疑問 な のであ る。少 な -とも両者 は同系 統 のテ キ ストであ るよう に
思 われ る。 しかも明代 の通行 本 の多 - は陳 玉父 の叔 を欠 -が、 本書が それ を付載 す る点 も注意 され てよ い。
い
ささ
た
鵜 野 は本書 に対 して 「小 か朴 雅為 るも、誤 謬層出す」 と評 し、 内 田泉 之助博 士も 「文字 の誤 りが多 -、訂正 を要す
つ
。
る点が少 な-な い」 と評 され る (
明治書院 ﹃
玉台新詠﹄上の解説)
。 一般 に明代 の銅活 字本 は校 定が 不 充 分 で'初歩的 な
(
4)
誤字 ・脱字等 が多 いが '他 方 ' そ の拠 った底 本 は いず れも宋 元 の旧本 であ ると いう長所 を 持
このこと は' そ のま
ま本書 にもあ て はま る よう であ る。 しかも陳 玉父本が悪評 高 い麻 抄 本 であ る こともあ って' や はり校 勘 上、役 に立 つ
(
徐乃昌 の 「
札記」参照)
0
さ て五雲 渓館 が誰 の堂 号 であ る か は'全 - わからな い。 ただ こ の他 にも'撰 者 不詳 の ﹃
嚢 陽者 旧伝﹄ を刊行 す る。
陸 心源輯 ﹃
臨宋楼 蔵 書志﹄ 巻 二十 六、﹃
裏 陽者 旧伝﹄ の条 には、「板 心 に五雲渓 活字 両行 有 り」 とあ るが、現在、静嘉 堂
に伝 わ るそれ は写本 であ り' 従 ってそ の板心 の字 を欠 -。 ま た本書 の刊行 年月も詳 かで はなく' 播承弼 ・顧廷竜 共編
明代通行 ﹃
玉台新詠﹄本の解題
三三二
﹃明代版本図録初編﹄巻 九 には'「明 の嘉 靖中」(一五二二- 一五六六)と Lt 内 田博 士 は前引 の解説 のな かで 「明 の屠
隆刊本 で'神宗ご ろ の万暦版」とす る。 し かし両者 の説 の根拠 は全- 不明で あ る。屠隆 (一五四二- 一六〇五)とは、
いうまでもな-明代 の有名 な文人 であ り'詩文 ・戯曲 にすぐ れ'﹃
考察 余事﹄等 の著もあ る。 一万㌧北京図書館編 ﹃中
国印本書籍 展覧 目録﹄ (一九五二)には'「明 の中期」と いう漠然とした時代 設 定 を す る。 明代 の銅活字本 は、 弘治 ・
正徳年間 から嘉靖 ・万暦 に到 る八㌧ 九十年 の間'蘇 州周辺 の江南地方を中心 に盛行 Lt そ の後' 一時 とだえ る。 この
華允剛 の蘭雪 堂甲成刊本
意 味 で' おそら- 「明 の中期」 と記 したわけ であ ろう。
(2 )
本書 は ﹃
増訂 四庫簡 明 目録標注﹄ に著 録 Lt正徳九年 (一五 一四)甲戊 に刊行 され た鋼活字本 であ る。 主要 な書 目類
にも ほと んど著 録 されな い稀親 本 であ り、清 の蔵書家馬液 の ﹃
唆香倦館書 目﹄集部 に 「明錫 山華氏蘭雪 堂活宋坂印本
四本」と見 え るにすぎ な い。 刊行者 の 「
華允剛」 と は' 錫 山 (
無錫)の華堅 のこと。 たとえは' 正徳十 一年 (一五 一
記
等
に
六)に刊行 され た ﹃
春秋繁露﹄ の終 り に'
ヽヽ
正徳丙子季夏 、錫 山蘭雪 堂華 堅允剛活字鋼板'校 正印行。
(
5)
よれば'允剛 は華堅 のあざ な であ る。 ちな みに' この他 の蘭雪堂活字本 には'正徳 八年刊 ﹃自民長慶
とあ る刊
集﹄'正徳十年刊 ﹃
芸文類釆﹄ ﹃
禁 中郎集﹄ 等があ り'今 日伝存 す る。四部叢刊 の ﹃
察 中郎集﹄ は' この蘭雪堂本 であ
親
る。民国 の書誌学着実 徳輝 が ﹃
書林清話﹄巻 八 に 「明人 の活字 板 は'錫 山 の華氏 を以 て最も有 名 と 為 す」と述 べるよ
(
6)
戚 の会 通館 の華爆 (一四三九- 一五 一三) のそれと と
う に'蘭 雪堂 の華 堅 ・華鏡 父子 の手 に成 る銅活字本 の印行 は'
も に' 明代活字本 の権威 として名高 い。漏賓 の識語を のせる虞 山 二渇先 生 関 本 ﹃王 台 新 詠﹄ (
内閣文庫等蔵 ・活版)に
は'「錫 山 の華給天和校 刻」 とあ るが' この華給も おそら-華氏 一族 の末宿 であ ろう (
ただし'銅活字本ではない)
。
清 末 の蔵書家 丁丙撰 ﹃
善本書室蔵書志﹄巻 三十 八には'「明正徳佑宋刊本」 (
二冊)を著 録 し'
毎葉 三十行'行 三十字 。毎巻有篇 目'連属詩詠へ小稽精 堪。明正徳都刊也。
とあ る。 この書が はたし て蘭 雪堂本 かどう か疑問 であ る。郭邦述 は ﹃
寒痩山房鷲存 善本書 目﹄巻 二 の条 で' 正徳刊本
とす る根拠が わからな いとす る。確 かにそ の行 款等 は' おおむ ね超均覆 宋本と同 じであ る。部邦述 はさら に ﹃
増訂 四
(
I
.T
'
)
庫簡明 目録標注﹄ に引-清 末 の蔵書家周星詰 (一八三三- 一九〇四) の 「正徳翻宋本陳伯 玉本'毎菓 三十行'行 三十字'
後 に 1の趨霊均 の抜多 し。乃 ち凡夫 (
趨匡光)の子 なり」 とあ る記述 を論拠 の 1つとし て'
趨氏所刊、行 款 ・字体精 堪'皆 一一如 丁氏所説。越氏父子好書。 不応未見'見而覆刊。当時諸 人' 亦不応 不歯及
也へ︺窃 疑正徳刊本与趨 本者' 二而 1老耳。
と論 じ ている。周氏 の陳伯 玉は陳 玉父 の誤 りであ り' ま た明 の正徳年間 には'も ち ろん明末'覆 宋本を刊行 した趨均
はまだ生まれ ては いな い。従 って巻末 に趨均 の鋲があ ると いう のは' す こぶ る疑 わし いのであ る。 この意味 で、 部邦
銭
曽
・
述 の疑問 は当然と いわなけ れば ならな い。 し かし丁氏や周氏 の不明瞭 な記述 等 から'正徳刊本 の存在 そ のも のを否定
(
7)
馬溝等 はもと より'清 の郁乾辰も本書を目略 して 「佳」 と評 し て いるからであ る
す る こと はできな い。清 野 ・
(
﹃
増訂四庫簡明目録標注﹄巻十九)
。
(3)楊 元錦 の万暦刊本
「 1
本書 は'鵜野 の指摘 によれば'蘭雪 堂本 の系統 を引き'慈意的 に改窺 を加 えた万暦刊本 であ る。後述 す る茅 氏重刻
ひ
と
え に本づ-」も のとす る鵜野 の説 に従 え は'茅 本 は万 暦 七 年 (1五七九) の刊 行 であ る ので'本書
本が本書 に
明代通行 ﹃
王台新詠﹄本の解題
は万暦初年 の出版 とな る。
三 三四
内 閣文 庫 に所蔵 す る明版 八冊 (
後の二冊は鄭玄撫撰 ﹃
続王台新詠﹄五巻)が' この楊本 で はな いかと 推 定 され る。 同書
には'序 朕 や刊記等 を欠 -が' 巻 七と巻 十 の本文 の最 初 に 「華亭楊乗 鎗校 」 とあ るか ら で あ る (この二か所のみ)
.渇
ヽ
ヽ
野 の識語 には「
楊 元鎗」とあ って'「
楊 乗鎗 」 と はな い。 し かし同 じ 「
華亭」の人 であ り' し かも虞 山 二漏先 生関本 (
前
出)にみえ る五 か所 ほど の楊 本 の注記 は同書 と全く 一致す る。 従 って両者 が同 一人 であ る こと は' ほぼ 疑 いな い。 ち
な み に、 ﹃増訂 四庫簡 明 目録標注﹄ に収 める郡章 の 「続録」 や莫 友芝 撰 ﹃
即事 知見伝本 書 目﹄巻十 六には' とも に 「
楊
鎗」 に作 り'中 間 の 一字 を欠 -0
内 閣文庫 所蔵 本 は'半菓 十行' 行十 八字 '白 ロ' 左 右 双 辺 (
明治書院刊 ﹃
王台新詠﹄下の巻頭には'本書の書影を 一葉収
める)
。本書 の特 色 は' 徐陵 の序 に続け て 「名家 世序 」を付載 す る こと であ る。名家 世序 と は' 各 王朝ご と に詩 人名 を
)
・隔 (十九人)の項もあ
まと めて列挙 し た 一種 の目録 であ り' ﹃続玉台新詠﹄ 五巻 を 合刻す る関 係 から、 陳 (三十五人
る.所収 の詩数 や配 列方式 は'内 閣文庫 に蔵す るも う 7種 の明版 (
明天啓二序刊)と同 じく' いわゆ る妄 増詩約 二百と
評 され る通行 本 (
俗本)であ る。 ただ し'妄 増詩 の出所 はまだ確 認 され て いな い。本書 の巻 五 は宋販 (
竣均覆宋本) の
巻 七㌧巻 六は宋版 の巻 五、 巻 七 は宋版 の巻 六にほぼ相当 Lt ま た 一部 の巻 で は' 所収詩 人 の姓名を異 にす る。 たと え
ば '宋 版巻 二 に収 める院籍 の 「
詠懐 詩」 以下'左 思 の詩 に到 る二十 三首 を巻 三 に'宋版 の巻 1
1
1
に収 める苛 親 の 「擬相
逢 狭路 問 」以下 の詩 を巻 四 に移動す ると いう具合 であ る。 これ ら は いず れも後述 の徐学課 本 にお いても 同様 であ り'
明版 の多 - に共通 した特 徴 であ る (
五雲渓館本はこれと異なり、蘭雪堂本は未詳)
。ちな み に' 明版 が宋 版 の巻 七を巻 五 へ
あ げ た のは'梁 の武帝 や簡文帝 等 の帝室 関係 の詩 を梁 代 の冒頭 に置 こうと したた め の処置 であ る。清 の紀 容 野 は' こ
の点 に関 し て'帝 王 の詩 が臣下 の詩 の問 に介 在す る (
巻五 二ハと巻八は梁代 の詩人の詩を収める) のは' 一見' 宋版 の編
∼]
)
・
1
]
次 の誤 り のよう に捉 えられが ち であ るが' これ は漢以来 の伝統 にそう配列方 法 であ り' 「
信 に後 人 の能 - 偽 託す る所
に非ざ るな り」 と述 べて いる (
﹃
考異﹄目録)
0
お
お
このよう に' 「
楊 本 は 閑 いに宋 刻 と異 な る」 (
後引の孟環の語)
o ﹃篭 註﹄本 の各巻 末 に付す宋 刻 不収 の詩 一七九首 は'
全 て本書 のな か に見 え' さら に後 述 の 「擬古」詩 一首 を加 え ると、 妄 増詩 一八〇首 と な る。 これ に対 し て' 逆 に明版
の脱す る詩もあ る。 陸棲 の 「擬 西北有 高楼 」 (
巻三)
' 施栄泰 の 「雑詩」 (
巻四)
へ簡 文帝 の 「
怨」(
巻七)
' 呉均 「和斎 洗
馬 子顕古意 」 六首 のう ち の其 二と其 四(
巻六)
、 王僧 芹 「為 人述夢 」 (
巻六)
'庚 信 「七 夕」 (
巻八)
' 劉弦 「
詠 繁 華」 (
巻
十)の合計 八首 。 このほ か' 飽照 の 「擬古 」 と 簡 文帝 の 「
詠舞 」 は'詩 題 は同 じ だが'内 容 は異 な る (
後者の 「
詠舞」
詩は ﹃
築註﹄本の宋刻不収 に収める)
0
明 版 に多 い妄 増詩 の 一典型 と し て' 昭 明太 子 の例 をあ げ よう。宋版 には 一首 も 収 め な い が' 本書 で は巻 五 に五首
「
蓮 舟買 荷度 」「照流看 落 欽」 「長相思」「名 士悦 傾成」「美女農 粧」 (
ただしへ趣均覆宋本では'「
長相思」を除く四首をみな
簡文帝の作とする)
' 巻 九 に三首 「江 南 曲」 「
竜 笛 曲」「採蓮 曲」
' 合計 八首 収 める。 この点 は従来 から昭 明 太子 と簡 文帝
の文学観 の対 立と いう観 点 から注 目 され'紀 容 野 は 「
意 に避 く る所 有 り て'武帝 ・簡文 の間 に更 に t人 を置 -を欲 せ
し
り
ぞ
ず 。 故 に 尿 け て録 せざ る のみ」 と解 した (
﹃
考異﹄巻七)
0
(
4) 茅 氏重 刻本
- 付'鄭玄撫撰 ﹃
続玉台新詠﹄ の解題-
す
三 三五
清 野 の指摘 によれば 、本 書 は揚本 の忠実 な覆 刻 であ り' 誤 り は 一層多 く な って いると いう。﹃北京 図書館善 本書 目﹄
(
8)
る 。 莫 伯旗撰 ﹃
五
巻 八 に' 「王台新詠十巻 陳除塵輯 続 五巻明鄭玄撫輯 明方暦 七年茅 元顧 刻本」 と し て二 部 を 著 録
明代通行 ﹃玉台新詠﹄本の解題
三三 六
十万巻楼蔵書 目録初編﹄巻 二十 1にも'「呉興」 の茅 元碩重刻本 を著 録す るが'清 野 のいわゆ る 「帰安」 は' 呉興 の
別名 であ る。
菓 徳輝撰 ﹃那園読 書志﹄巻十 五 によれば'本書 には'徐陵 の序 の後 に 「己卯季秋 朔 日'銭塘 の蓑大道' 心遠楼 に害
すこ
徹 し-行体有 り」 とあ る。 つまり'本 書 は蓑 大道 の心遠楼 刊本 と し て出版 され
す」 の両行があり' また 「全書正階'
たのであ る (
葉徳輝が同条で己卯を万暦ではなく 「
正徳」にとるのは'鵜野の識語を誤引した結果の単純な誤りである)
。
﹃五十万巻楼蔵書 目録初編﹄巻 二十 一によれは'本 書 は半菓 九行'行十 八字。前 に新安 の呉世忠 の摸 した序文 が徐
普 の書 で書 かれ て いると いう (
﹃
郎園読書志﹄も同じ)
。同書 に引 く呉世忠 の序文 (
刻王台新詠序)には'
方今' 五経順軌' 三事修文'乗 運躍鱗'優藩金馬。奏御 且千' 捷風宗雅。 将復古道' 必先異書。 而是編残簡 甚
靴'曽莫校催。頃方 生敏明'挟策遠道'購比閲市。蕨交梧埜鄭 君'受以鐙布' 広之四方。甫竣' 而生己長逝' 菅
為 異物。悲 夫。鄭 君又沿陵 以下' 益之陳 ・晴。披巻寓 目'海不掲珠。
云 々とあ る。当時' テキ ストが大変乱 れ'鄭 君 は'方敬 明が旅 先 で買 った書 を刊行 Ltあ わ せて徐陵 の編纂 以後 に作
す
l
さ
られた昧 ・晴代 の艶 詩 の総集 (
﹃
続王台新詠﹄
)を作 り'付載 し たと いう。特 に注 目す べき 言 葉 は'「将 に古道 を復 せん
あやま
とす れば' 必ず 異書 を先 にす。 而 る に是 の編'残簡甚 だ 靴 り' 曽 て校健 す る美 し」 であ る。 この発 言 は' 沈逢春 の
「玉台新詠序」 のなか に'「
今 の人 は唐有 るを知 るも'唐以前 を知 らず 。 其 の三百篇 の脈 に接す る者' 漢貌 六朝 の諸
・
も
レ
し
篇 は'故 より在 り」 とあ る言葉 ととも に' 明 の嘉 靖 から万暦年 間 にかけ て' 古文辞派 の有名 な (詩 は盛唐' 文 は秦
漢) と いう文学 主張が' いか に広-世間 に浸透 し て いたかt を如実 に知 る資料 の 一つであ る。 こうし た古文辞派 の文
学史観等 に対す る懐 疑 や是 正 のな かから' ﹃玉台新詠﹄ の再刊が計 画され'実 行 され て いく。
た
葉 徳輝 は 「方 ・鄭'何 人為 るかを知 らず」(
前引書)と記すが' これ はおそらく鄭 玄撫 の 「刻玉台新詠後序」 を見 る
ことが でき な か ったからであ ろう。 ここで鄭 玄撫 とそ の ﹃続玉台新詠﹄ に ついて補 足 し ておき た い。内閣文庫 所蔵本
「願
(
五巻 7冊)は半菓 九行' 行十 八字'自 口'左右 双辺'縦 二十 三 ・八 センチ'横十 五 ・九 センチ。「
後序」 の版 心下 に
・
も
′
そ 一
の 交 の梧埜鄭 君」 と は
「黄鍍刊」 の字があ る。同書 に付す 「後序 」 にょれば 、方敏 明 は嘉靖十 八'九年 ご ろ没 Lt
徽郡 の梧 野山人鄭 玄撫を指す (
同書では'各巻の始めに梧野草堂続編とする)
。鄭 玄撫 に ついては' 銭謙 益編 ﹃列朝詩集﹄
愁雲
樺を 中流 に停 む 日暮 る る時
うるお
細 雨 憐 れむ べし 紅 袖湿 え るを
ひ
と
偏 え に惹 く 翠 眉垂 るるを
琵琶 の新 曲
さお
丁集中 に'「字 は思祈' 号 は梧 野、款 の人」 とあ り'次 に引- 「湖 上 にて美 人 に贈 る」詩 一首 を収 める。
うた
転 た声 遅 く
琵琶新曲転声遅
停樟中流 日暮時
細 雨可憐紅袖 湿
愁雲 偏惹翠 眉垂
この詩 は' いわば艶詩 の小品であ り' ﹃王台新詠﹄ の続編 を企 てた人 にふさわし い。 ちなみ に'朱葬等編 ﹃明詩綜 上
巻 五十 には 「折楊 柳」 1首を収 め'陳 田編 ﹃明詩紀事﹄ 己栽巻 二十 には 「明妃曲」 1首 を収 める. いず れも情緒 纏 綿
たる感傷的 な詩 風 であ る。別集 ﹃梧野集﹄もあ ると いう (
﹃
明詩綜﹄
)
0
約 l八〇〇字 におよぶ長篇 の 「後序」 の内容 に触 れ た い。鄭 氏 はまず そ の冒頭 で正続十 五巻 を編纂 ・刊行 した経緯
を説明す る。
うす
-だ
おも
つと
いた
じん き
え
は
と
幾 んど 四百余年'俗 涌 く風 下 り て'霊秘 珍 んず る莫 し。予 夙 に之を 悼 み' 博 く 世 家 に求 め'幸 いに 塵 凡 に 獲 た
こ
れ
こ
あがな
たま
そな
り。篇 残 い簡乱 れ て'準 証由 る無 し。嘉靖 己亥' 方子敬 明、 諸 を金陵 に 購 い' 帰 り て予 に 弄 う。予始 めて余篇 を
おさ
た
ぐ
の
理 め' 償 いを陳 ・
晴 に進 め'演 べて十 五巻 と為す。
判 り'其 の落翰 を
三三七
この後序 は'嘉靖十 九年 (一五四〇)正月十 五日 の日づ けを持 ち'終 り の部分 に方敬明 の死 没 を 記 す。従 って方敬
明代通行 ﹃
玉台新詠﹄本の解題
三三八
明 は 一年 前 (
嘉靖十八年己亥)
' 金陵 (
南京)で ﹃王台新 詠﹄ を買 って帰 ってき た後'まもな-急 逝 し た ようであ る。 当
時 の金陵 は' 永楽帝 の北京遷 都以後 も副都 と し て繁 栄 し、 南 方 の学 術 の中 心地 でもあ った。 明 の胡応鱗 の ﹃
経籍 会
通﹄ 巻 四 によれば、 金陵 は燕 市 (
北京)・闇間 (
蘇州)・臨 安 (
杭州)と な らぶ四大書籍 集散地 の 一つであ った。
序 文中 で特 に注 目す べき 点 は' 「
予始 めて余篇 を醐 り' 其 の落翰 を理 め- -浜 べて十 五巻 と為 す」 と い う 言 葉 であ
″
。
の加 わ る直接 的 な原 因があ るよう に思 われ る。 このこと はも ち ろん'当時 テキ ストが
る。鄭 玄撫 は世家 旧蔵 の残欠 本 と方敏 明講 人吉 とを 対校 す る過 程 で' 「
余篇 を酬 り'其 の落翰 を理 め」 て整 理 したら
し い。 ここに 〟妄 増詩 約 二百
大変 乱 れ て いた こととも密接 に関連 す るわけ であ るが'鄭 玄撫 の 「整 理」自 体 にも 大き な問題があ った に違 いな い
と いう のは、 1般 に妄 増詩 二百を持 つ版本 は いず れも鄭 玄撫本 の後 に刊行 され たも のであ り' そ の強 い影響力 を示酸
し て いる。従 って大幅 な妄 増 の原 因 を考 え る際 には'鄭 玄撫 の存 在 を無視 す る こと はでき な い。
たつ
と
十 五巻本 の編纂 を終 え た鄭 玄撫 は' 方敬 明と 1緒 に刊行 し ようとす ると' 方敏 明 は かえ って 「
時 に唐 朝 を宗 ぶ に'
かか
わ
と
お
よ
ろこ
子独 り遮音 (退 き六朝文学)を 偉 ぶ。 乃 ち 拘 り て末 だ通ぜざ る こと無 からんや」 と諌 めたと いう。 この発 言も' 古 文辞
こ
れ
派 の主張 の浸透力 を端的 に物語 る。 これ に対 し て'鄭 氏 は 「
詩 は 諸 を民情 に本づ き' 風雅 に始 まり' 李唐 に備 わ る」
も のであ るが' ﹃玉台新 詠﹄ に収 める 六朝詩 は' ﹃
詩 経﹄ の道警 とし ても' また唐詩 の先錠 と し ても重要 な位置を占 め
るも のだと し て反 論 し' 方敏 明を説得す る。 このあ と' 漢 の宋子侯 ・秦嘉 より陳 の後 主 ・庚信 等 に到 るまで の主要 な
詩 人 に対す る評語が 綿 々と続 く (この部分が最も長い)
0
﹃続 玉台新詠﹄ 五巻本 の内 容 に触 れ た い。 本書 は陳 ・情 の作 者' たと えば 陳 の後 主 ・徐陵 ・張世見 ・慮思道 ・情 の
爆帝 ら 六十 四名 の詩 歌を収 める. 徐陵 のよう に' す で に ﹃玉台新 詠﹄ 十巻 のな か に収 められ た詩 人もあ る. この続編
の出現 によ って、宮 体詩 を核 とす る 六朝期 の艶詩 の流 れが 一層 理解 しやすく な った。 この例 など ほ、 明代 の文学史 の
7特 徴-
過去 の文学 に対す る通史的な展望 を表すも のであ ろう。構成 は巻 1二 l・三が 五言詩'巻 四 は七言詩 を中
心とした雑 言体 の歌詞'巻 五は五言四句 の詩。 この収録形態 は明 らか に徐陵 の編纂方式 にな らうも のであ る。収 める
詩数 は巻 1 (
五十 六首)
'巻 二 (
九首)
'巻 三 (二十 二首)
' 巻 四 (四十 七首)
' 巻 五 (二十 六首)
、 合計 1六〇首。 ち
なみ に'前述 の明天啓 二序 刊本 では四巻 であ るが' これ は収録詩 数 の少 な い巻 二と巻 三をあ わ せて 一巻と したも ので
あり' 所収内 容 に異同があ るわけ ではな い。 この鄭 玄撫本 の刊行以後'続編 を付載 す るのを通例とす る。
茅本 は ﹃四庫 提要﹄ 巻 三十 七 に 「顕倒改窺更 に甚 だ し」 と酷評 され るが' 五雲渓館本 や蘭雪堂本が とも に印刷部数
あ
る .
(9 )
本章 では' 三種 の版 本 について追記 す る。
の少 な い銅活字本 であ る ことを考 えると'揚 本 や この茅本 の果 たした役割 は'﹃王台新詠﹄ の流伝 を 考 え る際 には'
や はり看 過 でき な い大き さを持 つ。
三
既述 の四種以外 にも' も ちろ ん明 の中 ・後期 に刊行 された版本が
(a) 張嗣修 の万暦刊本
本書 は ﹃
増訂 四庫 簡 明目録標注﹄ に 「明方暦中張嗣修刊本」 とし て著録 され' 清 の康 照四十 六年 (一七〇七)
'孟環
はそ の方暦刊本 ではな-' 張嗣修自身 の手録 旧抄本 (
後述)によ って覆 刻し ている。 こ の こ と は' ﹃即事知見伝本書
目﹄巻十 六に'「
康 照 丁亥'孟環' 万暦 丁丑 の張嗣修手録袖珍本 を以 て上 板 す」 と あ る。 万暦 丁丑と は万暦五年 (一
五七七)を指 し'茅本 の刊行 より 二年早 い。 つまり' 万暦 の初 めわず か十年 以 内 に' 楊 本 ・張本 ・茅本が相継 いで刊
明代 通行 ﹃王台新詠﹄本 の解題
行され た こと にな る。
三四〇
清末 の蔵書家沈徳寿編 ﹃
抱 経楼 蔵書志﹄巻 六十 二 には'﹃玉台新詠﹄ の抄 本十巻を著 録 Lt あわ せて張嗣修 の識語
を のせる。
春秒客干武林'旅 舎無事'録 1袖 珍本O 一以家蔵宋本為正' 有諸本 互見 処'間為考註鳶.時 万暦 丁丑四月望後 一
日'張嗣修善 子松桂 山房。
これ によれは' 張本 の底本 は' 万暦 五年 の晩春 '武林 (
杭州)に遊 んだとき' 旅 舎 の つれ づ れ に家 蔵 の宋版 に基 づ
き つつ'諸書 に拠 ってまま考注 を加 えた袖 珍本 (
写本)であ った。家 蔵 の宋版 と は'後 に引-清 の学者李慈銘 (一八二
九- 一八九四)によれは'南 宋 の陳 玉父本 であ る。従 って妄増詩 二百 に象徴され るような俗本 の乱 れ は な か ったらし
ヽ0
)
沈徳寿 は同条 に孟環 の識語 をも併載す る。
是編'伝写寝靴'久乏善本.華亭楊本' 閑異宋刻.吾呉越本' 不無脱靴.虫干松陵超氏'獲袖 珍旧抄 本。健校精
当'騰写古雅。梓 人見之'請 登梨粟。遂以原本鐘版 云。康 照丁亥嘉 平月古臭孟環識。
「華革 の揚本」 と は前述 の楊 本'「吾が呉 の趨本」と は明末 の超均覆宋本 を指す。 孟環 によれば' 張本 (
ただし'旧
抄本)は 「
健校精 当」 な善 本 らし いが'﹃四庫提 要﹄巻 三十 七 に は' 「万暦中 の張嗣修本' 増京す る所多 し」と し て厳
し-批判 される (
﹃
考異﹄の粂)
。 これ に対 して' 李慈銘 は ﹃桃 華 聖 解 畠 日記﹄(
乙集第二集)光緒 元年 (一八七五)七月
十 1日 の条 で'
閲 四庫提要総 集煩'傍晩 坐庭下' 取巾箱本 明方暦間張嗣修所刻宋陳 玉父本'以提要所 言陳本俸拙' 及紀容軒考異
本 ・漏武増江本' 一一証之。 知張本極為精審'紀氏謂其多所窺乱者' 非也。
と述 べて反論 した.「清武増江本」と は、「蒔氏 (
管)校定 玉台新詠 十巻」 (
清武刊)を指す だ ろ う。留意 す べき点 は≡
袖 珍本」 と
点あ る。(1) 巾箱本'(2)南宋 の陳 玉父本 の覆 刻'(3)極 めて精審。巾箱本 と は張嗣修 の いわ ゆ る 「
同 じであ り'小字本 とも いう。 ちな み に、南 宋 の陳 玉父本も巾箱本 であ ったと いう (
別稿参照)
。
李慈銘 は'光緒十 四年 二月十 四 日' 張本が宋版 (
陳玉父本)に基 づ-すぐれ た校本 であ る ことを 再 び 確 認 し ていう
(
﹃
苛学斎日記﹄壬集下)
0
以乾隆間無錫華氏翻刻渇 己蒼 (
節)校趨寒 山所妙宋本 王台新詠' 勘 明方暦問 張嗣修所 刻 小字本。 両本 錐同出永嘉
陳 玉父宋刻本、 而各有改移。華本 又願拠 万暦間楊 刻本' 而漏氏所校、 亦有臆 改。 華 氏多去其校 語' 惟存 圏点 而
己。両刻幸皆附注 「宋本作某'新本作業」'尚 可考其大略。其校勘、 則張刻誤字少 耳。
(
10)
無錫 の華 氏本 と は' 前述 の錫 山 の華給校 刻 〟虞 山 二婿先生閲本 ″を指す。行款 は半葉 九行' 行十 九字。内閣文庫 所
蔵本 は'本来四冊 のも のを 二冊 に合本す る。
海 日楼題践﹄巻 一のな かで張本
ま た書籍 の版本 に対 し て独自 の見識 をも った清 の沈曽植 (一八五〇- 一九二二)も'﹃
の優 秀さを認 めて ﹃
提要﹄ の説 に反 論す る。
此本'為紀容 野考 異所誼。故 四庫 中 不収。然提要称 万暦中 張嗣修本' 則疑亦未曽親見此 刻者。 又云、多所増窺.
而裏話提要所 云' 乃皆与 宋本符合' 未曽見増窟之述。趨本 (
超均覆宋本)流伝漸稀' 此 固 不 失 為 佳 刻、 非後来各
本 可比。提要'昔 人有議其考証疎舛者。疑其 言不虚也。
提要
この李 ・沈 の二説をうけ て'胡 玉結 (一八五九- 一九四〇)は ﹃四庫 全書総 目提 要補 正﹄ 巻 五十 六 のな か で' 「
の云う所 は' 乃 ち紀 (
容野) の説 の誤 り に沿 う」 と結論 づけ た。 ただ ﹃提要﹄ の撰者が 張本 を直接見 な か った の では
な いかと いう沈氏 の記述 はやや疑問 であ る。 これ は張本が孟環を通 し て初 めて世間 に流伝 Lt それ以前 は写本 であ っ
明代通行 ﹃
玉台新詠﹄本の解題
三四二
ヽヽ
た ことを言 おうとす る のかも知れな い。 そ の場合、 李 氏 の 「万暦張嗣修所刻」 の記述等と矛盾す る こと になる。
な お孟環 の刊行 した張本 は'徐乃昌 の 「
札記」 のな かで' 題均覆宋本 には劣 ると評 されながらも' 五雲渓館本 とと
も に文字 の校勘 に頻 用され ている。
(
ち) 徐学譲 の嘉 靖刊本
本書 は' 台湾 の ﹃国立中央図書館善本書 目﹄甲編巻 四 に' 「玉台新詠十巻'続 五巻' 八冊陳徐陵編 明徐学謹 続編
明嘉靖間徐 氏海曙楼 刊本」 と著 録 され る。 これ によれ は' 続編 五巻 の編者 は徐学課 (一五二二- 一五七三)自身 のこと
となるが' おそら-鄭玄撫 の編纂 したも のであ ろう。とす れば'鄭玄撫本 の刊 行 は嘉 靖 十九年 (一五四〇)であ る の
で'以後' 二十年以内 の出版 となる。本書 を刊行 した徐学課 は'字 は思量。各 地 で治績 を あ げ' ﹃
海隅集﹄ 七十 七巻
もと
よわ
等 の著書 を持 つ。朱葬尊 の ﹃
静志 居詩話﹄巻 十 三 には' 「
雅 より詩名 を負う。然れども 儒き響き多 -' 殆 ど 其 の人 に
!
]
肖 たり」 と評 され る。 ちなみ に' 丁丙 の ﹃
善本書室蔵書志﹄巻 三十 八 (
十冊本)にも'嘉靖刊本 を著 録 Lt 「
続選 は名
し
.
る
著 さず」 とあ るが'当条 に引 用す る陳 ・
隔 の詩 人名 の列記 にょれば'鄭玄撫 の按 であ る。同書 にはまた'嘉靖 二
氏を
十 二年 (1五三四) の日づけをも つ華事 の張世美 の朕があ り'
吾松陵 旧有 宋刻本。楊 君士開'遂購 而校 刻'頗為精善 云。
と記 され て いると いうが、 両者 の関係 は資 料 不足 で詳 かではな い。 あ る いは楊 君と は'前述 の楊 元始 と関係す る のか
も知 れな い。
清 の程際 盛 (
原名は炎)は'呉兆宜原註本 の対校 に本書 を使 用 し た。乾隆 三十 九年 (1七七四)に成 る程氏 の験 に'
ヽヽ
「
板 は題 (
均の)刻 に従 い'徐 刻と同異を校 対す」 とあ る。同蚊 に は ま た 「王西荘先生蔵有嘉靖問徐学課海曙楼刻'
亦為古雅」 とあり' 王鳴盛 (
酉荘)の所蔵本が 用 いられ た ことを示す。﹃
篭註﹄本 にみえ る程氏 の懇 切 な対校 の注記 に
ょれば'本書 はほぼ内閣文庫 所蔵本 の二種 と同 じであ り'同 一系統 のテキ ストであ る ことが わ かる。従 っていわゆ る
玉
)。 。
と ころが'
久験。知依嘉 定本重雄
B
l
r
;r
;E
妄 増詩約 二百を有す る俗本 となるわけ であ るが' 明版が す で に稀親 木 と な った 現 在'宋版 (
遭均覆宋本)と明版 と の
綿密な対校 は'種 々の面 で大変便利 であ ると評 し てよ い。
森 立之編 ﹃経籍訪古志﹄巻 六には'狩谷板斉 の求古楼蔵嘉靖中朝 離宋本 を著 録 Lt
首有徐陵序'毎半坂十 五行' 行 三十字' 界 長 六寸 七分' 幅 四寸 五分' 末有嘉定 乙亥陳
者。 又有 明崇頑 冥酉超均刊本'乃原此本 ・
・
・
・
・
・
蓋 以此本為最古 云。
とあ る。菓 徳輝 は これ を徐学読本 であ ると し' 「
坊宋古雅'愛す べし」 と評す る (
﹃
郎園読書志﹄巻十五
薄増湘 の ﹃双鑑楼善 本書 目﹄巻 四 に著 録す る記述 「明嘉靖 刊本' 九行 二十字」 は' ﹃経籍訪古志﹄ に記す行款 と異な
る。妄増詩 が非常 に多 いこと からすれば' たとえ陳 玉父 の扶 文があ ったと し ても'直接陳 玉父本 から重離 したも ので
も
と
はな い。 また趨均覆宋本が 「此 の本 に原 づ-」 とす る記述も誤り であ る。 趨均 は家蔵 の宋版 に基 づ いて刊行 した (
別
き
l
稿参照)
。嘉靖十 九年 の後序 を持 つ前述 の ﹃続 玉台新詠﹄ 一冊本が本来 ﹃玉台新詠﹄ 十巻本 に付載 され た ことを考 える
(
l)
と'嘉靖 刊本 は少 な- とも 二種 以上あ る ことを想定 で る (
丁氏著森本にも注意)
.
(C) 沈逢春校 天啓 二年序 刊本
内閣文庫 所蔵明版 の 1種。毎半菓 九行'行十 九字'縦 二十 五 ・八 センチ'横十 六 ・五 セソチ' 四周単辺。巻 頭 に衰
宏 道撰 「王台新詠序」 を持 ち'次 に徐陵 の序 と天啓 壬戊 (
二年)の沈 逢春 の序が続-。本書も いわ ゆ る妄 増詩 約 二百
の俗本 であ り'所収詩 数 や配列 は楊本 と推定 した内閣文庫 所蔵 のもう 一種 と全-同 じ であ る。全 三冊 のうち' 第 一冊
明代通行 ﹃
王台新詠﹄本の解題
三四四
は巻 一か ら巻 五㌧ 第 二 冊 は巻 六 か ら巻 九 ㌧ 第 三 冊 は巻 十 と 鄭 玄 撫 撰 ﹃続 玉 台 新 詠 ﹄ 四 巻 を 収 め る (
既述)
0
1) 各 詩 人 の下 に略 伝 が あ る'(2) 詩 の本 文 の傍 に 「凄 然 」 「情 景 逼 真 」 等 の短 い評 語 が つ- '
本 書 の特 徴 は'(
は
しいませ
ー
の二点 であ る 。 そ の評 語 は、 蓑 宏 道 みず か ら 「筆 を 韓 に し て批 閲 」 し た も のと いう (
序)
。 ま た 公 安 派 の衰 宏 道 の
略
す
1
。
序 を 持 つ こと は' す で に別 稿 で触 れ た よ う に' ﹃王 台 新 詠 ﹄ が 反 古 文 辞 派 の人 々 の間 で注 目 さ れ た こ と を 示 す 。 ま た
王
衰 宏 道 は序 のな か で 「板 鮒 が れ ' 蝕 字 模 糊 」 た る状 態 を 嘆 き ' 善 本 が 重 刻 さ れ る こと を 願 って いる。 本 書 を校 定 し た
(
2)
銭 塘 の沈 逢 春 の序 はす で に 一部 を 引 いた ので、 今 ' 紙 幅 の関 係 で そ の詳 細 を
注
詠﹄陳玉父本を中心として」(
早大 ﹃
中国古典研究﹄第 二六号
)
の二つを指す。
(1) 本書 で別稿 と称するのは'「
明末 ・清初 の ﹃王台新詠﹄研究 の確立」(
早大 ﹃
中国文学研究﹄第七期)と 「
幻 の宋版 ﹃玉台新
(2) ﹃
等註﹄本や虞山 二漏先生関本等所収。
(4
)
上海古籍出版社 ﹃
唐 五十家詩集﹄(
全 八冊) の徐鵬 の 「
前言」参照。
(3) 北京図書館編 ﹃
中国版刻図録﹄増訂本 では'横 を十 三センチとす る0
(5) 毛春期著 ﹃
古書版本常談﹄活字本や菓徳輝 ﹃
書林清話﹄ 「
明錫山華氏活字板」等所引。
(6) 劉家壁編訂 ﹃
中国図書史資料集﹄ に収 める銭存訓 「
論明代銅活字板問題」 によれば'華聖 は華煤 の兄 の華桐 (一四二八- 一
五〇四) の幼子であり'華鏡 は華堅 の長子であ る。
(7) ﹃
読書敏 求記﹄巻四'左克明古楽府十巻 の条 (
別稿 にも引く)参照。
台湾 の ﹃
国立中央図書館善本書 目﹄甲編巻四 にも'北京図書館と同様 に四冊本と八冊本 の二部を著鐘す る。
)
(8
鄭振鍔 の ﹃西諦書目﹄巻四に 「
清乾隆 二十六年錫山華給刊本四冊」 「
清康照五十 三年番賢刊本 二冊」 を著録す ることからす
﹃
汲古間校刻書 目﹄ にも ﹃王台新詠﹄ を著録す るが'詳細 は未詳。
(9 )
(10 )
れば、 まず康田岩 十 三年 二 七 1四) に刊行された清賓 の校定 を へた テキ ストが あ り' 乾隆 二十六年 (1七六 1)
'華給 によ っ
て「
多く其 の校語を去」られて出版 されたも のか。 内閣文庫本 にも東大文学部本 にも'年月を記した序抜や刊記 はな い。 また こ
の華給校刻本が 「
頗 る万暦間 の場刻本 に拠 る」とす る指摘も興味深 い。
(11) 鄭振鐸 の ﹃西議題践﹄ や ﹃西講目録﹄巻四 にも'嘉靖刊本 の記述があ るが'行款等 は記されていな い。
(12) 詩歌 は拝借表現 であ ると いう観点 から ﹃
詩経﹄ から唐詩 に到 る拝借詩 の流れ に着 目Lt ﹃王台新詠﹄ は ﹃
文選﹄ と唐詩 との
間 に介在する 「
情を離れざ る」詩集 であるとす る。
○貴重 な図書 の閲覧 を許可された内閣文庫関係各位 に対 して'紙面を借り てお礼申 しあげ ます。 なお邸玄撫 の ﹃
続 玉台新詠﹄ は、
近年影印 された成都古籍書店刊'呉兆宜注 ﹃玉台新詠﹄(
民国 二十四年 の黄芸楯 の奴をも つ) のなかに付載 されて いる。
明代通行 ﹃玉台新詠﹄本 の解題
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